読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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311と同じく東日本ハウスの株価が急に上がっているから711が起こるかも 2011年07月11日は浜田和幸が国会で人口地震・津波技術がある(地震・津波兵器の存在)と認めた日 

カルトが世界を支配していて、カルトは異常に数字にこだわる。
311前には東日本ハウスの株が上がりました。今また上がっています↓
http://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/detail/?code=1873.T&d=3m

東日本ハウスは、竹中平蔵と共同で災害債権投資でぼろもうけ。事前に空売り。
この東日本ハウスが、東電の経営している地球深部探査船「ちきゅう」船号の経営に関与。
この船舶は深海プレートを掘削してガスをいれて実験している船。
地震の原因といわれています。

711が起こるのか?過去に7月11日に起こった衝撃的事件は、2011年7/11浜田和幸が国会で人工地震・津波技術がある(地震・津波兵器の存在)と認めたこと。↓
http://www.youtube.com/watch?v=_D5oMLFDyXE
“地震兵器とか、自然改変装置というのは、別にアメリカだけではなくて、旧ソ連も今のロシアも中国も、多くの国々がですね、研究開発に余念無く取り組んできた事実があります。
しかも、「地震あるいは津波を人工的に起こすことは、実は技術的には十分可能だ」と言われているのは、国際政治・軍事上においては常識化されているわけであります。”

(↑文字起こし〔一部だけ〕は私。↓は動画付属の記事)

” 質問したみんなの党の柿沢未途氏は、浜田氏が論文などで、人工的に地震や津波など自然¬災害を引き起こす環境・気象兵器を米国が敵対国に使用した可能性があるとしている点を¬取り上げ、復興に関する国際協力を得る政府の担当者に不適格だと指摘した。
これに対し浜田氏は「地震や津波を人工的に起こすのは技術的に可能で、国際政治、軍事¬上で常識化されている」と持論を改めて展開。同時に「だからといって米政府などが日本¬のために援助をしないことはない」とも述べた。”

この動画内で京都大学生存圏研究所信楽MU観測所の主要観測施設であるMUレーダーが日本にあるHAARPだと言っている。http://www.rish.kyoto-u.ac.jp/~mu/ HAARP基地疑惑。

浜田氏が国会答弁した後の彼の公式サイトの当時記事↓

“本日の衆議院の復興特別委員会でみんなの党の議員から小生へ質問が浴びせられた。

数年前、小生が月刊誌に発表した、地震・津波兵器に関する論文を持ちだし、「こんなことを言っていた政務官に海外との連絡調整役が務まるのか」と言うわけだ。

アメリカやニュージーランドの公文書館で確認した資料に基づいて書いた論文である。

更に言えば、国連においても長年にわたり自然改変装置の禁止条約が議論されているのはなぜか。

現実にそうした兵器が存在しているからである。

現実を見ようとも、理解しようともせず、相手を非難するだけでは、ますます世界から取り残されるだけである。

実際、ロシアも中国も同種の環境改変装置や兵器の研究と実用化に余念がない。

先の北京五輪でも使われたことは広く報道されたもの。“
浜田和幸オフィシャルブログの2011年07月11日の記事
当選一年目に思う|浜田和幸オフィシャルブログ Powered by ...
2011年07月11日 21時58分23秒
http://ameblo.jp/hamada-kazuyuki/entry-10950707173.html

”新潮45の2005年3月号に「スマトラ沖地震に隠された仰天情報」との論文を寄稿した。この中で浜田はスマトラ島沖地震が「地震兵器」、「津波兵器」により引き起こされた可能性があるとし、アメリカの関与を示唆した。また総務大臣政務官就任後、2011年7月の衆議院東日本大震災復興特別委員会で「地震や津波を人工的に起こすのは技術的に可能で、国際政治、軍事上で常識化されている」と持論を展開した”
浜田和幸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%B9%B8

浜田氏の地震兵器と津波兵器に関する論文の一部を載せたブログ発見↓

”■スマトラ沖地震に隠された仰天情報 浜田和幸

気象コントロールは可能か?

人工的に雷や地震を発生させ、狙った相手の国の通信網を麻痺させるという目的の超低周波ビーム光線を完成させたと1976年ソ連は発表した。それに対抗して2年後、超低周波気象コントロール兵器の開発に着手し、人工的に大雨を降らせることに成功した。

自然災害を装った兵器、「地震兵器」「津波兵器」がインドネシア、スマトラ島沖の大地震や巨大津波に使われていた可能性は否定できない。アメリカ空軍と海軍では3兆ドルを超える研究費を投じ、「気象コントロール兵器」の実験を繰り返している。ベトナム戦争でも実験的に使用された。嵐を発生させ、通信網をストップさせ、ジョージ・ソロスが大儲けした(偶然?)ということもあった。

スマトラ島沖が震源地になったのはスマトラ島北部はインドネシア独立を求めるイスラム過激派の拠点であり、ウサマ・ビンラディンの潜伏先の一つに数えられるため、地震兵器が使用されたのではないか。地震発生と同時にアメリカ軍はイスラム過激派の拠点アチェを制圧できた。東ティモールの独立運動も一掃された。インドネシアにとってもアメリカの石油資本(テロ対策に手を焼いていた)にとっても敵が消えた。

ハワイにある津波警戒センターが警報を周辺26カ国に送ったが、インドネシアとタイには通報が行かなかった。イスラム過激派の動きを封じるためといわれる。津波の被害にあったインドとスリランカの政府はアメリカからの援助の申し出を断った。インドとアラブ世界のメディアは「今回の地震と津波はアメリカ軍とオーストラリア軍が共同開発した環境破壊兵器によるもの」という見方を広めている。アメリカ軍は地震直後、アメリカ海軍基地やオーストラリア軍には津波警戒を伝達したが周辺国には限定的な情報しか流さなかった。

1999年にニュージーランドの外務省が公開した極秘外交文書が話題を呼んでいる。それには「米政府は第二次世界大戦末期から、地震、津波の開発を進めていた。日本を降伏させるため津波兵器を使うか原爆を投下するか検討されたが、精度が高く、効果が大きい原爆が採用された」と示されている。

カルフォルニア工科大学、ケニー・シニー教授は2004年7月、インドネシアに大地震が発生する危険があると警告を呼びかけるセミナーを現地で開催しようとしたが、アメリカとインドネシア両政府からの圧力でキャンセルされてしまった。

(「新潮45」2005年3月号156ページ~162ページより)

http://surounin777.blog101.fc2.com/blog-entry-410.html”
スマトラ沖地震に隠された仰天情報 浜田和幸|donのブログ
http://ameblo.jp/don1110/entry-10951026045.html

環境改変兵器禁止条約
環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%94%B9%E5%A4%89%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%9A%84%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E6%95%B5%E5%AF%BE%E7%9A%84%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%AE%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
“外部リンク[編集]
条文正訳(日本語) - 外務省
条文サイト(英語) - 国連条約局
国連総会決議31/72号(英語) - 国連総会(公式)
国連総会決議31/72号(英語) - UN Documents(転載)”

“1977 調印 環境操作技術の軍事的その他のいかなる敵対的使用の禁止に関する条約”
“1977年5月18日、ジュネーブにて調印
1978年10月5日、発効
1979年12月13日、アメリカ大統領批准
1980年1月17日、米国はニューヨークで批准発効”
山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
【国連:気象兵器禁止条約=気象操作技術禁止条約】-1977年 環境操作技術の軍事的その他のいかなる敵対的使用の禁止に関する条約、前文(翻訳)と原文
http://enzai.9-11.jp/?p=7005

明治以前から既に人工地震は成功している(規模は不明だが)↓
サトウ『一外交官の見た明治維新(上下)』坂田精一訳(岩波文庫、1960)より
“現在でも日本で見られる、このありふれた地震の実例についてさらによく知りたい人は、地震学協会の定期刊行物や、有名な地質学者である私の知友ジョン・ミルン教授の書いた物を参照されるがよい。同教授は多くの自然の地震について観察し、これを記録しているばかりでなく、ほとんど探知できぬほど本当の地震そっくりの人工地震を起こすことにさえ成功している。”(上,p.72第五章の末尾)


気象兵器
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1%E5%85%B5%E5%99%A8#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

気象制御
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1%E5%88%B6%E5%BE%A1

人工降雨
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E9%99%8D%E9%9B%A8
”中国における実験[編集]
中国では進行する砂漠化に伴う水不足対策のため、気象局がヨウ化銀を搭載した小型移動式ロケットを打ち上げて、世界でも最大規模の人工降雨を行っている。
北京五輪の数年前より、8月8日に予定されていた開会式で人工降雨が行われるのではないかと言う報道があった。開会式の日は日本の梅雨に相当する比較的雨の多い時期にあたるため、雨雲が北京に流れてくる前に人工的に雨を降らせ、雲を消散させて開会式会場付近の晴天を確保するというもので、中国政府が計画していた。実際に、開会式当日にヨウ化銀を含んだ小型ロケット1104発が市内21カ所から発射された。効果は不明であるが、開会式は晴れだったため、雲の消散に寄与した可能性は否定できない[8]。

インドにおける実験[編集]

インドでも、2003年から2004年にかけて、アメリカのウェザーモディフィケーション社(Weather Modification Inc. [9])のとの提携によって人工降雨を行った[10]。2008年にはアーンドラ・プラデーシュ州においても実施された[11]。

アメリカにおける研究と実践[編集]

アメリカ合衆国では、旱魃対策で人工降雨が実践されてきた。また雷雨時の雹を減少させたり、空港での霧を低減させるのにも実践されてきた。スキーリゾート地でも人工降雪が行われている。

北米州間気象調整会議(North American Interstate Weather Modification Council。NAIWMC)では、北米11の州とカナダのアルバータ州において気象制御(気象調節)プログラムが進行している[12]

2006年にはワイオミング州において880万ドルの予算で人工降雨が実施された[13]。

気象調整を行う民間会社[編集]

アメリカにおいては以下のような気象調整サービスを行う民間会社がある。
Aero Systems Incorporated [4]
Atmospherics Incorporated [5],
North American Weather Consultants [6],
Weather Modification Incorporated [7],
Weather Enhancement Technologies International [8],
Seeding Operations and Atmospheric Research (SOAR) [9]

1978年の気象制御を慈善目的での使用に限定する国際条約にアメリカ合衆国は調印したにもかかわらず、アメリカ空軍(USAF)は、1996年、戦場での人工降雨を提案した。

ヨーロッパにおける研究と実践[編集]

フランスでは1950年代に人工降雨が開始された。1951年に大気災害国立対策研究所(Association Nationale d’Etude et de Lutte contre les Fléaux Atmosphériques。略称:ANELFA)が設立された[14][15]。スペインでも同様の機関( Consorcio por la Lucha Antigranizo de Aragon)が設立された[15] 。

ロシアにおける研究と実践[編集]

1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後、ロシア空軍によってベラルーシ上空で気象種まき(人工降雨のためのシーディング物質散布)が行われた[16] 。

2006年7月のG8サミットにおいて、プーチン首相はフィンランドの要請に応じて、ロシア空軍による人工降雨を実施したと発言した[17]。2008年6月17日にはモスクワ上空で同軍によるシーディング物質としてのセメント散布が実施されたが、一部のセメント袋が粉状にならずに民家に落下した[18]。2009 年にはユーリ・ルシコフモスクワ市長が、「雪のない冬」を提言し、空軍によるシーディング物質散布を実施した[19]。

オーストラリアにおける実施[編集]


This Cessna 441 is used to conduct cloud-seeding flights on behalf of Hydro Tasmania
オーストラリアでは、1960年代に国立科学工学研究機関(The Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation。略称:CSIRO[20])によるタスマニア州のタスマニア水力発電所での実施が成功している[21]。

2004年から2014年にかけてオーストラリア政府及び州政府とスノーウィ水力発電社[22]は、「タスマニア水力発電クラウドシ−ディング計画」を開始、人工降雪を実施している[23] 。ただし、ニューサウスウェールズ州の自然資源委員会は2006年の会議において降雪の増加は認められるものの、安定した供給は難しいとコメントした。

2006年12月にはクイーンズランド州政府は、760万豪ドルをかけて「温暖雲(warm cloud)」による人工降雪計画を、気象局とアメリカ大気研究センターとの提携によって開始した[24]。

アフリカにおける実施[編集]

2006年からマリ共和国 と ニジェール共和国においてアメリカ大気研究センターとの提携で大規模な人工降雨の実験が行われている[25][26]。”

モスクワを放射性物質から護るための人工降雨 ソ連は首都モスクワを護った。なにもせずにいた日本の差は大きい
”ロシア軍の元パイロットは、彼らが1986年のチェルノブイリ原発事故後の放射性降下物からモスクワを守るために雨雲をどのように作ったか説明しました。チェルノブイリとベラルーシ上空で、人口密度の高い都市に向かって大気中を流れている放射性物質を 「洗い落とす」雨雲を作る為に、ヨウ化銀を入れたミサイルを繰り返し使用したそうです。

ベラルーシの4000平方マイル以上のエリアを、有毒な放射性物質から、ロシアの首都(モスクワ)を救うために犠牲にしたのです。

「風向から、西から東に移動していた放射性雲がモスクワ、ヴォロネジ、ニジニ·ノヴゴロド、ヤロスラブリの人口密度の高い領域に到達する危険性があった」と彼は、放送される予定のBBCのドキュメンタリー番組で話した。

「もし、こうした放射性物質を含んだ雨が、モスクワなどのこれらの大都市におちていたら、数百万人の大災厄になっていた。私たちのチームが人工降雨を降らせたために、悪い影響が及んだエリアは、チェルノブイリから30キロ圏内のみならず、50キロ、70キロ、100キロの外までとなっている。」”


特許庁 検索
[INPIT]特許電子図書館(IPDL)サービス一覧 | 独立行政法人 ...
http://www.inpit.go.jp/ipdl/service/

2008年 北京オリンピックの開会式
”天候操作[編集]
開会式当日、会場に向かって雨雲が接近しつつあったため、夕刻以降に中国当局はヨウ化銀を含んだ小型ロケット1104発を市内21カ所から発射し、会場上空に雨雲が到達する前に郊外で人工降雨を起こし雨雲を消滅させた”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E9%96%8B%E4%BC%9A%E5%BC%8F

【日経新聞】2014/7/4 3:00
"米オクラホマ州の地震多発、シェール採掘に起因 コーネル大
【ワシントン=共同】米南部オクラホマ州で数年前から多発している地震は、シェールガスやシェールオイルの採掘に伴う大量の廃水が地中に捨てられて引き起こされたとする分析を、米コーネル大の研究チームが3日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 地中の廃水が潤滑油のように働いて断層が動きやすくなったのが原因。特に注水量が多い4基の廃水井戸の影響が大きく、地震全体の20%の誘発要因となっていた。地震の範囲も拡大しており、研究チームは「将来マグニチュード(M)6を超す地震が州都オクラホマシティーを襲う恐れがある」と警告している。

 化学物質を含む水を高圧で地中に送るシェールガス採掘では大量の廃水が出るため、多くの事業者が専用の井戸を掘って地中に捨てている。

 研究チームは、2013年までにオクラホマシティー周辺で起きた数百の地震データと、近くにある約100基の廃水井戸の関係を分析。すると特に大規模な4基の井戸から注入された大量の廃水が岩盤の間を広がり、断層を動かす主な要因となっていることが分かった。井戸から30キロ以上離れた場所でも地震を誘発していた。

 周辺では11年に起きたM5.7の地震を筆頭に、08年以降にかつての40倍の頻度で地震が起きるようになった。シェール採掘の活発化で04~08年にかけて廃水の注入量が2倍に増えたためと研究チームはみている。"
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG03030_T00C14A7CR8000/

“あのさ、1960年以降、世界中で人工的に天候を変える実験が各地で行われ、人工台風も製造可能のお墨付きを国連からもらい、「他国を攻撃する意図で使用しないこと」という条約まで結ばれ、国債特許が取られていることすら知らない? 平和だね。”
“引用 宇宙技術開発の大手・米ソーラーエン(SolarEn)社が、宇宙太陽光発電用に軌道上に投入した衛星ステーションから、特定の電離層に電力中継用の電磁ビーム照射を行うことで、人工雨や台風を生成でき、温度を人工的に可変せることで制御可能。”
“調べれば出てくるでしょう。特許庁の検索までもかなりの数が出てきます。2008年に人工気象コントロールは敵対行為に使用しないとの国際調印も結ばれています。これらも検索すれば出てきますよ。”
“ホラ、工作員丸出し(笑) 工作員マニュアル通りの展開。 あのね、ヘクトパスカルやミリバールなどの単位、さらに変化する気象環境や地域によって台風の基準値も更新されていること知ってます?  A:最大風速が34ノット以上のもの(米国基準)”
“1977年 気象兵器禁止条約・前文(和訳) 1977年5月18日、ジュネーブにて調印 1978年10月5日、発効 1979年12月13日、アメリカ大統領批准 1980年1月17日、米国はニューヨークで批准発効 http://enzai.9-11.jp/?p=7005”
Aran Meclaren‏@WorldWildWow


”その他[編集]

人為的・外部的要因による誘発地震[編集]

主に人為的な原因や人工物の影響で引き起こされる地震。なお、人為的によらない外部的な要因としては、様々な自然現象などが地震の引き金になっている可能性も指摘されている(詳細は後節の「#地震発生のきっかけ」を参照)。

大質量の移動による誘発

超高層建築物・ダムの建設、地面の掘削・造成、石炭・石油や天然ガスなどの採掘が地下構造を変え、地震を誘発することがある。また、ダムの貯水でも地下の岩盤における間隙水圧・応力が変化して地震を誘発することがある。 1940年には、アメリカのフーバーダム付近でM5の地震が発生した。また、インド・マハラシュトラ州西部のコイナダム付近では、1962年の貯水開始後から地鳴りと小さな地震が発生し、1967年12月10日にはM6.3の地震が起こり180人が死亡、およそ2000人が負傷した。同時期にはダムは最高水位に達しており、貯まった水の水圧によって誘発されたものだとされている[19]。

電流による誘発

地中に電流を流すことで地震が誘発されると言う実験結果がある。ソビエト連邦がキルギスの天山山脈で、2.8kAの電流を百回以上地下に流し込む実験を行ったところ、約2日後から地震が増え、数日のうちに収まるという現象が起こった[20]。

流体注入による誘発

水分やガスといった流体が地中に注入されることで地震が誘発されることがある。なお、自然界でも同様の現象が発生している(後述)。 ロッキー山脈のアメリカ軍の兵器工場で、1962年3月から深さ3670メートルの地下に廃水を廃棄し始めたところ、1882年以来80年間も地震が全くなかった場所に地震が発生し始めた(デンバー地震)。注入量や圧力に比例するように地震の数が増減した[21]。また、2007年12月にスイスのバーゼルで地熱発電に利用する蒸気を発生させるために地下5000メートルの花崗岩層に熱水を注入したところ、最大M3.4の地震が2度発生した。この地域では以前から有感地震が発生していた[22]。同様に、鉱山内のガス流体による地震の誘発作用も示唆されている[23]。また、シェールガス採掘のために地中に注入された水が引き金となった事が報告されている[24]。”
地震
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96

”人工地震は、人工的な発破などにより発生する。一方、通常の地震動を発生させる地震のことを、自然地震と呼ぶことがある[1]。

土木工事などに使われる発破は地震波を発生させるため、しばしば自然地震と誤認される。ただし地震波には、P波に比べてS波が小さい、表面波が卓越する、すべての観測点でP波初動が押し波となるなどの特徴があり、自然地震による地震動との判別は可能である。核爆発によるものも代表的な人工地震のひとつであり、大規模な地震動となった例もある(後述)。こちらも地震波に前述と同じ特徴があるため、識別及び感知が可能であり、地震計による核実験の監視に活用されている[2]。

人工震源[編集]

人工地震を発生させる装置を人工震源と呼ぶ。地震学での震源とは意味が異なる。

爆薬

主にダイナマイトが使われる。従来の一般的な震源だが、危険物の取り扱いに難があること、震源周辺に対する悪影響が大きいことから、爆薬以外の「非爆薬震源」に切り替わりつつある。

エアガン

水中で圧縮空気を放出する。水中では(爆薬と並んで)よく使われる。

ウォーターガン

水中に水を放出する。エアガンと異なり、ノイズ源となる気泡が発生しない。

スパーカー

水中で放電させる。周波数が高いため微細構造の探査に適す。

サンパー

マス(重し)を地面に落下させる。

バイブロサイス

マスを機械に振動させスイープ波を発生させる。瞬間的なパルス波ではないため、震源周辺への影響が少ない。

(中略)
核実験による人工地震[編集]

ロシアにおける人工地震[編集]

1973年9月12日に、ノヴァヤゼムリャの北島で行われた核出力4.2Mtの地下核実験では、マグニチュード6.97に相当する揺れが発生した[3]。

アメリカにおける人工地震[編集]

詳細は「グロメット作戦」、「アムチトカ島」、および「W71 (核弾頭)」を参照

アメリカ合衆国が1971年から1972年にかけて行なった地下核実験(グロメット作戦)のうち、1971年アムチトカ島における地下核実験(カニキン・プロジェクト[4])においてW71核弾頭が使用された際、核出力は5Mtで地下核実験としては最大規模の記録を出したが、マグニチュード7.0相当の人工地震も記録した[5]。”
人工地震
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%9C%B0%E9%9C%87#.E6.A0.B8.E5.AE.9F.E9.A8.93.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E4.BA.BA.E5.B7.A5.E5.9C.B0.E9.9C.87

核実験の探知
”核実験の探知[編集]

東西冷戦中には、アメリカ合衆国が地下核実験の探知を目的として世界中に地震計を設置した。おもにソビエト連邦が実施した地下核実験によって生じる地震波をとらえた。いっぽう、核実験実施国も自然地震と見せかけるために巧妙な核実験を行った。たとえば爆弾を並べて短時間に順に爆発させていき断層破壊と偽ったり、2発の爆弾を短時間に続けて爆発させ自然地震特有のpP波に似た波を発生させたりしていた。

このような経緯で設置された地震計は、現在では純粋に地震学の分野で大きく活用されている(たとえば地震波トモグラフィー)。

なお、地震計による核実験探知については、ブルース・A・ボルト著『地下核実験探知』に詳しく記してある。”
核実験
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93


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人工地震1


 以上の拡散用画像は↓より。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201203/article_52.html

http://www.news-us.jp/article/257037754.htmlでは画像付きで↓が載っています
1953-9-13 読売新聞 夕刊3面より「人工地震で9名がガス中毒 釜石」
1955-9-21 読売新聞14版 朝刊7面より 『社説 人工地震と原爆』
1955-9-21 朝日新聞12版 夕刊3面より 『原爆による人工地震計画』
1984-3-12 読売新聞 朝刊23面より「人工地震大きすぎた! 新幹線のダイヤ乱れる 等。

戦後の人工地震に関する読売新聞戦後紙面の拡大版を用意しました。
http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-465.html
だいだいこんさん有難う。

【資料】朝日と読売の「人工地震」&「地震兵器」に関連する見出し
http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-452.html
【資料】日経の「人工地震」に関連する見出しと注目記事を集めました。
http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-488.html


http://www.youtube.com/watch?v=AKeH9lRIG4M
↑東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
この番組関係者が何人か殺されました。

太平洋戦争後期の昭和19年12月、東海地方を、マグニチュード7.9の巨大地震が襲った。死者1200人以上に達した大震災で、被害が集中したのが、軍用機工場だった。建物の倒壊により、工場で働いていた10代の少年少女が、命を落とした。しかし、この事実は、国の徹底した情報操作によって、“封印”される。国は、なぜ地震の被害を隠そうとしたのか。近年発見された機密資料や被災者の証言から、大震災の実態をひもとく。




『一外交官の見た明治維新』(上下) 坂田精一訳(岩波文庫、1960)~人工地震の記述あり~

 本書の前半はシャム(タイ)滞在中だった1880年代前半に執筆された
+人工地震の記述は(上,p.72第五章の末尾)
= 1880年代前半(百三十年ほど前から)には既に人工地震技術はあったのです。
 それから約六十年後(遥かに技術は向上しているはず)の二次大戦中、アメリカは日本に原爆・人工地震・人工津波攻撃をしかけました。
 そして今でも使われています。さらなる技術革新を遂げながら。 


 本書 (原題A Diplomat in Japan) は日本の幕末・維新期にイギリスから来日していた青年外交官アーネスト・サトウの回想録です。
1921年(大正10年)にロンドンのシーレー・サービス会社から出版。序文によると本書の前半はシャム滞在中だった1880年代前半に執筆されたのですが、未完成のまま放置されていました。1919年以後執筆再開し完成。本書は日本では終戦まで25年間禁書とされていました。


アーネスト・メイソン[メーソン](どちらでも可)・サトウ(Sir Ernest Mason Satow1843~1929年)は、イギリス外交官。英国公使館の通訳、駐日英国公使、駐清公使を務めました。日本名は佐藤 愛之助(または薩道愛之助)。駐日領総事ラザフォード・オールコックや駐日公使ハリー・パークス(在任、1865年-1882年)の下で活躍(暗躍?)し、明治維新に大貢献(どこの国にとって?)した人です。
日本滞在は1862~1883年(一時帰国を含む)と、駐日公使としての1895~1900年までの計25年間。息子は植物学者の武田久吉。


ミドルネームの「メイソン(メーソン)」(メイスンと記す場合もあるらしい)が表しているように、石工の家系です。

サトウは、Nonconformist(非国教派)でルーテル派(=ルター派。プロテスタント)の宗教心あつい家で、1843年ロンドンで三男として生まれました。
サトウの父デーヴィッド(ユダヤ系であるかわからないが可能性は或る程度ある名前。ユダヤ系でなくても普通に名づけます)は、スウェーデン人(正確には、ドイツ東部のヴィスマールにルーツを持つソルブ系ドイツ人だが、当時はスウェーデン領だったため出生時の国籍はスウェーデン)です。ナポレオンの大陸封鎖時に、ラトビアのリガに引越し。その後、ロンドンのロンドンブリッジの近くのユダヤ人街に事務所を構え、金融業(不動産業?その他商業)を営む。家系に余裕が出来た為、自宅を買って移り住むが仕事場は変わらず。母はイギリス人(旧姓、メイソン)マーガレット。
本人は、幼少時まず非国教徒やユダヤ人が通う学校に通学。通訳学校を主席で通過。ケンブリッジやオックスフォード入学には、英国国教徒であることが条件だったので入学できませんでしたこの二校が非国教徒に開かれたのは、1871(明治3年)からのことです。


1866年(慶応二年),22歳の時に,横浜で発行された週間ジャパンタイムズにEnglish Policy(英国策論)を発表し、「徳川幕府を倒し、天皇と大名連合体が日本を支配しなければならない」 と記述し、徳川が約束した兵庫開港の期日が遅れるようなことがあれば「イギリス政府は強制と流血に訴えると」したもの。この期日が2年後の1868年元旦で、「1868年の革命=明治維新」の年でした。
英国策論の翻訳が出回り(本はプロパンガンダにも当然利用されます)、徳川側の大名たちは浮足立ち、維新外国資本勢力は勢いづき、明治革命は成功(どっちにとって?)し明治傀儡政権が誕生します。

1900年(明治33年)、伊藤博文が4度目の首相の座に座りましたが、このときの在日英国公使がメーソン・サトウです。
日英同盟はサトウが日本を去った二年後の1902年(明治35年)1月30日に、林董(はやしただす。日本人初のメーソンの一員らしい)駐英公使と、イギリスのペティ・フィッツモーリス外相により調印されましたが、親日家のサトウのロビー活動の影響もあったようです。



「可憐、可憐、賞一箇大」(コーリエン、コーリエン、シヤンイコオタ)(訳注 哀れと思って一文恵んで下さい)(上,p.17)
↑引用意図不明。

「将軍」の語は一切登場せず、大君(タイクーン)と呼ぶ。「てんのう」ではなく、ミカドと呼ぶ。大君の部下(側近だったかな?)は彼を「上(カミ)」と呼ぶ(将軍の呼び名は当時はしなかったのか?)。
当時は✝教を「邪宗門」(邪宗でも可)と呼ばれたりしたらしい(サトーは言っていない。いや英語だから当り前か)。


“知能の試験はできはしない。頭の鈍い青年でも適当な受験勉強の指導をうければ、山を賭ける「秘訣」を知らない誠実な学生を大抵わけなく打ちまかすことができるからだ。当今、公開試験の受験者はみな受験勉強の先生につくが、この先生は試験目当ての数か月の訓練で、かりそめの不自然な果実をみのらせる。私に言わせれば、合格した受験生とは取りも直さず、上手に受験の指導をうけた志願者にすぎない。しかし、大抵の受験者はこうした方法についには嫌気をさし、以前は勉強好きだった者でも勉強する気持をなくしてしまう。
 (…)言語を習得するには、まじめに勉強するのでなければ到底物にならない。前記のような試験方法は人間の語学能力をためすものではなく、往々にして、外国語を話すことが、あたかも空中を飛べぬと同様に全然できぬ人間を採用する結果になる。私が試験に合格したのは、その原因をもとめれば、他の競争者のだれよりも、学校を出てまだ間がなかったというところにある。“(上,p.16)



"
日本の商人も、往々同様な手段で相手に返報されたが、不正行為を差引きすれば日本の方がはるかに大きかった。そんなわけで、外国人たちの間に、「日本人と不正直な取引者とは同義語である」との確信がきわめて強くなった。両者の親善感情などは、あり得べくもなかったのである。 (上, p. 21)

何度繰りかえして言っても、とにかく大名なる者は取るに足らない存在であった。彼らには、近代型の立憲君主ほどの権力さえもなく、教育の仕方が誤っていたために、知能の程度は常に水準をはるかに下回っていた。このような奇妙な政治体制がとにかく続いたのは、ひとえに日本が諸外国から孤立していたためであった。ヨーロッパの新思想の風がこの骨格に吹き当たったとき、それは石棺から取り出されたエジプトの木乃伊ミイラのように粉々にこわれてしまったのである。" (上, p. 42)





“現在でも日本で見られる、このありふれた地震の実例についてさらによく知りたい人は、地震学協会の定期刊行物や、有名な地質学者である私の知友ジョン・ミルン教授の書いた物を参照されるがよい。同教授は多くの自然の地震について観察し、これを記録しているばかりでなく、ほとんど探知できぬほど本当の地震そっくりの人工地震を起こすことにさえ成功している。”(上,p.72第五章の末尾)


ジョン・ミルン氏についての情報は、http://richardkoshimizu.at.webry.info/のコメントを抜粋します↓
ジョン・ミルン教授について色々調べておりましたら
幾つか興味のある文書を見つけました。120-130年以上前の研究書が現存しているようです。

 ケンブリッジジャーナルのホームページから
ジョン・ミルン教授の「Reviews—Prof. John Milne—Earthquakes.」371ページの人工地震についての記述を一部抜粋。

"Not the least important application of those
beautiful instruments has been the observation of
artificial earthquakes. Much curious and useful
information has thus been obtained."

ソースは

http://journals.cambridge.org/action/displayFulltext?type=1&fid=5443428&jid=GEO&volumeId=3&issueId=08&aid=5443424


“私の想像では、当時の諸外国の代表たちは、大君(タイクーン)を援助して天皇(ミカド)と大名から成る攘夷派に対抗させ、もし必要ならば大君(タイクーン)を単なる封建的支配者たるにとどめず、それ以上の支配者にしようと考えていたらしい。そう考えたのは、当時外国人の間では、名分上の君主という単なる名目中に存在する無限の権威についてはまだ全く思い及ばなかったし、また外国人の有した日本歴史の知識では、日本の内乱の場合に天皇(ミカド)の身柄と神器を擁することができた側に常に勝利が帰したという事実がまだわからなかったからだ。おそらく、世界のどの国にも、日本の歴代の皇帝(エンペラー)ほど確固不動の基礎に立つ皇位についた元首は決してなかったろう。”(上,p.94)


“私は、日本語を正確に話せる外国人として、日本人の間に知られはじめていた。知友の範囲も急に広くなった。自分の国に対する外国の政策を知るため、または単に好奇心のために、人々がよく江戸から話をしにやっていた。私の名前は、日本人のありふれた名字(訳注 佐藤)と同じいので、他から他へと容易につたわり、一面識もない人々の口にまでのぼった。” (上, p. 194)※「同じいので」は「同じなので」の誤植でしょうが、そのままにしました。
 
「サトウ」という姓は日本の「佐藤」とは無関係。スラヴ系の希少姓で、当時スウェーデン領生まれドイツ系人だった父の姓。親日家のサトウはこれに漢字を当てて「薩道」または「佐藤」と日本式に姓を名乗りました。本人も自らの姓が日本人になじみやすく、親しみを得られやすい呼び方だったことが日本人との交流に有利でした。


黒山のような群集が、どこへ行っても私たちのあとからついてきて、衣服にさわったり、いろいろな質問を発したりしたが、それらの態度は至って丁寧だった。私は、日本人に対する自分の気持が、いよいよあたたかなものになってゆくのを感じた。 (上巻, p. 219)
 親日家だったらしい。


“また、彼らは、天皇(ミカド)(訳注 孝明天皇)の崩御を知らせてくれ、それは、たった今公表されたばかりだと言った。噂によれば、天皇(ミカド)は天然痘にかかって死んだということだが、数年後に、その間の消息に通じている一日本人が私に確言したところによると、毒殺されたのだという。この天皇(ミカド)は、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人々に殺されたというのだ。この保守的な天皇(ミカド)をもってしては、戦争をもたらす紛議以外の何ものも、おそらく期待できなかったであろう。重要な人物の死因を毒殺にもとめるのは、東洋諸国ではごくありふれたことである。前将軍(訳注 家茂)の死去の場合も、一橋のために毒殺されたという説が流れた。しかし、当時は、天皇(ミカド)についてそんな噂のあることを何も聞かなかった。天皇(ミカド)が、ようやく十五、六歳になったばかりの少年を後継者に残して、政治の舞台から姿を消したということが、こういう噂の発生にきわめて役立ったことは否定し得ないだろう。” (上, p. 234)



 安重根(アン・ジュングン、안 중근、1879 - 1910)
1907年朝鮮総督である伊藤博文を暗殺。
「斬奸状」始めの一条「1967年、明治天皇陛下父親太皇陛下を暗殺大逆道之事」
旅順法務院法廷での安重根の証言「日本は東洋の撹乱者なり・・・伊藤公は韓国に足して逆賊なるとともに、日本皇帝に対しても大逆賊なり。彼は先帝孝明天皇を・」で裁判長は発言を封じ、裁判を非公開とした(けど漏れまくりですね)。
 


“私はいつも、日本の舞踏、というよりもその身振りに、はなはだもって感心しないのだ。日本の踊りは、多少とも優美な(あるいは不自然に気取った)肢体の動作によって、三絃のリュートの伴奏で唄われる唄の文句を表現するのである。” (上, p. 244)


“翌日、越前の首都で、人口四万の福井に着いた。この町も街路が清掃されていた。晴れ着を着た見物人が列をつくって店先に並んでいたが、そのありさまはあたかも席料を出してイギリス議会開院式に臨席する女王を拝観する時の光景に似ていた。私はまだ他のどこにおいても、こんなに大勢の美しい娘たちのいる所を見たことはなかった。” (下, p. 29)
 
親日家だったのでしょうな(二回目)。

サトーは法的には生涯独身でしたが、明治中期の日本滞在時に武田兼(カネ)を内妻とし3人の子をもうけました。兼(カネ)とは入籍しなかった(もしかしてユダヤ人以外と結婚するなと言われていたのかもしれませんし、外交官という立場上できなかったのかもしれません)ものの、子供らは認知し経済的援助を与えており、特に次男の武田久吉をロンドンに呼び寄せ植物学者として育て上げました。また、最晩年は孤独に耐えかね「家族」の居る日本に移住しようとしたが、病に倒れ果たせなかったそうですので、私は親日家だったと思っております。
(ユダ金側で、女性差別主義者で、子供をことごとく孤児院へ送りったくせに子供の教育を論じ、しかも愚民化のための「ゆとり教育」の源流で、左翼思想を教師に植え付け、ユダ金フランス革命の思想上の基盤となる、ルソーも見習っておくれよ)



“私たちには、さして高官でもない伊藤のような人物がこうした二役の兼任に適していると考えられたり、また一般の人民が容易にそれらの人間に服従するということが奇妙に感じられたのだが、私の日記にも書いてあるように、日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。伊藤には、英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合にはきわめてまれにしか見られなかった教養であった。もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。” (下, p. 140-141)

 お上根性=お上がなんとかしてくれると依存する思想。自立心がないってことです。自分で考えない羊。民主主義は実に日本人と相性がいいですね。


“天皇ミカドが起立されると、その目のあたりからお顔の上方まで隠れて見えなくなったが、しかし動かれるたびに私にはお顔がよく見えた。多分化粧しておられたのだろうが、色が白かった。口の格好はよくなく、医者のいう突顎(プラグナサス)であったが、大体から見て顔の輪郭はととのっていた。眉毛はそられて、その一インチ上の方に描き眉がしてあった。” (下, p. 199)





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