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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

【ご支援用①と②の資料】ユダヤカバラのセフェル・イェツィラーのラビ・ Kaplanによる注釈書の一部を和訳して紹介。ジャッ力-電撃隊などMの刻印の実例を追加。生命の樹に忠実な仮面ライダ-エグいゼイド考察(ゴース卜とリバ椅子も少し) 


※特に断らない限り、引用の着色は引用者である。
前半はMの刻印一覧の追加とエグゼイド考察。後半はイェツィラーの注釈書のメモ


ご支援用記事①と②でイェツィラーのラビの英語の注釈書の内、尻社思想的に重要な箇所を紹介した。
時間が経過したし、やっと読了したのでメモを公開する。

ご支援用①(無料公開は危険なドラゴンボ–ル考察)PDF版
https://yomenainickname.booth.pm/items/2074988





※私の英語力はそこまで高くないので注意!


アマゾンではWeiser; Revised, Subsequent版 (1997/5/1)

他のサイトでMarch 15, 2004版がある。
https://www.chapters.indigo.ca/en-ca/books/sefer-yetzirah-the-book-of/9780877288558-item.html
”Now in its 7th printing since republication in 1997, the Sefer Yetzirah has established itself as a primary source for all serious students of Kabbalah. ”

単なる新版だった。

Aryeh Kaplanは 1934-1983だから、最古の 1997/5/1だろうが2004/3/15 版だろうが中身は同じのはずだ。
この人のウィキの作品一覧
https://en.wikipedia.org/wiki/Aryeh_Kaplan
だと2004年って書いてある。


カバラに
ユダヤ・キリスト・魔術の三種類がありそれぞれの違いすらわからんやつがカバラ語っても騙りになるだけだぞ。
ユダヤ・カバラに西暦(キリスト教歴)はありえないってわからない?
ユダヤ・カバラの翻訳書(英語)を読んで日本語記事にしているのはフェイド大帝と、とまとさんしか知らない。
私も仲間入り。
Mの刻印の源流がユダヤ・カバラだとよくわかる。



https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/950218115366842368 と続き
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchiさん、
@kikuchi_8さん、他5人
ハンドサインしているか判定も難しくて

①意図的なハンドサインかつ結社的な意味

②偶然
(ある動作の過程で偶然その形になっただけだが写真だと一瞬を切り取るからいかにも狙ったように見えるなど)

③ハンドサインだが単に「今カメラをズームしろ」など結社的な意味はない
など…検索で出るサイン
午後1:10 · 2018年1月8日

なんて下っ端ですら使っているか怪しい…定期的に変更…

繋がりM眉毛のペルシャのマリア
https://twitter.com/rai5asa1/status/946688888629637121


Mの刻印
①ユダヤ・カバラのメム(アルファベット変換でM)
=王、水、母、(魂に関して)腹、地球、寒さ、40、600

②マリア
(つながり眉毛Mは貞節や美の意)
このアカウントの所有者はツイートを表示できるアカウントを制限しているため、このツイートを表示できません。詳細はこちら
午後1:13 · 2018年1月8日


メム(アルファベット変換でM、m)=水の王とある。

Mの刻印の実例を教えて下さい。特にベルトのバックルにM(腰の中央部にM)の作品の実例。
バラモンボール以外で見つけたのは
『遊☆戯☆王』と『THE COMIQ』(共に作者が高橋和希)の主人公の前髪がM。
『ジャッカー電撃隊』のビッグワン(ベルトのバックルはBだがMにも見える)。
『魔法戦隊マジレンジャー』のベルトのバックルにM(胸にもM)。
『仮面ライダーエグゼイド』(このシリーズはバックルを強調する)の主人公の名前がM。
『Dr. STONE』の主人公の前髪がMで、/右目\みたいに囲っているので右目強調ピラミッドでもある。(Mだと発見したのは私ではない)
こんなのだよ↓
https://twitter.com/madaraiguana/status/1545560238153400320

(右目=科学=〔キリスト教にとって〕悪魔。赤い右目代表。ヒロインは金髪碧眼の白人だから青い左目代表)

https://twitter.com/MineUnrew/status/1049874859180855300

https://twitter.com/land_rider/status/1340799392182280193




https://twitter.com/sow_LIBRA11/status/1378497865417326593


https://twitter.com/arukime01/status/963162139648196609

]

ご支援用記事にしようと思ったのだが、毒チンネタだし、いつ公開するか未定なので特別にエグいゼイド+αについての考察を無料記事で公開することにした。エグいゼイド考察は全文公開。
ベルトにMではないが、仮面ライダ-エグいゼイドの主人公の名前がM。仮面ライダーシリーズはベルトを強調するからベルトにMの変形だろう。主人公はウイルス由来の改造人間なので仮面超人(キリスト)に変身(シェイプシフト)可能。ウイルスで超人創造という尻思想の宣伝。えぐいゼイドは話自体は面白いが、尻社の宣言がえぐい(不快感を与えるほどきついの意)。
「西洋医学=善」を子供に刷り込むのがえぐすぎる。背後に製ヤク中会社や医師怪関係者がいるのだろうな。


仮面ライダーエグゼイド - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%82%BC%E3%82%A4%E3%83%89
”平成仮面ライダーシリーズ第18作にして、仮面ライダー生誕45周年記念作品[1][2]である本作品では、仮面ライダーのデザインなどに「ゲーム」の要素を、物語の舞台に病院を採り入れている[3]。
〔中略〕
宝生 永夢(ほうじょう えむ) / 仮面ライダーエグゼイド
本作品の主人公。聖都大学附属病院に勤務している駆け出しの研修医[21][22]。第1話から第12話までは小児科、第13話から第24話までは外科、第25話からは内科担当。
様々なゲームの達人で、天才ゲーマーMのハンドルネームを持っている[注釈 3]。24歳[21][23]。血液型はAB型Rh+[23][ep 7]。
8歳のときに交通事故[注釈 4]に遭い、衛生省に来る前の恭太郎に命を救われた経験から「誰かを救いたい」と医師を目指すようになる。そして、ゲーマーであることを封印し、6年前に大学を受験し研修医となった[ep 8]。
〔中略〕
仮面ライダーに変身するためには、適合手術を受けなければならないが、永夢だけはその手術を受けずに変身できている[ep 40]。さらには、第14話で密かに血液を採取し検査した大我により、ゲーム病に感染していることが判明する[ep 7]。実は、ゼロデイの1年前に対戦ゲームの大会に備えて徹夜続きで体を壊したために入院し、その時にバグスターの人工的な生成を目論む財前美智彦を始めとするネクストゲノム研究所の所員たちに実験台として身体からパラドが分離してゲーム病を発症した[23][注釈 10]こと、そこで人類でのゲーム病の発症の第一号となったことも明らかになっているが、本人はその記憶を失っており[注釈 11]、自分がゲーム病に感染している事実を知らないため、戦闘後にもたびたびゲーム病の兆候である頭痛を起こしている[ep 8]。
〔中略〕
バグスターウイルス感染症(ゲーム病)
ゲームを介してバグスターウイルスに感染した人間が極度のストレスを感じることによって発症する病気[45]。めまいや発熱、せきなどの初期症状が現れた後、次第に身体にノイズが走り、目が赤く発光すると、バグスターに身体を乗っ取られて巨大なバグスターユニオンへと変貌してしまう。この状態になった場合、レベル1の仮面ライダーによるバグスターの分離処置が必要になる。
〔中略〕
適合者
微量のバグスターウイルスを体内に投与し、抗体を生み出す適合手術を受けて仮面ライダーに変身する者
を指す[45][84]。例外として世界初のバグスターウイルス感染者である永夢は適合手術なしで変身しており[45]、他にも黎斗やパラド、貴利矢のように人間の遺伝子を持つバグスターであれば仮面ライダーに変身できる。
〔中略〕
最終更新 2022年6月6日 (月) 12:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


宝生永夢 (ほうじょうえむ)とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E5%AE%9D%E7%94%9F%E6%B0%B8%E5%A4%A2
” 第22話

実は黎斗と16年前に接点があったことが判明。
当時まだ幼かった永夢は幻夢コーポレーション宛に「ぼくのかんがえたゲーム」のアイデアを記したファンレターを送っていた。
しかし、それを読んだ黎斗がそのクオリティーに嫉妬し、ゲーム開発の天才と自負していたプライドを損ねられたように感じたこともあり、謝礼品のソフトに見せかけたバグスターウイルス入りのメディアを送っていたのである。永夢はそれによりバグスターウイルスに感染、ウイルスが育った頃を見計らって黎斗は財前に彼のウイルス採取手術を依頼していた。

今までは、永夢にウイルスを感染させた
のは財前という見方が有力だったが、ここへ来て真犯人は黎斗であることが発覚した。
また一人称が「俺」である「M」の性格が、この時仕込まれたウイルスの影響であることが判明した。

要は全てのバグスターウイルスとライダーガシャットの根源
ともいえる存在。 ”


2022年6月18日に東映特撮YouTube Officialが「仮面ライダーエグゼイド 第18話[公式]」を公開。
公開日を狙ったのかもね。人工黙示録コ□ナの最中にエグゼイドを公開して尻の宣伝。
仮面ライダーエグゼイド 第18話「暴かれしtruth!」というサブタイトル通り、主人公が自分についての真実を知る話だ。
この18話のセリフが以下。

檀黎斗(だん くろと)
(ゲームマスターであり自称「神」)
「ゼロからゲームキャラクターをデザインし、思考ルーチンを組み立て、意のままに操る、ゲームマスターの私こそが! 神だ」

檀黎斗(だん くろと)
(普段は右目のほとんどを隠している男ではないのだが
敗北直後なので髪の毛で右目の全体またはほとんどが隠れた状態〔発言者が動くので髪の毛も動く。よって隠れ具合も変わる〕。
左目強調)
「宝生永夢ゥ!  なぜ君が適合手術を受けずに、エグゼイドに変身できたのか? なぜガシャットを生み出せたのか? なぜ変身後に頭が痛むのかあ! その答えはただ一つ。ハー。宝生永夢ゥ! 君が、世界で初めて、バグスターウイルスに、感染した男だからだあ!」(笑い声に続く)

両方とも18話。18の意味は単純に666悪魔なんだろうな。発言者が「神」を自称したし、悪役なので邪神あるいは悪魔だからね。
創作物では「倒される側(敵)に尻社の本音を言わせる」のが基本。そうすること受け手に「悪は自分以外の英雄(キリスト)によって倒される」と刷り込める。これにより、現実の悪と戦う行動力を奪いつつ、現実に同じようなことが起こっても現実感がないと感じさせることができる。危機感も奪える。

https://twitter.com/RC_StB/status/619908937974845441
”本当にお笑いなんですが、笑えない 創作は隠喩やシンボリズムや暴露だらけですね こうやって、虚構の中に堂々と真実を混ぜ込んで、陰謀そのものに現実感が伴わないようにしている 見せ付けるという連中の傲慢さです 貴族や貴種が出てくる作品は大抵何かある
午前1:39 · 2015年7月12日·Twitter for iAppli”

檀黎斗(だん くろと)は仮面ライダーゲンムに変身する。
18話でも強化形態であるゾンビゲーマーレベルXになる。このゾンビ形態の右目が赤色、左目が水色。
 青 という尻社の基本的な色の並び。

仮面ライダーパラドクス(パーフェクトノックアウトゲーマーレベル99)も右目が赤、左目が青。
前髪も、 赤 青。
肩も、 赤 青。
画像↓
仮面ライダーパラドクス パーフェクトノックアウトゲーマー レベル99 | 仮面ライダー図鑑 | 東映
https://www.kamen-rider-official.com/zukan/forms/141

上述の自称神が面白すぎる(笑) この自称神の髪型は乱れていない時は、左目の上に/\が来るように前髪の分け目が配置されている。左目△。
対して、主人公である宝生永夢(Mの刻印)の前髪の分け目/\は右目の上にあるので、たまに左目の一部が隠れる。赤い右目系の作品だろうな。
ラスボスは仮面ライダークロノス(とゲムデウスとゲムデウスクロノス)。クロノスの能力はポーズ(時間停止)&リスタート(解除)。カーラ(時間、死)がラスボスというバラモン・ヒンドゥー系の思想。クリシュナは自分自身を時間かつ死とも呼ぶ。つまりカーラ。「時間(カーラ、死)系が敵」という徐々と同じ思想(詳しくはご支援用記事⑤⑥⑦をどうぞ)。

https://twitter.com/hikarinonakade_/status/1254683277585088512 と続き
”光の中を歩め
@hikarinonakade_
🍑🍑🍑

【32】クリシュナ神が (アルジュナに) 告げられました。
我は世界を滅亡させる強大な時間(カーラ)である。全世界を帰滅させるためにここに活動を開始したのだ。たとえ汝がいなくとも、敵方のすべての戦士たちは存在し得ないのだ。

 ~『バガヴァッド・ギーター』
.
画像
午後5:06 · 2020年4月27日·Twitter for Android

🍑🍑🍑

〖上〗聖バガヴァットは告げた。───
私は世界を滅亡させる強大なるカーラ* (時間) である。諸世界を回収する (帰滅させる) ために、ここに活動を開始した。たといあなたがいないでも、敵軍にいるすべての戦士たちは生存しないであろう。

 注*)死、運命をも意味する。

~『ギーター』
画像
午後5:06 · 2020年4月27日·Twitter for Android


他の宣伝したい思想は↓
檀黎斗神 (だんくろとしん)とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E6%AA%80%E9%BB%8E%E6%96%97%E7%A5%9E
”あくまで自称の『神』ではあるが、人間の魂のデータ化に成功し限定的な死者蘇生を可能にする、ゲームエリア内のみだが時間停止を可能にする等、やっていることは実際に神の御業ともいえることばかりである。

[中略]
ネタバレ注意の項目を参照だが、彼の行動の根本にあるのは人類をあらゆる病から救おうとする「善意」であり、そのせいで余計にたちが悪いと評されるキャラクターである。
[中略]
そもそもこの物語における、諸悪の根源は生前の彼である。
(一応フォローすると、バグスターウイルスの発生そのものは偶然であり、彼が仮面ライダーという対抗手段を開発していなければ今より悪い状況になっていた可能性はあった。また、正宗による誘導があったことも考えられる)
[中略]
哀しき悪役:これまでの独善的かつ非人道的な行いは、前述の通り、かつて愛する母を救えなかった医療に失望し、二度とその悲劇を繰り返さないために「命のデータ化」=「人の死の克服」を実現したかったという思いがあったから。それに加え、自身を「会社の商品」としてしか見なかった父の横槍も、人格を歪ませる要因になっていたためである。
” (着色は引用者)
※上記の記事の最終編集履歴は「2022/07/15 14:34
クロコダイル
5号ライダーを削除」

死(カーラ、時間)の克服を達成した自称神がラスボス(カーラ[時間、死])との戦いに協力するのが重要。
Mの元ネタはコダヤカバラだからこの記事でエグいゼイド考察を書いた。

[2022/08/20に公開済みの36話「完全無敵のGAMER!」を視聴後の補足:
クロノスの変身者は檀黎斗の父。親子代々尻社員ってことだろうな。
クロノスのベルトに 赤●  水色●(青系)がある。赤青の並び再び。
風が吹いているので主人公の左目が完全に隠れる場面がある。
右目は分け目/\が上にあるので隠れない。
主人公の対となる存在であるパラドは髪の毛の分け目/\が左目の上にある。
この話で一時的に主人公と融合するパラド。2つの/\が合わさってMだな]

[2022年8月31日に追加:
仮面ライダーパラドクスに変身するパラドの補足
パラド=「天才ゲーマーM」であり、永夢[エム]の「ゲームの遊び相手が欲しい」という願望から生まれたバグスター(ウイルス)。ラスボスとの戦いで消滅したが最終回で復活。Mの刻印を4なせるわけにはいかないからな!

主人公の最強フォーム「ムテキゲーマー」はクロノスの時間停止使用中でも動ける。
この最強フォームになるために「天才ゲーマーM」の力を取り戻した。
M(の刻印)の力がないと最強フォームになれない。
40話でクロノスは時間をリセット(巻き戻す)能力を獲得。
41話で自称神が再開発でセーブ機能をムテキゲーマーに追加したので主人公側もリセットに対抗できるようになった。

時間停止(DIO)と時間巻き戻し(吉良。タイムベント)の能力があるので元ネタは、ゲームの一時停止とリセット(やり直し)と徐々と龍騎のラスボスだろうな。徐々は青い左目側だから敵にふさわしい(対立陣営の代表作なのでやってもおかしくない)。

(↓モロに伊藤計劃の『ハーモニー』[ナノマシンによる健康の強制と監視])
https://twitter.com/Agito_Ryuki/status/1361394733562556416 と続き
”青龍
@Agito_Ryuki
コロナワクチンも論外だが、川崎市がトンデモナイ開発を行なっている事を知っているだろうか?SDGsの名の下に、体内病院と称してゆくゆくはナノマシンを体内に投入出来る様にしようとしているという。
youtube.com
体内病院が未来を変える〜すべての人に健康と福祉を〜
COINSは、いつでも・どこでも・だれでも、心理的、身体的、経済的負担なく、社会的負荷の大きい疾患から解放され、自律的に健康になっていく「スマートライフケア社会」の実現を目指しています。キーワードは「体内病院」。体内病院とは、通常、病院で行う検査・診断・治療の機能を、薬剤などを搭載した超微細なカプセル、ナノマシン...
午前4:19 · 2021年2月16日·Twitter Web App

ナノマシンといえば個人的にまず思い浮かぶのは「仮面ライダー THE NEXT」。所謂近年流行りの過去作リメイクの一つなのだが、作品内においてショッカーはナノマシンを屋内に散布し大量の死者を出す代わりに適合者のみを改造人間として選出する。
この方法で優秀な兵士を着実に増やしていった。
画像
午後4:55 · 2021年2月16日·Twitter Web App

ここでいう優秀な兵士とは、組織に従順なという事も含まれているからね。
午後7:27 · 2021年2月16日·Twitter Web App

件の動画では一昨年の4月に動画投稿されていた事が確認出来るが、こちらの記事の投稿は17年の9月である。
https://mugendai-web.jp/archives/7388
午後8:06 · 2021年2月17日·Twitter Web App

2021年2月17日
しかもだ。15年の段階で、NHKスペシャル「NEXT WORLD」の中でナノマシンが特集として組まれていたというのだ。
15年といえばマイナンバー制度が真っ先に思い浮かぶと思われるが、サイバーセキュリティ基本法の執行によりサイバーセキュリティセンターが設置されたのもこの年
wired.jp
ナノマシン、自分専用の「病院」が体の中を駆け巡る未来の医療は、すぐそこに
いま、ひとりの工学者がつくった「マシン」が医療の世界で注目を集めている。抗がん剤を包んだ一種のカプセルで、血液中に流すと、がん細胞とぶつかった際にだけその細胞膜のなかに取り込まれ、関係のない細胞を傷つけることがない。NHKスペシャル「NEXT WORLD」取材班は、この「ナノマシン」を開発した東京大学の片岡一則教授のもとを訪ね、工学的見地から医療の可能性について語ってもらった。

2021年2月17日
史上最悪の公式マルウェアこと、Windows10が本格的人間始動したのもこの年。裏権力による偽旗テロである自称ムリスム国家の件もそうだし、今では人工芝でお馴染みのSEALDsもそうだね。

2021年2月17日
そして、SDGsが国連総会で採択された事になったのもまた、15年となる。
基本的に国連やサミット等で決議ないし公に公開される情報はダボス会議で秘密裏に決定される。

2021年2月17日
さて、序盤で仮面ライダーとナノマシンの関連性に触れてみたが、実はドライブやゴーストにエグゼイド等、SDGsに直接繋がる悪くいえばトランスヒューマニズム関連の技術が各作品内で幾つか提示されている事が分かっている。

2021年2月17日
「仮面ライダードライブ」では、物語の元凶である蛮野天十郎がシグマサーキュラーを用いて、「全世界の人間をデータ化させ、蛮野が認めた人間を除き全人類の肉体保持を認めない世界」を作り上げようとした。

2021年2月17日
また、「ゴースト」ではディープコネクト社という架空の企業が敵組織に乗っ取られていたとはいえ、電子コンタクト「デミア」を通じて所謂メインサーバーと人間を繋げる事で魂と肉体の分離を目論んでいた。このメインサーバーは当初は何故か廃教会に置かれていた点もキナ臭い。

2021年2月18日
じゃあエグゼイドはって?ワクチン、外科手術、VR、人間のデータ化……とこれでもかと分かりやすいくらいに詰め込まれている。医者×ゲームの組み合わせに?と思う人もいるだろうが、医療マフィアの悪事が明らかになりつつある現在でも未だ西洋医に対する信仰が強いのは火を見るよりも明らか。

2021年3月12日
変身するには架空のバグスターウイルスのワクチンを投与しなければ出来ない事になっている上に、このバグスターに感染すると最終的に人間がデータ化されてしまう事となる。そう、ガワが変わっただけでドライブの時の全人類データ化と何の違いもないのだ。
チーフプロデューサーが同じなだけある。

2021年5月6日
「仮面ライダードライブ」「ゴースト」「エグゼイド」「ゼロワン」の4作品は特に歴代ライダーの中でもムーンショット計画と強く結び付いている。いずれにおいても作中でもっとも重要な箇所にサーバー上でのデータ管理が示唆されている事がよく分かる。


公式配信を視聴してゴーストとウィザードも考察した。両方とも題名だけで尻社度が高いとわかるので。ウィザ-ドよりゴ-ス卜の方が尻要素がてんこ盛りだったな。マジで廃教会にメインサーバーがあるから露骨すぎて草なんだよな(笑)
ゴ-ス卜の元ネタの1つはフェイ卜シリーズだろう。ゴ-ス卜でも偉人を脳改造手術して腹話術人形にしてたよ。本家本元だから脳改造手術は得意なんだろう。

https://twitter.com/goddamm_shouti/status/764603222845644801
”ガッデム承知ノ介
@goddamm_shouti
こんな廃教会にサーバーを…完全にイゴールが一本取ったな。

だが簡単に追跡できるガバ管理だったが。 #仮面ライダーゴースト
午前8:23 · 2016年8月14日·TheWorld Rev”

https://twitter.com/yossy311009/status/764603055329255424
”よっしぃ
@yossy311009
廃教会にサーバーって冷却大丈夫じゃないだろ #nitiasa #ghost
午前8:22 · 2016年8月14日·Twitter for iPhone”

https://twitter.com/Agito_Ryuki/status/1379445240185069573
”青龍
@Agito_Ryuki
「仮面ライダーゼロワン」におけるヒューマギアの演出は「デトロイド・ビカム・ヒューマン」等と同様、ある意味これの伏線ともいえる。「エグゼイド」が医療マフィアの走狗による監修であったのと同じ様にね。
引用ツイート
Jen
@jenVerstappen
· 2021年4月5日
市民権を持つ人間そっくりなAIヒューマノイドロボット「ソフィア」が大量生産の動きへ
https://excite.co.jp/news/article/Karapaia_52299197/
午後11:45 · 2021年4月6日·Twitter Web App”

https://twitter.com/Agito_Ryuki/status/1555230307304951808
”青龍
@Agito_Ryuki
返信先:
@jfiu94aYrK3926J
さん
エグゼイドとかもワクチン&データ人間推しですし、ドライブは事実上のマイナンバー制度がラスボスという感じで、ビルドはまんまジョンタイターですからね。おまけにカリフォルニア大学出身の帰国子女とあれば完全にアメリカナイズされたやべーもんを直に浴びて来たのが目に分かるというか
午前1:32 · 2022年8月5日·Twitter Web App”

[2022年9月4~5日に追加:
東映特撮youtube公式が2022/09/03に公開済みの仮面ライダーエグゼイド 第39話「Goodbye 俺!」にて
主人公の最強フォームの変身シーンで、丸に×十字の光が出現。×は○を貫いている。主要な体色は金(黄色系=ティファレト=キリスト中枢)。両目の色は虹(ヤハウェまたはゴッドとの契約の証)。キリスト中枢だから名前が「ムテキ」。

東映特撮youtube公式が2022/09/03に公開済みの仮面ライダーエグゼイド 第40話「運命のreboot!」にて
正宗(クロノスに変身する)の右目の角膜がオレンジ、左目が緑になった後で、遺伝子とオレンジと緑の演出の後で、「私こそが世界のルールだァァァ!」と叫び、リセットを発動する。
橙緑だからモロにホドとネツァク。
天才ゲーマーM(パラド)と自称神・黎斗は赤青つまりゲブラーとケセドだから、ラスボス(ホドとネツァク)より上位。
この40話冒頭の戦いの舞台がバラ園。丸に十字の形の通路がある。薔薇十字。
この丸に十字の中心にラスボス(正宗)がいて、十字の4つの端にそれぞれ、飛彩、大我、自称神・黎斗、貴利矢がいて、この4人はこれから正宗に戦いを挑む。 バラ(園丸)十字の画像:
https://twitter.com/IP20091974/status/998487033378062336


https://twitter.com/moonshinedance/status/1565885955932061698
”ゆうこりん🍑
@moonshinedance
エグゼイド40話ロケ地
伊奈町制施行記念公園
檀正宗がJUSTICEを歌ったバラ園。
撮影当時と少し変わっている。
(2021年5月訪問)
#特撮ロケ地
#エグゼイド
画像
画像
午前11:14 · 2022年9月3日·Twitter for Android


40話でダブルアクションゲーマー(エグゼイドの形態の一つ)が再登場。文字通りダブルつまり2人に分裂する形態。
視聴者視点で【橙緑】の配色(青ではなく緑。公式でグリーンとある)。これもホドとネツァク。画像:

ダブルアクションゲーマー レベルXX L | 仮面ライダー図鑑 | 東映
https://www.kamen-rider-official.com/zukan/forms/88
に「グリーンライドヘアー」と書いてあるから緑髪。

https://twitter.com/takeeeeenoko222/status/1249897053477408770


基本フォームでも最強フォームでもなく中間フォームなのでこれからより上位になるということだ。
実際、パラドはゲブラー・ケセド、主人公はティファレトになる。
40話では再感染したパラド(左目側)を分離し復活させるために使用した。
29話でこの形態でR(パラド。人格はM)(オレンジ優位。エグゼイドから見て右側)とL(永夢)(緑優位)が戦う展開になる。
主人公が右目側じゃないんだ。
主人公(人間)の前髪の分け目/\が右目の上、ウイルス側(「パラド=M」や、自称神)が左目の上。
この構図に反すると思えるが、「ウイルス=悪魔=右目」「人間=キリスト=左目」ならおかしくないんだよな。
Mの人格は悪魔的だし。
40話でパラドと主人公が同時変身するときの並びが
パラド(黒い上着) 主人公(白衣) なので上記の悪魔とキリストの構図に沿っている。

エグゼイドに使われている色がマゼンタか?と思ってしらべたらピンクらしい:
https://twitter.com/Pota0504Twi1/status/1205423864399847424


『仮面ライダーディケイド』で仮面ライダーディケイド/門矢士を演じた井上正大はマゼンタを強調。

https://twitter.com/MAAAAAAAASAHIRO/status/1538432556458471424
”井上正大
@MAAAAAAAASAHIRO
名称は「マゼンタ」ですね。
あと、この色は#FF00FEでR255 G0 B254なのでマゼンタじゃないですよ。
マゼンタは16進表記#FF00FF RGB: (255, 0, 255)でBが「1」だけ足りません。全然色違いますよ。

ビックカメラパソコンStyleさん、マゼンタTシャツ買ってください。↓

https://ggesutoa.stores.jp/items/6033692a6728be1ca6936df3
引用ツイート
ビックカメラパソコンStyle
@biccameraP
·
6月18日
インクの色、間違って覚えているかも!?
マゼンダ?マゼンタ?

英語で書くと「magenta(マゼンタ、マジェンタ)」。最後は濁らない方が正しく、明るく鮮やかな赤紫色のことです。イタリアの古戦場マジェンタの地名に由来しています。
画像
午後5:04 · 2022年6月19日·Twitter for iPhone”


[2022年9月19日以降に追加開始、最終話放送日の2022年9月24日に完成:
映画版であるトゥルーエンディングはVRの宣伝。ラスボス(ゲムデウスマキナ)が目だらけで気持ち悪かった。両腕は龍。黙示録の龍が元ネタの1つだろう。

公式が2022/09/17に公開済みの第43話「白衣のlicense」でゲムデウスクロノス(真のラスボス)を主人公らが倒した。
が、ゲーム病感染はさらに広まった(ゲムデウスクロノス「運命のパンデミックの幕開けだ」)。
ゲムデウスクロノスは巨大形態・超ゲムデウスに変身。超ゲムデウスも目玉が多く、両腕が龍。画像:

超ゲムデウス | 仮面ライダー図鑑 | 東映
https://www.kamen-rider-official.com/zukan/phantoms/72

ポッピーピポパポ (ぽっぴーぴぽぱぽ)とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%9D
”第44話にて、檀正宗/ゲムデウスクロノスが引き起こしたパンデミックは拡大し、貴利矢を始めとしたゲムデウスウイルスのゲーム病患者や町の市民達が次々とバグスターウイルス化してしまう。そんなパンデミックを止めるために、ゲムデウスワクチンの内蔵されたドクターマイティXXガシャットを永夢から奪い取り、第9話でグラファイトがプロトドラゴナイトハンターZガシャットでウイルスを町中に広めた時のように、自身の体にドクターマイティXXガシャットを打ち込む事でゲムデウスワクチンを町中に広めて感染者達を一斉に治す手段を選ぶ。しかしゲムデウスすら弱らせるほどのワクチンを同じバグスターである彼女が打ち込めば、当然彼女は消滅してしまう。他にも方法があるはずだと永夢はポッピーの考えに反対するが、既にポッピーの覚悟は決まっていた。

「患者の命を脅かし続けたバグスターは、いつか死滅しなければならない。それが私達、バグスターの運命だから」

そう告げたポッピーは「一緒にドレミファビートをやろう」という永夢との約束を守れずに終わる事を永夢に謝罪した後、自身の身体にドクターマイティXXガシャットを差し込む。

「永夢。命と笑顔を守る、皆のドクターになって」

永夢とパラドに仮面ライダークロニクルの攻略を託し、光の粒子となった彼女は町全体にゲムデウスワクチンを広めて感染者達を治していく。その中で、これまで共に戦ってきた仲間達に彼女はメッセージを伝えていく。
[中略]
「黎斗。皆に迷惑かけちゃ駄目だよ。これからはプレイヤーを笑顔にする、楽しいゲームを作って」



ポッピーの消滅を悟り慟哭する黎斗の前に姿を見せたポッピーは、かつての宿主だった彼の母親のように優しく彼の頬に触れ、笑顔を浮かべた後、黎斗が彼女の手を握る前に消滅するのだった。
黎斗の手のひらに、一粒の光の粒子を遺して…。
[画像省略。
上記の場面の後で青空に虹が出る(笑)。 虹は弓でありヤハウェとの契約の証。LGBTの虹より重要な意味だ。
生贄の儀式(メインヒロインの自己犠牲)でワ苦チンに良い印象を与えることに成功

と、思いきや、その一粒の粒子を培養していた黎斗によって、最終話で復活を果たした。

(最終更新履歴は「 2022/09/14 13:51
詩花(ak.美玲P)
時系列補正」)
※着色は引用者

全45話⁺トゥルーエンディング(映画版)を見た感想は「話は面白いが尻社要素が凶悪すぎて最悪。間違いなくこの作品のせいで毒チンの犠牲者が増えた。
リバ椅子も現実の毒チンに協力していたから最悪。
36話(2022年05月22日放送)より:
「戦略的人類退化政策に基づき 悪魔を排除するための 国民のバイスタンプの押印の 義務化が決定しました」
「バイスタンプ大規模 集団押印センター」(フェニックスが主催)
敵側がこれをやることで、大半の視聴者に「これはフィクション」(創作[リバ椅子]では押す[打つ]べきではないけど、現実の毒チンは打つべき)と思わせるのが目的だろうな。
フィクションで、敵側に現実を暴露させれば、現実感をなくせる[逆の行動を誘導可能]という技術は悪用されまくっている。
敵に尻社の本音を言わせることで認識を改造する魔術。
追加終わり。エグいゼイド考察が完了したので本記事を公開した]

https://twitter.com/theos_Isvara/status/1393344544947589125

(この生命の樹がすごいぞ。ほとんどの書では載っていないであろうことが載っている。


3ビナー(知性)←  シン ← 2ホクマー(知恵)
5ディーン(法) ← アレフ ← 4ヘセド(愛)
8ホド(尊厳)  ←  メム ← 7ネーツァハ(永遠)
        9イエソド(基礎)(男根)

すごいぞ! メム(M)が腰の位置だ! バックルにM!
(左足と右足の開始地点は腰なので含まれるはず)
イエソドが男性器に対応すると書いてあるのもすごいね。
ぐだとま帝も私と同様驚くだろうね。

   1ケテル(王冠)(至高・無、超越、言葉)
3ビナー(知性)← シン ← 2ホクマー(知恵)
[ケテル~ビナーまでが神的世界]
[2ホクマー(知恵)(すべての創造の原点、天上の肉体・種子、純粋理性]
[3ビナー(知性)(万物の神秘的母胎、創造の泉、実際的理性)]
(ケテルの途中~「ホクマーとヘセド」の間ぐらいまでの高さが、「アダム・カドモンの頭」。
「以下各セフィラもすべてアダム・カドモンの肉体の各部に対応する」)
[神性からの流出↓][「神性」はケテル以上。ホクマーとビナーは含まない]

5ディーン(法)(左腕) ←←アレフ←← 4ヘセド(愛)(右腕)
(ゲブラーではないのがすごい。後のゲブラーが左腕なので
アダム・カドモンが見る人に背を向けていることになる。
その方が見る人[カバラ修行者]とアダム・カドモンを重ね合わせやすいからかもしれない)
[4ヘセド(愛)(慈悲・恩寵、偉大さ、右腕)]
[5ディーン(法)(神の権力と裁き、悪の発現と流出、大いなる怒りの火、サタンの住処、左腕)]


   6ラハニーム(慈悲)(ティフェレト[崇高])(調停・美・心臓)
[ヘセド、ディーン、ラハニーム(ティフェレト)までが霊的世界]

8ホド(尊厳)(左足)←メム←7ネーツァハ(永遠)(右足)
[7ネーツァハ(永遠)
(恒常的存続・膨張・勝利、ヘセドの反射と補完、右足]
[8ホド(尊厳)(収縮・栄光、ディーンの反射と補完、左足]

8ホド(尊厳)(左足)←メム←7ネーツァハ(永遠)(右足)
   9イエソド(基礎)(男根。万物の基礎。神の創造力)
              ↓
10マルクト(王国)〔(シェキナー[神の住処])〔↓物質世界 粗雑]
 (物質・王女・神の花嫁)〕

力の柱(女性・動的)|中央の柱(子・調停)|慈悲の柱(男性・静的)

[ネーツァハ、ホド、イエソドが自然世界。
マルクトは大地]
ケテル~ビナーが天(根本)、神の充溢。
ヘセド~イエソドが幹・枝。
マルクトが果実。
(マルクトも「幹・枝」の範囲で「果実」も枝の範囲かも。
どうしてもマルクトが根っこだと思ってしまうが、源泉、源流、根っこは頂点なんだよね)

この本にコダヤ・カバラの生命の樹なしカバラや、上記のようになる前のセフィラとかが記載されているか気になる。

ユダヤ・カバラの聖典の1つ『バヒル』(イルミネーションの本)の英訳本の一部を翻訳して解説
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-299.html




ユダヤ・カバラの思想は以下の流れにある。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1268609654134722565
”バラモン→オルフェウス(前6C)→グノーシス(1~4C)

バラモン→オルフェウス(前6C)→ピタゴラス学派(前5C)→プラトン(前4C)→新プラトン(3C)→コダヤ・カバラ

フィロン(プラトン、ストア)→新プラトン(3C)→オリゲネス(3C。教父。アレクサンドリア派)→正統多数派神学


イェツィラーの作者はラビ・アキバ(アキヴァ)(アキバ・ベン・ヨセフ)らしい。複数人が作成に関わってそうだけどね。
このRabbi Akivaは1~2世紀ごろの人だからこの人が作者でもおかしくない。彼が原形を作った可能性がある。
本文(注釈ではない)を読んでも新プラトン主義の流出説の印象は受けなかったので、本文自体には新プラトン主義の影響はなさそう(後に「影響があっても少ないだろうな」に考えを改めた。つまり少しは影響してそうだということだ)。註釈部分は受けているらしき箇所あり。

先に英語版ウィキの和訳を示し、後に原文を示す。
和訳がところどころ変だが私は全体を訳す気はない。

DeepL和訳
”「イエツィラー(Yetzirah)は「形成」と訳され、ブリアという言葉は「創造」に用いられる[1]。この本は伝統的に家父長アブラハムによるとされているが、ラビ・アキバに書かれたとする者もいる。現代の学者も、その起源についてはコンセンサスを得ていない。
[...]
学術的な年代測定

現代の歴史学者によれば、このテキストの起源は不明であり、熱い議論が交わされています。
[...]
ユダヤ人百科事典によれば、この本の本質的な要素は3世紀か4世紀の特徴である。なぜなら、このような性質の作品は、神代の時代に作曲され、4世紀以降も静止していたユダヤ教のグノーシスの形でしか鋳造できなかったはずであり、もしそれがまだ消滅していなかったとすれば、である。 [9] 『セファー・イェツィラー』の歴史的起源は、リチャード・アウグスト・ライトゼンシュタインによって前2世紀とされた[16]。クリストファー・P・ベントンによれば、ヘブライ語の文法形式から、よりミシュナの時代、前2世紀ごろに起源を置く[10]とされる。
[...]
Sefer Yetzirah』と後世の神秘主義者の間には密接な関係があり、後世のカバラと『Sefer Yetzirah』の間には著しい違いがあるが(例えば、カバリストたちのセフィロトは『Sefer Yetzirah』のものと一致しない)、後者の中に定められた体系が、カバラの考えの発展における最初の目に見えるリンクであると言える。両著作は、虚無的な即時創造の代わりに、神と宇宙の間の一連の媒介物の発露を仮定し、また両著作とも神を第一原因としてのみ考え、世界の直接的な効率的原因としては考えない[9]。
[...]
イエティラ書』によれば、神の霊から最初に発散されたのはルアック(רוּּ햷「霊」「空気」)で、水を生み、それが火の起源を形成した。しかし、これらの三つの物質は、はじめは潜在的な存在でしかなく、アレフ、メム、シンという三つの文字によってのみ実際に存在するようになり、これらが言語の主要部分であるように、これらの三つの物質が宇宙を形成する要素である[9]。
[...]
宇宙の建設との関係において、物質は三つの原初的な要素からなる。それらは互いに化学的に接続されているのではなく、物理的にのみ互いに修正し合っているのである。力(δύναμις)は七つの天体と十二の天体から、言い換えれば惑星と星座から発せられる。龍」は世界(物質と天体)を支配し、「球」は時間を支配し、「心」は人体を支配している。この説明を著者は一文にまとめている。「龍は王座についた王、球は国を旅する王、心は戦いに赴く王のようなもの」[9]。
[...]
クリエーティオ・エクス・ニヒロである創世記の創造物語と原初的要素の教義を調和させるために、『イエツィーラの書』は理想と現実の二重の創造を想定している[9]。

その名前は、数字が2つのオブジェクトの相互の関係だけを表現するように、10のセフィロトは抽象的なものであり、現実ではないという事実に由来していると思われる。また、2から10までの数が1から派生したように、10のセフィロトも1から派生したものであり、「その終わりはその始まりに固定されている、炎が石炭に束縛されているように」(i.7)である。したがって、セフィロトは通常の意味での発露と考えるのではなく、神の意志が変化したものであり、最初は空気、次に水、最後に火に変化するが、最後は最初ほど神から離れることはないのである。Sefer Yetzirah』は、セフィロトがいかに神の創造物であり、その多様な顕現における神の意志であるかを示している[9]。
[...]

自然界における対比の理論

セフィロトと文字の教義に加えて、自然界における対照の理論、またはグノーシス派によって呼ばれる「対」の理論は、『イエティラ書』の中で重要な位置を占めている。この教義は、物理的な世界と精神的な世界は、相互に戦争しているペアで構成されているが、統一体である神によって均等化されているという仮定に基づくものである。このように、創造の3つの原型において、対照的な要素である火と水は空気によって均等化される。これに対応して、文字の中の3つの「支配者」は、無言のメムと口やかましいシンと対照的で、両方ともアレフによって均等化されている[9]。

人間の一生には、7組の対比が列挙されている。

生と死
平和と戦争
知恵と愚かさ
富と貧困
美と醜
豊穣と不妊
領地と隷属(4.3)[9]。

これらの前提から、『セファ・イェジラ』は「善と悪」は実在しないという重要な結論を導き出す。なぜなら、自然界のすべてのものはその対比によってのみ存在できるので、あるものはその対比の自然の流れによって人間に与える影響に従って善または悪と呼ばれることができる[9]からである。

人間は自由な道徳的行為者であり、したがって人はその行為によって報われたり罰せられたりすることを説いている。天国と地獄の思想はこの本では言及されていないが、徳の高い人間は自然の好意的な態度によって報われ、悪い人間はそれが自分に敵対的であることがわかると教えている[9]。

グノーシス的要素

Sefer Yetzirahは、様々なグノーシス主義の体系と類似している。Sefer Yetzirah』がヘブライ語のアルファベットを三つのグループに分けているように、グノーシス主義のマルクスはギリシャ文字を三つのクラスに分け、彼によって上位要素の全数を含む三つの力の象徴的な発露とみなされた[9]。

どちらの体系も、単一性から多重性の発生と発展を説明する上で、文字の組み合わせと順列の力を非常に重要視している。クレメンス書は、『セファー・イェツィラ』と多くの点で一致する別の形のグノーシスを提示している。後者において神が万物の始まりであると同時に終わりであるように、前者において神は存在する全てのもののἀρχή (= ראשית) および τέλος (= תלית)である。クレメンス書はさらに、神の霊はπνεῦμα(=רוח)に変化し、これが水に変化して火と岩になると教えており、このことは、神の霊、רוח(=πνεῦμα)、空気、水、火が最初の4つのセフィロトであるという、セファ・イエツィラ書に同意するものである。 [9]
残りの6つのセフィロト、すなわち2倍方向の3次元による空間の制限は、クレメンティナにも見られ、神は宇宙の境界として、また6つの無限の次元の源として記述されている[9]。

この本の占星術で重要な役割を果たす「ドラゴン」(תלי tli、おそらく巻きついた蛇のような「巻きついたもの」という意味)は、おそらく古代セム語系の人物であろう。 [9] 「ドラゴン」はしばしば星座のドラコとして理解され、ひいては宇宙軸(北極/南極に相当)を表す。なぜならこの星座は、天球の最北端を交差する北極星の周囲、つまり天軸の周囲に巻きついているためである。
[...]
このページの最終更新は 24 May 2022, at 17:32 (UTC) に行われました。



Sefer Yetzirah - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Sefer_Yetzirah
"Yetzirah is more literally translated as "Formation"; the word Briah is used for "Creation".[1] The book is traditionally ascribed to the patriarch Abraham, although others attribute its writing to Rabbi Akiva. Modern scholars have not reached consensus on the question of its origins.
[…]
Academic dating

According to modern historians, the origin of the text is unknown, and hotly debated.
[…]
According to the Jewish Encyclopedia, the essential elements of the book are characteristic of the 3rd or 4th century; for a work of this nature, composed in the Geonic period, could have been cast only in the form of Jewish gnosis, which remained stationary after the 4th century, if indeed it had not already become extinct.[9] The historical origin of the Sefer Yetzirah was placed by Richard August Reitzenstein in the 2nd century BCE.[16] According to Christopher P. Benton, the Hebrew grammatical form places its origin closer to the period of the Mishnah,[10] around the 2nd century CE.
[…]
An intimate relation exists between the Sefer Yetzirah and the later mystics; and although there is a marked difference between the later Kabbalah and the Sefer Yetzirah (for instance, the sefirot of the Kabbalists do not correspond to those of the Sefer Yetzirah), the system laid down in the latter is the first visible link in the development of Kabbalistic ideas. Instead of the immediate creation ex nihilo, both works postulate a series of emanations of mediums between God and the universe; and both consider God as the first cause only, and not as the immediate efficient cause of the world.[9]
[…]
According to the Sefer Yetzirah, the first emanation from the spirit of God was the ruach (רוּחַ‎ rúaħ "spirit," "air") that produced water, which, in its turn, formed the genesis of fire. In the beginning, however, these three substances had only a potential existence, and came into actual being only by means of the three letters Aleph, Mem, Shin; and as these are the principal parts of speech, so those three substances are the elements from which the cosmos has been formed.[9]
[…]
In its relation to the construction of the cosmos, matter consists of the three primordial elements; they are not chemically connected with one another, but modify one another only physically. Power (δύναμις) emanates from the seven and the twelve heavenly bodies, or, in other words, from the planets and the signs of the zodiac. The "dragon" rules over the world (matter and the heavenly bodies); the sphere rules time; and the heart rules over the human body. The author sums up this explanation in a single sentence: "The dragon is like to a king on his throne, the sphere like a king traveling in his country, and the heart like a king at war."[9]
[…]
To harmonize the Genesis creation narrative, which is a creatio ex nihilo, with the doctrine of the primordial elements, the Sefer Yetzirah assumes a double creation, one ideal and the other real.[9]

Their name is possibly derived from the fact that as numbers express only the relations of two objects to each other, so the ten sefirot are only abstractions and not realities. Again, as the numbers from two to ten are derived from the number one, so the ten Sefirot are derived from one "their end is fixed in their beginning, as the flame is bound to the coal" (i. 7). Hence the Sefirot must not be conceived as emanations in the ordinary sense of the word, but rather as modifications of the will of God, which first changes to air, then becomes water, and finally fire, the last being no further removed from God than the first. The Sefer Yetzirah shows how the sephirot are a creation of God and the will of God in its varied manifestations.[9]
[…]
Theories of contrast in nature

In addition to the doctrine of the Sefirot and the letters, the theory of contrasts in nature, or of the syzygies ("pairs"), as they are called by the Gnostics, occupies a prominent place in the Sefer Yetzirah. This doctrine is based on the assumption that the physical as well as the spiritual world consist of pairs mutually at war, but equalized by the unity, God. Thus in the three prototypes of creation the contrasting elements fire and water are equalized by air; corresponding to this are the three "Rulers" among the letters, the mute Mem contrasting with the hushing Shin, and both being equalized by Aleph.[9]

Seven pairs of contrasts are enumerated in the life of man:

Life and death
Peace and war
Wisdom and folly
Wealth and poverty
Beauty and ugliness
Fertility and sterility
Lordship and servitude (iv. 3).[9]

From these premises the Sefer Yezirah draws the important conclusion that "good and evil" have no real existence, for since everything in nature can exist only by means of its contrast, a thing may be called good or evil according to its influence over man by the natural course of the contrast.[9]

The book teaches that man is a free moral agent, and therefore a person is rewarded or punished for his or her actions. While the ideas of heaven and hell are left unmentioned in the book, it teaches that the virtuous man is rewarded by a favorable attitude of nature, while the wicked man finds it hostile to him.[9]

Gnostic elements

Sefer Yetzirah is similar to various Gnostic systems. As the Sefer Yetzirah divides the Hebrew alphabet into three groups, so the Gnostic Marcus divided the Greek letters into three classes, regarded by him as the symbolic emanations of the three powers which include the whole number of the upper elements.[9]

Both systems attach great importance to the power of the combinations and permutations of the letters in explaining the genesis and development of multiplicity from unity. The Clementine writings present another form of gnosis which agrees in many points with the Sefer Yetzirah. As in the latter, God is not only the beginning but also the end of all things, so in the former He is the ἀρχή (= ראשית) and τέλος (= תכלית) of all that exists; and the Clementine writings furthermore teach that the spirit of God is transformed into πνεῦμα (= רוח), and this into water, which becomes fire and rocks, thus agreeing with the Sefer Yetzirah, where the spirit of God, רוח (= πνεῦμα), air, water, and fire are the first four Sefirot.[9]

The remaining six Sefirot, or the limitations of space by the three dimensions in a twofold direction, are also found in the Clementina, where God is described as the boundary of the universe and as the source of the six infinite dimensions.[9]

The "dragon" (תלי tli, perhaps meaning "curled one" as a coiled serpent) which plays such an important part in the astrology of the book, is probably an ancient Semitic figure; at all events its name is not Arabic, as scholars have hitherto assumed, but either Aramaic or possibly a Babylonian loan-word.[9] The "dragon" is often understood as the starry constellation Draco and by extension it represents the cosmic axis (equivalent to the north/south pole) because this constellation coils around the North Star and thus around the celestial axis, as it intersects the northernmost part of the celestial sphere.
[…]
This page was last edited on 24 May 2022, at 17:32 (UTC).
"

グノーシス主義の影響がある。ただし、「物資は悪」ではないので、あくまで表面的に影響を受けただけだろう。

新プラトン主義の流出説は英語だと「theory of emanation」や「Emanationism」。
なので、この名詞や動詞表現(emanate)が説明で登場したら「流出」と訳す方が良い。
この和訳だとemanation は「発露」「発散」と訳されている。
emanateは「発する」と訳されている(これは力が発されているので正しい訳だろう)。

「セフィロトは通常の意味での発露と考えるのではなく、神の意志が変化したものであり、最初は空気、次に水、最後に火に変化するが、最後は最初ほど神から離れることはないのである。」
(「the Sefirot must not be conceived as emanations in the ordinary sense of the word, but rather as modifications of the will of God, which first changes to air, then becomes water, and finally fire, the last being no further removed from God than the first. 」)
セフィロトの流出といっても、流出という言葉の普通の意味ではないとある。
新プラトン主義成立以前から原形はあっただろうから、影響があっても少ないだろうな。

「本質的な要素は3世紀か4世紀の特徴」なので原形が仮にラビ・アキバによるものだとしてもグノーシス主義誕生後だな。
新プラトン主義誕生後でもある。
原形はもっと古いだろうが、3~4世紀に中核部がほぼ完成としておく。
注釈ではない本文では流出説の印象は受けなかったが、本書の註釈には影響を受けているであろう箇所はある。
後世のカバリストは流出説の影響を受けているからね。歴代注釈書を学んでいたら自然に新プラトン主義的になるだろうな。

次にやっとメモ開始。



Sefer Yetzirah: The Book of Creation 1997/5/1
(メーデーを狙ったの?)の
著者紹介


Aryeh Moshe Eliyahu Kaplan
https://en.wikipedia.org/wiki/Aryeh_Kaplan
より。

アメリカの正統派ラビ・ Aryeh Kaplan ( 1934~ 1983)の担当(専門分野)が物理学の一分野である、
磁気流体力学(magnetohydrodynamics 磁性流体力学。
電導性の流体を扱うように拡張された流体力学)。

電磁流体力学
=マグネット・ハイドロ・ダイナミクス。
=magneto-hydro-dynamics
(頭文字をとってMHD)。

オカルト理論が先で、それを実証するために(西洋)科学があるので
実に興味深い。

上記の個所辺りをDeepL翻訳すると、

” ルイビルでは、エリアフ・アカデミーで教鞭をとり、ルイビル大学で学び、シグマ・パイ・シグマ、ウッドコック・ソサエティ、ファイ・カッパ・ファイに入会し、最終的には1961年に物理学の学士号を取得した[14]。 ルイビル在学中に、1961年6月13日に結婚したトビー・ゴールドスタインと出会い、9人の子供をもうけた[10][15]。

その後、カプランはメリーランド州ヒャッツビルに移り、メリーランド大学で物理学を学び、国立標準局の流体力学部門で磁気流体力学の研究を担当する研究科学者として最初の専門職に就いた。カプランは1963年にメリーランド大学で物理学の修士号を取得した[10] 。 卒業後、カプランは1964年の秋学期まで国立科学財団の研究員[16]としてメリーランド大学に残った[17][18][10]。”

Sigma Pi Sigmaと Phi Kappa Phiって尻じゃん!
フリ目より格上かもね。
このラビ物理学者、
Creationの書と、
イルミネーションの書は訳している(注釈も含め)のに
光輝は訳していない。
50歳になる前に亡くなっているからなあ。
もっと長生きしていれば……

https://twitter.com/Puku_Pukuro_/status/1190436888504463361
"ぷくろう
@Puku_Pukuro_
rabbi

〔ユダヤ教の〕律法学者、宗教指導者
※ラビ[ræbi]ではなくラバイ[ræbai]と発音することに注意
画像
午前10:14 · 2019年11月2日·Twitter Web App
"



イェツィラーの注釈のメモ

※原文はヘブライ語と英語なので、
それをさらに日本語訳すると意味の乖離が大きくなりすぎたり、
訳語の選択が難しい場合や、
原語を明示したい場合などは、
あえて英語のままにした訳があるので注意


(目次より、pp.3~92が1章)

(p.5の1章1節の
「With 32 mystical paths of Wisdom」の注釈にて)
p.5

"
With 32

As the next stanza will explain, these 32 paths are manifest as the 10 digits and the 22 letters of the Hebrew alphabet. The 10 digits are also manifest in the Ten Sefirot, which are the most basic concepts of existence."
"
(次のスタンザで説明するように、この32の道は、10ある数字とヘブライ語のアルファベットの22文字として明示されている。10ある数字は、存在の最も基本的な概念である「10のセフィロト」にも明示されている。)

p.7
"Most of Sefer Yetzirah will deal with these 32 paths, as they are manifest in the letters and numbers. The 32 paths, themselves, however, will not be mentioned again. The early Kabbalists define these 32 paths as different states of consciousness.
"
(セフェル・イェツィラーの大部分は、これらの32の道について扱う。これらの32の道は文字や数字において明示されている。しかし、32の道そのものについては、再び言及されることはない。初期のカバリストたちは、この32の道を意識の異なる状態として定義している。)

p.7
"According to the Kabbalists. these 32 paths are alluded to in the Torah by the 32 times that God’s name Elohim appears in the account of creation in the first chapter of Genesis. 2 In this account, the expression “God said" appears ten times, and these are the Ten Sayings with which the world was created. 3 These Ten Sayings parallel the Ten Sefirot. "
(カバリストたちによると、これらの32の道は、トーラーの中で暗示されている。創世記の第1章にある天地創造の記述の中で、神の名前「エロヒム」が32回登場することによってである。2 この記述の中で、「神は言った」という表現が10回出てくる。これらが「10の言葉」であり、この「10の言葉」で世界は創造された。3 これらの「十の言葉」は「10のセフィロト」と同等である。)

p.7
"The other 22 times that God’s name appears in this account then parallel the 22 letters of the alphabet. "
(この記述の中で神の名前が登場する他の22回は、アルファベットの22文字と同等である。)

ユダヤカバラで重要な数字は
10(セフィラの数、十戒)、
22(ヘブライ文字数)、
32(心臓。創世記1章の天地創造でのエロヒムの登場回数)。
心臓については本書で後述されるが、バヒルの解説にも書いてある。

Bahir(Sefer HaBahir)の英訳本(キャプラン訳)。
『The Book of Illumination』
p.16
"The heart (Lev) [in numerical value] is thirty-two. These are concealed, and with them the world was created. "
(心〔心臓〕(Lev)の数価は32である。これらは隠されており、これらにより世界が創造された)

3つとも偶数であって奇数11、33ではない。
奇数7はユダヤもイエス教も大好きな数字。
バラモン・ヒンドゥーもゾロアスターも仏教(ヒンドゥーの影響だろう)もギルガメシュ叙事詩も7が好き。
インド系は33も好き。
そういえば33って11が3つだね


p.8 ヘブライ語アルファベット表
文字、対応アルファベット、ヘブライ語での文字名綴り、
発音、文字単独の意味が載っている。
(ヘブライ文字、読み、意味、数価の順に書く)
א A'-lēph Ox 1

ו vāv Hook 6

ז Zā'yin Weapon 7

מ(語末ではם) Mēm  Water 40

ע Ā-yin Eye 70

ש Shin Tooth 300

ת Tāv Cross 400

(
ヴァヴは釘じゃないんだ。フックなんだ。
ザインは武器。剣じゃないんだ。
タウ(タヴ)が十字なのはユダヤ・カバラもなんだな。

以下のサイトでの文字の意味は魔術カバラが根拠なんだろうな。
このサイトだとザインは剣、ヴァヴは釘。

高等魔術入門 魔術入門 ヘブライ語アルファベット
https://magic.dancing-doll.com/magic/hebrew-alphabet.html

ヘブライ文字 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97
)

(「With 32 mystical paths of Wisdom」の注釈の続き)
p.9
"In Hebrew, the number 32 is written Lamed Bet (לב). This spells Lev, the Hebrew word for heart. 7 It is in the heart that the action of the Mind is manifest in the body. As soon as the influence of the mind ceases, the heart ceases to function, this being the definition of death.
The heart also provides lifeforce to the brain and nervous system. When the heart stops pumping, the nervous system can no longer function, and the mind no longer exerts influence on the body. "
(ヘブライ語では、32という数字はLamed Bet(לב)と表記される。これは、ヘブライ語で心臓を意味するLevと綴る。 7 精神[ 心。マインド]の作用が肉体に現れるのは、心臓〔ハート〕においてである。精神の影響がなくなると同時に、心臓も機能しなくなる。これが死の定義だ。
また、心臓は脳や神経系に生命力を与えている。心臓のポンプ機能が停止すると、神経系はもはや機能しなくなり、精神も肉体に影響を及ぼさなくなる。 )

32が重要な理由。
pathsの数だからだけではない。
10+22。
32はベート(2)・ラメド(30)
BL=veL(右から左へ読む)
ヘブライ語でレヴはheart心臓。
心臓のゲマトリア数が32。
創世記第一章でエロヒムは32回登場



p.19
(with three books (Sepharim)への注釈)

セフェル・イェツィラーは今、Sefirah(セフィラ)という単語の定義を開始した。
セフィラのヘブライ語での意味は、神的な流出であり、これが創造の土台(基礎)を形成する。
("Sefer Yetzirah now begins to define the word Sefirah, the Hebrew designation for the divine emanations that form the basis of creation. ")
ヘブライ語の単語「本」(単数形)はSepherである。この単語はSephirah(セフィラ)という単語と同じ語根を持つ。
ただし、前者「本」は男性名詞、後者「セフィラ」は女性名詞である。

注釈に流出説の影響がみられる。

形成の書
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%AE%E6%9B%B8
”今回紹介するのは、カバラの文献の中でも最古の部類に属するセフェル イェツィラー(Sepher Yezirah、形成の書)である。
 この本の著者は伝説によれば父祖アブラハム自身によるものとされるが、実際には3世紀から4世紀ごろに書かれたと思われるが、正確な時代は研究者によって様々で議論が絶えない。少なくとも10世紀には知られるようになっていた。この英語版は1887年に出版された。
 この本書の目的についても議論が多く、主に哲学書と考えられているが、カバリストの間では宇宙創造論という説や、さらに即物的な説では、生命(例えばゴーレム)を創り出す魔術の手引書とも考えられていた(これは高名なカバラの師のラビ アリエ カプランも唱えている)。伝説ではアブラハムは人類の歴史でただ一人、魂を人工的に創り出せたとされているからである。
 本書ではヘブライ文字の22文字は神から与えられたそれ自体が聖なるものであり、さまざまな秘められた(オカルト的な)奥義があると明かされる。また、ヘブライ文字の2文字の全ての組み合わせを順に瞑想する方法も記されており、これは後の中世のアブラハム アブラフィアを通じて、カバラの瞑想行に多大な影響を与えている(さらにフランツ バードンの3作目「真のカバラの鍵」でも、この瞑想は紹介されているが、ここではドイツ文字に変えてある)。
 また10のセフィロトについての有名な記述もあるが、この時代には単に数の意味で使われており、まだ生命の樹として完成されたものではない。
 英訳者のウィリアム ウィン ウェストコットはマクレガー マサースらと共に魔術結社、黄金の夜明け団の創設メンバーであり、長らく最高位にあった人物である。いわば19世紀の魔術的カバラにおいては第一人者の1人といえる。
 なお本書はラビ アリエ カプランが詳細な解説書を出しているので、興味のある読者は一読を勧める。
 また、マンリー P. ホールの「古今の秘密の教え」のカバラの章の中にも、本書の訳がある(こちらの方が原典に近い訳のようである)。”
 ※着色は引用者

上記の和訳を私は信用していない。英訳者が魔術カバラの人だからだ。魔術カバラはキリスト教系だからだ。
ラビが訳していないので信用できない。だからこそ私はラビの和訳と注釈を読んだ。
実際、ウェストコットの英訳(からの和訳)と、本書のラビの英訳とは内容がかなり違っている。
例えば、「with three books (Sepharim)」とキャプラン(カプラン)が訳した箇所を、
ウェストコットは「3人のセラフィム」と訳している(和訳だが英訳でもセラフィムのはずだ)。
さすがにセラフィムは違うでしょ




(目次より、pp.3~92が1章)
p.27(1章の注釈)
イェソドに対応する身体部位は生殖器
(p.27
"In the Kabbalah, Foundation (Yesod)is the Sefirah that corresponds to the sexual organ. It therefore has the connotation of coupling and pairing, usually for the purpose of procreation. "
[カバラにおいて、基礎(イェソド)は性器に対応するセフィラである。それは、したがって、性行為(coupling)とつがうこと(pairing)の意味合い(言外の意味。含意。暗示的な意味)があり、それは通常、生殖が目的である。])
(性行為に言及しているので単なる男女の違いを示すだけではない)


p.29とp.30の図
ヘブライ文字アルファベットと径(パス)の対応が
GD(ゴールデン・ドーン)系のと全然違う。

イェツィラーに沿ったセフィロトの木と言っていたら嘘ってこと。
GDみたいな文字対応になったのはかなり後だろう。
そもそもカバラ聖典のイェツィラー自体が紀元前ではないし
カバラの歴史は紀元後から。
口伝はあっただろうけど。


p.29のこの図
(Figure.4 The 32 paths as defined by the Ari.)
の作者が the Ariとある。
Isaac Luria(イサク・ルリア)の呼び名がthe ARI。
ティファレトが6番目のセフィラだが

p.30のFigure 5. The 32 paths according to the Gra.
ではティファレトは4番目のセフィラ。

両方とも

ビナーとコクマーの間はシン
ゲヴラーとケセドの間はアレフ
ホドとネツァクの間はメム。

p.34

女性的 力 左
ビナー
ゲヴラー
ホド
イェソド
マルクト


男性的 愛 右
ケテル
コクマー
ケセド
ティファレト
ネツァク

(コクマー 知恵 が女性側ではないという解釈)
(ユダヤカバラでも男が右  女が左 なんだな)

(おそらく)左手
親指 ビナー
人差し指 ゲヴラー
中指 ホド
薬指 イェソド
小指 マルクト

右手
親指 ケテル
人差し指 コクマー
中指 ケセド
薬指 ティファレト
小指 ネツァク

(これらが十戒の一つひとつに対応すると解釈されているのだろう)

p.35から
十戒が書いて(彫って?)ある二枚の石板は
契約の(複数の)石板とも呼ばれる。
一枚の石板ではない。


形成の書
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%AE%E6%9B%B8
”2. 10はセフィロトとしての数である。22は文字であり、これらは万物の基礎である。この文字のうちの3つは母であり、7つは二重であり、12は単独の子音である。

3. この10の数は手と足の指の数、5と5が対立したものと似たものではない。それらの中央は霊の声と(アブラハムがなした)肉体の割礼の儀式による契約である。

4. 10は畏れ多きセフィロトの数である。10であり9で無く、10であり11で無し。この知恵を学び、理解する賢者となれ。これらの数を熟考し、そこから知識を引き出し、純粋にし、玉座に座る創造主へと渡すのだ。”


口下手なモーセ。

出エジプト記
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%87%BA%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC6%E7%AB%A0
”第6章
12 モーセは主にむかって言った、「イスラエルの人々でさえ、わたしの言うことを聞かなかったのに、どうして、くちびるに割礼のないわたしの言うことを、パロが聞き入れましょうか」。



レビ記
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC9%E7%AB%A0
”22 アロンは民にむかって手をあげて、彼らを祝福し、罪祭、燔祭、酬恩祭をささげ終って降りた。 ”

についての解説が以下

アーロンの十指は10のセフィロトを表す。

十指の間のスピリチュアル・フォースを集めた結果、
舌が”割礼”され、
アロンが述べる祝福は好ましい効果を与えた。

当然、モーセも舌が”割礼”された。

確かに
セフィロトが左右真ん中の3列に並んでいるのは
左右の指(各セフィラに対応)の並びで表現できる。
となるとモーセが示した十戒の二枚の石板は
単なるモーセの十指の比喩と解釈でき
単に口頭で十戒を言っただけという解釈が可能。
契約の箱に収める十戒の板は後に作ったのだろう。
すごい解釈だ。

十指に対応する10のセフィロト・パワーで
話上手になり十戒や祝福が効果的に言えるようになる!

割礼されているから生殖器を咥えるか口で触れると
スピリチュアルパワーを得られる。
モーセもしたのだろう。
だから口が割礼された。



(出エジプト記でヤハウェがモーセに作るよう命じた
二つのケルビム像について。

出エジプト記
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%87%BA%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC6%E7%AB%A0
”第25章

1 主はモーセに言われた、

2 「イスラエルの人々に告げて、わたしのためにささげ物を携えてこさせなさい。すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。

17 また純金の贖罪所を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。

18 また二つの金のケルビムを造らなければならない。これを打物造りとし、贖罪所の両端に置かなければならない。

19 一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に造り、ケルビムを贖罪所の一部としてその両端に造らなければならない。

20 ケルビムは翼を高く伸べ、その翼をもって贖罪所をおおい、顔は互にむかい合い、ケルビムの顔は贖罪所にむかわなければならない。

21 あなたは贖罪所を箱の上に置き、箱の中にはわたしが授けるあかしの板を納めなければならない。

22 その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。 ”


ゾーハルによると
(つまりゾハル以降の注釈)
その二つのケルビムは女性的列と男性的列に分かれたセフィロトを表す。
ケルビムはアークの上に置かれ、
一つの像ごとに五つずつの戒が入っている。
これら二つはセフィロトの配列と類似している。
これにより二つが引っ張り合う永続する力が創られ、
この力により、スピリチュアル・フォースを集めることができる。
このスピリチュアル・フォースと預言は結びついている(関連している)。

p.37
「circumcision(割礼)のcovenant(契約)」により、
ヤハウェはアブラハムとその子孫に超自然的な次元における力を授けた。
最もはっきりした事例が受胎である。
受胎とは魂を世界に下ろすことである。
契約のしるし(マーク)が性器にあることで、
個人が天のスピリチュアルな領域にアクセスでき、
その領域から最も高貴な魂たちを引き下ろせる。
足の十本指が10のセフィロトを意味するという事実を瞑想することで、
性器の中にスピリチュアル・エネルギーを集めることができる。
(p.37
”By meditating on the fact that the ten toes represent the Ten Sefirot, one is able to concentrate spiritual energy into the sexual organ.”)
この方法により、性行為の真っ最中でさえも、
性的な行為を完全に制御できるようになる。
性行為中にこのようにsanctify(聖別する)ことで
これから妊娠する子供の性質(資質)を決めることができる。
(すごーい!
ユダヤ・カバラには堂々と性魔術について書いてある。)


「舌の割礼」と「膜の割礼」が並置されていることが説明しているのは、エリヤが好んだ預言者的体勢(ポジション)である。

列王紀上
”第18章
42 アハブは食い飲みするために上っていった。
しかしエリヤはカルメルの頂に登り、地に伏して顔をひざの間に入れていたが、 ”
(https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%97%E7%8E%8B%E7%B4%80%E4%B8%8A(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC18%E7%AB%A0)
と書いてある。
この記述でエリヤがしたポーズは
ミドラーシュによると、この姿勢が用いられた理由は
頭を割礼の印と接続するためである。
(「The juxtaposition between the "‘circumcision of the tongue" and the "circumcision of the membrum" explains the prophetic position favored by Elijah. The scripture stales, " Elijah went up to the top of the Carmel, entranced himself on the ground, and placed his face between his knees"(I Kings 18:42). This position was used for the intense concentration of spiritual energy. According to the Midrash, this position was used because it placed the head in conjunction with the mark of circumcision. 」)
(要は自分で自分の生殖器を咥えるかキスして
スピリチュアルパワーをチャージ。
ヤバい性魔術。
フェイド大帝が書いていた通りだ!

スピリチュアル・フォースと預言は結びついているってことは、
預言者は預言する前にえっちポーズしていた可能性があるってこと?

モーセとアロンも10指セフィロトパワーにより
上手く十戒演説や祝福付与できたのだから
二人もこれやったの?
体が柔らかい人でないとできないよね。

割礼する理由はヤハウェから力を授かるため。

割礼を通じたスピリチュアル(セクシャル)パワーによりアブラハムが子供を作れたということ。

アブラハムは後妻のサライのすすめで彼女の奴隷のハガルを妾にし、
76歳の時にイシュマエルを授かった。
おそらく、この後でアブラハムが種なしあるいは不能になったのだろうな。
それかサラが妊娠しにくい体だったか、両方かだな。
後に99歳で割礼を受け、
老妻サラ(サライ)との間に100歳になって嫡子イサク(イツハク)を授かった。
割礼によるエロパワーでイサクを授かったのだ!


 このポジションをとる時、これらの諸力(forces)が結集される。
手の十指、
足の十指、
舌、
生殖器、
あわせて22の要素。
これはヘブライ文字の22文字と同等(paralleling)である。
個人の肉体がアルファベットと化し、
そのアルファベットでスピリチュアルな領域に「書き込む」ことができる。
(「"write" in the spiritual realm」)
(1:3〔1章3節〕の注釈終わり。次ページであるp.38から1:4の訳と注釈が開始)

(聖典の数字に偶然はないというのが根本思想の一つ。
英単語spiritualをどう訳すか難しいので
スピリチュアルとしている)

(1章4節の注釈)
p.39
十であり十一ではないとは
ヤハウェはセフィロトに含まれないということ。

人間はゴッド(ヤハウェ)に到達できない。
(p.39
"The Sefer Yetzirah also warns, “ten and not eleven." This is to teach that God Himself, the Infinite Being,, is not to be included among the Sefirot. If He were, then there would be eleven rather than ten."

上記のDeepL和訳
”セファー・イェツィラ "も「十であって十一ではない」と警告しています。これは、無限の存在である神自身が、セフィロトの中に含まれないことを教えるものである。セフィロトの中に含まれることはありません。もしそうであれば、10ではなく11になるはずだ」”

p.39
”The Sefer Yetzirah therefore warns that when one climbs the ladder of the Sefirot, there are only ten steps, and not eleven. The Creator is always beyond our grasp.
It is for this reason that God is called Ain Sof, literally "the Infinite." One can climb higher and higher, reaching toward infinity, but one can never attain it. Infinity may remain a goal, but it is only a goal that points to a direction, but not a goal that acually can be reached The same is true of the Infinite Ain Sof.”

上記のDeepL和訳
”"セファー・イェツィラ "は、したがって、人がセフィロトの梯子を登るとき、10段しかなく、11段はないと警告しています。創造主は常に私たちの手の届かないところにいる。
このため、神はアインソフ(Ain Sof)と呼ばれ、文字通り「無限」である。人は無限に向かって高く高く登ることができるが、決して到達することはできない。無限は目標であり続けるかもしれないが、それは方向を示す目標に過ぎず、実際に到達できる目標ではない。"無限のアインソフ "も同じである。

)
(ユダヤ・カバラは10を強調するが、11は強調しない。
尻社は「11=ヤキンとボアズの二柱」とみなしていると私は考えているが別の意味を込めているかもしれない。
尻社が11が好きなのは確かだよ


アンダースタンディング(ビナー)は言語ありの思考に関わり、
対して、
ウィズダム(コクマー)は純粋な非言語の思考に関わる。


ウィズダム=叡智=コクマー
を理解=ビナーする過程で言葉に変換される。
叡知は女性、
理解は男性、
男女の結びつき、
非言語叡知と
言語理解の聖婚。
子が生まれれば父母になる



p.86
vavヴァヴはhookかつ(接頭辞として)andを意味する。
connectionとrelationshipを意味する。
(”Once Similarity and Opposition exist, another concept comes into being, namely Relationship. In philosophic terms, this is the synthesis between thesis and antithesis. In our present terminology, this is the Vav of the Tetragrammaton. The word “Vav" means a hook, and the letter Vav as a prefix means "and." In both senses, it denotes connection and relationship. ”

上記のDeePL和訳
”類似と対立が存在すると、もう一つの概念である関係が生まれます。哲学用語では、これはテーゼとアンチテーゼの間の合成である。現在の用語では、これはテトラグラマトンのヴァヴである。ヴァヴという言葉はフックを意味し、接頭辞としてのヴァヴは "and "を意味する。どちらの意味でも、つながりや関係を表します。”)

本物のユダヤ・カバラは創作者にとってはネタの宝庫だな。
まだ1章だぞ?)

2章
p.95から2章が開始

p.99
Shin(火)+Mem(水)でできる単語が
Shem=name(名前)。
物体の名前、特にdivine Names(神聖な名前)を通じて、
コクマーとビナーの意識を行き来できる。

名を通じて、人やもののスピリチュアルな本質(エッセンス)を握ることができる。
(創造の書の注釈に魔術の超重要奥義にして基本がある)


ゾハルいわく、
モーセ、Moses、Mosheh(Mem、Shin、Heh)という名前の綴りに
メムとシンがあることがモーゼの神秘(的奇跡)をdefine(意味を明確にする)。
(
要は、モーセの名前にあるメムとシンとヘー
(とこの名前以外のヤハウェの助け)のおかげで、
モーセが奇跡をなしえたということ。
モーゼの霊力の源泉の一つなのだろう

モーセ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB
”モーセあるいはモーゼ、ラテン語、英語読みのモーゼスとも(ヘブライ語: מֹשֶׁה‎ モーシェ、ギリシア語: Μωυσής、ラテン語: Moyses、Moses、アラビア語: موسىٰ‎)は、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる、紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍したと推測されている、古代イスラエルの民族指導者であり、יהוה(ヤハウェ)を神とする。正教会ではモイセイと呼ばれ聖人とされる。

モーセはユダヤ教・キリスト教・イスラム教およびバハーイー教など多くの宗教において、最重要な預言者の一人とされる。伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきた。
〔中略〕
最終更新 2022年6月12日 (日) 08:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

)

このことが暗示するのは
これら二つのconsonants(子音)は
コクマーとビナーをrepresent(意味する)。
ヘーの数価は5で、これは5つの基本母音を意味し、
この母音により子音の文字列が発音される。

出エジプトでモーセが、イスラエルの民を打ったエジプト人を殺した記述がある。
これについてミドラーシュ( exegesis=聖書釈義 )では
a divine Name(一つの神聖な名前)によってなされたと説明している。


”第2章
11 モーセが成長して後、ある日のこと、同胞の所に出て行って、そのはげしい労役を見た。
彼はひとりのエジプトびとが、同胞のひとりであるヘブルびとを打つのを見たので、

12 左右を見まわし、人のいないのを見て、そのエジプトびとを打ち殺し、これを砂の中に隠した。 ”
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%87%BA%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
出エジプト記(口語訳) - Wikisource

とまとさんが「モーシェと唱えるとエジプト兵が即死」と言っている個所キター!
エジプト人であって兵士以外にも考えられる。
当時の見張りは武装しているだろうが監督官は武装しているか不明。
唱えた名は文脈からモーシェだろう。
「神聖な名を唱えてエジプト人を殺した」という広い範囲の意味で私は解釈しておく。
注釈原文を読むに、唱えるといっても声に出さないとダメとも書いてないし、
心の中で唱えるだけで良いとも書いてない、
つまり名前の使い方が良く分からないが、
(声に出すかはともかく)唱えると解釈するのが妥当。
名乗るだけで聞いた者が死んだらまずいので殺意を込めないとダメなのだろう。
神聖な名でいいのならヤハウェでもいけそう。
名前にメムとシンとヘー(神聖四文字の一つ)がある、預言者レベルの人が唱えないと効果がないだろう。
そうでないと日常で名前を呼ぶことすらできない。
即死かどうか明言されていない。

「預言者レベルの霊力を
持ってないと人を殺めるまでの
威力は出ないと注意書きされてる」という記述自体は見つからなかったが、文脈的にはその通りだな。
特別な文字を持つ名前を持つうえに預言者でないと無理だろうからね。

Mosheモーシェ
メム(数価40)=水=▽
シン(数価300)=火=△
Mの刻印のMはメムだけでなくモーシェ(モーセ)の意味も込められているかもしれない。
モーセの名前には六芒星(▽+△)が含まれる。





ぐだトマト
‏ @pteras14
2016年7月23日
ユダヤカバラだとモーセ(モーシェと
発音する)!って唱えるとエジプト兵を
即死できる威力を持った呪文らしい
でっせ!
ただし、預言者レベルの霊力を
持ってないと人を殺めるまでの
威力は出ないと注意書きされてるww








ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年11月27日
カバラとかタルムードも口伝の解釈の
方が重要なので、知り合いにラビとか
が居ない時点で我々には不利なのよね…

バヒールとイェツィラーに関しては
ラビの解釈付きのが偶々売られてた
けど、ゾハールの方は学者が出版した
奴しか入手出来なかった……

中国道教やヴェーダも基本的に
同じ構造。




p.100
文字はそれぞれ情報の異なるタイプを意味する。
文字のさまざまな操作により、ヤハウェは万物を創造した。


p.105
見逃しが無ければGolemという単語が初出。

一般的に、
五つの基本母音はイェツィラーの使用において非常に重要。
通常の手順では、
文字のペアを、五母音の25通り(5×5)の可能な組み合わせで唱える。
これはラビ・アブラハム・アブラフィアのシステムに登場する。
同じくゴーレムの創造のさまざまな技術にも登場する。
母音の順番は異なる多くの意見がある。


p.108から
2:4
22の基礎となる文字たち。
彼は、
231の門がある一つの壁のように、
in a circle これらを配置する。
そのサークル(The Circle)は前後に
oscillates(※)。
これのsignは
"in good(幸福において)Delight(Oneg)以上のものなし"である。
Plague(Nega)より下等な邪悪なるものなし。
(※
2:4をラビの英訳からさらに一部を訳した。
oscillateは
(周期的に=規則的な速度で)振り子のように揺れる(振れる)ことであり
壁がサークルの形なので膨張と収縮というほうが適切だろう。
サインは意味がありすぎるのであえてそのまま。)

circleとはGalgalのことである。
Galgalはsphereやcycleと訳される。
(壁だからサークルを採用したのだろう。
スフィアでもサイクルでもない。


円周上にn個の点があるとき
これらの中から2つを選んで結ぶラインの組み合わせの数L
=n(n-1)/2

3点なら3本、
4点なら6本。

nが22(ヘブライ文字の数)のとき
L=231

p.109
文字と文字をつなぐラインをイメージする瞑想法が語られる。
イニシエート
(イニシエーション=伝授 された者)は
地面を凝視し、暗い黒い泥を想い描く(視覚化)。
そして、
22文字の一つ一つを心の中で形成する。
これらの文字を地面の上のサークルになるよう配置。
文字の円陣(サークル)ができるように、
個々の文字を地面から出し、
立たせ、
壁のようにイニシエートを囲む。

(110から112まで図)

p.113
次に、
22文字が結ばれる231のラインをイメージし、
これらが天井のように頭上を覆うと思い描かねばならない。

いったん、以上が完了したら、
イニシエートがその円陣(サークル)を使う用意ができていることになる。
もし創造に用いるなら、
アレフで始まる順番で始めないといけない。
心をアレフに焦点を合わせ、
残りの21文字(ベートからタヴまで)のひとつひとつがそれぞれ、
アレフから生じる(ようにイメージ)。

According to some,(ある人たちによると)、
これはゴーレムを創る技術でもある。
ゴーレムを壊したいなら、
正確に逆方向からの手順を踏む、
つまりタヴから始め、アレフで終わる。

いくつかの注釈書にはもっと素朴な方法がある。
変形させたいものの周囲に実際に円陣を描くのである。
円陣を描いた後、文字の組み合わせを唱える。
つまり、最初はアレフと他の文字、
そしてベートと他の文字のように、
すべてのヘブライ文字の組み合わせが完了するまで唱える。
被造物を壊したいなら逆の順番で詠唱。


Riva(40)の弟子たちがイェツィラーを創造に使おうとした。
しかし、彼等は誤った方向に行ってしまい、
文字の力で腰まで地面に体が沈んでしまった。
彼等は助けを求めて叫んだ。
Rivaが最終的にやって来て、
他の弟子たちに逆方向からヘブライ文字を唱えることを
地面に腰から下が埋まった弟子たちが解放されるまで続けるよう言った。

※注 p.363 2章
40 Riva
Acronym of R.Yitzchak be Asher, died 1132.
(acronym=頭字語。
頭字語とは、各語の頭文字だけつなげた語。
North Atlantic Treaty Organization=NATOなど。
12世紀までにゴーレム製造法は確立済みらしい)

やり方については
実際に円の周りを歩くのか、
単に心の中で瞑想的な感じで周りを動いていればよいのかはっきりしていない。

(対象の周囲をぐるぐる回るのは他の魔術体系でもあるので実際に回らないとだめな筈。

ゴーレム以外も創造できる方法。

ゴーレム創造法は
材料を円陣で囲んでから
円陣の周囲を歩きながら
文字の組み合わせを詠唱すればいい。
要は、呪文を唱えながら円形に、
変化させたい対象の周囲を回る。



p.115から
ALBaM暗号
(ALBaM=アレフ、ラメド、ベート、メム)というものの話で
11配列という、2文字の並びの組み合わせからなるものが登場し
その最初の11配列が11のセフィロト
(10のセフィロト+ダアトで11という意味)を意味すると言われている。

ALBaMのペアを一直線の順に並べる場合、
最初の11配列は11セフィロトのfront前方を意味する。
二つ目の11配列は11セフィロトのback後方を意味する。

これらの配列はセフィロトに自分自身が離れずにつながるのに非常に重要で、
ゴーレムの創造にも用いられる。

イスラエルの綴りを並べ替えると「231が在る」となるので
231の門はイスラエルの名を暗示する。


聖書で言及される最も直接的なヤハウェの経験のときに
使われる単語がdelight。

(つまりヤハウェを直接経験するときの喜びがディライト)

Onegを形成する三文字を並べ替えるとNega。
plague(Nega)は特にleprosy(ハンセン病)を意味し、
ヤハウェに否定されたしるしである。

(ネガとかディライトとかFGOを思い出すw)

p.125から
Nameとはテトラグラマトンであり、
この神聖四文字を使う技術がある
(Rabbi Eliezar Rokeach of Wormesが概説している。
特にゴーレム創造において)。
ヨッドヘーヴァヴヘーひとつひとつとアレフというように
5つの母音を付けていく呪文の解説。

(本書にその呪文が書いているが
完全な呪文は口伝つまり秘伝なのでは?)

アレフは胸部(thorax)と結びついている文字であり、
アレフを用いる配列全体はこの部位と関係する。
次にshin配列を用いる頭に着手する。
このようにイェツィラーによる文字と部位の対応に従って、
すべての部位に取り組む。
(ここからp.126)
完了に7時間かかる。

(全パターンを詠唱するなら時間が非常にかかると思っていたら
本当に長いな)

Rabbi Eliezar Rokeachによるイェツィラーの注釈で
ゴーレム創造の仕方の概要が記されている。

※p.327
Eliezar (ben Yehudah) Rokeach of Wormes(Garmiza), 1160-1237.
(つまり、12~13世紀までにはゴーレム製造法がイェツィラーの注釈に書かれていたとわかる)

p.127
一人でゴーレムを創造するべきではない。
一人か二人の同僚と常に行うべきである。
素材の土は、人がまだ一度も掘っていない土地から採取した、
未使用の土を使うこと。
土は、地面から直接とった泉の綺麗な水を使って練ること。
この水はいかなる容器にも入れずに使うこと。
ゴーレムをつくる前に創造者は自身を物理的にも精神的にも浄めること。
創造中は清潔な白い祭服を着ること。
呪文の詠唱を間違えてはいけない。
間違えたら最初からやり直し。
手順を中断してはならない。

ゴーレム製造法を書いた人々が暗示しているのは、
彼らが概略のみを公開したのであり、
全体ではないことである。
(p.127
”An initiate should not do it alone, but should always be accompanied by one or two colleagues.
The Golem must be made of virgin soil, taken from a place where no man has ever dug. The soil must be kneaded with pure spring water, taken directly from the ground. If this water is placed in any kind of vessel, it can no longer be used. The people making the Golem must purify themselves totally before engaging in this activity, both physically and spiritually. While making the Golem, they must wear clean white vestments.
These authors also stress that one must not make any mistake or error in the pronunciation. They do not say what must be done if one errs, but from other sources, it would appear that at very least, one would have to begin the array from the beginning. During this entire procedure, no interruption whatsoever may occur.
These authors also intimate that they are only revealing the outline of the method, and are not presenting it in its entirety . ”

DeepL和訳
”イニシエートは一人で行ってはならず、常に一人か二人の同僚と一緒に行うべきである。
ゴーレムは、人が一度も掘ったことのない場所から採取した、処女の土で作らなければならない。その土は、地面から直接汲み上げた純粋な湧き水で練り上げなければならない。この水は、どんな容器に入れても、もう使うことはできない。ゴーレムを作る人は、肉体的にも精神的にも完全に身を清めてから、この活動に従事しなければならない。ゴーレムを作るときは、清潔な白衣を着なければならない。
また、発音を間違えてはいけないということも強調されている。もし間違えたらどうするかは書かれていないが、他の資料からすると、少なくとも配列を最初からやり直さなければならないようである。この間、いかなる中断も許されない。
また、これらの著者は、この方法の概要を明らかにしているに過ぎず、その全体を紹介しているわけではないことを明言している。”)


ゴーレムの製造(創造)は
primarily(主に、当初は)物理的なものではなく、
高度に発達した瞑想テクニックである、という証拠がある。
神聖四文字を用いる適切な文字の配列を唱えることで、
非常にリアルな、人間のメンタル・イメージを形成できる。

この技術はもしかすると、
アストラル・ボディとして使うことが可能ではないだろうか。
アストラル・ボディを通じて人はスピリチュアルな領域へとascend(アセンションする)。
(アストラル体ってスピ用語じゃん。
この注釈者も神智学を完全に排除していない)


p.128
そうしたスピリチュアルボディの形成、
概念的ゴーレム創造(製造)が完了すると、
スピリチュアルな潜在力が粘土の形に移動し、
実際に命が吹き込まれる可能性がある。
これは物理的ゴーレムが命を吹き込まれるプロセスだった。

創造される対象を円で囲い、
ゴーレムを形成する前に
精神的にガーデン、壁、天井を組み立てる。
(
p.128
"Once the conceptual Golem was completed, this spiritual potential could be transferred to a clay form and actually animate it. This was the process through which a physical Golem would be brought to life.
In introducing this method, the Sefer Yetzirah said, "Engrave them like a garden, carve them like a wall, deck them like a ceiling" (1:11) There is some question as to what role this meditation plays in the technique of making a Golem. According to some early sources, one must proceed in a circle around the creature that one is creating. This might refer to the mental structuring of this “garden," “wall," and "ceiling," before the Golem is formed. "

DeepL和訳
"概念的なゴーレムが完成したら、その精神的な潜在能力を粘土の形に移し、実際に生かすことができる。これが物理的なゴーレムに生命を吹き込むプロセスである。
この方法を紹介する際、Sefer Yetzirahは「庭のように彫り、壁のように彫り、天井のように飾れ」(1:11)と述べています。これは、ゴーレムが形成される前に、この「庭」「壁」「天井」を精神的に構造化することを指しているのかもしれない。"
)


完了に7時間かかる呪文以外の呪文の考察。
唱え終わるのに35時間以上かかる。
この呪文が実際に実行されたのか疑問だ。不可能ではないが。

(注釈者=この本の著者であるキャプラン自身が本当に実行したのか疑ってるw)

ゴーレムの形成は全ての瞑想テクニックの中で最も発展的で危険。
30時間以上の集中が必要。


アブラフィアは唱えるときの呼吸法も書いている。
一文字一文字の間に一呼吸などとある。

頭の動きも書かれている。
唱えながら動かす。
母音ごとに異なる動かし方がある。
頭を動かしつつ詠唱しているあいだ、
顔を東に向けて座る。

(周囲をぐるぐる歩かないの?
円はすでに描いたから不要?)


p.134
メンタル・ゴーレム(精神的ゴーレム)はアストラルボディ。

ゴーレムの数価は73で
コクマーと同じ。

p.136
心的(mental)ゴーレム製造(創造)はイェツィラーにある技術の中で
最高のものである。
物質的ゴーレムの創造は非常に特別な機会に限ってなされる。

(ドラゴンボールで悟飯に対して爺さん界王がかける、
潜在能力解放のため魔術が
ゴーレム製造法そっくり。

素材は綺麗なもの(特別な素材)でないといけない。
手順を中断してはならない。
ゴーレム化させるものの周囲を術者がぐるぐる回りながら呪文を唱え続ける。
完了まで非常に時間がかかる。

偶然で片付けにくいほどの共通点w

そういえばフェイトゼロのアニメ版でも人の周りをぐるぐる回るシーンがあるな
(単に画面がずっと静止だとまずいから動かしただけかもしれないが)。


ぐだトマト
‏ @pteras14
2017年6月17日
この漫画が何故描けないか?
とかいうのしつこくRTされてくるん
だけど、流行ってるの?
特にアニメーター陣からのRTが多い
印象。漫画というよりストーリーの
創り方の様な気もするけど……

2017年6月17日
漫画を描いてない自分がこーゆー事
言うとフルボッコされるから嫌なんだ
けど、「十四郎が何をほざく!💢」
みたいな感じで。

昔のアニメ制作の経験から語ると
(こーゆーとフルボッコされにくくなる
不思議w)圧倒的な知識量不足が原因
だと思う。

2017年6月17日

昔の漫画と今の漫画を見比べると
想像付きやすいと思うんだけど、
昔に比べて圧倒的に絵の技術が
上がってて、画力の向上だけで
やたらと時間を食われる。

つまりストーリー作りの訓練時間と
のトレードオフの関係になってると
思う。

2017年6月17日

逆に「懲役339年」や「モブサイコ」
みたいに元から絵があまり上手く
なかった奴(今は上手くなってるけど)
は多分、ストーリー作りというかネタ
作りの方に割いてる時間の比重の方が
高いんじゃないか?と予想してる。

2017年6月17日
昨日のラノベの若い10代の天才の
ツイート群の話とも関係するけど、
ぐだトマトさんは若くして有名に
なったりプロになった奴の作品は
少なくとも若い時に書いた作品群は
総じてツマランと思う。
ランボー然り、サガン然り、ユーゴー
然り。

プラトンもユーゴーもとかもそうだ
けど、長生きしてて晩年に書かれた
物の方が良く出来てると思う。

画家は結構曲者でルノワールみたいに
歳取ると逆に腐るパターンも稀に
だけど存在する。

でも傾向的には年齢に比例する気が
する。

大長編ドラえもんは初期の方が
良かったけどw

ぐだトマト
‏ @pteras14
2017年6月17日
だってさ、君達カバラとか扱うくせに
原著のヘブライ語版ユダヤ・カバラ
とか読まないじゃん?

「キヌュラ」みたいな頓珍漢な
ギリシャ語をヘブライ語と勘違いする
し。あれは白取春彦の方が間違ってる
と言ってるのに全然言う事聞かない
じゃん?


そもそもバルバロ訳聖書を使ってる
時点でツッコミどこ満載なのに、
そこにすら触れないってどーゆー事よ?
って言いたくなるんだけど。

同じカバラでもメイザース訳と
ヘブライ語版原著では全然内容が
違ってて、メイザースがかなり脚色
を加えてるのも知らないでしょ〜?






君達、知らないかもしれないけど
セフェル・イェツィラー原著に
ゴーレムの作り方載ってるけど、
こんな記述一切載ってないw

もっともゾハールだって言われると
ゾハールは全部読みきれてないから
断言は出来ない。

少なくともバヒールとイェツィラー
にはない。

2017年6月17日
ゾハールの和訳書と言うとあの
インチキ法螺吹き野郎のメイザース版
ぐらいしかないから仕方ないかも
しれないけど、原著のゾハールって
やたらと巻数があって膨大な量だから
ね。

だから、ストーリーを邪魔する
ペルソナ云々じゃなくて圧倒的
知識不足が正解。


ぐだトマト
‏ @pteras14
2017年6月17日

だから多摩坂君みたいなやたらと
博識な小賢しい編集が付くと返って
やりにくそうなのよね。多分、石橋君
もこのタイプそうw
石橋君の方は思想が若干偏り気味な
気がするけどw
彼の担当した作品群を読ませて頂いた
限りだと。幽霊作家業もやってた
っぽいしw
過去のツイートから察するとw


ぐだトマト
‏ @pteras14
2017年6月17日

ベルセルクのオフィシャルガイド本に
さ、三浦せんせーの本棚の粗い写真が
一枚だけ載ってるのよね。
アレイスター黒瓜の「魔術」が
置いてあったのだけは判別出来たん
だけど、あ〜騙されちゃったかー
と思ってぐだトマトさんの中では
ちょっとショック。

2017年6月17日

まぁ……、あの描き込み量で本格的な
魔術書を全部網羅するのは実質上
無理だわな……

2017年6月17日

ロボホンもロビもアトムも自分で
開発したりプログラミングさせない
仕様だったと思うよ。

ロボホンは有料なら出来たっけ?

ハッキリ言って、ここがよろしくない
部分。

で、博士の翻訳文通り「荒草さいきょ〜」
という結論に落ち着く。

2017年6月17日

オープンソース好きのアメリカの
ニューエイジ世代と、絶対秘密主義
エリートマンセー好きの日本の
某18世紀カルト世代のビジネスモデル
の差かな?

この一点だけは罰缶の敵の部落派憑子
ちゃんの功績はデカイ。




ニューエイジについてのキリスト教的考察 単行本 – 2007/4/21
教皇庁文化評議会/教皇庁諸宗教対話評議会 (著), カトリック中央協議会司教協議会秘書室研究企画 (翻訳) )



3章

(3章1節について)
p.139
Ari説では
アレフ、メム、シンはセフィロトの両側をつなぐ横並びのラインにある。
シンはコクマーとビナーの間、
アレフはケセドとゲヴラーの間、
メムはネツァクとホドの間。
(
p.139
" There is, however, another interpretation, and this follows the arrangement of the letters on the Tree of Life according to the Ari. 4 Here, Allef, Mem and Shin are the horizontal lines, connecting opposing Sefirot. Shin is between Chakhmah and Binah, Alef between Chesed and Gevurah, and Mem between Netzach and Hod. "

DeepL和訳
” しかし、もう一つの解釈がある。それは、『アリ』による生命の樹の文字の配置に従ったものである。4 ここでは、Allef、Mem、Shinが水平線となり、対向するセフィロトを結んでいる。ShinはChakhmahとBinahの間、AlefはChesedとGevurahの間、MemはNetzachとHodの間にある。”
)

Ariは16世紀のカバリストであるイサク・ルリアのこと。
イサク・ルリアは別名アリ(ライオン)。
本書p.333の注釈書と注釈者一覧で
Yitzchak Luria, "The Ari," 1534-1572とある。


p.140から
「混沌(Tohu)の宇宙」の状態において、
プロト-セフィロトであるVessels(「器(複数形)」)。
それは「光(Light)」によって圧倒され、
shatterred(粉々に砕かれた)。
これは「器(複数形)の破壊」として知られる。
この器(複数形)の壊れたshards(破片)(複数形)が下位のスピリチュアル・レベルに落ち込み、
悪の源となった。
ゆえにカオス(Tohu)が悪の根源と言われる。

ヤハウェが器を破壊とかの話はないが
ヤハウェは全知全能である以上、
関わっていないとおかしいので
ヤハウェが壊したのだろう)


p.143
三つの母文字、AMSh(アレフ、メム、シン)は
原因、結果(影響)、両者の統合(合成)(synthesis)を意味する。
シン=原因
メム=結果(影響)
アレフ=原因と結果(影響)という対立するものの間にある統合。

(ヘーゲルのジンテーゼsynthesisと似た発想。
英語だとスィンセスィスであり濁らない)

AMShは母たちと呼ばれる。
YHVは父たちと呼ばれる。


p145から
3:4の注釈。
"火(Fire)"は電磁力で、電磁力によって全ての物質は相互作用する。
原子核の構成要素である陽電荷は、
電磁気がある場合、互いに反発しあう。
核を互いに結合させる力もあり、
”強い核力”つまり
pionic(パイ中間子=陽子や中性子を結合させる核力)力。
これは核同士を結合させるもので、"水(water)"で表現される。

アメリカの正統派Rabi Kaplanは磁気流体力学者。

(素粒子
=エレメンタリー・パーティクル。
アトムより小さい電子・陽子・中性子など)
p.146
各々の素粒子の内でも、
結合する力(電磁力の反発作用に対抗する)が必要である。
この力は電磁力でもないし、
パイ中間子力でもないものだ。
これは、”小さい核力”を意味する"空気(air)"である。
この力のおかげで存在できるのが電子などのレプトンである。

(レプトン=軽粒子。素粒子の一つ。
light particle。光のではなく軽い。
スピン1/2。
強い相互作用をしない。
電子、μ(ミュー)粒子・τ(タウ)粒子・ニュートリノ(中性微子)など》)

"地(earth)"に対応するのは四つ目の力である重力。
(Fireだけなぜ語頭が大文字なのかと思ったが、単に文頭にあるからだけの理由だった)
(軽く検索はしたが、量子力学に詳しくないので誤訳がありそう)

火はビナー(の意識)、
水はコクマー(の意識)を表す。

p.150から
3章6節の注釈

3章6節の英訳(ヘブライ文字はカタカナに引用者が置き換え)は
p.150
Three Mothers AMSh(シン・メム・アレフ←ヘブライ文字はこの通りに並ぶ)
in the Soul, male and female,
are the head, belly, and chest.
The head is created from fire,
The belly is created from water,
and the chest, from breath,
decides between them.

AMSh
シン・メム・アレフ

頭は火から創られた。
腹は水から創られた。
胸は息(呼吸、息吹)から創られた。

人間の肉体は、supernal(天上の、神の)”人間(Man)”の小宇宙である。
151頁の図42を見よ。
この”人間(Man)”は玉座に座っており、
エゼキエルによって見られたものである。
この天上の”人間(Man)”はセフィロトの配列を表す。

シンはコクマーとビナーの間、
アレフはケセドとゲヴラーの間、
メムはネツァクとホドの間にある。
上のラインは頭、
中央のラインは胸、
下のラインは腹(belly)を表す。(27)

p.367 3章の注  27. Gra ad loc., Etz Chaim, Shaar TaNTA 6, 7.
[
後に詳述するが、『Etz Chaim』〔エッツ・チャイム、
עץ חיים、
生命の樹〕はイサク・ルリア〔別名アリ〕の教えをまとめた著作。
ルリアの教えはカバラで極めて重要。
עץ
が「樹」の方だよ。
]

後の節より
シン=火の王
メム=水の王
アレフ=息(呼吸、息吹)の王


腹に対応するメムはコクマーの意識を意味する。

p.151 の対応図
Figure 42. The supernal "Man."

            ケテル(頭の上)

ビナー        頭(シン)       コクマー

ゲヴラー(右肩)    アレフ   (左肩)ケセド


            ティファレト
            
            
腰右側ホド         メム     腰左側ネツァク


             イェソド


             マルクト
             
(「腰右側」などは私の補足。上記は日本語訳+私の補足)
             
(ビナーとコクマーの間はシン
ゲヴラーとケセドの間はアレフ
ホドとネツァクの間はメムという径の文字対応が
本注釈書のp.29とp.30の図と同じ。
黄金の夜明けとか
ゾーハルの重訳にある文字対応図と違う。

ヘブライ文字の対応にこだわっても時間の浪費だな。

確かに形成の書時代は木ではない。

ホド メム ネツァク を腰としたのは、図では、くびれより下だし股よりは上だから。
高さで言えば、腹の範囲に腰が含まれるはずだ。骨盤があるところが下腹部でそこは腰でもある。
腰=骨盤のある部分、脊椎が骨盤と繋がっている部分。

腰の高さにMはDBの魔人ブウのベルトのバックルがMの元ネタだろう。
あまりに創造の書の注釈まんますぎる。
Mの刻印。
額や帽子や兜にMを記すことの魔術的意味はおそらく
頭(Sh。シン)=火=△

+
M(メム)=水=▽を加えると六芒星。
しかも
モーゼMosheのヘブライ文字の綴りはメム、シン、ヘー。
メム(数価40)=水=▽
シン(数価300)=火=△
M=モーゼ(の頭文字)=(名前の一部を変換して合わせると)六芒星。

頭部に刻むと目立つから見る者に象徴を刷り込みやすい。

腰の真ん中にメム(M)は3章の注釈。

ゴーレム製造法は2章の注釈。
109から113ページにある
ゴーレム創造法は
材料を円陣で囲んでから
円陣の周囲を歩きながら
文字の組み合わせを詠唱すればいい。
要は、呪文を唱えながら円形に、
変化させたい対象の周囲を回る。

125から127ページのゴーレム製造法によると
呪文の詠唱だけで35時間以上かかる。

しかもこの要素が出るのが両方とも、
敵が魔法使いなど非常に魔術要素が濃いブウ編なので
カバラの必読書中の必読書である創造の書の知識が込められていてもおかしくない。
竜球の作者は誰かから教えてもらったのだろう。

イェソドがおそらくだが、股のあたりにある。生殖器に対応するかもしれない。

言っておくが、ゴーレム製造法が書かれていといっても、製造法を書いたのは
 Eliezar(ben Yehudah) Rokeach of Wormes(Garmiza)(1160-1237)ら昔の人であり、
 ラビ・AryehKaplan は紹介しただけだ。Rabbi Eliezar Rokeach によるイェツィラー
 の注釈でゴーレム創造の仕方の概要が記されている、とラビ・Kaplan は書いている。
 なので、バラモンボール連載終了後にラビ Kaplan が創作した製造法ではない。

M の刻印が腰にある理由の発言者
 根拠となる発言をした人はイサク・ルリア。別名アリ(Ari。ライオン)。
 前掲書 p.333 の注釈書と注釈者一覧で ”Yitzchak Luria, "The Ari,"1534-1572”とある。
 16 世紀のカバリストである"Ari"イサク・ルリアがいかに重要かは述べたことがある↓
 子×5(ねここねこという読み方が代表的です、よろしくおねがいします。
 未整理図書館「読めニク」長です)@kitsuchitsuchi 6 月 10 日
 https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1270379995094024193 からの一連のツイート
 ”16C のイサク・ルリア:
 コダヤ・カバラ中興の祖。
 尊称が獅子(アリ)で弟子は仔獅子。
 ルリア派は 17C からカバラの主流派。
 幻視を頻繁に体験。
 霊魂が達した精神または道徳的レベルに相応しい形で転生する輪廻思想。
 霊性進化論の元ネタの一つ!
 流出の概念にグノーシスに極めて近い思想を取り込む。

 原始にはイデアが存在し、これが流出の過程を支配する。
 流出する神の光を受け止めきれずに壊れた第 4 セフィラ以下の 7 つのセフィラの破片は
 神の光の残滓とそれを包む殻からなり、
 殻を取り光を集めて神の光を再現する修復でメシア的終末=救済に近づく。
 光の要素を回収せよなのでマニ教グノーシスが元。

正統派ラビにカバラ否定者がいる原因↓
17Cの偽救世主サバタイ・ツヴィ:
コダヤ・カバラ衰退の原因。
正統コダヤ神学に関心なし。ルリア派に興味。
イスラームに改宗か死か?と言われ改宗。
サバタイ主義はキリスト教に類似
(ゾハルの父母子の三原理を三位一体に酷似した思想に置換)し、サバタイ運動

のグノーシスもどきの思想が混入したカバラなので
多くのラビに異端とされた。

ルリア派コダヤ・カバラ(霊性進化論の原型)が神智学に影響。
正統多数派コダヤは叩くが
異端少数派コダヤは肯定する偽グノw
大帝お勧めのオカルト百科のツヴィとルリアの消失済み記事が出典なので全文引用”←読んでね!

本記事で引用したルリアの重要思想
https://toyo.ac.jp/uploaded/attachment/14409.pdf
”(1)過去=創造:ツィムツム(神の収縮)
(2)現在=啓示:シェビラー・ハ・ケリーム(器の炸裂)
(3)未来=贖罪/救済:ティクーン(修復)
…神の光はさらに流出し続け、…セフィロートが10個の「器」となってこれを「受け止めよう」とするが、

神の光の強度ゆえに、上位三つのセフィロート…を残して、第4セフィラー以下の七つのセフィラーはこの光を受け止めきれずに炸裂し、その破片が無の空間の中に無方向に飛び散ってゆく。これが第二段階の「シェビラー・ハ・ケリーム」(「器の崩壊/炸裂」)である

ティクーン…器の破片を集めて元の器

に修復する作業が「ティクーン(贖罪/救済/修復) 」である。破片には…流れ込んだ神の光の「残滓/痕跡」が付着しており、破片はそれを覆い隠している「殻」である。この殻を取り去って光の痕跡を集め、元の神の光を再現するのが修復であり、それによってメシア的終末=救済に近づくのである”←マニ教!

マニ教概説・序説
http://joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/mani-ri.html
”人間は、闇の物質で造られた世界に生き…肉体もまた闇の物質である。しかしアダムとヘーヴァを通じて、またセトを通じて、我々の内部には「光の元素の破片」がひそんでいる。この闇の世界から救済されるためには…グノーシス」すなわちマニ教の啓示を知り、

真実に覚醒し、内部の光の元素をまず月に、それから太陽へと帰還させ、最終的に「光の王国」へと戻さねばならない。…光の元素を少量とは云え内に含む、人間以外の動物や植物を無用に害したり殺すことを止め、人間や生物の内部に隠されている「光の元素」を純粋に抽出して、光の王国への帰還を促進さ

せねばならない。やがて、光と闇のあいだで「最終戦争」が起こり、物質の世界は滅び、光と闇の二つの原理は、完全に分離され、再び混じり合うことはない。…動物や植物を傷つけ殺してはならない。…マニ教修道士は生産活動に一切従事できなくなる。麦を収穫すれば…麦を傷つけることになるからである。

…物質の微妙な混合体の内部に閉じこめられた「光の破片」が、収穫の際に必要となる作業が齎す「暴力」によって傷つけられるためである。光の元素は適切な方法で回収されねばならなかった)”

ルリア派カバラ、スターウォーズ、ドラクエ、「光vs闇」陰謀論など影響力大。だが非殺生戒は守らない支配層!


「p.333 の注釈書と注釈者一覧で ”Yitzchak Luria, "The Ari,"1534-1572”とある。」などについて。

シンはコクマーとビナーの間、
アレフはケセドとゲヴラーの間、
メムはネツァクとホドの間にある。
上のラインは頭、
中央のラインは胸、
下のラインは腹(belly)を表す。(27)

p.367 3章の注  27. Gra ad loc., Etz Chaim, Shaar TaNTA 6, 7.


Isaac Luria - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Isaac_Luria
”commonly known in Jewish religious circles as "Ha'ARI"[3] (meaning "The Lion"), "Ha'ARI Hakadosh" [the holy ARI] or "ARIZaL"
〔中略〕
Luria delivered his lectures spontaneously, without ever writing down his ideas (with a few exceptions, including kabbalistic poems in Aramaic for the Shabbat table). The foremost advocate of his kabbalistic system was Rabbi Hayyim Vital, whom collected all the disciples' lecture notes. Numerous works were produced from these notes, the most important of which was the Etz Chaim, ("Tree of Life"), in eight volumes (see below). Originally, it circulated only in manuscript copies. Each of Luria's disciples had to pledge—under pain of excommunication—not to allow any copy be made for a foreign country, so that for a time all the manuscripts remained in Israel. Eventually, one was brought to Europe and was published at Zolkiev in 1772 by Isaac Satanow.[10] In this work, both the theoretical and the devotional-meditative teachings of Lurianic Kabbalah, based on the Zohar, are elaborated upon.[citation needed]
〔中略〕
This page was last edited on 18 September 2021, at 09:45 (UTC).


上記のDeepL翻訳:
”ユダヤの宗教界では一般的に「Ha'ARI」[3](「ライオン」の意)、「Ha'ARI Hakadosh」(聖なるARI)、「ARIZaL」と呼ばれています。
〔中略〕。
ルリアは、自分の考えを書き留めることなく、自発的に講義を行っていました(シャバットの食卓用にアラム語でカバリスティックな詩を書くなど、いくつかの例外はありましたが)。ルリアのカバリスティックな体系を最もよく理解していたのはラビ・ヘイム・ヴィタルで、彼は弟子たちの講義ノートをすべて集めた。その中でも最も重要なものは、全8巻の『エツ・チャイム』(「生命の樹」)である。この本はもともと写本でしか流通していなかった。ルリアの弟子たちは、破門覚悟で外国への複製を許さないことを誓っていたので、しばらくはすべての写本がイスラエルに残っていた。やがて1冊がヨーロッパに持ち込まれ、1772年にゾルキエフでアイザック・サタノフによって出版された[10]。 この著作では、ゾハールに基づいたルリア式カバラの理論的な教えと、献身的な瞑想の教えの両方が詳しく説明されている[要出典]。
〔中略〕。
このページの最終更新は 2021年9月18日 (金) 09:45 (UTC) に行われました。”


Etz Chaim (book) - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Etz_Chaim_(book)
”Etz Chaim (Hebrew: עץ חיים, "Tree of Life") is a literary work that deals with the Kabbalah, the book was written in 1573. The book of Etz Chaim is a summary of the teachings of the Ashkenazi Rabbi Isaac Luria, the Arizal (1534-1572). The Arizal was a rabbi and a kabbalist who created a new tendency in the study of the Kabbalah.[1]

The book was published thanks to the student and disciple of the Ari, the Rabbi Chaim Vital, who wrote the teachings of his master, during the lessons that the Arizal taught, to his disciples that were part of his study group of Kabbalah, in the city of Safed, in Ottoman Palestine. The Rabbi Chaim Vital compiled the teachings of the Ari, in a book that deals with the Lurianic Kabbalah.

The book talks about the divine order and the existence of the things. The work deals with revelation and the perception of the reality by the man of our time. The level of understanding of the World by the Ari can be seen from the first lines at the beginning of the book. This fragment of the book makes reference to the tree of life:

"You know, before the beginning of the Creation there was only the highest and fullest light. The description of the creation process starts from that point, especially".

The book marks the beginning of the Lurianic Kabbalah, but it was Rabbi Chaim Vital who revealed the content of the work to the World. Before the Arizal, the Kabbalists revealed in their books, the development of reality from its origin to our world (from the understandable light). The Arizal HaKadosh discovered a method to understand the reality better.
〔中略〕
This page was last edited on 16 April 2020, at 22:04 (UTC).”

上記のDeepL翻訳:
”エッツ・チャイム(ヘブライ語: עץ חיים、「生命の木」)は、カバラを扱った文学作品で、1573年に書かれた本です。エッツ・チャイム』は、アシュケナジーのラビ、アイザック・ルリア(アリザル)(1534~1572年)の教えをまとめたものです。アリザルはラビであると同時にカバリストでもあり、カバラー研究に新たな傾向を生み出した人物である[1]。

この本が出版されたのは、アリザルの弟子であるラビのチャイム・ヴィタルのおかげである。彼は、オスマン・パレスチナのサフェドという街で、アリザルがカバラ研究会に所属していた弟子たちに教えていた授業の中で、師の教えを書き記したのである。ラビのチャイム・ヴィタールは、アリの教えをルリアニック・カバラを扱う本にまとめました。

この本では、神の秩序や物事の存在について語られています。この作品は、現代の人間による啓示と現実の認識を扱っています。アリが世界をどの程度理解しているかは、本書の冒頭の一行を見ればわかる。この本の断片は、命の木について言及している。

「ご存知のように、天地創造の始まりの前には、最高に満ち足りた光だけがあった。創造の過程の記述は、特にその時点から始まる」とある。

この本はルリアニック・カバラの始まりを示すものですが、その内容を世に明らかにしたのはラビ・チャイム・ヴィタールでした。アリザル以前のカバラ学者たちは、その書物の中で、現実の起源から私たちの世界への発展(理解可能な光から)を明らかにしました。アリザル・ハ・カドッシュは、現実をよりよく理解する方法を発見しました。
〔中略
このページの最終更新日時は2020年4月16日 22:04 (UTC)です。


「p.367 3章の注  27. Gra ad loc., Etz Chaim, Shaar TaNTA 6, 7.」の
ad loc=ad locum
ラテン語:to or at the place(その場所で・に・へ)

「Gra」について。グラ版という写本の呼び名。おそらくルリアの影響下の写本。

Sefer Yetzirah - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Sefer_Yetzirah
”Manuscripts
Title Page of Sefer Yetzirah, Mantua, Italy, 1562

The Sefer Yetzirah exists in multiple versions, including:

1) The Short Version,
2) The Long Version,
3) The Saadia Version, and
4) The Gra Version, among others.[9]

The differences among these versions tend to be minor.

The Short Version comprises about 1300 words while the Long Version about twice that. In the 13th century, Abraham Abulafia noted the existence of both of them.

In the 10th century, Saadia Gaon wrote his commentary based on a manuscript which was a reorganized copy of the Longer Version, now called the "Saadia Version".

In the 16th century, Isaac Luria redacted the Short Version to harmonize it with the Zohar, and then in the 18th century, the Vilna Gaon (known as "the Gra") further redacted it. This text is called the "Gra Version".
〔中略〕
This page was last edited on 18 September 2021, at 16:36 (UTC).”

DeepL翻訳 :
”写本
Sefer Yetzirahのタイトルページ、イタリア、マントゥア、1562年

Sefer Yetzirahには以下のような複数のバージョンが存在する。

1)短いバージョン。
2)ロングバージョン
3)サーディア版
4) グラ版などがある[9]。

これらの版の違いは、ほとんどありません。

短編版は約1300語、長編版はその2倍程度である。13世紀には、アブラハム・アブラフィアが両版の存在を指摘している。

10世紀には、サーディア・ガオンが、「長編」を再構成した写本をもとに解説書を書いており、現在では「サーディア版」と呼ばれている。

16世紀になって、イサク・ルリアが「短篇集」を「ゾハール」と調和するように書き換え、18世紀になってヴィルナ・ガオン(通称グラ)がさらに書き換えた。この文章は「グラ版」と呼ばれている。
〔中略〕。
このページの最終更新日時は 2021年9月18日 (金) 16:36 (UTC) です。”



p.152から3:7の解釈の箇所。

p.154
Rabbi Eliezar Rokeach of Wormesいわく、男のゴーレム(Golem)を創りたいなら、AMShの並びを使わねばならない。
女のゴーレムならAShMの配列。破壊したいならShMA。
ヘブライ語でmanはIsh。womanはIshah。
どちらにせよアレフ(A)とシン(Shin)は以下のように同じ位置だ。

Man
AYSh
AMSh

Woman
AShH
AShM

Yudは男、Hehは女を意味する。
これらの文字はメム(Mem)の位置にある。Memはbellyであり、ここにこそ男と女の違いがあるのだ。

前述の
「人間の肉体は、supernal(天上の、神の)”人間(Man)”の小宇宙である。
151頁の図42を見よ。
この”人間(Man)”は玉座に座っており、
エゼキエルによって見られたものである。
この天上の”人間(Man)”はセフィロトの配列を表す。

シンはコクマーとビナーの間、
アレフはケセドとゲヴラーの間、
メムはネツァクとホドの間にある。
上のラインは頭、
中央のラインは胸、
下のラインは腹(belly)を表す。(27)」
と合わせて解釈しないといけない。

bellyの範囲には生殖器も含まれるとわかる。
腰(股を含む)って感じだろう。


3:7~3:9より、
アレフは空気を支配する王。
メムは水を支配する王。
シン(Shin)は火を支配する王。

[上記の腰の範囲などはだいぶ前に作成した。
2022年7月22日追加:
この日に、過去記事で言語で腰の範囲が違うとわかる箇所を発見した。

【身体操法】武術系・護身術・体の上手な使い方③ ボイトレ、芦原英幸『空手に燃え 空手に生きる-ケンカ十段のサバキ人生-』、結果に繋がるトレーニング(コアモーターコントロール)、『中国武術で驚異のカラダ革命』『東洋武術で驚異のカラダ革命』『中国武術の本』
Posted on 2019.12.04 Wed 22:01:53
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-312.html
中国武術の胯(こ)
=股関節。
日本人には胯(こ)という意識はない。
日本人には中盤という意識がない。
日本人は腰を境に上半身と下半身に分ける。
しかし中国人は人体を上盤、中盤、下盤の三つに分けて捉えている。
すると日本人と中国人とでは腰の位置が変わってくる。
日本人がいう腰は骨盤あたりだが、
中国人がいう腰は骨盤と肋骨の間。
腰を動かすという意味がまったく違う。

(中国人がいう腰って脇腹の高さ)


形意拳の
三体式の站樁功
(タントウ=杭のように立つ)
体重は前足三分、
後足に七分の割合でかけ、
後足の爪先は外に45度くらい開き、
膝は正面に向ける。
前足の爪先は気持ち内側。
上体は椅子に腰かけているような感じで、
お尻が出ないように背骨をまっすぐに立てる。
ちょうど、後足の踵に座っているような感覚である。
首は頭に物を乗せて支えているような感じで真っすぐに立て、
舌の先を上あごにつける。
前手の肘は約170度くらいに保ち、
腋が開かないように注意する。
後ろの手は丹田の前に置く。
肘と膝を合わせ、
肩と胯(こ)を合わせ、
掌と心(胸の中心)を合わせ、
心と意(表層意識と深層意識)を合わせる。
正しい姿勢を取ることによって、
体内で気が巡り始める。

三体式には下へ沈む力と上に差し上げる力が同時に働いている。
前に出した左手は指をわずかにまげて人の体に触れているかのように差出し、
指先にまで力を通す。
歩幅は自分の脛の長さに取る。
この姿勢からそのまま立ち上がると三体式の歩幅が取れている。
(写真では後ろ足の膝を地面につけていて、
膝先の高さが反対側の足の踵の先。)


これがタントウ用の構えであり
実戦用の構えと同じか不明。
実戦用の構えと同じなら重心を後ろにかけるのが実戦用の構え。

芦原空手の
駄目な構えは、
足を大きく開き、
腰を落とし、
重心が前足にかかり、
上体がそっくりかえった、
手のガードが低い、というもので、
重心が前足にかかっていると
前足の蹴りがスムーズに出せないし、
前足で蹴ろうとすると、
後ろ足をいったんひきつけ、
重心を移動させなければならないからダメだという。

芦原空手の構えは
少しヒザを曲げ、
やや腰を落とした半身の姿勢でいることで
足腰のバネも使え、動きが楽になるようにしている。。
足をつっぱっていては動きにくい。

押さえつけられているときなど、
姿勢が崩れている時も
両足を揃えず、
片足を気持ち前に出し、
いつでも半身の体勢がとれるようにせよと言っている。
壁や車に押しつけられて足を揃えたままだと、
パンチも手打ちになるし、
スピードものらない。
常に片方の足を前に出し、
半身の体勢をとることが大事。

椅子に腰かける時も、
両足を前に伸ばして深く腰かけていると立ち上がるのに時間がかかるので
腰を気持ち浮かせるように浅く腰かけ、
足を引きつけ、
重心を心持ち前にかけるようにしていると、
何かあった時にすぐ動くことができる。
芦原空手の両足の重心の配分がよくわからないが、
動きを制限する配分はダメなのだろう。
座っているときに重心を前にかけよとあるのは、
座ると重心が後ろに行くからだろう。
かまえはいわゆる後屈立ちに近いので多少後ろに多めに重心をかけるのだろう。
しかし、上体をやや前傾させ
前にウエイトを移動させやすくするから結局は五分五分の配分になると思われる。
後ろ足先は約30度開く。
〔中略〕
【中国武術・太極拳】※重要「弓歩で腰(ヤオ)の勁力を伝える胯(クア)・膝の外旋」(#131)
https://www.youtube.com/watch?v=3ZG77-yJD44
中国語の腰(ヤオ)は骨盤よりも上なので
腹を使うような感覚。骨盤を使わない。
日本語の腰だと骨盤の動きも含まれる
))

(壁を押すのも良い訓練になる。)


足の裏を感じ続けて、その圧を正面に伝える。

クアと膝を外旋させて(=骨盤を残して)
ヤオだけを正面に向ける。


仙骨から腕先まで(力を)伝える。

骨盤ごと動かさずに、
ヤオの部分を動かしていく。

膝が外旋することでその拮抗を感じる。
膝とクアがしっかりと外旋する意識を持つことで
正面に出した圧、腰がぐっと戻って来る感覚を作り出すことができる。
それによって地面とつながる。

〔中略〕
戴氏心意拳
岳老師

タントウ(丹田功)で縮めて伸ばすことを繰り返し
身法(胴体部の動き)を練る。
胴体部は非常に動きがたい部分。
この背中、胸、胯(こ)(股関節)という動きがたい部分を有効に働かせ、
手法、歩法と一致させる。
身法から動くと相手は初動が分からず認知が遅れるという。

力を得るためには、力を用いず
速さを得るためには早く動かない
〔中略〕
独修 陳氏太極拳

姿勢(架式あるいは架子)

十大要領
①虚領頂ケイ(きょれいちょうけい)
領=首筋
頂=頂点
頭頂部を上に押し上げ、
首筋の力を抜き、
まっすぐに立てる。

②尾リョ中正(平腰)(びりょちゅうせい)
尾リョ
=尾てい骨の先に経穴(ツボ)
肛門を引き上げ、
尻を前に出し、
尾リョが頭頂の垂直下にくるような姿勢。

③二目平視(にもくへいし)
両眼が水平で、顔も左右のどちらかに傾かない。

④立身中正(りっしんちゅうせい)
①②③で体を直立させ、運動の軸とする。

⑤含胸抜背(がんきょうばっぱい)
胸をゆるめて気を丹田におとす。
胸は張らず、背を後ろ側に張るが、
背中を極端に丸めるのは誤り。

⑥含胸トウ腰
トウ腰=腰を反らすことなく落とし込み(トウ)、
安定させる。

⑦沈肩墜肘(ちんけんついちゅう)
肩をおとす。
肩を張りあげない。
肘もおとす。肘を挙げない。

⑧一開一合(いっかいいちごう)
手・足・体の動きと呼吸は必ず一致させ、
一動作一呼吸で組み立てることが基本。
準備動作(開)のときに息を吸い、
動作が行なわれるとき(合)に吐くようにする。
開=蓄、
合=発。
呼吸は原則として鼻のみ。
金剛トウタイのように一気に息を吐きださなければならない技法では
口から吐き出すこともあるが例外。

⑨全身鬆開(ぜんしんしょうかい)
リラックス。放鬆(ファンソン)。
中庸、陰陽のバランスのとれた、
柔でもなく剛でもない
ちょうどいい状態。
無駄な力(拙力)を使わず、必要な力を使うことに集中。

⑩用意不要力(よういふりょうりょく)
力みのない動き。

⑪虚実分明(きょじつぶんめい)
=虚と実を常に明確に分け、意識する。
虚=ゆるめる
実=力を入れる
左右にかかる重心の別。
上虚下実(じょうきょかじつ)
=上半身は柔軟、下半身はどっしり。
太極拳では単純に上虚下実こそが理想だとはいわない。

⑫上下相随(じょうげそうずい)
上半身と下半身の滞りのない連関協調関係

(あれ、12あるぞ。
④立身中正(りっしんちゅうせい)
=①+②+③で、
含胸抜背と含胸トウ腰がセットだと考えれば10。
すべて相互に密接につながっている10大要領。
10は単にだいたい10ぐらいという意味かも)


円トウ
(トウは「月当」)
「月当」=股。
股間を丸く保ち、角ばらせないで立つ。
膝に限らず、関節を鋭角にさせない。


低架
下半身を鍛錬し安定と底力を養う。
始めから終わりまで正確に、
できるだけ低い姿勢を保ちながら行うが、
膝より低くなってはいけない。
〔中略〕
胯(クア)
=腰骨と腿の接合部。

ここを緩めるのが基本姿勢。
〔中略〕
【武術的身体操作】陳式太極拳「金剛搗碓」&上・下・横への勁力の伝達(#221)
https://www.youtube.com/watch?v=9YKEOGKRF_k
"前半は「仙骨から肘、拳先までの連動」・「胯(kua)、
鼠径部の脱力と肋骨の収縮」を套路に落とし込むための説明です。
後半は徒然なるままに遊んでいますが、
要点をおさえていたら再現できるいくつかのチェック方法を紹介しています。"
” (着色は引用者)

日本語で「腰」と訳すと誤解が生じるね



3章終わり。ここから4章。

p.174(ヘブライ語の原文は省略)
4:8
He made the letter Bet(ב) king over Wisdom
And He bound a crown to it
And He combined one with another
And with them He formed
The Moon in the Universe
Sunday in the Year
The right eye in the Soul,
male and female.
(彼はその文字ベートを「知恵」の上に王とされた。
そして、王冠をそれに結びつけられた。
また、一つを別のものと組み合わされた。
そしてそれらと一緒に[それらを使って]「宇宙」の「月」を形作られた。
一年の中の日曜日を形作られた。男と女の、魂における右目を形作られた。)
「wisdom〔経験によって積み重ねられた〕=知恵」と右目がベート組に含まれている。
もしかして尻思想である、
右目=論理的思考・悪魔の源流?

〔キリスト教では信仰=無思考=善 なので左目=キリスト〕
まさかここで見つかるとはな。
ただし、月もベート組なので、左目=月は別の思想だ。エジプト神話のホルスの左目が月。
西洋錬金術の図では 太陽 月 の並びが基本。これらが左目=月の根拠。
日曜日=太陽の日もベート組だから太陽も含まれていると解釈可能。右目と太陽の日が同じグループだからね)


p.175(ヘブライ語の原文は省略)
4:11
He made the letter Kaf(כ) king over Life
And He bound a crown to it
And He combined one with another
And with them He formed
Venus in the Universe
Wednesday in the Year
The left eye in the Soul,
male and female.
(彼はその文字カフを「生命」の上に王とされた。
そして、王冠をそれに結びつけられた。
また、一つを別のものと組み合わされた。
そしてそれらと一緒に[それらを使って]「宇宙」の「金星」を形作られた。
一年の中の水曜日を形作られた。男と女の、魂における左目を形作られた。)
(カフ組にいるのが左目と金星。月でも太陽でもない)


5章
p.221
ユダヤ教で一週間の始まりは土曜日の夜。

6章
p.231から6章開始。

※あらかじめ言っておくが、
私は天体用語に詳しくない。
正確に翻訳するには正確で詳しい知識が必要なので
訳がおかしいところがあるかもしれない。


6:1
He set them in the Teli, the Cycle, and the Heart.

the Teliは聖書(当然だがタナハ=ヘブライ語聖書のこと)にも
タルムードにも登場しない。

p.232 Figure 58.
The constellations of Draco and Ursa Minor
(according to Ptolemy).


Teliに似た単語が見つかるのが
創世記27:3の
"Take your instruments, your Teli and your bow".
(
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC27%E7%AB%A0
"第27章

1 イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、
「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。

2 イサクは言った。「わたしは年老いて、いつ死ぬかも知れない。

3 それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、わたしのために、しかの肉をとってきて、
4 わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」。 "

 ※文字を大きくしたのは引用者
)

Teli(テリ)は剣であるという説
(剣はhangs(talah)するから)や、
矢筒であるという説
(矢がpiled(talal)されるから)がある。
しかしながら、
前述の説よりも、
Teli(テリ)は一種のボーラ(bola)をより示唆するものである。

ボーラ
=ロープや紐や糸の先端に球状のおもりを取り付けた狩猟用の投擲武器。
足などに絡みついて動けなくしたり、
おもりをぶつける)

ボーラはテリと呼ばれる。
なぜなら、
the ball hangs(talah) from the line.
球が紐状のものから吊り(ぶら)下がっているからである。
(テリはタラー=ハング=つり下がっている)
エサウが狩猟に行くよう言われる場面なのがこの解釈を支持する。

多くのカバリストによると、
Teli(テリ)は、
想像上の軸であり、
その軸の周りを天が回る。
想像上のラインであり、
そのラインから天球が
吊り(ぶら)下がっている(垂れている、掛かっている)。
そのさまは糸から垂れるボーラによく似ている。
(an imaginary line from which the celestial sphere hangs,
very much like a bola from its line.)

これによると、Teliは
語源Talah(意味はto hang)から来ている語である。



多くの権威が、テリは
”Pole Serpent”と同一視している。
出典は
"By His spirit, the heavens were calmed,
His hand has pierced the Pole Serpent"
(Job 26:13).

ヨブ記 第26章
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC23%E7%AB%A0
”12 彼はその力をもって海を静め、その知恵をもってラハブを打ち砕き、

13 その息をもって天を晴れわたらせ、その手をもって逃げるへびを突き通される。 ”

"Pole Serpent"で画像検索すると
青銅の蛇(ネフシュタン」(Nehushtan)が多く出る。
なお、"Pole Serpent"はヨブ記やイザヤ書にも出る。)

他には、
イザヤ書に
"God will visit and overcome the Leviathan,
the Pole Serpent, and the Leviathan,
the Coiled Serpent,
and He will kill the dragon of the sea"
(Isaiah 27:1)
とある。
(
イザヤ書
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC26%E7%AB%A0
”第27章
1 その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。

)

Pole Serpentはレヴィアタンと同一視されている。
レヴィアタンと同一視されているPole Serpentは、
大地がそこからぶら下がっている想像上の被造物だとみなされていたのかもしれない。
あるミドラーシュには
世界は”レヴィアタンのヒレ(fin)からぶら下がっている”とある。



極の蛇(Pole Serpentを私が訳した)はしばしば
竜座(ドラコ)と結び付けて考えられるが驚くにあたらない。
竜座は北極星に非常に近いからだ。
約4500年前、竜座の竜の尾トゥバン(Thuban)は北極星だった。


(
北極星はいろいろな星に交代し続けている! 次の交代はいつ?
https://mikata.shingaku.mynavi.jp/article/45930/
"次の北極星は織姫星の「ベガ」

現在の北極星はこぐま座のアルファ星です。しかし今から約5000年前(紀元前3000年頃)、ピラミッドが建造された時代の北極星は、りゅう座のアルファ星「トゥバン」でした。有名なクフ王のピラミッドの中にある「王の間」と呼ばれる部屋には、通風孔のような穴があり、この穴は当時の北極星の方向に造られています。

ちなみにエジプトでピラミッドが建造されていた時代は、日本でいうと縄文時代。しかし日本においても北極星を観測した可能性が高いとされる遺跡(金山巨石群)が岐阜県下呂市に残されています。当時の北極星「トゥバン」を観察したのではないか?と推測される石には35度の傾斜があり、ちょうどその角度の先に北極星が見える仕組みになっています。エジプトから遠く離れた日本においても、そのころから北極星は大切な存在だったことが分かります。

地球の歳差運動によって北極星が交代するということは、今の時点で北極星とされているこぐま座のアルファ星もいずれは北極星ではなくなります。次の北極星は歳差運動の描く円の上にある、こと座のアルファ星「ベガ」です。ベガは七夕の織姫星としてよく知られています。

またベガは一等星とされ、星の中では一番明るいクラスの星です。目印としての役割もしっかり果たしてくれることでしょう。しかしベガが次の北極星になるのは約12000年後のことで、気の遠くなるような年月がかかります。"


黄道(ecliptic)
=天球(上)の大円であり、
太陽の周りを回る地球の軌道の(平)面で描かれる。
と私が訳した原文↓
)
p.234
The ecliptic is the great circle of the celestial sphere
traced by the plane of the earth's orbit around the sun.

p,234の図60
赤道と黄道の間のobliquity(黄道傾斜)としてのテリ

赤道とか黄道とか白道
http://www.ffortune.net/fortune/astro/coordinate.htm
”黄道(こうどう)は太陽の通り道、
白道(はくどう)は月の通り道です。
赤道は地球の赤道をそのまま天に投影したものです。

地球は太陽の周りを1年掛けて公転(revolution)していますので、
地球から見た時に太陽が見える方角も1年掛けて天を1周します。
この1周する軌跡のことを黄道(こうどう,ecliptic)と呼んでいます。

また月は地球のまわりを1ヶ月かけて公転していますので、
月の見える方角も1ヶ月かけて天を1周します。
この軌跡が白道(はくどう,moon's path)です。

太陽の場合は回っているのは地球であり、
月は本当に地球のまわりを回っているのですが、
どちらも地球を基点にすればまわりを回っているように見えるわけです。
黄道と白道は5度8分ほど離れています。

赤道(せきどう,equator)は地球の自転(rotation)が生み出しているものです。
地球は北極と南極を軸とする自転運動をしていますが、
この軸に垂直な平面が赤道面です。
この平面が天球を切り取ってできる大円が天の赤道になります。

そういう幾何学的な言い方をするなら、
黄道は地球の公転平面が天球を切り取ってできる大円、
白道は月の公転平面が天球を切り取ってできる大円です。
ここで大円(great circle)とは、
球面幾何学において直線の役割を果たすもので、
球の中心を通過する平面と球面との交線になっているものです。

なお地球の自転軸は公転面に対して約23度26分傾いていますので、
赤道と黄道の距離も23度26分あることになります。
これは地球上の南北回帰線の緯度と一致します。

大円同士は必ず球面上の2ヶ所で交わります。
赤道と黄道の公転は春秋分点(Equinox)と呼ばれ、
太陽が3月下旬に通過するポイントが春分点、9月下旬に通過するポイントが秋分点です。
黄道と白道の交点は昇降点と呼ばれ、
占星術の世界では昔からドラゴンと呼ばれていました。
現代では月が昇っていく点を龍頭(Dragon Head)と呼び、
降りていく点を龍尾(Dragon Tail)と呼んでいますが、
この名称は歴史的に常に混乱していました。”


【龍頭・龍尾】Dragon Head, Dragon Tail
http://www.ffortune.net/fortune/astro/sensitive/dragon.htm#dragon
”これは黄道と白道の交点であり、一般に昇交点・降交点と呼ばれる。
このポイントの重要性は日食・月食にこの点が絡むからである。
(図)
日食は太陽-月-地球が一直線に並ぶ現象である。
この時は月が太陽を覆い隠してしまう。
月から見ると地球食が起きている。

月食は太陽-地球-月が一直線に並ぶ現象である。
地球の影が月の表面に落ちて月の輝きが消える。
この時月のその影の部分では日食が起きている。

これらの現象は、
太陽の見える方位と月の見える方位とが重なる時に起きるが
普段は太陽の通り道である黄道と月の通り道である白道は離れているので、
同じ方向角であっても実際には重ならない。
ところが黄道と白道の交点付近では両者が重なり合うことになる。
つまり黄道と白道の交点付近に太陽と月がある時に、日食・月食は起きるのである。

昔の人はこの時、
天の龍が太陽や月を呑み込むとして、
ドラゴンヘッド(龍頭)・ドラゴンテール(龍尾)という名前を付けた。
あるいは黄色い(見えない)旗がそこにあって太陽や月を隠してしまうのだといって黄幡と呼んだ。
過去にいろいろな名前が付けられているが整理すると次のようになる。
ただしこの名前は時代によって混乱して逆になっているものもある。

 昇交点 Ascending Node = 正交 = 北節 North Node = 計都 = 龍頭 Dragon Head

 降交点 Descending Node = 中交 = 南節 South Node = 黄幡 = 龍尾 Dragon Tail

最近の占星術上の解釈ではドラゴンはカルマを表すとされる。
ドラゴンヘッドが前世でもらいそこねた福をあらわし、ドラゴンテイルは前世でし残した義務を表すとされる。


星座や天球などの説明個所あるので読むのが大変。
知らない英単語どころか、その訳語も知らない日本語だ。
equator:
the equator/Equator で
①地球の赤道。
②天球赤道(celestial equator)
③昼夜平分線
④球の均分円)

(同じくp.234)
eclisptic pole(黄極、黄道極)

黄道極についての画像は以下をどうぞ。

27 天球
http://earth-science.sakura.ne.jp/sub59.html
の「黄道・天の赤道・春分点・夏至点・秋分点・冬至点」の直後の画像。

黄道座標系
https://astro-dic.jp/ecliptic-coordinate-system/
(の右端にある画像)

黄道座標とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E9%BB%84%E9%81%93%E5%BA%A7%E6%A8%99-62886
”日本大百科全書(ニッポニカ)「黄道座標」の解説
黄道座標
こうどうざひょう

天球上の天体の位置を表す座標、すなわち天球座標の一種である。地球上の位置は、赤道を基準の大円として経度と緯度で表す。これと同様に、天球上の天体の位置は、ある一つの大円(天球面上に描くことのできる最大の円)を基準として経度と緯度に相当する量で表す。このような天球座標系は各種あるが、黄道座標系では、黄道を基準の大円とし、それに沿って経度にあたる量(黄経という)を測る。黄経は春分点を始点として、東向きに数えていく。詳しくいえば、黄道の南北両極と天体とを通る大円と黄道との交点を、黄道に沿って東回りに春分点から測った角距離が黄経である。一方、緯度に相当する量(黄緯)は、前記の交点から天体まで、つまり黄道から天体まで測った角距離である(図)。太陽系の天体の多くは、黄道の近くを運行するので、黄道座標系は惑星・衛星などの運動を論ずるのに便利である。

[大脇直明]”

の図。


黄道座標
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%81%93%E5%BA%A7%E6%A8%99
”黄道座標(こうどうざひょう、ecliptic coordinate system)は天球上の天体の位置を表すための天球座標系の一種で、黄道を基準とする座標系である。
概要

黄道座標では、天球上の緯度と経度にあたるものとして
黄緯(こうい、ecliptic latitude: β)と黄経(こうけい、ecliptic longitude: λ)を使用する。

黄緯は地球の公転面の天球上への投影である黄道を0度、地球の公転面に垂直な方向を90度として表す。符号は地球の公転が反時計回りに見える側を + 、反対側を - とする。黄緯が+90度となる位置を黄道北極、黄緯が-90度となる位置を黄道南極という。黄道北極はりゅう座(すぐそばにキャッツアイ星雲NGC6543がある)、黄道南極はかじき座にある。
地球の歳差運動による天の北極、天の南極の天球上の運動は黄道北極、黄道南極を中心とする円運動に見える。

黄経は春分点を0度として、太陽の黄道上の見かけの運動方向と同じ方向に向かって値を増やして春分点に戻る360度まで数える。すなわち夏至点は黄経90度、秋分点は黄経180度、冬至点は黄経270度となる。地球の歳差運動によって春分点の位置が黄道上を移動していくため、黄経の値は歳月とともに変化していく。 ” ※着色は引用者


黄道帯(zodiac)
=天球上の黄道を中心とした、
惑星(太陽・月などを含む)が運行する帯状の領域。

サイン=宮(きゅう)。

黄道12宮(サイン)と天球12室(ハウス)の違い
https://horoscope-fortune.com/ninki/%E5%A4%A9%E7%90%8312%E5%AE%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%A8%E9%BB%84%E9%81%9312%E5%AE%AE%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84/
”黄道12宮は春分点を牡羊座の0度として、12星座の名前を使って黄道を30度ずつ12等分したものです。これを使って太陽、月、太陽系の惑星の位置を示します。黄道12宮(サイン)は、星の所在地を示す度数として活用されるものです。
黄道12宮の振り分け方法は、西洋占星術では原則、1つしかありません。
黄道12宮に、ただ星を並べただけのチャートはフラット・チャートと呼ばれます。
このフラット・チャートを切り分けるのが天球12室(ハウス)になりますが、
ハウスの区切り方は、実は1つではありません。
もっともポピュラーで、簡単な方法は、誕生日(日付)だけでホロスコープを作る時使われる「ソーラーサイン・ハウスシステム」と言われるものです。
これは黄道12宮(サイン)の境目に沿って、
天球12室(ハウス)も切り分けてしまうもので、太陽が入っているサインをそのまま第1室とします。そこから逆時計回りに12室まで割り当てます。誕生日だけで作れるので、雑誌の12星座占いなど、一般的によく使われるものです。”


p.234から
星々の位置の説明において、
古代人は
celestial pole(天の極)よりは、
eclisptic pole(黄極、黄道極)を利用した。
この見方では、
竜座がeclisptic pole(黄極、黄道極)を囲んでいるように見える。
黄道の全てのサイン(宮。天球上の黄道を角度で12等分)のセクションの中において、
竜座に星々がおさまっている。
竜座は文字通り"the Pole Serpent"(極の蛇)である。
なぜなら、その蛇がeclisptic pole(黄極、黄道極)を囲むからだ。

竜座=極の蛇が
全ての室(ハウス。黄道を太陽が通過する時間に合わせて12分割)の中にある星々をおさめていて、
それらすべてを支えているようにも見える。
あたかもドラコ=竜座=極の蛇が天球の頂上にあり、
他の全ての星々がドラコから吊り下がっている(were hanging from it)かのようである。
ドラコは全ての星々の監督者にして指導者に見える。
ドラコはテリTeliと結びつけられている。
テリは
「玉座の王のように宇宙の上を覆っている」
(創造の書6:3)。
竜座はテリと呼ばれる。
なぜなら、他の全ての星座は竜座から吊り下がっている(talah)からだ。
(p.234
"It is called the Teli because all the other constellations hang (talah) from it.")
古代、ドラコの形体としてのテリは偶像崇拝の神(idolatrous deity)として崇拝された。
ラビIsaac of Accoは、テリを、聖書で言及されている偶像バアルと同一視した。

Yitzchak De-Min Acco(Isaac of Acco), 1250-1340.
13~14世紀のラビ。

p.231からテリの注釈(解説)で、
テリはtalah(hang)からきていて、
①竜座(北極星含む)〔"the Pole Serpent"(極の蛇)〕
(昔は竜座の尻尾が北極星)。
②レヴィアタン
③バアル
④赤道と黄道の間のobliquity(黄道傾斜)
⑤ドラゴン
(頭がドラゴンヘッド、尾がドラゴンテイル。
蝕で太陽と月を呑み込むドラゴン)
⑥天の川
⑦Vilon(七天の内、第一天。地球に一番近い天の領域)の下の或る場所
⑧スピリチュアルな世界
⑨理解できない隠された秘密

⑩the likeness before the Blessed Holy One
(唯一神の似姿←誤訳かも)

⑪Zer Anpin(小さい顔。ケセドからイェソドまでの6つのセフィロトの擬人化)の
あごひげの、宇宙を吊り下げている毛
(であり、宇宙がその周りを回る軸である)

⑫物質的なものと霊的なものを繋ぐ天の門
などと解釈されている。

竜蛇=レプティリアン教の元ネタの一つだろう。

竜蛇崇拝は竜球の最初期から登場していて、
ピッコ□大魔王が登場してから顕著。

レプ教の源流+バアル崇拝。
しかし竜蛇と牛を同一視するのは無理があるのでは?
バアル含む偶像神の象徴として解釈したのかも。



セフェル・イェツィラーへの哲学的な注釈の多くで、
星座についての記述だけでなく、
テリは二つの天球上におけるplane(平面)の間のinclination(傾斜)として
解釈されている。
現代の天文学では、これは通常はobliquity(黄道傾斜)と呼ばれていて、
通常は黄道と天の赤道を分かつinclination(傾斜)を表す。
天の赤道とは地球の赤道の上に想像された円であり、図60にて示されている。

p,234の図60
赤道と黄道の間のobliquity(黄道傾斜)としてのテリ

天の赤道
=地球の赤道面を天球にまで延長し、天球と交わる交線。

この意味では、テリ(the Teli)はドラゴンまたは魚とも言われる
(the Teli is also[ここまでp.234、ここから
p.235]
often referred to as a dragon or fish.)。

ヘブライの天文学者はテリという言葉を
特に月における、黄道からの平面のorbit(軌道)の傾き
を意味するのにも使った。

p.236から
頭がドラゴンヘッド、尾がドラゴンテイルと呼ばれるドラゴンは
テリと同一視される。

(日食と月食の文脈の文章の後で)
テリは太陽または月を呑み込む想像上のドラゴンとも
見ることができる。

しかし、傾斜をテリとするのには、
イェツィラーで言及されるテリとしてのテリなら、疑問である。

伝統的には2匹のテリつまりドラゴンがいて、
雄一匹、雌一匹である。
これらは二匹のレヴィアタンと同一視されている。
タルムードによるとイザヤ書の
the Pole Serpentは雄、
the Coiled Serpentは雌。

天の川と同一視する解釈もあり、
この解釈ではテリは天球ではなく銀河の軸とされている。

実践的なカバリストの重要な意見があり、
その意見とは、
テリは実際には、
the firmament(天空) of Vilonの下の或る場所であるというものである。
Vilonには人のような存在がいて、その存在は自身を天使のように浄めている。
天の秘密はこれらの存在に開示され、
これらの存在はその秘密を、不死ではない人間に開示する権限を持つ。


Heaven in Judaism
https://en.wikipedia.org/wiki/Heaven_in_Judaism
によると、
Seven Heavens(七天)の内、
第一の天hevenがVilon or Araphelであり
ガブリエルに支配されていて、
地球に一番近い天の領域。



ラビ・ユダ・ハレヴィはテリは
スピリチュアルな世界と理解できない隠された秘密を暗示していると書いている。

Bahirバヒルでの解釈は最重要な解釈の一つだ。
Bahirバヒルでは
"What is the Teli?
It is the likeness before the Blessed Holy One.
It is thus written,
'His locks are hanging(taltalim)'(Song of Songs 5:11)."
(
雅歌
第5章
https://ja.wikisource.org/wiki/%E9%9B%85%E6%AD%8C(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC5%E7%AB%A0
”11 その頭は純金のように、その髪の毛はうねっていて、からすのように黒い。 ”

511だ。
雅歌は英訳では
The Song of Songs, Which is by Solomon’s
なのでソロモン作とされるが実際は別人の作品だろう)

(どうやって訳すか悩む個所が多いなこの本。
likenessを似姿とすると、
テリは唯一神の似姿になる。
それだとテリをバアルとする説、つまりテリは敵だとする解釈と対立するのでは?


p.238から

Zer Anpin
(小さい顔。英語ではSmall Face、
ラテン語ではMicroprosopusミクロプロソプス)は
ケセドからイェソドまでの6つのセフィロトの擬人化。


Zer Anpinの神的なあごひげの一本一本の毛ごとに
一つの宇宙が吊下っている。
これによると、
テリは、
神的なあごひげ(そこから我々の宇宙が”吊下っている”)の”毛”を意味する。
これは宇宙がその周りを回る軸である。


"hangings" of the divine beardは
Taltalimと呼ばれる。
(タルタリムと私は読んだ)
ゾハルではタルタリムはTalpiotという単語と関係づけられる。
(Talpiotをタルピオトと私は読んだ)
タルピオトはタルムードによると
the "hill(tell) to which all mouths(piot) turn."
このhillとはthe Templeが建てられた山であり、
ヤコブが"gate of heaven"(Genesis 28:17)(天の門)と呼んだものである。
このタルピオトは物質的なものとスピリチュアル(霊的)なものとの間の
tangible(明白な、触れられる、形ある)繋がり(リンク)である。
カバリストらによると、
テリにも同様にあてはまる(同じことはテリにも言える)。

(創世記 第28章
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC28%E7%AB%A0
”10 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、

11 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。

12 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。

13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。

14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。

15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。

16 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。

17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。
これは神の家である。これは天の門だ」。

18 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、
その頂に油を注いで、

19 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。

20 ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、

21 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。

22 またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。 ”

ヤコブの梯子、ベチル、ベテル、神の家、
油が注がれた石の柱など非常に重要な個所。
ゾハルでの解釈は↓


”・世界の礎=シオン(という家)
=世界の中心
=七つの柱の土台
=定礎の石 (火と空気と水でできている。 世界の中心の目印)
=ヤコブの石(柱)
=神の家(ベチル)
=(十戒が記された)「石板」の素材

七つの柱を切り出した(作った)のが
第二のセフィラ―である「知恵」(コクマー)
(グノーシス的にはソフィア)。

しかもミュラーの注釈いわく
アガーダー(タルムード)では この石の場所でイサクの犠牲とヤコブの夢が起こった。
しかものちに燔祭の祭壇の場所となる。
ダビデがここに祭壇を設けていた。
ヤコブの礎石(ベチル)=「大地のへそ」
=最初の創造物のひとつ。
世界の柱である七番目の柱の上に 残りの六本の柱は乗っている。

タロットの塔はマルセイユ版では「神の家」という名で
神の家はベチルなので
塔=聖なる石柱=世界の中心
と解釈できる。”


)

p.231からテリの個所と注釈(解説)

テリの意味は
①竜座(北極星含む)〔"the Pole Serpent"(極の蛇)〕
(昔は竜座の尻尾が北極星)。
②レヴィアタン
③バアル
④赤道と黄道の間のobliquity(黄道傾斜)
⑤ドラゴン
(頭がドラゴンヘッド、尾がドラゴンテイル。
蝕で太陽と月を呑み込むドラゴン)
⑥天の川
⑦Vilon(七天の内、第一天。地球に一番近い天の領域)の下の或る場所
⑧スピリチュアルな世界
⑨理解できない隠された秘密

⑩the likeness before the Blessed Holy One
(唯一神の似姿←誤訳かも)

⑪Zer Anpin(小さい顔。ケセドからイェソドまでの6つのセフィロトの擬人化)の
あごひげの、宇宙を吊り下げている毛
(であり、宇宙がその周りを回る軸である)

⑫物質的なものと霊的なものを繋ぐ天の門
などの解釈がある。

今の支配層が大好きな要素ばかりだな!

善だったり悪(バアル)だったり善悪の評価も一定しない。
つまり、採用する解釈次第ではユダヤ教徒も普通に尊重(崇拝はまずいので尊重とした)してもおかしくない。
ユダヤ教徒でない、つまりクリスチャンや新耶蘇信者なら崇拝してもおかしくない。

テリ竜(私による訳語)崇拝。
バアルならぬバア竜。
レプ教の元ネタの一つだろう。
レプ教は北極星崇拝だし。


2015年2月11日
@wayofthewind
@punanny_chang
北極星信仰=レプティリアン教。
船乗りは位置や方角を知る為に北極星が重要。龍を模したヴァイキング船。アイク曰く爬虫類人はりゅう座α星(昔は北極星)出身。北欧神話の隻眼のオーディン。ノーベル賞はノルウェーとスウェーデンが担当。


p.256

"So Abram went, as God had told him... and Abram took his wife Sarai,
and his nephew Lot,
and all the substance that they had gathered,
and the souls that they had made in Haran"
(Genesis 12:5).
これが暗示しているのは、
アブラハムが既にセフェル・イェツィラーのmysteries(奥義)をマスターしたことだ。
(mysteriesという複数形表記で
秘儀、奥義、(キリスト教用語)聖体という意味になる


カバリストたちは、
"the souls that 'they' made,"が複数形であることに注目している。
1体のゴーレム(a Golem)を作ろうと試みるときは
一人で作るべきではなく、
複数名で協力して作るべきだということを示している。

(まさかのゴーレム創造。
ゴーレムを従えるアブラハム。
竜クエストにゴーレムが登場する理由の一つだろう。
勇者□トの元ネタは旧約のロトとセフィロトだろう。

創世記 第12章
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC12%E7%AB%A0
"1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。

2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。

4 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。

5 アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。

6 アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。

7 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

8 彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。 "




以前、上記のようにメモした。再びメモ↓
理由は「イサクはゴーレム」説の検証のためだ。

p.256
(And he was successful への注釈)
"
The complete verse quoted here relates to Abraham’s leaving Haran at God's command, and it states, "So Abram went, as God had told him ... and Abram took his wife Sarai and his nephew Lot, and all the substance that they had gathered, and the souls that they had made in Haran" (Genesis 12:5). This implies that before God had spoken to him and told him to leave his land, Abraham had already mastered the mysteries of Sefer Yetzirah.
The Kabbalists note that the verse says, "the souls that they made," in the plural. This indicates that one attempting to make a Golem should not work alone, but should do so in partnership with others.
"

soulは人って意味ね。アブラム(アブラハムに改名するより前)がsouls(人々)を作ったと解釈できる箇所。
作成者がtheyなので、ゴーレム作成は一人で行うべきではないことを意味している、と解釈できる箇所。
後述の和訳だと、
「アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。」なのだが、英訳だと「the souls that they had made in Haran」となっている。
「獲た」ではなく「作った」という訳(解釈)。

創世記(口語訳) - Wikisource
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC12%E7%AB%A0
”第12章

1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。

2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。

4 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。

5 アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。

6 アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。

7 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。
アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた

8 彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。

9 アブラムはなお進んでネゲブに移った。

10 さて、その地にききんがあったのでアブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った。ききんがその地に激しかったからである。

11 エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。

12 それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。

13 どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。

14 アブラムがエジプトにはいった時エジプトびとはこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、

15 またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた。

16 パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを得た。

17 ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下された。

18 パロはアブラムを召し寄せて言った、「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。

19 あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください」。

20 パロは彼の事について人々に命じ、彼とその妻およびそのすべての持ち物を送り去らせた。
” (着色は引用者)


ソウルズ云々が12章。

創世記(口語訳) - Wikisource
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC17%E7%AB%A0
”第17章
アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。

2 わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」。

3 アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、

4 「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。

5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。

6 わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。

7 わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。

8 わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」。

9 神はまたアブラハムに言われた、「あなたと後の子孫とは共に代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたのうち

10 男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。

11 あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう。


12 あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない。

13 あなたの家に生れた者も、あなたが銀で買い取った者も必ず割礼を受けなければならない。こうしてわたしの契約はあなたがたの身にあって永遠の契約となるであろう。

14 割礼を受けない男子、すなわち前の皮を切らない者はわたしの契約を破るゆえ、その人は民のうちから断たれるであろう」。

15 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。

16 わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。

17 アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。

18 そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」。

19 神は言われた、「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。

20 またイシマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。

21 しかしわたしは来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てるであろう」。

22 神はアブラハムと語り終え、彼を離れて、のぼられた。

23 アブラハムは神が自分に言われたように、この日その子イシマエルと、すべて家に生れた者およびすべて銀で買い取った者、すなわちアブラハムの家の人々のうち、すべての男子を連れてきて、前の皮に割礼を施した。

24 アブラハムが前の皮に割礼を受けた時は九十九歳、

25 その子イシマエルが前の皮に割礼を受けた時は十三歳であった。

26 この日アブラハムとその子イシマエルは割礼を受けた。


27 またその家の人々は家に生れた者も、銀で異邦人から買い取った者も皆、彼と共に割礼を受けた。
” (着色は引用者)

この箇所を読むに、割礼したので、割礼した性器からエネルギーチャージできるようになったから、イサクという子供を授かったと考える方が良いのでは?

イサクが生まれたのは第21章

創世記(口語訳)
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC21%E7%AB%A0
”第21章

1 主は、さきに言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行われた。

2 サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。

3 アブラハムは生れた子、サラが産んだ男の子の名をイサクと名づけた。

4 アブラハムは神が命じられたように八日目にその子イサクに割礼を施した。

5 アブラハムはその子イサクが生れた時百歳であった。

6 そしてサラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。

7 また言った、「サラが子に乳を飲ませるだろうと、だれがアブラハムに言い得たであろう。それなのに、わたしは彼が年とってから、子を産んだ」。

8 さて、おさなごは育って乳離れした。イサクが乳離れした日にアブラハムは盛んなふるまいを設けた。

9 サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、

10 アブラハムに言った、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」。

11 この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。

12 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。

13 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。
〔中略〕
第22章

1 これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。

2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

4 三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。

5 そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。

6 アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。

7 やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。

8 アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。

9 彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。

10 そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、

11 主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。

12 み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。

13 この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

14 それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

15 主の使は再び天からアブラハムを呼んで、

16 言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、

17 わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、

18 また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。
” (着色は引用者)

人身御供をヤハウェが止めた話も引用したのは、ゴーレムを生贄に使うか疑問だから。
アブラハムのゴーレム関連の記述は本書の他の箇所にもある。

Introduction内のAuthorshipの箇所の
p.xⅰⅰⅰより、

"
In many editions of Sefer Yetzirah, scriptural evidence is provided by the verse, “Abraham went as God had told him, and Abraham took...the souls that they had made in Haran” (Genesis 12:5). According to some commentaries, this indicates that Abraham actually used the powers of Sefer Yetzirah to create people. 21 This would be the earliest example of the use of Sefer Yetzirah to create a Golem. According to this, Abraham would have learned how to use the mysteries of Sefer Yetzirah before God told him to leave Haran.22
Other authorities, however, say that “making souls" refers to converting them to belief in the one true God, and this is also supported by the Zohar. 23 Some commentaries attempt to reconcile this with the text of Sefer Yetzirah, explaining that with the miracles wrought through the Sefer Yetzirah, Abraham was able to convince people of the power of God, and thus convert them to true belief.24
The scripture states, “the souls that they made,” in the plural. This would indicate that Abraham was not alone in his use of Sefer Yetzirah, but had a companion. A Midrash states that if Abraham would have engaged in the secrets of creation by himself, he would have gone too far in emulating his Creator, and he therefore worked together with Shem, son of Noah.
"

DeepL訳

多くのイエティジラーの本では、「アブラハムは神が言われたとおりに行き、ハランで作った魂を取った」(創世記12:5)という聖句が聖典の証拠になっています。いくつかの注釈書によると、これはアブラハムが実際にセファー・イェツィラの力を使って人々を創造したことを示しています。21 これは、セファー・イェツィラーを使ってゴーレムを作った最も古い例と言えるでしょう。これによれば、アブラハムは、神がハランを去るように言われる前に、セファー・イェツィラの秘儀の使い方を学んだことになる22。
しかし、他の権威者は、「魂を作る」とは、唯一の真の神を信じるように改心させることであり、これは『ゾハル』でも支持されている、と述べている23。23 いくつかの注釈書は、これを『イエティラ書』の本文と調和させようとし、『イエティラ書』を通じて行われた奇跡によって、アブラハムは人々に神の力を確信させ、真の信仰に改心させることができたと説明しています24。
聖書には、「彼らが作った魂」と複数形で書かれている。これは、アブラハムがイエツィラ書を使うのに一人ではなく、仲間がいたことを示しています。ミドラッシュは、もしアブラハムが一人で創造の秘密に携わるなら、創造主を模倣するには行き過ぎたので、ノアの子セムと一緒に仕事をしたと言っています。


ところどころ変だがまあいいや。
イェツィラーでの人ができる創造といえばゴーレム創造。
アブラハムは後妻のサライのすすめで彼女の奴隷のハガルを妾にし、76歳でイシュマエルを授かった。世継ぎは必要。
後に99歳で割礼を受け(割礼により性パワーを口からチャージ可能になる)、
サラ(サライ)との間に100歳になって嫡子イサクを授かった。
割礼によるエロパワーでイサクを授かったのだ!

とま帝さんが
「この「セフェル・イェツィラー」という書は
皆さんにお馴染みの
ゴーレムの作り方が載っている本だと
言われている。
ゴーレムというのはぶっちゃけ人工生命だ。
人間じゃない。

で、凄いのはユダヤのラビ達は、
アブラハムの息子のイサクは、
カバラで造ったゴーレムだと説いている。
つまり今現在存在するユダヤ人は
全て人造人間!」

の根拠らしき箇所を発見したので考察した。
だがこれよりも、エロパワー体位で性的エネルギーを得て普通に性行為で作った可能性の方が高いと思う。
「唯一の真の神を信じるように改心させ」た説をとっても、性の力チャージは否定されないからイサクができた理由づけはできる。
とはいえ、ゴーレム創造技術を得たなら、子供を作るときに使った可能性は十分にある。
ゴーレム技術と性パワーチャージの合わせ技。
イサクがゴーレムあるいはゴーレム技術で子供ができる可能性を上げた説なら、イサクの子孫がゴーレム混ざりになるね。
イサクが半分ゴーレム半分人間だった可能性が浮上する笑
ユダヤ・カバラはインパクトが段違いだぜ!

アブラハムが出て来る箇所を確認していたときに、Abraham Abulafia (1240-1296)〔アブラハム・アブラフィア(1240-1296)〕の方だったことがある。同じ名前が多いと探す時に時間がかかるんだよなあ。

アブラハムはゴーレムを作った者の1人ってのは創作ネタに使えるね



(ゴーレム関係で脱線したが)
6章終わり。つまり一番重要な1から6章の注釈は終わり。本書はまだ終わらずショート・バージョンに続く。



p.259から イェツィラーの他のバージョン
p.260から
ショート・バージョン
(別の版)

p.270からロングバージョン
(別の版)

p282から
SAADIA VERSION


p.318から
APPENDIX IV
EDITIONS AND
COMMENTARIES


このうちの注釈書一覧

p.327
Eliezar (ben Yehudah) Rokeach of Wormes(Garmiza), 1160-1237.



p.332
Yitzchak De-Min Acco(Isaac of Acco), 1250-1340.

p.333
Yitzchak Luria, "The Ari," 1534-1572

Yitzchak Sagi Nahor(Isaac the Blind), 1160-1236.
(イサク・ルリアのすぐ下に盲人イサク)


p.340からNOTES 注


p348
105.
The sum 612 is also the numerical value of Brit, meaning covenant.
(合計612は、契約を意味するBritの数値でもある。)


p357
146. This opposes the philosophers who call God the “First Cause. "
See Moreh Nevuchim 1:69. A cause-effect relationship can only exist within the framework of time, and God is above time.
146. これは神を「第一原因」と呼ぶ哲学者たちと対立するものである。
Moreh Nevuchim1:69参照。因果関係は時間の枠組みの中でしか存在できないのであって、ゴッドは時間の上におられる(より上位である)。

p358
175. At the end of a meditation, Abulafia thus advises the initiate to “eat something, drink something, smell a pleasant fragrance, and let your spirit once again return to its sheath,"
175. 瞑想の終わりに、アブラフィアは入門者(イニシエート)にこのように助言している。「何かを食べ、何かを飲み、心地よい香りを嗅ぎ、あなたの精神をもう一度その鞘に戻すように」と。
(マジで重要だぞ)



p.363
2章
40 Riva
Acronym of R.Yitzchak be Asher, died 1132.
(acronym=頭字語。
頭字語とは、各語の頭文字だけつなげた語。
North Atlantic Treaty Organization=NATOなど)



Sephirah/セフィラ
1: Keter/ケテル(王冠)白
2: Chokhmah/コクマー(知恵)灰
3: Binah/ビナー(理解)黒
4: Chesed/ケセド(慈悲)青
5: Gevurah/ゲブラー(峻厳)赤
6: Tiphereth/ティファレト(美)黄
7: Netzach/ネツァク(勝利)緑
8:Hod/ホド(栄光)橙
9: Yesod/イェソド(基礎)紫
10: Malkuth/マルクト(王国)

が広まったのはコダヤ教徒ではなくクリスチャンと改造版キリスト教徒が広めたからだよ。
ここでも西方キリスト教が理由だよ。

3大コダヤ・カバラ聖典を読んだ感想。
読んでよかった。


以下の奴、英語で検索したら出るかもな。

(バヒルに以下の記述無し
1.・・ケルビムの剣はエジプト兵のコペシュ
〔ケペシュ(英語: Khopesh)は、エジプトの鎌型の剣。敵の盾を引っかける鎌みたいな部位がある〕
Cherubim
cherub
Kabbalah、cabala、Cabala、 Kaballha、Qabalah,、Qabala……ってカバラの綴りが多い。
ケルビムはケルブの複数形。
cherubim as guardians of the Garden of Eden
(in which they guard the way to the Tree of life)
Cherubim were placed east of the garden。
a flaming sword which turned every way。
to guard the way of the tree of life。
Egyptian soldiers
Egypt


2.エドムの王という悪を破壊してヤハウェが新世界創造
kings of Edom Kabbalah
Edom
the Kingdom of Edom
Edomite kingdom
これはゾーハルの解釈が元ネタだろう。

3.〔旧約では〕カインの刻印の詳しい描写については一切言及されていない…
「十字」がどこから由来するのかと言うと、ユダヤ教の「カバラ文献」である。
十字というのは古代フェニキア文字の最終文字をバッテン・マークで表していた事に由来する。
それが古代ヘブル文字の時代に角度が垂直になり「十字」となる。
「十字」はカバラでは聖四文字”テトラグラマトン”、”YHVH”を象徴している。
これが”ヤハウェの刻印”の正体である。
ユダヤ人ラビの話に拠ると、この刻印が付いてても、実際にはかなりのカイン族が殺されていた
らしい。(笑)
ユダヤのラビ達の言に拠ると、キリスト教徒が胸の前で「十字」を切る動作はカインのこの刻印が
モデルになっているらしい。
(Phoenicia
Cain
curse and mark of Cain
Phoenician alphabet
Phoenician taw mark

(イェツィラーにも上記は見逃しがなければなかったな。コダヤ・カバラの本ってイェツィラー、バヒル、ゾーハル以外にもあるからな。ゾーハルの和訳されていない箇所かもしれないな。まあカインの刻印を十字にするのは間違いなく十字が好きなヤソと新ヤソだよ。グノーシスの象徴にも十字があるもんな(笑)
参考資料をどうぞ)




参考資料



年老いたアダム、エバ、アベルの面倒を見ているのは長男であるカインなのだ。
つまりカインはアダム親子達に”搾取”されている。そんな報われない毎日を送るカインは神であるヤハウェなら自分の境遇を理解してくれるはずだと、収穫した野菜を捧げものとしてお供えする。ところがヤハウェはアベルの供え物の方を選択する。殺したばかりの子羊だ。
仰天するカイン。なぜこんな結末になったのか理解出来ていない。
そこでアベルが驚愕の発言をする!
「ダメだよ兄さん、ヤハウェ様に備える捧げものは”血”と”命”で
なくちゃ。あれほど言ったのに!父さんと母さんの犯した罪を償う
には”血と命”を生け贄にするのが必須なんだよ!!」

…この弟、完全に狂っている…
身の危険を感じたのか、カインは咄嗟にアベルを殺してしまう。
しかし、結果的にカインは弟殺しを咎められ、ヤハウェに追放される。
ちなみに今書いた話はオリジナルの旧約聖書にはない解釈である。
ここから得られる教訓は、
アダムの時代に既に
インド・アーリア社会に見られる「職業」に人間の分別、「カースト制度」が確立されていたことである。
カースト社会では農家は奴隷の様に扱われ続けて来た。
仕事の内容がキツイからだ。
支配者は出来るだけこんなブラック職業に就きたくない。
だが、酷な事に”農作物”は基本的に”食糧”としての用途しかない上、長期保存も難しい。

これと比較して”牛”等の家畜は食糧だけでなく、衣類の原料、耕作機械、
戦争用の兵器(戦車)と、実に様々な用途に使えた。
だから、インドの聖仙ヤージュニャヴァルキヤも国王を哲学で論破した褒美として牛を受け取っている。
また古代世界で金持ちか貧乏かは所有している家畜の量で決まった。
恐らく、アベルの地位がカインより高かったのはこう言った古代アジアの文化背景が起因していたのだろう。
つまりカインの”アベル殺し”は古代における「農民一揆」として
捉えるのが筋であろう。
アベルは恐らく”クシャトリヤ”階級。要は軍人であり、
アダム一族を外敵から護る役割を担っていたに違いない。
所詮、農民風情のカイン一族が反乱を起こした所で
軍人一族であるアベル族に致命的な打撃を加える事はできなかったのだろう。
結果、カイン一族は逃亡を図る。
それが唯一”地獄の搾取社会”から逃れる現実的な選択肢だったからだ。
ところで興味深いのが、カイン一族のその後である。
カインの子孫はなんと「農家」から「鍛冶屋」へとジョブ・チェンジしてしまう!
”鍛冶”というと農具の製作もあるが、
基本的には”武器”の生産/開発である。
そしてカイン達は”定住”することを避ける。
”定住”してしまえばより強い部族の侵略を受けまた「農奴」へと逆戻り
するリスクがあるからだ。

旧約聖書にはカイン一族のその後は不明である。記載がない。

しかし、カイン一族は何のために「武器職人」へと転職したのか?
…興味深いことにケリー篠沢はヤハウェが刻印したカインの額の印を「十字」型に描写している。恐らくカインの末裔達は、自分達を迫害したアダム一族に”復讐”するつもりなのだ。

「強力な兵器」の開発を続けながら…
なぜカインの刻印が「十字」か?
実は聖書にはカインの刻印の詳しい描写については一切言及されていない…
「十字」がどこから由来するのかと言うと、
ユダヤ教の「カバラ文献」である。
十字というのは古代フェニキア文字の最終文字をバッテン・マークで表していた事に由来する。
それが古代ヘブル文字の時代に角度が垂直になり「十字」となる。
「十字」はカバラでは聖四文字”テトラグラマトン”、”YHVH”を象徴している。
これが”ヤハウェの刻印”の正体である。
ユダヤ人ラビの話に拠ると、この刻印が付いてても、実際にはかなりのカイン族が殺されていたらしい。(笑)

ヤハウェのご加護も余りアテにならなかったということだろうか?

ユダヤのラビ達の言に拠ると、
キリスト教徒が胸の前で「十字」を切る動作はカインのこの刻印がモデルになっているらしい。
つまり「強力な兵器」を携えて、アダム一族に復讐を企てる者、その正体は…これ以上は恐ろしくて言えない。”



天文学辞典 > その他 > 北極星
http://astro-dic.jp/polaris/
”天の北極(地球の自転軸を北極側に伸ばして天球と交わる点;赤道座標系参照)の近くに位置している明るい星(こぐま座α星: 2等星)。日周運動でほとんど動かず、北の空の星は北極星の周りを東から西に回転しているように見える(周極星)。
実際には天の北極から1度弱離れたところにあるので、北極星も日周運動で天の北極の周りに半径約0.75度の円を描いている。
北極星を見つける方法として、北斗七星を用いるものとカシオペヤ座を用いるものが広く知られている。その方法と、関連する星のデータを図と表に示す。
天の北極は歳差のために、北黄極(黄道の北極; 黄道座標系参照)の周りを半径23.4度、周期約26000年で周回するので、現在(21世紀初頭)では天の北極の近くにこぐま座α星があるが、
時とともに天の北極はこぐま座α星から離れて行き、
約12000年後にはベガ(こと座α星: α Lyr)が天の北極に近くなる。またエジプトでピラミッドが作られた時代も天の北極はこぐま座\alpha星からはだいぶずれていた。
古代エジプトではピラミッドの一辺を真北に向けるために二つの星(北斗七星のミザールとこぐま座のコカブ)を利用したと推定されている。その方法では歳差の影響で測定した真北の方位が正しい真北からずれてゆく。そのずれが建設年代の異なるピラミッドの方位と一致していることが根拠となっている。”

天文学辞典 > その他 > 北斗七星
http://astro-dic.jp/big-dipper/
”おおぐま座の腰から尻尾を形作る七つの星がつくる柄杓(ひしゃく)の形をしたパターン。春から夏の北天でよく目立つので広く親しまれている。北極星を探す目印となる。”




国立科学博物館-宇宙の質問箱-星座編
https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/seiza/seiza03.html
”現在の北極星は、こぐま座のアルファ星という2等星ですが、今から5000年ほど昔、ピラミッドが作られた時代には、りゅう座のアルファ星のツバンという3等星が北極星だったのです。では、どうして時代によって北極星はかわってしまうのでしょう?
 北極星は、「北極星はどうして目印にされるのですか?」の質問のところでお答えしたように、北極を地球の自転軸にそってのばした先(天の北極)にある星です。実は、地球の自転軸の方が長い間にその向きを変えてしまうのです。地球には月や太陽などの引力がはたらいています。このために、ちょうどまわっているコマが首をふるように、地球の自転軸も周期約26000年で首ふり運動(歳差運動)をするのです。
 5000年前、地軸の北極の向きにもっとも近くて明るい星はツバンでした。そして、今もっとも近いのはこぐま座のアルファ星、現在の北極星です。今から12000年後には、おりひめ星で有名なこと座の1等星ベガが北極星として北の空に輝くこととなります。 宇宙の質問箱

の図が良い。

サバイバルで役に立つのが北極星の探し方。

北極星を探してみよう
https://mirahouse.jp/begin/pole_star.html




https://twitter.com/ando_engineer/status/1142018293856739329
” しょう@ITx家事育児英語
@ando_engineer
この辞書ツールやばすぎる。爆速で単語が表示される。英文読むのはかどりすぎ。すぐに英辞郎もダウンロードしてインポートしました。これを無料で公開しているのまじですごすぎる。日本人の何万時間も削減した。
https://qiita.com/wtetsu/items/c43232c6c44918e977c9
引用ツイート
Tetsu
@wtetsu
·
2019年6月20日
あもりにも速すぎて熟語にも強い辞書ツールMouse Dictionaryですが、自分で使っていて追加したい機能や感じる不満がもうなくなったので、利用者からの要望等ありましたら教えてください😉

https://qiita.com/wtetsu/items/c43232c6c44918e977c9
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午後7:35 · 2019年6月21日
·Twitter Web Client

(埋め込みツイートを減らすために2022年9月22日にこの呟きを開いたら、「安藤 昭太|ノーコードシフトでDX」という名前に変わっていた)


何度も出る重要単語なので自分用に作成した単語帳も載せておく。

アクセントは「」で囲んだ個所。
allude
それとなく言う、ほのめかす、暗に示す
ア「ル」ードゥ
mention indirectly

denote
意味する、示す、表す、表示する、の印である、
の名称である
mean、
represent、
be a sign of
デ「ノウ」トゥ

pertain
付随する、関係する、関連する
The letter pertains to her new position at the company.
その手紙は会社での彼女の新しい地位に関するものだ。
パー「テ」イン

permute
~の順序を変える
パー「ミュ」ートゥ
(数学の場合の数で使う記号Pは
permutation(順列、置換)の略。
この動詞形だから、並べ替えや配列するなどの意味)


ぐだトマト
‏ @pteras14
2016年9月7日
ユダヤカバラにはエデンの園の
門番のケルビムが持つ剣はエジプト兵の
コペシュって書いてあるから、
アラブが先か、エジプトが先か
分からんけど元々一つの宗教が二つに
分かれたんだろうな。

だからアラブの連中はチョコチョコ
エジプトにちょっかい出しに行くわけ
だw

世界史でね。


ぐだトマト
‏ @pteras14
2016年10月12日

エチオピアって聖杯候補地の一つだし、
シュローモのシバ女王とも近いし、
カバラではエデンのケルビム共は
エジプト兵のコペシュで武装して
たんだろ?

ちょうどエジプトとバビロンの中間
辺りにあるし、非常にいい場所なんだ
よなー

青ナイルが真のナイル川であって
くれると。


ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年9月7日

ケルビム研究家?ってのは驚く程
コダヤ・カバラ原典やラビの口伝とか
引用しないよね。

ラビの口伝に拠ると「回転する炎の剣」
ってのは「エジプト兵の使用してた
曲刀(コペシュ)」と伝えられている。
つまりエデンの園の物語ってのは、
何らかの形で古代エジプト文明と
繋がりがあるって事。


ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年11月6日

エデンの園のケルビム=エジプト兵説、
思い出して頂けたかな?♡🕊


ぐだトマト
‏ @pteras14
2017年9月25日

ヤハウェ君の車椅子は天体現象の
グランドクロス説。
「輪っかの中の輪っか」ってただの
球じゃん=惑星/星


ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年9月7日
元々、創世記の入ってる巻自体が
「モーセ五書」の一つで、そのモーセ
自体がエジプトから脱出してるんだから
エジプトと全く関係が無いと考える方が
無理なわけで。

因みに「車輪の中の車輪」は惑星、
「神の玉座」は天体現象のグランド
クロスを表しているものと思われる。

(本当にヘブライ語聖書のミツライムはエジプトなのか?という聖書アラビア起源説があるが
ラビはエジプト説を採用)


悪の樹・クリフォト教義
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/aku.htm
”あらゆる宗教において、「悪」の考察は外せない。
(…)
 クリフォトの教義は、盲人イサクの系統を継ぐカバリストであるトドロス・ベン・ヨセフ・ハ・レヴィ・アブラフィアという13世紀後半の人物よって、よく知られるようになった。
 トドロス・アブラフィアは、グノーシス派の影響を受けている人物で、そういった思想を持ったカバリスト・グループにも所属していたらしい。
(…)
 このクリフォトと言う言葉は、「殻」という意味である。それも卵の殻のような「外殻」の意味を持つ。
 これは、エゼキエルの幻視と関係してくる。「エゼキエル書」の第4章1節に「北のほうから激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまり火の中には、琥珀金のような輝きのようなものがあった」とある。
 これは、「神性」が4つの「殻」で囲まれていることを示すという。すなわち、中心の「琥珀金のような輝き」こそが、「神性」である。しかし、それは4つの「殻」に包まれている。一つ目の「殻」は「激しい風」であり、2つ目は「大いなる雲」、3つ目は「巻き起こる火」、4つ目は「その火の周囲の輝き」であった。これは、とりもなおさず「神性」は常に、こうした「殻」に囲まれた形で出現するということでもある。
 この「殻」は、「悪」である。
 ずっと後世(16世紀)のイサク・ルリアは、「悪自身の中に善の閃光がありえる」とした。
 この教義は、やがて合成され、これは、「善」は「悪」と殻と実のように結合されている、あるいは「善」は「悪」の内に見出されることもある。また、その逆も然り。ということにもつながるようにもなった。
 いわば、これは「悪」と「善」は表裏一体、隣合わせの存在でもある。言ってみれば、「クリフォト」は「セフィロト」の硬貨の裏側のような存在でもあるのだ。
 しかしながら、本来、「クリフォト」というものは、独立した原理でも要因でもない。これは「セフィロト」それ自体の不均衡な破壊的側面のことにすぎない。
 「セフィロト」においては、均衡が重要になってくる。しかし、完全なる均衡、完全なる安定は、同時に不動の状態であり、それでは進歩は望めない。だからこそ、「樹」には、対象的なシンボルが存在し、それはお互いに干渉し合い、引き合っている。「樹」の「安定」は、慣性の安定ではなく、緊張の安定である、とも言い換えられるだろう。例えば「コクマー」と「ビナー」の関係などがそうだ。
 これは二つの崖に架けられた吊り橋にも似ている。両の崖の橋から引っ張られるからこそ、橋はピンと立ち、安定していられる。しかし、片方の崖ふちから引っ張る力が無くなれば(すなわち切られてしまえば)、橋はまッ逆さまに転落してしまうであろう。
 しかし、この緊張した安定にも、問題はある。互いに引っ張り合っていると、たまに力が片方に偏り、不均衡な状態に陥ることがある。これが「クリフォト」の状態なのだ。
 「クリフォト」の球である「クリファー」は、「セフィロト」の球である「セフィラ」の流出の過程で、こうした不均衡な状態の現れとして出現した。例えば、ケテルがコクマーを流出した時、その力が余分に出来て、力があり余ってしまった。余ったがゆえに力が過剰となり、不均衡が生じた。この病的な過渡期の状態の時に、ケテルに対応する「クリファー」が生じる。
 すなわち、「クリフォト」は、「セフィロト」の流出・進化の過程で、周期的に生じてしまう均衡の喪失の位相の間に抑制が効かなくなって生じた存在であるのだ。
 したがって、こうした「悪」を切り離したり、消滅させようとしても無駄である。それは本来あるべき姿の不均衡な結果にすぎないからだ。だから、カバリストは「悪」を消滅させようとするのではなく、それを補い、調整を取ることによって、「クリファー」が生じた「セフィラ」に再吸収させなければならない。

 例えば、先の例で言えば、ケテルの過剰な力から生じたクリファーを解決するのは、ケテルと引き合っているコクマーを活性化させることにより、両者のバランスを取り、中和させればよいのである。
 「樹」を登って、修行を行おうとする修行者にとって、この考えは重要である。
 修行の過程で、何らかの不均衡が生じると、そこにクリフォトが生まれ、修行者はそこに転がり落ちるかもしれない。
 
  これは「創世記」に出てくるヤコブの子らと戦って滅亡したエドム11人の王にも例えられた。創造の過程に置いて、神が不要と見なした物を破戒する作業でもあった。「創世記」で語られるエドム11人の王達の死は、いわばこの破壊のシンボルと見なされることもあった。クリフォトはこの王達の残滓である廃棄物で作られた「悪」の勢力にも例えられた。
 これは、修行でいうのなら、修行者は自分の内部の人格が不完全であるとこを、まず自覚する。そして、より高次の人格を作るためには、この人格を再構成しなければならない。再構成を行うには、古い建物の一部を破壊しなければならない。当然、破壊すべきは「悪」の部分だ
 エドムの王達は、その人格のある部分を象徴しており、この「創世記」の物語は、精神の各部分の相互作用を象徴しているとも言えるのだ。
 もっとも、破壊とはいっても、要するにこれは「均衡の獲得」に他ならない。エドムの王達との戦いは、「不均衡の王」達との戦いである。
(…)
 また、クリフォトはセフィロトと同様に図式化することも可能である。
 それは、セフィロトより下向きに伸びている、逆立ちした樹である。これは「生命の樹」に対して「邪悪の樹」と呼ばれることもある。
各セフィラに「ケテル(王冠)、
コクマー(智恵)、ビナー(理解)、
ケセド(慈悲)、ゲブラー(唆厳)、
ティアファレト(美)、
ネツァク(勝利)、ホド(栄光)、
基盤(イエソド)、
マルクト(王国)」とあるように、

クリファーには
パチカル(無神論)
エーイーリー(無神論)〔引用者注:「愚鈍」が正しい)、シェリダー(拒絶)、
アディシュス(無感動)、アクゼリュス(残酷)、
カイツール(醜悪)
ツァーカブ(色欲)、ケムダー(貪欲)、
アィーアツブス(不安定)、
キムラムート(物質主義)
と名づけれられることもある。そして、セフィロトに神名や天使の位階が照応されるように、悪霊の位階やその他の物騒な名前も割り当てられている。
 とは言うものの、こうした突っ込んだ理論は魔術カバラのものであり、ユダヤ教カバラの、少なくとも正統派では、あまり考察されたことはない。そもそも、ユダヤ教カバリスト達は、天使については熱心に研究を行ったが、悪霊にはあまり関心を持たなかった。
 クリフォトのより詳しい象徴体系については、「The Sorcerer and His Apprentice」(Gilbert編  Aquarian社)に収録されている、メイザースの講義録を紹介することで、終わりにしたい。

 
「ユダヤ神秘主義」 G・ショーレム
「ユダヤ教思想における善と悪」 シャローム・ローゼンベルク 昇光書房
「カバラー」 チャールス・ポンセ 創樹社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社
「神秘のカバラー」 D・フォーチュン 国書刊行会
「魔法入門」 W・E・バトラー 出帆出版
「トワイライトゾーン」誌 No.153 KKワールドフォトプレス
「The Evil of Tree」 W・G・Gray WEISER”

※着色は引用者
「これは「創世記」に出てくるヤコブの子らと戦って滅亡したエドム11人の王にも例えられた。創造の過程に置いて、神が不要と見なした物を破戒する作業でもあった。「創世記」で語られるエドム11人の王達の死は、いわばこの破壊のシンボルと見なされることもあった。クリフォトはこの王達の残滓である廃棄物で作られた「悪」の勢力にも例えられた。」
は、とま帝さんのエドムの王の解説に影響してそうだな。
この消えたサイトを全部読むよう紹介していたのはとま帝さんなので少なくともカバラの個所は読了しているはず。


逃散=集団引越こそが有効。西洋がやろうとしているワンワールドは、 イスラームがある限り達成不可能。カワ(^◇^)ユイ『イスラーム 生と死と聖戦』
Posted on 2017.09.05 Tue 03:44:48
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-222.html
”ぐだトマト @pteras14
5月13日
中田考の集英社新書のイスラーム本
立ち読みで全部読んだ。
分かりやすいね。

カリフ制というか「人間の移動」と
「領民領土の偶像化」という概念が
理解出来ると、旧約聖書のアベルとカインの逸話も分かり易いw

ヤハウェ君がアベルの方を選んだのはそういう訳だったのねw

中田氏が件の新書で大高忍のマギと
ハルヒに触れている箇所があるんだけど、
マギは世界観がインド/ペルシャ型だって言ってたよ。

あれだね。やっぱシムシティ大作戦が
正義みたいだね。クソ市長が統治した
場合、皆んなで集団引越し出来る制度。

つまり、欧米史上最大の天才はウイル・ライトだったって事か。

イスラームの本読んでて感じるのは、
あの聖書って書物は西洋人の観念で
読んじゃダメだって事かな。

やっぱり中東人の感覚を持って読まないとダメだな。

中田氏の「神」の定義が中々面白くて、
「神=
人間の意志に対して何らかの強制力を強いる物、命令を下す物」

で、現代の欧米型先進国は
「神=金、国家、領土、企業」。

つまり、日本語の「法人」は本来
「法神」という綴りの方が正確。

「企業の偶像神化」w
こいつぁ良く考えたもんだぜ!
傑作だ!

個人的にノーベルぐだトマト文学賞を授与したいぐらいw

そう考えるとFGO 6章のアルトリア
シティを中東のど真ん中に建てるのって意味深だな。

アルトリア・シティには西欧文化の邪悪が全て詰まってる。

聖槍ロンゴミニアドってただの大英博物館だしな。人間が展示品なだけで。

#FGO
#FateGO

しかし、中田氏が言う様に「人間の移動を制限しない」事が中東文化だと
言うならば、ますます新約聖書の「ヨハネの黙示録」の異質さが際立つ。

あれはハッキリとネオエルサレムに
入れる奴と壁の外で歯を食い縛ってる
人間とを明確に隔ててるからね。

一応、聖書学上、「ヨハネの黙示録」
の文体がアナトリア(現在のトルコ)式のギリシャ語ってとこまでは割れてるからなー

でも、あの領土をカッチリ決めて仲間外れごっこをする文化って
西ヨーロッパ的だと思うんだけど。

ただ、イスラームの専門用語見てる限りアレ絶対にバラモン教の影響入ってる。

どーも、大洪水の時代かどうかは分からないけど、
現代のイラン〜インドの間でとてつもない邪悪が誕生した事だけは分かる。

それが型月の教義上のアンリ・マンユって奴なのか分からないけども。

このバラモン教ってかヴェーダ教ってのは本当に曲者だ。

アイクも「巨悪はヒマラヤの山頂に座している」って書いてたしな。

「ソロモン神殿」ってのはある特定の場所云々というより
「十戒の石版」が収められてる「聖櫃」を置く所って性質が重要なんだ。

「十戒」ってのは奴等の教義上
「神の法」であって人間の制定法じゃあない。ココが重要なポイントよ?

だからFGOでも聖王ソロモンの神殿は時空を超越した「外」にあったでしょ?

時空を超越してるって事は、「書き換えが無い」って意味。
つまり「立法権が無い」わけよ。
人にはね。神が制定した法なんだから。

だから人理修復なんて無意味だよ。

ついでだ。
せっかくだから君達のだ〜いすきな
この画像を説明しちゃる!

君達のなんちゃって学研カッバーラ
や黄金の夜明け団カバラじゃなくて、
ちゃんとモノホンのユダヤ・カバラの
観点からね。

出血大サービスだ!#FGO#FateGO pic.twitter.com/8FuKudgSd2
ぐだトマト (@pteras14) 2017年5月13日


まずね。このユダヤ・カバラの「生命の樹」、
君達が興奮したエヴァのOPにも出てたアレね。

此奴は神が世界を創造する時のプロセスを図式化した物。
玉みたいなのを「セフィラ」と呼ぶ。(複数形でセフィロト)

一番上のケテルって玉から稲妻上に順番にマルクトって一番下の玉まで
神の力が作用して「奇跡」が顕現する。
マルクトってのはまぁ、君達人類の言葉で言う「地球」みたいなもんだと思ってOK!

で、こっからが君達の学研カッバーラに無い情報なんだけど、
そもそも「神が絶対善ならば、なぜこの世に悪が存在するのか?」
って禅問答が起きる。

当然、この世に「悪は間違いなく実在する」から「悪」も神が創ってなきゃおかしい。

そこでコイツの出番だ!

ここからが新撰組だ!……じゃなくて
ここがユダヤ・カバラの重要な
ポイントでイマイチこれがユダヤ教
の表舞台にあまり出てこれなかった
理由でもあるのだけど……

実は「悪」は神が創造する前から
存在してた。#FGO#FateGO pic.twitter.com/rDnQrywOXU
ぐだトマト (@pteras14) 2017年5月13日

そう!
つまり型月的に換言すれば、
BEASTはこの世界よりも先に存在してた!

世界はね、決して「無」から創られたわけじゃないんだよ。旧約聖書の創世記みたいにね。

「悪」こそが根源的「実在」なんだよ!

ユダヤ・カバラ上ではッ!

だから、旧約聖書ってベヒモスやら
レビヤタン(型月で言うBEASTティアマト
女神)とかを狩る話が良く出てくるでしょ?

あれ、ちゃんと意味あるのよ。

このBEASTに相当する存在を
ユダヤ・カバラでは「エドムの王」
と呼ぶ。#FGO#FateGO pic.twitter.com/60baCnvhCf
ぐだトマト (@pteras14) 2017年5月13日

「エドムの王」ってのはね、
モーセやダビデ達がイスラエルを建国する前に
あの辺りを陣取ってた現地人の王様達の総称なんだけど、
カバラ上は「根源悪」。で、セフィロトの玉と同じ数あるの。

で、ヤハウェ君(神の事)が天地創造するにあたり
この「エドムの王」達をまず惨殺するとこからスタートする。
つまり「悪のセフィロト」の玉を全部粉砕するんだ。

そして「天地」は悪の死骸の上に初めて打ち建てられる。

だから「破壊」と「創造」は常にワンセットなんだ。

この世界はね、フフッ、
「悪」を生贄に捧げる事によってのみしか存在し得ない泡沫の夢……

イエスを磔にして「新約」を神と結ぶ理屈、お分かりかな?

だから、君達カルデアのマスターがいくらBEASTを狩り続けても全ては「神」の計画の内さ!

君達はね、ゲーティアがやろうとしてた事と同じ事をやってるだけなんだよ。
即ち、「天地創造」をやり直してるだけなんだよ!

そう!「何かを犠牲にして」、
その等価交換としてしか存在しえないこの「世界」。
そんな邪悪なシステムに名を付けるとしたならば……

そうだなぁ、「地獄」辺りが妥当なんじゃないかな?

人理修復など所詮は「地獄職人」の戯言のお遊戯さ!

FGOにガチャが永遠に存在する通り、
「地獄」も「地獄職人」が存在する限り永遠なのさ!

「課金」か「破壊」かの違いでしかない。
時々、星5が出てくるから「創造」している様に錯覚してるだけさ!


ねこた(なつやすみ)? @lakudagoya 5月13日
@pteras14さん
とまーてさん、解説ありがとう御座います。 神の計画ってのもユダ公の発想でなくて。
約束を破ったユダ公を無視するわいじめるわ。
むしろイエスの言う優しくてニャンゲンを見守る神ってのはむしろストア学派の神に近いような気がして、
マルキオンは空気読まない子だと思いますよ。

ぐだトマト @pteras14
5月14日
@lakudagoya だって元ネタのバラモン教の神が「死」ですから……
「地獄職人」から産まれる物は常に「地獄」ですよ。

ねこた(なつやすみ)? @lakudagoya 5月13日
@pteras14さん
なるほどです。旧約聖書もストア学派のモロにバラモン教のパクリ要素がありますね。
地獄にしても、不条理も神の意志ってストア学派も行ってますし。
やはりアーリア系は避けて通れません。 バラモン教由来のものがある限りこの世は地獄思想が消えないわけで。

ぐだトマト @pteras14
5月14日
@lakudagoya あれはイエスが生き返るシーンこそに
救いがある物語と思ってて、ま、
さっきの通り結局は「生贄」システム
なんですけど、
「君の善行は決して無駄じゃないんだよ!」と諭す所に
優しさを感じるのでは?

でも、イスラームも最後の審判の前に世界を打っ壊す!って言ってるので……

ぐだトマトさんはね、
何か大切なものを「生贄」に捧げなければ成立しないベルセルクみたいなシステムはね、
結局「地獄」しか生まれてこないと思ってるんだ。

やっぱりね、刃牙のガイアみたいに自分を痛めつけないで綺麗なまま
強くなる方法を模索すべきだと思うんだ。

ねこた(なつやすみ)? @lakudagoya 5月13日
@pteras14
なるほどです。イエスの生贄ってパウロの影響で正教会はそう捉えないみたいなので。
確かに新約の神は優しいのですが、生贄システムを否定しないのがどーなのかなぁ?
どこに新約の解釈の軸を置くかで代わりますけど、おいらはむしろ全体の構造を見ますね。

おお!とまーてさん、中田考氏の本を読まれたのですね。 あれ、中東人のセンスを知るには良い本ですね。 その視点で見ると、なんかこう、新約聖書って違和感ありますよね? あのユダ公などのズルさと泥臭さを感じないのですよ。 アラブ的なセンスに欠けてるっていうか。

ぐだトマト?@pteras14 5月13日
カリフ制が少し曲者ですね。あの制度って
型月達の大好きな「聖王ソロモン」と 「神殿」と同じシステムでしょう?
別名、「アーサー王」&「キャメロット」 システム。
中国の管仲の時代の「覇王」システム
にも似てる気が……

ねこた(なつやすみ)? @lakudagoya 5月13日
こんばんわ、とまーてさんのレビュー面白かったです。 はい、そうですよ。
ビザンツの皇帝のようなシステムです。特にあの中田考氏のカリフ論はイマーム論に近いです。
ですので、魔法少女たちが中田考氏のカリフ論に靡くってのが不思議で、あれもアーリアなのかな?と思いますよ。
ちなみに、イスラーム哲学は印哲の影響強いです。あっらーさんの説明はブラフマンに似てました。
イスラームの時間論も印哲のそれです。
ですから、ユダヤ人がアーリアの影響強いようにまたイスラームもアーリアの影響強いかと。)”

ぐだトマト@pteras14
11月10日
始まり→真ん中→終わり
アリストテレスの詩学だけど、

創造→維持→破壊→創造というサイクル。
インド/イラン的世界観なんだけどね。
コダヤ・カバラにも似たシステムが
あるけどね。

11月14日
この“何かを破壊しなければより良い
物が生まれない”って思想、前にもツイートしたけど
バラモン教やカバラの世界観ね!


12月13日
“綺麗に咲くために苦しみが必要”
って解釈がよく分からん。
“創造するために一度全てを破壊するッ!”
っつうカバラ思想
と間違えてないかい?

2016年7月29日

この庵野の「スクラップ&ビルド」論、
コレ、ユダヤカバラから来てる。

ユダヤカバラの創造論では神が創造を行う前に必ず既存の物
(7人のエドムの王)をぶっ壊してからじゃないと出来ないという
理論がある。

これも元ネタはアーリアの
創造、維持、破壊サイクル論ね。


2016年7月24日
そういった意味ではアーリア系の
「創造、維持、破壊」はサンスクリット
で「オーム(オウム)」の事だから、
六師外道+仏教以外は全てインコ真理教
なんだよ。

2016年7月24日
で、アスラでもデーヴァでもない
仕組み、そんな無意味な事にそもそも
関心がないってのが仏教とか六師外道
の立場なわけ。

アーリア系の「自然法則」ってのは
この「創造、維持、破壊」のトリニティの循環の意味だから。
(だから同じアーリア系のケルトのトリスケルとかクルクル回るの)

2016年7月24日
だから聖書で定期的に洪水とか
バベルの塔とか、ソドムとゴモラが起きて文明がリセットされるのは
そういう意味。これがバラモン教
というか、アーリア系宗教の言う
三原則の「創造、維持、破壊」のトリニティ。

2016年7月30日
これ、ぐだトマトさんも良く
分からないんですよね。
ただヨハネのギリシャ語文法が
アナトリア人がよく間違える書き方
をされてるらしいので著者はネイティヴ
ギリシャ人ではないらしいです。

何れにせよ東の方のバアル教とかが
流行ってた地域の人間かと。

ただ、何かをぶっ壊してから正義を創る思想はユダヤカバラ的なんですよね。
元は、神が全知全能なら何故「悪」がこの世に存在するんだ?というのが
発端で、元々最初から「悪」存在しなかったんだ!って所にグノーシスっぽいかと。

「悪」が一番最初に存在した、の書き間違い。
この「悪」がそもそも何処から湧いて
出たのか謎なんですけど、ヤハウェ君が「悪」を虐殺してから、その屍の上で
創造を始めるというお話。

リヴァイアサン、ベヒモス狩りもそういう理屈。

このパターンってシュメールの
ティアマト狩りとも同じなんですよね。

で、更に東に行くとインドのインドラ
によるヴリトラ狩りの神話が出て
来ます。

北欧もユミール巨人の惨殺死体から世界を創造する話がありますね。

ただ北欧神話とアイルランド系神話は
キリスト教に制圧された以降の
キリスト教僧侶が纏めた文献しか
無いので、本当にそんな神話があった
のかは「?」ですね。

アーサー王伝説もキリスト教テイスト
が明らかですしね。

ヴリトラの話に戻ると、
ヴリトラ(旱魃)
インドラ(嵐)ですからただの農業のサイクルの話でしか無いんですよね。
何れにせよ
破壊(日照りで作物が育たない)の後の創造(あ、稲生えた!)
型の話。


インドラがヴリトラを倒す前に酒(ソーマ)を沢山呑むので、
庵野ゴジラじゃないですけど
八岐大蛇の八塩折の酒もインドの
パクリかとw
勿論、中国経由だとは思いますが。







ぐだトマト
‏ @pteras14
そんな深く考えなくてもコダヤ・
カバラの原典を読めば『蛇🐍が
吊るされてる樹 = 竜座(ドラコ)のα星
が北極星だった頃
の天体図』を模して
る事が一発で分かるのに^^;

聖書とかあの類いの古代宗教本は
占星術の知識必須だよん♡



”ぐだトマト
‏ @pteras14
7月24日
秀吉の朝鮮出兵(実質上、明の攻略)はイエズス会等の欧州侵略部隊の拠点で
あった中国を封じ込めるという戦略上の意味はあった。実質、明ってのは
ベースが君達の好きな“ぐの〜しす教”の雄の「マニ教」の人造国家なので、
ぐの〜しす勢力=反カトリック=プロテスタント組、→


即ち欧州キリスト教侵略部隊のカトリック&プロテスタントの両方が
明に揃ってた訳で、ここを早々に攻略すべきという秀吉(信長含む?)の戦略は実は合理的で正しい。

謎なのは当時の朝鮮の連中が秀吉と組むのが正解だったのに、何故か連中は明側についた。

→その後、アヘン戦争やら、何やらで中国の地域が欧州やオロシャの
拠点化し、そこから植民地支配を展開しまくった史実を知っていれば、
秀吉の戦略が如何に先見性があったか明らかだろう。

家康は基本、アイツは保守的で自分(及び家族)の地位さえ守れれば良いという方針だったので、→

→家康は、多分その生い立ちだとか境遇からそうなってしまったのだろうと思うけど、覇王の器ではない。小物。

実際に全国統一後は他の武将を牽制するための城作りぐらいしかやって
ないし、反カトリックなら大丈夫だろうという理由でプロテスタントと組んだ浅はかな政策を取った。

秀吉と朝鮮で明を取ってれば、アヘン戦争でイギリスとかがあの地域
で調子に乗る確率も抑えられただろうよ。

世界史においてはカトリック以外の勢力も含めて、キリスト教というか、
古代ローマの残党の関わる勢力をよ〜く警戒しておくのが吉。


それが出来てなかったから、お札とかに
三角目玉とかフクロウ🦉みたいな
オカルト・シンボルをデザインに
織り込む様なバカな事ばかりやらされる様になる。硬化を全部足すと“666”円
になるとかさ。

第一フロイスの「日本史」でも読ん でりゃ、無理してでも明は早めに 攻略しておくべきだって分かるだろう。
恐らく家康も本心では分かってた思うの だけど、
まぁ、当時の朝鮮にあまりそういう気が無かったのが不運だったね。

まぁ、でも明治政府の母体になった
薩長土肥連合が実質“ポスト秀吉”政権
みたいな位置付けだろう。
ただ、連中の欠点は自分達が新たな明、
即ち“ぐの〜しす世界教皇”になろうとしたのが愚策だったかな。

ああ、明ってのは「日」+「月」で
明ね。君達の大好きな何とか神示ってのも同じ体系。

「日」+「月」ってのは中国風で
言えば「伏犠×女媧」神話ね。
シュローモ神殿の夜勤&坊主の柱にも
通じるアレね。アダムとイブ。

実際の中国史では伏犠と女媧って
其々別の時代の神様だし、信仰されてた
地域も異なるから、この二人がセットで出てくるのはずっと後なんだけどね。

大体、「淮南子」の時代以降って考えときゃ概ね合ってる。


ま、真のラスボスはシヴァ神のおわす
カイラス山の辺りのインド×イラン文化
だろうよ。須弥山(シュメール山)を中心とした世界観。
先住米大陸文化を駆逐した結果、
実質ユーラシア文化圏(つまり今の国際社会、世界)は
この連中の作った価値観に振り回されている様なだらしの無い状況。


メガネ等の技術巨人コングロマリット企業群がインド人達に振り回されている
のと同じ理屈でね。


君達、「インド映画は直ぐに踊り出す!」
つって馬鹿にするけど、奴等の指揮の
下ヒンドゥー舞踊を狂った様に踊ってるのは君達だよ?

シュードラは常にバラモンに踊らされ、
そしてバラモンも
アスラ/デーヴァ達も
リシ(聖仙)の下、躍らされる。
輪廻の円環の果ての果てまでね。

もっとも、輪廻に果てなんかないんだけ
どさ。行き着く先は貪獣の胃袋の中さ。


「マヌ法典」で言うとシュードラって
のは人間の「足」に相当するからね?

そりゃ、ダンスの肝はステップって事さ。

ウパニシャッドに拠ると”神“の 正体は”死“だってさ。


カスガ@kasuga391
2016年7月30日
ところで60年前の小説なので遠慮なくネタバレするけど、江戸川乱歩の『宇宙怪人』のオチって、まんま『ウォッチメン』だよな。発表が1953年だから、『ウォッチメン』の元ネタの「ゆがめられた世界統一」(1963年)より更に古い。

もっとも、このアイデアを最初に使ったのはスタージョンの「団結と征服」(1948年)らしいから、世界初ではないけど。

子×5(ねここねこという読み方が代表的です、よろしくおねがいします。未整理図書館「読めニク」長です)
‏ @kitsuchitsuchi
2014年10月26日
⑤#日ユ同祖論 は仏教と道教を無視。
本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。
天皇も側近も仏教徒。日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。)


(先にDeepL翻訳を示し、次に原文を引用。着色は引用者)
”聖書時代のユダヤの魔剣
https://jewishmonsterhunting.com/
"また、メトシェラの剣について語るとき、メトシェラが青銅器時代初期に生きていたことを思い出す必要があります。長い鋼鉄の剣はなかった。剣はおそらく青銅製の長い短剣か、紀元前2500年頃に斧から進化した鎌状のコペシュ剣の初期のバリエーションであったろう。(13、上のイラン・ヤングのイラストも参照)。
[...]
ゾハルによれば、セラは昇天後、女性にトーラーと神秘的な知恵を教えるという新しい役割を担った。Zoharより"(I)別の部屋に、セラ・バット・アッシャーと、彼女と共にいる何百、何千もの女性たちがいる。一日に三度、お告げがある。ツァディクであるヨセフの似姿がやってくる!」。彼女は喜び勇んで、自分専用の幕のかかった場所に出て行き、ヨセフの似姿の光を観察する。彼女は喜び勇んでその前でお辞儀をし,「祖父の前で(あなたが生きていることを)知らせたその日は幸せだった!」と言う。それから彼女は他の女たちのところに戻り、世界の支配者の賛美を掘り下げ、その名を讃えます。一人一人の居場所と喜びは何と多いことでしょう。それから彼女たちは戻って、トーラの戒律をその意味とともに掘り下げる。" ゾハル3:167a:5



Jewish Magic Swords in the Biblical Period
https://jewishmonsterhunting.com/
”Also, when we talk about Methuselah’s sword, we need to remember that Methuselah lived in the early Bronze age. There were no long steel swords. The sword would likely have been a long bronze dagger or an early variation on the sickle-shaped khopesh sword, which evolved from axes around 2500 BCE. (13, and see Ilan Young’s illustration above).
[…]
According to the Zohar, after her ascension Serah took up a new role as the teacher of Torah and mystical wisdom to women. From Zohar,“(I)n another chamber, there is Serah bat Asher, and many myriads and thousands of women with her. Three times a day, the announcement comes: The likeness of Yosef the tzadik is coming! With joy she goes out, to that curtained area which is dedicated to her, and observes the light of the likeness of Yosef. With joy she bows before it, saying, “Happy was that day, when I gave the tidings before my grandfather [that you were still alive]!” Then she returns to the rest of the women, and they delve into the praises of the Ruler of the world, and praise the Name. How many places and joys each and every one of them has! Then they return and delve into the precepts of Torah, along with their meanings.” Zohar 3:167a:5


明かされたカバラ 序説2 - 知恵と神秘の図書館
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%A9%20%E5%BA%8F%E8%AA%AC2
”41. 次に我々が見い出せるのは、神が自らを一致させる――すなわち、男と女として――まで、世界は存在出来ない。あるいは、創世記でいう「地は形なく虚無であった」。これらの前世界は「イスラエルの王が支配する前にエドムを支配していた王たち」として象徴される。それゆえ、カバラではこれらは「エドムの王たち」として語られる。これは本書の様々な場所で見つけられるだろう。
〔略〕
56. 私は既に述べているが、全てのセフィロトを含む1つの3つ組がある。それは、王冠、王、王妃(ある意味、これはキリスト教の父と子と聖霊の三位一体であり、その至高の神性の性質は最初の3つのセフィロト、ケテル、ホクマー、ビナーで象徴される)で構成される。この3つ組により世界は創造され、あるいはカバラの文脈で言うならば、王冠を被った王と王妃から世界は産まれた。しかしカバラでは、天の人間(10のセフィロト)の完全な形態が産み出される前に、特定の原初の世界が幾つか創造されたとされる。だがバランスの均衡が完全ではなかったので、これらは生き残れなかった。そしてこれらは不安定の力によって崩され滅ぼされた。これらの原初の世界は「古き世の王達」や「イスラエルの君主らの前に支配していたエドムの王達」と呼ばれる。この文脈では、エドムは不安定な力の世界であり、イスラエルは安定したセフィロトである(創世記 36章31節)。この現在の創造の時代の以前に諸世界が作られ破壊された重要な事実は、ゾーハルの中で何度となく繰り返し記されている。
” (着色は引用者)

明かされたカバラ
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%A9
”本書「明かされたカバラ」 (The Kabbalah Unveiled)は、ソロモンの鍵、アブラメリンの翻訳でこのwikiでもお馴染みのサミュエル リデル マクレガー マサースの代表作の一つである。
 マサースは19世紀末の魔術結社、黄金の夜明け団の創設メンバーの一人であり、魔術的カバラにおいては当時の第一人者といえる。
 本書はマサースの詳細な序説で、カバラを知らない読者にも丁寧にこのユダヤ神秘思想の概念を教えた後に、カバラの代表の書のゾーハル(זהר 光輝の書)の中から特選した3冊を、クロル フォン ローゼンロートが1677年に出版したラテン語訳版から英訳している。

 ゾーハルは2世紀の有名な賢者であるラビ シモン ベン(または バル) ヨハイ(? - 160年)が書いたとされているが、実際には編者と称する13世紀のスペインのラビ モーシェ デ レオン(1240年 – 1305年)が、中世アラム語で自分で書いたようである(もっとも複数著者説もある)。その内容には生命の樹や4文字の神名テトラグラマトン(יהוה、ヨド ヘー ヴァヴ ヘー)の解説を始め、カバラの重要な内容が多く含まれている。長い間、ゾーハルはカバリストたちにとっては最も重要な、そして多くの場合、唯一の書として大切に読まれ、研究され、黙想されてきた。
 これまで、「アリ」イツハク ルーリアなど多くの高名なカバリストが、このゾーハルの文を瞑想して、霊的な直観、啓明を得ようと努めていた。言い方を変えれば、理性によって単に読むだけでは理解できない難解な(あるいは曖昧な)文として知られている。またカバラのヘブライ語の文字変換の術を多数用いているので、ヘブライ語で直に読んでのみ、その真の意味が理解できるとされている。そのため、この訳文はあくまで導入のための参考程度でしかないとご了承願いたい。”

着色は引用者ってもういちいち書かないことにする。

ゾーハル 大聖会の書 26 - 知恵と神秘の図書館
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%AB%20%E5%A4%A7%E8%81%96%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%9B%B8%2026
”第26章 エドムの王たちについて

513. 見よ! この「隠された神秘の書」にて私が学んだ事によると、老いたる中の老いたる者がその構造の準備 (*1)を(天秤の均衡の下で)なす前には、ある王たちが形作られ、集められ、その力に応じて(統治を)与えられていた。そして、これらは短い御顔が追い払うまで(その時にのみ)存在していた。そしてこの時に、短い御顔はこれらを隠した。

514. これは、創世記 36章31節に「אדום(ADVM、エドム) (*2)の地を治めた王たち」にある言葉に暗喩されている。このエドムの地とは、全ての裁きが存在する地である。

515. だがこれら全ては、老いたる中の老いたる者の白い頭 (*3)が(その序列に従って)配置するまでは存在しなかった。

516, これらが固められたら、老いたる者は全ての低位の構造を配置し、これにより全ての上位と低位の形は定められた。

517. ある国家の頭(あるいは統治権力、政府)が、それがどのような形の政府であれ、まず最初に適切に構成されていなければ、国家は適切に統治できないと我々は学んでいる。頭がまず最初に正しく配置されたら、全ては正しく統治される。だが、頭が正しく配置されなかったとしたら、国家は正しく統治できない。

518. この万物の統治は、日の老いたる者からである。この御方がその構造を配置する前には、何も秩序だっていなかった。なぜなら、まず最初に、この御方自身に秩序がある必要があるからである (*4)。そして、全ての諸世界は荒れ果てていた。

519. これらについては、(同じく創世記 36章の)32節の「ベオルの子ベラはエドムを治め」の言葉の中に暗喩されている。

520. この「エドムを治め」という言葉の中には、ある深遠な奥義が隠されている。この中には、全ての裁きが集められ、それらが拠る場所が暗喩されているからである。


521. また「ベオルの子ベラ」にも、言い伝えによると、これは最も厳格な裁きの命令を示している。これらは千の千の嘆きと災いの創造主らを共に集める原因を作るからである。

522. (次の文の)「その都の名はデナバであった」の、דנהבה(DNHBH、ディナバー)とは何か? それは「裁きを与える」と述べるようなものである。箴言 30章15節に「蛭にふたりの娘があって、「与えよ、与えよ」という」と書かれているようにである。

523. だが、彼 (*5)がこれらの中に従うべく上昇しても、存在も生成もできない。何故か? なぜなら、人の形はまだ生成されていなかったからである。

524. その理由は何か? なぜなら、人の構造には、その形の中に万物が含まれており、この形の中に万物は配置されているからである。

525. そして、アダムの構成はまだ見出されておらず、これら(エドムの王たち)も存在できず、堅固にもならず、これらは破壊されている。

526. これらは廃され、これら全ては(上位の)人の中に含まれているのか? 真にこれらは廃されて、形から退き、やがてはアダムの現れが生まれた。

527. だが、その形が構成された時、これらは全ては存在し、別の状態にて修復されている。

528. これらの一部は混ざり合い、(一部は)混ざり合わなかった。だが明らかに、これらの特定の部分は混ざり合ってはいない。

529. だが汝が「彼は死んだ」と(聖書に)書いてあるので、確実にこれらは共に廃されていると述べるとしたら、私はそうではないと答える。その前にいた場所から誰が降りたにせよ、そのような者を聖書では死んだとして述べているからである。

530. それは、出エジプト記 2章23節に「多くの日を経て、エジプトの王は死んだ」と書かれているようにである。なぜなら、彼は前にいた場所の状態から降りたからである。

531. だがアダムが生成された後に、これらは他の名前で呼ばれるようになり、彼を通じて永遠の状態へと混ざり合った。そして、その場所で存在し、前の(呼び名)ではなく、別の名前で呼ばれるのである。

532. この者 (*6)を除いてであるが、その者については創世記 36章39節に「その(ハダル王の)妻の名はメヘタベルといって、メザハブの娘マテレデの娘であった 」と書かれている。

533, 何の理由からか? なぜなら、これらは他のようには廃されなかったからである。何故か? なぜなら、これらは男と女であったからだ。それはシュロの木に雄と雌の両方の木が無い限り育たないようなものである。

534. そして、今やこれらは男と女を見出しており、他の者らのように死んだとは書かれておらず、堅固な状態で留まっているからである。

535. だが、これらは人の形(すなわち、上位の人)が構成されるまで、(決定的に構成)されていない。だが、上位のアダムが生成された後には、これらは別の状態にて修復され、適切な秩序に至った。
〔略〕
【*1】 マサース注。セフィロトがそれぞれ前から進展していくので、あるセフィラが形成される前に、その反動があるのは明らかである。このセフィラの前にある力はアンバランスなものである。例えば、第4のセフィラはゲドラーあるいはヘセド(慈悲)で、第5セフィラはゲブラーあるいはパハド(峻厳)であるが、ゲブラーが現れるまでゲドラーはアンパンランスな状態にある。そしてこの状態には、エドムの王たちの1人が君臨している。だがゲブラーが現れたら、その統治は終わる。
【*2】 マサース注。(ゲマトリアにより)אדום(ADVM) = 1 + 4 + 6 + 40 = 51 = נא(NA、失敗)となる。また、אנ(AN)も51の値で痛みを意味する。それゆえ、このアンバランスな力は、失敗や痛みといったものの源である。
【*3】 マサース注。これは第1のセフィラ、ケテル、王冠の別の称号である(序説を参照せよ)。
【*4】 マサース注。なぜなら、この方は絶対者、エヘイエ アシェル エヘイエだからである。
【*5】 おそらくアダムのこと。
【*6】 マサース注。הדר(HDR、ハダル)の事である


(先にDeepL和訳を示す)
”4節
そして、主は彼に言われた。
都の真ん中を通れ、エルサレムの真ん中を通れ。
そして、すべての憎むべきことのために、ため息をつき、叫ぶ者の額に印をつけなさい。

その中心で行われるすべての憎しみのために嘆き、泣く者の額に印をつけなさい。

額にしるしをつけるのである[11]。

「マーク」(ヘブライ語:תו tāw):「裁きから免れるしるし」と解釈される(エゼキエル9:6にもある)[12]。「マーク」の語「tāw」は、ヘブライ語のアルファベットで最後の文字を呼ぶためのものでもあり、古ヘブライ語のアルファベットやフェニキア語のアルファベットでは「やや英語のXに近い」書き方だった[13][14](黙示録7:3-4を見よ)。 [15] ベネディクト派の作家ベルナール・ド・モンフォーコンは、古代サマリア人の硬貨にはマカビ人の硬貨と同様に十字架の形で「タウ」の文字が描かれているものがあると指摘した[16]。 ゲセニウスは、この言葉のアラビア語に相当するものは「馬やラクダの太ももや首に焼かれる十字架の形のしるし」を指すと書いている[14]。
[...]
6節

「老人と若者、乙女と幼い子供、そして女たちを、徹底的に斬り殺せ。

しかし、その印のある者には近寄ってはならない。

そして,わたしの聖所から始めよ」。
そこで彼らは,神殿の前にいた長老たちから始めた。(NKJV)[17]である。

「印のある者」:生き残る人がいることを示唆している(「額に特別な印のある者など」)[18]。
「長老たち」:エゼキエル8:16の長老たちと同じ[15]。
「印」:エゼキエル9:4の注釈を参照。
[...]
このページの最終更新は 3 June 2022, at 17:43 (UTC) に行われました。”

(エゼキエル書)
Ezekiel 9 - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Ezekiel_9
”Verse 4
And the Lord said unto him,
Go through the midst of the city, through the midst of Jerusalem,
and set a mark upon the foreheads of the men

that sigh and that cry for all the abominations

that be done in the midst thereof.[11]

"Mark" (Hebrew: תו tāw): interpreted as a "sign of exemption from judgment" (also in Ezekiel 9:6).[12] The word "tāw" for "mark" is also for calling the last letter in Hebrew alphabet; in Paleo-Hebrew alphabet and Phoenician alphabet it was written "somewhat like the English X,"[13][14] (compare Revelation 7:3-4).[15] The Benedictine writer Bernard de Montfaucon noted that some ancient Samaritan coins have the letter "thau" on them in the form of a cross,[16] as did the coins of the Maccabees.[14] Gesenius wrote that the Arabic equivalent of this word refers to "a sign in the form of a cross branded on the thigh or neck of horses and camels".[14]
[…]
Verse 6

“Utterly slay old and young men, maidens and little children and women;

but do not come near anyone on whom is the mark;

and begin at My sanctuary.”
So they began with the elders who were before the temple. (NKJV)[17]

"On whom is the mark": gives a hint that some people will survive ("such as those with the special mark on their foreheads").[18]
"The elders": same as those in Ezekiel 8:16.[15]
"Mark": see notes on Ezekiel 9:4.
[…]
This page was last edited on 3 June 2022, at 17:43 (UTC).

※上記の「Letter taw in Paleo-Hebrew alphabet.」
(古ヘブライ語アルファベットの文字taw)の画像が「メ」みたいなバツマーク。


(先にDeepL和訳を示す)
”アン・サングン
2021年7月25日
主がカインに与えた十字の印(創世記3:14)
主は彼に言われた、「だから、カインを殺す者は、その者に七倍の報復を受けるであろう」。そして主は、カインを見つける者が彼を殺さないように、カインに印をつけられた。(Gen 4: 15, cf. Ezek 9:4)".
エゼキエル9:4では、主はすべての忌まわしいことにため息をつく者の額に印をつけるように命じておられる。ヘブライ語の印は文字通りタウ(ת)であり、ヘブライ語のアルファベットの最後である。古代のエチオピア語やコプト語のアルファベットによると、最後のアルファベットであるタウは、十字+またはXの形で書かれていました(創世記4:15、エリコット、ロチャ、ギル)。この十字記号のアルファベットは、ヨシュア記や士師記の時代にイスラエル人の間で使われており、この写真が示すように、考古学的な遺跡がそれを証明している。
また、意外なことに、異教徒の神々やその奉納者にも十字記号が使われていたことがわかった。
異教徒の十字架-タンムズ バビロニアの姦淫の豊穣の神。
スコットランドにあるフェニキア人のクレイグ・ナルゲット石やフェニキア人の大祭司のローブには、フェニキア人の太陽シンボルであるクロスマークと一緒にスワスティカが使用されている。スワスティカは十字架の装飾として、インドの宗教でも神性や霊性のシンボルとして使われている。西洋では、1930年代まで吉祥のシンボルであった(Wikipedia)。つまり、十字のマークは、カインの時代から、より高次の、より神聖な真理を表すものとして普遍的に理解されていたのだ(cf. Barnes)と断言することもできる。
では、この印(Oot א֔וֹת)は、古代ヘブライ語の絵文字(創世記4:15)によると何を意味するのだろうか。
アレフ、牛の頭、長、牛のような強い者、初心者、創造者
ワウ(vav)、テントの釘、(v.)つなぐ、しっかり縛る。
タヴ、十字の印、大切なものの印。
1. 1.牛のように強い者(アレフ)+自分をしっかりと縛る(ヴァヴ)+十字架の印(タヴ)に
2. 最初の者(長、アレフ)+確立(ヴァヴ)+十字架の印の効果。
3. 最初のもの(アレフ、創造主なる神)は、最後のもの(タヴ、「私はアルファでありオメガである」)と同じである。
この十字の印は、黙示録22:1-4に「彼らはその顔を見、その名は彼らの額にある」とあるように、人類の歴史の初めから始まり、終末まで継続されると主張することもできる。
結局、この十字マークは、ギリシャ語の22番目のアルファベットであるタヴ(X Chi)の傾いた形とともに、初期のキリスト教会以来、特にメシアの称号、XristusやXmas(キリストとクリスマス)に使われるようになった。キリスト教では、洗礼の際の十字架の印は、不敬な者の滅亡から免れることを象徴している(マタイ24:22、24:31)。このように、Tav+の印は、イエスを救い主として信頼する人々にとって、永遠の効果と意味を持つのです。”

Study of Genesis, Shofar Am Seminary Galilee | **Cross mark the Lord gave Cain (Gen 3:14)
https://www.facebook.com/groups/202586040340049/posts/894430084488971/?comment_id=894431621155484
”Ahn Sang Keun
2021年7月25日 ·
Cross mark the Lord gave Cain (Gen 3:14)
“And the LORD said to him, Therefore whoever slays Cain, vengeance shall be taken on him sevenfold. And the LORD set a mark on Cain, lest any finding him should kill him.” (Gen 4: 15, cf. Ezek 9:4).”
In Ezekiel 9:4, the LORD commands to set a mark on the foreheads of the men that sigh over all the abominations. The mark in Hebrew is literallyTau (ת), the last the Hebrew alphabet. According to the ancient Ethiopic and Coptic alphabets, the final alphabet Tau was written in the form of a cross + or X (Gen 4:15, Ellicott, Roccha, Gill). This cross mark alphabet had used among Israelites during the time of Joshua and Judges, of which archeological remains attest as this photo shows.
Surprisingly we noticed that even pagans used the cross mark for pagan gods and their votaries in ancient time.
The Pagan Cross-Of Tammuz Babylonian adulterous god of fertility.
The swastika, used together with the cross mark, the Phoenician sun symbol, on the Phoenician Craig-Narget stone in Scotland and, and the robe of a Phoenician High Priestess. Swastika, as decorated form of cross, is used as a symbol of divinity and spirituality in Indian religions as well. In the Western world, it was a symbol of auspiciousness and good luck until the 1930s (Wikipedia). One may assert that the cross mark had been understood universally expressing the higher and more divine truth since the time of Cain (cf. Barnes).
Then, what does the mark (Oot א֔וֹת) may mean according to ancient Hebrew picture letters (Gen 4:15)?
Aleph, Ox head, chief, strong one like ox, beginner, creator
Waw (vav), tent peg, (v.) connect, bind together firmly.
Tav, cross mark, mark on precious thing.
1. Strong one like an Ox (Aleph) + bind himself firmly (Vav) + to the cross mark (tav).
2. The first one (chief, aleph) + established (vav) + the effect of the cross mark.
3. The beginner (Aleph, God creator) is the same with the last one (tav, “I am alpha and omega”).
One may assert that this cross mark started from the beginning of human history and shall be continued down to the consummation as it is written in Revelation 22: 1-4, “And they shall see his face; and his name shall be in their foreheads.”
Eventually this cross mark, (Tav+) together with tilted form of tav (X Chi in Greek’s 22nd alphabet, especially used in the messianic title, Xristus and Xmas(Christ and Christmas) since earlier Christian church. For Christians the sign of the cross in baptism symbolizes the exemption from the destruction of the ungodly (Matt 24:22, 24:31). Thus the mark of Tav+, has the everlasting effect and significance for those who trust in Jesus as the savior.


上記の文章の末尾に、Taw(Tav)の変遷の画像がある。
Early 2.000BC +
Middle 1000BC ×
Late 400BC 【תを少し細くして丸みを増やした字】
Modern Today ת


ヘブライ語/ヘブライ文字 [ 魔術入門 ]
https://magic.dancing-doll.com/magic/hebrew-alphabet.html
によると、ヘブライ文字タウ(×の形ではない)はアルファベットTに対応し、数価は400で、意味は「十字」。


https://twitter.com/mkguytone/status/1201771983429492737 と続き
”ムギトン
@mkguytone
ネオプラトニズム(新プラトン主義)は懐疑主義を否定したアスカロンのアンティオコス(ローマの政治家キケロと同じ教師の下で学習)が創設した中期プラトニズム(BC90-)を形而上学として洗練・発展させたものだよ。ネオプラトニズムはグノーシス主義とは敵対関係にあるよ
引用ツイート
ムギトン
@mkguytone
· 2019年11月16日
皇帝ユリアヌスの異教が多神教ではなく、一神教の一形態と言えるネオプラトニズムだったという点は見過ごされがちだよ・・・キリスト教神学者オリゲネスはアンモニオス・サッカスの弟子だったよ・・・
(´・ω・`)
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午後4:55 · 2019年12月3日·Twitter Web App

中期プラトン主義で有名なのはプルタルコス(プルターク)だよ。中期プラトン主義はピタゴラスの幾何学やアリストテレスの自然哲学を重視したよ。神学的には自由意志を擁護し、一つの神が世界を作ったというスタンスだよ。ギリシャ・ローマの神々(厳密には神ではない)や悪魔を中間表現とみなしたよ

新プラトン主義と中期プラトン主義は継続性があるため、完全に分離・区別するのは難しそうだよ。中期プラトン主義はアリストテレスの論理学・自然哲学やピタゴラスの幾何学を二元論を残したままで取り入れたものと考えれば良いと思うよ。
(´・ω・`)

中期プラトニズムの二元論は、世界は混沌とした物質からなり、『世界精神』という理性のない魂があったけど、神が世界精神に理性を与えて秩序や世界を形成したという説明だよ。魂について非創造と創造されたとする矛盾のあるプラトンの記述をこれで解決したよ。

無秩序・無理性だった前宇宙の『世界精神』に唯一神が理性を与えたことで世界が創造されたよ。ここで重要なのは『世界精神』はもともとは理性のない物質ということだよ。中期プラトニズムは『世界精神』が悪の根源であると考えたみたいだよ・・・
(´・ω・`)

引用者注:ヘーゲルとかなり違う〕

プロティノス(204-270)はネオプラトニズム(新プラトン主義)の創始者の一人だよ(もう一人はプロティノスの教師だったアンモニオス・サッカス)。中期プラトン主義と異なる点は全ての現実を唯一神(一者、開始点と最終点)から生まれたとする一元論にしたことにあるよ。
画像
午後7:37 · 2019年12月3日·Twitter Web App



引用者注:新プラトン主義での、「一」から生まれた3つの実体(実質)は、
➀神のイメージ・観念=『デミウルゴス(ヌース、ナウス、νοῦς)』、
②『世界精神』( ヌースと『現象世界』の間にある魂。この魂(世界精神)は物質と結びつき、分解不能な ヌースとは異なり分解・腐敗することがある。『世界精神』は全体としてはヌースの中にあるが、その中に個別の魂・精神を抱合している)、
③『現象世界』。


(余談)Prium Mobile はガリレオやコペルニクスが存在すると信じてたみたいだけど、太陽が天体を動かしてるという理論をケプラーが立ててからは隠喩として使われるようになったらしいよ・・・

νοῦς (デミウルゴス、ヌース)を中世スコラ派はアリストテレスの定義でいってるので、ガリレオやコペルニクスが新プラトン主義者なわけじゃないよ。アリストテレスは動物とは異なる人間の思考機能と定義したよ。動物には sensus communis(判断力)と想像力があるけど νοῦς がないらしいよ

ネオプラトニズムの『世界精神』とは νοῦς (デミウルゴス、ヌース)と『現象世界』の間にある魂だよ。この魂は物質と結びつき、分解不能な νοῦς とは異なり分解・腐敗することがあるよ。『世界精神』は全体としてはデミウルゴスの中にあるけど、その中に個別の魂・精神を抱合してるよ。

ネオプラトニズム(新プラトン主義)の『世界精神』の中にある個別の魂はヌース(デミウルゴス)とコンタクトしてガイダンスを受けることも、『現象世界』を選んで有限な感覚の中で失われることがあるよ。

ネオプラトニズム(新プラトン主義)は『現象世界』を魂が生成したため調和した世界だと考えるよ。物質という存在・消滅する不安定なもので生きるので、調和されないよ。魂や観念が物質をコントロールすることで調和状態になるよ。悪というものには実体はなく、善の欠落があるだけだよ・・

物質世界をネガティブに見て反出生主義に陥るグノーシス主義(宗教分類的には一部の仏教に近い)に対して、ネオプラトニズム(新プラトン主義)は世界の美しさを賞賛し、そこから人倫を説くポジティブ思考なところがあるよ

引用者注:実体を否定するのが仏教。肯定したら仏教じゃないぞ。なのでグノーシス主義が仏教なのはありえないよ〕


プラトン主義はキリスト教にも大きな影響を与えてるよ。プラトンの著作には多重解釈ができる記述があり、寓話的解釈という手法が考案されたよ。アレクサンドリアのフィロン(BC20-AD45)はプラトンの『ティマイオス』が旧約聖書と調和すると考え、旧約聖書の寓話的解釈を行ったよ。
画像
午後8:46 · 2019年12月3日·Twitter Web App

キリスト教の聖書解釈では literary(文字通り) と allegorical (寓話的)の 2 つがあるよ。パウロは旧約聖書の創世記等を寓話的(allegorical)に解釈し史実(literary)とは考えなかったとされてるよ

キリスト教の教父、アウレリウス・アウグスティヌス(354-430)はネオプラトニズム(新プラトン主義)に興味をしめしたけど、最終的には棄却したよ。著作『神の国』(book i. chap . xii. 13. Vol. ii.)ではアリストテレスの自然哲学に近い魂の理解をしているよ。
画像
午後8:57 · 2019年12月3日·Twitter Web App

アウグスティヌスはキリスト教の主流宗派で絶大な影響力を持つけど、アウグスティヌスはキケロ(ピュロン主義でないプラトンの新アカデメイア学派)の愛読者で聖書の解釈や神学にもドグマを持ち込まぬ懐疑的な姿勢を貫いたよ。
午後9:06 · 2019年12月3日·Twitter Web App

キケロが登場〕

アウグスティヌスは著名な近代の思想家、政治家に何らかの影響を与えてるし、ガリレオも自説を擁護するためにアウグスティヌスを引用して批判派を憤慨させたよ。
午後9:12 · 2019年12月3日·Twitter Web App

ネオプラトニズム(新プラトン主義)やグノーシス主義とアウグスティヌスとの絶対的な違いは、魂が肉体に影響されるという点だよ。De Ordine (On Order)で人間を animal rationale mortale と定義してるよ。

2019年12月3日
肉体と魂の一致と調和というのはデカルトやプラトンにとっては形而上学的に重大な問題だったけど、アウグスティヌスはそうした議論に興味をしめさず、アリストテレス的な自然哲学をすんなり採用したよ。ヘブライの肉体の物理復活の教えに近いものだよ・・・

キリスト教バージョンのグノーシス主義というものがあるけど三位一体(テルトゥリアヌスが体系化)から外れるよ。 νοῦς (ヌース)は唯一神(一者)のイメージに過ぎないよ。三位一体に近い教義にするためにはヌースと唯一神の存在と実体が同じでなくてはいけないよ。
画像
午後9:55 · 2019年12月3日·Twitter Web App

二元論にはまったグノーシス主義(グノーシス主義、カタリ派、仏教、多神教)に対して、キリスト教が一元論的・自然哲学的な宗教になりえたのは、三位一体が深く関係してるよ。ユダヤ教も天国・地獄などの死後の世界を想定せず、物理的復活を目指す点で自然哲学と調和するよ・・・
(´・ω・`)
午後10:00 · 2019年12月3日·Twitter Web App

教義的にはグノーシス主義とされるカタリ派(アルビジョワ派)は内戦や他国からの侵略に一段落がついて人口が増大し、貿易が拡大し始めた時期に誕生したそうだよ。

グノーシス主義の流れをくむマニ教の流入または残存したものがカタリ派となったのは仮説に過ぎないけど、11世紀までは異端に巡礼を命じたりする等、対応はかなり緩かったようだから定説として確立せずとも有力な説だと思うよ。

カタリ派の教義は二元論グノーシス主義でマニ教に類似したものとされるよ。カタリ派の教義の特徴は物質や性欲、家族等の伝統を否定するところだよ。旧約聖書の神を邪悪な神とみなし、ローマ・カトリック教会を邪悪な神を崇拝し広める邪悪な勢力とみなしてたらしいよ。

カタリ派の「人間の繁殖」「子供の養育」「家族」を否定する教義は教会だけでなく世俗権力からも敵対的なものと見なされたよ。

道徳の範疇を越える教会による布告は世俗権力、国民の核心的利害と一致しないと効果が生まれないけど、カタリ派の「人間の繁殖」「子供の養育」「家族」を否定する教義や、カタリ派のフランス国王の権威に対する否定・反逆行為によって、世俗権力(国王)と教会の意見が一致することになるよ。


二元論を弱めれば多神教のゾロアスター教、ヒンドゥー教もグノーシス主義に分類可能だよ・・・

註:
物質憎悪と、悪なる偽神による物質(肉体含む)創造がないならグノーシスじゃねーよ

神道はアミニズム(トーテミズム含む)だから、琉球神道、レプチャ人の宗教、朝鮮族の巫俗、ベルベル人やアフリカ人、カラシュ人の伝統宗教などと共通分類できるよ。

神道は幕末の平田篤胤のカルト系列は例外としてアミニズム・シャーマニズムに分類できるよ。グノーシス主義や新プラトン主義と共通点を多く有し多神教を侮蔑する汎神論と、部族アミニズムの神道は全く異なる分類の宗教だよ。汎神論の翻訳を間違えたのが、誤解の原因かもね・・・
(´・ω・`)

平田篤胤の神道が正統神道という説であっても、汎神論にはならないよ。本田親徳の本田霊学は神秘主義だし、川面凡児の『全神教』は(シャーマニズムがベースの)古事記を出典としてる限りは、汎神論の入り口にさえたてないと思うよ・・・
(´・ω・`)

アミニズムが汎神論に劣ると言ってるわけじゃないよ。限りなく無神論・唯物論に近い汎神論と、ギリシャ哲学をルーツにする、またはギリシャ哲学ほど洗練されなくても教義が近いグノーシス主義系の宗教に擦り寄り近づこうとしても根本的に違う宗教なのだから意味はないよ・・・
(´・ω・`)

リアルガチな汎神論者と熱狂的な神道信者だけが同じ町に住むと想像してみたよ・・・

汎神論者「低俗・卑俗・猥褻な神を信仰する邪教めが偉そうに」
神道関係者「シャーマンの神力を恐れぬ異質物め排除してやる」

という未来が見えるよ。それだけ汎神論の思想とは溝があるよ・・・
(´・ω・`)



天体の外部に書かれてる habitaculum dei (神の住まい)、omnium electorum (選ばれた者の《住まい》)、coelum empireum (燃え立つような天国)との記述はストア派、スコラ学派的な天体の理解だと思うよ・・・

アリストテレス後のグノーシス主義からの影響やリンクは無いと思うよ。ヌースの概念はアナクサゴラスからソクラテス、プラトンに継承されたよ。『善の創造者デミウルゴス=ヌース』はプラトンの著作『ティマイオス】』で説明されてるし、アリストテレスもヌースを『形而上学』で論じてるよ・・・
画像
午後7:32 · 2019年12月10日·Twitter Web App

誤解させてしまって悪かったよ。アリストテレスのヌースはネオプラトニズム(新プラトン主義)とはニュアンスや意味が違うよ。プトレマイオスに限って言えばグノーシス主義とは全く無関係に近い思うよ・・・
(´・ω・`)
午後7:35 · 2019年12月10日·Twitter Web App

※着色は引用者


フェイド大帝 @FeydoTaitei
16年3月24日
fatego、モンテ・クリスト伯クエで
フェイド大帝が重要だと思ったとこ。 pic.twitter.com/bUSoaxa9pU


16年3月24日
シュローモの名前唱えただけで
相手を殺せるってユダヤ・カバラ
のセフェル・イェツィラーの
モーセの名前を唱えてエジプト兵を
殺した逸話が元ネタですか?w

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/cfOtj2vXGC



16年3月24日

君達知らないかもしれないけど、
ソロモンのヘブライ語読みが
シュローモで、ヘブライ語の
「平和、調和」の意味のシャロームが
語源な!
シャロームはサレムの語源でもあり
エルサレムのサレムもここから
きてる。

#FateGO
#FGO



16年3月24日

で「平和、調和」を維持、実現する
ためには「友達」になるのが
手っ取り早いということで
「トモダチ」の意味も含む。
これ豆な!

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/Y2pwUoNShU



16年3月24日

ソロモンの略称が「ソル」
でローマでは太陽神
ソル・インヴィクトゥス。
このソル神はグルジアの
キリスト教会とユダヤのシナゴーグに
床画が残ってる。

グルジア版はイエス
ユダヤ版はダビデ
#FateGO
#FGO pic.twitter.com/yKv8KhInhB



16年3月24日

ちなみに黙示録の666の獣は
クロウリーによるとセレマ神の
therionが元ネタだと言われてて、
ギリシャではオオカミ座を表す。
ギリシャ語的にはただ単に「獣」
という意味だが、元はバビロニアの
人頭下半身ライオンの化け物ウル
イディムという名称

#FateGO
#FGO



16年3月24日
ウルイディムは太陽神シャマシュの
使いでシンボルは太陽十字と
太陽円盤。これが後にゾロアスター教
のシンボルになったと言われてる。

ちなみにソロモン=シュローモの
愛称は「ソル」だ。

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/K5kGPheGCc

16年3月24日

ところで床画のダビデとイエスの
共通点は両者とも「メシア」として
扱われてるとこ。

では黙示録の666の獣とは
誰の事でしょう?
というのが君達への宿題w

#FateGO
#FGO



16年3月24日

黙示録のギリシャ語原文は
ネイティブが書いた
文章ではないと言われている。

ネイティブが絶対間違えないような
文法の間違いが多いという事で
アナトリア、エルサレム
アンティオキア辺りのユダヤ人が
書いたのでは?と聖書学では
言われている。

#FateGO
#FGO



16年3月24日

これ何てイエス?ww

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/JhSZmh0iDL


フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年2月14日

ねここねこさんグレンラガンに
ハマってるみたいだけど、
あれの「アニキ」をやたらと
持ち上げるのはオーウェルの
「BIG BROTHER」と、某結社の
「兄弟愛(友愛)=FRATERNITY」
が元ネタだと思われる。

フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年2月12日

バキバキ壊されたゲーム機が
お母さんの所有物だったのか、
それともお父さんの所有物だったの
かが、争点だな。

そのゲーム好きのガキはまず最近
流行りのラズパイかardruinoを
買って、盗聴器と監視カメラを
自作して家中に仕掛ける所から
始めるべきだったな。



16年2月12日

録音と録画は寿命が重要だから、
バッテリーや消費電力の管理が
重要だな。

お母さんがいざ弱みを見せた時に
カメラと録音機のバッテリーが
切れてたらアウツだからな。



16年2月12日

フェイド大帝だって上司と話しを
する時はいつもICレコーダーを
ONにしてる。

当たり前だろう、仲良くお手て繋いで
お友達になりましょう!って雰囲気の
奴らじゃないからな。



16年2月12日

パナのペン型のICレコーダーでも
3日しか連続録音出来ないから
辛いぜ!

だけど、パナのヤツが一番気付かれ
にくいんだ。 pic.twitter.com/LFk1ouZiXx



16年2月12日

ソニーのはNG。

どう見てもICレコーダーにしか
見えないもん。
薄い事が重要なんじゃなくて、
ICレコーダーに見えない事が
重要なんだよ、ソニーさんよ。

チョソ製の完全ペン型のヤツは
品質が悪いので論外。 pic.twitter.com/SjqfZfhhZM



フェイド大帝 @FeydoTaitei
16年1月28日
メディアさんのクエで重要と
思った箇所 pic.twitter.com/6lu5m3rDVh

16年1月28日
@FeydoTaitei
これ、このゲームやってないと
よく分からないと思うけど、
補足するとメディアの趣味は
自作した人形に魔法でAIを
埋め込んで、レゴで作った街に
住ませて愛でる事。

で、人形のAIが狂ったので、主人公達
と一緒に別の人形をリモコンして
バグを取る内容。

16年1月28日
@FeydoTaitei
キリスト教の三位一体論みたいな
話しだろう?w

16年1月28日。上記の画像(見られないけど)とそれの内容解説がアモンさんがFGOを始めるきっかけだったのだろうな。
おそらく上記の画像は
メディア
「一体の人形を間引くだけで、その被害は何倍にもなる。」
「人間の考える神さまってヤツが、世界を作った後に
手を出してこないのはそういう事よ。
「どんなに被害が広がっても、創造主(そとのもの)は
外から見ているしかないの。」
「異常の原因を最小限の被害で済ませるには、
中に入って当事者になるのが最適という事よ。」
だったのだろう(覚えていない)。


knznymmmy code777
2016年5月21日土曜日
fate GOやりたい。そしてカミサマとは何者か?
http://codetripleseven.blogspot.com/2016/05/blog-post_0.html
"私はfate GOがやりたい。
いや、RPGとかチマチマレベルを上げるのは苦痛だ。
他に読みたい本、やりたい事はある。
私がfate GOに興味を持った切っ掛けは大帝がうpした画像。
臭いセリフが出てくるので、そのキャラや前後のストーリーを
チェックしてみたいと思った。

しかし動作環境が意外と厳しい。だから困っている。
まず、私のモバイル端末はipod touch第5世代。
これはfate GOの動作環境を満たしていない。
iphone5なら動作環境を満たしているらしい。

私が興味を持ったセリフというのはこれ。
メディアというキャラのセリフらしい。
「一体の人形を間引くだけで、その被害は何倍にもなる。」
「人間の考える神さまってヤツが、世界を作った後に
手を出してこないのはそういう事よ。
「どんなに被害が広がっても、創造主(そとのもの)は
外から見ているしかないの。」
「異常の原因を最小限の被害で済ませるには、
中に入って当事者になるのが最適という事よ。」"

fate grand orderおもろセリフまとめ1 - knznymmmy code777
http://codetripleseven.blogspot.com/2016/12/fate-grand-order.html
”過去記事(2016年5月21日)で私はFGOがやりたいと書いた。
紆余曲折を経て最近はFGOをやっている。
2016年12月4日現在でのサーヴァント(所持キャラ)はこんな感じ。
〔画像省略〕
過去にも書いた通り、
私がFGOに興味を持ったのは、出てくるセリフに
ケツ社のホモメカシくさいものが多いという所。
裏読みのし甲斐があるという所。
エヴァやまどマギに似た理由だ。

fate grand order、略称FGOは
androidスマホやiphoneで遊べるスマホゲーム。
リリースは2015年夏。基本的には無料だが、
強いキャラが欲しいなら課金しないと難しい。
若しくは何百時間も費やすか、よほどクジ運が良くないと無理。
私は基本的に無課金でやっている。
まあ、カネが無いだけとも言うんだけどな!

さて、私が最初にこのゲーム(及びアニメ)に
興味を持つ切っ掛けになったのは
メディアというキャラのセリフだ。
問題のセリフはスマホゲームの中に出てくる。
私が見た範囲内ではアニメの中には出てこない。

このゲームの中には「幕間の物語」と称する
メインストーリーとは少し距離を置いた
ショートストーリーがある。その中に出てくる。

youtubeに動画がuploadされていたからリンクを貼っておく。
〔埋込動画省略〕
以下、部分的に文字起こし。そして前後の流れ含めて考察。

マシュ:人形の王様を倒してくれ、ですか?
(中略)
メディア:今持ってきた直径50センチの大地模型(ジオラマ)
これが私が作った箱庭よ。分かりやすく言えば魔術における
固有結界の亜種みたいなものかしら
マシュ:いえ、その・・・どう見ても小さな家の模型にフィギュアが並んでるだけなのですが
(中略)
マシュ:・・・あの 人形の王、というのは、もしや・・・
メディア:ええ、この小世界の中の話よ。
この模型の内部は、いわゆる異空間なのよ。
あなた達みたいな素人にも分かりやすく言うなら
人形の世界とでも言えばいいかしら?
この家の中の人形たちは文字通り生きているの
(中略)
ここまでいえばわかるでしょう。
あなた達に頼みたいのはメンテナンスよ。
この世界の管理者として権限を与えていた人形が
私の指示書を無視して、勝手に動き始めたの。
まったく、作ってあげた恩を忘れて
飼い犬に手を噛まれるとはこのことだわ
マシュ:あの、よくわかりませんが、
外からその人形だけ抜き出せないのですか?
メディア:それができればやっているわ
でも下手に外から介入したら何もかもが壊れてしまう
構築したり付け加えるのは簡単でも
取り除くのはその何倍もの技術とセンスがいるのよ
完成した小説を加筆する人は多いけど
登場人物を消していく人は少ないでしょう?
一度完成したモノから要素を引くというのはそういうことなの
一体の人形を間引くだけで、その被害は何倍にもなる
人間の考える神様ってヤツが
世界を作ったあとに手を出してこないのはそういう事よ
どんなに被害が広がっても
創造主(そのとのもの)は見ているしかないの
異常の原因を最小限の被害で済ませるには
中に入って当事者になるのが最適という事よ

(中略)
マシュ:大元を絶たないときりがないみたいですね
(中略)
マシュ:あれは・・・メディアさんの影!?
・・・にしては少し小さいでしょうか
人形の姫君:さあ、私のかわいい人形たち
夢の世界を壊す害虫たちを駆除しなさい
シャドウサーヴァント:我らが美しき姫君、メディア様のために
マシュ:あの・・・これって・・・メディアさんの?
選択 メディアさんの願望って、こういう・・・
(中略)
メディア:そうよ!! 私は人形が友達の寂しい女なのよ!
殺せ!! いっそ殺してちょうだーい!

なるほど。期待通りなかなかくっさい感じだ。
こういうセリフの検証は世界の存在理由や
聖書がなぜ天地創造から始まるのか?という話題等、
神学的、哲学的、心理学的な話題につながる。
「ヤツら」系の話題の本丸につながるという事だ。
私は小学生や中学生ではない。
こんな中途半端な絵柄のカードゲームもどきで
キャッキャ言うほどガキではない。

このゲームはサーヴァントと称する使い魔?的なものを
使って戦闘を繰り返す事でストーリーが進んでいく。
そのサーヴァントの中で最初に登場し、
マスターと称する私自身と契約をしたのが
マシュ=キリエライト。一応主役級の扱いのようだ。
〔画像省略〕
・・・ふう。初っ端からやらかしてくれる。
名前が完全にキリスト教だ。ついでに左目乙!
「契約」が大好きなのはキュウべえやヤハウェとも共通する。

マシュは左目だけやたらと強調しているキャラだ。
たとえばテレビ放送されたFGOのCMを見ても
左目のアップが必要以上に多い。
〔中略〕
これはTV-CM 2016年の夏季イベントのもの
妙に左目のアップだけ多いのと、
必要以上に右目が髪の毛に隠れているのが目立つ。
何も意図的に左目のアップが出てくるCMだけを
ピックアップした訳ではない。
他のCMも公式HPで見られるから
文句があるなら自分でチェックしてみたらいい。



フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月25日

そうか。福祉国家の北欧は
ブラフだったか……

ユダヤカバラが説くように、
北には悪い奴が沢山いたんだな。



[非公開] フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月17日

聖書の記述って、結構捏造が
多いんで余りあてにならないのよね。

ヘブライ語のタナハ(旧約聖書の
事。旧約聖書ってのはキリスト教
用語。ユダヤ教ではタナハ)とかは
カバラ前提で書かれてると思われる
所があるので信用出来ん。

#FateGO
#FGO

16年1月17日

フェイド大帝は学研のなんちゃって
カバラじゃなくて、モノホンの
ユダヤ・カバラ文献(極力ヘブライ語
併記か、日本人以外の文献学者が
翻訳した物)にあたってるから
分かるんだけど、ヘブライ語の聖書
って意図的な文法や綴りの間違いが
あるんだわ。

#FateGO
#FGO



16年1月17日

その意図的な間違いに関して
膨大なラビ(ユダヤ教の神職)達の
注釈があって、それはカバラ
やタルムードだったり、
学術書であったり様々なんだけど…

ともかく素のままの「聖書だけ
読みます」みたいなプロテスタント
のカルトみたいなアプローチはNG

#FGO
#FateGO



16年1月17日

この「聖書しか読みません」ってのは
韓国系のキリスト教やアメリカの
キリスト教原理主義に多いアプローチ
なんで、気を付けた方がいい。

同じキリスト教でもプロテスタント
ならリベラル派や、カソリックは
比較的柔軟なので、
宗派によって異なるのよね。

#FateGO
#FGO



16年1月17日

ちなみに日本はよほどガチで
神学をやらない限りは、アメリカ
原理主義系や韓国系が一般書店では
多いので気を付けた方がいい。

#FateGO
#FGO



[非公開] フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月15日

なんかfategoにディズニー
(スターウォーズ)とのコネが
あるのか?!とか騒いでるのが
いるが、普通に結社員同士なら
コネぐらい普通にあるだろう。

16年1月15日

フェイド大帝の元CG仲間も普通に
ルーカスと知り合いで、先輩も
師匠のコネで普通にルーカスの
所に修行に行ってたぞ?



16年1月15日

この本だったか自信ないけど
日本人の書いたシネマスクール
留学記みたいなので、落ちこぼれ
のアメリカ人映画学部生が
小説家に転向するために
フリーメイソンに入会する
エピソードが普通に書かれてる。

www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%8...
[ リンク先は
コンテンツビジネスのすべてはUCLA映画学部で学んだ。 単行本 – 2014/1/31
津谷 祐司 (著)
フランシス・コッポラ(『ゴッドファーザー』)、
ポール・シュレイダー(『アメリカン・ジゴロ』)を輩出した
米国・名門映画大学院留学記

「恋愛ゲーム」という新しいジャンルを開拓したボルテージ創業者である著者が、
UCLA映画学部大学院留学の経験を一冊にまとめました。
仕事を持ちながらも夢を追いかけた日々、英語の壁に悩みながらも、
自分の表現スタイルを模索し続けた留学生活が、臨場感あふれる文体で描かれます。
クリエイティブな分野で活躍することを志す、すべての人におススメの一冊です。
]



16年1月15日

多分、アメリカは普通に秘密結社に
入会する文化があるんだろう。
ヨーロッパ大陸の方ではあまり
一般的ではないと思うけど。
(イギリスは知らん)

逆に日本の結社入会のハードル
が高すぎるだけだと思う。


16年1月15日

スマホアプリでも普通にメイソンSNS
アプリとかあるし、アメリカの
サイトとかだったら、メイソン掲示板
とかあって普通に入会したいから
推薦オネシャスみたいな書込みが
掃いて捨てるほどあるぞ。



16年1月15日

秘密結社の比較スレとか
レビュースレとかもあるから
笑えるw



16年1月15日

ほれ、英米系だけでこんなにも
あるぞ?
秘密結社の一覧

https://en.m.wikipedia.org/wiki/List_of_general_fraternities



16年1月15日

ほら、アメリカのTOP10結社特集

https://ca.askmen.com/top_10/entertainment/top-10-fraternal-organizations.html



16年1月15日

メイソン掲示板の一例

www.masonforum.com/viewforum/2/

多分、今はスマホアプリとかの
SNSの方がいいんでない?



16年1月15日

確かmy masonryはアプリ版が
あったはず。

www.myfreemasonry.com/forums/#become-a-freemason.379

16年1月15日

あ、やっぱあったわw

Blake Bowden「My Freemasonry Pro」
appsto.re/jp/6fDsK.i

PCでクリックしたらURLが
https://apps.apple.com/jp/app/my-freemasonry/id608817530?l=en&mt=8
になる〕



[非公開] フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月12日

GIMP、会社用に落として
使った感じ、

・起動はフォトショより遅い印象
・デフォルトのレイヤーとフィルタ
機能がフォトショより少ない
・カスタマイズ性はフォトショより
優れてる
・pythonと連動してるので魔改造
出来そう


16年1月12日

総じて悪くないと思う。
少なくともフォトエレよりは
ずっといい。

これでようやくフォトエレ3.0
というゴミをアンインスコ出来るぜ!



16年1月12日
ブラシ関係はまだ使ってないんで
また感想書くわ。

まぁ、ブラシは魔改造可能なら
何だっていいんだけどw


16年1月12日
ただ、イラレのそっくりさんの
inkscapeはフェイド大帝的には
微妙。

特に亜土部との互換性が悪いのは
致命的。
公式は互換性ある!とか
ほざいちゃってるけどねw


フェイド大帝が誰かにゴーレムの材料用の水は湧き水で土も未使用のやつみたいなことを誰かに呟いていたのを覚えているのだが見つからないのでファボログで探している。だから、一部をついでにコピペしている)

フェイド大帝 @FeydoTaitei
16年1月9日
V フォー ヴェンデッタの
名セリフ。

www.10kgtr.net/entry/2015/11/05/11月5日を忘れないためにVフォー・ヴェンデッタを見 pic.twitter.com/ONONxCBqgq

[
2015-11-05
11月5日を忘れないためにVフォー・ヴェンデッタを見よう
www.10kgtr.net/entry/2015/11/05/11月5日を忘れないためにVフォー・ヴェンデッタを見
"「俺たちには銃があるんだぞ! お前にあるのはナイフと、ファンシーなカラテギミックだけだろ! 勝てるわけないんだぞ! わかってるのか? 殺すよ? 殺しちゃうよ?」

「お前達が銃を撃ち尽くしたときに、果たして俺は倒れているかな? そうなれば再装填の時間はないぞ」

(大体こんな感じのやり取りがある)"]

フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月9日

ほれ、
V フォー ヴェンデッタの名シーンな。
銃武装してるのは皆んな警官な。

m.youtube.com/watch?app=desktop&v=vPlT2uKruwM

私がフェイド大帝の今はなきブログ「過去の最低帝国」にブロとも申請をするときの文章が、
この映画の主人公の名乗りを改変したものだったな。

後述の和訳だと、確か、だが心地よい今宵に免じて教えよう~簡単に"V"と呼んでいただければ結構だ。までの箇所の改変。
翻訳だと原文がvだらけなのがわかんないんだよな。
和訳なら、ヴァ行とバ行など濁音を多くしたら少しは雰囲気を再現できそう。

私の超意訳(後述の和訳を参考にした。濁音を多用する方針にした)
「だがヴァつぐん(抜群)に心地よき今宵に免じ教示しよう、
単なる通り名でなく 登場人物の仮面(ペルソナ)の内面を。
ヴァヴァーン!(ババーン) ご覧の姿はヴァ鹿(馬鹿)にされる道化師。弱者や邪悪な者を演じるヴァ合(場合)あり。
仮面はただの虚飾にあらず。もはや素顔をさらし歩けるヴァ所(場所)でなきゆえに。
だが、この厄介者が再ヴィ(再び)現前したるは、世の邪悪を正すため、この腐った世にうごめくヴァイ菌(黴菌)を駆除するため。
そう、これは "血の復讐(ヴェンデッタ)" 。復讐の誓いは今も生きている。邪悪を断ち切り、自由をもたらすために。
冗長な喋りをお出ししたが、冗長さをハヴき(省き)、単に"V"と呼ヴ(呼ぶ)のがよろしいかと」

V (V for Vendetta Kinetic Typography)
https://www.youtube.com/watch?v=Otv5ywOa-8U

V for Vendetta (2005) - You May Call Me "V" Scene (1/8) | Movieclips
https://www.youtube.com/watch?v=Z4RCK8LAFM0

2011/07/20
合法映画クリップサイト「Movieclips.com」の挑戦:○○はビジネスになるか
https://www.sbbit.jp/article/cont1/23554
”「合法的な」動画サービスを提供
 Movieclips.comは2009年、ザック・ジェームズ氏とリッチ・ラドン氏の2人が設立した。カリフォルニア州サンタモニカに本社を置き、“映画の都”ハリウッドまで車で30分程度の距離である。同年12月に米国内のベータ版でスタート。2010年3月からは世界に公開した。同年のTIME誌の「50ベスト・ウェブサイト」にも選ばれている。

 その最大の特徴は、「合法的な動画サービス」だということ。膨大な映画クリップは、よくある動画投稿サイトのように、ユーザーがテレビで録画したり、DVDからリッピングして作成・投稿したものではない。Movieclips.com自身が、映画会社の提供を受けて、印象的な場面をクリップ化して、データベースにしたものである。

 Movieclips.comは、独自に、20世紀フォックス、MGM、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント、ユニバーサル・ピクチャーズ、ワーナー・ブラザース、パラマウントの“ビッグ6”と契約して、映画コンテンツを使用する権利を獲得している。他の動画サイトにはないことだ。 ”

『Vフォー・ヴェンデッタ』2013 その1 自己紹介スピーチ
http://www.shuheiokazaki.net/2013/11/v2013-1.html
” "Remember, remember the fifth of November
Gunpowder, treason and plot
I see no reason why gunpowder treason
Should ever be forgot"
〔中略〕
V: I can assure you I mean you no harm.

「危害は加えない」

Evey Hammond: Who are you?

「誰なの? 」


V: Who? Who is but the form following the function of what and what I am is a man in a mask.

「さて 誰と問うなら“仮面の男”と答えよう」

Evey Hammond: Well I can see that.

「分かってる」

V: Of course you can. I'm not questioning your powers of observation; I'm merely remarking upon the paradox of asking a masked man who he is.

「そうか 目はいいようだが 仮面の男に“誰か”と訊くのは愚問だな」

*直訳すると、「私は君の観察力について訊いているのではない。」

merelyはonlyと同じ意味、paradoxは「逆説」ですが、ここでは「矛盾」としておいていいでしょう。

「仮面の男に何者か尋ねるという矛盾について述べているんだ」ということですね。


Evey Hammond: Oh. Right.

「確かに」

V: But on this most auspicious of nights, permit me then, in lieu of the more commonplace sobriquet, to suggest the character of this dramatis personae.

「だが心地よい今宵に免じて教えよう

単なる通り名ではなく 劇中の主人公の“人となり”を」

auspicious「幸先の良い」

permit 人 to V 「人がVするのを許す」

in lieu of = in stead of「〜の代わりに」

commonplace「ありふれた、平凡な」

sobriquet「通り名」

suggest「示す」

dramatis personae 「登場人物」

*Vが自分のことを「登場人物」と言っているのがおもしろいところです。復讐、革命もVにとっては劇なんですね。シェイクスピア好きのVならではの表現です。

V: Voilà! In view, a humble vaudevillian veteran, cast vicariously as both victim and villain by the vicissitudes of Fate. This visage, no mere veneer of vanity, is a vestige of the vox populi, now vacant, vanished.


「では!ご覧の姿は道化師のもの。時に弱き物を、また、時に悪しき物を演じることも。
仮面はただの虚飾にあらず。もはや素顔をさらして歩ける世界ではないゆえだ。」

Vから始まる単語で韻を踏みながらスピーチを行います。
今回はその単語の意味を全て載せておきますね。

Voilà! 「では!」
*ジャジャーン!という感じの注意を引く表現。フランス語です。

vaudevillian「寄席芸人、道化師」

veteran「ベテラン」

vicariously「身代わりに」

cast as A「Aとして演じる」
*キャスティングって言いますよね。castは元は「投げる」です。ニュースキャスターも世の中にニュースを投げかけているんですね。

victim「被害者」

villain「悪役」

vicissitude「(人生などの特に悪い方への)移り変わり」

fate「運命」
*Fateは原作コミックに登場する、国を支配しているスーパーコンピューターの名前です。映画ではアダム・サトラーがイングランドを治めていますが、原作ではこのコンピューターが治めています。
フェイトの移り変わりと運命の移り変わりが巧く表現されています。

visage「顔、容貌」

veneer「うわべの飾り」
*ベニア板のことです。家具等の表面には仕上げとしてベニア板が貼られるので、ここでは「虚飾」という意味で使われています。

vanity「見栄、うぬぼれ」
*vain「ムダな、空の」と同語源です。うぬぼれには中身が無いんです。

vestige「(過去の文明、慣習の)名残り」

vox populi「人民の声」

vacant「空いている、空っぽの」
*バカンスも仕事が休みで予定が空いてるってことですよね。

vanish「消える」

*忠実に訳すと「この仮面は虚栄心を飾るだけのものではなく、今は消え失せてしまった人民の声の名残だ」となります。独裁政治に陥り、人民の声が政治に繁栄されなくなったが、自分はまだその「声」を持っていると言っています。


V: However, this valorous visitation of a by-gone vexation, stands vivified and has vowed to vanquish these venal and virulent vermin vanguarding vice and vouchsafing the violently vicious and voracious violation of volition.

「しかし、この厄介者が再び姿を現したのは、世の悪を正すため、この腐った世界にうごめくウジ虫を掃除する、そのために。」

valorous「勇ましい」

visitation「訪問」
*the Visitationで新約聖書に登場する「聖母マリアの訪問」です。聖書に登場する言葉はインパクトがあるので入試の長文でも登場します。

vexation「いらだち(悩み)の種」

vivify「活気づける」
*vivやvitが付く単語は「生きる」の意味をもちます。vivid「生き生きした」、vital「命に関わる、重要な」など

vow「誓う」

vanquish「打ち破る」

venal「金で動く」

virulent「猛毒を持った、悪意に満ちた」

vermin「害獣、害虫」

vanguard「先導者」
*これ動詞の意味は辞書に載ってないんですが、動詞として使っていると考えて「先導する」という意味にしておきます。名詞が動詞化することは、mushroom「キノコ」を動詞で使うと「急成長する」、stickを動詞で使うと「突き刺す、貼り付ける」といった意味になることを以前解説しています。
興味がある方はリンク先へ→mushroom, stick

vice「悪」
*『マイアミ・バイス』という映画があるので、見ればviceがどういうものか分かるかも。

vouchsafe「与える」

violently「乱暴に」

vicious「悪意のある」

voracious「貪欲な、大食の」
*単語は違いますがgreed「大食」やgluttony「大食」はキリスト教7つの大罪です。
7つの大罪になぞらえた映画『セブン』もそのうち解説します。

violation「冒涜」

volition「意志」


V: The only verdict is vengeance; a vendetta, held as a votive, not in vain, for the value and veracity of such shall one day vindicate the vigilant and the virtuous.

そう、これは "血の復讐(ヴェンデッタ)" だ。復讐の誓いは今も生きている。悪を断ち切り、自由をもたらすために。

verdict「評決」

vengeance「復讐」
*vengeはリベンジrevengeと同じです。『アベンジャーズ』のベンジも同じ意味ですね。

vendetta「復讐、敵討ち」
*vengeanceよりも執念を感じます。

votive「自由意志の」

vain「無駄」

value「価値」

veracity「誠実さ、真実」

vindicate「(人・人格に対する)非難の不当性を立証する、正当さを立証する」

vigilant「絶えず警戒している」

virtuous「徳の高い」
*vice「悪徳」 ⇔virtue「徳」



V: Verily, this vichyssoise of verbiage veers most verbose, so let me simply add that it's my very good honor to meet you and you may call me V.

「少々長い自己紹介になったようだ。要するに、簡単に"V"と呼んでいただければ結構だ。」

verily「確かに」

vichyssoise「ヴィシソワーズ」
*ジャガイモの冷たいスープ。

verbiage「不要な語が多いこと、冗長」
*「冗長なヴィシソワーズ」これまでの長い自己紹介をスープに例えています。

veer「向きを変える」

verbose「言葉数が多い、くどい」


Evey Hammond: Are you, like, a crazy person?

「あたまがおかしいの?」

V: I am quite sure they will say so. But to whom, might I ask, am I speaking with?

もっともな質問だ ところで君は?

*to whom, might I ask, am I speaking with? すごく品のある疑問文です。真似したい。

Evey Hammond: I'm Evey.

「イヴィー」

V: Evey? E-V. Of course you are.

「イヴィー? E-Vと? 運命だな」

*イヴィーの名前にもVが含まれていることに運命を感じています。

ちなみに、Eveyのスペルのアルファベットはそれぞれ...

Eは5番目のアルファベット

Vはギリシャ数字で5

Yは25番目のアルファベットです...よく練られてますよね。すげえです。


Evey Hammond: What does that mean?

「何のこと?」

*疑問に思って当然ですね。

V: It means that I, like God, do not play with dice and do not believe in coincidence. Are you hurt?

「やはりこの世に偶然はないということだ ケガはないか?」

*字幕には訳されていませんが、

I, like God, do not play with dice

「私も、神と同様、サイコロは振らない」

という台詞はアインシュタインの

"At any rate, I am convinced that He(God) does not play dice."


「神はサイコロは振らないと、私は確信している」

という名言を引用しています。

この世に不確定なことはない、全ては運めだと言っているんですね。



さて、長くなりましたがこれで自己紹介シーンの解説は終了です。

ちなみに、このシーンの台詞の中のVの数...

いくつあると思います?



Vから始まる単語が48個

それ以外のVを含む単語が7個...


計55個です。



フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月8日

そういやfategoのカルナの
槍って、普段は太陽を模した
形なんだけど、宝具展開時だけ
目玉の形に変わるんだよなw

フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月6日

あれ?
いつの間に第5章のバナー出来てら。
1783年、アメリカ独立戦争終結か。

で、ボスはフランクリンかい?w
初代ピラミッド野郎、ホプキンソン
も忘れずに出せよ?w

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/qVbfQSKU6i




16年1月6日

@FeydoTaitei
バナー、貼り忘れ
#FateGO
#FGO pic.twitter.com/RP5iQ9OKhA



16年1月6日
@FeydoTaitei
前貼ったアメリカ大陸紙幣の下の
コインは神聖ローマ帝国(今のドイツ)
のコインな。三十年戦争ぐらいの
時代のな。この時代のプロテスタント
の残党がアメリカに渡ったんだぜ?

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/dX8IN2pH8X



16年1月6日

@FeydoTaitei
せーのっ、

SO〜MOTE IT BE〜!

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/76mwFFZW1T


フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月5日

フェイド大帝ファンにだけ
こっそり教えよう。
個人的に重要だと思われる台詞集。
その1 pic.twitter.com/O6KJvayyB2


16年1月5日
@FeydoTaitei
その2 pic.twitter.com/Q3AgtRKYdv

16年1月5日
@FeydoTaitei
その3

以上。 pic.twitter.com/1Z8h3IkjtC



フェイド大帝 @FeydoTaitei
16年1月5日

ああ、これはアレだな。
アスラ vs デーヴァ、
自然 vs 文明。

やはり宮崎駿や富野と同じ陣営かw
分かり易すぎるな、この業界w
#FateGO
#FGO

フェイド大帝 @FeydoTaitei
16年1月5日

@FeydoTaitei
@FeydoTaitei
勿論、バックに付いてるのは
太田ドラゴン経由して赤盾姫なw

画像はらっきょの初版本あとがき。

#FateGO
#FGO pic.twitter.com/eRQAb7CTgs

フェイド大帝 @FeydoTaitei
16年1月5日

ああ、読めたぞ。

アレだろ、マシュが覚醒すると
盾が赤色に変わるんだろ?w

#FateGO
#FGO


フェイド大帝 @FeydoTaitei
16年1月3日
何だ?バガヴァット ギーター
読んでないのか?

アルジュナが肉親同士で殺し合うのは
不毛だから、俺がワザと負ければ
全て丸く収まる、と明らかに正しい
事を言ったのに対して、

クリシュナの馬鹿が「クシャトリア
のくせにビビってんじゃねー‼︎」

#FateGO
#FGO


16年1月3日
@FeydoTaitei
「とっとと戦場で死んでこいッ〜‼︎」
と訳のわからんハッパ掛けられて、
最前線にブチ込まれる、如何にも
バラモン教の屑共が好みそうな
エゲツ無い話だぞあれは。

#FateGO
#FGO


あーこれが、探しているツイートの直前の質問だ! この人のツイートを検索したら出た。
ふぁぼしてなかったからそりゃふぁぼろぐで出ないわ。

https://twitter.com/kuromitsu_2014/status/608984709553479680
”まよ
@kuromitsu_2014
@FeydoTaitei @lakudagoya

すみません、一つ質問したいことが・・・
ゴーレム作りに使う土は、アララト山から採取したものでないとダメなんでしょうか?
午後10:10 · 2015年6月11日·TweetDeck”

2015年6月11日前後の箇所を探したが、これへの返答がファボログにも本ブログにもない。ふぁぼ(いいねではなく「お気に入り」だったはず当時は)しそこねたと判明。つまり私(と大帝とまよさんと、ねこた[@lakudagoya]と、上記のやりとりを読んだ人々の)の記憶にしかない。
無視せずきちんと答えていたのは確かだよ。イェツィラーの注釈書の条件通りの内容で答えてた(と本書を読んで確認済み)。だからこそ私が本記事でそこをメモした。おそらくまよさんの質問の前には、悟飯の周りを老界王神がぐるぐる回るのはゴーレム製造法だろうと書いていたフェイド大帝の呟きがあったはず(ゴーレム作成にはやたら時間がかかるとも言ってたはず[だからどれくらい時間がかかるかも私はメモしている])。
まよさんの質問は発掘できたから、虚偽記憶でなくてよかったよ



フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年11月27日
fategoの信長の再臨素材の
黄金髑髏ってもちろんアレの
事だよね?w
#FGO
#FateGO pic.twitter.com/0mjC8FBoV4


フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年11月27日
@lakudagoya
リプ遅くなってスミマセン。

三位一体とかのヨタ話はインド
哲学よりも道教の「神、気、精」
の理論で考えた方が分かりやすい
かと。

まぁ、道教の哲学的な所は
元はバラモン教文化だと
思ってますけどw

15年11月27日
@lakudagoya
神=ブラフマー=アートマン=現代の
自我。

精=キリスト教の子=人間=現代の
肉体・ホモサピエンス

気=プラーナ=キリスト教の聖霊
=「神」と「精」を繋ぐ媒体=
現代で言うネットとPCを繋ぐ
LANケーブルみたいな物

15年11月27日
@lakudagoya
インド人の自我ってのは
肉体の外から乗り移って
やってくる物という認識がある様
です。

どこから?というと、ブラフマン
からなんですが、肉体の内側
じゃない事が重要。

15年11月27日
@lakudagoya
ブラフマーじゃなくて
ブラフマンでしたね。訂正。

15年11月27日
@lakudagoya
で、どういう形でやってくるの?
というと「呼吸する息の形で」
なんですね。

目が見えなくても死なないけど
息を止めたら死ぬという事で、
息こそが生命の本質と考えた
わけですね。

15年11月27日
@lakudagoya
重要なのは、「自我=アートマン=
霊魂」ってのは「息」そのもの
ではないんです。
「息」はあくまで乗り物の
媒介物であって、中身は
ないんです。

LANケーブルはただの電線です
けど、情報そのものである
データはケーブルとは別
という感じですね。

15年11月27日
@lakudagoya
じゃ、「データ」に相当する物、
つまり人間の「霊魂」の事ですが、
は何か?というと、

バラモン教では「言葉」なんですね。
ねこたさんの好きなギリ哲や
キリスト教神学でいう「ロゴス」
ってやつですね。

15年11月27日
@lakudagoya
これはなぜそうかと言うと、
人間の思考ってのは「言葉=言語」
で表現するわけです。
だから、言葉をまだ覚えてない
赤ちゃんの時の記憶って「表現」
出来ないんですね。
「言葉」も「意味」もまだ
確立されてないわけですから。

15年11月27日
@lakudagoya
ウパニシャッドで父親が息子に
乗り移る事が可能だって
書いてあるんですね。
父親の本質=父親本人のアートマン
自我ですから、それは何で出来てる
かと言うと「言葉」で出来てる
わけです。

15年11月27日
@lakudagoya
で、「言葉」ってのは「息」
を媒体とするので、「口伝」が
重視される様になってくるんですね。

「文字」は媒体の紙とか
パピルスが劣化=つまり不老不死
ではない、その上、息子がその
知識を吸収する時は「視覚」、
つまり目で見て覚えるわけです。

15年11月27日
@lakudagoya
これがバラモン教ではNGだって
事はもう分かりますよね?w

「目」は生命の本質ではない
わけですから。

だから、結果的に東大生の
好きな「暗記力」がバラモン教
では重要な位置を占める様に
なってくるわけです。

15年11月27日
@lakudagoya
こっからは画像で説明します。
エジプトのカー、キリスト教の
鳩ポッポのご先祖様と考えても
いいでしょうw pic.twitter.com/WGblMcWuet

[非公開] フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年11月27日
@lakudagoya
で、このカーや聖霊と似たような
役割を果たしてるのがエジプトの
「アンク」。生命の本質だとか
言われてるやつですねw

アクエンアテン時代では
アテン神=ブラフマンが
ファラオの鼻の中に
突っ込んでますw pic.twitter.com/txj9J5p4i8

15年11月27日
@lakudagoya
多分、この「アンク」は先程の
「カー」や「鳩ポッポ」の
略図でしょう。
ブレイク作のルシファー君も
右手に意味深な物握ってますねw
占星術マニアは「金星」だとか
言うでしょうけどもw pic.twitter.com/DVcay5w4hX

15年11月27日
@lakudagoya
日本の鳥居?みたいなアンク図。
天辺の丸の中に八咫烏さん
らしきなのがいますねw pic.twitter.com/GK436XngJX

15年11月27日
@lakudagoya
コアなんですかコレ?
普通にウパニシャッドとか
読んでれば、そういう解釈に
ならない?と思いました。

もちろんフェイド大帝の一解釈
なんで、これが絶対に正しい
とは言いませんけど。

(ねこたとの会話。中略。
カーではなくバーのことだろう。確か古代エジプトの人頭鳥みたいな画像を添付していたはずなので。
カーは両手をあげた形の象形文字だから鳥みたいな姿なのはおかしい。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1571232285604839424

(上記の直後:)
https://twitter.com/Prokoptas/status/1571235573876260864


カー(古代エジプト)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%BC%28%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%29-1521255

カー(古代エジプト)
かー
Ka

古代エジプトで、人間の七つの部分の一つとしての精神的存在を意味し、しばしば両手をあげた形の象形文字で表される。これは鳥の姿をした霊魂バーとは別のもので、人間にとって「自己の分身」とみなされた。王などの有力な死者のカーのためには特別の墓室がつくられ、そこにはそのカーの像が納められていることが多い。しかも王たちは、その名前に自己のカーの名を書き加え、カーに対して特別の配慮を払うのが常であった。『死者の書』などにたびたび言及されているが、その実態はかならずしも明らかではない。

[矢島文夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について”


フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年11月27日
@lakudagoya
まぁ、多分アレクサンドリアに
なんかあるんでしょうね。
パウロ君の使徒行伝にも
パウロが伝道する以前に
アポロンとか言うのが既に
広めていたみたいですし。

パウロ自身もあっちの方の地域
の話ってあまり語らないんです
よねw

当時の大都市だったのにww

15年11月27日
@lakudagoya
アポロンじゃなくてアポロ
みたいですね。ややこしいw

15年11月27日
@lakudagoya
聖書学者が言うには、あれ
テント職人って言ってますけど、
実際は流通、販売、商社みたい
な事もやってたみたいですね。
結構金を稼いでて、寄付金以外の
重要な資金源だったのではないか
と言われてるみたいです。

フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年11月26日
安心しろ、
fatego真の当たり鯖は
ロンドン編の部落派月子ちゃん
だからそれまで石は貯蔵しておけw
#FateGO
#FGO

フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月16日
おフレンチ政府のカルト認定リスト
を調べてみたが、どーも脱税額や頻度、
マネロンの疑惑とかをベースに
リストアップしてるみたいだぞ?

15年6月16日
@FeydoTaitei
ちなみにおフレンチ政府の
「資金力最強カルトランキング」では

一位 Sトロジー
二位 Yホバの証人
三位 S学会
四位 A薔薇十字
五位 スーキョーM光

15年6月16日
@FeydoTaitei
あ、後、おフレンチ政府の調査によると

トーイツキョーカイは日本製だそーだw

15年6月16日
@lakudagoya
んにゃ、STAR PEOPLEの後ろ
の方に広告載せてる方のやつですw
[これはねこたがA薔薇十字について質問したことへの返答のはず。
薔薇十字系はいろいろあるので]

[非公開] フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月15日
RAPTが食人習俗を扱ってるけど、
墓穴掘るぞ?
Wikiにも初期キリスト教教会や
十字軍遠征時にも食人をしてた
とかいてあるんだからさ。

フェイド大帝 @FeydoTaitei

15年6月15日

前に紹介したケリー篠沢の「ジェネシス」。
アレ、いのちのことば社出版のようだ。

田川建三の著書によるとこの出版社は
福音主義系らしく、神学業界では全く
無視されている訳文らしい。

一応、ケリー篠沢の「新約聖書」の
方は日本聖書協会でこっちの方は
訳はマトモらしい。


フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月13日
まーた、ショボそーなメイソン本が
出たので紹介しておく。

竹下節子:東大とパリ大学の文学者
で反陰謀論本も出している。 pic.twitter.com/qGiMdkbTD8

(『フリーメイスン ― もうひとつの近代史』講談社選書メチエ、2015のことだろう)


15年6月13日
@FeydoTaitei
と、言っても一昔前のメイソン本に
比べたら大分マシ。
ただ内容が薄過ぎる。本当に入門書って
感じ。参考文献も少な過ぎる。

この手の文学者の本でアイクが
ちゃんと登場しているのは
褒められるがw

前、紹介したマッキントッシュの
薔薇十字の本の方がいい


15年6月13日
@FeydoTaitei
聖書学者の田川建三が言ってたが、
基本的に文学者や社会学者というのは
文献批判学のレベルが低いらしい。

で、特に宗教系の古文学は全然
駄目だとのこと。

理由は書物は印刷技術の歴史と
セットだから、昔の本と言うのは
聖書以外はほとんど出回らなく、


15年6月13日
@FeydoTaitei
「古い書物」の写本文化が聖書と
ホメロス以外では余り発展して来なかった。

正文批判学でとっくに廃れた古臭い
調査手法を未だに使っているのが
文学者や社会学者らしい。

だからキリスト教を扱う研究に
関しては神学者の著作の方が
レベルが高いとのこと。


15年6月13日
@FeydoTaitei
神学者にもバイアスのかかった
学者はいるが、それを考慮しても
文学者、社会学者の書く宗教本は
酷いらしい。


15年6月13日
@FeydoTaitei
田川建三というと、京大?だと思われる
文学部の京都在住の学生から
批判の手紙が来たらしいw

この学生、相当小賢しいガキだった
らしく、田川の訳した聖書の引用文
の出典元が示されてないと抗議
したらしいw


15年6月13日
@FeydoTaitei
聖書学者の場合他人の訳文を
そのまま引用して使わないのが
常識らしい
要はライバルの学者を疑って掛かる
というスタンスなのだが
この学生はそう言った事情には
疎かったらしい
田川の新刊にはこういうアホ学生は
大学側でちゃんと教育しとけてと
抗議している



15年6月13日

@FeydoTaitei
ちょっと過激に思われたかもしれない
が、田川はちょっと嫌味ったらしい
文章の書き方をするのが特徴なので、
まぁ本人のスタイルだということで
ショックを受けないでほしいw


15年6月13日
@FeydoTaitei
まず、例の三角目玉のイラスト作者の
はなしだが、フランクリンが創設した
APSの話がない。
シミティエールがAPSの会員だった事は
重要だ。
また、江崎玲於奈に至るまでの
歴代ノーベル物理学賞受賞者が
全員APSに入会した事実も重要だ。



15年6月13日
@FeydoTaitei
第二にアメリカのペンシルバニアの
フィラデルフィア市の件だ。
多分、この町の名前を出してきた
という事は、竹下はこの町の裏事情
を知っているはずだが……

ワザと触れてないのだろうか?w



15年6月13日

@FeydoTaitei
実はフィラデルフィアという町は
ドイツ プロテスタントの原理主義派
のドイツ敬虔主義派の聖職者が
沢山入植した町なのだ。

特にケルピウスが重要である。



15年6月13日
@FeydoTaitei
ケルピウスは根っからの終末論者で、
彼がフィラデルフィアに入植したのは
この町が黙示録のハルマゲドン時に
唯一被害を被らない土地だと固く
信じてたからだ。

アメリカのメイソンは基本的に
ドイツ敬虔主義の影響を濃く
引き継いでる。

15年6月14日
@FeydoTaitei
第三だが、イギリス グランドロッジの
二代目GMのデザギュリエについて。

15年6月14日
@FeydoTaitei
デザギュリエがプロテスタントだった事
を書いてくれた事は褒められるが、
奴が元ユグノー教徒でフランスの
カトリックの迫害を受けてイギリスに
亡命した事が抜けてる!



15年6月14日
@FeydoTaitei
メイソンリーとカトリックとの
確執を語る上でこれは抜きに
出来ないだろうw

ってかカトリックの専門家を
謳うならこれぐらい漏らさずに
書いとけw



15年6月14日

@FeydoTaitei
後、竹下本には日本のメイソンリー
の話が全くない。

日本で初めて出版された明治の
カトリックのリギョール神父の
陰謀論本を外しちゃいかんだろうw


フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月4日
教会史で有名なエウセビオスに
よるとヨハネの黙示録は
ケリントス作だという。

フェイド大帝 @FeydoTaitei

15年6月6日

@lakudagoya
ブログで「バチカンがパウロ派云々〜」
の箇所、ちと補足をお願いいたしたく。

パウロ原理主義のスタートはマルキオン
が始まりらしく、初めて聖書を作ろうと
したのもマルキオンとのこと。
で、ローマ教会はこれヤベーと思って
自分達も大慌てで本を作り始めたの

15年6月6日
@lakudagoya
のが、聖書の始まりだそうです。

元々、アーリア系の様に初期キリスト教は
口伝重視で、余り文書を書くという
文化がなかったそうです。

聖霊降ろしのご先祖様はモンタノス派
らしくて、こういうのを抑えるためにも
聖典を作る必要が出てきた様です。


https://twitter.com/Prokoptas/status/1308859088231596033
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
2世紀中頃、キュベレー崇拝の故地プリュギアに、聖霊が顕現したという男モンタノスが現れ、プリスカとマクシミッラという2人の女預言者とともに、熱狂的言辞をもって、天のエルサレムがプリュギアのペプザ付近に下り、世界の終末が起こると預言した。モンタノス派である。
画像
午前5:01 · 2020年9月24日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1088896566075699200
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
2回目の世紀末が気になり始める157年頃、小アジアのプリュギアで、天のエルサレムがプリュギアのペプザ付近に下り、世界の終末が起こると預言した者が現れ、たちまちプリュギア中を席捲した。いわゆるモンタノス派である。
画像
午前5:29 · 2019年1月26日·TweetDeck

https://twitter.com/Prokoptas/status/1089253526612504576
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
モンタノス派の成功は、プリスカ(PriscaあるいはPriscilla〕とマクシミッラ(Maximilla)という2人の女預言者を擁したことにあったと思われる。マクシミッラは言う、「わたしの後に預言者はもはや存在せず、終末(synteleia)がくる」。http://bit.ly/2DAMUo4
画像
午前5:07 · 2019年1月27日·TweetDeck




フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月6日
@lakudagoya
多分、口伝だったのはイエスの使徒
とかいうのが文字が書けなかった
のではないか?というのも
あるのかな?と。

使徒が書いた文書というのが
ありませんし、アンデレやペテロ
も漁師でしたし。

で、当時は製本技術がショボかったので


15年6月6日
@lakudagoya
聖書の一巻本というのが無くて、
バラ売りしてたんですね。

本は厚くなると製本が難しくなるので。
コンプリート本が出始めるのが
5世紀ぐらいからなんですね。


15年6月6日
@lakudagoya
本願寺にある「世尊布施論」が
マタイの一部しかないのが、
注目している所なんですよ。

多分、元本が一巻本以前の時代の
文書である可能性が高いのでは?と。

一巻本からバラコピーした可能性
もありますが……


15年6月6日
@lakudagoya
グノーシスのナグハマディの方が
古いじゃないか!とツッコンで来る
輩もいると思うので一言。

あれの原文って虫喰いや穴だらけの
歯抜け状態で、とてもアレから
正確な内容なんか読み取れないかと。
学者の解釈も推測みたいな感じですし。


15年6月6日
@lakudagoya
だからバチカン重視の口伝である
「伝統=TRADITIO」を除外すると
5世紀の一巻本ぐらいしか
いわゆる「キリスト教」ってやつの
教えの根拠になる物がなさそう
なんですよ。



15年6月6日

@lakudagoya
で、東は劣化しやすいパピルスを
使わない+仏典や儒教の写本技術
のノウハウから、景教はかなり
状態の良い物が残っているのではないか?
というのが私の推論です。

単純に景教がバチカンよりも
古いんだぁッ〜‼︎って書くとキレる
儲も出てきそうなので。


15年6月6日
@lakudagoya
グノーシス学者の解釈が本当なら、
グノーシス派の教えの方が正統派より
ずっと高度な印象を受けるんですよね。
ギリシャ哲学の影響もあるでしょうけども。
創造神=悪はイラン系ですし。

多分ローマ人受けするのもパウロの
説教よりもこっちかとw


15年6月6日
@lakudagoya
あれだけ高度な教えだったのに、
正統派は何であんなにショボく
してしまったのだろう……
布教しやすさを追求した結果?
カースト毎に教えを分けたかった?

元のキリスト教が何だったのか
ますます興味深いですね。

15年6月7日
@lakudagoya @ceezneverdiffer
ネストリウス派がシルクロードを
渡る前から、原始キリスト教が
東の方で布教されていた事が
考古学調査によって明らかに
されています。

景教が東進するに辺り、既存の
キリスト教をベースに布教、吸収
していました。


15年6月7日
@lakudagoya @ceezneverdiffer
グノーシス、グノーシス、異端と
騒がれがちですが、そもそも現代の
キリスト教の様な教えになったのは
かなり後の方ですね。
黎明期の頃はグノーシスぽい教えの
方が人気があった様です。

15年6月7日
@lakudagoya @ceezneverdiffer
例えば四福音書の中でも後期の
成立のヨハネ福音書がグノーシスくさい
文体とか……などです。


15年6月8日
@ceezneverdiffer @lakudagoya
ローマのミトラス教の事であれば
大した関係はないと思いますよ

東條ミトラ教はよく分からんです
基本的には作り話だと思いますが
西洋の学者は嘘吐きで真の情報は
イラン人が隠して公開してないと
言われれば素人はお手上げです

フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月9日
ふーむ、どうも初期キリスト教の
布教史でアレクサンドリアでの活動
記録が乏しいのは気になるな。

アレクサンドリアはインドの方とも
貿易が盛んで、仏教というかアーリア系
宗教も入ってきてたらしいから怪しすぎる。

15年6月9日
@FeydoTaitei
エルサレムで興ったはずのキリスト教が
どうやってアレクサンドリアまで伝わった
のか謎すぎる
パウロがやって来る以前にアポロとか
言うのが既に布教してたみたいだし

15年6月9日
@FeydoTaitei
ヘレニズム都市だったからギリシャ語
新興宗教のキリスト教が簡単に根付いた
んだよ!
という解釈は余りにも短絡的過ぎないか?

15年6月9日
@FeydoTaitei
エフェソス辺り(ヨハネの黙示録の舞台
近辺)のトルコ地方にもパウロ派以外の
派閥がゴロゴロいたようだから、
そもそものキリスト教自体が一体
なんだったのか?
という疑問が。

15年6月9日
@FeydoTaitei
フェイド大帝的には、
初期キリスト教=バアル教エル派(ユダヤ教)
×ゾロアスター系イラン宗教+初期仏教
だったのではないかと推察。

エルサレム発と言うよりアレクサンドリア
(申し訳ない程度にアンティオキア)経由
で広まったのではないか?

15年6月9日
@FeydoTaitei
で元々名前のなかった新興バアル教に
パウロ達がキリスト教という名前を
後から付けて回った。


15年6月9日
@FeydoTaitei
これであれば例のコリントスの
プリスカ夫妻の謎も解ける。
プリスカはクラウディウス帝時代
(50年代)に既にキリスト教狂信者として
ローマを追放されている。

つまりパウロがやって来る以前にローマ
でキリスト教が布教されていた事になる。

15年6月9日
@FeydoTaitei
イエスがくたばったのが通説で
西暦30年代だと言われてるから、
僅か十数年でエルサレムからローマ
に伝染したというのは新興宗教としては
驚異的なスピードだぞ。


15年6月9日
@FeydoTaitei
しかもエルサレムとローマの中間に
あるアテーナイ、コリントス、リュディア
にはまだ広まっていなかったようだから、
どうやってローマまで伝わったのかが
謎過ぎる。

15年6月9日
@FeydoTaitei
だからアレクサンドリアが怪しいと
睨んでる。

フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月9日
@lakudagoya
アメリカ大陸紙幣 pic.twitter.com/smxFEbH6Up

この呟きかは忘れたが以下の大陸紙幣も紹介していた。丸に三角って魔術に使われるやつだな。

https://twitter.com/USHist_English/status/1253902588593889280



15年6月9日
@lakudagoya
例のイランの拝火檀。

一説にはメイソン伝承に拠ると
アレクサンドリアの大灯台の
松明とも。

アレクサンドリア怪しすぎでしょ。 pic.twitter.com/ruOugaAaKw

画像がすぐにみつからなかったので以下で代用。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/948734395212419072 と続き
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchi
さん、
@kikuchi_8
さん、他5人
フェイド大帝
”あのシンボルのデザイナーが元ネタにしたのはアメリカ建国前の大陸紙幣をデザインしたホプキンソンの考案した図柄だ。その時のホプキンソンのデザインした図はインド/イランの拝火壇そのものだ。
というのも密教の胎蔵曼荼羅にフリーメイソンのピラミッド・アイにそっくりな図が描かれて
午前10:54 · 2018年1月4日
·Twitter Web Client

いる。一切偏智印と呼ばれるこの図柄は元々、釈迦に弟子入りする前のカッサパ兄弟の祀っていたアグニ教の拝火壇が元だ。

大陸紙幣の40ドル札である…
https://twitter.com/pteras14/status/845485147256324097

これが”プロビデンスの目”の一番最初の元ネタだそうだ。
ところがこれピラミッドに見えます?
ちなみにこれがエジプトの
このツイートはありません。

ピラミッド。
(ピラミッドの画像)
どうみてもホプキンソンの図柄はピラミッドではない。

元ネタ絶対これだろう。
(拝火壇の画像)
これ、インドのバラモン教のアグニ・ホートラという儀式ね。
イラン(ペルシア)でも似た様な儀式があったらしい。
https://twitter.com/HariDarshanin/status/610782509320634368

ちなみにホプキンソンの
引用ツイート
Hari Darshan
@HariDarshanin
·
2015年6月16日
Fragrance has played a dominant role in Hindu rituals since Vedic times and is linked to havan i.e. sacrificial fire.
画像
午前11:14 · 2018年1月4日
·Twitter Web Client

図のこの火壇を囲む八角の星は古代バビロニアの女神イシュタルのシンボルらしい。(シュメールのイナンナ女神)
つまりアメリカという国家はキリスト教国家ではない。
アメリカの建国の父達が信仰しているのは明らかに
イラン系の古代宗教(アーリア人の宗教)なのだ。
…イランの古代宗教で有名なのは

ゾロアスター教
である。これも”火”を拝む事で有名だ。
しかし、このフリーメイソン人脈の”イラン”に対する
執拗なこだわりは一体なんなのだろうか?
【プロビデンスの目】初代ピラミッド野郎”フランシス・ホプキンソン

出口ハルヒ、この名前をよく覚えて欲しい。
実は、現・大本教の代表の名前が
「出口ハルヒ(春日)」なのだ!
もちろん、大本教を大きくした出口王仁三郎の子孫だ。
谷川流版「ハルヒ」の時点でこの共通点は既に
指摘されていた。




フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月9日
@lakudagoya
西洋魔術自体が何なのか分からない
ので何とも。

道教も密教も現代まで残っている
事を考えるとそれなりに効果が
あるのでは?

祓魔の手順はバチカンのエクソシズム
が一番ラクチンw


15年6月9日
@lakudagoya
聖書に出てくるガラテアという地域名は
ケルトと同義だとか……
ケルト人をケルトイ。
ガラテア人ならガラトイと
呼ぶのも有りらしいです。

15年6月9日
@lakudagoya
占星術でいうとプトレマイオスの
テトラ何とかと言うのが鉄板らしいです。
和訳はないですね。アルマゲストは
あるのに。

15年6月9日
@lakudagoya
後、西洋漢方のハーブマジックとか
ですかね?錬金術も重要そうですが。

ただ錬金術は中国の外丹術とほぼ
一緒かも?

フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月9日
@lakudagoya
中国も最初は外丹が始まりですよ。
気功とかの内丹が流行り始めたのは、
水銀がどうもヤバイというのが
分かってからですw

15年6月9日
@lakudagoya
結局は外丹も内丹も寿命を
伸ばすのが目的なんですよ。

で最初は薬でやってみようと
思ったわけです。
結局うまくいかなかった。

15年6月9日
@lakudagoya
日本も気功は偽物が多いですよ。

15年6月9日
@lakudagoya
バラモン教の「生命は息」という
理論でいくと、息を吐くと息が
抜けちゃうわけです。

で、変態インド人は人が一生終えるまで
何回呼吸するか数えたわけです。

15年6月9日
@lakudagoya
「そうだ!出来るだけ呼吸のスピード
を遅くすれば死ぬのが遅くなるん
じゃないか!?」

と閃いたのがヨーガのプラーナヤーマ
の始まりですw

だから呼吸を自在にコントロールする
技術なのです。
初期ジョジョの波紋もそう仄めかしてますよ?

15年6月9日
@lakudagoya
インド野郎の徹底ぶりは異常ですよw
空気が漏れるとアカンという事で
ケツの穴を閉めるための技術とかも
整備されてますからww


フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月9日
神義論じゃないけど、この記事
面白かった。
実は看護学部の看護論でも
ドラゴンボールは取り上げられてたりするw

しかし、フェイド大帝の感想としては
鳥山の方が漫画は断然宮崎駿より
上手いな。まぁナウシカと比べての
話だけど。 twitter.com/kotosaka/status/608089526498566144

twitter.com/kotosaka/status/608089526498566144
”Masa Kotosaka (琴坂将広)
@kotosaka
俗っぽい人文科学の例(大違)→我が子を道具としか思ってない、孫悟空と碇ゲンドウの共通点 - ビルケなう! http://redgmcanon.hateblo.jp/entry/2015/06/08/211345
午前10:53 · 2015年6月9日·Twitter for Android
”)


[非公開] フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月9日
モンタノス派の流れで言えば聖霊降ろし系
の方がパウロ教より古いんだけどね……
ヨハネの野郎も鳩を乗り移させていたしね。 twitter.com/jesuslovesmako/status/468136015517872130

このアカウントの所有者はツイートを表示できるアカウントを制限しているため、このツイートを表示できません。詳細はこちら
って出る)


15年6月9日
ああ、パウロ教ってのはパウロが
始めたという意味ではなく、
パウロを担ぎ出したという意味ね。

マルキオンが元祖だけど、正統派という
意味ではエイレナイオスが教祖様。

うなじ
@unajiperopero
マルキオンがそんじゃそこらの異端と違うのは、新約聖書の正典化っていうのを史上初めてやって、しかもマルキオンが作った福音書+使徒行伝+使徒(マルキオン聖書の場合はパウロのみ)の書簡を中心としたその他の文書っていう基本的な枠組みは今の正統派でも残ってるところ
午前11:05 · 2018年10月4日
·Twitter for Android

https://twitter.com/mod_str/status/945518730791985152 と続き
”不知
@mod_str
マルキオン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3

>2世紀のローマで活躍した小アジア(現トルコ)のシノペ出身のキリスト教徒
>聖書の「正典」という概念を初めて打ち出し、自らの基準に従って独自の「聖書正典」を作り上げた。パウロへの強い傾倒とグノーシス主義の影響が見られる。彼は教会によって異端とされ
ja.wikipedia.org
マルキオン - Wikipedia
午後1:56 · 2017年12月26日
·Twitter Web Client

>マルキオンは異端とされたために教会による焚書が行われ、著書は現存していない。しかしマルキオンの思想は彼を反駁した神学者たちの資料から逆に推測することが可能である

オリジナルの一部を改変して編纂。宗教分派お決まりの私が正統
これを契機に新約聖書編纂の流れができたのだとか。
午後2:00 · 2017年12月26日
·Twitter Web Client



15年6月9日
神義論、神義論、しつこいから
補足するとユダヤ カバラでは
最初が悪。エドムの十人の王の
セフィロトと言うのが最初にある。
で、ヤハウェ クラッシュ!で
エドムのセフィロトをぶっ壊して
その上に従来のセフィロトを作る。

15年6月9日
@FeydoTaitei
エドムの砕けた玉の殻は下の方に
溜まる。
だからクリポトの事を「殻の国」
と呼ぶわけ。

GD系は原罪論を正当化するために
最初善だった物が堕落してヤマタノオロチ
が目覚めて悪が生まれたとしているけど、
本来のユダヤ カバラとは関係ない。

15年6月9日
@FeydoTaitei
要するに悪をぶっ倒して正義を
導入するッッ〜‼︎!という理屈。

バラモン教の
創造→維持→破壊⇨創造の
サイクルに似てるだろ?w

15年6月9日
@FeydoTaitei
つまり、この思想は世の中が
良くなるためには、世界を一度徹底的に
破壊しつくさないといけないという
極端な解釈にも繋がる。

これに固執すると終末論的破壊カルト
(DOOMSDAY CULT)になりやすくなる。

フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月10日
山伏、山伏、ラビ、ラビ、しつこいけど
いきなりイスラエルから日本に飛ぶから
おかしな事になる。

常識から考えてイスラエルと日本の
中間に何があるか調べるのが先だろう。

ヒントは次の画像!

15年6月10日

@FeydoTaitei pic.twitter.com/bMl2LEDvWC

ヴィシュヌの画像。法螺貝を持っているのがヴィシュヌ)

フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月13日
@lakudagoya
ドランヴァロのフラワーオブライフで
気になったのが、吉村氏のチームと
思われる?日本人調査隊がピラミッドの
中の像を盗んだ!とかいう説。

アカデミックなエジプト学者の本には
ドランヴァロの指摘するその場所には
何も置かれてなかったと書いているが……

15年6月13日
@lakudagoya
元々、像なんてなかったから
ドランヴァロ説はデマという意味ね。

15年6月13日
ジョン(John)の語源のヨハネだけど、
一般的にはヘブライ語のヨハナン、
「ヤハウェの慈悲」から来ていると
言われている。

コレ、ギリシャ語だとイオアネス
(IOANNES)という。
実はこの語は魚野郎のダゴン=オアンネス
が語源という説がある!

15年6月13日
@FeydoTaitei
オアンネス自身はシュメールの
水神エンキ(エア)が元ネタだと
言われている

古代の占星術だとエンキは水星
つまりヘルメスに対応する

エンキの帽子がカドゥケウスと同じ
形をしているし、着ている服は鯛の
鱗を模してると言われてる

鳩っぽいのもいる

15年6月13日
@FeydoTaitei
コレがエンキ。 pic.twitter.com/hry1cnxkco


15年6月13日
RAPTで話題にしてるインドの女神
カーリー。「時間」を意味する
「カーラ」から来ていると言う。
時間は終わりと死を齎すので、インド
哲学では良いイメージがない。

ウパニシャッドの創造神「死」も
これと関係してるだろう。

15年6月13日
@FeydoTaitei
ところでアーリア系で時間といえば
東のクロノスさん事、ズルワーンだ。
ライオン頭の天使に蛇が巻き付いている
格好だ。 pic.twitter.com/v0U74IMXe7

15年6月13日
@FeydoTaitei
ライオン頭の鳥っぽいやつと言えば、
シュメールのマルドゥクにたおされた
アンズーがいる。
アンズーは天の運命を司る「ME」
を盗んだとされる。
(ズルワーンと同じ神ならMEは
時間に関する物、つまり暦法か
天文技術のことだろう)


15年6月13日
@FeydoTaitei
アンズーの図。
ワシミミズクにも似ている? pic.twitter.com/jZ1H8hzAMU

おそらくこの記事にあるのと同じ画像(記憶頼り)。

ズー - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%BC



15年6月13日
@FeydoTaitei
この「ライオン頭の天使」がアッカド
に行くと疫病と風の邪神パズズになる。
疫病とは言っても「死」を齎すので、
元はウパニシャッドの「死」と
無関係ではなかろう。 pic.twitter.com/jaWiKPbVzv

おそらくここにある画像。右手を上げて左手を下げるポーズ。

パズズ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BA%E3%82%BA



15年6月13日
@FeydoTaitei
この「ライオン頭の天使」、実は
エジプトにもいる。

疫病と破壊と死の女神セクメトだ。 pic.twitter.com/On9jsbpLVm


15年6月13日
@FeydoTaitei
DIOと言うと本当は第一部の
耳の三つのホクロの方が重要だ

このホクロ、美内すずえのアマテラス
の魔女の首筋にもあるし、
最近では大高忍のマギのアルバや
まどマギのキュウベェにも三つの
ホクロの謎がある pic.twitter.com/HVY9rCra0Q

15年6月13日
@FeydoTaitei
ただ、ホクロの話はヤバすぎるので
ここまでにしとく。

DIOに戻るが、こいつのスタンドの
能力は既知の通り「時を止める」だ。


15年6月13日
@FeydoTaitei
実はジョジョ第一部をよく読んで
頂ければ、当時の荒木はインドの
ヨーガ哲学からアイデアを得ていた
事が分かる。

波紋のメカニズムをツェペリが説明
する場面でインドでの修行の話が
出てくる。

チベットが正しい)

15年6月13日
@FeydoTaitei
この波紋、発動させるとき「ビート」
という単語を荒木は採用している。 pic.twitter.com/H9GA9lFwo9


15年6月13日
@FeydoTaitei
この「ビート」、心臓の鼓動の
事を指すが、音楽用語でもある。
作曲における時間(拍子)の単位の事だ。

一般的には荒木がロックのファンだから
という事でこの語を使用したと言われている。

15年6月13日
@FeydoTaitei
第三部のDIO戦で承太郎がDIOに
心臓の鼓動を聴かれないために、
スタンドで心臓を止める場面がある。 pic.twitter.com/CVdgFviwzs


15年6月13日
@FeydoTaitei
ところでDIOは吸血鬼である。

従って、作中では寿命に因る「死」
から解放された元人間である。

DIOが「時間を止める」事に執着する
理由も、インド哲学の異常な「時間」
と「不老不死」に対する拘りから
来たのだろう。

15年6月13日
@FeydoTaitei
心臓の話に戻るが、インドのヨーガ
では時間の細かな測定は呼吸のリズムや
脈拍で測る。

そして、呼吸や脈拍をコントロール
する事はつまり、

「時間のコントロール」

する事でもある。


15年6月13日
@FeydoTaitei
実は、呼吸を止める事によって
時間を止める描写は同じジャンプ
漫画家の鳥山明も採用している。

ドラゴンボールのグルドだ。 pic.twitter.com/UHslOjYK7F


15年6月13日
@FeydoTaitei
承太郎は「時を止める」強敵のDIO
を、この心臓を止める技でピンチを
脱出している。

つまり脈拍=ビートのコントロール
(つまり第一部の波紋の理論に荒木が
実は忠実だった事が分かる)
が如何に重要であるかが分かる。


15年6月13日
@FeydoTaitei
纏めると、鳥山と荒木には
共通するヨーガ哲学思想がある。

両者同士の交流で意見交換したか、
ジャンプ編集部(つまり相賀家の介入)
の入れ知恵の可能性が指摘される。


15年6月13日
@FeydoTaitei
そう言った意味では、ジョジョは
ただの娯楽漫画などではなく、
ヨーガの秘伝も伝えている作品になる。

元は「時間と寿命を超越したい」
バラモン教の思想から出発している。

こういった事に注意しながら
DIO戦を視聴頂ければ更に
アニメを楽しめるだろう。

すでに集めたのがあるからそれも引用:

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-242.html
”フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 6月13日
もう一つネタを投下してやろう。 アニメで話題のジョジョのDIOについてだ。

DIOと言うと本当は第一部の 耳の三つのホクロの方が重要だ このホクロ、美内すずえのアマテラス の魔女の首筋にもあるし、 最近では大高忍のマギのアルバや まどマギのキュウベェにも三つの ホクロの謎がある pic.twitter.com/HVY9rCra0Q

(三つのほくろってもしかしたら、「本物の結社員」と「結社員のふりをしている偽物」を区別するためのサイン?)

ただ、ホクロの話はヤバすぎるので ここまでにしとく。 DIOに戻るが、こいつのスタンドの 能力は既知の通り「時を止める」だ。


実はジョジョ第一部をよく読んで 頂ければ、当時の荒木はインドの ヨーガ哲学からアイデアを得ていた 事が分かる。 波紋のメカニズムをツェペリが説明 する場面でインドでの修行の話が 出てくる。

この波紋、発動させるとき「ビート」 という単語を荒木は採用している。 pic.twitter.com/H9GA9lFwo9

この「ビート」、心臓の鼓動の 事を指すが、音楽用語でもある。 作曲における時間(拍子)の単位の事だ。 一般的には荒木がロックのファンだから という事でこの語を使用したと言われている。

第三部のDIO戦で承太郎がDIOに 心臓の鼓動を聴かれないために、 スタンドで心臓を止める場面がある。 pic.twitter.com/CVdgFviwzs

ところでDIOは吸血鬼である。 従って、作中では寿命に因る「死」 から解放された元人間である。 DIOが「時間を止める」事に執着する 理由も、インド哲学の異常な「時間」 と「不老不死」に対する拘りから 来たのだろう。

心臓の話に戻るが、インドのヨーガ では時間の細かな測定は呼吸のリズムや 脈拍で測る。 そして、呼吸や脈拍をコントロール する事はつまり、 「時間のコントロール」 する事でもある。

実は、呼吸を止める事によって 時間を止める描写は同じジャンプ 漫画家の鳥山明も採用している。 ドラゴンボールのグルドだ。 pic.twitter.com/UHslOjYK7F

承太郎は「時を止める」強敵のDIO を、この心臓を止める技でピンチを 脱出している。 つまり脈拍=ビートのコントロール (つまり第一部の波紋の理論に荒木が 実は忠実だった事が分かる) が如何に重要であるかが分かる。

纏めると、鳥山と荒木には 共通するヨーガ哲学思想がある。 両者同士の交流で意見交換したか、 ジャンプ編集部(つまり相賀家の介入) の入れ知恵の可能性が指摘される。

そう言った意味では、ジョジョは ただの娯楽漫画などではなく、 ヨーガの秘伝も伝えている作品になる。 元は「時間と寿命を超越したい」 バラモン教の思想から出発している。 こういった事に注意しながら DIO戦を視聴頂ければ更に アニメを楽しめるだろう。

(ジョジョの作者が若々しいのは、呼吸法と輸血のおかげでしょうね)




フェイド大帝 @FeydoTaitei
15年6月13日
似てるだろう?
この片手を挙げるポーズはバアル系の
宗教の神格に多い。 pic.twitter.com/fvN7ciGB5W

右手を上げて左手を下げるポーズの画像だろう。
エリファス・レヴィのバフォメットなら右手を上げて左手を下げるポーズかつ「チ◯ポがカドゥケウス」。
バアル像も右手を上げ左手を下げるポーズ。

バアル - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A2%E3%83%AB

バアルポーズ集:

【ネタバレ注意】knznymmmyのガンダマニア入門10
http://codetripleseven.blogspot.com/2016/05/1-v-1-v-va-av-aa-vvv-victory-va-aa-avg.html

ついったー記事まとめ ねぷちゅーんパイセンまじかっけーっす
http://codetripleseven.blogspot.com/2016/05/blog-post_21.html



15年6月13日
@FeydoTaitei
チ◯ポがカドゥケウスなのも
同じだしww

実はシュメールのエンキのシンボルは
魚の他にもヤギがある。

両者が合体して山羊座のカプリコーン
になった。 pic.twitter.com/1LJUvwfo16


15年6月13日
@FeydoTaitei
オマケ。 pic.twitter.com/27jg7KoUVG

おそらく、天上天下唯我独尊の釈迦の画像


15年6月13日
@FeydoTaitei
誤解しないために補足しておくと、
釈迦が誕生後に「天上天下唯我独尊」
と言ったという説話は初期仏教には
現れない。

後世になって付け加えられた
箔付けのエピソードである。




お読みくださり感謝!
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箱崎総一『カバラ ―ユダヤ神秘思想の系譜』、退位されたフェイド大帝のコダヤ・カバラ記事 

[2022年8月20日に追加:
ユダヤ・カバラ版(か、それに近いであろう)生命の樹↓
https://twitter.com/theos_Isvara/status/1393344544947589125


(この生命の樹がすごいぞ。ほとんどの書では載っていないであろうことが載っている。


3ビナー(知性)←  シン ← 2ホクマー(知恵)
5ディーン(法) ← アレフ ← 4ヘセド(愛)
8ホド(尊厳)  ←  メム ← 7ネーツァハ(永遠)
        9イエソド(基礎)(男根)

すごいぞ! メム(M)が腰の位置だ! バックルにM!
(左足と右足の開始地点は腰なので含まれるはず)
イエソドが男性器に対応すると書いてあるのもすごいね。
ぐだとま帝も私と同様驚くだろうね。

   1ケテル(王冠)(至高・無、超越、言葉)
3ビナー(知性)← シン ← 2ホクマー(知恵)
[ケテル~ビナーまでが神的世界]
[2ホクマー(知恵)(すべての創造の原点、天上の肉体・種子、純粋理性]
[3ビナー(知性)(万物の神秘的母胎、創造の泉、実際的理性)]
(ケテルの途中~「ホクマーとヘセド」の間ぐらいまでの高さが、「アダム・カドモンの頭」。
「以下各セフィラもすべてアダム・カドモンの肉体の各部に対応する」)
[神性からの流出↓][「神性」はケテル以上。ホクマーとビナーは含まない]

5ディーン(法)(左腕) ←←アレフ←← 4ヘセド(愛)(右腕)
(ゲブラーではないのがすごい。後のゲブラーが左腕なので
アダム・カドモンが見る人に背を向けていることになる。
その方が見る人[カバラ修行者]とアダム・カドモンを重ね合わせやすいからかもしれない)
[4ヘセド(愛)(慈悲・恩寵、偉大さ、右腕)]
[5ディーン(法)(神の権力と裁き、悪の発現と流出、大いなる怒りの火、サタンの住処、左腕)]


   6ラハニーム(慈悲)(ティフェレト[崇高])(調停・美・心臓)
[ヘセド、ディーン、ラハニーム(ティフェレト)までが霊的世界]

8ホド(尊厳)(左足)←メム←7ネーツァハ(永遠)(右足)
[7ネーツァハ(永遠)
(恒常的存続・膨張・勝利、ヘセドの反射と補完、右足]
[8ホド(尊厳)(収縮・栄光、ディーンの反射と補完、左足]

8ホド(尊厳)(左足)←メム←7ネーツァハ(永遠)(右足)
   9イエソド(基礎)(男根。万物の基礎。神の創造力)
              ↓
10マルクト(王国)〔(シェキナー[神の住処])〔↓物質世界 粗雑]
 (物質・王女・神の花嫁)〕

力の柱(女性・動的)|中央の柱(子・調停)|慈悲の柱(男性・静的)

[ネーツァハ、ホド、イエソドが自然世界。
マルクトは大地]
ケテル~ビナーが天(根本)、神の充溢。
ヘセド~イエソドが幹・枝。
マルクトが果実。
(マルクトも「幹・枝」の範囲で「果実」も枝の範囲かも。
どうしてもマルクトが根っこだと思ってしまうが、源泉、源流、根っこは頂点なんだよね)

この本にコダヤ・カバラの生命の樹なしカバラや、上記のようになる前のセフィラとかが記載されているか気になる。

ユダヤ・カバラの聖典の1つ『バヒル』(イルミネーションの本)の英訳本の一部を翻訳して解説
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-299.html)





だいぶ昔に作成したメモがやっと公開できた(イェツィラーの注釈を読み終わるのに時間がかかったからだな。URLの数字が329)。
読んだのがどの版か思い出すのに時間がかかった。
表紙を見るに、箱崎総一『カバラ―ユダヤ神秘思想の系譜 』(新版 。2007/5/1)を最初に読み、
後に読んだのが『カバラ ―ユダヤ神秘思想の系譜―新・新版』(2019/6/25)だろう(鏡リュウジの解説のメモが本記事にあるので)。本記事のページ表記はおそらく新・新版。
この本は版が多い。
『カバラ ―ユダヤ神秘思想の系譜』は改訂新版 (1988/3/1)や、
この88年刊の改訂新版に次ぐ新装版(2000/9/1)もある。
88年のは改訂新版なのでそれより前の版もあるとわかる。



生命の木カバラの起源は12世紀、1165年の仏生まれの盲人イサク 11世紀以前に生命の樹カバラはない。
確かにセフィロト論自体は古くからあるが、
セフィロトを「樹」としてとらえるようになったは「バヒルの書」以来であり、つまり12世紀以降のこと。
我々が知っている形でのセフィロトが成立したのは盲人イサク以降。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/811584452606296065
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchi
さん
生命の木カバラの起源は12世紀、1165年の仏生まれの盲人イサク
11世紀以前に生命の樹カバラはない
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/mouisaku.htm

”盲人イサク…は1165年にフランス…で生まれたらしい…彼…は…新プラトン主義およびグノーシス思想の強い影響…@kikuchi_8
午後11:49 · 2016年12月21日·Twitter Web Client


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/811966915455295493
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchiさん
猫太“カバラが成立したのは早くても三世紀な?新プラトン主義などの影響をモロに受けてる。理論が固まったのは13世紀頃。生命の木が登場したのは15世紀の西洋。だから、紀元前6世紀から日本のカバラ(笑)がーとかありえない。単に道教の話をそう読み替えてるだけでしょ?”@kikuchi_8
午前1:09 · 2016年12月23日·Twitter Web Client


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/521516763775651841
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
カバラ基本経典は紀元前にない。イェツィラー(3~6世紀。新プラトン主義成立後)・バヒル(12世紀)・ゾーハル(13世紀)。ユダヤ・カバラは旧約聖書重視(元祖カバラに生命の樹なし)。クリスチャン・カバラ(生命の樹中心)は15世紀にピコが創始。
物証成立年代を捏造する #日ユ同祖論。
午後1:24 · 2014年10月13日·Twitter Web Client”




箱崎カバラ本のメモ開始
p.92
から
p.144
までが創造の書の和訳
原本がどの版かわからないが誰から手に入れたかはあとがきにある↓

著者のあとがき
ラビ・トケイヤーとも著者は十年以上の交友関係にあり、
わが国で入手しにくい文献(とくに『創造の書』 原文のコピーなど)をイスラエルから、
ニューヨークから多数直送して頂いた。
紙面を借りて謝意を表したい。

(著者の翻訳はあまり信用できないなあ)

ユダヤの古い諺に
"あらゆることは記録しておかねばならぬ。
もし、そうしなければ総てが失われる"

p.96から
(注釈は箱崎によるもの)
創造の書の形成時期は2~6世紀とされている。
ショーレムは三世紀頃と推定。
タルムードのサンヘドリン編に創造の書について言及した部分がある。

セフィロトはセフィラより派生した言葉で
本来の意味は「数」あるいは「範疇」である。
13世紀に成立した後期カバラのゾハルではセフィロトは
「光」あるいは「球体」という意味をもつ。

”五つと五つが向かいあっている”
これは顔に両手を当てた形と考えられている。

個人的友人であるラビ数人とも、
カバラ思想の研究手段について話し合ってみたことがある。
創造の書の本文も個人的交友関係を通じて入手した資料による。


p.114から
ヘブライ語アルファベットにつけられた数値によって隠された意味を探るという手段は、
すでに一世紀ごろアレキサンドリアのフィロンによって考察されていた。
その他古代ヘレニズム文明においても認められ
ネオ・プラトニズム思想として広く影響を及ぼしていくことになる。

カバラ神秘思想でゲマトリアの手法が使用されるようになったのは
盲人イサクが活躍していた南フランス地方においてではなく
さらに北方のドイツ各地のユダヤ人居留地においてであった。
十二世紀当時においても情報伝播の速度は早く、
盲人イサクの『創造の書』に関する註解書は既に南ドイツ地方で読まれていた。

グノーシス神秘思想のなかにもゲマトリアがあり
古代ギリシャ文明、バビロニヤ文明にその起源を求めることができる。
ラビ神学においてゲマトリア手法が初めて認められるのは、
二世紀頃に書かれたタンナイム期の記述においてである。

カバラでゲマトリア手法を集大成させたのはボルムスのエレアザール(1165~1230)であった。
ボルムスは南ドイツの小都市。
エレアザールはマインツ市に生まれ、その生活の大部分をボルムス市ですごした。

エレアザールの主著『秘密の秘密』で創造の書に言及しており、
22文字によっていかにして地球、星辰、各要素が創造されたかについて記述している。
彼によれば神の言葉は22文字によって表わされ存在の基礎となる。
著述の半分以上が文字に関するゲマトリア手法についやされている。
創造の書とゴーレムの創造に関する記述も含まれている。

(ゴーレム出てきた)

ゲマトリアの概要
単語に含まれた数値の計算値に等しい別の単語は同価
(象徴的に同じ意味)
循環数、少数は10または100のなかに含めない。
単語に含まれた数値を二乗数として計算することがある。
各文字の数値は前から後ろへ加算してゆく。
合計千になるゲマトリアは重要。
各文字の数値それぞれは計算せず合計した数値のみが有意義である。

ゲマトリアは後世にいたり通俗的カバラの主要な関心事となっていった。
より神学的、形而上学的な内容を保持しようとする瞑想的カバリストにとっては、
ゲマトリアは無価値なものであるとして批判されることになった。
(カバラだからといってゲマトリア重視とは限らない。
神学、形而上重視の瞑想的カバリストはゲマトリアを批判し否定)

その他、カバラの通俗化、歪曲化をうながす手段として使用されたのが
ノタリコン。
ギリシャ語起源であり速記法という意味。
古くローマ帝国の法廷においても用いられていた。
記述速度をあげるため通常は単語を頭文字一字のみに簡略化した。
エルサレム・タルムードにもノタリコンについての記述がある。

聖書の単語の文字の総ては簡略化されたノタリコンであり
そこから別の意味がくみとれると考えられることになった。
十三世紀頃のドイツにおける通俗的カバリストの間では
ゲマトリアとノタリコンはカバラ聖典の解釈にとって不可欠の手段であると考えられるようになっていた。


p.137
創造の書 第六章
” 律(ミシュナ)6・1
 そこに三つの母なる文字、
AHLEF・MEM・SHEEN がある。
それらは三つの父なるもの、
つまり空気、水、火から出てくる。
そしてこれらの父たちからの子孫、
つまり三人の父と彼らの子孫、
七つの星とその天使、
対角線における十二の境界が導かれる。
宇宙、年、身体、
十二の状態、七つと、三つ、
これらのものは信頼しうる証人の【あかし】である。
彼はそれらのなかに
軸、
輪(7)、
心を割りあてた。

 律(ミシュナ)6・2
 そこに三つの母なる文字、
AHLEF・MEM・SHEEN がある。
空気、水、火。
火は上方に、
水は下方に、
そして聖霊の空気があり、
それらの間の段階を平均化する戒律がある。
そこに物のしるしがあり、
火は水を上昇させる。
MEMは静かに立ち、
SHEEN は【しゅー】という音をだし、
AHLEF は聖霊の空気、
それらのものの間の段階を平均化する戒律である。

 律(ミシュナ)6・3
 宇宙における軸は玉座にいる王のようである。
年における輪は領土における王のようである。
身体における心は戦場における王のようである。”

※【】は傍点の代役。


p.15から
解剖学用語で小脳の活樹体は
命の木(命Vitae + 木Arbor)と呼ばれる。
エデンの園にある木。
この解剖学用語は17世紀のフランスの植物学者Lecluseによって命名された。
小脳の活樹体は小脳断面でわかるように
樹皮状の灰白質と白質がたがいに入り組んで、
木の形を連想させる。

光輝の書(ゾハル)の命の木についての部分を抄訳すると

"「エデンの園の中央には命の木と、
善悪を知る木がはえていた」(創世記2・9)。
伝説によれば命の木は五百年の旅でやっと
「踏破できるところまでその木の枝が伸びているという。
そして、創造された総ての水は、命の木の根にそそぎこまれる。
この木はエデンの園の中央にあって、
創造された水は総てこの園にそそぎ入り、
そして流れ去る。
沢山に分れた水の流れは下って"野獣の野"へそそぎ、
さらに水の流れは天なる『清純な香油(バルサム)の山』へそそぐ"
(脳に命の木があるって面白い。

小脳活樹;生命樹Arbor vitae(Arbor vitae; Arbor vitae cerebelli)
http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/TA(html)/A14_1_07_401.html
”小脳活樹;生命樹【しょうのうかつじゅ;せいめいじゅ】 「Tree of life.」 Branchlike appearance of cerebellar white substance in crosssection.(小脳括樹は矢状断面において髄体から分岐した複雑な樹木のようにみえる見える髄板と小脳回の状態を活樹となづける。また、昔から後頭骨と第一頚椎の間から針を刺すと死亡することから生命に関係するところ「生命の樹」と誤って考えられたことによる。実際には延髄損傷による死亡である。)”



https://twitter.com/Kagami_Ryuji/status/1139761008686166017
”鏡リュウジ
@Kagami_Ryuji
箱崎総一『カバラ』新装版が出ます。光栄にも解説を寄稿させていただきました。
amazon.co.jp
カバラ ―ユダヤ神秘思想の系譜―新・新版
カバラ ―ユダヤ神秘思想の系譜―新・新版
午後2:06 · 2019年6月15日·Twitter for iPad”

鏡リュウジの新・新版に向けて
タロットの起源がカバラ思想と関連があるとするのは誤り。
創造の書はカバラ思想の着想の源であったとしても、
カバラ文書そのものではないという見方が今では一般的なようだ。

(ラビ・キャプランはカバラ文書と見做しているから注釈を書いたのでは?)

頭蓋骨を貫通して頭蓋骨内部と外部を結ぶ「導出静脈」(エミッサリウム)に、
カバラの歴史で重要な役割を演じる「密使」(エミッサ)の響きを感じ取り、
「瞳孔」(プーピラ=少女、人形)という医学用語に
ユダヤ伝承に登場する人工的小人、ホムンクルスを、著者は観る。


著者の記述のメモに戻る。
p.176から
脳へ運ばれる血液――そのエネルギーによって意識が保たれ、
精神活動がいとなまれている――は主として頸動脈や椎骨動脈によって送りこまれている。
つまり頭蓋骨の外側と内側を直接貫通し、結びつけている血管は存在しない。
だが例外的存在がある。
頭蓋骨を貫通して頭蓋内部から直接頭部の皮膚へ血液を送り続けている静脈がある。
この奇妙な静脈の名称が
エミッサリウム(密使の静脈)という学名。
専門的には導出静脈(Vena Emissaria.PNA; Emissarium.JNA)と呼ばれている。
密使の静脈は臨床的に重要な理由がいくつかある。
それは主として側頭葉を貫通しているものが多いが、
その辺の皮膚にちょっとした化膿があると、
この密使の道を通って化膿菌が直接、頭蓋内部に入りこんで感染症を起こし、
たちまち脳膜炎などを発生させる恐れがある。
抗生物質の発達した現在ではその危険性は減少したわけだから、
密使の静脈の意義もやや薄らいだかもしれない。

導出静脈
=硬膜静脈洞と頭部の皮下静脈とを連絡する静脈。

(医学と宗教の関係も深いとよくわかる)


p.65から
歴史家ヨゼフスによれば
アレキサンドリア市には紀元前三世紀頃すでにユダヤ人居住区があったと記述されている。
ユダヤ人の大部分は手工業の職人であったが、
少数の富豪たちもいた。
彼らは金融、交易、徴税代理人として材をなしたのであり
指導者(エトナルクス)としての役割を果たしていた。
タルムードにもアレキサンドリアのシナゴーグの壮麗さについての記述がある。

紀元前38年、カリグラ帝の時代に
アレクサンドリアの一般市民ことにギリシャ系住民による反ユダヤ感情の発生から
市民暴動がおこった。
当時のローマ政府総督フラックスの政治的策謀によってこの暴動は計画されたものらしかった。
そこでアレクサンドリアのユダヤ系市民の間で直接皇帝カリグラに直訴する計画が練られ
宮廷への大使に適任されたのが、
後世、哲学者フィロン(アレキサンドリアのフィロ、別名ユダヤ人フィロ)として
知られるようになった人物である。

膨大なフィロンの著作は大部分が流暢なギリシア語で書かれ、
思想的背景はユダヤ教。
フィロンが学んだと推定されるストア学派からの影響も色濃く認められる。
フィロンの思想は現代ユダヤ教においては承認されていない。
その理由として考えられることは、
ユダヤ教パリサイ派ではギリシャ哲学が排斥されていたからであろう。
フィロン自身も『夢』においてパリサイ派信者たちについて
"彼らは横柄な目を開く"と記述している。
フィロンの著作集は初期キリスト教会において広く読まれ、
教父たちによって手厚く保存されることになり、
このため後世フィロンをキリスト教者と誤認することが多くなった。


フィロンの著作集は旧約のモーゼの五書に関する評釈書という形式を採用して記述され
質疑問答の形をとっている。
フィロンは聖書を寓意(アレゴリー)として解釈する傾向。
最初の人間アダム(アダム・カドモン)はフィロンにおいては
人間の霊魂が発達する象徴として考えられている。
これらの象徴的解釈方法が後世のユダヤ神秘思想体系カバラに濃厚な影響を与えることになる。
フィロンの思想体系のうちで注目すべきものは
数に関する秘義あるいは比喩的解釈である。
フィロンによれば
1 神の数 その他総ての数の基本
2 分裂 比喩的には2から死が生まれたと解釈

6は男性数と女性数の掛け合わせ
10は完全数

など。

モロにピュタゴラス教の影響を受けているね。

https://twitter.com/nanakam53122669/status/1524411589989847042 と続き
”𝕚𝕖𝕟𝕖𝕜𝕠
@nanakam53122669
ピタゴラス教団は、1から4までの自然数とその合計数である10の点を4列に並べた三角形の図形、テトラクテュスを神聖視した。
点は1(ゼロ次元)で広がりをもち、2(1次元)は2点からなる線を表し、3(2次元)は3点で構成される三角形で定義される平面を、4(3次元)は4点で定義される正四面体を表す。
画像
午前0:30 · 2022年5月12日·Twitter Web App

ピタゴラスは、宇宙の全ては数から成り立つと考えた。
1+2+3+4=10となるから、10は点、線、面、立体の全てを含む完全数であるとした。
テトラクテュスは、自然界の原理、宇宙の調和、神への昇華、また神の領域の神秘を、種子のような形で自らの中に包含する形而上学的なシンボルでもある。
画像
午前0:34 · 2022年5月15日·Twitter Web App



フィロンの数に関する象徴主義の考察は正統的ユダヤ教の教義であるよりも
ギリシャ哲学からの影響が強く、
当時アレクサンドリア在住の学者たちからも反論が起こったほどであった。

フィロンの採用した質疑問答形式は後世カトリック神学に影響を与え、
教義問答(カテキスム)という形式で現在でも使用されている。

(新約聖書ってフィロン思想の影響が強いのでは?
新約がギリシャ哲学化された異端的ユダヤ教派生(+ミトラ+ゾロアスターなど)だから
パリサイ派ユダヤ教を敵視したのでは?

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/950384217338232832 と続き
”英語kingdom

[書評]アレクサンドリアのフィロン入門(E.R.グッドイナフ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/12/er-a168.html

”アレクサンドリアのフィロン( Φίλων ὁ Ἀλεξανδρεύς)は、紀元前25年頃に生まれ西暦45年から50年頃に死去したユダヤ人哲学者である。呼称からわかるように当時の大都市アレクサンドリアの人であり、
午前0:10 · 2018年1月9日·Twitter Web Client

数代前からローマ市民権を持つ富裕な名家に属していた。
…フィロンの生存期間には…キリストの生涯が含まれる。イエスはフィロンを知っていたかもしれない。使徒行伝でヘロデ王(ヘロデ大王の孫)と呼ばれるアグリッパ1世が借財に苦しむおり、フィロンの兄弟であるアレクサンドロスは彼にかなりの金

2018年1月9日
額を貸与しているし、フラウィウス・ヨセフスによれば、アレクサンドロスはエルサレム神殿の九門を飾る金銀の延べ板の寄進もしていた。当時のユダヤ人にはその家系は有名でもあっただろう。また、フィロンは後代からすればユダヤ人哲学者ではあるが、実際には家とアレクサンドリアのユダヤ人社会を支え

2018年1月9日
る政治家としての実務家でもあった。…「ヨハネによる福音書」の冒頭は、異論もあるが、フィロンの哲学を反映したものと見る学者が多い…フィロン哲学から見えるヨハネ福音書のロゴス観は、必然的に三位一体論を導出する…その三一論は、その枠組みにおいてフィロンの哲学の構図に拠っている…処女降誕

からイエスの神性までも用意していたということが理解できる。フィロンは創世記をプラトン哲学で解き明かしながら、その創世神話やユダヤ伝説を神学に置き換えている。…フィロンについては、ヘブライズムの、特にヘブライ語によるラビ伝承などの知的な伝承はほぼなかった。…ギリシア語に訳された旧約

聖書であるセプチュアギンタ(七十人訳)と凡庸なプラトン主義を、哲学好きな爺さんが自分の趣味でこっそりと著作にしていたにすぎない…このことが逆にフィロンの意味を大きく高めることになる。というのは、当時のギリシア語圏のユダヤ人は、フィロンのように思考し信仰観を持っていたとも推測される

からだ。その意味では、ヨハネ福音書はフィロン哲学から生まれたのではなく、フィロンの背景から生まれたと見てもよいだろう…当時のギリシア語圏のユダヤ人の代表にはもう一人の巨人、パウロが存在する。パウロも概ねフィロンと同じような哲学・神学観を持っていたと推測される…「ガラテヤ人への手紙

」でパウロはハガルの物語を比喩として挙げているのだが、その手法はまさにフィロンの創世記解釈と同型…パウロがフィロンの著作を読んでいたというより、フィロンのような寓意的解釈はギリシア語圏のユダヤ人の主流であったのだろう。その意味で、フィロンの神学は、パウロ神学を補足してもいる。



本記事でも着色は引用者。


2016年7月21日木曜日
knznymmmyのラテン語ペラペラプロジェクト8
http://codetripleseven.blogspot.com/2016/07/knznymmmy8_34.html
”聖書はプトレマイオス朝のエジプトで書かれたという疑惑がある。
プトレマイオス朝のエジプトは紀元前306年〜紀元前30年。

一般には、ちょうど同じ紀元前3世紀から紀元前1世紀頃に
ヘレニストユダヤの増加に伴い、ヘブライ語の旧約聖書が
ギリシア語に翻訳されたと言われる。
これがセプチュアギンタ=七十人訳。略称LXX

ヘレニストユダヤとはユダヤ人だがヘブライ語ではなく
ギリシア語を話す人々。
また、紀元前の話なのだからキリスト以前の話だ。
だから当時は新約聖書は無い。


私(や、ねこた先生その他)が考えているのは
「既に存在したヘブライ語の旧約聖書」が
実は存在しなかったのでは?という疑惑だ。

いや、完全にゼロとまでは言わない。
過去記事でも、私自身、旧約聖書は古代クソラエルの
南北朝時代に書き始められたと推測している。
勿論、聖書のパクリ元の書物となればそれよりも更に以前だ。
「書き始めた」だけで、全然未完成だった旧約聖書が
プトレマイオス朝で大幅に加筆、書き換えされた。
それが修正というレベルでは済まない程、大規模だったので
「旧約聖書はプトレマイオス朝で書かれた」と言えるのでは?
という問題提起だ。
勿論、大規模とは具体的にどの程度大規模なのか?
具体的にどことどこがプトレマイオス朝で加筆された部分か?
それは今後の課題でもある。しかし既に判明している内容もある。

ひとつは「パロ」 新共同訳での「ファラオ」
これは先生が鋭い事を書いていた。多少省略しながらコピペ。
リンク1 リンク2 リンク3 リンク4

ねこたさんは、旧約聖書は紀元前3世紀頃の
プトレマイオス朝時代に成立したと考えてるの。
大人の世界の聖書学では紀元前6世紀頃に口伝のものを
文字にしたとか言われてるけどありゃ嘘ですな。
旧約聖書の出エジプト記を見ると、ファラオのことを
「パロ」って書いてあるでそ?
(中略)
プトレマイオス朝以前の成立はありえないかと。
ファラオ(大きな家)ってギリシャ語だからね。
エジプト語では「ベル・アア」って言うの。
もしヘブライ語の最古の写本にベル・アアと書いてなければ、
プトレマイオス朝の可能性が出てくるよ。
ねこたさんはね、大人の世界の聖書学では、
ギリシャ語の70人訳のセプトゥアギンタが紀元前70年に
成立したらしいけど、
ヘブライ語聖書の編纂とギリシャ語聖書の成立は
あまり間をあかないで成立したと思う。
プトレマイオス朝が臭いな。

では問題のBHSを見てみる。
パロ、若しくはファラオとしか読めない単語が出てくる。
参考→リンク
出エジプト1章11節のパロ。どう頑張ってもベルアアではない。

ベルアア=エジプト語=大きな屋敷。
これが本来のエジプトでの王様の呼称。
(バアルゼブブも高き屋敷の主というのをお忘れなく♥)
日本語でも「殿様」の「殿」は「御殿」の「殿」だ。
「お宅」は「あなた、お前」を意味するが「宅=家」だ。
(キモヲタの、そっちのオタクはここ20、30年の話だ)
それと少し似ている。

ベルアアではなくてパロ。
或いはパロのギリシア語読みであるファラオ。
これが当然のように出てくるのは怪しいという先生の指摘だ。
プトレマイオス朝はヘレニズム文化=ギリシア文化系だった。
聖書がプトレマイオス朝で書かれたのならギリシア的な
表現や単語が出てきても、むしろ当然という指摘だ。

「パロ」が出てくるのは出エジプトだけではない。
日本聖書協会HPで聖書の全文検索ができる。
「パロ」は旧約限定でも100回以上出てくる。
創世記、出エジプト記、申命記、サムエル記上、
列王紀上・下、歴代志上・下、エズラ記、ネヘミヤ記
詩篇、雅歌、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書にヒットあり。
これだけヒットすれば、かなりの規模の改竄。加筆。
勿論、「パロ」だけが怪しい訳ではない。
怪しい箇所は他にもある。
例えばラクダの飼育が始まったのはいつだ?という問題。
参考→読めないニックネーム
地中海東岸地域でラクダが家畜化されたのは
紀元前10世紀では?と学術的に推測される。
参考→リンク(ナショナルジオグラフィック日本語版)
しかし聖書の中でラクダの初出は創世記12章。
アブラハムの時代だ。
アブラハムは従来の通説では紀元前20世紀頃の人物。
あやしい。実にあやしい。千年以上水増しされている疑惑。

しかもセプチュアギンタの書かれた時代は
3度のポエニ戦争が起きた時代と重なる。
(紀元前264-241、紀元前219-201、紀元前149-146)
そしてポエニ戦争=フェニキア=ユダヤの正体。
あやしい。ユダヤという捏造民族が出て来る丁度その頃に
そのユダヤ人の経典が絶賛執筆中だった疑惑。

しかもその計画立案、指揮命令者のローマを陰で操るギリシア?
(ローマは元々後進国でギリシアの植民地云々の話を思い出せ!)
聖書の中にもこれ本当はギリシア哲学視点で読まないと
意味不明じゃないのか?という箇所はある。
たとえばヨハネ伝1章。ロゴスはテオスとかあのへん。
先生は鍵を握るのはストア派、ネオプラトニズム、ドルイド
あたりでは?と推測中。
そのへんはまだまだ私自身素人。今後の課題。
しかしネオプラトニズムと言えばプロティノスが創始者。
こいつは紀元後3世紀のエジプトの人物。まーたエジプトか!
プラトンは紀元前427〜347。プトレマイオス朝登場の少し前だ。
プラトンが爺さんになった頃アレクサンドロス大王が生まれている。
そしてこのアレ君の帝国が分裂してプトレマイオス朝ができた。

プトレマイオス朝はアウグストゥスによって潰された。
これだって証拠隠滅を兼ねていたのではないか?
〔中略〕
アウグストゥスはローマ帝国初代皇帝でカエサルの息子。
厳密にはカエサルの姪の息子。カエサルは厳密には養父。
直接の親子関係は無い。

アウグストゥスがプトレマイオス朝を潰す以前から
ローマ帝国とプトレマイオス朝の間には色々と交流があった。
例えばエジプト起源のイシス教がローマで流行。
或いは絶世の美女として有名なクレオパトラは
プトレマイオス朝のファラオでしかもカエサルの愛人。

イシス教はここ(あほー知恵袋)がなかなか鋭い。
簡単にダイジェストしてみる。

イシス教は紀元前86年にローマへ流入。ローマ帝国で大流行。
イシスはローマ在来の神々と同一視された。
例えば、ミネルヴァ女神やアフロディーテ女神。
(注:ミネルヴァ=や♥つ♥ら♥)
イシス教が流行した理由はいくつかある。
まず、エジプトは神秘的な国と見られていた事。
そして「密儀」「秘密の儀式」がウケた。
(注:ミトラ教も非公開主義だった件)
また、従来のローマの宗教と違い
イシスの儀式に女性も参加できた。だから女にウケた。
(注:キリスト教も昔は女の宗教と叩かれた)
そしてイシス教は個人主義な側面があった。
ローマの従来の宗教は家長に依存していた。
パパンが司祭でパパンが偉かった。
(注:聖書にこういう一節がある。
「私よりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない」
マタイ伝10-37)
勿論、キリスト教の聖母マリアの元ネタのひとつはイシス教。




p.81
七本腕の燭台メノラは
七つの惑星あるいは七つの天を象徴している。


p.146
ユダヤ人のプラトンと呼ばれたカバリスト、哲学者、詩人の
ソロモン・ベン・ユダ・イブン・ガビロールはスペインのマラガ市で生まれた。
ガビロールは通称アビセブロン。
若年で死を迎えるが、
1058年もしくは59年であったと推定される。
ガビロールの業績の一つは中世ヨーロッパにおいて初めてネオ・プラトン思想を紹介したことである。
ガビロールはフィロンについても研究し、
フィロンの死後約千年後に初めて古代ギリシャ・アラビア系の哲学を中世ヨーロッパへ導入した人物。

(レコンキスタ前のスペインは秘教において非常に重要)

ガビロールのこうした業績に対し、
同時代のユダヤ人学者は完全にそれを無視する態度を示した。
当時ガビロールは異端視されていた。
反面、ガビロールは中世キリスト教思想界へは絶大な影響を与えた。
ガビロールは初期キリスト教神学者が行なった古代ギリシャ哲学のシリア語およびアラブ語からの翻訳作業を
受け継いだ。

ガビロール(アビセブロン)の著作『生命の泉』はアラビア語で書かれ
教師とその弟子との対話という形で綴られた。
ガビロールの著作の特徴は聖書よりの引用、
タルムードよりの引用などを完全に欠落させていることである。
このためキリスト教研究者によってアラビア人哲学者あるいはキリスト教哲学者と見なされた。

『生命の泉』(別名、「物質と形相」)
①すべての創造物は物質的形態と形相を有する。

②世界は有形である状態の物質によって構成されている。
ただし精神界についてはやや異なり、そこには原始物質(essentia prima)と
聖なる存在が有するダイナミックな意思との関係が存在する。
第一の知的世界から派生して創りあげられた存在が物質的世界であり、
それはさらに九つに細分化され、
それらは合わせて十のセフィロトに該当する。

③物質と形相はあらゆる局面において、
その基礎と固有性と属性を合わせ持っている。

ユダヤ人社会ではガビロールは次第に忘れさられ、
彼の詩集『ケテル・マルクウト』がわずかにユダヤ人の間で愛好されただけであった。

ガビロールの思想的影響は
アルベルトウス・マグヌス、
トマス・アクィナス、
ジョルダーノ・ブルーノなどに及んでいる。


https://twitter.com/ketermalkut/status/1172986265131577345
”星 ゆう輝@ゴーレムさん
@ketermalkut
返信先:
@ketermalkut
さん,
@tarareba722
さん
ガビロールの著作は、日本では一冊も公式に発刊されておりません。
既にリプにもありますが、ヘブライ語を一から学んだ猛者の方が「王冠(ケテルマルクト)」を同人誌としてネット販売されており、和訳本はそれのみというのが現状です。
午前6:31 · 2019年9月15日·Twitter for iPhone


https://twitter.com/ketermalkut/status/1172983450493566976
”星 ゆう輝@ゴーレムさん
@ketermalkut
返信先:
@tarareba722
さん
FGOアカより失礼します。
ガビロール(アヴィケブロン)の詩を訳したモーメントです。
英訳されたものから和訳しました。拙き限りでお恥ずかしいですが、どういう人物だったかが垣間見れるかと思います。
星 ゆう輝@ゴーレムさん
@ketermalkut
ソロモン・イブン・ガビロールの訳詞
午前6:20 · 2019年9月15日·Twitter for iPhone



たられば
@tarareba722
9月14日
(アヴィケブロンさんの、、、資料本が、、、、全然見つからない、、、、。。、、。。こんなに、、かっこよくて。、、、。強くて、、、設定も逸話も山盛りっぽいのに、、、。。、、。ぐぬぬ、、。。。)

若布@wakame_gudaguda
9月14日
ff外から失礼します、大学で中世ユダヤ哲学史を齧っていた者です
彼を単体で扱っている日本語資料はほぼありません
・アンドレ・シュラキ著、渡辺義愛訳『ユダヤ思想』(白水社、1966初版)
・アラン・ド・リベラ著、阿部一智, 永野潤, 永野拓也訳『中世哲学史』(新評論、1999)
など哲学史関連がいいかと

https://twitter.com/wakame_gudaguda/status/1172880241653473282
”若布
@wakame_gudaguda
返信先:
@wakame_gudaguda
さん,
@tarareba722さん
追記
以前大学の書庫を漁っていたときの覚書です。ほとんど断片情報でアヴィケブロンを主に扱っている書籍はほぼありませんが、お力になれれば幸いです
画像
午後11:30 · 2019年9月14日·Twitter for iPad”


https://twitter.com/hma427gcka/status/985900308785229826 と続き
”高槻クロウ
@hma427gcka
よーし!アヴィケブロンについて、日本語版Wikipediaになかった情報投下していくぞい!

誤訳とか解釈違いとかあると思うけど、勘弁してね!
アヴィケブロンへの愛で頑張ったけど、正直頭蕩けそうなんだ!

文字数節約のためアヴィケブロンの呼称を彼・先生にしたりしますご注意!
午前0:18 · 2018年4月17日·Twitter for Android

アヴィケブロンの没年には紛争があり、享年が30歳前の説と48歳の説がある。

両親はアヴィケブロンが子供の頃に亡くなっており、兄弟親戚もおらず孤児となる。

2018年4月17日
アヴィケブロンは物質的に恵まれた生活を送っており、生活維持のために働く必要は無かった。
しかし彼は愛情が得られず辛い生活を過ごし、病気・不幸・不運・気まぐれな友情・強力な敵に苦しんでいた。

また10代の頃から尋常性狼瘡に苦しみ、自作の詩の中で自らを低身長で醜いと思ったと記している。

2018年4月17日
モーゼ・イブン・エズラによるアヴィケブロンの性格についての記述

「彼の気紛れな気質は知性を支配せず、彼の中の悪魔を抑制する事も出来なかった。それは彼の元へと素晴らしい風刺文を運び、嘲笑と皮肉をもって喝采を得た。」

「また社会不適合者と言われている。」

2018年4月17日
当時の権力者がパトロンとなり、ユダヤ文化の中心地サラゴサへと移住した。アヴィケブロンの反社会的気質・素晴らしい歌・知恵は多くの敵を作ったが、彼は安全なままだった。
そこでタルムード・文法・幾何学・天文学・哲学など自由に研究に没頭することができた。

2018年4月17日
17歳の時に友人の為に200もの哀歌を作った。
更にアヴィケブロンのパトロンが暗殺され、1045年には自らサラゴサを離れることを余儀なくされた。
その後、グラナダの王たち権力者に支援された。

2018年4月17日
アヴィケブロンは生涯結婚することは無く、残りの人生を放浪して過ごした。
アヴィケブロンは若くして優れた詩人と哲学者となった。

19歳でに400のアルファベット詩と、ヘブライ語の文法を教えるアクロスティック詩(各行の初め、初めと終わりの文字を並べると単語になる遊戯詩)を作る。

2018年4月17日
28歳前後で哲学的作品フォンス・ヴィータ(生命の源)を作った。
これは彼と弟子との間の哲学的対話作品である。

彼の目標は人間の本質を理解して知識を追求し、善行をよりよく理解できるようにすること。

最後の文章では、死から解放され人生の根源に至る「リターン」の状態について説明している。

2018年4月17日
先生の死因伝説は2つある。
1つはアラブ人の騎手に踏み殺された説。
もう1つは詩才に嫉妬したイスラーム詩人に殺され無花果の木の下に埋められたもの。この木は多くの実をつけ大変に甘美であったので注目を集め、調査として掘り返された。結果彼の遺骨が発見され、殺人犯の特定と処刑へと繋がった。

2018年4月17日
アヴィケブロンは哲学者としてはユダヤ人コミュニティによって無視されたが、詩人としては評価され、詩を通して彼の哲学的思想を導入した。

彼の最も有名な詩 Keter Malkutは詩的な形の哲学的論文である。900行の詩から成り、当時の宇宙科学的理解に基づき神によって創造されたことを証明するもの。

2018年4月17日
アヴィケブロンはヘブライ語で神聖・世俗的な物の両方の詩を書いており、批評家からは当時の偉大な詩人でもあると認識されていた。
世俗的な詩は社会の慣習と世俗、そして洗練さと芸術性をもって書かれており、彼も世俗的なアラビア時代の人々に社会的影響を受けていた事を示している。

2018年4月17日
しかしアヴィケブロンの永続的な作品は神聖な詩だった。彼の傑作KeterMalkutはヘブライ語文学の中で最も偉大な詩の1つと認められている。
彼の詩は、複雑な形而上学的概念に取り組み、酷い風刺を表現し、自らの宗教的献身を恥じらいなく宣言する特有性がある。

2018年4月17日
先生が患ってたとされる尋常性狼瘡ついて

真性皮膚結核
(病巣に結核菌がいる、感染する)
顔面を好んで侵し、紅斑が次第に拡大して潰瘍となりやがて瘢痕を残して自然治癒する。だが再発しやすく同一部位に繰り返し発症し醜い瘢痕となる場合もある。

2018年4月17日
アヴィケブロンといえば皮膚や顔がコンプレックスと言われるけど!

史実では顔と皮膚と低身長コンプレックスだったんだよ!
グチグチ言うだけじゃ足りなくて、自作の詩の中でも嘆いちゃうんだよ!

かわいくね( -_・)?
ひょっとしてあの上げ底ちっくな足パーツは低身長へのコンプレックスですか!?

2018年4月17日
あれ、ひょっとしてアヴィケブロン先生の高速詠唱ノタリコンって、アクロスティック詩の作成に関連している?
調べてみたら結構な言葉遊びだぞこれ
一応カバラ関連だけど、翻訳調べた後だと色々関連が見えてきそうな見えなさそうな…






p.164から
ゲニザ古文書には古代パレスチナ、
バビロニアおよびスペイン地方の宗教的詩文集が含まれ
それらの多くは彩色の挿絵入りである。

カイロ・ゲニザと関係の深いユダヤ思想家モーゼス・マイモニデス(1135~1204年)(12から13世紀)は
ユルドバ市のユダヤ人居住区で生まれた。

マイモニデスは年老いた父マイモンらとエジプトに向かった。
初め彼等はアレキサンドリアに二年間ほど居住したのち、
カイロ市の旧市街フォスタットに定住することになった。
その頃老父マイモンは病死した。
マイモニデスの弟ダビデは同市で宝石商として成功し、
マイモニデスには平穏な学究生活を送る余裕が初めて生まれた。
マイモニデスの著作物が数多く刊行されるようになるのは、
その頃からである。
1168年に完成した『発光体』は副題が"律法(ミシュナ)の註解"とあり、
現在でもタルムード研究者から高い評価を受けている。
マイモニデスは古代ギリシャ文献を研究し、
アリストテレス哲学をユダヤ教の伝統的神学体系のなかへ導入しようと試みた。

(プラトンではなくアリストテレスね)

カバラや占星術も研究対象とするマイモニデス。

弟が商用旅行の途中、船からインド洋に落ちて溺死し、
マイモニデス家の資産であった現金および宝石のほとんど総てが失われた。

その頃からマイモニデスは生計の手段として、医療を行なうようになった。
彼にはそれまで臨床家としての経験はなかったが
その天才的頭脳は当時のあらゆる医学的知識を総て吸収し、
たちまち偉大な臨床家としての名声が高まっていた。
アレキサンドリアおよびカイロ在住の回教(イスラーム)の王侯貴族のみならず
遠くイギリスのリチャード一世からも宮廷医としての招待状がとどけられるほどであった。
マイモニデスの学識と人格はエジプト在住のユダヤ人の間でも高く評価され
"フォスタットの聖人"として知られるようになった。

(名声を得る王道の一つが、権力者またはその身内の病気を治すこと。
マイモニデスは布教はしていないが、
布教と医療はセットなのは新約などを見ても明白)

マイモニデスにはヘブライ語による三冊の著作があった。
いずれもユダヤ律法の解説書。
マイモニデスの著作はユダヤ人のみならず
キリスト教と、回教徒などによっても愛読され、
高い評価を受けた。

マイモニデスは
神は第一の動因であり
最初の原因であり
神の実在はアリストテレスの論理によって証明可能であるとする。
人間は自らのもつ知識によって生活の指導的原理を理解する。
よって人生の目的は明確化されうるとした。
さらに、神の行為が正しい知識によって理解されたとき
神への礼拝は必然的なものとなる。
これがマイモニデスが"神への知的礼拝"というところの内容である。
また、人生はその目的を探究することによって、
到達すべき目標が発見される。
これが『迷える者への指針』と名づけられたマイモニデスの著作の論旨である。
この著作は後にラテン語に翻訳され、
中世紀を通じて各地の大学で講義テキストとして使用された。
さらにこの著作は多くの哲学者とくにアルベルトウス・マグヌス、
トマス・アクィナス、
スピノザなどによって愛読された。


p.180から
フランスの都市ナルボンヌには十二世紀ごろまでに
多数のユダヤ人が居住していた。
その頃ここ南フランス地方はユダヤ文化の中心地となっていた。
なかでも盲人イサクを中心としてカバラの研究が進み
創造の書の注釈書も書かれた。


ナルボンヌ(Narbonne)はフランス南西部、スペイン国境近くにある。スペインの近くなのが重要だな。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1111709741284126720 と続き
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchiさん
アヴィケブロン
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/avikeburonn.htm

”…彼は詩の才能もあり、「ケテル・マルクト」なる詩集も書いた。

 新プラトン主義においては、創造は流出説によって説明される。
…新プラトン主義の流出説とカバラの流出説は、
歴史的に大いに関係はあるが、両者を混同すべきではない。

@usagi_mochi22
午前4:20 · 2019年3月30日·Twitter Web Client

2019年3月30日
新プラトン主義においては、神にあたる一者(ト・ヘン)は人格を持たない存在であり、機械論的な冷たさをもち、汎神論へとつながりかねない思想であった。
しかし、アヴィケブロンは、この流出説を考察するにあたって、
神と世界の間に「神意」という概念を導入し、人格神による世界創造というユダヤ教

の教義と矛盾しない神学を作り上げた。
すなわち、神の外部にはいわば神の器官としての「神意」があり、
この「神意」の自発的活動の結果として、流出が行われ、世界が成立したと説くのである。
こうした考え方が、「ゾハール」に継承され、セフィロト論へとつながって行ったのである。

彼は、極めて

ユダヤ神学的な基礎を持っていたにも関わらず、
その著書において「旧約聖書」や「タルムード」からの引用が皆無であり、そのために彼はユダヤ社会から冷たい視線を浴びることになった。
 しかし、知性体や魂に対して、形相と質料の合成を導入しようとする、プロティノトス的な形相質料合成説が、

アウグスティヌス学派の形相多数説と似通っていたため、
キリスト教神学者達から高い評価を受け、
キリスト教圏において、彼の著書がラテン語版のみの形で残されることになったのである。

カバラといえば…あすか○きお氏のマンガを読んだ。
日ユ同祖説を唱え、古代日本にカバラが伝わっていた、と

いう説(?)は面白かったし、
陰陽道の一族がカバラの秘儀伝授者である、門松や熨斗紙は「生命の樹」をあらわしたものだ等の説は、かなり楽しませてもらった。
 しかし、これらの主張を信じるかどうかとなると、まったく話しは別である。
 彼の主張には、多くのアラが目立つが、
特に致命的なのは、

「生命の樹」の日本伝来の年代が合わないということだ。
確かにセフィロト論自体は古くからあるが…セフィロトを「樹」としてとらえるようになったは「バヒルの書」以来であり、つまり12世紀以降のこと…我々が知っている形でのセフィロトが成立したのは盲人イサク以降のことであり、クリポト教義に

してみてもトドロス・アブラフィアの登場を待たなければならない。
要するに、これらの教義の成立は、13世紀以降のことなのだ。これらを古代日本、平安時代と結びつけるのは無理がある。


11世紀以前に生命の樹カバラは嘘。
生命の樹カバラはユダヤ教要素が薄い、新プラトン主義とキリスト教カバラ




十三世紀当時のナルボンヌ市周辺におけるカバラ研究の中心人物は
通称"盲人イサク"と呼ばれた。
盲人イサクのカバラは瞑想と深いかかわりを持っていた。

カバラの集大成であるゾハルが書かれたのは十三世紀のスペインにおいてである。
その背後には盲人イサクの強い思想的影響が認められる。



1240年スペイン北東部の都市サラゴッサで生まれたアブラフィア。
アブラフィアがスペインに在住したおりの弟子の一人がギカティラ
であり
ギカティラは後に有名なカバリストになった。

恍惚感とは神秘的瞑想に対する大いなる報酬であるとアブラフィアは述べる。
それは昏迷状態でもなく意識喪失状態でもない。
恍惚状態のなかでは完全な自我消滅が起こると言われる。
このようによくコントロールされ調和された瞑想手段以外の方法では、
心身両面の危険がともなうことをアブラフィアは警告している。

深い瞑想のなかでさらに、アブラフィアは神の座のかたわらに立つ神秘的な形メタトロンを見る。
その頂点において人間は律法(トーラ)と融合し一体となる、
さらにセフィロトの道をたどって、
瞑想者は
天の車(メルカバ)へと向かう。


(合一対象がヤハウェではない。
グノーシス主義の影響を受けてそう)

p.245から

ギガティラによる10のセフィロトの象徴的意義
と題された図がある。
セフィラの並びは一番流布しているものと同じ。


(Gevurah)
Din

神の力、神の裁きと罰をおこなう力


(Rahamim)
Tifereth

神の哀れみ、前の2つのセフィロトから導かれる。
美を示すこともある。

などと書いてある図。

ギカティラはゾハルの出現後わずか数年のうちにカバラを研究し
成果を『光の門』にまとめ発表。
ギカティラは1248年スペイン・旧カスティラ地方の小都市メディナチェリで生まれた。
セフィロトの概念はギカティラによって哲学的意味づけがなされ
知恵と同一視されることになった。


(日本語訳されているゾハルには収録されてないものが含まれている貴重なゾハル部分訳が
載っている本書)

p.254から
ゾハルより 死後の霊

(死の)宣告者が宣告を下すとき、
北の方から焔が吹き、焔の流れを貫いてくる。
それが世界の四隅に分かれ、世界の罪人たちの霊魂を焼く。
その焔は前にいき、飛び、下にさがり、
黒い鶏(おんどり)の羽の間で点火するまで動きまわる。

黒は裁きの象徴である。

有徳でないなら罪人としてゲヒンノム(地獄)へ突き落される。

有徳でないなら霊魂は彼の身体がちりのなかで焼かれるまでこの世にとどまり、
罪の執行者が彼をとらえ、
ドマ(Dumah 煉獄)へおしこめ、
ついでゲヒンノムのなかへとどめられる。


注(箱崎による)
ゲヒンノムはエルサレムの南西部の谷。
エルサレム城壁の南西門からこの谷を見下すことができるので
谷の門と呼ばれた。
このゲヒンノムの谷は悪名高き場所。
墳墓の地とされており、後に罪人たちの地、
刑罰の地、または地獄と同義的に使用される地名となった。

煉獄(ドマ Dumah)
で霊魂は完全な静寂のうちに食べ、飲むとされる。
七つの地獄のうちの一つでありその刑罰は沈黙であるとされる。

(ファイアパンチの主人公の仇敵ドマの由来?)



p.293
ミツバとはヘブライ語で教訓、戒律の意味で宗教的義務の意味にも用いられる。

(もしかして君の名はの
ミツバ(三葉)ってユダヤ教的意味のミツバと掛詞?
「ヒトハ(一葉)」は18?




p.301から 信心深い牧舎
ゾハルⅡ 176aの部分訳

ラビ・イサクが言った。
「私が考えるのに"柱の鉤"とは天上の一体化された柱にまつわるすべての象徴であり、
これらの総てが依存するものである。
ヴァヴという文字の持つ意義はなにか。
六のなかの六(V・V)、
すべては結合して脊柱を育てその上にかかる。
そこで"隠された知恵の書"の定言より学ぶものは、
"上なる鉤と下なる鉤(上の六と下の六)"
これらすべては一つの意味、
一つの名前として理解される。
その持つ意義は一つである」

今や、次のごとく訊ねる。
「"隠された知恵の書"とはなにか」
ラビ・シメオンが言った。
「その書は五部より成り、
偉大なる広間の中央で発見できる。
そこに盛り込まれた知恵は総ての地上を充たすことができる」

(モーゼ五書のこと?

ヴァヴが二つってコードギアスのVVの元ネタ?)


ヴァヴはVに相当し数値は6。
バーヴィヴはヘブライ語で鉤。


p.319から
コルドベロは1522年にサフェドで生まれ
1570年に死亡。

コルドベロはイサク・ルーリアを中心とする思想家集団(サークル)と接触を持つようになる。
コルドベロの数多い著作のうちで最も重要なものは『ざくろの楽園』。
特に神性に関するコルドベロの概念にはコルドベロの死後100年後にオランダの哲学者スピノザが
発表した哲学と驚くほど多くの類似点が認められる。
スピノザの友人オルデンバーグが問いただすと
"古いユダヤの哲学者の思想から引用したものである"と答えている。
コルドベロの思想であった。

"総ては一つの回転する車輪のなかに含まれ、
ときに上位に向かい、
下位の存在にも向かう。
総ては一つであり、彼(の存在)から離れたものは何物もない"
『ざくろの楽園』第十二章

(なんか運命の車輪とか梵我一如とか思い出す思想だ)


コルドベロによれば、
なぜ無限の神性が有限な形而下存在である肉体として流出したのかという問題に対して
神聖な光の凝縮という思想を述べている。
神聖な光の凝縮によって継続的に流出する十のセフィロトという神の力動的な道具によって
総ての創造物における変化は形づくられたと述べる。

『ざくろの楽園』は1591年に出版され、
ラテン語抄訳は1664年ローマで出版され
コルドベロのカバラは広くキリスト教文化圏にも滲透していった。

イサク・ルーリアは
1534年エルサレムで生まれ
1572年サフェドで死亡。
ルーリアは22歳のとき初めてゾハルを読んだ。

ルーリアは別名
(聖なる)獅子(ハ・アリ)であり
聖なるラビの単語の頭部を綴り直したもの。

(ライオン強調はルリア強調の可能性がある)

ルーリアは流出の概念についての研究ではグノーシス思想からの影響も受けた。

ルーリアによれば
世界の産出(生長または創造)には
必然的に頽廃(破滅または虚無化)が内在する。

(創造と破壊というバラモン思想の影響?)

ルーリア思想に救世主(メシア)待望の要素が強く認められる。
ルーリア思想によりサバタイ運動の基礎が準備されたとショーレムは指摘している。



コルドベロはセフィロト概念を体系的に記述した初めての人物である。
ルーリアはコルドベロから大きな影響を受けている。

コルドベロは16世紀の人なのでセフィロト概念の体系化は16世紀でやっとってことだな)


カバラ文献およびカバラ伝承にしばしば登場する預言者エリヤは
不死であり、救世主の降臨前に必ず出現する人であり、
契約の天使で、割礼の儀式を常に見守っている人物であった。


カバラの転生の概念は
西暦八世紀頃からユダヤ教に取り入れられたもの。
転生の概念が初めて登場するのはサアディアの著作。


ゾハル
”総ての霊魂は転生する。
人間は祝福さるべき神の手段を理解できない。
人間は(霊魂が)この世にくる前のことも、
この世から離れてしまった後のことも理解できない。
人間は多くの転生の事実について無知であり、
またそれは秘密とされている。

多くの霊魂はこの世の中にはいるが、
そのなかの多くは天なる王のもとには帰ってこない。
人間は、霊魂が投石機から放り投げられるような状態を知ることはできない。
しかし、これらの秘密が明らかになる時がある”

(ゾハルの転生思想はキリスト教異端由来だろう。
バラモン→オルフェウス→ピュタゴラス→グノーシス派キリスト教。
オルフェウス教徒たちは、人類が犯した原初の犯罪に対する罰として、魂は肉体に閉じ込められ、死が真実の生活の始まりとなる、と考えた。すなわち、魂は生前の過ちと徳が審判を受けた後、新たに転生するとみなされた。
魂の不死性は輪廻思想を生み、人間の魂を持っているかもしれない動物を食する習慣をやめたのである。
また、肉食の禁止はプロメテウスの教唆で神々を欺いた原罪に対する改悛の表れでもある。
原罪もキリスト教は盗作した。
オルフェウス教の輪廻、魂の浄化、原罪の元ネタはインドの輪廻とカルマ論。

死こそ生、肉体は魂の牢獄(霊肉二元論)、
原罪、霊魂の不死〔=『輪廻』〕
トラキアのオルフェウス教
→ピタゴラス教団
→プラトン→新プラトン主義

キリスト教

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1123328722759589888
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchi
さん
『オルフェウス教』http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-146.html

死こそ生、
肉体は魂の牢獄(霊肉二元論)、
原罪、
霊魂の不死+輪廻
トラキアのオルフェウス教 →ピタゴラス教団 →プラトン→新プラトン主義
オルフェウス教はグノーシスの原型の一つっぽい。
…ハリーポッターの第一巻がまんまオルフェウスの冥界下り”
yomenainickname.blog.fc2.com
『オルフェウス教』とニーチェへのストア派とエピクロス派の影響の考察。
グノーシスやオルフェウス教など、多数派と対立した異端派、少数派の解説書を読めば費用対効果が高い。異端、少数派の説明は多数派、正統派の教義と対比してなされるので両者を一度に学べてお得。当時の常識の説明も入るのでストア派の説明もある。『オルフェウス教』レナル・ソレル Reynal Sorel 著/脇本由佳 訳、文庫クセジュ(白水社)、2003年(原書 1995年) Orphism (Orphic...
午前5:50 · 2019年5月1日·Twitter Web Client



十四、五世紀には転生説に対するユダヤ教内部での反対意見も数多く発表されている。

ルーリアのカバラ思想によれば
人間の霊魂は総てアダムの肉体の各臓器から造られたという。

誇り高き集団の指導者の霊魂は蜜蜂の体内にはいる。
不浄な肉を食べたユダヤの霊魂は木の葉となり絶えず非情の風によってゆさぶられる。
食事の前に手を洗わなかった人の霊魂は河のなかにはいる。

(人間は人間にしか転生しないという思想ではない。
蜜蜂は特別な存在)



p.354から
カバラの研究はルネッサンス期頃よりキリスト教文化圏においても研究された。
ピコ・デラ・ミランドーラはキリスト教カバリストの代表者。

輝きの書(バヒール)を批判する敬虔な中世期のラビ。
正統派ユダヤ教神学の立場ではカバラは異端。
創造主である神は被造物とは絶対に区別すべきものである。
カバラではこの創造主と被造物の厳然たる区別が曖昧なものになる。



p.364から
偽救世主サバタイ・ツヴィ

ツヴィは1626年生まれ。
ツヴィは正統的なラビ神学にはあまり興味がもてず、
カバラ神秘思想に深く傾倒し
ルーリア学派のカバラを学んだ。

ツヴィが神秘的恍惚感に満たされた生活を送っていた
十七世紀初頭、中近東から東欧圏にかけての一帯は
救世主待望の時代を迎えていた。
黙示録の時代とも呼ばれる。

(黙示録は新約だからキリスト教の聖典であり
ユダヤ教の聖典ではない)

ゾハル研究者の間では
1648年こそ救世主が出現しイスラエルを救済する年であると広く言い伝えられていた。
1666年は黙示録の年であると信じられていた。


ツヴィの偽救世主としての行動に大きな影響を及ぼすガザッティは
預言者として、
「1666年に救世主が現れる。
救世主は回教王(サルタン)の桎梏を取りのぞき、
地上の総ての国ぐにの上にイスラエルの領土をつくりそれを支配するであろう。
トルコ帝国は救世主サバタイ・ツヴィに総てを委託し、
彼はそのほかの国々を征服するであろう」と宣言。

1666年の正月に救世主としての戴冠式をすませたサバタイ・ツヴィ。

イギリス王立学会会員、オルデンバーグは親友のスピノザに宛て書簡をよせ
近くユダヤ人はユダヤ国家を樹立すると述べている。
当時オランダに在住しアムステルダムのユダヤ教会から破門の宣告を受けていたスピノザは
この報告を喜んで読んだと言われている。

サバタイ一行がコンスタンチノープルに上陸すると逮捕された。
回教王(サルタン)モハメッド四世は命令を下しサバタイの身柄をアビドス城からアドリアノプルに移した。
モハメッド四世の侍医はユダヤ教から回教に改宗した人物だったが、
この侍医(氏名不詳)のすすめでサルタンはサバタイに回教徒に改修するか死を選ぶかの決断を迫った。
1666年9月16日のことであった。
次の日、サバタイはサルタンの面前でユダヤの服装を脱ぎ棄て、
回教徒のターバンを巻いて改宗し、高給で王室書司として雇用された。
彼の妻サラと多くの信奉者も回教に改宗した。

(サバタイ思想も正統なユダヤ教ではない


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/942839242811613184 と続き
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchi
さん,
@kikuchi_8
さん
サバタイ主義の思想は、キリスト教に類似した所があり、多くのラビが異端とみなした。
ツヴィはゾハールにある「父、母、子」の三原理を、キリスト教の三位一体に酷似した思想に置き換えた…
サバタイ主義者には、キリスト教に魅力を感じ、改宗する者も多かった。
午前4:29 · 2017年12月19日·Twitter Web Client

サバタイ主義者にはカバリストが多かった。
正統派のラビは、サバタイ運動を批判するのに熱心な余り、カバラまでもを異端視しはじめる。

bo式ならキリスト教の三位一体やイスラム要素をユダヤと名づけて隠し、
ユダヤ教要素のみを叩く。
正統派ラビ基準ではツヴィはユダヤ教徒ではないことは無視。


)

p.384から
カバラはヘブライ語のカバルに由来し、
受け取る、の意味を持つ。
語義的には受け取ったもの、あるいは伝承を引き継ぐ者の意味。
カバラという用語が出現するのは西暦11世紀以降。


ショーレムは1949年頃からユングの主催していたエラノス・カンファランスにおいて
定期的に論文を発表した。

エラノス・カンファランスは
オルガ・フレーベ・カプティン夫人がスイス・マジョレ湖畔のアスコーナ郊外に建てた集会場のことで、
年一回開催される宗教学研究者の学術発表の場であった。
創設は1928年。
ユングは1933年より参加し、次第に中心人物となった。

(怪しい集まりだなあ)


p.390から
ユングが見た幻像(ヴィジョン)に関する1944年の記録には
驚くほど多くのカバラ思想の痕跡が認められる。

(これ、カバラ思想を学んでいたからそれに即した幻を見たのであって
カバラが真実だからではないよね


アダム・カドモンは一般に
「原始の人」と訳されるが
アダムはヘブライ語で人間の意味であり、
カドモンまたはカドモニは「第一」または「原初」の意味。
アダム・カドモン説にはグノーシス思想の立場からの解釈と
ユダヤ教神学からの影響が混合した形で認められ
その背景にはオリエント神学やギリシャ哲学からの影響も認められる。
アダム・カドモンについて最初に記述した人物はアレキサンドリアのフィロン。
天の人間であるアダム・カドモンは神のイメージのなかで生み出された存在であり
腐敗しやすい地上的なものはなんら関与していないとされた。
フィロンの見解によれば
アダム・カドモンはロゴスが完全に具象化されたもので
男性でも女性でもなく純粋な知的イデアと結合した存在であった。
フィロンのアダム・カドモン概念にはプラトン思想とユダヤ教神学の二つの傾向が認められる。
原始のアダムはプラトン哲学のイデア説におけるイデアと対比され、
肉体と血液の創造はイメージと対比された。

フィロンの抱いた男性でも女性でもない天の人間の概念はさらに発展していくことになる。

(最初の人間は形而上的存在であり性別を超越しているという思想


パリサイ派は女性エバの創造に関してアダムははじめ男性・女性結合体として創られていたと思考した。
この解釈はフィロンにも影響を及ぼしており
天の人間が両性具有だと規定した背景にはこのパリサイ派の思想がひそんでいると推定される。


フィロンが地上のアダムと呼んだアダムは創造によって創られたが
天の人間アダム・カドモンは世界の創造に先立って存在し、
この天の人間が救世主(メシア)、ロゴスなどとして理解された。
フィロンの解釈は新約のパウロのキリスト教神学を理解する上にも重要な手がかりとなる。

マニ教(明暗教)もアダム・カドモン説を採用。
マニ教では最初の人間は基本的に人間の最初の父親からは区別されるべき存在であった。
光の王によって彼は創造された。

(明教ではなく明暗教と表記)

ルーリアによってアダム・カドモンはカバラ思想での中軸概念となった。


p.407から
人の瞳を見つめると見つめている自分がうつっている。
瞳孔という言葉は少女、女の子、人形などを意味するプーパから創られた。
男の子プープスから弟子・生徒を意味するピューピルが生まれたが
同時に瞳孔の意味もある。
カバラ、錬金術、グノーシスなどでしばしば瞳孔の中に宿る小人(ホムンクルス)について
言及される。

ヘブライ語ではホムンクルスのことをゴーレムと呼ぶ。
この言葉は旧約で一度だけ登場する。
詩篇139
”まだできあがらないわたしのからだ”がゴーレムと記されており
「胎児」の意味。

ユダヤ伝承では完成しないあらゆる物体はゴーレムであり
孔のない針などもゴーレムと呼ばれる。
子を孕まない期間の女性もゴーレム。

タルムードではアダムは初めゴーレムとして創られ
その大きさは地から天までとどくほどだったというのがある。


中世期になるとゴーレムは形が大きくなり、
主人の命令を機械的に実行するものとして考えられるようになった。
ゴーレムは『創造の書』によって造りあげられると考えられていた。
泥また木製の人形もゴーレムと見なされることもあった。

ゴーレムはシェム(Shem)と呼ばれる神の名を形どった文字の組み合わせを書いた紙片を
口から前頭部に挿し入れると生命が蘇り、動きだすと信じられていた。

ソロモン・イブン・ガビロールはゴーレムの召使を作った。

16世紀頃のユダヤ伝説にはバアアル・シェムの怪物というのがあった。
ケルムのエリヤなる者がゴーレムを造った話。
このゴーレムは世界の総てを破壊するかもしれない怪物となってしまったので
ゴーレムの前頭部に隠された力の源泉(シェム Shem)を抜き取られ、この怪物は土くれになった。


p.414から ゾハルより
へびとはサマエルのことだ。
へびの理想的な形は悪魔だ。
天からサマエルが下降してくるときこのへびに乗ってくるという。


注(箱崎)
サマエルは語源的には「神の毒」。
死の天使と同義語として使用される。
悪魔の首領と解釈される。

(本書のメモは以上。で、ここからも重要)



ユダヤ・カバラ聖典に何が書いているのか
本記事ができるきっかけが
フェイド大帝のユダヤ・カバラ3大教典を翻訳で読破して紹介した記事(消滅済み)。


※画像はほぼ省略しているけど英語か日本語で検索したら出るはずなので大丈夫。
画像がないと意味不明なら補足する。

【ユダヤ・カバラ編】アダムとイブを誘惑したのは実はラクダだった!?
”最近、ちょっと思う所があって
仏教等の東洋思想の勉強は後回しに
して、先に西洋系の神学、ユダヤ教と
キリスト教をともかく勉強せねばと
思っています。

後、古神道も。何故かというと今の
日本の政治や社会を理解するには
大本教系のルーツになった古神道の
理解が必須ではないかと考え始めたからです。
ただ、古神道の技法や理論等は明治以降の
でっち上げだとは思っていますが、
どうも、日本の上の方達の間では本気で
これを信じ込んでいる方が多そうだ。

またキリスト教はフリーメイソンの入会条件
の一つである、「何らかの一神教を信仰していること」
を満たすために入信している権力者や政治家が
圧倒的に多い事から、やはり重要だと考えています。

特に不思議なのは本来「神道」を信仰していても
良いはずの「宮内庁」や「皇室」の人間に
クリスチャンがやたらと多い現実があります。

後、このキリスト教研究には「韓国系のキリスト教」
も含めています。

特に芸能界等で「韓国系」人脈が強いことは
既知の事実でありますが、日本の某日蓮団体で
はなく、やはり本土韓国でメジャーなキリスト教
に焦点を絞った方が良いかと思われます。

そんなわけで新たに記事カテゴリーを追加します。

 ・ユダヤ・カバラ編
 ・キリスト教編(韓国系含む)
 ・古神道編

です。

かなり膨大な量の文献を読みこまないと
いけないので結構大変です。

まず、ユダヤ・カバラから勉強を始めています。

「バヒールの書」は読み終わって、今「セフェル・イェツィラー」
を勉強中です。

さて、その件のユダヤ・カバラですが、

はっきり言ってコレ、ヤバすぎ。

ユダヤ人相当頭イッちゃってるでしょ、コレ。

ラヴクラフト的に言えば正に”狂気”と
表現するしか術が無い。

これね、ユダヤ教を勉強する人はカバラの
習得必須ですわ。後、ヘブライ語も。

基本的にはタルムードの様にトーラー(旧約聖書のこと)
の解釈集なのだが、

完全に狂っているとしか言いようがない。

この狂気は「黄金の夜明け団」やヨーロッパの
「薔薇十字運動」の比ではない。

「黄金の夜明け団」のメイザースやリガルディ、フォーチュン
のやっていたのは

所詮「カバラごっこ」という西洋人用に去勢された
お遊戯だということがよく分かった。

本家カバラはとてもじゃないが......
イカレすぎている。

例を挙げると、「モーセの十戒」というと
皆さん何を想像されるだろうか?

多分例のあの二枚の石板だろう。

映画でもお馴染みですね。

あの石板がなぜ二枚に分かれているか
皆さんは考えたことあるだろうか?

巷の日ユ同祖論の様に実はあれは二枚鏡で
日本の卑弥呼が使っていたのと同じ物だ〜
みたいな戯言とは全く関係ない。

実はアレ、そもそも石板じゃない。

えぇっ〜!?って思うでしょ。

そう、実はモーセはシナイ山で何も
受け取っていない。

モーセはただ両手の平を広げて
バンザイしただけ。

そ、そんなバカな......!!

まぁ、抑えてくれ。これから説明しよう。

まず、ユダヤ教を理解するにあたって大前提が
一つある。

トーラーはそもそも史実を記録することを
念頭にハナっから考えて書かれていない。

だから考古学調査をいくらやってもイスラエルの
出土品が全く発見されないのはそもそも当たり前
なのだ。

もちろん、アブラハムやモーセ等モデルとなった
人物は実在したかもしれない。

ただ、基本トーラーというのはデタラメが
書いてある。

これは勘違いしてはいけないのだが、
ユダヤ人のラビ達はトーラーを歴史書と
して認知していないのだ。

あれは一種の暗号書。

一時期流行った「聖書の暗号」じゃないが、
基本は一緒で、カバラを使わないと暗号が
解けない様に意図的に書かれている。

これは創世記に”エロヒム”という単語を何回
使ったとかそういうことまで考慮されて
構築されている。

ところで、アブラハムは元々「アブラム」という
名前だったことはご存知だろうか?
サラは「サライ」ね。
つまりこの二人はヤハウェに信仰を誓ってから
改名するのである。

皆さんはなぜ彼らが改名したか分かるだろうか?

姓名判断的に縁起が悪かったとかそんな下らない理由
ではない。

もちろん某国の工作員の様に密入国を
しやすくするためでもない。

実はこれはヘブライ語でアブラハムの名前を
書かないと分からない仕組みになっている。

アブラムからアブラ”ハ”ムに改名することに
よって、ヘブライ文字の”ヘー”の一字が
加わる。
これはヤハウェの名前であるテトラグラマトン
の「YHVH」の四番目の「H=ヘー」の追加
を意味する。

この四番目の「ヘー」は生命の樹の”マルクト”
を指す。
”マルクト”というセフィラは生命の樹の十個の
セフィロトの中で唯一”女性属性”を持つセフィラ
である。
”マルクト”の一つ上の”イェソド”は男性系の
セフィラで

ユダヤ・カバラでは男根を象徴する。

「黄金の夜明け団」の”月の象徴”と
全然違いますね。(笑)

ところでアブラハムが不能(子供が出来ない)
だったのはご存知だと思う。
アブラハムがヤハウェから”マルクト”を
受け取ったと言う事は、

ヤハウェの精子を貰ったということなのだ。

だからサラが直ぐに妊娠してイサクを
生む様になるのである。

この「セフェル・イェツィラー」という書は
皆さんにお馴染みの

ゴーレムの作り方が載っている本だと
言われている。

ゴーレムというのはぶっちゃけ人工生命だ。
人間じゃない。

で、凄いのはユダヤのラビ達は、

アブラハムの息子のイサクは、
カバラで造ったゴーレムだと説いている。

つまり今現在存在するユダヤ人は
全て人造人間!

という驚愕の事実である。

別にフェイド大帝は反ユダヤ主義者ではない。
友達にもイスラエル人やユダヤ人がいる。

ところがだ、「セフェル・イェツィラー」を
訳したユダヤ人ラビ自身がそう解説しているのだから
仕方が無い。

で、モーセの話に戻ろう。

セフィロトは全部で10個ある。
tree_of_life.jpg
この玉みたいなのが10個あるわけね。

で、これがなぜ”10”なのかというと

人間の手の指の数から来ている。

で、人間の手って二つあるでしょ?

それぞれの手に指が五本ずつ。

十戒の文言も10個あるよね?

だから石板が二枚になるとそれぞれ
5つの文を二枚に分けて載せてあるわけ。

だからモーセはイスラエルの民に
自分の”手の平”を見せただけなの。

だからハナっから石板なんて存在しない。

なのにおバカな日ユ同祖論者は
「モーセの石板は伊勢神宮にある〜」とか
妄言を吐散らして血眼になって日本中を
探しまわっているわけである。(笑)

で、この”本物の十戒”、五本の指が左右2セット
に分かれているのだけど、この左右の五本の指を
繋ぐ

”真ん中の部分”がないといけない。

それが人間の「口=舌」である。

だから自分の十本の指からヤハウェ・エネルギーを
チャージしたモーセは、

「自分の口」で十戒を直接作り出したわけである。

つまり即席の演説をやったってわけ。

そこで一つ疑問が浮かばないか?

両手の指が十戒なら、足の指は一体何なのか?

ユダヤ・カバラはその辺も抜かりない。

両足の指も十戒でありヤハウェ・エネルギーを
チャージ出来る構造になっている。

では左右の足の10本の指の真ん中に来る物はなんだろう?

す、すごく言い辛いのだが・・・・・・

そう!おマタである。

で、こっからが凄い。

こっからがユダヤ・カバラの
奥義/秘伝の技になる。

 ①両脚を開いた状態で立って、両手を左右の頬の
  横に置く

 ②前の方にお辞儀/前屈をする

 ③口でアソコを咥える

これがユダヤ究極奥義が一つ、
”ヤハウェ・エネルギー・
ダブルチャージ”だッ〜!

これ、嘘じゃない。本当にそう書いてある。

こ、これが、ユダヤ富豪の知恵という奴なのかッッ〜!!?

まぁ......、本家ユダヤ・カバラが如何にヤバいか
理解して頂けた思うが、

「バヒールの書」に一つ面白い話があったので
紹介したいと思う。

エデンの園に出て来るアダムとイブを誘惑する蛇。

実はアレ、蛇じゃない。

!!??! また驚きの事実で申し訳ないのだが

実はあの蛇、伝承では足が4本着いていることに
なっている。

西洋画でも両手両脚が着いている状態で描かれて
いたりする。

エデンの蛇

「バヒールの書」ではこれをラクダの様な
生物だと表現している。

そう考えると中国の龍の頭部が
ラクダ状なのも納得がいく。

また中東起源なのだから蛇よりラクダ
の方がしっくりくる。

で、イブを直接誘惑したのは

サマエルという堕天使である。

このサマエル、前述のラクダとは別人である。

ではこのラクダは一体どういう役割を
担ったかと言うと

ただサマエルを乗せただけ。

てか、ただの砂漠の移動手段。

なのに一番酷い罰を受けるのである。

裁判長ヤハウェの判決:

 ・アダム → 楽園から追放、毎日の労働
 ・イブ → 出産時の苦しみ
 ・サマエル → 天界から追放

 ・ラクダ → 足を切断されて、爬虫類へと
        遺伝子改造

ヤハウェ、ラクダに何か個人的な
恨みでもあるのか?

ってか重犯罪人のサマエルが一番罰が
軽いんですけど。

これがヤハウェの全能神としての
”善と悪の知識”というやつの正体である。

てか、ヤハウェ絶対司法試験落ちるだろ。

本当にユダヤ人が世界を支配しているのか
分からないが、

こんな連中に支配されたくねーッ!!と
思ったのは、フェイド大帝だけではあるまい。
[ 2014/07/19 07:55 ] ユダヤ・カバラ編”



消滅したフェイド大帝ブログとツイート集。
日ユ同祖論と日本世界雛形論と「日本が文明の起源説」を否定している人の情報を思考材料にしよう!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-184.html
【ユダヤ・カバラ編】竜座信仰はバアル信仰のことだった
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-648.html
“ところで「セフェル・イェツィラー」に面白い
話が載っていた。

ヘブライ語の”テリ”という言葉は複数の意味が
あるらしいが、そのうちの一つが”竜座(ドラコ)”。

デービッド・アイクがレプティリアンの母星と
しているのが竜座(ドラコ)のα星。

なぜカバラで竜座が重要かというと、この星座は
北極星の近くにあるらしくて、かつては竜座の
α星(レプティリアンの故郷)が北極星であった
ことから、

”天上の全ての星を吊り下げる者”とユダヤ人に
呼ばれていた。

この”吊り下げる”という言葉をヘブライ語で
”タラー(Talah)”というらしくて、これが
”テリ(Teli)”の語源らしい。

この竜座は聖書の中の”レヴィヤタン”を表し、
イスラームではFFでもお馴染みの”バハムート”、
竜であるが、

元は魚類であるとのこと。

また、かつてのユダヤ人はこの竜座を信仰する
風習があったらしく、

竜座信仰=バアル教と同義と
ユダヤ教のラビ達は認識している。

だから、アイクのレプティリアン説は古代ユダヤ人の
バアル信仰のことを指している事がカバラ文献から
読み解く事ができる。”


【ユダヤ・カバラ編】モーセ&契約の箱考
" 今日はユダヤ教の旧約聖書の大預言者モーセに
ついてフェイド大帝の”仮説”を紹介する。

また所謂”契約の箱=失われたアーク”についても
考察する。

あくまで”仮説”なので、事実や史実とは
直接関係がないので要注意を。

さて、前回、セフェル・イェツィラーにて
竜座信仰はバアル信仰であるとのユダヤ教ラビの
解説を紹介した。

実はモーセがこの竜座信仰をしていたという
仮説がある。

まず竜座↓

draco.jpg

3000年ぐらい前までは竜座のα星である
トゥバンが北極星であった。
(α星はアイクの爬虫類人の母星)

お次はモーセが銅の蛇を作ったシーン↓

snake-on-a-pole.jpg

ユダヤのラビに拠ると、このシーンはモーセの竜座信仰を
仄めかすという。
竜座の事をヘブライ語で「テリ(Teli)」というらしく、
「タラー(Talah)=吊り下げる」という動詞が語源だ。

これは竜座がかつての北極星だったことで、

天上の全ての星が竜座に”吊り下る”

ことから由来している。

モーセが実際に蛇のオブジェで人々の中毒を
実際に治癒したかどうかはどうでもいい。
ユダヤ・カバラでは聖書をそのままの意味
で捉えることはなく、暗号解読することに
よって隠れた情報を読み取る事が重要なのだ。

いずれにせよユダヤ人がユダヤ教を興す前は
バアルを信仰していたのだろう。
だから食人習俗も常習していたため、アブラハム
が息子イサクを生け贄に躊躇無く差し出すシーンも
元々アブラハムがバアル教信者で、彼らの文化では
人間の子供を生け贄にすることが一般的であったから
だと思われる。

さてこのモーセの伝説、

やはり有名なのが十戒の石板が納められている
という”契約の箱”だろう。

日ユ同祖論者はあれは日本の神輿が元で、ユダヤ人が
パクったとかいう奇説を唱えているのを耳にしたことも
あるだろう。

フェイド大帝は日本の神輿については明治政府が
明治維新時にでっち上げたユダヤからパクった
偽物だと考えている。

では契約の箱はユダヤのオリジナルか?

その前にまず「契約の箱」をWIKIで調べて見よう。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/契約の箱

普通の解説ですね。

日本のWIKIは情報を隠蔽する悪い癖があるので

英語版WIKIを必ず見よう。

ttp://en.wikipedia.org/wiki/Ark_of_the_Covenant

不思議なのはこのイラスト↓

arkcove1.jpg

契約の箱に”布”を被せて外から中が
見えない様にしてある。

WIKIの解説を見てみよう。

”When carried, the Ark was always hidden under a large veil
made of skins and blue cloth, always carefully concealed,
even from the eyes of the priests and the Levites who carried it.”

どうやら、契約の箱は常に他人が見えない様に
布で隠されていたらしい。
また箱を運ぶ司祭達からも隠されていたとのこと。

ちなみにモーセ達は、砂漠を移動する際にまず
契約の箱を担ぐ部隊を必ず一般イスラエル人に
先行させて移動させていたらしい。

つまり一般のイスラエル人からは契約の箱は
必ず見えない位置にあったことになる。

そしてもう一つモーセの伝説での不思議なエピソード、

やたらと偶像崇拝を敵視する。

実際に十戒の石板にも「他の神を拝んではいけない」と
念押しされている。

そしてシナイ山の麓で金の子牛像を作ったイスラエル人は
全員殺されている。また牛の像もモーセの投げつけた
十戒の石板によって粉々に壊されている。

なぜそこまでする必要があったのだろうか?

一般的な学者の見解では、偶像崇拝は人間が神より
上位に立って神に命令するのと同じなので、
不敬のため禁止された、とされている。

本当にそうなのだろうか?

ではそろそろお見せしよう。
モーセがユダヤ人の民から隠したがった
契約の箱の真の姿を!

Arkofthecovenantatkingtutstomb.jpg

anubisshrine.jpg

「なに......コレ...?」

これはツタンカーメンの墓地から発掘された
アヌビス神の厨子だ。

契約の箱そっくりだろう?

実はこれ、エジプトのお土産屋で
レプリカが売っている。

anubisbox.jpg

こんな物まで。

isisbox.jpg

「!!って、アークそのまんまじゃねーかッ!」

そう。その通りだ。

ちなみに上の白黒の写真を見れば分かるが、
本来アヌビスの像の上に布が被さっている。

この布に次の刺繍が入っていたとのことである。

「アクエンアテン」と。

220px-Aten_disk.jpg

「エジプトの一神教の神じゃねーかッ!!!」

そう。このアテン神のデザイン、

大高忍のマギの神イル・イラーにそっくりだ。

えぇいっ、もうぶっちゃっけ言っちゃって
いいんじゃなかろうか?

モーセはエジプトのピラミッドから契約の箱を
盗んできた、と。

そう、これでなぜ契約の箱を他人から隠す必要が
あったか分かっただろう。

また、この箱を見た人間は例外無く死んでいる。

そりゃアヌビス神が蓋の上に乗っかってりゃ
ヤハウェ教がエジプト由来だってことが
バレてしまうだろう。

実際にエジプトの考古学の発掘品の資料を
見ると、この蓋に載せる像のデザインは
色々あるらしく、鷹のホルス神や

聖牛アピス神のデザインの物もあったという。

そう、シナイ山の麓でユダヤ人が拝んだ牛の像、

これは箱の蓋のアピス像だったに違いない。

そもそも、砂漠のど真ん中で黄金の像を一から
鋳造する方がおかしいだろう。常識から考えて。

もともとあった物を代用したはずである。

だから、シナイ山の麓で彼らは覆いの布を
剥がしてしまったのだ。

これで何故モーセがこの牛の像を壊さなければ
ならなかったのか分かっただろう。

そしてヤハウェがなぜ事細かく箱のデザインを指示したか
分かっただろう。


外装を作り直す必要があったからだ。

しかも、偶像を拝んだ場面に立ち会ったアロンも、
モーセ自身もイスラエルの地に着く前にキッチリ
消されている。

これで真実を知る者は皆、故人となったわけだ。
正に「死人に口無し」と言ったところか。

ちなみに話は代わるが、この箱の中身、気にならないか?

この箱、一般的には「十戒の石板」、
「アロンの杖」、「マナの壷」の
ユダヤ三種の神器が納められているという。

前回の記事で、「十戒の石板」はモーセの
手の指のことだと説明したので、
まず「石板」はない。
「杖」は恐らく、エジプトから盗んで来た
ファラオの杖だろう。

で、問題は「マナの壷」。

「マナ」とはモーセ達が砂漠を移動する時に
ヤハウェが天から降らせた携帯保存食料の
ことである。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/マナ_(食物)

色は白色だ。
実はこれが何故白色をしているのかは
学者の世界でも謎の一つであった。

ところで、エジプトのアヌビスの箱には
宝石や護符が入っていたという。

だが通常、エジプトの厨子にはこれを
入れる。↓

マナの壷

これはカノポスと言って、

ファラオの死体の内蔵のミイラを入れる
壷である。

えぇいっ!言っちゃっていいだろう!!

モーセ達は塩漬けにされた死体の内蔵を食べていたのだ!

これが「マナの壷」の正体だ。

白い包帯で包まれているから色も
白色なのだ!

そう、また奴らの食人習俗である。

エジプトを出発する前に子供が沢山死んでいるだろう?

ヤハウェの神罰とやらで。

そりゃ食料になるミイラは沢山あったってことさ。

しかも、保存食料になる上、子供の内蔵のサイズ
なら箱の中にも沢山入るだろう。

ところで、フェイド大帝は別にユダヤ人を貶めようとは
していない。

というのも食人習俗自体は古代ではごく一般的で
あったからだ。

ユダヤ人に限らず、黒人、ヨーロッパ人、中国人、
インド人等も人間を食べていた。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/カニバリズム

キリスト教も初期の頃はタブーではなかったらしく、
教会の司祭や十字軍の騎士達も食人をしていたらしい。

おそらく現代のキリスト教カルトのこの習俗はこの
時代の名残ではなかろうか。

もちろん現代では食人は禁忌なので、

皆さんも古代人の真似をして人肉を
食べない様に。
フェイド大帝との約束だ。
[ 2014/07/26 13:38 ] ユダヤ・カバラ編
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1078387387951017984
"TOMITA_Akio
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『形成の書』によれば、ヘブライ文字の22字母は3種に分けられる。
(1)アレフ、メム、シンは宇宙における「母」なる文字、「Mは水のように黙り、Shは火のようにシュッという音を出し、Aはその両者を調停する息である」(第2章1)。
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午前5:29 · 2018年12月28日·TweetDeck
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1078387735717568512
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(2)それぞれ気音と無気音という2つの音をもつ7つの複音文字。「「神」はこの7文字から宇宙においては7つの惑星を、1年においては7つの日を、人間においては7つの感覚の門(2つの眼、2つの耳、2つの鼻の穴と口)をつくった」(第4章6)
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午前5:30 · 2018年12月28日·TweetDeck
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1078388940275515392
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
(3)残る12字母が単音文字。「「神」は単音文字を発明し、確定し、思い量り、入れ替えた後、それを使って宇宙のなかに黄道十二宮を造り、1年の中に12ヶ月、人間の体のなかに12の主要な器官を造った」(第5章3)。
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午前5:35 · 2018年12月28日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1078389641751912448
"TOMITA_Akio
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ウェイト版タロットとヘブライ語字母との対応は「黄金の夜明け」団のそれに従っているので、黄道12宮との対応(前図赤下線)を考えるときに注意を要する。
アレフの数価は1だから、アレフの前にゼロを置く方が自然なことは既述した。
午前5:38 · 2018年12月28日·TweetDeck
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1079115810168172544
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黄道十二宮とヘブライ文字との対応は、字母の順番とぴったり一致する。ここでその対応をまとめておこう。
字母の第5「皇帝」→単音文字の第1「He」→白羊宮
字母の第6「大祭司」→単音文字第2「Vau」→金牛宮(以前の説明はまったく不充分だったので、いずれ説明しなおします)。
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午前5:43 · 2018年12月30日·TweetDeck
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1079116325769773056
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字母の第7「恋人」→第3単音文字「Zain」→双子宮
字母の第8「戦車」→第4単音文字「Heth」→巨蟹宮
字母の第9「力」→単音文字の第5「Teth」
字母の第10「隠者」→第6単音文字「Jod」→処女宮
ここに字母11「運命の輪」第4の複音文字10「Kaph」(木星を表す)が入る。
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午前5:45 · 2018年12月30日·TweetDeck
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1079117102059909120
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
処女宮←「隠者」札は難物。「時間」を測る道具(日時計、水時計、火時計……)が鍵になることは既に示した。
字母の第12「正義」→第7単音文字「Lamed」→天秤宮
ここに母なる文字・字母の13「Mem」(「吊られた男」)が入る。
字母の14「死神」→第8単音文字「Nun」→天蝎宮
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午前5:49 · 2018年12月30日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1079117562133106689
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
字母の15「節制」→第9単音文字「Samech」→人馬宮
字母の16「悪魔」→第10単音文字「Oin」→磨羯宮
ここに第5の複音文字・字母17「Pe」(「塔=火星」)が入る。
字母の18「星」→第11単音文字「Tzadi」→宝瓶宮
字母19「月」→第12単音文字単音文字「Koph」→双魚宮
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午前5:50 · 2018年12月30日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1079117562133106689
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1079143666558496769
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
残るは、第6の複音文字・字母20「Resh」(「太陽」を表す)
 字母21「審判」→母なる文字「Shin」(火元素を表す)
 字母22「世界」→第7の複音文字「Tav」(土星を表す)
 ゼロ「愚者」→字母の第1=母なる文字「Aleph」(空気元素を表す)
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午前7:34 · 2018年12月30日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1079144021212069888
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
字母第2「魔術師」→第1の複音文字「Beth」(水星を表す)
 字母第3「女大祭司」→第2の複音文字「Gimel」(月を表す)
 字母第4「女帝」→第3の複音文字「Daleth」(金星を表す)
以上。ヘブライ語字母と12宮の対応は「デタラメ」という意見は当たらないのである。
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午前7:35 · 2018年12月30日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1079475348121632769
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
ヘブライ文字の字母順と獣帯12宮の順序とがぴったり一致していることを見たが、惑星はどうであろうか。惑星は複音文字に対応させられていることは見た。
複音文字1「Beth」→水星→「魔術師」
複音文字2「Gimel」→月→「女大祭司」
複音文字3「Daleth」→金星→「女帝」
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午前5:32 · 2018年12月31日·TweetDeck

https://twitter.com/Prokoptas/status/1079476670405529600
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
複音文字4「Kaph」→木星→「運命の輪」
複音文字5「Pe」→火星→「塔」
複音文字6「Resh」→太陽→「太陽」
複音文字7「Tav」→土星→「世界」
内惑星と外惑星の区別のなかった古代占星術では、惑星配列はさまざまであったが、この配列はそのどれとも一致しない。
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午前5:37 · 2018年12月31日·TweetDeck
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https://twitter.com/Prokoptas/status/1079477272325677056
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
スキャパレリ『旧約の天文学』によれば、旧約聖書が区別した惑星は、(太陽と月を除けば)金星と土星のみというから、惑星配列に関心がないのも致し方のないことかも知れない。
「個々に単独に取扱はれてゐる遊星の中で、ただ2つのみが旧約聖書の中で探し当てられる」。
午前5:40 · 2018年12月31日·TweetDeck
"

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ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年12月26日
そんな深く考えなくてもコダヤ・
カバラの原典を読めば『蛇🐍が
吊るされてる樹 = 竜座(ドラコ)のα星
が北極星だった頃の天体図』
を模して
る事が一発で分かるのに^^;

聖書とかあの類いの古代宗教本は
占星術の知識必須だよん♡

その点、バビロニアの占星術盛ん だったカルデアの地を魔術師の 拠点として設定した
型🌕(🍄⁇) は流石というべきか……



このツイートは
確か↓とこの前後のツイートへの突っ込み。



@Prokoptas until:2018-12-27
https://twitter.com/search?f=tweets&q=%40Prokoptas%20%20%20until%3A2018-12-27&src=typd

この人もユダヤ・カバラの聖典は読んでそうだけどね。








https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/950187523069718529
"子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchi
さん、
@kikuchi_8
さん、他5人
結社シンボル集②
丸に十字、丸に×の意味。
ギリシア式ゲマトリアだと300が十字架で18がイエス。
カインの刻印×と、Mの刻印。
ハンドサインはインドの印契。
バラモンの祭壇が火の鳥!
要注意な曖昧単語「アーリア、ケルト、縄文」 http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-240.html


結社シンボル集①
yomenainickname.blog.fc2.com
結社シンボル集。丸に十字、丸内に△、△内に丸、一つ目、オシリスごっこ、六芒星、人工芝の拳、☆帽子のツバくにゃ∞、フリギア帽、オリオンの三ツ星、APSとメーソンメンバー、聖書の6、33、11、18...
引用に許可がいるのか知りたい方々がいらっしゃるので明記しておきます。本ブログからの引用だと明記なさるならば、無断でも転載OKです。そのサイトがYES教の正統派だろうが、異端派ゴッド道カノレト123だろうが、自らに由る明ソンだろうが、大三元タオ卍だろうがかまいませんが、これらを否定する本ブログの記事を乗せるのはまずくないですか?私はコメント欄を全然見ませんし、返事はしない方針ですのであしからず...
午前11:08 · 2018年1月8日·Twitter Web Client
"


TOMITA_Akio
‏ @Prokoptas
2018年12月8日
『形成の書』第1章4
「無(アイン)から流出する「セフィロト」の数は10である。
この10は9でもなく11でもない。この偉大な知恵を直観せよ。
この知識を理解せよ。そして賢明であれ。この神秘を探求し、そこに思いを馳せよ。
あらゆる事物を10の「セフィロト」を使って検証せよ」。

(この記述を読むにユダヤ・カバラは10が神聖であって
フリメなどが好きな11ではないんだよなあ。
フリメは新キリスト教だからそもそもユダヤ教正統派ではない。
ソロモンはユダヤ教正統派では評価が低い。



ぐだトマト
‏ @pteras14
2016年6月26日
個人的に666の獣の話は竜座と
小熊座とケフェウス座の北極星
の取り合いの話が元ネタだと
思ってる。

おおぐま座の近くに子獅子座も
あるし、山猫座(豹?)もあるしね。

竜座→小熊→小熊→ケフェウス座
の順だからね。バビロンの淫婦は
カシオペア座辺りか?
1件の返信 7件のリツイート 5 いいね
ぐだトマト
‏ @pteras14

問題は聖書の言う正しい北極星座が
小熊の次のケフェウス座なのか、
バビロニア最古の牛飼い座(バビロニア
時代は羊飼い座!)なのかどうかだ。

牛飼い座が次の北極星の座に就くのは
数億年後。牛飼い座だとすると
数億年地獄のロールプレイを奴等
続けるつもりか?w


2008-01-22
カバラ宇宙論におけるドラゴン
https://toroia.hatenadiary.jp/entry/20080122/1201015048
”十日と少しばかり前、Wikipediaに「セリ」という項目が立てられた。
履歴を見てもよくわからないが英語版Theliの実質的な翻訳である。英語版を見てみると、次のようにある。

Theliとは『形成の書』に見られる巨大な蛇のこと。己の尾を己の口で銜え、常に天への扉を捜し求めている。全身で宇宙全体を取り巻く。ウロボロス蛇に似ている気がする[要出典]。

そんなの本当にあるのか? Theliをセリと表記するのは理不尽ではないか? 要出典が付されているではないか? などなどいろいろ疑問に思って検索してみる。日本語では箱崎総一『カバラ』には『形成の書』の全訳が収められているが、ざっと眺めてみてもどこにも書かれていない。検索してみると、この書の英訳にdragonという字句があるのを発見した。
第6章第1節。

above is the Celestial Dragon, T L I,

どうもこれがTheliのことらしい(出典Wikisource: Sefer Yetzirah)。しかしさらに調べてみると上述の英訳はかなり古く、オンラインでは結構出回っているものの、どうも信用できない。単なる一オカルティストの勝手な解釈ではないか、ユダヤ教神秘主義の世界観に、天空にドラゴンがいることなんてありうるのか、と思い今度はGoogle Scholarにしぼって検索してみたところ、アルイェフ・キャプラン(Aryeh Kaplan)*1という人が『形成の書』を英訳しているのを見つけた。プレビュー機能で少し見てみると、どうも本当にTheliはドラゴンと関係があるらしい。1997年の出版とあるし*2、ピーターソン版のゲーティア版元であるWeiser Booksだったので信頼を置けると思い、注文。今日届きました。

まずは参考までに箱崎訳を。

律(ミシュナ)6・1
……彼*3はそれら*4のなかに軸、輪、心を割りあてた。
……
律6.3
宇宙における軸は玉座にいる王のようである。*5

箱崎訳とWikisourceは明らかに異なっているが、キャプランによると『形成の書』にはいくつかの長さの異なる版があるという。箱崎総一は彼の友人であるラビたちから入手したらしいので、詳細は不明。キャプランは18世紀にラビ・エリアフが編纂したグラ版(Gra Version)をメインに、その他の主要な版もアペンディクスに翻訳している。
そして、そのキャプラン訳(を、toroiaが日本語に重訳)。

彼はそれらのなかにTeli、輪、心を設置した。*6

なんとTeliは固有名詞のまま……。ヘブライ語原文も示されているので対応する箇所を探ってみたが、おそらくתלי(タウ、ラメド、ヨッド)がそれだろう。母音記号はついてない。
ついでにほかの版も見てみる。

ショートバージョン、6章1節
そして彼はそれらのなかにテリ、輪、心を割りあてた。*7

ロングバージョン、6章5節
彼はそれらのなかにテリ、輪、心を割りあてた。宇宙におけるテリは彼の玉座にいる王のようである……*8

サアディア版、8章4節*9
そして、それらすべてがテリ、輪、そして心に取り付けられた。宇宙におけるテリは玉座にいるようだ……*10

そしてあろうことか(?)、キャプランはこのテリという語に対して「全文中、もっとも意味不明なものの内のひとつである」と言っている。なるほど。しかし「心」はともかくとして「輪」は宇宙の回転運動や時間の円環概念を象徴したものらしく、なるほど輪があるなら宇宙に取り付けられるべきは中心たる軸か、とやや箱崎に納得しつつ読んでいくと
Pole Serpentという語とともにりゅう座の図像が。なるほどりゅう座は北極星を取り巻く位置にある。しかもトゥバン星は紀元前2790年ごろは北極星だった! となるとりゅう座と宇宙軸とテリという言葉の間に何らかの関連性が見出せるかもしれない*11。

実際に注釈文献でテリ(キャプランによればタリtaliが一般的な表記だけど第一母音はシュヴァのほうが正しいだろうとのこと)というのがドラゴンであるというのはかなり多いらしい。そしてそのドラゴンは多くの場合レヴィアタンと結び付けられる、というかレヴィアタンの記述と結び付けられてテリという存在が解釈されているのだという。なんと面白いことに、
古いミドラッシュ文献には、世界はレヴィアタンのひれからぶら下がっている、という記述さえ載っているらしい。
宇宙論的なドラゴンである。また、時々バアルの偶像やエデンの園の蛇と同一視されることもあったようだ。かくして私の邪推は敢え無く本当に単なる邪推に終わってしまった。
しかし天球上にはその他いろいろとドラゴン的なものがある。りゅう座のほかに特に有名なのはノード(日食と月食が起こるところ)でありそれぞれドラゴンズヘッド、ドラゴンズテイルとも呼ばれている。インド以東の占星術ではラーフとケートゥと呼ばれている擬似天体である。それがペルシアやアラビア占星術ではドラゴンだということになり、
こうした中東系の伝統がおそらく紀元後しばらくしたギリシアあたりにまで伝わって現在の西洋占星術における名称になったと考えられている*12。となると、中東やヨーロッパのユダヤ教徒たちが知らなかったとも思えない。だからこのテリはそうした2つのノードをつなぐドラゴン的存在ではないかというものである。
ほかにもいろいろ解釈があり、それこそ単なる「軸」から象徴的でこの世のものではないという説まであるらしい。とにかく先述のように非常に難解な語彙であり、ひとっとびにドラゴンだすげーだのと思ってはいけないということである。それと同時に、胡散臭いと思って蓋をしてしまわないことである(またまた、自戒)。
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*1:読んでみると、著名な律法学者だったようだ。しかしながら1983年、48歳という若さで逝去。

*2:あとで序文を見たらユダヤ紀元5737年=紀元後1977年のものだった。ただしWikisourceよりはずっと新しい。

*3:もちろんヤハウェ。

*4:よくわからない。宇宙全体のことか。

*5:p.137。

*6:p.231.

*7:p. 267.

*8:p.280。後ろの文は、ほかの版だと第3節になっている。

*9:ほかのと流れが結構違っている。

*10:p.293.

*11:もちろん星座が現在の形に収まったのはずっと時代を下っているから、トゥバンがりゅう座にあるからといって地軸の延長上にあるイマジナリーな宇宙軸が当初から蛇と考えられていた、と結論を下すのは早急に過ぎるけど。

*12:実は、この起源をバビロニアに求める説がある。具体的な記述がないのが致命的ではあるが、この説の発表については少しばかり面白い偶然がある。日本語でも英語でもウェブ上では知られていなさそうだから、機会があれば紹介したい。


https://twitter.com/Prokoptas/status/1038162737530949632
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
TAROは、Tを起点に右廻りに読み、さらに循環を示すために初めのTを読むとTAROTとなる。「かように同じ文字で表された始まりと終わりは、聖なる循環の永遠の始まりを想起させる」(『大いなる神秘の鍵』)。
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午前5:30 · 2018年9月8日·TweetDeck
"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1038165915790008320
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
レヴィがフリーメーソンの標語INRI(Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum〔ユダヤの王バザレのイエス〕)を重視する理由もそこにある。「INRIはTAROTよりも意味深長で、高度な秘儀参入に通じるものなのである」(『大いなる神秘の鍵』)。
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午前5:43 · 2018年9月8日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1038519680963493888
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ここで疑問がわく。ROTAは右廻り左廻りに読むことで、TAROTにもTORAにもなる。しかしINRIは始め右廻りに、次いで左廻りに読む。
これはエゼキエルの幻視の4聖獣の説明の順序(前→右→左→後ろ)と同じ。つまり、右廻りと左廻りとの同在である。
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午前5:09 · 2018年9月9日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1038520320133484544
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
さらに、レヴィはダニエルの幻視を挙げる(『大いなる神秘の鍵』)。すなわち、
「見よ、天の4つの風が大海を激しく打っていた。そして、4つの巨大な獣が海から上がってきた。……最初のものは雌ライオンに似ていたが、このものの翼は鷲のようだった。→
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午前5:11 · 2018年9月9日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1038520630268768256
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
→……すると見よ、熊に似た第2の獣が。……その口の中の、その歯の間には3本の肋骨が。……見よ、ヒョウにも似た別の獣が。……第4の見るも恐ろしい、不気味で、途方もなく強力な獣が。……これは……角が10本。……別の小さな角がそれらの間から生じ……→
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午前5:13 · 2018年9月9日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1038521041981562881
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
→……すると見よ、人間の目のような目がその角にはあり、その口は大言壮語していた」(7章2-8)。
1つの車輪が*同時に*右廻りにも左廻りにもなることは、現実にはありえぬことだが、エゼキエルの車輪では起こっているのである。
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午前5:14 · 2018年9月9日·TweetDeck



https://twitter.com/Prokoptas/status/1038892056867819520?ref_src=twsrc%5Etfw
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
水銀に硫黄を加えた硫黄-水銀理論が8世紀以降のアラビアで定着。この理論は13〜14世紀のヨーロッパで支持されたが、これにキリスト教三位一体論に合わせる意味で、水銀-硫黄-塩の3元素論が錬金術理論として普及するのは、16世紀前半のパラケルススからである(大槻真一郎)。
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午前5:49 · 2018年9月10日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1038891345903927296
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
水銀はὑδρ-άργυρος(水+銀)という語からもわかるとおり、水=液体でも鉱石=固体でもない(=ある)ものとして神秘化され、その多様性が変幻自在のヘルメース=メルクリウスに譬えられた。
錬金術記号は月+太陽+4元素(十字部)とも、月+金星とも取れる。
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午前5:46 · 2018年9月10日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1038524497152765952
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
こうして、TAROTとINRIは同じ構造のモノグラフで表される。
そしてこれらを統合するのが、三角形を2つ組み合わせた(錬金術では火は上向きの三角形、水は下向きの三角形を表す)「ダビデの星」と呼ばれる六芒星形である。
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午前5:28 · 2018年9月9日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1037427037353328640
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「ケルビム」補説。
単数形はヘブライ語ケルブの音訳χερούβ(複数形χερούβιμ)。原形がラマッスを指すことは既述した。神は「アダムを追い出して、美味の園の前に住まわせ、ケルビムと回転する剣の炎を置いた。命の木にいたる道を守らせるためである」(創世記3章24)。
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午前4:47 · 2018年9月6日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1037428149414322176
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
レヴィのケルビムの表象は、出エジプト25章18-19を忠実に再現したものと考えられる。
ソロモーンの神殿にも、オリーブの樹で造られたケルビム。列王上6-23-28。
詩篇18-10「主はケルブに乗って飛び、風の翼をもって翔る」
詩篇80-1「ケルビムの上に座せられる者よ」。
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午前4:51 · 2018年9月6日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1037441532796653568
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
どうやってケルビムに乗るのか?目撃証言がエゼキエル書4章にある。それによると、どうやら、ユダヤの「メルカーバ」と呼ばれる戦車(これをΘρόνες という天使が構成) に乗り、これをケルビムが牽引しているらしい。
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午前5:45 · 2018年9月6日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1037443018037452800
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ケルビムがよく車輪とともに描かれる所以である(左図は中世絵画に描かれたケルビム)。
このような畏怖すべき存在が「かわいらしく翼をはためかす、丸まる太った有翼の赤ん坊にまでなった経緯は、存在の謎のひとつである」(ゴドウィン)。右図はジョット作。
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午前5:51 · 2018年9月6日·TweetDeck


ぐだトマト@pteras14
ケルビム研究家?ってのは驚く程
コダヤ・カバラ原典やラビの口伝とか
引用しないよね。

ラビの口伝に拠ると「回転する炎の剣」
ってのは「エジプト兵の使用してた
曲刀(コペシュ)」と伝えられている。
つまりエデンの園の物語ってのは、
何らかの形で古代エジプト文明と
繋がりがあるって事。

元々、創世記の入ってる巻自体が
「モーセ五書」の一つで、そのモーセ
自体がエジプトから脱出してるんだから
エジプトと全く関係が無いと考える方が
無理なわけで。

因みに「車輪の中の車輪」は惑星、
「神の玉座」は天体現象のグランド
クロスを表しているものと思われる。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1039243881785610240
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
マルセイユ版「魔術師」の卓の上の小道具は、ウェイト版において4つのスート(棒・盃・剣・「小銭」と呼ばれる環」)に綺麗に整理された。このうち「剣」は「4大要素の風を象徴する」(井上教子)と言うが、何の根拠も挙げていない。これはレヴィを参照する限り明らかに間違い。
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午前5:07 · 2018年9月11日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1039245688565981184
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
例えばレヴィのペンタグラム
棒:エジプト人の男根、またはヘブライ人のイォド
盃:女陰すなわち原初のヘエ
剣:これら2つを連結するもの、または隷属以前のヘブライ語においてヴァウという語で表された陰茎(リンガム)
円環:すなわち「世界の姿である」。
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午前5:14 · 2018年9月11日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1039247395324739584
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
レヴィのペンタグラムは「魔術的に表現した人間の形つまり小宇宙の象徴……四大元素から生じるもの(動物の本性の束縛から逃れ向上しようとする人間の魂)……5つの神秘的な力の中枢を示す。これらの力を覚醒させることは白魔術の最高の秘密である」(『秘密の博物学』)
午前5:21 · 2018年9月11日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1039248669843775488
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
四聖獣とスートとの関係は、「ギョーム・ポステルより与えられ、エリファス・レヴィによって完成されし隠秘学の絶対的鍵」(『大いなる神秘の鍵』)においてさらに明確である。すなわち、盃=水、棒=牡牛=地、剣=獅子=火、貨幣と呼ばれる環=鷲=空気である。
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午前5:26 · 2018年9月11日·TweetDeck



ぐだトマト
‏ @pteras14
5月23日
コダヤ・カバラは普段の日常生活
ではあまり役に立ってないかな。

漫画とか小説の創作のためのネタ用
ぐらいか……?(ゴーレムの具体的な
造り方とか)

しかし、カバラもニートや専業じゃ
ないと全文献読破はきっついと
思うなぁ〜^^;

前述の三作以外にも沢山あるし^^;

ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年11月22日

そういや、アヴィケブロンじゃない
モノホンのコダヤ・カバラのゴーレム
製作法だとめちゃムズイんだよね、
ゴーレム造るの。

で、そもそもゴーレム造る目的が
メイド美少女ゴーレムの製作。
アキバって名前のラビがそう説いて
いるw
0件の返信 1件のリツイート 2 いいね
ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年11月10日

始まり→真ん中→終わり
アリストテレスの詩学だけど、

創造→維持→破壊→創造というサイクル。
インド/イラン的世界観なんだけどね。
コダヤ・カバラにも似たシステムが
あるけどね。
0件の返信 6件のリツイート 9 いいね
ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年9月7日

ケルビム研究家?ってのは驚く程
コダヤ・カバラ原典やラビの口伝とか
引用しないよね。

ラビの口伝に拠ると「回転する炎の剣」
ってのは「エジプト兵の使用してた
曲刀(コペシュ)」と伝えられている。
つまりエデンの園の物語ってのは、
何らかの形で古代エジプト文明と
繋がりがあるって事。

政志@「悪」は善意を装うもの。詐欺師に気をつけて←さんと他1人さんがいいねしました
ぐだトマト
‏ @pteras14
2018年3月9日
ゴーレムっつーと、ファンタジーの
モンスター役か召喚ペットみたいな
扱いだけどさ、アレの原典がそもそも
コダヤ・カバラにあるのはご存知だと
思う。

では、そもそもコダヤ人はなぜ
アレを造ろうと考えたのでしょーか?

そういやジャンプでもゴーレム物
の連鎖やってたね。


ぐだトマト
‏ @pteras14
2月13日
ユダヤ・カバラ(本物)の文献では
蛇じゃなくてラクダって書いてある。

具体的に言うとラクダに乗ってる
堕天使がイブに知識の実を勧めた
んだけど、
アダムは労働、
イブは産みの苦しみ、
堕天使はエデン追放、
ラクダはDNAを編集されて蛇に変態
という何故か堕天使を乗せて移動した
だけのラクダさんが神に一番重い罰を
喰らう不思議。

ラクダの家畜化って実際には時代的
にはかなり後からなので、ラクダが
出まくる旧約聖書がそんな古い時代に
書かれた書物じゃない事が分かってる
のでなんかコダヤ人的にはラクダに
対して許せない何かがあるんだろう。

確かラクダの肉って食べるの禁忌
だったはずだし。

2017年12月21日
これね、どうしようもないんだ。
アメリカ自体が歴史上キチガイが
移民して出来た国だから、伝統が
それしかないから未だにキチガイを
やり続けてるんだ。

ご先祖様のローマ&ヘレニズム文明と
パクリ元のイラン&インド文明圏も
キチガイの集まりだったし。

コダヤ教に詳しくないので
あまり細かい事は分かりませんが、
タナハ(旧約聖書の事)ではファラオ
から家畜化されたラクダを貰ってる
シーンがあるので、書物自体は
そんなに古く無いのではないでしょうか。

https://twitter.com/Prokoptas/status/1071138269595787264
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「4は順序と結びついている。4方位、4種の風、月の4種の形態、4元素、十字路の4つの角……これらの全ては完全なる順序立った数列を示唆している」(キング『数秘術』)。
さらに、1+2+3+4=10、これをτετρακτύςと呼び、ピュタゴラス派では全宇宙のイコンとして崇拝された。
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午前5:23 · 2018年12月8日·TweetDeck


https://twitter.com/valet_de_coupe/status/1140897469250674689
”夢然堂
@valet_de_coupe
『中世絵師たちのタロット』絡みで、新旧両版以外にヴィルトが描いたタロット画をご紹介。まずはド=ガイタ著『創世記の蛇』シリーズの第二部『黒魔術の鍵』(1897)に収められた挿画から、「正義」「隠者」「運命の輪」「力」の4枚。つづく。
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午後5:22 · 2019年6月18日·Twitter for iPhone

https://twitter.com/valet_de_coupe/status/1140898540882784256
”夢然堂
@valet_de_coupe
つづきで、「吊るされた男」「死神」「節制」の3枚。
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引用ツイート
夢然堂
@valet_de_coupe
· 2019年6月18日
『中世絵師たちのタロット』絡みで、新旧両版以外にヴィルトが描いたタロット画をご紹介。まずはド=ガイタ著『創世記の蛇』シリーズの第二部『黒魔術の鍵』(1897)に収められた挿画から、「正義」「隠者」「運命の輪」「力」の4枚。つづく。
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午後5:26 · 2019年6月18日·Twitter for iPhone



https://twitter.com/valet_de_coupe/status/1140901145293930498
”夢然堂
@valet_de_coupe
ヴィルトのタロット画つづき。1911年『メーソンの光明』誌に掲載された、「中世やルネサンスの資料に基づいて復元された未発表の」タロット(デッカー&ダメット本図版より)。
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午後5:36 · 2019年6月18日·Twitter for iPhone


https://twitter.com/valet_de_coupe/status/1140902889356816384
"夢然堂
@valet_de_coupe
つづき。先の図版と同じく、1910年代に『メーソンの光明』誌に連載されていたヴィルトによるタロット記事の挿画から「女教皇」「女帝」「皇帝」「恋人」の4枚。つづく。
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午後5:43 · 2019年6月18日·Twitter for iPhone
"

https://twitter.com/valet_de_coupe/status/1140904031323226113
"夢然堂
@valet_de_coupe
つづきで「戦車」「正義」「隠者」「運命の輪」の4枚。
この連載記事がのちの『中世絵師たちのタロット』の原型。
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引用ツイート
夢然堂
@valet_de_coupe
· 2019年6月18日
つづき。先の図版と同じく、1910年代に『メーソンの光明』誌に連載されていたヴィルトによるタロット記事の挿画から「女教皇」「女帝」「皇帝」「恋人」の4枚。つづく。
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午後5:48 · 2019年6月18日·Twitter for iPhone
"

https://twitter.com/valet_de_coupe/status/1140910153748738048
”夢然堂
@valet_de_coupe
よってこのリメイクデッキが単純に『ウィルト版』と呼ばれるのは少々問題のあることではある。
ただ個人的には生まれて初めて買った本格的商業デッキだったということもあり愛着のあるデザイン。
引用ツイート
夢然堂
@valet_de_coupe
· 2019年6月18日
最もポピュラーなUSゲームズ社の『オズワルド・ウィルト版』大アルカナはミシェル・シメオンという画家によるリメイク版。ヴィルトの死後随分経った1966年にチュー書店から出た『中世絵師たちのタロット』新版が初出。これに更に小アルカナを新しく付け加えたのがこのデッキ。
https://usgamesinc.com/Oswald-Wirth-Tarot.html
午後6:12 · 2019年6月18日·Twitter for iPhone”

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
6月18日
気付いた? ヘブル文字(小径)の対応が面白い。わざとそうしてるのかと思うくらいには。

ね、小径に割り振られてる今のアトリビュートとまるで違うの。

これによってメジャーアルカナのとらえ方がまるで異なってしまうから。

現在よく知られてるタロットのヘブル文字対応は
セフェール・イェツィラー由来のもの。
その前後でいろいろとあったのでしょうね。

どの対応が正しいかは個人の判断にお任せするとして、
これほどまでに対応が違ってるというのはとても興味深いです。

実際のところGDにおけるタロットのセフィロト対応は『形成の書』由来のものですし、
それ以前の対応はかなりタロット作成者の判断で食い違っていたということ。今でこそ大体統一されていますけどね。

というかGDの秘儀伝授のほとんどがこの『形成の書』による象徴の対応関係につきるといってもいいくらい。
そういう意味ではそれはもう達成されたともいえるのかもしれない。

魔法使いにとってのタロットは《動く絵本》だから、タロット占いを専門とするひととはその捉え方が少々毛色が違うのです。

内的体験が魔法使いにとってのタロットの役割だからなのです。


そういう意味でいえば確かにタロットのデザインは魔法使い以外にとってはもっと自由であってもかまわないのかもしれない。《小径》に依存する必要がないからです。

セフィロト内の小径とタロットの結びつきは魔術体系の根幹そのものですからね。それを必要とするかどうかなのだと思います。

パスワーキングとは何かというと、これから体験することの覗き見みたいなもの。ちょっと早いけどその概略を知る方法。それをもって次の段階へ移行することを意味していない。
逆に言えば人生体験のみによってタロットに記された秘密を解き明かしていくのもありえることですね。

単純に言って、それは予行演習みたいなものだからです。

誰でも死ぬまでに体験するであろうことをそんな感じの物語り群によって示しているの。ともあれ、体験は早いに越したことはなくて準備が整ったと思えば試してみるのもいいかもしれません。けれども情報量が多すぎるからひとつの扉を試すのは最低でも一ヶ月以上の間をあけたほうがいいのです。

個人的な感想をいうのなら扉ひとつに一ヶ月でも相当ハードだと思います。わたしなら半年はかけたいから。

確かにね、そんなにかけたら11年もかかっちゃうけどわたしにはそれでちょうどよかったから。

多くの人たちは魔法の訓練に半年もかければ十分なんてひともいるけれど、わたしは全くそうは思わないの。人格の変容を経験するのにそれでは心に対する負担が大きすぎるのです。だから少なくとも数年はかける必要があるでしょうね。

例えるのなら普通の体型のひとがアスリートみたいな肉体に変貌するまで何年かければいいのかを考えてみればいいのです。

知能だけ変化しても心のほかの部分が追いつくとは思えないの。
筋肉だけついてもそれを支える骨が変化しなくては。

そういう意味では魔法の先生は心を鍛えるトレーナーということもできるから。

筋肉というのは各種知的能力のこと。けれどそれを支えるものがなければすぐに病気になってしまうのです。

例えば天才がその能力を発揮した結果、心を壊して自殺や事件を起こしたりというのはよく聴きますよね? それは例えるのなら筋肉に骨が耐えられなかったことを意味してると思うのです。成長にはやはり時間がかかりますから。

どういうことって? そんな短い期間に大恋愛と大失恋を何度も繰り返すことをイメージしてみて? そのひとの心が保つほうがどうかしてるのです。

そのひとなりに安定した人格形成が出来るのならそれでいいと思うの。何が伸びるかはそのひとによるけど。

6月18日
その他
技術が発達するほどにフェイクやイミテーションが氾濫していく。そうなると真贋の判別をするひとが力を持っていく。これ、何かに似ていない? そう、魔術師の姿そのものだから。

お話が完全なオカルトなのかそれとも日常的なお話かの違いでしかないの。




Angeliqua@nap master
@Ripple1975
2013年8月11日
科学はわたしたちが呼ぶイデアやヌースを狭義で用い、わたしたちはそれを心にも適用する。この点が違うけど、単なる視点の違いなので用語の問題ともいえます。方や白衣、方やローブです。机が祭壇になり、実験器具が四大武器になる。あとはイメージ操作の違いだけ。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
2013年8月4日
うーん、祭壇とは何かって?目の前に展開した大地の表現、箱庭。意識の台座。定義した心の形。分離・分割したもの。供物を捧げる場所、祝うための場所。心との対話の場所。意識の机。すなわち、Altar。心の視座。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2015年1月19日
魔術の趣旨というのは「意識の中に変化をもたらす技術」というように最終的には体験によって意識変革を行うものです。その結果として行動が変化して物事が現実となる。だから知識や道具それ自体は枝葉末節といえるでしょう。だから魔術道具に拘りすぎるのも駄目なのです。


Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2014年9月28日
本当は象徴操作や呪文、動作なんて凡て枝葉末節に過ぎないの。どんな方法だろうとやってることは同じこと。人の心は基本的なところは同じなのだから同じ法則が成り立つ。文化的差異があろうとも人であることは代わりがないのだから、数万年以上換わらないところだけを見るの。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2014年9月5日
魔法の道具だてというのは正直なところ祭壇となるテーブルと一つの灯りがあるのなら何でもいいのです。それ以外は枝葉末節だともいえる。他に必要なものといわれても実は困る。真理の光を奉納する以外に何がいるのと逆にお尋ねしたい。四大武器やその他についても同じ。最後はたったこれだけになる。


Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2010年9月8日
最近、私はオカルト用品を全く使わなくなった。唯一使うのはフード部分を青く着色した卓上型の小型LEDライトだけ。これは蝋燭の代わりなのだけど電池式で小さく、とても便利。もはや香や魔術武器も必要ない。あと必要なのは時間とノートとペン、そして時計しか要らない。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2013年8月26日
実は、わたしはもう占星術とかタロットもやりません。占いで使わないの。それは象徴を利用するだけでパスワーキングとかに使うだけ。地の魔法は卒業したので道具が要らないからなの。友人の頼みだと雰囲気作りでタロット使うけどね。実際にやるのは緻密な即興プロファイリングです。こっちのが当たる。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2013年8月26日
一般的にポップオカルトに分類されるのはすべて地の魔法。タリスマンもそうだし、タロットや占星術もそう。これらはすべて地の魔法。この魔法を通して物事の本質を理解するの。最終的には道具なんていらなくなる。占いなんてその人を見ればプロファイリングが使えるから。それが地の魔法なの。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2010年9月19日
『神秘のカバラー』を数回呼んだ程度では魔術カバラについて何も語れない。心に「木」が構築されだすのは10回目以降。30回、50回と読んで本がぼろぼろになる頃、最初のカバラーの訓練は終わる。その頃、かれはカバラ用語で日常の全てを語れるようになる。


Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2010年9月19日
『神秘のカバラー』を卒業するのは熟読30回目以降だけど、小径に関する学習は10回目辺りから。このとき、リガルディーの『石榴の園』か『生命の木(洋書)』、ガーレス・ナイト『カバラ的象徴の実践ガイド(洋書)』が必要になる。さもなければタロットの門を使ってパス・ワークしかない。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2013年8月23日
わたしが購入したフォーチュンの『神秘のカバラ』は現在で三冊目です。過去の二冊は完全にぼろぼろになって分解してしまいました。それでもまだ時間があると読んでます。既に内容も頭に入ってるけど、目を通すことで思考をトレースしてるの。著者より詳しくなることを目指しなさい。三冊目が死にそう。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2019年10月21日
基本というのは一本のロープみたいなもの。それをどのように結ぶのかは基本形があるけど用途に合わせてさまざまな結び方を使うの。でも、ロープって結ぶ以外にも使い道があることを忘れない。「それ以外の使い道」を考えることが型から抜けることだから。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2019年10月21日
料理にも正解なんてないですけどね。基本的なやり方があってそれを自由に組み合わせるだけ。あとは自分が美味しいと思えるのならそれでいいから。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2016年4月5日
瞑想は科学だなんて誰が仰ったのかわからないけれど、主観の世界における行為だから科学には成り得ないと思うのです。観測者効果を持ち出すとすでに科学学から外れていく量子科学の世界を持ち出すまでもなくそれは区別されなくてはいけない。あくまでも第三者が容易に検証可能なのが科学です。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2017年4月20日
とりあえず科学をもっと学ぶ。そうしたら魔法はもっとよく理解できるようになるから。


Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2013年8月23日
フォーチュンが『神秘のカバラ』の中で「手元に生命の木の図を置いておかないと私は木について書くことができない」と告白しているけれど、一方で古いカバラ魔術の本では生命の木を手に持ってる賢者のような挿絵が入ってる。これは比喩じゃなくて現実。そのような感じで木が見えないといけないの。


Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2017年3月21日
お家の前に刺さってる聖剣は呪い付きですからね。本当に覚悟ができるまではただの木の棒にしか見えないから。凡庸で貧弱な武器にしか見えないの。でも、気づいたときにはそれを引っこ抜いてやっと自分の道を探し始めて本当の冒険が始まるのです。

Angeliqua@nap master
@Ripple1975
·
2019年5月20日
それだから最初にキムのゲームや逆向き瞑想を行うの。自分がどれほどのことを忘れてるのか正面から向き合うためです。その現実と意味を理解しない限り先には進めないから。





参考資料




https://twitter.com/Prokoptas/status/1161416002199965696
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
「ギリシアの自然科学者たちは、バビロニアの天文学を科学として取り入れることに積極的であった半面、占星術にはおいそれと同調しかねた、と結論してよかろう」(荒木駿馬『西洋占星術』)。
(バビロニア星学+エジプト星学)x ギリシアの理論化。
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午前8:15 · 2019年8月14日·TweetDeck
"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1161417737807093760
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
そうやって体系化されたプトレマイオスの書名の変遷にも文化融合が見てとれる。もとの書名はギリシア語で『数学大全』(140頃)、9世紀にアラビア語に翻訳されて『最も偉大な書(アル・マジスティー)』、ラテン語に訳されて『アルマゲスト(Almagest)』(12世紀)という権威書。
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午前8:22 · 2019年8月14日·TweetDeck
"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1161419032177733632
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
図(『テトラビブロス』820年)の説明。「このビザンティンの図像では、数百年にわたって変更や付加が何もない。これはプトレマイオスの言葉が最高の権威とみなされていたためで、先に進むためには……アラブ人の到来を待たねばならなかった」(『イメージの博物誌:占星術』)。
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午前8:27 · 2019年8月14日·TweetDeck”




https://twitter.com/Prokoptas/status/1161774124378673152
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
インドを見れば、アレクサンドリアあたりで書かれた占星術書が、紀元後150年頃サンスクリット語に翻訳されて『ヤーヴァナ・ジャータカ』として伝存するという(『占いの文化交流史』)。インドに伝わった星学が、プトレマイオス以前のギリシア星学であったことに矢島は注目する。
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午前7:58 · 2019年8月15日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1162089299648512000
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
後 3 世紀頃ギリシアの数理天文学がインドに伝えられて、インド天文学は急速に発展した。ヴァラーハミヒラ(6世紀)は言う。「ギリシア人は野蛮人であるが、彼らの間でもこの学問〔占星術〕は正しく確立しており、彼らは聖人のごとく尊敬されている」(『占術大集成』第2章)。
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午前4:50 · 2019年8月16日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1162090095756771334
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
そのヴァラーハミヒラとは何者であったか?
「先祖は紀元後になってからペルシアから北インドに移住したゾロアスター教徒」で、「6世紀にインド中部のアヴァンティ国……の宮廷に仕えた占星術師である」(『占術大集成』訳者解説)。
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午前4:54 · 2019年8月16日·TweetDeck"







("バーフールの日(…)とは何か
これは7日間で、その初めはタムーズ月19日である。
ギリシア人は、その日がオリオン(…)の犬、
すなわち南のシリウス(プロキオン)が昇ることでわかる、と述べている。
この日は暑さが真っ盛りの時である。"

シリウス(プロキオン)=オリオンの犬。
これだとシリウスorプロキオン < オリオン。

プロキオン
=こいぬ座α星、こいぬ座で最も明るい恒星。

おおいぬ座のシリウス、
オリオン座のベテルギウスとともに、冬の大三角を形成。

)
https://twitter.com/Prokoptas/status/1162789054733094913
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「バビロンの人々 は、昇交点が吉星と共にあれば吉星であり、凶星と共にあれば凶星だと考える」(386)。
しかるにインド人は、「完全な凶星は土星、火星、太陽、昇交点であり、降交点は全く考慮されていな い」(387)。
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午前3:11 · 2019年8月18日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1162789687552925696
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ここから少なくとも2つの知見が得られる。
①星の吉凶は星そのものの属性ではなく、星位によって決まる。にもかかわらず、インド人は吉凶を星の属性と考える傾向にある。
②昇交点と降交点は対概念だが、インド星学にその発想はない。
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午前3:13 · 2019年8月18日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1162791398208180224
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「ケートゥのほうは、ラーフの尾という説と、彗星という説とが6世紀中頃まで共存していたようである)(矢野道雄「占星術の伝播と変容」)『ユリイカ』6。
ヴァラーハミヒラ(6世紀)でさえ、ケートゥを彗星とみなしている(『占術大集成』訳註129)。
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午前3:20 · 2019年8月18日·TweetDeck





ブンダヒシュン(I)
https://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=XC09000058&elmid=Body&fname=149_Noda.pdf&loginflg=on&lnkflg=true&block_id=_296&once=true
”『ブンダヒシュン』(Bun-dahishn)は中期ペルシア語(Middle Persian)で書かれたテキストで、『原初
創造』を意味する。これは『デーンカルド』(Dēnkard)とならんで中期ペルシア語を代表するテキスト
で、イスラム期以前の古代イランの宗教、神話、伝承、科学、歴史を知る上で欠かせない、百科事
典的な資料である。序章と最終章にタージーグ人(アラブ人)という語が見えるところからも明らか
なように、実際のテキストの成立はイスラム期の9世紀ごろであると見られるが内容的には古い要
素を多く含んでいる。

[ 中略]
第1章
(1)良き教え(=アヴェスタ)の中に次のように
明らかである:オフルマズドは最高のお方で、
全知と善性をもって無限時間の間、光明の中に
いた。
(2)その光明はオフルマズドの座所・玉座であ
る。それを無限光明というものもある。その全
知と善性はオフルマズドの本性である。それを
デーンと呼ぶものもある。この2つの解釈は1
つである:すべては無限の時間であるというこ
と。なぜならオフルマズドと玉座とデーンとオ
フルマズドの時間は過去に存在し、現在も存在
し、将来も存在するからである。
(3)アフレマンは暗闇の中に、無知と破壊心を
もって深いところ(暗闇の中)にいた。
(4)破壊心がかれの本性であり、暗闇が彼の居
場所である。それを無限の暗闇というものもあ
る。
(5)彼らの間には空虚があった。それをワイと
いうものもいるが、その混合(汚染)は彼による。
〔中略。まだ第1章〕
(40)アフレマンは悪い被造物の創造のために無
知で不調和である。
(41)その理由の解釈はこうである、すなわち、
アフレマンはオフルマズドと戦い、(アフレマ
ンが)被造物を作ったとき、オフルマズドの主
としての賢明さ、永遠性、最高のすばらしさ、
オフルマズドの不滅性とガンナーグ・メーノー
グの無能と放縦と劣性、および無知が明らかに
なったということである。
(42)なぜなら長い支配の時間は彼が創った最初
の被造物であるから。オフルマズドが有限の
ものとして創造したすべてのもの(?)は混合の
前は無限であった。その無限のうち、(オフル
マズドが)被造物を創造した原初創造からガン
ナーグ・メーノーグが不能になる終末までの
12000年の期間は有限である。
その後無限と混
合して(それに)変化し、オフルマズドの被造物
も清浄な状態でオフルマズドとともに永遠にな
る。
(43)デーンに言うように、時間は2つの被造
物、つまりオフルマズドの被造物とガンナーグ・
メーノーグの被造物よりも強い。時間はことと
規則を受け入れる。時間は受け入れるものの中
で最もよく受け入れる。時間は質問するものの
中で最もよく質問する、すなわち時間によって
判断ができるということ。(?)家の時間が建てら
れる。(?)限度が飾られた時間によってこわされ
る。(?)死すべき人間のうち誰もそれから逃れら
れない。空高く飛んでも、地下に井戸を掘って
そこに入っても、冷たい水の泉の底にもぐって
も無駄である。
(44)オフルマズドは自分の体(本性)から、す
なわち(?)地界の光明から自分の被造物の形を
創った。そして明るく白い火の姿で(?)明らか
になった。両方の被造物を害する霊から1つは
「能力」が、1つは「時間」が生じた。(?)
(45)そして良きワイの形を創った。なぜならワ
イが必要だったから。長い支配のワイと呼ぶも
のもいる。
(46)そして長い支配のワイの助けにより被造物
を創った。なぜなら被造物を創ったとき仕事に
使う道具としてワイが必要だったから。
(47)ガンナーグ・メーノーグはゲーティーグ界
(物質界)
の暗闇、すなわち自分の体から被造物
を作った。それは黒くて灰(色?)で暗闇にふさ
わしく邪悪で、罪を犯すフラフスタル(害獣)の
ようであった。
(48)そしてゲーティーグ界の放縦から悪意があ
り形のないワラン(欲望)を必要のため作り出し
た。
(49)(ガンナーグ・メーノーグは)まずデーウの
本性を作った、すなわち悪い行ないで、オフル
マズドの被造物への害悪(ガンナーギーフ)はそ
れから生じた霊である。なぜならゲーティーグ
界(物質界)の暗闇から無限の暗闇を作り、無限
の暗闇から嘘言が生じたからである。それから
(?)ガンナーグ・メーノーグの攻撃があきらか
になった。かれは自分を悪人にする被造物を作
り、不能になった(?)。かれは無限の暗闇から
その体を作り、自分の被造物を形あるものとし
てつくった。かれは自分の被造物の創造によっ
て不能になった。
〔中略〕
第4章 攻撃が被造物に襲いかかることについて
(1)デーンに言うように、ガンナーグ・メーノーグはおのれとデーウどもが義者の手で無力になったのを見ると卒倒し、3000年間気絶状態にあった。
(2)その気絶状態で主だったデーウどもが口々に叫んだ「起きてください。われらの父よ!
われわれがゲーティーグ界で戦いましょう。そうすればオフルマズドとアマフラスパンド諸神に苦しみと痛みがそこから生まれるでしょう。」(3)そして彼らは一人一人自分たちの悪行を詳しく述べたてた。
(4)しかし邪悪なガンナーグ・メーノーグは心が休まらず、義者への恐怖から卒倒状態から立ち上がれなかった。そしてついに3000年の終わりに邪悪なジェフ(魔女)が現れて言った
「起きてください。われらの父よ! わたしが戦いで多くの苦しみを義者や役牛に放ちましょう。そうすれば彼らはわたしの行為のために、生きていたいと思わなくなるでしょう。そして彼らの光輪を奪い、
水や大地や火や草木、そしてすべてのオフルマズドが創造した被造物を苦しめてやります。」
(5)ジェフは悪行をたいそう詳しく話したので、
ガンナーグ・メーノーグは安堵して、卒倒状態から飛び起き、
ジェフの頭にキスした。月経と呼ばれるこの汚れはジェフにより現われた。
(6)ガンナーグ・メーノーグはジェフに言った「欲しいものは何でも言ってみろ。おまえにやるから。」(7)オフルマズドは全知によって、その時ガンナーグ・メーノーグはジェフが欲するものを与えることができることを知っていた。(オフルマズドは)優位な立場を利用して、みにくいカエルの姿のガンナーグ・メーノーグを(?)、
15歳の若者の姿でジェフに見せた。魔女ジェフはひと目で気に入った。
(8)魔女ジェフはガンナーグ・メーノーグに言った「私に男への欲望をください。((つまり、彼の支配の中で家にいるということ。))」

(9)ガンナーグ・メーノーグは言った「欲するものをお前に言わない。...」なぜなら彼女が欲しがっても、彼は与えることができないから。(10)そこでガンナーグ・メーノーグはデーウども((つまり、実行者ら))とともに光明と対決す

るために行った。彼は天を見たが、それは物質的には創られていなかったので、霊的にそれを示した。欲望に駆られて襲いかかり、星辰界にある天を下の空虚へとひきずり降ろした。その空虚は上に書いたように、光明の底と暗闇の間にあった。暗闇は星辰界の上、天の下から(?)3分の1のところまで(?)占領した。ガンナーグ・メーノーグは蛇のように飛び出し、天を大地の下に引きずり降ろそうとした。(?)フラワルディーン月のオフルマズドの日(1月1日)の正午に侵入した。天は家畜がオオカミを恐れるようにガンナーグ・メーノーグを恐れた。次に、私がのべたように地下に配置されている水を襲った。次に大地の中心に穴を開けて侵入して、次に草木、次に牛とガヨーマルド、次に火を襲った。そして、ハエのようにすべての被造物を襲ったのである。(11)ガンナーグ・メーノーグは世界を真昼なのにまっ暗な夜のように暗闇にし、そのため天と大地の上下を闇が包んだ。(12)天の神霊はガンナーグ・メーノーグに言った「お前を外へ放り出すために私は一番外の時間を守らなければならない。」(13)彼は水を無味にした。 (14)水の神霊は言った「...ワフマン、アルドワヒシュト、シャフレワル...このように私に届ける、...今や攻撃が起こったので、報酬はどこにあるのですか。」(15)彼は大地にフラフスタル(害虫・害獣)を放った。そのため大地は、人を噛んだり、毒があるフラフスタル、例えば竜や蛇やサソリやトカゲや亀やカエルであふれ、針の先ほども地上でフラフスタルのいないところはなかった。(16)大地(の神霊)は言った「かの復讐者たちに、彼らがつくった被造物に対して復讐があるように。」
〔中略〕
1.47 ゲーティーグ界: 物質界、可視界、現世。これに対立するのはメーノーグ界で霊界、不可視界。
 (着色は引用者))
(竜蛇は悪神の創造物だから竜頭竜尾という言葉はネガティブすぎてペルシャ系の人は避けるのでは?)

ブンダヒシュン(II)
https://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=XC10000116&elmid=Body&fname=120_Noda.pdf&loginflg=on&lnkflg=true&block_id=_296&once=true



https://twitter.com/Prokoptas/status/1163177750103900160
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
「日蝕の原因がほかならぬ月であることが知られるようになったが、一方蝕を起こすドラゴンの影響力も大きかったので、占星術師たちは「竜」……の代わりに遠い昔に月の異称として用いられていた「ゴージフル」を一種の婉曲表現として採用した」と(『星占いの文化交流史』)。
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午前4:56 · 2019年8月19日·TweetDeck
"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1163542714597511168
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
スコットの占星術書『導入の書』は広く読まれたが、ここには「惑星とそれらの影響のリストには一般に竜の頭と尾が含まれ」ているという(テスター『西洋占星術の歴史』)。とすると、西欧においては少なくとも12世紀までは引き上げることができる。
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午前5:06 · 2019年8月20日·TweetDeck"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1163947196732960768
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
山羊座の原型シュメールのスクール・マシュ(「巨大な鯉+牡山羊」の意らしい)(左図)と比較すると、大河を擁するメソポタミアの淡水魚と、大河を知らぬのギリシアの海水魚との発想の相違に思える。
同じく大河を擁するインドのヴィシュヌ神の化身マツヤ(右図)とも比較せよ。
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午前7:53 · 2019年8月21日·TweetDeck

(マツヤ、下半身が魚に食われているように見えるが
単に下半身が魚なのだろう。)


https://twitter.com/MuseeMagica/status/1154214057773113344  と続き
"西洋魔術博物館
@MuseeMagica
伝承によればノアの方舟にはシャムドンという悪魔も乗せてもらったとのこと。水がひいたあと、シャムドンは葡萄を育てたというのですが、詳細は不明。シャムドンの姿形も不明ですが、そこらへんは文字 ShMDN から作り出すことは可能。玩具の方舟セットになにか紛れ込んでいないか、注意が必要です。
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午前11:17 · 2019年7月25日·Twitter Web Client

シェムドンに関しては、堕天使のひとりでトバルカインの妹ナアマとのあいだにアスモデウスをもうけたという説、シェムドンがアスモデウスの別名という説、いろいろあります。諸説入り乱れるのは、外典「トビト書」の註解レベルになるとみなさん書きたい放題だからとのこと。身に覚え、あり。
午後1:57 · 2019年7月25日·Twitter Web Client


https://twitter.com/MuseeMagica/status/1154376946416885761
”西洋魔術博物館
@MuseeMagica
雑。悪魔は大変な力持ちで山を丸ごと動かすこともできますが、小さなものは動かせないという伝承があります。オオムギの粒より小さいものにはかれらの力は及ばないというのです。悪魔と知恵比べする際に必要な情報とのこと。面白き哉。絵はスコットの『悪魔学に関する書簡集』から。
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午後10:04 · 2019年7月25日·Twitter Web Client

(単にヤハウェが悪魔も生き残るべきだと選んだ結果だろう。
天使だけでなく悪魔も生き残ったという伝承。

むっしゅのフランス語ツイートでの突っ込みのツイッター翻訳↓

”私、この小さな悪魔はただ頭がいいと思いました。
あるいは単純に、ノアと神はただ不和なのです。
彼らは彼が乗船する前にチケットを持っていたかどうか調べたはずです。 < RT”
午後4:10 2019年7月25日
(え、ツイッター翻訳ってグーグル翻訳なの?
グーグル翻訳と結果が違うのでは?))





(月  日 の並び。   西洋錬金術によくある「日 月」の並びではない)
https://twitter.com/Prokoptas/status/1159539685967876096
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
蝕がある周期の終末を告げるものとされたのは、古代エジプトでそうであり、アラブ諸国においてもそうであり、中国でもまた然りである。「中国語では……月がヒキガエルに「食わ」れるのが月食なのである」(『世界シンボル大事典』)。
馬王堆出土の帛画。上部左右に月と太陽。
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午前3:59 · 2019年8月9日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1159542692109357056
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ゲルマンでは、「二頭の怪狼が……朝に夕に太陽と月とを追ひかける。……狼どもは巨口を開いて太陽や月を嚥みかけるが、下界の人間たちが……一斉にあらんかぎりの騒音を立てると、狼共がびつくりして嚥みかけた太陽や月を吐き出してしまうといふ」(松村武雄『神話学原論』)。
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午前4:11 · 2019年8月9日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1159912520649285634
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ことほど左様に、太陽や月は、じつにさまざまな獣によって喰われ呑みこまれるのである。しかも、それは一回きりのことではなく、繰り返される。死と再生は表裏一体である。
図は猫の形をとるラーが、闇の蛇の首を切っているところ。背後の樹は毎朝日が昇る地点に立つ聖樹。
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午前4:41 · 2019年8月10日·TweetDeck

(猫が太陽神)

https://twitter.com/Prokoptas/status/1159913623629602816
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「長崎くんち」に伝わった舞龍(ウーロン)で龍が追いかける珠は月の表象。もとは雨乞いの儀式だったという。
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午前4:45 · 2019年8月10日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1159915111693160449
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
そのように理解すれば、「ギリシア・ローマ神話には、実はそんな話はない」のではなく、浪漫化のあまりわからなくなっているだけであろう。例えば、レートーは日のもとで子を産むことを禁じられた。そうやって産まれたアポローン(=太陽)がピュートーンを退治するのである。
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午前4:51 · 2019年8月10日·TweetDeck”






https://twitter.com/Prokoptas/status/1160279378548289536
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
蝕のメカニズムは、洋の東西を問わず、前数世紀には既に知られていた。されば、昇交点・降交点という用語がプトレマイオス(83年頃 - 168年頃)はもちろん、約1世紀早いドーロテオス(この2人がラビア星学に大きな影響を与えた)に出てきても、純天文学的な概念であった。
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午前4:58 · 2019年8月11日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1160321549657759744
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
それがいつドラコーンの頭と尻尾に代わったかが問題なわけだが、ギリシア語占星術書でこの語が明確に使われるテキストは実に16世紀のものである。
「ドラコーンの頭と尾について」(e cod. Ath. Bibl. Publ. 1265, fol. 4v)。
図では、第7天までしか出てこないことに注目。
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午前7:46 · 2019年8月11日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1160324481509781505
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「知れ、「頭」と「尾」と呼ばれる星が、いかにして、「土星」と歩みを共にして、「時」がサッバトンの日に君臨するや、ドラコーンの「頭」が、サッバトンの夜の第1刻限から、まる1昼夜第24刻限までを規定するのかを」。
図はケラリウスの天宮図。第8天までしかないことに注意。
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午前7:58 · 2019年8月11日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1160326181532553216
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「そして見出せ、ドラコーンの「頭」が決定したら、数多の厄介や危難を示しているから、汝は決して外出しないよう用心せよ。さらにまた、「尾」が君臨しているとき、旅に出れば、流血も殺戮も明らかにするだろう」。
図は同じくプトレマイオスに従うケラリウスの天宮図。
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午前8:04 · 2019年8月11日·TweetDeck

(めちゃくちゃ創作に使えそうなネタ。
胴が存在しない竜。竜頭蛇尾ならぬ竜頭竜尾しかない竜ってのを思いついた)

https://twitter.com/Prokoptas/status/1160638929764175872
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
同じ16世紀の写本「第9天について」(e cod. Paris. suppl. gr. 1191, fol. 48)
「ところで、星を有さないがために無星(ἄναστρος)と言われる第9の天もある。しかしここにも唯一の星があり、視覚に等しくそれ自体が美しい形相をしている。かの天を端から端まで周回している。→
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午前4:47 · 2019年8月12日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1160639745216532482
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
→それには4つの働きが生じる。あるときはその口を 開けて呑みこみ、他のときにはその舌を揺らせてひくひくさせ、他のときには尻尾を振り、他のときにはその胴体を。すると見よ、4つの動きと4つの行為が生じる。→
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午前4:50 · 2019年8月12日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1160641262740856832
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
→呑みこむときは、死を明らかにする。というのは、大地を呑みこんで、人間どもの身体を受け取ることを示すからである。だが、その舌をひくひくさせるときは、スパテー剣を予兆する。というのは、その舌は剣のようだからである。→
午前4:56 · 2019年8月12日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1160641945779101696
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
→しかしその天を救うときは、全地に大いなる徴を象徴する。また、その中央部を被うときは、大地震を出現させる。どうやってそれをわかることができるか。見よ、同じ視覚によって同時に認識される。〔つまり〕巨蟹宮、獅子宮、天蝎宮と人馬宮である。……
午前4:59 · 2019年8月12日·TweetDeck”


https://twitter.com/Prokoptas/status/1160644165979394048
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
時は16世紀、コペルニクスの天動説が発表され、地動説と天動説が鬩ぎあっている時代である。ドラコーンという表象の古さに惑わされてはならない。ゴージフル龍そのものの表象は古いが、「頭」と「尻尾」に分離した発想は意外に新しいと考えられる。
図は先と同じ作者による図。
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午前5:08 · 2019年8月12日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1161066654823878656
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ギリシア語δράκων は”dragon”の語源ではあるが、脚が生えたり角が生えたりすることは決してなかった。翼が生えることもなかったが、空を飛ぶことができた。なぜ空を飛べたか?は興味深い問題だが、今は即答できない。
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午前9:07 · 2019年8月13日·TweetDeck


画像のδράκων はどう見ても蛇だ。四肢も角もない






https://twitter.com/Prokoptas/status/1161070133130874881
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
その4大文明が交流(というよりはむしろ融合)したのがヘレニズム時代であると言ってよい。その象徴の1つをデンデラのハトホル神殿の天宮図に見ることができる。図は近藤二郎『星座神話の起源』所引。
天宮図の解説は「デンデラの黄道帯」
http://bit.ly/2ZVgfCp
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午前9:21 · 2019年8月13日·TweetDeck

(画像より。
「中央の円形部分にメソポタミア起源の黄道12宮とエジプト固有の星座が浅いレリーフで表現されている。」
「D:サフ(オリオン座の三ツ星」


Kabbalah
Sefer Yetzirah Gra Version
Chapter 6
https://www.sefaria.org/Sefer_Yetzirah_Gra_Version.6?lang=bi

以下の日本語訳は

http://hocuspocus.sakura.ne.jp/bkshlf/sephery/index.html
で底本が1887年に出版された
(黄金の夜明け団創立者の)W.W.ウェストコットによる英訳版
http://www.hermetic.com/texts/yetzirah.html
だと明記している。
うじゅぱ老師(ツイッターの西洋魔術博物館の人)からは多数の誤訳の指摘を戴いたそうなので
専門家の確認が入っている。

黄金の夜明け団の中枢の人の翻訳はあまり信用できない。理由↓



ヘブライ文字の考察でヘブライ文字知らずに読んでも意味不明だから
以下のサイトで字の形と読みと数価と意味を見ながら読みましょう。

魁!日ユ同祖論フルボッコシリーズ その1
http://codetripleseven.blogspot.com/2015/10/blog-post_15.html

ヘブライ語/ヘブライ文字 [ 魔術入門 ]
http://magic.dancing-doll.com/magic/hebrew-alphabet.html



イェツィラー(形成の書)時代のセフィロトに樹は登場しないが
後に樹にあてはめる際に参考にされているだろう。
しかし、例えば黄金の夜明けの生命の樹における惑星やヘブライ文字の対応が
形成の書と同じと言うと嘘になる。
一例を挙げる。

↓のとまとツイートにある図を見ると
樹の中央にある6番目のセフィラであるティファレト(キリスト中枢)に
対応する言葉は美で
惑星は太陽。

黄金の夜明けの樹の図では
ダレト(ダレス)ד‎が対応するセフィロトの径は3(ビナー 理解)と2(コクマー 知恵)の間。
イェツィラーによると、ד ダレットは太陽を形成したので、もし当てはめるならティファレト(太陽)に接する径でないとおかしい。
コクマーは天王星、
ビナーは土星が対応し、太陽ではない。
ダレットは右鼻の孔も形成した。
ビナーとコクマーをつなぐ横棒が径なのでさすがに右の鼻の穴ではない。

ちなみに、ダレトはアルファベット変換でD、
数価4、意味は扉。
美ではない。

形成の書 - 知恵と神秘の図書館
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%AE%E6%9B%B8
”第4章 補遺

(ウェストコット注 これは別の版より見つけたものである。)

 神は ב ベートを造った。その顕著なものは知恵であり、宇宙において月を、週において最初の日を、人において右目を形成した。
 ג ギメルは健康に顕著で、宇宙の火星を、週の2日目を、人の右耳を形成した。
 ד ダレットは豊穣に顕著で、宇宙の太陽を、週の3日目を、人の右鼻の孔を形成した。
 כ ハフは生命に顕著で、宇宙の金星を、週の4日目を、人の左目を形成した。
 פ フェーは力に顕著で、宇宙の水星を、週の5日目を、人の左耳を形成した。
 ר レーシュは平和に顕著で、宇宙の土星を、週の6日目を、人の左鼻の孔を形成した。
 ת タウは美に顕著で、宇宙の木星を、週の7日目を、人の口を形成した。

 これらの7文字により、また7つの世界、7つの天、7つの地、7つの海、7つの川、7つの砂漠、7つの日(先のように)、過越祭より五旬節までの7つの週と7年ごとの記念祭が造られた。
” (着色は引用者)


知恵、月、右目が同じグループだ。右目=知性の源流かも。ただし、太陽ではなく月と同じグループである。
左目は金星と同じグループであり、月と同じグループではない。


(セフィロト(生命の樹) [ 魔術入門 ]
http://magic.dancing-doll.com/magic/sephiroth.html
参考)





ユダヤ・カバラの最初期の聖典では
水→地→火の順に誕生。

ウパニシャッドと同じ誕生順。
ウパニシャッドでは
水の泡が凝固して大地になり
大地の上で苦労した死神の熱から火が誕生。
水→地→火の順に誕生。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/975968638246141952 と続き
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchi
さん、
@exa_desty
さん、他3人
2・1
初めに、ここには、全く何もなかった。まさに死によって、これは覆われていた、飢えによって。なぜなら死は飢えであるからである。「わたしは身体(ātman)を具えるようになろう」と、死は決心した。そこで死は賛歌を歌いながら行った。それが賛歌を歌っていたときに、〔それから〕水が生じた。

「まことに、わたしが賛歌を歌っていた時(arc)時に、わたしのために水(ka)が生じた」と、〔死は考えた〕。まさに、これが賛歌(arka)の賛歌たる所以である。このように、この賛歌の賛歌たる所以を知っている人、その人には、まことに、水(ka)が生じる。

2・2
賛歌は、まことに、水であった。そこで水の泡であったもの、それは凝固して大地になった。死はその上で苦労をした。それが労苦によって疲れ、熱した時に、それの熱=精髄は火になった。”



英語版ウィキソースのSefer_Yetzirahの翻訳
'The Book of Formation'
Translated from the Hebrew by Wm. Wynn Westcott
https://en.wikisource.org/wiki/Sefer_Yetzirah?uselang=ja
”CHAPTER VI

Section 1.
Three Fathers and their generations,
Seven conquerors and their armies, and Twelve bounds of the Universe. See now, of these words, the faithful witnesses are the Universe, the Year and Man. The dodecad, the heptad,
and the triad with their provinces; above is the Celestial Dragon, T L I, (49) and below is the World, and lastly the heart of Man. The Three are Water, Air and Fire; Fire above, Water below, and Air conciliating between them; and the sign of these things is that the Fire sustains (volatilises) the waters; Mem is mute, Shin is sibilant, and Aleph is the Mediator and as it were a friend placed between them.

2. The Celestial Dragon, T L I, is placed over the universe like a king upon the throne;
the revolution of the year is as a king over his dominion; the heart of man is as a king in warfare. Moreover, He made all things one from the other; and the Elohim set good over against evil, and made good things from good, and evil things from evil: with the good tested He the evil, and with the evil did He try the good. Happiness (50) is reserved for the good, and misery (51) is kept for the wicked. ”


Sefer Yetzirah
https://en.wikipedia.org/wiki/Sefer_Yetzirah
"The "dragon" (תלי tli, perhaps meaning "curled one" as a coiled serpent) which plays such an important part in the astrology of the book, is probably an ancient Semitic figure; at all events its name is not Arabic, as scholars have hitherto assumed, but either Aramaic or possibly a Babylonian loan-word.[7] The "dragon" is often understood as the starry constellation Draco and by extension it represents the cosmic axis (equivalent to the north/south pole) because this constellation coils around the North Star and thus around the celestial axis, as it intersects the northernmost part of the celestial sphere. "

https://twitter.com/Prokoptas/status/1080557728211251200
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
5「大祭司」の右手は祝福(ラテン式)の印。「しかし、ある特定の光をあててみれば、呪いのサインにもなりうる。それはバフォメット,すなわち悪魔の頭を暗示している」として、『ユングとタロット』が挙げている図はレヴィ『高等魔術の教理と祭儀』にあるものだ。
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午前5:13 · 2019年1月3日·TweetDeck
"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1080559030446112768
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
対して、15「悪魔」の右手のサインについての説明が見当たらないが、黄金の夜明け団によれば、親指→霊、中指→火、人差し指→水、小指→空気、薬指→地。火と水、空気と土とはそれぞれ対立元素である。祝福のサインが三位一体を表すのに対し、悪魔の手印は分裂・対立の表象か。
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午前5:18 · 2019年1月3日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1080560606455857152
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ただし、ミスター・スポックがバルカン人の挨拶として行う「Live Long And Prosper」(長寿と繁栄を!)のハンドサインは、その起源をよく知らぬ。15「悪魔」札と何らかの関係があるのか?
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午前5:24 · 2019年1月3日·TweetDeck


右手の小指と薬指を合わせる。中指と人差し指を合わせる。
中指と薬指は離す。親指は人差指から離す。
確かに、15「悪魔」の右手のサインとそっくり。悪魔タロットの方は、
人差指と中指は近いが、完全にくっついていないように見える。
バルカン人のこの挨拶って「V」の意味を込めているのだろうな。
22番目のアルファベット。2本角(悪魔とは限らない)。目イソンの象徴の「V」の部分。


https://twitter.com/Prokoptas/status/1080563308434939904
"TOMITA_Akio
@Prokoptas
「この図は、4つの世界(象徴を持つ指)における「唯一の力」(王冠をつけた親指)の活動を意味する。……角燈は……容器に捉えられた「世界の火」の火花……それは下位世界に住む者の光であり、その助けを借りて彼らは「真理」の足跡を辿ろうとする」(P・ホール)。
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午前5:35 · 2019年1月3日·TweetDeck
"

https://twitter.com/Prokoptas/status/1080909282038603776
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
マルセイユ版15「悪魔」ウエイト版5「大祭司」、レヴィ「バフォメット像」、ウェイト版15「悪魔」と並べてみれば、表象の関連性が見えてくる。
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午前4:30 · 2019年1月4日·TweetDeck”

https://twitter.com/Prokoptas/status/1080909596414242817
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
同じ「祝福」のサインも、右手を挙げてするのと、左手を下げてするのとでは、正反対の意味になる。レヴィのバホメット像はそのことを示している。
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午前4:31 · 2019年1月4日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1080911506793844737
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
さらに、左手で挙げた松明→立てた三重十字→下げた松明という関連からは、ミトラスの左右に松明を持って捧持する松明捧持者δᾳδοφόροςを想起させる。
「カウテスとカウパテス……彼らはミトラの神性の体現者であるにすぎない」(キュモン『ミトラの密儀』)。
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午前4:39 · 2019年1月4日·TweetDeck





https://twitter.com/Prokoptas/status/1081285328634142720
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
交差した2つの鍵の典拠は、ペテロに対するイエスの言葉、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」( マタイ伝 16:19)。
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午前5:24 · 2019年1月5日·TweetDeck”

ウェイト版の「THE HIEROPHANT」の画像)

https://twitter.com/Prokoptas/status/1081286564410417152
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
これが教会の全権委託者の象徴として「ローマ教皇のシンボルの最たるもの」(『タロットの歴史』)という。
ベルジーノ「聖ペテロへの天国の鍵の授与」(1481年から1482年)。1つは天、1つは地を指していることに注意。
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午前5:29 · 2019年1月5日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1081287127122362368
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
しかし、いまだ説かれ(=解かれ)ていないのは、2つの鍵のモチーフは、グノーシス主義のアイオーン像に淵源するということだ。
この鍵は、魂の帰昇のために天の門を開き、魂の月下界への下降のためにもまた門を開く。
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午前5:31 · 2019年1月5日·TweetDeck”

グノーシス主義のアイオーン像の画像。ライオン頭の人型存在。身体に巻き付いた蛇。
見る側視点で、右下にカドゥケウスがある)


https://twitter.com/Prokoptas/status/1081288278022676480
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
「「鍵の力」は「解放」と「拘束」を、天を「開く」あるいは「閉じる」ことを可能とする力である」(『世界シンボル大事典』)。
「とざす」は(意味深長にも)「鎖す」という漢字を当てうる。
とすると、図の関連性もあながち牽強付会ではあるまい。
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午前5:36 · 2019年1月5日·TweetDeck




③上と下とで秘教の印を結んだ手
④上方と下方に2つの三日月。善と悪、慈悲と裁きとの繋がりを示す
⑤カドゥケウスによって暗示される万物創造の秘密
⑥人間の女の乳房を片方だけ示している(図と異なるが……)
⑦「小宇宙」を示す五芒星=人間の知性の象徴。松明の炎を神の啓示の姿に仕立てている
⑧腰かけは立方体、これは(本当は球体と三角形の台とで出来ている筈だが、煩雑さを避けて)球体の上に。



太陽 メルクリウス 三日月〔左向きで左目のみ見せる〕 の並び)




三日月〔左向きで左目のみ見せる〕  太陽〔おそらく〕 の並び。珍しい。
ウェイト版の魔術師と「力」の∞の元ネタが蛇杖(Caduceus)説

〔私が埋込ツイートを減らす作業(RTもする)中にRTされた↓〕
なたねさんがリツイート
子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
2016年3月21日
返信先:
@kitsuchitsuchiさん
水銀
①錬金術で「両性具有の怪物」
②無意識(水銀は流動的で動的)と女性
(硫黄は男性。水銀+硫黄=メルクリウスの杖。塩を加えて基本三要素)
③錬金術で水銀は道化、蛇、海、角燈(ランタン)、巡礼者、シカ等で表現。
※水星記号=十字(空間)+円(太陽)+三日月or翼(メルクリウス)

なたねさんがリツイート
機動戦士ガンダム 水星の魔女
@G_Witch_M
#サンライズ×#小林寛×#大河内一楼 が贈る――

◆◆━━━━━━━━━━━━
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』
 ━━━━━━━━━━━━━◆◆

2022年10月より毎週日曜午後5時~
MBS/TBS系全国28局ネットにて放送開始

#水星の魔女 #G_Witch

その魔女は、ガンダムを駆る。
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午後2:00 · 2022年6月17日·Twitter Web App

画像:奥に右向きで右目(水色か緑)のみ見せるガンダム(体色は白が中心)。
手前に主人公らしき女の子。赤髪。両目とも見せる〕


https://twitter.com/Prokoptas/status/1082007007450750976
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ウェイトは『タロット図解』の中で15「悪魔」札について、「みぞおちのところにメルクリウスの徴がある」と記しているので、Caduceusを描き込むつもりだったと推測できる。
しかしそれがないことで、ウェイトの真意は反映しきれていないと言える。
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午前5:12 · 2019年1月7日·TweetDeck

(レヴィのバフォメットとウェイト版悪魔の画像。
レヴィのバフォメットのCaduceusを描いてウェイト版悪魔はバフォメットがモデルと示したかったのね。
ウェイト以外でも当てはまるが設計者が描かないとこういうことになるんだよな




(男 女 の並び。
この男女合体人間にとっての右側つまり男側のスカートみたいな箇所が赤。
右側に赤い太陽がたくさん生えたような植物がある。
左側つまり女側の羽は青っぽいな。
)





https://twitter.com/Prokoptas/status/1082369936222171136
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ところで、ウェイト版においては、この無限大記号は1「魔術師」のほか、8「力」、小アルカナの「ペンタクルの2」の3枚に出てくる。どうしてこの3枚なのかを考える前に、カード番号の補正が必要になる。
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午前5:14 · 2019年1月8日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1082370496367214592
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
図は、ヘブライ語の字母順とタロット・カードとを対応させたエリファス・レヴィの対応表である(出典:『タロットの歴史』)。
8「正義」、11「力」となっていることに注意。
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午前5:16 · 2019年1月8日·TweetDeck


https://twitter.com/Prokoptas/status/1082372021332275200
”TOMITA_Akio
@Prokoptas
ところが、黄道12宮と対応させると、絵柄からいって「力」は獅子宮、「正義」は天秤宮といえよう。
「黄金時代社会は、ヘブライ語アルファベットのヘブライ神秘哲学的な配列に、大アルカナを一致させるため、力#11と正義#8の交換を不当とした」(『タロットの秘密』)。
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午前5:22 · 2019年1月8日·TweetDeck


ーーーーーー



Round36912
‏ @Round444
1月27日
あ、そうか、書店の怪しげなコーナーに行くともしかしたらあるかもしれませんね。特に地方の本屋とか…。アスカリアンとはこの本の作者の一人を見るとわかると思いますが飛鳥昭雄のファンの総称ですw
https://www.amazon.co.jp/dp/4054010121/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_GKDtCb6W8B2BE …
日本人=ヘブライ人説からいくと陰陽道もカッバーラなのですよ(・∀・)

(この二人知り合いなのか。
777〔大本教を擁護する〕が日ユ同祖論カルト信者と知り合いねえ)

ーーー
https://twitter.com/masanork/status/1144188402650058753
”Masanori Kusunoki / 楠 正憲
@masanork
みずほ、Yahoo!ときて、ようやくLINEが芝麻信用に近いものを出してきたけれども、日本で受け入れられるかどうかは謎かな / “LINE Score、「後出しじゃんけん」の妙技:日経ビジネス電子版”
business.nikkei.com
LINE Score、「後出しじゃんけん」の妙技
LINEは6月27日、個人の信用を点数で可視化する「LINE Score」を発表。舞浜アンフィシアターで開催した「LINE CONFERENCE2019」で出澤剛社長CEOが発表した。
午後7:19 · 2019年6月27日·はてな / Hatena


ぐだトマト@pteras14
2019年6月27日
DBのスカウターやハーモニー
みたいなのがいつの間に来てた
のか……




https://twitter.com/Aki_Okazawa/status/1152572172252041216 と続き
”岡沢 秋(maat)
@Aki_Okazawa
エジプトの南部エレファンティネで発見され、現在ブルックリン美術館に収蔵されている「エレファンティネ・パピルス」の一つ。https://brooklynmuseum.org/opencollection/objects/60732

現地在住ユダヤ人がエジプト人との間に交わした穀物ローン契約書(アラム語で記載)という、属性盛りだくさんな興味深い一品
午後10:33 · 2019年7月20日·Twitter Web App

2019年7月20日
返信先:
@Aki_Okazawa
さん
・紀元前5世紀のエジプト南端にユダヤ人がまとまって住んでる
・彼らの第一言語がアラム語
・穀物ローンという概念がある
・エジプト人との間で契約書が成立
・当時のパピルスが残ってる

どこからびっくりすればいいのか迷うな…

ライクフィールド
@likefield_dol
2019年7月21日
移住してきた人が当面の食料と種として穀物をもらって、そこで穀物育てて返すって感じなのかね

岡沢 秋(maat)
@Aki_Okazawa
2019年7月21日
貨幣が無くて物物交換なんで穀物は通貨代わりなんだ。
農民がローン組むと、収穫後に返すから!ってボーナス一括払いみたいになる

https://twitter.com/Kazzforze/status/1152575026207395840 と続き
”カズヤ☆シンウルトラマン視聴済
@Kazzforze
紀元前からローン組んでたのか人類・・・
引用ツイート
岡沢 秋(maat)
@Aki_Okazawa
· 2019年7月20日
・紀元前5世紀のエジプト南端にユダヤ人がまとまって住んでる
・彼らの第一言語がアラム語
・穀物ローンという概念がある
・エジプト人との間で契約書が成立
・当時のパピルスが残ってる

どこからびっくりすればいいのか迷うな…
このスレッドを表示
午後10:44 · 2019年7月20日·Twitter Web App

岡沢 秋(maat)
@Aki_Okazawa
返信先:
@Kazzforze
さん
実はハンムラビ「法典」にもローンの返済についての記載があるんですよ。利息とか返済期限細かく書かれてるんです…
午後10:46 · 2019年7月20日·Twitter Web App





お読みくださり感謝!

ユダヤ・カバラの聖典の1つ『バヒル』(イルミネーションの本)の英訳本の一部を翻訳して解説 

クリスチャン・カバラと魔術カバラ系の生命の樹大好きなスピ信者ってコダヤ・カバラの3大聖典を読まないよな。ヘブライ語が読めなくても、英語のラビによる註釈書が存在するのにな。私はスピ信者でもないしカバラ思想を否定するが、内容は気になるので読んだ。バヒルは短いから読了にそんなに時間はかからない。ヘブライ文字とタナハ(ヘブライ語聖書。旧約じゃないぞ)について多少知っていないと意味不明なのは当然なのに注意。

※和訳がおかしい箇所があるのは承知で訳した。ラビじゃないので限界がある。

魔除け(尻社系漫画『イリヤッド』より。脚本担当が20世紀少年と同じだから濃厚な尻)
https://twitter.com/AD8n6kVirh4RDyt/status/1242663802904043520


(画像よりメモ:ナザーウ・ボンジューウ。トルコの伝統的なお守り。
別名”メドゥーサの目”
〔メドゥーサは〕ギリシア神話では悪の怪物ですが、トルコや地中海、アフリカ沿岸では違います。
幸運をもたらす女神なんです。)

””覚えておいて欲しい事は、人間を支配しようと欲する支配者はまず先に神話をいじる。たとえばギリシア神話のメドゥーサは、母系社会のギリシア先住民の神だったけど、魔物に貶められた。こんな感じで共認意識である神話をいじる事で民族を支配するんだ。”
魔法使いハンターねこた ツイッター
〔中略〕
“おめめのマークが面白いところはおめめのマークは常に「女神や女性」に関係があるんだよなぁ。メドゥーサはよく知られてるけど、アテナのフクロウの目はフリメのおめめのマークのように輝いてる。またイスラムではムハンマドの娘のファティマに関係があるんだよなぁ。”
“ギリシャでは正教会が目玉のお守りを黙認というか、トルコやギリシャの文化の一部になってる。古代ギリシアの船にはおめめのマークがでかでかと描かれてる事はあまり知られてない。アラブとかでは邪視という習慣があって裏山鹿という念がこもってる視線で見られたら呪われるという迷信がある”
“おめめのマークは実は悪魔のシンボルなんかじゃない。なんというか地中海・オリエントの風習なんだよね。昔からおめめのマークって魔除けだったんだよねー。トルコにはナザールボンジューウという目玉のお守りがある。これは何もトルコだけでなく、モロッコとかエジプト、更にはギリシャにまである”

インド・イランの拝火壇については、
”第一、あのシンボルのデザイナーが元ネタにしたのはアメリカ建国前の大陸紙幣をデザインしたホプキンソンの考案した図柄だ。その時のホプキンソンのデザインした図はインド/イランの拝火壇そのものだ。
というのも密教の胎蔵曼荼羅にフリーメイソンのピラミッド・アイにそっくりな図が描かれている。一切偏智印と呼ばれるこの図柄は元々、釈迦に弟子入りする前のカッサパ兄弟の祀っていたアグニ教の拝火壇が元だ。””
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
『二ノ国』を主に考察。『二ノ国』、『とある魔術の禁書目録』+『ドラクエ』(本記事内では主に『ドラゴンクエスト1・2・3、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』を考察)、マギ、もののけ姫、ハリー・ポッター、ドルアーガの塔(ドルイド+ナーガ〔龍〕)、まどか☆マギカ(鹿目まどか。鹿〔ケルト神話。恐らくアーリア系〕+一つ目+円〔輪廻〕)は恐らくみな同じ結社陣営製品。ナルト、ワンピース、ドラゴンボール、マスターキートン、フェイトシリーズ、ハンターハンター、エヴァンゲリオンも恐らく。
Posted on 2014.08.01 Fri 10:18:57

シーア兄貴(イラソのアレ来世触手)2021/11/1~12/8と良呟きや記事の保管庫
Posted on 2021.11.12 Fri 20:08:35
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-454.html
”来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
12月2日
もし探しているならサイード佐藤氏の翻訳がネットで拾えるからこれがいいよ
正しくは18だったね
これは6から20まで続くカファルー・信じない者についてずーっと説明しているものでその性質の一つ・例の一つとしてあげたもの
quranenc.com
対訳 章 雌牛章 - 日亜対訳(日本語) - サイード佐藤 - クルアーン百科事典
対訳 章 雌牛章 - 日亜対訳(日本語) - サイード佐藤 - クルアーン百科事典

12月2日
スンムンが耳が聞こえないでブクムンが話せない、ウムイゥンが見えないでフムはカーフィルに立ち戻って、最後のラー・イルジャウーンは引き返せない・戻れないで形而上の道に戻れないを意味しているので前後の文脈とつながっているのがこの文節
で、順番は聞こえない・話せない・見えないなのよ

12月2日
とするとクルアーン準拠にしてもまずは耳がやってくるのでナザール・ボンジュウが縦にでているのは「耳の穴を模したもの」とみなすべきで目であるならどちらかというと真円寄りになるはずなのよ
コレが学をといて、解いていくということなんよ、本来はね

12月3日
わしもだけど間違っていたら必ず訂正して正しい情報とその根拠を出すことね
その時の根拠は必ず「演繹対象として見なせるもの」
サイード佐藤氏以外にも色々翻訳があるけど、サウジの協力と解釈本の根拠を持ってきて翻訳なされているので困ったら使える翻訳クルアーンサイト
勿論、言いたい事はあるが

12月3日
サイード佐藤氏や他の翻訳本で中田先生の翻訳は何故に信用しているかというと「背景が辿れる」から
サイード佐藤氏の翻訳はサウジアラビアの国家事業として、翻訳活動の一端で日本語への翻訳として為されたものでコレには国家の威信と彼の後ろには何千・何万もの学者達が彼の後ろにはいる

12月3日
中田先生が監修した翻訳は日本において最高レベルのアラビア語語学者達や並びに彼自身クルアーン学者としての十分な経歴と実績があって為されたものでその上で敬虔な信徒である事を含めて信用している
それもあって、こういった翻訳活動や作業はしたくないいうているのは背景を知っているからでもある

12月3日
逆にわしは日本政府が出す統計やもろもろというのは一切信用していない
それは何故かというと「裏の取りようがない」からで場合によっては「基準を変える」事を平然として自分達にとって都合のよい数字が出せるようにするからでクルアーンのように第三者が判断する事が出来ない

12月3日
または法律の条文持ってきても「判例集」や「判例コンメンタール・逐次解説書」から抜粋してきて説明する奴なんぞTwitterで見たことがない
演繹対象を設定するというのは「演繹対象に隙がない」ようにしないといけないんだけど、全く出来ていない
疑いの余地があると演繹対象としては使えないのよ

12月3日
それもあって、日本政府とかが出してきた統計情報などを疑わずに使っている時点で「致命的な馬鹿」と見なして除外している
統計情報を使っていいときはその数値の裏がとれる・または別に大量の統計情報があって基準などを含めて重ねた時にズレがほぼほぼないと言えるものではない限り統計は使えないの

12月3日
伐謀するなら「背景は全て」と言ったけど、背景がわからないものは避けるのが基本
すぴや物質主義の阿呆共はその基本・お約束を無視して思考を進めるから必ず間違った解答を吐き出すんよ
やんなるねぇー
〔中略〕

雌牛章
https://quranenc.com/ja/browse/japanese_saeedsato/2
より

節: 6
إِنَّ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ سَوَآءٌ عَلَيۡهِمۡ ءَأَنذَرۡتَهُمۡ أَمۡ لَمۡ تُنذِرۡهُمۡ لَا يُؤۡمِنُونَ
(使徒*よ)本当に、不信仰に陥った*者たちは、あなたが彼らに警告しようと警告しまいと同じことで、信じはしない。


節: 7
خَتَمَ ٱللَّهُ عَلَىٰ قُلُوبِهِمۡ وَعَلَىٰ سَمۡعِهِمۡۖ وَعَلَىٰٓ أَبۡصَٰرِهِمۡ غِشَٰوَةٞۖ وَلَهُمۡ عَذَابٌ عَظِيمٞ
アッラー*は彼らの心と聴覚を塞がれたのであり、彼らの視覚には覆いがかけられている¹。そして彼らには、厳しい懲罰があるのだ。
1 彼らはシャイターン*に従ったために彼に制圧され、それゆえにアッラー*は彼らの心と聴覚をふさがれ、彼らの視覚を覆われた。それで彼らは導きを目にすることも、それに耳を傾けることも、それを理解することもない(イブン・カスィール1:174参照)。アーヤ*18、家畜章50、雷鳴章16、フード*章20とそれらの訳注も参照。

引用者注:聴覚が視覚より先だ



節: 8
وَمِنَ ٱلنَّاسِ مَن يَقُولُ ءَامَنَّا بِٱللَّهِ وَبِٱلۡيَوۡمِ ٱلۡأٓخِرِ وَمَا هُم بِمُؤۡمِنِينَ
また人々の中には、信仰者でもないのに、「私たちはアッラー*と最後の日*を信じる」と言う(偽信)者*がいる。
〔略〕

節: 14
وَإِذَا لَقُواْ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ قَالُوٓاْ ءَامَنَّا وَإِذَا خَلَوۡاْ إِلَىٰ شَيَٰطِينِهِمۡ قَالُوٓاْ إِنَّا مَعَكُمۡ إِنَّمَا نَحۡنُ مُسۡتَهۡزِءُونَ
また、彼らは信仰する者たちに会えば、「私たちは信じる」と言った。そして、彼らのシャイターン*達¹とだけになれば、(彼らにこう)言ったのだ。「本当に私たちは、あなた方と共にある。私たちは、ただ(彼らを)愚弄する者なのである」。
1 不信仰者*たち、あるいは偽信者*たちの長のこと(ムヤッサル3頁参照)。

〔略〕

節: 16
أُوْلَـٰٓئِكَ ٱلَّذِينَ ٱشۡتَرَوُاْ ٱلضَّلَٰلَةَ بِٱلۡهُدَىٰ فَمَا رَبِحَت تِّجَٰرَتُهُمۡ وَمَا كَانُواْ مُهۡتَدِينَ
それらの者たちは導きと引き換えに、迷妄を買った者たち。そして彼らの売買は実を結ばなかったのであり、彼らは導かれた者ではなかったのである。
〔略〕

節: 18
صُمُّۢ بُكۡمٌ عُمۡيٞ فَهُمۡ لَا يَرۡجِعُونَ
(彼らは真理において)聾で、唖で、盲人¹であり、(迷妄から信仰へと)戻ることがない。
1 真理を受け入れない者が、それを聞かない者として「聾」、真理を語ろうともしない、あるいは表面上は信仰者ではあっても、実はそれとは違うものを内に秘めた者が「唖」、真理をみる眼識のない者が「盲人」同様である、と形容されている(アル=バガウィー1:90参照)。アーヤ*7、家畜章50、フード*章20、24の訳注も参照。

〔中略〕

https://twitter.com/madaraiguana/status/1465887321644204034
”なかだち
@madaraiguana
iモードだのiフォーンだの i・eye ウルセえなと思ってたの。

アイン・アインソフ・アインソフオウルね。一者ね。アインシュタインね。原子ね。原始ね。はいはい。

お猿さんだけにしといて欲しい。
引用ツイート
来世は工口触手@キール
@aoJvqLcHOrs7UWg
· 12月1日
お、なかだちさん良いところ突くね
その通りアイン・ペルシャ語でエインは「目・見るもの・元々・湖・本質など」を含む言葉
場合によっては「野牛」を差す事があるがクルアーン上では「目」を差す
なので派生語としてエイニヤットとかいうとお察しの通り・唯一なとかになる
https://images.app.goo.gl/BPCwJWve5bgdS8C9A
午後0:35 · 2021年12月1日·Twitter for Android”




12月1日
後、偽物東洋だと「妙に目を主張する」のだけど、現場にいると「耳を主張しがち」なんだよね
例えば、ウンムンというと一般的に文盲を差すんだけど文盲というのは「目」なんだよね
で、人間の情報は目よりも耳の方が入ってくる事が多いのでクルアーンでもスンムン言って先ず「聞けない」が来る

12月1日
もし、ギリシャの伝統から目から光線を送受しているとならそれは狭いんだけど、耳は全体を聞き取るんだよね
それもあって、ナザール・ボンジュウは邪視ではなく「他聞が憚れる」事を聞く事を防ぐことを意味している
基本、クルアーンや東洋が長ければそっちの方が解釈としては正しいかと

12月1日
これは伝聞なんだけど
目は頭につながっているが耳と口は心に繋がっているといわれているらしく、目でみたものは頭を通してから口にでる
が、耳から入ったものはそのまま心から口へ出てくるので必ず頭を通したり・心から邪なものを出さないようにと「道徳の先生」から教わったんよね

12月1日
それもあって「邪視の御守り」と言われる事には違和感があったんだけど、クルアーン開いて考えてみれば邪視はおかしいわな
これもオリエンタリストの「改悪」ですよ
こうやってお前らの認識を間違った方向へ迷わせていくから、原本理解が必須なのはこういうところから出てくるんよ

12月1日
因みに根拠はバカラ・雌牛の17
文法学的に性質を表現しているタヌヴィーンとウの音が続いていて、解釈だと一番強調・重要な性質が性質を表す音の最初に来るのでその意味が「聾唖」でその次が盲唖で最後がどもり
それを根拠にすると最初の聾唖が重要なのがわかる

12月1日
昨日の授業で歴史学の先生からの話だとオリエンタリストでイスラーム側からみたマトモな学者は全体の5%位と仰っていて
それは改宗した人・していない人を含めてもそんなもんだと仰っていたので尚更「考え方」というのが重要だなと再認識したお
いやだねぇ


以下(後述)への反応。

ナザールはもろに一つ目だから邪視対策だと思っちゃうよねえ。
よく考えると魔除けの「魔」には視覚系以外も含まれるのは当然。
イスラーム圏では聞く(聴く)が見るより重要(優先)だから邪視よりは邪聞・邪聴対策。
魔除けだから邪視も含まれるだろうけど。

志村けんのアイーンの元ネタはヘブライ文字のアイン(目という意味がある)だろうね。
馬鹿殿の顔が白い=白人支配者。
「目」と言いながら首を斬る動作。
尻ですねえ。
アラビア語とヘブライ語は似ている。

ヘブライ語アルファベット - 高等魔術入門
https://magic.dancing-doll.com/magic/hebrew-alphabet.html
”ヘブライ文字 最終形 名前 相当英文字 数値 セフィロトの径 意味
アレフ   アレフ A 1 1-2 雄牛
[……]
アイン   アイン Aa,Ngh 70 6-8 目


オミクロン株が話題なのが前提の呟き↓

https://twitter.com/madaraiguana/status/1465695220650356737 と続き


〔引用されているツイート:



なかだち
@madaraiguana
12月1日
返信先:
@madaraiguanaさん
目=eyeは囮。
ユダヤは囮。

Ain=1=GODが本丸。
ドイツが本丸。


https://twitter.com/madaraiguana/status/1302548028071395328 とその前
”苦行むり
@exa_desty
2020年9月6日
えーと何だっけ?石像か遺物で目が大きく描かれてる奴、皆アレが宇宙人だって言ってるけどただ単に目を恐怖や祓う象徴としてシンボル化してただけでは無いのか?

このツイートは、ツイートの作成者により削除されました。詳細はこちら

なかだち
@madaraiguana
返信先:
@pizano1215
さん,
@exa_desty
さん
古代ギリシャ人はものを見るために目がビーム的なものを照射していると考えていたらしいので左右の目=地上の月と太陽=魔除けと考えていたのかもしれない。
午後7:03 · 2020年9月6日·Twitter for Android

)”

https://twitter.com/madaraiguana/status/1469594122348826626


(ナザールってまぶたが描かれていないから耳の穴はありうる。ナザールの目または耳の穴ってぐにょ~んって水滴みたいな形なんだよな。ギリシャの一つ目お守りを発見。ギリシアの方はどうみても目だな)
https://twitter.com/s_i_s_i_n/status/1298232654622408705 と続き









セーフェル ハ=ゾーハル(Sefer ha-zohar 光輝の書)の日本語版
のメモはこちら↓
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-302.html
※バヒル(バヒール)は12世紀。ゾーハルは13世紀の本。なのでゾーハルの方が後。

(高位の尻社員は学んでいるであろう内容)
Bahir
https://en.wikipedia.org/wiki/Bahir
”c. 1174 - The Bahir was published by the Provence school of Kabbalists and was circulated to a limited audience in manuscript form.

The Hebrew word "sefirot" was first described in Sefer Yezirah as corresponding to the ten basic numbers, and did not possess the meaning that later Kabbalists gave to it. It is in the Bahir that we find the first discussion of the Kabbalistic concept of Sefirot as divine attributes and powers emanating from God.

“Why are they called סְפִירוֹת (sefirot)? Because it is written, The heavens מְסַפְּרִים (mesaprim), tell, God’s glory (Psalms 19:2)” (Bahir §125 [Margaliot]).

Creation of the universe
The world, according to the Bahir, is not the product of an act of creation. Like God, this book existed from all eternity, not only in potentiality, but in actuality; and the Creation consisted merely in the appearance of that which was latent in the first "Sefirah," "Or HaGanuz," or, as it is called, "Keter 'Elyon", which emanated from God.

This Sefirah gave birth to "Hokmah" (Wisdom), from which emanated "Binah" (Intelligence). From these three, which are the superior "Sefirot", and from the primary principles of the universe, emanated, one after another, the seven inferior Sefirot from which all material beings are formed. All the ten Sefirot are linked one to the other, and every one of them has an active and a passive quality—emanating and receiving. The efflux of one Sefirah from another is symbolized in the form of the letters of the Hebrew alphabet. Thus the gimel (ג), shaped like a tube open at each end, represents a Sefirah, which receives strength at one end and discharges it at the other. The ten Sefirot are the energy of God, the forms in which His being manifests itself.

Reincarnation
The Bahir adopts the concept of reincarnation to solve the question of why the just may suffer in this world, while the wicked may be prosperous: "The just may have been wicked in their former lives, and the wicked righteous."”

上記のDeepL和訳:
”c. 1174年 - プロヴァンス学派のカバリストたちによって『バヒール』が出版され、写本の形で限られた人々に配布された。
...
ヘブライ語の "sefirot "は、Sefer Yezirahで初めて10の基本数に対応するものとして記述され、後のカバラ主義者が与えたような意味を持ってはいなかった。セフィロトが神の属性であり、神から発せられる力であるというカバラの概念についての最初の議論は、『バヒア』の中で行われている。

「なぜそれらはסִירוְ(セフィロト)と呼ばれているのか。なぜなら、天はמְסְ、神の栄光を語る(詩篇19:2)と書かれているからである」(Bahir §125 [Margaliot]).
...
宇宙の創造
Bahirによれば、世界は創造行為の産物ではない。神と同様に、この書物も潜在的なものだけでなく、現実のものとして永遠の昔から存在しており、天地創造は、神から発せられた最初の「セフィラ」、「オルガヌズ」、あるいは「ケテル・エリオン」と呼ばれるものに潜在していたものが出現したに過ぎないのである。

このセフィラが「ホクマ」(知恵)を生み、そこから「ビナ」(知性)が発せられる。この3つが上位のセフィロトであり、宇宙の根本原理から、すべての物質的存在を形成する7つの下位のセフィロトが次々と生み出されたのである。10のセフィロトはすべて互いにリンクしており、それぞれが能動的な性質と受動的な性質を持っている。あるセフィラが別のセフィラから流出する様子は、ヘブライ語のアルファベットの形に象徴されている。このように、ギメル(ג)は、両端が開いた管のような形をしており、一方の端で力を受け、もう一方の端でそれを放出するセフィラを表している。10のセフィロトは、神のエネルギーであり、神の存在が現れる形である。

輪廻転生
バヒアは、なぜ正義の人がこの世で苦しみ、悪の人が栄えるのかという疑問を解決するために、輪廻転生の概念を取り入れている。「正義の人は前世で悪であり、悪の人は正義であったかもしれない」。

ところどころ変だ。emanateは「流出する」と訳す方がよい。
「宇宙の創造」の箇所はそのまま本文に書いていないことに注意。
私が読んだところ、上記のウィキのように洗練された形で書いていないし、そもそもこの箇所のウィキの記述は、かなり解釈が入っているのだろうな。バヒルは1人が書いた体系的な書物ではなく、複数の人の解釈を集めたものであることに注意。
「この書物も潜在的なものだけでなく、現実のものとして永遠の昔から存在しており」の箇所は見逃しがなければ書いてなかったぞ)





Aryeh Kaplanの英語版を読了して後述のメモの作成が終わった後に、バヒルを和訳したサイトを発見した。
しかもそのサイトの和訳はAryeh Kaplanの英語版を中心にして訳されている。
以下のサイトだ。このサイトすごいな。

バヒールの書 - 知恵と神秘の図書館
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%9B%B8
"セフェル ハ=バヒール(輝きの書)は、カバラではゾーハル以前で最も重要な書とされる。カバラの多くの基礎概念、特にセフィロトについては、以前にもセフェル イェツィラーでも言葉としては出てきていたが、この場合は単に数の意味で使われており、本書で初めて「樹」のイメージと結び付けて説明されている。
 題名のバヒールは、輝きを意味するヘブライ語で、本書がヨブ記 第37章21節の「光が空に輝いている(バヒール)とき、人々はその光を見ることができない」の引用から始まっている事から取られている。
 本書の著者は、2世紀の高名な賢者、ラビ ネフニアー ベン ハ=カナーとされているが、実際には南フランスのプロヴァンス地方(中世カバラではスペインと並ぶ中心地だった)のカバリスト サークルの間で、12世紀頃に現れている。一説には、この時代のプロヴァンス派の代表的なカバリストである盲者イツハクが書いたという(先のヨブ記の引用の「その光を見ることができない」は、盲者のイツハクを暗に指しているという)。だが現代の研究者らによると、テキストそのものはさらに古く、10世紀頃まで遡れる部分もあり、それらの断片が集められていると述べる。本書には内容が前の節と繋がらなかったり、矛盾していたりする節も少なくないのが、この断片を集めた説の根拠となっている。
 本訳書の原書はAryeh Kaplanの英語版を中心
にして行った。"
(着色は引用者)

上記の和訳の一部をメモに追加した。




Bahir(Sefer HaBahir)の英訳本(キャプラン訳)。
『The Book of Illumination』
Attributed to Rabbi Nehunia ben haKana
Translated by Aryeh Kaplan

p.3

One verse ( Job 37:21 ) states, "And now they do not see light, it is brilliant (Bahir) in the
skies... [round about God in terrible majesty]."

(ある聖句(ヨブ記37:21)には、「今、彼らは光を見ず、それは空に輝いている(バヒル)……[恐ろしい威厳でゴッドを取り囲んでいる "とある。 )
(本書の呼び名の由来の箇所。バヒルってIlluminationと訳されているから支配層が好む名前だな)

p.5
"The numerical value of Abraham is 248, the number of parts in man's body. "
(アブラハムの数価は248。この数字は人間の体の部位の数である)
〔この箇所を含む、他の人の和訳も引用しておく:

バヒールの書 1
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%9B%B8%201
”7. ラビ アモライは座ると述べた。
 この節(申命記 33章23節)の「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する」の意味は何か?
 モーセは「あなたが我が命に従うならば、この世界と来るべき世界とを継ぐであろう」と述べている。
 来るべき世界とは、(ヨブ記 11章9節で)「海よりも広い」と書かれているように、海と関連している。
 現在の世界は、南の地として表されている。(ヨシュア記 15章19節に)「わたしに祝福をください。あなたは(南の)ネゲブの地に私をやられるのですから、泉をもください」と書かれているようにである。
 タルグーム(アラム語聖書)では、これを「見よ、地は南である」と訳している。

8. なぜ神はアブラハムの名前に、他でも無くה(ヘー)の文字を加えたのか? こうする事で、人の体の全ての部分は、海で表される来るべき世界に価値あるようになるからである。
 こう表現する事で、この構造は完成する。(この構造については、創世記 9章6節に)「神が自分のかたちに人を造られたゆえに」と書かれている。
 アブラハムの値は248であり、これは人の体の部分の数でもある。


9. (申命記 33章23節の)「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する(イラシャー。YiRaShaH)」の意味は何か?
 これは、「海とその南の地を所有する(ラシュ。Rash)」と述べるので充分だっただろう。
 だが、ここでは神も含まれてなくてはならないと教える。そのため、YiRaShaHには、RaSh YH(神を所有する)の文字が含まれるのである。
 これに似た例は何か? ある王が2つの宝を持ち、1つを隠した。何年も経ってから、息子に対して述べた。「これらの2つの宝を取るがよい」息子は答えた。「父上は片方を隠しているので、私に全てを与えないでしょう」だが王は答えた。「全てを取るのだ」
 そのため、「主の祝福に満ちて、海とその南の地を所有する」となる。神を所有する(YH RaSh)――すなわち、あなたが我が道を保つならば、全てが与えられる。

10. ラビ ブンは言った。
 (箴言 8章23節の)「いにしえ、地の無かった時、初めに私は永遠より(メ=オラム)頭から立てられた」の節の意味合いは何か?
 この「永遠より(メ=オラム)」の意味は何か? これは世界から隠されている(ヘ=エラム)のを意味する。
 (伝道の書(またはコヘレトの言葉) 3章11節に)「神はまた人の心に世界(ハ=オラム)を思う思いを授けられた」と書かれている。だが、ここではハ=オラム(世界)ではなく、ヘ=エラム(隠されている)と読むべきである。
 トーラーでは「私は最初であり、そのため世界の頭である」と述べている。そのため、「初めに私は永遠より(メ=オラム)頭から立てられた」と書かれている。
 あなたは地は先にあっただろうと考えるかもしれない。そのため、「地の無かった時」と書かれている。
 ゆえに(創世記 1章1節で)「はじめに神は天と地とを創造された」と書かれている。
 この「創造された」の意味は何か? 神はまず万物が必要な全てを創造された。それからのみ、神は「天と地」を創造されたと書かれている。
(着色は引用者)〕

p.16
"The heart (Lev) [in numerical value] is thirty-two. These are concealed, and with them the world was created. "
(心〔心臓〕(Lev)の数価は32である。これらは隠されており、これらにより世界が創造された)


p.18
”From Aleph emanate all letters. Do we not see that it is first? ”
(アレフからすべての文字が流出する。それが最初〔第一のもの。始まり〕であることがわからないのか?)
(emanateは「流出する」と訳した。この箇所は新プラトン主義の流出説の影響を受けているだろうからだ。
流出説は英語でEmanationism。
アレフの数価が1なのを、新プラトン主義の「一者」〔英語だと【the】One〕に重ねているのだろうな)
(p.18まで読んだ時点で強く思ったことは「7が本当に好きなんだなあ」)

(p.22まで読んだ時点の感想「文字自体への考察が多いな」)

p.24
"The Blessed Holy One has a single Tree, and it has twelve diagonal boundaries: "
(祝福された聖なるお方は一本の木を所有しており、それは十二の対角線上の境界を持つ:)
(今現在流布しているカバラの生命の樹の原形の1つだな。
章の名前が「The Seven Voices and the Sephiroth」〔七つの声とセフィロト〕だからな。
ここから具体的内容が続くのだが、今現在流布しているカバラの生命の樹の説明とはまったく違う)

北東の境界、南東の境界。
東の上部(上方)の境界、東の下部の境界
(The upper east boundary, the lower east boundary; )。
南西の境界、北西の境界。
西の上部の境界、西の下部の境界。
南の上部の境界、南の下部の境界。
北の上部の境界、北の下部の境界。
それらは絶え間なく、永遠に広がっている。
それらは世界の腕(複数形)である。
それらの内側に「木」(the Tree)がある。これらの対角線に平行して、12の「職員たち」(Functionaries)がいる。
「球」(the Sphere)の内側にも12の「職員たち」(Functionaries)がいる。
〔「職員たち」より「諸機能」「機能(複数形)」と意訳する方が良いかも〕
対角線上にあるものを含めると、合計36の「職員たち」(Functionaries)がいる。

それぞれは別の「職員たち」を持っている(Each of these has another)。
伝道者の書5:7に「一人の上にもう一人がいる」とあります。[合計72個になる]
( (Ecclesiastes 5:7), “For one above another watches.” [This makes a total of 72.] )。

したがって、東には9つ、西には9つ、北には9つ、南には9つがあることになる。
これらは12、12、12であり、これらは軸、球、および心の「職員たち」(諸機能)だ。
(they are the Functionaries in the Axis , the Sphere, and the Heart. )
(以下のような現代の並びと全然違うね。


p.26
” ( Proverbs 10:25), “And Righteous is the foundation of the world.”

102. We learned: There is a single pillar extending from heaven to earth, and its name is Righteous (Tzadik). ”
(箴言10:25:「正しいことは世界の基礎である」。
102. 私たちは学んだ。天から地まで伸びる一本の柱があり、その名は「正しい者(ツァディク)」である。)
(尻社は柱が好きなので引用した)

”It supports the entire world, as it is written, “And Righteous is the foundation of the world.” ”
("正しい人は世界の基礎 "とあるように、世界全体を支えている。)
(世界を支える柱。人柱)

” (Psalm 111:10 ), “The beginning of wisdom is the fear of God.” ”
(「知恵の初めは、ゴッドを畏れること」(詩篇111:10))
(重要箇所らしい。111:10は、11が2つあると解釈できる箇所だ)

p.27に「the Axis (Teli)」とあるので「軸」は「テリ」の訳だ。

p.32から
Section IV  The Ten Sephiroth
(第四章  十のセフィロト)

アロンが手を上げて民を祝福した。手を上げた理由は何か。
それは、手には10本の指があり、天と地が封印された「10のセフィロト(Ten Sephiroth)」を暗示しているからだ。
これは十戒と並行している〔同等である、似ている〕。
(These parallel the Ten Commandments.)
この「十」には、613の戒めが含まれている。十戒の文字を数えてみると
十戒の文字を数えてみると、613文字であることがわかる。
(In these Ten are included the 613 Commandments. If you count the letters in the Ten Commandments, you will find that there are 613 letters. )

”125. Why are they called Sephiroth ?

Because it is written (Psalm 19:2), “The heavens declare (me-Saprim) the glory of God.” ”
(125. なぜ、セフィロトと呼ばれるのか?

詩篇19:2に、「天は神の栄光を『宣言する(me-Saprim)』」と書かれているからだ。)


p.35
138. "真理の律法(トーラー) "(“a Torah of Truth”)とは何を意味するのか?
それは、(すべての)世界の真理を教え(Moreh)、また思想における彼(モーセ)の行為を教えるものである。
彼は十の言(Ten Sayings)を立て、それらと共に世界は立っている。それはその一つである。
彼(ヤハウェ)は人間において、これらの「十の言葉」に並行する〔同等である、似ている〕十の指を創られた。
(In man He created ten fingers, paralleling these Ten Sayings. )
モーセは両手を挙げ、イスラエルと呼ばれる「the Attribute(象徴、属性、特性)」にある程度集中した。
この「the Attribute(象徴、属性、特性)」は真理の律法を含んでいる。
彼の十指で、彼は自分が「十(the Ten)」を守っていることを暗示した。
(10本指は十戒を示すのがユダヤ・カバラ)


p.37
箴言6:23に「というのは、戒めは灯、トーラーは光、[そして生き方は戒めの叱責]」とあるように、トーラーは光である。
(Torah is light, as it is written (Proverbs 6:23), “For a commandment is a lamp, Torah is light, [and the way of life is the rebuke of admonition].)
そして、ランプは戒め(a commandment)、照明(illumination)(Orah)は口伝(Oral)のトーラー、そして光(Or)は書かれたトーラーであると我らは言う。[どうして書かれたトーラー(the Oral Torah)は光(Or)だと言えるのか?
この光はすでに保たれているから、光と呼ばれるのである。
(And we say that a lamp is a commandment, illumination (Orah) Oral Torah, and light (Or) is the written Torah. [How can we then say that the Oral Torah is light (Or)].)
Because this light has already been kept, it is called light.
(オーラルって英語だからヘブライ語のOrと繋げるのはまずいのでは?
書かれたトーラーは文字で固定されているから「保たれている」のだろうな)


p.41
彼らは、あらゆる善の道を捨て、あらゆる悪の道を選ぶ原因となる一つの属性(Attribute)を持っている。彼らは、人が善い道を歩んでいるのを見ると、その人を憎む。
この属性は何か?それはサタン(サーターン)だ。
(They have one Attribute which causes them to leave aside every good way and choose every evil way. When they see a person directing himself along a good way, they hate him.
What is [this Attribute]? It is the Satan. )
(サタンと書くとキリスト教が思い浮かぶのでサーターンの方がいいな。
ヘブライ語で長音符を省略しちゃだめだ。意味が変わったり無意味な音になるので。日本語特有の省略には注意)

このことは、the Blessed Holy Oneには「悪(Evil)」という名の属性があることを教えている。それは エレミヤ1:14に「北から悪が来て、地のすべての住民を襲う」( (Jeremiah 1:14), “From the north will Evil come forth, upon all the inhabitants of the earth.” )と書かれているように、祝福された聖なる方の北にある。地上のすべての住民に降りかかるあらゆる悪は、北からやってくる。
(This teaches us that the Blessed Holy One has an Attribute whose name is Evil. It is to the north of the Blessed Holy One, as it is written (Jeremiah 1:14), “From the north will Evil come forth, upon all the inhabitants of the earth.” Any evil that comes to all the inhabitants of the earth comes from the north. )
(北に何度もコダヤ教徒を襲ってくる勢力がいたのだろうな。
「the Blessed Holy One」って「祝福された聖者」(人間)なのかヤハウェなのかどうかだな。
一神教で頭文字が大文字でOneって唯一存在だろうな。辞書だとゴッドの意味がある(人間の意味もあるけど)↓

Holy Oneの意味 - 英和辞典 - コトバンク
https://kotobank.jp/ejword/holy%20one

((the ~))
1 聖なる者, 神.
2 キリスト.

出典|小学館 プログレッシブ英和中辞典(第4版)について


ヤハウェには悪という名前の属性もある。これは全知全能の善なる存在と反するのではないかと思えるが、悪属性があるのと悪をなすのは別であるから問題ない。そもそも全知全能ならあらゆる属性を持っていてもおかしくないからな。
他の箇所を読み直したら明確にヤハウェだわ。

p.54
「The Blessed Holy One created Adam male and female, as it is written ( Genesis 1:27), “Male and female He created them.” 」

p.18
「It is thus written (Micah 2:13), “God (YHVH) is at their head.” We have a rule that every Name that is written Yod He Vav He is specific to the Blessed Holy One and is sanctified with holiness. 」
(このように書かれている(ミカ2:13)。"ゴッド(YHVH)は彼らの頭にいる"。私たちには以下の規則がある。
すべての ヨッド・ヘー・ヴァヴ・ヘーと書かれた名前は、祝福された聖なる方に特有のものであり、聖なるもので聖別されている、ということだ。)

p.21
We have said that everything that the Blessed Holy One brought into His world has a name emanating form its concept. It is thus written (Genesis 2:19), “All that the man called each living soul, that was its name.” This teaches us that each thing’s body was thus.
(我々は以下のように言ってきた。祝福された聖なるお方がその世界にもたらしたすべてのものには、その概念から発せられる〔流出する〕名前がある。創世記2:19に「その人がそれぞれの生き物を呼ぶと、それがその名前であった。」とある。これは、それぞれのものの体がこの〔呼ばれた名前〕ようなものであったことを教えている。)
(「a name emanating form its concept.」は原文ママ。formはfromの間違いだとみなして訳した)
(名は体を表す思想。正名の重要性。体を表す名づけをせよ)


p.42
サーターンという言葉は「脇にそらす( “turning aside”)」という意味だ。
サーターンはすべての世界を罪の天秤にそらすからだ。
(since he turns all the world aside to the balance of guilt.)

このことはどのように示されているのか(How is this indicated?)。
創世記38:16に、「そして彼は彼女の方に体を向けた」(“And he turned aside to her” )と書かれている。
タルグムはこれをVeSataと訳している(サタはサタンの語根)。
(the Targum renders this VeSata, [Satah being the root of Satan].
同様に、(箴言 4:15)、「そこから脇にそれて(S'the)通り過ぎなさい」。
( (Proverbs 4:15), “Turn aside (S’the) from it and pass on.” )
(創世記38章
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC38%E7%AB%A0
”15 ユダは彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたため、遊女だと思い、

16 道のかたわらで彼女に向かって言った、「さあ、あなたの所にはいらせておくれ」。彼はこの女がわが子の妻であることを知らなかったからである。彼女は言った、「わたしの所にはいるため、何をくださいますか」。

17 ユダは言った、「群れのうちのやぎの子をあなたにあげよう」。彼女は言った、「それをくださるまで、しるしをわたしにくださいますか」。 ”)
(ヘブライ語のサーターンは「告発者」「妨げる者」「敵(対者)」「誹謗する者」「訴える者」を意味する一般名詞。
「妨害する、反対する」という意味の動詞から派生。
人間の敵対者の意味でも超自然的な存在の敵対者の意味でも使われる。
定冠詞なしで使われる場合(サーターン)ならあらゆる告発者を意味することができる。
定冠詞付きで使われる場合(ハ・サーターン)なら、通常はあのサーターンだ。
キリスト教的なイメージがかなり強いのでサタンと書かなかった。
つまり、ヘブライ語聖書または旧約のサーターンは、キリスト教的な悪魔ではないということだ。
そもそも訳しても「悪」という意味がないからね。ヤハウェに逆らったら悪だけどね。

https://twitter.com/201yos1/status/1139686421835350017 とリプライ
”山本芳久
@201yos1
「サタン」は、ヘブライ語の「サーターン」に由来する。この語は、もともとは「敵対する者」「妨げる者」という意であり、必ずしもいわゆる「サタン」を意味するのではない。「民数記」22章においては、神の意に反する行為をする人物の行いを妨げる神の使いが「サーターン」と呼ばれている事例すらある
午前9:09 · 2019年6月15日·Twitter Web Client

小林由紀子
@lupus211
返信先:
@201yos1さん
彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった。主の御使いは彼を妨げる者となって、道に立ちふさがった、この箇所ですね。神の使いがサタンとなってיִּתְיַצֵּ֞ב מַלְאַ֧ךְ יְהוָ֛ה בַּדֶּ֖רֶךְ לְשָׂטָ֣ן ל֑וֹ l
午後1:57 · 2019年6月15日·Twitter for iPad


サタン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%B3
”サタン(ヘブライ語: שָּׂטָן‎、アラム語:שָׂטָנָא、ギリシア語:Σατᾶν, Σατανᾶς、ラテン語: Satan, Satanās)は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教における悪魔。イスラームではアラビア語のアッ=シャイターン (الشيطان, DMG方式: aš-Šayṭān) がこれに相当する[注釈 1]。
(中略)
最終更新 2022年5月6日 (金) 23:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

(綴りの確認用に引用したのだが、ついでに他の箇所も引用した。神学の説明箇所は信用できないので無視)

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1268617617297661953
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchiさん,
@kikuchi_8さん
ある。日本は蛇信仰の国。キリスト教は日本はサタンの国〜と呼ぶが、それは正しい。
(鏡餅と鏡餅の餅をとぐろをまく蛇に置き換えた画像)"

サーターンとサッティヤは全然違う。
サタンは梵語で真実というのは誤り。
同祖論詐欺に酷似!
梵語で真実はサッティヤ、ルタ、ダルマ。
長音を省略したら駄目
午前3:56 · 2020年6月5日·Twitter Web App”
(上記へのリプ:
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1268618435186966530
”菊池
@kikuchi_8
返信先:
@kitsuchitsuchiさん
お見事です。その通りですね。日猶同祖論と同じ只の語呂合わせです。手口に全然進歩や捻りが無い連中ですね(笑)
午前3:59 · 2020年6月5日·Twitter Web App”)





バヒールの書 4-2
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%9B%B8%204-2
”161. では、(出エジプト記 15章27節の)「こうして彼らはエリムに着いた。そこには水の泉12と、なつめやしの木70本があった。その所で彼らは水のほとりに宿営した」の節の意味合いは何か?
 この70本のなつめやしの木の何が特別なのか? 小さな場所でこれらは千は増えられよう。
 だが、彼ら(イスラエル人)はこれらと対照の価値あるものである。彼らはこのナツメヤシと繋がっている。
 また(出エジプト記 15章23節には)「彼らはメラに着いたが、メラの水は苦くて(マラー)飲むことができなかった。それで、その所の名はメラと呼ばれた」と書かれている。これは北風が彼らを混乱させたのを教える。よって、(出エジプト記 15章25節に)「モーセは主に叫んだ。主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなった」と書かれている。
 神は即座にその手をサタンに対して置き、消し去った。よって(続く文で)「その所で主は民のために定めと掟を立てられ」と書かれている。
 これは、この時にサタンは民と繋がっており、この世界から滅ぼそうとしていたのを教える。よって(出エジプト記 15章24節に)「ときに、民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」」と書かれている。サタンはなおもモーセを非難し、やがてはモーセは神に叫び、神は応えられた。
 では、「主は彼に一本の木を示されたので」とは何を意味するのか? これは、生命の樹が水の傍にあったのを教える。サタンはイスラエルを滅ぼし、天の父に対しての罪を起こすべく、ここへ来て取り除こうとしたのだ。
 サタンは民に「お前らは荒野へと向かうのか? 今ですら、苦い水しかないのに。もっともこれは何らかのために使える利益はある。だが、お前らが荒野へと向かうと、その顔と手を洗いたいと望む水すらも見つけられないだろう」と言った。
 そこで民はモーセのもとへと向かい、これらの言葉を繰り返したが、モーセはそれを留めた。そしてサタンは民を負かす事が出来ないのを見ると、イスラエルとモーセを負かすべく自らを強めた。
 民はモーセを非難し、「ここですら、水が足りないのに、荒野で何を飲めようか?」と言った。
 サタンは人々に罪を犯させるべく、この状況を拵えていた。そしてモーセがサタンを見るとすぐに、「モーセは主に叫んだ。主は彼に一本の木を示された」。これはサタンが取り除いていた生命の樹である。それから主は「それを水に投げ入れると、水は甘くなった」。
 祝福された聖なる御方はサタンに「定めと掟を立てられ」、ここでイスラエルの民に「示された」。祝福された聖なる御方はイスラエルに(出エジプト記 15章26節で)「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、私はかつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。私は主であって、あなたを癒す者である」と述べた。

162. これは何に似ているか? ある王が美しい娘を持っており、他の者らは彼女を望んだ。王はそれを知ったが、娘を悪の道へともたらす者らと戦えなかった。そのため、王は自らの家へと向かい、娘に警告した。「我が娘よ、これらの敵らの言葉に耳を貸すな。そうすれば、こいつらはお前を打ち負かせないだろう。この家から去らずに、家でお前の全ての働きをなすのだ。僅かといえども怠惰に座ったりはするな。そうすれば、これらはお前を見て、傷つけたりは出来ないだろう」
 これらは、民をあらゆる良き道から逸らせ、あらゆる悪しき道を選ぶようにする属性を持つ。これらが、良き道を進む者を見たら、それを憎む。
 この属性とは何か? それはサタンである。
 これは、祝福された聖なる御方は、悪と呼ばれる属性を持つのを教える。それは(エレミヤ書 1章14節で)「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」と書かれているように、祝福された聖なる御方の北の面である。この地に住むすべての者の上に臨むあらゆる悪は北から起こるのである。


163. この属性とは何か?
 それは手の形である。
 それには多くの御使いを持ち、それら全ての名前は悪の中の悪である。その一部は大いなるもので、一部は小さなものであるが、それら全てはこの世界に罪をもたらす。
 これは混沌は北へ向いているからである。混沌(トフ)は、悪以外の何物でも無い。それは世界を惑わし(トハ)、民に罪を犯させる。
 人の中にあるあらゆる悪の衝動(イェゼル ハ=ラ)はここから来ている。
 では、何故にこれは左(北)に置かれているのか? なぜなら、これは北以外には、この世界のどこにも、何の権威も無いからである。
 これは北を除いては、いずれにもなじまず、北以外には望まない。これが南に留まり、南の道を学ぶまでは、他者をどのように道を逸らせられようか? これが道を学ぶまで数日南に留まったとしたら、人々に罪を犯させられないだろう。そのため、常にこれは北に、左にいるのである。
 これが(創世記 8章21節の)「人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである」の節の意味合いである。これは幼い時からの悪であり、左以外の方角へと向かおうとはしない。常にそこへと向かう習性があるからである。
 これらについて、祝福された聖なる御方はイスラエルに(出エジプト記 15章26節で)「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け――そして、悪の衝動の戒めを聞かずに――、すべての定めを守るならば――悪の衝動の定めを守らないならば――、私はかつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。私は主であって、あなたを癒すものである」と述べている。

164. 何により、この悪の衝動を得るのか?
 これは何に似ているか? ある王が自らの王国の地を管理するための役人らを定めた。あらゆるものを管理する役人がいた。食物の保管庫を管理する役人もいた。また、石の保管庫を管理する者もいた。そして、この石の管理者は、誰もが食物の保管庫の者へと行き、買っているのを見た。
 この者は何をしたか? 手下の者らを脆い家々と送り崩す事で、人々が再建のために石を必要とするようにした。だが、強い家には彼らはそうはしなかった。石の管理者は「強い家を壊す時間で、10の弱い家は壊せるだろう。それにより人々は皆ここに来て、私から石を買い、私は食物の管理者には負けなくなるだろう」と言った。
 よって、(エレミヤ書 1章14節で)「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」と書かれている。続く節では「見よ、私は北の国々のすべての民を呼ぶ。彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁、およびユダのすべての町々に向かって、おのおのその座を設ける」とある。悪は常に働き、悪の衝動も常にあるだろう。
 サタンという言葉は「道を逸らせる」の意味を持つ。なぜなら、サタンは世界全ての天秤を罪へと逸らせるからである。
 これはどのように示されているのか? (創世記 38章16節に)「ユダは彼女に向かって」と書かれている事によってである。タルグムでは、これはヴェ=サタ(サターはサタンの語源)と記している。同様に、(箴言 4章15節にも)「それを離れて(サテー)進め」と書かれている。
”   (着色は引用者)


(本書に戻る)
p.49
[First comes] Wisdom, and then comes Understanding. And in Understanding is “counsel, strength, knowledge and the fear of God.”
(まず知恵があり、次に理解がある。そして、理解の中に「助言、力、知識、そして神への畏れ」がある)

But you told us that “counsel” is deeds of Kindness, and that Understanding is the Attribute of Justice.
(しかし、あなたは言いました、「助言」は「優しさ」の諸行為であり、「理解」は「正義」の「属性」であると。)

(王冠(ケテル)の次に、知恵(ウィズダム、コクマー)、理解(アンダースタンディング、ビナー)の順。
理解(ビナー)の中に、「助言」「力(ゲブラー)」「知識(ダアト)」「ゴッドへの畏れ」。
今現在も使われているのはゲブラーとダアトだけだな。
「助言」は「優しさ(カインドネス、ケセド」」の行為とあるので、「助言」が後のケセドだろう。
となると、ゲブラーとダアトとケセドの源流だな。
「ゴッドへの畏れ」についてだが、
” (Psalm 111:10 ), “The beginning of wisdom is the fear of God.” ”
(「知恵の初めは、神を畏れること」(詩篇111:10))なので、
「the fear of God」が知恵(ウィズダム、コクマー)を生んだのではないな(これだとゴッドへの畏れ」がケテルになってしまう)。いくつも知恵があって、そこから最初に生じるもの(「理解」に属するのであり、知恵には属さない)はゴッドへの畏れということだろう。
でないと、理解(ビナー)の中に「ゴッドへの畏れ」があるのはおかしいもんな。
そもそも畏れるのは人間だからな。ケテルレベルだと人間はまだ登場していないだろう。

巻末インデックスより、
Crown, the (Kether)
Wisdom (Chokmah)
Understanding (Binah)
Knowledge (Daath)
Kindness (Chesed)
Strength (Geburah)
(ティファレト(Tiphereth、美と訳される)なし)
Victory (Netzach)
(ホド(Hod、栄光と訳される。第8のセフィラ)なし。
「栄光の玉座」は登場するが、ヘブライ語でホド〔栄光〕と書いてあるのか不明。)
インデックスにはfoundationとしか書いていないが、Foundation (Ye sod)は登場する。
(マルクト(Malkuth、王国と訳される)なし)

なので、今現在のセフィロトのすべてが網羅されているわけではない)


Section V  Mysteries of the Soul
のp.53

195. Why is there a righteous person who has good, and [another] righteous person who has evil?

This is because the [second] righteous person was wicked previously, and is now being punished.

Is one then punished for his childhood deeds? Did not Rabbi Simon say that in the Tribunal on high, no punishment is meted out until one is twenty years or older.

He said: I am not speaking of his present lifetime. I am speaking about what he has already been, previously.

(195. なぜ、善を持つ義人がいて、悪を持つ[別の]義人がいるのか。
〔意訳:(義人には悪いことは起こらないはずなのだが、)ある義人には良いことが起こるのに、他のある義人には悪いことが起こる理由は何か?〕
それは、[第二]の正しい人が以前は邪悪で、今は罰せられているからだ。

では、人は子供の頃の行いのために罰せられるのか。ラビであるシモンは、「the Tribunal on high(高等法廷? 制度について無知なので暫定訳)」においては、20 歳以上でなければ罰は与えられないと言ったではないか。

彼は言った。私は彼の現在の生涯について話しているのではない。彼が以前、すでにそうだったことについて話しているのだ。)
( present lifetimeの以前なんだから、輪廻思想だな。『バヒール』(バヒル)〔を書いた人の少なくとも1人〕は輪廻思想なんだな。
バラモン・ヒンドゥー教の子孫である、オルフェウス教かグノーシス主義の輪廻思想の影響を受けたのだろう。
ユダヤ教正統多数派は輪廻転生についてどう考えているんだろうな。
オルフェウス教の方がグノーシス主義より先。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1268609654134722565 と続き
”バラモン→オルフェウス(前6C)→グノーシス(1~4C)

バラモン→オルフェウス(前6C)→ピタゴラス学派(前5C)→プラトン(前4C)→新プラトン(3C)→コダヤ・カバラ

フィロン(プラトン、ストア)→新プラトン(3C)→オリゲネス(3C。教父。アレクサンドリア派)→正統多数派神学

バラモンの
午前3:24 · 2020年6月5日·Twitter Web App

バラモンのカルマ論→オルフェウスの原罪→西方キリストの原罪

バラモン風の新耶蘇=神智学ミード派→ユングとヘッセ→Gのグノーシス(不適切な名)

グノーシスもキリスト教正統多数派もキリスト教異端グノーシス派も偽グノも同根

空(実体論の否定)と不可知論(無記、不語怪力乱神)が大嫌い


菊池
@kikuchi_8
2020年6月5日
仰る通りです。まさにこれですね。>空(実体論の否定)と不可知論(無記、不語怪力乱神)が大嫌い あらゆる裏権力の思想派閥が例外なく「空」「無記」「怪力乱神を語らず」を嫌います。支配に好都合な独断的(無記の反対)な実体論(空の反対)やオカルト思想(怪力乱神の反対)を破るからでしょう。


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/1060582177270714368
”子×5(ねここねこ。子子子子子。五つ子)
@kitsuchitsuchi
返信先:
@kitsuchitsuchiさん,
@kikuchi_8さん
オルフェウス教(菜食主義などの禁欲で原罪を克服し輪廻から解脱)

グノーシス
(創造神は悪←ウパニシャッドの創造神は死=悪
神との合一←梵我一如
本体あり輪廻)
の元ネタも
プラトン(西洋哲学の根本)の輪廻思想もバラモン教。
『メノン』 ”魂は不死であり、すでに何度も生まれてきており…”
午前2:17 · 2018年11月9日·Twitter Web Client”

バヒールの書 5
https://occultlibrary.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%9B%B8%205
"195. 何故に義人が幸福になったり、別の義人が不幸になったりするのか?
 なぜならば、(後者の)義人は過去に悪人であって、今その罰を受けているからである。
 では、それは子供の頃の行いの罰なのか? ラビ シモンは、いと高き(天の)法廷は12歳以上にならないと罰を与えないと言わなかったか?
 ラビは述べた。私は今生の事について述べているのではない。私が述べているのは、前世でこの者がなしていた事だ (*1)。

[… ]
では(創世記 1章27節の前の文で)「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し」とは書かれてなかったか? だが後になってのみ、(創世記 2章18節で)「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」と、そして(創世記 2章21節で)「そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた」と書かれているのではなかったか?(よって、男が先に創られて、女がその後では無かったのか?)
 だが、トーラーでは「形作る」(ヤザル)、「造る」(アサー)、「創造する」(バラ)の3つの違った言葉を用いている事に注意する必要がある。
 魂が創られた時には、「造る」の言葉が用いられた。それから「男と女が創造された」では「創造する」の言葉が用いられた。そして、魂と肉体が結び付けられ、霊が共にもたらされた時には「形作る」の言葉が用いられた。
 では「形作る」が、共にもたらすの意味だとどのように知れようか? それについては(創世記 2章19節に)「そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り(集め)、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた」と書かれているからである。
 これは(創世記 5章2節の)「彼らを男と女とに創造された」や、(創世記 1章28節の)「神は彼らを祝福して」の節を説明する。

199. 女からは女の魂が来て、男から男の魂は来る。これはかの蛇がイヴに従った理由である。蛇は「彼女の魂は北(悪の方角)から来たので、私は速やかに彼女を誘惑できるだろう」と言った。
 では、蛇はどのように彼女を誘惑したのか? 蛇は彼女と交わったのである。

200. 弟子らは尋ねた。どのようにそうなったかを述べてください。
 ラビは答えた。悪しき天使サマエルは主に対して、天での(堕天使らの)軍勢の間に結束を造った。
 それは、祝福された聖なる御方が(人に対して、創世記 1章28節で)「また海の魚と、空の飛ぶもの(天使を含む)と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と述べたからであった。
 サマエルは「どのように、人に罪を犯させ、神の前から追放させられようか?」と呟いた。そしてサマエルは全てのその軍勢と共に降りていき、地上での適切な仲間を探した。そしてラクダのような姿の蛇を見つけて (*4)、その背に乗った。
 それからサマエルは女の元へと向かい、彼女に(創世記 3章1節で)「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか?」と述べた。
 彼女は(創世記 3章2節で)「私たちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」と答えた。
 だが彼女はここで2つ付け加えている。「ただ園の中央にある木の実」と述べたが、神は(創世記 2章17節で)「しかし善悪の知識の木からは取って食べてはならない」とのみ述べている。また、彼女は「これに触れるな、死んではいけないから」とも言っているが、神は食べるなとのみ述べている。
 サマエルは何をなしたか? サマエルは木へと向かい、それに触れた。木は「邪悪な者よ、私に触るな!」と叫んだ。よって(詩篇 36篇11-12節に)「高ぶる者の足が私を踏み、悪しき者の手が私を追い出すことを許さないでください。悪を行う者はそこに倒れ、彼らは打ち伏せられて、起きあがることはできない」と書かれている。
 それからサマエルは女に「見たでしょう。私は木に触れましたが、死にませんでしたよ。あなたも木に触れても死なないでしょう」と述べた。
 女は木に触れてみた。彼女は死の天使が近づいてくるのを見て、言った。「私はなんと災いかな。今や私はここで死に、祝福された聖なる御方はアダムのために別の女を造るでしょう。そのため、私はアダムと共に木の実を食べるようにしましょう。もし私たちが死んだら、私たちの両方とも死に、私たちが生きるならば、私たち両方とも生きるでしょう」と述べた。
 彼女は木の実を取り食べ、また別の木の実を夫にも渡した。彼らの目は開かれ、その歯は鋭くなった。アダムは「あなたは何というものを私に食べさせたのか? 我が歯は鋭くなり、全ての後の世代の歯も鋭くなるだろう」と述べた。
 それから神は(詩篇 9篇5節で)「あなたは御座に座して、正しい裁きをされました」と書かれているように、真の裁きの座に座った。神はアダムを呼び、「なぜ私から逃れようとするか?」と述べた。
 アダムは(創世記 3章10節で)「園の中であなたの歩まれる音を聞き」――我が骨は震え――「私は裸だったので、恐れて身を隠したのです」と答えた。私は働きに対して裸であり、律法に対して裸であり、行いに対して裸であった。それゆえ、「私は裸だったので、恐れて身を隠したのです」と書かれている。
 アダムの園とは何か? これは爪の上の肌であった。木の実を食べるとすぐに、アダムの爪の肌は取り去られ、自らが裸であるのを見た。よって(創世記 3章11節で)「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」と書かれている。
 アダムは祝福された聖なる御方に「全ての諸世界の主よ。私が単独であった時には、あなたの前に罪をなす事はありませんでした。ですが、あなたが私に与えた女が、あなたの言葉に反して(木の実を与え、食べるように)私を唆したのです」と答えた。よって、(創世記 3章12節で)「私と一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、私は食べたのです」と書かれている。
 祝福された聖なる御方は、次に彼女に「あなたは自らの罪では充分では無かったのか? それだけではなく、あなたはアダムも罪に落としてしまった」と尋ねた。
 彼女は祝福された聖なる御方に「全ての諸世界の主よ。蛇が私をあなたの前で罪をなすように唆したのです」と答えた。神はこれら3人を呼び、9つの呪いと死の判決を下した。それから神は邪悪なサマエルとその軍勢を、天の聖なる宮殿から放り出した。そして蛇の手足を切り落として、全ての他の動物や野の獣よりも呪われた者とした。また蛇に7年ごとに脱皮するように命じた。
 サマエルは罰を与えられ、邪悪なエサウの守護天使とされた。
 未来において神がエドムの王国を滅ぼす時、まず最初にこの者を低めるであろう。
よって(イザヤ書 24章21節で)「その日、主は天において、天の軍勢を罰し、地の上で、地の諸々の王を罰せられる」と書かれている。
 これら全ての死と罰は、彼女が祝福された聖なる御方の命令に付け加えた事から来ている。そのため、諺に「誰でも増やす者は減らされる」と言われるのだ。

願わくば、神が我らの目をそのトーラーの光で照らしたまえ。
我らの心に、神への恐れを抱かせたまえ。
我らが神と出会える価値ある者としたまえ。

神は、聞く者を照らし、
その心を理解へと目覚めさせ、
激しく輝かせるであろう。
[… ]
【*1】 カバラの重要な教義として、仏教のように人の転生説を受け入れている。死後、魂の上位の部分は神の下へと向かうが、下位の部分は地上を何度となく生まれ変わり、時には動物に生まれ変わる事もあるとされる。
[… ]
【*4】 創世記では、蛇は最初は四肢があり、アダムとイヴを騙した罰として手足を失ったとされる。

最終更新:2020-05-27 20:10:19
"    (着色は引用者)

 仏教型輪廻じゃないぞ。仏教はヤハウェの実在を否定するぞ。永遠の不滅で不変の魂も否定するぞ



(サマエルとエデンの園の蛇と楽園追放について)
p.55

[Samael] said, “How can we cause him to sin and be exiled from before God?” He descended with all his host, and sought a suitable companion on earth. He finally found the serpent, which looked like a camel, and he rode on it.

He then went to the woman and said to her (Genesis 3:1), “Did God also say, from all the trees of the garden [you shall not eat]?” [He said, “I know that He did not forbid all the trees,] but I will seek more - I will add in order that she should subtract.”

She replied, “He did not stop us from anything besides” ( Genesis 3:2) “the fruit of the tree that is in the middle of the garden. God said, ‘Do not eat from it and do not touch it, lest you die.’”

She added two things. She said, “from the fruit of the tree that is in the middle of the garden,” while [God] had only said (Genesis 2:17), “from the Tree of Knowledge.” She also said, “do not touch it lest you die,” [while God had only spoken of eating it].

What did Samael do? He went and touched the tree. The tree cried out and said, “Wicked one, do not touch me!”

([サマエルは]言った、「どうして彼に罪を犯させ、ヤハウェの前から追放することができようか」。彼はその軍勢を率いて降下し、地上に適当な仲間を求めた。彼はついにラクダのようなヘビを見つけ,それに乗った。

そして、女のところに行って言った(創世記3:1)。"神はまた、園のすべての木から[食べてはならない]とも言われたか。"
[彼は言った、「私は、神がすべての木を禁じられたのではないことを知っている、と]
しかし、私はもっと求めよう。彼女が採るように、一押ししよう」。

彼女は答えた、「ヤハウェ様は、園の真ん中にある木の実のほかは止められなかった」(創世記3:2)「園の真ん中にある木の実。ヤハウェ様は言われた、"そこから食べてはならない、触ってはならない、でないと死んでしまう"。

彼女は2つのことを付け加えました。彼女は、「園の真ん中にある木の実から」と言いましたが、(神は)「知識(知恵)の木から」とだけ言われました(創世記2:17)。また、「死なないように、それに触れてはならない」とも言いました(神は食べることだけを言われましたが)。

サマエルは何をしたのでしょうか。彼は行って、その木に触れた。木は叫んで言った、「悪い者よ、私に触れるな」。)

(エデンの蛇はラクダ〔に見える姿だった〕って箇所だ! しかもサマエルの乗り物(笑)
それと知恵〔知識〕の実がなっている樹は喋る)

p.56にサマエルと蛇が受けた罰が書いてある。
邪悪なサマエルとその一団を、天(国)の聖所から追放した。
サマエルは邪悪なるエサウの守護天使にさせられた。
蛇の足(feetなので複数ある)を切り落とし、他のすべての動物や野の獣よりも呪った。
7年ごとに皮を剥ぐように定めた(脱皮の理由づけ)。

以上は1回目の読んだ時のメモ。
以下は2回目(全体ではなく一部のみ再読)のメモ。

p.5
”What is the meaning of the verse ( Proverbs 8:23), "I was set up from eternity ( Me-Olam ), from a head, before the earth?"

What is the meaning of "from eternity ( Me-Olam)?" This means that it must be concealed ( He-elam ) from the world.

It is thus written ( Ecclesiastes 3:11), "He has also placed the world ( Ha-Olam ) in their hearts [that they should not find out the work that God has done from the beginning to the end]." Do not read Ha-Olam (the world), but He-elam (concealment).

The Torah said, "I was first, so that I might be the head of the world." It is thus written, "I was set up from eternity, from a head."

You may think that the earth was before it. It is therefore written, "before the earth."

It is thus written ( Genesis 1:1), "In the beginning created God the heaven and the earth." What is the meaning of "created"? He created everything that was needed for all things. And then God. Only after that is it written "the heaven and the earth." ”
(箴言8:23の一節、「私は永遠から(Me-Olam)据え置かれた。頭から、地の前に置かれた "とはどういう意味か。

"永遠から(Me-Olam)"の意味は何か?これは、世界から隠されて ( He-elam )いなければならないことを意味する。

伝道者の書3:11に、「神はまた、世界(ハ・オラム)を彼らの心の中に置かれた(神が初めから終わりまで行われた業を見破られないように)」と書かれている。Ha-Olam(世界)ではなく、He-elam(隠蔽)と読むのだ。

律法(トーラー)では、"私が先にいたのは、私が世界の頭になるためである。"と書かれている。このように、"私は永遠から、頭から立てられた "と書かれている。

地が先にあったと思うかもしれない。だから、"地の前に "と書かれている。

こう書かれている(創世記1:1)。"初めに 創造した ヤハウェは 天と地を"。この "創造した "とは、どういう意味か。万物に必要なものをすべて創造されたのだ。そして(次に来るのが)、ヤハウェ。その後に初めて、"天と地 "と書かれている。)
(ヤハウェが世界〔被造物の1つ〕を創造した、では不正確であり、元からすべてを創り終えていて、その被造物は隠されていて、その一部が現れたのが天と地(世界)ということなのだろう)

※先に
ヘブライ語アルファベット - 高等魔術入門
https://magic.dancing-doll.com/magic/hebrew-alphabet.html
を軽く見ておくことをオススメします。ヘブライ文字の形を知らないとここから意味不明です。


p.7

Why is the letter Aleph at the beginning? Because it was before everything, even the Torah .

18. Why does Bet follow it? Because it was first.

Why does it have a tail? To point to the place from which it came.

Some say, from there the world is sustained. ”
(なぜアーレフ(א)という文字が始まりであるのか?それはすべてのもの、律法よりも前にあったからだ。
18. なぜBet(ベート)(ב)がそれに続くのか?なぜなら、それが最初〔第1〕だったからだ。
なぜ尾があるのか?それが来た場所を指し示すため。
そこから世界が維持されているという説もある。”)

p.7

19. Why is Gimel third?

It has three parts, teaching us that it bestows (gomel) kindness.

But did Rabbi Akiba not say that Gimel has three parts because it bestows, grows, and sustains. It is thus written (Genesis 21:8), "The lad grew and was bestowed."

He said: He says the same as I do. He grew and bestowed kindness to his neighbours and to those entrusted to him.

20. And why is there a tail at the bottom of the Gimel?

He said: The Gimel has a head on top, and is like a pipe. Just like a pipe, the Gimel draws from above through its head, and disperses through its tail. This is the Gimel.

(19. なぜギメル(ג)は3番目なのか?
それは3つの部分を持っていて、それが親切を与える〔施す〕 (gomel)ことを教えている。
〔訳者注:bestows (gomel) kindnessとある。
kindnessは全部小文字。頭文字が大文字Kindness ならChesed(ケセド)なんだが、
これがケセドだとしても4番目のセフィラではない。アレフは最初以前であり、ベートが最初で、ギメルが2番目だからだ〕

しかし、ラビ・アキバは、ギメル(ג)が3つの部分を持っているのは、授け(bestows)、成長させ、支える〔維持する〕からだと言わなかったか。創世記21:8いわく「若者は成長し、授けられた(was bestowed)」と書かれている。
彼は私と同じように言っている。彼は成長し、隣人や彼に託された人々に親切を与えた〔施した〕〔親切にした〕(bestowed kindness)。

20. またどうしてギメルの底に尾があるのか。
彼は言った。ギメル(ג)は上に頭があり、パイプのようなものだ。ギメルはその頭を通して、上からから引き入れ〔吸い上げ、吸い下げ、汲み出し〕、尻尾から吐き出す〔まき散らす、出す〕。これがギメルである。)
(ギメル(ג)は「入」や「λ(ラムダ)」みたいな文字。
文字と流出説だな。アーレフの数価が1だからモロに新プラトン主義のOne=唯一。
ケテルでもアインでもアイン・ソフでもアイン・ソフ・オウルでもない〔少なくともバヒルではそう呼ばれることはない〕。
数価が2であるBet〔ベート〕がファーストであることに注意。
アーレフ〔A〕(ʾālep̄)(א)の意味は雄牛、
ベート〔B〕(bēṯ )(ב)の意味は家、
ギメル〔G〕(gimel)〔数価3〕の意味はラクダ。
発音記号は以下からコピペした。

ヘブライ文字 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E6%96%87%E5%AD%97

詳しくは言わないけど、
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/947221777989623808



なんだよな。フェニキア文字には○に×がある↓
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/947216367152799744




フェニキア文字に「丸に×」文字あり←世界連邦マークの元ネタの一つ?
フェニキア文字=古ヘブライ文字で、
アラム文字≒ヘブライ文字なので古代ユダヤ教の歴史の文字文献が一切信用できない。本当に古代に実在したのか?
そういえば、アトランティス=フェニキア説ってのがあるんだよな。
気象兵器研究を含むベーコンの計画書『ニュー・アトランティス』 (新アトランティス)があるのでアトランティスには尻社では特別な意味がありそうなんだよな。

https://twitter.com/hosimo1/status/709253374974119936


”)

p.36から「the Ten Sayings」(十戒)の説明。

「The first is the Highest Crown. 」
(第一は、「最高〔位〕の冠」である)

「142. The second one is Wisdom . 」
(142. 第二のものは、知恵である。)
「 (Psalm 111:10), “The beginning is wisdom, the fear of God.” 」

「143. The third one is the quarry of the Torah, the treasury of Wisdom, the quarry of the “spirit of God”.

This teaches us that God carved out all the letters of the Torah, engraved it with spirit, and with it made all Forms.
(143. 第三は、「トーラー」の採石場(石切り場)、「知恵」の宝庫、「神の霊(ゴッドのスピリット)」の採石場である。
これは、神(ゴッド)が「トーラー」のすべての文字を彫り出し、霊で刻み、それですべての「形」を作ったことを教えている。)

「144. These are three. What is the fourth?

The fourth is (Deuteronomy 33:21), “the charity of God,” His merit and his Kindness (Chesed) to all the world.

This is the Right Hand of the Blessed Holy One. 」
(144. これらは3つだ。4つ目は何か?
4つ目は、(申命記33:21)「神の慈愛」、神の功徳とその「優しさ(Chesed)」であり、全世界に対して向けられる。
これは祝福された聖なる方の「右手」である。)

「The fifth is the great fire of the Blessed Holy One」
(第5は、祝福された聖なるお方の大いなる火である)
「This is the Left Hand of the Blessed Holy One. 」
(これは祝福された聖なるお方の「左手」である)
(右手>左手)

「146. The sixth one is the Throne of Glory, crowned, included, praised and hailed.

It is the house of the World to Come, and its place is in Wisdom . It is thus written ( Genesis 1:3), “And God said, ‘Let there be light,’ and there was light.” 」
(146. 第6は、冠をかぶり、含まれ(加えられ)、賛美され、歓呼される「栄光の玉座」である。
それは「来るべき世界」の家であり、その場所は「知恵」の中にある 。( 創世記 1:3 にこのように書かれている。"そしてゴッドは「光あれ」とおっしゃった。 そして光があった。")

「152. You said [that the sixth one was] His Throne. Have we then not said that it is the Crown of the Blessed Holy One? We have said, “Israel was crowned with three crowns, the crown of priesthood, the crown of royalty, and the crown of Torah above them all.” 」
(152. あなたは,(6番目のものが)「彼の玉座」であると言った。その時わたしたちは、それが「祝福された聖なるお方の冠」であると言ったではないか。
わたしたちは以下のように言った。「イスラエルは三つの王冠をかぶせられた。神権の冠、王族の冠、そしてそれら全てより上にある、律法の冠である。」。)

「153. What is the seventh? It is the heaven [called] Aravot.

And why is it called heaven (Shamayim)? Because it is round like a head. 」
(153. 7番目は何か。それは天(アラヴォトと呼ばれる)である。
なぜ天(シャマイム)と呼ばれるのか。それは頭のように丸いからだ。)

「157. What is the eighth one?

The Blessed Holy One has a single Righteous One (Tzadik) in His world, and it is dear to Him because it supports all the world. It is the Foundation (Ye sod). 」
(157. 8番目は何か。

祝福された聖なるお方は、その世界に一人の「正しい人(Tzadik)」を持ち、それがすべての世界を支えるので、彼にとって大切である。それは「基礎(土台、基盤)(イェソド)」である。)

「169. What is the ninth?

He said to them: the ninth and tenth are together, one opposite the other.

One is higher than the other by 500 years.

They are like two Wheels (Ophanim). One inclines toward the north, while the other inclines toward the west. They reach down to the lowest earth.

What is the lowest earth? It is the last of the seven earths down below. 」
(169. 9番目は何か。
彼は彼らに言った:第九と第十は共にあり、一方は他方の反対側にある。
一方は他方より500年高い。
〔引用者注:年数なのにhighってどういうことだろう。人が登って500年分かかるだけの高さの差という意味かも〕
それらは二つの「車輪(オファニム)」のようなものである。一方は北に傾き、他方は西に傾いている。
それらは最も低い(最下層の)地まで達する。
最下層の地とは何か?それは、下(界)にある7つの地球のうちの最後の地球である。)

「The end of the Divine Presence of the Blessed Holy One is under His feet. It is thus written
(Isaiah 66:1 ), “The heaven is My throne, and the earth is the hassock for My feet.” 」
(祝福された聖なるお方の「神聖な存在(ご出席)」〔翻訳者注:流出のこと?〕の終わりは、彼〔そのお方〕の足の下にある。このように書かれている。イザヤ書 66:1 より 「天はわが玉座、地はわが足のための足乗せ台〔厚手のクッション〕である」。)

「The Victory (Nitzachon) of the world is there. It is thus written (Isaiah 24:10), “for Victory of Victories (Netzach Netzachim ).”

170. What is the meaning of “Victory of Victories”?

There is a single Victory (Netzach). Which is it? It is the one that inclines toward the west.
And what is secondary to it? This is the one that inclines toward the north.

And the third one? This is the one that is below.

The third one? But you have said that the Chariot has two wheels. We must therefore say that the end of the Divine Presence is also called Victory.

This is the meaning of “Victory of Victories.” “Victory” is one, and “Victories” is two, giving [a total of] three. 」
(世界の勝利(Nitzachon)はそこにある。
こう書かれている。イザヤ24:10より「勝利の中の勝利のために(for Victory of Victories (Netzach Netzachim )」とある。
170. 「勝利の勝利」の意味は何か。
1番目の勝利(Netzach)がある。それはどちらか。それは西に傾く方である。
2番目にあるものは何か?こちらは北に傾く方だ。
3番目は? これは下にあるものだ。
3番目? しかし、あなたは「戦車」には二つの車輪があると言った。したがって、我々は言わなければならない、
「神聖な存在(ご出席)」の終わりは「勝利」とも呼ばれる、と。
これは「(諸)勝利の中の勝利」の意味である。「勝利」は1つであり、「諸勝利」は2つである。合計で3つである。
(ゴッドの存在が終わることはないから「ご出席」の方がいいかも。「存在」が「被造物の前に姿を現す」ならおかしくないな。
なお、「姿を現す」というのは便宜的表現であり、被造物がゴッドの全体を認識することはできない)
(これが10のセフィラの原形だな。
一番最初が冠(ケテル)だし。
2番目が知恵(コクマー)なのも今一番有名なのと同じ。
3番目はビナーではない。3番目にも「知恵」という単語が登場する。
4番目はケセド。4番目なのは今一番有名なのと共通。
5番目は「ゴッドの大いなる火」。ゲブラーではない。今のゲブラーは赤に対応する理由は元ネタが火だからかも。
6番目は「栄光の玉座」。ティファレト(美)ではない。ヘブライ語でホド(栄光)と書いてあるのか不明。
7番目は天。ネツァク(勝利)ではない。
8番目は「基礎(土台、基盤)(イェソド)」。9番目ではない。
9番目と10番目は二つで一つ。「車輪」または「勝利(ネツァク)」最下層の地にまで達するのが今のマルクト(王国)が地球に対応することの元ネタかも。

巻末インデックスより、
Crown, the (Kether)
Wisdom (Chokmah)
Understanding (Binah)
Knowledge (Daath)
Kindness (Chesed)(ケセド)(第4のセフィラだが、ユダヤカバラでは意味は当然異なる)
Strength (Geburah)
(ティファレト(Tiphereth、美と訳される)なし)
Victory (Netzach)
(ホド(Hod、栄光と訳される。第8のセフィラ)なし。
「栄光の玉座」は登場するが、ヘブライ語でホド〔栄光〕と書いてあるのか不明。)
インデックスにはfoundationとしか書いていないが、Foundation (Ye sod)は登場する。
(マルクト(Malkuth、王国と訳される)なし)

なので、今現在のセフィロトのすべてが網羅されているわけではない。↓と全然違うでしょ?

https://twitter.com/madaraiguana/status/1203158780826935297

”)

メモ終わり。意外と面白かったな。今現在大量にある糞みたいなカバラ本と違って、元祖のカバラの本の1つだもんな。
ここから
参考資料

フェニキアとコダヤの関係(疑惑)について補足。
フェニキア文字=古ヘブライ文字なので、ユダヤ人の一部はフェニキア系だろうね。

①最近のツイッターログ ②フェニキア文字=古ヘブライ文字で、アラム文字≒ヘブライ文字なので古代ユダヤ教の歴史の文字文献が一切信用できない。本当に古代に実在したのか?
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-121.html
に詳しく書いてある。

フェニキアについて古い情報が出回っているのでここで少し書いておく。
最近ではモロクは儀式の仕方だとするのが主流らしい。モロクは神ではない。
「じゃあ何の神にささげていたんだ?」となるが、
フェニキア人が共通で同じ神々を崇めていたのではない。


東方西洋史 第五十六回 フェニキア人の宗教とアフリカ一周
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39743560
の1:25から:
都市     夫          妻
ゲバル バアル・シャメム  バアラト・ゲバル
シドン  エシュムン    アシュタルテ
ティルス  メルカルト   アシュタルテ

フェニキアの宗教行事として有名なのが
人間を生け贄にする儀式 特に幼児を生贄にしたことで知られている
(モロクに捧げることについて)
実際にはモロクとは神の名前ではないという説が強くなっている
まだ論争が続いているんで確定しているわけじゃないが
「モロク」とは、「ある特定の犠牲の形式」のことだったらしい。

(モロクの絵について)
モロクの意味が分からなくなった後世の人たちが
ミノタウロスやファラリスの雄牛などを参考に作り出したらしい。
〔バフォメットと同じだな〕

4:32から:
カルタゴには幼児犠牲が行われたらしい遺跡が残っているが
フェニキア本土では見つかっていないんだ)


(上記の動画シリーズは割と最近の学説を紹介してくれるのでありがたい。以下の動画もオススメ)
東方西洋史 第二十六回 ヘブライ人
https://www.nicovideo.jp/watch/sm37573909

私(子×5)がナ血系偽グノ派の666アニメーターY(監督歴あり)の粛清対象になったのでご支援お願いします!本物グノーシスとその元ネタの宗教史
Posted on 2020.06.05 Fri 02:14:59
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-362.html
”Zは危険!

偽グノ派なんてどうでもいいって人は、
思想の流れの個所だけでも読むと面白いと思います。

ナ血系偽グノ派の粛清対象になったのでご支援お願いします!
Y沼は一度反コダヤ発言で報道されたのに懲りてないの?
666別アカ(匿名)で発言しても犯罪は犯罪だよ?
刑法222条が怖くないの?
匿名垢の方で粛清発言。
Yの方で言うとまたニュースになっちゃうかもしれないもんなw

ご支援用①(無料公開は危険なドラゴンボ–ル考察)PDF版
https://yomenainickname.booth.pm/items/2074988

自分がヤ○ザ系会社で働いてたと暴露するGですら粛清という脅迫罪に引っかかる発言はしていないのに(今調べたらしているかもしれないけど)。

身を守るためにも民法と刑法の入門レベルの本は一冊読んでおこう。
私は両方とも多少学んだだけだが、全然知らないとは雲泥の差だぞ。

第三十二章
脅迫の罪(第二百二十二条・第二百二十三条)

第三十二章 脅迫の罪
(脅迫)
第二百二十二条 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。
(強要)
第二百二十三条 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、三年以下の懲役に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする。
3 前二項の罪の未遂は、罰する。

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=140AC0000000045#AW
〔中略〕
必也正名乎(必ずや名を正さんか)
=名と実を一致させよ
(論語 子路第十三の三)

名を正すを実践すると中身がよくわかる。
〔中略〕
バラモン教の
出家=厭世思想と
「肉体<魂」
が強まった結果が
グノーシスの肉体=物質=悪だろう
ウパニシャッドに創造神=死(つまり悪)とする神話もあるし。

元ネタがバラモン教である
オルフェウス教では
人間の肉体=牢獄は悪神ティタンの灰か造られたが、
その中にはティタンに食われたザグレウスの不滅の霊魂が閉じ込められている。
つまり、肉体は邪神由来、
霊魂は善神由来。

魂は先祖が犯した殺害という罪で汚れている。

自身の神的起源を思い出し、神との失われた同一性を回復(神に同化)することで
過去の罪により肉体に幽閉されている魂を救済するのが目的。
神的起源を忘れている限り、輪廻し続けるという、輪廻思想。
輪廻からの脱却が目的。
肉食禁止。禁欲。浄めの重視。

ピタゴラス派、プラトン哲学やグノーシス派に強い影響。
どーみてもバラモン教が元だし、
グノーシスの元ネタじゃん。
ヤソの原罪の元ネタである。
原罪の元ネタはオルフェウス経由のバラモン教のカルマ論だろう。
〔中略〕
ストア主義とキリスト教の橋渡しをしたのがフィロンで
フィロンは聖書(キリスト教以前に旧約という呼び名無し)の解釈の為にプラトン哲学とストア主義を導入したとか、
エジプトのホルス信仰(聖母子信仰はイシス・ホルス信仰が元)とか、
初期の教父のオリゲネスが新プラトン主義を学んでいたとか、
禁欲的な道徳や「ロゴスが神」やコスモポリタニズムはストア派由来だとか、
言い出したらきりがなので今回は省略。

フィロンの生存期間にはイエスの生涯が含まれるのだが、
言及はしてないはず。
してたら嬉々としてクリスチャンが取り上げるだろうし。
実在していないのにフィロンが言及したらおかしいもんなw

キリスト教の思想の生地に改良を加えたり整形加工してみたりしても、
キリスト教型の思想はキリスト教型の思想のままだ。
焼き直しすぎて黒焦げになっているがキリスト教型のままだ。
不可知論や実体否定になったりはしない。
流行の(疑似)科学分野で覆って見た目を良くしてから売る。
〔中略〕
”グノーシス神話は大まかに三タイプある

①ナグ・ハマディ文書
主として初期ユダヤ教の影響下。
人間(至高神)は旧約聖書の神をはるかに超越している。代わりに間違った居場所への人間の墜落の原因も、究極的には人間自身の内面の破れに求められる。

②マニ教
ゾロアスター教に根差している。人間が間違った居場所に拘束されているのは、太古における光と闇の戦闘の結果である。

③マンダ教
両者の混合

・グノーシス主義は初期ユダヤ教の周縁に、原始キリスト教とほぼ同じ頃に現れ、やがてキリスト教と接触するに及んで、最大の異端とされた。なぜなら本来の人間は至高神の一部であり、現実の人間は居場所を間違えていて、それゆえ自分の本質を認識=グノーシスして本来の場所へ立ち帰らねばならない、という思想だからである。

旧約でわかるように、主ヤハウェは創造神であり唯一神であり、被造物たる人間はあまりにも創造主と比べて卑小である。人は人であり神には絶対になりえない。神と人間の間の不可逆・非対称の関係こそが旧約聖書の創造信仰の核心。

ストア派のクレアンテース『ゼウス賛歌』(ストバイオス『詞華集』に収録)を引用する。
クレアンテースは、紀元前四世紀にキティオン(キプロス島)のゼノンによってアテネで始められたストア派の二代目学頭を務め、ゼノンの体系に宗教的色調を添えた人である。

“その雷鳴をもってあなたは世界を導き、万物の中にあまねくロゴスをゆきわたらせ
自ら天の大小の光と混じり合う。
ロゴスをもってあなたは万物のかくも偉大な王であられる。
〔…〕
あなたには敵対するものも友となる。
そのようにしてあなたは善きものを悪しきものに結び、あらゆるものを一つに調和させ
ただ一つロゴスを万物の上に永久に在るものとされた。”p.22-23

ストア派ではゼウスは決して旧約聖書のような超越神ではない。
実質上は宇宙万物に内在かつ遍在し、すべての事物を導くロゴス、つまり万物の理法と同一である。
この理法は世界の中に現れる悪をも善きものに結びつけ、あらゆるものを一つに調和させる力である。
まさしくストアの予定調和説である。
ストア派はこの理法・ロゴスが大宇宙の中では恒星天(地上から数えて第八天)にもっとも濃密に宿っていると考えた。そこから地上に向かって七つの天を下降するにつれて、その遍在の濃度は薄くなってゆく。地上では人間種族がそれに最も多く与っている。
さらに小宇宙として個々の人間の内部でも魂が八つの部分からなり、その全体を統括する第八の指導的部分
にロゴスが宿る。
こうしてストアでは宇宙万物と人間がマクロコスモスとミクロコスモスとして大小の同心円として対応する。

①イラン・マニ教型(東方型)
人間の真の自己の隠喩としての光、対立原理の闇をはじめから設定し、互いに対立させ、二つの原理が混合しあう事件を考える。宇宙生成以前に起きたその事件により光の一部が闇の中に失われた。光の側は失われた部分を取り返そうとし、闇の側はそうはさせまいとする。
目に見える宇宙万物と人間の肉体は、戦略的に創造される。人間の救済は闇の中に捕縛された光の部分の濾過回収がどこまで成功するかにかかっている。

②シリア・エジプト型(西方型)
光そのものの中に一つの「破れ」が生じて、それが原因となってやがて闇の領域に造物神が生成する。造物主によって目に見える宇宙万物が創造され、その中に人間が「心魂」と肉体からなるものとして造られる。その心魂的および肉体的人間の中に光の部分が至上の原理として宿ることとなったのは、その破れを修復しようとする光の勢力が造物神の知らぬ間にそれを注入したことによる。個々人の救済は、このことを認識し、ふさわしく生き、肉体の死後、造物主の支配する領域を突破して、そのかなたの光の世界へ回帰することにある。
この方は後2世紀の半ばのアレクサンドリアに成立したヴァレンティノス派を筆頭に、パレスティナ・シリアにも展開したさまざまなグノーシス主義グループの神話によって代表される。ナグ・ハマディ文書の大半がこの型。

・キリスト教との接触が明確なグノーシス主義をキリスト教的グノーシス主義と呼ぶ。その最も早い時期の小アジア出身のケリントス曰く、天的なキリストが人間イエスと洗礼時に合体し、イエスの十字架上の刑死の前に離脱したという説(仮現論)
を唱えたという。

・二世紀の中葉以降になると本格的な体系を備えたグノーシス主義が登場。その一つがバルべーロー・グノーシス主義でバルべーロー(Barbelo)(原意不明)を救済神話の最上位に近い位置に置く教派で『ヨハネのアポクリュフォン』が代表的。

・自分たちをアダムの第三子セツ(邦訳「セト」)の子孫と考えるセツ派がある。

・創世記三章の堕罪物語の蛇(ギリシア語でオフィス)に救済論上重要な役割を与えるオフィス派がある。が同じ特徴を持つナハシュ派(ナハシュはヘブル語で蛇)、ペラータイ派(宿命の鎖を「超克する者たち」の意)、セツ派があるとヒッポリュトスが指摘。

二世紀中葉は自覚的にキリスト教にかかわりつつ自己形成をとげたキリスト教グノーシス主義者が登場し、最初の人がバシリデース。
バシリデースの神話は
①エイレナイオス曰く、
後述のヴァレンティノス派と同じく神論、宇宙生成論、人間生成論を上方から下方へ垂直的に展開するタイプのものである。

②ヒッポリュトス曰く
「存在しない神」がはるか下方に置いた「世界種子」すなわちやがて生成するべき万物を潜在的に内包した種子から、宇宙万物の創生、人間の種族の分解を極めて体系的に物語る。

バシリデースに少し遅れて登場したヴァレンティノスはキリスト教史上最大のグノーシス主義者、したがって正統主義教会にとって最大の異端者と呼ばれた。
神々で充満する領域(ギリシア語でプレーローマ)、その下の中間界、さらに下の最下位の物質と暗黒の闇の世界のすべてを上位のものが下位のものを流出するという流出原理にもとづいて導出する主義一貫した体系。

三世紀にグノーシス主義の集大成として花開いたマニ教の背後には善悪の絶対的二元対立から始まるゾロアスター教の伝統が隠れている。西は北アフリカを中心に地中海世界を席巻し、東はシルクロードを通り中央アジアと中国内陸まで達した。ウィグル王国では763年国教になっている。


(ゾロアスター教はマニ教を完全否定する思想なので注意。

⓵「事実と意見を区別」
②「思う、感じる、感情表現の禁止」
を守れば論理的文章がすぐ書ける!

ねこた(ツイッター閉店中) ‏@lakudagoya 2015年5月3日
みんあさ、イルミちゃん調べたかったら、マニ教のグノーシスも調べてね。「マミさんは真のキリスト教に目覚めたようです」 で検索してみて。これ青木健の「マニ教」という本を買わなくてもいいくらい内容が充実してる。マニ教の恐ろしさは、既存の宗教に寄生して神話を換骨奪胎して乗っ取る作戦だから

ねこた(ツイッター閉店中) ‏@lakudagoya 2015年5月2日
「マミさんは真のキリスト教に目覚めたようです」が面白かった!マニ教の本買わなくても内容がわかるよ。http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-entry-4797.html ”

預言者マニ(マーニー)は自分で経典を書いた。
予言者が自ら教義書を書いたのは、マニが史上初であろうことは先述したが、マニが主として経典にアラム語を用いた
のには、当時の中東世界の共通語として広く意思疎通に用いられていたからであろう。
彼は速やかに経典を各地の言語に翻訳させたが、その際、彼は自身の教義の厳密な訳出よりは各地に伝わる在来の信仰や用語を利用して、入信者が理解しやすいように、自由に翻訳することを勧めた。場合によっては馴染みやすい信仰への翻案すら認め、このことは異民族や遠隔地の布教に有効であった。
マニ教は他の宗教と論戦しながら改宗を勧めていったのだが、相手の宗教を否定せずにむしろ積極的にその宗教独自の概念や神話を取り込んで、違ったものに作り変えてしまうことにひいでていたので大変議論がしにくかった。特有の概念や神の名を異なる脈絡で言及するので強い違和感を与えるものの反論しにくかったはず。
(改良版を売る戦術ですね。マニ教は実は君らの宗教の改良版に過ぎない戦法)

〔中略〕
(素晴らしい論文。
ギリシャ哲学もバラモンの子孫。
上手くコピペできないのでURLから直接読むことを勧めます
http://www.classics.jp/RCS/NL09/NL09Goto.pdf
)
サッティヤsatyá-(古インドアーリヤ語「実在」)と’ ́ウースィアουσια(古ギリシャ語「実体」)――インドの辿った道と辿らなかった道と――
http://www.classics.jp/RCS/NL09/NL09Goto.pdf
”古インドアーリヤ語(所謂サンスクリット)の名詞(形容詞)satyá-(2)サッティヤと,これと殆ど同じ語形に遡る古ギリシャ語の名詞(実体詞)ousíaウースィアとを主題として取り上げる。両語彙の用いられ方,込められた意味の中身を検討することによって,インドの辿った精神世界と,やがて現代の「世界史」という概念の成立を可能にし,フォーマットすることへと連なる世界理解の源とを分けたものは何であったか,という問いに一つの視点が加えられるのではないか,という仮説に基づく。
satyá-の語は,不幸にも,最近ある宗教教団を巡る事件で知られるようになった。もともと「実在する,ある」を意味する形容詞で,中性単数satyámは「真に存在すること・もの;真実」という実体詞としても用いられる。パーリ語(仏典に用いられる中期インド語の一つ)では,-tya->-cca-という同化現象を経てsacca-となり,仏典では,就中,仏陀の語った真理を指す:catta ̄ ri ariyasacca ̄ni「四聖諦;高貴な(人士にとっての)4つの真理,真実,現実」。ギリシャ語のousíaは中世ラテン語でsubstantiaと訳され,現代語訳ではsubstance, Substanzなどが用いられる。邦訳では一般に「実体」が当てられる。

ソクラテス以前の哲学者たち(Vorsokra-tiker)とインドの学匠たちインドの地に現れたインドアーリヤ人と,ギリシャ各地に登場した人々が共通の言語文化を背景にもっていたことは明らかである。しかしその後は互いに交渉を持たなかったそれぞれの文化の地で,サッティヤとウースィアの両語が辿った道を検証したい。
インド側の資料には祭官階級の専門文献という大きな制約があり,古代の文献に基いて文化の諸現象を比較することには限界が付き纏う。そのような制約はあるものの,
古ウパニシャッド(B. C. 6c.頃を中心か)前後頃までの文献には,
ギリシャの「ソークラテース以前の哲学者たち(Vorsokratiker)」の言辞に比較されるべき要素が散見され,ある程度の並行的発展が想像される。
それらを一通り検証することは興味深い課題であり,学的に必要な手続きであると思われる。
その為には,インド側の文献についても,ギリシャの有名な資料集(25)と,それに基く信頼できる諸研究,翻訳集のようなものが求められる。
『ソクラテス以前哲学者断片集』,内山勝利編集,同氏他訳(岩波書店1996-1998)は一インド学者から見て羨ましい成果である。古代インドの文献については,先ず,現在のインド学が達成した水準に立った,目的に適った現代語訳を揃える,または,再整備する必要が感じられる。今,時間をかけて検討する余裕が無いので,同書から偶々目に付いた例を引き,参考となるインド側の資料を(できるだけ短いものを選んで)拙訳によって挙げてみたい:

1)オルペウスOrpheus(DK1A12,Aristo-phane ̄sから)初め,
カオスとニュクス(夜),
漆黒のエレボス(幽暗)と広大無辺のタルタロス(奈落)があった。しかし,ゲー(大地)もアエール(大気)もウゥラノス(天空)も存在してはいなかった。そして,まず最初にエレボスの,限りを知らぬ懐の中で,黒い翼を持つニュクスが,風を受けた無精の卵を生み,そこから,四季が経巡る中,金色の双翼のついた光り輝く背を持つ,疾風の渦に似た待望のエロス(愛)がうまれた。...(三浦要訳,p.11);cf. Hesiodos神統記116ff.など::

リグヴェーダX129:非存在は無かった,存在も無かった,その時には。空間(領域)は無かった。その上の天の蓋いも無かった。何が動き回っていたのか?どこを?誰の庇護の下に?水気は何であったのか,底なしの深みは?... 暗闇が暗闇に包み隠されて,初めにあった。徴標の無い(原初の)海がこの一切を支配していた。空虚によって閉じ込められていた,発現しつつあったもの,それが熱力の偉大さにより唯一物として生まれてきた。欲求がその上に転現した,思考の第一の精子であったところの。存在の繋累を非存在の中に見つけ出した,心(臓)の中に思考をめぐらして捜し求めた後で見者たちは(26)。...

2)アナクシマンドロスAnaximandros(DK 12B1):存在する諸事物の元のもの(アルケー)は,無限なるもの(ト・アペイロン)である。...存在する諸事物にとってそれから生成がなされる源,その当のものへと,消滅もまた必然に従ってなされる。なぜなら,それらの諸事物は,交互に時の定めに従って,不正に対する罰を受け,償いをするからである。(内山勝利訳,p.181):: 古代インドに多く見られる「生成還減」の概念,
例えばチャーンドーギャ・ウパニシャッドVI 9f. :恰も,我が子よ,蜜蜂たちが蜜の世話をする,
様々な木々の蜜たちを集め寄せては,蜜を一つの状態に到らせるように,その際,彼ら(蜜たち)は「私は某々の木の蜜である。私は...」と区別を持たないように,まさしくそのように,これら一切の生物たちは,周知のように,『有』の中に到って,「我々は有の中に到る」と知らない。...これらの川たちは,東では東へ向いて流れる,西では西へ向いて流れる。それらは海から,ほかならぬ海へと入り込む。それらは海そのものとなる。恰も,その際,それらが「私はこの[川]だ。私はこの川だ」と知らないように,まさしくそのように,これら一切の生物たちは,周知のように,『有』から来て,「我々は有から来る」と知らない。...

タイッティリーヤ・ウパニシャッド III1:それからこれらの生じたものたちが生まれ,生まれるとそれによって生き,(この世を)去る時にはそれへと入り込んで合一するもの,それを認識したいと思え。それがブラフマンである。

3)同(DK 12 A 15):...またそれは不生不滅であって,何か元のもの(始源)であることを思わせる。生成したものであればその生成過程が終結に至るのは必然であり,すべての消滅にもその過程の完結があるからである。
...(同,p.170):: ムンダカ・ウパニシャッドI1,7:恰も蜘蛛が[糸を]放ち,そして掴まえるように,...そのように不滅のものから生じ成る,この世において全ては。

4)アナクシメネスAnaximene ̄s(DK 13 B 2):...アナクシメネスは,存在するものの元のもの(始源)は空気である,と主張した。すなわち,万物はこの空気から生じ,またそれへと解消されていく,というのである。「われわれの魂は空気であり,それがわれわれを統括しているように,宇宙世界(コスモス)全体を気息(プネウマ)と空気が包括している」と彼は言う...(内山勝利訳,p.195)

:: カウシータキ・ウパニシャッド II12f. :
そのようなこの諸神格(火,太陽,月,電光)は,ほかならぬ風の中に入り込み,風の中で死んでも,固まりはしない。
ほかならぬそれ(風)から,また,再び立ち出でる。... そのようなこの諸神格(言語作用,視覚,聴覚,思考)は,ほかならぬ気息の中に入り込み,気息の中で死んでも,固まりはしない。ほかならぬそれ(気息)から,また,再び立ち出でる。

5)パルメニデスParmenide ̄s(DK 28 B 8):...すなわち,それはあるものから生じたのでもない。別のあるものが先在することはなかったからである。またあらぬものから生じたのでもない。あらぬものはあらぬからである。...(藤沢令夫,内山勝利訳,p.84)::

チャーンドーギャ・ウパニシャッドVI 2
ほかならぬ『有』が,我が子よ,太初にあった(支配していた),唯一,無二のものとして。それについて,ある人たちは言っている:「ほかならぬ無(非有)が太初にあった,唯一,無二のものとして。その無から有が生じた」と。

しかし,我が子よ,いったいどうして,そうでありえよう,―と[ウッダーラカ・アールニは]言った―,どのようにして無から有が生じえよう,と。そうではなく,ほかならぬ有が,我が子よ,太初にあった,唯一,無二のものとして。それは考えた:「多くなりたい。子孫を作りたい」と。...

6)エンペドクレスEmpedokle ̄s(DK 31 B 8):...およそ死すべきものどもの何ものにも本来の意味での生誕はなく,また呪うべき死の終末もない。あるのはただ混合と 混合されたものの分離のみ。「生誕」とは,ただ人間たちがこれらにつけた名目に過ぎぬ。...(藤沢令夫,内山勝利訳,p.235)メリッソスMelissosについての断片(DK 30A5)から:...エンペドクレスは,これら全てについて合意して,「げに全くあらぬものから生じて来るとは不可能なこと,またあるものが全く滅んでなくな
るとは 起こりようもなく聞いたこともない。ひとがどこにそれをたえず押しやろうとも,まさにそのところにいつもあるだろうから」と語っているが,それにもかかわらず,彼はあるものどものうち永遠なるものがあり,つまり火と水と土と空気がそれであるが,他のものはそれから生成するのであり,また生成したのであると言っている。実際,あるものどもにとっては,エンペドクレスの考えているように,別様のいかなる生成もなく,「あるのはただ混合と 混合されたものの分離のみ。「生誕」とは,ただ人間たちがこれらにつけた名目に過ぎぬ」。しかし彼は,永遠なるものどもとあるものどもにとって生成とは,実在(ウゥシアー)に向かって生起する者ではないと語っている。というのも彼はこれが不可能なことだと考えていたからだ。...(三浦要訳,p.131f.):: チャーンドーギャ・ウパニシャッド VI1(ウッダーラカ・アールニの言):たとえば,我が子よ,一つの土団子によって,全ての土製のものが認識されたことになろう。変様(変容物)はことばによる捕捉(把握)であり,名付けである。『土』だけが真実在(satya-)だ。

:: 仏典に引かれるパクダ・カッチャーヤナPakudha Kacca ̄yana(27)の教説:...
[それら]7つ[の集積]とは(具体的に)何か?
地の集積,水の集積,火(光熱力)の集積,風の集積,楽,苦,第7の生命である。
これら7つの集積は作られたものではなく,作るよう指示されたものではなく(作られた様態を持たず),
計り作られたものではなく,計り作らず,産み出さず,孤立して聳え,
都城の門柱のように確固たるものとして存する。...そこには,殺す者,あるいは殺させる者,聞く者,あるいは聞かせる者,識別する者,あるいは識別させる者は存在しない。もしひとが,鋭い刀で頭部を切断しても,誰も,誰かを,生命から引き降ろすことはない。ほかならぬ7つの集積の間において,刀による裂け目が,引き続いて起こる[だけ]だ。


ものがどのように見えるか,どういう姿をしているか,というアスペクトから事物を把握するという点では,インドの哲学用語であるna ̄ma-ru ̄ pá-「名と姿」を ́想起させる。この語は「何と呼ばれるか」(na ̄ma-m.「名」)と,「どのような見かけをしているか」(ru ̄ pá-n.「姿,形,見かけ」,漢訳仏典で『色』)とを組み合わせて,単数(中性)で表現するもので,ことばの表現レヴェルでは,ウースィア,イデア,(両者の統合としての)エイドスに連なるものがある。しかし,実際の用法の上では具体的な「個物」を表す方向で用いられた。後に触れるように(→10.-12.),サンスカー・・ラsamska ̄ra-(パーリ語samkha ̄ra-,漢訳『行』)にも構成要素から個物を作り上げる「設計図」に当たる意味を想定することができるが,主としてそれが実在しないという方向へと議論が発展した。(29)9.死後も存続する主体とsatyá-インドは,ギリシャ側に見られるような抽象概念に価値を置く道を辿らなかった。インドに於いては,「真に実在する」中身は抽象的概念の中にではなく,具体的に実在するものの中に求められ続けた。アテーナイの黄金時代とほぼ同時期にブッダ(Gotama Buddha)が現れる。彼の時代には既に,「輪廻と業」という原
理が言わば思想界全体の競技ルールのように確立しており,輪廻と業をどう捉え,どうしたらそれから脱却できるかという問いに解答を与えることが,当時の思想家・宗教家に課せられた共通の課題であった。
以後のインド思想史も,この前提の下に進められて行く。ここで,この大原則が確立されるに至る道を確認しておく必要がある。「輪廻」や「業」ということばは,日常語の次元では漠然と「死後も不滅の霊魂が転生を繰り返すこと」,あるいは,「前世(現世)の報いを現世(来世)で受けること」と理解されている。そのような観念は多くの地域や時代に見られるところであり,インド思想史に於いて確立した「輪廻」と「業」も,古代ギリシャの霊魂観や,インドの土着思想に結び付けて,言わば状況証拠から説明されることがある。しかし,ヴェーダ文献を丹念に検証し,インド思想史,特に仏教興起時代に至る思想状況をつぶさに見ると,漠然とした未分化の観念が問題になっているのではないことは明らかである。ブラーフマナ文献(B.C. 800-B.C. 600頃を中心か)を通じて,死後の天界に於ける存在主体と,天界に於ける生活に必要な,祭式によって作られる身体とその構成要素,(30)生存の糧などが議論されてきた。それらの議論の背景にあって,リグヴェーダ以来のLeitmotivであったのが,イシュタープールタ..ista ̄pu ̄rtá-「祭式と布施の効力」という概念であっ..た。(31)istá-はyaj「祭式を行う」(もとは「[神をことばで]称える」)の過去分詞(動形容詞),pu ̄rtá-は。 ̅..pari/prr「与える,贈る」(祭官にdáksina ̄-「報酬」,『布施』を)の過去分詞であり,両者の複合語は中性単数の集合名詞として「祭式の結果と布施の結果と;祭式
と布施の効力」を意味する。このista ̄pu ̄rtá-の概念を,祭式行為のメカニズムとその効果を巡る議論から引き離し,人間一般の行為論で置き換えたのが,ブリハッ5・ド・アーラニャカ・ウパニシャッドBrhada ̄ranyaka-・Upanisadに於けるヤージュニャヴァルキャYa ̄jñaval-kyaの教説であった。同ウパニシャッド第IV巻に見られる,現世 → 天界 → 次世 に亙る「輪廻」(32).の構造と,その中身を決定する,善悪の行為kárman-(「業」)の理論の組み合わされたものがそれである。(33)この,ブラーフマナ文献に於ける「祭式と布施の効力」を巡る思弁から,ウパニシャッドの「輪廻」と「業」の理論へと展開する一連の思想的営為(「世界理解の学」)の中でサッティヤsatyá-「実在する(形容詞);真実・実在(中性単数)」の語彙が用いられる場合には,「現実に合っている(±こと)」(34)から展開した(1)「実現する,実現力を持つ」と言う意味と,(2)「死後も在り続ける,永遠に存続する」という意味とが特に顕著であった。例えば,(1): ́・シャタパタ・ブラーフマナ(Satapatha-Bra ̄hmana)・X 6,3,1satyám bráhméty úpa ̄sı ̄ta「ブラフマン(ことばのもつ実現力)は実在する(=実現する)ものであると崇拝すべきである」(35);同処2(~チャーンードーギャ・ウパニシャッドIII 14,2)・satyá-samkalpa-「実現する構想力を持つ」(アートマンの形容語)。ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド MVI,1,18(=K VI 2,15;二道説の冒頭)té yá evám
. ́. ́ ́・etád vidúh│yé ca ̄mı ̄ áranye sraddha ̄m satyám ́upa ̄ sate tè ’rcír abhisámbhavanti「このことをこのように知っている者たち,そして,原野において信仰を[真に]実在する(=実現する)ものであると崇拝している,かの[者たち],彼らは光焔へと生じる(再生する)」。

タイッティリーヤ・ウパニシャッド II1satyam
・・jña ̄ nam anantam brahma|yo veda nihitam gu-・ ́ha ̄ya ̄ m parame vyoman|so ’snute sarva ̄n ka ̄ma ̄nt. ́saha brahmana ̄ vipascita ̄「[永遠に・死後も]存続する認識作用,[即ち]無限のブラフマン(38)が[心臓中の]隠れ場に,[即ち]最も上にある天の蓋の中に蔵されていると知るならば,その人は全ての諸欲望を達成する,昂揚する意識をもった祭官学者と共に」。認識主体・識別作用の「実在」性は,それが死後にも存続するという観点から論じられている。つまり,輪廻の主体が問題となっており,この例では,既に,アートマン(個人の主体)がブラフマン(宇宙の根本原理)と同一であることが確立している。仏典に散見 ́する,識別作用vijña ̄ na-『識』が輪廻する,という理論との関連が注目される。

サンスカーラsamska ̄rá-『行』と「サンスクリット」・諸行の「行」の原語はsamska ̄ra-である。この語は多
様な用法の中で用いられ,統一した訳語を用意することは難しいが,中心となる意味要素だけに焦点を当てれば,「構成要素をしかるべき位置に配備して(:sam),[何かある個物,個体へと]作り上げること」と捉えられる。この中心的語義が「設計すること,構想すること」,その具体的内容としての「設計図」,「構成」;「構想」;(頭の中に保存される像としての)「潜在印象」,乃至,具体的な現れとしての「構想・構成されたもの・個物」,「作り上げられたもの・個物」等の意味として実現すると考えることができる
(→ 注49)。・。・基にある動詞はsam-skr, sam-skarotiである。(42)これに対して,生ずるものの側から表現する場合にはsambha ̄va-という単語が用いられる:しかるべき位置に構成要素が配置されて,もの・個物が「生じ成ること」。(43)基礎にある動詞語根bhu ̄ , bhava-tiは,無論,ギリシャ語のphúsis「自然」の基にあるものと同一起源である。(44)9.の始めの方に引用したブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドVI,1,18abhi-sám-bhavanti「へと生じる(再生する)」の例をも参・。照されたい。(45)動詞sam-skrはヴェーダ文献では来世の自己のアートマンを構成する文脈で用いられることが多い(→ 注30に挙げた伏見論文参照)。名詞・samska ̄ra-自体はヴェーダ語文献には現れず,シュラ・ウタスートラ以降在証される。samska ̄ra-の語は,婆羅門・ヒンドゥー教の社会・家庭に於ける通過儀礼(Initiation)の総称としても用いられ,仏教の『諸行無常』の「行」として(→ 10.),更に『五蘊』(cf.12.)と『十二支縁起』中にも現れるが,これら特殊な用法の背景にも,「(祭式によって)次の自己を構成する」・。と言う意味でのsam-skrの余韻が看取できる。

ミリンダ王(Menandros)と長老ナーガセーナとの問答仏典に,ギリシャ系の王と仏教教団の長老との対話という舞台設定で語られた『ミリンダ王の問い』がある。
ミリンダ王はグレコバクトリア王国のメナンドゥロス王Menandros(B. C. 2c.)のことで,アリストテレスがその家庭教師をしていたアレクサンダーAlex-ander大王の遠征からおよそ150年後の人である。彼と仏教教団の長老ナーガセーナとの対話に仮託して仏
教の根本的教理を解り易く説いたものである。(50)以下は,人(または世界)を,それを構成する要素群(skandha-「大枝,枝張り」:ru ̄ pa-『色』,upa ̄da ̄ na-『受』,・・・sañña ̄-,samjña ̄-『想』,samkha ̄ra-,samska ̄ra-『行』,viñña ̄ na-,vijña ̄ na-『識』)に分けて,その何れもが自己(アートマン)ではない(anatta ̄:ana ̄ tman-)として否定する仏教の根本的論法「五蘊無我説」を明らかにする為に,長老が王に切り替えす部分である:

「もし君が,大王よ,[戦]車で来たのなら,車(とながえいうもの)を説明せよ。いったい3が,大王よ,車なのか」と[長老が言った]。「いいえ,あなた
様」と[王が言った]。「車軸が車か」と。「いいえ,あなた様。」と 。「車輪たちが...」 ... 「車室くびきが...」 ... 「車 枠(?)が...」 ... 「軛 が...」... 「手綱たちが...」 ... 「駆立て用の棒が...」... 「いいえ,あなた様。」「いったい,大王よ,3-車軸-車輪-車室-車枠-軛-手綱-駆立て棒(の集合:中性単数)が車なのか」と。「いいえ,あなた様」と。「それでは,大王よ,3-車軸-車輪-車室-車枠-軛-手綱-駆立て棒以外に車があるのか」と。「いいえ,あなた様」と。「君に私は,大王よ,尋ねても尋ねても,車が見えない。それでは車は,大王よ,言葉に過ぎないのか。それでは何が,この際,車なのか。誤った嘘言を君は,大王よ,語っている。車は存在しない。君は,大王よ,全ジャンブー大陸において筆頭の王である。それなのに,何を恐れて君は嘘を語るのか。...」 ... 「私は,あなた様,ナーガセーナよ,.嘘を述べていない。3に依拠して(paticca<pratı ̄tya,),車軸に依拠して,車輪たちに...,車室に...,かつ車枠に依拠して,(51)車という名称,共通の理解,諒解の手立て,言い習わし,名が成立する」と(王は言った)。ここで注目されるのは「3-車軸-車輪-車室-車枠-軛-手綱-駆立て棒(集合名詞として中性の単数で表現されている)が車(乗用の軽戦車)なのか」と問われて,王が否定するところである。部品を全て集めても車ではない,ということは,部品がしかるべき位置に構成されていない,ということが含意されているものと理解される。すなわち,「設計図」にあたるものが欠けている訳である。事物の存在は縁起pratı ̄tyasamutpa ̄ da-「[...]に拠っての生起」に拠るものであり,実体としては存在しない,として仏典は「設計図,観念像」自体の実在性を,際どいところで否定した。これを輪廻中の存在に当てはめると,存在者(sattva-)(52)はその都度構成要素に依拠して(pratı ̄tyasamutpa ̄ da-)構成される相対的存在で,実体としては存在しない。それらの構成要素は輪廻の度に,
「犬」なら「犬」の,「人」なら「人」の,そして人の中でも特定の名をもった各個人の「設計図」に従って・構成されるが(samska ̄ra-,~ エイドス),その設計図は一回限りのものでその都度異なり,実体としては,実在するもの(satya-)でも恒存のもの(nitya-)でもない,とするのが仏教の根本的世界理解の立場と考えられる。経典の基に,どこまで実際にギリシャ系の王の存在が想定できるかについては疑問が残るが,この「設計図」をアリストテレスの四原因中のエイドス(形相)と重ね合わせて考えると興味深い。ギリシャ系の王は当然かなりの教育を受けていたであろうし,西北インドの地は当時インド全体の学問・技芸の中心とみなされ,上流の子弟が留学する地であったと伝えられている。特に西方からの新知見と,それらの融合が見られる土地であった。
(53)

〔中略〕
サバタイ・ツヴィ

父親は息子をラビにするべく、ユダヤ学院で学ばせる。
がツヴィは正統的なユダヤ神学には関心が持てず、ルリア派のカバラに興味を示す。
ルリアはグノーシス主義に極めて近い思想…
17世紀頃からユダヤ教カバラの主流派となった


…ユダヤの救世主であると正式に宣言。

— 子×5(ねここねこという読み方が代表的です、よろしくおねがいします。未整理図書館「読めニク」長です) (@kitsuchitsuchi) December 18, 2017



「ルリアはグノーシス主義に極めて近い思想」の個所が気になって調べたら
中核思想でマニ教グノーシスの影響を受けていると判明したので、
「極めて」かはわからないが、
グノーシス主義要素が中核思想に含まれるのは確か。

16Cのイサク・ルリア:
コダヤ・カバラ中興の祖。
尊称が獅子(アリ)で弟子は仔獅子。
ルリア派は17Cからカバラの主流派。
幻視を頻繁に体験。
霊魂が達した精神または道徳的レベルに相応しい形で転生する輪廻思想。
霊性進化論の元ネタの一つ!
流出の概念にグノーシスに極めて近い思想を取り込む。
原始にはイデアが存在し、これが流出の過程を支配する。
流出する神の光を受け止めきれずに壊れた第4セフィラ以下の7つのセフィラの破片は神の光の残滓とそれを包む殻からなり、殻を取り光を集めて神の光を再現する修復でメシア的終末=救済に近づく。
光の要素を回収せよなのでマニ教グノーシスが元。


正統派ラビにカバラ否定者がいる原因↓

17Cの偽救世主サバタイ・ツヴィ:
コダヤ・カバラ衰退の原因。
正統コダヤ神学に関心なし。ルリア派に興味。
イスラームに改宗か死か?と言われ改宗。
サバタイ主義はキリスト教に類似
(ゾハルの父母子の三原理を三位一体に酷似した思想に置換)し、
サバタイ運動のグノーシスもどきの思想が混入したカバラなので
多くのラビに異端とされた。

ルリア派コダヤ・カバラ(霊性進化論の原型)が神智学に影響。
正統多数派コダヤは叩くが
異端少数派コダヤは肯定する偽グノw
大帝お勧めのオカルト百科のツヴィとルリアの消失済み記事が出典なので全文引用:


”にせ救世主サバタイ・ツヴィ

サバタイ・ツヴィ・ベン・モルデカイは、1626年トルコのスミルナのゲットーに生まれた。
 当時スミルナは、スペインを追放されたユダヤ人達が、各地を転々としながら移住を続けたどり着いた場所で、相当数の人口を抱えていたようである。
 サバタイ・ツヴィの父親は、貿易業で財を築いた富裕層の人であり、息子をラビにするべく、ユダヤ学院で学ばせる。
 しかし、彼は正統的なユダヤ神学には関心が持てず、ルーリア派のカバラ思想に興味を示す。そこで、彼は厳しい禁欲と苦行、瞑想を通じて天使や神との接触を望んだ。真冬の海で沐浴をしたり、長期間に渡る断食なども敢行した。
 彼が、自分を救世主だと信じ込むようになったのは、おそらく1648年のことらしい。
 もともと、ユダヤ教にはメシア待望論があることは言うまでもないことだろう。一部のカバリスト達が「ゾハール」を解釈し、1648年に救世主が現れると予言していた。さらに、ウクライナで大規模なユダヤ人の大虐殺が起こり、終末論的な雰囲気がユダヤ社会を覆っていた。
 そんな中、サバタイ・ツヴィは、聖四文字の名を叫びながら、我こそはメシアなり、といった内容の説教を始めた。
 一部に同調者が出たものの、殆どの人々は彼を狂人とみなした。評価は殆ど得られず、彼は生まれ故郷のスミルナから追放されてしまう。

 彼は、その後、各地のゲットーを旅して回る。
 正式なラビの資格を持たないのに、宗教儀式を行うなどして、ほうぼうでトラブルを引き起こした。
 しかしながら、その学識は本物で、多くの友人を作り、尊敬も集めていたのも事実である。

 彼は1660年にカイロに辿り付く。
 そこで彼はユダヤ人有力者でカバラ主義者のラフィエル・ヨゼフ・ハラビの支持を得る。
 続いて彼は、聖都エルサレムへと向かう。しばらく彼は、目立った行動は行わず、祈りと修行に明け暮れる生活を送る。
 しかし、ここで大きな転機が訪れる。
 トルコ政府がエルサレムのユダヤ人達に無理難題を吹っかけて来たのだ。多額の税金の支払いを命じ、「支払いができないのなら、街から追放する」という命令である。この時、ツヴィは、この危機を救う。密使としてカイロに戻り、大富豪のハラビに助けを求めたのだ。ユダヤ人の富豪は、同胞の救出のためなら、喜んで財を投げ出す。ハラビは、エルサレムのユダヤ人達に代って、税金を立て替えてくれた。
 これにより、ツヴィは、大きな支持を集めた。
 
 妻のサラと出会ったのもこの頃だ。
 彼女は、ユダヤ人大虐殺の生存者で、強引に入れられたキリスト教の修道院から脱出して、ポーランドからカイロまで逃げてきたという凄い経歴の持ち主。さらに、彼女もまたカバラの信望者で、自分は将来、メシアの妻になると固く信じ込んでいた。
 ツヴィは、サラと結婚する。彼女も、一種のカリスマを持っており、支持者を集める大きな力となった。

 さらに、彼のパプテスマのヨハネの役をすることになるカバリストの学者ナタン・ガザッティとも出会う。
 ガザッテイもまた、近いうちメシアが現れると予言しており、ツヴィこそ、その人だと固く信じ込んだ。
 これで、役者は揃ったことになる。

 エルサレムのラビ達は、彼を危険視し始める。
 するとツヴィは、自分達の本拠地をガザへと移す。
 そして、彼は自分こそユダヤの救世主である、と正式に宣言した。
 それと平行して、ヨーロッパ各地のゲットーに、支持を呼びかける回覧文書を送った。
 信じがたいことだが、凄まじい数のユダヤ人達が、これに同調した。
 もちろん、ラビ達は、これをインチキであると糾弾し、ツヴィの信望者を破門にするような強硬手段も取ったが、さして効果は無かった。
 さらに、ラビ達の中からも、ツヴィに同調する者が、少なからず出始めた。その中には、ユダヤ教会の有力者も居た。

 ツヴィは、続いて本拠地を、ガザから生まれ故郷のスミルナに移した。
 住民達は、彼を大きな熱狂で迎え、彼はスミルナの実権を掌握する。
 彼の噂は遠くイギリスにまで伝わり、多くのユダヤ人達が、彼を本物の救世主と信じたという。

 1666年、ツヴィは、スミルナからコンスタンチノープルへと移動する。
 そこで彼は、彼を危険視するトルコ政府によって逮捕され、城に幽閉される。
 しかし、丁重な扱いを受け、贅沢な部屋を用意され、まるで王侯貴族のような生活を送った。

 しかし、その数ヵ月後、彼はトルコ皇帝(スルタン)のモハメッド4世に呼び出された。
 スルタンは、彼に「イスラムに改宗するか、死刑になるか?」の二者択一を強いる。
 ここで、彼はあっさりとイスラム教に改宗してしまうのである。

 彼のイスラム改宗のニュースは、あっという間に世界じゅうのユダヤ人達の間に広まり、このサバタイ・ツヴィ運動は、始まった時と同じように、あっという間に萎んでしまった。
 そして、彼に同調した高名なラビが10人ほど処刑される。
 ツヴィは、その後、ユダヤ教の祈りを行っているところを目撃され、トルコより追放された。
 そして、アルバニアの小さな町で1676年に死亡した。

 ここで驚くべきことだが、ツヴィがイスラム教に改宗した後も、彼を救世主とする運動は消滅はしなかったということだ。イスラム教徒の支持者すら居た。
 彼らは、ツヴィのこの改宗は、一種の「秘儀」であり、イニシエーションのようなものと考えた。
 こうしたサバタイ主義は、実に18世紀まで生き延びたのである。

 しばしば、ユダヤ教カバラ衰退の責任の一端は、このサバタイ・ツヴィにあるとされる。
 と言うのも、サバタイ主義の思想は、キリスト教に類似した所があり、多くのラビ達によって、異端とみなされた。
彼はゾハールにある「父、母、子」の三原理を、キリスト教の三位一体に酷似した思想に置き換えた考え方を持っていたのである。
 事実、サバタイ主義者には、キリスト教に魅力を感じ、改宗する者も多かったという。
 さらに、サバタイ主義者にはカバリストが多かった。
 正統派のラビ達は、サバタイ運動を批判するのに熱心な余り、カバラまでもを異端視しはじめるのである。

 もちろん、全てのユダヤ人カバリストが、サバタイ運動に参加したわけではない。
 ツヴィを激しく批判したカバリストも少なくなかったし、中にはポーランドの高名なカバリスト、ネヘミヤ・コーエンのように、ツヴィを批判したばっかりに、彼の信者に命を狙われた者すら居たのである。

 それはともかく、ユダヤ社会では、このサバタイ・ツヴィの名は、「にせ救世主」として忌まわしいものになってしまった。

 このサバタイ・ツヴィの再評価が始まったのは、20世紀に入ってからである。
 そう、あのG・ショーレムによって成された。
 ショーレムは、決してサバタイ運動のグノーシスもどきの思想が混入したカバラを、全面評価しているわけではない。
 彼は、こんな感じのことを言う。
 「凄まじい迫害、虐殺、追放を受けた来たユダヤ人の中に、激しい緊張感が生じ、それがメシア待望論を生み出すのは当然の結果ではないか? ある日、それが突然爆発する。サバタイ運動とは、そういうものではないのか?」
 熱烈なシオニストたる彼は、自分の内にツヴィのそれと似たものを見たのであろう。



「カバラ」 箱崎総一 青土社
「ユダヤ教神秘主義」 G・ショーレム 法政大学出版局



イサク・ルリア

カバラの歴史の中でも非常に重要な地位を占めるイサク・ルリアは、1534年エルサレムでアシュケナジー・ユダヤ人の家で生まれた。
 彼の父親は、もともとポーランド在住のドイツ系のアシュケナジー・ユダヤ人で、エルサレムに移住し、地元のスファルディ・ユダヤ人の女性と結婚した。この二人の間に生まれたのが、イサク・ルリアである。
 彼の父親は幼少時に死亡した。おそらく1541年頃、カイロに住んでいた豪農の叔父モルデカイ・フランセスに引き取られた。既に彼は8歳の頃から「タルムード」を学び、神童と呼ばれた。彼の天才ぶりを認めた叔父によって、高い教育を受けた。彼はカイロのタルムード大学に入学し、ユダヤ教神学を学んだ。
 15歳の時に従姉妹と結婚したが、学生としてそのまま勉学は続け、22歳の時に「ゾハール」を読んだことがきっかけで、カバラに魅せられる。そして、彼はカバラの研究に一生を捧げる決意をする。
 彼はタルムードの研究をしながら商売も熱心に行っていた。学問と仕事の両立である。こうした彼の商売と学問との兼業は、隠遁期間を除いて、一生続けた。それは、彼の弟子や学問サークルのメンバー達も同様であった。
 彼は1550年代に、ナイル川の島の一軒家に住み、そこで7年間にもおよぶ隠遁生活に入る。そこでカバラの研究と瞑想に明け暮れた。彼が家族に会うのは、安息日か祭りの日だけだったという。
 この間、ほとんど言葉も話さず、たまに喋っても、それは全て古代ヘブライ語であったという。
 1558年、彼は「ゾハール」の研究と、同時代のカバラの大家モーゼス・コルドベロの研究を始める。彼はコルドベロを「われらの師」と呼んで尊敬した。事実、彼の思想体系はコルドベロの思想を基盤の一つにしている。
 例えば、アツィルト、ブリアー、イエツィラー、アッシャーの4世界の概念は従来の「ゾハール」研究では、あまり重視されてはいなかった。しかし、それに注目したのがコルドベロであり、さらにこれを重要視して、カバラの重要な教義に据えたのが、ルリア達であるという。

 事実、ルリアはコルドベロと親交を持った。両者の関係は互いを尊敬し合いながらも馴れ合うこともなく、どことなく冷たい関係であったらしい。
  1569年に彼はパレスチナに移住する。途中エルサレムに短期間立ち寄った後、サフェドに定住し、1572年にそこで死去することになる。
 サフェドでは、彼はラビ・イサク・アシュケナジー・ルーリアと呼ばれ、弟子達と共に「聖人たち」と呼ばれ、町の住民たちから尊敬された。
 彼がサフェドに移住してから伝染病で急死するまでの期間は、わずか3年であるが、彼の重要なカバラ研究は、この期間に集中している。
 彼の弟子は30人ほどいたが、彼らは毎週金曜日に会合をもって、カバラの研究を行った。
 ルリアは、自分の思想を系統だてて文章にはしなかった。したがって、著書は一冊も無い。現存するのは、散発的な原稿が多い。
 彼の重要な書は、弟子達によって記述された言行録であり、「聖なる獅子の著作」や「ゾハール注釈」が有名で、いずれも弟子との対話形式で書かれている。
 他に彼の高弟のハイム・ビタルによって、思想がまとめられ、「八つの門」という本にもなっている。

 また、彼の死後、様々な伝説が生み出され、そうした伝説を集めた本「聖なる獅子への賞賛」、「奇跡」なども出版された。
 「獅子(アリ)」とは、ルリアの尊称である。しばしば彼は、この名で呼ばれる。
 また、彼の弟子たち、サークルの会員たちを「仔獅子」と呼ばれることもある。

 ルリアのサークルは極めて秘密主義の強いもので、彼の死後もこの秘密主義はしばらく続いた。
 彼の高弟でサークルの後継者のハイム・ビタルも、この秘密主義にこだわっており、彼らの研究成果が、本となって公開されるのは、このビタルの死後である。実にルリアの死後50年以上を過ぎてからのことである。
 こうしたルリア学派の書物は1629年頃から出版され、ビタル編集によるルリア思想の本がオランダで1648年に出された。

 ルリア学派の学者として重要な人物がヨゼフ・イブン・タブールであり、サークルの会員でもあった。
 彼はビタルの秘密主義には批判的で、何人かの弟子達に秘伝を教授した。そのため、ビタルと対立した。
 彼は多くのルリア思想に関する原稿を残し、これが後の研究者たちにとって貴重な資料となった。
 また、もう一人重要な人物が、イスラエル・サルグである。彼はルリアのサークルの会員ではなかったが、ルリアの思想に心酔し、ヨーロッパ中を旅してはルリアの思想を広めた。
 ルリアの思想は、あっというまにヨーロッパ中のカバリストの間に広がり、非常に大きな影響を与えた。

 ルリアの考える瞑想は極めて禁欲的であった。
 彼によると、カバリストは、精神を集中し、強い意志をもって、ひたすら思索を行わなければならないとした。「ゾハール」に没頭し続け、カバラの教義を暗証し、祈りと瞑想に浸りきること。こうすることによって、人は神性に近づき、結果的に世界の救済にもつながると考えた。

 彼は、同時に輪廻転生を信じた。霊魂がどの程度の精神的あるいは道徳的レベルに達したかによって、それにふさわしい形で、転生すると考えた。
 彼は幻視を頻繁に体験し、預言者エリヤと交感し秘儀を伝授されたという。
 伝説によると、さらに一種の予知能力を身に付け、人と会う前にその人間の特徴が分かるようになり、その人の輪廻転生についても分かるようになったという。さらに、蝋燭の炎を見つめることにより、未来を幻視したり、死者の魂と交信したりすることも出来るようになったという。
 また、彼は神の名前によって、悪魔祓いを行った。
 さらに、人相術をみとめ、弟子を選ぶ際に、人相術を用いていたほどである。
 
 ルリアは「ゾハール」の思想を発展させた。流出の概念を研究するのに、グノーシス主義に極めて近い思想を取り込んだのも彼である。
 また彼は、瞑想をも重視し、彼と彼の弟子たちは、様々な幻視体験をする。ルリア自身も、自分を天界にまで飛ばし、古代の賢人たちとも会見をしたという。
 彼もまた、カバラの中興の祖の一人である。
 彼によって、これまで曖昧としていたカバラの理論は統合された思想体系となり、新しい専門用語が多く作られ、シンボリズムの体系も複雑化した。
 ルリアによると、原始にはイデアが存在し、これが流出の過程を支配する。宇宙の創造は二重に進行するもので、一つは「神性の産出」であり、もう一つは「神性の退廃」である。流出は、この2つの過程が基本的な要素となっている。
 これは世界の創造には退廃が内在することにもつながり、ゆえに世界の創造には、心理的なドラマが起こる。これが縮小したものが人間の心であり、祈りであり、祈りによってもたらされる効果であるという。
 ルリアの思想の中で特に重要なものがツィムツーム思想と呼ばれるものだ。これは「集中」とか「収縮」とも訳される。あるいは、「退却」、「撤退」とも訳される。
 宇宙の存在は、神に内における「収縮」によって成されるという思想だ。これは彼独自のアイン・ソフの概念を構築した。
 もう一つが「容器の破裂」説であり、この破裂によって作り出された欠損の回復、再構築説である。これはクリフォトの思想とも密接につながっている重要な思想である。
 これらは、後世のカバリスト達に非常に大きな影響を与えてゆくことになるのである。
 
 ルリア派のカバラは、少なくとも1625年頃から、ユダヤ教カバラの主流派となった。
 そして、ユダヤ教における、国籍を越えて伝播した最後の思想運動でもあったという。
 彼が後世のカバラに残した影響は計り知れない。



「ユダヤ教神秘主義」 G・ショーレム 法政大学出版局
「カバラ」 箱崎総一 青土社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社
「カバラーの世界」 パール・エプスタイン 青土社



神の収縮(ツィムツム) -シェリング『世界年代』とルリアのカバラー- 永 井 晋
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/14409.pdf
” シェリングが『自由論』以後、1810年の『シュトゥットガルト私講義』から1814,15年の『世界年代』にいたる時期にカバラー、とりわけイサク・ルリアの「ツィムツム(神の収縮)」の構想を彼の哲学の核心に据えたことはよく知られているが、その主題的な研究は極めて少ないようである。

神の内部での神の痕跡としての文字テクストの啓示と、
そのテクストの読解によって終末/救済に向かう過程を壮大な神話的イメージで表現したものがイサク・ルリアの「ツィムツム」(神の収縮)である5。

2.ルリアのツィムツム16世紀パレスチナで活動したイサク・ルリアの「ツィムツム」は、古代・中世のカバラーが過去の創造の解明にもっぱら向かい、また少数の者の間での秘儀伝授的な性格を持っていたのに対して、メシアニックな未来への志向を持ち、また民衆を巻き込む社会改革運動の次元にまで拡大されたものとして、近代カバラーの始まりと言われている。それは、天地創造に先立って起こった神の内部での出来事を、神の内なる三次元の時間位相によって構造化されたものとして描く(物語る)ものである。その三次元とは以下のようなものである。

(1)過去=創造:ツィムツム(神の収縮)
(2)現在=啓示:シェビラー・ハ・ケリーム(器の炸裂)
(3)未来=贖罪/救済:ティクーン(修復)

(1)ツィムツム 「創世記」の冒頭には、「始めに(ベレシート)神は天地(世界)を創造した」と記されているが、ツィムツムとは、この、神がその外部に向かって行った創造行為に先立って、
「先ず始めに自己の内部に収縮した(退却した・隠れた)」という出来事(「第一の創造」)である。この原出来事の以前には神しか存在しない汎神論的な状態であり(エン・ソフ=無限)、そこには世界創造の兆しもなかった。
そこで、「始め以前の始め」に神は自己の内部に収縮し、唯一の点(原初点)に凝縮した(この原初点はヘブライ語アルファベットの「ヨッド」にあたる)。それによって初めて神の中に「無の空間」が開け、そこにようやく神以外のもの(天地=世界)が創造される(「第二の創造」)余地が生じたのである。
極限まで凝縮した原初点は爆発=炸裂し、そこから神が光となって無の空間の中に流れ込んでくる。
この光はアダム・カドモン(原人間)を形成し、
10のセフィロート(生命の樹=神人同型的身体構造)として形態化する(これら10のセフィロートは神の10個の属性を表し、セフィラーの間を結ぶ22の「小径」はヘブライ語アレフベイトの22文字を表している)。
これが天地創造以前の、神の内部での「過去」に起こった原初の「創造」である。


(2)シェビラー・ハ・ケリーム
神の光はさらに流出し続け、すでに形成されたセフィロートが10個の「器」となってこれを「受け止めよう」とするが、神の光の強度ゆえに、上位三つのセフィロート(ケテル・ホクマー・ビナー)を残して、第4セフィラー以下の七つのセフィラーはこの光を受け止めきれずに炸裂し、その破片が無の空間の中に無方向に飛び散ってゆく。これが第二段階の「シェビラー・ハ・ケリーム」(「器の崩壊/炸裂」)である。この割れた器の破片が文字であり、これらの文字の組み合わせによって「トーラー」のテクストが形成されるが、このテクストが「現在」における神の「啓示」である。

(3)ティクーン
さらに、これらの砕けて飛び散った器の破片を集めて元の器に修復する作業が「ティクーン(贖罪/救済/修復) 」である。破片には、そこに流れ込んだ神の光の「残滓/痕跡」が付着しており、破片はそれを覆い隠している「殻」である。この殻を取り去って光の痕跡を集め、元の神の光を再現するのが修復であり、それによってメシア的終末=救済に近づくのである。
修復は、

①解釈学的次元と
②世俗的次元の両面で行われるが、
①では、殻は文字であり、そこに隠された神の光の残滓は文字の隠された意味であって、「トーラー」を解読して文字の中に秘められた新たな意味(ヒドゥシュ)を発見すること(ミドラシュ)がその具体的な作業となる。
また、②世俗的次元では、それが社会改革運動として実践される(例えば、サバタイ・ツヴィの偽メシア革命運動)。これが「未来」の「救済/贖罪」に向かう行為である。

3.カバラーの論理:炸裂的読解
神の内部でのこの三次元の出来事は、それによって啓示された神の痕跡である「トーラー」のテクストを解釈者が解釈することにおいて以下のように反復される6。
(1)すでに解釈されたテクストの意味から退却=収縮する(ツィムツム)。
これは、具体的には、「テクストの中に穿たれた穴=無意味」である「神名」と「余白」によって行われる。すでに解釈された意味に満ちた「トーラー」のテクストの只中で、「神名」と「余白」は意味を持たないものであり、この無意味の経験を通して既成の意味を相対化する。これは神の内部へのツィムツムで「無の空間」が開かれることに対応する。


(2) (1)で開かれた無意味の空間の中で、既成の、固定して自明のものとなった意味を、そこに秘められた無限の新たな意味可能性に向けて炸裂させる(シェビラー・ハ・ケリーム)。
ゲマトリア(文字を数値に換算し、それと同じ数値を持つ他の言葉に跳躍的に接続する)、
ノタリコン(文を分割し、組み合わせを変えて再結合する)、
ツェルフ(語の文字の順序を入れ替える)などの技法によって、或る語や文を、意味的に断続した他の語や文へと跳躍的に結びつけて、一時的に別の意味地平を形成し、その中で新たに意味させる。


(3)これによって新たな意味(ヒドゥシュ)が発見される(ティクーン)が、これは被造界に現れ、意味として理解されることで再び動きを止めて凝固し、新たな意味可能性を閉ざすため、すぐさま(1)、(2)を経てさらに新たな意味可能性へ向けて解体され、炸裂させられる。

①まず、ルリアでは、収縮は「怒り」ではなく「神の愛(慈悲=ラハマヌート)」である。神は、母胎が子を産むように、何ら根拠なき無償の愛の行為として身を退き、世界を生んだのである。収縮した神は父ではなく母である。②収縮の後で神から生じるのは、ルリアでは「神の受肉=一人息子の誕生」ではなく「光の流出」とそれに続く「器の炸裂」であり、その結果無方向に飛び散ってゆく無数の器の破片であり、文字である。受肉がただ一人の息子であるのに対して、炸裂した破片は逆に無数に、無方向に拡散してゆく。ユダヤ教では、文字テクストの解釈による新たな意味の発見と子の産出は、



(流出する神の光を受け止めきれずに壊れた第4セフィラー以下の7つのセフィラーの破片は
神の光の残滓とそれを包む殻からなり、殻を取り光を集めて神の光を再現する修復で
メシア的終末=救済に近づく。
光の要素を回収せよなのでマニ教グノーシスが元。

" (着色は引用者)

引用が中途半端だな。

神の収縮(ツィムツム)-シェリング『世界年代』とルリアのカバラー-
永 井 晋
第 2 部【「哲学と宗教―シェリングWeltalter を基盤として」シンポジウム】
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/14409.pdf
"①まず、ルリアでは、収縮は「怒り」ではなく「神の愛(慈悲=ラハマヌート)」である。神
は、母胎が子を産むように、何ら根拠なき無償の愛の行為として身を退き、世界を生んだので
ある。収縮した神は父ではなく母である。
②収縮の後で神から生じるのは、ルリアでは「神の受肉=一人息子の誕生」ではなく「光の流
出」とそれに続く「器の炸裂」であり、その結果無方向に飛び散ってゆく無数の器の破片であ
り、文字である。受肉がただ一人の息子であるのに対して、炸裂した破片は逆に無数に、無方
向に拡散してゆく。ユダヤ教では、文字テクストの解釈による新たな意味の発見と子の産出は、

いずれも「ヒドゥシュ」(新たなもの)の産出として対応関係にあることを考えるなら、これ
はまさしく一人息子の誕生の対局の出来事である。
③このような炸裂の未来には聖霊によるいかなる調停も父への回帰もない。修復され、発見さ
れた意味はすぐさま新たに収縮して未知の未来に向けて炸裂する。未来のメシアニックな終末
は約束されているが決して到来しないのである。
ルリアとシェリングの根本的で決定的な相違は、ルリアのツィムツムが、ユダヤ神秘主義と
して、あくまでも神の痕跡たる文字を媒介として神の内部で起こる出来事であり、決して受肉
を通して神の外部の世界に現れきることがない点である。確かに、神の収縮によって生じた文
字とその組み合わせであるテクスト(トーラー)は神が残し、そこに仮初めに凝縮した痕跡で
あり、それによって無限の神(エン・ソフ)は有限な、見える形態を取り、世界の境界線上に
姿を現わす。しかしその文字テクストが世界の中で見え、またその意味が世界地平の中で理解
されるや否や、その意味はすぐさま新たな意味に向けて解体され、炸裂してゆく。カバラーに
とって神(もしくはその一性)とはこの生命の絶えざる創造的跳躍そのものに他ならず、それ
を構造化する(絶えず動かす)のがツィムツムなのである。

これに対して三位一体を採るシェリング、少なくとも 1814,15 年の『世界年代』では、神
は「一人息子」キリストとして受肉し、神の外部=世界の只中に身体という物質性をまとって
現れる。これは、神の生命の跳躍を可能にするユダヤ的な文字の次元を飛び越えて直接世界に
現れきり、この創造的動きを停止させることである。シェリングの収縮が拡張/膨張との対立
において、無差別・無根拠のエン・ソフから直ちに対立概念からなる哲学の論理へと移行でき
たのはこのゆえであろう。そこでは、文字テクストという神と世界の中間次元をエレメントと
するカバラーの生命の論理は、概念の対立からなる疑似的な動きを対象とする哲学の論理に取
って代わられるのである9。
以上は、「ルリアのカバラーとシェリングの『世界年代』」という難問についての、主にルリ
アの視点からのごく簡単な試論であるが、当然ながら問題はこれほど単純なものではない。シ
ェリングが『世界年代』で試みたことはおそらく、本論で強調した、ユダヤのカバラーにおい
て文字テクストという、神の内部でありながら世界と接する次元で展開する神的生命の論理を、
三位一体と哲学を通して改めて物語ることだったのではないかと思われる。
"

ルリアがモロにマニ教の影響下だと説明するためにマニ教の概要を書く。
マニ教では、人間は、闇の物質でできた世界に生きていると考える。肉体も闇の物質だ。
しかし人間の内部には「光の元素の破片」が潜んでいる(闇に光が覆われているわけだ。悪に善が覆われているともいう)。この闇の世界から救済されるために必要なのが以下だ。
グノーシス、つまりマニ教の啓示を知って真実に覚醒し、内部の光の元素をまず月に、それから太陽へと帰還させ、最終的に「光の王国」へと戻す。
光の元素を内に含む、人間以外の動物や植物も無用に害したり殺してはならない。
人間や生物の内部に隠されている「光の元素」を純粋に抽出して、光の王国への帰還を促進させないといけない。
この教えを徹底した結果、マニ教の修道士は生産活動ができない。
なぜなら、物質の内部に閉じこめられた「光の破片」が、たとえば麦の収穫ではこの作業に必須な暴力行為で傷つけられるからだ。光の元素は適切な方法で回収される必要があるのだ。

ルリア派カバラ、スターウォーズ、ドラクエ、「光vs闇」陰謀論など影響力大。だがマニ教の非殺生戒は守らないのが支配層だ。

以上、コダヤ・カバラ3聖典の後の主流となったルリア派カバラについて書いたので、本記事は終わる。




お読みくださり感謝!

「聖石ベチルは世界の定礎 」とある『ゾーハル』でもカイン(菜食バラモン的)系は悪。 悪の母ナアマはカインの末裔でトバルカイン(鍛冶の祖)の妹。 カインの刻印崇拝はユダヤ・カバラ(正統派。肉食ゾロアスター的アベル)ではなく新キリスト教(異端少数派が源流)系思想!  

ねこた
フリーメイソンで特別の聖人といえば、
カインとトバルカイン。
カインは罪人やけど、鍛冶屋の祖でもある。
鍛冶屋などの特別な技術を持ったギルドの祖なのよ わかる?

また、せんじろうさんの話では
もののけ姫のたたら場(多々良は百済だよ)みたいに鍛冶をやってると
目をやられるんだってさー。おめめー”

重要個所抜粋+要約
(本ブログ読者が興味を持ちそうな個所)


学者の重訳『ゾーハル』(イルミネーション=光輝の書)でもカイン(菜食バラモン的)系は悪。
タルムードで悪の母として知られる四大悪霊の一つナアマ
(ナアマに惚れたアザはソロモンに知恵を授けた)はカインの末裔で
トバルカイン(鍛冶の祖)の妹。

カインの刻印を結社は「十」と解釈しているが
「M」とも解釈しているかもしれないし
「M」はカインとは異なる別の刻印かもしれない。

学者の重訳『ゾーハル』(光輝の書)でもカインは悪。
タルムードで悪の母として知られる四大悪霊の一つナアマはカインの末裔でトバルカインの妹。
カインの刻印崇拝はユダヤ・カバラではありえない。

『光輝の書』ゾーハルの英訳はイルミネーション!

ゾハルはアラム語で書かれているのでありヘブライ語ではない。

ゾハルのユダヤ・カバラではカインの領域から生まれたナアマ(トバルカインの妹)は
タルムードで悪の母として知られる四大悪霊の一人。
カイン系は悪なので
カインの刻印を重視=善とするする支配層が採用しているカバラは
基本的にキリスト・新キリスト教カバラであり
ユダヤ・カバラは都合が良いところだけ採用。
ユダヤ・カバラで悪とされるものを善とすることがある。

「神々の息子たちアザとアザエルはナアマに狂った」

エノク書(エノクはカインの子)の悪魔の長アザエル(本来は天使)はナアマと交わり、
彼女に魔術を教えて神に罰せられた。
旧約ではレビ記第16章にのみ登場。

アザエルの仲間のアザはソロモンに知恵を授けたといわれる。

∴ソロモンと鍛冶(の祖トバルカイン=カインの子孫)を重視する
メイソン=新キリスト教がユダヤ・カバラに忠実でない。

トバルカインは鍛冶の始祖とされる。
アダムより数えて7代目の子孫で
カインの子孫レメクとチラの子なのでカインの子孫。

ナアマは悪霊の母。
なぜなら、彼女はカインの領域から生まれ、
リリトの仲間になって子らの悪習を助長したから。

リリトはユダヤ民間信仰における女のデーモン。
血を吸う夜の魔女と考えられている。
タルムードの伝承によれば、
アダムの最初の妻とされる。
イザヤ書34・14参照。

カインの刻印と子孫のトバルカインを優遇する新キリスト教が菜食バラモン寄り(カインは農民)だから、
今の支配層が重視しているカバラはユダヤカバラではなくクリスチャンカバラの方だぞ。

「トバルカインの妹はナアマ〔可愛らしい女の義〕といった」
(創世記4・22)と書かれていますが、
この名で何を教えようというのか。
人の息子たちが、
いやそれどころか霊やデーモンまでもが
彼女に誘惑されたということです。」

トバルカイン
=カインの子孫レメクが
二人の妻のひとりツィラとのあいだにもうけた子。

カインの刻印には
トバルカイン(鍛冶の始祖)の意味も込められているだろう。
鍛冶、冶金をメイソンは特に重視。
化学であり科学だから。
ナアマの扱いを見るに
正統なユダヤ教ではカインもその末裔も悪だとみなす。

菜食のバラモンよりも
肉食(肉の生贄)のゾロアスターを選んだヤハウェ。

カインの刻印を崇めている派閥は
正統なユダヤ教の否定
+菜食派のカイン(バラモン的)の肯定だから
キリスト教の異端少数派や
メイソンなど新キリスト教あたりだろう。

カインの子孫のトバルカインの妹ナアマ(悪霊どもの母)に惚れたアザは
ソロモンに知恵を授けたといわれるしメイソンはカインが好きなのだろう。


カインの刻印を崇めている者の思想は正統なユダヤ教ではないと書いたのは
ユダヤ・カバラも正当なユダヤ教の解釈学だから。

・世界の礎=シオン(という家)
=世界の中心
=七つの柱の土台
=定礎の石 (火と空気と水でできている。 世界の中心の目印)
=ヤコブの石(柱)
=神の家(ベチル)
=(十戒が記された)「石板」の素材

七つの柱を切り出した(作った)のが
第二のセフィラ―である「知恵」(コクマー)
(グノーシス的にはソフィア)。

しかもミュラーの注釈いわく
アガーダー(タルムード)では この石の場所でイサクの犠牲とヤコブの夢が起こった。
しかものちに燔祭の祭壇の場所となる。
ダビデがここに祭壇を設けていた。
ヤコブの礎石(ベチル)=「大地のへそ」
=最初の創造物のひとつ。
世界の柱である七番目の柱の上に 残りの六本の柱は乗っている。

タロットの塔はマルセイユ版では「神の家」という名で
神の家はベチルなので
塔=聖なる石柱=世界の中心
と解釈できる。





スピ系のインチキ・架薔薇に気を付けろ!

ラビ・アルイェフ・キャプラン(Aryeh Kaplan)は
ゾーハルの注釈書を書いていないし、
(ゾーハル自体が長いのと、
彼は早死にしている)
英訳を読む手があるがそれだと文自体の意味の把握が
すんなりできないのでその後の自分なりの解釈がしにくくなる。
なので私は学者(つまりラビではない)の日本語訳を読んだ。

ゾハールはpritzker版が一番学術的には正確と評価されているらしい。
ただし、pritzker版はラビによる解説書ではないのが難点。
ラビがどう考えているかわからないと
ユダヤ・カバラを学んだことにならないのが困りもの。

カバラ文献は抽象的すぎる暗号みたいなものなので
口伝を知っているラビの説明(かいどく)が必要。

schottenstein版は保守的伝統系らしい。

今回のミュラーが使ったのはヴィルナ版。

カバラ本はカルト信者製のものが意外とあるので注意。
ゼヴ・ベン・シモン・ハレヴィはハイアーセルフやソウルメイトなど
伝統的ユダヤ教徒のラビが絶対使わないスピ用語を使うから偽物確定。

ユダヤ・カバラ教典に書いてないことを古代ユダヤからの伝統だと誤解させるように
インチキ禍薔薇を布教して恥ずかしくないの?


遠回しに隠すよりは、ちゃんと「私は力ル卜です」宣言しているだけマシ。
ミュラーもシュタイナーの薫陶を受けたとか解説にあるが

ミュラーが入れている注釈(量は少ない)にはシュタイナーが登場する個所は
これ↓など少数で記述もたいへん短いので問題ないと判断した。

(5)ルードルフ・シュタイナーも『神智学』で
三つの魂について語っている。
知覚の魂、
理性または感情の魂、
そして意識の魂である。
これらの区分はゾーハルのそれと、
完全にではないが、ほぼ一致する。
以下では、ヘブライ語の名称に近づけて
「原動魂」、「霊魂」(霊気とも)、「魂の気息」という用語を用いる。


中身を捻じ曲げていない、
仮に捻じ曲げていてもわずかだと判断。
ミュラーの序文にもハイアーセルフや、ソウルメイト(ドイツ語でどういうのか知らないが)などという
単語は出なかった。




『ゾーハル: カバラーの聖典』 (叢書・ウニベルシタス) 単行本 – 2012/7/5
Ernst M¨uller (原著), エルンスト ミュラー (翻訳), 石丸 昭二 (翻訳)


本文ならびに注の文中に挿入されている〔〕内の記述はすべて訳者が付した注である。


著者はエルンスト・ミュラー
1880年チェコ生まれ。
1910年ユダヤ人教区の図書館司書職に就く。
1938年ナチスの進出によってロンドンに亡命。
1954年死去。
本翻訳は
ミュラーの
『ゾーハルとその教義』(1920)と
『ゾーハル』抄訳(1932年)の翻訳。
つまりドイツ語からの重訳。


訳者あとがき

本書はヘブライ語の姉妹語アラム語で書かれた『ゾーハル』の
ミュラーによるドイツ語訳の全訳である。
(ドイツ語訳自体がゾーハルの全文訳ではないのに注意)


編訳者エルンスト・ミュラーは
第一次世界大戦の始まる数年前に、
彼の友人で、カフカともプラハで長年親交を育んだ、
エルサレムのヘブライ大学哲学教授フーゴ・ベルクマンとともに
1912年頃からゾーハルを読む手探りの試みを開始し、
1932年にその成果をウィーンで公刊した。

本訳書では加えて、
それ以前に執筆された彼のカバラ―研究入門書『ゾーハルとその教義』から
巻頭の緒言と巻末に付されたゾーハル本文の試訳(11篇と若干の小篇)とを除く本論部分を、
ごく一部省略してほぼ完全に訳出、
ゾーハルの思想を理解する一助に、
合わせて掲載することとした。

ミュラーは人智学のシュタイナーの薫陶を受けたことが指摘されている。

(ミュラーの時代でカバラ関係で神智学も人智学も無関係な人はほぼいないだろうね)

『セーファル・ハ・ゾーハル』は印刷では全五巻、2400ページに及ぶ。
1558年に初めてクレモナで、
そしてほぼ同時にマントヴァで印刷された。

ゾーハルの執筆時期は1280-86年と見られている。

ゾーハルという名は(天の)光輝を意味し
聖書にもその意味で僅か二か所だけ、
エゼキエル書8・2、
ダニエル書12・3に現れる。
とくに後者の文言
「分別ある者たちは大空の
輝き(ゾーハル)のように輝いた」は
ゾーハル書の最初のページの論究の冒頭に置かれており、
この署名がそれから取られていることは明らかである。
本訳書の116-122ページにそれにかんする記述がある。
そこではゾーハルは
「それからすべての言葉が造られた原初の輝き」とされている。


ここから翻訳

序(ゾハル本文ではない)
p.13
セフィロースの最上位である「王冠」(ケセル)は
言語に絶する高みで直接「無限」に移行する。
それはしばしば無限と一体だとみなされる。
最下位をなすのは人間の国――
キリスト教の「主の祈り」でいわれるのと似通った意味で
「国」そのもの
(元来はマルクース=王国)、
直接人間に触れ、人間を取り巻くあの精神領域である。
といってもこの段階づけは本来価値の高低を含んでいない。
「王冠」が木全体を萌芽として含んでいるように、
「国」のなかにも木全体が圧縮されている。
それでよく最初のセフィロースと最後のセフィロースが
結びつけられて、
「ケセル・マルクース」と呼ばれる。

一番上の三幅対はケセルのほかに
ホクマー(知恵)とビーナー(識別する「理性」)を含んでいる。

中間はヘセド(愛)またはゲドゥラー(偉大さ)、

ディーン(裁きの公正さ)またはゲブーラー(強さ)と
ティーフェレース(素晴らしさ、実際にはあらゆるものの調和)、
別名ラハミーム(慈悲)。

一番下はネーツァハ(持続力)、
ホード(美しさ)、
イェソード(基盤)。


p.15の図と文章
(生命の樹のセフィロト配置。
文字はヘブライ語。
番号がふってある)

隠蔽から現れ出る神の顕現

1 ケセル
神性の「最高の王冠」


2 ホクマー
原初の創造的意味での「神の知恵」
(読者視点でケセルの右下)

3 ビーナー
識別する理性


4 ヘセド
神の愛
またはゲドゥラー(偉大さ)、栄光

5 ゲブーラー(強さ)またはディーン(裁きの公正さ)
神の「権力」。
それは刑罰をあたえる権力と
裁く厳格さとして現れる


6 ラハミーム、調停する神の「慈悲」
またはティーフェレース(素晴らしさ、実際にはあらゆるものの調和)、
天の栄光、心臓

7 ネーツァハ、神の「恒常的存続」(持続力)

8 ホード 神の美しさと威厳

9 イェソード、神のあらゆる活動力と生殖力の基盤

10 マルクース、精神的な人間世界としての神の「王国」


(ユダヤ・カバラのゾーハルのセフィロトでは
イエソドは生殖器、つまり男性器と女性器。
クリスチャンまたは魔術カバラが月としているのと随分違う。
生命の樹ではない)


(連中が6好きな理由の一つが
ティファレトが6番目でキリスト中枢と呼ばれるからだろう。
ユダヤ・カバラにはもちろんキリスト中枢という概念はない)


p.18から

こんにちまでまだ完全なゾーハルのドイツ語訳はない。
遺憾ながら、本書の編者も全訳を刊行する機会に恵まれなかった。
作品を読み進めながら本文の相当量を訳出することで我慢したが、
そのさい たくまずしていろいろなテーマから選び出すこととなった。
(多くを訳しているが抄訳)

この巻にはモーセ五書につながる主要部分の本文が含まれている。
もちろん個々の個所を取り出したことによって、
ただ大まかにトーラー読誦の慣用の週間章節にしたがって
分けられているだけの、
それ以外はまったく区分されていないテクストが人為的にばらばらにされてしまったが、
それでも表題がつけられたことは多少とも
読者の参考になるかもしれない。

各部分において、右上に記してあるのはテクストが終始準拠している
モーセ五書の個所であり
(たまたまそういうモーセ五書の個所を含まない部分はそのかぎりではない)、
右下のはヴィルナ版
(セーフェル・ハ・ゾーハル、全三巻。
1882年)でゾーハル原文に付されている番号
(fol.は両ページにわたることを示す)である。

聖書の引用個所を訳すさいにはしばしばゾーハルの解釈にのっとってする必要が生じたが、
そのばあいには通常なされている訳を別途掲げた。

「聖なる者、あなたに誉れあれ」はなにかぎごちないので、
(ぎ「ご」ちない は原文ママ。「ご」も正しい)
同様の畏敬の念を抱いた気持ちに一致する言い方「至聖」に代えた。
聖四文字自体は「JHWH」というかたちで表した。
これは通常アドナイと読まれる。

序文終わり
ここから本文(の翻訳)

p.48の図
4のセフィロースについてはヘブライ語とその転写が一致していない。
ヘブライ語にしたがうなら、
Gedula(〔神の〕栄光、偉大さ)とすべき。
図の4のセフィロースにあるヘブライ語の下にある
アルファベット表記はChessed(ケセド)は
ダレス・サメク・ヘス
d・s・ch(〔神の〕慈悲、慈愛)と綴る。


(※メモ元ではヘブライ文字
4ケセドをゲドゥラーと呼ぶと
5ゲブラーGeburaと混同してしまうから
ケセドと呼ぶのだろう。
特に日本語話者はrとlを区別しないし。

この図ってゾーハル原典にあるの?
この図の径にあてはめられているヘブライ語アルファベットが
↓と同じ




p.52
「義人(ツァディーク)、世界の礎」(箴言10・25)

p.63
アガーダーまたはハッガーダーは
タルムードの説話、聖書釈義に類する部分で、
律法部分のハラハーに対するもの。

p.71
モーセはどうして石板を投げ落としてしまうことができたのか。
(十戒はモーセの十指説ではないのね)

右側に生命〔許可を指す〕
左側に死〔禁止を指す〕

右に向く賢者の心
左に向く愚者の心

(左は悪
右は善)


p.72から
全ての生き物にとってヨードは頭の原型で、
二つのヘーは五本指をそなえた左右の腕の原型、
ヴァーヴは胴体の原型である
〔神ヤハウェを表す聖四文字ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー〕


海の水は海から生まれるかぎりは枠も形も持たない。
それが広がって、地球という容器に収容されたときに初めて、
イメージが成立し、推し量ることができる。
このように、まずその広さのままヨードの丸みをおびた容器にすっぽり
収められる源泉がある――この源泉が「一」である。
そしてそこからほとばしり出る泉が「二」である。
それらがあって初めてひとつの大きな容器が作られる。
いうなれば、大きな穴を掘ると、そこに泉の水がたまるようなものである。
この容器は「海」と呼ばれる。
これが「三つ目」である。
この大きな容器は七つに分かれ、
ちょうど延ばして広げた容器にたとえられる。
そして海の水が七つの川になって広がる。
これらで「一〇」である。
だが、親方が自分で作った容器をこなごなに壊してしまったら、
水は源泉に帰り、毀れた容器は水がなくなってひからびてしまうだろう。
このように、「原因のなかの原因」は一〇のセフィロースを生み出し、
「王冠」を源泉と名づけた。
そのなかでは流出と湧出は終わることがない。
それゆえかれは自らを「無限なる者」と呼んだ。
したがって、かれは像も形も持たない。
いかなる容器もかれをとらえられず、
かれについて何か知ることすらできない。

それからかれは小さな容器をひとつ作った。
それがヨードで、そこに水がたまる。
かれはそれをほとばしる泉にして「知恵」と呼び
そのなかの自分自身を「賢い者」といった。
次にかれは大きな容器を作り、
それを「海」と呼び、
そしてそれを「明識」と呼んで、
そのなかの自分自身を「明識なる者」、
かれの本質によって「賢い者」と呼んだ。

かれの本質によって「明識なる者」。
なぜなら「知恵」はそれ自身から「明識」と呼ばれるのではなく、
それをみたす「明識なる者」にちなんで
そのように呼ばれるからである。
なぜなら、もしかれが消え去ったら、
それはひからびてしまうだろうから。

「そしてかれはそれ〔川、ここではユーフラテス川〕を
打って七つの小川として」
(イザヤ書11・15)
――つまり、七つの貴重な容器にしたのである。
そしてそれらを、
偉大さ、
強さ、
栄光、
勝利、
美しさ、
礎、
王国と名づけた。

そして自分自身を「偉大さ」のなかでは
「偉大な」、

「強さ」のなかでは「強い」、
「栄光」のなかでは「栄えある」、
「勝利」のなかでは「無敵な」者といった。

「美しさ」のなかではかれは自分の名を「彫刻家の美しさ」と称したが、
「礎」のなかでは「義人」と呼んだ(箴言10・25参照)。

そして礎のなかではすべてが、すべての容器、
すべての世界がしっかりささえられている。

最後に
「王国」のなかでは
かれは自分の名を「王」と称し、
「偉大さ、強さ、栄光、勝利、美しさ」はかれのものである。


(木ではなく海水の流れで表現している。
新プラトン主義。
セフィロトが木のイメージになったのはいつからだろう)



容器を減らしたり、そのなかの泉を増やしたりするのも意のままである。
しかし、かれの上に増やしたり減らしたりできる神はいない。
それからかれは仕える存在をあれらの容器に造った。
すなわち、玉座をささえる四つの柱と玉座の六つの階段を。
これらで一〇である。
玉座全体は祝杯のようである。
それには一〇の言葉であたえられたトーラーのために
一〇の言葉が記されている。
なぜなら原始の創造物である世界も一〇の言葉で創られたからである
(父たちの箴言
〔ピルケー・アヴォース。
聖書学者やタナイートたちの箴言を集めたトラクト。
ミシュナーの口伝伝承〕
第五章参照)。

それからかれは玉座のためにそれに仕える天使集団(7)をもうけた。
天使、
アルエリム、
セラフィム、
獣、
オファニム、
ハシュマリム、
エリム、
エロヒーム、
エロヒームの息子たち、
個人。

そしてまたかれはサマエルとその一団全員をこれらの下僕にした――
彼らは地上へ降りるために乗って行く雲か馬のようである。
そして馬が乗馬といわれたことは次の言葉が証している。

「見よ、ヤハウェは脚早の雲に乗って、
エジプトに来られる」
(イザヤ書19・1)。
これはエジプトの支配体制である。
人びとはそれを至聖が乗りまわす馬のイメージで見たのだ。
そうすることでエジプトの偶像は揺らぎ、
エジプトの心臓は溶けてなくなったのである。

(ヤハウェの乗り物の一つが雲なのは雷神だからだろう)


(7)一〇の「位階」をなしている。
この位階はユダヤ文学のいろいろな個所でいろいろな名前やグループ別に異なった名前がつけられている。
ほかにもディオニシオス・アレオパギタ
〔紀元一世紀のアテネ最初の司教といわれる。
500年にあるシリアの作者が彼の名で一連の著作を著した。
『天の位階』、『教会の位階』、
『神の名』、『神秘神学』など〕
によってキリスト教に導入されたものがあり、
近年人智学でも使われている。

(天使の位階は二次創作。

ミュラーは神智学より人智学寄り。



p.77
至聖は世界を創造したとき、
世界を七つの柱の上に築いた。
しかし、これらの柱の礎はただ一つである。
このことは次の文に証明されている。

「知恵は一軒の家を建て、七つの柱の上にそれを置いた」
(箴言9・1)
しかし、これらの柱はただ一つの段の上にあります。
「義人は世界の礎」(箴言10・25)。

なぜなら、世界は、それが創られたとき、
世界の完成と幸福である、
そして世界の一点にしてすべてのものの中心であるあの場所から創造されたからです。
この場所とはどこか。シオンである。

シオンは世界全体を固める原点なのである。
ここから全世界は完成へと向かう。

(シオンが世界の中心説)


p.97から

〔イサクとリベカ、
ヤコブとラケル、
モーセとツィポラなどに見られるように、
井戸はしばしば出会いの場となる〕

イサクがアブラハムの死後キルヤト・アルバ
〔別名ヘブロン。
アブラハムはヘト(ヒッタイト)人からこの地を買い取り、
妻サラの墓地とした。
彼自身もイサクによってこの地に埋葬された〕
にいたことに注意せよ。

(アルバ)

「生きた魂(14)」

(14)
動物界にもあり、原人間が人間となって降りて行く
下の段階の魂。


p.99から

「その土台は何の上に沈められたか」
(ヨブ記38・6)。

至聖がこの言葉を言ったのは世界を七つの柱の上に置いたことにかんしてである。
「彼女(15)は七つの柱を切り出した」といわれているように。

(15)
すなわち第二のセフィラ―である「知恵」


だが、これらの柱が何の上に立っているかは知られぬままであった。
このことは深い、極秘の秘密だからである。
そして「定礎の石」と呼ばれる石が切り出されぬうちは、
世界は創造されなかった。
至聖はその石をとって、深淵へそれを投げ入れた。
その結果、石は上から下へ勢いよく入りこんだ。
そしてその石からかれは世界を建立した。
かれは世界の中心であり、
世界の真ん中に至聖は立っている。
つづいて「だれがその隅石を投げ入れたのか」といわれているように
(ヨブ記同所)。
それでなるほど
「試みを経た石、礎石としての尊い隅石」
(イザヤ書28・16)ともいわれているのだ。
そしてさらに
「大工たちが馬鹿にした石が隅石となった」
(詩篇118・22)
と。

この石は火と空気と水から造られ、
あらゆるもので固められている。
それによってそれは石となり、
深淵の上方にある。
この石は世界の中心に目印としてある。
そしてそれはヤコブが立てて置いた石でもある。

「ヤコブは石を持ってきて、
それを柱として立てた」
(創世記31・45)とか
さらに
「わたしが柱として据えたこの石を神の家とします」
(創世記28・22)といわれているように。
それにしてもヤコブは、
至聖が世界を創造した当初にすでに造られていたこの石を立てたのだろうか。
むしろヤコブはそれを上と下の基礎にしたのだ。
だから
「わたしはそれを柱(16)として据えた」のである。
なぜ「わたしはそれを据えた」のか。
それはこうもいわれているからである。
「それを神の家とします」、
上から下へ居を移した神の。

この石は七つの泉を持っている。
「ひとつの石には七つの泉がある」
(ゼカリヤ書3・9)といわれているように。
そしてなぜその石は
「シェティヤハ」
〔H・Y・T・Sh「飲むこと」の謂〕
といわれたのか。
ひとつには、その石によって世界が立てられたからである。

さらには、至聖がそれを据えたからである。
それによって世界が祝福されるように。

(16)
エルサレムの神殿(現在は回教寺院)の岩塊から
そそり立つ石の地理的祭祀的象徴。
アガーダーによれば、
ここでイサクの犠牲とヤコブの夢が起こった。
この石はのちに燔祭の祭壇の場所となるが、
そのまえにすでにダビデがここに祭壇を設けていた。
ここは「大地のへそ」とみなされており、
最初の創造物のひとつである。


(結社が好みそうな個所。
知恵をソフィアと言い換えれば
グノーシス主義者が大喜びだな。

ユダヤ・カバラも神聖な石が好きなのね。
石を土台とする七本の柱で
FGOの空想樹を想起。
石の上ではないけど。
樹は柱ともいえる。

FGOのシオンが通常では行けないところにいるのが意味深。

これに再掲するが
p.77
至聖は世界を創造したとき、
世界を七つの柱の上に築いた。
しかし、これらの柱の礎はただ一つである。
このことは次の文に証明されている。

「知恵は一軒の家を建て、七つの柱の上にそれを置いた」
(箴言9・1)
しかし、これらの柱はただ一つの段の上にあります。
「義人は世界の礎」(箴言10・25)。

なぜなら、世界は、それが創られたとき、
世界の完成と幸福である、
そして世界の一点にしてすべてのものの中心であるあの場所から創造されたからです。
この場所とはどこか。シオンである。

シオンは世界全体を固める原点なのである。
ここから全世界は完成へと向かう。

(シオンが世界の中心説)
をあわせると

世界の礎=シオン(という家)
=世界の中心
=七つの柱の土台

=定礎の石
(火と空気と水でできている。
世界の中心の目印)

=ヤコブの石(柱)
=神の家(ベチル)
=(おそらくモーセの十戒が記された)「石板」の素材
七つの柱を切り出した(作った)のが
第二のセフィラ―である「知恵」(コクマー)で
グノーシス的に言い換えるとソフィア。

しかもミュラーの注釈いわく
アガーダー(タルムード)では
この石の場所でイサクの犠牲とヤコブの夢が起こった。

しかものちに燔祭の祭壇の場所となる。
ダビデがここに祭壇を設けていた。
ヤコブの礎石(ベチル)=「大地のへそ」
=最初の創造物のひとつ。

p.348より
世界の柱である七番目の柱の上に
残りの六本の柱は乗っているとある。


ユダヤ・カバラでもベチルは超重要!

石屋の石はヤコブとスクーンの石!







日の沈んだ刻限に、
あの場所にあって「しるし」を居所にしていたあのケルビムたちが翼を広げて
羽ばたき、彼らの翼の調べが上の仲間たちの

至聖の賛美が下と上からあがる。
下の昼のイスラエルからも、
上の夜の天使たちからも。
こうして聖なる名が四方八方へ行きわたる。

そしてあの石、上のすべての天使と
下のイスラエルはそれによって強くなるのだが、
それは父たちのところで王冠を戴くために昼に上昇する。
しかし夜には至聖が義人たちとエデンの園で興ずるためにやってくる。

あの石は「良き石」である。
これが

「そしてあなたは、
そこに枠付けを施した宝石を嵌めこみ、
それらの宝石が四列になるようにしなさい」
(出エジプト記28・17)

という言葉の秘密の意味である。

これは「良き石」の配列、
「貴重な石」の仕上げなのである。
なぜならほかにも、
「わたしは石の心を取り除くだろう」
(エゼキエル書36・26)といわれる石があるからである。
そこにはまた
「そしてわが霊をおまえたちの内に授ける」。
だが、あの石については
「試みを経た石、礎石としての尊い隅石」
(イザヤ書28・16)
といわれている。
この石から切り出されている「石板」もこの秘密に従って命名されている。
「そしてそこからイスラエルの石なる牧夫が来る」
(創世記49・24)
というのも同じ意味でいわれている。


p.108から

神はノアに言った。
「わたしがわたしとあなたがたのあいだに置く契約のしるしがこれである。
わたしは雲のなかに虹を置いた」。

「また、彼らの頭上にある広がりの上側にはサファイア石のようにも見える玉座の形をした物がある」
(エゼキエル書1・26)。

虹〔T・Sh・Q ケシェト〕
弓〔T・Sh・Q ケシェト〕

ヨセフは義人だといわれ、
ヨセフの弓は義人においてなしとげられる虹の結びつきを表しています。

ノアは義人だったので彼の虹も永くつづきます。

「それ〔虹〕は神とすべての生き物とのあいだに立てられた契約のしるしとなるであろう」。

「そして彼らの頭上の広がりの上にはサファイア石のようなもの」。
これは全世界の中心をなす、至聖のおわす「礎石」です。


(他の個所もだがヘブライ語の個所は私がカタカナに直したりしている。

ユダヤ・カバラは契約の証の虹=弓と解釈している。

fate grand orderおもろセリフまとめ6 - knznymmmy code777
http://codetripleseven.blogspot.com/2017/01/fate-grand-order55.html
”リンク先で面白い指摘がある。
創世記9章でノアの洪水の後に
神が「契約の印」と称して虹について語る。
なぜ虹をかける事が契約の印かというと
ヘブライ語で考えると納得できる。
虹はヘブライ語で「ケシェト」
弓もヘブライ語で「ケシェト」
虹をかけるのは弓=武器を、置く=手放す事の象徴

よって「今後人類滅亡はしません」という誓いの象徴。
まあ、その誓いも新約聖書時代になると
あっさり忘れて「最後の審判ガー」「アルマゲドンガー」
という謎のヤクザビジネスが始まっちゃうんだけどな!”)


p.113から

ベヘマー〔けもの〕


「実を結ぶ果樹」という言い回しは一つ上の段階、
すなわち男と女を表している。
果樹が実を結ぶ木の本然的力を自身の内から生じさせるように、
生き物たちはあのケルビムと「柱」、
すなわち
供えられた香の煙となって立ち昇ってでき上がるあの柱から生まれ出る。
こうして彼らは人間のつとめによってしあわせに到達する。
栄養物にされる「草」はそれほど安定した身分ではない。
それについてはこのようにいわれている。

「とくと見よ、
ベヘモート
〔本来はベヘマーの複数形であるが
ヨブ記では他の野生動物を圧倒する怪獣として登場する〕
を、わたしがあなたと共に造ったもの、
家畜のように草を食むものを」
(ヨブ記40・15)

「果樹」と「実を生じさせる木」は男と女の形像をなし、
人間の顔をしている。
といっても、
あのケルビムのようではなく、
小さい子供の顔のようで、
そのなかにはすべての顔が含まれている。
そのなかへ神の名の刻印のようなものが世界の四つの方角、
東、西、北、南に向けて刻みつけられている。

男女〔同体〕の人間、この形姿だけが本来人と呼ばれる。
それが模しているのは数万の神の戦車。

(両性具有の人間こそが本来、つまり完全完璧な人間。
錬金術思想に影響された?
ユダヤ・カバラはユダヤ教の男尊女卑が弱くなっている)


無限(18)

(18)
ヘブライ語で「エン・ソーフ」、
セフィロースの上方にあると
おぼろに予感される原領域。

レーシート(はじめ)

『はじめ』(レーシート)でもって
〔レーシートの前にある(語頭)ベートは前置詞で
通常時間を表して はじめに の謂であるが
ベートはまた手段も表し、ここではその意味で使われている〕

創造する(バーラー)


〔ベレーシート はじめに
バーラー 創造した
エロヒーム 神は
エート 目的語を表す「……を」
ハ=シャーマイム 天
ヴェエート 「そして……を」
ハ=アーレツ 地
はじめに神は天と地を創造した
創世記1・1

はじめに神は天を
そして地を創造した〕


地は「むなしく漠(トーフー ボーフー)」としていた。

ルーアハ〔風〕

頭(30)

(30)
ヘブライ語では「始まり」の義。
この個所は贖罪の日の供犠と関係している
〔大祭司アロンは浄罪の供犠である生きた雄山羊の頭に両手を押しつけて
イスラエルの子らのすべての罪科を告白し、
それらを雄山羊の頭の上にのせて荒野に送り出す。
その雄山羊は彼らのすべての罪責を負って、
人里離れた土地に運ぶ。
それによって彼らのもろもろの穢れ、
罪が贖われるのである。
レビ記16・11-22参照。〕

〔大祭司が執り行う贖罪の日は
ユダヤ暦第七の月ティシュリの10日。
この月はユダヤ暦では1年の始まり、新年である。〕

(スケープゴート)

p.142の絵が本書の表紙の絵

セフィロースの系統樹。木版画。
パウルス・リキウス『光の門』
Portae Lucis, アウグスブルク 1516
――13世紀のカバリスト,ヨセフ・ギカティッラの
『シャアーレ・オーラー』(光の門)の最初のラテン語訳より

p.143から
「そしてわたし」は男性的なものと
女性的なものをかねそなえている。

(完全な神は父だけではなく母でもあるという思想)

p.153から
生の魂は三段階にまとめられています。
そのためそれには上の秘密にしたがって三つの名がそなわっています。
ネフェシュ〔生命〕、
ルーアハ〔精神〕、
ネシャーマー〔魂そのもの〕です。

ネフェシュは下の段階です。
ルーアハは魂を統治するもので、
すべてのものにしかるべくそなわっています。

ネシャーマーは高い段階、すべてのものを統治する――
神聖な、上の段階です。

(3)周知のアガーダーの教えでは、
アダムの寿命は930年。
もともとアダムの寿命とされた1000年から70年が
ダビデに贈られた。
彼はその年数しか生きられなかった。

ネフェシュという言葉は夜支配するあの種の魂を言うのだ。
ルーアハ(霊魂)は日中支配する。
両者を支配し、それらを包摂する
もうひとつさらに高い段階がネシャーマー(神の気息)といわれている。

(5)ルードルフ・シュタイナーも『神智学』で
三つの魂について語っている。
知覚の魂、
理性または感情の魂、
そして意識の魂である。
これらの区分はゾーハルのそれと、
完全にではないが、ほぼ一致する。
以下では、ヘブライ語の名称に近づけて
「原動魂」、「霊魂」(霊気とも)、「魂の気息」という用語を用いる。


p.184
十三歳
〔青年となる年。
当時は父祖アブラハムの息子イシュマエルのように、
この歳までに割礼が行なわれた〕


p.186から
シェト
〔アダムがエヴァとのあいだにもうけた、
アベル、カインに次ぐ第三子。ノアの先祖〕の誕生のときだけこういわれています。
「アダムは自分の姿に、
自分の像(かたち)に似た息子をもうけた」。
このことは、他の息子たちは彼の姿、彼の像になっていなかったことを示しています。

他の息子たちは蛇とそれに跨がるサマエルの毒に触れていたので
アダムの像になっていなかったのです。

「トバルカイン
〔カインの子孫レメクが
二人の妻のひとりツィラとのあいだにもうけた子〕
の妹はナアマ〔可愛らしい女の義〕といった」
(創世記4・22)と書かれていますが、
この名で何を教えようというのか。
人の息子たちが、
いやそれどころか霊やデーモンまでもが
彼女に誘惑されたということです。」

(カインの刻印には
トバルカイン(鍛冶の始祖)の意味も込められているだろう。
鍛冶、冶金をメイソンは特に重視。
化学であり科学だから。
ナアマの扱いを見るに
正統なユダヤ教ではカインもその末裔も悪だとみなす。

菜食のバラモンよりも
肉食のゾロアスターを選んだヤハウェ。

カインの刻印を崇めている派閥は
正統なユダヤ教の否定
+菜食派のカイン(バラモン的)の肯定だから
キリスト教の異端少数派や
メイソンなど新キリスト教あたりだろう。

カインの子孫のトバルカインの妹ナアマ(悪霊どもの母)に惚れたアザは
ソロモンに知恵を授けたといわれるしメイソンはカインが好きなのだろう。

悪魔たちの首長アザエルもナアマに惚れて交わり、魔術を教える。

カインの刻印を崇めている者の思想は正統なユダヤ教ではないし
ゾーハルのユダヤ・カバラというユダヤ教の解釈書でもカイン系は悪。



「神々の息子たちアザとアザエルは彼女に狂った」。

アザエル
〔旧約聖書偽典エチオピア語エノク書
(第三章、第一〇章など)に悪魔たちの首長として現れる。
本来は天使であるが、
地上でナアマと交わり、
彼女に魔術を教えて神に罰せられ、
荒野で岩に鎖でつながれた。
旧約ではレビ記第16章にのみ登場。

アザもアザエルの仲間でソロモンに知恵を授けたといわれる〕

トバルカインの妹ナアマ
=彼女は悪霊どもの母です。
なぜなら、彼女はカインの領域から生まれ、
リリトの仲間になって子らの悪習を助長したからです」。

リリト
〔ユダヤ民間信仰における女のデーモン。
血を吸う夜の魔女と考えられている。
タルムードの伝承によれば、
アダムの最初の妻とされる。
イザヤ書34・14参照〕

ラビ・アッバ
「悪霊どもは人と同じように死にます。
だとすれば、どうして彼女がこんにちまで生きられるでしょうか」。

ラビ・シモン
「たしかに、それもそうです。
リリトとナアマと、
彼女らの領域から出たマハラト
の娘イグラト――
彼女らだけは至聖が穢れの霊をこの世から追放するまで
生きつづけます。
このことについてはこういわれています。
「わたしは穢れた霊をこの世から取り除く」
(ゼカリヤ書13・2)」。

〔リリト、ナアマ、マハラト、イグラトの四人は
タルムードで悪の母として知られる四大悪霊たち〕

ナアマは悪霊どもの母。
(なんと悪霊は死ぬと断言)


p.202から

「ヨブは使いを送って……
全焼の供儀
〔オーラー。
語源はアーラー「上がる、昇る」。
家畜を焼き尽くし、その煙が空へ立ち昇るさまから。
すべてを焼き尽くすという点で、
神への全面的帰依を表す。
最も重視された供儀〕を献げた……」。

全焼の供儀は男性的な性質のものであり、
女性的ではない
〔犠牲の獣は雄に限られた〕。


p.224から
タルグム
〔律法、聖書のアラム語訳〕

レヴィラト婚姻の禁止は材料混合の禁止にたいする
ツィツィトの秘密と同じ秘密にある。
兄弟の妻は禁止されているが、
義姉妹〔自分の妻の姉妹のことであろう〕は許されている。

レヴィラト婚姻
〔義兄弟婚。
子のない未亡人は亡夫の子孫を残すため、
その兄弟と再婚せねばならぬことを律法は定めているが
(申命記25・5、
創世記38・8参照)、
のちに禁止された(レビ記18・16参照)〕

ツィツィト
〔祈祷の際に着用する祭服タリスの四隅を飾る房。
神とその律法の思い出のしるし〕


p.229から

忠実な牧夫は言った。
肝臓はエサウの段階に属している。
それは清い血であれ、
濁った血であれ、
すべての血を自分に集め、
善と悪とを分けていないエドムである。

エサウ
〔イスラエルの祖先イサクの双子の息子の一方、
ヤコブの兄。
弟ヤコブは兄エサウの「かかと」をつかんで生まれた。
これは「押しのけて奪う」意味であり、
その名のとおり、
ヤコブは兄と父を欺き、
兄にあたえられるはずの祝福を策略を用いて我が物とする。
そのため兄エサウは怒り、
命を狙われた弟ヤコブは逃亡する〕

エドム
〔死海からアカバ湾にいたる地域と
そこに住んでいた民族。
兄エサウの子孫。
弟ヤコブの子孫で形成されたイスラエルの支配下に置かれる〕



それに対し、
心臓はイスラエルである。
それは善と悪、
不純な血と清い血とを分け、
選別された純粋な血だけを吸収する。

ヤコブにあたる心臓がより高い血を選り分けたら、
肝臓はいつも屑のなかにある。

胆汁によって肝臓(29)の怒りが
呼び起されたので、
ラビたちは、
怒っている人たちのことを偶像崇拝者のようだと言った。

(29)
肝臓はオカルト伝承によればジュピターに属するものであり
偶像崇拝の在処である。

(肝臓かわいそう。
発達した医学はカバラの敵だな。
選別された純粋な血だけを吸収するなど選民思想がある。
遊牧民は結束の基盤に土地が使えないから
血縁を基盤にするための血統重視なのだろう)

p.232

「神の霊気(31)が水の面をつつんでいた」
(創世記1・2)

(31)
気息と霊の二重の意味は
とくにイェツィーラー書に現れる。


「賢者の心は右に、
愚者の心は左に」
(コーヘレト書10・2)

七二の顔
〔七二の神の名のことか〕


肺臓の白い胆汁(35)

火星のせいで赤い肝臓の赤い胆汁

同様に肝臓についていて、
死の天使の剣をつくっている緑の胆汁

土星(36)が支配する黒い胆汁

人のこれら四つの「殻」が消えると、
七二の顔を持つ「生命の木」が彼を支配するようになる。

(殻はクリフォト?
当時はクリフォトも木のイメージではないのでは?
生命の木と殻がセットで登場する個所が
クリフォトも木では?という発想を生んだのかも)

(35)
この四つの胆汁はヒポクラテス医学の、
四つの気質が依存する四大体液を思い出させる。

(36)
オカルト説によれば、
わけても四つの器官、
脾臓、肝臓、胆汁、肺臓
(ルードルフ・シュタイナーによればこれらはひとつの
「内的世界体系」に属している)は
土星、木星、火星、水星に相当する。

(シュタイナーがまた登場するが豆知識コーナーみたいな感じ)

p.260から 供儀の秘義

人がはじめに罪を犯し、
あとからその罪をつぐなうために供儀を献げるのは至聖の望むところではない。
むしろ罪なくして献げられるあの供儀こそ完全な供儀であり、
それゆえ「完成」とか不断の供儀とか呼ばれる。……

供儀の秘密とはあの聖なる動物の秘密のことである。
玉座にはそれによって聖なる王に基(もとい)と養分ができるように
四つの原像が彫りこまれている。
雄牛の顔、
鷲の顔、
獅子の顔、
そして人の顔である。
人の顔は全部を含んでいる。

玉座に彫りこまれている獅子――
供儀が遂行されたとき、
それは降りてゆき、
生贄を焼く火のなかへ入って、
そこで生け贄を賞味する。

玉座に彫りこまれている人間、彼は全体の根である。
彼はそこで霊と魂を犠牲として献げる。
すると上の人は下の者を享受し、
類が類を呼ぶように彼に近づき、
自分の仲間、自分の基を楽しむ。


((ケルビムの)獅子の部分が火の中の生贄を食べることが
供儀の秘義らしい。
天使がくべられている生贄を食べる。

生贄の肉体だけでなく
霊魂も生贄、捧げもの。
霊魂を奉げるのはケルビムの人間の部分。)


p.262から

下の深淵の真っ赤な火は絶えず新しい火炎を繰り出す。
炎も世界の裁きの座につく。
罪人を焼き尽くすために――
あの「火の河」(ダニエル書7・10)から流れ出す火でもって。
あの生き物の外見は完全に燃え上がる火で、
その立ち位置は上の世界と
下の世界のあいだである。
だが、生け贄を焼く煙が祭壇から立ち昇ると、
彼らは鎮まり、
破壊と殲滅につとめていた段階から上昇する。
しかし、あの強力な火の流れはそのあるべき場所へ戻る。
こうしてみんなは正しく天の王に向かって立ち昇る祭壇の煙の喜びを知り、
自らかれに近づくことができるのである。

もうひとつの煙が祭壇から一人ひとりが上へ向けた意志の向かう方へ、
つまり聖なる王の前へ昇っていく。
そのとき祭壇の上方に
獲物にかぶさる巨大な獅子を彷彿させるウリエルの姿が見られるという。
僧や民衆はそれを見て喜んだ。
それというのも、
彼らはこのしるしを見て生け贄が聖なる王に歓迎されたことをさとったからである。
だが同時に、
もうひとつの火が下の火を受け入れるために高みから下る。
それはあたかも人が震えおののきながら主人に近づき、
それからくるっと向きを変えて戻るような感じである。

これを お気に召す贈答品を送られた王にたとえてみよ。
彼は召使にこう言う。

「行って、わたしに献じられた贈り物を取ってきなさい」。

――このように大祭司と祭司と犠牲を献げる個々人とが
完全に一つになって正しく生け贄を献げることができたときには、
至る所に大きな喜びがあり、
神聖な香気がみちあふれる。

「ヤハウェから火が出て、
祭壇の上で全焼の供儀と脂肪を焼き尽くした」
(レビ記9・24)という文にも注意せよ。

生け贄の燃える炎のなかの火の幻となって献げ物を取りに祭壇まで降りていくのは
 かの人、犠牲の上に横たわる巨大な獅子として顕現したウリエルである。


しかし、イスラエルが自分はふさわしくないと思ったり、
生け贄を献げるひとが正しい手続きを踏まず、
生け贄が受け入れられなかったりすると、
煙はまっすぐ上へ昇らない――
北のくぼみから一陣の風が起こり、
祭壇の上を吹き抜ける。
それによって生け贄の願いが聞き届けられなかったことがわかる。
これを贈り物を献じられた王にたとえてみよ。
王はそれを自分には不足だと思った。
そこで言う。

「この贈り物を持ってゆき、
犬にやってしまえ。
こんなものはわたしに献げる値打ちはない」。

このように、受け取られなかった生け贄は犬にあたえられた。

それでこういわれているのである。

「ヤハウェから火が出て、
祭壇の上で全焼の供儀と脂肪を焼き尽くした」と。

火の炎となって祭壇の上へ生け贄にのしかかるようにして顕われたのはウリエルである。
至る所喜びにつつまれた。

「するとヤハウェの栄光が民全員に顕われた」
(レビ記9・23)といわれているように。

アロンの子らとの騒動
〔アロンの子らであるナダブとアビフは祭儀の規則にのっとらずに
ヤハウェに火を献げたためにヤハウェに焼き尽くされて死んだ〕がなかったら、
エジプト脱出の日々よりのち、
同じような喜びは見られなかっただろう――下でも上でも。

焼くのは煙を発生させる手段として必要。
煙は天に昇るから煙が儀式に採用される。

ヤハウェは火で裁く。

ケルビムの獅子の部分はウリエルらしい。


神道カルト(和風ヤソ)結社ゲームのサイレンでウリエルの火を放てる土偶が登場。
ケルビムの剣も登場。

カトリックでは認可されないウリエル。
つまりウリエル優遇は反カトリック的でもある。

ゾハルのユダヤ・カバラで明確に重視されている天使は
ケルビムとウリエル。

また日本語訳がない時代のユダヤ・カバラ文献が元ネタかもしれない設定が登場。
英訳やドイツ語訳は昔からあるけどね。
ゲームの設定を考える人が日本語以外のカバラ聖典を読むかどうかということ。
話を考えたと公表されている人がどの程度外国語ができるのか知りたい。
もし日本語以外はまともに外国語が読めないと公言しているなら
どうやってこれを知った?ということになる。
誰かに教えてもらったって?
誰に?

ミュラーのドイツ語抄訳を
石丸が日本語重訳した本書は
初版第1刷発行が
2012年7月10日。










p.265から

神の名の最後のヘー〔H〕
白い光であるヤハウェの三文字につながっている青黒い光なのです。
しかし、
この光はあるときはダーレト〔ヘブライ語の四番目の字母D〕で、
あるときはヘーで表される。


前者は、
イスラエルが下でそれと結合して
白い光でそれを発火させることをしないときである。
しかしながら、
ヘーはそれが目覚めて白い光と結びつくときである。

その証拠は次の文にある。
「ある娘が処女で……」
(申命記22・23)。
ここでは「ナアラー」(娘)〔R・A・N〕という語は
ヘーなしに書かれている。
〔R・A・N
 ナアル「少年、男児」の義で、
娘はH・R・A・Nと綴る〕

それは彼女がまだ男と結ばれていないからにほかならない
〔この例のように、
男性形にヘーをつけると女性形になる。
シン・ヨッド・アレフ「男」

ヘー・シン・ヨッド・アレフ「女」〕。

男と女の合一が行なわれなかったところには
ヘーは入る場所がなく、
そこから立ち去って、
ダーレトだけが残る。
白い光との合一が行なわれるや、
文字ヘーが有効になる。
それというのも、
そのときにはすべてがひとつに結ばれ、
白い光に密着するからである。
イスラエルもいっしょに結びつき、
その下に立ってそれに火をつける。
このようにすべてが一つになる。
これは、立ち昇って青い光を呼び覚ます生け贄の煙の秘密でもある――
呼び覚まされた青い光は白い光と結びついて、
炎が一致団結して燃え上がる。

下から接触してくるものをすべて焼き尽くすのが
この青い光のやり方
なので、
生け贄が喜ばれ、炎が結束して燃え上がるばあいについて
こう書かれている。

「ヤハウェの火が降(くだ)り、
全焼の供儀を焼き尽くした」
(列王記上18・38)。

これによって、火が一体となって燃えていることがわかる。
白い光と結びついた青い光は
その下で脂肪と生け贄のかけらをことごとく焼き尽くす。
それは青い光が立ち昇って、
そのすべてが白い光と結びついたときにのみできることである。
そのとき世界の平和が生まれ、
すべてが結びついて一つになる。

だが、この青い光がその下ですべてを焼き尽くしたとたん、
それに下から大祭司、レビ人、そしてイスラエルが歓び歌いながら、
ある者は心からの喜びにつつまれて、
ある者は祈りをささげつつ結びつく。
彼らの上では明りが燃え、
世界のすべての光が一つになり、
上も下もしあわせになる。

それでこのようにいわれている。

「そしてあなたたちはあなたたちの神ヤハウェに愛着し、
今日も全員そろって生きている」
(申命記4・4)。
そして(傍点)
あなたたちは、といわれているのはなぜか。

接続詞ヴァーヴ〔V,U= and〕が脂肪と生贄に結びつくと、
それらはぴったり結合して完全に焼き尽くされる。
それに対して「あなたたち」は、
あの焼き尽くす青黒い光に結びついていると、
滅びずに残り、
「今日も全員そろって生きている」。
(申命記4・4)

いったいに消耗性の青色以外はどんな色も夢のなかでは
好もしく見える。
(好もしという形容詞は実在する)
青色は死の木を意味する。
なぜなら、この木が下界にはびこると、
すべてのものがその下で朽ち果てることになるからである。

しかし、
ひとは言うかもしれない、
この色は空にもみなぎっており、
多くの生き物の群れが上で暮らし、
生きつづけているのではないかと。
だが、この上の生き物たちはみな青い光につつまれていることに注意せよ。
粗野な性質の下の生き物たちはそうではない。
なぜなら、下にはほかに破壊されないようなものは
ひとつもないからだ。
青い光はそれ自身の存在の基になっているすべてを焼き尽くすのである。

(神聖四文字の二つ目のヘー
=青黒い光。
あるときは青黒い光=ダーレト。
青い光は
下から接触してくるものをすべて焼き尽くす。

ヘー
=男性形に女性性を与え(男女の合一)女性形にする。
白い光と合一するとヘーが有効になる。

白い光
=ヤハウェの三文字
=ヨッド・ヘー(一番目)・ヴァーヴ。

神聖四文字
=青黒い光(JHW)
 +白い光(H。女性性を与える)

ヤハウェの両性具有性も意味する。

ヴァーヴは鉤や釘(供儀ではない)を意味する文字なので
鉤や釘を突き刺したら燃えるという話は出なかった)


p.315
トーラーは「生命の木」とも「義」とも呼ばれている。

ツェダーカー
〔「義」の謂であるが
とくに義務的な慈善をさす語として使用される〕

人の子らのなかで最も賢いソロモン王


p.323
「あなたの父と母を敬いなさい」と、
かしこ〔創世記1.14〕の
「天の蒼穹に輝くものがあれ……」。
「あなたの父と母」、これは太陽と月である。
太陽は至聖自身にほかならない。
「なぜなら、神ヤハウェは太陽にして楯だからである」
(詩篇84.12)

といわれているように、
そして月は「イスラエル共同体」にほかならない。
「あなたの月は陰ることがない」
(イザヤ書60.20)といわれているように。
こうしてすべてが一つになる。

(ユダヤ・カバラではヤハウェは雷雨神だけでなく
太陽神でもある。

赤盾系が好きそうな記述。
FGOマシュ(女版マタイ)の丸に十字の盾。
丸に十字はグノーシスであり太陽である。
マシュは右目隠し左目出し=月なので
マシュは明)


p.328から
世界は一〇の言葉で創造されました。
でも、よく見ると、
世界は三つのもので創造されました。
すなわち、
「知恵、分別、そして認識(20)」です。
世界はもっぱらイスラエルのためにのみ創造されました。

神が世界を存在させようとしたとき、
かれは知恵の秘密でアブラハムを、

区別する分別の秘密でイサクを、

認識の秘密でヤコブを創造しました。

「知恵によって家は建てられ、
分別によって家具調度が整えられ、
認識によって部屋はみたされる」
(箴言24・3-4)。

そしてヤコブから十二部族が生まれたとき、
世界が完成し、
上を手本にしてすべてが完成しました。

(20)
セフィロース体系における認識能力が三幅対
〔ホクマーChochma(知恵)
ビーナーBina(知性、分別)
Daat(認識)の三つであろう。
因みにこの三つを縮めたChabadという
カバラ―回帰運動が1800年以前ハシディズムのなかにあった〕。


(ゾーハルのユダヤ・カバラでは
コクマーがアブラハム、
ビナーがイサク、
ダートがヤコブに対応)


p.335から

(23)
ミシュナーはタルムード
〔ユダヤ教の発達史において聖書に次ぐ重要な文書で
ユダヤ古来の伝説、
いわゆる口伝を集大成したもの〕の教理的・規範的部分、
ゲマーラーはそれについての討議や自由な談論、説明を含む。


p.336から

創世記32・7

「彼もあなたに会いに来られます」。
彼ひとりで来たと思われないように、
「四〇〇人が彼といっしょです」といわれている。
だが、これはみなどういう意味でいわれているのか。
至聖はつねに義人の祈りを喜びとし、
それで身を飾るからである。
イスラエルの祈りの上に置かれている。

ザンダルフォンと呼ばれるあの天使はその祈りをすべて受け取って、
それで永遠の生のための冠をこしらえる、といわれているように。
至聖が喜んだあの祈りがあって初めて――
それで至聖を讃えるための冠が作られるのである。

ザンダルフォン
(24)
最高の天使であるメータトローンに次ぐ天使で、
その名(ギリシャの語のアデルフォス)は
友愛を指しているといわれる。


p.342から

「あなたたちは血のついたまま食べてはならない。
あなたたちは蛇の術や罪深い魔法を行なってはならない」
(レビ記19.26)。

まえもって祈祷をせずに血の付いた食べ物を摂取する者は
蛇術師や魔術師の類いとみなさざるをえないという点にひそかなつながりがある。

夜、魂は上の栄光の秘密が明らかにされるかぎり、
それを観ようとして、てんでに昇っていく。
そのとき人は身体が維持されているように、
彼の血のなかに広がっているあの力の領域にとどまっている。
それによって彼は死の味を味わうことになる。
あの力はより高位の魂の力のなかで目覚め、
それを摂取することを予期していないからである。
そのあと人が目覚めたとき、
彼の身体は不浄で、水で浄めねばならない。
なぜなら、魂の去った場所を統治しているのは「反対側」であると
教えられているからである。

たとえ人がトーラーに励んでも、
その場所を統治できるのはあの「ネシャーマー」〔聖なる霊魂〕ではなく、
「ネフェシュ」〔生命〕と呼ばれる血の力、
つねに血といっしょに広がる力だけである。
人が礼拝の祈りを果たしたときだけ、血の力は鎮まる。
そしてネシャーマーの優勢になり、
あの場所に広がって平らかにする。
人は主の前で本当の調和に達する。
ネフェシュは下に自分の場所があり、
ネシャーマーは上の自分自身の在所にいる。
こうして人は食事のまえにお祈りをすれば、
行い正しく、
彼の魂はそれ自身の場所へ昇っていく。
しかし、人がお祈りをせずに食事をすると、
彼の道は聖性の領域を弱めるために「反対側」へ向かう魔術師の道にひとしいとみなされる。
それにしても、「反対側」のために尽くす人が「蛇使い」といわれるのはどうしてか。

彼の労力が蛇の力を強めることを狙いとしているからである。
したがって、彼はほかの神々に仕える者のようである。
彼は血の力に仕えるのであって、
聖性の領域を高めるために至聖に仕えるのではない。
そして彼は「罪作り」とも呼ばれる。

彼の骨折りは罪のなかで行なわれ、
称賛に値する行いのなかでなされるのではないからである。

だがそれに対して、
あなたがこの語の真ん中にあるヌーンの文字を指摘するなら、それは正しい。
なぜなら「反対側」にも、
もしそれに、一本の細い糸のように聖性の側から多少とも混ぜ入れていなかったら、
力は存在しえないからである。

”嘘を成り立たせようと思ったら、
そこに真実のひと言を混ぜこまなくてはならない。”
『ゾーハル』p.343

こうして罪という言葉にもヌーンが混ぜ入れてあるのである。
〔真実という単語に含まれるヌーンか〕

(モーセがエジプトに使った魔術のように
ヤハウェ由来なら魔術師にしか見えなくても魔術ではない。
キリスト教も同様。
ご都合主義。

ユダヤ・カバラでは
「反対側」は左と同じく悪。

”嘘を成り立たせようと思ったら、
そこに真実のひと言を混ぜこまなくてはならない。”
はゾーハルで一番の名言。
悪が成り立つためには善要素がわずかでも必要ということを言うための文脈。


p.345から
「長引いた期待は心の病。
だが、かなう願いは生命の木」
(箴言13.12)。

わたしたちが学んだのはこうである。
人は至聖にたいする願いがかなうかかなわないか考えてはならない。
なぜか。
そうすると大勢の裁きの軍団が彼の行いを見にやってくるからである。
これが願いを考えることが心の病を引き起こす秘密である。
それにしても、「心の病」とはなんのことか。
いつも人の上に立って、
上でも下でも人に障害をもたらすあの〔生き物〕である。
「かなう願いは生命の木」。

わたしたちも学んだように、
至聖が祈りを聞き届けてくれることを願う者はトーラーに励むがよい、
トーラーは生命の木なのだから。
「かなう願い」もそうである。

別の解釈。
もうひとつ別の解釈。
(これら二つ目と三つ目の解釈のメモは省略。
複数の解釈を併記する解釈書がゾーハル。


生命の木への言及があってもセフィラと一緒には出ないことがあることが重要。


p.348
より

世界はただひとりのツァッディークの上に成り立っています。
「義人は世界の礎である」(箴言1.25)といわれているように。
彼の上に世界は基を置き、
世界はその上にささえられ、立てられているのです。

世界は七つの柱にささえられている。

「彼女は七つの柱を切り出した」(箴言9.1)。

それは本当にそうですが、
でも、ほかの柱はみな世界の柱である七番目の柱の上にのっているのです。
世界を潤し、実り豊かにするのはそれです。
それからすべてのものの養分が出るのです。

「一つの川がエデンから流れ出し、
園を潤していた」
(創世記2.10)と書かれている。
これは世界をささえている柱です。
園はそれによって潤され、
それによって実りを生み出します。
それらの実りはすべて世界に広がり、
これらが世界の存在、すなわちトーラーの存在を作りあげます。
これらは何物でしょうか。
義人の魂です。
なぜなら、それらは
至聖の業の結実(全て傍点)
だからです。

(義人(ツァッディーク)
=世界の礎

世界の柱である七番目の柱の上に
残りの六本の柱は乗っているとある。

義人の上に一本柱、
その一本柱の上に六本柱があるのだろう。

世界を支える柱=エデンから流れ出ている一つの川。
一つのとあるから六本柱を支える柱だろう。
え、世界を支える柱って液体なの?
単なる比喩だよね?
箱みたいなもので中身が水?)


p.352から

法を一方に偏らせずに、
釣り合いを保ち、人びとが法〔の効力〕を受けられるようにしなければならない。
そうすればだれしも自分の行いによって裁かれよう。

ミシュナーの教師たちはこう教えている。
義人を裁くのは善の衝動、
悪人を裁くのは悪の衝動、
中間の人を裁くのは両方であると。

生命の木から出た者はまったく裁きを知らない。
彼は悪の衝動を持たない。
「よいものを持っている義人」といわれている完全な「ツァッディーク」である。
だが、よいものといえばトーラーをおいてほかにない。

悪いものを持ってい義人は善悪の認識の木の側から来たものである。
彼に悪いもの、つまり悪の衝動がついているのなら、
どうして彼は義人といわれるのか。
それは善が彼を支配し、
悪はその力に抑えられているからである。

悪人が善を足蹴にしているからといって彼を罰してはならない。
なぜなら、彼だって悔い改めるかもしれないし、
自分の衝動を抑えるかもしれないからである。

完璧な義人たちのもとには「部外者」はいないし、悪の衝動はない。
完璧な悪人のもとにはシェキーナーの分け前はない。
なぜなら、人は善の側からしかシェキーナーの分け前に与れないからである。
それでも、シェキーナーのすべての部分が同じ重さではない。
なぜなら、シェキーナーは善悪の木から出たものであるかぎり、
柱の
台座(ペデスタル)をなしているからである。
しかし、生命の木から出たシェキーナー、
彼女について「悪はあなたに宿らない」(詩篇5.5)といわれている。
彼女については「かれの王国(28)はすべてを統治する」(詩篇103.19)ともいわれている。

それゆえ、彼女の場所に汚点をつける者は
天の女主人を侮辱するようなものである。
彼女の場所を汚すということは王の妃を凌辱することを意味する。

(28)
一〇番目のセフィラ―であるマルクース(「王国」)はシェキーナーと同一である。
(これはミュラーの注釈だから注意。

生命の木と王国が登場するから生命の木とセフィラがセットで出たと言える。
ゾーハルでは生命の木とセフィラがセットで出る箇所あり。
ただしセフィラという単語ではなくあくまで「王国」)


p.364から
雌鹿
(34)
メスの鹿はシェキーナーの象徴的名称


p.387
「あなたの神ヤハウェは焼き尽くす火だからです」
(申命記4.24)。

火を焼き尽くす火がある。

聖なる合一の知恵を識ろうとするひとは
炭あるいは燃える火から上がる炎を見てください。
この炎が上がるのはそれがほかの粗い素材と結びついたときです。

立ち昇る炎には二種類の光があります。
ひとつは白く輝く光で、
もうひとつはそれと結びついている黒ないしは青い光です。
前者が後者をおおっています。
白い光はまっすぐ立ち昇り、
青ないし黒い光のほうはその下にとどまっています。
それは白い光の玉座をなしているからです。
その上に白い光が座し、
そのようにしてそれらは一つになり、
黒い光は玉座として白い光の栄光をささえています。

この点に「テヘレート(41)」の秘密の意味があります。
つまり青い光は〔全体の〕支えとして、
白い光と結びつくことができるようになるには、
ほかの、それ自体死んでいるものを必要とするのです。


(41)
青、古代ユダヤの祭祀でしばしば用いられた色。
精神面での白い光と
物質面での死んだ黒い素材との
あいだを完全に結びつけるものである。

(ヤハウェは火で裁くことが強調されている。
焼く形式の生贄が好きなユダヤ教)


また両種の光は次の点によっても異なります。
下側の光は時とともに変わり、
あるときは青く、
あるときは黒くなり、
それからまた赤(42)に戻ったりしますが、
白い光はけっして変わらず、一定です。

青い光は両方へ結びつきます。
上へは白い光と、
下へはその下にあるあの、青い光がそれによって初めて
光ることができるものと結びつきます。
青い光はそれと結びつくことによって、
青い光の下にあるものも燃やし尽くします。

白い光が結びついているもの、
白い光が座しているもの、
すなわち青い光はそれを燃やし尽くします。
燃やし尽くすことがそれの性分だからです。

このように、すべてのものを食らい尽くすこと、
つまりすべてのものの死は、それにかかっています。
青い光は下からつきしたがういっさいのものを燃やし尽くします。
しかし、それをおおっているあの白い光はけっして焼き尽くしたり、
滅ぼしたりせず、それ自体いつまでも変わりません。
それでモーセは言います、

「あなたの神ヤハウェは焼き尽くす火である」と。
これは文字通りまったくそうです。
それはその下にあるものを燃やし尽くします。
それで「あなたの神」ともいわれているのです。
「わたしたちの神」ではなくて。
モーセは焼き尽くしたり滅ぼしたりしないあの白い光の一員だからです。

でも、いいですか、
青い光が白い一人と一つになる(43)のを呼び覚ますには、
下からそれにつきしたがうイスラエルによるしかありません。
そしてさらに、もっぱら下からつきしたがうものを焼き尽くすのが
あの黒い光の流儀であるにもかかわらず、
イスラエルはそれにもつきしたがい、なお生きつづけています。

ですから、あなたたちの神ヤハウェにつきしたがったあなたたちは生きている、と
はっきりいわれているのです――
「あなたたちの神に」であって、
「わたしたちの神に」ではありません。
つまり、もっぱら下からそれにつきしたがうものを焼き尽くすあの黒い光に
あなたたちは結びつきながら、
それでもなお生きているのです。
それで「あなたたちは全員そろって今日も生きている」といわれているのです。

白い光もさらにそれをつつむある隠れたものに支配されています。
これはより高度な秘密です。
でもすべてのものは燃え上がる炎につつまれていることがわかるでしょう。
高いところの知恵がそのなかにあります。

(42)
赤色は最も根源的な色で、
光とは反対の「黒い炎」から直接発生する。

(43)
おそらく、「下の火」がそれ自身の燃料を焼き尽くさないということを
前提にした不断の合一のことであろう。

(モーセは白い光でできているの?比喩?

焼き尽くす火が黒いってナルトの天照の元ネタ?)


「天が下のすべての事には期間があり、
すべての意志には時(エト)がある」
(コーヘレト書3・1)。

至聖は下でなした事すべてに時と一定のテンポを定めた。
光と闇に時間を、いま世界を支配している他民族の光に時間を、
そしてもろもろの民族の支配下におけるイスラエルの追放という闇に時間を。
至聖はすべてに時を定めた。

「行なう時です、ヤハウェのために――
彼らはあなたの律法を破ったのです
(詩篇119・126)。

「時」はイスラエル共同体を意味しています。

トーラーに精励する者はあたかも至聖に結びつけんがために
あの「時間」に従事するかのようだからです。
これはみななぜするのか。
「彼らがあなたの律法を破ったからです」
(詩篇119・126)。

彼らがもしあなたの教えに背かなかったら、
至聖はけっしてイスラエルから離れなかったでしょう。

「わたし、ヤハウェが、その時になれば、すみやかにそれをする」
(イザヤ書60・22)という言葉も同じ意味で理解できます。
「その時になれば」という言葉は何を意味するのか。
H〔ヤハウェのことか。
タルムードでは通常聖四文字は
H(ヘー)で略記される〕の時になれば、ということです。

(東京グールのエトの名前の由来?
時計が大量にある場面がある。
思想はヤハウェを巨大な力を持った子供(善ではない劣悪神)と考えるグノーシス主義。
結社作品では時間系は最強クラスであることが多い)



ミュラー『ゾーハルとその教義』抄

p.404
南フランスにおける、
原初の神性を人間界と結びつける四つの世界と
一〇の圏域にかんする教義
(アブラハム・ベン・ダヴィドと
その息子の盲人イサアク、『バーヒール』書を生んだサークル)



p.426から
木全体の心臓部をなす「ティーフェレース」

生殖力を持つ根源イェソード

短い顔の人(セイール・アフィーン)

長い顔の人(アーラク・アフィーン)


「ツァッディークは世界の基(「イェソード」)である」
(箴言10.25)


天上の人間の原型、アダム・カドモン
〔太古の人間の謂。原人間〕と、
最初の人間アダム、アダム・ハ=リション。

神秘的・超時間的な考え方では
原人間はより高い領域から下りてくるが
同様に人類の父祖であるアダムも現し身として大地を踏むまえは
エデンの永遠の泉に潤されているあの天の「園」に住んでいる。

ゾーハルは個々の人間にたいしても
その魂が地上に生まれるまえは天上に先在していたことを説いている。

セフィロースの木の世界有機体そのものは
人間の精神的な原初の形態。
個々のセフィロースに人体の主な領域が割り当てられ、
(たとえば
知恵には額が
中間の三つ組には両腕と心臓部が)
それに抜きん出るものは組織全体を超えて高められた王冠の原理しかない。

精神的人間は反対原理マルクースによって
さながら足で立つように地上界に結びつけられている。
「人間の姿はそのなかに」
ゾーハルの言によれば
「天と地上にあるものを、
上の生き物も下の生き物もすべて含んでいる」。
それにも
「神の名が刻まれている」。

ゾーハルも時に身体をまさに魂の印字だという。

小宇宙と大宇宙の形状の一致

園(ガン)は
カバラ―の解釈によれば
肉体と魂にほかならず、
しかも一体。
〔両語の頭文字をくっつけるとガンになる〕

ほとんどすべての神智学的教義におけるように
魂はネシャーマーにさらに
ルーアハと
ネフェシュが結びついている三部構成でえがかれる。
聖書で用いられるこれら三つの名称は、
上の世界や下の世界との関係における魂の三つの段階を指している。

ネフェシュは人の感情と欲動の生活全体、
外的に人を感覚世界と結びつけ、
内的に人が動物界と共有しているすべてのものの器官をなしている。

翻って、ネシャーマーは人の精神性の担い手、
天との関係をつなぐ架け橋、
いわば人の神出自そのものを表す器官である。
(神出自は原文ママ。
人の神性の出自や人の神聖の間違い?)

両者をつなぐ要素としてあるのがルーアハ、
それ自身のなかで回っている人間の内面生活の器官、
普遍的な精神生活の息吹(その名もこれから来ている)の
切り離された一部にすぎない個人的な魂の息吹、
知的思考と情緒的感情の担い手である。

しかし実際にはこれら三部分は本来魂の「構成部分」ではない。
それらの本質は分けられない一つであり、
それらのはたらきはたがいに混ざり合って同一になっている。


オーメル
(言葉。レシュ、メム、アレフRMO)は
三つのより高い自然元素

(エーシュ。Sh、e)

水(マイム。MYM)
空気(ルーアハ。Ch(ア)UR)が一つに結合して現れた。
(頭文字を組み合わせれば言葉になる)

(メモ元ではヘブライ文字だが
私がカタカナにしたりアルファベット変換したりしているが
正式な変換と同じか不明)

「上にあるものは下にもあり、
下にある者は上にもある」。
(者はものの間違いだろう)
ゾーハルのきわめて意味深い言葉のひとつは
こううたっている。
ちなみにこの言葉の響きには古代エジプトを思わせるものがある。
両世界の一方で起きることは
――この考えはこう続く――
もう一方の相応の場所で起きた出来事として現れているのである。
(ヘルメス主義)

p.443から
アダム・ハ=リションは地上の
アダム・カドモンは天上の原人間。
いずれも最初の人間。
フィロは二重の人間の創造を説いた。
ひとつは天地創造に先立つ精神的人間、
もうひとつは大地の塵で造られた人間である。
カバラ―ではアダム・カドモンは神の第二原理(「短い顔の人」)として
したがってまた具象的にその「身+区マイナスメ+品」(要は体)の器官として描かれた
10のセフィロートの総体として現れる。

エノク
アダムの子カインの息子

(だから新ヤソ優遇されるのか。カインの刻印がありそう。
ユダヤカバラではカインの子孫は悪なる者と扱っているがエノクも悪扱いか不明)

父祖たち
(アブラハム、
アブラハムの子イサク、
イサクの子ヤコブの三人。
アブラハム、イサク、ヤコブ)


ベテルのヤコブに、
聖書ではただ「男」とだけ呼ばれるあの生き物との格闘
〔ヤコブは長子権を奪われて憤る兄エサウの殺意を逃れて旅する途中、
夢のなかで天と地を結ぶ梯子を神の使いたちが上り下りしているのを見て、
その場所をベテル「神の家」と名づけた。
創世記28・10以下


「男」とは天使で
戦いに勝ったヤコブはイスラエルの名を授かる。
創世記32・23以下〕


カイン
アダムとエヴァの子、アベルの兄

テラ
アブラハムの父

ロト
アブラハムの甥

ラバン
リベカの兄、
イサクの義兄、
レアとラケルの父

エサウ
ヤコブの双子の兄

カナン
ノアの子ハムの息子

はさまざまな段階で「反対側」の原理に、

サラ
アブラハムの妻

リベカ
イサクの妻

ラケル
姉レアとともにヤコブの妻

レア

はある種の女性的な根源的力に相当する。

ヨセフ
イスラエル十二部族の祖


ヘブロン
ダビデの統治した南王国の首都。

ダビデはアガーダーの解釈によれば
アダムから1000年分の寿命を分けてもらったのである。

エルサレム
南北両王国を統一したダビデはここに首都を置き
ダビデの町といわれる。

シェロモー(ソロモン)

タルムードの見解によれば
トーラーは原型として世界の創造に先立つものなのだ。


元旦と贖罪の日
ユダヤ暦では太陽暦の九月、十月にあたるティシュリの月が正月。
元日から十日目が贖罪の日。
元日の祈年祭りと贖罪の日は神を畏れる日として祝祭日のなかで最も重視される。


ゴールース
〔ガールースの俗称。
魂の追放ギルグールに対して肉体の追放を指す。
ユダヤ人がイスラエル外の諸国に滞在することであり、
その歴史は聖書時代に始まり、
第二神殿の破壊からイスラエル国家建設までのユダヤ史に相当する〕


10番目の領域
〔神の王国マルクース、
シェキーナーとも呼ばれる。
ゾーハルではイスラエル共同体の神秘的な原像〕

p.456から
メシアの到来 ※21 についてはそれとなく示唆されるだけである。
そこからメシアが来ることになっている天の領域は鳥の巣と呼ばれ
メシアがこの世に現れる場所としてガリレアが名指される。
時どきタルムードの
二重メシア観
〔まずヨセフ家のメシアが現れ、
離散したイスラエルの子らを呼び集めて
敵を一掃したエルサレムに破壊された神殿を建設するが、
そのあと神に抵抗する勢力との最終決戦に敗れて死ぬ。
そののちダビデ家のメシアが現れ、
悪魔の勢力に最終的に勝利して平和が訪れるというもの〕に
話が結びつけられ、
最終的な平和の国の樹立に先立つ巨大な、
イスラエルの存在を脅かす戦争について語られる。

※21
メシアの到来、神人のこの世における実現は完全に世の終わりに設定されており、
その点にカバラ―の教義とキリスト教の教義との原則的な相違のひとつがあるといえよう。

ゾーハルにもタルムードの解釈方法の四区分が繰り返される。
ペシャートは忠実に語義に基づく方法

レメズは型にはまった解釈

デルーシュは寓意的

ソードは秘教的 を意味する。
これら四語の頭文字を取ればパルデス(果樹園)という名称ができる。
これは深い完全な理解の楽園(パラダイス)を表し、
アガーダーの伝説によれば、
共に励む四人のタルムード学者のうち
ラビ・アキバだけが身も心も損なわれずにそのなかに出入りすることができ、
ほかの三人は危険だらけの道で破滅した。

〔タルムードの内容は
律法にかかわるハラハーと
教えや訓戒、思索・瞑想に類する実際的な部分アガーダーの二つに分かれる〕
ゾーハルはタルムードのハラハー的要素から別れると同時に
アガーダー的要素と密接に結び付く。

ミシュナー教師(タナイートたち)
〔ミシュナーは聖書とは別に
古来ユダヤ人社会に伝わる口伝(慣習律とか訓戒、昔話など〕を集大成したもの、
全六巻。タナイートはそれを教授する人〕

「聖なる獅子」ラビ・イサアク・ルーリア

メモ以上。





参考資料(ユダヤ・カバラ編)




ぐだトマト@pteras14
2017年5月14日

「エドムの王」ってのはね、モーセや
ダビデ達がイスラエルを建国する前に
あの辺りを陣取ってた現地人の王様
達の総称なんだけど、カバラ上は
「根源悪」。で、セフィロトの玉と
同じ数あるの。


で、ヤハウェ君(神の事)が天地創造
するにあたりこの「エドムの王」達を
まず惨殺するとこからスタートする。
つまり「悪のセフィロト」の玉を
全部粉砕するんだ。

そして「天地」は悪の死骸の上に
初めて打ち建てられる。

#FGO
#FateGO

2016年7月29日
この庵野の「スクラップ&ビルド」論、
コレ、ユダヤカバラから来てる。

ユダヤカバラの創造論では神が
創造を行う前に必ず既存の物
(7人のエドムの王)をぶっ壊して
からじゃないと出来ないという
理論がある。

これも元ネタはアーリアの
創造、維持、破壊サイクル論ね。






現在のヤハウェが創造した世界の
前の世界は「イスラエルの王が支配する前にエドムを支配していた王達(エドムの王)」と呼ばれる。
当然、ヤハウェは完全に善なので
前の世界を破壊するのは善。
つまり前の世界は悪とされる。
善なる世界の創造のために(前に)
悪なる世界を破壊する思想。
まず破壊してから理想郷創造。



旧約聖書~士師記より~@BibleJP_Jud
5月31日
そしてイスラエルは使者をエドムの王につかわして
「どうぞ、われわれにあなたの国を通らせてください」と言わせましたが、エドムの王は聞きいれませんでした。
(士師記 11章 17節)


↓を読むと本書は全訳でないとよくわかる。


カバラの三大経典
https://phenix2772.exblog.jp/9906402/
"『 創造の書 』 
「形成の書」セフェル・イエツィラー(Sepher Yetzirah、"Book of Formation)ともいう。
 カバラにおいて最も重要な書が「ゾハール」とこの「創造の書」である。
この「創造の書」の成立は2~6世紀頃と思われる。G・ショーレムは3世紀頃に成立したのではないかと考えている。現存する最古の写本はカイロのシナゴーグから発見された11世紀頃のものである。 

学者によっては、8~9世紀、あるいは9~10世紀頃と考える者もいた。それによると、ヘブライ語言語学の創始者で、アラビヤ語で「創造の書」の注釈を書いたサアディア・ガオンこそが「創造の書」の著者ではないかという説もある。が、これには証拠は無い。

ともあれ、タルムートにも「創造の書」の記述があることからも、この書の歴史は、思いのほか非常に古いと考えられる。「創造の書」には複数種のテキストがあり、それを集めた本もあるほどである。だが、一般的に短い本文だけの版、長文の版、サディア版などのテキストが知られている。

また、訳者や注釈者によっても、その意訳は大きく変わり、研究者は複数のバージョンを調査する。なお、短文版は全文が邦訳されており、下記の参考文献で読むことができる。

カバラは、初期においては神学的な思索に偏りがちだった。
しかし、この「創造の書」は神学的な考察よりも、一種の宇宙論の立場からカバラを論じているのが大きな特徴であろう。ここにおいて、宇宙の始まり、創造と宇宙を形作る要素の働きについて解説される。

それは非常に理論的かつ体系的であり、カバラを大きく発展させた。
13世紀に入って、この宇宙論と神学的考察が、完全な形で融合を遂げ、我々の知っているカバラが生まれるのであるが、その土台となるべき書であった。

「創造の書」の著者は、言葉と言葉によって表現される事物は、がっちりと結びつき、1つの統一体を作っているという。そして、言葉は「文字」という一種の「元素」から作られている。これはとりもなおさず、22のヘブライ文字は、「言葉で表現される事物」の元素であることをも意味している。カバリストが文字の研究を重視する理由がここにあるのである。

「セフィロト」という言葉を最初に用いたのは、この「創造の書」である。「そこには無形の十のセフィロトおよび基礎となる22の文字がある。」このセフィロトの語源は、ヘブライ語の「セフィラ」から来る。その意味は「範疇」である。我々はセフィラを「球」と訳したくもなるが、これは「ゾハール」以降の「樹」における考え方からくる。

カバラの歴史において「セフィロト」の概念は、形を変えて進化する。少なくとも「創造の書」が書かれた当時、我々の知っているような「生命の樹」のような高度な体系化は、まだ成されていなかった。しかしながら、ずっと後世のカバリスト達は、「樹」を説明するために、この「創造の書」の記述を利用した。このことには、特に矛盾は無い。「生命の樹」は、もともと「創造の書」の思想に従った図式であり、完全に一致する概念なのだから。

「創造の書」には宇宙創造の思想が含まれる。これによると、宇宙の構成要素は3つあり、それは「世界」と「時間」と「人間」である。創造のごく初期には、これが潜在的に存在している状態にあり、これは「原始物質」である。宇宙の創造、これは虚無からの創造であり、二重創造の思想である。一つは「理想的な世界」として創造され、次に「現実的な創造」が成されたという思想である。

宇宙は確かに神からの流出によって創造された。しかし、先の3つの宇宙の構成要素、「原始物質」から現実的な世界が創造される前に、実在しない理想的な世界がプロトタイプとして作られた。まず空間が形成され、そこは3次元の世界である。要素として先の3つの「原始物質」がある。それが鏡に写されて合計して6つの象となり、そこから世界が創造されると考えた。

セフィロトは合計して10あるわけだが、最初の4つのセフィロトは創造する力であり、神の内部からの流出ではない。これはエゼキエル書の「4つの生き物」とも照応されるが、世界を創造するための4つのエレメンツを表現している。しかし、「創造の書」の段階では、この4つのエレメンツは錬金術的なそれではなく、「生きた神の霊」、「全宇宙にあまねく存在する空間に充満した精霊、エーテル」、「水」、「火」を意味している。

この10のセフィロトは非現実的な存在である。これが現実の存在物となるためには、先の鏡像を結びつける神秘的ナ数値が必用である。それは「1」である。セフィロトの2から10までの数値は、いずれも「1」から生み出されたものである。

「1」は生きている神の息であり、ここから「精霊のなかの精霊」であり「声」である「2」が生まれ、これは自然界のエーテルであり、そこから水(海)と土(大地)が生じ、「3」と「4」が生じる……
かくして「1」という数値は、「神」と同一である。こうして10のセフィロトが結合されると、そこに「神」の霊が存在すると考えられた。

この思想を後世のカバリスト達が深く考察し、図式化して行った結果、「生命の樹」の思想が形成されてゆくことになるのである。また「創造の書」は、ユダヤ歴についても触れられており、さらには7つの惑星についても触れられている。早くもこの書の頃から、一種の占星術的なシンボルがカバラに用いられていたことも分るであろう。


「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社
「カバラ」 箱崎総一 青土社 (「創造の書」の邦訳あり)
「ユダヤの秘儀」 ベン・シモン・ハレヴィ 平凡社
「ユダヤ教神秘主義」 G・ショーレム 法政大学出版局

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『 ゾーハル 』
「光輝の書」セフェル・ハ・ゾハール(Sepher ha-Zohar、"Book of Splendor)ともいう。
 ゾハールとは、アラム語の「ジハラ(輝き)」から派生した言葉で、そのため「光輝の書」とも訳される。1280年から86年にかけて、スペインのカタロニア地方のゲロナ市のゲットーに突如出現した。それは、1冊だけの本ではない。複数の小冊子の断章で、それがバラバラになった形で発見された。

カバリスト達は、この「ゾハール」を読んで仰天した。何しろ、カバラの秘密の奥義ともいうべき知識が、ぎっしりと詰め込まれていたのだから。言うまでもなく、この本は、秘伝書とされ、珍重された。この本が印刷されるようになったのは、やっと16世紀になってからである。

しかも、もともとバラバラになった形で出てきたこの本は、なかなか1冊の本には、まとめられなかった。この「ゾハール」の完全な全集が出るのは、やっと20世紀に入ってからである。

この「ゾハール」の著者は、紀元150年頃に活躍したユダヤ教神秘主義者のシメオン・ベン・ヨハイだとされる。しかし、最近の研究で、これは否定されている。本当の著者として、一番有力なのは、モーゼス・デ・レオン(1250~1305)なるラビである。

「ゾハール」は、2~6世紀に成立したと考えられる「創造の書」より、思想的にも発展しており、それより古いとは考えられない。また、新プラトン主義の影響も顕著である。さらに、書誌学者達は、その文法上のミスからも、13世紀以前のものとは考えられないと言う。

「ゾハール」の内容を、一言でまとめるなど、不可能である。量があまりに膨大なのだ。さらに、内容は、暗喩と寓意に満ちており、素人がいきなり読んでも、チンプンカンプンのアホダラ経にしか見えないであろう。注釈書が無ければ、まず理解できまい。

ゾハルは、「大ゾハル」と「小ゾハル」の2種のテキストが長らく利用された。無論、これは全集ではない。「大ゾハル」とは、16世紀にマントウアとインマヌエルなるカバリストがまとめた物で、10種類の写本をもとに最良の手稿を選別し、各章ごとに配列しなおしたもので、別名を「章別ゾハル」と呼ぶ。 もう一つの「小ゾハル」は、クレモナとエリアーノによって、6種類の写本を編集したものである。

こうした「ゾハール」に収録されている章本の中でも特に重要なものが、以下の5つである。

 「隠された神秘の書」
 「大聖集会」
 「小聖集会」
 「エロヒムの家」
 「魂の革命の書」

  最初の3つは、主に創造の神が発展してゆく段階と神による天地創造を語る。これは、象徴と暗喩の塊で、おそろしく難解ではあるが、かの「生命の樹・・・神から流出する創造の過程」を理解しようと思ったら、必読にして要研究の重要な書物である。

「エロヒムの家」は、主に霊を解説した書であり、天使、悪魔、四大精霊について記されている。
「魂の革命の書」は、盲人イサクの神学を語った本だ。

当然のごとく、魔術師にとって重要なのは、生命の樹の理解と直接関わる前三者の
「隠された神秘」、「大聖集会」、「小聖集会」である。これらは、かのマグレガー・メイザースによって、「ヴェールを脱いだカバラ」と言う題で英訳され、これの日本語版も国書刊行会より出版されている。

他に重要とされる章本に「モーセ五書に関する詳細な注釈」、「真の羊飼い」、「補説」、「新ゾハール」などが挙げられるが、どれを重要視するかは、流派や立場によって異なる。「ゾハル」が画期的とされる理由は、いくつもある。 一つは、これまでバラバラだったカバラの各流派の教義を網羅的に取り上げ、統一させたこと。

輪廻転生の思想を持ち込んだこと。
そして、「命題(テーゼ)」と「反定位(アンチテーゼ)」を「第三の原理(ジンテーゼ)」によって調停させたことである。「創造の書」において、「第三の原理(ジンテーゼ)」は、宇宙の生成論に応用されただけだが、
「ゾハール」においては、完成した形を持つ形而上学として扱われている。

もっと、分かりやすく言うなら、これら3つの原理の働きによって、創造の「流出」の過程を説明しているのである。・・・・まだ分かりにくい? つまり、「男性原理(父)」と「女性原理(母)」の対立を、「第三の原理(子)」で調停し、中和させる、という考え方を明示したのである。

ここにおいて、「男性原理」は、聖四字名のヨッドに、「女性原理」はへーに、「第三原理」はヴァウに当てはめられている。これは、しばしば、キリスト教の三位一体思想と混同されがちだが、あきらかに異質だ。キリスト教の「父」は厳格、「子」は慈しみ、「聖霊」は慈悲深い全てを包み込む原理、である。

それに対し、カバラでは「父」は忍耐、「母」は粛厳、「子」は慈悲をあらわす。そう、「生命の樹」のシンボリズムそのものなのである。

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『 バヒルの書 』
「光明の書」セフェル・ハ・バヒル(Sefer ha-Bahir、"Book of Illumination")ともいう。
  カバラにおける重要な原典を3つあげるとすれば、やはり「創造の書」、「ゾハール」、そしてこの「バヒルの書」であろう。この「セフェル・ハ・バーヒル」とは、「光明の書」という意味である。30~40ページほどの小冊子で、ヘブライ語とアラム語が混在しており、旧約聖書の注解書の形式を取っている。

この書物の成立は例によって、謎に満ちている。少なくとも、1180年以来のカバリスト達の間で伝承されてきたのは事実である。著者は一説には盲人イサクとも言われるが、かなり怪しい。おそらく12世紀に南フランス(プロヴァンス)で書かれたものと思われるが、はっきりとしたことは分からない。

この書物は、第3期(前期完成期)の幕開け的な書物であり、非常に重要なカバラ文書である。
かのG・ショーレムのデビュー的な論文が、この「バヒルの書」のドイツ語訳と注釈だった。
だが同時に、この「バヒルの書」の内容は、乱雑で統一が取れておらず、混乱しているとの批判を浴びることもある。これは編集が杜撰であるためのようである。

ただ、重要なことは、この書物が、カバラにおける神学的考察と宇宙論、宇宙の創造論、これらの一体化の完成・成熟に大きく寄与していることであろう。
この書はカバラの思想の変遷において、第2期(成長期)と第3期(前期完成期)の境界線の役割を果たしているとも言える。実際、「バヒル」登場以前のユダヤ教の宇宙創造論は、まったく別物だとも言われている。

「私がこの「樹」を植えた。
全ての世界がその中で大いに喜ぶ。
それは全てを紡ぎそれは「総て」と呼ばれた。樹の上に総てがかかり、
この樹から総てが流出し、総てのものがそれを必要とし、
その樹を仰ぎみる。そしてその樹のためにあこがれる。
この樹から総ての霊魂が導かれる(箱崎総一訳)」

また、このような記述もある。
「この樹とは何か? 彼は語った。神の諸力は、
すべて重なり合って貯えられており、さながら一本の樹に似る。
樹が水によって実を結ぶように、神もまた水によって樹の諸力を増やされる。
では神の水とは何か? それは智恵のことであり、
樹の果実は源泉から大運河へと飛翔する義なる人々の魂のことである(小岸昭・岡部仁訳)。」

つまり、この「樹」は、宇宙を現す樹であると同時に、
人間の魂の進化の樹でもあるのだ。
「バヒルの書」の記述の中には、この「樹」の記述が論じられる。
「バヒルの書」では、この「樹」は、神の植えた樹ではなく、
神の神秘的な構造がこれを生じさせたと解釈すべきであると指摘される。

ここまで言えば、この書の重要性は言わずもがなであろう。そう、セフィロト論を「樹」の形で説明しているのだ。そして、この書では難解な象徴的な表現ではあるが、セフィロト論についても述べられる。これはやがて、現在我々が用いている「生命の樹」の大本となってゆくのである。

カバラにおいて、ゾハール的な象徴表現が盛んに用いられるようになるのも、どうやらこの「バヒルの書」が、きっかけの1つらしい。また、「バヒルの書」には、すべての人間の肢体に照応する「神の7つの聖なる形」の記述がある。これは、かのアダム・カドモンの思想を意味する。

さらに、カバラにおける輪廻転生の思想ギルグールも、
早くもこの書物に現れている。それゆえに、
この書を初期グノーシス主義における新プラトン主義と
伝統的なユダヤ教神秘主義とを繋ぐリングとして重要である、と考えられることも多い。

この書は、登場した当初から正統派のラビ達から異端として、激しい非難を浴びた。
神に関するあけすけな神話的な記述が、一種の冒涜として捕らえられたらしい。
また、悪は神自身の内部の一原理あるいは一特性である、との主張もあり、
これも正統派のラビ達から、反発を受ける原因ともなったらしい。

さらに、この書は編集が杜撰で、文章も拙劣であるといわれる。
内容的にも、ユダヤ教神秘主義におけるメルカバ瞑想の思想と東洋の思想の剽窃・混合であるとの指摘もあり、それはそれで正しいのかもしれない。しかし、この書が、カバラの思想に一種の革命をもたらし、
発展に大きく寄与したこともまた、厳然たる事実である。なにより重要なのは、この点であろう。 "





参考資料(GDカバラ編)(の方が魔術の実践的に重要だな今回の記事は)


Angeliqua@nap master
@Ripple1975
7月
科学に問題点があるとすれば、知識や技術が必ずしもひとの幸福に寄与しないということなのかも知れない。けれどこれはそれを扱う人の問題だよね。感情によってそれを否定している以上、いくら論理的に説得しようとしても無駄なこと。まずは拒絶反応を示す原因を取り除かないといけないのです。

こころが豊かでないと何かを吸収することは出来ないの。おなかがすいていないとご飯が食べられないように。精神的にまいってしまってるひとは食欲不振に陥ったりするの。要するにそういうことだと思う。

似非科学が蔓延するのって真実を、知を求めてるのではなくてそれによって得られるであろうと誤認している心の満足感がほしいんだと思います。
納得するのってそういうことでしょう?

理解はしても納得できないところからきてるのでしょうね。要するにおなすいてるのです。


もし地球が丸くなかったら? 短波による地球の裏側との電離層通信が成り立たないの。わたしはそれを実感としてしってるから地球が丸いことを信じてる、心からね。

たとえば裏側あたりに位置する国と通信を行うとき、アンテナの前方の電波と後ろから回ってくる電波に時間のずれが生じてエコーがかかったようになることがあるんです。これなんて地球が丸くないと成り立たないお話。実体験ってだから強いのです。


わたしたちは学校で習うことが多すぎて「知識では知ってるけど・・・」というのが多すぎるんです。頭では理解しても心が納得してないの。


何かを学ぶには心の豊かさが必要なのでしょう。現代のわたしたちはあまりにも多くのことを学ぶけれどそれを机上だけでなく日常で再発見する体験をそんなにもってはない。りんごさんが木から落ちてきてもみんな「それはしってる」で終わっちゃうのが問題なのです。


大きくなった大人がりんごさんが木から落ちるのをみて感動してる姿を笑うのはもうやめませんか? そんな当たり前のことを? なんてわたしは思わないの。寧ろその感性を大人になっても保持してることを高く評価します。それは魔法使いが生まれる瞬間だからです。

祭壇は収納スペースのあるサイドテーブルのようなのが一般的かも?
立方体を二重に重ねたくらいの寸法ならばいうことなし。
あとはアルター・クロスかけるだけですから。キャスター付ならばいうことなし。

GD系だとこういうの自作するのです、日曜大工的な?

一般的には魔法の道具っていうと
四大武器やロータスワンドのようなのを思い浮かべるでしょうけれど、
最も重要なのはアルターなんです。
その一番上、道具が配置される天板というのがそのひとの意識そのものを意味してるからね。

何故二重立方体なのか?
それはひとの心には顕在意識と潜在意識があるから。

それだから祭壇の基底部からオポフィス(テュポーン)が上昇してくるなんていう表現が成り立つの。

よくこれを宇宙の二重立法さ祭壇なんて言い方するのだけど、
ここでいう宇宙とは小宇宙のこと、すなわちそのひとの心の全領域を意味してるの。

それだから魔法使いがローブ以外に一番最初につくるものといえばまずアルターってことになりますね。



テーブルの高さはご本人が立ったときにちょうどおへそのあたりにくるくらいでちょうどいいかも? 低すぎた場合には下に何かのせて調整してください。どうせ大きな黒い布かけちゃぅからみえなければいいの。あとは倒れないようにね、祭壇が。

ぶっちゃけ、
背の高い丸テーブル(ハイティー・テーブル)に布をかけただけのもので間に合わせちゃう人もいますけどねー。


GDは象徴詰め込みすぎというのは確かにあるかもね。
二重立方祭壇も「上のごとく下も然り」というヘルメス・トリスメギストスのあれからきてるし、
そもそも立方体ひとつが六面体であること。
二つが重なれば二面がなくなるからその合計が10面でセフィロトの数となる。


正方形が六つということはそれを展開するとカルヴァリー・クロスとなるの。
だから契約の十字架が二つ重なってる姿ということにもなる。のっけからこれですからね。

最初はあまりたくさんの象徴を使わないほうがいいの。たぶんわかんなくなる。
タロットも単純な形でなれたほうがいいし占星術もね。
一度慣れてしまえば覚えきれないと思うようなものでもどんどん吸収していく。最後には何も見ずに本何冊もかけるくらいにはなるから心配は要らない。

こういうのに単純な記憶量を自慢したところで意味はなく。
むしろ遠回りしてしまうから。
単純な象徴からどのくらい豊かなイメージを展開できるかが問われてるのだから
知識としての意味解釈のみ増やしていけばとても不毛なことになっちゃう。


象徴って生きた文字だから育てていくものなの。
本に書かれてるのはその代表的な物でしかなくて。現実の単語もそうだよね。実際に日常の中で使って少しずつその中に意味を加えていく。本で意味を知る段階は小さな子供が言葉を覚えてそれを何度も繰り返すのに似てるの。


セフィロトに意味を書き込んでそれでおしまいみたいになるのが一番いけない。その意味のひとつひとつが自分の中で息づくように体験として活性化していくの。だから必然的に何年も、何十年もかかることがわかるでしょうね。


どこかのセフィラーをイメージして神名を振動させるという儀式的手順は、だからその意味をかみ締めて深化させるための工夫でしかないということができるの。
常に何をしようとしてるのかを意識しなければ恐らくは勘違いが訓練のさまだけになっていく。


セフィロトは生きていなければいけないの。「生命の木」といわれるように知識で出来た張りぼてのようであってはいけない。


その「木」は毎日水を与え育てていくものですから。それに何年も費やすものなの。

ダアトがなぜセフィロトに数えられないかわかる? それは流産の子なのです。
「木」において生み出されるのは知恵でなくてはいけないからです。

だからダアトがアビスに配置され、知識と呼ばれることはとても意味深い教えなの。

カバラーの学習なんてダムからお水を引き入れるための配管を設置してるだけよ?
だから水門を開き、自由にお水が流れ込むようにしないといけないの。
それがマルクトまで到達するように各セフィラーの弁を開いていく。
どこかに滞りがあると思考の流れが阻害されちゃう。知識というお水はただの結果なの。

ダムとわたしがよんでるのは「霊的力の貯水池」のこと。
そこからお水を引いてコップにお水をくんでいるだけなのです。


ものごとを順を追って考え説明できるようにするためにそういう心の工夫が必要になる。それはダムであり発電所ともいえるかもね。電気は発電所で作られて変電所で減圧されていく。
手元の家庭用コンセントにはたったの100~300Vくらいしかないでしょ。もとは数十キロボルトもあるのです。

それだからいきなり高圧電線をつかんで幻惑されないでね。



霊的知識に本来、著作権なんてあるわけがない。それはパブリック・ドメインであり著作権者はすべてかみさまなの。

それだから古のカバリストたちはみんなその身分を隠して本を書いてきた。みんなそうなの。だって著作権者はかみさまだから。


そうだと思いますよ。大切な精神的文化というものはその著作権を神様に帰属させるのがこの世界の伝統です。だから著者がヘルメースやそのほか、伝説の人物だったりするの。
ポールから盗んでマイクに与えるような真似はしない。聖書だってそういうものだと思います。おやすみ。



大切なことは堅苦しいとわかってても面倒でも正規表現するの。
「この手紙をオフィスに届けてね」という表現は通用しない。
「この手紙をこのままの状態でどこから(住所)
どこまで(住所)自動車を使って(手段)あなたが(誰が明日までに(いつ))届けてねっていう表現を使います。魔法でもそうなんだけどね。

大切なことをいうとき、これを守らないと曖昧さが命取りになるからです。物事に意識的になるっていうのはそういうことだからなの。

常識的にというのは通用しない。だってそれはわたしの常識なんだもの。


本当に怖いのよ、勘違いに行き違いって。第三者が読んでもわかるような言葉にしないとね、そういうときは。プログラミングのソースコードでもそうだと思うんだけどね。それからお仕事の契約関係なども。

常識が通用しない例として、たとえば子供にお使いを頼むときなどがそうね。大体が初めての体験の場合は一定の常識がないものと判断するの。だから何かをお願いするときにはそういう表現を使います。


だれにだって最初があるの。それを決して悪いとは思わないのだけどそれをいつも念頭においておくことは必要でしょう。


うーん、わたしの場合だとそのひとの人となりで判断するかしら? いくら技術がよくても基本的なことが出来ていないとお仕事は頼めないの。約束が守れない場合、最悪すべてが台無しになっちゃうからね。


いつも約束を守ってくれて説明は明示的。決して曖昧なところがないというのはとても高評価を与えられます。どんなに安価な製品やサービスであっても長く安心して使えなければお取引は嫌かも?
これはパートナーにも求めるところだけど。


曖昧さがないというのは納得して取引できるからです。あとでトラブルって嫌じゃない? 自分が完全に納得した上でならばそれでいいんだけどね。

うん、だってそれが誠実さってものだから。

(
鍵だがプライベートな話ではないし
本記事は人気なさそうだから引用。
洗礼を解除する手段がないから
洗礼されると思想がクリスチャンじゃなくても
クリスチャン扱いされてしまう。
洗礼解除ってどうやってするのだろう?
解呪法求む。

鍵amon bonbon princesse
‏@mryensrh11
魔術の道具で一番大事なのは祭壇
それが二重立方体であるのは
顕在意識と潜在意識を示す

そして魔術の道具は手作りをするのが大事


さらさらっとえげつない事を書いてくるw

この人クリスチャンでしょ
しかもイギリス系のGD系でしょ?

その意味じゃ私の目指す方向とは全然違うんだけど
(あ、いや、そういえば 私もクリスチャンだったっけ??)
なにしろレベルがクソ高いんでね
参考になる事が多い

わたしゃー どっちかっつーと
タロットだってマルセイユタロット系が好きなんだよねー

ドイツフランス系の方がさ
エゲレス系よりも上級の気がするんだよね

単に上級下級が優劣につながるのか?
って疑問はさておき

上級って表現がまずけりゃ
源流とでも言おうか?

以下amon bonbon princesseさんがリツイート
Angeliqua@nap master
@Ripple1975
大切なことは堅苦しいとわかってても面倒でも正規表現するの。
「この手紙をオフィスに届けてね」という表現は通用しない。
「この手紙をこのままの状態で
どこから(住所)
どこまで(住所)
自動車を使って(手段)
あなたが(誰が
明日までに(いつ))届けてねっていう表現を使います。
魔法でもそうなんだけどね。

大切なことをいうとき、これを守らないと曖昧さが命取りになるからです。物事に意識的になるっていうのはそういうことだからなの。
常識的にというのは通用しない。だってそれはわたしの常識なんだもの。

本当に怖いのよ、勘違いに行き違いって。第三者が読んでもわかるような言葉にしないとね、そういうときは。プログラミングのソースコードでもそうだと思うんだけどね。それからお仕事の契約関係なども。

7月5日
そうだと思いますよ。大切な精神的文化というものはその著作権を神様に帰属させるのがこの世界の伝統です。だから著者がヘルメースやそのほか、伝説の人物だったりするの。ポールから盗んでマイクに与えるような真似はしない。聖書だってそういうものだと思います。おやすみ。


7月4日
それだから古のカバリストたちはみんなその身分を隠して本を書いてきた。みんなそうなの。だって著作権者はかみさまだから。

7月4日
その他
霊的知識に本来、著作権なんてあるわけがない。それはパブリック・ドメインであり著作権者はすべてかみさまなの。


7月4日
だからダアトがアビスに配置され、知識と呼ばれることはとても意味深い教えなの。

7月4日
ダアトがなぜセフィロトに数えられないかわかる? それは流産の子なのです。「木」において生み出されるのは知恵でなくてはいけないからです。

7月4日
その「木」は毎日水を与え育てていくものですから。それに何年も費やすものなの。


7月4日
セフィロトは生きていなければいけないの。「生命の木」といわれるように知識で出来た張りぼてのようであってはいけない。

7月4日
どこかのセフィラーをイメージして神名を振動させるという儀式的手順は、だからその意味をかみ締めて深化させるための工夫でしかないということができるの。常に何をしようとしてるのかを意識しなければ恐らくは勘違いが訓練のさまだけになっていく。

7月4日
セフィロトに意味を書き込んでそれでおしまいみたいになるのが一番いけない。その意味のひとつひとつが自分の中で息づくように体験として活性化していくの。だから必然的に何年も、何十年もかかることがわかるでしょうね。

7月4日
象徴って生きた文字だから育てていくものなの。本に書かれてるのはその代表的な物でしかなくて。現実の単語もそうだよね。実際に日常の中で使って少しずつその中に意味を加えていく。本で意味を知る段階は小さな子供が言葉を覚えてそれを何度も繰り返すのに似てるの。

7月4日
こういうのに単純な記憶量を自慢したところで意味はなく。むしろ遠回りしてしまうから。単純な象徴からどのくらい豊かなイメージを展開できるかが問われてるのだから知識としての意味解釈のみ増やしていけばとても不毛なことになっちゃう。

7月4日
最初はあまりたくさんの象徴を使わないほうがいいの。たぶんわかんなくなる。タロットも単純な形でなれたほうがいいし占星術もね。一度慣れてしまえば覚えきれないと思うようなものでもどんどん吸収していく。最後には何も見ずに本何冊もかけるくらいにはなるから心配は要らない。

7月4日
正方形が六つということはそれを展開するとカルヴァリー・クロスとなるの。だから契約の十字架が二つ重なってる姿ということにもなる。のっけからこれですからね。

7月4日
GDは象徴詰め込みすぎというのは確かにあるかもね。二重立方祭壇も「上のごとく下も然り」というヘルメス・トリスメギストスのあれからきてるし、そもそも立方体ひとつが六面体であること。二つが重なれば二面がなくなるからその合計が10面でセフィロトの数となる。

7月4日
テーブルの高さはご本人が立ったときにちょうどおへそのあたりにくるくらいでちょうどいいかも? 低すぎた場合には下に何かのせて調整してください。どうせ大きな黒い布かけちゃぅからみえなければいいの。あとは倒れないようにね、祭壇が。


@Ripple1975
7月4日
ぶっちゃけ、背の高い丸テーブル(ハイティー・テーブル)に布をかけただけのもので間に合わせちゃう人もいますけどねー。



7月4日
それだから魔法使いがローブ以外に一番最初につくるものといえばまずアルターってことになりますね。



7月4日
よくこれを宇宙の二重立法さ祭壇なんて言い方するのだけど、ここでいう宇宙とは小宇宙のこと、すなわちそのひとの心の全領域を意味してるの。


7月4日
何故二重立方体なのか? それはひとの心には顕在意識と潜在意識があるから。

7月4日
一般的には魔法の道具っていうと四大武器やロータスワンドのようなのを思い浮かべるでしょうけれど、最も重要なのはアルターなんです。その一番上、道具が配置される天板というのがそのひとの意識そのものを意味してるからね。

7月4日
GD系だとこういうの自作するのです、日曜大工的な?

7月4日
祭壇は収納スペースのあるサイドテーブルのようなのが一般的かも? 立方体を二重に重ねたくらいの寸法ならばいうことなし。あとはアルター・クロスかけるだけですから。キャスター付ならばいうことなし。

(アモンたんRTここまで)
(ここから単なる私のコピペ保存)

2019年7月11日
何かが別の何かに見えたということは、見た本人の意識が何かを捉えようとしたサインなのです。
その様にカードが配置されたのは偶然なの。
但し、そのように読み取ろうとした心は偶然ではないから。

偶然の産物から意識の中にあるメタ情報を読み取ろうとするのが占いの妙味。

わたしにとってはかき混ぜて出てきたカードや星の配置などは偶然によるものでしかない。
問題はそれに付与する無意識から出てくるイメージのほうが大切ですから。

錯覚を起こすのは物理的事実によるもの。
それが偶然であるのならまったくその通りなのでしょう。
けれど、錯覚を起こす心のほうについては偶然などではないのです。

ひとつの例をとりましょう。その辺の石ころを拾って手に取ると、さまざまな模様が出てるよね。その模様がでた理由は明らかに偶然によるものなのです。でもね、その模様が何かに見えるという現象はひとの心によるもの。占いとは、その偶然に付与する心のイメージを紐解くものなのです。

何かがそのように見えるのは無意識が恣意的に選択してる結果なの。決してそれは偶然ではないから。

カードや星が直接的に何かをあらわしてるというのならば
わたしはそれを迷信だと思ってるの。
けれど、そこからイメージされた内的理解は迷信などではない。
わたしはこうして偶然とそうでないものをはっきりと分けて占いを見てる。


これはオカルトにおいて一般的に信じられてる信仰とはちがうんですけどね。
それは星やカードが教えてくれるというもの。
万物照応がある理由というのはこうした情報を心が整理するためのものだと思うの。

タロットの製作者さんもその解釈によってさまざまな形でデッキを構成してる。
それでも一定の成果をあげられるのは
実際に重要になってるのがタロットそれ自体ではなくひとの心によるものだからです。

もし象徴に正解があるのならあるものは効果的に働き、
あるものはその効果がなくなるはずなの。けれど現実にはそうはなっていない。

占いの手段というのは金魚すくいの網ですからね。金魚さんがどのようにして掬えるのかが重要なんだから。

占いって無意識と顕在意識による答え合わせという側面が強いのです。

それだから自分を信じられなくなったとき、占いはしばしば失敗します。

星座というのは占う人の心の中にあるの。
占うときに物理天体と比較して反映させるのは心理的な工夫によるもの。


それで何をしてるのかというとゼロ点調整をしてるのだと思う。そこから生じるかすかな違和感を見つけるために。

変動してるのは天体というよりはひとの心のほうだから。

星やカードがすべて教えてくれるのならコンピューター占いで全て間に合っちゃうからね。


偶然にあまり運命をかぶせてしまうと失敗するの。誰か他人がそのような考え、うまれを持っていたとしてもそれが自分と関係あるなんて言い出しかねないからです。

それだから偶然はそのまま感謝して受け入れることにしてるの。嫌な偶然はただ逃げるだけ。

わたしにとっては運命ってあまりありがたみがないんだよね。かえって偶然のほうがありがたいのです。自ら選んで選択できるから。そのままにしてもいいし手を伸ばしてもいい。だから偶然であうものはありがたくいただくことにしてるの。

偶然というのはママ(自然)からの贈り物だと思ってるから。

運命は自ら造る物だって思ってるのです。偶然を手繰り寄せることでそれを行うの。

それだから運命とは偶然を手繰り寄せた結果に与えられる名前のこと。偶然が変化したものですね。

子供産むときも最初は男の子か女の子かもわからない。
五体満足ならいいなとは思うけど全てはママ(自然)によるもの。恣意的に産み分けたりなどできないけどそれでいいと思ってる。どんな子なのかはどうでもよくて「かみさま、そんなこといいからさっさと逢わせて下さい」ってお願いするだけだった。

‏子供に対してただ元気であること以外望むものですか。

運命論で自分を縛るのは自分の自由意志の否定につながりますからね、そういうのは信じないことにしてるの。

たとえば大好きな人に運命によって導かれ、運命によって好きになったといわれても嬉しくないの。そのひとの自由意志によるから価値があり嬉しいんだから。

7月9日
宗教の言葉はしばしば専門用語が用いられるからその意味はつまびらかにされない。
だから民衆に説くには誰にでもその場で理解できる言葉を用いるのが望ましいとわたしは思ってるの。
それだから辞書に載っていないような言葉は出来るだけ使わないの。

魔法の用語でもそうなんだよね。どのような意味かを理解することが前提で門内では語られるけれど、
本当に理解してるのかは常に確認しなくてはけけない。
この確認を怠れば誤解が容易く生まれその伝承は失われる。

それだから準備が整っていなければ口伝は行われないと思うの。誤解が生まれる可能性があるのだから。

7月9日
ムーンストーンがなぜ月の石なんて呼ばれるのか?
半透明で曖昧だからです。神秘性というのは見えそうで見えないもの。だから余計によく見ようとします。月の満ち欠けは変動する影、その神秘性による。知性って不明瞭なものを嫌い白黒はっきりさせるのがその特徴だからです。

それだから月の魔術というのは結局なんのことかというとチラリズムのことですね。別に性に必ずしも関係があることではなくてすべてのことにおいてのお話。

対太陽、つまり知性に対するチラリズムのことです。

これで女性と月の魔法がなんで関係あるの? っていう質問の答えはおしまい。

さて、ここでミステリー小説のことを思い出してみて? 知性が何を望んでるのかその答えがわかるから。

ミステリー好きって月の魔法が大好物なんですよ。

月の魔法の女司祭、月の神秘の開陳者は常に女性であったというのはそういうことなの。
誰でも少女時代にしてきたことなんだからそりゃ知らないのはとても変なのです。

知性って曖昧なものを明瞭に照らしたときにカタルシスを起こすもの。ミステリー好きっていうのはそういうものなんですから。

月の魔法の基本は幻想だから相手にどんな幻想を抱かせるのかの問題なの。
だから美貌にあまり自信がなくてもパートナーを得ることは出来るでしょうねる。もし月の魔法に長けているのだとしたら。

ダイアン・フォーチュンの『海の女司祭』というのはそういうお話。おばあちゃんがいかにして若い男性をとりこにしたかっていうそんなお話。これ、月の魔法のお話なのです。

月の魔法ってあくまでもアクセサリーだから使いすぎては駄目。幻想は常に中をのぞくための呼び水であるべきで、知性が集中して中身を理解したときに何が起こるのかを想像するの。魔法が解けたときにどうなるかを想像しないと月の魔法は無駄になってしまうからです。

月の魔法は開陳する時期があるからそこが一番の問題になるんだけど、
いつがいいかは自分の身体にきくのが一番です。基礎体温をつけてるのなら。

月にとっては太陽の周囲を地球と一緒に回ってるのだけど、
太陽にとっては月の周囲を回ってるの。
このように太陽が錯覚したとき、つきの魔法は効いてるから。

一般にそれは好きな人を視線で追いかけるっていうのだけど。

月の魔法というのはあくまでも主観を変化させるものだから客観は変化しないのです。
好き嫌いというのは主観によるもの。だから効果があるの。


占星術におけるムーンサインってそういうものでしょ? 主観を支配してるのです。

月の魔法は見せ方であり魅せ方の魔法なんだよね。
月は満ち欠けするけれど物理的に欠けたりはしない。どう見えるかを調整する考え方だから。

お化粧して服を着てどう見えるか鏡に映すよね? だから鏡も月の象徴となるのです。

単純にいって、相手にとって好ましいと思える一面を相手に見せ続けるという魔法。
だからそれが不可能なときは影に完全にこもってしまうのです。これが新月なの。


月の魔法の実践は結構大変なんですけどね。準備にとにかく時間かかるから。

それだから月の魔法はそんなに長く続かない。なのできりのいいところでゴールインしちゃえばってお話になる。

女性としての魅力の大部分が月に由来するものだから、月の魔法を学ぶことが早道だとはいえるかもね。

相手の見たいものを速やかに掌握してそれを見せ続けるの。

勿論、いつも控えめに。


地球からみて月面っていつも表を見せてるって事です。
事実、物理的天体である月もそうなんだけどね。月は裏側を見せない。

そして月の満ち欠けは魅力の増減をあらわしてる。
それが提供できなくなったらさっさとひっこみます。


自然の中にある以上はすばらしい美貌は天然の奇跡。
だけど誰もがそれで勝負するわけにもいかないのですから、月の魔法が重要になってくるの。

月は装いの魔法。
金星は各種技芸。感性の魔法。
どれも重要なんだよね。

月の魔法を使うときは必ずターゲットを絞ることです。
相手にとって魅力的に見えることが肝心なのだから当然のこと。誰にでも魅力的に見えるようにするというのは相当な難易度を伴うからターゲットを絞るほうが戦略としては簡単なのです。好き嫌いが主観である以上、目移りは失敗のもとです。

そのひとの魅力というリソースは有限だからなの。リソースをほかに割けば失敗もするでしょうね。

月にとっては地球の位置というのはそのひとの視点のこと。だから相手の視点を意識するのがポイントなの。

一度理解してしまえば結構簡単なことなんですよね。

(月の魔法は主観を変化させ、
相手が見たいものを見せ続ける幻想魔法。
このGD流月魔術がナルトの無限月読という幻術の元ネタだろう。
(黄金の G)暁(D)というモロな秘密結社が登場するし)


7月9日
わたしは転生はいらないかな? 寿命が尽きて死んじゃったら永遠の安息に入りたい。だからこそ今はしっかりと生きなくてはいけないんだけど。

というか、転生するかしないかで選ばせてくれればいいのにね。

天国の厚生福利ってどうなってるんだろう?

天国にいってまた戻ることになったらサービス悪いぞーって文句いってこよう。

エジプトの死者の書では永遠の余生を約束してくれる。やはりこうでなくちゃね。

天国にいったら何万年もの間、うららかな春のお天気の中でお昼寝し続けるのがいいです。

この世界でこうして生きてるのがお昼寝かもしれないですけどね。
過ぎ去ってしまえば夢のようなもの。魂にとってはすべては夢だったのかも知れないと思うのでしょうね。

この世を夢と見るのかあの世を夢と見るのかは恐らくは相対的問題だから。

永遠の霊にとってはわたしたちは夢を見ており、かれらにとってはそこが現実なのでしょう。

わたしたちは毎晩のように夢をみるのだけど、受肉するのってそういうことなのかも知れないの。

7月10日
それはヒューリスティック過程だと思います。
経験則による仮定はとてもはやく答えを出せるんだけど個人の認知バ゛イアスが厄介よね。
わたしがセフィロトを利用するのはこうした問題に対して係留と調整を行うためなの。
バイアス補正を行わないとベターな答えは出せないからです。

これはセフィロト自体がアドホックな認知モデルだから出来ること。
よくよく考えてみると結構面白いのです。

しかしこういうのっていつ誰が考えたのだか。

なぜヒューリスティックなのかって?
物事には正解がないからです。だから妥当な回答を常に調整の中から得ようとします。
1か0、正しいか間違いかで分けられる問題はこの世界では希少ですからね。

セフィロト自体が左右の柱の均衡によって成り立ってるのを思い出してみて?

そう、静的均衡ではなくて動的均衡なの。
ここが肝心ですから。

セフィロトに貫通してるライトニング・ソードはわたしの言葉を使えば「脳内高速阿弥陀くじ」ですから。

瞬間的に訪れる論理的回答というのはまるで落雷に似てるの。

これを行うにはセフィロトを下から上っていき
蛇行しながら答えにいきつくというのを何度も繰り返さないといけない。
そうするとあるとき、
上から下に瞬間的に下降する知恵というのを体験することになるでしょうね。

(この人よくエアリプするから誰に言っているのかわからないことがよくある。
エアリプ相手が鍵アカならお手上げ。

アドホック
=特定の目的のための、その場限りの
 (つまり普遍性や客観性を最優先にしない)。

ヒューリスティックス(英語表記)heuristics
https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-23094
”発見法ともいわれる。いつも正解するとは限らないがおおむね正解する、という直感的な思考方法。
理詰めで正しい解を求める方法であるアルゴリズムと対比される概念。
例えば、服装からその人の性格や職業を判断するなどは、ヒューリステックスな方法といえる。

heuristics
常に正しい方法とはかぎらなくても問題解決に有効であると思われる経験的原理や方法。
発見的方法,常識的方法ともいう。
最終結果を得るまでの探索量を平均的に減少させるための原理や方法,
あるいは試行錯誤的な推測によって問題を解く方法もヒューリスティックスである。
たとえば,
探索による問題解決を行なう場合,すべての状態をしらみつぶしに探索していたのでは処理量が膨大になって,すべての探索は不可能であることが多い。そのような場合に,
与えられている問題についての固有の情報 (ヒューリスティック情報) を有効に利用して,途中で不要な部分の探索を中止する (枝刈り) などを行なうと,
効率のよい探索が実現できる。このような探索をヒューリスティック探索 (発見的探索) という。”



だんだんわかってくるとカバラーに夢中になるでしょう。だってすごく面白いんだから。

月の魔法は無意識に印象を残す技術が主だから作用するの。
だから香水などもぷんぷん匂わせるようではいけない。
無意識に残すというのはどういうのかというと、ふと頭に浮かんだ情景や言葉が
「あれなんだったっけ、思い出せない」というのを作り出すこと。すごく気になるでしょ? それでいいの。

簡単にわかってしまうようでは印象に残らない。
ちょっと不明確なくらいの羅列をまるでキーワードのようにちりばめておくのです。
関係ありそうでなさそうなのをたくさん用意しておくといいの。

真ん中にあるものを直接言わないで周囲を関係あるので囲い込むようにします。
そうしておくと真ん中にぽっとイメージが浮かぶから。
その真ん中におくのを自分のイメージにするっていう方法をよく使ってた。
もういらないけどね、そういうの。

もうミステリアス少女ごっこするような年齢でもありませんからね。(^^;

(この精神操作術=月の魔法を恋愛に用いる方法を伝授している。
恋愛なら良いが
支配術にも使われている。
もぐらさん定義のヘーゲルの弁証法
(Xを推進、強化するために
わざとかませの、失敗する反Xをする)や、
極端な左翼と極端な右翼をぶつけて
大衆をその中間あたり(本命の結論、地獄への入り口)に誘導する技術なども月の魔術
=無意識に印象を残す技術。


そういうのは占いをするようになってしばらくして自然に身についたこと。
血筋なのか環境なのかは知りません。お友達に直接やり方を教えたことはなかったけど服やアクセなどはよく選んであげたっけ。常用してるものを組み合わせるのがポイントなんだけどね。

端的に言えばそのひとの共通のカラー、共通のイメージを構築することかしら? あまりふらふらイメージを拡散してしまうとそれは相手の心に根付かないから。

相手の視線がその子に釘付けになってきたら第二段階でその子が自分でこう見せたいというイメージに寄せていくの。相手が注目していなければこれは不発に終わるからです。

いくらお洒落しても相手が見てくれないとね、効果ないから。

相手の心を無理に振り向かせるのはあまり意味がないのだけど、相手の視界にいつも入るように努力するのは必要なこと。たくさん見てもらうほどその子の魅力を見てもらえる機会が増えてきます。だからその機会を増やすことに尽力するの。

アイドルだってCM契約をたくさんとるでしょ? とりあえずメディアに露出しないと評価も何もないからです。

それがたら月の魔法によって相手を無理に振り向かせるなんてことは出来ません。
相手の認識を変化させることで勝負するからです。
見えてないものを見えるようにするの。

大切なのはそのひと固有の魅力を探し、それに気付いてもらう努力をすることかな? 月の魔法ってそういうものだから。

そのひと固有の魅力は誰にでもあるはずなの。大事なのは鑑賞のセンス。いいなっていうところを見つける能力のこと。あとはそれが引き立つように整えていくこと。勿論、その魅力を理解する人しかよってはこないけれど本人にとっては理解者でなければ好きになられても意味はないですからね。

それだから一番最初にするのは自分の魅力に気付かせてあけることなの。それで本人がその魅力を大切に出来るのなら、寄ってきた人がそれを理解することでよい関係が築いていけます。本人が自分のそういうところを嫌いならばこれはうまくいかないからです。

自分が好きな自分を愛してもらうことほど幸せなことはないの。だからそのように戦略を立てていきます。

そのひとの魅力を無意識に探させるようにもっていくのがポイントなんだよね。相手の好み自体はかえられないからです。

相手の好みを変えること自体は出来ないのです。また、錯覚によって好むもののように見せかけてもあとで困ったことになります。だから視点をころころと変えてもらって一番綺麗な見え方をする部分をそのひとに選んでもらうの。

簡単に言えば相手に発見をしてもらうのです。



7月10日
それゃ何万回となく親に可愛い、綺麗だって連呼されて育てば少々のことで自信をなくしたりはしません。しかもそれは外面のことではないと気付いてるのならなおさらですね。

7月10日
うん、カリウムの補給は大切。バナナでもいいんだけどわたしはりんごジュースかな。
ナトリウムは塩分としてとるんだけどあまり多すぎてもバランス崩すからカリウムを補うのです。

ナトリウムのみで塩分補給するとまずいのです。

塩分補給したのに頭がくらくらするという経験はない? 恐らくカリウムが不足してるのです。ミネラルにはほかにマグネシウムやカルシウムがあるけど、主にナトリウムとカリウムのバランスが大事なの。
だからナトリウムのみで塩分をとると体内のミネラルバランスが狂って体調を崩します。

夏場はとくに気をつけてね。塩分というアバウトな分類だとまずいから。

身体はいろいろなもののバランスの上に成り立っていますからね。心もそうなんだと思う。



読書感想文コンクールの象徴が牧神なのが不自然すぎる。
読書=知的行為と真逆の属性だぞ。
左向き=左目=反知性、直感、感情優位、野生、獣性、アスラだし。
結社がらみだろうな。
パーンで読書ってエロ本を推奨したいのか?






牧羊神は淫乱という設定で、お見せできない画像もあるくらいなのでw 青少年の読書にこのキャラというのは、
謎のセンスではありますねw




獣の下半身と山羊の角、これはギリシャ神話のパーンだよね、でも同じ特徴を持つ者が他にもいるよね、そう、キリスト教の「悪魔」なんだよね。じゃあなぜそんなものを使うのか、って事。このコンクールを作ったJSLAが設立されたのは1950年。そう、フリーメイソンが日本ロッジを再建した年、なんだよね。

Angeliqua@nap master@Ripple1975
7月9日
いお、ぱーん。

‏科学によって幸福はつかめないと思う。それは道具だから用途によって使い分けるものですし幸福になる理論なるものをわたしは信じていないの。同じように恋愛の理論も信じてはいない。ただ個別の目的に合わせたソリューションがあるだけのこと。それ自体が目的ではないですからね。

他人から見た「正常」なるものがわたしの幸福だなんてまっぴらごめんです。
そういうのはテクノロジー偏重の思想であって個人の意志を無視してる。
そのひとにとっての理想が実現できるのが一番だからです。

何が幸福なのかはそのひとによります。というのも、ひとには好みがあるんだから。それを統計処理したところであんまり意味はないの。

ビジネスを展開するにはいいんですけどね、何が一番好まれるかについては。けれど統計には必ず取りこぼしがある。一番少なかった好みのマイノリティーをどう扱うかが問題になるのだけど、その受け皿を作るという楽しみがある。

牧神ってマイノリティーの象徴だからね。
そう、醜いアヒルの子的な?

独立独歩で多様性の申し子。孤独な彼の葦笛はマイノリティーにとっての自然の呼び声。ひとの心の奥底に封じられてるのは完全に個人的な感覚でありその好み。
社会に生きる限りはそれを共有するのは難しいこと。だからこそ魔女たちは「万歳、牧神(イオ、パン!)」とそれを称える。

牧神って一番誤解される存在だからね。

牧神が何故醜い姿で表現されるのかを考えてみて? ひとによってはそれを美しいと感じるからよ。

誰が見ても美しいと感じるのなら、それはマイノリティーを表現し得ないからです。

きれいは醜い、醜いは綺麗。これがこの謎をとく鍵なのです。

牧神の信仰はこれがなんのことか理解してないとお話がかみ合わないのです。すっきりした?

牧神の召喚というのは強烈な自然の力を呼び起こす。それもそのはず、彼は自然の多様性を意味してるから。それは個人の中に眠る魅力そのものを意味してるから、
そのひと独自の魅力のことでもあるのです。それだから牧神が連れ歩く集団というのは統制が取れていない足並みになるの。

だからマイノリティーの集団というのは牧神の群れのことなのです。足並みがそろってるはずもない。

牧神の持つ魅力というのは「好きな人にはたまらない、でも嫌いな人には全然駄目」というもの。その代わりその魅力は強烈なのです。

だからパン神の特徴のひとつは乱痴気騒ぎなの。

大好きなものに出会えて狂喜乱舞するっていうあれのこと。
これで大体のイメージはつかめたかしら?

牧神が原始的神様だというのは当然のこと、だってそれは社会形成以前の原始的衝動なのですから。

それだから牧神を召喚した後はそのままだと社会に戻れなくなります。きちんと退去する必要があるの。

牧神に連れ去られないようにしてね。

牧神の身近なたとえ? 例えばそうね、花火もってると振り回しちゃう子供いるでしょ。いくら注意してもやってしまうのです。雨が降ると水溜りが出来るよね。それでばちゃばちゃ足踏みする子もいるよね。あれのこと。素朴で原始的欲求のこと。

それは必ずしも反社会的とはいえないのだけど、しばしば社会のルールに反したことをしてしまうの。
だから牧神を扱うときは森の中や開けた林の中と相場は決まってる。凡そ文明社会的ではないからです。

そういった非文明社会的な物事って正当に評価されることは少ない。教育の現場においてはなおさらです。というのもその本質が必ず乱痴気騒ぎに結びつくから。林間学校などにおける枕投げをイメージしてみるといいの。

大人の世界というのは牧神がいる世界から遠くなるからね。

(なるほどだからピーターパンはネバーランド=子供の世界)

牧神がいる世界というのはゲームをその場で思いつく世界。牧神がいない世界というのはゲームをほかから与えられて楽しむ世界。その違いについて考えてみるといいです。

牧神の力の源は狂乱につながるからそれはすごく野蛮なのだけど、それは個人の根源的欲求につながってるから無視するわけにもいかない。適切な方向性を持たせて誘導するのがいいのです。具体的には歌と踊りね。

召喚儀式っていうのは適切にやればセラピーになるの。その神格がどういったものかよく理解してる必要はあるけど。

牧神の典型的力は大地の力だから生きてる感覚というのを呼び起こす。典型的な所作は足踏み。このことからドラムがその役に立つのがわかるでしょうね。


牧神の力は生きる活力を与えるからキャンプなどで召喚されるけれど扱いが難しいんですよね。その呼び声に心が反応してもうまくついていけない人もいますし、反対に乗りすぎて半狂乱になるひともいる。だからかの力について熟知した人がついていないといけないの。

知性がありすぎると牧神の力に触れるのを邪魔をするからね。だから子供の頃に触れておいたほうがいいのです。大人になってからだと少々厄介だから。

要するにお薬がききすぎちゃうから。

大地に触れていないとわたしたちは生きる活力を失う。そういわれてる理由はもう説明したとおり。小さなころのことを思い出してね。
具体的年齢? 第二次性徴以前の記憶ね。

あまり年齢が過ぎちゃうとそういうのに触れるのが駄目になってくるから。

雨の匂いを楽しんだり雪の上をサクサク歩くのが楽しいのならなお善いんだけど。
大人になってもそういう感覚をもってるのならそれはひとつの才能ですから。

月に代わっておしおきするのっていったいどういうことなのか考えてみた。多分、散々幻想を抱かせて夢中にした後で思いっきり振るんだきっと。

Angeliqua@nap master@Ripple1975
現象をどのようなイメージで扱うかの問題かな~? 天使さまのgenreって。
それは例えば、ドイツ語でお日様を女性名詞で呼ぶか、
フランス語で男性名詞で呼ぶかの違いでもある。
もともと人格的イメージを持たないものを人の心が理解しやすいように翻訳するわけですから、
そこには自ずと無理が生じます。

天使さまの性別を決めるGDのアレ(テレズマの創出法)だってこうした複合的イメージを扱うためにより詳細に記述すると男性性と女性性が混ざったような姿になるの。だからそもそもが現象を扱うのに人間のジェンダーをそのまま当てはめるのは無茶なの。あくまで力を入れる鋳型を創るためのものですから。

ん、そだ。日本人が使う漢字。たとえばこれには片やつくりなどがあって、そうした複合的要素によってなりたってるよね。それらのパーツに性別があって、くみ上げるとひとつの漢字を形成すると考えることも出来る。
では、その漢字の性別は? 日本語の名詞には性別は無いけど敢えて考えてみるといいの。

予備召喚で行うのは無形の霊を呼ぶのだから、
形の無い世界から形のある世界(この現象世界)に呼び込むことを目的としてる。
それは「頭無きもの」と呼ばれる。
それは非存在からこの世界(存在)に仮初の姿を与える儀式をしようとしてるためで、
無と有の橋渡し的儀式を構成する。

それはもともと「(こちらにとっては)何も無い世界」から呼ぶ力なのですから、
男性も女性もあったものではない。だから儀式の中でよく語られるように、
「主は男と女を創った」というときはもうこの現象世界のお話なのです。
あっち(非存在)のお話はしていないから。