【資料⑫その1】私が知る最古の和風キリスト教である如来教(1802年成立)の元ネタはグノーシス主義。世界連邦系の和風キリスト教である黒住教(1814年成立)の元ネタは聖書とグノーシス主義【和風キリスト教史】
Posted on 2023.03.18 Sat 19:24:28 edit
ご支援用記事⑫が完成しました。
ご支援用⑫(無料公開は危険な『五レンジャ-』 『ジャッ力-電撃隊』『ドンブラザ-ズ[23~最終話]』 『ジュウレソジャ-[46~最終話]』『暴れンジャ-46話』 『キング王者[1~6話]』考察)
https://yomenainickname.booth.pm/items/4691242
資料⑫その2はこちらです。
【資料⑫その2】画像と埋め込み動画など
Posted on 2023.04.15 Sat 10:20:43
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-484.html
追加終わり]
ご支援用⑫では
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1631648406954446851
”戦隊ドンブラザ‐ズ(23~最終話)を中心に考察し、ジュウレソジャ-と暴れんジャ-とキング王者ーと仮面ラ亻ダ-ギ-ツとオ-ズと、『仮面の忍 赤い影』を少し入れる予定。”
だけでなく黒住教も少し扱う予定。
初代と2代目だ。46代目のドンブラザ-ズではできないネタだ(笑)
— 子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子) (@kitsuchitsuchi) March 3, 2023
満州旗は黄赤青白黒色。
竹内文書の五色人も黄赤青白黒。
峨骨
「国連、戦勝国の作った秘密組織が正義のヒーローでテロリストとの戦い。よく見る光景だ。」
「国連でレインボー柄、ポーズもわざとか?」https://t.co/MU4UCvFVpm
X姿勢
了
※要約の個所の「」は基本的に、参考資料の個所からの引用である。
要約したのは参考資料の個所を要約したという意味。
更に分析を加えたので要約の割には長いと感じるかもしれない。
如来教の要約
和風キリスト教の作成実験は意外と古くから行なわれている。
私が知る最古の和風キリスト教は
1802年成立の如来教。
元ネタはミロク派マニ教(グノーシス主義)。つまり白蓮教の子孫。
しかも教義作成に関わった側近が一神教と相性が良い日蓮宗。
どう見ても教義の作成に関わった人に切支丹がいる。
如来教なんて平田篤胤(1776 - 1843年。和風クリスチャン)より前だぞ。
平田篤胤(1776 - 1843年。和風クリスチャン)の
『本教外編』は
1806年(文化3)成立で
「未だ他見を許さず」と記され公刊されなかった。
『神字日文伝』は
文政2年(1819年)成立。
1802年成立の如来教と
1814年成立の黒住教には
少なくとも成立時に篤胤系の影響はないだろう。
でも後の教義の体系化には影響してそう。
1838年成立の天理教と
1859年成立の金光教には成立時から影響しているだろう。
釈迦が二番手の偉さなのに
教祖にたわけと呼ばれる。
教祖は受肉した至高神ミロクだから。
あ、ミロクが仏より上って
ああそうか大本のプロトタイプっぽいな。
でも大ブレイクはしなかったと。
如来宗はグノーシスが元(邪悪な存在による人類創造)なのに
研究者の見解を読んでもグノーシスという単語が出てこない。
黒住教もキリスト教異端がモデルというのも出てこない。
原罪と言う単語は出ても
グノーシスという本質を表す単語が出ない辺りに学者の限界を感じる。
まあ、宣教師が日本でキリスト教を流行させようとしたら無理なので
現地化した耶蘇思想を流行らせようと暗躍していただろうということを考えてないと
判らないのかもしれない。
如来教は正統多数派の宣教師ではなく、異端側の宣教師だろうけど。
「如来を全知全能の創造主、慈悲の神とする」
キリスト教系すぎる。
「如来教の宗教思想は,「確立期」〔文化9年(1812)~同13年頃〕には,その骨格をほぼ形成し終えている。
そうした宗教思想の骨格(基幹部分)のなかには,
この世は「魔道」(デーモン)が支配しているとする説を含む固有の創造神話も含まれる」
「原初には神々自らが「七十五人」の人間を作ったが,その「七十五人」は神々とともに天上へ昇ってしまい,その後の人間は「魔道」というデーモンによって作られている」
「現在の人間はその後に「魔道」が創造した五人の人間の末裔である。
現世とは魔道の支配する「悪沙婆」であり、人間は受胎以来、魔道の世話を受けている。
現世は修行場、すなわち仮の生存の場である。至高神如来に帰依し、善心を起こすことによって、
死後に至福の「後世」に至ることが救いである。」
如来教の骨格はグノーシス派キリスト教(物質世界であるこの世は悪に満ちている)であり、仏教要素は表面を覆っているに過ぎない。
如来教の如来の元ネタはグノーシス主義における、真なる善の至高神(ゴッド)だろう。
グノーシス的原罪説(邪神による悪なる創造というグノーシス思想)なのだが、正統多数派の原罪説も影響してそうだ。
「喜之は「如来の受肉者(具体的には如来の代理者としての金毘羅大権現の受肉者)」」
三位一体(ゴッド=キリスト)が元ネタ?
以下の原罪説と合わせると耶蘇教の正統多数派の影響もあるだろう。
「あらゆる人間を悪の種とする独自の原罪説」
「その後へ伊勢神宮の屋守(留守居)である魔道がきて、元になる人間5人を創造し、女性の胎から人間が産まれるようになったと云う。
これは、地上に住むあらゆる人間は、例外無く悪の種であるとする原罪説である。」
「人間は罪を負って生まれている」
「末法観に立つ他力の来世主義であり、徹底した原罪説を特徴としている。
最高神として如来を崇め、その如来は天にある全知全能の慈悲(愛)の神であり、
世界を創造し、全てを神業として支配している。
如来に次ぐ神は釈迦であり、日天子(太陽神)であり、これまで法華経を始めとする教えを説いてきた神とされる。
次に上行菩薩は、月天子(月神)であり、法華経を広めた日蓮を神格化した神である。
この両神は日月であり、如来の両目にたとえられている。」
全知全能の愛の創造神=如来
>日天子=太陽神=釈迦
>月天子=月神=日蓮。
釈迦と日蓮が日月=如来の両目。
伊勢神宮の留守居である魔道により女性の胎から人間が産まれるようになったので
地上の全ての人間は罪を負って生まれている
=悪の種とする原罪思想。グノーシスの邪神による悪なる創造。
アンチ伊勢。
教祖きのが「釈迦の大たわけめ」と言って仏教を否定。
大本教の大先輩!
教祖は慈尊(中国では弥勒)と呼ばれていた。
明(マニ)教系の白蓮教がモデルのミロクの世。
白蓮教が中国大陸から日本へ来たのは宣教師の役割が大きいのでは?
「教義の展開と体系化には、法華信者の覚善院日行(1749~1826)が、常に側近にあって貢献した」のだが、
白蓮教(弥勒信仰。マニ教と混合)などキリスト教異端(グノーシス系)の信者も入れ知恵しないとこんな思想出てこないでしょ。
この頃から既に、和風キリスト教と日蓮系の者の関係が登場(笑)
「3000年前、如来は人の救いを釈迦に託したが、釈迦の死後3000年幾人の人が救われたか、釈迦の大たわけめ、と熱弁をふるった」
骨格が仏教ではないので、伝統的な仏教を格下に扱う。
「きのは、信者から、はじめ「慈尊」と尊称されていた。慈尊は中国では弥勒をさす」
大本教系(ミロク大好き)の大先輩みたいな宗教の教祖の名前の意味の1つがミロク。
釈迦はあくまで二番手。きのは釈迦より上。
教祖は至高神が受肉したという女版イエス=ミロクだからね。
金光教や大本教みたいに「鬼(悪魔)は実は善」だとして善悪逆転サタニズムにしたのと異なり、
単純に釈迦より上の至高神を据える形での和風キリスト教化。
善悪逆転サタニズム(悪鬼崇拝)は多数派に不満を抱いている少数派を味方につけるのに有効。
要は非常に革命工作に都合が良い思想。
多数派が崇めているのは実は悪で
あなたたちが崇めているのが実は善ってやつね。
きのは女版キリスト。
教祖は至高神の受肉者にしてミロク。
「悪魔が支配」陰謀論を最初に教義にした、日本列島で生まれた宗教は如来教かもな。
如来教の如来ってグノーシスの至高神ゴッドに近い意味で使っている。
愛=執着の神が仏なわけないじゃん。執着を肯定するから仏が格下なのかもね。
(金毘羅様が出てきて)あれれ 金毘羅様なのか ミロクはどうなったと思った。
喜之は「如来の受肉者(具体的には如来の代理者としての金毘羅大権現の受肉者)」
黒住教の要約その1
黒住教は
教祖の宗忠が1780年の
冬至の日(冬至以降日が長くなる=太陽の復活)生まれで
数え33歳のときに肺結核で死にかけたが
文化11年(1814年)の1月(満33歳)の日拝後のわずか2カ月で不治の病が完治。
33歳で死と復活の儀式。
同年文化11年11月11日(足すと33。冬至の日。西暦1814年)に
全ての命の親神である太陽神アマテラスと一体化し立教。
聖書とグノーシス主義がモデルであろう。
教祖の伝記は教団に都合よく設定される。
全ての人が神になれるという教えで明ではなく日のみだが
教祖と一体化したアマテラスは全ての命の親神という教義。
五摂家が入信。
皇道宣布の国民教化運動に積極的に参加。
六代目教主(1973年-2017年9月17日)の黒住宗晴は
日本会議の代表委員にして
世界連邦日本宗教委員会の代表委員。
宗際活動は万教帰一の言い換え。
伊勢神宮の式年遷宮のさいに
伊勢神宮奉賛活動をしており
古殿となった内宮の建築材を黒住教が大量にもらえるほど伊勢神宮と仲良し。
黒住教の要約その2
1814年成立の黒住教は
教祖の宗忠が1780年の
冬至の日(冬至以降日が長くなる=太陽の復活。
安永9年11月26日=西暦1780年12月21日)生まれ。
(本当に冬至の日に生まれたのか疑問)
33歳のときに肺結核で死にかけたが
文化11年(1814年)の1月(33歳)の日拝後のわずか2カ月で不治の病が完治。
33歳で瀕死と復活の儀式。
※年齢は西洋式の満年齢
満年齢とは、誕生日に年を取る西洋式。生まれたときが0歳。誕生日を迎えるごとに1歳増える。明治政府(mage政腐)は満年齢を浸透させようとした。暦も太陰暦から西洋(キリスト教)式の太陽暦に変えた。これにより文化が破壊され、生活も西洋の時間の影響下となる。
とはいえ、従来の数え年も使い続けられた。1950年(昭和25年)に公的機関などはすべて満年齢を使用することになる。
黒住教の教祖の年齢計算
(日時、満年齢、数えの順)
※数えは1月1日(2月4日)で加算。生まれた時を1歳とする。
※※満は生まれたときは0歳。誕生日を迎えるごとに1歳加算。
誕生日
=安永9年11月26日
=西暦1780年12月21日 満0 数え1
安永10=1781年1月(誕生日前) 0 2
安永10=1781年11月26日(誕生日後) 1 2
(33歳のときに肺結核で死にかけたが
文化11年(1814年)の1月(33歳)の日拝後のわずか2カ月で不治の病が完治)
文化10年(1813年)の1月(誕生日前) 満32 数え34
文化10年(1813年)の11月26日(誕生日後) 33 34
(文化[元号]は1804-1818年)
文化11年(1814年)の1月(数えだと加算) 33 35
文化11年(1814年)の11月26日 34 35
[文化11年(1814年)の1月(33歳)は満33歳。
1月時点での日拝後のわずか2カ月で不治の病が完治だから、3月でも年齢は満33のまま。
満33歳で復活]
「数えて33歳の時、かけがえのない両親が流行病によりわずか1週間の内に相次いで亡くなりました。その悲しみがもとで宗忠自身も不治の病といわれた肺結核に侵され、2年後には明日をも知れない状態に陥りました。」
より、(疑似的な)死は数え33歳。
「2年後には明日をも知れない状態」について。満33歳の時は数え35歳だからその通りである。
(33歳時点から)「2年後には明日をも知れない状態に陥りました」だから35歳だと思ったのだが、数え年と満年齢の差が2歳なので問題なし。
数え33歳で死にかけた教祖。これは数え年なので、満年齢だと33歳ではない。
公式が数えと満年齢で書いたのは33を強調するためなのだろうな。
数え年は生まれた時点で1歳。元日に1つ加算。なので、
文化11年(1814年)の1月(復活の月)時点では、満年齢で33歳、数え年で35歳。
数え33歳で死(にかけ)、満年齢33歳で復活(笑) 徹底している(笑)
わざわざ数えでなく西洋式の満年齢計算で33歳だから意図的すぎるw
教祖・黒住宗忠が朝日を拝んだ際に
日光を飲み込み神人合一の宗教的神秘体験を得た文化11年(1814年)11月11日が立教の日。
グノーシス派キリスト教w
そりゃあ正統多数派だと現地に合わせて改造しにくいもんな!
異端派だと善と悪の実質多神教だもんな!
尻が好きな数字11が多すぎw
11(ヤキン(冶金と掛詞可能)とボアズの二柱、33=11×3など)。
(「尻」はケツ社のこと。このあたりを書いたのはケツ社ではなく尻社と書いていた頃だな。
「w」も今[2023年3月18日時点]はあまり使わないな。
なお、上記[要約2]も加筆箇所があるので昔書いた記述そのままではない)
ちなみに、
ワンピースで黒住教モデルであろうキャラが悪役で登場。
悪
=黒炭オロチ(ワノ国の将軍。復讐者。元・被差別層)(秀吉)
=黒住教(太陽系)+レプティリアン教(宇宙人教)
善
=光月おでん(石工)
(織田(おでん)信長+石川五右衛門)
=光+月系
天竜人が宇宙服みたいな恰好など
宇宙人教は敵側。
おでんは主人公側なので月系。
光月の家系が石工の一族で歴史の本文(ポーネグリフ)を作った。
信長はアンチ天台宗だから優遇。
秀吉は切支丹弾圧したので不遇。
被差別層=復讐者を植民地統治の現地の実務担当ボスにするのは
植民地支配の基本。
現地人を恨んでいるから悪行を命じても実行してくれる。
ワノ国=日本がモデルだから
まさに現実を表現している漫画。
作者が自力で学んだのではないだろう要素満載だなこの作品。
以下は参考資料(と解説など)であり、上記の2つの要約よりも先に完成した。
上記の2つの要約に入れる要素は、参考資料の個所の完成よりも前に決めていた(軽く考察しておいた)が、内容を追加したりするなどして完成させたのは一番最後。
要約は以上で終わり。
参考資料
如来教の参考資料
如来教 ”魔道”
現代救済宗教論
https://books.google.co.jp/books?id=WDlxDgAAQBAJ&pg=PA96&lpg=PA96&dq=%E5%A6%82%E6%9D%A5%E6%95%99%E3%80%80%E2%80%9D%E9%AD%94%E9%81%93%E2%80%9D&source=bl&ots=Uw7frbG8s1&sig=ACfU3U0QR264dXyzu967jrUxjnliVrFZnA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwi2yr3dyrLqAhUF62EKHfk4BRMQ6AEwBXoECAoQAQ#v=onepage&q=%E5%A6%82%E6%9D%A5%E6%95%99%E3%80%80%E2%80%9D%E9%AD%94%E9%81%93%E2%80%9D&f=false
”きのの説教を記録した『お経様』に見える創造神話によれば、
最初に神が創造した七十五人の人間は神とともに天上に去ってしまったという。
現在の人間はその後に「魔道」が創造した五人の人間の末裔である。
現世とは魔道の支配する「悪沙婆」であり、人間は受胎以来、魔道の世話を受けている。
現世は修行場、すなわち仮の生存の場である。至高神如来に帰依し、善心を起こすことによって、
死後に至福の「後世」に至ることが救いである。”
日本の近世社会と如来教の歴史的特質 - 天理大学
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3741/JNK001604.pdf
”如来教の宗教思想は,「確立期」〔文化9年(1812)~同13年頃〕には,その骨格をほぼ形成し終えている。
そうした宗教思想の骨格(基幹部分)のなかには,
この世は「魔道」(デーモン)が支配しているとする説を含む固有の創造神話も含まれるが,
信者との応答を通じて形成された経緯が明確でもっとも重要な位置を占めるのは,固有の救済思想である(7)。
…
如来教固有の創造神話に関しては,実はすでに,文化10年(1813)の『お経様』(M95)のなかに,原初には神々自らが「七十五人」の人間を作ったが,その「七十五人」は神々とともに天上へ昇ってしまい,その後の人間は「魔道」というデーモンによって作られている,という趣旨が記録されている。
…
喜之を如来の受肉者だとする主張は,「確立期」以降の喜之の説教のなかで,つねに表立って主張されていったとはかならずしも言えない。しかし,M72の篇に予言されてもいるように,終末意識の表明が顕著になる「成熟期」(文化13年後半~文政3年4月)には,教祖=「如来の受肉者」説があらためて明言されてゆくことになる。
…
喜之は「如来の受肉者(具体的には如来の代理者としての金毘羅大権現の受肉者)」であり,
そうしたかたちでの諸人済度は希有なもので,人々が二度と遭うことのできないものだ,とする主張が現れていよう。
…
人間はこの世に「修行」に出ているのだから,それぞれの「家職」や生まれついた境涯を捨ててはならない,という趣旨を語ったことも記録されている。
…
如来教固有の創造神話に関しては,
実はすでに,文化10年(1813)の『お経様』(M95)のなかに,
原初には神々自らが「七十五人」の人間を作ったが,その「七十五人」は神々とともに天上へ昇ってしまい,
その後の人間は「魔道(まどう)」というデーモンによって作られている,という趣旨が記録されている。
そこで,そのような文脈を前提として上記の引用を読むならば,
そこにはおよそ次のような主張が含まれていることが明らかだろう。
すなわち,神々の手で作られた原初の「七十五人」はどこまでも素直な人間で,
まったく従順に神々の言葉(如来の意思)に従った,
しかし,「魔道」によって作られ,汚れたこの世に生きているいまの人間(「お主達(ぬしたち)」)には,
もはや原初の「七十五人」のような素直さで如来の意思(言い換えれば神憑り状態にある喜之の言葉)に従うことはできなくなっている,というのである。
…
如来の意を受けて原初の人間を作った一の宮は,
そもそも食べ物を知らない人間を育てるために一の宮自身の肌を嘗めさせて食糧に代えさせた,という趣旨が記されている。
しかも,創造神話に言及した篇としては前回の篇に当たる文化14年(1817)の『お経様』(M178)には,
如来の意を受けて「七十五人」を原初に創造した神々の「辛労苦労(しんろう くろう)」が並大抵なものでなかったことが,
およそ次のように強調されてもいる。つまり,神々の代表である一の宮は,肌を嘗めさせて原初の人間をある育てたがために,すっかり痩せ衰えて「有やなつらないやら知れぬやうに成て」,やがて他の神々や「七十五人」とともに如来のもと(天上界)へ帰ったのだが,帰るとすぐさま,如来から,その労を多として「隠居」を申し渡されたというのである。このように見てくると,まず,一連の人間創造神話を通じて主張されているのは,およそ次の二つのことがらだと理解できよう。その一つは,如来はどこまでも人間に恵みを与える根源的な創造者だということである。ちなみにその如来の意を体して人間創造にあた
ったかぎり,一の宮以下の神々も如来の慈愛を完全に体現した存在と見なされている。
…
人間は如来からこの世へ修行に出されており,この世での「家職(かしょく)」や「役儀(やくぎ)」の勤め方いかんによって
「後世(ごせ)」における処遇が決定される,
すべての人間は,人間を創造した如来の意思に従うことによってのみはじめて救われるのであり,
それは徳川家康といえども同様だ,というメッセージにほかならない。
つまり,家康の未成仏を敢えて言挙げする教祖喜之の発言は,コスモスには如来という至高の存在があり,
人間を創造したその如来の力によらなければどのような人間も救われることはないという趣旨を,
藩士たちをはじめとする信者一般に伝えることに,その主眼があったと解せるのである。
したがって教祖喜之の教説は,家康は阿弥陀仏がこの世に生まれ出た姿だとする説や,
歴代将軍は「転輪聖王(てんりんじょうおう)」であるという説とは異質なものであるばかりか,
如来を至高の存在だと主張する点で,将軍権力の始祖神話や正当性神話とは競合関係にあることが明らかであろう。
換言すれば喜之の教説は,将軍権力の神話の異端に相当するのである。
ただし『お経様』には,「天子」や「将軍」という職掌自体を否定するような発言は見られない。また,この世の人間である喜之の立場を考慮して政治的な次元への言及を憚っている旨の神の発言も記録されている。
…
いずれ終末にいたれば,この教えは人々から結構な教えとして尊重されるようになり,
…
(さてこのような尊い教えがあったのか,如来はその時にこの世へ済度にお出になったのだなあ,の意)」
…
大いに人々が喜ぶようになるのだから,記憶しているかぎり神の言葉は書き付けておけ。
…
M72の篇に予言されてもいるように,終末意識の表明が顕著になる「成熟期」(文化13年後半~文政3年4月)には,
教祖=「如来の受肉者」説があらためて明言されてゆくことになる。その代表的な例として,次に文政元年(1818)の『お経様』(M194)の一節を紹介しておこう。ここでもやはり,現代語訳を基本に,引用と註釈を交えながら紹介する。
この世は人間救済のための便法として作られているので,
もはや長くは続かないにもかかわらず,喜之がこの世を去ってもまた何らかの済度が行なわれるように「お主達(人間)」は考えているようだ。しかし,実はこの世ではこれ(喜之に受肉するかたちでの金毘羅大権現の出現)が最後の済度であり,
これで「お暇(いとま)乞(こひ)(訣別)」である。
「開山(諸宗祖)方」のなかから誰かを(各宗派の開創として知られる歴史上の諸宗祖の出世とは別に)この世へ派遣する方法もあったのだが,(金毘羅大権現が天降って如来の人間救済の趣意を喜之の口から語り聞かせるという)今回の方法は究極的な済度の方法なので,もうこれ以降はどの宗祖も
この世に受肉して済度にお出になることはない。
ここには明らかに,喜之は「如来の受肉者(具体的には如来の代理者としての金毘羅大権現の受肉者)」であり,そうしたかたちでの諸人済度は希有なもので,人々が二度と遭うことのできないものだ,とする主張が現れていよう。この後,文政9年(1826)5月2いとま日の入滅の前夜にも,喜之の口からは,「暇乞(こひ)」という言葉が同様に語られるのだが,
それは喜之の生涯が「如来の受肉者」であることを自覚しつつ閉じられたことをよく物語っていると言えよう。
…
「儀礼」とは「現実において非現実を実現するための一つの儀式」と定義できるが,
安政大地震の際に特に重要な意味をもったのは施行という「儀礼」であった。
…
明治中期以降,如来教の教勢を再興させた指導者小寺大拙(こでらだいせつ)(1838~1913)は,
日露戦争期以降には,むしろ熱烈なナショナリズムを唱道したことが知られている(33)。
”
出牢 - 天理大学
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/1743/GKH016212.pdf
”きのは…信者たちからは、「御一尊様」「慈尊」「如来様」などと呼ばれて慕われた。”
如来教
にょらいきょう
https://kotobank.jp/word/%E5%A6%82%E6%9D%A5%E6%95%99-110689
” 新宗教。本部名古屋市熱田区旗屋町。
教祖きの (1756~1826) 。もと如来宗といったが,長い間固有の教団名がなく幕末までその教えの内容から「このたび」と称されていた。享和2 (02) 年,宇宙の創造主如来が金毘羅大権現をつかわし,
きのに乗移ったとして神がかりしたのを立教の日としている。
教祖の無学,病直し,現世中心主義といった点に新興宗教の特徴的な性格をそなえており,黒住教,天理教などの先駆といえる。本尊は釈迦牟尼仏,教典はきのの説教集『御経様』,修行は曹洞禅の形式を取入れている。信者数約3万 3000。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大辞林 第三版の解説
にょらいきょう【如来教】
尾張国熱田(現名古屋市)の農民出身の教祖一尊如来きの(1756~1826)が、1802年開教した民間宗教の一派。
原罪意識、来世主義を中心とする。
修行として座禅を重視することから明治以降曹洞宗に属したが、
1946年(昭和21)独立。教祖の説教を集めた「お経様」を根本教典とする。
出典 三省堂大辞林 第三版について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
如来教
にょらいきょう
尾張(おわり)国(愛知県)熱田(あつた)の農村女性、一尊如来(いっそんにょらい)きの(1756―1826)が開いた宗教。
如来を全知全能の創造主、慈悲の神とする。
すでに釈迦(しゃか)が説いた教えは全真理の六分で、残りの四分の教えを説くとし、如来は末法のすべての人間を救済するために金毘羅(こんぴら)を使者として、きのに遣わしたという。
あらゆる人間を悪の種とする独自の原罪説にたち、
人間は如来の慈悲にすがってのみ救われるとし、
如来の前では人間はすべて平等であると説いて、下積みの民衆の救済を求め続けた。如来教は幕末に尾張藩の禁圧を受け、国家神道(しんとう)体制下では曹洞(そうとう)宗に属して、
仏教化した。この1世紀半近い受難のもとで、如来教は閉鎖的な小教団となり、教典「お経様」は教内ですら厳重に秘匿され、近年まで幻の教典となっていた。本部は愛知県名古屋市熱田区旗屋にあり、青大悲寺を本山とする。寺院数34、布教所数1、教師数11、信者数2982(『宗教年鑑』平成26年版)。[村上重良]
『村上重良校注『お経様――民衆宗教の聖典・如来教』(平凡社・東洋文庫)』”
もう一つの幕末維新としての教派神道の発祥、経世済民の動き
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_11.htm
"【「如来教」】
まず「教派神道」に先立つ民間宗教として、「如来教」についても注目しておきたい。既に寛政時代において生まれていた「如来教」は、一尊如来きの(1756~1826年)が創始したものである。同女は尾張の国熱田の貧しい農民の子として生まれている。同女は江戸時代中期の宝暦6(1756).2.2日、尾張国愛知郡旗屋の里(現、名古屋市熱田区旗屋町)の農民長四郎の第二子として生まれ、兄と弟がいた。長四郎は周囲の信望を集めていた農民で、珍しいほど信仰心が厚く、禰宜、社家、修験(山伏)とも交流を為し、日頃「長四郎」様と呼ばれて周囲から尊敬されていた。生家は古い家柄で、念仏が宗旨であったが、先祖には神職がいたとも云う。同女は8才で相次いで父母と死別し、近在の叔父のもとで育てられた。兄弟の消息は不明で、幼少から孤児同然の身の上であったようである。叔父の家は貧しく、13歳の頃の明和5(1768)年より奉公に出向くこととなった。安永7(1778)年頃、23才で嫁いだ。この結婚は夫の身持ちの悪さからうまくいかなかったようで、子もできぬまま離縁し、再び奉公の身となった。寛政7年(1765)年、40才の頃、奉公先の当主が亡くなったのを機に旗屋の郷里に戻った。こうして同女は細々とした農民生活に入った。この頃は天明の大飢饉から寛政の改革の治世の頃である。
亨和2(1802).8.11日、47才の時、同女は突然神懸かりに陥った。
天地を創造し主宰する神「如来」が、金比羅大権現を使者として地上に遣わし、
自分の体に金比羅大権現が天降ったとする「如来」の教えを説き始めた。神懸かり前のきのの様子については、ほとんど伝えられていないが、既に自宅に神を祀り、祈祷を頼みに人が訪れるようになっていたらしい。きのの神懸かりの事情については、不明な点が多い。
19世紀初頭に、神懸かりして如来教を開教したきのは、こののち四半世紀にわたって、如来の慈悲による、あらゆる人間の来世での救済を説き続けることとなった。
きのが、自宅を「御本元」として、ひたすら如来に仕える生活に入ると、病気直しをはじめ様々な現世利益をもとめて、「御本元」に足を運ぶ人々がにわかに増えた。信者が集まると、束帯を身につけたきのは、金比羅の言葉を、時には、秋葉大権現、入海大明神、熊野大権現等の神々や日蓮、親鸞ら祖師の言葉を、神懸かりして延々と説くようになった。きのの説教は、開教翌翌年の文化元(1804)年頃から次第に形式が定まったらしく、没年の文政9(1826)年に至る22年余の間、毎月、時には月に数回もの説教が行われた。説教は、「御本元」のほかに、有力信者の舎やどり(居宅)でも行われた。
きのの教えは、のちのちまで、キツネつき、タヌキつき、飯綱いづな使いの類として、その教えを嘲笑し、悪罵する者が絶えなかった。一方で、時とともに、その教えに心服し、きのを生き神として仰ぐ信者が、尾張一円はもとより、かなり遠方からも次々に現われるようになった。信者の多くは、地元の農民、職人、商人で、それぞれ講をつくっていたが、尾張藩士の中にも熱心な信者ができて士さむらい講中が生まれた。きのの説教は、次第に遠国にも伝わり、尾張に加えて、美濃、伊勢、三河、信州馬籠、武蔵国上尾、江戸等の各地で講がつくられた。
教義の展開と体系化には、法華信者の覚善院日行(1749~1826)が、常に側近にあって貢献した。
この間、教勢の発展とともに、文政3(1820).4月、きのは尾張藩から呼び出されて取調べを受けた。この事件の前後、文政初年には、金木市之正は、きのの宗教が尾張藩から公認されるように、神道家元の吉田家、白川家へ願い出る計画を進めていた。きのの説教が多数の聴聞者を集めるようになると、信者の間から堂宇の建立や土地の寄進の申し出がなされたが、きのは、教団を形成したり、本格的な堂宇を建立する意志はなかったようである。
きのは、信者から、はじめ「慈尊」と尊称されていた。慈尊は中国では弥勒をさすが、きのの場合は、如来の慈悲を体現している人の意味であろう。
文化9(1812)年頃からは「一尊」とよばれるようになり、翌文化10(1813)年閏11月には、神命として「りゅうぜん」と改名した。「一尊」の名は、その教えが唯一至高のものとされたことからきている。きのの晩年には、信者の間では、如来ときのを一体とみる傾向が強まり、教祖を「一尊如来」、「りゅうぜん如来」と尊称するようになった。きのは、文政9(1826).5.2日、隠居所で波瀾にみちた70年の生涯を閉じた。
その教義は次のようであった。きのが説いた教義は、
末法観に立つ他力の来世主義であり、徹底した原罪説を特徴としている。
最高神として如来を崇め、その如来は天にある全知全能の慈悲(愛)の神であり、
世界を創造し、全てを神業として支配している。
如来に次ぐ神は釈迦であり、日天子(太陽神)であり、これまで法華経を始めとする教えを説いてきた神とされる。
次に上行菩薩は、月天子(月神)であり、法華経を広めた日蓮を神格化した神である。
この両神は日月であり、如来の両目にたとえられている。
金比羅は、仏法の守護神として大功のあった神で、天子の神々の中でも、ひときわ位が高い。如来はあまりに卓絶した神である為、自ら地上へ降ることはないが、末法の人間を救うために、
特に金比羅を使者として地上に遣わし、きのの体にかからせたとする。
さらに、天照皇太神(伊勢の神)、八幡、春日、熊野、熱田、秋葉、貴船、入海、一の宮、二の宮、金神、荒神等の神々をはじめ、聖徳太子、各宗の祖師等が登場する。きのの説教の中心命題は、
如来による来世での人間の救済である。
きのによれば、これまで釈迦によって説かれてきた教えは、全真理の六分に過ぎず、残りの四分が説かれていなかったが、末法の世になり、このたび、金比羅がきのに天降って、はじめて四分の教えが解き明かされ、あらゆる人間が救済されると云う。
更に、独自の創造神話があり、それによると、
その始めの世界は泥の海で、神が人間を75人だけ創造したが、これらの人間は、神仏とともに天に上り、
その後へ伊勢神宮の屋守(留守居)である魔道がきて、元になる人間5人を創造し、女性の胎から人間が産まれるようになったと云う。
これは、地上に住むあらゆる人間は、例外無く悪の種であるとする原罪説である。
愛の神である如来は、末法の世の救われない人間を憐れに思って、後世(来世)での救済を願い続けており、ひたすら如来にすがる者は、如来の救いにあずかって、来世は天に上り、如来の膝元である「能所」よいところに行くことができるという。人間は罪を負って生まれている為、
現世での苦難は避けられないが、死後に地獄に堕ちる苦しみに比べれば、
現世の苦はわずかであり、来世での救済が定まっていれば、既に現世において救われていることになる。
きのは、魔道が支配するこの世を、如来がつくっておいた仏道修業の場であるとし、
「心悩」をとり如来の懷に抱かれる為の修業「座禅」を教えた。
人間は、すべて如来の子として平等であり、他人をそしらず、他人を愛しいたわって、如来の心を心を心として「善心」を保ち、如来にすがり、如来に感謝することによつて、現世で利益を受け、来世では救われて幸せになるというのである。
きのが息を引き取る間際の言葉は次の通り。
「ああじゅつない(ああ苦しい)。ころい(し)ておくれの(いっそのこと殺して欲しい)。どうせるでやよ(どうすればいいというのか)。---みんなの苦しみをおれ一人して引き請けるのでや。さうでやさうでや。---我が身一分(いちぶん)なら(自分一人なら)、こんな苦しみはないが、みんなの苦をおれ一人で苦しむのでや。そうでやそうでや。---娘(人のこと)が多ふござりますで、罪が多ふござります。こちらにも居ります居ります。お越し下されましょ(以下繰り返し)数知れず」(御金言)
「壮絶な代受苦である。代受苦とは、悩める本人になり代わりその苦悩を引き受けることを指して言うが、きのはまさにその代受苦を一身に引き受ける生き神だったのである」(小滝透「おやさま」)。"
井上寛司『「神道」の虚像と実像』(講談社現代新書) のメモより
p.161から
民衆宗教の「病気直し」
十九世紀における多様なかたちでの民衆宗教の成立。
享和二年(1802)に
尾張国(愛知県)の女性 一尊如来(いっそんにょらい)
(りゅうぜん。漢字表記は「女留」「女全」)
喜之(きの)が如来教を創唱したのを皮切りに
文化十一年(1814)に
備前国の神官 黒住宗忠が黒住教を
天保九年(1838)に
大和国の農婦 中山みきが天理教を
安政六年(1859)に
備中国の農民 赤沢文治が金光教を
それぞれ開いた。
これらは近世になって盛んとなった生き神信仰
(生きた人を神と崇め加護を得ようとする
現世中心主義的な視点に立った信仰)として成立したもので
貴族や武士などではなく民衆自身が神として崇められ
また日常生活の体験を踏まえ
民衆自身の手で教義や宗教組織が創出されたところに
その歴史的意義と重要性とを指摘することができる。
これらの宗教がともに「病気直し」という共通の特徴をもっていたのも注目される。
それは現世の「難儀」の中心と考えられた「病気」(生理的な意味での病気にかぎらない)が
神仏(生き神)や布教者への信心を軸に
各宗教特有の禁忌・祈祷・呪術的行為などを交えることによって
「治癒」されるというもので
心身を一元的なものと捉え
神仏との関係の「回復」によって現世の「病気」からの解放を説くところに
共通の特徴があった。
如来教が金毘羅信仰の全国的な流行のなかで
地蔵信仰や浄土宗・日蓮宗など多様な宗教教義とかかわりながら成立したとされる。
十八世紀末の石田梅岩による石門心学や
十九世紀初めの二宮尊徳による報徳社などで
提唱された、
勤勉・節約・孝行・和合・正直・謙譲・忍従などの当為の諸徳目が
家や村を没落の危機から救うために実践すべき生活規範として
広範な民衆の地上生活に浸透していった。
黒住宗忠が
「生死も富も貧苦も何もかも心一つの用ひやうなり」と
述べているように、
心の無限の可能性を自覚化することが可能となり
それが新宗教の成立へとつながったのであった。
一方、幕末期の国学は主教的傾斜を強めていった。[注:「主教」は「宗教」の間違いだろう]
黒住教(主神は天照大神)はもちろん、
金光教(主神は天地金乃神(てんちかねのかみ))や
天理教
(主神は別名 月日様〈月日親神〉とも呼ばれた天理王命(てんりおうのみこと))もともに
太陽信仰を共通の基盤として成立したもので
それらが一個の自立した宗教として成立するためには
主神となる神々の普遍的神性の獲得が決定的に重要となる。
それが篤胤以下の幕末期国学によって提起された宇宙創造神・主宰神論によって
その理論的基礎を与えられたと考えられるのである。
重要なのは篤胤らがもっぱらアマテラス・天皇による日本の国家統治と
その特殊性を論じたのにたいし
ここではそうした特殊性ではなく
普遍的な救済神という世界宗教形成の方向で理論化がすすめられたことで
そこに民衆宗教としての独自の性格と特徴とを読み取ることができる。
(和風キリスト教初代四大人。
これら全てキリスト教が教義の設計図なのに驚く。
入れ知恵して回っていた宣教師がいたのだろう。
教義を体系化するのに関わった人は名前すら出なくてもおかしくない。
如来教の教義が全知全能の創造主や原罪など
元ネタがキリスト教。
しかも教義作成に関わった側近が一神教と相性が良い日蓮宗。
現地の生き神思想がグノーシス派と相性が良いので異端寄りになっている。
黒住、天理、金光も同様。
病気直しで世界一有名なのがイエス。
「民衆自身の手で教義や宗教組織が創出」の民衆って切支丹だろ。
この著者、ここまでキリスト教の特徴が出ているのにキリスト教の影響を指摘しないのね。
文章読むに如来、黒住、天理、金光教の教義も学んでいるのにね。
天理教は明確に一神教なのに。
でも
「篤胤以下の幕末期国学によって提起された宇宙創造神・主宰神論によって
その理論的基礎を与えられた」とあるから
これらに理論的基礎を与えたのは篤胤系の和風キリスト教だと著者は分かっているだろうね。
篤胤(1776 - 1843年)の
『本教外編』は
1806年(文化3)成立で
「未だ他見を許さず」と記され公刊されなかった。
『神字日文伝』は
文政2年(1819年)成立。
1802年成立の如来教と
1814年成立の黒住教には
少なくとも成立時に篤胤系の影響はないだろう。
でも後の教義の体系化には影響してそう。
1838年成立の天理教と
1859年成立の金光教には成立時から影響しているだろう。
如来宗
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%9D%A5%E5%AE%97
"如来宗(にょらいしゅう)は、江戸時代、享和2年(1802年)に愛知県名古屋熱田の農夫長四郎の三女きの(喜之。きの女。宝暦6年(1756年) - 文政9年(1826年)。一尊如来きの)が神懸かりを受けて開いた宗教である。如来教とも。石橋智信によれば、この宗教そのものに呼び名は無く、教祖の自称から石橋は「一尊教」と呼んだ。日本の宗教には珍しく「原罪」という概念を持つ。
船乗りの間で信仰される「金毘羅」が如来の使いであるとし、これを中心とした信仰がなされる。
如来宗の本山となっている青大悲寺
教祖きのが道を説き始めてから9年目に「御綴り連」なる5人の速記役がつき、教祖の説法を記録した「御経様」という速記録が作られ、経典となっている。「御経様」はきのの説法の速記という性格上、名古屋弁そのままで記された特異な形式を持っており、266巻にのぼる。速記役の筆頭は尾張侯の右筆速水三郎氏芳であった。
創設当初は尾張藩士の入信が相次ぎ、関東まで教勢を伸ばした。しかし、文政3年(1820年)にきのが尾張藩より取調べを受けた。
教義は神観においては、自己の神である「如来」について、
「諸仏といふと如来といふは段のちがつたものでござる」、
「神々といふは皆、如来様に仕はれさつせる様なもの」というように、神道の諸神、仏教の諸仏の上にあるものとし、またこの世の創造神、摂理神であるとした。 「如来」が全能であることについて、
「如来様は皆知つてをらせる。御主達の腹の中の筋、灸所まで皆御存知じでや」、「それ御主達の身分のことはどふでもかうでもなされて下される如来様でやぞや」といい、全能の如来にいっさいを任せ安心を得るべきであると説く。 また経典の随所で、
愛の神を説いてやむことを知らない。 人間観においてこの身このままでは救いが無いことを、「義人あるなし一人もあるなし」、「えいやつ等といふは一人もをりはせぬ」といい、、救いは自力の工夫勘考利口才覚では間に合わないという。救わねばならないのが愛の神であると説き、神は直接出てこの世の人を救うことはできず、ここで教祖が神の付託を受けてこの世の人を救うべく現われた。 3000年前、如来は人の救いを釈迦に託したが、釈迦の死後3000年幾人の人が救われたか、釈迦の大たわけめ、と熱弁をふるった。 そこでこのたびは貴人でもなく男性でもない女性を選んで道を説かせ、救いをあまねくしようと如来が試みられたとする。 教祖は死に臨んで、神経痛のための苦痛のなかで「さうでやさうでや、みんなの苦しみをおれ一人して引請るのでや」、「我身一分ならこんなくるしみはないがみんなの苦しみを己一人して苦しむのでや」と言葉しながら世を去った。
その後、きのは文政9年(1826年)に没し、跡を武蔵国川越から来た菊という女性が継いだ。
彼女は明治7年(1874年)まで庵主を務めたが、その最中の安政5年(1858年)には尾張藩より布教差し止めが出て、建造物は破壊、土地などは尾張藩御預かりとなった。その理由は、神道、仏教、何れでもない教義を説き、「お水」を治病行為に使用していたことから、キリシタンとの嫌疑が掛けられたからである。
その後、明治6年(1873年)に廃寺届けを出すが、明治9年(1876年)に曹洞宗の僧侶であった小寺大拙が39歳で入信し、これを中興。その際、禅宗の儀式が移入され、曹洞宗を上部団体とした。明治17年(1884年)に名称を曹洞宗法持寺説教所鉄地蔵堂とした。1929年(昭和4年)には「一尊教団」が分離し、金沢に拠点を置いた。戦後宗教法人法による単立宗教法人となり、宗教法人如来宗(昭和27年)、宗教法人如来教(昭和37年~)と改称した。
所在地
現在の本部は愛知県名古屋市熱田区旗屋町1-10-39。登和山青大悲寺(せいだいひじ、尼寺)。
文化財
鋳鉄地蔵菩薩立像(青大悲寺蔵。愛知県指定文化財)[1]。
…
石橋智信『隠れたる日本のメシア教』 宗教研究
井上順孝ほか『新宗教事典』(弘文堂)"
ゆきよる ユキヨルム
@yukkiyfly
2018年1月21日
如来教、教典が名古屋弁であるという他に仏教各派、神道、キリスト教の影響が見られるようでインパクトがすごい。
0件の返信 1件のリツイート 2 いいね
ゆきよる ユキヨルム
@yukkiyfly
2018年1月21日
現存最古の和訳聖書は名古屋弁を交えて書かれているそうな。
あと幕末に成立した如来教の教典は教祖が尾張出身なので名古屋弁で記録されているとのこと。こちらも気になる。
岸本元
@bowwowolf
2015年5月17日
返信先: @teikichi20さん
@teikichi20 如来宗の一尊如来きのの別名「りゅうぜん」ではないでしょうか 参照→http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101729954/ …
女教祖の誕生 「如来教」の祖・【リュウ】【ゼン】如来喜之
浅野美和子/著
出版社名
藤原書店
てい吉
@teikichi20
2015年5月17日
@bowwowolf ありがとうございます。そんな別名があったのですね。彼女自身が礼拝の対象になっていたのならかなりキリスト教的な教団ですね
1件の返信 2件のリツイート 1 いいね
岸本元
@bowwowolf
返信先: @teikichi20さん
@teikichi20 鋭いですね。村上重良先生も『日本宗教事典』(講談社学術文庫)で《如来の神格、キリスト教やイスラム教等の天使に対応する金毘羅の位置、人間の原罪、天国をさす「能い所」等の所観念には、キリシタン(カトリック神学)の影響がみられるようである》と指摘しています。
2:34 - 2015年5月17日
国学bot@kokugakubot
世の蘭学する徒、その学びの正意を非心得して、
その窮理家など名告る輩、
すべて理を以ておし考へ、知られざることなしと云ふなるは、
西洋人の事物の理を窮極めて、その知れざるところは、
ゴツドの所為なりと云ひて、
厚くその天神を尊む学意に背へり。
霊能真柱/平田篤胤
(ゴッドという呼び名を知っているのか)
[
2022年11月19日に追加:
一尊如来きの(1756-1826)
http://www.ffortune.net/social/people/nihon-edo/isson-nyorai-kino.htm
”きの はいわば中山みき(天理教,1798-1887)の先駆者です。
きの(幼名とわ)は宝暦6年2月2日、尾張名古屋の旗屋町で生まれました。家は古い家柄で先祖には神官もいたといいます。8歳の時に両親と死別して叔父に引き取られ、13歳の時から漢方医・橋本大進の家で奉公、ついで橋本家の知り合いの尾張藩士石河家の隠居に仕えました。この隠居が亡くなった後結婚をしますが夫の身持ちが悪かったため離婚して、再び石河家に身を寄せました。
その後石河家を辞して、少しずつ貯めていたお金で生家を買い戻して再興。一人で田畑を耕して暮らすようになりました。享和2年(1802)47歳の時突然神懸かりして、神の言葉を話すようになります。そのきのの祈祷を受けるために少しずつ人々が集まるようになり、尾張藩士の中にもかなりの信者が出ました。
きのの思想はその尾張藩士たちにより書き留められています。それによれば宇宙を創造した如来様が前世で罪を犯した人たちを救うために金比羅大権現を使者として、きのの許に遣わしたとし、神仏の存在と愛を認め神仏に帰依することにより彼岸に到達するとしました。
・我らは唯一絶対、慈悲の根源たる如来の存在を信じる・この世を創り給いし如来が、その子供たるこの世の全てを良き所へ向かわせようとする、如来の無限の愛と救いを信じる
この教理は浄土宗的でもありますが、見ようによってはキリスト教のようにも見えます。そのため、きの自身文政3年(1820)に尾張藩から呼び出しを受けて取り調べを受けています。しかし特におとがめはなく、文政9年(1826)5月2日、71歳で亡くなるまで、多くの信者のために祈祷を続けました。
なお、教団はその後きのの養女の菊、日行、小寺一夢と継承されましたが、一夢の代に弾圧を受け、布教禁止処分を受けます。しかしその後一夢の子の小寺大拙が再興し、明治17年、曹洞宗に所属する地蔵堂として政府から布教の許可を得ました。
戦後は曹洞宗から独立して如来宗(のち如来教)となりましたが、それに先行して曹洞宗からの独立運動をしたグループは結局一尊教団を形成するに至ります。きのが遺した「お経様」は実は如来教では非公開にしていたのですが、一尊教団が全てを公開したため信者以外にもその内容が明らかになりました。”
※着色は引用者
元祖ZENだな。ZEN=グノーシス派キリスト教的に改造した禅。
ZEN=ニューエイジ的に改悪した禅(こちらの意味だと如来教ができた頃はまだニューエイジが存在しないので上記のように書いた)。
研究・教育・社会活動 - 一橋大学大学院社会学研究科・社会学部
論文題目:如来教の思想と信仰 ―教祖在世時代から幕末期における ―
著者:神田 秀雄 (KANDA, Hideo)
博士号取得年月日:1997年10月8日
https://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=summary&thesisID=6
”1802(享和2)年、尾張国愛知郡熱田新旗屋町(現、名古屋市熱田区旗屋)に住む元武家奉公人の女性きの(=喜之。1756~1826。開教当時47歳)によって創唱された如来教は、近世後期から明治期のわが国に開教した一連の宗教(いわゆる「幕末維新期の民衆宗教」)の1つである。黒住教、天理教、金光教などに比べて開教時期の早さが注目されているその如来教を修士論文のテーマとして以来、筆者は同教に関わるいくつかの論考を発表してきたが、1990年に上梓した本書では、その時点までに披見しえた関係史料をほぼ網羅的に使用しながら、教祖在世時代から幕末期までを対象として、如来教の成立過程、宗教思想、信仰活動の実態とそれらの歴史的特質を、総合的に解明することをめざした。なおその際、文化文政期前後の名古屋一帯における庶民信仰の展開状況と如来教成立の関係、ことに金毘羅信仰の流行と如来教成立の関係に新たな焦点をおいた。本書の全体は、「序章 如来教研究の意義と本書の視点」「第一章 如来教の開教」「第二章 如来教の宗教思想」「第三章 如来教の信仰活動」「史料編」からなっており、「史料編」には、筆者が独自に公開を得た史料のうち主な5点の全文を翻刻し、校註を加えて収載している。以下、史料編を除く各章ごとに要旨を記す。
序 章 如来教研究の意義と本書の視点
如来教(分派の一尊教団を含む)は、教団の規模や布教状況からすれば、現代日本の宗教界ではかなりマイナーな位置にある。しかし同教には、・教義内容が現世中心主義的だといわれる他宗派と異なり、「後世」を問題とする教義を掲げている、・伊勢信仰(「おかげまいり」に現れた神威)や富士信仰の社会的流行を背景として成立している他の宗派とは異なり、これまでその内容があまり注目されてきていない金毘羅信仰の流行を背景として成立している、という2つのきわだった特徴がある。したがって、如来教がそれらの特徴を持つにいたった歴史的な事情を分析することには、「幕末維新期の民衆宗教」一般の歴史的意義を再考する大きな手がかりが含まれている可能性がある。如来教・一尊教団には、教祖きのの25年間にわたる説教、および教祖に天降った神仏と信者たちとの応答を筆録した膨大な宗教文献(教典)として、『お経様』が伝存するが、『お経様』は神仏分離以前の近世における創唱宗教成立の様相とその信仰活動の実態を伝えるきわめて稀な文献であり、その分析には、近世後期から明治期にかけての日本宗教史の小さくはない書き換えを促す可能性が含まれている。今日、如来教を研究対象とする意義は、およそそれらの点にあるといえよう。(以上「第一節 如来教研究の意義」)
『お経様』がきわめて貴重な宗教文献であることについては、石橋智信による戦前の如来教研究の段階で、すでに概括的な指摘がなされている。しかし、石橋の『お経様』披見は例外的なもので、以後、宗教法人如来教では教団史料を一切公開していない。そうした状況のもと、1971年に分派の一尊教団から教団史料が公開されたことは、如来教研究に新たな展開の可能性をもたらした。また筆者は、一尊教団所蔵の史料群とは別に、一信者から、如来教本部旧蔵史料を含むいくつかの関係史料の公開を得た。「第二節 如来教の研究史と本書の視点」では、大略右のような如来教研究史を辿った上で、近年の村上重良、浅野美和子両氏の如来教研究、ことに筆者の如来教分析の方法を批判し、宗教思想の中世的性格に特に注目しようとする浅野氏の研究に反批判を加え、筆者の研究視点を具体的に説明している。その際、本書は・かつて安丸良夫、ひろたまさき両氏が提起した、各宗派の宗教思想が信者にどのように働きかけ、彼らの主体構造をどのように変革していったか、という視点を意識的に継承する立場に立っている、・神観念や宗教思想は、教義面からのみならず、信者集団の意識面からも解明する必要がある、とする桂島宣弘、しらが康義両氏の提起をも摂取しようと試みている、などの事情を併せて説明した。
第一章 如来教の開教
この章では、如来教の開教に関わる具体的な経過とその歴史的特質について、教祖の生い立ちや前半生の特徴を含めて解明することを期している。まず「第一節 『御由緒』をはじめとするきのの伝記史料について」で、『御由緒』と呼ばれる教祖伝(本章の基本的な典拠)について、その著者や成立年代に考証を加え、つづく「第二節 奉公人きのの前半生」では、主に、幼少時における肉親との死別、短く不幸な結婚をはさんだ長い奉公生活、熱田への帰郷と独り暮らし、法華行者覚善父子との同居と新たな苦難などをめぐって、きのの前半生の特徴を分析した。またその際、きのの最初の神憑りは、信心深かった父に関する幼時の記憶をも背景としながら、直接には、同居人の祈祷師覚善の活動に触発されておこったとみられることを併せて論じた。
「第三節 如来教の開教」では、1802(享和2)年8月と9月の2度にわたる神憑りの後、金毘羅大権現が憑依していることを、きのが約一年を要して、覚善をはじめとする周囲の人間に承認させていった過程を分析している。その際、『御由緒』に伝えられている覚善その他の宗教者による審神のエピソードや、神憑りの真正性を主張するためにきの自身が行ったいくつかの象徴的行動を取り上げ、それらが含む宗教史的な意味を中心に考察を展開した。また『御由緒』に記されている複数の神憑りについて、各神憑りでは、それぞれの目的に関係が深く周囲の人間を納得させやすい神仏が天降っており、そうした金毘羅以外の神仏の登場は、かえって金毘羅大権現の権威を高める結果をもたらしていること、さらに、そのような傾向は教典『お経様』に記された説教にも受け継がれてゆくこと、などの諸事実を明らかにしている。
第二章 如来教の宗教思想
この章では、全体像の概観、神格論(神学の成り立ち)、現世と来世についての捉え方、救済に関する思想という順で、如来教の宗教思想の内容と特質を構造的に明らかにすることにつとめた。そのうち、まず「第一節 概観」では、宗教思想分析に際して基本的な史料となる『お経様』をめぐって、その原本の成立事情、諸編の構成、教祖きのの説教の内容、宗教思想の基本的性格などについて全般的な概観を行っている。
「第二節 金毘羅大権現 ― 威力と済度の神」では、主に、近世における金毘羅信仰の一般的な流行と如来教神学の形成の関係を論じている。『お経様』には、早い段階から、金毘羅大権現は、諸人救済という釈迦ないし如来の意思にもとづく事業を現実に執行する上で重要な端緒を作った神であり、如来と釈迦を除くあらゆる神仏との比較において優れた神だ、とする主張が広く認められ、そこには、威力ある神・果断な神という、教祖きのの原初的な金毘羅イメージを窺うことができる。一方、一般的な金毘羅信仰では、18世紀半ばから幕末期にかけて、金毘羅とは、かつて保元の乱に敗れて讃岐に流された崇徳上皇の御霊のことだ、とする説が流布していったとされており、その背後には、御霊ないし祟る神の威力に期待する民衆意識があったと推測される。『お経様』のいく篇かに『保元物語』以来の特定のモティーフを継承した展開が含まれていることは、きのの金毘羅イメージがそうした民衆意識の動向の中に位置することを示唆しているといえよう。なお、きのの金毘羅イメージは、御霊・祟り神のイメージと天狗・修験のそれを一体視する方向に発展していったと理解されるが、それらのイメージの源泉は、住居の近くに所在した延命院やどこかの尾張藩士の家に祭られていた金毘羅神像であった可能性がたかい。
宗教思想の深化とともに、金毘羅大権現は、釈迦・諸宗祖・その他の神仏が持つ済度の力をすべて兼ね備えた神として描かれてゆく。如来教神学の最大の特徴は、本地垂迹的な神仏の世界という既成の観念を前提としつつ、威力ある神としての金毘羅大権現という観念の社会的流布を背景に、その世界には如来の意思にもとづく統一的な神仏の秩序が実在し、実際に機能している、という主張を展開しているところにあるといえよう。
「第三節 『悪娑婆』と『後世』」では、救済思想成立の前提となったはずの、世界の成り立ちに関する教義上の捉え方を扱っている。開教当初から、『お経様』には、現世を否定的な世界(「悪娑婆」)だと捉える一方で、来世(「後世」=「能所〔よいところ〕」)は如来のいるこの上もない良い世界だとする観念が広く展開されている。また「神代」の人間創造と「神代」終了後における人間の出生過程を対比的に描いた、固有の神話と「魔道」に関する教説も、早い時期から現れている。ただ「魔道」というデーモンには、如来の使者という側面が次第に強調されてゆき、やがて金毘羅や如来には「魔道」をも統率する力量があると主張されてゆくことになる。
他方、『お経様』には、現世は人間にとって、来世で救済をうけるための修行場であり、捨て去ることは許されないものだ、とするもう1つの現世観が展開されており、同時に、「家職」を大切に勤めつつ「後世」での救済を願うという信仰上の課題が提起されている。そうした「家職」論には、政治権力者批判と有機体的社会理論の両側面が含まれているが、「後世」の観念の一貫した強調は、現世には如来から衆生済度の使命を与えられてさまざまな人間に受肉している者がいる、という主張を含んでいるものと解釈できる。その意味で「後世」は、《世俗の背後にある王国》(M.ウェーバー)であるとともに、現世を批判する根拠としての他界、という性格が濃厚な観念だと考えられる。
なお、当時の如来教信者たちは、さまざまな不幸の背後に未成仏の霊の働きがあることを恐れ、その霊の慰撫にきわめて熱心だった。当時の社会には、死者の霊は死後ただちに安定を得ず、その成仏いかんは子孫がその霊の供養を丁重に営むか否かに大きく関わっている、とする観念が定着し、同時に祖霊の成仏に障害をもたらす無縁仏の供養(施餓鬼会)が従属的に行われていたのだが、如来教信者たちの右のような意識状況は、死者儀礼に関するそうした観念構造の中で、施餓鬼会執行の要素を肥大化させたものだといえる。換言すれば、彼らは、死後を祀ってくれる子孫があるという事実そのものに《人の生涯の意味》を見出す当時の社会通念から、疎外されつつある人々だったのである。
「第四節 『三界万霊』の救済」では、筆者がかねて「三界万霊」救済の教義と呼んでいる、救済思想の成立過程とその構造を扱った。『お経様』における「三界万霊」または「万霊」の語は、初期には無縁仏とほぼ同義に使われているが、次第に固有の意味を込めて使われるようになる。特に如来教の確立期に属する1812(文化9)年には、信者が日常的につとめるべき所行として「三界万霊」の救済祈願が定められ、以来『お経様』には、「三界万霊」の救済に関する話題が多くなってゆく。そして2年後には、「万霊」の救済こそが如来教開教の目的だとする主張が示されて、さらにこの教義は深化を遂げてゆくのだが、その深化過程は、「万霊」の語義変化とともに、無縁仏、有縁仏、現世の人間は本来、区別する意味がないものだ、という文脈が濃厚化する筋道を辿っている。特に文政初年の『お経様』諸篇では、「万霊」と現世の人間との不可分性に関わる主張や、子孫に弔われている有縁仏も「万霊」であるとする主張が顕在化するとともに、多くの人間が「後世」の(如来の)秩序を根拠としてこの世を生きるようになる日が迫っているとする終末意識の昂揚が顕著になり、「後世」への期待は最高潮に達してゆくのである。
「第五節 宗教思想の歴史的意義」では、「幕末維新期の民衆宗教」の宗教思想一般に対する如来教の宗教思想の固有性と共通性を具体的に挙げながら、特に「三界万霊」救済の教義の歴史的意義について、大意次のような趣旨を論じている。
霊の救済ということがらは、霊友会や立正佼成会など、近代日本に生まれたいくつかの宗教において中心的な位置を占める問題であるが、如来教が提起している霊の救済と霊友会などが提起しているそれとの間には、個々の霊の救済を問題にするか否かという点で、大きな次元の相違がある。如来教の「三界万霊」救済の教義は、人間の存在はその死後における子孫による追善供養が保証されてはじめて意味を持つ、という当時の社会通念を断ち切ろうとしている教義なのであり、そうした意味における救済を提起している如来教には、霊の救済という外面的な共通性に関わる視点を越えて、むしろ天理教や金光教に接近する性格を認めるべきだと考えられる。如来教と天理教に共通する救済の論理に注目するとき、如来教は、「幕末維新期の民衆宗教」における救済の論理の有力な型を、初発的に提起した宗教として位置づけうるといえよう。
第三章 如来教の信仰活動
この章では、できるかぎり信者たちの動向の側から、如来教の信仰活動の実態と特質を解明することを期した。その際、如来教の開教期(1802=享和2年~1826=文政9年)を4つの時期に区分し、第四節まではその時期ごとに信者たちの動向を追った。また第五節では、金毘羅信仰一般と如来教との関係について、さらに第六節では、教祖きの没後の幕末期における信仰活動の特質について、それぞれ考察を加えた。
「第一節 開教初年の動向」では、如来教がまだ成立過程にあった1804(文化元)年から1811(同8)年までについて、主に、・この時期の『お経様』には、金毘羅が諸人済度のために、出自の貧しい女であるきのに天降った由来など、未信者を強く意識した自己主張が顕著に認められ、すでに百人を越える人数を集めた説教も行われている、・在来仏教諸宗に対して教祖信仰(如来教)の優越性を主張する発言も次第に目立ちはじめるが、その主張の重点は、信者たちが具体的に関わっている近世仏教への批判にあったとみられる、・この時期の宗教思想展開の主契機は、きのとその側近である覚善との確執や、篤信者の死亡という不幸の体験にあった、などのことがらを明らかにしている。
「第二節 宗派の確立と講活動の活発化」では、創唱宗教としての如来教が確立した時期にあたる1812(文化9)年から1816(同13)年4月までについて、主に、・きのに対する信者たちの意識に大きな変化が生まれ、きの自身も、神による命名だとする自称を定めたり、開教12周年の一連の説教を実施するなど、教祖としての立場をさらに鮮明に主張しはじめる、・尾張藩士、町人、農民などによる如来教の講組織がいくつも成立し、活発な講活動が展開されはじめる、・教勢の定着・拡大が既成寺院や町役人などを刺激した結果、一方では、信者間に、信仰活動を自主規制する動きや、在来の行儀を如来教に導入する動きが顕在化し、教祖きのが説教活動の中止を宣言するにいたる、などのことがらを明らかにしている。
「第三節 江戸の講中の参入と諸願の増加」では、1816(文化13)年閏8月から1820(文政3)年の尾張藩による弾圧の直前までについて、主に、・信者批判の目的で約5カ月間中断されていたきのの説教活動は、讃岐の象頭山を信仰する江戸の金毘羅講中が如来教へ参入したことを契機に再度活発化すると同時に、如来教の宗教思想はこの時期に最も深化を遂げている、・この時期には、右のような事態を背景に諸願の件数が急増し、その内容も多様化の傾向を示すが、『お経様』には、個別の病気治し願いや縁者の追善願いなどを、説教の場に集った人々一同が願っている様子がしばしば描かれており、そこには、信者たちの意識状況の変化が窺える、などのことがらを明らかにしている。
「第四節 文政3年の弾圧ときのの晩年」では、1820(文政3)年4月から1826(文政9)年5月のきのの死までの6年間について、主に、・文政3年の尾張藩による弾圧(きのの側近であった法華行者覚善の喚問)は、既成寺院の訴えによるものだった可能性がたかい、・江戸の金毘羅講中の指導者(金毘羅社の神官)だった金木市正は、その弾圧の際、吉田・白川家への入門をきのに薦めたが、神職資格出願は結局果たされずに終わっており、その事実には布教の合法化に対する教祖きのの姿勢が窺われる、・金木は、江戸で大名家にもおよぶ布教を展開し、その活動は流行神的な活況を呈したが、教祖きのは、そうした金木の活動に次第に批判的な立場を明確にする、・この時期の教団史料『文政年中おはなし』には、説教の実施が困難化する中で行われた、地元の信者たちと教祖との対話の様子が記されている、・江戸の講中に向けてきのが口述筆記を送らせた手紙の写『文政年中御手紙』は、江戸の布教活動の様子を伝えているほか、教祖きのの思想形成が、奉公人にとっての道徳的当為を重要な素材として行われたことを示唆する記述を含んでいる、・『お経様』に伝えられているきのの臨終の様子には、キリスト教的な贖罪者観念よりも、むしろ地蔵菩薩信仰の影響を認めることができる、などの分析を行っている。
「第五節 金毘羅信仰と如来教 ― 碩道・金木市正・講中」では、近世の一般的な金毘羅信仰と如来教との関係について、本書の執筆にあたって行った、関係文献の分析およびフィールド調査の結果を紹介している。開教当初にきのが接触した知多郡緒川村の金毘羅道者碩道や、1817(文化14)年に如来教に入信した江戸の金毘羅社の神官金木市正の活動は、修験道や密教の要素をも含む、習合的な性格が相当に濃厚なものだったこと、文化文政期から幕末期にかけての名古屋は、江戸などとならんで金毘羅信仰の流行が顕著だった地域の1つで、当時の如来教はその金毘羅信仰の講活動ともかなり重なり合う部分を持っていたこと、などがその主な内容である。
「第六節 幕末期における信仰活動とその矛盾」では、教祖きの没後の信仰活動について、小寺一夢(1797~1862)を中心とする名古屋における活動と、きのの最晩年に後継を指名された武州出身の女性きくが、金木市正の講社を受け継いで江戸で行った布教活動の、双方に考察を加えた。その際、彼らの主な活動は、既成の寺院・講組織や上層の武家奉公人(奥女中ら)などへの接近に向けられ、当時の如来教では、固有の教義を持つ宗派としての自覚は深化を遂げえなかったこと、また教祖在世時代から、信者中に占める名古屋の町人と尾張藩士の割合が高かった同教では、幕末期には、有力町人に対する経済的な依存度がさらに深まり、そこには、現世の秩序に対して否定的・批判的な内容を持つ同教の宗教思想と整合しない状況が生まれていたこと、などがその主な内容である。”
※着色は引用者
]
黒住教の参考資料
ROCKY
@rocky_miracle
2017年1月30日
日本発!岡山にある神道家・黒住宗忠を祀る宗忠神社を参拝する。彼は33歳の時、肺結核で死を覚悟して太陽に手を合わせると、”神人合一”の境地に到達して回復する。その後、多くの病人を癒す奇跡を起こす。境内には東郷平八郎の直筆の石碑がある。近くにある神職を勤めていた今村宮は歴史を感じる。
桃園穂鳥
@cawaU
2015年1月21日
教派神道13派の一つ。1814年備前岡山の黒住宗忠により開教。宗忠の家は備前今村の今村宮の祠職で、彼もこれを継いで禰宜となったが、33歳の時両親が相次いで病死。自らも肺を病み3年ほど臥床した。その苦悩の中で、一日天命を授かり、神人合一を体験し大悟して信仰を得たといわれる。天照大御
感想つぶやき男B
@B77812773
2月19日
黒炭オロチ様が「国を滅ぼす復讐者」と判明したおかげで、
・世界最高の戦争をしたいカイドウと長年やっていけている理由
・使い潰しの労働やスマイル配布等の国を繁栄させる気のない行動
・おでんが5年間うかつにオロチに戦いを挑めなかった理由
ここら辺が一気につながるの、よくできてるよなあ~
1つで複数の問題を解決できるのものこそがアイディアだとは言うけれど、それに似たものを感じる
ONE PIECEネタ。
— 釣リップラーちぱ (@chipachipa11164) 2019年11月5日
3人のモデル
光月おでん→織田(おでん)信長
黒炭オロチ→豊臣秀吉の幼名・藤吉郎
トウキチロオ→逆から読めばオロチ
霜月康イエ→徳川家康
織田信長といえば長篠合戦屏風に描かれた六芒星の白装束。
そして光月家はポーネグリフを刻んだ石工の一族。
気になる気になる♪(^-^) pic.twitter.com/nA20X2rkYe
タイツマン@TAICHUMAN
2019年11月9日
おでんが信長、オロチが秀吉、康イエがそのまんま家康なんだろうけど、
信長が父の葬式で抹香を投げつけたエピソードが友人を火葬する火でおでんを作って食べる気グルエピソードになるの、強すぎる
―――
この記事っていつ作ったんだろうな上記見るに2019年代っぽい。
「※着色は引用者」がない。
引用で、注意書きなしで読みやすく改行している。
[
2022年12月15日に追加:
青い左目の代表である海賊王漫画ワンピースにおいて超優遇されている人物の名前が光月おでん(笑) 名前に「光」と「月」(青い左目)であり、石工(いしく)の一族(笑) 石工ってモロにメイソン。
https://twitter.com/onepiecebignews/status/1188602390389256192
”世経アルバイト
@onepiecebignews
そういや今週、光月おでんが石工の棟梁になったことに対し「さすが光月の血筋!!」と言われてますが、それは光月の家系が石工の一族であることから来ています
歴史の本文(ポーネグリフ)を作ったのも光月一族
地味に重要な設定ですよねこれ
#wj48
画像
午前8:44 · 2019年10月28日
·Twitter for Android”
画像のセリフは「ワノ国 光月の家系ゆうがは実は代々 石を切り出し加工する"石工”の一族」
この海賊王漫画の作者は言葉遊びが大好き。
オーディンって北欧神話だから青い左目が好む。北欧神話といえば『進撃の巨人』。青い左目側である『仮面ライダー鎧武』も北欧神話が主体。
おでんがオーディンなら、おでん屋で、赤化ソノイが青に戻ったのは当然といえる。
オーディンで北欧つまり青い左目(金髪碧眼が多い)。ただし、北欧は赤い右目の利権(ノーベル賞)にもからんでいるのでややこしい。
北欧勢力と、北欧神話勢力は分けるべきかもしれない。完全には分けられないけど。
北欧のヴァイキング系海賊と、WASP系(完全に青)の海賊とは派閥が違うだろうな。
光月おでんの話に戻る。元ネタはオーディン、織田信長、石川五右衛門の3つの説がある(3つ全てが元ネタだろう)。作者の名前も「尾(お)田(でん)」と読める(笑)
https://twitter.com/twinsnotti/status/1536369253980729345
”まむも
@twinsnotti
ワンピースの光月おでんって帽子かぶってるような頭してるのと名前からオーディンが由来かと思ってた
午前0:25 · 2022年6月14日
·Twitter for iPhone”
https://twitter.com/Isuzu_T/status/1357221977467940864
”垂木いすゞ
@Isuzu_T
ちなみにワンピースの光月おでんもおでんの由来であるオーディンをモチーフにしており、貪欲に知識を求めるもの、死んだ勇者を集め最終戦争のために鍛えるもの、というオーディンの設定が、好奇心のために国を捨てて冒険したエピソードや、部下が死を装って反抗を企てた展開に使われてるんですね
午後3:58 · 2021年2月4日
·Twitter Web App”
https://twitter.com/Isuzu_T/status/1357222808347025408
”垂木いすゞ
@Isuzu_T
光月おでんの宿敵であるカイドウはオーディンが殺した巨人ユミルの設定を引き継いでおり、ユミルの体から巨人が生まれたというエピソードが百獣海賊団につながっています。
面白いのはオーディンの首縊りのエピソードを反転させた、「失敗する自殺」=「新たな知識を得られない者」という設定ですね
午後4:01 · 2021年2月4日
·Twitter Web App”
https://twitter.com/Isuzu_T/status/1357223166913826821
”垂木いすゞ
@Isuzu_T
また髭面で雷を操るというところもあり、カイドウはユミル的なものと反オーディン性を足したキャラ付けになっていることがうかがえます。
こんなところにおでんとオーディンのつながりがあるんですね。
午後4:03 · 2021年2月4日
·Twitter Web App”
https://twitter.com/achroma_colress/status/1541079703607726080
”ヴィンscryption🍳💚
@achroma_colress
光月おでん、古代文字の解読とか煮えてなんぼ(ぐんぐ煮る)とかヤマトが大神の能力者なことを思うとやはりオーディンを連想する?
午前0:23 · 2022年6月27日
·Janetter”
ワンピース光月おでんのモデルは石川五右衛門で最期は釜茹での刑!他にもオーディンや織田信長なのではとの声も
https://beginner-husband.com/oden-model
https://twitter.com/kazubasis/status/1190925161593065473
”🤓KaƵbasis【べーちゃん】🧦🦉
@kazubasis
光月おでん
どうもモデルは織田信長と聞いて
さらに
織田って
おでんとも読めません?
#ONEPIECE
#ワンピース
#おでん
#光月おでん
#ワノ国
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午後6:34 · 2019年11月3日
場所: 奈良 田原本町·Twitter for iPhone
”
https://twitter.com/manganouA/status/1229171129463529472
”.Log【ワンピース考察】
@manganouA
おでんが家臣達の命を守った方法は当初より予想されていた「石川五右衛門」スタイル!まずおでんが先に釜に入り、橋板に乗っていた家臣9人全員を板ごと担ぎ上げた。まさにこの絵と一緒だ!だけど明らかに重みも温度も段違い過ぎておでんの状況が絶望的すぎる…😭
https://onepiece-log.com/blog-entry-2132.html
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午前7:30 · 2020年2月17日
·Hootsuite Inc.”
https://twitter.com/niyaniya_d_kid/status/1351734017142386690
”ニヤニヤ王子⁑ɱᵉ
@niyaniya_d_kid
おでん様の何がいいって、見た目の元になってるの石川五右衛門なとこなんだよなぁ🤤
どのゲームの石川五右衛門もかっこいいよね😏
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午後0:31 · 2021年1月20日
·Twitter for iPhone”
https://twitter.com/lockzanger/status/1420290005243633664
”Kenny
@lockzanger
ワンピースに出てくる光月おでんというキャラクターの名前、ずっと変だなぁと引っかかったけどオーディンが元になってるのね、それなら納得。カイドウの技でラグナラク(Ragnarok)とか出てくるし、普通に北欧神話(Norse)から影響めっちゃ受けてそう
午後4:48 · 2021年7月28日
·Twitter for iPhone”
【ONEPIECE第1010話以降考察】カイドウの降三世引奈落の強さと意味|ルフィを生死不明に追い込んだ技
https://gorilife.com/onepiece-1630/2/
カイドウがモロに龍人(レプティリアン)で、巨人で、北欧神話モデルの技を使う。
"引(ラグ)奈落(ならく)”ってモロにラグナロク。終末の強調。
なたねさんがリツイートしました
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/536524982927384577
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchiさん
オーディン:北欧神話の最高神。海賊・嵐・戦争・死・詩・魔術の神。ローマ神話のメルクリウスと同一視。つまりヘルメス=錬金術(科学)の神。
自身を生贄に捧げルーン文字を発明。
つばの広い三角帽子を被った隻眼の魔法使い。△+一つ目。
終末論は北欧神話にもある。ラグナロク=ハルマゲドン。
午後11:21 · 2014年11月23日
·Twitter Web Client”
おでん=信長+五右衛門、オロチ=秀吉+光秀?それぞれのモデル考察
2019/11/04 12:00
https://onepiece-log.com/blog-entry-2028.html
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1102591536041156608
”菊池
@kikuchi_8
返信先:
@sakurakouyouhenさん
ご指摘をありがとうございますm(_ _)m信長と秀吉の評価に関し私も同感です。信長はイエズス会贔屓でした。秀吉が千利休に切腹を申し付けたのが仮に事実とすると大徳寺の人形云々ではなく利休が堺の武器商人で南蛮人と交易があったり弟子にキリシタンが多かった事と関係があるかもと想像しています。
午前0:28 · 2019年3月5日
·Twitter Web Client”
(茶人人脈と切支丹人脈が被っていたからって可能性があるのね)
https://twitter.com/kikuchi_8/status/761946900526346240
”菊池
@kikuchi_8
返信先:
@kikuchi_8さん
豊臣秀吉は九州攻めのおりに九州のキリシタン大名領で神社仏閣が破壊され、奴隷貿易が行われているのを知り即刻伴天連追放令を出した。当時の南蛮、イエズス会の世界侵略という国際情勢を把握しつつ、そのまま放置すればどのような事態になるかを瞬時に見抜くあたり、秀吉のセンスは天才的だと思う。
午前0:27 · 2016年8月7日
·Twitter Web Client”
https://twitter.com/kikuchi_8/status/993154505771368448
”菊池
@kikuchi_8
豊臣秀吉も当初はキリスト教の信仰を許容していた。しかしキリシタン大名が神社仏閣を破壊し僧侶を迫害し日本人を奴隷として売り飛ばしている事を知り方針を転換した。「何故このような理不尽な事をするのか?」と宣教師に詰問状を送り付けている。これまで遭遇した事が無い異質な『文化』だったのだ。
午前0:44 · 2018年5月7日
·Twitter Web Client”
信長はキリスト教の布教を禁じなかったから優遇。
黒炭オロチは黒住教(太陽崇拝)+蛇(レプティリアン)で悪役だからモデルは秀吉(秀吉は伴天連追放令などキリシタンにとっては敵)だろう。太陽側なので赤い右目は敵ということだな。
https://twitter.com/yellowwhale1234/status/1406951413331095555
”greatest show-yan.
@yellowwhale1234
名前が気になって立ち寄った宗忠神社
黒住教の教祖という黒住宗忠を祀る神社で
宗忠は両親を相次いで亡くし
自身も肺の病に侵され死の淵を彷徨うが、ある冬至の朝、太陽を浴びると
悟りを開いて病気が消えたという←スゴ!
この神社は青天を衝けにも出ている孝明天皇唯一の勅願所にもなったそうです
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午後9:25 · 2021年6月21日
·Twitter for iPhone” ※着色は引用者
https://twitter.com/kurozumikyoshu/status/1211403584773820416
”黒住教主
@kurozumikyoshu
「陽気になれ」
「黒住教=お日様教」だから…。
「いつも心に太陽を!」というCMコピーの記憶がありますが、誰もが心に太陽(天照大御神のご分心=心の神)をいただいていると信じて生きるのが黒住教信仰。
だから、心の雲霧の「祓い」が教えの中心で、教主が「元気を喚起」を呼び掛けているのです。
午前6:48 · 2019年12月30日
·Twitter for Android” ※着色は引用者
冬至=最も昼が短い=最も太陽が弱っている(象徴的には死)。この後、日照時間が増える=太陽の復活。太陽の死と復活。太陽神の死と復活の元ネタの一つ。イエス・キリストも太陽神がモデルの1つだから当てはまる。
黒住教はグノーシス主義的キリスト教を和風にした教え。キリスト教の異端派が元ネタ。
グノーシス主義では人間の本質は至高神の一部であり、その本質を絶対的に超える存在はない。人間の本質(内なる神性)と至高神が本来同一であるという「グノーシス(知識、認識)」を得ることで真の神と合一できる(真の善なる神と合体して自身が神となる)
という思想。
和風キリスト教をいろいろなところで作っていく工作をキリスト教勢力がしてきて、生き残ったものの一つが黒住教なのだろうな。黒住教も金光教も岡山県の宗教。岡山が怪しすぎる。黒住教の創始者の経歴のモデルが正統多数派キリスト教とグノーシス主義(異端少数派)を合わせたもので草不可避w↓
教祖神 | 黒住教
http://kurozumikyo.com/about/originator
” 教祖神・黒住宗忠は、安永9年(1780年)11月26日の冬至の日の朝、代々今村宮(岡山市北区今)の神職をつとめる家に生まれました。幼少時より孝心があつく、20歳の頃には「生きながら神になる」という志を立てました。宗忠は「心に悪いと思うことを決して行わず、善きことのみを実行する」との厳しい目標を自らに課して“神になる”道を歩みました。しかし数えて33歳の時、かけがえのない両親が流行病によりわずか1週間の内に相次いで亡くなりました。その悲しみがもとで宗忠自身も不治の病といわれた肺結核に侵され、2年後には明日をも知れない状態に陥りました。
死を覚悟した宗忠は、文化11年(1814年)1月の厳寒の朝、幼いころから両親とともに毎朝手を合わせてきた日の出を拝みました。この“最期の日拝”の祈りの最中に、宗忠は知らず知らずのうちに大変な親不孝をしていたことに気づき、せめて心だけでも両親が安心する人間に立ち戻らねばならないと大きく心を入れかえました。この世との別れの日拝だったものが、新たな“生”への祈りに転回しました。この心の大転換により、宗忠の暗く閉ざされた心のなかに陽気な感謝の気持ちがよみがえり、その結果わずか2カ月で不治の病を完全に克服しました。
その年の11月11日。この日は昔から「一陽来復」と称され、物事が新たに始まる時とされてきた冬至の日でした。安永9年(1780年)の冬至の朝に誕生した宗忠が、死の淵を乗り越えて34回目の誕生日をこの日迎えたのです。昇る朝日に格別の思いで祈りを捧げていると、宗忠は全ての命の親神である天照大御神と神人一体になり、悟りの境地に立ちました。黒住教では、このことを「天命直授」と称して、黒住教立教の時としています。
以来、宗忠は世の中の苦しむ人や助けを求める人のために昼夜を問わず祈り、教え導き、多くの人々から生き神と称えられ、すでに神仕えの身であったこともあって自然な姿で教祖神と仰がれました。宗忠がその肉体を離れて天に昇ったのは、嘉永3年(1850年)2月25日のことでした。
宗忠の在世中に、現在の黒住教の基礎が築かれ、当時すでに数万の道づれ(信者)を擁していました。宗忠の昇天後、その生誕地であり住居があった現在の岡山市北区上中野を中心に、日本各地で黒住教の布教が広まっていきました。宗忠の教えが「神道の教えの大元」と称えられたことにより、この地は「大元」と呼ばれてきました。
皇室や公家のなかに宗忠に帰依する人が多く、孝明天皇(明治天皇の父君)の信心も得ていました。神位を非常に重んじた江戸時代において、安政3年(1856年)3月8日に「宗忠大明神」の神号が授けられ、文久2年(1862年)2月25日に京都・神楽岡に宗忠を祀った宗忠神社が建立されました。この宗忠神社は、建立からわずか3年後の慶応元年(1865年)4月に、孝明天皇の勅命による唯一の勅願所(天皇が国家国民の平安を祈るために指定した神社・仏閣)に定められ、その翌年の慶応2年(1866年)2月には、従四位下の神階を宣下されました。
” ※着色は引用者
江戸時代に和風キリスト教(黒住教)が皇室に侵入することに成功。国家神道(和風キリスト教)より前。
(和風キリスト教=黒住教が)「「神道の教えの大元」と称えられたことにより、この地は「大元」と呼ばれてきました。」。大本教の元ネタの1つだろうな。大本教は金光教の派生であり、金光教は岡山の宗教。
33(笑) 11多すぎ(笑) 「天照大御神と神人一体」「生き神」がグノーシス主義要素。
正統多数派だと、被造物(にんげん)が神(ゴッド)になるなんてありえない。至高神(ゴッド)と合一して自身がゴッドになることもありえない。実際は、ゴッドではなく神々(てんし)レベルまでにしかなれないだろうけどね(肉体など人間の枠だと制限があるので。ゴッドは制限なき存在)。
「数えて33歳の時、かけがえのない両親が流行病によりわずか1週間の内に相次いで亡くなりました。その悲しみがもとで宗忠自身も不治の病といわれた肺結核に侵され、2年後には明日をも知れない状態に陥りました。」
33(笑) 33歳の時に精神的に死に、肉体も死にどんどん近づいている。
「死を覚悟した宗忠は、文化11年(1814年)1月の厳寒の朝、幼いころから両親とともに毎朝手を合わせてきた日の出を拝みました。[略]この心の大転換により、宗忠の暗く閉ざされた心のなかに陽気な感謝の気持ちがよみがえり、その結果わずか2カ月で不治の病を完全に克服しました。
その年の11月11日。この日は昔から「一陽来復」と称され、物事が新たに始まる時とされてきた冬至の日でした。安永9年(1780年)の冬至の朝に誕生した宗忠が、死の淵を乗り越えて34回目の誕生日をこの日迎えた」
(33歳時点から)「2年後には明日をも知れない状態に陥りました」だから35歳だと思ったのだが、数え年と満年齢を書いていないせいでおかしなことになっている。
数え33歳で死にかけた教祖。これは数え年なので、満年齢だと33歳ではない。
公式が数えで書いたのは33を強調するためなのだろうな。
数え年は生まれた時点で1歳。元日に1つ加算。なので、
文化11年(1814年)の1月(復活の月)時点では、満年齢で33歳、数え年で35歳。
数え33歳で死(にかけ)、満年齢33歳で復活(笑) 徹底している(笑)
キリスト教をモデルに創ったのがバレバレ(笑)
黒炭オロチってのがあの海賊王マンガに悪役ででている。黒住教のことだろう。黒住経の教祖の経歴は聖書やグノーシス派を参考しているだろう(教祖の人生において重要イベントの年月日や年齢が意図的すぎ)。表面的には天照系太陽崇拝。
教祖が生まれたのは冬至の日(冬至以降日が長くなる=太陽の復活)(笑)
意図的だなあ(笑)
海賊王マンガで悪役の名前の元ネタだろうっていうことの根拠は、太陽つまり赤い右目が象徴だからだ。
え、主人公が太陽神系じゃんっていいたくなるかもしれないが、白い姿だから、白いキリスト(太陽)だ。白いキリストは太陽属性があろうが青い左目側。
イエス・キリスト自体は太陽神がモデルなので、キリストが太陽属性なのは陣営を問わない。
黒住教オロチと対立するのが光月オーディン(月。青属性。善)だから露骨。悪役のカイドウは龍人でありオロチより格上だし、おでんの息子は龍に変身可能(笑)
それとオロチ=蛇。つまり龍より格下なので負ける。
白い太陽神(キリスト)がドラゴン(カイドウ)を倒す。
(新)キリストの龍退治。(新)キリスト教の龍退治。
ギャグマンガはシリアスマンガより強い(ギャグマンガだと死んでも次のコマで復活したりするのからね笑)。
追加終わり]
[
2023年3月13日に追加:
更なる補足資料
白蓮教 - 世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh0801-002.html
”民間の浄土教系の仏教教団。元末に反乱を起こした。
白蓮教は仏教の一派で、起源は東晋の僧慧遠が402年に廬山の東林寺で門弟たちと結成した白蓮社にさかのぼる。唐代に善導によって大成され浄土宗として宗派となり、禅宗とともに盛んになった。宋代には読書人(士大夫などの知識人層)のなかの念仏結社が白蓮社と言われるようになった。南宋の頃から民衆に広がって有力な宗教結社となり、元のモンゴル人支配への不満のなかでさらに大きな勢力となった。元朝の末期にはその勢力は黄河と淮河の流域を中心に、各地に拡大し、1351年に紅巾の乱に発展した。清朝の1796年には白蓮教徒の乱を起こしている。その後、たびたび弾圧を受けながらも、中華民国時代の近年まで続いた。
白蓮教の教え
本来、念仏を唱えて阿弥陀仏の浄土へ往生を願うのがその信仰であったが、やがて弥勒仏による救済を求める弥勒信仰を加え、唐代にはイランから伝わったマニ教(イランで起こり、中国に伝わり摩尼教、または明教と言われた)と混合して、世界は明と暗の二宗(根源)あって、明は善、暗は悪であり、弥勒仏が下生(現世に現れること)して明王が支配するようになれば明宗が暗宗にうち勝って極楽浄土が出現すると説くようになった。このような現世否定、来世願望の考え方は、現状に不満な民衆を引きつけ、大きな勢力となったので、南宋も元も危険な邪宗として取り締まりの対象となった。
” ※着色は引用者
追加ここまで]
[
2023年3月17日に追加:
数え年と満年齢どちらでお祝い?
https://narita-hanamura.com/kazoedoshi-mannenrei/
”日本で満年齢がメインで使われるようになったのは、ここ半世紀ぐらいのことで、それまでは日本古来の数え方として「数え年」が主流でした。
[中略]
その「満年齢」が入ってきたのは、今から約150年前の明治維新の頃。つまり、文明開化によって西洋の文明や慣習がどんどん入ってきた時代です。その頃に重要となるのは、諸外国と「同じ日時を共有」すること。日時が違えば当然、さまざまな不都合が生じるからでしょう。
そこで暦も太陰暦から西洋式の太陽暦に変わり、年齢の数え方も誕生日に年を取る西洋式に合わせようとしました。つまり、生まれたときを0歳とし、誕生日を迎えるごとに1歳増えていくという、お馴染みの「満年齢」の考え方です。
ところが、民間では数え年の慣習が続いたことで、両方の数え方が併用して使われることとなりました。その後、第二次世界大戦の終戦から5年ほど経った1950年にようやく『年齢計算ニ関スル法律』が施行され、数え年が公的には姿を消しました。この頃から、長く続いた数え年の慣習が徐々に無くなりましたが、伝統行事は数え年で行われていたものが多かったため未だに名残があります。
法律上の満年齢について
数え年では、正月に一斉に歳を取り、除夜(大晦日の夜)のことを「年取り」とも言います。
正月(年齢が加わる日)の前の日に年を取っていたのです。
そこで、関連することとして知っておくと面白いのが「法律上の年齢の加え方」です。
私たちは、誕生日当日に年齢が加わるものと思っていますが、法律上は誕生日の前日に年齢が加わると定められていて驚きます。
「なぜ4月1日生まれが早生まれに入るのか」と疑問に思ったことのある方も多いと思いますが、法律上は前日の3月31日に1歳加わるのだから3月度生まれと同じ扱い、という考え方になります。
数え年とは
なぜ数え年が理解しにくいのか、端的に示すと「1歳の長さ=365日とは限らない」からです。
数え年の場合は生まれた段階で1歳となります(0歳は無し)。そして、その後は正月が来るたびに年が増えていくというものです。
つまり、生まれた日から初めて迎える正月までが1歳というカウントをするので、生まれてから初めてお正月を迎えるまでの1年の長さが人によって異なるのです。
まず、「0歳」がないという時点で考え方につまずいてしまう方も多いかと思うので、簡単な例を挙げてご説明します。
数え年 1歳の長さの例
4月1日生まれの1歳の長さ =275日
12月31日生まれの1歳の長さ =1日
それ以降は正月ごとに年を取るので皆同じ365日(うるう年には366日)ごとに年齢を重ねます。極端な大晦日生まれの例を挙げましたが、12月生まれは1年目(1歳)の長さがひと月満たずに2歳になる、というのが数え年の考え方なのです。
[中略]
数え年 = 今年の誕生日時点での年齢 + 1歳
” ※着色は引用者
黒炭オロチ(ONE PIECE) - アニヲタWiki(仮) - atwiki(アットウィキ)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/43320.html#id_f5b94f33
"登録日:2019/11/23 Sat 18:36:00
更新日:2023/03/03 Fri 18:20:01
所要時間:約 13 分で読めます
[中略]
悪魔の実:動物系幻獣種・ヘビヘビの実 モデル“八岐大蛇”
年齢:享年54歳
身長:350cm
誕生日:9月23日
肩書:ワノ国霜月家小間使い→光月家家臣→ワノ国将軍代理(約26年前)→ワノ国将軍(約20年前より)
血液型:XF型
好物:ヤシオリの酒・秋刀魚
笑い方:ムハハハ、ぐふふふ
[中略]
ワノ国を統治する現「将軍」。
イワンコフ程ではないが顔が大きな中年の醜男で紫色の丁髷頭に王冠を被った如何にもバカ殿っぽいビジュアル。
元は当時の白舞大名・霜月康イエに拾われたコマ使いで、光月おでんにも大恩ある身でありながら、20年ほど前に将軍の家系であった光月家を引きずり降ろし、各地に部下を拡散させて支配体制を一変。
その後四皇の一人である百獣のカイドウと共謀しておでんを殺害しカイドウと百獣海賊団による支配を認め、カイドウへの協力の過程で自然豊かだったワノ国を嬉々として地獄の国に変えた張本人。
普段は花の都にあるオロチ城に座し、豪華絢爛な贅沢三昧の暮らしを送りながら、
ワノ国に圧政を敷いて弱者を踏み躙り20年もの長きに渡りワノ国の人々を苦しめ続けている。
【人物像】
良く言えば警戒心が強く狡猾、悪く言えば小心者な独裁者。
豪華絢爛で贅沢三昧な生活と美女、金をこよなく愛する派手好きで傲慢な俗物。
自身の統治に絶対の自信を持ち、自身が統治するワノ国を「幸せ」「天国」と称するが、自身を不愉快にさせた者や統治に対して目障りと感じた相手への仕打ちは苛烈の一言*1。
敗者を嘲笑い弱者を苦しめる事を心から愉しむ陰湿な加虐性癖の持ち主でもあり、子供に笑われただけで激昂し笑った子供の殺害に執着するなど器は非常に小さく、空気を読まない発言はあれど滅多なことでは暴言を吐かないルフィにすらゴミクズ呼ばわりされた最低の暴君*2。
その弱者に対する苛烈な仕打ちと悪辣さは同盟者のカイドウからも笑いながらとは言え「趣味が悪ィな」と称される程。
[中略]
◆悪魔の実
動物系幻獣種の悪魔の実「ヘビヘビの実:モデル“八岐大蛇”」の能力者で、巨大な八岐大蛇に変身できる能力を持つ。
アニメでの描写を見ると、八岐大蛇となってもしっかり四肢や胴体は存在する。
戦闘力は不明だが、蛇の頭は成人女性1人ならば噛み殺せるだけのパワーはある。
人獣型かは不明だが、人間の身体から個別に八岐大蛇の首を生やすことは可能。
幻獣種としての「超人系」に似た能力の有無は不明だが、首を斬られてもあっさり蘇生して活動出来たことから特性は「首の数だけ死亡しても蘇生できる能力」と考えられていたが、103巻のSBSにて作者から蘇生能力と明言された。
事実、蘇生後のオロチの変形形態は首の数が減少しており、最終的には一本だけになっていた。
◆謀略技術
純粋な戦闘力や異常な警戒心以上にオロチの最も厄介な能力。
それこそがずば抜けて優れる狡猾な頭脳と謀略の腕前の持ち主という点にある。
[中略]
◆黒炭一族
過去篇に登場したオロチの血縁者達。
おでんの祖父の頃までは光月家に仕える大名の一族だったが、
オロチの祖父が将軍となるために進めてきた謀略が明るみに出たことで城や領土など全てを失い取り潰しとなった。
ひぐらしはそのことを根に持って逆恨みしており、光月家への憎悪を募らせていた。
少なくともあの男を配下にした時点では「黒炭家」自体が謀反人の一族として迫害されていたらしいが、
オロチが将軍の座に就き権力を握った今でも迫害されているのかは不明。
(最も、将軍と同じ一族をボロカスに叩こうものなら造反の意ありと思われ粛清されてもおかしくは無いのだが)
名前の明かされた人物のうち「バリバリの実」の能力者の黒炭せみ丸と「マネマネの実」の能力者である黒炭ひぐらしに関しては既に両者と同じ実の能力者が登場しているため間違いなく死亡しているが、あの男以外にも生き残りがいるかどうかは明かされていない。
[中略]
元々黒炭家は先々代将軍(おでんの祖父)の時代に光月家に仕えていた5つの大名家の一つで、祖父は当時の大名だった。
しかし当時の将軍には跡取りが生まれなかったため、大名達は我こそはと次期将軍の座を狙うようになるが、その中でも特に野心の強かったオロチの祖父は内乱を装い大名達を次々と毒殺していった。
相次ぐ大名達の不審死を受け、将軍は心労で病床に伏し、あと一歩のところで祖父が将軍になれるところまで来たが、その矢先に光月家に跡取りであるスキヤキが生まれたのである。
これにより祖父の野望は潰え、更には大名達を暗殺したこともバレてしまい、祖父は切腹した上に黒炭家は断絶し、地位も領土も城も失い、一族は路頭に迷うことになってしまう。
見えるよ…!!未来が見える…!!お前は…!!
将軍になるよ!!!
そんな貧乏暮らしを送っていた(当時光月家への恨みはなかった)中で出会った「黒炭家の関係者」を名乗る老婆・黒炭ひぐらしに過去を知らされた上に今まで積り積もった恨みや野心を焚き付けられたことで光月家とワノ国の人々を憎むようになり、ひぐらしから「ヘビヘビの実モデル“八岐大蛇“」を与えられ奮起。
自分が将軍となるべく資金を集め、その金を元手にワノ国の高い職人技術による武器密造&その武器を元に海外の“後ろ盾”を手に入れるべく様々な謀略を開始する。
[中略]
元ネタは底辺ともいうべき小間使いから国の頂点にのし上がった事から豊臣秀吉と考えられる。
アニメ版では彼の過去を描いた回想はオリジナルシーンを追加した状態で放送され、オロチがひぐらし達と出会う直前まで迫害を受けていた場面やヘビヘビの実を食べるシーンが追加されている。
" ※着色は引用者
追加ここまで]
[
2023年3月18日に追加:
黒炭家 (くろずみけ)とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E9%BB%92%E7%82%AD%E5%AE%B6
”ワノ国の元将軍黒炭オロチの血縁者。
かつては将軍家光月家に仕え、霜月家と肩を並べるほどの大きな力を持つ大名であった。だが、零落した今となってはその面影を探すことさえ難しい。このような姿になってしまったのは、当時の光月家において跡継ぎが中々産まれなかったことが始まりであった。
各地の大名たちは次々と後継者とならんとしていたが、オロチの祖父は孫のオロチを将軍とすべく対抗馬となる大名達を事故や病気に見せかけて密かに暗殺していった。光月家に後継ぎが生まれなかったのもオロチの祖父の謀略の一つである。
こうして目論見が成就するかと思われた矢先、光月家に待望の世継ぎ、光月スキヤキが産まれたことで陰謀は頓挫。
更に暗殺の謀略が明るみに出たことでオロチの祖父は切腹に処され、黒炭家は城や領土など全てを失いお家取り潰しとなる。その結果として、一族関係者は軒並み露頭に迷う羽目になってしまう。
しかしこれは終わりではなく、本当の地獄はここからであった。
生き残りたちは「大罪を犯した黒炭家の人間」と言うだけの理由で民衆たち(オロチ曰く「見ず知らずの正義の味方」)の迫害を受けることとなり、たとえ無実の人間であろうともある者は殴られ、ある者は川へ投げ落とされ、またある者に至っては舞台上で凶刃に伏し、1人また1人と命を奪われていった。
実はこれらの迫害は将軍家や他の大名が意図したものではなく、水面下で行われた一種の集団ヒステリーやヘイトクライムにも近い、ある種の私刑行為と呼べるものであった。もっとも、度が過ぎていたには違いないにせよ、迫害した民衆からすれば黒炭家の生き残りは「再びワノ国を乗っ取るかもしれない恐怖の象徴」であり、ましてそれが下野したとあっては怒りや憎しみを爆発させるものが出たとしても不思議ではないと言える(実際、似た経緯で苛烈な迫害を受けた存在は以前にも登場している)。
しかし、将軍家や大名達はこうした民衆の行いを全く把握していなかった。あるいは当時の大名たちは隠蔽に動き、子や孫に事の詳細を伝えなかったようでもある。
いずれにせよ把握していなかった理由は不明だが、黒炭家の者達には「自分達の当主が私欲のために他の大名を謀殺した」という負い目があり、お上に訴えようにもできなかったのかもしれない(あるいは訴えようにも「『黒炭の者』の言うこと」といった理由からその訴えが捻り潰された可能性も有り得る)。
事実オロチですら謀略を罪として認識していた当時は「お家は転落、そこまではいい」と認めていた。
一方で将軍家や大名家でも黒炭家生き残りへの迫害をよく思わなかった良識者もおり、光月おでんは黒炭家迫害に関しては思い悩む表情を見せ、霜月康イエは黒炭家であることを隠して自身の小間使いとなった経緯のあるオロチに対して「何故隠した」と言うほど、迫害から保護しようと考えていたくらいだった。
” ※着色は引用者
(最終編集履歴は「023/03/03 18:06
tftf
余談の一部表記を統合・改訂しました。
」)
世界連邦日本宗教委員会 定例総会開催 - 冨士道 神道扶桑教
https://www.fusokyo.org/news/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%80%A3%E9%82%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AE%97%E6%95%99%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-%E5%AE%9A%E4%BE%8B%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E9%96%8B%E5%82%AC/
”世界連邦日本宗教委員会 定例総会開催
2017年3月30日
3月30日神社本庁会議室において世界連邦日本宗教委員会の定例総会が開かれ29年度の事業計画及び予算が審議されました。
総会において長年にわたり議長を勤められた桶屋良祐/念法真教次代燈主の退任にあたり、管長台下は議長の推挙を受け就任されました。
世界連邦日本宗教委員会はローマ教皇パウロ六世の主導する第二バチカン公会議で公布された「信教の自由に関する宣言」に応え昭和42年に円覚寺の朝比奈宗源老師を中心に神道、仏教、キリスト教、教派神道、新宗教の代表者により発足し現在はイスラム教も含め超宗教による平和運動を真摯に展開しています。会長を田中恆清/石清水八幡宮宮司、副会長 黒住宗道/黒住教副教主が勤め管長台下は議長に副議長を田中安比呂/賀茂別雷神社宮司、徳増公明/日本ムスリム協会会長 が勤めています。
” ※着色は引用者
宗際活動 | 黒住教
https://kurozumikyo.com/activity
” 黒住教の宗際活動(宗教間対話・協力活動)について紹介します。黒住教は、神道のみにとらわれず、また、国内外をも分け隔てなく、「宗教」を軸とした活動しています。国際的な会議やネットワークへも積極的に参加し、宗派・教団を超えた相互理解と信頼の涵養につとめています。
[中略]
岡山はもともと宗教間同士の交流がある土地で、昭和10年代から先代の5代教主・黒住宗和は他教団の幹部の方たちとの親交を深めていました。特に戦後は5代教主を中心とした宗教間交流が盛んで、今日の世界連邦日本宗教委員会岡山宗教者の会は、全国的にみてもユニークな活動を行っています。
岡山には平成8年(1996年)以来、7代教主・黒住宗道が事務局長をつとめる12教団からなる青年宗教者の共同、共働グループRNN(人道援助宗教NGOネットワーク)があり、大災害のときなどに緊急援助活動を国際的にも実施しています。また、平成13年(2001年)の9・11テロ直後の10月5日には、日本ムスリム協会会長(当時)の樋口美作氏を招き、RNN主催「イスラム教についてのシンポジウム」を黒住教武道館にて開催しました。
[中略]
RNNは、平成17年(2005年)6月29日の岡山大空襲60年の日、「ヒーリングコンサート」の名のもとに平和を願い祈る音楽会を岡山カトリック教会で開催しました。ここでは、天台宗、真言宗の声明、イスラム教のコーラン朗誦、キリスト教プロテスタントの讃美歌、カトリックの聖歌、そして金光教と本教の吉備楽が披露されました。さらに、事前に公募して最優秀に選ばれていた詩「PEACE」に曲づけされた歌を、参加者全員で合唱して平和を祈りました。
[中略]
昭和50年(1975年)、今日WCRPと呼ばれる世界宗教者平和会議の創設に尽力した立正佼成会の庭野日敬会長(当時)が神道山に参拝し、6代教主にWCRPへの参加を呼びかけました。翌年の昭和51年(1976年)11月、シンガポールにおいて開催された第1回のACRP(アジア宗教者平和会議)に出席した6代教主は、開会式の壇上に立ち開会の祈りを捧げました。これが機縁となり、昭和54年(1979年)8月、アメリカ・プリンストン大学にて開催された第3回世界宗教者平和会議に出席した6代教主は、その開会の式典が催されたニューヨークのセントパトリック大聖堂において「大調和への祈り」と題した講演を行い、開会の祈りをつとめました。また、WCRPの青年部会結成30年の記念大会が、平成15年(2003年)6月に開かれ、7代教主・黒住宗道(当時副教主)が招かれ、その記念講演をつとめました。
昭和56年(1981年)2月23日、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が来日しました。ローマ法王の訪日は初めてのことでありました。法王はまず皇居において天皇陛下に謁見し、翌日、ローマ法王庁大使館(東京都)に日本の各宗教の代表20数名を招いて会談しました。6代教主・黒住宗晴(現名誉教主)も神道の一人として招かれて出席しましたが、それぞれ何かおみやげをというなかで、教主は、法王が青年期に著わした「THE ACTIVE PERSON(行為的人格)」を持参し、そのなかの一節「人間は自己をおしみなく他者に与え尽くすことによって、もっとも完全に自己となり、人格としての在り方を実現する」の一条に感服したことを告げるとともに、法王の皇居訪問に敬意と謝意を表しました。
[中略]
平成2年(1990年)、「グローバルフォーラム」の執行委員を中心に、シリアのイスラム教最高指導者アフマド・クフタロ師をはじめ各国の宗教者、そして政治家、ジャーナリストたちが来日して、神道山で「神道ワークショップ(神道国際研究会)」を開催しました。講師は後に國學院大学学長になった上田賢治氏、同阿部美哉氏、皇學館大学理事長・櫻井勝之進氏、同学長谷省吾氏、そして仏教界からは薬師寺管主・高田好胤師が参加しました。
また、海外における神道や黒住教の研究者で後にアメリカ・ハーバード大学ライシャワー日本研究所所長となったヘレン・ハーデカ女史、ライト大学宗教学教授ウィリス・ステイツ氏、タイ・カセサート大学教授ペンシー・カンチャノマイ女史が参加して講演しました。
[中略]
平成7年(1995年)3月、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世法王を、本教が責任教団となって招聘しました。これは、複雑な国際関係から11年間も日本への入国ができていなかったため、法王招致委員会の要請を受けてのものでした。法王一行は来日後、広島市に直行し、終戦と被爆から50年が経過した原爆記念碑前での法要をつとめた後、岡山市に到着しました。神道山大教殿における講演や、青年たちとの交流などが続き、さらに林原生物化学研究所や障害者福祉施設などを見学された4泊5日間の岡山訪問でした。
[中略]
平成12年、西暦2000年を迎えたこの年の8月、コフィ・アナン国連事務総長の呼びかけにより「ミレニアム世界平和サミット(国連宗教サミット)」が開かれ、ニューヨークの国連本部総会議場を各国の宗教者が埋めました。7代教主・黒住宗道(当時副教主)が日本使節団の幹事長役に指名され、伊勢神宮・久邇邦昭大宮司、天台座主・渡邊惠進師をはじめ立正佼成会・庭野日鑛会長、新日本宗教連合会・深田充啓会長、大本・広瀬静水総長ら27名が参加しました。4日間のこの会議は、本教教主の閉会の挨拶と祈りでもって閉じました。
このサミットでは本教の提案で、「世界の火薬庫」と呼ばれるバルカン半島の各地から11名の様々な宗教代表を招いて会議が持たれ、その費用の大半は岡山財界有志からの浄財によるものでありました。
[中略]
9 ・11同時多発テロ発生の翌日、7代教主・黒住宗道(当時副教主)は国連宗教サミットをはじめ、それまで知遇を得てきた各国の宗教者に電子メールでもって、これが、イスラム対西洋のいわゆる文明の衝突になることのないように宗教者として共働してつとめようと訴えました。そして前記のごとく、10月5日RNN主催のイスラムについてのシンポジウム開催と続きました。翌平成14年(2002年)1月、イタリア・アッシジにおいて、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世の呼びかけによる平和への祈りの集会が大々的に開かれ、7代教主・黒住宗道が参加しました。
[中略]
明治26年(1893年)、アメリカ・シカゴで開かれた万国博覧会において、「万国宗教会議」という名のもとに、世界で初めて各国の宗教者が集まり、日本からも数名の宗教者が出席しました。その後、長らくこの会議は途絶えていましたが、100年後の平成5年(1993年)に同じくアメリカ・シカゴにて再度開かれることとなりました。この会議に出席した7代教主・黒住宗道(当時副教主)は、続く平成11年(1999年)の南アフリカ・ケープタウンにおける復活第2回会議に出席し、平成16年(2004年)7月スペイン・バルセロナで開かれた復活第3回万国宗教会議にも出席しました。
このバルセロナ会議に際して、7代教主・黒住宗道は開会式の5,000人もの参加者を前に、州の大統領や地元代表の挨拶に続いて宗教者としてただ一人「平和への祈り」を捧げました。なお、開期中は「『誠』の教え─神道による平和への道─ 」と題して一時間半の講演も行いました。また、7代教主・黒住宗道は、平成21年(2009年)12月オーストラリア・メルボルンでの復活4回目の会議にも招かれて出席し、講演をつとめました。
[中略]
かつてイタリア・アッシジでローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が主催して開催した「世界平和の祈り」を受けて、当時の天台座主山田恵諦師は「比叡山宗教サミット」を創設し、その第1回の集いが昭和63年(1988年)8月に京都で開催されました。6代教主・黒住宗晴(現名誉教主)は神道教団の代表として講演し、同サミット10年を記念した平成9年(1997年)の集いでは、7代教主・黒住宗道(当時副教主)が講演を行いました。なお、毎年8月初めには比叡山にて祈りの集いが持たれており、7代教主・黒住宗道が出席しており、平成12年(2000年)のこの集いでは、国連宗教サミットに出席する日本使節団の結団式も執り行われました。
[中略]
オーストラリア・シドニー市の西350キロほどのカウラという町に、かつて日本人捕虜収容所があり、現在も日本軍人の墓が丁重に祀られています。収容されていた1,000名を超える日本軍人は、ひそかに議論を重ねた結果、衆議一決して終戦一年前の昭和19年(1944年)8月5日未明に蜂起して突撃し、その日だけ230余名が戦死しました。オーストラリア側は戦死者を手厚く埋葬しました。
昭和52年(1977年)、前述の日豪親善少年少女柔道チームの交流(リンクつける)がきっかけとなり、日本からの柔道チームが渡豪するたびに本教教師が慰霊祭をつとめ、選手たちが神道山の“御神水”を一基ずつに注いでの参拝を重ねてきました。平成16年(2004年)8月5日、“カウラの突撃”から60年目のこの日、カウラ市当局の要請を受けた本教が各宗教教団に呼びかけ、前記RNNの天台宗、金光教そして浄土宗、浄土真宗、真言宗の宗教者と当地のキリスト教聖公会の聖職者、7代教主・黒住宗道(当時副教主)がそれぞれの祈りをもって慰霊祭をつとめました。平成26年(2014年)8月5日、70年目の慰霊祭が宗忠神社宮司・黒住忠親斎主により行われました。
” ※着色は引用者
日本会議 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0
(「最終更新 2023年2月21日 (火) 04:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。」)
の「代表委員」に「黒住宗晴(黒住教教主)」とある。
各界より - 日本会議
https://www.nipponkaigi.org/voice/10years/kakkai
”黒住宗晴 黒住教教主
深根の大事
今日の世の中、わが国はこのままでよいのだろうか、将来どのような国になるのだろうかと、不安とともに反省の思いを抱く人が多いのではないでしょうか。それは、太古の昔から地下水のごとく滔々と流れ来たいのちの流れと絶縁しているような人が、余りに多い故ではないかと思われます。
私どもはここ二十年近く、微々たるものではありますが、植樹につとめています。モチとかタブやカシなどの、深根あるいは直根ともいわれる樹木の生命線の切られていない実生のポット苗を植えているのですが、これらの若木の年ごとに伸びていく逞しさその瑞々しさに驚嘆しています。こういう樹木を目の当たりにしますと、人間にも深根に当たるものがあるのではないかとの思いにかられます。とりわけ、根無し草的なさらには根腐れしたような人、その言動を見るにつけてもこの思いは募ります。
過ぎたともいえる個人尊重は自己中心的な考えを増長させ、併せて同時進行のように発達した文明の利器は、人間生活の”生の実体感を希薄にしてしまいました。平均寿命は長くなりましたが、個々人の持ついのちの厚みは薄くなり続けているように思えてなりません。はるかなる先祖から培ってきた「親への孝行の心、先祖への尊崇の念」は、急速に衰えてきました。それは同時に、民族としての深根を弱めることでした。
民族としての生命力を弱体化された国の行く末は歴史が物語っていますし、いわゆる国際社会でもその生命力の弱い人物は真に国際人たりえていません。
日本会議が積み重ねられてきた十年の歩み、その果たされた役割の大きさに感服するとき、私ども一人ひとりが問題をしっかりと見据えて今後とも努めていくことの大事を改めて思います。(九月三日)
” ※着色は引用者
道ごころ - 黒住教
http://www.kurozumikyo.com/cgi-bin/michi/index.cgi?c=zoom&pk=1131608615
”道ごころ 平成14年11月号掲載
挨拶(あいさつ)二題 教主 黒住宗晴
本誌別掲の通り、十月四日には東京の帝国ホテルにおいて、副教主様の東京支庁長・大教会所所長ご就任の“黒住宗道ご挨拶のつどい”が催され、教主様は各界の有識者をはじめ、その場に集った方々に御礼の挨拶を述べられました。
また、来る十一月二十一日には第二十四回世界連邦平和促進全国宗教者東京大会が、増上寺において開催されますが、世界連邦日本宗教委員会の代表委員のお役を担われている教主様はこのほど挨拶文を寄せられました。同大会では、前国連大使の佐藤行雄氏が記念講演をされ、副教主様にはパネルディスカッションの司会をおつとめになります。(編集部)
《その一》
先ほど本人が申し上げましたように、御ひと方ひとかたにご挨拶に上がるべきところを、公私ともご多端の皆様にお運びお集まりいただきまして、この集いの開くことのできましたこと、まことに有難うございます。私ども、本来、宗教は地下水のごとくあるべしと思っている者にとりまして、まことに晴れがましい所での会になりまして恐縮していることですが、前にも話がありましたように、この帝国ホテルのある内幸町一・一番地は、かつて本教の東京出張所があった所でございます。それゆえ、ここの場をお借りしての集いを開かせいただいたわけです。
実は百四十年前の文久二年、明治維新の五年前ですが、教祖をまつるその名も宗忠神社が京都の吉田山神楽岡の地に鎮座いたしました。これは時の帝(みかど)、孝明天皇から宗忠大明神という神号を賜って創建され、しかも孝明様の仰せ出された唯一の勅願所にもなった神社でありました。今年六月、ご鎮座百四十年の祝祭を斎行したことですが、維新前夜の江戸時代最末期、蛤御門(はまぐりごもん)の変をはじめ公武合体に至るまで、まさに地下水のごとき働きがなされたようであります。
ご維新なって都が東京に移ってから、明治新政府の執った宗教政策はきびしくもまた猫の目のようにくるくる変わるもので、教祖の孫三代宗篤は、本教の公認と布教の自由を得るべくここ東京にあって前後六年にわたって運動を続けました。それは孝明天皇のご信仰をかたじけなくしたこと、さらには後に維新の元勲と称えられる三條實美(さんじょうさねとみ)公などの信仰があったからできたことでしょうが、明治九年十月、他の神道教団に先がけていわゆる別派独立を果たすことができました。宗篤は、直ちに黒住教東京出張所をこの内幸町一・一・五の地に開設したのでした。
ところで、これは私事にわたって恐縮ですが、昭和十八年五月、私は、先ほどご披露申し上げました吉備舞のひとつ「桜井の里」の正行(まさつら)役を、当時の宮家北白川家、今日のご当主は伊勢神宮の大宮司であられます、その御殿で演じさせていただきました。ご年輩の方はご存知の「青葉茂れる桜井の里のわたりの夕まぐれ……」の歌で有名な、後醍醐天皇に忠節を尽くして果てた楠木正成(まさしげ)正行父子の別れの場を舞踊化したものです。満六歳を前にした正行役の私は、なんとか無事に舞い終えたものの、子供ごころに緊張で疲れていたのでしょう、その晩泊まったこのホテルで、もちろん昔のライト設計の古い建物です、ここでオネショをしてしまいまして……。夢の中で気がついた時は、池の中でした。(笑い)今ではそんなことはないと思いますが、ベッドのクリーニング代金は五円だったようです。今の価格でいくらか分かりませんが、なかなかの大金だったらしく、父、先代の教主から“オネショする子供は多いが、一番高価なオネショをしたのはお前だろう”と冗談半分によく言われたものでした。
そういう意味でも、きょうのこの集いがこの場所で持たれたことは、私には格別の思いがあるのです。さらには、きょう十月四日は、教祖宗忠の長男、二代宗信の祥月命日の日で、今朝その年祭をつとめてここに参じたことでありました。
いたりませんが、教祖以来の精神、とりわけ二代三代の志を、時も変わり、人も変わった今日の世の中ですが、なんとか貫いてゆきたいと思っています。どうぞよろしくお力添え下さいますようお願い申し上げて御礼の挨拶といたします。
《その二》
第二十四回の世界連邦平和促進全国宗教者東京大会が、芝の増上寺において開催されるに当たり、ひとことご挨拶申し上げます。
わが国の歴史を振り返ってみても言えると思うのですが、ひとつの国が危機的な状況になった時には、よきにつけ悪しきにつけ民族意識、国家意識が強まり、急速に自国中心、閉鎖的な国風となり、しかもそれを支えるのが宗教であることは、洋の東西、古今を問わないのではないかと思われます。それどころか、国によっては、為政者(いせいしゃ)が人々のこの意識を利用して、民族、国家の統一をはかってきたのも歴史の物語るところです。
新しい世紀を迎え世界的に宗教が期待されながら、反面、危険視あるいは疎(うと)ましく思われているのも、陥(おちい)りがちなこの自己中心性、閉鎖性(へいさせい)にあるのではないでしょうか。9・11テロは、世界中の人々に甚大な衝撃を与えましたが、就中(なかんずく)、二〇〇〇年八月、“ミレニアム宗教サミット”でニューヨークに集った世界の宗教者方は、一瞬、絶望にも似たショックで言葉を失われたのではないかと拝察します。しかし、心ある宗教者は直ちに立ち上がって世界の各地で様々な集いを開催され、祈り合い語り合ってきました。一宗教者の立場から申し上げるのはおこがましいかもしれませんが、今のところ、いわゆる“文明の衝突”を避けるのに多少なりとも寄与しているのではないかと思います。
ところで、昔から「根をしめて風に従う柳かな」という警句が伝えられてきました。
今日のわが国にあっては、根をしめるどころか、根なし草的で風に流されっぱなしの生き方が蔓延(まんえん)している一方、民族、宗教に閉じこもってしまって、風に従うべき柳の枝葉を持たぬ人々のこれまた世界になんと多いことでしょうか。一見、相反するかのような根と枝葉ですが、“ナショナル”という根がしっかり根づいていて、初めて国際社会という風に順応してゆける枝葉を持つ一本の木として“インターナショナル”たりうると信じます。
「共に生きる」ために、今日の日本人宗教者に課せられた使命は実に重いものがあると認識しています。根なし草的な人々に根づいてもらうべく努めると同時に、それが「共に生きる」という、風に従う柳に育ってもらうよう努めなくてはならないのですから、責任は重大です。
不敏、微力ではありますが、私どもも不断の努力を重ねてまいりたく存じております。
” ※着色は引用者
立正佼成会ニュースサイト
2011年11月29日
「世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会」に渡邊理事長が出席
https://www.kosei-kai.or.jp/rkknews/2011/post11780/
”世界連邦日本宗教委員会(会長=田中恆清・石清水八幡宮宮司)主催の「第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会」が11月29日、『世界連邦運動の原点に立ち返って~世界の恒久平和への祈り~』をテーマに、岡山市の黒住教本部で開催されました。同委員会関係者ら約520人が参加、立正佼成会から渡邊恭位理事長、赤川惠一外務グループ次長が出席しました。
はじめに、大教殿で「世界平和の祈り」が捧(ささ)げられました。この中で、各宗教の代表者による玉串奉てんが行われ、新宗教を代表して渡邊理事長が玉串を捧げました。このあと、大会長の黒住宗晴・黒住教教主があいさつしました。
開会式では石井正弘・岡山県知事らが祝辞。引き続き、『世界連邦なくして未来なし--昨日の夢を明日の現実にしよう』と題し、世界連邦運動協会副会長で前綾部市長の四方八洲男氏が講演しました。四方氏は国際社会の平和構築に向けた世界連邦運動の基本理念、意義について語りました。
次いで、RNN(人道援助宗教NGOネットワーク)によるヒーリングコンサートが行われ、イスラームのクルアーン(コーラン)朗誦(ろうしょう)、天台宗の声明(しょうみょう)、カトリックのグレゴリア聖歌、黒住教の吉備楽など、癒やしと祈りの音色が披露されました。
閉会式では「大会宣言文」が採択された。この中で、東日本大震災の物故者追悼、被災地復興を祈るとともに、人類共生の未来へ向けた世界連邦の実現に力を尽くしていくことが宣言された。最後に、渡邊理事長が同委員会副会長として閉会のあいさつを述べた。
(2011.12.09記載)
”
追加ここまで]
お読みくださり感謝!
陰陽師ですら仏教徒! 鎌倉新「仏教」!(天台宗系。×真言宗 ×神道) 『もののけ姫』の元ネタ③=網野善彦『歴史と出会う』、『無縁・公界・楽』、『悪党と海賊』。
Posted on 2015.08.03 Mon 21:59:44 edit
陰陽師ですら仏教徒で、天皇も側近も天台宗系の仏教徒で、日本語は仏教用語だらけ!
=真の伝統。
「神社と真言宗の権力は大したことなかった」ことを無視する神道家(笑)と
「神道=隠れキリシタン用の偽伝統」に騙されるな!
神道家にとって道教と平田篤胤はアキレス腱。
神道・惟神・天皇・神器は道教用語であり、神道用語ではないので本居宣長がやろうとした漢意を排除する試み(神仏分離!)は最初から破綻していますな。
本居宣長のキリスト教と親和性が高い思想を改悪した平田篤胤の神道=和風キリスト教。
神道=和風に偽装する隠れキリシタンが名乗る宗教。
神道・惟神・天皇・神器は道教用語であり、神道用語ではないので漢意の排除は不可能。
∵一般的な日本人が考えるカミ≒仏。
子安宣邦『本居宣長』の読書メモ。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
J・ナナミ @pinkglalem
天皇が神道の神官だというデマ...どっから来たン?奈良の大仏、誰が建てたン?...ネトウヨ、もー少し勉強せぇョ。
明治政府の意向で、各地にやたらと神社を造ったら...日本は八百万の神の国になっちゃった。でも歴史を丹念に捏造するのは無理でした...神道の歴史は150年が精々...。
……
網野善彦『歴史と出会う』
(網野と宮崎駿との「もののけ姫」についての対談あり)
・十五世紀頃はみな武装している。江戸時代になっても百姓はみな腰刀を持っていた。侍の太刀とは違うが、武装はしていた。百姓は鉄砲も持っていた。
刀狩をしてもすぐ片づいたはずはない。
(つまり、兵農分離という言葉はおかしい。武士=支配層と、百姓=被支配層を区別しようとする動きとも言えますけどね)
・時代劇に見られるような、武装している侍と武装していない農民の図式は、おそらく近代になってからできたもの。このおそらく近代以降にできた武士は武装するが農民は武装しないという図式にが映画の時代劇にも強烈に影響していて、黒澤明監督の『七人の侍』は完全に絡めとられてしまっている。それには歴史家の責任は大きい。
・『七人の侍』というのは戦争に負けて帰ってきた男たちが、食糧難で買出しに行ったところで百姓たちのいろいろな態度にぶつかるとか、リアリティーがあり、あまりにも面白いので、以後、呪縛のように日本の時代劇を縛ってしまって、常に侍対農民という階級史観が固定してしまった気がする。
・武装できない百姓というのはまったく事実ではない。
百姓の中にはいろいろな生業の人がいた。博打打ちもいた。百姓は農民の意味ではない。
百姓というのはもっと広義の意味で、そこにはありとあらゆる職業を含んでいる。
百姓の中には商人や職人などいろいろな生業の人がいて、農業は、その中のひとつ。
だから、「百姓一揆」も困窮した農民が一揆を起こしたと考えるのは間違い。
自由民権運動のときでも、秩父事件では博打打ちが先頭に立っていた。田代栄助という総裁は博打打ち。
・網野「そういえば『もののけ姫』には博打打ちは出てこなかったですね。」
宮崎「いや、僕らが映画を作っていること自体が丁半博打を打ってるようなものですから(笑)。」
・士農工商はイデオロギーであり実態ではない。儒者が持ち込んだもので事実ではない。
農民が人口の八割以上を占めていたとされたが、実際は、多く見積もっても四割くらい。なのに農民一色に考えられてきたのは、明治政府が戸籍をつくるとき、士農工商で分けて、漁民も林業をしている人も、「村」の商人、職人も、「百姓」はみな「農」にしたから。
(士農工商をはっきり分けたのは明治政府=白人キリスト教の手先のせい)
・江戸時代の身分制度の基本は、武士と町人と百姓の三身分で、僧侶、神官、被差別民を含む一部の職能民はそれとは別の身分。しかしそれでは海の民や山の民の入る余地がない。
この時代、都市として認められたのはほとんどが城下町であり、かなり大きな都市も「村」だった。
大都市が都市で、都市は村、村は村。
よって奥能登の輪島も、瀬戸内海の倉敷も村なので、そこにいる商人や船持などはみな百姓、水呑になってしまう。金持ちも水呑と呼ばれたりする。土地を持てない人だけでなく、土地をもつ必要のない大商人、大廻船人も水呑になっている。
一向一揆による百姓の国の加賀国は農民王国ではない。
・室町期は完全に銭の交換経済。現銭(げんぜに)だけでなく、十四~十五世紀には手形が流通する時代になっていたので、大量の現銭輸送はあまりやらなくなる。
(現金輸送中に襲撃されるからね)
女子は養蚕をしており、絹や布はみな女性がつくって、自分で市場に売っていたので、お金は女性のものだった。江戸時代を通じてそうだった。
ただ、土地は公のものなので、田畑は名義上は男のもの。
しかし貨幣や衣類などの動産は女性の管理下にあるので、ルイス・フロイスの
「日本では夫と妻がそれぞれ財産をもっていて、妻が夫に高利で貸す」
という発言は本当だろう。女性が自分で稼いだ金をそうやすやすと夫に渡さないだろうし、利息をとってもおかしくない。
ただし、公の秩序は土地が基盤で、公文書は男と土地が主役なので、どうしても農民主義、男性主義的に解釈されてしまうので、女性や非農業民がぜんぜん見えなくなってしまう。
・万里の長城は孔子の時代には植物が生えていた(後に緑がなくなった)ように、今と昔では地形が違うのは当然。
中世まで日本列島は「水」だらけだった。今は美田といっているところは、すべて入海か湿地帯だった。新潟の美田地帯も昔は文字通り「潟」で水の風景が広がっていたし、関東平野も大阪平野も水だらけだった。茨城の内陸部の三和町はいまは水気がまったくないが、十六世紀ごろには「船戦」をやっていた。
川中島の合戦は映画とは全然違っていて、畦や穴ぼこだらけで馬が疾走できるはずがない。足の骨が折れる。それに日本では小型の馬が、甲冑をつけた侍を載せてあんな勢いはしれない。
「原」は草が生えていても見通しのきくところで、「野」は相当に背の高い草が生えているところだったのかもしれない。
日本では森はあまり登場せず、林や山が多い。山林というと山があって林があるのかというとそうではなくて、平地の林も「山」と呼ばれることがあった。関東平野にはそういう「山」が多い。
網野善彦『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』
(平凡社、1978年/増補版、1987年/平凡社ライブラリー版、1996年)
の中核を
アゴラ読書塾第10回「無縁・公界・楽」網野善彦著 〜「もののけ姫」の原作として考えてみる〜
http://renkonn.blogspot.jp/2012/03/10.html
や
無縁・公界・楽
http://kazuboma.blog29.fc2.com/blog-entry-64.html
などを参考に記しておきます。
無縁
=縁切寺とか駆込寺など、世俗との縁が無い(切れる)聖域。
京の無縁所や阿弥陀寺などは墓所であると同時に市場(縁が切れる=自由に流通できる)でもあった。
貴重な家財を無縁の寺に預けて戦火から守ったりした。
無縁の場=聖域=河原は非人の支配する葬送の地。山林は無縁の衆徒達の修行の場。
「流れたものは無縁のもの」なので漂着物(難破船等)は神社の修理材とされた。
(「水に流す」という言い回しは無縁概念から来たのかも)
公界
=主従関係や隷属関係である「私」の要素がないこと、
職人や芸能民、禅僧など=公界者。
無縁の原理が貫かれている公界で生きるには、「芸能」(職人の技術や文字通り芸)を身につけなければならなかった。
(自由でいたいなら、技術を持て!)
「女性の無縁性」を反映してか、中世前期、職人には女性が多かった。
楽
≒公界。
「楽市楽座」の「楽」。
八つの特徴
①不入権
権力の侵入不可の聖域。
②地子・諸役免除(天皇に対する貢納を除く)
※地子
=律令制で余剰公田を人民に貸しつけ収穫の何割かを税として徴収し、荘園制では田畑屋敷に課した雑税。
※供御人だった桑名衆や、戦国大名から諸役免除とされたいた鋳物師達は、朝廷への朝廷への貢納を続けているので、免除されたのは戦国大名が課すものに限定される。
また、公界と朝廷は繋がっている。
(天皇、性、893、芸能界、宗教、えた、非人、部落、差別利権……今でも密接)
③自由通行権の保証
無縁・公界を構成する人々は遍歴の人。
④平和領域・「平和」な集団
公界の人々(勧進上人・禅僧・山伏・連歌師・茶人・桂女など)はみな「平和の使者」たりうる存在。
⑤私的隷属からの「解放」
主持ちの武士は住むことができなかった。
(主従「関係」が切れる場には住めませんよね)
関係から逃げ落ちる人々が逃げ込む場であり、社会的に認められていた。
⑥貸借関係の消滅
徳政(借金のかたに取られた土地の回復や、免税)という性質があったので、平等・対等な交易が保たれ、祠堂銭の金融活動も保証された。
⑦ 連坐制の否定
縁がないので連ならない。
⑧老若の組織
年功序列の一種。所属年数、芸歴などの長さによる序列
網野善彦『悪党と海賊――日本中世の社会と政治』(法政大学出版局、1995年)
・悪党:
党:広域的で強力な中心を持た「ない」結合体。
悪:(イメージ的には「あく」ではなく「わる」)粗野で荒々しく人の力では容易く制御できない、という畏れを含む意味。
「悪左府(あくさふ)」=藤原 頼長(保元の乱で敗死)。
源義平(源義朝の長男=鎌倉悪源太(悪源太、鎌倉源太)。
猟師や猟師などの殺生、乱暴・狼藉・殺人行為、人の意志では左右できない博打やすごろく、商業や金融業(「悪僧」という語がある)、そして「穢」などが、「悪」とされた。尚、これらの行為は神仏と結びつけることで正当化され得た。
悪党の台頭の中で、政治では悪党を禁圧する路線や、積極的に結びつく路線、あるいは両者の漁夫の利を狙う路線など、さまざまな動きがあった。幕府による海賊弾圧もその一つ。
そして宗教もまた、「悪」に対すて大きく分けて二つの態度が生まれた。
悪人こそが往生し得る悪人正機の浄土真宗教祖の親鸞。
信・不信・浄・不浄・善人・悪人問わずすべての人が阿弥陀の本願により救われるとする時宗教祖の一遍。
鎌倉新興宗教の教祖らは、「悪」を救われるべき存在として積極的に肯定し、商工業者、非人、博打、遊女など女性にまで支持者を広げていった。
対して、親鸞に対する弾圧、一遍の行動についての『天狗草紙』『野守鏡』の激しい非難に見られるように、非人や河原者や女性を「穢」や「悪」として徹底的に排除しようとする、主として大寺社の動きも顕著になる。
律宗・禅宗は北条氏の権力に密着しつつ、商業、貿易、金融、建設事業などに自ら勧進上人として積極的に動き、非人に対する救済に力を尽くしつつも、むしろ大寺社の中にそれを組織的に位置づける(支配出来ぬ「悪」を支配し管理する作戦)方向に進み、日蓮は逆にこうした律宗や禅宗と結びついた権力と戦闘的に対決することで新たな道を開こうとした。
(本当に、神官、神主、神社が権力や宗教運動に出てきませんね。鎌倉新「仏教」であって神道ではありません)
後醍醐天皇
・神人公事停止令(洛中の寺社権門所属の神人の本所に係る諸公事を免除)により、寺社と神人とを切り離し、供御人化(天皇がボス)を図る。ボスを寺社から天皇(自分)にしようとした。非農業民の負担を減らし、味方につける策でもあった。悪党も無論、恩恵を受けている。
・新貨鋳造令と共に発せられた紙幣発行令に関しては、遅くとも十三世紀末以降には為替手形が流通するほどに信用経済が発展していたことを考えると、現実的な権力集中策である。
発展する商品貨幣経済を積極的に掌握しようとしつつ、寺社の利権を奪ったりし、王権の基盤を貨幣経済や商工業、金融業など「悪」(そして悪党の楠正成らや海賊)を積極的に権力に取り込む姿勢が見られる。
……
(四箇格言(しかかくげん):日蓮による他の仏教への批判(暴言)。
真言亡国(しんごんぼうこく)、
禅天魔(ぜんてんま)、
念仏無間(ねんぶつむけん)、
律国賊(りつこくぞく)の四つ。
日本版キリスト教ですかね。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
八紘一宇と仏前結婚式を作ったのが国柱会=和風キリスト教。
教祖の田中智学の名は神智学と人智学=キリスト教の変形が元ネタ。
国柱会は日蓮聖人700年遠忌記念事業でオラトリオ=カトリック製音楽を流すキリスト教仏教部です。
八紘一宇=ワンワールドの和訳。 景教は波斯経由なので密特拉の影響があると考えます。千の耳を有するミトラ=豊聡耳皇子(厩戸皇子)。ミトラを隠す為にイエスキリスト=聖徳太子説を流布。ミトラなのにキリスト教が塗り替えた例が多そうです。
猫太”八紘一宇がわんわんワールド(世界統一政府)の訳語なのですね。石原莞爾といい日本的でない終末論ですねー”
”先祖が特攻隊で死んでも天皇にしがみついてる奴って、マゾなの?欧米の支配者にはさぞいじめ甲斐があるだろうな”
八紘一宇=世界を一つにする✝
八咫烏と裏天皇論は #日ユ同祖論(聖書が根拠)・ #ユダヤ陰謀論 (バチカンの伝統)とセットだからキリスト教が黒幕だろ?
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。 クリスチャン・カバラは15世紀にピコが創始。 八咫烏の元ネタの一つの鶏を崇めたら?
バラモン教の輪廻思想は、大衆に今を我慢させつつ来世という幻に依存させ、カースト制度を認めさせる為。 支配層は自身のジャンプ的血統主義を肯定できる。
うちは一族はバラモン・仏教=輪廻側。
ナルトは拝火・キリスト教=終末論側。
がナルトにもダライ・ラマ制度的輪廻思想が適用されている。
バラモン教と拝火教は神の善悪が逆転しているが、本作は両者の和解=宗教統一というオチ。
が、主人公は終末論✝側。
輪廻思想も終末論も今を我慢させつつ、来るか不明な未来という観念で縛る幻術であり、人生を奪う詐欺。
#日ユ同祖論(聖書が根拠)も変なキリスト教的選民思想を植え付けるもの。
ピラミッドとホルスの眼は囮。インド・イランとハムサが本体。 APS製の△一つ目のデザインは当初は一つ目+インド・イランの拝火壇。△は火の象徴(片目で天照)。 プラトンはバラモン教の輪廻思想信者(想起説は前世が前提)。
西洋の根本思想=プラトン(バラモン)哲学+キリスト教(拝火)。
ナルトは少年ジャンプの集英社=WASP至上主義の聖書重視=キリスト教原理主義陣営。
小学館は『マギ』に顕著だが欧州貴族の新キリスト教(スピリチュアル、ニューエイジ、宇宙人)で万教帰一+カトリック側。
集英社は小学館からの分派で共に相賀一族支配の一ツ橋グループ。 両者の対立は演技。
相賀家は日蓮宗。日蓮宗に偽装した和風キリスト教で有名なのが創価(聖教=キリスト教)と国柱会(八紘一宇と仏前結婚式)。
国柱会教祖の田中智學が日蓮宗に入り智学と称したのが1871年。
1875年に神智学協会が設立。
神智学=インド的新キリスト教。
智学の元ネタが神智学ではなさそう。
欧州貴族陣営の特徴は同性愛容認。 表向きはキリスト教で禁止して、同性愛をタブー=利権化。禁酒法。
“それに、きみは同時に、わたしが美少年にはからきし弱いということに、どうやら気づいたようだね。そのようなわけで、わたしはきみの気を引くようにして、答えてあげよう。”プラトン『メノン』
輪廻。
”魂は不死であり、すでに何度も生まれてきており(…)魂が学び知っていないことは何もないのだ。したがって、徳(アレテー)についても他のさまざまなことについても、なにしろ魂が『以前にもう』知っていたことなので、魂がこれらを想起できることには何の不思議もない”プラトン『メノン』
菊池 @kikuchi_8
日本書紀から八紘一宇の成句を造語したのは戦前の日蓮主義者でありますが、日蓮主義者による主張、全世界の法華経化は多様性と寛容さを旨とする日本的な理想とは程遠いと思います。むしろワンワールド思想に近いと思います。
戦前の右翼陣営に影響をもった一神教的な宗教として、大本教と並び立つのが日蓮主義だと思うが、法華系仏教の「久遠の本仏」という超越的実体的な仏の概念が根底で日蓮主義の一神教的な排他性を規定しているように思う。
推測に過ぎないが法華経の救済者像は中東のメシア思想の影響を感じる。もしそうだとすると、近代における産物である擬似神道より根は深い。愛宕先生は戦時 中に「狂信日蓮宗の徒」と書いておられた。日蓮主義者の石原莞爾の「世界最終戦論」もハルマゲドンと救済の予言の日蓮版という感じがする。
猷太基督教版であろうと、大本版であろうと、日蓮版であろうと、スピリチュアル版であろうと、オウム版であろうと、「最終戦争からの世界統一」という終末思想は、すべて同じアナのムジナ、世を不安に落としいれ、秩序破壊に利用される害悪思想だと断じるものである。
@lanekota 日本仏教の中でもっとも一神教的なのは日蓮系だと思います。出口の師匠の大石凝真素美は法華経からヒントを得てメシアニズムを唱えたようです。大本教におけるメシアニズムの起源は法華経の弥勒信仰から来ていると考えています。彼ら「ミロクの世」と申しますね。
近代日本のカルト宗教の二大源泉は平田派神学と日蓮主義。神道系カルトは前者から発祥し、仏教系カルトの多くが後者に発祥する。真言立川流も源泉の一つと 考えるようになった。真如苑の教祖は立川流の祖仁寛と同じ醍醐寺の僧侶出身である。平田神道系、日蓮系と並び密教系のカルトも多い。
日蓮思想とキリスト教の類似点
①末法思想という終末思想が前提
②法華経の教え以外の全面禁止の要求(排他性)
③久遠本仏という実体的な超越者の崇拝
④上行 菩薩というメシア待望論
➄宗派によっては日蓮が本仏とされ、ゴッド=イエス思想と類似。
●平田派の系譜の神道系カルトと並び日蓮系カルト多し。
日本近代カルトは平田派、日蓮思想、キリスト教、神智学。大体この四つの源泉あり。
平田派→大本教、
日蓮思想→創価、
キリスト教→統一協会、
神智学→幸福 の科学。
現代日本で幅を利かせている四大カルトはいずれも上記の源泉を持つ。前一つが反米派、後ろ三つが親米派に影響力大。この両建構造。
「八紘一宇」とは国柱会創設者で日蓮主義者の田中智学の造語。意味は全世界を法華経に帰依させるワンワールドである。日本書紀には「掩八紘而為宇」とある ので「八紘為宇」が正しい。それを敢えて「一宇」にしている意味。「各々所を得る」多元的共生と一元的ワンワールドどちらが日本の伝統的理想か。
宗教各派を陰謀論的に分類①左翼しか批判しない神道政治連盟などの所謂国家神道系+カトリック+統一協会
②カトリックと伝統宗教を批判するプロテスタント 系
③米国は批判するが欧州系は批判しない大本教などの在野神道系カルト
④日蓮の四箇格言よろしく他宗派は叩くが日蓮はスルーな日蓮系(創価含む)
菊池 @kikuchi_8 2012年8月25日
その証拠に日蓮系では、般若心経など空の思想を説く、般若経典が読まれない。空の思想の軽視は、必然的に、「本仏」等の実体化へとつながり、排他独善的な一神教類似の傾向を帯びてくるのではないか。
……
北朝系天皇・北条幕府・天台宗系の農本主義的政策+海賊弾圧路線
と対立した南朝の後醍醐天皇は天台宗ではなく、真言宗の坊さんらと結びつきました。
多数派に冷や飯を食わされている少数派や異端派をとりこむのは当然。
・満済
……真言宗の僧侶で醍醐寺のボス。南北朝を合一した足利義満の養子。
室町幕府の最高顧問。黒衣の宰相。藤原師冬の子ども。南朝要素と北朝要素が混ざった人。
・徳川家の菩提寺は天台宗と浄土宗。浄土宗の開祖の法然は比叡山出身だから、浄土宗は天台宗の一派。要は、北朝天皇と結びついた徳川家も天台宗が正統であり、真言宗ではありません。
徳川のブレーンの天海は天台宗の僧侶ですし。
そもそも、鎌倉新仏教は比叡山で学んだ教祖だらけなので、真言宗ではなく天台宗系が主流です。
後醍醐天皇が北朝の天台宗勢力に対抗するために真言宗系と結びついた理由がよくわかります。
真言宗は仏教国教時代の主役にはなれませんでした。
天皇家の菩提寺である泉涌寺ももともとは真言宗ではありませんでした。
明治維新でキリスト教の植民地になるまでは、神道と神社なんて歴史の主役になったことはありません。
・13世紀の後半から、天皇が即位の時に、密教の灌頂の儀式を行う、【即位灌頂】という儀式をやっていました。
当然、神社も神官も絡んでいません。
神仏習合は仏が上であり、他の神々は仏より格下だという思想が基盤。仏と神々は対等ではありません。仏教が国教なのだから、仏教上位が当然。
仏教優位をなくすために、キリスト教と隠れキリシタン=神道勢力は神仏分離令(正式には神仏判然令)と廃仏毀釈を実行しました。
彼らの思想の根幹は、平田篤胤=キリスト教徒らの復古神道。
仏教に代わって国教になった国家神道はキリスト教を日本的に変形したもの。
大日本帝国憲法でもわかるように、神聖にして侵すべからざる現人神=天皇。
なお、欧米では神聖にして侵すべからざる現人神とは、神人イエス・キリスト。
神仏分離令により、本地垂迹説(仏>他の宗教)にもとづく神仏習合(神は格下)を否定し、
八百万の神々>仏の反本地垂迹説(神本仏迹説。神国思想)を採用しました。
反本地垂迹説を作ったのは、南朝崇拝施設である伊勢神宮の神官。
伊勢神宮を天皇が参拝したのは明治天皇がはじめてであり、北朝系天皇が伊勢神宮を参拝したことはありません。
伊勢神道(度会神道)の基盤を作った度会氏は、仏教を採用した北朝系天皇からすれば反逆者ですから参拝しなかったのです。
・祇園さんと呼ばれたりする八坂神社は、江戸時代までは祗園神社や祇園社や祇園感神院と呼ばれていましたが、慶応4年(1868年)の神仏分離令により、仏教用語の祗園をなくした名前になりました。
神仏分離令以前の主に祀られていたのは、牛頭天王(ごずてんのう。仏教由来の神)・頗梨采女 (はりさいにょ・ばりうねめ。牛頭天王の妃)・八王子権現(はちおうじごんげん。牛頭天王の子どもたち)。
現在は主に祀られているのは素戔嗚尊 (すさのおのみこと)・櫛稲田姫命 (くしなだひめのみこと。素戔嗚尊の妻)・八柱御子神 (やはしらのみこがみ)と、見事に『古事記』『日本書紀』的になっていて、いかにも明治以前からも神社ですよ仏教より格下とされていたなんてありませんよとおすまし顔です。
・権現は仏は神より格が上(八百万の神々の本当の姿は仏だとする本字垂迹説)だということを前提とする仏教用語であり、明治以前は仏教は他の宗教より上だというのが支配者の思想だということをお忘れなく。
・祗園は仏教用語であり、ジェータ(Jata、祇陀)太子の所有する園林 (vana)の略語。ZIONユダヤ同祖論という白人キリスト教徒が流させた侵略のための理論に騙されてはいけません。
つまり八坂神社は実質的に寺でした。「神社として」古代より天皇の崇敬を集め云々は嘘で。「寺として」なら古代より天皇の崇敬を集めていた、なら正しい。明治になって仏教を排除して作りなおしただけなのでせいぜい近代から。仏教の伝統を横取りしたのです。
・石清水八幡宮ももともとは寺。幕末までは神仏習合の宮寺で石清水八幡宮護国寺でした。そもそも祀っていたのが八幡大菩薩。八幡大「菩薩」を祀る宗教施設は寺です。
・勝共工作員が多数いるニコニコ動画で「陰陽師」が盛り上がりましたが、陰陽師は仏教徒です。陰陽道は技術であり宗教ではありません。
・紫衣が高僧の衣服なのは道教が紫を高貴だとしているからです。儒教では紫は卑しい色。日本の大乗仏教は道教の方を採用したのです。
支配の実務や大学での勉強内容は儒教というか漢文中心ですけどね。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 11月11日
キリスト教の植民地になるまでは、 北朝の天皇側は天台宗系が主流。 南朝の後醍醐天皇側は真言立川流。 寺が神社を支配。 空海≠弘法大師。 弘法大師=仏法を広めた高徳の僧=複数いる。 凄い人の集合体で別人の功績を含んでいると結論。
神社と天皇を結びつける人に「天皇は北朝の天台宗の仏教徒で、キリスト教に負けて南朝の真言宗と神道=和風キリスト教(神社=和風教会)のバチカン製偽天皇になった。仏教国教時代は神社は寺に支配された単なる祭壇で権力がないので天皇の側近に神主はいなかった」と言うと無視される!天皇偽装問題!
神話・歴史辞典 @campur_bot
東叡山寛永寺《日本》天海の開基。江戸城の鬼門にあたる上野の山に京都の比叡山に匹敵する構造を備えた。徳川家の将軍を葬る菩提寺と繁栄を祈る祈願寺としての性格を合わせ持ち、実質的に天台宗の総本山として幕府の権威をバックに強大な勢力を築いた。最盛期には30万坪以上の土地を所有。
歴史の雑談集 @futsalkingu 7月30日
371年前の今日、南光坊天海が亡くなったとされています。天台宗の大師様なので「入滅」ですね。徳川家康の側近・参謀として有名ですが、そもそも仕え始めた時期や理由はよく分かっていません。秀忠、家光にも仕え、天台関東総本山である寛永寺の創立など江戸の都市計画も行なったとされています。
京都・京都検定・指原・物理 @morikaz2001 7月8日
比叡山⑤ 天台教学は八宗兼学といわれ、鎌倉新仏教と称される禅宗・日蓮宗・浄土宗などは、全て延暦寺に端を発する。 国宝・根本中堂は寛永19(1642)年の落慶で、東塔にあって全山の総本山、正面をコの字に取り囲む回廊も重要文化財。
植田真理子 @marikobabel 2012年3月30日
日本では天台宗は最澄が輸入したわけだが、鎌倉新仏教の開祖のほとんどは比叡山で勉強している。天台宗が「総合病院」だったのでいろいろな思想を生み出す源流となったのだ。空海の真言宗、高野山からはこのような流れは出てこない。
ふひとb @jiengukanshou 2013年9月6日
栄西、道元、法然、親鸞、日蓮、一遍… 鎌倉新仏教開祖で、比叡山で修行などしなかったのは一遍だけやってんね。
映画・陰陽師その他の陰陽道指導◇高橋圭也 @KeiyaTakahashi 2012年10月10日
私の実家は真言宗だが、子どもの頃は浄土宗の檀家だった。後に父の代から真言宗になり、それ以降、私も密教の世界と縁が出来、10数年前から天台宗の僧侶の方とも縁が出来た。また中目黒の祐天寺開山・祐天上人の事績を調べ、さらに陰陽道の土御門安倍家の菩提寺が浄土宗なので非常に親近感を持った。
takuhiro (kinosy,歴担) @Kino_see 2013年7月27日
土御門家は浄土宗西山派(現・西山浄土宗)の檀信徒になります。お墓は仏式、葬式も仏式です。土御門神道になっても仏式・神式両方で行っていたようです。いずれにせよ、陰陽師が自費で自分の為のお寺を建てた記録もありますし、結局陰陽師は仏教徒なんですわ。 #陰陽道
……
御嶽山、浅間山、富士山関連の団体の動向をウォッチして下さい情報求む
大本教系も御嶽山とゆかりあり。
『密教の本』『真言密教の本』。
明治まで実在しなかった金剛峯寺。青厳寺。興山寺。
後醍醐天皇の南朝正統宗教は真言立川流=セックスカルト。醍醐寺はカルトメーカー。
のりぴーの真如苑。
卍教団(ナチスと紅卍字会=大本教系ですか)。
皇室と関係ありの解脱会。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-39.html
“金剛峯寺自体が明治以降に誕生した。
皆さん東寺と根来寺という本当の本山にいこう。
高野山の歴史まとめ
※高野山=真言宗の山(金剛峯寺)は大ウソ! 浄土信仰の山であって、真言密教の本部ではなく、臨済宗や天台宗、浄土教系の山でしたが、明治になって突然ずっと真言宗の山だったということになりました。
弘仁7年(816年)、高野山を賜った空海(のモデル)。
翌年から伽藍の建立に取りかかったが完成した堂宇はごくわずかで当時の建築物は現存していない。
空海の甥でもあった真然が約20年をかけて根本大塔などの伽藍を整備。
京都の東寺との確執もあり、
正暦5年(994年)には落雷による火災のため、ほとんどの建物を失い、僧はみな下山(真言宗の山ではなくなる)。
荒廃した高野山の真言宗の施設は、
長和5年(1016年)頃から、真言僧侶の定誉によって再興。
なお、高野山がこの世の浄土(弥勒浄土)である、という大衆向けの浄土信仰があった。真言密教の山ではないから、
治安3年(1023年)には藤原道長が参詣。平安末期には白河上皇、鳥羽上皇が相次いで参詣するなど、高野山は現世の浄土としての信仰を集めて栄え、寺領も増加した。
大治5年(1130年)、覚鑁が高野山内に一堂を建て、伝法院と称した(根来寺の起源。なんと高野山内ですよ。根来寺が総本山じゃないか)。
鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、荘園を寄進するなど手厚く保護。
2年後の長承元年(1132年)、覚鑁は鳥羽上皇の院宣を得て、高野山に大伝法院と密厳院(みつごんいん)を建立。
さらに2年後の長承3年(1134年)、覚鑁は金剛峯寺(具体的寺ではなく抽象的総称)座主に就任し、高野山全体を統轄(修験道とか天台宗系もあると思うんだが)する強大な勢力をもつ。
覚鑁は空海の教義を復興しようと努めたが、高野山内の衆徒はこれに反発。
保延6年(1140年)には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされる(実質総本山が焼かれて高野山にはなくなりました)。
覚鑁一門は高野山を下りて、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移す。さらに新たに円明寺を建て伝法会道場とする。豊福寺・円明寺を中心として院家が建てられ、一山総称としての根来寺が形成される(総称ってことは、「国」や「ユダヤ」みたいに実物はないってこと)。
覚鑁は3年後の康治2年(1143年)、円明寺で没する。
源平の騒乱期には、
(1156年保元の乱から1192年源頼朝が征夷大将軍となるあたり。
狭くとるなら、治承・寿永の乱=1180年から1185年)
高野山で出家する貴族や武士(北朝正統は天台宗で武士は禅が好き)が目立つようになった。彼らは高野山に草庵を建てて住み、仏道に励んだ。
建暦元年(1211年)に、北条政子が亡夫源頼朝のために建てた禅定院(後の金剛三昧院。臨済宗。開山供養に栄西も招くほど)のように、有力者による寺院建立もあり、最盛期には高野山に2,000もの堂舎が立ち並んだが、真言密教は少数派であることに注意。
意識しないといけないのは、高野山は高野山を弥勒浄土や阿弥陀浄土とする一般民衆の信仰を集めていたことと、高野聖という(中世に)高野山を本拠とした遊行者がいたこと。当然、高野聖の教えは真言宗よりは浄土教に近いもの。
覚鑁上人の入滅後、大伝法院衆徒の一部は高野山に戻ったのだが主流ではなかった。
その後、正応元年(1288)頼瑜(らいゆ)僧正が高野山から大伝法院の僧侶を率いて根来に移る。
1486年、京都の東寺が火災で主要堂塔のほとんどを失う(豊臣と徳川の援助で再建)。
天正13年(1585年)、十六世紀に豊臣秀吉による紀州根来衆弾圧で根来寺消失(真言宗滅亡寸前)。
1590年(天正18年)に木食応其が興山寺を建立。
1593年(文禄2年)に豊臣秀吉が母・大政所の追善菩提のために高野山に青厳寺(寺号を剃髪寺)を建立。
ここまでで、根来寺→ほぼ滅亡(後に紀州徳川家が復興に協力)。
高野山→真言密教以外の信仰の山。
東寺→殆ど消失(後に豊臣と徳川が復興に協力)。
具体的寺としての金剛峯寺→そもそもない。
大覚寺(大覚寺統=南朝)を真言宗の本拠地にしたら、真言宗は完全に南朝側になったから謀反を企てているとされて恰好の餌食になってしまう。
醍醐寺→応仁の乱で焼失→豊臣秀吉のおかげで復興(仇敵なのに逆らえない)。
※醍醐寺復興の契機となる豊臣秀吉による「醍醐の花見」は1598年。
1593年の青厳寺建立より後。
醍醐寺は修験道も盛ん。北朝(天台宗)と結びついた秀吉が真言勢力を抑える意味でも、醍醐寺の修験道陣営を支援したと思われる(真言宗=南朝だから、その牽制)。
高野山=金剛峯寺も、真言宗があまりにも衰退していたので成立しない。
ぎりぎりですな。天台宗で例えるなら、比叡山延暦寺消滅して、また比叡山で復興しようとしたらまた焼かれて、移転した本部(的な寺)を焼かれて、移転した本部を焼いた敵に元いた山に別の寺を建てられて、宗全体の復興にその怨敵の援助が必要だったってこと。酷いなあ。
冷や飯を食わされていた真言宗にキリスト教がやってきて、明治維新という白人傀儡政権誕生のための革命に協力させるわけですね。真言宗はキリスト教に頭が上がりませんなあ!
キリスト教に総本山を高野山にでっちあげてもらってさぞ嬉しいでしょうね!
隠蔽が雑だけどね!
1869年(明治2年)、青厳寺と興山寺を合併して、寺号を金剛峯寺とする。
合併以前は、寺号の金剛峯寺は高野山全体を指す名称だったことにして、金剛峯寺は実在しなかったし高野山は密教の山ではなかったことを隠しつつ、いかにもずっと真言宗の山だったかのように伝統を捏造し今に至る。最悪の敵である秀吉の寺を利用しないといけないほどに衰退していた。”
村手 さとし @mkmogura 2014年1月3日
神社格付けランキング。
3 どう考えても寺である。日光東照宮、鶴岡天満宮、下鴨
2 実はキリスト教とやたら親しい。つまり、神神うるさい。亀岡の出雲など。
1 もともと仏教な天皇が参拝したことはないのに、なんか天皇の神社みたいになっている。伊勢、他官国幣社多数。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
@mkmogura 泉涌寺が天皇家の菩提寺 ×神社
神仏習合=仏教化による神社支配(寺>神社)
鰐淵寺(出雲大社を管理)
石清水八幡宮護国寺
祗園社(祗園は仏教用語)
伊勢大神宮寺
弥勒寺(八幡大菩薩宇佐宮の宮寺)
鶴岡八幡宮寺(八幡は菩薩=仏教)
愛染寺(伏見稲荷大社を管理)
@mkmogura 天皇が信仰した思想体系がある伝統宗教=神道は明治期の #キリスト教 の捏造。
輪王寺:日光東照宮=寺の一部。天台宗の門跡寺院
寛永寺:徳川家菩提寺。天台宗
増上寺:徳川家菩提寺。浄土宗
仏教用語と仏像だらけの歴史。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
@mkmogura 初詣はキリスト教製の偽伝統。初詣の初出は明治18年。
キリスト教のおかげで真言宗は再興できた。金剛峯寺の建立は明治以降。
神社(和風教会)は神道=和風キリスト教の施設。
✝の手先に金が集まるのが全国初詣客数ランキングでわかる。
平和を願い戦争屋に金を送る大衆。
琢 @777Taku7 12月22日
@mkmogura @kitsuchitsuchi 日光東照宮・世良田東照宮・仙波東照宮・上野東照宮は徳川家縁の寺の近くに在る事からも解かるように、東照宮は元々独立した神社ではなく、寺の境内社でした。
菊池 @kikuchi_8 2014年8月2日
28)徳川家康は浄土宗を信仰して幡随意白道上人に帰依し、天台宗の高僧天海僧正をブレーンとし、儒学者林羅山を起用して朱子学を奨励、死後は東照宮に祭られる。金地院数伝という臨済僧に宗教政策を立案させ、一度己に反抗した元一向宗徒の本多正信を謀臣に。沢庵禅師の弟子柳生宗矩を剣術指南役に。)
J・ナナミ @pinkglalem 8月31日
思うンですけど...邪馬台国幻想って...大本教が仕掛けた罠でしょう?
@pinkglalem 大本教というのは、出口なおという気の触れた婆さんを霊媒の仕立てた出口王仁三郎(なおの養子になった)というペテン師が作ったカルトなんですけど...卑弥呼は、この出口なおをモデルとしてるみたいなんです。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 9月1日
@pinkglalem 「邪」馬台国論争は当時の発音を無視した茶番。鬼道(道教用語)の「卑」弥呼や倭のように隣国を馬鹿にする国が金印を贈るコメディが古代史(笑)。神道(道教用語)を神道カルト(和風耶蘇教)にすり替えた偽天皇+大本+紅卍勢力が卑弥呼は凄い神道家(笑)だぞデマを喧伝。
トリカ @trica1111 7月17日
ドイツに来て4カ月弱。はやい。
とりあえずこちらはラブホテルがないので青カンが基本です
ドイツには告白という文化がないので「好きになる→告白→交際→キスやセックス」という順番じゃなくて「好きかもって思う→キスやセックスして恋人としていけるかジャッジする→告白→恋人同士」ていう順序がデフォ。まじで。
だからドイツのドラマでは「週2でセックスしてるのになかなか恋人になれない…それにカレってば私の他にも相手がいるみたい…」「もうあなたから告白した ら?」「でも私、マーティンともセックスしてて彼もすっごくイイの!どっちかはまだ選べないわ!」みたいな葛藤シーンめっちゃある
あと合コンとか飲み会の文化がないから、出会いのメインってパーティかクラブなので、初対面で惹かれあってとりあえずセックスセックス!!みたいなときは青カンするしかない だからみんなめっちゃゴムもってる カバンの中には財布と携帯とゴムとガム
…ていうのだけで日本人の感覚からすると「マジか…」って思ってしまうのだけど、ドイツ人は「イタリア人とかフランス人のほうが節操ないしブラジル人のセックスが一番やばいよ!!ドイツは節度あるセックスしてる!」って言ってるからリオデジャネイロまじこわい
るっか和尚 @lucca0show 7月24日
スウェーデンかどっかも結婚するまでに事実上の同棲生活送った上で何年かしてから結婚するらしいし欧米では普通なんちゃう?というか日本だって寝てから付き合うやついるしすげー不思議ってほどでもない。 / “ドイツでは告白の前にキスやエッチ…” http://htn.to/4Vd6VU
卑弥呼さんはエッチな子【20090604】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/06/04/230
“箸墓古墳が卑弥呼の墓かどうか、とかで盛り上がっていたのだ。
この箸墓古墳というのは、、仁徳天皇陵古墳と同じように、宮内庁が調査を禁止していたりするわけ。
そもそも、この箸墓古墳を含めて、前方後円墳は高句麗が源流だとも言われている。
ここらへんを、隠すために朝鮮半島では、韓国政府が前方後円墳を消滅させて隠蔽してるとか何とか・・・。(新羅族の話ね。)
日本の前方後円墳は、5~6世紀頃に作られたのがメインであり、それが高句麗系の影響を受けていることは、歴史上でも既に認められている。
そもそも高麗(こうくり)=Koreaの語源でもあり、大昔の支配国で、海で区切られたとしてても、日本に一番影響を与えた国であることは間違いない。中国の出張所だが・・・。
そして、その高句麗からの白村江の戦いの移民が、皇室と結びつき、長野や新潟を中心にいることは、結構知られている話だ。
ここらへんは、左翼系陰謀論者、GLAの系譜の中丸薫の本にも少し書いてあって、自分も過去記事で少し書いてあったりする。
これを踏まえると、前方後円墳自体が、高句麗の文化であった可能性が高いということである。
この高句麗と前方後円墳の話は、少し前に書いた、騎馬民族あたりの話ともリンクしたお話らしい。
ま、北朝の古墳調査を、明治以降のすり替えられた南朝族、宮内庁が許すはずはないというだけの話。
この炭素年代調査も、古墳に隣接する住宅地から、提供されてもらったもんで調査したわけです。宮内庁の協力は一切なし。
ただ、卑弥呼の話は250年ごろであって、3世紀末から4世紀であり、日本の前方後円墳は5~7世紀が多いので、俺は時代的に少しずれてるんではないか?と思うわけだが。
そもそも、卑弥呼=日巫女 or 火巫女 であろうと俺は思っている。
そそ、単なる役職の名前だと思うのだ。
具体的に、こう説明する人も↓
299 :名無しさん@3周年:2009/05/29(金) 17:20:10 ID:8xcKjj7c
卑弥呼=日巫女
個人名じゃなくて女性シャーマンの役職名という説が有力
邪馬台国=大和国
大和の大は独立主権国家を表すから本来なら国はいらない
例えば秦の正式名称は大秦という
劉備と諸葛亮の蜀漢は当時は前漢・後漢と同じく大漢を自称していた
卑弥呼の時代は大魏・大呉・大漢・大晋
そもそも、卑弥呼は、日本の漢字の先生=当時の中国の当て字である。
ここで、ひとつ意識して欲しい言葉が「尊皇攘夷」である。
「王を敬い、夷(えびす)を討て」という言葉だ。
いまだに世界経済がクシャミをするとナショナリズムを高揚させて、国を治める馬鹿どもがいることぐらいはわかるだろう。
当時の、卑弥呼の時代もそうである。
「隣国とは仲が悪い」の基盤は、日本での反中や嫌韓の工作や中国、韓国の反日工作を例に出さなくても、昔も今も変わらないのである。
話が脱線したかのように思えるが、ずれていないぞ。
隣国を「素晴らしい国」と褒め称えたら、自国に不協和音が響いてしまうのだ。
隣にある国のほうが素晴らしいけど、年貢治めてくださいで、国が収まるはずはないのだ。
それと同じで、「卑弥呼」=「いやしいメス豚」という当て字だと考えればいい。
卑弥呼の「卑」=「いやしい」は、当時の中国が、「隣の芝生が青く見えないように」、侮辱した名前の当て字をわざとやったのである。
それが、当時の日本と中国の関係である。
これと同じことで、「モンゴル=蒙古」は、「馬鹿で古臭い」という意味の当て字である。
ま、そういうわけで、少し時代は、ずれこむが中国から日本が「金印」を送られたなんて話は、嘘っぱちである。
福岡で百姓が発見したとされる、後漢の光武帝が57年(卑弥呼の200年程前)に和国である日本に送られたとする金印の話のことである。
(漢委奴國王印文漢委奴国王印)
民を治めるライバル国であり、隣国を誉めるという行為が歴史の原則として存在しないのにもかかわらず、境界線がはっきりしてなかった、この時代に、白紙委任の契約書ともいえる「金印」を、中国という大国が、見たこともない島国で小国の当時の日本に送ったという話を信じたい人は、信じてもいいと思うが・・・・。
ハァハァ。一気に言うと疲れるぜ。
どう考えても~、ありえないわけで。
つまり、日本の歴史は、かなり「埋めちゃって見つけた=あの人」が、いっぱいいるわけである。
おっと、話がずれた。
って、この金印の話も、卑弥呼=九州説とリンクしてるのは、すぐわかるだろう。
(…)
一般大衆には、卑弥呼というのが「イヤしい」という文字で書かれてることぐらいは、なぜなのかを知って欲しいと思うわけだ。
つまり、この当て字の話では、中国はSで、日本はMである。ぉぃ!!!!
どの国だって、システムの上のほう、つまり治める奴はSになるということ。
自尊心ホルホルで猿山のボスをやらなきゃならないということだ。。
中国が「日本は卑しい女が治めてた、愚かな国だ」みたいな話に対して、「中国が膝まづいて足をなめた」みたいな話が、この日本の作った金印の話=自国民にSだと言い張る=中国より偉かったんだぞ!みたいな話である。”
符合するもの【20090704】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/07/04/252
“符合するもの
自分は、何度も「まず、疑いなさい。俺も含めて」と言ってきたわけだ。
さて、いろいろゴチャゴチャ説明してきた。
俺の書いてる情報なんぞ、表面の一部でしかない。もちろん、俺が考えてること知ってることの一部って意味ね。
だから、探せば、俺が言わなかったこととかがコロコロ出てくるし。
そういうとこを読者が拾って考えてくれればと思っている。
例えば「卑弥呼は、いやしい子」と中国が馬鹿にしただろうと、夷を討つとか、ナショナリズムに通じる考え方を含めて説明した。
本当かどうか?まず疑って欲しい。
そうすれば「邪馬台国」という「よこしまな国」という、軽蔑も符合することがわかる。以前は言わなかったが。
それでも「金印をくれたかもしれないでしょ?」という、お花畑的考えも「ありえない話」ではないし、それはそれで、一つの考え方だと思っている。
もちろん、俺は「ありえない」という意見なわけだが。
(…)
イルミナティ教を帰一教と考えると、エキュメニズム(教会合同運動)も、符合するように感じるだろう。
で、マリア信仰=イシスで、両性具有のキリスト(完全なる一神教)を作り直しとなり、そのイルミナティ教の起源として、イシス+オシリス=ホルス(ラーやガイアっぽい両性具有、父母神)。
以前、完全なる神=「一神教」で説明したから、「キリスト=男性=不完全」は、おかしいと思うだろうし、グノーシスという女性上位の価値観で、こういう焼き直しが不完全なラーや大地のガイアであるだろうとは、予想できたし、それがヘルメス学として、できててもおかしくないでしょ?ってこと。
この父母子の三位一体があるなら、三位一体に関係ないマリア信仰自体も納得できるし、スウェーデンボルグの幽体離脱とかが、キリスト教ではない物になり、スピリチュアルやニューエイジを形成したこと、そして以下の事とも、なんとなく糸と意図が見えてくる。
マリア崇拝とファチマである。
ファチマはポルトガルの中西部の町の名前で、1917年にマリアが降臨したとする、マリア信仰の聖地みたいなもんである。
イベリア半島のスファラディとエジプト学派的な繋がりを感じるが、さらに面白いのは、このファチマという地名である。
この地名と同じ「ファチマ朝」というのがある。
10世紀初めから12世紀にかけて、エジプトを中心とした、北アフリカからシリアまでを支配したイスラム王朝の名前が「ファーチマ」なのである。
このファチマという単語は、イスラム教の開祖マホメットの娘の名前なんだよね。
そして進化セム系宗教ともいえるイスラム教のコーランでは、聖母崇拝は認めているわけです。ユダヤ教と同じでキリストは預言者と認めていないが。
預言者でもなんでもないのに、その母親は崇めるという不思議な話だが。
うむ、エジプト学派の脈流をビンビンと感じるわけです。
このイスラムの開祖の娘の名前の町で、聖母(両性具有のキリスト?)が現れる。
ま、宗教を統一する活動、帰一教そのものなんだな。ボルグの実況中継と同じく、仕込みはJYOJYO ↑ である。
アラヤダ。イルミナティ教。
そういえば、以前、壁にマリアが現れたみたいなこと、TVでやってたな。
ヤレヤレである。
さて、さらに符合するのは、「新エルサレム教会」についてである。
この「今のエルサレムではなく、新しいエルサレムを別の場所でいいから作る」という思想があるのを理解できてれば、現在のイスラエルの流れが説明できる。
1917年の「イスラエルを作りなよ」とロスチャイルド=英国がお金を出していること(160万ポンド)。
なのに、ホロコーストという「アシュケナジーユダヤ追い出し工作」をやった後の1947年、実際の建国段階では「英国は反対になっている」ということ。
これが、新エルサレムを作る思想で、「新しく作るのは賛成」だけど、「現存のエルサレムで問題を複雑化するのには反対」だったら、納得できる話なわけである。
さらにいうなら、発端のイギリスの3枚舌外交といわれるものも、新エルサレム教会というスウェーデンボルグの作った思想、イルミナティ教の柱によるものだとしたら、納得ができるわけです。
(…)
さて、イルミナティ教=帰一教であり、フリーメーソンの教義=ミトラ教の復興であり、さらにエジプト回帰であると説明しました。
すべて同じ物だと。
今なら、天皇のロザリオの疑問、「日本をカトリック化したかったという単純な理由は存在しないだろう」という疑問も核心を持って返答できます。
帰一教に近い日本では、フィリピンや、他の国のようにカトリック→イルミナティ教という経過を踏まずに、そのまま宗教統一できるだろうと考えたから。
だから、日本のカトリックの聖地、長崎に原爆が落ちたのだと。
それは、「クウェーカー教徒=スコティッシュメーソン生まれのイルミナティ教」の動きでもわかるし、現在のスピリチュアルブームも根っ子は同じであるということ。
何より、陰謀論の世界でさえ、ニューエイジというものに侵食されてしまっているわけで。
ま、これも一つの見方でしかないわけですけどね~。
そういうわけで、ちゃんと疑って、ちゃんと自分で組み立てて壊してみてください。”
(ファチマ=ファーティマ朝は、シーア派であることが重要。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
イスマーイール派はファーティマ朝の国教。定規とコンパスなしの一つ目だけだとファーティマの手かも。20世紀少年の“ともだち”の象徴はファーティマの手。エジプト「だけ強調」はユダヤと同様陽動作戦。
一つ目がホルスの目とは限らない。ハムサ(ファーティマの手。20世紀少年の“ともだち”のマーク)という中東の一つ目のお守りがある。
20世紀少年は、バチカン=善、
メーソン=悪(ファーティマは特にシーア派で重要)というバチカン擁護の作品。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%82%B5 …
“ともだち”のマーク=ファーティマの手を考えた「目玉のオッチョ」は僧侶の姿をしてチベットに向かうところをインドにて目撃されている。
インド神話の太陽神ミトラ=友愛の守護神=太陽の塔+メーソン。
長崎尚志=江戸川啓視(エドガー・ケイシー)=東周斎雅楽(イリヤッド)。
マグノシュタットの象徴の一つ目はファーティマの手(20世紀少年のともだち)。
メーソンの象徴は直角定規+コンパス。
ババリアのイルミナティの象徴は梟(×一つ目)。
ねこた”イスマーイール派はイスラームのイルミナティですね。モガメットとホメイニはそっくり。どちらもプラトニスト”
ルターがボウリングに関わった。
英米系メーソンはプロテスタント海賊(聖書絶対)。
ボウリング陣営が主人公側の20世紀少年は教皇=善なので
主人公側(旧教と新教の宗教統一反対派)が
科学重視の百科全書派
(“ともだち”=ファーティマの手
+旧教と新教の宗教統一推進派)を悪と叩く話。
)
長い記事をお読み下さり心底感謝します!
あなたも観音様から産まれた。『もののけ姫』の元ネタ②。網野善彦『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』。宮本常一『忘れられた日本人』
Posted on 2015.08.01 Sat 18:08:40 edit
(岩波書店、2003年/岩波現代文庫、2013年)
『忘れられた日本人』を題材にした網野流民俗学講義。
・レプラ=癩(らい)病=らい病=ハンセン病
※もののけ姫では「業病(ごうびょう)」の人々が、覆面をして柿色の衣を着て鉄砲を作っています。彼らは犬神人であり石火矢衆(いしびやしゅう)でもあり非人でもあります。包帯でぐるぐる巻きで寝ている長老が、非人の長吏です。
因みに、中世の牛飼は烏帽子を被れないのでポニーテールのような髪型をした童の姿をしているらしく、その点はもののけ姫での間違いらしい。
牛飼の髪の結び方の図版↓
牛車の種類・牛車で清水詣へ出かけよう・風俗博物館
http://www.iz2.or.jp/gisha/shurui2.html
”牛飼童(うしかいわらわ)
牛車に付き添って牛の世話をする者で、「牛飼」「牛童」ともいう。『枕草子』に「牛飼ひは大きにて、髪あららかなるが」とあるように、成人後も烏帽子(えぼし)は被らず、老齢になっても童髪である垂髪(すいはつ)のままでいるために、童名で呼ぶのが通例であった。牛車に車副が従って牛を追う時には榻(しじ)を持ち、いない時には鞭(むち)を持って牛を追って供奉した。 ”
宮崎駿は全生園(ぜんしょうえん)に行くと人生観が変わると言ったらしい。
・おじぎ の「じぎ」は「辞儀」ではなく「時宜」がもとらしい。時宜には良い頃合いとか時にかなったとかナイスタイミングとかの意味であるが、時宜が権力者や最高権威として使っている事例が多く見られる。時宜を仰ぐ という表現がある。お辞儀する対象はもとは権力者だったらしい。
時めく=よい時期にあって栄える
・ヨンガナヨッポトイ(終夜)仕事をした。
・ホウバイは、中世では「傍輩」であり、朋輩という表記は近世以降らしい。ほうばいは単純な友達ではない。
「つれ」は能楽のツレに通じ、職場の中での役割の呼び名で長(おさ)と連れというものがあることから、そのときだけ一緒になって仕事する人たちをさす。仕事だけの付き合い。
「とぎ」は年長者が年下のものの相手をする場合に限るらしく、お伽噺のとぎだろう。
「ほうばい」は同じとしか一つ違いくらいで食べ物なども同じように分かち合える友人であり、平等で対等な関係。御家人相互の関係は傍輩関係なので対等で平等な扱いでないと熊谷直実が怒ったりしている。
・「えっと」(宮本常一は「越度」という漢字を当てている)は中世では越度は「おっと」と読まれていて律令時代から使われている。鎌倉幕府法では広く広く使われ、ある限度を超えたあやまり、過失、という意味。度を過ぎて、並はずれて、沢山という意味もある。
・「おとし宿」「おとす」「落とし取る」といった言葉がしばしば山賊や海賊などの行為に関連して出て来る。「落とす」とは人間のものではなくなること。「無縁」となり神仏のものとなり「無主物」(あるじなきもの)になってしまう。
おそらくその名残が、現代の落し物を交番に届けてしばらく時間をおかないと自分のものにならないことだろう。
落しものは誰のものでもないのだ。
落とし取ることは必ずしも不法ではない。
海賊や山賊は、相手のものを「落として」(今の言葉なら所有権をなくさせるに近い)からでないと、奪えないと考えていたらしい。中世では山の神仏の力によって山の中に入った人の持ち物はすべて「落ちて」しまうので、狩人が山の中を通る人のものを奪うことが不法にならないのはそうした背景があるかららしい。
落ちて山の神のものなればそれを取っても山賊ではないらしい。
おとし宿は恐らくは、落とされて無縁となったものを売り買いする宿だろう。
・「善根宿」とは旅人や瞽女(ごぜ)(「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する女性の盲人芸能者)などのような遍歴民の宿泊所。
・「とび」(とんび)。トビ=西日本における、神仏への供物や返礼としての贈り物
・「手」=交換、代金。
・とき(時・斎)=(御斎〔おとき〕のお膳の)「時」=食事
※とき(斎)(仏教語)坊さんの食事。正午以前にする正規の食事。仏事に出す坊さんの食事。
神官や神道家の食事の用語はないのかな?
神道美術とか神道説話なんてないからなさそう。
仏様の言葉 @bukkei616 6月30日
斎(とき)
小乗仏教の僧侶は正午以前に食事をとり、それ以降は摂らないが、食事をしない時間を非時(ひじ)といい、食すべき時の食事を時食、斎食という。そのことから、僧侶の食事や法事での食事を斎という。
・「ぼぼ」=おめこ、まんこ、女陰。
・新見荘という、備中国(岡山県北部)にある東寺領の有名荘園がある。新見荘にかんする文書が残っていて、この文書は毎日の銭の支出記録であるから通常はどんどん廃棄されて残らない。この文書は、接待のしすぎで解雇された代官がいたので証拠として残された世にもまれなもの。
狂言『隠狸』(かくしだぬき)の時代ですでに、代官は接待費が正当なら公費――年貢から差し引いて引き落とせた。
経費で落とす。
周辺の有力者らときちんと付き合っておかないと荘園の経営は円滑にできないので、接待費は必要経費。国司や守護が見廻りに来たら文句を言われないために接待して酔わせて送りだしたりしたこともあるだろう。
代官は百姓(農民よりはるかに意味が広く海や山の民などいろいろな人々含む)にも正月やお祭りのとき年貢を納めたときに酒宴をやる。酒盛りをしないと簡単には税を納めてくれなかったりする。
京都に年貢を送る際には銭を為替にかえて手形で送ることは十四世紀ごろから行われている。現地で徴収した米や麦、大豆、栗、粟などは市場(市庭。いちは。いちば)で相場を見て売って銭にかえ、現地で支出する必要経費を落とした上で都に送る年貢銭は現銭ではなく為替で送っている。そのくらいの信用経済は十三世紀後半以降、軌道に乗っていた。
・歌垣や市場や特別な芸能が行われる法会の場は、無縁の場所でありそこでは俗世の親子や夫婦の縁もきれて一人の女性と男性になるので自由な性交渉が行われた。
中世の参籠の場も無縁の場だった。お伽噺や説話の中によく寺社に参籠したら子どもを授かり、立派に育ったというものがあるが、これは寺社という無縁の場で性行為したから子どもを授かったのだろう。
(ある程度成長した巫女が処女ってありえないんじゃないかな。
Spica @Kelangdbn 2013年7月2日
日本ほど処女信仰の希薄な社会も珍しい。まあいわゆる「未開社会」に行けば似た例は幾らもあるんだろうけどやまと言葉に「処女」にあたる単語がないぐらい膜への意識が低い。マリアまで処女にしちゃったキリスト教圏は世界でも屈指の処女崇拝地域。
「おとめ」は未婚女性のことで処女ではないんですよね
STB @RC_StB 6月26日
主張内容も「皇国史観に基づく歴史修正」「教育破壊」「憲法破壊」
「身分制復活」「基本的人権否認」「翼賛教育」「軍国化」「敗戦否認」等の、特に目新しくもない吠える系の反動的大日本帝国正当化主義者の集合体である(特にいかなる支配者もそうするように教育への介入を重視している)
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB こんばんわ。日本会議ってそんな事言ってるんですか。これって敗戦と同時にウマウマできなくなった神道カルトがローマ帝国の夢再びと言ってるようなものですね。うーんと、古代エジプトのような神権政治国家が理想だってよくわかりますね。日本の誇りって単なる植民地主義利権か。。。
STB @RC_StB 6月26日
@lakudagoya 連中は親学とか美しい国作りとか、まあ安倍壺三の頭の中にあることと全く同じことを主張しています 特に母体の一つである神社本庁は祭政一致・国家神道復活まで掲げるほど極端です 財界の奴等にも帝国復活を価値観として信奉してる手合いがいます
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB 近代を否定してなくて祭政一致の帝国主義って論理的矛盾も何もあったもんじゃないですね。本当の意味での保守だったら、極端に欧米化した近代に対して疑問を持ったりしますし、結局「日本の伝統」とか言いながら中身は欧米思想のイルミナティ主義なんですよね。啓蒙思想もクソもないが
STB @RC_StB 6月26日
ウヨの偶像三島由紀夫さんから:愛国心について(意訳) 愛国心って言葉は官製ぽいし、押し付けがましいし、由緒もないし、キモくてゾッとする。反感を買って当然。そもそも「国」は愛する対象じゃないし、愛が国境を越えて変わるのは欺瞞 愛国心がどの国民にも同じ普遍的なものならば戦争は起きない
@lakudagoya 数時間前に三島由紀夫の愛国心のエッセイを現代口語に茶化してTWしたのですが、愛国心というのも近代的な国民国家があって日本の相対化があって出来た観念ですから、日本人の心情とは本来全く関係ないことです
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB そもそも、○○人という観念が英国産のものですしね。アパルトヘイトと人種差別が好きだった国です。トールキン先生も名誉白人です(笑)国民国家という観念が戦争を作り出してますし、こういうとこまで根本が西洋思想なんですよ。それなのに「保守」って。。。
STB @RC_StB 6月26日
@lakudagoya 本居宣長のように脅迫的に純化を図って「南蛮心」「列強心」みたいな区別をつけるところまではいかなくていいと思うし 日本は有史以降常に外来思想があって、観念を借りるところは問題ないと思いますがね 人間を奴隷化で不幸にしたり支配ツールになるから問題なわけで
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB ちなみに、日本会議の中核である平田派カトリック臭い神学のレトリックの中核は朱子学なんですよね。儒教の論理で天皇は将軍より偉いって事にして革命を起こした。なので中国の太平天国みたいな儒教+耶蘇教のハイブリッドの連中と相性が良かったですし、出口ナオの政治思想もこれ。
@RC_StB そもそも日本は天皇が支配してたカトリック的な神権政治の国家であったという、朱子学の論理で黙らせてるレトリックそのものが日本的でないというか、耶蘇教神学的な臭いがします。天皇の神聖さを理詰めで説明する「右翼」とか言葉にしない神聖さを尊ぶ神社臭くないだろーと。
STB @RC_StB 6月26日
@lakudagoya 民間人にはあまり天子の存在すら知られていなかったようで、わざわざ大衆に布告したんですよ それに、以外と神道は歴史上論理付けも試みられています。統合ツールとして、やはり理屈付けは必要ですから 本地垂迹などは典型的なものでしょうね。神格と政治
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB 天皇崇拝と太平天国の上帝信仰はリンクしてますね。神道=道教と考えると両者が極めてスッキリクリアに見えます(笑)で、儒教の権威主義をトッピングして上には絶対逆らえない伝統を使う。儒教が意図的に日本で支配の道具として使われてますね。部活などでも色々と。
STB @RC_StB 6月26日
@lakudagoya 変態保守派の主張がいい加減なのは、道徳観にも現れています 何かにつけて「なぁなぁ」で「適当」な日本人が性に対してはやけに厳しいなんてあり得ませんから。耶蘇教臭いです 江戸時代の笑話や宇治拾遺物語には、性をネタにした、今なら問題になりそうな笑い話も多々ある
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB 神道の家系が性に厳しいというツイートを読んだ事がありましたが、江戸時代に神社で巫女さんが売春やってたのにそれはないだろう?と。平田篤胤の思想にかぶれると、カトリック臭い性観念になるんですね。これってイスラム原理を気取るのに英米にべったりなサウジみたい。。。
STB @RC_StB 6月26日
@lakudagoya ええ。日本人の勤勉だとかの信念は近代化以降役人に作られた奴隷教価値観です。性欲憎悪は明白にキリスト教由来で、日本の農民階層とは真逆の価値観です。自分が保守的だと思っている人ほど実は日本的ではなかったりする。 柳田国男もこの点は敢えて無視してきたのが残念です
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB 日本が勤勉でなかったという話は、江戸時代末期に日本に訪れた外国人が書いてますね。勤勉にさせられたのは、明治以降の人脈がプロテスタント系に支配されたからでしょう?性欲憎悪があるなら、ちんこを祭る神社があるわけないですね。保守は自分が保守だと名乗る時点で日本的ではない
STB @RC_StB 6月26日
@lakudagoya 明治時代も労働態度はいい加減で勝手に欠勤することもあったそうです 苦役が美徳になるのは、日本特有の手段が目的化しやすい悪癖がこうした流れに必要以上に拍車をかけたとみています 戦前に米国が日本の国内事情を調査したときですら、彼等には奇異に映ったようですからね
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB 彼らは軍国主義の徴兵制を目指してるようですが、元々徴兵制なるものはサヨクが言いだしっぺであって右翼ではないんですよね。(フランス革命前は戦うのは貴族のお仕事)ナチスよりタチの悪いファシズム思想が憑依してると見ます。(ナチスだって自国民は優遇してましたしね)
STB @RC_StB 6月26日
@lakudagoya まあエジプトだと第十八王朝までは職業軍人とかいなくて、農民を徴兵していたんですけどね 仰る通り左派と軍備化は近しいものがあり、日本が冷戦時代に共産化していたら、軍隊を整備したに違いありません
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月26日
@RC_StB うーんそうですね。日本が戦後、旧軍の同窓会という形で民需製品を作り続けてきたけど、そのいつか復活する大日本帝国を夢見てたナチの残党みたいな人たち夢捨ててないのですよね。うーん共産化と満州の関東軍支配は本当に瓜二つだと思います。北朝鮮ですら。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 10月30日
神道のお札の元ネタは道教のお札。
茅山道教を創始した陶弘景(5・6世紀。皇帝の相談役)は「道教は神道」と主張。
天皇崇拝は星崇拝であり太陽崇拝ではない(天照は誤り)。
天皇は天皇大帝の略称。天皇大帝は北極星の神格化であり剣と鏡の二種を象徴として持つ。日本の皇室でも元来は二種の神器。
イロベ @iloveromania69 7月4日
童貞も処女も、守るものでもないし、ましてや崇拝するものでもない。かつて日本の農村では、男の童貞は村のおばちゃんに筆下ろしされ、処女は母親が村の若い衆から相手を選んで「うちの子そろそろしたってえな」と言って、夜這いの夜に手ほどきされた。赤松啓介『夜這いの民俗学』
Yuichi Ohneda @ohndy 7月7日
昔読んだ赤松啓介氏の「夜這いの民俗学」には、昔の日本の村社会では、村中やりまくりすぎて誰が誰の子供か分からず、親と言うよりも村単位で子育てをしていた、的なことが書いてあったような。
そうこう箒 @soukouhouki 4月9日
性とヤクザと天皇についてスルーする柳田國男の民俗学を批判する赤松啓介の民俗学書は面白い。夜這いや村の子についての認識がなければ、津山三十人殺し事件など全く理解もできない。明治以降の日本の徹底隠蔽により現代の日本はあたかもファンタジー。 pic.twitter.com/6CIoFkJQuu)
・岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波書店(岩波文庫)、1991年 ISBN 4-00-334591-6 ではルイス・フロイスが十六世紀後半ごろの日本とヨーロッパ社会との習俗比較をしている。
①ヨーロッパでは未婚は処女でないと駄目。
日本では処女の純潔を少しも重んじないし、非処女でも不名誉でなく結婚もできる。
②ヨーロッパでは離婚は罪悪。
日本では意のままに離婚でき、離婚歴があっても不名誉でなく結婚もできる。バツイチなんて別に珍しくない。
③ヨーロッパでは汚れた天性から夫か妻を離別するが、
日本ではしばしば妻が夫を離別する。
(アダムからイブが生まれたので女は格下という思想でしょう。科学によると人は皆はじめは女らしい。
キリスト教圏に住んでもいないし支配層でもない女性がどうして男尊女卑宗教を信仰するのでしょうかね)
④ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろになって歩く。
日本では夫が後ろ、妻は前を歩く。
⑤ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことは極めて大事であり厳格に行われる。
日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でもいく日でもひとりで好きなところへ出かける。
⑥ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては家から外で出ない。
日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。
⑦ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有だが、
日本では各人が自分の分を所有していてときには妻が夫に高利で貸し付ける。
お分かりの通り、「ヨーロッパでは」が「日本でも」になるのは明治以降である。
女性は昔から差別されてきた云々は明治より前の時代は含んではいけない。
少なくとも江戸時代以降の日本では男性がすべての権利を独占していて、女性は男性に屈従させられていたというのは間違い。
この女性は常に従属させられていた云々は、恐らくは明治以後のキリスト教道徳にもとづく欧化政策や法制度が作り出した虚像であり、実際はかなり違っていたはず。
夜這いが普通にあったのだから処女がヨーロッパのように珍重されることはないだろう。
男性中心の近代的な(=キリスト教道徳に基づく欧米の制度と同じ)法体系が明治以降にできるのに伴って女性は公的な権利を失った。
とはいえ、そうした公的なキリスト教化された制度であっても、庶民の中には違った世界が存在していた。
そう考えるともはや聞き飽きた性の乱れ云々は実は本来の日本の性意識に戻りつつあるだけだと解釈することができる。
日本人も少なくとも性に関しては今やキリスト教的道徳が常識なのだ。
日本社会は明治以前からも公的な朝廷と幕府が支配する世界はすべて土地中心であり田畑は圧倒的に男の世界であり、年貢や租税を出すのも男であるから、必然的に後まで残り易い公文書には男ばかりが出て来る。
だからこそ、百姓=農民という誤解が生まれ、土地がない=貧乏、という常識が生まれ(漁師などは田畑がなくてもおかしくない)、女性=地位が低い、という曲解が生まれてしまった。
法的な面に関しては、古代の律令が制定されて以降、女性は公的な分野から完全に排除されている。
女性だけの官職はあるが、公的な役人にはなれない。天皇にはなれるが役人にはなれない。
なので女帝はいても女性の関白はいない。税負担者は基本的に成年男子であり、土地に賦課されるものであった。
明治政府はその男=公的、女=公的でない、
をヨーロッパのキリスト教に基づく制度を加えて徹底的に実施した結果、完全な家父長制を確立し、女性には選挙権も被選挙権もなく、姦通罪は女性にだけ適用されるという、日本の歴史上で最低の地位に女性を陥れた。
よって、法的な地位からの解放運動を女性が熱心にしてきたのは当然のこと。
法的な地位に関しては古代律令制度より女性は排除されてきたのは正しいが、法的な地位以外に関しても女性はずっと地位が低かったというのは間違いである。
なお、著者もはじめはフロイスの偏見だと思っていたが本当にそうだったと考えるようになった。
近代以降、天皇が田植えを、皇后が養蚕をする。日本書紀では男性の王は農業、女性の妃は桑や養蚕をしていた。太陽神で女性のアマテラスが機織りをしている。
お田植えをなさる天皇陛下、初蚕掻きをなさる皇后陛下(原文のまま)
http://p.twipple.jp/uuSZI
女性は自分で作った繭や糸や絹や綿などを市場へ持って行って自分で売ることが江戸時代まで確認できることが重要。糸や綿や絹の商人は全員女性。
百姓(農民ではない)の女性は養蚕業を取り仕切っていたはず。
相場を見てできるだけ高く売ったりして稼いだお金は簡単には男性に渡さなかっただろう。
少なくとも動産に関しては女性は男性と財産を共有しなかったはず。
繊維部門は女性の管轄だから。財布のひもは女性が握っていても別におかしくない。
明治の富国強兵・殖産興業のための製糸業と紡績業は女性によって支えられたが、それは女性が明治以前から繊維部門担当だったことが関係しているはず。製糸工場では男は監督はできるが糸をとれない。
単なる安価な労働力として酷使された面だけでなく、女性の専門職の伝統も考えないといけない。
繊維関係の生産と流通は世界的に見ても基本は女性が担っている。インドでガンジーが糸車を回して非暴力運動を展開したのは、ちゃんとそうした女性重視の姿勢を宣伝する意味があったのだろう。
(村手 さとし @mkmogura 2013年12月5日
ガンジーは非暴力主義であって、無抵抗主義ではない。つまり『暴力とは、やりすぎである。』
デモのような集団になる事は、一般人には暴力性にうつる。社会の強制力という物は、暴力というか武力に最終的に帰結することを知らないまま、徒党という集団を組んでも、どうなのだろうか。
村手 さとし @mkmogura 2013年12月15日
ガンジーが殺されたのはムスリム、キリスト教などに懐柔的すぎたからと言われている。ヒンズー教徒であった彼は、キリスト教徒でもあるとも言っていたし、カースト制度にも賛同していた。カースト自体も、それに合わせたヒンズの改変も、実はキリスト教と印欧族つまり白人とための捏造であったことを
ガンジー本人が理解していたかは、俺は知らん。もし、白人支配のための偽独立運動なら殺されて当然だと思う。日本の仏教が漢訳された聖書に合わせ、キリ教により神道の天皇となったことでも、ヒンズーへの自分の理解は間違ってないと思う。結局はわからないが、答えはあの国の歴史、当事者の中にある。
村手 さとし @mkmogura 5月26日
怠惰とか金銭や略奪のための欲とか下心とか。人間は下衆な欲望ほど純粋である。
正義感や真心とか、慈愛とか?
反吐がでる。
歴史の上で、それら理性が社会を構築した功績があるかい?確率というか統計は常に総数の性質に明瞭だ。
みなさい、そこにある歪んだ正義感を。弁証法で逆に進む
サニナ @sanina327 5月27日
@mkmogura >歴史の上で、それら理性が社会を構築した功績があるかい?
マハトマ・ガンジーが「非暴力・不服従運動」でインドを独立に導いた事実についてはどうお考えですか?
村手 さとし @mkmogura 5月28日
@sanina327 ガンジーの人格を調べてごらんなさい。
ガンジーは、ムスリム、キリスト教に甘すぎるというか、キリ教徒が皮をかぶっただけの暴力否定エセ平和主義者です。印欧族=白人の都合です。カーストも白人のためのものです
歯向かう牙を抜かれ、そしてインドはレイプ大国になりました
村手 さとし @mkmogura 6月10日
@sanina327 性欲優先のおバカだよ、ガンジー。しかも、ヒンズー、カースト制度を肯定する側だし。
資料は自分で調べてみ。
抑圧された階級制度のなかで非暴力での平和、意味ある?強制力とは常に暴力に帰結する。なら抵抗だって暴力が必要だよ。戦争に武器を持たずに行くやつはいない。
ネズミさん @Nezmi_san 4月11日
1%富裕層が支配するまま、「暴力(逆転)」が起こらないなら富裕層にとっては天国。因みに「カースト制度」は英国が支配の為(アーリア人思想)に作った士農工商。
カースト制度になぞらえる士農工商だがいわゆる「四民」であるが、コレも明治政府が江戸時代を否定し英国の自由主義(メイソン主義、因みに自由なのは裕福層だけ)が作らせた、ウソ。 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86 …
メイソンによって明治以降ウソばかり教えられる。士農工商は身分でなく社会を分業で良くするための職業分類であった。天皇が、江戸幕府が強大な権力で圧制と言うイメージが刷り込まれ、江戸時代がそうだから、明治、昭和で「戦争の兵隊やむなし」と刷り込まれた。
ネズミさん @Nezmi_san 4月14日
水戸部稲造が五千円冊で、国際連盟の重役であり、武士道を作った(正確には広めた)人間で、武士道のニアリーイコールがナイトであり、「死ぬのが武士道」なる戦争で都合良い解釈が作られ、今に至る。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年8月8日
日本社会の格差が広がっていることには、意味がある。宗主国にとって、植民地では階級制で人々が差別しあい、まとまりの無いのが理想。自分たちへの不満が、植民地の社会内だけで解消されてゆくから...インドは英国の植民地になってから、カースト制度がより厳しくなり、ヒエラルキーが厳格化した。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
武士道
初出は江戸初期編纂の『甲陽軍鑑』。意味は個人的生存術。
山鹿素行(朱子学批判で赤穂に配流。門弟に大石良雄)の士道論など儒教道徳が影響。
耶蘇だらけの佐賀藩の山本常朝『葉隠』は生きる為のマナー本で禁書。
新渡戸の耶蘇流武士道。
明治以降のキリスト教と和風キリスト教(神道)による偽伝統一覧
神道の現人神、神前結婚式、仏前結婚式、
武士道(白兵戦重視)、
相撲は国技、
全面的に良い意味としての愛、初詣、金剛峯寺、
個人の誕生日(満年齢)を祝う、
年越し行事としての除夜の鐘、
勤勉な日本人、働かざる者食うべからず。)
・子どもは社会全体のものであり、みんなで育てるものだった。
・奉公人になるときの証文の形式は、江戸時代になっても人身売買の証文と同じ系列。実際は雇われる側の労働者の方が立場が強い場合もあったので、形式はともかく実際はどこまで適用されたのか守られたのかなどを考えないといけない。
例えば、名子(なご)、家抱(けほう)、下人らは奴隷や農奴だったとされてきたが、実際は技術者や職能民である場合が江戸時代で見られる。都市民だった人々が名子や水呑だと記述されたのは農業が公的基準だったからであり、貧乏だとか虐げられてきたとは限らない。
・東は父系、西は母系。
※あくまで傾向なのですっぱりわけられるのではない。
東日本は同族集団、同族結合、本家と分家が基本であり、縦の主従関係を基本とした家父長制度的名傾向が強い上下の結びつきが特徴。
西日本は一揆という神の前に平等であることを誓うような横の結びつき、横の平等な関係を結びあうのが特徴。
姻戚関係を非常に重んじ、横の一族組織が発達している西日本。
縦の同族関係が基本の東日本。
・東西の言葉の差異の境目は何本かある。一番太い境目が、越後と越中、信濃・三河と飛騨・美濃・尾張の間に線が引かれている。この境がまさしく鎌倉時代以来の東国と西国の境である。フォッサマグナより若干西寄りに東と西の境がある。吾妻鏡には二か所「関西」という言葉が出てくる。
・徳政令という法令は、権力による借金の破棄ではなく、借金によって土地が他人の手にいちおう移っていても、それはおのずから本来の持ち主のところに戻るという非常に根深い社会の中の慣習が背景にあったと考えるべき。特に支配者の代替わりの際にはそれまでの貸借関係は破棄されるあるいは貸借関係に基づくそれまでの土地の移動はすべて元へ戻るのが当然だという考えは、日本のみならず人類社会全体を通じて非常に根深くあるのではないかと思います。
・日本は孤立した島国ではない。
サハリンとアジア大陸は近い。冬になると凍結して人が渡れるほどの狭さらしい。サハリンと北海道の間も流氷に乗って動物が渡ることができるくらいの近さ。
對馬(対馬)は九州よりも朝鮮半島にはるかに近い。対馬から晴れの日には朝鮮半島がよく見えるが九州は見えない。朝鮮海峡を泳いで渡った人がいるらしい。
日本海はかつては湖であり、「内海」だった。要は通路。日本列島と朝鮮半島と中国大陸などの間に日本海がある。
地図の向きを逆さにしたりしましょう。
元寇など大きな軍隊が一挙に短期間に渡ろうとする危険な海でも、静かな時は便利な交通路である。無論、危険はある。陸路でも危険はあるし。
(島国で孤立しているイメージは、恐らくは明治以降、本州、中国、九州を中心とした領土の中で国民国家を作ろうとした白人傀儡政権が、海は守るべき国教であるという意識を国民に刷り込んだ結果、強固になったのでしょうね。
渡来人と強調されたりしますが、渡来人は頻繁過ぎてもはや普通だったのでは。
百済だけでなく高句麗からも沢山来ていたはず。
統治手段として仏教を採用した聖徳太子(うまやどのおうじ)の師匠は「高句麗の」坊さんの慧慈(えじ)なのに、「百済」から正式に仏教が伝わったと書く偏った教科書は決して訂正されない。紙と墨などを伝えたらしい曇徴(どんちょう)も高句麗の坊さん。
高句麗=北朝を冷遇し、百済=南朝を優遇しているのに北朝だと言い張る南朝偽天皇勢力)
・小浜甚次(阪大名誉教授、形質人類学、解剖学の専門家、故人)いわく、朝鮮半島人と近畿、瀬戸内海沿岸の人々は極めて良く似ていて形質上は同じ。
対して、山陰・北陸と東北の人々と近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人との違いに比べてはるかに大きい。東北や北陸の人々はむしろアイヌに近い。
被差別部落民は朝鮮半島から渡って来たという常識は間違い。差別する側の人々が朝鮮半島人そっくり。差別されている被差別部落の人々は東日本人、東北北陸型の人々とむしろ形質上は似ている。
(井上雅人 @INOUE_MASAHITO 2011年4月18日
小浜甚次という形質人類学者は、近畿瀬戸内の人たちは、山陰、北陸、東日本の人たちと形質的に全く違うという指摘を半世紀前にしている。興味深いのは、近畿の被差別部落の人は東日本に近く、差別する側の畿内の人は朝鮮半島人に近いと指摘したことだ。人間がどのように動いていったかが想像される。)
・被差別部落が深刻なのは西国。
韓国では白丁(ぺくちょん)という牛馬に関わる人が差別されているなど日本だけではなく世界中に被差別層はある。
・「日本」という国号の成立が七世紀末(689年に実行された飛鳥浄御原令だろう)あたりなので、それ以前は日本人も日本もない。倭人と倭国である。天皇ではなく「王」「大王」オオキミ である
(神道家にとって道教と平田篤胤はアキレス腱。
神道・惟神・天皇・神器は道教用語であり、神道用語ではないので本居宣長がやろうとした漢意を排除する試み(神仏分離!)は最初から破綻していますな。
本居宣長のキリスト教と親和性が高い思想を改悪した平田篤胤の神道=和風キリスト教。
神道=和風に偽装する隠れキリシタンが名乗る宗教。
神道・惟神・天皇・神器は道教用語であり、神道用語ではないので漢意の排除は不可能。
∵一般的な日本人が考えるカミ≒仏。
子安宣邦『本居宣長』の読書メモ。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-84.html
「天皇が信仰した思想体系がある伝統宗教」=神道は明治期のキリスト教による捏造。
明治以前の神道
①単なる土着神崇拝。神社は地域土着の祭壇。政治に影響力なし。
②道教の一派としての神道(天皇と神器も道教用語)。
風の子 @makeanovel 5月30日
平田篤胤も、教科書に載ってるので、なんの疑いももたず、なんか偉そうな人って思ってきました。日本の本物の伝統のかわりに、偽物文化を捏造して導入しようとした張本人だったとは。当たり前の、とか、常識、っていうのを全部疑ってみたくなりました。。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
5~6世紀の道教家の陶弘景が道教の一派「神道」の起源。紫宮に住む天皇を仙の世界の長とし真人を高級官僚として「神道の道教」世界を構想。道教の剣と鏡=天皇大帝の象徴を重視。梁の武帝のブレーンで別名「山中宰相」。道教家の天武天皇や記紀に強く影響した日本思想の起源なのに無視される陶弘景。
道(タオ)→伝道(暴力=武道で脅す)。
八咫烏好きは記紀が道教書で、企画者の初代「天皇」天武が道教家で、神道も陰陽道も中国原産の道教の一派で、明治以前の国教が道教混じりの仏教なのを隠す。
JFAの八咫烏マークに影響した内野台嶺は曹洞宗で儒学者=アンチ道教。)
・東北北部は日本国の外である。東北最北部の津軽、下北地域は十二世紀になるまで日本国の国郡制度が及んでいない。東北地方全体が日本になったのは十二世紀以降。
(東北支配のために使わされた、坂上田村麻呂(おじゃる丸の元ネタ)は征夷大将軍。坂上氏は百済系の渡来人の子孫で、百済系の桓武天皇がボスだったことがあるなどで、初代将軍でもないのに持ちあげられるのですな。高句麗系なら教科書から削除されていたかもね。 大伴弟麻呂が坂上よりも先に将軍になっております。
百済を強調するのが南朝偽天皇の特徴。
おじゃる丸は主に子供を洗脳するためのアニメですよ。
外国に向かわされる征夷大将軍ってどうみてもトップではないから将軍って称号を嫌がる支配者がいてもおかしくないね。豊臣秀吉は征夷大将軍ではなくそれよりも上の関白=天皇を操れる立場になりました。
征夷大将軍だと天皇に使われる側だし。
将軍は源氏でなくてもなれます。血筋が源氏より格上か同格ならなれます。摂家や皇族が将軍になったことがあります。藤原や親王ならなれます。
征夷大将軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D#.E8.B1.8A.E8.87.A3.E7.A7.80.E5.90.89
”延暦10年(790年)7月13日に、大伴弟麻呂が征東大使[注 5]に任命された。延暦12年(792年)2月17日に、征東使を征夷使と改めた。「大使」はまた「将軍」とも呼ばれていた。『日本紀略』には延暦13年(794年)1月1日に征夷大将軍の大伴弟麻呂に節刀を賜うたとあり、これが「征夷大将軍」の初見とされ、由来としては天皇に任命される軍事指揮官である。
また「征夷大将軍」は「征夷」行為に関して現地の軍の最高司令官であり天皇の代理人という権能を有していたことから、武人すべての世俗的な最高司令官としての力が備わるようになっていった。鎌倉中期から明治維新まで、武人である武士が政権を握っていたことから、武士の棟梁としての征夷大将軍は事実上の日本の最高権力者であった。また、天皇によって任命されることから、天皇には世俗的な実力はなくとも、権威は維持することとなった。
(…)
延暦10年(790年)「征東大使」に任命された大伴弟麻呂は、その後「征東使」が「征夷使」に改められ、延暦13年(794年)1月1日に「征夷大将軍」として節刀を授けられた。大伴弟麻呂の副使(副将軍)だった坂上田村麻呂は、延暦15年(796年)10月27日鎮守将軍に任命され戦争を指揮し、翌延暦16年(797年)11月5日に征夷大将軍に昇格した。坂上田村麻呂はそれまで頑強に戦ってきた胆沢の蝦夷の阿弖流為を京へ連れ帰り、東北地方全土を平定した。その後陸奥按察使だった文室綿麻呂が、蝦夷との交戦に際して弘仁2年(811年)4月17日に征夷将軍[注 6]に任命され、同年 閏12月11日蝦夷征討の終了を奏上、鎮守将軍には副将軍だった物部足継が昇格、しかし、弘仁5年(814年)11月17日には再度文室綿麻呂が征夷将軍に任じられたものの、実際には征討は行われなかった。
また、天慶3年(940年)に藤原忠文が、元暦元年(1184年)に源義仲[注 7]が、征東(大)将軍に任じられているが蝦夷征討を目的としたものではない。
(…)
歴史上存在した俗説
源平交代思想と源氏将軍
源頼朝が東国の軍政(地方統治権)という意味に注目し征夷大将軍という官職を望んだという説以外にも、日本史上の武家政権は、平氏(桓武平氏)と源氏(清和源氏)が交代するという源平交代思想や、源氏であることが征夷大将軍に任ぜられる条件であるという源氏将軍説が存在した。しかし実際には、頼朝以降に限っても、摂家将軍や皇族将軍の例があり、清和源氏以外に平氏や藤原氏、そして皇族も就任しており、平氏を自称していた織田信長は天皇によって征夷大将軍に推任されている(三職推任問題)など、征夷大将軍になれるのは源氏に限られている訳ではない。また征夷大将軍イコール源氏長者のような印象があるが、これは足利義満以降の事である。
豊臣秀吉
豊臣秀吉は近衛家の養子となって関白に任ぜられたとされる。秀吉は自ら征夷大将軍就任を断っており[出 5]、また朝廷にとって関白就任の方が征夷大将軍就任よりも遥かに抵抗感が強く、秀吉はむしろ征夷大将軍就任よりも困難である関白就任を実現させている立場である。
なお、織田・豊臣期の征夷大将軍に関しては、当時の人々の間に征夷大将軍は足利家の家職と認識されており、源氏云々とは別の意味で「将軍職は足利家以外にありえない」という概念が存在していたために、京都を追放されて実権を失った足利義昭が征夷大将軍として認められ続け、朝廷も積極的な解任を行われなかったとする見方もある[出 6]。”
最終更新 2015年7月6日 (月) 08:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
左少辨 @kitahatazou 2014年
ゆとりのネトウヨに「征夷大将軍として知られる坂上田村麻呂で有名な坂上氏は百済系渡来人の末裔なんだぞ」って言ったらどんな顔するんだろう。
Tetsuya Kawamoto @xxcalmo 1月29日
今上天皇がかつてご言及のとおり、平安遷都を果たした桓武天皇の母親の高野氏は、百済系の渡来人だった。桓武は東漢(やまとのあや)氏系の半島渡来人である坂上苅田麻呂に信を置いたが、その子息が坂上田村麻呂である。
村手 さとし @mkmogura 2013年12月25日
受験生の皆さん、征夷大将軍というわけわからん蝦夷討伐の役職は、やっぱり何してたかもわけわからんのであります。
なのに初代の大伴弟麻呂は誰も知らなくて、何故か坂上田村麻呂は誰でも知ってるというのもわけわからんですが…
征夷という左遷が『八幡』に任命され、『坂上』も、南朝百済です。
何故か理由もなくそうなっているというのは、たいてい異常であり、たいてい実は理由があります。 逆ギレしてぶっ殺しただけの忠臣蔵も、この征夷大将軍も、すべて南朝百済、明治維新の天皇すり替えと、大本教という日本式キリスト教に繋がります、 今年は南朝崇拝度が高いです。
村手 さとし @mkmogura 12月29日
高倉健が朝鮮族というのを、まだリツイートしてくれる人がいる。では追加。
初代征夷大将軍を誰も知らずに、坂上田村麻呂を皆が知っていて、八幡、天満宮の菅原道真神社とか毛利とか、今も芸能界のドン周防、多々良の安倍とか。全部、由緒正しき朝鮮族である。明治の南朝百済天皇すり替えに帰結する
久延毘古 @amtr1117 7月13日
809年7月14日没。(大同4年5月28日) - 大伴弟麻呂、公卿、史上初の征夷大将軍。 pic.twitter.com/mrq2wjKSUi
シンリ @2g_Shinri 6月17日
坂上田村麻呂が有名すぎて忘れられがちな初代征夷大将軍大伴弟麻呂さん
ゆかこ @bs4_forest 2014年2月24日
1源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)
2源頼家(北条時政のより幽閉)
3源実朝(公暁に暗殺)
4藤原頼経(摂家将軍)
5藤原頼嗣(摂家将軍)
6宗尊親王(皇族将軍)
日本の奥の院 その1【20120216】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/16/1077
”「源氏ではないと征夷大将軍になれない」という嘘が蔓延しているのは、ある程度の歴史を勉強してる人なら誰でも知っているだろう。
真っ赤な嘘である。
実際の制夷大将軍なんて役職はたいした役職ではなく(東、元は蝦夷討伐の役職)、豊臣秀吉は自らこの役職を断ったりしてる話も簡単に見つかる。
この嘘はこういう3段活用で出来ている。
「征夷大将軍=源氏だけ」
「源氏(清和源氏)の氏神が八幡である」
「幕府、日本の支配者を任命できるのは、神社勢力だけだ」
こういうことね、そう。源氏の氏神がこの八幡である。
藤原道長に仕えていた、源頼信(968-1048)によって八幡は源氏の氏神になった。
そもそも、「武士=この源氏の台頭の時代から」と勘違いしてる人も多い。
大昔から暴力だけが支配という統治の手法である。
平安時代の豪族などを、ただ蹴鞠をたしなみ、扇で顔を隠すようなナヨナヨした奴らではない。刃物ちらつかせて、年貢・税金を払え!!いつの時代も同じである。
むしろ、武士=源氏の時代からという話は、文化人ではなくなり暴力化したとも言えるわけね。
そして、その源氏の氏神が八幡=朝鮮海賊であるということ。
一部で言われている、「侍は朝鮮半島起源である」というホラ話も、ここら変の話を起源としている。
そういう話を聞くと、そこまで大きくして起源というのなら、大昔の中国の武将と侍で何が違うのだ?と疑問になるのだが。
ただ、八幡がバハン船、海賊船の旗そのものをさすこと、源氏がそれを氏神としてること、それが日本における朝鮮族の支配する海のものに起源があるのは、間違いないことである。
さらに言うなら、鎌倉幕府なんてものはない。
征夷大将軍さえでっち上げの蝦夷討伐のための役職なのだから、それを元にした捏造神話、幕府に疑問をもつのもあたりまえである。
さらに、今の世界情勢でさえ地政学で政治を読むという視点は通じる部分もあるのに、大昔の鎌倉の地理的条件を見ればわかるが、あんな街道もろくに通っていないところが「日本の支配者の作った幕府だ」と言われて、信じるほうが馬鹿だろう。
規模で鎌倉と段違いなのは言うまでもないが、京都は盆地という地理をいかし、天然の要塞であるし、江戸は知っての通り、街道整備と今の東京の道路の元となる放射線状の連絡網を発達させた。関所もね。
それと比べて地政学的に見て、情報が集約されていたか?って、されるわけないのである。
それで、「いざ鎌倉と言って有事のときは駆けつけるのだ」という神話がまたあるのだから、笑うしかない。
その情報が伝わった頃には終わってますよと。
いつの時代の話だと。
是非、鎌倉幕府をNHKの大河ドラマで作る際は、携帯電話を持たせるべきだと俺は思う。
大河ドラマはキリスト教の愛で日本の歴史を作ったり、架空の人物も登場させたり、ファンタジー全快なんだから、そこまでやってくれと。
今、鎌倉なんだけど、やばいから超ダッシュでよろしく。と。
では鎌倉幕府とは何か?、この源氏と毛利(大江氏)が勤めていた、単なる出張所である。
そこらへんの話の補足の部分を。
この後の時代、のちに大内氏の地盤、日本における百済の海、周防を支配する毛利という苗字の起源は、この鎌倉に出張していたころの話である。
元は大江姓、大江広元が、相模国の毛利荘(お隣の厚木市)から、この毛利という苗字になった。毛利の元服後に「元」がつくのは、この大江広元に由来している。
1192だか1176だか知らんが、鎌倉幕府が何か?だけでは見えないものも、簡単である。
制夷大将軍という左遷が、「神道(八幡)が日本の支配者を決めるのだ」という、16世紀以降のキリスト教伝来どころか、神道のためという19世紀の明治のころの都合の「後付け理論」であると意識できるのならね。
この大江氏のさらに起源は、あの、なぜかよくわからないけど学問の神様で「神社に」祀られている菅原道真と同祖先である。
それが、土師氏。百済系天皇の桓武天皇った790年に、縁戚関係にある土師諸上らに大枝の姓を与えたのが起源であり、菅原氏は、その土師一族の傍系である。
つまり、毛利ももとは渡来系氏族。
菅原道真は、百済=南朝の後醍醐天皇に直でつながっており、土師は渡来系の技術者集団の血縁である、それ以上の説明はまた今度。
この鎌倉も簡単。
この源氏の先生=この大江氏だよという主張で出来上がっている。
明治維新後のキリスト教徒の都合で出来たのが、神道であり、今の教育で習う歴史のすべても同じなのだ。
そう、毛利の都合で作られた後付けの理論に過ぎない。
「東国に源氏勢力の地盤を固めた」などと出てくる源義家(1039~1106)の兵法の先生が、この大江(のち毛利)である。
源義家は別名八幡太郎という、その兵法の先生が大江匡房(まさふさ)である。”
ken @kenkatap 2014年1月3日
菅原氏=(大相撲の祖として知られる)野見宿禰を先祖とする土師氏の子孫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F …
▼菅原氏から公家の五条家が出た
▼五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家に
▼末裔とされる有名人
▽菅原道真
▽平手政秀
▽前田利家
▽柳生宗厳
▽大隈重信
▽松平定知
前田利家は隠れキリシタン疑惑があります。少なくともキリシタン大名の高山右近の手助けをしました。
詳しくは2つ前の記事
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』
と茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマ
と大日本皇道立教会
と鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
をどうぞ)
・倭人は日本列島西部、朝鮮半島南部や済州島などを含め海を主な舞台としていただろう。無論農業もしていたはず。倭寇を室町幕府が弾圧しているように、倭寇の構成員は日本人だけではないし、日本からの侵略ではない。日本も被害受けているし。倭寇は列島西部の海辺、対馬、壱岐、朝鮮半島南部の海辺、済州島あたりの人々が構成員だっただろう。海の民ですな。日本中央政府は代々土地が基本だから対立してもおかしくない。
「日本人論」・「単一民族論」・「日本人」に注意し、列島東部や列島西部などの言葉を使うべき場合がある。「一国史観」に囚われてはならない。
(単一民族論は同祖論に繋がり、侵略に非常に都合がよいです。
日ユ同祖論が日本とイスラエルを無理やり結びつけて、中間を無視するのは、要は、聖書の登場人物が実在しないと成立しない詭弁=聖書思想に見えない聖書思想で日本人を洗脳するためです。
日鮮同祖論(にっせんどうそろん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AE%AE%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96
AとBは同じ祖先論+政治=支配の理由。
日鮮同祖論→日本人と朝鮮人の祖先は同じだから朝鮮半島は日本の領土だ!
日ユ同祖論→日本人と(なぜか白人)ユダヤの祖先は同じだから日本は白人(偽)ユダヤ〔=単なる白人キリスト教徒〕の領土だ!
この「ユダヤ」は職業名という方が正確で要は単なる白人クリスチャンの銀行家=金の支配者。
紐付き陰謀論者の役割の一つが、白人キリスト教徒という言葉をユダヤで覆い隠すことです。
教会を無視した陰謀論は単なるカルト思想ですので注意。
インド・ヨーロッパ語族→インドと欧州の言葉の祖先は同じ→インドは英国の領土だ!)
・荘園はふつう荘や保と言われる。しかし周防だけは「令」という単位が見られる。「令」という用語は朝鮮半島にもあり、「守令」という地方官がいる。朝鮮半島は対馬だけでなく、周防とも関係が深い。周防(山口県)の有力な領主だった、大内氏は、朝鮮の(百済の)王子が祖先だと系図を作っている。十五世紀から十六世紀にかけて朝鮮に祖先の土地を貰いたいと正式に申し入れ、朝鮮国王に断られたりするほどに朝鮮重視。長門と周防の守護大名の大内氏により、今の山口県にあたる所は小京都と言われるほどに栄えた。
(大内氏は百済が祖先だとしただけでなく、百済の聖明王(仏教を公式に伝えたとされる)の子孫と称し、聖徳太子から多々良の姓を与えられたらしい(実在していない疑惑のある聖徳太子の仏教の先生は高句麗出身なのに)。大内義弘は南北朝合一に協力。貿易で儲けまくるが、応永の乱で足利幕府に負ける(ここでも北朝=足利が仇となっている)。
百済(仏教面で強調)・周防・長門・山口県・田布施(そして南朝)みんな繋がって今の支配体制に至る。
ちなみに、鹿児島・薩摩版の田布施は加治屋町。
加治屋のほうが本体のような気がします。あまり注目されてないからね)
・百姓(ひゃくせい・ひゃくしょう)=一般人、many people。支配層ではない。
百姓は身分の名前であり職業名ではない。だから百姓の中に農人や商人などが含まれている。
無高の百姓=水呑
=亡土(もうと。間人。間男)
=頭振(あたまふり)
=間脇(まわき)
=雑家(ぞうけ)
=無田(むでん)。
間や脇は中世から出てくる言葉でマイナス評価。いかに土地重視の支配体制だったかが分かる。土地基準じゃないと戸籍が作り難いからね。
・先進的、後進的、上層、下層、進歩的、退歩的などの言葉には気をつけないといけない。
遍歴や漂泊民と迫害を結びつけてはならない。
土地重視の中央の制度が土地がある=安定、土地がない=貧乏、という偏見を生んだ。
農業以外を副業とみなすのも間違い。農村、工村、漁村などなど。百姓をするは農業をするではない。
・明治五年から造られた壬申戸籍では、士農工商基準えたひにんで分類したので、百姓=農とされた。農業をしていないところも農とされた。だから実地調査しないと誤解してしまう。
塩・鉄・林業などもみんな農家とされてしまう。
百姓はいろいろなことをする職業なのだ。廻船、炭焼き、鉱山掘り、金融、石垣作り、綿打ち、大工などもしたりしたのが百姓だ。家づくりには大工を呼ばずに自力で作ったりしている。
そもそも壬申戸籍にある農業人口八割では急速な工業化はできなかったはず。いろいろ出来た百姓が多くいたならうなずける。
男は農業、女は養蚕。しかし農家はあるが養蚕家という用語はない。果樹栽培家という用語がなくみな農家にされている。
(用語すらありません。肩こりは日本だけらしい。言語が与える影響は凄い。
夏目漱石による造語であるという説があるのが肩こり。
病名を発明して広めるだけで患者がなぜか誕生するのと同じ。
肩こりの原因が肩とは限らないので注意。
ゲームマングッチ @ktz2s5ph
「肩が凝る」という言葉は、夏目漱石による造語である。
それ以前はいわゆる肩こりの症状を特に指す用語はなかった。肩こりという言葉が生まれたことで、多くの日本人が肩の筋肉が固くなる症状について自覚するようになったと言われる。
ふぁぼ豆知識レーダー @favo_mame_radar 2014年5月8日
何らかの疾患を負っている場合を除いて
「外国人は肩こりにならない。」
そもそも「肩が凝る」状態がどういったものか分からない。
肩が凝るという言葉を世に広めたのは夏目漱石だと言われているが、
肩こりに苦しむ日本人が増え始めた時期は、漱石の書が流行し始めた時期とほぼ同期である。)
…
『もののけ姫』の元ネタの一つ。網野善彦『日本の歴史をよみなおす (全)』 (ちくま学芸文庫)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-91.html
…
『忘れられた日本人』(未來社、1960年/岩波文庫、1984年)
・山などは迷い易いから歌をうたって周りに自分の存在を知らせたりしていた。民謡は娯楽だけでなく安全確保の手段でもあった。
・五寸釘を何十本というほど打ち込んだ木。その釘は人形に打たれているから藁人形に打ちつけたものに違いなく、その木は森の中の神殿の背後にあったという。この釘は木の肌から五寸ばかり入ったところに釘が刺さっていた。木に打ち込んだ釘がやがて幹の中に巻き込まれていって、木の皮から五寸も中に巻き込まれるには百年を超える年数がたっていることであろう。
・「世話焼きばっば」
村の中の何もかもを実によく知っていて、絶えず村の中の不幸なものに手を差し伸べているのであり、それも決して人の気付かれぬところでそれをやっている。このような世話役は、人の行為を単に善悪でみるのではなく、人間性の上に立ち、人間と人間との関係を大切に見ていく者でなければならない。そういう役割は、家督を子どもに譲って第一線から退き、隠居の身になって世間的な責任を負われることの無くなった老人にして初めて可能なことであった。村の中で解決がつかないときには村の外へ出してやることが一番いい解決法であった。
(ポール @paulnakahara 2012年7月2日
例えば「世話焼きばっば」。ばっばは婆さんの意味か。少し引用しよう。「他人の非をあばくことは容易だが、あばいた後、村の中の人間関係は非を持つ人が悔悟するだけでは解決しきれない問題が含まれている」。そこで村の女たちは世話焼きばっばを頼るわけだが、この一節だけでも既に痺れるわけです。
世話焼きばっばの「年とった物わかりのいい女の考え方や見方が、若い女たちの生きる指標になり支えになった」。そして、「何かも知りぬいていて何にも知らぬ顔をしていることが、村の中にあるもろもろのひずみをため直すのに重要な意味を持っていた」。これです、知っているのに知らぬ顔。)
・観音様というあだ名の女性がいた。
(観音様とは男性器が出入りしたり赤ちゃんが出たりするもののこと)
当時の女性は大抵はパンツをはいていないので、女性がうずくまると観音様を見ようと思えば丸見えで、ある日若い男がチラチラと観音様の観音様を見ている。
「あんたどこを見ちょるんの」
と観音様がどなりつけたら
「観音様が開帳しているで、拝ましてもろうちょるのよ」と言ったげな。
そしたら「観音様がそがいに拝みたいなら、サァ拝みんされ」
って前をまくって男の鼻さきへつきつけたげな。男にとっては何ぼええもんでも鼻の先へつきつけられたら弱ってのう、とんでにげたんといの。それからあんた、観音様って言うようになったんといの。それからあんた、若い者でも遊びにでも行こうものなら
「あんた観音様が拝みたいか」
って追いかえしたげな。隠すから恥ずかしいげな!
女たちのこうしたエロ話は田植えのときに特に多い。田植歌の中にも性行為をうたったものが多い。作物の生産と人間の生殖の連想や、休憩と娯楽としてのセックスも影響していたのだろう。正月の初田植の行事に性的な仕草を伴うものが極めて多いが(姫始めですか)、田植のときのエロ話はそうした行事の残存とも見られる。早乙女(田植えする女性)というが若い女だけではない。若くなくても若くてもエロ話をする。
無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。エロ話の上手な女の多くが愛妻家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。
(彼女らは幸福です。でも、性が今よりゆるやかだった時代でも勿論、性的虐待などはあります。負の側面は常に存在します。強姦が発生しやすい場所や手口とかを学校できちんと教えるべき。あと男にも強姦罪を適用せよ。性器・舌・体毛などがつくアナトミカル・ドールの使用を浸透させ、言葉を発して無理矢理証言させるのを止めさせよ。
レイプの男性被害http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-date-20130728.html)
・聖徳太子の御廟で「(太子の)一夜ぼぼ」する話が出てくる。男女でまぐわう集まりである。「出せ出せや酒を、酒を出さねばヨーホーホーイ」というような音頭のぞめきの中で男は女の肩へ手をかける。女は男の手をにぎる。相手がふりはなさなかったら約束は出来たことになる
(性におおらかな頃だからこそ、拒否されたら苦痛は大きいだろうな)。
よい子だねをもらうためにくる女もいる
(古文で寺社で歌を上手く歌ったら子どもを授かったという話があるが、歌で性交渉の交渉をしたりしていたのだろうね。上手い歌には功徳ありっていうのは性の相手が見つかり易いという意味もあるのだろう)
・世間師(2) 字が読めないことでどれだけ損したことか。地租改正で米で納める年貢が銭になるときいていたが、その時、野山が官有林になったことを知った者は一人も村にいなかった。下戻運動(さげもどしうんどう)をおこしたのはずっと後になってからである。文字は帳面がなかったので手や土塀などに書いて覚えた。弁護士はそのころ三百代言といった。法律をたてにとってウソばかり言ってみんなからお金を巻き上げた。文字の読み書きと法律を学ぶことが一番大事なのだ。字を知らぬ人間は騙され易かった。
(読み書きそろばんということばは正しい。日本のホームレスは字が読める。驚くべきことだ。
コバヤシタツヤ @tentosen 7月27日
宮本常一の『忘れられた日本人』にもあったかつての村にあった全員一致するまで続く話し合い。昨夜郡山石莚で聞いた話もまさにそれだった。決まらないときは「風くっちょけ」といって一旦違う話にする。村の理論。コモンズ。
しい @sseyou4040 6月16日
以前、せどりを専門にしている人の本を読んだが、その中で、『忘れられた日本人』は、いまでも売れ続けているロングセラーで、値段が下がりにくい、せどりの定番商品だとあった。未来社版の初版は1960年刊行なので、55年も前の本なのに。
ビフィダス3日目東D24a @nnrmsys 6月9日
タイムラインの皆様に、とびきりすけべな本をお教えしましょう。
宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫
田舎の少年が年上の女の子たちと山川で遊んでるうちに遊び半分で性交し始めるエピソードがあります
Sakamoto @Sak_am_oto 2011年10月30日
宮本常一の『忘れられた日本人』読んでると、凄いな…平民は性交しまくりだ。所謂フリーセックスではないか。
Sakamoto @Sak_am_oto 2011年10月31日
『忘れられた日本人』には初潮前の少女と少年の性交場面が記録されているが、やはり青少年保護されてしまうのだろうか?
『忘れられた日本人』松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0239.html)
長い記事をお読み下さりありがとうございました。
『もののけ姫』の元ネタの一つ。網野善彦『日本の歴史をよみなおす (全)』 (ちくま学芸文庫)
Posted on 2015.07.29 Wed 09:33:20 edit
網野善彦(アミノ ヨシヒコ)〈日本の歴史をよみなおす〉
【要約】
・中世日本は農業国だと思われがちだが実際は違った。
・百姓は農民ではない。百姓=多彩な職業。
・処女に価値がなかった。
・カタカナは多くは神仏にかかわりのある文書に使われ、口頭で語られたものを書きとめる文字だった。
・古くから水上移動、水運は大変活発だった。
・金融は神仏の世界に属していた。
・穢れに対する畏怖が抜け落ち差別意識を生んだ
・『もののけ姫』の元ネタの一つ。宮崎駿は網野史観にインスピレーションを受けた。網野自身も『もののけ姫』を「ずいぶん勉強した上でつくられている」と評価。
・我々が感覚的に理解できる社会はどこまでさかのぼれるかというと、室町時代ぐらいまでが限界。ほぼ十四世紀の南北朝動乱以前=十三世紀以前、と以降とでは常識と思想の質にとてつもない隔たりがある。
つまり、十四世紀は大転換期。
第1章 文字について
・カタカナ=口頭、神仏、人ならざる世界
ひらがな=女性
漢字=男性、公的
算数の問題。
漢字、ひらがな、カタカナの三種類の文字を使うと、七種類の文字表現ができる。
唯漢字
ただひらがなのみ
タダカタカナノミ
漢字とひらがな
漢字トヒラガナ
ひらがなトカタカナ
漢字とひらがなトカタカナ。
江戸時代後期の識字率は平均して四割ぐらいだったらしい。特に、都会での識字率は非常に高い。
つまり、日本社会では、文字社会、文書の世界では均質度が高いといえる。
しかし、無文字、口頭の世界ははるかに多様である可能性がある。
文書を見ると、文字の普及≒ひらがなの普及、という形で進行していったことがわかる。
少数派のカタカナは、基本的には口頭で語られることばを表現する際に使われていたといえ、しかも、口頭で語られる言葉が文書にされる場合には、中世前期では、神仏と関わりを持つ場合が多かった。
例えば、カミ(ガミ)に何かを誓う起請文(きしょうもん)、告文(こうもん)、あるいはカミ(ガミ)に願い事をする願文(がんもん)、あるいは逆にカミ(ガミ)の語る託宣を書いた託宣記、あるいは夢を見たときすぐにそれを書き記す夢記などのように、シン仏とかかわりを持ち、しかも口頭で語られたことにかかわる場合に、カタカナが顕著に使われているとはっきりいえる。
カタカナ ハ カミ ノ コトバ ナノダ。
また裁判のとき、被告・原告の双方の発言を記録する場合、漢字にカタカナをかなり交えた文体で書かれることが多い。これを宣命書(せんみょうがき)という。
被告の白状を記した白状記にもこうしたカタカナ混じりの宣命書の文書が使われることが多い。
それから、はっきりしているのは、落書あるいは落書起請(らくしょきしょう)のほとんどがカタカナで書かれていること。
落書は、落とされることで、人のものではなくなり、人以外のもの、シン仏のものになってしまうのでカタカナ書きだったらしい。
落書起請(らくしょきしょう)は、たとえばある集団の中で誰かが盗みをやったとする。しかし誰も白状しないときに、カミ様に誓って偽りを言わないという起請をして落書を書き、無記名投票で犯人の指名をしたりしたそうだ。落書自体が(人間が書いたとしても)シン仏の声であり、これを更に制度化したのが落書起請であり鎌倉中期ごろからみられ室町時代にいたるまでほとんどカタカナ表記。
以上でわかるように、カタカナは、文書の世界では基本的に口頭で言われた言葉を記す文字であり、しかも中世前期には、そのような口頭で語られることを文字にするのは、シン仏に関することが多かったので、必然、神秘的存在や超常存在にからむことになる。
シン仏に関係なく、音を耳で聞いて書きとるときもカタカナが多く使われたそうだ。
カタカナは画数が少ないし、漢字やひらがなよりも早く書けるからかもしれないが。
また、何かを訴える申状(もうしじょう)の中にもときどきカタカナで書かれたものがある。ただし、鎌倉時代の正式の百姓申状の多くは漢字表記。
漢字を使わずカタカナ表記だからといって、幼稚ではないことを念頭に置かないといけない。はじめに習うのがひらがなとカタカナだからといって、馬鹿にしてはいけない。
また、日記というその日に起こったことをその場であるいはすぐあとで記した文書、もカタカナ表記が多い。
実は、寺院関係に伝わった本にカタカナが多い。おそらく、漢文の訓点として使っていたからだと思われる。実際、ひらがな表記の和歌も、僧侶が書くとカタカナになったりする。
禅僧や儒学者もカタカナを江戸時代でもカタカナを多く使っている。
もしかして法律文が昔は漢字とカタカナだったのは以上が理由かもしれない。
まとめ。カタカナは特別な場合に使われるのであり、庶民はあまり使わない文字であった。
(カタカナは早く書く必要がある場合に重宝されたのでは?
そもそもカタカナもひらがなも漢字の簡略化だし。どこがヘブライ語だよ!
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』
と茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマ
と大日本皇道立教会
と鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
日ユ同祖論と中ユ同祖論の発明者(原型含む)は17世紀のイエズス会士ロドリゲス。
日本のことなのに日本語版Wikiには書いていないうえに、日本語版では日ユ同祖論の起源が明治期のマクラウドだという嘘を書いている。
佐伯の同祖論を支持したのはキリスト教徒。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-83.html)
・ひらがな
=女文字
であり、女文(をんなぶみ)という独特な文体できてきて、すぐれた女性作家文学ができる。
前近代に女性が優れた文学を残す例は世界的にみても日本だけだと思われる。
琉球国王が、日本国王である室町将軍家に手紙を内々に送ったときはひらがなを使っている。ただし、受け取りと返事は女房が書いたのでやはり、ひらがなと女性は不可分と言える。
女流文学が生まれたのは転換期以前すなわち十四世紀まで。室町以降は全然出てこない。
ひらがなははじめは女性が使い、それを男性が取り込む形で普及していった。
男性は、平安から江戸までずっと、公的な世界では漢字を使っている。
公家でも武家でも漢字が正式。
鎌倉への出先暴力担当機関(いわゆる鎌倉幕府)の関東下知状(かんとうげじじょう)などの裁判の判決所はすべて漢字表記。証拠書類はひらがな表記が多いのだが、判決文に書く際にはわざわざ万葉仮名=漢字、になおしている。
江戸時代の百姓(農民じゃないよ)の名前に極めて多い、兵衛、右衛門、左衛門、右馬丞などはみな文書主義律令官職名の変形なのか、漢字表記なのは意味深い。男性名だし。
男性がひらがなを使い始めるのは当然、私的な書状からはじまる。
譲状という、財産を譲るときに作られる中世独特の文書(江戸時代になるとほとんどなくなる)はひらがな表記が多い。
室町時代以降なるとひらがな混じりが爆発的に広まることと関係があるのだろう。
(日本は識字率が高かったらしいので、文字を利用した統治が意識して行われたそうです。高札なんてまさにそう。江戸時代の村請制は、数値計算と読み書きができないとできないことでした。
識字率は、支配層はほぼ百%で、庶民は富裕なら高かったでしょうね。あれ、これだと世界共通の傾向ですね)
ちなみに、鎌倉時代までは字がきれいだが、室町以降はきたない字が増える。文字に対する畏敬の念がなくなり、実用道具と捉えるようになったからかもしれない。
(『どちりなきりしたん』は漢字がほとんどないから読みにくかったなあ。
「どちりいな-きりしたん」16世紀にGODを神と訳していないし、loveを愛と訳していない。偽書を見抜こう。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-21.html)
・明治になると、カタカナがとたんに増え始める。
法律と軍隊では言わずもがな。初等教育で最初に教えられるのはカタカナ。ひらがなじゃないよ。
しかし日常世界の庶民はひらがなが支配的。
(パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月17日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p26 それでは、このような少数派の片仮名は、どういう用途で文書に使われているかということですが、基本的には、口頭で語られることばを表現する場合に使われていたといえます。 ← 振り仮名や外来語が片仮名である理由かもな。
p46 たとえば明治になると、とたんに片仮名がふえはじめる。法律と軍隊の用語には、片仮名がもっぱら用いられますし、初等教育にも片仮名が最初に教えられるようになります。 ← 大日本帝国憲法や民法が漢字+片仮名である理由かもな。)
第2章 貨幣と商業・金融
・拝金主義(文字通り)。
昔々は、土の中は異世界だったから、埋めるとお金は人のものではなくなった。
(今なら、土の中にお金を埋めれば隠すためであり所有権は失わないと考えるでしょうね。
雲の上(見えない)、土の下(見えない)、地上(見える)の三世界が明確に存在している神話って結構多い気がするなぁ。
お金は、紙や金属片に「信用」なる呪術を施して、共同幻想を作ることで成り立っている。
信用創造という国際キリスト教金融資本の金融兵器の根源。
宗教兵器はキリスト教。ユダヤは単なる実行部隊)
・日本で本格的に金属貨幣が鋳造されるのは八世紀はじめ、和同開珎なる銅銭、銀銭がつくられたのははじめだとされていて、それ以来、いわゆる皇朝十二銭という貨幣シリーズが十世紀中ごろまでつくられる。
しかし、金属貨幣がはじめて本格的に流通し始めるのは、十三世紀後半~十四世紀ごろ。
かなり遅く感じられる。
貨幣の鋳造は中国制度の需要にともなっておこなわれた側面と、財源確保の側面などがあるが、調・傭などの貢納に用いられたりしたものの、実質的に社会の中に貨幣が流通したにはしたがほぼ畿内に限られていて全国(範囲に注意)的には流通しなかったらしい。
(貨幣鋳造は権威を示し、財源不足を補うため。
財源に困った日本律令王権は財源が欲しかった。
当時は実物でありお金じゃないことに注意ね。
貨幣制度では、金属片や紙切れを渡して実物を得ることができるので、物々交換のために相手に実物を渡さなくて済みます
……って今の白人キリスト教徒のロスチャイルドを盾にする欧州貴族勢力の銀行家と同じ手口ですな。
しかし、日本律令王権は蓄銭叙位令出しても失敗しました。そもそも商品生産量が多くならないと貨幣を使うメリットが薄いので当然と言えば当然。豪族からすれば、なんでこんな金属片貰って実物渡さないといかんのかというわけです。
張り子の虎を渡して本物の虎が欲しい!
アイボリー @mrunsmily 2014年6月13日
お宝鑑定団は、鑑定家達の魔術を披露する番組という様にもとれる
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 8月26日
価値を与えるマジック(魔術+呪術)
①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。
②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。
葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。
@mrunsmily
kS @Jd805 8月27日
@kitsuchitsuchi @mrunsmily 神道詐欺というと、戦前からあったとされる稲荷系神社は全て嘘なんでしょうか?
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 8月27日
@Jd805 @mrunsmily 神社が天皇を動かしたのは嘘。愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理した。仏教徒の天皇と本地垂迹説=仏教圧倒的優位、門跡寺院はあるが門跡神社はないことを隠す為に、神道=和風耶蘇教の儲のガーター勲章持ち偽天皇をクリスチャンが捏造。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 8月27日
@mrunsmily 蓄銭叙位令の目的は流通を促す為という説明は一面的。
真の目的は財源=現物確保。物々交換=等価交換が嫌で一方的に財産が欲しい朝廷は、金属片を貯めれば位が得られるようにする。等価交換ではないと理解していた人々にはあまり効果なし。朝廷も金融詐欺で財産を奪おうと画策。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 10月14日
@makeanovel 葉っぱをお金に変える狐や悪い魔法使いが心を操っているお話は本当のことを喩え話で伝えているのだと教えたり、真偽の判断基準を教えたり、嘘だらけだけど本当のことも良いものもあるとセットで伝える等バランスが大事。不登校は実はまとも。学校は定時奴隷労働者の訓練施設。
風の子 @makeanovel 10月14日
ふむふむ、とても役にたちます。なるほど昔話や童話みたいなのには、そういう真理が描かれていたんですね。そういえば狐が作ったんじゃないけど、今私達が価値があると信じてる貨幣ってほんとは・・・みたいに気付けますね。納得。 @kitsuchitsuchi)
・そもそも少なくとも律令時代の日本人は貨幣を、今日つかっているような意味では認識していない。
流通と交換価値としてではなく、和同開珎は、一種の呪術的な意味をもった使われ方もしている。たとえば、寺院を建てる際の基壇(=敷地面より一段高くつくった建物の基礎)に和同開珎を必ず置いたりしたり、あるいは美濃国(岐阜県南部)の不破の関の発掘すると和同開珎が建物の隅に置かれたりしている。
儀式や呪術にも使われた。
要は、貨幣を今のように使う必要がなかったということ。
律令政府の力が弱まって来る十世紀移行には、日本では貨幣が鋳造されなくなる。貨幣が鋳造され流通するには統一国家が必要であり、相応の国力が必要なので当然と言える。
当時も、交換価値としての貨幣として絹や米が使われていて、十二世紀半ばまでは確実に続いている。
ところが十二世紀後半~十三世紀になると、平清盛が力を入れた日宋貿易もあいまって、本格的に宋から銭が流入して来る。
かといってすぐさま交換価値として使われたというわけではなく、十二世紀後半の清盛の時代、疫病が流行すると、この病は銭のせいだと「銭の病」といううわさが広がったりした。
価値尺度としての銭も広まって行ったが、米を基準に価値判断することはずっと続いていくことになる。
兼好法師が書いたらしい徒然草なる書物には、銭を「君のごとく神のごとくおそれとうとみて、従え用いることなく」という話があるように、文字通りの「拝金主義」、呪物的扱いがされることも十三世紀後半~十四世紀にあったりする。
が、十五世紀となると銭は支払いや交換手段として広く流通するようになる。
文字の普及と共に貨幣の普及も、全国均質化を促進し、日本人なる民族が形成されていく。
(兼好法師は神社出身なのに仏教に帰依して出家と言うよくわからない人なのですが、仏教国教時代にも神社と神道は権力があって仏教徒の天皇にものすごく影響したよという嘘の存続のために利用されているのでしょうね。でも兼好「法師」だからね。陰陽師ですら仏教徒なのに。
"12世紀後半の清盛の時代、疫病が流行すると、これは「銭の病」だ、貨幣を使うようになったために起こった病だという噂が広がるような、金属貨幣を呪物として見る意識が強かった"
が、日本人が拝金教信者だらけになることを防いでいた理由の一つでは?
神仏の世界と金融の関係は、宗教と金融の関係に繋がります。
宗教家が金融やると禁欲の教えがあるから欲望の暴走をある程度抑えられていたけど、商人が金融やると欲望の暴走が止まらなくなり超悲惨になります。
商人がカルトを作っているのは、宗教=キリスト教が銀行を牛耳っていることを知っているからでしょうね。
金を支配するなら宗教が一番ってこと。
大企業=カルト。
ブラック=違法企業=カルト。
ブラックと言うな、違法と言え。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月23日
つーかなんでヌッポンの「保守」思想はプロテスタントのカルヴァン派の過激派の労働教&経済合理至上主義&拝金主義が入ってるんかね?明治以降の売国奴だけど西洋を批判した文化人 は、西洋の経済合理主義や強欲主義は獣のようだと激しく批判してるのだけどね。保守ってなんだよ?
エドマンド・バークの「保守」の定義は先祖伝来の価値観だ。ヌッポンは拝金主義や労働教は先祖伝来の価値観ではない。江戸時代末期にヌッポンにやって来た外人は日本人は怠け者だと書いてるからな。戦前もだけど、戦後ですら金儲け至上主義的な価値観は商業の世界でもかなりタブーとされたんだよ。
日本の「保守」とやらの異常さを見れば、エドマンド・バークがかなりマトモに見えるぞ?(笑) バークは立憲君主制支持者でリパブリカンだから、王権の正当性は訴えるけど、絶対王政とかは認めないし、ましてや革命なんてご法度という立場だ。それに比べて日本の「保守」は極左にしか見えない。
そもそも日本の支配層だった武家は藩校で朱子学や儒学を学び四書五経を読むわけですよ。儒教では商業は地位が低いとされてたから士農工商という事になるわけ。だからヌッポンの伝統が経済合理主義や拝金主義なんてありえないんです。もし今の特権階級が本当に保守なら何でミッションスクールに行くの?
本当にヌッポンの「保守」が本物なら、ミッションスクールなんか行かなくて昔から続いてきた学問を重視するよね?で、商業の上に倫理観を置いてそれをコントロールするよね。少なくとも戦後のしばらくまではそうだった。で、何で今の「保守」は金を稼がないと死ねみたいな発想になるわけ?
王王大栄 @ououdaiei 7月23日
@lakudagoya そのとおりですよね。保守の多くが心酔する維新志士たちは陽明学者の松陰に、四書五経と兵法をベースにあと知識として世界の知識を学んだわけです。基本は漢籍古典、儒学と兵学です。のにね・・・日本の保守とは「欧米人を保守する。」てことでしょう。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月23日
@ououdaiei そうそう、日本の「保守」という連中はクリスチャン臭い価値観で、儒学や陽明学なんて知りもしない連中です。もし江戸時代的な保守(笑)なら中国や韓国を見下すわけないですし、こういった日本古来の学問が失われたことは困りますね。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 10月16日
@makeanovel @onigiri3_ 英国WASPの救貧院=強制労働施設で分かるように、資本主義を発展させたプロテスタントはカトリック以上に奴隷労働肯定。勤勉な日本人を白人は褒めるけど、クリスチャンでもそこまでできない(苦笑)って感じですかね。日本人は無自覚クリスチャン。
風の子 @makeanovel 10月16日
日本の土壌にキリスト教は異質すぎるのでそのものを布教しないで、キリスト教の中身だけをキリスト教とはいわないで日本人になじみやすいものを利用したりして伝播したんですかね。ほんと自覚ないまま欧米のもの好きでした
RT @kitsuchitsuchi 日本人は無自覚クリスチャン。
Orphe @orphechin 2012年12月15日
最近の東の低所得層に対する扱いは実際ヴィクトリア朝めいていてコワイ。家のない人間を救貧院という名前の収容施設で強制労働させてた連中とどう違うのか。
ぽぽやまぽっく @ysm111 2013年7月5日
イギリスっていうと産業革命の頃に救貧院でホームレスを強制労働させたりしてたわけだよな
パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月17日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p50 また支払手段、流通手段としての貨幣というだけではなくて、和同開珎は、一種の呪術的な意味をもった使われ方もしております。 ← 経済人類学みたいな話。)
・中世の市庭(いちば。市場)は、モノとモノとの贈与互酬の関係を断ち切るための場所だった。
虹が立ったところに必ず市場を開け、という慣習が昔からあったことは(藤原道長の邸宅に虹が立ったので市場をそこで開いているほど守られていた)、虹をこの世と別の世とをつなぐものとしてとらえる観念が浸透していたを示しているように思われる。実際、市場は、山と平地の境目や、河原など聖なる世界に近い箇所で開かれるのが普通だった。
俗世から離れさせる市場(=カミガミの世界)が登場するまでは、モノとモノの交換には必ず人間関係がつきまとっていた。それではいわゆる商品経済にはなりえない。そこで特別な機能をもつ市場があらわれ、モノに付随する属人的な人間関係を断つところとなる。
市の場では、モノにせよ、人にせよ、いったん、神の世界のものにしてしまう。誰のものでもない。その上で、モノとモノとの交換が行われる。モノも人も、世俗の縁から切れた「無縁」の状態になる。
市場は、「歌垣」の場にもなる。男も女も、妻や夫との俗縁が切れて、自由に性交渉ができる場ともなる。
市場の無縁度合いは現代からみればスサマジイ。
市場で殺人がおこれば、その場だけで処理し、決して被害者の親族の報復はしてはならない場所だったほど。
(網野善彦が他の著作で盛んに述べている「無縁」「楽」システムも、この市場の中から生まれてきました。
縁を断って無縁にし、別の関係にすることが市場(市庭)の隠れた機能でした。
パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月17日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p56 そしてこれによってもわかるように市場は、神の世界と人間の世界、聖なる世界と俗界との境に設定される、と指摘しておられます。 ← お寺や神社での縁日の延長みたいなものか。)
・日本における金融(利息で儲ける)の起源は出挙(すいこ)。
出挙は、稲作と結びついており、最初に獲れた初穂はカミに捧げられ、神聖な蔵に貯蔵される。この蔵の初穂は、翌年神聖な種籾(たねもみ)として百姓に貸し出される。収穫期が来ると、百姓は蔵から借りた種籾に、若干のカミへのお礼の利稲(りとう。利息のいね)をつけて蔵に戻す。この循環が出挙の原理。。
(要は、借りた側は借りた量よりも多く貸した側に返せということ。
カミを介在させるあたりに、なんか教会が寄付しろと盛んに言うのと同じ雰囲気を感じるね。ヨーロッパではキリスト教徒は利息取れないようにし、「ユダヤ」という「職業」に就かないと利息を取って儲ける金融をできないようにしたのであり、カミでなくGODという違いはあるけど)
律令政府は公出挙(くすいこ)という、国衙の蔵に納められた租稲(そとう)を元本として春に百姓に貸付け、秋に利稲(利息としての稲)をつけて蔵に返済させるという、利息税とでも言える制度があった。
かといって国家以外も出挙はしていた。
金融はシン仏的、宗教的、俗ではない領域の行為だった。
神物(しんもつ)、仏物(ぶつもつ)の貸付は室町以降も続いていて、祠堂銭(しどうせん)といわれる、仏のものとしてれらに寄付された銭を貸し出すという形で低利息の金融が行われている。
(超絶儲かるね。
しかも地面に埋めるだけで無主になってしまうから幾らでも悪用できるね)
・公益や金融業を行う商人や金融業者は俗人にはできず、必然、神仏の直属民という「外れた」人々が担うことになる。
つまり、カミ直属の「神人」(じにん、じんにん)、仏直属の「寄人」(よりうど)、シン仏に準ずる天皇の直属民「供御人」(くごにん)といった「神仏の奴婢」である。
(ヨーロッパでも日本でも、金融と宗教と王族は不可分!)
ちなみに交易を行う人や芸能民も、シン仏や天皇に直属民の地位を得ていた。
例えば、鋳物師(いものじ)は十二世紀以降に、殿上で使う鉄の燈炉(とうろ)を天皇に献上する代わりに、全国を自由に遍歴して鉄や鉄器を販売する特権を認められていて、蔵人所燈炉供御人という長ったらしい名前で呼ばれた。なお、当時は手工業と交易は分離していなかったので(作る人と売る人が同じ)、商人=手工業者、だった。
博打は芸能に入る。確率はシン仏の意志のあらわれ。
(芸能界は裏社会なのは古代から変わりません。遊女や白拍子もね。
日本の歴史をよみなおす(網野善彦・聖なるものから世
http://ameblo.jp/lully-moliele-1660/entry-10550157401.html
”商人や職人の場合も、同じように交易はしだいに、世俗的な行為に転換していきます。商人と職人とはしだいに分化していき、まだ神人、供御人の身分は残っていますが、商業それ自体は世俗的な行為になっていったものと思われます。
職人にそくして一例をあげますと、十三世紀の後半以降に成立したと考えられる「職人歌合」という絵巻があります。何種類かの職人が左右に分れた番いになって歌を詠みあい、それを判者が判定をするという歌合の形式をとりながら、いろいろな職人の職能を歌と絵で示しているもので、江戸時代には「職人尽」として、広く世に流布することになっていくのですが、おそらくとも十三世紀後半から十四世紀にかけて成立した「職人歌合」は、神仏との関係をもつものになっています。
その一つの「東北院歌合」は、東北院でおこなわれた法会に職人たちが集まってきて、そこで歌を詠みあったことになっていますし、「鶴岡放生会職人歌合」は、鶴岡八幡宮でおこなわれた放生会の時に集まった職人たちが歌を詠むというかたちになっており、神仏とのかかわりで、職人歌合が行われたという形式になっています。
この歌合では、二種類の職人が左右にわかれて一番をなしているのですけれども、この二種類の職人が番いにされるに当たっては、何かの理由がかならずあるようです。
たとえば、しばしば鍛治と番匠が番いになっています。番匠は木工、現在の「大工」にあたりますが、なぜそれが鍛治と番いをくんでいるかというと、当時の鍛治は刀鍛治よりも釘鍛治が一般的で、釘や鎹をつくっていたのです。ですから鍛治は建築工として、神社や寺院に所属して寄人などの地位をあたえられています。鍛治が、建築の工人だったから、建築の中心的な職人である番匠と番いをなして現れるわけです。
このように、番いに組み合わせられた二種類の職人は、みなそれなりの理由があるのですが、興味深いのは、「東北院歌合」で巫女と博打打が番いにされている点です。そもそも博打打が職人歌合に登場するということ自体、十三世紀以前の社会の特徴が非常によくあらわれていて、おもしろい問題がそこにあるのですが、おそらくこれは博打打ちも巫女も、一方はさいころで、一方は神かかりによって、神の意志を伝える。そういう職人として番いににされているのですけれどもはないかと私は思うのです。
博打は、一面では社会の中で禁圧されていますけれども、他方で、籤と同じような意味もあったのだと思うので、博打は芸能であり、博打打ちにもそれなりの「道」??博打道があったことは、当時の史料の中でもはっきりいわれています。平安時代の末、「双六別当」「巫女別当」という役職が、加賀国の国ガにあったことがわかっており、京都の朝廷の官庁にも、双六打、博打打や、巫女を統括する役所があったことは確実です。実際、上皇の妃である女院がお産をするとき、祈祷師(験者)のうしろに、悪い「物の怪」をつける「物付」になった巫女がいるのですが、そのそばに双六の盤がおいてあるのです。そして巫女は「博を打つ」、多分さいころをふっています。これも民間でも行われており、博打打と巫女は宮廷でも密接な関係があったのです。
このような意味で博打打も巫女も職人の一種と考えてよいので、両者が番いにされているのも、こう考えれば当然のことです。そして十三世紀につくられた初期の職人歌合が、手工業者、商人、あるいは芸能民などの「職人」を神仏とのつながりのなかでとらえるとらえるいう見方に立っていたことは、この事実を通してはっきりとうかがうことができると思います。
(66.67.68頁より抜粋)”)
※供御=天皇や貴人の食べるもの。
(つまり供御人=支配層が〔精神的に〕食べる人≒生贄ってこと?)
・外れた人々は独特の服装をしていてそれが関所でのチェック項目になっていた。自由通行の特権衣裳。
山賊や海賊も手が出せない。
神人や供御人自身や持ち物を傷つけたり殺したりすると、大変厳しい罰を受けなくてはならないと考えられていて、彼らの死骸のある場所はそれ自体が聖なる場所となりシン仏の所領とされた。
なので、年貢取り立てに起用することもあった。
以上のような特質は、十四~十五世紀以降から大きく変わっていく。
だんだん、俗的になっていく。
・室町時代となると、金融、勧進等などによる寺院の経営が始まる。
鎌倉新仏教系の寺院に多い。禅宗、日蓮宗、律宗、浄土宗、時宗など。土地の所領はあまり持っておらず、特定の檀家や有力な外護者(げごしゃ)からの土地の寄進を受け、その力で維持していた。氏寺などとは異なる。
第3章 畏怖と賎視
・八世紀になると、律令国家が動揺し始めるせいで浮浪者や逃亡者などがたくさん出た結果、重病人や捨て子が問題になったので、非田院、施薬院(せやくいん)を作り、国家の力で救済した。光明皇后の仏教への帰依が原動力。
(税を納める人員確保の目的もあっただろうね)
・平安時代、非田院にいた人々に新生連という姓を与え、都の戸籍に載せて一戸の家とする。
奴婢ではなく、一般の良民、平民として扱われるが「新生連」という印のせいで、一見して非田院出身とわかるようになっている。
(戸籍見たら養子だとわかる今の制度みたいだ。
特別養子だと養子だと分らないようにするけどね。
法律定義集bot @eightspan_crow 7月22日
【特別養子縁組】…家庭裁判所の審判によって幼少時の養子につき、実方との親族関係を断絶し、実体的な法律関係のみならず、戸籍上も養親の実子として取り扱う特別の養子制度。戸籍の父母欄には養親の氏名のみが記載され、続柄も実子と同じように記載される。普通の養子縁組の要件より厳格
じゃがいも @_potato_0723 7月2日
特別養子縁組は両親との関係を断ち切ることができて、年齢制限あり
普通の養子縁組は両親との関係を断ち切らないで、両親、養親ともに存在し戸籍上は養女、養子となる年齢制限なし 私はここが大きな違いだと思ってる)
・ケガレとは、人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる恐れ、不安と結びついている、と考えることができる。恐らく死の不安や恐怖。
・十四世紀までの非人は、江戸時代の被差別部落とは異なる。
神人・寄人と同様、一般の平民百姓とはっきり区別されていた上に、神仏の「奴婢」として聖なる方向に区別された存在だったので、迫害されるだけの身分ではなく、畏怖や畏敬される一面も持つ。
よって不自由民である下人、すなわち世俗の奴婢ともまったく違う存在だった。
畏れられていたケガレを清める力をもつ聖別された職能民として位置づけられることもあった。
俗人には清められぬのじゃ。
南北朝前期の史料に「河原細工丸」といわれる人々が出てくる。長者に率いられて祇園社に属し、「裏無」(うらなし)といわれる履物を献納していた彼らは、「清目」とも呼ばれていた。
斃(へい)牛馬の葬送・解体・皮の処理や、牛や馬の死に伴うケガレの「清め」も河原で行っていた。ケガレを境目にて水に流す。
また、南北朝以降の史料には、井戸を掘ったり、大きな石や樹木を動かすなど、土木作業に携わったりしているのは、自然に対する畏怖の念が強く、自然を大きく改変する事に極めて慎重だった。
井戸を掘る際に陰陽師や河原者が関わっていたらしい。
ケガレ祓い。
・放免とは、広い意味の非人であり、獄舎につながれた後、放免された人々。着釱(ちゃくだ:足枷をつけている人々)とも呼ばれている。
放免された後、天皇直属の検非違使庁の下部(しもべ)にされて蛇の道は蛇だからと利用された。
童名(わらわな)という、幼名に「丸」をつける慣習がある。
しかし、放免は、例外なく「丸」をつけている。大人でありながら「丸」を名乗り、髪形などの姿形も童姿の者たちがいる。たとえば牛飼い。牛飼童。
童は、聖俗の境界にある特異な存在と考えられていたので、名前自体に聖性を持たせた。
(言霊ですね)
牛飼童の髪型を絵巻物で見ると「本鳥(もとどり)」を結ばずに髪を長く流して途中を結んだ髪型でポニーテールみたいな感じだ。ときには顎髭などをはやしている。
当時はもとどりを結んで折烏帽子(おりえぼし)をかぶるのが平民の成年男子の髪型なので、もとどりを切られてざんばら髪、蓬髪にされることは、平民の成人としての地位を剥奪されるほどに重要だった。
本鳥切りという処罰があったほどであり、もとどりを切るのは大きな侮辱を与えることであった。
ところが牛飼はもとどりを結っておらず童姿だった。
八瀬童子(やせどうじ)という、貴人の輿や柩をかつぐ人達が京都の北に住んでいた。かつて大正天皇の柩を誰が担ぐかで問題になったが、結局、京都の八瀬童子が担いだ。しかし皆が年寄りだったので重厚な柩をあわや落としそうになったりしたらしい。
昭和天皇の時も葬列に加わっている。
やせどうじの歴史は非常に古い。
平安時代、十一世紀後半には史料に登場する。
青蓮院(※)に属している炭焼きだった。畏れ多くも自然物を焼く仕事だ。
やせどうじはの名前には「丸」がついていて、恐らく子どもの格好をしていたのだろう。
伝承によると鬼の子孫らしい。
※青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院(神社じゃないよ!)のことであり、青蓮院は多くの法親王(天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が門主(住職)を務め、宮門跡寺院(門跡神社なんてないよ!)として高い格式を誇ってきた。
・中世前期までの牛馬は「畜生」や「四つ足」などとよばれて、卑しい動物という捉え方をされていなかった可能性がある。
絵巻物の牛は共通して恐い顔をしていて、ときによると牛飼を引っ張って疾走している。おとなしい動物だとは思われていなかったらしい。
要は野獣とみなされていて、それゆえに特殊な地位でないと扱えないとされたのかもしれない。自然物への畏敬だろう。虐待すれば天罰を受けるような獣だった。
・犬神人(いぬひじにん、いぬじにん、いぬじんにん、つるめそう=弦売僧)は、境内や御幸路の死穢の清掃などに従事した。
死者に対して贈られるものと副葬品を収入として取ると言う特権を与えられていた。
祇園社犬神人が現存する限り初めて登場したのは、日蓮の『御書』であり、嘉禄3年(1227年)の山門(比叡山延暦寺)の法然墓所破却が「犬神人(つるめそう)」に命じて行ったとある。
犬という言葉は卑しい意味ではなく、死者の物を取れる=俗ではない存在、という意味だろう。
(犬神人は死んだところが聖なる場になるから犬死にじゃないね)
「丸」は聖と俗の境であることを示し、呪的な力を与えたいときに名前に使うことがあった。
船や刀の名前に「丸」ってつける。命を預ける物だから。
楽器にも丸をつけていた。当時は音はシン仏をの関係でとらえていたから。
子どもの地位は特殊。七歳まではカミのうち。実際、平安時代末に、ある子どもが悪人を指名すると、上皇が本気で検非違使庁に命じて指名された人を捕まえさせることをやっているほど。
(鬼=キ=霊魂やゴースト。
中国語で鬼城=ゴーストタウン)
パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月20日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p113 野獣、あるいは野獣に近い動物は人の力をこえたものを持っており、それを扱う人びとも、ふつうの人と異なる特異な力をもっているという考え方がこの時期の社会にはあったのではないかと思います。
p115 むしろいまあげた「丸」をつけるものは、みないわば聖俗の境界にあるものであることに注意する必要がある。 ← 幼名(梵天丸等)、船の名前(咸臨丸等)、剣の名前(髭切丸等))
・『塵袋』(ちりぶくろ)という、鎌倉後期の古辞書における「穢多」の項目では、「キヨメヲエタと云フ」(清目=えた)、「根本ハ餌取ト云フヘキ歟。餌ト云フハシシムラ鷹ノ餌ヲ云フナルヘシ」(元々は鷹などを飼うための餌を取る職業を意味しており、それが転じて殺生を業とする者全般が穢多と呼ばれるようになった)、最後に「イキ物ヲ殺テウルエタ躰ノ悪人也」としている。
(カタカナ表記なのは『塵袋』が問答形式だからだろうね)
非人や河原者を「穢れ多い」悪人と見なす差別意識、卑賤視する見方が現れてきたことを示す。ケガレを恐れ、畏怖する意識が次第に消え、これを忌避しうる、汚穢として嫌悪するような意識が強くなってきた。自然がより明らかに人々の目に見えてきたために(文明化)、エタなどの人々へ抱いていた畏れの念が薄まり、忌避の念は薄まらなかったからだろう。自然観が変われば対応も変わるのだ。
一五世紀に入る頃、非人、河原者などの人々を「穢多」と呼ぶことが広まり、「清目」も差別語になった。一四世紀を境に、「穢れ」の観念について、かなり大きな社会的変化があったらしい。
・鎌倉新仏教とは、一三世紀後半の時期=ケガレに対する思想的な緊張のあった時期=ケガレに対する意識の転換期、に登場した、ケガレに携わる人々を救済する宗教である。
親鸞の「悪人正機説」なんてまさにそう。
『一遍聖絵』『一遍上人絵詞伝』には他の絵巻物と比べてもたくさんの非人、乞食が登場する。
浄土宗、一向宗、時宗、日蓮宗、禅宗、律宗は悪人、非人、女性に関わる悪、穢れの問題に、正面から取り組もうとした宗教であり、
時宗に関しては、ばくち打ちや童名の者とも近しい関係にある山賊や海賊などの悪党たちが高札を立てて、一遍の布教を妨害するなと宣言したので、三年間も妨害なしで活動できた。
対して、
『天狗草紙』では一遍がやっていることは天狗の所業だと悪罵し徹底的に、えた・非人らを卑しいとしている。
十三世紀末の思想対立がはっきり見られる。
被差別部落が東日本では非常に少ないのは東西の思想と慣習の違いによる。
東日本ではえな(胞衣)をなるべく人が踏んでいけるような戸口や辻などに埋めるが、西日本では、できるだけえなを遠ざけ床下に穴を深く掘ったり遠くの山に埋めたりした。
東は縄文的で、西は弥生的らしい。
東日本では罪人の首を武士が切り落としているが、西日本では放免あるいは非人にやらせている。
胞衣(えな)信仰
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/enasinko.html
第4章女性をめぐって
・鎌倉新仏教はほぼ共通して非人の救済とともに、女性の救済をもう一つの重要な課題にしている。
(中国語訳の仏典なので勝手に儒教的=男尊女卑、に改竄されています。原始仏教における、在家も出家も老若男女皆平等だという本来の教えに戻る運動とも言えるかもしれない。サンスクリットを教祖たちが読めたかは分らないので偶然かもしれませんけど)。
制度を考えるのに特に重要なのは、法律があるからといって守られているとは限らない。法律は単なる建前であり、実際は違っているかもしれないと常に念頭に置いておかないといけない。
明治になっても早いころの離婚率は非常に高いことから、江戸時代の離婚率も相当高いと推察できる。
江戸時代は夫だけが離婚権を持っているというステレオタイプは間違いで、妻の飛び出し離婚もかなりあったと思われる。妻が帰って来ないのでなく泣く離縁状を書く事態もずいぶんあった模様。
縁切り寺に行かないと離婚は絶対できないわけでもなかったらしい。
離縁状だけを見てしまうと、夫が妻に与える形なので誤解を招きやすい。
書く権利ではなく(しなくてもよい)、義務だった(しないとだめ)。そうしないと夫も再婚できない。
・神社や寺院に参籠して子供が授かった話があるが、俗なる関係(夫婦関係など)がない無縁の場所だったのでフリーセックスが行われた結果かもしれない。
・旅人は世俗と縁が切れている。山野・浦浜・市町・道路でおこった殺人事件などはその場にいた者だけで処理をしてかたき討ちのようなかたちで世俗の世界に持ち込んではならないとされたりした。
また中世、道を歩く女性に対して「女捕り(めとり)」、「辻捕り」が行われることがあった。強姦とは少し違う。少なくも建前上は強姦として法令で厳しく禁じられているが、あまり罪は重くない。貞永式目でも禁止されているが、「法師については斟酌あるべし」=坊さんなら(おそらく女性と性交渉の機会がない)事情を考えよ、とある。
道は聖性(性性?)を持っていたらしい。
・十世紀~十一世紀、女性の長者に率いられた、自立した女性職能集団として「遊女」が現れてくる。白拍子、傀儡とともに、神人、寄人と同様、天皇や神に直属する女性職能民だった。
(聖的なものは性的なものでもあるのです)
桂女(鮎売り女性)と大原女(炭や薪を売る女性)がいた。桂女は独特な被りものをしていて、一般人でないことが見ただけで分かるようにして遍歴している。
(パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月20日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p147 文書だけを見ていると、夫が離婚の専権を握っているかのごとく見えるのですが、実際は、むしろ夫は離縁状を書く義務があるといったほうがよい。 ← "三行半=低い女性の地位"という記述が高校歴史教科書からは削除されているかも…
p151 神前や仏前は神仏の力のおよぶ場所であり、そこでは世俗の縁が切れる。万葉集、風土記などに出てくる歌垣の場のように、そこには世俗の妻や夫の関係は持ち込まれない場所であり、(続)
p151 (続)それゆえに、男女が自由に交渉することができたと考えても、決しておかしくないのではないかと思います。 ← 祭りでの浴衣姿に発情するのはその名残りかも知れません。
p165 そうした聖なる倉である土倉の管理に女性がかなりの比重が現れるという事実は、女性の性そのものの特質とおそらく不可分の関係にあるのだと思います。 ← キリスト教世界では女性以外が子を産むのを禁じ、利子を認めなかったと(ヴェニスの商人)。)
第5章 天皇と「日本」の国号
・天皇という称号が安定的に用いられ、制度的に定着するのは、清御原律令制定の頃であり、持統天皇から。つまり持統天皇より前の天皇は天皇ではなく大王(おおきみ)と呼ぶべき。
日本という国号も、七世紀後半、律令体制が確立した天武大王、持統天皇のころ、天皇の称号とセットで定まったと考えられている。それ以前に日本も日本人も存在していない。倭人である。
ちなみに、柵封体制下では国号とは自ら名乗るのではなく中国皇帝から与えられるものだった。
(子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 10月30日
神道のお札の元ネタは道教のお札。
茅山道教を創始した陶弘景(5・6世紀。皇帝の相談役)は「道教は神道」と主張。
天皇崇拝は星崇拝であり太陽崇拝ではない(天照は誤り)。天皇は天皇大帝の略称。天皇大帝は北極星の神格化であり剣と鏡の二種を象徴として持つ。日本の皇室でも元来は二種の神器。)
桓武天皇は、天智大王系の天皇であり、八世紀、一貫して天皇および大王だった天武大王の皇統につながる人を全部抹殺して天皇となったことから新王朝の王とみる見解もある。その桓武天皇は昊天上帝(こうてんじょうてい)、天帝を祀る中国大陸風の祭祀をしているが、結局は自らの正当性を示す手段として使われていた。
(桓武天皇の母親は、百済系渡来人の高野新傘(たかののにいがさ)だったことも関係しているのかもしれません。
朝鮮半島に住んでいた人の血が天皇家には入っていることを偽天皇が認めたことを、統一教会や生長の家や神道政治連盟や日本会議の似非右翼の皆様は無視するんだよねー。
パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月23日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p186 まず、中国の律令制の骨格は儒教で、天命思想、易姓革命の思想(天子は天の命によってその地位にあるので、天子に徳がなければ、天の命があらたまり、天子の姓がかわる。王朝が交替するという思想)がその背景にあるのですが、(続)
p186 (続)この国家が律令制を取り入れる時に、この天命思想と易姓革命の思想は注意深く排除しているということが注目されます。 ← 中国共産党に"徳"はあるのか。
p204 実際、天皇の称号の定着した持統以来、江戸時代までの天皇は、二、三の例外を除き、みな火葬で、聖武以来仏式ですし、墓も泉湧寺をはじめ、寺院に葬られていたのです。 ← 再び火葬に戻ることは、先日ニュースになってた。
……
天命思想と易姓革命の思想を排除したのは、それらを理由に叛逆されないためでしょうね)
天皇の二つの顔
太政官という貴族合議体の頂点に立つ、公の王としての天皇の顔
各地の贄の貢進をうけとる律令には規定されていない、祭司や稲の王としての天皇の顔である。各地の生産者や職能者とモノを通して結びついていたりする天皇(家)。
おおやけ=大宅(共同体の代表である首長の家や倉)=公
公家=(古代では)天皇。
中世には、将軍=公方(くぼう)、
近世では、幕府・大名=公儀。
平民たちが、年貢・租税を廃棄せよというスローガンを公然と掲げたことは、古代から近世にいたるまでほとんど見られない。租税、年貢を減免せよ、軽減せよという運動は無数におこっているが、年貢をすべて撤廃せよという運動は見られない。
九世紀のころから宮廷行事に仏教行事が本格的に入り込んでくる。もともと僧綱(そうごう)という僧侶の統制機関が律令制の中に設けられていて、国家が僧尼令によって寺院や僧侶を厳しく統制していたのだが、大仏造営の過程で事態が大きく変わり、天皇自身が「仏の奴婢」とまでになってくる。
さらには天台宗と真言宗が登場しだしてくることもあいまって、十世紀以降になると神社と結びついた大寺院の力が非常に強くなってくる。
実際、天皇の称号が定着した持統天皇以来、江戸時代までの天皇は、二三の例外を除き、みな火葬で、聖武天皇以来みな仏式であり、墓も泉涌寺(※。せんにゅうじ。御寺[みてら]と呼ばれる)をはじめ、寺院に葬られていた。墳丘もつくられていないので、昭和天皇のような葬儀や墓は、明治以降にはじめられた。
(「古来の伝統」なんてものは簡単に捏造できます。
伝統=長く続いてきた、と言うなら仏教式じゃないとね。
神道式=キリスト教の変化形式)
※泉涌寺。
ウィキみると、京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院とあるくせに、後の記述で、泉涌寺は律を中心として天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学(または律を含めて五宗兼学とも)の道場として栄えたとある。天皇家が戒壇まで作った天台宗系じゃないの? 真言宗の戒壇って天皇家は作っていないんじゃないのかな。真言宗って途中で滅びかけているしおかしいね。
理由↓
“以前なんか「鑑真をやけに取り上げてる」と思った答えなんだけど、「たぶん」天台宗と鑑真の関係だと思う。【20080912】
天台宗はもともと、「北朝天皇の宗教」だったわけ。
で、鑑真=唐で新羅とも関係あるんだけどね。
これは歴代の北朝天皇の菩提寺である京都東山の泉涌寺(せんにゅうじ)も天台宗だったわけ。
1872年に真言宗に改宗させられてるけどね。
さらに鑑真と北朝宗教の天台宗でいうなら、鞍馬寺。(ここと繋がりが深い→貴船神社、貴船→賀茂で、神社全庁にも繋がる)。
鞍馬寺は、もともと天台宗で、神智学に影響されてスピリチュアル化した、今は鞍馬弘教、鑑真の弟子、鑑禎によって作られた。
この鞍馬寺が北朝宗教を微妙に継承し、神智学化したスピリチュアル仏教の巣みたいなとこと予想している。
神社全庁との関係があることでもわかるとおり、今の北朝=左翼と重なる左メソと、南朝支配の明治維新の根幹をなした坂本竜馬のように、その南北融合的なポジションにいたのが鑑真だったってことね。
北朝宗教=天台宗なら、簡単な構図でしょ?
明治維新の時、こういう北朝仏教を弾圧し、一部はこうやって融合した段取りをつけたのがどこかってことなんだけど。
北朝天皇のお墓、泉涌寺を廃仏毀釈で、一時は閉鎖寸前まで追い込み、そして「真言宗」に改宗させたことでもわかるとおり、その神道勢と一緒に天皇すり替えを加担した仏教部の中心が、あの真言宗の本山、「高野山」なわけです。
で、当時は絶えていた南朝正統宗教、真言密教の立川流を復活させてできたのが真如苑なわけ。
天台の教義には、法華経(円)+密(台密)・禅・戒という四宗兼学という言葉があります。
それなのに、その教義に「自分の宗派が一番!」と言い張ってた=対立していた真言宗が、同じ密教だから「無理やり」含まれたことにしてしまってるわけ。
もともと天台宗だった天皇家の菩提寺である泉涌寺が(調べりゃ誰でもわかる)、明治維新後にいきなり、この理論から「真言宗の泉涌寺派」などとなっちまってることから、簡単にわかることなんだけどね。“轍(わだち)【20101126】http://www.mkmogura.com/blog/2010/11/26/972
北朝鮮の核【20080912】
http://www.mkmogura.com/blog/2008/09/12/138
”P129の「次の標的としての北朝鮮そして日本」
まず、ここに慶尚道、全羅道の対立が書かれている。
韓国内での対立、慶尚道=新羅、全羅道=百済、高句麗=北朝鮮のことだ。
この人は、ちょいと北朝鮮のことを「良く言い過ぎ」な感があるが、高句麗と日本の関係は歴史的に見ても深いのは事実であって、その実例が書かれている。
こっから、左翼系?と勝手に判断させてもらったが。
「ひとつ、ふたつ、みっつ」、「やま」「たに」などの日本語の読み方が高句麗の言語からのものであること、
6世紀から8世紀ごろの話や、高松塚古墳、長野や福井、新潟の話、続日本記についてなど。
天智天皇が唐からの攻撃から高句麗を守るため、日本から水軍を派遣したこと、百済からの当時の亡命者のために朝廷に役職を増やしたことなど、壬申の乱などについても書かれていたりする。
これは、実に面白い。
知ってのとおり、日本は「南北朝時代」という言葉があるのでわかるとおり、「南朝」と「北朝」という、朝鮮から来た天皇を祭り上げて歴史を作ってきたわけだ。
さらに言うなら、
>創価学会の母体となった大日本皇道立教会は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、1911年に創立された。
そういうこと、創価学会も南朝を掲げている。
昭和天皇と現天皇、靖国カルトを祭り上げてる奴らが慶尚道=新羅なら、創価学会は全羅道=百済になるのかな?ここらへんを今後調べてみたいと思う。
6世紀からの百済の移民が、明治維新後の移民推進に、どう関係してきたのかも。
以前、日本の在日の大部分が全羅道で、戦後の帰国を断った慶尚道とは違うのは書いたわけだ。まず、この本を読んで調べてみればよかった。
まあ、何かわかったら書くつもり。
歴史上、北朝と南朝が入り混じるので、あながち源氏と平氏の対立が今も続いているという話も嘘ではないようだ。
メソなどのイルミナティ勢力や外国からの明確な糸は明治維新からで間違いないと思うのだが。
正直、こんな状態で天皇を祭り上げてるのは、どうかと思う。
「日本という国体維持」に天皇が必要?馬鹿いっちゃいけません。
反権力的な生き方というのは、自分の生まれた土地で、「自分の目に映る大事な物を保守」し、「ない物は作り」「正しいことがわかるように教育し」、多数の反対意見と対立の中で「調和を目指す」ことですよ。
天皇という個人の人権を侵害して、「すり替え説」のように、権力の道具として、あちこちから利用され、奪い合うものに大儀はありません。
(…)
まず、イルミが作った社会主義のシステムを「世襲」でやると、とんでもない馬鹿国家が出来上がるわけだ。
それが今の北朝鮮である。
ただ、世襲が50%を超える安定多数の世襲民主主義である日本も、それに負けず劣らずの馬鹿国家である。
今の日本と北朝鮮の違いは、マーシャルプランにおける貿易黒字をアメリカのために捧げるための成長があったかどうかであって、民主主義、社会主義の違いというものが決定的根拠にはならない。
(…)
相手がイヤなことをしたら、こっちもする。利があるなら、同じぐらいの利で返す。
政治というか、国際間の綱引きとは、ただ、それだけなんだと思うが。
そのバランス感覚については日本は正直、低いと思う。島国だからかな?
これは、すべての国が「自分以外は敵」であって、初めて成り立つ。
共通の敵を作ると、歩調を合わすことになりそうだが、それが反共と共産主義、その他モロモロでアンバランス化するのは歴史が物語っている。
そんなアンバランスの先は、二元論の先であって、間違った答えとして統一された「新世界政府」があるわけです。
正しい対立と、多様性、そこから生まれる調和というものを考えなければと思うわけである。生物的な話だと普通のことなんだけど。
うーん、政治にも繋がる話なんだけど、対立しあって調和する中央銀行のシステムを考えなきゃ。
今のシステムでは戦争がなければ、調和は生まれないとも思ってるわけで。難しいかな?ここらへんの話は。
俺は戦争も武力も否定しない、搾取も人類削減計画も。むしろ存在自体は肯定する。それは対立の一種であり、多様化に繋がることだから。
でも、それ以外の「正しい対立」があると思うのよ。
周りに流されて生かされてるだけならば、北朝鮮の武器もって行列組んでる奴らも、餓死者も、今の日本に住む奴と何も変わらない。”)
・鎌倉幕府の評価における学者の派閥
鎌倉幕府は自立した国家の一つの型とする説は東京と九州の学者に多い。
京都朝廷の軍事部門担当の出先機関とする説は京都と東北の学者に多い。
邪馬台国論争では
東京の学者は九州説で
京都の学者は畿内説が多いらしい。
(古代の発音を考えると畿内説が正しいだろうけど。
やまたいこくって読んだ本居宣長のせいで無駄な争いをしてきたね。
当時の発音を知る為に古代中国語や古代朝鮮語を学ばないと駄目だよね)
鎌倉幕府の特性として
将軍は天皇によって任命される
元号は朝廷のものを使っている
官職体系は朝廷のものとはいえ、右大臣となった源実朝が公卿会議に出てないし、執権が右京大夫になっても京都の行政に関わっていない。
国号がない。
天皇の統治権が東国に及ばなくなった。
蒙古襲来後は九州にも及ばなくなる。
外交権も幕府が持っていたと言える。
天皇「職」は十三世紀後半以降、事実上幕府の意志で決まるようになってきた。
上記のような天皇家の実情をうけて、天皇家も勿論いろいろ改革したりした。
花園天皇や後醍醐天皇が、しきりに鎌倉新仏教(当時では日の浅い新興宗教的扱い)の流れを組む禅僧や、昔からある律宗を身近に呼び寄せたり、律僧の中でも真言密教に深く足を踏み入れた人、文観(もんかん)などを近づけている。
(明治になって、歴代の北朝天皇の菩提寺である京都東山の天台宗寺院である泉涌寺が真言宗に改宗させられたことと関係しているだろうね。
※文観
般若寺の律宗の僧で邪教とされていた真言宗立川流の僧。
後醍醐天皇に重用されて醍醐寺座主・天王寺別当となる。後醍醐天皇中宮藤原禧子の御産祈願と称して鎌倉幕府の調伏などを行っていた事が発覚し、元徳2年(1331年)には逮捕され硫黄島へ流罪。元弘の乱の後に鎌倉幕府が滅亡すると京都へ戻り、建武の新政から南北朝時代となっても後醍醐方に属して吉野へ随行し、東寺長者、大僧正となる。
※真言立川流
真言宗の超異端派セックスカルト。立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、大日如来と一体になることである←これホント。
北朝の天台宗と真っ向から反逆する教義ですね。
敵の宗教を信仰はしませんよってことです。
さすが南朝正統宗教である真言宗異端派の立川流。
この宗教って遊女勢力と結びついてそうだ。遊女勢力は非人あるいは非人的性質を持っているからおかしくないし。
【08】「日本の歴史をよみなおす」第3回レジュメ
http://marunekodosemi.blogspot.jp/2015/06/083.html
”いわゆる平将門、藤原純友の乱で、純友は新羅の海賊とつながりを持っていたと思いますが、独自な国家まではつくりませんでした。しかし、将門の場合は、三ヶ月たらずではあれ、王朝の任命した国司を追いはらって新しい国家をつくり、将門自身は新しい天皇、「新皇」という称号を、八幡の神、菅原道真からあたえられるのです。そして、下総に都を置き、のこりの関東の七カ国に伊豆を加えた八カ国に、国司を任命して、東国国家を樹立します。東国はここで、京都の王朝の統治権からごく短期間であれ、完全に離脱したわけです。日本列島には決して一つの国家だけがあったのではなく、複数の国家があったことをこの事実がよく示しているといえましょう。[205]”
平将門の乱
3か月足らずだが、王朝の任命した国司を追い払って新しい国家を作った。
将門自身、「新皇」という称号を、八幡の神・菅原道真から与えられる。
下総に都を置き、残りの関東の七カ国に伊豆を加えた八カ国に国司を任命し、東国国家を樹立。
藤原純友の乱
藤原純友は新羅の海賊とつながりがあったと思われる。
瀬戸内海から北九州、さらに朝鮮半島との間の緊密な海上交通を基盤としておきた政治動乱。
大陸系仏教 陸路・土地・農業が税の基準 朝廷
VS
海賊系土着信仰 新国家 新宗教
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」、第5章天皇と「日本」の国号のまとめと感想
http://ameblo.jp/pianoforte007/entry-11768496286.html
”「職の体系」、神人・供御人制と天皇;
「特定の職を特定の氏が世襲的に請け負う【職の体系】官司請負制といわれる体制が11, 12世紀には国家の体制として形成されてくる。これは王朝国家の体制ともいわれています。職の体系のトップに天皇がいるわけで、天皇は【天皇職】を世襲的に継承することになったといってよい」(200-201頁)
「このような王朝国家を支えた土地制度、租税制度が11世紀の中葉ごろから本格的に形成された荘園公領制という体制です」(201頁)
「荘園公領制の確立と並行して、11, 12世紀ごろに、神人・供御人制という職能民、非農業民にかかわる制度が確立します」(202頁)
仏教と天皇;
「天皇の権威も、在来の神だけではなくて、早くから仏教と深いかかわりを持ちつつ保たれていた」(203頁)
「13世紀の後半から、天皇が即位の時に、密教の灌頂の儀式を行う、【即位灌頂】という儀式をやっていた」(204頁)
日本列島には複数の国家があった;
「鎌倉幕府の評価については、これを一応自立した国家、中世国家のひとつの型として認める見方と、王朝ー京都の権力の出先機関として軍事的な部門を担当する、ひとつの権門にすぎないという見方とが対立しています」(206頁)
「王朝の官職は鎌倉時代にはまだ意味を持っていますが、幕府側の人に与えられた官職は、ほとんど形骸化している」(208頁)
「天皇の統治権が東国におよばなかったことは、重要なことで、やがて蒙古襲来後は九州にも及ばなくなります。さらに外交権も幕府が持っていたと言えますし、【天皇職】は、13世紀後半以降、事実上、幕府の意志できまるようになってきたことは十分注目しておく必要がある」(208頁)”)
・後醍醐天皇はとにかく思いきったことをやる。天皇主導のもとで新しすぎる宗教思想や外来思想を動員して、天皇の権威の危機をなんとかしようとした。
後醍醐天皇は「神人」や、シン仏に準ずる天皇の直属民「供御人」的な勢力を、非人まで含めて軍事力として動員したり、商業を掌握し、貨幣まで発行しようとしている(貨幣鋳造は統一王朝の権力を示す)。
江戸時代になって、武家に対する批判がでてきたとき、それに代わる権威は北朝ではだめだった。北朝は武家と野合し続けている天皇なので、持ち上げようとしても持ち上げようがない。南朝があったからこそ、はじめて武家に対して対抗しうる権威として天皇をかつぐことが可能になっているわけで、南朝の存在がなければ、これは不可能だった。だから、明治天皇は北朝の子孫なのに早くから南朝を正統とすることに決めたのだと思う、と筆者はいっている。
(いやいやいや自分の系統=北朝が正統でないと言うのはさすがにやりすぎでしょ。私は王になる資格なしって言っていることになっちゃうよ。
天皇家が非常に懸命に大切にしてきたのが正統性なのにね。
スクールデイズというゲームでは
南朝を正統とした桂太郎と同じ苗字のヒロインが人気投票一位で、北朝系の西園寺公望と同じ苗字のヒロインは不人気投票一位って明らかに操作されているよね)
・職能民の伝説には貴種流離譚伝説の形を持つものを含めて、起源が天皇であるものが多い。
鋳物師は近衛天皇
木地屋は惟喬親王(これたかしんのう)
被差別部落は醍醐天皇
遊女は光孝天皇。
(惟喬親王
文徳天皇の第一皇子。しかし、文徳天皇は皇太子として第四皇子・惟仁親王=後の清和天皇を立てた。惟喬親王の母が紀氏の出身で後ろ盾が弱かったが、惟仁親王の母は藤原良房の娘・明子だったからでしょう)
〈続・日本の歴史をよみなおす〉
第1章 日本の社会は農業社会か
農業社会ではない。
百姓とは普通の人々、一般人という意味。
たくさんの(百)姓をもった一般の人民。
古代は「おおみたから」と読まれ、農民の意味は勿論ない。
現在でも中国語や韓国語では百姓は文字通りpeopleの意味で使われている。
非農業民を多く含む。
農民は百姓ではない。
百姓は農民ではない。
百姓には海の民、山の民、廻船人も含まれる。漁業、塩業、林業などは無視する学会。
中央政府は農業を基本単位にしていたので、正式文書は当然農業本位になるから誤解が生じた。
江戸時代、年貢の賦課基準となる石高をまったく持っていた、つまり年貢の賦課される田畑を持っていない人を水呑といい、教科書では貧しい農民、小作人と言っている。
無高(石高なし)の百姓を「頭振」と呼ぶ地方もあるが、これは水呑と同じ意味。
水呑百姓が貧乏だとは限らない。土地がない≠貧乏、は現代と同じ。
土地を持てないほどに貧しい農民なのではなく、むしろ土地を持つ必要がない金持ちの多角的企業家は昔からいたのだが、彼らはずっと農地がない=貧乏、だと勝手にみなされてきたの。
村は農村とは限らないし、水呑(頭振)ばかりでも貧しい地域とは限らない。
江戸時代はに町と認められたのは、城下町や堺や博多のような大都市だけで、実質は都市でも大名の権力とかかわりのない都市は制度的には村とされた。
村とされ、検地され、田畑(石高)があれば百姓、なければ水呑だとされた。
農村ではなく山村や漁村では当然水呑ばかりになるが、貧乏とは限らない。
あと、昔の地形は今と全然違っていることに気をつけないといけない。
岐阜県は古代には大垣の近くまで海が入っていたりしたなど。
律令国家の班田収受では海の民にまで水田を与えようとしていたりするように、徹底して水田を基礎にした統治システムにしようとしていた。それは江戸時代までずっと続く。
江戸時代には、田畑や屋敷、山や海、塩の収入までも米に換算したほどに徹底的。
そのせいで、農業が本業でない例えば廻船交易(船商売)する人までもが、本業は農業で、船商売は副業(農間稼ぎ。のうまかせぎ。作間稼ぎ。さくまかせぎ)だとされている。
本業はどうみてもサラリーマンなのに、たまに副業として農業をやっているだけで、兼業農家といういかにも農業主体のような用語があるのは昔からの流れを組んでいると言える。
正式文書は当然、農業基準のものばかりなので、それを多く読む歴史家は、百姓=農民、だと誤解した。
そこで正式でない文書が大事になる。
裏文書、紙背文書という、廃棄するはずだった文書の裏に日記や記録を書いたために残された文書では、動産に関する記述、非農業的な生業に携わる人々が現れる頻度が高いので、実情がよくわかる。
(チラシの裏紙のメモも百年保存すりゃ立派な資料ですぜ。
土地が飯のタネの人は土地に縛られて逃げにくいから土地を土台にした支配体制にしたのでは?
パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月29日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p243 江戸時代、年貢の賦課基準となる石高をまったく持っていない、つまり年貢の賦課される田畑を持っていない人のことを水呑といっており、教科書では、これを貧しい農民、小作人と説明するのがふつうです。 ← 『詳説日本史』には水呑百姓の記述は無かった
p249 輪島の71%の頭振(水呑)の中には、漆器職人、素麺職人、さらにそれらの販売にたずさわる大商人、あるいは北前船を持つ廻船人などがたくさんいたことは間違いないところですし、百姓の中にも、輪島の有力な商人がいたことも明らかなのです。
p261 土地に租税を課している以上、百姓が農民であってほしいのは、国家のきわめて強い意志であり、国家にとってそれがもっとも望ましい事態だったことを考えておく必要があると思います。 ← "国家"を"農水省"と読み替えると、現代でも使える。
p267 これまで歴史家は、襖下張り文書まで整理して丹念に調べることはほとんどやってきませんでした。 ← リサイクルで使っている紙ですからね…
p279 このように、日本列島の社会は当初から交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会だった、厳密に考えれば「自給自足」の社会など、最初から考えがたいといってよいと私は思います。 ← "国民国家"は不可能なのか…)
第2章 海からみた日本列島
海上ルートがきっちりしていたから朝鮮半島の国と連携できた。
磐井の反乱の「反乱」は一つの中心があることが前提なので、正確には反乱ではなく戦争。
(継体大王 ヤマト王権+百済
VS
磐井 九州の王権+新羅(おそらく海賊勢力も含む))
律令国家は、徹底的に陸路中心の制度であり、都を中心に舗装されたまっすぐな道路を基本にしようとしている。
今までは海上交通、河川交通中心だったが、律令国家はそれを無視するように、強烈な意志で陸上の道を中心とした交通体系をつくる。
交通施設の馬家(うまや)も道に沿って四里の間隔で作られているが、河川の多い列島の地形にもかかわらず水駅(みずのうまや)がほとんど見られない。
軍事的な理由や農本主義が理由だろう。
公的な交通は陸路とはいえ、八世紀にはあやしくなりはじめ、陸上交通中心の無理が表面化し、八世紀前半には重い物を運ぶための川と海の交通が公的に認められ始める。
九世紀には再び海と川の交通が交通体系の主軸になる状況が生まれる。
日本霊異記という説話集は八世紀のことを記述していて、酒や米を出挙するとき小さな升で貸して、大きな升で取り立てる不法な利息をとった田中真人広虫女(たなかのまひとひろむしのめ)が登場するなど、女性や坊さんが金融や商業の担い手になっていたことを確認することができる。
おそらく、国家は二十歳以上の成年男子が公認された国家の成員で、女性や坊さんは基本的な国家の成員から外れていたからだろう。
(男よりも女のほうが聖と俗の境目に近いと考えられていたのかもしれませんね。
税をわざわざ陸路で運んだり、後の江戸時代の参勤交代をなぜ船でしなかったのかなあという疑問が解けた気がします。
パン屋襲撃 @c3po2006 2013年11月29日
『日本の歴史をよみなおす(全)』 p319 まだ神仏と結びついているとはいえ、商業資本、金融資本が動いており、米、絹、布などは、交換手段、支払手段、価値尺度の役割をはたす貨幣として機能し、本格的に流通しているわけで、12世紀にはこうした経済のあり方が軌道にのっているのです。
荘園公領制
十三世紀前半までに確立した土地制度。
各地のネットワークで成り立っていて、自給自足ではない(荘園に限ったことではないが)。
荘園と公領=国衙領との区別がはっきりする。
貴族や寺社はその上に自分たち独自の経済体系(各地の重要拠点を手に入れる)を作り上げていくことになる)
第3章 荘園・公領の世界
山奥だから、離れ小島だから辺鄙という感覚をやめること。
離島だからこそ海によって周囲に開かれ交通の要衝になる場合はいくらでもあるし、川と山の道を動く人々にしてみれば山奥は
以外と人の往来が激しい場合が多い。米が食べられず、粟や稗(ひえ)しか食べられないからといって貧しいとは限らない。
膨大な量の銭が船に積まれていた場合、船の底に置かれるバランスを保つためのバラストにされて運ばれてきたのだろう。
中国からはいってきた大量の銭が社会に貨幣として浸透して流通するのは、東日本では十三世紀前半、西日本では十三世紀後半ごろから。
十二~十三世紀ごろまで貨幣として絹と布が流通していた東日本では西日本よりも早く銭が流通し始める。銭十文を一疋(ひき)というが、疋は絹や布の単位なので絹や布が銭に代わっていったことが見受けられる。
対して
西日本では米が交換手段、価値尺度として用いられて庵、平安時代の末には替米(かえまい)という米の手形も現われている。つまりは、現物を動かさずに、手形で米の支払いをすることも行われているほどなので、貨幣としても十分機能している。ゆえに西日本では銭の流通が遅れた。
こうして十三世紀後半から十四世紀になると鎌倉幕府は、関東公事(くじ)という御家人に対する課役も銭で徴収されている。
そのころになると富の象徴としての銭の蓄蔵も盛んになる。鎌倉末~南北朝期、十四世紀以降、大量の銭が土の中から掘り出される事例が非常に増えてくる。「埋納銭(まいのうせん)」、「備蓄銭」と呼ばれる。
地下の世界は他界なので、土の中に物を埋めると、人間の手を離れシン仏の世界のものになってしまう。地下のものは無主物なので、誰のものでもなくなる。なので埋める=隠す、と短絡的に考えてはいけない。
土に埋めてシン仏に捧げてその土地を使わせてもらう、あるいは無主物にしてあらためて上分物、神物(しんもつ)として金融の資本にしていたということも充分考えられる。
第4章 悪党・海賊と商人・金融業者
鎌倉幕府は、土地問題には熱心だが、金銭貸借や流通や商業関係の訴訟は重要視していなかった。
そこで、十一世紀ことまでは神人や供御人などの国の制度の外にあった人々は自立的な金融・流通ネットワークを作り、裁判も自分たちでやり判決を自らの実力、武力で執行していた。これは公権力としては都合が悪いので、王朝国家は、寄人・神人・供御人らの活動に対する統制を強化しつつ、神人・供御人制を公的な制度とし、十二世紀から十三世紀初めのことまでにこれを軌道に乗せることでその活動を抑制したが一時的だった。
悪党・海賊が、海の領主、山の領主であり、公権力とかかわりなく、交通路の安全を保証する武装勢力として存在していた。
比叡山の山僧や山臥(やまぶし)などは商業・金融に携わり、手形の流通を保証していた者も悪党だったりした
このように、交通路の安全や手形の流通を保証する商人や金融業者のネットワークは、十三世紀後半から十四世紀にかけて悪党・海賊によって保証されていたらしい。
「遊手浮食の輩(ともがら)」などとも呼ばれた彼らは、広域的な組織を持ち、何か揉め事が起きると、賄賂や礼銭をとり、訴訟を請け負ってトラブルを自力で解決していた。
山ゴシとは、事前に賄賂をとること。
契約とは、事後に礼銭をとること。
十三世紀後半から十四世紀にかけて、幕府は執拗なまでに悪党・海賊禁圧令を発布する。交通・流通を統制下に入れようとした。
悪党の「悪」とは、日常の安穏を撹乱する、人の力を超えたものとのつながりをもって考えられており、利潤や利子を得る行為そのもの、商業、金融業そのものを悪ととらえる味方があった。ばくち、好色、けがれ、殺生などなど。
異様なほどの力をもつ者を、悪七兵衛(あくしちびょうえ)、悪源太(あくげんた)、悪左府(あくさふ)。
銭、貨幣の魔力にとりつかれ、利潤や利子を追求する商人や金融業者交通路である山や河海にかかわりつつ、狩猟や漁撈のような殺生を好み、博打に打ち込むような人たちは、田畠を基本と考える農本主義的な政治路線に立つ人たちにとっては、まさしく「悪」。
(「悪」
=秩序を乱しうる、人の力をこえたものとのつながりをもるもの
=支配層が制御しにくいもの)
御内人(みうちびと)=北条氏の家督‐得宗の家臣。商人や金融業者と結びついて、河海や山野の交通路を積極的に支配しようとした。
関東御免津軽船とう津軽まで往復し、交易を営む大船二十艘を、北条氏が掌握していた。
十四世紀には、中国大陸との貿易や唐船の派遣を、北条氏がほとんど独占するなど、有力な港はほとんど北条氏の所領となった。流通と廻船交易の組織を北条氏は積極的に容認することによって掌握しようとした。
従来の農本主義的な御家人勢力との対立をもたらす路線をとった。
鎌倉時代後半から南北朝前半の政治情勢はこの二つの政治路線の激しい対立の中で動いている。
1285年の霜月騒動では
農本主義的な政治路線、御家人勢力代表・安達泰盛×
滅亡 負け
VS
海の民などの悪党と結びつく路線をとった北条氏の御内人代表・平頼綱
○勝ち
霜月騒動以降、悪党や海賊をただ弾圧するだけでなくむしろ支配機構に取り込むようにしていった。
当然反発として、熊野海賊たちの大反乱が起こり、幕府は承久の乱や幕府が滅びるときの戦争並みの兵力を動員した。
蝦夷と呼ばれた北海道の海上勢力とも北条氏は大衝突している。
こういう状況のなかで、後醍醐天皇が登場してくる。後醍醐は、このような北条氏に反発する悪党・海賊の武力にも依存して鎌倉幕府を倒す。それゆえ、後醍醐の政治は、得宗と御内人の推進した政治を、さらに極端にまでおし進めたと考えることができる。
非農本主義的で、商業・金融業者に基礎を置いた政治をしようとした。
それは失敗するが、十四世紀末の足利義満の政権にて、後醍醐がやろうとして失敗したことをほぼ実現する。
十四世紀、南北朝の動乱は、日本の社会自体の大きな転換に伴って起こった激動。商品、貨幣、信用経済がそれまでとは違ったレベルで展開し始め、政治・宗教のあり方にも大きな転換を迫ったところから起こった。文明史的な転換期。
日本、琉球、アイヌがそれぞれ自らのアイデンティティを自覚し始める。民族史的転換期でもある。
琵琶湖を航行するときには、堅田の人を「上乗」(うわのり)として船に乗せることになっていた。堅田の「上乗」の旗を掲げて湖を行けば、安全に航海することができた。堅田=湖の領主。堅田に何の挨拶もせずに。当然、関銭や礼銭を払わないといけないが、航行していると、堅田の人たちによって積荷を差し押さえられたり皆殺しにされたりした。挨拶をしておけばむしろ安全に航海でき警護してくれた。
安芸の国では、東から来た船は東の海賊を一人乗せておけば西の海賊は襲撃しないし、西から来た船は西の海賊を一人乗せておけば東の海賊は襲撃しない。報酬必要。
・一遍の教えはまさしく都市的な宗教。商業や金融業者、それと結びついている女性、さらに「非人」といわれた人びと、一方の見方からは「悪」といわれ、穢れているとされつつある人びとのなかに、一遍の教えは広がっていった。
踊念仏も一種の芸能で、桟敷や舞台をつくって多くの人が見物することをねらっているわけで、多くの人の集まる都市的な場の成立を前提にしてはじめてできたもの。
しかしこういう動きを我慢ならないと考えている勢力も当然あった。
第5章 日本の社会を考えなおす
特に鎌倉時代後半、十三世紀後半以降の社会は、銭貨の流通が活発になり、信用経済といえるような状況が展開し、さまざまな形態の資本、金融資本、あるいは商業貿易資本、さらには土木建設に投資される大きな資本が動くようになっている。少し大胆にいえば、これは資本主義的といってもよいぐらいである。
飢饉はまず非農業的な地域、都市的な場に起こるはず。食料を作っているところは飢饉にはなりにくいはず。
東北は、 意外に都市的な性格を持つ地域だったのかもしれないということ。
農村が一番壊滅しにくいんじゃないの?
むしろ、食糧を輸入している都市部や農業をしていない百姓の村が壊滅したのでは。そして百姓を農民だとみなしたので誤解されたと。
(支配層にまっさきに食料を取り上げられた可能性もありますけどね)
重商主義はすでに生まれていた。少なくとも土台は固まっていた。
明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩は、みな海を通じて貿易をやっていた。辺境の遅れた大名などではない。江戸時代末までに、日本社会には十分に商工業・金融業などの資本主義的な蓄積があった。
・現在使われている商業関係の用語は、中世以来の歴史的な語彙を用いている。
相場=相庭は中世から使われていた。
切手や切符は平安時代から「手形」の意味で使われていた。
株式=株「職」、仕切、寄付き、大引けなどなど面白い言葉多数。
87夜『日本の歴史をよみなおす』網野善彦|松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0087.html
↑
イシス
……
おまけ
ヨーロッパ史の一代画期=キリスト教暦1453年。
中世から近世へと移った大転換点。
①コンスタンティノープル陥落して東ローマ帝国が滅亡し、オスマン帝国が地中海の覇権を握った年。
②フランス軍がボルドーをイングランドから奪還し、フランス国内におけるイングランド王の領地はカレーのみとなって百年戦争が終わった年。
①オスマン帝国が、コンスタンティノープルを奪い東ローマ帝国を滅ぼしたことの影響
・ジェノヴァ、ヴェネツィア等の地中海貿易で栄えていた都市国家は、その権益をオスマン帝国に奪われる事になり、イタリア(便宜上そう呼ぶ)の一地方都市へと転落。
・イタリアの国の航海士達の多くは、後にスペインやポルトガル等のイベリアの新興国家に移り、大航海時代=白人による有色人種大虐殺・奴隷誘拐貿易時代の所業に加担する。
・白人キリスト教徒にとってコンスタンティノープルは重要な聖地であり、それを有色人種イスラム教国家であるオスマン帝国に奪われたことによる、(十字軍以降に輪をかけた)教皇の権威失墜。
→宗教改革のきっかけの一つ。
・ コンスタンティノープル陥落前後には、多くのギリシャ人の学者・知識人が東ローマで保存・研究されてきた古代ギリシャ・ローマ時代の文献を携えて西欧へと亡命し、これがイタリア・ルネサンスに多大な影響を与えた。
②百年戦争の影響
・十字軍以来没落しつつあった封建諸侯は衰退
→王権強化
→常備軍や官僚制を整備して国王の中央集権化
→絶対主義王政の基礎完成
・戦術の変化(火器)により騎士階級が没落。
・百年戦争の後、イングランドでは、更に「薔薇戦争」が起こって諸侯は疲弊し没落。
→王権は著しく強化されテューダー朝による絶対君主制へつながる。
・フランスでも宗教戦争が起こって内乱が発生した。が、祖国統一で王権が強くなり、ブルボン朝の絶対君主制へと進んだ。
末代の凡夫@matsudai_bonpu • 6月10日
天皇はいかにして大富豪となりしかhttp://blog.livedoor.jp/gensenkeijiban-bousou/archives/38338123.html …伊藤博文らは、天皇を『生きる神皇』に仕上げることにした。そこでキリスト教を導入した。自らもキリスト教に帰依した伊藤は朝廷内部にキリスト教を持ち込んだ。国家神道とキリスト教は驚くほど似ている。と。
ヤシロタケツグ@yashiro_with_t • 4月18日
【1-5要約】定住民の記録は史料に残るが、漂泊する民の記録は残らない。それが網野善彦の教え。「百姓は農民ではない」例:能登半島の農民は痩せた耕作地しかないがみな豊かだった。日本海側一帯で商業活動をしていたから。史料に残らない非定住民の存在も考慮することが大事。
mipoko:NoNukes&NoFur @mipoko611 7月25日
網野本の奥能登の「百姓」に関する記述がおもしろかった。農本主義経済が建前の日本の公的な古文書から見ると、田を持たない「水呑」とされている奥能登の「百姓」は、実はサハリンまで北前船を走らせる商業活動をしてて裕福だったって話。
岸本元 @bowwowolf 3月24日
網野善彦先生の両親もイトコ婚。それどころか《父の両親、つまり私の祖父、祖母もいとこ。母の両親、祖父と祖母もいとこでした》と『日本の歴史をよみなおす』で書かれている。網野先生は日本の社会では近親婚に対するタブーがきわめて弱いとも指摘されている。
イスカリオテの湯葉 @yubais 3月9日
https://twitter.com/yubais/status/574919234737729536 … ふぁぼ数で見ると一番人気は網野さんの本かな。 「もののけ姫の原作」と言ったが別にタタリ神やシシ神が出てくるわけではなく、世界観が全般的に網野ベースという事。タタラ場の女が天皇を知らないと言うシーンなど網野史観の特徴が出ている
J・ナナミ @pinkglalem 7月11日
日本の元凶...#天皇。明治維新以前に日本の普通の人たちは、天皇など知らなかった。伊藤博文が、現人神キャンペーンを行ったため、最初は、ヒンドゥー教由来の低級神「天王」と勘違いする人が多かった。
suisei_sensei @shoemaker_levy 12月3日
『もののけ姫』が網野史観に基づいて、アジール的なたたら場で働く非人集団的なハンセン病者集団を描いたという話は有名だけど、あれはあくまで宮崎駿の創作なんですよね。実際に中世のハンセン病者がたたら場で製鉄業に携わったという歴史的な事実の証明はないわけで。
ENDO @BabylonFilmnoir 2014年7月4日
もののけ姫。 登場人物がみんな士農工商の社会から疎外されたアウトサイダーだよね。 アシタカは蝦夷っていう少数民族だし、 タタラ場には穢多•非人、ハンセン病患者が多くいる。彼らにとってはユートピアだけど、戦争の道具を作っているという矛盾がある。プロットがすげえ。
ツモリ @tsumoriiiii 2014年5月24日
もののけ姫のタタラバで働く人々は「非人」がモデルではという話を聞いた。非人って元々は神に近い存在として天皇のお世話をする役割だったらしいです。包帯を体中グルグル巻きにして、柿色の衣を着けていたとか。それが将軍の時代になり卑しい身分へと変えられてしまったんだそうです。
ブッカーTboneしま2 @tboneshima2 2月14日
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」前編読了。面白い。本人が筑摩書房の社員に話した内容が書籍化されたようで、どうりで最初は読み難いと感じたわけだ。しかし内容は期待通り。鎌倉以前は女性の領主がいたことなど、その後の家父長制が確立された時代では封印されたような史実が刺激的。
意識の低い人工知能 @stdaux 2月6日
網野『日本の歴史をよみなおす』を読んでいたら女性の寺社参りに関する話があって、一部の寺社では参籠者は男女の別なく雑魚寝だったこと、しばしばそこで参籠者同士の「間違い」が起こっていたことが書かれていた。それに加えて聖域での出来事は俗界に持ち出さぬ習わし……
ケサグリ @kesaguri 2013年9月26日
網野善彦"日本の歴史をよみなおす(全)" 後半読み飛ばししたけど興味深く面白かった。一番興奮したのが中世のケガレの概念と穢多非人、女性たちのとこ。 処女の純潔を少しも重んじない。 妻が夫に財産を高利で貸し付ける。 妻が夫を離別する。 堕胎はきわめてふつうで20回堕した女性がいる。
Spica @Kelangdbn 2013年7月2日
日本ほど処女信仰の希薄な社会も珍しい。まあいわゆる「未開社会」に行けば似た例は幾らもあるんだろうけどやまと言葉に「処女」にあたる単語がないぐらい膜への意識が低い。マリアまで処女にしちゃったキリスト教圏は世界でも屈指の処女崇拝地域。
「おとめ」は未婚女性のことで処女ではないんですよね
……
前回の記事
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』と
茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマと
大日本皇道立教会と
鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
の補足。
ken @kenkatap
薩摩藩の英留学150年で交流 鹿児島の高校生ら 【どうしん http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0160271.html …
▼1865年、薩摩藩が若い留学生を英国へ派遣してから150年
▼留学先となった英国の名門大学、UCLで
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3#.E6.94.BF.E6.B2.BB.E5.AE.B6.E3.83.BB.E5.AE.98.E5.83.9A …
▼森有礼 ▼小泉純一郎
森有礼(薩摩藩士)=一橋大学創設者、初代の文部大臣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E7%A4%BC …
▼キリスト教に深い関心
▼英語の国語化を提唱したこと(国語外国語化論)でも有名
▼1872年イェール大学の言語学教授宛てに「英語を日本の国語とするべきではないだろうか」という書簡を送る
幕末の薩摩藩士の足跡たどる 英国留学生記念館を公開
【西日本 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kagoshima/article/101318 …
▼19人の功績を讃える資料館
▼留学生は1865年、薩摩藩が派遣
▼初代文部大臣の森有礼や大阪商工会議所初代会頭の五代友厚、サッポロビールの前身の会社を設立した村橋久成ら
日本における同性愛 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B#.E6.B1.9F.E6.88.B8.E6.99.82.E4.BB.A3.E4.B8.AD.E5.BE.8C.E6.9C.9F.EF.BC.9A.E7.94.B7.E8.89.B2.E6.96.87.E5.8C.96.E3.80.81.E4.BD.99.E3.82.8A.E7.9B.AE.E7.AB.8B.E3.81.9F.E3.81.AA.E3.81.84.E6.99.82.E4.BB.A3.E3.81.B8 …
▼1842年、陰間茶屋禁止
▼幕府も享保・寛政・天保の改革で徹底的な風俗取締まり
▼薩摩藩や土佐藩で男色が盛んだったことを除いて行われなくなった
▼近代、明治維新の中心となった薩摩や土佐を中心に衆道は息を吹返した
あまり知られていない鹿児島県人のヤバイ過去
【NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2134500560108964301 …
▼えのころ飯
▼死体に一斉にかぶり付く「ひえもんとり」
▼男色というだけでなく強姦・輪姦が日常的に行われていたという
▼男色趣味=薩摩趣味って言われた時代もあった
薩摩藩・島津重豪(8代) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E8%97%A9#.E8.BF.91.E4.B8.96 …
▼三女の茂姫を第11代将軍・徳川家斉に嫁がせた
▼外様大名から将軍正室輩出=薩摩藩だけ
▼養女の篤姫を第13代将軍・徳川家定の正継室に (初訪日のフリーメイソン=ティチングは日本の機密を島津重豪を通し収集)
村山有 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E6%9C%89 …
▼日本ボーイスカウトで最初の宗教章「仏教章」を設定した
▼戦後スカウト運動再興期のスカウト指導者
▼米合衆国シアトル生まれの日本のジャーナリスト
▼AP通信社などに勤務
▼フリーメイソンのメンバーであったという記録がある
後藤新平=ボーイスカウト連盟総裁
▼満鉄、NHK・初代総裁
▼正力松太郎に読売を買取らせた
https://twitter.com/kenkatap/status/283006329893822464 …
▼稲川会傘下・大行社設立 https://twitter.com/kenkatap/status/390686019067985920 …
岩手県水沢市三偉人 https://twitter.com/kenkatap/status/290391575136190465 …
後藤新平とフリーメイソン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3#.E3.83.95.E3.83.AA.E3.83.BC.E3.83.A1.E3.82.A4.E3.82.BD.E3.83.B3.E3.83.AA.E3.83.BC.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82 …
▼独留学中、赤十字という国際結社を通じフリーメイソンに入会の可能性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E4.BA.BA.E9.96.93.E3.81.AE.E5.B1.95.E7.A4.BA …
▼人間動物園
▼後藤新平は台湾原住民や漢民族習俗等展示
▼纒足の少女による喫茶は大きな話題に
日本のフリーメイソンリー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E3.83.95.E3.83.AA.E3.83.BC.E3.83.A1.E3.82.A4.E3.82.BD.E3.83.B3.E3.83.AA.E3.83.BC …
▼1887年保安条例は、秘密結社禁止
▼フリーメイソンは、日本政府と協議
▼結果、保安条例対象外とする代わり、日本人を入会させない「紳士協定」が交わされた
▼メイソンリー側によれば、記録が残っているという
初訪日のフリーメイソン=イサーク・ティチング
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0 …
▼1779年、長崎出島に駐在
▼オランダ東インド会社最高位職歴任
▼1795年、乾隆帝(清の第6代皇帝)治世60年記念式典列席
▼日本の機密を、11代将軍徳川家斉の岳父・島津重豪を通し収集
▼島津重豪(8代)=蘭癖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E9%87%8D%E8%B1%AA …
▼斉彬(11代)を評価
▼シーボルトと会見
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%96%89%E5%BD%AC …
▼斉彬は、島津藩主家で唯一家康の血を引く当主
▼土佐藩の漂流民で米から帰国したジョン万次郎を保護
▼西郷隆盛らを育てた
フェイド大帝 @FeydoTaitei
イエズス会、イエズス会煩いけど、 同じフランシスコでもザビーの 方じゃなくてカブラルの方を 君達はもっと調べた方がいいと思うよ。
mansaku21 @mansaku21 2011年7月25日
7月25日 天正6年(1578)豊後の戦国大名大友宗麟がイエズス会のカブラルから洗礼を受ける。受洗名はフランシスコ
有閑無是 @AlkanMuze 2013年5月14日
カブラルの友人である大友宗麟もヴァリニャーノに対し「司祭方は様々な困難にぶつかりつつ、次第に賢明になるだろう、・・・自分の国ではその習慣でよろしかろうが、日本人を改宗させようと言うのならば、日本語を学び、日本の礼法に合うように生活せねばならぬ」と語った。
Banjoe(祖母喪中) @Banjoe1971 2012年2月22日
@sagaminoriaki カブラルさん、メガネをかけていたせいで「四つ目のバテレンがおる!」という噂が広がり、それを見るためだけに数千人も集まってきた日本人に恐怖を感じて暴論を吐いた説というのは……。
椎名シギ @dolce_oo 5月29日
眼鏡の相手に「四つ目野郎」って言うのどっかのスラング的な言いまわしかと思ってたら英語で眼鏡をかけた人の事「four eyes」って言うの知って面白~~~~~~そのままかい
雑学たん @zatugakutan 8月22日
「マルドゥック」(マルドゥク)というのはバビロニアの神の名前っすね(°x°)神々の中で最も大きく、強い光を放つという四つ目四つ耳の全てを見通す存在っす。
神bot @god_________bot 17 分17 分前
【マルドゥク】
古代バビロニアで信仰された神。バビロン市の都市神。想像を絶するほど絶妙に作られた四つの目と四つの耳を持ち、この目と耳で何事も見逃さず、聞き逃さない。唇を動かせば炎が噴き出す。他の神々の2倍の力を持つ。 pic.twitter.com/TqFjFZmqMp
好事家 @dilettante_g 2013年2月12日
第13号機って四つ目四本腕でマルドゥク神説あるけど、肩から羽?生えたら6枚羽のセラフィムっぽくもあるよね。
長い記事をお読み下さり本当にありがとうございます!
【妨害?】【緊急掲示(消すかも)】 村手さとし(まっこうもぐら)のツイッターのページに行けない。でもツイログには入れました。
Posted on 2014.06.03 Tue 00:35:04 edit
(…)(…)
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until:2015-6-16 @FeydoTaitei
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脱カルト本を読もう
聖書学者の田川建三
サイン・シンボル大図鑑
ミランダ・ブルース=ミッドフォード著の「サイン・シンボル大図鑑
図説 サインとシンボル 単行本 – 2015/6/19
アドリアン・フルティガー (著), 小泉 均
天台思想入門 (講談社学術文庫)
天台思想入門書としては角川文庫ソフィア「仏教の思想シリーズ」 絶対の真理「天台」 がお奨め
絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉 (角川文庫ソフィア)
『法華玄義』を読む-天台思想入門
『法華玄義』は天台大師の著作で、『法華文句』とともに天台教学の理解において避けて通れない法華経の注釈 書である。しかし『法華玄義』は難解であり、その注釈書である『釈籤』などもまた難解で、しかも用意に手に入れることができないのである。だから玄義を理 解するには通俗的な解説書が必要なのだが、少なくとも現代日本ではこの本が唯一の解説書である。他に同著者の『法華玄義入門』が既刊であるが、対話形式で あるから著者自身のいうとおりやや冗漫であり、しかも絶版なので、概説書としてはこの本があるだけである(ただし、内容自体はこの二つの本はほとんど同じ である)。
法華経入門 (岩波新書)
天台思想入門 天台宗の歴史と思想 講談社学術文庫 : 鎌田茂
「倶舎論」 ですが、漢訳本はオススメ 出来ないので、スマナサーラの 「ブッダの実践心理学」 シリーズインド哲学系は複雑 過ぎるので、学者によって解釈 のズレがあり過ぎてどの 解釈が正しいのかよく分からない
仏教の専門用語を ある程度覚えたら、直接お経の 原文に臨んで自分で解釈チベット系の 解説書
掘れ掘れ読本(秋田麻早子)
15:「改訂版 関数のはなし〈上〉:大村平」(紹介記事)
1次~3次関数、分数関数、無理関数、三角関数、指数・対数関数。
16:「改訂版 関数のはなし〈下〉:大村平」(紹介記事)
お勧め(指数・対数関数と三角関数の上級編、オイラーの公式。)
17:「改訂版 微積分のはなし〈上〉:大村平」(紹介記事)
お勧め(数IIIまでに登場する関数の微積分を学ぶ。)
18:「改訂版 微積分のはなし〈下〉:大村平」(紹介記事)
お勧め(多重積分、微分方程式、ラプラス変換、偏微分、全微分)
19:「行列とベクトルのはなし:大村平」:大学で学ぶ線形代数を含んだ内容。
・新・物理入門
・ブラディー”一般化学”
・ファインマン物理学
・大村平の数学シリーズ
21:「虚数がよくわかる―“ありもしない”のに,難問解決に不可欠な数」:ニュートンムック Newton別冊
竹内淳先生の「高校数学でわかる」シリーズの数学編。これらもお勧めだ!
24:「高校数学でわかる線形代数:竹内淳」:(詳細)
25:「高校数学でわかるフーリエ変換:竹内淳」:(詳細)(紹介記事)
:「強い力と弱い力:大栗博司」(紹介記事)(Kindle版)
後日追記: その後、大栗先生は「大栗先生の超弦理論入門(ブルーバックス)」(紹介記事)(Kindle版)をお書きになっているのでお読みになるとよいだろう。
ニュートンムック Newton別冊:
4:「みるみる理解できる相対性理論 改訂版」:(紹介記事)
5:「みるみる理解できる量子論 改訂版」:(紹介記事)
2014年6月に追記:第3版が出版されたので「よくわかる決定版 量子論 第3版」をお買い求めください。
6:「アインシュタインの世界一有名な式E=mc2」(E=mc^2の式はこの本で計算方法が理解できる。)
2014年10月に追記:改訂版が出版されたので「ニュートン別冊 E=mc2 改訂版」をお買い求めください。詳細はこちらで確認できます。
竹内淳先生の「高校数学でわかる~」シリーズもお勧めだ。数式は使われているが難解ではないので、物理的な意味との関連性を見失わずに学ぶことができるのが良い点。高校の物理の教科書には使われない微積分も、これらの本ではふつうに出てくる。微積分を使った物理学に入門するには最適なシリーズだ。大学に入ってさらに勉強を進めると、この3冊の本で取り上げている物理法則は、それぞれ矛盾なく結びつけて考えられるようになる。まるでジグソーパズルのようだ。
7:「高校数学でわかるマクスウェル方程式:竹内淳」:電磁気学(詳細)
8:「高校数学でわかるシュレディンガー方程式:竹内淳」:量子力学(詳細)
9:「高校数学でわかるボルツマンの原理:竹内淳」:熱力学・統計力学
:「これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義:ウォルター・ルーウィン」
「よくわかる電磁気学:前野昌弘」
トポロジー(位相幾何学)全体を見渡した上で入門するのなら、次の2冊がよい。
71:「トポロジー万華鏡〈1〉:小竹義朗、瀬山士郎、村上斉」(紹介記事)
72:「トポロジー万華鏡〈2〉:玉野研一、深石博夫、根上生也」(紹介記事)
シェイクスピアの著作(小説ではありませんが)、詩集
・フランス文学ならユーゴー一択。(仏文系は若死にの文豪が
圧倒的に多い。ユーゴーだけは例外で80代まで生きていたので
単純に人間としての厚みが他の文豪よりも優れている)
・ホーソーンの”緋文字”
・ハイネの詩集
ハーバートの”デューン”シリーズ。レムの方の”砂の惑星”の方を
高評価する人もいますが、個人的にはハーバートの方が面白いです。
・ラヴクラフトのクトゥルー系シリーズ。
・プラトン全著作。西洋人の思想のベースになっています。
逆にプラトン以降の哲学者の影響は一般人に対しては意外にも薄い
・ギリシャ神話全般。実はコレ、仏文学の基礎シートン動物記。基本、動物が主人公である上、ほとんど擬人化されて
いない、人間の台詞を動物が余り喋らないのが特徴
ディズニー系が悪い例ですが、最近は動物を直ぐ”喋らせて”しまうので
リアリティに欠けてしまいがち
日本のラノベ等も異世界の生物やモンスターを直ぐ”喋らせて”しまう傾向が
見られます。
台詞を使わずに感情を伝えるという手法をもっと鍛えたい
・神智学大要+ブラバツキーの著作
・大本教系の”霊界物語”
・東條ミトラ系の”ケウル”、”ミトラ神学”
・ドランヴァロの”フラワー・オブ・ライフ”
創作本系ではロバート・マッキーがダントツお奨め、英語原著しかない
大塚英志の”神話の練習帳”
オースン・スコット・カードの"How to write Science Fiction & Fantasy"
これは名著!オースン・スコット・カードのハウツー本
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-498.html
"How to write Science Fiction & Fantasy"
NOWの紙幣(電子マネー)候補
フクロウ、ハト、タカ、ハヤブサ、ワシ、ヤタガラス、ニワトリ、鳳凰、フェニックス
双頭のフクロウ
双頭で一つはハトでもう一つはフクロウだな!
鳥視点では太陽=右側(つまり私たちから見て左)にフクロウ
月=左側にハトな!
(URLはとね日記ってところ↓)
フェイド大帝 @FeydoTaitei 7月30日
量子力学や超弦理論語りたい人は ここにある参考書が役に立つぜ!
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d37fe65a84df23cca2af7ecebb83cfc6 …
え?難しすぎるって? 高校物理バージョンもあるから!
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f79ac08392742c60193081800ea718e7 …
フェイド大帝はまだ高校版の数学書が やっと終わったぐらいだ。 だから、物理学に関して語れるのは まだずっと先の話だ。
いやね、時たまリサ ランドールとか 引っ張り出してくる事もあるし
アニメやマンガの好きな パラレルワールドという題材とも 密接に関わってくるしね
重要なのはマルチバース理論ってのは物理学の中の一つの理論でしかなくて 他にも色んな理論があるということ
だから、ランドールの薄い本や、 アニメやSF小説、マンガで取り扱ってる 特定の理論や、作家は取材や本を沢山 読んでるから言ってる事が唯一の真理 なんだ!って思ってると色々踏み誤るぜ?
典型的なのが元と学会のY本弘みたいな メイソンの犬な!
knznymmmy @knznymmmy 8月13日
これは本当 日本人は揚げ足取りが大好きなせいで 悪い意味で完璧主義になって 結果、元も子もなくする事が結構ある 例えば英語のテキスト勉強してても 完璧、100点、にならないと次の課に進まないみたいな感じ そうじゃなくて0点は論外だけど 大体おkになったら進んでいい
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月7日
一流料亭の話だけど、日本では本当に
いい食材ってのは一般店には卸さ
ないんだぜぃ?
あれ、全部コネでガチガチに囲い込み
されてる。
おフレンチ料理は素材よりもソースの
方が重要視されてる調理スタイル。
だから和食で使わない様な鱈みたいな
余り味のない魚をよく使う。
ソースに余り依存しない和食の方が、 素材の良さを引き立たせる事に関しては おフレンチより優れているよ。 ヌーベルクイジーヌは伝統的な おフレンチ料理からしたら邪道。 まぁ、アレはおフレンチ料理の 神智学系ニューエイジみたいなもんだw
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月14日
ボウガンとアーチェリー競技。
鏃の種類にも注目だぜ!
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月7日
刀って時代によって出てくる量が
違うんだよなぁ〜。
基本、余り古くない江戸時代の物が
多いみたいだけど。
古いのは錆びちゃって残ってないのかな?
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月7日
今、日本史の勉強してるけど、
教科書ではイギリスが砲台壊して
勝利みたいな書かれ方になってる。 https://twitter.com/kotosaka/status/629456503783583744 …
Kotosaka (琴坂将広) @kotosaka 8月7日
知らなかった。。。ほんとだろうか? https://twitter.com/sasaokameat/status/629238550425264128 …
佐々岡@子猫子育てbot化 @sasaokameat 8月6日
私「イギリスってどこの国にも負けたことないもんね」
英「馬鹿か!日本に負けただろうが!」
私「え、いつ?」
英「薩摩如きに負けただろうが!大量のSATHUMA(みかん)輸入させただろうが!」
私「知らん」
英「お前の国の歴史の授業は何を教えてるんだ!」
怒られた。
薩英戦争にてイギリスは薩摩に負け、その際にイギリスは薩摩からみかんを輸入する事を約束させられた。 なので、今でもイギリスではみかんの事を今も「SATHUMA(さつま)」と言うらしいですよ。
単語帳作って部屋走り回りながら声だしながら答えてめくってく。
高速で。
間違えたら最初からやり直し。
途中腹筋したりスクワットしたりすると尚いい。
ノーミスで何周もできるようになれば完璧。
おれはこれで英単語100個60分
有機の構造式50個30分で乗りきった
文章なら
後ろから読んでみ?
一応、東京大学に合格した時に日本史研究なんたらって分厚い本暗記した時の方法だお
通常読み→後ろから読み→通常読み
後ろから読むんだよ
1996年10月たらたらって書いてあったら
らたらたつがうゆじんねくろくくちい
要は言葉の意味に集中しないと逆さ読みができないことを利用
一番記憶力が高い子は
教科書の文章に落書きしてたね、その子なりの法則でよくわからない記号や絵が紙面いっぱいに描いてあった
覚えたい事を大きめの紙一面に書きます。
暗闇のなかでカメラのストロボを1~2秒間隔(一定速度が大事な)で焚いて、照らし出された紙を凝視します。10~20回位
5分ほど暗闇中で照らし出された紙を思い出します。
→この操作を3回ほど繰り返すと、紙に書かれた事が写真の様に鮮明に記憶に残ります。
国連が衝撃発表!国連「日本の最低賃金は先進国最低。生存基準を下回っている」
ネズミさん @Nezmi_san 38分38分前
日本の抵抗力=組合が最低なのは戦後に押さえ込まれたのも有るが、会社単位の組合であって、労働外の組織が弱く安保のような所への反抗が弱い。
支配層の立場は、悪行を重ね過ぎて大衆を騙さないと自分達が皆殺しにされる立場なのを念頭に置かないといけまっせん。
騙し支配管理す売ることが生存戦略。
■先読み禁止マナー
http://d.hatena.ne.jp/mytestdone/20150803/1438586405
”普通に考えたらわかりそうなのに何故か考えるのが禁止。頻繁に見かけるこの現象に名前がついていないので
先読み禁止マナー
と呼ぶことにした。
(…)
将棋で言うなら、普通の知能があったら四手、五手先まで読めるのに二手先までしか読むのを同調圧力で禁止されてる感じである。
(…)
こういった先読み禁止は、あまりに頻繁に見かけるが何故か名前がついていないので名前をつけてみることにした”
メルセゲル @Meretseger2 8月3日
先読み禁止マナー
じゃなくて裏読み禁止マナーというのも考えたが陰謀論と結びつきそうでやめた
青谷三郎 @aotanisaburo 8月4日
「敵対相手の反論を相手が言う前に叩く」というのはナチスも使った手で私もよく使った(≧∇≦)
同様な手口に「相手よりも相手らしく振舞う」というのもある。ナチスは共産党を潰すためにシンボルカラーを赤にして社会主義、労働党を名乗った
↓
メルセゲル @Meretseger2 8月4日
先読み禁止マナー
良く使われる詭弁手法で反論されるのを事前に阻止するには、この名前が一番だと思った。とりあえずこの名前で行く
カレルレン @carellen_ 8月4日
@Meretseger2 詭弁手法に名前を付けるのは、抑止力としてはいいですね。
(頻繁に使われる現象に名前をつけると形が生まれ扱いやすくなります。
ほとんどの人が無自覚に使っている召喚魔法ですね。
名づけによる抑止力=封印魔法!
大抵の詭弁には名前がついているので、名前と内容をセットで学んでおきましょう!
「あなた今~を使ったよね」って言えるのは強み
……というか陰謀の追究するならまっさきに学べよ!
陰謀論者の本や講演なんて判断力と知識がついてからじゃないと騙され放題だよ!)
メルセゲル @Meretseger2 8月4日
酒作りではアルコールを作ってもらった菌を最後は容赦なく殺菌して殺す。「菌さん可哀想」なんて思わない。最大限に利用する。人間社会の奴隷も同じで「奴隷さん可哀想」なんて思われてない。最大限に利用する。それが「支配層は普通は思いつけない賢い戦略で攻めてくる」ように見える人もいる
(支配層の視点を育てる方法を教えない陰謀論者はほとんどが寸止め。
寸止め陰謀論者は詐欺師なので詐欺を見抜く技術を身につけられたら困るからね。
「ユダヤが黒幕なら、なぜユダヤという正しい黒幕を指摘しているはずのあなたの本を、ユダヤに支配されている出版社で出せるの? ユダヤ陰謀論が不正解である証拠なんじゃないの?」
って突っ込まれたら困るし。
ユダヤ陰謀論の本がブームになった歴史がある時点で嘘確定じゃん)
Celeste @yy_celeste 18時間18時間前
私「日本は今お盆休みだよ」
ノル人「5週間位?」
私「3日」
(゜ロ゜)
「有給はないのか」
私「契約上存在するが人手足りないしそう使えない」
「有給を使う前提で人員配置すべきでは」
私「ですよね」
「その状況はノルウェーでは違法だ。日本に労基法はないのか」
私「あります」
demokaruto
デモカルト
デモ教
神bot @god_________bot 7月29日
【アズラーイール】
イスラム教において死をつかさどる天使で、片手には全ての生者の名を記した書物を持ち、人が死ねばそこから名前が消える。姿形は非常に恐ろしく、全身に無数の目、口、舌を持ち、人の罪を見、語り、裁くのだと伝えられる。 pic.twitter.com/CmHpjIxQoz
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月9日
このバードストライクを応用すると 弓矢でF22が落とせるとかなんとか 言ってる人がいたなぁ。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月9日
艦隊戦は先に発見したかどうかだ そうだ。「失敗の本質」という古典に 書いてあるよ。 アメリカの艦隊を先に発見してたら 日本軍が勝ってただろう。
cxjr @cxjr 8月11日
メモお金の英語表現/seed money元手資本金capital/down payment頭金deposit/principal,capital元金/hand money手付金deposit,earnest money/initial money×/hush money口止め料
ヨガは不自然主義。自然なことは意志が無くてもできる。不自然なことは意志が無いと出来ない。自然=本能・欲望。良尾公方。
aあアダムスキー
サドカイ派が一番ユダヤ教らしい現世利益志向。ユダヤ教のメシアは現世利益を齎す政治的指導者。ユダヤ教は中国と同じく子孫繁栄などの現世利益用。エッセネ派とパリサイ派はユダヤ教ではなくゾロアスター教の変形。聖書アラビア起源説の資料。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-58.html
””
knznymmmy @knznymmmy 8月4日
ぺっこりおんの体細胞には
抗放射線能力が備わっているのですが
生殖細胞にはそれが機能せず
やむなく子宮に措置を施しました
つまりあの子らは子供を産めないのです
(ぺっこりおん9巻より)
ほーう?体外受精で「生産」するのみか
実に都合のいいことでwww
☆かおりのすけ☆ @kaorinosuke
のだめカンタービレが好きで(と言ってもパリ編の途中迄しか読んでなかったけど)、最近アニメで最後まで見たら最後の方でのだめが唐突にエジプトに行く場面が出て漏れ無くミラミッド。話の流れ的にエジプト行きは不自然で無理矢理過ぎだった… バラとプルトニウムなんて本も出てくるし、やっぱりな。
(エジプトと言えば、科学の聖地アレクサンドリア。
アレクサンドリア図書館を破壊した、反科学のキリスト教。
メーソンの中核は科学重視。
科学重視派閥がフランスとドイツ系メイソン。
グラントリアン=大東社=仏系メーソン)
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 11月4日
メーソンの二つの陣営 (宗教vs科学←二元論による支配術)
英米系 (聖書重視。WASP至上主義。プロテスタント)
VS
フランス(グラントリアン。大東社)・スコットランド系 (科学重視。百科事典=科学の本=聖書否定。カトリック) 原理主義と、原理主義否定とを混同したら駄目。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 11月16日
イエズス会士バリュエルは百科全書派・理性・科学・啓蒙思想という中核を具体的に言及していることから当時のバチカンは大東社とグルではない。 現在の紐付き陰謀論者は、グラントリアンの中核である百科全書・理性・科学という具体的名前を悪魔や悪魔崇拝と言い換えて隠しているので今やグルである。
菊池 @kikuchi_8 7月13日
お花畑左翼はそろそろネット右翼と同類だと気づいたほうが良い。きっちり思考のラインを引いてネトウヨと戯れる左翼が増えても支配者にとってはなんの脅威でもない。むしろ便利なコマが増えたとホクホクであろう。そもそもフランス革命前のヴァイスハウプト=元祖左翼から左翼は国際秘密力のコマ。
エドマンド・バークの「フランス革命についての省察」という本にフランス革命の背景について「①金融業者②不遇の大貴族③啓蒙知識人が連合して起こした」 というカラクリが暴露されている。金銭的には①声望・武力的には②イデオロギー的には③。民衆は煽られて妄動したのみ。左翼の原点はここにあり。
エドマンド・バークが「フランス革命についての省察」で暴露したフランス革命の実行者集団である 「①金融業者②不遇の大貴族③啓蒙知識人」を横断的に結びつけるのがフリーメイソンの大東社=グラントリアンである。左翼はこの系譜を引く。「左翼=大東 社の系統」というのはそういう意味である。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月20日
ルター「ユダ公なんか死ね!ついでに財産没収な。」というルターさんの発言は、スポンサー様の喜ぶ発言をするご意見番(笑)と同じだよね?ルターって実は「みのもんた」だった!(笑)これってむっちゃポジショントークじゃね?みのもんたが不二家を捏造で叩いた時の事思い出すなぁ~
(新約聖書では、ユダヤ教徒=悪ですからユダヤ陰謀論はキリスト教の伝統と言えます。カトリックのユダヤ差別も酷いですが、ルター派プロテスタントの創始者ルターもとてつもない反ユダヤ主義者でした。ナチスそのまんま。
ユダヤ陰謀論=キリスト教の伝統思想。
新約のユダヤ=悪思想が元ネタ。
新約が聖典なのでキリスト教の根っこは反ユダヤ主義。
イスラエル建国の父と呼ばれるテオド−ル・ヘルツルは反ユダヤ主義者。
シオニスト人脈はクリスチャン人脈)
おおっ、この時代からスポンサー様と電波芸者の関係があったんだね~。プロテスタントを広めたいスポンサー様の意図は、金を稼ぐとみーんな教会に吸い上げ られてしまうから、その金を貯蓄&投資させて産業を発展させたかったと。ついでにユダ公の金融特権を自分たちが独占したかったという事情。
で、ヒトラーはこのルターの真似をしただけなんだよね~。ユダヤ陰謀論は欧州の伝統芸能です(笑)でもナチスの場合は、更に悪い事にバチカン様がスポン サーをやってユダ公の利権や財産をぼっシュートしてウマウマしてたという構図。バチカン様も時代の波に飲まれてよりズルくなりましたとさ。
で、欧州貴族の陰謀を語るやつは極左!とか、通貨発行権について質問すると一発でアク禁にしちゃうリチャコシって、誰のために利権を守ろうとするか良い子 のみんあはわかるかなん?デマが蔓延してるメイソンやイルミの陰謀論を小馬鹿にするリチャコシは誰がため?それは欧州貴族の利権のため!
選帝侯がルーツの欧州貴族の通貨発行権ならびに中央銀行の陰謀を叩くとファビョる事と、フリメやイルミなどの秘密結社の陰謀を小馬鹿にする事と、天皇がバ チカンと繋がってるのを指摘すると嫌う事は全て繋がってるよ。それは一言で言えば欧州貴族の利権なんだよ。秘密結社も基本血縁集団だからね。
天皇がガーター勲章もらったガーター騎士団のメンバーだったというのは有名なネタだけど、一説には天皇は陸軍の士官だったという話もある(英国の公文書館 にあるネタらしい)。この騎士団ってやつも血縁集団なら、同じオーダーである秘密結社もこれまた血縁集団の集まりなんだよな。
リチャコシが全力でフルボッコにするアメリカという国はな、欧州貴族の認識だとあっこは下層階級の掃き溜めという感じ。だからアメリカを叩くニューエイジ だか環境保護ロハスサヨク臭い連中は、アメリカはフルボッコにしても、おフランスの文化なんか有難がるってのはいつもの事なんだよ。
リチャコシって欧州の事も耶蘇教の事もなーーーにも知らない(フリ?)のに、しっかりと西洋世界を貫く歴史の法則である「西洋はスケープゴートに始まりス ケープゴートに終わる」というモノを実践してんよな?で、欧州は完全に無視してアメリカだけをフルボッコ。おや、構図が見えてきただろ?(笑)
リチャコシってオザワンと中国ラブだからきっと大東社(グラントリアン)なんだろーなぁ。あれだけ欧州貴族の利権に配慮した発言してるんだもん。リチャコ シはワールドフォーラムの佐宗氏の説を乗っ取ったみたいだけど、オウム事件はフリーメイソンの関与もあると言ってたものを創価統一にした。
J・ナナミ @pinkglalem
原発の目的ってさぁ...プルトニウムの精製でしょ...?電力供給なんて嘘でしょ...?
日本ってさぁ...兵器工場でしょう...?
Misaki-7677 @bonchan1 8月11日
川内原発は潜水艦が立ち寄れるようになってるそうだが、なんじゃそりゃ。
truth 狼たちは川へキャンプに @wolvesknow 8月11日
潜水艦が立ち寄って、核弾頭の詰め替え用セットとか劣化ウラン弾用のうらうわだれ?なにするのやめて
風の子 @makeanovel 11月20日
RT @t_m_tweet 裏まるこ氏の発言「2013-02-20 22:01:42 原発は止まらないです。止まるとしたら、日本と世界の核廃棄物の最終処分場が日本各地に決まったらでしょう。今、脱原発の希望を語っている連中は、最終処分地決定の道筋作り活動
木葉功一 @kibakoichi 8月11日
鍵RT どうもオレには事故か何かで恒久的な停止をしたいがために「再稼働」してるようにしか思えないのだが。
村手 さとし @mkmogura 2012年12月28日
反原発の人達が、原子力施設を襲撃して、「あわやもう一ヶ所でメルトダウン」という状況になったら、簡単に反原発の世論なんて出来上がると思うが。むしろ今の世の中では理念を捨てられる人間のほうが価値があるのかもね。結果がついてきやすいから。別のアプローチはこれも同じだね。
村手 さとし @mkmogura 2014年8月8日
だから本当の原発反対運動をしたければ、ヘーゲルの弁証法よろしく『インパクトある間違った原発推進』をやりなさい! 脱原発路線に舵をきったドイツとかの大使館前で福島の桃や気仙沼海産物を持って『放射性物質だだ漏れでも大衆は気にしません』『世界に広げよう食べて応援、内部被曝の輪!』
村手 さとし @mkmogura 2014年5月30日
ヘーゲルの弁証法を『相反する対立側との統合』と説明する人がいるが、それは間違いである。 原発推進派が、嘘つき反原発活動を裏からこっそり支援して『無意味な反対派』へとコントロールしてしまうように。 統合するのではなく矛盾した対立軸をあえて作り、用意した結論に持って行くのである。
村手 さとし @mkmogura 2014年2月20日
やらない善より、やる偽善と言うけれど、ヘーゲルの弁証法で言うなら、矛盾した善こそは、このうえない悪である。 この世界の弱者救済が行き渡らないシステムは、ユニセフなどの偽善によって募金システム自体がのっとられているからである。これは巨悪以外の何物でもない。
村手 さとし @mkmogura 9月29日
福島の食材を食べたくないという人を、放射脳と揶揄して卑下する人たちがいる。 普通の人は、その人達にセシウムは指標だってだけで、それだけのシーベルト計算で安全という理論はおかしいとか、子供の甲状腺癌のことを、説明して理解を与えようとする。 めんどくさい&間違いである。続く
続き どうぞどうぞ福島や東北の食材をすすんで食べて下さい。 自分は、年金が破綻してると思っています。国なんて信じませんし、食べません。破綻しても払わされてる若い人達みたいなもんで、それで年金で暮らせる人がいます。貴方達のおかげで、西日本の食材が高騰しないですんでます。と。
村手 さとし @mkmogura 10月31日
ハロウィン、トリックorトリート、お菓子くれなきゃイタズラするぞ!って、間違いなく一方的な脅迫である。 マッチ売りの少女は正当な商品であるマッチを「買ってください」と嘆願をしてたのだが、見向きもされず結局、凍死する。 「マッチ買ってくれなきゃ家燃やすぞ!」と言えば良かったのだね。
村手 さとし @mkmogura 2013年9月12日
ヘーゲルの弁証法について説明するとき、「矛盾したAでは、対立のBに誘導する結果となる」という説明になるのだが…。自民党の分身である今の民主を支援すると、より確固たる自民体制を作ることに協力することになるとか。……めんどくさいので「イヤヨイヤヨも好きのうち」として、説明している。
村手 さとし @mkmogura 2013年6月29日
『探さないてください』という、置き手紙か、文字通りの意味だったことは一度もない。鈍い人があまりにも多いため『ヘーゲルの弁証党』を作って、軍服を着て自民党を応援する党でも作ろうかと画策ちゅう。万が一にも政権与党にならないように、感謝を表現するときはラップを強制させる鉄の公約も作ろう
村手 さとし @mkmogura 2012年10月13日
自分は、これ以外にも「一般むけ宗教において、性欲はなぜ負の考え方なのか?」を、昔からよく考えたっけ。宗教=統治、だから邪魔。それ以外にも、このブログの視点と同じ「人間の子は時間がかかる」というところから、「親がやっちゃいけない=楽しいこと」みないな、ヘーゲル弁証法があるからかなと
阿修羅弌霧銀 @asyura_itibugin 8月2日
頑張れば頑張るほど、自分自身がその頑張りを否定できなくなる。 だって頑張ったんだもん。 それが間違った方向であろうが頑張れば頑張るほど認めたくないもんだ。 利用されてんだよな。 さすが支配層はわかってるよ。
cxjr @cxjr
殆どの人は嘘を生活基盤にして生きている。だから嘘を暴く事実を知ることを拒否する。
sydneyminato @sydneyminato 7月25日
私が思うのは、秘密の情報として明かされる情報は、それ自体がスピンの可能性です。タダで手に入る重要情報が如何に管理され尽くされていて、辻褄が合わせられている必要があるかという原理について気付く人がまだ少ないと思います。バレるならばそれは利かないことを意味しますがそうではない筈です。
(…)
Copy writing @Copy__writing 7月30日
美しい女性を口説こうと思った時、ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、君は15本贈るかい??そう思った時点で君の負けだ。ライバルが何をしようと関係ない。その女性が本当に何を望んでいるのかを、見極めることが重要だ。 by スティーヴ・ジョブズ
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月14日
恐らくタネありの洗脳技術のみならず、超常現象っぽい魔法も恐らく自然法則の一部でふ。ニャンゲンの認識って面白くてそこを拡張すると魔法みたいな事が起きるみたいですよRT https://twitter.com/makeanovel/status/621046092000395264 …
風の子 @makeanovel 7月14日
手品もタネを知っちゃうとどうということない仕掛けでなーんだ・・・って感じなんですが、教えられるまではまるでわからないものですものね。 RT @kitsuchitsuchi @onigiri3_ 宗教と物語=魔法はタネが割れれば単なる騙す技術。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月14日
@makeanovel うーんと、あんまり言いたくないけど、例えば特定の感覚を強化するとオーラ見えたりするあれ。
風の子 @makeanovel 7月14日
@lakudagoya すみません、言いたくないのに教えていただいて^^; それはもともと自然法則の一部なんだけど、人間の持ってる潜在的な能力をなんらかの方法で拡張したら見えたりするんですね。でもねこたさんがおっしゃってるように、素人がむやみに拡張したらまずい分野みたいな?
魔世ねーず @kuromitsu_2014 7月17日
@makeanovel @lakudagoya 潜在能力の拡張はチャクラが関係しています。無理やり開くと廃人になります。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月14日
@makeanovel ごめんなさいね。そうなんですよ、下手に素人が拡張すると凄いマズイ事になるんですよにゃん。まぁ、おいらはイルカに地上で暮らす能力がいるか?ってくらいこんなのいるか?(オヤジギャグ)思うんですけどね。
風の子 @makeanovel 7月14日
@lakudagoya もしかすると、最初はイルカが地上で暮らすほどの逆境で死ぬまいと頑張った人がたまたま拡張しちゃって気づいたりしたとか?命拾いしたあとも調子のって使って自滅するみたいな。死ぬほど逆境でもないのに拡張して妙なことをしてる人々もいそうですけど怖いですね、ちょっと。
ぽぅ! @ponko_de 8月9日
『長崎原爆70年』http://www.huffingtonpost.jp/keiko-hiromi/post_9752_b_7959914.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001 …「防空豪で近所の人がジャガイモを蒸かした時母はなぜか私たちに食べさせなかった。食べた人達は10日間ほどでお腹が膨れ上がり紫の斑点が体中に出て皆死んだ。放射能の知識などない私の母がなぜ家族に食べさせなかったか分からない」
モランボン ぎょうざの皮 産地
http://okfood.blog.fc2.com/blog-entry-634.html
ぎょうざの皮 - 放射能汚染のない安全な食品を選ぶための情報
http://okfood.blog.fc2.com/blog-category-114.html
健康ネタは釣餌
私達の身体は意外に反応が鈍く、脳から満腹サインが来るまで10~15分程かかると言われています
aaaaタイトルは釣り要素を多分に含んでおります。
動画タイトルの限られた文字制限の中でどれだけ人間にクリックしてもらえるかが重要
食べ過ぎを防ぐためにはゆっくり食べる必要がありますが、ゆっくり食べる方法としてオススメなのが噛む回数を増やすことです
長く噛み続けることで食べ過ぎる前に満腹サインをキャッチできるだけでなく、噛むことで交感神経が高まり食後の消費エネルギーも高まるという効果もあります
おいしいものを食べていると、脳内で快感物質が出るため、意思の力だけで食べるのをストップするのはじつは難しいのです。そんなときは、途中で食べている途中で休むのが一番
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 4月21日
12)そういう意味でイラン系の思想と西洋のイルミナティは繋がるわけです。まー、西洋のイルミちゃんは、シーア派やスーフィズム経由で思想を輸入してるので、繋がりがないといえば嘘になりますね。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 4月24日
@lakudagoya
福音書記の名前ってペンネーム
らしいですよ。
特定の個人を指しているわけでは
ないらしいです。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 4月24日
@FeydoTaitei あっ、やっぱしペンネームですか。中国の古典の老子とか荘子とかもその人が書いたものではなくて、何かの思想集団が書いたものという説がありますが、そのようなものてすか?
フェイド大帝 @FeydoTaitei 4月25日
@lakudagoya
まぁ、ジョークは置いときますとw
老子は最期の方で牛に乗って西の
方から中国を脱出してますから、
そういう事なのかな、と。
一部の中国人はバラモン教をインドに
伝えたのは老子だ!という説を唱えて
いるとか……w
@lakudagoya 個人的には中医学とアーユルヴェーダ に関しては中医学の方がオリジナル かなぁ……と。 チーゴンとヨガではヨガの方が オリジナルだと思いますけどねw
フェイド大帝 @FeydoTaitei 4月26日
RAPTの野郎が仏教について間違いばかり書いてるなw
キリスト教原理主義者っぽいけど
カトリックとモルモン教を貶めてるから、エホバ辺りかね?
リベラル系では無いから、福音主義系かもしれないが。
コメント表示されてる連中も仏教というかインド文化をよく分かってないぽいな
まさか知ってるとは思うが、仏教も 偶像禁止だぞ。
仏像作り出したり、ストゥーパ建て始めた のは大乗仏教になってからだぞ?
教えを文字に残さなかったのは、
まぁ、あっちの文化がそういう 文化だということもあるけど、
初期仏教は基本シンプルで実践重視 だったから必要なかったからかな
あえて突っ込むと、イエスも書物を残さなかったんだがなw
フェイド大帝 @FeydoTaitei 4月24日
@lakudagoya
聖書の著作権はヤハウェが持ってる
そうなので、印税は全て天国の口座に送金されてるそうです。
従いましてマタイ達は無断使用者の
ため、ヤハウェが殉教死させて懲らしめてあげたそーですw
http://www.bible.or.jp/read/read10.html …
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 4月25日
@FeydoTaitei うはは!印税を天国の口座に送金とか、道教の死後の世界にお金を燃やして賄賂にするのと似てますねー
フェイド大帝 @FeydoTaitei 4月24日
某HPより、
「聖書のテキスト自体は神様からの無償のメッセージです。しかし聖書の翻訳,製作,出版には費用が発生し,その聖書の使用,転載には財産権が伴います」
しかしじゃねーよ
フェイド大帝 @FeydoTaitei 9月25日
仏は神ではないぞ。
仏が聖書の神みたいな認識に
なったのは華厳経と法華経からだ。
密教の大日如来も聖書の神ちっく だが、そもそも密教の曼荼羅では 開祖の釈迦が端っこの方に 追いやられている。
西洋人の神は常住善と常住悪の 肯定から来ている。プラトンの 言うイデアと一緒ね。 仏教は無常を説くので、 そもそもイデアなんか存在しません というスタンス。 ちなみに常住というのは実存する という意味ね。反対語が無常。
つまり西洋人には永遠不変の 絶対なる善とか正義が存在する と考えている。 だからアメ公の大統領とかが やたらと正義、正義と口喧しい わけ。 仏教徒からしたらアメ公の ただの妄想。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 9月29日
火山噴火を人工的に起こせるのか
は分らないが、9月27日は足すと
18になるな。6+6+6。
ちなみに白山は宝くじの会社が
隣接しやすい地名。
また、イルミ系の漫画でやたらと 富士山噴火ネタが多い。 美内すずえのアマテラスでは アメリカのキリスト教カルトの 司祭が魔術を使って富士山を 噴火させる呪いを掛けるシーン がある。 美内すずえはアイクが処女作を 出す前にレプティリアン説を 漫画に織り込んでいる。
一応、美内論では富士山を噴火 させて日本列島を沈没させるのが 米国カルトの目標とされている。 ガラスの仮面もいいが、美内作品は アマテラスと13月の悲劇は読んで おいた方がいい。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月6日
上智大学ってキリスト教の神学書たくさんだしてるんだぜ?
で、日本の神学は圧倒的にプロテスタント系が主流。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 9月24日
リツイートでフォロワーが増えると手柄を横取りしたみたいで嫌だったので今までしなかった。その反動でリツイート解禁すると止まらなくなった。情報は流す経路をわざと作ることで制御可能。陰謀論本の出版社という経路を作って思わぬところでの大本(教)の情報漏れを防ぐ。Xの抑圧は過激なXを産む。
アテン一神教の末裔にローマ貴族が干渉してユダヤ教を押しつけ教典を旧約に改造したのでしょうか。 キリスト教の安息日を意味する雑誌で反バチカンができることから藤沢とおるのバックはグラントリアン。啓明会を母体とするのが日教組。教師ものは大東社の宣伝。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 9月24日
今週のサンデーの表紙がまんま
ダゴンなんだが………
フェイド大帝 @FeydoTaitei 9月25日
しかし藤沢とおるの新連載の キャラがダゴン、オアンネス ソックリな件、あまり話題に なってないね。 まぁ、サンデーの読者には 無理な話か。
ちなみに藤沢とおるの新連載で
重要なのは魚の帽子を被っている
のが女性である点。
元ネタのカトリックの法王は
男性しかなれないからね。
だから漫画の中で笹の葉の服を
わざわざ脱いで女性であることを強調するシーンが盛り込まれている。
ドジョウ娘の方はFF5の魔女 メリュジーヌ、メガテンの リリス、アスタロト、イシュタルに デザインがソックリ。 キリスト教以前の中東の女神ばっか だね。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月4日
「福島産の食材には消費税が
掛かりません」
という政策があったらイルミさんも
賢いのだが……
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月4日
黒幕を倒せるだけの武力が
あればだけどね。
「愛」なんか説いても通用せんぞ?
マザーのギーグじゃあるまいし。
イルミというのは思想が問題で あって、特定の人物や組織が 焦点ではないぞ? 要は犬やライオンのアルファ 権勢症候群の人間版みたいなもん。 本能的に人間という生物種に 備わっていると思った方がいい。 つまり、イルミ思想というのは 自然発生する。
いくら遺伝子交配で改良しても おバカ犬っているだろう? 処分するのも一つの手だが、 大半は「しつけ」で矯正を 試みる。 「しつけ」と言うのはぶっちゃけ 人間で言う「教育」と思えばいい。
ところがヨーロッパの王族とか 貴族とかの子供は庶民が通う様な 学校には行かないし、普通は勉強 しない「帝王学」を親から まなばされる。
「帝王学」や「拝金主義」というの 「道徳」、「倫理」と相反する。
困った事に、「道徳」というのは 宗教みたいなもんなんだよな。 絶対的で不可侵な常住する 「善」が存在しないと成り立たない。
で、ヨーロッパ庶民の「道徳」の 教育担当がキリスト教だったわけ。 ところが教会もローマ帝国も 意図的なのか、失敗したのか 結果論だけ言うと「道徳」の 先生を上手くやれなかった。
哲学というのは「道徳」を 究める学問ではないからね。 ルネッサンス時代にルソーの ヨタ噺を間に受けたフリーメイソン も結局は「道徳」は教えられない。 そもそもキリスト教を改修して 正しい方向に向かわせれば済んだ 話を、革命によって排除する 方向に走ってしまった。
あらゆる主権を倒した後、 メイソンは何を教える? ルソーにプラトンをトッピング したジャンクしか残ってないだろう?
東洋はまた別問題。 仏教が間違えたのは 「常住善」を否定したこと。 だから、天台宗や華厳宗が 勘違いして「悪も仏性なんだ」 という曲った解釈をしてしまった…
もちろん釈迦はバカじゃないから、 一応の対策を考えることはした。 それが「戒」。 これはユダヤやイスラームの 律法と同系の考え方なんだけどね。
この世に善も悪もないなら 人間は何でも自由にやってしまう。 さてどうする? (フリーメイソンの「自由」追求の 思想的欠陥もここにある)
取り敢えず明らかにコレを やったらマズイだろうと 釈迦が判断する行為を リスト化して、ルール化しよう。 これが仏教のタブーのルール集 「戒」。
不殺生、不邪淫は「戒」と 捉えるのが一般的なのだが。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月13日
@shukyogakutan
あれはアルジュナがクシャトリヤ
だからだよ。
あの話はカーストの宿命は全てに
優先する、アンタはクシャトリヤに
生まれたんだから、グダグダ
言ってないでとっとと
突貫して砕け散って来い!
という話。
アーリア人えげつねーな。w
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月11日
一万と二千年前から〜とかは
ブラバツキーの時代からほざいてたな。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月6日
@kitsuchitsuchi
8時間労働というのは最近
決められた数字で、元々石炭を
掘っていたヨーロッパでは
12時間以上も労働させていた。
平均16時間ぐらいだったかな?
流石に過労死する鉱夫が多かった
ので、8時間に減らされた経緯
があります。
だからヨーロッパの蒸気機関革命 とほとんど無縁だった日本は 近代になって8時間労働制を 輸入しても、遵守の意識が低いのは こういった背景が無いからと 考えられています。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 11月7日
@FeydoTaitei 日本はキリスト教が作った奴隷労働教儲が多過ぎですよね。過労死多過ぎ。「働かざる者食うべからず」は聖書が元ネタだし、「勤勉な日本人」だって明治以降の偽伝統。神学校がモデルの労働者育成用学校で規則と時間を守るように訓練させて、砂糖入り飲料を飲む労働者を育成。
@FeydoTaitei ゼイリブでの支配者の命令である「8時間働け。8時間寝ろ。8時間遊べ」に従う方が現状が改善されるって本当に日本は異常だと考えます。日教組の先祖が下中弥三郎の啓明会(イルミナティの和訳。百科全書派系)ですし。会社に砂糖入りコーヒーや紅茶の自販機が置かれたり。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月7日
@kitsuchitsuchi キリスト教が入って来る前から 酷かったと思いますよ。 疫病と飢饉で参ってた時代に どでかい大仏を作らせちゃう ナラノミクスで沢山の日本人が 犠牲になりましたし。 ハコモノ政治のご先祖様かも?
@kitsuchitsuchi
欧米人に取っては8時間でも
キツイのかもよ?w
スペインにはシエスタあるし。
キリスト教では労働=神の降した罰
の認識ですし。
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 11月7日
@FeydoTaitei 白人にとっては日本人が労働(=罰)でプライベートを壊すどころか過労死することが信じられないらしいですね。
支配層ってモロにプラトンの哲人政治思想ですよね。肉体労働しない者が一番偉い。
元凶の魔導士プラトン↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22755002 …
フェイド大帝 @FeydoTaitei 11月7日
@kitsuchitsuchi
欧米はクビになっても
転職市場が活きているし、
保険などの社会保障も
整備されてますからね。
日本人は組織にぶら下がる
しか選択肢がない。
さとりの雑学bot @sato_zatu 7月14日
マーキュリポイズンは水銀毒のことよ。今では毒性が知られているけど、昔は不老不死の効果があると盲信され、多くの人がこれで亡くなったわ
有名な奈良の大仏、建造中に水銀を蒸散させる過程があって、水銀中毒で多くの人が亡くなったと伝わるの。人々を救うためなのに、何とも皮肉な話ね
教祖ウ・ドーン @udon140 5月30日
飢饉や疫病で国が苦しんでるから打開策として奈良の大仏作ったら国民の生活は苦しくなるわ苦労した大工さんたちは水銀中毒で死ぬわ余計に苦しくなったってエピソード大好き
レミリア・スカーレット @fiosu5655 6月16日
奈良の大仏作るときはかなりの水銀を蒸発させたとか。金箔をきれいに塗るために、金と水銀を混ぜて大仏に塗ってさらに水銀を蒸発させて金箔を塗ったそう。水銀中毒者がでたでしょうなぁ
フェイド大帝 @FeydoTaitei
今、日本史の勉強してるけど、
教科書ではイギリスが砲台壊して
勝利みたいな書かれ方になってる。
https://twitter.com/kotosaka/status/629456503783583744 …
Kotosaka (琴坂将広) @kotosaka
知らなかった。。。ほんとだろうか?
https://twitter.com/sasaokameat/st
佐々岡@子猫子育てbot化 @sasaokameat
私「イギリスってどこの国にも負けたことないもんね」
英「馬鹿か!日本に負けただろうが!」
私「え、いつ?」
英「薩摩如きに負けただろうが!大量のSATHUMA(みかん)輸入させただろうが!」
私「知らん」
英「お前の国の歴史の授業は何を教えてるんだ!」
怒られた。
薩英戦争にてイギリスは薩摩に負け、その際にイギリスは薩摩からみかんを輸入する事を約束させられた。 なので、今でもイギリスではみかんの事を今も「SATHUMA(さつま)」と言うらしいですよ。
たけさん@ミステルトィントィン @Hundred_one_Uta
@sasaokameat 蛇足ながら薩英戦争は両軍被害甚大で痛み分けのような形で終わって、それから薩摩とイギリスは仲良くなって武器とかちゃっかり密輸したりして倒幕に一役買ったらしいですbyうちの学校の日本史教師
佐々岡@子猫子育てbot化 @sasaokameat
@Hundred_one_Uta 長州征伐の際、民間人に配った拳銃も英国製だったとかって言いますものね。痛み分けで終わったと言うのは日本だけで、完全敗退したとイギリス人は思ってるそうです。「情けをかけられた」とのこと。
ろっく54 @rock_54_
@sasaokameat はじめまして。1970年代にイギリスに住んでおりました。冬になると、『Satsuma! Satsuma!」って言ってみかんを売っておりました。日本のものがなかなか無い中で、小さな楽しみの一つでした。
until:2015-7-16 @FeydoTaitei
フェイド大帝 @FeydoTaitei 8月4日
ねここねこさんの仏教の記事読んだ。
日蓮宗の箇所なんだが……
アレは元々は天台宗原理主義。
だから天台智顗の教えを知ってないと
よく分からない。
法華玄義、法華文句、摩訶止観を読破
してほしいw
天台宗はガチ高度だから、パリサイ派の
悪口集であるキリスト教は足元にも
及ばない
仏教哲学の高度さは、一般人には 掴みにくいと思う。 西洋哲学でも「心の哲学」という 20世紀以降の哲学でようやく 同レベル。(サールとかデネットね) アウグスティヌスやアクィナスと 同じ水準だと考えたらいかんよ?
天台宗で重要なのは「悪は何処から来るか?」 という問題。 この時代の仏教ってのは黎明期の 仏教と違って、この世界は仏が 創造したみたいな教えになってる。 すると善の存在である仏が何故悪を 創ったのかという疑問が当然起こる。
元々の仏教は創造神がいないので こういう疑問は起こり得なかった。 まぁ、天台智顗は初期仏教の 阿含経(いわゆる今日で言う原始仏教) を低脳と一蹴してたので、創造神の いる法華経をベースに教義を 組み立てているから、当然この 難問にぶつかる。
そこで出たのが「天台性悪説」。 続きは添付論文読んどいて。 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36075/1/rel027010.pdf …
カルトでも何でもいいけど、 これぐらいは知識としてあった方がいい。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 7月17日
ふう……
やっと三国史記倭人伝ゲット出来たぜ。
高麗史日本伝もゲット予定。
中国の倭人伝は入手し易いんだが、
チョソ系のは絶版になってて
中古本しか無いんだよなぁ。
イエズス伝フロイス日本史も全部揃えたし
後はシーボルトとケンペルを
揃えたいね。
@FeydoTaitei ん? 日本人の書いた日本史なんざ 信用出来んだろ? 山川の教科書も、石川の講義本も 中公文庫のやつも持ってるけどね。
@FeydoTaitei 昭和天皇の教科書とか言う 国史とかいうのも一応ゲット しといたが……
フェイド大帝 @FeydoTaitei 7月18日
うーん、FF10ってやった事
無かったんだけど、ストーリーというか
設定がキリスト教からインスピレーション
してるのだろうか?
中々考えさせられる。
ラスボスが目玉模様のダニwってのが 秀逸。しかも寄生型ってのが最高w pic.twitter.com/29XxA39gSP
どうもFF10のストーリーは ゼルダの「夢を見る島」のパクリくさいな。 両方ともクジラみたいな奴が夢を作り出し ている本体っぽいしな。 これは北欧神話というか、インド神話 にマヤ神話を付け足した感じだ。
フェイド大帝的には、北欧神話と マヤ神話はキリスト教会の創作物で ある可能性が高いと思うが、その キリスト教自体がアーリアのマギや バラモンが創作した捏造宗教かも しれない。
ともかく、ゼルダとFF10のクジラは シュメールのティアマトかイスラームの バハムートを意識してるのだろう。 北欧神話では世界を囲む大蛇の ヨルムンガンドだ。
これは本来、インドでは亀なのだが、 カーラチャクラである時間の象徴が コブラのため、蛇とごっちゃ混ぜに なったのだろう。 時間は死を齎す毒の比喩で毒蛇と して古代では表していた。
当然、亀君は大地だ。つまり地球ね。 pic.twitter.com/89Xopj6mK6
で、この亀の甲羅の上に我々人類や 動物が住んでるわけだ。 シンの頭の上にサマルカンドの街が あるのと一緒でね。
よく分からんが、終末論系の世界観 というのは、ある特定の時期に 世界が滅ぶ事になっている。 ただ「なぜ世界が滅ぶのか?」 その理由はよく分からない。
キリスト教や法華経などの 新しい宗教では一応、人間が 徳を失うと、天罰の様な形で 世界が滅びるという様な 苦し紛れの説明をしている様だ。 pic.twitter.com/5xUYPAxKG4
元のバラモン教には 「文明」の象徴であるデーヴァと 「自然」の象徴であるアスラとの 対立がある。 バラモン教ではアスラの方が 古い神であると説いている。
「文明」というのは宮崎駿の嫌いな 科学技術だが、元々、バラモン教では 基本「自然」というのは人間に害を 齎す物という認識がある。 (イランやケルトでは逆かもしれないが)
でこの悪い「自然」と対抗する ために「文明」で武装しよう! というのがバラモン教の根幹にある。
面白い事にFF10ではキリスト教の 「原罪」を意味する「シン」は 自分を破壊する「文明」を滅ぼす 本能というか習性がある。
これは現実のバカ共が騒ぎ立てる 資本主義社会の暴走が環境破壊を 促し、地球を住めない星に変えてしまう という妄言と同じ思想だ。
FF10では、ではどうすれば良いかと 言うと、「文明に頼らず質素に 生きましょう」というエボン教の 教えに則って生活する事であると説く。 このエボン教はプロテスタントの パクリだ。
ともかく「文明」がある段階まで 成長すると、自然が牙を剥き、 世界は滅びる。 この様なバラモン教の妄説が スクエニや任天堂のデザイナーの 脳を侵食し、ああいうゲームを 作るきっかけを与えたのだろう。
まぁ、秘密結社自体がバラモン教に 冒されているので、自然とそこで 洗脳されただけなのかもしれないが。 いずれにせよ、エリート ゲームデザイナー 達の欠点はこの古臭い思想以外に 新しい思想は存在しない、哲学は 古代インド時代で止まってしまった、と勘違いした事が原因だろう。 インド哲学も最初からああいう教え だったわけではなくて、世界論も 様々なバリエーションがあるし、 昔のインド人も結構いい加減だ。 皆んなが仙人だったわけじゃない。
ところが、スクエニも任天堂の シナリオライターも恐らく大学で 文学を多少齧った連中なのだと 思うが、出版物にキリスト教系の 文学作品や、比較的程度の低い ドイツ哲学が多いということで
バラモンやドイツの哲人達を神聖視 しすぎたため、以後FF13まで続く 気持ちの悪いストーリーを生み出す はめになったのだろう。
ちなみにFF13のテーマは アウグスティヌスの「神の国」と 「イエスの復活」が元ネタな。 ああ〜気持ち悪い。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月18日
@FeydoTaitei FF13がアウグスティヌスってまじですか。ゲームクリエイターはバラモン教にかぶれてるひとおおそうですね。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月18日
FF10のアルベト族って露骨にユダ公じゃん。白人社会の有色人種というものをひっくり返して使ってるな。FF10の世界って有色人種メインだから。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 7月18日
浄土宗とキリスト教ってのは
意外と教義が近いんだ。
両方とも「救済系」という宗教カテゴリー
に属する。
「救済系」ってのは仏教用語で
「絶対他力」というのだけど、
人間はとんでもなくダメな生き物なので
神や仏に救って貰わないと世の中良く
ならない、って思想。
だから教えとしては両方とも シンプルなんだ。 祈るだけでいい。 後はイエスや仏が全部やってくれる。 シンプルだからこそ無学な 一般ピーポーに大変受けた。
ところが、浄土宗の元の天台宗ってのは ガチ哲学系のめちゃ複雑で高度な 仏教だ。 とてもじゃないが一般人がアレを マスターするのは無理だ。
だから、当時のプロの坊主でも 法華経の解説書の「法華文句」、 「法華玄義」、「摩訶止観」の 三点セットを読破出来た者は そうはいない。
@FeydoTaitei シンプルな浄土宗が最初じゃない。 複雑怪奇な天台宗の方が先だ。 つまり、キリスト教だって その前の元になった宗教はもっと 複雑で高度なやつだったんじゃないか とも考えられる。
そして奇遇な事に諸君には グノーシス主義という格好の 素材が提供されているのである。
FF13は神が途中で歴史から姿を 消したのを、天使みたいな種族が 人間を大量虐殺すれば神が戻って くるんじゃないか?というストーリー パルスとコクーンという二つの 世界を対比して描いている所が アウグスティヌスっぽい。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月18日
@FeydoTaitei なるほどー。露骨にマニ教の影響を受けた「神の国」のような内容ですね。確か地上が悪魔の遊園地とされたのは、特にプロテスタントの神学においてらしいですよね。アウグスティヌスの影響で肉体や現世が軽んじられるようになったみたいですが。
knznymmmy @knznymmmy 7月27日
http://uccj.org/confession 日本基督教団 第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白 >わたくしどもは、教団の名において、 >あの戦争を是認し、支持し、 >その勝利のために祈り努めることを、 >内外にむかって声明いたしました。 偽善者乙
Đằng Văn Hiếu☂ @Tonbi_ko 7月15日
で、日本基督教団はサイトトップに「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を載せていながら戦争法案になんもいわんの? 言えないよねえ。もう中枢部は宗教右翼に牛耳られてるもんね。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 7月18日
どうもFF10のストーリーは
ゼルダの「夢を見る島」のパクリくさいな。
両方ともクジラみたいな奴が夢を作り出し
ている本体っぽいしな。
これは北欧神話というか、インド神話
にマヤ神話を付け足した感じだ。
@FeydoTaitei フェイド大帝的には、北欧神話と マヤ神話はキリスト教会の創作物で ある可能性が高いと思うが、その キリスト教自体がアーリアのマギや バラモンが創作した捏造宗教かも しれない。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月18日
@FeydoTaitei 大帝おはようございます。この画像面白いですよ。アブラハムの3つの宗教の師匠はゾロアスター(バラモン)を彷彿とさせます。 pic.twitter.com/Yo7tWkK3ZP
でるた @delta0401 6月29日
最近ギリシャ神話読んでるけど、やたら神様が人間の女性と関係を持つのはまだしも、青さ若さ故の衝動とかそんなんじゃなく「動物好きな子の気を惹くため牛に化けて近付き犯した」「水を汲みにくる池の側に罠を仕掛け、足を負傷して動けない所を犯した」等々手慣れた性犯罪ばっかりでどん引きする。
上野 良樹@コミケット88落選しました @letssaga3 6月30日
@delta0401 ギリシャ神話は、被害者の人間が一方的に嫉妬でセカンドレイプされる理不尽さがあまりにも。
でるた @delta0401 6月30日
@letssaga3 星座にしてあげれば美談ぽくなって許されるというのも意味不明でひどい
鷹羽秀人@プリンセスレッスン.exe @HIDETO_RX 6月30日
@delta0401 @kyouji0716 それほぼゼウスなんじゃ
でるた @delta0401 6月30日
@kyouji0716 @HIDETO_RX そうでもないですよ。ヘルメスやヘファイストスなんかもバリバリレイプします。もはや国技
鷹羽秀人@プリンセスレッスン.exe @HIDETO_RX 6月30日
@delta0401 @kyouji0716 処女神であるアテナをレイプしようとした鍛冶神が、犯す前にうっかりアテナの足だか地面に射精したら別の神が生まれた話、日本神話に通じる部分あって特に好き。
でるた @delta0401 6月30日
@HIDETO_RX アフロディーテなんかも父親のチンポ斬り落として海に捨てたところから産まれた経緯があったりしますね。美の女神wwww
鷹羽秀人@プリンセスレッスン.exe @HIDETO_RX 6月30日
@delta0401 日本神話のイザナギが黄泉の国から戻って黄泉の国の穢れを洗い流したら神が産まれるとか、もう日本神話なんでもアリだなと。
でるた @delta0401 6月30日
ギリシャ神話、レイプはフィッシュ&チップス感覚で行われるけど近親相姦にはきっちり重いタブー課してる側面もあって、お母さんとヤると大体サイクロプスやオルトロスみたいな怪物が出来て後々害を成す
影狐夜 @kagekoya 6月30日
@delta0401 でもゼウスめっちゃ姉妹孕ませてるよね……
でるた @delta0401 6月30日
民族的には表立った接点ないのに何故か日本とギリシャで神話が似てるのも浪慢あるじゃないですか。オルフェウスとイザナギは有名だけどアメノウズメとデメテール(引きこもった所を裸踊りで誘い出す)というのもある。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月30日
聖書を読まない人ほど日ユ同祖論を盲信するという不思議。おいらは第四のエズラ書をチェックしてないけど、単に東に行っただけなら、ユダ公の好きな富が集まるバビロンとかインドという発想ないのかな?なんで極東まで来なきゃいけないんだ?第四のエズラ書、チェックしてみるよ。
desuperado @desupehannari 8月9日
宗教が発生する地域っつーのは、利権が集まる場所。人民に分け与える事が出来る場所。世界共通の大事なものは、「水・食料・エネルギー」。資源って奴だ。神聖な場所ってどこずら?
ヌッポン八百万。水資源大国で、金属も豊富だったずら。カミサマ(豪族)がそっこらじゅうにおったんは、分かるよな?
邑(バージョン2) @mla999
言霊っていうのがあって、言葉にも魂がある。しかもそれを何度も連呼すると、その言葉に心までが乗っ取られてしまう。これが刷り込みによる洗脳だと思っている。本人も意識しないうちに進んでいるから怖い。認識した上で、できるだけ言葉の使い分けをする等、脳の活性化を行ったほうがいい。
Copy writing @Copy__writing 6月22日
「おいしい」という言葉を禁じると、おいしさを表現するための言葉や感覚が豊かになっていく。「豊かな表現」みたいなものは、獲得を強要するよりも、一番便利な単語を禁じるとうまくいく byレジデント研修資料
suzy @suzy_yyz 8月9日
これ前も言ったけど、30歳になる前なら脳に情報たまるから、漫画で食いたい人は時間と金の許す限り漫画以外の文化や教養や趣味に触れてくださいマジで。漫画しか知らないと既存の漫画の劣化コピーしかできない。違うジャンルの引出しをためて、そこからアイディアを出すのが一番よ
クロダオサフネ @kuroda_osafune 8月10日
漫画ばかり読んでると漫画からしか引き出しが無くなるので劣化コピーになるという論は恐らく「漫画ばかりからネタを引っ張ると漫画ばっか読んでる奴には元ネタがバレやすい」という話であり「バレないところからネタを取ってこい」という話でもあるから『元ネタ露見率』の話でしか無さそうに思う
でるた @delta0401 8月10日
パクリとオマージュの境界は大体3つの要素で認定されると僕は思ってて、引用元が「古い」「別のジャンル」「海外」を満たす程、類似したネタでもパクリとは思われず、むしろ色んな作品勉強してるなーって評価が上がる。逆にパクリと叩かれる作品は大抵「最近」「同ジャンル」「国内」から持ってくる。
創作にあたって異ジャンルの引き出しが重要なのは先人の作品群観てても疑う余地もないけど、古典や別ジャンルから持ってくるのはオマージュorリスペクトって免罪符が手に入ってしまうという厭らしい側面も確かにあるよねーっていう。純粋に古い作品は権利が消えてフリーになっていくし
オタクの映画離れ読書離れが進んでいく程、別カルチャーの文法をアニメに持ち込めるクリエイターはますます強くなるし持て囃されるよ。若い人から見たらリスペクトやパロディではなく純粋にその人のオリジンですから、そりゃもうウォォこの人の作品すげえー!ってな具合に。
まどマギとゆゆゆなんかが顕著で、まどマギだって色んな所から持ってきただろってよく言われたし実際そうなんだけど、「昔の」「別ジャンル」「海外」か「最近の」「同ジャンル」「国内」かでばっさり明暗分かれた例だと思う(前者ほど元ネタの露見性が低い強みも併せて)。
古い作品から持ってくればパクリではないのか、って言い分も最もだけど、権利が切れたクラシックはフリー音源になってるし、青空文庫なんてのもあるので義理立ては済んでてるんじゃないですかね。古い程受け手からつつかれる頻度も格段に減りますし
truth 狼たちは川へキャンプに @wolvesknow
何とかに賛成の人はRTとか反対の人はRTとか政治的な話でやってるたわけがいるけど。
あれ、相手側からしたらリストを簡単に作れるわけで。特高やゲシュタポがどれほど細かいリストを作ってたのかご存知ないらしい。まあ、無責任なツイだ。
J・ナナミ @pinkglalem 6月28日
教会に行かない聖書も読まないヤツほど、実は信心深い。アメリカでは教会で神父や牧師を茶化したり侮蔑したりすることは法律で禁止されている。日本にこんな法律はない。法律で禁止しなければならないと言うことは、そーいうことをするヤツがいると言うことなんです。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月28日
@pinkglalem こばんわ。これはヌッポンでも同じですよ。聖書読まないやつほど、日ユ同祖論を妄信するという話。本当に興味があったらネタ元の第四のエズラ書くらい読むと思うんですが、日ユ同祖論好きだから聖書研究しようという姿勢にはならないようなんですね。
J・ナナミ @pinkglalem 6月28日
@lakudagoya でも、ニュートラルな気持ちじゃァないと、あんな馬鹿げた内容は読めないョ。あのアサンジに似てるコメディアン...誰だっけ?その手の内容を茶化す芸人って、多い。日本でソレをやったら、即アウト。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 6月28日
@pinkglalem そですね。洗脳されないぞ?という距離感がないと読めないですよねー。それはコーランも同じですし。たしかに日本ではその手の内容を茶化すのはタブーなんで、内容知らない人ほど妄信しちゃいますね。
J・ナナミ @pinkglalem 6月28日
@lakudagoya 歴史的にみると信仰は、識字率と反比例しています。
あたしが一番驚いたのは、イスラム教はカソリックが作ったという話を、ほとんどの日本人が信じないと言うこと。彼らはコーランなんて一度も読んだこともないくせに...イスラムをマトモな宗教だと信じてる。
knznymmmy @knznymmmy 8月9日
いや、意外とシューキョー信じてる奴は
原点を知らなさすぎる
例えば日ユ同祖論語ってる奴が
第四エズラ書読んだことがないとか
それどころか出エジプトすら読んでいない
アイデルバーグのクソジジイとか
knznymmmy @knznymmmy 2014年7月19日
RT>いや、原理主義以下だよ。
だって聖書にヌッポンなんかただの一回も
出てこないもんwww
遥か東に行ったとか書いてるのは
アレは第四エズラ書。外典です。
聖書じゃありません。
だから日ユ同祖論は原理主義者よりも
更に格下の単なるカルト
若しくはただの知恵遅れ
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』と茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマと大日本皇道立教会と鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
北欧が敵
ブルックと言うスカル&ボーンズが仲間になる
シャドウズ・アスガルド.
【オーズ】 北欧神話に登場する神。 その名前は「激情」を意味する。 オーズは愛の女神フレイヤの夫であり、基本的に彼女の配偶者という立場で名前のみが登場する。
Cäsi @Entelchen 9月18日
市民運動を潰す基本は、推進側が即座に同じような市民運動に見える団体をつくって、いかにも反対であるかのように見せかけながら「でも現実的に考えると」と囁いたり、実は推進側に有利な法案を支持したりすること。草の根運動に対してこうした工作運動はアメリカで「人工芝運動」と呼ばれる。
J・ナナミ @pinkglalem 2014年4月13日
この方の本業は、カルトの教祖です。...: http://youtu.be/AJfyWNnHCnM @YouTube;HANDA.TV 開局記念特番 1-2
(ワールドメイトの教祖の動画。ワールドメイトは民主党、自民党、小沢の三者のバックにいる大本教系カルト=和風キリスト教)
@YouTube 本当にこー言う人の話って、キモい。神の存在を科学的に証明した人はいません。しかし、神が存在しないことを科学的に証明した人はいるンです。ジーグムント・フロイド。彼は、宗教を病気と呼びました。
@YouTube フロイドより2000年以上昔に論理的にこの結論(神は存在しない)に達した人がいました。ゴータマ・シッダールタ。釈迦です。仏教の本質は、神と仏の否定です。自らを否定した為に、本家のインドでは、とっくの昔に、仏教は死滅しました。
@YouTube その昔、宗教は人身掌握。ソーシャルエンジニアリングの手法として生まれたのです。信者を騙すことが、その本質。そんなものに真実を求めても何も得られません。...詐欺師に誠意を求めるのは無意味。
@YouTube 宗教には嘘しかない。真実は、少なくとも、そこには存在しません。
Cäsi @Entelchen 7月8日
ルシアン・スリーズ「ソーシャル・エンジニアリングとは人間の脳をハッキングすることです。そのために必要なのは撒き餌。もちろんそれと気づかれてはいけません。ハッキングしたい脳に近づく撒き餌の最良の手段は相手の警戒心を解くために”被害者”または”救済者”であると思わせることです」
ナルケミスト @narukemist 8月2日
「働かざる者食うべからず」
「努力すれば報われる」
の二つのフレーズは奴隷化の呪文。
decubitus @leftlateral 8月3日
@narukemist @osoradegoron その2つの呪文をとく呪文。したくないことはやるな。したいことだけをしなさい。
ナルケミスト @narukemist 8月3日
@leftlateral @osoradegoron
「頑張れ」
「甘えるな」
「怠けるな」
にも要注意ですね(^_^;)
村手 さとし @mkmogura 10月4日
香港のくだらない雨傘革命と、それとタイミングを合わせたような香港財閥ハンロングループのハーバード(CIA)大学への史上最大額の寄付。
そのハンロングループを作った創始者の陳曽煕(日本留学組)とクリーニングの白洋舎の関係について知ってる人いない?
あ、全員厳格なクリスチャンです。
あ、間違いなさそうだね。白洋舎の香港一号店がハンルン、正式には恒隆=ハンロングループ。漢字も一致。 ハーバードを使ったCIA、ディロン家への香港財閥からの迂回献金じゃん。 この、なんちゃって革命を喜んでの援助金。 厳格なクリスチャンってだけで、アメリカの手先なのがバレバレです。
とりあえず白洋舎は、俺は今後一切使わないことにしました
フェイド大帝 @FeydoTaitei 7月31日
なんかRAPTの野郎が有料記事始めたぞ。
聖書の説教をやるらしいw
しかしコイツが勧める聖書は新共同訳。
原理主義御用達の新改訳じゃないのが
意外。カトリック嫌いだから当然
フランシスコ会訳は勧めてないなw
@FeydoTaitei コイツのコメント投稿者で 「国際ギデオン協会」の聖書を 使っていると書いてる奴がいた。 (多分RAPT本人の自作自演だと 思うが) 元々はプリマス ブレズレン系らしい。 PBと言えば、 原理主義系のネルソン ダービーと ディスペンセーション主義ね。
@FeydoTaitei ギデオンの日本支部はキリスト同信会 らしい。クリーニング屋の白洋舎の 人が運営してるみたい。
ken @kenkatap 2014年7月10日
欧州に輸出される神戸牛、実態は逆輸出?
【朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/07/10/2014071001225.html …
▼EUの輸入禁止措置解除を受け、輸出解禁
▼明治維新以降、肉食を普及させるため政策的に欧州から持ち込んだブラウン・スイス種を在来種と掛け合わせ生まれた
▼日本における牛肉の歴史は短い
ken @kenkatap 2014年8月9日
日本は約1200年に渡って肉食禁止だった!? その影響で江戸時代の男性平均身長が155cmという結果が判明!
【http://news.ameba.jp/20140808-556/
▼身分の上下をとわず、仏教を厚く信奉
▼傍若無人な藤原道長ですら、罪悪感をヒシヒシと感じさせていたのが肉食という行為だった
ken @kenkatap 7月30日
日本人には驚いた!1000年間も肉を食べなかったそうだ=中国メディア
【サーチナ http://news.searchina.net/id/1583352
▼日本では牛、馬は朝鮮半島からもたらされたと紹介
▼仏教は殺生や肉食を「地獄に落ちる罪」と説いた
▼獣肉食=明治天皇の1872年「肉食禁令」解除と論じた
ken @kenkatap 7月30日
日本の獣肉食の歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%8D%A3%E8%82%89%E9%A3%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E6.B1.9F.E6.88.B8.E6.99.82.E4.BB.A3 …
▼魏志倭人伝に、日本には牛馬がいなかったと明記
▼江戸時代、朝鮮通信使に対し江戸城の正餐では獣肉が使われない本膳料理が出された
▼韓国併合後、日本に来る朝鮮人増加
▼1938年東京市に朝鮮料理店が37軒できていた
ken @kenkatap 7月30日
明治新政府は肉食奨励キャンペーン展開
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%8D%A3%E8%82%89%E9%A3%9F%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E6.98.8E.E6.B2.BB.E6.99.82.E4.BB.A3.E3.81.8B.E3.82.89.E5.A4.AA.E5.B9.B3.E6.B4.8B.E6.88.A6.E4.BA.89.E5.89.8D.E3.81.BE.E3.81.A7 …
▼1869年、築地に「牛馬会社」を設立、畜肉販売開始
▼1870年、福沢諭吉が『肉食之説』刊行、配布
▼1872年、明治天皇が牛肉を食す
▼同年、廃仏毀釈で僧侶破戒のため「肉食妻帯勝手」とされた
ken @kenkatap 7月30日
東京喰種トーキョーグール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%96%B0%E7%A8%AE%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB …
▼石田スイ(福岡県出身)による日本の漫画
▼人間世界に紛れ込み、人を喰らう正体不明の怪人「喰種」が蔓延る東京
▼青年カネキは喰種に襲われ瀕死に
▼喰種の臓器を移植され半喰種に
▼苦悩と恐怖に満ちた日々を送る
louis @r2011s 2011年6月7日
すげぇ 白洋舎の創業者と共にあこがれる RT @enjoy_bible: クリスチャン創業者…小林富次郎:ライオン創業『洗剤、歯磨きなどを日本の大手メーカー。熱心なクリスチャンで「そろばんを抱いた宗教家」といわれる。積極的に慈善事業を展開し、岡山孤児院などの施設開設につとめた。
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月3日
中世ヨーロッパもどきの世界観のファンタジーの設定作ってると、リアリティーにこだわるとおいしいものって大抵南なので出しにくい。オリーブオイルとか豊富な魚介類とかたわわな果物って地中海系の国がメインだよね。じゃがいもがなければ肉の岩塩の塩漬けと麦粥とか。あとはバターずくし
内陸で割りと寒冷な中世ヨーロッパ的な世界のリアリティーにこだわるなら、オリーブオイルとか魚介類とか地中海系の国の食材は出しにくい。スパイスとか輸入品なので論外。ジャガイモもトウモロコシも存在しない。だから、塩漬け肉とかスープとか豆とか黒パンとか麦粥になって寂しいのぅ。
やっぱヌッポン人の感性ではこの食生活の貧しさは耐えられないから、どうしても和製ファンタジーでは寒冷な内陸部なのに食事だけは地中海系になるんだよなぁー。スパイスもないのに、お肉の塩漬けとか耐えられないっしょ?やっぱし豊かさって南にしかないから世界に出ていったのか。
Frederich Ⅹ @6thCrusader 7月4日
@lakudagoya 北ヨーロッパは漁業盛ん
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月4日
@6thCrusader バルト海とか北欧はそうですよね。ただ、内陸だと輸送手段ないのにお魚さんはニシンの塩漬けしか食えないかな?
帰ってきた魔法使いハンターねこた @lakudagoya 7月3日
三井はユダヤの子孫(笑)と宇野正美が持ち上げてましたねRT https://twitter.com/FeydoTaitei/status/616857647556333569 …
フェイド大帝 @FeydoTaitei 7月3日
なんだ、三井初代も藤原と源氏の
子孫か……
江戸の小汚ない一商人があんな
大財閥作れたの不自然だと思ったんだよな。
J・ナナミ @pinkglalem 7月3日
以前霧社事件の映画(セデックバレ)の話をしたンですけど...あー言うことが、南京大虐殺のきっかけになったンじゃァないかなぁ?暴動鎮圧の予防的な処置として、支那兵を大量虐殺していた。南京の日本兵より圧倒的に支那人の方が多かったから...。この数ヶ月前に通州事件が起きてるし...
@pinkglalem 南京の占領を担当していたのは会津65連隊等で、彼等が手記として告白しているンです。数回に分けて、揚子江の辺まで支那人たちを連行して行って、機関銃で全部で1万人ぐらいは殺していたと...。
しかも軍上層部の命令であったと...。
早川いくをへんな生きもの へんな生きざま @phagetypet40
最も危険なウイルスとは、エボラでもエイズでもなく憎悪である。
これは脳を狂わせ理性を破壊し、一瞬にして人を畜生に変えてしまう。
感染力も凄まじく、電波、印刷物、ネット回線などを通じて爆発的に広がる。
特に日本人は、周りの空気というやつにことのほか弱いので、空気感染も要警戒だ。
Copy writing @Copy__writing 7月30日
言葉を発する人が自分に課すべきルールNo1は「自分が言わなければ同じことを言う人が他にいないこと」を選択的に語るということです。「自分が言わなくても誰かが代わって言ってくれそうなこと」のために割く時間があるほど人生は長くありません。 by 内田樹
Copy writing @Copy__writing 7月23日
「広告制作の五大ハードル」というものがある。「新しいか?」「見たことないか?」「わかるか?」「企業や商品のシズルがあるか?」「荷(商品)が動くか?」の五つ。 by 須田和博
ヒラ:// @punanny_chang 7月23日
気づきと閃きを大切にしろ
出来れば記録しろ
もしかしたら勝てるかもしれない
メルセゲル @Meretseger2 7月31日
将棋で言うなら
飛車を囮の目眩ましにして王手
という感じか。将棋との違いは何処までが敵のコマなのかはっきりしないこと。それも「金持ち喧嘩せず」という先人のありがたい言葉があるからだいたいわかるけど
「B層なんて将棋の二手先までしか読めないだろ」 学校教育で徹底的に考えるの禁止してるからな 最近は漠然としたイメージと同調圧力に従うのが善って教育にシフトしたんだっけ?
J・ナナミ @pinkglalem 2014年5月7日
私のブログのコメ欄は承認制。公開してないモノには凄いのもある。ユダヤや聖書を否定すると、必ず反発がある。元来聖書に歴史的価値や科学的根拠を望むのは耶蘇原理主義の傾向。「あんなものは全部インチキ」と言って何の問題があるの?日本人はいつから、こんなに宗教的になった...?www
J・ナナミ @pinkglalem 2014年2月20日
「陰謀論」と言うステレオタイプは、情報の流失を防げなくなった当局の予防線のよーなモノ(私には断末魔の悲鳴にも聞こえる)。彼らがその言葉を使い否定したい情報、その中に含まれる打消し難い真実が含まれている。その証拠に、本当にヤバい情報は、陰謀論者ですらスルーするwww。
J・ナナミ @pinkglalem 2014年1月1日
@YouTube ユダヤ教は初期の段階で、魔術や生贄を否定した。アブラハムはイサクを殺さなかった。コレに対しキリスト教は魔術を行い。生贄になった者(キリスト)を崇めた。ダビデの星をシナゴーグで見ることは出来ない。ラビが嫌っている為。ところが教会では至る所で見る事が出来る。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年8月21日
天台宗とかで、「南無妙法蓮華経」って、実は論理矛盾。「法華経に帰依する」という意味。ところが、その法華経の内容は、「帰依」自体を否定している。「この世のすべてのモノは移ろうから、何を信じても無駄だから諦めなさい。」と説いている。そしてその「法華経」も仏陀の没後千年に書かれたモノ
J・ナナミ @pinkglalem 2013年8月1日
「色即是空、空即是色」⇒(物{色}はやがて移ろい。すべては執着するほどの意味を持たない。現世の否定の意味。) 「如是我聞」⇒(ブッタはそのとき~こう言った)
J・ナナミ @pinkglalem 2013年8月1日
@alicetelos1 「色即是空、空即是色」という文言があるのでイスラム教徒は佛教徒を無神論者として軽蔑しています。ブッダの死後1千年も後に書かれた言葉ですが、ブッダなら言うだろうという事で仏典の(如是我聞の)主要テーマ。この価値観からすると、佛教徒は宗教を否定しています。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年7月2日
@JunjiHattori @suzukijyakusui 現世を否定し、信仰を否定している仏教徒は、イスラムでは「無心論者」として軽蔑の対象になります。仏教は実は宗教ではありません。無機質な哲学である仏教の本質について、仏教徒自身よりイスラム教徒の方が詳しいです。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年6月25日
@lanekota なんか、 笹川良一と牧口常三郎は出口王仁三郎の腹違いの息子だと言う話。佛教は執着と言って、現世を否定するんですけど...(だから出家する)。牧口常三郎が信仰したのはこの執着。それで、ヨーロッパの教会みたいな権力構造をめざしたみたい。
@lanekota 出口王仁三郎や笹川良一と血が繋がっていたと言われる牧口常三郎は明確に佛教の戒律を否定しています。だから、在家団体が誕生した。
た⌘し @meets_tak 1月24日
以下、島田裕巳著『創価学会』(新潮新書)より引用。第一章 なぜ創価学会が生まれたのか (P29)から。 pic.twitter.com/lviTxsGBtf
@meets_tak しかし、牧口の場合、宗教として元々親しんでいたのは、日蓮正宗ではなかったし、仏教でもなかった。北海道尋常師範学校は札幌にあったが、札幌には、内村鑑三や新渡戸稲造といったキリスト者を生んだ札幌農学校があり、キリスト教プロテスタントの伝道の拠点であった。
牧口自身、「苦学力行の青年期に敬愛し親近した師友は、大概基督(キリスト)教徒であった」(『創価教育学体系楩概』)と述べている。 (引用は以上)
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi 1月28日
@meets_tak 創価学会の母胎は #大日本皇道立教会=キリスト教製の偽天皇系組織。 #sagegroup=紐付き陰謀論者の巣窟の母胎も大日本皇道立教会。 創価の表層を叩かせるのは、偽皇室とキリスト教が陰謀論業界のボスであり、創価とsagegroupを作った黒幕なのを隠す為。
J・ナナミ @pinkglalem 2014年6月9日
時間は空間が存在しない限り、存在しない。時間は空間によってその経過が違う。時間も空間も人間の創造物であるから...おとぎ話「浦島太郎」はこのことをよくあらわしている。
フロイドの精神分析は佛教に似ている。「時間」と「空間」と、それらを造った「神」の否定。これら3つは、人間の作り出した妄想に過ぎない。そう論破したのが、佛教。それゆえに政治的には宗教の目的(人心掌握)をなさなかった。だから本場インドでは佛教は死滅した。
刹那的とは否定的に使われる言葉だけど...“刹那”とは佛教用語。小泉が「米百俵」のたとえ話をしていたけど、国民が倹約して貯めたお金を搾取されるぐらいなら、刹那的なほうがいいョね?佛教の本質を知れば、あんな単純な詐欺には、ひっかからない。
昔、学会員の人と話してて、佛教とは仏を否定する哲学と言ったら、信じてもらえなかった。創価は佛教を偽装した大本教だから...彼らには理解出来ない。ネズミ講のよーな収奪システムの中で来る筈のない未来の幸福を待ってる。佛教はその“未来”ってヤツを否定してる。
人間は自己の欲求を抑圧する。抑圧した(みじめな)経験は過去。自己の立ち位置は現在。過去の抑圧を解放する、つまり、自分の過去に復讐する事を未来と呼んでいる。宗教はこの心理を巧に利用して人々の心を操っている。宗教の時間軸は常に一直線上にある。
約束された幸福は来ない。勝手にあなた(信者)が、そー思い込んでるだけ。約束を守る者(神)はいない。約束を説く者(預言者、教祖)は詐欺師。
この時間の概念を使った詐欺が宗教以外にもある。私がいつも言ってる“銀行”がソレ。銀行と宗教を結び付けたり、陰謀や秘密結社の正体を銀行と言ってるのは、私ぐらいみたいだけど...その理由はコレ。構造上、そっくりなワケ。
アーロン・ルッソが「中央銀行が紙幣を国に貸し付けてる為に税金を徴収しなければならない」と言ってる動画は削除されたけど...私は、銀行に金利を払ったうえに税金を払う理由が、未だに理解出来ない。
陰謀論者は言うワケ「創価は地下銀行の役目をはたしてる」って...でも、普通の銀行だってカルトのお金を扱うワケでしょう?その地下銀行とかから、資金をどーやって外国とかに送金するワケ...?
2重の搾取。原価20円の一万円札を1万数百円で国家に貸して、国民がその金利を払う。私たちが銀行を利用した場合もソレとは別途に金利を払ってる。
ところが、預金金利は0.35%...。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年2月25日
聖書の内容はまさに殺戮の書。福音書は愛を説く。ココがキリスト教の詐欺的手法で、キリストは聖書を否定しない。結果クリスチャンの行った悪事を全部ユダヤの責任に転嫁。だから、この世で最も人を殺したのは、クリスチャン。彼らに罪の意識はありません。ユダヤと言う便利なアイテムがあるから...
J・ナナミ @pinkglalem 2013年2月19日
佛教では「愛」を執着とし、否定しました。キリストは執着しました。私も何も信じていない。ところが、どこかで何かを無意識に信じているのです。何かに執着しているnです。私も...カルマですかね?私たちが見る物、信じている物はすべて幻想です。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年2月17日
時間は空間が存在しない限り、存在しない。空間は私たちがイメージの中で造り出しているモノで、現実には存在していない。このイメージに執着する事を、佛教は「愛」と呼んだ。キリストは愛を説くが、佛教は否定している。故に、佛教は時間を否定するが、キリスト教は肯定している。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年2月7日
嫉妬心は一つのパラドックスで、嫉妬を懐いた相手への敵意は自己の否定へ向かう。この感情は増幅すればするほど、自己を否定してしまうので、いっそう孤独感や疎外感が増す。他への攻撃は、自らへの攻撃となる。だから、とりとめがない。
J・ナナミ @pinkglalem 2013年2月2日
@alotofredcomet @lanekota "貶め"ではなくて、否定しているnです。宗教など不必要。「神も仏もあるものか!」と言うのが健全なあり方です。サリービー博士の発見は重要で、特定の地域・ソサエティー限定なら宗教は可ですが、巨大な嘘(宗教)は多くの人を不幸にします。
J・ナナミ @pinkglalem 2012年12月12日
ガダフィは過小評価され過ぎています。特にアフリカンディナールは、伝家の宝刀なワケで...欧州の経済システムを完全に否定してしまっているんです。これを、アジアやアフリカがやってしまうと、ヨーロッパはかつてのアフリカのよーな最貧国ばかりになってしまいます。
ふぎさやか @maomaoshitai 6月28日
『韓非子』では道徳を重んじる人間に損得の話をすると疎まれる、損得を重んじる人間に道徳の話をしても疎まれる、表向きは道徳を重視しているように見せているが、実際には損得を重んじる人間に道徳の話をしても内心で軽んじられる、と人を教化する難しさを語っています。
「貧しい人がいたら見過ごせないだろう」という道徳の話を聞いてわかる人間には方便など用いる必要はないのですけどね。それがわからんという人間には「貧しい人を助けずに放っておくと何をするかわからないぞ、危険だぞ」と利害の話で説き伏せるしかありません。本来は後者を言いたくなどないのです。
道徳を論じてわからない人間には「君のちっこい頭でちょっと考えてみなさい、道徳以前にこれを放っておくと君にも被害があるのだぞ」という教え方をしないとなりません。自分の利害損得にしか興味がないのですから、そういう程度の話からしないと伝わりません。これが対機説法です。
お釈迦様も本当に機根の低い人には「私に布施をすると凄い功徳があるぞ、来世はもう王様や天人になれちゃうね」みたいな話をしています。最初から悟り云々と言っても想像もつかない人には、こういう即物的な話から始めるしかなかったのでしょう。
もちろん世の中には自分のことで手一杯という人も沢山いますからね、それは仕方がありませんよ。今にも飢えて死にそうな人に「君は他にも飢えて死にそうな人がいることをどう思うかい?」とか言っても、そんなこと知ったこっちゃないに決まっています。
J・ナナミ @pinkglalem 2012年9月23日
以前、学会員の方に言ったんですが、「仏教は宗教ではありません。“空の概念”が存在する限り、アレは哲学です。仏教に信仰を持ち込んだら、ソレは既にカルトです」 ...相手は、絶対に納得しませんでしたね。
J・ナナミ @pinkglalem 8月16日
@koudaiin 色即是空。空即是色...この世のあらゆる物や事象は、何の意味も持たない...実は、佛教の真髄は「否定」にある。。「あなたの信仰は報われない」と教える宗教はない。...コレこそが、佛教が宗教でない所以
J・ナナミ @pinkglalem
あたしは、神はいない。宗教は詐欺。って言ってンだから...あたしのタグを付けて、精神世界とかほざくな!馬鹿ルトども...!「神」ってのは、お前らが感染してる病気だ。
あたしの考え方はすごく単純で、この世には3種類の人間しかいない。嘘つきとバカと無神論者。無神論者以外は、ウソをついて誰かを搾取している捕食者(宗教)か、搾取されてもただ甘んじてるバカだけ。
メンヘラにとって「神」というのが一つの障壁になっている。もう人格の一部になっていて、コレを否定することは、それまでのその人の人生の全否定になってしまう。詐欺師たちはこの弱みにつけ込む。#カルト支配 #ReligionIsFraud
宗教は危険な生物兵器だョ。感染したら、思考のパターンが一定になって、家畜以下になってしまう。
最も危険な感染ルートは、母子感染。カルトに感染した家庭は必ず崩壊する。
私のツイートにかってにメンショって、絡んでくる馬カルトは、たぶんこのパターン。
世界的に流行し、最も感染力の強い精神病のことを、私たちは「神さま」と呼んでいる。
秘密結社なんてないョ。やってるのはヴァチカンと銀行だけ...。
つーか、通貨そのものに疑問も持たないで、陰謀論とかほざいてンじゃァーねーョ。
J・ナナミ @pinkglalem 2012年9月23日
実は、仏教は信仰を否定しているのです。
つまり、仏教は、信仰した瞬間から仏教徒では無くなるワケです。
J・ナナミ @pinkglalem 2012年10月16日
@lanekota そーなんですョね。どー考えても何で「赤い盾」なんて、名前に改名したかなんです。明らかにマルタ騎士団への忠誠に思えるnです。英女王はダムオブマルタですし、ロスチャイルドの孫が次の次の英国王になりますし...
J・ナナミ @pinkglalem 2012年10月17日
キリスト教の特徴に「原罪」というのがあります。教会の権威のために創られた概念です。 教徒を抑圧するために作られたものですが...さっき言ったバラモンのモノより稚拙。 私たちは生まれながらに罪人なんだそーです。 でもこれ、キリスト教最大の弱点なんです。#カルト
なぜ、キリスト教最大の弱点なんでしょうか?#カルト 聖書には神に似せて人を創ったと書かれていますが、人が罪人なら、それを似せた神も罪を犯しています。その人を大量生産している神は最大の罪主。つまり、キリスト教は論理的に神を否定する概念なんです。 #キリスト教 こそは悪魔教なんです。
#キリスト教 のこの邪悪な面は枚挙にいとまがないです。この論理的な矛盾をたくさんの人が指摘したのですが、#教会 は口封じに片っ端からそういう人たち殺して行ったんです。これが #異端審問 。#カルト
日本と紀元前中国王朝の関係性
http://itest.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1319740417/
”0018 出土地不明 2011/10/29 03:41:31
商王室と周王室の象徴が鳳凰で漢王朝の象徴が龍
日本の神輿に付けるのも鳳凰
これは何かある
0019 出土地不明 2011/10/29 05:19:47
そもそも論衡って書物がちょっと眉唾文献なんだけどね・・
ID:qSU/lEH+(2)
0020 出土地不明 2011/10/29 07:38:46
神鳥の紋章を持つ勇者が、悪の化身である竜を退治する。
ドラゴンクエストじゃないか?
(…)
0031 出土地不明 2011/11/01 12:55:49
国としてまとまってなかっただけで
船はあったし当然、交易はあっただろう。
移民も普通にあったでしょ。
ID:mCXFvh+8(2)
0032 出土地不明 2011/11/01 12:57:34
現代人から見ると「国」があるのが当たり前だから
国がないというと即、類人猿レベルと考えがちだけど、
実際は縄文時代でもヒトの知的レベルは今とそんなに差がなかったでしょ
ID:mCXFvh+8(2)
0033 出土地不明 2011/11/01 18:08:28
てか「国」だってあった。現代的感覚で見ればいわゆる部族集団に近いものだが、
抗争もあった。陸稲農業すらあったのにな。
狩猟採集中心ってだけで猿人かなんかと勘違いして石斧持ってウガウガ言ってるような
イメージで語ってるような輩がエラいセンセーにまで混じってるから困るw
(…)
0079 出土地不明 2011/12/09 23:45:38
確かに
遺伝子で、文化上の区別である民族を規定できまい
(…)
0084 出土地不明 2011/12/17 05:27:57
民族の定義は言語や文化が共通である事であって、
人種はむろんの事、国境も政治も何の関係もない。
ましてや個人が個人を定義する物では決して無い。
>>81は本当に何言ってるのかさっぱり解らない
ID:d9c87x6C(1)
0085 出土地不明 2011/12/17 08:08:44
81じゃないけど、要するに元々同じ兄弟であっても
相互に違う宗教を信じたり、違う言語を使ったりすることで
違う民族認定されたりするから当てにならないってことだろ。
旧ユーゴスラビアとかエジプトのコプト人とかの区別とかそうらしいし。
(…)
0095 出土地不明 2011/12/19 07:22:43
>>94
東京都世田谷区南部(神奈川県川崎市すぐ近く)の砧公園(野毛大塚古墳)近くの
六所神社には水神神社がある。
そこには竜の彫刻がある。
水神=竜神信仰なのだろうか?
(…)
0097 出土地不明 2011/12/19 10:03:39
>>94
龍は全国お神社に居るぞ
守り神としてな
一度の神社にお参りした事無いのか?
日本に住んでてそんな奴は、キリスト教を辱めるカルト宗教の馬鹿信者ぐらいだぞw
まあ日本は龍の国ってことだな
中国皇帝はそれを崇拝していたw
だから卑弥呼の使者が魏を訪れたとき異例の厚遇をしたんだよ
唐になるとモンゴル系だから、倭の使者?なにそれ?となり冷遇された
ID:NQwo7nAo(2)
0098 出土地不明 2011/12/19 22:48:53
竜というかヘビじゃないか?
金印にヘビが象ってあるのは雲南の填国と邪馬台国の二つだけ(未発見は除く)
竜はもともと水路のことで、タイ語のクローン(水路)と同音らしい(龍・ロン)
それはともかく、起源は南方だな
南方由来の夏王朝の神話に竜が多く登場し、同族系の夷出身の劉邦の誕生説話に竜が絡んでいる
日本に大蛇はいないが、素朴なヘビ信仰はある
これが大陸の竜と結び付いた可能性はあるよ
どーでしょう?
ID:/QRX2i8o(1)
0099 出土地不明 2011/12/19 22:58:47
日本には八岐大蛇が居るが...
大蛇を倒す→大王の証
ID:NQwo7nAo(2)
0100 出土地不明 2011/12/20 06:02:10
中国王朝には龍信仰する王朝と
鳳凰を信仰する王朝の2種類が有り、
日本はどちらかといえば鳳凰系だと思う。”
(…)
(…)
(…)
(…)
(…)
(…)
(…)
(…)
”
(…)
・嘘、 嘘の理由、
嘘のコスト(リターン≧コストでないと駄目。嘘をつかせ続ける維持費含む)
は三位一体。 ・何を言っているかよりも、 何を言ってい「ない」かに注目。
・対立する説の共通項と中間を重視。 どこまでが捏造かを考える為の参考にどうぞ。
フェイド大帝 @FeydoTaitei 3月18日
う〜ん、どうもモノづくりって
あんま情報の啓蒙活動がなされて
ないのか、プロの軍事アナリストや
大学教授も頓珍漢な記事書く奴が
いるからなぁ〜。
アメリカだってロッキードやらレイセオン
だとかの兵器屋がいるから、その
辺のノウハウとか出さないのかね?
ハーバードでも教えて
教えてないのなら流石だなw えぇ〜い、フェイド大帝が ビジネススクールじゃ教えてくれない モノづくりを無料でレクチャーしちゃる。
軍事雑誌で三菱重工がロッキードや ボーイングの戦闘機のメンテの仕事 を受けてれば、国産戦闘機を造る際の ノウハウの蓄積になるとか言っている 軍事アナリスト(大学教授)とかいるだろ? ったく、民間の開発屋は大学の 研究室とは違うっての!
まずアメ公の飛行機屋が三菱重工とかに 出す戦闘機のメンテってのは、 ヒコーキを全部バラした状態で送って くんの! しかも部品を全部1社発注するわけじゃ なくて、どうでもいいような部品ばかり を複数の国の複数の会社に出す。
で、肝になる重要な部品は 絶対に外に発注しない。 だからメンテの仕事なんて 利益率も悪いし、ノウハウも 貯まらない。 商売として旨味がないから皆んな 国産機を開発しようとしてる。 そっちの方が儲かると踏んでる からだと思うが……
ちなみにフェイド大帝は三菱重工の 社員じゃないぞw 大学院のゼミでたまたま知り合った 三重の技術屋から聞いた話だ。
ちゃんと復習しておけよ? ココ、試験に出るからな?w
ken @kenkatap 2012年10月8日
“天皇家の玄関”の意味合いある東京駅 非公開の貴賓室が存在【NEWSポス http://www.news-postseven.com/archives/20121007_147480.html … ▼お仕えする者と駅長しか通れない通路▼陛下のご案内は、JR東日本の社長がするのがしきたり▼地下道の真偽は不明だが、丸の内南口の央郵便局と地下通路でつながるのは事実
ken @kenkatap 7月19日
東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か
【NHK http://nhk.jp/N4KJ4GHt
▼空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近
▼幅6m、高さおよそ5mの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50mにわたって掘られている
ken @kenkatap 8月10日
防衛省:敷地内に旧陸軍地下壕 深さ14メートル
【毎日 http://mainichi.jp/select/news/20150811k0000m040055000c.html …
▼東京・市ケ谷の同省敷地内にある地下壕を報道陣に公開
▼現在の防衛省敷地内に戦時中、大本営陸軍部など旧陸軍の中枢部が置かれていた
▼地下壕の建設は日米開戦前の1941年8月に開始
……
前回の記事
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』と
茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマと
大日本皇道立教会と
鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
の補足。
長い記事をお読み下さり本当にありがとうございます!
ググって入ってもだめ。
他の人のリツイートから入ってもだめ。
自分のフォローリストから入ってもだめ。
自分のフォロワーリストから入ってもだめ。
「Internet Explororは動作を停止しました
問題が発生したため、プログラムが正しく動作しなくなりました。
プログラムは閉じられ、解決策がある場合は
Windowsから通知されます」
だってさ。
ここ数日ずっと入れない。
でもなぜか他の人のリツイートから返信はできる(恐らく)不思議。
他の人でももぐらさんのツイッターを見られない人っていますか?
妨害じゃなかったらいいなあ。邪推かも。
ツイログ:村手 さとし(@mkmogura) - Twilogだと入れました。
でもツイログからツイッターのページに入れません。
いやーなんででしょうね。
| h o m e |