読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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陰謀追及者において重要なイスラム教の特徴  イスラム神学と法学の理性の扱いが完全に耶蘇教の右目の中の右目派の基盤でびっくり!桜井啓子『シーア派』などイスラム資料集 

陰謀追及者において重要なイスラム教の特徴
・異端審問の禁止
(人が神に代わって裁くことの禁止)

・多数派は信仰告白が義務
(信仰隠しは少数派の教義のみ)

・神学も法学も、理性と論理的思考も重視
(反知性主義の否定)

・ユダヤ教神学もイスラム神学の理性と合理主義重視派に影響されている
(合理的なものほど異端になるのがキリスト教神学の特徴)


イスラム教徒って工作員に全然向いてないってこと。
信仰隠しを一番するのは新キリスト教系工作員

23470円=おねショタおじさん ‏@douteimaturi さんの傑作
イスラームでは異端審問をしてはならない事になってます
これは人間があれがムスリムでこれはムスリムではないという文言を封じるためです。
それがわかるのは最期の日な訳で
人間が人間を異端扱いして勝手に裁き殺したなら地獄でやかれる事になります。

陰謀ではお金の流れも重要ですが、もっと重要視せねばならないのは尊厳の流れかもしれません。
むしろ、魔術師退治を考えるなら、尊厳という認識がいかにして作られるかという部分に着目すべきではないかと。

魔術師というものは言葉で人を縛り上げる術に長けていて、そこが魔術の根幹なのです。 例えば、選挙という単語を出すだけでさまざまな言葉が発生します。 不正、民主、多数決などなど、この連想させる力自体が魔術師の魔法なのです。 言葉を支配し、言葉が言葉を繋げる魔術これが最強の魔法です。

謀議論をやる上で必要なもの。 歴史学、神学、心理学、天文学、幾何学、哲学、占星術、数学、帝王学。 特に歴史学と神学、心理学が重要。 基本、歴史に名が残っている先祖の末裔を探し、そいつらが今なにしているかで大体予想がつく。組織もそう、正史を知っていればしっかり繋がる。

紐付きはこの正史の部分を隠そうとするので隠さない人は比較的本物。次に大切なのは神学についてどういう立場をとるかを見る。日本人の95%以上は仏道及びケを信じている人達なのでそうでない場合は立ち位置ありとの判断でその人間の批判の仕方をみて決める。悪魔とか言っちゃうとー評価みたいに

この3つで考えてください 1、反証性 2、論理性 3、合理性 この3つに従ってものを考えれば、そう間違える事はありません もし、間違えるのであればまず貴方の信じたい事、事実ではない事、思い込みたい事がそこに入っているということです だから、間違えるのです

わしゃ帰ってきてよく思ったよ 仏法はよくできすぎだし、漢籍はよく完成されてる まだ、漢籍については戦国策や韓非、孟子しか読んでないけどこの思想と西洋哲学じゃあ2000年遅いことを西洋はやってる こりゃあ、破壊したいし、隔離したいのがよくわかるよ


工作員=異端審問官
なので異端含め✝系ばかりでイスラム系がゼロ。仏教に詳しい人々に絡む工作員。
私もいつ消されるかわからないので保存お願いします!後悔したいの?
藤原偽天皇











“先に述べたように十二世紀末頃までに、シーア派では、コーラン、預言者ムハンマドとイマームの言行、合意とならび、理性を法源とみなす考えが確立しており、これに基づいてアッラーマ・ヒッリーは、イスラーム法学者による論理的推論に基づく法解釈(イジュティハード)をシーア派法学における中心的な概念として位置づけた。
 もちろん誰もが、法解釈を行えるわけでない。アッラーマ・ヒッリーによれば、法解釈を行うことのできるウラマーは、「ムジュタヒド」と呼ばれ、アラビア語に精通し、コーラン、預言者ムハンマドやイマームの言行について十分な知識を持っているだけでなく、法学や法源学を修め、一貫した論理に基づいて法解釈を行うだけの能力を持たなければならない。言い換えれば、ムジュタヒドに求められているのは、霊感、啓示、秘跡といった能力ではなく、長年にわたる研鑽の末に、ようやく一握りの学者が到達できるほどの高度な学識なのである。”桜井啓子『シーア派』p.43
(法解釈は学者の高度な論理と知識に基づくのであり、神秘的能力は不要であることが重要。
キリスト教だと聖書に書いていない教父の勝手な非論理的解釈が聖書の文言より上という、意味不明なご都合主義)



イスラム教の基本
http://naotatsu-muramoto.info/syuukyounobenkyou/isuramukyou/isuramukyou.toppage.html

@lakudagoya  イマーム
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%40lakudagoya%E3%80%80%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A0&src=typd


”タキーヤ【taqīya】
〈恐れ〉〈警戒〉を意味するアラビア語であるが,イスラムの用語としてはキトマーンkitmān,すなわち〈危害を加えられる恐れのある場合に意図的に信仰を隠すこと〉の意味に用いられる。最初にタキーヤを認めたのは,ハワーリジュ派の一派のイバード派であったが,のちシーア派諸派によって継承発展させられた。シーア派は,信仰は心と舌(言葉)と手(行為)によって表現されるが,もし自己または同信者の生命財産に危害の加えられることが確実であるか,またはその可能性が強ければ,舌と手による信仰の表現は隠してもよいとした。”
https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%A4-1182857




世界史用語解説 授業と学習のヒント シーア派
http://www.y-history.net/appendix/wh0501-041.html



【シーア派】
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE-71730

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE-71730



匈奴の人 ‏@toquzoguz1055 2011年8月6日
@hiro_wakiyaku 要は何人目のイマームで分派したかって話なので、
五イマーム派(ザイド派。ブワイフ朝とか。アブー=バクルからウスマーンも劣ったカリフとして認めていて穏健)、
七イマーム派(イスマイール派。ファーティマ朝や暗殺教団。過激)、
十二イマーム派(サファヴィー)的な



イスラームにおける理性(‘aql)と伝承(naql)―スンニー派とシーア派
http://www.cismor.jp/jp/research-1/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%90%86%E6%80%A7aql%E3%81%A8%E4%BC%9D%E6%89%BFnaql%E2%80%95%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%B4%BE/
”啓示宗教としてのイスラームは、人智では判断できない超越的な神のメッセージ(とされるもの)によって成り立っている。しかし同時に人間は、この神の啓示を自ら理解して、様々な行動と思想を組み立てていく必要がある。さらにイスラームもアラビア半島を出て広く拡大していく過程で、多様な地域社会の問題に対処する必要があった。
この過程で、
人間の「理性」('aql、アクル)の発揮を比較的自由に認めるものと、
それをなるべく避け、神の言葉であるクルアーンと預言者ムハンマドの言行・判断の記録であるハディースからなる「伝承」(naql、ナクル)を重視する
ものという、2つの思想的傾向が現れた
(シーア派の多数派である十二イマーム派の場合は、ムハンマド後の12人のイマームの言行・判断も権威あるナクルとなる)。
 各地域で発達した理性知と伝承知を組み合わせて、イスラーム法解釈の体系を作り上げたのはシャーフィイー(840年没)である。彼はイスラーム法の法源を
クルアーン、
スンナ(ハディースに基づく預言者の言行)、
イジュマー(ムスリム全体の学者の同意)、
そしてキヤース(先例からの類推)
の4つに分類した。
「理性」の発揮にあたるのがキヤースである。しかし、現在は消滅しているが、出来るだけ人間の理性的判断を避けようとするザーヒル学派がかつて存在した。現存するスンニー派の4法学派の1つであるハンバル派も、同様の傾向を持っている(あとの3つはマーリク、ハナフィー、シャーフィイー)。
 シーア派の法学にとって(場合によっては神学にも)重要なのはウスール派
アフバール派である。
現在イランで主流を占めるウスール派は人間の理性的判断を非常に重視する。
他方、現在力を失っているアフバール派は伝承知を非常に重視し、ハディースの信憑性を論ずることは理性の行使であるとして避けるため、結果的に、それを自由に使用する。以上
のように、スンニー派でもシーア派でも、理性知を比較的重視するものと、その使用をできるだけ避けようとするものと、2つの傾向が法学の中に存在している。
 神学にとって重要なのは、理性的な議論を非常に重視したムウタジラ派である(全盛期はアッバース朝の初期)
結局スンニー派ではその主張は否定されたが、〈論理的に議論を進める〉という方式は、伝承知を重視するスンニー派の神学の中にも残った。他方、シーア派の正統神学には、ムウタジラ派の議論がほぼそのまま流れ込んでいる。加えてユダヤ教の神学は、ムウタジラ派の影響によって形成された。
 古代ギリシャ哲学を継承し、また理性的判断を極端に推し進める行為である哲学(このため哲学者はしばしば不信仰者と非難を受けた)
についてはどうか。
まずスンニー派では、アリストテレスの注釈書を多数執筆し、ヘブライ・ラテン両言語への翻訳を通じて結果的にスコラ哲学を生み出すイブン・ルシュド(1198年没)が、自らの哲学を正当化するためにクルアーンの章句を引いたこと以外は、伝承知と理性知の関わり合いはあまり見られない。
他方、シーア派の文脈においては、両者の結びつきはより強く、それが顕著に見られるのがモッラー・サドラー(1640年没)である。サドラーは、イスラームの神秘思想家イブン・アラビー(1240年没)の存在一性論(この世のあらゆるものが神的なものの顕現であるとする思想)と、アリストテレス哲学の実体論を統合して、「実体運動論」を展開した。この結果サドラーは、古代ギリシャ哲学の“常識”では相容れない実体(アイデンティティー)と運動(変化)を1つに結びつけて議論し、神の意志に基づく一瞬一瞬の「変化」こそが、表面上は固定的に見える「実体」の本来の性質であると主張したのである。その際サドラーに大きなインスピレーションを与えたのは、神の意志によって一瞬のうちに天地が大変化するさまを示すクルアーンの「終末」の描写である。
以上のように理性知と伝承知の2つのベクトルの関係によって、1400年にわたるイスラームの歴史の中で、様々な思想潮流が生まれた。さらに現在ではスンニー世界の学者が、サドラーに言及するなど、スンニーとシーアの思想的・哲学的なコミュニケーションが進んでいる。この結果、これからも新たな伝承知と理性知の結びつきを示す思想潮流が現れて、様々な方向に揺れながらも展開していくであろうとの結論がなされた。”

タウヒード 〈一化の原理〉 神の唯一性
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89
”イスラームにおける一神教の概念である。イスラームにおいて、タウヒードは〈一化の原理〉を意味すると同時に、世界観と存在論、すなわち価値観の根本である。

また、タウヒード論においては、神の唯一性という言葉で、和訳され論じられることも多いが、神の唯一性という言葉は、アラビア語において(ラテン文字表記をすると)waḥḥdat-Allah という明確な表現があるので、正確な訳出とはいえない点で留意する必要がある[1]。したがって、この記事においては、神の唯一性を起点とした上で、そこで活用された〈一化の原理〉に則りながら、現実解釈のための基本原則を提示する内容を描出することとなる。 タウヒードの反対の概念は、シルク(shirk、多元性)である。

タウヒードという言葉は、アラビア語の動詞ワハダ (waḥada) の第2型であり、〈一に化す〉、〈一に帰す〉を意味するワッハダ (waḥḥada) という動詞から派生した動名詞である。その原義は、〈一化〉、〈帰一〉を意味する[2]。
定義
イスラームにおける唯一神(アッラー)の存在は絶対であり、この理由のために、ムスリムは、キリスト教世界で信奉されている三位一体説を否定する。

スンナ派、シーア派ともに一致しているのは、イスラームにおける最重要な概念であるタウヒードがこの絶対で完全なる創造者を受け入れるということで展開されているということである。ムスリムは、「アッラーのほかに神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という信仰告白(シャハーダ)を公に唱えることによってムスリムとなり、かつ、自らの信仰を絶えず、再確認することとなる。
スンナ派の視点

スンナ派の人々は、タウヒードをイスラームの教条(Aqidah)の7つの重要な側面のひとつであると見なしている。

アシュアリー派の著名な学者の一人である Fakhrud-Din Ibn Asakir は、自らの著書で、スンナ派の信条を記述している。

アッラーは人々を導き、唯一の神である。
アッラーは全ての世界(天界、地上界)を作りたもうた。
全ての創造物は、アッラーの力により服従されている。
アッラーは、人生に帰する。睡魔にとらわれることは無い。
アッラーは、人間が予見できないことについて知っているただ、ひとつの存在であり、全知全能である。
アッラーの行うことは全て彼の意志に基づく。
アッラーは報酬を望まず、罪を恐れない。
アッラーは、創造の前から存在した。過去、未来というものをもたず、また、前後左右上下といった概念にはそぐわない。というのも、アッラーは全だからである。
アッラーが、宇宙の森羅万象を創造し、時間の存在を望んだ。アッラーは、時間に制限されるということは無く、場所に明示される存在ではない

神の不可視性

スンナ派のムスリムは、神は見ることはできないと信じている。仮に神の姿を見ることができるのであれば、自らの生涯の終わりを意味する死後に訪れる最後の審判の日のみであると信じている。


クルアーンを逐語的に解釈するのであれば、イブン・タイミーヤが説くように、神は、体の各部分を持たず、しかし、クルアーンやハディースに記述がある「手」、「目」、「顔」といった属性を持っている。しかし、それぞれは、人間が知っているような形状をしてはいない。そして、サラフィーは、神は天上界に住んでいると信じているのである。
シーア派の視点

シーア派においても、タウヒードは絶対なものである。
神の属性

シーア派は、神は見ることができるとは信じていない。また、アッラーはどんな形であれ、体を持っているという考えも拒否している。

神は、以下のような積極的な属性を持つと信じられている。

カディーム(Qadím) - アッラーは永遠である。始まり、そして終わりは無い。
カディール(Qadir) - アッラーは、全能である。アッラーの力は、全てのものに及ぼす。
アリーム('Alim) - アッラーは全知である。全てのことを知っている。
ハイ(Hai) - アッラーは生きている。それも永遠に。
ムリド(Muríd) - アッラーは、全ての事象に対して慎重である。混乱することは無い。
ムドゥリク(Mudrik) - アッラーは全てを受け入れてくる。全てを見聞する。あらゆる場所に存在している。ただし、目や耳を通して、見聞しているわけではない
ムタカリム(Mutakalim) - アッラーは世界の創造主である。アッラーは、言葉を作った。
サディーク(Sadiq) - アッラーは真実である。

また、消極的な属性を持つ。

シャリク(Sharík) - アッラーは妻を持たない
ムラカブ(Murakab) - アッラーは作られたものではなく、物質的なものでもない
マカン(Makán) - アッラーは、どんな場所、体に制限されない。
フルル(Hulúl) - アッラーは体を持たない。
マハーレ・ハワディス(Mahale hawadith) - アッラーは変化しない。
マリ(Marí) - アッラーは見ることができない。なぜならば、体を持たないからである。
イフティヤジュ(Ihtiyaj) - アッラーは、独立した存在である。アッラーは、飢えていない。というのもアッラーは、どんなものも持っていないからである。
シファテ・ザイード(Sifate zayed) - アッラーは、あらゆる制限を受けない。

クルアーンとタウヒード

シーア派の人々は、神が「神の永遠でない行動の一つ」としてクルアーンを創り人々に贈ったものと認識しているので、したがって、シーア派の信仰は、スンナ派とは対照をなし、クルアーンは、創造物であるということになる。シーア派の人々は、ムハンマドの「神は存在した(その時には時間の概念があった)、したがって、神のそばには何もない」というハディースを引用する。

たとえ、そうであったとしても、シーア派の人々は、クルアーンは完全なものであると信じているのである。”

ムゥタズィラ学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A5%E3%82%BF%E3%82%BA%E3%82%A3%E3%83%A9%E5%AD%A6%E6%B4%BE
”ムゥタズィラ学派(アラビア語: المعتزلة‎、al-muʿtazilah)とは、イスラム教の神学の学派である。9世紀初頭から10世紀にかけてのイスラーム世界で大きな影響力を持ち、分散して少数派となった後も思想の一部はシーア派に継承された[1]。

ムゥタズィラ学派は8世紀前半にイラクのバスラで創始された[1]。ワースィル・イブン・アター(699年 - 748年)が創始者とされているが、独自の学説が確立されたのはアブー・フザイル(751年 - 849年)の時代以降だと考えられている[1]。
アッバース朝のカリフ・マアムーンが設立した知恵の館での翻訳活動などの異文化の思考法の積極的な摂取、体系的思考を求める時代を背景にムゥタズィラ学派の思想が確立された[2]。
アリストテレスなどのイスラーム世界外の思考法を部分的に借用したムゥタズィラ学派
は思弁による解釈を進めていった[3]。
827年にマアムーンがムゥタズィラ学派が主張する「クルアーン(コーラン)創造説」を公認すると宮廷で権勢を振るうようになり、
833年にミフナ(異端審問)を開いた。

ムゥタズィラ学派が初期アッバース朝の保護を受けて繁栄した一因として、四代目の正統カリフ・アリーの即位に対して曖昧な立場をとったアッバース家を擁護し、ウマイヤ家を弾劾した点が挙げられている[4]。ワースィルはアリーを三代目の正統カリフ・ウスマーンより上の立場においたがアリーの至上論を認めず、4人の正統カリフに優劣を付けることを避けていた[4]。

ムゥタズィラ学派の行き過ぎた理論は批判を受け、カリフ・ムタワッキルの時代に入ると正統派知識人の勢力が盛り返した[5]。合理主義の徹底によって伝統的な世界観を揺るがすムゥタズィラ学派に対して法学の分野ではイブン・ハンバルが創始したハンバル学派、神学の分野ではかつてムゥタズィラ学派に属していたアシュアリーが創始したアシュアリー学派が現れ、ムゥタズィラ学派の思想に反駁した[6]。11世紀末に成立したホラズム・シャー朝の学者の中にムゥタズィラ学派の伝統は残っていたが、13世紀初頭のモンゴル帝国のホラズム征服の中で学統は失われた[4]。
思想

学派の名称である「ムゥタズィラ」は他称であり、この学派に属する人間は「タウヒードとアドルの徒」を自称していた[7]。「ムゥタズィラ」は「退いた人」を意味する言葉で、創始者のワースィルが師であるハサンが属するハワーリジュ派の一派から身を退いたことに由来すると言われている[5]。
ムゥタズィラ学派は大罪を犯した人間を信徒と認めないハワーリジュ派と、
罪を犯しても信仰を保ちさえすれば信徒であるとするムルジア派の両極端な主張から身を退いた中間の立場
をとっていた[8]。ほか、「ムゥタズィラ」を保守的な思想家から距離を置いた「離れ去った人々」の意味とする説[9]、カリフ・アリーの即位に中立的な立場をとるためだとする説もある[4]。この学派に属する人間は「ムゥタズィラ」の呼称を好み、進んで自称していたと言われている[9]。

ムゥタズィラ学派に属するグループは、バスラ、バグダードを中心に六派に分かれていたと言われる[3]。ムゥタズィラ学派の著作は正統派から禁書として扱われ、イスラーム世界の主要な文化地域からムゥタズィラ学派の著作が失われた状態が長らく続いていた[10]。このため、ムゥタズィラ学派の理論の復元を試みるイスラーム世界とヨーロッパの学者は、シャフラスターニーやイーズィーなどの著作の断片的な記述に頼っていた[10]。1929年から1930年にかけて、ヘルムート・リッターがイスタンブールで発見したアシュアリーの『イスラーム諸学派の所説』が出版されると、資料が不足していた状況が好転する[10]。1951年にサナアで発見されたアブドゥルジャッバールの『神学大全』の写本は初期・中期ムゥタズィラ学派の思想を伝える重要な資料となっている[11]。アシュアリーは同時代の
ムゥタズィラ学派に共通する思想として、以下の5つを挙げている[7]。

タウヒード
アドル(神の正義)
天国への約束と地獄への脅し
信者と不信者の中間の立場
勧善懲悪

ムゥタズィラ学派はカラーム(議論、思弁)を取り入れた最初の神学者の一派であり[7]、イスラーム史上初めて体系的な神学論を構築した初期のムゥタズィラ学派はタウヒードを合理的な思惟で擁護
した[7]。この学派に属する人間はイスラーム世界における神、人間、世界の関係を人間の視点から理性による説明を試みた[12]。
理性による説明は行為の分析を介した人間の自由意志の確認が前提となっており、ムゥタズィラ学派は「行為の創造者」という自立した立場から神の合理的解釈を行った[3]。
人間による行為の創造は性質が全く異なる意識的行為と無意識的行為に二分され、前者の行為について神は人間に行為を選択・実現する権利を授け、人間は様々な行為の可能性に対して正しい選択を行わなければならないとする「選択の権利」が説かれていた[13]。人間の行為の責任は当人に帰すると考えるため、最後の審判の時に預言者ムハンマドが罪を犯した信徒の罰を極力軽いものにする「執り成し(shafā'ah)」の信仰を認めていなかった[14]。

ムゥタズィラ学派の特徴として「神の属性の否定」、「クルアーン創造説」がある。正統派のウラマーが神の属性を認めていたのに対し、神が本質以外の外部の属性に依拠することはタウヒードに矛盾するとして、神の属性を認めなかった[7]。神を不可視の存在とする点で学派内の意見は一致していたが、心眼で見ることができるか否かで議論が交わされていた[15]。「クルアーン創造説」は、学派の創始者であるワースィルの弟子の中でも異端的な人間だったジャフム(? - 746年)によって提唱された[4]。ウラマーはクルアーンを「神とともに永遠の存在である神の言葉」と見なしていたのに対して、唯一の神の他に永遠の存在を認める矛盾を指摘し、クルアーンは神によって創られたものだと説いた[7]。

ムゥタズィラ学派の説く抽象的な神の解釈は一般市民に拒絶され、スンナ派多数派から反論を受けた[7]。しかし、極端な宿命論の否定と人間の自由意志とそれに伴う責任に関する議論は高い評価を受けている[7]。ムゥタズィラ学派の思想はアッバース朝支配下のユダヤ教徒にも影響を与え、ラビ・ユダヤ教神学形成の一翼を担った
[1]。

参考文献

井筒俊彦『イスラーム思想史』(岩波書店, 1975年11月)
岩永博「ムータジラ」『アジア歴史事典』9巻収録(平凡社, 1962年)
黒田壽郎「初期イスラーム神学」『イスラーム思想』1収録(岩波講座東洋思想, 岩波書店, 1988年10月)
塩尻和子「ムゥタズイラ学派」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)
嶋田襄平「ムータジラ派」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)


ムータジラ派
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%A9%E6%B4%BE-140596
”al-Mu`tazilah
イスラムの神学派の名称。始祖はワーシル・イブン・アター (748没) 。ムータジラという名称は,対立するハワーリジ派とムルジア派に対して中立の立場をとったことから,身をひく,離れ去るを意味するアラビア語i`tazalaからつけられたといわれる。

世界大百科事典 第2版の解説
ムータジラは【ムータジラ派 Mu‘tazila】
8世紀中ごろから10世紀中ごろまで栄えたイスラム神学の先駆的一派。初期のムータジラ派は,イスラムの根本的な教義タウヒードを合理的な思惟によって擁護した人々で,その特徴的な教義は神の属性の否定と,〈創造されたコーラン説〉であった。前者は伝統的なウラマーがアッラーの属性名を認めていたのに対し,本質のほかに属性を認めることは,神が外部の何ものかに依存していることになり,タウヒードに矛盾するとして神の属性を否定したものである。

【イスラム】より
…ムルジア派の判断保留は,単に罪の問題だけでなく,ウマイヤ朝とハワーリジュ派・シーア派との抗争に対する政治的中立をも意味した。これと同じ思想的風土に生じたものにムータジラ派がある。ムータジラと呼ばれた最初の人ワーシル・ブン・アターWāṣil b.‘Atā’(699‐748)は,信仰(イーマーン)と無信仰(クフル)の問題に関し,そのいずれでもない〈中間の状態〉を唱えたと伝えられる。…
【タウヒード】より

…神学者にとっては,神が一つということは,神の独一性,神と被造物との隔絶性,具体的にはコーランやハディース(伝承)における〈擬人的〉表現の解釈をめぐる議論である。これについて,ムータジラ派は神の絶対的唯一性を説く立場から多性を示すとする神の属性を否定するのに対して,アシュアリー派はこれを認める。またスーフィーたちは,これを自我意識が消滅してすべてが神に包摂されてしまっているファナーの意味に用いる。…
【マームーン】より

…イラン人の女奴隷を母にもち,東方諸州の総督となったが,809年の異母弟アミーンal‐Amīn(787‐813)のカリフ即位後,両者間は険悪化,内乱となり,813年バグダードを占領してカリフ位についた。国内の反乱の鎮圧に努力する一方,バイト・アルヒクマ(知恵の館)を建設してギリシア文献の翻訳事業を推進,その影響を受けたムータジラ派神学を公認教義として思想統一を図るとともに学問を奨励した。”



イジュティハード
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89
”イジュティハード(アラビア語:اجتهاد、英語:ijtihad)とは、イスラーム法における法律用語の一つで、クルアーンやシャリーア、スンナといった法源の解釈(フィクフ)に基づく具体的な法的決定の際に、十分な権威の確立された先例やイスラーム法学派による伝統的見解に依拠することなく決定者が独自の解釈理論を援用して法的な決定を行うことを指す。

イジュティハードを行う人のことをムジュタヒド(英語: mujtahid)と呼び、イラーム法学者(ウラマー)がこれを務めることが慣例化している。

ハナフィー法学派の視点--イジュティハードの門は閉じられた

イスラーム草創期、イジュティハードは、一般的に、法の実践という形で用いられており、また、カラーム(kalam、(en:kalam)イスラームにおける思弁神学一般を指す)の哲学に基づいて、宗教の差別なく用いられた。少しずつだが、いくつかの理由のために、実践から用いられなくなった。ガザーリーがもっとも特筆すべき法学者である。

注 アシュアリー法学派とはアシュアリーを祖とするイスラム神学の一派。マートゥリーディーを祖とするマートゥリーディー派と並んでスンナ派神学を代表する。その特徴は、理性的思弁(カラーム)によって正統的信条を弁証することにある。もっぱらクルアーンやハディースの引用に依拠して思弁を排する保守的なハンバル法学派と、合理主義的立場からそれと異なる信条を採るムータジラ派との中間に位置する。それだけに双方から攻撃を受けた。とくにシリアやバグダードなどでは、ハンバル派の影響が強く、また時には親ムータジラ派的、ないしはそれに接近するシーア派政権によって迫害されたりして、スンナ派神学として現実に受け入れられるまでには長い時間を要した。この派の歴史についてはまだ不明な点が多いが、バーキッラーニー、バグダーディー、イマーム・アルハラマイン、ガザーリー、ファフルッディーン・ラーズィー、イーズィー(Adud al-Din al-Iji)などの学者が有名である)である[1]。

ガザーリーの論理とは、いわゆる「イジュティハードの門は閉じられた」という論理である。この論理は10世紀に端緒がある。この世紀の前後には、主なハディースの収集が完了した。この論理を端的に説明するならば、「今後はすでに確立された法体系とその解釈の伝統を守るべきで、新たな法解釈は認められないという[1]」論理になる。
ハンバル法学派の視点--イジュティハードの門は閉じられていない

一方、ガザーリーの論理に対して真っ向に反対する論理を提示したのが、ハンバル法学派に所属するイブン・タイミーヤである。イブン・タイミーヤが活躍した舞台はフレグ・ウルスとマムルーク朝が対峙したシリアとエジプトである。イブン・タイミーヤが強調した論理は、シャリーアである。彼自身は、クルアーンとスンナの強調のみでは現実的な問題に対処することが困難であったということを十分に理解していたので、シャリーアが現実的機能を果たすためにも、クルアーンとスンナに現れている法的原則を解釈し応用する必要性を説いた。

イブン・タイミーヤは、法学者などのウラマーの重大な任務を説き、法源としてのクルアーンとスンナを絶対的優位な法体系に認めることで、この原則にのっとったイジュティハードだけが有効なものであるとし、個人によってそれぞれ勝手に独自の判断を認めなかった[2]。。

彼の論理は、18世紀のワッハーブ派の運動に大きな影響を与えていく。
十二イマーム派におけるイジュティハード
十二イマーム派においてウラマーによるイジュティハードを基礎付けるために用いられた弁証法は以下のようなものであった。まず、アッラーフは全知全能であり、アッラーフのみが一身専属権として有する立法権を用いて人類のために法を作り、人類にその法を伝えるために預言者を指名し、更にその法について人類を正しく導くイマームを指名した、と説いた。その上で、預言者(ムハンマド)も過去のイマームも神の業の全てを知り尽くして言葉に残したわけではなく、また現在のイマームであるムハンマド・アル・マフディーはお隠れになっている、とした。このような認識を前提として、ゆえにウラマーはアッラーフが作られた法律をクルアーンとハディースから特別な方法を用いて探す義務を追っており、これがウラマーによるイジュティハードの目的である、と彼らは結論した。この論理により、十二イマーム派はイジュティハードを一種の法発見の過程と位置付け、法創造であるとの批判を否定したと言われている。

イラン

シーア派の国家であるイランにおいては、イジュティハードは、「ヴェラーヤテ・ファギーフ(ペルシア語版、英語版)」(法学者の統治)という法論理に収斂されることになる。 ヴェラーヤテ・ファギーフ論とは第12代イマームがお隠れになった後に誰が宗教共同体(ウンマ)を率いるかという問題に直面したシーア派ウンマが生み出した法論理であり、その端緒は、ウラマーによる司法権限の代行、ウラマーによる宗教税の徴収と配分権の保有であり、現代では、政治面まで拡大している。

一定以上のウラマーにイジュティハードが与えられ、このような学者のことをムジタヒドと呼ばれる。ムジュタヒドの中での最高権威がマルジャエ・タクリードと呼ばれ、イスラーム法の解釈権を持たないものはムカッリド(模倣するもの)と見なされ、ムジュタヒドに従うことが求められる[4]。ただし『模倣』(タクリード)とは『盲従』(タアッボド)とは違い、理性による批判精神を捨てるよう求めるものではない。よってタクリードとはイスラーム法の専門家の権威を認めることであって、具体的にその学説を受け入れるかどうかは信者個人にゆだねられるという説もある。”

ジャアファル・サーディク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF
”ジャアファル・アッ=サーディク(アラビア語: جعفر الصادق‎, 702年4月20日 - 765年12月4日)、全名アブー・アブドゥッラー・ジャアファル・イブン・ムハンマド・イブン・アリー・イブン・フサイン・アッ=サーディクは、シーア派・イマーム派の第6代イマーム。アッ=サーディクとは「信に値する者」の意。

クーファの街を拠点に活動し、神学者・法学者としても著名。ジャアファル・アッ=サーディクの法判断はのちのシーア派法学においてジャアファル法学の基礎となっており、イマーム派シーア派の教義を確立したイマームといってよい。しかしジャアファル・アッ=サーディクの名声はシーア派内に留まるものではなく、信頼性の非常に高いハディースの伝承者として、また学問全般に対する貢献からスンナ派のあいだでも高い崇敬を受けた。

またジャアファル・アッ=サーディクの後継をめぐって、のちに主流派となる12イマーム派と今日のアーガー・ハーンの家系に連なるイスマーイール派との分裂がおこっている。

学者として

ジャアファルは幼時から祖父アリーの許で勉学を積み、祖父の死後は、743年のその死まで父ムハンマド・アル=バーキルとともに学んだ。

ジャアファルは、ハディース、スンナ、クルアーンなどのイスラーム諸学に通暁し、さらにイスラーム学に加えて、自然科学・数学・哲学・天文学・解剖学・化学、その他の諸学芸にも通じた。

イスラーム史における化学者として、第一に名の挙げられるアブー・ムーサ-・ジャービル・イブン・ハイヤーン(西欧語ではゲーベルの名で有名)は、ジャアファル・アッ=サーディクの弟子のなかでも特に有名である。ジャアファルは学問における自由主義的寛容さで知られており、異なる信仰あるいは信条をもつ学者らとの議論を切望した。

シーア派では、スンナ派の法学派や神学派の祖のうちの3人までもがジャアファルの許で学んでいるという理由から、彼らをジャアファルの弟子とすべきであると考える。この議論はスンナ派の立場からは、ジャアファルの影響を誇張したものであるとされている。学者らの多くは互いの講義に出席していたのである。

多岐にわたりジャアファルと研究をともにしたと考えられる学者
ジャービル・イブン・ハイヤーン: 偉大な化学者。ヨーロッパではゲーベルの名で知られる。
ムーサー・アル=カーズィム: ジャアファルの息子。第7代イマーム。ジャアファル学派を継ぐ。

ジャアファルの講義へ出席したり、研究をともにしたと考えられるスンナ派学者
ワースィル・イブン・アター: ムゥタズィラ学派の祖。
アブー・ハニーファ: ハナフィー法学派の祖。
マーリク・イブン・アナス: マーリク法学派の祖。

シーア派教義の確立

ジャアファルは前節の学者としてのあり方から見て取れるように、知と理性(アクル)を非常に重視した。これはシーア派学問や神智学的分野のみに留まるものではなく、法学分野に影響を与え、さらにシーア派の教義そのもの、ひいてはその政治思想にも影響を与えるものであった。判断(特に法的判断)における理性の強調は、とりもなおさず判断する者の「知」を重視することになるからである。この判断を社会全体での判断について当てはめると次のように議論が展開する。

ムスリム全体を導くために判断する者、すなわちウンマ(イスラーム共同体)を指導する者にも当然、知あるいは理性が求められる。では、預言者ムハンマド没後どのように「知」「理性」を持つ者が確保されてゆくのか。そこでジャアファルは、イマームこそ、そしてイマームのみが神の言葉たるシャリーア(イスラーム法)を正しく判断できるもの、とする。初代イマーム・アリーは知の完成者として賞賛されるが、ジャアファルは、その知のあり方はアリー家に受け継がれるとしたのである。こうして、ジャアファルにおいて、シーア派イマーム派の根本教義の一つ、アリー家の無謬のイマームが代々指導する共同体を志向するという教義が成立した。
ウマイヤ朝下のジャアファル

ジャアファル・アッ=サーディクは激しく転変する時代に生きた。ジャアファルは、先々代イマーム・アリーの信徒らに重んぜられたが、彼らはウマイヤ朝から見れば異端的な反乱軍であり、ジャアファルの縁者の多くはウマイヤ朝によって死に追いやられたのである。叔父ザイド・イブン・アリーはジャアファルの父ムハンマド・アル=バーキルが没した直後、ウマイヤ朝に対して反乱を起こした。ジャアファルはこれには参加しなかったが、ザイドをはじめ縁者の多くが亡くなり、また罰された。ウマイヤ朝末期の数年間にはこのほかにも多くの反乱があり、750年のアッバース朝成立に至る。このときジャアファルは48歳になっていた。

諸々の反乱勢力はジャアファル・アッ=サーディクの支持を求めたが、ジャアファルは自身の見解をはっきりとさせずに、この類の要請をはぐらかしつづけた。ジャアファルはカリフ位を彼に与えるというような文言を持つ書簡を燃やしてしまい「この者は私に従う者ではなく、そもそも神の領域に属することをなすことは、この者にはできない」と言ったという。ジャアファルはその本意を隠し、慎重に沈黙を続け、シーア派教義タキーヤ(信仰秘匿)の確立の淵源はここにあるとされる。タキーヤはすなわち、自らの本来の信条を明らかにすることで自己や他者が危険な状態に置いてしまうような場合、これを隠すことが認められるという教義である。


マズハブ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%8F%E3%83%96

ジャアファル法学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E6%B3%95%E5%AD%A6%E6%B4%BE


アシュアリー学派 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%AD%A6%E6%B4%BE

マートゥリーディー学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%B4%BE

マーリク学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF%E5%AD%A6%E6%B4%BE

シャーフィイー学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A4%E3%83%BC%E5%AD%A6%E6%B4%BE

ハナフィー学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E5%AD%A6%E6%B4%BE


数えられなかった羊 『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』
“イスラームにおける「異端」概念についての議論から。
 キリスト教とイスラーム教が比較される場合、前者がorthodoxyを求める宗教であるのに対して、後者はorthopraxyの宗教であると説明されることがしばしばある。ユダヤ教内の律法主義を批判しながら成立したキリスト教では信条・教義の正しさが求められるが、ユダヤ教と同様に戒律重視であるイスラーム教では、まず求められるのはおこないの正しさということである。宗教の全体的な傾向について言っているのなら、このような対比は間違ってはいない。近代初期までの西欧においてたびたび実施された異端審問のように、人の思想・信条に立ち入り、それを裁こうとする試みは、同時代の中東イスラーム圏ではあまり起きなかったのも事実である。
 もちろん、異端排斥的な教義論争がなかったわけではなく、本書内の引用箇所でも留保がされていますし、マアムーンのムウタズィラ派正統化による「異端審問」についても概説されています。
 本書全体の流れとしては、まず比較的教義の明確な「異端」が分離することで「その他大勢」としてのスンナ派が析出されてきて、多数派が遅れて理論構成する、という展開となっています。この歴史展開について、キリスト教におけるグノーシス派の「分派」との比較なども触れられています。
 
 続いて、スンナ派におけるカリフ論と無謬性についての議論から。
 (・・・)イマーム派系のイマーム論では、イマームは人間の中で「最良の者」であると定義される。これに対し、マーワルディー1の理論において重視されるのは、カリフの資質よりむしろ統治契約成立の有無である。マーワルディーはカリフの条件として、公正であること、知識があること、五体が健全であること、臣民を統治し公共福祉の増進を促すような意見を持っていること、イスラーム教の敵と戦う勇気と気概を持っていることなどをあげている。だが一方では、カリフ選出時に「もし、より優れた方の人物を推挙したが、不在や病気であったという事情や、あるいは劣っている人物の方が、人々の服従を得やすいとか、人身を掌握しやすいとかの理由によるのであれば、この選挙は有効で」あるとも主張している。マーワルディーにとって、カリフは無謬どころか最良でなくても構わない。劣っているからこそ都合が良いという理由でカリフが選ばれることすら、彼は許容する。また、カリフが在任中に精神に異常を来したり、身体に欠損を生じた場合にカリフが廃位される場合もありえると考えている。このような事態も、理論上は無謬のイマームには起こりえないことであろう。



読了 イスラーム教「異端」と「正統」の思想史
http://flourish.cocolog-nifty.com/psy_srm/2010/12/post-1bd4.html
“本書の大前提として、イスラム教が「セム的一神教」から外れていないことが冒頭で記される。これはユダヤ教によって発明された概念であるがキリスト教及びイスラム教にも継承されている中心理念であり、
1 唯一神
2 予言者に下される啓示と経典
3 神が人間に課す戒律
4 一度限りの創造と終末、終末の後に到来する永遠の来世
の諸概念から構成される。キリスト教は所謂三位一体概念により殆ど第1の要件を踏み外しかねない論理的な”アクロバット”を行っているが、辛うじて唯一神概念を保持している、とする。当然イスラム教はこの”セム的一神教”の枠組みの中で展開する事となる。
 ここまでが序章であり、章立ては以下のとおり。
1 理想の信仰共同体と「分派」の出現
2 「異端」と「正統」
3 「宗教宗派」シーア派の成立
4 イマーム派と極端派
5 イスラーム教のメシア思想
6 裏切られた革命(※アッバース朝とシーア派の関連について)
7 12イマーム派とイスマーイール派の台頭
8 シーア派とスンナ派の対峙
9 イスラーム教教義の限界に向かって
 本書の主張の基本は、
「シーア派諸派が成立し、それに対峙する形で多数派のスンナ派が自らの教義を形成して行った」
とするものである。これは、ネストリウス派キリスト教がカソリックに対峙していて、ネストリウス派に拮抗するためにカソリックが自らの教義を整えて行った事に比肩されると言う。地味ながら、非常な卓見である。そして、シーア派を形成して行った「悔悟者たちの反乱」等の事件を記載する。
 また、シーア派の隠れイマームの思想が救世主思想に親和的であって、イマームが救世主としてお隠れの状態から脱すると言う思想を生んだ、とする。だが、イスラーム等における救世主思想がセム的一神教に必然的ではないことを論じ、救世主思想を俯瞰する。
 ここで描かれる(ムハンマドの前の預言者の一人としての、また救世主としての)イエスの姿(※それは、ハディーズ文献に登場するものであり、必ずしもクルアーンに登場するものではない)は、時代と共に変遷するのであるが、何れも驚嘆すべき極めて興味深いものである。クルアーンは岩波文庫に邦訳されて容易に読めるが、ハディーズ文献は馴染みが薄い。このあたりの解説だけでも、本書は大いに価値がある。
 アッバース朝の成立とそれに当初は協力したシーア派が対立し、その中でアッバース朝はウラマーたちに宗教的解釈権を与えることで自分たちの立場を強化し、ここにようやっとスンナ派が成立した、とする。シーア派が一貫して、アリー及び預言者の娘ファーティマの子孫をカリフとして擁立しようとしたのに対し、アッバース朝とその後継者たちは一種の多頭支配に移行したものと言えるだろう。
 シーア派の運動は、アラブ民族によって征服された諸民族の反発による政治運動だと一般的には理解されるのであり、アッバース朝はイスラムであれば民族を問わず平等であるとしてこの政治運動の一部を飲み込み、アッバース革命とも称される。他方、アッバース朝の出自は預言者の叔父の系統であり、シーア派の主張する女系ではあるが預言者直系のアリー系カリフ就任は拒絶された。もし、シーア派運動が諸家が言うように被支配民族が興した政治運動であるならば、ここでシーア派の運動は終わりになったはずである。だが、シーア派の動きは更に活発になり、北アフリカに爾後シーア派王朝のファーティマ朝を樹立するに至る。




菊地達也 『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』 (講談社選書メチエ)
https://whbg.wordpress.com/category/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%BB%E4%B8%AD%E6%9D%B1/
”ムハンマドは、セム系アラブ民族クライシュ族の中のハーシム家に属する。

初期のカリフのうち、アリーはムハンマドの叔父アブ・ターリブの子で、ムハンマドのいとこ、アブー・バクルとウマルはクライシュ族の別の家、ウスマンはクライシュ族のウマイヤ家。

第3代正統カリフのウスマンがウマイヤ家出身なのは、高校世界史レベルだと盲点なので要記憶。

23ページの系図によると、ウスマンの父とアブー・スフヤーン(ウマイヤ朝初代カリフ、ムアーウィヤの父。初期布教期にムハンマドを圧迫した中心人物。)がいとこ同士なので、ウスマンとムアーウィヤは「はとこ」に当たるのか。

ムハンマドの子供のうち、男子はすべて夭折、ファーティマという娘が一人いるだけで、彼女がアリーと結婚。

ムハンマドのおじアッバースから始まるアッバース家はハーシム家に収まる。

これだけは押さえておかないと、話が繋がらない。

なお、正統カリフとはスンナ派にとっての「正統」で、シーア派はアリー以前の3人は簒奪者と見なす(ただし後述ザイド派などの例外あり)。

スンナ派のカリフとシーア派のイマームの区別。

カリフは血筋はあまり重視されず、前任者の指名または選挙で選出、政治と軍事の権限のみを持ち、宗教的権限はウラマー(学者)が持つ。

イマームはアリー家の血統と父子指名を最重視、共同体の統治者であるだけでなく、精神的にも絶対的指導者。

しかしアッバース朝期までは、宗教解釈権を行使したカリフも多かったとのこと。

このカリフ権限の説明ですが、大昔の高校世界史だと「カリフ=政教両面の指導者」、「スルタン=政治面のみの指導者」と習った記憶があり、整合しませんが私の習ったのは古い説なんでしょうねえ。

656年ウスマンが軍の反乱で殺される。

これがイスラム教徒による初のカリフ殺害(644年ウマルはキリスト教徒に暗殺された)。

アリーがカリフに登位するがシリア総督ムアーウィヤはこれを認めず、ムハンマドの寡婦アーイシャ(アブー・バクルの娘だったか)と教友ズバイルおよびタルハは反乱を起こし、第一次内乱始まる。

アーイシャらは鎮圧され、ズバイルとタルハは敗死。

アリーはイラクのクーファに移動しムアーウィヤと戦うが、657年スィッフィーンの戦い後、一時和議成立。

これを非難する一派がアリー派から分離、初の分派ハワーリジュ派成立。

ムアーウィヤだけでなく、それまでの指導者アリーをも悪と見なす極端な善悪二元論と攻撃性を持つ宗派で、アリー軍と戦って惨敗した後も、活動を続け暗殺者を派遣、ムアーウィヤ殺害は失敗するがアリー暗殺に成功、この661年をもってウマイヤ朝成立となる。

ハワーリジュ派はウマイヤ朝治下でも武装蜂起を繰り返し、弾圧を受け、現在では他派に比較的寛容なイバード派がオマーンに居住するのみ。

イスラム教を大きく分ける場合、スンナ派・シーア派にこのハワーリジュ派を加えるのが正確な言い方らしい。

第2章。

正統カリフのうち、ハワーリジュ派はアブー・バクルとウマルの権威のみ認め、他派にも同じ立場を採るものあり。

シーア派はアリーのみ。

シーア派以外ではアブー・バクルとウマルを否定するものはいないが、初期の伝承ではウスマンの失政をあけすけに語っているものもあり、「四代の正統カリフ」はアッバース朝以降の理解。

第3章。

アリー死後、ファーティマとの子ハサンがカリフ即位を宣言するが、ムアーウィヤとの交渉を経て、ハサンはメディナに隠遁。

ウマイヤ朝は、正統カリフ時代を終わらせ、有力アラブ部族のみを特権化した不平等な政治を行ったので、シーア派のみならずスンナ派からも後世の評価は芳しくない。

ムアーウィヤが死去し、ヤズィードが即位すると、ハサンの弟フサインがこれに反抗、メディナからクーファに移ろうとして、680年カルバラの戦いでウマイヤ朝軍に敗れ戦死。

兄のハサンがシーア派の静観主義、弟のフサインが行動主義・殉教主義を象徴。

683年アブドゥッラー・イブン・ズバイル(上記アーイシャ反乱の同志ズバイルの息子)がメッカでカリフ位を宣言。

685年クーファのシーア派勢力によるムフタールの乱。

ムフタールは、アリーがファーティマ以外の妻ともうけた子ムハンマド・イブン・ハナフィーヤを担ぎ、政治党派ではなく宗教宗派と言える初のシーア派集団、カイサーン派を創始。

初期のシーア派では、現在消滅してしまったこのカイサーン派が最大勢力となる。

アラブ社会は基本的に男系社会なので、ファーティマを通じてムハンマドの血統が流れていることが当時は後世のようには重視されず、アリーの息子であることが主に強調されたため、ファーティマの子ではないイブン・ハナフィーヤが旗印に成り得た。

イブン・ズバイルはムフタールとは対ウマイヤ朝で共闘せず(父のズバイルがアリーに敗死しているので当然だが)、反シーア派の立場。

シリアのウマイヤ朝、イラクのムフタール、アラビア半島のイブン・ズバイルと、この第二次内乱は三つ巴の様相を呈するが、イブン・ズバイルがムフタールを覆滅した後、692年ウマイヤ朝第5代カリフ、アブド・アルマリクがイブン・ズバイルを倒し、内乱を終結させる。

(アブド・アルマリクの息子がウマイヤ朝最盛期カリフのワリード1世。ヤズィードの子で直系が途絶えて、ウスマンのいとこの系統にカリフ位が4代目から移っている。)

この内乱の期間、フサインの息子ザイヌルアビディーンはメディナで隠棲。

その二人の息子のうち、ザイド・イブン・アリーはウマイヤ朝末期に反乱を企て処刑され、もう一人の息子ムハンマド・バーキルは父と同じく静謐のうちに過ごす。

ザイドを支持したのがシーア派内のザイド派で、フサイン家だけでなくハサン家子孫にもイマーム継承権を認めるのが特徴。

アッバース朝時代になり、ハサン家出身イマームを擁したザイド派の反乱が、第2代カリフ、マンスールに弾圧される。

ザイド派は非シーアの多数派に支持を広げるため、「劣位のイマーム」の概念を導入、シーア派内では例外的に、正統カリフのうちアブー・バクルとウマルの権威を認める。

ザイド派はのちに北アフリカにイドリース朝(東京書籍『世界史B』に少しだけ記述有り)を建設、現在はイエメンに存在。”

シーア派についてのメモ その1
https://whbg.wordpress.com/2010/01/10/%e3%82%b7%e3%83%bc%e3%82%a2%e6%b4%be%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%80%80%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%91/
”ムハンマド・バーキル→ジャアファル・サーディク父子を支持するのがイマーム派で、12イマーム派とイスマーイール派に分かれる。

ジャアファル死去時、息子たちのうち、父より先に死去していたイスマーイールを支持したのがイスマーイール派、ムーサーを支持したのが12イマーム派。

ウマイヤ朝末期からアッバース朝初期にかけて、ムハンマド・バーキルとジャアファル父子はメディナで学究生活を送り、イマーム派の「信仰隠し(タキーヤ)」論の根拠となる。

これは少数派であるシーア派が現在まで存続する上で有益だったが、一方同時期に多数派に反抗し蜂起を繰り返していたザイド派などからは非難されることもあった。

イスラム教が厳格な一神教で、キリスト教徒がイエスを「神の子」と呼ぶのを非難し、預言者ムハンマドもあくまで人間であるとしていることは高校教科書にも出てきますが、この時期のイマーム派の中からは、精神的指導者尊崇の一線を越えてイマームを文字通り神格化したり、イマーム間の神霊の輪廻を信じたり、真理を会得したものによる既存のイスラム律法の軽視・廃棄を認めるような極端派が生れる(だが、これらはシーア派主流からは排除されていく)。

第5章。

イスラム教内のメシア思想。

省略。

第6章。

750年アッバース朝成立。(この年代は当然絶対暗記事項。結局ウマイヤ朝は100年続いてない。)

中央アジア・ホラーサーン地方でアブー・ムスリムがシーア派勢力の支持を得て蜂起したのがアッバース革命の始まり。

イブン・ハナフィーヤの息子がアッバース家の人間をイマーム後継に任命したとの伝承がつくられ、シーア派のうちカイサーン派をアッバース家が乗っ取る形になる。

第2代カリフ、マンスールの時代にアッバース朝とシーア派は決裂を迎える。

ハサン家の武装蜂起は鎮圧され、首謀者は処刑。

ファーティマを通じた預言者の血筋を何より尊ぶシーア派勢力に対し、マンスールは女系相続はありえず、アリーの父アブー・ターリブは結局改宗しなかったのに対し、同じくムハンマドのおじのアッバースはムスリムとなり預言者に親しく協力したゆえに、ムハンマドの継承権はアリー家ではなく、アッバース家にあると反論。

アッバース朝初期のこの時点で、王朝正統性の根拠が当初のシーア派的イマーム継承から、アッバース家の血統に変更されている。

その後、第3代マフディー、第5代ハールーン・アッラシード時代に、統治の根拠はイスラム法を護持・執行することに再度変更され、血統主張は後退。

多数派ウラマーの支持を得るため、正統カリフとして(アッバース家でないのはもちろんハーシム家出身でもない)アブー・バクルとウマルの権威を認める。

アリー家からはアリーを認めハサンを外し、ウマイヤ家からはウスマンを認めムアーウィヤを外す。

これで我々の知る四人の正統カリフとなる。

こういう認識は、できる限り支持基盤を広げるための妥協の産物だったのだろうと推測される。”

シーア派についてのメモ その2
https://whbg.wordpress.com/2010/01/12/%e3%82%b7%e3%83%bc%e3%82%a2%e6%b4%be%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%80%80%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%92/
”アッバース朝時代、政権による弾圧で、イマームの召喚と幽閉が続く。

11代イマーム没後、息子の12代イマームが幽隠ののち、マフディー(メシア)として再臨すると信じるのが12イマーム派。

実在が確認できるのは11代イマームまでで、12代目の息子の年齢や名前をめぐって対立があり、小分派が乱立、現在の12イマーム派も当初はそうした一分派の一つだった。

10世紀はブワイフ朝とファーティマ朝の支配によって、「シーア派の世紀」とも言われる。

そのうち、ファーティマ朝の創始者は、イランでイスマーイール派に属していたアブドゥッラー(通称ウバイドゥッラー)。

当初はイスマーイールの息子の代理人を名乗り、各地で教宣組織をつくり、地下活動を続けるが、のちにイマームは自分自身であると宣言。

この主張切り替えが、元のイマームからの委任に基づくものなのか、それとも実は自身がイスマーイールの血統に属することを根拠にしたのか本書では明確に記されていないようなので、わからない。

この方針転換を受け入れず、激しく反発した一派がカルマト派と呼ばれる。

ウバイドゥッラーは北アフリカに逃亡後、909年チュニジアにファーティマ朝を建国。

12イマーム派のブワイフ朝が、946年バグダードに入城してからも現実主義を採り、アッバース朝カリフの権威を認め、自らは大アミール位についただけなのに対し、ファーティマ朝は自らカリフを称し、アッバース朝の完全な打倒を目指す。

第4代カリフ、ムイッズの治世である969年エジプトを征服、のちにメッカ・メディナの二大聖地やシリアも版図に入れるが、ブワイフ朝はカルマト派と同盟、イラクのアッバース朝までは到達できず。

このころには過激なメシア主義は後退し、既存のイスラム法尊重が主流になるが、第6代カリフ、ハーキムを神格化したドゥルーズ派などの揺り戻しも見られた。

11世紀に入ると、ガズナ朝君主マフムードやセルジューク朝によるスンナ派の反撃が始まる。

第8章。

以上のシーア派各派に対抗して、多数派が自己認識を形成した結果生れたのがスンナ派。

スンナ派とシーア派は、結局、指導者論以外では教義上大きな違いは無い。

スンナ派が、個人の無謬性を預言者ムハンマドのみに認め、以後は宗教共同体全体の一致、ウラマー全体の合意を無謬としたのに対し、シーア派はムハンマドに加え、その子孫のイマームを無謬とした。

第9章。

シーア派内分派について。

イスマーイール派から分離したニザール派がイランに移り、いわゆる「暗殺者教団」に。

ドゥルーズ派とアラウィー(ヌサイリー)派は現在シリアとレバノンに居住。

両者ともイマームだけでなく一般信徒の輪廻を信じ、コーラン以外の聖典を保持する特異性がある。

ドゥルーズ派はレバノンにおいてマロン派キリスト教徒、スンナ派イスラム教徒と並んで宗派別権力分配に預かるグループとして、他の本でよく名前が出てくる。

アラウィー派は、1970年以来シリアで政権を握ったハフェズ・アサド、および2000年その跡を継いだバッシャール・アサド父子が属する宗派として有名。

現在ではイエメンのザイド派にのみ政治権力を掌握するイマームがいる、と書かれているが、外務省の各国情勢で確認すると、イエメンが南北に分かれていた頃、北イエメンは元王国だったが共和政に変わり、南イエメンはソ連に接近し人民共和国を名乗っていて、それが冷戦終結後の1990年に統一されて現在も共和国とのことなのだが、それじゃあこのイマームというのは何なのだろう・・・・・?

制度上、君主ではないが、そうした宗教的存在がいるということか。

よくわかりません。

(追記:最近の北部での内戦について、以下の文章を見つけた。)

ル・モンド・ディプロマティーク  「イエメンの危機的状況」

やっとこさ、とりあえず終わりました。

最後、「おわりに」であった、原理主義についての文章が面白かったので、以下に引用。

長期にわたって学者たちが積みあげてきた学問的成果を軽視し、聖なるテクストを直解しようとする姿勢は、結果的には学問的に精密な分析よりは素人的で主観的な聖典解釈を生みだしがちである。その結果、本人たちの意志に反して、彼らの解釈は近現代の状況に縛られる。クルアーンやスンナを理解しようとする際、古典期までの学者たちは伝承資料に対して大いに批判的な精神を見せていたが、そのような批判精神は原理主義者には希薄である。時代状況への依存度が高く、主観性の強い原理主義の思想は、原点回帰を訴えてはいても、実際には近現代の状況の中で選び取られた、イスラーム教理解の一つのヴァリエーションでしかない。”

シーア派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE
の参考文献
• 桜井啓子 『シーア派 ――台頭するイスラーム少数派』(中公新書、2006年)

シーア派―台頭するイスラーム少数派
http://d.hatena.ne.jp/abekoji/20091225/1261714646
” 第六代イマーム、ジャアファル・サーディクは、シーア派法学における重要な教義を説いた。その一つが、信仰隠蔽(タキーヤ)である。これは、自分や家族、シーア派の存続を脅かすような危機に直面した場合は、信仰を隠してもよいとす教義である。つまり信仰隠蔽を、シーア派を弾圧や迫害から守るための手段として正当化したのである。

大お隠れ時代を迎え、イマームにイスラーム法に関わる法解釈を求めることができなくなったシーア派の間では、イマームに代わって誰が、何を典拠に、どのような方法で法を解釈するべきか議論されるようになった。シーア派のウラマーらは、イマームたちの言行(スンナ)も預言者の言行と同様に、イスラーム法学(フィクフ)の典拠つまり法源(ウスール)とみなし、イマームの言行を収集し編纂することで、その不在を補おうとした。その結果、一〇世紀から一一世紀にかけていわゆるシーア派の四大伝承集が完成した。



『シーア派―台頭するイスラーム少数派』桜井啓子

・イスラームのザカート=喜捨は義務。
ザカートは一年を通じて個人が所有していた金銭、家畜、農産物などの財産に対してそれぞれ定率の支払いが課されるもので、現金の場合は2.5%。

↓の「戦争(戦利品)で得たどんなもの」はアラビア語で広義には「利益一般」なので、シーア派は事業や商業にも適用可能と考えてきた。

(” 「まことにザカート・喜捨は、恵まれない人、貧しい人、それを管理する人のため、また人々の心を惹きつけるため、隷属や借金からの解放のため、そして神の道における戦い[ジハード]のため、また道の途中で途方にくれた人々のためのものである。これは神が定めた宗教義務である。神は賢く英明であられる」 (9:60)

一部の人々が、ザカートの分け前をくれと表明したことを受け、この節は、イスラムで義務とされるザカートの使い方について定め、こう語っています。「ザカートは、困窮にあえぐ人や生活力のない人、あるいは借金を抱え、それを返済する能力がない人に届けられる。また、旅のさなかで災難に遭い、途方に暮れた人にも配られる。非イスラム教徒をイスラムへと惹き付けるためにも、ザカートを費やすことができる。また必要とあらば、奴隷を買い、解放することもできる。もし戦いが起こったら、ジハードの経費のためにザカートを費やすことができる。もちろん、ザカートの収集とその支払いを請け負う人々への報酬も、そこからまかなわれる」”
コーラン第9章 タウバ章 悔悟 第56節~第60節
http://japanese.irib.ir/programs/%E5%85%89%E3%81%AE%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1/item/29200-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E7%AC%AC9%E7%AB%A0-%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%90%E7%AB%A0-%E6%82%94%E6%82%9F-%E7%AC%AC56%E7%AF%80%EF%BD%9E%E7%AC%AC60%E7%AF%80


”「[真理と偽りが]分かたれる日、[信心者と不信心者の]2つのグループが対立する日、神が僕たちに下したもの、そして神を信じるのなら、覚えておくがよい。あなた方が戦利品として得たものの5分の1は、神と預言者、近親者、孤児、恵まれない人、そして困っている旅人に施すものとなる。神は全てのことを知っておられる」 (8:41)”
コーラン第8章 アル・アンファール章 戦利品 第38節~第41節
http://japanese.irib.ir/programs/%E5%85%89%E3%81%AE%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1/item/28777-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E7%AC%AC8%E7%AB%A0-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%AB%A0-%E6%88%A6%E5%88%A9%E5%93%81-%E7%AC%AC38%E7%AF%80%EF%BD%9E%E7%AC%AC41%E7%AF%80

””フムス (khums) は、イスラム教シーア派における、純益の五分の一を支払う宗教税である。本来はアラビア語において五分の一を意味する単語である。
概要

シーア派の観点によれば、フムスの根拠はクルアーンの以下の節による。

「戦争で得たどんな物も、5 分の1 は神とその使徒そして近親、孤児、貧者、そして旅人に属することを知れ」
— クルアーン 8 章〔戦利品章〕41 節、[1]

この字句によれば、フムスの分配対象は以下の6つである。

神(アッラーフ)
使徒(預言者ムハンマド)
使徒の近親者
孤児
貧者
旅人


イマームの在時には、イマームが受け取り、それらを対象に分配することが原則とされた。しかし実際には分配の対象は以下の2つに区分される。

イマームの取り分
分配対象の神、預言者、「お家の人々」がイマーム自身であると解釈されたことに基づく。
サイイドの取り分
孤児、貧困者、旅人は預言者一族の一員であると解釈されたことに基づく。

このうち、第一に関してはイマームがお隠れ(ガイバ)することで、法学者間の問題となった。イマームに代わり法学者が徴収可能であるかが主要な問題となり、議論が展開されていく[2]。現代ではイマームの代理として高位の法学者が習従する一般信徒からフムスを徴収して宗教活動に使用しており、その財政基盤となっている。

シーア派の歴史的研究では、オスマン帝国とシーア派宗教界に集まったフムスとイランからの聖地巡礼による収入は、カージャール朝の国家予算の数倍から10倍以上という莫大なものであったことが明らかにされている[3]。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A0%E3%82%B9_(%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0)


・アラウィ―派=ヌサイリー派:シリア、トルコ、レバノンなどに点在するシーア派系グラート(過激な教義の極端派)。
・ワクフ:土地や物件などの財産を寄進し、そこからの集積を宗教施設の運営など慈善費用に充てる制度。

・p.6 総人口に占めるシーア派率
イラン=88.3% 
イラク=57.1%  
バーレーン=54.4%  
レバノン=29.8%  
クウェート=18.8%  
パキスタン=14.5%  
アフガニスタン=5.9%  
トルコ=3.3%  
サウディアラビア=2.3%  
インド=1.8%  
シリア=0.6%  
アゼルバイジャン=61.0%  
タジキスタン=5.0%  

・“「隠れイマーム」
 第十代イマームの死にともなって、ハッサン・アスカリーが第十一代イマームに就任したが、八七四年にこの世を去った。彼に後継者となるべき息子がいたのか、いなかったのか知らされていなかった信徒は、第十一代イマームの叔父にあたる人物に、葬儀を主催するよう依頼した。ところが葬儀の礼拝がはじまると、突如一人の少年が現れ、葬儀の礼拝は、叔父ではなく息子である自分が行うのが相応しいと言い放ち、礼拝を行った。人びとはこの少年を第十二代イマームだと信じたが、礼拝の終了と同時に姿を消し二度と現れることはなかった。
 第十二代イマームの行方をめぐってさまざまな憶測が流れたが、結局第十二代イマームは、信徒と直接に触れあうことができない「お隠れ」(ガイバ)状態に入ったという解釈が受け入れられていった。こうした解釈が受容されたのは、第十代イマームも第十一代イマームもアッバース朝の監視を避けるために信徒の前に姿を現すことはなく、代理の者を介して信徒と交流していたからである。第十一代イマームが、迫害を恐れた息子の存在を明かさなかったとしても信徒にとって不思議ではなかったのだろう。第十代、第十一代イマームの代理を務めた人物は、引き続き第十二代イマームの代理人としてイマームと信徒の仲介を果たした。この人物の死後は、彼の息子がその任を引き受け、その後もまた別の人物が登場し、そうした状態は九四〇年に四人目の代理人が他界するまで続いたために、一般の信徒にとって大きな変化はなかったとされている。
ところが、四人目の代理人が、後継者を指名せずに他界したために、シーア派は、イマームとの交信の途を完全に断たれてしまった。預言者ムハンマドの他界からおおよそ三〇〇年後のことである。それでもシーア派は、「イマーム不在」の状態を永遠のものとは考えなかった。「隠れイマーム」となった第十二代イマームは、終末直前に救世主(マフディー)として再臨して、人びとをこの世の悪から救済してくれると信じたのである。
シーア派によれば、サーマッラーにある第十一代イマームの墓廟の下には洞穴があり、その洞穴のなかの一室には扉があり、この扉の向こうの部屋の隅に、第十二代イマームが消えた泉があるという。人びとは、この泉に集まり隠れイマームの再臨を祈る。
 のちにシーア派は、第十二代イマームのお隠れから四人目の代理人が他界するまでの七〇〇年近い歳月を「小お隠れ時代」(八七四~九四〇)、その後の時代を「大お隠れ時代」(九四〇年から現在)と呼ぶようになった。“桜井啓子『シーア派』pp.29-31

・シーア派法学の基礎
九四〇年から大お隠れ時代を迎え、イマームにイスラム法に関わる法解釈を求められなくなったシーア派では、イマームの代わりに誰が、何を根拠に、どのような方法で法を解釈するべきか議論されるようになった。

イスラーム教ではムハンマドの言行(スンナ)についての伝承(ハディース)を収集し、イスラームの規範を導き出そうとする学者をウラマーという。
スンナ派においてもウラマーはその学識によって宗教的権威を持つようになった。
シーア派にもウラマーが登場したが、シーア派ではムハンマドだけではなく、十二人のイマームの言行も重視。「隠れイマーム」の時代となると、シーア派ではイマームの持っていた金曜礼拝の指導や宗教税の徴収などをウラマーが代行。シーア派においては、ウラマーが宗教指導者としての強い指導力を有する。

イマーム不在を補うために、イスラーム法学(フィクフ)の典拠=法源(ウスール)に、
イマームらの現行(スンナ)も加えた。
十から十一世紀にかけてシーア派の四大伝承集が完成。
シーア派四大伝承を作った三人は全員現在のイラン出身。
法源学(ウスール・アル=フィクフ)も発達。

これに先駆けスンナ派では九~十世紀にかけてスンナ派の法源学も発達し、
十世紀にはハナフィー、マーリク、シャーフィイー、ハンバルの四大学派が成立。
これらに共通してるのが、
コーラン、予言者の言行(スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)の四つを法源とすること。
合意とは共同体の合意であるが、実質的には法学者の見解の一致。
合意が法源とされるのは、「わが共同体は誤謬において一致することはない」という預言者ムハンマドの伝承が存在するから。
類推とは類推で法規定を導くこと。

シーア派では合意成立条件にイマームの合意も加えている。法解釈のために集まったイスラム法学者の間に隠れイマームが気づかれぬままに参加していれば、そこで成立した合意は法源となりうるとした。
十二世紀末には、スンナ派の法源の類推に代わって、
法規定の抽出を可能にする健全な理性(アクル)を法源とみなすようになり、
コーラン、ハディース、合意、理性の四つがシーア派の法源として定着した。
この四つの法源を元に法学者が法解釈(イジュテイハード)することを認める立場はウスール学者と呼ばれ、十六世紀初頭にシーア派を国教とするサファヴィー朝において主流学派となる。
本書巻末の用語集によると現在もこの理性を法源に含むウスール学派が主流。

なお、理性を法源とみなすことに反対し、法解釈は無効だとみなし、予言者とイマームの伝承を法解釈の唯一の根拠とすべき見解もあり、これは後のアフバール(伝承)学派の先駆者とされる。

(イマームが気づかれぬままに参加しているなら参加しているかわからないじゃん、
ってことは理性=アクルは教えてくれないのだろうか。
この理性が本源の一つってことは極めて重要!
推論は論理的推論であることも超重要!
反知性主義の否定。イスラム教はスンニ派も科学を否定しないことにもつながる。スンニ派も知性は否定しない。
メッカへの方向を礼拝用に知らないといけないから観測道具が発達したなど、科学否定だと不都合がたくさんあったのだろうね。
キリスト教世界が科学=悪魔崇拝としたせいでどれだけ不衛生だったことか……)

・モンゴル軍の襲来でシーア派の拠点であったコム(ゴム)、バグダード、カーズィマイン(カーズィミーヤ)は破壊されたが、バグダードの南百キロのユーフラテス川沿いのヒッラという小さな町だけは破壊を免れた。
ブワイフ朝にに仕えていたヒッラの長はこの町にシーア派の学者をかくまっていたのだが、モンゴル軍が来た時に積極的に協力したので殺戮を免れることができた。
(シーア派の十二イマーム派を信奉するブワイフ朝。
946年にアッバース朝の弱体化に乗じバグダードに軍事政権を樹立し、スンナ派のアッバース朝カリフから大アミールの称号を与えられた。
11世紀の中頃、中央アジアから西アジアに進出したスンナ派のセルジューク朝に滅ぼされた)
イル・ハーン朝はイスラムに対して比較的寛容だった。
第七代目君主ガザンはモンゴル軍にイスラム教スンニ派への改宗を明治、イスラムを公式宗教とした。
第八代目君主オルジェイトゥはイスラムの普及に努めただけでアンク、シーア派への改宗宣言も行っている。
イル・ハーン朝がシーア派に好意的だったので、ヒッラに大学者が集まり、シーア派学問が発達。

“先に述べたように十二世紀末頃までに、シーア派では、コーラン、預言者ムハンマドとイマームの言行、合意とならび、理性を法源とみなす考えが確立しており、これに基づいてアッラーマ・ヒッリーは、イスラーム法学者による論理的推論に基づく法解釈(イジュティハード)をシーア派法学における中心的な概念として位置づけた。
 もちろん誰もが、法解釈を行えるわけでない。アッラーマ・ヒッリーによれば、法解釈を行うことのできるウラマーは、「ムジュタヒド」と呼ばれ、アラビア語に精通し、コーラン、預言者ムハンマドやイマームの言行について十分な知識を持っているだけでなく、法学や法源学を修め、一貫した論理に基づいて法解釈を行うだけの能力を持たなければならない。言い換えれば、ムジュタヒドに求められているのは、霊感、啓示、秘跡といった能力ではなく、長年にわたる研鑽の末に、ようやく一握りの学者が到達できるほどの高度な学識なのである。”桜井啓子『シーア派』p.43
(法解釈は学者の高度な論理と知識に基づくのであり、神秘的能力は不要であることが重要。
キリスト教だと聖書に書いていない教父の勝手な非論理的解釈が聖書の文言より上という、意味不明なご都合主義)

・血統を重んじるシーア派においてムハンマドの子孫は特別。
ムハンマド、
ムハンマドの娘ファーティマ、
ファーティマの夫で預言者の従弟でもあるアリー、
ファーティマとアリーの間の息子ハサンとフサインの五聖人、
イマームたちも含めた十四聖人は、無謬で特別な存在とみなされ、熱烈に崇拝される。
彼らは、「お家の人びと」(アフル・アル=バイト)つまり預言者ムハンマドの一族とも呼ばれ、歴史的存在を超越した宗教的な存在となっている。
シーア派では十四人に加え、預言者ムハンマドの孫にあたるハサンとフサインの男系子孫を特に「サイイド」(=預言者の子孫)とよばれ、崇められ、神の恵み(バラカ)を受け継いでいるとみなされ、免税や減刑の対象となり、困窮するサイイドの生活支援にフムス(五分の一税)が使われてきた。
厳格な一神教であるイスラームは偶像崇拝にことさら厳しい。アッラーはもちろん、預言者ムハンマドでさえも、絵画や彫像として具象化することは許されない。モスクの装飾に人物柄を用いることも禁止で、代わりにアラベスクという幾何学文様や装飾文字が発達。
これはスンナ派とシーア派共通だがシーア派はスンニ派ほどに厳格ではない。
イランの国定教科書の挿絵では預言者ムハンマドや歴代イマームは具象化を避けるために輪郭をおぼろげに描くにとどめている。ところが歴代イマームの人物が、特に初代イマーム、アリーと第三代イマーム、フサインの肖像画が氾濫している。
予言者に選ばれる前のムハンマドの肖像を描いた特殊なものまである。
肖像画のほかには十二人のイマームや五聖人をまとめて描いたもの、カルバラーで殉教した第三代イマーム、フサインの悲劇を再現したものなどが多い。油絵やじゅうたん、路上販売のポスター、ステッカー、カードにいたるまでその種類は様々。
本当は唯一神以外の崇拝は禁止だが、実際はイマームたちも神聖な存在として崇められてきた。

※アリーから12代続いたイマームを認める主流派が十二イマーム派で穏健派。単にイマーム派ともいい、現在イランに多い。
(イスラム教の分派は他の宗教でも同様だが、
①ボスはだれがふさわしいか、
②ボスの資格は何か
で争った結果誕生。
これで分類すると明確に把握できる。

偶像崇拝は虐殺装置であり、人間の潜在意識を簡単に書き換えてしまうので禁止。
本人の意思にかかわらずって点が悪質。
神は偶像化できないからって理由は表向き。
ゴッドを否定する釈迦の初期仏教も偶像崇拝禁止だから、仏像禁止で、釈迦は足跡などで表現された。
キリスト教ももともとは偶像禁止だから東西ローマは争った。
偶像使うと簡単に信者を集められるからOKされた。
つまり人間を操るなら偶像が一番ってこと。
潜在意識の凶悪な暴力。殴られたことすら気づかせない。
偶像崇拝がゆるいといっても異教徒視点では厳しく見えるが、利益もちゃんと考えましょう。
ホメイニの写真あるいは絵が堂々とイランではかざっているらしい。ホメイニは聖人じゃないのにね。

カルバラーの戦いは最重要レベル。
シーア派はムアーウイヤ以降のウマイヤ朝カリフを認めなかったため弾圧され、
太陰暦のイスラーム暦61年
=西暦680年
にアリーの息子フサインがウマイヤ朝に反旗を翻し、カルバラー=現在のイラク南部で戦ったが敗北。以後は少数派としてイラク地方のクーファなどで存続していったシーア派は、カルバラーでのフサインの戦死を「殉教」ととらえて彼を理想の殉教者とする。
また、その地を聖地の一つとし、その日=ムハッラム月10日を「殉教の日=アシューラー」という苦難を偲ぶ記念日とし、シーア派の重要な特徴としている)

・フサインの殉教劇(ターズィイェ)の登場人物は敵と味方とに分かれて演じるが、
見方は緑と白の衣装、
敵は赤なのが定番。
役者が台本の詩をよみあげるのは、偶像崇拝を禁ずるイスラームの教えに配慮し、観客が役者とイマームを同一視しないようにするため。

・十六世紀に誕生し、十八世紀まで続いたサファヴィー朝を樹立したのがイスマーイール。
イスマーイールはサファヴィー教団という神秘主義教団(ターリカ)の教主。
十二世紀頃から各地に、修行で神に近づこうとする神秘主義教団が誕生し人気を集めていた。
イスマーイール派ではなく、十二イマーム派が国教。
キズィルバーシュ(赤い頭。赤い帽子をかぶった)
=サファヴィー教団の信徒かつトルコ系遊牧民
の軍を率いてサファヴィー朝を樹立したイスマーイールは、王(シャー)を「地上における神の影」とみなす征服地ペルシアの伝統を引きつぎ、自ら「シャー・ハン・シャー」((王の中の王)と名乗った。
さらには自分は第七代イマームの子孫で隠れイマームの代理人とまで主張。
イランのシーア派化に貢献したのはアラブから移住したムジュタヒドだけではなく、
イスマーイールが作ったサファヴィー朝誕生後に、スンナ派からシーア派に改宗した土着のイラン系宗教層の多くは、橙土地を所有し、宗教施設を管理するサイイド=預言者の子孫である。
アラブ系ムジュタヒドはアラビア語を母語としイスラーム法学の専門家として迎え入れられた。
対して、スンニ派から改宗したイラン系宗教層はペルシア語を母語としイスラームの神秘主義的哲学(イルファーン)に造詣が深く、サイイドという血統を誇りとしていた。
イスファハーンの宗教学院では神秘主義的哲学が発達し、イスファハーン学派が活躍。
宗教学院:法学を中心にイスラーム諸学を学ぶ高等教育施設。寄宿制。マドラサと称されることも多いがイランやイラクではハウザ(ホウゼ)と呼ぶことも多い。

(シーア派はスンニ派と比べて血統主義ですが、ペルシャの伝統もからんで血統主義が強化されているのでしょうね。ゾロアスター教の暦を今も使っていますし、中核の設計図はゾロアスター教っぽい)

・カージャール朝時代のイランにて、当時優勢だったアフバール学派
(哲学的、神秘主義的傾向。
スンナの伝承のみを法源とすべきとする伝承十十四。
法解釈を否定)
を、
ウスール学派
(理性と法律重視の合理主義。
ムジュタヒドに強大な指導力を与える)
が駆逐し、
アフバール学派は現在ではイラクとバハレーンにわずかにその子孫がいるのみ。

カージャール朝時代のイランで、
ウラマーのうち、法解釈ができるムジュタヒドの頂点であるマルジャア・アッ=タクリード(模擬の源泉)が誕生。
アーヤトッラー(神の徴)より上の、アーヤトッラー・ウズマー(大アーヤトッラー、神の最高の徴)の中で、信徒向けに『諸問題の解説』を執筆した者がマルジャア・アッ=タクリードとして認知される。


なお、
イスマーイール派=7イマーム派:765年、第6代イマームの死のおり、その息子のイスマーイールのイマーム継承を主張して分離。)
ドゥルーズ派はイスマーイール派の分派で現在はレバノン、シリア、イスラエルなどに点在。

(イランの十二イマーム派系の法学、哲学、神学が合理主義的傾向である理由。

エジプトにもシーア派国家があったことも重要。
 最初の本格的なシーア派国家の最初は、イスマーイール派の一分派が10世紀、909年にチュニジアに樹立したファーティマ朝。
ファーティマ朝は969年にエジプトを征服し、カイロを建設してアッバース朝に対抗するカリフを称した。1171年にアイユーブ朝のサラーフ=アッディーンに滅ぼされた。アイユーブ朝はスンナ派。

“マルジャエ・タクリード
マルジャエタクリード
イスラム教の信徒が見習い,従うべき模倣の源泉の意。イランにおけるシーア派ウラマー (イスラム法学者) の最高権威。 18世紀イランではイジュティハード (イスラム法解釈) の権限をウラマーに認めるオスーリー (ウスーリー) 派が勝利して以来,ムジュダヒド (イスラム法解釈の権限を認められたウラマー) 内にゆるやかな階位制が生じた。
(…)
【十二イマーム派】より
…これに対し,18世紀に法学者の解釈権イジュティハードを主張したウスール学派が勝利した。この結果,王朝支配から独立する法学者の〈最高権威(マルジャエ・タクリードmarjah‐e taqlīd)〉説が再確認された。近・現代にはムジュタヒドの上級者がアーヤトッラーāyatullāhの称号をもち,その下にフッジャトル・イスラームḥujjat al‐Islāmと称される法学者が多数いる。” https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89-158376)
ウラマーのうち、法解釈ができるムジュタヒドの頂点であるマルジャア・アッ=タクリード(模擬の源泉)が誕生。
アーヤトッラー(神の徴)より上の、アーヤトッラー・ウズマー(大アーヤトッラー、神の最高の徴)の中で、信徒向けに『諸問題の解説』を執筆した者がマルジャア・アッ=タクリードとして認知される。


・石油国有化と反英デモ
第二次世界大戦が終結しても政治的・経済的状況に回復の兆しが見られず、急激なインフレが人々の生活を直撃。
批判の矛先は石油利権の独占で莫大な利益を得ているイギリスのアングロ・イラニアン石油会社に向けられる。
1949年、モサッデクらが国民戦線を結成し、石油国有化運動を牽引。
1951年、石油国有化法案が国民議会で可決されると国民的英雄となったモサッデクは首相に任命される。
がイギリスが国有化に抵抗したためイラン全土で反英デモ。
一部のウラマーは参加したが大半のウラマーは政治とは距離を保ちつつ事態を静観。
イランは石油国有化法に基づきアングロ・イラニアン石油会社を接収し、国営イラン石油公社と改め、自主運営に乗り出したが、石油販売を統制している国際石油資本がイラン石油をボイコットしたために、輸出の途を断たれ、窮地に陥ってしまった。

白色革命への宗教界の反発
事態が混迷を深めるなか、
1953年、国王パフラヴィーはアメリカを頼りにクーデターを起こし、モサッデク政権を崩壊させて復権。
アメリカは後退したイギリスと入れ替わるようにイランに進出し、国王の独裁化に手を貸した。
1957年、国王はCIA (アメリカ中央情報局)の援助で国家治安機構(秘密警察サーヴァーク)を設立し反対勢力の一掃に乗り出した。
1963年、イランを近代国家に改造することを目標に掲げ、白色革命あるいは
国王と人民の改革と呼ばれる六項目の改革に着手。
六項目中最大のものはイランの伝統的な地主・小作制度を根底から変える農地改革。宗教寄進地も対象となったので、宗教寄進地からの財源にモスクや宗教学院をはじめとする宗教施設を維持・運営する宗教界は猛烈に反対した。

また、女性選挙権と被選挙権にもイスラームの女性観に反するとして反発。
が、投票は行われ六名の女性議員が誕生。

さらに、当時10%台といわれた農村の識字率向上のために兵役期間中の高卒以上の若者を辺境に派遣し、識字教育にあたらせる識字部隊が導入。辺境での教師不足解消に一定の成果を上げる。一方、当時偏狭でまだ存続していたウラマーの運営するマクタブ(寺子屋式コーラン塾)を衰退させることになり、宗教界、十二イスラム教シーア派十二イマーム派へのさらなる打撃となった、

ホメイニーの登場
一連の改革にこれまで沈黙を保ってきたウラマーも強く反発。
政治に関与しないことで知られてきた最高権威マルジャア・アッ・タクリード(模擬の源泉)のボルージェルディーでさえも、私有財産を認めるイスラーム法に反するとして農地改革には反対。
彼の他界後は国王批判が一挙に噴出。
そうした動きの先頭に立ったのがホメイニー。イスラーム革命の指導者となる彼は当時はテヘランのすぐ南に位置するコム(ゴム)で教鞭をとる一介ののムジュタヒドにすぎなかった。
1902年にイラン南部のホメイン村でサイイド(預言者の子孫)の家系に生まれた。父ムスタファーもナジャフに学んだウラマーで、母も著名なウラマーの娘。
16歳で故郷の村を離れたホメイニーは、のちにコムの宗教学院再建に尽力する最高権威マルジャア・アッ・タクリード(模擬の源泉)のハーエリー・ヤズディーに師事した。
1963年、ホメイニーはコムの名門宗教学院であるフェイズィーイェ学院で国王の独裁と対米従属を糾弾する演説を行ったためにその二日後に逮捕される。
ホメイニ逮捕の知らせを聞いた人々が全国の主要都市で大規模な抗議デモを行ったが、これを鎮圧しようと政府が軍隊を出動させたために100人を超える死傷者が出て、ホメイニーの弟子たちも多数逮捕。翌年いホメイニーは釈放されたが再び国王を批判したためにトルコに追放され、
1965年にはイラクのナジャフに移る。
ホメイニーは世界各国のシーア派ウラマーが集まるイラクのナジャフで教育研究活動に励み、
1971年にはのちのイスラーム共和国の統治体制の基本的理念となる
イスラーム法学者の統治(ヴェラーヤテ・ファキーフ)論を発表。
ホメイニーは、イマーム(預言者ムハンマドの血を引くイスラム共同体の最高指導者)不在のあいだ、イスラーム法学者(ファキーフ)は、イマームが担ってきた司法権、宗教税の徴収とその配分、政治権力がイスラーム法から逸脱しないように監督するといった機能を代行することができるというこれまでの解釈を踏襲しつつ新たに統治権をも代行すべきだと説いたのである。

年では教育を受けた中層、上層のホワイトカラーが急増し西洋的ライフスタイルや消費生活がもてはやされるようになる。
西洋文化の無批判な需要により自己喪失に陥っている当時のイラン社会に一石を投じる作品を残したことで有名な作家のアーレ・アフマドは西洋かぶれと呼んで批判した。
1970年代になると開発投資が鈍化して失業率が上昇し、さらに未曽有のインフレが貧困層を直撃したために都市と農村の文化的、経済的格差はさらに拡大しイラン社会を危機的状況へと追い込んだ。人々はそれを背後で支えているアメリカを不幸の元凶だとみなすようになっていた。

1979年、ホメイニーが亡命先のフランスから戻り十五年ぶりに祖国の土を踏んだ。彼はただちに暫定晴雨を立ち上げ、パフラヴィー王朝は終焉。
イラン・イスラーム革命直後にホメイニーの弟子であるウラマーたちが結成したイスラーム共和党(IRP)はホメイニのカリスマ性と大衆の支持により勢力拡大し、新憲法にホメイニーのイスラム法学者の統治(ヴェラーヤテ・ファキーフ)を明記することに成功。

ホメイニーは東西両陣営から独立した外交を基本路線とし、東でもなく西でもないイラン・イスラーム共和国という東西不偏を掲げた。
アメリカに死を、ソ連に死を
はホメイニーの外交姿勢をより直接的に現したもの。
東西不偏と革命の輸出の二つの外交方針。

1979年は、イランとイラクというシーア派の二大中心地の関係が逆転した。
イランは革命で躍進、
一方イラクでは世俗主義のバアス党のサッダーム・フサインが大統領に就任。
十九世紀中ごろからシーア派学問の中心として栄えたイラクのナジャフの地位低下は決定的となる。
対してイランのコムは、コムで教育を受けたウラマーが政権の中枢を担ったことで政治的にも学問的にもシーア派の中心地として不動の地位を築く。
コムにはホメイニーをはじめ著名なウラマーを輩出したフェイズィーイェ宗教学院をはじめ優秀な教授陣を抱える名門宗教学院が集まっている。

女性教育の拡充
革命後のイランの新しい試みが、女性布教者や教育者を育成するための女子宗教学院。
宗教学院はもともと男のウラマー育成機関だったが、女性布教者の養成が不可欠だと考えたホメイニーはコムに初の大規模女子宗教学院を開いた。

(左目イギリスに石油支配されて、左目CIA製の王様に支配されて、イスラム教シーア派十二イマーム派の力を削いで左目キリスト教=WASP化させる白色革命されたのだから、今もイランは反英米、反CIA。
ホメイニの亡命先が右目陣営のフランス。イランは右目側だけど正確には両目あるいは第三の目も開いている三つ目だから特異。
結社における宗教の序列だとシーア派は正統派キリスト教より上。ちなみに密教もキリスト教より上。仏教じゃなくて密教ね。
イラクが狙われた理由の一つがイランに対しては成功しなかった、英米WASPによるシーア派イスラム潰し。
古代史の物証があるから積極的に破壊。石油利権よりも優先。

ホメイニーが力を持てた理由の一つがシーア派が血統主義であること。ホメイニも預言者の子孫。
婦人参政権とか識字率向上っていいことしてんじゃんって思うでしょ?
でもキリスト教化とイスラム教文化の破壊とセットだよ。
奪う為に与えるのが基本。
学校はキリスト教の神学校モデルのものだらけになり、政界進出した女性のバックはキリスト教系カルトばかり……という日本のようにはイランはならなかったけどね。
明治維新・戦後改革と白色革命ってかぶるね。
「白色」革命なのが露骨。CIAが国王を援助って堂々と書いてあるね。
あとイランは女性教育もやっているし。
言う機会がなさそうだから言っておくけど、フェミニズムって「女よ男になれ」だよね。考えたの男だよね。「女性が男のようになって活躍」だよね。男尊女卑は維持だよね。
ヴェラーヤテ・ファキーフはアルファベット表記でwilayah faqihらしいけど読めないぞ。

陰謀論二大勢力が
①左目右翼英米系のキリスト教原理主義
②右目左翼の共産主義・無神論・理性主義・啓蒙主義
だという見方があるけど、

③バハーイー大本教系・スピリチュアル・エキュメニカル万教帰一賛成
=新キリスト教と

④キリスト教原理主義・カトリック絶対エキュメニカル万教帰一否定
=既存のキリスト教維持

の対立軸もあるからややこしい。
製造者が右目(欧州。スコットランド)か左目(英米。イングランド)かと
教義が右目(知性主義)か左目(反知性主義)かで四種類の区分けもできる。
①は左目左目
②は右目右目
③は右目製造、思想左目
④は左目左目(③と④に反発)
ロス茶ロック対立論は二元論なのでダメです。
「理性による法解釈」の十二イマーム派は思想右目寄りだけど両目を兼ね備えバランスが取れている感じ。

八咫烏 ‏@takayukiway 2014年7月17日
昔から陰謀暴露を潰すのに「マージナライズ」という手法がとられてきた。 要は陰謀論者が主流派ではなく単なる頭のおかしい変人に見える様にレッテル貼りする。

hiroshibuttakuncat ‏@buttakuncat 2014年11月5日
@takayukiway 本当のことなのに、「これは、誰かが考えたシナリオで現実には無いよ」といったかんじで、陰謀という名の御伽噺に作り変える。

メルセゲル ‏@Meretseger2 2014年7月19日
@takayukiway @bilderberg54 北朝鮮拉致が陰謀論だった時代を知ってるので、すごく良くわかります

八咫烏 ‏@takayukiway 2014年9月26日
マージナライズ ある謀略や陰謀の暴露に対し複数の怪しい説を提示し、真説を相対的に怪しい説に貶める手口。 また、あえて真説を歪曲解釈し陰謀を陰謀論に貶める手口。 全く根拠の無い説を盲目的に信じて疑わない人も居るが…

閉店です ‏@lakudagoya 2015年7月11日
みんあ、ネトウヨは中国の共産主義を叩いてるけど、中国共産党は2006年にこの思想を捨てたのは知ってるかなん?なんか、ネトウヨってやってることが陰謀論バブルの前にしきりに反共活動をしていたアメリカのバイブルベルトのキリスト教原理を思い出すのよね。そいつらがペレストロイカで失業してさ

イスラームのテロリストが華々しくデビューする前の冬の時代は、悪魔崇拝の子供の生贄の陰謀論バブルを演出することで失業を防いだわけ。で、日本では逆で ペレストロイカで失業したサヨクが陰謀論バブルやって失業を防いだのよね。わかりやすい例を出せば太田龍とかな(笑)左右のシノギだね、陰謀論は

陰謀論はね、ペレストロイカで失業した左右両陣営の失業対策なんだよ。だから、陰謀論コミュで大御所な人って右側のアメリカの陰謀論輸入業者のキリスト教 原理主義か、冷戦時代にソ連圏に尻尾振ってたサヨクの基本二つの勢力しかいないでそ?元々こいつらの失業対策としてはじめたから自然とこうなる。)




「イスラーム生誕」「イスラーム思想史」「ロシア的人間」 
東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫) 井筒 俊彦
コウ@スイカ少年の日記 ‏@kou11lunatic 6時間6時間前
所謂、シャーマンとスーフィーって内観するときにイメージを多用している雑駁とした印象があるのだけど、どういう違いがあるんだろうか?って長年疑問だったんですが、井筒俊彦の「イスラム哲学の原像」に色々書いていて感動した。


芦原 英幸の実戦!芦原カラテ



世界史の窓 シーア派
http://www.y-history.net/appendix/wh0501-041.html

タバコ・ボイコット運動 その①
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/945e95549bd4fed0749f9614af0ba009

『シーア派―台頭するイスラーム少数派』桜井啓子
http://cyborg.relove.org/thought/shia_islam.html

桜井啓子『シーア派-台頭するイスラーム少数派-』
http://blog.livedoor.jp/mayanorihito/archives/25746848.html

桜井啓子 『シーア派 台頭するイスラーム少数派』 (中公新書)
http://flavius.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-6431.html



イスラム神学の生成 井筒『イスラーム思想史』#1
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20130615/p1
"井筒俊彦『イスラーム思想史』中公文庫、2005年、11–65ページ。

 イスラムの思想についての古典的著作から第一部「イスラーム神学」の前半部を読みました。思弁と論理によってイスラム信仰における難問を解決しようとする運動のことを、カラーム(思弁神学、イスラム神学)と呼びます。このような運動は原初のイスラムには存在しませんでした。ムハンマドの『コーラン』には解消しがたい論理的矛盾があったものの、そのことが大きな問題となることはありませんでした。ムハンマドの存命中は問題が生じれば彼の意見を仰げばよかったわけですし、そもそもイスラムが生まれた地に住む砂漠の民の民族性にある感覚主義と個物主義は、首尾一貫した教義を求めるようなものではありませんでした。しかしムハンマドが没し、またイスラムがギリシア思想が根づいていた地域を征服するにいたると、『コーラン』が教えるところを組織化する必要が生じます。

 このとき一つの焦点となったのが宿命の問題でした。『コーラン』にはすべての出来事は神の意志に由来するのだから、人間には自由意志はないという教えと、神の教えにしたがうか背くかは人間の自由意志によるという教えの両方が記されています。ここが教義上の分裂の起点となりました。たとえば人間の自由意志を否定するジャブル派、宿命を否定するカダル派が生まれました。カダル派によれば人間はおのれの行為を創造しているのだから、自由であるということになります。

 宿命と自由意志の問題に合理主義の立場から応答したのがムアタズィラ派でした。人間は自身の行為を創造する。この行為は理性的な基準により善であるか悪であるかに分けられる。神は悪を罰して、善に報いる。ここから正統派が認めていた「執り成し」の教義が否定されます。最後の審判のときにムハンマドが神に執り成すことで信徒がなした罪を軽くしてくれるという教義です。ムアタズィラ派によれば、おのれが創造した行為におうじて地獄の火に焼かれるという当然の報いから、予言者が信徒を救い出すことはありえないとなります。

 ムアタズィラ派の合理主義は神を人間的に考えることを排除するという特徴も持っていました。『コーラン』にある神を人間のように描く箇所は比喩的に解釈されなければならない[初期キリスト教における類似の教えについては、オリゲネスについての関連記事を参照]。神の本質とはその永遠性のみであり、その他の性質はすべてこの永遠性から派生する。したがって『コーラン』ですら神と共に永劫の昔からあったのではなく、他の被造物と同じく想像されたものとなります。「コーラン創造説」です。

 この極度な合理主義・理性主義への反発が即座に、しかもムアタズィラ派の内部から生じることになります。
"

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html
”世界の全てを支配する全知全能の神を信仰する宗教においては、「宿命」や「自由意志」をどう考えたらよいのかということが神学的に難しい。全能の神が全てを取り仕切っているなら、この世に存在する社会悪すらも神の意志ということになるし、人間には全く自由意志というものはないことになる。コーランの字句を素直に読むならば、このように世界の全ては神のはからいと見なさざるを得ない。こう考えたのがジャブル派と呼ばれる人たちだ。

しかし、そうだとすれば最高善であるはずの神が、自ら悪業を生みだしているということになる。このころはびこっていた社会悪、世の中の動揺、それらは全て神の仕業ということになるのだろうか? そんなことがあるはずがない、人は、自らの行為を自ら創造するのだ、と考えたのがカダル派である。時はウマイヤ朝の末期のことであった。

ジャブル派とカダル派は、「宿命」について全く逆の考えを持っていたわけで、両派の間では激烈な議論がわき起こった。そして人間の自由意志の有無を論じているうちに、次第に合理主義的思考が発達し、初期イスラームにおける最大の思想運動である「ムアタズィラ」がカダル派のうちから勃興してくるのである。

アッバース朝の初期、カリフ・マアムーンは学問を愛し、古代ギリシアの書物の翻訳事業や学者の優遇などを行った。ムアタズィラの教義はこのマアムーンによって公認され、ムアタズィラ派の人びとの権勢は絶頂となった。が、これを敵視する「正統派」の人びとによって後に徹底的に破壊され、ムアタズィラ派の著書はなんと一冊も残されていない。我々は、その反対者が批判のために書いた文章によってその教義を断片的に知ることができるだけである。

その教義の最も先鋭的な点は、真理の標準として「理性」に絶対的権威を置いたことである。すなわち、ムアタズィラ派では、真理は神の啓示と預言者の言葉によって示されるのではなく、理性によって到達できると考えた。その帰結として、真理に到達できるのは独りイスラームのみならず、ギリシア思想、ペルシア思想、キリスト教、ユダヤ教などどんな宗教・思想を土台にしても可能であるとし、ここにイスラームは他の先進的な思想と同列に並び、神学の世界を飛び出し、哲学的思索への路を踏み出したのである。

ムアタズィラ派の考えでは、神もそれまでとは違ったものとして認識された。それまで神と言えば、天空を覆う巨大な人格的存在と思われていたが、合理主義を推し進めたムアタズィラ派からすれば、そのような絵空事を承認するわけにはいかなかった。そして神がどのような属性を持っているのか、という探求が行われ、次第に神は思弁的なものとして変容していく。そうして神は、人間の認識できるどんな具象的形態をも持っていない無限の絶対者となった。そこには、人間の悩みや苦しみを親身になって聞いてくれる慈父のような神はもう存在しなかった。神は形而上の存在へと隠れてしまった
のである。

しかし一般の素朴な人びとにとって、そのように思弁的・抽象的な神の観念はとても受け入れることができない。もっと暖かい、包み込んでくれるような神を求めるのが普通の信仰者であった。
(…)
ガザーリーは、瞑想によって直接神に触れるのでなければ、決して真の救いは得られないという確信に至った。その確信の上に構築された彼の哲学・神学は、それまでの思弁的なものとは全く違うものとなっていったのである。

ガザーリーの存在は、イスラームにおけるデカルトである、と私は思う。彼はまず全ての出発点を「自己」の認識に置く。と同時に、徹底して懐疑的なガザーリーは「認識」そのものをも疑う。そして感性的認識は全く信頼できないとし、例えば数学的命題のような疑い得ない公理に基づいた悟性的認識によってのみ真の認識が可能であると説いた。

しかしガザーリーは、「悟性」そのものにすら全幅の信頼を置くことはなかった。たとえ悟性によって疑い得ない論証ができるにしても、それは悟性という原理が最高権威であることの証左にはならないからだ。悟性すら超越する存在があることを否定はできないのである。

こうしてガザーリーは、悟性は人間精神の全体に権威を有するのではなく、むしろ悟性の力が及ぶ範囲は限定されていると考え、悟性の絶対的主権が認められている領域を「知」と名付けた。そして「知」に対するものとして、信仰、つまり心の世界である「信」を置いた。ガザーリーにとって「知」は論理的に明澄で疑うところのない世界であり、それ以外はことごとく「信」の世界に属する。例えば、神学や形而上学といったものですら、いかに論証が多用されようともそれは「知」ではなく「信」の世界であった。なぜなら、悟性の領域、「知」の世界には異論や論争があるはずもないからである。

このように明澄な「知」の世界を切り出したガザーリーは、逆に「信」の世界においては信仰の内面化を重視し、頑迷固陋で形式主義に堕したパリサイ主義的イスラームに対して痛烈な批判を加え、そこに清新な信仰の息吹を改めて吹き込もうとした。伝統や形式のみに煩い当時のイスラームは宗教の権威を高めるのには役だっても、個人の精神性を育むためには無力だった。

ガザーリーは、この固形化し枯渇した信仰を再び個人の心の温床に移すことによってその生命を甦らせようとしたのである。そして道に迷う一般大衆を教導するため、大作『宗教諸学の甦生』を著したのだった。”

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著(その2)
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/03/blog-post_24.html
8世紀のカリフ・マアムーンのギリシア古典翻訳事業について触れなければならない。
マアムーンは知性的な君主であり、自身が神学的・哲学的思索を好んだ。彼は特にギリシア哲学の研究を組織的に行わせたため、非常なる熱意でギリシア思想の翻訳・理解が進められた。これにより、イスラーム世界にはプラトン、アリストテレスなどの諸著作が高水準の翻訳で流布された。特にアリストテレスの思想は強大な影響力を持ち、イスラーム思想に流れる巨大な伏流水となるのである。

そしてその伏流水がイスラーム世界に流れ込む取水口となったのが、新プラトン主義である。新プラトン主義とは、紀元3世紀ごろにプロティノスによって提唱され、後世に至ってプラトンの思想と混淆してプラトンに帰せられたもので、この時代のイスラーム世界ではプラトンの思想そのものと思われていた。

だがその内実はプラトンの思想とは全く異なり、プラトンのイデア論を土台にしながらも世界の創造を「一者」からの(意図しない)「流出」と見て理解するものだった。
この思想はキリスト教世界にも流行していたが、一神教世界で新プラトン主義が受容されたのには理由がある。

というのも、プラトンにしろアリストテレスにしろ、ギリシア哲学者は多神教の世界観で哲学を育んできたわけで、一神教の世界観、つまり至高の存在が世界を統べているという考え方とは齟齬する部分がある。そのため、ギリシア哲学を受容したイスラーム思想は、いきおい折衷主義的にならざるをえなかった。その折衷策の一つが新プラトン主義だったわけだ。

つまり、イスラーム世界はアリストテレスの哲学を継承してはいたが、それは新プラトン主義を通じて理解されたアリストテレスであった。換言すれば、純粋なアリストテレスそのものというより、潤色されたアリストテレスだったのである。その上、今では偽作と判明している諸著作もアリストテレスのものであると誤解されて、新プラトン主義の流布に巨大な影響を及ぼしたのであった。

そういう、新プラトン的アリストテリスムをイスラーム世界で確立したのが、最初のイスラーム哲学者と呼ばれるキンディーという人である。キンディーはアッバース朝の初期、マアムーンと次のムアタスィムという2人のカリフからの庇護の下、あらゆる学問に通暁した百科全書的な知識を土台にギリシア哲学の研究に邁進した。彼の哲学史的な意義は、新プラトン的アリストテリスムをムアタズィラ派のイスラーム神学と一致させようとしたことにあり、これがイスラーム思弁神学(スコラ哲学)の源流の一つなのである。

アリストテリスムを土台にしてイスラーム哲学を生みだしたのが、「第二の師」と呼ばれるファーラビーである(ちなみに「第一の師」はアリストテレス)。ファーラビーはアリストテレスの諸著作にたくさんの注釈を施してイスラーム的なアリストテレス理解を推し進めた。しかも彼は真理と理性を非常に重視し、哲学的思惟によって到達したことならば、たとえコーランと衝突しようともそれを主張したのだという。

そしてファーラビーの新プラトン的アリストテレス理解は後に西欧に移入され、甚大な影響をもたらすことになる。そこで、やや煩瑣になりすぎるきらいもあるが、ここで新プラトン的アリストテリスムについてほんのサワリだけ説明しておこう。

全ての結果には原因がある、という因果律を承認するならば、その原因にも原因があるはずで、因果の鎖はどんどん遡っていく。そしていつかはそれ以上遡り得ないものにまで行き着くのであるが、それがプロティノスのいう「一者」(または「第一原因」)である。これは全ての原因であるのだから、時間的には世界の始まりにあったはずである。そして、それは森羅万象あらゆるものの元になった原因なのだから、世界そのものの存在も「一者」に帰せられる。つまり世界の創造は「一者」によるものである。

この理論を提唱したプロティノスは、この「一者」をあらゆるものを超越した「無」であると考えたが、ファーラビーはこれをそのようなものとは考えなかった。ファーラビーがいくら真理を愛する哲学者であろうとも、やはり彼は敬虔なムスリムであったので、世界を創造したのは「神」でなくてはならなかった。

すなわちファーラビーは、この「一者」をプロティノス的な「無」ではなく、いかなる質料をも持たない(つまり現実世界における存在を持たない)絶対的叡智体、すなわち超越的な「知性そのもの」の神として表象し、「第一存在」と呼んだ。これがイスラームにおける新プラトン的アリストテリスムの基礎となる概念の一つである。

「第一存在」は全ての原因となる超越的な始原であり、そこから世界の全ては「流出」する。原因と結果の長い鎖が連なって全宇宙が構成されるわけで、このような世界観では、宇宙は大変スタティック(静的)なものになる。

やや乱暴な譬えをすれば、この宇宙は広大な玉突きゲームのようなもので、最初の玉(第一存在)の動きさえ決まればあとの玉の動きは全て決まってしまうというのが新プラトン的アリストテリスムの宇宙観であった。だがそうなると、世界の全ては受動的にしか動けないということになる。そんな世界で、果たして人間が自由に思考することというのは可能なのだろうか? 真理を求めて思索するその知性すら、因果の秩序に固定された、予め決められたものだというのだろうか?

ファーラビーはこの疑問に対し、「能動的知性」というものを考案した。我々の知性は、生まれつき備わっているものではあるが、それはあくまでも潜在的に知的活動できる(可能的知性)というだけで、それだけでは真の意味で(つまり思考力を能動的に使うという意味で)知的に働くことはできない。だが、そこに高次の世界(形而上の世界)から「能動的知性」というのが働きかけて、それによって我々の知性は働くことができるのだという。

つまり、先ほどの譬えをもう一度使うのなら、普段の世界は玉突きゲーム的なのであるが、そこに「能動的知性」というキュー(玉突き棒)が高次の世界からにゅっと現れて我々の知性をそれまでの因果の秩序に縛られない方向に動かし得るというわけなのだ。
(…)この「能動的知性」は「(創作の)霊感」とか「インスピレーション」といったようなものと近く、作家が「(アイデアなどが)降りてこないと書けない」とかいうのと同じような部分がある。この「能動的知性(intellectus agens)」はファーラビー以降の哲学で大きな問題となり、やがてイスラーム哲学を継承した西洋中世哲学にも取り入れられて喧しい議論が展開されていく。
(…)
スーフィズムがイスラームにもたらした重要な要素は、神に対する熱烈な「愛」という概念である。この神を焦がれる気持ちは恋愛にも擬せられ、やがてペルシア文学に大きな影響を与えることになる。抒情詩人たちは、神と人の関係を優婉な乙女と青年との切ない恋になぞらえ、 独特な官能的詩境を展開していった。元は現世的なものを全て捨てることから始まったスーフィズムから皮肉にも官能的な世界が生みだされ、この官能性は後世のイスラーム文学の一大特徴となっていくのである。”

『イスラーム思想史』 井筒 俊彦 著(その3)
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/03/blog-post_28.html
”イブン・スィーナー、後の西洋哲学において「アヴィセンナ」の名で知られる大哲学者である。
(…)『治癒』(医学の本ではなく学問の全体系を述べる)や『指示と勧告』、そして17世紀に至るまでの西洋医学で絶大な権威を持ち続けた『医学典範』などの重要な哲学的著作群をものしていったのである。

彼の哲学史上の意義を一言で述べるなら、それは「アリストテレス的イスラーム哲学の完成」である。それまで断片的・個別的であったイスラーム哲学を、彼は緻密な一つの体系へと組み立てた。しかもそれは一つ哲学のみではない。彼はルネサンス的万能人の先駆けであって、大げさに言えば、この世のあらゆる学問を体系化し、その中でイスラーム哲学を位置づけたのであった。
(…)
イブン・スィーナーはまさにデカルトの先駆者であった。彼の哲学の中核をなすのは「存在」と「存在者」という概念なのだが、その「存在」は直観によって一挙に把握され、それ以外に把握の途がないと考えた。

それを説明するため、イブン・スィーナーは「空中浮遊人間」という譬えを使う。仮にある人間が、目も見えず耳も聞こえず、己の四肢すら認識できず、空中に浮いていて地面を感じることすらできないとする。つまり環境と一切の相互作用ができないという状態を想像する。さて、ただ思惟だけしかできないその人間は、自分が「存在」していると認識できるだろうか? 自分というものが存在していると、何も証明する客観的事実がないとしても?

イブン・スィーナーは「できる」と考えた。なぜなら、まさしく彼は自ら思惟しているのだから。存在していないものは思惟できないではないか。後世に至って、デカルトが徹底的な懐疑主義の果てにたどり着いた「我思う、ゆえに我あり」という哲学の第一原理を、イブン・スィーナーも発見していたわけだ。

しかも興味深いのは、彼はこの「我の存在」を確証付けるものが、論理的な思考ではなくて「直観」であるとしたということだ。ここでいう「直観」とは、ファーラビーが言った「能動的知性」の働きかけによってなされるもので、要するに「どうしてそうなのか厳密には説明できないが、そうであるという確信が天啓によって生まれるもの」というような意味である。

そしてこれは、彼の思想的後輩であるデカルトも全く同じことを言っているのである。例えば先ほど軽率にも説明を付け加えたように、「我の存在」の基礎には「存在していないものは思惟できない」という大前提があるようにも見える。すなわち、三段論法的に言えば、大前提「存在していないものは思惟できない」、小前提「私は思惟している」、結論「ゆえに私は存在している」、という理屈によっているのではないだろうか?

としたら、「我の存在」という最も基本的な、哲学の土台となるような概念のその前に、既に「存在していないものは思惟できない」という一般原理が存在していることになる。しかしこのような考えをイブン・スィーナーもデカルトも共に否定した。「我の存在」はそういった理屈によるものではなくて、それ以前の「直観」で確証されるのだ、ということは、この二人の各々の哲学体系において非常に重要な点なのである。
(…)
イブン・スィーナーの哲学はやがて西洋哲学に継承され、アヴィセンニスム(アヴィセンナ主義)を生むが、それは彼が本当に作りたかった哲学ではなくて、彼がまとめた既知の哲学を元にしたものだったのである。”

『イスラーム思想史』 井筒 俊彦 著(その4)
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
”イスラーム世界は8世紀にはスペインに達し、中東から北アフリカを経てスペインへと至る双頭の鷲となった。
(…)スペインに生まれ12世紀に目覚ましい活躍をしたイブン・バーッジャである。
(…)その後の西方の哲学の道筋を決めるほどの大きな影響を及ぼした。
それは、知性を最重要に考えるという点である。イブン・バーッジャはファーラビーの哲学、つまり新プラトン的アリストテリスムを受け継つぎつつ、真理は知性による冷静な思考によってのみ到達できると考え、安易な神秘主義思想を否定した。その合理主義から、晩年は無神論者との謗りを受け、おそらくは毒殺されたと考えられている

イブン・バーッジャの思想を発展させたのがイブン・トファイルである。その頃のスペイン(アルモハド王朝)は、当時まだ東方では異端とされていたアシュアリーやガザーリーの説を公認し、信仰と理性を調和させる宗教改革を行っていた。そのさなか、イブン・トファイルは公然と理性の優越を説いたのである。

彼は大学者というよりディレッタント的であって、その思想を大上段の思想書にはせず、『ヤクザーンの子ハイ物語』という小説で表現した。これは、無人島で人を知らずに(つまり言葉すら知らず)育ったハイという天才的人物が、自らの思索のみで最高の真理に到達するという話である。しかし話はそれで終わらない。ハイはやがて宗教心に富む人物に出会い、共に民衆教化の事業に乗り出すが、その事業は全く失敗に終わる。民衆はハイが見た最高の真理など見向きもしなかったのだった。

この小説において、イブン・トファイルはあからさまに形式的な宗教を蔑視している。彼は建前としては、最高の知性と最高の信仰は一致すると述べたけれども、実際には一般の民衆は低脳愚劣な輩であり、宗教とは低脳な民衆に哲学的真理を理解させるための象徴的な手段に過ぎないと見なしたのであった。このような民衆蔑視は、当然ながら民衆の間に反哲学の感情を呼び起こした。そしてこのような理性至上主義をさらに推し進めたのが、中世カトリック世界に大きな影響を与えたアヴェロエスことイブン・ルシドである。

イブン・ルシドは哲学者として絶頂にあったイブン・トファイルから王の主治医の地位を譲られ王の信任を得、王の勧めでアリストテレスの注釈の研究に邁進した。彼のアリストテレス研究は慎重を極め、学習者の学力と理解力に応じて大中小三種の違った注釈が作られるほどであった。そういう背景から出発した彼の哲学を一言で言えば「アリストテレスに還れ!」ということになる。

既に述べてきたように、これまで長い間イスラーム世界で培われてきたのは純粋なアリストテレス思想ではなく新プラトン主義的なアリストテレス理解であり、それはアリストテレスの思想をイスラームと融和させようとする折衷主義の産物でもあった。イブン・ルシドはそうした折衷主義を痛烈に批判したのである。

しかし、彼とて、最初から折衷主義の批判ありきではなかった。むしろ、イスラームの合理主義運動ムアタズィラが東方世界で挫折し、正統派の学者によって排斥されるに至り、哲学界では合理的な思考と信仰をどうやって調和させるべきかということが切実な課題となっていたのであり、イブン・ルシドも哲学と信仰の両立を明確に示そうとした。

彼も先輩のイブン・トファイルと同様、知性によって到達した最高の真理と信仰は一致するとしたが、よりその主張は激烈になっていった。例えば、知性によって導かれることとコーランが衝突する場合、どちらが正しいのかという問題がある。イブン・ルシドにとっては、それは知性が絶対に正しいのである。そのような場合はコーランの字句を文字通り受け取るべきでなく、譬喩的解釈をしなくてはならない。

つまり表面上哲学と宗教の一致を説いていても、その実はあからさまに哲学優位なのだ。それどころか、素朴な信仰は民衆の教導のためには必要なことであるから認めるとしても、神学などはかえって知性を曇らせる害悪であるとして、神学者は憐れむべき「病人」であるとされた。

そして哲学者は、自己の見解を他の人びとに漏らしてはならないとまで考えた。それは結局、愚昧な民衆はもちろん神学者などにも、知性によって到達した真理など理解できようはずもないからである。そして究極的には、哲学者にとって宗教など必要ないとまで言い切った。なぜなら、真理にまで到達するには理性のみで足りるのであり、コーランは必要ないのである。

こうした極めて無神論的な思想は、もはやイスラーム思想からはみ出していた。このような思想を土台にした微塵も妥協を許さないアリストテレス理解は、もはやそれ自体が異端であり、この学統を継ぐものはイスラーム世界には一人も現れなかった。また、西方イスラーム世界自体がイブン・ルシドとともに凋落し、キリスト教徒によるレコンキスタによってスペインの領土を失い雲散霧消してしまう。世界史上の大思想家とよべるイブン・ルシドは、イスラーム世界にはほとんど何の影響も残さずに消え去ってしまったのである。

しかしイブン・ルシドの全著作は13世紀にはラテン語訳され、カトリック世界でラテン・アヴェロイストたちの活躍を見るのである。しかしその思想において、カトリック世界のアヴェロイストたちもあくまでキリスト教の枠内で活動していたわけで、イブン・ルシドの方がより徹底して理性至上主義者であったといえよう。”


版によって神学的意味が逆になる「唯一の書」コーラン
http://52133480.at.webry.info/201105/article_1.html
”前回の続きですが、こちらやこちらとも関係があります。以下、強調はすべて私による。

 コーランという書物は、書き手が誰であれ、首尾一貫した神学思想に貫かれている書物ではありません。人間の自由意志についても、肯定的な箇所と否定的な箇所がある。
 以下、コーランの翻訳と章節表示は岩波文庫版に依る。振り仮名の一部を括弧内に入れ、訳注を一部省略した。

「まこと、アッラーのお徴(しるし)を信じないような者は、アッラーの方でも手引きなぞして下さらぬ。痛い苦しい罰が待っているだけ。」(コーラン16章106節)
「汝ら、禁じられた大罪さえ避けるなら、些細な悪事はみんな赦して、(天国に)晴れがましくいれてやろうぞ。」(コーラン4章35節)

これらの章句は明らかに、信仰したりしなかったり、罪を避けたり避けなかったりする自由意志が、人間にあるということを前提にしている。
また、以下のようなブハーリーによるハディース(伝承)もある。

「ムアーズ・ブン・ジャバルは語った。わたしが駱駝で預言者のうしろに乗っていたとき、彼が「ムアーズよ」とよびかけると、わたしは「はい、神の使徒よ」と応えた。そして、しばらく進んで行ってまた「ムアーズよ」とよびかけたとき、「はい、神の使徒よ」と応えた。次に預言者が「人間は神に対して何をすべきか知っているか」と尋ねたとき、わたしが「アッラーと使徒が最もよく御存じで、私にはわかりません」と答えると、かれは「人間はアッラーのみを崇め、それ以外の何ものにも仕えてはならない」と言った。それからまたしばらく進み「ムアーズよ」とよびかけ、「はい、神の使徒よ」と応え、次に預言者が「人間がなすべきことを行ったとき、アッラーは彼らに対して何をすべきか知っているか」と尋ねたとき、わたしが「アッラーと使徒が最もよく御存じです」と答えると、彼は「アッラーは人間を罰しないようにすべきだ」と言った、と。」(『ハディースⅤ』中公文庫 298~299ページ)

これなどは、人間に意志の自由を認めているだけではなく、正しい選択をした人間に対する正しい反応を、アッラーに対して義務付けてさえいる。

ところが、コーランには以下のような章句もあるのだ。

「まことに、信仰なき者どもは、お前がいかに警告しても、また警告しなくても同じこと。(いずれにせよ)信仰に進み入ることはなかろうぞ。アッラーは封緘をもって彼らの心を閉ざし、またその耳を閉ざし給うた。またその眼には蔽いが掛けられている。」(コーラン2章5~6節)
「さ、こういうお諭(さとし)が出たからは、その気になったものは誰でも主のみもとへと道を辿り行く。と言っても本当は、アッラーの方でその気におなりなさらなければ、決してお前たちにその気は起るまいけれど。」(コーラン76章29~30節)

また、以下のような伝承もあるそうだ。

「したがって神が(中略)人間を創造することを決意し土の塊に両手を入れた。その土からすべての人間は形作られ、彼らがいわば前もって存在していた。その土くれを等しい大きさの二つに分け、一つを地獄に投げて言った。「これらは永遠の火に。私は気にかけぬ」。もう一方を天国に投げ入れてこう付け加えた。「これらは天国に。私は気にかけぬ。」(Thomas Patrick Hughes著 Asian Educational Services社の『A Dictionary of Islam』148ページより拙訳。英語原文はこちら。)
これはネジュド地方のワッハーブ派が唱えていた暗唱文であり、「Mishkatu 'l-Masabih Babu 'l Qadrを参照せよ」とある。(が、私の手元にはないので、コメントできない)

陶器師と粘土のたとえは、よほど一神教に都合が良いらしい。というか、これはもう陶器師ですらないか。

コーランは単に、自由意志に関して矛盾する複数の章句を含んでいるだけではない。以下のような例がある。フィルアウンとは古代エジプトの国王ファラオのことで、キリスト教の聖書では「パロ」とも訳されている。ムーサーとは預言者モーセ、ハーマーンはフィルアウンの宰相である。

「するとフィルアウンが言うことに、「これ、ハーマーン、わしに高い塔を建ててくれい。あの綱に届くほどの高いのを。天の綱(まで届くものを)。一つムーサーの神様とやらを眺めてやろうぞ。ま、どうせ嘘だろうとは思うが」と。
 こうしてフィルアウンは己が悪業を立派なことと思い込み、(神の)道から閉め出されてしまった。このフィルアウンの計略が惨憺たる結果におわったことは言うまでもない。」(コーラン40章38~40節)

上記の「道から閉め出されてしまった」について、代表的なコーラン注釈書の日本語訳『タフスィール・アル=ジャラーライン』(日本サウディアラビア協会)は第3巻の266ページで「彼は道から逸れた」と「彼は道から逸らされた」という二つの版を示し(前者が「タフスィール・アル=ジャラーライン」が採用している版で、後者が一般に流布しているハフス&アースィム版)、以下のように注釈している。引用に際して、ローマ字化されたアラビア語をカタカナ表記にした。これはローマ字の添え字記号が当ブログでは正確に再現できないからである。「サード」は文字の名で、まあSみたいなものです。

「『逸れた』第一語根「サード」は母音「ア」(能動態)「サッダ(逸れた)」、または母音「ウ」(受動態)「スッダ(逸らされた)」(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法)」(『タフスィール・アル=ジャラーライン 第三巻』(日本サウディアラビア協会)266ページ)

「彼は道から逸れた」だと、動作の主体はフィルアウンであり、彼にはアッラ―への信仰という道から自発的に逸れる自由意志を持っていたということになります。
「彼は道から逸らされた」だと、動作の主体はアッラーであり、フィルアウンがアッラーへの信仰から逸らされたのは、彼の自由意志を発揮させたことが原因ではない(少なくともこの場面では)。

読誦法によって神学的意味が逆になるのですよ、コーランという書物は。
しかも、信仰を拒絶する/させるのは誰なのか、という一番のキモの部分において。

じゃあ、『タフスィール・アル=ジャラーライン』の著者は、一神教における自由意志という論点の重要性にまったく気がつかなかったのか?それは、おそらくあり得ない。なぜなら、イスラム教の歴史はその初期において、この論点をめぐって大騒動を体験しているからです。ムウタズィラ派という人間の自由意志を認める教派をカリフが公認し、ミフナと呼ばれる異端審問所までが作られ、多くの人々を迫害したことがあるのです。著者がそれを知らなかったはずがない。なんだってこんな矛盾する「読誦法」を採用するのか?

ヒントを差し上げましょう。『アラブ的思考様式』(牧野信也著 講談社学術文庫)第一章「アラブの言語にみる両極性」の「5 意味の領域の両極性」から98ページにある項目名を引用します。

「なぜか相反する意味をもたせたがる」

いや、まったく、仰るとおりです。

「ハフス&アースィム版」とそれ以外の版については『コーラン入門』(リチャード・ベル著 医王秀行訳 ちくま学芸文庫)の122ページを参照してください。
「ムウタズィラ派」については、『イスラーム思想史』(井筒俊彦著 中公文庫)54ページの「ムアタズィラ派の合理主義」が参考になります。
『イスラム教史』(世界宗教史叢書5 嶋田襄平著 山川出版社)を引用します。「創造されたコーラン」説というのは、コーランも他のあらゆる被造物と同等の存在であり、永遠不滅の神の言葉そのものではない、というムウタズィラ派の合理主義的な理論です。

「アッバース朝第七代カリフ - マームーンはみずから合理的な思想の持主であったが、 八二七年に勅令を発して「創造されたコーラン」の学説を天下に公布し、八三三年には、この学説に従わないカーディーを公職から追放し、かつこの学説に従わないものを弾圧するための審問機関ミフナを設けた。ミフナは、第十代カリフのムタワッキルが「創造されたコーラン」の学説を取り消し、正統派の信仰への復帰を宣言した八四八年まで続けられた
が、やや誇張した表現を許されるならば、八二七年から八四八年に至る二十一年間は、その後のイスラムの性格を決定した二十一年間であったといっても過言ではない。もしこのときムータズィラ派が勝利を収めていたならば、イスラムは全面的にヘレニズム的価値を受容・継承し、ヨーロッパに先がけて人文主義と宗教改革の道を歩んだであろうと想像することも、あながち荒唐無稽の空想とばかりはいえないのではなかろうか。」(嶋田襄平著『イスラム教史』(世界宗教史叢書5)山川出版社176-177ページ)

面白い意見だとは思いますが、『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』(菊池達也著 講談社選書メチエ)の167ページには、ミフナに投獄された保守的なウラマーを英雄として描いた「CD付き絵本(クウェート、2005年)の表紙」が掲載されており、現代のイスラム教世界では、一般にムウタズィラ派が高くは評価されていないことを示しています。
ファーティマ・メルニーシーは、その著書『イスラームと民主主義』(私市正年・ラトクリフ川政祥子訳 平凡社)の例えば55ページなどで、ムウタズィラ派の凋落を嘆いています。”


(…)





イスラム教の天国と地獄はどんな世界なのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-
http://reki.hatenablog.com/entry/160210-Islam-HeavenandHell








イスラーム神学綱要 1・2  ガザーリーなど
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/islam/philo/religion.htm


「中世の大思想家たち」より『アヴィンセンナ』を読む アヴィセンナの生涯と そのバックグラウンドについて(アラビア編)
http://sekibang.blogspot.jp/2012/10/blog-post_18.html


⓵「事実と意見を区別」
②「思う、感じる、感情表現の禁止」を守れば論理的文章がすぐ書ける!←そんなことより 「丸に十字」「人型の十字架」「エプロン」のマンダ教だ! 
青木健『古代オリエントの宗教』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-115.html
”・イスラム教シーア派のうちのイスマーイール派は、メソポタミアで地下活動を行なっていた時期に、グノーシス主義そっくりの教義を作り真のイスラームを名乗った。
イスマーイール派のイマームたちは政治活動にも乗り出して知識人に宣教した。
イラン・中央アジアにまで宣教員を派遣し、東方の知識人を惹きつけつつ、イスマイル派の解放区(ジャズィーラ)を設けている。
10世紀にはエジプト~チュニジアにファーティマ王朝(909~1171年)を樹立し、一時はイスラム世界の西半分を覆う程の権力をふるっていた。

(【超簡単】「スンニ派」と「シーア派」の違い-イスラム教
http://world-news.beauty-box.tokyo/entry/2015/11/25/193000
”西暦632年 ムハンマド死去

初代正統カリフ
アブー・バクルの時代

スンニ 派
「やべぇよ!ムハンマド様、後継者決めずに死んじゃったよ!」


「イスラム教徒の混乱必至!」

アブー・ バクル(スンニ 派)
「心配には及ばん!ムハンマド様亡き後、彼の長年の側近にして義父でもあるこの私が、正統カリフ(最高権威者)として、イスラム共同体を束ねていくぞ。」

スンニ 派
「頼んだぞ!アブーバクル!」

※スンニ派の名称は「ムハンマドの慣行・慣習(スンナ)、つまり生前の行動や行いに従う人々」の意から。

シーア 派
「勝手は許さんぞアブーバクル!時期カリフは世襲制だ!」

「ムハンマド様の息子は皆死んでしまったが、自身もムハンマド様の従弟にして、後に養子、更にムハンマド様の娘ファーティマの夫でもあるアリー・イブン・アビー・ターリブ(以下「アリー」)こそ、最も血の濃い男性血縁者であり、次期カリフにふさわしい!」

※シーア派のシーアとは、アラビア語で「党派」の意味。

つまり「(アリーの)党派」ということ。

スンニ 派
「やかましー!!!」
(…)
西暦632年アブー・バクル即位

アブー・ バクル
「私の病魔はもうすぐ私の命を飲み込むだろう。後は頼んだぞ・・・」

西暦634年 アブー・バクル病気により死去

2代目正統カリフ
ウマン・イブン・バッタールの 時代

ウマル・ イブン・ バッタール(スンニ派)
「アブー・バクル亡き後は、ムハンマドの4番目の妻の父である私が、2代目正統カリフだ。」

スンニ派
「頼んだぞ!ウマル!」


シーア 派
「勝手は許さんぞウマル!今度こそ次期カリフは世襲制だ!」
「血の繋がりのないお前など出る幕ではない!アリーこそ、最も血の濃い男性血縁者であり、時期カリフにふさわしい!」

スンニ 派
「やかましー!!!」
(…)
西暦634年 ウマル・イブン・バッタール即位

ウマル・ イブン・ バッタール
「待て!殺すでない!話せばわかる!!!」
「ぐわー!!!(断末魔の叫び)」

西暦644年 ウマルが個人的に恨みを買った奴隷により暗殺される

3代目正統カリフ
ウスマーン・イブン・アッファーンの時代

ウスマーン・ イブン・ アッファーン(スンニ 派)

「よし、これからはムハンマド様と妻ハディージャに次いで、世界で3番目にイスラム教に入信し、ムハンマド様の娘を2人も嫁に貰った私が3代目正統カリフだ。」

スンニ 派
「頼んだぞ!ウスマーン!」

シーア 派
「勝手は許さんぞウスマーン!今度という今度こそ次期カリフは世襲制だ!」
「同じ娘婿と言えどもアリーこそ、最も血の濃い男性血縁者であり、次期カリフにふさわしい!」

スンニ 派
「やかましー!!!」
(…)
西暦644年ウスマーン・イブン・アッファーン即位

ウスマーン・ イブン・ アッファーン

「ブルータス!お前もか・・・」
「ぐわー!!!(断末魔の叫び)」

西暦656年 ウスマーン・イブン・アッファーン下級兵士の反乱により殺害される


4代目正統カリフ
アリー・イブン・アビー・ターリブの時代

アリー・ イブン・ アビー・ ターリブ(シーア 派)
「待たせたな!ムハンマドの従弟にして、後に養子、ムハンマドの娘ファーティマの夫であり、最も血の濃い男性血縁者である私が正統カリフだ。」

シーア 派
「よっ!真打!待ってました!」
「ちょいとばかし不埒者がのさばっていたが、あんな連中は断じて正統カリフとは認めん!アリー様こそ真の正統カリフであり、シーア派における初代イマーム(指導者)だ!」

スンニ 派
「まぁ、ええんちゃう?そんじゃあ、アリーが4代目正統カリフってことで。」

西暦656年 アリー・イブン・アビー・ターリブ即位

アリー・ イブン・ アビー・ ターリブ
「おいおい、こんだけ待たしといて、そりゃ無いぜー!!!」
「ぐわー!!!(断末魔の叫び)」

西暦661年 アリーがモスクで祈祷中に暗殺される

正統カリフ以降

シーア 派
「次はアリーの子供達がカリフ候補ですな!」

スンニ 派
「いや、もう正直ムハンマド様の直系とかどうでもいいんちゃう?」

シーア 派
「何だとぉ!?どうでも良いとは、どういうことやねん!?」

スンニ 派
「いやだって、もうムハンマド様の作られたイスラムの精神はイスラム共同体である我々みんなに引き継がれたわけやし。」
「これからはムハンマド様の慣例(スンナ)を大切に、代表はみんなで決めていこうや。な?」

シーア 派
「何ぬかしとんねん!勿論スンナも重要やぞ。重要やけど、それは二の次や!」
「一番重要なのはイスラムの精神は、ムハンマド様の直系にのみ引き継がれていくっていう、そこやろが!?」

スンニ派
「まあまあ、そうカッカせずにさ。取り敢えず次期カリフは今一番力持ってるムァウィーヤってことで、ひとつヨロピク。彼を怒らせたら洒落にならへんぞ?」

シーア 派
「認めん!絶対に認めんぞー!何と言われようと次期カリフは、アリーの子供達だけじゃからのー!」」

スンニ 派
「じゃかーしー!大多数の人間がそれで良いって言っとるんじゃい!嫌なら勝手にしやがれ!この石頭!」

スンニ 派・シーア 派
「フンッ!」

※便宜上すべてをスンニ派とシーア派で色分けしているが、もちろん早い段階から明確にそれぞれの派閥・組織が存在していた訳ではない。
(…)
◆スンニ 派
ムハンマド以降の4人を正統なカリフ(最高権力者)と認める。
ムハンマドからみんなで受け継いだ精神と慣例・慣行を大切に、4代カリフ以降は話し合いで王を決めていくべきだと考える。

◆シーア 派
元々はアリーの支持者層
ムハンマドとアリー、そしてアリー亡き後はその子孫しか正統なカリフとは認めない。


日本人の中には、例えば真言宗と浄土真宗のように、宗教そのモノの解釈の違いからくる宗派対立だと思っている人も多い。

しかしあくまでも根本的な原因は跡目争いであり、そこから派生した政治的な対立だということだ。

極論を言ってしまいえば、ムハンマドという絶対君主亡き後、その時最も相応しい代表を選ぶ民主主義的な立場からイスラム国家を運営しよういうスンニ派と、世襲制による独裁国家的な立場からイスラム国を運営しようとするシーア派と言えば分かりやすいのではないか?

(もっともムァウィーヤがカリフになったのは、民主主義の力というより、圧倒的な武力によってだが・・・)

よってイスラム教そのモノの解釈とか、信仰という根本的な部分にはさほど違いはない。

勿論細かな相違点は多々ある。


ネットを見ているとそうした相違点をあげつらい、教義の観点から「スンニ派とシーア派は明確に違う」と主張する人間もいる。

だが、何度も言う様に元々の原因が跡目争いなのだから、大して違いが出てくるはずがない。

念の為、代表的な相違点をまとめておく。


◆代表的な相違点
スンニ派はシーア派に比べで戒律を重視する。
シーア派はスンニ派に比べて、戒律よりも信仰の内面を重視する。
シーア派は偶像崇拝をスンニ派程には禁忌としていない。”

イスマーイール派 イスマーイールは Ismā`īlīyah
“イスラム教シーア派の一分派。七イマーム派ともいう。シーア派はアリーの子孫をイマーム (教主) として立てていたが,7代目のイマームを6代目の息子ムーサーとすることを主張する者と,ムーサーの兄イスマーイールの子ムハンマドを主張する者とに分れ,前者は十二イマーム派としてシーア派の本流をなし,後者は七イマーム派すなわちイスマーイール派と呼ばれるにいたった。
(…)イスラム教シーア派の一分派。七(しち)イマーム派ともよばれる。シーア派の第6代(イスマーイー ル派では第5代)イマーム(指導者)、ジャアファル・サーディク(699/702―765)の没後、十二イマーム派が次子ムーサー・カージムを第7代とし たのに対し、この派は、イマーム位は先に没した長子イスマーイールに伝わっていて、その息子ムハンマドが第7代目で最後のイマームであると主張した。そし て、ムハンマドは死んだのではなく将来、救世主(マフディー)としてこの世に再臨すると信じる。彼らは9世紀後半以降、秘密結社的な革命的宣教活動を活発 に展開した。この運動の指導者、ウバイド・アッラー‘Ubayd All hは自分こそがそのイマームであると宣言し、10世紀初めに北アフリカにファーティマ朝を創設し、スンニー派イスラムに教義的、政治的に挑戦した。教義は時代とともに改変されたが、聖典解釈における秘教的比喩(ひゆ)的解釈の重視、神と人との仲保者であるイマームへの絶対的服従を特徴とする。一支派のニザール派は十字軍に暗殺者教団(アサシン派)として恐れられた。現在、信者は少数ながらシリア、インドなどにいる。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%B4%BE-30850#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29


・2~3世紀のグノーシス主義と
9~10世紀の初期イスマーイール派の思想構造が強い親和性を持っている。
が、史料は乏しい。
2~3世紀にマンダ教とマニ教の足跡が途絶えて以降、メソポタミアにおけるグノーシス諸派の歴史は杳として知れない。マンダ教は現代も存続しているし、マニ教は10世紀まではメソポタミアで確認されるのだから、他にもグノーシスの残党が残っていたのだろうと推測されるだけである。
4~7世紀のメソポタミアはペルシア帝国の首都圏を形成していたにもかかわらず史料がほとんど残っていないために研究上の空白地帯と化している。
また、イスマーイール派自体も政治的な地下活動として始まったので、類まれな成功をおさめた10世紀以降ならともなく、初期の活動に関する史料はほとんどない。

イスマーイール派では、聖書の中に登場する預言者たちはそれぞれ聖法をもたらしたが、彼らの周囲には聖法の表面的な意味(ザーヒル)だけでなく、内的な秘義(バーティン)を明らかにするための「黙示者」が寄り添っていた。アダムには次子アベル、ノアには長子セム、アブラハムには庶長子イシュマエル(イスマーイール)、モーセには兄アーロン、イエスにはペテロ(彼だけまったく血縁関係がない)、そして預言者ムハンマドには従弟で娘婿のアリー・イブン・アビー・ターリブ(シーア派はこのアリーの血筋でないと指導者=イマームになれない。血統主義の世襲制)という黙示者がいた。
シーア派の支持基盤がメソポタミア。
聖書ストーリーの新解釈がどう見ても2~3世紀にメソポタミアで栄えたグノーシス主義に酷似した色調を帯びている。
初期の逸脱的なシーア派運動を、イスラーム思想研究上は「過激シーア派(グラート)」と称している。近現代のイスラーム原理主義とは趣を異にするので注意。
グノーシス主義と過激シーア派の結合が文献上で明確になってくるのが、およそ8世紀前半、第五と六代イマームのころである。当時の過激シーア派の内部資料は二冊しか残っていない。それ以外は、12イマーム派のウラマーたちによる分派学の書物しかなく、どこまで信頼してよいかわからない外部資料である。
内部資料の第一は、五代目イマームであるムハンマド・バーキルの側近アブー・アル・ハッターブが、主人から明かされた秘伝として記した『ウンム・アル・キターブ(書物の太源)』である。同書によると、第五代目正統イマームは、天上界の「影たち」が創造主の神性を認めない罪の故に転落を重ね、それによって天圏と地上界を形成し、ついに人間の肉体の中に捕囚されるというイスラームの秘義を明かしている。同書の神話構造は、光と闇の二元論が前提のマニ教タイプではなく、「偉大なる生命」に由来するプタヒルが自らを造物主と勘違いして「転落」したとするマンダ教タイプのグノーシス主義に酷似している。
同書はアラビア語で書かれているが、アラビア語原本は発見されていない。が、イスマーイール派共同体にて同書のペルシア語訳が発見されている。
資料の第二は、第六代目イマームであるジャァファル・サーディクに仮託して、ムハンマド・イブン・スィナーン(835年没)が執筆したアラビア語文献『キターブ・アル・アズィッラ(影の書)』である。こちらは『ウンム・アル・キターブ(書物の太源)』ほど有名ではないが、内容的にはほぼ同一の神話構造を伝えている。
『キターブ・アル・アズィッラ(影の書)』は後にシリアのヌサイリー派(アラウィー派。後年イスマーイール派から分派したとされるシーア派の一派)の宇宙論の基礎として活用された。

・ファーティマ王朝の樹立へ
『純粋同胞団』の著者が、一説には第八代イマームのアブドゥッラー・アクバルの息子アフマドだとされるが、確証はない。本書は新プラトン主義に大きく傾いた思想なので、イスマーイール派文献なのは間違いなく、ファーティマ朝成立の10世紀後半の著作とみなすのが通説。

アブドゥッラー・マフディーにいたって、宣教員の一人がアルジェリアのベルベル族の一派クターマ族への布教に成功する。150年間もメソポタミアで地下活動していたが、イスラーム世界の辺境であるアルジェリアの部族で成功した。
アッバース王朝の支配に対抗するイスマーイール派の解放区がアルジェリアに成立したため、アブドゥッラー・マフディーもサラミーヤの隠れ家からカイラワーン(現在のチュニジア中部の街)に移動し、ここで
909年1月5日の金曜日、35歳で預言者の家系の第11代正統イマーム兼ファーティマ王朝初代カリフとして、アッバース王朝の「偽」カリフに対抗した。
ファーティマ朝は969年に肥沃なエジプト攻略に成功し新都カイロを建設し、首都とする。

イスマーイール派は、聖書ストーリーの使徒たちを預言者と呼ばず、人数も七人に限定して、「告知者」と称する。告知者の聖法の背後に隠された秘義はアダムの時代から代々告知者の傍で使えた黙示者により保持されてきた。だが誰も明かしたりしなかったので一般に知られることはなかった。イスラム時代にいたり、預言者ムハンマドの黙示者であるアリーとその子孫たる正統イマームが、はじめてその秘義を開示する権能を行使する。
イスマーイール派教団はイニシエーションによって選ばれた団員で構成される、正統イマームを頂点とする階層構造を特徴とし、そのメッセージを受取りうる知性の持ち主を求めて宣教(ダァワ)する宣教員(ダーイー)に支えられた宣教組織を持つ。
秘義は万人が理解するにはあまりに高度なので少数のエリートにしか教えない。
一般大衆は素朴で表面的な信仰であっても差し支えが無い。
イスマーイール派は王朝樹立をはたしても、大衆にイスマーイール派の秘義を強要しなかった。

・イスマーイール派の、グノーシス主義を色濃く残した宇宙開闢論
時間と空間が生まれる以前、アッラー以外の何も存在しなかったとき、アッラーが自ら発した光に対して「あれ(アラビア語でクン)」と呼びかけると、驚くべし「クン」という言葉そのものが最初に具現化した。更に驚くべきことに、アラビア語の命令系「クン」がなぜか女性形の「クーニー」に変化して出現したとされる。クーニーはアッラーの第一の被造物であり、他の全ての被造物はこの女性的存在を介して存在者となる。
あたかも、グノーシス主義における「転落したソフィア(こちらもギリシア語女性形)」を彷彿とさせるような女性原理である。
しかしアッラーはクーニーからは認識できない不可知の存在だったので、彼女は自分自身から他のすべての被造物が発する以上、自らが創造主なのではないかと錯覚する傲慢の罪に陥った。
グノーシス主義的には、クーニーは思いあがった造物主デーミウルゴスである。
これを見て取ったアッラーは彼女を介して彼女の意思とは無関係に、クーニーのうえに三つ、クーニーの下に三つの合計六つの階梯を創造し、クーニーの増長を戒めた。
ここにいたってクーニーは「アッラーのほかに神はなし」との信仰告白の真意を悟って従順になったとされるが、一度生起した世界の発展は止められなかったらしい。
つまり、世界が開展する契機は女性原理の傲慢とそれに対する神の干渉、つまりクーニーの転落にあったとことになる。
この宇宙開闢論は二世紀のマンダ教でプタヒルが自分が造物主だと勘違いして世界を創造する神話構造と軌を一にしており、古代のグノーシス主義的要素を色濃く残しているとされる。

次にアッラーはクーニーに命じて、彼女の助手として「運命(アラビア語でカダル)」を創造させた。グノーシス主義的に言えば「天上界のアダム」に相当する人間の原型である。カダルはアラビア語の男性名詞であり、クーニーと一対となって神の原初の創造原理を代表する。神から言えば、上位の女性原理クーニーによってすべての被造物を創造し、下位の男性原理カダルによってそれらの運命を司るのである。
子音表記のアラビア文字では、クーニーは四文字、カダルは三文字で、合計七文字。
合計二十八文字あるアラビア文字は四×七に割り切れ、その最初の七つ組がこの四+三文字にあたる。なぜこの七文字がアラビア文字の中で特別なのかは部外者にとっては判然としない。ともかく、すべての存在者はこの七文字の組み合わせによって派生するがゆえに、クーニーとカダルは万物の根源であると言う。

この後、クーニーの瞑想から七つの天使的存在(ケルビム)が、カダルの瞑想から十二の精神的存在が誕生したとされる。ちょうど、マンダ教のプタヒルが、七惑星と黄道十二宮の助けを借りてこの世を創造したのと同様の設定である。但し、マンダ教ではこの二つのグループは闇の世界に属していたが、イスマーイール派の神話では男性原理の運命カダルが産出した十二の精神的存在のうち、最初の三つは大天使の当てはめられている。最初の三つとは幸運・勝利・想像である。
「幸運」はガブリエルに、「勝利」はミカエルに、「想像」はセラフィエルに当てはめている。当然彼らは善なる存在であり、天上界の出来事を告知者たちや正統イマームたちに宣教する役割を担い、地上におけるイスマーイール派の宣教組織の原像となっている。
しかし、クーニーとカダルの命令に従わないものもいた。
クーニーの直下の第四の階梯に属するイブリース(天上界のアダムへの跪拝を拒否し、天上界を追放されて地獄の大悪魔になったとされる)である。
イスマイール派では悪魔といえども天的な由来を持っているのである。

天上界の創造の後には、地上界の創造が続く。クーニー由来の天使的存在は七つの惑星天を支配し、カダル由来の精神的存在は十二の星宿を司る。ちなみにクーニー自身は太陽に相当し、カダルは月に該当するとされるので、天上界の創造物は地上界ではそのまま古代世界で知られていた天体に一対一対応している。
最終的に地上界で誕生する人間は天上界の要素を含みつつも、神からはるかに引き離されて、故郷の一切を忘却してしまう。そこで、女性原理の過ちから生じた人間は、天的な叡智を彼方の世界から授けてもらうことで、はじめて故郷へ帰還する救済の可能性を獲得するのである。

イスマーイール派のグノーシス神話の宇宙論
【天上界のプレーローマ】
不可知のアッラー
 ↓
クーニー
(あれ。女性原理。彼女の傲慢の故に世界が開展→6つの階梯)
↓                 ↓
カダル(運命。男性原理)      ↓
↓                 ↓
12の精神的存在  7つの天使的存在(幸運ガブリ、勝利ミカ、想像セラフィ)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【地上界】           ↓(グノーシスの授与)
  ↑↓    ↑↓  告知者や黙示者に叡智を宣教する
12の星宿  7つの天圏     ↓(グノーシスの授与)
        イスマーイール派宣教組織が人類に宣教する
↓           ↓(グノーシスの授与)
人間存在=神から最も隔たった地点に人間が誕生し、
天上界の出来事を忘却している
が、(少数の人は)イスマーイール派の宣教により秘義に覚醒する
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【地獄】
アダムへの跪拝を拒否したイブリースが、
第4階梯から転落し、大悪魔となって棲息
……

天上界の神聖史に続く地上界の人類史においてイスマーイール派は七つの周期の時間を想定する。その中で、全部で七人の告知者が出現して人類に聖法をもたらし、彼に随伴する黙示者がその奥の秘義を明らかにするとされる。
七つの周期の告知者とは、原初の七文字に対応して(便宜的にアルファベット表記にする)、
K=アダム
W=ノア
N=アブラハム
Y=モーセ
Q=イエス
D=ムハンマド
R=救世主
であり、第一から第六までの各周期に随伴する黙示者がいる。
聖法とはユダヤ・キリスト・イスラム教であり、
秘義とは天上界の記憶を呼び起こす神的な叡智すなわちグノーシスである。

イスマーイール派の七周期と告知者・黙示者

第一周期 告知者アダム (黙示者 次子アベル)
最初の人類。アダムが独自の聖法をもたらしたか否かについては見解が分かれている。

第二周期 告知者ノア (黙示者 長子セム)
聖法を編纂し、普及させた最初の人物

第三周期 告知者アブラハム 
(黙示者 庶長子イシュマエル=イスマーイール)
カァバ神殿を建設した人物

第四周期 告知者モーセ (黙示者 兄アーロン)
鍛冶を司り、鉄の武器をもって敵と戦った

第五周期 告知者イエス (黙示者 ペテロ ※血縁関係なし)
木細工(十字架)を始めた人物

第六周期 告知者ムハンマド (黙示者 従弟で娘婿のアリー)
鋳造を始めた人物

第七周期 救世主
新たな聖法はもたらさず、秘義を全面開示して人類の救済を成就する人物。
実像は諸説ある。
①第七代正統イマームであるムハンマド・マクトゥームとする説(カルマト派)
②ファーティマ朝の樹立とともに、とりあえず先送りされたとする説

イスマーイール派は、ムハンマドですら相対化する。
第七周期では、救世主は告知者と黙示者を兼ねる。聖法をあらたにもたらすことはないが、全人類に対して隠されてきた秘義を全面開示する。

初期イスマーイール派は、第七代正統イマームであるムハンマド・マクトゥーム本人をもって、預言者ムハンマドの周期を更新する第七の告知者にして、正統イマームが担う黙示者の使命をも成就させる救世主(マフディー。イスマーイール派独特の用語として、アラム語起源のカーイムとも呼ばれる)と捉えていたと思われる。
アリー家に代々伝わる聖剣ズルフィカールの鳴動と、ムハンマド・マクトゥームによる大復活の宣言の中に、時間を止める「聖書ストーリー」の絶頂が期待されていたのである。

カルマト派とは南メソポタミアに拠点を置くイスマーイール派の宣教組織。
ムハンマド・マクトゥーム没後もあくまで彼が救世主だと主張し、イマーム位を継承するアブドゥッラ―・アクバルたちと意見が分裂し、ついに
899年に袂を分かってペルシア湾岸のバーレーンで武装蜂起した。
930年の巡礼月にははるばるマッカまで遠征してカァバ神殿を襲撃し、イスラーム教徒巡礼者たちを大量虐殺したうえに、ご神体である黒石を略奪してバーレーンへ持ち帰っている。史料が残っていないので、彼らの思想を正確に掴むことは不可能であるが、イスラーム的聖法を遵守する必要がなくなったことを象徴的に示すためにカァバ神殿を襲撃したのだろうと推測されている。
カルマト派はアッバース王朝が莫大な金銭と支払ったので黒石をカァバ神殿に返却している。
899年後イラン高原や中央アジアなど東方のイスマーイール派宣教組織は、少なくとも10世紀前半まではカルマト派の教義を信奉している。ただ、カルマト派はアッバースやファーティマ朝と軍事衝突を繰り返し11世紀には内部崩壊してしまった。
よって、イスマーイール派の主流はアブドゥッラ―・アクバル系のファーティマ朝となった。

・九世紀前半のバグダードでギリシア語文献をアラビア語に翻訳する運動があった。
これを機にイスマーイール派も新プラトン主義を取り入れた。

イスマーイール派思想への新プラトン主義の導入にあたっては、
10世紀にイラン高原から中央アジアで活躍していた三人のカルマト派宣教員――後にイスマーイール派ペルシア学派と呼ばれた――が顕著な貢献を果たした。
北アフリカやアラブ地域のファーティマ朝系宣教員がこのような志向をまったく見せていないので、当時はイラン~中央アジアが哲学に対して敏感になっていたと思われる。
イスマーイール派の揺籃の地がメソポタミアであり、哲学的教義の揺籃の地はイラン高原だった。
カルマト派の宣教員ムハンマド・ナサフィーの著作『キターブ・アル・マフスール』(現在は散逸し、断片的な引用のみで知られる)はイスマーイール派の教義に初めて新プラトン主義を導入したもので、イスラム思想史上大きな影響力を持ち続けた。

カルマト派でペルシア学派のスィジスターニーは最も多くの文献が残存しているので、彼の宇宙論を紹介する。
スィジスターニーによれば、アッラーは不可知の神である。勿論、神話的教義ではクーニーの転落を担保するためにアッラーは不可知でなければならなかった。その影響でイスマーイール派ペルシア学派のアッラーも超越的な神と想定されたのかもしれない。
このため、以後のイスマーイール派の神観では、いかなる擬人神観も拒否し、アッラーは否定辞でしか表現できないとする否定神学(~ではない重視)が大きな特徴となった。
神話的教義でクーニーとカダルとされていた原初の原理は、それぞれ新プラトン主義の知性と霊魂によって置き換えられた。
アラビア語の「知性(アクル)」は男性名詞であり、
「霊魂(ナフス)」は女性名詞なので、この段階で女性原理クーニーの転落の物語は放棄される。
しかし、スィジスターニーは第一の被造物である「知性」がそのままアッラーから流出したとは考えない。そうではなく「知性」は神の言葉「あれ」を媒介として無から創造されたと理解する。
これはアッラーの超越性を維持しつつ、クルアーンの啓示を尊重し、かつ神話的教義の「クン」にも配慮した結果と思われる。
永遠・完全・不動の第一存在である「知性」からは、
第二の創造物として「普遍的霊魂」が流出する。
形のうえでは神話的教義でクーニーがカダルを創造したとする説の踏襲であるが、「一からは一しか生まれない」とするパルメニデス・テーゼを遵守するべく、「知性から何者かが溢れだすように霊魂が流出した」と表現している。
この霊魂は知性のように完全な存在ではなく、常に完全性を求めて上位の知性を希求している。ここから明らかに神話的教義から継承したとみられる、幸運=ガブリエル、
勝利=ミカエル、
想像=セラフィエルの三つ組も生まれる。
また、霊魂の希求から運動が生まれ、
「時間は運動の量である」と定義される時間も発生する。ここにいたって、形相と質量によって構成される生成消滅界の「自然」が流出する。
やがて形相と質量が七つの天圏と星辰を形成し、天圏の運動によって乾湿冷熱の四元素が混合して地水火風が誕生する。
そこから、植物的霊魂を持つ植物、
感覚的霊魂を持つ動物、
血性的霊魂を持つ人間の順で発生し、この世界を形作る。
このうち、人間だけは個別霊魂に与かっているのでより完全な普遍霊魂を希求してどうにか救済にいたる可能性を持っている。
人間は天上界の普遍的霊魂の欠片を持っているとする人間理解は、神話的教義における天的起源を持ちつつそれを忘却したとする人間理解に近いかもしれない。

新プラトン主義哲学化したイスマーイール派宇宙論
不可知のアッラー
↓(「あれ」と言って無から創造)
普遍知性
↓(流出)
普遍霊魂
↓(流出)
自然(=形相+質量)
~~~~~~~~

7つの天圏と星辰
↓(天圏の回転による時間の成立)
乾湿冷熱の混合

地水火風の成立
~~~~~~~
↑(人間のみが普遍霊魂を目指して天上界への帰還を希求)
人間=知性的霊魂

動物=感覚的霊魂

植物=植物的霊魂


・イスマーイール派の新プラトン主義的哲学教義の時期は10~12世紀まで。
909年にチュニジアにファーティマ朝が誕生し、
969年にエジプトを征服しイスラム世界の西半分を支配した時期。
潜伏時代のグノーシス主義的な神話に当時最新の時代思潮であったネオプラトニズムを導入し、教義が大きく変わった。
ペルシャ系宣教員が哲学的教義を整えた。
エジプトの本部からはイスラーム世界の東方各地に更なる宣教員が派遣されて、現地の知識人層や商人層に猛烈にアピールし、イラン北部や中央アジアにイスマーイール派の「解放区(ジャズィーラ)」を設定した。
この頃が政治的にも宗教的にもイスマーイール派の全盛時代である。

・イスマーイール派は
765年に十二イマーム派と分かれた後も、
899年にカルマト派(メソポタミア、ペルシア湾岸、イラン高原)とファーティマ朝(北アフリカ)に分かれ、そのファーティマ王朝は
1021年にはドゥルーズ派(シリア、レバノン)が出、
1095年にはニザーリー派(イラン高原の宣教組織)とムスタァリー派(エジプトの王朝本部)に分解した。
1191年にファーティマ朝が滅亡し、中央アジアからやって来たモンゴル軍によって
1256年にアラムート要塞が陥落して以降、政治的に没落。
主要な拠点を失ったイスマーイール派はイランやイエメンで神秘主義教団のかたちで生き延びざるをえず、民衆的な修行道や道徳訓話を加味しながら、教義を再転換していった。現在では、イスマーイール派の末裔は主として亡命先のインド西海岸とイエメンに少数派コミュニティーとして残存している。

(イスマーイール派思想の形成にもイラン思想の影響があります。
イスマーイール派の人類史で七つの周期の時間を想定する思想は、
神智学と人智学の元ネタの一つ。イスマイール派の本が恐らく市販されていななかった当時、ブラバッキーらはどうやってイスマイール派の思想を知ったのでしょうね?
一部のエリートにしか教えなかったのにね。宣教しても大衆向けではないし。
神智学の教義の作成にメーソンが絡んでいますから秘密結社経由でしょう。
ペルシャ思想の影響を受けているイスマーイール派なので、ペルシャを重視するメイソンは間違いなく情報を手に入れていたでしょうね。
グノーシス主義はキリスト教に迫害されましたから必然的に地下に隠れますから秘密結社化します。
神智学が反ユダヤ本の普及に協力したりするなど、神智学の中核にも反ユダヤカルトであるキリスト教があります。創造神ロゴス=ゴッドが登場することからもわかりますね。
いい加減ヨハネ福音書から離れたら?)


閉店です ‏@lakudagoya
@kikuchi_8 スーフィーにも占星術的なシンボリズムありますね。まー、スーフィーってイスラーム世界のマギの末裔じゃないですか?(笑)バラカという神の恩寵をもたらすのも血筋で血統主義ありますし、このあたりヤジディやらイスマーイール派に繋がりまする。シーア派も占星術の流出世界論
スーフィーはマギとサドゥーの混合ですよん。まープロティノスやらネオプラトンの人たちがイスラーム世界で流行り、マフディーを中心としたカトリックの天使論みたいな天界流出階層論がシーア派の神学として形成されましたね。血統主義はバラモンもゾロアスターもです。


やたらとおフレンチ系秘密結社のやつらがイスラーム好きなのは、薔薇十字団なんかみてるとわかるけど、イスラームからやって来た連中だからな

薔薇十字団の開祖の墓ハケーン!とかやる弟子とか見てると、スーフィーの廟とかを連想すんだよねー。

薔薇十字団の人イスラーム世界に留学してたしw


西洋には相当に、イスラム色を抜いたイスラム文化がたくさーん紛れ込んでるぞ?

これさ、両方を比較してはじめて「あー!」と騙された事に気付く。

グルジェフとかもさ、スーフィーの教えに「超古代の秘儀ガー!」というプレミアをつけて売ってたんだよ。

もちろんイスラム色抜くの忘れずにな


ユダヤ陰謀論で絶対触れられないのはイスラム世界からの資金の流れだ。 スーフィズムだかカバリストだとか近い位置にいて思想も似通ってたキリスト教異端にそいつらの資金が流れ込んだ可能性がある。 カタリ派とか見てみな? こいつらイスラーム世界とガッチリツルんでた。

更に言えばカタリ派に影響を与えたボゴミール派はスラブの山中で15世紀まで存続したけど、オスマン・トルコに攻め入られたらイスラームに集団改宗してる。ボスニア・ヘルツェゴビナとかのムスリムはそいつらの子孫。 おっと、オスマン・トルコの成立を助けたのはヴェネチアだよ。くっさいなー。
中世ヨーロッパでは、異端というものは常にオリエント世界からやってくる毒のようなイメージだった。 実際に各種異端はヨーロッパ内部よりも外部の影響があるもんな。 フランスやスペインの地中海沿岸やイタリアのロンバルディアまで異端のネットワークはボゴミール派から影響受けていた。

スーフィーを見て不思議だと思うのはムスリムなのに、宗教にこだわらないんだよ。 ルーミーという有名なイスラーム神秘主義の人がいるけど、キリスト教徒だろうがゾロアスター教徒だろうが、多神教徒(カーフィル)だろうが来なさい来なさいと言ってる。 ここのあたりに秘密があるんじゃね?

ユダヤ陰謀論の人はあまりキリスト教異端とユダヤとイスラームの仲良し関係は触れたがらない傾向
にあるけど、中世イスラームってヨーロッパに比べたら超経済大国じゃん。 国力がバブル時代の日本と自転車乗ってた時代の中国くらいは差がある。 そうなると資金投資されるとしたらどうなるって話。

そうなると、アメリカとつるむ事で成金国家になったサウジアラビアやUAEのようにイスラーム勢力とつるんだ勢力がキリスト教社会で大きな影響力持つじゃん。 で、問題点があるとすれば、イスラーム勢力はいつもバチカンに投資するの嫌がったって話なんだよ。そこが陰謀論の争点でね。
となると、江戸幕府の支配してた日本なのにイギリスに支援してもらって倒幕しちゃった薩長土肥みたいに、バチカンとしては当然面白くないよね? シチリアのフリードリヒ二世やカタリ派などやつらはいつだってバチカンの不満分子に投資しやがる。 となると生まれるのがユダヤ陰謀論だよ。
ユダヤがバチカンを潰して世界支配を企んでるという陰謀論は、ユダヤを通じてバチカンの不満分子に投資してバチカンの一極支配を崩そうとしてる中東の銀行家が許せないと言いたいんだよ。 でもなぜかそこは叩けないポイントだから、ユダヤがバチカンを内部から操って世界支配みたいな話になる
かと。

イエズス会の創設者の貴族の出て元騎士で従軍してたロヨラがユダヤってデマも、ロヨラが関わってたアルンブラドス派などの異端がユダヤを通じて中東から資金援助貰ってたというオチでね? 隠れユダヤ云々の論争の背景には、本人がユダヤというよりユダヤとツルんだ異端のネットワークがあるんでは?
大体、ユダヤ人は教会法で金融業と古物商以外の商売が禁じられてる(商館持つのもダメ)のに、キリスト教徒の貴族階級やそれに類する人しかなれない騎士にユダヤ人がなれるわけねーじゃん。 ロヨラの実家は城も残ってる貴族でユダヤ人の土地取り上げたりしてなかったですか? 隠れユダヤが貴族?
○○は実は隠れユダヤ人でっていう話、ユダヤ教の習慣も信仰も捨てたユダヤ教徒が隠れユダヤってのはおかしいぞ? それなら、隠れムスリムはどうなる?ムスリムなのにあの宗教キチのイザベラ女王様に強制改宗させられたムスリムがクリスチャン化してるのにムスリムとか言えるわけ?





閉店です ‏@lakudagoya 5月7日
隠れユダヤがあるなら、隠れムスリムだっていたのにそっちは言われない。

シーア派の少数派にはタキーヤと言って信仰を秘匿することが許可されてる。

それならば、隠れシーア派の陰謀論もあってもいいのにシーア派の陰謀論はないよね?

10世紀のファーティマ朝とか臭いぞ?
シーア派にはタキーヤというものがあるので、実はイランなどは嘘つきの文化があるのがご存知だろうか? 嘘つきの文化のみならず、象徴や寓話的な表現でコミュニケーションを計る文化もな。 佐藤優の本にシーア派に改宗した外交官の嘘つきの話が載ってる。嘘というより暗喩の文化なんだろうが。。





この13世紀頃に隆盛を迎えた思想が南フランスのカタリ派弾圧やレコンキスタでどう地下に潜って近世に繋がるのかそのあたりが気になるポイントなわけで。 このアブラハムの3つの宗教がさ、13世紀頃に似たような思想で地下水脈で繋がってたというのが気になるポイントなのだよなー。



ひとつ気になる点があるとすればだよ、スーフィーの連中はルーミーなんかを見ればわかるが、宗教によって差別しなかったんだよ。 フリーメイソンが異なる宗教に対して差別しないってさ、露骨に西ヨーロッパ純正には見えなくてね。 カタリ派とか、オリエントの匂いがする。 これ結構大事な情報
ひとつ気になる点があるとすればだよ、スーフィーの連中はルーミーなんかを見ればわかるが、宗教によって差別しなかったんだよ。 フリーメイソンが異なる宗教に対して差別しないってさ、露骨に西ヨーロッパ純正には見えなくてね。 カタリ派とか、オリエントの匂いがする。 これ結構大事な情報
ひとつ気になる点があるとすればだよ、スーフィーの連中はルーミーなんかを見ればわかるが、宗教によって差別しなかったんだよ。 フリーメイソンが異なる宗教に対して差別しないってさ、露骨に西ヨーロッパ純正には見えなくてね。 カタリ派とか、オリエントの匂いがする。 これ結構大事な情報


おいらは、近代を形成したのは実は中世ではないか?と思ってる。中世に一通り土台を作ってそれが近世で育って近代で花開いたような。 中世に作られた思想とか制度とかが近代や近代まで繋がってて多大な影響を与えてるのに、中世の与えた影響力に関しては殆どスルーだしねえ。 しかも工作とかさ。

スーフィズムの秘密言語と象徴 [イスラム教]
http://morfo.blog.so-net.ne.jp/2011-07-17
”日本人には理解しにくいのですが、語やヘブライ語などのセム語やハム語系には独特の特徴があります。
自然にある単語が別の単語を暗示・象徴し、とされるのです。

そのため、アラビア語を使うスーフィズムや、ヘブライ語を使うユダヤ神秘主義のカバラには、一種の秘密言語と言うべき特徴が存在します。
語やペルシャ語にも、似たものがあります。

その理由になる言語的特徴は2つあります。

一つはすべてのアルファベットが数字を表すのです。
ヘブライ語では400までですが、アラビア語は1000までの対応があります。
ペルシャ語はアラビア語と同じ対応
です。

そのため、ある単語を数値に変換してから再度、文字に戻して単語にした場合、最初の単語は最後の単語に、暗号として入れ替えることができる、あるいは2つは同じ象徴的な意味を持つ言葉として等値することができると考えるのです。
これは「アブアド法」と呼ばれます。

この文字と数の置換法の正確は方法は、ある単語のすべてのアルファベット文字を数字に変換して足した価(多くは3桁になります)の、それぞれの位の数値を(3つの)アルファベット文字に置き換えて、その3つの子音で構成される単語を得るのです。

もう一つの特徴は、ほとんどの単語が3つの子音で構成されていて、同じ3つの子音で表わされる複数の単語は、1つの語根からなる派生語の関係になるのです。
この派生語は自然に連想的に結びつき合います。
さらに、同じ3つの子音を、順番を変えて構成される語根の派生語も、この連想関係に加えられて、結局、これら派生語全体で一つの相互連想的な意味群を形成するのです。

つまり、セム語には秘密言語という側面があって、言葉同士の間に、通常の連想・象徴的な関係以外にも、様々な連想・象徴関係を生み出します。
それによって、世界観の中に複雑で創造的な関連性を生み出したり、新しい解釈を生み出すことになるのです。

このようは秘密言語を背景にして、特定の言葉が別の象徴的意味を持ちます。
その意味は、神秘主義的なの部外者には理解できないものです。

西洋の神秘主義の伝統で良く使われる言葉で、スーフィズム由来の言葉が多数あります。
西洋の神秘主義者も知らないのですが、スーフィズムに詳しい人なら分かるのです。
いくつか紹介しましょう。

・「黒」=「エジプト」、「賢い」
「黒魔術」は本来、エジプト魔術とか、知恵の術という意味だったのでしょう。
「黒い聖母」も、賢き聖母、エジプトの聖母(イシス)という意味だったのでしょう。
「賢者の石」は黒い石、つまり、メッカのカーバ神殿の黒石という意味だったのでしょう。

・「薔薇」=「行」、「十字」=「本質を抽出する」
「薔薇十字」は霊的な本質を顕現させる方法という意味だったのでしょう。

・「炭焼きたち(カルボナリ)」=「知覚者」
のカルボナリ党の本来の意味は、霊的な知覚者だったのでしょう。

・フリーメイソンが重視する「A」「B」「L」=「秘儀の導師」=「3つの瞑想のポーズ」(三角定規、水準器、ロープで現される)
もともと、テンプル騎士団やフリーメーソンは、東エルサレムにあるイスラム教の聖地、岩のドームに由来します。
岩のドームは元のエルサレム神殿(ソロモン神殿)の場所にあります。

・「バフォメット」=「意識の変容を経験した人間」=「智恵の頭」
バフォメットはテンプル騎士団が礼拝していた頭像で、後に悪魔像とされました。”

神秘主義/スーフィズム
http://www.y-history.net/appendix/wh0504-012.html
”イスラーム教の広がりとともに生まれた神との一体感を求める民衆的な信仰。8世紀ごろにはじまり、12世紀ごろから神秘主義教団が生まれ、イスラーム教の各地への拡大の原動力となった。
 イスラーム教の拡張とともに8世紀の中頃にはじまり、9~10世紀に流行した、踊りや神への賛美を唱えることで神との一体感を求める信仰形態および思想を神秘主義またはスーフィズムという。スーフィズムは、修行者が贖罪と懺悔の徴として羊毛の粗衣(スーフ)を身にまとって禁欲と苦行の中に生きていたスーフィーから来た言葉であると考えられている。その思想は、自我の意識を脱却して神と一体となることを説き、形式的なイスラーム法の遵守を主張するウラマーの律法主義を批判することとなり、より感覚的で分かりやすいその教えは都市の職人層や農民にも受け容れられていった。

神秘主義は宗派ではない
 しかし、注意しなければならないのは、神秘主義(スーフィズム)は“宗派”ではない
ことである。スンナ派でもシーア派でもみられる、信仰の“実践形態”の一つであり、 またその形態も幅広く、コーランとハディースのみを重視して簡素で規律正しい生活を送ろうとするグループもあれば、それでは十分でなくより直接的、感覚的に神を体験することを重視するグループもあった。
 はじめスーフィーはきわめて少数であり、彼らは世俗を離れて修行していたが、次第に聖者としてあがめられるようになって弟子や崇拝者が集まるようになり、各地に「スーフィー修養所」が作られた。そのような聖者崇拝はいくつかスーフィー修道会に発展し、神秘主義教団を生み出していった。彼らは民衆の願望に答え、知識や規則ではなく、感覚で神と一体となる方法を広げながら、教団を拡大していった。<M.S.ゴードン/奥西俊介訳『イスラム教』1994 青土社 p.106-113>

神秘主義の理論化と拡張
 代表的なスーフィズムの理論家に、セルジューク朝のガザーリー(1111年没)がいる。12世紀ごろから、各地に神秘主義の修行者を崇拝する神秘主義教団が生まれ、その活動が、イスラームの大衆化を進め、同時にアフリカやインド、東南アジア、中国に広がる背景となった。ムスリム商人の活動はこのような神秘主義教団の活動と一体になって進められ、アラビア語を解しなくともアッラーへの服従を説き、現地の土俗的な信仰と融合しながらイスラーム教の普及が進むこととなった。

インド・イランでの神秘主義
 インドでは南インドに始まるヒンドゥー教の改革運動であるバクティ運動と結びつき、15世紀末のカビールや16世紀初めのナーナクなどのヒンドゥー教との融合をめざす新宗教運動を生み出した。神秘主義教団の一つサファヴィー教団は、1501年にイランに入り、サファヴィー朝を建てた。

神秘主義に対する反動
 神秘主義(スーフィズム)はイスラーム教の普及拡大に大きな役割を果たしたが、同時に各地で土俗的な信仰と結びついたりして、本来のムハンマドの教えからは離れる傾向もあった。
それにたいして18世紀のアラビアでイブン=アブドゥル=ワッハーブが起こしたワッハーブ派の運動は、そのような神秘主義を批判して、ムハンマドの教えに戻るイスラーム復興を主張した。彼らはコーランとハディースの教えに厳格な本来のスンナ派の信仰を復興させることを掲げ、アラビアにワッハーブ王国を建てた。このようなイスラム改革運動は、現在のイスラーム原理主義の一つの源流となっている。 ”


おねショタおじさん ‏@douteimaturi
政治というのは究極的には殺す事でしか解決しません 反対とか、労働争議とかではなく究極的には敵を殺し続けることでしか解決しないのです なので、反権力・反天皇・反安倍ではなく 天皇を、安倍と役人を皆で殺しに行こうという運動以外は信じるに値しませんこれ以外は全部偽物でガス抜き運動です

その点、イスラームやアジア・アフリカの文化・文明は非常に合理的です 人を集めて敵を殺す・術数ではめて、多数派を形成して殺す・追放した後に罪を被して殺す・暗殺者となって殺す・権力者に阿って敵対者を殺す…などなど 相手を滅ぼさない運動や集団行動以外は全部偽物で信用するのが馬鹿です


日本のイスラーム研究者でこの場所で勉強しなかった人は基本除外してください
カイロ・マディーナ・ダマスカス・バクダット・ナジェフ・ゴム・イスタンブールのこの7都市がイスラームの研究の中心地です 悪い言い方すれば、この7都市で学習出来なかった人はその程度ということでしかありません

イスラームは基本的に5つの柱で構成されています
クルアーンと伝承・解釈論・哲学論・道徳論・法学論です
この五つが柱となっています、その中でも宗教の基礎と言われているのがクルアーンと伝承・解釈論・哲学論です、なのでその3つが基礎の柱という人もいます



特に今、栄えているのがイランのゴムです
イラクのナジェフに居た研究者がこぞってゴムに集まっておりシーア派のイスラーム哲学で最も重要なイルファーン(霊示・霊託=辞書では啓示、しかし啓示者(ص)でも指導者(ع)でもないものが善なるか、悪なるかわからない存在から受ける神託の様なもの)
その研究者が増えているとの事で伸びているのが現状との事です シーア派12イマーム派のウスール学派にとってこの霊示・霊託の研究は肝と言っていいものでこれが何故発生するのか、何故それを受けるのかを研究している人がナジェフではなく、ゴムで増えているのはスンニ派世界としては恐ろしい事です

何故、恐ろしいか?
それはシーア派12イマーム派のゴムのウスール学派は哲学を最重視し、哲学的論理性・合理性・反証性ないものを忌避した上でどうあがいてもそれで理解・説明できないものを仏教の無記の様に今の我々では説明できないが必ず出来るようになるという哲学的思考をするからです

その今、説明できないものは必ずイルファーンを得た大学者によって合理的・論理的・反証性を持つものとして解釈されると確信しているからであり スンニ派世界とは違い、神秘主義・法学主義に落ち込まず 必ず神智の絶妙を発見出来ると考えている部分なのです、これが当代のシーア派の恐ろしい所です
無記の先があると言っている時点で狂気でしかなく、神秘主義に甘えず・法学主義に安んじないという時点で発狂しているようなものでその上に生活知を含んでそれを日常で体現すると言っているので理性を体現する狂人としか言いようがないわけです こんな狂った学識者が集まっているのがイランのゴムです

なので、テヘランに引きこもっている日本の学者やマスコミはペルシャ文学や文明などは理解出来ていてもイランの真骨頂である、シーア派12イマーム派については知らないも同然なのでゴムを知らない研究者はゴミで聞く必要がありません なので、イラン本来の情報は日本にはほぼ存在しないのです

また、日本にいるイラン人の99%がその様なものを嫌って来た人達で世俗でしかない人なので彼等からの伝聞がイランではありません
日本人が歴史的に自滅してきた性癖として部分で全体を騙るという悪癖があります 経験知は常に己の認識を詐称するというのを念頭に入れて考える必要があります

で、もっとエグい事を言えば イランやイラクなどのシーア派12イマーム派はタキーヤ(信仰隠し)をしますので彼等が日本を異教徒の土地として信仰を隠されたらわかりません
なぜなら、異教の地で信仰隠しを決めたら、基本無期限なので日本を離れたら敬虔なムスリムという場合があるからです


なので、イラン人が日本で平然と豚食ったり、酒飲んだりしてムスリムじゃない振りして近づいても絶対に信用できないのはこのタキーヤというものがあるからで明らかにそういう事をしているイラン人がいたらまずスパイだと疑うのが貴方の身のためで長生きしたければ絶対にイラン人には近づかない事です




ハラール認証はハラームで大きい罪になるのであのマークが付いたものは罪を食うことになります それは金銭を扱う組織にも法学的規定があるイスラームにおいて、クルアーンの記述の一部を抜いて商売することはクルアーンの記述に抵触し、これに関しては異なる解釈ができないので言い訳は無理です

じゃあ、あのマークを買うインドネシア人とか何なの?と、言われますが知りません 何でかと言うと一般人が法学を知り、その解釈について知っているわけではないからです あのマークの組織として 1、印を得る為の金銭授受がない 2、全てムスリムがしている 3、組織ではなく合議的な構造

4、それによってどの個人にも収入等の形で金銭を受け取ることのない善意の集団
5、食物規定などの法学を納めたウラマーが幾人が参加し、全員が合法と判断すること
等々、瞬間的に思いついただけでもこの条件が満たされていないとハラームとハラールを法学的に規定する事は現実出来ません
なので、マジで・本気で・ガチで・冗談抜きで・本当に最期の日の後で焼かれたくないムスリムはあの印には近づきません 最低でも法学の基礎を知っていれば、あれは罪を食うことが明らかなので近づきません 変な言い方をすれば、絶対的大多数のムスリムはその程度でしかないという事なのです

しかし、最初に言ったようにその組織の中身を知り・見なければ別に無知ということで免除されるのでそれを知っているムスリムはその組織について調べません それはそれで賢いのですが、その態度がこういったものを蔓延させている元凶でもあり、本来はムスリム自身の態度の問題なのです

正しくは組織的に規定できないということです 法学って、究極的に最期の審判の時に何やらかしたかがはっきりするのでそのやらかさない為にあるのですが 現状、如何にすればやらかさないギリギリをやれるかという事になっているのが本当のところで実際それではマズイのですが難しいところです

日本の悪いところの全ては口約束文化の癖に当代、守られる事がなくなっているという事です そうなると、常に書く・明文化する文化社会というのが重要なのですが両方とも軽く見るのでどちらかを重きに置く文化・文明には勝てないのです 所詮、日本というのは野蛮人の異例な社会でしかないという事です

なので、契約という概念がある社会・口約束が必ず成立する社会・例え外部的には信用できないが内部に入ると必ず履行しあう社会等とは戦えないのです 当然、中国は最低でも三番目の社会・知的労働に関しては一番目に該当する社会なのでその社会には当然日本社会如きが太刀打ち出来る訳ないのです

また、人間のピンキリがはっきりしているわけで日本のように中途半端に賢いのでピンキリがはっきりせずに救えないものを救おうなんて無駄な事をしたり 地位と資産でしかはっきりしない上にその倫理がないのでそれでしか判断できない社会では社会の枠組みがないのでただ物量の社会になります
なので、物量しかなかった社会は物量がなくなれば急激に衰退するのは当然の結果でしかなかったのです それにとどめさすかの如く核汚染があるのでピンの若い・意志がある人間をとりあえず日本から離れさせる事以外の手段がないというのが現状なのです、終わっている以上はどうしようもありません
革命とか言うのでしょうがそれすらも歴史的には扇動元がいなければでき得ません 革命というのは本当に殺戮し尽くすことです、今それを責任持って・計画的に出来うる人間は日本には存在しません だから、ただ搾取され続けて絶滅されるだけなのです 諦めて下さい、これは必然です

私は元々民族派の右翼なのでここまで堕ちていく祖国というものは非常に辛いものですが、この流れを止めることはまず無理でしょう 無理なものは対症以外の方法はありません、強いて言うなら最低でも己の子供を見たければ、名古屋より以西に逃げるべきでしょうね、今でも遅くはありませんから






最と恐ろしいのはスンニ派の部族内や外国勢力のスンニ派同士が殺しあって、少数派だけではなくスンニ派住民の難民も大量に出てくるということです。 そうなるとシリアは無人地帯になってしまい、その勢力の空白によって中東戦争が起きる可能性があったので本当に危機なる状態だったのです。

現代において、主なシーア派のイスラーム哲学においてはこの五つを基礎とします
1、あっらーさんの唯一性
2、あっらーさんの公正・中庸性
3、預言者(ص)性について
4、イマーム(ع)・全ての人類の指導者性について
5、復活・最期の日及びその後 の五つです


情報は単独で存在しない 人は過去に縛られて生きている 過去にあって消滅されたとされる集団や知識は条件さえあえば再興する 定義が曖昧、定義を決めないで物事を言うやつは絶対に信用も信頼もしない 全ての意見や思想は主観でしかなく、客観性というのは数と暴力で出来ている これが陰謀論の基本

基本的に学術論的陰謀論がしっかりしている人は起きている現象について応用が効きますが状況論的陰謀論しかしていない人間は学術的考察と基礎知識がないのでできません なので、陰謀論を見るのであれば基本学術論的陰謀論を軸にしている以外の情報は要らないでしょう、無駄です

私が簡単に切り捨てて言っているのは普通の人、いわゆる働いていたり、様々な時間を持たない人向けに言っているわけでゴミ情報を1万文字読むくらいなら、軸となる情報の140文字の遥かに重いのです だから、言葉の定義、言葉の特定を重要視するのです

例えば、日本という単語 それは神話からの物語を指すのか、江戸時代以前を指すのか、明治以降を指すのか、大戦後を指すのか定義がはっきりしてなければ話しても意味がありません なので、真面目に右翼やっている人間ならお前の言っている日本という言葉は何処を軸にしているのかを定めて話します

なので、ネットやツイッターにいる連中は右だろうが左だろうがゴミ以下で文章を読む価値がないと言えるのは定義を定めず話連中が多く、それが圧倒的大多数なわけです 定義を定めて話していない限り無駄で無意味で無効でより無知無脳で無能になるだけです 本当にエロ絵師さんを見ている方がマシです

前も話したけど、再度おさらいしますが詭弁術の潰し方は相手の定義を定めさせる事、抽象的・曖昧な言葉を使ってきたら、その言葉をどういった意味で使っているかを確定させない限りは話を絶対に続けないのです なんでか?それは前提を共有してない同士が話すので情報の共有というのは必須だからです

あらら、変なのに絡まれて菊池さんも可哀想に ああいう類いは基本、過去の文章読んでから発言してくださいと言うか、または徹底的に無視するのが一番いいでしょう 私はブロックというのが嫌いなので無視かまたは凍結依頼でいいのではないかと 相手が勝手に勝利宣言したら無視作戦は成功です

シリア・イラクって、イラクはまだしもシリアは資源が少ない国でシリア何かはアサド家が台頭する前までは貧しい国でただ戦争の係争地だったのだけど、アッシリア正教会とか古い文化が多く 資源ではなく、文化浄化を狙ったものと見てます これが物資の流れではなく、尊厳の流れで見る場合です

これも基本にしてほしいですが物資の流れで答えきれていない場合は尊厳と古代宗教と思想の流れでみてください
文化は統合したら、離れる事はできませんしどこまでが固有なモノだったかは文献がない限り探知できません=純粋な文化は存在しない、もし言っているやつがいたら嘘確定
です

例えば、超古代文明とか言っている奴がいますが、これは条件と状況が揃えば思想や集団は再興するという部分に抵触します 事実、マニ教やグノーシス主義などの多神教的唯一者信仰は近代資本主義と流通革命により認知上の世界が広がったので19世紀から英仏で再度勃興しました

万教帰一の思想は博物学と優生学の思想を混ぜた上で出来上がったものでこの研究は所謂理性崇拝者、百科全書などを作った人達及びキリスト教内部の理性主義者が手を組んで撒き散らしたものでしょう
私が言えるのは新キリスト教と言えるものは全部万教帰一を軸に語り、修正キリスト教
でしょう

つまり、最低でも万教帰一という思想を真っ向から否定している上で宗教がかっていない陰謀論者を探さねばなりません だって、万教帰一の思想が下賤を高貴に特有の民族論、民族自決、全てを国家へ、領域国家等々近代の病理と病根というのをわかった上で批判と修正を問いて行かねばなりません

なので、万教帰一の思想を現代で言っている連中は全部、神学や宗教論的に偽物です 最低でも基礎神学に触れている基礎解釈を知っているものはその宗教の本音を知っています その本音が他宗教とは絶対に交わらないと確信していえる部分で影響はあれども別物であると認定できる部分でもあります

例 ユダヤがー→で、そのユダヤというのはどういう派閥の人です?
ユダヤ金融のー→で、そのユダヤというのはどういう派閥ですか?
裏政治のー→で、そのユダヤというのはどういう派閥ですか?
貴方はおちょくってー→だから、お前の言うユダヤというのはどういう派閥なのか答えてくれ

例 悪魔教徒の殺人儀式はユダヤ教の一部だー→それはどこの記述を読んでそう思われたのですか?
ユダヤ教がキリスト教のー→で、タルムードのどの部分が悪魔教徒の殺人儀式なのですか?
ユダヤの習慣がー→で、どの記述が悪魔教徒の殺人儀式なのですか?


国際秘密力を研究してー→で、ユダヤのどこが悪魔教徒の殺人儀式的なのですか? ユダヤの習慣知る事は創価でいうー→ですので、ユダヤのどの習慣と宗教儀式が殺人儀式と悪魔教的なのですか? 匙を投げー→で、ユダヤ教のタルムードや伝承と解釈のどこが悪魔教徒で殺人儀式崇拝なのですか?

私はこれを現実にされた事も、したこともあるので相手が勝手に逆ギレされたり、自分も頭に来た事があるので己の中で大凡の定義や認識がはっきりしていない言葉や単語はできる限り使わないようにしているのです なので、固有名詞の内容を説明出来ない単語やカタカナ文字を私は避けるでしょ?
そういう事

どこの世界でも大多数の坊主はクソです
なので、あからさまに聖人だの讃えられている連中は基本怪しむに限ります
例えば、金の流れがはっきりしていない
政府などの中枢を身内で固めようとする
悪い話が一方的に流れてこないなど
これを元にするとダライラマやガンジーなどの英国工作員は黒です

英語文献を読めるというのは非常に重要なのですが、問題なのは英語ができてもそれで何をするかであって 私が知る限り英語文献をそのまま読める人が古代の哲学や宗教などの解釈、直接文献に触れている人は全体の2%もいないでしょう いて見つけたなら、土下座してでも教えをこいましょう

日本の色々なものが世界で通用しないと言われるのは単純でそういう教育も世界で基軸となる規格を作ってこなかったのだから当然の帰結です はっきり言って、韓国人の方が英語教育がしっかり出来ているのでまだ世界で通用しますし、最低でも国家がそういう政策とってきたわけですから

象徴のお話 象徴というものには基本4つの分類があると思ってください
それは作ったものが意味を分かっている場合と
わかっていない場合にわかりやすい意味があるのか、
それとも隠れているのかの4つの分類をかけ合わせればそれで象徴を作り出すことができます

例えば、グノーシスの印である丸に十文字これはいろんなところにありますが何故にグノーシスが丸に十文字なのかはわかっていませんし、隠されています 白生地に赤マルですと、落日または墓場の印に白装束で死や憔悴を意味し、意味がわかってますし、その呪詛は表に出ているわけです

但し、その象徴は根源的に力を持っているのかといわれれば持っているのではなく持たされていると言うべきで本当に力を持っているのかと問いただされれば正直、首を捻らざるおえません なので、象徴というのは日々の生活の中で紛れているものであって、風習程度のものでしかありません

なので、様々な象徴は根源的に共通した解釈は存在せず、むしろ解釈した時点でその象徴の力が一人歩きし始めるのであり 一人歩きさせた時点で象徴は力を持ってしまうわけなのです、私が絵描きさんに注意しなさいといっているのは何かを具現化するのは常に表現であり、表現こそが力そのものだからです

もし、秘密結社やそういった象徴を破り破壊していくのなら様々な象徴を否定するのではなく、言語で説明される存在にし、明らかにさせることであり 象徴が象徴として力を持ってしまうのはその秘匿性と表現できないエネルギー、ここでは目的が単独ではない力があると考えられている部分にあるのです

要は秘密であること、秘密とみなされている事がエネルギーの捏造と創出の根源にあり
それを説明するには古代から継続されている象徴について解明するか、己にとってそれが力ないものだと叩き潰すしかありません
魔法を破るのは魔法でも呪詛でも祝詞でもありません、論理と論考に論証です

悪い言い方すれば、困ったら論理でブン殴れー(^ ^) とも、言えるわけです 例えば、霊について 霊=エネルギーの場合→エネルギーということは熱力学でエントロピー値の増大則で劣化するのですがどうやってその劣化を防いでいるのですか? 霊=物質の場合→では、それはなんと言う名前の物質ー

続き)物質ですか?炭素の塊ですか?物質なら、気化した何かなわけですから、当然発見されている物質ではないとおかしいですよね?もし、発見されていないのなら、それは現代の化学表では放射性物質になるのですが生物の霊は放射性物質なのですか? みたいに困ったら論理と論証でぶん殴るのです

他にも古代超文明についても思想や観念は条件によって再興されるのであれば、文明はわからなくとも最低でもその思想は再興されてないとおかしいわけなのだけど、彼らが如何なる思想や社会習慣を持っていたかが答えられていない、または再現されていないのであればそんな社会は元々なかったわけです

悪の魔導士が悪辣な所は象徴を創るだけではなき、言葉の定義を弄ったりする事なわけで言葉の定義を弄るために辞典を作るわけ
例えば、マイナー言語の日本語辞典をその言語の辞書や英語辞典で調べると間違っている事が多いのだけど、恐ろしいのは辞典で使われる言葉が日常使いではない場合がある

あー言っとくけど、金貸しや政商、役人、政治家等名前が世の中に出てくる連中は周辺だからな
本当の中心にいるやつは名前が何個も持っていたり、
名前を調べられてもそいつが何者なのか全くわからない奴や
表上重要視されない存在や
固有名詞を持たない存在が世界の軸
にいて、何かしているのを忘れるな

いいかい、基本的に陰謀論というのは世界を静学的に見る世界観なわけでただ世界は常に動いているので細々動いているわけ 但し、静学モデルをちゃんと組み立てないと動いている世界は見れないわけでその静学モデルは人間は何だかんだ言って一般的な意味ではない合理的な生き物であるという事だ

要は合理というものを何処に置いているのかという問題なわけで例えば、雨を振らせるにはどうすればいいかといえば、今はケムトレイルを撒くという行為だけど、過去は新生児を贄に出したり豊穣の神に祈っていたわけだがそれは反復性のある科学で非常に合理的な行為だったわけだ

合理という言葉も時代によって変わる、認知によって変わるわけで為政者が淫祠邪教に嵌るのも合理の認識が違うからなのだ
合理の誤謬というのはとんでもないもので戦いに勝つには誤謬してない場合、物資、人員を整備して訓練し、連絡機構をしっかりする等
誤謬している場合、戦争の神に祈るとなる
だから、もし社会体制が健全で機能および役割がしっかりしているのであれば後者は基本的に退けられ、
していない社会体制は後者を優先する
因みに前者の社会は法家的又は近代現代社会体制、
後者が野人の社会体制であるので権力者がよくわからない儀式が好きなら実際は後者の社会言えるだろうね

私が日本の政治家の名前や政商の名前を言わないのは穢れた存在の名を言うと己の魂も穢れるという単純な護呪術をしているからです 穢れた存在の事について考えたり、それについて述べるとその穢れに己の心を一瞬でも汚染してしまうからです、だから穢れた存在の名前は出来る限り言わないのです

勿論、私にとって蓮舫という存在も絶対不浄で穢れの塊ですよ ただ、論考するための良い例だったわけでその為に使うには仕方が無いでしょう そういった、都合の良い固有名詞でない場合は使うべきではなく穢れた存在は写真だろうが、映像だろうが一瞬たりとも見るべきではないのです

私は霊という存在を見えたり、物質として感じれる人が身内にいるものだからわかるのだけど、その感覚というのは考証できるものではなく、感じれるから優れても、劣っているものでもないのね むしろ、日常生活ではその体質の方が困るし、不便なわけで言うなれば余計な所にもう一本手があるようなもの

特に見えると相手がわかると寄ってくるものだから、困るのね 特に動物とかの霊は特にワラワラ増えていくらしいので困ったりするらしい 事実、家の玄関とかに塩とか盛っていたのはそういうのを近づけない意味があるのだけど、私のように見えない人間には共有できないから、言うべきではないのね

私の先輩で2LDKの屋根裏倉庫付きで三万とかいう訳ありのを借りていて、そこはラップ現象や背中を思いっきり叩かれるて真っ赤になるという現象があったんだけど、あるときその先輩が帰省で田舎帰る際にその同級生が一週間そこに住んだら、それ以降怪奇現象はなくなったという事があったのね

んで、先輩がその彼に聞いて何をしたんだと聞いたのだけど、全く答えないものだから酒飲ましてぐでんぐでん酔わしてから言わせたのね で、その人は何やったかと言うと霊を綺麗なお姉さんと妄想して自慰をしたという事でラップ現象とか起きる度に見られていると思って自慰をしたらしい

だから、霊もムキになってその人の体を寝ている時に叩くなりしたみたいなのだけど、むしろ綺麗なお姉さんに叩かれている妄想が捗ったものだから一日の自慰回数が増えてしまい、逆に霊が呆れて出て行ったみたいなことらしい おかげでその広い部屋を三年間、悩まされずに安く借りれたという話

そういうしょーもない話も知っているので霊という存在はあるのだろうね、とは言えるけど だからといって、それを前提にして話す事は出来ないのね だって、霊は除霊師とかよりもド変態野郎の方を嫌がるなんてアホな事言えないでしょ、悪魔も悪魔っ子に射精管理されたい何て変態の元には来ないようにね




おねショタおじさん ‏@douteimaturi 11月20日
これは凄い証言なのだけど、つまり今残っている史科資料というのは見られて平気な資料でしかなく、見られてまずい資料は存在しないという事なわけで要は現代史の一部は史科批判による論証が事実上出来ないと言っているのでどの立場取ろうとも史科上での反証・論証は効果がないという事になるのね

だから、南京だろうが慰安婦の話だろうがあった、なかった言うこと自体が無効で確証性がないという事になるのね だって、都合の悪い資料は処分されているとされるのであれば、資料不十分で史科上での批判ができないわけですから、どちらの立場であろうとも歴史史科を持って言い合うのは無意味になるの

ということは、日本の戦中及び戦前の資料に関しては見えている資料で判別するしかないのだけど、その時点で検閲によって識別されているので歴史資料としては資料自体が色をつけられているわけなので純然な資料としては二等、三等の資料の成り下がってしまうわけだ、つまり歴史批判は根幹から出来ない

だから、ネトウヨが慰安婦は女衒によるうんたらかんたら言っても、その軍の命令での資料がない事が前提になるので上位資料の存在がないので無効 左翼が軍の関与で方面軍とかの資料を出したとしても、最上位者である天ちゃんによる許可などの追認、上位資料がなければ無効になるので戦中を語る事は無理

それで証言を集めたりするわけなのだけど、それを裏付けるような資料はどの立場であっても、何が処分されているのかが分からず、基本的に処分されているのが前提になるので欠損した前提と言うことで無効になるのね なので、戦中や戦前の内部に関しては全てにおいて無効で無意味となる

歴史資料の場合は何がなくなっているのか?というのを探し出して考察する事でなくなっている資料の内容を推測するという方法があるのだけど、その周辺資料すらもまとめて処分されているのであれば、それも叶わないのね 何が処分された資料なのか吐いて貰いたかったんだけど、地獄へ持っていちゃったか

ねこた(ニート勇者Lv.1 実は遊び人) ‏@lakudagoya 1日1日前
大本教のタチが悪い所は世界中の宗教のものを全部自分のものだと絡めて主張して取り込む背乗り教のモンスターという所ですね。万教帰一を推し進めるならこれほどタチが悪いものはありませんし、そのために世界中の宗教ごちゃまぜアニメを日本でやってるのはその陰謀ですね。 RT
おねショタおじさん @douteimaturi 10月8日
大本というのがやっている絶対にやってはならない事は一点
大本を軸にして比較宗教やっている事です
これは多神教的帰一主義の悪いとこで手口として主管が言っている事を様々な宗教と比較して、どんどん絡んでやっぱり全ての真理は私達にあると一人合点することです

なので、私は大本的な思想を全否定します
基本的に宗教思想というのは譲れない絶対論があって成り立つものであって、それには必ず唯一でしかないものがあるのです
だから、神学としてこういうアプローチがあると言っている時点でその宗教には神学が存在せず吸収して肥えるスライムみたいな物です

神学はスライムではなく、縦軸がしっかりしているものなのではっきり異物は異物として認識がカッチリされています
ただ、大本みたいなものは異物ですら取り込んで飲み込むので私から言わせれば宗教ではなく、学問でもなくただのご都合主義的なその場凌ぎに終始する言い訳であり、宗教や学問でないです

簡単言えば、泥棒で盗癖があって盗みを働いているのにこれは自分のものだと言い張っているようなものでホツマツタエや霊界物語自体が泥棒に泥棒を重ねてどれが盗んだものかわかんなくなっている泥棒の落書き帳なのでそんな落書き帳を研究するなんて人間の所業ではなく、口舌し難い悪人の行いでしょう

別にただの万教帰一的なものなら何もここまで否定しません、しかしながら大本系とそれに近い泥棒の落書き帳を研究とか言っている連中は神学的にありえないので全否定します
繋げる事は非常に簡単なのですがそれを整合つけるのは実に難しいのですが、奴らは大本が軸で結ぶのでそういう苦労をしません

そんな雑すぎるものを学問とも言いませんし、比較宗教学でも神学でもありません
むしろ、神学がないからそんな粗末な思考ができるのでしょう
全く人類、生物として信じられません
もし、人間であるならば何故ここまで違うのかに戸惑うはずですがアメーバなのでそんな事できません物理的に不能です

大本なんて名前が間違っているのですから、スライム教やアメーバ教と本来の存在の名前を言うべきなのです
本当に聖なるものを豚喰い、犬喰い、蛇のように丸呑みする連中は実に醜い

おねショタおじさん @douteimaturi10月8日
はっきり言いますけど、ギリシャ哲学と中国の諸氏百科それに心身一元論に契約の思想、イスラームやユダヤを正しく認識していれば西洋哲学はただの毒物でしかありません
あんなよくわからない文章を読むぐらいでしたら、論語や韓非、墨子などを読んだほうが遥かに現実的に使えますし、簡単です

恐ろしいのは西洋哲学は詭弁と雄弁術、修辞学の塊なのでそれなりに聞こえてしまうのと舶来物信仰があるのでそれにコロリとやられてしまう事です
特にぬほん人は舶来物が大好きなので簡単に新しい舶来物に被れて、そこの内容物を問わないという悪癖があります
まあ、軸がない人々という事です

でも、ものの本質を隠すような議論をしても意味がありませんので生活が神学であるイスラームとユダヤはある意味、言行一致を求めるので日本人に受け入れやすいのではないかと思います
ただ、超排他的で徹底的に非寛容な日本社会とその性癖で都合の良い誤解をしていくのは容易に想像できますけどね

イスラームで感じれる人になるまで、クルアーンと正しいとされている6冊の伝承の暗記(全部アラビア語)と解釈法の暗記に主要な学者の説の暗記(全部アラビア語)それに信仰とその確信を持ち、そして弁に長けてかつ人格者であり神秘的な体験をして感じれる人になれます

それにしても、ガチでやばそうな人にアレなアカウントな人達って絡まないのね
まあ、私のTL見てもエロ絵描きさん達ばっかりだし、完全に趣味なんだけど呟いていることは全く真逆だから判断しづらいのかなぁ
それに表面上の話は全然しないから尚更なんだろうね、そんなもんだ

あんまり言いたくなかったけど、汎神論の反対は心身一元論です
無神論は汎神論の一部で絶対者信仰者が思考実験として、絶対者が存在しない世界というのは何か?という議論から始まったものです
で、この議論の結論は出ていて全ての理由は何処にあり、ただの物質主義に陥るか、否かになります

要はこの世界には何かしらの根拠と理由があるのか?という議論で汎神論はあるで無神論はない
で、心身一元論はわからないという立場をとります
心身一元論はそれを言ったところで物質と精神が一緒である、己が良くなるか悪くなるかと問われた時に意味ある行いではないのでしません

基本的に心身一元論だけの宗教というのはないような気がします、まあ事実これは哲学と言ってもいいので仏道のように心身一元論に至るために心身二元論から離れる、道教みたいに魂魄があって魂はあの世でもこの世と同じ生活するという一元的な思考をします、なので唯一と多神という分けも正しくないです

なので、この世で確かめられない世界には言及しない態度と無神論は別で心身一元論が怪物やそういった陽の目に現れないものについては一切言及しない態度
無神論は言及して、否定する態度のことであるんで心身一元論者は神秘、超越な存在について一切口出しません
これ大きな違いです


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 11月20日
悪魔を退治する方法
ちょー簡単で悪魔を強い存在として空想するのではなく、弱い存在や自分にとって都合の良い姿に空想すること
そうすれば、簡単に悪魔を退治したり、言う事聞かせられるよ

だから、悪魔を強い存在にしたがる奴はその時点で良からぬ邪念を持っているし、よからぬ願望を持ってるの

悪魔を強くしたがる理由は単純で何かの宗教の敵を作って、敵は強くないとその宗教の力が偉大か証明できないという魂胆があるわけでそれを捏造する事でその宗教の崇拝物をより大きくしたがるわけ
なので、悪魔というのは崇拝物のために強くなきゃいけないし、沢山いないと困るわけさね

なので、悪魔をか弱い女の子や男の子にしてしまえば悪魔というのは如何様にも管理できるわけ それに悪魔というものの住処は人間の心にしかいないわけで外や見える形では存在しないのさ もし、具現化したのであれば力ある存在として具現せずに非力な存在として具現しれば恐れる必要もないわけ

それは聖なる存在と言われているのもその方法を使えばいいのよ そうすれば、聖なる存在も弱い存在である事に出来るし、別にそれを崇め奉る必要はないわけ
なので、一番重要なのは心の管理方法なわけでそれを間違えると両方のどちらかが力を持って、ろくな事をしないわけで中庸こそ重要
なの

聖なる存在は勇敢を蛮勇にしたがり、悪魔は冷静を臆病にして人を偏らせようとするわけだ
つまり、聖なる存在も悪なる存在も弱くするという事は心のフレ幅を狭くすることにあるわけで
どちらかが一方が強いというのは天秤が揺れて、均衡を保てなくなり暴走するのね 天秤は縦軸と横軸の長さが大切

それを言うと老荘思想や孔子などを使えば、そのまやかしは正面から破壊しきれるわけでそれに迷っている連中が今の今まで迷っているのははっきり間抜けでしかなく 今ですら悪なるもの、聖なるもの言っている時点でド阿呆でしかないわけ、なので困ったときは古代の思想でぶん殴るに限るわけです

しょうもない人間の周りにはしょうもない人間しか集まらないのです なので、しょうもない人間を避けていく事だけが最も手っ取り早く良い知識と情報を手に入れる近道です 必要な情報や知識は常に数少ない人しか持っていない及びわかっていないのでバカが3人集まってもバカな答えしか出てこないのです

しかし、誰と何がしょうもなくて誰と何が重要なのかは痛い目や審査眼がないとわかりません なので、例をあげます
1、詭弁術を使わない
2、曖昧な表現や見識を言わない
3、ここで議論を吹っかけない
4、宗教おびてない、または先に言っている
5、曖昧な言葉はその場で定義して用いる
6、立場、主張がある場合は立場を隠さないで言う
7、多数派工作や偽装をしない
8、資料がある場合は枯れた資料、研究されつくした
又は如何なる立場が作ったかが明瞭な資料を出す
9、相手の批判は全体を見て反論し、部分やケアレスミスをあげつらわない
10、無意味に他人に絡まない

わかりやすく、区切りがいいので10ヶ条としましたが、この条件を守っている人がいれば、最低でも言葉に慎重な人でしょう もし、この10ヶ条の殆どに該当するような実に稀有、優曇華の華のような人がいるのであればその人の言葉は信用及び己が用いたとしても恥ずかしくはないでしょう

私がこういった基礎情報や基礎知識の話をするのはこの前提さえ誰もが守っていれば、誰もが必要な知識や情報を得、または迷うことはないからです その意味においては啓蒙主義者であり、百科全書派的であり、無神論的でもあり、事実主義的でもあり、全ての人類はおねショタにのみ救済されると信じてます

言い方を変えれば、この10ヶ条の殆どに該当する人間はエゴサーチしてブロックする対象となります ですので、無意味に絡んできた人間がでてきたら即座にブロックして構いません まず、傾聴に値する話はないでしょうし、見識もないでしょう 無駄な雑音が消音する、これは当然の事です

デマだろうが、デマでなかろうが困った時は何も考えず逃げる それは戦場でもそう、銃声がしたら銃声の反対方向や遮るものが多い方向へ直ちに逃げる じゃないと死ぬか巻き込まれる

災害や事件でもなんでもかんでもそうだが「落ち着いて行動してください」というやつは絶対に嘘つきでそいつの言葉は信じたら死ぬ 災害や事件に直面したときは落ち着いて行動した奴が真っ先に死ぬ、何故なら往々にして余計な事をして取り残されるからだ、財布を忘れただのとか言ってな

なので、正しくは「真っ先に最善をとってさっさと逃げろ」です 財布を忘れた、家鍵忘れた、携帯忘れたとしても逃げている途中なら無視する、道は車で混んでいるから走るか、自転車、逆走していいからバイク(命と罰金どっちが重いか?)道が混んでたならすいている道を瞬時に判断すること



これは兵法の基本である「兵は巧遅より、拙速を好む」という基本中の基本なのです
なので、この逆の事を言っているやつは全て偽物で快楽殺人者です
言い方を変えれば、災害や事件で「兵は拙速を好む」「最善を取って逃げろ」以外またはそれに真逆した事を言うやつがデマ元で快楽虐殺者です
信じていいデマと信じていけないデマとして 今ある災害、事件において己の身に危険が振りかかかるか、振りかからないかの二択でまず考える事です
例えば、冷却水が止まって、核燃料が熱おび始めた→信じていい、何故なら害があるから
津波はそれほど大きくない→これはダメ、命に関わるから

前者はデマだと解れば、戻ってくれば良いだけですが後者のデマは最悪、デマと気付いた時には津波に流されているかも知れないからです これは関東大震災の時に自警団を作り、多数の朝鮮人や中国人を殺したり、私刑にしたのはこの分類法では合理的な判断であり、デマを信じたとしても責められないのです




この時、流れたのは「朝鮮人や中国人が井戸に毒をまいている」でした この時代は一つの井戸が何、十何世帯を兼ねており井戸を守る為にその幾世帯の住人が一挙して自警団を発生させるのは当時の生活情勢を鑑みるに不自然な行為ではなく、現代の様に上水施設に毒を投げ込むのとでは意味が変わります

もし、地域の水を毒で汚染するのであれば、入手し安いものなら農薬をドバドバ入れなければならないでしょうし、最低限の警備がある上水施設に人が侵入したり、怪しいものが混ざったならそこでシステムが自動停止したりするでしょう それにツイッターで裏を取れるのでデマはすぐに見極められるのです

また、被災時に現代とは異なり単独で行動している人間を怪しむか、怪しまないかというのもあります 当時、でっち奉公していた曾祖父とその家族が下町の深川近くに住んでおり、被災直時は川向こうへ仕事で行っていて、上野の山の方へ逃げたと言っており、火災が終わった後に地元へ戻ったそうです

その際にこのデマが流されたようで帰っている間、かしこで自警団が形成されていたとの事で祖父も実家へ帰る間にそれを見た及び聞き、自警団から問いただされたようで、実家へ帰ったら何人かの大人と共に夜警をしたのは事実でした で、何故このような事が起きたのでしょうか?

もし、今の時代デマを流すのであれば複合し、具体的な裏が取りづらいデマを流さねばなりません 例えば、似た様なデマを作るなら「今、常磐道のいわきの方へ向かうサービスエリアにいるんだけど、日本語じゃない言葉を喋る集団がたむろしていて数台のハイエースとかの大きめの車に乗って行った 写真」

その写真の真贋はわからなくとも、デマは想像させたら成功なので後は如何様に解釈されるだけです 話を戻して、因みに祖父も道ゆく怪しい人間を数人止めて聞いたそうでその町内会では幸運にも私刑事件はなかったようです では、どういった奴が殺されたかというのを考えねばなりません

まず、当時は町内会などの繋がりが強くハッキリ言って知らない人は居ない状態の上に災害時まず人が気にするのは家族の安否であり、不思議と家に帰るわけです また、当時は朝鮮部落がはっきりしており、日暮里や荒川土手の方でそこら辺はどうやらあまり火災被害はなかったようでした

変な言い方をすれば、毒を撒く以前に火事場泥棒として貧困地域に住んでいる連中を怪しんだというのがあります 事実、朝鮮人だけではなく沖縄からの人間も殺されているところから見るに地域の人間が火事場泥棒と思われる人間を私刑にしたとも言えるかもしれません

もし、曾祖父が住んでいた深川区に見たこともない、日本語がおぼつかない奴が来たら真っ先に殺していたでしょう 特に深川区は焼け野原だったそうで焼けた廃材や死傷者の看護や埋葬の最中に知らない、見たことがない奴が来て明らかに役人のような風体もしない奴が来たら怪しむのは当然の判断でしょう

そういった連中がもし、やけた建物周辺をうろついてたらどう思いますか? 真っ先に考えるのは火事場泥棒でしょう、しかもそれがどうも怪しい日本語を話す奴なら「てんめえぇ、盗みにきやがったな!とっちめてやる!」と、なるのは無理もない状態下なわけで何でその状態を責める事は一切出来ないのです

これは流れた、流された情報が正確であるか、否か判断できない上で喫緊、即座に行動を起こさねばならない状況下での情報の判断方法であり それが判断できる状態下であるなら、デマと一蹴して言いわけです しかし、判断が出来ない事も多いのでその際は何を優先するのかが解ればすぐ行動へ移せるのです

事実、朝鮮人による井戸へ毒を投げるデマが晴れた後も自警団を解散しない町内会があったのは泥棒を警戒した上での事であったわけで建物がまた立ち始めたり、様々な仕事が復帰して行くことで自動的に自警団は解散していったのです このように情報を判断する際は組立た上で判断せねばなりません

脱線しますが、それを踏まえると仕事がない時に作る最も良い仕事が自警なわけなのですね だから、仕事がない土地の人間がすぐに民兵や兵隊のなるのは不思議な事ではないのです 特にイスラームではして良い商行為としていけないのがあるのでしてならない仕事は生業と見なされません



関東大震災の例を出したのは正確な情報が届きにくく、またその情報によって本来とは異なる別件が発生し、デマとわかった後も形成された組織が継続してしまう及びその組織の解散の条件というものを含めた上で最も良い一例だった俎上にあげたのです
これが大人対する説明と子供への説明の量の違いです
文脈を読みとく、前後をしっかり抑える事が出来れば高々260文字で済むのですが、これが出来ない者への説明となると言葉や例の説明という階段の段差を縮めなければならないので文字数と説明が長くなるのです これは大人の歩幅と赤ちゃんの歩幅の違いで赤ちゃんは3センチの段差だって躓くのです

常にそうですが、子供というのは前提となる知識量が少ないので言葉をあげつらったり、部分部分わかる言葉だけで判断しようとします また、子供は度々、凄まじい直感と閃きを放ちますがそれ以外の言葉は理解せずに言っているので相手にする必要はありません 但し、世の中は二つを兼ね備えた人は居ます

非常に下種な煽り方をすれば 「それは貴方が殺される側だからですか?」 という、短文でかつ明確で非常に下劣な煽りをしてもいいのですが私は差別主義者なので、差別を煽るとどういった結果や事態が発生するのか在特会やしばき隊の例を見ているので差別主義者であるほど罵倒語や侮蔑語を使いません

家畜にしか神はいない 野獣には神はいらない

人は社会的動物という飼いならされた獣なので人類には神が必要なのです それは無神論や唯一神論、多神論取るにしろ前提条件としてその存在を置いている以上は飼いならされた家畜なのです
もし、野獣となるのであれば「いるだろう、しかし我ら獣の発想の外にいるであろうから語らぬ」が無難でしょうね

差別主義者というのは在日死ねとか、日本人死ねとか言う人達じゃなくて、それを何重にも包んで表現し、表面上は尤もに聞こえ、それを制度化したりする事で利益を受ける様な人たちを差別主義者というのです 要は差別を作り上げたり、なかったものをでっち上げる連中なわけでそれが一番恐ろしい敵です

忙しい坊主は己の学識の点検と思い出しの作業と暗記に信仰行為をするために政治なんてやっている暇なんかありません イスラームやユダヤ教ならば、生活を含めての信仰行為なので宗教者が政治するのは当然のことですがそれ以外の宗教で政治をしているのであれば、それは宗教者では絶対にありえません

哲人政治というのは哲学者や学識者が暇や緊急時に集って大きな政策を決めるものであり、日々の日常ではその哲学者や学識者が街の人が困ったりした事を助言したり、導いたりすれば小さい規模での社会を安定させる事なので哲学者や学識者を増やす事が最大の目的だからあり、それが安定へ向かわせるのです

つまり、学識者や哲学者が増えれば、偽学者や道化が分かり、そういった存在は自然と消滅させられる上に不安定な状態が無くなって行くという思想であり 哲人政治というのは足元が固まれば、大きい政体を維持する事は容易であるという思想なのです だから、どこでも啓蒙するのです

なので、哲人政治が理想的と言えるのは上と下の意思が共通し、それによって良い政治が行えるわけです それは儒教も基本はそうです、小人やつまらぬ者がドンドン狭い思いをして、上と下がはっきりすれば、権力構造は安定し、革命が起こることはない状態を最前とするわけなのです

今日知った事 聖書(物理)、十字架(物理)、教会(物理)、イエス(現象と物理)、神(物理と現象)

やっぱり、やそはグノーシス文献が主だわ あんな頭がおかしい、考えるな信じろ何て素で言うアホな宗教を絶対なる存在が作るわけねえだろボケ 信じろだけで済むのなら聖書もいらねえし、様々な書簡何て不必要だろ、それって適当な偶像を心に描かせて信じさせること何が違うんだ、このアホ共は

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
スンニ派の経典宗教についての解釈論は特に詳しくないけど、一番緩い解釈だとユダヤ教・キリスト教信者が売った商品はムスリムが売ったものとしてみなすのですが明らかにハラームなもの例えば、臓器売買とかはダメな筈です
ただし、肉親とかによる譲渡の場合は免責される可能性があります

イスラエルが所謂イスラーム諸国へ臓器を密売する場合は子供や提供者をその購入者の養子縁組してその後に臓器提供という形であるならば、緩く解釈して可能です 但し、根本的に相手の臓器などを移植する行為は典型的なハッゴンナース、権利の侵害行為になるので最期の日を考えると避けるべきでしょう

先に断っておきますが思想や宗教というのは独学ではできないようになっています 独学では出来てもあくまでも枠組みの話だけで枠組みの中身を詰めていくには実際の肉声と解釈を考えないといけないのです なので、本来の学問というのは学ぶ・問うとかかれるようにこの二つが両輪なのです

偉大な学問というのは消費してきた才能の量に比例しますがもちろんそれは消費してきた仕方というのも関係あります
その消費の仕方がしょうもなければしょうもないし、正しく消費されてきたのであるならそれは学問として完成へと導かれようとしているのです
なので、学術的なサロンや喧嘩に近いような議論が出来る場がどうしても必要なのです 特に恥をかく・間違えていたことを発見することはそういった場の存在意義といっても過言ではありません 恥をかき・考えを修正するまたは根本から書き換えるというのは人間の特性なのです
いつの時代も思考だけが自由なのです ただ、思考は自由である故の暴走があると言っているのがイスラームなのです なので、イスラーム哲学は自由ですがイスラーム法学や道徳はその自由を縛りあげるのは人間の性分というのは限りなく自由にあるからです その自由性だけが人間の全てなのです

出エジプト紀の話で死んだ王ではないかと言われている王様がいて、でその王様のミイラが発掘され解剖学的に調べたらどう見ても溺れ死んだという結論が出た事があったのね んで、クルアーンの記述にはそのミイラが再度陽の目を見て、晒されるという記述があってその考古学者はムスリムになった話がある
それについて書かれているのがクルアーンの217p第十章のヨナ、75から92までの部分で92番目が「だが今日われらは後の者への徴とするため、あなたの体を救うであろう。だが人々の多くは我らの徴を疎かにする」とあるのね そんなのは偶然だと言うだろうけど、偶然なのは人間にとってだけ

但し、詭弁術の基本として原因と結果が完全に繋がるわけではないのに繋がるように見せかけるというのはよくある詭弁術なので要注意 前に言ったように稗田のアレの墓が見つかって存在は確認したけど、だからと言って古事記を奴が書いたと確定したわけではないという合理と整合性の誤謬って奴ね

このサイト貼ったら突然クソ重くなったんだけど…なかのひと的には嫌なものだったかな? まあ、別に私にとってはイスラームは誠だけど、別に改宗とか、奇跡とか言いたいのではなくこういった事例もあるというだけの話 そもそも、神智というのは物質的な物ではなく、精神のモノなのでねぇ

世間様は仕事納めでしょうが私には関係ありませんし、この時期は勉強に脂が乗っている時期です
学生は学問する事が仕事でそれを一生できるのならば、最高に幸せでしょう
日々知らないものを知れる、新しい解釈を見つけられるのを死ぬまで出来るなら、人類の知の枷を解く事が出来るでしょう

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 12月26日
ですので、特にフランス委任統治時代による分割統治の影響でアサド家のアレウィー派が強いのでこのまま国家主義を継続するのが妥当で、本当に多数派のスンニ派部族社会がシリアを牛耳れば全シリア人の四割以上が難民となるでしょう。正直に言えば、アサド大統領のお陰でこの程度で済んでいるのです。
Mikio Oishi ‏@mikionz 12月26日
はい、そうだと思います。カリフ制度では、イスラムの至高性を確立する過程で地域の多様性が大きく損なわれ、戦乱、迫害、テロで人々が苦しむなどコストが高過ぎて実現が難しく、残るは、現在の国民国家の枠組みの中で多様性を生かす方向(=シリア・ナショナリズムはその一つ)しかないと思われます。 https://twitter.com/douteimaturi/status/813313055023046656 …
おねショタおじさん ‏@douteimaturi 12月26日
特にシリアはフィニキア正教会やアラウィーやシーア派諸派(ザイード派やイスマイール派・12イマーム派)それにクルドと多岐に渡る上にフランス統治時代の残滓が未だに残っているので土台無理な話だったのです
なので、ユルユルのカリフ体か国家主義・バース主義以外では統治できないのです https://twitter.com/mikionz/status/812877352300486657 …

青十時 ‏@ao10ji 12月26日
@douteimaturi アサドをカリフにという話はどうやら本当の話のようですね。

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
@ao10ji いや、それは絶対にありえないです…。
カリフ位の条件は基本、サイード家であること
・その土地の住人の賛同
・権力者達の賛同
・法学者などの知識人の賛同
・兵士達の賛同とスンニ派であることが前提になるので
アラウィー派ではスルターンと言った方が穏当でしょうね

解釈が大量にあるから、ゆるくなるわけであり
また、あっらーさんは絶対なのでその絶対を知るためにはさまざまな解釈を知る必要があるのです イスラームにおいては死体はナジェス・絶対不浄なので砂漠うんすん以前に最低でも基礎的な常識を認識してからものを言って下さいと思う今日この頃

解釈が大量にあるから、ゆるくなるわけであり また、あっらーさんは絶対なのでその絶対を知るためにはさまざまな解釈を知る必要があるのです イスラームにおいては死体はナジェス・絶対不浄なので砂漠うんすん以前に最低でも基礎的な常識を認識してからものを言って下さいと思う今日この頃

死は忌まわしいか、忌まわしくないかと言われれば死は忌まわしいものではないでしょうがそれは罪を犯していない預言者(ص)と指導者達(ع)だけです ほかに人々は罪を犯す人達なので日々の反省とそれを繰り返さないという意思が重要なのです なので、死は悪をしてきた者には忌まわしく
逆に善をなしてきたものにはこの世での死は祝福なのですがその善なる行為が偽善や自尊心を慰める行為でしたのであれば無効で、善徳を積んだことになりません だから、それを知るものは自分の行いが偽善として無効になってないように礼拝し、祈るわけです 合理的でありますが意味が変わるのです

つうか、ドバイはまともなイスラームでは全くないです あそこはパキスタンなどの労働者を半分だまして働かせて建築、作っている空間なのでまともな場所では一切ありません 本当にまともであるのであれば、そういう搾取行為は火獄へ真っ直ぐなのでそういう話が出てくることはまずありえません

そもそも、まともなイスラームなんてものは存在しません あるのは解釈だけでどの解釈が論理的整合性を取れているかです、本当にまともなイスラームならば多神教徒を礼拝堂・所に入れる事はアッラーの命令から全否定されます もし、入った瞬間に集団リンチでしょうまともに命令に従っているのなら

そういう意味ではサウジがやっているようにマッカの中心には多神教徒を入れないと言うのは正しいわけでそれはアッラーさんの命令なわけです なので、日本のマスジド内に多神教徒を入れたというのは驚嘆・驚愕・唖然とするような事でそこは集会所という立場になり下がると考えるのが妥当となります

アッラーさんからの命令を鑑みるとマスジド内に多神教徒を入れた時点でマスジドはマスジドとしての機能を失う筈なのですがただ解釈だけは膨大にあるので解釈によってはそうではないのであるのだと思います
ただ、私は知りませんし知る由もありませんという事なので適当をマトモと思うのはバカです


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月25日
イスラーム的には基本、人から奪った金は全部ハラームです なので、ムスリムは日本社会で仕事することは事実上できません それは利益率設定から、株式会社、もし働ける会社があるのであれば合名会社とかになりますが株式化している時点でクルアーンと伝承の記述に反するので無理です

裏切って作った金は最期に自分を裏切ります それは他者を売った金であり、他者を売った金は他者を買えないのです そういう金で溢れている社会は社会といわず、地獄というのです 人は地獄では生きて居られません、地獄で生きていけるのは畜生と悪鬼修羅、餓鬼だけです

中東で日本では毎日、朝に家を出てずっと会社や仕事場に夜遅くまで居て、家に帰るような仕事をして生活をしている、していたと言ったら 「それは人間の社会ではなく、家畜の社会で人間が羊や牛のように屠殺されているので貴方はそのような社会に帰るべきではない」 高々、8ー19時の仕事だったが…

因みに中東では皆、暇や隙があれば茶やコーヒーを飲みます また、大体のお役所や個人商店では昼ご飯後は一回閉めて自宅に帰るなり昼寝したり、子供と遊んだりしてから夕方前に2時間位仕事してから家に帰って家族と一緒に過ごすので仕事はしてますが無駄に働いてはいません

例、個人商店のおっさんの一日 朝礼拝ー二度寝ー朝食、出勤(徒歩5分)ー8時開店テレビ見たり携帯弄ったり世間話ー昼礼拝帰宅後昼食ー昼寝、家族と過ごすー夕方4時再度開店ー夕方と夜の礼拝を店でし、日中と同じ様に仕事ー夜11閉店ー帰宅後シャワーと深夜の礼拝後12時就寝

中東でも立ち仕事やいつ休んでいるんだろう、と思う仕事はありますよ ナン焼き職人とか、ケバブ屋の兄ちゃんや携帯屋の職人とかいますけど日本みたいにストレスが溜まるような働き方はしてませんし、いつどんな時でも茶やコーヒーを飲む瞬間は絶対に忘れません

日本は「過労死や孤独死出来る環境」なんです 例えば、独居老人とか世界にもいますけど毎日親戚が顔出したり、今はSNSがあるから年寄りでも携帯ポチポチしてメールやSNSをしているのはよくある光景です だから、少しでも連絡途絶えたら親族が直ぐ駆けつけますし、大概は周りは知り合いです

毎日、町の礼拝堂に朝来ていた爺さんが今日だけ来なかったとなれば、周りの人が昼前までには爺さんに何かあったかはわかってます つまり、個人が孤独状態に陥るという事は殆どなく、中東で死んで体が腐った状態で発見される事なんて戦場で戦って死んだのに葬られていない死体くらいなものでしょう

こんな事を言うと日本と海外は違うとのたまう人がいるのですけど、はっきり悪いものを自己都合で追認することは絶対不動の悪でしかなく 絶対不動の悪というのは人間の生命環境を狭めたり、汚した上で私益を貪り、そのために詭弁を使うことは絶対不動の悪で絶対不動の悪は相対でほじくり出すのです

中東でもし、現地会社員で親がなくなったので休みが欲しいと言った際に仕事が優先で休むなと言った日本人上司はその瞬間に殴り殺されているか、何か都合の良い鈍器で殴り殺されるか、無視して出て行かれるかの三択でしょう 日本人が中東で商売したら絶対に失敗するというのはこういう部分でしょう

厳しい言い方をすると過労死や孤独死というのはあある程度の相互監視と扶助がある社会であるならば、ありえない現象なのです 特にSNSなどが発達した現代でも孤独死や過労死が発生するという事は社会秩序がない事でしかなく、ロックが言った「万民が万民の敵」というのは日本のことなのです

こんな事を言うと「日本から出ていけ!」何て短絡的な事を言う人いますけど、実際出て行きましたし帰りたくもないのです それでも帰るのは親、親戚や友人がいるからであり、己が日本という土地に絶対者が創ったのはそれを改めさせる義務からであり、程度の低い感情ではなく義務と命令からなのです

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月26日
名家が道家や法家などなど、諸派から批判を受けたのは単純で中国古代思想は基本的に現象と言葉の乖離を嫌うので論理学と言っても、起きている現象と離れた論理を説くのを否定します なので、中国古代思想は名と実を別々に認識出来ながらもそれをくっ付ける事に重きをおきます

物事というものは一回通例とされているものをひっくり返して考えてみる事です そうすると思わぬ見方が出来ると思います それを癖にすることが出来れば、思わぬ視点がでてくるでしょう その思わぬ視点が自分の思想的合わない事でもやめない事ができれば、人の考えを操る事ができるようになります

日本というものが破綻しているのは社会道徳がないという事です 社会道徳というものがないという事は善悪がない事であり、善悪がないという事は物事の基準がないという事です 物事の基準がないというのは社会が成立していないのです、だから日本社会というものはハッキリないのです

論理的な方法で理解できないものであるならば、それは存在しないものでただの空想です 人が妖怪を作り出して来たのは感覚の具現化への努力の結果であり、そういう具現化することによって論理的に証明する事に努めて来たのです 論理的というのは時代によって異なりますが人は説明する努力を捨てません

天皇主義者だから言うけど、私は本当の天皇はもう滅んでいてあの天皇らしき物質は全て偽物なのね それは物質的に偽物ではなくて、「物質である」天皇が偽物なわけでもう真正なる天皇はこの地上にはとっくのとうに滅んでいるわけ事実天皇が諱なのはそういう意味でもあるわけなのね

だから、天皇という物質ではなく天皇を含めた皇統という叡智が重要なのであってそこには徹底した神智と現実的統治論としての本当の意味での神学者必要なのね それは儀式ではなく、実質的な統治論を含めた総合的知識体系なわけであってそういった哲人を創りださねばならないわけ

だから、儀式しかせず人々を統治もしない天皇というのは不要であって、いるだけ邪魔な上に最高の哲人である天皇という名前を汚した上に名を簒奪した、最も穢れた存在なの それが150年以上もこの最高の哲人が納める社会を穢し続けているのだから、天皇主義者は一秒でも早く除染することは義務なのね

つまり、天皇及び皇統というのは様々な形で存在で継続して顕現されてきたわけでその中でも重要な顕現された天皇の言業に注目して神智を組み立てるのが神道学者の仕事なわけで祝詞がーとか、伊勢派がーとか、出雲派がーというのは神道学者の仕事では全くないのそんなの歴史学者の仕事なんだよね

例えば、仁徳天皇の言業を神智して本来の天皇の仕事というのは仁を元にした政治であり、仁の政治というのは何か?で、もし天皇が物質的に存在するのであれば天皇の赤子である臣民が苦しむような政治を元首として容認するのであろうか? という、論理を組み出さなければならないのね

であるならば、神武天皇が東征したのは何のためか?それは悪政と同じような名を語る偽物と戦うためであったとするなら、天皇が物質的に存在する仮定の元で臣民が税や悪習に苦しむのを天皇という存在は認めるのだろうか?と神智するならば、天皇が物質的な存在ではない事は一目瞭然なわけなのです

つまり、この地上で天皇が物質的に存在しているということはそれは明らかで明白な偽物であって、天皇主義者及び天皇を神智しそれを政治するのであるならば一刻も早く絶対虚実な存在を滅ぼし神智者、神道学者による哲人政治へと移行させる事は天皇主義者の義務であり、それがカミのクニ造りなわけです

天皇主義者は国家有機体説を取るのが基本で様々な機関は手であり、耳であり、足であり、内臓であり、血液、血管なわけです そして、脳というのは神道学者による哲人政治、哲人協議会であり、その組織は独自に認知する器官を統合するものであって、常に全ての機関からの情報を整理、調整するものである

なので、神道学者や神智者というのは臣民への最高の奉仕者であり、最高の統治者であり、最高の臣民の奴隷でなければならないわけです 知識や見識があるというのはそれだけで責任が発生するものであり、責任を全う出来るものが神智者なわけです だから、地位と責任は常に同じ椅子に座らねばなりません

神道学者や神智者に必要なのは儀式ではありません、実質的統治と善政に平穏を臣民に与えられるかだけが取り柄です 儀式を行うのであれば、内部でだけであって、臣民への形骸化した儀式をする必要は全くありません 重要な儀式は内部に隠されるべきであり、それが社会責任を産む最大の機会となるのです

そこまで考えた上で神智政治を求めるのが天皇主義者であり、皇統、スメラギノミチの探求者であるはずでこれ以外の事を言う連中は天皇主義者ではなく、皇統を仰ぐものでもなく、スメラギノミチの探求者でも、弥栄への求道者でもなく ただのしょうもない権威主義、盲、白痴でしかないのです

または唯物主義者、現物主義者、何かが物で存在することでしか信じられない神智や神秘を認識できない知恵足らずのどれかなのです もし、皇統を仰ぐものが唯物としての穢れた存在を恐れ多くも「てんのう」とのたまっているのなら、それは唯物主義者か白痴のどちらかでしかないでしょう

天皇の叡智というのはある時は善の顕現として、また別のある時は悪の顕現としても出てくるわけです つまり、良き天皇や悪しき天皇というのは必要によって世界に現れて来たわけでそれは世界にどんな土地で会っても似たような物語を共有出来るわけです

善の顕現としてはお釈迦様やさまざまな預言者等がここに当たるわけであり、悪の顕現としては世界の悪政者や悪魔と言われる存在がここにあるわけです その上で神道は世界的な宗教論や哲学論を共有して、論理的に組み立てる事ができるわけなのです だから、神学が必要で組み立てねばならないわけです

で、えぐい事を言えば神話とかなんて偽書を作ってしまって組立ちまえばいいんです 例えば、当時の日本には文字があったなんて言いたいのであればホツマツタエみたいな粗製品ではなく、古代揚子江や長江で発掘されている文字にアルメニアあたりの文字を拾い上げて当時の音声表記すればいいのです

んで、紙とかも当時位に工業的に劣化させて地面に埋め埋めしたものに大切なのは時代時代によって解釈されたような解釈本をちゃんと用意すること 奈良後期、平安時代、鎌倉時代、室町等々ちゃんと歴史考証加えられているように捏造しなきゃいけません

こんなヤバイ偽書が出てきたら怖いねえ 作ったやつは絶対に確信犯だし、やり口がえぐいし、どうせ馬鹿な学者は歴史考証で騙されるんだろうから、カルトの無自覚的なプロパガンダになるだろうしね でも、こういうのが出てこないのは本当に俗世間の陰謀というやつは小学生向けなんだろうね


こういった、天皇主義者や国体論者が出てこない限り彼等を私は信用しないし、できない まあ、出てくることはないだろうね なぜなら、日本人って超排他的で徹底して考える癖を捨てているから、但し天才が現れたなら神学を組み立て直して、哲人的なものを作り出すかもしれないけどね

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 2016年10月28日
右翼を真面目にやるのなら、「杉本五郎中佐遺書 大義」と国学の4大人に中国の漢籍を片っ端から読むことです これさえ徹底できれば、俗に言われている右翼、左翼なんてゴミ以外の何様でもなくなるでしょう 何故なら、全てが皇統の弥栄に帰結するという大義が見つかるからです

つまり、共産主義という知識や民主主義という知識、全ての知識は皇統の弥栄のためにあるわけで 皇統を否定する知識や思想も根本は皇統を批判する事でより良い徳治を見出すために存在するのであって、皇国史観を身につけているのであれば皇統を否定、批判する知識も全ては皇統の為にしか存在しません

なので、西部とか、佐伯とかそこらへん読んで保守に被れるやつはただの生ゴミで無駄なことをして時間を浪費している下らぬ連中と心の底から軽蔑していました 誠に曲学阿世の徒ほど全く必要のない妄痴を振り回しては嘘偽りを売って、その下種な心を慰める

イスラームでは天秤の右側にクルアーンが左側に伝承、ハディースがあります ただ、それよりも大切なのは天秤を支える軸であり、それは解釈といいます つまり、クルアーンや伝承をいくら知っていても解釈を正しく理解していない限り天秤は倒れるのです

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 2016年10月29日
色々と文献見ていると後世の文献というのが大体、グノーシス主義的じゃねえと思わされる事があって 英語のグノーシスバイブルとマニ教、トマスの福音書と浄土三部教と読み比べて見たんだけど、どう足掻いても既視感しか感じなかったのね やっぱりグノーシス的な思想が世界を蹂躙しているんだねえ

あーそうそう、不立文字というのは共通した真理を見出した事ではなくて、その人間にとっての真理を見抜いた事を指す事だからね だから、免許皆伝者の巻物が白紙というのはそこに自分が手に入れた見識を言葉で伝えた上でその先は己で見いだせという事だから 唯一なる神秘ではないからね)


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月27日
せいとうせいじの意味のない話を政治としての話と勘違いしている連中は永遠に政治について何も知らないのだろうね 政治というのは生活と日常の事、人は己の日常と生活の為なら簡単に武器を取り、当然のように人を殺す 日常と生活というのはそれほどまでに重いものなのです

人を殺したくない、己が殺される危険性を持ちたくないものはその政治の外に出るのが専らなのです なのでそういう危険性を持ちたくないのであるならば、さっさとその政治から逃れるべきなのです ではなければ、暴力に期待しないことです

右翼を真面目にやるのなら、「杉本五郎中佐遺書 大義」と国学の4大人に中国の漢籍を片っ端から読むことです これさえ徹底できれば、俗に言われている右翼、左翼なんてゴミ以外の何様でもなくなるでしょう 何故なら、全てが皇統の弥栄に帰結するという大義が見つかるからです
おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月28日
つまり、共産主義という知識や民主主義という知識、全ての知識は皇統の弥栄のためにあるわけで 皇統を否定する知識や思想も根本は皇統を批判する事でより良い徳治を見出すために存在するのであって、皇国史観を身につけているのであれば皇統を否定、批判する知識も全ては皇統の為にしか存在しません

なので、西部とか、佐伯とかそこらへん読んで保守に被れるやつはただの生ゴミで無駄なことをして時間を浪費している下らぬ連中と心の底から軽蔑していました 誠に曲学阿世の徒ほど全く必要のない妄痴を振り回しては嘘偽りを売って、その下種な心を慰める

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
ハザラテイーサー(ع)←これはアッラーからサラートであれと言われた存在であって、預言者(ص)とは異なり預言者ではなく、指導者として見るのが妥当であり啓示者ではあるものの 124000人いるアッラーさんからサラートであれと言われた人の中で重要な人止まりというのが落としどころでしょう

なので、ムスリムがハザラテイーサー(ع)の誕生日を祝うというのは124000人いる指導者層の一人を祝う事になるのでそれよりも祝うべき日は色々あるわけなのです 例えば聖戦の勝利日とか見つけようとすれば色々あるわけなのでムスリムもクリスマスをー、というのは論理的整合性が取れてないです

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
イジュティハード・自由解釈の門が閉じていないというのはどういう事かと言うと例えば、よく科学者が人間は猿から進化したという論理とアッラーが人を土から作ったというのが相対していると言われますが第一にアッラーはこの世界を創られたのでそんな事は百も承知な上で見ないといけません

なので、この土というものの真意とは何か?という事を考える必要があり、この真意を考えるというのが人間の特性でそのアッラーが用意した真意というものを探すのが人間の義務でもあるわけなのです つまり、現在の進化論では猿から進化した または突然変異によって発生したものにしろ
今でも人間の科学者が侃侃諤諤と議論している事もアッラーはそれを纏めあげるようにクルアーンで土から作ったという単純な言葉で答えを示されているわけなのです 要は人類がなすべき事はこの土の真意について知る事であり、その土というものを何を意味するのかということなのです
例えば、土にいたウィルスや菌などによる突然変異 これは猿が何故に類人猿という形に変化したかという事を指し示すものであり 別に土壌内の放射性物質による刺激による突然変異だとしても矛盾は起こさないわけです、事実猿から類人猿で現代の人類まで変化しているわけですから
また、この土というのが別の意味を持っていてもいいわけです 即ち、アッラーが用意してくれた世界とその啓示者(ص)に伝えた言葉というのは完璧なわけであり、これから起こる全ての現象や知識は全部アッラーが事前に用意したものでしかないのです それを私達は発見する事が神智を探求する事なのです
なので、イジュティハードの門が閉じていないというのは人類が見つけるこれから先…最期の日まで続くあっらーさんが用意してくれたものを…そして預言者(ص)と指導者達(ع)本当に伝えたかった真意を探す事を止めない、行い続ける事によって知識の紐を解いていく、同時に結び目を創る事なのです
知識によってまた新しい疑問が生じれば、その結び目を解く事によってまた新しい知識を発見し、それによって数えることはできないあっらーさんの神智を一つ一つ解いていくことが神智学なのです クルアーンは絶対です、しかしクルアーンと起きている現象が矛盾すると考えるのがおかしいのです
なので、起きている現象が間違っているとか考える方がおかしいわけで地動説が間違っているなんて神学者は絶対に言えないわけです 何故なら、あっらーさんは地動説が前提の上でクルアーンと124000人の指導者(ع)を人類に送ったわけですから現象と聖書が矛盾する方がおかしいわけです
で、あるならば別の真意があると考えるのが自然であり、その別の真意があると考えるその解釈があっらーさんが人類に与えた最大の力であり、人類と動物とを分けた最大の理由なのであり アッラーがすべての存在・万物全て、アーダム(ع)に土下座させた根本的理由がここにあるわけです
なので、西欧的な思考法は全て間違いです
合理主義も理性主義も神秘主義も一体になってなければ完全に間違っているわけで
理性の先に絶対神秘があり、
その理性は徹底された合理にあり、
神秘は合理と理性によってのみにしか立脚できないわけなのです
つまり、西欧の思想は根幹から全部間違い
なのです
全てが間違っている以上はどうしようもありません、本当にどうしようもないとしか形容のしようがありません
この間違いを正すにはただの道徳論や信仰論ではなく、
信仰というのは理性と合理とその行為とその結果による納得によって信者となったわけです、
ただの奇跡だけで信者になったわけでない
のです

イスラームの本を探すのなら、一番いいのはムスリムが書いているものです わかりやすく言えば、中田考先生周辺のイスラーム研究者でかつムスリムであるという事が基本条件になります えー、それじゃあムスリムではない研究者は?と、言われますが基本イスラームと地域研究は別として考えて下さい

最低でもイスラームを信仰して、その本音を内部で聞いているものと外部からその現象を見ているものとでは隔絶とした開きがあるように先ずムスリムが書いているというのは大前提になります 最低でもイスラームを専門に学んだ人の言葉を聞くべきでムスリムではないものの言葉は感想として聞いて下さい
井筒先生や内藤先生、シリアの青山先生等は確かにオリエンタル研究または中東研究者としては先頭を走っている人ですがそれとイスラームを学んだ神学者は別です 外部から見るものと内部から俯瞰するものが別なように最初に内部の人間の声を探すべきであり、それは如何なる学問でも基本なわけです





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コーヒーの歴史。臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る――近代市民社会の黒い血液』(中公新書 1992年)の要約に、メーソンや百科事典の歴史を絡めるとコーヒーハウスは隠れメーソンロッジだとわかる。
キリスト教のアーメンは白人主義の象徴なので『マギ』は反イスラム+親キリスト+メーソンとイランの秘教崇拝 。ヤク中特攻隊。振武寮。高級茶はカフェイン=快楽物質が多い。
※香辛料は奴隷と変換して下さい
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
”「コーヒーは東アフリカ原産→イスラム神秘主義者スーフィーから広まる→白人が植民地で黒人を使い拡大→英国コーヒーハウスが郵便、株取引、保険を発達させる。パリの現存最古のカフェ・プロコップは百科全書派やフランクリンらの隠れフリーメーソンロッジとなりフランス革命とアメリカ独立革命を支援。」

「倒される側の王宮でもコーヒーサロンを媒介に百科全書派が出入りしていたんです。コーヒーと共にスーフィーから秘儀を授かった、一つ目と光る△がついたフリギア帽子を被った白人がコーヒーを飲みつつ百科辞書を読んでいたかも。そう思いながら、道教家は『蟲師』を見ていた。」
(…)
「コーヒーの原産地はアフリカ東部」
「イスラム神秘主義者が眠気覚ましに使用」
「メッカ事件(1511年。コーヒー取り締まり事件)の克服でコーヒーが更に広まる」
「十六世紀に史上初のコーヒーハウス誕生→十七世紀にヨーロッパに普及」
「オランダ東インド会社が作った植民地ジャワ・コーヒー」
※香辛料は奴隷と変換して下さい

「17世紀半ばにようやく初登場したヨーロッパのコーヒーハウスは情報集積所となり、郵便局・株式取引所・保険会社へ」

「1686年創業のフランスの現存最古のカフェ・プロコップ(プロコプ。プロコープ)は、フリーメーソンロッジかつ、黒人友の会本部。フランス啓蒙・理性・科学主義、百科全書派、アメリカ独立、フランス革命はメーソン思想が基盤」
(…)
東アフリカがコーヒーの原産地である。
十六世紀のジャジーリー『コーヒーの正当性のために』ではコーヒーの起源を紅海対岸の東アフリカーーつまりエチオピアと考えられる――としている。
しかし、イエメンのモカ(※)をコーヒー発祥の地とする起源伝説があるように、イスラム教とコーヒーの関係は深い。エチオピア対岸に港町モカがあることも重要だ。
はじめはコーヒーは嗜好品ではなかった。夜の礼拝などに、コーヒーを眠気覚ましとして利用したのである。カフェインの利用である。
何せ、コーヒー起源伝説はすべてイスラームの僧侶伝説であり、すべてスーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義(スーフィズム ※※)の僧侶である。さらに限定すれば、アル・シャージリー(十二世紀末生まれ)によって開かれたシャージリーア教団のスーフィーである。この教団(教団成立はシャージリーの没後)では眠気覚ましとしてのコーヒーとの結びつきが強く、この教団から十三世紀ごろにコーヒーが流布し始めた。
アルジェリアではコーヒーをシャージリーエと呼ぶらしい。東アフリカ原産のコーヒーノキからコーヒーを作り普及したのはイスラム神秘主義の僧侶、スーフィーたちの関与が大であっただろう。
かくして、「黒いザムザムの水」
(※※※)の勢力拡大は加速し始める。

※モカは、アラビア半島の南西の端にあり、紅海に面する港町(現在イエメン共和国にある)。
イエメン共和国の首都サナアの外港で、15世紀から17世紀にかけてコーヒー豆の積出港として栄えた。モカの港だけはイギリス、オランダ、フランスなどヨーロッパの船舶が直接寄港を許され、買い付けを許可されていた。17世紀にこの地を支配したオスマン帝国は紅海を通行する船舶にモカでの納税を義務付けたという。現在、コーヒー豆集散地の機能は無く、漁業と観光で成り立つ。

※※スーフィズムとはイスラム神秘主義であり厭世主義(現世否定)かつ禁欲主義でありアッラーとの合一を目指す思想。スーフィズムは、欧米での呼称であって、アラビア語ではタサッウフと呼ばれる。
スーフィーが登場しだしたのは八世紀末、メソポタミア地方の、かつてのバビロンに近い、クーファという町であった。スーフィーというのは元来、羊の毛を指すスーフから来ているらしく、羊毛の白いマントをまとい荒野で公卿をしていた人々である。
キリスト教の異端派であるグノーシス主義(悪まみれのこの世を作ったのは悪の偽物のGODである。選ばれた者だけが認識〔グノーシス〕により、本当の善なるGODと一体になり、自身がGODとなれる。物質的な者はすべて悪だとする、実質多神教)の影響が見られる。
コーランでは繰り返しムハンマドは単なる人間であると述べられている。ムスリムがアッラーと合一(自身がアッラーになる)するのなら、多神崇拝(シルク)の罪や、ムスリムがムハンマドよりも上の存在になってしまう不都合のせいで、批判されたりしただろう。


 スーフィズム  矢野武志
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/020118.html
2001年度例会発表一覧
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001.html

※※※サウジアラビアにはイスラム教の聖地マッカ(メッカ)があり、そのメッカには
ザムザムの泉(アラビア語:زمزم‎ Zamzam)という聖なる泉がある。
古くからマッカの貴重な水源であり、ザムザムの泉から湧き出る水は「ザムザムの水」と呼ばれ、聖水扱いされている。巡礼に来たムスリムはウムラ(ズー=ル=ヒッジャ月以外でのメッカ巡礼。ヒッジャ月だとハッジ=大巡礼)の儀式が終わるとザムザムの水を飲むのが通例とされている。ちなみにこの水はサウジアラビアの法律によって国外への持ち出しが禁止されている。しかし、巡礼者の持ち帰りは日常的に行われており、巡礼者の代表的な土産物になっています。


「メッカ事件(1511年。コーヒー取り締まり事件)の克服でコーヒーが更に広まる」
しかし、イスラム圏では当初はコーヒーが広まるには障壁があった。イスラム教では炭を食べてはいけないのであるが、コーヒー豆は炭に見え、コーヒーは墨色なので、戒律を犯すと考える者がいたのである。コーランにはもちろん、コーヒーに関する記載はない(預言者なのに未来のことを見越して書けないの?)。
しかもコーヒーを「カフワ」(恐らく珈琲:coffeeの語源)と呼ばれたが、コーヒーが普及していない頃は軽い白ワイン(イスラム教徒は酒を飲んではいけない)という意味が主流であった。イエスキリストの血液や白人のための一神教を想起させたのである。
いくらコーヒーを広めているスーフィズムがイスラーム哲学や文学に貢献しようとも、イスラム神秘主義者は少数派である。ワイン禁制のイスラム世界では、カフワと聞けば飲んではいけないワインを想起する人が多かったはずである。
十五世紀末、アラビア・フェリックスに出現したコーヒーは瞬く間に広まっていき、十六世紀初頭にはメッカ、メディナの二聖都や、エジプトのカイロのモスクで、コーヒーを飲みながら礼拝を行うスーフィーが見られた。
しかし
コーヒーの飲み方には、アッラーを蔑(なみ)するものだとみなされることがあった。
アラビアには熱い料理に息を吹きかけて食べてはいけないという作法がある。
それは大食漢の印であり、息には生命の息吹が宿っており無闇に吐き出すべきではないからである。塵芥でできた黒人のアダムは、GODがその鼻に生命の息を吹き込むことで生きた者となった。
従って、客人には湯気の立つ熱い食事を出したりはしない。
湯気や煙はそもそも悪魔の宿る場所である。アラビアンナイトで煙に続いて登場するのは大抵は悪魔である。
じゃあアニメとかで魔法のランプで出て来る魔人(イフリート=イスラム教における堕天使)は悪魔なのね。
ランプの魔人=イフリート=イスラム教での悪魔(堕天使)だから、「敵にとっての悪魔はこちらの味方(かも)」論理で、クリスチャンやイスラムに弾圧された古代宗教はイフリートを優遇してもおかしくない。
『マギ』(表向きイスラムで中身イランってまんまシーア派)で出て来る青い巨大な方々はイスラム圏では悪魔なのかー(※)。
マギってイスラム圏モデルのくせに髭を生やしたイスラム教徒っぽい人が全然出てこない。
イスラム圏の悪魔=イフリートっぽい(青い肌)方々が主人公達の味方だし。
ちなみに、マギでのアモンの全身魔装のイメージモチーフは大日如来像(真言宗)です。使用者の名前がアリババなのに髪の毛が黄色(笑)。主人公のアラジンは青(笑)。
キリスト教の「アーメン」=アモンってことはマギは反イスラムかつイスラムが弾圧したペルシャ(インド-イラン)の秘境を崇めてメーソンを宣伝(マグノシュタットのマークは一つ目)漫画・アニメなんだね!
マギにおける有名な演説(動画)と、私が尊敬する二人のマギについての文章を本記事の終わりに引用しておきます。
このお二人、そして私などは、マギを多くのファンよりもよっぽど深く理解しているであろうという確信、これこそが陰謀論者の面目躍如にして醍醐味(仏教由来)なのではあるまいか?ちなみに、私が英語を学んで一番良かったのは楽しめる娯楽が増えたことです。
wwwマギでwwwwこれほどwww爆笑しているwwwww人(私含む)はwwwwwあまりいないwwww。


また、三人の天使を迎えた時のイブラヒム(アブラハム)のように、食事は迅速に、かつ音を立てずに済まさないといけない。
息を吹きかけて冷まし、音を立てて啜り、しかも炭らしきものを飲んでいるのだから、反発するムスリムがいて当然である。
メッカ事件が1511年に起こり、コーヒー弾圧が始まるが、長くは続かなかった。お上から、反イスラム教を伴っている場合のみ取り締まるべきだという結論を出されたからだ。
結局、
コーヒー禁止の議論に終止符が打たれたのはようやく十七世紀に入って、アハメッド1世の下で宗教的権威たちが、コーヒー豆は炭と呼ばねばならぬほど強度に焼かれていない、という統一見解をまとめ上げることによってであった。
かくして、
イスラム圏はコーヒーのメッカになった。メッカは全イスラーム世界の中心である。一生に一度はメッカ巡礼を行うイスラーム教徒たちは、カーバ神殿の黒石に接吻し、ザム・ザムの聖水を飲み、そしてもう一つの「黒いザム・ザムの聖水」を飲む。イスラーム世界。それはオスマン(トルコ)帝国がスレイマン大帝の治世(1520 - 66)を迎えてますます強大化し、膨張の一途を辿っている。十六世紀は世界史的に「オスマン帝国(トルコ)の世紀」であった。ちなみに、十三世紀はモンゴルの時代(1258年のモンゴル軍によるアッバース朝の滅亡など)であった。
(…)
「十六世紀に史上初のコーヒーハウス誕生→十七世紀にヨーロッパに普及」
エジプトのカイロで、イエメンのスーフィーたちのコーヒーを飲む姿が見られたのは十六世紀の初頭であった。十六世紀は「オスマン(トルコ)の世紀」、(オスマン)トルコは当然コーヒーの流布に大きな影響を与える。
オスマン・トルコ帝国の首都イスタンブールには1554年、ハクムとシャムスというシリア人によって二軒の「コーヒーの家(トルコ語 カーヴェハーネ kahvehane)」が建てられた。その数はたちまち増え、スレイマン二世の治世下(1566 - 74)のイスタンブールにはすでに600余りの「コーヒーの家」があった。”

(…)

ーーー


ここらへんにグールで今木津行ったことかいとこ
主人公は矢守というレプティリアンに拷問されて覚醒し園や森レプティリアンを繰って覚醒資格じゃとなるし力を取り込む
元祖イルミナティフクロウも取り込む。そのフクロウはグノーシス主義者だから、元祖イルミ大当社+ヘッセン氏ピノレプティリアンとグノーソスまで取り込んだ主人公が左目白髪黒髪もあるけど。
だから王になれるのさ。両目の力を持つからね。

鳩のボスがローマ風ポーズしてるらしいね。
ローマ㎜カトリックだな。
グールを迫害するが、武器はグールから作るから結局はグールの力がないとグールを倒せない。
しかも武器名学院決定うラテン語。
子クリアもカタツムリっていうラテン語。
ラテン語、ローマ、イスラム系の民間伝承のの怪物大嫌いってどう見てもカトリック。
グールがスーフィーの比喩なのはね、すーふぉずむでは神との合一
kン策では当然神=グール
神の力がグールの力
人食いの邪心の力
この力を持っている奴が当然強い。
だからグールは普通の人間より強い。
鳩側でもきょうキャラは結局グールの力持ちだよね。血筋的に。
句インク吸っている人工はんグールもいるし。
ほら、キリスト教の異端派で力を持っている奴はイスラムと仲良しだ。
特に神秘主義大好きだ。イスラムで神秘主義ならスーフィー。
でしかもスーフィーは夜中の修行で眠らないようにコーヒーを飲んだのさ。
だからグールはコーヒーは飲めるのさ。
避けはタブー。
鳩って名前がアルファベット西洋名前の持自利ばかりだから明らかに西洋組織じゃん。
歴史的に一番イスラム神秘主意義が嫌いなのがカトリックだし。
グールは反カトリックなのさ。
ピエロはクラウンフランス系っぽいよなあ享楽主義がラテン系かなでもぼルはロシア系カトリック。
グールの力を技術強力な武器、金融解け特権だともろに今の歴史だな
鳩の上層部元きょうキャラもグールはんグールわしゅうきつ竜王ヴァースキ九頭竜だ文上層部はカトリックあありませんって落ち
主人公は左目だけど道目寄りだが陣営スタートなのも重要
右目梟の力を獲得する所は主人公がこの世界の事情をかなり知った後。
火左目は反知性主義側だから無知ってことだよ
事情を知って知識を得r津と右目に血数いてついには右目のボスの力を得るってとこもまんまだなあ。
コーヒーの歴史過去記事。
何故単なるしすらむじゃななくてスーフィー化というとね店長がグノーシス主義だから。神秘sh杉とグノーシスは切り離せない。そもそも神との合一は正統派一神教大催球のタブーだ人間が神と同等になった祐門。


読了多謝
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