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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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 『道教の本―不老不死をめざす仙道呪術の世界 』と主に道教系魔術の資料。 

完成。資料集だから超絶長いよ。

過去記事↓の追加個所(とその周辺)を載せておきます。

千と千尋が性風俗の話だと宮崎駿監督が明言しているのに、無視や拒否反応が多いことから、日本人がキリスト教化されたことと、キリスト教に逆らえない評論家(笑)ばかりなのを実感しよう。日本人は無自覚クリスチャン(家畜の証)。日本人の労働観はプロテスタント以上にプロテスタント=過労死教。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-60.html
”フィクションで真実を暴露することは真実を隠蔽する役割がある。
大衆にとってはフィクション=嘘なのだから、フィクションにして発表しておくと真実だと認識しにくくなる。
子供のものだと大人に馬鹿にさせるように仕向けられているものに真実を仕込む。
そしてそれを大人になるにつれて否定させるように誘導して洗脳完了。
実際は、大人になってから触れる機会が増えるものの方が嘘が多いのだ。

後に引用する文の宇宙人支配者説の箇所についてあらかじめ述べておく。

宇宙人支配者説→TVや本で発表できる。
キリスト教と大本教系が黒幕説→TVでも本でも発表不可能。

オカルトという胡散臭さを演出している分野に真実を隠すのは有効。
だが、最重要の秘密ならそもそも宇宙人支配者説の情報すらTVや本で出ないのではないのだろうか。
或る程度漏れたから、あえて或る程度公開したのだろうか。
しかしそれだと、キリスト教と大本教系が陰謀論の元締めであり陰謀の黒幕だということも少なくとも陰謀論の本で出てもおかしくない。
しかしまったく出ない。
陰謀論者の所属団体がキリスト教と神道カルト(和風キリスト教)だらけなのをオカルトの分野にするのは流石に無理があるからだろうか。

宇宙人支配者説はフィクションで大変多い。
キリスト教や大本教黒幕説の場合は名前を変えたりして、カルトが世界を牛耳っていると暴露するフィクションはある。

最低限言えることは、
宇宙人説を唱えている人は明確にキリスト教を否定していないといけない。
キリスト教が支配用の最強の宗教=実行部隊だと言っていないといけない。
いくらキリスト教を否定したふりをしようが
キリスト教の伝統であるユダヤ陰謀論
聖書が根拠の日ユ同祖論
を主張したらアウト


千と千尋の神隠しに限らず、物語は大規模洗脳に利用される。
物語の抽象性は潜在意識に入り込み、誰でも簡単にアクセス可能な為、老若男女問わず洗脳可能。
なので、聖書を読んだことがなくても、聖書思想を無自覚に吹き込んだりできる。
昔も今も聖書思想をアニメ・漫画・映画・ゲーム・音楽に滑り込ませたり散りばめたりして、とにかく意識できない部分に埋め込もうとしている。

ユダヤ陰謀論も日ユ同祖論も聖書が根拠であり、聖書物語による洗脳。
聖書のユダヤ人の実在を信じることは、キリスト教を黒幕だと認識できなくなることに等しい。

………

千と千尋が性風俗の話だと宮崎駿監督が明言しているのに、無視や拒否反応が多いことから、日本人がキリスト教化されたことと、キリスト教に逆らえない評論家(笑)ばかりなのを実感しよう。
日本人は無自覚クリスチャン(家畜の証)。
仏教で愛は悪。

日本人の労働観はプロテスタント以上にプロテスタント。
過労死教。
プロテスタントですら、過労死するほど労働しようと考えない。
「働かざる者食うべからず」は聖書が元ネタ。
「勤勉な日本人」は明治以降の偽伝統。

日本の学校のモデルは神学校(音楽・体育・遠足・文化祭あり)
=イエズス会のセミナリヨ=キリスト教製。
学校は定時奴隷労働者の訓練施設。
英国の産業革命以降の労働者育成用なので時間と規則に厳しい。
不登校は実はまとも。

日教組の母体である啓明会を作った下中弥三郎は教育支配の為の工作員。

煩い親や教師には
①学校制度は産業革命により神学校をモデルに奴隷労働者を育成するために生まれた
②給食は毒塗れ
③予防接種は危険
こんなことすら知らずどうやって子供を守れるのかと聞こう。
抵抗しよう!



「ユダヤ」なんてキリスト教の盾に過ぎません!陰謀論者のデスノート 陰謀業界人の宗派リスト 。派閥別工作員の特徴リスト(ねこた+まっこうもぐら製)。
 http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-50.html


子子子子子(ねここねこ)‏@kitsuchitsuchi
「鬼道=シャーマニズムの道教」に、老子の道(タオ)と易経の神(シン)の思想が混ざり
2世紀、後漢の時代の中頃から「神道の道教」となる。

真俗を対比させる『荘子』の哲学の盛行で
3世紀頃から「真道の道教」となる。

聖道を名乗る仏教に対抗し
6世紀に道教側も「聖道の道教」となる。「聖」が最高。

道教の宗教認識:
鬼道(シャーマニズム。卑弥呼)
<神道(墓道の意味もある。格下扱いする『日本書紀』)
<真道(真人=最高の人。天武天皇は真人を八色の姓での最高位とし諡にも入れさせた)
<聖道(道教と仏教)。

本地垂迹説に基づく寺(道教混合)による異教支配の根拠。
明治以前の神=道教の神仙。

神道のお札の元ネタは道教のお札。
茅山道教を創始した陶弘景(5・6世紀。皇帝の相談役)は「道教は神道」と主張。
天皇崇拝は星崇拝であり太陽崇拝ではない(天照は誤り)。天皇は天皇大帝の略称。天皇大帝は北極星の神格化であり剣と鏡の二種を象徴として持つ。日本の皇室でも元来は二種の神器。

神道に教義も教典もないのは、当時の神社は地方の祭壇で、思想体系が整備されていない土着の信仰だったから。
天皇が採用=国教なら、哲学体系が整備されるので仏教思想は発展。
寺に支配された神社に権力はなく
記紀は道教国教時代に誕生。
日本の皇室でも元来は二種の神器=中国の道教用語。

5~6世紀の道教家の陶弘景が道教の一派「神道」の起源。紫宮に住む天皇を仙の世界の長とし真人を高級官僚として「神道の道教」世界を構想。道教の剣と鏡=天皇大帝の象徴を重視。
天皇大帝は北極星の神格化。×太陽
天武・持統天皇合葬陵は八角形=道教思想。
神道のお札の元ネタは道教のお札。

道(タオ)→伝道(暴力=武道で脅す)。
八咫烏好きは記紀が道教書で、企画者の初代「天皇」天武が道教家で、神道も陰陽道も道教の一派の中国原産で、明治以前の国教が道教混じりの仏教なのを隠す。
JFAの八咫烏マークに影響した内野台嶺は曹洞宗で儒学者=アンチ道教。


伊勢大神宮寺。 伊勢神道は食べ物の神の外宮が天照の内宮より格上。 反本地垂迹説=反仏教だから明治以前の天皇は伊勢神宮を参拝せず。 ダビデの星つき石灯籠の設置は戦後。 以上を隠す為の説明が道教用語=神道・天皇・神器と仏教用語多数なのをチェックしてみては?


嶋田 龍一(ららにもさくらも真冬です)‏@lalasakura
日本の宗教は昔から道教だと思う。今も。国として成立して一番初めに来た宗教が道教だから。高松塚古墳の壁画は道教。伊勢神宮の「太一」信仰も道教。北枕が駄目なのも、春分の日が休みになるのも、お中元を贈るのも七夕の祭りも道教。神道-道教=殆ど0。御神籤も鬼門も道教だ。

嶋田 龍一(ららにもさくらも真冬です)‏@lalasakura20082010年7月7日
七夕か。なぜ、日本の古代社会は道教の影響が強いのだろう。古事記も道教。竹取物語も道教。暦も道教。源氏も道教。古墳の壁画も道教。「北」信仰。干支。方違え。今でいうなら鬼門。風水。みんな道教。古代の宇宙学かな。


Ken ITO 伊東 乾‏@itokenstein
国風文化、本地垂迹というと仏教と神道の混交と思われ易いですが、どうですか、日本の風習たとえばお雛様、端午の節句、七夕、七五三などなど。道教を始め各種の大陸諸信仰のアマルガム以外の何ものでもありません。と同時に元来日本に根をもつものも大いに変質していった、そういう道程でもある訳です
でも日本の庶民感覚って 一番近いのは道教じゃないですか?「おひなさま」「たんごのせっく」「たなばた」「七五三」みんなこれですよね。なぜか9月は重陽の節句とかいわずに 月見団子だけに矮小化されていますが^^ あとはお盆とかでしょう で 正月とか秋祭りにわずかに鎮守みたいな形で神道。


ボロ親父:高瀬敏幸‏@borooyaji2011年3月2日
NHKオンデマンド「こころの時代‐古代中国の思想と日本‐福永光司」。日本人が抱いている迷信などが、儒教と道教の相反する思想の両方に支配されている。たとえば儒教は偶数、道教は奇数で七五三などと。それにしてもあの戦争中の大和魂も、支配者に都合のよい儒教魂ではないか。目から鱗だった。


『道教の本―不老不死をめざす仙道呪術の世界』
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・神道・惟神・天皇・神器は道教由来。
・神道という言葉の初出は、八世紀成立の『日本書紀』の第三十一代用明天皇の条(用明紀)にある
「(用明)天皇信仏法尊神道」
(天皇は仏法を信じ、神道を尊びたもう
天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ)
の一文。
欽明天皇期の仏教伝来以前から、日本列島には民間道教が浸透していたらしいこと、
用明天皇のころには今日的な意味でも神道という語は成立していなかったことなどから、
用明天皇即位前記や、孝徳天皇即位前記において、仏法と対句的に用いられた神道という語は、道教を指すと考えて差し支えない。
神道という言葉の元をたどれば、『易経』や『太平清領書』に行きつく。
また、神道の「かんながら(惟神)」という語も元来は道教用語で、『晋書』の「隠逸伝」に「惟神之常道(いしんのじょうどう)」とある。
神道でも重要な禊も民間道教が起源だという説がある。
『荊楚歳時記』(けいそさいじき)に、三月三日に川辺で水を浴びて邪悪を祓い、病気や災難から逃れる禊祓いの行事の記述がある。この行事は、魏のころから行なわれるようになり、奈良時代に渡来人によって伝来したのではないかと、研究者はみる。
(水で清める儀式は世界中にあるけど、一番近いところから伝わったと考えれば、朝鮮半島と中国大陸ですな。水で清めるという概念は人類普遍レベルのような気がするけど)

荊楚歳時記…六朝時代の荊楚(現在の湖北・湖南省)地方の年中行事や風俗を記録したもので、七夕=7月7日、牽牛と織姫が会合する夜の記述などがある。梁(りょう)の宗懍(そうりん)の撰。6世紀半ばごろ成立。


源統隱士 休齋@minamoto33 • 2012年6月25日
日本の神道は神乍道(かむながらのみち)或いは惟神道と書いて(かむながらのみち)と読むが、「惟神道」の当て字の元は大陸の宗教である道教に有る「惟神道教」から採ったものである。


・孝明天皇の礼服には、龍、鳳凰、北斗七星など道教のシンボルがある。

・伊勢は神仙境として位置づけられた。
天照が伊勢神宮に鎮座するようになったのも、道教の神仙思想と深い関係がある。
伊勢神宮は神仙たちが住む楽園世界という言うべき、「常世」に最も違い場所として想定された。
伊勢神宮の東にある朝熊(あさま)山、現世と神仙界を結ぶ霊山とされていたという。

・天皇という称号は、道教の最高神の一柱とされる天皇大帝に由来している。天皇大帝は、元来は北極星が神格化され、三世紀ごろに成立したとされる道教の神である。
日本で天皇という称号がいつから使われるようになったかは、定説がない。
一説には、七世紀初頭の推古天皇から八世紀末の天武天皇の時代にかけてであったとも言われている。
熱心な道教信者であった唐の高宗皇帝が、生前に自ら天皇と名乗り、死後に天皇大帝と諡(おくりな)されたこととの関連性である。遣隋使や遣唐使による、細心の文化や知識が請来されており、天皇という称号も日本に渡来していたと考えられる。
ちなみに、高宗皇帝と同時代に活躍した天武天皇、およびその皇后でのちの持統天皇は道教の信奉者であった。天武天皇は、天文・遁甲(とんこう。占星術と隠形術〔おんぎょうじゅつ〕)という道術をマスターし、道教的な占星台の造営や、道教の神である風神と祀るための社も建立している。
天武天皇の諡は、天渟中原瀛真人(あまのぬなはらのおきのまひと)。
瀛真人とは、道教の最高神仙を意味する。
瀛は、三神山(さんしんざん。蓬莱、方丈、瀛州)の一つで、中国東方の海上にあるとされた神仙境のことである。
また、真人は仙人を指す道教用語。天武天皇は生前に自ら八色の姓という家格制度を定め、その最高位に真人という称号を置いた。

怒れる不動明王‏@goubuku_fudou
そもそも日本の天皇という名称も、右翼たちは何も知らずに崇拝するだけであるが、それは中国の古い民間思想の道教の最高神である「天皇大帝」という言葉から取られたものなのである。本当は皇帝と称したかったが、中国の手前それができず、やむなく天皇という名称になっただけの事である。

・三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)は、道教の影響で成立したと考えられる。
7~8世紀の唐代の道教の宗派・天師道の司馬承禎(643- 735年)が『含象剣鑑図(がんしょうけんかんず)』にて、宇宙の最高神と地上の最高権威を直結させる象徴的な神器が鏡と剣(二種の神器)であると説かれている。
道教では当初は鏡と剣の二種の神器が強調されていたが、次第に三という数字を神性化するにあたり、古風の副葬品などにもみられるように勾玉を加えて三種の神器として整えられるようになった。

第14章 二種の神器と三種の神器
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/e/931adc74167ca3368e27e592652e8ec7
“倭国王家から天皇家へと脈絡する支配層の祭政手法(信仰的儀礼)は、中原王朝のそれに倣ってきた。これに、後漢末の中国で盛んになった天師道(初期道教)の要素が複合すると述べたが、その最たる事例が「三種の神器」である。
 中国学界でも道教研究者として知られる福永光司によると、道教の前身たる張魯の天師道は鏡と剣を二種の神宝としていたという。これが4世紀末ごろに儒教を取り込んで、道教として体制内宗教に昇華したとき、儒教の神宝の玉ぎょく( 勾
玉ではない)を加えてはじめて三種の神宝が揃う。(ということは、三種の神宝が登場する以前の3世紀に鬼道(天師道)を修という卑弥呼は、鏡と剣を二種の神宝にしていたことになる)。そこで次に、わが国における三種の神宝に関する考察を展開する。


●中国古来の鏡信仰
 鏡と剣の用途機能しては、権力の継承や権力そのものを象徴する神器と、神の象徴や神の依り代として祭祀の核となる祭器と、そして、破邪・駆邪の呪具として死者に副葬する明器の3種がある。古墳や遺跡から出土する鏡は、すべて明器と考えて差し支えない。

●「中国では古くから鏡に呪術的な機能があるとして、貴族たちは人が死ぬと墓に鏡を副葬した。漢代になると、皇帝は臣下が死んだ際には遺族に副葬用として鏡を贈るようになる。鏡は身分や男女の区別なく副葬され、一人一面だけでなく複数の場合もあり、一つの鏡を2つに割って、二人別々の棺に納められていた例もある」。
●「中国において鏡を神霊視する意識はかなり早い時期から現われ、帝王権力を象徴する玉鏡、天鏡、金鏡があった。それ以外には、通常は悪鬼を駆除し災を回避するための道具として使用された。このような、銅鏡を、邪をはらう・神に会うための呪具とする信仰は、(のちに)道教の中に継承されることになる」。
●「道教では、人が死ぬと冢墓に入り、冥界で生前の罪状の審判を受けなければならないとされる。もしも、死者の魂が親族からの救済を得られず恨みが生じれば、冥界で訴訟が起こされることになる。冥官の懲罰は死者の親族(生者の側)にまで及び、彼らに災いや病気をもたらし死に至らしめるとさせる。懲罰が生者にまで及ぶことを恐れ、生きている人間の不幸を防ぐためには、道士が解除の法術を行なう必要があった」。(「道教文物の概説」王育成)

●「道教の神学において、最高神である天皇大帝は、その宗教的神聖性の象徴として二種の神器を持つとされる。鏡と剣とがそれであり、神器という言葉も道教の経典などにその用例が見える。道教の神学における鏡と剣を二種の神器とする思想信仰は、中国の六朝時代、『抱朴子』の著者・葛洪や『真誥』編著者・陶弘景らによってその理論的基礎が確立されるが、この二種の神器の思想信仰を日本の天皇の皇位の象徴として、ほとんど直訳的に採り入れているのは、8世紀初頭に成った『日本書紀』である。(『道教と古代日本』福永光司)

 一方、中国社会科学院歴史研究所教授の王育成氏によれば、「(道教成立後の)道教経典では、「鏡、剣、玉璽」が道家の三宝とされたという。(道家の三種の神器は鏡・剣と玉の印璽だったのである)。というわけで、日本列島に三種の神器が登場するのは、少なくとも道教が伝来する5世紀以降になる。
 わが国の古墳から三種の神器が揃って出土したという声もよく聞くが、5世紀以前の古墳から出土する鏡と剣と勾玉は、三種の神宝として揃えられたのではなく、多くの副葬品の中に「たまたま」それらがあったにすぎない。むろん、「壱岐の原の辻遺跡から最古の三種の神器が出た」とか、「2~3世紀の弥生時代の遺跡から三種の神器が出た」という説は明らかな歴史錯誤である。
 
 わが国の古墳に鏡と剣を副葬する葬送儀礼が、道教の前身たる天師道にあることは明確な事実である。鏡と剣について語るには、どうしても天師道(初期道教)に触れる必要がある。この天師道こそが、体制側の歴史書たる『三国志』が邪教扱いして、批判的に鬼道と書いた民間宗教でもある。

❶天師道
 遠く周王朝下の斉で、宣王が居城の門下に大学をつくる。中国全土から集まった食客は数千人といわれたが、彼らは衣食住に何の不自由もない環境で厚遇され、日夜勉学と議論に明け暮れた。ほどなく諸氏百家の時代を迎えるのだが、ここで、老子の思想に斉の地に古くからあった黄道を取り込んだ学問が、黄老学(道学)として開花する。この道学を修めた張陵が『道書』24篇を著わす。142年、鶴鳴山で太上老君の命を受けて『道書』を基礎とした天師道を創立する。

❷巫鬼(ふき)道
 のちに蜀領となる漢巴の地域には、古くから巫鬼道の信仰があった。張陵はこの漢巴に自らが極めた道学を持ち込む。一気に信徒を増やす中で、旧来の巫鬼道と対立して排除していく。(一説によると、巫鬼道は人間を鬼神への生け贄にしていともいわれる。張陵があえて漢巴を布教の地に選んだのには、巫鬼道を駆逐する意図があったのかも知れない)。張陵は戒律を制定し太清玄元の神を崇め、邪道に誘う鬼を祭ることを禁じた。張陵の天師道は盛んに伝わり、当地の巫鬼道の巫覡もくら替えして天師道の祭酒・道民になり、天師道は四川(漢巴)に次第に根をはっていった。 張陵が、157年に世を去り、その子の張衡が跡を継いだ。その張衡が179年に死ぬと、これを引き継いだ張脩によって巫鬼道が再び盛んになる。

❸五斗米道
 もともと巴郡の巫人(巫鬼道の巫覡だった)張脩は、張衡の死を境に天師道と巫鬼道を一つにして天師道の信徒を統括した。信徒や患者に米を拠出させたことから、米巫・米賊とも呼ばれた。そもそもは、これが五斗米道であり『三国志』のいう鬼道である。
●益州牧(長官)の劉焉は張脩に投降帰順させて五斗米師を接収して、張脩を別部司馬に任命する。 一方、張衡の息子の張魯(張陵の孫)を督義司馬に任命して、張脩とともに漢中太守の蘇固を攻撃させる。張魯は、張脩と蘇固を奇襲したあと張脩をも襲って殺し、全軍を掌握した。祖父のつくった教団を、父親の死後に横取りした形の張脩に対する報復と教団奪還の思惑があってのことだろう。張魯は思惑どおり教団を奪い返している。

❹初期道教
 劉焉の死後に子の劉璋が立ったが張魯がこれに従わなかったので、劉璋のところで布教活動をしていた母と弟を殺された。そこで張魯はそのまま漢中にとどまって支配した。威光の衰えた朝廷は張魯を懐柔。張魯は漢寧太守となり漢中に天師道王国を建てた。張魯の政治は独特で、長吏(軍事長官)を置かず、すべて祭酒(大学教授)に治めさせた。人々は平穏安楽で、張魯の漢巴支配は30年間続いた。
 張魯の教団は、張脩の鬼道色を少しは残しながらも天師道と称していた。米を収める規定が張魯の教団にあったか否かは不明だが、社会一般には五斗米道と呼ばれ体制側からは鬼道と呼ばれた。
この天師道が道教の原形をなすもので、一般には原始道教とか初期道教と呼ばれる。

●二種の神器と二種の明器
 天師道を基礎とする道教における鏡と剣の位置づけについて、天津社会科学院教授の王金林氏はこう述べている。
●「墓に副葬された道教の呪具の中で、玉は不朽で永遠に存続する、銅鏡は神仙と会い悪魔を制御する、さらには、銅鏡を被葬者の左右に置く日明鏡、銅鏡を前後左右に置く四規鏡は、神仙と会い悪魔を制御し、俗から離れて仙人になる目的を達成する思想による」。
●「道教において鏡は神仙示現・予知・不老長生・辟悪などに関わる呪具として用いられるものであり、副葬品としての鏡もまたそうした多様な呪術的性格を持ち合わせていたのではないかと思われる。たとえば、三角縁神獣鏡に描かれた神仙や霊獣が道教的思想を反映して描かれたことは、神仙が東王父・西王母などに対応して配置されていること、霊獣が巨(矩)と呼ばれる呪具などをくわえた例などからもうかがわれる。その際、霊獣は神仙の乗り物として死者の霊魂を仙人のいる天上世界に導いてくれることを期待されたのではないか」。(「古墳出土の玉・鏡・剣の副葬品からみた道家思想の影響」王金林)


●剣の副葬と尸解(しかい)術
 剣は被葬者の生前の社会的地位を示すと同時に、祭祀具としての宗教意識を内包するものである。東大寺山古墳出土の環頭大刀銘に「上応星宿、下辟不□」と刻されているように、大刀は宿星信仰に基づいてその呪力が期待されて副葬された。道教では神仙の地位の上下(総じて九品)が決まっており、道士は修練によって神仙世界に昇ることができるが、その修練の度合いによって昇天の方術は飛天・隠遁・尸解(魂が昇天する)の3つに分かれる。(王金林)

 どうやら、古墳に副葬された鏡と剣の配列にも信仰的意味があったらしい。中でも死者に副葬された剣は、死者が神仙世界に昇るための呪具だったというわけである。




●古代における信仰改革
 中国における道教とその原形をなした天師道(鬼道)は、一般には宗教と思われているが、実態は無数の人びとの知識と学問の集大成である。中国古来の森羅万象の学問を背景としたものだから、いささか非科学的な要素を包含するとはいえ、医薬学・方位学・易学などの多様な分野で現代まで通用してることで、その真価のほどを実証している。
 先に述べたことのくり返しになるが、鬼道と呼ばれた道教の前身が、医療・施薬から治病祈祷、さらには武運・戦勝、航海安全・破邪・駆邪・地鎮に至るまで効果を発揮したことは容易に推察できる。こうした様子から、鏡と剣を二種の神宝とする鬼道様式が、劇的な大改革を起こしただろうことは想像に難くない。
 とくに古代において、生命と直結する治病祈祷や安全祈願など現世利益を提供する鬼道は、それまでの銅鐸祭祀にくらべれば極めて大きな魅力で、人心を掌握したに違いない。 人心の掌握は有力な政治手段として機能する。 わが日本列島では、弥生前期から古墳時代へと脈絡する集落遺跡が多く、また、列島をあげての大きな戦いの痕跡がないことなどから、鏡と剣を神宝とする鬼道様式を活用した、勢力拡大と統一事業の経緯をうかがうことができる。


●古墳時代は鬼道がもたらした
 銅鏡を死者に副葬する習慣は中国でも古くからあって、青銅器を地下に埋めることで土地の神を鎮める地鎮の意味があったようである。また、「破鏡重円」という信仰めいた考え方があって、破鏡を副葬した実例もある。わが国では、破鏡を含む銅鏡は墳墓に副葬されているだけではなく、開拓・開墾された住宅地などにも埋められている。これと同じ現象を見せるのが銅鐸で、そもそもは地鎮の呪具として地下に埋められたとも考えられる。
 そうしたところへ、後漢末に新興宗教の鬼道=天師道(初期道教)が登場する。この宗教は鏡と剣を神宝・呪具とし、死者を神仙へ導くために、棺内での副葬配列にまで意味を持たせて様式化している。この鬼道が神宝・呪具としたのが神獣鏡で、神獣鏡は鬼道が生んだ鏡である。むろん、呉地域から多種かつ大量に出土する典型的な呉式鏡である。

 ところで、わが国で最古級とされる古墳をみると、その副葬品から大きくは2タイプに分けることができる。
●中国古来の漢式鏡を副葬している最古級の古墳。
 多くは方格規矩や内行花文鏡などの漢式鏡か、その破鏡を副葬している。
①鶴尾神社4号墳/獣帯方格規矩四神鏡
②茶臼山古墳/中国製細線式獣帯鏡
③美濃観音寺山古墳/方格規矩四神鏡、重圏文鏡
④平塚古墳/内行花文鏡
⑤平原1号墳/内行花文鏡、方格規矩鏡、四螭文鏡、大型内行花文鏡
 以上の古墳は古い漢式鏡を副葬しており、鬼道と神獣鏡がさほど普及していなかった3世紀初頭の築造と思われる。
●鬼道の作法で新しい呉式鏡(神獣鏡)を副葬している古墳。
 鬼道と神獣鏡がセットで普及して、最初に副葬呪具に用いられたのが画紋帯神獣鏡だろう。画紋帯神獣鏡を副葬している古墳は、最古級といわれていても、その築造年代は比較的新しい。
①萩原墳丘墓/画文帯神獣鏡
②ホケノ山古墳/画紋帯神獣鏡
③古冨波山古墳/三角縁神獣鏡
 以上の3つの古墳は神獣鏡を副葬するようになった時代の築造で、真の最古級古墳よりは新しいとみなされる。とくに三角縁神獣鏡を副葬した古冨波山古墳は初期の築造とされているが、築造年代が疑問視されるホケノ山古墳よりもさらに新しいようである。
  
 画紋帯であろうが三角縁であろうが、神獣鏡は鬼道が生んだ鏡であり典型的な呉式鏡である。中でも画紋帯神獣鏡は呉地域で数多く出土している事実からも、呉地域からもたらされたとみなければならない。かくして、神獣鏡が副葬されるようになってから(換言すれば鬼道の葬送様式が普及してから)、日本列島では古墳づくりが本格的に行なわれるようになる。こうした実情から極論すれば、「古墳時代は鬼道がもたらした」といっても過言ではない。


●三種のひとつの玉璽(ぎょくじ)が勾玉(まがたま)に変ったわけ 
 天師道から道教へと続く中国古来の宗教が、鏡と剣と玉印を三種の神器としたことは理解できた。ところが、三種の神器をそのまま受け入れてきたはずの日本では、鏡と剣と勾玉を三種の神器とする。これはいったどういうことだろうか。 わが国における三種の神器は、天孫降臨の際に天照大神から授けられたという鏡(八咫鏡)・剣(天叢雲剣)・玉(八尺瓊勾玉)を指す。天皇の位を受け継ぐ際に授受され、この三種の神器を所持することが正統な皇位継承の証しとされた。
 『日本書紀』神宮皇后紀では、鏡と剣が二種の神器として登場する。また仲哀天皇紀では、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手らが、白銅鏡、八尺瓊、十握剣を掲げて馳せ参じている。ここで注意したいのは、地方豪族たちの所持する三種の一つが「玉ではなく」縄文以来の「勾玉」になっている」ということである。
 一方で、『日本書紀』の皇位継承のシーンでは、璽符・璽・璽印・璽綬(印璽と綬)・神璽といった表現で何度も登場する。
①允恭天皇紀「天皇の璽付(じふ)を捧げて再拝す」
②清寧天皇紀「璽(じ)を皇太子に奉る」
③顕宗天皇紀「天子の璽(じ)を取りて天皇の坐に置きたまう」
④継体天皇紀 鏡・剣・璽符(じふ)が登場
⑤宣化天皇紀 天皇の即位に鏡と剣だけが登場
⑥推古天皇紀「因りて天皇の璽印(じいん)を奉る」
⑦舒明天皇紀「天皇の璽印(じいん)を以て田村皇子に奉る」
⑧孝徳天皇紀「璽綬(じじゅ)を授けたまいて位を禅りたまふ」

 『日本書紀』は、皇位継承の証したる神宝を「璽(じ)・璽符(じふ)・璽印(じいん)という表現で、いずれも「玉の印璽」を意味する書き方をしている。皇位継承の証したる神器は勾玉ではなく「玉の印璽」だったことがうかがえる。厳然たる事実として、皇位継承のシーンに「勾玉」は登場しない。このように『日本書紀』は、皇位継承の証したる神器は「玉の印璽」としながら、三種の神器のうちの玉は勾玉としている。同じ『日本書紀』の中に非常に奇妙な食い違いが認められるのである。

 中国では、夏・商・周代には鼎を王権神授・正統な王権継承の礼器とした。秦の始皇帝が正統性を欠いていたために九鼎は失われ、それ以後は御璽(印璽)を礼器(王権継承の神器)とした。これに倣って、日本でも皇位継承のしるしは御璽(印璽)だったわけである。
 天皇が伝世所有する宝器としての玉璽(印璽)があり、神宮皇后紀では神に祈る祭器としての鏡と剣が登場し、仲哀天皇紀では鏡と剣と勾玉の三種をかかげた豪族が登場する。ここに一種の分かりにくさがあるが、整理すると次のようなことだろうと思われる。

 道教の三種の神宝の概念が伝わる5世紀以前までは、皇位継承のしるしとしての玉の印璽があって、鬼道の二種の神宝としての鏡と剣があった。やがて、5世紀頃に鏡と剣と「玉璽」を三種の神器とする道教が伝わった。そこで、『日本書紀』が書かれる時点で玉璽を「勾玉」へと変更したものと思われる。
 その理由は明解である。
 玉の印璽(玉璽)は、天子・天皇が所持する唯一無二の皇位継承のしるしたる神器である。あとからやってきた三種の神器の一つがこれと同じでは都合が悪い。そこで三種の一つの玉の印璽を勾玉にした。『日本書紀』が神代紀の冒頭で天照大神の言葉を通じて、鏡と剣と勾玉を三種の神宝とするよう告げさせたのも、このことを徹底させると同時に、天皇が所持する玉璽と、豪族たちが所持する三種の神器を区別する意図が働いていたものと思われる。
 かくして、「鏡と剣と勾玉」の三種の神器が権力や権力継承の証しとして、豪族の間で流布することになる。だが、天皇家の三種の神器は変わらず、「玉璽と鏡と剣」だったはずである。
  ”

・『淮南子』では、天皇大帝の前身を、紫宮(しぐう)に棲む太一神(たいいつしん)と称し、この太一神を信仰すれば不老不死の神仙になれると記している。
その後、太一神は漢代の末から天皇大帝と呼ばれるようになり、東方を治める最高神として信仰されるようになった。中国大陸の東方には日本がある。
太一神の太一という語は、伊勢神宮別宮・伊雑宮(いざわのみや)の御田植祭(おたうえさい)で用いる祭具に書かれている文字でもある。そして、伊勢神宮の遷宮に伴う用材の運搬などには、大一(だいいち)(明治までは「太一」。道教の痕跡を消したかったんだね)と印した旗を掲げるのが慣習となっている。
天照と太一を同一視する信仰(日本の太陽神=道教の神)は、鎌倉時代ころから伊勢神道でも説かれている。
(でも、伊勢神道では、天照=太陽を祀る内宮は、豊受大御神=食べ物の神を祀る外宮より格下)


Shinya Watanabe 渡辺真也‏@curatorshinya
伊勢神宮の神職たちが行う八度拝八開手(はちどはい やひらで)は易の八卦の、20年置きに入れ替わる式年遷宮は陰陽の、心御柱の五色の糸は五行説の、すなわち全て、道教の影響ではないか?ここまで来ると、日本の神道の根底に流れているのは、完全に道教の陰陽五行説だと私には思える。
伊勢神宮の根底に流れる海人たちの道教の流れは、中国から元伊勢へと移住した徐福の流れではないか?そして神道の「道」とは、道教の道のことを指すのではないか?

hattorin8‏@hattorin82013年9月14日
伊勢神宮の天照大神は中国の火の神に由来する。同時代の道教の影響も強い。伊勢神宮が国家神道として持ち上げられたのは明治以来の幻想。本当の神道は、言語的なものは少なく、「むすひ」というような原初的つながりの思想。事実を理解する。

源統隱士 休齋‏@minamoto332013年4月3日
一度は道教の最高神であった天皇大帝(てんおうだいてい)は別名、紫微大帝(しびたいてい)とも太一(たいいつ)とも言うが、不思議な事に伊勢神宮に太一の幡が立てられる祭りがある。これは天照大神(皇室)が太陽神と北極星と双方の性質を帯びている事を示している。

鈴木芳宏 (動作法 おおみや)‏@hizadati2013年2月4日
『伊勢神宮 東アジアのアマテラス』千田稔 (中公新書)天智天皇、天武天皇持統天皇の陵墓は八角形なのは道教の考えを取り入れたと言われている。「天皇」の称号も道教における北極星を指すことばから。本書は、アマテラスのが東アジア起源の可能性を論じた。純粋性を追求する人は残念だが。

嶋田 龍一(ららにもさくらも真冬です)‏@lalasakura20082013年2月3日
日本の宗教文化の古層は、縄文以来の自然崇拝(アミニズム)と後期の弥生人がもってきた道教だと思う。古事記も道教の影響が強いし古墳にも描かれている絵は、道教の神だ。伊勢神宮には「北」を尊ぶ思想が顕著である。神道の中心思想の形成は、自然崇拝と道教だと思う。

†てしかちさき†‏@Re_mkon2012年12月15日
@_keiai_ ぜひぜひ!!そうなんですよ!例えば天之御中主神という神のモデルになったのは元始天尊である可能性があるとか、伊勢神宮の「神宮」という言葉は道教の言葉だったとかetc...神社の方は作務衣も着てますが、袴(はかま)を履いてる方が多いですね!剣道とかで着るあれです!

伊勢神宮の道教遺跡(その5伊勢神宮の秘密)
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-c00b.html
“「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、『  伊勢神宮の造営に、この道教思想が大きな影響を及ぼしたことは想像に難くない。』と述べているが、このことに関連して、次のようにも述べている。すなわち、
『 桜井徳太郎氏は、伊勢神宮そのものが、朝熊山の里宮として成立したとする説を提起している。(中略)朝熊山があるからこそ、伊勢神宮がここに遷座した。その理由を説明するには、飛鳥時代末の天武・持統天皇が、伊勢国にどういう思いを知る必要がある。天照大神が伊勢に祀られたのは、垂仁天皇の時代であると「日本書紀」は伝えるが、五十鈴川のほとりに社殿が整備されるのは、天武・持統天皇の時代であることは誰も認める。20年ごとにご神体を移す式年遷宮が初めて行なわれたのは、持統四年(690)のことだった。』
『 伊勢神宮の場合、ご神体は「皇太神宮儀式帳」(804)によると鏡とある。(中略)道教の根本教典「南華真経(なんげしんきょう)」(荘子)に至人(道を体得した人)の徳を鏡に譬えたことや、6~7世紀の南北朝、随唐朝の道教教典が宇宙の最高神「天皇大帝」や「元始天尊(げんしてんそん)」の権威のシンボルを鏡や剣とした神学教典を根本に踏まえていることは明らかである。』
『 天武天皇は、死後この世とあの世の境、常世の重浪帰する国にいたのである。天武天皇が、天帝に仕える最高官僚「瀛真人(おきのまひと)」の諱を持つことを考えれば、希望通り神仙となったと見なされていたのであろう。持統天皇はその姿を夢のうちに見て、自らも神仙に憧れていただけに、「天武天皇は伊勢国におられる。うらやましいことだ。」という趣旨の歌を詠われた。万葉人にふさわしく、極めて率直な心の表現といえる。』・・・と。
さらに、「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、伊勢神宮が道教と深く繋がっていることに関して、次のように述べている。すなわち、
『 「皇太神宮儀式帳」(804)によると、社殿新築の際の用材や「心の御柱(しんのみはしら)」を伐採する前に行なう祭祀などに五色の薄絁(うすぎぬ)や金属製の人形(ひとがた)を使うとある。道教教典の「抱朴子(ほうぼくし)」登渉篇によると「山中で五色の繒(きぬ)を大きく石の上に懸ければ、求むる所必ず得らる、すなわち願い事必ずかなう。」とあり、五色の薄絁(うすぎぬ)は、道教関係の儀式で盛んに使われている。伊勢神宮の場合、この五色の薄絁(うすぎぬ)が「見ることはもちろん、語ってもいけない。」と言われる「心の御柱」を建てる際に重要な役割を果たしている。(注:「心の御柱」を伐り出す「木本祭」は、神宮の域内で、夜間に行われ、それを建てる「心御柱奉建祭」も秘事として夜間に行われる。猿田彦神社の宇治土公宮司に聞いた話によると、伊勢神宮でもっとも重要な行事であり、猿田彦神社の宇治土公宮司がそれを司祭するのだそうだ。)』
『 いつ頃に起源するかは詳らかではないが、外宮の神官であった度会氏(どかいし)が、内宮と外宮の中間にある岡崎宮で、道教の神・泰山府君(たいざんふくん)を祀る山宮祭を主宰したことは先人たちが論考している(佐藤虎雄「北辰の崇敬と度会氏の岡崎宮」(神道研究4ー2・3、1942年)。』
『 三重県志摩郡磯部町上の郷に「伊勢神宮別宮の伊雑宮(いぞうのみや)がある。鳥羽から10キロ、朝熊山のほぼ真南である。祭神はやはり天照大神で、漁師や海女の崇敬が篤い。この伊雑宮では毎年6月24日に華やかな田植え祭のあることで知られる。香取神宮、住吉大社のお田植えとともに、日本三大お田植え祭とも言われる。このお田植え祭に、興味ある祭具が登場する。神田の脇に、忌柱が立てられ、そこに巨大な二個のさしばのついた「忌竹(いみたけ)」と呼ばれるものが飾られる。さいばは上にあるのは円形で、下は普通のうちわの形をしており、俗に「軍配うちわ」と呼び習わされているそうだ。忌竹の高さは14・5m、上の円形さしばは直系2・5m。下の軍配うちわは縦m、横幅はもっとも広い肩の部分で3m。問題はこの下の軍配うちわである。五色の帆に風をいっぱいにはらませた千石船が進んでいる様子を描いているが、その帆に大きく「太一」とある。「太一」とは言うまでもなく道教の最高神、天帝のことである。』
『 内宮、外宮のいちばん外側の垣根には、東西南北四つの門があり、その門の前に蕃塀(ばんぺい)という独立した垣根がある。どこの神社にもあるというものではない。これは中国で「泰山石敢当」などと刻んで魔除けに使った石敢当の変形したものではないだろうか。』・・・と。

・風水師は現在も韓国、台湾、香港などに数多くおり、家や墓の指導をしている。
また、株をはじめとする投機のアドバイス業も兼任している者もいる。
(金融占星術は実在する。メーソンで習ったと普通に暴露している人がいる。秘密結社で秘密なのは
①教えられている技術・知識・(インサイダー)情報
②今生きているメンバー(で特に金融関係の職業の者)の名前
であり、過去のメンバーやロッジの場所をいくらバラされても構わないのは本を出版できたりTVで放送できたりすることからわかる。
メイソンはキリスト教系の組織なので、結局はキリスト教人脈が銀行を支配しているということ。これを隠す為に、「ユダヤ」=悪というキリスト教思想が根拠であるユダヤ陰謀論というデマを流したりする。
メーソンメンバーの大半がクリスチャンだとはっきり言わない秘密結社の情報は信用してはいけない。大半が教会が流したデマのコピペだから)

相手の運気を下げたりするために、敵の墓石の方向をずらしたり、土を掘って龍脈を切ったりすることがある。

・東京西部郊外の大岳山にいる笹目秀和は自ら仙人と称し、神意を占う扶乩(フーチ。道教版コックリさん)を行なっている。笹目秀和は、大本教とも提携している世界紅卍字会系の多摩道院の統掌(とうしょう。代表)でもある


takuhiro (kinosy,歴担)‏@Kino_see·2013年5月13日
そういえば、こないだ亡くなられた俳優の夏八木勲さん。実は神仙道を深く信奉されていたんですよ。「奥多摩の仙人」こと仙道家・仙術研究家の笹目秀和師と交流して神道、道教や神仙道を学び、「暉因(きいん)」の道号をもって、笹目翁の開いた道院の二代目統掌をしておられたのです。 #陰陽道

奈良泰秀/神職‏@99nara·2011年6月6日
昨日のセミナーに笹目秀和先生の道院の道統を継承したM氏来場。来週台湾の道院本部に行くが大本からも大勢行くそうだ。大本が道院付属の世界紅卍字会との同盟関係は大正末期。笹目先生は弾圧直前に王仁三郎から中国崑崙山にご神体の鎮座を依頼された。王仁三郎のロマンは人の繋がりを拡げている…

田辺道則‏@tenma35·2010年7月7日
笹目仙人= 故笹目 秀和氏 宗教家、著述家、本名恒雄笹目 秀和氏(ささめ・しゅうわ=宗教家、著述家、本名恒雄=つねお)心不全のため東京都東村山市の病院で死去、94歳。戦前、中国東北部(旧満州)、モンゴルに渡り、戦後、東京・奥多摩に仏教、儒教などを取り入れた多摩道院を設立した。

風の子 ‏@makeanovel·1月17日
間接統治などにマイノリティを使う
RT @kitsuchitsuchi キリスト教とその変形が大衆に八百長を見せている。在日とユダヤは単なるバイト
↓両方ともボスは和風キリスト教。
自民党=ワールドメイト+生長の家+神道政治連盟。
民主党=ワールドメイト+生長の家+スピリチュアル


和風キリスト教  大本教系=紅卍字会

スピリチュアル
      ↑
金光教→大本教 → 世界救世教
      ↓  ↓  ↓
      ↓三五教 真光
      ↓ 神道=✝↓
      ↓→ワールドメイト
      ↓
   生長の家→ 白光真宏会
    ↓
幸福の科学(+ GLA)



子子子子子(ねここねこ)‏@kitsuchitsuchi
紅卍字会会員③ 情報下さい。
内田良平(アジア主義。黒龍会主幹)
笹川良一(巣鴨プリズン組。辯天宗信者〔松下幸之助も信者〕)
呉清源(昭和の棋聖)
陳漢森
今小路了円
林出賢次郎
張海鳳
笹目秀和
中西旭
伊與田覺

紅卍字会会員④
伊與田覺(安岡正篤の弟子。論語普及会学監)

中西旭
(國學院大學卒。上智大学元教授。米国留学。神社本庁と國學院大學〔皇典講究所=神道捏造機関派生〕顧問。神道国際学会初代会長)
世界救世教「おひかり」=光(明会)=SHINE!

陰謀論の黒幕=耶蘇教。
紅卍字会(大本)会員の中西旭は上智大学(イエズス会)元教授で國學院卒。
出口王仁三郎も皇典講究所(國學院)卒。

『モンゴル神仙邂逅記』笹目秀和


・記紀や源氏物語にも道教の決定的な影響がある。
『日本書紀』冒頭では、
混沌から独神(ひとりがみ)が生じて、陰陽二神が生まれ、天・地・人の元の日、月、島などを生み、万物の発生をみたとしている。
これは
『老子』の
「混沌状態の道(タオ)から一が生まれ、一は二を、二は三を生じ、三から万物が生まれた」という、
混沌→1→2→3→万物の構造と一致している。

『古事記』(上巻・冒頭)
「天地初発のとき、高天原に成れる神の名は、
天之御中主神、
次に高御産巣日神、
次に神産巣日神。
此の三柱の神は並独神成り坐して、
身を隠したまひき。」
では、これら三柱の神を造化之首(ぞうかのおびと)としている。
三という数字から万物発生を説いている。

≡‏@KagayakiNitoh•2012年11月8日
古事記の冒頭との関係が深いといわれる文「陰陽の始め、玄(水)は黄牙(黄色の芽)を含む。…金を水母と為し、母は子を胎に隠す。水は金の子にして、子は母の胞に蔵る。(胞胎より生まれ出でし)真人は、至妙にして有るが若く亡きが若く、大いなる渕に髣髴として、乍は沈み、乍は浮ぶ」『周易参同契』

okano tigaya‏@tigayam·1月7日
「『日本書紀』における「天地開闢の神話」なるものは、『淮南子』と『三五歴紀』のコピペで済みます。」 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5187/
え、そうだったの。

『淮南子』と『日本書紀』 ~天地開闢~。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5187/

源統隱士 休齋‏@minamoto33
古事記、日本書紀が道教に影響されている事は昔から指摘されているが、まさに天武天皇は道教好きで知られ、当時文化の輸入元である唐王朝は上清派(茅山派)道士(道教の方士)が帝室に取り入り唐の国教だった。#神道 #道教
奈良時代、日本は唐から道教の信仰を押し付けられそうになったが、茅山派道教が唐帝室に取り入って唐の国教となっていた事が関係している。日本の遣唐使は国書を必要としない所謂朝貢外交では無かった為、道教を通して日本が唐室を崇拝する様に仕向け様としたが、日本は上手くかわした。


「源氏物語と道教」
http://www.clubbit.net/~syourouan/memo10-06.html

○「紫」
作者も紫を名乗りますが この紫は道教で最も高貴な色とされます
○紫宸殿(シシンデン)
古来北極星はその位置を変えないことから 宇宙に君臨する支配神とてあがめられてきました
また 古くは北極星は紫色に輝くとされ 紫色は北極星を表したのです
宸は天帝を表す言葉で 紫宸殿とは 天子という神が住む所です
cf 中国では漢の武帝の頃からその住居を‘紫宮’といい 後には‘紫禁城’

○壷
「源氏物語」の第一帖は “桐壺”です
主人公光源氏のお母さんは 桐壺の更衣と呼ばれていました
他にも‘藤壺’などいくつかの壷のつく名前が登場しますが この「壷」も道教からの言葉です  仙人の住む所を蓬壷(ホウコ)と言います
帝に使える女官の住まいという意味に使われました
cf ついでに‘桐’という木は想像上の鳥である鳳凰が止まる聖なる木とされます

○庚申信仰
第二帖“帚木”には「雨夜の品定め」と言われ 源氏を始めとした男性四名が 一晩中女性談義をするというくだりがあります
これは‘庚申信仰’と言われるものが前提となっています
道教では「人の天命は120年あるが 体の中の三尸(サンシ)と言われる虫が庚申の日の夜 体を抜け出し天帝にその悪事を報告し 報告されると人はその寿命を削られる」というのです だからその夜は寝てはいけないわけです
○方忌み・方違え
凶とされる方角を避けて 直接そちらに向いて行かず 寄り道をすることなどで 難を避けようとすることです
同じく“帚木”の「雨夜の品定め」の翌日 方違えのために 訪れた館で 空蝉との出会いが描かれます


・『日本書紀』によれば、513年(継体天皇7年)、百済から五経博士の段楊爾(だん-ように)が派遣されたとあり、これが陰陽道誕生の端緒となった。
(陰陽師の宣伝は、百済=南朝系の宣伝も兼ねているのね)

・陰陽道が正式に朝廷の官僚機構になったのは、701年に天武天皇が陰陽寮を開設したことに始まる。陰陽寮は、陰陽博士、暦博士、天文博士、漏刻博士などで編成され、陰陽五行に基づき、天文、暦数、卜筮(ぼくぜい。「卜」は亀の甲、「筮」は筮竹〔ぜいちく〕)、相地などを行なった。

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi2013年2月9日
陰陽道は「卜筮相地」を行うとされる。この卜筮は六壬式占で諸事を占うことで、相地の方は風水や四神相応の事と従来言われてきた(私もそう思っていた)。ところが、陰陽師が行った相地は四神相応などの土地の相を観ることではなく、都や邸宅などの土地の良否善悪を六壬式占で占うことだったのである。

・陰陽道の語源は、『乾鑿度』(けんさくど)の「陰陽之道」にもとづき、その源流は『易経』(『周易』、『易』)にある。
なお、八卦、つまり易は道教ではないので注意。周の時代の易経が元なので、儒教の思想。
儒教の基本書籍である五経に入っているから易経は儒教の経典。
中国思想は儒教とセットなので、道教だけやってもよく理解できない。
また、仏教が衰退した理由は儒教文化を理解しないと説明できない。
排仏論では、仏教の剃髪の習俗が攻撃目標となった。
『論語』と並んで儒教の最も基本的な経典とされる『孝経』の冒頭に、
「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」
(身体や髪の毛、皮膚は父母からの授かりもの、それを傷つけまいとするのが孝の第一歩)
とあり、沙門が剃髪するのは髪の毛を傷つける行為なので「孝」の徳に反するからである。

・晴明の家紋でもある桔梗印(セーマン)=五芒星は、道教の北斗信仰からきたもの。
ちなみに九字を表す(臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前)は芦屋道満にちなんでドーマンと呼ぶ。

・陰陽道の安倍家は土御門家と後に称し、江戸時代中期に土御門泰福(やすとみ)が道教系の神道である土御門神道(安家〔あんけ〕神道)を創始している。土御門神道の主神は道教の神の泰山府君(東岳大帝)である。
泰山府君は、延暦寺別院の赤山禅院の本尊である赤山明神と同一視される。
陰陽道では泰山府君祭など、日本化された道教の祭りを行う。

陰陽道たんと式神@今年は乙未(きのと羊‏@onmyoudoutan1月15日
【式】泰山府君祭。泰山府君は、道教の閻魔様ポジション。寿命をつかさどってたから、主に貴族たちの延命のお祭りだったんだ。泰山府君の下には、冥道十二神という道教・仏教から冥界に関する神様を集めたものが設定されてるよ。個人向けのお祭りもあったんだね。

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi12月12日
陰陽道の祭りの際、道教系の神々を祭る。実は平安時代に陰陽道が祈祷や祓いを盛んに始めた頃に真言密教の影響を受けたが(例・泰山府君祭は密教の焔摩天供を参考にした)、実際、密教の修法の時に仏の他に日本の神々や泰山府君なども含めた道教系の神々も招くため、道教の知識を密教から得たのは確か。

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi2011年2月16日
陰陽道を日本版道教と考える人が多い。これは未だに陰陽五行説が起源だ、と考えているのと江戸時代に土御門家が長い戦乱の中でその祭式道具や文献資料の大半を失って密教と道教色の強い吉田神道の祭式作法等を導入し、さらに土御門泰福がそれらを研究・編成し直して神道化したことにもよるのだろう。

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi2012年11月22日
江戸時代に土御門泰福によって陰陽道を神道化した天社土御門神道を研究する際には神道や儒学・道教の知識が必要だが、安倍晴明の頃の陰陽道は密教の知識が不可欠である。当時は、密教に道教が混入した密教修法の星祭り、さらに焔摩(閻魔)天供や冥道供を参考にした泰山府君祭などを行っていたからだ。

・星辰信仰の中心は北辰(北極星)と北斗(北斗七星)である。中国では北辰は天の中枢にある不動の星で、他の星を統御し、天下の興亡を支配し、あらゆる不祥邪気をお斥け、不老長生を保持させる力があるとされた。
道教の北辰・北斗信仰は、五世紀ごろに仏教と習合し、北辰菩薩となり、人間の生死禍福を支配すると信じられた。陰陽道だけでなく、仏教にも取り入れられ、妙見菩薩となった(大阪の能勢〔のせ〕妙見が有名)。
日本に入った北辰・北斗信仰は、更に願望成就の霊符で知られる鎮宅霊符信仰へと発展していく。神社仏閣などで配布している霊符、お守り、お札も結局は道教が本家。
霊符には
①護符
邪神邪霊の災厄から守護する防御的なもの
②呪符
天上界の神々に直接働きかけて悪鬼邪神を駆逐する調伏的な効力を持つ
の二種類がある。
なお、両者の性質を併せ持つ霊符もある。
霊符には、道教起源を示す「急急如律令」と記されたものがある。中国漢代の公文書の末尾に、「急々に律令のごとくに行え」という意味で書かれた言葉である。

陰陽道の幻想
http://www10.plala.or.jp/mituha/sa_na/onmyo.htm


198.庚申信仰        高橋俊隆
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index198.htm
“【庚申信仰】
また、日本に伝来し定着した道教信仰に庚申信仰があります。各地に庚申塔や庚申堂が造られ、庚申講や庚申待ちという組織や風習が定着しています。青面金剛が祀られたのは江戸初期のことです。江戸時代には結核の原因が三尸としたり、伝染病は邪悪な虫の侵入によって生ずるという俗信がありました。(宮田登著『カミとホトケのあいだ』一七二頁)。現代でも、庚申堂を中心とした庚申信仰の行われている地域では、軒先に身代わり猿を吊り下げる風習が見られます。古くは『捜神記』などにみえ、『雲笈七籤』巻七九「符図」章に、詳細な庚申信仰について書かれています。紫式部の『源氏物語』や、藤原定家の『名月記』のなかにも道教の泰山府君信仰や、方違(かたたが)えなどの方角に関する禁忌が書かれています。神道・密教・修験道など民間信仰や習俗などが見られる複合信仰です。柳田国男氏は庚申信仰を日本固有といいましたが、中国の道仏二教の守庚申の儀式や信仰と、中世以前の日本の庚申信仰を比べると、日本固有の行事や信仰ではないといいます。(窪徳忠著『道教入門』二三三頁)。
この庚申信仰が日本に伝えられたのは、皇極天皇(六四二年)のときといわれ、文武天皇の大宝元年(七〇一年)の一月七日に天王寺において始めて庚申待が行われます。庚申信仰は道教の三尸説(さんしせつ)をもとにしています。この起源は中国の三国時代から西晋にかけての三世紀中頃に道教で説いた「三尸」にあります。『抱朴子』によりますと、人の体内にいる三尸(霊魂・鬼神)という虫が、庚申の夜に人が眠りに入ると天にいる天帝にその人の罪を告げるというもので、天帝は罪深き者を早死にさせるといいます。この虫はその宿主を早く死なせたく思っています。宿主が死ぬと虫は自由に歩き、死者に供えたものを食べることができるからといいます。それで、庚申の夜になると天に昇って宿主の過失を報告するというのです。これを防ぐために庚申の夜は眠らないで身を慎む守庚申がなされました。これが、庚申待(おさる待ち)といい、庚申の日に神仏を祀って徹夜をする日本の民間信仰です。平安時代の貴族は庚申御遊といって、碁・詩歌・管弦の遊びを催してその夜を過ごしたといいます。三尸は三彭・尸虫・尸鬼・三虫などともいいます。平安期に丹波康賴が著した『医心方』に、三虫は長虫(ヘビ類の俗称)・赤虫(オオユスリカ・アカムシユスリカの幼虫)・蟯虫(袋形動物線虫綱の寄生虫)を指し寄生虫のこととします。尸は祖先の祭に神霊に代わって祭を受ける形代・依り代のことで、病気の原因である寄生虫を、悪霊の憑依する呪物としたといいます。これを道教の方術士が天帝に結びつけ、それを陰陽師や修験者が庚申信仰として民衆化しました。また、『雲笈七籤』には三尸は上尸を蓋東、中尸を彭侯、下尸を蝦蟇といい、上尸は眉間の奥三寸の泥丸宮に、中尸は心臓の背後三寸三分の中泥丸に、下尸は臍下三寸のところ下泥丸に宮殿楼閣をもつとあります。その三尸が庚申に天に上るわけです。『淮南子』の天文訓によりますと庚と申は五行のうちの「金」になります。庚申は天神決断の日とされています。北極大帝が諸門を開いて鬼神の訴訟を許すときにあたり、その人々の善悪を聞いて賞罰の判断を行うといいます。(村山修一著『日本陰陽道史話』三〇二頁)。「金」は刑を意味します。刑が執行されるのは辛酉の日です。ですから、辛酉の前日の庚申は三尸虫の報告を受ける日になります。
この天帝を帝釈天と見なし仏教と結びつけます。『四天王寺庚申縁起』には四天王寺の行法尊記上人のもとに、帝釈天の使いが下って「庚申の法」を広めることを勧めます。これは、精進潔斎を教えたものと思います。『長阿含経』忉利天品第七には、四天王が帝釈天に斎戒布施を行う善人がいることを報告し、一同が歓喜する場面が説かれています。ここに、仏教との接点が認められるといいます。(望月良晃稿「法華仏教と庶民信仰」『近世法華仏教の展開』所収、五八七頁)。日本の三庚申は大阪四天王寺の庚申堂・八坂の庚申堂・金谷三光寺の庚申堂(豊田市)です。日本最古の庚申塔は、川口市の実相寺にある文明三年(一四七一年)の板碑です。一般に庚申信仰は室町中期ころから拡大し、日本で確認される最古の庚申縁起は永弘文書の中にある、明応五(一四九六)年の「庚申因縁記」です。これらの庚申縁起を作成したのは、日蓮宗系の僧侶であったといいます。(『日本民族大辞典』上。五九五頁)。庚申縁起によりますと、庚申待に始めは拝礼する神仏はなかったが、室町時代の終わり頃から、特定の神仏を祭祀して三尸昇天を防ぎ、安穏・延命などを祈願するようになったとあります。この庚申信仰と帝釈天信仰を結んだ柴又の題経寺があります。題経寺の縁起によりますと、江戸中期に行方不明であった寺伝の板本尊が、たまたま安永八(一七七九)年四月六日庚申の日に発見されたことから、当時流行していた庚申信仰と結びついたといいます。
帝釈天は漢字に音写して「釈提桓因」といい、日蓮聖人は御本尊を認めるときは「釈提桓因王」と書かれています。日蓮聖人は帝釈天を娑婆を知行する梵天王の眷属とされ、帝釈天は三十三天の主であると同時に四天王を統率しているとのべています。『法華取要抄』に、
「梵王云 此土自廿九劫已来知行主。第六天帝釈四天王等以如是。釈尊与梵王等始知行先後諍論之。雖爾拳一指降伏之已来梵天傾頭魔王合掌三界衆生令帰伏釈尊是也」(八一一頁)
と、梵天・帝釈・四天王の立場を示しています。帝釈天に関する説話として有名なのは、『涅槃経』聖行品にある雪山童子の説話です。帝釈天は羅刹となって雪山童子の修行を試みます。そして、過去仏所説の「諸行無常・是生滅法」「生滅滅已・寂滅為楽」を示します。日蓮聖人はこの説話により、『松野殿御返事』に、
「誠に我身貧にして布施すべき宝なくば我身命を捨て、仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。とても此身は徒に山野の土と成べし。惜みても何かせん」(定一二七二頁)
と、不惜身命の法華弘通を示され霊山浄土の法悦を説いています。日蓮聖人において帝釈天は、四天王や日月天王、そして、日本の大小の神祇を司る善神としてうけとめ、法華経の守護を誓った仏弟子として曼荼羅御本尊に勧請されました。
中国が最も国際的であった七世紀の唐の国教は道教でした。日本と中国は多数の使節や留学生・留学僧を送り交流を深めました。道教は気学を完成させ、医術・天文学・科学技術においても高い水準に達していました。道教の正式な道士・天師の渡来はなかったとはいえ、先に挙げた道教の養生・錬丹・方術という神仙術などは、古代日本に伝来していました。それは豪族の氏神信仰と、天皇家の儀式や陵墓にうかがえました。また、中国の陰陽道に近い宿曜道は密教から発展したものです。これ以前の呪術中心の密教を雑密といい、以後のものを純密と呼びます。奈良朝は雑密全盛の時代でした。(村山修一著『日本陰陽道史話』二二一頁)。しかし、天智八(六六九)年を最後として唐との直接交渉が途絶え、一方、新羅との使節の往還が頻繁になります。その背景には天智二(六六三)年八月の「白村江の戦い」による日本軍の敗北、そして六六八年に高句麗と百済が、唐と新羅連合軍に首都平壌を奪われて滅亡し、そして、六七六年に新羅の統一国家ができたことによります。


閑人(かんじんorひまじん)‏@azumainari10月2日
@nora_gg @marimaro 三尸(さんし)というのは道教で 人間の体内にいる三匹の虫です。 これらは庚申の日に眠ると体から抜け出して 天帝にその人間の罪告げて寿命を操作するのです。 日本では庚申講で虫が出るのを防ぐのです


Shinya Watanabe 渡辺真也‏@curatorshinya5月6日
日本の庚申信仰が道教に由来するとすると、日本書紀が讖緯説を取ったこととも整合性が取れます。貴重なご意見、ありがとうございました! @kosuukeizai 例えば日本における庚申信仰は元は道教由来であるとされています。

本の付喪神‏@youkaisho_bot1月14日
庚申の日は体内から三尸の虫が抜け出し、天帝にその人間の悪事を報告して寿命を縮めるとされた。このため虫が抜け出さないように一晩中寝ずに過ごす「庚申待ち」が行われた。しょうけらは三尸と同一視されるが、庚申の本尊・青面金剛が左手で掴んでいる小さな女人をショケラと呼ぶという説がある。

今井幸哉‏@bowkun080312月31日
虫が抜け出す日はおよそ60日に一回。夜の間に体から抜け出し告げ口をしに行く。しかし三尸にも弱点がある。宿主が起きている間は体から抜け出すことが出来ないのだ。なので三尸が告げ口をしに行く庚申の日には人々は酒盛りなどをし、お互い寝ないよう集会を開き過ごすのが庚申講である。

片野貴夫‏@katanota10月13日
道教の神仙感応経の中に 三台北斗の神君あり、人の頭上にありて、人の罪悪をしるし、その紀算を奪う。「三尸の神」あり、人の身中にありて、庚申の日至る毎に天曹に登りて人の罪過を言う。4.000年前の日本人は「三尸」の尸の名前と役目を全員知っていたからいちいち説明していないのでしょう。


加賀美修介bot‏@shuusuke_kagami1月15日
庚申の申は十二支の猿だ。だから不見、不聞、不言の三猿、つまり日吉山王信仰と結び付いた。その日吉大社は天台宗延暦寺の護法神でもあるのさ。竃の神様も三尸同様、大晦日に悪事を告げ、寿命を減らすと言われている。

そうこう箒‏@soukouhouki10月15日
明日は庚申さんと閻魔さんの縁日バッティングですか。庚申信仰の面白い所は、祀る対象が天帝や閻魔ではなしに自分の罪の報告を回避する事に重点が置かれているところ。青面金剛を祀るのは三尸の虫を食べてくれるから。明日はどう誤摩化せばよいのやら

京からす‏@KYOKARASU9月23日
京都 八坂の塔の西にある庚申堂。日本三庚申の1つ。門の上に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)があります。

・鏡を魔除けにし、九字を切る修験道にも道教の影響がある。
修験道の行者は入山するにあたって、霊符や鏡を必ず携帯したようである。
晋代の道士・葛洪の『抱朴子』には、神仙修行のための入山の際には鏡を魔除けとしたとある。
九字とは、右手の人差指と中指のみを伸ばして手刀と見立て、一字を唱えるごとに横、縦、横の順番で空中で文字を描く方法。

北斗柄@生涯六壬者.多分‏@hokutohei·1月6日
ん?九字がオリジナルである老君入山符の『臨兵闘者皆陣列*前*行*』と
今の九字の『臨兵闘者皆陣列*在*前*』がゴッチャになってる。素人さんは混乱するだろ。

御影舎‏@hinowakamiya·11 時間11 時間前
@hokutohei 北斗柄先生、今の素人さんはネットで無駄に知識は拾ってくるので、両方あるのを知っている人も多いようです。
それと九字は、おっしゃる通り抱朴子初出ですが、六甲秘祝としてよく読むと臨から始まらない真伝の呪文が抱朴子にちゃんと書いてあります。

北斗柄@生涯六壬者.多分‏@hokutohei·6 時間6 時間前
@hinowakamiya 抱朴子登渉篇の六甲秘祝は『臨兵闘者皆列前行』ですが、他に六甲秘祝があるのでしょうか?


wikipedia bot スマホ対応版‏@WikiBot_SmaPho·2013年7月1日
九字 http://goo.gl/hntAy 九字(くじ)は、道家により呪力を持つとされた9つの漢字。西晋と東晋の葛洪が著した『抱朴子』(zh:抱朴子)内篇巻17「登渉篇」[1]に、抱撲子が「入山宜知六甲秘祝祝曰臨兵鬥者皆陣列前行九字常當密祝之無所不辟要道不煩此之謂...

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi·2013年6月7日
@onmyoudoutanはじめまして。私は少し陰陽道をかじった者ですが、陰陽道と修験道の間には共通性や類似性はほとんどないです。修験道を語る時に「陰陽道の影響がある」とされますが、あれは陰陽五行説のことで陰陽道ではありません。また陰陽道の陰陽は陰陽五行説 のことではありません。

修験の九字は、中国の葛洪の「抱朴子」の入山の際や薬草を取る際に唱える呪文と禹歩をもとにしています(呪文が少し違います)。ですが、抱朴子では九字を空間に切りません。空間に九字を切るのは密教に呪文が採用され、それが発展したものではないか、と思います。

抱朴子は「前を行く」で、密教や修験のものは「前に在り」です。

「密教や修験道が陰陽道を取り入れた」という説が当然のようにまかり通っている。だが、陰陽道を導入したのなら、天文占や陰陽(占い、主に六壬式占)を行ったことになるはずだ。実際は陰陽五行説や道教思想だから、それらは仏教経典中にすでにあるし、中国思想は大学寮の明経道や紀伝道が専門である。

・疫病除けの護符、蘇民将来は道教と深い関係がある。

小暮宣雄 KOGURE Nobuo‏@kogurenob2010年7月18日
daysento様、まいどありがとうございます。RT @daysento 上元→左義長、中元→送り火(日本以外に盆はない)、下元→お焚祭。道教色はなくなって祭祀だけが残ったり 祇園さんの蘇民将来符なんてお札も道教由来かと

・正月の御屠蘇(おとそ)、七草粥は道教の影響。
葛洪の『肘後法』には、屠蘇や七草が不老長寿の仙薬として紹介されているし、中国江南地方で、三世紀頃にそれらを服用していたという記録もある。日本でも奈良時代には伝わっていたらしいが、一般化したのは平安時代である。

1. のりと‏@norit52010年6月22日
「七草」は当初、道教的神仙思想を背景にもった不老長寿の養生法としてあったといえよう。

行事・風習と道教
http://kosmochlor3.at.webry.info/201212/article_2.html
“年が明ければ新年、...先ずは元旦の屠蘇 (とそ) にはじまり、初詣の おふだ、おみくじ、護符etc...、更には七草粥、トンド焼き、節分の豆まき (元は大晦日の宮廷行事) と行事が続く、...これらは日本古来の厳粛な新年の行事の筈だが、実は全て古代中国から伝わった、しかも道教由来の風習である。 ...他にも年中行事の、桃の節句や端午の節句、七夕祭り、七五三の祝いゴト...、夏の中元贈りや 大安・仏滅の六曜暦から厄除けに至るまで、何れも道教の影響を受けて日本に定着した風俗・風習である。

 奈良の飛鳥にある亀石・酒船石・猿石...etc、これらの石像の由来は日本史的発想では中々解けない、だが道教の知識を駆使すれば解けるから不思議だ。 ...我国では第 27代の斉明天皇が、道教由来の石造物を並べて広大な庭園を造ったり、不老不死の仙人の住む天宮を吉野の多武峰に建てたり、吉野の山に離宮を造営したりして道教の神々を祀っていた。 ...唐では、末期の武宗の時代に外来の宗教を排斥して道教を保護したが、もともと道教は現世利益という固有の生活信条と民間信仰を基盤とする民族宗教であり、2000年の昔から中国民衆と共にあった風習と信仰が結集したもの。 ... 従って、道教は初期の頃は 教祖も教典も持たない自然態の宗教だったが、時代が下がるにつれて老子の思想や陰陽五行説、神仙思想などを 次々と取り込んで行った、その結果 いろいろな神々を祀る宗教へと大きく発展した。

 儒教が古代中国の知識階級を対象にした道徳・規範の教えだったとすれば、道教は庶民の生活に根付き日々の幸せを大切にする現世の教えだった。 ...自らの名前を 「道教」 と決めて教理や教典を作り、既存の宗教の仲間入りを果たしたのは 5世紀の後半である。 教典名は、正統道蔵と云い約 5400巻から成る大著だが、目先の現世利益を願う庶民たちが この教本を読むコトは先ず無い。 ...魯迅は 「道教が解かれば 中国が分かる」 と書いたが、空飛ぶ仙人や不老不死を願う道教の懐の大きさには感じ入らざるを得ない。... 日本の道教は、弥生時代から平安時代に掛けて、日本列島にやってきた大陸発の移民たちが断続的に、或いは断片的に持ち込んだ生活習慣で、これらが次第に既存の仏教や神道とも混じり合い日本独特のの新しい習俗を形成していった。 ...過去に、道教の系統的思想が日本に上陸した形跡は無い。

 道教の厄除けの一つに石敢當 (いしがんとう) 建立の風習が有った。 石敢當とは鬼を追い払う魔よけの石柱のコト。 当初は中国の福建省辺りの風俗だったものが、唐の時代の 8世紀頃から周辺に広がり始め、15世紀迄には台湾や東南アジア、沖縄、日本の本州へと伝播して定着した。 ...埼玉県騎西町上埼の龍興寺の構堀の山門脇に立つ石敢當は、現在は町指定の有形民俗文化財であり、高さは 70㎝で柱の横に 1771年 (明和8年) 晩春との彫がある。 或る調べでは古い石敢當の分布は全国の 29都道府県に及んでいるが、埼玉県内には 2基しかなく他は加須市の千方神社で 1817年建立のものである。 その点でも龍興寺の石敢當は東日本では珍しく古い塔である。 ...研究者の坂出さんは、石敢當を前にして 台湾では線香が供えられるが、沖縄では手を合わせる姿もない、さて本州では如何であろうかと書いている。

 中国本土では既に廃れているのに日本で重用されているのが、暦の中に伝わる六曜説である。 ...老若男女を問わず今の日本人が秘かに気にする六曜説は、先勝に始まり友引・先負け・仏滅・大安・赤口を繰り返すのが (一部の例外を除き)、基本ルールである。 13世紀の南宋の時代に起こり、元・明 の時代に流行して、現在では台湾や香港にその痕跡を残すのみの 六曜暦だが、どう云う訳か日本では昭和の戦後から盛んに使われる様になった。 葬儀社や結婚式場の都合なのかもしれないが、現代科学を学んだ若者ですら個人的には仏滅や友引を忌み嫌う様を見るにつけ、道教の遺した影響力の凄ましさには舌を巻かざるを得ない。

 華僑が海外へ進出する時には必ず自分たちの守護神を携行し、新しい土地に廟を造りその周囲に町作りをする。 ...そこで祀られるのは、殆どが媽祖像か関帝廟である。 長崎や横浜の中華街も例外ではない。 関とは三国志演義に出てくる武将の関羽 (かんう) だが、宋の時代に山西省の塩の商人たちが 「義」 の神として祀って以来、商業の神として定着する様になった。 媽祖は航海の神である。 ...何れも今なお続く道教の神々の海外進出である。”

・端午の節句は道教の習俗。
武者人形の中には玄宗皇帝を悪鬼から守護した道教の神・鍾馗(しょうき)がいる。

蓮・慈光美術‏@renjikoh2013年8月28日
「鍾馗図」http://jikoh.co.jp/?p=12773 鍾馗(しょうき)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったりする。


もんじゃ焼きお好み焼き わらべ‏@warabe401
鍾馗(しょうき)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。


神様紹介bot(神ボ)‏@myth_god_bot
《ショウキ/中国神話》鍾馗。道教の悪神を祓う神。唐の玄宗皇帝が病に倒れ、悪鬼の夢を見た際に現れてたちまち悪鬼を食い殺し、皇帝を病から救ったとされている。日本にも伝わり五月人形やのぼりに描かれ、魔除けと子供の成長を願うものとされている。

・六月の夏越(なごしの)祓いの神事に伴う儀式、茅の輪くぐりも道教由来。茅(ちがや)は本来薬草で、山中で幽鬼に出会ったら、茅を投げつけると直ちに死ぬと『抱朴子』に書かれている。

“「茅の輪くぐり」と「道教」との関係
 茅の輪くぐりの起源として有名なのは『備後国風土記』逸文にある蘇民将来の伝説で、北の国の武塔(むとう)の神(素盞嗚尊とされる)が南の海神の娘のところに行く途中、日が暮れた。 そこに二人の兄弟がいた。兄の蘇民将来は貧しく、弟の巨旦将来は富んでいた。武塔神は先ず弟の所へ行って宿を借りようとしたが断られた。そこで兄の所へ行くと、粟柄で座をつくり、粟飯を食べさせた。 その後、神はお礼にやってきて、子供に茅の輪を腰の上につけておくようにと伝えた。その夜、蘇民将来はの娘一人を残して、みな滅ぼした。
 だから疫病が流行りそうな時には蘇民将来の子孫と言って、茅の輪を腰につけておくと免れる。
茅の輪を腰につける代わりに茅の輪をくぐって同じ効果を得られるとして、大祓、六月祓の茅の輪の夏越しの神事となったとされている。
 茅萱(ちがや)が何故使われるのか?ここに道教の匂いがある。
 茅萱の根茎は茅根(ぼうこん)、白茅根と言われて、チャイナでは古くから利尿、消炎、止血に使われた仙薬である。無関係ではない。
 江南道教の聖地は「茅山(ぼうざん)}という山だそうだ。『抱牧子』によると、山中で幽霊に出会ったら、チガヤを投げつけると即死するとある。江南道教とチガヤ、特別な関係があるようで、 茅の輪くぐりの習俗に道教とのかかわりを見ることができる。

           -『日本史を彩る道教の謎』から- ”
枚岡神社 東大阪市出雲井町7-16 - 神奈備にようこそ
http://kamnavi.jp/mn/osaka/hiraoka.htm

・道教では桃も、茅(ちがや)と同じく魔除けに使われる。
桃は邪気を祓うと古くから中国では信じられていた。
『荊楚歳時記』には「桃は邪気を厭伏(えんぶく)し、百鬼を制する」とあり、
『抱朴子』にも、桃の木に呪符を書けば抜群の効果を発揮するとある。
この道教思想は日本にも取り入れられ、古風の副葬品などからも魔除けの為と見られる桃の種が出土している。
また、記紀にも黄泉の国でイザナミも追いかけられたイザナギが、桃を投げつけて穢れを祓い、生還する話がある。

陸奥@境界をゆく‏@mutsukyoukai2013年8月25日
桃太郎は奈良・三輪から大和川を下って、吉備に向かい、鬼退治をして凱旋しました。この桃太郎は、道教思想で死者(鬼)を追い払う桃の信仰とイメージが投影されています。

あお.dmng@アストラエアの白き永遠‏@ao53072013年7月5日
桃は別に道教とか関係なく、古代中国において結構神聖視されていましたし、花といえば(古代中国では)桜じゃなくて桃の花ってくらいで、例えば桃源郷とかに見ることもできます。日本のイザナギがイザナミを桃で追い払ったのもその影響が大きい、って、やっぱり桃から古事記に繋がるのは教養ですね。

∞音∞ a.k.a. 風*月‏@fuhgetsu2013年4月12日
尾張一宮の真清田神社の例大祭は、旧暦三月三日の桃花祭。桃の枝を折って身の穢れを祓い、その枝を川に流すという神事。これは桃太郎の鬼退治や、イザナギが桃を投げてイザナミから逃げる神話につながる。鬼道をしていた卑弥呼。邪馬台国や纒向遺跡の時代から、道教では桃が邪気を祓う霊力の宿る植物。

中島多加仁【MARIA HOUSE】‏@hoshiyomi_taka2013年3月1日
中国や韓国で伝えられた道教では、桃の実を尊びます。東方朔(とうぼうさく)が盗み食いをした三千年の桃の実を持っていたのは、西王母という道教の神。桃の神秘の力を信ずる人々が日本に渡来し、進歩した珍らしい風習として流行した。その道教が、神道の基礎となったと考えられます。


SaToShi Noda‏@stsnoda2013年10月28日
纒向遺跡(邪馬台国の候補地のひとつ)から破壊された銅鐸と,桃の種が出てきたことから,弥生時代の銅鐸信仰が破棄されて鬼道(初期の道教)信仰に切り替わったという説があるらしい。でも道教の巫女(卑弥呼と仮定)ってどうやって道教を学んだんだ?



∞音∞ a.k.a. 風*月‏@fuhgetsu7月30日
http://twitpic.com/e932ir - [補足] 桃符(とうふ)は、桃の木でつくった道教のお札。 門に付いて、邪気を退治し得る。 鬼やらいで邪気を祓うのは、邪気ではなく無邪気。 道教では、桃は無邪気、天真爛漫、無垢の象徴。

寅丸星の四方山話bot‏@toramaru_yb_bot23 時間23 時間前
毘沙門天は七福神としても有名ですが、同役に道教の神がいます。そのうちの一柱「寿老人」は、不死の霊薬を含む瓢箪と、長寿の象徴である桃を持ち、長命と自然の調和の象徴とされる牡鹿を従えます。鹿というと鹿野苑が思い浮かびますね。御釈迦様が悟りを啓いた後、初めて説法を行われた場所ですよ。

紅 侘助@因州浪人・戯作屋‏@beniwabisuke2013年12月10日
@pochi_go ちなみに道教の道士の使う桃剣(とうけん・桃の木の木剣)や銭剣(穴あき銭を紐で綴った剣)は悪鬼には利きますが人は斬れないでしょうなぁ。> https://www.google.co.jp/search?q=%E9%8A%AD%E5%89%A3&newwindow=1&client=firefox-a&hs=cJJ&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=HcKmUpmpDcLfkAXk_IHICg&ved=0CCsQsAQ&biw=1250&bih=644#imgdii=_ …

1. ロードさん@がんばらない‏@kusarimizu2012年7月10日
@papa_gano 桃なのは道教の仙桃とか仙人果の影響だと思う。鬼が牛角で虎パンツなのは鬼(キ=幽霊)が艮(うしとら)の方角だからで、犬と猿と雉は逆の方位の暗喩。キビ団子は吉備の地方で、下敷きは朝廷の土着民討伐譚だと聞いたような。 #誰も聞いてない

・道教由来のお中元の品を贈り合うようになったのは、江戸時代から。

Den‏@DensukeThS8月9日
明日は旧暦の7月15日。Ngày rằm tháng 7は中元節。道教由来の風習で上元節(1月15日)、下元節(10月15)の三元が一年の中でも重要な節目だと考えられている。日本でもお盆の時期に日頃お世話になった人へ贈り物をする習慣の事をお中元と呼ぶのはこの中元節からきている。

さらどぅ/saradox‏@virusyana6月24日
「中元(ちゅうげん)は、道教に由来する年中行事で三元の1つ」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%85%83 … 「中国仏教では盂蘭盆会」 「日本では神道と習合し、お盆の行事となった。江戸時代には、盆供(先祖への供物)と共に、商い先や世話になった人に贈り物をするようになった」


嶋田 龍一(ららにもさくらも真冬です)‏@lalasakura20082013年7月13日
お盆は、仏教ではなく、実は、道教や儒教からくる習俗で旧暦の7月15日にするのが本当。中元の祭りで、半年たって、先祖の神をお迎えして、無事を祝う祭り。新暦の7月15日では早すぎるので、8月15日にずらしている。七夕も旧暦の7月7日で、新暦なら8月中旬。

moto‏@motonm2011年9月13日
@Hime_Yoshino http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%83 … ←この道教の三元、中でも中元は仏教の盂蘭盆と結びついて重要です。旧暦7月7日はゾロ目の日で尚且つ新月から満月の真ん中の日となり、盂蘭盆入りの重要な日が七夕になります。中華文化を知る上では知っておいた方がいいかも

うちゆう‏@nousagiruns1月14日
【上元(じょうげん)】この日に小豆粥を食べると、その一年は疫病が避けられると言われる。7月15日を中元、10月15日を下元と言う。元々は中国の道教の行事で、龍王の3人の娘と人間の間に生まれた龍王の孫、三官大帝の誕生日が三元として祝われるようになったという。(wiki)

J‏@ZuvuyaWave8月11日
お盆は、元々、道教の三元のうちの中元をお祝いするもので、自分が思うに、その本質は、一年の中間の時期の満月の日に、何かに対して許せないという思いを、満月の力で手放しましょう、ということだと思う。許すことで、心を軽くして、一年の後半を歩いていこうという知恵。

うちゆう‏@nousagiruns2013年7月15日
【三元】元々は中国の道教の行事で、上元・中元・下元の3つの日(旧暦1・7・10月の15日)の総称のこと。三元を司る3神を三官大帝といい、龍王の3人の娘と人間の陳子椿との間に生まれた龍王の孫で、それぞれ天官大帝(神徳は賜福)・地官大帝(赦罪)・水官大帝(解厄)という。(wiki)

・テルテル坊主は中国由来(道教なのか?)。
別名、「てるてる法師」、「てれてれ坊主」、「日和坊主」(ひよりぼうず)。
元ネタは、中国には箒を手にした切り紙の人形である掃晴娘(サオヂンニャン)。掃晴娘と日本のてるてる坊主との類似はすでに江戸時代の榊原篁洲『榊巷談苑』で指摘されている。
ヘボン『和英語林集成』は「TERI-TERI-BŌZU」に「掃晴娘」の字をあてている。掃晴娘は文献上、金末元初の李俊民の「掃晴婦」詩に見えるのが古い。
『燕京歳時記』によれば、北京などで六月に長雨が続くと、掃晴娘と呼ばれる人形を作り、門に掲げて晴天を祈ったという。


丸山天寿‏@tenjumaruyama2011年10月7日
【俗信】ー「テルテル坊主」-起源は中国の「掃晴娘」、箒を持った人形で、これを木に吊るした。箒は霊や幸福を掃き寄せる呪具で、晴れの気を寄せると考えられた。平安期に日本に伝わったが、娘から坊主に変わったのは僧侶の方が霊力が強いと考えられたから。昔は「南天=難を転じる」の木に下げた。


喜助‏@crons_game2011年6月19日
テルテル坊主は実は女だった!:本来は顔を作り着物を着せ箒を持たせるそうです。その箒で雨雲を払ってしまおうと思ったそうです。日本には平安時代に伝わってきて照法師(てるほうし)、掃晴娘(さおちんにゃん)と呼ばれていました。ということで名前からも、てるてる坊主は女の子なんです。

整備中‏@ranger_julius2013年3月16日
皆様、有名なてるてる坊主の3番の歌詞を御存知ですか?「晴れなければお前の首をちょん切る」...というような内容です。しかし中国から伝わった当初は「晴れなければ共に泣こう」という歌詞だったのですよ。因みに、顔を描いたものは雨を、描いていないものは晴れを祈願するものなのです。

上海人形の東方雑ネタbot‏@shan__zatsu7月20日
シャンハーイ!寺と言えば坊さんだけど、てるてる坊主もまた日照りを願う僧侶などの事を指してるようね!因みにてるてる坊主の歌の二番には晴れさせてくれれば甘いお酒を飲ませますって歌詞になるんだよね!さらにこの歌の三番は、ソレでも雨を降らしたら坊主の首をはねるぞって怖い歌なんだよね!


掃晴娘(てるてる坊主)
http://pengzi.maruzen.com/season02/saoqingniang.htm
“調べてみるとてるてる坊主は中国の”掃晴娘”(サオチンニャン)が由来だそうです。
掃晴娘は天(空)の雨雲を掃いて掃除して晴れにする女神さまといったところでしょうか。
”掃晴娘”とはどんなものなのだろうかと、以前、北京っ子の李華さんにきいたところ、知らない... という返事が返ってきました。そしてしばらくたってから、
「そういえば、小さいころに、軒下に、紙で作った人形というかなんかがぶら下げてったことを思い出したけど、それが掃晴娘だったのかも」
と話してくれました。
その後調べたところ、中国最後の士大夫と言われる作家の汪曾琪(1920-1997)が、『私の家』(我的家)という文章の中にこんなことを書いていました。
雨は相変わらず降り続いている。
従姉は紙を切ってつくった人形を壁に貼り付けた。人形は片手に箕のを、もう片手には箒を持っている。
風が吹くと、揺ら揺らと揺れる。
これが掃晴娘だ。
ほんとうに不思議なことに、掃晴娘は一日空を掃き
二日目には少しだったが晴れになった。
特徴は、紙で作るということ、名前に掃くとあるように、箒をもっていることのようです。
ほかに調べてみると、顔は白、衣装を着た胴体はいろいろな紙や布で作った人形に箒を持たせたもの... というのもありました。

日本のとは違ってカラフルな掃晴娘
(画像は台湾のもの日本の影響があるような感じ...)
天を掃くということについて、前述の李華さんが面白いことを話してくれました。
「私は雨が降ったときに、空を掃く動作をするだけれど。
年配の人達がするようなことだから、最近は恥ずかしく、皆が見ていないときにだけするけれど。小さいころからの習慣で、雨がたくさん降っているときにするの。そのことを「掃晴」っていうのよ。」
なかなか面白い風習だと思います。
それからおまけに、小さいころ歌ったと言うこんな歌を教えてくれました。
老天爺 別下雨 蒸了饅頭 往上挙
老天爺 別刮風 蒸了饅頭 往上扔
天の神様、雨降らせないでね お饅頭を蒸したら、あげるから
天の神様、風吹かせないでね お饅頭を蒸したら、あげるから


「てるてる坊主の術」というのを考えた。
術者は女性で箒を持っていないといけない。
術を使える場所は雨が降っている場所。
術者が対象に術をかけてから二十四時間その場所に(多少移動してよし)留まっていて
かつ二十四時間後まで
術をかけた場所で雨が継続して降っていたならば、
対象の首がちょん切られる呪術。
なお、対象が出家した仏教徒でなくても効果がある。
条件が厳しいな。
宿屋とかに泊ってもらえば成功し易いんじゃないかな。

※このアイデアを使うには私、ねここねこの許諾が必要です


・華僑がいるとこには、道観がある。つまり日本にも道教施設がある。
横浜の関帝廟の前には一対の狛犬が鎮座している。
黄檗宗の寺を改造してできた関帝廟が大阪の天王寺にある。


イシ夕'' 匕〒''キ**゚.‏@hideki27fc58月10日
横濱関帝廟(横浜市) 横浜中華街にある道教の寺院。幕末の1862年の創祀で1873年に廟を創建したそうです。三国時代の蜀の武将である関羽が神格化されて祀られています。 #道教 #道観 #横浜 #中華街 #関帝 #関帝廟 #三国志 pic.twitter.com/6akH1wbZBu

うすぼんやりくん‏@gudoon_gudeen2011年12月27日
日本においても関帝人気は高く、近世には禅僧や儒者が『三国志』の登場人物の倫理を論評し、庶民は『通俗三国志』などで『三国志演義』の英雄に触れていたそうで。華僑コミュニティの関帝廟だけじゃなく、大阪の清寿院など黄檗宗寺院を中心に、関帝のお堂があったりします。

S・F‏@sat42912013年4月24日
面白かったところ三。黄檗宗清寿院、あるいは大阪関帝廟。もとは黄檗宗の寺院だったところ、1887年に改修して中華圏の寺院っぽくなったお寺。寺院内には中国語とか年号の光緒とかが溢れている。 http://twitpic.com/cllfgl http://twitpic.com/cllg5h

にゃも‏@AkaNisin9月26日
これまで見た感じだと、日本での関帝祭祀のパターンは4つに分類できそうな。 (1)チャイナタウンの関帝廟 (2)黄檗宗の寺院 (3)他の廟などの道教施設 (4)その他、個人的に祀る https://twitter.com/vitalize3k/status/515401156437086208 …

ふくちゃん ‏@MF61321月13日
納棺師でございます。先日テレビにて、般若心経を複数の宗派で一斉に唱えておりました。既述の通り、日蓮宗のお寺さまは使わない為に、不参加でした。 黄檗宗は般若心経を「唐音」で読みます。発音が違うのです。 各宗派の違いを知って、互いに尊重することが、日本仏教の良い所ですよね。

日本の般若心経(黄檗宗・唐音)を聴く
https://www.youtube.com/watch?v=yBCR7Affkk4&feature=youtu.be

“京都の萬福寺さんで読誦している般若心経をご紹介致します。
萬福寺さんは黄檗宗の大本山ですが、黄檗宗は比較的新しい宗派で、350年前に日本に¬伝わりました。当時の中国の禅宗の様式を取っており、お経の発音も、他の宗派の読誦法¬とは異なります。

日本の伝統的な読誦法は、大半が1400年前の仏教伝来当初の中国の発音法(呉音・ご¬おん)です。本国では消滅した発音法が、日本の仏教文化の中で生きています。
平安時代に入ると、桓武天皇の時代に、漢文の発音は「漢音」と呼ばれる発音法にあらた¬められました。しかし仏教界では、呉音の発音法が継続されました(漢音での読誦法もあ¬ります。有名なのは、真言宗で詠む理趣経です。また天台宗にも漢音で詠むお経がいくつ¬かあるそうです)

黄檗宗の読誦法は、唐韻(とういん)と呼ばれます。350年前の伝来で、なぜ唐なのか¬と思われるかもしれませんが、中国の僧侶さんから聞いた話では、中国の経典読誦法は、¬唐代から今に至るまで変わっていないとのことでした。それで唐韻と名付けられているの¬でしょう。また、この唐韻のことを、「唐音」または「宋音」「明音」と呼ぶこともあり¬ます。

余談ですが、現在私たちが使っている日本語は、大和言葉・呉音・漢音・唐音のまじりあ¬ったものになっています。
経…呉音(きょう)漢音(けい)唐音(きん)
行…呉音(ぎょう)漢音(こう)唐音(あん)
明…呉音(みょう)漢音(めい)唐音(みん)

他国の読誦法について申しますと、日本だけでなく漢字文化圏の仏教国、台湾・ベトナム¬・韓国も正式な法要では中国語でお経を唱えます。
ただし、どの国の発音も、現代の中国語の発音とは異なります。ですので、正確には「中¬国語での読誦」とも申せません。「漢文の日本読み」「漢文のベトナム読み」などと言う¬べきでしょう。”“

・召鬼法(しょうきほう)=鬼(キ)を操る術。
道教での『鬼』が意味する範囲は広い。
幽霊、邪鬼、精霊、悪霊(恨鬼)、動物(蛇、狐、猿、亀、猫、犬などが代表)や植物の死霊、人霊(人魂)、邪悪な気、病気(瘟鬼、瘧〔マラリア〕鬼)など。
多くは不幸にも死に至ってしまった人々の霊。
恨みを晴らすことのできない「怨鬼」は、身代わりを見つけるとこの世に再生できるとされ、夜になると盛んに活動を開始する。
そこで、方士はまじないによって鬼を招き、符や呪言を使って鬼を動かす。
鬼を呼び寄せ、使役するには、怪鬼の正体を看破する力が無いと極めて危険である。そのために鬼の正体を写し出す鏡となる水を用いる。看破できたらそのときどきに応じて符を書する。そして具体的な支持を与えるために剣をもって行う。
水、符、剣の三種の道具は、召鬼法において重要な意味をもつらしい。特に符を上手く使うことが、よく鬼を制し、自在に操るポイントだと『雲笈七籤』にある。
したがって、召鬼法では制鬼、刻鬼、召鬼、使鬼の手順を踏むことが多い。

・巫蠱(ふこ)
蠱は、蛇、ムカデ、オタマジャクシ、ウジ虫、トカゲ、クモ、バッタ、蚕、シラミを指し、爬虫類も含んでいる。虫や爬虫類を使役するのが本義だが、広く解釈して魚や鳥、犬や猫、羊など哺乳類を操る場合もある。
最も一般的なのが、蚕に似た虫で、食錦虫(しょくきんちゅう)という昆虫を使う金蚕蠱(きんさんこ)であろう。
『幕府燕閑録』にある話を紹介。
主人公が門の外に小さな竹籠があるのを発見。封もしていないので開けてみると、銀製の酒器が数十個。重さにして約百両。
これらを持ちかえり、妻に天からの授かりものだと言い終わらぬうちに、自分の股の間に何かが蠢いていることがわかった。見ると一匹の金色に輝く蚕である。
払いのけようとしてもまとわりついて離れない。踏みつけても駄目。踏みつぶしたはずなのに瞬時に胸や腹に移動する。水に捨てても火に投じても、刀や斧でも駄目。
呪術に詳しい友人いわく「それは金蚕蟲で災いも大きい。ついには人の腹中に入り内臓を食いつくしてはじめて去るものだ」
主人公が経緯を話すと、友人は蟲と縁を切る方法を教えてくれた。
「君がこの蟲をよく養えば、希望通り財を手にすることができるだろう。しかし君にはそれはできない。もし金蚕蟲と縁を切ろうとするなら、この財の数倍の利息と現物とを併せて送り返さなければならない。この方法を“嫁金蚕”(かきんさん)という。これで蟲は去るだろう」
主人公は清貧であったので、大きな利息は払えない。まして他人を害する蟲を放置してもおけない。
主人公は意を決して蟲を飲んでしまった。誰もが主人公の死を覚悟したが、月日がたっても何の変化もなく、拾った銀で家も富み、ついに天寿をまっとうした。
至誠を尽くす者には巫蟲も通じなかったというおちである。

蟲毒を用いた呪殺術がある。蟲毒の作り方は以下の通り。
まずムカデ、蛇、蠍、ヤモリなど五種類の毒虫を採取して一つの甕に入れる。
これを密封しておくと共食いする。
生き残った毒虫を蟲毒として巫蟲呪(ふこじゅ)に使い、蟲を相手の家の敷地に埋めたり、直接、相手に飲ませて殺すのである。
蟲を封じるには、蟲の正体を明らかにし、蟲に向かってそれを告げること。
また、同類の蟲か、蟲の天敵の蟲をもって解毒することが効力を持つとされる。
(名前と正体を特定することが重要なのは魔術の大前提らしい)

妖怪bot(試運転)‏@wj_youkai_bot
蠱毒(こどく)
古代から伝わる呪詛の一つで「蠱術(こじゅつ)」「蠱道(こどう)」「巫蠱(ふこ)」ともいう。特定の動物霊を使役する呪詛で、器の中に複数の虫を入れた後、互いに食い合わせ、最後に残った最も生命力の強い一匹を用いる。平安時代には既にその呪術に対する禁止令が出された。

“道教

巫蠱(ふこ)

蠱は虫と言う意味ではない。小動物のことである。

『幕府燕閑録』をパラパラと捲ると様々な巫蠱があることに驚かせる。

代表的なものは『伝屍虫』と『五毒虫』だろう。

『五毒虫』の中に金蚕蠱に関する巫蠱呪が方術の一つとして乗っているが虫が得意でない人は読まないことをオススメする。

また蠱毒の作り方が乗っているが、様々な条件がある。
どうやら何でも間でも瓶に入れるのは良くない。
蠱毒は大変に良く効いた毒であったらしいが、読む限りでは解毒の作り方が簡単なので効率が悪いものであったのかもしれない。

『仙人の入門初級編』張道陵著より抜粋”
http://estar.jp/.pc/_msg_view?mid=2241038

しえーさん先生じゃないです‏@4A_win2012年7月9日
金蚕は特に有名なものを錦蚕蟲といい、文字通り錦を主食にする蟲毒。飼い主(または押し付けられ主)が「錦蚕蟲の糞(致死毒)を混ぜたものを飲食した事」で死ぬと大量の富を呼ぶという風変わりな存在。追い出したい時は金銀財宝を入れた箱ににこの蟲を入れて捨てる「嫁金蚕」をする必要がある。

・禁呪
気や念の力で対象物を思いのままにする。
禁呪は、山中に修行する道士が毒蛇の攻撃を避けるために呪縛し、身動きできなくしてしまう金縛り術である。
禁呪は相手の自由を奪う法から、更に呪いをかけてきた邪悪の祓除(ふつじょ。呪詛返し?)を行い、今度は相手を使役する法にまで発展していく。こうなると金縛りよりも役鬼(やくき)の法に限りなく近くなる。
従って禁呪には、釘、矢じり、刀などの武器類、鍬や鋤といった農具類、水や火、動物にいたるまで、念力でもって自由自在に動かしてしまう拾い意味が含まれている。
「禁じる」とは禁呪で操作=気や念の力で金縛りにしてコントロールすることを意味する。
究極の禁呪は人を対象にした「禁人」(きんじん)であろう。

・雷法
中国の古い文献を読むと、中国人は雷に特別の念をもって処していたことがわかる。日本でも神鳴りと称しているように、単なる気象法則や自然現象だとは見ていない。
中国では特に不徳の者が雷に打たれて一命を落とすといった信仰が根深かったようだ。つまり雷は神罰を下す主体として捕えられていたのである。
。雷法とは、雷の力を呪力の源泉として、雷部に属する神将・神兵を使役し、邪を制する法である。
道士は雷の力を体内に入れる儀礼を初春にやっておくという。

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi10月31日
東洋大学在学中、道教の雷法の神将や鬼神(幽霊)の使役術の資料を集めて読み漁り、たまに来日する道士に手土産持って質問攻めし、必死に道教呪術や導引気功法を研究していた。実は昔の記録などに「陰陽師は鬼や死人の霊を式神にした」とあるが、梓巫女等の一部のシャーマン的職業の人の間違いだろう。

・剪紙成兵術(せんしせいへいじゅつ)
紙を剪(き)って兵と成す、物を人と化して行う呪術。
まず、紙を思いのままに剪(き)って床に並べる。
髪を被り刀を持ち禹歩(うほ。呪術的歩法)を行なってから呪詛する。
次に口に含んだ水を紙人に吹きかけると紙人が動きだす。
紙人を目的のところへ行かせ、戻ってきてから同じ所作をすれば、再びもとの紙に戻る。
木で作る木人、歴史的には新しい藁人形、草を用いる草人など、物を人と化して行う呪術は枚挙にいとまがない。
また、紙を使用するものでも竹で骨をこしらえ紙を立体的に張りつける張り子の呪法もある。
一般的に木人の法は、紙人よりも強烈な法験(ほうげん)があるという。例えば、
ある家の主人を快く思わない大工がいるとする。大工はひそかに屋根の梁に木人をくくりつけるのだ。木人は様々な姿勢、形にしつらえる。ときには男女が激しく争っている姿を一対にしつらえ、呪いを行う。するとその家の夫婦は争いが絶えなくなるのだ。
剪紙成兵術についてこんな話がある。
吉凶を見る達人、宋術師は一人の男を占ってやったが、謝礼金が少な過ぎてその男を恨んでいた。夜、男が家で易経を読んでいると、外で風の音がする。見ると手に刀を持った怪物が襲ってくる。思わず易経を投げると怪物はばったりと倒れた。しかし怪物は次から次へと襲ってくる。そのつど易経を投げて撃退したが、それは三枚の紙人、二男一女の人形であった。翌朝、男のもとに宋術師の三人の子供が死んだという噂が伝わってきた。宋術師は子供たちの生魂(しょうこん)を託して術を行なったが撃退されたために魂が帰れず、人を害するための呪いが己に返ってしまったのだ。


・尸解(しかい)
尸は屍の部首。
尸解法を用いないと仙人になれないという最高の奥義。
尸解は凡人の目には死んだように見えるが、実は死んだのではなく、別のものを死体だと思わせているだけ。この法には二種類があり、
上尸解は刀剣を使い
下尸解は竹や木を使う。
上尸解の方法は筆に神丹(しんたん。仙薬の一種)を溶かした水をひたし、刀の左右に「太上太玄陰府」(たいじょうたいげんいんふ)という符を書いて横たえておく。そのままいなくなれば周囲の人にはその刀がその人の屍に見えるのである。
下尸解の竹や木も同じように使う。
なお、生まれる前から仙人になることが決まっている嫡仙(神仙が人間界で人間の姿をしているだけ)は尸解なしで仙人になれる(戻る)。
最高の道を極めた道士は、死期が到来しないうちに神仙の世界に真胎(霊胎)を結成し、自分の本体をあらかじめ引越しさせるという。すなわち仙居である。尸解仙は死体が葬られたあとでも、必要なときには生前の生身の姿で現れる。
なお、『荘子』の真人とは区別して語られることが多い。


源統隱士 休齋‏@minamoto332013年9月25日
道教の尸解(しかい)と言う言葉は尸解仙などと使われる様に人間が仙人になる事だが、道教の道士、神仙道の方士が死亡した際に「尸解した」と使われる。生きたまま昇仙出来る様修行や丹薬の発明に励むも叶わず寿命が尽きて肉体から解放され尸解仙と言うランクの仙人になる思想



Urakawa=1/8192‏@movewired•1月13日
尸解仙の理屈をよく理解してない。というか今まで読んできた文献に記述があんまりなかったんだな。何かそれっぽいのが載ってるのがないかな。


ぱらでぃん‏@nekohaus
@movewired 『雲笈七籤』には、剣や杖を肉体の代用にして薬を飲むなどの儀式を行なうと道具が自分の死体のように変化して蝉化できるなどとあるですぅ。

Urakawa=1/8192‏@movewired•1月13日
@nekohaus おお、ありがとうございます。寄り代となる物品に、自分の代わりに死んでもらうって感じなんですね。


・禹歩(反閇。へんばい)
あらゆる方術はしかるべき形と手順をもってしなければ力にならない。
禹歩は日本の陰陽道や修験道にも伝わっていて、共通項として北斗七星の形を踏むことがある。
まじないや、まじないを封じ返す場合には、禹歩の術が必須になっていることが多い。

相撲にも道教の影響がある。

takuhiro (kinosy,歴担)‏@Kino_see2012年2月14日
陰陽師が反閇(へんばい、兎歩とも)を踏み、力士が地面を踏みしめるという一連の流れが簡略化されたものが現在の四股と言っても良いだろう。なお、手の動きは気を臍下丹田に集中させる為とも言われる。「ハッケヨイ」も「八卦よし」という意味だといわれ、天地を示しているという。 #陰陽道
【補足】反閇は中国古代の伝説の皇帝、燕の兎王が行ったとされる。兎王は左足が悪かったので、右足を前に出して左足をひきづる形の歩き方をする。これで暴れる川の鎮めを行ったものが兎歩・・・つまり反閇  #安倍家りびんぐ留守番隊

Shinya Watanabe 渡辺真也‏@curatorshinya6月2日
(道7)相撲の軍配は伊勢のゴンバウチワがルーツにあり、そこに太一つまり陰陽の合一が書かれているからこそ、相撲の軍配には道教と習合したシュメールの須弥山信仰である太陽と月が左右に描かれたのではないか?また八岐大蛇も八咫の鏡も八紘一宇も八幡大神も、道教の八卦の影響下にあるのは明白だ。

園丁: entée‏@entee_o5月31日
@lanekota 「喩え」というよりはほぼ同じものが別の様態として発展したものだと理解しています。日本においては庚申塚のあるところには庚申信仰がつい先頃まで存在していた(それを道教とも考えずに)し、神事と謳われる相撲も道教そのものです。庚申思想といえばそれはつまり道教思想です。

安倍晴明‏@wakamiya022012年11月29日
反閉(へんばい)道教の呪術歩行法の「兎歩」に起源を発する歩行法による呪術。反閉は先に出した足に後ろ足を引き寄せて左右に足を運ぶ。悪星を踏み破り福徳を得る事が出来る。現在でも相撲の四股に名残が伺える。四股は神への奉納儀式である相撲を取る前に悪霊を祓い、場を清める役割として残っている

・道教経典によると、神仙が山岳や川の様子や太陽・月・星の動きなどの自然現象を写し取ったことが霊符の起源である。

・霊符に誤字があると意味が変わるので効力がなくなる。

・霊符は至誠の念をもって書写し使用しなければならない。
まず、精進潔斎する。シャワーを浴びたり、口をすすいだり、手を洗ったりして清めること。
衣服も清潔なものに着替える。
霊符を書くときは、心を正しくして息を止め、その一息のあいだに一字を書くことがコツとされている。できるなら、一枚書きあげる間、息を凝らしていることができればなおよい。つまり息を止めて一気呵成に書くべきである。
筆が線を描いているあいだは息を止めないといけない。
書写した符を見せびらかしてはいけない。符を作ったことも周囲に言ってまわってはいけない。

・霊符を書写するにあたって、神咒=呪文で水・紙・筆・硯・墨・下筆(筆を下すとき)など、それぞれに対して神咒が設定されている。
霊符書写に関しては、呪文のみならず、さまざまな観想法がある。
一例。
①自分の心身は五色の霊玉であると観想する。
すなわち
春なら青、
夏なら赤、
秋なら白、
冬なら黒、
四季の土用の日なら白
の霊玉であると観想する。
②心願の内容を凝念して、空中より金色の光が舞い降りて来ることを想像し、それを呑み込む。
③筆墨から金色の光がほとばしり、その光で霊符を書くことを想像して、一気呵成、一息に霊符を書写する。
霊符の字体が多く人息に書写しがたいときには、二・三息という具合に定めて、一気呵成の威力をふるって書写する。
筆墨をもって符を書くと考えず、自己に通霊した宇宙の大いなる気を持って符を書くものと思わねばならない。

・符を書写する吉日がある。

・霊符作成用の筆・墨・紙などは決して他の俗事に使ってはならない。

・霊符の使い方
①紙や板に浄書し、身につけたり、建物に貼ったりする。
②病人の枕の下に敷いたり、枕元の柱や天井に貼る。
③清水を清浄なコップに入れ、割り箸をわたし、その上に符面が水に映るようにして霊符を載せ、霊符を一刻すなわち二時間以上その水面に映したのち、その水を呑む。
④小さい薄い紙に書いて呑む。
⑤霊符を浄火をもって灰となし、それを服用する。病符に多い。
⑥盃などに符をしるし、神水を注いでそれを飲む。
⑦霊符を手に持って静かに気長に何回も体をさする。
⑧「童子をして符気に感ぜしむ」
童子=目を意味する隠語。
謹書した霊符を顔の前に捧げ持って、その符を童子=目で注視する。
そしてその霊符に宿る符気を、自分の丹田に納めるという気持ちで静かに鼻から息を吸う。
吸い終わったら目を閉じ口をわずかにあけ、ゆっくりとかすかに息を吐く。
そして二・三回普通に呼吸し息を整え、同様のことを繰返し続ける。
これにより符の持つ霊威力を身につけることができる。

・最も効果のある霊符の活用法は、符を三つ作り、一つを目の高さより高い清浄な場所に安置し、一つは常に身につけ、一つはその図を観想し、図の気を呼吸とともに吸うこと。

・霊符を処分方法
①浄火で焼く
②清浄な山中などに埋める。

書き損じをゴミ箱に捨ててはいけない。霊的障害を避けないといけない。
お焚きあげで符や書き損じを処分してもらおう。
お札は時間が経つほどに力が「強く」なるので注意。弱くならない。どんどん強くなるのが霊符。

・財運用の霊符をむきだしのまま財布に入れるのは駄目。穢れが符についてしまう。よって紙などで包んで身につけるべき。

※道教の霊符は必ずその流派の道院のハンコ を押さないといけない。
ハンコに使う朱は 天然辰砂を使う。なければ白い雄鶏の血。最悪自分の血。
血液を使う理由は、昔は術を掛ける前に 生贄を捧げていた=何かを殺さないとパワー が得られない仕組みだったから。が、それだと余りに効率が悪いので水銀の原料で ある辰砂の朱を使う方法を道士が開発した。
欧米のレプティリアン教の連中は愚かにもいまだに本物の生贄を 捧げるという非効率な 術の掛け方をしている。
効果は弱まるが、普通のインクに自分の血を一滴混ぜるだけでもよい。
辰砂は毒だから入手し辛い。
もう少しパワーアップさせるならアフリカのフードゥーで使う天然ハーブを混ぜたインクでもいい。
以上フェイド大帝が授けてくれた貴重な有難い魔術の実践法でした。


Shinya Watanabe 渡辺真也‏@curatorshinya9月18日
(道10)私が見てもらった沖縄のユタが使っていたお札は、この道教の北斗信仰が沖縄化したお札だったと思う。おそらく台湾経由で中国から齎されたものが沖縄化し、現在まで残ったのだろう。
先日、沖縄のナカモチ(ユタ)が使っていたお札が道教のお札と同じだいうことに気付いたとツイートしたけれど、沖縄にはやはり北極星信仰と道教の教えがローカライズして残ったのだと考える。

哉羅さま‏@kanarabot1月17日
太上神仙鎮宅霊符(太上秘法鎮宅霊符・鎮宅七十二道霊符)は七十二種の護符からなっており、『太上秘法鎮宅霊符』が元になっていると言われている陰陽道・仏教・神道の護符じゃ。元は道教の玄天上帝だったのが妙見菩薩や天之御中主神等と習合し鎮宅霊符神の護符とされておる。

「日本と道教文化」  
http://02219715.at.webry.info/201402/article_18.html
“坂出祥伸著、角川選書、2010年刊

<裏表紙紹介>より
長生きをしたい、金持ちになりたい、幸せになりたい、日常的な願望をかなえてくれる神さま、それが道教の神々だ。仏教でも神道でもない宗教的な風習、吉凶を占う「おみくじ」や疫病除けの「おふだ」も道教が起源。薬草を発見した神農、七福神のひとり福禄寿、邪気を払う鐘軌、疫病除けの神獣・白沢など奇怪不可思議な神々に彩られた道教の世界を日中にわたり紹介し、日常生活に溶け込んだ多様な道教文化を再発見する道教入門書。”

“<はじめに>p8~9
 私たち道教研究者の理解と一般人の道教理解とはかなりかけ離れていると思っている。さきほどフランス人の道教理解の例を挙げたが、おそらく日本の文化的背景が妨げとなっているからであろうが、一朝一夕に「中国は儒教の国」という固定観念が消えることはあるまい。そこで本書では、われわれが今見聞きしている風俗・慣習の中に、道教的要素が隠れている、私たちは気づいていないだけのことだ、という点をあれこれ取り上げて、道教に親近感を抱いていただこう、道教になじんでいただこう、という願いをこめて角度を拡げて考えてみた。
 まず、最初に道教というのは、どのような宗教なのかを、不十分ながらも概略的に説明しておいた。これまで、ともすれば仏教は高尚であり、深遠な教理や哲学をもっているが、道教は迷信的であり、低俗なものであると見なされがちであったが、道教も正当な宗教であることを予め知っておいていただきたいのである。

 次に横浜、神戸、長崎などの華人街に、なぜ関帝廟とか馬祖像が置かれているのかを考えてほしいのである。海外に移住する中国人は郷土から自分たちの守護神をたずさえてきて、集団自治の中心である廟を先ず建て、これを中心に街が形成されるのが一般的である。あたかもヨーロッパでキリスト教の教会を中心に市街が形成されているのと同様なのである。
 パリの13区にある華人街には玄天上帝(真武神)を祀る潮州会館がある。ベトナム難民であるパリの華人は本来は潮州出身者なのである。しかし、海外の華人街の守護神として最も多いのは、馬祖廟(天皇廟とも)だといわれ、次に多いのが関帝廟だという。
 (中略)
 日本文化が取り入れた道教的要素は神農、鐘軌、福禄寿神、泰山府君などのような吉祥をもたらし災禍をしりぞける種々の神格、あるいは、十二直説、九星説などのような運勢を知って禍を避ける占いであるが、こうした呪法は現在の日本ではほとんど消滅してしまったようである。しかし、今なお残っていて根強く信じられているのが、仏滅、大安などの六曜説であり、あるいは家屋を作る場合の鬼門説であり、さらには、若い人々が半ば遊び心で、しかし半ばは本気で信じている「おみくじ」「おふだ」である。「これも道教ですか」といぶかるお方は、どうかそれがれっきとした道教起源であることを本文を読んで知っていただきたい。併せて各地で出土している木簡呪符をも紹介したので、日本文化史の研究の立場とは別の角度から木簡呪符についても解説をしておいた。”

“<道教とはなにか>p11~13
 道教とは、どのような宗教なのか。はなはだ答えにくい問いであるが、私見では、その根底にあるのは中国思想一般と同様に「道」の観念であり、特に道教にあっては「道(タオ)」とはすなわち「気」だと考えられる。
 そこで道教は「気の宗教」であると定義しておきたい。「気」という視覚では捉えられない存在、それは人間をも含んだ万物を生成する根源的なエネルギーであり、道教では、その「気」を操作することによって仙人とか真人とか称される最高の境地に到達することを目指すのである。こういう定義には当然多くの反論が予想されよう。儒教でも「気」の観念に依拠しているのではないのかと。

 儒教が最終的に目指しているのは、社会の経済的安定であり、そのために為政者(士大夫)は「修身」つまり、強い意志によって自分の「気」を暴発させないように身体を修練し、ついで「家をととのえ、さらには国を治め、最終的には天下を平和にする」。こういう政治的目的のための「気」の修練である。そこで、道教的な修練は、「独善」すなわち独りわが身を善くするだけであり、他者を救済しようとしないという非難が儒教側から出るのである。
 それでは、「気」とはなにか。これもまた説明がむつかしいが、身体を流れる「気」をトレーニングするという健康法としての「気功」が日本でも市民権を得ているので理解していただけようが、中国では古代から生命をもつ存在は運動して止むことのない「気」から成り立つと考えられている。

 ところで、道教は創始者つまり誰かが創始した宗教ではなく、自然に発生し展開した宗教である。キリスト教はイエス・キリストを創始者としており、仏教は釈迦(ブッダ)を創始者としている。イスラム教はムハンマドを創始者としている。日本の神道は天照大神を最高神として尊んでいるが、これを創始者だとは誰も言わない。ただし、神道は万物に生命力とか霊力を認めていて、万物それぞれを神とする多神教である。道教はこれと極めて似ている。道教について老子が創始者ではないかという疑問や指摘を受けることがある。たしかに道教では老子が非常に尊ばれている。けれども後漢末ごろに組織的教団として初期道教が成立した時、それは老子が創始したのではなくて、いわば権威付けにかつがれたのであり、じつは数えきれないほど多数の神格を持つ多神教なのである。
 さらに道教は、仏教やキリスト教、イスラム教のように国境を越え民族を超えて信仰されているような、世界的宗教ではなくて、その信仰は一部の少数民族を除けば、ほとんど漢民族に限られているという意味では民族宗教と考えてよい。”

“<なにを目指している宗教か>p13~14
 道教の目指すものはなにか。「福・禄・寿」という現世利益を得ることである。とりわけ寿、すなわち永遠の生命の達成を目指すのである。そこで「気」を操作して「永遠の生命」を獲得しようとする宗教だともいえよう。儒教は宗教ではないとされるが本来は祖先祭祀を行っているので、一種の宗教的性格を備えているが、一方では政治的倫理的色彩が強くなって宗教的側面は希薄になってしまった。元来、『論語』によると孔子は、「生きている世界のことも分からないのに、どうして死後のことが分かろうか」と述べていることで分かるように、死後の世界とか霊魂のありかたについては非常に冷淡であり、その代わりに「経世済民」、つまり社会の安定と物質的豊かさという現実的な救済を目的としているのであって、死者の霊魂の救済には無関心であった。そこで中国に仏教が伝来した時、貴族や士大夫たちは中国仏教特有の霊魂観にもとづいて来世意での救いに安心の境地を得ようとしたのである。ただし、儒教は古代社会の基盤となっていた宗族制という男系血縁共同体を祖先祭祀の根幹としていて、親から子へ、さらに孫へ、というような生命の連続性を重んじている。これこそがいわゆる「孝」である。
 (中略)
 なお、中国社会が儒教によって代表されているように、男性中心の社会システム(宗族制)の中にあって、道教では早くから西王母をはじめとする多くの女神が重んじられ、魏華存、鮑姑のような女仙、詩作に秀でた女道士・魚玄機の名も知られている。天皇(馬祖)とか碧霞元君などの女神は今でも崇拝の対象とされているし、また全真教では女性司祭者が高啓、経師などとして儀礼を主宰している。このように、男女平等とまでは言えないが、道教では女性が古くからきわめて重んじられているのに注意したい。”

“<道教の将来像>p21
 儒教が滅んでも道教が滅ぶことはない。なんとなれば、漢民族の民族的宗教であるからである。近代文学の巨人・魯迅は、「中国の基礎は全て道教にある」と喝破している。現今の中国も少子化、近代化(工業化・都市化・人口の流動化など)の進行によって儒教のよって立つ存在基盤が崩れつつあるが、まさにそのために為政者は儒教の権威の回復を図ろうとするが、崩壊を止めるのが次第に困難な状況である。一方、道教は中国共産党による弾圧、その後の文化大革命による破壊にもかかわらず、急速に復活し、その信仰はますます広く深くなっている。民衆の生活に深く根ざした宗教にほかならないからである。”

“<関帝>p25~26
 横浜の中華街には道教の神さま―関帝が祀られている。横浜の中華街といえば、東京近辺の人ならたいてい中華料理を食べにいかれるから、良くご存知ことであろう。そして、そこに「関帝廟」という中国風の大きなお寺によく似た建物があることもしっていることであろう。ここの案内パンフには、「発財の神さま」とお書かれていて、華僑はお金が儲かりますようにと祈ると書かれている。
 けれども、それが道教の神さまだとは説明されていない。先ず、廟というのは仏教でいえばお寺のこと、キリスト教では協会である。廟という名称のほかに宮、観とも呼ばれている。北京には「白雲観」、瀋陽には「太清宮」という有名な道教寺院があり、中国旅行の観光ガイドブックにも載っている。
 さて、ここに祀られている関聖帝君というのは、三国時代の蜀漢の武将・関羽のことであり、明代に『三国志演義』が著されてから、民衆の人気が一躍高まり、儒教、道教、仏教のいずれにも関わるようになった。関羽の郷里は、山西省解州西関にあり、ここにある関帝廟は「関帝祖廟」と称され、全国で最もスケールが大きくて壮観だそうである。秋の大祭には国内、海外の崇拝者が列をなして多数参詣する。世界各地にある華人街で最も多い道教神は馬祖であるが、これに次いでいるのが関帝廟だといわれている。

 日本でも横浜の関帝廟には主神が関帝で、脇に地母神と観音が祀られている。横浜のほかに神戸、長崎、大阪、函館のような華僑・華人の多く住んでいる都市には関帝が祀られている。ただし、関帝が主神となる場合は横浜のほかには、神戸・中山手町の関帝廟があり、ここでは脇に馬祖と観音が祀られている。また、大阪市天王寺区寺田町の清寿院というお寺に関帝が祀られ、脇に馬祖と財神が祀られている。長崎の崇福寺では観音が主神で脇に関帝が韋駄天とともに祀られている。函館には大町の中華会館の中に関帝壇が設けられている。”

“<おふだの種類・目的効用・材料・霊力>p173~178
 なんといっても、おふだの本場は、もちろん中国である。「おふだ」は中国では非常に古い起源をもっているが、道教の発祥する後漢時代には、道教と深く結びついている。
 日本の紙符は白い紙に黒色の墨で呪言が書かれるのが普通であるが、中国では古くから今に至るまで、黄色の紙に朱色で呪言を書く。
(中略)

「おふだ」の目的は人間の願望を叶えるためであるが、そこで種類は人間の願望の数だけ、願意の数だけ、つまり無数にある。例えば、開運出世、学業成就、受験合格、良縁祈願、家内安全、交通安全、旅行安全、子授け祈願、災厄消除、社運隆盛、商売繁盛、病気平癒等など。だから多くの神社、仏寺ではこれら数多くの願望に応じた効用のある「おふだ」を用意している。
 名古屋の熱田神宮に参詣した時、社務所前に並べられた「おふだ」「お守り」の数がなんと三十数点に及んでいた。
 今日私たちが家で貼る「おふだ」や所持する「お守り」はたいてい印刷されている。しかし、本来は、直筆のものがいちばん霊力がこめられている。なぜか。おふだには書く人の念力がこめられている。直筆の場合には、書き上げたあと「ふっ」と息を吹きつける。印刷したものでは、住職や宮司は印刷されたおふだの束をまとめておいて、加持祈祷のうえ威力をこめるのである。
 「おふだ」は世界中どこの国にも、どんな民族にでもある。私は1989年、フランスに滞在していた時に、ノートルダム寺院からメダルの「お守り」を授かったし、モン・サン・ミシェル寺院からは交通安全の「おふだ」を授かった。これは車に貼る。
 隣の韓国でも財布に入れる「お守り」をお寺の和尚さんが書いてくれるそうである。韓国の呪符は中国の呪符に図柄が似ていて、日本のものとはかなり違っている。
 
 おふだの材料について説明すると、おふだと言えば、すぐに紙符、つまり紙に書かれたり印刷されたものを思い浮かべるであろう。今では紙符が一般的になっているのであるが、竹や木の板に書かれたもの、絹布に筆で書かれたもの、素焼きの土器に書かれたものなど材料は種々様々である。台湾の澎湖島には石版に刻された呪符が一般的である。
 次におふだの用途から見ると、貼るとか吊るす、携帯するという場合が最も多いであろうが、紙のおふだを呑むという場合が今でも意外に多い。中国や台湾ではおふだを粉末にした薬を包んでいることがよくあるし、また燃やして灰にして飲むという場合もある。今の日本ではそういう例は見られなくなった。”



AIN‏@ANIMA_MYSTICA5月25日
最近、中国の道教本を、ちょくちょく読むんですけど、道教の瞑想法って多種多様なイメージを用いますね。東方の空から仙人が天女を引き連れて、雲に乗ってやってきて、霊符を授けてくれるというものをイメージするのもあったり。


とまほーかーまえかわ‏@maekawa_san•2011年12月11日
葛洪の書いた抱朴子。それを薬を使わず、内的に儀式を行い、占星術の照応で、体を仙人、真人にするっていう。魏伯陽の周易参同契。いわゆる、魔術的な大宇宙と小宇宙は照応するっていう基本的な思想、概念を用いた二つの仙人育成の中国思想。
まぁ、現在でいうところの気功だな。































フェイド大帝‏@FeydoTaitei
これは魔術の基本なのだが、
ある道教の道士が言うには、

西欧科学: 観測出来る物は存在する
東洋魔術: 感じた物は存在する

この違いが分かってないと
両方の医学理論の違いも
分らない。

西洋科学: 観測可能な物は実存する
東洋&魔術: 心が感じた物は実存する

だから西洋医学は死体解剖をやる
ので人体図が正確

中国医学は解剖をやらないので
食道が三本あると考えられてた。

魔術と科学の境界はアプローチ
の仕方


東洋人の釣り思想は周の太公望
まで遡り、後代の道教のタオの
思想にも繋がる、魚の収穫は
さほど重要ではなく、釣る行為
そのものにタオと人生を
見出すのが肝なんだ

また、一匹も釣れない日も
あるが、そこがまたいい。

中国道教や風水は神秘的なのか、
中国思想でも人気だ。
だけど本来、中国思想は儒教と
セットだ。抱朴子も下巻は
売れるが、上巻は売れ残る。

仙人が山で霞を喰う話は神仙思想
の観点からは、気功やヨガを
彷彿させるが、あれは本来そういう
意味じゃない。
あの逸話は余りにも国家が腐敗して、
貯金も収入を失くした老人が
山に引き篭もって霞を喰うぐらい
しか許されてないと政治に対する
皮肉を語っている話なのだ。

当然、これは儒教
的なお話だ。
確かにインドからの輸入品も
多いが、中国人というのは
根本的にはインド人とは異なる。

確か香港のカジノでは客が金をスリ
やすい様に子供の死体を埋めて
邪気を充満させていると
、風水の
解説本に書いてありました。

神道批判家のフェイド大帝だが、 北野天満宮のお守りはガチだと 思う。 パキスタン駐在も取り消して くれたし、お守りなんて 下らない迷信だろうと 駅のゴミ箱に捨てたら、 翌日会社のロビーにお守り が捨ててあった。 拾ったら、 「北野天満宮」のお守りだった。 ガクブル
ってか、道真公、神道界 最強の怨霊だろう。 奴の呪殺のキルスコアは FPSのチャンピオンも 顔負けレベルだ。w
中華街のお土産屋とかで 売られてる桃木剣は吊り下げる タイプで魔除けのお守りみたいな 奴だけど、本物の殴れるタイプ の大きさのもある。 呪符とかを刻み込んだり 儀式で霊力を吹き込まないと いけないから、素人には無理。 カナダのボッタクリ道士が 一本200万で売ってる。
ちなみにお札と同じ期限付き だから、交換要。w
後、大宮ナントカの霊符は あのままだと使えないよ。 道教の霊符ってのは必ず その流派の道院のハンコ を押さないといけない 仕組みになってる。 ↓こういう奴ね
pic.twitter.com/630AaJeena

ちなみにハンコに使う朱は 天然辰砂の物を使う。 なければ、白い雄鶏の血か 最悪自分の血。
何で血液かと言うと 昔は術を掛ける前に 生贄を捧げてたのよ。 何かを殺さないとパワー が得られないという 仕組みなのね。 ただそれだと余りに効率 悪いから、水銀の原料で ある辰砂の朱を後の道士 達が開発したわけ。
欧米のレプティリアン教に 連中はおバカだから、 いまだに本物の生贄を 捧げるという非効率な 術の掛け方をしている。
効果は弱まるけど、普通のインクに 自分の血を一滴混ぜるだけでもOK。 辰砂は毒だから入手し辛いしね。 もう少しパワーアップさせるなら アフリカのフードゥーで使う 天然ハーブを混ぜたインクでも いいけど。
よかったな。本物の中国道教を フェイド大帝に教えて貰えて。 しかも無料で。
横浜の中華街の廟でやっている 霊符の開眼法は偽物だから 気を付けろよ。
中国人や台湾人がやってるから 本物だと信じ込むのは危険。


※画像は引用しませんのであしからず。画像は引用元をご覧ください。


”命門(めいもん)
命門とは、督脈にあるツボ。位置は、へその真後ろ、真裏。
第二腰椎の棘突起(きょくとっき)と第三腰椎の棘突起の間にあるツボで、
肋骨のいちばん下と同じ高さの背骨の突起の下
にある。
停滞しがちな気血の流れを整え、体力・気力共に増強させる。
命門は、生命の根源、先天の気が宿る場所、命に力をつけると言われ、
気功でも重要なツボ。立禅を行う際は、この命門を開くように、
骨盤を締めて立つのがコツ。すると、下丹田に気が集まりやすい。”
http://kikou.info/page/cat10/320.php



中国道教の本物のスワイショウのやり方
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-549.html
”スワイショウはれっきとした気功=チーゴンである

つまりどういうことかというと

呼吸法が重要なのだ

ただ腕をブラブラさせるだけの動作じゃない

日本ではここが勘違いされているケースが非常に多い。
腕をブラブラ振ることによって微振動が体に良いだとか、
血行を促進するだとか、邪気を飛ばすだとか、肩が
リラックスできて気持ち〜〜
だとかのような気持ちの悪い解釈まである。

これらは全部デタラメ

伝統的な中国道教(道家思想)から言ったらだが。

では、正しい”スワイショウ”とは何か?

元々、このスワイショウ、陽の臓器(大腸等)をマッサージ
するための気功法だ。
腕を振ることよりも腹式呼吸でお腹をポコポコ前後運動

させることに意味がある。
まるでエイリアンの幼虫が入っているかのようにお腹を
ポコポコさせることにより中の内蔵に刺激を与えているわけである。

正しいやり方を図にしたので参照頂きたい。
(絵が下手で申し訳ないが......)



腕を前に振る時に鼻から息を吸って、下丹田を膨らませていく。
吐く時に腕を後ろに振ってお腹をへこませる。この時、お腹の
前面が腰の”命門”というツボに触れる様な感覚を意識
してやる
ことが重要だ。

そして、重要なのが呼吸する時の舌の位置

上の前歯の付け根に舌の先っぽを付けないといけない。
このポイントは五行でいう”火”
の位置を表している。

何故、舌を上顎にくっつけるのかというと、中国の人体の気功ルート
というのは下丹田から始まって背骨に沿いながら頭のてっぺんの百絵を目指し
体の全面の方を下りながらまた下丹田に戻っていく様になっている。
いわゆる仙道で言う”小周天”というやつだ。

ところがこのルート、口の中で切れてしまっているのだ!

だから舌で上顎から下顎に掛けて”橋渡し”をしてやる必要

があるのだ。

この方法でスワイショウをやってみれば分かると思うが
この方法だと腕をリズミカルにブラブラさせるのが大変
難しい。
太極拳のように”ゆっくり”やることしかできない。
太極拳も元々気功としてやるから、あのゆっくりとした
動作になるのだ
。戦闘に特化した太極拳がやりたいのなら
”陳さんの田舎拳法”でもやっていればいい。
(陳式太極拳のこと)
私は”陳式”を非難していないが、例のカナダ人の道士に
よると、太極拳で気功的に唯一価値があるのは”武当山”の
太極拳だけらしい。
その道士に言わせると”陳式”なんてのは中国の片田舎の
農家のおっさんが教えていた拳法で、こんな道教の寺院で
も何でもない小村に本当に気功として優れたノウハウが
あると本気で思っているの?ということらしい。
その道士に言わせると中国の優れた技術は由緒ある寺院等に
しかないとのこと。
本当の事かどうかは分からないがちゃんと中国の茅山で
修行した中国人が言うのだから本当なのだろう。

ということでスワイショウに話を戻すと、よく気功教室で

腕を高速でブラブラ振っているおばあちゃんとかは
間違っているということ

あれはきちんとした動作でゆっくりやるものである。
気功なんだから


中々こういう情報って日本では手に入らないでしょ?
日本にいる中国人や台湾人も大半は道教の修行を
きちんと積んだ人間でもなんでもないからね。
占い師が教える気功も間違っている場合がほとんどだ。
こういった”占い師”達も道士でも何でもないからだ。

よく、本土の中国は文化大革命で伝統的な中国文化が
残っていないと台湾人や香港人が吹聴しているが、
常識で考えてあんなデカイ国で一つの歴史ある文化を
完全に根絶やしにできるわけがなくて、ちゃんと残っている
所には残っている


フェイド大帝は台湾や香港の本も勉強しているが、
個人的にはやはり中国本土の本が内容的に優れている
物が多い様な気がする。
もちろん台湾や香港にもいいものはあるが。

もし可能ならば、中国本土の龍虎山や、武当山等で
本格的に修行できるのが一番なのかもしれない。”


【少年サンデー マギ】黒焦げテス【BBQ坊や】
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-626.html
”少年誌では珍しく、子供(少年)が丸焦げの
焼身死体が描かれている。

2chや他の掲示板でも、「やり過ぎ」だとか
「気持ち悪くなって吐いた」という感想が
主なようだ。

実はあのシーンの本当の意味を理解している
読者はほぼいないだろう。

「マギ」というのは紛れもない”イルミナティ漫画”である。

つまり、魔術の観点から読んでかないと全く理解できない
構造になっている。

今回、あのバーベーキュー・シーンに至まで、ウーゴが
ひたすら変な呪文を唱えるシーンがある。

あの呪文のデザインは大高忍オリジナルだと思われるが、

中国道教の霊符に使われる文字によく似ている。

漫画の間違った道教知識しか持たない連中には
ウーゴの呪文はさしずめFATE等で言う”魔術回路”を
パクったデザインだと考えるだろう。
実際に何らかの電子回路の様なデザインだ。

だが、中国道教では北斗七星等の星や星座の
動きをああいう「電子回路」みたいな図形で
描く手法がある


だからウーゴの呪文の意味はフェイド大帝にも
流石に分からないが(まんま中国道教ではなく、
おそらくイルミナティ魔術のオリジナルが入っている)

あれは何らかの儀式の前に唱える呪文のはずである。

ちょうどウーゴの呪文のシーンが終わってから
来るのが例の少年テスの丸焦げシーンだ。

実は子供を焼き殺して捧げる儀式というのは
魔術の世界では珍しくない。

ここで言う”魔術”とは別に西洋近代魔術に限らず、
タイやマレーシアの呪術でも普通にある。

大高忍が入れこんでいる中東地方でいくと、
バール教が子供を焼いて生け贄に捧げていた
らしい。

旧約聖書でもアブラハムが生まれたばかりの息子を
生け贄に捧げようとするシーンがあるが、
寸前の所で神ヤハウェに止められる。

つまり公式上はユダヤ教はそれまで中東で伝統的に
行われて来た子供の生け贄を禁じているわけである


だから、大高忍はユダヤ教派では決してない。

登場人物はユダヤ教の歴史的人物の名を
冠しているが、明らかに大高忍の思想背景は
ユダヤ発足以前の中東土着信仰
がベースに
なっていると思われる。

ちなみに中東で生け贄を捧げる時の動物の
殺し方は基本的に二通りある。

 1.火炙り
 2.刃物で出血死
させる

例えばトルコで毎年行われる羊だか
山羊の生け贄儀式は確か2.の手法を
用いていたはずである。

1.は基本的にイランやインドのアーリア
宗教で用いられる場合が多い。

生け贄を焼き殺す理由は、火で焼いた後に
出る煙が天へと昇っていくことから、
天上に座する神の下へ届くと信じられて
いたからだ。

つまり”呪文+子供を焼いて生け贄”というのは
大高忍が仕込んだある種の”魔術儀式”であると
推察できねばならない。

”魔術儀式”完了後には当然なんらかの”リターン”が
あるはずだ。

つまり次号で何か大きな展開
があるのではないかと
フェイド大帝は睨んでいる。”

タイの人造座敷童”クマントーン”
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-632.html
”本日は世界の恐ろしい魔術の一例として

タイの人造座敷童”クマントーン”をご紹介しよう。

クマントーンというのはタイのお土産屋とかで
売っている、開運アイテムの置物で、
ミニチュアの仏像の様な形をしている。



ところで、所謂”開運グッズ”なので、お土産として
買った人は大体次ぎに紹介するブログの記事の
様なノリの認識が主流だろう。

ttp://plaza.rakuten.co.jp/ravia/diary/201007250000/

このブログ主は今時の女性または主婦のような感じ。

「座敷童ちゃんカワイイ〜。毎日お世話しちゃうわ〜!」

みたいなポジティブな反応だろうか。

しかし、このブログ主は実際にコレをどう作るのか
知らないのだろう。

日本で唯一これの作り方を知ってそうなブログがあった。

ttp://ameblo.jp/hiropomin/entry-11641421642.html

この方は実際にタイに住んでそうである。

ちなみに”クマントーン”の概要は以下のブログで。

ttp://khmersurin.blog62.fc2.com/blog-category-5.html

特に上のブログをしっかり読んで頂きたい。

「・・・その黒い所に埋めてあるんですよ


 胎児を焼いた灰を」

埋めてあるんですよ、胎児を焼いた灰を

!?

そう、読み間違いじゃない。

造り物でもない。

本物の生きた人間の胎児を焼いて作るのだ!

実はタイというのは子供の誘拐事件が多い。
人身売買のマーケットが地下で発達しており、
実際に黒魔術用の材料として高額で取引されるのだ。

こういった例はナイジェリア等のアフリカの未開国家
でも行われている


下記ブログでも紹介されている通り実際にニュースにも
取り上げられた事もある。
ttp://www.glitty.jp/2012/05/009460post_5097.html

※ちなみに逮捕された密売人がイギリス人である所に
 注目頂きたい

”クマントーン”は一般的には一番上の仏像の形をした
物が大半だ。

ところが”クマントーン”にもグレードがある。

一番高い奴は胎児の死体を丸ごと使い、金箔を
貼って作る






これが凄まじい”開運効果”なのだそうだ。

世界中の金持ち達が大金を積んででも、タイに
買い求めにやってくるそうだ。

しかも東南アジアの未開そうな金持ち達ではなく、

欧米先進国や香港からも金持ちが買いに来る。

当然、日本からも来ているだろう。

なぜ、そういった迷信を信じなさそうな欧米先進国の
教育豊かな大人達がこぞってこんな怪しい代物を
大金を出してまで買うのか。

実は商売をやられていたり、株等の投資経験の
ある方なら分かると思うが、

経済活動というのは不確定要素が多すぎる。
ノーベル経済学賞の理論でも説明不可能な
事象が日常茶飯事に起きる。


つまりビジネスで儲かるか、損するかは
本人の”努力”も確かに重要だが
それ以上に”運”の要素が強いのである。

だから長財布がお金を運んで来るという迷信が
一時期日本でも流行ったが、これは重要である。



この本では金持ちのアンケートを取っており、
お金持ちは長財布を使っている人が多いそうだ。

また財布の中に”お守り”を入れているケースが
多かったと報告している。

そう、商売が成功するか、しないかは誰にも分からない。
努力が実らない場合だってある。

だから金持ちは験を担ぎたがるのである。

これが”クマントーン”が世界中でベストセラーになる
理由
だ。

ここまでは予備知識。

このコーナーは”フェイド大帝流魔術”なので

実際にこの”クマートーン”の作り方をお教えしよう。

これはフェイド大帝が茅山道教の勉強をして
入手した作成レシピである。

※前回書いた様に中国人は三国志の時代に
 南蛮の呪術にこっぴどくやられた過去があり、
 タイの呪術が逆輸入で道教にも取り入れられている


まず、

 ①近日中に死んだ赤ん坊の墓を暴いて
  死体を手に入れる。もしくは
  適当な赤ん坊を誘拐する。
  生きた赤ん坊を使った方が効果が
  高いので
、後者が推奨される。

 ②火で加熱した金属網で攫った赤ちゃんを
  生きたまま
焼く

 ③火加減は弱火〜中火ぐらい。このくらいの
  温度で焼くと赤んちゃんの脂肪が液体状に
  なり、これを回収
する

 ④この焼いた生きた赤ちゃんから採取した
  脂肪を小さな瓶に詰める。

 ⑤この瓶を人通りのある公園等の大樹の
  根元
に埋める

 ⑥仏教僧(密教)が49日間お経を唱えながら
  大樹の周りをグルグル回る。

  ※49日というのは仏教の有名な数字で
   日本でも葬式等で耳にしたことがあるだろう。
   人間が死んだ後、魂が体から抜けて輪廻転生
   するまでの期間が49日
であると言われている

 ⑦お経の効果は公園の周りを彷徨う

  浮遊霊を脂肪瓶の中に閉じ込める
効果が
  ある。

  ※これは一種の呪術トラップである。
   その辺を彷徨う成仏しない浮遊霊というのは
   大半が悪霊であり、悪霊を瓶の中に
   閉じ込めて捕獲し、これを使役して
   術者の願望を叶
えさせるというメカニズム
   である

 ⑧悪霊を封じ込めた脂肪を瓶から取り出し、
  仏像の置物に埋め込む

 ⑨クマントーンの完成

使用上の注意:

 クマントーンは生きた”悪霊”を使うので

 捕まえた”悪霊”が餓死しないように
 毎日お供え物という食料をお供え
 しなければならない。

 お供え物を忘れると、悪霊はお腹が空いて
 元気が出ないので、開運効果が落ちる。

 ※神道の神棚の仕組みも基本的には
  クマントーンと同じである。
 
 注意点はお供え物が豪華すぎると
 
 悪霊が栄養を付け過ぎて、封印が
 壊れる場合がある。

 だから、お供え物の匙加減が重要なのである。
 ちなみに神道の神棚では”塩”や”水”等の
 粗品が多く使われるのは、一般人が間違って
 悪霊”天照等の古代の亡くなった人物”に
 お供え物を与えすぎると、

 悪霊は家主に牙を向く危険がある。

 ”霊”というのは時間が経てば経つ程、強力に
 なる性質がある。

 ※だから神道の神棚のお札は一年で強制交換
  させる

 だから、”クマントーン”は長期保有すべきではない。

 これの処分の仕方が分からないと大変な事が起きる。
 お土産で自国に持ち帰ったお金持ちがしばらく経つと
 開運どころか、悪運に苛まされるのはこれが原因である。

 であるので、”クマントーン”を使うのであれば、
 タイの呪術者の知り合いが必要不可欠である


以上だ。

フェイド大帝流魔術の導入編としては結構な
記事を提供出来たと思っている。

だが安心してほしい。フェイド大帝流では
基本的に黒魔術の類いは使用しない。

また、魔術の基礎からしっかり勉強して
いくつもりだ。

将来的にはこういった黒魔術の呪物を
払う退魔の技術
も身につけていく。

※ところで、クマントーンの知識があると
 サンデーのマギで大高が子供を焼いた
 エピソードを描いたのが如何に危険か
 良く理解出来たであろう。
 テスが黒焦げになる前に、ウーゴが
 変な呪文を唱えているのでこれは
 確信犯である
。”

無料でDL出来る魔術書(英語だけど)&魔術修行の覚悟について
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-634.html
”ところで、フェイド大帝だったら魔術師とは
ケンカしたくない。

奴らを怒らせるのは危険すぎる。

何故なら魔術師の使う魔術や呪術、邪術は
本当に恐ろしいからだ。

前回もタイのクマントーンという邪術を
紹介したが、世界にはこの他にも様々な
邪術が掃いて捨てるほどある。

例えば「呪いの藁人形」が有名だ。
これは魔術の分類では「Hexing doll」と
呼ぶ。Hexは「縛る」みたいな意味だ。
実は藁人形文化は世界中の至る所で
似た様な術がある。

特にユーラシア大陸は同じ術が大陸中に
広がったのではないかと思うぐらいだ。
アフリカにもあれば、もちろん中国にもある。

ところで日本の陰陽道の「藁人形」、
元は中国道教から伝わった物だと思われるが、

中国道教と作り方が違う。

中国道教の作り方の方がずっと複雑で細かいので
恐らく日本版の物は劣化版であると思われる。
作った後のメンテナンス方法も伝わっていないよう
だしね。

この術は、世界中に存在するのとかなり歴史が古い。

つまり実際にはかなり効果があったのだろう。

いくら古代人が現代人に比べて未開だったとしても
全く効果が無ければ、何千年もこの術が後世まで
伝わるはずがないのである。

未だにこの術が残っているということは、
この術は”本物”なのだろう。
迷信以上の何かがあったはずなのだ。

ところで、この呪物(藁人形)、呪う相手の
体の一部(髪の毛等)か持ち物があれば
ピンポイントで術を掛けれるのだが、

現代のこの術は更に改良されている。

いいか?今から2chの様な匿名掲示板で
安全な所から毒を吐く連中にとっても非常に
恐ろしい事を言う。

現代の中国道教のこの術は相手が匿名でも
呪いが掛かる様に改良されている!


実はプロバイダにコネがないとIPから相手の
個人情報を特定するのは不可能なことは
ネットワークを多少勉強した人間なら常識だ。
恐らく、悪質なコメントを匿名掲示板で書き込む連中も
現代の一般人の持つ技術では個人を特定出来ない
ことが分かっているから、公の掲示板などで
でかい顔をして威張って投稿している。

彼らに取っての悲報は”魔術”は魔術師に
手を出した時点で、”繋がり”が形成されることだ


オタクが好きな言葉で言い換えると
「魔術回路」というのが繋がってしまうのである。

しかも、大半の人が更に勘違いしていることがもう
一つある。

”魔術”とはアニメやゲームの様に、手の平から
炎やビームを出す技術ではない。

本物の魔術は目に見えなければ、音もしないし、匂いもない。

そして現代の法制度では裁けない。

理由は簡単だ。”魔術”に用いられている理論というのは

現代科学(主に物理学)に基づいた理論ではない。

だから仮に貴方が本物の魔術師を怒らせて、
何らかの術を掛けられたとしたら、

まず、魔術知識も技術もない貴方は全くの
無防備で術を防ぐ術が無い。

そして、

キャリア出の警察官でも司法試験をトップで
パスした裁判官でも貴方を守る事はできない。

物理的な証拠等残らないのだ。魔術は。

ここでフェイド大帝が言う魔術とは19世紀の
ヨーロッパで流行った、近代儀式魔術の事を
言っているのではない。
あんなのはイギリスの魔術オタクが作った
お遊戯レベルの術以前のものだ。

前回のクマントーンの記事で頭のいい人は
気付いたと思うが、世の中には数百年、
数千年、伝わってきた本物のガチ魔術が
存在する。

別に迷信でも、ただのハッタリだと思って
頂いても一向に構わない。

忘れかけた頃に、不幸が突然やって来る。
誰かが術を掛けたのかもしれないし、
貴方が考える様にただの”偶然”かもしれない。
しかし、そんな事を心配してどうする?
いずれにせよ調べようがないのだ。
真相は常に闇の中だ......
少なくとも術者本人でない限りは


だから、貴方は気軽に魔術師になりたいと
言う。
イルミナティの様な世界の”悪い魔術師”
達から人類を解放したいと願った。

しかし、貴方は本当に”魔術師”になりたいのか?

闇の魔術師と闘うということがどれだけ恐ろしいか
理解出来ているのだろうか?

はっきり言って、オタクがアニメやゲームに憧れて
魔術の真似事で倒せる様な輩ではない。

正直に言うと、”フェイド大帝流”をいくら極めても
勝負にならない。

魔術師としてのキャリアが違いすぎる!
奴らと我々とでは!

だから、月並みな表現で申し訳ないが、

”フェイド大帝流”は遊びじゃない。

本気で学ぶ事になるのだ。邪術を退ける防護術を!

ただの秋葉の魔術オタ以上を本気で目指す気が
あるのなら、

決死の覚悟で臨んでほしい。

口を酸っぱくして何度でも言う。

本物はガチでヤバイ……!!

・・・・・・

ちょっと厳しめの記事になってしまったが、

ところで、具体的な「藁人形」の作り方、使い方は
まだ教えない。
皆さんの準備がまだ整っていないからだ。

その代わりと言ってはなんだが、皆さんに取って
お得な情報を今回はお裾分けしようと思う。

下記のサイトに注目。
ttp://darkbooks.org

このサイトのBooksのタブからかなりマニアックな
魔術書(英語だが)PDFで無料でダウンロード出来る
様になっている。
基本、著作権の切れている本ばかりではあるが、
日本では入手出来ないマニアックな古典も沢山
あるので是非目を通して頂ければ幸いだ。


【少年サンデー マギ】230話ウパニシャッドの創造神話を知らない謎は解けない
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-633.html
”※ところで小学館についてもう少し詳しく知りたい方は
 「相賀一族」で調べて貰えると色々勉強になると思うよ。
  特に二代目
が要注意人物な。

今週のサンデー・マギ、また爆笑させてもらった。

フェイド大帝が前回解説した様に、ダビデが後方基地を
襲い、テスを焼いたのはイル・イラーに捧げるための
生け贄としてだと告白した。(笑)

※ちなみにテスを焼いた日が、イル・イラーの
 吉日だという台詞から、大高が中国神秘学を
 下敷きにしたのが分かる。キリスト教文化でも
 擇日の文化はあるが、マイナーだ。
 擇日の影響が深く根付いているのが中国文化

 である。

ところでダビデが”運命”がどうのこうのと
言っている箇所だが、これも「大高は竹本泉
からパクっている!」と叫ぶのが精一杯の
2chラー達の浅い学識じゃさっぱり謎が
解けない。

実は、これはフェイド大帝の書いた
「ヴェーダ/バラモン教編」を読んで
頂ければすぐ理解できる。

古代アーリア系宗教では創造神は”悪”
なのである。また、”死”を表し、人間や
動物は創造神のための”餌”として創造
されたに過ぎない。

だから人間が”不幸”なのは最初から
決まっている事だから、この事が
ダビデの言う「絶望する運命」なのだ。

ではソロモンがどうこれに抗うかなのだが、
恐らく自分でパラレル・ワールドを作るのだろう。
自分が神=聖者になれば、”死”を司る創造神より
マシな世界が出来上がるだろうという考え。

「人間が神になる」という思想はインド・アーリア系
宗教では梵我一如の思想の様に当たり前であるが、
ユダヤ教系では人間が神になるのは絶対に許されない。

これはルシファーが神に成り代わろうとした神話
ともリンクするし、「打倒キリスト教!」を
掲げ、科学の発展によって人間が神の代わりに
なろうとするフリーメイソン教とも相性がいい


大高忍が「過去の最低帝国」を毎日読んでいるのか
どうかは知らないが(アクセス解析を見ると串で繋いで
いる奴が一人いるので、大高かもしれないが......)
まぁ、大高の考える事は実に分かり易い。(笑)”


新しく”フェイド大帝流魔術”を興そうと思っている
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-630.html
”実はマギという漫画、なぜ「シバ」という少女のキャラに

角が生えたいるか考えた事はあるだろうか?

旧約聖書の伝説によると史実のシバの女王は
エチオピアもしくはイエメンの女王だった。

ところが、人間の頭に”角”を生やすという特徴は

ケルト人文化かシュメール文化の特徴なのだ。

ケルトではケルヌンノス神のように頭に鹿の角を生やす。
マビノギオン等のケルト神話を読んで頂ければ
早いが、ケルト文化では”怒り”を表現するのに
”角を生やす”という例えを用いる。

また、シュメールやバビロニアでは”神”と
呼ばれる者達や王族は牛の角を模した
冠り物を冠る特徴がある。

牛は古代文明においては重要な家畜
であったため、自然と牛は崇敬の
対象となったのだろう。

だが、いずれにせよケルトもシュメールも

エチオピアやイエメンとは関係がない。

つまり大高が世界の王たるソロモンの妻
としてシュメールの血筋の者を推したかった
事情が掴んで取れる。

これらはある意味”魔術”なのだ。

”魔術”程、日本が遅れている分野はない。

実は”魔術”というのはアフリカやアマゾンの
原住民だけが行う土着呪術ではない。

意外に思うかもしれないが、先進国の
金持ちや権力者程、魔術を実践
している。

ここでフェイド大帝の言う”魔術”とは
”心理学”だとか”哲学”のことを指しているの
ではない。

あの魔方陣を描いて悪魔だか精霊を呼び出す
例のアレのことを言っている。

タイやマレーシアは魔術先進国である。
三国志で孔明が南蛮遠征にいく箇所が
あったと思うが、制圧完了後、孔明は
南蛮人に人間の首を川に流す風習を
止めさせている。

代わりに小麦粉で肉や杏子を包んだ
料理を頭の代わりとして川に流させる
ように変えた。
これが”饅頭”という料理の起源らしい。

実は、史実ではこの時、中国人はかなり
南蛮の呪術に苦しめらていたのだ。

南蛮の呪術が余りにも効果的であったため、

伝統的な中国道教の道術では全く歯が立たなかった。

一般的には三国志のエピソードの様に中国人が
南蛮人に苦戦したことは書かれていない。
中国人はプライドが高いからだ。
しかし中国道教の界隈では中国人が南蛮人に
全く歯が立たなかった事実は有名な話である。

結局は南蛮の優れた呪術を逆輸入して
発展したのが

茅山道教である。

道教の茅山派というのは日本では文献学者が
創始者が陶弘景であるぐらいしか記述がないが、

世界的に茅山派の呪術は恐ろしい効き目と
いうのは”常識”である。

日本人ぐらいなものである。明治維新後の西洋科学かぶれ
に傾倒し、古来の魔術文化、知識を廃棄してしまったのは。

そのせいで、日本人は世界で最も魔術/呪術に
対して免疫力の弱い民族となってしまった。

つまり、日本人には魔術を掛け放題なのだ!

当然、魔術には相手を攻撃する術もあるが、
他の魔術師の攻撃を防御する術もある。

しかし、日本人は防御魔術等全く使えない。
これでは「呪いを自由に掛けて下さい」と
世界に発信しているようなものである。

本来、魔術というのは師匠に弟子入りして
覚える物であるし、中国道教では
武当山に道士を育てる教育機関
がある。

しかし、一介の日本人がなんのコネもなく
これら本物の魔術師に弟子入りするのは
非現実的だ。

日本の神道でさえコネがなければ神主に
なれない。

当然、フェイド大帝も本物の魔術師の
弟子ではない。

しかし、このまま敵対勢力の魔術師達に
良い様にされるのは好ましくない。

そこでフェイド大帝が今まで蓄えてきた
魔術・オカルト知識を総動員して

新しい魔術流派を起ち上げようと思う。

それが”フェイド大帝流魔術”である!

はっきり言っておこう。フェイド大帝流を修めても
既存の伝統的な魔術流派の魔術師達には勝てないだろう。

こういう新しい流派の開祖というのは、やたらと
自分の宣伝をし、やれ最強だのなんだの
風呂敷を広げるものだが、

フェイド大帝はそんな無責任な開祖と
同じではない。

なぜなら、フェイド大帝は「本物の魔術」
が真に恐ろしいものであることを十分知っている
からである。

アマチュア研究家が気分転換に起ち上げた流派
でどうのこうの言う以前の問題なのだ。

だが、それでも尚、日本の皆さんにフェイド大帝が
開発した新しい魔術を紹介する意義はあると思っている。

本物の魔術師には遠く及ばないかもしれないが

しかし、本格派だ。

魔術の玄関前の玄関マットの端っこぐらいには
立てる様にはなるだろう。

具体的には

中国道教をベースとする。

これは比較的文献が豊富であり、
秘伝を学ばなくても応用できる部分が多いから
である。

不足部分はヨーガとチベット密教で補う。

というのも中国道教がの主要道術が
開発されたのは古代中国であるが、
現代の中国道教は北京語や広東語で
呪文を唱える。
これは本来効果がないはずである。
なぜなら呪文というのは音声そのものを
重視するからだ。
だからインドのマントラや密教の真言は
古代のサンスクリット語から何も変えていない。
で、あるため中国道教の主要呪文を該当しそうで
あるヨガのマントラに置き換えるのが
フェイド大帝流の特徴だ。

また密教は呪術としての実績がとにかく凄い。
日本の歴史を振り返ってみれば分かるが、
密教呪術は何度も神風を起こしている。
蒙古も退けたし、アメリカのルーズベルト
大統領の呪殺にも成功している。
この密教の中でも特に完成度の高いと
言われている

チベット密教を織り込んであるのが
フェイド大帝流のもう一つの特徴である。

さらに、ユダヤ・カバラも織り込む予定である。

これは”黄金の夜明け団”系のクリスチャン・カバラではない。

本物のユダヤのカバラだ


これら様々な魔術技術を組み合わせれば、
かなりいい線いくのではないかとフェイド大帝は
睨んでいる。”


”なぜ日本のアニメーターはオカルト・シンボルを盛り込みたがるのか?”について
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-568.html
”まず、アニメで一番最初にメイソン的なメッセージを盛り込んだのは
アメリカのウォルト・ディズニーだと思われます。
というのもディズニーは実際にフリーメイソンの会員でした。

アメリカはヨーロッパ大陸と違ってローマ・カソリック教会の
キリスト教の支配力が比較的及んでいない大陸なので、
おなじ白人でもフリーメイソンや神智学のような18世紀〜19世紀
に興った新興宗教
が信者を獲得しやすい環境だったのです。
ヨーロッパは比較的伝統的なキリスト教勢力が強いので、
近代化が進んで信仰心の薄くなったイギリス、フランス、ドイツ、
オランダを除くとメイソンや神智学の様な新興宗教が
流行り辛い環境でした。
つまり伝統的なキリスト教を信じない人、ヨーロッパで
まともに生活できない人達がアメリカに多く移民してきたのです。

またユダヤ人も一般的なユダヤ人というのはユダヤ人同士で
固まる傾向が強くて、信仰も基本的に伝統的なユダヤ教です。
メイソンみたいなキリスト教系の団体に入りたがるユダヤ人
というのは伝統的なユダヤ社会ではむしろ例外だったわけです。
つまりユダヤ人の中でも”相当変な人”達がこぞってメイソンに
入会したり、アメリカに渡ったわけです。

従いまして、当然メイソンに入会していたディズニーも
どちらかというと”変な白人”の仲間だったわけです。
(これは差別表現ではなく伝統的なヨーロッパの
 白人と比べた場合の話です)

なぜディズニーが”ダンボ”等の作品にそういうメッセージを
入れてたのかというと、当時は第2次世界大戦の前後でして、
アメリカでも右翼とそうでない人達に分かれていました。
元々、アメリカはウッドロウ・ウィルソンが大統領になるまで
どちらかと言うと他国の政治紛争に関わらない政治体制を
貫徹しておりました。
この伝統は当時のアメリカでもまだ根強く残っていて、
大戦に参加しない意見を持っていた人達が多かったのです。

ところがフリーメイソンというのはその名前からも分かる通り、
”民衆の自由”のために戦う組織が元なのです。
ですのでフランス革命のときは革命側として専制政治を
行っていたフランス王家側を相手にゲリラとして戦って
いたわけです。
イルミナティの黒い教皇と呼ばれているアルバート・パイク
という著名なアメリカ人の軍人さんがいますが、
私、フェイド大帝はパイクの主著である”モラルとドグマ”
を原文で読んだことがあります。
(この本は何故か和訳されていません)
陰謀論家が騒ぐほど酷いことが書かれている書物ではないのですが
パイクはこの本の中でフリーメイソンの組織の目的を
定義しています。
パイクによると、

「フリーメイソンとは民衆を苦しめる
専制/独裁政治を地球上から無くすために活動する組織」

と定義しています。

これは18世紀のヨーロッパで興った民主主義革命の延長線上
にある考え方でして、当時のヨーロッパ人の知識人達にとって
は至って普通の考え方です。

従いましてフリーメイソンは表向きはキリスト教系の組織として
設立されましたが、

本来、キリスト教会とは相性の悪い理念
の組織なのです。

というのもヨーロッパの中世史に詳しい方には一目瞭然ですが、
ローマ・カソリック教会というのは元々、専制/独裁的な組織だった
わけです。民主主義的な組織ではないわけです。

従いましてフリーメイソンにとってキリスト教会と
いうのは本来倒すべき”敵”だったのです。

民主主義を広めるための組織ですからね。

だから民主党の鳩山家がフリーメイソンの思想に迎合する
のは当然なのです。

アメリカに話を戻すと、当然当時のフリーメイソンはドイツの
ナチスを仮想敵としていました。
ナチス党は民主主義とは真逆の独裁政治制だからです。

ところが上述の通り、アメリカの一般大衆は戦争に
消極的だったわけです。
そのため、アメリカの当時の反ナチ勢力というのは
主にゲリラでした。公には活動していなかったわけです。
当然敵はドイツですから、ヨーロッパ本土にも沢山
反ナチの工作員がいたわけです。

ここで問題が一つ生じます。

アメリカ大陸とヨーロッパ大陸との連絡手段です。

当然ドイツでは反ナチ的な番組はテレビやラジオでは流れません。
当局からの検閲があるからです。

ところがアニメだけは例外で放映されていたのです。

そのため、ヨーロッパ本土の工作員との連絡手段としてアニメ放映は
普通に利用されていたのです。
フリーメイソン・メンバーであったディズニーがメイソンのメッセージを
自分の会社のアニメに盛り込んだ目的はここにあったわけです。

これがアニメにオカルトシンボルを盛り込む慣習の
起源になったわけです。

元々は政治目的
だったわけですね。

では何故日本のアニメにもメイソンシンボルを
盛り込む様になったのか?

当時の日本アニメの質というのはアメリカのディズニーと比べると
非常に劣った品質でした。
現代では競合社の製品を研究分析する手法のことを
”ベンチマーキング”と経営学では呼びます。

日本人というのは研究熱心な民族ですから、

アメリカのディズニー作品を大変良く研究したわけです。

当然セル画一枚単位まで分析するわけですから、当然ディズニーの
メイソン・シンボルにも気付いたはずです。
当時の日本の主要アニメ・プロダクションは手塚治虫の
虫プロぐらいしかなかったわけですから、手塚治虫のような
仏教系オカルト好きの人間には絶対に見抜かれていたはずです。
シンボルの意味まで理解していたかは不明ですが、
当時の日本の”モノづくり”というのは基本的に欧米諸国の
コピーに終始していました。

より良い製品を開発する体制が日本企業で一般的に
なったのは実はつい最近の話なのです。

従いまして、日本アニメの黎明期にはディズニー・アニメの
モロ・パクリ・コピーが主流だったのです。

こういった歴史的事実があるため、ディズニーが後に”ライオン・キング”を
発表した時、

虫プロは”ジャングル大帝”のパクリだと騒がなかったのです。

当然、天下のディズニー様が”アトランティス”を発表した時も、
庵野秀明の様な東洋の特撮オタクごときが”不思議の海のナディアのパクリだ”
と騒ぐこともできなかったのです。それはディズニー様に対して
大変失礼な態度だと日本のアニメ業界では考えられていたのです。

ですので、庵野監督はご自分の立場が良く分かってらっしゃる方なので
ディズニー様に敬意を評して、”エヴァンゲリオン”という出世作に
オカルト・シンボルを大量に盛り込むというディズニー・アニメの
伝統的手法
をオマージュとして採用させて頂いたのです。

ところが、現代の若いアニメーター達はそういった歴史的
背景/事情を知りません。

彼らは”エヴァンゲリオン”が大変な成功をおさめたという前例にならって

エヴァンゲリオンのモノマネ・コピーをしているだけです。

厳しい言い方をするとエヴァの真似をするだけで精一杯なのが
今のアニメ業界の実力なのです。

これが、未だにアニメにオカルト・シンボルを入れたがる
主な理由の一つです。

ちなみにアニメ以外のニュース番組等に”33”等のヒンドゥー/仏教系
の暗号
を入れる伝統はディズニーとは関係ありません。
TV業界の話はまた別の機会にします。

ちなみにガンダムの富野監督に関しては上記の事情とは
少し異なります。

実は富野監督の若かった時代というのは左翼運動が盛んだった
時代と重なります。
ソ連の共産革命時代ですね。
当時は日本でも学生運動とかが盛んでしたね。

宮崎駿監督の”ナウシカ”も反資本主義
バリバリのアニメでした。

当時はそれが普通だったのです。

ところが学生運動に参加していた学生というのは
反体制的ということで、

一般のマトモな職業には就けなかったのです。

会社側でそういう学生の採用を避けていたのです。

ですのでそういう偏った思想を持った
若者がアニメ業界等に流れていったのです


富野監督のインタビュー記事を読んでも分かりますが、
富野監督が若かった時代はアニメーターというのは
世間に”職業”として認識されていませんでした。
ですので税務署に確定申告をしても税務官に

「アニメーターってなんですか?そんな職業あるんですか?」

と逆に聞かれたそうです。

つまり、普通の会社に就職できなかった
ちょっと頭が普通の人達と違う人が
アニメーターになっていたわけです。

だから富野作品はちょっと変わっているのです。

富野監督は多分、手塚治虫の影響だと思いますが、
思想的に仏教寄りです。それも本場インドの。

だから富野作品にはインド人が沢山出てきます。

”Vガンダム”のエンジェル・ハイロウという兵器も
ヒンドゥー教のグルの格好をしたシャクティという
インド人の少女が変なヨガ・ポーズを取ると、それが
波動になって、照射された人々が赤ちゃんに退化して
しまうという現象が置きます。

これは中国の道教の知識とウパニシャッド哲学に精通していると
意味が明らかになります。

道教では人間の理想的な精神状態を”先天の氣”と
考えています。

これは何かというと、人間というのはお母さんのお腹に居る時は

完全に”善”の状態なのです。

つまり道教というのは性善説
なのですね。

ところが赤ちゃんが生まれて成長していくと、

外的環境から”悪”の知識が心に芽生えると考えました。

だから大人の人間社会から悪が無くならないのは
成長の過程で悪のテクニックを学んで身につけて
しまったからだとインドや中国では考えられていたのです。

これを道教用語で”後天の氣”と呼びます。

道教の気功やヒンドゥー教のヨーガというのは

この”後天の氣”を吐き出して、”先天の氣”に戻すための
技術なのです。

だからVガンダムの世界でザンスカール帝国が理想的な
人間社会を構築するために人間を”赤ちゃん”の状態に
戻そうと試みたのです。

宮崎駿もそうですが、富野監督にとっては”文明”というのは
”大人の悪の知識”がもたらした物と捉えています。
これは旧約聖書のアダムとイブが知恵の実を食べて
天国を追い出された説話とも関係しますね。

ですので宮崎監督も富野監督も”文明=資本主義は悪”

という考え方が基本になっているのです。
(宮崎監督はこれに”少女は正義
”という思想が加わります)

だから∀ガンダムの月光蝶で文明を消し去ったり、Gガンダムの
デビルガンダムが無限膨張したりするのです。

今の若手アニメーターというのはこういった先人の
アニメを観ながら育ってきたわけです。

だから変な思想やオカルトチックなアニメ
ばかり作りたがるのです。

つまり宮崎駿監督、富野監督、庵野監督の”マネ”から
抜け出せていないのです。”
”まず、フリーメイソン型の秘密結社というのはフリーメイソン以外にも
掃いて捨てるほどあります
。(笑)
で、中には政治と密接に関係のある組織もあります。
例えばイスラエル系(ユダヤ系)の組織とかがそうで、これは
単純に政治学の世界でイスラエル・ロビーと呼ばれているもの
と一緒ですね。余りにもあからさまなので秘密組織でも何でないのですが.....
こういった政治ロビー系の団体は別にイスラエルだけに限らず、
他の国も皆そういう団体があります。日本ももちろんあります。
例えば海外での日本企業が活動しやすい様に当局政府に便宜を
計ってもらうよう働き掛ける団体とかあります。
日本の場合、基本的に官僚系の組織ですけどね。

当然こういった組織は自コミュニティの利益追求が
主なインセンティブですから、部外者から見たら
”悪の組織”に見えたとしても不思議ではないでしょう。(笑)

こういった政治系やビジネス系以外ですと純粋な宗教系の
団体も存在します。これらは主に自教義の布教活動が主ですね。
キリスト教系とか多いですよ。日本だと仏教系かな?
ただ本来、仏教はあまり布教とかやらない教義なんですけどね......

日本のアニメ業界を牛耳っているのはどちらかというと宗教系だと
思われます。

フリーメイソンが”悪の組織”かどうかですが、まずフリーメイソン
というのは支部によって運営方法だとか考えが異なります。
「会員同士仲良くしなさいよ」みたいな全支部共通の理念みたいな
物はありますが、キリスト教会の様に法王みたいな統括者がいて
全体が一丸になって.....みたいな仕組みにはなっていません。
一応、新しい支部を設立するには他のグランド・ロッジの承認や
推薦はいるみたいですが......
ですので、支部によって活動の性格が大きく変わる様です。

多分、日本で問題になっているのは主にアメリカ系とフランス系の
支部なのではないでしょうか?(個人的には根っこにドイツ系が
絡んでいると睨んでいますが)
歴史的にもアメリカとフランスのメイソンは革命活動に熱心
でしたしね。

まぁ、でもどこの組織にも”変な人”はいますから別にフリーメイソンに
限った話でもないと思いますけど。

結局は組織云々よりも所属しているの個人の問題なのではないでしょうか?

後、余談ですがイギリスの”黄金の夜明け団”という魔術結社の
マニュアル本には複数の組織に二股かけて所属せよという指示があります。
別の組織で”グランド・マスター”と同等の位にならないと”黄金の夜明け団”
では出世できない仕組みになっています。
なぜ二股を掛けるかと言うと一つは他団体の秘儀(情報)を盗んでくるためと
他団体を乗っ取るためだとそのマニュアルには書かれています。
”黄金の夜明け団”自体は潰れてしまって現在は存在しませんが、
余りメジャーではありませんがいくつかの孫組織は現代まで
生き残っています


個人的にはこういう”魔術結社”系が一番怪しそうですけどね。


この”精神世界本”が意外と良かった
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-639.html
”そして”笑っているシーサー”には効き目が
ほとんどないことを突き止める。

これは魔術的に全く正しい。

沖縄のシーサーは本州では神社の狛犬に
相当するが、元々は中国の風水アイテムの
獅子の置物から来ている。
この文化はチベット経由で中国に伝わるが、
元々はインド/イラン、シュメールの中東
地域が発祥であると考えられている。
昔のシュメールの王族はライオンを飼う
風習があったらしく、いつのまにか
ライオンを模した像が魔除けの効果を
持つ様になったと言われている

(FATE zeroのEDのギルもライオンを飼っている
 描写がある)

だから、本来はイカツイ顔をしている。
ライオンが笑っていたら効果がないのは
当たり前
だろう。

そして、橋本氏の目の付け所のいい所が
もう一つある。

犬のいる部屋はゴーストが少ないらしい

と考察している所だ。

実は、フェイド大帝は今、”超運犬”の研究を
しているのだが、どうやら世界的に見ても
犬が魔除けの効果を持たらすケースが
非常に多いのである。
逆に猫は余りそういった逸話がない。

具体的には魔除け効果の高い犬種と
そうではない犬種がいるらしいことも
分かってきた。

ところで、今日本で流行っている犬種は

全然、超運効果がない。
(少なくとも歴史的な根拠に乏しい)

しかも、品種改悪によってワザと
超運効果が削がれている犬種も
その中に含まれている。

多分、日本を弱体化するためのイギリス人
の策略なのだと思う。

イギリス人の犬の改良に関する執念は全く
の異常であり、犬の世界の優生学は
旧ナチスもびっくりするぐらいの徹底ぶりである。

しかも、イギリス王家はやたらと犬を集めるのが
好きだ。

これはただペットが飼いたくて集めているわけ
ではないだろう


そう、犬には重大な秘密が隠されているのだ。


法隆寺の爬虫類人像は干支の十二神将!道教の儀式道具です!!
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-649.html
”法隆寺にトカゲ頭の座像があるということで
大騒ぎしている連中がいる。
シュメールのレプティリアン像と同じだの
何だの。

ttp://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/



よく見ると分かるが、トカゲ頭としているのは

本当は馬頭。

で、他にも鼠頭とか鳥頭がいる。

これはそんな珍しい物ではなく、
中国の道教の干支型十二神将
の像だ。

学研の「風水の本」より↓



だからレプティリアンと何の関係もない。

では、何でこんな奇妙な道教の像が
仏教の寺の法隆寺にあるのか?

法隆寺というと聖徳太子だが、
こいつの伝記を読んで貰えば分かるが

コイツかなりの呪術オタ。

元々、聖徳太子は最初から仏教の教えなんざ
全く興味がない。

ええ〜!? じゃない。

聖徳太子は実在しなかったのではないかと
いう説もあって、彼が大乗仏教に精通されている
と思われる著作集、「維摩経」、「勝鬘経」の
解説書は後代になって偽造されたものである
との疑いもある。

現に聖徳太子の仏教知識なんぞ目も当てれない
ぐらい稚拙なレベルだ。

物部守屋を討つ時に彼が取った行動を
じっくり分析すれば明らかだ。

奴は物部守屋に矢が当たる様に仏像に
願掛けしている。

おいおい、仏教ってそういう使い方じゃないだろ!(笑)

聖徳太子や日本の皇族が仏教を何が何でも
輸入したかった理由は

仏教の呪術としての効果に期待してだ。
だから後代になって皇族はやたらと
密教呪術に傾倒していく。

つまり、物部氏の神道の呪術よりも
仏教の方が呪術効果が高いと判断した
からなのだ。

だから、空海の密教等がもて囃されたりもした。

逆に最澄の入れこんだ天台宗というのは
”ガチ哲学”系の仏教だ。

だから、最澄の仏教は彼の生前時には全く人気が
なかった。

後に最澄の弟子達が密教を中国から再輸入してから
天台宗が一気に日本の国教へと出世するようになった。

だから法隆寺という聖徳太子縁の寺に道教の
呪術用の道具が置いてあっても何ら不思議は無い。

多分こいつらは隣国のありとあらゆる呪術を
輸入して試してみたのだろう。

で、たまたま偶然なのか、本当に呪術効果があったのか
は分からないが、仏教が一番効果が高かった。

だから日本は仏教国になった。

決して、仏教の教えに感銘を受けたからではない


日本という国は所詮、卑弥呼の”鬼道”の
頃のメンタリティから全然成長してなかった
ということなのだ。

ちなみにこの道教の十二神将像の呪術、
基本的には戦争で相手の将軍を遠隔地から
呪殺するための儀式に使う。

道教の呪術の中ではルーズベルトを屠った
”大元帥の法”と同じぐらいの威力を持った
強力な術だ。

こんなヤバイ術を集めていたとは如何にも
聖徳太子や皇族の連中らしいと思ったが
。(笑)

ちなみにこの道教の呪術、フェイド大帝はこれの
やり方も知っているが、この術はかなり手順が
複雑なのと、動物の生け贄やら血とかを沢山
使う上、この”神将”という悪霊が制御しにくい
上、扱いを間違えると術者を攻撃してくる

性質があるので、教えるのは省くことにする。

どうしても知りたい場合は自分で探してくれ。

まぁ、扱いにくいから仏教に乗り換えたんだと
思うけどね
。(笑)”


【アイク】何故、地球は月から攻撃を受けるのか【ムーンマトリックス】
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-491.html
“デービッド・アイクというと、有名なおじさんなので
知っている人も多いと思うけど、
陰謀論の大御所の一人ね。

爬虫類人に地球は支配されているという説を
唱えた人。

日本のスピ業界や新興宗教で扱っている
レプティリアンの元ネタの人。

そのアイクがヒカルランドという文庫で出している
シリーズが”ムーン・マトリックス”。

その中のネタの一つで月にレプティリアンの基地があって
地球を巨大なアンテナ兵器で霊界に飲み込もうとしている
とかなんとか。

このネタ、始めて聞く人には突拍子もないように聞こえるし、
アイクの想像力に舌を巻く人もいると思うけど、

「このネタ、ちゃんと元ネタがある」

ご存知の通り、アイクを”洗脳”したと言われているのが
スピ業界の大物、ベティ・シャイン女史だと言われている。

アメリカのスピ業界ってのは近年になってぽっと出たわけではなく
ちゃんと歴史がある。
基本的には19世紀イギリスの”黄金の夜明け団”という魔術結社と、
ブラバツキーの”神智学協会”が元。
この二つの組織の元ネタはインド哲学とネオ・プラトニズムの
プロティノス辺りね


だから、アイクの妄想の戯言も大体この二つの組織の知識が
元ネタなわけ。



上図はご存知の通り、ユダヤ・カバラの”生命の樹”。
アニメのエヴァで有名になった奴ね。

この図は11個の玉(セフィラ)で構成されている。
それぞれの玉に占星術の惑星の記号が振られている
通り、この太陽系の惑星を表している。
で、一番下の”マルクト”ってのが地球。
”マルクト”の玉の中に三角形が4つあるでしょ?
これは物質を構成する四大元素(火、土、水、風)
を表しているわけ。
だから我々の住む可視世界=地球なわけ。

で、この”マルクト”の上から線が一本伸びて
”イエソド”に繋がっている。
この”イエソド”は月を表している。
月ってのは魔術の世界では”霊界”を表している。
何故かと言うと魔術師は四大元素の他に
第5の元素があると考えているわけ。
この第5の元素は目に見えない精神的な
物の構成要素。
だから、彼らがアストラル・ボディとか読んでいる
幽体離脱ってのは第5の元素を通して精神を肉体(四大の内の土の塊)
から分離する作業なわけ。
でこのアストラル・ボディを使って霊界を旅するわけ


だから、四大を表す地球から線が一本、月の方へ
伸びるわけ。
これを魔術的な図式で表すと五芒星になる。
だから召還魔法で床に五芒星を描くのは
霊界の世界から四大の世界(つまり地球)に
モンスターを連れてくるという意味になるの。

だから、アイクに取っては地球に一番近い
レプティリアンの基地は月にないといけないわけ

で、アイクによるとこのレプティリアンというのは
低層四次元の生命体。目に見えないし、人間に
憑依もする。それは彼らが”霊界”を表す”月=イエソド”
を住処にしているから。
アイクが毎回本の最後のほうでほざく高次元を目指そう
の高次元っていうのはこの”生命の樹”の”ティファレト”
以上の世界の事。
”生命の樹”ではユダヤの神(プラトンの言うデミウルゴス)
ってのは”ケテル”の玉の中に住んでいる。
”ティファレト”ってのがちょうど真ん中にあってこの玉は
キリストを表すのね。
で、人間ってのは”マルクト”に留まっている限りは
動物と変わらないわけよ。
この”生命の樹”の元ネタを作ったプロティノスという
ネオ・プラトニズムの哲学者が元々、啓蒙思想主義者だった
からね。
人間ってのは特別な存在で必ず理想型というのが存在しないと
いけないわけ。
これはプラトンのイデア思想からきていて、イデアってのは
理想の世界なわけだから、人間にも人間のイデアってのが
あるわけ。
で、人間のイデアってのが神だと考えたわけよ。中世ヨーロッパ人は。
聖書に”人間は神に似せて作られた”って書いてあるからね。

じゃ、人間が神になるにはどうしたらいいか。
それには精神の修行が必要になってくるわけ。
これはインドのバラモン思想から来ていて、
道教の神仙思想にも通ずる。
ブラフマン=神とアートマン=人間/自己の
統合のことね。
だからブラバツキーの”神智学”というのはこのインドの
バラモン思想を下敷きにしているわけね


で、魔術結社にとってはブラバツキーをパクるわけには
いかないから、ユダヤ文化に助けを求めたわけ。
それがカバラ思想。
だから”生命の樹”ってのは人間が精神的にレベルアップ
するための道標なわけ。ステップが色々あるわけね。
レプティリアンが下級な生物なのは彼らが”ケテル”
まで辿り着いていないから。

ブラバツキー世代の神智学協会員に取って高次の存在ってのは
上述の理由からインドのバラモン僧だったわけよ。
ところが研究が進んでいくとインドのバラモンが特別でも
なんでもないことがヨーロッパ人にも分かってくると
神智学の三代目のアリス・ベイリーが高次元は
チベットのヒマラヤにあると唱え始めるわけ。
ところがこのチベットにも神秘的な物がないと
分かると、次はアンドロメダ評議会だのなんだの
の宇宙人が登場するわけよ。
もしくはエドガー・ケイシーみたいに古代のエジプトに
アトランティスの叡智が眠っているだとか、ハンコックの
様に古代文明にロマンを求め始めるわけよ。
そういった連中がアメリカでシャスタ山だのなんだの
騒いでいるわけよ。

アリス・ベイリーのチベットで気づいた人もいると
思うけど、オウム真理教ってのは正しくこういう
ブームに乗った新興宗教だったわけ。
大元は19世紀のイギリスで起こった反キリスト教
思想のヒューマニズム(啓蒙主義)にあるわけ。
大本教ってのもこの流れの中に位置している。

で、このイギリスの残党が多くアメリカに残って
しまったわけ。
こいつらがやれフリーメイソンだ、セミラーミスだ、
コロンビアだ、自由の女神だ、ほざいているわけよ。

アメリカやイギリス、ドイツで大ブレイクした新興宗教
だからこそ、日本にも多かれ少なかれ信者がいるわけよ。
こいつらが”まどかマギカ”や”電脳コイル”みたいな
ユダヤの暗号を混ぜたトンデモ・アニメばかり
作るわけ。

このヨーロッパ人共の困った思想の源流は
間違いなくピタゴラス経由で仕入れたと思われる
インド哲学に感化されたプラトンにあるのだが、
困ったことにプラトン以降のヒュームだとか
カントだとかの哲学者もモロに影響受けちゃっている
わけよ。

そういった意味では西洋文化ってのは
この”イルミナティ主義”から抜け出せないのかも。
ただじゃ東洋はいいのかというと、これもダメで
道教/仏教経由でインド哲学が日本まできてしまっているから
同じくイルミナティ思想に毒されている。

つまり、

「インド人、責任取れ!」

と叫びたいわけ。
(ガンダムの富野のアニメはやたらとインド人が出てくる。偶然?)

まぁ、インドは唯一の突破口になりえそうな仏教を
自分達の手で潰してしまったからなぁ
......

以上、アイクの読み方でした。“

【改運戦略】運命とは何か
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-530.html
”まず、中国の古い諺に次の様な物があります。

1命、2運、3、風水、4積陰徳、5念書学問

占いに詳しい人なら、四柱推命の本や、風水の解説本
に良く出て来るのでご存知の方もいると思います。

これは中国の老人が自分の人生を振り返った時に、
自分の人生を決定してきた重要な要因を順番に
挙げた物になります。

日本の占い本には五番目までしか書かれていない
ケースが多いですが、本来は12項目まであります。
ちなみに12個全部は以下の通り。

一命,二運,三風水,四積陰德,五讀書,六名,七相,
八敬神,九交貴人,十養生,十一擇業與擇偶,十二趨吉及避凶

5番目までを順に説明すると、

宿命>運>環境>気付かれずボランティア>学力


という順番になります。

興味深い事に日本や欧米で重要視されている”学力”の
優先度はそんなに高くないんですね。
(とは言っても12項目中の5番目なので重要な事には
 変わりないが)

ちなみにこの諺、民間の一般的な諺らしく、特に中国の
有名な古典から引用とかではないそうです。

一番目の宿命とは先天的に決まっている要因のことで
後から変えることはできません。
例を挙げると、自分の性別だとか、生まれた場所、両親
等のことです。

2番目の運は宿命と違って、後天的に変えることが
できます。

3番目の風水というのは生活環境のことですね。

4番目は人の見ていない所で善行を行うこと。

5番目は勉強のことです


以上をふまえた上で、ここでいう”改運戦略”とは
何の事かというと、2番目の”運気”を良い方向に
後天的に変えることができる技術のことを指します。

そのために風水も使うし、学問も修めます。
運を良くして、幸運な人生になるよう様々な
テクニックと実践を行います。


【改運戦略】なぜ”オカルト”が重要なのか
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-531.html
”ところで、”占い”とか”風水”とか”運”とかの単語が出て来ると
一般の人はオカルトくさくて、うさんくさいと思うでしょう。

確かにオカルトであることは否定しません。

ただし、フェイド大帝は”オカルト”を非常に重要視しています。

というのもフェイド大帝は元々バリバリ理工系でして、
職業も技術職を多くやっておりました。
高校時代も理数系でして特に生物学が得意で、
学校の代表として製薬会社(今話題のグラクソ社)の主催
する新教材企画のコンクールで準決勝まで勝ち残った
経歴もあります。

ですので、一般的な人達よりもどっぷり西洋科学の
世界に浸かった人間と言っても差し支えないでしょう。

愛読書に”ファインマンの物理学”やブラディーの”化学”等が
挙げることができます。

ピングドラムのレビューを書くために”素粒子物理学”や
”量子力学”も独学で勉強しましたし、趣味で医学書等も
結構読みます。(医学部生が読む様な本格的なやつ)

なのに”オカルト”にハマるわけです。

では、”オカルトではない”物とは一体なんなのでしょうか?
この質問に明確に答えれる方がどれだけいるでしょうか?

一般的には”オカルトではない”物というのは”科学”で説明できる
事象のことを言っているのだと思います


”トンデモ”をネタにして似非科学だとか吹聴している
SF作家でと学会会長の山本弘とかが典型的な一般人でしょうね。
山本弘自身は聞く所によると作家なだけあって結構念入りに
取材とかするタイプだそうです。
ただフェイド大帝が見た感じではあまり”科学”を真顔で
語れるほどの知識も知力もなさそうだし、”オカルト”の
知識も大してないように思われます。

いちネット・ブロガーがプロの作家様をバカにするなんて
何様のつもりだ!と憤怒される方もいらっしゃると思いますが、
どう”科学的”に見ても、”客観的”判断をすればするほど、
やはりバカはバカだなという結論しか出せません。
これは恐らく”客観的事実”ということなのでしょう。
メジャー作家という職業ステータスと本人が”バカ”であるか
ないかは関連性がないわけです。

本題に戻ります。

そもそも”科学”とは何の事でしょう?

一般人の言う”科学”とは具体的になんなのでしょうか。

元々、古代ではギリシャ哲学の事を”科学”と見なしていたわけです。
プラトンとか、ピタゴラスとかあの辺りですね。

じゃ、現代人が普段生活する上で、プラトン哲学をベースに
価値判断をしているのかと言うと違うと思います。

一般人のいう科学とは”ニュートン物理学”のことでしょう。

万有引力を説明している、リンゴのあれね。
そういえばピングドラムもリンゴが良く出ていましたね。
で、リンゴの姉が”桃”、中国の仙道で魔除けや不老不死
もたらすあの果物のことです。
ピングドラム、やはり興味深いアニメですね。(笑)

ニュートン物理学の理論その物は今回余りテーマにしません。

重要なのはその特性です。

ちなみにニュートン物理学以外の物理学では量子力学とかがあるわけです。

ニュートン物理学の特性というか特徴とは何のことでしょうか。

それは、

同じ条件を揃えれば、同じ結果が再現できる


という特徴です。

ところが、モノ作りを職業としておられる方には常識的なことですが

現実では同じ条件でも同じ結果になりません

そう、同じ設備、同じ工法、同じ材料、同じ作業者、
同じ場所、同じ時間等の条件を揃えても同じ物が作れないのです。
理論上、偶然全く同じ物ができる可能性はあります。
ですが現実的に同じ物が出来る事はないのです。

これはどういうことなのでしょうか。

理由は簡単です。

ニュートン物理学は完璧な理論ではない。
説明できない現象も存在する。

いいですか、これは”事実”です。
だからこの欠点を補うために量子力学等の他の
物理学が誕生したわけです。

”事実”は変えれません。

山本弘が自分のブログで間抜けな記事を書いても、
自分の気に入らないコメントを削除しても
”事実”は”事実”なのです。

科学というものは”事実”を重要視します。
ですので量子力学では”不確定性の原理”という
のがあって、

同じ条件を揃えたら、同じ結果が再現される”確率”が
あると説くわけです。

現代物理学というのはぶっちゃけ、”オカルト”と大差がありません。
ある物質が別次元からワープ
してくる等と言う議論が
ハーバードやMIT等で真面目にされているわけです。
それもノーベル賞級の知能を持った学者達がです。

では、なぜ”物理学”は”オカルト”になってしまうのでしょうか?

答えは簡単です。元々、物理学のご先祖様の哲学が
オカルトだからです。
基本的に西洋科学というのはギリシャ哲学が基になっています。
そこから生物学だとか物理学だとかに枝分かれしたわけですね。
ギリシャ哲学の中でも特にプラトンの影響がすごく大きいです。
ピタゴラスの影響も大きいですね。
で、プラトンっていうお爺ちゃんは

見えない物が見える人なのです。

この世界のあらゆる事象にはイデアという原型があって
この世の全てはそのイデアなるものの劣化コピーなのです。
で、その劣化コピーもデミウルゴスとかいうユダヤの
創造神みたいなやつから流出して出て来るわけです。
アダムの子孫である人間がアダムに対して世代を経る
毎にどんどん劣化していく理屈もプラトンさん辺りが
元ネタだと思われるわけです。

なんでプラトンがこんなぶっ飛んだ発想に至った
かというと、秘密はプラトンが住んでいた場所に
あるのです。
ギリシャというのは他の西欧諸国と比べても地理的に
ペルシャに近いんですね。ペルシャは今のイランの
ことです。でこのイランというのはアーリア人が
住んでいたことで有名なのですが、インドに非常に
近い文化を形成していたわけです。
イランとインドの宗教の神と悪魔は名前を引っくり返した
だけなんですね。
で、古代インドでプラトンの元ネタであるウパニシャッド哲学
というのが発展するわけです。
あのブラフマン/アートマンで有名なアレですね。

インドのウパニシャッド哲学なんて”オカルト”そのものです。
宇宙と人間は実は同じ存在だとか言っちゃうわけです。

何で、こんなトンデモ・オカルト理論がインドで発展したかというと
インド人というのは”世界がどのように作られたか”、つまり
”この世界の始まり”を探求するのが好きなんですね。
ですんで、ブッダの仏教の教典にもインドのバラモンが
しつこくブッダに”世界の始まり”を問う場面が沢山出てくる訳です。
ブッダは「そんなもん知らん、うるさい」と答えたりしています。

そんなインド/イランのオカルト哲学に見事にハマったのが
プラトンさんなわけです。ピタゴラスさんに至っては
”世界の始まり”を数式で表現してやる!と当時の人から
みたらただのキチガイ爺さんにしか見えない発言を
しているわけです。
ちなみにプラトンさんはピタゴラスさんよりも若輩者で、
プラトンさんはピタゴラスさんを凄く尊敬していました。

そんなプラトンさんの意志を受け継いできたのが
現代物理学なのです。
ですから物理学の究極目標というのはこの世界の
全てを説明しつくすことにあるわけです。

だからやたらと物理学者が”世界の始まり”(ビッグ・バン説だとか)
にこだわるのはプラトンさんの名残なわけです


そんな現代物理学でも説明できない事象なんていくらでも
あるわけです。
ですので、説明できないことは”オカルト”になってしまうわけです。

この事を踏まえると、中国の”気”だとか、
インドの”プラーナ”とかをバカにできないわけです。

残念ながら人間の”運”のメカニズムを物理学ではまだ
解き明かせておりません。
しかし、だからと言って”運”等というものが”オカルト”で
この世に存在しない狂人の妄想であるとなぜ言い切れるのでしょうか?

まして”オカルト”を妄言とバカにする人間の大半が
物理学者でも何でもなく、しかもニュートン物理学ですら
マトモに理解しているのか怪しい一般人である場合が
多いのです


ですので、長くなりましたが”過去の最低帝国”では

オカルトを否定しません。

むしろオカルト・パワーを重要視し、”運”をどうにか
コントロールする術
を追求していくわけです。


【改運戦略】運命の乗り換えのメカニズム
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-532.html
””運命の乗り換え”というのは実際どのような物なのでしょうか?

元々、この表現はアニメ”輸るピングドラム”から来ています。
この作品では不治の病に罹った女性が最終的には”運命を乗り換える”
ことによって死を免れるというような内容になっています。

”運命”という言葉をもう少し詳しく考えてみましょう。

まずこの世界というか宇宙は実際には真っ暗な空間に
天体と呼ばれる石、ガスの塊が浮かんでいて、これらが
ある決まった規則の下に移動をしています。
実際の現代物理学では観測できていない物にダーク・マター
とダーク・エネルギーがありますが、この二つは未だに何なのか
分からないので取りあえず今回は無視して話を続けます。

天体の規則的な移動はありますが、宇宙その物には”時間”の概念が
ありません。ただ状態が”変化”しているだけです。
基本的に”時間”というのはこの”変化の順序”
のことを指します。

では、この宇宙に地球という惑星があって、この地球の表面に
我々人間を始めとした生き物が生活しているわけです。

人間も生き物も残念ながら不老不死ではありません。
つまりある一定の”時間”が経つと老衰して死んでしまうわけです。
人間が生まれた時点からこの老衰して死ぬまでの期間を
”人生”と呼びます。
人間は宇宙空間の様に不死身ではないので”時間”という概念を
重視するわけです。
というのも寿命というのは結局はある一定の”時間”を指している
だけだからです。

人間というのは生まれた時点では赤ちゃんです。
ところが普通に元気に育って成長して、やがて死を
迎える時は赤ちゃんの姿ではなく老人の姿になっている
わけです。
これが何を指しているかというと、この”人生”という
期間の間、人間は赤ちゃんから老人へと変化したという
事実があるということです。
生まれて直ぐに死んでしまった場合を除くと、
”人生”というのは”変化すること”でもあるということです。
これは脚本指導家のロバート・マッキー氏が定義した様に
人生=物語=変化すること”と同義です。

この”変化”にはあるパターンがあるわけです。
このパターンで後天的に変えれない物が”宿命
”です。
性別だとか、生まれた場所とかですね。
ところが我々人間は人生に於いて様々な”決断”を行います。
”決断”をしてから何かしらの行動を始めて行うわけです。
これは”決断”自身はその本人が行うものなのでこれは
先天的な”宿命”とは区別されないといけません。

人生というある一定期間の間、人間は様々な決断を下します。
そして死を迎えた時、その人の人生を振り返ってみると
過去に決断した選択肢のパターンが浮かび上がります。
つまり決断した選択肢のリストですね。

この決断した選択肢のリストが”運命
”のことなのです。

では、”良い運命”と”悪い運命”とは具体的に何なのでしょうか?

これは上述の”選択肢のリスト”を振り返った時に自分の下した決断に対して

満足したか、それとも後悔したか

ということです。

満足した=良い運命、後悔した=悪い運命 というわけです。

この理屈でいくと、”良い人生”というのは如何に自分が後悔しない
決断/選択を続けたかにあるということになります


ここから少し小難しい話になります。

人間というのは人生という定められた期間の間に
決断を行うことまで述べました。

ところが残念なことに人間というのは一度決断をしてしまうと
その判断を後悔したとしても、もはや決断する前の状態に
後戻りすることができません。

つまりある決断できるのはそれぞれ一回限りということです。

トライ&エラーができません。

つまり酷な話をすると、”幸福な人生”というのは全て一発で
正解の決断を引き当てることなのです。

もちろん間違いの総数は分かっていません。
つまり”幸福な人生”というのは確率論的に実現するのが
至難の技なのです


何でこんな意地悪な仕組みになっているのかはフェイド大帝にも
分かりません。それこそユダヤの全能神みたいな神に聞くしかないと
思います。

しかし、ここから導きだされる結論は

不幸な人生”を高確率で送るのは宇宙の法則である

という事実です。これは数学的にそうなのです。
酷い話ですね。

ここまで言い切ってしまうと夢も何もない話ですが、

実はこの法則には一つ穴がある。

それは量子力学でいう”不確定性の原理
”です。
つまり物事というのは観測者に観測されるまでは不確定で
あるということです。
これはオタクの人達が好きな”シュレディンガーの猫”の理論です。
つまり猫を箱に閉じ込めて中に毒ガスを入れても、
箱を開けてみないと人間には猫が実際に死んだのかどうか
は分からないという理論です。
実際は高確率で死んでいるのですが、万が一にも猫がガスが
散布された瞬間、息を止めてガスを吸引しない確率も
非常に限りなく低いですがあるわけです。

これが”希望”です。

では”絶望”とは何でしょう?

それは”絶望=全知”です。

始めから全てがどうなるか知っている、救い様のない
話です。

ところがニュートン物理学では正にこれをやろうとしたわけです。
つまり全ての現象を物理法則によって解明できれば、一つの要因から
次に何が起きるか正確に予測できるはずであるという考え方です。
そのためには全ての変数を明らかにする必要があるわけです。

だからアインシュタインは”神はサイを振らない”と
言ったわけです。

ところで皆さんは”マルチ・バース理論”というものを
聞いたことがあるでしょうか?

これは簡単に言うと”パラレル・ワールド”の理論です。

例えば、ある女性と結婚するとします。
女性はA, Bの二人います。
Aと結婚するか、Bと結婚するかで今後の人生が
それぞれ変わります。
しかし、決断は一回限りです。
Aさんと結婚したら、Bさんと結婚した場合の人生
というのは消えてなくなります。

ところがマルチ・バース理論ではこのBさんとの結婚人生
が消えないのです。Bさんとの結婚人生は別の次元に
於いて存在するのです。ただAさんを選択した人間には
それが認識できないだけなのです。

これはどういうことかというと全ての”決断/選択肢”に
於いてそれぞれ別次元が存在するということです。

つまり”もしもあの時ああしてたら......”の
”もしも”の世界が存在しているということなのです。

即ち”運命の乗り換え”とは

気に喰わない決断/選択をしたときに別の決断/選択の
世界(次元)に移動することなのです。

この理論に基づくと、ある選択肢群に於いてどの
選択肢を選ぶかに関しては”確率”が存在するというわけです。
通常で言えば選択肢が二つあれば、確率は50%です。

ところが不思議なことにこの”確率”というのは状況によって
変動します


例えば、お腹が空いているとしましょう。

目の前にリンゴとウンコがあります。

数学的に言うと、リンゴかウンコを選ぶ確率は
選択肢の総数が二つだから50%のはずです。

ところが実際にはウンコを選択する人はほとんど
いないはずです。(スカトロマニアを除けば)

つまり、リンゴを選ぶ確率というのは限りなく100%
に近いのです。
この現象を数学は説明することができません。
もちろん低い確率ですがウンコを食べてしまう人間が
存在することも数学は説明できません。

みなさんが普段の生活において絶大な信頼を
寄せているあの数学がです。

これは何か数学的な物とは別の要因が影響している
ということになります。

心理学で言えばリンゴの方が美味しいからですし、
医学で言えばウンコはアンモニア等の毒の固まりで
体に悪いものを本能的に避けているからと説明するでしょう。

いずれにせよこういった数学以外の要因がこの確率を
変動させているのです。

この要因の事を取りあえず”気”と呼ぶ事にします。

ところが、面白いことに経営学の”マーケティング”、
心理学の”洗脳”という技術を使うと、
高確率で人間にウンコを食べさせることができます。

例えば、NHK等のニュース番組に東大医学部の
偉い先生が出て来て、ウンコは実は体に凄く健康
だと宣伝します。
そうするとほとんどの人がウンコを”おいしく頂いて”しまう
でしょう。

笑い話だと思わないで下さい。実際にこれに近いことが
例の福島原発報道の時に行われたのですから。
フェイド大帝の近くでも知り合いの主婦が安いという
理由のため、福島産の放射能まみれの野菜を大量に
買い込んだ人がいたぐらいですから。

こういった悪意を持った決断を誤らせる要因のことを
取りあえず”邪気”と呼ぶことにします。

つまり、ある決断を迫られた時にどの選択肢を選ぶかは
ある程度、操作が可能であるということです。

そこで”邪気”を沢山受けて、間違った選択をした人は
”不幸な人生”を送る事になり、
”良い気(中国風水では旺気
と言う)”に恵まれた人は
正しい判断と決断を行い、”幸福な人生”を送ることが
できるのです。

一番最初に未来を確実に予測できる方法はないと書きました。
ですので”改運”なんて実際には無理じゃないかと思われている
方も多いかと思います。

しかし、明らかに間違った選択肢を外すことはできます

例えば先程例に挙げた”ウンコを食べる”様なことです。

ですが、実際にはマトモな判断の出来る人間というのは
意外と少なく、”ウンコを貪る様に食べている”人間の方が
現実には多いのです



【改運戦略】”気”と人体の構造
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-533.html
”中国4000年の歴史とは言いますが、実際の現代でいう
素粒子の様な”気”の概念というのは比較的新しい思想です。
その原型は大体、劉邦で有名な漢の時代がスタートで恐らく
現代の様な陰陽五行を用いた理論は朱子学で有名な朱熹の
時代に体系が整ったといわれますので、宋の時代(西暦1200年頃

がその起源でしょう。

ですので、風水で有名なレイモンド・ロー老師の理論も
4000年前の物ではなく、実際には800年ぐらい前の
理論体系なのです。

これは”気”という漢字の意味の歴史を辿っていけば明白ですが、
元々古代中国では”気”というのは”氣”という字で、”米”という
字が含まれています。ですので元々は”ご飯”のような食
物を
指していたと考えられています。

これは考古学的事実です。この辺をしっかりと認識しましょう。

ところがこの様な歴史的事実も含めて説明できる気功家や
占術家が一体どれほどいるか。中国人であってもこう言った
知識のない人間の方が実際は大半なのです。

ですので、”気”と聞くとすぐオカルト方面を連想して
”サティアンでサリンを作っていた連中と同類か”みたいな
頓珍漢なコメントを書き込む日本人が実に多いのです。

従いまして今回は”気”のお勉強をしたいと思います。
とはいっても”気功”自体はフェイド大帝自身もまだ
研究中なので余り大したことは説明できませんが。

ところで、上述した”氣”の説明が歴史的な考古学、
文献学の”気”の説明です。

では、オカルトの”気”はどこから生まれたかというと
道教が起源だと思われます。
道教というのは仏教、儒教と並ぶ中国の三大宗教のうちの
一つです。
三国志の時代の黄巾党の張角と五斗米道の張道稜が創始した
と言われる呪い主体の宗教です。
インドで言うアタルヴァ・ヴェーダ流に近い信仰ですね。
(厳密には近くないが)
上に書いた通り、現代風の”気”の概念は宋の時代からですので、
三国志時代の道教にはオカルトチックな”気”は出てきません


宋という時代は道教がかなり発展した時代でもあるので、
恐らく現代に通ずる体系的な物はこの時代にできた物と
考えることができます。
ちなみに道教で有名な霊符ですが(キョンシーの頭に貼る奴ね)、
道教徒は道教オリジナルだと言いますが、考古学的には仏教の
護符文化が元だと考えられています

中国や華僑にも仏教を敵視する”道教右翼”がいるようですが、
歴史的事実は先に述べた通りのようです。

ですので”改運戦略”のコーナーではオカルトに注目していますので
近代道教の”気”の概念を取り扱うことにします。
物理学や現代科学も補足するためには引用しますが、
”運命”の様な抽象的な概念を説明するには西洋科学の
体系は向いていないので基本は無視して考察していきます。

何故、オカルトの話がメインなのに考古学や歴史的な
”気”の説明を長々と説明してきたかというと、
別にフェイド大帝は完全なスピリチュアル/オカルト被れ
の精神異常者ではないということをまずアピールしたかった
からです。

オウム真理教をネタにしたコメントを書き込んだ投稿者が
一つ勘違いしていることがあります。

それは学問の神学(つまりキリスト教の)を議論する際に

神学者にそもそもキリスト教の神は存在するのかと問う
バカはいないということです。

神学という学問はそもそも聖書に書かれていることが事実で
あるという”前提”の下に成り立っていますので、神が実在するか
しないかはそもそも的外れであり学問研究の対象にはならないのです。

もう一つ例をあげますと、中国医学(漢方)のバックグラウンドを
形成している理論は陰陽五行理論です。この理論は西洋の物理学
とは全く異なる理論です。
ですので診断の仕方から治療まで全く西洋医学とは異なります。
ところがこの事が良く分かっていない不勉強者は処方された
漢方薬に対してこの薬の医学的(西洋医学の)根拠は何だ、
迷信/新興宗教(オウムみたいな)じゃないのか?
と場違いも甚だしいケチをつけたりするわけです。
多分、こういうケチをつける輩に限って西洋医学の
事についても何も知らない場合が多いと思いますが


ですので、フェイド大帝が道教の”気”について話ますよと
言うときは、歴史的/考古学的事実の”気”の概念は場違い
なのでシャットアウトして下さい。

本題に入ります。

まず道教では”気”と言うものは大きく2種類に分類できます。
この二つの大分類がそれぞれ、

 1.先天の気
 2.後天の気

です。

これらの気は更に小分類として先天の気は精気、元気に分かれ、
後天の気は元気、地気
に分かれます。

これらの気をそれぞれ説明すると、
先天の気というのは母親の胎内にいたときに母親から
受け継ぐ気のことです。
後天の気は、生まれた後、呼吸したり、飲食したりして
養った気
のことです。

ですので先天の 1.精気=生命維持に必要な気
        2.元気=母親の免疫力等
    後天の 1.元気=呼吸で吸収する気
        2.地気=食物から得られる栄養

が”気”の定義です。

これらの四つを合わせて”真氣
”と呼ぶわけです。

ですので、中国道教の”気”という概念は元々
肉体の健康維持
を主眼とする概念なのです。

古代中国語の”氣”という文字が米という文字を含み、
”食べること
”をまず表現しているの中々興味深い
関連だと言えるでしょう。

このため、昔の中国人は健康体操をやったり、
漢方薬を研究したり、食文化に強く拘ったわけです。
(気功自体はインドのヨガのプラーナ・ヤーマ
の影響
 があると思われますが)

次に道教における人体の構造について。

道教では人間の体は主に三つの要素から成り立っています。

 1.精
 2.気
 3.神

の三つです。

精というのは食べ物から得られる栄養のことです。
気は精によって得られたエネルギー(熱等)のことです。
神は英語のゴッドのことではなくて気分や精神状態のことです。

で、”精”によって”気”が生成され、”気”が充実すると
”神”が安定して強くなるのです。

ですので、気功だけやっても健康にはなりません!

この三つはセットなのです。

健康になるためにはバランスの良い食事を取って、しっかり栄養を取って、
ストレスのない生活をする必要があるのです。
風水を整えるのも同じ理由からです。

つまり気功(内丹)だけやって仙人のような超人になれると
吹聴する気功家や仙道家というのはこの道教というより
中国文化のイロハのイが全く分かっていないのです


風水で有名な山道帰一氏の様に仙道と道教は違うという主張も
ありますが(山道氏の養生大観という著作にそう書いてあります)
上の体系は道教といいつつもどちらかというと中国の一般的な
思想なので、仙道がどうのこうのと言う方が本来はおかしいのです。

山道氏のブログによると彼は仙道で一時期有名だった高藤総一郎氏
と同門だったと明かしています。(高藤氏は修行に付いてけなくて
ドロップ・アウトしたとも書いてありますが)
仙道の東派とかいう流派だそうです。
しかし、山道氏というのは元々、張明澄さんという帰化台湾人の
弟子でしてこの張さんというのは五術の専門家と謳っていますが、
事実上、占術が専門の人です。特に仙道の”山”の部分はあまり
得意分野ではなさそうです。(本人の著作物や講演の内容から察して)
ちなみにこの張さんの流派は日本の東洋占術業界のグルのような存在
でして、基本的に日本の東洋系の占い師はこの人の流派の影響を
多大に受けた人が圧倒的に多いのです。
実際、張さん以外で名の知れた台湾人や中国人は日本に来ていません
から、日本の本屋さんでもやたらと占いの本ばかりが充実していて
道教の本が少ないのはこういった事情もあるのです。
ですので道教文化を知りたい人はアメリカとかで探した方が
良い文献や師に巡り会える可能性が高いのです

(本場の中国は共産の文化大革命で伝統文化がほとんど死滅して
 いるため、良く探さないと見つかりません)

本題に戻りますと、何故皆さんに道教の人体構造を事細かに
説明したかというと、これが”改運”に深く関わって来るからです。

人間の栄養や健康のためになる”気”が存在すれば、当然、人間を
害する”悪い気”、即ち”邪気”も存在するわけです。
これは陰陽理論から来ていて、全ての物には陰と陽の相反する
要素があるという理屈です。
ですので、”気”も”良い気”と”悪い気”があるわけです。

問題はこの”悪い気=邪気”です。
というのも西洋科学が主流の現代日本においては
”気”の知識なんて大体の日本人が持っていません。

つまり”邪気”に対する対処が全くできない状態なのです。

”邪気”というのはそこら中にあります。
それは病原菌だったり、ウィルスだったり、公害だったり、
放射能だったり、他人の邪念だったりするわけです。

ですが、こういった自然の”邪気”というのは

実はレベルの低い”弱い邪気”なのです。

実はもっと質の悪い強力な”邪気”も存在します。
これについてはまた今度話します。
こう言った特殊な邪気は上述の身体構造の、例えば
”神”をピンポイントで狙い撃つことが可能だったりもします。

ところが現代の日本人はこの”弱い邪気”に対してすら
身を守る方法を知らないのです。

”改運戦略”ではこの”邪気”に対する防衛技術も
考察していく予定です。


コメント
”とりあえず、応答いただいたことに感謝します。

>ですので、”気”と聞くとすぐオカルト方面を連想して
>”サティアンでサリンを作っていた連中と同類か”みたいな

ご自身でオカルトって言ってましたやん…。
まあいいや。

オウム云々は「自然科学の専門教育を受けているはずなのに、大事な部分が身についてなくて、オカルトにはまってしまう」って点を指して言った。東洋占術や東洋医学をことさらに否定する気はないので、そっちには突っ込まないけれど、近代科学批判の内容が杜撰すぎ。

・同じ条件を揃えても、同じものは作れない
→具体的にどういう製品を想定しているのかは知らないけど、単に完全に同じ条件を揃えることは不可能というだけの話。同じ製造装置を使用しても、一回ごとにに劣化していく訳だしね。それを近代科学の限界云々に結びつけるのはお門違い。

・シュレーディンガーの猫の話
→この話のキモである、「放射性原子を崩壊が観測されたら」毒ガスを注入するという点が抜けてるよ!これでは、単に実験者は猫の生死を知らないというだけの話で、本来的に生死が定まってないという状態にはなりえない。

・リンゴとうんこのどちらかを選択する確率は50%
→これが成り立つのは、臭い・視覚等の情報を被験者から遮蔽し、無作為に選択させた場合のみ。高校で習う確率論でも、「白玉と赤玉の入った箱の中から、無作為に玉を取り出す」といったシチュエーションが問題になるでしょ?どちらか一方を過たず選択するのに必要な知識(「情報」という言葉の定義そのもの)がある場合は、すでに確率で論ずるのは無意味だ。数学で説明できないのではなく、完全に範疇の外。

・そもそも運の話をするなら、槍玉にあげるべきはニュートン力学でなく熱・統計力学だろう。(7/28のエントリは、熱力学第二法則を念頭に置いて書いているようにも見えるけど) ”

アメリカの道教の解説本がヤバすぎる
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-534.html
”思っていたよりも早くアメリカから注文した道教関連の
解説本が届いた。

下記サイトの著者が書いた本を全巻揃えた。
ttp://daoistmagic.com/

チラッチラッと見た感じだと、

内容がヤバすぎる!

道教関係の本ですと日本の物ではアカデミックな物から、
三多道長のエッセイ本までほぼ全て読んでいるのですが、
歴史だとか、文献学からの観点で書かれている物が多く、
じゃ、一体どうやって道術を掛けたり、その背景的な
理論が何なのか詳しく書いてあるものが皆無だ。

その点、このジョンソン氏の本は理論と実践方法しか書いていない。
こういうのを探し求めていたのだ!

しかし、この本、内容がガチすぎる。
山道帰一の仙道本/風水本なんてレベルじゃない......

後、驚いたのがパワーストーンに通ずる、鉱石を道教では
多く用いている点かな。
占星術家の鏡リュウジは日本のパワーストーン文化は
「図説宝石と鉱物の文化誌 ジョージ・フレデリック・クンツ」
が源流だと言っていたが、これも一種のミス・インフォメーション
だろう。(日本の魔術業界がお得意な本当の事を一般に教えないという
腐ったイルミナティ主義
。鏡リュウジは元々魔術結社畑の人間だ)

一応、本場の中国からも風水の本と道教のマニュアル本を
取り寄せ中である。
一応、前もって調べた所によるとこの中国の本は
結構深く突っ込んだ内容らしい。

さすが中国と言った所か。
日本の魔術/呪術本ってのは”去勢”されているからねぇ......


改運理論見直し中
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-538.html
”この前購入したジョンソン博士の道教マニュアル本を
読み始めたのだが、内容が余りにも濃すぎて本当に
目からクロマグロ一尾並みの鱗がポロポロ。

実はジョンソン博士、ちゃんと道教の修行をした
人なのよね。(正一教、茅山派、等々)
何と道教聖地である龍虎山(中国)まで修行に
行っちゃっている。

シンガポールの有名なブロガーに道教(マレーシア系だと思われる)
の本物の呪術士がいるのだが、ジョンソン博士の本は
その呪術士のお墨付きでもあるのだ。
ただ、唯一の欠点は呪文等が中国語ではなく
英語に訳されているため、その呪術士が言うには
中国語で詠唱しないと効果がないらしい


フェイド大帝自身も道教の古典(周易参同契や真诰、淮南子、等々)
や学術書なんかも読んでいるし、マスペロの著作も
読破している。一番有名な抱朴子ももちろん制覇している。

それでもこれらの和訳された著作を全部合わせても
ジョンソン博士の本の一冊分の質にも及ばない。

これは風水の山道帰一氏の言葉を借りると、
やはり”学者と実践家の違い”だからだと言える
のではなかろうか。

ともかくそれだけレベルが違いすぎる。

ともかく日本の道教関連のノウハウの程度が
低すぎる。

第二次世界大戦の頃、劣勢の日本軍がアメリカの
ルーズベルト大統領を”調伏”するために真言密教の
儀式を行ったことが有名だが、これはある意味
追い詰められた日本がパニック状態になって
非科学的なオカルトにまで縋ろうとしたのでは
ないかと言えないこともない。
しかし、旧日本軍といえば当時のエリート中のエリートで
あり、現代で言えば全員、東大の法学部を出ている
様な秀才が参謀になっていたわけである。
いくら昭和だからと言って、そのようなエリート達が
効果があるのかどうかも定かではない呪術に頼るとも
思えない。
日本という国は過去の歴史を振り返っても”神風”だとか
一種の”運=オカルト・パワー”に救われたケースが多い。
福島原発の事故の時も風向きのおかげで日本本土が
放射能汚染されるリスクが大幅に下がった。
これも一種の”神風”だ。
そもそもプルサーマル増殖炉の名前が両方とも
仏教の菩薩の名前だ。
卑弥呼の時代に至っては完全に”オカルト”だ。
歴史的な経験から当時の日本軍はオカルト的パワー
の存在をある程度は認めていたのかもしれない。
旧ナチ・ドイツもヒムラー等がオカルト専門部隊を
持っていたし、旧ソ連も超能力を研究していた。
その結果、システマというちょっと不思議系な
格闘技まで生み出してしまった。
しかし、戦後になって東電やマツダ、手塚治虫は
ともかくとして
日本はすっかり”オカルト”から
離れてしまい、そのかわり工業大国を目指した。
その努力が実って、科学技術や工業に関しては
欧米先進国と肩を並べるぐらいにまで成長した。

しかし、”オカルト”は全然ダメだ。

もし、台湾やタイ、マレーシア等の”オカルト先進国”
から”呪術戦争”を吹っかけられたら、秒殺されてしまうだろう

勝負にならない。
”オカルト”でも何でもない韓国にもその方面では手こずっている。

ここはやはり”本物の道教”を勉強して”オカルト”方面でも
日本は先進国の仲間入りをしなければならない。

幸運なことに、我々日本人にはジョンソン博士という
偉大な先駆者がいる。博士のおかげで我々日本人は
大きく成長できるだろう。
博士がいなければ道教の秘儀は一部の華僑が独占する
形で秘匿されてしまっただろう。
道教の秘儀の知識は三多道長のポケットの中に
しまい込んで秘密にされたままではいけないのだ。
これらの秘儀は卑弥呼の教えを失ってしまった日本人が
共有の財産としなければならない。

※というわけで改運理論を今見直しています。
 本物の道教の知識がほとんど欠けていたため
 元々たてた仮説が基礎からグラついてしまったので......
 ちなみにフェイド大帝が道教を高く評価しているのは
 中国贔屓だからではありません。
 バラモン教やイスラム神学、ユダヤ・カバラ、西洋魔術、
 仏教(インド・タントラ、チベット含む)、神道等諸々の
 宗派と比べて検討した上で”オカルト・パワー”に関しては
 一番体系や理論がしっかりしていると
判断したからです。”

中国の道教呪術本が届いた
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-539.html
”実はカナダにちょっと有名な帰化香港人の道士がいる。
その人は元々は茅山上清派の道士だったのだが、
カナダに移民する際、自分の流派を起ち上げてしまったみたい。
かなり原理主義的で他の宗教や宗派を一切認めない上、自分の
ブログや無数に作ったダミーブログを使って他の流派を攻撃
するものだから、一応カナダ政府にはカルト指定されている。

だがブログに書かれている道教自体の知識は相当だと思う。
で、この人の特徴は邪術系の道術を一切行わないことを
信念としていること。道教、特に茅山派というのは邪術や
呪術で特に有名な流派だ。日本の呪いの藁人形のルーツ

ここにある。このカナダ道士は元茅山派なのだが、
何があったのか良く知らないがともかく茅山の邪術/呪術を
目の敵にしている。

このカナダ人道士が仰天するほどとんでもない邪術の
書というのが今回フェイド大帝が購入した本だ。
実はこの本、”入門”とか書いてあって台湾では
結構簡単に手に入るようである。

日本人もアメリカ人もそうなのだが、皆秘伝を求めて
死にものぐるいで台湾や中国本土のマニアックな老師を
探し当てて弟子になろうとするのだが、茅山の呪術に
関してはあっさり入門書の形で本屋さんに置いてあった
ようである。正に灯台下暗しか

まぁ、そのカナダ人は本物の道士だから、アマチュア研究家
の外国人よりは目利きなのだろう。

ところでこの1週間、かなり中国語を勉強した。
元々、中国語なんて勉強したことないから
本当に大変だ。だがこれも全て本物の道教の
知識を得るため!

......

ところがいざ届いた本を読もうとすると、

さっぱり分からん。

なんか、文法が勉強した本と全然違う。

ひょっとしてこれ台湾語だったりして......?

ってか台湾でも北京語が主流じゃなかったのか〜〜〜!!!(怒)

っく、くそぉ〜!!ど、どうする?台湾語も勉強しちゃう!?

香港は香港で広東語なんだよなぁ、あの国は......

言葉が分からないと、壇の作り方がさっぱり分からん。
壇が何かだって?壇ってのは”祭壇”のこと。
映画だと道士がお札とかを手裏剣みたいに投げてたりするけど、
実は道教の道術というのは”祭壇”がまずないと霊力を吹き込めない
仕組みになっている。
だから霊符の図柄だけ分かってても意味がない。この霊符に
天からの霊力を吹き込んで初めて使えるお札になる。
で、この天の霊力を集める装置ってのが”壇”なわけ。
この”壇”、道教の流派によって作り方とそれに付随する
儀式が異なって来る。茅山派では”六甲壇”というのを作る
必要がある
。ところがコイツの作り方が全部台湾語で
書かれているっぽくてさっぱり分からんのよ。

まぁ、竹川文男の本や、ジョンソン博士の本にも作り方は
書いてあるのでそれを参考にすれば良い訳だが......

ジョンソン博士の本を勉強しながら台湾語も勉強するか......”

どうやら風水グッズ&パワーストーンは日本の捏造ではないらしい
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-542.html
”中国の風水吉祥物の本が中国本土から届いた。

風水グッズやパワーストーンと言うと日本では
開運業界が仕組んだ詐欺商売だと思われがちである。

実際にパワーストーンのブレスレットとか、風水と
何の関係もないよなぁ、と思っていました。

ところが中国から取り寄せた風水本には
ちゃんとパワーストーン・ブレスレットも
風水の吉祥物として紹介されていました。

風水グッズもちゃんと中国の伝統品を扱っている
お店のグッズは本に載っていました。
もちろん日本の”ニューエイジ風水”の
黄色のアイテムとかは載ってませんが。

中国語がまだ断片的にしか読めないので、アレですが
気になった所を何点か。

まず睚眦(ヤアズ)。



こいつ龍の九番目の子供とかいうやつで、こいつを玄関に
置いておくと邪気をバクバク食ってくれるらしい。

だが、取り寄せた中国の本では室内の装飾品にこいつを
使うのは禁忌だとか。刀剣等の装飾か、外
に置くのが
本来正しい使い方らしいとのこと。

つぎに養龍(ヤンロン)について。



所謂、”玄関に龍の置物”というやつですね。
やられている方も多いのではないかと思います。
でコップに新鮮な水を入れて毎日口元に置いてやると
幸運を呼び込むのだとか。

一応、龍の置物自体は中国の本に載っていました。

ただし、重要なのは盃の方くさい。

専用盃。



コレね。

実はこの盃、正式には”開光招財盃”というらしい。
”開光”という言葉が聞きなれないと思いますが、
本来は仏教用語らしいのですが”開光点眼”と言って
仏像等の置物に天の神様の霊を憑依させて、
神通力を置物に持たせるための”儀式
”の事を
指します。
当然中国道教にも同じ様な儀式があり、
通常は辰砂(水銀の材料、赤い絵の具の原料でもある)に
鶏の鶏冠の血を混ぜた絵の具で置物に印を付けていきます。

この”開光”をしないと、置物に特別なパワーが
宿らないと言われています


道教の”開光儀式”動画

ttp://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mq7OAJnMyD8

ttp://www.youtube.com/watch?v=PqqyhnuFlQg&feature=player_embedded

ttp://www.youtube.com/watch?v=-S2WtGjcizE&feature=player_embedded

ttp://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=6ATdgJX8pfU

日本の風水ショップがこういう事をきちんと行っているのか分かりませんが
通常はこういった”儀式”で置物に”霊”を吹き込まないと効果が
ないのです。

ですのでこの”毎日盃に水を入れて供える”という行為自体が
ある種の”開光の儀式”だと思われます。
実は”養龍(ヤンロン)”というのは龍の置物に
霊を吹き込んでいるわけですね。

ですので日本の風水本に”長期旅行で龍に水をあげれない
場合はどうなりますか?”という質問に対して

”ただの置物になるだけなので問題なし”

という回答を載せているわけです。

実際には本物の道士に”開光”して貰うのが一番良いのですが、
日本で本物の道士を探すのは困難なので、専用盃で水をあげるのが
一番手っ取り早いのかも


というわけで風水グッズは本場の中国でも取り扱っているみたいで
日本のスピリチュアル・占術業界の捏造ではなさそうでした。
一応、本場の中国に根拠があるみたいですね。

こういう情報を日本の”開運本”は一切語っていないので

一応ご参考までに。”


ゆるキャラ登場↓でも静止画の連続だから他の開光儀式も見るべき。
武財神-玄壇元帥開光儀式
https://www.youtube.com/watch?v=l45t-xB9YVk


ニワトリ登場↓
西羅殿,廣澤尊王開光儀式
https://www.youtube.com/watch?v=8Ba0uLMayqk


2013.05.07鹿陶開基北極殿 玄天上帝開光儀式
https://www.youtube.com/watch?v=pMGPVaUtTVY



【改運戦略】邪気を弾き返す気功力&”氣”を”神”に変える重要性
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-543.html
”ジョンソン博士の気功本が大分読み進めたので
途中経過を。

以前の記事で人間の体は精、氣、神の三種類によって
構成されていると書いた。

ところで東派仙道とかいう流派だと精、氣、神、力、識の
五つらしい。これが五体満足の”五体”の語源らしいが、
これが本当かどうかは少し懐疑的。というのも東派仙道
でしかこの表現を使っているのを見た事がないし、
そもそも仙道に”東派”という流派が実際に存在するのかも
怪しい。というのも台湾の仙道解説サイトを覗いても
”西派”だとか、”伍柳派”とかはあっても”東派”なんてのは
見た事がない。
この”東派仙道”、学研で有名な高藤氏の流派でもあったのだが、
元々は日本の中国占術のドンであった故張明澄氏の流派だ。
日本ではこの流派が圧倒的に有名なのだが、個人的には
張氏のでっち上げ流派である確率が高いと思う。
断言はできないが。

というわけで伝統的な中国道教では精、氣、神の
三種類が人体の構成
となっている。

重要な事は、

精から氣が生まれ、氣から神が生まれるということ。

人間の持っている”氣”というのは、量が決まっており、基本は食物で
摂取するか、呼吸によって吸収する。

つまり気功をやっても氣は増えない


ここを勘違いしている気功家が実は多い。
では気功とは一体何なのか?

ここで、日本の健康ダンスである一般的な”気功”と区別するため、
中国道教の伝統的な”気功”を”Qi gong=チーゴン”と呼ぶことにする。

チーゴンとは体の中の氣の流れをコントロールする
 訓練である。

何のために氣の流れをコントロールするのかというと、氣を上丹田に
上げ、”神”へと変化させるためである。

ここでまず、”丹田”について説明したい。
”丹田”とは下腹部に位置する氣の溜まり場という認識が
一般的である。(特に武術とかでは)

ところが実際には丹田は三つある。

上丹田、中丹田、下丹田の三つだ。

一般的に言う武術の”丹田”とは下丹田のことだ。

中は鳩尾の辺りで、上は頭の中だ。

まず呼吸をすると、”氣”はまず最初に下丹田の方に溜まっていく
性質がある。
そこでチーゴンを使って、下丹田の氣を中、上へと上げていく必要がある。
上丹田に上げた氣を今度は更に”神功=シェンゴン”という技術を使って
”神”へと変えていくのだ。
シェンゴンとは基本的にヨーガでいう瞑想法
のことである。

なぜこんな話をするかと言うと、道教に於ける、

神通力の源泉(魔力)が”神”だからだ。

つまり”神”とはRPGでいうMPみたいな物。

逆に精と氣はRPGで言えばHPみたいな物。

HPだけ多くてもMPが0だったら魔法が使えますか


もうお分かり頂けたと思う。

道教の術をフルに活用するためには”神”を育て上げないといけないのだ。

だからチーゴン=気功だけやっても幸運/健康にはならない。

ここで一つだけ例外事項がある。

それは、

”氣”は”邪気”を弾き返すバリヤーの原料になる。

精を養って、氣を高め、チーゴンで氣を体に巡らせれば、これが
邪気を弾くシールドとなるのだ。

一点気をつけなければならない点がある。

”氣”のバリヤーでは”神”による攻撃は防げない。

これはどういうことかというと、敵対する呪術士等と交戦状態にある場合だ。
敵方の呪術が所謂”神”属性の攻撃だ。こいつは”氣”を貫通し、こちら側の
”神”を直接攻撃する手段となる。

なぜそうなのかというと、中国道教の”氣”というのは
基本的に2種類あると考えて欲しい。
まず、人体その物が生成する”氣”を”地(地球)の氣”と呼ぶ。

”神”が天の星々や天体、神々と交信し、分け与えて貰う
”氣”のことを”天の氣=霊氣
”という。

つまり、道術や呪術/魔術の攻撃というのはこの”天の氣”を
使う仕組みになっている。

当然”天の氣”は”地の氣”より強い。

こういったメカニズムから、呪術や魔術というのは元々
地球の技術ではなく、天から授かった神秘的パワーなのだ。

もし貴方の”不運”が呪術士による呪いに起因するもので
 あったならば、これを改運するには同じ”呪術/神力”で
 対抗するしかない


ここまで読んで頂けた方には”神”の重要性がご理解頂けた
ことだと思う。

ではどうやったら”神”を強化することができるのか?

ここで思い出して頂きたい。
”神”は”氣”から生まれ、”氣”は”精”から生まれる。

つまり大元の”精”を鍛えればいい訳だ。

この”精”は食事療法や、武術、呼吸法で鍛える。

これらの中で特に重要なのが”食事”だ。

というのも中国道教にはより効率的に”精”を生成する食物が
存在する。

それが所謂”仙人食”だ。

松脂だとか棗
の実とかがそうだ。

そこで現代で入手しやすい物を三種類挙げよう。

まず、”ショウガ=生姜”。

これはお茶だとかサプリメントで入手しやすい。

次に”黒胡麻”。

これもサプリメントがある。

そして仙人食最強の”霊氣”を持つと言われる”霊芝”。

これはキノコの一種だ。マンネンタケとも呼ばれている。



こいつは入手しづらいが、通販等でサプリメントが
売っている


これらの”仙人食”を食して、チーゴンを行い、瞑想をすることで
”神”を強化できるのだ。

※注:この記事で挙げた内容はあくまで中国道教の中での話なので
   実際に西洋科学的/医学的な根拠があるわけではありません。
   サプリメントや食事療法は各自の判断にて実施して下さい
。”

【改運戦略】実は銅製の置物と水晶は相性が悪い!?
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-547.html
”本物の道士でもあるジョンソン博士の本を読んでいて
気になることが......

実は銅製の置物は水晶と相性が悪いらしい

つまり、こういうことはしてはいけない!



ええ!!? と驚かれる方も少なくないと思う。
何せ日本の風水ショップでは銅製の置物に水晶を置くのが
半ば常識化しているのだから......

何故、中国の道教で銅製のアイテムが好まれるかというと、
古代の中国人は銅は天と地の氣を結ぶ格好の導体と考えたらしい。
また治癒や魔除けの効果もあったのだとか......

銅と相性のいいパワーストーンは:

アヴェンチュリン、ロードナイト、タイガーアイ、雲母

金属質の鉱石であるかららしい。(つまり銅と感応しやすい)

銅と相性の悪いパワーストーン:

珊瑚(コーラル)、真珠(パール)、水晶(クオーツ系)

水晶系唯一の例外はアメチストらしい

銅製の置物を家に置いている人は要注意。

この話に根拠がある/無いよりも、中国道教ではこう信じられている
というのがポイント。

一応、中国道教でもパワーストーンや水晶は重要なアイテム
らしいけど、使い方を間違えたら意味ないよということ
。”

本場中国風水の最終奥義は”引っ越し”!?
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-548.html
”本の題名から分かると思うけど、”化殺風水”関連である。

”化殺風水”というのは日本では一般的に置物やグッズ等を
使って風水でいう凶作用のパターンである”殺”を解消する
方法を指している。

上述の本を読むと、本場中国では”化殺”は置物やグッズに
限らず、間取りや建物の建てる位置等従来的な風水の
対策のことを指しているようである。
日本では俗に言う”巒頭風水
”の事。

ところで、フェイド大帝は改運法としての風水では
伝統的な風水を余り重要視していない。

伝統的な風水というのは家の向きだとか位置だとかで
山脈のパワースポットである龍穴の氣を一番多く集める

手法のことなのだが、

これは実際に本格的にやろうとすると難しい

氣の充実した良い土地を持っていないといけないし、
実際に家を建てたり、リフォームするには莫大な資金が
必要だ。

賃貸暮らしだとまずできない。

また”理気風水”もフェイド大帝は余り高く評価していない。

例えば玄空飛星風水で会社の職場が悪い風水だったと
仮定しよう。
社長の机の位置が悪かったとして、
実際、社長に

「社長!机の位置が風水的に悪いので移動させましょう!」

と言えるサラリーマンが本当にいるのだろうか?

まず間違いなくコイツは頭がおかしいと思われるだろう。

だからフェイド大帝は風水グッズや置物による”化殺風水”を
風水手法の中では一番重視している。

グッズや置物はリフォームや家を建てるより安くできるし、
自分の机の周りに置く程度だったら、会社であっても
そんなに不自然ではない。
机の引き出しの中とかに入れてしまえば、人の目にも
付かない。

つまり一番庶民にとって現実味のある風水なのだ。

良く、ネットで聞く風水の批判として、

”風水は金持ちの改運法である”

つまり土地を沢山持っていたり、家を完全に建て直せる資金力の
ある人しか使えないという批判である。

こんなことはフェイド大帝に言わせれば当たり前で、

元々、風水って中国の皇帝とかが使っていた改運法

なのだから、

皇帝でもなんでもない庶民が使える代物なわけないだろう

ところが、日本の中国伝統風水業界の連中は質が悪くて、
伝統的な中国の皇帝が使っていた風水以外は本物の風水じゃないっ!
とか鼻息を荒くしながら宣伝するものだから、風水は金持ちしか使えない
役に立たない技術とされてしまっている。

フェイド大帝がそういった意味で中国文化の中で特に
”道教”を重視する理由がご理解頂けたと思う。

道教は皇帝ではなく”庶民”の宗教だからだ

三国志の張角や張陵の教団を思い出してほしい。基本的に道教の信者というのは
皇帝にイジメられる側の人間のための宗教だ。
だから当然、庶民がやりやすい様に考慮されている。

ヨーガとか仙道でも良く理解できないのだが、ヨーガや仙道というのも
元々”庶民”がやるための修行法ではない。
インドでは定年したバラモン・カーストの人間がやっているし、
ブッダも元々は王族だ。
バラモンでもクシャトリヤでもない日本のシュードラ(奴隷)階級の
我々がやっても意味がない。
ぺーぺーのサラリーマンがアメリカ大統領の執務法を勉強しても
意味がないのと同じだ。
サラリーマンはサラリーマンらしく、TOEICかEXCELの勉強でも
してなさいってことだ。

ところで本題の上述の風水本の紹介に戻ると、
上の本には色々な風水の”殺”が載っている。
その一つ一つに対して解決法(つまり化殺方法)が
載っているのだが、

風水最大の奥義は”引っ越し”らしい

さ、流石!中国4000年の知恵......!!
まさかその手があったとは......

合理主義的な中国人らしい解決方法だと思わないか?

風水が悪ければ、グッズや間取りよりも引っ越せばいいだろという
考え方だ


「リーベン人(日本人)馬鹿アルね。風水が悪ければ引っ越すのが一番ネ」
というわけだ。(笑)

もう一つ本の例を紹介すると、

”エアコン殺”という凶殺がある

エアコンの下にベッドがあると風邪を引き易いという”殺”だ。

”エアコン殺”の”化殺方法”:

「ベッドを移動させるよろし


これが中国4001年目の紡ぎ出した結論ッッ〜!!

つまりエアコンの下に龍の置物を置いても”エアコン殺”は防げないッ!!

龍の置物置くぐらいならベッドを移動させろよ、と。

う、う〜む、本場中国風水の知恵恐るべし。

※冗談ではなく、本当に上記の本には”エアコン殺”の説明がある。
 他には”家の隣がガソリンスタンド殺”だとか
 ”肥だめの上に家を建てちゃった殺
”だとかがある。
 本場中国風水は現代の生活にもちゃんと対応していたのだ!”

太平経、雲笈七籤、等道教の教典が届いた
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-552.html
”本場中国の本ですが、三国志の張角に影響を与えたと言われている
”太平経”と道教の魔術百科書と呼ばれている”雲笈七籤”、その他
仙道、武当山気功の本を中国系専門の書店から取り寄せました。

まだ中国語が完璧に読めるわけではないので......
勉強も兼ねて教材として使って行きたいと思います。

しかし、中国の道教/仙道関係の本って挿絵が少ないね。
霊符や気功のやり方とか絵や写真がないと分からないと
思うのだが......

見事に漢字ばっかりです。

ちなみに仙道は西派と伍柳派という流派の本を
揃えました。(日本で一番有名な”東派”という流派は
見掛けたことがない)

ところで何故、チーゴン(気功)の本を買ったのかと言うと
この前”氣塾”という団体のセミナーに参加しました。
ttp://kijuku.org/

怪しい宗教団体かどうか心配な方に参考として言いますが(笑)

フェイド大帝は無事帰って来れました

所謂、高藤仙道みたいな気功のクラブです。

全般的な”氣”の歴史の講義と体内の気脈の詰まりを取るとか
言って、指でこちらの手に向かって念じてコホォオオッ!とか
って息を吐きかけられるだけです。
”氣”の素人のフェイド大帝には何も感じられませんでしたが
無事、気脈が開通されたらしい。

元々、古式マスターヨーガというのが実際にインドに存在するのか
は分からないのですが、HPに武当派太極内丹法という
カナダの例の道士も認める気功法を教えているということ
だったので門を叩いてみました。

そこで基本の呼吸法を教えて貰ったのですが、
次の日、それを張り切ってやりすぎたため
頭痛というか首の寝違えみたいな症状が一週間も
続いてしまいました。
これが所謂”クンダリーニ症候群/気功偏差”と
言われている症状でしょうか?

ともかく頭の氣を抜く方法が良く分からなくて
一週間苦しんでいました。
一応、セミナーでテンションの掛かった部位から
氣は抜けて行く性質があると言っていたので、
頭と首の筋肉を緊張させながら呼吸法を続けたら
大分痛みが和らぎました。

別に”氣塾”が悪いと言っている訳でなく、呼吸法を
毎日続けるとチャクラがどんどん開いていくと
言っていたので、ちょっとオーバーにやり過ぎてしまった
だけみたいです。

ただ、クンダリーニ症候群/気功偏差に罹った事によって
インドや中国の”氣/プラーナ”というものが事実存在する
という確信が得られたのは大きいです。
これが実際に”氣”なのかどうかは分かりませんが、
少なくとも古代インド人や中国人の開発した呼吸法に
何らかの技術が存在することだけは確かのようです。

そのために”氣”をうまくコントロールするために中国の
仙道/チーゴンの本を勉強してみようと思ったのです。
(一応、西洋医学的な観点から急激な呼吸による頭痛の発生が
 あるのかも調べたのですが、ネットでは何も見つかりませんでした。
 ですのでやはり”氣”は存在するのかな
、と)

武当派チーゴンは一応DVDもあるみたいなので
今度買ってみようと思います。
中国語の聞き取りの勉強にもなるし。”

氣と人体の構造・補足、及び魔術、龍の置物のメカニズムについて
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-553.html
”ジョンソン博士の内丹の本を遂に読み終わった。
600ページ強の大著なので疲れた〜

今、呪文と詠唱、印契、禹歩編を読み始めました。

さて、そこで中国道教に於ける人体の構造について
大分分かってきたので補足したいと思います。

まず中国道教では体は”精、氣、神”の3種で構成されている
ことは前回話しました。(日本の仙道では5種という説もある)

実はこの世界そのものも”精、氣、神”の三種類の次元に
よって成り立っているというのが道教の考え方です。


”天、人、地”という表現もありますね。

で、この”精、氣、神”がさらに”陰陽”の二つに分かれて、
そしてそれが更に”先天”と”後天”の二つに分かれます。
つまり合わせて全部で”12の要素
”にてこの世界は
成り立っていると考えます。

道教ではこの”神の陽の先天”が重要になります。

これを”元神=ユアン・シェン”と呼びます。

この”元神”を我々人間が身につける事によって
”道=ダオ(タオ)”と繋がることができるようになるのです


まず、”精、氣、神”が具体的に何なのかを説明しましょう。

前回は人体の構造に照らし合わせて”精=栄養、氣=エネルギー、神=精神
と説明しました。
実は、これは人体に於いては確かに合っているのですが、道教の哲学では
もっと深い意味があったのです。

 精=物質世界(物理法則の及ぶ世界)
 氣=精と神を結ぶ媒体物の世界
 神=意味世界(心の世界、霊の世界)


これは魔術のメカニズムにも繋がっていくのですが、
古代中国人に取って、実際に目に見える世界と人間が心の中で思考
する”念”の世界というのはそれぞれ別であると考えています。

つまり物理学的に言ったら次元が二つあるわけですね。
で、更にこの二つの次元を繋ぐ架け橋のような中間の次元が
あって、これが”氣”の世界です。

古代中国人に取って地球の自然に実質影響を与える事ができる
物質は”風”であると考えていたようです。
この”風”は目に見えないので”氣”で出来ています。

これが風水の格言の「乗生気也。氣乗風則散...」の
本当の意味です。

この”氣”という物質は仏教で言う”空”のことであり、
バラモン教の”アーカーシャ”と同じです。

古代インドでは人間の話す”言葉”というのは”アーカーシャ”
で出来ていると考えられています。

古代中国もおおよそこの考え方で、”言葉”というのは
”氣=風”に乗って届くという性質があると考えられて
いたのです。

この”氣=風”に乗ることが出来るのは”言葉”だけでなく、
人間の”思い”や”念”を始めとした精神的な物も含まれるのです。

つまり”神”のことです。

ここからが重要なのですが、

この3つの次元はそれぞれ切り離して考えるべきではなく、
古代中国ではこの3つの次元はお互い密接に関連し、
影響力を及ぼしていると考えられていました。

つまりどういうことかというと、

”神”で念じた事は”氣”を伝って”精”に影響
を及ぼす

ということです。

これは逆の順序にすると、
”精生氣、氣生神”(精から氣が生まれ、氣から神が生まれる)という
人体の構造と同じになるわけです。

つまり、我々の世界というのは

物理的影響力(強)

 精(人)    → 精(世界) =物理法則
 ↑          ↑
 氣(人)      氣(世界)
 ↑          ↑
 神(人の思い) → 神(世界) =意味の世界(心象世界)

物理的影響力(弱)

という構造になっているわけです。

物理法則に一番影響力が強いのが同じ物理現象
です。

例えば、貴方が誰かを憎んでいて、復讐したいと考えたとします。
一番簡単な方法が相手を直接殴る方法です。
これは”物理的”に復讐したわけです。

ところが、相手に直接暴力を振るう事が許されない場合
(法律等で)、心の中で相手の不幸を念じたとしましょう。
物理学の世界ではこれは物理的な効果はありません。
ところが古代中国では心に念じただけで、間接的に
物理の世界にも影響があると考えたわけです。

この仕組みが”魔術”の正体です。

この仕組みを理解できると、何故、龍の置物が幸運を
呼ぶ力があるのかも理解できてきます。

龍の置物というのは物理学の世界では、
想像上の動物である龍の形をした銅の塊です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
化学的には”銅”という金属なので”銅”が
持つ特性しか持っていないわけです。
この”銅”の塊がただ龍の形をしているだけで
幸運を呼ぶ等、物理学では全くナンセンスな
迷信と解釈されてしまうわけです。

ところが古代中国人に取って、”龍の形をした
銅の塊”というのは”ただの金属の銅”ではないのです。

古代中国人はこの世の物質、存在にはそれぞれ”意味”
があると考えているのです。

いいですか、この考え方が重要なのです。

”意味”というのは”神”の次元に属している現象と
考えられています。

つまり”意味”というのは”物理現象”ではない

ということです。

”物理現象”ではないということは”物理法則”に従わないということです。

龍の置物の場合、

 龍の置物の意味=幸運を呼ぶ

になります。

この”幸運を呼ぶ”というのは人が信仰しているわけですから
”神”の次元に属しています。

つまり”神”は”氣”を通じて”精=物理世界”に影響を与えるわけですから
「龍の置物を置く」という行為は現実の物理世界に「幸運を呼ぶ」
という現象を間接的
に起こす物と古代中国では考えられていた
わけです。

これこそが「龍の置物を置く=幸運を呼ぶ」のメカニズム
なのです。

このメカニズムを中国思想の観点からここまで明確に
説明ができた日本の風水師がいたでしょうか?
いませんね?当たり前です。彼らは”中国道教”について
何も知らないのですから。
中国道教というのは教団としては三国志の時代から
存在します。(つまり漢の時代)
黄帝や禹歩の元になった禹(建設大臣の名前)にその
始まりを求めれば、殷や夏の時代よりずっと古いわけです。

これはよく勘違いされているのですが、日本の風水師(香港の風水師もそうだが)
が拠り所としている”陰陽五行理論”というのは朱子学の”朱熹”が
始まりだと文献学的には考えられています。
つまり宋
の時代の思想なわけです。
しかも日本の風水師や占い師が引用してくる台湾の
古本屋で見つけてきた書というのは大体が古くて
明の時代に書かれたか、大半が清か民国時代以降
の本ばっかりです。(彼らが言う様に周の時代に
書かれた古い物であれば竹簡じゃないといけません。
状態の良い冊子の形であるということは近年誰かが
書写した物であるということです。この場合、書写
された物が”本物”である確証はありませんし、
書写した者が編竄した可能性も否定できないでしょう)

つまり、”陰陽五行理論”というのは比較的
新しい理論なのです。
4000年の歴史はありません



ですので、”中国道教”を勉強しないと”中国文化”は理解
できないのです。”仙道”がインドのヨーガや道教より
古いという誤った認識も一部あるようですが、
中国では(台湾は知らないが)”仙道”より”道家思想(つまり道教)”
の方が古いというのは常識のようです
。”

中国道教に於ける呪文詠唱のメカニズム
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-555.html
”中国道教では呪文の詠唱というのは、密教(仏教)で言う
”真言”に当たる。ヒンドゥー教、バラモン教でいうと”マントラ”だ。

これらの呪文/真言/マントラというのは当然”言葉”で構成されている。
この”言葉”は道教では”氣”を媒体にして伝わる物とされている。
これはインドのバラモン教でも同じで、”言葉”というのは
”プラーナ”で出来ていると
ウパニシャッドに書かれている。

恐らく、中国道教のこの考え方もインド哲学が基になっていると
思われる。

何故、インドや中国では”氣”、”プラーナ”(仏教では空/アーカーシャ)
を重要視するのか?

それは”生命の根源”はプラーナであるという考えから来ている。
どういうことかというと、人間の五感というのは睡眠中は
シャットダウンされる。目も見えないし、音も聞こえない、
味覚もなければ、意識もない。

ところが”呼吸”だけは睡眠中でも絶えず行われている。

では、人間はいつ”呼吸”をしなくなるのか。

それは死んだ時である。

目は閉じても死なないが、呼吸を止めたら人間は
生きていけない。
だからインドでは”呼吸”を生命に密接に関係する
要素として捉え、これをコントロールすれば
長寿/不老不死を手に入れる事ができると考え
ヨーガの様々な呼吸法が生まれた。

つまり、インド/中国のオカルトでは”空気”という
媒体は非常に重要な意味を持つ訳である。

人の話す言葉というのは口から”息を吐く”様に
発せられるので、言葉は空気(氣/プラーナ)で
出来ていると解釈されている。

そもそも”言葉”とは何なのだろう?

これは当然、”音声”である。
だが、この”音”には”意味”が備わっている。
つまり人間の”神(意識)”を表現できる
ツールなのだ。

従って、人間の”言葉”というのは”氣”を通して
”神”に作用する性質
を持つということである。
これは前回説明した通りだ。

ところが面白いことにインド人と中国人はある
面白い現象があることに気付いた。

それは言葉(音)には自然や心理に作用する力のある物
とそうではない物が存在する。

自然や生物の心/意識に強い影響を与える”音”のことを
”真言=マントラ
”と呼んでいる。

もう少し詳しく説明しよう。

例えば犬の”ワンワン”という吠え声があるとしよう。
犬が唸りながら”ワンワン!”と強く吠えられたら
誰でも”恐怖感”を抱くだろう。噛み付いてくるのではなかろうか、と。
ところが言葉/音声上は”ワンワン”というのはただの
音でしかないし、文字にしてもこれに恐怖を感じる人は
いない。当然、犬ではなく別の人間がモノマネで
”ワンワン”と叫んでも怖くない。

犬が吠えながら”ワンワン!”という音を発声すると
人間は恐怖を感じる。

つまり、犬の”ワンワン”という吠え声には一種の”霊力”が
備わっているのではないかと古代インド人や中国人は
考えたわけだ。
しかもこの犬の声は国籍問わず、全ての人間が同じ恐怖を
感じるし、動物もまた同じ感情を抱く。

つまり犬の”ワンワン”は真言/マントラである


ジョークの様に思われるかもしれないが、密教の真言も
この考え方からスタートしているのだ。

だから、台風の”ビュウ、ビュウ”や雷の”ゴロゴロ”も
真言/マントラなのだ。

つまり、ある特定の”音声パターン”が重要なのだ。

ところがこれを”文字”にするとある問題が生じる。

それは国籍によって、同じ”音”でも表現が異なる現象だ。

犬の”ワンワン”で例えてみよう。

 日本人:ワンワン!
 アメリカ人:バウワウ!(Bow-wow)
 フランス人:ウフウフ!(Wouf, wouf
)

これだとどの国の人が言った犬の鳴き声が
本来の犬の声に近いのか分からない。
鶏の声なんかもっと最悪だ。

だから”真言/マントラ”はオリジナルの音声をいかに再現
できるかが重要になってくる。

これが仏教徒がやたらとサンスクリット語(梵語)での音声表記に
拘る理由だ。

つまり言っている”内容”が重要なのではなく、”音”そのものが
重要なのだ。

だから、サンスクリットの真言も道教の呪文も
意味不明な語句を含むことがあるのは、あれは
”音声”を忠実に再現しているからだ。
呪文や真言句の内容自体はあくまで二次的で、
”神”に人間の”念”を伝えるぐらいの意味合いしか
持たない


前回説明した通り、”神”の物理現象に対する
影響力は最も低いと話した。
真言/マントラという音声は人間の”念”より
ずっと強力な影響力を持つと考えられている


この理屈からすると、

フェイド大帝は中国道教の呪文を高評価できない。

理由は道教の呪文というのは”古代中国語”で唱えないと
効果がないということになるからだ。
ところが、道士が香港人か、台湾人か、北京人かで
同じ呪文でも使用する言語が全く別になる。

香港人は広東語だし、台湾人は台湾語を使う。
中国本土の道士なら当然北京語で発音する。

これではどの言語の音声が”真言/マントラ”なのか
さっぱり分からない。

恐らく、中国の長い歴史の中で呪文の正しい唱え方に
関してはノウハウが失伝してしまったのだろう


同じ理由で日本の神道の”祝詞”もフェイド大帝は評価しない。
そもそも神道なんて本当に日本に存在したのかも怪しい。
というのも江戸時代まで日本の神様も仏寺に祀られていたし、
歴代天皇の祈祷事例も圧倒的に真言密教が多い。
神道が本当に由緒正しくて、超常パワーを持った
神通力を発揮できるなら、歴代天皇も旧日本軍も
真言密教を使ったりしなかっただろう。
確証はないが、現代の神道に関しては明治政府が
持ち上げたデッチ上げ宗教なのではないかと思っている


ところで、フェイド大帝は”真言密教”を高く評価している。

というのも日本の歴史において真言密教が強い
神通力を発揮した事例が多いからだ。
平将門の調伏もそうだし、蒙古に対しての神風、
ルーズベルトの調伏等、実に効果的であることを
証明する事例に富んでいる。
昔の豪族や皇族も政敵を蹴落とすのに真言密教の
呪法に頼っていた。

ところがご存知の通り、真言密教の”真言”の発音は
オリジナルのサンスクリットの発音からは大分かけ離れている。

日本語訛りの”真言”ですらこれだけ神通力を発揮するのだから、

オリジナルはどれだけ強力なのか。

ということで、呪文を唱えるならサンスクリットのマントラを
練習して使うのが一番効果があると思われる。

ところが現代日本ではサンスクリットのマントラ集を
扱っている書籍、CDがほぼ皆無。

真言密教かチベット密教の本に参考程度に仏の名前が
チョロっと載っているぐらいだ。
後はヨガの本に少し載っているぐらいか?

というわけで、アメリカからサンスクリットのマントラ辞典

を取り寄せ中である。

もちろん著者はちゃんとインドで修行したヒンドゥー教の
本物のグルだ。

ところで、フェイド大帝が”西洋魔術”についてどう考えているか
知りたい人が沢山いると思う。

結論から先に言うと、

フェイド大帝は西洋魔術を全く評価しない。

理由は、現代知られている”西洋魔術”というのは19世紀イギリス
でオカルト同好会の”黄金の夜明け団”の教義が基になっているからだ。
つまり歴史も浅いし、そもそもあれは団のオカルト・オタクによる
捏造儀式が多い。
あれはギリシャ占星術(バビロン系)、ヒンドゥー教、でっち上げエジプト魔術、
即席で入会させたユダヤ人ラビ見習いのでっち上げカバラ(本来の伝統的
ユダヤ・カバラと何の関連性もない)を継ぎ接ぎして作っただけの
インスタント・マジックでしかない。ウィッカ(魔女宗)というのも
”黄金の夜明け団”からの派生流派だ。
西洋は残念なことに本物の魔術は中世カトリック教会がほぼ全て根絶やしに
してしまった。
本来はケルトのドルイドの呪術だとか、興味深い物が沢山
あったはずなのに非常に残念だ。

まぁ、ケルト文化はドナウ川を通じてイラン/ペルシア、
インド/アーリアと同じルーツを持つらしいので、
インドのバラモン教に近い教えなのではないかと思っている。
ケルト人も口伝メインで文書をあまり残さないという
文化も共通している


さて、最後に中国道教の伝統的な詠唱力訓練法を紹介する。

 ①まず、水のたっぷり入った鍋を用意する。
 ②鍋の水に向けて両手の平をかざす。
 ③息を吸って下丹田に氣を貯める。
 ④下丹田の氣を中丹田に上げる。
 ⑤中丹田は人間の”心”のある場所なので
  ここで念じると呪文に”神”に働き掛ける
  力を込めることができる。
 ⑥念の篭った呪文と氣を喉のチャクラまで上げる。
 ⑦息を吐くと共に水面に向かって呪文を詠唱する。
  この時、口と両手の平から水面に向けて氣を
  発しているイメージをする。
  キン肉マンのジェロニモの必殺技の様な
  イメージだ。(ネタが古くてすまない)
 ⑧水面に波紋が生じれば合格。
  (詠唱する呪文によって波紋のパターンが
   変化するのが理想



Volksミク人形を予約した
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-556.html
”実はこのミク人形、道教の祭壇用の神像に改造しようと思っている。

「えぇぇぇっ!!!???」

まぁまぁ、落ち着いて聞いてほしい。

実は道教の儀式で使う神像というのはただの人形じゃない。
仏壇に本尊を飾る時のことを思い出して欲しいのだが、
あれもお寺に開眼しに行くでしょ?

それと同じで、道教にも神霊を人形に降ろす秘術がある。
本来は風水の置物もこの儀式をやって魂入れをしないと
効果が薄いらしい。

元々この開眼の儀式は仏教由来でこれを道教が吸収(つまりパクった)
したのだが、仏教の仏像と違う点は、

人形の中に細工してある。

実は道教の神像というのは中に水晶だとか絹とかは
色々詰め込んで作る。

マニアックな物では蝉の抜け殻やタツノオトシゴの死体
とかを詰める


まぁ、色々理屈があるんだけどね。

そういうわけで、人形の中が空洞である程度の大きさが
必要なわけよ。

通常のフィギュアだと中は空洞じゃないし、そもそも
小さすぎるので使えない。

え?別にミクじゃなくてよくない、だって!?

いや、確かにそうなんだけど......

でも、ミクの方が絶対面白いでしょ?

天照大神とか大日如来とか憑依させるんだぜ?
興味あるだろう?

え?フェイド大帝は神仏を畏れないのかだって!?
バチ当りだって!?

あのね、神霊や鬼神をコントロールするのが魔術師なの!

”神を畏れて敬う〜作法に感謝の念を込めて〜”なんてのは
明治政府デッチ上げ神道の神主がやっていればいい



神社のお札やお守りが1年しか持たない理由
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-559.html
神道のお札の文化がそもそも中国道教由来なのか?という疑問が
まずありますが、

かなり高い確率で中国道教が元ネタ
だと
思われます。

というのは、フェイド大帝は社家(神社の子息)でもないし、神職
ではないですが、神職が神道の学校(宮司とかの資格を取るための学校)
とかで使う”教科書”を実は持っていたりします。(笑)
マニアックな本屋に行けば売っていたりします。
市の図書館とかには余り置いてないみたいですね。
まぁ、神道関係の教科書よりも仏教の僧侶用の
教科書の方が入手しづらいんですけどね、実際は。
で、その神職用の教科書にお札の由来とか作り方とか
が書いてあるわけです。

正直言って大した内容は書いてありません

そりゃ明治以降の寄せ集め宗教だからねぇ......)
恐らく中国道教由来であると書かれているだけです。(笑)

お札に思いっきり”急々如律令”
と書いてある。(笑)

(漢字が違うのは知っている。日本語のフォント変換だと出てこないだけだ。
 漢字が分からないわけじゃない)

この”急々如律令”という文言は道教特有(陰陽道も使うけど)の
文言で”天帝のお墨付きですよ。ちゃっちゃっと取り掛かって下さい”
という意味で、元々中国の皇帝の出す勅令の文章の末文から
コピーして来た文句です。
だから仏教系のサンスクリットで書いてあるお札にはこの文言は
つきません。
逆に道教の霊符には佛という仏教の”仏”という文字を入れる場合が
あります。これは仏教から仏様を道教側がパクったわけですね。
元々、仏教が中国に伝わったばかりの中国では道教自体が原始的
な宗教から抜け出しきれておらず、仏教の方がずっと教義が
高度だったのです。
つまり現代の台湾や中国の道教教義というのはかなり後世に
なってできた物なのです。最初から高度な老荘思想とかを
含んでいたわけではありません。

というわけで神道の教科書のお札の例に”急々如律令”と
書かれているということはほぼ100%中国道教由来と
考えて良いわけです。
ただ、問題はこのお札の開眼(仏教用語だが要は魂入れのこと)
方法が中国道教のやり方じゃないことです

2chのスレでレスに書いてあった

宮司が祈祷してカーッとやる方法”

がその本には書いてありました......

はっきり言ってそれじゃ効果ないです......
(道教の観点からという意味で)

ちなみに横浜の馬姐廟だかでオバちゃんが
やっている線香の煙にお札をまぶす方法も間違いです。

これは完全にいいかげんチャイナのオバちゃんにカモられているね。

フェイド大帝は中国道教の正一教(張陵の系譜)、茅山派、閭山派、
という超メジャー流派のお札の作り方のマニュアルを持っていますが
”線香の煙にまぶすだけ”という方法は存在しません。
(尤も他の流派は良く知らないけど)
実際は気功で体の中を浄化したり、禹歩を踏んだりとか
やたらと手順が複雑に出来ています


後、2chで出ていた木製のお札についてですが、
これの起源について説明しましょう。
(2chでは誰も知らないみたいだったので)

これは元々、中国でお札というのは桃の樹の木片
に書いて使っていたからです。
桃というのは魔除けの木としても有名ですね。
桃太郎の鬼退治というのもここから来ているわけです。
じゃ、なぜ桃の木に魔除けの効果があるのかというと、
古代中国では北東に日本でいう”鬼門”という霊界とこの世を
繋ぐ出入り口があったと信じられていました。
で、その”鬼門”のすぐ側にでかい桃の木が生えていたわけです。
この桃の木には二人の門番が見張りをしていました。
この二人が現代の中国の門神の元ネタです。
この門番達は悪霊(中国では”鬼”と呼ぶ)が悪さをしようと
この世に入ってこようとすると、桃の樹の枝を切り取って
ツタ状にして捕り縄として使っていたのです。

桃の樹のロープで悪霊=鬼を縛り上げていたわけですね。

だから桃の樹には悪霊をとっちめるパワーがあると
信じられる様になったのです。

で、この故事を基に二人の門番の似顔絵を玄関の門の左右の扉に描く
風習が中国で広まったのです。
この門の扉が”木”で出来ていたので

この木の板に門神の絵を描く=魔除けのお札がお札の起源
になったわけです。


↑中国の門神

昔の中国の聖職者というのは修行をしたり、金丹を作るための
材料を取るために良く山の中に入りました。
昔の山ですから、毒蛇だとか、トラだとか危険が一杯あったわけです。
で、魔除け/厄よけとしてお札を携帯するようになったのですが
門の扉を担いで山を登るのは大変ですよね?(笑)
そういうわけでお札はどんどん小さくなって腰帯に
木の板を巻き付ける様に変わっていったわけです。

ところで何で絵を描いたお札に魔除けの効果があるのか?

その理屈は何か?

確かにお札は桃の木で出来ていますが、門神が使っていたロープ状
ではなくただの板っ切れです。
こんな物にビビる悪霊はいません。

実はこの板っ切れに描いてある”門神”が重要なのです。

これは要するに

悪霊に対して”俺は怖い友達を沢山知っているんだぞ!”と
アピールしているのです。

”俺は身内にヤ○ザがいるんだぞ!”、”政治家の偉い先生を知っているんだぞ!”
と同じ理屈です。(笑)

これがお札の理屈です。(笑)

で、紙が発明されてからはお札もだんだん木材から
紙へと変わっていったわけです。

これがお札の起源の話です。

次はなぜ神道ではお札を毎年替えないといけないのかについて。

お札とは別の構造なのですが、中国道教には日本の
”呪いの藁人形”のような呪物を製作する技術があります。

この系統の呪術というのは何をやっているのかと言うと
人形の中に悪霊を封じ込めて使役しているわけです。
元々、悪霊とか生霊というのは本来霊界にいないと
行けないのですが、時々、人間でいう”不良”みたいな
やつが居て、この世にちょっかいを出すために稀に
やって来る浮遊霊のようなのがいるわけです。
で、こういう霊というのは姿が見えないので人に気付かれず
に悪戯をしたり取り憑いたりして害を及ぼす特殊能力を
持っているのです。
で、流石中国人というべきなのですが、この悪霊を
”利用”する方法を考えたわけです。
悪霊というのはその辺に浮かんでいたりするのですが
藁人形が一種のトラップとして作用して、この悪霊を
人形の中に封印して閉じ込めてしまう技術があります。
閉じ込められた悪霊は自由に身動きが取れませんし、自分で
”食物”を摂取することもできなくなります。
従って、完全に術者に飼われている状態になるわけです。
ですので、

呪いの藁人形は実は食事を与えないと餓死して
効果が無くなってしまいます。

こういうの陰陽道じゃ教えないでしょ?

人形にどうやって食事を与えるかというと、
お供え物をするわけです。
これを一般的に”供養”と呼びます。
ヒンドゥー教では”バリ”と呼びます。
ですのでお盆で果物とかをお供えするのは
先祖の霊に食事を与えているわけです。

で、ここで食事の量だとかをコントロールすることによって
悪霊を無理矢理、術者の命令に従わせることができるのです。
悪霊が言う事を聞かなかったら、孫悟空の冠の様に
悪霊に”体罰”を与える呪術とかもあります。

つまり中国式は暴力で従わせているってこと。

まぁ、この悪霊自体も元はチンピラ気質なので、
自分より強い暴力には弱いのでしょう。

で、こういう悪霊を呪う相手にけしかけてダメージを
与えるのが”呪いの藁人形”の本当のメカニズム
なのです。

ちなみにここが重要なのですが、

悪霊というのは基本的に”死霊”です。

つまり元々は人間だったり、動物だったりするわけです。

中国では人や動物が死ぬと、”鬼(グイ)”と呼ばれる”死霊”になるのです。
普通はそのまま霊界に行って成仏するのですが、
死霊にも個人差があって素直に成仏しない奴がいるんですね。
こういうのが道士等の呪術師
に利用されるわけです。

で、なんでこんな話をしたのかというと、

神道のお札はこの死霊召喚のメカニズムを
使っている可能性が高い

勘の良い方は気付かれたと思いますが、

神道の神というのは基本”死霊”です。

だから名前の後ろに”何とかの命”って付くでしょ?

あれは元は生きている人間だったわけです。

だから神道系の葬式だと仏教でいう”戒名”の代わりに
”命”という字を故人の名前に付けるわけです。

神社のお札というのは天照だったり、氏神だったり、ともかく
”何とかの命”なわけです。
だから”死霊”なんですね。
で、こいつらを紙のお札に封じ込めちゃうわけです。

だから神棚って毎日供養しろって言うでしょ?

餌を与えないと天照が餓死してしまうからね

それで、身動きの取れない天照にやれ金を増やせだとか、
恋人をつれて来いだとか、
東大に受からせろとか無茶苦茶な要求をするわけです。

日本神道エゲツない

天津神、死んでもサラリーマン

ところが、中国道教由来のこの呪術、

一個だけ落とし穴がある。

実は人形に霊を憑依させて使役する呪術ってのは

時間が経つにつれ強力になる

お守りは時間が経つとパワーダウンすると言っているそこの貴方!
逆ですよ?

古ければ古いほどお守りは強くなるんです

これは実は厄介な現象なのです。
というのも

強力になりすぎた霊は中途半端な呪術師の手に余る

術者が相当強力な霊力を持っていれば良いのですが、
神社でお守りを買って来るだけの一般人にそんな霊力も
技術もありません。

つまり、天照を長く飼いすぎるとヤバいことになる

そりゃ元が死霊なんだから報復してくるわけですよ。

つまり本来、

日本の神職はネクロマンサーなのだ

良く考えて下さい。

貴方の地元の世襲宮司に暴走した天照を抑える
霊力が備わってそうですか?

多分駄目でしょう。
神道学校で教えてませんから。

じゃ、どうするのかというと、ここも流石中国人。

実は人形に霊を憑依するときに寿命を設定する

要するに最初に人形に封じ込める時に”自決プログラム”を
組み込んでおくわけです。

寿命一年とかに設定しておけば自動的に一年経つと無害な
ただの人形に戻る様に出来ているわけです。

だから神社のお札も恐らくこのシステムを採用しているはず。

何ですって!?貴方の宮司のカーッには寿命設定の
祈祷がないですって!?

その天照、持ち続けていると危険ですよ?

今直ぐお炊き上げに行きましょう。

しかし、この理屈だと、

日本神道では毎年、天照を焼身刑に処しているわけか

こりゃ、魏の皇帝も卑弥呼は”鬼道”
使いと呼んだ訳だ。”


術を習いたければ入門するしかない?,
2013/9/17
投稿者 フェイド大帝
レビュー対象商品: 口伝 茅山術 (単行本)
"もう一人のレビュアーが書いている通り、この本は茅山呪術の
マニュアル本ではない。ただ茅山道教にはこういった呪術が
ありますよ~というツカミだけの術名カタログ本の様な感じ。

恐らく著者は実際に神戸で新興宗教?を開いているのか、
そこで入門した弟子にしか茅山術を教えないようである。
(伝授料金も高額だという噂もある)
一応、この本を読んだ後、著者の団体に入門しようと
コンタクトを取ってみたが返事が全くない。
あまり弟子を取るのに熱心ではないのだろう。

中国系というか東洋文化は秘伝商法といって何でもノウハウを
秘密にし書物に著さない暗黙の文化がある。
要するに肝の部分は口伝でしか教えない

まぁ、題名の通りではある。

茅山道教に本当に興味のある方はアメリカ人の書いた
本を購入された方が良いと思う。
キリスト教文化圏のアメリカは東洋人のように
秘伝を余り隠さない傾向があるからだ


オススメはJerry Alan Johnson博士とMichael Saso氏の
著作だ。両者ともちゃんと中国本土の道教寺院で修行を
積んだ本物の道士だ。
両方とも日本のAmazonでは取り扱っていない。
著者のサイトで購入して頂きたい。
ただし、Saso氏の本だけはアメリカ国内にしか
配達してくれない様だ。
値は張るがJohson氏の自費出版本をオススメしたい
。"
http://www.amazon.co.jp/review/R4A1IIR90UWNM

フェイド大帝の他のレビュー。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A210MWNNEISZEY?ie=UTF8&display=public&page=3&sort_by=MostRecentReview
” 前のレビューが消されている..., 2012/9/25
レビュー対象商品: 風水住宅図鑑―風水で住宅をみるための基礎知識(太玄社) (単行本(ソフトカバー))
よく分からないが前投稿したレビューが消されている。
無条件で★5を付けないと消されるのか? AMAZONは。
”言論の自由”って知ってますかぁ~?
って知らないか。アメリカ企業だもんな。”自称”民主主義国家の。

じゃ、また消されない様に要点だけ淡々とレビューしときますか。

まず風水”図鑑”と題名に書かれていますが、本の中身の半分は
著者の山道氏のコラムで構成されています。
”中国伝統風水”(つまり著者の言う本物の風水とかいうやつ)の蘊蓄が
つらつらと綴られています。
その根拠となっているのは著者が台湾の古本屋で見つけてきた怪しげな本や
台湾のどっかの老人の隠れ本棚から引っ張り出してきた”秘伝の書”とやらです。
出ましたね”秘伝”。中国人ってホントこの言葉好きですから。
中国武術界なんて”秘伝”のバーゲンセール状態です。
現代の工業製品を見てもらえば一目瞭然ですが中国はコピー万歳!主義
なので当然”秘伝の書”もコピーされまくるわけです。
しかも大半がオリジナルより”劣化
”していたりします。
著者はそれらの”秘伝の書”を集めるのをご趣味とされている様で
どこぞでレア本をゲットしただの”伝説の老師”に弟子入りできただの
著者本人のブログで得意げにPRしています。
(事実なので非難されるいわれはありません)
そして東大を始めとした国内の中国思想を研究されている学者を
”中国語が読めない”、”実地(台湾)でフィールドワークをしない”
等とブログで非難しています。
(これも事実です)
ところが実際は上述の非難には何の根拠もありません。
実際に台湾で現地調査及び研究をしている学者もおりますし、
中国の古典は”偽書”も多く、考古学的に信用できウラの取れる
文献にしぼって論文を書かれています。
”マニアックな秘伝の書”が論文に引用されないのは決して
”中国語や漢文が読めない”からではないのです。
例えば山道氏がコラムで挙げている”風水”という言葉の
起源になっている郭璞の「葬書」がありますが、この書物を
”郭璞が著した”という確証がなかったりします。
昔の中国人が有名人である郭璞の名を借用したという
説が有力と考えられています。

また、著者の山道氏が引用してくる”秘伝の書”は
明・清代以降の書物が圧倒的に多いです。
理由は主に3つあると考えられます。

 1.時代が新しいので書物自体の保存状態が良いので
   比較的状態の良い物が古本屋/台湾の老人の本棚から手に入りやすい
 2. 陰陽五行論がしっかり確立された時期が宋の朱熹以降からであり、
   古代中国(漢以前)の”風水理論”自体が比較的”稚拙”
であったため
 3.著者のバッググラウンドが明代以降の文献を贔屓目に評価している。
  (本人のプライバシーなので深堀はしませんが...)

そういった背景の下で本書は著されているという”事実”を
もう少し”真摯”に受け止めて頂きたく思います。
私が本書を”高評価”しないのは単なる”意地悪”からではありません。
ちゃんと根拠があります。

が、しかし図が沢山載っていて読みやすいことと、ラントウ風水に関しては
嘘をついた事が書かれていませんので、贔屓目にみて★2を結論としたいと
思います。


”風水のマスター・ローの風水本, 2012/9/25
レビュー対象商品: 完全定本 風水大全 (単行本)
世界のマスター・ローの風水本です。
つまりロー老師の専門分野である風水(玄空飛星派)の本です。
流石ご専門のフィールドなだけあって脱帽です。
何はともあれこの本を読まなきゃ風水は語れないでしょう
というくらい完成度の高い内容です。
風水グッズの”正しい使い方”も載っています。
高いグッズを買いそろえて玄関に置きまくる必要は全くなし。
アイテムを置くにもちゃんと陰陽五行論に基づいた背景が
あることに気づかせてくれる一冊です。

そもそも本屋さんの”占いコーナー”にこの本が置かれていること
自体が本来大変失礼にあたるくらいです。
”東洋思想”の学術本と並べても全くおかしくないくらいハイレベルな
内容を取り扱っております。

私は山道信者ではありませんがこの本は文句なしに満点です。”

”分かりやすい、安い、見やすい, 2012/9/25
レビュー対象商品: フライング・スター風水術―人生が劇的に変わる実践香港風水 (単行本)
分かりやすい、見やすい、安い、軽いので持ち運びが楽と良い事尽くめの本書。
巻末には飛星チャートの全パターン一覧も付いているため、建物の方位さえ分かれば
直ぐに鑑に入れるという優れもの。
確か「風水大全」の謝辞にも著者の名前が入っていたので、知り合いの華僑とは
ひょっとしてマスター・ローその人か?

また著者は文章を書くことに慣れているのか非常に読みやすい文章で書かれている。
玄空飛星派風水の入門書としては価格も安い分だんぜん風水大全よりもオススメです。
本書で一通り予習してから風水大全に行きましょう!”

こめ‏@u3110·2011年9月29日
『雲笈七籤』 曲晨飛精なる丹薬で文字を書した剣を抱いて寝臥し、曲晨飛精につばきを混ぜた丸薬を服用した上、しかるべき呪文を唱える。呪文を唱え終わり、目を閉じて息を咽(の)むこと九十回、そこで目を開けると、たちまちにして太一の神が天馬をもって迎えにやって来るのが見えるであろう。

wikipedia bot スマホ対応版‏@WikiBot_SmaPho·1月18日
天喜 http://goo.gl/gNWVs 天喜(てんぎ)は、日本の元号のひとつで永承の後、康平の前。1053年~1058年の期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。『抱朴子』の「生有レ通、則嘉祥並臻、此則天喜也」より。天喜元年藤原頼通により宇治平等院鳳凰堂が建立さ...

あまり聞かない名言‏@kouji_hukushima·1月17日
耳を信じて目を疑うは、古今の患う所なり~葛洪「抱朴子」:他人からの伝聞を信じて、実際に見たことを信じないというのは、昔から弊害とされてきた

出たらいいね諺故事成語bot‏@kotokoji_bot·1月16日
【千雀万鳩、鷂と仇を為す】・・・『抱朴子』
読み:せんじゃくばんきゅう よう あだ な
意味:弱い者が大勢いても強い者にはかなわないたとえ

一秒で身につく国語力‏@1tum04awase1·1月15日
知らないと話にならない四字熟語
【玉石混淆(ぎょくせきこんこう)】
玉=宝石
宝石と石が混ざり合っている状態。つまり、いいものと悪いものが入り混じった状態。
語源:晋の葛洪『抱朴子』より

長門有希の100冊Bot‏@YUKI_N_100b·5月15日
036: 抱朴子(葛洪/岩波文庫/哲学 魔法) 中国における道教が発達した理論的基礎。内篇20篇、外篇52篇からなる。錬金術の名著としても知られており、仙人が服用する仙薬の作りかたが書かれているという。

円環フワルナ‏@kuninosagiri·2013年7月27日
道教は、後漢代の五斗米道に始まる。その教団が三国の魏によって制圧されると、一時、その系統は表には現われなくなるが、4世紀初頭に、葛洪が現われ、『抱朴子』を著わして不老不死を説く道教の教理体系を整備した。ーwikipedia


出たらいいね諺故事成語bot‏@kotokoji_bot
蠹啄みて梁柱を剖く】・・・『淮南子』
読み:と ついば りょうちゅう さ
意味:災いは小さいうちにのぞかないと大変なことになる


【江河は漏卮を実たす能わず】・・・『淮南子』
読み:こうが ろうし み あた
意味:長江や黄河でも、水の洩れる杯を満たすことはできない


鼠穴を治めて里閭を壊る】・・・『淮南子』
読み:そけつ おさ りりょ やぶ
意味:小さい害を取り除こうとして大切なものを台無しにするたとえ


世界の偉人名言集‏@uzuki_h_14711·1月18日
一隅を守りて、万方をわする。「淮南子」☆一つのことにこだわって、全体のことを忘れてしまってはいけません

basco‏@basco_laoag·1月16日
陰徳あれば陽報あり 】〔淮南子人間訓〕 人知れず善行を積んだ者には必ずよい報いがはっきりと現れる。 #daijirin

あまり聞かない名言‏@kouji_hukushima·1月16日
水積もりて魚聚(あつ)まる~淮南王劉安「淮南子」:環境を整備しなければ魚は集まってこない。まして人間の場合はもっと心しなければ人は集まらない。 


子ども達に贈りたい言葉‏@kyouikusan·1月15日
学ぶに暇あらずという者は、暇ありといえどもまた学ぶこと能わず

『淮南子』より

中国中心名句bot‏@Chinameiku_bot·1月14日
今儒墨は三代文武を称すれども行はず、是れ其の行はざる所を言ふなり。今時の世を非とすれども改めず、是れ其の非とする所を行ふなり。其の是とする所を称して其の非とする所を行ふ。是を以て尽日慮を極むるも而も治に益無く、形を労し智を竭すも而も主に補ふ無し。(『淮南子』巻十三氾論訓)


♨︎かごんまのnozapi♨︎‏@boyhaaaaa·12月12日
人間は、山のように大きなものに
つまずくのではなく、

アリ塚のような小さなものに
つまずくのだ。

淮南子より

小さな害だから、些細なことだからと軽くみて後悔することは多い。


ririri@決戦‏@ririri1108·11月5日
「出典は中国前漢時代の思想書『淮南子(えなんじ)』「人間訓」の以下の故事から。」やっぱりそうだね。|塞翁が馬(さいおうがうま) - 語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/sa/saiougauma.html …

もりそは゛大明神‏@morisobamyojin5月9日
〜ニンニクと宗教〜 仏教「食ったらムラムラしちゃうからダメ」
修験道「栄養付きすぎて修行になんねえから食ったらダメ」
アイヌ土着信仰「魔除けにどうぞ」
道教「臭いからダメ」
神道「ニンニク投げたら神様倒せたったwwwwwwwwwwwwwww」

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi1月9日
「三国志演義」の赤壁の戦いの所に諸葛孔明が奇門遁甲の秘術で東南の風を吹かせる話がある。実は中国の奇門遁甲書には呪術や霊符に関する部分が多く占め、道教の道蔵には遁甲の呪法呪術書が多数ある。日本では遁甲を方位術と思う人が多いが、中国では遁甲を神秘的な呪法呪術と思う人の方が非常に多い。

古代中国奇書館‏@Liu_jian•2011年8月27日
易の歴史はテクノ系とセオリー系に分かれるのね。テクノ系は漢代の易林⇔易伝⇔宋代の梅花の予測術へと進み、セオリー系は周易参同契という錬丹術(身体論)へ進んでいるんだな。陰陽五行論が完成形態に発展する歴史を感じる。岩波文庫の『易経』はセオリー系のプロトタイプであるけれど実践的ではない



高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi•1月18日
安倍晴明以来、陰陽道宗家・賀茂家にいつもしいたげられて頭が全然上がらない安倍家を確固たるものにせんとして晴明から5代目の子孫・泰親は、生前は陰陽寮の普通の一官僚だった晴明を超人的スーパー大陰陽師に仕立て上げ、安倍家の権威を高めようと様々な画策をした節がある。超人晴明の誕生である。

安倍晴明は生前の賀茂保憲に頭が全然上がらず、陰陽道の重要典籍の閲覧も許されなかったことから、戦国時代に賀茂家本家の勘解由小路家が断絶するまで陰陽道の宗家は賀茂家になる。だが安倍家にしても家の跡継ぎだけに真伝や秘伝を伝えたらしく、他の兄弟達には一般的な陰陽道しか教えなかったようだ。

仏教では「内に因あれば、外に縁あり」また「外界は心の投影(外の世界は心が描き出す姿)」という。また天源淘宮術(運命改善を目的とする占い)に「災いは皆自らにあるものを外から来ると思う愚かさ」とある。つまり人の内に悪因子がないと運勢や星巡りが悪くても何も起きないので恐れる必要はない。

易経に「積善の家、必ず余慶あり」とある。つまり日頃から徳を積み、修養を心がければ、いざという時に不思議と救いがあるもの。また風水は「一・命、二・運、三・風水、四・積陰徳(修養や積徳・善行を行う)、五・唸書(勉強)」といって人間自身の能力と本人の努力も大切。意識的改革が全ての根本!

高橋圭也☆彡占い、陰陽師、菜根譚、山鹿流‏@KeiyaTakahashi•10月18日
東洋大学時代に道教の研究をしたから陰陽道の理解が早いと私は思っていた。だが陰陽道は密教に道教的要素が入り込んだ密教経典を参考にしたことを知り、参考程度に留めた。第一、今の道教の正統道蔵は明の正統年間に編纂されたものであり、それ以前の北宋代より前の道教は「雲笈七籤」によるしかない。


☯古代中国奇書館☯
http://ameblo.jp/jinshu-fanyi/

Henri Maspero マスペロの道教

日本人が知らない本当の道教 三多道長 (2009/7/15)

『抱朴子』
『淮南子』
周易参同契
太平経
真誥
『雲笈七籤』
『山海経』
『聊斎志異』
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道教  :  trackback 0   :  comment 1   

吉田神社にある道教施設。道教式の天皇陵。「大王は神」・「現人神」は「神道」由来ではない。「アイドルは処女」はマリア崇拝。性を管理する耶蘇教。契約神ミトラ=豊聡耳皇子(厩戸皇子)。神道のお札の元ネタは道教のお札。『混沌からの出発―道教に学ぶ人間学』五木寛之・福永光司 共著 

要約
・天皇という称号も皇位の象徴も道教由来であり日本神道とは無関係
・茅山道教を創始した陶弘景(とうこうけい)は皇帝のブレーンであり、「道教は神道」だと主張。
・「大王は神」・「現人神」は「神道」由来ではない。「神道」に体系だった思想は古代になく、アンチ仏教勢力が中世以降に作るまでない。
・天皇崇拝は星崇拝であり太陽崇拝ではない。天皇は天皇大帝の略称。天皇大帝は北極星の神格化であり剣と鏡の二種を象徴として持つ。日本の皇室でももともとは二種の神器。『日本書紀』、『養老令』、『古語拾遺』などによると神器は鏡と剣の二種(八咫の鏡は八角鏡らしい)。玉は後から。鏡と剣を聖なる権威の象徴とする思想は道教のもの。6世紀、梁の時代の、日本思想でも極めて重要な道教の天師である陶弘景が道教において鏡と剣が重要だと主張。

・少なくとも七世紀の後半、斉明・天智・天武(初代天皇)・持統の時代は道教の時代。皇統は斉明→天智→天武→持統→文武と続いていてこの五代の天皇が八角形の墳墓に葬られている。七世紀後半から八世紀初頭の天皇陵墓に八角形が採用されたのは、道教では宇宙の形を八角形で表現するから。

・吉田神社の大元宮の「本殿」は八角形で元は道観(道教施設)(「神道」自体が道教用語なのであってもおかしくない)。

・天武天皇が定めた八色の姓の最高位は「真人」=道教の真理の体得者。「真人」は中国では後漢の時代に皇帝を指す意味でも使われていた。『日本書紀』では天皇と同義語で使われている。真人の姓は天皇と皇族にのみ許された。

・『古事記』に道教の影響があることを主張した福永氏は、日本神道のある高名な研究者から罵倒されたことがある。あらゆる思想に元ネタがあることは常識。

・処女が良いという思想はキリスト教のマリア崇拝から来ている。「アイドルは処女神話」はキリスト教が作った。夜這い制度があった日本には本来なかったもの。夜這い制度を破壊して大衆が性によるパワーを得られなくしたのがキリスト教。

・神道のお札の元ネタは道教のお札。神道ってお札すら道教のマネ。
(神道という名称すら道教用語。というかまず神道という名前をやめないとね。GODを「神」と訳したキリスト教勢力がさせないけどね)

本記事の道教資料と共に、
陶弘景が道教の一派としての神道を作った(神道はmade in china)~福永光司『道教思想史研究』 (岩波書店 1987年)~http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
も合わせてご覧くださいお願いします。

『混沌からの出発 道教に学ぶ人間学』道教学者の福永光司と五木寛之の共著(致知出版社 1997年、中公文庫 1999年)

”「読売の黒子役」竹井博友が徳間書店(陰謀モノ)と致知出版社を事実上創業。(格物)致知出版社は「昭和最大の黒幕」安岡正篤、五木寛之、稲盛和夫の本がベストセラー(笑)。”私のツイートより

・アジア文化の特徴はミックスとコンビネーション。混ぜて組み合わせる。他の影響をおおらかに受けとめ、異なる要素を大胆に採り入れていくのです。道教はまさに混ぜて組み合わせて展開してきました。一方、西方と中東の文化の柱となっている宗教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教なのですが。この三つの宗教は同じ根っこから出た兄弟なのですが、互いに交わろうとせず、対立し、他を異端と見なしそれぞれの純粋性を強調し、純粋さと統一と拡大を旨とします。
多と一の文化が対照的です。
(キリスト教はミトラとゾロアスター派生です。ユダヤ教派生ではありません。「救世主」の概念があまりにも違いすぎますから連続性がありません。
ユダヤ教の救世主〔メシア〕=現世あるいは俗世での有能な指導者。
キリスト教の救世主〔クリスタス〕=超常の存在。
油を注がれたユダヤの王という政治的指導者がユダヤ教のメシアです。
超常の救い主という意味なら正にミトラ教のミトラです。最後の晩餐、最後の審判、最終戦争などなど皆ミトラ教が先です。黙示録はもろにゾロアスター教の教典『アベスター』が元ネタ です.
神との契約はミトラが最初です。ユダヤ教をオリジナルだと嘘流しまくっているのはキリスト教が自分がミトラのパクリだと知られたくないからです。イランのミトラ神は契約の神です)

・最初期の道教はシャーマニズムとも呼べるものであり、「鬼道」でした。鬼道が一応のまとまりを見せたのは、紀元前七世紀の頃でしょう。
 「巫」は巫術であり、鬼道であり、シャーマニズムだ。いわゆる「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国の卑弥呼が「鬼道」を担当しています。
 鬼道の道教を整合性のある論理で教義の体系を整える動きが出てきたのは二世紀半ば、後漢の順帝の頃です。道教が実質的に成立するのはこの後漢の末期=三世紀頃です。「三張道教」(三張=五斗米道という教団をおこした張梁(チョウリョウ)・張衡(チョウコウ)・張魯(チョウロ))と呼ばれました。この頃、道教に大きな思想的影響を与えたのが、いわゆる三玄の哲学であり、老子、荘子の「道」の哲学と易経の「神」(「カミ」ではなく「シン」ですね)の哲学でした。道教が老荘哲学を大きくとり込んでできた道教を、「神道」の道教といいます。道教が鬼道から神道に変貌し、三張道教として教団の組織を整えていった頃、後漢に曹操という軍事の天才が出現し、三張道教の最後の統率者、張魯と戦って決定的な勝利を収めます。戦いに敗れた張魯は江西の龍虎山に逃げ込み、三張道教は外界の接触を絶たれて、山中の隠道宗教となります。この反体制的な三張道教に代って江南の茅山(ぼうざん)に新しく皇帝権力と妥協する体制内的な茅山道教が成立します。茅山道教を創始した陶弘景(とうこうけい)は皇帝のブレーンであり、「道教は神道」だと主張しました。茅山道教は仏教や儒教の影響を強く受け、そのエッセンスを採り入れたもので、鬼道から神道に展開した道教が更に新しく展開し「真道の道教」と言われるものになりました。
 そして教義の体系を整え、教団としてのまとまりも出てきたところで、主に仏教側からの厳しい攻撃に晒されます。それは道教が不老長寿とか羽化登仙(羽が生え仙人となり昇天すること。酒に酔って気分がよくなること)とか自利の個人的な救済だけを問題にして、仏教のように捨身捨命(しゃしんしゃみょう)の利他行を説かず、衆生済度(「衆生」は全ての生き物。「済度」は迷う衆生を悟りの境地に導くこと)の菩薩道を実践しようとしない、と。この批判に対して、道教の側は理論武装を展開し、衆生済度の考え方を採り入れました。衆生済度と同義の「度人(どじん)」や「救苦(きゅうく)」を教典名とする道教教典が大量につくられることになりました。これが「聖道」の道教です。これが七~八世紀、我国の古事記神話が成文化される頃までの道教の歴史であり、鬼道→神道→真道→聖道、この四段階の発展を経ているのが道教です。

・中国文化を大雑把に書き手の福永流に整理すると、北の馬の文化と、南の船の文化に大別できる。「南船北馬」とう言葉が元ネタの区分けであり、紀元前2世紀半ばの『淮南子』(えなんじ)に基づく。。中国大陸の南は川が多いので船が用いられ、北は山が多く、馬をよく用いたことから来ています。とはいえ、
北=馬=騎馬民族=儒教が強い傾向、
南=船=農耕や漁労民族=道教が強い傾向、
と綺麗に分かれることは勿論なく両者は重層的に混ざっていますのであくまで傾向が強いと捉えて下さい(単一民族なんてものは幻想ですよ。日本でも、鎖国=単なる外交政策)。

・いわゆる魏志倭人伝に鬼道(道教が混ざっているだろう)を行う卑弥呼が出て来るように、弥生時代から既に道教の影響がうかがわれます。『古事記』にも道教の影響が見られます。製作企画者が初代「天皇」天武という道教家ですから当然ですけどね。完成したのは天武天皇没後ですけど。
『古事記』に道教の影響があることを主張していたら、書き手の福永さんは、日本神道のある高名な研究者から大たわけと面罵されたことがあるそうです。道教の影響を認めなかったのです。思想にオリジナルは存在せず、必ず影響を受けた元ネタがあることは思想研究の常識なのですが、一体この神道研究者は何を研究していたのでしょうか。江戸末期以降の神道に偽装した和風キリスト教=国家神道=天皇一神教、の太鼓持ちになる研究? まあ、道教研究者は支配者層には都合が悪いですわな。
日ユ同祖論者(なんでキリスト教くさいの?←喧伝した酒井勝軍はクリスチャン)は神道に一番似ている道教を無視します。
道教の経典を正確に読める学者って少ないことも、支配者層には都合がいいですね。万世一系なんて嘘ですから。今は四代目ですね。

・天皇は道教の最高神にして、星信仰の最高神。天皇=北極星。
紀元前3世紀、戦国時代の終わりごろから「天皇大帝」というかたちで使われるようになり、それが日本に入ってきました。初代「天皇大帝」天武は道教家ですよ。

古事記の神話の部分は特に濃密に道教の言葉で書かれています。
・『老子』(第42章)には(要約すると)
道は一を生じ、(一元気)
一は二を生じ、(陰陽二気)
二は三を生じ、(和気)
三は万物を生ず。
とあります。
「一」=「元気」(大元の気)=「一元気」=一体になったもの、カオス状態のもの。

※元気=すべてのものの生成の根源。今でもいい意味で使われます。

万物の生成の根源たるカオスの「(一)元気」から、男性原理の「陽の気」と女性原理の「陰の気」の二つが分かれます。これが「陰陽二気」で「二」によって象徴されます。次に陰陽二気が交わって陰気でも陽気でもなく陽気でも陰気でもある第三の「和気」を生じます。この「和気」を示すのが「三」です。この「三」=「和気」か万物が生じるというのです。これが老荘思想、そして万物生成の根本的な考え方です。儒教や仏教はすべての現象を形而上の(≒抽象的な)「理」で捉え説明しますから「理の哲学」と言えます。対して道教は「気の哲学」と言えるでしょう。宇宙空間を満たしている大気の流れと人間の生命の営みである呼吸、気息を同じものと捉え、この気の流れによってすべての現象を説明するのです。
そこから一元気から陰陽二気が生じ、陰陽二気が交わって和気となり、その和気から万物が生成するという考え方が出て来るわけです。
これら陰気と陽気と和気の三気を神格化して道教では「三気の尊神」と言い、世界はその「三気の尊神」から始まるとしています。五世紀頃に成立した道教の経典『九天生神経』にそう書かれています。
『古事記』冒頭あたりでは、天地開闢の際に「高天原」に最初に出現した神が天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)であるとしています。その後、高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしています。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)といいます。実は、道教経典の記録には、「高天、天原もしくは皇天原に神がいます」という趣旨のことが書いていて、これが古事記の「高天原」の元ネタであり、この三柱の神々は道教での「三気の尊神」が元ネタでしょう。
古事記はその後、次々と生まれて来る神々の名をあげるわけですが、そのときの国の状態を「国稚(わか)く浮かべる脂(あぶら)の如くして、くらげなすただよえる時」と描写している。そこにイザナキとイザナギが天の沼矛を突き立てて、矛からしたたり落ちたしずくがオノゴロジマになったと古事記は続けます。この「浮かべる脂の如くして、くらげなすただよえる」という描写は、道教の錬金術(錬丹術。科学の源流)の経典『周易参同契(しゅうえきさんどうけい)』にある表現とそっくりなのです。
 冒頭だけでも類似点が見られること、天武天皇が道教家であることを考えると間違いなく元祖日本思想とされる古事記ですら道教思想が色濃いことがわかります。「元祖」なんて思想は厳密には存在しないんですけどね。
陰気と陽気と和気の三つの気だろうがなんだろうが擬人化(擬神化)してしまうのが人の性なのです。

・死んだイザナミに会いにイザナギが黄泉の国に行く神話で、イザナギはイザナミに驚き(見るな→絶対に見る はお約束)、桃子三箇(もものみみつ)を投げつけて鬼の追跡を振り切り、黄泉の国から逃げ切ります。この鬼を撃退するために桃子三箇を投げつけるというのも、道教の文献『漢武帝内伝』の辟邪(へきじゃ)に桃実三箇を用いた西王母(せいおうぼ)の故事に基づきます。
実は桃太郎も道教の桃で魔よけすることと、日本版道教の陰陽道の方角思想に基づきます。陰陽道では東北=丑寅の方角は鬼門で不吉です(中国では東北は別に不吉ではありませんので陰陽道特有です)。
牛の角+虎皮の腰巻の鬼(東北)
VS
厄除けの桃+東北と或る程度反対側の申・酉・戌。

道教における桃で魔を払う思想を反映したイザナギの桃投げの後、イザナギは川の水で穢れを払うために目を洗います。すると、洗った目から天照と月読命、鼻から(なんか嫌ですね)スサノオが生まれます(それって単なる汚れ以下略)。それは道教のしきたりそのままです。道教の経典『黄素四十四方経』に死体を見たら目を洗ってみそぎをすることが書かれています。更に同じ経典『業報因縁経』(ごうほういんねんきょう)(生神品。せいしんぼん)に左右の目が日月となるというふうに書かれています。月との対比や文字遣いから天照は太陽神でしょう。
日本書紀ではアマテラスを「阿姉(あねのみこと)」と呼んで明確に女性神にしていますが、古事記にはそのような女性と明確に規定する描写はなく、機織りは女性の特権であり男性は手を出さない(出せない)ものでしたから女性としています。
(疑問。アマテラスは天岩戸神話で、女の裸踊りでおびき出されたけど、女相手にやるのかなあ)

太陽は女性であるとするのは船の文化であり、道教の考え方です。『老子』の「天道」(お天道さん)を万物の母とする思想に基づきます。紅一点や紅白では紅が女性あるいは女性のイメージです。
逆に、馬の文化では太陽は男性です。日本では太陽は赤のイメージですよね。船の文化では赤は女性を象徴します。
なお、英語sunは代名詞にはheとitを使うので男性で、日の出と日没はredですが、日中は通例yellowかgoldenです。moonは代名詞にsheとitを使うので女性で、日本では黄色ですが、西洋ではsilverです。
英語では太陽は日中は黄色か金色で男性。月は黄色で女性。

・『楚辞』に代表される古代楚の国の船の文化では紫は最も神聖な色、高貴な色とされています。それを踏まえ、道教の経典にもそう記述されていてそれが皇室に入っています。604年に聖徳太子(便宜的にそう呼んでおきます。厩と耳が良いよりミトラでしょうけど※)が制定したとされる六色十二階の冠位や孝徳天皇のときに制定された七色十三階の冠位では紫色の服を着るのは最上位の官吏だけとされています。ウィキでは色つきの表があってわかりやすいです。
これは直接的には隋の時代に「五品以上は通じて紫袍(ほう)を着けしめた」(『隋書』礼儀志)に基づくのですが、更に遡ると、春秋時代の斉の桓(かん)公が「好んで紫衣を服し、その値段が白絹の五倍になった」(『韓非子』外儲説(がいちょせつ))に基づくとわかります。日本では紫の袈裟が高級とされているのは道教の影響ですよ。
しかし儒教の祖とされる孔子では逆に紫は良くない色です。「紫の朱を奪うを悪(にく)む」(『論語』陽貨篇)より紫は儒教では卑しい色とされています。

・北極星の神格化である天皇大帝は剣と鏡の二種を象徴として持ちます。天皇崇拝は星崇拝であり太陽崇拝ではありません。日本の皇室でももともとは二種の神器でした。『日本書紀』、『養老令』、『古語拾遺』などによると神器は鏡と剣の二種になっています。玉は後に加えられたものなのです。鏡と剣を聖なる権威の象徴とする思想は道教のものです。6世紀、梁の時代の、日本思想でも極めて重要な道教の天師である陶弘景が道教において鏡と剣が重要だと記述しています。更に
7~8世紀の唐代の道教の天師、司馬承禎(しば・しょうてい、643- 735年※)が『含象剣鑑図(がんしょうけんかんず)』の中で鏡と剣の道教における重要性を詳細に論じています。道教において鏡と剣に二種の神器が玉を加えて三種の神器となるのは、初期の三張道教など国家権力との武力闘争をも辞さない反体制の宗教としての道教が、江南の上清派(じょうせいは)茅山道教のように皇帝権力と妥協し皇室における道教思想の影響を確立しようとする体制内宗教に転向して、道教の最高神(天皇大帝)が玉清天(ぎょくせいてん)に住む玉帝(ぎょくてい)と呼ばれるようになる5世紀ごろからのことです。
三種の神器のうち鏡は道教の「道」のシンボル、剣は破邪の霊威を表し、玉は円満の徳を表すとされますが、日本では多くの場合勾玉に替えられ、『日本書紀』仲哀紀(ちゅうあいき)の記述によれば、鏡は山川海原を分明(あきらか)に看行(みそなわ)す明智、剣は天下を平らげる勇武、勾玉は曲妙に宇内を統御する聖徳のシンボルとされています。なお、「曲妙」は、『老子』(第二十二章)の「曲なれば則(すなわ)ち全(まった)し」を踏まえています。

・日本の古典で「神道」が初出するのは『日本書紀』で第三十一代用明天皇について、「仏法を信じ、神道を尊ぶ」のくだりです。用明天皇は、仏教を高句麗僧の慧慈〔えじ〕から学び統治に採用した厩戸皇子の父ですから、仏教を信仰するのは当然だと言えます。この「神道」という言葉は、「神道の道教」としての「道教」かもしれません
(でもこの時点ではすでに「聖道」と名乗った仏教に対抗して道教側も「聖道」だと言ったりしています。道教が自身を呼ぶ名が「鬼道」・「神道」・「真道」・「聖道」と四つあるわけです。「鬼道」は卑弥呼の例でわかるように馬鹿にした表現ですから使えません。 道教が盛んな唐の王室も読むのだから、道教を格下扱いと捉えかねない表現は使わないはず。倭国時代からの土着の信仰=神道と当てたのでは? 「聖道」という言葉を使っても仏法と対比しているから明確に「仏教以外の宗教」の意味になります。そもそも道教と日本土着の素朴な信仰が混ざったものを「神道」と表現した?)。

※ネストリウス派キリスト教はペルシャ経由なのでミトラの影響があると考えます。
“八紘一宇=ワンワールドの和訳。
景教は波斯経由なので密特拉の影響があると考えます。千の耳を有するミトラ=豊聡耳皇子(厩戸皇子)。ミトラを隠す為にイエスキリスト=聖徳太子説を流布。ミトラなのにキリスト教が塗り替えた例が多そうです。”
私のツイッターより。

”『カミと青銅の迷路 清張通史3』 P.118-119  毘沙門は漢語に意訳されるときは多聞となるが、これはもし毘沙門がミトラならば容易に説明がつく。すなわちアベスターによればミトラは千の耳をもつ(多くを聞く)神だからである。さらに四天王の毘沙門以外の三天王も、それがミトラの分身であるならば、漢語の訳名はきわめて無雑作にその意義がわかる。すなわちミトラは万の眼をもつ神(広目天)であり、国家を護持する神(持国天)であり、生長を司る神(増長天)であって、三天王はそれぞれの徳をいいあらわしている。四天王像が多く光背をもち、ことに毘沙門が光塔をもつのも拝火教の遺物ではなかろうか。
 およそこうまでぴたりとあてはまるのは決して偶然ではない。西城から中国に輸入された毘沙門天信仰は、外形は仏教だが、その内容にはたぶんにイラン色がある

※この元ネタは、宮崎市定氏の説(『毘沙門天信仰の東漸に就て』『アジア史研究第二』所収)で、上記はあくまで、それを松本清張氏が要約したものの一部。
 つまり、毘沙門天を始めする四天王は、それぞれ以下の通り、ミトラの神徳を表わしたものだと言うものです。

    ○多聞天  ・・・ 千の耳を持つ(多くを聞く)神
    ○広目天  ・・・ 万の眼を持つ神
    
    ○持国天  ・・・ 国家を護持する神
    ○増長天  ・・・ 生長を司る神

 なお、ゾロアスター教においてミトラは、天光の神であり、正義、契約、盟約、真実を司るとされており、また、死者を裁く裁神や、戦いの神、そして、家畜や住居をはじめとする多くの富を与える神であるともされています。

 この説に関して、実際にゾロアスター教の経典『アヴェスタ』を見てみましょう。

「『アヴェスタ』 ミフル・ヤシュト」 第2節7-8
 ミスラ、広き牧地の主を我らは祭る
 正しき言葉を語り、雄弁なる者、
 千の耳を有し、美事なる姿の者、
 万の眼を持つ、丈高き者、
 遥けく見晴らす、強気者、
 眠らざる者にして、常に目覚めたる彼を。

 彼を、戦場におもむく領主たちは祭る
 戦う両国の間にて陣を敷く、血に飢えたる敵に向かい。

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(注)「ミスラ」はミトラのこと。また、最初の7行は、ミトラについて歌われる際の常套句の一つ。


 多聞天が「千の耳を有し」で、広目天が「万の眼を持つ」。そして、持国天が、後半部分の「戦場におもむく領主たち」が祭り、戦勝を祈願する戦神の姿であると言えるでしょう。他国との戦いに勝つことは、国を維持することに繋がります。(※ミトラを戦いの神として讃える箇所は他にも多数有り)

 最後に、増長天です。上で引用した説では「成長を司る神」でしたが、それを明確に示唆する記載は『アヴェスタ』で見つけることができませんでした。
 あげるとしたら、次の記載でしょうか。

「『アヴェスタ』 ミフル・ヤシュト」 第1節4  
 彼の富と光輝により、我は彼を祭る
 聞き届けらるべき祭りをもって、
 ザオスラをもって、広き牧地の主ミスラを。
 ミスラ、広き牧地の主を我らは祭る。
 アーリアの民に平和なる快き住居を与える彼を。

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(注)「ザオスラ」とは、ゾロアスター教の教祖ザラスシュトラのこと。


 これも、ミトラを讃える時の常套句の一つですが、「広き牧地の主」とあります。これは、家畜を無事、成長させ、増やしてくれる神と捉えることができるでしょう。
 ちなみに、増長天の梵名は「ヴィルーダカ」で「成長・増大したもの」と言う意味です。


 さて、毘沙門天、及び、それを含む四天王の正体がミトラであるとするのなら、パルティア、アルメニアの両王国で信仰されていたゾロアスター教では、世界の終末にはミトラ神が到来して正義の復権を行うとされていました。

 また、未来に下生して人々を救済するとされる弥勒菩薩の梵名マイトレーヤは、ミトラと語源が同じで「契約」を意味し、弥勒信仰には、ミトラ崇拝が影響を与えたと言われています

七福神と『ヨハネの黙示録』(その4) - 全ては古事記の中に
http://kojiki.imawamukashi.com/j01kosatu/7hukujin04.html

※司馬承禎(しば・しょうてい、643- 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師で、天台山に住んでいた。
721年に玄宗皇帝から宮中に招待され、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるらしい。
737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにするなど、玄宗に対する承禎の影響力から、いかに道教が唐の政治に影響したかが分かります。

・日本死――変換間違いです――、もとい日本史を学ぶと道教の「ど」の字も出てきません(どう考えても意図的)が、少なくとも七世紀の後半、斉明・天智・天武(初代天皇)・持統の時代の日本は道教の時代だったと言えるのではないかと福永さんは考えています。
斉明天皇は女帝であり、舒明天皇(641年没。彼含め、飛鳥時代の天皇稜が八角形なのは道教の影響だと指摘されています)の皇后でした。舒明天皇の死後に皇極天皇として皇位につき、同母弟の孝徳天皇に譲位するのですが、その孝徳天皇が亡くなられたので、再び斉明天皇として即位しました。
(孝徳天皇も道教色が強いそうです)
 六五四年に飛鳥板蓋宮で斉明天皇は重祚しました。その翌年、斉明天皇は一年間に三つも宮を建てています。後飛鳥岡本宮、吉野宮、そして「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)で知られる両槻宮(ふたつきのみや)を造営します。後飛鳥岡本宮の造営は、以前の飛鳥板蓋宮が前年火事にあったためだそうです。宮の造営のために必要な石材を運ぶために家具山と石上山の間に運河を掘りました。相当大掛かりだったらしく、この大工事に呆れて当時の人々は「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)と呼んだと日本書紀にあります。
岡本宮は政治の中心施設となります。既に政治の中心施設は造っているのに更に両槻宮(ふたつきのみや)を造ったのですが一体なんだろうというのが学界でも長い間問題でした。
日本書紀の「両槻樹の辺に於て観を起す」の「観」を道教の楼観だろうと考えているのは福永さんだけではなく、大正時代に既に歴史学者の黒板勝美(エスペラント語大好きな南朝崇拝者で、古代資料を南朝に都合よく改竄したかもしれない人。女のアマテラスが女の裸踊り見るのかな?)が指摘しています。作家の松本清張も論じています。道教を日本史から排除する支配者層の意向のせいで本来すぐ解決されるはずの問題が解決しなくなっています。斉明天皇も道教を熱心に信仰していたと考えられます。彼女は皇極天皇だった時代に南淵の河上で四方拝の儀式という、もともと道教の儀式を行っていることからも分ります。

・道教は仏教のように死後のこと、あの世のことをうるさくいいません。不老長生を願い目標とするのは現世を長く生きるためであり、人間も現世も肯定するのが道教です。

・道教には錬金術(錬丹術。当時の科学あるいは魔法・魔術)と健康法や医術の経典が沢山あります。西洋の錬金術(当時の科学。キリスト教にとっては科学=悪魔。あるいは魔法・魔術。魔法や魔術もキリスト教にとっては悪魔)は金を得るためです。金自体は創れなくても、金メッキ=外から見れば金になったように見える、の技術は発達したはずです。対して、道教の練丹術(錬金術)は不老長寿のために医薬品を作り出すのが目的です。とはいえ、東西問わず、不老不死の薬の研究はしているますけどね。
不老不死を馬鹿にしてはいけません。当時の技術力はあなたが思っている以上ですよ。例えば、始皇帝の墓からクロムメッキされた形状記憶合金が見つかっています。古代史って古代史(笑)なのでしょう。

・称徳天皇(女帝)は弓削の道鏡(坊さん)に病気を治してもらうなどしてこの坊さんに傾倒します。仏教にも道教が混ざっていますから坊さんの道鏡も道教思想の影響があります。それどころか道教は医学も研究していますから道鏡がその技術を持っていてもおかしくありません。坊さんは当時のインテリですからね。鏡は道鏡のシンボルです。そして「道鏡」という二字の漢語もまた、道教の盛行した北魏王朝の皇帝を讃える言葉としてすでに五世紀の後半ころから用いられています(『北斉書』)から、道鏡とはすごく道教的な名前なのです。西洋のキリスト教のように他の宗教を悪魔と呼んで攻撃するのとは違い、用明天皇が仏法と「神道」(道教と土着の信仰の混ざったものでしょう)をあわせて信仰していたことからわかるように、日本でも中国でも複数の宗教を信仰するのは不思議でもなんでもありません。アジア文化の本質はミックスとコンビネーションだからです。朝廷の姿勢的には仏教優位ですけど。神仏習合するけど仏が上。
道鏡が皇位につくのを阻止したのが和気清麻呂です。この「和気」は道教由来でしょう。「一元気」から「陰陽の二気」を生じ、この二気が交わって「和気」となり、その「和気」から万物が生じるという道教の言葉です。

天武天皇が定めた八色の姓の最高位は「真人」=道教の真理の体得者、であり、後漢の時代には皇帝を指す意味でも使われていました。『日本書紀』では天皇と同義語で使われていますし、事実、真人の姓は皇族にしか与えられていません。天武天皇の和風(国風)諡号は天渟中原真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)。瀛は道教における東方三神山の一つ瀛州(残る2つは蓬莱、方丈)のことです。
八色の姓(やくさのかばね。天武天皇が684年(天武13)制定)
①真人(まひと)←皇族用。道教家が目指す目標にして、道(タオ)の体現者。

②朝臣(あそみ・あそん)③宿禰(すくね)④忌寸(いみき)
⑤道師(みちのし)←道師は道教の集団の指導者のこと。

⑥臣(おみ)⑦連(むらじ)⑧稲置(いなぎ)

・古墳の形には前方後円墳、円墳、方墳がありますが八角形の古墳もあり、八角形は道教の影響です。この八角形の古墳は
七世紀後半から八世紀初頭にかけて飛鳥の地に集中的に現われ、すぐに消えてしまいます。いずれも天皇陵だろうとされています。
実は、天皇陵は蒲生君平の『山陵志』などを参考にして明治になってから比定(同質のものがないとき他に類似のものと比較してそれがどういうものであるかを推定すること)もので、学問的には不正確なものがほとんどのようです。
しかし確実だという天皇陵が、天武・持統天皇合葬陵です。記録と考古学的所見が合致するのです。また、天智天皇陵もほぼ間違いないでしょう。これらの陵墓が八角形なのです。
中尾山古墳と牽牛子(けんごし)塚古墳も八角形です。中尾山古墳は文武天皇陵、牽牛子(けんごし)塚古墳は斉明天皇陵だとする説が有力です。そしてこれ以前にも以後にも、つまりは空前絶後、八角形の天皇陵はないといわれています。皇統は斉明→天智→天武→持統→文武と続いていてこの五代の天皇が八角形の墳墓に葬られているのです。道教では宇宙の形を八角形で表現します。八角形は宇宙の象徴です。七世紀後半から八世紀初頭の天皇陵墓に八角形が採用されたのは、これらの天皇の事跡と考えると道教が強く影響しています。
 古代史が大揺れに揺れた壬申の乱前後の日本は道教(仏教混じり)の時代だったのですよ。
ヤタノカガミについてですが、鎌倉時代の文献『神道五部書』によれば八角形だと考えられますからやはり道教からきたものでしょう。鏡は道教で大変重視しますからね(ヘブライ語なんで書いていませんよ。漢字ならあり得ますけど)。八角形の鏡の系譜をたどると朝鮮半島の楽浪古墳からも出土しています。これは一世紀にできたもので、道教思想から作られたものでしょう。
天皇という称号も皇位の象徴も道教由来であり日本神道なんて無関係ですよ!

・平安時代の『延喜式』に載っている祝詞で、大祓で読まれたものがあり、「皇天上帝」「三極大君」「東王父」、「西王母」(不老長寿の薬を持っているそうです)という道教で重視される神々に向けてもいるのです。

・秋田の「なまはげ」行事は道教が色濃いです。仙台の七夕祭りは道教の星祭りがモチーフです。七夕には道教の星信仰と陰陽五行思想に基づきます。陰陽五行思想は道教がこの世界の構成を捉える基本的な考え方で、道教に限らず中国の哲学思想を理解するのに必須のものです。なお陰に悪い意味はありません。陰も陽もお互いを必要としているのです。陰陽二気の二と五行の五を足して七。七月七日は男性原理の陽気と女性原理の陰気がクロスする日だとしたのが七夕です。

・三十六歌仙に見られるように、「三十六」は道教で重要な数字です。道教は一年を三百六十日とします。陰陽二気の二で割って百八十。陰陽五行の五で割って三十六となるので、三十六が道教の基本数字となったのです。ある数字にこだわるのは宗教の特徴です。一年の最初の月である一月の真ん中、つまり陰暦の一月十五日を、道教では上元(じょうげん)といいます。日本では一月一日が重視されたので上元気を祝う祭りはあまり行われません。が、中国では今も一年の最初の祭りとして陰暦一月十五日に上元祭が盛大に行われます。そして、一年の半分が過ぎ、陽性原理が陰性原理に代わった最初の月である陰暦七月の真ん中、七月十五日が中元です。あの有名なお中元です。昔、京都の御所では中元祭が重要な行事でした。民間では仏教の盂蘭盆会(輪廻思想無視なので本来は仏教行事ではありません)と混同され、そのなかに収まっていったようです。中元に贈り物をする習慣は江戸時代から流行り出したものです。
秋の実りの月である陰暦十月の真ん中、十月十五日が下元です。昔は秋の村祭りが下元あたりに集中して全国で盛大に行われたものです。
陰暦十月を出雲の国だけが神在月と呼び、その他では神無月と呼ばれるのは道教(『黄庭経』第十四章「万神、下元<十月十五日>に<道君に>朝す」に基づきます。また、出雲大社の神在祭が陰暦十月十五日を含む前後一週間で行われるのも、このとき熊野大社の鑽火殿(さんかでん)で行われる「歯固め」の儀式なども道教(「叩歯」こうし の儀式)に基づきます。
(神無月の「神」は雷だと考えております。「神」の左側=祭壇、右側=雷、ですから。というか、神様が一カ月も不在ってまずいですよね)
(36=6の2乗=6×6=6+6+6+6+6+6。6が6つ)

・日本人は意識せずに独特のしゃがむ文化を継承しています。地面に座らずにしゃがむ姿勢がそうです。道端でしゃがんで世間話したりします。このしゃがむ姿勢は欧米人には大変奇異に映るそうです。
中国でも北部の馬の文化の方ではあまりしゃがむ姿勢はとらずに腰をぺたっと床や地面につけてしまう姿勢の方が多いです。しゃがむ姿勢は日本だけでなく、中国南部の船の文化の人も好んでこの姿勢をとりますし、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイといった東南アジアの人々をとります。これらは船の文化が広がっている地域であり、同時に道教の色彩が濃い地域でもあります。しゃがむ文化は船の文化であり道教に結びついています。
「倭人」とは背が低くて前かがみで数人が集まるとしゃがむ習慣を持っている人という意味です。

・『理趣経』(りしゅきょう)は、真言宗でも秘中の秘とされている経典で滅多に読経されません。読経するとしても一般衆生にわからぬように中国語、それも南方中国の呉音で読むのは、セックス賛美の箇所、セックスで味わうエクスタシーは菩薩の境地であると書いてあるからです。
実際、セックスは強烈なパワーを得られるからこそ、支配者が抑圧するのです。特に十代の女の子のセックスこそが超絶パワーを生むのですが、だからこそキリスト教などを利用して抑圧管理するのです。

『理趣経』(正式名称は『般若波羅蜜多理趣品』)を経典とする真言宗の超異端派が立川流(真言立川流)です。骸骨本尊とセックスを重視します。驚くべきことに南朝の後醍醐天皇が採用しました。

真言宗+陰陽道(日本版道教)+アンチ仏教=真言立川流

真言立川流は、真言宗の僧の最高位である阿闍梨(あじゃり)にまでなった仁寛が、武蔵国立川出身の陰陽師・見蓮(兼蓮とも書く)と出会ったことで生まれたそうです。
立川流の奥義を学んだ文観は後醍醐天皇の護持僧になります。北朝側の仏教への対抗のためですね。

(大衆のセックスを抑圧しているのが支配者。セックスで得られる力は強大過ぎるからです。キリスト教を利用して、特に女性のセックスを抑圧し管理しています。実際は、女性こそがセックスにより超常の力を得やすいのですよ。
処女最高ってキリスト教のマリア崇拝から来ているのですよ。「アイドルは処女神話」はキリスト教が作ったものです。夜這い制度を破壊して大衆が性によるパワーを得られなくしたのがキリスト教ですよ。
 英雄色を好むという言葉は、色により強烈なパワーを得られることを英雄が知っていて実践していたってことですよ。宗教と性の抑圧がセットなのは管理支配の為。セックスを管理される生き物とは家畜のことです。人口管理。更に詳しくは、
魔龍さんの『魔法入門カバラ~真を見抜く秘法』性愛カテゴリ
http://magicaldragon.blog.fc2.com/blog-category-4.html
をお読みくださいお願いします。
ちなみに、立川市が舞台で陰陽師が主人公の敵陣営として登場するアニメが、ズヴィズダーですね。全体的に女性優位で一つ目でロシアなお話。

本書について最大の感想は、
「天皇という称号も皇位の象徴も道教由来であり日本神道なんて無関係ですよ!道教を無視した日本史なんて意味なさすぎ!」ですね。
フリーメーソン・銀行と明治維新、天皇すりかえ、国家神道は和風キリスト教等々は江戸末期あたりからですが、古代史で道教と高句麗を無視しちゃいけません。歴史の根幹がごっそり抜けているのが教科書であります。歴史書は勝者が作る
↑じゃあどこが捏造されたり、大したことしてないのに大人物のように書かれていたり、重要人物なのに書いてなかったり大したことしていないように書かれたりしているのか教えて下さいよ先生
↑それが指摘できる人はねそもそも教師にならないんだよ。

子子子子子「私に任せなさい」

【神道】 高橋俊隆
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index202.htm
“天皇と真人を中心とする天上の神仙世界を説く道教のことを、中国では古くから「神道」と呼んでいます。「神道」という言葉は『易経』や『太平経』『晋書』に見られ、中国の方がはるかに歴史をもっています。(福永光司稿「天皇と真人」『道教と古代の天皇制』所収二六頁)。この古い文献としては『易経』の「観」の卦の「彖伝」(たんでん)にあります。彖伝というのは、『易経』の六十四卦の意味を解説したもので、「観」の卦の彖伝には、「盥(てあら)いて薦(すす)めず、孚(まこと)有りて、顒若(うやうや)し。下観て化するなり。天の神道に観て四時忒(たが)わず、聖人は神道を以って教を設けて天下服す」とあります。天下の太平と天地の太和の実現を天上世界の皇帝である「天皇」と結びつけて、『易経』よりもさらに徹底して「神道」を強調したのは、二世紀の半ばに天神から神書として干吉に授与された『太平清領書』(『太平経』)一七〇巻です。ここに、「身神を染習して心意を正し、蔵匿すること無きを得れば・・神道来り・・清明見(あら)はる」とあります。また、「神道」という言葉は「神(あや)しき道」という意味で、日本の神道観念とは性質が異なるといいます。神道以前の神道を古神道といいますが、ほかに純神道・原始神道などと呼ばれるように、概念規定が明白ではありません。そこで、原神道という呼び方ができました。(三橋健著『神道』四六頁)。

日本の文献に神道の言葉がでてくるのは『日本書紀』です。第三一代用命天皇(橘豊日。在位五八五~五八七年)の即位前紀と、第三六代孝徳天皇(天萬豊日。在位六四五~六五四年)の即位前紀です。用明天皇即位前紀に、「天皇(すめらみこと)、仏法(ほとけのみのり)を信(う)けたまひ、神道(かみのみち)を尊びたまふ」(天皇は仏教を信仰され、神道を尊重された)。また、孝徳天皇即位前紀に、「天皇・・・仏法を尊び、神道を軽(あなずり)たまふ。生国魂社の樹を駒(き)りたまふ類、是なり。人と為(な)り、柔仁(めぐみ)ましまして儒(はかせ)を好みたまふ」(天皇は仏教を信仰され、神道を軽視した)とあります。ここにうかがえるのは、仏教への信仰が深まっていますが、神社の信仰が天皇統治に深く関わっていたことです。孝徳天皇は大化の改新のときの皇極天皇です。「惟神」も『後漢書』穏逸伝などに「惟神の常道」とでています。つまり、神道という言葉の由来は道教にあるということです。ただし、当時においての神道とは、固有の神々や神事のことであり、教えをふくむ神道となるのは一二世紀末のことです。推古天皇一〇(六〇二)年に百済僧の観勒らが、歴本・天文・遁甲方術の書を伝えます。第三四代舒明天皇(在位六二九~六四一年)の一四(六四〇)年ころに、南淵請安、高向玄理や留学生により、これらの学問が急速に浸透します。天智二(六六三)年に「白村江の戦い」により百済が滅亡し、九月に日本軍は百済の遺民とともに帰国します。そして、諡号を天渟中原瀛真人天皇とする天武天皇は、道教の知識をもって国家としての神道を整えます。すなわち、現在、呼称される神道が確立しました。”

皇統は斉明→天智→天武→持統→文武と続いていてこの五代の天皇が八角形(道教式)の墳墓に葬られています。
皇極天皇=斉明天皇。皇極天皇は645年に弟の孝徳天皇に譲位。655年に皇極天皇は斉明天皇と名を変えて再び皇位につきます。

斉明天皇と道教
http://www.asuka-tobira.com/saimei/doukyo.htm※画像が多いので直接読んで下さい。お願いします。


飛鳥時代の道教文化
http://www.ab.auone-net.jp/~koinyawa/taoism.html
“推古9年(601)、百済の僧観勒が暦本・天文地理書・遁甲方術書を貢上したと記録されています。これが本格的な道教文化伝来だったようです。
日本に宗教としての道教は定着しませんでしたが、道教の背景にある天文学や歴法、占いなどの当時の最新の学問や手法、そして仙人を理想とする神仙思想(老荘思想)などは日本に受け入れられ定着していきました。
特に飛鳥時代は道教文化を受け入れた凌明期であり、最盛期でもあったように見えます。

飛鳥時代の怪異
日本書紀には飛鳥時代の道教的な神仙的な怪異譚がいくつか載っています。この当時には仏教が導入されていますが、抽象的で分かりにくい仏教よりも具体的で分かり易い道教の思想が受け入れられたのだと思います。
片岡の飢者:尸解仙の話が聖徳太子の聖人譚として記載されています。
蘇我蝦夷の霊:青い笠の怪人が龍に乗って葛城嶺から生駒山へと移動。
朝倉山の鬼:斉明天皇の葬儀を見ていた朝倉山の鬼。
役小角:修験道の祖。文武3年(699)に伊豆に配流されています。
(参考)古代怨霊の真相

斉明天皇の両槻宮:道教寺院
斉明天皇は、656年に多武峰(とうのみね)に両槻宮(ふたつきのみや)を造営しています。この宮は道観と呼ばれる道教寺院であったようです。おそらく、古代における、記録されている唯一の道教寺院です。
この寺院がどの程度利用されたか不明ですが、ここへは持統天皇が693年と696年に行幸しています。また、文武天皇が大宝2年(702)に修繕したとの記録があります。
また、斉明天皇は土木工事が好きだったようです。香具山の西から石上山にいたる水路を造り、石を運搬して工事を行ったようです。そうして造ったのが酒船石遺跡であろうと言われています。そして、この酒船石遺跡が両槻宮にも関連する設備だとの説もあります。利用方法の不明な酒船石遺跡は道教関連の設備だったのかもしれません。
後述しますが斉明天皇は雨乞いのために四方拝を行っています。おそらく道教の影響で行った儀式です。

天武天皇と道教文化
天武天皇の即位前記に、天皇は「天文・遁甲に能(よ)し」と書かれています。壬申の乱(672)の際に黒雲が天に渡るのを見て陰陽道の道具を使い天皇が自ら占っています。また、天皇号は天武天皇のころに定められたようです。道教の北辰信仰の天皇大帝から取ったとも言われています。
天武4年(675)に占星台(天文台)を始めて造ったとの記録がありますから本格的に道教文化が定着したのは、この頃のようです。正式な官僚組織に陰陽寮も設けられています


八角形の天皇稜
飛鳥時代の天皇稜には八角形をしたものが多くあります。これは、道教の影響ではないでしょうか。おそらく、この時代だけの流行です。
 舒明天皇稜(段ノ塚古墳)  舒明天皇:641年没
 斉明天皇稜(牽牛子塚古墳) 斉明天皇:661年没
 天智天皇稜(御廟野古墳)  天智天皇:671年没
 天武天皇稜(野口王墓古墳) 天武天皇:686年没
 持統天皇稜(野口王墓古墳) 持統天皇:702年没
 文武天皇稜(中尾山古墳)  文武天皇:707年没


八角形の廟
また、飛鳥時代から奈良時代の寺の堂で八角形の建物があります。これも、道教の影響を思わせます。おそらくは誰かの霊を祀る廟として建立されています。

法隆寺夢殿
天平11年(739)に行信が建立しました。光明皇后の寄進があったようです。聖徳太子の霊廟です。

法隆寺西円堂
光明皇后の母で藤原不比等の橘夫人の発願で養老2年(718)に行基が建立したと伝えられています。誰を祀ったものか不明ですが、これも霊廟だったのではないでしょうか。

興福寺北円堂
藤原不比等の死後一周忌の養老5年(721)に元明太上天皇と元正天皇によって建てられた八角円堂です。

その他
八角堂は、この時代以降も建築されています。
栄山寺八角堂:天平宝字年間(757~765)の建立。
興福寺南円堂:引仁4年(813)建立。
(参考)横浜媽祖廟と横浜関帝廟

現代の日本にも、中国の民間信仰としての道教的な廟がありますが、それらもやはり八角形を基本としています。
横浜媽祖廟では、八角形の建物の中に媽祖や玉皇上帝が祀られています。また、横浜関帝廟は、建物こそは八角形ではありませんが、八角形の天井が組んであります。

高松塚古墳とキトラ古墳の壁画
装飾古墳として有名な高松塚古墳とキトラ古墳は700年頃に築造された古墳です。被葬者は皇族あるいは貴族だと考えられています。
この古墳内部には壁画が描かれていますが、その内容は中国的、道教的な題材です。ここには仏教的な要素も神道的な要素もありません。
なお、墳丘は残念ながら八角形ではなく、2段の円錐台になっているようです。
四神
東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武が四方の壁の中央に描かれています。
日輪と月輪
東側の上方には日輪、西側の上方には月輪が有ります。日輪の内部には八咫烏が、月輪の内部には桂樹とウサギとカエルが描かれています。
天文図
天井には天文図が描かれています。中央が北極になっており28宿の星座が表現されています。
十二支像
キトラ古墳には四方の壁の下方に十二支像が描かれています。顔が動物で身体が人間の十二支像です。
人物群像
高松塚古墳では十二支像がなく、代わりに人物群像が描いてあります。これから被葬者と散歩にでも出かけるような男女が4人ずつ左右の壁の4ヶ所に描かれています。

四神相応の地
始めての本格的な都である藤原京(遷都694年)や平城京(遷都710年)を造るにあたって風水を重んじたのは言うまでもありません。
天武13年(681)に藤原京の造営の地を観るために陰陽師や工匠を含む調査団を派遣しています。持統6年(692)には藤原京の地鎮祭を行っています。この時には伊勢・大倭・住吉・紀伊の神に幣を奉っています。都の地を定めるために陰陽師により風水を占ってはいますが、地鎮祭では伝統的な日本の神を祀っているようです。
和銅元年(708)に元明天皇は、平城京が四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)相応の地であり大和三山が鎮めをなしていると言っています。また、亀甲や筮竹による占いを行ったことも述べています

朝賀の儀式の幢幡
文武天皇の大宝元年(701)の朝賀の儀式で、正面に烏形幢、左側に日像・青龍・朱雀の幡、右側に月像・玄武・白虎の幡を立てたとあります。
烏形幢は蓮華座の上に銅製の三本足の烏(八咫烏)を据えて七筋の玉飾りを垂らした物のようです。当然、日像には八咫烏が、月像には桂樹とウサギとカエルが描かれていたと思われます。
ただし、例年このような幢幡を立てたかどうかは不明です。この年に限った稀なことなので記録されているのかもしれません。
四方拝
皇極天皇は642年に、雨乞いのため南淵の河上で四方を拝み、天を仰いで祈っています。
時代は下りますが天平宝字元年(757)の「橘奈良麻呂の変」の際に、橘奈良麻呂や安宿王、黄文王などが夜中に庭に集まり、天地と四方を礼拝し、共に塩汁をすすり合って誓ったとあります。
四方拝は、元々は道教的な呪文を唱える儀式のようですが、形を変えて現在も皇室に受け継がれているようです。

陰陽師と呪禁師
陰陽師(おんみょうじ)は中務省陰陽寮に所属し天文・暦・気象観測などを掌ったようです。天武4年(675)に占星台(天文台)を始めて造ったとの記録があります。もちろん藤原京や平城京を造るにあたっては陰陽師が風水を占っていました。
呪禁師(じゅごんし)は宮内省典薬寮に所属し道教系の呪術で身体の安全を守ることを掌ったようです。典薬寮ですから医療の一環としてまじないなどを行ったようです。持統5年(691)に呪禁博士に銀20両を賜ったとの記録があります。”


古代信仰と道教/道教の神観念
http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/77/7725/772504.htm
“〈道教の教理から移入された神
 『万葉集』巻十九の四二六〇番において大伴家持は,
 「大君オホキミは神にしませば赤駒の腹ばふ田居を京都ミヤコとなしつ」
歌っておりますが,大君である天武天皇が神であるとされていますその「神」とは,同じく天武天皇の崩御が「龍駕登仙」と表現され,また道教の蓬莱神山に住む神仙世界の高級官僚を意味する「瀛真人オキノマヒト」の語が天武天皇の諡オクリナとされていることからも強く示唆されているように,道教の「神仙」の「神」若しくは「神人」の「神」と重なり合うような意味内容を持つ「神」ではないかと考えられるのです。この歌に続く作者不詳の四二六一番の歌,
 「大君は神にしませば水鳥のすだく水沼ミヌマを都と成しつ」
の「神」も,また全く同様に考えることができます。
 次に柿本人麻呂の
 「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬イホリせるかも」(同巻三の二三五番)
の歌の「神」についても,同じく人麻呂の草壁皇子の挽歌(同巻二の一六七番)に
 「神の命ミコトと天雲の八重かき分けて神下クダし、いませまつりし高照らす日の皇子ミコ」
若しくは
 「天の原、石門イハトを開き神上り、上りいましぬ我が大君、皇子の尊ミコト」
とある「神」と同じく,道教における天上の神仙世界に住む「神仙」若しくは「神人」の「神」と重なり合う意味内容を顕著に持つと解釈されます。因みにこの草壁クサカベ皇子の挽歌の中の「天雲」及び「天原」の漢語は,5世紀に中国の六朝時代に,道教の宗教哲学用語「霊運」を自己の名前とし,幼少時代は道教の寺院に預けられて養育された(『詩品』巻上)という宋の謝霊運の「祖徳を述ぶる詩」に「高情は天雲に属す」,また北魏の『水経注』河水の条にも,漢代の天を祭る聖地の名前として「皇天原」を載せています。
 更にまた同巻三の二四一番反歌
 「皇オホキミは神にしませば、真木マキの立つ荒山中に海を成すかも」
についてこの「おほきみ」は皇子の「皇」であり,詞書にも明記されていますように天武の皇子の長皇子を指します。そして「大君は神にしませば」の「大君(王)」が同じく天武の皇子である弓削ユゲ皇子を指す置始東人の
 「王ホオキミは神にしませば天雲の五百重イホヘの下に隠りたまひぬ」
の歌の「天雲」という漢語は,道教の神仙と親縁関係を持つ言葉です。この歌の本歌である
 「ひさかたの天宮アマツミヤに神ながら神といませば」
「天宮テンキュウ」という漢語も,また中国六朝時代に成立した道教教典の中に,神仙の棲む天上世界の宮殿を意味して「天宮に飛昇す」などと用いられているのです。天武の皇子であるこの弓削皇子の挽歌に歌われている「天宮に神ながら神といませば」の「神といます」「神」こそ,中国における道教の「神仙」の面影イメージで「おほきみ」としての弓削皇子の薨去コウキョ - 昇天 - を歌ったものと断定して大過ないでしょう。
 
〈神人と現人神〉
 道教の「神仙」は,原則として天上世界を住居としますが,地上の世界に住む人間と結び付け一体化する思考を生むようになりますと,その結び付きなり一体化なりを最も端的に示しているのは,神仙と共に道教の重要な神学用語である「神人」という言葉(「神仙」の「仙」もまた山の字に人扁が付いているように本来的には「人」です。)です。道教の神学でいわゆる神人は,人であると同時に神である,神であると同時に人であるという存在です。しかし,この神人という言葉の原義は,中国の道教的な古典哲学書である『荘子』の用例からも知られるように,「神のような人」即ち人間が修行努力することによって超越的な存在である「神」の境地に到達し得たものということで,「神」と「人」とのうち,基礎はあくまで「人」にあります。 それに対してインドの仏教系の神と人とを結び付け一体化する考え方が,漢魏の頃インド・シルクロードを経由して中国に持ち込まれて来ました。例えばこの頃の漢訳仏典『維摩経』などに出てくる「色人シキシン(人)として現れる薩摩(神)」の思想がそれであり,この場合の「人」と「神」とのうち「神」に重点が置かれています。神が人の形を執って現れるというものです。日本の古典信仰で云えば,葛城カツラギの神だとか賀茂カモの神だとか,元々神である存在が一次的に人間の姿を借りてこの世に現れてくるという考え方で,そういった神と人若しくは人と神の結び付きの関係,一体化の方向もある訳です。
 人間が努力して神の境地に到達する,若しくは神そのものになるという「神人」の考
え方と,神の方が逆に人間の姿を借りてこの世に現れてきて,いろいろなことを説いた
り教えたりするという「現人神」の考え方の二つがある訳ですが,『万葉集』において
「大君は神にしませば」と歌われている場合の「神」というのは,一応道教の方の「神
人」の系列の「神」と観た方が良いのではないでしょうか

 
現人神は仏教思想
 神と人との関係を中心ににした日本の古代信仰を考える場合,縦軸の方向は暫く措くとして,横軸の方向においてこの問題を考えて行きますと,「神」の思想と信仰は大きく分けて二つの系列に整理できるように思います。道教的な「神人」の思想信仰の方向と,インド仏教的な「現人神アラヒトガミ」の思想信仰の方向とです。「現人神」の「現」という漢字の用法を中国の古典で調べてみますと,仏教の入る以前には「現」という字を「神」とか「人」とかを結び付けて熟語とした中国語の使い方は殆ど見当たりません。つまり「人」として現れた神,即ち「現人神」の言葉と思想的信仰は仏教系漢語乃至仏教系列の思想信仰ということになります
 ところで,『日本書紀』や『続日本紀』など漢文で書かれた日本の古代文献を観ますと,「明神御宇日本天皇(『日本書紀』孝徳紀)」,「明神御宇日本倭根子天皇アキツミカミトアメノシタシラスヤマトネコノスメラミコト(同前),「明神大八州所知倭根子天皇(『続日本紀』天平宝字元年)などのように,「天皇」と結合して「明神」の語が用いられていますが,この「明神アキツカミ」というのは,中国の道教系の「神」即ち「神人」の系列に属する「神」であると観られます。即ち明々の威徳を道教的な神である天皇,例えば天武天皇のように最終的には神仙世界である「瀛州」の「真人」とも成り得る道教的な神,『万葉集』に「大君は神にしあれば」と歌われている「神」としての天皇を意味します。
 これに対して『日本書紀(雄略紀)』において,葛城の神が狩猟をしている雄略天皇のところに現れて,
 わたしは「現人アラヒト之神」即ち「人の姿を借りて現れた神である」
と云われますが,この場合の「現人」ははっきりと仏教系漢語です。また同じく『日本書紀(孝徳紀)』の「現為明神御八嶋国天皇」即ち「現れて明神と為り八嶋国ヤシマクニを御シロシめす天皇」の「現」の字や,『続日本紀(文武元年)』の「現御神止大八島国所知天皇」即ち「御神と現れて大八島国をば知ろしめす天皇」の「現」の字も同様です。
 なお,前記において引用した雄略天皇と問答をしている「現人之神」としての葛城の神について,この神は『日本書紀』の漢文に拠りますと,「長人」即ち「一事主神ヒトコトヌシノカミ」とも呼ばれている「仙(神仙)」の如き「人」として示現しており,「現人」の「人」が同じく先に引用しました孝徳紀の「現れて明神と為る」に相当します。そして,これによっても「明神」という言葉が本来,仏教の「現人神」とは異なる道教系の漢語であり,従って「現為明神」の天皇即ち「現れて明神となる」若しくは「明神として示現し」,この大八嶋国を治めている天皇という言い方は,「明神」の天皇よりも後次的であるということになります
 以上,日本古代の天武持統期における「神」の観念乃至思想信仰を,主として『日本書紀』の天武紀・持統紀の宗教関係の記述と『万葉集』の「大君は神にしませば」などの歌を中心に,筆者は検討を加えてみました。
 結論として日本古代における「神」の思想信仰に関しては,「神人(「明神」)」の語によって代表される道教系のそれと,「現人神」の語によって代表される仏教系のそれとの,二つの流れがあり,天武持統期における「神」の観念乃至思想信仰には,道教系のそれが顕著に優勢である,と考えられるのです。”

現人神すら仏教由来の可能性があります。「神道」に体系だった思想はありませんし(アンチ仏教勢力が中世以降作りますけど)。

天武天皇と翼
http://manoryosuirigaku2.web.fc2.com/chapter1-16.html
“天武天皇が蘇我氏とも鳥とも切り離せない事は、他の記事からも推定できます。
 天智十年(671年)十月十七日に近江の宮で大王が重態になった時に、皇位継承を断った大海人皇子は、古人大兄皇子が行ったのと同じ所作で、内裏の仏殿の南に出るとひげや髪を剃って、沙門(ほうし)の姿になりました。そして十九日に「吉野に入って佛道修行をしたい」と申し入れて、すぐに出発しました。
 近江から菟道(うじ)(京都府宇治市)まで大臣たちの見送りを受けたあと、皇子の一行は大王から追討の兵を出されるかもしれない恐怖心からか途中の待ち伏せを恐れたためか、およそ(元)皇族とは思えない速度で逃げて、その日の夕方にはなんと飛鳥に着いています。そしてようやく落ち着いて宿泊したのが、蘇我馬子の館だった嶋宮でした。
 都が近江に移っても旧都(飛鳥)には朝廷の留守司が置かれていましたし、嶋宮は恐らく蘇我氏かゆかりの氏族が管理していたと考えられます。大海人皇子はそこを目指して、まるで途中に安心して休める場所がなかったかのように急いだのです。
 大海人皇子の宇治から嶋宮まで辿った道が推測されており、通説の陸路では異常な早さでほとんど休まずに駆け続けたことになります。
 しかし本論では、宇治から木津川のどこかの地点に出て船でゆるやかな川を上り、現在の木津川市(奈良市の北側)で降りて、あとを陸路を馬で走った、と推理します。数十名とはいえ、讃良皇女(のちの持統天皇)も女官たちもいたわけですから、これが一番無理がなく危険性が少ない上に、時間的にも説明がつきます。これが最も納得できる行程です。
 しかし、これには条件があります。事前に船、馬と輿の準備がなされていなければできなかったということです。吉野から脱出して挙兵した時も同様で、『紀』は急いで出発したように記していますが、その時に皇子はすでに準備を終わらせていて、実行の指示をしたものと考えられています。従って、吉野隠遁の準備は、天智大王が病に伏せた直後か、それより前だった可能性も十分に考えられるのです。

 大海人皇子はその八ヵ月後に吉野から美濃に逃れ、挙兵して「壬申の乱」に勝利を収めたのですが、その帰路は近江経由ではなく、本営を置いた野上(関ヶ原)から挙兵に走った道を逆にたどって、飛鳥を目指しました。そして飛鳥で最初の宿泊場所に選んだのが、またしても嶋宮でした。皇子たちも脱出した近江京には、何の未練もなかったのです。
 分家と係累が多かった蘇我氏は、「壬申の乱」の時には大友皇子側と大海人皇子側に分かれて戦っていますが、大海人皇子が蘇我氏の本拠地である飛鳥を頼りにしていたことは明らかであり、飛鳥の蘇我氏と他の氏族が大海人皇子を守っていたことも見えてきます。
 そして天皇になった大海人皇子は、五年(676年)の正月に嶋宮で宴を行っています。
 天武天皇には嶋宮との、そしてそれを建てた馬子との、断ち切れない因縁が感じられます。
 また天皇は難波と信濃に行宮(あんぐう)を設けようとしましたが、吉野宮(宮滝遺跡)を訪れた以外は、飛鳥を安住の地として一度も外部に出ていません。天武天皇が道教思想に基づいて大和三山(耳成山・畝傍山・天香具山)の中心に計画して持統天皇の代になって完成した藤原京は、手狭になった飛鳥京を移転するためでしたが、その地も飛鳥の北西部です。

 天武天皇が崩御したのは十五年(686年)の九月で、その二ヶ月前に天皇の病気回復を祈って、年号が「朱鳥」と改元されました。朱鳥は道教の四霊獣神(四神)の一で、よみがえりの地と考えられた南方を守る朱雀(すざく)のことであり、天武天皇が信奉した道教の思想に拠ったものです。
 朱雀はまた吉兆を示す鳳凰であり、仏教では極楽に住む迦陵頻伽(かりょうびんが)とも結び付きます。その形の元には、大鷲があったように思われます。
 尚、現在のところ古墳の壁画で朱雀が描かれたことを確認できるのは、天武天皇の皇子または側近が葬られたと思われるキトラ古墳(明日香村)だけです。本論トップページの写真がそれです。
 ところで、『紀』に記されていない年号「白鳳」が、寺社の縁起書や一部の史書に見られます。これを天智期から天武期とする説があり、天武期の一部とする説もありますが、孝徳大王が改元した「白雉」が白鳳(はくほう)の別呼称だったとみるのが妥当だと思われます。
 そうなると、孝徳大王は生國魂神社(いくくにたまじんじゃ。大阪市天王寺区)の森の木を切った程度で、「神々の祭りを軽んじられた」と記されるほどではなかったことになります。
 持統期になって、都が飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)から北飛鳥の藤原京に移されました。その新都は天武天皇が道教の方位学や地勢学、現代風に言えば風水に基づいて場所を定めて、前漢・隋・唐の都だった長安を模して造営された、壮大な計画都市でした。その規模はおよそ5.3km(十里)四方だったと推定されていますので、面積でいえば平城京も平安京も上回るものでした。
 宮は京のほぼ中心に位置して、宮から真南に伸びた大路の出口に朱雀門が設けられ、その延長線上に、天武・持統合葬陵(野口王墓)が設営されています。ちなみに、青木御陵とも言われるその陵は、他の治定陵と違って、明治13年(1880年)に発見された『阿不幾乃山陵記』(あおきのさんりょうき)という十三世紀の書物によって、現在埋葬者が確定している唯一の古代陵で、八角墳です。石室には大理石の切石が貼られていたと考えられています。
 『阿不幾乃山陵記』には、天武天皇の脛の骨の長さは1尺6寸(48cm)、肘の長さが1尺4寸(42cm)あったと記されていることから、身長はおよそ175cmあったと考えられています。当時としてはかなり大柄だったのです。
 「八」は道教で宇宙や全世界を現した数字でした。、『記』の序文に「天武天皇、天統を得て八荒(はっこう)を包みたまう」という文があり、『紀』では「神武紀」に「八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となす」という表現があります。八荒=八紘は八角形に想定された「世界」の意味で、わが国が引き起こした太平洋戦争において、「八紘一宇」という侵略のスローガンに用いられました。
 各大王に国内で取れためずらしい物が献上されましたが、天武天皇に対しては鳥類が非常に多いのが目に付きます。その年月は省略しますが、次のものが記されています。----白い雉(備後)、めずらしい鶏(大倭国)、白い鷹(東国)、赤いカラス(筑紫)、白い鵄(とび)(近江)、白い巫鳥(しとと。アオジの類)(摂津)、白い茅鵄(いいどよ。フクロウ)(伊勢)、三つ足の雀(筑紫)、四本足の鶏(倭国)。
 新羅からの献上品には、鸚鵡(オウム)と鵲(カササギ)の記述もあります。ラバやラクダも献上されています。
 その他の物では、天武二年(673年)に対馬からわが国で初めて採取された銀、芝草(しそう。薬草)、めずらしい稲、めずらしい鹿の角、赤い亀、大きな鐘、白い海石榴(ツバキ。椿)、信濃国の図、十二の角がある子牛、といったものです。
 天武六年に筑紫から赤い烏が献上された時には、天皇は大宰府の役人たちに賜物を下し、烏を捕まえた人に爵位を与え、その郡の百姓には課役を一年免除して全国に大赦を行うという、喜びを現しています。よみがえりの色の赤と鳥に対する天皇の意識が、強く現れています。
 そして「天武紀」(下巻)には、鳥についての不明記事も何度か出てきます。----「めんどりがおすに変わった」、「臘子鳥(あとり)が天を覆って飛んだ」、「数百の鶴が大宮(浄御原宮)の方角に向かって空高く飛んだ」です。
 「あとり」については、欽明大王と堅塩媛(馬子の姉)との間にうまれた皇子の一人に、臘嘴鳥(あとり)の名があります。この鳥はスズメより少し大きめの小鳥で、わが国には越冬のために北から飛来する渡り鳥だとされています。
 しかし、天武天皇が鳥を珍重したことよりも、他の者たちが天武天皇を鳥と切り離せないと見ていたことが、もっと重要な記事に示されています。----吉野に隠遁する大海人皇子を菟道まで送ったあと、誰かが「虎に翼を着けて放つようなものだ」と言った、と『紀』が記したことです。
 これは単に風に翻る皇子の袈裟を見て形容したことばではなく、皇子が持っていた荒々しさを伏せた慎重な性格を暗示しており、獲物を狙う虎に鷹のような翼を与えて野に放ってしまった、と不安を漏らして表現したことばだった、と感じさせるのです。
 天武の性格と乱を予兆させるその重大なことばが、実際に発せられたにしても創作だったにしても、『紀』はその表現によって、天武天皇が爪でも牙でもなく「翼」に関係する者だったことを隠さずに、出自を暗示するために残したように考えられるのです。”


八角形の建物と道教
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/c04afe8bd68e086426b243bbb829fe31
“◎天武天皇から後醍醐天皇

八角形の建物と言えば、周易の八卦あるいは風水を意識したものだから道教のものだろうという説になる。木造建築は、火災、兵火であまり残っていないのだが、有名どころでは、徒然草の吉田兼好ゆかりの京都吉田神社の大元宮がまず道観だろうという話になる。

そして八角墳。7世紀中頃から8世紀初頭まで、舒明天皇陵の段ノ塚古墳、天智天皇陵の御廟野古墳、天武・持統合葬陵の野口王墓古墳、文武天皇陵の中尾山古墳のように、天皇陵は八角墳(封禅書では八角形の壇上で天子が天を祀る)となった。道教に傾倒したと思われるのはまずは天武天皇だが、この世紀は、前後の天皇を含め、実はずっと道教メインだった可能性が疑われる。
時代は下って、白河天皇の御代に、代々の天皇の尊崇を受けた京都白河の法勝寺に1083年に高さ約80メートルとされる八角九重塔が建立され、京都じゅうからよく見えたが、1208年)にこの塔が落雷で焼失。このときは栄西が大勧進になって再建した。これは今は残っていないもの

奈良吉野の金峯山寺は、後醍醐天皇が一時身を寄せていたあたりだが、ここになぜか八角の建築がある。それが八角三重塔で、後醍醐天皇の南朝時の住まいがあった場所に、建てられたものとされる。

八角は、皇室のシンボルである菊花紋16弁の元ではあり、また道教独自のものであるとは言えないところがある。というのは地水火風の4大のそれぞれに、陰陽ないし表裏などのサブディレクトリーを設ければ8になるだけのことだからである。ただし、日本の建築土木の八角ものの由来を考えると、どうしても道教、それも道教を国教とした唐の影響に思い当らざるを得ないのである。

後醍醐天皇は、時代が飛ぶので、吉野に依った動機が何かあったのだろうと思う。”

日本の道教政権の時代
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/a275b2c0ff5ce3e41f7616227d763cdc
“◎八角形の古墳・鏡・神社

福永光司説では、斉明・天智・天武・持統天皇(655-697)の時代は、天皇の事蹟において、道教の影響が強いとされる。

その根拠として、
1.斉明天皇は、奈良県多武峰に垣を巡らして、2本の槻の樹のほとりに、道観を建立した(両槻宮)(日本書紀)。
2.八角形の古墳は飛鳥地方に7世紀後半か8世紀初頭にかけてあらわれ、天武・持統合葬陵や、文武天皇陵とされる中尾山古墳と斉明天皇陵とされる牽牛子塚古墳が八角形となっている。八角形は道教の宇宙の象徴である。

672年の壬申の乱で、唐の影響力の強い政権が日本に誕生した可能性が高いが、唐は道教優勢の国家であったことから、早速に日本でも道教を国教としようとした運動の名残がこうしたものに残っているのではないだろうか。

このような性急な宗教政策は、明治維新の廃仏毀釈が仏教側の巻き返しによって結局徹底できなかったように、この時代でも成功しなかった。この当時は、日本には仏教が入ったばかりの頃であったが、日本人の宗教感覚が、道教の一本道の土着化を許さなかったということだろう。

八咫の鏡も八角鏡(神道五部書:鎌倉時代)だというし、京都の吉田神社なんかは、時代が下がって室町時代の吉田神道によって成るものだが、八角形の本殿に六角の後房とこれまた道教的ではあるが、八角が道教の専売特許かといえば、クンダリーニ・ヨーガでは、宗派共通のシンボルも勿論あろうが、人類共通レベルのシンボルもあろうから、八角をもって道教と決めつけるのもやや弱いのではないかと思う。

神仏習合のように当時流行の宗派は相互に影響を与え合うのが日本の宗派共存の主流なのとだから、ここは古神道、道教、仏教が相互に影響を与え合った中で、結局道教が民衆レベルにまで根付くことはなかったと見たい。”


天武・持統陵に午後立ち入り 奈良、八角5段の墳丘 鎌倉時代には盗掘被害
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140221/wlf14022110260001-n1.htm
“2014.2.21 10:18

(引用元では画像)
奈良県明日香村の天武・持統天皇合葬陵

 宮内庁が管理する奈良県明日香村の天武・持統天皇合葬陵(7世紀後半)に21日、日本考古学協会など考古学、歴史学関係の15団体の研究者が立ち入り、墳丘の様子などを観察した。

 陵墓は宮内庁が立ち入りを制限し、これまで外部研究者による調査は行われていないが、同庁は昨年、合葬陵の構造について天皇陵固有とされる「八角形墳」で5段築成と結論付ける論文を発表。昭和25年以降の調査結果などから、最下段の一辺は約15メートル、全体の高さは約7・7メートル、凝灰岩の切り石で覆われ「仏塔のようだったと推測される」と報告した。
 宮内庁管理の陵墓には被葬者に論争があるものが多いが、今回の合葬墓は鎌倉時代に盗掘されて内部の詳細な記録が残されており、研究者の間でも天武、持統両天皇が埋葬されたとみる説が強い。

 天武天皇は壬申の乱に勝利した後、673年に飛鳥で即位。天武、持統天皇は律令国家形成の基盤を造った。

 研究者団体は陵墓の研究や保存のためとして、平成17年に近畿にある陵墓への立ち入り許可を宮内庁に申請。これまで邪馬台国の女王卑弥呼の墓説もある箸墓古墳(奈良県桜井市)などを調査してきた。”

神社のお札やお守りが1年しか持たない理由
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-559.html
神道のお札の文化がそもそも中国道教由来なのか?という疑問が
まずありますが、

かなり高い確率で中国道教が元ネタ
だと
思われます。

というのは、フェイド大帝は社家(神社の子息)でもないし、神職
ではないですが、神職が神道の学校(宮司とかの資格を取るための学校)
とかで使う”教科書”を実は持っていたりします。(笑)
マニアックな本屋に行けば売っていたりします。
市の図書館とかには余り置いてないみたいですね。
まぁ、神道関係の教科書よりも仏教の僧侶用の
教科書の方が入手しづらいんですけどね、実際は。
で、その神職用の教科書にお札の由来とか作り方とか
が書いてあるわけです。

正直言って大した内容は書いてありません。
(そりゃ明治以降の寄せ集め宗教だからねぇ......)
恐らく中国道教由来であると書かれているだけです。(笑)

お札に思いっきり”急々如律令”と書いてある。(
笑)

(漢字が違うのは知っている。日本語のフォント変換だと出てこないだけだ。
 漢字が分からないわけじゃない)

この”急々如律令”という文言は道教特有(陰陽道も使うけど)の
文言で”天帝のお墨付きですよ。ちゃっちゃっと取り掛かって下さい”
という意味で、元々中国の皇帝の出す勅令の文章の末文から
コピーして来た文句
です。
だから仏教系のサンスクリットで書いてあるお札にはこの文言は
つきません。
逆に道教の霊符には佛という仏教の”仏”という文字を入れる場合が
あります。これは仏教から仏様を道教側がパクったわけですね。
元々、仏教が中国に伝わったばかりの中国では道教自体が原始的
な宗教から抜け出しきれておらず、仏教の方がずっと教義が
高度だったのです。
つまり現代の台湾や中国の道教教義というのはかなり後世に
なってできた物なのです。最初から高度な老荘思想とかを
含んでいたわけではありません


というわけで神道の教科書のお札の例に”急々如律令”と
書かれているということはほぼ100%中国道教由来

考えて良いわけです。
ただ、問題はこのお札の開眼(仏教用語だが要は魂入れのこと)
方法が中国道教のやり方じゃないことです。
2chのスレでレスに書いてあった

”宮司が祈祷してカーッとやる方法”

がその本には書いてありました......

はっきり言ってそれじゃ効果ないです......
(道教の観点からという意味で)

ちなみに横浜の馬姐廟だかでオバちゃんが
やっている線香の煙にお札をまぶす方法も間違いです。

これは完全にいいかげんチャイナのオバちゃんにカモられているね。

フェイド大帝は中国道教の正一教(張陵の系譜)、茅山派、閭山派、
という超メジャー流派のお札の作り方のマニュアルを持っていますが
”線香の煙にまぶすだけ”という方法は存在しません。
(尤も他の流派は良く知らないけど)
実際は気功で体の中を浄化したり、禹歩を踏んだりとか
やたらと手順が複雑に出来ています。

後、2chで出ていた木製のお札についてですが、
これの起源について説明しましょう。
(2chでは誰も知らないみたいだったので)

これは元々、中国でお札というのは桃の樹の木片
に書いて使っていたからです。
桃というのは魔除けの木としても有名ですね。
桃太郎の鬼退治というのもここから来ているわけです。
じゃ、なぜ桃の木に魔除けの効果があるのかというと、
古代中国では北東に日本でいう”鬼門”という霊界とこの世を
繋ぐ出入り口があったと信じられていました。
で、その”鬼門”のすぐ側にでかい桃の木が生えていたわけです。
この桃の木には二人の門番が見張りをしていました。
この二人が現代の中国の門神の元ネタです。
この門番達は悪霊(中国では”鬼”と呼ぶ)が悪さをしようと
この世に入ってこようとすると、桃の樹の枝を切り取って
ツタ状にして捕り縄として使っていたのです。

桃の樹のロープで悪霊=鬼を縛り上げていたわけですね。

だから桃の樹には悪霊をとっちめるパワーがあると
信じられる様になったのです。

で、この故事を基に二人の門番の似顔絵を玄関の門の左右の扉に描く
風習が中国で広まったのです。
この門の扉が”木”で出来ていたので

この木の板に門神の絵を描く=魔除けのお札がお札の起源になったわけです。


↑中国の門神

昔の中国の聖職者というのは修行をしたり、金丹を作るための
材料を取るために良く山の中に入りました。
昔の山ですから、毒蛇だとか、トラだとか危険が一杯あったわけです。
で、魔除け/厄よけとしてお札を携帯するようになったのですが
門の扉を担いで山を登るのは大変ですよね?(笑)
そういうわけでお札はどんどん小さくなって腰帯に
木の板を巻き付ける様に変わっていったわけです。

ところで何で絵を描いたお札に魔除けの効果があるのか?

その理屈は何か?

確かにお札は桃の木で出来ていますが、門神が使っていたロープ状
ではなくただの板っ切れです。
こんな物にビビる悪霊はいません。

実はこの板っ切れに描いてある”門神”が重要なのです。

これは要するに

悪霊に対して”俺は怖い友達を沢山知っているんだぞ!”と
アピールしているのです。

”俺は身内にヤ○ザがいるんだぞ!”、”政治家の偉い先生を知っているんだぞ!”
と同じ理屈です。(笑)

これがお札の理屈です。(笑)

で、紙が発明されてからはお札もだんだん木材から
紙へと変わっていったわけです。

これがお札の起源の話です。

次はなぜ神道ではお札を毎年替えないといけないのかについて。

お札とは別の構造なのですが、中国道教には日本の
”呪いの藁人形”のような呪物を製作する技術があります。

この系統の呪術というのは何をやっているのかと言うと
人形の中に悪霊を封じ込めて使役しているわけです。
元々、悪霊とか生霊というのは本来霊界にいないと
行けないのですが、時々、人間でいう”不良”みたいな
やつが居て、この世にちょっかいを出すために稀に
やって来る浮遊霊のようなのがいるわけです。
で、こういう霊というのは姿が見えないので人に気付かれず
に悪戯をしたり取り憑いたりして害を及ぼす特殊能力を
持っているのです。
で、流石中国人というべきなのですが、この悪霊を
”利用”する方法を考えたわけです。
悪霊というのはその辺に浮かんでいたりするのですが
藁人形が一種のトラップとして作用して、この悪霊を
人形の中に封印して閉じ込めてしまう技術があります。
閉じ込められた悪霊は自由に身動きが取れませんし、自分で
”食物”を摂取することもできなくなります。
従って、完全に術者に飼われている状態になるわけです。
ですので、

呪いの藁人形は実は食事を与えないと餓死して
効果が無くなってしまいます。

こういうの陰陽道じゃ教えないでしょ?

人形にどうやって食事を与えるかというと、
お供え物をするわけです。
これを一般的に”供養”と呼びます。
ヒンドゥー教では”バリ”と呼びます。
ですのでお盆で果物とかをお供えするのは
先祖の霊に食事を与えているわけです。

で、ここで食事の量だとかをコントロールすることによって
悪霊を無理矢理、術者の命令に従わせることができるのです。
悪霊が言う事を聞かなかったら、孫悟空の冠の様に
悪霊に”体罰”を与える呪術とかもあります。

つまり中国式は暴力で従わせているってこと。

まぁ、この悪霊自体も元はチンピラ気質なので、
自分より強い暴力には弱いのでしょう。

で、こういう悪霊を呪う相手にけしかけてダメージを
与えるのが”呪いの藁人形”の本当のメカニズムなのです。

ちなみにここが重要なのですが、

悪霊というのは基本的に”死霊”です。

つまり元々は人間だったり、動物だったりするわけです。

中国では人や動物が死ぬと、”鬼(グイ)”と呼ばれる”死霊”になるのです。
普通はそのまま霊界に行って成仏するのですが、
死霊にも個人差があって素直に成仏しない奴がいるんですね。
こういうのが道士等の呪術師に利用されるわけです。

で、なんでこんな話をしたのかというと、

神道のお札はこの死霊召喚のメカニズムを
使っている可能性が高い

勘の良い方は気付かれたと思いますが、

神道の神というのは基本”死霊”です。

だから名前の後ろに”何とかの命”って付くでしょ?

あれは元は生きている人間だったわけです。

だから神道系の葬式だと仏教でいう”戒名”の代わりに
”命”という字を故人の名前に付けるわけです。

神社のお札というのは天照だったり、氏神だったり、ともかく
”何とかの命”なわけです。
だから”死霊”なんですね。
で、こいつらを紙のお札に封じ込めちゃうわけです。

だから神棚って毎日供養しろって言うでしょ?

餌を与えないと天照が餓死してしまうからね

それで、身動きの取れない天照にやれ金を増やせだとか、
恋人をつれて来いだとか、
東大に受からせろとか無茶苦茶な要求をするわけです。

日本神道エゲツない

天津神、死んでもサラリーマン

ところが、中国道教由来のこの呪術、

一個だけ落とし穴がある。

実は人形に霊を憑依させて使役する呪術ってのは

時間が経つにつれ強力になる

お守りは時間が経つとパワーダウンすると言っているそこの貴方!
逆ですよ?

古ければ古いほどお守りは強くなるんです

これは実は厄介な現象なのです。
というのも

強力になりすぎた霊は中途半端な呪術師の手に余る

術者が相当強力な霊力を持っていれば良いのですが、
神社でお守りを買って来るだけの一般人にそんな霊力も
技術もありません。

つまり、天照を長く飼いすぎるとヤバいことになる

そりゃ元が死霊なんだから報復してくるわけですよ。

つまり本来、

日本の神職はネクロマンサーなのだ

良く考えて下さい。

貴方の地元の世襲宮司に暴走した天照を抑える
霊力が備わってそうですか?

多分駄目でしょう。
神道学校で教えてませんから。

じゃ、どうするのかというと、ここも流石中国人。

実は人形に霊を憑依するときに寿命を設定する

要するに最初に人形に封じ込める時に”自決プログラム”を
組み込んでおくわけです。

寿命一年とかに設定しておけば自動的に一年経つと無害な
ただの人形に戻る様に出来ているわけです。

だから神社のお札も恐らくこのシステムを採用しているはず。

何ですって!?貴方の宮司のカーッには寿命設定の
祈祷がないですって!?

その天照、持ち続けていると危険ですよ?

今直ぐお炊き上げに行きましょう。

しかし、この理屈だと、

日本神道では毎年、天照を焼身刑に処しているわけか

こりゃ、魏の皇帝も卑弥呼は”鬼道”使いと呼んだ訳だ。”

漢文で「鬼」は「キ」であり「亡霊」って意味です。
「神道」には「墓に至る道」という意味があるように、「死のイメージ」がつきまとっております


以上です。
道教  :  trackback 0   :  comment 1   

陶弘景が道教の一派としての神道を作った(神道はmade in china)~福永光司『道教思想史研究』 (岩波書店 1987年)~ 

※本書の記述だけなく、記事主自身の補足や見解なども混ざっていますのであしからず。そうでないと記事にする意味がないからです。本だけ紹介してハイ終わりにしたくないからです。

要約(私のツイッター+道教=『鬼道→神道→真道→聖道』の流れ図)

5~6世紀の道教家の陶弘景が道教の一派「神道」の起源。紫宮に住む天皇を仙の世界の長とし真人を高級官僚として「神道の道教」世界を構想。道教の剣と鏡=天皇大帝の象徴を重視。梁の武帝のブレーンで別名「山中宰相」。道教家の天武天皇や記紀に強く影響した日本思想の起源なのに無視される陶弘景。


「鬼道=シャーマニズムの道教」に、老子の道(タオ)と易経の神(シン)の思想が混ざり2世紀、後漢の時代の中頃から「神道の道教」となる。真俗を対比させる『荘子』の哲学の盛行で3世紀頃から「真道の道教」となる。聖道を名乗る仏教に対抗し6世紀に道教側も「聖道の道教」となる。「聖」が最高。


道教の宗教認識:鬼道(シャーマニズム。卑弥呼)<神道(墓道の意味もある。格下扱いする『日本書紀』)<真道(真人=最高の人。天武天皇は真人を八色の姓での最高位とし諡にも入れさせた)<聖道(道教と仏教)。本地垂迹説に基づく寺(道教混合)による異教支配の根拠。明治以前の神=道教の神仙。


和風耶蘇教=神道に経典も教義もないのは他の宗教と混ぜて宗教統一するため。八百万の神々=何でも神様説で単なる自然崇拝まで神道にして耶蘇教化させる。伊勢神道では食べ物の神の外宮が天照の内宮より格上で、神道五部書は偽書。よって南朝偽天皇に都合が悪く、明治以降に神道経典=和風聖書を捏造。


神道は二つの意味で中国製。①道教の一派。陶弘景の神道=道教②キリスト教の一派。中国語訳聖書のGODの訳語としての神が日本に入り、国学者(アンチ仏教)でクリスチャンの平田篤胤が神道=和風耶蘇教(本教)を作る。道教書と和風聖書が経典であることを隠すために神道に経典も教義もないとした。“

「道教=『鬼道→神道→真道→聖道』の流れ図
鬼道  2世紀、後漢(25 - 220年)時代頃まで。最高神・天皇(北極星の神。天皇大帝)。
↓(『老子』の道(タオ)の哲学と『易経』の神(シン)の哲学の影響)
神道  2世紀、後漢の時代の中頃から。太上老君が出現。最高神・天皇(大帝)。
↓(3~4世紀、「真」と「俗」を対比させる『荘子』の哲学の盛行)
真道  3世紀頃から。太上道君が出現。最高神・天皇(天皇大帝)。
↓(聖道を名乗る仏教が、道教を利己的だと攻撃)
聖道 6世紀 元始天尊(仏教の影響)が新たな最高神として出現(当時は新参)。

日本に多大な影響を及ぼすので、当然古事記と日本書紀にも大きく影響する。『日本書紀』では日本土着の信仰を「神道」と表現し、最高位の「聖道」とは表現していない。編纂に大きくかかわった舎人親王は道教家の天武天皇(初代「天皇」)の息子であり、次の天皇の持統天皇は即位の際に(天皇大帝の象徴たる)剣と鏡の2種の神器を受取っている。3種の神器は後になってからである。」




陶弘景は日本の思想において最重要レベルの人です。
陶弘景 神道 で検索してみればわかります。
5~6世紀の人で、中国皇帝と太いパイプがあり(つまり日本政府に思想が間違いなく伝わる)、道教を神道だと主張した人です。
陶弘景
の思想は「江戸末期以前の日本神道=道教の一派」の源流の一つです。
大多数が植え付けられているあの神道は実在しません。
実在するのは、①道教の一派(江戸末期以前)
②キリスト教の一派(江戸末期以降。別名「大本教」=新興宗教製造工場。キリスト教臭いものばかりでしょ? 「国家神道=天皇一神教」など)
強いて言うなら
③単なる自然崇拝でしかないです。
本記事のタイトルに入れた「神道 made in china」はダブルミーニングです。
①道教の一派であり道教家の陶弘景の「神道=道教」という意味。
②聖書を漢文に訳す際に「神」=GODと訳され日本に入り、国学者(=アンチ仏教集団)でクリスチャンの平田篤胤が神道=和風キリスト教を作ったという意味。
教義も経典もないとされているのは、宗教統一のためです。日本は世界一宗教が混ざりまくっている国ですから。なにせ、坊さんは武器を持たないと思っているほどですから。普通、宗教団体は武装しますからね。

 では、まずは著者を紹介(になっているのかな、これ)。著者の立ち位置を知ることで、内容の偏りを正すための基準を得るのです。
 著者の福永光司(ふくなが みつじ、1918-2001年)は、老荘思想・道教研究の第一人者。
ある中国の大物学者から「道教のようなくだらないものを国立大学教授が研究するとは何事か、あんなものは迷信に過ぎない」と言われたことがあるそうです。記紀には道教が影響していると言うと、神道研究者から怒られたことがあるそうです。
 日本書紀は道教家の天武天皇の息子が関わっているし、記紀作成の企画は天武なので当然、道教の影響があって当たり前であり、「神道」は道教より格下扱いの道教用語です。思想に独創的なものなんてありえないのが思想や宗教研究の常識なのに何を研究しているのでしょうか。渡来人は政府がある所以外にも普通に来ているのにね。
 権力者の太鼓持ちは研究者ではなく、嘘を守る者で、日ユ同祖論者なんて典型的な似非学者ですね。ダビデの星=ユダヤとなったのは十七世紀以降だとということや、天皇=天皇大帝(北極星)の略称で道教の最高神であることすら知らないですし、知って隠していたら単なる嘘つき(本当のことだけを言っても騙せる)です。
 困ったらいつもユダヤのせいにしてきて、ナチスを支援したキリスト教(※)が作った日ユ同祖論がおかしいことは道教研究者にとってはあたりまえなのです。だって道教の方が日本神道と似てるし、「神道」は道教用語(『易経』にも「神道」が出て来ます(意味は違いますが)。日中同祖論だと単に渡来人がいっぱい渡って来たってだけだから言っても仕方ないですしね。
 そう考えると福永光司って凄い。国家神道=日本版キリスト教=天皇一神教に反抗しているのですから。

※バチカンがナチスを支援し、ナチスはバチカンのいつもユダヤのせいにする手口を真似ただけだとマスコミどころか陰謀論の本でも言及しません。


では、福永光司『道教思想史研究』 (岩波書店 1987年)に入ります。

p.123 十二世紀、南宋の朱熹(1130-1200.朱子学創始者)は、当時の道教の宗教儀礼で、
儒教の最高神「昊天上帝(こうてんじょうてい。単に上帝とも。昊=天空。天=最高神。)」が、
道教の最高神「元始天尊(本来の道教の最高神「天皇大帝」にとってかわった最高神。「天尊」は仏教用語を取り入れたものなので割と後の方から生まれたことがわかる)」

より格下扱いされていることを非難している。道教で道教の最高神を一番にするのは当たり前なので不当な避難である。
天皇大帝の初出は紀元前3世紀頃(p.134)である。

p.127-130 天尊の語は六世紀以前においては、道教よりは仏教の文献で多く登場する。
三世紀の漢訳仏典での天尊の語を使っているように本来は仏教用語だった。
七世紀、661年の上奏文で、六世紀前半ごろ、梁や北魏の時代以前には、まだ老子の「道」が神格化された像が作られていない(偶像崇拝していない)、六世紀後半ごろ、北斉北周の時代以後になって、世俗の民衆を教化するために像を造ること(偶像崇拝)が普及した、とある。
道教における最高神「元始天尊」の称号が成立したのは六世紀の頃であろう。


北魏(ほくぎ、拼音:Bĕiwèi、386年 - 534年)4~6世紀
梁(りょう、502年 - 557年) 6世紀

北斉(ほくせい、550年 - 577年)
北周(ほくしゅう、拼音:Bĕizhōu、556年 - 581年)

p.145-147 唐の王朝といえども、歴代王朝と同様に儒教を無視できない。「天皇」の称号を使った三代目皇帝・高宗も。
唐王朝は(618年 - 907年)は老子を王朝の遠祖としたが、国家が公認する最高神は二つだった。儒教の昊天上帝と、道教の元始天尊である。「神」ではなく「天」である。神(しん)にGODの意味が持ち込まれたのは聖書翻訳を通じてだからだ。


※p.486  高宗が皇帝を「天皇」、皇后を「天后」と呼び始めたのが674年(上元元年)と、天武「天皇」(初代天皇。それ以前は大王)の時期と重なる。ちなみに、高宗の諡号は「天皇大聖大弘孝皇帝」。※※6世紀には元始天尊が道教の最高神になり、天皇大帝の格が下がったのだが、天尊はもとは仏教用語なので、熱心な道教家は嫌うはずで(しかも当時は新参者だし)、それゆえに天武天皇も高宗も「天皇大帝」の略語たる「天皇」を称号にしたのだろう。天皇大帝の初出は紀元前3世紀頃(p.134)なので、天武の時代で既に天皇大帝は約1,000年もの伝統があるのである
p.363-364
儒学を基本とする中国古代の学術思想が高い水準で一応の完結を見せたのは、紀元前3世紀の終わりから1世紀の初めに至る前漢王朝(紀元前206年 - 8年)の時代だった。前漢王朝末期の時代に一応の完結を見せた中国固有文化は、その直後、西隣に大きく開花したインド西域の仏教とはじめて交流する。
一方、この仏教伝来と併行し、仏教伝来に刺激されて、道の哲学の始祖にして偉大な哲人とされてきた老子が、2世紀後半、後漢(25 - 220年)の(宦官の協力を得た)第11代桓帝(かんてい。在位146- 167年※)の時代には神格化されて帝王の祭祀の対象とされ、ついで老子の説く「道(タオ)」(どこにでも存在する)の真理そのものの神格化とともに「太上道君(たいじょうどうくん。だじょうろうくん)」「太上老君」の出現となり、その太上道君は更に6世紀ころに元始天尊(仏教由来)を生む。
唐の王朝の出現とともに老子の姓とされる「李」が王室の姓「李」と一体化される。王家の祖先を「天」=最高神、として権威付けする(どの地域でも王族は最高神と結びついた神話を作る)。「神」だと神仙にして神秘であり「天」より格下なので「天」でないと不敬である。「蚕」(カイコ。ミミズ)という字から、いかに絹と土を耕すことが大事とされたかがわかる。ミミズは漢方薬にも食材にもなる。

※延熹9年(166年)に大秦(ローマ帝国)国王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニヌス)の使節が入朝している。

p.365-366
いかなる思想であれ、翻訳や説明には既存の思想や宗教の用語を使わざるをえない。使わなくても既存の考えがどうしても混ざってしまう。翻訳すると習合してしまうのだ。だから経典の翻訳を禁じたり、積極的でない宗教がある。仏教もまた、漢文に翻訳される際に、道教思想の無為自然(諸行無常に似ている)や儒教の男尊女卑思想(原始仏教は男だろうが女だろうが出家していても出家していなくてもブッダになれる。カースト制度完全否定していて、王様=泥棒扱いだから当然)が混ざった。ブッダ(複数存在することが重要。釈迦は自分が最初に悟った者ではなく、自分以前にも悟った者はいたという姿勢)は中国では聖人――インドの聖人――として理解され、
ブッダの教説を記録したスートラが儒教の聖人の教説を記録した「経」と同じ名で呼ばれ、「経」と訳されたスートラ(パーリ語ではスッタsutta)にも、伝統的な儒教経典の解釈学の手法がそのまま用いられることになる。必然、日本でもそうなる。
「仏陀」や、「羅漢」(最高の聖者。釈迦の直弟子のうち高位のものはみな阿羅漢)の語が、『荘子』の哲学における悟達者を呼ぶ言葉「大覚」「真人」(道教家の天武天皇は八色の姓で最高位を「真人」としている)をその意訳語とし、
仏教の根本的な真理を表す「菩提」(煩悩を断ち切った最高の境地)の語が老荘道家の哲学における「道」「タオ」を意訳語とし、
仏教の究極的な境地を表す「涅槃」(煩悩を吹き消して智慧が完成した最高の境地)の語が「無為」を意訳語とし、
仏教や仏法そのものが「道教」、「沙門」(出家者の総称)が「道人」、
仏教教理が「道法」と呼ばれていた。漢訳仏典では「道」や「無為」などの老荘哲学の概念が訳語として用いられていたりして、その部分だけ読むと仏教か道教かわからないことがある(日本の神道の経典もね)。
なお、「真人」は仙人よりも格が上である。仙人が格が上なら天武天皇は真人ではなく仙人をつかっているはずだからね。

※p.397 真人(タオの実践的な体得者)の初出は『荘子』。

p.390-392
道教では、を至高の色としているが、儒教では朱が最上で紫は卑しい色である。
中国古代において紫色を宗教的に神秘化し、占星術的な天文学と結びつけ、更にそれを神仙思想によって神聖化したのは戦国末期以来の黄老道家の学者たちだった。そして前漢の時代に最高級官僚が印綬の色にいずれも紫を用いた(金印紫綬を「倭」に送るなんておかしいでしょうが。「卑」弥呼や「邪」馬台国と悪い意味の漢字をあてて馬鹿にしているのに)。
天皇大帝は北辰の星の(神格化したものの)ことである。天皇とは星信仰で生まれたのである。
天皇は「紫微垣(しびえん)」という、天の北極あたりの天空に住む。。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたたがゆえに、中国の皇帝や倭国の大王(日本の天皇)が住む所、皇宮、朝廷の異称ともなった。いかに道教の紫を重視する思想の影響が強いかがわかる。
日本では道観(道教のお寺)の知名度はかなり低い(日本にもある)が、日本版道教である陰陽道と陰陽寮は存在していた。それに紫は高貴な色とされ特別な地位の者にしか許されなかった。

紫微垣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BE%AE%E5%9E%A3
(2014年三月八日土曜日 引用保存)
“紫微垣(しびえん)とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「紫禁城」の「紫」もこれに基づく。”
“星官[編集]

星官としての紫微垣は、天における中央の宮殿を囲う藩垣(城壁)の形に象っており、その中枢には天の北極が位置する。
北極5星(太子・帝・庶子・后・天枢) - こぐま座γ・β・4番・5番星、きりん座の HD 112028(なお太子・帝・庶子以外の名称は時代や史料により異なる)。”


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB
(2014年三月八日土曜日 引用保存)
“「紫」はもともとムラサキ(紫草)という植物の名前であり、この植物の根(紫根)を染料にしたことから、これにより染色された色も「紫」と呼ぶようになった。この名称自体は、ムラサキが群生する植物であるため、『群(むら)』+『咲き』と呼ばれるようになったとされる[1]。古来この色は気品の高く神秘的な色と見られた。また紫草の栽培が当時の技術では困難だったために珍重され、古代中国(漢代以降 - 時代が下ると黄色に変った)、律令時代の日本などでは、紫は高位を表す色とされ、主に皇族やそれに連なる者にしか使用を許されなかった。
『枕草子』の冒頭、「少し明りてむらさきだちたる雲の細くたなびきたる」という箇所は『紫色の雲』という意味と、『群がって咲く(ムラサキの)花のような』という両方の意味があるともされる。なお、ムラサキの花は白色である。
パープル (purple)[編集]
「紫色」の英語に相当する語句が"purple"である。もともとこの単語は、巻貝の一種"purpura"(ラテン語、プールプラ)に由来する。この巻貝の出す分泌液が染色の原料とされ、結果としてできた色もpurpuraと呼ばれた。この染色法を発明したのは現代のイスラエルやレバノンの地域に住んでいた古代のカナーン人であるといわれる。巻貝1個から出る分泌液はわずかであったため、この染色布が貴重なものであり、ローマ帝国の頃より西洋では高貴な身分の者が身に着けていた。この染色によって彩られた紫は若干赤みがかっていたようである。詳しくは貝紫色を参照。
また、英語の"purple"は、紅みがかった紫を指す語で、日本で言う所の京紫である。また、"purple"は、紫と紅の両義を含める場合がある。例えば、怒って顔を紅くする様相を、英語では"turn purple with rage"と表現する。細菌学においても、 "purple" は「紫」ではなく "red"(紅)を指す。紅色細菌 (purple bacteria) などの例がある。
バイオレット (violet)[編集]
「紫色」を指すことがあり、しばしばパープル (purple) に代わって、基本色としての紫を指す単語として使われる。なお、アイザック・ニュートンの定義による虹の7色のうち、最も短波長側の色である紫は英語では"violet"であり、"purple"ではない。この"violet"は本来スミレを意味する単語であり、菫色(すみれいろ)と訳すのが正確である。パープルは赤味の強い紫(マゼンタ)なのに対し、バイオレットは青味の強い紫であり、日本語の江戸紫に似ている。”
“古代中国の五行思想では正色(青、赤、黄、白、黒)を最上とし、中間色である紫はそれより下位の五間色に位置づけた。『論語』にある儒教の開祖孔子の言葉に「紫の朱を奪うを悪(にく)む」というものがある[2]。
紫を尊んだのは道教で、天にあって天帝の住まうところを紫宮・紫微垣などと呼んだ。南北朝時代に紫の地位は上昇し、五色の上に立つ高貴な色とされた。隋は大業元年(605年)に服色に身分差を設けたとき、五品以上の高官に朱か紫の服を着せ[3]、6年(610年)には五品以上を紫だけにした[4]。高官だけでなく、道教の道士、仏教の僧侶の中の高徳者にも紫衣を許し、これが唐代にも継承された。
日本では推古天皇16年(608年)に隋使裴世清を朝庭に迎えたとき、皇子・諸王・諸臣の衣服が「錦・紫・繍・織と五色の綾羅」であった、とするのが紫の初見である[5]。これより先、推古天皇11年(604年)制定の冠位十二階の最上位(大徳・小徳)の冠が紫だったとする学説があるが、史料には記されず、確証はない[6]。皇極天皇2年(643年)に蘇我蝦夷が私的に紫冠を子の入鹿に授けたことから、大臣の冠が紫であったことが知られる[7]。大化3年(647年)の七色十三階冠以降の服色規定では、紫を深紫(または黒紫)と浅紫(または赤紫)の2色に分け、深紫(黒紫)をより高貴な色とした[8]。道教が正式に受容されなかった日本では、高徳の僧侶に対して紫衣が許された。
その他文化に関する事柄[編集]
古代では繊維を紫色に染色する事は困難で、貴重な色とされてきた。紫が王や最上位を表すようになったのは、ローマ帝国皇帝が、ティルス紫で染めた礼服を使ったことに始まる。以来、ほとんどの国で、王位や最上位を表す色に紫を使うようになり、ローマ皇帝はその着衣に紫をまとった。なお、貴族や第2位を表す色には青が使われた。
こうした歴史の経緯により、紫は「王位」、「高級」の連想色となった。(⇔緑、藍色)
「ユダヤの王」といわれたイエス・キリストはその死に際して、紫の衣をまとわされたと伝えられる。これに準じてカトリック教会では四旬節に司祭が紫の帯をまとい、受難の日にはイエス像を紫の布で覆い隠す。
江戸時代には江戸紫といわれる色が流行した。歌舞伎『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』で花川戸の助六が鉢巻にしているのがこの江戸紫である。それまでは、紫を染める草(紫根)が薬草であったため、武家などが病気の時に締るものとされていた。直情径行、頭に血が上り易い助六の熱さましとして巻かれた紫の鉢巻を、この芝居が大当りして以降、真似をして巻く者が現れたという。
イタリアでは不吉な色とされ、オペラ鑑賞にはあまり好ましくないとされた。
西洋の紋章学において、紫色はパーピュアと呼ばれる。古フランス語。ペトラ・サンクタの方法では向かって右上から左下方向の45度の斜線で表現する。
熨斗袋を包む袱紗の色のうち、紫色は慶弔を問わず使用可能である。
「ゆかりの色」とも言う。これは、『古今和歌集』の「紫の 一本ゆゑに 武蔵野の 草は皆がら あはれとぞ見る」という歌に由来している。
俗に「紫」の字を分解すると「此」と「糸」になるところから、「此(こ)の糸」と呼ばれることがある。また、これは紫式部を指す語でもある。
東京の地下鉄半蔵門線のラインカラーである。
人物・キャラクターに関する紫[編集]
嵐の松本潤のイメージカラー。
日本テレビの番組『笑点』出演時の三遊亭円楽(旧:三遊亭楽太郎)の衣装カラー。
ももいろクローバーZの高城れにのイメージカラー。”

p.398 福永光司は、日本固有の思想のルーツを研究するのなら、道教家の陶弘景(とうこうけい)を探究するのが近道と述べた。陶弘景(とう こうけい)は道教を神道と理解していた。
※p.402 陶弘景は道教を「真道」と表現することもある。

※※ウィキを要約しようと思ったが、あまりに天才過ぎてあまり削れなかった。
陶弘景(孝建3年(456年) - 大同2年(536年))は、万学を極めた超人。中国六朝時代の「道教家・科学者・医学者(=錬丹術師)」、道教の茅山派の開祖。眉目秀麗、博学多才で詩や琴棋書画、医薬・卜占・暦算・経学・地理学・博物学・文芸に精通。山林に隠棲しフィールドワークを中心に本草学を研究し今日の漢方医学の骨子を築く。また、書の名手で、後世の書家に影響を与えた。
20歳頃、諸王の侍講(教育係)となり武帝のときまで仕えた。30歳頃に道術を学び、36歳で職を辞し永明10年(492年)、茅山(南京付近の山・当時は句曲山といった)に弟子ととも隠遁した。
永元元年(499年)に三層の楼閣を建て、弟子の指導をするほか、天文・暦算・医薬・地理・博物など多様な研究に打ち込んだ。また仏教に深く傾倒している(まさに道教混じりの仏教と仏教混じりの道教という日本の思想の源流に影響したはずである。支配者ともパイプがあるし)。王朝が交替すると梁の武帝は陶弘景の才知を頼り、元号の選定をはじめ吉凶や軍事などの重大な国政に彼の意見を取り入れた。このため武帝と頻繁に書簡を交わしたので「山中宰相」と人々に呼ばれるようになる。すなわち、古代中国の王家にも深く関わった人物であり、間違いなく日本にも彼の思想が最先端として伝わっているはずである。年を負う毎に名声が高まり王侯・貴族らの多くの名士が門弟となった。『文選』の編者として知られる昭明太子も教えを受けたひとりである。
陶弘景は前漢の頃に著された中国最古のバイブル的な薬学書『神農本草経』を整理し、500年頃に『本草経集注』を著した。この中で薬物の数を730種類と従来の2倍とした。また薬物の性質などをもとに新たな分類法を考案した。この分類法はいまなお使われている。
道教の一派である上清派を継承し茅山派を開いた。著書『真誥』は上清派の歴史や教義を記述した重要な文献となっている。仙道の聖地である茅山に入り、弟子とともに道館「華陽館」を建て多くの門弟を育て優れた道士を輩出した。
陶弘景は仏典の『法華経(妙法蓮華経)』を絶賛していて偉大な宗教哲学書だと言っている(p.426)ので、仏教思想を入れて道教教理を作ったはずである。道経の『上清上品』と仙書の『荘子』内篇もまた同じく偉大だとしている。

p.400-402 中国古代の思想史において「神道」が最初に見える文献は『易』(『易経』の本来の書名は『易』または『周易』)においてであり、老荘道家のいわゆる「天地の道」もしくは「自然」と重なりあうものである。祭祀ないしは宗教と関わりを持つ概念である『易』(易経)の「神道」の語は、紀元前2世紀、漢の武帝の頃から急速に宗教的な要素を持つようになる。また、死者を埋葬した陵墓に通じる道、いわゆる墓道を呼ぶ言葉として「神道」が使われるようにもなる。つまりは、「神道」には「死」というマイナスイメージも含むようになったのである。しかもその神道は宗教名ではなく場所の名前である。
「神道」の古代中国での初出が『易経』であり、『易経』は道教思想の基礎の一つ。
また、神祠に通じる道が神道とも呼ばれており、漢代以降、いわゆる「神明の道」が即物的に理解されて、神明(かみ)に通じ道路、死者の神霊に通じる道を神道と呼ぶことが広く行われるようになった。
『太平経』(初期の道教教典)の中に宗教的な世界の真理を意味する「神道」の語が多く見え、また天皇の天上世界の宮殿である「北極紫宮」が説かれている(p.406)。
『太平経』において呪術宗教的ないしは仙道・真道的な性格を顕著に持つにいたった「神道」の語は、4世紀の初め、晋の葛洪『抱朴子』(※)に至って、更に仙道的な性格を強め、もっぱら神秘な道術、神仙術を呼ぶ言葉ともなる


※葛洪(かつ こう。283年(太康4年) - 343年(建元元年))は、西晋・東晋時代の道教家で、4世紀、317年頃、郷里に帰り神仙思想と煉丹術の理論書である『抱朴子』を著した。なお、著作名だけでなく、葛洪の号も抱朴子である。
4世紀後半、東晋の末期の頃になると、「神道」は、神祠や死者の陵墓に通じる道路としての意味を含めて、神秘的超越的な宗教の世界一般を呼ぶ言葉として用いられるようになる。

p.403
前述の陶弘景は、「天皇」を「仙」の世界の元首とし、「紫宮」をその天皇の居所とし、更に「真人」をその紫宮に仕える高級官僚として、宗教的な「神道」の世界を天上に構想した。陶弘景は、このような神道の世界における恒久絶対的な平和を更に「太和」として説明し、太和はしばしば「大和」とも書かれ、その「大和(太和)」の語が中国古代の思想文献で最初に見えるのは、「神道」と同様に『易経』である。『易(経)』における「大和」は、天地陰陽の和気もしくは万物生成の根源をなす宇宙の元気を呼ぶ言葉と解される(元気が良いとかいう元気も恐らくは道教由来)(ヤマト朝廷ってもしかしてこの「大和」から来ているんじゃないのか)。
p.407-409
「神道」としての道教の世界における恒久絶対的な平和を「大和(太和。太和はしばしば大和と書かれるので表記は一定しない)」と表現する陶弘景の『真誥』はまた、「太和(大和)」と併行して「太平」を説く。5~6世紀の人である、陶弘景の道教において「太平」が恒久的絶対平和を意味することは「大和(太和)」と共通する。ただし、「太平」は社会的・政治的な環境の安定を主として意味する言葉である。
内なる正を顕わす方向に力点をおくのが「太和」(大和)、
外なる邪を破る方向に力点をおくのが「太平」である。太平の世はここから来ているだろう。
「神道」としての「道教」の理想を「太和」(大和)と「太平」において強調する陶弘景は、「凡そ道術を学ぶ者は、皆須(すべか)らく好(よ)き剣と鏡との身に随(したが)うことあるべし」と言っている。道教最高神の天皇大帝は二種の神器「鏡」と「剣」を象徴として持つ。実際、日本の朝廷でももともとは二種の神器だった。天武天皇の次に天皇となった持統天皇即位時では剣と鏡が献上された。タマはなかった。
陶弘景が集大成した、中国古代の「神道」=茅山道教が古代日本に多大な影響を与えたことは間違いないことからわかるように、陶弘景は日本においても極めて重要な人物なのだが、日本史と世界史を切り離して、道教の影響をちゃんと書かないようにしていかにも日本神道が純粋だと思わせようとしている限り、陶弘景が正当に扱われることはないだろう


p.413-434
4~5世紀、仏教学者あるいは仏僧が仏教を道教として理解したりしているように、道教と仏教もまた多大に影響し合っている。純粋な思想なんてありえないことを意識しないといけない。
「急急如律令」は道教の呪文として多く載せられている(陰陽道は日本版道教)が、その律令もまた漢代以降の儒学者たちがしばしば用いている言葉である。
道教における最高神は、6世紀半ば以降は元始天尊となるが、それ以前は天皇大帝あるいは天皇と呼ばれていた。天皇大帝は、『詩経』などに見える儒教の最高神「昊天上帝(こうてんじょうてい。単に上帝とも。昊=天空。天=最高神。)」、もしくは『書経』などに見える皇天上帝と同一の神格だと後漢の儒学者が主張したりしている。
なお、『書経』も『詩経』も儒家の経典であり、単に最高神を「上帝」と略して呼ぶ場合がある。

道教=「鬼道→神道→真道→聖道」。

2世紀、後漢の時代に成立した初期の道教いわゆる三張道教(※)は鬼道としての性格が強い。


※三張とは五斗米道の張陵・張衡・張魯のこと。張陵(ちょうりょう。張道陵)は五斗米道(天師道)の開祖である。張陵の子が張衡、孫が張魯である。
三張道教とは五斗米道のことである。後に張魯が張陵を『天師』として崇めたことから、後には『天師道』という呼称に変わり、さらに正一教と名を変えて現代まで残る。
もともと鬼道という言葉は「人道」と対立するものとして用いられていて、鬼神の世界の道理・理法を意味する。そして
紀元前2世紀、前漢の時代になると『史記』や『漢書』に見られるように、鬼神を駆使する道術が「鬼道」となり、シャーマニズムとほとんど同じ内容のものとなる。しかし、
2世紀、後漢の時代の中ごろにおいて鬼道(≒シャーマニズム)としての道教は、『老子』の道(タオ)の哲学と『易経』の「神」(シン)の哲学を上乗せし、自らの道教を「神道」と呼ぶようになる。
140年代(2世紀)に出現した『太平清領書』(現行の『道蔵』太平部に収める『太平経』がこれに相当する)の中には“神道は不死にして鬼道は終(し)す”のように「道教としての神道」が多く登場する。
こうした『太平清領書』(『太平経』)の神道の思想は、それに半世紀遅れる張角(ちょう かく、? - 184年※)の太平道や、
張魯らの天師道(三張道教。五斗米道→天師道→正一教と呼称が変わっていく)にも引き継がれた。

※張角(ちょう かく、? - 184年)は、太平道の教祖。太平道(たいへいどう)は、後漢末の華北一帯で民衆に信仰された宗教。『太平清領書』を教典とし、教団組織は張角が創始した。教団そのものは後漢末期の184年(中平1年)に黄巾の乱(Yellow Turban Rebellion)を起こしたのち、張角らの死を以て消滅した。

魏・晋の時代に成立して張魯の天師道教団の幹部教育用の講義録であろうと推定されている『老子想爾(そうじ)注』(正確には『老子道経想爾註』)に見られる初期道教の教義は、中国古来の鬼道をその底部の基盤として置き、その上部構造として『太平経』と共通する「神道」の思想を新しく導入しているのは上述の通りである。が、この教義書においては、儒教を俗道として排斥し、自らの道教を「真道」として強調し、
“仙士は(真)道を味わい、俗事を知らず、純純として痴のごときなり”
とし、儒教に対しては“真道は蔵(かく)れて邪文出づ”と避難している。
俗道としての儒教に対しての対抗心から「真道」としての道教が生まれたのだろう。
後漢の時代の『太平清領書』(『太平経』)でも「真道」の語は既に多く見られるが、この「真道」を俗道と対比させてしかも儒教を俗道と厳しく決めつけ、それに対して「真道」たる道教の優位性を何度も主張するようになるのは『老子想爾注』が書かれた時代、すなわち3世紀、三国魏・晋初の頃からである。
「真」と「俗」を対比させる思考は『荘子』に始まり、3~4世紀、魏・両晋の時代の『荘子』の哲学の盛行と対応して、真道の道教が強調されている。
魏晋の頃までは中国仏教もまた、布教の便宜もあって(聞きなれた言葉の方が信者獲得し易いから)自らの仏教を時には神道の教と呼び、真道の教と呼ぶこともあったが、
5世紀、宋・斉の時代以後、道教が真道としての教理・儀礼・教団組織などを確立するようになると、中国仏教は対応して自らを道教の真道よりも上の宗教として仏教は「聖道(聖教)」だと強調するようになる。仏教が自らを聖道(聖教)だと強調する動きが活発になるのは、
六朝(222- 589年。3~6世紀 ※)の後半期、斉梁の時代(479- 557年)以後である。道教の強調する真道は単に自分だけが助かろうとする独善的なものであるから駄目だ、我々の仏教は広く衆生を救うものであり儒教の聖人の道と共通すると主張した。
いやいや我々道教も仏教と同じく自分だけでなく他人も救う宗教だと主張するための『度人経』や『救苦経』など衆生救済を説く道教経典が、
6世紀、南北朝時代の後半期から積極的に作られることになり道教は真道から聖道へ展開していく。
仏教の影響によって、この6世紀に道教の新たな最高神・元始天尊が出現する。本来の道教の最高神「天皇大帝」にとってかわった最高神である。「天尊」は仏教用語を取り入れたものである。
ここまで鬼(き)→神(しん)→真→聖、の道教の思想展開を整理してきたが、ここで注意しないといけないのは、聖道としての道教を強調するようになっても、それまでの鬼・神・真を排除したりは決してしておらず、自己の教えを神道や真道として強調することをすべて停止してはいないことである。
怪力乱神を語るシャーマニズムとしての鬼道=道教は、
『易経』と『老子』の高度な形而上学をその上部構造としてもつ神道の底部でおいても依然として温存され、
死生も己れを変ずることのない『荘子』の逍遥遊の哲学を教義として導入する真道の底部においても、
鬼道は根付いている。しかし、
道教の教理学に一貫して重要な地位を占める神仙世界の官僚組織、いわゆる仙界二十七品説は、六朝時代の中期において、「聖」を最高位に置き、「聖」九品、「真」九品、「仙」九品として位階が確定されて以後、それ以前のように「仙」を「聖」の上位に置く思想は復活することなく、「仙→真→聖」の枠組みが固定的に定着し保持されている。つまりは聖道が一番格が上だとみなしているということである。


※六朝(りくちょう)は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。呉(222年 - 280年)→東晋(317年 - 420年)→宋(420年 - 479年)→斉(479年 - 502年)→梁(502年 - 557年)→陳(558年 - 589年)

道教=「鬼道→神道→真道→聖道」の流れ図。

鬼道  2世紀、後漢(25 - 220年)時代頃まで。最高神・天皇(北極星の神。天皇大帝)。
↓(『老子』の道(タオ)の哲学と『易経』の神(シン)の哲学の影響)
神道  2世紀、後漢の時代の中頃から。太上老君が出現。最高神・天皇(大帝)。
↓(3~4世紀、「真」と「俗」を対比させる『荘子』の哲学の盛行)
真道  3世紀頃から。太上道君が出現。最高神・天皇(天皇大帝)。
↓(聖道を名乗る仏教が、道教を利己的だと攻撃)
聖道 6世紀 元始天尊(仏教の影響)が新たな最高神として出現(当時は新参)。

日本に多大な影響を及ぼすので、当然古事記と日本書紀にも大きく影響する。『日本書紀』では日本土着の信仰を「神道」と表現し、最高位の「聖道」とは表現していない。編纂に大きくかかわった舎人親王は道教家の天武天皇(初代「天皇」)の息子であり、次の天皇の持統天皇は即位の際に(天皇大帝の象徴たる)剣と鏡の2種の神器を受取っている。3種の神器は後になってからである。

邪馬壹国の卑弥呼は鬼道をしていたと、いわゆる魏志倭人伝、正確には中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条にある。「卑」「邪」「倭」という悪い意味の言葉を当てたので当然、「鬼道」も、道教の最初の段階という馬鹿にした表現である。
著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年(呉の滅亡)-297年(陳寿の没年)の間)に書かれたので、既に「真道」まで展開している。
邪馬台国論争は馬鹿げている。「やまたいこく」という読みであるが、これは二種の異なった体系の漢音と呉音を混用している(呉音ではヤマダイ又はヤメダイ、漢音ではヤバタイ)ので、「やまたいこく」という間違った読みから出発しては永遠に解決しない。
発言を音で聞いてそれに漢字をあてたので、当時の発音を知らないとどうしようもない。漢字の読みの変遷を研究している学者と研究しないと話にならない。日ユ同祖論も当時の発音を検討しないので駄目。そもそもヘブライ語は子音表記であり、アルファベットで喩えるならDKYは道教とも読経とも読めてしまうからいくらでも勝手に読めてしまうのだ。


p.473からの年表を一部抜粋。
・紀元前350年頃、戦国の世、荘子が「道」の哲学を説き、「道」の体得者としての「真人」「神人」の哲学を確立し、以後、道教では「真人」「神人」が「仙人」より上位に置く思想の源流となる。また、真人の徳を「鏡」に喩え、道教の鏡を神器とする思想の源流。
・135年頃、張衡 (科学者、文学者。78‐139※)が 『思玄賦』を作り、天皇(天皇大帝)を最高神とする天上の神仙世界の構図を描く。

・142年、後漢末に張陵(張道陵とも)が、蜀(四川省)の成都近郊の鶴鳴山(鵠鳴山。現在の大邑県)で、五斗米道(ごとべいどう)を創始する。
・184年、張角が太平道という道教団体を作り黄巾の乱を起こす。

・252年(嘉平4年)頃、康 僧鎧(こう そうがい)らによる『仏説無量寿経』の漢訳成る。道教的色調が色濃い漢訳。
“仏と作(な)りて道教を宣布す”
“諸仏の国に遊びて普(あまね)く道教を現ず”などとあるように、仏教もたびたび「道教」と漢訳されている。
『仏説無量寿経』2巻 曹魏の康僧鎧訳…「魏訳」は、日本の浄土教の根本聖典の一つで、『仏説観無量寿経』(畺良耶舎訳)、『仏説阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)とともに「浄土三部経」と総称される。
浄土真宗の宗祖とされる親鸞(鸞は道教では聖鳥とされている)は、『仏説無量寿経』を特に重んじ、浄土真宗の最重要経典となっている。
「魏訳」版の『仏説無量寿経』は、「自然」「無為」「清浄」など、曹魏・西晋時代の老荘ないし道教と共通する用語を訳語に使っているので必然道教色が濃くなり、必然、日本での仏教も道教要素を持っていることになる。紫の袈裟は高僧の象徴であることとかね。
なお、日本の古文では「道」は特に仏の教え(仏道)を意味する。


・536年(斉梁 時代)、茅山道教(上清派道教)の教学理論の定礎者である陶弘景が死去。『真誥』の編集者。
陶弘景は、道経の『上清上品』、仙書の『荘子』内篇、仏典の『法華経(妙法蓮華経)』の「三道」の書を偉大な宗教哲学書だと絶賛。

・542年(東魏・北周 時代)、中国浄土教の開祖とされる曇鸞(どんらん)が死去。曇鸞(どんらん)は茅山の陶弘景からも学んでいて、浄土教には老荘思想が大きく影響している。日本の浄土真宗の開祖・親鸞の「鸞」は曇鸞(どんらん)から取ったと思われ、しかも「鸞」は道教の聖鳥である。

・建徳3年(574年)、北周(556 -581年)の武帝(560- 578年)が道教と仏教をともに廃止したが、仏教・道教の研究機関として通道観を設置し、120名の通道観学士を選任した。寺院の破壊と財産の没収、僧侶の還俗を行って財産を没収し、税賦を逃れる目的で僧籍に入る者を還俗させて税を取ることで財政改善を狙った(三武一宗の廃仏)。


※〔張衡 (道教)という後漢末期の五斗米道の2代目教主とは別人なので注意。道教の張衡(ちょう こう、陶弘景の『真誥』第四巻によると、? - 熹平7年1月7日(177年2月27日)[1])は、後漢末期の人物で、後漢(25年 - 220年)なので、別人だとわかる〕
張衡 (科学者、文学者。78‐139)は、中国の後漢時代の科学者・文学者・政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・詩人。安帝・順帝に仕え,天文暦法や史料編纂の長官に当たる太史令になり、後漢では最高の官の尚書になった。『思玄賦』などの作者。
天文・陰陽・暦算に通じ、世界最初の水力渾天儀(117年)、水時計、候風と名付けられた世界初の地動儀(132年)、つまり地震感知器など素晴らしい発明をしている。地動儀は500キロメートル離れた地点の地震を感知することができたほどである。
円周率も計算し、2500個の星々を記録し、月と太陽の関係も研究した。著書の『霊憲』において月を球形と論じ、月の輝きは太陽の反射光だとし、月食の原理を理解していた。
月の直径も計算したとされ、太陽の1年を、365日と1/4と算出した。小惑星(1802 張衡)には、彼の名がつけられている。なお、彼の天文の研究や地震計の発明には、2世紀に入り、後漢に天災が多発しだした時代背景がある。この科学者の方の張衡の知名度もまた低い。本当の支配者がいる西洋優先だもんね。
中国での大発明の一つがGODの訳語としての「神」。これにより神道が日本版キリスト教に変質していく。
古代中国の4大発明が①羅針盤②火薬③紙④印刷、がヨーロッパに伝わったのは中世も終わりごろ。特に唐朝(618年-906年)がすごいらしい。

中国の科学技術史- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%8F%B2
(2014年三月九日 日曜日 引用保存)
“古代中国の4大発明は、羅針盤、火薬、紙、印刷である。ニーダムがこれを最初にとなえた。紙と印刷の発明がこの中で早かった。印刷は唐の時代の中国の記録があるが、布地のプリント染色は220年以前のものが残存している[14]。羅針盤の発達を正確に追跡するのは困難だが、針と磁石の引き合いは20年-100年頃に編纂された『論衡』で検証されている[15]、中国文学に磁針が初めて登場するのは1086年である[16]。

晋(265年-420年)の時代の300年までには錬金術師の葛洪が硝石・松脂・木炭を一緒に加熱したときに生じる化学反応を自著『抱朴子』に記録している[17]。その他の火薬の記録では、850年頃の中国のある書籍には、道教徒が不老不死の霊薬を作ろうとしてできた副産物が火薬であるという記述がある[18]。
硫黄・鶏冠石・硝石・蜂蜜を混ぜて加熱すると煙と炎が上がり、作業者の顔と腕は焼け、家屋は全焼した[19]。この4大発明は中国文明の発展にのみならず、地球規模で巨大な衝撃を与えた。たとえば火薬は13世紀にアラブ世界に広がり、その後ヨーロッパへ伝わった[20]。イギリス人哲学者フランシス・ベーコンは『ノヴム・オルガヌム』 (新機関)en:Novum Organumのなかで次のように記している:”

※道教家が、錬丹術師=科学(化学)者である場合がある。
錬丹術(れんたんじゅつ)は、道教の一分野(中国の道士の術の一つ)。服用すると不老不死の仙人になれる霊薬(仙丹)をつくるのが目的。中国の医薬学・本草学の発展に寄与し、火薬の発明は煉丹術の副産物とされるなど、完全に科学研究である(当時はトンデモ研究と呼ばれても、後世で最先端の素晴らしい研究だと評価されるのはよくあること)。

錬金術=科学(化学)=悪魔の儀式(キリスト教視点)
実験器具=悪魔の道具(キリスト教視点)
錬金術師=科学者=悪魔(悪魔崇拝者)(キリスト教視点)。
※金自体は作れなかったけど、金メッキならできました。
※卑金属を貴金属に変える力を持つ不老不死の霊薬「エリクサー(賢者の石)」(ハリーポッターはスコットランド系フリーメーソン本部の作品)の製造などを目的とする西洋の錬金術とは、科学研究なので共通する部分も多い。なお、西洋の錬金術がどちらかというと金を作ることが主な目的で、煉丹術は昇仙と不老不死を主な目的とする点で異なる。

フリーメーソン(自由石工)は建築に科学が必要なこともあって、錬金術師(科学者)を吸収し科学研究団体の側面を持っていたので、必然的に反カトリック要素を持つ。実際にカトリックに弾圧され、キリスト教お得意の「悪魔」呼ばわりされたりした。フランス革命(メーソン革命)でできたメーソンフランス政府は法律でカトリックを縛ろうとしたりするなど、科学理性とキリスト教の対立は今も尾を引いている。
でも今や完全にグルだけどな! 対立したとしても相手を潰さない程度ですよ。
今や白人至上主義派閥という、フリーメーソン本来の思想とは異なる異端派(ナチスの残党など)がイングランドとアメリカあたりで生物兵器実験などをやっている。イギリスや英国の言葉でメーソンを語るのはできるだけ避けるべき。スコットランド・アイルランドとイングランド・アメリカの対立(カトリック対プロテスタント)を考え派閥が違うことを意識しないといけない。スコットランド・フランスあたりがメーソン本来の思想を継いでいる。EUってカトリックが強い、世界政府第X形態。
白人至上主義が主流派なら、メーソンのマークにピラミッドという黒人イスラム国家の建物なんてとっくに廃止しているって!

色々脱線(でも重要)しましたがこれにてお開きにします。
道教系陰謀論=道教を絡めた歴史検証作業、いかがでしたか。私が知るなかで、道教系陰謀論者はねここねこだけでしょう。別に道教信者ではありませんけどね。
私が知る陰謀論者の中で、道教と明治以前の天皇の関係と明治以降の現人神=イエスキリストの訳語(明治以前の天皇=神はGODではなく「神秘的で凄い」という意味)と絡めて論じた人はいませんでしたので、私がすることにしました。キリスト教の変形に過ぎない天皇崇拝や日ユ同祖論などの日本支配の根幹をなす嘘に対抗する最良の手段の一つが、道教です。
なのでこれからも盛んに発言していこうと考えております。
ではまた。
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