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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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【読書メモ】『ギリシャ正教』『正教会の祭と暦』『東方正教会』 。原罪による堕落説、 ピラミッド型支配構造の教会、 政教分離も西方ヤソ思想であり 正教にはなし!311年にローマがキリスト教の迫害を停止したのでキリスト教にとって311は特別! 

↓を意識して学んでください
あきらンドール@akicanis
2016年2月16日
宗教を勉強した上で無宗教であるのは大変結構だが、
宗教に無知な状態で無宗教であるのは大変危ういから気をつけてね。



(自分自身の思想を正確に把握しないと無宗教の立場になるなんて無理。
無宗教を選択するとしても
中立とか無記的立場とか不可知論とか懐疑論とかになるだろうが
これも原始仏教や儒教とかだから結局宗教思想の一派。
あと倫理道徳も宗教の一部だ。
ここまで読んで違和感を感じなかっただろうか?
無宗教な者なんて実在しないので
無宗教の立場を選択することは不可能。
自分の思想に自覚的であれ)


正教入門はこちらの手引きをどうぞ




正教の解説書もグノーシス主義に言及している。

「物質=無条件に悪」はグノーシスの根本教義の一つ。

私の考えでは
「物質=無条件に悪」は有害。

「物質も善なるものとして創造された。
使い方次第で悪用されることはある」
という正統派(少なくとも正教)の思想のほうがまとも。
正教は肉体と精神は相互作用という思想。
なお私の思想は一神教正統多数でも異端少数派(グノーシス含む)でもない。

本記事を読めば

中世西欧の専制主義的教会機構、
法皇を頭とするピラミッド型組織は法皇権主張の産物。

311年にローマがキリスト教の迫害を停止したのでキリスト教にとって311は特別!

「キリスト教は原罪で罪悪感を植えつけ支配」
は正教に西方教会流の原罪はないので厳密には誤り!

原罪による堕落説、
ピラミッド型支配構造の教会、
政教分離も西方ヤソ思想であり
正教にはなし!

「両剣論
=カトリック教会>王様」

などがわかる。

グノーシスについては





などから学んでおくれ。



塔の上での修行期間が世界一長い、登塔者聖シメオンの絵画の衝撃↓

















高橋保行『ギリシャ正教』講談社学術文庫 1980

注意点
イオアン高橋保行は正教会の聖職者。

本書の文庫初版は1980年、つまりソ連の共産主義政権下。


・ギリシャ正教の聖職者たちは
いつも黒い帽子をかぶり、
黒いマントのようなものを身にまとい、
足早に歩く。
必ずひげをたくわえ、なかには髪を長く伸ばし、
後ろでまとめている者もいる。

ギリシャでは西のキリスト教のシンボルである
黒シャツに白い襟(カラー)(西のキリスト教の聖職者の正装)を
絶対に着用しない。

ひげをのばす、
髪をやたらと切らない、
黒い服に身をつつむという聖職者の姿は
正教の伝統の大切な部分で
聖職者は必ず守るよう指示されて
聖職者になるときに署名する宣誓書の中にあるだけでなく
教会規定(カノンとギリシャ語で呼ばれる)の条項のひとつともなっている。

心にある信仰は形として明らかにされるべきであるというギリシャ正教の信仰に対する
基本的な姿勢からくる。

キリスト教発生のときにおいて
中近東でひげと髪は信仰を守るためのものであった。
ひげを剃り、髪を切る者は
当時のヘブライの民やキリスト教徒にとって異教の者であるという意味があった。
聖書を題材とした映画で極端に強調される。
エジプトの民、ソドムとゴモラの民はすべて坊主頭で、ひげがない。
ひげがないのは女と子供と考えられていたから、
ひげや髪をそり落とすことはキリスト教徒にとって性の混同(不道徳)をも意味していた。

聖書の解釈では髪は力を示す。
サムソンという長髪の力持ち。
髪は神秘的な力の存在と強さを示すものと、
旧約の時代に考えられていた。

砂漠に隠遁者が出ていき始めたころは
ギリシャ正教の4、5世紀である。
このころは脱税を考えて砂漠に出たものも多く
中には隠遁者たちの影響を受け修道士となる者もいた。
こうした隠遁者が修行に出るとき旅ではないから着替えはもたない。
長い年月をへると着てきた服も
着ているといえるようなものでなくなる。
すりきれていく服と逆に、
髪とひげがのびはじめる。
服がなくなることには
たっぷりと髪とひげがのびて服の代わりとなる。
髪とひげは修行の年月を物語るものとなり、
隠遁者が苦行を通して体得した力の存在を表すものとなる。
髪とひげののびない者は代わりに毛皮の衣を身につけたりした。


・ギリシャ正教の聖職者たちは長髪を乱さないためという機能的理由からかいつも帽子をかぶっている。

円筒形でふちのない帽子や
おわんの形をした帽子の裏にヴェールがついているものは
ギリシャ、ロシアどちらでも使われている。
これは修道士だけがかぶる権利をもっている。
ヴェールの寸法はふつうかぶっている者の背丈にあわせてあるから
修道士が永眠したときにひざをかがめさせてヴェールに入れる長さ。
ヴェールの下が袋のようになっていて、
両側にひも状のものがついている。
ヴェールに包んだ修道士をこのひもで結んで埋葬する。

つまり修道士は常に墓を背負って歩いて
みずからをこの世に対して死んだものとしなければならない。

修道士や聖職者が衣いがいに身に着けているものとして
ひもを編んで作るきれの数珠がある。


・聖像(イコン)のキリストの顔はどの顔も柔和なものではなく
いつもひきしまった顔。

後光=信条のイメージ化。

イコンは描き出された聖書。
聖書は書かれたイコン。
イコンは聖書の代わり。

このため伝統的な描き方が世襲され
いつどこで誰が描いてもほぼ同一のイメージが打ち出される。

イコンはギリシャ語のイメージという語。

・キリスト教文化で一番古い祭りは復活祭(パスハ)と本来よばれるべき
イースターでありギリシャ正教では別格大祭。

クリスマスは正教では十二大祭の一つにすぎない。

キリスト教は
キリストが復活した日から毎週その同じ日に集まり
イースターを祝ったところから始まっている。
毎週のイースターが後に日曜日とよばれるにいたった。

祭りは生活習慣や暦と密接。

現在、西のキリスト教文化の国々や日本で使われている
曜日はもとはキリスト教以前に
アレキサンドリアからローマに伝えられたもので
天体の名称をそのまま使用。
キリスト教とはまったく関係がない。

ギリシャをはじめとするオリエントでは
曜日ではなく
キリスト教起源から使われている旧約聖書の中の曜日をもとにした
純然たるキリスト教の曜日と同様のものをつかっている。
日曜日を週の第一日とし
主イエス・キリストの日という意味から
主日(キリアキ)と呼ばれる。
復活日ともよばれる。
復活日という名称は
ギリシャ正教とともにロシアに入り、建国以来今でも受け継がれている。
次に
月曜日を二日目(デフテラ)、
火曜日を三日目(トリティ)
水曜日を四日目(テタルティ)、
木曜日を五日目(ペムプティ)、

金曜日を準備の日(パラスケビ)
(安息日の前日なので)、
土曜日を安息日(サバト)


(パラスケビとしたが
本書では”バ”ラスケビだった)


・キリスト教側のギリシャ伝道の動きに一役かっていたのが
コイネー・ギリシャ語。
当時ローマ帝国デギリシャ語が万国共通(コイネー)語となっていたところに由来し
古典ギリシャ語をもとにしたアティカ方言を土台としているといわれる。
このギリシャ語の普及はアレクサンドル大王の働きによる。

忘れてならないのは
コイネー・ギリシャ語が聖書を書いたヘブライの民にとって
第二外国語という域を脱したものであったことである。
場所によっては流動的な万国共通語としてだけでなく
民族にとって定着した言語ともなっていた。
新約がギリシャ語で書かれたことからもわかるように
すでにギリシャ語によって文化をあらわすのに慣れていた。
旧約もキリスト教が生まれてくる前に
ヘブライ語からギリシャ語に訳され一般化していた。
七十人訳聖書は地中海一帯に散在していた母国語を忘れたヘブライの民のために編集し直されたものである。



・最初、キリスト教はローマ帝国では無神論者とよばれ
キリストの血と体を食べるところから人肉食主義(カニバリズム)と呼ばれて恐れられた。

(元ネタは生贄を食べる儀式でしょ。
イエスが生贄になったことを感謝するのがキリスト教)

最後で最大の迫害が
ディオクレティアヌス帝(284-305年在位)によって始められ
311年まで続く。
311年迫害停止を命ずる。

(311はキリスト教にとって迫害が終わった記念の数字。
311年にローマがキリスト教の迫害を辞めたのでキリスト教にとって特別。





ヒストペディア
‏ @cubeworldvdma
311年、ガレリウスの寛容令。キリスト教を合法的宗教として認める。

義視
‏ @kamo1868
5月4日

【今日の墓碑銘】
311年5月5日。ガレリウスが死去。ローマ皇帝。貧農出身だがディオクレティアヌスに抜擢され権力を握る。305年に正帝となり四分統治下での主導権確保に腐心。特にキリスト教に対しては過酷な弾圧を行った。死の直前に神の復讐を恐れ迫害解除の布告を出す(51歳・大腸癌) #生寄死帰 pic.twitter.com/IyK9Lq5uJs)


・64年のネロ帝の迫害から40年目ぐらいに(つまり二世紀)
口伝えや部分的に書き残されたキリストの教えや
行動をまとめた文書、新約聖書が作成される。
師父たちは聖書とキリスト教内部の生活形態を基盤として
迫害者やキリスト教の亜流といえるグノーシス派に対して
キリスト教の立場を明らかにする。


・西の原罪説

西のキリスト教は
人間をまず堕落したものとみるところからはじまっている。
原罪という言葉で代表される人間堕落説。
この説の裏には
堕落した人間を救うためにキリストが来たのであるが
キリストがきても堕落した人間は、
所詮救われないのではないかという現実的な人間観がひそんでいる。

(ゴッドが全知全能で完全な善に反しているな)

それゆえ堕落した人間をどう救うかと西のキリスト教は四苦八苦する。
堕落した人間を救えるのは規律であるとする。
中世カトリシズムではローマ法皇が規律の化身となる。
プロテスタンティズムは信仰と聖書が救いのためになると説く。
しかし聖書もプロテスタンティズムの中で規律の書と化する。
西のキリスト教の規律を重要視する傾向は
合理主義的にものを考える人間を生み出す。
社会形態も規律を明確に打ち出せる中央集権のピラミッド形となる。

次に人間の救いとなるのは堕落しているという認識をもつことであるとする。
堕落から抜け出るように努力させるという考え。
ここに発展を生み出す改革の論理がある。
現状を悪とみなし、改革を善とする動き。
ところがどんなに改革し改善しても生み出される状態を否定的にみるから
改革の動きはつねに存在する。

(カルヴァン派では人が努力しても救われるかどうかと無関係だから不正確では?)

西のキリスト教の世界観は堕落人間説と関連して
聖と俗をはっきり区分する。
本来のキリスト教思想には聖俗の二元的区分はない。
しかし西のキリスト教は聖なるあの世に対し
俗なるこの世があるとする。
教会はこの世にあるがこの世に対するあの世の延長。
この世を俗界とするならば教会はあの世という聖界の一部である。
聖なる教会に対し
俗なる社会という考えが生じる。
プロテスタンティズムはこの二元性に対抗しつつ俗化してしまい聖性を失ってしまう。


・東の性善説

東の伝統的なキリスト教には
原罪に代表される堕落人間説や
聖に対する俗という二元的な考えはない。
東のキリスト教は
人間が神に善なるものとして創造されたことを強調する。
人間はまず神のイメージとしてつくられたのである。
堕落は人間存在の前提ではない。
東のキリスト教でも堕落という言葉を使うが
これは人間が神に与えられたイメージを失ってしまっていることをさす。
キリストの救いは
人間にこのイメージを回復させるためにある。

こうした伝統的なキリスト教の人間観は
聖俗を二元的に対立させることを許さない。
堕落した状態とされる俗は
人間が神のイメージを失ったときの仮にとる形態であり
人間存在の絶対条件でも前提でもない。
聖俗は対立関係ではなく
聖により回復せらるべき俗、
聖を回復すべき俗という調和の関係にあり
最終的には一元に復帰する。

俗なるこの世と聖なるあの世の関係も
東のキリスト教は
はっきりと区別しつつも
キリストによって隔たりがとられたとする。
つまり、すでにこの世にあの世の力が及んでいると考える。
この世は悪とか俗とかいう言葉で否定されるものでなく
あの世への橋渡しをするものとなる。
この世はあの世の写しでなければならない。
したがって堕落した人間も世も、
俗悪だとして区別し切り捨ててしまうことなく
その中に浸透し変容を試みようというのが伝統が提示するキリスト教の姿勢である。


・初代キリスト教の形態で重要なことが二つある。


機能として与えられた師父と弟子の関係がキリストの前では兄弟の関係となる。
主教や司祭は個人的な権威をもつ者でなく
弟子に教会の生活形態を伝授する役割を担う者。

中世の西のキリスト教にみられる
上から下へ権威が下降していくピラミッドの形、
とくに一般のクリスチャンを平信徒とよぶ態度はない。
聖職者と平信徒という格付けは初代キリスト教にはみあたらないし、
ギリシャ正教でも
カトリックの影響を受けた後のロシアにおいて多少みられる程度で、
一般的でない。
東のキリスト教ではなんの役職にもついてない者が、
一週間で総主教とよばれる最高統治者になっても不思議はない。

(ヤソ=西のキリスト教の原罪による堕落説や
ピラミッド型支配構造は
精神が病んだ者が考えたのだろうな)




個々の教会と教会全体の関係

初代から東のキリスト教会では
教会というとき
現にある特定の教会をさすのがふつう。
ひとつの共同体を完全な教会の形態とみなす、
つまりキリストをかたどる者を中心とし
そこに使途が最初につくった共同体と内容的に全く同一の要素があるならば
それを永遠、不変の教会と呼ぶのである。

ひとつひとつの教会は基本的に独立した存在。
しかしそれぞれの共同体は互いの生活形態と伝統の共通性により結ばれている。

四世紀からつけたされた役職とともに
ギリシャ正教は初代からの形態を着実に世襲している。


・正教はキリスト教を宗教としているのでなく生活としている。

西のキリスト教は生活の一部であって生活そのものとなることはなかった。

・中世西欧キリスト教は
国家を俗とし
教会を聖なるものとして
互いに対立する位置に両者を置いている。

政教分離という考えが近代西欧で出たのは
カエザロ・パピズム
(皇帝が法皇になったり、
法皇が皇帝になったり、
両者ともに力関係が崩れたときに起こる状態)
の関係に
宗教と国家が置かれないため。


東のキリスト教の
ビザンチン・ハーモニーでは
原則として国家と教会を対立する力関係や位置に置かない。
教会はこの世の救いに専念するものであり
政治的に国家と競う機構ではない。
皇帝と総主教が共通のゴールに向かって歩む形を
ビザンチン・ハーモニーとよぶ。
敵対か断絶か、政教分離という考えはない。


・正教では体と心を二分し
体を俗的でだめなもの、
心を聖なるものでよいものとする二元的な考えはない。
心と体は分かちがたい。


・コンスタンチノープル公会議は
信経を決定すると同時に
ローマ帝国内の各都市の重要度によるランキングの問題を討議している。
古いローマを筆頭に
コンスタンチノープル(新ローマ)
アレキサンドリア
アンティオケ
エルサレムという順位が定められる。

しかし古いローマとアレキサンドリアは
新しい都となってまもないコンスタンチノープル(新ローマ)
を二番目に置くのを嫌う。
古いローマはコンスタンチノープル(新ローマ)に競争心を
アレキサンドリアは嫉妬心を燃やしていたからだ。

この順位は都市の重要性からつけられたもので
教義的な理由からでない。
五大総主教はすべて平等であり
各総主教区の父(パパ)的存在である。

この順位づけのあと、
ローマ帝国西側は蛮族の手中にあるようになり
古いローマは自分の道を歩まなければならなくなる。
蛮族の中にあり
他の四総主教区と連帯制が薄れてくると
当然首位の座から去らねばならない。
帝国内の重要な都市のひとつと数えられないからだ。
ローマは首位の座を保持しようとやっきになった。
ここから教義的理由を創作して法皇権というものが考えだされ
東西の違いがすこしずつあらわれてくるようになる。

(教皇自体がローマが他の総主教地区より上位だと権威づけるための
イエスの教えと何の関係もない新設定だから
正教はローマ法皇を認めない。

西のキリスト教は初代教会の伝統を保持する正教から見れば
野蛮な田舎の勝手な教えを捏造する劣化品なのだろう)


・正教徒はイコンに描かれている者に祈るのであり
イコンを崇拝するのではない。
キリストはこの世に全き人として存在した全き神であり、
歴史的に存在した神キリストを描き出すことは
見えない神を創造して描き出す(偶像)とはわけが違う。
キリストをイコンに描けるのは神が救いのために人となったからである。

(そうえばイエスのイコンはあっても
神のイコンはおそらくないな)

イコンは神の救いを表明する。
イコン容認には印刷物がなかった時代を反映する実際的な理由
視覚にうったえる効果的な教材として不可欠だからというのもあった。

イコンを認めるか否かの論争は
843年にイコンは問題なしとされて終わる。


・第四回全地公会議あたりからローマの総主教地区が他の総主教地区、
とくにコンスタンティノープル総主教区に競争心を燃やし始めた
この競争心はローマ総主教(師父、法皇(パパ))に蛮族からの圧力がかかり、
燃え始めたものであった。

ローマは蛮族がローマの西側を手に入れたことからローマは帝国の重要都市として
数えられなくなり、五大総主教の首位の座をおりなければならないのではないかという憂いを抱いた。

他方、
四大総主教はローマが蛮族の手に入っても、ローマの首位としての位置を否定したことは一度もない。
彼らはつねにどの総主教区も平等でありつつ古のローマの都としての首位の座を尊ぶという態度をとっていた。
しかしローマは平等性を無視して
上下関係を他の総主教区に要求。

(ローマ総主教の逆恨みでカトリック誕生ってまさにルサンチマンの宗教だな)

ローマ総主教区は蛮族に対抗するために駆け引きと政治を必要とした。
教会のまとめ役でなく政治権力をもつ法皇とならなければならなくなる。
こうして法皇権が生まれてくる。

中世西欧の専制主義的教会機構、
法皇を頭とするピラミッド型組織は法皇権主張の産物。


・フィリオケ(子より出で)はすでに六世紀ごろから西側で地方的に受け入れられていた。
九世紀までローマ教会はフィリオケを全面的に唱えてはいなかったが
地盤とメンツの問題で受け入れ法皇権とともに固守するようになる。

正教は、フィリオケをローマが全地公会議の承認なく加えたこと
神学的にはフィリオケをにつめると異端となると否定。


・奉神礼は新約聖書がかかれる前から有り、
新約の下地。

奉神礼はギリシャ語でリトルギア
=ラオス+エルゴン。

ラオスは人々、民衆。
エルゴンは仕事。
リトルギア=公務。

奉神礼では参加者は必ず役割が与えられる。


・奉神礼にて。
司祭が司会であるところから
会合のなかでとくに注意を喚起するようなときには
開会と閉会の挨拶と同様に司祭により特定の祈りの句が唱えられる。
ひんぱんに唱えられるものとして
英知
つつしみて聞くべし(聖書が読まれるとき)
つつしみて立て(大切な行為が行われるから注意をはらえ)
衆人に平安(会衆が「なんじの神(しん)にも」と答える)
という句がある。

英知はギリシャ語のソフィアを訳したもので
神の知をあらわした聖書をさすと同時に
神の知を具現したイエス・キリストの臨在を表現するために唱えられる。
古くから神の臨在を表現するために唱えられるハレルヤ(ギリシャ正教ではアリルイア)
という語の役割と同じである。


衆人に平安(会衆が「なんじの神(しん)にも」と答える)と唱えられるとき
司祭は会衆を祝福する。
奉神礼だけでなく司祭や主教は信徒に会うときに祝福する。
祝福は右手で行われる。
人差し指をたてI
中指を曲げてC
親指と薬指を交差しX
小指を曲げC
という文字配列を作り出す。
IC・XCはイエス・キリストのギリシャ語でのイニシャル。
右手なのはイエスが神の右腕であることを示す。
祝福はイエスによることを表明する動作。
この指の形で十字架を描く以外に
比較的大きい握りのついた十字架や聖書を使い場合もある。

祝福は公の場では司祭や主教に限られるが
私的生活では誰でもしてよい。

・神の前に起立するのが信仰表明。
死の床から起された人間の姿勢と解釈される。

・十字を描くときによく礼をすることがある。
抑拝という。

(礼は人ではなく神に対して行うもの。
典型的日本人みたいにやたら人に礼すると不敬に思われそう)


・祭服は主教、司祭が奉神礼のために着用し
会衆の瞑想の助けとしたのであるが
奉神礼の行われる場である教会の建物の役割も同じ。
建物の造りをはじめとし
内外に設置されているものすべてに意味が秘められ
それらを見ていつでも瞑想が初められるようになってる。
ロシア教会の玉ねぎ形のドームは
火の玉を瞑想するようにつくられている。
新約の使徒行伝二章にある神の力をあらわす火の玉であり
その力が教会にあることを示す。

初代からキリスト教は建物ではなくクリスチャンの集まりをさして教会とよぶ。


・啓蒙礼儀
洗礼とよばれる入会の礼儀は
啓蒙礼儀とよばれる記帳と魔除けの礼儀から始まる。

洗礼を受ける決断をした者の真剣さを保証する代父と代母と呼ばれる者が
主教もしくは司祭のところに洗礼を受ける者を連れて行き承認を得る。
承認されると教会名簿に記帳されクリスチャンであることが宣言される。
この宣言は悪魔と縁を切りキリストと縁が結ばれたことを表明する。

この悪魔とは中世ヨーロッパの迷信の中で流行した戯画的悪魔とは違う。
神や善を見失った人間の状態や生活をさす現実的なものである。
人間にのりうつり、狂わせてしまう現実的な得体のしれない悪の力である。


・喜びの油がつけられるとすぐに洗礼を受ける。
至聖三者の御名によりて祈りが唱えられ
受洗者はアミンと三度答えつつ全身、
洗礼用の衣をつけたまま水の中に三度静められる。
この浸水によりキリストの死と復活が体験される。
三は完璧さをあらわす。
今までの古き自分を洗礼の水で溺死させ
キリストの死と復活の形にならい
新しい自分を復活させる。


・結婚
互いの生活がキリストに向かう同一のものでなければならないという前提条件のもとに、
一身同体となる約束がかわされる。
この約束を指輪で表す。
指輪は古代において主人と僕の関係を輪であらわしていたことに由来する。
二人がキリストを主人とする僕であると同時に
互いが相手の僕であることを意味している。
ギリシャ正教では指輪を右手のくすり指にはめる。
右手は信経の句にあるようにキリストが天の父の右に座し、
クリスチャンを僕とする主であることを記憶するためだえる。
くすり指は、親指から、人さし指、中指とキリスト教の三位一体の神の名を
父と子と聖神と唱え、この神に従うことを承認するアミンを唱える指だからである。

神の僕である二人は
互いに対しても僕として
謙虚さをもち、
互いを受け入れあうとき
性のへだたりがとかれ、一身同体となる。
神により一身同体に合わせられた者を分かつことは
何人といえどもできないと祈りの句は言う。
指輪の交換は三度行われる。
終わるとすぐに戴冠礼儀が始まる。

離婚で終わりとなる結婚観はない。

(結婚=男女が一心同体になる儀式。
指輪をつけることもキリスト教の儀式。
指輪はもとは主従契約の証)


・コンスタンチノープルの聖テオドルの時代には
不眠者とよばれる修道士たちがいて
四六時中祈りを行っていた。
祈り八時間、仕事八時間、睡眠八時間。
(一日八時間労働は修道院由来っぽいな)



・一日は夕暮れから始まる。

暦には動暦(復活祭が毎年不定)
と不動暦(九月一日が新年の始まり)
の二種類がある。

・8は永遠、来世、天国、神の国という意味。
7は天地創造、この世が完璧で善であることを示す。
7に唯一神の1を足して8。

四世紀から正式に主日の名称の中に加えられた日曜日は
ローマ帝国時代は太陽神の日であった。


・ドストエフスキーは正教会の信徒であり、『カラマーゾフの兄弟』にて
特に注目すべきが大審問官の章とゾシマ長老の最後の説教である。
(カラマーゾフは大審問官とゾシマの教えだけちゃんと読んだが、他の個所は適当に読んだ)

ギリシャ正教は信仰と理性を一体のものとして考える。
この調和はドストエフスキイが提示する人間観にも反映されている。
イワンが大審問官の話の中で、
カトリシズムを始めとして
社会主義、奇蹟、神秘、
政治権力、自由という問題と交叉させて明らかにする人間観は
ギリシャ正教でなく合理主義的キリスト教のもの。
この人間観は
中世ローマン・カトリシズムの個人の自由を認めない教会機構による人間の統一と、
それに対抗して出たプロテスタンティズムの統一のない人間の自由という二つの考え方を生み出し
それぞれの教会形態の基盤となった。
社会主義と資本主義はこの両者の写しであるともいえようか。

(カトリックは社会主義的らしい)

・正教は学問と無縁な者でも信仰を保持しているならば神学を保持しているといえる。
信仰体験即神学とする。

正教神学は現実の信仰体験を前提としている。
神学者は信仰を哲学的な言葉で体系化する代わりに、
聖書をもとに体験的な言葉で詩的に表現し
信仰の論理を明快にうちたてているところからもわかる。

知的なレベルにおける神学論議を机上の空論、思考遊戯とし
知的空想の領域をでないものと考えていた。
神について知的に学ぶのが西のキリスト教の神学なら
キリスト教文化の中に生きて神を体験的に身をもって学ぶのが東のキリスト教神学といえる。
つまりギリシャ正教の思想をまとめた神学を習得するには
その文化の中に生きなければできないということである。

必ずしも体験を論文にできなくてもよい。
師父たちがまとめた神学は論文として提出されるよりも
聖歌、イコン、教会規則、主教たちの書簡や、説教の形で提出され、
対象はいわゆる神学者ではなく全教会員であった。

ギリシャ正教の思想家の中で誰も神学大全を書こうと試みなかったのは
思想というものを知的な領域に限定したとき
現実の信仰体験も同時に限定されてしまうという弱さを
ギリシャ哲学という遺産の中から聖師父たちが十分学んでいたからである。
初代キリスト教がギリシャ哲学の合理主義の影響で変質することを
双方に通暁していた聖師父たちはこうして回避した。


・グノーシス派も、
知ることのできない神という概念をもっているが
人間が神を知ることができないのは
人間が堕落し、肉体に依存しているからだとしている。
ここから禁欲が強調され、
肉体から離れれば、
人の英知により神を知るだけでなく
人が神に到達し、神そのものになれると発展する。
ここにおいて知ることのできない神とは
実は人の英知そのものをさし、
他者としてあるのではなく人が知性をとおして到達する地点となる。

これに対しギリシャ正教は
人間が神を知ることができないのは人間の堕落と肉体依存のためではなく
神が最初から人間やこの世とは異質な他者としてあるからだとしている。
人間の英知は自分とこの世に対する理解であって、
神に対するものではない。
神が異質のものであるという基本の考えを強調するために
神はすべての存在を超える者であるから存在しない者であると言い切る形でまとめられている。
神は人やこの世があるようには存在しない。
神は人の思考や創造の中にいるものでなければ
この世の物質とその構造の中にいるものでもない。
人が神を創りだしたり神そのものになることはありえない。
旧約で偶像崇拝が禁じられている理由はここにある。

神は知ることができない、
存在でない、人でない、
この世のものでないと
否定を続けていくときに
知ることのできない神が知られるようになってくるパラドックスが起きる。


・神は見えると見えざる万物を創造した。
あくまでも創造物はひとつで、ふたつではない。
見える世界と見えない世界という二つの世界がひとつになっているという
グノーシス派の二元論的考えはここにない。

ギリシャ哲学に影響された思想家のなかから、
創られたものは神の一部であり神を永遠とするならば
その部分も永遠なもので
始めも終わりもないという考えや
神は善であり愛であるから善と愛を行う対象を必要としてこの世が創られたという考えが出されるようになる。

ギリシャ正教の思想家たち、聖師父たちは
こうした哲学を反映する意見に対し
聖書をもとに、創られたものは
神が自分の意志と考えにより創りだした他者で
神自身を創造物として表示したり、
神自身の一部を創造物としたのではないと主張。
神は創られたものとはまったく異質で
それが神に依存するように神は創られたものに依存せず、
ましてや神には創られたもののような存在の条件はまったくない。
神は創られらものを超える創ったものであるから創られたものに限定されない。
創られたものはまったく反対で神により創られ神に依存する。

創世記にあるように
神はすべての創造物を善きものとして創っているから
この世は神により愛され養育されるものである。
愛され養育される対象だから独自の本質をもった形で創られているということも
哲学的思想に対して強調される。
この世は別世界の写しや投影ではないし
現象だけのものでもない。
創造物は独自の本質をもつ、現実的な世界である。

天地創造が過去のある時点に一回限り行われたという考えはない。

(ちゃんと
聖書>それ以外の哲学など
という正しい一神教の姿勢だ!

正教は霊肉の善悪二元論を否定する。
グノーシス主義をかなり意識して否定している。










悪魔の正体

人間は神に代わってこの世を治め、
神化されるために創られている。
ところが人間は実際には神に代わってこの世を治めきることができず、
逆にこの世によって治められている。これを人間の堕落という。
この堕落に深いかかわりをもつものとして聖書の中に悪魔が出てくる。

悪魔といっても
中世に流行した魔術に関係する悪魔とか
神話の中に出てくる悪魔とはすこし違う。
神は悪なるものを創ってはいない。
悪魔はどこから生じたのか。
万物の一番最後に創られた人間が生き方の選択を誤り、
神の意志と考えに背を向けるところから
悪が生じるようになったのである。
これにより人は神との交わりを失うと同時に
自分とこの世の間にある調和を失った。
悪が実体として存在しはじめるようになる。

人はこの世を神との交わりの場とせず
自分の意志と考えでこの世を自分との交わりの場、自己満足の場としてしまった。
この世は人にとって神に代わるものとなり
人の交わりの対象となる。
本来、神からこの世を治める主人の役割をまかされていたのにそれに合意せず
人は自分の考えと意志に従うことによってこれを放棄してしまった。
ここに悪が生じる。
人はこの世に隷属するものとなった。

人がみずからの誤りのために生じた自分とこの世の関係が悪なるものであり
人がこの関係を是正しない限り
この世は悪なるものとして
人間に使用されると同時に君臨する。
これが悪魔の正体である。
実は存在しないのに
人の誤りのために現実的に存在しはじめるという得体のしれないもの。
こうした悪の存在を認めても
善悪二元論を提唱していない。

この世は悪用されても終始一貫して善きものとしてありつづける。
神の善き創造物は人間の誤りから悪の化身に変化する。

偶像崇拝は人が始めた一人芝居。

(偶像=被造物≠ゴッド。

正教は悪魔を個人的存在とみなしていないらしい。

一神教は悪の存在理由の説明が大変だなあ。
悪は人間の自由意志のせいとすることが多いな。
じゃあ最初から自由意志なんて与えるなよ。
全知全能視点だと自由も意志も実質存在しないだろうけど。
生じた悪を放置するのはいいのだろうか)


死は悪の究極の形である。

・グノーシス派は天使と天空の世界を詳しく説明しようとするが
ギリシャ正教の思想家たちの中では
ディオニシウスを除いて誰もそのようなことを試みていないし
その必要もなかった。
善と悪、悪魔と天使の抗争に代表される二元論をとらないからであり
神と天地創造をきわめて現実的に解釈するからである。

・助けるもののほうが助けられるものよりも強くなければならないのが当然。
男女関係も同じ。
女は男を助けるものとして強く創られている。
この女の強さは助け人としての強さであるから
誤用すると、男女の仲を裂き、関係を乱す力となってしまう。
ロシアで嫁が髪の毛をスカーフでおおい
アラビアで顔を隠し
日本で一歩さがって妻が夫の後ろを歩くという古い習慣は
男尊女卑という言葉の裏に隠された女の力を暗示するものといってよい。
スカーフを取り、
顔を見せ
一歩さがらず歩くときに
その力によって男の影が薄くなってしまう。


・プラトニズムの影響を受けたオリゲネスの
人間が永遠なるものであるが
肉化して人間となった時に肉体という墓場に入り自由でなくなった。
だから自由になるのは肉体との闘争を終え、
死により霊が体から出たときであるとする。

これに対し聖師父たちは人は神により創られたもので
人が人間とよばれるには体も霊も必要であると主張。
体のない霊は土に帰る死体であり
物体であり人間とはよばれない。
この逆もしかりで
体のない霊は幽霊という言葉もあるように
化物であり人間ではない。
体と霊は不可分として存在する。
正教は肉と霊を分けて考える二元論に対抗している。

(正教は性善説。
正教は霊肉善悪二元論を否定。
霊も肉体も必要な善なるものとして神が創造した。
よく考えたら一神教で全知全能の善なる絶対者が創造した~
という教義なのにカルヴァン派みたいな極端な性悪説っておかしいな。
正確には善として創造されたが堕落した説だが、
全的堕落が予定=人間の意志と行動で変更不可能
とされている時点でゴッドが善でなくなってしまう。
罪が引き継がれる時点でアダムとイブとイエスとマリア以外は性悪になってしまう。




・( 像…image。
神の像は堕罪によって破損。像は消滅せずに残存。
∴人間は神の像(イコン)なので尊い。


肖(似る。似せる)…likeness。
神の肖は堕罪によって失われた。が意思によって求め得る。
)


人はすべて神の像をもっているが
肖はこの世に生きるときに人と神との交わりにより
自分の意志と力で自分の中に築きあげてゆくものである。
像は人間がどんな人生を送ろうが消えないが
肖は人が意志と力により自分の中にとりいれなければならない。
肖は人がみずからの神との交わりにより形成するものである。

創世記の人間は自分の意志を放棄することにより
神の肖を達成できなくなった。
神の意にそむいて木の実を食べ
自分の中に死を招いたと聖書にあるのはこのことをさす。

すでに神の像と肖を与えられている人間に
神のようになれると誘惑を与える蛇は
人間に偽りの像を与えた。
この虚像に意志をゆだねたのは人間である。

正教では人が自分の意志と力で神の似姿を脱いでしまうことを堕落という。
堕落の罪は人の行為により生じるとするので
アダム以来人の性質に本来あるという西のキリスト教の原罪の考え方は正教にはない。
堕落の罪が人と人との交わりにより伝染することを否定するわけではない。
阻止しなければこの堕落は伝染していく。
西のキリスト教に生じた原罪の概念が
聖フォチウスなどにより誤解として強く否定される理由はここにある。

堕落により人が神の肖をみずからの中に形成せず
この世に従属しても神の像はかろうじて保たれているが
人間とよばれるにふさわしい状態ではない。
肖をとらずに像をもちつづけて生きることは
すでに述べた人間の生命の概念を半減してしまうので
ややもすると像まで傷つけられてしまう。

・正教は聖人はいても俗人はいないという考えが強い。

・聖師父たちが繰り返し唱えている
神が人となったのだから、人も神となれる
という言葉はイエスにある神化された人間性を前提としているものであり、
神が人となったことにより、
人間性が完全に神と交わりをもち、
神の命にあずかれるようになったことを意味する。
神が歴史的な人間イエスとして生まれることにより具体的に神化された人間性が
この世に生まれてくるひとりひとりの人間性となった。
人がこの事実に目覚め、
イエス・キリストの生活形態をとりはじめるとき
今度は人の人生の中に神化された人間性が実際に具体化されていき
聖人と呼ばれる者が生まれてくる。


(神そのものになるという意味ではないことに注意。
あくまで近似でないと、グノーシス主義になってしまう。
正統多数派も神が人になったという教えなのでグノーシスっぽさを完全に消せない)

・マリアはイエスを生んだ後も処女とされている。
イエスは男女の性の結合なく生まれた人間。

性に対する嫌悪感はない。

神と人の結合が
人間男女の結合の基盤。

・教会は聖神の力と働きを反映するものであって
決してそれらと混同されるものでない。
聖神による神の力と働きを受け
イエスに明らかにされた人間性を自分の中に回復した人々が創りだす
この世における機構である。
だから中世ヨーロッパで流行した
教会に神の絶対的な権力がゆだねられ
全てのものがこれに従うべきであるとする考え方はここにない。
神に代わってこの世に対し道徳的価値基準や絶対的権力を主張するのが教会ではない。

教会がこの世と人に対してもつ使命は
イエスによって導き出された人間性を
教会の中にある聖神による神との交わりをとおして
今日に生きる人々にもたらすこと。


・正教の経典は大まかに分類すると十一ある。

福音経
四福音書が入っている。
文字で書かれたイコンとも考えられる。
かならず金か銀ときれの表紙で
皮表紙のものは絶対にない。


使徒経
使徒行伝と聖使徒の書簡が入っている。
福音経でも使徒経にも黙示録は入っていないことに注意。


聖詠経
旧約の詩編全巻が入っている。

以上の三経典が一組。


(黙示録を外していることが重要。
黙示録も聖典には含まれる。
黙示録カルト対策のために正教が公式で注意が必要と強調している。


本書年表には

398年
金口イアオン(金口聖ヨハネ)、コンスタンチノープル総主教となる。

があり、
このイアオンはヨハネス・クリュソストモスとも呼ばれる。
黄金の口
=クリュソ(黄金) +ストモス(口)。

金口イアオンと他の主教たちの間で『黙示録』の聖書正典収録に関しての議論が巻き起こった。
理由は『黙示録』が難解で、都合よく解釈して悪用されることを恐れたから。

公式見解
http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/oshie02.html
”正教会の奉神礼の中で、「使徒経」と「福音経」はセットにして読まれます。正教会にとって聖書とは何よりも「祈りの書」なのです。

イオアン(ヨハネ)による「黙示録」は、特別な書物であり、勝手な解釈を施さないよう注意が必要です。

新約聖書の原語はギリシャ語であり、それらを写本して伝達してきたのは、正教会であるという事実は知っておくべきです。”)



・コンスタンチノープル総主教に
エキュメニカル総主教という尊称が与えられているのは
ギリシャ正教の世界を総代するという重要な立場のためである。
ギリシャ正教は地方自治体的性格をもっているので国単位で教会が建てられるようになっている。


・日本で知られている修道、
俗界をはなれ西域の中で禁欲苦行する、
は西欧のもの。

正教の修道は聖か俗かの選択から始まっていない。
西欧キリスト教の修道の起源はギリシャ正教の修道。
ギリシャ正教の修道はビザンチン・ハーモニーのアンチ・テーゼとして発生した。
意図はキリスト教本来の信仰形態を確実に伝承すること。
師父たちは街を捨てて荒野に出たのであるが世捨て人になったのではない。
みずからキリストの完璧な生きた映(うつし)(イコン)となることを目的とした。
目的が達成されれば街に帰る者もいた。
修道が盛んになると都で行をする者も出てくる。

・修道が神学の基礎
聖師父たちの神学はキリストの生きた映たらんとする生活から
湧き出る祈りの心を歌いあがえたもので
たんなる頭の中の知的遊戯ではない。

聖アントニイを中心に
四世紀の修道は精神向上を求める者だけでなく
生活の苦しいものや
税金を納めることが出来なくなり砂漠に逃げ出した者なども
吸収して大きくなる。
隠遁者たちは木の上、叢、洞窟、野牛の群れの中と修行の場を広げる。


・天に近づく修行者

一風変わっているのは
聖シメオン(459年永眠)の塔の上の隠遁。
聖シメオン自身、
あまりにも修道熱心で修道院から出されてしまったほどの変わり者。
ひとりで隠遁を始めると
聖シメオンは体を土の中に埋め頭だけを出していたり、
針だらけの腰巻を身に着け寝起きするという苦行を行う。
これらの苦行にも満足できなくなった聖シメオンは
ついに柱を建ててその上に登った。
天の神に近づこうという意味をふくんで始められたこの修行は
彼が永眠するまで続けられる。
最初は低かったが
最後の柱は約28メートルもの高さがあった。
この高さになると柱ではなく塔と呼べる。
彼は登塔者聖シメオンと呼ばれる。
柱が塔になったのは
一風変わった隠遁者を訪れる者が増え、
柱の下で彼の徳にあやかるために彼の衣の切れ端でもよいからと
もらおうとする騒ぎがひんぱんに起こるようになったから。
もちろん、騒々しさを避けるためだけでないのは
柱を建てるようになった意図からわかる。
すこしでもキリストのいる天に近くあろうとする信仰の高まりを示すものでもある。
柱の上に自分が寝起きできるぐらいの台を築き、
そこで苦行する隠遁の形は何人かの後継者をもつ。

・修道生活の第一原則は
働かざる者、食うべからず。

教育施設や病院設置だけでなく
刑務所の役割も果たした。
修道士ではないから一見して犯罪者とわかる衣を身に着ける。
そのほとんどは軽犯罪で入ったものばかりだったが
彼らにとってはこのうえもない人生の修行の場であったに違いない。
退職者を多く受け入れていたから生産的でもあった。



年表

30
イエス・キリスト死と復活

(イエス実在の聖典以外の根拠はない)

70
エルサレムのユダヤ教の神殿破壊される


140
マルキオン派盛んとなる。
グノーシス派の隆盛。


185
オリゲネス誕生


242
マニ教始まる


252
オリゲネス永眠


313
ローマ帝国、ミラノ勅令でキリスト教公認


323
アレキサンドリア公会議でアリウス派が異端とされる。


325
第一回全地公会議ニケヤで開催


330
ローマ帝国、首都をコンスタンチノープルに移す


375
聖ヒエロニムスが砂漠に出て修道
(日本ハリストス正教会での呼称は克肖者イエロニム)

ゲルマン民族大移動開始


444
聖キリル永眠

500
クロヴィス洗礼を受ける


533
古代ローマ法を集大成

990
ロシアがギリシャ正教を国教とする

1215
ジョン王、マグナ・カルタに署印。

1560
モスクワを第三のローマとする動き。
イワン雷帝発狂。

1880
日本の聖ニコライ、主教となる。
モスクワでドストエフスキーと会見。


クリメント北原史門著『正教会の祭と暦』

・21現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日間のズレがある。
ユリウス暦は実際の季節とはズレが出てきたため、
16世紀にローマ・カトリック教会ではローマ教皇によってグレゴリオ暦が導入されたが
正教会は復活大祭の計算に問題が発生することなどからこの新暦の導入を拒否。
プロテスタントでもグレゴリオ暦に対して異論が起こり
同じ西欧でも
プロテスタント諸国ではグレゴリオ歴の導入が遅れた。
しかし20世紀に入り
正教会でも実際の天体の運行とユリウス暦のズレが拡大することが問題だと考える人々が出てきた。
結果、修正ユリウス暦が一部教会で採用された。
これは2800年まではグレゴリオ暦との間にズレは生じない。

ユリウス暦を使用する正教会
エルサレム、ロシア、セルビア、
グルジア、アトス山、日本、
各地の旧暦派(古暦派)


修正ユリウス暦
コンスタンディヌーポリ(現代希語表記)、
アレクサンドリア、アンティオキア、
ブルガリア、ルーマニア、
ギリシャ、アメリカ


グレゴリオ
フィンランド、エストニア


・偶像
は正教会では
存在しないものの像
神ではない被造物なのに崇拝される者。
正教のイコンは存在するものの像であり
かつ崇拝対象ではないので
偶像崇拝に当たらないと位置づけられる。

刻まれた像に限らず
例えば金銭も崇拝されるほどになれば偶像になり拝金主義となる。


・正教の聖歌は無伴奏声楽。

・正教の
来世
=いつ来るかは事前には絶対に分からないこの世の終わりが来た後、
永遠に続く次の世のこと。
輪廻転生といった概念は正教会のみならず全キリスト教にありません。

(新約には終末がいつくるかわからないとあるので
年月日計算して騒いでいる奴は全員無知か嘘つき。

著者はグノーシス派キリスト教(一部輪廻を認める派閥あり)は
キリスト教とみなしていないのだろうか?)


来世がどのようなものか、
良い状態での復活後の身体がどのようなものなのかは
正教においても今は理解を超えているとされ
輝かしく、病もなく、神の似姿に至った状態などということ以外
具体的に語られていない。
復活の際に死に別れた人とも再開できるとされていることから
家族や友人に死に別れた人にとって
復活大祭は深く慰められ力づけられる祭りでもある。

・成聖(せいせい)
対象を聖にし、神とのつながりを回復すること。
水を成聖すれば聖水になる。


・十字架出行祭(しゅっこうさい)
8/1か
8/14
コンスタンディヌーポリで
疫病が頻繁に流行る8月に十字架を聖堂から出して町を成聖し、
病の根絶を祈願したことに由来する祭り。

988年のこの日にキエフ・ルーシの集団洗礼が行われたことを記憶し、
ロシア正教会、ウクライナ正教会などでは小聖水式が行われる習慣がある。
この日はロシア正教会、ウクライナ正教会などでは
蜜蜂の救主(きゅうしゅ)
とも呼ばれ蜜蜂の収穫を神に感謝し
蜜蜂に聖水をかけて成聖する習慣もある。



・永遠の生命(いのち)
正教会において
いつ来るか分からない
この世の終わりが来た後
霊(たましい)だけでなく肉体も伴って復活し
新しい生命をもって永遠に生きることを表す。
全ての人が復活するが
良い復活を遂げるように今から備え続け
また良い復活に今この世でも部分的に与り続ける。
古代からキリスト教で議論になってきた
非信者も救われるか
については
正教会では断言されていない。

ただ
非信者が正教信者になること
非信者も救われること
の両方を正教会は願う姿勢をとっている。

(正教では非信者も救われるかは断言しない
=地獄行きと断定しない)


・生神女(神を生んだ女)がマリヤ(マリア)の称号。
聖なる母は一人ではないので
(母親で聖人となった女性は数多く、
これから増え続ける)
限定として不十分であるから
聖母という用語はほとんど使われない。
英語を使う正教会でもHoly Motherとはまず呼ばない。


罪は元の希語、
現代ではアマルティア
古典ではハマルティアでは
的外れ
という意味であり
日本語の罪とは範囲が大分異なる。
例えば思い通りにならないことに対する舌打ちまでも罪に数えられる。
そうした罪までも悔い改めれば救われると教えられる。
原罪の捉え方は東西教会間で違う。
正教の原罪観は
西方教会の
原罪責
とは無縁。
正教では誤解を呼びやすい理由から
原罪という用語を避けることすらある。
正教ではローマ・カトリックの
聖母の無原罪
は存在しない。



・天使創造の日数
実際に24時間×7日で創造されたとする考えと

象徴的記述であり
旧約に
神にとって千年は一日の如し
とある通り1日を24時間とそのまま捉えるべきではないという考えの
両方が正教会内にある。


『東方正教会』 (文庫クセジュ)
オリヴィエ・クレマン,冷牟田修二,白石治朗
白水社
1977/01

・静寂主義者(ヘシカスト)は
静寂という意味のギリシア語ヘーシュキアに由来する。
主の御名と憐れみをこう祈りの反復や、
呼吸訓練などの禁欲的修行によって
神との神秘的な合一を信奉する修道士たちのこと。
10世紀ごろからみられ、
14世紀にビザンツの聖アトス山の修道心を中心にさかんになった。


ローマ教会の離反の重要な原因についてはフィーリオークェ主義の確立とともにあらわれ
これと深くかかわっている。
教皇は従来各地方教会の中心にあり(名誉上の首位)、
道徳的な愛による指導をもってのぞんでいたが
この態度をあらため
地方教会にたいして直接的・法的な権限をもとうとした。
結果、主教や府主教、総主教がもつ伝統的な権威は無視された。
11世紀になると教皇グレゴリウス七世の改革がおこなわれ
教皇権は皇帝から独立し教会は封建君主から自由になった。
司教は教皇に直属し(国王も直属させられた。すなわち両剣論)
またローマ教皇の無謬性が主張されるようになった。
もっともこの無謬性が教理として定められたのは
やっと1870年のことである(第一ヴァチカン公会議)。


両剣論
両剣とは教会と国家のこと。
中世において、
ことに教皇ボニファティウス8世
(位1294-1303)
によってとなえられた。
二本の剣はもともとキリストからペテロ、
ついで教皇に委託されたものであるが、
教会はみずからのうちに霊剣を保留し、
俗剣は君主に渡す。
しかし、俗剣は教会のために使用されるべき剣であって
霊剣に服さなければならないとされる。

(「両剣論
=カトリック教会>王様」

新ナチ工作員のboはカトリック史に詳しそう(笑))



・佯狂者(ようきょうしゃ)
はロシア語の
ユロージヴィ
にあたる。
預言の能力を持つ狂人、
もしくは狂人とみせかける禁欲者。
キリストのためにあらゆる人知をすてさることは、
ビザンツでも聖性の一つのありかたとして考えられていたが
ロシアでさらにさかんになった。
聖ヴァシーリー・ブラジェーンヌイ(1552没)などが代表的。

(佯=見せかけ)


宗教狂人、神の使い、
神がかり的狂人、痴愚の行者、
瘋癲行者などの訳語がある。


・教皇ピウス9世が
1846年の回勅で教皇の無謬性を主張した。
(数字が狙っているっぽい)

1870年の第一ヴァチカン公会議で
教皇が聖座より宣した信仰・道徳上の教示は不可謬だという教理が認められた。



・神のかたちをもつもの(像)としてつくられた人間は
自発的に神にむかいながら
神に似たもの(肖)とならなければならない。
( 像…image。
神の像は堕罪によって破損。像は消滅せずに残存。
∴人間は神の像(イコン)なので尊い。


肖(似る。似せる)…likeness。
神の肖は堕罪によって失われた。が意思によって求め得る。)



・悪とは神から離れていること。

・プラトーン学派は、
知性と神性とに一種の同質性を認めているが、
ビザンツの神学は教父神学以上にはっきりとこのような同質性を否定している。
超越的な神は本性上、人間には近づくことのできない神である。

・神化(テオーシス)はヘレニズムからの借り物ではない。
事実、新プラトーン主義では
魂はみずからが神的であるという意識をもつにすぎない。
テオーシスはもともとキリスト教徒がつくりだした言葉であり
人間と神との親子・養子関係の言葉と深く結びついてものである。

聖アタナシオス
「聖霊によって言葉(キリスト)は被造物を栄光あるものとし、
神化し、養子として、父のもとへ導いていく」


・オーリゲネースは
最後には信仰をもたないものも、
悪魔も、すべてのものが救われるとしたが、
教会はこうした思想を認めず異端とした
(400年のアレクサンドレイア公会)。

オリゲネス主義を教会は拒否したのは
すべてのものの復活はとても確実なこととはいいきれないから。



参考資料

https://twitter.com/pteras14/status/999840552609693696
>ω<
‏ @u_akihiro
5月25日
>ω<さんがLing-muをリツイートしました
こういう人たちにとって、死海文書って、どう見えるんだろう。永久不変の聖書なんてないとわかっているのに。

>ω<さんが追加
Ling-mu
@Ling_mu
教科書から「進化論」が消えようとしている、原因は「聖書に矛盾するから」 - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20180525-arizona-delete-evolution/ …

ぐだトマト
‏ @pteras14
5月25日
まず、大まかにキリスト教には既知の
通り二大派閥があります。カトリックと
プロテスタントですね。(東方系の正教
は今回は除いておきます)

「聖書」の記述を重視するのは
プロテスタントの方なんですね。
カトリックは聖書よりも教会の神父の
お説教の方が重視されます。

🇺🇸は新教系なので前者

何でこんな違いがあるのかと言うと
古代ローマの黎明期のカトリック
には聖書なんてまだ作られてなかった
んですね。なので神父の講義が基本でした。
これをラテン語で「traditio」と言い、
英語のtradition(伝統)の語源ですね。

で、最初の聖書はギリシャ語で書かれ
ました。古代ローマ圏の→
リンガ・フランカがギリシャ語(コイネー語)
だったからです。

中世以降は専らラテン語で聖書が写本
されて使用されましたが、ギリシャ語
の聖書は段々と使用されなくなりました。

そこでエラスムスという奴がギリシャ語
訳聖書を発売してしまうんですね。



で、「ラテン語の聖書と中身が違う!
神父のお説教も間違ってる!💢」
みたいな伝言ゲームの粗探しみたいな
状況になってプロテスタントの勃興
へと繋がりました。

アメリカはこのプロテスタントの
系列なのでやたらと聖書の内容に
拘る文化を引き継いでいるのです。


修行中のとんくん
? @ixthusnesos
2月12日
新約聖書のギリシャ語訳、エラスムスが無茶な期間と手法で1615年に出版したものが爆発的に売れ、何度も重版になり、ルターがドイツ語訳の底本にし……というぐにゃぐにゃの状態のままどんどん浸透してしまうの、どっかで聞いた話だよなぁと思ったんだが→

ラメセス4世のお墓の設計図。レプシュースが写し間違えていたヒエラティックの図を、そのままガーディナーが引用しちゃって、それをさらに聖刻文字に直しちゃったのをたくさんの人が読み……っていうやつだわ。一度権威を持たれてしまうと、真実が埋もれてしまう。


textus receptus, sed non recipiendus(受け入れられているが、受け入れ難いテキスト) だって。このあたりの写本の問題は文字に関する学問ならではのような気がしなくもないが、なかなかに興味深い。

あ、ちなみに今読んでるのは、加藤隆(1999)『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』、大修館書店 です。






>カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された

フスの思想の根幹
>本来の教会は、一般に教会が主張する階層制度ではない。
教会は、時をこえて救世を運命づけられた人の聖体であり、その長は教皇ではなくキリストである。
教皇に従えば救済を受けられるなど、神の教義の条文には書いてない。

>さらに、形式的に教会に所属することや、教会の職務や職位は、その人が真実の教会の一員であることを保証はしない。

フスの思想の下敷きにあるのはウィクリフの著作。というか、殆どウィクリフの主張と一致。

公務員試験用世界史bot
? @bot67963600

【中世欧州⑫】シスマ解消:コンスタンツ公会議(1414)→
これで教会は再び統一され
教皇を批判したイギリスのウィクリフやボヘミアのフスなどの処刑も決定した
(その後もフスを支持する人らがフス戦争などの住民蜂起をボヘミアで起こした)

峨骨さんがリツイート
難関私大向け世界史bot
? @nankansekaishi
5月22日

【ジシュカ】
フス派の指導者。独眼の特異な風貌で知られる。フスの熱狂的支持者であり、
彼の火刑後「至福千年説」を唱えるタボール派を形成、その指導者となった。農民主体の軍隊を編成し数々の新兵器を導入、彼の軍隊はジギスムントの十字軍を破るなど無類の強さを発揮し、フス戦争の英雄とされる。

中卒アスペニート
@mmmnvivi
半アリウス主義を初めアリウス派から派生した派閥もあるんですけど、
少なくともアリウス派がイエスを人と主張したから異端になった、というのは明らかな誤りなんですよね。
イエスは神であり人である、が正統教義なので、多数派にとってもイエスは人である。

御子従属説といって、父なる神に対してイエスが従属的な立場に位置する、
といういうことにイエスが父なる神の被造物だとするならなってしまう点が多数派教義との断絶ポイントだった。

このサイト割りと好きなんだけどこの解説は頂けない。
>「平たく言うと、イエスはやっぱり人だった、ということ」

いやいやそれではモナルキア主義の一部とか養子論とかという別の異端になるから、アリウス派の説明としては不適切。
https://www.y-history.net/appendix/wh0103-150.html …

ちなみに「イエスは人ではなかった」は
アタナシオス派ではもちろんなくて、仮現説という異端です。
聖書にははっきりと人間としてのイエスの姿が描かれていますが、それは単にそうやって見えただけという考え方です。
キリスト教的グノーシス主義もこの立場を取ります。

このあたり、ネットはもちろん本によっても書いてあることがかなり違って
確からしいことを掴むのにだいぶ苦労したのです。
結局より経緯の詳しい記述がある本を信用するしかない

まあとにかく、アリウス派と多数派の論点はイエスが人か神かじゃなくて、
「イエスは父なる神と同格なのか、それとも少しでも下なのか」という点だったと覚えておけば間違いないと思う。

あと実はアリウス派はイエスを人間と主張した訳ではない
というか、アタナシウス派(カトリックとか正教会とかその他)もイエスは人間と言っているので神学上の論点はそこではなかった。簡潔にいうとアリウス派はイエスを神そのものとは認めず、そこが異端とされた。

アリウス派の主張では、イエスは神が創った最初の被造物とされた。
父なる神は創造されず始まりもなく存在しているが、
子はそうではなく、始まりはずだがあったというのがアリウスの意見だった。
これがアタナシウス派と対立する。

たまにアリウス派はイエスの人間としての属性(人性)を強調した、というような説明が見られるが、これはほぼ間違いと言っていいと思う。
少なくともアリウスはイエスは最初の被造物であるという点を強調しているのであり、
そこらへんの人間や預言者とは全然別格の存在として扱われていたはずである。

アリウス派はイエスの人性を強調した、というのはアタナシウス派の言い分に過ぎないと思われる。
アタナシウス派からすれば、イエスが神の被造物なら父なる神と一体の存在ということが言えなくなるので受け入れられないのだ。

こんな神学上の微妙な論争は一般の信徒はもちろん非聖職者の貴族もほとんど理解していなかったはずで、
アリウス派とアタナシウス派とかその他で対立が生じていたのはほぼ純粋に所属する宗派が党派性を生んでいたからだと思われる。だからクロヴィスの改宗も、党派を明らかにした行動と捉える方が良い

アリウス派だったのはゲルマン人全般というか、東西ゴート族とヴァンダル族及びスエビ族、ランゴバルド族あたりですかね。



中卒アスペニートさんがリツイート
Sato(サトー)P@小物
? @kumakoto711
20時間20時間前
アリウス自身の主張≒アリウス派というの何かで読んだことあるけど、異端認定自体レッテル張りめいたものあるし、微妙な問題だよなぁ…


ヒストペディア
? @cubeworldvdma
5月20日
エラスムスのギリシャ語訳聖書を読んだイングランドの人文主義者トマス・リネカーは「これが福音で無いか、我々がキリスト教徒でないか、どちらかだ」と述べた。それほど、当時の教会の在り方は聖書が指し示す事柄(サクラメントなど)とかけ離れている、と考えられた。








岡沢 秋(maat)@Aki_Okazawa
5月16日
・ロシアは「モスクワは第三のローマである」とローマの後継者名乗ってた
・「正教」の名は、自分たちこそ正しいキリストの教えを受け継ぐ者という自負から来ている。(カトリックは異端と見なしている)

というのを知ってると一粒で二度美味しい。


The Monks of Mount Athos
https://www.youtube.com/watch?v=wo49zWpWkz4


A Visit To The Holy Mountain ATHOS, Greece (CBS Documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=5D8OxrSZZU8&t=1188s


The Orthodox Christian Church's Patriarch Bartholomew
https://www.youtube.com/watch?v=K6ZXxgjKk2o



お読みくださり感謝!
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「利休キリシタン説」と「茶道の元ネタはキリスト教の儀式」説は仏教破壊用のデマ!   『神学の思考』で一神教のタブーを学べば騙されない! 

 メリー・クランパス!
(意味を知りたくない人は私のツイートを絶対に見ちゃダメ!)

 一神教の知識は膨大ですが、
これ一つだけで沢山の嘘を見抜ける知識」をできるだけ多くプレゼントします。

【忙しい人々のための要約】

キリスト教など一神教のタブーは
①人間が神になる
②人間が神に取って代わる
③人間を神格化する
④人間を神として神社などに祀る
⑤神と一体化する
など。
ゴッドは絶対不可侵。
人間は絶対にゴッドに到れない。
人間がゴッドになれるなら、ゴッドが唯一神でなくなるので多神教になってしまう。


キリスト教には、人間と動物のあいだには決して越えることができない境界線がある。
人間は神の前に立つことができる存在として神によってつくられたがゆえに、他の被造物から区別される。
人間に特権的な地位を与えるのが、仏教や神道と比較した場合のキリスト教的救済観の特徴
人間は特権的地位を持っているがゆえに、この世界に対する責任も特別に大きくなる。

「人間は動物の王にして支配者だから”保護と管理”をしてやらないといけない」、
というキリスト教思想が欧米の動物愛護偽善の中核。
クリスチャンが動物愛護なんて言っても説得力ゼロ。

日本の真の伝統思想の仏教では、人間と人間以外の生物に断絶はない同じ仲間だとみなす、輪廻転生と自然と共に生きる自然観が特徴


キリスト教は性悪説
キリスト教は人間の良心に積極的な価値を与えない。人間の良心はあくまで外部の神の啓示によって呼び出されたもの。
神抜きに人間の良心は成立しない。
キリスト教が自由を肯定するのは、悪の原因を人間にするため。

人間が自由意志によって悪から逃れる選択をすることはできない。
人間の自由意志には悪に打ち勝つ力がない。人間の自由意志は罪の奴隷となることを選択する意志。

(罪の奴隷になるしか選択肢がないと言ってるくせに自由意志ってほざいてんじゃねーよ)

キリスト教はアンチ・ヒューマニズム(反人間中心主義)
キリスト教では、神に触れることのない、人間だけのヒューマニズムに肯定的価値を与えない。
人間は原罪を負っているので、神の恩寵にあずからない、自然のままの人間にキリスト教は肯定的価値を与えない。キリスト教神学では自然のままの人間性を尊重するヒューマニズムは否定的概念である。

キリスト教思想に基づく教育を受けて初めて人間扱いするのがキリスト教ってことです)

イエスの肉(パン)と血(ワイン)を食べる儀式の元ネタは、バアル教の食人習慣
考古学の発掘調査や古代ローマの文献からバアル信者の食人習慣の事実は裏付けられている。
バアル教の盛んだった地域では幼児の骨が異常な程、沢山出土している。

「個々人の生命は有限でも大儀のために命を捧げる事で永遠になる」
=キリスト教の論理(ロゴス)の中核

イエスを生贄にしたことで永遠の命を手に入れた。

佐藤優は「人殺しの思想には自己犠牲が入っている」と指摘。
自己犠牲はキリスト教思想のど真ん中
復活を信じるキリスト教徒は自身の命を犠牲にしても悪と戦っていく気構えを持つ。
自己犠牲賛美なのがキリスト教。

キリスト教徒「だけ」が「選ばれていて」「救われる」
=選民思想


中身がないのに権威だけってのが耶蘇教の本質。

神の被造物である自然を拝むことは、十戒の偶像崇拝の禁止を破る。

キリスト教の中核は反理性と反知性主義。
キリスト教は人間の知性を信用しない。
人間が神について知ることができるのは、真の神で真の人であるイエスを通じてのみ。
人間が神の教えを正確に理解できると発想が、傲慢で自己神格化につながると考える。
キリスト教神学では、論理的に整合性がとれている説のほうが異端とされる傾向がある。

(反知性主義=愚民化して支配。
キリスト教のせいで苦しみが増大している人を救済する自作自演)

「神が造った世界に、なぜ悪があるのか」
についての論を神義論(Theodizee)、弁神論
という。

神学には神が悪を造ったか否かという問題は存在しない。
結論は当然決まっている。
神が悪を造ることはありえず、神には一切この世の悪に対する責任がない。

(既存のキリスト教の矛盾点をなんとかごまかすための弁神論から
スピリチュアルなどの「新キリスト教=一神教的多神教」が生まれました)


・カトリック神学では悪は「善の欠如」と定義している。
イエス・キリストの退場により人間の原罪は贖われているので根源となる悪は存在しないと考える。
そのドクトリンは教会によって維持されているので、教会に所属することで確実に救われる。

(善は悪があるから存在できるんじゃないの?
善しかないなら悪という概念は生まれないんじゃないの?
善と悪は相互依存しないと存在できないんじゃないの?

善=ゴッドが善の欠如=悪をつくったっておいおい。
全知全能なら悪を消せるので、悪に対する責任があるでしょ。
善だけど悪に勝てないなら無力じゃん。
神学は虚学。
キリスト教神学の中核は循環論法=詭弁。

哲学は神学のはしため
=哲学は神学の奴隷
=神学>哲学
=宗教>論理的思考で疑う

人知をこえているので考えない、という言い訳は弁神論を突つかれたクリスチャンが使います。
都合が悪くなったら人間には判らないと逃げるくせに神学論争を仕掛ける工作員が沢山います。

和風神学では神=現人神=偽天皇=和風イエス。
大悪魔=ゴッド=偽天皇を免責するために
天皇教=和風キリスト教があります)

・悪は人間の試練とするのが自然法神義論。
善が悪を克服することができるという形而上学が前提。

(虐待死は試練なの?)

イスラーム教と比較するとキリスト教の特徴がよくわかる。
イスラム教のアッラーは、人間との間に媒介となる存在がいない。
ムハンマドは預言者なので神の言葉を人間に伝える機能を果たすのみ。
ムハンマドに人間を救う力はない。
イスラムでは神は人間に直接働きかける


日本では神々については言葉で多くを語らないのが特徴。
キリスト教はやたら神について言葉で語るのが特徴。

(日本の真の伝統では黙って合掌して拝みますから、神は仏扱いです。
やたら神を口に出すのはキリスト教臭い)


キリスト教では科学は悪だから悪魔崇拝扱いされて迫害された。
悪魔と魔女には科学者が含まれる。


・耶蘇教を凶悪にしたのはアウグスティヌス。
耶蘇教にかかればどんな美しいものでも明晰なものでも、迷信や悪質なものに早変わり。

欧米発の社会運動はなんでも、最初に理念があってそれを無理やり現実に当てはめようとしている。
この観念主導のやり方は耶蘇教神学(形而上の観念が絶対的に正しい)の変形


人権思想の元ネタもキリスト教。
人権も神が自然法を通じて、人々に与えた
権利。
神が与えた権利を国家が奪うことはできない。

佐藤優は創価学会のファンであることを隠さない。
創価学会 初代会長 牧口常三郎だが、宗教として元々親しんでいたのは、仏教ではなく、キリスト教プロテスタント

創価学会の母胎は大日本皇道立教会=キリスト教製の偽天皇系組織。
紐付き陰謀論者の巣窟sagegroupの母胎も大日本皇道立教会

(「スウェーデンボルグ派キリスト教の日本版である大本教系カルト」のうち、教祖が紅卍字会に属していると叩かれません。
創価と統一は叩かれるの役目の囮ですから、格下です。
でも、創価の中核が偽天皇を崇拝する組織であり、有名陰謀論者を飼っていることは隠されています。
格上はネットでも名前があまり出ません)

悪魔崇拝を生み出しているのはキリスト教。
キリスト教があるから悪魔崇拝が存在する。
キリスト教はバカを作ることに特化している。
反知性主義のキリスト教に満足できない知識人が、悪魔崇拝(古代異教と科学)に走るのは当然。
キリスト教に構造上の問題があるのに日本のせいにするRAPT。

・大本教のボスである出口王仁三郎のは平田篤胤というカトリックをパクった神学を国学院で学んだ。
出口王仁三郎の腹心の浅野和三郎は横浜のメイソンロッジに出入り。

・『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰』
いわく、「アジアのキリスト教徒は日本の大東亜共栄圏に協力しなさい」。
日本基督教団を成立させ、統理である富田満は伊勢神宮にて大東亜戦争を聖戦とみなし、
「愛国機の献納」や「殉国=殉教」という日本的キリスト教を生み出す。

・古代ローマは、ギリシャから手に入れた進んだ文明を植民地にプレゼントすることで文化支配していた。
与えることで支配
する。

娯楽は支配者が用意する。
パンとサーカスを与えるのは支配層側。

(物語で潜在意識を変えられると、人は自分の意志でそれを選んでると思いこみます。
だから、紐付き結社員が作った娯楽を支配層が流行らせることで効率的に大衆を洗脳します)


あなたが自分だと思っているものは実は欲であり、それを自我と信じ込んでいるだけ。

・よその民族を滅ぼすために贅沢漬けにする手口は聖書にもある。

「働かざる者食うべからず」の元ネタは新約聖書なのでキリスト教思想。
「勤勉な日本人」は明治以降に労働を強制する為の偶像。
資本主義を発展させたのがプロテスタント(ユダヤではない)

厳密にいうと、予定説のあるカルヴァン系のプロテスタント。
元はおそらく、ペラギウス主義。

「人は“その人自身の努力によって”救われる。
人は“努力すれば”罪のない生活を送り、罪のない存在に“なれる”」
という、人間の自助努力を肯定するのがペラギウス主義。

しかし、「人間の側が功徳を積む努力をすることが大事」だとするペラギウス派は異端とされた。

ペラギウス「神の愛は人の努力や功績によって支払われる」

アウグスティヌス「神の愛は贈り物として弱い人間に到来する」


”○ペラギウス主義:人間は神の恩寵を待ち望まなくとも自らの努力によって救済を獲得できる

×アウグスティヌス主義:原罪による堕落は食い止められず、人間の行為では贖罪はできず、神に自らの運命をゆだねる。

?ペラギウスPelagius360頃-420頃イギリスあるいはアイルランドの修道士.400年頃ローマに定住し,神の恩寵と原罪についてアウグスティヌスと論争を展開する.救済は人間の力によって達成されるという論(ペラギウス主義)は,416年および418年の宗教会議で異端とされる.破門されると,ローマから姿を消し,その後の消息は不明.”
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/Indivisualism_todorov.htm



人の努力で何とかするのは ペラギウス派と言って原則異端。
カルヴァン主義が若干ペラギウス要素がある。

ペラギウス主義は「努力の足りない弱者は死ね」 とういう意味も含んでいる。
キリスト教神学の定義では、 「努力した=結果を出した」。
つまり「努力しても結果が実らなかった人」は努力が足りないということ


“働かざる者食うべからずの元ネタは新約聖書であり日本の伝統ではない...
日本はキリスト教が作った奴隷労働教儲が多過ぎですよね。過労死多過ぎ...「勤勉な日本人」だって明治以降の偽伝統”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-47.html

これ↑を補足するとカルヴァン主義。

プロテスタント系でもルーテル(ルター)派は弱者に施しをするのが美徳。
カルヴァン主義の努力しない奴は駄目人間という考え方はカトリックが廃絶してきたペラギウス主義が元。

・現代社会は、隅々まで異端を含めた耶蘇教の教義の成分で構成されている。
日本のお嬢様教育はスコラ学、
結婚式も耶蘇教。
日本の勤勉さを尊ぶ労働観念もペラギウスの影響を受けたカルヴァン主義。
どれだけ世界は耶蘇教的観念によって塗り潰されてるんだろうか。

統一教会系ネトウヨの反駁の仕方ってすごく耶蘇教神学的でなんかアウグスティヌスっぽい。
ネトウヨが話の核心部分ではなくて、細かな矛盾点を指摘して全論をひっくり返そうとする話の持って行き方とかほんとそっくり。

(日油同祖論デマ、「秦氏は景教徒」デマ、「茶道はミサ」デマ、「利休はキリシタン」デマも、中核の致命的な矛盾は無視して細かい表面的な共通点でごり押し)


「利休キリシタン説」は日油同祖論と景教渡来説の手口に酷似。
類似点があれば些細な事でもこじつけ、相違点はどんなに本質的決定的なものでも無視。

「茶道の元ネタはキリスト教の儀式」説は仏教破壊用のデマ。
「茶道がキリスト教の儀式が起源説」は、同祖論デマと秦氏ユダヤ詐欺と同じ、仏教文化破壊工作。
形式的に一致しても、思想が真逆なら別物。
茶道に影響した禅は「創造主」と
「不滅の霊魂」(キリスト教の大前提)を完全否定


茶道は禅仏教の発想によってできたもの。
当然、キリスト教的な意味は最初から意図したものではない。クリスチャンが聖書的な意味を勝手に後付けで新たに見出しただけ」

事実(証拠をあげて裏付けできる)と意見(判断、推論)をきっちりわけないといけない。
利休キリシタン説と茶道ミサ説は意見(どころかデマ)の領域


日ユ同祖論を布教する陰謀論者=宣教師。
「~は実はキリスト教」デマを流す者=宣教師。

一神教と仏教、多神教の論理の違いを押えておけば、「○○同祖論」「●●渡来説」の類に簡単に騙されなくなる。
ヤハウェ(エジプト系の雷神)が奈良の大仏(アーリア系の太陽神仏)なわけないし、
真言宗が景教(人の神格化禁止)なわけない。

中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作ったのは、17世紀のイエズス会士ロドリゲス


スピリチュアル系は基本、アメリカ生まれの新興宗教が大半。
インド原産の純粋なスピリチュアルを見たことない。
ヨガなどが出てきても、西洋人のヒッピーみたいなのを仲介して紹介されてたりする。
ヨーガ関係もヒッピーや神智学のフィルターがかかっている。
西洋経由だから、キリスト教の影響をモロに受ける。
ヨガナンダとかあのあたりも耶蘇教に迎合。
従って、アメリカ生まれのスピ系は、キリスト教文化的な盲従思考が特徴として表れている。
グダグダ理屈で考えてないで信仰しろ!
グダグダ理屈で考えてないで感じろ!

(インド思想派の特徴の一つが論理的思考。
つまり、論理や理性を否定する時点でインド思想ではありません。

①キリスト教の反知性主義を中核(中身)とし、
②外側だけインド「っぽく」して、
③インド思想で重視される論理的思考を抹殺した、
最悪の新キリスト教がスピリチュアル。
「論理的思考という、カルト化を防ぎつつ、嘘を見抜ける武器」を取りあげられているのに気づかない悪質な酔っぱらいがスピ信者)


科学は経験則
見えなくても再現性があるなら科学
西洋と東洋は一長一短。両方やるのがベスト。
ただ、見えない世界については嘘が蔓延るのでシンプルに論理的に説明するのがベスト

・東洋医学と西洋医学は大前提となる理論がまったく違うので、
「漢方の作用成分が〜」っていう批判は見当外れ。
中医学も陰陽五行説を背景理論としてるから、当然、西洋医学の理論とは関係ない違う知の体系。
そこを認識せずにただ間違っているという非難はダメ。

・この世界で起こる事象を上手く説明でき、かつ法則性があれば、それはもう立派な学問。
魔術ならその方法を体得している専門家が同じ現象を何度も出現させることができる。
近代科学の実験も、技法を体得した専門家(自然科学者)が同じ環境で実験を繰り返せば同じ結果を導ける。
魔術と近代自然科学は同じ方法論をとっている。

・『聖トマスの懐疑』という絵画で有名な、聖トマスは、 イエスの復活を「主の傷痕に指を差し入れるまで復活を信じない」姿勢。
「私は見た物以外信じない」自体が新約聖書のエピソード。
グラントリアンの国であるフランスでは、科学を学生に教えるときに、この聖トマスの例を用いて科学検証の重要性を説く。

西洋の認識思想は、聖トマスの立場と一緒。
「見えない(観測出来ない)」ものは存在しないというのが基本
なので、顕微鏡や望遠鏡などの観測器具が発達。

・マリのドゴン族のシリウス神話というのは記憶の編纂で最近できたもの。
最近知った新しい知識を神話にアダプトしただけ。ドゴン族がシリウスの1等星の質量なんか知るワケない。コレと同じことが世界中の神話に言える。
人間の記憶ほど曖昧なモノはないからこそ、歴史の編纂や捏造は可能。
自分の都合の良い方に解釈を変えたりする。

・昔のアラビア半島にはアルウッザやアラットという女神信仰があった。
この月の女神信仰がアッラーの元ネタ。
キリスト(ミトラ=太陽)とアッラー(月)は対になっている。

キリスト教は中東、オリエントに残る旧勢力(ゾロアスター、ミトラ)を一掃するために古代ローマの月信仰をもとにしたイスラム教を造った。ムハンマドの親類はクリスチャン。

エジプト派(グラントリアン。独仏)
vs
インド・イラン系(アーリア。英米)

アングロサクソン系メイソン
(インド・イランの宗教、北欧やケルト神話、シーア派、ギリシャ哲学、血族主義)

vs
グラントリアン(大東社)
(エジプト大好き、女神信仰、自然大好き、百科全書派、頑張れば誰でも出世)


血族主義、ギリシャ哲学、インド・イラン哲学は両者ともあるし、
シーア派はグラントリアン寄り
だというのが私の意見。
アングロサクソン系はキリスト教原理主義と白人至上主義が強い


・陰陽道は宗教ではなくて占いの技術陰陽師は仏教徒


【茶道の中核は禅宗】

「わび・さび」で有名な茶道の中核思想は禅宗です。
千利休などの各時代の代表的な茶匠は大徳寺(臨済宗)の住持に帰依し、参禅しています。


【禅仏教はキリスト教を完全に否定する思想】

仏教では「神」は輪廻に囚われた格下の存在です。
仏教の目標は、自然の法則の縛りから離れること
です。

仏教では、人間と動物のあいだには本質的な差異はありません。
なので輪廻転生で人間が動物になったり、動物が人間になったりします。
創造者や被造物という発想が仏教にはありませ
ん。

対して、一神教では、
人間は、ゴッドにより霊を吹き入れられた特別な存在だから、
他の動物と異なり、人間の特権的な地位がある

と考えます。
人間以外の生き物は魂なきゾンビなので、キリスト教は動物蔑視思想です。

茶道の中核思想が、キリスト教思想とあまりにも真逆でびっくりするでしょ?

禅についてさらに知りたい方は、
『禅の本』。
禅はスピリチュアルの中核を否定。
神秘体験は魔境=執着してはならない悪。
スピリチュアルは野狐禅を量産する危険物なので取り扱い注意!

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-109.html
をどうぞ。

【「利休キリシタン説」は日油同祖論と景教渡来説デマに酷似】

菊池 ‏@kikuchi_8
日猶同祖論者は類似点があれば些細な事でもこじつけ、相違点はどんなに本質的決定的なものでも無視する。かかる強引な便法を駆使しない事には「日猶同祖論」など成り立たないという事。初期の日猶同祖論者の佐伯好郎は服部之総に日猶同祖論は北海道開発に猶太資本を呼び込む為の便法だと語っている。

6)だからもう一つの「憑依型」戦術が出てくる。これは、現地国家に元からある伝統や文化に憑りついて別の物に変貌させる、という形で行われる。これは、革命のようにあからさまには行われず、徐々に進行されるため気付かれにくく、現地人からの警戒や反発を最小限に回避しつつ、

7)いつの間にか占領された状態が現出している、という恐るべきものである。歴史を観察すると日猶同祖論のように「お前達のルーツは我々だよ」と精神的に屈服させるやり方(○猶同祖論は世界各地にある)や伝統的思想を換骨奪胎して別のものに変えてしまうやり方などがあることがわかる。

15)統一、大本というのは一神教がベースのカルトであり、日本の伝統思想とは絶対に相容れないはずなのに、一神教カルトのお先棒を担ぎつつ日本主義を呼号するという矛盾である。そして戦前から意図的に流布されたおかしな日猶同祖論が罷り通っている。保守層を標的にした一連の思想ギミックである。

16)保守陣営の一部には熱烈な親イスラエル一派がいる。渡部悌治先生の御著書によると日猶同祖論の資金源の一つが大本教だそうである。そのような工作の結果、共産中国に長年武器援助してきたイスラエルを翼賛しつつ反中国の主張をする、という両建マッチポンプが実際に起こっている。

一神教と仏教、多神教の論理の違いを押えておけば、「○○同祖論」「●●渡来説」の類に簡単に騙されなくなる。
【ヤハウェ(エジプト系の雷神)が奈良の大仏(アーリア系の太陽神仏)なわけねーだろ!
真言宗が景教(人の神格化禁止)なわけねーだろ!】

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』
茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマと
大日本皇道立教会と
鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html

日ユ同祖論と中ユ同祖論の発明者は17世紀のイエズス会士ロドリゲス。          
同祖論はキリスト教の布教とセット。                        
日ユ同祖論を布教する陰謀論者=宣教師。                      
日ユ同祖論の英語版Wiki
の一部を翻訳し解説。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-83.html


【「茶道の元ネタはキリスト教の儀式」説は仏教破壊用デマ】

キリシタン迫害時代のキリシタンたちの「聖餐式」の代わりに茶道が行われた可能性はあります。
切支丹が、十字架が隠された茶器を使ったり、
お茶菓子はパン(キリストの体)の代わりに、
お茶はぶどう酒(キリストの血)の代わりにして茶会を行った可能性はあります。
キリシタン人脈と茶道人脈は一部重なりますし、茶室は密談に最適ですし。
茶室の入口が狭いのは、聖書の「狭き門より入れ」が元ネタだと主張する人もいますが、
そういう意味を後付けしただけで、最初から意図したものではない。クリスチャンが聖書的な意味を新たに見出しただけ
だと私は考えます。

茶道人脈がキリシタン人脈とかぶっていたのなら、秀吉が、キリシタンに警告するために利休を死なせてもおかしくありません。
利休がクリスチャンである必要がありません

「茶道がキリスト教の儀式が起源説」は、同祖論デマと秦氏ユダヤ詐欺と同じ、仏教文化破壊工作です。
形式的に一致しても、思想が真逆なら別物。
茶道に影響した禅は「創造主」と
「不滅の霊魂」(キリスト教の大前提)を完全否定
しています。

というか、事実(証拠をあげて裏付けできる)と意見(判断、推論)をきっちりわけろ、読み分けろと以下略。
利休キリシタン説と茶道ミサ説は意見(どころかデマ)の領域
です。



一神教の知識は膨大ですが、
これ一つだけで沢山の嘘を見抜ける知識」をできるだけ多く吸収してください。。


【著者自身の思想傾向と立場を分析】

『神学の思考/佐藤優/平凡社』の著者である
佐藤優(さとう・まさる)は、同志社大学 大学院 神学研究科の出身で、
外務省入省後、主任分析官として対ロシア外交の仕事に就いたことから推測できるように、クリスチャンです。

出版社が、聖書を百科事典で否定する百科全書派系の平凡社なのが皮肉ですね。
百科事典=科学の本(アンチ聖書)。
百科全書派はフランスのグラントリアン系。
下中弥三郎や世界連邦と一緒に調べると左右の胴体が見えてきます(過去記事あり)

紐付き陰謀論者並みに警戒しないといけないと判断しましたので、先に判断基準になりそうな資料を載せておきます。


knznymmmy ‏@knznymmmy 10月31日
【定期】「潮」(2011年7月号)より佐藤優大先生の名言w

「筆者(=佐藤優)は創価学会が民主主義の砦であると確信している。
それと同時に創価学会の思想を、池田大作氏という
傑出した宗教人から虚心坦懐に学びたい」
「筆者(=佐藤優)は創価学会のファンであることを隠さない」


安保 多稼士 ‏@AmboTakashi 7月9日
創価学会初代会長牧口常三郎だが、宗教として元々親しんでいたのは、日蓮正宗ではなかったし、仏教でもなかった。キリスト教プロテスタントであったという。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-89.html

安保 多稼士 ‏@AmboTakashi 7月25日
創価学会の母胎は大日本皇道立教会=キリスト教製の偽天皇系組織。
紐付き陰謀論者の巣窟の母胎も大日本皇道立教会。
創価の表層を叩かせるのは、偽皇室とキリスト教が陰謀論業界のボスであり、創価とsagegroupを作った黒幕なのを隠す為。

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-36.html

た⌘し ‏@meets_tak 1月24日
以下、島田裕巳著『創価学会』(新潮新書)より引用。第一章 なぜ創価学会が生まれたのか (P29)から。 pic.twitter.com/lviTxsGBtf

@meets_tak しかし、牧口の場合、宗教として元々親しんでいたのは、日蓮正宗ではなかったし、仏教でもなかった。北海道尋常師範学校は札幌にあったが、札幌には、内村鑑三や新渡戸稲造といったキリスト者を生んだ札幌農学校があり、キリスト教プロテスタントの伝道の拠点であった。
牧口自身、「苦学力行の青年期に敬愛し親近した師友は、大概基督(キリスト)教徒
であった」(『創価教育学体系楩概』)と述べている。 (引用は以上)

(「スウェーデンボルグ派キリスト教の日本版である大本教系カルト」のうち、教祖が紅卍字会に属していると叩かれません。
創価と統一は叩かれるの役目の囮ですから、格下です。
でも、創価の中核が偽天皇を崇拝する組織であり、有名陰謀論者を飼っていることは隠されています。
格上はネットでも名前があまり出ません



帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 5月29日
佐藤優の「神学の思考」パラパラ読んでみた。うーん、なんなんだろう、この神学の説明を聞いてスッキリしない感覚つーか、健康食品屋の店先で煙に巻かれてるおばちゃんな感覚は。こりゃ、知識人は耶蘇教よりも古代のイルミちゃん思想にハマるののもしゃーないわって思ったぞ?(笑)

RAPTみたいにさ聖書を妄信して一ミリも疑問を持たない幸せな連中ならいいんだよ。でもそれだけじゃ我慢がならない連中はいるんだよ。そんなやつは昔だ と受け皿がないから「悪魔崇拝」に走るんだよね。RAPTが悪魔崇拝を叩くクセにその耶蘇教世界の偏狭さが悪魔崇拝作り出してるってわからない?

日ユ同祖論を妄信してる幸せなやつは、悪魔崇拝(古代異教と科学)に走る知識人の気持ちはきっとわからないだろうな。第四のエズラ書も読まない、聖書も読 まないのに日ユ同祖論を妄信できる感覚がそいつらにしてみたら信じられないだろう。悪魔崇拝は耶蘇教世界の構造的な問題だとしたら?

まあでも、そんな抵抗勢力だったイルミちゃんも、今や権力の座に食い込む事で中国共産党ばりの腐敗の限りを尽くしてるのであります(笑)まあ、菊池さん じゃないけど、理性崇拝だのルシファー信仰だの俺ら非耶蘇教世界の住民にとっては「知らんがな」って話なんだよね。内ゲハはあっちでやってね♪

おっと、補足しとくけど、元祖イルミちゃんのアダム・ヴァイスハウプトは極度のオカルト嫌いの神秘主義とか騙しのツールみたいなモグラ君のスタンスだった けど、その飼い主のゴータ家はオカルト大好きだったかも知れん。理性崇拝は結構だが、リアルでニャンゲンの生贄はアカンだろうと?

結論。悪魔崇拝ってやっぱし、耶蘇教世界の構造的な問題デスワ。耶蘇教があるから悪魔崇拝が存在する。影のよーなもん。本当に悪魔崇拝根絶する気があれ ば、耶蘇教と聖書もろともゴミ箱へ捨てる覚悟がいるかと思われます。おい、そっちの構造的問題を日本のせいにすんなよRAPT!

出口王仁三郎は平田篤胤というカトリックをパクった神学を国学院で学んだし、出口王仁三郎の腹心の浅野和三郎は横浜のメイソンロッジに出入りしてますが、それだけでも陰謀と言わずなんと言うんでしょうか?


帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月1日
さゆふらもRAPTもな、ネタが薄いんだよ。大御所の陰謀論者は何でDEEPな陰謀論トークができないんだろうねぇ?濃い陰謀論トークする人は多くてもフォロワーが1000にも届かなかったりするしね。

RAPTもさゆふらもコメント欄見る限りだとあまりに不自然というか、自作自演じゃねーの?とか思っちゃう。不幸の科学だって、信者が本を買い支える事で ベストセラーを意図的に作り出したりしてるよーに、耶蘇教信者が合同でサクラやってんじゃねーの?(笑)あと、炎上商法もやってるよな、絶対。

この前、佐藤優の「神学の思考」読んでたら、プロテスタント神学は、見える教会と見えざる教会という2つの教会があると信じると書いてあった。おや、薔薇 十字団の見えざる大学かね?(ルター家の紋章は薔薇十字)この神学の定石を知ってるだけでも、RAPTの思考が一発で背後まで読み取れるのさ。



           薔薇十字ルター


【少年サンデー マギ】232話 ソロモンはイエスだった!?
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-650.html
ソロモンが神イル・イラーを乗っ取り
アルマトランのありとあらゆる種族に
自分を犠牲にして魔力(聖霊)を分け与える
エピソード、

これはキリスト教のイエスがパンとワインを
自分の肉、血として弟子達に分け与えた
”最後の晩餐”のシーンが元ネタ
だ。

そしてフザケたことに大高はここで
宗教界最大のタブーを破る。

「人間自身が神になる」

ユダヤ教を始めとする一神教系の宗教では
「人間が神に取って代わる」というのは禁句である。

何故なら、神というのは絶対不可侵の概念であり、
人間にはその完全なる認知が不可能であることを
前提として成り立っているからだ。


これは異端扱いのカバラやグノーシスでも基本的にこの
前提を踏襲しており、カバラやグノーシスは神の意図を
「予知/予測」するアプローチ法であり、「神そのものになる」
ことを指しているわけではない。

だから、フリーメイソン教ですら「神になる」ことは
前提されていない。

仏教やバラモン教で「梵我一如」という概念が
あるが、これも「神になる」事とは違う。

そもそも仏教やバラモン教では「神」は
格下の存在である。

なぜなら「神」という種族もまた輪廻に捕らわれた
存在であり、サンサーラから抜け出せない
存在だからだ。

仏教の「仏陀」やバラモン教の「解脱」というのは
「神になる」よりもずっと深い概念であり、
「創造神だとか自然の法則から離れる」ことを
目標にしている


では、なぜ大高忍やその担当編集である石橋が
こんな基本的な事が分かっていないのか?という
疑問が生じる。

それは大高達はキリスト教で言えば”神学”も
勉強していないし、イスラーム哲学の知識もない。
また、仏教もS学会系のトンデモ仏教レベルの
理解しか示していない上、当然ユダヤ・カバラの
原典すら読んだ事が無い。

要は”浅い”のである。

特にキリスト教というのは難しい。「キリスト教神学」
という学問に対する基本的な理解がないと実に
難解なテーマなのだ。
橋爪大三郎のような「社会学者」の教える内容とも
全く異なる。

口を酸っぱくして再三言うが、

キリスト教を扱うなら、キリスト教神学は
必修である!

ところが問題は基本的にこの「キリスト教神学」、
牧師とか神父を目指す人間以外はまず勉強する
機会もないし、必要も無い。

従って、無料で勉強しようと思うと中々良い
教材がない。

ベタだが、それでも「キリスト教神学」に
金を出したくない人用に入門ブログを紹介
しておく。

ttp://webheibon.jp/blog/satomasaru/archives.html

悪名高き佐藤優のサイトで申し訳ない。
しかし、無料でと言うと彼のサイトぐらいしか
資料がない。彼はバルト、フロマートカ・マンセー
主義なので多少バイアスが掛かっているので
その点だけは注意してほしい。

ただ「キリスト教神学」が如何に通常の学問と
異色かということは掴めると思う。

ところで、キリスト教というのは「三位一体」を
重視する。
実はこの概念はキリスト教独自の考え方で、
元のユダヤ教や後代のイスラーム教にはこの
概念が無い。
一応カバラで無理矢理屁理屈で三位一体論を
導き出す事は可能だが、ユダヤ文化からはかなり
かけ離れた異質な概念であることをまず
念頭に置いて欲しい。

また「三位一体」という言葉は初期キリスト教には
現れない。後代になって考え出された理論である。

では、こんなユダヤ教にも無い様な概念がなぜ
急にポッと出るのかというと、

この「三位一体」という考え方はセム系宗教の
バアル教がこの理論を採用している。

父=エル、母(聖霊)=アーシラト、
子=バアル(もしくは竜神のヤムウェ)

という構図である。

エルというのは、エル・シャッダイや
エロヒム、ミカエルの”エル”なので、
ヤハウェの元ネタだと言われている
神である。
ギリシャ神話のクロノスに相当する。

当然その息子のバアル=イエスである。
バアルというのはセム系では単純に
「主人」という敬称なので、実は
バアル神というのは複数いる。
だからバアルは雷神/嵐の神だから
イエスよりゼウスのイメージに近いじゃないか!
と思われる方も多いと思う。
実は、別のバアル神に嵐ではなく「豊穣神」
バアルというのもいる。
イエスの場合はこちらがそうである


一つ謝らないといけないのが、以前「まどマギ」
のカバラ的解説でイエス=ティファレトと
説明したことがある。
実はこれの元ネタはフォーチュンの”神秘のカバラー”
なのだが、最近カバラ原典を読んでこれが
間違いであることに気付いた。

イエス=イェソドが正しい。

名前も似ているでしょ?

イェソドというのは男根を表すので、
マルクト(女性)に種を撒くセフィラである。
だから「豊穣神」のイメージにピッタリだ。
イエスが撒く種とはもちろんキリスト教信仰の
事だ。(つまり聖霊のこと)
パウロも元々サウロというユダヤ教狂信者だったが
聖霊にレイプされた事によって”キリスト信仰”を
孕まされてしまった。

ところでイエスのシンボルは魚である。
これは彼が、空腹者に魚を増やして与えたから
とか、ローマ政府に見つからないための暗号だとか、
アフロディーテの神話から来ているだとか、
水瓶座時代の前の魚座時代から来ているだとか
色々囁かれているが、

これはウガリット神話のダゴン(バビロニアのオアンネス)
から来ている。



この神は同じウガリット系のフェニキア人が信仰して
いたとも言われている。

じつはこの老人が冠っている魚の衣装が
ローマ法王のミトラ帽の元ネタだと言われている。



だが、あくまでフェイド大帝論だと

イエス=バアルである。ダゴンじゃない。

ダゴンというのはイエスを生け贄(磷付)にした連中
のことであり、キリスト教会の司祭達であると
考えている。

だからイエスを売ったユダや、イエスが
逮捕された時に真っ先に逃げたあの
使徒達のことだ。

この十二使徒達は後にイエスの高名を
利用して初期のキリスト教会を
築いていく。

ここで注意して頂きたいのが、

この十二使徒、”最後の晩餐”で
イエスの肉(パン)と血(ワイン)を
喰らっている。


実はキリスト教のこの儀式は実に異質である。
教祖の肉や血を喰らうなんて、

麻原の入浴した湯の水を飲むではないが、

普通の常識から考えたら、マトモな宗教だとは
思えない。

実はこれはバアル教で子供の生け贄の肉を
信者達が喰っていた風習に由来
する。

実はこのセム系の”食人習慣”はかなり古いもので
恐らく、モーセの時代から人肉を食べていたのでは
ないかと思われる。(モーセの件はまた別の記事で書く)

これはフェイド大帝の妄想ではなく、
ちゃんと考古学の発掘調査や古代ローマの
文献からもバアル信者の食人習慣の事実は
裏付けがされている。
(バアル教の盛んだった地域では幼児の骨が
 異常な程、沢山出土している)

イエスは”息子”を象徴している。

つまり極端な解釈をすれば”子供”だ。

これが十字架に磷付にされて、父なる神である
創造神=死の下へ送られる。
これは明らかな生け贄の儀式である。
イエスは人類の幸福(つまり原罪の撤廃)の
ために代わって犠牲となった。

これはユダヤ人の憎むバアル神を
ようやく懲らしめたということになる。

ところで皆さん、神様にお供えした後の
お供え物がどうなるかご存知だろうか?

お下がりとして有り難く頂いているのではなかろうか?

これは神道や道教でもお馴染みの光景である。
神様が口にした食物には霊力が宿ると言われ、
人間がこれを食べると大変な開運効果
があるという。

基本的に古代セム人もこれと同じ考え方だ。

生け贄にした後は皆で有り難く喰う。

そう、だから子供を生け贄にしたあと、モレク教信者
やバアル教信者は生け贄にした子供の人肉を
美味しく頂くのである。

当然、イエスの肉も喰うわけである。

これがキリスト教のパンと葡萄酒の儀式の
ルーツだ。

漫画ではソロモンの霊をシバ達が喰らったわけだ。
シバの髪型が牛の角が生えている様に見えるのは
偶然ではない。
子供を生け贄にして食べていたモレク(バアル)教
の神が牛型なのだ!

三浦建太郎のベルセルクの”蝕”もこれが由来だ。

よくキリスト教の司祭が子供を生け贄にして
その人肉を喰らったり、飲血をしているという
噂もこのバアル教の伝統から来ている。”

※画像は省略

「神学の思考」佐藤優氏
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/158335/1
の要約。

・キリスト教では世の中の掟よりも、心の中に突然聞こえてくる神の声(召命)を重視。

世の中の掟がキリスト教に基づいているんですけど)

キリスト教は性悪説。性悪だから戦争も起きると考える。
が、自分も性悪であるから、本当に悪いのは誰かの答えは「神のみぞ知る」であり、自分が正しいと思う道を行くしかないとも考える。
聖書では、キリストを捕まえようとした人に対して、弟子が武器を先制行使している。欧米諸国は正当防衛と信じれば、武力行使に躊躇しない理由。

キリスト教のせいで今も戦争はなくなりません。性悪のせいではありません

・「取りつかれた妖怪によって運不運が決まる『妖怪ウォッチ』の物語は、絶対にキリスト教圏からは出てこない。自分が悪いかもという発想がないからである。

世界の勝ち組クラブであるキリスト教の発想を知っておいて損はない


【読書メモ】

(創価ファンの)佐藤優『神学の思考 キリスト教とは何か』


キリスト教はアンチ・ヒューマニズム(反人間中心主義)。
キリスト教では、神に触れることのない、人間だけのヒューマニズムに肯定的価値を与えない。
キリスト教は人間の理性と衝突する。
キリスト教は、人間は原罪を持っているので、人間が作り出した社会制度や文化に肯定的価値を与えることは、根源においてできない。


人間が神について知ることができるのは、真の神で真の人であるイエスを通じてのみ。

人間が神の教えを正確に理解できると発想が、傲慢で自己神格化につながるとプロテスタンティズムは考える。
プロテスタント神学において、教義(ドイツ語の単数系のドグマ Dogma)は本質において成立しない。
人間が神学的に物語ることができるのは、教理(ドイツ語のドグマの複数形 Dogmen)の一つにすぎない。

・著者である佐藤優はプロテスタント教徒で、所属は日本基督教団。日本基督教団はプロテスタントの合同教会。
佐藤優が日本基督教団に転会したのは社会人になってからで、子供のころから通っていた教会は、長老派(カルバン派)
の日本キリスト教会だった。
なので、佐藤優の神学的な思考にどうしてもプロテスタンティズムの改革派(ツビングリやカルバンの宗教改革の影響を受け継ぐグループ)の思考の鋳型が無意識のうちに反映されている
また、佐藤優は、同志社大学神学部と大学院ではチェコの神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカについて研究した。

フロマートカは改革派に近い神学だが、
「受肉=神がイエスという人間になったこと」
や十字架に対する解釈はルター派の伝統に従う。
佐藤優の神学理解はフロマートカとカール・バルトの影響を強く受けている。
佐藤優はフロマートカの弟子の個人指導を受けた。
ロシアの知識人からロシアの宗教哲学の影響
を受けた。

(knznymmmy ‏@knznymmmy 7月27日
http://uccj.org/confession
日本基督教団 第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白
>わたくしどもは、教団の名において、
>あの戦争を是認し、支持し、
>その勝利のために祈り努めることを、
>内外にむかって声明いたしました。
偽善者

Đằng Văn Hiếu☂ ‏@Tonbi_ko 7月15日
で、日本基督教団はサイトトップに「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を載せていながら戦争法案になんもいわんの? 言えないよねえ。もう中枢部は宗教右翼に牛耳られてるもんね

荒木俊三 ‏@toshizoaraki 12月12日
日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰
http://ln.is/ja.wikipedia.org/wik/LcYDg …

これもすごいな。アジアのキリスト教徒は日本の大東亜共栄圏に協力しなさい、とw よく戦犯にならなかったね

ヒラノ ‏@punanny_chang 10月30日
日本プロテスタント教会は大東亜戦争における国民総動員の一環として日本基督教団を成立させ、統理である富田満は伊勢神宮にて大東亜戦争を聖戦とみなし「愛国機の献納」「殉国=殉教」という日本的キリスト教を生み出すに至る。)


・近代国家はみな立法権を持っているが、立法権を持っているのは神のアナロジーだから。
人権も神が自然法を通じて、人々に与えた権利という意味がある。
神が与えた権利
を国家が奪うことはできないから、憲法に人権条項を作ってはっきりと書きこんでおく。
自然法はいつ制定されたかと言えば、天地がつくられたのと同時のはず。
そこで、ネイチャー(神がつくったそのまま)の法と呼ばれる。

市場メカニズムにもキリスト教は独特の意味付けをする。
はじめキリスト教は、市場メカニズムに懐疑的で、商品の価格を自由に決めさせなかった。中世にはジャスト・プライス(正当価格)というものがあって、靴やパンの価格は伝統的に決まっていた。それによりそれぞれの職業が守られていた
アダム・スミスによる、「神の視えざる手」により需要供給の関係で商品価格が決まる市場メカニズムの正当化は革命的だった。

(フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 11月21日
@shukyogakutan 日本ではないけど、ユダヤ人が エルサレム神殿前で両替してた 「天国で流通してる通貨」という やつが一番の傑作だと思ってる。w しかもあの世に送金するには 賽銭箱に入れないといけない所が ポイントね。ww

ネズミさん ‏@Nezmi_san 12月20日
なんで欧州が死刑制度に反対なのか?それはキリスト教が背景だ。「普通だと思って真似してる?」その前に人権→キリスト教の背景も言わないとね。背景を隠して烏合と非難するが、江戸時代は仇討ちがあった訳。 https://twitter.com/x__ok/status/678716695532445696 …
エリック ・C ‏@x__ok 20 時間20 時間前
なんで日本だけ、みんなが死刑制度に賛成しているのか。それは日本国内での周囲のみんなが死刑制度に賛成しているから多い方を普通だと思って真似をしているからだ。周囲のあり方が無意識に普通だと刷り込みされてしまっている例。

ネズミさん ‏@Nezmi_san 12月20日
犬権、猫権は無い訳(スペインの村では人権を与えた例があるらしいが)、何故ならキリスト教では犬、猫、畜生は神の創造物じゃない。え?神は人間を作る前に動物を作った?いやいや、この辺の解釈は曖昧である。「人間が動物を革にした、食った→神に怒られなかった→ok」と拡大解釈してるに過ぎん。

knznymmmy ‏@knznymmmy 5 時間5 時間前

つ創世記

全然拡大してないから

聖書基準で考えるなら肉食はノアの洪水の後)


キリスト教は人間の知性を信用しない
学識や科学技術に対しても究極的な信頼をよせない。
人生は苦しいものだと考える。
キリスト教は人間を苦しみから解放することを目的とする。

反知性主義=愚民化して支配。
キリスト教のせいで苦しみが増大している人を救済するって自作自演じゃん。

神学は最初から結論ありき。
「真理=ゴッドとイエスの実在」は決まっているので要は、詭弁による弁護であり、真理の探究ではありません。


帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya
最近やたらと海外で活躍するヌッポン人とかあってるけど、国際貢献の活動とか欧米とかじゃ違う意味のグローバル企業ゴロだかんな。古代ローマが自国のギリシャからパクった進んだ文明を植民地にプレゼントすることで文化支配の構造できんだよ。与えることで支配する。佐藤優の本にも書いてある事

ピザをオーブンに入れてきたお。で、返却期限が近くなったので、佐藤優の「危機を克服する教養」を読んでる。佐藤優は、エリートは危機を克服するために、耶蘇教などの長い歴史を潜り抜けてきた神学の智慧が必要だとか言ってるしww神学って護教のための哲学の体系だろ?

あー佐藤優のさ「個々人の生命は有限でも大儀のために命を捧げる事で永遠になる」ってやつ、これこそが耶蘇教社会を動かす論理(ロゴス)の中核じゃない か!?イエスを生贄にした事で永遠の命をゲトしたんだよ!そのためにおまいらイエスを見習って特攻しろ!と焚きつける靖国崇拝者はクリスチャン臭い

佐藤優は公平にも「人殺しの思想には自己犠牲が入ってる」とちゃんと指摘してるわけなんだけど、そこをマルクス主義者の話にしちゃって、耶蘇教がそのど真ん中だということに目を逸らすのは譲れない信仰心があるからかしらー?


俺は、中流であることという定義は「智を愛する者である」という事だと思ってる。フィロソフィアですよ。中流の人たちが俺ら超下層階級のニートと違うのは、「知性」を崇拝してるか否かですね。で、佐藤優は教養のためにはギリシア語やれとか言ってるんだけど。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月16日
これ帝王学のヒントになるので引用「市場とは何かというと、多くの人が同一の価値観においてそれを良いと認めるものが土台になってる。本当は同一の価値観など幻なのだけどその幻影があるかのようにみせるのが広告力です。世界共通の美人がいると思うの? 違うよ、共通美人を広告で創造してる。

彼らがなぜワンワールドにおける価値観(その大本となる宗教)の統合を目指すのか?世界中の宗教に耶蘇教が憑依して世界の価値観の規格化を目指そうとする のか?それは大きな支配を生むからだ。で、帝王学とは佐藤優も言ってたけど、物語などを作って民衆を導くものだと。神学もそうだと言ってたな

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月13日
耶蘇教はバカを作ることに特化した宗教になってる。前にネズミさんが言ってたけど、カトリックの司祭の独身制や修道院って賢い男(女も)を断種するためにあるんじゃないって?勉強をするには修道院か神学校に行くしかなくて知的なものを求めると子供を作らなくなる。つまり知的なものが継承されないと

知識はみんな教会と修道院が一元的に管理していてそれにアクセスするには、キリスト教の洗脳というもので思考を破壊して子孫を残さないことを誓ってじゃな いと触れさせないとかほんとよくできてたシステムだなと。そして魔女狩りや異端審問で教会以外の智を求めるものは火炙りなんだよな。

この現状を強引に変えてきたのはふりーそーめんなどの秘密結社だ。だからさ、修道院や神学校での教育がベースのミッション系お嬢様教育というのはどういう 意図のもとに生まれたかその背後まできっちり理解できないといけない。そんなスコラ学がベースのお嬢様教育なんて、純ヘレニズム哲学には敵わんよ

言っちゃ悪いが、お嬢様教育って心の教育とかいって反知性主義的なものを無理やり知性主義にねじ込んでるわけなんだよね。だから佐藤優のように凄く頭がい いのに中核的な部分で反知性主義的なものがあるわけ。それなら、最初から反知性主義的なものがない純ヘレニズム哲学のほうが頭よくなると思うの


平兵衛:大阪はピノチェト政権 ‏@heibay 7月13日
ルネッサンスで五線譜が出来た(コンスタンチノーブルから入ってきたかも?)
その後、教会が門外不出にしていた音楽をモーツアルトが一回聴いただけで五線譜に書き残し、教会がもったいぶっていた、曲の神秘的な価値はなくなってしまったと。
@lakudagoya

完全閉店 ‏@lakudagoya 7月13日
@heibay 知識の世俗化が行われたわけですよね。)

(帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月2日
今の学者がエラソーなのは神学者(護教のための哲学=神学を修めて社会の観念を操る者)がルーツだってのは凄い記事。 http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2012/03/001041.html …やっぱし、現代ってなんでも耶蘇教システムが隅々までも。中身のないのに権威だけってのが耶蘇教の本質でもあるなぁ。

@FeydoTaitei 神学書はアクィナスやアウグスティヌス、エイレナイオスやクレメンス、バレイシオスとか色々と手を出してみたいのですけど(神学知らないから)こういうのは県立図書館にしかない上にぶ暑いし注釈も必要なので大変ですよね。ちびちび頑張ってみます。いつもありがとうです。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 7月2日
@lakudagoya スコラ哲学ならスコトゥスも入れるべき かと。
そもそもルネサンスの人文主義者が 本当に純粋に科学をやりたかったのか 疑問視されてるのと、 キリスト教がギリシャ哲学に手を出した 理由の一つは、パウロのエピソードでも 分かる通り、ギリシャ人受けが悪かった ってのも大きいかと

キリスト教で突っ込むべきは三位一体論 だと思います。 ユダヤ教やイスラーム教に無い、否定 されたこの理論がどうやって湧いて 出たのか? キリスト教の他の教えは程度が低くて 単純なのに、何でこれだけ異質なのか? 等々……

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月2日
欧米発の社会運動でもなんでも、最初に理念があってそれを無理やり現実に当てはめようとしてるでそ?おいらに言わせればこのやり方がガンだ。この観念主導のやり方って、やっぱし耶蘇教神学が形而上の観念が絶対的に正しくてみたいなものの変形に見えるよ。ネオリベや共産主義も同じ悪影響の出方してる

やっぱり耶蘇教を凶悪にしたのはアウグスティヌスか。耶蘇教にかかればどんな美しいものでも明晰なものでも迷信や悪質なものに早変わりってのは恐ろしい性質だよな。 http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2012/01/1022.html … ギリシャ哲学も耶蘇教がなかったら共産主義やら凶悪な魔物を産み出さなかったのに。)


神学の思考の特徴は類比(アナロギア)。
神の意志が働いて世界が創造されたので、被造物にも神の意志が働いているとパウロは考えた。これを「創造の秩序の神学」という。被造物という存在を類比し、神の意志を見出している

神の被造物である自然を拝むことは、十戒の偶像崇拝の禁止を破るので、プロテスタント神学の立場からは認めることができない

カトリック神学では、人間が既存の秩序を維持している状態をまっさらな自然としてとらえるが、貨幣も国家も人間が生まれなければつくりだされなかったので、まっさらな自然は存在しない。
創造の秩序の神学は、人間がつくったものを神がつくったものと混同する危険がある。
プロテスタント神学の使命は、創造の秩序の神学をいかに打破していくか、存在の類比をいかに否定するかということにある。
なので、存在の類比ではなく、関係の類比、イエスとイエス周辺の人達との具体的な人間界、神とイエスの関係から類比的に見ていかないといけない。

カトリシズムでは神学と哲学を整合的に解釈しようとする傾向が強い。
宗教改革時の(古)プロテスタンティズムは濃淡の違いはあっても哲学に対しては否定的。

逆に、啓蒙主義を克服した自由主義的なプロテスタント神学は、哲学を内部に取り入れようとするのが特徴。

それに対して、カール・バルトは再び神学から哲学を切り離すという宗教改革の神学に回帰した。
現代神学は、基本的にカール・バルトの切り開いた地平の上で展開されている。
特に、現代プロテスタント神学は、哲学では、神学が究極的に追及する事柄には到達できないという共通理解のうえで展開されている


神学には独自の方法論がある。
それは、「神は自らを与える。その現実は、神の言葉によって明らかにされる」という自己言及的な方法論。
別の表現で言えば、神を観照によって捉えることはできないということ。
観照とは、ギリシアにおいて生まれた哲学の基本的な方法。眺め、考えることで、物事の本質をとらえることができるという了解である。いかなる場合においても、神学を哲学的に基礎づけようとする神学者の場合においてすらも、哲学の方法を神学にそのまま適用することはできない。

(哲学は神学のはしため
=哲学は神学の奴隷
=神学>哲学
=宗教>論理的思考で疑う)



神の存在は神の自己証言によってのみ明らかになる。この自己証言をキリスト教神学では啓示と呼ぶ。啓示は人間の理性を超越した神からの働きかけ。
従って、人間の理性を基礎にする哲学によって啓示を理解することはできない
神が啓示を行うか否かは神の自由に属する。
人間の側からは神はきまぐれで恣意的な存在にしか見えない。しかしそこには神の自由にもとづく神の強力な意志がある。
神が人間に与えた最大の啓示がイエス・キリスト。
キリスト教神学では、イエスが救世主であることを認めることによって神の現実存在を承認する。

(キリスト教神学の中核は循環論法=詭弁)



・三位一体論=三一論。
大雑把に言って、西方教会、つまりカトリック教会、プロテスタント教会の伝統においては、三一論の一を重視する傾向が強い。
それが行き過ぎると、イスラーム教の唯一神理解に近くなる。
特にカルヴァン派の神観はイスラム教に近くなることがある。
対して、
東方教会、つまりギリシア正教会、ロシア正教会、ウクライナ正教会、ルーマニア正教会、日本ハリストス正教会などは、三一の三を重視する傾向が強い。
英国国教会(聖公会)は西方教会の伝統に属するが、三を重視する傾向にある。
これは英国国教会の神学が、中世のリアリズム(実念論)の影響を強く受けて形成されたため。

神の目的は人間の救済。よって神は人間の歴史に具体的に介入する。

(今すぐ救ってくれませんかね)


神の意志によって一方的に行なわれる、人間が神と出会う瞬間
=神学用語で「召命」。
召命に関して人間が主体的に働きかけることができる要因は一切ない

プロテスタンティズムの三原理(聖書のみ、信仰のみ、恩恵のみ)の「恩恵のみ」によって、召命は解釈されるべきとフロマートカは考える。

神が造った世界に、なぜ悪があるのか
善なる神がつくった世界には悪があり、人間は苦難の中で生きていくことを余儀なくされる。
神の善とこの世の悪との関係をどのように理解するかということを、神学や哲学では神義論
(Theodizee)という。
ギリシア語の神=theos

正義=dike
とからなるライプニッツの造語。

神学には神が悪を造ったか否かという問題は存在しない。
結論は当然決まっている。
神が悪を造ることはありえず、神には一切この世の悪に対する責任がない。
結論が決まっているので、理屈をつけていく。
神が正しいことを証明するから神義論。
神が悪に関与していないと弁護することでもあるので、弁神論と表現することもある。
神義論という言葉を造ったライプニッツが悪の問題を真剣に考えるようになったきっかけは、十七世紀の三十年戦争。
ライプニッツは中世哲学と啓蒙主義の橋渡し的存在。

(既存のキリスト教の矛盾点をなんとかごまかすための弁神論から
スピリチュアルなどの「新キリスト教=一神教的多神教」が生まれました)



カトリック神学では悪は「善の欠如」と定義している。
イエス・キリストの退場により人間の原罪は贖われているので根源となる悪は存在しないと考える。
そのドクトリンは教会によって維持されているので、教会に所属することで確実に救われる。

(善は悪があるから存在できるんじゃないの?
善しかないなら悪という概念は生まれないんじゃないの?
善と悪は相互依存しないと存在できないんじゃないの?

サタンって実はゴッドの息子ではなくて、実はゴッドの一部だったのでは?
ゴッドが善であるために、サタン=悪という「役割」を切り離したのでは?
善を「担当」する息子がイエスなら、悪を「担当する」息子がサタンでは?
サタンが男なのか女なのか両性具有の完全な悪なのかはわかりませんけどね。
でもヨブ記でサタンがヨブに対して悪をなす許可を出したのはゴッドなんだけどね。
全知全能ならわざわざ信者を「試す」必要なんてないですよね。
だって結果があらかじめわかっているから。
無用な苦しみをわざわざ与える存在が善なんておかしいです。
神の観点では悪ではないって?
人間が苦しんでいたらダメでしょ。
神が悪とみなさなくても。
我々は人間なのだから)



・プロテスタント神学では教会が「見える教会」と「見えない教会」に分かれている。
地上にあるのは見える教会。
世界の終わりに、見えない教会のメンバーが明らかになる。
神学書には「教会以外に救いなし」という言葉がよく出て来るが、この「教会」は人間が感知できない見えない教会を指している。
プロテスタントの視座からは、ローマ教皇をトップとする地上の見える教会に救いの根拠は無い。
プロテスタントが教会に所属するのは、神から見てはどうかわからないが、自分が帰属している教会が救いの根拠であり、我々は選ばれていると信じているからである。
救済されるの選ばれている人のみ。

(キリスト教徒「だけ」が「選ばれていて」「救われる」
=選民思想)



ロシア正教やギリシア正教では、イエスによる救済に関して「悪魔の身代金」説という考え方をする。
神が身代金として自分の子供であるイエスを悪魔に払ったことにより、人間は罪から脱却できたという説。
神が悪でないのは当然の事実だが、この世に悪が存在しているのも事実。そのメカニズムは人知をこえたところにあるので考えない、というのが正教の結論。
不合理ゆえに我信じる、という信仰の形にもっていく。
また、正教では人間の理性はごく一部でしかないと考えるので、人知をこえたものは考えないという結論も受け入れやすい。
悪はあるが、神に悪の責任はなく、神は見えないので神の正義を見ることもできない。
神が悪を許しておく理由はわからないけれど、神がそれでいいと考えていることをわれわれは然りと受け止めて、個別の状況においてイエスに倣う。正教の教えはドストエフスキーの小説によくあらわれている。

(ゴッドが身代金として自分の息子であるイエスを、自分の子供である悪魔に払った……って自作自演ですか。どこが全能なのですか。
迫害される異教徒と地獄と悪魔をつくったのはゴッドなんですけどね。
善=ゴッドが善の欠如=悪をつくったっておいおい。
全知全能なら悪を消せるので、悪に対する責任があるでしょ。
人知をこえているので考えない、という言い訳は弁神論を突つかれたクリスチャンが使います。都合が悪くなったら人間には判らないと逃げるくせに神学論争を仕掛ける工作員が沢山います。

和風神学では神=現人神=偽天皇=和風イエス。
大悪魔=ゴッド=偽天皇を免責するために
天皇教=和風キリスト教があります



アウグスティヌスは悪を善の欠如というカトリック神学を考えた。
アウグスティヌスは悪と原罪を切り離し、原罪を遺伝のようなものだと理解していた。
キリスト教には極力セックスしない、修道院で清い生活をするという禁欲的イメージはアウグスティヌスの考えから生まれている。
アウグスティヌスは元マニ教徒だったので、西のキリスト教はマニ教の影響下から抜け出せていない。
アウグスティヌス神学の影響を受けていないのが東方教会であり、原罪観が違うのでアウグスティヌス型の禁欲的な傾向は無い。
アウグスティヌスの考えはライプニッツによってもう一段階進み、「より大きな善のために小さな悪が容認される」という基本的な流れが救済に向かっている「予定調和」の神学になった。

(マニ教はセックス禁止で、
肉体は悪で霊は善という善悪二元論で、
グノーシス主義で、
真のキリスト教を自称しました。
善なる全知全能なら小さな悪すらあったらダメでしょ。
善だけど悪に勝てないなら無力じゃん。
神学は虚学)



悪は人間の試練とするのが自然法神義論。
善が悪を克服することができるという形而上学が前提。

(虐待死は試練なの?
死ぬまでが試練なの?
生まれた瞬間殺された赤ちゃんは?
生まれてすぐだからまだ洗礼を受けていないよね?)



プロテスタント神学では、人間が自由意志によって悪から逃れる選択をすることはできない。
人間の自由意志には悪に打ち勝つ力がない。人間の自由意志は罪の奴隷となることを選択する意志。

(罪の奴隷になるしか選択肢がないと言ってるくせに自由意志とかほざいてんじゃねーよ。
人間の自由意志を認めないと、悪を人間のせいにできないから自由意志を認めているんでしょ?)



・アウグスティヌスは神は人間と自然を自らの外部に作り出したと考えた。
しかしこれだと神は人間と自然がない領域には遍在していないことになる。
神が支配していない領域、神の主権が及ばない領域が存在することになる。
そこでモルトマンはカバラー思想を援用して、神の自己限定(神の収縮)を主張。
神が収縮したあとにできた空間で、我々は創られた。
創造は神の外部ではなく内部において起きた。
旧約聖書の創世記には空間の創造に関する記述が無い。
神が収縮した結果、神が存在しない原空間が生じる。
人間の自由意志は、この原空間で悪を作り出す。この人間の悪事に対して神は責任を負わない。
悪が生起する場所は既に神が去った場所であることをモルトマンは強調する。
神が去ることによって出来た無の場所に神は存在しない。
が、人間は神の側から働きかける恩恵によって神と繋がっている。
人間が神との関係を断ち切ってしまえば無の中に沈んでしまう。
この無が地獄として表象されている。
人間が生きている世界は神が存在しない世界。
だから神との繋がりを失った人間が悪霊に引き寄せられてしまうことがよくある。
神が収縮し撤退した虚無の世界には確実に悪が存在する。
被造世界には、神が責任を負うことのできない被造世界に存在する悪、人間の罪があるにもかかわらず、神は人間を愛し続けている。この愛が神によるひとり子、救い主イエス・キリストの派遣という形で示された。
神の力によって人間が引き起こす戦争や大量殺戮を阻止することはできない。
それは神が収縮し、その結果できた場所で人間が自由に生きているという現実から必然的に導かれる帰結。
人間は神の操り人形ではなく、自由を持つ。人間の自由から悪が生まれる。
神は無力ではない。
神は聖霊により人間に希望を抱かせることを通じて、神を信じる人間を通じて、人間とこの世界に強く働きかけている。神が人間を通じて世界を変化させる。
ここでキリスト教の復活信仰が意味を持つ。
復活を信じるキリスト教徒は自身の命を犠牲にしても悪と戦っていく気構えを持つことができるからだ。

戦争や大量殺戮をやりまくっているのは教会とキリスト教財閥じゃねーか。
ユダヤ陰謀論デマで「ユダヤ=囮にしてバイト君」に罪を押しつけているし。
神学者は思想的に支配層✝の協力者。
自己犠牲賛美なのがキリスト教。
教祖が生贄になった前例がありますからね。
キリスト教が自由を肯定するのは、悪の原因を人間にするためです。
神の収縮が悪が生じる結果になったのなら、神の収縮以外の手段をとればいいだけの話。
全知全能だからできるでしょ。
で、悪は野放し?
面白い弁神論だけど、これって神を否定したらこの世は地獄って脅してますね。
悪を取り除ける能力があるのにやらない時点で悪に対する責任あるじゃん。愛しているんでしょ?



キリスト教は、自由は苦難を経ることなくして獲得できないという旧約聖書の預言者イザヤの思想を継承している。
苦難を経由して自由を獲得することをプロテスタント神学は特に重視する。

(キリスト教の中核はミトラ教とゾロアスター教。
「異教=悪魔教」というキリスト教に従うなら、キリスト教は悪魔教が合体した大悪魔教ですね。
キリスト教は反ユダヤかつ異教に厳しいのに、異教徒の経典である旧約聖書を採用していることに疑問を持つべきですね。
ユダヤ教派生だと見せかけつつ、ユダヤを汚れ役にする戦略



・エゼキエル書にある、ヤハウェが枯れた骨の上に筋をおき、肉をつけ、皮膚で覆い、霊を吹き込むことで死者を生き返らせた物語は有名。
ヤハウェによる復活は段階的に行なわれることが重要。
骨に筋→肉→皮膚が形成され、形は人間と同じになるが人間ではなくゾンビのようなもの。
第二段階として、神により霊を吹きいれられることにより人間が復活する。この神が霊を吹き入れる特別の関係が、他の動物と異なる人間の特権的な地位を担保する


なお、サドカイ派は祭司と上流階級が多く、聖霊、天使、復活を否定したと言われている。

人間以外の生き物は魂なきゾンビだから、キリスト教は動物蔑視思想。
ゾンビ映画=キリスト教の黙示録映画


ネズミさん ‏@Nezmi_san
ハロウィンで「ゾンビ」など従来はかぼちゃのオバケ、子供の祭りだったのに、大人がゾンビの格好だw (こういうのは一種の洗脳だね。宗教知識がない日本人にゾンビの本質を知ることは無い、単なる「うさばらし」だw)

テレビなど各局が「ハロウィン=ゾンビ」を出す、無論欧米でもその傾向で、そうした仮装グッズが沢山出回っているし、大人も仮装するようになった。だがカ トリックではハロウィンはありえないわけで、それは「ゾンビ」ってのはプロテスタントの宗教観だからだ。つまり米英属国の日本がゾンビに嵌められ

前にも書いたが、黙示録の中で「天国に行けない人間」というのがいる。アルマゲドンが起きるとそいつらが「よみがえる」ってのがあるからだ。 注目は「死者復活」 よみがえりドラマがブームの兆し http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK22011_S4A520C1000000/ … (ブームとは作られるのだ)

米国で「よみがえり」ブームはわざと起されてるし、「ウォーキングデッド」とかイルミナティカードにある「ゾンビ」なんてのも全部「黙示録」に基づいている、だからハロウィンにゾンビブームを乗っけるのは「意図的」なんだよ。 (背景を知らない若者は、うさばらしの中に洗脳を入れられるw)

全てが繋がるんだよ、 中東~ウクライナ情勢→ナチス議員→ハロウィンのゾンビ→宗教戦争→アルマゲドン→核戦争ってこと、 (世の中の「ブーム」ってのは一部の工作員によってなされる、そして操作される。そんなものでうさばらしは、所詮砂場の遊びでしかない、サンドボックスw)

書きそびれたが、そういう「ゾンビ」なる存在は宗教の話だ、何でヨーロッパでゾンビは否定され英米ではゾンビが盛り上がるか、それはカトリックとプロテス タントの宗教観の違い、である、キリストが再臨したなら「ゾンビ」が復活するわけだよ。その時は黙示録によれば核戦争が起るってね

ちなみに「ゾンビと黙示録」に関して面白い情報、あのIMFラガルドの予言であるマジック7は聖書にあった、下記黙示録(revelation 6:8~)ってとこ。 http://youtu.be/vjBWqzn98Ng 簡単には神が降臨する時期あたりで「墓から死人が蘇る」これをゾンビと言う。

スローター(slaughter)は虐殺だ、つまり偉大な7の年(7はキリスト)虐殺のゲームが起こり、新たなミレニアムが近い事を示す、その時死体が蘇ると。

テレビが「ゾンビ」を煽る理由、日本でもゾンビコスチュームをハロウィンで流行らせたのも日本人の若者をコケにして渋谷で黙示録を「実行」した訳だよ。フジテレビはあえてゾンビコスチュームを家から着たまま見せてたし、警察も取り締まらない
し、ね。

@pirorinpipipi 黙示録では終りの時までに人類の1/4が死ぬとされており (アンダーザドームのドラマでも同じ事を言ってました、ドーム内の食料が尽きるので町の1/4の廃棄者をリストにして選別すると。選別リストはヤバイ訳です。)

ヒロチャ ‏@hogege55 11月3日
@Nezmi_san 今年のハロウィーン時期のタイミング、地上波での映画のバイオシリーズの連続放送もありましたしねぇ(今回のⅣⅤの連続放送のあと、一週空けてⅠⅡの一挙放送とかっ!?)…うーん)


人間は原罪を負っているので、神の恩寵にあずからない、自然のままの人間にキリスト教は肯定的価値を与えない。キリスト教神学では自然のままの人間性を尊重するヒューマニズムは否定的概念である。
キリスト教は人間の良心に積極的な価値を与えない。人間の良心はあくまで外部の神の啓示によって呼び出されたもの。
神からの召命抜きに人間の良心は成立しない。
神は人間に対して個別的に語りかけるが、人間の観察や知識によって理解不能。

(キリスト教思想に基づく教育を受けて初めて人間扱いするのがキリスト教ってことです)



創世期では、神は「我々にかたどり、我々に似せて」人を造った。
人間に「海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させ」ることにした


人を創造するさいに「我々」という一人称複数形を用いている。
神が自らを複数で言及する聖書の箇所は他にもある。神は自問自答しながら語りかけるときには複数系を用いる。これを「熟慮の複数」と言う。神は何度もよく考えて人間を創造した。

(熟慮したわりには欠陥だらけの人間ができたね。
そう言えば、悪魔を創った描写がないね。

「熟慮の複数」って何だよ。
霊ある存在は人間がまだ生まれていないからゴッドのみ。
「我々」は、同胞に近い存在がいないとしない表現。
霊ある存在がゴッドしかいないなら一人称すら不要じゃん。
多重人格ならぬ多重神格なの?
異教=悪魔教の三相一体、三柱神から盗作した三位一体なの?
まあ、悪魔と天使がすでにいたから「我々」なんでしょうね。

「我々」が複数でも、動詞が単数なら、複数存在ではなく「偉大な」を意味することがあります。

“エロヒムがエル(バアルの父)の複数形だから ヤハウェはバアルではないって?
だからこそ黄金の牛を崇めていたら激怒したって?

ヘブライ語では複数形が文字通りの複数あることを意味するだけではなく
「偉大な」というニュアンスを示す用法があります
と過去記事に書いておきました。

“創世記第一章第一節。 「はじめに神は天と地を創造された」
「創造する」の意味で「バラー」という動詞が使われています。 
ここではエロヒム(エルの複数形)は「偉大なエル=神」と訳す方が自然。
なぜなら、動詞バラーが 「文法的には三人称・単数・完了・男性形」だから。
(『はじめての聖書ヘブライ語』 青木偉作著 国際語学社 p.52より
著者はヘブライ大学国際政治学科卒)”

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-category-5.html

三位一体論は異教を取り込むために、異教から取り入れられたのだろうとよくわかる資料

Trinity(三相一体)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/trinity.html

U ‏@wayofthewind 2月26日
聖書の不自然は、人間以外の動物が極端に出てこないあたり。 人間至上主義を通り越して、自然を憎んでいるのではないかと思うことも。 日本人の感性とは、かけ離れている。 @ayajet128“旧約聖書の創世記について。大洪水にも溺死しない魚類、海の生き物に言及してない”

キリスト教派生カルトは、水瓶座とかアクエリアンとか好みますしね。 バチカンのお偉いさんも、ダゴンを模したような魚っぽい帽子をかぶってますし(笑) @aibasingunka“魚はキリスト教のシンボルなのにね” @ayajet128

ヒラ//: ‏@punanny_chang 2月26日
@wayofthewind @aibasingunka @ayajet128 鯉のぼりなんかも関係あるんですかね? ちなみに隅田川等鯉を放している川がけっこうあるそうで鯉は汚い水でも生きれるんですって。逆に鯉が死ぬような川は汚染がハンパないという指標なんだそうです。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 4月13日
イスラーム原理というのは、イスラームの非モテ君たちのルサンチマンを吸収するための装置なんだよね。アメリカ主催のさ。で、沢山戦闘員が集まったら空爆であぼーん。ええ、これこそがクリスチャンお得意の「人間を漁る漁師にしてあげよう」という、セネカ君が書いた新約聖書の悪知恵なのでしょーか?


教父(古代キリスト教会の神学者)は、「神の似姿(imago dei)」と「神のかたち」を区別する。神は人間を「神の似姿」につくったが、人間は罪を犯し「神の似姿」を失う。
しかし、堕罪後も「神のかたち」は残る。人間の救済の観点では「神のかたち」は必要条件だが、「神の似姿」は必要かつ十分条件になる。
このような論理整合的な救済観はイエスとパウロの主張と異なる。ヘブライ的思考とは異質な、理性を重視するギリシア的な思考が入り込んでいる。
アウグスティヌスは人間を動物から区別する基準として理性を考える。
アウグスティヌスの理性観だと、人間は自力で救済を獲得する可能性が生まれる。カトリック神学は理性を重視する。なので、救済における自助努力を重視。結果、救済の根拠を信仰と理性に求めることになる。
対して、
プロテスタント神学は「信仰のみ」を強調。プロテスタント神学も理性の存在を認めるが、理性は人間救済の根拠にはならないと考える。
理性(ヌース)の起源はギリシア古典哲学。
新プラトン主義哲学は心の内なる理性と宇宙の原理である理性の合一を求める。
アリストテレスにとって哲学の目的は、人間が理性による観照を行うことで理性的神をとらえることだった。
啓示宗教であるキリスト教は、神とギリシア的な理性の間には、質的に決して克服することができない断絶があると考える。
カトリック神学は啓示と理性を整合的に解釈しようとしているのに対し、
プロテスタント神学は啓示と理性の断絶を強調し、理性に人間が依存することを誡める。その意味でプロテスタント神学は反理性的性格を帯びている。

(カトリックを更に反知性主義=考えるな! に改悪したのがプロテスタント。
白人海賊アングロサクソンのプロテスタントWASP至上主義
=キリスト教原理主義である理由の一つ。

新約聖書はギリシャ語なのが重要。だからロゴス=理性が神。
でも世界最悪の非理性、理性否定宗教がキリスト教。
キリスト教の反知性主義をインドっぽくしたのが神智学=今のスピ思想の基盤。
神智学でも創造神がロゴスなので改造版キリスト教ですね。
キリスト教を批判するくせに、自分の思想がキリスト教の変形だと気づけないスピ系陰謀論者は悪質)



人間は神の前に立つことができる存在として神によってつくられたがゆえに、他の被造物から区別される。人間に特権的な地位を与えるのが、仏教や神道と比較した場合のキリスト教的救済観の特徴。人間は特権的地位を持っているがゆえに、この世界に対する責任も特別に大きくなる。
キリスト教は、人間と動物のあいだには決して越えることができない境界線がある。


仏教では、人間は因果関係によって、つまり有情(サットーバ)の業(カルマン)の結びつきでできていると考える。人間と動物のあいだには本質的な差異はない。
なので輪廻転生で人間が動物になったり、動物が人間になったりする。
創造者や被造物という発想が仏教には無い。
日本人には被造物と言う感覚が皮膚感覚でよくわからない。

(「人間は動物の王にして支配者だから”保護と管理”をしてやらないといけない」、
とするキリスト教思想が欧米の動物愛護偽善の中核。
日本の真の伝統思想の仏教では、人間と人間以外の生物に断絶はない同じ仲間だとみなす、輪廻転生と自然と共に生きる自然観が特徴。
キリスト教は動物を差別しまくったから動物愛護運動が生まれました。
人間のうさばらしのために下層階級として動物をつくったの?
クリスチャンが動物愛護なんて言っても説得力ゼロ。
ジャイナ教や仏教に改宗したら?


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 3月16日
東洋思想を取り入れた西洋思想ですら、キリスト教とプラトン哲学(馬鹿は人間ではない、肉体労働は下等、動物蔑視、優生思想)臭さが抜けているものは稀。
神学の中核は哲学。プラトンがアトランティスを広めた。プラトニック・ラブ✝に注意


招犬 ‏@y_okina 2月8日
動物愛護を叫ぶ人が何故ジャイナ教に入らないのかが不思議。空気中に居る小さな虫を吸い込んで殺してしまわないように常に口を布で覆い、足元に居る虫を踏んで殺してしまわないようにホウキを持ち歩く位、徹底して不殺生を貫くインドの宗教。勿論野菜主義。中には野菜も生命と考え断食し餓死する人も。)


人間は神が創造者であることを知ることによって、己が被造物であることを知る。
換言すれば、自らが被造物であることを認識することなくして、人間が神を知ることはできない。
キリスト教神学では最も重要な事柄について考えていくと、必ず同語反復(トートロジー)になる。
同語反復という形でしか理解できないということは、その事柄が人間の認識の臨界に達していることです。

(そりゃ神学の最も重要な事柄=中核が聖書は真実だという嘘の維持だからね。
聖書が真実である証拠が聖書だったり、神とイエスが実在するからだとか中核は同語反復・循環論法の詭弁が神学の前提。

論理的思考を封殺するために反知性主義=キリスト教で統治。
反知性主義こそがキリスト教の中核。
スピリチュアル、神智学、ニューエイジなどは「愚民化のための思想=反知性主義」をそのまま継承している、バラモン風の新キリスト教。
カトリックのキリストの「愛」も、スピリチュアルの霊的体験も、「物質ではない」=反証できないもので、支配者にとって、とても都合がいい。
反証できない物で価値観を形成するのは全て洗脳=答えの押し付け



キリスト教神学者たちは、長年の間、神はまずアダムという男をつくってから女をつくったという、男が女より上位だとする解釈をしてきた
この男権主義的な聖書解釈を脱構築することが現在の神学の課題。
神が男を先に創って、男を助けるために女を男のあばら骨から創ったという解説は女性の地位を不当に貶めている。神は人をつくったのであり、神は男と女のあいだに優劣を設けなかった。

三位一体は父・子・聖霊。
ゴッドは男。イエスも男。女が登場しないことからわかるように露骨に男尊女卑なのがキリスト教。
ゴッドを父と呼ぶのをやめたら?
クリスチャンのフェミニストなんて信用できません



・キリスト教では、男は男、女は女という特徴を維持しつつ「交わる」という関係を重視するので、男女間のコミュニケーションを重視する。

女は教会では黙れって聖書に書いてあるのですが、これも女性蔑視ですね。教会では男女間の会話禁止ってことじゃん


男女の対立を「統一する」という両性具有を志向する考えがある。プラトンは『饗宴』で両性具有の神話を受け入れている。
一般的に、聖書による啓示の神は「交わりの神」で、
合理的思弁の神は「統一の神」。

(父という片方の性別だけなら完全ではないです。両性具有こそが完全なる神)



・カトリックと正教では、結婚は洗礼、聖餐と並ぶサクラメント(イエスによって定められた救済を保証する儀式。カトリックでは秘跡、正教では機密と呼ぶ)。
プロテスタントは結婚にサクラメントとしての地位を与えていないが、離婚を奨励しないし、禁止もしない。
カトリックは離婚禁止

正教はカトリックほど厳しくはないが、離婚は特定の条件下でしか認められない。

サクラメントをフィクションの名前に埋め込むなら「サクラ」「桜」になるでしょうね。
女性キャラでクリスチャン臭かったらビンゴでしょう



イエス・キリストを認めないグノーシス主義。
グノーシスは、ギリシア語で「知識・認識」。
キリスト教とほぼ同時期に地中海世界で起こった宗教・思想運動。
グノーシス主義は、一世紀にローマ帝国の辺境地域で発生し、二から三世紀に最盛期を迎え、四世紀まで無視できない影響力を持った。
グノーシス主義はキリスト教の異端派ではなく独自に生まれたもの。
グノーシスの二元論。
①神的・超越的な本質(光と霊)
②物質的・肉体的実体(闇と物質と肉体)

グノーシスの中には①と②の媒介項として魂を持って来る潮流もある。
個々の人間の本質(光と霊)は、物質的肉体を超えることができる宇宙の神的・超越的な本質と同じ。
なので、個人は宇宙に回帰し合一することで救済される。
グノーシスの救済の根拠は外部にある神ではなく、自己の内部に宿っている神的・超越的本質。
グノーシスは徹底した自力本願の教え。
肉体は低次元の存在なので超越性を持たないから、受肉した神(神が肉体をまとったのがイエス・キリスト)を認めないのがグノーシス主義者。
グノーシスではエデンの園の蛇こそが人間に知恵を授けた恩恵者で、創造主である神は抑圧者。
グノーシス主義はユダヤ・キリスト・ギリシア・プラトン思想を取り入れて独自の神話を構成する。
つまり、グノーシス主義は既製の思想を編集する力を持つ。

(創造神=反知性主義で支配する悪
だとするグノーシス主義が本来のキリスト教なんじゃないの?
だからグノーシスのマニ教が真のキリスト教を自称したんじゃないの?
この世界の創造神=悪ってインド思想だから、それが伝わって来た?
神との合一は梵我一如だろうし。
グノーシス=自力救済からキリスト教=他力救済に変わったのかも。
自力救済では広まらないから他力救済になるのって、仏教と同じですね



・モナルキア主義
=唯一神論、単一神論(三位一体の否定)。
モノ=一つ。
正統派のキリスト教神学は、神が人間になったというロゴス・キリスト論を採用する。
しかし、ここからは神は二柱になってしまうのではないかという疑問が生じる。
三一論=三位一体論では聖霊が加わるのだが、
これをイスラムは、キリスト教が三神教だと非難する。

モナルキア主義は二から三世紀に流行した。
キリスト教神学では、論理的に整合性がとれている説のほうが異端とされる傾向がある

モナルキア主義には二つの傾向がある。
①キリストの人性、すなわち、人間イエスを強調し、単なる人間にすぎなかったイエスが、神によって養子とされたために、他の人間を救うことができる特別の力を得たと考える傾向。
神の動的な力に注目するのでデュナミスムと呼ばれ、勢力論、動態論と訳される。

②キリストの神性を強調する傾向。
父なる神自身が形を変えてキリストになったと考える。
神は聖霊にも変容する。
これはモダリズムと呼ばれ、様態論と訳される。

モナルキア主義だと、イエス・キリストが真の神だと十分に表現できなくなるのが問題。イエスが養子ではなく実子であるという表象で、父なる神と子なる神が一体であることを表現しようと、使徒や古代の教父は考えた。
神の聖霊が満たされることで人間イエスが神の子イエスになったという考えもあるが、子なる神の地位を父なる神、聖霊なる神よりも低くなるので三一論に矛盾。

イスラーム教と比較するとキリスト教の特徴がよくわかる。
イスラム教のアッラーは、人間との間に媒介となる存在がいない。
ムハンマドは預言者なので神の言葉を人間に伝える機能を果たすのみ。
ムハンマドに人間を救う力はない。
イスラムでは神は人間に直接働きかける

それは人間の側からは神の恣意としてしかとらえることができない。
キリスト教の立場だと、人間との媒介を持たない神では、原罪を負った人間が救われるという根拠を得ることができない。
モナルキア主義では、イエスはもともと真の神ではないが、養子になったことで神とみなされるようになったという論理構成。
しかしキリスト教神学ではイエスと神の結びつきが弱い、神自身が人にならなくては人間を救済する根拠として不十分であると考える。

キリスト教はの中核は反理性。
日本では神々については言葉で多くを語らないのが特徴。
キリスト教はやたら神について言葉で語るのが特徴。
日本の真の伝統では黙って合掌して拝みますから、神は仏扱いです。
やたら神を口に出すのはキリスト教臭い


啓示は反復されないからこそ特別の意味を持つ。
これは魔術とは対極的。
魔術ならその方法を体得している専門家(悪魔、魔女)が同じ現象を何度も出現させることができる。
近代科学の実験も、技法を体得した専門家(自然科学者)が同じ環境で実験を繰り返せば同じ結果を導ける。
キリスト教神学の立場からすれば魔術と近代自然科学は同じ方法論をとっている。

(イエスが生贄にすると贖罪されるって黒魔術ですね。
魔術はキリスト教も使っています。モーセも魔術使っているし。
悪魔・魔女=科学者。
キリスト教では科学は悪。
科学は魔術の一分野。
宗教は魔術の一分野。


帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月8日
アリストテレスが開発したカテゴリー論というモノは凄くて、モノの名前のラベルを貼り変えるだけで人は同じものだと認識できない。いい例を出せばハリポタだな。ハリポタでは魔法族は科学を使わず、科学を使うのは普通の人間のみ。でも、魔法も科学もそのラベルを外してみたら中身は同じもんだよ。

ハリポタの罠は、魔法族が近代科学のテクノロジーを拒否してる事でまるで魔法と科学は別のもののように読者に催眠をかけてるんだけど、このカテゴリー論の フィルターを外してみたらどうだろうか?科学=サイエンスって知るという意味だよ?もし自然の隠された法則を知るというプロセスを経てるならば

魔法族のやってる手法と普通の人間がやってる手法が違うだけでないの?サイエンス=知るという意味なんだからその知った自然法則ほどうやって技術として応 用して使ってるだけの違いじゃないのかな?魔法族は人を使って普通のニャンゲンは機械などを使ってだよ。これはね、魔術と錬金術の違いでしかない


帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月2日
おそらくアレクサンドリアで捏造されたアブラハムの宗教がホモ禁止なのは禁酒法のようにホモソーシャルを独占するため。でもそのアブラハムの宗教は大帝国を生み出すから、そういう高度な文明が発展すればするほど上流階級はホモになる。それを見越して禁止な。魔術禁止も同じような理由だろうな

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月21日
テオロギア、一瞬神学かとおもた。イアンブリコスの新プラトン主義魔術のテウルギアの事か。ほら、やつらの好きな御用学派である新プラトン主義を使った魔術だ。俺、イアンブリコスの「エジプト密儀」は読んだ事ないけど、このテウルギアって考え方は極めて面白いと思ってます。)


一昔前、キリスト教会では新約聖書を中心に読み、旧約聖書は参照程度にとどめた。
現在も、ロシア正教会は、神父の指導を受けないで、信者が旧約聖書を読むことについては慎重

また、自由主義神学の父だるシュライエルマッハーは、神学的には旧約聖書を正典から外しても構わないが、とりあえず教会で混乱を起こさないようにするためには現状を維持するという立場を表明した。


【主に参考にした資料】

菊池 ‏@kikuchi_8 3月6日
1)修験道も日猶同祖論において定番である。小箱の頭巾やほら貝が猶太教で使われる物と似ているといった類である。しかし、修験道と猶太教は根本的に世界観が異なる。修験道は原始アニミズムを色濃く継承し、木石など自然物を崇敬する。超越神を崇拝する猶太教でそれはあり得ないだろう。根幹が違う

菊池 ‏@kikuchi_8 3月10日
猶太人のシンボルと言えばダビデの星=六芒星というイメージだが、六芒星が猶太のシンボルになったのは17世紀からである。六芒星はネパールでもよく使われるシンボルだそうだ。六芒星が伊勢神宮や松尾大社にあっても日猶同祖論の根拠にならない。猶太の古代からの象徴は七枝の燭台=メノラだろう

菊池 ‏@kikuchi_8 2014年7月28日
7)いつの間にか占領された状態が現出している、という恐るべきものである。歴史を観察すると日猶同祖論のように「お前達のルーツは我々だよ」と精神的に屈服させるやり方(○猶同祖論は世界各地にある)や伝統的思想を換骨奪胎して別のものに変えてしまうやり方などがあることがわかる

菊池 ‏@kikuchi_8 2014年7月28日
1) 国際秘密力が侵略戦争以外の方法である国家を攻略する場合、二つの方法があると思う。「革命型」と「憑依型」である。まず「革命型」であるが、これは標的とした国の内部に反体制分子を育成して、正面から国家を破壊する場合である。仏蘭西革命や社会・共産主義革命がその典型である。

2)おそらく原型は、バチカン・イエズス会が行った、キリスト教宣教師を送り込み改宗者を増やして軍隊を組織し現地政府を転覆させる、というやり方であろう。これは戦国期に我が国も仕掛けられた

3)アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会の出身者で、イルミナティの組織構成はイエズス会の軍隊組織(創設者のイグナチウス・デ・ロヨラは元々軍人)を模したようなのでイルミナティやそれが浸透した大東社の革命戦術路線はイエズス会に原型があるように思う。

4)しかしこの「革命型」は標的になった国家が脆弱であるとか、多様な勢力に分散して相互に争っているとか、為政者の悪政によって民衆の不満が極度に鬱積しているとか、そういう諸条件が無い、もしくは作り出さないと成功しにくいであろう。

5)しかも革命理論の製造及びプロパガンダ、暴力を集約的に行使するための反体制分子の組織化等々、大きな手間がかかる。もともと正面から、ある一つの文化共同体の成員の思想を改変し国体(伝来の国家社会の形態)を破壊することは難しいことなのだ。

6)だからもう一つの「憑依型」戦術が出てくる。これは、現地国家に元からある伝統や文化に憑りついて別の物に変貌させる、という形で行われる。これは、革命のようにあからさまには行われず、徐々に進行されるため気付かれにくく、現地人からの警戒や反発を最小限に回避しつつ、

7)いつの間にか占領された状態が現出している、という恐るべきものである。歴史を観察すると日猶同祖論のように「お前達のルーツは我々だよ」と精神的に屈服させるやり方(○猶同祖論は世界各地にある)や伝統的思想を換骨奪胎して別のものに変えてしまうやり方などがあることがわかる。

8)特に後者についてであるが、文化を構成する主な因子は言語だと思うが、その言語で表されるさまざまな文化的概念を改変することで、現地の文化を別のものに変えてしまうわけである。「神」という表記、「カミ」という音声、が示す概念内容をキリスト教的な造物主概念で置き換えるようなことである。

9)文化はそれを構成する重要な要素である言語の概念内容が変われば変貌してしまう。自生的に生成してきた伝来の文化が外国勢力によって変改されることは、外国勢力による人為的な文化支配が完成することを意味する。

10)そして文化のあり方と密接不可分な思考言動の習慣が変えられ、それによって形成される国家社会の構造が変貌し、いつの間にかもとからあった独自の文化・国体は消滅している。

11)日本が中国や印度の文物・思想を移入しながら、独自性を失わなかったのは、もともと日中印の文化に汎神論の伝統という共通した大枠がありそれによってスムーズな文化移入が行われたからだと考えている。平田派のキリシタン神学密輸はその大枠そのものから逸脱した
。がこれはまた別の話である

12)正面から向ってくる「革命型」の場合は、その国家や文化共同体がある程度安定していれば、防ぐことはたやすい。今やマルクス・レーニン主義者、左翼過激派の言い分をまともに受け取るのは少数派の中の少数派である。

13)だから左翼は偽装転向したり、エコロジーや人権運動、「歴史認識問題」の形を取らざるを得ないのである。(とり憑く対象が伝統ではないとはいえ、一般的に受け入れられているエコや人権擁護を利用するという点で「憑依型」と言える。人間の「良心」を利用するわけである。)

14)しかし、ステルス戦術で徐々に内部破壊を遂行する「憑依型」戦術は、伝統を重んじる心や愛国心すら利用するので、きわめて巧妙である。本来は伝統を護持し愛国心を持って国を守ろうと志すはずの保守愛国勢力は親米派と反米派に分かれつつ統一・大本というカルトの影響下に組み込まれている。

15)統一、大本というのは一神教がベースのカルトであり、日本の伝統思想とは絶対に相容れないはずなのに、一神教カルトのお先棒を担ぎつつ日本主義を呼号するという矛盾である。そして戦前から意図的に流布されたおかしな日猶同祖論が罷り通っている。保守層を標的にした一連の思想ギミック
である。

16)保守陣営の一部には熱烈な親イスラエル一派がいる。渡部悌治先生の御著書によると日猶同祖論の資金源の一つが大本教だそうである。そのような工作の結果、共産中国に長年武器援助してきたイスラエルを翼賛しつつ反中国の主張をする、という両建マッチポンプが実際に起こっている。

17)このように、自分は愛国者のつもりでいるのに、いつの間にか国家を破壊することに手を貸していた、そんなことが起こるのである。左翼の国家破壊行動を批判するのは大事だが、伝統保守の側にも魔の手が浸食していることを自覚しないと危ない。

18)正面から来る「革命型」戦術は見えやすいので反左翼は多い。しかしステルスに遂行される「憑依型」戦術は見えにくい。だから偽装保守・カルト保守の批判はあまり多くないのが現状である。その結果が安倍極悪犯罪者仁風林ニセ内閣の横暴である。愛国心を利用した誘導の結果である。

19)己の意思を強制し人間や自然を操作する技術体系が魔術だと思うが、愛国心をも利用して国家を破壊する戦術というのはまさに魔術以外の何物でもない。かかる発想は西洋の底知れない闇の中枢からしか出てこない発想である。まさに悪知恵も極まれりである。(了)


ネズミさん ‏@Nezmi_san 19 時間19 時間前
なんで欧州が死刑制度に反対なのか?それはキリスト教が背景だ。「普通だと思って真似してる?」その前に人権→キリスト教の背景も言わないとね。背景を隠して烏合と非難するが、江戸時代は仇討ちがあった訳。 https://twitter.com/x__ok/status/678716695532445696 …
エリック ・C ‏@x__ok 20 時間20 時間前
なんで日本だけ、みんなが死刑制度に賛成しているのか。それは日本国内での周囲のみんなが死刑制度に賛成しているから多い方を普通だと思って真似をしているからだ。周囲のあり方が無意識に普通だと刷り込みされてしまっている例。

ネズミさん ‏@Nezmi_san 19 時間19 時間前
犬権、猫権は無い訳(スペインの村では人権を与えた例があるらしいが)、何故ならキリスト教では犬、猫、畜生は神の創造物じゃない。え?神は人間を作る前に動物を作った?いやいや、この辺の解釈は曖昧である。「人間が動物を革にした、食った→神に怒られなかった→ok」と拡大解釈してるに過ぎん。

knznymmmy ‏@knznymmmy 5 時間5 時間前
つ創世記

全然拡大してないから

聖書基準で考えるなら肉食はノアの洪水の後

kS ‏@Jd805 13 時間13 時間前
@Nezmi_san つまり、仇討ちされる様な事を日常的にやってる連中が反対してる訳ですね。

ネズミさん ‏@Nezmi_san 2 時間2 時間前
@Jd805 死刑執行が「日本だけ」と言うのはおかしく、これが死刑トップ5国、無論米国も
https://m.facebook.com/thenwowillfail/posts/464612316935102 …
ロンポールは、「保守は死刑賛成」「リバタリアン・民主反対」だが死刑コストに言及・・・
https://m.facebook.com/the.new.illuminati/posts/10153540522274560 …

@Jd805 「死刑は金かかる、裁判や証拠性」と言うことで試算したら税金7%も死刑でコストアップ。「保守は金」かよw 死刑廃止のカトリックの国である欧州と、死刑バンバンなプロテスタントの国である米国、と言う事情・・・

kS ‏@Jd805 1 時間1 時間前
@Nezmi_san 呆れるほど何から何までカネか!という世の中ですね。リンク先の死刑執行TOP5で、中国の次にイラン・イラク、アメが4位ですが、これは戒律的な物よりかはアメ支配下という影響が強いんですかね?未だに粛清実行中?

ネズミさん ‏@Nezmi_san 33 分33 分前
@Jd805 18世紀以前は世界中で「死に至る刑(軽犯罪でも罰で死ぬケース有り)」は主に見せしめ、犯罪抑止に使われましたが、産業革命→人権(キリスト教)が、死刑を軽犯罪と分離、制度化。次の波は「死刑を無くす」これも産業革命を起こした連中の考えに基づくものでしょう。

産業革命→奴隷解放→人権、産業革命が資本家と消費者を産み出した。消費者とは消費するだけの人間を意味する。実はあくまで身分は奴隷である。

死刑を無くすとは、最高刑は無期懲役である、もし「人を殺せば報われる」と言う仕事や宗教があったら、犯罪者はやりたい放題となる。

キリスト教、イスラム教など宗教の場合は「神との繋がり→天国行き」だけが最終ゴールだから、なりふり構わぬ奴は「神に背かなきゃやりたい放題」となる。刑務所に行こうが関係ない。キリスト教に忠実な「人権」、それを奪う最大の権利剥奪が死刑として、それを無くすとは、何を意味するか?


フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
儒教も易経とかオカルトじゃねーか!
ってツッコミは場違いよ?

当時の易や占いってのは最先端の
学問だったの。現代の物理学が
まだ存在しなかったからね。

中医学も陰陽五行説を
背景理論としてるから、当然
西洋医学の理論とは関係ない。
漢方の作用成分が〜ってのは
見当外れなのよね


完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei 違う知の体系なんですよね。そこを認識しないで間違ってるはないわと(笑)
西洋だってガレノスの体液論信じてたので良い勝負
ですけど。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
この世界で起こる事象を上手く説明でき、
かつ法則性があれば、それはもう
立派な学問ですからね。

勿論、西洋の物理学や医学も
優秀で優れた学問の一角である
と認識してるのが私のスタンスです。
それぞれ一長一短
はあるけれど。

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei 科学って私は経験則だと思ってて、たとえ見えなくても再現性があるなら科学だと思います。ほんと、西洋と東洋は一長一短ですね。できれば両方やるのがベストかと。ただ、見えない世界については嘘が蔓延るのでシンプルに論理的に説明するのがベストだと思いますよ。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
事象の認知と認識の仕方が異なって
いるのですよね。

西洋は基本、聖トマスの立場と一緒で
基本「見えない(観測出来ない)」
物は存在しないというのが基本
なんですね。

だから、やたらと顕微鏡やら望遠鏡
だとかの観測器具が発達した
んですね。

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei 見えないものは存在しないって、トマス・アクィナスがルーツとは知らなかったですね。このスタンスはどうもキリスト教神学の悩みの中から出てきたような気がします。聖書というファンタジー小説が悪いんぢゃ!(笑)

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
そっちのトマスじゃなくて、イエスの
直弟子の方のトマスですね。
最後までイエスの復活を信じなかった奴w

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei なるほど。勘違い失礼しました。西洋と東洋の違いは二元論的に対立するものと考えられやすいので、うまく陰謀論との絡みを矛盾せずに説明するにはどうしたらいいと思いますか?

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
同じ事象を説明してるのであれば、
本来は矛盾しないはずなのですが……
とは言っても、
それぞれ、向き/不向きがありますから、
ケースバイケースで使い分けるのが
良いのではないでしょうか?

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei なるほど、アドバイスありがとうございました。スピ系の人は現実の陰謀語ってたら、いきなりスピ的な解釈で陰謀説明できると言ってくるので、両論併記がベターかなと思ってたのですが。それでも納得しないようですね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
この前のキリスト教徒とのやり取り
で気になったのですが、ある程度
相手の教義の考え方とか、特性は
把握して置いた方がいいかと。

例えば、ユダヤ三兄弟でも、ユダヤ教
とキリスト教、イスラーム教で
考え方が全然異なりますからね。

キリスト教徒は怒るかもしれませんが、 神学者のバルトとかもそういうスタンス ですし、聖書でもパウロの演説は 頭のいいギリシャ人にはあまり受けなかった と書かれてますねw

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei だからヨブ記スタイルで知識人を焚書坑儒でやっつけろみたいなごり押し戦法になるんですね。キリスト教神学が発展したのも、イスラーム神学の影響がモロですしね。今のイスラム国はそういう、理性主義的イスラーム法解釈を無視した感じの異端派に見えますね

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei ちなみによく、スピ系(インド原産)では西洋と東洋は対立しますけど、中国の中医学とか道術とか、風水や四柱推命などはあまり西洋のものと対立しない雰囲気なのが不思議です。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
気を付けないといけないのは、所謂
スピ系って呼ばれてるのは基本、
アメリカ生まれの新興宗教が大半
なんですね。
純インド系って意外にも余り出回って
ないんですよね。ヨガとか出てきても
大体、西洋人のヒッピーみたいなの
を仲介して紹介されてたりします。

(①キリスト教の反知性主義を中核(中身)とし、
②外側だけインド「っぽく」して、
③インド思想で重視される論理的思考を抹殺した、
最悪の新キリスト教がスピリチュアル。
「論理的思考という、カルト化を防ぎつつ、嘘を見抜ける武器」を取りあげられているのに気づかない悪質な酔っぱらいがスピ信者)

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei そうなんですよね。インド原産の純粋なスピって見たことないんです。ヨーガ関係も大抵ヒッピーや神智学のフィルターがかかってて、西洋経由だとそりゃキリスト教の影響をモロに受けるよねって話になりますね。ヨガナンダとかあのあたりも耶蘇教に迎合してますしね

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
従って、所謂アメリカ生まれのスピ系って
なんだかんだ言って、先程言ったキリスト教
文化的な盲従思考が特徴として表れて
いる
んですね。

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei となると、グダグダ理屈で考えてないで信仰しろ!がグダグダ理屈で考えてないで感じろ!それを信じれって話になるんですね。しかしなぜ、純インド産ヨーガなどが出回ってないのか不思議です。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
理性よりも信仰を重視するタイプの
教えの信者と議論すると、会話が
成り立たなくて喧嘩になりがちなのは
こういった背景も関係してたりしてるので
はないでしょうか?

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei そうなんですよね。インド原産の純粋なスピって見たことないんです。ヨーガ関係も大抵ヒッピーや神智学のフィルターがかかってて、西洋経由だとそりゃキリスト教の影響をモロに受けるよねって話になりますね。ヨガナンダとかあのあたりも耶蘇教に迎合してますしね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
例えば、バラモン教で「生命の本質は
息である」という命題があったとします。
それは何で?と質問します。

「だって目、見えなくても死なないじゃん。 だけど息止めたら死んじゃうでしょ?」
なるほどって思うじゃないですか?w

@lakudagoya イスラームで 「一夫多妻制は認められるか?」 という命題があったとします。

「認めるけど、全員を幸せに出来ないなら 一人で我慢したら?」
これも、確かにそうですねって 言えますよね?w

@lakudagoya ところがキリスト教だと、 「イエスは死んでから三日後生き返った」 なんで?って質問すると、

「聖書にそう書いてあるんだよ!」 なんじゃそりゃー!!
ってw

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei 確かに納得しませんよね。ちゃんとした説明をする点でイスラームやバラモン教が理性的に見えます(笑)

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
ただ、私みたいに比較出来る人はいいんです
けど、キリスト教しか知らなかったり、
スピ系にしか興味が無かったりすると、
彼らは自分のドグマ以外の考え方が
出来なくなってしまうんです
ね。

それでも大人しい人はその人の
信仰の問題なので放っておけば
いいんですけど、中にはシツコク
ちょっかい出して絡んで来るのがいるw
その場合、例えばキリスト教徒に イスラームや仏説を説いても 納得しませんから、アメリカ式だと 相手とボクシングになったりしますがw、 同じキリスト教の土俵に上がるしか ないと思うんですよ。

つまり誰よりもキリスト教に詳しく なれば、結構いい線の会話に持って ける可能性がまだ生まれる余地が 残っていると思うんですよね。


完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei なるほど、とても参考になる話です。だから神学がっつりやってないと不都合が生まれるのですね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
ねこたさんのスタイルですと、そこが
個性でもあるのですがw、
多分、キリスト教徒はカチンときやすい
んじゃないかな?w

ですから、メチャクチャ キリスト教に
明るければ相手も分かってくれると
思うんですよね。隣人の関係までは
無理だったとしても
w

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei そこが盲点なんですよね。だから、他の智の体系を理解できないから平行線になってしまうですしね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
スピ系ですと、ご先祖様の神智学
ブラバ月子ちゃんはしっかり勉強
しておきたいですね。w
これもベイリーかパウエルかで 変わって来るので厄介ですがw

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei そうですよね。ブラバ月子ちゃん、パウエル、ベリーは必須ですね。わかりやすいのが「現代オカルトの根源」ですが、理性を否定するスピ系の源流の神智学の最高神がロゴスって何の冗談だよと思いました(笑)

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya
なんと!謎の東アッシリア教会=ネストリウス派

完全閉店 ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei ありがとうございます。確かにそうです。東アッシリア教会というアラム語を話す集団が東へ行ってイスラームやサーサーン朝ペルシアにヘレニズム的学術を教えたりしてましたね。ハランのサービア星教などとも関係がありますね。

このあたりは7世紀の日本に来た渡来人や、そのあたりの人脈とも絡んでるし、東方ではイスラーム文明を作ったりしてるので秘密結社のど真ん中の流れかもしれない
ですよ。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya 面白いものをお見せしましょう。 まず英語版。 pic.twitter.com/VOGsjBLyMd
次、日本語版。 pic.twitter.com/F492vx3BTa

東アッシリア教会という謎の宗派が 一番古いですよね? では、続いてこちらを。 pic.twitter.com/krhWTBpO2Z

なんと!謎の東アッシリア教会=ネストリウス派!
ネストリウス派は漢語で「景教」。 中国では滅びてしまいました。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei ありがとうございます。確かにそうです。東アッシリア教会というアラム語を話す集団が東へ行ってイスラームやサーサーン朝ペルシアにヘレニズム的学術を教えたりしてましたね。ハランのサービア星教などとも関係がありますね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 5月8日
@lakudagoya 実はこの景教、教本が日本に残ってる のだとか…… 浄土真宗の「世尊布施論」という 説や、
大阪の図書館に四冊、パリに一冊……
バチカンよりも古い、キリスト教が 実は日本に残ってた……ロマンチック だと思いません?

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei 思います。とても。このあたりのこと持ち上げて日本の大本系やキリスト教系が日本こそユダヤがーとかイエスがーとか言う理由もわかります。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 5月8日
@FeydoTaitei いえいえ最高に面白い話を感謝してます。なるほど、日油同祖論の元ネタはネストリウス派のクリスチャンの侵食の歴史かもですね。

@FeydoTaitei 大帝がネストリウス派にノーマークとは信じられませんでした。このあたりは7世紀の日本に来た渡来人や、そのあたりの人脈とも絡んでるし、東方ではイスラーム文明を作ったりしてるので秘密結社のど真ん中の流れかもしれないですよ。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月1日
ところで、面白い検索ワードを 紹介しよう。 「来なさい。癒してあげよう」 漫画などでよく出てくるこのセリフ、 漫画家達はインド人の怪しいグルに この台詞を言わせているが、 果たして……!?

(モルモン教を検索ワードに追加してみましょう)


フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 9月4日
ネストリウス派の景教碑文
の論文ね。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4707_9678.html …

(大秦景教流行中國碑に就いて
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4707_9678.html)

中国の景教のこの碑文には ヤハウェの事をアラハー(allaha) というシリア語で読んでたらしい 古文学者によるとこれは イスラームのアッラーの語源では ないか?との仮説もあるようだ。

旧海軍の調査だと「景教は 一般的には原始キリスト教だが、 実質はユダヤ教」 と書いてあったので、この 景教って本当に謎なのよね。

初期のキリスト教では神の 事をヤハウェと読んでなかった のかもね。 フェイド大帝のイスラーム最古説 の活躍の時か⁈

厳密に言うと、イスラームが 興る前のあの地域の信仰、 つまりカァバ神殿の旧神 になんか秘密がありそうだ。 正にブラックボックスw
pic.twitter.com/TjFATUTUJk

景教関係の本って少ない上に 殆どが絶版になってて入手 出来ないのよね。

(Nestorian Stele
https://en.wikipedia.org/wiki/Nestorian_Stele

Jesus Sutras
https://en.wikipedia.org/wiki/Jesus_Sutras)

Happy きょ ‏@_kyorus_ 5月10日
『聖トマスの懐疑』 イエスの復活を目撃してない弟子トマスが「主の傷痕に指を差し入れるまで復活を信じない」つって実際に復活したイエスの傷痕に指を差し込んでる絵らしいんだけど、この感じ、すっごい萌える、何だろう。 pic.twitter.com/cyNN5EBsKx

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 10月24日
おフレンチ人は本当に 聖トマス好きだな〜

魔法使いハンターねこた@限定復帰ちう ‏@lakudagoya 10月24日
@FeydoTaitei 流石グラントリアンの国ですね。。。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 10月24日
@lakudagoya 「私は見た物以外信じないッ!」 キリッ!
これ自体が新約聖書のエピソード なのに……w
おフレンチ国では科学を学生に 教える時に、このトマスの例 を用いて科学検証の重要性を 教師が説くんですわ。 大体、中学〜高校ぐらいの 理科の授業が多いかな?


魔法使いハンターねこた@限定復帰ちう ‏@lakudagoya 10月24日
@FeydoTaitei あははwこの方法だったら教会にもdisられないで科学検証や理性を追及できますね。もうひとりのトマスさんのアクィナス(理性と信仰は対立しない)さんのほうも好きそうなのかも?この徹底した理性主義ってほんと面白いものがありますね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 10月24日
ヨハネの福音書のトマスを 引用したのは、日本でトマスという とアクィナスの方を認識する 傾向が強いからね。 ヨーロッパではトマスと言うと 福音書の方のオヤジのほうね。

STB ‏@RC_StB 10月24日
タンムーズのギリシャ語形がトマス(Thomas)

中村甄ノ丞あるある早くいいたい ‏@ms06r1a 2012年9月19日
https://twitter.com/gishigaku/status/248228254383751170 … トマスは生贄の神タンムーズに由来する名だからトマスは=生贄=身代りなって云々、という話の最初の出所はどこなんだろう。バーバラ・ウォーカーの時点で可成り纏まってる感じがするからもっと古そうだけど。
原田 実 ‏@gishigaku 2012年9月19日
新約外典『トマス行伝』には聖トマスを「キリストの双子」と呼ぶ箇所があることから、かつて鹿島昇はイエスは兄弟のトマスを身代わりにして東方に亡命、インドで客死したが、後にその伝説の舞台が日本に置き換えられて青森のキリストの墓ができたと主張。

ディヤーナ ‏@0Dhyana 1月7日
タンムーズ - Wikipedia バビロニアでは、その名の元となった神タンムズを讃えてタンムズの月が決められた。 この神はシュメールの牧羊の神ドゥムジ(DumuzidまたはDumuzi)を源とし、イナンナの夫である。 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%BA# …

古代シュメール人たちのつぶやき ‏@bigfatcat666 2014年7月28日
ドゥムジ(タンムズ)神。 牧羊神でイナンナ女神の夫、愛人。 ジェクティン・アナ女神という妹がいて、牧畜の手伝いをしている。 最近、一番気になる神。 起源が古くシュメールから見ると外来の神ではないかという気がする。 「聖婚儀礼」ではイナンナ女神と共に儀式の一翼を担う神様です・・・・

P・グラレム ‏@pinkglalem 9分9分前
聖書はごく最近書かれたものだョ。マリのドゴン族のシリウス神話と言うのがあるけど...コレは記憶の編纂というヤツ。最近知った新しい知識を神話にアダプトしただけなんだョ。ドゴン族がシリウスの1等星の質量なんか知るワケないじゃん。コレと同じことが世界中の神話とかに言えるワケ。

@pinkglalem 人間の記憶ほど曖昧なモノはないと思う。だからこそ、歴史の編纂や捏造は可能なんだと思う。昔読んだ本とか昔観た映画、聴いた音楽を今、観たり聴いたりし てみると、あれ?こーっだったけ?てことが良くある。あたしは、自分の都合の良い方に解釈を変えていたンだと気づくワケ

イスラム教徒の悲劇は、キリスト教の都合を押し付ける為に彼らの記憶の編纂が行なわれたこと。昔のアラビア半島にはアルウッザやアラットという女神信仰が あって、ローマの月信仰をアダプトするために、コレがアッラーになったワケ。キリスト(太陽)とアッラー(月)は対
になってる

J・ナナミ ‏@pinkglalem 9月6日
ゾロアスター教にミトラ教という救世主思想が生まれた。このミトラ教の教義をパクってカルト化したのがキリスト教。キリスト教は中東、オリエントに残る旧勢力(ゾロアスター、ミトラ)を一掃するために古代ローマの月信仰をもとにしたイスラム教を造った。ムハンマドの親類はクリスチャン。

J・ナナミ ‏@pinkglalem 9月6日
@pinkglalem アラーの起源はイシュタルが、イーノー(月の女神)やイシスになったのと同じ流れ。バビロニアでセミラミスと同一視されたけど、コレがギリシャのアルテミスになった。イスラム以前にはアラビア半島にはアルウッザやアラットという女神信仰があって、コレがアラーになった。

完全閉店 ‏@lakudagoya
メガテンのメシア教とガイア教の違いって、大帝がブログに書いて説明してたアーリアちゃんの、デーヴァvsアスラみたいやねー。グラントリアンあたりには、ガイア教みたいな無秩序社会ハヒャー!みたいな連中がいそうだぬ

ほうほう、緑色というのは、ゾロアスター教で聖なる色であり、エジプトの宗教でもホルスの色であり、イスラームでも聖なる色である。緑色のピラミッドにおめめというのは、エジプト派(グラントリアン)vsインド・イラン系(アーリア)の統合のシンボルであるのか。まさに万教帰一に相応しい色だな。

ピケティブームは今のアングロサクソン系のブルーロッジの横暴に対するグラントリアンの逆襲か(笑)最近、ラノベの世界はすっかりアーリア思想全開のブルーロッジ一色になってしまったな(笑)昔はグラントリアン系だったのに最近露骨に安部壷蔵政権に媚びてアーリア思想プッシュなラノベ作家とか?w

今「聖剣伝説」のうぃきを読んでるのだが、やっぱりスクエニ(旧スクウェア)はアーリア思想か。北欧神話がベースだし。でも微妙にグラントリアンの女神信仰&自然好きっぽいとこも入ってるんだよな。

子供の世界のアニメやゲームにはふたつの思想潮流があって主にアングロサクソン系メイソンのアーリア思想派(インド・イランの宗教、北欧やケルト神話、シーア派、ギリシャ哲学も)フランスのグラントリアン(大東社)のエジプト大好き、女神信仰、自然大好きな百科全書派にわかれてる。英仏の戦い。

ていうか、ヌッポン古来のウリジナルと言われてる陰陽師ネタのファンタジーラノベに「 急々如律令 」って天帝の命令文みたいなのが書いてあるのは気のせいですか?(笑)なんで南朝崇拝のやつらは陰陽師好きなのか謎過ぎる。

この「東京レイヴンズ」という陰陽師ネタの作品、モロに現政権よりというか更に大本教よりに作られてんなー。なんか陰陽道という枠を飛び越えて大本教の心霊主義になってる。で、本質の部分で中国道教のパクりという部分も見逃せない。こうやって大本教は宗教を換骨奪胎するのかといういい見本です。

最近、露骨にアーリア思想臭いラノベが増えてるが、これがグラントリアン系より嫌らしいポイントは血族主義だな。この流れは世襲社会になっていく中で支配者に都合のいい価値観だろうけど、この考え方に洗脳されたくない。頑張れば誰でもっていうグラントリアン思想ほうがまだマシだ

この「東京レイヴンズ」って作品、陰陽道がシステム化されたのは旧日本軍って、また大本教ですかっ!陰陽道と大本教の関係はどこにあるんだろうね?まぁ、陰陽道=中国道教のパクりなのかも知れなくて、平田篤胤に繋がるんだろうけど、またここにもネオ満州国っすよ!

おいらは、この血族主義とか血筋至上主義ってものを心底嫌ってるわけ。秘密の知識と技術を特定の血族のみで独占してるのが不幸のはじまりだと思う。血筋だけで努力も情熱も才能もないのに無条件で偉いってなんかおかしい。血筋至上主義はシステムに群がるハイエナどものための装置だろうな。

(陰陽道は宗教ではなくて占いの技術だから、陰陽師は仏教徒)



Frederich Ⅹ ‏@6thCrusader 7月2日
@lakudagoya ローマ自体はホモではないがね

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月2日
@6thCrusader ですね。ローマはホモバカにされてたそうですし。でもミトラス教とか家族から切り離された軍人組織は必然的にホモに。そいえば、前にフリードリッヒさん?呟いてましたが、欧州貴族は意図的に子供をホモに改造するはなし面白かったですよ。

Frederich Ⅹ ‏@6thCrusader 7月2日
@lakudagoya 世界史で当たり前に上流階級はホモだからね それ否定する奴は下層民なだけだよ

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月2日
@6thCrusader そうなんですよね。織田信長を例を出すまでもなく。世界の上流階級がホモなのって女に飽きてしまうとか、魔女の性質に嫌気が差すとか、あとは上流階級って観念の世界に生きてるので、極めてイデア的な恋愛と憧憬をつきつめたらホモになるのかな?

Frederich Ⅹ ‏@6thCrusader 7月2日
@lakudagoya 女は意味不明なことで切れて会話が成立しないからと言う点につきる 大抵の女性は推論能力がないから関係性が成立しにくい

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月2日
@6thCrusader その通りかと。おいらも女の子(おばちゃん)ですし。欧州の上流階級が好むのはクレオパトラのような女魔道師ですしね。ある意味哲学って女嫌いのバリエーションって物凄く感動しましたよ

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@6thCrusader ローマの歴史家のカッシウスによれば、クレオパトラは魔術を使うと言ってるので女魔道師らしいですが(エジプトの王族はみんなそう)ヌッポンの上流階級にどのくらい西洋の魔道師がいるか気になりまする。こういうのは詮索するといけないネタなのかも知れませんがね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月29日
これ、どちらかと言うとカルヴァン系の プロテスタントね。まぁ、元はペラギウス 主義なんだろうけど。 https://twitter.com/rolelei/status/575059658043363328 …
ローレライ ‏@rolelei 3月9日
「働かざる者食うべからず」の元ネタは新約聖書なのでキリスト教思想。「勤勉な日本人」は明治以降に労働を強制する為の偶像。資本主義を発展させたのがプロテスタント(ユダヤではない)http://yomenainickname.blog.fc2.com/?mode=m&no=67&cr=2917189433b4f915c4a1c210e2af4bbb …読めないニックネームさん

生活保護川柳 ‏@seihosenryu 11月16日
追い詰めて自殺しようが自己責任

ナルケミスト ‏@narukemist 4時間4時間前
自己責任って呪文、ホントに日本人によく効く呪文だよね。

おじさん ‏@zuk2y 2014年7月28日
ならば自分の努力で単位を獲得できると考えるのはペラギウス主義に陥ってますね

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei
人の努力で何とかするのは ペラギウス派と言って原則異端。
カルヴァン主義が若干ペラギウス 要素があるぐらいか?

これ、補足すると予定説のある カルヴァン主義ね。 プロ系でもルーテル派とかは弱者に 施しをするのを美徳としてる。 カルヴァン主義の努力しない奴は 駄目人間という考え方はカトリックが 廃絶してきたペラギウス主義が元
。 https://twitter.com/sunson1/status/615188613060407296 …
sunson1 ‏@SUNSON1 6月28日
働かざる者食うべからずの元ネタは新約聖書であり日本の伝統ではない...日本はキリスト教が作った奴隷労働教儲が多過ぎですよね。過労死多過ぎ...「勤勉な日本人」だって明治以降の偽伝統
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-47.html

2週間ツイ禁する電気ネズミ ‏@kdkatodai 2014年7月4日
人間は自らの努力によって罪のない生活を送り、罪のない存在になれる、と唱えたペラギウスのほうがキリストの考えに沿ってると思う。 洗礼という一定の手続きを経なければならないとするよりも、努力によって救われるという考えの方が、非キリスト教に受け入れられやすい気がする。

secilia2010 ‏@secilia2010 2013年5月21日
(_ _).。o○(猫が可愛いのは猫の自由意思による一方的恩恵で、人間の努力の成果だと考えるのはペラギウス主義=異端

筆硯独語(HikkenDokugo) ‏@HikkenDokugo 2012年9月25日
いやあ人間の側の努力は大事なんじゃあないかなというペラギウス派が異端とされたわけですが。勿論、ルターによる宗教改革もありますね、人間に神さまを信じるような浄いこころはないと。このように、

筆硯独語(HikkenDokugo) ‏@HikkenDokugo 2012年8月9日
ペラギウス派、西方教会における、異端の代表って言うのは、そんなことなくね?ちょびっとは、人間の側の努力で功徳が積めたりしね?なんですよね。すると、近代西欧哲学でも、そんなこたーねーよ、そりゃ異端だね、と言っていると考えることもできますね。つまり、人間が神になろうぜ、なう=アウシュ

筆硯独語(HikkenDokugo) ‏@HikkenDokugo 2012年6月30日
アウグスティヌスが、ペラギウス派に対して、人間の努力なんて無功なんだよぅ、信心ひとーつ ヽ(#・◇・)ノ┌┛ガッΣ(ノ`◇´)ノ というので、異端とされた、ペラギウス派は、破門になったはず。しかし、後に、宗教改革がおきますね。これは、サン・ピエトロ大聖堂を建築するために贖宥状を

筆硯独語(HikkenDokugo) ‏@HikkenDokugo 2011年11月18日
…異端。少なくとも当時のアウグスティヌスにとっては。というかペラギウス派はアウグスティヌスによるおまいら異端というのが採用されて破門になってますので、その時代のカトリック全般で異端。同じくカドフェルから「人は、神の恩寵を受けるために日々努力… RT @bun_history:

有原シンスケ ‏@alsinceke 2011年8月28日
マクグラスの本で他に興味深かったのは「ペラギウス論争」というもので、古代の神学者の論争なんだけど、神の愛は人の努力や功績によって支払われるものなのか(ペラギウス)、それとも「賜物」「贈り物」として弱い人間に到来するのか(アウグスティヌス)、という対立。やっぱり「恵み」なんだよね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 18分18分前
これね、落とし穴があって ペラギウス主義は言い換えると 「努力の足りない弱者は死ね」 とういう意味も含んでるのよね。 でキリスト教神学で言う「努力」 の定義がまた曲者で、 「努力=結果を出した人」なのよ。 つまり「努力しても結果が 実らなかった人」は努力が足りん! ってわけ

分かり易く例えると、ペラギウス主義 ってのはカンストすまないさんが 一生報われないfategoみたいな 世界の事なのさ pic.twitter.com/YSkyE6SSlg


帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月29日
@FeydoTaitei 大帝どうも。新約聖書は初期仏典のパクリ臭い要素があると聞いた事ありますね。でも唯一神への帰依を解くイエスってなんか仏教っぽくないよね~という話もありますね。チェックしてみます~RT&コメントどうもでした~

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月29日
@lakudagoya 多分、アレクサンドリアに入って 来たのが大乗も小乗も全部ごっちゃ混ぜ の仏典だった可能性が高いのと、 エイレナイオスがグノーシスっぽい部分 を全部抜いたら、今の福音書で使用された 部分しか残らなかったのではないかと。

一番古いカバラ文献と、カバラ に近い華厳経のインド原本が 書かれたであろう時期がエイレナイオス の生きていた時期と被ってるので、 可能性高そうですね。

あ、エイレナイオス、エイレナイオス うるさいのは新訳聖書のコンプリート 本を初めて作ったのがエイレナイオス くさいという聖書学の主流論
を ベースに考えてるからです。 陰謀論家の妄想じゃないっすよw

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月29日
@FeydoTaitei 面白い考察どもです。エイレナイオスって「全異端反駁」という本を書いたばかりでなく、新約聖書のコンプリート本を初めて作った人なんですね。それは知らなかったでふ。他にもカバラ文献と華厳経の関係とか本当に胸熱なしられてない東西交流があって面白いですね。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月29日
@lakudagoya 元々、何か本を作ろうと考えたのは モンタノスらしいのですが、 モンタノスに対抗して新約聖書の ご先祖様を作らねば!と鼻息を 荒くしながら唱え始めたのが エイレナイオスだそうです。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月29日
@FeydoTaitei へえ、モンタノスって知らなかったのですが、異教の人なんですね。耶蘇教ってなんかこう、異教や異端に触発されて教義整えたりそーゆー行動する事が多いですね

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月29日
@lakudagoya あ、ごめん、モンタノスじゃなくて マルキオンだった。 モンタノスは電波ちゃんの方か。 う〜ん、まだ西の方の人物名は 頭に入りきってないなぁ。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月29日
@FeydoTaitei あら、マルキオーンでしたか。耶蘇教の歴史って人物名が多すぎるし、引用でしか登場しない著者さんも多いので全部頭に入るの大変ですよねー。マルキオーンはマニ教が大好きだったくらいものすげー説得力ありますよね?www

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月29日
@FeydoTaitei あーそうですね。アレクサンドリアにはインド人もいたので、バラモン教の文献も仏典も図書館にコレクションして翻訳してたかもですね。その素材を使って色々なものをごちゃ混ぜにして宗教捏造とか胸熱ですねw元祖万教帰一なのかも知れませぬ~

野本耕作 「木偶之坊」主人 ‏@gaganjp 6月29日
@lakudagoya @kitsuchitsuchi @FeydoTaitei 焼失しても、必要な時には現れてくるでしょう。バチカンの図書館には、中世に魔女狩りなどで禁書とされた古代の科学が保存されているのでしょう。いつ頃この知的遺産が生かされるのでしょうか?不思議な世界。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月29日
@gaganjp @kitsuchitsuchi @FeydoTaitei そうですね。恐らくバチカンの図書館など一部の場所に秘匿されてそうですね。それを独占して今までウマウマしてたんですね。科学は悪魔というのは、異教徒の知識を奪うための口実だったりするんじゃないかな?と思うです

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月29日
@FeydoTaitei フェイド大帝のお気に入りの 新約聖書のエピソードは ヘロデがあっさり天使に殺されるシーン。 マタイであれだけラスボス臭を醸し 出してたのに、お前は少女マンガの 脇役のザコ敵キャラか!ってなぐらい 酷い扱われ方w

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月29日
カルヴァン派の教義が、まさか異端のペラギウス主義だって知らなかったな~。今度、アウグスティヌスの本をチェックしてみよう(県立にしかないから取り寄せるの大変よ)。現代社会って、隅々まで異端を含めた耶蘇教の教義の成分で構成されてるってわかって物凄いショックを受けてるぬこたさんですw

ヌッポンのお嬢様教育はスコラ学だし、結婚式も耶蘇教。ヌッポンの勤勉さを尊ぶ労働観念もペラギウスの影響を受けたカルヴァン主義とか、どんだけ世界は耶 蘇教的観念によって塗り潰されてるんだろう?と思った。イスラームを知るうちに、世界は耶蘇教観念でできてるとわかったけど、これほどのものとは

そいえば、統一教会系ネトウヨの使うレトリックの話をしてたら、ネトウヨの反駁の仕方ってすごく耶蘇教神学的でなんかアウグスティヌスっぽいよね?って話 になったの。ネトウヨが話の核心部分ではなくて、細かな矛盾点を指摘して全論をひっくり返そうとする話の持って行き方とかほんとそっくりだな~


帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月24日
なんというか、「文化」も「社会」も基本的に自分で子供を産み出せない男が作るものだ。だから、基本的に男性優位になる。女は組織体で動くようにできてないんでな。そのなかで割りを食わされてる連中を扇動するのはいつだってあちらのやり口。奴隷の不満を扇動して耶蘇教は信者を拡大したのね。

耶蘇教統治システムとして覚えてほしいけど、共産主義もアラブの春も基本的に割を食ってるマイノリティの不満を使って革命を扇動して乗っとるという手法。 なんのために耶蘇教が虐げられてる人々に優しいイエスを登場させたか、それはこの統治のため。やはり聖書は支配のマニュアルだわん


フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月25日
@lakudagoya 虐げられてる人の味方としての キリスト教の事を扱う「解放の神学」 という神学分野が実際にあります。 南米とかで盛んみたいです

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月25日
@FeydoTaitei おはようございます、大帝。解放の神学、実際の救済活動ですね。イエズス会あたりが頑張ってたようです。フランシスコ法王も。ただ、南米は超格差社会なので、こういうことをやらないでいい社会だといいのですが。


帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB 単にオタクはスケープゴートにしやすいというより、クリスチャン系の工作員としたら、イルミ系のアニメ業界の結社員はロッジも違うし、序列的に上位なので、オタク叩きは結社の内ゲハ的な側面もあるのでは?とずっと睨んでましたね。

STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya 陰謀的視点では、アニメに混ぜた陰謀暴露が迷惑だから貶めてやるといった目的もありそうですが ただ、油屋RF一族でも原子炉メーカーを所有し原燃以外で核利権を確保するように、創作中心との対立側派閥も共に創作を利用しあっていて、その中での対立と思いますが

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB そう、娯楽というものは古代ローマから支配者が用意するものですし、政治対立を剣闘士のショーで代理に行うこともありそうでしたし、結社の派閥争いですね。ただ、オタク文化はマニ教っぽいとこあって、気がつけば大人の文化の足元が瓦解してたから恐怖かも?

STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya 娯楽は支配者が用意する はパンと見世物の例えをより直接的に支配の観点を暴き出した名文句だと思います 大人文化への侵食は大分進行していて、もう以前の状態には戻りませんね。垣根は相変わらず残っていますけれど、明治の化石みたいに大人を演ずることもなくなりましたし

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB ちなみに、よその民族を滅ぼすために贅沢漬けの大盤振る舞いしろとは聖書にも書いてある話で、団塊の世代が何でも与えられたのはいずれ日本を奪うための布石だったんですよね。拝金主義と我欲を煽っていつまでも若者気取りで次世代を育てないようにして、大人にさせない。

STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya アメリカナイズ・感性のスポイルですね 昔浄土宗の坊さんの講釈を聞いたのですけど、さすがに言い方がうまくて、色即是空を引用しながら、あなたが自分だと思っているものは実は欲であり、それを自我と信じ込んでいるだけだと講じていましたね

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB 流石お坊さん凄いですね。団塊の世代が独立した個人崇拝なのもある意味西洋流の我欲や我執を肥大させることが大人の条件だと思い込んだからですよね。これは西洋発の欧州貴族の精神文化に似てますが、目的があくまでも我欲や我執の拡大のみって感じですね

物語で潜在意識を変えられると、人は自分の意志でそれを選んでると思いこみます。
だから、紐付き結社員が作った娯楽を支配層が流行らせることで効率的に大衆を洗脳します


STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya 個人の内面の他、社会的な変容から家族形態を変化させ、近現代的な工業化や都市化(ゲマインシャフト→ゲゼルシャフト)で人同士を解体していく流れとも結び付くから(これも操作で)、一定のビジョンに向けて進められてきたわけですね

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB だって大人って物凄くカッコ悪いです。大人というものを子供を差別するためのツールとしか考えてなくて、酒やパチョンコまみれ。会社のために嘘をつくのが、真実から目をそむけるのが大人だと勘違いしてるし。このあたりの問題は意図的に仕掛けられたかも知れませんけどね

@RC_StB 日本で大人がここまで憎まれたのは、大人になることが思考停止や真実の探求しないこととイコールだったことが原因です。ちゃんと大人の文化を作るなら大人が真実を封殺したり単に威張るためのツールとするのをやめて子供の心に響く大人像を作らないとダメですよね

@RC_StB これは子供叩きと同じで長期計画なんですよ。この国のマトモな大人を潰すために団塊の世代を贅沢で骨抜きにして、尊敬できない大人を大量生産して、その家畜化された大人に対するアンチテーゼとして子供文化に真実を混ぜ混む。こういった両建て作戦で国を破壊してます。悪質です。

@RC_StB ありがとうございます。ニコニコ動画見てると、著作権問題も含めてとても支配者でないとできないことがヒントになってます。アニメやゲームは結構凄いので すが、そういう凄みを使って文化を破壊するような面がありますね。大人ってロールプレイだとバレたからもう戻れないんです

STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya 創作は、感性や思考のフレームをそれと知られず異質なものに組み換えていくのに最適な媒体ですからね 自ら望んで情報操作に飛び込んでいくようなもので 操作の最も成功した形は、自分からやらせること Facebookしかりスマホしかり

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB そうそう。欧米が聖書神話の押し売りに熱心だった本当の理由です。聖書ストーリーを使うことで土着の文化や思考を書き換えてますね。まぁ、今のアニメ業界のやってることはマニ教的な神話の換骨奪胎そのものです。なんでも自分流にアレンジすることで思考のフレームを変化させますね

STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya 娯楽は〜のフレーズは時々目にしますけどねこたさんのオリジナルでしたか 短い言葉で非常に端的に表せているので大衆操作を警告する格言として残せるくらいの出来ですよ 過激な知性破壊・認識欺瞞の技術ですからね娯楽は 全てを欺かれている日本の現状の例えとして相応しい

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB いやーもう、こんなベタ誉めされて恐縮です。古代ローマ見るまでもなく、今の娯楽でも欧州貴族のお下がりですしね。旅行やスポーツなどもね。文化とは常に支配のために支配者がでっち上げるもんです。高度な文化は戦争せずに征服できますしね。日本は上からではないとこもあり

ヒラ//: ‏@punanny_chang 7月3日
@lakudagoya @RC_StB 中国ドラえもんの放送を中止したり。 ニューヨークヤンキースの帽子でアメリカはいくら稼いだのか? なんでもないようなことでもよくよく考えると影響力ってかなりあると思うんですよ

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@punanny_chang @RC_StB この影響力こそが力の根源ですね。これを築くために徹底的な洗脳工作をしてました。耶蘇教を中心とした文化支配ですね。

STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya スポーツは本当に貴族のお下がりばかりで、そういうの程、格式(笑)が高い 旅行もグランドツアーでアルプス越えて、その体験がピクチャレスクの元になりましたしね

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB そう、スポーツもそうですけどゲージュツもなんでも意味不明なのに格式ばかり高いのは欧州貴族の文化のお下がりだからなんですね。おいらは欧州貴族の精神文化(大陸ではなくて英国)に興味あって、バチカンに対抗するための精神文化が貴族文化で本人はそれを修験道みたいに捉えてそう

ヒラ//: ‏@punanny_chang 7月3日
@lakudagoya @RC_StB テニス、ゴルフは皇室の人間もやりますがイギリス発祥ですよね ヴォーグの編集長もテニスうまくなりたいって言うし

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@punanny_chang @RC_StB そうそう、上流階級のスポーツですな。

ヒラ//: ‏@punanny_chang 7月3日
@lakudagoya @RC_StB で、終わったらクラブハウスでゴニョゴニョ密談するって流れなんでしょうね なんで政治家やらヤクザの親分がゴルフすんのか? 楽しいのはもちろんでしょうが非公式の会談の場なんだろうな、と

STB ‏@RC_StB 7月3日
@lakudagoya 単純にオタクの叩きやすさもあるでしょう 90年代くらいまではいい年した大人がアニメ観たらからかわれましたし アニメ的な表現が幼く見えもする そういう人間の感性を考慮して計画を練ってきますからね。広告心理学も同じですよ。基盤には人間性の悪用がある

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月3日
@RC_StB で、「人間を採る漁師にしてあげよう」ではないですが、真実の探求したい人はある意味子供の世界に閉じ籠るようになったんですね。だってアカデミックなリア充の世界では哲学なんてやらせないから。それはナチスの言う永遠の子供を捏造するための陰謀でもあるのですけどね。

@RC_StB この子供っぽさへのアンチってのは欧米発の大人文化に対するアンチとして意図的に仕掛けられてますね。日本にある子供の肯定的な思想は、欧米の耶蘇教系紐 付きの子供を動物と見る教育者には許せないことでしょうし。で、大人の世界は嘘で塗り固めて哲学的な事はここだけでさせた

@RC_StB この子供っぽさも意図的に利用されたますね。欧米では元々子供のための文化を押し付けるのが普通でそれが日本に入ってきて受容されて、学生運動崩れがアニメ業界に入ることで子供っぽさがなくなっていきますね。まぁ、グラントリアンの暗躍なのでしょうけど、それから

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月6日
@lakudagoya ブログで「バチカンがパウロ派云々〜」 の箇所、ちと補足をお願いいたしたく。 パウロ原理主義のスタートはマルキオン が始まりらしく、初めて聖書を作ろうと したのもマルキオンとのこと。 で、ローマ教会はこれヤベーと思って 自分達も大慌てで本を作り始めたの
のが、聖書の始まりだそうです。 元々、アーリア系の様に初期キリスト教は 口伝重視で、余り文書を書くという 文化がなかったそうです。 聖霊降ろしのご先祖様はモンタノス派 らしくて、こういうのを抑えるためにも 聖典を作る必要が出てきた様です。
多分、口伝だったのはイエスの使徒 とかいうのが文字が書けなかった のではないか?というのも あるのかな?と。 使徒が書いた文書というのが ありませんし、アンデレやペテロ も漁師でしたし。 で、当時は製本技術がショボかったので
聖書の一巻本というのが無くて、 バラ売りしてたんですね。 本は厚くなると製本が難しくなるので。 コンプリート本が出始めるのが 5世紀ぐらいからなんですね。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月6日
@FeydoTaitei ああ、佐藤優の神学の本にも大工や漁師のような下層階級が文字をかけるわけがなかったと書いてありますね。その下層階級の弟子たちが書いた事になってるコイネーの設定ってある意味不思議だと思いました。ギリシア語書けるのはエリートですしね。

@FeydoTaitei 5世紀ですか。グノーシス派の文献に異様に神経を尖らせる気持ちがわかったような気がしました。結構遅くてビックリです。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月6日
@lakudagoya グノーシス学者の解釈が本当なら、 グノーシス派の教えの方が正統派より ずっと高度な印象を受けるんですよね。 ギリシャ哲学の影響もあるでしょうけども。 創造神=悪はイラン系ですし。 多分ローマ人受けするのもパウロの 説教よりもこっちかとw
@lakudagoya あれだけ高度な教えだったのに、 正統派は何であんなにショボく してしまったのだろう…… 布教しやすさを追求した結果? カースト毎に教えを分けたかった? 元のキリスト教が何だったのか ますます興味深いですね。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月6日
@FeydoTaitei そうですね、グノーシス文献が正しければ、インテリにウケるのはこっちですね。書いてる人一流の知識人としても通りますよ。創造神=アクってのは、インドの思想を理解してないとすっとわからないですよね。書き方も仏教説話のような弟子にたいする話かけですし。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月6日
@lakudagoya 本願寺にある「世尊布施論」が マタイの一部しかないのが、 注目している所なんですよ。 多分、元本が一巻本以前の時代の 文書である可能性が高いのでは?と。 一巻本からバラコピーした可能性 もありますが……

@lakudagoya グノーシスのナグハマディの方が 古いじゃないか!とツッコンで来る 輩もいると思うので一言。 あれの原文って虫喰いや穴だらけの 歯抜け状態で、とてもアレから 正確な内容なんか読み取れないかと。 学者の解釈も推測みたいな感じですし。

@lakudagoya だからバチカン重視の口伝である 「伝統=TRADITIO」を除外すると 5世紀の一巻本ぐらいしか いわゆる「キリスト教」ってやつの 教えの根拠になる物がなさそう なんですよ。

@lakudagoya で、東は劣化しやすいパピルスを 使わない+仏典や儒教の写本技術 のノウハウから、景教はかなり 状態の良い物が残っているのではないか? というのが私の推論です。 単純に景教がバチカンよりも 古いんだぁッ〜‼︎って書くとキレる 儲も出てきそうなので。

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月6日
@FeydoTaitei 修正完了です。書物の宗教のセム系と違って、たしかにアーリア系は文書を書く事は少ないですね。ゾロアスター教文献の少なさでもわかる通り。だから、秘教的キリスト教解釈では、口伝による奥義の伝承が重視されるのはインド・イランの文化なんですねえ?

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月4日
教会史で有名なエウセビオスに よるとヨハネの黙示録は ケリントス作だという。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月3日
佐藤優と副島の対談本で ピケティはルソー人脈ではないかと 批判してたな。 ルソーはメイソン教のグル。 副島はケインズを絶賛してたけど、 ロックは自伝でケインズより シュンペーターだと言ってたw


ヒラ:// ‏@punanny_chang
シバキ隊だろ、実質 差別!差別!連呼する者もまたレイシストなんだな。 深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いている。
カンパ、この概念も宗教的だよね。SEALDsリーダーの父親が牧師だよ?そのネットワーク使わないわけないでしょw

まぁ戦時中の日本基督教団は戦争反対じゃなく賛成の立場だった偽善者集団だし国内のキリスト教信者は人口の1%とという話だがそこから総理大臣が8人出てるんだっけか?なにしろ胡散臭いんだよ。
デモの裏の目的は銀行口座解約、ストライキ、不買運動から目をそらすため 安倍を対象に絞ることであらゆるロビー活動、企業活動から目をそらすため でしょ?


バカはまんまと乗っかる。そもそも戦争したいんじゃなくて儲けを出すための手段として戦争があるわけだ。そこを気づかないって本当に手遅れだよ。お花畑でうつぶせになってな。

お前に3つ意地悪に聞こえる至極真っ当な質問を。 1、あなたはSEALDsの会計等にたずさわったことありますか? 2、SEALDsの集会で最も効力があるだろう銀行口座解約、ストライキの話しないのはなぜですか? 3、なぜ国会議事堂前でのデモなのでしょうか?

これら3つの質問の答えっていうのがSEALDsが官製デモである所以になるわけで。 個人的にどうこうとは言いたくないがSEALDsのリーダー奥田君のお父さんも相当グロい人ですよ?牧師とは言ってるけどそれって赤い十字架の教会じゃないの?教会の十字架が赤と白の二種類あるってのは常識


 長文記事読了心底多謝。