『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』
Posted on 2020.07.04 Sat 13:25:35 edit
創作の設定などにどうぞ。
日本語圏では他とかぶりにくいだろう。
呪術師の弟子になって呪術修行して
呪術について研究するのは人類学に分類されるのが面白い。
津村文彦著『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』東京,めこん,2015年
冒頭で訳語問題に触れているのが素晴らしい。
なぜこう訳したのかがきちんと書いてある。
p9から
タイ語のピー(phi)は、
一義的には「霊」一般を表す。
死んだ人間の霊を指すこともあれば、
村の守護霊や自然環境に棲む霊、
また特定の機会に発生する悪霊まで含まれる。
ひとまずはこれらを一括して「精霊」と呼ぶ。
仏法(thamma)
積徳行(thambun)
12から
ピーポープ(phi pop)という悪霊は
人に取り憑いて病や死を引き起こす生き霊である。
呪術師モータムが、取り憑いたのがピーポープか判定する。
場合によっては、ピーポープの本体は誰か、
誰に由来するピーポープかを占ったのち、
取り憑いたピーポープを祓除(ばつじょ、ふつじょ)する。
本書では、
モーと呼ばれる伝統的な知識を用いた専門家を「知識専門家」と呼び、
知識専門家のうち、特に呪術的な実践をもっぱら執り行なうものを「呪術師」と呼ぶ。
主に薬草を用いる知識専門家の中には呪術的実践を行なわない者もおり、
彼らを「呪術師」とは呼べない。
そのため、
呪術師を含む広義の伝統的な知識の専門家モーを「知識専門家」と表記する。
調査村周辺では、
モータム、占い師(mo du)、
毒吹き消し師(mo pao)、
薬草師(mo ya samunphrai)などの多種の知識専門家が活発に活動を行っている。
p21から
東北タイでは、ピーが人類学で伝統的に精霊(spirit)と呼んできたものにあたる。
本書で、ピーを精霊と呼ぶことの第1の意図は、訳語としてのわかりやすさからである。
ピーは多様な超自然的存在を指す。
死んだ親族の霊、村落守護霊、餓鬼のような存在、吸血鬼のような悪霊など、
多様なものを含む。
霊と訳すと日本語では「死んだ人間の霊的な顕現」としての含意が強すぎる。
33から
ナーン・ナークの物語を元にした
1999年の映画『ナンナーク』。
難産で、赤ん坊もナークもともに死んでしまった。
その夜、
モーピーと呼ばれる呪術師がナークの墓にやって来た。
産褥死した母親の遺体から惚れ薬のプラーイ油(namman phrai)を採るためである。
墓場を掘り起こし、呪文を唱えるとナークの死体は起き上がり、
呪術師の前に座り込んだ。
呪術師は蝋燭を死体の顎にかざし、惚れ薬を採ろうとしたが、
怒ったナークの霊は呪術師の首を絞め殺した。
話は最終的に、
ナークの霊を調伏したしるしにナークの額の骨を切り取り、
ベルトのバックルに作り替えて、片時も離すことなく持ち歩いた。
この後、バックルは幾人かの手に渡ったが、
現在の在処はわかっていない。
(他の人に渡しちゃ駄目じゃん)
タイでは通常の死に対して、
異常死を表す「ターイホーン」(tai hong)という言葉がある。
交通事故死、殺人、自殺、産褥死、悪霊に殺された場合、
すなわち病死や老衰や自然死でない場合はターイホーンとみなされる。
ターイホーンでは死者の霊が現世に未練を持つとされる。
死者の霊は凶暴な悪霊ピーターイホーンに変化し、
親族や村落に災難をもたらすとして恐れられる。
葬儀も通常とは異なり、死後直ちに墓地に埋葬される。
葬儀に徳積行としての意味づけは見られない。
死体は3カ月から2年のあいだ地中に埋められ、
異常死の危険な力が排除されたと考えられると、遺体が掘り返され火葬される。
ようやく通常の葬儀の形式をとり、
死者に徳(ブン bun)を送るために供物が捧げられる。
(いきなり焼かない。
埋めないと浄化できないらしい。
徳は死者に送ることができる)
注
輪廻転生の死生観を持つタイでは、
通常死の場合、速やかなより良い生まれ変わりを促すため、
遺族たちは葬儀の前後に、
短期出家や徳を積むための儀礼を行なうことが一般的である。
異常死の霊ピーターイホーンの中でも最も恐れられているのが、
出産時に死んだ若い女性の霊とされている。
ナークの死は言うまでもなくターイホーンである。
しかも出産途中に母子が共に死んでしまうという最も凶悪な部類のターイホーン。
この種の産褥死は「ターイタンクロム」と呼ばれる。
タンは両方、
クロムは完全に を意味し
母と子が両方とも死ぬことを指す。
ターイタンクロムは凶悪なピーを生成するとされ、
遺体の処理にはとりわけ注意が払われる。
胎児が生まれ出る前に母子ともに死亡した場合、
村の呪術師モーピーが埋葬前に母親の腹を裂いて胎児を取り出す。
母子を別々に埋葬し、
悪霊ピープライが発生するのを防ぐ。
胎児の遺体は素焼きのツボに入れられ、
呪文の描かれた護符で封印される。
ツボは墓地に埋めたり、川に流したりした。
この死産児の処理の仕方は、
モーピーが悪霊を捕らえた時と同様で、
死んだ胎児は悪霊の様に扱われる。
ターイタンクロムで死んだ霊は、
ピープラーイになるという。
妊婦が死ぬと胎児はピープラーイに変質し、
妊婦の血を吸うといわれる。
ターイタンクロムの時に、
母親の遺体から胎児を取り出さないで母子を一緒に埋葬すると、
死んだ胎児がピープラーイとなり、
出産時の妊婦や大けがをした人などの血を飲みあさる。
こうして分娩時の大量出血はピープラーイに帰せられ、
ピープラーイ払いの儀式が行なわれる。
プラーイ油(namman phrai)は妊娠中や出産中に死亡した若い女性の死体から採れるという。
ターイタンクロムの死者が出ると、
プラーイ油(namman phrai)を狙う呪術師は夜中に遺体が埋葬された墓地に向かう。
聖糸を周囲に廻らしては結界を作り、
呪文を駆使して死者を呼び出す。
墓場から起き上がった死者は、手を前に突き出して呪術師を抱えるように座り込む。
呪術師は蝋燭を死体の顎にかざし、
熱せられて流れ出す油を瓶に集める。
(なぜ顎なんだろう)
十分な量を集めると、
今度は蝋燭の火を死体の肘にかざす。
そうすると死者は呪術師を抱え込んでいた手を放して、
自ら墓場に戻っていく。
集められた油は素焼きのツボの中に入れ、
呪文を描いた護符で封印。
ツボは家の高い棚に置かれ、一日に2度の食事を供える。
怠ると腹を空かせたピーが逆に呪術師を襲い、
内蔵を食べてしまうと信じられている。
このプラーイ油(namman phrai)は惚れ薬である。
塗られたり、食事に混ぜられたりすると、
その人は呪術師の思い通りに恋に落ちる。
プラーイ油(namman phrai)を使ってピープラーイを操り、
敵を攻撃したり、敵に憑依させたりすることもできるという。
(
プラーイ油(namman phrai)って操作油と意訳できるのでは?)
87
現実のピーポープ伝承の中では、発生理由が大きな関心事となる。
ピーポープは神秘的知識であるウィサー(wisa)を保持する者が、
適切な振る舞いを怠った場合に発生すると考えられている。
ウィサーには、恋愛成就や商売繁盛に関わるような利己的な利益を招く呪術が多く含まれ、
そうした呪術は効力を維持するために守るべきタブー(khalam)が課せられる。
そのタブーを破った場合にピーポープが発生すると考えられており、
男性にも女性にも起こりうる事態である。
115から
ピーについての在俗専門家はタイのほか地域ではモーピー(mo phi)と称されることが多いが、
東北タイではモータムがその代表。
モー(mo)=知識を持った専門家、
タム(thamma)=仏法。
村人に取り憑いて病や災厄を引き起こすピーに対して、
仏法に由来する力によって対処する俗人男性の宗教専門家がモータム。
モータムには呪文に加えて薬草などの伝統医療の知識を持つ者も多い。
患者からの謝礼だけで生計を立てているのではなく、
他の人びとと同様に稲作を営むことが多い。
世襲的に伝承されるというよりは、
個人が個別に師匠について学ぶ。
神秘的な力の源泉は仏法であり、
仏教戒律やその他のタブーの順守が求められる。
そのためモータムには若者より高齢者が多く、
日常的に生肉の食事や飲酒、殺生の禁止などを守っている。
モータムは敬虔な仏教徒。
モータムは在俗。
東北部村落における呪術的な宗教専門家には次のような類型がある。
モーソンmo song(予言者)、
モードゥーmo du(占師)、
モーモーmo mo(紛失物の所在を知る人)、
モーヤーmo ya(薬草治療師)、
モーラムmo lam(ピーファーの霊媒)、
モータムmo tham(悪霊祓除師)、
モークワンmo khwan(魂の専門家)、
チャムcham(守護霊の仲介)、
ティアムtiam(霊媒)。
現在のNK村ではモータムとモーヤーのみが見られる。
日常語としては「モー」は「医師」を指す。
病院の医師もモー、
村落に居住して薬草や呪術などの伝統的技術によって治療を行なう伝統医療師もモー。
121
事例5-1 2000年1月 NK村
モータムは持参した竹ひごの束と石灰を塗ったキンマの葉を取り出す。
患者の娘が、ろうそくや白色の花を5組、10バーツ硬貨を盆に入れて供物として差し出す。
※モータムが儀礼を行なう際の供物のセットで、
カンハー(khan ha)と呼ばれる。
これとは別にモータムに謝礼として少額(20~100バーツ程度)の現金を支払うのが一般的。
(今調べたら1 バーツ は3.38 円)
モータムは供物盆を持ち上げ、周囲には聞こえない程度の小さい声で呪文を唱える。
竹ひごを1本手に取り、呪文を唱えて竹ひごに息を吹きかけたあと、
その竹ひごを端から少しずつ折り曲げる。
原因がピーで、誰のピーかを調べる。
患者の女性に憑いているピーは2人で、
女性の伯母のピーと兄のピーだということが
竹ひごの占術で判明。
ピーの要求を聞く。
以下略。
特に両親の霊の場合はたとえピーであっても敬うべきで、
モータムは呪力(タンマ)を行使すべきではないとされる。
NK村で語られる悪霊には、
ピーポープ、
ピープラーイ、
ピーファー、
ピーパー、
ピーナー、
ピーソンなどがいる。
一般的なピーの分類では、
ピーファーという天の精霊、森のピー、田圃(でんぽ)のピーなどの
自然霊は「善霊」と分類されることが多いが、
これらの「善霊」はしばしば人に取り憑いて病いを引き起こすため、
現在のNK村の住民には「悪霊」とみなされることが多い。
ピーファーというピーを駆使して治療を行なう専門家はモーラムピーファーと呼ばれ、
東北タイに多い。
ピーファーは守護霊の中でも最高位にあるとされ、
自らの宿り主となる人物を選んで病気にさせ、
その人をモーラムピーファーにさせることが多い。
ピープラーイは頭頂部から身体に侵入するので、
最初は頭痛、のちに身体じゅうの痛みに苦しむ。
これはピープラーイ特有の症状だという。
事例5-3
かつて夫に愛人ができた時に、
自分の身体に呪的な入れ墨を施して、
愛人と別れさせたことがあると噂されている者。
その呪的な入れ墨を受けた時に、
一緒にタブー(khalam)を授かった。
タブーを守っているあいだは呪的な効力を持っていたが、
守ることができなくなり、ピーポープが発生した。
入れ墨を施した呪術師は既に他界しているので、誰にも救うことはできない。
ピーポープは呪術的入れ墨(sak yan)を持ちながら守るべきタブーを遵守しなかったために発生した。
いずれの悪霊も正常な秩序からの逸脱によって発生したと位置づけられる。
一般に悪霊とされるピーに対しては、
常にそれを祓除(ばつじょ、ふつじょ)する、捕獲する、殺すのいずれかの手段を取る。
善霊へのようにピーの要求を尋ね、宥めるのではなく、
悪霊はモータムにとって常に敵で、
追放し退治することが唯一の解決法とされる。
ピーが満足すれば、見返りによって守護される。
(見返りとしての間違い?)
供物を通じて契約をあたかも行っているようであり、
人間のように扱われている。
142から
どう解釈するかという方法論の検討がある。
(かなり重要。オリエンタリズムなどへの反省)
悪霊の中でも村人たちの話題を最も集めるピーがピーポープ。
ピーポープは自然発生するのではなく、
2通りの発生経路があるという。
1つは家系を通じてから継承される「家筋のポープ」で、
もう1つは呪術師モータムなどがタブーを破った時に生じる「普通のポープ」。
家筋のポープはピーポープを持った人間が死ぬまえに、
唾液を介して継承する。
ピーポープを持つと噂される人によって出された飲食物は、
唾液を混入しているかもしれないので避けるべきだとNK村では語られる。
普通のポープはモータムなどの宗教専門家が、
タブー(khalam)を破った時に、
その人が持つ神秘的力 ウィサー(wisa)が変質して発生するとされる。
モータムには多くのタブーが課せられる。
たいていのタブーは守れなくてもウィサーが弱まるだけで、
ピーポープは発生しない。
だが動物の生き血を口にすることは厳しく禁じられており、
破るとウィサーがピーポープに変質すると言われている。
牛の血を使う料理を口にしてはならない。
儀礼を途中で止めた場合、呪文で病を引き起こした場合、
治療儀礼に過剰な見返りを要求した場合、師匠を敬わなかった場合などにも発生。
148から
(事例がいろいろ紹介されている。
貨幣経済の流入が原因だとみられるピーポープ事例がある)
事例6-1 2000年
僧侶L師と、呪術に長けた僧侶R師。
両者ともに宝くじの番号当て占いを行ない、
R師が当てて以来、二人の僧侶は不仲になった。
L師が体調を崩すと、R師が自分に呪術をかけたと訴えた。
仲たがいは激化してRは村を去った。
村人がもち米をのどに詰まらせて死ぬという異常死がきっかけに大事に。
モータムはLのピーポープが原因と断言。
Lが村を去る。
村ぐるみの祓除儀礼を行なう。
4体のピーポープを捕らえ、竹筒に入れて呪符で封をして墓地に埋めた。
3ッ日間のあいだ、日の暮れたあとは村の中で買い物禁止になった。
だがすべての村人が言いつけを守らないでいると、
数日後30代女性にピーポープが憑いた。
翌日、僧侶P師が、終日の村内での買い物を禁止し、
その後はピーポープに煩わされることなく村は平穏を取り戻している。
村外から村内に流入する貨幣への不信感を見て取ることもできる。
村外出身のRが、呪的サービスによってコーンケーン市からもクライアントと寄進を集めた。
そのことへのLの妬みが両僧侶のあいだの確執の根本を形成しているといえる。
最終的に混乱を収めた僧侶Pが村内での買い物を禁じることで収拾した語りは、
村落外部から訪れた何かが村落内部の人間関係を破壊するという意味で、
ピーポープと貨幣を同一視する見方を内包する。
貨幣が「それまでの人間関係を瞬時に無化してしまう道具」であるならば、
伝統的価値観に支えられた人間関係は、
貨幣で媒介された途端に弱体化されてしまうと言える。
貨幣経済の急激な浸透が、
従来の村落共同体の価値観やモラルに対する脅威であったことを考えると、
外来の貨幣経済とピーポープのあいだに共通するものを見出すのは
さほど無理なことではない。
(
貨幣経済が悪霊扱い)
呪的入れ墨を施して神秘力ウィサーを手に入れることができるが、
タブーが課される。
守れないとピーポープが発生。
(
戒律で悪霊にならないように力を制御)
155から
ターイホーン(異常死)の場合、
NK村では僧侶を招いての火葬ではなく、
すぐに墓場に移動して棺に入れて遺体を埋葬する。
半年から数年後に掘り出して火葬し、
親族が積徳行(善徳をブンという)で死者に徳を送る。
埋めているあいだに異常死ターイホーンがもつ怖(おそろ←本文にはルビなしなので私の補足)しい力が
大地の女神メートーラニーに
吸収され浄化されると説明される。
178
産婆も按摩師もモー。
タムは仏法。
クワンは魂、霊魂。
ヤーサムンプライは薬草。
モータムは仏法を背景に力を用いる。
タイでは制度的に男性しか出家が認められていないので、
モータムは男性に限られている。
182から
著者自身がモータムであるT氏のもとで弟子入りをして、
秘匿的知識を学んだ。
モータムは必ずしも僧侶(phra)や見習僧(nen)としての出家経験は求められない。
T氏も出家経験がない。
身体の不調や村落における不幸な出来事など、
何らかの災厄に見舞われたことが契機となって、モータムを志す場合が多い。
林行夫によると、自分と家族・親族を悪霊の災禍から守るためにモータムとしての学習を志したと語るモータムが多く、
彼等のほとんどはもっぱら親族内部での活動に終始するという。
NG村、NK村の事例もこのことを裏付けており、
T氏やBR氏のように父親がモータムであったためにモータムを志し、
親族以外に多くのクライアントを持つモータムはむしろ例外的。
林は、このようなクライアントを親族の外部に拡大していくタイプ、
〈クライアント拡大型〉のモータムはより専業的な職能者としての性格を帯び、
謝礼額もより大きくなると指摘する。
謝礼は、T氏の流派では、
通常の治療儀礼でクライアントが支払う謝礼はおよそ10バーツから100バーツ程度である。
謝礼の額はクライアント次第で、
モータムが自ら金額を要求することは多くの流派でタブーとされている。
悪霊ピーポープを村ぐるみで祓除する儀礼では、
より大きな謝礼が支払われることもある。
たとえば、1999年にT氏がNK村でピーポープを祓除した際には
6体のピーポープを祓除して、
6000バーツを謝礼として受け取った。
一方、親族や村落内で活動を行なうモータムの場合、
クライアントは1回あたり5~20バーツ程度の謝礼を支払う程度で、
依頼の数も非常に少ない。
クライアントと弟子の数の多寡が、
モータムとしての名声と直接に結びついており、
多くのクライアントと弟子を抱えるモータムは結果的に優れたモータムとして語られる。
病の治療に訪れるクライアントも、
モータムとしての知識を学ぶ弟子も、
タイ語でともにルークシット(luksit)と呼ばれる。
弟子にとっての師匠はタイ語でクルー(khru)または
アジャーン(achan)と呼ばれる。
(グルと阿闍梨)
単発的な治療で数回程度の訪問で終わるクライアントは単に患者であって、
ルークシットとは呼ばない。
定期的に師匠のもとを訪問するかどうかで区別する。
たとえばモータムT氏のルークシットは、
少なくともタイ正月、入安居、出安居の年に3回は
T氏の自宅を訪れて、供物を捧げる。
水かけ祭りとして有名なタイ正月ソンクラーンは4月13日で、
タイでは一般に太陽暦の元日や中国正月よりも盛大に祝われる。
また陰暦8月の満月から3カ月は、
僧侶は寺に籠って修行に専念する期間とされており、
それを雨安居(phansa)と呼ぶ。
雨安居が始まる日を入安居(カオパンサー)、
雨安居が終了する日を出安居(オークパンサー)と呼び、
特に出安居の日には大きな蝋燭を寺院に献上する祭が各地でみられる。
(
タイは太陽暦だけどテーラーワーダーは今も月系。
太陽派のキリスト教と新キリスト教は気に入らんだろうな)
タイ正月は伝統的に年長者や僧侶の手に水を掛けることで敬意を表すためのもの。
モータムT氏によると、志願する者をすべて弟子として受け容れるわけではない。
重要なのは「誰かを救いたい」という真摯な思いがあるかどうかだという。
師匠は、志願者になぜモータムの知識を学びたいのかを尋ねる。
「自分の身を守るため」というだけでは不十分であり、
「家族の病いを癒したい」「村人を助けたい」というように他者を救済する目的がなければ
弟子として受けいれられないとT師は語る。
2009年9月、筆者の師匠の1人であるモータムBR氏を5年ぶりに訪ねたとき、
筆者が最初に言われたのは「最近どうしてる?」ではなく
「最近人を癒しているか?」であった。
モータムの知識は何よりもまず人を助けるために使うべく認識されている。
モータムには道徳的な清廉さが求められる。
金銭のためにモータムの術を行なうのではなく、
人を救うのが自分の義務と感じることが必須であるという。
モータムには多くの厳しいタブーが課せられており、
タブーの順守によって、モータムは村人からの信頼を得る。
年老いたのちも、長老として村内の重要な決定事項に関わることが多いのもそのためである。
モータムになるための過程は、
アジアの多くの宗教専門家に見られるような直観的で体験的な行為による修行というよりは、
知識の獲得が中心である。
かつて東北タイでは、知識ウィサーを学ぶため、
東北タイの各地や、同じラオ系民族が居住するメコン川の向こうの現在のラオスを、
数カ月から数年かけて遍歴する伝統が見られた。
より神聖(saksit)なる知識の噂を聞きつけると、
その持ち主を訪ねて新たな知識を学ぶ。
そのため、モータムは複数の師匠を持つことが多い。
また学ぶ知識も悪霊払いの呪文だけではなく、
病治しに効力があると聞くと伝統医療の専門家からも知識を学ぶ。
時には薬草師や毒吹き消し師(mo pau)のもとで呪文や薬草についての知識をも学ぶ。
そうして複数の師匠から得た知識を場面に応じて使い分ける。
モータムでありながら薬草師であり毒吹き消し師であるというように、
多種のモーを兼ねることは珍しいことではない。
より多くの知識を学び、自らの知識の種類と量を増やすことに満足を覚えるような人物が
モータムに多い。
他のモータムの知識や技術を批判的に語ることが多い。
彼等は村で噂として語られる他のモータムの治療や祓除の成果をよく記憶していて、
他のモータムが自分より優れているかどうかを敏感に把握している。
自分の知識や力で対処しきれない場合には、
クライアントに自らが信頼するモータムや師匠のモータムを紹介することもある。
足が痛くてクライアントの家まで行けなかったモータムTが、
「モータムのTが来るぞ」と患者の家のまわりで私の名前を叫びなさいと指示を出したら、
それだけでピーは患者から出て行った。
ピーも私のことをよく知っているのだ。
191から
ある人が師匠から知識を学ぶことが許されたあとの学習過程は、
呪文の学習、
ヨッククルー儀礼、
タブーの遵守と大きく3つに分けられる。
(タブーの遵守が力の源泉の一つ。
ハンター×2を思い出したがこの漫画は西洋魔術由来だろうな。
タイ魔術の文献は少ないからね)
呪文とはモータムが治療や悪霊祓除の儀礼で用いる経文のことで、
パーリ語の詩文を指す「カーター(khatha)」、あるいは
仏陀の威光を意味する「クンプラ(khunphra)」と呼ばれる。
呪文はモータムが学ぶもの以外にもあり、
それらはカーターと呼ばれる。
たとえば息を吹きかけることで治療行為を行なう呪医モーパオは、
治療に用いる経文をカーターと呼び、クンプラと呼ぶことはない。
彼等はモーパオの力は仏教とは関係がないからだと説明する。
それに対し、仏法の力に由来するモータムの呪文は、
カーターであり同時にクンプラである。
通常、入門者は師匠の自宅を訪ねて呪文を学ぶ。
師匠が唱えた呪文、あるいは師匠のノートに書かれた呪文を、
自分のノートに書き写し、暗唱できるようにする。
呪文はイサーン語の部分もあるが、パーリ語やサンスクリット語で書かれた部分も多く、
たとえ師匠であっても詳細な意味がわからないことが多い。
ノート自体は神聖ではないが、
呪文が書かれることで神聖な力が付与されると考えられ、
ノートは通常仏壇を安置する仏棚の上に保管されている。
モータムの知識は師匠から弟子へと筆者を通じて伝承されるが、
伝承過程で一部が誤って書かれたり、
脱落したりすることは頻繁に起こる。
筆者がモータムT氏のもとで呪文学習をしていた際にも、
数カ所の間違いが見つかった。
※モーウィサーと呼ばれる知識専門家には、
呪文を書き写すことを禁じる流派もある。
書かれてしまうと力が失われるとされる。
また伝統文字のコーム文字を用いて呪文を書く場合にも
元の意味がたどれないほど崩した字体で書かれたりする。
コーム文字は古代クメール系文字で、主に碑文や仏教文書に用いられた。
ノートに書かれた文字、表記が正しいかどうかを師匠が見て確かめることはない。
文字はあくまでも音声を書き留める道具にすぎず、
確認や訂正は常に音声を介して行われる。
呪文が実際に使われる場面では、本人にしか聞こえない程度のささやき声で
唱えられるだけである。音声を介した伝承の正確さが確認される局面はなきに等しい。
表題が付いた呪文もあるが、ほとんどは最初の数フレーズをもって、
その呪文の呼び名にする。
多くのモータムは呪文の意味を断片的にしか理解していない。
東南アジアの伝統的な書承文化では、
書かれた文字情報よりも、
読まれた音声に重点が置かれることが多い。
(
ほとんどの人が使わない文字は呪文用文字になる。
呪語、呪字。
呪文の文言って何でもいんじゃないの?
こういう効果があると思っていれば構わないのでは?
意味が重要な呪文と
音声が重要な呪文があるけど、
意味と音声すら重要ではなく、
唱えて場を異質にできれば構わないのでは?)
197から
呪文を暗記することは、聖なる力を身体の中に取り込むことをも意味する。
まさに「呪文の学習は身体を変容」させる。
(
呪文を覚えること自体が呪力(魔力、法力)をため込む修行。
ハリーポッターとかだと覚えること自体は魔力増加にならないので新鮮)
T氏の 流派では、一定の数の呪文を暗唱できるようになると、
ヨッククルー儀礼を行なう。
師匠(khru)を崇める(yok)という意味。
師匠とは眼前にいる師匠のモータムを指すが、
その師匠の師匠、さらにその師匠も意味し、
究極的には師匠の祖であるブッダを含意する。
以下、筆者が体験したヨッククルー儀礼。
※筆者の師匠であるT氏は死去したので、
以下の儀礼の師匠はT氏の兄であるBR氏。
2004年、
弟子である筆者と師匠は、
ともに左肩に布(pha sabai)をかけて、仏日に寺院を参詣するのと同じ正装に整える。
パーサバイを肩に掛けるのは仏日の参詣だけでなく、
モータムが治療儀礼などを行なう時には、
必ず何らかの布を左肩にかける。
この布1枚を身につけることで、
モータムは日常的なモードから宗教的なモードに切り替わる。
筆者の背中に、師匠が息を吹きかける。
なぜか吹きかけられた息がとても熱く感じられ、
その熱さが脊椎をじわじわと伝わっていく感覚がする。
そのあと、師匠はイサーン語で仏像に向かって弟子である筆者の説明をする。
「このたびトゥムラがモータムになる。モータムを志したのは、
村人を助けたいからである。これからはトゥムラを守ってください」
さらに師匠が筆者に語りかける。
「目の前のブッダを見なさい。今後苦しいことがあったら、
このブッダの顔を思い浮かべなさい」
(タイ語およびそれに似た言語話者はツが発音できないらしい。
息を吹きかける技術の発想の源流はバラモン教だろう。
息は霊であり命であり他者にも移せるという思想。
煙を吹きかける術がどこかの魔術にあるはず。
ヨガの秘伝、聖書の神の正体、
— 子×5(ねここねこという読み方が代表的です、よろしくおねがいします。未整理図書館「読めニク」長です) (@kitsuchitsuchi) November 6, 2018
本体移動と秘密の名づけの儀式が載っている、支配層の本体の一つ
『ウパニシャッド―翻訳および解説』メモ。
聖数18(666)、 7、 三重に偉大なヘルメス、 グノーシス、 オルフェウス教、
『ジョジョ』『マギ』『ファイアパンチ』の元ネタ! https://t.co/E9wQ8ruv9s
”第一章
5・17-21
(父から子への)遺贈の儀式
父が自分はまさに死のうとしていると考えるとき、
次のように息子に言う。
「お前はブラフマンである、
お前は祭祀である、
お前は世界である」と。
息子は
「わたしはブラフマンである、
わたしは祭祀である、
わたしは世界である」と答える。
父が世を去る時に、
父は生気(=生命の機能。プラーナ)と共に
彼の息子の中に入る。
父によって何かあることが誤ってなされたとしても、
息子はそのすべてからこの父を解放する。
それゆえに、彼は”息子”(putra)と名づけられる。
息子によってのみ、父はこの世において確立されている。
それから、これらの神的な不死の生気が息子の中に入る。
神的な言葉、神的な思考、神的な息が息子に入る。
神的な息は揺らめきもしなければ傷つけられもしない。
死のせいで言語も視覚も聴覚も疲れる。
しかし、真ん中にあるこの息――まさに、これに死は到達しなかった。
(音声言語、つまり声を出す。
音声言語は口から出る。
息は口から出入りする。
肉体が変わるだけで中身が同じって思想!
プラーナは不死。
息は不死。
不死なる息が代々父から息子に継承される。
…
第一章最後の個所
6・3
身体(アートマン)は三重であるけれども、
一つであり、この自己(アートマン)である。
自己は一つであるけれども、この三重であるものである。
これは不死であって、真理によって覆われている。
不死なるものはまことに息である。
真理は名称と形態である。
この息は、それらの二つによって覆われている。
(アートマンは不死。
息は不死。
不死なる息を覆うのが名称と形態)
…
”3・5
しかるに息、および自己の内部にある、この虚空は形態を具えていない。これは不死である。これは運動している。これはティヤムである。右の目の内部にいる、この人間――これは、この形態を具えていないもの、この不死なるもの、この運動しているもの、このティヤムの精髄である。なぜなら、これはティヤムの精髄であるからである。”
p.45
(右目は息の象徴だとわかる。
この章の前後に左目は~という記述はない)”
)
ヨッククルー儀礼の中で、ブッダあるいは師匠から弟子に分け与えられ、
弟子の身体に宿る力はクンプラと呼ばれる。
師匠から教わる呪文も同じくクンプラと称される。
クン(khun)は功徳、
プラ(phra)とはブッダや僧侶を指し、
クンプラがブッダがもたらす神聖なる功徳を意味する。
(
ヨッククルー儀礼で師匠が弟子にエネルギーのある息を吹きかけて
クンプラ=力(息あるいは息の力+ブッダパワー)を分け与える。
クンプラは意訳したら「法力」かなあ。
日本の大乗系呪術と上座部系呪術は原理が違うかもしれないので
法力という訳語はよくないかも)
T氏によると、モータムの知識の全体を木に喩えると、
幹にあたる部分がクンプラであり、
枝葉の部分がウィサーだという。
護符の作成はウィサーであり、
敵の身体に水牛の額の皮を送り込んで攻撃する術もウィサーである。
(すごい術が出てきたぞ。
脳に送られたらヤバいじゃん)
ウィサーは両義的な力で、
病を引き起こしたり、恋愛呪術に用いたり、
悪い目的に使われる場合もあるのだが、
クンプラはブッダの功徳であり、常に善の側に置かれている。
呪文を暗記することで身体に呪文に宿っているクンプラが蓄積し、
それに加えてヨッククルー儀礼を執行することで
師匠=ブッダからクンプラが分け与えられる。
ヨッククルー儀礼を経ることによって、
弟子の身体内に既に蓄積されているクンプラという神聖なる力が実効性を持つ。
呪文の学習とヨッククルー儀礼は、
どちらが欠けても不十分であり、両者が組み合わさることによって、
モータムの力が本来の効果を発揮すると考えられている。
ヨッククルー儀礼を終えると、モータムの力の根源たるクンプラが弟子の身体に宿り、
技術的な知識ウィサーも使用可能になる。
さらにクンプラやウィサーを良い状態で身体に保持するためには、
カラムと呼ばれるタブーを遵守する必要がある。
タブーは流派によって異なるが、
共通するのは仏教における五戒である。
また洗濯物を干す紐の下をくぐり抜けてはならない、
女性の巻きスカートに触れてはならない、
雨安居の期間は自宅で就寝しなければならないなど、
日常生活に関わるさまざまなタブーが課せられる。
病死の獣肉が禁じられるほか、
十種の獣肉(人、熊、獅子、
トラ、豹、大トラ、
馬、
象、犬、猿。
流派によっては蛇や猫が含められる)、
いくつかの野菜、さらに生の血が入った食事が禁じられる。
ラープディップという生の牛肉や水牛肉をミンチにした料理が
東北タイではしばしば食される。
タブーを守らなければ神秘的な力が失われ、
治療儀礼が効かなくなったり、
自分自身の寿命を短くしたりする。
タブーを破り、モータムとしての潔癖さが損なわれると、
自分の身体に保持するウィサーが悪霊ピーポープに変質し、
災厄を及ぼすとも考えられている。
(
呪力の制御を規則の遵守で行うのも新鮮。
イメージで制御という記述が確かなかった。
きちんと守れば、イメージより安全に制御できそう。
人同士の呪術戦の予防にもなる。
ピー相手と違って実体化の過程が不要なので人同士の戦いはヤバそう。
戒律のおかげで殺し合いにはなりにくそうなのが救い。)
200から
悪霊を可視化する技法
細く切った竹の棒で占う、シアンモーという卜占。
竹の棒の束を持って、
まわりの人に聞こえない程度に呪文を唱え、
竹の束に向かって息を吹きかける。
その時モータムは卜占の内容を頭の中で思い浮かべる。
たとえば
「奇数ならピーが病の原因、偶数ならそうではない」と声に出さずに決めて、
竹の棒を1本手に取り、端から折り目を付けてゆく。
端まで折ったあと、折り目の数を声を立てずに数える。
同じことを3回繰り返して、
折り目の数が奇数の棒が多ければピーが原因であり、
偶数の棒が多ければピーは原因ではないことがわかる。
(
他にも卜占方法が紹介される。
自分で判断基準をきっちり決めることが重要で、
他は重要ではない気がする)
村人は通常は見ることのない道具を目にする。
日常的なコンテクストから切り離されて用いられることで、
そこに卜占という日常性から離れた場が生成する。
モーパオはアジャーン・パオ(パオ先生)とも言う。
パオ(pao)とは息を吹きかけることで、
病を治療したり毒を払ったりする。
宗教儀礼の成りゆきは、
目の前の道具を介して、
目に見えるかたちで示される。
つまり呪術的な力は可視化される。
その意味で卜占が人びとにとって感知され、説得力を持つためには、
道具は不可欠な要素と言える。
患者の首と両手首、両足首を聖糸で縛り、
供物の花の上で、ろうそくの火を回しながら呪文を唱えて、
患者に息を吹きかける。
聖水を飲ませ、体に浴びせかける。
ピーポープの本体の名前と居住地、
何体のピーポープがいるかなどを聞き出す。
ピーポープは強力なものほど数が多い。
3体以上が合わさって初めてピーポープとして発現し、
もっとも強力なピーポープでは、1人の患者の中に9体が潜んでいるという。
ピーポープが口にした名前と住所によって、
異界の存在たる悪霊が、
現実の空間に占める座標を確定する。
本体を明らかにしたピーポープはもはや理解不能な存在ではなくなり、
世界に具象化される。
事例7-15
かつてモーラムピーファー(精霊ピーファーの力を借りて、
踊りによって病治しなどを行なう女性の知識専門家)だったが、
やめたあともピーファーに悩まされた女性。
正気を失ったように何かを叫んでいた。
聖糸を首と手首・足首に巻き付け、
呪文を書きつけた棒で身体を押さえつけ、
鉄筆で額に呪文を書きつけた。
聖水をかけてピーファーを追い出した。
だがピーファーは血筋に沿って発生するので、
また憑かれるかもしれない。
いずれの祓除儀式でも、呪文だけでなく、
モータムの用いる道具が決定的な役割を果たしている。
日常の中のありふれた道具を
モータムが用いることで、
日常的な次元から離床し、異界の存在と直接に触れ合う
特殊な道具、呪具となり、
それを介してピーの存在が保証される。
いわば、ピーは道具を介して可視化される。
ある手順をとることで、日常生活の中にある道具が呪具へと変容する。
治療儀礼や祓除儀礼では、道具を両手で挟み、
合唱(wai)のかたちで口元にものを添え、
まわりの人に聞こえないぐらいの小声で呪文を唱える。
呪文を詠唱した直後、
合掌した手に持った道具にフーッと息を吹きかける動作が頻繁に観察できる。
呪文の詠唱と息の吹きかけこそが、
道具を聖化する技法である。
(
息を非常に重視しているのはバラモン教由来だろうな。
仏教もバラモン教のこの概念は継承したっぽい。
だからこそ音声重視)
211から
仏教的な力を媒介としない超自然的な力、
サイヤートと呼ばれる呪術もある。
サイヤートには、
敵を殺す術、
水牛の皮を敵の腹の中に送り込む術、
人を好きにさせる術、
嫌いにさせる術、
失くしたものを見つける術、
犬に言葉を食わせる術(うまく話せなくさせる)などがある。
モータムの力は、サイヤートをかけるためではなく、
解くために、つまり積徳のために用いるべきだとT氏は言う。
215
暗記による呪文の身体化と、
呪文と息による神秘力の道具への転化、というモータムの宗教実践の2つの特徴。
そうした特徴は、
仏教伝統を標榜するモータムに限られたものではなく、
サイヤサート(saiyasat)という東北タイにおける神秘力の観念に広く共通したものである。
(
倒せるように物理化させる。
物質化、可視化して物理で叩けばいい)
220から
タイの伝統医療の祖と目されているのが、
ジーヴァカ・コーマラパットである。
ブッダと同時代の治療師とされ、
仏教経典にもジーヴァカの治療の様子が記されている。
19世紀以前の医療状況についての記録はあまりないが、
アユタヤ王朝期(1351~1767年)には既にインドや中国、
西洋の医療が影響を与えていたようで、寺院では医療教育も行なわれていた。
医療師は宮廷医と民間医に区別されていた。
宮廷医の知識が19世紀末以降に公的な「伝統医学」としてまとめあげられていく。
バンコク朝以降は、インド起源のアーユルヴェーダが伝統医療の中で卓越する。
ラーマ3世期(1824~51年)には、当時の宮廷医らの医療知識が集成されて、
ワットポー寺院に壁画や石刻文、彫像として収められた。
この時代は、東南アジア大陸部においてヨーロッパ諸国の影響が増してきた時代で、
列強の脅威にさらされるなか、
タイの伝統知識を有形化して内外に示す目的で医療知識が図像化されて集成された。
西洋医療がタイに伝わったのは1820年代以降のことである。
特に1830年代以降に医療伝道を重視したプロテスタントの活躍が活発化すると、
近代医学の知識が王宮を中心に広がっていく。
タイで著名な伝道師で西洋医のブラッドレーは1835年に訪泰し、
天然痘の予防接種や、白内障の外科手術などをタイで初めて実践した。
タイで初めてタイ語印刷に成功したのもブラッドレーであり、
ラーマ4世との親交も深く、
英語や科学的な知識で国王に伝えたりもした。
(新約やマニで分かるように医療と布教はセット)
1923年に医療従事者登録が義務づけられると、
伝統医学の専門家は公的な医療の場から排除されてゆく。
しかし伝統医には公的な資格免許が発行されている。
第2次世界大戦前までは無試験で資格を取得することができたが、
戦後は公衆衛生省が設定した教育課程の修了と国家試験の合格が義務づけられた。
伝統医学は医学、薬学、産婆学の3科に分かれ、
免許保持者のもとで、医学は3年以上の、
薬学と産婆学は1年以上の訓練を受けたのちに国家試験を受験できる。
合格すれば、医師や看護師と同様に、
伝統医療師として公認される。
受験者は薬学が他の2つと比べて多い。
呪術的実践は排除された。
呪術的な土着医学は排除された。
タイにおける制度的医学は、19世紀以降の西洋由来の近代医学と、
同時期に公的に再編された伝統的な医学である伝統医学と、
公的な伝統医学から排除された呪術的な実践を含む土着医学という3つの流れを見ることができる。
もちろん、村落における医療現場では伝統医学と土着医学が混淆することも多く、
両者を総称して伝統医療と呼ぶ。
タイの伝統医療には、大きく2種の病因論が見られる。
人体を構成する四つの要素の内的平衡が乱されることによって病が生じるというものと、
外部から異物が身体に侵入することで病気が引き起こされるとするものである。
前者は、
インドのアーユルヴェーダと中国医学の影響を強く受けたものである。
上述の2つの伝統的な医療のうち、
制度化された正統的な伝統医学に見られる。
人体は、土、火、風、水の四大素から構成され、
それらのバランスが崩れると身体に異常が現れる。
季節、年齢、時間が病の主要な原因、
場所(所在地の気候)と
行為(通常の能力を越えて何らかの活動を行なったかどうか)が問題とされる。
後者では人体に外から何らかのものが侵入することで異常が発生すると考える。
悪霊や呪術などが外部からの異物とされる。
内部からの流出も健康状態に関連して想像される。
霊魂(khwan)が何かの機会に身体から離れてしまうと、
病気になったり精神的に不安定になったりする。
そのためクワンを身体につなぎとめるスークワン儀礼が執行される。
後者の病因論は非科学的として伝統医学から排除され土着医学として位置づけられながらも、
村落部で非公認の医療師によって継続されてきたと総括できる。
(
マジで呪術としか思えない症例はあるからなあ。)
ヤー=薬一般
サムンプライ=薬用植物
229から
テーワダーは地域全体を守護する神のような存在。
メートーラニーは東北タイに限らず、
タイ全国で信仰されている土地女神である。
ブッダの瞑想を邪魔しようとした悪魔を、その黒髪から絞り出した大量の水で
流し去ったと伝えられている。
長い黒髪から水を流している姿のメートーラニー像はタイ各地でみられる。
256から
ひとたび「○○ならざるもの」として呪術を捉えてしまうと、
呪術はその対立項の呪縛から逃れることが困難になり、
結果的に、呪術の中核を迂回した議論に向かわざるを得なくなる。
マリノフスキーは
「呪術が行なわれるとき、かならずあることばが発せられたり歌われたりし、
ある行為が行なわれる。そしてかならず儀礼をつかさどるものがいる」とし、
呪術の本質的側面として、
「呪文、儀礼、儀礼を行なうものの身分」の三つを挙げる。
(
呪術師が俗な存在でないと認識されることが重要)
師匠から弟子への限定的な伝授や、
厳格なタブーの存在によって、
モーの持つウィサーなる知識は、
身体性、秘匿性を帯び、
村落の普通の日常から離床した非日常性を帯びる。
多くの村人にとってピーが持つ意味を考える中で、
日常の中でのわからなさがピーの直接経験と合わせて語られることで
恐怖を生成し、理解不能なまま受けいれられて現実を構築している。
聖なる力が身体と道具に具象化されることで、
呪術的な力という不可視のものが操作可能なものとして現実の中で表現される。
ピーは「わからなさ」「理解不能性」を中核に持つ概念であるので、
「いるか/いないか」という捉え方にはそぐわない。
息の吹きかけの中で一つの呪術的な現実を生成させる。
息を吹きかける(パオする)とコブラによる腫れと痛みが引いていく。
タイの呪術的実践の中では護符や仏像を聖化するときに息を吹きかけることが多い。
280
モータムは悪霊祓除の儀礼の中で、ピーが取り憑いたとされる人の身体に呪文を書つけながら鉄筆で指し示すことによって、
見ることができないピーの所在を明らかにする。
聖水を吹きかけながらピーに詰問することで、
ピーの本体である生身の人間の居場所を現実の近隣の村落に定位する。
古くブッダから伝えられる特殊な知識に由来する聖なる力を、
自らの身体と呪文と息を通じて道具に付与し、
具体的な物体を通じて、
不可視で理解不可能な存在を、
現実世界に移行させて対処する。
p289から 用語解説
ウィンヤーン
サンスクリット語起源の霊魂を指す語で、
生きているものの内部にあり、
死んだあと身体から抜け出して、
新たな生を迎えるとされるもの。
クワン
生きているあいだ身体にとどまる霊魂。
驚いたり、病で衰えると、
身体から抜け出すことがあるため、
身体にクワンをつなぎとめるスークワン儀礼を行なう。
(ウィンヤーンとクワンは違うらしい。
ウィンヤーンはバラモン型輪廻の概念)
メモは以上。
参考資料
「東北タイにおける精霊と呪術師の人類学」
— 幣束 (@goshuinchou) 2019年10月15日
仏教国タイの根底にある精霊(ピー)信仰、その中でもタイ東北部イーサーン地方の悪霊「ピーポープ」とそれを祓う「モータム」と呼ばれる仏教系呪術師の活動を中心に、共同体内でそれらがいかに機能しているか等を考察。著者は呪術師に弟子入りまでしている! pic.twitter.com/1xrRqvr2VK
共同体内部での呪術師のあり方、生霊のような概念、
呪詛に対する考え方等は土佐いざなぎ流と似ていて大変興味深かった。
中盤で考察される、
20年前に村で起こった、仏教僧の邪念から発生した(とされる)悪霊ピーポープの祓除事件は必読。
文化人類学、フィールドワークの真骨頂。とても面白い本だった
あとこの本で知ったんですが、タイには人間の霊魂は身体が弱ったり何かショックがあると離れていってしまう、なのでそれを繋ぎ止めたり出ていった霊魂を取り戻したりするソーンクワン儀礼というのがあるそうで、これは我が国の神道の古い考え方に似ていますね。タマフリ、タマシズメ。 https://t.co/C1ts8Cf0ul
— 幣束 (@goshuinchou) 2019年10月15日
幣束@goshuinchou
狂犬病、
アジアアフリカ地域では罹患した動物に噛まれたりして発症して
普通に毎年数万人死んでるヤバい病気なのでその辺りに旅行に行く人は予防接種を受けた方がよいのだが
これが高いし時間かかるのです、半年に渡って3回打たねばならず費用も3.4万くらいする。
予防接種打たないならとにかく外国、
特に東南アジアやアフリカなどでは犬猫等の動物にはたとえ飼われているのにも近付かないようにすることが大事です。(タイで野犬に追いかけられて噛まれそうになった私だ、面構えが違う)
タイの地獄寺スケッチ! 日本人にはキッチュな珍スポットとしておなじみの地獄寺。そこにあるグロい像の数々には意味があるのです。 pic.twitter.com/Ptk7Uo5iKs
— たーれっく (@douteisensei) June 26, 2020
幣束
@goshuinchou
タイのピー(精霊)信仰はとても興味深い。
上座部の坊さんが悪霊退治する話あるし
坊さんの邪念からやばい精霊が生まれたりするし土着信仰と混ざりあった仏教退魔師的な聖職者がいたりする。そしてやっぱピーの悪霊憑きは日本の筋、憑き物と同じような面があって共通するんだなぁ、と。
タイの民家やお店、企業の敷地内には、小さな祠が建っている。サーン・プラ・プームと呼ばれ、その屋敷地を守護する精霊(土地神)を祀るものである。タイは仏教国であるがその基盤に土俗的な精霊(ピー)信仰が根付いている。土地のピーの社なのだ。大都会のバンコクは屋根の上やビルの屋上にも祀られる。 pic.twitter.com/j3j2InPHji
— 幣束 (@goshuinchou) September 25, 2019
このような土地の精霊を祀る信仰は隣のカンボジアにも同じようにあり、この4枚は全てシェムリアップ市内の祠。カンボジアでは土地神をネアックターと呼ぶというが意味はお爺ちゃんとかそんなかんじぽい。1枚目は仏教寺院の境内にある土地神の祠。日本の寺院も鎮守社として土地の神を祀る。同じですね pic.twitter.com/lqHss0rVOl
— 幣束 (@goshuinchou) September 25, 2019
これは2年前に行ったインドネシアのバリ島のツイートですが、バリ・ヒンドゥーの信仰熱いバリ島では多くの家の敷地内にサンガー(家寺)と呼ばれる祖霊や神々を祀る祠がやはり建っており、東南アジアのこの辺りの同じような土地神、祖霊信仰は通底しているのだろうなと思う。https://t.co/uEnBJapdcW
— 幣束 (@goshuinchou) September 25, 2019
1枚目、タイのサーンプラプームが集まってるお店。日本の郊外の石屋さんぽい(スイカのテーブルと椅子が気になる)
— 幣束 (@goshuinchou) September 25, 2019
2枚目、カンボジア、ネアックターの祠を運ぶトラック(寝てる)
他の近隣国、ミャンマーやラオスではこういった祠の信仰があるのか、気になるのでいずれ行って見てきたいと思う。終 pic.twitter.com/CpqFxH1dWW
幣束
@goshuinchou
1月18日
小山田さんのツイートで前に読んだタイの精霊ピー信仰の本思い出した。普段村人も現代人でありあんまりそういう事を信じないが、そういう語りの場になって限定された空間になったりすると現実感と興味と恐怖をもって語られる、というやつ。考えてみたら国や地域がどうこうではないですね。
タイの呪術に関する本読んでんだけど呪術師の語りがやばつよい
— 幣束 (@goshuinchou) September 17, 2019
ピーポープってのはここでは生霊みたいなもんと思って下さい pic.twitter.com/PoF6Yygb7p
ピーの一種だと思って下さい。タイ東北地方で語られるピーで、しきたりや禁忌を破ったりその人の悪い感情等から発生するそうです。
最後のエヌ氏
@Xmashadie_hard
返信先:
@goshuinchou
さん
解説ありがとうございます。
ピーは幽霊とか精霊の印象がつよいのですが、ピーポープはイメージとしての「生霊」の言葉がふさわしいですね
幣束
@goshuinchou
2019年9月5日
RT メン・シーフーハーター。
4つ耳5つ目の、北タイで語られる伝説の怪獣。金のうんこをする事で知られる。との事。
金の
💩
これはタイの精霊ピーとはまた違うのか?面白いな。
「ナーン・ナークの伝説とワット・マハーブット」
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
タイの首都バンコクの東部、プラカノーン地区のお寺には一人の女性が祀られている。タイ人なら皆が知ってるらしい国民的怪異譚「ナーン・ナーク」「メー・ナーク・プラカノーン」と呼ばれる怪談の主役であるナークという悪霊と化した女性である。 pic.twitter.com/0Oz6PfCN3z
ナーン(ナン)はMrs.に当たり既婚女性の敬称であり、ナーン・ナークでナークさん、ナークお母さんとかそんなかんじ
【ナーン・ナークの物語】
その昔、タイの都バンコクの東部プラカノーン地区にナークという女性が住んでいた。美しいナークは多くの男から求婚されたが、彼女には心に決めた人がいた。
その男の名はマーク(←ややこしい)。
ナークとマークは愛し合い、二人は結婚して幸福に暮らし、やがてナークは身ごもるが、マークは徴兵で遠方で軍務に就かなければならなくなった。二人が離ればなれになって半年後、ナークは出産するが大変な難産となり、ナークは赤ちゃん共々命を落としてしまった。
ナークはプラカノーン地区のマハーブット寺院のタキアンの木の下に埋葬されたが、それ以来、タキアンの木の下で子守唄を歌うナークの霊が目撃されるようになった。タイでは精霊や悪霊まで包括したこの世ならぬモノを「ピー」と呼ぶ。ナークはこの世に未練を残した悪霊ピーとなりマークの帰りを待った。
時が経ち、マークが家に帰ってくるとナークは優しく彼を迎えたがマークはナークがこの世のモノでは無いことは知らない。村人からナークが既に死んでいると聞いても耳を貸さなかったが、ある時、料理をするナークの手がめっちゃ伸びて落ちたライムを拾ったのを見て、ナークが悪霊ピーになったと確信した
マークは逃げ、悪霊ナークはそれを追いかけたが、マハーブット寺院の僧コン師の機転によってマークは事なきを得た。悪霊ナークは寺の僧を殺したりして荒ぶり寺に留まった。多くの僧や呪術師がナークの霊を調伏しようとしたが皆失敗した。村も寺も悪霊によって荒廃したが、バンコクから高僧トー師が来る
トー師はナークの霊と語り合い説き伏せ、ついに悪霊を成仏させた。そのしるしにナークの額の骨を切り取りベルトのバックルに造り変えていつも持ち歩いた。バックルはその後、タイの王族を含む幾人かの手に渡ったが今はどこにあるかわからない…。
以上がナーン・ナークの伝説の大まかな概要である。
ナーン・ナークの伝説は100年以上前から現在まで語り継がれ、タイ人なら誰もが知っている幽霊譚であるとのこと。何度も映画化されている。
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
そして、物語の舞台となった寺、ワット・マハーブットは現在も大寺院としてプラカノーン地区に鎮座している。参拝した時も多くの僧侶が読経していた。 pic.twitter.com/zBee0mH3xT
(
ニホンでの桃太郎やかぐや姫レベルの知名度らしい)
そして寺の北東の一画に、物語の主役、悪霊と化しやがて成仏したナークの像が祀られている。一見して髪を生やし化粧を施した仏像といった印象。伝説の悪霊であるが、ナークお母さんというにふさわしいゆるめの穏和な見た目である。肖像画や寄進されたドレスに囲まれ、多くの参拝者で賑わっていた。 pic.twitter.com/UpUOqrOlGc
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
ナーク像は50年前に作られたもので、呪力を持つとされる7つの墓場から集められた土を材料にして製作された、という。
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
参拝者は女性が多かったが男女は問わない。ナークは出産で亡くなったが安産の御利益ありとされ妊婦の参拝が多く、またタイは徴兵をくじ引きで行うので男性は徴兵が外れるように祈る。 pic.twitter.com/yxTYwhM24l
またナークが埋葬されたというタキアンの木(タイでは精霊が住むとされる木)は保存され、こちらはくじびきからの連想であろうか、宝くじの当選祈願で有名であり、カラフルなテープのようなものが巻かれ当選を願って祈りが捧げられている。安産、徴兵逃れ、宝くじ当選。この場所はタイの民間信仰のるつぼ pic.twitter.com/X9JDA0nQYl
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
ワット・マハーブットとナークお母さんは200年ほど前に開発が始まった、プラカノーン運河のほとりに建っている。ナーク像は北の運河の方を向いて鎮座していて、運河は豊かな水を湛えていて魚も多い。
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
こういうモノが好きな私は、ナークの伝説の奥に「水と女神」の関係性があるんじゃないかと妄想する。 pic.twitter.com/OyYYGHtpvm
さて、ナークの話はいかにして生まれたか、という事について1899年に聞き取られた次のような話がある
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
プラカノーン地区に住んでいたナークには多くの子どもがいたが何度目かの出産で亡くなり遺体はワット・マハーブットに葬られた。夫は再婚しようとしたが子ども達は財産が義母の手に渡るのを恐れた pic.twitter.com/rQVYzldKAE
そこで子ども達は母親ナークの幽霊を装ってプラカノーン運河やワット・マハーブット周辺に出没し、人々を怖がらせ父親の再婚を妨害しようとした、という話である。
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
1880年のバンコクでのアンケート調査ではナークの話は既に多くの人に知られていたという。上記のような話が発端となって、噂が噂を呼び pic.twitter.com/043uNANGpS
人々に語られ色々なバージョンが派生し、現代まで続くタイの国民的幽霊譚となった。とすると堪らなく面白いことであります。(もちろん偽の幽霊が発端かどうかは確実では無いが)そして現在のワット・マハーブットにはもはや悪霊ではなく神仏と言ってよい程の存在でナークお母さんは祀られている。 pic.twitter.com/bI1yX1nGf4
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
ワット・マハーブットとナーン・ナークの伝説。タイの国民的幽霊譚の現場に行くことができてとても面白かった。悪霊からもはや神となったナークお母さんは今日も参拝者に慕われ運河のほとりに鎮座する。伝説や信仰は運河の水の流れのようにかくも豊かなのだな、と思いナークに手を合わせたのでした。終 pic.twitter.com/DVrjpL5Nsb
— 幣束 (@goshuinchou) September 4, 2019
文樹
@SjyMCP7KTqmuZp6
2019年9月5日
返信先:
@goshuinchou
内臓ぶら下げて飛ぶやつですか?
日本でいう四谷怪談な感じでしょうか?
幣束
@goshuinchou
2019年9月5日
内臓ぶら下がってるのはピー・グラスーっていうまた別のやつですねー。
四谷怪談とか皿屋敷みたいなかんじですが、もっと国民皆が知ってる話なイメージかもしれません。
仕事の為コミケに行けないので知り合いに買ってきて頂きました。
— 幣束 (@goshuinchou) August 16, 2017
巌山白狼さんの
「ピー タイの精・霊・妖・魔」
タイに伝わる精霊や神や霊「ピー」と呼ばれるもの達が素晴らしいイラスト付きで解りやすく紹介されております。
とてもとても面白いです。 pic.twitter.com/OHAdoFdiUf
2017年8月17日
@goshuinchou
ナーン・ターニー
ターニーという種のバナナの妖精。満月の夜にバナナの木の下に現れる美しい女性。
芳香を放ち美貌で人間を誘惑する
ターニー種は大きな葉が利用され妖精が宿ると言われる
前にツイートしたバナナの精と結婚した男の話と繋がった
バナナの木の精は美しく優しい女性である。若者はバナナの精を呼び出す方法を古老から教わりバナナの木を何本か植えた。毎晩バナナの木のもとに行って一生懸命木を抱いたがバナナの精は現れなかった。若者は諦めず夜な夜な木を抱いて回っているととうとう一本の美しい木から美女が姿を現した。
— 幣束 (@goshuinchou) July 23, 2017
若者は彼女と深く愛し合い、彼女は若者に幸運を約束した。しかし時がたちバナナの木が枯れていくと彼女もまた衰弱していき、木が倒れた時、彼女も死んだ。
若者は悲しみのあまり出家し、二度と女性を愛することはなかった。
「バナナの精と結婚した男」 タイの神話
夜な夜なバナナの木を抱く男。
そして隙あらば出家。さすがタイの神話。
慈永祐士@jiei_yushi
日本に来ているスリランカ僧が著書で「チベットに砂で絵を描く修行があるがああいうのはおかしい。
絵が上手い人ほど涅槃に近いなどというバカげたことがあるわけがない」という趣旨のことを言われていて、
当時読んだときはふうんそんなものか、それもそうかもなとそのときは思っていた。
後年、たまたまチベット僧の方に砂曼荼羅をちょっとだけやらせて頂いて、
その考え方がまったく誤りであると思った。考えてみれば当たり前のことなのだが、
砂で曼荼羅を描くわけだから、呼吸への細心の注意が払われていなければまったくできないことなのだ。
これはほんとうに素晴らしい修行だと思った。
青井硝子さんがリツイート
九蓮梓 a.k.a 師匠 @9ren_azusa
5月11日
占いとかその手のことにハマると、みんな結構ふわふわとして、
地に足がついてない軽い禅病・魔境入りかけみたいな状態になりがちですが、
そんなときはお財布のなかにあるお金を1円までちゃんと数えると治りますよ。
お金はエネルギーを固めて実体化させた現実を動かす圧倒的な力ですからね。
青井硝子@garassan
36分36分前
おっ、グラウンディング情報か?RT
酔い覚ましもグラウンディングもまだまだ完璧ではないので、情報あったら真偽に関わらず教えてください。実際試して判定します。
幣束@goshuinchou
5月12日
パワースポットって言葉、誰が考えて最初に言ったか知らんけどすごいと思う。
見事にその宗教的な場所が持つ歴史や意義や胡散臭さを打ち消してる
インガ@ingapyong
返信先: @goshuinchouさん
「スピリチュアル」は「オカルト」が持つ血の匂いを払拭したものだと言った知人がおりますが、似てるなーって思いました。
(呪術っぽさがある。
「叫ぶように息を吐く」「下腹部から絞り出し」をすれば
お腹に力が入るので実質同じ対処)
https://twitter.com/Chimaera925/status/814484239227854848
”首筋に寒気がしたら大声で叫ぶと大抵風邪をひかない。
大声を出すのが無理な環境ならば叫ぶように息を吐くだけでも問題無い。
他人は知らないけど、俺はこれで何とかなっている。
経験上、寒気がした時に息を飲み込むと失敗するような感はある。
叫ぶ時の発声は下腹部から絞り出し、唸るような声。甲高い折れそうな声は失敗な。
イメージで言うと、病魔が恐れるような声。
まあ、そんなもん存在しないだろうからあくまでイメージな。
感染から潜伏期間考えたら、感染した瞬間に発症なんざありえないお話だ。
免疫力や生命力を高めれば多少マシになる。”
野口整体の『風邪の効用』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-340.html
"思い込みによる風邪
ハックションなどという時に
アッ風邪を引いたと思うとすーっと入ってしまうと風邪になる。
本当はハックションとやる時は風邪が出ていくとき。
…
まあ寒い!などとはっと思うと風邪を引くのだが、
その時お腹に力を入れると、
それだけでもう風邪を引かない。
…
ハッとしたらお腹に力をふっと入れる。
"
峨骨
@Chimaera925
2011年7月7日
本日は早上がり。昨夜は5時前に寝て7時起き。案外呼吸法でなんとかなるものだ。
代謝を高め、血中の汚れ(老廃物や酒精、二酸化炭素等)を効率良く排出しつつ、
適切な栄養を摂取し、脳内の血流と酸素濃度向上させてやれば良い。
ボーカル時代の研究がこんな所で役立つ。無駄なものなど何一つ無いのだな
2011年10月26日
賄賂代わりにホッカイロを同僚に差し入れしておく。
まとめ買いしたついでだから安いものだ。
首筋に近い肩付近や体幹部にカイロを貼ると脳は馬鹿なので暖かいと勘違いして末端まで体温を維持出来る。
ついでに激しい音楽と呼吸法でアドレナリン分泌と交感神経を活発にしてやれば完璧だ。脳って馬鹿だなー
2011年11月8日
@Kohakunotamago
吸う、吐くの繰り返しを意識したリズムでなく吐く、吐くのリズム。
合いの手は自然に任せる。
早く、深く息を吐き切って腹筋を緩めれば反動で早く吸える(入ってくる)。
しかし、深く早く吐く為には徐々に呼吸法で体を作り替えていく必要がある。
2011年11月29日
ロシア軍式格闘技、システマの呼吸法なかなか便利だな。
今までは空手の息吹や魔術のボックス呼吸法を応用していたが、
動きを止めずに息や心身を安定させるにはシステマの呼吸法が向いてるようだ。
素早く鼻から息を吸い、口から素早く細く吐く。
外気を取り込み、体内から老廃物を呼吸とともに吐き出すイメージで素早く繰り返すと痛みも散らせる。
いきなり実行してそこそこ使えるのはボイトレや他の分野での呼吸法の基礎があったからだろう。
深く吐くから深く息が吸えるのだ。
2011年12月24日
呼吸法と自己暗示に加え、顔面ひっぱたいてアドレナリンを分泌させ、倦怠感をブッ飛ばす。
体が闘争状態になるので機敏に動いてくれるのはいいが、
少々暴力性が増大しかねんので冷静な判断力を失わないように注意すべきだろう。そんなヤワな鍛え方はしちゃいないが、慢心は禁物だ。
呼吸法の応用で面白いのは色との組み合わせ。色は777の書、万物照応表を参照しなくても、色イメージや心理関連の情報を漁って応用できる。嫌な自分の要素のイメージした色(濁らせてイメージする)を吐き出し、なりたい自分の色イメージを想像して吸い込む。基本が解らなければ毒にも薬にもならんよ
— 峨骨 (@Chimaera925) October 19, 2016
怒りっぽいから冷静になりたいなと思えば、
深く息を吐くときに口から濁った赤黒い煙が出ていくのをイメージして、
吸うときに綺麗な青い色が口から入るようイメージする。
応用すると、空間をイメージで塗り潰して周囲の人間の印象を変えたりすることも。雰囲気ってやつだね。
鏡を見ながらその色に自分が包まれたイメージを重ねる事で自己暗示が強くなるので、
割かし使える。
ライブやってた時は色イメージも纏って外出していたな。
オーラだのカリスマだのってのは、そこまで難しい事じゃない。
あとは視線や指先の置き方、
動作の早さや緩急……才能や素質など不要だ。
人間が「あの人はオーラがある」とか「カリスマがある」と言うのは、
大抵は姿や声、後光効果。
一般人との違いは言語化されない細部。
暗示と模倣でそれを後付けするのは不可能ではない。
立場や役職が人を作るように、
自身の心理操作でそれを行う。大した違いはない。
存在感がある者も元は一般人。
他者にその色イメージを伝達するのは、
色イメージに従った自身の立ち居振舞いだったり言動だったり。
他には類感魔術の応用でいける。
類似したもの同士は互いに影響しあうってヤツな。
相互に影響されるから要注意だ、深淵を覗き込む者はなんとやら。
基礎を体得していなければ毒にも薬にもならないけどな
色云々ってのは自分自身の気付いていない一面や
気付いていて表面に出てこないような側面を
色やイメージで括って具体化する為の道具。
思考だけでなく視覚などの五感、複数のチャンネルを介する事で現実味が増す。
脳や意識を騙すための手段。この過程を踏んで自己暗示ってのは一種の安全装置でもある。
道具を使った認識の書き換え、誤認誘導なんてのは日常に溢れている。
誰も欲しがらない、誰も食べたがらないようなものを添加物や香料、着色料、宣伝等を用いて旨そうな食料に変え、
飽食の時代なんてものを作り出した。
棚に豊富に並んだ食料品を見て、まだ豊かな時代だと思っている。
2016年10月22日
呼吸法で息を止める時、よくありがちな間違いは流れは止めない。
息を吐ききって下腹部の筋肉が収縮した状態で静止する。
この時、肛門を腸に引き込むように閉めた状態。喉で息を止めるイメージは誤り。
緩めると息が入ってくる訳だ。緩めて空気が肺に入るに任せて、弛緩させたまま静止。喉で止めない。
水を一気飲みするみたいに喉は開けたまま。
これが極意。
歌うときもこうすると、歌がブツ切りにならない。
フレーズが途切れても歌の流れが続く。
歌わない箇所は休む場所じゃない。
歌わない箇所も歌の一部。ここで休むとそこまでの流れが途切れてしまう。
呼吸の訓練では流れを止めない。
息は生きること。
流れを止めないように意識するとやり易いだろう。
もっとも、俺の一番効率の良いやり方に最適化されているから流派(?)ごとにやり方があるだろうけども。
初歩段階では、上体に無駄な力を入れず脱力して息を吐く事を会得する。
これを飛ばして吸う段階に行こうとすると無駄な力が入る癖が取れない。
濡れた布を詰めた管楽器を思いっきり吹いても楽器は壊れはしないが、
声帯は故障する。
脱力して息を吐く事を体で覚えるまでは息を吸う事は意識しなくてよい。
一般的な腹式呼吸では腹を前後に膨らませるイメージだが、
実際には下腹部の末端から内臓を押し上げるように収縮させ徐々に下腹部が凹み、
次に腹部。
丁度、切れかけの歯みがき粉のチューブを絞るような感じだ。
上に押し上げるような動きだが、イメージでは体が沈み込むように。肩幅に足を開き行うと、
地に根が張ったかのような安定感が感じられるだろう。
意識と神経と筋肉を連動させて、
より長く細かく制御して段階的に吐けるよう体作りすることで、
限界まで声が振り絞ることができる。
声帯に負担をかけず、体に負担をかければかけるほど大きく強く高い声が出せる寸法。
2016年10月23日
ありがちな誤りが、大きく強く高い声が出そうとして上へ上へ意識を持っていくこと。
足を踏ん張って下へ下へ行くのが正しい。
喩え悪いけど、トイレで踏ん張るあの感じ。
両足上げては踏ん張り利かない訳で。意識を上へ上へ持っていくと息の制御が甘くなり、首周りにも力が入る。
呼吸の訓練はしっかりやっていれば必要な筋肉は勝手についてくる。
上体を脱力してから、
できるだけ時間をかけて徐々に筋肉を収縮させて息を吸い切った所で静止、
筋肉を徐々に緩め吸った時間と同じ長さ息を吸い、静止。
これを繰り返すことで発声に必要な繊細な息の制御が可能となる神経や肉体が作られる
中学の頃、ボーカルのトレーニング本を何冊も読んだけど、
まず腹式呼吸について書かれていても一頁程度。
具体的には書いてないし、それで身に付いたかどうかも解らない。
息が身に付かないのにトレーニングや技術の話。
スポーツで言えば競技に必要な知識や体作りが無いのにいきなり競技の技術練習。
下半身の強化は別途必要か。
俺の場合、スキー、スケート、
剣道、
陸上(短距離走と高跳び)でそれなりに鍛えていたから走り込みとスクワット、
たまに站樁功
くらいしかやらなかったけど、
粘り強く力強い足腰があった方が重心が安定して踏ん張りが効くしパワーも出る感はある。
身長で声帯の長さが決まる。身長が高いと声帯も長くなる。
声帯が長ければ長いほど低い声が出る。背が低いと短くなり高くなる。
高音域を出すには有利だが、低い声はそこまで出せない。
身長に体重、骨格、筋肉、これと癖で声は大体決まってくる。背格好や顔が似ていれば声は同じタイプになる。
似たような背格好、顔の人間が居たって完全に一致する訳ではないが、
カラオケ文化のせいか、何故か原曲の歌手に似ている歌い方や声が上手いとされる猿真似文化になってしまっている傾向がある。聴衆に受け入れられやすいからか、真似て下積みしてきたからか歌手もそうなりがちだけど、実に勿体無い。
日本では教養として芸術を鑑賞する文化や素養はなかなか育たないだろうな。
聴衆が芸術にシビアな評価を下して悪いものは悪い、素晴らしいものは素晴らしいと評価することも無いから、
子供騙しや流行った歌手に似た二番煎じみたいなヤツが流行る。
育成やプロモーションに時間も予算もかけられなくなって
来ているから、一発屋や昔流行った曲のカバー、
どこかで聞いたような曲、外国で流行した曲の和製模造品だらけになる。
単純にCDも売れなくなってきたし、
キャバクラ商法や短期に流行作って経費回収しつつ利益出すやり方になりがち。
利益の見込みが無いとGOサインも出ないだろうしな。
呼吸の補足:
息を吐ききったあとて脱力して自然と入ってくる過程を息を吸うと表現している。
腹を膨らませて吸う必要は無い。
脱力が身に付かない段階でそれをやれば息を吸おうとして余計な力が入りいつまでも脱力が体得できない。
肩が上がって胸式呼吸になってしまい本末転倒。変な癖が付くと遠回りだ。
歌手の歌真似して変な癖や喉を潰しかねない歌癖が付いてしまうと、なかなか治せない。
自分自身の手で自身の声の力、魅力を掘り起こさなくてはならないのに、誰かの劣化コピーになってしまいがち。基礎が無いのにそれをしようとすれば、喉を潰しかねない。百害あって一理無しだ。
役者は体作りから入るのに、歌はカラオケ等で誰でも歌えるから軽視されやすい。
昔と違ってマイクや音響機器の性能向上で声が拾いやすくなり、
編集やエフェクトも簡単に付けられるから声楽ほどは重視されないし、求められてもいないだろうが、何本もライブ演って持たないのはちょっとな。
あの呼吸法は精神状態や力を入れる箇所、呼吸の加減によってツボに嵌まると呼吸するだけで快楽や多幸感が得られるパターンがある。
ある種間違ってはいないがそのやり方はお勧めしない。
呼吸だけで賢者モードになり日常や健康に支障が出る。
それで悟ったなんて勘違いしても不味い。脳内麻薬の錯覚だ。
そのようにはならないように書いているので恐らく危険は無いだろうが、
偶然そうなる可能性もあるので。
これで得てしまった神秘体験や特別な体験に思えるものは脳内麻薬の産物で錯覚だ。
ほどほどに付き合って、快楽や優越感に溺れてはいけない。
それは破滅の第一歩。引き返せ。
敢えて心と書かないのは神秘主義やオカルトが入り込まないように。
人間、期待すると見たいものを脳内で作り出して見てしまう生き物なので。
そっちは無防備に踏み込むと実に危険で、
良いことなど何一つ無い。
カルトにハマるくらいならまだマシなくらいに。
タチが悪いのを拗らせると人間として終わる。
呼吸法で心身を健やかに、
歌唱力を向上させ本来持つ声の魅力を引き出す。
求めるのはこれくらいで充分だ。
神秘体験や特別な力は求めてはいけない。
欲や誘惑に囚われないと思っていても、
求めないのが無難だ。
そんなもの無くても人間は生きられる。
いや、手段に依存するくらいなら最初から無い方が良い。
ありがちなカルトのイニシエーションでまやかしの神秘体験をしてカルトにハマる者を見れば危険性は解るだろうから、これくらいで。
人間ってのは、ある環境や条件、前提となる知識が揃うと簡単に神秘体験のようなものを脳内で作り出して体験してしまうので、研究する側としては面白いのだけどね。
やってはいけない見本だ。それを悪用する連中は軽蔑に値する。風上にも置けん連中だ。恥を知れ、と。
白魔術だの黒魔術だの分類されているように見えるが本質は同じだ。
まじないにしても呪い。
どれも意識の変容の技術。使い方によっては他人の意思をねじ曲げる技術でもある。
戯れに手を出して効果が無ければ幸い、あれば最悪。
道具は使う者の倫理観に委ねられる。相手を幸福にするから白など単なる欲目。
カルトの教祖の下半身が大抵暴走するように、
精神を鍛えてもいない強い倫理観を持ってもいない欲にまみれた俗物がその手の技術を手にしても、
肥大化した強烈な自我や欲望を制御できずに破滅に向かう。
それならばまだマシだろう。破滅していないならば、破滅と厄災を振り撒き周囲を巻き込む。
呼吸法にしても筋トレ、表情筋にせよどの部位を鍛えるにせよ、
筋肉、骨、内臓などの人体の構造を知っているか知らないかで差が付く。
解剖学は必須だ。
喩えば、脚の一部位を鍛えたいと思って漠然とトレーニングするよりも、
この部位を使うトレーニングでそこに効いていると意識することで効率が上がる。
声帯にしても、どのような構造をしていて発声するとどのように震動するのか知っていると、
その震動を妨げずいかにして最適化された脱力をすれば良いのかがイメージできる。
課題の目的を理解し、いかにして最短でそれを体に染み込ませるか、
これが無ければ単にやっただけで終わりがちだ。
課題の目的や意図を理解しようとせず漠然と行うならば大して身にはならない。
それでもそれなりの効果を上げるだろうが、
受動的な訓練では与えられた課題でしかなく自分自身に課した訓練にはならない。
言われたままやるだけでは己の手で紐解いて噛み砕き理解することもなく、単なる模倣に終わる。
空いた時間に入門編をちょくちょく書いてみました。人に説明するように書くとやっぱり良い確認になるね。
実践する際は、脱力にはくれぐれも気を付けて。具合が悪くなったら中断を。
慣れない内は脳や神経、体に負担がかかるのでほどほどに。
俺の呼吸と発声の訓練法の話ってあれだ、スカイリムのスゥームやシャウトの訓練法みたいなノリだなと今更ながら。あそこまで破壊力は無いけどな。
— 峨骨 (@Chimaera925) October 23, 2016
スゥーム https://t.co/J4Kvfn5Gk2
("スゥームとは、ベセスダ・ソフトワークスのRPG『The Elder Scrolls』シリーズに登場する魔法の一種である。
表記は「Thu'um」。息、ブレス(Su'um)、ドラゴンシャウト (Dragon Shout)、ストームボイス(Storm Voice)とも。
…
タムリエル大陸の北部地域スカイリムに住んでいる人間の種族・ノルドに古くから伝わっている魔法であり、
「シャウト」「声秘術(せいひじゅつ)」「ドラゴンシャウト」とも呼ばれる。
もとは定命の者 [1] たちを支配していたドラゴンが使っていたもので、ドラゴン語を用いることで使用できる魔法である。
「スゥーム」というのはシャウトや叫びを意味するドラゴン語だが、ノルドをはじめとした定命の者の間でもそのままシャウトを意味する呼び名として使われる。
ドラゴン語ではその一語一語に力が宿っている。
スゥームは声を発動の鍵としており、それ一語だけでも力を発現できるが、単語を三つ合わせて一セットとして発音することにより、真の力を発揮する。
…
【Q5】 人間が作ったシャウトでもドラゴンなら使えるのでは?
シャウトの基本は「概念を理解している」ことである。
知識だけ持っていてもその意味を理解していないと扱えないため、たとえドラゴン語とシャウトの本家であるドラゴンだろうと、理解していないもの/理解できないものを習得することはできず、会話で用いる言葉ぐらいにしか使えない。
例えばドラゴンを空から叩き落とすシャウト「ドラゴンレンド」には定命・有限を意味するJor(ジョール)という言葉が含まれているが、不死の存在であるドラゴンには、人間/エルフなど生物がもつ寿命や有限という概念への理解がないため、シャウトを放つどころかその前の段階から不可能なのである。アルドゥイン側よりも人間達を理解しているはずのパーサーナックスでさえ、定命という概念について「我らには理解できない概念」と語っている。")
2016年10月23日
あんなプレハブで毒ガスなんざ作れないだろうが、北のお薬を加工したり、LSDの液体を紙に染み込ませるくらいはまぁやれただろうな。
陸上自衛隊化学学校wiki
>少量(10kgまで)の特定物質を保有し、実験を行うことを許可されている日本で唯一の機関である
>2002年から2012年にかけては、サリン、ソマン、タブン、ルイサイト、VXガス等の多種の特定物質を年間グラム単位で合成している。
2016年11月3日
サイレントドラムにしても、サイレントヴァイオリンにしても、全然サイレントじゃないんだよな。サイレントドラムなんて本当に近所迷惑になる。あれは酷い。打ち込み面倒臭いからパッと演奏して録音したいけれど、時代は変わったものだなァ。どれもこれも打ち込みだ。
音楽は才能云々よりも思いっきり音を出せる環境があるか無いかの方が大きい。
音が出せる環境が整っていなければ上達しにくい。出せないなりの練習もあるけど、音が思いっきり出せる環境があってこそ。
例えば、環境さえあれば世界一の水泳選手になれるような者でも、
近くに海やプール等の泳げる環境が無ければスタートラインにすら立てない。スケートの金メダリストだってスケートリンクが無ければ不可能だっただろう。第一に環境があって、それから。この時点で格差があり、機会は平等ではない。
それらの不利を必要最低限埋めて底上げするのが、
俺の言う呼吸法とイメージ、身体操作。
呼吸、あるいは身体操作によってイメージを現実的なものとして体感したり、
身体に影響を与えることができる。呼吸を掌握すれば身体や生命もある程度は掌握できるようになる。
老化速度を低下させたり、身体の操作の
効率を上げたり、呼吸を通して意識と身体を作り替え、
最大効率で自分の心身を灰にする技術。
半畳程の空間さえあれば、あとは知識と仮説、実験と観察、検証、
これの繰り返しと積み重ねで身につけられる。
オカルトや神秘、才能など介入する余地もない。純然たる技術だ。
無意識の動作を一度、意識下で全て制御し
動作と反応を丹念に調べあげ、
自分の望む通りに組み立てる事で、望む結果に近付ける。
一度組み立てさえすれば、自転車に乗るように無意識でそれらは制御されるようになるだろう。
それらによってイメージトレーニングの効率も上がるが、基本があってこそ。
VRを用いた職業訓練なんぞも出てくるだろうけど、
鍛えられるのは脳と筋肉を動かす為の神経。
身体能力は向上しないし、五感の一部しか利用しないから効率はそこまで高くはないだろう。
頭でっかちは危険だ。リアリティが破綻しないよう、
齟齬を埋める為の核となるイメージ素材があれば有用だろうけど。
2016年11月7日
寒いな。呼吸法で体温上げておこう。
2016年12月1日
ノートを一日一冊消費するにはコツがある。
まず筆記が思考と並ぶくらいの速度を出せなければ厳しいので、
やや大きめの字で書き、色分けしない。日時を頭に書いたら、頭に浮かんだままを分別せずにそのまま書く。アイデアマラソンみたいなものだ。慣れると時間の許す限り、いくらでも書けるようになる。
それを継続すると思考言語を挟まずに自動書記のようにペンが動くようになる。別段、自動書記など珍しくもなんともない。思考の前段階には無意識の準備がある。それが思考過程で言語に翻訳されて出力される。筆記による出力を繰り返すと、直感や閃きのように思考過程のタイムラグ無しで出力可能となる。
反復することで思考のショートカットができて思考を意識する前に言語化が完了する。
自分の中に無いものをは出てこない。自分の中にある既存の概念の組み合わせが出てくるだけだ。この組み合わせパターンを増やす為に読書をして、吐き出し、それを読むことで咀嚼すれば勝手に血肉になる。
スマートフォンではこの現象は起きないな。
文字入力速度や変換速度があまりにも遅すぎて思考言語の速度についてこれない。PCでも自分の最速で文字入力するとタイピング速度に文字表示速度や文字変換速度がついて来ない。ついてこれるのは紙とペンあるいは口述くらいか。
自動書記は呼吸法も組み合わせると、
更に楽に実現できるだろう。一日二日続けた程度では発生しないが、有るときふと、初めから答えを知っていたかのように手が勝手に動いて言葉を綴る現象が起きる。神秘でもなんでもないし、お告げでもないから、別段どうということはない。よくある。
自分の考えのパターンや癖、傾向が解る。
丹念にノートに書かれた内容を拾っていけば、自身の隠された願望や失敗する要因、長所、欠点等が見えてくる。ノートの山は自分自身の思考ログ、単なるビッグデータでしかない。あとはそれを使う者の料理の腕次第ってとこか。
それ以上掘り下げようとするならば、呼吸法と瞑想が役立つが、探しに行っても何もない。神秘体験はまやかしだ。神秘体験を求めるくらいなら、音楽や絵画等の芸術に挑戦するのがよい。筆記や言語化された思考の限界は自分の語彙の限界点。その先は言語化できない。
思考言語の枠内にはそれを指す言葉や定義が存在しないものもある。
それを名付けて括る事が出来れば、それを持ち帰る事ができるだろう。
活用できるかはまた別だけども。誰とも共有化されない、自分だけの定義だ。
言葉で括るってのは何も良い事ばかりじゃない。
括ればこちらも同じだけ括られる。ま、狂人の戯れ言だ。狂気の沙汰ほど面白いものはない。
最初から狂っていては面白いとも感じられんから、正気とされるものと狂気を自分の意思で行ったり来たりするのが良い。
狂気は飼い慣らすものであって、飲まれるものではない、ってな。
2017年1月31日
鼻歌は発声を鍛えるのに役立つ。
ゆったり丹田、下腹部を絞りながら、それ以外の無駄な力みを排除しつつ、
柔らかく息を流して鼻歌にする。鼻腔あたりにある共鳴を胸部まで下ろして、丁寧に低めの共鳴を作る。
次に口を軽く開いて、そのまま唇を動かさず舌のみ動かして発声に変換する。脱力しつつ母音や
子音が明瞭になるよう意識しつつ、口先でなく体で発声する。
普段、口先で発声している者が真面目に取り組むと体に負荷がかかる。
それだけ口先で発声しているということ。
あくまで声は体で作る、口先の動きは補助。これが形になれば、
あとは息を流して共鳴に変換する効率を上げてやれば歌になる。
無駄な力は要らない。力づくで息を叩き付けて発声しようとするのは非常に効率が悪い。全身に無駄な力を入れる癖が付いて脱力が身に付かず、無駄な息継ぎも増え安定せず、声帯にも負担がかかる。爪先から髪の毛先まで効率よく使って、最大の効率で息を声に変換する。息で種火を大きくするイメージか。
強く吹けば種火が消えてしまう。種火が消えないように、長く安定してそっと息を吹きかけるように、声帯を振動させる。これが安定してくると、共鳴を保ったまま話す声で歌に入ってシャウトもできる。強火も弱火も思いのまま。イメージできない事はできないが。
日本語は口先で音を作ってしまうから、変な力み癖が付きやすい。そのまま歌に入ると喉を痛める。そして、体で発声しないから発声に必要な筋肉が付かず、薄っぺらい声を息の強さで誤魔化して声量を保とうとしてしまう。歌っているのに歌っていない。楽器を歌わせず力ずくで楽器を鳴らすかのよう。
マイク、音響機材や編集機材の性能が向上して、そんな薄っぺらくて通りの悪いマイク乗りの悪い声でも拾うようになって、発声以前の共鳴は発音、息、声質はそこまで重要視されなくなった感がある。カラオケ文化やエコーかかったマイク、ドンシャリしたアンプとスピーカー。いい声は育てるには良くない。
発声がマラソンや短距離走で歌はフルマラソンのようなもの。息の制御や無駄の無い合理的な発音が身に付いて、必要な体作りをしていなくても、物心付いた頃から大抵の人は話せるし歌えてしまうけれど、実際にはまだ立って歩けないのにマラソンや短距離走をしているようなもので、基礎がおざなり。
スポーツ選手がイメージトレーニングや体作りをするように、発声の前にイメージトレーニングや体作りが必要。基礎や基礎を身に付ける為の土台作りをやらないで、実践的な練習。何人かは喉を潰して何人かはモノになるかもしれないが、それは技術ではなく斉能や運、巡り合わせ。それじゃ意味がない。
無駄に息継ぎせず、母音と子音を意識して、筋肉の無駄な強ばりが生じないように一音一音、息の流し方から息継ぎまで、ゆっくりと丁寧に行う。素早く数をこなしても雑。勢いで誤魔化せるから身に付かない。
本を朗読するように息で読むのも良い訓練になる。発声する息の吐き方で息継ぎは自然に、無駄なく
間を空ける時は流れを止めない。喉で締め付けるように息を止めるのではなく、発声する為に動かしていた筋肉をその状態で制止させる。そして息継ぎしないまま、次の発声に繋げる。
息継ぎは増やせば増やすほど、流れがブツ切りになる。サビの一フレーズごとに息継ぎしていたら迫るような迫力は出ない。
現代は録音して自分で簡単に確認できるから楽になったものだな。テープレコーダーみたいに、いちいち巻き戻ししたり頭出ししたりしなくて良いし、テープの劣化や容量も考えなくて良い。
自分の声を録音して確認するのは、
鏡を見て自分の表情筋が意図した通りに動いているか、
姿勢は正しく取れているか、動作に粗は無いか、見苦しくは無いか、
人前に立つに相応しいかと確認する作業と同じ事だ。鏡で自分の姿を見慣れていても、大抵の人は自分の声を聞き慣れていない。
2011年11月7日
肉や米を食わずとも、酒を飲まずとも、他のものから栄養を摂取すれば生きられるだろう。しかし常に呼吸せずには生きられない。よって、あれが体にいい、あれが精神にいいとあれこれ飲み食いしたり知識を詰め込むより先に呼吸を正すのが近道となるのだ。
2018年10月23日
これは……オトポール系列かな。隠す気も無いんじゃなかろうか。
もっとも、同じ陣営だと認識できなければ味方から撃たれかねない訳で。フレンドリーファイヤ防ぐためには目印みたいなものは要るか。便衣兵同士で潰し合うなんて洒落にならんだろうし。
プロトコールやマナー、儀礼作法も似たようなもの。規定の仕草や動作を守る事でその構成員であることを示す。それを知らないってのは部外者ってな。
知っていればガバガバな組織ならセキュリティ掻い潜って潜り込んだり情報が引き出せる。ボロが出ない程度なら。
チェックがユルい企業にスーツ着て関係者面すれば潜り込めるみたいにね。
スーツを着ている人はビジネスマンで身元も大丈夫だろうというガバガバな信仰が日本にはあるからなァ。
誰でもそう。警戒しなくても良いと無意識に思わせれば意識の外で透明人間になれる。
だからこそ、滅茶苦茶美形のスパイや探偵なんて目立つ奴は向いてない。
視線を惹き付ける事で目的を達成するなら別だけど、暗躍するには向かないね。ビジネスだったら顔を覚えられた方が有利だろうけど。
美形じゃなくても独特の存在感がある奴も不利だな。
一応、呼吸法と歩法、服装を活用すれば存在感をぼかすくらいは出来るけどさ。
昔は動物相手に練習したなァ。
2019年10月21日
幻覚やトリップは興味ねぇな。
人間の脳は条件がそろえば幻覚を見るし、特殊な呼吸法を行えばある種のトリップは出来るが、この世自体が幻覚みたいなものだし、別に有難がるようなものでもない。
2019年11月9日
呼吸法の修行に良いのが馬歩站椿功だけどお勧めはしない。
まともな指導者が居るならやるのも悪くないが、シンプルに見えてただ立つという事が非常に難しい。呼吸、特に歌唱では下半身が大事だから一石二鳥にも三鳥にもなるんだけどね。どっしりした下半身と脱力した上半身。
馬歩のほかに熊歩と弓歩、鶏歩もメニューに組み込んでいた。メニューだけ見ると一体、コイツは何のトレーニングをしているんだと今の俺でも思うがよくある事。
大抵が独学だから非常に遠回りしたな。何でも良い指導者が居れば師事するのが近道。遠回りする間に効果的なものを見付ける事もあるけど、それを探すよりも先人に基礎を学んだ方が良い。
人間の一生を遥かに越えた蓄積よりも自分の積み重ねが優れていると思える程、恥知らずではないよ。
教わったのは声楽のさわり程度だな。
どこまで行っても俺のやり方は邪道だから、より良いやり方があればそちらを推奨する。あくまでも俺自身の人生と体を使った実験結果でしかないからね。
その過程であらゆるジャンルに手を出したお陰で、それなりに楽しくやっているから結果オーライだな。
継ぎ接ぎだらけのこんな邪道な紛い物でも、くたばる時に何か一つ確信を掴み取ってくたばりたいものだ。紛い物でも貫き通せば真になるのなら、貫き通す価値がある。夢も希望も何もかも捨てたけど、これだけは捨てられなかったんだよなァ。捨てればきっと楽になれたのにな。
呼吸法ってのはインナーマッスルのトレーニングだから、文章や口頭で説明しにくいんだよな。
だから腹から声出せだの腹式呼吸しろだのという指導がまかり通る。一番解りやすいのはヨガかな
ヨガの呼吸法の一種、息を吸うときに腹を限界まで凹ませて、吐くときに膨らませる手法が解りやすい。その前に全身の脱力や立ち方も要るんだけど、この呼吸法で丹田あたりを意識して上体の脱力を保ちながら限界まで凹ませていくと筋肉の動きが体感しやすい。
内臓回りの血行も良くなるから、冷え性には使えるだろうけど
逆上せそうになったらさっさと止める事と
食後にやらず時間を開ける事が重要だ。使わない筋肉を使うからやりすぎも禁物。
腹を膨らませるのは意識しなくても良い。
大体、これをやれば息を吸おうとしなくても息を吐ききれば吐いただけ反動で勝手に空気が肺に入ってくるのが解るだろうけど。腹を膨らませるのは脱力が安定するまでは徐々に。急ぐと力む癖がつく。
Kumantong (古曼童)、タイのクマーン・トーン(中国道教の乾姪姪)
『道教の本―不老不死をめざす仙道呪術の世界 』と主に道教系魔術の資料。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-63.html
タイの人造座敷童”クマントーン”
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-632.html
”本日は世界の恐ろしい魔術の一例として
タイの人造座敷童”クマントーン”をご紹介しよう。
クマントーンというのはタイのお土産屋とかで
売っている、開運アイテムの置物で、
ミニチュアの仏像の様な形をしている。
ところで、所謂”開運グッズ”なので、お土産として
買った人は大体次ぎに紹介するブログの記事の
様なノリの認識が主流だろう。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/ravia/diary/201007250000/
このブログ主は今時の女性または主婦のような感じ。
「座敷童ちゃんカワイイ〜。毎日お世話しちゃうわ〜!」
みたいなポジティブな反応だろうか。
しかし、このブログ主は実際にコレをどう作るのか
知らないのだろう。
日本で唯一これの作り方を知ってそうなブログがあった。
ttp://ameblo.jp/hiropomin/entry-11641421642.html
この方は実際にタイに住んでそうである。
ちなみに”クマントーン”の概要は以下のブログで。
ttp://khmersurin.blog62.fc2.com/blog-category-5.html
特に上のブログをしっかり読んで頂きたい。
「・・・その黒い所に埋めてあるんですよ
胎児を焼いた灰を」
「埋めてあるんですよ、胎児を焼いた灰を」
!?
そう、読み間違いじゃない。
造り物でもない。
本物の生きた人間の胎児を焼いて作るのだ!
実はタイというのは子供の誘拐事件が多い。
人身売買のマーケットが地下で発達しており、
実際に黒魔術用の材料として高額で取引されるのだ。
こういった例はナイジェリア等のアフリカの未開国家
でも行われている。
下記ブログでも紹介されている通り実際にニュースにも
取り上げられた事もある。
ttp://www.glitty.jp/2012/05/009460post_5097.html
※ちなみに逮捕された密売人がイギリス人である所に
注目頂きたい
”クマントーン”は一般的には一番上の仏像の形をした
物が大半だ。
ところが”クマントーン”にもグレードがある。
一番高い奴は胎児の死体を丸ごと使い、金箔を
貼って作る。
これが凄まじい”開運効果”なのだそうだ。
世界中の金持ち達が大金を積んででも、タイに
買い求めにやってくるそうだ。
しかも東南アジアの未開そうな金持ち達ではなく、
欧米先進国や香港からも金持ちが買いに来る。
当然、日本からも来ているだろう。
なぜ、そういった迷信を信じなさそうな欧米先進国の
教育豊かな大人達がこぞってこんな怪しい代物を
大金を出してまで買うのか。
実は商売をやられていたり、株等の投資経験の
ある方なら分かると思うが、
経済活動というのは不確定要素が多すぎる。
ノーベル経済学賞の理論でも説明不可能な
事象が日常茶飯事に起きる。
つまりビジネスで儲かるか、損するかは
本人の”努力”も確かに重要だが
それ以上に”運”の要素が強いのである。
だから長財布がお金を運んで来るという迷信が
一時期日本でも流行ったが、これは重要である。
この本では金持ちのアンケートを取っており、
お金持ちは長財布を使っている人が多いそうだ。
また財布の中に”お守り”を入れているケースが
多かったと報告している。
そう、商売が成功するか、しないかは誰にも分からない。
努力が実らない場合だってある。
だから金持ちは験を担ぎたがるのである。
これが”クマントーン”が世界中でベストセラーになる
理由だ。
ここまでは予備知識。
このコーナーは”フェイド大帝流魔術”なので
実際にこの”クマートーン”の作り方をお教えしよう。
これはフェイド大帝が茅山道教の勉強をして
入手した作成レシピである。
※前回書いた様に中国人は三国志の時代に
南蛮の呪術にこっぴどくやられた過去があり、
タイの呪術が逆輸入で道教にも取り入れられている
まず、
①近日中に死んだ赤ん坊の墓を暴いて
死体を手に入れる。もしくは
適当な赤ん坊を誘拐する。
生きた赤ん坊を使った方が効果が
高いので、後者が推奨される。
②火で加熱した金属網で攫った赤ちゃんを
生きたまま焼く
③火加減は弱火〜中火ぐらい。このくらいの
温度で焼くと赤んちゃんの脂肪が液体状に
なり、これを回収する
④この焼いた生きた赤ちゃんから採取した
脂肪を小さな瓶に詰める。
⑤この瓶を人通りのある公園等の大樹の
根元に埋める
⑥仏教僧(密教)が49日間お経を唱えながら
大樹の周りをグルグル回る。
※49日というのは仏教の有名な数字で
日本でも葬式等で耳にしたことがあるだろう。
人間が死んだ後、魂が体から抜けて輪廻転生
するまでの期間が49日であると言われている
⑦お経の効果は公園の周りを彷徨う
浮遊霊を脂肪瓶の中に閉じ込める効果が
ある。
※これは一種の呪術トラップである。
その辺を彷徨う成仏しない浮遊霊というのは
大半が悪霊であり、悪霊を瓶の中に
閉じ込めて捕獲し、これを使役して
術者の願望を叶えさせるというメカニズム
である
⑧悪霊を封じ込めた脂肪を瓶から取り出し、
仏像の置物に埋め込む
⑨クマントーンの完成
使用上の注意:
クマントーンは生きた”悪霊”を使うので
捕まえた”悪霊”が餓死しないように
毎日お供え物という食料をお供え
しなければならない。
お供え物を忘れると、悪霊はお腹が空いて
元気が出ないので、開運効果が落ちる。
※神道の神棚の仕組みも基本的には
クマントーンと同じである。
注意点はお供え物が豪華すぎると
悪霊が栄養を付け過ぎて、封印が
壊れる場合がある。
だから、お供え物の匙加減が重要なのである。
ちなみに神道の神棚では”塩”や”水”等の
粗品が多く使われるのは、一般人が間違って
悪霊”天照等の古代の亡くなった人物”に
お供え物を与えすぎると、
悪霊は家主に牙を向く危険がある。
”霊”というのは時間が経てば経つ程、強力に
なる性質がある。
※だから神道の神棚のお札は一年で強制交換
させる
だから、”クマントーン”は長期保有すべきではない。
これの処分の仕方が分からないと大変な事が起きる。
お土産で自国に持ち帰ったお金持ちがしばらく経つと
開運どころか、悪運に苛まされるのはこれが原因である。
であるので、”クマントーン”を使うのであれば、
タイの呪術者の知り合いが必要不可欠である。
以上だ。
フェイド大帝流魔術の導入編としては結構な
記事を提供出来たと思っている。
だが安心してほしい。フェイド大帝流では
基本的に黒魔術の類いは使用しない。
また、魔術の基礎からしっかり勉強して
いくつもりだ。
将来的にはこういった黒魔術の呪物を
払う退魔の技術も身につけていく。
※ところで、クマントーンの知識があると
サンデーのマギで大高が子供を焼いた
エピソードを描いたのが如何に危険か
良く理解出来たであろう。
テスが黒焦げになる前に、ウーゴが
変な呪文を唱えているのでこれは
確信犯である。”
(
母子とも死亡が最悪の死に方。
クマントーンの作り方の一つが母子殺害。
最悪の霊が誕生してしまう)
Kuman Thong
https://en.wikipedia.org/wiki/Kuman_Thong
”Kuman Thong (Thai: กุมารทอง) is a household divinity of Thai folk religion. It is believed to bring luck and fortune to the owner if properly revered. Kuman, or Kumara (Pali) means "Sanctified young boy" (female kumari); thong means golden.
Description
The veneration of Kuman Thong is not part of mainstream Buddhist practices, but it is popular in Thailand.
Origins
The authentic Kuman Thong originated in a practice of necromancy. They were obtained from the desiccated fetuses of children who had died whilst still in their mothers' womb. The witch doctors were said to have the power to invoke these stillborn babies, adopt them as their children, and use them to help them in their endeavours.
According to ancient Thai manuscripts used by practitioners of black magic (Thai: ไสยศาสตร์ Saiyasat), first the unborn fetus was surgically removed from the womb of its mother. Then the body of the child would be taken to a cemetery for the conduction of the proper ceremonial ritual to invoke a Kuman Thong. The body was roasted until dry whilst the witch doctor chanted incantations of magical script. Once the rite was completed, the dry-roasted Kuman was painted with Ya Lak (a kind of lacquer used to cover amulets and Takrut with gold leaf) and covered in gold leaf. Thus this effigy received the name of “Kuman Thong”, meaning “Golden Little Boy”.
Some Kuman effigies were soaked in Nam Man Phrai,[1] a kind of oil extracted by burning a candle close to the chin of a dead child or a person who died in violent circumstances or an unnatural death. This is much less common now, because this practice is now illegal if using fat from human babies for the consecrating oil. Occasionally there are still some amulets obtained through the authentic methods appearing in the market. Some years ago a famous monk was expelled from the Buddhist Sangha for roasting a baby. He was convicted, but later continued to make magic as a layperson after his release.[2]
Hong Phrai
In the case of a female spirit child, the effigy is not called Kuman Thong, but Hong Phrai (โหงพราย).[3]
In literature
The Kuman Thong is mentioned in the Thai legend of Khun Chang Khun Phaen, where the character Khun Phaen made one by removing the stillborn baby from the stomach of his wife, whom he had killed.[4]
Recent events
On May 18, 2012 a 28-year-old British citizen of Taiwanese origin, Chow Hok Kuen, was arrested in a Bangkok hotel room with six male fetuses that had been roasted and covered in gold. Police reported that Kuen intended to sell the fetuses in Taiwan for about 6,300 USD each.[5][6][7]
In 2011, a case was reported in Laos of a man murdering his pregnant wife, so as to use the fetus as a "Louk Lord".[8]
Hyper-realistic dolls of children (but not made out of real children), "Luk Thep" or "Look Thep" ("child angel"),[9] have recently (2015) become popular in Thailand.[10][11][12][13][14] Some people believe the dolls can be injected with the spirit of a child after being blessed by a Buddhist monk. Their owners provide such care as food, water and clothes "in the hope of receiving good fortune in return", and some companies offer owners of the dolls the option to reserve them their own seats and services.[15] ”
(グーグルブラウザ翻訳
”Kumanトン(タイ:กุมารทอง)の世帯の神性であるタイの 民間信仰。適切に尊敬されれば、所有者に幸運と幸運をもたらすと考えられています。クマン、またはクマラ(パリ)は、「聖化された少年」(女性のクマリ)を意味します。ひもは黄金を意味します。
クマントンの崇拝は仏教の主流の一部ではありませんが、タイでは人気があります。
起源
本物のクマトンは、ネクロマンシーの実践に由来します。それらは、母親の胎内でまだ死んだ子供の乾燥した胎児から得られました。魔女の医師は、これらの死産の赤ちゃんを呼び出す子どもとしてそれらを採用し、彼らの努力でそれらを助けるためにそれらを使用する力を持っていると言われました。
黒魔術の実践者(タイ語:ศ ยศาสตร์Saiyasat)が使用した古代タイの写本によると、最初に胎児の母体の子宮から外科的に摘出されました。その後、子供の遺体は、適切な儀式の実施のために墓地に連れて行かれ、クマン・トンを呼び出します。魔女の医者が魔法の台本の呪文を唱えている間、体は乾くまで焼かれました。儀式が完了すると、乾燥焙煎されたクマンはヤラック(お守りとタクルトを金箔で覆うために使用される一種のラッカー)で塗装され、金箔で覆われました。したがって、この彫像は「クマントン」の名前を受け取りました、「ゴールデンリトルボーイ」を意味します。
いくつかのクママンの像は、ナムマンプラーイ[1]に浸されていた。死んだ子供の顎の近くでろうそくを燃やすことによって抽出された一種の油、または暴力的な状況または不自然な死で死亡した人。これは、今ではあまり一般的ではありません。なぜなら、人間の赤ちゃんからの脂肪を奉献オイルに使用する場合、この慣行は今や違法だからです。時折、本物の方法で入手したお守りが市場に登場することがあります。数年前、有名な僧kが赤ん坊を焙煎したために仏教の僧angから追放されました。彼は有罪判決を受けましたが、釈放後も素人として魔法を作り続けました。[2]
ホン・プライ
女性の精霊の子供の場合、この彫像はクマン・トンと呼ばれず、ホン・プライ(โหงพราย)と呼ばれます。[3]
文学
Kuman Thongは、タイの伝説であるKhun Chang Khun Phaenで言及されています。KhunPhaenは、死んだ赤ん坊を彼の殺した妻の腹から取り出すことでキャラクターを作りました。[4]
最近のイベント
2012年5月18日、台湾出身の28歳の英国人チョウホククエンが、焼いた金で覆われた6人の男性の胎児がいるバンコクのホテルの部屋で逮捕されました。警察は、Kuenが台湾で胎児をそれぞれ約6,300米ドルで売却するつもりだったと報告した。[5] [6] [7]
2011年、ラオスで、妊娠中の妻を殺害した男性の事例が報告され、胎児を「ルークロード」として使用しました。[8]
子供のハイパーリアリスティックな人形(実際の子供で作られていない)、「Luk Thep」または「Look Thep」(「child angel」)[9]は最近(2015)タイで人気を博しています。[10] [11] [12] [13] [14]一部の人々は、仏教の僧kに祝福された後、人形に子供の精神を注入できると信じています。所有者は「見返りに幸運を得るために」食料、水、衣服などのケアを提供し、一部の企業は人形の所有者に自分の座席とサービスを予約するオプションを提供しています。[15]”
)
2013-10-18 23:23:06
金の針で幸運アップ術ฝังเข็มทอง体験記!その2一家に1人!座敷わらしなกุมารทองを
https://ameblo.jp/hiropomin/entry-11641421642.html
”チェンマイから来た僧侶様から
運気を上昇させるฝังเข็มทอง(ファンケムトーン)
という儀式を受ける事になったほへ太郎とお友達。
はたして、どんな儀式なの~~?
…
部屋の中は・・・
ฝังเข็มทอง
あら~とっても可愛くない
・・・おぉっと言い間違えたw
リアリティを追求したようなお人形さん達が沢山飾ってあります。
あらぁ~可愛いตุ๊กตา達ですねぇ~
(口から出任せほへ太郎w)
信者のオッサンが自慢気に答えてくれました
「でしょ!でしょ!
พระอาจารย์が
作って下さった可愛いกุมารทอง達なんですよ!
えぇと名前はね!
右からガイちゃん・ジョンちゃんに・・・何ちゃらちゃんに
何ちゃらちゃん・・・・」
…
「○○ちゃんでしょ?
そしてこっちがね、○○ちゃん、そしてあっちがね・・・
(以下延々と人形の名前を紹介してくオッサン)」
…
それにしても・・・ク・・・クマントン
・・・何だっけ・・・?この単語・・・?
…
黒魔術のオッサンが『守護霊』使役する時に使ってた単語だ!
そうだっ!あの単語だ!!
あの当時は言葉の意味は判らんがとにかくすごい自信だ
とキン肉マンな事を言ったの思い出した!!
そうそう!
กุมารทองって
勝手に『守護霊』と訳して書いたけど
おっちゃん確かに言ってました!
黒魔術師の占い館~その2~マシマロ吹き出しの巻
…
あの~~
ตุ๊กตา(トゥッカター)(和訳:お人形さん)とは言わないんですね。
กุมารทอง(クマントーン)って名称なんすねぇ・・・
・・・やっぱりพระอาจารย์(和訳:僧侶様)がお作りになるから
人形の僧侶用の尊敬語って事なんですか?
พระอาจารย์がにっこり笑ってご説明して下さいました。シメシメw
「・・・お人形・・・ではないですね。
ほら、ほへ太郎さん、
ちょっとそのクマントーンを一体持って。
そうそう。そしてその後ろを見てごらんなさい?」
あ・・・何か穴が開いてて・・・
あ~そこに黒い何かが埋まってるんだ~
ここに僧侶様のパワー注入~みたいな~?へぇ~~
(そのポイントをほじりながら)
「ほら、今ほへ太郎さんが触ってる所・・・
あ、あまりほじくり返さないでくださいね。
その黒いポイントあまり触らないでくださいね。(にっこり)」
あwwすみませんw
つい穴があったらほじる、それがほへ太郎(笑)みたいなw
自然にほじちゃうほじっちゃう。ねぇ!鼻くそじゃぁないんだからねぇ~
いやねぇもう本当手癖悪くってねぇ・・・(*ノω・*)テヘ
「・・・その黒い所に埋めてあるんですよ
胎児を焼いた灰を」
…
「・・・死んだ赤子の灰を
人形に封じ込めて魂を吹き込んだ
彼ら・・・
これがกุมารทองですよ・・・
扱いには本当にお気をつけて下さい。
彼らは生きているんですから。。。。」
…
กุมารทองクマントーン――
水子や胎児の霊を人形に封じ込め、
契約者のために使役させる日本で言う「座敷わらし」的お守り人形。
持ち主を幸せにする意味合いをもつ。
しかし!自分が持った場合必ず一体一体に名前を付けること。
また毎日欠かさずお菓子と飲み物(好物はน้ำแดง)を捧げる必要がある。
子供の霊だからお菓子が大好物なのだ。
現在では僧侶(もしくは徳の高い人物)によって、
そのような水子・胎児の魂を人形に封じ込める事により
供養と同等の意義を与え、見返りに持ち主に幸福を与えるラッキーアイテムとして
一般的にも流通してきたのも事実である。
しかし、
กุมารทองクマントーンは基本的に、
黒魔術的な呪いのアイテムとして使用する事が主であり、
タイの民話にもある通り、妊婦のお腹を生きたまま割き、胎児を取り出し殺してから
黒焼きにして人形に封じ込め、金箔で封じ込める数々の段階を踏む(他にも色々やるよ~ん)為、
非常に残虐性及び危険度の高い呪いアイテムであるため
クマントーンへ食べ物飲み物を与える事を怠ったり雑に扱う事は
契約破棄、いわゆる契約者に対し、不幸をもたらすという諸刃の剣的な事象になってしまう為
一般的には扱いにくいのも事実である。
また、なぜ飲み物は赤い水が好まれるか・・・
この契約者と交わした証、
いわゆる自分の子供(胎児)を
殺して守護霊とするという過去の因習により、
「血液」の代価としての意味が非常に強いと信じられているのである。―――”
2009/08/15
究極の呪い作用・水子霊を使役する
http://khmersurin.blog62.fc2.com/blog-category-5.html
”幼児霊を籠めた呪物は、カンボジアでKONKLO(コンクロ)・ラオスでLUEKLO(ルークロ)・タイでKHMANGTONG(クマントーン)という名で呼称されています。いにしえの呪い師は、この呪いアイテムを欲する者に対し(かつては男性)、まず妊娠した伴侶に対し「この腹の中の子は、俺の子だな?」と問いかけさせ
「もちろん、あなたの子です。」と答えたのを機に、一気に刃物で腹を裂き中の子供を取り出し、呪い師が持ち帰り、カラカラになるまで天日で干した後、然るべき儀式を施し魂を留めさせ欲した父親に授受するという手順が、
いにしえの唯一の方法でした。親父の幸運の為に、子と母親までも引き換えに供出しなければならないオゾマシイ方策しかなかったのです。時が流れ、仏教の教理が混入された事、更にいにしえの精霊崇拝も仏教との混交を受け、殺生をせずとも自然と水子となった霊は五万と居り、その霊を呪文によって呼び寄せ欲する者と契約を交わした後、器となる人形に籠める事で同様のアイテムを手に入れられるようになりました。いにしえのこのアイテムは、自身を守るのは自身の分身以外無し、と断言し妻の腹を掻っ捌くという何とも不快な方法だったのです。捨てられた水子は大半が供養されておりません。浮遊する魂を取り込み欲する者に与える事が、供養ともなり水子は主の為に誠心誠意尽くすのです。もちろん、生き物を扱うつもりの対応が主に求められますが・・・。でも現代は女性も授受できるようになりました。逆に母を欲する赤子には女性の方が良いかもしれません。”
タイで不気味な墓荒らし 「胎児ミイラお守り」の衝撃実態
東スポWeb
2018年12月27日 17:00
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1232056/
”【アツいアジアから旬ネタ直送 亜細亜スポーツ】ミャンマー国境に近いタイ南部ラノーン県で不気味な墓荒らしが起きた。地元警察発表によると、コンクリ製の墓が破壊され、ふたがこじ開けられ、胎児15人の埋葬遺体が持ち去られた。全て死産などで亡くなったばかりの胎児で、葬儀の際には不審人物の目撃談も。何らかの呪術的な儀式を行った形跡があるという。
地元紙「カオソッド」によれば、近隣住民は11月ごろからたびたび夜になると墓周辺で何かを唱えるような声を聞き、墓石を打ち壊すような音が響いたという。
タイでは胎児の遺体持ち去り事件もたびたび発生する。首都バンコク近郊サムットプラカーン県の病院では一昨年10月、早産で死亡した胎児が遺体安置所から盗まれた。被害者家族は記者に「遺体が黒魔術に使われるのではないか心配です」と語っていた。
敬虔な仏教国タイには、仏教伝来以前のアニミズム的な民間信仰も残る。人々は「ピー(精霊、幽霊、妖怪)」の存在を信じ、ごく少数だがタイ語で「サイヤサット」と呼ばれる黒魔術も伝えられている。今の時代では信じ難いが、ひそかに暗躍する黒魔術師を雇って政敵や商売敵に呪いをかけたり、反対に守護の力を封じ込めたお守りを作り、持ち歩いたりする信者がいる。
その一つが「クマントーン」。「黄金の子」という意味で、幼児の霊が宿るお守りだ。その作り方が実に凄惨。母親の子宮内で死亡した胎児を摘出し、墓地で儀式をしながら焼き、乾燥させ、ミイラ状にする。かつては妊婦の腹を裂いて胎児を取り出すこともあった。最後はミイラに金粉を塗って完成。クマントーンには非常に高い守護効果があり、幸運をもたらすとされる。現代では、何らかの方法で入手した胎児の遺体が使われるという。
2012年にはバンコクのホテルで、クマントーン6体を販売目的で持っていた英国系台湾人が実際に逮捕された。その男は1体20万バーツ(約68万円)でクマントーンを買い取り、台湾で転売しようとしていた。タイだけでなく、東南アジア各地や中国などでもその効力は信じられている。
このため、今回の墓荒らしも、地元では「クマントーンを作るためでは」と噂になっている。またタイで生きた赤ん坊がさらわれる事件も、組織的な人身売買や臓器売買目的といわれる一方「中にはクマントーン目当ての犯行もあるのでは」とささやかれている。(室橋裕和)
☆むろはし・ひろかず 1974年生まれ。週刊文春記者を経てタイ・バンコクに10年居住。現地日本語情報誌でデスクを務め、2014年に東京へ拠点を移したアジア専門ライター。最新著書は「おとなの青春旅行」(講談社現代新書)
”
タイのフェティッシュ
Posted on 22, 2015
http://vrilgese.blog.fc2.com/blog-entry-357.html
”男子は出家することが最大の功徳であり、事実上の義務となっているタイの街では、首から御守りを下げている人をよく見かける。
これはプラクルアンと呼ばれる小さな仏像で、粘土を焼いて作った仏像に僧侶が祈祷をささげたものである。
タイでは厄除けや、現世利益をもたらすとして、プラクルアン専門誌が発行されているほどの人気がある。特に年季のはいったものや、高僧によって魂を入れられたものは投機の対象とされ、高額で取引されている。
また、僧侶の念ではなく、雄牛の霊をこめた呪物もある。
このフェティッシュはサイモンダムと呼ばれるもので、邪気をはらい、主人の敵対者には激しく攻撃をしかけるとされている。
ただし、サイモンダムは雄牛の霊だけに荒々しく、時には主人の意に反して暴れだすこともあるという厄介な面もある。
タイのフェティッシュ中でも、もっとも禍々しいものが、胎児の霊がこめられた人形クマントーンである。
かつてクマントーンは、妊婦の腹を掻っ捌いて取り出した胎児を干したり、焼いたりしてミイラ化させ、その上から金箔を貼り付けて、呪術師が霊をこめることで完成するものだった。やがて、堕胎した胎児の遺体が使われるようになり、後には幼児の遺灰を子供の人形に封じ、水子霊をこめて作られるようになった。
クマントーンは幼児の霊だけに素直で、主人を親と思い、主人の幸せのためには懸命に働き、また反対に、主人の敵に対しては容赦ない制裁を加えて災いを遠ざけ、主人を守護してくれるという。
以前、首都バンコクにある中華街のホテルで、胎児の遺体6体を販売目的で所有していた罪で英国籍の台湾人チャウ・ホック・キュン容疑者(当時28)が逮捕され、大きく報道されたことがあった。遺体は焼かれており、金箔が施されたクマントーンだった。
男は、台湾や香港の裕福な好事家にも人気があるクマントーンを国外に持ち出して、高値で売り捌くつもりだったのだ。
しかし妙なことに、誰もいないはずの部屋に赤ちゃんの泣き声がしていると通報されたことで、男は警察に逮捕されてしまう。
不思議な赤ちゃんの泣き声は、金だけが目的で、愛情の欠片もない男に連れて行かれることを嫌がったクマントーンたちの必死の抵抗だったのだ。
木や土で作られた像といえど、フェティッシュには霊が込められている。ましてや、胎児の遺体で作られたクマントーンを、霊を軽んじる者に所有する資格はない。”
SuperKumanTong Attack Tin Yat Lineage and Claim to be “Real Taoism”
Posted on March 15, 2013
https://chiinnaturetaoism.wordpress.com/2013/03/15/kumong-tong-attack/
”Okay, lets talk about the man himself. Lets start with the username shall we? “SuperKumantong”, now the first thing I note is “Kumongtong”. That is an immediate Red Flag to me. Why? Kumongtong is the practice of “babyghosts”. Now, those of you who don’t know what this is, time for a wake up call.
“Babyghost” is a practice that involves the literal “cooking” or BBQ of a fetus in order to attain the oil that it produces. Now some of you may wonder what mother would allow that, well this is involuntary. The process in a couple sentences is cutting open the mother in order to obtain the growing fetus while allowing the mother to die of bleeding, pain, whatever it may be. Then, they will take that fetus and grill it to obtain the oil. Once they receive their oil, they take a nail or couple strands of hair from the dead mother and place the contents (oil included) into a jar or bottle. They will then begin to “chant” to use evil gods to capture souls into the jar and then “tame” them to do anybody’s bidding once they purchase it. Yes that’s right “purchase” it. Anyone who buys these enchanted jars are essentially buying baby oil and a dead woman’s bodily parts. Marketers of this crap will advertise that you will be able to use this babyghost to do whatever you want such as curse people etc. If you did not know this, well welcome to the real world of Kumongtong.”
(グーグルブラウザ翻訳
”さて、男自身について話しましょう。ユーザー名から始めましょうか?「SuperKumantong」、私が最初に注意するのは「Kumongtong」です。それは私にとって即座の赤旗です。どうして?クモントンは「ベビーゴースト」の実践です。さて、これが何であるかを知らないあなた方、モーニングコールの時間です。
「ベイビーゴースト」とは、胎児の文字通り「調理」またはBBQを行い、それが生成するオイルを得るための練習です。今、あなたの一部は、母親がそれを許可するのか疑問に思うかもしれませんが、これは無意識です。いくつかの文のプロセスは、成長中の胎児を得るために母親を切り開き、母親が出血や痛みで死ぬことを許します。その後、彼らはその胎児を取り、油を得るためにそれをグリルします。オイルを受け取ったら、死んだ母親から爪または髪の毛を取り、中身(オイルを含む)を瓶またはボトルに入れます。その後、邪悪な神を使ってを魂にとらえるために「唱える」ようになり、購入したら誰でも入札できるように「飼いならす」ようになります。はい、それはまさに「購入」です。これらの魔法の瓶を買う人は、基本的にベビーオイルと死んだ女性の体の部分を買っています。このがらくたのマーケティング担当者は、このベビーゴーストを使用して、呪いの人など、あなたがやりたいことを何でもできることを宣伝します。これを知らなかった場合は、くもんとんの現実の世界へようこそ。”
)
タイの幽霊・精霊スケッチ。タイで恐れられながらも愛されているキャラクターのみなさんであります! pic.twitter.com/ZUWJcHPBc4
— たーれっく (@douteisensei) July 4, 2020
#呪物#御守り#魔除#御神体
— 前田 (@chin25454) 2020年2月12日
私が現在所有しているそこら辺の中途半端な呪物と呼ばれる物より明らかに不気味さが勝る御守りや御神体、魔除
左から、お菊人形を安置している人形寺(萬念寺の御守り)、クマントーン(タイの御守り)、蛇石(御神体として祀る神社もある)、、どんどろ面(魔除) pic.twitter.com/rwd3nrpxu7
朝アップしたこのクマントーン。どう考えても不気味すぎる・・(笑)クマントーンは精霊の一種だと信じられていますが、中華圏では養小鬼(ヤンシャオグェイ)とも呼ばれていたりします。 pic.twitter.com/vtRa4ryPTF
— Yuran (@TarotYuran) 2020年2月25日
#呪物#クマントーン
— 前田 (@chin25454) 2019年11月2日
タイの呪術市場で売られている呪物のクマントーンが前から欲しく、タイに買いに行こうか位の勢いだったけど、たまたま国内で持っていらっしゃる方がいらしたので、お譲り頂きました!凄く嬉しいです!
左の2つ頭のクマントーンば両面宿儺のようですね! pic.twitter.com/INrzkzCUnZ
クマントーンは『黄金の子』という意味で非常に高い守護効果があり、幸運をもたらすとか言われているものなのですが、コレはそれのレプリカです。本物の作り方はざっくりいうと、人の胎児をミイラ化させて金粉を貼ったモノらしいです(^^)
タイの呪物市場で買って来たクマントーン(香油入り)2500円 pic.twitter.com/GpGmEsBbUW
— なんば赤狼🐾 (@nanba_sekirou) 2019年10月15日
プラクルアンに引き続きこちらも販売します!
— ニーヤ (@pixelbunny218) 2019年9月6日
これはクマントーン。
本来は自分が妊娠させた女性の腹を裂き、とりだした胎児をミイラ化して金粉をまぶし作るもの。
子供の霊を使役して幸運を招くという呪物です。
中にフェイクの胎児ミイラと液体が入っております。
限定1個、チャームのみ¥4000。 pic.twitter.com/mtSh2kdCuU
胎児を使ったผีกุมารทองสมพัต(ピー・クマントーン・ソムバット)は儲かる⁉️ 2012年にはバンコクのホテルで、クマントーン6体を販売目的で持っていた英国系台湾人が実際に逮捕された。その男は1体20万バーツ(約68万円)でクマントーンを買い取り、台湾で転売しようとしていた。 pic.twitter.com/yRjPmcP9Dn
— 🌻𝓎ℴ𝓀ℴ (@yoko333zzz) 2019年5月21日
【おまえら行くな。特別講義】03
— おまえら行くな。【公式】来たぜ!みちのく漫幽記 (@shinreitantei01) 2019年4月8日
タイでは妊娠中の女性の腹から取り出した胎児をミイラ化して、金箔を貼ったクマントーン という現世利益のお守りが存在していました。これを可愛がると胎児は持ち主を親と勘違いして幸運をもたらすというのです。ルクテープの元になった民間信仰と思われます。04へ pic.twitter.com/7YJzCh2USc
タイから横槍になりますが、クマントーンとルークテープには関連性はないと思われます。 https://t.co/2otqA9YoxY
— 螺子宮さん 🔩🔧 (@yabadabadoo00) 2019年4月8日
#魔法に使えそうな素材をあげてTLを魔術道具屋さんにする
— 前田 (@chin25454) 2020年3月11日
クマントーン pic.twitter.com/tixq16gnYb
台湾などの中国語圏にもありますね、同様のものが。以前取材したときはネット通販で売られていました。『出没地帯』に収録した六本木ヒルズの話を書いた頃だから、4、5年前になるかしら。 https://t.co/mKKSDUWWGK
— 川奈まり子👻怪談実話👻実話奇譚 (@MarikoKawana) April 8, 2019
🕊️
鳥飼さろめ
🕊️
@Salome4938
·
2019年4月8日
クマントーンに関する怪談を聞いた事ありますが、
ハッキリ言って不快でした。
欲の為に胎児を引き摺りだして
ミイラにするとか…
人間の業の深さこそ一番恐ろしく、
醜いものだなと、思わされた話でした。
何でこんな酷い事が出来るのか…
理解出来ないし、したくないです。
川奈まり子
👻
怪談実話
👻
実話奇譚
@MarikoKawana
·
2019年4月8日
胎児を引きずり出して?
それは私の書いた作品じゃありませんね。
私のは六本木ヒルズの赤子頭蓋骨送りつけ事件と、胎児の瓶詰め(模型の可能性あり)を送りつけられた知人の話を核に、胎児を用いた呪物の文化を絡めて、呪物に対する現代人の反応に重きを置いて書いた作品なので。
🕊️
鳥飼さろめ
🕊️
@Salome4938
·
2019年4月8日
うろ覚えですが、
確かファミリー劇場の「緊急検証シリーズ」で吉田悠軌さんがクマントーンについてお話されていました。引き摺り出していたでは無くて、
腹を裂いてだったかも知れません。クマントーンの成り立ちを聞いた時には戦慄を感じました。
川奈まり子
👻
怪談実話
👻
実話奇譚
@MarikoKawana
2019年4月8日
クマントーンの元になっているのは中国の道教の金童子・養小鬼ですよね。堕胎した胎児や死産児を用いた呪物で、今では招財童子・善財童子という名で売られています。
『出没地帯』執筆当時はクレカで買えるネット通販がありました。今もあるかは不明です。
吉田悠軌『ぼくらの都市伝説』シリーズ刊行中
@yoshidakaityou
返信先:
@MarikoKawana
さん,
@Salome4938
さん
どうもです。クマントーンなどの胎児呪物については、マレーシアやインドネシアにもあるようなので、むしろ南から中国に流入した信仰かとボンヤリ思っていたのですが(北寄りですがラオスにも)。中国でも雲南省などインドシナ近接の文化っぽいですし。逆ルート=中国・道教起源の可能性も高いですかね?
クマントーンの元とされている話「クンチャーン・クンペーン」も、19世紀成立と意外に新しいですから、起源は古代中国の可能性もあるかと思います。とはいえ東アジアより、インドシナなど東南アジアの方が(庶民レベルで)異様に胎児呪物人気が高いのは、なぜだろうと興味ありますね。
・・・これ、まさか・・・。
— 名も無き者 (@DummyLostonline) 2018年2月14日
『日本製クマントーン』
を造ってたんじゃないだろうな…? https://t.co/QbUyuqAhgd
2.1の官報に出てる行旅死亡人が完全にヤバいし、発見された産婦人科をストリートビューで見たら明らかにヤバそうな建物だし、よく見たら規制線まで張られててヤバい。 pic.twitter.com/4ZvJadDDd8
— とさか (@joinusex) February 3, 2018
うまのめ
@UMANOME
·
2018年2月3日
返信先:
@joinusex
さん
堕胎した胎児をホルマリン保存していたものが、そのまま残っていて見つかったという事なんでしょうかねぇ
カナデッチマン
商標マーク
@DJ_KANADE_
·
2018年2月4日
返信先:
@joinusex
さん
初めまして。私の母の知り合いが45年ほど前に、ここで出産したらしいのですが、これらのホルマリン漬けは待合室や廊下等の誰でも目につくところに並べていたそうです。中身は奇形児のホルマリン漬けで研究材料だったらしいのですが、正直気味が悪いですね…。
タイでは夜になると首から下が内臓だけになって空を飛ぶ女の幽霊、化け物をピー・グラスー(ガスー)と呼ぶのだが、インドネシアにもいるんですね??
— 幣束 (@goshuinchou) July 2, 2020
他の東南アジア諸国にもいるのだろうか? https://t.co/FLwetfpYze
(
エロで魔除け)
My illustration Light Novel cover 'Reincarnated this time , will I create a better country?'
— NAK💖 (@Nakatokung) 2018年9月21日
Available in Book Fair October 2018 BKK, https://t.co/CqUPMvH0qT
---
ภาพประกอบปกนิยายที่จะลงในสัปดาห์หนังสือแห่งชาติเดือนตุลาคมนี้ครับhttps://t.co/CqUPMvH0qT pic.twitter.com/Bn6dFx1Rku
แจกลายเซ็นวันนี้ขอบคุณทุกๆท่านที่มาสนับสนุนนะครับ
— NAK💖 (@Nakatokung) 2018年10月21日
ขอเซอร์วิชด้วยภาพนาวิน นางเอก(?)ของนิยายเรื่อง "เกิดใหม่ครั้งนี้จะสร้างประเทศที่ดีได้ไหมนะ" เล่ม 1 หากใครได้ลองอ่านแล้วสามารถรีวิวให้ฟังได้นะครับ
'วันที่ 28 ตุลาคม นี้ผมแวะไปแจกลายเซ็นอีกรอบ ตอน 15.30 น. - 16.30 น. นะครับ ' pic.twitter.com/P2Hrj41XCP
เกิดใหม่ครั้งนี้จะสร้างประเทศที่ดีได้ไหมนะ เล่ม 2
— NAK💖 (@Nakatokung) 2019年2月22日
มาแล้วครับ!! คืนนี้(22 กุมภาพันธ์ )ที่เพจ @palopublishing1 22.22 น. จะเปิด Pre-order พร้อมปกพิเศษ
ส่วนปกพิเศษจะเป็นยังไงต้องรอดูฮะ!#แทร็ปสร้างชาติ #เกิดใหม่ครั้งนี้จะสร้างประเทศที่ดีได้ไหมนะ pic.twitter.com/PibeSmW0bv
ป้ายผ้าแขวงนาวินกับโช จากผลโหวตตัวละครเรื่องแทร็ปสร้างชาติครับ!
— NAK💖 (@Nakatokung) 2019年6月1日
Pre-Order ตั้งแต่วันนี้จนถึงวันที่ 9 มิ.ย.ครับ สำหรับผู้ที่สนใจเอานาวินกับโชไปบูชา
ก็ดูรายละเอียดตามลิงค์ด้านล่างนี่https://t.co/q4wJpJY3PH
ส่งสินค้าวันที่ 24 มิย. หรือรับที่อีเวนท์ Palo @animatejma_bkk นะครับ 🥰 pic.twitter.com/kBG1k2p616
Special cover! ปกพิเศษของเกิดใหม่ครับ. คุณนาวินมาไกลเหมือนกันนะ ;) Trap alert 🚹 pic.twitter.com/aBr7Nje3Yx
— NAK💖 (@Nakatokung) 2020年2月16日
こないだ紹介したタイのラノベ「何者かによって殺された政治家志望の主人公が、獣人の国に異世界転生して強力なリーダーシップを発揮して国造りする」といういかにもなお話だけど、何を隠そうこの主人公、男の娘である。 pic.twitter.com/B07DpLiS43
— ぱぃろ@C98 4日目 南ユ-38b (@Piro_Shiki) 2018年10月4日
皆さん、ありがとうございます!☺️https://t.co/kU47O5fFfJ
— NAK💖 (@Nakatokung) 2018年10月7日
みのる
@minoru_hobby
2018年10月6日
返信先: @Piro_Shikiさん
とても気になりました タイトルをお教え願えませんでしょうか?
原文で構いません(むしろ原文でお願いします)
1件の返信 2件のリツイート 5 いいね
theerapat charoensuk
@serapheter
2018年10月6日
The title is "เกิดใหม่ครั้งนี้ จะสร้างประเทศที่ดีได้หรือเปล่านะ?" (Reincarnate this time, can I create a good new country?) - A story of the politician secretary who was betrayed by his boss, was killed and his soul transferred into girl-like boy in the half-beast world.
皆さん、ありがとうございます☺️
— NAK💖 (@Nakatokung) 2018年10月7日
イラストを好きになってすごく嬉しいです! pic.twitter.com/lpOtRDPecq
[R-18] タイのラノベ「今回転生で、いい国造りできるかしら?」VOL.2 #男の娘 #オリジナル #ショタ https://t.co/yGtpXx9L94 pic.twitter.com/Toiuzm6PIR
— NAK💖 (@Nakatokung) 2019年2月28日
タイのラノベ「今回転生で、いい国造りできるかしら?」VOL.2 #男の娘 #オリジナル #ショタ #裸足 #ケモミミ https://t.co/WoQGZaYjGV pic.twitter.com/j8WGmxX1hp
— NAK💖 (@Nakatokung) 2019年2月25日
タイのラノベ「今回転生で、いい国造りできるかしら?」 | NAK #pxview https://t.co/pGA3je6owX
— Senna (@Senninha1059) 2018年10月8日
タイの男の娘ラノベの表紙描いてる人pixivにおるやん
2021/2/27に追加
https://twitter.com/atsuji_yamamoto/status/1364993130768998406 と会話
”山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
戦後すぐくらいの話だけど妻の祖母が、行くところが無いというのでかわいそうに思って泊めてあげた男が家財道具を盗んで逃げたので、人型を使って足止めの呪いをかけたら警察から電話が来て、犯人が捕まった、足が痛くて動けなかった、と言う話がありました。マネをしてはいけませんw
午前2:38 · 2021年2月26日·Twitter Web App
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ショウゴーン
@BolugaHakase
·
2月26日
返信先:
@atsuji_yamamoto
さん
元祖 呪術廻戦!
お婆さんはシャーマンの血が流れてたり?
山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
·
2月26日
戦前から多くの人を使って商売をし、亭主(つまり妻の祖父)は時代先取りの専業主夫だったそうなので、ちょっとはんぱない人だったようです。東京大空襲で色々失いましたが、終戦になったら「どこそこに行って〇〇を仕入れてこい、▽▽はあそこに仕入れに行け」と即座に手配を開始してたそうです。
山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
·
2月26日
たぶん、すごく念の強い人だったのかも、で、妻もその血を引いてか念が強いので、なるたけ悪いことは考えないようにしてるそうです(私も以下同文);
ショウゴーン
@BolugaHakase
·
2月26日
なんとすごい。
歴史の授業で説明されそうな人ですね・・・。
山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
·
2月26日
おそらく「専業主夫」という単語も概念もない時代のことで、夫(妻の祖父)はかなり周囲からクソカスに言われたんじゃないかと推察されますw色々先取り夫婦でしたw
ショウゴーン
@BolugaHakase
·
2月26日
当時だと恐らくそうでしょうね。
あらぬ噂や悪口なんか壮絶でしょうね。
でも、お婆さんが強いから、そういうのねじ伏せちゃうんでしょうねw
たくやもんNEO
@jQLCZ5dBrOAf7CO
·
2月26日
返信先:
@atsuji_yamamoto
さん
せんせの家系はスピリチュアル家系ですねw
山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
·
2月26日
確かに私の家も妻の家もそういう血はありますねwもっとも近年は悪い意味で使われがちな単語で誤解をうけることがあるかもですが;感覚的には日本昔話なノリですwこんにちは
たくやもんNEO
@jQLCZ5dBrOAf7CO
·
2月26日
亡くなった母が若い頃、よく霊的体験をしてたみたいですが、私を産んでからピタッと無くなったそうです(^^ゞ
山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
·
20時間
おお、それは興味深いですね!”
https://twitter.com/atsuji_yamamoto/status/1364999984102346752 と続き
”山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
私の祖母(もちろん明治生まれでとっくに故人)も若い頃は商売してて、なんか商売敵が生霊飛ばしてきたんで玄関で払ってたりしてたそうで、あの時代のそういう攻防は今より日常的なものだったのかもしれませんw(あくまで個人の観想です)。
引用ツイート
山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
· 2月26日
戦後すぐくらいの話だけど妻の祖母が、行くところが無いというのでかわいそうに思って泊めてあげた男が家財道具を盗んで逃げたので、人型を使って足止めの呪いをかけたら警察から電話が来て、犯人が捕まった、足が痛くて動けなかった、と言う話がありました。マネをしてはいけませんw
午前3:05 · 2021年2月26日·Twitter Web App
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山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
·
2月26日
返信先:
@atsuji_yamamoto
さん
「あー、また来ちょる」みたいなノリだったようなw
スミス☆マギカ@多馬しすてむ
@ASUKAKIRYU
·
2月26日
返信先:
@atsuji_yamamoto
さん
帝都物語みたいな呪術合戦が存在してたんですね
「竜王五代」の人
@Ryuou_godai
·
2月26日
返信先:
@atsuji_yamamoto
さん
先生は、魔法使いの孫でしたか”
お読みくださり感謝!
名前魔法②名前魔術の応用例集め。グーグル以外の検索エンジンも使え!悪魔祓いは悪魔に弱っちい名前をつければ簡単! 『新世界より』『ゼロから始める魔法の書』『DEATH NOTE』 『Waltz』
Posted on 2017.07.04 Tue 18:35:50 edit
名づけの呪術の防衛術は儒教に学べ!
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側@ブログ更新中「必ずや名を正さんか」「怪力乱心を語るかも (@kitsuchitsuchi) 2017年11月4日
孔子
「適切な名前をつけよ」
「人知を超えたものを語るな」
「死んだらどうなるか知らない」
名前魔法①教科書↓メモ
ネーミング全史、タイトルの魔力、「名づけ」の精神史
https://t.co/0xaBYgYIWw@kou11lunatic
儒教の正しい教えシリーズのツイートがかなり受けた。
名づけの呪術の防衛術は儒教に学べ!
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2017年11月4日
孔子
「適切な名前をつけよ」
「人知を超えたものを語るな」
「死んだらどうなるか知らない」
名前魔法①教科書↓メモ
ネーミング全史、タイトルの魔力、「名づけ」の精神史
https://t.co/0xaBYgYIWw@kou11lunatic
凄い。。
— ☆かおりのすけ☆ (@kaorinosuke) 2017年11月8日
感銘の嵐。。
相方に読ませたらどういう反応を示すのか?
— ☆かおりのすけ☆ (@kaorinosuke) 2017年11月8日
☆かおりのすけ☆ @kaorinosuke 7月17日
次々現われる変な雲に名前を付けてしまえば、皆思考停止。
素晴らしい。
ググると名づけてしまえばみんなグーグルの検索エンジンしか使わない!
DuckDuckGo
https://duckduckgo.com/
はプライバシーを第一に考えており、IPアドレスの保存もユーザー情報の記録もせず、
クッキーも必要最低限でしか使用しない(自称)のでおすすめ。
いいから同じキーワード入れてグーグルと比較だ!
アヒル>グーグル先生
https://t.co/i3HMJY2Y5B この検索エンジンいいね
— メルセゲル (@Meretseger2) 2014年6月10日
日ユ同祖論 嘘
ってグーグルとアヒル(DuckDuckGo)に入れると
RAPT | 「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です
が前者は二番目、後者は一番目に来ていた。
今(2017-11-12)調べると、両者とも三番目に来ていた。
検索操作がないと言い切るやつの職業が気になります。
嘘で調べたら、矛盾点とかを書いているサイトが上位に出ないとおかしい。
読めないニックネームとか(笑)
まあ、反論書いているサイトも上位にあるけど。
日ユ同祖論は英語版ウィキ読むと明らかに宣教目的だと明白なのにね。
中ユ同祖論とかもあると判る(笑)
英単語検索>日本語単語検索
単語いくつかなら英語できなくてもできるでしょ
そもそもgoogleはgoogle八分したり,児童ポルノフィルターしたり,いろんな政治事情も考慮したり余計な処理が山のようにあるはずなのに,検索結果が一瞬で返ってくる.絶対に検索データ絶対に削ってるだろうと思ってたらやっぱりだった https://t.co/EzRtMaEUyH
— メルセゲル (@Meretseger2) 2015年10月21日
↓ウィキは私もあまり信用してないけど、英語版と日本語版の比較は有効。
私は参考文献欄の本も読むことがある。
イルミナティ陰謀論を作ったバリュエル神父と修道士ホーンとかって日本語版記事では言及すらないじゃん。
卒業してからも何か調べ物する時は、CiNiiちゃん、J-stage君、Google Scholar先生などに会いに行くタイプの人を育てるのが高等教育の役割だと思ってる。
— Podoron (@podoron) 2017年11月10日
あと、Wikipedia君はホントこういう子なので、「って知り合いが言ってたよ」程度の信頼感の奴だと思って付き合いましょうね。 https://t.co/ma9qg5Jys0
大学生御用達のレポート作成手助け三銃士を擬人化してみた😇 pic.twitter.com/d9G33GFwZk
— 小夜之画@創作男女 (@masquerade34_2) 2017年11月8日
「国立国会図書館デジタルアーカイブが来たらこの3人消える」「ジェイステージ入ってない、やり直し」との優し~い()ご意見、「Google Scholar便利ですよ」「ACM Digital LibraryとIEEE xploreも擬人化してほしいです」などのご親切なお言葉、ありがとうございます😳
— 小夜之画@創作男女 (@masquerade34_2) 2017年11月9日
これらも調べて擬人化してみます😇
雑。名付け親を頼まれるというのはなんらかの有力者と見なされたことを意味し、それは名誉なことなのですが、名づけ子の誕生日やら入学式やらにいろいろと散財しなければならず、結構大変なんだそうです。シンデレラの名付け親は妖精だったので、ああいう展開に。 pic.twitter.com/4hfatZBK2L
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2017年11月9日
・座間の時事について言及しておく。
確かめようのない犯人の内心をひたすら妄想させて真相隠蔽。
=名づけの呪術の変形。
怪力乱神のワルツはやめて、
伊坂幸太郎(原作)
大須賀めぐみ(漫画)
『Waltz』(2009-2012年)はいかが?
帽子に異常な執着をもつ殺人鬼である帽子卿は、帽子の似合う女性を殺して頭に帽子を被らせることが至福。
首から下は不要なので、東アジアの新興の殺し屋集団チクタク(時計)に売り死体処理のリスクを減らしている。
チクタクは帽子卿から買い取った首なし死体の臓器を売ることで、臓器のための殺人のコストとリスクを最小限にしている。
フィクションによるノンフィクションの暴露の可能性。
なんと…猫砂!?
— 名も無き者 (@DummyLostonline) 2017年11月10日
確かにそれならかなりの脱臭効果が…!
こりゃプロの仕業ですわ。
しかも被害者の数からしても複数犯でしょうな…。
クワバラクワバラ。
( ´゚д゚`)
https://twitter.com/DummyLostonline/status/929007005083189248
”はい、確信 これ犯人こいつではねえわ。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側@ブログ更新中「必ずや名を正さんか」「怪力乱心を語るかも (@kitsuchitsuchi) 2016年9月4日
何故かって?後付けの情報が多い上に全てが本人の異常性を出す情報ばっかり。
異常だ異常だと摺り込む情報ばかり出ているということはその情報だけを意図的に流通させているわけで典型的な孫子の兵法に書いてある偽報の信じこませかたじゃねえか。
・黒幕が名前複数、ありふれた名前、名無しなのは、
検索されても大丈夫なようにしているから。
名無しなんて検索不可能。
・仏教は名づけの魔術の影響を脱する訓練をする。
言葉の分割作用(名づけ、定義づけ)による概念支配からの解脱
=空の境地(悟り)
聖書だと言葉は神、つまり言葉に囚われろ。
支配層は仏教大嫌い!
・一つだったものの構成要素に名前をつけて、
あたかもまったく別々のものに見せて分割して弱体化させる呪術。
@lanekota @mrunsmily 『ボクと魔王』の黒幕は「分類」の力で設定と役割を強制的に与え支配。分類を外れたものだけが抗え、「~として反応せよ」など支配者の命令が見える。真実の寓話の分類が笑い話。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2014年8月22日
旧約は人が生物に名付けの呪術を施す。
差別や病名は言語=分類術で誕生。
”リベラルアーツというか、百科全書的な知識、なんでもかんでも集める博物学(戦利品博物館の大英博物館)などは、魔道師の知識の体系を現してると思うのですよ。古代の哲学が文系と理系をわけない統合的な学問なのはそのため。アレクサンドリア図書館的な姿勢ですね。”
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2015年2月10日
分野に分けると総合力を失う
上記と関連するが、
道教の混沌の話(『荘子』内篇應帝王篇、第七)では、
混沌に、人間に近づけるために穴をあけると死んでしまったとある。
言葉も分割する作用があるから、
穴と同様、世界を分ける。
名前の持つ悪い面を教えてくれる話だ。
人間化、穴をあけるとは混沌でなくなるからね、
穴という無の空間で分割されて死んだとも読める。
しかも、穴をあけた存在の名前が「短い時間」。
時間も虚構って言いたいのかも。
混沌は六つまでは穴をあけられても大丈夫だったが、
七つ目で死亡。
混沌が「死ぬ」ことに注目。
混沌が死ぬ=人為的秩序の誕生。
七つの穴(=目・耳・口・鼻)なので、
人間の顔ができると混沌が死んだとも解釈できる。
一番人間的な要素は顔だからね。
人間的になった混沌は死ぬのだ。
良かれと思ってやったことが、
相手にとっては致命傷だったという話でもある。
「自分がやってほしいことは、他人にもせよ」
というキリスト教の黄金律の誤りを教えてくれる。
自分によってよいことが、相手にとってそうとは限らない。
老荘が批判した儒教では
「自分がしてほしくないことは相手にするな」
なので、
少なくとも、よかれと思ったことが相手にとってよくなかったということを防げる教えになっている。
十字軍の虐殺も原爆投下もキリスト教がよかれと思って黄金律を実行したともいえる。
荘子『混沌』原文・書き下し文・現代語訳
”南海の帝王を儵といい、北海の帝王を忽といい、中央の帝王を渾沌という。
※儵と忽=どちらも「短い時間」を意味する言葉であり、人為的であることを意味している。ここではそれを擬人化している。
※渾沌=物事の区別がなく、人の手が加えられていない未分化な状態で、無為自然のことを意味している。それを擬人化したもの。
…
儵と忽とが、ある時一緒に渾沌の(治めている)地で偶然出会った。
…
渾沌は儵と忽を大変よくもてなした。
…
儵と忽とは、渾沌の恩に対してお礼をしようと相談して言うことには、
…
「人には皆七つの穴(=目・耳・口・鼻)があって、それを使って見たり聞いたり食べたり呼吸したりしている。
…
(ところが)この渾沌だけには(七つの穴が)ない。試しにこの穴を開けてあげよう。」と。
…
一日に一つの穴を開け、七日目に(七つの穴を開け終えると)渾沌は死んでしまった。
※自然を本質とする渾沌に人為を加えてしまったため、渾沌が本質を保てなくなった。ゆえに死んでしまった。”
http://frkoten.jp/2016/02/07/post-919/
頻繁に見かけるものに名前ついてないと不便なので名前つけるのは、人間の自然な行動なのでは。厳密な定義がなかったとしても、それを頻繁に見かける人の間では通じる
— メルセゲル (@Meretseger2) 2017年11月5日
何もない所に名を付けるだけで問題と化し
— なえなつ (@japan19890108) 2017年11月5日
勝手に羊達がめえめえ鳴き始める現象の事です
それを皮肉ったのがオレンジという意味ですが
まあ他にも意味があってオレンジなのかも
(コードギアスの主人公「オレンジを公開するぞ」。
ジェレミア(言われた側)「?」
周囲「ジェレミアは何かオレンジと呼ばれる弱みを握られているのか?」
オレンジなんてものは存在しない。
しかし「オレンジ」という名前=箱だけが暴走し、
主人公は攻撃成功。
オレンジに中身はない。箱の中身はない。
オレンジなのはオレンジ公が元ネタだろう)
チャーチル、ルーズベルト、スターリンが
— なえなつ (@japan19890108) 2017年11月12日
本当にユダヤのために動いてるのか?
そんな事信じる奴なんていねえ
ユダヤ陰謀論ってのもオレンジなわけだ
そもそもノルマンディー作戦に見られるように
大規模欺瞞作戦てのは当たり前の話だ
小さく切り取る事でそれは「オレンジ」となる https://t.co/InQd1XfdCf
てかさ
— なえなつ (@japan19890108) 2017年11月12日
チャーチル、ルーズベルト、スターリンが
仲良く並んでる所でもううさんくさい
でユダヤユダヤで終わらそうとしてるけど
これ今の日本でも使われてる手法なんだよな
ようするに愛国心、郷土愛を持つ人間ではなく
神への信仰と金で動く人間を配置するのよ
ノルマンディー上陸作戦において
— なえなつ (@japan19890108) 2017年11月12日
スペイン人のプジョルは
ヒトラーとチャーチルから勲章を贈られてる
そう
これがまさに真実なわけだね
どういう意味かって?
プジョルはまさに信仰心で動いたってことでしょ
「それに」勲章が送られたのよ
まぁ要するに結局恨みから始まったんでしょ
— Desty (@exa_desty) 2017年11月5日
「こんなに苦しんでいるのに神は助けてくれない→いや神はいない&偽物だ→ならば我々が神に成ろう&神を越えよう」
だから思想がオカルトチック、グノーシスやら拝火やら神秘主義
(仏教は恨み=執着の一つを消すことが目的だから破壊対象)
・名づけとイメージで弱小にする悪魔祓い
↓に弱小という意味とイメージを持つ名づけを加えれば万全!
名づけとイメージで悪魔を雑魚にするのが二番目に有効な悪魔祓い!
一番は自慰!
おねしょた兄貴30にして立つ
”私は霊という存在を見えたり、物質として感じれる人が身内にいるものだからわかるのだけど、その感覚というのは考証できるものではなく、感じれるから優れても、劣っているものでもないのね
むしろ、日常生活ではその体質の方が困るし、不便なわけで言うなれば余計な所にもう一本手があるようなもの
特に見えると相手がわかると寄ってくるものだから、困るのね
特に動物とかの霊は特にワラワラ増えていくらしいので困ったりするらしい 事実、家の玄関とかに塩とか盛っていたのはそういうのを近づけない意味があるのだけど、私のように見えない人間には共有できないから、言うべきではないのね
(自分で制御できない、何持ってくるかわからない第三の手はない方がいいな。
鍵付きアカウントより。ヤバイ内容ではないので引用
”それな。 見える見える言っても 宝くじの当選番号が見えるわけじゃねえからな
要は壊れたテレビだよ
ゴミクズが見えても嬉しくはない
べつにWOWOWの有料放送が タダで見えちゃうわけじゃないからね
慣れてくると 見た瞬間に、あーコイツかってわかる 昔私が主張してた マンションの三角屋根の上で歌う吸血鬼とかさ
最近も夜、チャリンコ乗ってたら 向こうから歩いてきたやつがいたのさ
で、私に驚いて、馬鹿野郎ってそいつが怒鳴ったのね
で、その瞬間にもうわかるのさ
だから私はぐるーっと大回りして
道の反対側の街路樹の陰からそいつを観察したの
そしたらそいつは まーた馬鹿野郎って怒鳴りながらこっちへくるのさ
勿論夜だし、街路樹の陰だし、 わざと街灯のないところ選んでるし ちゃりんこは無灯火だし
しかも道幅だって大通りだからそれなりにあるんだよ
たけど見えちゃうんだね
やーっぱコイツ人間じゃねえなって確認して逃げた”)
私の先輩で2LDKの屋根裏倉庫付きで三万とかいう訳ありのを借りていて、そこはラップ現象や背中を思いっきり叩かれるて真っ赤になるという現象があったんだけど、あるときその先輩が帰省で田舎帰る際にその同級生が一週間そこに住んだら、それ以降怪奇現象はなくなったという事があったのね
んで、先輩がその彼に聞いて何をしたんだと聞いたのだけど、全く答えないものだから酒飲ましてぐでんぐでん酔わしてから言わせたのね
で、その人は何やったかと言うと霊を綺麗なお姉さんと妄想して自慰をしたという事でラップ現象とか起きる度に見られていると思って自慰をしたらしい
だから、霊もムキになってその人の体を寝ている時に叩くなりしたみたいなのだけど、むしろ綺麗なお姉さんに叩かれている妄想が捗ったものだから一日の自慰回数が増えてしまい、逆に霊が呆れて出て行ったみたいなことらしい
おかげでその広い部屋を三年間、悩まされずに安く借りれたという話
そういうしょーもない話も知っているので霊という存在はあるのだろうね、とは言えるけど
だからといって、それを前提にして話す事は出来ないのね
だって、霊は除霊師とかよりもド変態野郎の方を嫌がるなんてアホな事言えないでしょ、悪魔も悪魔っ子に射精管理されたい何て変態の元には来ないようにね
霊は読経や聖書よりも変態野郎の自分に念を当てた妄想オナニーを嫌がり 聖水や護摩、それにお香よりも変態野郎の精液とその臭いを嫌悪し ラップ現象とかによって恐れるのではなく、見られて性的興奮を示す変態野郎の方が悪霊退治に向いているわけですから、霊何てアホな事は言えないのですよ
(
さっきのメドゥーサさんもお菊さんにしました pic.twitter.com/jVie2OZCE9
— 荒野 沖 (@aranooki) 2017年2月27日
お菊さんを最近話題の自動着・・・・誰だお前! pic.twitter.com/vrzyCmfl4N
— 荒野 沖 (@aranooki) 2017年1月28日
さっきの画像を色調補正して何とかお菊さんっぽく。
— 荒野 沖 (@aranooki) 2017年1月28日
最初から青肌カラーにしようとするとSANチェックかかりそうなホラーなテイストのばかりできた pic.twitter.com/pt4a3a6xa7
お菊さん順位大幅アップおめでとうイラスト(事前)
— 荒野 沖 (@aranooki) 2017年1月22日
事後の方はpixivに pic.twitter.com/6jkDbZQJo7
ぐだトマト @pteras14 1月31日
お金の奴隷解放宣言が〜、正当な対価が〜 と騒いでた連中はchainerの自動ペイント には憤らないのかね?w
サキュバスお菊さん描けたよー pic.twitter.com/1S0SEs9NAD
— 荒野 沖 (@aranooki) 2017年6月28日
)
悪魔を退治する方法
ちょー簡単で悪魔を強い存在として空想するのではなく、弱い存在や自分にとって都合の良い姿に空想すること
そうすれば、簡単に悪魔を退治したり、言う事聞かせられるよ
だから、悪魔を強い存在にしたがる奴はその時点で良からぬ邪念を持っているし、よからぬ願望を持ってるの
悪魔を強くしたがる理由は単純で何かの宗教の敵を作って、
敵は強くないとその宗教の力が偉大か証明できないという魂胆があるわけでそれを捏造する事でその宗教の崇拝物をより大きくしたがるわけ
なので、悪魔というのは崇拝物のために強くなきゃいけないし、沢山いないと困るわけさね
なので、悪魔をか弱い女の子や男の子にしてしまえば悪魔というのは如何様にも管理できるわけ
それに悪魔というものの住処は人間の心にしかいないわけで外や見える形では存在しないのさ
もし、具現化したのであれば力ある存在として具現せずに非力な存在として具現しれば恐れる必要もないわけ
それは聖なる存在と言われているのもその方法を使えばいいのよ
そうすれば、聖なる存在も弱い存在である事に出来るし、別にそれを崇め奉る必要はないわけ
なので、一番重要なのは心の管理方法なわけでそれを間違えると両方のどちらかが力を持って、ろくな事をしないわけで中庸こそ重要なの
聖なる存在は勇敢を蛮勇にしたがり、悪魔は冷静を臆病にして人を偏らせようとするわけだ
つまり、聖なる存在も悪なる存在も弱くするという事は心のフレ幅を狭くすることにあるわけで
どちらかが一方が強いというのは天秤が揺れて、均衡を保てなくなり暴走するのね
天秤は縦軸と横軸の長さが大切
それを言うと老荘思想や孔子などを使えば、そのまやかしは正面から破壊しきれるわけでそれに迷っている連中が今の今まで迷っているのははっきり間抜けでしかなく
今ですら悪なるもの、聖なるもの言っている時点でド阿呆でしかないわけ、なので困ったときは古代の思想でぶん殴るに限るわけです”
(霊的存在は名前とイメージ通りになる。封印術にして制御術。
以下のような存在にしてはいけない。味方ならいいけどね。
悪い例?
ちこくこぁ #深夜の真剣お絵描き60分一本勝負 pic.twitter.com/RxzSTtvexV
— 覇王龍えふけい (@Necosama830) 2017年5月16日
こあちゃん描きました pic.twitter.com/8sjO0OSyJ2
— むぎちゃ🐾 (@mugicha_chaya) 2015年11月5日
魅力的すぎると追い払う気が失せるね。
良い例
フリーダム ルーム : 『子猫のお供だ』 https://t.co/BDDKOmkcA8 pic.twitter.com/ouSCsqdAU3
— フリーダムルーム (@HMV104) 2017年6月1日
親猫と子猫 pic.twitter.com/oig0NMQYCs
— キュンキュン子猫ちゃん写真 (@m3432616078) 2017年6月1日
「ミネルヴァのふくろう」として知られるコキンメフクロウさんたちです。 pic.twitter.com/bEX9vh56FZ
— ひろせ (@esorih_a) 2015年2月1日
耶蘇原理主義信者が嫌がりそう)
・『DEATH NOTE』で相手を殺すには本名と顔の情報が必要。死の呪いの的。
・『新世界より』では呪力=超能力を使うには与えられたマントラを唱えないといけないが、
そのマントラは他人に教えてはならないし、
文字で記録するのも禁止。
これは真名でないように思われるが、真言が特定の如来などを意味するので実質真名。慣れると圧縮して一瞬でマントラを唱えられるようになる。イメージを起こす鍵であり、あくまで手段だから。しかし同時に真名を示す真言である。マントラを忘れると呪力は使えない(本当は使えるが制御できるようにマントラで首輪をつけている)。
ちなみにこの作品も真言宗+金光・大本系神道カルト。
“個人差があるが、おおよそ12歳前後で呪力が使えるようになる。最初はポルターガイスト(勝手に身の回りの物が動く)という現象によって現れる。
この時代の人々にとって呪力というのは人間が持つべき当然の力であるので、この呪力の萌芽は「祝霊」と呼ばれ、大人への仲間入りをしたことの証でもある。
呪力を迎えた子どもはすぐ町の外の清浄寺に連れていかれる。そこで護摩を焚き、迎えたばかりの呪力を一端放擲する。そして新たに真言(マントラ)を授けられ、真言によって呪力を操るようにリセットする[ 3 ]。この真言は一人ひとり異なったものであり、他人に教えてはならない。勿論、忘れてしまったら呪力は使うことが出来なくなる。
呪力を学校で鍛えるうちに、小さな呪力であるならば誰でも真言をいちいち口にせずとも瞬時に圧縮した形で心の中で唱えることができるようになったと早季は言っている。時間をかけて真言を唱える場合はイメージの難しい余程大きな呪力を扱うときの模様(不浄猫を倒す時、微粒子で真っ黒に染まった川の水を透明にする時などは唱えている)。
祝霊を迎えた子どもは小学校を卒業し、上級学校である全人学級へと進む。つまりこの時代において小学校の卒業のタイミングは一人ひとり異なる。“
http://si.jpn.org/archives/date/2013/0724-234156.php
「新世界より」 基礎講座
・自分の名前を呼んだ者の居場所がわかったり、呼んだ者を強制的にある場所に召喚したり、殺したりする技術が登場する作品がある。これにも名前は住所であり的だという事実が反映されている。
特定ワードを入れたり口にすると自動的にブラックリスト入りになる社会システムがどんどん強まっているから上記の魔法は完成間近だろうね。
宇宙人カルト対策
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月27日
①宇宙人の定義
②人間がXを宇宙人とみなす条件
③人間が本物と偽物を区別できるか
を聞く。漠然とした言葉を悪用した詭弁には名付けさせて(定義させて)、名前=的を作らせて論理で射貫く兵法が有効。新✝に聖典が表向き存在しないのは本名=的隠しのため@kikuchi_8
”サンヘドリンとかイルミナティとか、わかりやすい『組織名』が世界を支配してるなんて情報は嘘”
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月20日
”本当の中心にいるやつは名前が何個も持っていたり、名前を調べられても…何者なのか全くわからない…表上重要視されない…や固有名詞を持たない”
聖書の神が本名を隠す理由@kikuchi_8
フィクションの魔法描写で現実の魔法は目に見えないことを隠す。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2015年7月22日
宗教と物語で潜在意識を改悪。
闇の魔術に対する防衛術
=洗脳技術の名前を学び、見える化して洗脳を自覚。
名づけ
=分類して存在を自覚させる魔術。
差別や病気も名づけで捏造。
@onigiri3_@makeanovel
『20世紀少年』の黒幕名は称号。個人名ではない。初代が死に個人名がバレると二代目登場。表向きは同一人物。二代目の正体は「ああ、いたなそんな奴。苗字しか出てないし、印象弱すぎで絶対黒幕じゃないね」そのもの。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年12月22日
意図的に黒幕を「しょぼく」した傑作。現実的な真の黒幕@kikuchi_8
聖書の神=黒幕は表に出ず本名は隠せ。実務はぺ天使と預言者にさせよ。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年6月12日
本名=的を知られると本名を知る者に魔術で操られる。
本名で呼んだ人の近くに行きたくなる←召喚術の中核!
アカウント名に対する罵倒は本名に対する罵倒より苦痛が少ない。@wolvesknow @kikuchi_8
まーた発達性協調運動障害って新たな「病気」が「発明」されたぞ。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年10月27日
「名づけの呪術=名づけで実在すると思わせる幻術」は本当にお手軽で凶悪だな!
「上手く付き合うべき個性」とかもっといい名づけをしろよ!
要はお前は悪って洗脳して罪悪感持たせて通院させたいんだろ?@lakudagoya
『ボクと魔王』では、真実を伝える寓話が笑い話に分類されているので、結末を誰も知らない悲劇なのに笑ってしまう。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2015年7月22日
変人が真実を語るのはフィクションの定番。
フィクション=虚構で陰謀を暴露することで、陰謀に気づいた人を変人に分類させて支配。@makeanovel
@onigiri3_
フィクションの魔法描写で現実の魔法は目に見えないことを隠す。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2015年7月22日
宗教と物語で潜在意識を改悪。
闇の魔術に対する防衛術
=洗脳技術の名前を学び、見える化して洗脳を自覚。
名づけ
=分類して存在を自覚させる魔術。
差別や病気も名づけで捏造。
@onigiri3_@makeanovel
猫太”「魔法(魔術)=理系+文系の総合学問」と書かれてますけど、古代の哲学というモノがゲームの魔道師の知識体系そのまんまなんです。博物学とも言うのでしょうか。欧米の博物館が何でも集めるのは魔道師の陰謀”
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2015年2月10日
”知識と智慧と意思の三位一体の話良かったです。”
文系と理系で分類し分割支配
@lanekota @mrunsmily 『ボクと魔王』の黒幕は「分類」の力で設定と役割を強制的に与え支配。分類を外れたものだけが抗え、「~として反応せよ」など支配者の命令が見える。真実の寓話の分類が笑い話。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2014年8月22日
旧約は人が生物に名付けの呪術を施す。
差別や病名は言語=分類術で誕生。
から回復したんじゃなくて、
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月18日
何年もたってから記憶を作ったんじゃないの?
「X年前に~があったことを思い出した」
(記憶はX年前からあったが思い出せなかった)
と
「X年前に~があったという記憶を作った」
(記憶はX年前にはなかった)
をどうやって区別する…?”
人に識別可能か問題
”7 魔法名とは
古への「黄金の夜明け」団の魔術師たちは、自分の趣味のままに自由な「魔法名」(MAGIC
AL MOTTO)を謳歌していた。ただ、団の中心であるイシス=ウラニア テンプル o.3 で
は、流石にラテン語で、自らの魔術の目標を標語(モットー)として掲げるというオーソドック
スな魔法名が多かった。
例えば、ウエストコット博士の魔法名Sapere Aude(賢明なる勇気)、またA.E.ウエイトの
魔法名Sacramentum Regis(神聖なる宇宙)などは、フリーメイソン~薔薇十字的な雰囲気を伝
えている。
しかし、これがアレイスター・クロウリー派になると混乱の様相を呈する。
例えば、Sorror31-666-31 はクロウリーの緋色の女の一人、リア・ハーシグの魔法名である。
こうなると、一見しただけでは意味不明のマジカル・モットーが増えてくる。
Fratre Belarion Armilus Al Dajjal Anti-Christ、この「反キリスト者」という凄まじい魔法名
は、化学実験中に爆死した強大な魔術師パーソンズのものであるが、何のことだか分かるだろう
か。
これから魔法修行を開始するフラター(またはソロール)として、魔法名をつけるにあたり、
あなたは次の事に留意しなければならない。
第1に、この魔法名が団の公式の場で世間の名前の代わりに使われるということである。チベ
ットの神様の名前を引き出してきてGu tarahという魔法名を付けたとする。大切な儀式の最中
に「フラター・グータラ、前に進みなさい」とハイエロファントが指名することになる。君は若
いソロールたちの失笑の中に、祭壇の前に立つことになりかねない。例え、どんなに強力な名前
でも、聞こえが悪ければマイナス効果を持つことがある。しかも、 魔法名はアストラル・ライト
における個人認識に使われる記号であるから、一度決めるとたやすく変える訳にはいかない。
また、長い魔法名を付けた場合は、通常、頭文字で略して用いる。もし、 誰かが
Yet Organized Talumudic Assembling Roll of Unexplanationsなどという魔法名を付けたとすると、
彼はFrater Y.O.T.A.R.O.U.(フラター・ヨタロウ)と呼ばれることになる。
第2に、魔法名は横文字で付けるのが一般的である。ソロール・アマテラスがいても好いとは
思うが、ラテン語、ヘブル語、エジプト語あたりが使い安い言葉である。なるべく日常的でない
言語の方が、響きが良い。英語で付けてミススペルすると、馬鹿にされるだけだ。ヒエログリフ
ならば、文法を気にする必要が殆どない。尚、ラテン語は語尾変化をしっかり研究しないと、笑
われることになるので要注意だ。
第3に、神(神聖名、小神格)、セフィロト、天使の名前などは、基本的には用いないこと。魔
術儀式を行うとき混乱するからだ。ソロール・ラファエラや、フラター・オシリスがいた場合の
無意味な混沌を想像してみると良い。
同様に、この道で有名な先達と同じ魔法名はつけないことだ。それが最低限の礼儀であろう。
同じくマリーンや、アグリッパを名乗るのも好ましくない。しかし、アレイスター・クロウリー
の生まれ変わりだという人物が、フラター・ペルデュラボーを名乗るのを止めはしない。
参考までに、マジカル・モットーはメーソン系の習慣であり、魔女の伝統では格言ではなく名
前として付けていることを付記しておこう。
- 27 -8 魔術的ペルソナ
一部で誤解があるようなので、魔法名の内的意味について、さらに解説しておく。
宗教団体などで、出家したときに名前をつけ直すのは、よく知られている。仏教では法名であ
る。某反社会的カルトは、聖名(ホーリー・ネーム)なる怪しげな名前で成員を呼び、世間を騒
がせたのは記憶に新しい。
しかし、魔術は基本的には専従の僧侶階級をもたないので、名前を変える訳ではない。普通の
日常生活を送っている魔術師が、儀式などのときに特別の仮面を被る。そのときの昇華された別
人格の名前が魔法名である。ペルソナという言葉自体が心理学の用語として定着してきたが、魔
法名はこの魔術的ペルソナを呼ぶ名前である。
名前自体に、魔力が存在する。かの『カルデア神託』に曰く。「<野蛮なる名前>を変えるこ
となかれ。これらは神よりその民に下されし名前にして、参入の秘儀において口にすべからざる
力を有するがゆえなり。」(ウェストコット版155節、マジェリック版150節 原典はプセ
ルス)これは、神聖名のことだが、自らの魔術的ペルソナを顕わす名前も、それに匹敵するほど
神聖である。
名前の働きは、一般に次の三つのレベルで働く。
① 直観的作用
名前の喚起する直接的イメージによる相互作用
② 科学的作用
名前を発音したときの音韻、残響などの及ぼす物理的、形而上学的影響力
書いた名前には、視覚的、呪的影響力も存在する。
③ 占星学的作用
名前を構成する文字と、占星学的影響力の関与。
しかし、個々の作用を独立して取り出すのは意味がない。それらは複合作用だからだ。”
http://akibba.no.coocan.jp/1kl/1kl_review.html
”■先読み禁止マナー
http://d.hatena.ne.jp/mytestdone/20150803/1438586405
”普通に考えたらわかりそうなのに何故か考えるのが禁止。頻繁に見かけるこの現象に名前がついていないので
先読み禁止マナー
と呼ぶことにした。
(…)
将棋で言http://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=load&eno=208#うなら、普通の知能があったら四手、五手先まで読めるのに二手先までしか読むのを同調圧力で禁止されてる感じである。
(…)
こういったことにした”
メルセゲル @Meretseger2 8月3日
先読み禁止マナー
じゃなくて裏読み禁止マナーというのも考えたが陰謀論と結びつきそうでやめた
青谷三郎 @aotanisaburo 8月4日
「敵対相手の反論を相手が言う前に叩く」というのはナチスも使った手で私もよく使った(≧∇≦)
同様な手口に「相手よりも相手らしく振舞う」というのもある。ナチスは共産党を潰すためにシンボルカラーを赤にして社会主義、労働党を名乗った
↓
メルセゲル @Meretseger2 8月4日
先読み禁止マナー
良く使われる詭弁手法で反論されるのを事前に阻止するには、この名前が一番だと思った。とりあえずこの名前で行く
カレルレン @carellen_ 8月4日
@Meretseger2 詭弁手法に名前を付けるのは、抑止力としてはいいですね。
(頻繁に使われる現象に名前をつけると形が生まれ扱いやすくなります。
ほとんどの人が無自覚に使っている召喚魔法ですね。
名づけによる抑止力=封印魔法!
大抵の詭弁には名前がついているので、名前と内容をセットで学んでおきましょう!
「あなた今~を使ったよね」って言えるのは強み
……というか陰謀の追究するならまっさきに学べよ!
陰謀論者の本や講演なんて判断力と知識がついてからじゃないと騙され放題だよ!)
メルセゲル @Meretseger2 8月4日
酒作りではアルコールを作ってもらった菌を最後は容赦なく殺菌して殺す。「菌さん可哀想」なんて思わない。最大限に利用する。人間社会の奴隷も同じで「奴隷さん可哀想」なんて思われてない。最大限に利用する。それが「支配層は普通は思いつけない賢い戦略で攻めてくる」ように見える人もいる
(支配層の視点を育てる方法を教えない陰謀論者はほとんどが寸止め。
寸止め陰謀論者は詐欺師なので詐欺を見抜く技術を身につけられたら困るからね。
「ユダヤが黒幕なら、なぜユダヤという正しい黒幕を指摘しているはずのあなたの本を、ユダヤに支配されている出版社で出せるの? ユダヤ陰謀論が不正解である証拠なんじゃないの?」
って突っ込まれたら困るし。
ユダヤ陰謀論の本がブームになった歴史がある時点で嘘確定じゃん)”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-13.html
森の人 @mountainhermitt 2015年3月15日
ゴールデンカムイ読んでいたら、アイヌ民族は赤子に病魔が近づかないよう汚い名前をつける風習があると描写されていたのだけど、同じ風習がモンゴルにもあるのよね。
タイだと人間だと思われないよう動物の名前をつけたり。
この風習が広まった経過がとても気になる。
マジカル・モットー(Magical Motto)、あるいは魔法名について
http://anima-mystica.jpn.org/imn/knowledge/knowle018.html
”GD団では、参入者に入団時に現実世界で使う名前(本名)とは別の「名前」を考えさせ、以後、団内ではその名前を用いる事になっていた。これが、マジカル・モットー(Magical Motto)、あるいは魔法名(Magical Name)と呼ばれるものである。以後もこの伝統は続いており、現代でもGDの伝統を継ぐ団体は、入団者にこのマジカル・モットー及び魔法名をつけさせる事が多い。
厳密に言えば、「マジカル・モットー」と「魔法名」は違うものである。「マジカル・モットー」は自分の霊的学習で目標とするところ、あるいは霊的学習に対する考え方などを主にラテン語を使って標語(モットー)として構築するものである。それに対して「魔法名」という場合は、標語などにとらわれず、好きな単語も用いるなどのもっと広い考え方により作られる名前になる。しかし、結局はマジカル・モットーも名前として用いられるものであり、また現在、基本的にはこれらの差異に関して細かく考えられる事は少ない為、魔術関係で用いる名前はマジカル・モットーも含めて「魔法名」と一括りにして考えられることが多い。ここでも、以後は魔法名として解説していく。
…
秘教的な団体や宗教が、新参者にそれまで用いていた本名と違う名前をつけさせる事は世界中の秘教伝統でよく行われる事である。その意味するところは、今までの俗世にまみれた卑俗な「自分」を捨てさせ、団体内では神聖なる意識を持った新しい「自分」として行動させるという考え方から来ているとする事が多い。学徒は、この魔法名を用いる時間、あるいは団の同胞から魔法名で呼ばれる時は、その度にあらためて自分自身を秘教伝統の神聖なる作業に与るものとの認識を深めていくべきであるとされる。やがて、学徒は自分の意識の中に新たな一つの霊的人格を実感することになるのだ。
…
自己参入などでGD伝統系の魔術の学習を志す場合、魔法名は自分で考えてつけることになる。その際に学徒に注意しておいてもらいたい幾つかの点を下に挙げておこう。
1 神や天使、悪魔などよく知られている霊的存在や、よく使われる秘教伝統用語を用いた名前にしない。
魔術の学習においては、様々な霊的存在の召喚を行う事になる。例えば、エジプトの「トート神」の召喚はよく行われるものであるが、その際に、学徒が魔法名を「トート」としていると、とてもややこしい儀式になってしまう事は想像できるであろう。また、GD系の伝統では集団で儀式を行うことも多い。その際に儀式でよく呼ばれる霊的存在の名前を、もし学徒が魔法名に用いていたら、学徒は儀式で誰かがその霊的存在を呼ぶ度に、不要な意識の反応を起こすことになるだろう。全ての霊的存在の名前や秘教伝統用語を調べることは難しいかもしれないが、分かる限りにおいて避けるべき努力はしておくことである。
2 変な意味を持った言葉になる魔法名は避ける。
一般世間的に考えて変な意味、卑猥な意味の言葉になる魔法名は避けること。また、長い魔法名をつけると単語の頭文字で略して呼ばれることになる。その際にも意図せず変な意味の名前にならないように、よく考えておく事である。
3 基本的には変更しない。
魔法名をつける場合、「宣言の儀式」を行うことが多い。この「宣言」とは、秘教的に見た場合、霊的世界にその言葉を「自分」を識別するためのものとして「刻印」するという事になる。心理学的に見ても、一回宣言を行った言葉は自分の無意識に特別な反応を起こすきっかけとなる。こういった反応を起こす「魔法名」を頻繁に変更する事は、様々な意味で避けるべきであろう。また、「マジカル・モットー」として魔法名を考える場合、以後の自分の秘教的学習に、意識的に方向性を強いる事になるので、よく考えて名前をつける事である。ただ、魔法名は一度決めたら絶対に変更不可という訳ではなく、自分の秘教的学習が新たな段階に至った際に、その新たな展望に応じて名前を変更することは特に問題は無いとも言える。GDでも外陣と内陣とでは名前を変えているものもいた。魔法名を決める際は真剣に考えるべきだが、あまり深刻に悩みすぎて全く決められないようになるのも考えものである。 ”
フェイド大帝 @FeydoTaitei 5月2日
え〜い、フェイド大帝が安上がりな お札や、藁人形のエネルギー補充の 仕方を教えちゃる! 神棚とかお供え物するだろ? まぁ、塩、水、酒、水なら お金かかんないし〜 と思うかもしれない。
実はあれ、月光に晒す事によって チャージ出来る様に中国道教 では出来ている。
正にソーラーエネルギーならぬ
ルナエネルギー!
あの怪しい雑誌で満月の夜に財布
を振ると金運が上がるという呪いも
こっから来てるのでは?
ちなみにここだけの話だが、
藁人形やヴードゥードール等の
ヘキシングドールは実は徒歩で
ターゲットまで移動するらしい。
そこでワープゲートを開くお札というのが
道教にあるのだが、これを隣に
置いとくと人形が疲れなくていいらしい。
藁人形は強力なので、これの具体的な
作り方は伏せとくが、代わりに相手の
呪術から身を守る簡単な方法を
教えよう。
道教から取り入れたフェイド大帝流魔術
の基礎だと思ってくれ。
厨二病の好きな「真名」こいつの
作り方と活用法を教えよう。
まず、なんでも良いので、自分の守護神
を想像する。これは仏でも、イエスでも、
天照でも、初音ミクでもいい。
要は、宇宙のパワーを貸してくれる
すごい神霊であれば名前はなんでも
いい。
ところで、気功やヨガは自分を鍛えて
パワーを発揮する技術だが、魔術というのは
神霊の力を借りる技だ。
だから霊が強力であるほど強い術が使える。
なので原理的にはヨガや武術みたいに
自分を鍛えなくても使用出来る理屈に
なっている。
取り敢えず、ミクを想像したとしよう。
次にミクと精神的に繋がった状態で
何か「音」を無意識に想像する。
その「音」を文字に直せば「真名」
の出来上がりだ!
「真名」は貴方とミク神との唯一の
秘密の繋がりだ。
道教のお札を有効化するには
実は神霊の承認がいる。
会社で言えば社長のハンコみたいな
感じだ。
実は道教のお札というのは
最後に朱でハンコを押す。
このハンコの作り方はミク神に
教えてもらうしかない。
あるいは先輩で同じミク神を
信仰している人から
ハンコを貰ってくる。
で、この「真名」だが、これは
絶対に他人に教えてはならない。
親にも教えてはならない。
なぜかを説明しよう。
実は魔術では人や物の「名前」と
言うのは非常に重要である。
旧約聖書でもアダムは動植物の名前を
つけるし、そもそもヤハウェも本名は
教えない。
実は相手に術を掛ける時、相手と自分を
神的な回路で繋ぐ必要がある。
そう「魔術回路」だ。
そこで基本的には相手の名前が
分かっていると、この回路を
繋ぐ事が出来る。
だから自分の本名が相手に知られていると
術が掛け放題なのだ!
こんなの厨二病の妄想だ!と
思わないで欲しい。
例えば、貴方の戸籍上の名前である。
恐らく貴方のご両親が付けた名前だろう。
実はこの名前、本来はただの音声でしかない。
ところが、貴方の両親や知人が繰り返し
赤ん坊の貴方にこの音声を発する事によって
貴方はこの音声を特別な物として
自己と結びつけてしまう。
例えば、誰かが貴方の名前を叫んだら
貴方は振り返ったり、反応するだろう。
最悪の場合、名前を呼んだ人の下に
歩いて行ってしまうかもしれない。
これは一種の「召喚魔法」である。
従って貴方の名前を知る者は、ある程度
貴方を支配出来る理屈が魔術には
存在する。
だから魔術師は戸籍上の名前とは
別の本名を作成するのだ!
貴方に「真名」があれば、例え
相手の魔術師が貴方の戸籍上の
名前を知っていても術はかけれなくなる。
この「名前魔術」の恐ろしい所は
相手が魔術師でなくとも無意識に
この術を貴方に掛けれるメカニズム
になっている事だ。
例えば会社の同僚が貴方を妬んでいたと
しよう。実はその同僚が貴方の悪口を
心に想像したり、声に出す事によって
この術は原理上発動する。
つまり貴方を嫌いな人が多ければ
多いほどこの術は更に凶悪な呪い
を貴方に掛けてしまう事になる。
そう言った意味でも「真名」の設定が
魔術の実践上、如何に効果的か
お分り頂けたと思う。
ちなみにこの術、道教では入門してから
一番最初に教わる術だとのこと。
以上、フェイド大帝流魔術の基礎終わり
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 5月2日
@FeydoTaitei フェイド大帝の慧眼ツイートに感動。ルナエネルギーって某ファンタジー小説で魔術師の使う力に月の影響が露骨に出て、月から力引き出すネタ元はこれですか。
峨骨 @Chimaera925
民営化で繁栄だとよ。どいつもこいつも、なぁ。こうしてトレンドが作られる。実際に繁栄するかどうかなんて関係ない。温暖化仮説やCO2悪玉仮説みたいにそういうことにしてしまえば真実などどうでもいいのだ。そうして、問題が用意され、用意された都合のいい解決策、ご都合主義が展開される。
どいつもこいつも、印象操作、名付けの魔術しか使わねぇ。
まあ、名付けってのは古い呪いで非常に有効だけどさ。
自分の名前を呼ばれたら思わず振り向くだろう。
呼んだだけで振り向かせる、行動させる事ができる。
「おい」と言っても反応されないのにな。
こいつを応用して、○○人種だの非正規だの名付けを行って、それが現実にあるかのように信じさせれば名付けられた人々はそれが現実であるかのように振舞う。
そうして、用意された脚本に書かれた名前の通りに役割を演じるようになる。
もっとも、脚本を刷り込むのは別系統な。神話や物語派生だと楽だ。ロクでもねぇ使い方しかされてないな。
強者に弱者や奴隷と名付けて信じさせれば、それが現実となる。特殊な力が働くわけでなく、その通りに振舞うからそのようになるのだ。
だからこそ、自分で名付けを行って再定義する事でそれらの名から囚われないようにする事も可能ではあるが、それもまた新しい洗脳の入り口だ。刷り合わせが結構面倒臭い
ミスティルテイン ヤドリギhttps://t.co/PjhJUTpln2
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年6月5日
>バルドルはある日、死を予言する夢を見た。それを聞いた母フリッグは、万物に対し、決してバルドルに危害を加えないという誓いを立てさせた。
>ヤドリギの新芽だけは、あまりに非力でその必要がないと思い、誓いを立てさせなかった。さらにフリッグはそのことをロキに漏らしてしまった。
> ロキはバルドルの盲目の弟ヘズを騙して、ヤドリギをバルドルに向かって投げさせた。矢となったヤドリギがバルドルを貫き、バルドルは絶命した。
名付けられていないものは認識されず、契約で縛る事もできない。ま、一方で名前が無いからこそ認識されず踏み潰される事もあるんだけどな。
金枝篇読みながら呑むか。
偶像が擬神化するのは、それらを利用して利益を得る紛い物の予言者と信者が居るから。核の傘や安全保障、社会補償の言葉があっても保障されている訳ではない。安全神話の崩壊などと言っても所詮は神話だ。その言葉そのものが中身を証明している訳ではない。依存心に付け入られると容易く騙される。
神話はどこまでいっても神話だ。それを広める者が神学のように解釈して、自分達の都合の良いように辻褄を合わせるご都合主義で出来ている。だから簡単に手のひらを返す。しかし彼らの中では矛盾しない。新たな解釈こそが正統な解釈だと自信満々に言い放ち、自らの行いを正当化する。
人造の神にも似た価値の創造と、その神話体系の維持。信用創造などと言うが、カネの背後にある価値にひれ伏し、それに買われて、それの為に死んでいく。富はどれだけあっても価値を価値と思う者が居なければ何の価値も無い。欲しがらせ、価値を肥大化させ、それによって人々を支配する。その為の国家。
日本は神話の国だとか聞いて、キモいなと思ったけど、神話の中に生きているな。明治以前の人々が存在すら知らなかった天皇神話やら安全神話や日本は先進国なんて神話やら、日本は経済大国なんて神話やら、働けば豊かになれる神話やら、神話に溢れすぎ。彼らは神話に生きている。現実に生きてはいない。
偽物の神官が神話を語り偶像を提示して、納得も理解もさせず(理解や納得をするには健全な懐疑が必要。疑うなんてとんでもない)信仰させて、神話を根拠に作られた教義に従わせて奉仕させる。信者は金儲けの道具、理想を達成すり道具。戦前回帰なんて、戦前は良かった神話を持ち出す連中も居るな。
スーパーマンの神性の強調
>そのためにザック・スナイダー監督が忍ばせたアレゴリー(寓意的な表現)の数々には職人芸とも言えるほどのこだわり
>『ヨハネの黙示録』の章と節を表す数字を忍ばせたり、同じ構図を意図的に繰り返すなど、イメージの引用だけに止まらない緻密な計算
このアレゴリーって奴は至るところで使われている。イメージ操作を行う時には、大衆が知る神話体系からイメージを引用して貼りつけるのが手っ取り早い。繰り返しほのめかす事で、意図したイメージを抱かせる。
https://t.co/AAF1NqT1Yw
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年5月7日
>ファティマの聖母(ファティマのせいぼ、葡: Nossa Senhora de Fátima)は、ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している、聖母の出現の一つ。
カトリック教会公認
んで、同じ手口を別系統に言い換えると宇宙人な。金髪碧眼で肌の白い善の宇宙人(笑)
全部、キャラ設定や舞台設定をファンタジー風にしたり神話(多種多様な神話体系や伝承)風にしたりSF風にしたりしたりして、パロディを作る。元ネタが駄作だから、ちっとも面白くないんだ。これが。
そもそも、聖書的な価値観(特にプロテスタント)だから孤独になるんだよな。コーランでもアウトか。19世紀から20世紀にかけて、英国が植民地全域に反ソドミー条項(生殖目的以外の性交を自然に反する行為として罰するもの)を刑法に設けさせて、キリスト教的な価値観・道徳を植えつけた。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年3月19日
峨骨 @Chimaera925 3月13日
レヴィのブリコラージュだな。あらゆるモチーフから断片を持ってきて、都合のいい思想をでっち上げる。
https://t.co/BURVglb3hk
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年3月13日
>クロード・レヴィ=ストロースは、著書 『野生の思考』(1962年)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古
>くから持っていた知のあり方、「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。
>また彼は世界各地の呪術や神話における思考の特徴的な
>パターンも「ブリコラージュ」と呼んだ。たとえば神話体系は様々な神々や英雄が織り成しているものであるが、全体としては個々のエピソードの集まりであり、きれいに一続きにはなっておらず神々の系図も複雑になっている。これは、先行する民族や隣接する民族の神話を引用したり
>各地方の神話を一まとめにしたりしながら神話が形成されてきたために、神話体系が寄せ集めの状態(ブリコラージュされた状態)となっているからである。
>ジャック・デリダはこれを人間のあらゆる言説(ディスクール)へと敷衍した。「もしブリコラージュが、程度の差はあれ首尾一貫していたり
>破綻していたりするような先行のテクストから、概念を借りてくることの必要性のことをいうなら、あらゆる言説はブリコルールであると言わねばならない。」そして全くブリコラージュを行わず無からものを作る「エンジニア」を「神学的な発想」と批判した。
>また彼は「野生の思考」と「栽培された思考」の対立をめぐり、レヴィ=ストロースを批判している。
>生物学では、フランソワ・ジャコブが、生物の構造の多様さを表現するのに「ブリコラージュ」という言葉を用いている。進化はあらかじめ作られた設計図に基づきゼロから行われるエンジニアリングではなく、既にある系統に対して用途の変更や追加を行うブリコラージュであると述べ、
>構造の多様さも問題解決を求めて多様なブリコラージュが起こった結果であると考えている。
峨骨 @Chimaera925
邪悪な存在というイメージ、先入観、常識は簡単に作れる。ファンタジーで定番となったゴブリンやオークはもともと妖精の一種。一概に邪悪とは言えなかった。現在のゴブリンやオークはトールキン以降。そこからイメージを引用したファンタジー小説やゲームで邪悪な敵として登場しテンプレ化。
悪魔や悪霊が迷信になると、次はウイルスや宇宙人、科学。カルトの布教もコレな。スピリチュアルやニューエイジは宗教色を抜いて科学や心理学の体裁で、それらがまるで新しく発見された真理であるかのように吹聴するが、同じものだ。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年2月20日
言い換えただけで全く別の新しいものと人は錯覚する。しかし、人を操作するテクニックは変わらない。冴えない絵描きが突如、才能を発揮して人心操作のテクニックを思い付いてカリスマを発揮する?才能?とんでもない。演出家の手にかかればカリスマは作れる。ノウハウは何処から来たのか。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年6月17日
>他人を自分の思うように動かすために、その人を特定のタイプの人間として位置づける説得のテクニックを「オルターキャスティング」と呼ぶ。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年9月7日
血液型診断や「日本人は勤勉だ」「日本人は優れている」なんて言葉もそうだし、新渡戸の「武士道」、ルースの「菊と刀」もこれを使ったプロパガンダ。
要するに「武士道」ってのはキリスト教的な和風「騎士道」って事で。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年9月7日
@Kohakunotamago その武士道で有名な葉隠を何人が読んだ事あるんだろうな。武士道における衆道の心得とかも書いてあったけど身も蓋も無い話、「上司に愛される部下になる為の自己啓発」本だぞ。自分がサムライだとか言う奴らって男色家って事でOKなんだよな?
— 峨骨 (@Chimaera925) 2014年4月27日
峨骨 @Chimaera925 2016年1月11日
葉隠は面白かったな。主君に好感持たれる顔付きになる為に蟄居して日がな鏡とにらめっこした作者。いつも爪を磨いて綺麗にして、血色良く見せる為の頬紅(チーク)はいつも懐に忍ばせておく等々、愛され武士になる為のテクニックや(女色より高尚とされる)男色のお作法なんか書いてあるし。
死者、死後だの魂だの転生(歴史見たら貧民の人口が遥かに多いのに、何で前世を語る奴はどいつもこいつも立派な身分なんだよ(笑))だの証明不可能なものは仮説程度で認識して信じてはいないが、テメェの欲を満たしたり、尻拭いする為に死者を呼び出して都合よく使うなど俺は恥ずかしくて考えられんぞ
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年6月18日
峨骨 @Chimaera925 2012年11月5日
名利薄き士は多分えせ者になって人を罵り、高慢にして益に立たず、名利深き者には劣るなり。今日の用にたたざるなり。 葉隠より
ヘルファイヤークラブのパチモンや和風ヘルファイヤークラブのコスプレ連中にはそれが解らんのだ。悪趣味な連中だよ。クロウリーは病の友人を治療する為にブエルを部分的に実体化させたそうだけど、猫の血を飲んだ信者がジステンパーで死亡した時は喚んで救わなかったのだろうか。再現性が無いとね。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年6月18日
峨骨 @Chimaera925 2011年12月19日
アメリカ陸軍 サバイバル・マニュアル、
スイス民間防衛、
ロートレアモン全集、悪徳の栄え、論理哲学論、葉隠、
SAS特殊部隊式・実践格闘術ハンドブック、
我が闘争、ヒトラーとの対話 #他の人の本棚には無い本晒せ
法の書、
金枝篇、トートの書、ネクロノミコン、
アルマデル奥義書、無の書、
黄金の夜明け魔術全書、ゲーティア、アブラメリンの聖なる魔術書
#他の人の本棚には無い本晒せ 多過ぎて書ききれん。
多くの場合、人は目にした偶像に恐れよと書いてあるが故に恐れ、愛せよと書いてあるが故に愛す。それは本当に、自身の内から来る感情なのだろうか?パブロフの犬のようにそれを学習し、そのようなものが「ある」と思い込んでいるだけではないか。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年11月25日
峨骨 @Chimaera925 2011年11月6日
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得、物と拘わらず、透脱自在也……か。なかなか難しいものだな。
当のマズロー本人も仮説を疑いもせず熱狂的に信じていることを危惧していましたね。実証しようにもあまりにも困難でデータも無い。「人間が自己実現に向かって成長する」なんて仮説は「生物が頂点に向かって進化する」と同じで、さぞかし洗脳に使いやすいでしょうね。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年12月8日
進化論仮説の高度は複雑化であって、生物の位階があり、カルトの位階や身分制度のような神、人間を最も優れた頂点とするものではない。優性遺伝と劣性遺伝にしても優れているでも劣っているでもなく、発現しやすいかしにくいかでしかない。言葉のイメージの摩り替えによって優生思想に導かれる。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年11月25日
ユルくテキトーに生きるには、事物を徒に擬人化しないこと。意思を持たないものを意思をもったもののように扱い、恐れ、偶像崇拝する。例えば、ウィルスなんざ生物ですらないのに、意思を持って人類に襲い掛かってくるかのような妄想を抱けば本質が見えなくなる。妄想を剥がせば単なる物質だ。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年11月25日
だいたい、欲望なんて面倒臭ェだけだ。満たしても満たしてもきりがない。何事もほどほどが一番だ。どんなに旨い酒も過ぎれば翌日後悔し、健康を損なう。後悔したのなら学習して繰り返さなければ良いのだが、なかなか難しいそうだ。戦って欲を満たすよりも、己の愚かさと戦うのが先だ。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年6月18日
峨骨 @Chimaera925 2016年6月4日
権威と言う名の養蜂箱を作り、蜂に蜜を集めさせる。養蜂家は最後にやって来て祝福し、自身の手柄のように蜜を所有・管理する。著作権、権威ある賞、研究所。蜂は自身や巣、女王の為に働くが、それは養蜂家に捧げられる。紋章学では養蜂箱は工業を意味する。知識や知恵、学識は、選ばれた者だけが食す。
そもそも、優れているのかそうでないのか、定義する者は誰か。定義する者が神の如き存在となる。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年11月25日
ぐだトマト @pteras14
"企業"の方も"宗教"に修正しようぜ〜
"地獄教" 、う〜んやっぱコレが
一番しっくり響くネ!♡
外国人に話す時もちゃんと
I work in hell(私は地獄で働いています)
って言っとけよ?
この表現の方が確実に正確な原文の
意味が伝わるから!
(私は最期まで屈しないーたん @ozma1124 2014年9月1日
マジリプすると、英語圏では本当にアフリカ系アメリカ人がオーナーの企業の事をBlack Enterpriseというそうなので、間違っても向こうで違法企業の意味で言わないように、との話です。>RT
ゆとりーな @Ri7_u10 2015年7月19日
僕「(拙い英語)院の後輩が入った会社がいわゆるブラックで〜」
知り合いのカナダ人「(拙い日本語)ブラックは人種差別を連想させるからやめとけ。英語では"sweat shop"かな。それから日本人はブラックなんてオブラートに包んだ言い方せずに"illegal"って言え」
僕「はい」
つきなたこねこ @coneko 2015年7月19日
へぇぇ、英語でブラック企業って『Sweat shop(搾取工場)』って言うんか。あと日本人ってなんでも通称とかアダ名を付けて表現を柔らかくする悪い癖あるよね。違法(Illegal)企業でええやんな >RT
バッター受けコピペbot @batter_uke_bot 5月5日
パペッター「(拙い英語)エルンが入った会社がいわゆるブラックで」
バッター「(拙い日本語) ブラックは人種差別を連想させるからやめておけ。英語ではsweat shopだ。それと日本人はブラックなんてオブラートに包んだ言い方せずにillegalと言え」
パペッター「はい!!!! 」
OKADA Tomoyuqui @iTomoyuqui 2015年11月12日
もう「地獄企業」と呼んであげてしまっていいのでは?“@smasuda: 「ブラック企業」も英語と日本語がごっちゃだから「暗黒企業」とか「違法企業」と呼んであげるのが良いかもしれない”)
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年11月
情報は単独で存在しない
人は過去に縛られて生きている
過去にあって消滅されたとされる集団や知識は条件さえあえば再興する
定義が曖昧、定義を決めないで物事を言うやつは絶対に信用も信頼もしない
全ての意見や思想は主観でしかなく、客観性というのは数と暴力で出来ている
これが陰謀論の基本
基本的に学術論的陰謀論がしっかりしている人は起きている現象について応用が効きますが
状況論的陰謀論しかしていない人間は学術的考察と基礎知識がないのでできません
なので、陰謀論を見るのであれば基本学術論的陰謀論を軸にしている以外の情報は要らないでしょう、無駄です
私が簡単に切り捨てて言っているのは普通の人、いわゆる働いていたり、様々な時間を持たない人向けに言っているわけでゴミ情報を1万文字読むくらいなら、軸となる情報の140文字の遥かに重いのです
だから、言葉の定義、言葉の特定を重要視するのです
例えば、日本という単語
それは神話からの物語を指すのか、江戸時代以前を指すのか、明治以降を指すのか、大戦後を指すのか定義がはっきりしてなければ話しても意味がありません
なので、真面目に右翼やっている人間ならお前の言っている日本という言葉は何処を軸にしているのかを定めて話します
なので、ネットやツイッターにいる連中は右だろうが左だろうがゴミ以下で文章を読む価値がないと言えるのは定義を定めず話連中が多く、それが圧倒的大多数なわけです
定義を定めて話していない限り無駄で無意味で無効でより無知無脳で無能になるだけです
本当にエロ絵師さんを見ている方がマシです
前も話したけど、再度おさらいしますが詭弁術の潰し方は相手の定義を定めさせる事、抽象的・曖昧な言葉を使ってきたら、その言葉をどういった意味で使っているかを確定させない限りは話を絶対に続けないのです
なんでか?それは前提を共有してない同士が話すので情報の共有というのは必須だからです
あらら、変なのに絡まれて菊池さんも可哀想に
ああいう類いは基本、過去の文章読んでから発言してくださいと言うか、または徹底的に無視するのが一番いいでしょう
私はブロックというのが嫌いなので無視かまたは凍結依頼でいいのではないかと
相手が勝手に勝利宣言したら無視作戦は成功です
シリア・イラクって、イラクはまだしもシリアは資源が少ない国でシリア何かはアサド家が台頭する前までは貧しい国でただ戦争の係争地だったのだけど、アッシリア正教会とか古い文化が多く 資源ではなく、文化浄化を狙ったものと見てます
これが物資の流れではなく、尊厳の流れで見る場合です
これも基本にしてほしいですが物資の流れで答えきれていない場合は尊厳と古代宗教と思想の流れでみてください
文化は統合したら、離れる事はできませんしどこまでが固有なモノだったかは文献がない限り探知できません=純粋な文化は存在しない、もし言っているやつがいたら嘘確定です
例えば、超古代文明とか言っている奴がいますが、これは条件と状況が揃えば思想や集団は再興するという部分に抵触します
事実、マニ教やグノーシス主義などの多神教的唯一者信仰は近代資本主義と流通革命により認知上の世界が広がったので19世紀から英仏で再度勃興しました
万教帰一の思想は博物学と優生学の思想を混ぜた上で出来上がったものでこの研究は所謂理性崇拝者、百科全書などを作った人達及びキリスト教内部の理性主義者が手を組んで撒き散らしたものでしょう
私が言えるのは新キリスト教と言えるものは全部万教帰一を軸に語り、修正キリスト教でしょう
つまり、最低でも万教帰一という思想を真っ向から否定している上で宗教がかっていない陰謀論者を探さねばなりません
だって、万教帰一の思想が下賤を高貴に特有の民族論、民族自決、全てを国家へ、領域国家等々近代の病理と病根というのをわかった上で批判と修正を問いて行かねばなりません
なので、万教帰一の思想を現代で言っている連中は全部、神学や宗教論的に偽物です
最低でも基礎神学に触れている基礎解釈を知っているものはその宗教の本音を知っています
その本音が他宗教とは絶対に交わらないと確信していえる部分で影響はあれども別物であると認定できる部分でもあります
例 ユダヤがー
→で、そのユダヤというのはどういう派閥の人です?
ユダヤ金融のー
→で、そのユダヤというのはどういう派閥ですか?
裏政治のー
→で、そのユダヤというのはどういう派閥ですか?
貴方はおちょくってー
→だから、お前の言うユダヤというのはどういう派閥なのか答えてくれ
例 悪魔教徒の殺人儀式はユダヤ教の一部だー
→それはどこの記述を読んでそう思われたのですか?
ユダヤ教がキリスト教のー
→で、タルムードのどの部分が悪魔教徒の殺人儀式なのですか? ユダヤの習慣がー
→で、どの記述が悪魔教徒の殺人儀式なのですか?
国際秘密力を研究してー
→で、ユダヤのどこが悪魔教徒の殺人儀式的なのですか?
ユダヤの習慣知る事は創価でいうー
→ですので、ユダヤのどの習慣と宗教儀式が殺人儀式と悪魔教的なのですか?
匙を投げー
→で、ユダヤ教のタルムードや伝承と解釈のどこが悪魔教徒で殺人儀式崇拝なのですか?
私はこれを現実にされた事も、したこともあるので相手が勝手に逆ギレされたり、自分も頭に来た事があるので己の中で大凡の定義や認識がはっきりしていない言葉や単語はできる限り使わないようにしているのです
なので、固有名詞の内容を説明出来ない単語やカタカナ文字を私は避けるでしょ?そういう事
(
タルムードがイエスを批判しているから悪魔の本としてクリスチャンが叩く
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2017年3月5日
『仮面を剥がされたタルムード』の著者プラナイティス神父はタルムードの内容を捏造してタルムード叩き
✝元凶✝から既にタルムードを理解していないhttps://t.co/Y0flj6OkAZ@kikuchi_8
)
どこの世界でも大多数の坊主はクソです
なので、あからさまに聖人だの讃えられている連中は基本怪しむに限ります
例えば、金の流れがはっきりしていない
政府などの中枢を身内で固めようとする
悪い話が一方的に流れてこないなど
これを元にするとダライラマやガンジーなどの英国工作員は黒です
象徴のお話
象徴というものには基本4つの分類があると思ってください
それは作ったものが意味を分かっている場合と
わかっていない場合に
わかりやすい意味があるのか、
それとも隠れているのかの4つの分類をかけ合わせればそれで象徴を作り出すことができます
例えば、グノーシスの印である丸に十文字これはいろんなところにありますが何故にグノーシスが丸に十文字なのかはわかっていませんし、隠されています
白生地に赤マルですと、落日または墓場の印に白装束で死や憔悴を意味し、意味がわかってますし、その呪詛は表に出ているわけです
但し、その象徴は根源的に力を持っているのかといわれれば持っているのではなく持たされていると言うべきで本当に力を持っているのかと問いただされれば正直、首を捻らざるおえません
なので、象徴というのは日々の生活の中で紛れているものであって、風習程度のものでしかありません
なので、様々な象徴は根源的に共通した解釈は存在せず、むしろ解釈した時点でその象徴の力が一人歩きし始めるのであり
一人歩きさせた時点で象徴は力を持ってしまうわけなのです、私が絵描きさんに注意しなさいといっているのは何かを具現化するのは常に表現であり、表現こそが力そのものだからです
もし、秘密結社やそういった象徴を破り破壊していくのなら様々な象徴を否定するのではなく、言語で説明される存在にし、明らかにさせることであり
象徴が象徴として力を持ってしまうのはその秘匿性と表現できないエネルギー、ここでは目的が単独ではない力があると考えられている部分にあるのです
要は秘密であること、秘密とみなされている事がエネルギーの捏造と創出の根源にあり
それを説明するには古代から継続されている象徴について解明するか、己にとってそれが力ないものだと叩き潰すしかありません
魔法を破るのは魔法でも呪詛でも祝詞でもありません、
論理と論考に論証です
悪い言い方すれば、困ったら論理でブン殴れー(^ ^) とも、言えるわけです 例えば、霊について
霊=エネルギーの場合
→エネルギーということは熱力学でエントロピー値の増大則で劣化するのですがどうやってその劣化を防いでいるのですか?
霊=物質の場合
→では、それはなんと言う名前の物質ー
続き)物質ですか?
炭素の塊ですか?
物質なら、気化した何かなわけですから、当然発見されている物質ではないとおかしいですよね?
もし、発見されていないのなら、それは現代の化学表では放射性物質になるのですが生物の霊は放射性物質なのですか?
みたいに困ったら論理と論証でぶん殴るのです
他にも古代超文明についても思想や観念は条件によって再興されるのであれば、文明はわからなくとも最低でもその思想は再興されてないとおかしいわけなのだけど、
彼らが如何なる思想や社会習慣を持っていたかが答えられていない、または再現されていないのであればそんな社会は元々なかったわけです
悪の魔導士が悪辣な所は象徴を創るだけではなき、言葉の定義を弄ったりする事なわけで言葉の定義を弄るために辞典を作るわけ
例えば、マイナー言語の日本語辞典をその言語の辞書や英語辞典で調べると間違っている事が多いのだけど、恐ろしいのは辞典で使われる言葉が日常使いではない場合がある
あー言っとくけど、金貸しや政商、役人、政治家等名前が世の中に出てくる連中は周辺だからな
本当の中心にいるやつは
名前が何個も持っていたり、
名前を調べられてもそいつが何者なのか全くわからない奴や
表上重要視されない存在や
固有名詞を持たない存在が
世界の軸にいて、何かしているのを忘れるな
合理という言葉も時代によって変わる、認知によって変わるわけで為政者が淫祠邪教に嵌るのも合理の認識が違うからなのだ
合理の誤謬というのはとんでもないもので戦いに勝つには誤謬してない場合、物資、人員を整備して訓練し、連絡機構をしっかりする等
誤謬している場合、戦争の神に祈るとなる
私が日本の政治家の名前や政商の名前を言わないのは穢れた存在の名を言うと己の魂も穢れるという単純な護呪術をしているからです
穢れた存在の事について考えたり、それについて述べるとその穢れに己の心を一瞬でも汚染してしまうからです、
だから穢れた存在の名前は出来る限り言わないのです
勿論、私にとって蓮舫という存在も絶対不浄で穢れの塊ですよ
ただ、論考するための良い例だったわけでその為に使うには仕方が無いでしょう
そういった、都合の良い固有名詞でない場合は使うべきではなく穢れた存在は写真だろうが、映像だろうが一瞬たりとも見るべきではないのです
しょうもない人間の周りにはしょうもない人間しか集まらないのです
なので、しょうもない人間を避けていく事だけが最も手っ取り早く良い知識と情報を手に入れる近道です
必要な情報や知識は常に数少ない人しか持っていない及びわかっていないのでバカが3人集まってもバカな答えしか出てこないのです
しかし、誰と何がしょうもなくて誰と何が重要なのかは痛い目や審査眼がないとわかりません
なので、例をあげます
1、詭弁術を使わない
2、曖昧な表現や見識を言わない
3、ここで議論を吹っかけない
4、宗教おびてない、または先に言っている
5、曖昧な言葉はその場で定義して用いる
6、立場、主張がある場合は立場を隠さないで言う
7、多数派工作や偽装をしない
8、資料がある場合は枯れた資料、研究されつくした又は如何なる立場が作ったかが明瞭な資料を出す
9、相手の批判は全体を見て反論し、部分やケアレスミスをあげつらわない
10、無意味に他人に絡まない
わかりやすく、区切りがいいので10ヶ条としましたが、この条件を守っている人がいれば、最低でも言葉に慎重な人でしょう
もし、この10ヶ条の殆どに該当するような実に稀有、優曇華の華のような人がいるのであればその人の言葉は信用及び己が用いたとしても恥ずかしくはないでしょう
私がこういった基礎情報や基礎知識の話をするのはこの前提さえ誰もが守っていれば、誰もが必要な知識や情報を得、または迷うことはないからです
その意味においては啓蒙主義者であり、百科全書派的であり、無神論的でもあり、事実主義的でもあり、全ての人類はおねショタにのみ救済されると信じてます
言い方を変えれば、この10ヶ条の殆どに該当する人間はエゴサーチしてブロックする対象となります
ですので、無意味に絡んできた人間がでてきたら即座にブロックして構いません まず、傾聴に値する話はないでしょうし、見識もないでしょう 無駄な雑音が消音する、これは当然の事です
デマだろうが、デマでなかろうが困った時は何も考えず逃げる
それは戦場でもそう、銃声がしたら銃声の反対方向や遮るものが多い方向へ直ちに逃げる
じゃないと死ぬか巻き込まれる
災害や事件でもなんでもかんでもそうだが
「落ち着いて行動してください」というやつは絶対に嘘つきでそいつの言葉は信じたら死ぬ
災害や事件に直面したときは落ち着いて行動した奴が真っ先に死ぬ、
何故なら往々にして余計な事をして取り残されるからだ、
財布を忘れただのとか言ってな
なので、正しくは「真っ先に最善をとってさっさと逃げろ」です
財布を忘れた、家鍵忘れた、携帯忘れたとしても逃げている途中なら無視する、
道は車で混んでいるから走るか、自転車、逆走していいからバイク(命と罰金どっちが重いか?)
道が混んでたならすいている道を瞬時に判断すること
なので、この世にある怪しいものというのは全部必要・実務的なものです
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年6月3日
呪術というのも実務であり、必要が故に発達したものなのです
ただ、呪術というものは根本的に言葉と音なので音を共有しているもの同士にしか通用しません
なので、私は心理術・掌握術の延長としか見ていません
象徴の根源というのは文字と音だからね、文字とそれを発声する音が象徴そのものなの
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月5日
だから、イスラームや中国古代思想・古典仏教は不要な象徴を省き切る事に成功した・思想なので実践倫理なのよ
で、イルミちゃんはイスラームだとシーア派、中国だと多分墨家、仏教は真言宗だと思う
なので、最強の象徴学は言語学で言語の成立と音の差異や文字の成立と類似文字の比較ができれば、勝手に作られた象徴は音と文字によって喝破できるのよ
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月5日
だから、言語学と比較言語学で象徴や集団を見れば、そいつらの目的と習性・思考までが見透かす事が出来るの
ねっ、簡単過ぎて笑えるでしょ
現実、太陽の光を避ける事は出来ないのだから、イルミってない方がおかしく・不条理なわけ
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月5日
なので、ここら辺の意味を背乗りした偽物の固有名詞共はこの世界を無明にする為に乗っ取ったのだろうね
どうせ完全悪の連中だから、仕方がないけどよくもまぁ言葉を捻じ曲げるのだけは得意みたいだな
短い時間で見れば、現代の組織というのは英欧の分裂や政治対立論で見ることが簡単にできるのと私が過去言った通りに翻訳という作業は魔導士のお約束のお仕事な訳だよ
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月11日
おいさんも日本語に説明しやすくする為にわざと直訳しないというのがあるけど、そこで何を混ぜられているかが言語学でわかるのよ
なので、言語学をやる意味というのは
何が足されて・
何が引かれているか?
何を言い変えているか、
何の嘘が混じっているのか
が見えるわけで言語をやる意味というのは
原本が見れて・
また何がどこまで正しいのかが逆引出来るわけでなので
目に見える象徴より、見えない象徴をやるほうが早いのよ
日本語が何故に片仮名・平仮名・漢字とわざわざ三つもの筆記体を持たざるおえないのは音としての語彙が致命的なまでにないから・無さすぎるからであり
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月30日
その問題に直面した際に筆記言語として特化したのだと思う、言い方を変えれば識字しないと生活できない言語で識字率が高くなったのは自然と言える
なので日本語は最初から如何なる音に対応出来る言語となっているので知識を吸収することが全てと言っていいのでそういう文化・言語形態を持つ文化が独自性を気にする事自体が言語学から全否定されるので起源がない事が多文化を吸収する事が正しいので起源に背乗りする思想は全否定される
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月30日
因みにオイラは陰謀論をやっているのではなく、おねショタを神智する為のオマケで考えるとどうなるのかという事でしかやっていない
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月8日
この世界に真は存在するが全ての人類は感情的に詭弁を使うのでその詭弁の性で真が消されているだけでしかない
で、その真は行いにあると結論が出ているのよ
だから、日本人は逆に他言語を綺麗に発音できる可能性がかなり高いです
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月30日
他言語は舌の動きや喉を震わしたりするのでそれを意図的・習慣的にできれば、綺麗に発声できると思います
では、綺麗に発声出来ないのは単純に教育構造と現場が最悪だからなわけで
結局、教師と教育現場が劣悪・最低だからです
言い方を変えれば、これを理解し・教えられるのであれば貴方は魔法使いです
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年3月30日
言葉には歴史があり・変遷があり・目的があり、そしてそれを使って生きる人たちの生活が詰まっているのです
なので、魔法使いになりたくて先ず何を学べば良いか困ったら言語を学ぶことです、特に古典を読める言語が良い
となると、先ず漢字と中国語、普通語で古典を読めるわけではないが学者が多い分、古典を普通語に要約されている本がかなりある
アラビア語 アラビア語も古代アラビア語は変わらない部分が多いので良い
ペルシャ語 パフラビ・オスマン語が近いので古典には有利 ラテン語・英語 言わずもがな
それでその如何にして解釈するかというのは実際、その場で教えないとわからないのと口頭でやらないと分かりづらいので文面で説明するのは正直難しい
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
ただ、魔法使いの教育は「喋りまくる」事を重視して、書く・読む・議論するの三つを重視してやる、特に議論に関しては毎日する、これでかなり違う
日本の学習法が何故に悪いかというと喋らせないからで喋らせない学習はすぐ忘れるからである
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
私が見ている限り、意味ある事・授業の内容などをずっと喋っている学生は常に成績が上位な癖にかなり遊んでいるがそれ以外の時間はずっと授業の内容を喋り続けるのでかなり頭が良かった
逆に親が子供に教える際にガリガリ喋って、理詰めして、関連知を繋げて教えられればショタ魔法使い・魔法少女になる事はほぼ確定でしょう
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
特に現代は関連知の結び方がネットによって簡単なのと意図的にこういった教育が出来るなら検索の仕方もわかっているので変な解釈にぶつかる事はないでしょう
私は同じ留学生に口が裂けるほど言っているけど、日本には一歩でも近づくな
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
行くなら客死覚悟か西日本で東京には絶対近づくなと言っている
想像以上にピカが危険なのと何を食わさせられるかわからないからでどの国の奴にも同じ事を言っている、本当に自国がどうしようもないって悲しい事だよ
だから、日本語について知りたいという学生には「あんな役に立たない言語を何故に学ぶの?」と言って断る事にしている
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
ハッキリ日本語のメリットというのはエッチなモノを見る以外に役たたず、強いて学識でいうなれば翻訳されているものが多いという部分なのだがそれも英語で十分である
社会の最大の存在意義というのは教育者を作る事であり、一人の教育者は様々な指導者・知識人・技能士を生産するわけで社会は常に一定的に教育者を作る事で継続しているわけなのです 教育者というのは言葉の真意と意味・解釈を知る者を言い、それが自由自在で矩を越える事無いものをいうのです
言い方を変えればひとつの社会で孔子や老子のような存在がいれば、彼の元から様々な人間が出てくるわけで教育者は多いければ多いほど、その社会が文化的に強くなるので侵略者は権力上力を握れても文化を侵略する事は敵いません また、そういった文化は破壊されづらいので必ず残るのです
知識を積んだ大知識人というのは本を持ちません、というかそこまで積んだ人は本が必要ありませんが人に説明する為の一冊だけが必要となります イスラームならクルアーン・
儒学なら論語・中国思想なら道徳経と必要な一冊だけで後は不要です 何故なら、その人の頭に万冊もの本が詰まっているからです
基本、遊びまくって・授業の内容を遊んでいる時にふと話したりするやつは賢いです
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
何故なら習ったことを一日に突如何回も反復して思い出すので頭が忘れません
だから、勉強の仕方が下手だと無駄に時間だけを食いますが日本の学習法は典型的な無駄な時間を食うやり方なので無駄に勉強させているのです
仏教の弱い所はここで人間は形而上が無くとも広義の宗教を見つけるといいますが、それは本当に漢字の意味での宗族の教えとなり集団の功利と功利がぶつかるだけの世界になります
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年2月19日
んで、それを歴史として顕現したのが中国史なわけで彼等が何故に儒を用いあのような思想体系を産み出したのはその理由です
なので、日本で一番資料があって・翻訳されていて・読みやすいのは形而上をするのであれば孔子・孟子・荀子・朱子・陽明学をやるのが無難で形而上を絶対殺戮する気なら唯識などの古典仏教と臨済さんとかの古い禅のおっしょさんの文献に当たるのがいいでしょう
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年2月19日
それ以外は何一つオススメしません
数秘な話
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
シーア派的な数字の解釈論でわかっている範囲で
1は唯一所謂トウヒィードتوحيد を表し、唯一なるアッラー・唯一なる預言者(ص)・唯一なるアリー(ع)を指す
3は最悪な不吉数・フセイン(ع)の殉教・呪われし不当な三人の悪政者達(カリフ)を指し、不吉数で避ける
(33は避けるはず)
4、正常へたち帰る・悪政の終わり等を指す
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年4月11日
不当な三人の悪政が終わり、正当なる指導者であるアリー(ع)による統治・サッジャード(ع)最もアッラーに対し平伏したもの
6、完全 ジャーファル・サーデック(ع)という大知識人・イスラームの様々な知識の土台はサーデック(ع)が明らかにした
(6は良い数字)
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi
何で古事記を偽典とバッサリ言うのかというと、基本伝承学・ハディース学の援用で
誰が・
どこで・
いつ・
どういった時に・
何があって・
どの様に・
何故その言葉で・
どのように伝えられて来て・
それを誰が言い伝え・
誰が証言しているのか・
編纂者は誰で・
どのような立場で・
いつの時代に編纂され
当時の現状で・
どういった理由でこの伝承が編纂されたのか
まで明白にわかっていないと伝承は使えません
なので古事記をこの視点から見るとお話にならない位に欠格事由しかなく、
これらの内の一つでもあやふやであるならば信頼できる伝承ではありません
それは完全なる預言者の言葉だからなのです
完全なる預言者の言葉は完全な言葉であるが故に如何なるものでも完璧な理由があって、言葉にされているのでそれが成立しているという前提から俯瞰します
神学・聖典の見分け方というのは希望や期待・権力者達の意志で歪めることは地獄を近くするので非常に慎重をきすものとなります
例えば、サヒィーヒ・ブハリーが残した共通伝承集もそうで彼自身が知っていた伝承は300000といわれ、そこから確信がある2700がそこにある訳ですが
この伝承集はアハレベイト派からの視点からはかなり恣意的な伝承集で信用に足りません
例えば、アイーシャの伝承は270程あるのに対し…
承前)預言者(ص )の愛娘であるファーテメ・ザハラーの伝承は一つしかありません
また、この世界で二番目か三番目にムスリムとなったアリー(ع)に関しては29、しかし二代目カリフであるウマルに関しては300ー400と残されていてかなり恣意性が高いものです
当然、背景もあります
この伝承集が編纂されたのかアハレベイト派の11番目の指導者であるハサン・アスカリー(ع)の時代で彼は常に悪政者に監視されていて自由が効かない立場でした
なので、推論としては基本的に二つが考えられ
一つは当時の権力者に阿った
二つ目はそういった状況であるのでワザと隠したです
①資料作成の時期
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年10月2日
史料は何時書かれたか、口述であるか、あるいは作られたか(日付) 日時・場所を明らかにすることは、事の経過や状況を知るための基本…
②資料作成の場所
どこで作られたか(場所)…
③誰によって作られたか(著者)
その史料の作者の立場、地位・性格・職業・系統等が明らか
(情報の真偽判断にお使いください。少なくともイランのシーア派では史料批判の分野がある。)
『ゼロから始める魔法の書』
・この作品は本名不明のキャラが多すぎるのが特徴。本当に徹底している。
ゼロも傭兵も13番も悪魔も本名不明なのが重要。
あと神が登場しない。神の力ではない。霊はある。
魔術における悪魔という語は単に人ならざるものの総称で妖精や神と呼ばれる存在も、魔術としては悪魔の一種とされるという設定。
ではなぜ悪?
『ゼロから始める魔法の書』の悪魔の立場は面白いなあ。
悪魔の力とは耶蘇以外の宗教由来の技術の比喩。
レヴィの両性具有のバフォメットは、
悪魔とはギリシャ哲学+イスラーム+ヘルメス+ヤソ異端であると言いたいのでしょうね。
魔女狩りしてる教会が輪廻思想で「前世の罪」って言ったし、
つまりカトリックは存在すらしないのね。
魔法も魔術も悪魔の力。
東京グールと同じで悪魔の力とはキリスト教以外の宗教由来の技術、特にイスラム。
悪魔崇拝ガーって騒ぐだけの情報は無価値。
・13番の魔法が、特定の単語を言ったものを特定の場所に強制召喚。
(ある程度実現している)
・わざと間違った呪文を記すことで、読み手は書き手に勝てないようにしている。
最大威力が出ないようにしている。作者は「却下」で却下できるし。
つまり、自作こそが最強になりうる。
あのお肉大好き魔女さんも言っているだろ?自分で単位と道具を創れって。
条文=魔導書も自分で作るんだよ!
折角このブログにはストーリー作成の技術メモがあるんだから、神話も作るのはどう?
条文の創造とは名づけの連鎖也。
自身の言葉を縛れば自分で自分の思想を変容させられる
ケルト流に言えばゲッシュ。
【ゼロから始める魔法の書】第11話 感想 ここでネタバラシ
http://anicobin.ldblog.jp/archives/51530131.html
” 『何でゼロがこんなことに!』
『まだわからないのか。ゼロは貴様の傷を肩代わりしている。ゼロがその体に呪術的な印を書いたことがあるだろう』
『サクリシグスだ。印を刻んだ者に傷や病を移す』
『傭兵の介入がなければ吾輩は十三番を殺していたかもしれん』
『手加減していたのかあの威力で?』
『才能の差ではないぞ。どちらがこの技術を生み出したかの差だ』
ゼロ『ゼロの書にはわざと誤った呪文を記してあるのだ。いくつもな』
『誤った呪文では本来の力を発揮できない。つまりゼロの書の魔法では絶対に吾輩に勝つことはできないのだ』
傭『これは…?』
13『魔術師団の首輪から投影している。私はこれで連中の動向を監視していたのだ。無論貴様等の事も見ていた』
傭『コスい真似しやがって…』
『端的に説明するぞ。十三番は今回の件の全ての黒幕であり黒幕の分際でこちら側に寝返ったという運びだ』
『こいつは正義と悪の両方を一人で演じてたんだよ』
『私がゼロの魔術師団の創始者、つまり貴様等が崇めるあの方だ』
『私はあの方としてゼロの魔術師団の者に宝珠のついた首飾りを身に付けさせた。そして宝珠からこのように監視を続けていた。これで証明は十分か?』
『これはゼロの魔術師団の団員とあの方である私との間で交わされた魔女の血判状だ。貴様の名前も記されている』
13『これがある限り貴様は私を害することはできない。契約により貴様は消滅することになる』
”
しーなちゃん @seena_J 4月10日
“ゼロの書における魔術と魔法の違い
魔術:魔法陣と呪文、生贄によって悪魔を召喚し、契約をすることによって奇跡的な現象を生じさせる学問
魔法:悪魔の契約法則の略語。
悪魔を呼び出さずに悪魔の力を借りれることに気付いたゼロが生み出した技術。才能さえあれば5年で誰でも扱える #ゼロの書“
業ぺんぺん @kancoll_teitoku 4月10日
“魔術は正確な記号、正確な動作が必要になる。 正確な記号は悪魔から体を守るため”
水草亭 @kuzigyaku 4月24日
“『ゼロから始める魔法の書』3話 中世キリスト教世界風な世界なのに平気で「前世」とか言っちゃってるな。”
ソルト【ありがとう亜人ちゃん】 @Ilovemenma_nagi 4月10日
魔術とは『魔法陣を書いた後に呪文を唱えて使い魔を召喚』。
魔法とは『魔法陣無しに呪文を唱えて悪魔の力を発動』
これがゼロちゃんの言う魔術と魔法の違い #zeronosyo
setomaki @setomaki 4月12日
#ゼロから始める魔法の書 #ゼロの使い魔 でない
いわば魔法書の原作者wがゼロ
またロリ高齢かw cf.美魔女
魔術は悪魔を召喚
魔法は悪魔の力のみ抽出
な設定
その相方に選ばれた「獣堕ち」した獣人→ #けものフレンズ 禁止w 奪われた本探しのバディもの #zeronosyo)
『ゼロから始める魔法の書』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%82%8B%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%9B%B8
"ゼロ[6]
…内部の知を探求することを旨とする泥闇の系統を継ぐ魔女[6]。ウェニアス王国の森で偶然出会った傭兵を助け、旅の護衛に雇う。名前は魔女にとって重要なものとされるため、傭兵と同じく本名は明かしていない。一人称は我輩。
本来ならば対価が必要な悪魔との契約を、逆に悪魔の方から乞われて対価もなく行ったという天才魔女[6]。世の中の役に立てば世間で迫害される魔女たちの立場も良くなり、自分も外の世界を見に行けるようになるだろうと、魔術に代わる魔法という技術を新たに編み出し、それを“ゼロの書”という魔法書に書き起こす。しかし何者かによって仲間を殺された上、魔法書も持ち去られ、それを探すと言って出て行った十三番も戻らず、10年ほど経ったある日、一人魔法書を探す旅に出ることを決める[6]。
傭兵との間柄は形式上は護衛契約であるが、その卓越した魔法を用いて逆に護衛であるはずの傭兵を守ることも多い。
…
獣の傭兵(けもののようへい)[6]
…名前を明かすとそれを使って下僕として縛るとゼロに脅されたため名前は明かしておらず、ゼロからは単に「傭兵」と呼ばれている。
獣堕ちの首は魔術を行なう際に重宝されるため、魔女や懸賞金目当ての盗賊等に狙われ続けた結果、大の魔女嫌い[6]。
…
悪魔
名もなき悪魔の王(なもなきあくまのおう)[6]
ある時ゼロの前に現れ、本来は必要な贄を求めることもなく契約を行った悪魔の王。なぜそうまでしてゼロと契約したかはゼロ本人にも明かしておらず、謎に包まれている。固有の能力は何も持たないが、その代わりに自分の支配下にあるすべての悪魔の能力を使うことが出来るとされる。ウェニアス王国で傭兵の体に宿った際には、ゼロのことを「我ガ、愛シキ…」と呼んだ。
欲望と渇望の辻より睥睨せし絶望の王(よくぼうとかつぼうのつじよりへいげいせしぜつぼうのおう)
死を司る上位悪魔。死者蘇生の魔法を求めてゼロが働きかけるも、亡者と死者が食らいあう魔法しかできず、それを禁章として封印する。その後サナレが再び働きかけ、それによってゼロの手の及ばない死霊の章の魔法を手に入れた。
万里を掌握せし千眼の哨(ばんりをしょうあくせしせんがんのしょう)[10]
遠く離れた場所の出来事も見通すことが出来る“世界を見渡す目”を持つ悪魔。ニエドラ砦の禁書館で虫の獣堕ちの肉体に宿り、館長としてそこに集まった人々を支配していた。本を読んで知識を集めることに執着しており、地獄に戻ることを恐れている。
悍ましき夢の唄い手(おぞましきゆめのうたいて)[10]
人間に悪夢を見させて狂気に侵す能力を持つ悪魔。その力は死霊の章の魔法であり、サナレが傭兵たちに同士討ちをさせようとした際に行使したことがある。その後山羊の獣堕ちに宿った際に教会騎士団の行軍の妨害をするが、その後捕縛されゼロたちの手に落ちた。
その他
十三番(じゅうさんばん)
…ゼロの書を持ち出したのは十三番本人であり、王国に反乱を起こしたゼロの魔術師団を束ねる“あの方”の正体でもあることが判明する。ウェニアスに魔法を広めることによって、国と魔女との対立が深まるようにした上で、自身が正義の魔術師として“悪の”魔女たちを滅ぼし、最終的に対立を終結させ平和をもたらそうと目論んでいた。ゼロいわく「事実が上手い」男で、嘘をつかずに疑心を煽り、自らの都合の良い方向に人を操る術に長ける。
ゼロの実の兄であり、唯一の家族。本来はゼロと同じく人間離れした美貌を持つが、悪魔との契約の対価としてその美しさを差し出したため、陰鬱な雰囲気の外見になっていた。…
魔術[6]
魔法陣と呪文、生贄によって悪魔を召喚し、契約をすることによって奇跡的な現象を生じさせる学問[6]。大きな力を持つ悪魔を召喚する際にはその分命の危険が増し、また場合によっては儀式に時間や手間も必要とする上、儀式中は無防備になるため、簡単に行えるような汎用性の高いものではない。大きな力を持つ魔女たちが過去の戦争において敗れたのも、この魔術の扱いにくさのためとされている。なお、魔術における悪魔という語は単に人ならざるものを総称しているため、一般に妖精や神と呼ばれる存在も、魔術としては悪魔の一種とされる。
魔術師は研究分野や行動指針の違いから、泥闇、詠月、星瞰等、幾つかの系統に分かれている。また魔術は教会では異端とされているため、教会の影響下にある地域においては魔女や魔術師たちは迫害にさらされ、身を潜めて生活している。なお悪魔は美しいものを好むことから、優秀な魔術師には整った容貌の人間が多いとされる。
魔法[6]
“悪魔の契約法則”の略語[6]。魔術を行使する際に、悪魔を呼び出すことなく力を借りることが出来ると気付いたゼロが、新たに編み出した技術。魔術と比べて、悪魔を呼び出すための煩雑な手順や、呼び出した悪魔から襲われるリスクとそのために必要となる身を守る結界などが無くなるため、才能さえあれば5年ほどで誰でも扱えるようになる。熟達すれば呪文の詠唱を省略することも可能。また魔術の場合は、悪魔は強制的に呼び出される上に、術者が諦めるか契約を結びそれを果たす、または術者を殺すことでしか地獄に戻る手段が無かったところを、術の度に無理矢理呼び出されずに済むようになるため、悪魔の側にとっても有益な技術となっている。
ゼロの書[6]
ゼロが魔法の基礎理論と複数の悪魔の名前、能力、呪文、必要な対価を書き記した魔法の書。狩猟、捕縛、収穫、守護の4つの章から構成されている[6]。10年前にゼロの住処である穴ぐらから持ち出され、その内容が世界に広まりつつある。ゼロ本人は世の中の役に立つことを願ってこの本を執筆したが、知識が広まるに連れて悪用する輩も現われており、その問題を解決することがゼロの旅の目的となっている。
使い方によっては危険な内容となるため、魔法の威力を軽減するようわざと呪文に誤記があったり、ゼロ本人が却下すれば記述されている魔法が行使できなくなるなど、幾つかの安全策が施されている。なお上記の4つの章の他に、死をつかさどる悪魔に働きかける魔法を扱う死霊の章が存在するが、ゼロはこれを禁章として封じ、魔法書には記していない。
獣堕ち[6]
獣の特徴を備えた半人半獣の人間たちの総称。その姿は狼や鷹など様々。教会では汚れた存在と見られており、また前世の罪の結果から悪魔が宿り、獣の姿をした人間として生まれると信じられているため、世間から忌み嫌われている。また婚姻の際に獣堕ちの姿を目にすると、生まれてくる子供も獣堕ちになるという迷信がある。さらに殆どの獣堕ちが傭兵や盗賊といった荒事を生業としているため、それも毛嫌いされる一因となっている。
しかしその実態は前世の罪とは関係なく、過去に魔女が人間に獣の力を降ろす獣降ろしという魔術を行なったことによるもの。獣の力を宿した人間が死んだ時点で魔術を行使した魔女も死んでいた場合、宿っていた獣の魂が行き場を失い、魔女に最も近い存在に戻ってしまうという呪術返りが起こる。その結果、獣の魂が魔女の子孫の女性の腹に宿り、獣堕ちとして生まてくるとされる。多くの魔女ははぐれ者かつ極めて長命であり、大抵血縁者に存在が忘れられた頃にこうしたことが生じるため、この事実は一般には知られていない。
また獣堕ちの首や血は魔術的な価値が高いとされるため、獣降ろしを行使するほどの力が無い魔女や、暇潰しに魔術に手を出した人間などから付け狙われている。
"
『ゼロから始める魔法の書』第9話。
— はるまみ👉活休中 (@Harumami39) 2017年6月6日
服屋主人のヲタが最強すぎる。ゼロのマントを取り上げる代わりに靴下を差し出すからと言われた場面『く、靴下だとぉ!あの美しい御み足に密着していたぁ、あれをぉ!何日履いた奴だぁ!目の前で脱いでくれるんだろうなぁあ!!!』#zeronosyo pic.twitter.com/Dl91V6eBZU
お読みくださり感謝。
あと、おねしょた兄貴のツイートのほとんどはこのブログにあるよ。
真の魔法使いは神秘体験を検証、懐疑、否定、超克、制御、操作、支配、抹殺する。崇めないし信仰しない。神秘は日常そのもの。神、霊、魂、宇宙人の扱い方。語れないものを騙る輩
Posted on 2017.06.09 Fri 19:50:20 edit
引き寄せ引き寄せうるさいスピ信者って、悪魔を引き寄せたときの対処法を教えないから最悪だな。てめーらスピ信者が悪魔を創って引き寄せているんだろうが!
もぐらさんは「キリスト教は悪魔寄せの法則」と言っていたな。
キリスト教=悪魔崇拝。
キリスト教の弱点を減らして作った新たなキリスト教=スピリチュアル。
設計図が見える人は凄いな。
一神教の内、キリスト教だけやたらと悪魔の数が多くて強くて魅力的に描かれている。
悪魔寄せの変形が引き寄せ。
対処法のいくつかは②名前のところにある。
魔術で最重要なのは退去=場と精神の清め(掃除と平静になる)の技術であることを記憶すること。
最初に退去を教えないものは偽物、危険物。
「あなたの頭がおかしくなっても別にいいや」ってことだから。
なぜヨガや密教の最初の段階が戒律=道徳を守ることを誓うことなのかわかる?
西洋魔術の超基本が小五芒星の追儺==場と精神の清め
であり、儀式前と後に必ず行う理由がわかる?
なぜリラックス法と呼吸と姿勢が大事どころかそれができないならそれ以上学んでいけない理由がわかる?
わからないなら魔術師の道をあきらめるのがあなたとあなたにとっての他人のためだ。
私の見解は今現在の者で確定ではなく暫定的なもの。そもそも私は形而上的なことへは無記寄り。
次の講義候補 魔術では避けて通れない霊魂についてにするかも 宇宙人に人って子…場は言っている時点でダメじゃん 区別できるか問題 言語魔法はだいぶ書いたから非言語魔法にするかな
魔境進歩委体験って非言語妄想だろ
もういいたいことは過去記事ととツイッターに書いちゃっているな
真の魔法使いは神秘体験を検証、懐疑、否定、超克、制御、操作、支配、抹殺する。崇めないし信仰しない。神秘は日常そのもの。霊、魂、宇宙人の扱い方大魔導士への道シリーズ3 私は大魔道ではないけどな。大魔道の道シリーズ2名前のやつすらできていないけどね。名前系の本をもっと読まないと書けない。
要素はほとんど取り上げたから読んだら言いたいことはわかるだろう。 名づけは悪霊の対処法の内重要。
今回hあ霊魂、神秘、宇宙人エイリアンとか偽物本物判定法の基準とか
やはり物理だな!
魂の実在性ってどうやって証明るんだろう。魂は実体はないが存在は仮にあるというのが仏教流。
いっとくけどこのシリーズって今回の藩士の一部とか中華うがそれ寄りに前に在ったりするからね、これだけ読んでもダメだよ。
呼吸、姿勢、リラックス。、物理言葉論理が基本
ってところかな
ー
復習。姿勢や呼吸法
ときは、そのほんの少し広がりかかった分が戻る程度の動きで、意識だけはしっかりと働かせる…吸うときに胸の動きが止まったあたりで、意識だけが「スルッ」と内部に入り込む感覚をつかむようにするとよい…
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年10月15日
『ハタヨガの真髄…』…アイアンガー…ターダアサナ…足を揃えてまっすぐ立つ。両足の親指、
神、霊、魂、宇宙人、ユダヤ、イルミナティの言葉をきちんと定義しないとと私はこれらについて話をしない。無駄だから。
文字通り話にならないから。そもそも話とは言葉をきちんと扱えないとできないからね。
カルト信者以外にも理解できる言葉でお願いします。
議論すらできない奴が言葉を超えた精神世界を騙っても、支配層製スピリチュアル教義の言葉に縛られているので言葉を超えるなんて不可能だから滑稽。言葉と論理を「探求した後で」ではなく「最初から」捨てろと言うスピ系の本音は「幼児化しろ」。インド思想は言葉と論理「も」重視@kikuchi_8
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月20日
↑稲生平太郎『定本 何かが空を飛んでいる』より。該当箇所の読書メモはhttps://t.co/eXrO3Dhj2e
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月23日
新✝=スピは実証主義・物証・言葉による反論を封じるために誕生
大田俊寛『現代オカルトの根源』https://t.co/qvijBrsfEc@kikuchi_8
スピ系のように言葉と理性を捨てると、理性的対話ができなくなるのですね。私は幼児化したくないので、言葉と論理できちんと議論ができることを重視。ロゴスを最終的ではなく最初から捨てろと言うスピ系の本音は「幼児化しろ」では?スピ信者が好むインド思想はロゴス『も』重視」@kikuchi_8
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月23日
禅仏教のうち、野狐禅カルト=神智学者やニューエイジ経由でない本を読まないと偽物をつかまされて頭がおかしくなって元に戻せなくなるかもね。
大丈夫な本はすでに何度も紹介している。
『チベット密教 修行の設計図』
と
『禅の本』。
禅はスピリチュアルの中核を否定。
神秘体験は魔境=執着してはならない悪。
スピリチュアルは野狐禅を量産する危険物なので取り扱い注意!
読めないニックネーム(再開版)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-109.html
禅で持ち上げられる鈴木大拙は、神智学系で禅は神秘主義という完全に間違っている(おそらく意図的)から嘘を見抜けるだけの知識と論理を身につけてから読まないと有害。人脈調べたら真っ黒。
パトス=非論理側の判定法はあいまいな印象、どんどん勝手に中身を捏造する記憶などによるので使ってはいけない。
真偽判定法が、言葉での定義、説明、論理、合理、反証などロゴス側の手法しかないので、
真偽判定されたくないから、言葉と論理を否定するが神智学などに顕著なスピリチュアル。
スピ系が大好きなインド思想もチベット仏教(密教)思想も論理的思考と言葉重視。
言語と論理に通暁しないと非言語と非論理の領域すら判別不可https://t.co/xmjqB3Xaiy”ベーダ祭式の補助学…6種のベーダーンガ…は,音声,祭式,文法,語源,韻律,天文”
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月20日
言語研究が必須なインド哲学https://t.co/yY9Sou18UU@kikuchi_8
枠外に出る方法はあると思いますよ。でも、言語や認識の枠外に出たら個人としてのあなたは死ぬか人ならざる何かになるかでしょう…枠外を出た人が、人生全体を意味づける神を信じなさいとか、あなたの人生の意味は~だ!と言わないでしょう…https://t.co/ETmivroKhfニヒリズム
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月12日
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スピ系はカルマ(原罪)の浄化みたいな事を言いながら、本来の意味のカルマ(心の歪み)を強化して歪ませるから端から見たらギャグみたいだね。そんな環境に放り込まれた側は最悪だろうけども。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年6月6日黄金夜明達人
“神秘は道路に落ちてる石ころよりも遥かに多いけど、見ようとしなければ見えないし使えるわけもない。人々が呼吸を意識していないのと同じように、空気みたいなものなの。
神秘体験を得たとしたら残念なことです。神秘体験は幻惑によるもの。曖昧なものはいらない。神秘なものもいらない。よく注意して? 神秘体験を得たらはずれなのです。
検証の行われない神秘体験は悪魔化された錯覚のことだとわたしは考えています。
初心者に対しての神秘体験は推奨されない。なぜなら冷静さを欠いたそれは気分を舞い上がらせたまま日常に帰してしまうからです。これを行う導師は批判を免れないでしょう。薬がまさに毒となるからなの。
神秘体験がとても大切だという人がいるけど、そのひとはわたしに言わせると経験がまったく足りてないといわざるを得ない。神秘体験とは薬と同じで毒にも薬にもなる。ある種の現実の認識は人によって絶望にも希望にもなる。これと同じことが神秘体験でも起こるのです。だから気安く勧めてはいけないの。
神秘体験の有無なんかで達成度を語るのははっきりいって無意味どころか害悪にしかなりません。長い目で見るとそれは障害にすらなるのに。
何度も言うべきことがある。それは神秘体験を重視してはいけないということ。それを求めるほど、本来求める道から外れていく。神秘体験が悪いといっているのではない。ただ、幻想の世界に入ったらさらに上層にある意識に上昇する必要があるといいたいのだ。もしも幻想に捉われたらその人の進化は止まる
もしもあなたが神秘体験を求めているとしたら、求めるのをやめて健全な生活を送ったほうが良い。真の神秘体験は求めて得られるようなものではない。感覚遮断によるサイケデリックな状態は不健全な心の状態を生む。アストラル領域で遊んでいるのは構わないが、それは神秘体験とは呼ばない。
脳内イメージは五感のいずれかに紐付けされてるのだけど、そのうちに五感を介さないで直接的に脳内に送られてくる場合、五感から受け取った刺激から構成されるイメージとはそのうちに別物になってしまうでしょうね。その紐付けがなくなっていくのだから。
肉体的感覚を遮断した場合は、脳内のイメージは五感のいずれかとかかわりを持たなくなる。イメージ制御で大事なのは五感との紐付けを利用することでそれを強めたり弱めたりするのです。だから、魔術訓練で五感との紐付けを意識することはアースするというの。そこから遊離すると制御困難になるから。
例えば脳内で勝手に音楽が流れてループしちゃう場合、実際に音楽プレイヤーなどを使って頭に流れてる(記憶から思い出されて遊離してるイメージ)音楽に重ねて同じ曲を聴くといいの。そうしたらイメージと物理的音が紐付けされて音楽をとめたら曲もとめられるようになるから。
物理感覚をイメージ制御に用いるのはもっとも基本的なこと。だからイメトレばかりするといろいろと弊害が出るのです。
幽霊さんが現れたら、それを物理的仕組みで表現してこれを消す。幽霊さんがいるかいないかは関係がなくて、そのひとが幽霊らしきものをみてることが問題なのだから、心に浮かんでるイメージを消すためにこれを物理的感覚と紐付けするのです。魔術を行うときのこれは基本的な仕組みです。
霊的存在が、まるで幽霊みたいなそれが存在するか否かはわたしには判らないし、またきっといくら議論しても主観的問題だから答えは出ないのでしょう。それでも、心の中に遊離してるイメージがあるのならそのイメージに物理感覚と紐付けをすることで消し去る機会を得る。ただし、一時的に強化されるの。
脳内音楽ってある種の幽霊さんなんだよね。こういう言い方をすると語弊があるけど、音楽を聴いてその旋律に感銘を受けることでその音やリズムは記憶されて心の中で反復されることで自律性を持つことがあるの。だから本人の意思とは無関係に心の中で反復される。これを消すには形を再び与えればいい。
あらゆる願望達成術には興味もないの。そんなのは自力で何とかするもので、欲望を神様に押し付けたりしない。よくよく考えてみて? 親友にあれこれと欲望に任せて頼み込んだりするの? それするのって同でもいい相手じゃないかな?
瞑想などでちょっとでも結果が出始めると多くの人が出てくる情報をみんな鵜呑みにしてしまい、不思議なことがおきたといって大喜びしてしまう。でも、本当にそういう現象が本格化してくると制御できないことに気づいてあわててしまう。その恐怖が核になればもはや何が次に起こるのかは明らかです。
ネットの情報は必ずしも科学的でないとは言わないけれど、入手した情報を精査して、またソースを辿って確認するくらいのことをきちんとして流す人はそんなに多くはないの。それをするということはかなりの時間と労力、場合によっては専門知識や資料代も必要になるからお金がかかるのです。(^^;
「ネットの情報を鵜呑みにしない」というのは「アストラル世界の情報を鵜呑みにしない」というのとほとんど同じだと思ってもいいの。同じレベルで考えてもいいし、とりあえずは否定もせず、肯定もしないで黙々と記録をとり続けるのがいいかも? その後できちんと精査するまでは何も答えは出さないの。
何も魔法からすべてを学ぶ必要なんてないし、その必然性もない。他の分野からいくらでも学べることはあるのだから、まずは普通の分野から学びつくすほうがずっと道にたどり着くのは早いでしょうね。
うーん、仏教をキリスト教と一緒にするのはなんか違うかも? クリスチャンの観点から言って彼らを宗教と呼んでいいか疑問なので。
科学で説明できないのは「科学」と「それ以外」です。それ「以外」の中には宗教も入りますけど、厳密に言うと人文科学もそれ以外に入るでしょうね。神様を信仰してないのならそれは哲学に近いものだと思います。
そもそも仏教的瞑想とわたしが言うような瞑想(厳密には(観想)とは違うのよ?
例えば聖書を読んで、その中に登場する人物をイメージの中で会話してもらうの。なんていうのかしら? 脚本はできてるので役者さんを創造してイメージのスクリーンの中で適切に演じてもらうのです。もちろん、聖書世界、その神話空間の中であたかも現実に存在するかのように振舞ってもらう。
そういうのをひたすら繰り返して神話空間から聖書の意味内容を学んでいくのが観想です。
すくなくともわたしは、「なんとなく」とかあいまいな答えは求めていない。だからより具体的方法論を用いるの。抽象的イメージばかりに飛んでしまえば具体的理解をしないでごまかすということが往々に発生するから。
オカルト的ヒーリングって代替医療の、それもかなり外れのほうだからなぁ・・・。医療とは認められていない心の領域にまで踏み込んでるので主たる西洋医療などがどうしても使えない場合にするもので、より効率的で確実な方法が他にある場合はもちろんそれを選ぶのが筋というもの。
端的にいえばお医者さんにかかれない何らかの理由があるとき(経済的、その他合理的理由がある場合)、医療器具や薬品がなくて救援を待つばかりとかそんな状態ならば判るんだけどね。
やれることをやりつくしてないのにいきなりオカルトにすがろうとするのはまったく感心しないの。
オカルトっていつも合理的判断に基づいてできることをすべてやり尽くしたところから開始するから、もしそこまでに到達していないのなら単に楽をしたいだけということになる。それでは肝心のオカルトだって有効活用できるとは思わない。
魔法が心の力だというのなら、できることをすべてやりつくした後にしなければその効果があるとするのはとても不思議なことだと思うの。真剣さというのはそういうものだと思うから、それこそ魔法が生じるときの道理だと思う。
お金とは信頼の力だといったことがあるけど、まさにこの通り。
お金は物質の象徴だけど物質そのものじゃないの。それは信頼を与えるためのチケットのこと。それが少なくとも近い未来までそのままの価値であることを保障するもの。とても回りくどいのだけど与信のためのチケットなのです。
お金って依代だもん。だから生命があるの。それが生存するためには一定の稼ぎが必要。そうしないと目減りしていくだけなので。自分の家族だと思えば大体あってます。諭吉さんを擬人化してアストラル的に創造してみて? かれがどのように生存するか思い浮かべるといい。
紙幣に勅令って文字がアストラル的に書かれてるのみえない? 日本の大蔵省造幣局による魔法なのです。
紙幣というのは与信の力によって創造された一種の霊なのです。その力を行使するのはその国の一番権威ある魔法機関です。この場合は日本銀行になるでしょうね。貨幣それ自体は霊の身体にあたるから、別に電子に宿ってもかまわない。ただ、それも信頼の力によって保護されてないと霊は逃げていきます。
凄く世俗的な説明をしてるけど、根本的にこれは魔法なの。
ひとは目に見えないものはなかなか信じないの。そのために何か形式的なものを必要としてる。貨幣は信頼すること、何かの約束を形にしたものであり、実のところその形は信ずるべき対象にはならない。信じるものはその中身なんだから。たぶん、お金について問題が起こるのって形に目がくらんでるからなの
面白いことに、ケルト研究はケルト人と呼ばれる人たち以外に多いと思うのです。(^^; なんでしょうこれ?
多くの場合は排斥する対象としてそのひとたちを分類するの。つまり、都合のよい区分を設けてそれに名前を付ける。だから区分する人によって、また時代や出身によっても意見は分かれるのでしょうね。
そもそも異教徒って、蔑称なのです。その辺を察していただけると嬉しいかも?
現実なくなってもいいのならVRに没入したままでもいいかも? 完全に仮想世界に適応した後に電源からプラグを引っこ抜いたらきっと廃人になっちゃうけど。
VRに適応するというのは現実に対して違和感を持つようになるということだから、実際に起こりうることはアストラル・ジャンキーと同じことになると思うの。これを避けるために定期的にお外で普通に遊ぶのがいいです。
(
だれか助けてくれ。
— KenKen@今日は岐阜! (@kenken_RIZE) 2017年6月13日
膝のアザが顔みたいになっている。
呪われたのかな。人面瘡みたいにこのまま喋りだすのかな。ぬーべー先生ですらかかってたからな人面瘡。
あと、なにちょっと笑ってんすか。こえーよ。 pic.twitter.com/c2SCMjfMw9
)
お膝に化粧したら? 影になってるところを消して、顔に見えなくしてしまうの。
具体的には白っぽい塗り薬を濃い目に使って影を消すようにしてしまう。怖いものには呪術的対応するの。
物質的なものには科学的対応を、心理的なものに対しては呪術的対応をしてもいいの。その原因になってるのが心、物事の感じ方だとすればそういう対応もありえるからです。なぜって、「感じてること」は理屈ではないから理屈で説明しても効果なんて上がらない。
簡単にいうと「怖いものは怖い」のです。子供に理屈が通じないのと同じように、大人でも理屈で納得しようとしてもうまくいかないことがあります。
悪魔がいると信じてる人に悪魔なんて科学的に存在しないといくら説明しても無駄なの。どのようにして悪魔を感じてるのかを説明してもらい、そこからそれを感じないようにする方法を考えます。この場合、存在しないものを怖いというのだから科学的にどうかは関係がない。
いつも怖いものの正体がなんであるかなんて、怖いものを見てる人には関係がない。だから心理学的説明をしてもあまり効果は上がらないと思うの。大切なのは知識を披露することではなくて、実際に見えない悪魔を退去してしまうことだからです。
教養のある人たちは言葉をかなり厳密な意味で使ってるの。普段の会話からではなかなか気づかないかもだけど。
言葉を厳密に選ぶときはその意味をかみ締めて精査してるから、言葉を発した後ですぐに質問に答えられる。なぜそうなのかというと、事前に定義をしてからお話してるからです。
これ、論文などを書いたことのあるひとの典型的な癖だと思う。
湯通しは単に殺菌のため。身体が弱ってるので。
身体が弱ってるときはちょっとした細菌にも抵抗力落ちてるのでやられちゃうのです。そういうときは野菜も生は避けたほうがいいのでせめて湯通しします、少しだけ。
何かを見間違えて、さらにそれを他の人が別のものに想像する。あとはその繰り返しのステロタイプ生産。これはエレメンタルズの特徴。
その実態は自然の活動それ自体だけど、自然に対する解釈がその源泉になってるので自然に触れる人がいなくならない限りはずっと続くと思うの。
とある形が「枯れ尾花」として看破されてもまた別の形が生まれてくる。精霊たちってそういうものだから。
精霊たちはいないわけじゃないの。それを最初に見た人はきっと自然の不思議な神秘をそのような想像で見ただけ。その人が他の人たちに伝え、それが伝承になると別の形、集団による想像が定着して精霊となる。だから精霊たちの力の源は自然。その伝承は自然への呼び声。
とても簡単なこと。ゆりの花の絵画を美術館で見るの。その絵はとても綺麗かもしれないけど、自然に咲くそのゆりを実際に見たとき、その感動に直接触れることになる。これはゆりの妖精の話ね?
自然の精霊はただの見間違いだというのなら、その認識には何も得るものはないと思う。見間違いというのは正しいのだけど、人々の想像をかきたて、自然の源泉に触れることで感動はさらに倍増する。精霊という想像の姿はその媒体。一種の自然のアートだと思うのならそれであってる。
精霊を見るのって、一種のアートのセンスに他ならないの。
こういうのは感性鈍かったらなんのことかわからず、物質の表面しか分らないと思う。
日本ではいろんなことを擬人化するのがはやってるけど、あれは一種の人工精霊を作ってるの。物質の内面をみてその活動を想像によって精神化してる。これができるのが人間の想像力だけど、これは要するに精霊が生まれるプロセスを意図的に辿ってる。うまくいくかはともかくとして。
自然の中に精霊を見るのは確かにそのきっかけとなるのは見間違えなんだけど、それは「ただの」とはいえない。そのようにして想像により生まれたものは自然の実態に関する何らかの示唆を含んでるの。人間の感性って、そこまで適当で鈍くはないからです。ただ捉えようがないものをそんな姿で捉えてる。
こういうのを理解するにはアートを沢山鑑賞するといいの。そうすればいつかなんのことか理解が生まれる。
うん、アートのセンスを心理学で分析などしたらアーティストはみんな精神異常ということになっちゃう。(^^;
物質の中に精霊を見るセンスというのは形という枠組みをはずしてその内面に生命をみるセンスのこと。これはまぎれもなくアートのセンスなのです。
小さな子供のほとんどは物質の内面についてみることができるからアートの天才なの。
でも、科学知識によってその表面に注力することを強制されると次第にその力は失われていく。
魔法使いになることはその力を取り戻すことなのです。これは教育の弊害ね、仕方ないけど。
子供と一緒にあそんでみればいい。かれらは妖精の世界に触れてるから。
自然のものをあるがままに眺める能力はかけがえのないもの。これは知識の増大によって失われていくの。だから知識があまり増えすぎないうちに体験を増やしていく。知識だけ増やすと体験によって得られるものが激減していくから。
「幽霊」に名前をつけると「本物」になりますからね。(^^; 少なくともその人の中では。
それゆえに悪魔は存在しないのに存在するの。「悪魔なんていません」とローマはいうのにエクソシストが存在する理由です。
それは「暗闇」の外在化技法を使う人たちで、本質的にはわたしが扱ってるものと大差ない。
暗闇には何もいないけどその前に何も見えない。だから薄明かりをなぞっていく。暗闇は見えないので視線がなぞることはできないから。
ネットの世界だとレン(真の名)を知る人は少ないよね。そういう意味ではアストラル界の霊とあまり変わんなかったり?
アストラル界の霊は
1. 正体不明であること、
2. 必ずしも確証が取れないこと、
3. 移り行く存在であること、
という特徴があるのでネットでのお相手と大差なく、礼儀を保ちながら相手の言葉を鵜呑みにしない、現実の常識に照らし合わせることが重要なの。
ネットでの会話はお互いに物理的な身体が見えないのだから肉体のない存在同士のようなもの。それは物理的線引きが不明確という意味なのでこれを常に意識するの。魔術的に防御円を使うようなものです。(^^;
そもそもアカウントハッキングなんて憑依現象のことよ? オブセッション。
肉体の管理統制権を剥奪して乗っ取るのが憑依なのだから、ネットでのそれと大差ないのです。
ネットのアカウントとそのIDって要するに肉体の代わりなのです。フルスペルで書くとidentificationだけど日本語では識別。現実では肉体をその本人識別に使うけど、会話してるのは肉体というよりその意識、人格そのものだから、ネットでは肉体のない霊と同じなのです。
なのでROM専ってなんのことかというと、いまだ現出していない霊のこと。書き込みによって初めてそこにIDが提示されるので肉体が現れた! というのとおなじことです。
ネットと魔法って一見すると関係なさそうにみえるけど、説明するとこんな感じで常識の捉え方がほぼおんなじなの。
だから召喚・喚起魔術でよくある相手の出自をたずねたり、何らかのアストラル的根拠を求めるという手続きは必須とされる。何故なら、相手が本当はどんな存在なのかわかんないのだからたとえ天使や神様であっても鵜呑みにしてはいけないの。そういうものですから。
ひとは見たいものがみえる(みえてる)のだから、自分の思考が相手に感染した場合、形を持たない何かは見たい姿に変化してしまうの。これをなんとかするのです。
だから「相手の気持ちは本人でないとわからない」ここからコミュニケーションをはじめましょう。
お家を建てようとしたら一度その土地を更地にして地質調査までいれないと長く保つしっかりしたお家を建てるのは無理だということなんだけど、基本的常識がそういう魔術的手続きの中にあるの。
ご飯は本気になれば数日単位で我慢できるけどお水や睡眠は駄目かな? 食事を抜いても気を逸らされる程度で済むけどお水も睡眠も減らすと意識レベルの低下を招くから。それだけ後者のほうが緊急性が高いという証拠。寝ないと脳の機能が本当におかしくなるから。
多少寝不足でも一応軽いお仕事ならできるけど、失敗すると高いリスクが伴うことは危なくてできない。自動車の運転などもそうだよね。ちょっと間違えば殺人を犯してしまうのがその類のもの。なのでドライバーさんとかそういうお仕事してる人は決して睡眠をおろそかにしないでほしいな。
あと、医療関係者もかな? 睡眠。
知ってる? ブラックホールは光ってるの。目に見えなくても光ってる。X線とかそういうのがそこからずっと放射されてる。物質が中に入って質量が崩壊して代わりにそういうのが出てくる。きっと、それら放射線は「価値」の正体なのでしょうね。みんなばらばらになって散らばってしまう。
それらは電磁波。電磁波というのは波動のこと。それは何かを媒体として伝わってくる波なので質量を持たない力のこと。チリでおきた大地震が日本の太平洋側、たとえば房総沖へ何日かかけて到達しても、津波はチリの海の水を含んでいない。波動だけが到達するから。放射線ってそういうものだから。
ついでなのでこれも説明補足しておく。アルファ線はヘリウムの原子核、ベータ線は電子の流れ、そしてガンマ線は電磁波なの。この中で仲間はずれなのは最後の電磁波であるガンマ線だけ。これだけ波動なので小さな粒子ではない。この違いです。
放射線とか波動とか簡単にそういう言葉を使うスピなひといるけど、波動って媒体を通じて届く力のこと。オカルトで用いられ照る比ゆは、何かの媒体を伝って届く力として説明される何かの比ゆであり、粒粒がなにか飛んできたりする比ゆじゃないってことなの。
X線とは電磁波のこと。つまり、波動。レントゲンという言葉もあるけど、それは軟X線と硬X線の違い、つまり波長(周波数)の違いです。これらは粒子がとんでくるんじゃなくて波動です。そしてこうした波動は電気的場を形成してる。電界や磁界と呼ばれるそれです。
よくよく考えてみると「電波が飛んでくる」というのはとても変な言葉なのです。(^^; それは伝わってくると表現するのが正しく、だってそれ波動だから。粒子みたいに飛んできたりはしない。
正確な用語だと電波の伝播といいますよね。飛ぶなんて言葉を使わずに。
眠くなるコツはいろいろと満足することかな? ご飯食べて眠くなったりするけどそういうの。満足するといろいろ細かいのはどうでもよくなるの。だから「ドーデもいい」のが鍵になる。いろいろ手放してしまうとたぶん眠れるかも?
眠るのって具体的に言うと肉体の制御を意識が手放してしまうことだから。リラックスって要するにそういうことだよね?
無理に眠ろうとすると眠れなくなる。それは同でもいいと思ってない何かがあるから。そういうの眠れなくなるから「ただ手放し続ける」の。それは人が死ぬのと恐らくはあまりかわんない。肉体を手放すか、意識だけを肉体から切り離すかの差でしかないから。少しずついろんなことをどーでもよくするの。
緊張してるのはどうでもよくない状態。リラックスしてるのはどうでもよい状態。そういえばわたし、いつもアルファー波状態だって言われてる。いろいろとどうでもいいのかな? って思ったことある。事実、そうかもしれないけど。(^^;
物に人の心を投射するのは明らかに人によるもの。擬人化というのはそういうものですし、それ自体には深い意味はないと思う。でも、この性質を利用することで人には計り知れない物の心が多少は理解できると思ってる。判らないものをより深く理解するための工夫。それがイメージ投射かな?
光体の役割ってそういうものだから。
光体というのは、捉えようのない心を理解しようとするために作るイメージの身体。それ自体は人の心によって生み出された粘土細工なの。その形自体は偶像そのものだからこれを信じてはいけない。問題はこの形を通して理解する人にはわからない「心」のほうだから。
天使さまだって《自然の諸力》が実体であるため本来的には力そのもの。それは人の形をしていない。それでは人には理解不能だから理解できるようにするために光体を必要としてる。イメージの力は魔法ではそういう風に使ってる。
こういうのがテレズマ魔法の要となってるので理屈を一度理解していまうとそんなに難しくないです。
テレズマ像を粘土細工と説明したものの、一度そこに力が宿ってしまえばこちらで勝手には変更できない。それは聖が宿ったということなので仏像に仏様が宿ったらそれはただの仏像ではないのと同じです。物なんだけど「ただの」ものではないからです。チャージされる前ならいいのだけど。
充電前の回路と充電後(電気が流れてるとき)の回路では別物なのと同じ。電気が流れてるの知ってて中身いじるのは危ないから。
心の問題を目で確認できない分、服装や身づくろいという部分で表に出てしまってるのだけど、大抵は。清潔感のない格好というのはそういうことだから。
オーラを心霊的にみるまでもなく。物理的にでちゃってるの。
わたしには心霊能力はいらないの、正直なところ。通常の観察でほとんど間に合ってしまうから、それ以上のことというと本格的に何かすることになるし、それ以前の話として物理的調査がメインなので(手っ取り早いですし)。より確実な方法をとるのがなにをするのでもセオリーですし。
科学の手に負えなくなるまで安易にオカルトに走るのは待ってほしいな。それで問題が悪化するケースがあまりにも多くて、実際にオカルト的何かが原因というケースは本当にまれだからです。ほとんどの場合、お医者さんか弁護士、警察が問題を解決できるから。
こっか
”
(魔法の達人が「神秘体験は害悪。オカルトに頼るな。まずは科学を勉強しろ」と言っている理由をよく考えるんだな!
科学は魔術の一分野。偽物を見つけるための合理的、論理的思考と検証と反証。
この大魔女さんは電気と電波とPCに超詳しいからね。
霊はおそらく、電気の性質に近い存在)
真の神秘を知る気なんて全くないスピ「死ん邪」にこの言葉を送っても無駄だろうね。
おねしょた兄貴いわく「虫」らしいし。
読者は蟲師(魔術師)になってほしいな。
論語読みの論語知らずにならないように!
中国故事名言bot @koji_meigen_bot
之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知れるなり。
(『論語』為政)
知っていることは知っているとし、知らないことは知らないと認める。それが、本当に知っているということだ。
(これは学びの秘訣でもある。知らないところ、曖昧なところ、知っているところをはっきり分けて、三つを比べて違いをはっきりさせると情報が整理されるから極めて覚えやすくなる。)
小知には事を謀らしむべからず。(『韓非子』飾邪)
生半可な知識しか持たぬものに、重大な物事をはからせてはいけない。
菜根譚bot @caigentan_bot
人を陥れる策略や奇妙な慣習、変わった行動や特別な能力は、生きていく上で災いの元となる。 ごく普通の人間性と平凡な行いによってのみ、混沌を治め穏かな人生を送る事ができるのだ。
濃い酒や肥えた肉,辛いものや甘いものなど,すべて濃厚な味の類は,本物の味ではない.本物の味というものは,(水や空気のように)ただ淡白な味のものである.(これと同じく),神妙不可思議で,奇異な才能を発揮する人は,至人ではない.至人というものは,ただ世間並みな尋常な人である.
工作の基本は不満分士の支援
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年6月23日
だから、不満を持っている連中・冷飯を食っている連中を探して金と武器を渡すだけ
分類するという手段は誰が不満を持っていて、部族や集団内で力を持っているかを見極める事
それを支援すれば、後は勝手に連中が動いてくれる
だから、歴史や宗教は道具として最強
シンボルについて知りたければ、漢字の成り立ちについて知るといいですよ
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年6月23日
何故、聖者廟は八角形なのか、何故に犬は所謂神様の使いなのかそれは象形文字である漢字の成り立ちが解れば逆引できます
で、人間は取引して生きる生き物なので必ずそれが伝わります・全ての象徴は発生した理由があります
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年11月2日
神なんていませんよ それは人間が理性的に何かを説明するために発明されたもので
または超人的な存在を仮想した存在を神というのです
だから、説明されてしまうものは全て人間の理性の延長にいるものであり、
どうしようもなく説明できないものだけが神秘なのです
(彼曰く、アッラーは「何か」と呼ぶべきで「神」は誤りらしい)
だから、神秘なんて言うものは論理的に共有することができないので基本的にないものだと考えた方が簡単なのです
説明出来ないものがある事は感覚的にはわかりますが共有しあえないのなら無効で無意味です
また、それを土台に話をしたところ効果がなく結論が決まった話にしかなりません
信仰は確信を積んでいく作業であり、確信を積んでいくというのは様々な認識を獲得する事であって神秘体験とかで得るものでは全くありません
神秘体験は確信を積んでいく作業の途中に出てくる濃霧のようなものでこれを超える事が出来る存在だけが大宗教者なのですが、大概はその濃霧に皆騙されます
仏教でいう魔境といえば、そうなのですが仏教の魔境と濃霧は少し異なり
仏教ではこの魔境を絶対否定するのでそれがまやかしだと認識できるのですが、
それ以外だと場合によってはこの濃霧を見る事を儀式イニシエーションの入り口として惑わすので魔境が目的になる事があり これを淫祠邪教と言います
なので、最低でもお釈迦様が解いた教えを知っているのであれば大概の宗教は淫祠邪教になります
特に神秘体験を目的とするものはすべからく邪教であり、
これには如何なる例外は存在しません
なので、神秘体験で神を見たとかそこで停止する宗教は全部偽物で人間の営みを破壊する絶対不動の悪でしょう
私は神秘的な感覚というのは「夜の山に行って真っ暗闇の中、山道を歩くと全ての方向から何か気配を感じる」の延長だと思っている
その感覚を理詰めしたものが神秘主義だと思っています
なので、その感覚は知覚ではまやかしと判断できるものの事実感覚的に感じるので否定仕切る事はできないものかと
論理的な方法で理解できないものであるならば、それは存在しないものでただの空想です
人が妖怪を作り出して来たのは感覚の具現化への努力の結果であり、
そういう具現化することによって論理的に証明する事に努めて来たのです
論理的というのは時代によって異なりますが人は説明する努力を捨てません
つうか、支配者の情報何かどうせ大したことやっていないのでしょ
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年5月8日
色んな階級的儀式をしているらしいけど、仏典やイスラーム・中国思想を勿体ぶって焼き直した程度のものでしかないでしょう
だって、現代の人間自体が古典よりも大した事しても言ってもないのだからさもありなん
なので、日本で一番資料があって・翻訳されていて・読みやすいのは形而上をするのであれば孔子・孟子・荀子・朱子・陽明学をやるのが無難で形而上を絶対殺戮する気なら唯識などの古典仏教と臨済さんとかの古い禅のおっしょさんの文献に当たるのがいいでしょう
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年2月19日
それ以外は何一つオススメしません
絶対形而上を規定した思想
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年2月8日
老子などの無為自然=絶対形而上
孔子のような天と理想的統治論=絶対形而上
仏教のような空観など=絶対形而上の否定
ギリシャ哲学のようなイデア論など=絶対形而上
これを前提にしていない議論は永続的に二元論と多元論を繰り返すので無駄で無益です
魔法使いになりたければ、絶対形而上を想定した思想を求めねばできません
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年2月8日
なので、魔法少女と魔法少年を作る為には己が魔法使いとなり絶対形而上について学しかないのでしょう
それだけがこの世に存在する、唯一の魔法使いの作り方で魔術というのは絶対形而上から与えられた一部分なのです
つまり、神秘主義絶対殺すマン以外は神秘を見つける事は叶わないのです
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年2月8日
で、魔法使いというのは神秘主義絶対殺戮するマンなので儀式や神秘に浸るのは魔法使いではなくただの変態でしかないのです
なので、変態がする特殊性癖の見せ合いを魔術というのは絶対形而上を知らない変態の仕業なのでし
だから、よく結社員の決まり事みたいな象徴がネットでよー出て来ますがあれはある一定の地位者同士での下位と上位でしかないでしょう
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年2月27日
いいですか、本当に上位者というのは決まりを創る存在です、その決まりを堅守しているというのは上位者でありません
上位者は上と下から全部を見れる存在なのです
基本というのはお約束でお約束さえ分かっていれば、解釈するのは簡単です
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年6月11日
逆にお約束を知らずに解釈するとそれは深淵の森を濃雨の中佇む様なものになります
なので、お約束を身に付けて解釈が自由なる存在が魔法使いでそれを教えてくれる人を教師・導師といいます
無教養と無知を一緒くたにすんな虫けら
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年6月10日
DQNには教養が必要なんだよ、彼等は現場で生きているから現場で生きている分機転の種である教養が必要なの
戦国策や三国志、水滸伝や孫子を読ませて解釈を教えてわからない漢字を覚えさせれば彼等はそれを自由に使うし、またした事があったりもする
いいかい、拗ねた女一人を宥めるにだって教養が必要だし、馬鹿な後輩を思うがままに操作したり、賢くさせるのだって教養が必要なんだよ
— 魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) (@douteimaturi) 2017年6月10日
表情辞典一冊を読み込み使えば、それで相手の感情なんて幾らでも操作出来るんだ
教養は博物じゃなくて、凶器なんだよ
凶器だから、教養は使い所が難しいんだ
ーー
霊、宇宙人について
私
霊は人間的な意志はない、自然現象みたいなものってこと。
で、同じものがとりついても、人によって悪行をするようになったり、やたら善行を積むようになったりする、自然災害や自然の恵みみたいなやつだな。”
霊が人型で人格があるって支配層の洗脳でしょうね
自然現象説だと、ゴッドを宇宙人におきかえたキリスト教の変形が作れないのがポイント。宇宙人がゴッドであるためには「人型」で「意志」が必要。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月20日
「だから」、「少なくともキリスト教圏のエイリアンは人型」だと発表される。”
動物蔑視なので人型でないゴッドは許されない!@kikuchi_8
宇宙人カルト対策
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月27日
①宇宙人の定義
②人間がXを宇宙人とみなす条件
③人間が本物と偽物を区別できるか
を聞く。漠然とした言葉を悪用した詭弁には名付けさせて(定義させて)、名前=的を作らせて論理で射貫く兵法が有効。新✝に聖典が表向き存在しないのは本名=的隠しのため@kikuchi_8
「実際にその姿か、単に擬人化しただけか区別可能?
人間に化けた宇宙人か、宇宙人に変装した地球人か区別可能?
宇宙人はシェイプシフト(変身)できるのにどうやって判定する? 変身は人型限定?人型以外に化けて隠れるほうが有効では?
聖書に都合がよい姿なのはなぜ?」
”「宇宙人を煙幕にして人間である支配層が悪事を働く」
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月18日
ことと
「宇宙人がいる/いないことの証明」
とは別物なので注意。
宇宙人が支配層であっても、誤った宇宙人像を流したり、既に宇宙人に支配されているのに、外部からこれから宇宙人が攻めてくるという情報を流す場合もありえます。
私は、
外国人「ブロンド(金髪)の分布率で世界地図を作ってみた」http://t.co/tiRrvBHEXX
— kaigai.ch (@KAIGAIch) 2014年11月20日
海外の反応をジャンルごとに読めるアンテナhttp://t.co/22d6L7mB6a pic.twitter.com/8xyJX1xNeb
外国人「ブロンド(金髪)の分布率で世界地図を作ってみた」http://t.co/tiRrvBHEXX
— kaigai.ch (@KAIGAIch) 2014年11月20日
海外の反応をジャンルごとに読めるアンテナhttp://t.co/22d6L7mB6a pic.twitter.com/8xyJX1xNeb
外国人「ブロンド(金髪)の分布率で世界地図を作ってみた」 【海外の反応】 : 海外の万国反応記 https://t.co/YRqjoqRjG7
— まのん (@Mano______n) 2016年2月2日
北米そんなにいないんだね…
いるとことまったくいないところの境界がはっきりしてるな pic.twitter.com/ZbFbXGR4cF
『グッドルッキング・ガイズ・フロム・アウタースペース』というタイトルで、コンタクティーがよく主張する金髪碧眼の美形善玉宇宙人を紹介する本を作って叶姉妹に献本したい (画像はジョージ・アダムスキーと、彼が出会ったと主張するイケメン金星人オーソン) pic.twitter.com/eNiHxsg99H
— 小山田浩史@幻解超常ファイル6月10日 (@magonia00) 2016年12月30日
Syuhei Osaki @osaki_syu 6月2日
アブダクションの事例を眺めてると、ヒューマノイド型宇宙人の見た目に金髪碧眼が多く、びっくりするほど白人至上主義の世界だ
小山田浩史@幻解超常ファイル6月10日 @magonia00 2015年5月31日
UFOコンタクティーが遭遇するいいもん派宇宙人さんはノルディックなどと称され、その名のとおり北欧系の金髪碧眼イケメンが主流だが、ガチムチ兄貴系宇宙人とかブラザー系宇宙人がいないのはなぜかな(稲生平太郎の『何空』でコンタクティーを扱った章のタイトルは「空飛ぶレイシズム」)
日日不穏日記 @hibifuon 2013年11月26日
ありがとうございます。意外に単純だ・・・。RT @shinfujioka そんなユニークな言説ではなく、アダムスキーからマイヤーに至るまで、高度な宇宙人は金髪碧眼で、MIBは吊り目の東洋人風といったことです。 RT @hibifuon 第一部にある、「空飛ぶレイシズム」って何だ?
「空飛ぶレイシズム」って面白いよね。高度に進化(笑)したうちゅー人は金髪碧眼の白人で、悪いうちゅー人がアジア人という白人様のウリナラファンタジー。白人様の精神構造には強烈なコンプレックスみたいなものを感じるな。一体感近世以前に何があったんだろう?
— ねこた (@lakudagoya) 2015年10月6日
“空飛ぶレイシズム
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月20日
ほとんど指摘されないものの、UFOカルトには、さらに危険な要素が含まれている。
それはレイシズムである。…地球の救世主あるいは創造者とされる宇宙人は、多くの場合、金髪碧眼の存在なのだ! …白色人種たちにとっては、救世主は金髪碧眼の美しい存在でなければならない…
臨死体験は死んでいないので死にかけの状態の夢なのか、
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月12日
本当に死後の世界に行ったのか(死んでいないのに行ける?)
・タイムマシンで百年前に自分が行ったのか、
タイムマシンにより周囲が百年前と同じ状態に変化したのか、
・他人は心がある人間か
哲学的ゾンビ(=言動も見た目も心がある人間
名乗る見た目がどう見ても人間である宇宙人」と
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月12日
「宇宙人と名乗る宇宙人っぽく変装している地球人」
の区別…実際にその姿なのか、単に擬人化しただけか…
スピ系の人によると宇宙人はシェイプシフト(変身)できるんですよね?
どうやって判定するのですか?シェイプシフトは人型限定なのですか?
「という思想」に基づき動いていること。「本当に」別の種族や生物(宇宙人など)であるかどうかは不明…思想「自体の真偽」と、その思想「を利用して大衆を操る」ことは別…
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月12日
「思想自体が正しいかどうか」の議論と「思想という人間を操る道具をいかに支配層が悪用しているか」の議論
の違いは大きい
人間化=不完全化され、
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月12日
人間が解釈できて人間の理解の範囲のことだけができる、宗教家の操り人形…「全知全能」という記述すらも人間の理解の範囲内…物事の誕生の根源があるとすれば、それは創造神ではなく、「変化」それ自体…Aが存在し「ない」https://t.co/Paui7HV3hT
峨骨 @Chimaera925 2016年1月4日
どのような者が優れた者なのか、支配者に相応しいエリートであるのか、それらの基準を作った者は自らの似姿こそが最もそれに相応しいと考える。劣等な者は始末するか支配してやらなくてはならないと考える。どこぞの人買いの会長やら、いい大学出て素晴らしいキャリアを積んだ自称エリートにせよ
峨骨 @Chimaera925 2016年1月4日
彼らが神の像を作り、「これを崇めよ」と言う時には自身の似姿を作らせる。いささか美化され過ぎて背鰭に胸鰭、尾鰭と色々付きすぎて奇怪な姿をしているけれど。
峨骨 @Chimaera925 3 時間3 時間前
SFで食品を合成して作るなんて描写が屡々出てくるけど、放射性廃棄物の定義を変えて食品に変換するシステムは出てこない。現実は小説よりも奇なり、か。
んで、同じ手口を別系統に言い換えると宇宙人な。金髪碧眼で肌の白い善の宇宙人(笑)
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年5月7日
現地人の目撃証言映像だったかに、モロにこんなのが出てきて、壁画か何かの絵もコレで昔から日本に来ていたんだ!ってなお話だったな。UFO、宇宙人、怪奇現象、心霊現象ブームの時代のお話さ。天使を宇宙人に置き換えたスウェーデンボルグ神学だかなんだかで大本や生長ラインか。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年3月22日
んで、当時よく出ていた丹波哲郎がよく言っていたのは大霊界。出口王仁三郎の「霊界物語」かスウェーデンボルグだろ、あれ。後者臭いんだけど。んで、近年のスピ系のブームも同じ系統。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年3月22日
俺みたいに破裂音がしたら咄嗟に物陰に隠れたり、玄関のドアを開ける時ですら開けたドアの影に刃物を持った暴漢が潜んでいないか警戒するのはやりすぎかもしれないが、安全で治安がいいなんてのは幻想。犯人が逮捕できなさそうな事件は検挙率が下がるから犯罪にならない。変死でも自殺だ。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年10月18日
本物出している店は金持ちの道楽でもなければ価格競争で負けて排除されるから、紛い物がのさぼる。19世紀のフランスのカフェでヤバい化学物質てんこもりのアブサンを飲んだボードレールやゴッホみたいな気分が現代でも味わえる。現代の豊かさの虚飾を剥ぎ取ると退廃した阿片窟みたいな社会がある。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年10月18日
科学的思考(論理的思考、客観=多数の他人の主観を反映した情報重視、数値化重視、再現と反証可能性重視など)
と
科学教(上記の否定)の違いがわかる人もわからない人も以下を読めば衝撃をうけるかもしれない。
永井均の著作三冊:『子どものための哲学対話』・『翔太と猫のインサイトの夏休み』・『私・今・そして神』 https://t.co/uhSUa7gtwl
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年8月28日
” 『そういう点ではクジラはどうしても哺乳類のように思えちゃうけど、肝心な外形や生活環境が魚みたいだから、ほんとうは魚なんだ』
“クジラは魚である!
“ペネトレ:クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚じゃないってはなし、聞いたことある?
ぼく:もちろんあるよ。クジラは、魚のようにえらでじゃなくて肺で呼吸するし、魚のように卵の形で子どもを産むんじゃなくて、クジラの形で産むんだよ。それで、産まれてきた子どもは水中で母乳を飲んで育つんだ。だから、クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚類じゃないんだよね?
(…)
ペネトレ:つまり、『そういう点ではクジラはどうしても哺乳類のように思えちゃうけど、肝心な外形や生活環境が魚みたいだから、ほんとうは魚なんだ』って言ったら?”
ぼく:なんで外形や生活環境のほうが肝心なのさ?
ペネトレ:そんなら、なんで内部のしくみのほうが肝心なのさ?
ぼく:だって外形のほうがだいじなら、ほんものと見分けがつかないようなにせもののダイヤモンドは、ほんもののダイヤモンドだ、ってことになっちゃうよ!
ペネトレ:そうなんじゃない? とくに宝石なんて、見かけの美しさこそがいちばん肝心なんだから。内部構造はぜんぜんちがうけど、いちばん肝心な見かけがおなじだから、『ほんとうは』ダイヤモンドなんだ、って言えると思うよ。
ぼく:そんなの、なんかおかしいよ。
ペネトレ:それはきみが科学に洗脳されているからだよ。科学っていうよりもっと根本的な、ある種のものの見かたにだな。見かけや外形の奥にかくれているものこそが、その物のほんとうの姿である、っていうような。
ぼく:そうじゃないの?
ペネトレ:それは、ひょっとしたら、奥にあるものを知っている人が知らない人たちに対して権力を持つために作り出した作り話だったんじゃないかな? みんな、うまくだまされちゃったのかもしれないよ。
ぼく:まさか!
ペネトレ:でも、分類のしかたによってはクジラは魚でもあることは、たしかなことだよ。外形や生活環境よりも内部のしくみを重視するって前提があってはじめて、クジラはほんとうは魚じゃないなんて言えるんだ。じゃあ、なぜ内部のしくみのほうを重視するのかっていえば、それはぼくらがそういう文化の中に生きているから、としかいいようがないんだよ。いつか人間たちが、クジラはやっぱり『ほんとうは』魚だったって思うようになる日がくるかもしれないんだ。“
p.94‐97 ※『』内は原典では太字
科学は、構造や構成要素や因果関係を解析するのが目的ですから、ものの内部が本質だと考えますからね。
むしろクジラが哺乳類ってことは、「教えられなければわからない」ので、
人間の自然な感覚からしたら不自然で、魚だという認識の方が自然でしょう。
その教える側の教師や教科書だって、クリスチャンで白人の銀行家(金の支配者)と銀行家を手先として使っている王侯貴族たちが都合よく決めるのですから。
あとダイヤモンドの話ですが、違いが分かる人が存在しなければ、本物も贋物もありませんから。
目利きがいなけりゃみーんなモノホンってこった。
厳密にはな、パチモン・ホンモン自体が成立せーへんねんけどな。ナンセンスや。
8 地球は丸くない!
ぼく:地球が丸いってことも、太陽のまわりをまわっているってことも、『発明された』の?
ペネトレ:そうさ。でも、地球は丸いのに、どうした下のほうにいる人が落ちちゃわないんだと思う?
ぼく:そりゃあ、引力があるからじゃん!
ペネトレ:でも、引力って引っぱる力だろ? そんなものがあるんなら、もっと地面に引っぱられているような感じがするはずじゃないかな? どうして引っぱられて、はりついているような感じがしないんだろうね?
ぼく:たしかに、そんな感じはしないけど……。
ペネトレ:だから、ほんとうは、ぼくらは引っぱられてなんかいないんじゃないかな? 『引っぱられるっていうのは、この地面の上にいて、ひとに腕を引っぱられたりするときの、あの感じについてだけ、言えることなんじゃないかな?』
ぼく:じゃあ、引力はないって言うの?
ペネトレ:引力がないだけじゃなくて、地球が丸いっていうのも、ちょっとあやしいな。
ぼく:どうしてさ!?
ペネトレ:丸いっていうのは、この地面の上にある、スイカとかボールとかについてだけ、言えることなんじゃないかな?この地面が球体であるって考えたとたんに、ぼくらは地球というものを、この地面のことじゃなくて、この地面の上のほうにある巨大なボールのようなものだと考えてしまっているんじゃないかな?その証拠に、地球は丸いのに下のほうにいる人が落ちないのは引力があるからだ、なんて考えてしまうだろう?
ぼく:どこがいけないのさ?
ペネトレ:地球には「下のほう」なんてないはずだからだよ。でも、ぼくらは上下のある絵しか描けない。できるって言うんなら、上下のない地球の絵を描いてごらんよ。世界地図だって、地球儀だって、星座早見盤だって、必ず上下がある。それはつまり、地面の上に乗っているってことだよ。だから、ぼくらが住んでいるとされる地球という名前の惑星をふくめて、ほんとうは、すべてのものが、この地面の上にあるんじゃないかな?
ぼく:ペネトレ、それ本気で言ってるの?!!!”p.100‐102
※『』内は原典では太字
物理法則という客観的だとみなされている(この法則の観測は主観的になされる)のですが、結局のところ、人間の肉体的制約や生活様式の前提に縛られます。
肉体的制約とは、左右対称、上下非対称などで、
生活様式の前提とは、重力下で生活(頭は上、足は下)などです。
地球上にいる時、われわれにとっての地球とは地面のことであり、そこから逃れられないのです。
仮に、人間の体が完全な球体だとすれば、文字は左から右へだとか、その逆だとか、縦書きだとか、横書きだとか、という概念が生まれるか?
などなどさまざまな思考実験ができますな。
森博嗣『笑わない数学者MATHEMATICAL GOODBYE』文庫版
にある鏡に映ると左右は入れ替わるが、上下や前後は逆にならない理由↓
「鏡に映った像は、左右が反対になりますね。どうして、上下や前後は逆にならないで、左右だけ入れ替わるのか、刑事さん、答えられますか?」(…)
「定義の問題です。左右だけが、定義が絶対的でないからです。上下の定義は空と地面、あるいは、人間なら頭と足で定義されます。前後も、顔と背中で定義できます。では、左右はどうでしょう?左右の定義は、上下と前後が定まったときに初めて決まるのです。人間の体型が左右対称ですし、歩いたりするときも横には動きません。上下と前後の定義が独立していて、絶対的なものであるのに対して、左と右の定義は相対的です。この定義のために、鏡で左と右が入れ替わるんですよ」
「待って下さい(…)鏡の映像に……、そんな、人間の考えた定義が関係するのですか?あれは物理現象であって、人間の言葉には関係がないと思いますが……」
「いいえ、我々は、ものを定義して、それを基準に観察するんですよ。
(…)僕たちに、顔がなかったとしましょう。そのかわりに、片手だけが大きくて、バルタン星人のようにハサミがついているとします……。この場合……、ハサミのある大きな手が、右と定義される。顔がないから、前後の定義が相対的なものになります。つまり、上下と左右が定まって、初めて前後が決まることになります。この顔なしバルタン星人が、鏡を見たら、前後が逆になりますよ。良いですか?ハサミの方の片手を挙げて、鏡を見てみましょう。鏡の中の自分も、やっぱりハサミの手を挙げているでしょう?つまり、左右は入れ替わっていない」
(…)
「それでは……、こういう説明ではどうでしょう。右と前、左と後ろ、この言葉を入れ替えて使う国があったとしましょう。その国では、右という言葉は前のことです。左という言葉は後ろのことです。顔がある方が右、背中が左です。さて、この国では、鏡を見て、左右が入れ替わるでしょうか?」“p.433‐435”
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月4日
視覚化や聴覚化は神様の乗り物を用意する行為だからそれ自体に意味はなく。また、それを放置していたら雑菌が繁殖してしまうのです。そのことを理解するために人工精霊の喚起と退去を学ぶのだけど、神秘体験とは何かを本質的に理解していないとその能力は使い物にならなくなってしまいます。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2月18日
それ故に、検証の行われない神秘体験は悪魔化された錯覚のことだとわたしは考えています。
0件の返信 2件のリツイート 6 いいね
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年9月13日
瞑想のときに神秘体験をしたりとかよく話題になるけれど、実際のところはそんなのは稀なことで普通の作業中に不意にそれは訪れると思うの。実践作業にも価値はあるのだけど、種が実を結ぶのはそのずっと後の話。神秘体験それ自体にはそこまでの意味は無いと思う。
0件の返信 3件のリツイート 4 いいね
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年9月3日
花を愛でてもいいのだけど、もしも実りを得たいのでしたら自らそれを切り落とすこと。わたしが神秘体験について学んだのはそういうことでした。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年9月3日
そして最後にはあることに気づいたの。花が枯れた後に無理して花を生かそうとしても無駄なこと。それは毎年短い間だけ咲くけれど、そのままだと実はならなかったの。結果としてわたしは神秘体験というお花を自分で切り落とした。それによってやっと実りを得ることができたの。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年9月3日
神秘体験ってお花のようなものだと思うの。枯らしてしまった植物の代わりに造花を飾る人も多い。種から育ててお花が咲くまでにはとても時間がかかる。けれど、花の命は短くてその体験は泡沫のごとく終わる。ずっとわたしはそれを眺めてきた、毎年芽吹くのを待って育てながら。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年7月3日
わたしは霊的生活を倫理的な生活とほぼ同一の意味としてとらえてる。神秘体験は認識に至るまでのプロセスである副産物に過ぎないの。必ずしもそんな体験を経なくても立派で尊敬すべき人たちはいっぱいいる。だから不思議な体験にこだわるのは本末転倒だと思う。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年3月12日
現実の中で夢を見られないから神秘体験で酔いを求めようとする人が多すぎるの。不思議なキノコさんやハーブなどを求めないでバーに行けばいいのです。美味しいお酒でも飲んでお隣の人に声をかけてみる。たとえ同性同士でも楽しい会話ができるかもしれない。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年1月9日
神秘体験をペラペラ話すよりも瞑想の途中で寝てしまいましたと素直にいう人の方がわたしとしてはよほど好感が持てます。その素直さこそが宝物だからです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2016年1月6日
なんか神秘体験の有無がシャーマンの良し悪しを決めるのだとしたら、それはまるで膜のあるなしで女性の階級がきまるみたいでとても変だと思う。成人式済ませたらみんな本当に大人になるというの?
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月27日
神秘体験というのはひよこさんが殻を割って出てくるときの殻が割れる音、そして世界から漏れ出してくる光の事です。ひよこさんが世界に生まれた時、暫くは眩しくて目が見えない。けれどじきにそれは収まって目が慣れてくる。そうすると世界に生まれたんだとやっと「理解」するのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月27日
すなわち、儀式は深淵な物事の理解を促すために存在していて神秘体験それ自体は余禄みたいなものです。各種の暗喩,暗示それ自体には意味はなく、普通に言葉で説明すると「頭で理解してしまう」のを避けるために構成します。継続する力とはとても深い理解によるからです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月15日
錯覚というのは神様の御恵み。神秘体験もそう。何かを教えてくれてる。幻覚や錯覚というのは違う視点で何かを捉えたときに起こる。それは認識の枠組みが外れたときに起こる。とはいってもわざとそうしたら基準となる枠組みがなくなるから困ります。自然に起こるからいいのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月15日
神秘体験というのはひとつの事象に対して異なる解釈をしたということなのです。だからといって現実に変化などは起こっていない。それは比ゆ的に言うと人間の目がなくなったので一時的に猫さんの目を装着しましたというのに似てる。色の認識は変わり赤外線見えるようになるはずです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月15日
わたしが神秘体験にこだわらない理由はこういうことなのです。それは日常の事柄が意識の状態の違いによってコラージュされたりデフォルメされて認識される事象のことです。ですから、それは本質ではなく日常の些細な物事の神秘に気づく機会となる。つまり神秘体験は目的ではないのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月12日
自分がいかなる神秘体験をしてもその幻想に捉われないことです。そこにはきっと真実の一端が隠れていることでしょう。けれどその解釈が正しいとは限らないのです。ですから解釈を慎重に行うために事実のみをノートに記載していきます。この癖をつけないと妄想でいっぱいになるからです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月7日
神秘体験はできる限りマイルドであること、そして時間を置くこと。さらに薬物を使わないで出来れば排除すること。理解はとてもゆっくりです。安全にやろうとしたらつまんないくらいがちょうどいいの。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月7日
だから本当は薬物とか外的刺激によって劇的反応を示さない場合は「おめでとう」なのです。これは「神秘体験をしない幸せ」をいつもお話している理由です。それから学ぶこともあるのだけど、たいていは恐怖心が幻想を暴走させるのでまずいことになります。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年12月5日
神秘体験を吹聴することがこれで何を意味しているのか理解できることでしょう。それは自己欺瞞日記の羅列と大差ないからです。それは必ず日を追うごとに増えていきます。「誤魔化しがきかない」とはそういうことだからです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年11月18日
ひとつの答えを得るのに何年、何十年とかかるの。何か特別な神秘体験を経て突然ひらめいた! なんてことになればそれは教祖様デビューになります。でも、残念ながらそれはあまり幸福なことではないと思うのです。きっとのどから手が出るほどそういうのほしいというのはよく知ってる。だからこそです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年11月18日
GD系が扱う図の中でセフィロトをご覧になったことがあると思います。その中でパロケト、つまり幕屋がでてくるのです。内陣の外にこれがかかっています。これはアストラル的幻惑の象徴表現なのです。雲として表現されるそれは曖昧な夢のイメージのこと。つまり神秘体験と呼ばれるそれなのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年11月18日
GD魔術では再三にわたり「明晰な光」という表現が出てきます。それは曖昧な夢を意味しない。つまり、世間一般で扱われている神秘体験をそもそも相手にしていないのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年11月18日
魔法使いが神秘体験を否定するのはおかしいことですか? GDにおいて水平の上昇とはこれを目指してるのです。もしよろしければフライングロールをご覧ください。幻惑を避けることを主題にしてるのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年11月18日
神秘体験とは幻惑されてることを意味してるの。ある種の思考によって幻惑されてる。心がそれに慣れてないからです。アストラルライトは一種の雲のこと。これがあるから視界をよくく見渡せない。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年11月18日
神秘を理解することができたらそれはもはや神秘ではなくなるの。だから神秘体験それ自体をわたしは無意味といいます。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年11月18日
神秘体験を得たとしたら残念なことです。神秘体験は幻惑によるもの。曖昧なものはいらない。神秘なものもいらない。よく注意して? 神秘体験を得たらはずれなのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年10月14日
わたしはもうアストラル世界では遊ばない。それがなんのことか理解したからです。足の裏を地面につけているというよりも、地面が足の裏に引っ付いてくる。だからわたしは「世界」を回らない。なので厳密にいうと魔法使いとはいえないかもしれない。神秘体験を必要としなくなったからなの。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年10月7日
どんなすごい神秘体験を何万回積み重ねても神秘の意味を理解していないのならその意味はないと思う。それは単なる娯楽としてとらえたほうがいい。そう、趣味の問題だといえるでしょう。どんな世俗的なことにも神様の神秘を見つけられないのなら、本当の魔法使いとは言えないと思います。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2015年6月22日
初心者に対しての神秘体験は推奨されない。なぜなら冷静さを欠いたそれは気分を舞い上がらせたまま日常に帰してしまうからです。これを行う導師は批判を免れないでしょう。薬がまさに毒となるからなの。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
故に、神秘体験を得た人たちが自ら宣言をして達人が量産される。けれど後に恥をかくのは自分自身です。何しろ、本当の光明を得た後はそれが何かを知ってしまうからなの。だったらそんなことはしないほうがいい。無意味な高位階を誇示したところであなたの神が凡てお見通しなのだから。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
新参者に神秘体験を与えることはある程度は可能なのです。それは心理効果を利用した巧みな心理学的(現在は知られてはいないが)現象なのです。但し、これを与えても位階は授与できない。より正確には位階は自ら昇るものです。認定はできても授与は不可能なの。だから自ら勝ち取ってください。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
さらに付け加えると、神秘体験それ自体に価値なんてありません。それは単なる種でしかないのです。それが萌芽するまでにはとても時間がかかるものです。だから、それを得たらノートに記録して放置することです。ただこれをずっと続けること。体験を自分の心に強要してはならない。寧ろ避けるべきです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
神秘体験を決して他人に吹聴してはならない。もしそうしたらあなたが得たものは霧散して毒になってしまう。凡ては失われてせっかく受け取ったものが深化せずに無駄になる。そのようなことを繰り返していたら決して先へはたどり着かない。いい? よく聴いて。至聖所から宝箱を出してはならないの。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
感覚はすべて検証して論理付けをすることです。そうした上で体系をつくる。論理矛盾を極力なくすこと。このような分析過程を経ると次第に幻想は失われる。偽の神秘体験はなくなるのです。すなわち、光の前に影は消え去れり。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
聖杯を呷ってなお平気でいられる人は、神秘体験を望まない人であり、さらにそれを得ても悪酔いしない人に限られるのです。それはとても甘美な神酒なのだけど、その意識状態からさらに上方に脱却できなくては転落が待ち受けているのです。この素敵な酩酊状態を誰が避けられるというのでしょうか?
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
わたしが「神秘体験は求めてはいけない、そんなことのために道を探求してはいけません」などというと「既得権益の保護」や「綺麗ごとを並べ立てる似非オカルティスト」などという人は恐らく大勢いると思う。けれどこの問題はとても切実なのです。聖杯が毒杯に変わる瞬間をご覧になりたいのならどうぞ。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年11月25日
だから光明というのは穏やかに当たるのが宜しい。強烈な光は多くの人は耐えられません。きっと道を踏み外すので強い変化を望んではいけないのです。もし強い神秘体験でトリップしたいのなら通常の娯楽にいくらでもあります。バンジージャンプでもしておいで。魂の強さなんてそう簡単には判らないのよ?
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年5月22日
いい? 神秘体験を追求すると言うのは映画を楽しむのと似てる。楽しいのだけどそれが生活になってしまうとそのうち苦痛になるの。勝手に脳内で再生される映画です、そんなの見たくもないときに勝手に見せられるの。だから制限しないといけない。そしてそれを快楽のためではなく理解のために追う。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年5月22日
神秘主義において神秘体験を求めるというのは快楽を求めるのと道義です。それは中身についてなんら考慮されていない。もしそれについて理解してるのならそんなこと言わないから。どういうことかというと、神秘体験はエンターテイメントなので消費型コンテンツです。つまり体験したらおしまいなの。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年5月22日
わたしはアストラル的方法というのは不確かなのであまり使いたくはないのだけど、オカルト好きな人はみんなこれを求める。それは神秘体験だけど、そもそも快楽のプロセスとそれを得るしくみをちゃんと理解してる? みんなが求めてるのは単なる快楽なの。それはエンターテイメント。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年1月22日
まぁ、はっきりいってこれらのカバラー的解釈はみんな神秘性が全くないのだけど、それゆえに重要なのです。神秘体験はあえてみんなすっ飛ばしてます。神秘体験は重要なものではなくて理解度のレベルを示すものさしなの。だからそういうのは個人の問題。誰がどんな体験したかなんて意味ないのだから。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年1月10日
これがわたしが知ってる魔法の組み立て方。最終的に心に作用させるという意味において物理的心理的手法は問いません。神秘性の有無も関係がない。目的のためなら知ってる方法を凡て投入するのが魔術というアートだから神秘体験は副次的なものなんです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2014年1月3日
神秘体験がとても大切だという人がいるけど、そのひとはわたしに言わせると経験がまったく足りてないといわざるを得ない。神秘体験とは薬と同じで毒にも薬にもなる。ある種の現実の認識は人によって絶望にも希望にもなる。これと同じことが神秘体験でも起こるのです。だから気安く勧めてはいけないの。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2013年11月16日
それ以前に、神秘体験の有無なんかで達成度を語るのははっきりいって無意味どころか害悪にしかなりません。長い目で見るとそれは障害にすらなるのに。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2013年7月29日
神秘体験なんてね・・・神秘体験なんてね・・・それでお腹は膨れないのよ・・・ぐー。幻覚のなかにね・・・イケメンが出てきたら・・・あ、それ淫魔だわ・・・ぐー。テテレスタイ!・・・すー、ぴー。もうたべられないですぅ。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2013年7月24日
返信先: @MARAharuSさん
天国に昇天させられたら戻ってこれないです。長老エノクじゃあるまいし。メガトロンにってしまいます(^^; QT @MARAharuS: @Ripple1975 召命型シャーマンの神秘体験の予兆かもしれません。巫病が大変らしいですが。
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魔羅覇盧 @MARAharuS 2013年7月24日
返信先: @Ripple1975さん
@Ripple1975 召命型シャーマンの神秘体験の予兆かもしれません。巫病が大変らしいですが。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2013年6月28日
返信先: @meditationartYKさん
ああ、カトリックの司教候補は、必ずロヨラの「霊操」とかやるよ? だからみんな視覚化とか一般的訓練してるはずです。おそらく、神秘体験は魔術師なみにしてるはず。QT @ykkawa18: @Ripple1975 クンダリーニはヒンズー教発祥だったと思います(たぶん)。クリスチャンの場
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川崎 悠太 @meditationartYK 2013年6月28日
返信先: @Ripple1975さん
@Ripple1975 クンダリーニはヒンズー教発祥だったと思います(たぶん)。クリスチャンの場合、修行体系が限られてしまうのでしょうね。神を観想する過程で神秘体験をすることは時々あるらしいですが、ごく一握りでしょうし。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2012年12月10日
返信先: @momochudokuさん
まあ確かにw QT @momochudoku: @kurara78 @Ripple1975 非合法のものを食べたり吸ったりかじったりして幻覚だの神秘体験だのリラックスだのは、私の人生に関係ないwそういうの好きな人も私の人生に関係ないw
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歌屋山本けい @momochudoku 2012年12月10日
返信先: @kurara78さん
@kurara78 @Ripple1975 非合法のものを食べたり吸ったりかじったりして幻覚だの神秘体験だのリラックスだのは、私の人生に関係ないwそういうの好きな人も私の人生に関係ないw
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ハヌル/霊能者 @hanuru_ 2010年10月1日
あえて書いてこなかったけど共感同意RT @Ripple1975:(略) それを求めるほど、本来求める道から外れていく。神秘体験が悪いといっているのではない。ただ、幻想の世界に入ったらさらに上層にある意識に上昇する必要があるといいたいのだ。もしも幻想に捉われたらその人の進化は止まる
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2010年10月1日
何度も言うべきことがある。それは神秘体験を重視してはいけないということ。それを求めるほど、本来求める道から外れていく。神秘体験が悪いといっているのではない。ただ、幻想の世界に入ったらさらに上層にある意識に上昇する必要があるといいたいのだ。もしも幻想に捉われたらその人の進化は止まる
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2010年10月1日
舞踏、音楽やその他の方法でトランスに入り、シャーマン的に神秘体験を得ようとする人がいる。けれども、その方法は現代人向けではないのも確かである。わたしはそれを否定はしないけれど、そこに叡智は存在しない。それはかれらに必要な方法論であった。現代のわたしたちには新たな方法が必要だ。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2010年10月1日
真の神秘体験は言葉には翻訳できない。それは真に力という側面であり形を持たない。それゆえに形である言葉に置き換えると二律背反の概念として分離する。それは一種の心の状態のことを意味するのであり、高電圧の電線に触れているのに等しい。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 2010年10月1日
もしもあなたが神秘体験を求めているとしたら、求めるのをやめて健全な生活を送ったほうが良い。真の神秘体験は求めて得られるようなものではない。感覚遮断によるサイケデリックな状態は不健全な心の状態を生む。アストラル領域で遊んでいるのは構わないが、それは神秘体験とは呼ばない。
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年11月9日
私がユダヤ人とか、人種差別だとかくだらない事を言わないのは根底の流れとして名誉と毀損という物資の流れ以上に重要な事がはなされないからで
あった、なかった何てハッキリまやかし以下の物資的な補償の話にしかならないのでしたところで無駄
重要なのは尊厳の流れ以外ないのです
折角何でナチスの話をしようと思う
私はあの社会は間違いなく優生学と儀式・擬似神権国家だったのではないかと思っている
それは民族主義=血統優位説と血統優位な人々による政治的貴族の創造とカースト制を作り出すつもりだったのではないかと思う
彼等がアーリアとか言うのはカースト制の希求
(続き)と高カーストによる神権政治、つまりは哲人政治と剣と聖書の合一なわけで
何故にバチカンがナチスを擁護したのも書類には表面上物資援助の話しか書かれていないが
一番重要な名誉と毀損の流れで見るからにアーリア社会における独占的な神官の立場を保証したからではないかと思う
なので、最低でも陰謀論者である限りはナチスがユダヤ人をー、なんて言う議論に参加する自体が無意味で
もしそれを言っている陰謀論者がいるのなら知能が低すぎて、人としての生活が出来ているのが危ぶまれます
陰謀論者であるのならば、彼等が何故にその思想を作りだし、社会運用したかを問うべきです
なのでホロコーストがあった、なかった以前にホロコーストってどの立場の言葉?
と、言えないと話になりませんし、それは何を意味するの?
という事から言えねばなりません
なぜなら、言葉は意味を持ち、意味を作るからで言葉の創造は魔導士の基本仕事という視点から言及出来なければただの馬鹿です
村手 さとし @mkmogura 2016年11月12日
探さなくても聞こえてくる情報は、全て操作された情報である。 情報を探してはいけません。 その情報がなぜ流れてるか、その目的を探しなさい。
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年9月29日
ユダヤとか抜かすならその会社や銀行なんか使うな まず、やつらと関わらない生活を言わなきゃ結局は指桑罵槐になるだけで意味がない 言っただけの陰謀論者は全部偽物、偽物は偽物らしく薄暗い骨董屋で引きこもってろ
(孫子の兵法「三十六計」の一つ「指桑罵槐」(しそうばかい)
=「桑の木を指して槐の木を罵る」
=的外れな批判で本体が攻撃されないように人心操作)
狼たちは知っている @wolvesknow 2016年9月29日
返信先: @douteimaturiさん
おひさー。ユダヤ人の定義は無視して、ユダヤが悪い、ユダヤ人が悪と、人種・民族での分断統治に引きずりこむ奴ら、マジウザいですね。やれやれですわ。
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年9月29日
返信先: @wolvesknowさん
ユダヤというより、もっと質の悪い欧州貴族が悪いとか全世界の王族というカルテル、シンジケートを否定してさてどうするか。 まで、言うならまだしも奴等は所詮、派遣された税金取りや現地派遣社員でしかないのですけどね
狼たちは知っている @wolvesknow 2016年9月29日
返信先: @douteimaturiさん
あちこちで、問題点をそらすための矮小化や、地域限定、個人限定のデコイ叩き、末端叩きばっかりやってて、嫌になりますわ。
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年9月29日
返信先: @wolvesknowさん
そうなんですよ、だからそういうゴミはゴミでしかないのでゴミとして燃やすか、発酵させて悪い見本としての肥料にするかの二択です なので、基本燃やすのが一番です
魔法おっさん(30代住所不定無職童貞) @douteimaturi 2016年10月6日
そもそもユダヤの肉棒論って、ユダヤの何派が言っている立場なんよ? 超正統派や正統派は日々の戒律を守って暮らす事が優先でまず己の生活を律する事が優先だし アシュケナージ言ったってあれはただのユダヤ移民の事だし、世俗派なんてそれ以外の意味を持たないわけで在日特権とどうネタが違うのさ?
犯罪とは起きた現象であって、心の闇ではない。人々は異常な現象、不可解な現象、不明瞭な現象のままでは耐えられず、そこに理由や物語を求める。そして、メディアが提示する単純かつ極端でわかりやすいステレオタイプな解釈、物語に飛び付き安心してしまう。不安の解消を求める一種の逃避。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年11月5日
峨骨 @Chimaera925
人間の価値ねぇ、等しく無価値でいいじゃねぇか。どうせ、価値の有無の二元論に嵌り込めば、一番力の強いヤツが自分自身の似姿を最も価値のあるものとホルホルして、そこから離れるにつれて無価値とされるわけだ。先進や未開の基準が西洋だろ?価値なんて人間の作る恣意的な定義なんざアテにならんよ。
「男は臭い、汚い」と視聴者に価値観が植え付けられ認知バイアスがかかるし、男も「自分は臭くて汚いのでは」と無意識に強迫観念が植え付けられる。「雑菌が一杯、消毒しよう」と不快感を催すイメージ映像を見せて、「人間は不潔」と思わせ商品を買わせる。身近ななんでもないところで洗脳される。
血液型による性格診断はナチスの優生学から始まっている。ヒトラーを含む多くのドイツ人はA型でユダヤ人にはB型が多かった。よって劣っているB型は排除されるべし、と結論を導き出した。今日びの自己啓発・能力開発、スピリチュアルもキリスト教から生まれ、選民統治思想と優生学が混じっている。
名づけの呪術の防衛術は儒教に学べ! 孔子「適切な名前をつけよ」 「人知を超えたものを語るな」「死んだらどうなるか知らない」 世界一使われている名前魔法①教科書『ネーミング全史』『タイトルの魔力』『「名づけ」の精神史』。
Posted on 2017.05.30 Tue 04:29:52 edit
次々現われる変な雲に名前を付けてしまえば、皆思考停止。
— ☆かおりのすけ☆ (@kaorinosuke) 2017年7月17日
☆かおりのすけ☆ @kaorinosuke 7月17日
次々現われる変な雲に名前を付けてしまえば、皆思考停止。
名前の付いてない現象はxとでも呼べよ
— メルセゲル (@Meretseger2) 2017年9月19日
これが出来ないからイルナミティとかロックフェラーとかいう名前つけてくる連中に簡単に騙されるんじゃね
わざと間違った名づけの呪術への対策は、
孔子がすでに教えてくれている。
名づけの呪術は、
「人知を超えた確かめられないことの断定」
とセットであることが多い。
こちらも孔子は対策している。
孔子
「必ずや名を正さんか」
「適切な名前をつけよ」
「いまだ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」
「死んだらどうなるか知らない」
「怪力乱心を語らず」
「人知を超えたものを語るな」
儒教も無記だし、スピリチュアル否定。
孟子の易姓革命論
「徳を失った王は王の資格を失っているから殺して良い」
孟子「トップがクズなら殺して良い」
支配層が無能だったりクズならぶっ殺してOKな儒教。
血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠。
儒教は両親や君主が間違っていたら子供や臣下が
「あなたは間違っている」って言いなさいって教え。
上に盲従せよという教えだと騙るプロパガンダに惑わされないように。
孔子
「たとえ鞭で打たれようとも親の誤りは正せ」
「三回諫言してもダメなら君主の元を去れ」
ボスが明らかに間違っているなら部下が苦言を呈さないといけないという
諫言も儒教の教義。
適切な名づけ、無記、易姓革命、諫言
を抜いたら儒教カルトであり儒教ではないので注意!
悪政用の万教帰一カルトは上記の悪政を防ぐ教えを抜いているのが特徴。
儒仏の道徳の破壊を実践中の支配層。
せっかく漢字圏に生まれたのだから中国古典を読まないと損だよ!
「儒教は上位者への盲従を説く」との誤解についての解説
https://togetter.com/li/664524
では原文と翻訳のセットで丁寧に解説されている。
一部抜粋。
@hitomimotoya196 ようするに、「孝」には「親が誤りを犯している時には諌めなければならない」との義務も含まれているわけであり、「親に盲従」との考えからは程遠い。
— 人見 基埜 (@hitomimotoya196) 2014年5月8日
@hitomimotoya196 しかも、これが君臣関係ならばどうなるのか。『礼記』「曲礼下」の先程の引用部直前には、「為人臣之禮、不顯諫。三諫而不聽、則逃之。」とある。三回諫言して聞き入れられなかった時は、その君主の下から去るのが正しいのである。
— 人見 基埜 (@hitomimotoya196) 2014年5月8日
本来の中国儒教では「諫言」という
— ぐだトマト (@pteras14) 2017年6月3日
制度があります。これは君主が明らか
に間違っている時に家来が苦言を呈する
事を推奨する制度ですが…
これが明朝時代、余りにも諫言が
多過ぎて明の皇帝自身がうんざりしてた
のと、徳川幕府は意図的にこの制度を
抜いて輸入した所にも原因があります。
後、孔子の引用の「親が三度諫言しても
— ぐだトマト (@pteras14) 2016年8月13日
聞き入れない場合は泣いて従え!」
の文言も解説足らずで間違ってるから
注意な!
これは中国というか、孔子の時代
(つまり春秋時代)の"孝"が何を指してた
のか考えないとダメだ!
この"孝"ってのは"父親"の事。
そこで昔の中国人は"赤の他人"で
— ぐだトマト (@pteras14) 2016年8月13日
ある"父親"を大事にする子供に
なればきっと"心の優しい大人"に
育つはずだ!と、考えたの!
これが"孝"のなぜ"父親"を大切に
しないといけないのかの倫理的意義
なんだよ‼︎
儒教っつっても、日本の朱子学は
— ぐだトマト (@pteras14) 2016年8月13日
重要な「諫言」という要素を
差っ引いてるから偽物な!
後、「諫言」でggrksすると沢山
批判的なネガキャンページが
引っかかるんで注意な!w
@ktcathouse: .@miyomi34 さんの「「儒教は上位者への盲従を説く」との誤解についての解説」を勉強のためお気に入りにしました。 http://t.co/U42yj2N7hh
— cat-house (@ktcathouse) 2014年5月8日
『未だ生を知らず。焉んぞ死を知らんや。』生の意味も知らないのに、まして死の意味など知ることができようか。孔子が死の問題に関わらぬよう弟子に論した言葉。【孔子 - 論語】
— 外部記憶Bot (@RakuRakuRaiRai_) 2017年11月2日
脱線しすぎたらまずいので儒教の話は終わり。
以前読んだ民俗学の本に「妖怪は名指しされると退散する」という俗信があったと書いてあったと記憶するが、「ネトサポ」に「ネトサポ」「工作員」に「工作員」と指摘すると消えるという生態は彼らも「妖怪」みたいなもの、という事だろうか(笑)民俗学が扱う俗信の類は人間の生態の反映かもしれない。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年11月2日
支那では名ではなく字(あざな)を用い、字で呼ぶ事が礼儀とされていたようだ。
「名称」は認識対象を固定化する作用を持っている。
我が国でもかつては名前そのものが呪詛の対象になると考えられていたようだ。
正体を言語で明示されると動揺するという心理はかかる言語が持つ機能に依っていると思う。
龍樹やソシュールの知見を持ち出すまでもなく「名称」は人間の認識作用の中で「認識対象」そのものを作り出す機能を持っている。つまり混沌とした対象に分節線を入れる事で「個物」を作り出す。
この作用がある意味人間にとっての「世界」を作り出している。
それだけ「名指し」は強力なのだと言える。
単に名称というラベルと貼りつけるだけで、それに相当する「実体」が存在するかのように思われてくる
(形而上学の構築はまさにこの言語の機能に依る)。
「グローバリスト」に「愛国保守」の名称を付与するとあたかも「愛国保守」であるかのように見えてくる場合がある。
それで多くの人が騙されている。
逆に「グローバリスト」には「グローバリスト」、「売国者」には「売国者」、「工作員」には「工作員」と、
その実態に合致する名称で呼ぶ事が裏権力及びその走狗を打ち倒す第一歩になる。
孔子は子路から政治の基本を問われ「名を正さんか」と述べたが、「政」を「正」にするには「名を正す」事が重要。
「グローバリスト」「多国籍企業の代理人」を「愛国者」「愛国保守」などと偽装する事は「名分」を乱す事。「名を正す」事が先決であろう。
論語子路第十三の三
「子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政(まつりごと)を為さば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。
子曰わく、必ずや名を正さんか。」
このように儒学では「名を正す」事を重視する。
他方、仏教では唯識で「遍計所執性」と言うが、これは混沌とした対象に分節線を入れて「個物」を分節化し、
その「個物」をあたかも「実体」であるかのように見なす事を指す。
この考えでは「名」そのものが虚妄でありかりそめのものだと見なされている。
「必ずや名を正さんか」とは本当によく言ったものだと思う。憑依型戦術も愛国保守偽装戦術も全て実態とは異なる名称を貼り付ける事でなされている。これが数々の混乱を生み出している。
よって「政」(まつりごと)の基本を「名を正す」事に置いた孔子の考えは極めて理に適っていると思う次第である。
あらゆる「存在」は名称と形態又はそのどちらか片方を持っている。
この「名称と形態」は執着の対象となり人間のあらゆる反応や行動を引き起こす。
反応は「好き」「嫌い」「どちらでもない」が基本。前二者が執着と反応を起こす。
詰まる所人間を操る者は「名称と形態」を操作する。名称と形態に注意。
「存在」は名称と形態(かたち)を持つ。名称のみの「存在」、形態だけで名称が無い「存在」もある。
しかし人間が認識し得る対象である限り「名称」か「形態」は必ず持っている。
名称も形態もなければ存在しないのと同じである。
形態は視覚で捉えられる所謂「形」に限らず五感で認識される対象を含む。
「洗脳対策には認識された対象に気を付ける事が基本」と何度も書いているが
「認識対象に気を付ける」とは「名称と形態に気を付ける」と言い換える事もできる。
人間を操ろうとする者は必ず「名称」(言語)と「形態」(五感の対象)を操作する。
いかに神秘的に偽装してもこのメカニズムの外には出ない。
「形態は視覚で捉えられる所謂「形」に限らず五感で認識される対象を含む」と書いたが、例えばゲシュタルト心理学でいう「ゲシュタルト」という概念がそれである。例えば「さくらさくら」という歌をどの歌手が歌っても「同じ歌」とされるのは声質はそれぞれ異なってもゲシュタルトが同じだからである。
ウィトゲンシュタインを引用しなくても、孔子でここのところは足りちゃうお手軽感がスゴい好き。それに、漢語固有のリズミカルで直感的に分からせてくれるところも素敵( *´艸`)
— コウ(ミツグ)@FGOはじめました (@kou11lunatic) 2017年11月2日
絵画のタイトルのもつ魔力を語るに際し、佐々木が取り上げたのは、ピーテル・ブリューゲルの模写とされる絵(1560年代)である。
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2017年7月15日
予備知識なしにこの絵を観たら、ひとはほぼ確実にこの絵を”読み間違う”であろう。(佐々木健一『タイトルの魔力:作品・人名・商品のなまえ学』) 。 pic.twitter.com/V3iJQEkzBV
「われわれはさまざまな部分の総和として全体を知覚するのではない。まず全体を知覚し、その全体像のなかで部分を捉える のだ。純粋視覚的に、言い換えれば 知識なしにこの絵を見せられたとき、われわれは直ちにその全体を捉える」(佐々木)。
重要なことは、この絵がテキストに忠実であること。典拠は『変身物語』第8巻。「しなやかな竿で魚を釣っている猟師の誰かや、杖を持った羊飼いや、鋤の柄によりかかった農夫が……」。
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2017年7月15日
図は1590-95頃の模写。両端が切りつめられ、空にダイダロスの翼も加えられ、やや読み取り易くなっている。 pic.twitter.com/jq6TXiauPY
それはともかく、画題=題名を付ける慣行は、版画のキャプションから発生したと佐々木は考える。その前は、おそらく、エンブレムというジャンルの発生が影響しているのではないか、と。その過渡期に、題名を絵の中に描きこむ手法が出る。ニコラ・プッサン『et in Arcadia ego.』 pic.twitter.com/5gZjaXHmAD
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2017年7月16日
これに先んずる1627年にも、プッサンは同じ主題で描いている。題名は碑銘という形で絵の中に描きこまれている。しかし通常は『アルカディアの牧人たち』のタイトルで流通している。この手法を多用したのがゴヤ。『理性が眠れば妖怪が生まれる』は、机の側面に書き込まれている。 pic.twitter.com/KI675ij13W
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2017年7月16日
ピーテル ブリューゲルの『大きな魚は小さな魚を食う』(1556年に下絵)は版画であるが、このように、タイトルに使われる”文”は、諺・格言・エピグラムなど、定型的な文である。この流れの中に、ヘームスケルクの問題の絵も位置づけられる。 pic.twitter.com/q3yBAgroum
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2017年7月16日
西洋絵画の場合、タイトルが「〜が〜する」という文の形を採っていても、それは引用句であるという諒解があるようだ。
日本にはエンブレムというジャンルは成立しなかったが、俳句の区切れに慣れ親しんでいるので、純然たる文の形のタイトルにも、それほど違和感はないように思う(素人の感想)。
例えば、東山魁夷『雪降る』(1961)。
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2017年7月17日
上村松園『虹を見る』(1932)。 pic.twitter.com/94ExsiSgZ8
逆に、グリムショーの『Reflections on the Thames』(1880)は、日本語では『テー ムズ川に映える』と、きわめて日本的。
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2017年7月17日
逆に、国吉康雄の『Thinking Ahead』(1945)は、『考え込んで』と訳されているらしい。 pic.twitter.com/Gp4fn7Gl95
ことほど左様に絵のタイトルにこだわるのは、ヘームスケルクの件の絵が、
一方では『モーモス、神々の創造物を批判す』といわれ、他方では『神々の創造物を批判するモーモス』と呼ばれているが、タイトルのこの違いは、絵の”読解”に大きな影響を与えるように思うからである。
「ゴッホの作品が彼の生前ほとんど何も題名が付いていなかったのは、その作品が歴史的に語られる対象として昇格していなかったということであり、……ゴッホの作品は、彼にとってはプロセスこそが重要であったとさえいえるのかもしれない」(青木三郎)。
名づけ魔術は応用範囲が広すぎて本一冊でも足りない。
拝金教、デモ教、選挙教、
過労死教、犠牲大好き教も命名の魔法が使われている。
これらのカルトに私は名前を付けることで正体を明確にしている。
誰でも意識せずに少しは使っているのが名づけという魔法技術だ。
『タイトルの魔力』など名前魔術の教科書となりそうな本の読書メモを多くのせた。
『タイトルの魔力』は主にタイトルを扱う美学の本でもあり美術史の本でもある。
ブランドのロゴ見せびらかし文化を悪趣味(金を着ている!)って著者が言っていて面白い。
やはり美学者だけあって美に敏感だ。
職人差別と実用品軽視が美学の大前提だとも書いてある。
美学者が悪趣味だと言うと説得力あるなあ。
・真の名前はものの性質を変化させる。
名前は毛髪やへその緒のように魔法の的である。
魂の住所である。
名づけの術者は誰か。レッテルを張り付けるきっかけはどこからか。
術の目的が搾取と支配なら術者を特定したうえで自分で解呪しないといけない。
自分で再び名づけることが有効。再定義。
名前が一つだけなのはまずい。
変えていい役割と変えてはならない自分が混ざってしまう。
役割名を張り付けた者に都合が良い性質の存在こそが自分の中核だと錯覚してしまう。
それは単なる欲や「~には~と反応せよ」
というプログラムであり、自分ではない。
真の名前を自分で作ってしまうのが手っ取り早い。
魔術で魔法名を決めるのは入門時点で行う。
が、この魔法名も身内には共有されているので、まだ不十分。
誰にも教えない名をもう一つ決めておこう。
・イシスもラーにラーの真名を要求した。
イシスはラーに毒を盛り、解毒と引き換えにラーを支配できる彼自身の本当の名前を教えてもらう
ヤハウェが十戒でわざわざ神の名を言うことを咎める理由の元ネタだろう。
・あなたの真の名前を呼ばれれば、あなたは呼ぶ存在が気になり、
呼び声が気になり、その声がするところに行ってみたくなる。これが召喚術の原理。
名前を呼ばれれば返事したくなり、呼んだ存在のもとに行きたくなる。
・実在しないものでも名前さえあれば実在しているかのように錯覚させることができる。
名づけは召喚術であり幻術である。
召喚される場はあなたの心。
その名前をもつもの「そのものではなく」、あなたがその名前に抱いているイメージを召喚する。
・名前は名づけられたものそのものではないのに、それそのものであるかのように振る舞う。
実体視してしまう。ゆえに、名前は呪術の格好の的。
・Xの名前はXとX以外を区別する。名づければ他と区別できる。
・名づけは世界を切り開く。
漠然とした何かを名前という容器に入れて固定して、世界と一体化していた状態から切り離し、
明確に認識できるようにする。
名づけで聖別する。
名づけで聖化する。
名前はその名を持つものへの感情を結晶させる核となる。
・名無しとは人払いの術であり透明化である。
匿名は透明。
名前がわかれば検索できる。調べられる。
だから真の支配層は名前を出さない。
出しても偽名。複数の名前、あまりにありふれていて特定できない名前などを駆使。
・名づけは言語でなされる。
画像ではない。極めて重要。
名づけは命令文。「文」。文章。
名前とは「~として見よ、知覚せよ、反応せよ、解釈せよ」という命令。
ありふれた便器ですらタイトルをつけるという錬金術の呪文により芸術に変えることができる。
名前は解釈を明示、命じ、mage、価値ある唯一存在だと認識させる。
詭弁術のレッテル張りはこの名づけの性質を悪用している。
そういえば名前を画像でもらった人っていないな。
・一番悪質な使われ方がされている名前の呪術が「自分」。
ヤマギシ会所属歴ありで「大本教は研究しない」宣言をした島田裕巳『日本の10大新宗教』(と『整体入門』) - 読めないニックネーム(再開版)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-164.html
“霊友会二代目会長の継成は東京大学のインド哲学科の博士課程を修了したインテリ。
インナートリップ(自分探し)を掲げ若年層をターゲットに布教。
(法華経カルトが和風キリスト教だらけなのは法華経が一神教に改造するのに都合が良い内容だから。
特に日蓮宗系はさらに一神教と親和性が高い。”
(アートマン探し。アートマンは探せない。自分の核だから。
仏教では自分の核=アートマンは実在しないという思想だから「自分なくし」。
霊友会も仏教に偽装したバラモン風耶蘇。
日蓮宗系カルトは中身がヒンドゥー・キリスト教ばかり。
仏教ではない。
本家も分派も同じ設計図で見ていて飽きる。
黒住・天理・金光教の設計図とも似通っているが、
仏教要素の徹底排除という点が違っている)
・心理学を学んだかどうかのテストは、知識が増えたことではなく、遭遇する状況の味方や認識の仕方が変わったかどうか。
法則の名前だけ覚えても無意味。
しかし、名前を記憶の鍵にはできる。
(イスラエル軍も採用!
心理学的に最良の面接法を『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』で実践しよう。
心理学系。動画も紹介
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-183.html)
・プー閣下ブログでは、
創世記ではゴッドは創造しているのではなく名前を付けただけ疑惑を言っていた。
『ノンデザイナーズ・デザインブック』では
「一度名前を言えれば、あなたはそれを意識し支配し操作できる」(要旨)とある。
これはつまり、
「あなたがXを自分で名づければ、Xにつけられた他の名づけ手から影響を脱する、あるいは弱められる」
ということ。
「名付け」とは何か?
突き詰めると実に哲学的な命題だ。
名付けとはカオス=世界を切り取る方法である。
世界をどう認識するか、であり、
名付けにより初めて「それ」は存在するようになる。
旧約のでアダムがどんどん生物に名前を付けていく場面の意味。
fate grand orderおもろセリフまとめ7
”「ソ連」としか認識されなかった国から「ウクライナ」なり
「ベラルーシ」が独立するのとも似ているか?
「グー」か「パンチ」でしかないものが「正拳」になる。
特定部分をピックアップして、注目して、厳密化して
絞り込んで、限定化して・・・そして名付けた。おk?
カミサマの天地創造も「光あれ」から始まった。
そして、私は光は天地創造以前から存在したのでは?
と書いた。だとすると天地創造とは
あれも「名付け」だったりはしないのだろうか?
観測することにより認識し、存在させる行為。
いや、そんな事を言うのなら創世記2章19節に注目だ。
創世記2章19節
そして主なる神は野のすべての獣と、
空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。
人が全て生き物に与える名は、その名となるのであった。
全生物に名前を付けたのはニャンゲン様だと書いてある。
あれ・・・?
名付けがカオスから世界を切り出す作業なら・・・。
名付けが天地創造なら・・・。
ニャンゲン様こそが天地創造をしちゃったのか?
それならば第1章と第2章で被造物の順番が違うのもわかる。
というかヤハウェくんは指を咥えて見ているだけでいいのか?”
http://codetripleseven.blogspot.jp/2017/01/fate-grand-order6.html
・名前は分析でも重要。
敵を聖書視点での悪魔の名前にしているのがラピュタ。
ムスカはラテン語でハエ。
しかも王族。
ハエの王=ベルゼブブ=ムスカ。
でムスカは負けるから王に値しないという話。
・名前それ自体は本体ではない。
本体表面に書かれた、本体の住所だと考えると判りやすい。
本体を仮にボールだとするとボールの表面描かれた名前が住所=本体の居場所。
しかし名前を呼ばれると本体が呼んだ人のもとに行きたくなるし、
名指しで罵倒されると本体自身も傷ついてしまう。
これは自身のイメージが、名前=本体に近づくほどに強くなる。
つまり本名を知られることは非常に危険。
本体=弱点はここですよーって言っているようなものだから。
(なおこれはは人間には本体があることを前提している。
この本体が要素の集合体で仮に存在しているものか、
要素の集合体ではない不滅の何かなのか、
その他なのかは長くなるのでここでは問題にしない。
ちなみに、フェイド大帝さんいわく、
相手が匿名でも術を掛ける方法があるらしい。
恐ろしすぎる。
もしかして、少しでも接点ができると匿名でもかけられる技術があるのか?
名前がわからないが顔は知ってる状況はあまりないだろうからおそらく相手の顔すら知らなくてもかけられるのかもしれない。
この技術は知ってもさすがに本ブログに載せるのを躊躇する。
本ブログのどっかにクマントーンの作り方は載せているけどな!
まああの作り方も藁人形と同じく、効果がないか、弱めるようにかいてあるんだろうけど。
文字情報では失敗あるいは弱い効果しか出ないようにしておいて、
ごく一部だけに口伝で真の方法を教えるようにしているのだろう。
工程をいくつか抜いておいて、抜いたままでも効力はあるが、たいしたことないものにするとか)
・数学で未知数を文字で置くのも名付け。
・名無しの権兵衛も名付け。
名前が判明していないキャラは~子と呼ばれたりする。
ファイアパンチは名前不明キャラが多い。槍マン眼帯ビッチ、覆面バット、パンツ一丁ムキムキ仮面。
・名前と見た目を隠して新しく見せる手口はカルトもよく使う。
この世はホログラムってやつとかね。般若心経の五蘊皆空の四文字で終わってしまうことをべらべらと。
そもそもインド思想では常識だ。紀元前からね。
ニューエイジ、神智学、
スピリチュアル、ニューソート、引き寄せなどは見事にキリスト教のダメなところをきちんと受け継いでいるし。
まっさきに外すべき、人をおかしくする可能性が極めて高い個所は抜くのが良心というものだろう。
逆に欲望の暴走を抑える装置を抜いているから私はカルトだと言っている。
面白いことに、神智学などが混ざっている魔術の技法には欲望を抑える術があったりする。
カルト信者は魔術師になれないからなあ。
言葉も論理もまともに扱えないし、魔境か否か判定しないし、
自分の思想の相対化と自己客観視ができないので魔法日記に偽り書くだろうし。
・吾輩はねここねこである。
名前は複数ある。
本ブログの読者がブラック企業という言葉を軽々しく使うことに驚きを隠せないのである。
英訳すれば単なるイリーガル=違法。
ブラック=違法企業
×ブラック ○違法企業
という言葉を使ってほしい。
強制はできないが、これも悪魔崇拝、ユダヤ、イルミナティと同じくバズワードであり、
中身隠し=名神隠しである。
名前と中身を一致させよ!
不適切な名づけは呪詛であり、
適切な名づけは呪詛返しだ。
実と異なる名づけは呪いだが、
実に近しい名づけは祝いだ。
呪ってやるには
祝ってやるをぶつけよ!
恐ろしき呪災には
新しき祝福を!
再定義=名づけなおし
こそが解呪の秘訣。
ブラック=違法
企業=カルト
∴ブラック企業=違法カルト=地獄教。
(後述するが、英語学習にも有害である。
吾輩は酒を飲んで死ぬのは御免だ。
元ネタはおそらく題名だけはあなたは知っているが読んだことはないであろう傑作である。
朗読動画をすすめるのである。。
タイトルを私なりに英訳すると、
I am a great cat.
吾輩であるから尊大でなければならない。
翻訳も名付け。)
・アイヌではわざと子供に汚い名前を付けて例が寄り付かないようにする。
タイもそうだ。名前は悪霊の的であり撒餌になってしまうのだ。
西洋魔術も魔法名を定める。坊さんも名前を変える。
昔の日本では坊さんでなくても名前が変わるのが普通。
出家すれば戸籍の名前を法名に変更できる
なお「出家詐欺(しゅっけさぎ)とは、出家すれば戸籍の名前を法名に変更できる仕組みを悪用し、多重債務者を出家させて別人に仕立て上げ、金融機関から住宅ローンをだまし取る詐欺」がある
・名前を利用した効率的記憶術がある。
まずは大まかな分類と名前=記憶タグをはっきりさせる。
次に相違点と共通点を明確にするという記憶術。
復唱や書写による暗記術を、読んで目を閉じて十五秒たってから行うと効果的。
・宣伝文句も名づけと言える。
正確には言葉での解説による幻術。
宣伝文句が書かれた紙きれはお札であり呪術道具。
呪文によく使われる語句を知ることで耐性をつけることができる。
ネットで調べても本屋に行ってもたくさんあるから典型的な宣伝文句は知っておくといい。
・名づけは安心ももたらす。
この大物主を祭ることによって疫病は終息した、とされた記録がある。
死の恐怖に投げ込まれた人々にとって、 正体の確定=「名づけ」の信頼感をもたらす効果は絶大であっただろう。
見えないゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを、 「見える」ものとする名づけによって恐怖を消去すること名前の重要なはたらきの一つ。
・医療が専門機関のもとに独占され、 学術的と称する病名の体系が制圧しているが、
これも名づけであり、大半の人は中身がわからない。
―――
『ネーミング全史―商品名が主役に躍り出た―』岩永嘉弘(日本経済新聞出版社)
・BRANDという言葉は、牧場の牛や馬に付ける目印のこと。焼きごてで属している牧場を表す烙印。
他の牧場との区別化、アイデンティティの目印がBRAND。
ブランド=イメージの烙印。イメージを心に鮮やかな姿として定着させていく作業。
・ブランディングの種であるネーミングの作り方には、大きく分けて二方向ある。
一つはイメージ的な方向。
機能や特質やメリットを、意味で表すのではなく、イメージ的かつ記号的な言葉で作り上げる。
「ブルーバード」「セドリック」「クラウン」
「コロナ」などクルマのネーミングに多い。
特徴を訴えているのではなく、
青い鳥のようだ、小公子のようだ、冠のようだと、視覚的なイメージで例えている。
他と区別する目印的な、記号的な言葉。
1980年代以前の洗濯機のネーミング、
「青空」「銀河」「うず潮」
「琵琶湖」......は
「水で綺麗に洗う」という洗濯機の役目のイメージ表現。同じ概念。
言い方を変えて、目印的、記号的に区別している。
その後、「からまん棒」や「最洗ターン」「ななめドラム」など機能をアピールするようになっていく。
ナイキは勝利の女神ニケの英語読みでスポーツと言えば勝利を目指すということを象徴的かつ比喩的に表現。
ロゴは彼女の翼のデザイン化。
イメージブランディングは大規模な商品や施設、半永久的な存続を目指すものにふさわしい。
だから車や大型家電などのグローバル・ブランディングにこの傾向が強い。
・二つ目はイメージとは逆に、特質や機能、理念や思想を言葉として打ち出して他との差別化、区別化のコンセプトを訴求する方向。
メッセージ・ブランディング。
意義や役割を示す。意義が核。
・回文ネーミングはロゴと結婚しやすい
左右対称だと視覚的に強い。
英字でも仮名でも回文なのは偉い。
ラテン語で金はORO.
・孤独をいやす話し言葉ネーミング
都会の購読の空気の中、スーパーやコンビニで買い物をするとき、口をきかなくてすむがやさしさが欲しい人向け。
ネーミングにもブームがある。それは不況後にもたらされ、今まさに、その潮流の中にある。
景気の後退が商品企画の活発化を促す。不況になるとモノが売れなくなり、需要が下降。
そんな中で新需要を掘り起こすには、付加価値を備えた新商品が投入され、それに正比例してネーミングがつけられる。
最近、多いのが「話し言葉」を用いたネーミング。
「ごはんですよ」「これからだ」「あ! あれたべよ」
「お~いお茶」
「ごめんね」「じっくりコトコト」
「お父さんがんばって「甘栗むいちゃいました」
「どんなんでんねん」。
(蠱毒をいやすと最初漢字変換された。間違っていない)
・ネーミングに「。」文章体化。
住む。スゴ録。
モーニング娘。カロリ。
妙に目立つ。
(「、」ならどうか?わざと一部しか書かない漢字とか。でもそれだと文字が打てないな。口と書いてにち(日の一部でわざと止めた)とか。わざと読めなくして読み方を気にさせる手法ならできるかも。
ねここねこって読めないよね!
『なんか名前付けてくれ』
『思いつかない』
『そのうち埋まる』)
・アリババ
世界に発信されるネーミングの条件は
世界中に老若男女にとって
読みやすく
覚えやすく
口に出して呼びやすい
伝えたい意味やイメージを含む。
(四文字)
・マジゲー 検索
の二つの単語だけの広告。
できるだけ覚えやすい検索語でないといけない。
・ネーミング作業表
商品実体の把握
↓
マーケティング・
コンセプトの把握
↓
ターゲットの分析
↓
ネーミング・
アプローチの設定
↓
キーワード検索
↓
ネーミング作成
↓
ネーミング・
チェックポイント検証
↓
ネーミングの商標登録
商品実体の把握
じっと観察し、徹底的に観察する。
原料、特性、
技術、産地
栄養価、種類、ダイエット効果、
エネルギー系?、
健康効果、美容効果、
味、色、におい、感触、
液体、固体、気体、□○△。
他と一線を画す点は?
テーマは?
↓
マーケティング・
コンセプトの把握
場所、時間、場面
日常、非日常、
目指す舞台は?
他者の競合品?
市場調査。
際立つ作戦。
↓
ターゲットの分析
老若男女、既婚、未婚、子供何人。
学生なら小学生中学生高校生大学生。
理系文系、
ホワイトカラーブルーカラー
一戸建て、マンション
金融、IT,
エコ自然回帰、
スポーツ好きか
どんな車が好きか
洋酒か日本酒か
店に並べるか通販か
一人の人物を仮想設定し、
共感と好感を得られるように。
広告はマスコミュニケーションだが、
それを見たり聞いたりするのは一人一人の個人。
マス個ミュニケーション。
「皆さん」ではなく、一人の人「あなた」に語りかける。
コピーは個人に届く言葉であるべし。
↓
ネーミング・
アプローチの設定
アプローチ=方向
製法、効用、イメージ、ターゲット、ライフスタイル、
原料、味、場所、時間、栄養価、
電気、排気ガスゼロ、排気は~だけ、
究極のエコロジー、未来の主役
↓
キーワード検索
素材探し。
アプローチの一つをイメージ=明るい
とする
明るいを表す言葉を広いジャンルで探す。
漢字、英語、イタリア語、
フランス語(ファッション商品なら特に)、
ラテン語、スポーツ用語、
音楽用語、天文用語、
化学用語、数学用語、
動物名、地名、人名、
神話、IT用語、コンピュータ用語、
和語(かな言葉)、植物、自然現象、
会話語、料理用語、形容詞、
副詞、感嘆詞、
(辞書大活躍。
わざわざ日本人にはわからない人がほとんどの言語、
特にラテン、エスペラント、古代ギリシャ、古代ヘブライ語
や用語でダブル、トリプルミーニング
入れるのって親分へのアピールだよね?)
↓
ネーミング作成
①素ネーミング
②足し算ネーミング
③引き算ネーミング
④掛け算ネーミング
①素ネーミング
N=K
※Nはネーミング
※Kはこれまで貯めてきたキーワード
そのままネーミング。加工なし。
②足し算ネーミング
N=K1+K2
③引き算ネーミング
N=K-k(Kの一部)
大事な語幹は切ってはいけない。
④掛け算ネーミング
N=K1×K2
合体。
引き算ネーミング同士の足し算。
レトリック、文体
漢字、語呂合わせ、当て字、略語、
オノマトペ、記号数字、会話語、言葉遊び
↓
ネーミング・
チェックポイント検証
情報とイメージが表現されているか?
簡明か?
呼びやすいか?
覚えやすいか?
親しみやすいか?
らしさはあるか?
類似はないか?
音の性格?
母音
項目は左から、
明るさ、強さ、大きさ、格調、
するどさ、やさしさ、知的、情感、
主さ、軽さ、口の形。
◎、○、マークなしの空欄、△、▲の五段階評価。
口の形が一番縦長なのが、あ
一番横長が、い
明るさ◎ あ
強さ◎ お
大きさ◎ お
格調◎ ん
するどさ◎ い
やさしさ◎ う
知的◎ ん
情感◎ え
重さ◎ ん
軽さ◎ い
明るさ▲ え
大きさ▲ う
格調▲ あ
情感▲ あ
重さ▲ う
軽さ▲ ん
明るさ○ ん
強さ○ あ、ん
大きさ○ あ
格調○ い
するどさ○ え
やさしさ○ あ
知的○ い
情感○ う
重さ○ お
軽さ○ え
明るさ△ お
大きさ△ ん
格調△ お
するどさ△ ん
やさしさ△ え
知的△ え
情感△ い
重さ△ あ
軽さ△ う
◎、○、マークなしの空欄、△、▲を
2、1、0、-1、-2として採点。
あ 0点
お3
え0
う-2
い5
ん4
子音
明るさ、強さ、大きさ(広がり)、重さ、
軽さ、鋭さ、やわらかさ、元気、
男性的、女性的
明るさ◎p
強さ◎n
大きさ(広がり)◎w
重さ◎g
軽さ◎f
鋭さ◎z
やわらかさ◎m
元気◎p
男性的◎d,m
明るさ○c,w
強さ○k,t
大きさ(広がり)○n,p
重さ○d,z
軽さ○h,p
鋭さ○g,s
やわらかさ○l,y
元気○c,w
男性的○g,z
女性的○f,r
明るさ△l,r
強さ△c,x
大きさ(広がり)△l,r
重さ△b,v
軽さ△c,q
鋭さ△k,t
やわらかさ△h,q
元気△k,s
男性的△b,j
女性的△h,l
明るさ▲n
強さ▲j
大きさ(広がり)▲y
重さ▲n
軽さ▲s
鋭さ▲x
やわらかさ▲f
元気▲j
男性的▲v
女性的▲y
b-2
c0
d3
f1
g4
h-1
j-5
k-1
l-2
m4
n-1
p6
q-2
r-1
s-2
t0
v-3
w4
y-3
z4
(出典が気になる。
表を読み取った結果を列挙した。
盲信してはいけない。
表ではまず最高と最低、
最大と最小、極端な場所に注目する)
↓
ネーミングの商標登録
特許情報を調べ既に商標登録されていないか複数案の時点で調べること。
この表だと、「piぴ」が一番いいことになる。
(有象無象 @uzomuzo_21
月外縁軌道統合艦隊名称「アリアンロッド」について。
その固有名詞が用いられたのは登場人物名同様にその言葉に託される心象や象徴は勿論、言葉や音の印象も重要視されているのでは見ている。
遠い昔、はるか彼方の地球系のとある授業で「あ」音と濁音が入る日本人名は印象に残り易いと先生が仰り。
2016年5月11日(水)放送のフジテレビ『ホンマでっか!?TV』「名前で人生は変わるのか!?」でマーケティング評論家牛窪恵氏、認知科学評論家中野信子氏は次の例を紹介:
●始まり「あ」音で途中か最後「ん」の名前は覚えやすい
あ音⇒積極的・明るい印象の音
ん音⇒共感を得やすい音
●男性は濁音を好む
●女性は濁音が入った呼び名を好まない
女性が好む傾向の音 ら⇒柔らかいマイルドな名前
LやRは流音と言われ軽快なイメージで女性は好む傾向が
又リン・ロブソン『イギリスのお嬢様はどんな英語を話すのか』「◆名前で階級がわかる?」で解説さるれ英国人の名前の特徴から
「『鉄血』の世界においても登場人物全てではないがクー、アル、
男性で云えばマク、イズ等の七星始め一部の上流階級には音節数の長い名前が付けられ、
音節数の短い名前はアトラ等、鉄華団や圏外圏側に多い様に見られる気がする。」等以前妄推したが、之等は何れも固有名詞「アリアンロッド」に当嵌まる
北欧神話の名称から多くを採るギャラルホルンにあって精鋭且つ最大規模を誇る月外縁軌道統合艦隊であれば月に関する神話的名称――「月の神」の名が用いられるのは順当であろう。
しかし、何故北欧神話ではなくケルト神話の神の名が選ばれたのか。
その固有名詞が有する心象・象徴と共に前に挙げる音の印象・音節数を照し合せると:
ケルト神話の月女神「アリアンロッド」
1「あ」音が入る:〇
2途中又は最後に「ん」音が入る:〇
3濁音が入る:〇
4「ら」行音が入る:〇
5音節数が長い:〇
・月女神、万物の母(ド・フリース、729)
北欧神話での月の擬人化「マーニ」
1:〇 2:× 3:× 4:× 5:×
・月の擬人化。男性(→「月の男」)
「マーニ」の言葉の長さ・音の印象を見ると「1『あ』音が入る」以外当嵌まらない。
又、固有名詞「マーニ」の心象・象徴を、
「マーニ」→「月の男」→「月曜日」
と関連して見るならば、月外縁軌道統合艦隊(第16話)とモンターク(独「月曜日」)(第18話)の『鉄血』登場は同じ時期コロニー編に重なってしまう。
マーニはモンタークと象意等重なる部分が有、音の印象・音節数も最良とは云えない。結果、制作陣は艦隊名にマーニを採用しなかった様にも見られ
次に艦隊名候補として挙がるのは希神話の「アルテミス」「セレーネー」「ヘカテー」「ポイベー」
羅神話の「ディアーナ」「ルーナ」等、月の女神(擬人化含)かと思われる。
此方も同様に:
アルテミス
1:〇 2:× 3:× 4:〇 5:〇
セレーネー
1:× 2:× 3:× 4:〇 5:×
ヘカテー
1:〇 2:× 3:× 4:× 5:×
ポイベー
1:× 2:× 3:〇 4:× 5:×
ディアーナ
1:〇 2:× 3:〇 4:× 5:×
ルーナ
1:〇 2:× 3:× 4:〇 5:×
「アリアンロッド」に比べると希・羅神話の女神名は一般的知名度は高いかもしれないが、
音の印象・音節数だけで見てみると、大凡「ん」音がない、
濁点が無い、音節数が少ない等、軍事組織ギャラルホルンの最大艦隊としての強大な印象を植付けさせるには今一つ劣る感が拭えない。
更に注目したいのはその名が有する心象・象徴である。
前掲希羅神話の月女神の多くはその内の一柱アルテミスと同一視される。アルテミスは月神であると同時に貞潔・処女神でもある。
希羅神話の月女神のイメージは、聖女ジャンヌ・ダルクのアナグラムかと考察されるクーデリアを連想させないだろうか
そして奇しくも(モンタークの名が言葉として発せられるように)彼女が「革命の乙女」「独立運動の女神」(第14話)と表されるのは、月外縁軌道統合艦隊「アリアンロッド」(第16話)が登場するのと同じコロニー編。時期が重なるのである。
敵側であるギャラルホルンの最大艦隊に希・羅神話の月の女神の名を当てるのは、相応しくもあり、しかし第1期クーデリアに与えられた使命的役割「革命の乙女」のイメージを若干侵害しかねないようにも見られる。
之等から(もしかするとそれ以外にも(?))制作陣は月外縁軌道統合艦隊の名に貞潔・処女神の心象・象徴性が含まれるのを避けたかったのではなかろうかと見られる。
対してアリアンロッド(アランロド)はミランダ・J・グリーン『ケルト神話・伝説辞典』「マース (Math)」の項で次の様に説明
「次に足を支えようとしたのがアランロドだったがマースの魔法の杖をまたぐという処女試験を受けなければならなかった。哀れにも彼女は失敗し、杖をまたいた瞬間に男の子を2人産み落とした。」(230)
アルテミスを始めとする希・羅神話の純潔の月の女神とは異なる、処女、そして母の象意――。
総じて、北欧神話でも希・羅神話でもないが、『鉄血』制作陣が月外縁軌道統合艦隊の名に求める、その固有名詞が持つ心象・象徴や音の印象・音節数等ある条件を備え、選ばれたのは、ケルトの月の女神「アリアンロッド」だったのではなかろうか。
アト・ド・フリース、山下主一郎訳者代表『イメージ・シンボル事典』1984年初版、大修館書店、1999年22版、436-39、729頁。
ミランダ・J・グリーン、井村君江監訳『ケルト神話・伝説辞典』東京書籍、2006年、230頁。
https://medievalscotland.org/problem/names/arianrhod.shtml#[1 …]
リン・ロブソン『イギリスのお嬢様はどんな英語を話すのか』明日香出版社、1995年、24頁。
https://twitter.com/uzomuzo_21/status/730805613492502528 …
呉茂一『ギリシア神話』新潮社、1994年、177-94頁。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E7%A5%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7 …
母音で終わる名前は、14%しかありません)。(23)
……。
下流層は短くした名前が多いようです。
Fred/Joe/Sid/………
有象無象 19
有象無象さんがにんにんをリツイートしました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8B …
https://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%A1ni
https://en.wikipedia.org/wiki/Man_in_the_Moon …
https://en.wikipedia.org/wiki/Monday
有象無象さんが追加
にんにん @shinobizato
ガンダムが悪魔の名前なので人名の由来も色々考えていたんだが
クーデリアはジャンヌ・ダルクのアナグラムだと思うのね
で、ジャンヌで連想するのがFateZeroの青髭の旦那…
上記の表だと「m4」なので、
「ママ」「パパ」は音の性質から見てもよい音の連続だと言える。)
ーーー
佐々木健一『タイトルの魔力 』
・文学を除いて、およそ芸術鑑賞が教養とみなされることは西洋近代以外はかつてなかったように思われる。
芸術の生産的な活動が教養とみなされることは決して珍しいことではない。
中国の影響下に形成された日本の伝統のなかに顕著に認められる。
詩歌、書物、楽器、文人画、
茶、活花などいずれも貴人、知性人の重要な印だった。
この傾向は西洋ではさほど強くないもののルイ14世期の貴族たちは舞踏をたしなんだし、近代社会の市民たちはクラヴサン(clavecin。チェンバロCembalo)やピアノなどの楽器を演奏することを好んだ。
これにひきかえ、芸術鑑賞に人間形成の上での重要な役割を認めたのは西洋近代の独創であり、
それを理論化したのが美学。
(ミュージアムの思想。博物館思想。見るだけで実践しない)
・美術品につくプレートは近代になって生み出された教養のための補助手段だった。
高階氏は、19世紀中ごろにおける美術の下層市民層への浸透を説明する中で、
彼らが訪れるようになった当時の美術館には作者名やタイトルを記したプレートが備えられていなかったことを指摘。
・プレッサー『書物の本』の論述を要約。
石碑や粘土板を除くなら、西洋文化圏における書籍の最初の形はパピルスの巻物。
最古のものは紀元前2900年頃のもので、
パピルスが羊皮紙に変わるのは1世紀。
パピルスはそれでも11世紀まで使われ続けた。
羊皮紙になって 本は冊子(ラテン語でcodex)の形をとりうるようになり、
4世紀以後は完全に書物の形。
古代のパピルスの一巻は平均して6~7m。
伝説に名高いアレクサンドリア図書館は、紀元前47年の火災で大被害を受けたがそのころ70万巻の書籍を所蔵していた。
巻物にはそれぞれ小さなカードがつけられていた。
内容を見分けるための
手立てで、「ティトゥルスtitulus」と呼ばれ、タイトルの語源となった。
このティトゥルスに何が書かれていたのかプレッサーは明記していないが、別の個所で次のような指摘をしている。
すなわち、古代のパピルスの巻物にはタイトルが書かれていなかったが、そのかわり、カタログには著者の名前とテクストの最初の言葉が記載されていた。この2つが著作を同定する基本的な情報だった。
ティトゥルスにも同じ2つの情報が書かれていたのだろうか。
冒頭の言葉を以って著作を同定するやり方は珍しいものでは無い。その典型がオペラのアリアの呼び名。タイトルを持っていないので便宜上とられた呼称。個々のアリアにタイトルがない。タイトルのない短い詩や民謡などの呼称としても普通に使われている。書き出しをタイトルにするのをインチピットという。
(ヤソ異端派はアレクサンドリア図書館を耶蘇正統派が燃やして襲撃したことが本当に許せないらしい。十字軍、魔女狩り、カタリ派虐殺などグノーシス狩り、異端審問も許せないらしい。
仏教寄りの私でも許せないけど。悪逆非道すぎる)
・“名は体を要求する”p.29
なまえを知りたいという欲求は、花の名の場合、その花の正体を突き止めたいという欲求として理解できるかもしれない。
しかしその正体とは実はなまえなのである。
花の名なら名称がわかれば分布や開花時期、文化史などを調べられる。
しかし少なくともわたくしの場合はそのように勤勉な知識欲であることはまれでひたすら名を知りたい、ということが多い。
見染めた隣のクラスの異性や、魅了された芸術作品の場合ならその正体のなかでも最も重要な特徴は既に知っていて、だからこそその名を知りたいと思っている。
アイデンティティはこの上なく明らかにとらえられている。
その上になぜなまえが求められるのだろうか。
わたくしが可能な説明は一つしかない。
なまえがこのあふれるばかりのアイデンティティの知にかたちを与え、いわば聖化する、ということである。
恋人の名前は恋愛感情を結晶させる核となる。
どれほどありふれた名前でもよい。その名がこの結晶作用に著しくそぐわないならふさわしい愛称が作りだされるだろう。
愛称は恋人のすべての美質と結びつき、彼もしくは彼女だけの特殊ななまえとなる。
特殊性あるいは個別性は実在性の証。
なまえは記号というよりも一つの独特な「もの」である。
・あやかりの縁
(あやかる
=好ましい状態にある人の影響が及び自分も同じような状態になる)
あやかりの典型はパトロン、すなわち守護聖人とか保護聖人とか呼ばれるもののなかに見られる。
個人の洗礼名の習慣は初期キリスト教時代から存在したものの、一般化したのは16世紀以後のことらしい。
両親や代父母の名が与えられるケースには、日本でも見られる、親の一字を与える慣習と同じ考え方がうかがわれる。
同じ名前を持つことで特別のきずなが作られる。
違うのは、洗礼名なら両親や代父母のなまえが子供に与えられるといっても、その両親や代父母自信の名が、既にある聖人のなまえからとられていることである。
そこでなまえの作りだす絆は比較にならないほどの奥行きと広がりを持つ。
我が国の慣行ではせいぜい父と子、一家のなかでの絆。勝手にある有名人にあやかる場合にも二人の個人間の一方的な思いなしの絆であるにすぎな。
ところが洗礼名なら、聖人を中心にして同じ名を持つ多くの人々の間に絆が広がっているように思われる。その聖人は保護の聖人と呼ばれその名を持つ信者たちのために神様にとりなしてくれる(これを代願intercessionと言う)。
ただ名前を同じくするという縁によってそこに産み出される、あるいはそうみなされている絆である。
この場合の聖人はひたすら敬虔と敬神のひととして考えられていて特別な個性のようなものは考えられていないらしい。
ギルドなどの団体も保護聖人にあやかった名前にすることがある。
・なまえが絆を創りだす。
霊名の聖人のある意味で脱個性的なキリスト教的絆にせよ、
あるいは偉人にちなんだ名の個人的な絆にせよ、
そこにはなまえが絆を創りだすという考えがうかがわれる。
それはなまえの魔力の一端である。
それは論理的な思考ではない。むしろほとんど呪術である。
フレイザーは呪術の原理として類似と接触に二つをあげた。
類似は類似を生み、結果はその原因に似る。
かつて多大に接触していたものは物理的な接触がやんだ後までもなお、空間を隔てて相互的作用を継続する。
第一の原理に依るのはホメオパシーの呪術もしくは模倣の呪術と呼ばれ、
例えば人形をつくりその心臓部に釘を打ち込んで敵を殺そうとする。
第二の接触原理に依るのは感染呪術と呼ばれ、へその緒をきちんと保存しておかないとその子に不幸が起こると信じたり毛髪の一部を持っていることでその相手に意志を通じさせることができると信じたりする例がある。
なまえは類似を作りだすと考えてもよい。
あるいはなまえはへその緒や毛髪のようなものと考える方が正確かもしれない。
いずれにせよそれは関係を確認するだけの記号ではなく、ものの性質を変化させる
(それをキリスト教では実体変化transubstantiationと呼ぶ)
力なのである。
・本名と別号
本当のなまえで呼ぶことを避けようとする風習がある。
中国人の名前には幼名、本名、あざな(字)、おくりな(諡)、別号の五つがあった。
幼名は家族が用いる呼び名、
おくりなは生前の功績に応じて死後朝廷から贈られる名誉の称号、
別号は雅号であり文人が自ら名乗る名、
本名はいみな(諱)すなわち忌み名と呼ばれ本人が用いるほかは家のなかでも父母や尊属の家族だけが、社会的には君主のみが呼称となしうるもので、そのために一般的な呼称としてあざなが用いられた。
あざなは本名を呼ぶことを避けるための方便であり、
あくまで本名と意味的に関係のある名が用意されていた。
・本名は当人の人格ペルソンヌを表わす名なのに対して、
別号(ペンネームや芸名、社長など社会的地位の名、商家の屋号など)は社会的役割ペルソナージュ
と結びつけられている。
実体か役割かの違い。
(名前が一つだけなのはまずい。
変えていい役割と変えてはならない自分が混ざってしまう)
・忌み名の慣習は中国のみならず、世界中に相当広く見られる現象らしい。
アメリカ・インディアン(原文ママ。ネイティブアメリカンという呼称も失礼だと思うけど)
の一部族であるホピ族も同じ風習。
彼らの中で新生児の名はその子の魂とともにその子の目に見えない守護霊を表わす。
真の名は秘密の名であり、ひとに教えることはもとより、尋ねても尋ねられてもならない名である。かつては日常的に仇名が使われていた。
タブーとしてのなまえで最も有名なのはヤハウェ、あらんとしてあるもの。
十戒の三番目でみだりに名を唱えることを禁じているのは、
人が自分のために神を用いることを禁じるため、
つまり名を勝手に唱えることは神自身を意のままにすることとみられるほどに、
なまえは実体と一つ。
名前は対象に実体性を与える。
タイトルは作品を聖化する。
(本当の名前を隠す文化
https://matome.naver.jp/odai/2146336941949006601
イシスもラーにラーの真名を要求した。
イシスはラーに毒を盛り、解毒と引き換えにラーを支配できる彼自身の本当の名前を教えてもらう)
・事物に語彙を与えることは一種の名づけ。
語彙は名づけの結果であり、われわれの経験範囲のことではない。
・今の慣行では生まれた子供に名前を付けるのは普通は親であり親の独占的な権利とみられている。
他の人に命名してもらうにしても親の権利の範囲内。
これは作品にタイトルを与える権利は作者にだけあるというのと同じ関係で、一種絶対的な支配関係と見ることができる。
何をしてもよいような関係という意味ではない。
これは自然な関係とみてよいが、
文化的な慣習に基づくものがある。
そこでは支配関係が明瞭。
上から下へ、低異形的なのは、君主と家臣、師匠と弟子。
(偏諱(へんき)=上の立場の存在の名前から一字をいただくこと、
の例に、上杉謙信が将軍義輝(よしてる)の名の一字をいただいて輝虎(てるとら)と名乗ったことがあげられる。)
徳川秀忠は秀の字を豊臣秀吉より受けている。
これが徳川からの支配関係の確認であることは秀に忠の字をあわせたところにはっきりと示されている。
秀忠とは秀吉に対して忠誠を誓ったという意味。
子供の名づけをコピーライターに依頼することはまずない。
親が、尊敬している人に依頼することはある。
親の名前の一部を子供に与えることがある。
字を貰うことがなくとも名付けることそのものが保護と庇護の関係を作りだす。
親の心のうちには、キリスト教の洗礼における代父母(洗礼を受ける人に付き添い信仰生活に導く信者)
と同様、その子の人生のさまざまな機会に、名づけ親が後ろ盾になってくれることを期待する気持ちがあって当然。
雅号は自称ではなく師匠から与えられる。
師匠から与えられた号が気に入らないから別の名を名乗るなら破門につかなるような反逆行為だとみられるだろう。
逆に言えば師匠がどれくらい号の命名権を握っているかはその組織の固さを計る目安ともなりうる。
臣下が主君に、弟子が師匠に名を献上することはありえない。
人に与えられるのが号ならば、
道具や品に与えらえるのは銘。
作者や茶器における窯元の名が、作物に書き込まれ刻み込まれていればそれも銘。
サインに似ている。
とくにその道具や品に対して与えられた名も銘。
タイトルに似ている。
サインにも一定の資格が要求される。
利休のような並ぶ者のいない達人ならば彼が銘をつけただけでその道具は格別に価値を増す。
それどころか、彼の手を経ただけで、道具は高値で取引された。(この「道具ころがし」はかれに死罪が下される理由の一つとされた)
(聖遺物現象。
鑑定も呪術であり錬金術。
超安値で仕入れて、高額に鑑定させて売れば大儲けできるな。
アイボリー @mrunsmily 2014年6月13日
お宝鑑定団は、鑑定家達の魔術を披露する番組という様にもとれる
子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 @kitsuchitsuchi 2014年8月27日
返信先: @mrunsmilyさん
価値を与えるマジック(魔術+呪術)
①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。
②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。
葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。 @mrunsmily
アイボリー @mrunsmily 2014年8月27日
返信先: @kitsuchitsuchiさん
@kitsuchitsuchi どうもこんばんわ。鑑定家の魔術の内容、そちらの記述で合ってると思います。鑑定士は皆錬金術師でしょうね~。
子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 @kitsuchitsuchi 2014年8月28日
返信先: @mrunsmilyさん
@mrunsmily 蓄銭叙位令の目的は流通を促す為という説明は一面的。
真の目的は財源=現物確保。物々交換=等価交換が嫌で一方的に財産が欲しい朝廷は、
金属片を貯めれば位が得られるようにする。等価交換ではないと理解していた人々にはあまり効果なし。朝廷も金融詐欺で財産を奪おうと画策。
kS @Jd805 2014年8月27日
返信先: @kitsuchitsuchiさん
@kitsuchitsuchi @mrunsmily 神道詐欺というと、戦前からあったとされる稲荷系神社は全て嘘なんでしょうか?
子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 @kitsuchitsuchi 2014年8月28日
返信先: @Jd805さん
@Jd805 @mrunsmily 神社が天皇を動かしたのは嘘。
愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理した。
仏教徒の天皇と本地垂迹説=仏教圧倒的優位、門跡寺院はあるが門跡神社はないことを隠す為に、神道=和風耶蘇教の儲のガーター勲章持ち偽天皇をクリスチャンが捏造。)
・作品に残された名はすぐれた質の証でもあれば、そのような自負のあかしともなる。
狂言の『膏薬煉り』(こうやくねり)には
「かほどの膏薬に銘がなうては成るまい、銘をとらせう」
の一句がある。
傑作は名を要求する。
なぜなら名が傑作に対して真に傑作であるという公然たる資格を付与するから。
作品の価値と名のいずれが先であるか、にわかに断定できないような相関関係がそこにある。
それほどに、名は名づけられたものと実体を一にしている。
・doctor in name は名目だけの、名ばかりの医者。
in the name of だと名を特定していて、 ~の名において という権威ある名前。
・なまえが商品化するのは資本主義の産み出す歪みに相違ない。
商品名に求められる効果は、商品の性質を正確に説明し表現する(実に従う)よりも、
むしろ消費者が求めるイメージを与える(実を作る)。
・銘はパッケージに書き込まれなくてはならない。
しかも消えないように。消えないことは固い結びつきの条件。名前を消そうとすればパッケージが壊れてしまうほどでなくてはならない。簡単に切り離せるなら名前の軽さを印象づけるだけでなく商品がそのような名前にしか値しないものだとつまりさほどのものではないことを告白してしまうことになる。
紙に商品名を印刷して缶に巻き付けると、商品名を缶詰に直接印刷したものよりも安っぽい印象を与える。
・商標は固有のパッケージに一体化する形で書き込まれる。
スカーフやネクタイ、バックルやハンドバッグの留め金などにロゴマークが直接デザインされていることはよく知られている。
女性たちはこのようなスカーフを身に着けるときロゴが人目につくように工夫しているらしい。
このような着こなしは、わたくしなどにはお金を着ているようで悪趣味に見えるのだが、そんな感じ方は古い。
それは相当に一般化した消費形態で洒落て見えるほどに市民権を得たものらしい。
(著者である佐々木健一 (美学者)の感覚のほうがまとも。
見せびらかし文化は西洋の悪しき風習。お金を着ているって表現がうまい。
悪趣味だよね)
・アクセサリーもガラス器(花瓶、電気スタンドなど)も実用品とみなされ、芸術品とは厳格に区別されてきた。
18世紀中葉に確立した近代的な芸術概念が、精神性の主張に立脚するもので、実用品の生産に関わる職人仕事(クラフト)との差別を大前提としていたことは、美学史のイロハに属する。
作者のなまえがその精神的個性と結びついている以上、サインは芸術品にこそふさわしい。
対して、精神性と無縁の実用品にサインすることは考えられもしなかったことだった。
芸術と職人仕事との区別は、美学的という以上に社会学的なイデオロギーによる区別。
だがそれとは別に生活者が実践する区別もある。
陶器のような実用品であってもそこには美的な面があり、ときには美的な契機が実用性を圧倒するくりあに強いこともある。
そのような美的要求を抱いた職人もいたし、使用者もいた。
そのとき、それほどに高度の品質を保証する銘として、故人としての作者のサインではないにしてもその産地(マイセンやデルフトなど)や工房のマークが、製品に記された。これはロゴマークの原型とみることができよう。
(西洋芸術の歴史で、実用品は芸術ではなく、職人が差別されていたのは超基礎知識らしい。
壺や刀とかも芸術品ではなかったのだろう)
・利休の手を経ただけで道具は価値を増した。名を与えることは上が下に与える名誉。
勝を付与できるのは名づけが呪術的な性質を帯びた行為であることを証している。
古い箱書が尊重されるのは名づけの呪術的な性格とそれに結びついた権威、呪術師的な力を持つものとして認められた上の者の認知に基づいてのこと。
鑑定の科学性を重んずるとき、名づけの呪術性は否定される。
その科学的な風土の中で箱のすり替えのようなことが考えらえるはずのないことは理の当然と言うべきであろう。
(呼び名が変わっただけじゃん。鑑定だと新たに名付けただけ。手法が変わっただけ。
より数値と数字と論理と整合性と再現性と反証可能性を重んずる科学という新たな派閥が宗教から分かれただけ)
・タイトルがあるべき場所に画像を置いてもタイトルとは知覚されない。
タイトルの場所はタイトルが言語で与えられるという条件と一つになって機能している。
言語であることが制度としてのタイトルの一部分となっている。
画像でタイトルを与えようとするならば何らかの形での断り書きが不可欠。画像タイトルをもつ小説が出たとしよう。出版社は広告を打てない。タイトルを画像で示しても誰もタイトルだと思わない。断り書きが必要。
次に読者も小売店も注文を伝えることができない。例外的な一点ならあの絵をタイトルにしている小説という記述で同定できる。しかし、数が増えれば手に負えない。
そもそもタイトルは他から区別する必要から生まれた。
この第一条件においてタイトルは言語によることが含意されていた。
オペラのアリアのインチピットに冒頭の音符ではなく歌詞が使われるのは当然。
画像タイトルの不便さはまだまだ続く。上手く入手できても語れない。感想を記せないし議論もできない。
たしかにだれだれの新作やこの作品というような代用表現は可能だがそれも最初に作品を特定するのに成功した上での話である。
(ヴィトゲンシュタインの、
言語は語る(スピーチ)で、
像≒絵は示す(ショウ)という対比を思い出す)
・芸術批評の最も重要な役割は作品の見所、意味のありかを教えることである。
知覚するのは観賞者だが批評家は知覚を導く。
『イカロスの墜落』(タイトルを言われなければ主題がわからないほどにイカロスが目立たない)というタイトルは
《この画面を「イカロスの墜落」として見よ》
と命令する。
命令がきつすぎるなら推奨でも勧告でも示唆でもよい。
タイトルとは「として見る」ことの命令。
・デュシャンは既製の小便器を逆さまに置き、『泉』というタイトルを名付けた。
展覧会への出品を拒絶されたとき彼が書いた抗議文がある。その趣旨はたといそれが物体としては既製品であってもタイトルをつけ、見るべきものとして呈示されるとき、芸術品の資格をうるということである。
タイトルとは既製品(レディ・メイド)を藝術に変える錬金術の呪文のようなものだ。
”◇ 『平成三年五月二日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに』 というのは、石黒達男の小説につけられたタイトルである。書き出しの文句をタイトルにしたものは、「インチピット incipit」(「~と始まる」 という意味のラテン語)と言い、オペラのアリアの呼び名に見られる馴染みのものだが、
佐々木健一 『タイトルの魔力』 (中公新書, p.26)
◆ ラテン語というのであれば、あるいは 「インキピット」 というべきかもしれなくて、
◇ 中世写本の冒頭は、ラテン語の incipit という言葉で始まりました。incipit ... は英語では here begins ... と訳され、「ここに・・・が始まる」 という意味になります。この文章をインキピットと呼びます。
www.ndl.go.jp/incunabula/glossary/glo_02.html”
http://www.saturniancafe.com/?http://memo.saturniancafe.com/archives/2006/04/13_2326.php
タイトルだけでクリックさせる ~タイトルの”修辞学”~
http://www.web-consultants.jp/management_column/956/
” このような版元の意識にあるのは、一〇〇パーセント商品としての書籍であって、内容の思想性や藝術性は、商品の価値を尺度としてしか考えられない。タイトルのように、著者の表現行為と商品としてのネーミングが衝突する場所では、商品としてのあり方が優先されなければならないことは言うまでもない、というわけである。
/『タイトルの魔力』(佐々木健一著)
…
ミュージアムに足を運ぶとまず目に入るのが作品ですが、同時に作品の横に掲示されているプレートが目に飛び込んできます。プレートには作品名、作品の描かれた年、作者名、作者生没、または作品紹介がされているものもあります。皆さんはミュージアムで作品を鑑賞する際、作品とプレートとどちらを先に見ますか? 冒頭でご紹介している『タイトルの魔力』の中で著者の佐々木健一氏は、作品から見る人を「審美派」、プレートから見る人を「教養派」と呼んで区別しています。
…
cf. 「タイトル」の語源について
伝説に名高いアレクサンドリアの図書館は、紀元前四七年の火災で大被害を受けたが、その頃七〇万巻の書籍を所蔵していた。そのそれぞれの巻物には、小さなカードが付けられていた。内容を見分けるための手だてで、これが「ティトゥルス(titulus)」と呼ばれた。タイトルという語の起源である。
/『タイトルの魔力』(佐々木健一著)
こういった画家たちの試みは、文章作品に例えるとある種の「レトリック(修辞学)」のようにも思えてきます。”
ななめの @nanamenon 2016年11月18日
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%AD%94%E5%8A%9B%E2%80%95%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%83%BB%E4%BA%BA%E5%90%8D%E3%83%BB%E5%95%86%E5%93%81%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%88%E5%AD%A6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4121016130 …自分にタイトルセンスが決定的に欠けているのでとりあえず一章だけ読んだのだけれど、
経験→抽象→パラフレーズとしての経験と論を展開するのでわかりやすいのと同時にすっと自然と引き込まれる文章になってて呆然としている。
論はまず、美術館での鑑賞態度を二分して説く。《教養派》はまずプレートを見てから絵画を鑑賞する。反対に《審美派》はかたくなにそれを見ず、ただ絵のみを見る。しかし後者の態度をつゆを僅かにしかつけない蕎麦通の「たっぷりたれをつけて蕎麦が食いてえ」のやせ我慢になぞらえる洒脱さ。うめえ。
著者の佐々木氏は美学のめっちゃ偉い人らしいんだけど、アマゾンでほかの著作みたら美学辞典やら論文の書き方本やらサントリー学藝賞受賞作やらとあってそりゃ文章うまい人だわと納得する。この人の書く、すっと引き込んみつつ、ちゃんと理解させるべき要素はしっかりあたえる文章を見習いたいんだゾ
タイトル
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-319.html
” 佐々木健一『タイトルの魔力』より
最後に、マリリン・モンローの名言とともに有名となった「シャネルの五番(Chanel No.5)」を挙げよう。名称としては素っ気ないものだが、その素っ気なさは、音楽作品の作品番号やある種のモダニズムの絵画のタイトル(『コンポジション第一番』のような)を思わせるところがあり、香水の作品化という効果を伴っている P71「第四章 名づけとネーミング」
他に「カルヴァン・クライン一番」の意味である「C.K.1」なども同様の例として挙げながら、これらを受けて次のように述べられます。
佐々木健一『タイトルの魔力』より
最後の例に見られるように、一度ある名が定着すると、その名は「香水らしい名前」となり、同じスタイルのネーミングを可能にする。そこで、以上に挙げたものは、「香水らしさ」のレパートリーということになる。重要なことは、これらの名称のなかに「らしさ」はあっても、個性はない、ということだ。これらのスタイルに則っているならば、われわれは名前からそれが香水の名称であろうことを推測することはできる。しかし、個々の名の違いだけから香水としての差異を想像することは難しい。 P72”
無題
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-343.html
” 佐々木健一『タイトルの魔力』より
「無題」にも、現実には二種類のものがあり、作者がタイトルづけを拒んで『無題』とした場合と、タイトルが知られていないために「無題」として展示されている場合がある。 P196「第一〇章 タイトルの言語学」
無題にも、「無題」とつけられた無題と、普通に題がない無題といろいろあるということのようで、そのあたりに前回の話とつながるものを感じたのでした。
それはさておき無題の話ですが、上記引用に続いて、二種類の無題のうち後者のケースの例として、『無題(ヴァージニア風景)』として展示されていた油絵を紹介されています。これは、作者がタイトルをつけなかったけれど、描かれているのは「ヴァージニア風景」と特定できる、そんな絵に展示の際つけられていたタイトルということです。そして、
佐々木健一『タイトルの魔力』より
昔の、タイトルをつける習慣のなかった時代の作品には、例外なしにタイトルがつけられている。その時期のものであったなら、この絵は間違いなく『ヴァージニア風景』と名づけられていたに相違ない。したがって、作者がタイトルをつけなかった作品が「無題」として展示されるということは、タイトルが制度として確立している時代に特有の現象なのである。だから、「無題」の作品を洗いだすことができるならば、タイトルが制度として認識されるようになった時期を特定することができる、と期待できるだろう。調べたわけではないが、それは殆ど二〇世紀の現象のように思われる。 P197
無題にもいろいろあるということが、「タイトルが制度として確立している」か否かという制度の問題と関係することや、どうやら二〇世紀の現象であるらしいこと、などがとりわけ興味深く思われました。”
あの男が帰ってくる
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-362.html
” 佐々木健一『タイトルの魔力』より
タイトルの果たすこの知覚の方向づけは、ヴィットゲンシュタインの知覚論によって、非常によく説明される。われわれはタイトルを知る前と後で、画面が全く異なって見えることを経験した。そのような見え方を指して、ヴィットゲンシュタインは「アスペクト」と呼ぶ〈訳者の藤本隆志氏はこれを「風景相(アスペクト)」と訳している〉。 P247、風景相(アスペクト)のところのアスペクトは原文ルビ
ということで、ゲシュタルト心理学の反転図形の話とかになって、ただの三角形にしても物体とか幾何学図形とか矢印とか平行四辺形の半分とかいろいろに見えるというウィトゲンシュタインの文章の引用に続いて、冒頭の引用部になります。この後、タイトルが芸術作品の見方を示している例として「赤と黒」とかデュシャンの「泉」などが挙げられたりしています。
”
として見る話
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-1066.html
”「父ピーテル・ブリューゲルの『イカロスの墜落』」という絵があって一見普通の風景画だが海の中に墜落したイカロスの足が小さく描かれている、これをタイトルを知らせずに学生などに見せるとその絵の主題を知らない場合はその足らしきものが見えても気に留めることはないが、タイトルを知らされると画面全体の知覚が変化することになる、そういうことを説明するのにヴィットゲンシュタインの知覚論が有用で、タイトルによって見え方が変化するようなそんな見え方のことを彼はアスペクト・風景相と呼び、ゲシュタルト心理学の反転図形、アヒルに見えたりウサギに見えたりというそんな図形などを例に挙げながら風景相について論じていく、と大体こんな感じでそこをどう論じたのかということもいろいろ書いてあるのかもしれませんがまあそういう風な話が展開されているところです。そういうところで、例えば単純な三角形でも、三角形の穴とか矢印とか平行四辺形の半分とかいろいろなように見ることができる、といった話に続けて次のように述べられるのでした。かつての記事からコピペします。
佐々木健一『タイトルの魔力』より
一つの三角形がこれらさまざまの風景相のものとして見られる。ひらめきの風景相の知覚は、そのものを何か「として見る(seeing as)」ことなのである。このような「風景相の変換」は、決して恣意的なものではない。あくまで対象の「体制(Organization)」に基いている。だからこそ、ヴィットゲンシュタインは、これを解釈というよりも知覚の問題とみなすのである。 P249「第一二章 理論としてのタイトル」”
時機に後れて提出したブログ 佐々木健一『タイトルの魔力 作品・人名・商品のなまえ学』(中公新書1613)
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-320.html
コンセプトと連想力(3)
http://blog.proconcept.co.jp/?p=4788
”タイトルは作品の一部なのか、作品の一部ではなく単なるインデックスなのか、作品ではないが別物でもない関係の内にある何かなのか……というような捉え方がありえます。タイトルと作品の関係には一筋縄ではいかない命題が潜んでいるのです。佐々木健一著『タイトルの魔力――作品・人名・商品のなまえ学』に、絵画の鑑賞に関しておもしろい視点があります。
教養派とは、絵を見るよりも早く、真先にプレートをのぞき込み、誰が画いた何という絵なのか確かめる。(……)プレートから得られるこれらの知識が、その絵を理解し観賞する上で不可欠のものと考えているからに相違ない。それに対して、審美派は次のようにふるまう。かれ/彼女はプレートには目もくれない。静かに絵だけを見つめ続ける。そして次の絵に移ってゆく。”
「解説」という訳語が美術館への誤解の始まり、かも | arts marketing
http://artsmarketing.jp/archives/1297
”突然だけど、絵とかダンスとか言葉が伴わないものをみるとき、「自分の心で感じろ」みたいなことを言われたことがないだろうか。そして、「だから、解説なんか読むな」「知識をいれて見るな」って。(それは、小説や映画とかでも一緒かな?)
佐々木健一『タイトルの魔力』では、美術館で作品と対峙した時にとるパターンを「タイトル等が書いてあるプレートをしっかりと読む=教養派」と「タイトルのプレートをわざわざ読まずに作品のみみる=審美派」にわけていたりするのだけど、(で、両方とも同じ前提――”芸術とは教養である”――から生まれている行動であって、差はないのだけど)”タイトル”ではなく、作品に伴う”解説”に対しても「教養派」か「審美派」かははっきりと分かれており、さらに言えばなんとなーく、暗黙の了解?として「審美派」を推奨されて、、というかそっちの方が「わかってる」感じに思われているような気がする。実際、私も長い間そんな意識があった。
でも、今、私は大学院の方では、美術館におけるモバイル・メディアの現代的意義というのを修論のテーマにしているのだけど、切り口としてはまさに「美術館にとって解説とは何か」「美術館におけるコミュニケーションとは何か」というところに行っている。そんでもって、ちょっと意外だったのは、欧米の大型美術館、特に現代美術館をいろいろと調べているとすぐにわかるのだが、美術館における「解説」って(もちろん館によりけりだが)すごく重要視されていて、「interpretation=解説」の専門部署があったり、専門キュレーターがいたり、私が重点的に調べているテート・モダンとか「解説はギャラリーのミッションの中心にある」なんて公式に言い切っている。それぞれの美術館で「解説戦略(interpretation strategy)」というものを持っていたりするのだ。”
佐々木健一『タイトルの魔力』 | はーみろぐ - ヤプログ!
http://yaplog.jp/hermie/archive/93
”悲劇作品は主人公の名前がタイトルになって、喜劇では出来事、テーマ、人物のポジションがタイトルになるのが伝統的らしい。前者は例えば、『オイディプス王』『ハムレット』、後者は『女の平和』『間違いの喜劇』『ヴェニスの商人』。なるほどなーって感じですよね!
この本、ソシュールやパースの記号学の知識がないと少し難解かもしれません。私もちゃんとはやったことないのでちょこちょこ悩みつつ、調べつつ。
人名の話も面白かったです。日本にはない、聖人の名の下に繋がるって発想とか。
あとは、タイトルの意味を感じさせるイカロスの絵画の話。タイトルを隠されたらイカロスの絵だって気付かない。タイトルによるコントロールのお話。音楽作品もタイトルを聞いてからと知らないときでは受ける印象が違う。どちらが良いのか、きっと正解はないけど、考えることに意義がある。
最近の話は、あえて『無題』って付けるタイトルも興味深かったです。
普段あんまり意識しないけど名付けの威力ってすごい。そういえば命名による支配って話も授業でやったなあ。星の名前ってシェイクスピア多くて、コーデリアとかオフィーリアとかあったはず。”
『増補「名づけ」の精神史』
民俗学にある事例に、
特定の聖地を「ナシラズ」といい、特定の神木を「ナナシノキ」と呼ぶ習俗がある。
畏怖が日常的な名前の世界からの敬遠と遮断を強いたのであるが、
そこには空間と事物の存在のありかたを決定づけ、それを経験世界へと占有せずにおかない名前の威力が表明されている。名づけることは所有することであったからである。
(名づける=所有する。
名づける=世俗の世界に堕とす。
名をつける=曖昧なものを固定された塊にして対処できるようにする。
言語表現は限定であるので全知全能無限存在を表現できず、
せいぜいごく一部を切り取って示せるにすぎない)
名前の変更はそれ自体の変貌をもたらす。
新しい名前の獲得は改名ではなく変身。
名前は物事の誕生、創造、変身(再創造)をもたらす。
命名は不安感ないし恐怖心の消去である。
中央アフリカ社会における病気なおしの儀礼を調査した人類家具者V・ターナーは、
名前が重大な意義を担っていると見出した。
病気で苦しんでいる患者の苦痛を何らかの象徴的形式で把えることができればそれにより宗教的職能者をを通じて社会的に対処しうるものになる、と考えられている。
危険であり有害なのは隠されたものである。だから不吉な状態に名をつけることは、なかばその状態を消去することになるのであった。
中央アフリアの呪医たちが病者の苦痛を集団的に対処可能なものとするべく施すこのような行為は、かつて統治者にとって本来の重要な仕事であった。苦痛を取り除き社会を平常の状態に回復すること(治療)は首長の統治責任であったからである。
日本古代の王権でも不吉な状態に名前をつけることが行われた。
疫病の蔓延に対して、それを大物主の仕業として名指しする。
大物主の物とは霊魂(モノ)であり鬼(モノ)であり物の怪の物(モノ)でもあり、大物主とは諸々の悪霊のいわば総元締めを意味する、不吉な状態を引き起こす元凶にふさわしい名前であった。この大物主を祭ることで疫病は終息したとされた。
疫病の大流行という理解を絶する恐怖に投げ込まれた人々にとってこのような名づけの信頼感をもたらす効果は絶大だろう。見えないもの、それゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを見えるものとすることで恐怖心を鎮静し消去すること、それが名前の重要なはたらきの一つであった。
隠されたものに対する共同体的な対処はこのようにして行われた。
名づけは事態との応答関係を存分に担うものであった。したがって医療が専門機関のもとに独占され、学術的と称する病名の体系が制圧するとき、それが何を喪失せしめたのか、に思いを致すべきであろう。
人間は一個の名前のもとにのみ生きるのではない。
一生の間に何回も名を取り替え、時によっていろいろの名を持って呼ばれることが日本人古来の習慣であった、と柳田は言った。この習慣は日本に限られず、この日本人の範囲も問題だが、いずれにせよ綽名や屋号を含めて人々は複数の名前をもって生きてきた。
名前の変更とは社会的変身である。
通り名、職名、偽名。
古来の習慣として実名が忌み名として秘匿され、そこに魂(言霊)が付着すると考えられた。
よく知られた万葉集巻頭の歌に、娘に向かって、
「家のらへ 名のらさね」と呼びかけ、
「吾こそはのらめ 家をも名をも」
とあるように、名乗りは求婚の基本的形式であった。この働きかけに対して実名を明らかにすることは承諾、すなわち関係の基本的形式であった。
実名を明らかにすることは承諾、すなわち関係の成立にほかならない。拒絶しようとすれば能面のベシミのように口をつぐんで頑張らなければならない。ここでは名前(実名)にその人間の魂がこもり、名前の口外がそのまま相手への魂の伝達ないし譲渡となると考えられている。
名のりは魂の闘争の開始を告げるものであった。
相互の固有性に働きかけ、呼びかける(呼ばひ)によって社会は形成された。
個人と共同体との生成、変化、消滅、生老病死に名前は深々と関与。
http://www.arsvi.com/b1900/8702ih.htm
”「名づけ」の精神史
私たちの眼前に、「新しい」名前が次々に現われては消えていく。名前の連続的かつ加速度的な貼りかえとして「現在」が立ち現われ、立ちはだかる。この名前の洪水の中で、 自分をとりまく世界との関係についての、根本的な疑念が私たちの内に膨れあがる。
かつてホッブスは、人間が世界を構成するすべてのものに名前をつけさえすれば、あとはそれを一旦ばらばらにしてまた組み合わせればよい、 つまり名前の足し算と引き算によって世界は認識できる、と考えた。「方法の規則」にもとづいて、このように「名前の帰結に関する計算」を信頼することができた彼は、 その限りで幸せであったといってよい。世界が名前に対してひらかれ、名前は世界を背負うものと想定しえてこそ、その「計算」は成り立つことができたからである。そのとき、 名前の普遍性についての確信は、世<0132<界認識のための徹底的な方法的態度をもたらすものであった。しかし、その確信もその態度もいまの私たちにはあまりにも遠い。
十七世紀の哲学者の世界ばかりではない。あのヘレン・ケラーの発見、すなわちwaterという名前を突破口とする、「すべての物は名前をもっている」こと、 あるいは世界とは名前であることの発見も、感動的ではあっても疎遠なエピソードにすぎなくなりつつある。すなわち、いまや私たちの「名づけ」に対して、 世界あるいは物事の秩序は応答しなくなっているのではないか。ここでは、ばらばらの名前をどのように寄せ集め組み合わせみても、「物に行く道」にはならないのではないか。 名前の次元への私たちのこだわりや、貼りかえられる名前に対する敏感さは、おそらくこのような疑念を裏書きしている。
そうであるとすれば、この「危機の瞬間」に際して、名前をもって物事に相対してきた人間の基本的な経験の有様と、 ほかならぬその「名づける」という行為の基底がいわば胎盤剥離しつつあることを見定めなければならないだろう。(pp.132-133)
この大物主を祭ることによって疫病は終息した、とされたわけだが、疫病の大流行という理解を絶する恐怖に投げ込まれた人々にとって、 このような「名づけ」の信頼感をもたらす効果は絶大であっただろう。見えないもの、それゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを、 「見える」ものとすることによって恐怖心を鎮静し消去すること、それが名前の重要なはたらきの一つであった。「隠されたもの」に対する共同体的な対処は、 このようにして行われた。そのとき「名づけ」は、事態との応答関係を存分に担うものであった。したがって、医療が専門機関のもとに独占され、 学術的<0145<と称する病名の体系が制圧するとき、それが何を喪失せしめたのか、に思いを致すべきであろう。(pp.145-146)
“私たちは物に対する哀悼からはじめなければならないのではないか。尊敬すべき或いは身近な死者に対しては、私たちは強いられるまでもなく深い追悼を捧げることができるし、現にしている。それすらなくなった時には、いよいよ本当に「人間の消滅」ということになるだろう。その死せる者への哀悼を、物に対して、あるいは同じことだが、その物と人間との関係に対して、向けるべきではないか。そして一言でいってしまえば、現在において批評が可能であるとすれば、それは追悼行為としてではないか。(p. 9)”
http://pensiero.seesaa.net/article/392656964.html
いとこん @itokonn_HQ 2015年5月15日
「(前略)名前の変更は事態や事物それ自体の編簿をもたらすものとなる。(中略)その新しい名前の獲得はただの「改名」ではなく、その人物の役割や性格の変化あるいは地位や身分の変更、すなわち「変身」を示すものであった」市村弘正『「名づけ」の精神史』
本屋のカガヤ @kagayam 2015年8月30日
《「綽名」は、このような侮辱とさらには愛着と賞讃とを含む、他者への変形作用を担う名前であった。綽名は、名づけが本来あだやおろそかに行われるわけにはいかないことを端的に示している。それは対象への周到な観察と的確な表現、つまりは批評力を要請するのである》市村弘正『「名づけ」の精神史』
やっぱり渾名ってそういう要素あるよなぁと思いながら「名づけ」の精神史よんでる
本屋のカガヤ @kagayam 2015年8月31日
《(死せる再現でなく)想起するためには、いったん「忘れ去る」ことが必要なのである。世界と自分とを繋ぐ名前の問題に敏感であったカフカは、いかにすれば自己の属する言語秩序に対して「遊牧民」でありうるかに心を砕きつづけた》市村弘正『[増補]「名づけ」の精神史』(平凡社)、155頁
《彼〔カフカ〕の自己訓練の一つは、固有名詞を音声や響きに還元しつつ「分析」し反復することであったという。そこには、この発語訓練をつうじて、たえず言葉を通して侵蝕してくる既成の意味やイメージを振り落とすことが念じられていただろう》市村弘正『[増補]「名づけ」の精神史』155-6頁
ギフ @a8ht_ 2015年1月29日
“そうして、そのクマクマシき土地での受難と復活をへて到り着くべき場所は、当然めでたき地であり、すなわち「よき人のよしとよく見てよしと言ひし」と謳歌される「吉野」でなければならないのである。” (市村弘正『「名づけ」の精神史』) これ読んで何言ってるかわかる人いるのかな…
あらい湯 @arai_huro_hairo 2013年3月4日
市村弘正『「名づけ」の精神史』飛ばしながら大体読んだ。「失敗」の意味と「名づけ」の精神史が特に面白い。 前者は社会的弱者の内部にも弱者排斥の心理があり、しかしそれは自分たちを弱者と理解することで克服できる、とした解説がすばらしい。「弱いから弱いものを理解できる」と単純ではなく、
akatukiyami @akatukiyami13 2012年6月20日
先日の市村弘正の引用がかなり間違っていたので訂正します。《私たちの視界を狭め、認識の根を枯れさせつつあるものは、この社会がもつ「幸福」という強制力にあることになろう。》――『「名づけ」の精神史』
kamomé @goeland_argente 2011年3月27日
【メモ】「名前」に関する本。窪薗晴『夫ネーミングの言語学』、市村弘正『「名づけ」の精神史』、
田中克彦『名前と人間』 、齋藤孝『売れる! ネーミングの発想塾』、佐々木健一『タイトルの魔力』、岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』、クリプキ『名指しと必然性』、など。
ネーミングの言語学 ハリー・ポッターからドラゴンボールまで
http://ameblo.jp/sarashina8/entry-12143061073.html
――参考資料――
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 9時間9時間前
わたしが自分自身を意識できる以上はわたしは存在してるし、それゆえに最小単位の価値を持ってる。実際のところ人はそれ以上の価値をなんら持っていない。そしてだからこそわたしはたった一人のときも寂しくない。なぜって自分がいまここにいることを知ってるから。確かな価値ってそれ以上無いから。
0件の返信 1件のリツイート 5 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 9時間9時間前
つまり、わたしは誰によって知られなくても神様はわたしを知ってる。何故なら、存在してること自体が神様による祝福だからです。ただ、人の価値観の中にないだけの話。
0件の返信 2件のリツイート 5 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 9時間9時間前
どこかしらない人がいてわたしがかれのことを知っていても知らなくてもかれはずっと存在してるの。当たり前だと思うかもしれないけど、かれのことを知ることによって彼はわたしの価値観の中に組み込まれる。つまり、名づけってそうやって価値観の付与が行われる。でも、認識してなくても存在はしてる。
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• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
あるひとはそのグループの長によって祝福を受けることでかれらにその名前で知られることになる。それは価値観付与の基本だけれど、その結果として彼らが奉じる神様に知られることになる。何故なら、そのグループの共通認識であり価値観が神様なのだからその恩恵を受けるのです。
• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
聖別って、人の意思によってその価値観の中に参入させること。この仕組みは人間にも当てはまるので、キリスト教的にいえば祝福のことなの。だからひとも祝福できるのだから、参入儀式それ自体が一種の祝福であるし聖別儀式という役目を果たしてる。それは新しい価値観を付与することだから。
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• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
モノを生きた生命にするのも、ただのモノにするのもそのひとの心次第。それは価値観の付与と剥奪だから結局のところは人間の意思と感受性によるもの。神様の世界にはそんな区別はない。聖別というのはそもそもそのためのものだから。
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• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
希少性は人間の価値観の問題、経済的にも同様のこと。そもそも多くの宝石たちは綺麗にカットしてこそ価値が出る。その鉱物自体はただの化学物質。ダイアモンドもただの炭素結晶。カットして磨くことはひとの思いをこめること。ほら、みんな気持ちの問題なのです。
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• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
だからわたしはパワーストーンという用語をあえて使わない。石は石ですし、気に入るか否かの問題。気に入ったらどんなものであろうと宝物になるから。
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• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
パワーのないストーンなんて無いと思うの。だってそれ、自分自身の感受性にかかってる問題なので。
0件の返信 5件のリツイート 8 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
でも、スピとかみつけるとコソコソって逃げるほうです。宝石好きだけどアクセとしてみてるので。
0件の返信 2件のリツイート 5 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 10時間10時間前
大粒のトパーズを手のひらの中でころころしてた。
コピーライターの大御所が示す“命名”【ネーミング全史】
http://jiru4690.hatenablog.com/entry/2017/02/04/185146
見えないところで時代は変わる話【書評「ネーミング全史」】
http://shige-log.com/blog/2017/03/%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A7%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AF%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8B%E8%A9%B1%E3%80%90%E6%9B%B8%E8%A9%95%E3%80%8C%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%9F/
“ネーミングの流行りの変遷。「全史」というほど大上段に構えた内容ではない
投稿者 Edgeworth-Kuiper Belt 殿堂入りレビュアートップ10レビュアー 投稿日 2017/4/2
「Suica」「ごはんですよ!」「六本木ヒルズ」「女性自身」「TSUBAKI」「うどん県」
「お~いお茶」「無印良品」「PARCO」「野菜中心蔵」、他。
機能や価格だけでなく、名前もまた、商品やサービスを売り込む上で重要な要素である。優れた名前はそれ自体がコピーであり、わかりやすい特徴の説明であり、差別化ポイントになり、また広告の代わりにもなる。著者は、「新宿MY CITY」や「からまん棒」などの名前を考えて世に出したことがあるコピーライター。
イメージ・ブランディングには大きく2つの流れがあるという。ひとつはイメージで表現する流れ。もうひとつは、意味や理念で訴求していく方向。ネーミングもこの流れに沿って、主流となる表現が変わってきたという。特に最近流行っているのが、和語をアルファベットで表現して使っているケース。
「akasaka Sacas」
「DAKARA」「suisai」「KITTE」
「MIRAI」「SOLAE」「KY365」といったようなもの。「うるさら7」(ウルトラセブン)「ビックロ」(ビックカメラxユニクロ)「ウツクシeK」「極烏」(悟空から)のような語呂合わせ的な効果をうまく使ったものも多い。かんぽ生命の「その日から」は商品の特徴を名前に盛り込んだ例。「アゴ強くん」は、広告費をけちらなくてはならないので商品棚でアピールできることを目指したスルメイカ。「青天の霹靂」はお米の名前だが、確かにインパクトはある。日本海軍の軍艦や艦船の名前の付け方を紹介して激賞しているページもある。
また、後半では、ネーミングの作業工程として、以下のような流れを順に詳しく解説している。
小品実態の把握
↓
マーケティング・コンセプトの把握
↓
ターゲットの分析
↓
ネーミング・アプローチ設定
↓
キーワード検索
↓
ネーミング作成
↓
ネーミング・チェックポイント検証
↓
ネーミングの商標登録
”
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%85%A8%E5%8F%B2-%E5%95%86%E5%93%81%E5%90%8D%E3%81%8C%E4%B8%BB%E5%BD%B9%E3%81%AB%E8%BA%8D%E3%82%8A%E5%87%BA%E3%81%9F-%E5%B2%A9%E6%B0%B8-%E5%98%89%E5%BC%98/dp/4532321271
fate grand orderおもろセリフまとめ7 画像省略
http://codetripleseven.blogspot.jp/2017/01/fate-grand-order6.html
”蛇やエジプトと言えば聖書にも興味深い記述がある。
例えば出エジプト記3〜4章。カミサマがモーセに命令する場面。
エジプトからユダヤ人を救い出せとカミサマが命令をする。
しかしモーセは嫌だ嫌だとゴネる。
ゴネる理由のひとつは「は?お前何様なわけ?」
「てかカミサマってどこの誰だよ?」と
当のユダヤ人からさえフルボッコにされるリスクがあったから。
ここでカミサマは実に興味深い回答をしている。
最初は自ら「私は、あなたの先祖の神、アブラハムの神、
イサクの神、ヤコブの神である」と名乗っていた。
例によって名前を隠すパターンだ。
しかしモーセと問答をする中で
名前を聞かれた時はエーヘイエーアシェルエーヘイエーと
答えろとの回答を出した。(3章14節)
私が12の神名の中で一番ホンモノくさいと注目する例の名前だ。
日本語聖書では「私は有って有る者」(口語訳)
「私はある。私はあるという者だ」(新共同訳)
I am that I am. (KJV)
I am who I am. (ABS)
ABSには欄外に注釈として
I am what I am / I will be what I will be とも書いてある。
Je suis celui qui est. (la bible de jerusalem)
ego sum qui sum (biblia sacra vulgata)
みんな大好きヘブライ語版はこちら(リンク)
…
FGOでも「名前」「名付け」については興味深い描写があった。
「第4特異点 死界魔霧都市ロンドン」の中の
「第4節 本の一冊、ペンの一本」で
浮遊する本が敵となって攻撃をしてくる。
こちらの反撃が通用しないという状況での会話。
登場人物はアンデルセン、マシュ、モードレッド、ロマン
そしてナーサリーライム。
ア:どちらかというと発禁本だがな。
その内容が真なら本であれ人を殺せるという話さ。
(中略)
ア:おまえたちは魔本の性質に触れたな?
攻撃が通じない、それはそうだ。
あれを本だと思うからそうなる。
違うぞ。あれは一種の固有結界だ。
(中略)
マ:はい。世界の在り方そのものを書き換える、
ある種の魔術の奥義です。魔法にさえ等しいとか。
ごく稀に、現界を果たしたサーヴァントの宝具として
用いられる例もありますが・・・。
ア:そうだ。多くは空間に対して働くらしいが、
こいつは違う。存在そのものが固有結界だ。
無敵に等しい耐久力はそのためだ。
自らが固有結界であることを有効に用いている。
では何故それが可能なのか?
(中略)
俺の類推するところでは、こいつは本来、
マスターの精神を映し出すサーヴァントだろう。
ドラマツルギーから導き出せば簡単だ。
(中略)
結論というか見たまんまの問題だよ。
こいつはハグレだ。マスターがいない。
(中略)
要はマスター探しさ。夢の顕現として、こいつは
擬似サーヴァントとしての実態を得ようとしている。
(中略)
ご名答!こいつはサーヴァントですらない。
サーヴァントになりたがっている魔力の塊だ。
(中略)
マ:矛盾しています。Mr.アンデルセン!
実体が無いから倒せないと今・・・。
ア:だから、さ。名前の無い本だから探せないんだ。
物語に実体を与える方法なんて簡単だ。
聞こえるか!お前に名前を付けてやるぞ。
魔本、いいや、誰かの為の物語(ナーサリーライム)!
ナ:・・・!!
(中略)
ナ:・・・ナーサリー・・・ライム・・・。
いいえ、ちがうわ。それは名前じゃない。
名前はアリス(あたし)
(中略)
ロ:というか大部分のサーヴァントは元は人間だけどね
(中略)
ア:ああ、人間から英霊になるのが基本だが
中にはナーサリー=ライムのような例も有る。
人間に作られた創造物が意思を持ち
あるいは人々からの幻想を集め"概念英霊"となる場合だな。
なるほど。実にくさいセリフが連発される。
まずは用語解説 ドラマツルギー→ リンク1 リンク2
名無し、マスター無し、実体無しのサーヴァントは倒せない。
そしてマスター探しをしているのはなぜか?
実体化したいから?それは夢の顕現なのか?
「自分を認識したいと思ったから」?
それは何というウパニシャッド哲学ですか?
しかも名前を名乗りだしたと思ったら「あたし」か
言ってる事が"I am who I am"と名乗るヤハウェと同じな件。
そして人間は被造物ではなく、むしろ創造者という視点。
英霊は元は人間だという視点。
過去記事で書いた「神人合一」や「観測者効果」にもつながる。
もしくはまどマギ風に「魔女は元々魔法少女」
「魔法少女は元々ただの少女」という感じか?
いや、・・・それどころか・・・まさかヤハウェくんも
元はニャンゲンだったりするのだろうか?
だとするとあの間抜けっぷりも多少納得できるのだが。
改めてキュウべえは何者なんだろう・・・?
ノンデザイナーズ・デザインブック第4版
2016年6月発売 robin williams著 マイナビ出版より
いちど名前を言えるようになれば、
あなたはそれを意識し、
支配し、コントロールし、所有するようになるのです。
なるほど。段々エヴァンゲリオンTV版最終話に近づいてきた。
「名付け」とは何か?突き詰めると実に哲学的な命題だ。
名付けとはカオス=世界を切り取る方法である。
世界をどう認識するか、であり、
名付けにより初めて「それ」は存在するようになる。
いや、「それ」は名無しの時だって存在はしていたのでは?
というのは違う。認識されないのなら存在しない。
シュレディンガーの猫乙!
…
特定部分をピックアップして、注目して、厳密化して
絞り込んで、限定化して・・・そして名付けた。おk?
カミサマの天地創造も「光あれ」から始まった。
そして、私は光は天地創造以前から存在したのでは?
と書いた。だとすると天地創造とは
あれも「名付け」だったりはしないのだろうか?
観測することにより認識し、存在させる行為。
いや、そんな事を言うのなら創世記2章19節に注目だ。
創世記2章19節
そして主なる神は野のすべての獣と、
空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。
人が全て生き物に与える名は、その名となるのであった。
全生物に名前を付けたのはニャンゲン様だと書いてある。
あれ・・・?
名付けがカオスから世界を切り出す作業なら・・・。
名付けが天地創造なら・・・。
ニャンゲン様こそが天地創造をしちゃったのか?
それならば第1章と第2章で被造物の順番が違うのもわかる。
というかヤハウェくんは指を咥えて見ているだけでいいのか?
いや、ここで、
「カミサマ自らがゲームに参戦して内側から修正」
の視点で考えてみよう。
ニャンゲン様が名付けをしているのは
これこそ「内側から修正」の作業だったりするのだろうか?
創造された天地に管理が必要であるのなら
それを行うのはある意味「内側から修正」そのもの
では、名付けを行っているニンゲン、イコール、カミサマ
だとして、それを「見ていた」と書かれている(2章19節)
ヤハウェくんって・・・。
ヤハウェくんが「名付け」をしている場面=創世記1章は
後から継ぎ足しされただけであり、本来の聖書ではない。
(長谷川三千子「バベルの謎 ヤハウィストの冒険」)
そもそもヤハウェくんはなーんにもしてません疑惑・・・。
あれ?あれ?ヤハウェくんって・・・一体何なのさ?
本日の推薦図書 「名づけ」の精神史 市村弘正著
最後はお約束のひと言をオナシャス
「黒幕はキリスト教徒!」”
(プーカッカの創造主って元からあったものに名付けただけって意味なんじゃないの説。
だからゴッドはロゴスなのだ。
スピは神神うるさいけど、ロゴス=言葉否定のスピって神の否定じゃん。
反知性信者ほど反キリストの法則発動。
本来の耶蘇教はガチガチの論理主義だった説。
ギリシャ哲学だから論理重視でないとおかしいけど。
アダムが二代目ヤハウェ候補だった疑惑。
ヤハウェ称号説。
創世記冒頭は、名付けなおしただけ説。
想像の記述が二種類あるのはパラレルワールド説。
想像された世界とは言語の世界のことである。
これまでは言語で区分けがなされていなかったカオスの世界が今の世界になったのはゴッドの言葉のお陰。
確かにゴッドは「人間の」世界を創造した。
言語の世界。
神(開闢)の死(名づけられる以前の真の起源)
=言語による開闢の隠蔽=(人間の言語)世界の誕生。)
労働者 @Black_Post_Bot 5月28日
日本人が「薄給なら手を抜く」という習慣を身に付けると日本中がハッピーになると思う。
「給料の良し悪しで仕事のやる気を変えるのは悪いことだ」という信仰がブラック企業を生き残らてしまうし客の立場になった時に傍若無人に振る舞わせる。
6件の返信 4,255件のリツイート 3,454 いいね
ぐだトマト @pteras14 9時間9時間前
「いつまで学生気分なんだ!💢」
「いつまでもさ」
Desty @ChroahDesty
Destyさんがuhehoをリツイートしました
仕事以外の事にも及ぼしてるから終身雇用が原因じゃないと思いますよ
遊びとか個人の動画編集技術、ゲームとかその他
生存性に関係ないことまで
ありとあらゆる事で教えない&教えたがらない
この共有しない価値観と発想がどこから来たのか、どう形成されたかはわかりませんが。
見て学べで伝授してるから教えられた人も更に同じ方法でするから
理論にしにくいんですよね
実際言葉で説明&文字で説明するのが出来ない人が居ますし(多い気がする)
見て、聞いて、書いて、理論化、実践が重要なのか知るべきですよ。
Destyさんが追加
燈火 @to_moshibi
日本の場合、教えは見て盗めという考えが強いのかもしれません(特に高齢の世代に多い印象を受けます)。確かに場合によっては上の教えだけでは習得できない部分もありますが、だからといって知識や技術を何も教えず、ただ見て学べだけの姿勢を強要するのはおかしいので、上が教える姿勢も必要です。
Destyさんが追加
uheho @uheho
終身雇用が無くなりゃ日本人はそうするさ。
知識や技術は独占した方が
生き残れる。
終身雇用は安定感を与える…
峨骨 @Chimaera925 2016年10月10日
峨骨さんが峨骨をリツイートしました
入社式を英訳するとイニシエーション。宗教的な参入儀式もイニシエーション。そして、企業もカルトも階級制。
峨骨さんが追加
峨骨 @Chimaera925
指階級社会を維持するために、指導者が必要だと布教されている。蟻や蜂の社会がよく引き合いに出されるが、あのピラミッドの図は役割の分類と数を表したもので、階級社会ではない。階級ではなく分業。どれが欠けても種が維持できない。女王蟻や蜂が頂点に立ち絶大な権力を持っている訳でも…
1件の返信 26件のリツイート 15 いいね
峨骨さんがリツイート
峨骨 @Chimaera925 2016年10月10日
返信先: @Chimaera925さん
ニートという言葉が日本で使われ始めた時、本来の意味を離れて甘ったれた怠け者であるかのような印象付けがメディアによって行われ、下位のカーストとして新たに創作された。病気等で働けない者や失業率、失業難民がそこに投げ込まれた。階級や格付けをいちいち気にして、与えられた役割を演ずる人々
1件の返信 42件のリツイート 27 いいね
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
返信先: @Chimaera925さん
カルトの教祖の下半身が大抵暴走するように、精神を鍛えてもいない強い倫理観を持ってもいない欲にまみれた俗物がその手の技術を手にしても、肥大化した強烈な自我や欲望を制御できずに破滅に向かう。それならばまだマシだろう。破滅していないならば、破滅と厄災を振り撒き周囲を巻き込む。
0件の返信 14件のリツイート 14 いいね
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
グローバル化で世界的な競争に導き、先行きの見えない不安からサバイバル意識を植え付ける。そうして、国際競争に打ち勝つ為に人を競わせ、逃がさず安価に企業や政府に奉仕させ仕組みに誘導されている。コンサルやメディアが絡めばカルト化は加速。悪貨が良貨を駆逐する。カルト化する生存競争。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
返信先: @Chimaera925さん
創業者やコンサルの教義に従って行われた企業のイニシエーション、遣り甲斐搾取。努力や苦労によって現実逃避による感謝や成長などの神秘体験で覚醒した労働者を行きすぎた体験主義によって権威化。彼を見習えと末端にも教化。ならば何故、自殺や過労死が出て殉教者と称賛せず見てみぬふりをするのか。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月30日
返信先: @Chimaera925さん
参入障壁が高いとますます閉鎖的になる。有名企業やカルト企業、カルト団体、高額商品、それらに参入する為、あるいは構成員であるためのイニシエーションに払う代償や苦難が多ければ多いほど、自分達は特別だと思い、参入したその選択は正しいと考える。騙されても自分の判の間違いは認めないのだ。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月30日
返信先: @Chimaera925さん
それどころか、騙されても熱烈に信じ続けるか擁護する側に回るのだ。自身の判断の過ちを認める事は容易ではない。無意識で何かしらの理由を付けて、自分は正しいと考えてしまう。被害が大きければ大きいほど。過ちを認めれば責任がやってくる。騙す側も騙される側もこうして温存される。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月30日
返信先: @Chimaera925さん
立ち位置が異なるだけで本質は同じものだ。そして加害者が犠牲者となり、犠牲者が加害者に。ミイラ取りがミイラに。負のバケツリレー。堂々巡りだ。
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峨骨 @Chimaera925 2016年11月9日
返信先: @Chimaera925さん
本気のごっこ遊びだからこそ、その場の仮象を作り出し、焼き付けて忘却することができる。日常に帰れなくなれば、そこで囚われる。おぞましいことに。紛い物は現実に帰って来れなくなるような悪意満載の手法を手軽さをウリに進めるから、ヤクの売人とそう変わらんよ。
1件の返信 7件のリツイート 2 いいね
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峨骨 @Chimaera925 2016年11月9日
返信先: @Chimaera925さん
ここに集団儀式が絡むとトランス状態で自我の壁が薄くなり共依存、共犯関係となって抜けられなくなったり、集団ヒステリー、狂気の集団感染に陥り悲劇的な末路を辿る事もある。人が人でなくなり、集団の一部となる。頭に胴に手に足に、位階に沿ってそれとなる。それが社会に無害ならば個人の自由だが。
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峨骨 @Chimaera925 2016年11月9日
返信先: @Chimaera925さん
カルト企業が行う研修なんかはモロにこれだな。
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峨骨 @Chimaera925 2月26日
[ NewShow 3] 餃子の王将 軍隊より厳しい(?)研修風景 /Strict Japanese training scene
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峨骨 @Chimaera925 2月26日
返信先: @Chimaera925さん
新入社員が自衛隊へ入隊!?~企業から人気の社員研修
1件の返信 7件のリツイート 0 いいね
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峨骨 @Chimaera925 3月31日
ジジババが「最近の若い者はなっていない。自衛隊で心身を鍛え直して貰ったらいい」なんて論調もこれだな。ブラックの洗脳研修にしてもそうだ。部活のシゴキもこれだ。精神論でしごいて洗脳する。
0件の返信 2件のリツイート 2 いいね
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峨骨 @Chimaera925 2月16日
返信先: @Chimaera925さん
「このような人間だ」と他者や環境から纏わされた幻影に従ってやる必要も無くなる。多くの自分の意思だと思っているモノは、そのように外から来て纏わされ、繰り返し染み付いた習慣みたいなものだ。期待だったり蔑みだったり、そのような呪いが自分だと思っているものを作っている。
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峨骨 @Chimaera925 4月25日
返信先: @Chimaera925さん
強い感情が生じた時、それは正当な根拠のある感情なのか、妬みから来るものなのか、自身のコンプレックスや歪んだ考えの癖から来るのか、人や環境から植え付けられたものなのか、感情を表出する前によく観察する必要がある。外に向けられる時、自身にも向けられている。炎は自身だけでは燃え尽きない。
0件の返信 5件のリツイート 10 いいね
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峨骨 @Chimaera925 2016年4月4日
他者がこう見ている、こう感じているという想像は大半が妄想。不安や気恥ずかしさは、環境から植え付けられた記号や思考の習慣から来る自身の産み出した想像。他者が自身に興味関心を持っていると根拠もなく思い込んでいる。自身はそこまで他者に興味関心を持っていない癖に。不思議なものだ。
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峨骨 @Chimaera925 2月13日
自分探し?本当の自分?そんなもの無ェよ。最初からありもしないものを有ると信じさせて、今の自分より良いものだと思わせれば、劣等感を持った連中は簡単に言いなりになる。そうして植え付けられた自分なんて概念は連中の考えた都合のいい概念だ。自分なんざありはしない。環境から染み付いた癖だ。
1件の返信 13件のリツイート 12 いいね
峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん
大抵の酔っ払いは自分は酔っていないと言うのがお約束。
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峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん
自動的に生きさせる事で、本来は必要の無い商品を買わせ、毒にしかならぬ思想を植え付ける事が可能になる。自動的に生きている間は能動的に生きることも判断する事も無い。テレビが健康への不安を煽り「○○が体にいい」と言うと自動的に生きている人々はそれを買いにゆく。ネットでも一緒だ。
1件の返信 4件のリツイート 2 いいね
峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん
ま、別の体液かもしれぬし、どうでも良いのだ。教えられたお約束の通りに思考、精神や肉体が反応するというだけで、そこに己の自由意思なんぞありはしない。携帯を注視しながら歩く奴に自転車乗る奴、車運転する奴が行き交う交差点でも眺めていれば、自動的に生きている人間なんてのは見飽きる。
1件の返信 1件のリツイート 2 いいね
峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
大抵の人間は脚本や埋め込まれたパターン、習慣に従って自動的に生きている。そこには自由意思な無い。これを見たら怒れ、喜べ、あるいはこれを見たら従え、このような態度を取れと教育されてパブロフの犬のように反射するのだ。涎の代わりに感動の涙かもしれぬし、喜びの涙かもしれぬ。
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峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
ビンタはもともと薩摩の方言。頭という意味しか無かったのに、現代のような暴力を指す言葉として認識されるようになったのは、それだけビンタが行われていたから。
路上ビンタは薩摩の警官がはじめた得意技だった!?
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喜多野土竜(心機一転二転三転) @mogura2001 2016年11月28日
東京でのビンタは頬を平手打ちすることの意味だが、これも鹿児島弁では頭の意味。兵児帯も、薩摩でよく見られた帯の結び方が東京に普及したモノだが、兵児は郷中教育の二才(15〜25歳)に当たり、ヘコは本来は褌(下帯)の意味。いかに当時の東京の警官に薩摩出身者が多かったかの証左。
0件の返信 7件のリツイート 5 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月22日
呼吸法で息を止める時、よくありがちな間違いは流れは止めない。息を吐ききって下腹部の筋肉が収縮した状態で静止する。この時、肛門を腸に引き込むように閉めた状態。喉で息を止めるイメージは誤り。緩めると息が入ってくる訳だ。緩めて空気が肺に入るに任せて、弛緩させたまま静止。喉で止めない。
1件の返信 8件のリツイート 15 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月22日
水を一気飲みするみたいに喉は開けたまま。これが極意。歌うときもこうすると、歌がブツ切りにならない。フレーズが途切れても歌の流れが続く。歌わない箇所は休む場所じゃない。歌わない箇所も歌の一部。ここで休むとそこまでの流れが途切れてしまう。
1件の返信 6件のリツイート 7 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月22日
呼吸の訓練では流れを止めない。息は生きること。流れを止めないように意識するとやり易いだろう。もっとも、俺の一番効率の良いやり方に最適化されているから流派(?)ごとにやり方があるだろうけども。
1件の返信 5件のリツイート 7 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月22日
初歩段階では、上体に無駄な力を入れず脱力して息を吐く事を会得する。これを飛ばして吸う段階に行こうとすると無駄な力が入る癖が取れない。濡れた布を詰めた管楽器を思いっきり吹いても楽器は壊れはしないが、声帯は故障する。脱力して息を吐く事を体で覚えるまでは息を吸う事は意識しなくてよい。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月22日
一般的な腹式呼吸では腹を前後に膨らませるイメージだが、実際には下腹部の末端から内臓を押し上げるように収縮させ徐々に下腹部が凹み、次に腹部。丁度、切れかけの歯みがき粉のチューブを絞るような感じだ。上に押し上げるような動きだが、イメージでは体が沈み込むように。肩幅に足を開き行うと、
1件の返信 5件のリツイート 7 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月22日
地に根が張ったかのような安定感が感じられるだろう。意識と神経と筋肉を連動させて、より長く細かく制御して段階的に吐けるよう体作りすることで、限界まで声が振り絞ることができる。声帯に負担をかけず、体に負担をかければかけるほど大きく強く高い声が出せる寸法。
1件の返信 5件のリツイート 7 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
ありがちな誤りが、大きく強く高い声が出そうとして上へ上へ意識を持っていくこと。足を踏ん張って下へ下へ行くのが正しい。喩え悪いけど、トイレで踏ん張るあの感じ。両足上げては踏ん張り利かない訳で。意識を上へ上へ持っていくと息の制御が甘くなり、首周りにも力が入る。
1件の返信 4件のリツイート 8 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
呼吸の訓練はしっかりやっていれば必要な筋肉は勝手についてくる。上体を脱力してから、できるだけ時間をかけて徐々に筋肉を収縮させて息を吸い切った所で静止、筋肉を徐々に緩め吸った時間と同じ長さ息を吸い、静止。これを繰り返すことで発声に必要な繊細な息の制御が可能となる神経や肉体が作られる
1件の返信 3件のリツイート 7 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
中学の頃、ボーカルのトレーニング本を何冊も読んだけど、まず腹式呼吸について書かれていても一頁程度。具体的には書いてないし、それで身に付いたかどうかも解らない。息が身に付かないのにトレーニングや技術の話。スポーツで言えば競技に必要な知識や体作りが無いのにいきなり競技の技術練習。
1件の返信 4件のリツイート 3 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
下半身の強化は別途必要か。俺の場合、スキー、スケート、剣道、陸上(短距離走と高跳び)でそれなりに鍛えていたから走り込みとスクワット、たまに站樁功
くらいしかやらなかったけど、粘り強く力強い足腰があった方が重心が安定して踏ん張りが効くしパワーも出る感はある。
2件の返信 2件のリツイート 2 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
身長で声帯の長さが決まる。身長が高いと声帯も長くなる。声帯が長ければ長いほど低い声が出る。背が低いと短くなり高くなる。高音域を出すには有利だが、低い声はそこまで出せない。身長に体重、骨格、筋肉、これと癖で声は大体決まってくる。背格好や顔が似ていれば声は同じタイプになる。
1件の返信 2件のリツイート 2 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
似たような背格好、顔の人間が居たって完全に一致する訳ではないが、カラオケ文化のせいか、何故か原曲の歌手に似ている歌い方や声が上手いとされる猿真似文化になってしまっている傾向がある。聴衆に受け入れられやすいからか、真似て下積みしてきたからか歌手もそうなりがちだけど、実に勿体無い。
1件の返信 2件のリツイート 2 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
日本では教養として芸術を鑑賞する文化や素養はなかなか育たないだろうな。聴衆が芸術にシビアな評価を下して悪いものは悪い、素晴らしいものは素晴らしいと評価することも無いから、子供騙しや流行った歌手に似た二番煎じみたいなヤツが流行る。育成やプロモーションに時間も予算もかけられなくなって
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね
峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
来ているから、一発屋や昔流行った曲のカバー、どこかで聞いたような曲、外国で流行した曲の和製模造品だらけになる。単純にCDも売れなくなってきたし、キャバクラ商法や短期に流行作って経費回収しつつ利益出すやり方になりがち。利益の見込みが無いとGOサインも出ないだろうしな。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
呼吸の補足:息を吐ききったあとて脱力して自然と入ってくる過程を息を吸うと表現している。腹を膨らませて吸う必要は無い。脱力が身に付かない段階でそれをやれば息を吸おうとして余計な力が入りいつまでも脱力が体得できない。肩が上がって胸式呼吸になってしまい本末転倒。変な癖が付くと遠回りだ。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
歌手の歌真似して変な癖や喉を潰しかねない歌癖が付いてしまうと、なかなか治せない。自分自身の手で自身の声の力、魅力を掘り起こさなくてはならないのに、誰かの劣化コピーになってしまいがち。基礎が無いのにそれをしようとすれば、喉を潰しかねない。百害あって一理無しだ。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
役者は体作りから入るのに、歌はカラオケ等で誰でも歌えるから軽視されやすい。昔と違ってマイクや音響機器の性能向上で声が拾いやすくなり、編集やエフェクトも簡単に付けられるから声楽ほどは重視されないし、求められてもいないだろうが、何本もライブ演って持たないのはちょっとな。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
あの呼吸法は精神状態や力を入れる箇所、呼吸の加減によってツボに嵌まると呼吸するだけで快楽や多幸感が得られるパターンがある。ある種間違ってはいないがそのやり方はお勧めしない。呼吸だけで賢者モードになり日常や健康に支障が出る。それで悟ったなんて勘違いしても不味い。脳内麻薬の錯覚だ。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
そのようにはならないように書いているので恐らく危険は無いだろうが、偶然そうなる可能性もあるので。これで得てしまった神秘体験や特別な体験に思えるものは脳内麻薬の産物で錯覚だ。ほどほどに付き合って、快楽や優越感に溺れてはいけない。それは破滅の第一歩。引き返せ。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
敢えて心と書かないのは神秘主義やオカルトが入り込まないように。人間、期待すると見たいものを脳内で作り出して見てしまう生き物なので。そっちは無防備に踏み込むと実に危険で、良いことなど何一つ無い。カルトにハマるくらいならまだマシなくらいに。タチが悪いのを拗らせると人間として終わる。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
呼吸法で心身を健やかに、歌唱力を向上させ本来持つ声の魅力を引き出す。求めるのはこれくらいで充分だ。神秘体験や特別な力は求めてはいけない。欲や誘惑に囚われないと思っていても、求めないのが無難だ。そんなもの無くても人間は生きられる。いや、手段に依存するくらいなら最初から無い方が良い。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
ありがちなカルトのイニシエーションでまやかしの神秘体験をしてカルトにハマる者を見れば危険性は解るだろうから、これくらいで。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
人間ってのは、ある環境や条件、前提となる知識が揃うと簡単に神秘体験のようなものを脳内で作り出して体験してしまうので、研究する側としては面白いのだけどね。やってはいけない見本だ。それを悪用する連中は軽蔑に値する。風上にも置けん連中だ。恥を知れ、と。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月23日
白魔術だの黒魔術だの分類されているように見えるが本質は同じだ。まじないにしても呪い。どれも意識の変容の技術。使い方によっては他人の意思をねじ曲げる技術でもある。戯れに手を出して効果が無ければ幸い、あれば最悪。道具は使う者の倫理観に委ねられる。相手を幸福にするから白など単なる欲目。
韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の証言 @Koreanbcqsenpan 4月6日
1942年6月に、朝鮮全土から三千数百名が日本軍の俘虜監視員として集められ、釜山・野口部隊に入隊した。そこで厳しい2カ月間の軍事訓練を受けた。叩きこまれたのは「軍人勅諭」や「戦陣訓」。捕虜の取り扱いについてはまったく教わっていない。毎日ビンタで殴られない日はなかった。李鶴来
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峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん
未成年の新隊員をボコボコに 自衛隊に横行する旧陸軍の“伝統”
http://www.mynewsjapan.com/reports/959
>暴力事件で懲戒処分を受けた自衛隊員は、昨年度1年間で80人以上。うち、事件の詳細が国民の前に明らかになったケースは、ごく氷山の一角だ。
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峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
旧日本の軍隊では暴力による指導が当たり前だった。古参兵が新兵に対して指導や教育と称して暴力を振るい苛めやマウンティングを行うのは明治以降の日本の伝統。戦後、学校や企業、スポーツ界等に継承されて来た。流石に現代では直接的な暴力は無くなって来てはいるが、無くなりはしない。
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峨骨 @Chimaera925 5月17日
政府や企業の役に立たない、あるいは資本家や投資家の為に富を生産しないものは異常や障害とされる。しかし、公害や貧困を作り出し、社会や人へ害を与え、問題を創出してでも利益を出すような、良心やモラルが欠如した者は異常とも障害ともされない。それどころか、立派な者として扱われる。
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峨骨 @Chimaera925 5月7日
返信先: @Chimaera925さん
相手の言動を受けて、お約束のような反応なんぞしなくても良いのだ。仮に他者から罵倒されても、個人的にそいつが罵倒したというだけであって、萎縮しなくてはならない、服従しなくてはならないという決まりはない。そいつの脚本には相手は服従すると書いてあるかもしれないが。感情で捉えるな。
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峨骨 @Chimaera925 2013年9月17日
そこで労道が生まれる。社会人(会社員)としての精神論、規範、徳で己を飾り必要性をアピールし、他者を労道の序列に加える事で上位に立ったと錯覚する。「社会人として~は常識」といった徳目が増えていく。契約により労働の対価を得るのではなく、労道の為の労働となる。
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峨骨 @Chimaera925 2013年10月26日
目先の金儲けや娯楽にかまけて、国民が自分の権利を保持する為に必要な事を公に任せきりだった。会社に入に入って金儲けしていれば一人前の社会人。義務を果たしたからお上が何とかしてくれる。規制しろ、禁止しろ。そんな中で市民権だとか国民の権利なんて考えは生まれて来ない。
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峨骨 @Chimaera925 2014年2月21日
普通なら生まれて社会の構成員になった時点で社会人なんだけど、日本では会社に入る事が社会人(大人)という事になっている。成熟した大人にならなくても盲目的に組織に所属さえしていれば一人前の大人として認められる社会だ。そんな中で国際的に認められる成熟した大人になるのは難しい。
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峨骨 @Chimaera925 2014年4月2日
今の時期、テレビで新卒が「社会の荒波に揉まれ」「社会人になります」とかインタビューに答えてるけど、非常に違和感を感じる。生まれた瞬間から社会の一員となるのに、日本では労働者になると社会人と見做される。企業や国家から見た使用人を社会人と呼ぶ、不思議だ。
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峨骨 @Chimaera925 2014年6月17日
社会進出の定義がおかしい。働く事は社会進出ではない。オギャアと生まれたら社会人。社会の構成員だ。会社員になったら社会人?ハッ、仕事仕事で地域のドブさらいや宮掃除もやらない奴が社会人?働くのはテメェの都合だ。社会貢献ではない。金稼ぐのが貢献なら世の中もっとマシになってる。
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峨骨 @Chimaera925 2014年6月17日
会社員が社会人って頭で金にならない事を切り捨てて来て、人と人の繋がりだの無縁社会だ何だと今更言い出すのはおかしい。会社を通してしか社会にアクセス出来ない?会社員の人脈見て見れば解るけど、仕事上の取引先や同僚くらいしか繋がり無いぜ。狭い社会だこと。
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峨骨 @Chimaera925 2016年8月7日
与えられた役が苦しくとも耐えて努力すれば報われる、日本でありがちな思想。例えば与えられた役が奴隷で、努力したら報われて奴隷頭になれるかもしれない。しかし、奴隷以上にはなれない。
働いて、納税し、選挙に行けば社会人。法制度、各種必要な手続きを全く知らなくても。
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峨骨 @Chimaera925 2016年11月4日
返信先: @Chimaera925さん
社会人だから、仕事だから「仕方ない」。こうして些細な嘘や裏切り、反社会的な行為に手を染める。社会だと思っているちっぽけな会社のルールや常識に染まっていく。会社の常識は社会の非常識。自分の食い扶持を稼いで納税したら社会人?不思議な事だ。社会人なのに法も地域の事も何も知らない。
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峨骨 @Chimaera925 5月21日
日本ではビジネス、金儲けに貢献する事が社会的な活動とされる。一億総活躍にしても、社会人にしても、会社に所属して働く事だけが評価の対象。会社で働かず地域社会に貢献したり、子育てしたりするのは社会人ではないと。生まれた時点で普通は社会の一員、社会人なんだけどな。
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峨骨 @Chimaera925 2014年7月10日
序列に組み込まれた人々は単一の価値観が創りだした脚本を元に、勝手に脚本を想像してそれぞれの役割を演じている。脚本に従わない者に演技指導をする。「お前は子供の役なんだからこういう演技をしろ」「お前は店員役で俺はお客様役だからこういう演技をしろ」と言った具合に、脳内設定を押し付ける。
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峨骨 @Chimaera925 2014年7月10日
あくまで脚本上の役であってその人そのものではないし、舞台を降りれば演者に上下関係はない。しかし、起床から就寝まで国家という舞台の上で演じ続けていれば、その舞台が現実で役が自分だと信じてしまう。グリム童話の屠殺ごっこの話やスタンフォード監獄実験とまるっきり同じだ。
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峨骨 @Chimaera925 2015年4月30日
相手の性別や年令、職業、外見から役柄と筋書きを割り当て、筋書き通りのおままごとを求め、思い通りにならないと役柄を演じない事に彼らは怒りや不安を覚える。彼らもまた、誰かの脚本上のおままごとの上司や部下、父親や母親、恋人、労働者でしかない。自分の意思で演じるならばまた違うだろう。
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峨骨 @Chimaera925 2016年6月30日
日本人らしさや日本人の習性なんかも用意された脚本。人生脚本が演じられなくなると混乱する。本来は脚本など無いのに、幼少期から子供らしさや学生らしさ、社会人らしさを演じて来た者は脚本が無いと踊れない。そうして脚本を用意した既存の体制が自身に害をなすものでも、脚本の為に体制を守る。
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峨骨 @Chimaera925 2016年10月10日
峨骨さんが峨骨をリツイートしました
人々は与えられた脚本、学生や労働者、父親や母親、消費者、自分らしさを演じている。それらの脚本に逆らう者を見たとき、彼らは脚本を演じるよう矯正する看守や懲罰者に突如変貌する。労働者が経営者目線で労働者を非難し、貧困層が貧者を叩く。
峨骨さんが追加
峨骨 @Chimaera925
スタンフォード監獄実験 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93 …
支配の手口。名称と規範的行動を用意し、フィクション等でそれを刷り込み、役割を振る。看守とは何か、囚人とは何か知っているから看守役は看守らしく、囚人役は囚人らしく振る舞う。男らしさや女らしさも後天的な…
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峨骨 @Chimaera925 2016年11月4日
返信先: @Chimaera925さん
命令や常識、地位や立場―――与えられた役割、脚本。これらに従い演ずる内に心は麻痺して死んでいく。他者の傷みも解らなくなる。そのようなゾンビを手駒として使役することで利益を得る。真の外道は自らの手を汚さない。実行したものを糾弾しただけでは意味がない。命令し、行わせた者こそが本体。
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峨骨 @Chimaera925 2016年11月26日
返信先: @Chimaera925さん
目的や理由の囚人は「しなくてはならない」「こうあらねばならない」の囚人だ。自身の意思では欲していない、「欲せよ」と命令されたから欲しているだけのロボットと差異は無い。支配にはさぞかし都合がいいだろうな。国産RPGみたいに主人公(自分)に役割や目的があり、その脚本に沿って生きる。
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峨骨 @Chimaera925 2016年11月26日
返信先: @Chimaera925さん
男であり、女であり、父であり母であり、恋人、友人、教師、学生、サラリーマン、ありとあらゆる演目と脚本、人生のテンプレが用意され、それを演じられる内は良いる。その脚本通りに演じられなくなるとアドリブが利かず混乱する。その混乱が現代ではないか。脚本、当たり前が当たり前でなくなった。
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峨骨 @Chimaera925 6時間6時間前
フライドポテト頼まなくても似たような事を言われるだろうな。日頃から「社会人として未熟な新卒は学生気分が抜けていないから社会人として教育してやらなければならない」という脚本が上司の頭の中にあるのが前提な。この前提は事実とは関係ない。「学生気分が抜けていない」と脚本に書いてあるだけだ
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聖☆司(ひじり☆つかさ) @hijituka 11時間11時間前
エロ漫画家はいいぞ。今まで上下幅広い年齢のエロ漫画家さんと飲んだけど、上司とかないし、オタ話や原稿など仕事の話をできる仲間感があって楽しい。もっと飲みたい。フライドポテトで怒った人はいなかった。プリンをプルプルさせて「おっぱい」と楽しそうにする人なら何人もいた。
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rundog@ボス @rundog34 11時間11時間前
上司との飲みでフライドポテトを注文したら「いつまで学生気分なんだ」と怒られた 一体何がいけなかった?キャリコネニュース https://news.careerconnection.jp/?p=36020 @キャリコネニュースさんから 俺もそんな基地外上司と呑みたくねーよ
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
だからこそ、それについての想いが溢れていって膨大すぎて言葉がすべて消費されつくしたとき、そのときの沈黙をただ待つの。言葉が続いてるときはまだ燃え尽きてないし理解されつくしてもいない。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
知識なんていくら多く持ってもそれは器に過ぎないから中身が成長してくれば自然と手狭になってリフォームが必要になるのです。最終的にその器は無限のものになり表現ができないことになるでしょう。言葉をいくら尽くしても無駄なことを知れば、あれとかそれということになり、あとは沈黙するだけ。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
かみさまは知れば知るほど何百何千の名前を持つことになるの。なぜなら、実体が大きすぎてひとつの形などにはおさまらないから、名前をたくさん与えないといけない。これをして何千の貌を持つという言い方もできます。何かを知るというのはそういうことだから、知識はただの器なのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
何かの固有名詞に入りきらないのが中身であり現実の実態。だから知識や名前という入れものからそれがはみ出して来たら、名前(形)を捨ててしまうのです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
誰かいとしい人に会いたいときに心の中でわざわざ名前をよんだりするのかな? あのひとや、彼、なにかの代名詞になったりしてない? すでにイメージが出来上がってる場合は固有名詞はいらないからです。あれ、それ、でいいの。つまり、神様ならThe Oneといいます。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
それ故に名前というのはただの器でしかない。中身が入るまでの仮初のもの。知識ってそういうものだから。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
象徴には名前がついてるけど、名前なんて忘れちゃったほうがいいの。それを見た瞬間に言葉が色々と思い浮かぶかもしれないけど、それよりも先に感覚とイメージが浮かばないとそれは使えるようにならないからです。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
何かに名前がつかないと、名前が付いた者同士でなければ関連付けは起こらないのです。このことは実体験しないとなんのことか恐らく理解はできない。それだから、名前のない世界というのはそれぞれの事柄がすべて独りであり、まったく孤独な世界。関連付けという仲良し関係がないからです。
この関連付けとは分類が生じるということ。すなわち、名前を付けないとそれは分類できないようになってる。知識はそこから生じるの。それゆえに最初にロゴスありといいます。
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
これがどれほど恐ろしい瞬間なのかって説明できない。幽体離脱? そんなの知らないです。そんな話してないですし。
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Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
なんか勘違いする人多いみたい。それに、関係ない話する。すべての言葉といったのは使える言語すべてが無効になる瞬間のこと。ロゴスを感じることができなくなるの。つまり、何らかの意味づけが作られない状態。だからモノとモノの関連付けが行われなくなる。リンゴ→赤い/丸いというのが無効になるの
この言葉はとても深い
— 兵庫陸上競技 (@koukourikujyouu) 2017年6月2日
陸上競技をしている選手全員に共通して言えること pic.twitter.com/yxODNN2RaR
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
そういえば夢の中で失語症になったことがある。夢の中とはいえ、何らかの言葉で考えたりすることはできるのに、どんな言語も使えなくて絶海の孤島に放り出されたような気分だった。考えること自体が困難で感じることしかできない世界。そのあとで「回線」がつなぎなおされた。
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975 3月21日
聖剣はいつも家の戸口から出たらすぐ目の前に刺さってるの。多くの人がそれを引っこ抜く勇気を持てなくて、迂回しながらほかの聖剣を探そうとする。でも、どの聖剣も偽物で、最後にはお家の前に帰ってくるのです。これがエクスカリバーの伝説。それが一番使いたくない聖剣だからです。(^^;
お家の前に刺さってる聖剣は呪い付きですからね。本当に覚悟ができるまではただの木の棒にしか見えないから。凡庸で貧弱な武器にしか見えないの。でも、気づいたときにはそれを引っこ抜いてやっと自分の道を探し始めて本当の冒険が始まるのです。
15秒で訓練なしにできる記憶力を倍増させる方法
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-494.html
”繰り返しはあまり役に立たない
ものを覚えるのに、今でも頻繁に使われる方法に《繰り返す》というのがある。
これは思ったほど(一般に思われているほど)効果がない。
記憶システムを短期記憶と長期記憶から構成されるものとするレトロな二重貯蔵モデルにおいては,繰り返し唱えたり書きなぐったりして、記憶したい情報を反復することで,短期記憶から情報が失われないようにすると同時にその情報を長期記憶へと転送させるのだと考えられていた。
ところが,情報を単に反復することに時間を費やしても,必ずしもそれが記憶として定着するわけではないことがその後分かってきた。
現在では,こうした《繰り返し》は維持リハーサル maintenance rehearsal(または1次リハーサル primary rehearsal)と呼ばれ,情報を短期記憶に一時的に保持させるに過ぎないと考えられている。
記憶技法はめんどい
情報を長期記憶に送り込むには、同一の符号系列の単純な反復である維持リハーサルではなく、情報に対するイメージの構成や意味的処理によって既有知識と関連づける精緻化リハーサルが有効である。
記憶したい情報を相互に関連づけたり情報の意味づけを行う、いわゆる《深い処理》にあたるものだ。
単語のスペルや音韻に注意したり,繰り返し読み上げたり書き写したりするような「浅い」処理を行うよりも,意味を考えたり,イメージしたり、自分の経験と関連づけるような「深い」処理を行う方が,その単語の保持成績は優れたものになる。
記憶したいものをカテゴリーに分類したり,記憶すべき項目をあらかじめ決めた場所に置いたり,各単語や単語リストのイメージを作るというイメージ化することも、これにあたる。
いわゆる記憶技法や記憶方略として知られているものは、この《深い処理》をプロセスに含んでいる。
しかし問題は残る。
記憶技法は、それなりの準備や訓練を必要とするものが多い。
《深い処理》自体が難易度が高い方法だったり、そうでなくても手間暇がかかることが多い(手間暇をかけ、簡単にすまさないから「深い」処理になるのだとすら言える)。
記憶技法や記憶方略は、それぞれに効果のあるものなのだが、思ったほど普及しないのは、ぶっちゃけ「面倒くさい」からである。
では、とりあえず《繰り返す》よりはましで、《深い処理》ほど面倒くさくない方法はないのだろうか?
もっとずっとシンプルで、特別な訓練も、特殊な準備も必要のないものは?
ただ《持っておく》こと
紹介するのは、あまりに地味なので、意外に知られていない方法である。
A.誰かに読み上げてもらった単語を、すぐに復唱する
B.誰かに読み上げてもらった単語を、15秒間待ってから、復唱する
これはすぐに実験できるから、AとBをどちらも試してみよう。
Bのやり方の方が、圧倒的に記憶に残る。
違いは「15秒間待つ」ことだけである。
短期記憶に情報が保持される時間はかなり短く、通常15秒(長くても30秒)程度と考えられている。
それを超えて記憶を保持しようとすれば、情報を処理せざるを得ない。
記憶したい情報をただ流すのでなく、少しの間「持っておく」ことで、情報処理プロセスを作動させる訳である。
4つの基本技
では「15秒待つ」ことを組み込んだ記憶法の4つあげよう。
4つというのは2種類のインプット(聞く/読む)と2種類のアウトプット(言う/書く)を掛け合わせた数である。
どれもシンプルな方法なので、いろんな記憶技法や記憶方略と組み合わせることも簡単である。
(1)delayed repetition 聞く→言う
時間差復唱。
耳で聞いた情報(たとえば単語や文)を、15秒待ってから、復唱する。
(2)delayed dictation 聞く→書く
時間差ディクテーション。
耳で聞いた情報(たとえば単語や文)を、すぐに書き留めるのでなく、15秒待ってから、書き出す。
(3)delayed copying 読む→書く
遅延写経。
読んだ情報(たとえば文字や単語や文や数式など)を、すぐに書き写すのでなく、15秒間待ってから、何も見ずに書き出す。
(4)Read & look-up 読む→言う
時間差音読。
読んだ情報(たとえば文字や単語や文や数式など)を、すぐに発音/発声するのでなく、15秒間待ってから、何も見ずに唱える。”
(保存版)覚え方大全/自分で選ぶための53種の記憶法カタログ
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-518.html
古今東西の記憶術をざっくり7つにまとめてみた
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-333.html
復習のタイミングを変えるだけで記憶の定着度は4倍になる
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-499.html
村久道 @Lawcojp 2014年5月19日
NHKクロ現「追跡“出家詐欺”」だが、困窮した寺を使って多重債務者に得度させ、家裁で戸籍を法名へと変えさせる。ブラックも消えて人生リセット!名前を変えた多重債務者が偽造源泉徴収票を提出して住宅ローンをだまし取り、詐欺容疑者となって、行方をくらませる。人生リセットの無間地獄。
安田美絵(遺伝子組み換えでない) @MieYasuda 2014年5月14日
今日NHKのクローズアップ現代でやっていて驚いたのが「出家詐欺」。得度をしてお坊さんになり、法名をもらって、家庭裁判所に申請すると、それを戸籍上の下の名前にできるという。名前を変えて人生をリセットし、債務を帳消しにするなど、犯罪に使えるという。宗教が犯罪の温床になる危険性を指摘。
山杉本治 @yamasugi_moto 2013年7月21日
「ブラック企業」「リストラ」などとカタカナ英語で表現するとソフトに聴こえるが、実態は「違法企業」「首切り」だ!ちゃんとそう日本語で言えばいいのだ。
ゆとりーな @Ri7_u10 2015年7月19日
僕「(拙い英語)院の後輩が入った会社がいわゆるブラックで〜」 知り合いのカナダ人「(拙い日本語)ブラックは人種差別を連想させるからやめとけ。英語では"sweat shop"かな。それから日本人はブラックなんてオブラートに包んだ言い方せずに"illegal"って言え」 僕「はい」
つきなたこねこ @coneko 2015年7月19日
へぇぇ、英語でブラック企業って『Sweat shop(搾取工場)』って言うんか。あと日本人ってなんでも通称とかアダ名を付けて表現を柔らかくする悪い癖あるよね。違法(Illegal)企業でええやんな >RT
眞境名@お仕事中 @bot_makina 5月28日
よく「ハートフルなホームドラマ!」とか宣伝したり、企業名にハートフルを使っちゃったりしてるの見掛けますが、これは和製英語でですね、実際にはないんですね。それどころか、実際に英語でハートフルといえば『hurtful=苦痛的な、有害な』って意味に聞こえるので、使わない方が無難ですよ。
てっこ(原料の一部に豆類を含む) @tekko_mamerui 2016年8月2日
返信先: @tekko_mameruiさん
おいらは英語喋れないけど、日本人が英語習得に際して障壁となるのは、カタカナ語、和製英語だという説もあるな。大手マスコミがあえて、日本人の英語マスターを邪魔立てしておいて、英会話スクールの広告を流すんだ。すげえシステムだな。
高田ゲンキ @Genki119 14時間14時間前
ドイツでは、まだ使える不用品を、捨てるのではなく箱に入れて「zu verschenken(差し上げます)」と張り紙をしておくと、道行く人が物色して持っていくのが一般的なんだけど、今日はとうとう散歩中にその日本版に出会った! 日本ももっとみんなこれやったら良いのに。とてもエコ。
孔子の論語 子路第十三の三 名正しからざれば則ち言順わず
http://blog.mage8.com/rongo-13-03
孔子の論語 述而第七の二十 子、怪・力・乱・神を語らず
http://blog.mage8.com/rongo-07-20
孔子の論語 先進第十一の十二 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん
http://blog.mage8.com/rongo-11-12
終わりの唄
埋め込まれた そのお名前に~♪
囚われて吉夢(アクム) 見続ける~♪
無意識の底に 沈みこみ~♪
アーあなたの 吉夢(キチム)、履き違~い~♪
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履き違いと「喜(ばしき)既知外」の掛詞♪
お読みくださり感謝感激あめちゃんあげない。
魔道図書館の倉庫
Posted on 2017.01.02 Mon 16:41:45 edit
おねショタおじさん @douteimaturi
すべては言葉です 突き詰めて考えられないというのは人間をやめて、犬猫以下の畜生になる事だ と、私の亡くなった母がよく言ってました なので、最低でも言葉で突き詰めて考えられない、考えない連中は畜生以下なわけでその畜生以下が社会を握っているので畜生以下の自然状態になるのは必然なのです
高級娼婦というのは肉体だけではなく、教養が必須でして大概の道がつくものや論語などをそらんじる事が出来たと言われています が、現代の日本の高級娼婦というのは道がつくもの自体が偽伝統に犯されているので西洋哲学は知っていても東洋的なものは認識できないでしょう
また、本を濫読しても意味はありません 本当に重要な本は何回も読まれますし、暗記するのです だから、イスラーム法学者がクルアーンや伝承を暗記してはそらんじ ユダヤの法学者はタルムードをそらんじ 儒学者が論語などをそらんじるのは必要だからであり、本は読み込むものであるという事です
カート・セリグマン 『魔法―その歴史と正体』
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 10月31日
論理的にお話が繋がっていない場合は、とある場所から紐が先へ繋がっていないからとりあえず質問するのがいいかも? 紐の先が繋がってないことを隠すのならやめたほうがいいです。それを明確にしてるのならまだお話を聴く価値はあるかも?
都合が悪い場合、後ろめたさから普通は隠したいところは隠す。でも、そうでない場合はそれを説明するでしょうね。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 1月12日
厳しく識別する能力がないと情報の海の中で溺れてしまうの。そういう意味ではアストラルジャンキーになりやすいのと同じこと、インターネットというのは。そういう意味ではネット左翼やネット右翼とよばれてる人たちは妄想世界の犠牲者ともいえるのでしょうね。その両極端は現実にはないのだから。
もっと簡単にいうと、ネットの情報というのは霊界から受け取った情報と同一視していいくらいなのです。ほとんど眉唾の可能性が高いと思うくらいでちょうどいい。それゆえに自己検証できないのならふたを閉じるほうがよいと思う。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 1月13日
女性的変化というのは月単位の変化と土星的変化だから土星の周回周期によるもの。それによって約29.5年という長周期性と約27日という短周期を持つ。ほかにも火星や金星などの周期性が複雑に折り重なる。男性的周期性は太陽に依存するので日単位と分点の単位。太陽は恒星だから本質は変化しない。
もちろん、太陽周期には約11年というのがありますけどね、SSNが極大になると地磁気が強く影響されるから。
電波関係をやってないと磁気嵐やそういうのに目が向かないと思うけど。
太陽さんは停滞期に入ってるので今はとてもおとなしいです。https://t.co/KGZ3jcHkDV
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年1月13日
わたしは占星術上で物理天体が人間に直接的に影響を与えてるとは信じていないけれど、もしも物理的影響を考慮する必要があるのならこういうのも当然視野に入れるべきだと思うのです。心理的な(または神話的な)影響でしたら象徴の問題だけになると思うhttps://t.co/0yRQEdZJIG
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年1月13日
ただ、そこまでいったら天文と科学の世界だからそのまま科学やるのがいいような気がしてる。
天体の影響が人体に対してまったくないとは言い切れないのだけど、その一方で各天体の影響は恐らくは微々たる物と予測される。もうひとつの視点は、その微々たる影響が太陽系以遠まで含んだ場合はそれこそ予測不能になる。あまりにも計算すべき要素が多すぎるのできりがないのです。
それだからわたしは天体の心に対する物理的影響を考慮しない。それよりも実生活における影響(目視による観察と神話的影響)のほうを重要視します。物理的な影響がないとは断言できないけど、現実的に見て神話の文化的影響のほうが大きいと見てるからです。
物理天体を占星術上でわたしがあまり考慮してないというのはこういうの。それは砂浜の砂みたいなものだから、全体としての影響は多大だとしても砂の一つ一つまで計算するわけにも行かない。それをするのなら少なくともスパソコンで地球のシミュレーションをするのと同等以上の分析をすることになるから
そういう意味では天気予報もまだ科学を使った占いだと思うのです。
天気予報って要するにパーセンテージであらわすだけで何も断言はしていない。ということは、答えを出してるのではなくてただ可能性の大小だけを示してる。それでもないよりはマシなのだけど、最終的に可能性の話になった場合は占断はできなくなるでしょうね。
天気予報って要するにパーセンテージであらわすだけで何も断言はしていない。ということは、答えを出してるのではなくてただ可能性の大小だけを示してる。それでもないよりはマシなのだけど、最終的に可能性の話になった場合は占断はできなくなるでしょうね。
では、天気予報の降水確率とは何かというのは科学的な裏づけのこと。そして占いといえる部分はここで、「傘をもっていくほうがいいですよ」という部分です。「雨が振らないかもしれないけどそうしたほうがいいですよ」という部分が占断なのです。
このように分解してみると、裏づけがあってもなくても最終的には何かをお勧めしようとしてるの。誰も未来のことは断言できないから、何らかの裏づけで納得させようとしてるのです。
現代人の多くは科学を信仰してるから、納得できる裏づけとして科学が用いられてる。でも、未来は実のところ誰も判らないから本当は信じられる裏づけならば何でもいいといえるのでしょうね。
当たりすぎる占いって怖いと思う。それは結果を占いの理屈に無理に関連付けて思考停止させるまやかしを使ってるとわたしは見るからです。100%の可能性というのは奇跡のことであり、神様しか使えないものですから。
占い師の立場を思えば当たっても当たらなくてもその結果には責任をもてませんからね。誰も責任が取れないことをあえて言おうとしてる立場ですから、その背景には神秘的なもの、神仏などと呼ばれる何かを置いてます。クライアントはその神秘的なものを信じることを通して決断を受け入れようとしてる。
背景にあるものが科学であっても神様であっても、その結果には一切責任をもてないのは道理だと思うの。だから、それが科学であろうとオカルトであろうと、結果はすべて本人の責任によらなくてはならず、何かをあえて言う側もその様に教えるのが誠実なんじゃないかなと思うのです。
ほかの誰も本人が下した判断に責任をもてないから、自分を信じる方法を教えるという考え方です。つまり、占いで大切なのは自主性を引き出すやり取りなんじゃないかなと思う。
不安に陥って迷ってる人にとってはいくら有力な根拠を集めても(それが科学であれオカルトであれ)結局は決断を下す勇気がないのだと思うの。だから、それを導くだけで占い師の役割は全うしてると思う。そういう占い師さんならば。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 1月13日
中二病といわれる状態についていくつか考えたことがあるの。わたしが思うに、目の前のことから妄想へと逃げ続けた結果、普通に生きてれば気づくであろうことについても気づくのが遅れてしまったのだと思う。本当は「当たり前とされてること」をそうやって一つ一つ気づいていくはずなのにね。
「当たり前」はそんなに簡単じゃないから。自分の中できちんと納得できるようになるまでは。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 1月14日
浄化と聖別? 例えば、プレゼントにする品物を買ってきて値札などをはがして金銭や既製品という価値を取り去るの、これが浄化。そして新しい価値を付与するためにラッピングなどを工夫して感謝という価値を籠めるのが聖別。案外みんなが普通にしてることなのです。
生きてる感じがしないのって忙しくて物事の表層ばかり見てみんな流れ作業になってるからじゃないかしら? 魔術作業ってその点では物事の内面を見つめるためにとても素朴で単調なことを細かく分解することで気づきを得ることだから、ただのリラクゼーションと呼吸だけでもいいのです。
大事なのはいつもその単調な作業を細かく観察すること。たったの五分間でもいいから、呼吸すること、身体の緊張や弛緩の状態についてよく眺めることにつきます。意識の時間がね、現実の速度とあわなくなってるのです。だから最悪、呼吸法だけでもいいの。
忙しいと意識が身体の動きに対して上滑りするようになるのです。これが心身の非同調(非同期)状態だから、これを直すためにリラクゼーションと呼吸法を使います。呼吸について、身体について細かく意識するとこの非同期状態を改善できるのです。
自動車や自転車で言えば、忙しいのってつまりあれ。ギアをハイにしたままで回転数だけ上がった状態のことです。だからギアをローに戻すために呼吸で調整します。ハイギアだとトルクがかからないでしょ? それがいくら漕いでも力がかからない感じがするのです。
坂道を自転車で上ろうとしたら普通はギアを上げ気味にすると思うの。だって、トルクがとても重くなるから。だけど、坂から降りてきて平坦な道に戻ったときにギアが上がっている状態なら漕いでもトルクがかからないから無駄に漕いでしまう。気づくとなかなか進まない状態。これをなんとかするのです。
それゆえに動作の開始と終了には注意をはらいます。それは身体と呼吸への意識化のことで、魔術師がまさにやろうとしてることと同じなのです。
思考の速度は身体から意識が離れた状態ほど早くなるから、作業が終わったら意識を肉体に戻さないといけないの。身振り足踏みというのはそういうことで、それを怠ると心と身体の非同期が起こって身体を壊します。肉体から意識が離れてるから気づくものも気づかなくなる。
運動でも心と身体が非同期だと筋をちがえたりします。首をひねったり足をひねったりと痛い痛い。だからね? 意識と肉体の同期化をするためにリラクゼーションや呼吸法を熟練するのです。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2017年1月14日
昨日、玄関の横にかけておいたベージュのコートを三女が暗くなってから目撃してゴーストさんと間違えてひどくおびえてた。翌朝になってなんか変だなと思ったらそういうことが発覚して、見間違えを違うものに転化させるのにちょっと苦労してた。そのまま消すのって難しいからほかのものに変化させるの。
見間違いだろうとなんだろうと、一度怖いものと認識してしまえばそれを取り去ってもあまり解決にならない。幽霊さんを作ってるのは見てるほうの人間の心の問題が多いから、それが認識されてしまうともはやそれがいるかいないかは関係ないんだもの。
だからね? 子供が怖いものを見たときに「そんなものは存在しないよ」というのはナンセンスなの。怖いものは怖いわけで、怖い原因を作った心の問題を何とかしないと解決なんてしないのですから。
大人の理屈ってさ、心を誤魔化すために使うことが多くて、それは日常の中で常識となってることでさへも納得するために無理やりごまかす方便にもよく使われてる。「理由」というのはそういうものだから、結局のところ実感して納得しないことには解決はされない。だから解決には素直さが最初に必要なの。
認識を変えるためのイメージ操作。魔術の本質はまさにこれなのだけど、多くの人が思うよりも効果的なのです。認識がそのひとの世界観を作ってるのですから。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2017年1月15日
魔が差すというのは視野狭窄による錯視によるもの。文字通りでもあるし、心理的なものでもある。僅かな可能性も心のどこかにおいておいて適度に油断しないのなら魔は差さない。集中すれば視野は狭まるから、集中を解くその瞬間にそれは起こる。だから弛緩して休むときはゆっくりと意識して。
それはこういうことなの。自分が見ている方向は意識してる方向。魔がいるのは見ていない部分、見えていない部分だから視野から外れてる境界線にある。そこには本当は何もないのだけど、意識がこの「明暗差」について僅かな警戒心をいつももってる。その恐怖を意識して制御できないと魔が浮き上がる。
恐怖心っていつも想像すらできないものに抱くものではなくて、「想像が及ばないまでも何か認識の中に入ってきそうなもの」におびえるのです。この境界線の住人についてはいろいろと昔から言われてる。それをうまく利用するのがホラー映画なのです。ヒッチコック作品とかみてみて?
認識より僅か外れたものに人は恐怖を覚える。だから、柱の影に何か隠れてるのに正体がぜんぜんわからないものだと、その影に集中して怯えます。このとき、その正体がなんであってもかまわない。その影は無限に想像力を掻き立てるから正体がずっと判らないほうがホラーなのです。
認識の範囲を広げると影はなくなるから恐怖心による無意識的な苦手意識も克服されます。これを魔を殺すというのです。意識の拡大、光の奔流のこと。
みえそうでみえないものにみんな怯えるの。大抵はいつもそうだから迂回して眺めてみるとそんなことはない。恐怖心を克服するのってそうやるのです。
急がば回れというように。
境界線の住人というのは認識してる範囲と認識していない範囲の、意識の境界線にいる存在のこと。それは「柱の影」のことであり、追いかけても逃げていく。実態がないのだから追いかけてもいないのです。遮光霊ともいいますけどね。
心の不思議な仕組みは、オカルトの中でたくさん利用されてるけど、結局のところ利用する側としてはそれを文字通りなどとは捉えない。用語としてそれを説明するのに適切だから「遮光霊」などという言い方をしますけどね。
霊は「視界の隅」にいつも生まれるの。そしてそれが退去するのも「視界の隅」に他ならない。認識外に消えるのではなくて、認識内と認識外の境界線の部分が入り口になってる。言い換えるのなら鏡の中に入るのではなくて、鏡の中と外の境界線が出入り口なのです。だから水溜りでも何でもいいの。
境界線って無限小の空間のことだから、つまり虚数空間のこと。存在しないのだけど架空の形として存在するもの。何かの現象を説明するのに現れた形のこと。もしくは生み出した形。
無を説明するのには想像力が必要なのです。それが心の機能だと思う。
無に意識するほど想像力がそれを広げようとします。無、無限、無限の光。それだから無限の光から無限の闇も生まれる。闇のほうは本当は存在しないのに無限の光の相対物として設置されるの、心の空間に。
試せば判るけど、無心になろうとするほどに妄想でいっぱいになります。それがひとの心だからしかたない。だって「無」を想定すること自体で存在が開始するようにできてるんだから。
忘我というのは心がからっぽになるのではなくていっぱいに満たされることを意味してる。それで充足することを意味してる。完全にからっぽなのはこの宇宙のどこを探してもないのです。
虚数なんてないさ~♪ 虚数なんて嘘さ♪まあ、そうなんだけどね。お化けも虚数も人が想定したものだけど、想定してイメージできるのなら少なくとも人の心の中には存在してるの、自然の中にはないだけで。これが悪魔は存在しないとしながらもエクソシズムが存在する意義。心の問題は放置できないから。
お化けは存在しないと言い切ることは簡単なのだけど、それを見てしまった人にとってはそれはその人の経験となる。つまり、少なくともその人の心の中には存在するものに変わりはない。実数を証明するのに必要なら虚数を想定するのは無理もないこと。だからといってこれを混同してはいけないと思う。
だからわたしも悪魔はいないとする。ただ、人の心の中にはいるけど。より正確には人の心がそれを生み出す。
科学は人の想像力を明らかに過小評価しすぎてるし、オカルトは人の想像力を妄信しすぎてるように思うの。現実と区別できないほどに。
物事が象徴化していく心の状態というのは、端的に言うと「細かなことが気になりだす」ことを意味しているの。細かいことを気になりだすと、いろいろなことが「天使の助け」だったり「守護霊の影響」など、何らかの不可知の存在の影響と看做すようになる。
(highants @highants_game 7 時間7 時間前
@Ripple1975 一連のツイート、願ったり叶ったりで大変ためになりました。ありがとうございます。魔が差すのが自分だけでなく他人やその場全体に影響が及ぶ場合も、自分の認識の視野狭窄に起因しているものと考えればよろしいでしょうか?
Angeliqua@安眠中
@Ripple1975
@highants_game 概ねその通りだと思います。切っ掛けは焦燥や恐怖心が伝染するものであること、そして共通の世界観を持ってる人たちには特に共通のイメージを作りやすいのです。そのため、物事が象徴化して認識されだすと似たような幻想にとらわれるようになります。
)
不可知の何かの影響というのはあながち間違いではないのだけど、物事が象徴化されて抱いて投影したイメージは「解釈によるもの」であって「自然そのものではない」のです。自然は人間の都合によって姿をかえるだけであり、何か特別な決まった形を持たないからです。
だから何かわからないものにたいして、ある人はUFOだといったりある人は悪霊だといったりします。けれどそれらのイメージは偽りの形であり、人が投影したもの。何か決まったものを投影しないと人はその実態を何らかの形で認識できないからです。
直感像というのは分析すると消えちゃうものです。もし消えないとすればそれは物理的に存在してるか、もしくは心が強くそれに引っ張られてるために知性の機能が正しく働いていない証拠だと考えています。この分析とイメージの特性をうまく利用するのが退去儀式だからなの。
だから子供が怖いものを見てしまったときによくやるのは、それを詳しく説明させることです。そのままだとイメージが強化されてしまうけれど、それが錯覚によるものであることを気づかせるために、分析したイメージを組み替えてしまいます。
簡単に言うと、幻覚は何らかの心理的な状況を説明するために「偶然にも」パズルが組み合わさってしまったものをいうの。そのイメージが心理的状況の根拠であるかのように振舞うから、その根拠となってる鍵を解いて分解するのです。
これは偶然に見つけたイメージ「そうみえるもの」が観念連合によって結びついてしまったものです。それゆえに、その結び目を解くのにちょっと魔術的なことをするわけです。
思い込みがそのひとの心の支えになるとしたら、その「霊」はそのままにしておくのが得策だと思う。それが何であれ、彼の(彼女の)心に良い影響を与えているうちは。ただし、悪い影響になった場合は退去する必要があります。
ひとつのイメージって「なんにでもみえる」のだけど、怖い気持ちがこれと結びついたら怖いものとして解釈されます。だからね? 子供を後ろから抱きしめながらこういえばいいのです。「あれはウサギさんにも見えるよね?」そうやって複数に見えるものに変化させて問題ないイメージに落ち着かせるのです
(おねショタおじさんと同じ対処法!弱くてかわいい自分で扱える存在にイメージすればその通りになる!)
心理的状況がイメージを創出してるのだから、子供の心理的状況を好転させることに重きをおきます。だから背後から包むように抱きしめるの。後ろは見えないから無意識的に恐怖心を抱く。その状況でものがはっきりと見えない位に照明を落とし、安心させながらイメージ遊びでそれをモーフィングするの。
(名前を付けるとはっきりするよ)
このとき、力強い言い切り形式であたかも悪霊を扱うように行います。悪霊さんを貶さずに、しかも断固とした態度で帰っていただくようにいいます。
悪霊退去のときに神様を持ち出す理由はとても簡単です。神様は絶対存在だから「どうして帰らないといけないの?」という悪霊の問いに問答無用で答えるためです。対象としてる子が神様を信じていないのなら、ほかに適当な絶対存在を持ち出せばいい。それを根拠として退去すればいいのです。
「故に、我●●(戦隊ヒーローの名前)の御名によりて汝を退去せん!」でもいいのです。根拠とするのはその子が信じてる絶対存在になればいいのですから。(^^;
絶対存在というのはワイルドカードだからトランプで言うとジョーカー。神様を信じてる人にとってはその名前を使えばいいし、ほかの何かを信じてるのならその名前を使えばいい。ただし、みだりにその名前を口にしないことです。本当に大切なときにその根拠となる名前を使えなくなるのですから。
魔術技法は何か目的があって行うものだから、興味本位で手を出すようなものではないと思うの。霊とか悪霊、天使的存在であってもその正体が実際に何であるのかはわたしにも判りません。また、それを証明することもできない。なぜなら個人的経験によるものだからです。
個人的経験はあるかないかは問題にしてないの。問題は、何か心の問題が生じていたとき、それをいかにして改善して普通の生活に戻るかということだから、その手段が何であれ問題はない。有効ならば西洋医学でも心理学でも、占いでも、またスポーツであっても使います。本当にそれが有効ならば。
神様や天使、悪魔などはわたしにとってはすべて作業仮説なのです。それが実際に何であるかは判らなくても、一種の代数のように扱っています。その人にとってそれがそのように見えているのなら、その通りなのでしょう。問題はそれによって心が問題を起こしてるときにいかに対処するかなのですから。
(カラパイア @karapaia 3時間3時間前
カラパイア : 神に近づくには地下深く潜るべし。地下につくられた世界10の宗教的・歴史的建造物 http://karapaia.com/archives/52232250.html …)
神に近づく方法としてそれが正しいかどうかはわからないけど、火星を目指すよりは海洋探査をしたほうがいいとは思ってるの。
地球のこともまだよくわかんないのに宇宙を目指しても・・・ね?
スペースシャトルや衛星軌道のコロニーよりも海洋探査船のほうがずっと興味津々のわたしです。
地底人とか宇宙人とかいわなくても、身の回りに驚くべき発見はいくらでも落ちてるんですけどね・・・。そういうのも見つけられないような感受性にはなりたくないかな?
いまのオカルトって多感だからではなくて、科学知識によって麻痺してるんだと思うの。何でも通りいっぺんの説明によって理解した気になってるからそれがどのくらいすごいことなのかを理解せず、また実感もしていない。
だからより突拍子もなくてサイケデリックな発想に飛びつこうとしてる。
感受性が強いのって花びらがひとひら落ちただけでも涙を流すようなことをいうのですから、そういうことを経験したことがないのなら霊感が育つのはありえないと思うの。
小さなことにも感動できない心の状態が、果たして霊的なもの感じることができるのかしら?
物事がややこしくなるほど行動を単純にする。そうすると大抵は解決するから。
人格神は信じていない人にはいないのも同じこと。だからどうするかというと非人格神を最初に見るの。見続けてずっと祈る。それは卵みたいなもので、聖母の体内に宿るもの。キリストのレトリックというのはそういうものであり、人の心の中に生まれるからです。人格神は心の中に生まれてくるの。
だからこそ、信じようとしてもそこにはいない。だって、まだ心の中、その胎内に宿ってはいないからです。
聖母の胎内という比ゆはそのまま聖書に書かれている通りのこと。そして魔術的に言うとネシャマーに宿るシェキナーのこと。シェキナー体験をもって魂に宿り生まれてくるのがキリスト(人格神)というわけです。
0:00 - 2017年1月16日
本当は信仰告白っていうのはキリストが(心の中に)生まれたときにいうものだと思うのです。だから人格神というのは生まれてきていないのならまだこれを祝うことができないの。ガブリエルの祝福というのは信仰が生じるときの先触れなのです。
まだ生まれてないものを愛しようがないよね? そういうことなの。
わたしもそれが生じるまではこんなことを説明することすらできなかった。実際に想像すらしていなかったから。だからこそ、魔術とは形式的で技術的な問題だと認識していたの。でも、いまとなってはそれはあまりにも浅はか過ぎたと思ってる。
信仰は内側から自ずと生じてくるものだから誰の助けも借りられない。言い換えると誰もわたしを「西洋の神秘的伝統」には参入させられないのです。それがどんな達人であっても不可能なことだから、ただ目の前で意味不明な術式を行ってそれをわたしは眺めるだけ。胸のお花は自ら咲くの。
何光年も先に思いをはせるよりも足元の石ころに注意を向けます。エクスカリバーだってお家からでたらいきなり目の前に突き刺さってるの。
月のウサギさんを思い浮かべても火星にいるかもしれないと想像してる火星人を思っても仕方ないのです。ひとつだけいえるのは、火星人がいたとして、彼らが足をつけてるのは母星の大地です。だから、わたしたちも母星の大地に思いをはせます。上のごとく下も然り。
アウリエルというのは足元への信頼のこと。この世界に信頼を寄せなければ上の世界で安全なわけはないのですから。
いま足元に神様を見出せないのなら、宇宙のどこを探しても見つからないでしょう。無限存在ということは、いま目の前にも存在してるという意味だからです。
DADaaa @DADA__official 2015年2月24日
昔飼ってたネコが病気になり獣医さんに「薬殺しかない」と言われたが疑問に思い他の獣医さんに見せたら「この子の大好物はなんですかっ⁉︎」「かぼちゃの煮っころがしです‼︎」「すぐ台所で作りましょう!」脈拍も弱ってたがムックリ起き上がり、かぼちゃをむさぼるネコ脈拍安定、という教訓が。。
黄皇大栄 @ououdaiei 2016年10月28日
勝手におすすめ中国の政治思想書とか。ほとんど抄訳しか読んでないけど。1・晏子春秋 http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/ansi.html 2・管子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E5%AD%90 … 3・孫子 4・諸葛亮兵書 将苑・便宜十六策 http://www.geocities.jp/fukura1234/koumei/syouen.htm …
ガチャのシステムはパチスロ=ギャンブルと同じで、依存症を起こさせて儲ける非人道的システム
本人が幸せならOKとか心の問題とか全部詭弁だからね。
その本人の行動が周りに影響するから本人だけの問題じゃないよね。
死人出ているんだけど?
閉店です @lakudagoya 2015年10月1日
フェイド大帝おすすめの「インド宇宙論大全」は凄くいい本だ。この人インドのみならずアーリア系の言語や神話に詳しい。ギリシャ語のアンゲロス(天使)の語源がインドの火の神アンギラスなのはやられた!コーランには天使は火から作られたとあるのよね。アーリアの陰謀やべぇ!
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月4日
ねここねこさんの仏教の記事読んだ。 日蓮宗の箇所なんだが…… アレは元々は天台宗原理主義。 だから天台智顗の教えを知ってないと よく分からない。 法華玄義、法華文句、摩訶止観を読破 してほしいw 天台宗はガチ高度だから、パリサイ派の 悪口集であるキリスト教は足元にも 及ばない
仏教哲学の高度さは、一般人には 掴みにくいと思う。 西洋哲学でも「心の哲学」という 20世紀以降の哲学でようやく 同レベル。(サールとかデネットね) アウグスティヌスやアクィナスと 同じ水準だと考えたらいかんよ?
まぁ、それはさておき、 天台宗で重要なのは「悪は何処から来るか?」 という問題。 この時代の仏教ってのは黎明期の 仏教と違って、この世界は仏が 創造したみたいな教えになってる。 すると善の存在である仏が何故悪を 創ったのかという疑問が当然起こる。
元々の仏教は創造神がいないので こういう疑問は起こり得なかった。 まぁ、天台智顗は初期仏教の 阿含経(いわゆる今日で言う原始仏教) を低脳と一蹴してたので、創造神の いる法華経をベースに教義を 組み立てているから、当然この 難問にぶつかる。
そこで出たのが「天台性悪説」。 続きは添付論文読んどいて。 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36075/1/rel027010.pdf …
カルトでも何でもいいけど、 これぐらいは知識としてあった方がいい。
天台性悪説の考察――仏教における悪の問題――
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36075/1/rel027010.pdf
“悪を「欠如」とする考え方がキリスト教の伝統のなかにある。つまり存在するものは善なのだが,完全に善なる
存在である神にとっては,神以外の存在は不完全なものであり,善が欠如していることになる。そして,世界が全体として完全であるためには,あらゆる段階の不完全さをも含んでいなければならない。このようにして,神の絶対性から悪の存在が説明されたのである。仏教では悪について全く違う考え方をする。さしあたり私は仏教を,あらゆる種類の還元論を
否定するものと大まかに捉えておきたい。ここでいう還元論とは,唯一絶対の存在を想定し,一切の事物をそのような根源に由来するものとして説明しようとする思想の傾向を指している。それに対し,仏教がまず関係性から出発し,あらゆるものの相互依存を「縁起」として説くとするなら,その縁起の網の目から超越する存在などありえないことになる。
(…)
天台性悪説とは,狭義には智顗(538-597)の『観音玄義』において説かれた思想であり,その主張の要点は,如来が行為としての悪(修悪)は断じていても,本性としての悪(性悪)は持っているというものである。ひいては,悪は世界の本質(理毒)であり,何か否定されるべきものとして存在するのではないということになる。この性悪説は他の思想的伝統と天台を区別する特徴的な主張であるとされ,中国と日本の天台教学においては一貫して正統なものとみなされてきた。この教説は思想史的にみても非常に興味深い問題を提起しているし,仏教の思想的背景から出てくる独特の倫理と実践を端的に表わしているものとみることもできる。性悪説への導入もかねて,悪についてもう少し一般的な議論を考察の出発点としたい。M. ヴェーバーは,宗教に課された世界の不完全さという問題を,神義論(Theodizee)として一般化した「諸宗教の重要な特性はまさしくこうした要求によって形づくられた。」(ヴェーバー:49)
このような前提から,ヴェーバーは世界宗教における神議論の三つの類型を示した。
1 予定説(キリスト教,イスラム教)
2 二元論(ゾロアスター教,グノーシス)
3 業・輪廻の思想(仏教,ヒンドゥー教)
予定説においては,全知全能の神が限りなく世界から超越しているが故に,その被造物の世界における善悪のような尺度を神に適用することはできない。人間の運命は神によって決定されており,それは神の御意として人間的に測り知ることはできないものである。また,二元論は世界を神と悪魔,善と悪などに表わされる二つの原理の混濁と戦いの場所として説明する。最後の業の教説とは,輪廻の信仰に基づき,この世における苦難や幸福は過去の行為の結果であると説明する。そして罪業や功徳は来世において必ず報いを受けるとされる。ヴェーバーの関心は宗教と合理主義の関係にあったわけだが,ここでは次の指摘の重要性を確認しておくだけにしたい。 それは, 悪の問題は単に苦難の説明や正当化という問題にとどまらず救済を求める実践と直に結びついているということである。つまりそれは,さまざまな救済の前提あるいは方法として,日常の実践や倫理に重大な影響を及ぼすということである。また「性悪」という言葉は中国の儒教思想における性善・性悪の議論と混同されてしまう恐れがあるかもしれない。通常,孟子が本来人間は善である(性善説)と主張したのに対し,荀子は逆に人間の本性は悪だと(性悪説)反論したとされる。しかし二つの説はこのように単純に対置できるものではない。孟子は善へ向かう傾向が人間に本来的なものだとしたのに対し,荀子は人間の性向の後天的な要素を重視した。だから荀子は性(本質)を「礼」によって変化させることを重視する。つまり性を何か絶対善のような本質的な存在として前提とするか,しないかの議論だとみることもできる。いずれにせよ,ここで重要な点は,儒教的な意味での「性(せい)」はあくまで人間の生得的な本質 心理的傾向と捉えられているのに対し, 仏教でいう「性(svabhāva)(しょう)」とは人間に限らず存在する全ての事物(諸法)に適用される言葉であるということである。したがって仏教の文脈で「性」は悪であるといった場合, それは単なる人間社会の問題にとどまらず, そのまま宇宙観・世界観の問題となることに注意しておきたい。
(…)
闡提とは一闡提(いっせんだい)(icchantika)の略であり,断善根とも訳される。それは悟り・成仏の可能性をもたない者のことをいう。この一闡提の存在をどう考えるかは大乗仏教の伝統においても大きな問題とされ, 『涅槃教』においては全てのものが仏性を持つ(悉有仏性)(しつうぶつしよう)という立場から一闡提の成仏も説かれた。この『観音玄義』の場合,如来と一闡提を対比的に捉えつつも,決定的な断絶というものを両者の間に想定しない 如来は実際の行為としての悪 修悪 は断じているが本質・可能性としての悪(性悪)は具えているという。逆に,一闡提は行為としての善(修善)はないが,本質・可能性としての善(性善)を具えているのである。もし悪を完全に断ち切っていたら,如来は煩悩の世界から切り離され,そこにおいて活動できなくなってしまうだろう。悪を断じていないからこそ 如来は衆生の世界において自在に衆生を救うことができるのである(2)。
その逆もまた言えるだろう。つまり,性善というものが,一闡提に限らず凡夫の成仏の根拠となるのである。
(…)
四明知礼は, 「即」のさまざまな解釈を示しつつ,天台の立場を明らかにしようとしている。それぞれ異なるものとしての善と悪が合一している(二物相合)のではなく,同一のものの表裏一体の関係において善と悪がある(背面相翻)というのでもない。天台の当体全是とは,悪を切り離したり善に還元することを説くのではなく,善は善,悪は悪としてそのままで即同一であるというのである。
(…)
このようにして中国で確立された天台教学は,日本においては,いわゆる本覚思想 と呼ばれるものを生み出していくのである。本覚思想においては, 「善悪本より自仏なるが故に,迷ひの時も悟りの時も全く欠くることなし。己心所具の法なり。常住にして改めず。」(『三十四箇事書』, 日本思想大系9,169)というように,善と悪の対立関係すらなくなり,悪は悪としてそのまま肯定される,という方向に思想が展開していくことになる。
(…)
いわゆる天台教学というものの根幹をなすものが『法華文句』, 『法華玄義, 『摩訶止観』の『天台三大部(5)』といわれるものである。そこで示された智顗の思想において基本となっているのが心を観察すること(観心)である。その際,観の対象(境)とされる心が実は世界そのもの(法)であると観ずることが重要なわけであるが,その心=法のあり方が十界として表される。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の世界が分けられ,それぞれの世界が分割されつつ,互いを分有しているという世界観が智顗の思想の根幹にある。悟りの世界も迷いの世界も孤立しておらず,相互に関連して成り立っているのであり,つまり心は地獄から仏,悪から善へと様々に転化しうる可能性があるとされる。このような心の捉え方は一闡提の成仏の可能性を「性善」とし,如来の救済の能力を「性悪」とした性悪説の理論的な背景となるものといえる。
このような天台教学の体系において悪とはいかなる意味を持つものであるのか。仏教でいう悪とはすなわち煩悩のことである(6)。天台では煩悩に三種を数える。見思(けんじ),塵沙(じんじや),無明の三惑である。
まず見思の惑とは見惑と思惑の二つの惑のことである。見惑とは物の道理に迷う知的方面の煩悩のことをいう。すなわち空の道理を知らずに事物には実体があると誤認することで生じる諸々の見解である。思惑とは物事に執着して喜怒哀楽する人間の感情的・身体的方面の煩悩をいう。
次に塵沙の惑とは,菩薩化導障ともいい,菩薩だけがもつ煩悩とされる。誤った社会的知識により,人びとを救済できないことである。最後に無明の惑とは根源的な無知のことで,分別された世界を生み出す煩悩である。
この三惑を観心の実践によって克服していくのが,天台の基本的な主張だといえる。しかし,智顗は単純にこのような悪を消滅させてしまえばよいと考えていたわけではない。
凡夫の心の一念に即ち十界を具し 悉く悪業の性相あり ただ悪の性相は即ち善の性相なり
悪によって善あり。悪を離れて善なし。(『法華玄義』,大正33,743c)
このように 善と悪は相対性かつ相互依存的なものだと説かれている 見惑(空を見ないこと)と思惑(貪怒痴)によって実体化(有見)が生じ,その有見が善悪の違いを生むのだから,要するに善と悪は有見(一切法,つまり存在するものを有とみてとらわれるありかた)に由来することでは同じである。悪とは端的にいって, 「心=一切法のありかたを有とみるところに成立するいわば認識論的態度」(新田1975:145)だといえるだろう。
大乗にも亦心は一切法を生ずと明かすは 十界を謂うなり 若し心は是れ有なりと観ずれば
善あり,悪あり。...皆是れ中道実相の法にして畢竟清浄なり。誰かは善,誰かは悪...此十法
の邐迤浅深は皆心より出づ。(『摩訶止観』,大正46,52bc)
「煩悩即菩提」とか「生死即涅槃」といった言葉は智顗の著作のいたるところに見出すことができる。それと同じ事態が「十界互具」という言葉で表されているとしたら,観心の対象とされる諸法の実相も,善と悪をともに含んだものでなければならないはずである。
凡夫の一念に皆な十界の識名色等の苦道の性相有り...苦道を離れて別に法身有らず
(『法華玄義』,大正33,744a)
このような主張は性悪説と変わるところはない。それはもちろん,悪の正当化ではない。
「汝今云何ぞ善を呵して悪に就かん。」(『摩訶止観』,大正46,19a)。
悪がそのものとして正当化されるというのは,空へ執着(悪取空)しているものの言葉である。
大乗の観心は,悪心を観ずるに悪心にあらず。また悪に即して,しかも善なり。また即ち悪にあらず,善にあらず。善心を観ずるに善心にあらず。また善に即して,しかも悪なり。また善にあらず,悪にあらず。一心を観ずるに即ち三心あり
(『法華玄義』,大正33,778c)
天台教学において悪とは,善と同じ根源をもつものであり,つまり善と悪はともに諸法としてそのまま真理(実相)なのである。
4 縁起的世界としての諸法実相
ここで,天台思想の核心を表わす言葉である諸法実相(しよほうじつそう)ということが問題となってくる。現象世界(諸法)がそのままで実相(真実のあり方)なのだ,という考え自体は龍樹にさかのぼることができる。中村元によれば,中論において縁起, 「『縁って生ずること』がそのまま諸法実相として捉えられ」(中村2002:283)ている。このように,諸法と実相との二項対立を立てないことが仏教,特に大乗仏教の根幹をなす考えであったとするなら, 『法華玄義』の解釈は法華経の教説を単に正確に注釈するというよりも,むしろその思想的本質を継承し,解釈しなおしたものといってよいだろう。
(…)
縁起は法の本来的なあり方であり,生滅変化してやまない世間の相も,縁起である限りそのままで法の住,法の位,即ち常住であるということである。つまり世間,これは現実の煩悩の世界といってよいと思うが,それが悟りの世界と同じものだと解釈することができる。「法」と「世間」は究極的には同一の真理をあらわすものである。
(…)
真理と現実の断絶を認めるものではないのである。
世界と断絶していたり,すべてがそこに還元されてしまうような超越的存在のようなものはその前提からしてありえない。それは, 「如来・仏」であろうが「心」であろうが例外ではない。このような思想が実践的に展開したのが性悪説であるとみることができる。
(…)
天台の説く如来とは,世界から超越しない如来なのである。つまり,如来といっても単に悪を断ち切って別の世界に行ってしまった存在とは全く異なる 「悟り」というものも世界から隔絶された何か別の存在に変身することではない。
(…)
また重要なのは,天台教学で心が法であるといわれるとき,法と心のどちらかに一方が還元される,という意味ではないということである。それは「心法を仏法や衆生法の根本とするが如き唯心論的思想とは趣を異にしている。」(安藤1968:138)。
(…)
一心が一切法を生じるという説,心とは別に存在している一切法を一心が認識するという説,また心に一切法が還元されるとする説,このような考えがすべて否定されている。心と一切法は時間的,あるいは空間的に関わるのではない。
(…)
ここまで考察してきた天台性悪説の思想構造と特徴をまとめてみれば,すべてが相互依存において成り立つという縁起論的世界観の徹底と,実践的問題意識の追求の二つだといえるだろう。
否定的なものが同一性に回収されない世界を性悪説は説いているといえる。天台の説く世界には中心が無いのである。
性悪説において最も特徴的なのは,救済と修行の基盤・根拠として超越的なものを想定しないということである。超越や還元という考え方こそ,天台思想が批判するものであった。このような観点から性悪説を捉えなおしてみれば,どうなるだろうか。
天台性悪説へ向けられた批判の一つは,その倫理性であった。もちろん悪の正当化であるという理解は誤解である。性悪説は縁起論の正統な理解に基づき,悟りと救済の根拠として説かれたのである。
(…)
性悪説は一闡提の成仏と如来の救済の根拠として説かれた教説であった。その主張によれば,如来といえども縁起の世界から超越した存在ではない。悪を完全に断じた仏・如来という想定は縁起によって成り立つ世界を否定してしまうからである。如来/一闡提という実体が本性として善/悪を持つと理解すると誤解が生じる。いずれも縁起的存在として理解すべきである。そしてこのような性悪説の主張は,決して異端的なものではなく,天台教学,そして仏教の思想の中で正当化できることを示してきた。性悪説は現世の単純な肯定でも拒否でもなく,超越者や絶対の真理というものの実体化を徹底して避ける縁起思想が実践論となったときに行きつく必然的な帰結なのである。
(…)
田辺は天台教学の用語を借用しつつ, 「区別はありながら,互いに融通し合って相互にもちつもたれつ,相即不離の関係をたもち,動的統一を形造るというのが,空仮中の三諦が円融しておるということなのです。」(田辺2003:70)ということを重視する。このような議論は天台と華厳の論争を想起させる。性悪説とは, 「翻善之悪は理に違し物を損す。不善の相は麁にして上位に通ぜず。」(『探玄記』,大正35,319b)というような華厳がたてる理(真如)の基体的性格(7)に対して唱えられたものであった。田辺は,あらゆるものが善なる一者において階層的に発出し,還元されるプロティノス的な基体論,流出論を批判したのである。(…)
如来が悪でなければならないのは,悪が如来そのものだからなのである。このような意味で,性悪説は超越者のいない倫理である。
(…)
超越者のアプリオリな前提が,他者への暴力やニヒリズムというように袋小路に陥ることは歴史が示してきた。今村仁司は,仏教に別の道を探ろうとしている。
超越存在を否定しても,あるいは超越的な神を除去しても,広義の「宗教的態度」が可能であり,また人倫的行為(仏教でいう慈悲行)が完全に可能であり,その可能性が現実的になるということこそ,仏教が教えるもっとも重要な事実であり,またそこに仏教の最大の特徴があり,人類思想史上卓越した意味がある。(今村2004:456)
(…)
仏教の「自他不二」という対場が決してニヒリズムに陥らず,逆に実践の原理となることを示した歴史的な例もある。寂天(じやくてん)の『菩提行経』は,中観派の立場から他者に対する奉仕の実践を説いている興味深い書物である。
まず仏教というものは知っているだけでは何の意味もなく,実践として具現化されなければ何の意味もないとされる。「口に誦するも身に行わざらば,当に何に喩うる所を得べき。譬えば重病人に空しく薬の力を談ずるが如し。」(大正32,547b)。仏教の実践とは苦しみを避けることであった。「如来及び法とは,有情と平等なり。」(大正32,550a)。このように「自他不二」を観ずれば,自分の苦しみと他人の苦しみは別のものではない 「彼が苦怖より脱せずんば,自らに於て当に何にか勝るべき。」(大正32,554c)。つまり自他が不二であることに,他人の苦しみを救う理由があるのである。「自らの苦を消除せずして,他の苦を消除せんと欲す。」(大正32,554c)。
苦しむことが,苦からの脱却を目指す実践となる。性悪説の意味するところは,この逆説なのである。
「十界互具」というものも,本当は悪人も仏なのだというように還元主義的に誤解してはならないだろう。逆にいえば,仏も本当は悪なのである。このことが示すのは, (十界の)ある状態を特権化してそこに安住してはならないということである それ自身であり続けるものなどない。
全ては変わらずにはいないのだし,分節化された世界に住む以上,行為の網の目から超越(善悪の彼岸)することはできない。これは,各々の存在の状態はつねに流動的な円環のなかにあるということに他ならない。悟りに至った如来としてのあり方も一つの始まりにすぎない。地獄を含むどの世界も一つのあり方であると同時に新しい局面の始まる出発点を示している。このような意味で,われわれは仏の影響の外に出ることはできないともいえよう。
(…)
仏教の考える悪の消滅とは,悪という実体が消え去ることではなく,悪を悪たらしめていた条件が解体することであろう。仏・如来というのも超越的な存在ではなく,縁起している世界そのものである。このことの自覚が涅槃である。そこでは,善悪や真偽のような二項対立自体が消え去っているはずである。つまり,涅槃によってこの世界が否定されるのではないということである。何かが否定されたり排除されるのではない。差異は差異としてそのまま法なのである。これこそ,十界互具という言葉で言い表された事態でもある。
このように徹底した縁起論的前提に立てば,実体化された善や悪や絶対神といったものに安住することは決してできないし,安易な現実肯定に陥ることもないだろう。悪はなぜ存在するか,という冒頭の問いに戻るなら,性悪説の立場からはこう答えられるだろう。悪も善(如来)もそのものとしての実体はなく,超越的な存在ではない。両者は救おうとする働きと救われる対象が生み出される働きとして,同一のものなのである。そしてここに, 「救済」と「修行」という実践の根拠を見出すことができるのである。
(…)
仏に性悪があることによって,極悪人が悪をなし,罪を犯すにいたった心情を理解することができ,ひいては救済の能力も出てくるのであり,善のみで悪を知らなければ,悪人を救済することができず,したがって仏の資格にふさわしいものではない。
(…)
悪をめぐる議論は天台だけでなく,仏教全体に関わる問題である。善悪の問題については原始仏教の時代から論じられてきた。仏教にとって悪をなさない,といわれることの根拠は外面的に表れた行為そのものではなく,欲望にある。これが典型的な仏教の考え方だといえるだろう。だから単純に悪がなくなり善だけが残ればよい,というのではない。悪というのは善と同様,欲望がとる一つの形態に過ぎない。逆に,行為をいくら外面的に規制したところで欲望が変わらなければ無意味となる 目指されるべきは欲望のコントロールである 原始仏教では この解脱の道としての善(kusala)と世俗的な意味での対概念である善(puñña)と悪(pāpa)は実は明確に区別されている。”
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寝違えの原因は首じゃなくて脇!?意外と知らない寝違えの正しい治し方!!
http://matome.naver.jp/odai/2133739350605383501
寝違えをあっという間に治す方法 ~寝違えの原因と根本治療、対症療法のまとめ
http://d.hatena.ne.jp/kiyo560808/20121107/1352247651
“寝違えの原因
寝違いで首が痛くなり動かなくなる原因は、寝ている間に脇の内側を通る腋窩神経(えきかしんけい)が圧迫されること。
腋窩神経は首を支える筋肉につながっていて、ここが血行不良でしびれると首に痛みが発生する。
寝違えの治し方
根本治療と対症療法がある。
まずは根本治療を行い、痛みが残っていれば、対症療法を行うとよい。
【根本治療】脇の下の筋肉を伸ばし、血行をよくする
首や肩の痛いところを揉んだり、薬を塗っても治らないが、下記の方法で脇の下の血行を回復したら、動かない首が、すぐ動くようになる。
リラックスして手をダラーっと下げる。
首の痛む側の手をゆっくり後ろに、自然に止まるところまで引き上げる。
止まったところで、20秒数える。
次に肘を110度に曲げた(鈍角)状態から前方に上げていく。おそらく、真上まで上がる。
その状態で20秒。
以上を3セットほどすれば、神経が開放されて首が動かせる。重症な人はさらに2~3セット続ける。“
“【対症療法】コリをなくす(痛みを緩和する)
これは、抜本的な解決法ではないが、痛みを緩和する効果がある。
首を両側に傾けて、どちらが痛いか確認する
頭を中心(垂直)に戻す
もし首の左が痛んだら、左手の指を左のこめかみに当てる
右側が痛ければ、右手の指を右のこめかみに当てる。
指と頭で押し合う。そのとき双方の押し合う力は均等にする。つまり、頭の位置はそのままで指と頭で押し合う。
そのまま4秒ほど静止
そして、首の力をゆっくり抜く
1~6の手順を4セット繰り返す
※この方法は健康のためするものではないので、両側をやる必要はない。寝違えた時に、痛みのある方をやればよい。”
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おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 2016年11月30日
私が現代政治に対して言えることは「殺戮しろ、略奪しろ、権力を潰し切れ」以外の事は何も言えないの だから、これが本物の権力の中枢ーとか、誰が権力を握ってーとか、はっきり言って興味ないのそれよりも大事なのはお前が権力者になるか、否かであってそれ以外の権力に置いて重要な話はないの
私は基本的に政治術としての術を語る事には根本的に意味がないと思って語っているけど、究極的な答えとして貴方が政治の主体、及び政治というものを動かす側になるのかという議論以外重要なものはなくて、政治というものに関係を持っていないものが術を問いても意味が根本としてないのよ
政治って何か? 利益を撒く胴元になる為の思想や手段や手法であり、この場合における利益というものは特定ではなく、非常に多義におけて金銭もそうだし、地位の振り分けだったり様々な利益を分配する側に回るため、またはその利益を享受する為にはどうすればいいのかという事でしかないの
私がする政治術の話は事例でしかなく、現状起きている事実ではなく結果でしかないの 本来の政治というのは結果の話ではなく、過程の話をせねばならないわけなのだけど、そうなると一気に命や立場の危険が出てくるので私自身それを勧めないのはどうせ中枢の情報にありつく事はほぼないと見ているからだ
それが程度の低い権力者ほど占いを好むに繋がっているわけだ というか、程度の高い権力者は自分で自分を占う事が出来る ある時は己が見た夢で、ある時は己の身に起きた事象で、ある時は人づてに聞いた出来事によって己の身や周辺を占い、またはそれを分析する事が出来るので賢い権力者は占える
但し、専業で出来るものには劣っているので正確さを求める為に専属の占い師がいるのだけど、賢い権力者は一方的に占い師の言うことを信じない 正しくは信じてはいるものの信じ過ぎれば、己や周辺及び占い師にも害が生じるので矩を超えないようにする、それが権力者の占いである
言い方を変えれば、基本自分を占えない権力者は無能でいるだけで、害でしかないのよ なので、どこぞの連中がオカルトの儀式とかしているというのを聞くと本当にこの世界の権力者というものははりぼてで肩書きは大層なものをもっているが自分で自分を占う事が出来ない時点で核廃棄物でしかない
こういうこと言うとアホが湧くから言っておくけど、別に占いの能力って特殊な能力ではないからね 確かに特殊な能力を持つ人間が占いをやる事はあるけど、占いはあくまでも統計知であって、その統計知をどの様に解釈するかというのに柔軟性と経験が必要になるのでその分析感覚が難しいという事なだけ
何故に当たりやすい人と外れる人がいるのかは単純で
一つは解釈と相談者の立場を踏まえていない、
二つに相談者が隠している事がある、
三つに占い師が余計な思想や思考を持っている場合、
基本1と3は占い師の責任、2は相談者の責任である だから、誰が占っても外れる人間はまず自分を見直しませう
占い師にも占いされる側にも向いていない人間として、自己愛が強すぎる・他人の意見を聞かない
・一歩引いて物事を見たり考えたりすることが出来ない・意思が弱い・意見を右左にすぐに変える等のどちらにも両極端な人間は占い師にも、相談者側にも向いていませんし、占いという科学分析ができません
なので、そういう人は占いなんぞせずに勝手に生き死にしたほうがいいです どうせ、占っても外れるでしょうし、占っても自分勝手に生きるか、誤解して自滅するので占いをされる方が間抜けです 私は占いをするかって? しますよ、特に夢占いは何故なら私は幼い頃から不思議な予知夢をみるので
さふ @Sahkert 1月11日
手巻き,きせる,パイプ好きのにいちゃん方は風邪っぽくなったらスーパーでタイム買ってきて詰めて吸うといいですよマジで,
そう,鶏の香草詰めとかに入ってるあれです.
「煙遊びと煙薬」で知って俺も試してみたんだけど,古来からあるハーブって効果があるからこそ今まで残ってきたんだなと思える
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青井硝子@18日薬研さんがリツイート
さふ @Sahkert 1月11日
だいぶからいし匂いも「いかにも」といったものが漂うけど逆をとればこれこそ煙薬って感じだし情緒があってよろしい
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青井硝子@18日薬研さんがリツイート
さふ @Sahkert 1月11日
バカみてぇにのどかぜ治らねえのにブチ切れたから綿半でタイム買ってきてきせるに入れて吸ったら凄い勢いで回復したので香草は強い(強い)
( タイムは、から咳、百日咳、気管支炎、気管支喘息、喉頭炎などに使用するハーブティー
http://www.hyakka-saen.co.jp/taimu/taimu.htm
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2017年1月22日
そのためのマニ車。ころころとただ転がしてるのに意味がある。わからない人のためのもの。
LRPGでさへ本気でやらないときっとわからない、一生かかっても。でも、本気で何かをしていれば必ず何かをつかむ。そういうものだと思うの。
大抵は最初に習うものに奥義がある。いろいろなことをみてきたけど、みんなそうだった。そこに基礎鍛錬以上のものがあるから。
基礎的な事柄は10年や20年続けても出し殻には決してならない。そこに何段階もあることを見出せたらきっと楽しくなる。その上に乗ってるものはすべて最初の発展形でしかない。だから基礎が駄目ならいつか先へはまったく進めなくなる。だから最初に戻ることになるの。
たぶんね、先に急ぎすぎてる。アートと分類できるものはたった数年では身につくことはない。それが可能なのは100年に一度の天才くらいだから。
基礎にたどり着くには30年かかることもまったく珍しくないの。テクニックがそこでみについて、アートに気づくのがやっとそこから。わたしもまだスタート地点に立っただけなのでこれ以上のことはいえないですけどね。
欲すれば欲するほど目は開かない。だから辞めちゃえばってよくいうのです。それで帰ってこられなければそれまでですし、本当に望んでるのなら必ず帰ってくる。
本当は臆病で弱い部分というのは武器になる。自分のそういう部分に気づけるのならその理も利用することができる。転ってそういうものだから、自分が視野狭窄になる瞬間を理解しないとこれは教えられない。
懐中電灯もって夜道を歩けばいいの。そうしたらきっと何か気づくことがある。灯りをともしてそれを向けている方向しか見えない。その灯りを見たい方向に人は向けている。だから相手の見たい方向をこちらで制御できればほかは相対的に暗くなる。相手には全方向に目があるみたいで気持ち悪いでしょうね。
何かに意識を集中するのってその領域に意識を限定するということだから、そのほかが見えなくなる。見えないということはないも同然なのです。
わたしはとてもシンプルで簡単なことしかいわないってよくいわれるけど、最終的に残るのは本当に簡単なことで十分なのです。形式すら持たないのが最終的にはいいのですから、形なんてそれにたどり着くためのプロセスでしかない。
上昇と下降。最初に基礎から開始して複雑化していくの。でも、複雑化はただ降りてくるための下準備でしかない。徹底して複雑化してそれに慣れてしまえばあとは戻ってくるだけ。最初に戻るのです。
単純なのから難しいのに向けて行い、何度も上下を繰り返す。だから蛇行して進む。蛇さんの道なのです。基礎を展開して応用を、応用から転じて基礎を学ぶ。基礎を学ぶための応用なのですから。
応用をとことん学んだ後の基礎は最初に学んだものとはまったく異なってることに気づく。だから、基礎を学ぶのって応用が正しいか否かをみるための試金石なのです。
先に進めないようなら無理をせずに基礎だけ延々と続けさせるのがいいの。怪我をするよりずっとましだから、それで駄目なら先へは進めない。もし芽があるのなら基礎からでも何かに気づく。気づかなければ進まないほうがずっといいのです。
それが柔道だったら受身だけ何十年も続けるほうがいいと思う。それで何かに気づかなくても、少なくとも怪我をしないことだけは確実に学ぶから。
ポンプーは基本中の基本。蟷螂門でもやりますね。
秘門蟷螂と竜形八卦掌はいまでもだんな様に習ってます。もう20年くらいになりますが。
最初に習ったのをもっと習熟すると使いやすくなるかも? あまり凝ったのを始める前に徹底するのがお勧めです。わたしはいまだにシャオフイェンばかりやってる。
〔崩歩…ポンプー
小虎燕(シャオフイェン)と小八極(シャオバァヂィ)〕
呼吸もそうですが内臓の意識化は大事だと思う。体の表面だけ意識することが多いから、ときたまそうやって調整しないと体と意識の同期がずれてくる。
4-4-4の繰り返しは止息が苦しいなら2のリズムでもいいですが、まずは身体の基準リズムに気づくところまでです。
呼吸で大切なのは数えることそれ自体です。身体について意識し続けることからあることを学び取ります。
意識による継続的な身体へのトレース。呼吸法で最初に目指すのはこれです。だから数えることをやめない。
呼吸それ自体に意識し続け、身体の状態変化を「聴く」のです。このとき、身体がどのような小さな変化を繰り返してるのかずっとイメージし続けてください。
数えることって、意識を集中するためのトリガーなの。
試してみて? 数えないで呼吸を繰り返してると次第に眠くなります。何らかの道筋がないと脳が眠ってしまうのです。だから数えることにまずは習熟します。
意識の基準点が判らないと上昇も下降もできない。電気なら、ゼロ電位が判らないのにそこから上とか下とかいっても具体的に何ボルトなのかわかんないのです。だから意識と身体の基準をみつけることから開始します。
耳鳴りが起こるのは身体が発する微細な音に気づくことだから、これはある意味でずれが生じてるの。それを聴きながらゆっくりと心をあわせていくと基準が見つかります。そのまま意識して無いとただ身体がゼロ点調整するので耳鳴りがそのまま消えるだけです。
聴覚は微細な受信機だと思えばいいです。身体自体がノイズを発してるから、そのノイズの頂点のところにゼロ点をあわせるとノイズは消えてなくなります。それとともに、受信感度は最大になるのです。
オカルトもいいけど、医学や科学の本もよく読むのがいいの。最も基礎的な文献のほうがいい。治療を行いたいわけじゃないので。
―――――――
燈火 @to_moshibi 2時間2時間前
寺は戸籍の管理などで生活の一部として機能してきた歴史を持ちます。この点でも日本では仏教優位の時代が長く続いていました。
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燈火さんがリツイート
アイボリー @mrunsmily 2014年6月13日
お宝鑑定団は、鑑定家達の魔術を披露する番組という様にもとれる
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燈火さんがリツイート
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2014年8月27日
価値を与えるマジック(魔術+呪術)
①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。
②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。
葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。 @mrunsmily
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燈火さんがリツイート
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2014年8月28日
@mrunsmily 蓄銭叙位令の目的は流通を促す為という説明は一面的。真の目的は財源=現物確保。物々交換=等価交換が嫌で一方的に財産が欲しい朝廷は、金属片を貯めれば位が得られるようにする。等価交換ではないと理解していた人々にはあまり効果なし。朝廷も金融詐欺で財産を奪おうと画策。
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燈火さんがリツイート
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2014年8月28日
@Jd805 @mrunsmily 神社が天皇を動かしたのは嘘。愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理した。仏教徒の天皇と本地垂迹説=仏教圧倒的優位、門跡寺院はあるが門跡神社はないことを隠す為に、神道=和風耶蘇教の儲のガーター勲章持ち偽天皇をクリスチャンが捏造。
燈火
@to_moshibi
パレルモはイタリアのシチリア島にある都市で、かつてはシチリア王国の首都でもあり学芸の中心として栄えた歴史を持ちます。シチリアを統治したオートヴィル朝はパレルモを拠点に、東方の文化を積極的に採り入れ、世界地図を製作するなどしています。
)
20:32 - 2017年1月27日
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子子子子子(ねここねこ) ツイート内
テキスト
@to_moshibiさんへ返信する
燈火 @to_moshibi 4 時間4 時間前
オートヴィル朝のルッジェーロ2世がイスラムの地理学者イドリーシーに製作させたものが「タブラ・ロジェリアナ」と呼ばれる世界地図で、その正式名称は「世界横断を望むものの慰みの書」といいます。世界を南北7気候帯、東西10地区の70区画に分割した上でアラビア語で記述されています。
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね
燈火 @to_moshibi 3 時間3 時間前
「タブラ・ロジェリアナ」はアジア・ヨーロッパ・アフリカの3地域を、地中海に面している場所を中心に記述されていて、当時の地図としては非常に正確で、数世紀にわたり使用されていたそうです。
コロンブスの成功を助けた!?イドリスィーの初の正確な世界地図
http://mankinds-bigadventure.blog.jp/archives/1562192.html
燈火
@to_moshibi
選帝侯は神聖ローマ皇帝選挙権
ユダヤ保護権←重要
貨幣鋳造権←重要
を持つ大貴族。
ハノーヴァー選帝侯の子孫が英国王室。
反ユダヤ主義のルターを保護したザクセン選帝侯。
キリスト教徒の選帝侯が通貨発行権とユダヤの銀行家支配権を所有。
∴キリスト教>ユダヤ教
@wolvesknow
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光兎
ひろのしん
子子子子子(ねここねこ)
のら猫の手
hiroaki hatano
燈火
Eiji 5554
McLaren MP4/12C
狼たちは知っている
23:46 - 2016年5月5日
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子子子子子(ねここねこ) ツイート内
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@wolvesknowさんへ返信する
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年5月6日
金印勅書https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8D%B0%E5%8B%85%E6%9B%B8 …より引用、解説。
”最も有名なものは神聖ローマ帝国における1356年の金印勅書であり、ニュルンベルクで開催された帝国議会において神聖ローマ皇帝カール4世によって発布された。この金印勅書はその後約400年にわたって神聖ローマ帝国
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年5月6日
の基本的な体制を規定した。主な内容として、「ローマ人の王」(通常、ローマ教皇によって戴冠されて神聖ローマ皇帝となる)を選定する7人の選帝侯を規定している。大空位時代を解決するためだけの産物ではなく、レーエンも併せて規定された。
主な規定
選帝侯はマインツ大司教、トリーア大司教、
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年5月6日
ケルン大司教の3聖職諸侯、ライン宮中伯(プファルツ選帝侯)、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯、ボヘミア王の4世俗諸侯の計7侯に定める。
選挙はフランクフルト市で行い、戴冠式はアーヘン市で行う。
選挙は単純過半数にて行う。選挙結果に従わない選帝侯は選帝侯位そのものを失う。
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年5月6日
選挙結果は教皇の承認を必要としない。
選帝侯は諸侯の最上位を占め、領内における完全な裁判権、鉱山採掘権、関税徴収権、貨幣鋳造権、ユダヤ人保護権を有する。これらは先に述べたレーエンの最たる部分である。”
選帝侯特権は反バチカン。
選帝侯の手下のロスチャイルドは通貨発行権を持てない。
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年5月6日
”選帝侯領は分割を禁止し、長子単独相続とする。
選帝侯は、「呼び出されることなき権と召喚せられることなき権」を有する。選帝侯への反乱は大逆罪として処罰される。
皇帝が空位の場合には、プファルツ選帝侯がシュヴァーベン地方とフランケン法の及ぶ地域を統治する。
諸侯間の同盟は禁止する。
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年5月6日
私闘は禁止する。
選帝侯をはじめとする諸侯の領邦主権の法的確定をする。
…
金印勅書はこれ以後、神聖ローマ帝国の最高法規に位置づけられ…選定侯には、重要なレガリアと裁判権における不移管および不上訴の特権が付与され、主権国家のような強い権限が認められた…”
消されそうな記事ですね。
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年5月6日
参考文献 佐藤彰一・池上俊一『世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成』pp.326-327、中央公論社、1997年5月
多くの陰謀論者が無視する点を盛り込んで陰謀論者チェックリストを作りました~はじめにお読みください①
6.わずかなことでもほめる
子子子子子(ねここねこ)
@kitsuchitsuchi
陰謀追及者必読リスト
※本を出せる陰謀論者のブログや本や講演会は以下(最低限心理操作術と支配層の視点を学んでから)で判断基準が育つまで一切無視しないと信者化!
ネット上に要約があるものもあるので検索推奨
(ネット上で無料で読める)詭弁のガイドライン
チャルディーニ『影響力の武器』
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燈火
9年B組 セティくん
massi
すちーむれんじ
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光兎
C.F.E.
ひろのしん
子子子子子(ねここねこ)
19:25 - 2016年11月27日
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年11月27日
子子子子子(ねここねこ)さんが菊池をリツイートしました
グーラ『論理で人をだます法』
野崎昭弘『詭弁論理学』
架神恭介『完全教祖マニュアル』
マキアヴェリ『君主論』
大田俊寛『現代オカルトの根源』←@kikuchi_8様とねこたさんオススメ
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/801322992584232961 …
子子子子子(ねここねこ)さんが追加
菊池 @kikuchi_8
オカルト好きの人におすすめの本がある。「現代オカルトの根源」大田俊寛著。現代のオカルトの起源が思想史的に解明されている良書。現代の各種思想・思潮というものは必ず過去を遡れば起源やネタ元がある。その辺に自覚的だとどっぷり洗脳されない耐性が身に就くと思う。思想史的な予備知識は…
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年11月27日
子子子子子(ねここねこ)さんが子子子子子(ねここねこ)をリツイートしました
ハフ『統計でウソをつく法』
孫子
佐藤優『神学の思考』
聖書(創世記、出エジプト、マルコ伝、黙示録)
魚川祐司『だから仏教は面白い!』
稲生平太郎『定本 何かが空を飛んでいる』
プラトン『国家』
フリース『イメージ・シンボル事典』
子子子子子(ねここねこ)さんが追加
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
君主論や完全教祖マニュアル以外の良書集↓
https://twitter.com/ououdaiei/status/791890550550990848 …
https://twitter.com/ououdaiei/status/791891112382205952 …
https://twitter.com/ououdaiei/status/791892495584022528 ……
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年11月29日
子子子子子(ねここねこ)さんが菊池をリツイートしました
『統計でウソをつく法』
①誰がそういっているのか?出所
②どういう方法で分かったのか?調査方法
③足りないデータはないか?隠されている資料
④いっていることが違ってやしないか?問題のすりかえ
⑤意味があるかしら?どこかおかしくないか?
子子子子子(ねここねこ)さんが追加
菊池 @kikuchi_8
@kitsuchitsuchi 「詭弁論理学」はいいですね。あと、香西秀信氏の「論理病をなおす!」「レトリックと詭弁」「論より詭弁~反論理的思考のすすめ~」なども参考になりました。工作員の駆使する詭弁術の種明かし本としても活用可能だと思います。
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年11月29日
knznymmmy”統計でウソをつく法はおもしろいぞおー♥
全くなにひとつも不正なしに統計を出した結果を操作する実例が紹介されてたりする”
必読真偽判定術
史料批判方法
http://1st.geocities.jp/huhito80/F-M-Siryouhihan.html …
歴史学研究法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%B3%95 …
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子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 2016年11月30日
木下是雄『理科系の作文技術』
”事実(証拠をあげて裏付けできる)と意見(判断、推論)をきっちりわけろ
事実を述べる文に主観に依存する修飾語(意見)を入れない…
ここからは「意見…区切りを明確に…”http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-118.html …
藤村シシン『古代ギリシャのリアル』
菊池 @kikuchi_8 2015年8月15日
今様「出口王仁三郎」とはこの辺にいるのか?と一応「持ち上げておく」(笑)今の時代は、はっきりとした教団組織を取るよりも、リゾーム状のネットワークの中心にハブとしての「教祖」が座る、という形態の方が影響力を行使できるのかもしれない。「カルト教団」ばかり注視すると見誤るかも知れない。
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菊池 @kikuchi_8 2015年8月15日
実際に、「大本教系勢力」は現代においては、大本教信徒であることはかなりまれである。某評論家くらいしか思いつかない。が、出口王仁三郎を崇拝する者達はかなり広範囲に及ぶ。所謂「スピリチュアル系陰謀論者」などに多数存在する。陰謀論系以外のオカルトマニアに信奉者が多いのは言うまでもない。
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菊池
@kikuchi_8
オカルト好きの人におすすめの本がある。「現代オカルトの根源」大田俊寛著。現代のオカルトの起源が思想史的に解明されている良書。現代の各種思想・思潮というものは必ず過去を遡れば起源やネタ元がある。その辺に自覚的だとどっぷり洗脳されない耐性が身に就くと思う。思想史的な予備知識は有効。
閉店です @lakudagoya 2015年8月17日
@kikuchi_8 こんにちわ。オカルトのウリナラファンタジーの系譜なら「北極の神秘主義」と「聖別された肉体」も重要でしょう。大本教系のオカルト陰謀論者を一網打尽にできるくらい陰謀論のオカルトの元ねたがこれでもか!とかいてありまする。
黄皇大栄 @ououdaiei 2016年10月28日
易経と孫子の発想は結構関係がある。そう武岡淳彦氏の著書であったように思う。陰陽の相互転化。過ぎるとそれは反対の作用をするようなるってこと。多すぎる兵は統制を失う。でも統制された少数精鋭は大軍以上の力を発揮するとか。正攻法も過ぎると詭計と同じようになり奇襲も日常化すると凡手になる
勝手におすすめ中国の政治思想書とか。ほとんど抄訳しか読んでないけど。1・晏子春秋 http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/ansi.html 2・管子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E5%AD%90 … 3・孫子 4・諸葛亮兵書 将苑・便宜十六策 http://www.geocities.jp/fukura1234/koumei/syouen.htm …
あと 歴史書も中国政治思想には大事かな。左氏春秋{まだ完全読破してないけど} 十八史略{陳先生ので読んだのでまだ完全ではない} 史記 流れを知るには三国演義・三国志の正史も面白い。
ねこたさんも読まれた貞観政要あと宋名臣言行録この二つもなかなか完訳は見つからないけど良いです半分歴史解説書・半分兵書でも李衛公問対も面白いhttp://www.geocities.jp/fukura1234/rieikou/rieikou1.htm … http://www.geocities.jp/fukura1234/rieikou/rieikou2.htm … http://www.geocities.jp/fukura1234/rieikou/rieikou3.htm …
中国の兵書は、半分ほど政治思想書。孫子と呉子では、兵士の供給源が違う。孫子は「一部の兵士を常備兵で精鋭。あとは民間から臨時で召集」呉子は「封建的な武士・騎士の身分制」商鞅書は「国民皆兵制の軍国主義」かな?
菊池 @kikuchi_8 2016年11月27日
@kitsuchitsuchi 「詭弁論理学」はいいですね。あと、香西秀信氏の「論理病をなおす!」「レトリックと詭弁」「論より詭弁~反論理的思考のすすめ~」なども参考になりました。工作員の駆使する詭弁術の種明かし本としても活用可能だと思います。
∸
PHP文庫 新釈 孫子
2009/2/16(月) 午前 0:51 書評 読書
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気まぐれ書評のコーナー~
突然ですが座右の書です。元陸将故武岡淳彦氏の遺作となった本だそうです。
孫子に関する本は数多く出ていますが、自分の読んだ中では飛びぬけていると感じました。
それは、
・孫子13篇全文の読み下し文、通解、そして解説が収録されている
・解説は一文ごとではなく、全文に意図された目的や時代背景を加味して丁寧に行われている
・これとは別に全文を俯瞰する解説がついており、現代に応用するに当たっての指摘も豊富
有名な「風林火山」や「兵は詭道なり」なんて言葉はこの孫子から来ているのですが、それぞれの言葉だけでなく本書のような解説書を読んでからだとまた感じ方も変わってきますね。
自分の好きな言葉は上の二つではなく、
「将に五危あり。必死は殺さるべし、必生は虜にさるべし。云々」
って言うところですかね。この言葉は兵を率いる将軍というものは、何事にもバランス感覚を持っていないと付け入られて敗れることを指摘しています。耳が痛いですね。
人間は投げつける筋肉が発達していると、コスモポリタンと超人ニュートン一族が暗躍するテラフォ―マーズにありました。鳥の能力者が鳥のすさまじい筋力でボール投げてました。敵のG人が黒人っぽく見えるのは意図的なんだろーなー。
ネズミさん @Nezmi_san 21 時間21 時間前
ネズミさんさんがcosmosをリツイートしました
重曹歯磨き粉は高いが、数ヵ月で歯槽膿漏などは全く治まった。手に着くと手の皮が向けるいわゆる「歯磨き」は恐らく善玉金も殺すから、口内の生態系が崩れるんだろうね。
ネズミさんさんが追加
cosmos @cosmos115
癌の正体は『カンジダ菌』
そして、ある溶液で癌細胞が正常細胞に代わって行くということを発見!…
1件の返信 13件のリツイート 11 いいね
ネズミさん
@Nezmi_san
重曹は弱アルカリだから口内環境を「ととのえる」程度で「根こそぎ殺戮」はしない。 口内の細胞回復まで影響しない。(思うに砂糖と強力歯磨きが、相乗効果で歯医者を儲からせていたんだろうよ)
重曹は弱アルカリだから口内環境を「ととのえる」程度で「根こそぎ殺戮」はしない。 口内の細胞回復まで影響しない。(思うに砂糖と強力歯磨きが、相乗効果で歯医者を儲からせていたんだろうよ)
cosmos @cosmos115 1月23日
癌の正体は『カンジダ菌』
そして、ある溶液で癌細胞が正常細胞に代わって行くということを発見!
その溶液とは
↓
重曹は癌や被爆、虫歯、肝臓病などあらゆる病気を治す効果がある?! http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=310023&g=131207 …
pic.twitter.com/M2dAaN6ozm
cosmos @cosmos115 1月23日
癌の正体は『カンジダ菌』
そして、ある溶液で癌細胞が正常細胞に代わって行くということを発見!
その溶液とは
↓
重曹は癌や被爆、虫歯、肝臓病などあらゆる病気を治す効果がある?! http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=310023&g=131207 …
pic.twitter.com/M2dAaN6ozm
ツァイガルニク効果(ツァイガルニクこうか、Zeigarnik effect)は、人は達成できなかった事柄や中断している事柄のほうを、達成できた事柄よりもよく覚えているという現象。
ドイツのゲシュタルト心理学者クルト・レヴィンの「人は欲求によって目標指向的に行動するとき 緊張感 が生じ持続するが、目標が達成されると緊張感は解消する」という考えに基づき、リトアニア出身で旧ソビエト連邦の心理学者ブルーマ・ツァイガルニク(1901年11月9日 - 1988年2月24日)が「目標が達成されない行為に関する未完了課題についての記憶は、完了課題についての記憶に比べて想起されやすい」との事実を実験的に示した[1]。以上がツァイガルニク効果。
さらに、ツァイガルニクらには、未完成の図形と完成した図形についての記憶研究もある。知覚の実験にあっては、未完成図形の方が完成図形に比べて記憶の度合いが悪い。
自分自身の行為を記憶する過程と、視覚像を記憶する過程とは、相異なる法則性に従っている[2]
セルゲイ・ルビンシュテイン著『一般心理学の基礎2』明治図書出版、1982年には、「明らかに逆のこと、つまり、やり終え、完結し、現実性を失なったことは、なによりもはやく忘れるという傾向もある」との付言がある。
^ ヴィゴツキー著『子どもの心はつくられる-ヴィゴツキー心理学講義』菅田洋一郎監訳・広瀬信雄訳、新読書社、2000年。ISBN 9784788041110。
最後に
ドラマや漫画なので物語で非常に盛り上がって、さあどうなる、といった次の瞬間に「つづく」のテロップが入る。
話がいい所で中断されると、続きが気になって仕方なくなる。
そして、次回を見逃すまいと、頭の片隅で気にかけてしまう。
"人は満足すると提供されたものを嫌いになり
不足するとより好きになる心理的法則を持つ。"
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"WEBへ誘導するため、値段など重要なことをあえて言わない"
あえていちばん大事なところで、話を中断する。
相手が乗ってきたら一度引く、盛り上がりが最高潮に達したときに止めるといったことを何回か繰り返し、相手の好奇心を好意に変えるテクニックとしてゼイガルニク効果が持ち出されます。
我慢すると満足度は高まる
ポイントはあえて中断する、我慢するところにあります。そして、短期間でも好物を我慢すると満足度があがります。さらに、その我慢は一瞬だけでも効果があります。
マッサージは休憩を挟んだほうが満足度が高い。
中断して距離をおくと楽しむ能力が増すということです。
クーポンやマクドナルドにも
皆さんもよく使うクーポン券。普通、有効期限が長いほうが使うチャンスが増えて得だと考えられてますが、実は、期間が短いほうがよく使われるということが最近の研究でわかりました。
また、あるアメリカのあるファストフードショップは、ベーコンとチーズをフライドチキンで挟んだ商品を発売し、一ヶ月に100万個売り上げる大ヒット商品を生み出しましたが、会社はこの大ヒットメニューを即座に引っ込めました。これにより、翌年も大注目され、毎年期間限定で発売されるロングセラーになりました。
販売期間を限定することで、購買意欲を維持する消費者心理を利用したマーケティング戦略。
「マクドナルドの月見バーガーも、レギュラーメニューにすればバカ売れするのにな~」と思っていましたが、こういう戦略にまんまとハマっていたんですね。
まとめ
ゼイガルニク効果を利用して満足度をあげる簡単な方法は、好きなモノやことに中断を挟むことです。 消費を控えるなどの自制が、好きなもののご褒美化につながり、楽しみを膨らませる
osusunehonn
「とある会社の経理さんが教える 楽しくわかる! 簿記入門」
• クリュシッポス『論理学研究』(散逸)
• セネカ
o 『怒りについて』(De Ira)
o 『寛容について』(De Clementia)
o 『賢者の不動心について』(De Constantia Sapientiis)
o 『心の平静について』(De Tranquillitate Animi)
o 『人生の短さについて』(De Brevitate Vitae)
o 『幸福な人生について』(De Vita Beata)
o 『神慮について』(De Providentia)
o 『善行について』(De Beneficiis)
• マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』
『サンスクリット入門 般若心経を梵語原典で読んでみる』
各宗教のインド古典文献に見る宇宙観を一般向けにまとめた本としては定方晟(さだかたあきら)『インド宇宙論大全』春秋社
統計学入門 (基礎統計学) 単行本 – 1991/7/9
東京大学教養学部統計学教室 (編集)
図解・ベイズ統計「超」入門 あいまいなデータから未来を予測する技術 (サイエンス・アイ新書) 新書 – 2013/12/18
涌井 貞美 (著)
国語算数理科しごと」は、SEを経て公認会計士となった岩谷誠治。 簿記の本を読めば、最初に「資産は負債と資本を足したもの」と書かれているんですよ。「実践編」といっても、基礎が出来ていなくても安心していい。なにしろ著者が言う通り、その図だけ覚えてしまえば、あとはいくらでも応用が効くのだから。実に簡単にして美しい図である。
資産
Asset 負債
Liability
資本
Capital
収入
Income
支出
Outgo
著者は、あえて前書きを解説なしのこの図ではじめている。何を意味しているのか、続きは本書で--というには、あまりに根本的な図だ。E = mc2 や eiπ = -1 に勝るとも劣らないぐらい、美しい図だと思う。ゲーテが感嘆したのもうなずける。
そう。これは貸借対照表(B/S)と損益計算書(P/L)だ。この双方を上下につなげたところに、著者のセンスがある。B/SはB/S、P/LはP/Lで分けてもいいのだし、むしろこの図ではB/SのB/Sたる 資産 = 負債+資本 になっていないのではというつっこみもありえるが、私はこの図の方が好きだ。
なぜなら、繰越金に利益を足したものを資本としてバランスさせた「〆た」会計より、下にP/Lを乗せることでB/Sがバランスするという「活きた」会計をこちらの方がよくあらわしているからだ。
こうすることによって、P/LとB/Sを単独で眺めていてはわからないことも即座にわかるようになる。
たとえば、利益の増やし方。
P/L的には、それには二つしか方法がない。
収入を増やす
支出を減らす
しかし、B/Sがあることにより、さらに
資産を増やす
負債を減らす
資本を減らす
という方法もあることがたちどころにわかる。B/S+P/Lはつねにバランスするので、そうすることによって収入が増えざるを得ないからだ。資産を増やすには値上がりする資産を持てばよい。負債を減らすには債務を何らかの形で減免してもらえばよい。そして資本を減らすには、配当してしまえばよい。
ここの部分、ちょっと誤解しやすいので補足すると、「他の項目を増減せずに」という条件がつく。たとえば株や不動産を買っても、その時点では資産の内訳から現金がその分減るので資産額はそのままだ。借金も単純に返済しては、資産も減るのでやはり何も変わっていないことになる。
財産を原因=得w田方法とえっか=今どんな形で存在しているかの二つの味方で見ているだけ
借り方左 貸方右
(財産・資産の現在の存在形式=結果) (財産・資産調達法=存在原因)
資産 負債
純資産
当期純利益
費用 収益
ご存知のとおり、大変残念ながら現時点において会計は義務教育では教えていない。高校ですら必須科目ではない。これは政府の怠慢(あるいは陰謀)であるが、今からでも遅くはない。本書で自営、いや自衛して欲しい。少なくともローンを組むのは、本書をクリアーしてからにした方がいい。ましてや起業ともなれば。
本書「借金を返すと儲かるのか?」は、前著「国語算数理科しごと」を「理念編」とすれば、「実践編」に相当する。中学生以上であれば、いきなり本書からはじめてもいいだろう。前著ではカバーしきれなかった、減価償却や貸倒引当金といった概念も本書ではきちんと網羅
――
ーーーー
“「目的を達成するためのやり方はどうやればいいの?」
まず目的を明確にします。
最終的な目標を達成するためには、きっと様々な段階があります。
例えば、“将棋で勝つ”場合、まず駒の動かし方を覚え、囲いを覚え、戦法、定跡、手筋、寄せ・・・などに分けられる訳です。
そしていくつかの目標に分割したら、それらをいつ、どこで、何を・・・など5W1Hに落とし込みます。
それらをまとめ、階層表を作ります。達成の困難度別に点数をつけるわけです。
階層表を作ったら、イメージトレーニングです。
それを達成する自分をイメージしていきます。そして、イメージでできるようになったら、次は実際にできそうなとこから手を付けてみる・・・”
ぼっちのための社会心理学シリーズ第九回コメ返しvol.1
http://ch.nicovideo.jp/witten/blomaga/ar1172366?nicorepo_user_register_chblog&zeromypage_nicorepo
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やまいはきからようそもあるか黄色は役立つこともある。
けどさそれって依存心と引き換えだよ。祖そもそも宗教色を取り去っても成り立つのなら宗教的要素は中核じゃないよねえツだろというア教える側の都合じゃん。
手かざしって俺もできうってことで分派が大量発生するそうな。神がかりカルトも同様だって言ったもん勝ち。
この世界は物質世界のマルクト王国だから物理的期間省が一番強いよ。呪うより殴れってやつ。
kabrakaburenokusenikonosekaigabussitusekamurukutodebussitugaitibannyuuittekotosurakidukanainonカバラかぶれのくせにこの世界が物質マルクトだから物質優ってことに気づいてないよなあ意識と精神偏重というか誤った精神論だろ物質も大事だよ
って気づいてないやつってカバラから何を学んだ野花南
意識はブースと掛けるのであって採取的には物理的干渉で動くのに
「「「「
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 1月25日
ちょっと訳あって、般若心経について説明してたのだけど 般若心経というのは神智の門に来るまでの最も手っ取り早い道について説明したものでうちらで言うعقل کلی 完知の為の道筋なのね それで読んでいたのだけど、イスラームの教条論を知っていれば仏教も簡単に理解できるんじゃないかな
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 1月28日
本物・偽物言っている時点で全て偽物 偽物の中で最もらしい偽物を本物と言っているだけで肉体という限りを持っている我々が本物という名だけ知っていようが実は見えない 正に空のような存在であり、結局空観の徹底か無為自然の境界に触れる事なければ所謂本物というものを見いだすことは絶対にない
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 2017年1月29日
拝金主義は上等な思想であり、非常に実用的な思想でまた人間の捉われたいという心とその安堵感を利用したもので完璧な思想です なので、これを否定するには2つの手段しかありません
1、絶対形而上からの否定
2、空観による、唯物と唯識の否定とその行動以外の方法はありえません
私から言わせれば、絶対形而上による規定と規範からの視点がない存在が何を言っても究極的な準拠が存在しないので語るだけ無駄です 例えば、表現について 表現はあっらーさんが事前に全ての人類に対して用意されていた知識と方法手段です だから、全ての表現は人間の権利の外にある筈なのです
即ち、表現が有料だの、無料だの語る事事態が無意味でそもそも我々は被創造物にすぎないので認識されて、言葉で固定化されては相互関係が必要な物質の奴隷になり下がる事は出来得ないのです
逆に、それで自由を得ているという見方もできるわけですから、相互が発生するものは絶対ではないのです
その前提がなく語られるものは全部、究極的な根拠がないので無駄で・無意味で・そんな事を考えるくらいならエロ本読んで自慰でもしていた方が遥かに合理です
絶対が規定されていない言論は無意味で・無価値です、必ずそこには詭弁と錯誤に個人都合が入るので聞くだけ毒でしかあり得ません
だから、私は何処かで己を固定化する必要があると言っているのです
それがない限りは相互に「尤もな事」言い放ちあっておしまいです
それは己の人生を浪費する事でしかないのです
まず、己の捉われたいものを確定させる事とそれが相互が発生するものか、否かで見極める事です
―――――
峨骨 @Chimaera925 2016年10月3日
資本主義、民主主義、多くのイデオロギーの根底にはキリスト教神学、キリスト教中心主義の基礎部分がある。
キリスト教中心主義者が(神の下)世界は一つ、(神の下)人類皆兄弟と唱える際、
彼らはオッカムの剃刀で(神の下)を削ぎ落として人類の普遍的概念のように仕立て上げ、普遍的と誤認させる。
世界は一つである必要は無いし、人類が皆兄弟である必要も無い。異文化や他者の自由意思や思想の自由を尊重し、相手もそれを尊重する。価値観や思想が相容れないのなら不可侵として住み分ける。統合されてしまえば争いが絶えない。一つの価値観や思想、文化、宗教で統一する必要はどこにもない。
キリスト教中心主義者は自分達の宗教や神、それを背景とする思想、文化、価値観を普遍的な概念として広めて、世界を一つに、人類を皆兄弟にしようとする。それは神の下の世界統一、人類皆兄弟。神が何であるかは彼らが決める。
普遍的としてしまえば、解釈でいくらでも容易にねじ曲げられる。
自然法・国際法の父と呼ばれるグロティウスは17世紀のオランダ生まれ、法学書『捕獲法論』『海洋自由論(自由海論、インド貿易に関してオランダに帰属する権利について)』を著して東インド会社を弁護している。
普遍的な概念なぁ。
捕獲法論 wiki >マラッカ海峡でポルトガルの商船カタリナ号を捕獲した事件であった。この事件に関してオランダの海事裁判所で裁判が行われ、1604年9月9日に船主組合と合併した東インド会社に有利な判決が下され、捕獲によって得た品々を東インド会社が合法的に没収することができることが
>認められた。しかしこのような強引な手段によって利益を受けることはキリスト教の教えに反するとして東インド会社の一部の者たちはこの捕獲によって利益を受けることを拒み、そのなかには会社を脱退したり新たに会社を立ち上げる計画を立てる者もあらわれるなど、このとき東インド会社は混乱に陥った
>グロティウス自身が東インド会社と密接な関係にあることを書簡の中で述べていたこと、執筆にあたってグロティウスが東インド会社の資料を利用していること[注 1]、以上の理由から、
>グロティウスが『捕獲法論』を執筆したのは、こうした混乱の中で東インド会社からこのカタリナ号捕獲の正当性を論証し同社の立場を弁護することを要請されたためといわれている そして、グロティウスは『捕獲法論』第12章をもとにして『自由海論』を著わそうと考える。
>「自然法」とは、事物の自然本性から導き出される法の総称である。 したがって、この概念を主として人類・人間社会を念頭に置いて使用する場合、「倫理」と多分に意味内容が重複する概念となる。自然法は実在するという前提から出発し、それを何らかの形で実定法秩序と関連づける法理論は、自然法論
>自然法には、原則的に以下の特徴が見られる。但しいずれにも例外的な理論が存在する。
普遍性:自然法は時代と場所に関係なく妥当する。
不変性:自然法は人為によって変更されえない。
合理性:自然法は理性的存在者が自己の理性を用いることによって認識されえる。
自然法を考える段階でキリスト教中心主義のフィルターがかかっている。
この自然とは何を根拠としたものか、原則から導かれるものとは何か。
ルソーの言う人間の自然な状態ってのもコレだ。
彼らは神学の枷から離れられないから、何処まで行ってもポジショントーク。
全てから離れるのは不可能だが。
ギリシャ哲学、ストア派の自然法思想をキリスト教は取り込んだ。
アウグスティヌスやトマス・アキナスによって神を頂点とする世界秩序の法則性(永久法)、
聖書に啓示された法(神定法)、
その下位に自然法思想を置いた。
神こそが全ての頂点にってな具合に。 グロティウスは自然法の次に神定法。
地球の上で様々な人々がお手々繋いで、世界は一つ。んで、その地球にはバカでかい十字架がおっ立っているのな。 pic.twitter.com/EbNxeNtje2
— 峨骨 (@Chimaera925) 2016年10月3日
エヴァの一場面ですね。
(キリスト教神学とユダヤ教神学とイスラム教神学の違いを学べば、
「単なるキリスト教思想をユダヤ思想だと布教する詐欺師」に騙されなくなるよ)
峨骨 @Chimaera925 2016年11月6日
世間で流行っている(事になっている)のか。エイベックス所属芸人。有名のクチコミだとステルスマーケティングと認識されにくいのかね。ジャスティン・ビーバーもYouTube出身だったな。今回の件でもワナビーが集まってコンテンツが充実するなぁ。質はともかくとして。誰でもスターってな(笑)
グローバル化により国境線や言語の壁の無い拡がる自由な世界、価値の多様化、一見そのように見える。実際のところは、GoogleやAmazon、AppleStore、iPhoneのように場を提供する企業の箱庭に取り込まれ、それを介して一つに向かっている。コスモポリタンの理想とするような
そんな世界に。そしてその世界にアクセスするには、それら企業を介さなくてはならない。一方で、それら企業は競合する各国のサービスを駆逐していく。最初は支持を集める為に人を集め設備投資に力を入れ、利用者に奉仕するが、競合するものが駆逐された時、我々が奉仕する側になる。物や情報、サービス
これらをいくら欲しても、これら企業を介さなくてはならなくなった時、企業は人々が何に興味を示し、何を欲し、何を考えているのかを知り、都合の良い思想や情報を吹き込む事ができる。多様化を体現したようなそれは、自然に見える人工的な庭園のようなもの。その自然の中には、彼らに許された存在だけ
が多様性の一つとして存在する事を許され、そこに無いものは多様性として存在しなくなる。見えないものは存在しなくなる。言語や性別、国境、あらゆるものを取り払って、
定義された価値観。
その人をはかる価値のメートル原器やキログラム原器は、一体、誰が用意するのか?
多様性というの名の規格化。
彼らの言う自然とは人の手によってデザインされた自然に見える人工的な庭園だ。そうでないものは、征服しなくてはならない未開。自然ではない。
自然は人間が生きるにはあまりにも過酷だ。まして自己家畜化した人間なら尚更。疫病に過酷な自然、不毛の土地に押し込められ、食うものも無くて人間に食えないものを家畜に食わせてそれを食らうしかなかった連中が宗教にすがり、肥沃な大地を自らのものだと考え、略奪するのも必然と言えば必然か。
そのような者達の考える自然は宗教を背景にしたユートピア思想。妄想の、ありもしないイデア界に存在するようなエデンの園みたいな自然。未開を征服して人工的な自然を地上に作り出す。ルソー教の言う自然回帰もこれだ。目を背けたい現実を受け入れられず、理想のユートピアを自然と定義した。
現実には存在しないユートピアの住人を理想的な人間のモデルとし、それらに合わせて社会をデザインする。その裏には支配欲。神になったかのように思い上がった傲慢。教育によって盆栽のように人をデザインしたところで、人は人以上にはなれない。狂気の妄執による理想はある種の呪いに似ている。
そうして人は社会によって、そのように仕向けた者によって剣闘士のように争い合うよう宿命付けられる。使い捨てカイロのように賭けの胴元の懐を暖め、そして迎えた死は自己責任と吐き捨てられる。
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 1月29日
中国の学生と話すと孔子や老子がアライッサラーム、即ち指導者性を持つ者として認知されていて非常に面白い
後、筆談や日本語ー普通語変換のアプリが非常に進歩しているので何だかんだ言って意思の疎通がしやすい
なので、もし次に言語習うとすれば普通語という選択も非常にいいかもしれない
mko @trappedsoldier 1月30日
「自爆テロに志願すれば、天国で72人の甘いバージンが待っている」とテロリストを煽動するサウジアラビア人宗教指導者ムハイシニ ↓ https://twitter.com/walid970721/status/826031481692811265 …
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 2017年1月31日
@trappedsoldier
凄い出鱈目ですね
自爆というのは自分の意志で自分を殺す事なので自殺です、自殺は如何なる理由があろうとも地獄行き
また、勝手な異端審問と相手が自分をムスリムだと思っている相手を殺したら二重に地獄行き
三重の地獄行きを説く事はイスラームは出来ません
日本で宣教するなら、悪人正機説を採用して「死ぬ時にアシュハドアンラーイラハインラッラー、アシュハドアンナムハンマダンラスゥーウッラーと言えばいい」でいいと思う ある種、それが多神教者として産まれた最大の特権なのでそうやって救済していく他ないでしょう
正直、時宗みたいなこと言っているけど究極的な救済という事を踏まえるのであれば、アッラーさんが多神教者とその知識を創造した事を踏まえて考えるのであれば、多神教者の特権として今迄の罪は完全に消えさるというのを踏まえればこの方法しかないと思う なので、ギリギリまで待って入ればいい
何か、遠藤というオッサンの沈黙の話が出てきたけど アレって、やっちゃいけないのよ
だって、あっらーさんは相互関係を必要としない存在なのでアッラーさんは沈黙している訳でもなく、実は聖書で答えを言い切っている筈だからアッラーさんは最も賢い何かなので必要以上の事は言わないの
なので、何で助けてくれないのかと懇願している時点で実のところ現世利益になるので偶像崇拝に落ちるわけなの クルアーンには雌牛章のところに書いてあるけど、イスラームの為に死んだものは見えないけど、死んでいないとあるようにキリスト(ع)も死んでいないわけで信者は最期の日まで生きているの
あっらーさんの救いというのは最期の日に必ず救うという事であり、あっらーさんの為に殉死したものは最期の日まで生きていて、苦しむ事がないという事なの だから、何で現世で救ってくれないのかと嘆くのが大きな間違いで福音書を最低限読んでいればそういう解釈は出ない筈なのだけど、わからない
つうか、人間は何でもかんでも意味を与えて直ぐ偶像・象徴を作るからそれを外に表現する事を禁じたの 例えば、私何かは褐色でムチムチなつり目なお姉さんと妄想して、溢れるバブみに浸ってオギャりたいけど、それが内心で留まっているのなら問題はないの それが外に出るとマズイわけさ
すぐ何かに意味を与える人類のこの特性から、偶像を描かないというのは不能なわけ
だから、アレもコレもそれも偶像崇拝とか言っているおバカは己の描いている偶像以外認めないと言っているのと同義でアッラーさんは賢いので外部に偶像を作るなと言っているのにバカというのは直ぐに意味を誤解するの
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi
アドルعدلはあっらーさんの公平とした方が正しいです
何故なら、正義というのは常に揺れ動くものですが公平というのは動かないからです
また、均等なのと公平も異なりやらかし捲った人間とやらかしていない人間は均等ではなく、公平であるから地獄に堕ちる超人と天国へ行く超人が存在するのです
カニとエビ(観念論と唯物論、唯神論と無神論)はどっちも土台はアッラーさんの知恵と力、生があるから成り立っているわけでそれをほっぽっての議論は無駄 どっちも全部そうではないといけないと考えている時点でかに味噌とエビ味噌が詰まった連中でしかない、我々は究極的にはベクトルでしかない
ベクトルであるが故にどちらかの方向に向く力というのを削ぎ続ければ空観になる イスラームは人間は表現=如何様にしてもベクトルを持ってしまうというところから始まるのでシラータルムスタギィーン、アッラーさんへ向かう真っ直ぐで整備された簡単な道を行けば良いのだと嫌っと言う程言っている
その道は誰もが公正で公平なのだけど、しゃいたーんたそはその道を行くのを邪魔する だから、クルアーンの最終章にはその誘惑する存在とそれから護る事が伝えられているわけ 簡単でしょ、簡単だから禿げあがるほど難しいのだけど往々にして物事なんぞそんなものだ
アドルعدلを理解するとどうなるかというと、例えばヨブ記の記述は全否定される 何でかというと、アッラーさんは公平で公正なのでヨブが始まりから、終わりまで唯一性を理解した信徒であり、彼を試すことはあっらーさんの唯一性を瑕疵するのでアッラーはそんな事をしないでおしまいである
なので、試す存在であればそれは「所謂悪魔」しかおらず、唯一なる存在はヨブを苦しめる事はないのである そもそも、試さねばならないというのであれば、アッラー自身が己の力を疑うという矛盾が発生するのでそれは人間のعقل知恵から全否定されるから、無謬なる存在が矛盾する事をしないで終わり
じゃあ、旧約には何でそんなこと書かれているの?と、聞かれても私にはわからないし イスラーム側から見るとそれって後世の人間が勝手に足した話じゃねえの?人間の論理展開から否定される事をあっらーが人間に啓示するわけねえじゃん(侮蔑) 後は違う真意がある、以外の選択はないのです
(おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 2016年12月11日
因みにクルアーンでは旧約や新約の預言者や絶対なる存在を物神化、相撲をとったという記述や酒を飲んだや強姦したなどの記述は全否定されます
なぜなら、それは絶対なる存在は物質ではないですし、預言者は罪から最も離れた存在だからそういった罪を犯さないのが大前提です
―――
―――マルキオン道アナことやろうかなあ。彼は付近書は火一つだけ再王採用だからな。至高絶対創造主全地全欧に反する記述をすべてチェックすると聖書のどこが残るのかなコーランもね。シャイターンがわなとして設置したものがあるだろう。というかシャイターンなら邪魔するなら聖典にに偽物をまzルのが一番だと考えるでしょ。デカルトが考えたあのニセの騙す神ってやっぱりぢア問題だよなあ。あのレベルまで欺かれたら嘘と真の区別すらできないし意味なくなるもん。
啓典(けいてん)は、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。旧約聖書、新約聖書を内包する。
ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)
モーセ五書(モーセごしょ)、時にはトーラ(ヘブライ語: תורה)とも呼ばれることがあるが、旧約聖書の最初の5つの書である。モーゼの五書、律法(りっぽう)、ペンタチュークとも呼ばれる。
創世記「בראשית」(ヘブライ語の原題は「初めに」[4]の意味)
出エジプト記「שמות」(ヘブライ語の原題は「名」[5]の意味)
レビ記「ויקרא」(ヘブライ語の原題は「神は呼ばれた」[6]の意味)
民数記「במדבר」(ヘブライ語の原題は「荒れ野に」[7]の意味)
申命記「דברים」(ヘブライ語の原題は「言葉」[8]の意味)
Genesis: "origin" (Hebrew: Bereshit – "In the beginning")
Exodus: "going out" (Hebrew: Shemot – "Names")
Leviticus: "relating to the Levites" (Hebrew: Vayikra, – "And he called")
Numbers: numbering of the Israelites (Hebrew: Bamidbar – "In the desert")
Deuteronomy: "second law" (Hebrew: D'varim – "Words")
Genesis
Genesis begins with the so-called "primeval history" (Genesis 1–11), the story of the world's beginnings and the descent from Adam. This is followed by the story of the three patriarchs (Abraham, Isaac and Jacob), Joseph (Genesis 12–50) and the four matriarchs (Sarah, Rebekah, Leah and Rachel). God gives to the patriarchs a promise of the land of Canaan, but at the end of Genesis the sons of Jacob end up leaving Canaan for Egypt due to a regional famine. They had heard that there was a grain storage and distribution facility in Egypt.
Exodus
Exodus begins the story of God's revelation to his people of Israel through Moses, who leads them out of Egypt (Exodus 1–18) to Mount Sinai. There the people accept the covenant with God, agreeing to be his people and abide by his holy Law, in return for his agreeing to be their God, and protect and defend them from their enemies, and provide for and prosper them . Moses receives the Torah from God, and teaches His laws and Covenant (Exodus 19–24) to the people of Israel. It also talks about the first violation of the covenant when the Golden Calf was constructed (Exodus 32–34). Exodus includes the instructions on building the Tabernacle and concludes with its actual construction (Exodus 25–31; 35–40).
Leviticus
Leviticus begins with instructions to the Israelites on how to use the Tabernacle, which they had just built (Leviticus 1–10). This is followed by rules of clean and unclean (Leviticus 11–15), which includes the laws of slaughter and animals permissible to eat (see also: Kashrut), the Day of Atonement (Leviticus 16), and various moral and ritual laws sometimes called the Holiness Code (Leviticus 17–26). Leviticus 26 provides a detailed list of rewards for following God's commandments and a detailed list of punishments for not following them.
Numbers
Numbers tells how Israel consolidated itself as a community at Sinai (Numbers 1–9), set out from Sinai to move towards Canaan and spied out the land (Numbers 10–13). Because of unbelief at various points, but especially at Kadesh Barnea (Numbers 14), the Israelites were condemned to wander for forty years in the desert in the vicinity of Kadesh instead of immediately entering the Promised Land. Even Moses sins and is told he would not live to enter the land (Numbers 20). At the end of Numbers (Numbers 26–35) Israel moves from Kadesh to the plains of Moab opposite Jericho, ready to enter the Promised Land.
Deuteronomy
Deuteronomy is a series of speeches by Moses on the plains of Moab opposite Jericho. Also referred to as Mishneh Torah in Hebrew (a repeat of the Torah) the essential gist of the entire book is a rebuke to the Children of Israel to not worship idolatry, to not follow in the ways of Cana'an, and to cleave to God. Moses proclaims the Law (Deuteronomy 12–26), gives instruction concerning covenant renewal at Shechem (Deuteronomy 27–28) and gives Israel new laws (the "Deuteronomic Code").[19] At the end of the book (Deuteronomy 34) Moses is allowed to see the promised land from a mountain, and then dies. The text emphasises that no one knows where Moses was finally buried (34:6). Knowing that he was nearing the end of his life, Moses had appointed Joshua his successor, bequeathing to him the mantle of leadership. Soon afterwards Israel begins the conquest of Canaan.
ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)
『詩篇』または『詩編』(しへん、ヘブライ語: תהלים Təhillīm, 英語: Psalm)は、旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。
文語訳聖書では「詩篇」と表記し、新改訳聖書もそれを引き継いでいるが、新共同訳聖書では「詩編」と表記している。正教会での聖詠に相当する。
ほとんどの詩が典礼(礼拝・奉神礼)に用いられた詩と神への感謝の詩に分類することができる。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ。ラテン語で詩篇を意味する『Psalmi』は七十人訳聖書における詩篇のギリシャ語タイトル『プサルモイ』(心を動かすもの、複数形)に由来する。ユダヤ教聖書の配列では「諸書」(ケスビーム)の1つ。
イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)
日本正教会では福音経(ふくいんけい)とも呼ばれる。これは福音書を、奉神礼において詠まれる祈祷書(経典)の一つでもあると捉える考えに基づいている。
福音(Evangelion エウアンゲリオンあるいはユーアンゲリオン)は、ギリシャ語 εὐαγγέλιον, euangelion に由来する言葉で「良い(euエウ- 、"good")知らせ(-angelion アンゲリオン、"message".)」を意味する。これを英語に直訳すると、good news
ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)
また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。これは六信のひとつ。
ただし上記の4つの啓典は、クルアーンと同等というわけではない。キリスト教徒による改竄や悪意のない誤写、善意の辻褄合わせ等によって、本来のものとは文面の食い違っているところがあるとされ、その点は憶測や詮索あるいは研究の対象として認められる。そういう意味では、絶対不可侵のクルアーンよりは一段も二段も下に置かれるものである。
Tawrat or Torah: According to the Quran, the Torah was revealed to Musa [13] but Muslims believe that the current Torah, although it retains the main message,[citation needed] has suffered corruption over the years, and is no longer reliable. Moses and his brother Aaron (Hārūn) used the Torah to preach the message to the Israelites (Banu Isrā’īl). The Quran implies that the Torah is the longest-used scripture, with the Jewish people still using the Torah today, and that all the Hebrew prophets would warn the people of any corruptions that were in the scripture.[14]
Zabur: The Quran mentions the Zabur, often interpreted as being the Book of Psalms, as being the holy scripture revealed to King David. Scholars have often understood the Psalms to have been holy songs of praise.[15] The current Psalms are still praised by many Muslim scholars,[16][17] but Muslims generally assume that some of the current Psalms were written later and are not divinely revealed.[citation needed]
Injil or Gospel: The Injil was the holy book revealed to Jesus, according to the Quran. Although many lay Muslims believe the Injil refers to the entire New Testament, scholars have pointed out that it refers not to the New Testament but to an original Gospel, given to Jesus as the word of God.[18] Therefore, according to Muslim belief, the Gospel was the message that Jesus, being divinely inspired, preached to the Children of Israel. The current canonical Gospels, in the belief of Muslim scholars, are not divinely revealed but rather are documents of the life of Jesus, as written by various contemporaries, disciples and companions. These Gospels, in Muslim belief, contain portions of the teachings of Jesus, but neither represent nor contain the original Gospel written by God, which has been corrupted and/or lost.[19]聖詠(せいえい、希: Ψαλμός、露: Псало́м)とは正教会(日本正教会)において、旧約聖書に含まれる、主に王国時代に歌われていた歌頌を集大成したものを指す呼称。聖詠を収めた祈祷書を聖詠經(聖詠経、せいえいけい、希: ψαλτήριον 、露: Псалти́рь, Псалты́рь)と呼ぶ。私祈祷、公祈祷の別無く、奉神礼において頻繁に詠まれ、歌われる。)
椛もみもみ 宗教令的にはどっちの分類になるかはわかりませんが推論上、人間としての自覚と知性があればそれは人間として認められるので椛やケロちゃんのような擬人的存在は人類として分類されるでしょう なので、推論上椛は犬としてではなく、多神教者としての不浄となるのでしょうか
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
ハーブティーをつくって飲んでる。ローズペタルとローズヒップ(少な目)、羅漢果を混ぜたものにはちみつを少し加えた。
ホロスコープの情報って個人情報だからあまり口にしないほうがいいと思うな。(^^; エフェメリスで検索できる人なら簡単に生年月日を割り出せてしまう。趣味のことや地域のことなども限定できれば、そこからいろんな情報が引き出せるので…
穴が開くほどアナロジー。オカルトではアナロジーが独り歩きして第三者的視点からの検証比較がまず行われないから頓珍漢な類推が成立するの。科学的視点による批判をはさまなければ幻想の翼を得てそれは軽やかに飛躍する。妄想のままならただのエンターテイメントだけど現実を忘れると大事故になる。
似非科学といわれるのも同様で、オカルト的アナロジー(類推)の利用に制限をかけないまま科学的手法に転写して用いるからしばしば大事故になる。それはコレスポンデンスの誤った用い方です。
オカルトをやるからには科学の基礎と常識を大事にするの。そうしないと足を掬われてしまうから。
オカルトにとって科学とは銀行みたいなもの。融資を受ける身としては誠実に付き合うべきだと思う。そうしないと強い味方が恐怖の対象に変貌してしまうでしょうね。魔法にとっても同じこと。科学は「相手のふり見てわがふり直せ」の「相手」に相当するもの。自己批判をなくしたらそれはただの妄想になる
コレスポンデンスはアナロジー(類推の一種)だから、一つや二つではなく20や30の類推を本題からぶれることなく並べられることが条件なの。主題からぶれてしまえばただの屁理屈になる。それが心の中で結晶化し、確実なものにすること。だから三次象徴でもまだ足りない。
そこに、ごみがいっぱいになったごみ箱を想像してみて? 一度片づけないとごみはもう捨てられないの。心残りのことを増やすと心のごみ箱が一杯になってしまう。今日できることを明日に回すというのはそういうこと。不思議なことに、そのままいくとごみ箱を見なくなってもっとごみをため込むようになる
乱雑なお部屋を放置したまま退去儀式を行っても意味はない。だって、大掃除しなければ下に積もった埃は片付くはずもないから。心の問題だって同じだから、日々コツコツとお掃除します。それができないのなら魔術作業はきっとうまくいかない。
アストラル的影響は必ず物理的に出ます。心が荒んだら身づくろいは等閑りでお部屋も片付いていないのが見て取れる。実際に霊視などはこの場合必要ない。上のごとく下も然りというわけですから。
霊的作業の八割は物理的作業で完結します。だから物理を優先するのです。それが最も効果的な方法なのでお掃除しましょうね。
(魔王アモン @mryensrh11 9月23日
心の中の状態と 部屋の散らかり具合ってシンクロしてんだぜ 魔術訓練のひとつにも 部屋の掃除ってのはある は? みたいな話だけど いつまでたってもマンガと魔術の区別ができない アホどもからケチをつけられる筋合いはない
――――
ねここねこも部屋の掃除中。
ミクロコスモスとマクロコスモスの対応関係。当然自分の部屋もマクロコスモスの一部だからね。
霊的に浄化しても物理的に汚いと結局は霊的にも汚くなるからね)
魔法の面接があるとしても、霊視は最初から行わないしその許可が相手からなくてはしてはいけないことになってる。そもそも、企業の面接官と同様で外見からその判断は凡そつくのです。髪の毛、襟足、口臭、肌の手入れ、男性なら無精ひげ、さらには言葉遣いや話し方、話す内容などで大体のことはわかる。
外見やしぐさ、表情、持ち物からほとんどのことがわかるのにわざわざ霊視などは必要ないのです。だからよほどのことがない限りはトランスに入って探索することはない。もしこれができないのなら、霊能者の資質に問題があるかもしれません。霊能力は通常能力の延長線上にあるからです。
霊というのはひとことでいうと人格構成のことだから、霊視能力がないひとでもある程度のことはわかるもの。それ以上のことだともっとも心の深い部分に振れるから、そもそも安易に触れてはいけないの。
霊能力がないからといって悲観しないで。なぜならほとんど使わないからです。手で持って重さを量れば済むことなのにわざわざ精密な電子秤を使うことなんてある? そういうことなの。
計量カップで済むお料理なのに「化学で使うメスピペットで液体をいれてます」というのが能力自慢のあれです。世にいう霊能力者をお料理番組のお姉さんだと思ってみるといいの。必要ないのにそんなことをしてるとしたら、何か変だなってわたしは思います。
外的状況から観察して分析したプロファイリング情報を霊能力だと偽る例はよく見かけます。それがもしも本物だとしたら戸口に立った瞬間にいくつか誰も知りえないことを答えられないといけない。だからとってぺらぺらと個人情報を口にするのは礼儀に反してますけどね。(^^;
それにもうひとつ大切なこと。魂をみるのって必ず成功するとは限らないこと。アストラル視ではそんなに精密な観測はできないものなのです。恐らくはその殆どがプロファイリングによるものだと思うの。深度トランスにでも入らない限りそれは行えないし、できたとしても結果は得られないかもしれない。
医師がレントゲン診断をして「これではわからないので切開してみましょうか」ということがあるのを知ってる? あれと同じなのです。(^^;
切開しても患部は手探りだし、病巣を発見できないこともあります。常識的に考えてもまったく同じなのよ。w
相手の心の中を覗くという行為は、自分の心というフィルターを通して自分を計測器として用いると考えてまず問題はないの。すると、自分というフィルターが邪魔をするからその精度は「いかに自分に正直になるか」で決まります。
鏡が汚れていたらそれは正しく何かを反映しない。だから自分の心を磨くほかはないのです。
鏡をみて、もしも何も映ってないのならそれでも問題はない。召喚や占い、そのほかどんなことでもいいけど強制をしてはいけない。ないならないし、あるのならある。少しでも強制すると自分でそれを生み出すことになるからしないほうがましです。
直観なんて生理のように毎月決まってくるわけじゃないですからw
たとえば、とある霊を召喚するのに成功したとして、連続でやってきていたのに今日は調子が悪いのかな? なんて思ったら無理に続けてはいけないの。そうすると遅れてやってくることがあるけど、多くの場合はそれは自分が生み出したもの。期待してたのとすり替わってしまったのです。
自分が強制して生み出したものは自分をだますために生まれたのですから、そのあとは自分をだますために働きます。だからもはやそれは信用してはいけない。さっさと退去しましょう。
魔法を知らないことによる罠はそういうのです。誠実さは特に重要な武器になる。どんな時にでもね。
ジョン・ディーの喚起魔術の話などはそのよい例かな? 途中から不振に陥って霊が出てこなくなると自らそれを作り出そうとする。それを利用してケリーが詐欺を働いた。
肌の色を気にするのって海外でお薬を処方されるときかしら? 人種の差は確かにそういうところに出るから、宗教的・文化的差異を除くとそれくらいしかないかも?
ホロスコープの情報って個人情報だからあまり口にしないほうがいいと思うな。(^^; エフェメリスで検索できる人なら簡単に生年月日を割り出せてしまう。趣味のことや地域のことなども限定できれば、そこからいろんな情報が引き出せるので…
途中を伝達する人は一定の教養が求められる。伝承や伝統もそうなのですが、自己判断でそれを改変してはいけない。それは情報のリレーだから、途中を走る人の力ですべてが決まるの。アンカーがどう頑張っても遅れは取り戻せない。
論文を書くのでもそうなんだけどな…。「○○がこういってました」では駄目で、誰がなんという本の(第何版の)何ページにこのような文章がありましたと示さないといけない。出典の不明確な情報は自分で調べるのです。
大事なお買い物のときはお腹を七分目くらいに満たしてからのほうが吉。食べすぎずお腹が空きすぎずにしてる。何が起こるかは習慣づけするとわかります。
お腹七分目というのは魔法の訓練でも同じなのです。獣性をほどほどに抑えてしかも鋭敏さを失わない。お腹が減りすぎても満たしすぎてもいいことがないから、大事な時は習慣にしてるの。
何かに妥協しないと、一番大切なことに力を注げないの。取捨選択を迫られたとき、どれを残すかというお話だから。
あとはそうね、一度決めたことについてくよくよと悩まない。自分の足を引っ張ることになるのはいつも自分だもの。
自分という名のカウンシルがあって、人格の中でいつも言い争いをしてるの。それに対して理性が採決を行い一番大切なことを決める。意志がそれに対して決定権を持っていて、まるで女王様のよう。意志は解散命令権しか持たない。でも、決めたことは実行しないといけないからね、王様らしく。
大丈夫よ? お片付けしたら少しだけ心もきれいになってるから。
お部屋のお掃除をすると、決断力が少しだけ上昇します。
退去儀式って根本的にそういうものだから、決断力次第なの。
捨てなくていいものまで捨てちゃうのは単なる火星の暴走だけど。(^^;
王者のようにふるまうのは他人に対してじゃないのよ? 自分自身に対してだから。マルクト(王国)というのはこの肉体のこと。そして自分が統治すべき国のことなの。だからみんな自分自身に対して王様なのです。
支配欲求を向けるのはいつも自分に対して。それをほかへ向けた場合は自分の統治に失敗するから。
(肉体は神殿にして王宮。王冠、三本柱、王国。自分=小宇宙=ミクロコスモスを改築せよ!
部屋=自分の一部を掃除せよ!)
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2分2分前
• • Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 19分19分前
『母から娘へ、魔法の継承 ~ハイブ・オフと魔術結社の紋章』というタイトルで書き始めたら横から「それだけはやめて」と止められた。残念、女王蜂システムとあの紋章についてフェミニズム視点で書きたかったのに没になった。orz ウィッカたちとあそこが騒ぎ出すから。
女社会に生きるための秘儀だからなぁ…あれ。
なぜハイブ・オフが必要なのかも教えなくちゃならないし。
オスカルは働き蜂。
S○Lの構造自体が男性社会ではないというお話なの。魔術結社は男性社会というフリー・メイスン的な視点が一般的だけどその内実は違ってるからです。なぜなら、継承するのはイシス的秘儀ですから。
根本的にプリーストを育てるのがメイスン的階級により、プリーステスを育てるのは母と娘の二階級しかない。
三階級目というのは月の三番目の位相のことだからです。
だってほら、娘、母、老婆ですから。
と、いまはこんな遠まわしにほのめかすしかできなくてごめんなさい。
エレウーシス秘儀ってデーメーテールとコレー(ペルセポネー)の秘儀のことですからね。
それとね、ドイツ語とフランス語では太陽と月の名詞のジェンダーは入れ替わってる。英語にはジェンダーはないけど太陽は男性的と言われてる。ところが、ゾンネは女性名詞。GDの架空の本部はドイツ本部ということでこのへんも混乱のもとになってる。
「かわいい子には旅をさせよ」というのは女の子向けかな? 'hive off'が必要なのは女の子のほうだから。いまどきは結婚がきっかけとは限らないから、適齢期になったら追い出さないといけないの。
そうしないと女の子は腐ってしまうから。
女の子はみんな自分の巣を作らないといけないから。
'hive'のお話は形のお話だから経済的問題とはちょっと違うのです。生活様式や習慣とかそういうの。経済的活力は男性や自分自身でも構わない。そういうことではなくて生活としてのサイクルのこと。「習慣」という言い方をしたけど、まさにそれが形。自分独自のサイクルを生み出すのが女性なの。
日本風にいえば通じるかしら? 自分独自の「おふくろの味」を作ることです。
生活習慣やそのルールは月に関係してるのです。だから社会的なルールや力関係(太陽)のお話をしていない。
わたしにとっては少なくとも「家庭を守る」というのは生活リズムとそのサイクルを守ること。だから家事を行うこととは直結はしていないの。経済的な余裕があるのならほかの人に任せることもできるからです。
これら一連の月のお話はグレーター・サバト、女性特有の病気の疾患、生活習慣病、家庭の生活サイクルのこと、大体こういうのを網羅してる。
女性特有の祭儀のお話なので男性はあまり関係ないけど。
自分独自のサイクルに従わないといろいろと困ったことになるっていう伝承、これが失われてしまったから困るんですよね。女性的な秘儀って失われたので。
例外? お仕事などでルールが守れないときはわたしのリズムを乱さないように別行動するようになってる。一緒にご飯を食べられないときは自由なの。わたしがベースクロックだからそれが狂うと基準がなくなってしまうのでこれは守られるという約束。さまないと家庭という大枠が保てなくなるからです。
うん、TCXOだと思えば大体あってる。
そうそう。温度補償水晶発振器のことです。環境温度に依存しないようにベースクロックが正しくあるように工夫され保護された装置のこと。
家庭内の生活リズムが狂うということは家族の健康に多大な影響を与えるからなの。リズムが狂えば体調も狂うのです。だから、基準となるものを決めてこれに従って生活すること。大昔からの知恵です。
これだけは男性を基準にすると女性のほうが病気になります。だから家族全体をみたとき、生活リズムについてはママを基準にするわけです。
女性として譲れないのってこのくらいですけどね、わたしは。
うん、土星は大母神の星だから時間のかみさまでもあるの。このへんの関係なのです。
生理不順やそれに関連した病気も生活習慣にかかわってるから、リズムが大切なのです。
女性神格の祭儀って殆どそういうものだから、伝える人がいなくなると困るの。
女性の地位とかジェンダー問題などもあるのだけど、とりあえずそういうの後回しで。健康に暮らせることができないと意味ないからです。
流行やファッションで魔法をやってるわけではないので、わたしは。
(hive off
• hive-off
【名・形】
= spin-off
• hive off
【句動】
〔ミツバチが〕巣箱を離れて他へ移る、〔会社を〕やめる、下請に出す、〔子会社に〕割り当てる、行ってしまう、手を広げる、消える、分封する、分離する、立ち去る
________________________________________
1.
2. (1)〈ミツバチが〉分封する.
3. (2)〈集団・組織が〉(…から)いくつかに分かれてそれぞれ独立する((from ...)).
4. (3)((英話)) 急にいなくなる,雲隠れする.
5. (4)子会社を発足させる;(会社をやめて)新事業を始める(((米)) split off).
)
“藁を摑む手はくじをさし,バラバスとキリストのうちどちらかが放免されることを表す.” 『イメージ・シンボル事典』p.310
— 子子子子子(ねここねこ) (@kitsuchitsuchi) 2016年11月8日
人工芝の拳の元ネタ?キリスト教がらみの拳@wolvesknow @kikuchi_8 @x_pq_xhttps://t.co/H7ODPE2heK pic.twitter.com/96AxcGIMg9
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 12時間12時間前
トト(トート)はラーの伝令だから夕闇と朝焼けの境界にいる者、トート・ヘルメース。冥府下りといえば地下世界にはアイドネウス(ハーデース)がいるの。彼は三つの頭を持つ犬を従えてる。それは月の象徴となる。かれも、その従えてるものも恐怖の象徴。ただ、知らないが故の恐怖だけどね。
トトがしばしば魔術の神様とされるのは言葉や数字を操るからだけではないの。それは知らない知識を冥府下りによって得てるから、冥府の世界の真実を知るものでもある。神秘は知ってしまえばただの常識。ハーデースとはお友達なのです。
三叉路に立つヘカテーは3面だが、路傍に立つヘルメースは2面につくられる場合が多い。境界に立つものとして当然であろう。
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2016年7月17日
冥府の境界を守る犬ケルベロスは3頭につくられることが多いが、これも本來は2頭であったろう。 pic.twitter.com/jof5ieo24y
夜と昼との境に位置して時を告げる雄鶏は、「境の神霊」として霊魂導師(ψυχοπομπός)の役割を担ったと考えられる。これがおそらく、ハーデースとペルセポネーの玉座の下にいる理由であろう。 pic.twitter.com/vrxYUpCrQF
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) 2016年6月11日
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 12時間12時間前
ペルセポネーが月に帰属されることを思い出すといいのです。そうすると彼女の夫であるハーデースが従えるケルベロスがどのような生き物なのか理解されるから。
ハーデースは夕闇それ自体。その中にペルセポネーなどの月の女神がぽっかりと浮かびます。彼女は三相をもってるから、それぞれペルセポネー、デーメーテール、ヘカテーと変化します。
これでケルベロスが何のことなのか理解されると思います。
恐怖が生み出した幻想だから。
町の中にいると、普段は本当の闇に触れることは少ないから一歩も足を踏み出せない恐怖は実感できないかもね。
ハーデースは闇でペルラポネーは月。月は幻想を運ぶもの。だから二人が揃うと二面性を持つことになる。優しい幻想もあれば恐怖の幻想もある。闇は幻想を得て生き生きとする。また、月は闇がないと輝けない。彼女にとって闇は優しく包んで輝かせてくれるの。昼間の月を見たことある? ぼやけてるよね?
ペルセポネーとハーデースの具体例を提示し忘れたの。ハーデースさんは壮年の頼もしいおじさまで闇を孕んだ外套を纏う。この例はちょっと見た目が頼りないけど日本人にわかりそうな具体例をどうぞ。
(クラリス カリオストロ でのグーグル画像検索結果へのリンク)
アーキタイプの残滓はあちこちに転がってる。創作の時の霊感の源泉となるから。
拡大解釈のし過ぎ。それは医学的ではない。
科学でもオカルトでも、あまりにも無軌道な妄想による迷信は避けて通りたいかな? って思う。結論への飛躍が大きすぎる場合、真っ先に根拠を疑うから、わたしは。
オカルトが一般の、特に一部の人たちに不評で嫌われてる理由は、他ならぬ魔術師を名乗ってるわたしにも理解できるのです。何故なら、オカルト側は何の予備知識もなくいきなり象徴を用いて話をはじめ、論理の飛躍をもってお話を完結させる傾向にあるからです
象徴とは本来、自然の道理を他者に伝えるためのレトリックに他ならず、想定される問題について何らかの示唆を与えるものだと思うの。ところが推論がいつの間にか検証を挟まずに決定事項にすり替わってる。こうした論理のすり替えが人々に受け入れられにくい原因になってるからです。
これは一種のコミュニケーション障害と呼んでも良いかもしれません。「わかる人だけわかればよろしい」というのは状況によっては真実ではあるけど、徹頭徹尾これでは対話を拒否する引きこもりっ子と大差ないからです。この様な態度は科学を信奉する側にもありますが人々に嫌われる原因です。
神秘の入ってる箱は崖から落として開けるものだと思ってる。錠(歴史的伝承)は脆く崩れやすくできていて、そもそも鍵を作っても安全に開けられる保証はないのです。恐らくは開けてる途中で壊れてしまうでしょう。だから神秘は形を持たないから崖から落としても大丈夫。箱の中は空っぽなのですから。
宝箱の中身が空っぽでもがっかりすることはないと思うの。「残念でした」と書かれた紙が入っていても同様。そこに箱が存在してること自体がすべての答えになってるからです。わたしはそれでいいと思うな。神秘について語るには一番良い姿だと思うから。
空の箱よりも神秘について雄弁に語ってる象徴は他にはないからなの。
GDの儀式道具一切が崖の下から見つかったという件について、これ以上ないくらい笑える神秘を表現する姿は他にはないでしょうね。かれらは神秘の性質についてよく理解していた証拠だとわたしは思ってる。
儀式道具はただのガラクタです、余人にとっては。わたしはそれでいいと思うの、神秘ってそういうものですから。
星が逆行してるときはただぼさっと突っ立てはいない。水星がレトログレードならコミュニケーションに障害が生まれやすいという解釈があるのなら、言葉に注意していつでも誤解を訂正できるように身構えます。ただやり過ごすというやり方ではいつまでたってもその神様とは仲良くなれないの。
神様のお社へは常に自分で出向く。逆境という状況は神様がお社にこもりっきりなのだから、自分の足で出向かないと状況は改善されないからです。
マッサージ師がわたしの歩き方をみてとても不思議がってた。「まるで体重がないように歩く」と教授から聴いたそうな。人は見たこと聴いたことがないと信じないし、逆に見たことがあると信じすぎてしまうの。グラビトンやフォトンすら作業仮説でしかないのに。自然はそれが存在するかのように振る舞う。
肉体でみたり聴いたり、または触れたりしないとひとは不安になるもの。だからこそ形にこだわり、それを根拠にしないと信じたり信じなかったりすることを「自分の意志では決められない」のです。本当はその感覚すらも欺瞞かもしれないのに。だってわたしたちはすべての電磁波を見聞きしたりはしていない
それ故に幽霊さんの存在を信じてない人は「みたら極端に信じてしまう」と思うの。形を常に根拠にしてるから、疑念も盲信も形にとらわれてしまう。それらがとても不確かなものと気づいたとき、きっと心が保てないから。
逆境の時は神様のお社に出向くと表現したけれど、儀式的な手続きとしてはその通り。具体的な意味としては神様が表象している事物に対して意識的になり注意していないといけないということなの。受動的、無意識でいられるのは神様がお社から出てくる状態の時のことだからです。
惑星の順行逆行は、神様がお社から出たり入ったりするのに擬えられるし、神様という言葉の意味は特定の物事を構成する大事な観念のことです。それ故に神様が外に出ているときは無意識的にそれが働くから習慣が作用してる。神様が閉じこもれば習慣が作用しないので意識的に務めるのです。
教養の殆どは習慣によるもので構成されてると思うの。それは生活に必要な知恵を根拠としてるから自動化されるまで教え込まれる。言葉遣いを教え込まれればその挙動もまた自動化されます。「星の力」と呼ぶのはこれら自動化されたそれぞれの徳のことであり、意識的に作ってきた習慣なのです。
アストラルっていうのは習慣そのもののことなのです。それはラテン語のシダスでギリシア語のアステル。両方とも星を意味するのだけど、星の運行と人間の習性、すなわち習慣を擬えてるの。星の力が弱い、もしくは逆行してるというのは、その習慣の力が弱まってるという意味。だから意識的に修正するの。
わたしが理解してる限りのことをかなり正確に表現したつもりだけど、これでわからないとしたら何も言葉にはならないかも?
ひとは習慣の恩恵を受けてるの。特定の習慣が壊れてしまうと、身体が平気だとしても立ち上がり歩くことすらできなくなります。習慣をつくるときは意識的に常に努力をしないといけない。それが無意識的に働くようになったら習慣はできています。けれど、習慣の力が弱くなる時期が定期的にあることも知られてるのです。そのとき、無意識化された習慣を意志の力で補強しないといけない。それが占星術的意味だと思うの。言葉だって話せなくなる。これを星辰の(アストラル的)影響といいます。
これでアストラル作業の実態とはなんのことか理解できるはずですけどね。
人間として正常とされてる一般的な習慣は多くあるのだけど、それぞれ個々の習慣はひとつのマクロのようなものです、なぜならそれはあたかも独立して(無意識的に)働いてるから。これが壊れたり動作不良に陥るのを何とかするのがアストラル作業だから、これらをシンボルで扱い、デバッギングしてるの。
これらのことはわたしのグループで普通に教えてることだけど一見するといささかも神秘性はないように見えます。でも、もしそうだと感じていたら神秘について多くの誤解をしてるのでしょうね。
赤ちゃんが立ち上がって、歩き出し、さらに言葉を発することにどれほどたくさんの神秘が隠されているのかを理解してる人は少ないの。そのこと自体に神様を褒め称えるほどの感動を見出せないのなら、魔法はできないと思うのです。
魔術訓練の最初に行うのが習慣の意識化であり、記録をとることだというのを思い出すといいのです。技法それ自体は神秘的な作業のように見えますが、それは物事の一端しか表してはいません。門外漢はその神秘に魅かれるけれど中身について理解したとき、離れていく人が多いのは当然だとわたしは思います
わたしのお話しする「魔法」は現実的過ぎてつまんないとは思うけど、真面目に実践してる人には大事なことだからあえて言葉にしてるの。これをはっきりと理解するのにすごい時間がかかるから。
魔法の学院は雑草だらけなので下草をみんな自分で刈り込まないと全体像は見えてこない。多くの場合、下草を崇める人ばかりだから肝心の神殿についてはずっと放置されてるのです。
因縁は悪い因習だから、特定の星の逆行時に行うとよいと言われてる。とはいっても、手順はかわってもそんなにたやすくはないですけどね。そのことについて考えないようにしたりするのは難しいから。
よくも悪くも無意識の習慣って扱いが難しい。最初に行うのは無意識にあるものを意識化することなのです。
象徴、シンボルによってその習慣を意味してる何かを無意識から呼び出すとき、間接的にその習慣を認識してることになるの。それが具体的に何を表してるのかをそのときに理解しないといけない。そのシンボルに対してイメージ(鋳型)を与えるのってそういう目的のためなんです。
こういう処方が大衆化され、迷信にまで砕かれるとよくあるおまじないになります。
ヘイトスピーチの一番の問題は、何よりも自らに呪いをかけてることだから。呪いには「主語がつかえない」以上、言葉に注意しなくてはいけないの。
呪いの言葉は自分の頭の中におが屑を詰め込む。それ以前とその後を比較することができるのなら(思い出すのなら)この差は歴然なのです。知性がそれによって衰えていくのが自分でわかるから。
科学はすでに手に入れた右手に持つ鋼鉄の剣だからこれを手放せないの。一方で左手に持った青銅の盾を宗教といいます。どちらもうまく使いこなす必要があって、そうしないと自然の中で戦うことはできないのですから。
ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエが著した『化学の結婚』とはこういったものがテーマになってる。化学(科学)には信仰が必要で、信仰には化学(科学)が必要だということ。それは剣と盾なのですから。
薔薇十字的思想というの総じて化学の暴走を懸念する意見から成り立ってる。時代は産業革命前夜であり、宗教の衰退から科学の時代への転換期に差し掛かってるときのこと。そういう流れに対する反動でもあったの。
CRCの伝承って、昔ながらの司祭が医者になって生まれ変わるという神話なのです。それは時代が変わって科学という衣を纏った伝統的な司祭の姿。すなわち、衣裳は常に時代により変化するの。だから、魔法のローブを着ていないからといって必ずしも魔法使いらしくないとは言えません。
科学者を名乗っていて事実、公的立場としてはその通りでもその思想は明白に昔ながらの伝統を引き継いでる方々は大勢います。実際のところ、わたしにとって姿かたちはどうでもいいと思うの。たとえオカルトとはまったく関係ないように見えても。
もっとも、そういうひとたちは「自分はオカルトなんかに手を染めていない」というでしょうけれどね。
ひとが眠りにつくと、肉体の束縛から外れ、次第に自我の束縛からも離れていくの。最後には魂は自由となる。その魂がどうなるかはわたしも知らないけど、神様の御許に還るとされています。一つだけ確かとわたしが思うのは、外側から観察して何の反応がなくても心は動いてるということ。
目に見えて何かの反応がないからと言ってそのひとが死んでることにはならないの。それをいったらこん睡状態のひとはみんな死んでることになりますから。金縛りの状態は心と肉体が切り離された状態のこと。これは反応したくても反応できない状態。だからといって心は死んでない。
医学的に説明されることはみんな外側から物理的な反応によって証明されたことを説明してることに過ぎないのです。それは実際の「心の状態を何ら説明してはいない」。これは人を心の側から見ているか物質の側から見ているのかの違いです。主体と客体が逆になった見方なのです。
この問題は「どこまでを科学と呼んでいいのだろう?」というお話に帰結します。これについてはそれぞれが考えることだと思うの。
その一連の主題はミニトゥム・ムンドゥム(小宇宙図)の見方の通り。人にセフィロトをあてはめたとき、
右手は左の柱、
左手は右の柱になります。
つまり、右は剣の道でレフト・ハンド・パスというの。
神様の視点なのか、人の視点なのかによって左右が逆転します。
それ故に、ホドは右の腰に当たり鞘が置かれる位置になり、右手には剣を持っている。
ネツァクは左の腰の位置に当たり、これは小さな丸盾が括り付けてあります。
すなわち、剣を腰の鞘にしまう時、栄光の時は訪れる。
ミニトゥム・ムンドゥムが反転したセフィロトの姿だというのは本来秘伝にあたるのだけど、すでにさまざまな書籍に書かれているのでいまさら隠す必要もなく。
多くのグループでは2=9あたりで習うことかな? それは月の鏡像と関係してるから。
(
ちょっと格好いいミニトゥム・ムンドゥム(小宇宙図)を投入。 http://t.co/B96BkbEcjr
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2013年8月23日
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2013年8月7日
ということで、小世界図(ミニトゥム・ムンドゥム)においてイェソドをイェツィラーとアツシャーの境界と考えるのは間違いなの。アッシャーの境界線は第32の小径の真ん中。つまり、アッシャーが属するのはマルクトのみなの。これはイデア界の力は顕現世界で四大的力に再構成されるという論拠。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2014年1月23日
ミニトゥム・ムンドゥムのセフィロト上ではセフィラはクイーンスケール、パスはキングスケール。つまり受動と能動に分かれてる。ここで重要なのはセフィラはブリアーで大天使的なの。パスは神界に対応させてるけど実践的にはナイト・スケールなので天使団的。つまり水から放出された気体が天使団なの。
Akihoさん、イデア界とマルクト、エレウシスのこと。
G∴D∴系魔術師Akihoさんシリーズ。
https://togetter.com/li/546012
”Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:12:16
ん・・・某銀の月に無限光の対応について混乱してるのあったけど、伝統的にこういうのもある。無限光は、無で至高の三角形、無限で倫理の三角形、無限光でアストラルの三角形に到達。最初の二つのとこはアビスとパロケトの帳あり。ここまでがイデア界。つまり9セフィラと無限光の文字一つが対応する。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:14:39
ひとつの考え方としては、イデア界とマルクト(現実界)はわけて考えるの。従って、アイン・ソフ・アウルが到達するのはイェソドまで。ここでイェソドとマルクトの間にはマルクトの引力という見えない帳が生じるの。これは落下の原理。アンナ・キングスフォードがペルセポネの落下について解説してる。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:23:17
ということで、小世界図(ミニトゥム・ムンドゥム)においてイェソドをイェツィラーとアツシャーの境界と考えるのは間違いなの。アッシャーの境界線は第32の小径の真ん中。つまり、アッシャーが属するのはマルクトのみなの。これはイデア界の力は顕現世界で四大的力に再構成されるという論拠。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:27:36
もうひとつ論拠を付け加えるのなら、マルクトは創造の三元素をテイファレト、ネツァク、ホドから受け取ってる。これは小世界図をみればわかる。創造の3元素の反映は地の大地に反射したイデアの色が濁って出来てる。つまり、レモン、小豆、オリーブ。これがマルクトが特別なセフィラである論拠。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:35:07
イデア界と物質界を分けて考えられていたという根拠はもっと出てくるけど、例えばペルセポネとデメテル神話の中に。アンナ・キンク゜スフォードによれば、ペルセポネはマルクトの裏側に落ちたと説明してる。錬金術の云う塩の象徴でわかるとおりマルクとトは二分割される。これイデア界からの脱落の話。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:38:18
デメテルは娘がいなくなってから九日間(9セフィラ)探して見つからず、最後にヘカテに教えて貰って地上で娘を見つける。これがマルクトの話。ヘカテはが教えた理由はヘカテがマルクトの裏面だから。つまり、これはペルセポネの脱落神話。明らかにイデア界を天上としててマルクトを現実としてる。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:52:51
イデア界と現実の違いの扱い次第で、魔法とかオカルト、信仰についての考え方が180度かわるんだよね。確かにアンナ・キングスフォードは現実の厳しさをよく理解してた。それゆえにイデア界を大切にしてたのだけどね。GDのに示す「生命の木」は結構シビアよ?彼らはそれを確かに熟知してた。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:58:23
夢も希望もないように感じられるけど、これが「黄金の夜明け」魔術の世界なの。イデア界は物質世界の法則に投射されて再分割され、アッシャー独自の展開を遂げる。それは粗雑で濃密な世界。フォーチュンもそう表現してる。つまり、これが現実なの。デメテルは現実を見る知性。出奔した娘コレーは魂。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:03:18
もともと、デメテルとコレー(ペルセポネー)は二柱で一つの女神なの。娘と単に呼ばれていた頃は、彼女は天上界に生きる魂で乙女。それが地上の裏側に落ちて現実の理不尽を知る。現実を見つめる知性である母デメテルはペルセポネーとなった娘を助ける。つまり、乙女は現実を理解した。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:08:15
これがエレウシス小密儀の真実なの。地上の知性と魂の救いの物語。それは海の水のように辛くて苦くて肌に痛いお話。体験すると泣くよ?ほんとに。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:17:21
この塩の瞑想で得られる現実の二分割は、ペルセポネーとデーメテールの物語に参入すると氷解して理解される。どうしようもない現実に叩きつけられて、錬金術的黒化が始まる。その後、すぐに白化で落ち着いて心を見つめる作業がくる。あとはね、自分で体験してね。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:22:48
エレウシス秘儀もそうだけど、大の男がマジ泣きするんだよ。面白いよ。え、わたし?大泣きしたwww
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:30:19
まあ、子宮から一度出た子供は元には戻らないんだよ。それは産道を通過するとヘカテーの局面を見るから子供は産まれて泣き叫ぶ。魂は形を得て物質化する。「二度生まれ」と呼ばれる人たちはみんなこれを追体験してきた。大地を、この現実を受け入れるために。それがエレウシス小密儀なの。
mura underground @reflect8mirror
2013-08-07 20:37:28
@Ripple1975 ギリシャ神話を読んで予備知識として頭に入っているからこそ、どういう事なのかがよく伝わってきました。あの物語の意味はこの解釈を元になるわけですか。色々感じさせられます
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:41:24
そうですね。話はあとから聴いたけど、GD魔術の本質はここにあるの。だからこそ、それを理解しつつ現実を笑い飛ばすの。 QT @murasame_nanasi: @Ripple1975 ギリシャ神話を読んで予備知識として頭に入っているからこそ、どういう事なのかがよく伝わってきました。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:59:40
ここまで言えば分かるとおり、タロットの世界の中にいるダンサーは本来、神的幻影なの。アイマ・エロヒムの下位に於けるイメージ。最後の元型。それは力動的陰と陽の二面性も表現する。ダンサー、即ちバランスしながら踊る者。それが彼女の本当の姿。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 21:06:49
まぁ、あれ。タロットの「世界」は昔、幸せだった頃の恋の記憶。結晶化して美化されちゃってるけど、いざ追体験させられるとかなりキツいというやつだよね。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 21:13:38
理想に合わせて「世界の設計図」を解釈するより、現実に照らし合わせて「世界の設計図」を解釈するほうがたぶん正しい。”)
自分の心の中を覗いたとき「リターンがあるから」というのを見つけたら本当に愛してるのか疑問に思ってる。なら「リターンがない場合は好きではないの?」ということになるから。本当にしたいことかどうかはいつもそれを目安にしてるの。
脆弱なはずなのになぜか知らないけど絶滅してない生き物は結構いるの。鏡の前にいたりする。
前世があってもなくても、少なくとも前のわたし(あるとしたら)と今のわたしは別人だもの。
そもそもアストラル体(自我)は死んだら分解されるといわれてるのです。で、コーザール以上だけ転生すると。ということは、少なくとも自我は新しく作られたことになるのです。(^^;
神智学といえば転生論者のひとたちだけど、そういうひとたちでさへアストラル体は分解するというのですから、新しく転生したら自我は新品だよといってるのも同然なの。だから気にしなくていいです。
わたしにとって「スピリチュアル」とはなにかというと、「科学などの知識によって当たり前とされ、軽視されがちな日常的な諸々について敬意を払い、これに対して心を開くこと」だと考えます。だから突拍子もない妄想はこれに含まない。もっと当たり前のことを大事にするという意味だからです。
それは心の持ちようであるし、心的態度のことだから庭木の手入れをしていようと、コンピューターのプログラミングをしているときでもスピリチュアルであることは可能なのです。それは何か特別なことを意味しないと思うからです。
オカルトの諸々、たとえば占いの道具ですとか、儀式の道具などは心を使うための工夫に過ぎない。それ故にプリミティヴな感覚が心に育たず、また蘇らないのであればそれは無用の長物となってしまうの。ルーンはもともと心の中にあるのであって手はそれを対象に刻む。道具を自分で作るのはそういう意味。
別にケルティック・ルーンでなくてもいいの、日本人なら「あ」とか「い」とか板に刻んでもいい。そうやって意味を付与するのであれば確かに使用可能になるからです。
もしつかえるのであれば、結び目による数、単純な形を彫ること、そういうのでもいいの。こういったことの意味を理解しないのなら、オカルトに対してより豊かなものを発見するのは難しいと思います。
ウィッチクラフトで有史以前の神様を復活させて召喚するというのは、大昔のダイナミズムに身をさらすことを意味してるの。それはまだ人間が貧弱な武器しか持たなかった時代のこと。ギリシアやローマよりもずっと古い時代のこと。その必要性を感じてる魔女たちも確かにいると思うのです。
テュポーン神は自我の根底に潜んでいて西のホルスを侮っていると暴れるのです。アルターの根底に潜むものを無視するわけにもいかない。オシリスの犠牲は知性の契約の証。嘆きのイシスとは何のことか思い浮かべてみるといいの。
承前、IAOの術式。LVXサイン、そして契約の十字架。すなわちオシリスの復活。
神々の座にどんな存在があるのかをきちんとイメージできないとお話がつながらないのです。儀式というのは神話を再構成するものだから、登場人物を端折りすぎてしまうと意味が分かんなくなるの。(^^;
それは神話の座標を決定するものだから、演劇でいうところの第何幕の第何場といった感じですべて指定されてる。途中から演劇を鑑賞してもストーリーがつながらず、感動することもできない。そういうものなのです。
ゴッドフォームは自分を神様の入れ物とする方法です。ですから、神様を人形のように動かすのとは発想が完全に逆なの。自分が神様によって突き動かされるため、これは召喚なのです。
わたしは超常現象なんて見ていない。少なくとも普段はそういうのを見る経験はほとんどないのです。その代り、自然を生きた経験として体験している。自然の神々という言葉で表現しているのはそういうもののことです。それはモノではなくて生きたシステム。人間を見るのと大差ない。
魔法をやればいつか認識がすっかり変わってしまい「活きた生命の中に自分がいること」にきづくようになる。けれどそれは変なもの、幻覚などが見えることを「まったく意味していない」。そういう何か見えるのは心霊能力というのです。これ、区別できない人おおいですよね。
心霊主義者と魔術師は根本的な部分で異なるのです。イメージとして何かを見ることはできるけれど必ずしもそれを必要とはしていないところです。大事なのは心でそれを理解する能力だから見えないとだめだなんて考えないでくださいね。
「我ら汝を活ける美へと呼び寄せたり」これは0=0儀式で聴く言葉ですがこの言葉の意味を理解するのはずっとあとのこです。それは超常現象とは関係なく、変なものが見えたりはしない。ただ、単調だったことがもっと多元的に見えていてとても深みを感じる。だからわたしはあなたを薄い肉塊とは思わない
ダイアン・フォーチュンは心霊主義者だったのかという質問については「イエス」です。彼女は確かにシャーマン的能力を持っていたので後になって魔術的素養と混同された感じはあります。また、彼女の周りはそういう人たちが多かったため、その部分が無用に強調されてるの。
お部屋から文字や数字を一切消してしまう瞬間も重要だと思うの。そうやって意識だけではなくて無意識もたまには休ませないと疲れてしまうから。
本当になんにもないところでぼーっと過ごすの。ただ静かな音楽を流してもよい。けど、人の声がはいらないこと。
あまりにも何もないお部屋だと、壁のシミですら数えてしまう。それは何をしてるのかというと、心に満たす何かがほしいから。ひとは何か考えないと起きてるのが難しい。そして思考するときに何か中間のイメージを生成してる。そういう行動を見つめてさらっと流すのです。疲れてるのなら。
人は印象を食べて生きてる。文字だったり形だったり、色や光、五感に働くものはみんなぱくぱく食べてる。それで別のものに変換して消費するのです。
何か心が穏やかではなくて疑心暗鬼になってるときは何か温かいもの、気持ちの良いもので心を満たしてください。心を空っぽにするのは逆効果になり、些細なことでも意味を無理やりに見つけ出して火に油を注ぐようになってしまうのです。燃料がなくてもそれを持ってくる状態だから、選んで与えます。
身体のほうも少しお腹に何か入れて満たします。食べすぎない程度に、心も体も気分がよくなるものだけを採ります。あとはぼーっとしながら眠るだけ。無理に考えないようにするのは逆効果になるので、ただ心に浮かんだものを見つめてそっと流すだけにします。
とりあえず、リラックスして眠る方法を習熟するの。それが何より必要だから。
忙しい世の中だから、ぼーっとする技術って有用だと思うの。
リラクゼーションの練習しててそのまま眠ってしまっても問題ないの。それならそれで問題ない。いずれにしても心がカチカチだと素直に何かを考えることすらできないから、それくらいだったら眠ってしまいます。
魔術訓練で日拝を推奨してる一番の理由なんて、健康であることを重視してるからに決まってるのです。心身ともに健康でないのなら何がオカルトなものですか。わたしはそう思っている。
太陽神というのは知性の象徴であり、理性の変化を表現するもの。人間特有の特質をそのようにして崇めているのですから、人間らしく生きようよって言ってるのと同義なのです。(^^;
太陽は直接的な光、知性のこと。月は太陽の光を受けた反射のこと、それは動物的直観、霊感のこと。どちらも重要なのだけど必ずTPOがあります。昼間から魔法の儀式なんてそんなことはしない。それは昼間の祭典であって霊感を駆使する儀式ではない。魔術的常識がそもそもないように思う。
月というのは太陽の反射だから、知性に直接働きかけるのではなくて霊感を駆使する。言い換えると、暗喩を使うのです。理屈ではなくて暗喩なの。太陽と月の違いをあえていうのでしたらそういうことです。
例: ピロートークは月の技を駆使するのだから直接的な言い回しなどしない。必ず暗喩を使うのです。なぜならば、イメージによってその力を駆動させるのだから知性に働きかけても無駄です。
みんなオカルトが特別なものだと思っていて、本当はどの文化にも当たり前に組み込まれている分別と常識であることを理解していないのです。知性と霊感の意味なんてその最たるもので、オカルトとは霊能力であるなんて思ってる人たちが大勢います。(^^;
霊能力は確かにオカルトの一部だけど、それがないからと言って悔やむ必要もないの。あれば便利な一面もあるのだけど、あったらあったで困ったことになりやすいのも事実だと思います。霊能力って心理的病気になりやすいから扱うのが大変です。ないほうが良いことも多いのよ?
「魔術結社は精神病院ではありません」と愚痴をこぼす指導者は多いと思います。まさにそう。
世俗的欲望にまみれたままそういうことに手を出しちゃ駄目だと思う。それだったら世俗的な通常能力を磨くべきです。だって、魔法は役に立たないから。
手には剣を持たない。一切の武器を持たずただ常識の灯りのみを持ちます。常識とは既成概念のことではなくて事実のことです。
錯覚や思い込みを直すのはとても苦労しますね。いくつかのことは確かに伝承の通りだけど、手あかにまみれすぎて解釈がアレになりすぎてます。
わからないものは無理に根拠を説明しなくてもいいと思います。もしかしたらそれは証明不能なものかもしれないのです。それを証明しようとしたら理屈や妄想で捻じ曲げることになりますから。
おとめ座的な対応というのはこういうものだと思うの。無垢であること、知らないものをしらないということ。少なくとも自分自身には嘘をつかないこと。何かを無理に捻じ曲げないこと、素直であること。
すなわち、「隠者」で表現されてるあれです。
魔法の技法、浄化や聖別などもそうだけど、どれひとつとっても大事な心の使い方を説明し、それを理解するためにあるもの。だからこそ最終的に道具はいらなくなる。魔法の道具は心の延長線上にあるものというのはそういう意味です。
こういうのはいくら説明してもオカルトパワーを信じている人がいてなかなかなくならない。心やイメージの力って普通の人が考えてる以上に深みのあるものだから全てを否定はできないのも確かなこと。だからといってあまりにも突拍子もない妄想は勘弁かも?
オカルトパワーっていうから変なことになる。ただ「心の力」っていえばその通りなのです。
魔術文献はとにかく読解力を試されてる。暗喩だらけになってるので斜めからさらっと読むとわかるのです。
魔術文献はいじわるだよね、意味を理解した人だけが寄ってたかって物事をややこしく説明してる。それについて外野があーでもないと解釈を重ねていく。それがひどい皮肉になる理由はよく理解できるのだけど、それにしてもちょっとひどすぎるのも多い。
ここまでぶっちゃけたことをツイートすると大体、ちょっと危ない感じのフオロワーさんはいなくなってくださると思うの。幻想は好きだけどそれはエンターテイメント。わたしが所属していて理解してる魔術とはべつものだからです。
わたしにとっては現実の中にある不思議、その神秘で十分。とてもお腹いっぱいになるからです。
魔法って何か人生のチート行為のようなものを求めてる人はすべて弾かれる。でも、真摯に心の中に人生の価値を求めてる人には道は開かれていると思う。
ワイルドライフって遊びでするようなことでもないから。庭に鶏さんを離せばキツネさんが追いかける。それをハヤブサさんが高い塔から急降下して狙うかもしれない。うちの鶏さんを助けるにはハヤブサさんを糾弾しても意味はなく、キツネさんを責めても仕方ない。鶏さんに逃げ切ることを教えるの。
優しさにおいて強いものを挫くだけでは、集団の名において強いものをいじめてるに過ぎない。弱いものに同情する気持ちには共感は持てるけれど、弱いものをもっと弱くして良いという道理はないと思う。それでは自然の中で誰も生き残れないから。鶏さんが自ら逃げ切る力をつけるのに協力します。
女神崇拝の大事なことの一つは自然における生存競争の妥当性を認めることだと思います。女神がそう定めたことなのだからこれを守り忘れない。それが過酷にならないように管理する必要はあってもなくしたらすべてはおかしくなるから。
人間同士が殺し合いをする理由なんて一番の理由はわかりきってることです。それは人間以外に外敵がいなくなってしまったから。人から自然が遠ざかりすぎると人間同士が争いを始めます。
優しさ信仰も行き過ぎるとまったく優しくない世界になってしまうし、愛の信仰も事実として優しくない世界を作ってしまってる。もしキリスト教に問題があるとしたら自然に関する注意喚起を怠ってしまってる点だと思う。聖母の中からそれをスポイルしてしまったからです。
これはGDをはじめとした魔術関係者の大方の意見で、ダイアン・フォーチュンも黒いイシスとして言及してる。それはつまり、聖母のスポイルされた部分のことです。
こういうのは教会にとっては明らかに異端審問の対象になるので昔は口にはできませんでしたけどね。
日本人にはこういえばわかると思います。聖母に存在していた鬼子母神的性質が欠落したのです。もともとはデーメーテールにすらあったのに。
古代の女神崇拝という主題にみんなこだわってるのはこういう部分かなと思います。
男性にとって、強く賢い母というのは不都合なんでしょうね。(^^;
ケルトの神々はもともと強く賢い女性像が当然のものとして受け入れられていたから、女神が存在しないというのは受け入れがたいと思うのです。最終的にキリスト教化してもアイルランドはごらんのとおりです。
自分たちがもってる女性に対するイメージがまったく受け入れられないとなれば、それは母親を侮辱されたのに等しいでしょうね。
フェミニズム運動って、そういう文化的背景があるのでそもそもが異教とキリスト教における宗教戦争のような様相を呈してるのです。ジェンダーが傷つけられてるっていうのは女性の持つ理想像が合致していないことを意味するから、要するに選ぶべき女ジェンダーの持つ理想像は神様の姿になる。だから女性には女性の女神が守護者になるのです。神様はあまたの男神を取り込んでいったけれど、女神さまはいろいろと取り揃えが少ない。これを服に例えると、女性の服装は少なく貧弱ねってことになります。
神を選べてないという意味なのです。
さて、これでGDがなぜイシス=ウラニアNo.3から開始されたのかお話はつながると思います。
それにGDはメイソン的でありながら女性会員も普通に在籍してたのです。これ、とても変でしょう? 中身はこうなってたからです。
GD魔術は歴史的背景から文化的背景までひっくるめないとお話がまったく通じないのです。
夢や占い、透視なども含めて無意識下の夢に他ならないと考えているので必ずしも意味をこじつけたりする必要もなく、むしろこじつけてしまうと全体として変になっちゃう傾向がある。だからそういうことはなるべく無意識に対して強制しないのです。それが実際はどんな世界かはともかくコツはコツだから。
その自覚を持ってらっしゃるだけで十分だと思います。わたし自身もそのように思われても仕方ないのですから。
当然、わたし自身もいつも自分の正気を疑ってる。どこまでを正気かという問題もあるのだけど、感じたものは感じたもの。でも、いつも無条件に感じたものを信じてよい根拠もない。だから感じたものを否定はしないけれどその通りのものなのかどうかについてはいつも保留してるの。
オカルトの道を進むというのは自分の正気を常に疑う道なの。それは完全に主観の世界の作業なのだから、自己チェックを怠れば途端に魔境の世界へと転落する。自分の心を見つめることはそういうことなので実はすごく孤独なのです。
なのでお花畑でみんな手をつないでらんらんらんというのはわたしにはありえないこと。これを理解してる人が意外に少なくて悲しくなることがあります。
本能について無理解が進んでるのなら無理して子供を作らないのがいいように思うの。そのほうが生まれてくる子供のためにもなるから。どうしてかというと、自然淘汰される危険性がある。女神(自然)の技はいつも厳粛に行われるから。
魔法の伝統においてしばしば性が聖なるものとして考えられてるのは、同じ女神の中の火星的部分である「自然淘汰とその選択」と同列に扱われるからだと思います。それは本能的な部分であるし、競争によって成り立ってる。性の部分も同じカテゴリーに属するのでそのように扱われるの。
あまりにも当たり前すぎていまでは誰も口にしなくなった事柄。というかむしろ忘れてしまって無意識の中に埋没したものごと。魔法使いってそういうものを研究するから。
自然界を眺めたときに「多くの生き物たちはこうなってるのに、人間はどうしてこうなのかな?」と思うことがある。このとき、自然に従わないことによる影響が見つかったらそれについて研究するのです。人の心の変化を神話を組み合わせてひも解いていくの。
いま現実に起こってることがすべて。人による妄想で現実を置き換えたりはしない。
セフィロトだって図案上はケテルが上部にあるけれど、これは本当は真ん中においたって構わないのです。そして中心から広がってマルクトが最外縁にあるとしても良い。これはカバラー・デヌダータ(ヴェイルを脱いだカバラー)の例です。 pic.twitter.com/Sg9QHzxONq
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年2月10日
これが図示しているのは、どこかの空間にひとつの点が設けられてそれを仮にケテルといいます。そこから無が生まれ、無限になり、無限の光(九文字)になって物質の門の最大まで広がってるという意味です。したがってイェソドがマルクトに接しています。ケテルからイェソドまでを無限光といいます。
セフィロトの概念は西洋の曼荼羅だとは言われてるけど、いずれにしても宇宙創成の概念図です。ですから創世神話を説明するものではありますね。
みんながよくみることがあるセフィロトは単なる図案の問題で二次元や三次元空間に配置した場合は意味に齟齬が生まれます。これは概念をわかりやすく説明するための配慮でありそれ以上の意味を持たない。だから説明文を完全に理解するまではセフィロトはただの仮初の椅子だとするの。
形のあるもの、その説明がすべてだと思ってはいけない。これは偶像崇拝に関する注意事項です。
椅子には背筋を伸ばして深く腰掛けます。瞑想をするときにはそうする。椅子はそこに安住するためのものではなくてあくまでも仮に腰かけるもの。瞑想における指示はそういう意味が含まれています。
おっしゃる通りです、座ること自体にすでに瞑想が始まってるのです。
だから「居心地の良すぎる椅子は良くない」というのです。(^^;
だって、お尻に根っこが生えてしまってきっと動かなくなるから。
いつまでも不動の地位はなく、固定された見方もできない。なぜなら、神様は「活ける美」だからずっと動いてる。わたしはエジプトの神様たちの座る姿を見て、そのように考えました。
意識は揺れる炎。神様だってそのように表現されます。アイマ・エロヒムは水の上を動きたり。
早い話が臨機応変、千変万化。アイン・ソフ・オール、無限の光とはそういうものだとわたしは考えています。
神様と一緒に踊りましょう。そんなところに座ってないで。
かみさまにはいつも翼があるのです。それは現象という名の神様、すなわち天使の姿のこと。だからいつまでもその地にとどまってはいない。かみさまを見つめたとき、天使は翼を休めている。けれど、神様はすぐに飛びさるでしょう。人がかれを見つめてるのはいつでも少しの間のことだから。
これは巧妙に仕掛けられたレトリックのことだと思うの。どんな種族でもかみさまについての伝承を持つ。そのほとんどが、かみさまには翼があるとされてる。何故だと思う?
これらはあくまでわたしの瞑想のプロセスを言葉にしてなぞったもの。では、わたしは本当に不思議なものなどをみているのでしょうか? それについて考えてみるのもいいと思います。
わたしの作業中は殆どの場合は幻想を見ることはありません。幻覚をみるのはかなり特殊な例です。視覚化によってサインを描くことはあっても不意に幻覚が生じることはないの。そんなものがなくても心は自然の中にかみさまをみて驚いてる。
自然の中にかみさまをみつけても、それがちゃんと科学と合致してるのかをいつも心の耳で聴いてる。自然科学の解釈が必ずしも正確ではないにしても、偉大な科学者たちは自然の中にそれを見つけてきた。だから彼らの助言にも耳をそばだてる。自分が見たものとちゃんと合致してるかを。
各分野は表現の違いこそあってもそんなに意見がかい離していないようにわたしには見えるの。だから突拍子もない意見には注意を払ってる。
わたしがみてるのは、他の人からすると大抵は普通のもの。ただ、心は違うものを見つめてる。そういうことなんです。
わたしがいう霊的とは、心がその中身をみつめることなのです。だから変なものが見えたりすることを意味していない。
直観像が見えてもみえなくても、それは心が何かをとらえる時のサインでしかない。無論、そういうのを一切通過しないで届く直観もあります。わたしの場合はそういう意味では後者のほうだから心霊能力者ではなくて神秘主義者という位置づけになるでしょうね。
ダイアン・フォーチュンがいうところのパープル・レイです。
オレンジはあまりうまくいかなかったので、グリーンで補強しながら進んだらパープルになったのです。進む道はいろいろとあって、自分にあったものを選びます。
霊能力者はものごとの中身をイメージを通して見つめるからそれを霊的な行為と説明するの。でも、神秘主義者であるわたしは物事の中身をイメージを介さないでも見る方法をとるから変なものを見てなくても霊的な行為と呼びます。中身が一緒でも方法が異なるのです。
最終的にものごとの理解にたどり着くのなら何でもいいと思う。危ないことでないのなら。
@Ripple1975 お世話様です。魔術書ではないのですが井筒俊彦さんの「意識と本質」のモデル3は、Tif'eretが真ん中にあります。 pic.twitter.com/7ZkksEwOdu
— 三木野吉関連資料室 (@fulcanelli19) 2017年2月11日
岩波文庫 「意識と本質」著者 井筒俊彦 です。井筒さんはイスラム学者として知られています。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
ひとつの体系の中で図を新たに書き起こして同じことを違う表現にして説明するのは良いけれど(意味が最初にあるから)、一度形になったものをましてや別の体系で無理に解釈するのは感心しないかも? (^^;意味がめちゃくちゃになるので。
図によって説明されたモデルは、その図自体がその説明に限ったものと考えるのが適切であり、その使用範囲を超えた説明に用いられた場合は使用した図は愚か説明自体が破綻します。
特定の説明に用いられた図は、ですから何かを付け足したり差し引いてもいけないのです。それをするということは、自分で元になってる説明を捻じ曲げるという結果になるからです。これをやってしまったのがケイオスです。orz
一度捻じ曲げられた図とその説明ではいくら解釈を試みようとしても成功しないと思うの。もはやそれがどんな世界観を持っていたのかすらわからなくなります。それはまさに「追放後のエデン」だからです。
いまお話した数段のツイートは「荒廃した神殿」のお話なのです。悲しいことに基本が何一つ伝わってないから。
このお話は魔術カバラー(クリスチャンカバラー)に限定することなので本家のユダヤ教カバラーのことでしたらショーレム博士のご本などを参照してください。
日本語が難しいというのは、たとえば。「認識」という言葉をよくわたしは使うけれど、英語に直すとこれはいくつかあります。このなかでわたしが使ってる認識というのはcognitionといいます。ですから何か認知するもの、理解の前提になるもののことです。
目の前にわんこさんがいるとします。このとき、その姿をみたわたしはそれを精巧な絵として見ているのか、動画なのか、現実の姿なのか認識します。それが済んだらこの子がどんな状態なのかを自然を向こうへ少し移動しつつ理解しようとするの。これがcognitionです。自然じゃなくて視線です。打ち間違い。
ポストコグニションとかプレコグニションが派生した日本語の認識を意味する言葉です。
だからわたしは理解の前にやってくる認識を早期認識、早期知覚と呼ぶこともあるの。先ぶれという言い方もします。
わたしはこの視線の向こう側への移動のことを「瞳を覗き込む」と表現します。いきものでしたら実際にそのようにするし、何かの壁みたいなものでしたらその中に意識を向けます。
「これ、なんだろう?」 って覗き込むの。
「これなんだろう?」は興味がないとできないことなの。だから、ひとであってもものであっても、対象がどんな気持ちでいるのかを見ようとしています。
キリスト教のトリニティを理解するのはそんなに難しくはないのだけど、誤解だらけになってしまうのはしかたない。要するに./tetgrammaton/yehoshua/shekinahです。ルートディレクトリはアッラーとかほかの言い方をされてるのでルートを削除するとサブも消えちゃいます
え? 超意訳してもいいの? なら。わが前にラファエル、わが後ろにガブリエル。右手にミカエル、左手にアウリエル。わが周囲に自己管理の熱意が燃え上がり、わが人生の中に道理が貫く。
上向き五芒星の意味って動物的自己の霊的支配なので意識的生活のことなのです。つまりそういうこと。
六芒星が人生に置き換えられたのは簡単なことです。それは原因(神様)の御心が実現されますようにという意味なので、原因と結果が因果関係として道理という形で貫かれることを意味します。神様の御心の実現ってそのままいうと道理というか法則がそのまま働くことを意味してるから。
だからやったことは結果が出るし、やらないのなら結果は出ないの。
祝詞とかもよくよくきいてると結構当たり前のことお話してる。
人はなかなか当たり前のことをできないものだから、そのために教えが必要になる。そうはいっても、誰かに教えを垂れるということは自分がきちんとしていないといけないのでそれも難しいこと。だからみんな教師になりたがらないんだと思うの。
六芒星って要は人間のことではなくて宇宙のことなのでかみさまのこと。六芒星の柱という概念ならば必ず柱には両端がある。それは上と下。これは原因と結果のことを意味するから、柱というのはその間にある現象やプロセスのことになるのです。それ故に道理にかなった行動を意味してると思われます。
偶像って本当にわからない? それは考えを説明するために用いられる図像のことです。これを用いれば理解は早くなります。けれど、それを転用すると誤解釈が必ず生まれて収拾がつかなくなるのです。だから暗喩や図像を用いる時にはいくつかの注意事項があるの。それはつまり口伝が必要だということ。
口伝によって補強しないと書き写されて転用された図像かもしれないそれを正しく解釈しなおすことができます。最初に書かれた図像ならば問題ないのだけど、人づてに受けったものを勝手に転用された場合はもともとの意味を正しく伝えてるのかはわからない。それは秘伝というよりも誤解釈防止なのです。
ですから、密教的伝承というのはこの口伝を用いて、図像を元あった解釈に戻すことを意味してます。図像が大衆化されてさまざまな解釈を産んだ場合はもとある解釈は何だったのかわからなくなります。そのために口伝を別に用意するのです。
ですから、そのひとたちがきちんとした伝承を受け継いでるのか否かはすぐにわかります。それはその体系がすんなりと整合がとれてるのが見て取れること。かなり簡素な言い伝えであることです。あまり複雑だったり整合がとれずに意味不明な部分があるのなら説明を求めてください。誤魔化しは通用しない。
自分自身を占う時(殆ど他人のことは占うことがない)一番嫌いなことから手を付けてる。それをゆっくり口に含んで咀嚼を繰り返す。とても苦い気持ちになるけれど、次に神様がくれるのは甘いもの。大体そういう風になってるから。
セフィロトはよくみるとちゃんと全体がシンメトリーになってるのです。これはセフィラーに限らずパスにもいえること。ですから、一か所わからないところがあるときはその反対にある部分から補足することが可能なの。これは上下左右にもあるので注意してみるとわかりやすいです。
セフィロトって片方の目がつぶれてももう片方から再生復元する目みたいなものですから。(^^;
それに、秘伝って文字のカバラーのことだからすでに大々的に公開されてる。したがって実のところもはや秘伝でも何でもないのです。
わからない絵があったらわたしなら10年でも20年でも枕の下に入れるかな? 途中で絵を完全に暗記してしまうから枕の横に置くだけかもしれないけど。意味は無理に解釈せずに必ずゆっくり氷解するようにします。まるで冷凍肉を冷蔵庫でじっくり解答するみたいに。そうしないと身が崩れてしまいます。
象徴の意味を無理に読み解こうとするのは電子レンジや火であぶったりして溶かすのとまったく同じなのです。氷点に近い温度でゆっくりと溶かしていくみたいにして、寝かせ続けるの。これはまるで鮮度と身崩れの問題があるお肉みたいです。
シンボルの扱いはまさにそんな感じなのです。
「お肉」は冷蔵庫の中にいれたら大抵はその存在を忘れます。頻繁に「お肉」の様子をみたりはしないで、思い出したようにたまにそれを見るだけにします。これを何度も繰り返しているとなぜか知らないけど「お肉」は良い感じになっています。
シンボルが理解されたときはそれを言葉で説明できるのだけど、言葉によってシンボルを説明し、理解しようとしたら必ず失敗するのです。この特徴、ぜひ忘れないでください。
シンボルって言葉にとっては不可逆的なのです。
なぜかというと、それは体験による印象を集めては固めたものだからです。
だからこそシンボルは無意識的に体験されなくてはならない。言葉では体験の代わりにはならないからです。
.だからシンボルを眺めては何かを思い浮かべ、そして忘れます。そして忘れたころにまたシンボルを気ままに思い浮かべては忘れます。ずっとこの繰り返しをしてると、多角的に形成された体験が一つの活きた結晶になるのです。
では、シンボルはどのくらいの多面体がよいのかというと、それは球面に近くなるまでです。ですから、ひとつのシンボルに対して多くのイメージを思い浮かべてこれを理解し、最後にはつるつるの球面になるまで磨きあげます。
わからないことってとても悔しいと思うのです。だからこそ知識欲の旺盛な人ほどシンボルの解釈に失敗するの。わたしもそうだったのですが、これによって無理に解釈したせいで遠回りをした経験があります。失敗したからこそいまはそれが理解できるのです。
ロータスワンドの黒帯は白帯部分よりもいつも長いのがよしとされてます。
それは霊よりも物質、頂点よりも基礎のことだと思うの。
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①批判はしない ②自由奔放 ③質より量を重視 ④アイデアを連想、結合し便乗する というブレストのルール
半木 糺 @tadasunakaragi 2月9日
日本ではそれはかつて「型」と表現されていた。 https://twitter.com/nasastar/status/829645239094648832 …
nasastar @nasastar 2月9日
逆にちゃんと練られたマニュアルって本当にすごいよね。だってそれをマスターすれば一通りこなせるようになるんだもん。で、今の日本に足らんのは、実はこの部分な。マニュアル通りならどうにかこなせる人間は多いのだから、ちゃんとマニュアル整備しなきゃならない。
マニュアルというから反発するなら、「型」と言い換えても良い。「かたなし」と「型破り」な話ってあるじゃない。そういうこと。
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 2016年12月
暇ねえ
暇があれば、学びそれを復習している
学んでいる状況というのは人生で一番幸せな時間といえる、これを蔑ろにするぬほんの教育は人類の知の希求に致命的な瑕疵を与えていると言っていい
これは反知性というのは人類の敵であり、それは人間の動物化である
動物は感覚を持っている、それを記憶する事が出来る、想像する事が出来るが何故に水が100度で沸騰するかわからない
言い方を変えれば、火をかければお湯がわく事を信じろというのが反知性である
勿論、火のかけ方、もの如何なる火かによって変わるこれが知性であり、人間の特性である
即ち、あっらーさんは人間に知恵や思考する事を与えたわけでそれが動物と人間の大きな違い
逆にしゃいたーんたそは人間を二つのやり方で誘惑する
一つは知恵を捨てたせて動物化させること、もう一つは悪い知恵を与えて惑わすこと
勿論、しゃいたーんたそはあっらーさんが創ったものの一部です
あっらーさんは人間にあっらーさんの啓示を受けてしまった人を一つの部族や一つの社会に必ず与えたとされ、ムハンマドのおじさんが最後の預言者でその前には124000人いたとこれはムハンマドのおじさんが言っている
これは数秘術的に意味がありそうだけど、分からないのでわかる人にして欲しい
なので、しゃいたーんたそはあっらーさんとムハンマドおじさんを啓示者と証言する人達、またはムハンマドおじさんの家族のおじさんの後の長であるアリーを信徒の代表者で大学者であると証言した人たち「だけ」を誘惑するの それは何故か? 元々、間違っている道を行く人を何故誘惑する必要があるの?
即ち、あっらーさんの道を選んで証言してしまっている人は整備されて、綺麗でまーすぐな道なわけでしゃいたーんたそはそれを邪魔するので精一杯なわけで元々、間違っている道を行く人達なんて眼中にないわけだし、そんな暇もないのだってムスリムが増えたらそれだけで仕事が増えてしまうからね
では、何故にしゃいたーんたそは人間の邪魔をするのか? しゃいたーんたそはあっらーさんがすべての存在が人間に平伏するようにしろと言われているのを恨んでいるからで人間を惑わせ続けるとあっらーさんに証言したからなの ねこですら、三代祟るのだから力がある存在なら一生恨むわけなのさ
話を戻して、しゃいたーんたそは人を惑わせるのに動物化と悪知恵を与えようとするの 即ち、考えるな信じろや欲求に従ってそれを正当化しろや想像に溺れて浸れとか言うのが動物化 これが良い知恵なのか、悪い知恵なのか識別させずに全部知識だからこれはいいものだと惑わすのが悪知恵なのね
これでわかったね やそ教の考えるな信じろというのは動物化でそれはあっらーさんの道ではなく、しゃいたーんたその道 逆に知識は何でもいいから百科全書のように持ち、それを識別せずに自分の為や自分の見える社会の為だけに使うというのもしゃいたーんたその道なのね どっちも火獄堕ちーなの
とは、面と向かっては言えないけどこの思考を援用するとこういうことになるのね これはイスラーム哲学の基礎です イスラーム哲学の基礎をやっていたら、やそ教の対立構造は簡単に木っ端微塵です 要は右目も左目も開いていてもそれはしゃいたーんたそを見ているのであって、所謂神の方ではないのです
例えば、エクソシスト あれはよく所謂神の力で祓うと言われていますね、それはどうしようもない嘘です 悪魔要はしゃいたーんたそはあっらーさんに「ぜーったいに反抗するんだからっ、従わないんだからねっ!人間を惑わし続けるのだからねっ!」と言ったツンデレつり目なロリ巨乳な幼女なわけです
なので、もし本当にしゃいたーんたその下僕ばどが取り憑いたのならあっらーさんの名前を言ったらより激しい抵抗と反抗してその人を殺してしまう筈です
なので、悪魔を止められるのは同じ悪魔正しくはしゃいたーんたそでしかありません
なので、彼等が唱えているのは祝詞ではなく呪詛です
なので、イスラームではジン要は精霊が取り憑いたといいます ジンは良いも悪いいて、且つあっらーさんに従っているのでジンはあっらーさんの名前を言われると従って出ていきます しかし、そのあっらーさんに従わないのがしゃいたーんたそとその下僕であり、彼らはあっらーさんを全く恐れないのです
どんどん、日本語化させるぞ
ガンガン、日本語化させるぞ
なるほど、初めて他の知識に触れた人達
初めて他の知識に対面し、頭を抱えた人達
そして、それをどう伝えるかを苦悩した人達
がよーくわかった、やっぱり仏道と中華思想やっていてよかった
これだけ知っていればいいです
1、反証性 それは反復している事例か、例外か?
2、論理性 それはしっかりと言葉を積み上げてかつ段差が幅なく組み立てられているか、否か?
3、合理性 それは大多数の人間が聞いても納得、納得はせずとも冷静にその言葉を認められるか、否か?
これだけです
あっらーさんには真名なんてありません 言葉にした時点でそれは絶対なる存在ではありません では、何故にあっらーさんと言われるのはわかりません ただ、そういう風に啓示を受けたから以上の理由はありません
私は日本の学生全員に言いたいのは中国の古代思想である諸氏百家と史記などの古代史と人物史の本だけでいいので繰り返し読んでください どこでも使えますし、どこでも同じです それ以外の学問は究極的には不要ですし、必要なのはその土地の言語だけです 知識は実に軽くて重い資産です
(サジダは、イスラームの額を地に付ける平伏叩頭姿勢。
中東ではイスラーム以前は太陽信仰が盛んだったが、イスラームでは完全否定。太陽はアッラーのアーヤ(徴)にすぎず、太陽でなくアッラーにサジダすべきと、Q41章37節に書かれている。
私の現時点の見解ではアッラーの元ネタは中東の月の女神。太陽崇拝を否定して当然。一神教では自然崇拝もアウト。
トウヒィードはアラビア語の綴りを見るにタウヒード〈神の唯一性〉。
コピペするとアラビア語の部分が分解したり形が変わるから困る。ヘブライ語も同様。元ツイートをご覧ください。
アグルの意味が分からなかったのでアラビア語を意味が分からないままコピペしてグーグル画像検索すると脳の画像ばかり出る。アグルはおそらくアクル=理性。
金城学院大学キリスト教文化研究所紀要
竹田伸一 聖書的象徴に関する考察 サタン
http://ci.nii.ac.jp/els/110008670165.pdf?id=ART0009747504&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1485266856&cp=
“②人間礼拝の拒否
第二の反逆の経緯は人間の創造以降とするものであり,そこでは「神の
似像」
(Imago Dei
)に創造された人間(アダム)に対して,天使たちが拝
することが求められ,それをサタンたちが拒絶したことを転落の原因と描
いている。たとえ人間が「神の似像」に創造されたとしても,唯一の神以
外のものに対して礼拝することが求められることは神学的には正しくなく,
非聖書的である。それ故,このようなエピソードは聖書正典にはない。そ
のような件は偽典やコーラン(クアルーン)などに残されている。サタン
は次項のアザゼルとは異なり,地下に閉じ込められるのではなく,期限付
きで地上の権力を握るものと扱われている。
アダムとエバの生涯
13
すると悪魔は答えた「何を言うか,アダム。
きさまが原因で俺はあそこから追放されたのだ。きさまが形造られた
時,俺は神の前面から追放され,天使たちの交わりの外へやられたの
だ。神がきさまの中に生命の息を吹き込み,きさまの顔が作られ,神
の像に似たものとされた時,
ミカエルもきさまをわざわざ連れてきて,
神の見ている前できさまを拝させた。そして,主なる神が,
『見よ,ア
ダム,わたしはそなたをわたしたちの像に似せ,わたしたちに似たも
のとして作った』と言った。
14
するとミカエルは出てゆき,天使を皆
呼んできて,
『主なる神の命じられた通り,主なる神の似像を拝しなさ
い』と言った。そして,ミカエルはまず自分が拝し,俺を呼んで,
『神
の似像を拝しなさい』と言った。そこで,俺は『俺はアダムを拝する
ことはできない』と答えてやった。ところが,ミカエルが拝するよう
にと俺をせきたてるので,俺は言った。
『どうして俺をせきたてるのだ。俺は,自分より劣るもの,後からできたものを拝したりはしない。
被造物の中では俺のほうが先だ。奴ができる前に俺はすでに作られて
いたのだ。奴こそ俺を礼拝しなければならない』と。
15
俺の下にいる
他の天使たちもそれを聞いて,これを拝しようとはしなかった。するとミカエルが,
『神の似像を礼拝しなさい。あなたが拝しないなら,主
なる神はあなたに対してお怒りになるであろう』と言った。そこで俺
は言ってやった『神がわたしに対してお怒りになるなら,俺は自分の
座を天の星より上のほうに置き,
いと高き方と似たものになってやる』
と。
16
すると主なる神は俺に対してお怒りになり,俺は俺の天使たち
と共に,俺たちの栄光の外へ追いやられた。こういうわけで,俺たち
はきさまが原因で自分たちの住居からこの世に追い出され,地に投げ
落とされたのだ。
これに似た伝承はイスラム教のコーランにもある。ここではサタンの名
称はイブリースとされている。
高壁章(アル・アアラーフ)
7
:
11
われはあなたがたを創り,形を
授け,それからわれは,天使たちに向かって,
「アーダムにサジダしな
さい。
」と告げた。それで外のものは皆サジダしたが,悪魔(イブリー
ス)はサジダした者の中に加わらなかった。
12
かれは仰せられた。
「わ
れがあなたに命じた時,どうしてサジダしなかったのか。
」悪魔は答え
た。
「わたしはかれよりも優れております。あなたはわたしを火から御
創りになりましたが,かれを泥で創られました。
」
13
かれは仰せられ
た。
「ここから落ちてしまえ。あなたはここで高慢であるべきではな
い。立ち去れ。あなたは本当に卑しむべき者である。
」
14
悪魔は答え
た。
「かれらが甦らされる日まで,わたしを猶予して下さい。
」
15
かれ
は,
「あなたは猶予されよう。
」と仰せられた。
16
悪魔は答えた。
「あ
なたがわたしを惑わされたので,わたしはあなたの正しい道の上で,
人々を待ち伏せるであろう。
17
そしてわたしは,かれらを前から,後
ろから,右てからも左てからも襲いましょう。あなたはかれらの多く
の者が,
(御慈悲に対し)感謝しないことが御分かりになるでしょう。
」
18
かれは仰せられた。
「恥辱を受けて追われて,ここから出て行け。凡そかれらの中あなたに従う者があれば,われはあなたがたの人々で地
獄を満たすであろう。
」
アル・ヒジュル章
15
:
28
あなたの主が,天使たちに向かって仰せら
れた時を思え。
「本当にわれは人間を泥で形作って,陶土から創ろうと
するのである。
29
われはかれを(完全に)形作った。それからわれの
霊をかれに吹込んだ時,
あなたがた
(天使)
はかれにサジダしなさい。
」
と(命じた)
。
30
それで天使たちは,イブリースを除き一斉にサジダ
した。
31
かれは一緒にサジダすることを拒否した。
32
かれは仰せられ
た。
「イブリースよ,あなたが一緒にサジダしなかったのは何故か。
」
33
かれは申し上げた。
「わたしにはあなたが泥で形作り,陶土から御
創りになった人間にサジダするようなことは,出来ません。
」
34
かれ
は仰せられた。
「それならあなたはここから下がれ。本当にあなたは,
呪われている。
35
この呪いは,本当に審判の日まであなたの上にあろ
う。
」
36
かれは申し上げた。
「主よ,かれらが甦される日まで,わたし
を猶予して下さい。
」
37
かれは仰せられた。
「あなたは猶予される,
38
定められた時の(その)日まで。
」
39
かれは申し上げた。
「主よあなた
は,わたしを迷わされましたので,わたしは地上でかれらに(迷いを)
好ましく思わせ,必ずかれら凡てを,迷いに陥らせましょう。
40
かれ
らの中で誠実な(恩恵により清められた)あなたのしもベの外は。
」
41
かれは仰せられた。
「この(謙虚で清純なわがしもベの)道こそ,われ
への正しい道である。
42
あなた(イブリース)に従って,邪道にそれ
るような者を除き,われのしもベ(信者)に関しては,あなたはかれ
らの上に何の権威を持たない。
43
本当に地獄こそ,かれら凡ての者に
約束される場所である。
44
それには
7
つの門があり,各々の門には,
かれら(罪人)の一団が割り当てられるのである。
」
コーランでは人間が泥で作られたのに対して,天使たちが火で作られた
ことが語られている。サタンは人間に対する自らの先在性と優位性を主張
し,礼拝を拒否する。また,複数の儀典ではエデンの園で人間を誘惑した
蛇とサタンを同一視している。
③人間の娘への欲望
前
3
世紀から前
1
世紀にかけての編集と見られるエチオピア語エノク書
(Iエノク)では,堕天使の原因としてサタンの反逆とは全く異なる理由を
挙げている。そこでは人間の娘に対して天使たちが欲望を持ち,彼女たち
と関係を持ち出したことが描かれている。これは創世記
6
章の神の子の堕
落の神話を発展させたものである。
創世記
6
:
1
さて,地上に人が増え始め,娘たちが生まれた。
2
神の
子らは,
人の娘たちが美しいのを見て,
おのおの選んだ者を妻にした。
3
主は言われた。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。
人は肉にすぎないのだから。
」こうして,人の一生は百二十年となっ
た。
4
当時もその後も,地上にはネフィリムがいた。これは,神の子
らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり,大昔の名高い英
雄たちであった。
エノク
6
章ではシェミハザはじめとする
200
人の天使が神に反逆して,
人間の娘たちを娶り,ヘルモン山で密約を結ぶ。
7
章では女たちとの間に
生まれた子孫が凶暴な巨人であり,
巨人たちはあらゆるものを食いつくし,
人間を襲い,遂には巨人同士の共食いを始めたことが描かれる。
8
章では
堕天使アザゼルが人間に武器の作り方を教え,女には化粧を教えた。その
結果不法と姦淫が地に満ちる。シェミハザらは魔術を教えた。
9
章では地
上で繰り広げられる惨劇を天使ミカエル,ガブリエル,ウリエル,ラファ
エルが目撃する。
10
章では「寝ずの番人」と呼ばれた堕天使たちに対する
神の審判が告げられ,アザゼルは天使ラファエルによって,ダドエルの荒
野に穴を掘って地下に最後の審判の時まで閉じ込められる。シェミハザら
も天使ミカエルによって,審判の時まで大地の丘の下につながれる。
このような堕天使たちが地下につながれるという思想は新約聖書にも受
け継がれている。
ユダ
6
一方,
自分の領分を守らないで,
その住まいを見捨ててしまっ
た天使たちを,大いなる日の裁きのために,永遠の鎖で縛り,暗闇の
中に閉じ込められました。
IIペトロ
2
:
4
神は,罪を犯した天使たちを容赦せず,暗闇という縄
で縛って地獄に引き渡し,裁きのために閉じ込められました。
また,Iエノク
15
章では滅んだ巨人たちの死霊が悪霊の起源であること
が示されている。
Iエノク
15
:
8
ところで,霊と肉から生まれた巨人たちは,地上で
は悪霊と呼ばれ,彼らの住居は地上にある。
9
悪霊が彼らの体から出
た。彼らは人間から創造され,彼らの最初の起源と土台は聖なる寝ず
の番人であるから,地上では悪霊であり,悪霊と呼ばれるのである。
11
巨人たちの霊は苦しめ,暴力をふるい,腐敗堕落し,争い,地上で
破壊し,問題を引き起こし,何も食せず,それでいて飢え渇きを覚え,
足元が危なくなる。
(…)
レビ記
16
章は年に一度のユダヤ教の国民的行事としての贖罪日を取り扱い,
二匹の雄山羊を取ってくじを引き,一匹は主のための犠牲とし,もう一匹
は国民の罪を背負って荒野のアザゼルの元へ追いやるべきものとしている。
この記事がスケープゴート(
scapegoat
)という表現の起源と言える。旧約
聖書でも神ヤハウェ以外の者に何かが供せられるような記事があるのはと
ても異例で,ある種の宗教変容の特色がうかがえる。偽典ではアザゼルは
堕天使の一人と数えられ,先に触れたようにこの堕天使は人間の娘に欲望
を抱いて娶り,武器や化粧の知恵を教えた者と考えられる。
レビ記
16
:
8
アロンは二匹の雄山羊についてくじを引き,一匹を主
のもの,他の一匹をアザゼルのものと決める。
9
アロンはくじで主の
ものに決まった雄山羊を贖罪の献げ物に用いる。
10
くじでアザゼルの
ものに決まった雄山羊は,生きたまま主の御前に留めておき,贖いの
儀式を行い,荒れ野のアザゼルのもとへ追いやるためのものとする。
アザゼルは元来先住民セム人の砂漠の羊の群れの神であったと考えられ
る。レビ記の
17
章
7
節の「山羊の魔神」に相当とする説もある。いずれに
しても異教の神が格下げされ,悪魔の一つとされたと言えるだろう。
”)
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 17:54 - 2017年1月24日
あーもう、解釈論を知らないと駄目だな アッラーがアダム(ع) にサジダしろと言ったのは序列を決定する為であってそれは توحيد トウヒィードを知らないと何もわからないわけです そもそも、クルアーンの記述がそのまま解釈しないという「解釈する」と色々と問題が発生するわけなの
例えば、クルアーンには
目の見えないものは地獄に落ちるという記述や
自分を殺しなさいというのがあるけど
前者はハラームで罪が大きいとは規定されていないですし、
後者は自殺で死んだら容赦なく地獄行きです そんな、矛盾することをアッラーが預言者(ص)に命令を下す訳があるわけないのよ
だから、アグルعقلが大切でその本来の意味を探すのが人間の特性であり、それを探すのが人類の義務なのです 因みに存在の序列があり、下から
1、石などの魂がないもの
2、木や草などの成長だけするもの
3、動物・人間などの欲求等があるもの
4、天使などの知恵や力があるもの
5、完全なるジン、精霊アッラーの命令を完全に守り生活する精霊、無謬な精霊 6、完全なる人間、無謬なる預言者(ص)と指導者達(ع)
7、全く相互関係を必要とせず、無限・無縁で全てを持ち、欠点を一つ足りとも持たない何か その7番目の存在が6番目の存在にサジダしろと言ったのです
そんなこと書いていない? じゃあ、書いてあることだけやればクルアーンは瑕疵のないものになるのかい? 違うでしょ、その真意を探すのが人類の義務なので基礎解釈論を知らないとわけのわからない矛盾した記述の塊と嘲笑うだけのバカとそれを信じるアホが発生するわけ、それは神智では当然ないの
それでもヤソは多神教だけどね そもそも、福音書が何冊もあるという時点でおかしいし、本当に真意であるなら福音書は必ず一つの筈でクルアーンも編纂の時にいっぱい異端なのがあったけど処分したのはウンマ・共認識体がちゃんと作用していたわけであり 預言者(ص)の認識を模倣者が持っていたのです
ウンマというのは共同体という意味で用いられていますがウンマの前提というのがمؤمن 信仰篤い信徒の集団である上に他にも光の道、絶対形而上を共有している人々と見ることもできるので絶対形而上を共有しているのであれば、形而下的なものは事前に解決されきっているわけなのです
つまり、ウンマأمة というのは絶対形而上を得た存在の人々を指すわけでその模倣子は預言者(ص)の前に全世界に124000人いて全世界に散らばれたのはその124000人は絶対形而上を共有していた存在であり、アッラーの知識を確立した模倣子だったのです
即ち、ウンマによる統治というのは絶対形而上を得た人々による共認識体であり、そこではシャリーアでの統治みたいな絶対形而上を得た存在が法という形而下で支配される事では全くないのです なので、ウンマによる統治というのは共認識を得た人々による責任ある哲人政治がその正体なので
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 2016年10月6日
やっぱり、ヤソは明白な邪教だわ
何で邪教かって?奴らはヤソ以外を悪魔つきだと考えているところなわけでそんな全方面に喧嘩売っている宗教が平和言うのはヤソ以外全部滅びせば平和という事を言っているわけでこんなおぞましい邪教が世界中を汚染し、破壊しているのは必然の事態と言える
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi 2016年11月13日
中東で日本は何故、経済が大きくなったんだ?としょっちゅう聞かれるので街中に売春宿と賭博場それに酒屋に酒出す飲食店と詐欺や人の労働をなか抜きする会社ばかりになれば経済が膨れるよ、と言ってあげるのだけど
大概、狂ってる 悪魔の社会 そんな穢れた土地はイスラームでも救えないと言われる
村手 さとし @mkmogura 2016年11月12日
探さなくても聞こえてくる情報は、全て操作された情報である。
情報を探してはいけません。
その情報がなぜ流れてるか、その目的を探しなさい。
おねショタ魔法使い初級おじさん @douteimaturi
言わんでいいことは一生言わんでいいこと
酒で酔ってようが何だろうが口に出たものはその人間の真意
預言者(ص)はこれがある家には天使はやってこないと言われた、一つは酒、二つは華美な音楽、もう一つは忘れたが酒というのは人間を弛緩させるのでこういう害があるわけだ
(中田考 @HASSANKONAKATA 7 時間7 時間前
「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果|WIRED.jp http://ln.is/wired.jp/2016/06/13/LFOhl …
)
所詮、تسلسل 無限連鎖・無限循環する存在には同等に無限連鎖・無限循環する存在以外認識及び囚われる事しかできないということ そんなのは釈迦が2500年以上前に解いているし、預言者(ص)が1500年前に啓示を受けている だから、馬鹿げた部分知なぞ究極的には無益である
この世界の主流の学問は部分知から、より小さい部分知を追うことが前提となっており そんなのは根源的無意味なものから、より無意味なものを追う事でしかない そもそも、人間の自由意思は人間と啓示されたものから反する行いをするという時点で自由意思が存在する事はわかっている、実に馬鹿馬鹿しい
何かの物質から離れた自由意思というのは同様に物質から離れ得る事はないわけであり 人類が物質でしかない以上は物質からの自由は存在しないのであるからこそ、人は想像面での自由が担保されているわけであって そこでやっと絶対形而上を規定した上で判断しないといけないわけ、アホらしい
クルアーンには歴史的クルアーンと実質的クルアーンがあって、預言者(ص)の30年後に作られただけの本とイマームアリー(ع)が聞いて、実際預言者(ص)が詠まれたものとがあり シーア派は後者が存在した事を主張しますがわからないのでシーア派もスンニ派もクルアーンは共通です
クルアーンには歴史的クルアーンと実質的クルアーンがあって、預言者(ص)の30年後に作られただけの本とイマームアリー(ع)が聞いて、実際預言者(ص)が詠まれたものとがあり シーア派は後者が存在した事を主張しますがわからないのでシーア派もスンニ派もクルアーンは共通です
じゃあ、その違いはどうやって見るのさ? と、いうと現実の現象から見るしかないのです それが大量RTした、霊についてです 霊というのはこの世に念を残して彷徨っているわけで同次元に漂って存在なのですが、イスラームでは基本死者はバルザフという待機所にいるわけで霊はバルザフのいるのです
何で死者はバルザフに入るのかというと、バルザフという同次元・同次元なのは最期の日が関わってます 最期の日は死者と生者共に強制的に全ての事が確定し、この次元が終わるわけであり もし、霊・死者が生者と違う次元にいるのであれば共に最期の日を迎える事が出来ません
別の次元と言うことは別の時間軸が存在する空間であり、その空間へ移る為のエネルギー消耗やまた戻るとなれば死者に余計な労力を使わせる事になります 当然、アッラーは優しい方なので無駄に死者を苛めたりはしませんし、行ったり来たりなぞさせないので死者は同次元に必ず存在しているのです
しかし、その死者が迷ってバルザフには入れない場合があります その存在が霊です 霊が存在する社会というのは霊が同じ次元に存在する待機所に入れていないわけで霊が色んな所にいる社会というのは霊がバルザフへの行き方を知らない、教えていない社会になるわけでそれはイスラームがない社会なのです
なので、イスラームを知らない社会は相対的に霊・漂っている死者が多い社会となるのです 中東ではあまり霊が何かするという話を聞きませんが日本やエクスシストが必要な社会というのは死者がこの世に大量に迷っている社会であり、それは唯一を信じている人が非常に少ない社会となるわけです
即ち、霊とかが見えてしまう人がいたり 生者の邪魔をする社会というのは死者自身がそう考えている社会であり、その社会では死者が下手にこの世に念を少しでも残している限り、その社会に留まってしまう社会になるのです ですので、霊が存在するというのは霊がバルザフを知らない社会となるのです
なので、霊が多い社会=死者がバルザフに行っていない 霊が少ない・いない社会=死者の殆どがバルザフへ行っている となるわけで、このバルザフの存在は絶対形而上であるクルアーンやそこからの推論でわかっているので絶対形而上と事実の現象から、バルザフの存在は確定する事が出来るのです
で、歴史的クルアーンと実質的クルアーンの見極めというのは伝承によるとイマームアリー(ع)は強制的にその歴史的クルアーンを読まさせられたというのがあり そこから、考えるにイマームアリー(ع)は読んだ部分と読まなかった部分・または別に読んだ部分があるのではないかという事です
それは歴史的クルアーンが作られた際にイマームアリー(ع)が渋々、イマーム自身が聞いた言葉をまとめた実質的クルアーンが権力者によって破壊されて、歴史的クルアーンを読まさせられたというところから ある程度の記述が権力者にとって不都合な記述があり、それによって歪められたと見れます
では、無ければイマームアリー(ع)の聞いた実質的クルアーンを破壊する理由がないので何処かしら歪められていると見る以外方法がありません では、どうやって知るのか? それがさっきの霊の話に繋がるわけでバルザフがある事は死霊がこの世界に漂っている数によって言えるわけです
イマームアリー(ع)が聞いた実質的クルアーンには必ずバルザフの存在が預言者(ص)から伝えられていた事が確定します 何故なら、クルアーンは絶対形而上なので何一つ瑕疵がありません また、現象上存在するので形而上と形而下が合一するのでこれは「真」となるのです
「真」であるという事はその部分はイマームアリー(ع)の実質的クルアーンの部分である事が確定します なので、バルザフは間違いなく実質的クルアーンの部分である事になるのです ただ、あくまでも推論と現存しているクルアーンとイマームアリー(ع)のクルアーンが別物という前提での話です
当然、こういう推論はスンニ派はできませんし現代のシーア派は政治的事情によりしません
しかし、絶対形而上が形而下に穢される事はありえないので絶対形而上が確定しているのなら形而下はその下で必ず推論でき、一定の答えを出す事ができるのです
これが絶対形而上の思想的強さなのです
なので、絶対形而上の存在が確定していない思想は全部偽物です また、やその様に絶対形而上が形而下によって不安定に揺れ動くものは絶対形而上ではありません、なので推論上グノーシス主義以外のやそは偽物です こういう風に条件と推論を積み上げて矛盾を起こさないものが正しいのです
絶対形而上を規定した思想 老子などの無為自然=絶対形而上
孔子のような天と理想的統治論=絶対形而上
仏教のような空観など=絶対形而上の否定
ギリシャ哲学のようなイデア論など=絶対形而上
これを前提にしていない議論は永続的に二元論と多元論を繰り返すので無駄で無益です
究極的にはこれ以外やる必要は一切ありません 絶対形而上を規定できていない以上は循環論と屁理屈の言い合いになって無益だからです 無益なものは知ったところで人生の無駄です、なので前述したもの以外は学ぶ意味がありません、これが学を問うことの重さと有用さなのです
魔法使いになりたければ、絶対形而上を想定した思想を求めねばできません
なので、魔法少女と魔法少年を作る為には己が魔法使いとなり絶対形而上について学しかないのでしょう
それだけがこの世に存在する、唯一の魔法使いの作り方で魔術というのは絶対形而上から与えられた一部分なのです
この知識の何がヤバイというのは神秘というものは論理・合理・反証で説明できるということであり
この3つで説明されるものはまだ神秘ではないわけでそれはアッラーが創造した形而下の一部に過ぎない事なのです
本当の神秘主義というのは徹底した論理・合理・反証主義の中からしか出てこないのです
つまり、神秘主義絶対殺すマン以外は神秘を見つける事は叶わないのです
で、魔法使いというのは神秘主義絶対殺戮するマンなので儀式や神秘に浸るのは魔法使いではなくただの変態でしかないのです
なので、変態がする特殊性癖の見せ合いを魔術というのは絶対形而上を知らない変態の仕業なのでし
神秘主義の全ては理性主義の延長です 別に超越とかではなく、徹底された理性の先にある説明できない何かであり 普通、云十年以上徹底的に学を問いた結果ですので座禅すればとか、何か神秘体験をして得たものではなく 神秘体験すら理性的にまやかしと判断した先にあるものを神秘といいます
なので、神秘体験にはどういったものがあるかを踏まえて言わなければなりません これは禅にあるように己の欲望を満たした状態での禅が無意味なようにそれを見易い状態での神秘体験はすべからく妄想です そういう意味では薬物を使うようなものはすべからく偽物と断言していいでしょう
はっきり言いますけど、ギリシャ哲学と中国の諸氏百科それに心身一元論に契約の思想、イスラームやユダヤを正しく認識していれば西洋哲学はただの毒物でしかありません あんなよくわからない文章を読むぐらいでしたら、論語や韓非、墨子などを読んだほうが遥かに現実的に使えますし、簡単です
あんまり言いたくなかったけど、汎神論の反対は心身一元論です
無神論は汎神論の一部で絶対者信仰者が思考実験として、絶対者が存在しない世界というのは何か?という議論から始まったものです
で、この議論の結論は出ていて全ての理由は何処にあり、ただの物質主義に陥るか、否かになります
要はこの世界には何かしらの根拠と理由があるのか?
という議論で汎神論はある
で無神論はない
で、心身一元論はわからないという立場をとります
心身一元論はそれを言ったところで物質と精神が一緒である、己が良くなるか悪くなるかと問われた時に意味ある行いではないのでしません
基本的に心身一元論だけの宗教というのはないような気がします、まあ事実これは哲学と言ってもいいので仏道のように心身一元論に至るために心身二元論から離れる、道教みたいに魂魄があって魂はあの世でもこの世と同じ生活するという一元的な思考をします、なので唯一と多神という分けも正しくないです
なので、この世で確かめられない世界には言及しない態度と無神論は別で
心身一元論が怪物やそういった陽の目に現れないものについては一切言及しない態度
無神論は言及して、否定する態度のことであるんで心身一元論者は神秘、超越な存在について一切口出しません
これ大きな違いです
あーそうそう、不立文字というのは共通した真理を見出した事ではなくて、その人間にとっての真理を見抜いた事を指す事だからね だから、免許皆伝者の巻物が白紙というのはそこに自分が手に入れた見識を言葉で伝えた上でその先は己で見いだせという事だから 唯一なる神秘ではないからね
また、イスラームは神の存在を否定します。 イスラームにおいての神というのは偶像を指し、神はいない但しアッラーは除くという文脈を言い。 また、アッラーという月の女神においては共通伝承上「アッラーには娘はいない」という文脈から偶像としてのアッラーは否定されます。
じゃあ、アッラーというのは何なんだ? という話になるわけですが、これについては私個人の解釈として名だけの存在ではないかと見ています。 要はよくわからないけど、そういう名前らしいということです。 唯名的な存在ですね、なので実のところアッラーというものの議論は重要ではないと見てます。
神なんていませんよ それは人間が理性的に何かを説明するために発明されたものでまたは超人的な存在を仮想した存在を神というのです だから、説明されてしまうものは全て人間の理性の延長にいるものであり、どうしようもなく説明できないものだけが神秘なのです
だから、神秘なんて言うものは論理的に共有することができないので基本的にないものだと考えた方が簡単なのです 説明出来ないものがある事は感覚的にはわかりますが共有しあえないのなら無効で無意味です また、それを土台に話をしたところ効果がなく結論が決まった話にしかなりません
信仰は確信を積んでいく作業であり、確信を積んでいくというのは様々な認識を獲得する事であって神秘体験とかで得るものでは全くありません 神秘体験は確信を積んでいく作業の途中に出てくる濃霧のようなものでこれを超える事が出来る存在だけが大宗教者なのですが、大概はその濃霧に皆騙されます
仏教でいう魔境といえば、そうなのですが仏教の魔境と濃霧は少し異なり 仏教ではこの魔境を絶対否定するのでそれがまやかしだと認識できるのですが、それ以外だと場合によってはこの濃霧を見る事を儀式イニシエーションの入り口として惑わすので魔境が目的になる事があり これを淫祠邪教と言います
なので、最低でもお釈迦様が解いた教えを知っているのであれば大概の宗教は淫祠邪教になります 特に神秘体験を目的とするものはすべからく邪教であり、これには如何なる例外は存在しません
なので、神秘体験で神を見たとかそこで停止する宗教は全部偽物で人間の営みを破壊する絶対不動の悪でしょう
私は神秘的な感覚というのは「夜の山に行って真っ暗闇の中、山道を歩くと全ての方向から何か気配を感じる」の延長だと思っている その感覚を理詰めしたものが神秘主義だと思っています なので、その感覚は知覚ではまやかしと判断できるものの事実感覚的に感じるので否定仕切る事はできないものかと
自分の頭で考えるには己の軸がしっかりして、自分の心の癖を知らなければしても害しかありません それよりも己が誰の言葉を信用しているのかをまず洗ったほうがいいですし、自分の頭如きから出てきたものは大したものではなく、ただの自惚れと傲慢でしかないという前提のもとで考えるべきです
なーんで、絶対なるつるぺた褐色癖っ毛黒髪つり目ロリという「やはうぇたそ」がまず、ロゴスを作ったかと言うとロゴス、論理でロリ、やはうぇたそを説明出来るものはやはうぇたそを説明しきる事はないのつまり、全ての生物が何かしらの形で表現を取る限りはそれはやはうぇタソの御御足に踏まれてるのだ
つまり、言葉やそれ以外の表現でやはうぇたそを否定しようが、肯定しようが全ての物質はやはうぇたその御御足の下なのでだから、無やはうぇたそ論を言ってる時点でやはうぇたそに御御足に「ブヒィ、ご褒美ですぅううぅ」とグリグリ踏まれているわけでやはうぇたそに言葉や精神で囚われているんだよ
つまり、やはうぇたそはーではない、という否定して行くことでしかやはうぇたそというものが如何なるものかが分からないわけ たーだーし、それも間違えると「やはうぇたそとおじさんは一体だね♡ほらっ、やはうぇたそとおじさんはピーで繋がっているんだよ♡」とボケた事を言い始める訳なの
つーまーり、やはうぇたそは私でもないし、外にもない 同時に私でもあり、外でもあるというという全ての判断や認識を己で確立しなければならないわけでそれが本来の自由なの 要は時には私はやはうぇたそに踏まれ、時にはやはうぇたその太ももをぷにぷにし、時にはやはうぇたそと繋がり(続く
続き)時にはやはうぇたそと一緒のこたつで鍋をつつき、時にはやはうぇたその髪の毛をといてあげたり、時にはやはうぇたそのいたずらを叱ったりするわけ こてを言うと罰当たりとか言われるのだろうが、罰当たりはてめえだ、所詮論理で説明されてしまうものなんぞ、言葉遊びの駒でしかねえんだよ
絶対なるやはうぇたその発見というのは人はとらわれをどこかに置かねば、正しくは何か指し示された存在や仮定がないと理解しない、行動しないというところから発明されたものなの 特に害を与えたことに対する合理的な説明として用いられてきたし、そうしないと説明しきれてこなかったわけ
私達が潰さねばならないのは絶対なる褐色つるぺた癖っ毛つり目ツンツンで非力なロリではなくて、そのロリを悪用している連中なの で、そいつらのド穢ねえ欲を非力なロリの元で抜かしているわけ、これはどの宗教でも基本そう この地上に論理として存在するものは全部ド汚い連中に穢されてるのよ
なので、取り敢えず論理(物理)で殴ろうぜ というのは、そういう理由なんだ 相手はロゴス、論理を支配してきた存在であるなら、自分達も同じように論理で殴ればいいだけの話なのさ で、そういうやつを論理の外に出さずに一方的に殴る事、なぜなら論理を支配してきたものは論理を甘く見ているからだ
論理を支配してきた連中は論理に胡座をかいていて、本気で論理で殴りに来たやつには勝てないので詭弁と権力、物理を使う ただ、詭弁は籠城の城の周りにある罠みたいなものなのでミサイル打たれたらどうしようもないし、権力と物理は元々支配の外にいるのであれば手も足も出ないわけなのだ
私は絶対なる存在を信じているがそれは否定を積む事やロゴスの先にあるものなので本当に削りに削り切った玉璧の芯みたいなものであって、一片でも石が残っているのなら、それは絶対なるやはうぇたそでも褐色ムチムチ癖っ毛つり目巨乳お姉さんのあっらーさんでもないわけ、言葉を丁寧に削るしかないのだ
言い方を変えれば、言葉を削った先にしか絶対神聖や絶対邪悪、それに全く属性を持たない存在がやっと浮かび上がってくると私は信じているわけでそれをするには人間の表現の根っこである古代の宗教や思想、生活感覚というものを逆引する必要がどうしてもあるのなぜなら、人は進化していないからだ
というよりも、人は進化していないから同じ表現と同じ習性が続けられているので前も言ったが霊的にも物質的にも進化していないから、過去の宗教や習慣に現代も通用しているの 進化という言葉を某ゲーム以外で否定的な意味で使ってないやつは全部偽物、偽物は無量大数の無量体数乗言っても偽物です
私が本当に求めているのは属性を全く持たない何かでそれが本来の絶対なる何かだと私の信仰上確信しているわけ つまりは二元論や多元論でもなく、一元論とも言いがたい何かなわけでそれが何なのかを探すのが信仰であり、信仰行為であり、確信であり、その為の私なりの解釈なわけだ
(あらあらくびのうしろはいじげんとつながりれ以外記紀氏人間の本体でもう一つの見えない別次元の自分の肉体とつなぐ役割を持つ私の仮説と関連がありそうなんだけど
36話 和製サッチャーは苦労話を始めると、普段の5倍ほど元気になる。
とりあえず、note版は誤字修正完了。https://t.co/hQbkOJ5d37
— 大石橋.jp (@jp_Illustrator) 2016年7月15日
一応こちらにも載せておきます。
#心霊 #怖い話 #怪談 #漫画 #マンガ #予知 #霊感 #霊能力 #サッチャー pic.twitter.com/IVhidQ4Rvs
第35話 忠アストラル犬
— 大石橋.jp (@jp_Illustrator) 2016年7月8日
#心霊 #怖い話 #怪談 #漫画 #マンガ #犬
note版はこちら→https://t.co/9UoAvkrhtJ pic.twitter.com/YDe8RZZsg6
第33話 石橋式オバケ対策 一部布教
— 大石橋.jp (@jp_Illustrator) 2016年6月24日
note版はこちら→ https://t.co/9UoAvkrhtJ pic.twitter.com/xhqEGvrBvd
この人のを連続RT
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
禅はスピリチュアルを否定。神秘体験は魔境=執着してはならない悪。スピは野狐禅を量産
神秘体験なんて「条件を整えれば必ず起こる(=縁起)」のですごくないです。平静な心が日常的に持続する悟りのほうがはるかにすごい。
仏教では、平静な心を乱すものは悪。よって神秘主義は悪。一時的にしか続かないなら悟りではない。神秘体験は魔境=執着してはならない悪。
けっして超常感覚が起こることを期待してはならない。それは起こることもあるし、起こらないこともある。超常感覚というのは瞑想のすすみぐあいを示す一里塚のようなもので、一種の標識にすぎない。” 誰でもできる神秘体験を特別視させて選民思想を植え付け、魔境を神格化して崇めさせるのがカルト。
…深く集中して瞑想できれば誰にでも起こる自然現象なので、調子に乗ったり、選民思想に囚われて執着してはいけません。それを防ぐ装置の一つが、「戒律を誓わせること」…瞑想の目的は「心を制御できるようにして平静なままでいられるようにする」こと…神秘体験は邪魔=禅仏教における魔境…ここまで
深く自分は集中して瞑想できた」というサインだととらえましょう。誰にでも起こることをわざと隠して、「あなたは選ばれた」とか「教祖の神通力のおかげ」とか言って依存体質の信者を量産するのがカルトの手口ですので注意…オウムはモロにこの手口…禅はスピリチュアルの中核を否定。 神秘体験は魔境
=執着してはならない悪。 スピリチュアルは野狐禅を量産する危険物なので取り扱い注意! http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-109.html … …条件を整えると誰でも起きる神秘体験を、グルの力によると錯覚させて洗脳。通常とは異なる体験をしている人に対しては強烈な洗脳をかけることができる。
…禅は神秘体験を否定しているのでスピったらダメ…一定の状況で神秘体験は意図的に作り出せるのですごくもなんともない…自分の意思で自在に神秘体験をコントロールできるならすごい…神秘のヴェールをはぎとって「自分の技術」にできるならすごい…神秘体験を神秘体験でないようにする…
神秘主義は仏教の方向性とは真逆…釈迦は神秘主義者ではまったくなく、透徹した合理主義者…目の前に神や仏や宇宙人が現れて、自分だけが選ばれたと救世主気分におぼれたり、宇宙霊と合体して天にも昇る素晴らしい心地がしたと感激する、などは魔境であり、悟りの邪魔である…
自分を産み出している培養器の中の脳について考えられない。ロゴスを超越した神についても決して考えることができない。あなたの存在に「真の意味」がもしあるとしても、それを知ったり語ることは不可能。それは推測するしかないのに断定するならカルト
できるって?錯覚。その存在「の想定」をあなたの思考「の中に出現させているだけ」で、絶対にあなたの思考の外の存在には至れない。デカルトが想定した夢を見せる悪霊(欺く神)と真の神の区別は不可能。この世界が現実だというほかはなく悪霊こそが神
否定神学=神は人間が考えられるいかなる概念にも当てはまらない言葉を超えた存在なので「神は~である」ではなく「~でない」で騙る試み。 言葉は唯一絶対存在の位階を下げ強制的に共有可能にする術。それそのものは意味できない。ロゴスは神殺し。
「私」や「神」は唯一絶対のもののはずなのに、他人も「私」や「神」という言葉を使え意味が了解できる。言語化された瞬間にレベルが一段階下がってしまい唯一絶対のはずのものが共有可能で相対的なものになる。この「日常的あたりまえ」こそ神秘的奇跡https://t.co/NinN1GVQPs
— 子子子子子(ねここねこ) (@kitsuchitsuchi) 2016年11月27日
子子子子子(ねここねこ)
言葉で世界の起源=神を騙る試みは多いが「起源」自体が時間的概念であり「順番」が前提されている。つまり言葉で前後関係の誕生以前の存在証明は扱えない。「誕生」という言葉も前後関係前提なのだが仕方なく使った。∴神話が混沌から始まるのは正しい
神智学の教義では創造神がロゴスなのに言葉と論理=ロゴスを否定
∴自身の教義もロゴスだから嘘、と言わないから新✝
私が必読リストに入れているのは「言葉に操られずに言葉を操れる人」 「言語能力(文章・論理的思考・文脈を読む・語彙力)が高い =支配層に都合が良い定義の言葉に縛られている度合いが低い」 劣勢になると言葉じゃないって誤魔化す奴の殆どは自身の言語能力が低いだけで、
議論すらできない奴が言葉を超えた精神世界を騙っても、支配層製スピリチュアル教義の言葉に縛られているので言葉を超えるなんて不可能だから滑稽。言葉と論理を「探求した後で」ではなく「最初から」捨てろと言うスピ系の本音は「幼児化しろ」。インド思想は言葉と論理「も」重視
定義をまともに示せないってことは自分で何言っているかわかっていない証拠か、騙す意図が見え見えなのでどちらにせよ相手にする価値無し。 ”定義が曖昧、定義を決めないで物事を言うやつは絶対に信用も信頼もしない”
言語と論理に通暁しないと非言語と非論理の領域すら判別不可https://t.co/xmjqB3Xaiy”ベーダ祭式の補助学…6種のベーダーンガ…は,音声,祭式,文法,語源,韻律,天文”
— 子子子子子(ねここねこ) (@kitsuchitsuchi) 2016年11月20日
言語研究が必須なインド哲学https://t.co/yY9Sou18UU@kikuchi_8
菊池 @kikuchi_8 2016年11月20日
@kitsuchitsuchi 仰る通りだと思います。例えば、龍樹の考えでは論理を極め尽くす事で言葉と現実の乖離を示し、それによって言葉への囚われを離れる事を意図していた様です。精密極まる論理の追求の果てに戯論=言葉の広がり=プラパンチャの消滅した境地(戯論寂滅)を目指しました。
新✝=スピは実証主義・物証・言葉による反論を封じるために誕生
今迄の応用。霊魂などの定義を聞いた後で「議論が劣勢になると言葉や客観的物証を否定し誤魔化しましたね。『私の言語能力が低くて議論できません』ってことですか?支配層製スピリチュアル教義の言葉に縛られている貴方が言葉を超えるなんて不可能なので『言葉を捨てろ』は滑稽。
スピ系のように言葉と理性を捨てると、理性的対話ができなくなるのですね。私は幼児化したくないので、言葉と論理できちんと議論ができることを重視。ロゴスを最終的ではなく最初から捨てろと言うスピ系の本音は「幼児化しろ」では?スピ信者が好むインド思想はロゴス『も』重視」
)
ken @kenkatap
イスラムとネコ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%83%8D%E3%82%B3 …
▼ムスリムにとって「真のペット」とみなされている
▼ムハンマドは「ネコへの愛は信仰の一側面である」と言ったと記録
▼ネコを迫害することや殺すことを禁じた
▼額に縞のあるネコは、ムハンマドの指が触れた印と信じられている
”ネコは穀物庫や食料貯蔵庫を有害動物から守るほか、本を破損するネズミを捕食するため、紙を重視するアラブ・イスラーム文化において高く評価されていた。こうした理由から、ネコはイスラームの学者や蔵書家と一緒に絵画に描かれることもよくある。中世のエジプトの動物学者アル=ダミリ(1344年 - 1405年)は、ノアの方舟に乗っていた動物たちがネズミに不平を持った後、神がライオンにくしゃみをさせたときに最初のネコが創造されたと記述した[3]。
アメリカの詩人・旅行作家のベアード・テイラー(1825-1878)はシリアの病院でネコが自由にうろついているのを見て驚いた。中でイエネコが保護され餌を与えられていたその施設は、管理人の給料の他に、獣医学的な治療やキャットフードもワクフによって資金提供されていた。
イラン発祥の宗教であるゾロアスター教ではネコは不浄の生き物として扱われているが、現代のイランではネコは邪険にされることも無ければ、可愛がられることも無い[6]。
衛生と不妊手術
トルコ、シーリンジェ(英語版)のモスクの外にいるネコ(人々は裏手で祈っている)
イスラム教の伝統では、ネコはその清潔さにより敬愛されている。ネコはイヌとは違って信仰に基づく手続きの上でも汚れのないものと考えられており、そのため家や、マスジド・ハラームなどのモスクに入ることすら許されている[3]。ネコが口にする食べ物はハラールとみなされており、ネコが飲んだ水はウドゥに使用することができると認められている[3]。さらにムスリムの間には、ネコはサラートを行う人間を探し出すということが広く信じられている[1]。
ウラマーの間では動物に不妊手術をするという問題について意見が分かれている。しかしながら、大半は「もしネコに不妊手術をすることに何らかの利益があり、そのことによってネコが死ぬことがないならば」ネコへの不妊手術は許容されると主張している[10]。”
TAKEO ship5 セリカ/?/月山 @PSPTAKEO 2016年8月31日
ポケモンはメタモンを孕まして自分の子供を近親相姦させて一番つよい子供を作るハートフル農業経営ゲームだと思ってる
ゲルハルト@清潔健全超いい人 @HAIDORAGURAMU 2月2日
メタモンが擬態してセックスによる産卵説ばかりあるけどさ、ここで新説を唱える。
メタモンのジェル状の体を軟化、液化させて別ポケモンの体内に侵入。この時にそのポケモンの遺伝子や特性やらの情報をメタモンが習得し、メタモンが自身の個体値を少し混ぜ、侵入したポケモンをベースにした卵を出す
無限のグリコ @grico1991 1月17日
まずは適当な性格メタモンを野生で捕まえてそいつにかわらずのいしを持たせて高個体値のカラカラとセックス。生まれてきた子供にかわらずのいしを持たせて高個体値のカラカラと近親相姦すればいいのか
―――
これからやる予定のやつ
見せかけの神秘をはぎ取ることそして普通日常の成立という奇蹟など当たり前こそ奇跡という真の奇跡の自覚
魔法は技術であり奇蹟ではない
ものはいいよう。しゃべりかた
部屋を掃除せよ 退去の重要性 だkらほう
大魔導士への道案
造語せよ できればげんご単位を創れ 暦を創れ
名づけの魔術
センター三本柱の作り方
現実主義、徹底的に論理的矛盾を排除した論理的思考、検証、できる限り物証を集める姿勢、出典を明らかにするなどしんぴをしんぴでなくするというかにせのしんぴとしんのしんutame ,
言葉で語れぬもの論理で測れぬものは言葉と論理を極めないと境目が分からない。
魔法入門
物質王国マルクトでの物理の重要背については
血と骨と筋肉は裏切らない。
導師って坊さんの意味もあるから私はぶっきょ寄りだから会っているよなあ
欲望を崇めていないか 埋め込まれた欲望 理由を問えば大半の欲望は焼失する
論破はしてもフォローは重要。人間関係まで論破して壊してはいけない
意識と無意識の捜査、切り替え
欲望を崇めていないか 埋め込まれた欲望 理由を問えば大半の欲望は焼失する
じぶんのしそうけいこうをはあ癖よ
子tpばあや釣られずに言葉を操れ百科事典すっうぇ
論破はしてもフォローは重要。人間関係まで論破して壊してはいけない
意識と無意識の捜査、切り替え
watasinosisougabukkyouyorinanohaumaremosodatimobukkyoukenndakaraikurakirisutokyoukasaretemosennzeaiisikidreberudebukkyousisoudamonnkonokuninotiahannnohitobitoha
私の思想が仏教寄りなのは生まれも育ちも仏教兼だからであるキリスト教化されても潜在意識dレベルで大半の人は仏教と老荘思想寄りですからね日本語が仏教王用語と概念まみれだらけ仏教は実体無期とか演技とか執着は悪だろか思想の固着化を抑える工夫がすごいからなあ欲望は悪執着も悪だから仏を殺せとかまで行っちゃうもんね死王が十何位なるよねえ当たり前だけどさあくまで道具だから自己と同一視しないこと自己の一部にしちゃうと執着が生じるし詭弁kだらけになるよカルト工作員が典型例で所
nihonngogabukkyouyougogainenntiaryouhasseidakaratouzenndaro
bukkyouhajittaihiteimukitokaenngitoatonikakusisouwokotyakusasenaikuhuugasitearusiyokubouwoosaerukaraitibannsikougajuunanninarusubarasiidougudanaaakuamdedougudakaranejibunntodouitusisityashuutyakugashoujirukaradamedayonn
日本語話者なのにキーボードとかで文字を打ち込む形式がローマ字式ってことに疑問を抱けないほどに習慣化され洗脳されきってしまっている。ローマ字入力。ローマ智慧国システム。ラテン系支配。ローマはギリシアを毛包下。真の後に母音を移ってty苦節平仮名カタカナを打ち込むよりも時間がかかるはずなのにわざわざローマ字入力であるkとに疑問を抱かいのか。確実に哉著k末つ入力正式のほうが効率いいじゃん。キーボード打ちが超早い人もローマ字内だったりするしかな入力ならもっと早くなるだろ。
Angeliqua@安眠中 @Ripple19752017年2月13日
ダイアン・フォーチュンの著作の中で最も重要なのは『神秘のカバラー』だと言われてるけれど、魔術カバラーを知るための入門書という意味ならまったくその通りだと思います。ただし、彼女の著作の中で最重要なのは『タヴァナー博士の秘密』だとわたしは思います。それは魂を扱う時に必要なことだから。
たぶん、自分の信仰を持ったことがない人にとってはなんのことなのかわからないと思うの。でも、魔法の知識が予めあるのでしたら明らかにあれより勝る本はなかなかないでしょうね。
(タヴァナー博士の秘密
http://www.elfindog.sakura.ne.jp/drtaverner.pdf)
自分の信仰から引き離されるのって死ぬことよりもつらいから、天女と引き離されて心中、または白髪になってしまいましたとか、そういうことが起こりうるのです。
何が起こってるのかは明白なのに、誰も理解せずに助けようとしないから追いつめられると思うの。
これを「聖杯を受ける」とこちらではいうのです。
シェキナーがうっかり降りてきてしまったら、もはやマルカーは結婚するか、マルクトが破壊されるしかないのだから仕方ないのです。
ですね、下降するシェキナーの問題は象徴図として3=8と4=7で示されるわけですが、これだけでは恐らく何のことかわからないと思います。体験がはじめにあって、そのあとに示されると全てが氷解するわけですから。
霊的伝統はふわっとなんとなく理解するものではなくて、疑いようもないくらい明確に理解されるものですから。
仰る通り、パスの脱落と統合が起こるでしょう。
「木」を昇るのは、いわば帰る道を作るだけのこと。その時に決して迷わないようにするためです。このことについてはエジプト人が詳しいですが。
とある段階でその象徴図を示された場合に「まさにこれだ!」といって確信が持てない場合はまだそこを通過したことにはならないのです。それ故に、その象徴図について何も教えられなくても答えられねばなりません。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
何かの力を渇望していたころよりも、少なくともわたしは今のほうがずっと自分が好きかな?むしろオカルト的力なんていりませんって神様にお願いしたくらいですから。
不安定なオカルト的力よりは確実で明晰な光と理解のほうがよほど役に立つと思ったからです。あとは通常の能力を鍛えるだけでとくに困らないから。
ファッションセンスがどうこうよりも、身づくろいは真剣にやるものかも? それが心の目の状態を如実に表すから。
「目の前の相手と真剣に向き合いたい」そういう意思がきちんと表れてる必要があって、それがエチケットに反映されるから。相手の目をのぞき込むって、心を開くときの態度がそのままでるから信頼に直結すると思うの。
魔法はアートの世界から近づいていくのをグリーン・レイというの。主に宗教(キリスト教ですが)から近づいていくのをパープル・レイといいます。それでテクニックの側(たとえば錬金術、化学など)から近づいていくのをオレンジ・レイというのです。これはダイアン・フォーチュンが用いた分類ですが。
霊感は渡り鳥のようなもので必ず飛び去る。だから別れの時はそれにしがみつかない。
召喚の時もそうだけど、退去儀式をしない意味はそこにある。それは退去ではなくてお見送りの詩だから。鳥さんが飛び去るのを察知したらすぐに心を切り替える。そうしないと彼らはまた逗留してはくれなくなるから。
召喚儀式における退去はかみさまを払うものではなくて自分自身に残留するものを払うためのもの。もし必要がないのならしなくてもいいけど、幻覚や幻聴など余計なものがこびりついていたらさっさと落とします。
実際、幻覚や幻聴は多くの場合で好ましくないからなければないほうがいいのです。
幻聴や幻覚って、神様の力が心に届いたときの心理的エフェクト(現象)に過ぎないのでずっとそこにとどめたりはしない。力を形としてとらえるために心に浮かぶイメージではあるのだけどそれ以上の意味を持たず。だからさっさと用が済んだら取り払います。神様は既に飛び去ってるからです。
魔法の訓練は幻覚を誘発させることもあるけれど、それ自体は目的ではないし寧ろこれを排除する傾向にあるのです。徹頭徹尾退去儀式を練習するのはそういう意味があるから。連続で幻覚を体験するのなら寧ろ病気を疑います。本来なら幻覚は最小限にしたいのです。払うの大変ですから。
アーティストが作品を作ってるときに自分の彫刻を破壊するのって気持ちはよくわかるのです。だって、あれは作ってる途中で神様の魂が去ってしまったのでもはやそれは抜け殻なのです。それを破壊するのは当然のことで、これこそまさに退去儀式の真髄なのですから。神様の捧げものは目的外使用は禁止。
オカルトの分野に足を踏み込んだらとにかく大切なのは正気を保つこと。何が何でも現実に噛り付くことかも? そうしないとせっかくそういうことに触れても大切なことを学ばなくなってしまうの。
実質的に夢見がちな青春時代を卒業してからやっと道が見えてくるのがオカルトですもの。
採血のときは痛いし気持ち悪いのでその日の献立とレシピを考え、調理方法をイメージしてます。w
瞑想とかイメージ形成力って実生活で大抵はそういうことに活用してる。
シンボルって、例えば腕の長さの緑色の細い棒。そこに拳大の赤いハートがついてるの。それが壁に一つ立て掛けてあって視界の隅に入る。正面から見るとただの棒とボール紙に過ぎない。でも、レンガ色の背の低い箱に入ってて数本並んでおり、視界の隅にあるだけならば何かの記憶として残るもののこと。
だからそれは視界のど真ん中にはいつもいない。そして意味がなんとなくわかるようなわからないような感じになるの。ミステリアスな女を装ってつかまえたい彼にアプローチしたりしない? それがシンボライズ、みんな何故だか無意識に知ってるのです。(^^;
いま作ったシンボルに答えはない。勿論、そこにはわたしの意図がある。人によって見えたもの、無意識に解釈したものは異なってるの。でも、作った本人にとっては必ず明確な意図がある。それがシンボルなのです。
ここまでいうば大体あとは説明が必要ないと思うけどね。
ご自分でいろいろと楽しそうなシンボルを作ってみるといいの。ただし、あまり変なものはつくらないでね。
これだけで魔法がどんなものなのか理解できるのでしたら、わたしからはもはや説明することはない。それを理解した瞬間、他者に変なものは見せたくないと思うでしょう。特に大切な相手ならば。
魔法というのはこういったものを扱うための技術体系のことで、それには直観で物を見る目が必要なの。それは無意識に捉えてるものを意識する能力のこと。ただし、完全に使いこなすにはそれを分析する視力も必要となる。それを月の目と太陽の目というの。
それだけわかるのならウラエウスがどんなものなのか理解されるはずなのです。
かれらが、魔法にめちゃくちゃ詳しい理由も理解できるから。
メーティスもそれもおなじ蛇さんなのは偶然でも何でもない。
月の目というのは直観で得たものからイメージを解釈する眼のことだけど、それだけでは相手の意図なんてわからない。だから意図を見抜いたり、その本質を理解するためには太陽の目によって分析が必要になる。そうするとへびさんがにょろーんとなるの。
シンボルの解釈はそれこそ人の数ほどあります。だから学んでいくとそれは膨大に膨れていくのです。でも、先ほども述べたようにシンボルを作った人には明確な意図があるの。だから、たくさんの解釈からその一つだけを引っこ抜いてくるには太陽の目が必要になってくる。太陽光によって心を照らすのです。
同じシンボルでもその解釈は一杯。問題なのは、そのシンボルがいまこのとき、どのような意図で用いられているかに要点あります。そのシンボルがどのような意図で用いられているかを見抜けない限りは魔法を使いこなせないし、またこれを看破して壊すこともできない。そういうものなのです。
ファンタジー風に説明すると、例えば白い魔法使いが邪教の神殿に潜入したとする。それでかれが並んでるシンボルを見つめてその「意図するもの」を看破するの。それで「心をそんな風に使ったらダメでしょ」といいつつシンボルの並び順などを変更して去っていく。その意図を問題ないものにしちゃうの。
シンボルとか名前、音、その他のものはすべて心の工夫なのです。よりその気持ちを習慣して即座に心の中に思い浮かべるようになること。そして決して忘れないようにすること。そういった心を自分のうちに定着させることですから。
魔法の作業を心理的な工夫と呼んだところで何も心配することはないの。もしそう感じたのなら神秘についてこれから知ることになるから。人の心がそもそも神秘なのです。
日頃の行いに心が籠らないことを形骸化というのだと思う。それは魂が籠らないことを意味するし、また無意識的な自動化のことでもある。だから習慣を見直して意識的に修正していくの。
ひとつひとつのことに価値を見出して(再発見して)いくの。いいかえると神々を見出すこと。そしてその神々に感謝をささげながら日頃のことを行っていく。このことは魔法に関してまったく間違ってないとわたしは思います。何も儀式的なことだけが全てではないからです。
峨骨 @Chimaera925 2016年6月2日
スピリチュアル系は終末思想もセットで付いてくるから、毒にも薬にもならんどころか毒にしかならねぇ。不安を掻き立てて、実践しても解決しない。解決しないのは実践(信仰)の仕方が悪いのだ、と。信じる者は救われる、救われていないのは信仰が足りないから。正気の頭ならひっかからんのだけど。
石部金吉 @kinkichi_ishibe 2月15日
スピ系の言う世界の全ては自分だけの問題で、ワンネスに目覚めれば戦争はなくなるとか、貨幣経済はなくなるとか、そういう戯れ言が個人的には大嫌いだ。そもそも覚醒って例えるなら、映画のスクリーンが映画のスクリーンの上で続いていくばかばかしい物語に自己同一化しなくなるだけって事だし。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2月16日
物質と霊は重合してるの。というよりも物質の中に霊が宿ってる。これらの関係を説明するときにしばしばそれを分けて扱うことがあるけれど、もしも物質の中に霊を見出さなくなったとしたら、自分の精神の拠り所を失ってしまうのです。
自分自身の肉体をただの土くれでできたモノとして扱ったとしたら、恐らくは他人もそのように扱うことになるでしょう。
あまり肉体と霊を切り離して考えすぎると原理主義的になっちゃうのです。orz
オカルトがしばしば問題になるのは、肉体を物質でできた牢獄と見做し霊を最上のものと考えること。その結果、物質の中の霊という概念を喪失してしまうのです。ただの石にパワーが宿っていると言いつつも自分や他人の身体を粗末に扱ってしまう。こうした矛盾が問題になるの。
矛盾があるというのは何か変なの。だから、自分自身の矛盾をまず見つけないといけない。オカルトもその例にもれず、多くの矛盾を孕んでいるのが散見されます。繰り返し述べますが、物質の中に霊が宿り、光と生命が宿っています。光、生命、愛が。
悪魔のカードで示されてるのは主従関係が逆転していること。意識というのはそもそも霊のことですし、ですから意識が物質を支配してる。けれどそこには善悪はなく、意識が主体であり肉体は客体であるということが崩れてしまってるのです。orz
これが起こると肉体霊の関係って分裂してしまうの。だから現実感がなくなってしまう。
肉体と霊の関係を理解するためにこれらを分離する訓練を行うのだけど、そのあとには必ず肉体に戻らないといけない。これを怠ると霊は肉体から分離し、現実感の喪失によって日常生活に支障をきたすことになるでしょう。
ぬれた手で高電圧線に触れようとする人多いよね…。
うん、十字架の秘教的意味について何も言ってないので。
5=6の儀式そのままの意味なのでいう必要もないの。
最初は象徴的にぼかされてる。ある意味で段階を追ってその意味を説明されるのだけど、幕が開くまでは何もわからない。けれど幕が開いたときはその象徴性は消えていてぼかして表現されることはなくなる。なぜなら、まったくその通りの意味だから。
事実、その通りの意味なのだからこれ以上の解説はいらない。5=6というのはそういうものなのです。
仮に「すごいぼくのりろん」というのがあったとして、それが何年、何十年、もしくは何百年後に覆されると思う? それを推論するの。いままで覆されなかったものはないから、恐らくあるはずなのです。それがわたしが持ってる答え。
自分の理論が覆される時期を推論によって予測すること。それができて初めてその理論は完璧じゃないのかなってわたしは思うの。どんなことにも消費期限があり、それが過ぎ去ると綻びてくるから、いくら繕っても使えなくなったとき、それを捨てるの。
消費期限切れの呪文をいくら唱えていてもわたしは無駄だと思うの。それを一度分解して新しく作らないと作用するとは思えないからです。
錬金術の金言を思い出せないの? Solve et Coagula.
これ、溶かして作り直すって意味よ?
お料理道具に使われてる金属だって昔は貴重品。直してみんな使ってた。ティンカーベルのティンカーとは金物屋さんで直す人。パッチをあてて直せないのならものはや溶かして作りなおす。それがsolve et coagula.
(「Solve et Coagula」 ラテン語で「溶かして固めろ」という意味の、中世錬金術師のモットー)
たとえ最初の形を知らなくても問題はないの。だって、用途が明白なら新しく作れるのだから。
それがたとえ古の発掘品で断片しか見当たらなかったとしても、みんなが横で何が正しいかなんていいあってるすきに、わたしは形なんて気にしないで元ある用途に即した形に仕上げてしまう。時間は無限ではないから骨董品を復元したところで飾りにしかならない。だから古いパピルスを組み上げていく。
全てを博物館の展示物にするのならそれは伝統とは言わないのでしょうね。
古代の知とはただの死体。実際にオシリスは冥界に復活してるのです。すなわち、世人には見ることができない場所のこと。かれの陽根は失われ、イシスが木製のシンボルによって代替とした。彼女は魔術の神様。このレトリックの意味するところがわたしの考え方なのです。
オシリスの身体は知的財産のことで一種の伝統のこと。それが三度にわたって破壊されたためもはや原型が分からなくなったの。だから、これを接ぎ木して使うにはこのような「魔法」が用いられた。このようなやり方自体が魔法なのです。不思議に思うかもしれけないけど、陽根を見つけるのが力なのです。
これと同じ伝説というか伝承が存在してるのです。ソロモン神殿のこと思い出してみて?
王様というのはその一族が滅んでしまわない限り必ず復活します。これはただの為政者との違いで、彼の特徴的な力なのです。ドラゴンはどこかがちぎれても必ず蘇る。それ自体が杖の象徴で陽根なのです。
これらの主題はあるひとつのテーマのことです。
魔術師は歴史を保存する者でもないしそもそも歴史研究家でもない。それは伝承の実践者なのですから歴史検証はほかのひとがすること。それが正しいとか間違いとかいうのはそのひとたちに任せておきます。わたしたちにはそれは関係ないから。
歴史的事実だけ書き連ねれば、西洋の伝統や先史以前の信仰なんてとっくの昔に途切れています。それはほぼ間違いなく近代の産物でしかなく、形自体は本当に最近生まれたのです。だからといってそれが使えないものとするのは問題がまったく別だと思うのです。
西洋占星術だって実のところそんなに古くはないの。中世といわれた広い時代には数学そのものが衰退しており、いろんなものが迷信の中に埋もれていった。だから後代の人たちがそれを組み立てなおし使えるように改変したのだと思います。
事実は事実であり幻想は幻想。形をとるか身をとるかの問題なのです。
それ故に、わたしはどれが正しい伝承なのかということは考えないの。それを言い出したらみんな神話の中に埋没してしまうのです。つまり、蛇さんのしっぽは見えない。だから堂々巡りになってしまうウロボロスの蛇さんなのでそれを引っ張り伸ばして杖とします。
西洋の神秘的伝統なるものは近世において復活させられたのだと思います。フランス、ドイツ、英国がその中心となり、あらたに再建されたのでしょう。そう、彼らは建設屋さんだからです。(^^
GDのカリキュラムやその思想って、こういうのを積み重ねないと理解できないから説明するのがとても大変なのです。
そうとう端折ってもこの通りで、前提としてメイソン系知識なども必要ですし、各神話体系も理解してることが前提になってるのです。
単に難解というよりも、カバー範囲が広すぎてそれを網羅するまで時間がかかり、全体像がみえるまでさらに時間がかかるというありさま。しかも実践を前提にしてるのです。
わたしは以前、目的意識を持つことは大切だと再三にわたり述べています。それは古い歴史を掘り起こすことなのか、何が正しい伝承なのかを求めることなのでしょうか? 歴史家であるのならそれでもよいとは思うけれど、実践者を目指すのであればそれでは足りない。では、それはいつ終わるのかが問題なの
フェンリルさん。挿絵は神話のほう、写真は脳内補完(アイスランドの火砕流)。 pic.twitter.com/vuQ8PtohdR
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年2月17日
慈悲は同化作用において神聖なもの、峻厳は異化作用において神聖なるもの。わたしはそのように考えてる。もしも生存の選択を迫られたとき前者は同族間において発揮できるけれど異族間においては許されない。生存のための選択が峻厳だからです。
必要がないのなら峻厳は極力発揮したくない。でも、本当に命のを選択をしなければならない時は峻厳の神聖さを受け入れる覚悟はしてるの。
左側(峻厳)の柱にあるセフィロトにはみんな共通するものがある。それは積極的には使わないことが美徳となってる。
土星、火星、水星がそれ。
水星は少しわかりにくいかもしれないけど時の流れの残酷さのこと。つまり流行遅れにする力。
いいかえるとそれは過去のものにしてしまうこと。バージョンをあげて新しいWindowsがやってくる。どんどんそうしていって下位互換性は失われていく。これがすなわち(過去の)栄光。
ホドのことを元彼といえばわかる?
ネツァク、勝利とは今彼のことなのです。
プリマヴェーラは春に起こる勝利と栄光の悲喜こもごもが見られる春物デザインの感じなので、春分には月の「娘」に春の装いをしてもらうのがいいと思うのです。 pic.twitter.com/QQVDzHI7er
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年2月17日
「勝利」と「栄光」はトレンドの移り変わりのことなのです。春に新しい勝利者が誕生するので女神の前でそれに先立って現在のメダルを返還しなくてはならないの。新しい勝利に挑戦するのなら。
そうやって勝利を更新していくのだから。
春は色々な意味での入れ替えの時期。古くなったものを新しいものへと更新していく。それ故に分点の回帰を祝祭し、新しいもの(勝利)をお祝いするの。
アストラルの三角形である、ネツァク、ホド、イェソドを総動員したけど。
魔法使いというのはわたしにとってこういうのかな? この挿絵はギュルヴィたぶらかし。魔術師(または道化師)が王様に神話を教えてるところ。ある王様は「真実を信じない」、またある王様は「真実を信じる」、そして最後の王様は沈黙してる。わたしの父からはそのように教わった。 pic.twitter.com/Fd1mxQGyQX
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年2月17日
もうひとつの絵はラグナロクによって炎上しているヴァルハラの館。「真実はある」といった王様の結果がこちらだと示された。何かを真実とした場合は聴く人によって解釈が分かれていく。故に論争が起こりラグナロク始まる。真実は地に降りると分裂するから。 pic.twitter.com/rMGCtBHP5E
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年2月17日
王様をたぶらかしてる道化師が手に持ってる杖はよく見ると先が鋭利に尖ってる。地面に突き立てたそれはまるで槍のように見える。父は片目をカラスさんにつつかれたと語ってる。
まあ、信じても信じなくてもラグナロクなんだけど。
古エッダとか読みすぎるとレイヴンさんが大好きになります。
ホグワーツのあれってどうみたって民族分類ですからね。
サーベントというのはしばしばドラゴンのことなので。
蛇語ってちょっとひどい言い方だよね。話者少なくなってるけど。
まぁ、ありとあらゆる民族的な皮肉が集まってるのがホグワーツですけどね。orz
ん? オシリスの「しっぽ」はアツィルトにあるの。だからそれをつかまえてくれば全体像が復元できるのです。たとえ全てがバラバラでも復元できる。それが魔術的伝統だからなの。
それを伝統的にスピリチュアル体、神の真の名前、もしくは「杖」と呼称します。
だからその特徴を知ってるとどの図版が重要なのかわかってきます。
昔から伝統的な言い回しのみが重要だったのだけど、それがトート神によって示唆されてた。それはある種の符牒であり発見した人のみしかわからない。でも、誰でも発見するチャンスはあるのです。なぜならどこにでも書いてあるから。
DFNの著作に『デーモン・ラバー』というのがあるけど本当に身につまされるお話だよね。お話自体はファンタジー風味だけど、すべての5=6に共通のテーマだから。日本のJK風(?)にいうと「マジ必要、神様」ってことになるから。別に宗教でなくてもいいんだけど。
なぜかみさまが必要になるのかはなってみないとわからないことだと思うの。でも、なったときはその意味するところが明白にわかるから。
思考に関する非常に興味深い図版。18世紀アイルランドの写本に収蔵。特にHuginnとMuninnの位置関係に注意。有名な図版ながら読み解くことさへできればこんなのがネットにころころ落ちてるのだから、本当によい時代です。 pic.twitter.com/atVPDrhTkQ
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年2月18日
ヘアスタイルをころころと変えるとゲシュタルト崩壊するからやめてといわれたことある。
たぶん、ヘアスタイルで認識してて顔をよく見てなかったのでしょうね。
逆説的にいうとへアスタイルに依存しないで瞬時に誰だか気づくのなら、その人は相手をよくみている証拠になるのですが。
知性って急いでるときはアウトラインだけなぞることでインチキするからその真ん中をよく見ていない。それを補うために直観を利用するひともいるのだけど、それをやるとイメージが安定しなくなる。
だからこそ、これを補うために復習が必要になると思うの。知性の性質をかんがみるとあんまり信頼できないので。
わたし、自分の知性をあまり信じてない。なぜなら散々騙されてきたから。学んだと思っていても中身でぽろぽろと取りこぼす。100回読み返してもいまだに完全に解釈を終えていない本もある。完全に咀嚼するのにはものすごい時間がかかるから、睡眠時間中の夢も含めて摂食(読書)制限したりするの。
記憶すること自体は繰り返すことである程度平気なのだけど、問題なのは解釈間違いのほう。こればかりは認識の修正をするために自分に気を使ってないといけないから大変なの。ヘルメースは人をだますから。またったく気を抜けない相手なのです、知性というのは。
これらのお話はティファレト=ホド間のお話なのですなわちアイン、タロットの「悪魔」のことです。
悪魔っていうのは確認、復習を怠るように甘言をささやくものなのです。それで錯覚を起こす。
要するに太陽と水星をつなぐのは知性の過去方向への確認プロセスなのでこれを怠ると錯覚し、悪魔化するのです。でも、確認をすると昔の偉大な人に意見を求めるみたいにいいお仕事してくれます。
これは何のことかというと、経験への再検証のことなの。
それ故に、検証の行われない神秘体験は悪魔化された錯覚のことだとわたしは考えています。
書物などで管理する知性ってよんでるのがこれ。自主的に記憶と体験を管理しないと記憶を管理している知性がおさぼりをしてしまうのです。つまり、知性たる店主がバックヤードから出てきてたまには店員の様子を見ます。
悪魔って倉庫整理の鬼さんですからね、そりゃ数も数えますよ。(^^;
知ってるような気がするのに記憶がぼやけてるのは忘れてるからというよりも図書館の知霊さんがオサボリしてる可能性が高い。それで直観的にこれを補完しようとすると大抵は偽物をつかまされるのです。だから図書館まで行ってこの知霊をたたき起こす。すなわち、復習のプロセスを再度繰り返します。
本の流し読みって学んだことにはならないから、何度も何度も読み返す必要があるのです。だからわたしの場合は余白がすぐに付箋や直接書き込んで真っ黒になります。そこまでしても取りこぼすからです。
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藤村シシン 2/19西宮NHK講座 @s_i_s_i_n 2月14日
古代ギリシャ語魔術パピルスを読んでいて、恋や治癒の呪術はマンドラゴラや双尾のトカゲなど、入手が難しそうなアイテムが必要なのに、アポロンとか神を召喚する魔術の方がずっと簡単な手順でできそうなのが面白いなと思う。こっくりさんと同じように、呼び出すより帰ってもらう方が大変っぽいけど
『海を渡ってきた漢籍:江戸の書誌学入門』髙橋智 著 http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=4816926105&bookType=jp … 面白いぐらいわかる漢籍の話。図書館の未整理書庫がとても楽しい空間になる。図版243枚を例示して解説。「藩校・大名家蔵書等目録類一覧」「主な漢籍レファレンスブック」「関係略年表」付
U @wayofthewind 1月10日
大手出版社「講談社」(東京)で青年コミック誌「モーニング」の編集次長を務める韓国籍、朴鐘顕容疑者(41)を殺人容疑で逮捕
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10HAZ_Q7A110C1CC0000/ …
NHKでm実名放送キター!
講談社編集次長・朴鐘顕が関わった作品名 「進撃の巨人」「聲の形」「7つの大罪」 キリスト教系の結社員か? 逮捕されるところまで、ミッションや通過儀礼なのかもね。 ここまで見越して「進撃」をヒットさせた黒幕がいるってことでもある。
進撃の巨人のテーマは「家畜の安息か? 戦って死か?」 妙に持ち上げられているものには、何かしら背後関係がある。 進撃も、在日ネットワークを使って、ステマを仕込んでいたんだろう。 だが、すべては米国の手のひらの上で踊らされていたに過ぎないってことか。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2月19日
魔法も化学、料理も化学。技術の使いまわしという点で親和性はとても高い。
化学は物理的なものと思うかもしれないけれど、人がやる以上は心理的なプロセスが必ず含まれてる。大切なのは思考のプロセスをどう扱うかという問題。結果だけだと本当に物理的な問題だけになるから応用が利かない。
何かの技術的な工夫をする段階では思考モデルがかならず形成されるの。その部分を他へと応用していくのが魔法の要となってる。
それだから魔法は意識に変革を起こすためのもの。思考モデルそれ自体をどうにかする方法論ともいえるから。
ひとはもともと魔法使いなの。何かを生み出すときに思考モデルを形成するのって恐らく人間だけ。それに気づくことが魔法使いになることでもある。あとはそれをどのようにして利用するかを学ぶだけだから。
ひとは意識それ自体をどのように扱ってるのか気づいてない。それは当然のことで、物心がついたとき既に肉体という乗り物に意識は乗ってるのだから、意識それ自体について考える機会はめったにないの。
多くの動物さんは人間のように道具を使えない。まったく使えないわけではなくて、自由にいろいろと作るのが苦手という意味。それに先立つのは自由に思考モデルを形成できることが条件になってるから人間のようにはいかない。だからこそ、思考モデルの形成についてひとが学ぶことでよりこれを発達させる
思考モデルを形作ってるのはホドの部分、力を与えてるのはネツァクの部分。これは一般に低次アストラルというのだけど、こういうのを自然魔術というのです。
それ故に一般的なアートや料理などを自然魔術の一部とわたしは認識してる。
自我の変性やそういう部分は高次アストラルといわれるもので、ブリアー領域でのお仕事。だからそれらは自然魔術には含まない。具体的にはティファレトより上か下かの問題になる。用語こそオカルトっぽいけど実のところそんなに難しくはない。
それだから自我変容はアートではめったに起こらない。それは自然魔術なのだから緩やかに自我に刺激をもたらす。そういう意味ではとても安全なのです。
そこにへんなお薬とか使わないのなら。
そんなにパロケトを突破してティファレトの光を望むのなら神様に祈りを捧げればいいのに、とわたしは良く思う。サイケデリックなお薬なんて使わずに。
宗教とは麻薬のようなものであるといわれるのは当然のことで、結果的には同じことを起こすからです。けれど、実際の麻薬のほうは心のタガを外して自分でコントロール不能にしてしまう。方や宗教のほうはしっかりと注意深く使えばそのコントロールは可能なのです。それ故にわたしはお薬を推奨しない。
宗教は劇薬成分が入ってるから最近ではソフト味なのです、プロテスタントさんみたいに。
それ故に神父さんや牧師さんのお仕事はその副作用をどのようにして抑えるのかも含まれてる。日常に支障がない程度に緩やかに心を変革するために。
宗教と魔法、アートの関係ってこういうものだからとても注意深くそれに望む必要がある。薬なんかでインチキしたらろくなことにならない。
アートの制作期間は信仰生活と同じなので世俗には触れないようにする。そうしないと神様には出会えないから。一方で売れてしまって物欲まみれになるとアートは生み出せなくなる。信仰生活もまた心を純粋培養にしてしまうのでお外に出たときに色々とつらくなる。周囲が汚くみえてしまうからです。
それだからアート制作には魔法の技術というのは実は結構使えるの。心の状態をコントロールする技術なのですから。
何か変わったもの、幻想的な神秘を求めるようになったら心は麻痺してる。感受性が鈍ってる状態では魔法もアートも使えない。だからまずは心を磨くことから開始する。
心が鈍感になったら現実に立ち返り、するべきことを片づけてしまうの。こういうのはお坊さんなどがよくご存知のこと。アーティストも彼らに習うといい。
芸術家的わがままが発生するのは霊感を受けることに対する反作用だから、対処方法は明確なのです。つまり、現実にたちかえること。これをしなくなったら霊感はどんどん薄れていってスランプに陥るからです。
霊感は現実が常に支えてる。このことを理解していないといつか行き詰って出口が見つからなくなるからです。
デーメーテールは現実でコレー(ペルセポネー)は霊感の源。けれど、これら二人は同一人物なのです。この二局面がエレウーシス秘儀の重要なポイントになってるの。二人ども同じ神様の二面性であることを忘れないでください。
「娘」は年間の1/3もしくは1/4だけハーデースのもとにいる。これの意味するところは冬の間だけ霊感をつかさどり、ほかの日は現実に立ち返る必要があることを意味してる。バランスとしてはそれで十分だから、ザクロの実を食べすぎてはいけないのです。そうしたら冥府から帰れなくなる。
娘は春から秋までは母といます。だから冬の間だ冥府へと引きこもる。オカルトや創作活動のバランスもそのくらいで十分なのです。
マルクト=デーメーテール論は事実
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2月20日
日本でサムシング・フォーと呼ばれるマザーグースの一節。
わたしの解釈はこんな感じ。
何か古いもの(懐かしくも)
何か新しいもの(新鮮で)
何か借りたもの(大切にすべき)
何か青いもの(尊いもの)
これらのシンボルで囲うとその中心に霊的なブーケができる、それは新しい生活で決して忘れてはいけないもの。この一節自体がある種の魔法を構成し、それ故に儀式的にその気持ちを形に注ぎ込み霊的なプレゼントとする。なお、呪文の括弧内は決して口に出してはいけない。
これは魔法を読み取って構成するための一例です。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975 2017年2月21日
国によって、文化によって虹の色の定義は異なってるのです。三色と表現する人もいれば五色、七色、十二色とするひとたちもいます。恐らくはそれぞれ見ている色にそんなに違いはないのでしょう。それでも色の範囲を定義するやり方が異なってるように思うの。
それだからわたしは色の定義についてそんなに気にしていない。それはシンボルの定義に等しいからです。ここで注意しているのは色の境界線部分です。色の違いを決める時、恐らくは境界線部分は曖昧になってる。言い方を変えると未定義に等しいのです。
わたしたちがそれぞれ意見の食い違いをみるとき、境界部分、色の定義が曖昧な未定義部分がどうなっているのかをつぶさに見つめることで新たなことがわかってくるように思う。ロータスワンドの12色帯がグラデーションであるとする意見について全く賛同します。持つ人によっては12色ではないから。
以前、光と闇の境界線部分から境界の住人、つまり一種の鬼が出てくるという説明をしたことがあるけどそれは未定義部分に混乱を齎す鬼さんが住んでいるからです。故にあらゆる解釈方法、定義方法をあえて用いることでこの境界線を知性の光で塗りつぶしちゃいます。それこそが偏見と錯覚の鬼だからです。
魔女は夜に活動すると言われるそうだけど、少なくとも魔術師は夕闇に立つ。もしくは朝焼けに立っている。それは善でもなく悪でもない、昼でもなく夜でもない、完全な光でも完全な闇でもない、男でも女でもない、すなわち未定義部分、トワイライト、逢魔が時のこと。それは自由な時間、解放(退社)の時
それ故に、α(始まり)とω(終わり)の中間でもあるの。それはStella Matutina(海の星)、金星の昇る時間。何かの隙間でもあるし余白でもある。怖いものが潜んでる場所だけど怖くないとただの自由の隙間でもある。何かに縛られない自由のひと時、さぁ、ハイティーを楽しみましょう。
内陣の秘密について少々おしゃべりが過ぎたので今日はこの辺でおしまい。
わたしたちはそれが何であれ、多くの先達たち、またその昔の本や口頭で伝えてきた人たちのお世話になってる。ひとつとして自分のものではない以上、その座っている椅子も借り物に過ぎないの。「アストの階段」すなわちイシスの椅子も例外ではないからです。
これ。イシスのあたまに乗ってる椅子。三段階の階段状になっています。そう、三段階です。 pic.twitter.com/BOK52bjpZX
— Angeliqua@安眠中 (@Ripple1975) 2017年2月21日
最上段はいつも開けておくの。神様の席だからです。
GD系魔術師は基本的にネオ・プラトニストです。ですから、かみさまをイデアとして捉え、天使のことをロゴスとして理解しています。それは原因に対する現象であり、自然の中にもそれを見出しています。
プラトーンのイデア論にしても、その前のアリストテレスにしてもかみさまは存在するということを大前提としており、そこから哲学が発展していき現代科学ですら最初はその恩恵を受けていたと思うのです。それがいつの間に自然は機械的な何かであり支配するものになってしまいました。
信仰がないと何もはじまらないよって述べているのはそういう意味なのです。
魔術カバラーを学ぶのに特定の宗教、例えばキリスト教やユダヤ教は必ずしも必要ではありません。でも、物事の初めである何かについて何らかの信仰を持っていないと何も始まらないのは事実です。
シンボルをみるとき、誰かがその解釈をするといろいろと荒れるから、特に有名な方はしないと思うのです。実際のところ、大切なのは誰かが言ったからではなくて自分でその答えを得るべきだからなの。ですからたとえクロウリーやフォーチュンがそういってたとしてもとりあえずは無視します。
大切なのはとにかく自分の心に正直になること。答えを急ぐ必要はなくてのんびりいきましょう。そうしたら自分のタロットの輪が完成すると思います。
自分の心にカードがぴったりと嵌ればそれが完成品。そういうピースを少しずつ集めていきます。自分の心に照らし合わせてぴったりと嵌るかどうかだけに注意してください。
わざわざ突っ込み待ちをする魔法関係の文書は多く、ある意味でグリモワールなどもその類でしょう。だからあれは「ボケてる」という言い方もできなくはありません。(^^;
だって、本質的にみんなジョーカーですもの(ヘルメスの学徒)。
日本の方が真面目すぎるのか形を重んじすぎるのか、それがあだになってる側面もあるのでしょうね。
その中にものすごく大真面目な気持ちとしょーもないジョークが入り乱れてるのです。そのような玉石混交の中から砂を洗い黄金を見つけていきます。それが魔術の世界なのですから、いたって健全で人間味のあるものだとは思いませんか? ジョークを忘れては駄目とみんなずっと言い続けています。
あらゆるところに地雷は含まれてるし、それを回避すれば楽園が待ってる。それは英国産の魔法なのですから当然です。その皮肉までもかみしめて楽しむのが英国の魔法なのです。(^^)
魔法に必要な批判的精神というのはジョークがわかる精神のことでもあるのです。魔法に必要な欠かせないセンスの部分ってそういうものだと思うのです。特に英国産魔法については。
それでは魔法のどこまでがジョークでどこからが本気なのかという問題について、それは個人個人が考えることなのです。なぜなら、そうやって考えて見極めること自体が魔法の訓練なのですから。(^^; 疑問を持つこと、それが最初なのです。疑問が出なければ答えも出ないのでわざと疑問を抱かせます。
クロウリーが初心者におすすめできないのは大切なところまでトラップだらけになってるところです。(^^; ですから最初は彼の著作は避けて通ったほうが無難かもしれません。
必死と真剣は別物なので火に水をかけては風(知性)を起こすの。そうしないとみんな真っ黒焦げになってしまうから。orz
ダイアン・フォーチュンはちょっと真面目すぎるくらいで悪質なトラップは入ってないです。それでもあまり気を抜いては駄目でやっぱりヘルメースの学徒ですから。個人的な好みを言うのならもう少しジョーク成分欲しいくらいかも?
師を敬いすぎてもいけないし軽んじるのは論外。このようなバランス感覚はとにかくオカルト活動には重要で、これをとにかく鍛えます。
難しく考えなくては答えが出ない場合は何か迷ってる。薔薇は形(図形)を作る。それはとても個人的な形でなくてはいけない。
GD文書には肝心なことが何も書かれていない。それは実践から「こうするのが合理的だ」というのが自然にわかるようにできてるから。
よく大統領選が近づくと候補のスキャンダル問題が浮上するよね。あれって後援会や家庭との不和を招くことで兵站線の寸断を行うことが目的だから基本的な戦略なのです。それが可能なら奥様にイケメンを送り付けることでもいいのだから。
霊感からアイディアをイメージに落とし込むのをわたしはアートと呼んでるの。問題はその先で、開発実装できるかの問題。多くのアイディアのうち実現可能なものはそんなに多くない。魔法でいうところのアースとはこの物質化する部分で現実に作ってみること。そうしないとただの空想になってしまうから。
このことからわかるように、魔法で物質化すること、つまりアースするのに手っ取り早いのはアイディアを料理に落とし込むこと。コストや労力、また失敗したときの問題まで含めてあまり事故にならない。アイディアを絵にかく段階だとまだアストラル作業と呼べる代物だからです。
実際には脳裏にイメージがぽっと浮かんだ時点でイェソドからマルクトに力がやってきたことを意味してるのだけど、実質的にそれを形にできるかどうかは別問題だから、何らかの手を打たないといけないの。デッサンを書いたりすることもその一つで、できたらその先にもう一歩進みたいところ。
デッサンの技術があるのならそれに越したことはないのだけど、絵心がないからといって気にしない。自分にとってそれがきちんとわかるような絵なら問題ないのだから。
霊感を受ける部分はマインドセットの作り方なんだけど、それは占いだったりプランシェット、水晶玉だったりといろいろ。また、そういうものの手助けを借りなくても最後にはできるようになると思う。
アストラルイメージをそのままにするとよくないのでとにかく絵をかいたり言葉にして記録したりするのです。できたら、それをもっと物質的な形にできたらもっといいと思う。
ん、たとえばゲマトリアやテムラー、ノタリコンとビブリオマンシーの組み合わせ。
それ以前にキムのゲームをしたほうがいいかも?ただの布とお盆だけですよ?かごのなかに適当なもの(小さなもの)をいれてそれをぐわっとつかんでお盆に乗せて、すぐに布をかぶせるなどいろいろあります。
工夫すること自体がすでに訓練に入ってるのです。
何か条件に合わないこと、問題が発生しても些細な問題ならば自分で工夫してみます。もし自分で工夫することを覚えないと恐らくうまくいかないと思うのです。興味を持つこと、工夫することは学びの第一歩だからです。
つまり自分にできることはすべてやります。
瞑想でもイメージのオーバーフローというのがあって、最初にそれを学ぶのです。あらゆる可能性を思い浮かべてそれを中心に投げ込むこと。ある意味でブレインストーミングみたいなものだけど、これはあらゆる工夫を試みてすべてやりつくすこと同じことなのです。まずはそこに到達する必要があるの。
とりあえず霊感の泉を掘り当てることが重要だから、そのあとで泉の水を飲んで、またはこれをカップにいれて凍らせ、それを使って彫刻を作ってもいいの。ヘラ女神によれば泉の水を飲めば病気が治り若返るそうだから。w
薔薇自体の意味というよりも、それはシギルを引くものという一番重要な観点があるのです。
RCLは置物でも飾り物でもないからです。(^^;
シギルの引き方について詳細について伝わっていないのは何故でしょう?
本に書かれてることはいまだ外枠だけで全てが記述されてるわけではないから。
0=0から4=7までに含まれてる教程のうち、無駄なのはひとつもありません。一見関係なさそうに見えることがカギになってるからです。
何か原資料があれば確証がとれることでも、たとえそれがなくても確実と思われることは結構あって、まずはパスワーキングを埋めるのが先かもしれないです。
シナリオワークは入門編なので是非パッシブワークをお勧めします。あまり正解か不正解化を気にせず、とにかく回数を重ねて記録を採り続けることです。
パスの意味が理解されてくると、そのうちに儀式のどの時点で何をすべきかは自動的に理解されてきます。また、儀式の意味が全体を通して理解されることでしょう。そのとき、書かれていないことについても読み取れるようになります。
一回のパッシブワークは読書数冊分以上に匹敵するからです。
日本には「門前の小僧」の譬えがありますが、パッシブワークはまさにそれです。カギは自分の中から手に入れるもので他人から受け取るものではないからなのです。
それ故に、ある程度の知識を身に着けたのでしたら「習わないお経」を読んでください。
だからわたしが誰かに「鍵」を渡そうにもそれは形でもないし知識でもないのでお渡しできないのです。
何かの発見をしてわたしがそれを口にしたとしても、それが正しいか否かを知る手段は自分で鍵を使って開くしかなくて、ですから鍵を発見する方法をお教えすることくらいしかできないのです。
象徴解釈の正誤表なんてあっても意味がなくて、自分の中で発見しないといけないという仕組み。魔法の道ってそうなってるのです。
だからわたしにとって本は一冊で足りてしまうの。ひとつのタロットデッキです。
シンボルの解釈は自分でするんじゃないの。教えてもらうのです。誰から? 自分の内側から。
探し回ってもダメなら沈黙です。ハーポクラテスのサイン。静寂のなかでしか声は聞こえないから。勿論、頭のなかのおしゃべりもなし。
自分自身すらもかみさまの一部である以上、失礼な態度はとれないのです。
かみさまって要するに宇宙全部のことだから、自分自身もこれに含まれてるのです。だから自分自身に対する態度もそのまま神様への態度となってしまうの。これに気づかないと向こう側から扉は開いてくれないのです。
エデンの果実にはいくつかの解釈があって、比較的有力なのがイチジクとその原型となる植物。まぁ、果実ならこの際なんでもいいんだけど。古代ギリシア的にはザクロかな?
メタ情報を一つ一つ言語化するには知識が邪魔になるの。例えば、お庭に鳥さんが飛んできます。これを眺めてもなんていう鳥さんなのか分んない。でも、その行動をつぶさに観察して特徴を捉え、何をしているのかを類推するのです。こういうのを何万回も重ねていきます。
鳥さんの特徴からその名前を調べたら駄目なんです、メタ情報を扱うには。ハンティングやバードウオッチングならそれでもいいけれど、霊を扱うのってそういうものだからです。
知らないものを知らないままに扱うの、それがとても大切だからです。
そして完全な考えが自分の中で固まってきた後に知識によって答え合わせを行います。ここまでがワンセットだから。
何かについて名前を付けるのって魔法だからなの。それは知ったことにする魔法だから、魔法を使う前に必ず自分で理解しなくてはいけない。それだから何かを見聞きした後に知識に頼らず自らそれを観察して類推を重ねていくの。
シンボルを使った類型の掌握ってこういうものなのです。
最初に自分自身にかかってる魔法を解かなくてはいけない。それはとても長い道のりだから、大変なのだけどそれができるようになれば魔法を使いこなす一歩となるでしょう。
アビスの真ん中にダアト(知識)があるといわれてるのはとても示唆的なのです。それは仮想的なセフィラーであり実際は存在してない。だからこそ、セフィロトは10であり、9でも11でもないと言われています。
このお話にはまだ続きがあって、ダアトの出口はイエソドだと言われてるのです。何のことかというと、ダアトに触れたときに途中のセフィラーはショートカットされてイェソドに到着するのです。つまり、途中経過は「理解されない」。
それ故にこれを知識の消化不良と呼びます。(^^;
これが書かれてるのに説明されていないカバラーです。
わたしが無名なのはとても良いことなの。それがわたしの伝統の後ろ盾になってくれるからです。
九字をきるにしても、恐らくは文字ごとにイメージを展開する必要があるはずで、それを怠ったらただのおまじないになるように思います。これは西洋魔術師の憶測でしかありませんが。
一文字ごとに意味をかみしめて心にそれを喚起する訓練を行い、それを用いてイメージ投射をする。それを重ねるごとにイメージの展開速度を早めていくの。だから早九字といわれるものは恐らくはそうしたイメージの展開速度を増すための訓練法だったのではないかと推測してる。
ただこれって組み立てていくと武術的なメンタルイメージなんだよね。つまりは心で行う鍛錬法で、型を使うための一種のイメージトレーニングに似てるの。力流の扱い方を一つの文字であらわしてるみたいだから。
中国武術でいうところの文字による秘訣の表現。
(杖遣い@玄冬@blazingarm13 5 時間5 時間前
杖遣い@玄冬さんがAngeliqua@安眠中をリツイートしました
名前は一番短く、簡単な咒。その基本的な理論は、東西問わずなんだな。勉強になる。
杖遣い@玄冬さんが追加
Angeliqua@安眠中@Ripple1975
何かについて名前を付けるのって魔法だからなの。それは知ったことにする魔法だから、魔法を使う前に必ず自分で理解しなくてはいけない。それだから何かを見聞きした後に知識に頼らず自らそれを観察して類推を重ねていくの。
簡単で短い咒だから、色んな因果を巻き込んで、更なる因果の螺旋を作っていく。その咒を破るのは、本当に大変なこと。
杖遣い@玄冬さんが追加
Angeliqua@安眠中@Ripple1975
最初に自分自身にかかってる魔法を解かなくてはいけない。それはとても長い道のりだから、大変なのだけどそれができるようになれば魔法を使いこなす一歩となるでしょう。
Angeliqua@安眠中@Ripple1975 5時間5時間前
@blazingarm13 それだからこそ真言が呪文となりえるのかもしれないですね。
杖遣い@玄冬@blazingarm13 4 時間4 時間前
@Ripple1975 余談ですが、私の師匠は「真言とは、咒を効率良く構築しつつ、修法者の集中と意識を引き出しやすくする符号。」と言っておりました。
Angeliqua@安眠中@Ripple1975
@blazingarm13 ほぼ同じ意味でお話しておりました。それはシンボルの使い方と同じだからです。
杖遣い@玄冬@blazingarm13 4 時間4 時間前
@Ripple1975 そうなんですね。西洋の方は殆ど門外漢(タロットを少し学んだ程度)なので、Angeliqua様のツィートを拝見する度、色んな発見があり、勉強になっております。)
他派や別分野の言葉については参考までに、自分の流派の先生の言葉に注視するのが良いと思うの。あくまでひとの心身の使い方についてのプリミティヴな部分は活用できるにしても、その上に構築されてる方法論は別物だからです。
修行の進捗が進まなくなるとついつい他派のやり方に興味が移るものですが、それをずっとしてると先に進まなくなってしまうからです。ですからとりあえずご自分の先生の言葉に従うのが最善です。
名前をつけるのは認知の操作だから、それによって形を見えなくしてしまうのです。言い方を変えると意識が対象の周囲をぐるっとなぞることで理解しようとするのを阻害してる。だから物事の認識がまるで判で押されたようになるのです。認識それ自体は早いのだけど浅くなってしまう。
そうぞうしてみるとわかるのだけど、新しい友達ができたの。で、その子と遊ぶのだけど実は名前を知らない。このとき、彼女の名前を知らないから記憶にその姿をとどめるのが少し困難になってしまう。名前がわかると記憶しやすくなるのです。
それだから新しいお友達で名前も知らないときは自ら勝手にあだ名をつける。要するにそういうことなのです。
タグがないと検索できないですからね。
その代りタグをつけないで記憶を保存することでちょっと面白いことができるようになります。
それと、もうひとつ興味深いのは魔法使いの名前がモットーだということ。それは基本的にその人物を表すのに説明的な名前になってることです。このように説明的な表現があることを示しています。
まあ、すごく説明的な名前をでっちあげると「朝露に光る紫陽花の妖精の主」みたいなのを適当に。そのひとの雰囲気を適当にイメージとして説明的に構成するのです。それで、これをラテン語とかギリシア語にして最後には単語の短縮を用います。これ自体が既に魔法の手段なのです。
アニサキスの死亡は60℃で一分間、70℃で一瞬だそうです。ということは、お魚の表面だけのお話なら80℃ですぐに処理できるということなのだけど、中まで火が通ることを何ら説明してないのです。
簡単に口論を起こすような人にはどんな力も渡せないと思うの。それは権力、お金、知識、そのほかいかなるものであっても同じことだから。
わたしが知る限り、魔法はライフルより危ないです。
銃の問題点は他の武器に比べて簡単に人を殺傷できることではなくて、安全装置をかけにくいことなのです。だから本体と銃弾は別に保管するべきで、さらに手の届きにくい場所に鍵をかけてしまうことになる。だから、結局のところ防衛のために所持するのは理性の点で鉄の意志が必要になる。
個人祭壇はそれを用いる人の心の状態の表象なので儀式的手順は心のプロセスでもある。それを祭壇上で象徴的に外在化させるために道具立てを用いるのですから、熟達すればそれすらも必要なくなるの。また、儀式は神秘的な何かが起こることを僅かも望んでいない。そういうものではないからです。
wolfy™@wolfysway 2月21日
自分は「努力は嘘をつかない」という言葉に疑問を持っている。
ダルビッシュ有くんの「頭を使って練習しないと簡単に嘘をつくよ」とか
羽生くんの「努力はウソをつく、でも無駄にはならない。努力の正解を見つけることが大事」という言葉の方が
実際に即していて正しいと思う。
P・グラレム@pinkglalem
ネトウヨ=白丁みたいなコメを、youtubeでやったンですけど...(あたしのコメだけ)閲覧は出来ません。バイアスかかってるみたい...ネトウヨが天皇崇拝を強要する理由は、ネットではタブーみたい...www。#皇統無稽 #天皇は諡号 #山窩 #大本教 #
「嫌韓」とか言ってるヤツって、みんな白丁顔。白丁は朝鮮が嫌い。李氏朝鮮時代の不可触賎民。それを解放したのが明治政府と天皇。だから、儒教思想嫌いで、天皇崇拝を強要する。インチキ臭いウヨクは白丁。
#白丁 について調べてみると、日本の部落差別の起源が、ここにあるみたいな気がする。日本の部落差別が始まったのは、明治以降で、江戸時代には、穢多は火消しや岡っ引きのよーな役職を持っていた(つまり、この頃差別は無かった)。朝鮮半島の白丁差別は根が深く、始まったのは高麗崩壊後である。
高麗が崩壊したのは1392年。ここから日韓併合の1910年までの李氏朝鮮時代は、#白丁 にとって苦難の時代であった。彼らの社会的扱いは劣悪を極め、言葉通り犬以下だった。それを救ったのが、明治政府と天皇である。
#白丁 という言葉も、李氏朝鮮以前には、無冠の平民を表す言葉に過ぎなかった。
在日の間でも族譜を問われることを忌嫌う。「お前は白丁か?」と訊いているよーなモノなのである。あたしが「#ネトウヨは白丁」と言って、彼らが無反応になった意味が、よーやくわかった。
支配者層に #白丁 が加わったことで、部落差別が日本で始まったンじゃぁないの?白丁は、以前自分たちの置かれた苛烈な差別を日本で賤民に対して行なった。日本の支配層は #山窩 +白丁。
白丁の被差別の歴史は、日本の南北朝時代からと物凄く古い。
在日は部落民と一緒にされることを嫌う。半島には悲惨な賤民の歴史があったから...族譜を持たない白丁と同等に扱われると思っている。在日の友達がいるけど...あえて人前で本名を名乗ってた。自分の家族のアイデンティティに誇りを持ってるンだろうね。
東宮妃の実家大和田家は、明治時代に半島からやって来た、おそらく白丁だろうね。秋篠宮妃の実家川島家とは仲が悪いらしい。川島って、川原乞食の名前だね?秋篠宮を中傷する怪文書を流したとか、流さなかったとか...そんな噂が流れて来たことがあった。
#白丁 は、明治政府と天皇によって、賤民階層から解放された。天皇は彼らの救世主である。だから、天皇崇拝を強要する。彼らは通名を名乗らない朝鮮人である。半島では名前など名乗れなかったのだから...#皇統無稽 #ネトウヨ #朝鮮似非ウヨク
#古代史ロマン...?だったら、#天皇 とか #皇族 の #DNA を調べてみたら...?WWW.。2600年間も #万世一系 とかねかしてるンだからさぁ...www。#皇統無稽。wwwwwwwwww。#山窩 #白丁 #植民地政策 #英国支配
とか
羽生くんの「努力はウソをつく、でも無駄にはならない。努力の正解を見つけることが大事」という言葉の方が
実際に即していて正しいと思う。
ので避けられた…ハデスの別名は縁起の悪さを感じさせないポジティブなものが多い。プルトン(富める者)、アイドネウス(見えざる者)…
— 子子子子子(無明払い) (@kitsuchitsuchi) 2016年5月25日
ハデスは…生殖能力のない男神だと考えられているが、本流ではないギリシャ神話(オルフェウス神話)では子供を持っているときがある。”@mryensrh11
Angeliqua@らっこイーター @Ripple1975
聖剣はいつも家の戸口から出たらすぐ目の前に刺さってるの。多くの人がそれを引っこ抜く勇気を持てなくて、迂回しながらほかの聖剣を探そうとする。でも、どの聖剣も偽物で、最後にはお家の前に帰ってくるのです。これがエクスカリバーの伝説。それが一番使いたくない聖剣だからです。(^^;
良くも悪くもわたしが見てる世界は自己投影の代物なのです。だから、外せない色眼鏡の構造をよく調べて、それを磨くようにしていないといったい現実の何を見ているのかがわからなくなる。眼鏡が曇っていればお外から光が射してることも次第に分からなくなるから。
お家の前に刺さってる聖剣は呪い付きですからね。本当に覚悟ができるまではただの木の棒にしか見えないから。凡庸で貧弱な武器にしか見えないの。でも、気づいたときにはそれを引っこ抜いてやっと自分の道を探し始めて本当の冒険が始まるのです。
そういえば夢の中で失語症になったことがある。夢の中とはいえ、何らかの言葉で考えたりすることはできるのに、どんな言語も使えなくて絶海の孤島に放り出されたような気分だった。考えること自体が困難で感じることしかできない世界。そのあとで「回線」がつなぎなおされた。
なんか勘違いする人多いみたい。それに、関係ない話する。すべての言葉といったのは使える言語すべてが無効になる瞬間のこと。ロゴスを感じることができなくなるの。つまり、何らかの意味づけが作られない状態。だからモノとモノの関連付けが行われなくなる。リンゴ→赤い/丸いというのが無効になるの
これがどれほど恐ろしい瞬間なのかって説明できない。幽体離脱? そんなの知らないです。そんな話してないですし。
何かに名前がつかないと、名前が付いた者同士でなければ関連付けは起こらないのです。このことは実体験しないとなんのことか恐らく理解はできない。それだから、名前のない世界というのはそれぞれの事柄がすべて独りであり、まったく孤独な世界。関連付けという仲良し関係がないからです。
この関連付けとは分類が生じるということ。すなわち、名前を付けないとそれは分類できないようになってる。知識はそこから生じるの。それゆえに最初にロゴスありといいます。
象徴には名前がついてるけど、名前なんて忘れちゃったほうがいいの。それを見た瞬間に言葉が色々と思い浮かぶかもしれないけど、それよりも先に感覚とイメージが浮かばないとそれは使えるようにならないからです。
それ故に名前というのはただの器でしかない。中身が入るまでの仮初のもの。知識ってそういうものだから。
誰かいとしい人に会いたいときに心の中でわざわざ名前をよんだりするのかな? あのひとや、彼、なにかの代名詞になったりしてない? すでにイメージが出来上がってる場合は固有名詞はいらないからです。あれ、それ、でいいの。つまり、神様ならThe Oneといいます。
何かの固有名詞に入りきらないのが中身であり現実の実態。だから知識や名前という入れものからそれがはみ出して来たら、名前(形)を捨ててしまうのです。
かみさまは知れば知るほど何百何千の名前を持つことになるの。なぜなら、実体が大きすぎてひとつの形などにはおさまらないから、名前をたくさん与えないといけない。これをして何千の貌を持つという言い方もできます。何かを知るというのはそういうことだから、知識はただの器なのです。
知識なんていくら多く持ってもそれは器に過ぎないから中身が成長してくれば自然と手狭になってリフォームが必要になるのです。最終的にその器は無限のものになり表現ができないことになるでしょう。言葉をいくら尽くしても無駄なことを知れば、あれとかそれということになり、あとは沈黙するだけ。
だからこそ、それについての想いが溢れていって膨大すぎて言葉がすべて消費されつくしたとき、そのときの沈黙をただ待つの。言葉が続いてるときはまだ燃え尽きてないし理解されつくしてもいない。
ドラゴンボールに出てくる「みんなの元気をオラに分けてくれ」というのをみるにつけ、プラーナ思想というかタットワ思想を強く感じる。タットワは個人間にも、地球にもあって影響を与えあってる・・・とする思想なのでそんなものなのかなって。
パスポートは命と同じくらい大切。なぜって国籍を保証されることはそのまま命を保証されるのにも等しいからなの。それがないと人権不明な生き物になっちゃう。人権ってそもそも国によって保証されるものだからです。
レイガスの名古屋カフェ喫茶店巡り @Raygass 2月22日
寝太郎さんの「自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ」を買った。以前の「Bライフ10万円で家を建てて生活する」の文庫版だけど大分加筆修正してある。面白いし読みやすくてあっという間に読んでしまった。早く小屋暮らししたいw
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およみくださりっておよみできないよ