読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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永井均『マンガは哲学する』。藤子・F・不二雄『藤子・F・不二雄[異色短編集]1 ミノタウロスの皿』・〈異色短編集〉2『気楽に殺ろうよ』 

やあ、ワタクシはあなたの人生に何回登場しましたかな。
最近あなたの人生に登場する回数が少ないと思いましたので登場したのですぜ


あなたはニーチェぐらいにまじめな人と出会ったことがあるかな。
あるならば、あなたは狂人と出会ったことになる。
ニーチェぐらいまじめ=狂っている、なので結局は狂っていることになるからね。
さあ、まじめに考えよう。そして同時に狂って考えよう。
まじめと狂うは「神」一重。
二兎を追う者は実は一兎を追っているのだ。
ゆかいな狂人の著作の、始まり始まり~

永井均『マンガは哲学する』講談社 2004-08
マンガは哲学する (講談社プラスアルファ文庫)マンガは哲学する (講談社プラスアルファ文庫)
(2004/08)
永井 均

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今回の引用ページは↑であって↓ではありません。

マンガは哲学する (岩波現代文庫)マンガは哲学する (岩波現代文庫)
(2009/04/16)
永井 均

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「まえがき」より
“ 私はまじめな話がきらいである。この世の規範や約束事をこえた、途方もないくらいまじめな話ならいい。少なくともニーチェのような水準のまじめさなら、まあゆるせる。中途半端にまじめな話はだめだ。ところが、世の中はそうした中途半端にまじめな話で満ちあふれている
 私だってまともな大人だから、それが必要であることは、もちろん百も承知だ。それでもやはり、この世の中で通用している通念や規範を最終根拠とするご立派な主張を耳にしたり(ときには口にしたり)すると、ばかばかしさがこみあげてくるのをどうすることもできない。そうしたすべてをぶち壊すような真実の声を聞きたい、そうでなければやりきれないではないか!
 マンガに、ときにそれが聞き取れることを、私は以前から感じていた。その点で、つまり発想の破天荒という点で、マンガは小説などの他のジャンルをはるかに凌駕しているように私には思われたのである

二十世紀後半の日本のマンガは、世界史的に見て、新しい芸術表現を生みだしているのではないだろうか。世の中の内部で公認された問題とはちがう、世の中の成り立ちそのものにひそむ問題が、きわめて鋭い感覚で提起されているように思われる。だれもが自明と思い、その自明性のうえに通常の世の中的な対立が形づくられているような、《もとのもと》の部分がそこで問題化されている。哲学という形で私が言いたかったこと、言いたいことの多くが、萌芽的な形態において、マンガ作品のうちに存在している。
 いや、それどころか、ひょっとすると、マンガという形でしか表現できない哲学的問題があるのではないか、と私は感じている。私はその理由を解明していない。現在のところは、表現形式の問題もさることながら、ジャンルの世の中での位置のようなものが影響しているのではないかと思っている。マンガは《子ども》が読むものだという通念が、大人が読むマンガの中にまで波及していて、大人の常識に惑わされない問題提起をゆるしているように思われる。たとえばアンデルセンなどの童話が、トルストイやドストエフスキー、夏目漱石や森鷗外などよりもはるかに深く、そして単純な意味で哲学的であるのと似ているだろう。
 私がマンガに求めるもの、それはある種の狂気である。現実を支配している約束事をまったく無視しているのに、内部にリアリティと整合性を保ち、それゆえこの現実を包み込んで、むしろその狂気こそがほんとうの現実ではないかと思わせる力があるような大狂気。そういう大狂気がなくては、私は生きていけない。その狂気がそのままその作者の現実なのだと感じたとき、私は魂の交流を感じる。それゆえ、私がマンガに求めているものは、哲学なのである。
この本は二兎を追っている。マンガ愛好者には、マンガによる哲学入門書として役立つと同時に、哲学愛好者には、哲学によるマンガ入門書として役立つ、という二兎である。マンガ好きの方々には、君たちはそれとは知らずにじつは哲学に興味を持っていたのだよ、とぜひとも言ってみたかったし、哲学好きの方々には、その問題ははるかにポピュラーな形でもうマンガに表現されているのだよ、と言ってみたかった。
私自身のほんとうの執筆意図はむしろ後者にあったが、じっさいには前者の意味で読まれるほうが多いかもしれない。もちろんそれでいい。哲学の兎とマンガの兎に見えたものは、なんとじつは一ぴきの兎だったのだというのが、この本における私の究極のメッセージなのだから
一九九九年十一月
永井均“
《もとのもと》《子ども》は原典では《》は存在せず、《》内の部分に傍点。


第一章 意味と無意味

1  相対主義の原理と限界――藤子・F・不二雄「気楽に殺ろうよ」,「流血鬼」

“ 藤子・F・不二雄は、現実をつねにありえたかもしれない他の可能性との対比の中で見ている。われわれが信じて疑わないこの現実が、彼の目には、そうでなくてもよかったひとつの偶然的なあり方のように見えているのである。藤子のようなこういう感覚をばかばかしいと感じる人もいるだろう。しかし私は、このような感覚に強いリアリティを感じる。
現実を支配している規範を単純に信じ込んでいるような人のほうが、私にはばかばかしい。「気楽に殺ろうよ」は、性欲よりも食欲が隠されるべきもので、殺人の権利が売買されるのがあたりまえであるような、別の世界に入り込んでしまった男の話である。ある日、目覚めてみると、まわりのすべての人がそう信じていたとしたら、どうだろうか。自分のほうが正しいと確信できるだろうか。それとも、自分のほうがおかしくなったと思いはじめるだろうか。
それ以前に、そもそも人前でセックスをすることは恥ずかしいことなのに、人前で食事をすることはなぜ恥ずかしくないのだろうか。ついでに言えば、売買食はゆるされるのに、
なぜ売買春は禁止されているのであろうか。正直のところ、私には意味がわからないことのひとつである。
このようなことを言うと、世の中のまともな(つまりばかばかしい)人々は、すぐに、それではあなたは売買春を肯定するのか、といった話をはじめる。そうじゃないんだよな。そういう種類の話がしたいんじゃないのさ
。“p.18-19


人口爆発の解決策として、殺人権利ではなく、生存権の売買が行われる社会が到来しそうだ。生存「券」を大量所有するのは結局のところ銀行に類似した機関あるいは白人至上主義支配者に集まるんだろうなあ。
生存権の権利って実質は殺人の権利だから、売買できるとなると、死が日常的になってしまい、結果、生殖行為への本能が活発化してタブー度が食事と逆転することがありうるかもしれない


大量殺人をしたくてしたくてたまらない主人公が、前半と中盤までは殺人「券」を大量に集め、殺人権大量所有者になるために頭脳バトルが繰り広げられるが、殺人権大量所有所者となったあとの中盤以降は主人公が大量殺人を喜々としてやりまくり最高の生の充足を他者の大量死のおかげで達成し、最期は自分を殺す権利も買っておいたので、殺人権売買世界では最高難易度の自殺権の行使により、自殺し、歴史書に記録が消滅するまで残ることになる、という物語を考えた。このアイデアは盗作禁止ですよ。


“ われわれが絶対的な悪だと思っているものも、いったん彼らの視点に立ってみれば、そしてすべての人がそうなってみれば、現在の多数派がつくりだしている世界よりも、はるかによい世界なのかもしれない。ひょっとしたらオウム真理教がそうかもしれないなどと言うと、またまた顰蹙を買いそうなのでやめておこう。
ともあれ、どうしても王様が裸に見えてしまうので「王様は裸だ!」と叫んでしまったあの子どもは、まわりの進歩的な大人たちにくらべて、あまりに保守的であっただけだ、という可能性があることは忘れてはならないだろう
。さて、それでは、何がそれを決めるのであろうか。”p.22

家畜人ヤプール人 ウルトラマンA 宇宙のエース


家畜人ヤプー
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%AE%B6%E7%95%9C%E4%BA%BA%E3%83%A4%E3%83%97%E3%83%BC

よりの引用
“10 : ななしのよっしん:2012/08/02(木) 21:30:17 ID: AM3+5oneAk >>5 勘違いしていないか?
あの小説で描かれているのは
白人の楽園ではなくて日本人の天国なんだぞ。

生きる意味、日々の幸せ、死んでいく理由、
それら全てを完璧なまでに保証されているヤプーが
一番人生を楽しんでるんだよ。羨ましくないか?
別に俺はマゾじゃないけどそう思うよ“


ミノタウロスの皿
http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%9A%BF
”主人公
原作では名無し。アニメ版では「立花」という苗字のみがついている。
ビーフステーキが好物。
宇宙船で事故に遭い、たった1人行き残りイノックス星に不時着。
助けてくれたミノアに惚れ、ズン類に食べられる事になった彼女を助けようと奔走する。

ミノア
主人公を助け、彼と交流を持つ美少女。実は「ウス」の中でも特に最高級とされる育ちで
本人もおいしく食べられる事を誇りに思っており
、逃げる様説得しつづける主人公とは
まったく会話が噛み合わない。

本作での設定

・イノックス星を支配しているのは牛のような容姿の「ズン類」で、人間のように見える「ウス」を食用、愛玩用などに飼育している。
・「ズン類」はおおむね理性的かつ文化的だが、宇宙船を飛ばす程の文明はまだない。一方で、「ウス」をおいしく食べるための「活け造り」の技術など妙なところで高いテクノロジーを持つ。
・地球人と酷似した「ウス」は言葉も通じ感情もあり、服なども着ているが、自分達が食べられる存在である事に疑問も持っておらず、むしろおいしく食べられることを誇りと考え同族で競い合っている。特に大祭の時に食べられる「ミノタウロスの皿」に選ばれることは最高の誉れであり、等級が落ちハムやソーセージや肥料にしかならないことを死以上の屈辱
と考えている。


 2  異文化との出会い?――藤子・F・不二雄「ミノタウロスの皿」,「サンプルAとB」,「絶滅の島」

異星人が地球人AとB(男女の若いカップル)を観察し母星に報告する話「サンプルAとB」

性行為=“外皮を取り去った両者の体には相違点がある(…)ともあれAとBはその相違点を奇妙な形で利用しあったのである。(…)この行為は相求める両者の欲求の帰結であったらしい。AもBも深い充足感に満たされた

※相違点利用図=挿入断面図つき。

服って確かに、最外部の皮膚=第二の皮膚だよな


剣による戦い
=“彼等の行動の意味は我われには理解しがたいものであった。上肢に持った金属片を相手の体の中に挿入するのが目的のようである”

食事
台上の物体にはかつて生命活動をおこなっていたらしい形跡がある。A、A´、A″はこれを身体上部の穴へ押しこみはじめた


「絶滅の島」
保護獣指定動物「チキューケナシザル」


 3  この話に作者はいるか――手塚治虫「ブラック・ジャック――第七話 幸運な男」

街で、このところ会っていない人にたまたま出会ったとき、その人が「いやあ、近ごろ、出番が少ないんでね」なんて言ってくれたら、どんなにすばらしいか――あるいはどんなに気味が悪いか――と思うのだが、そんな経験は一度もない。私の人生の作者は、出番のバランスというものをさほど気にしない方のようである。”p.31

4  言語ゲームと哲学的感度――吉田戦車『伝染るんです』

“ 話はそれるが、私は大学の教員をしていて、哲学を学ぶことが哲学的感度を殺してしまう例を、毎年のように見ている。大学一、二年のときには、まだ輝くほどの哲学的感度を持っていた学生が、本格的に哲学の勉強をし、大学院進学を決意しはじめるころには、もうすでに、哲学界で哲学の問題であるとされているものを、ただこねくりまわすだけの人になってしまっているという例を、何度見てきたことだろうか。”p.41-42


吉田戦車「伝染るんです。」ベストセレクション その1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm252657


吉田戦車「伝染るんです。」ベストセレクション その2
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5085790


吉田戦車「伝染るんです。」ベストセレクション その3
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8424168



哲学を学ぶほどに哲学をただ研究するだけの人になってしまう。これは歴史学者に似ている。歴史学の真に正しい姿勢とは定説も自説もどうでもいいと思って取り組むことであるが、そんな者はそもそも歴史学者になりはしない、という構造に似ている。となると、アマチュアの重要性は極めて高いと言える。そして同時に、素人の見解、特に素朴で常識的な疑問こそが大事なのだ。専門バカはこの文章読んでも理解できないだろうな。理解できても実践しなけりゃ理解していないのと同じです。

 6  感情の客観性(2)――諸星大二郎「感情のある風景」

感情は形となって周囲の空間に示されるので、他人に対して自分の感情を偽ることができない世界を描く。
あなたの感情が目に見える形で外部に現われたらどんな形をしていますか。
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私の今の感情の形は↓
<⇋⇋⇋⋛∰≓⊂(⌒,_ゝ⌒)⊃≓∰⋛⇋⇋⇋>(´´ψ←剣の形してるね)

では決してありません。


第三章 夢――世界の真相――
 3  現実という性質は客観的か――佐々木淳子「メッセージ」

夢と現実の大きな違い二つ
①夢には現実のような一貫性、連続性がない
②現実の側からは、夢に言及して、夢について(現実の中で)語ることができるが、夢の側からは現実に言及して現実について、(夢の中で)語ることができない。現実は夢に一方的攻撃を――こちらは正しいと(「正しい」という語はそぐわないはずなのだが)――加えているとも言えよう


 4  現実は映像か――佐々木淳子「Who!」

少年の周囲に誰もいなくなる。
ある女性に出会う。
事情を述べると、その女性は、
「ああ 映像物感触回路の故障ね」
と言って、どこかのスイッチをカチリと入れる。
すると少年の周囲に突如として人物に溢れた街並みが現われる。

“ もちろん、もっともっともっともっと哲学的な人が、どこまでもいるだろう。哲学とは、要するに、なぜだか最初から《少し》哲学的だった人が、本来のまともな人のいる場所で――哲学をすることによって――帰ろうとする運動なのだが、小さな隔たりをうめようとするその運動こそが、おうおうにして深淵をつくりだしてしまうのである。”p.106 《》は原典にはない。実際は傍点。

世界最高レベルに哲学的なひとはただの一般人なのかもしれない。


 6  神の不在証明は可能か――楳図かずお『洗礼』

証拠という性質は相対的である。それは、ある根本的な世界解釈の内部でしか役立たない。根本的な世界解釈それ自体を、証拠だてるものなどは存在しない。“p.119

“「人は……真理にしたがって生きるよりも……作り出したかりそめのありえぬ夢に、自分自身をなぞらえ……人生をあてはめ作りあげていこうとする」。しかし、「真理」とは何か?それもまた、つくりだされたかりそめの夢ではないのか
 また、物語の最後に、谷川先生の口からは、次のような言葉が聞かれる。「狂った世界の中にただ一人狂わない者がいたとしたら、はたしてどちらが狂っていると思うだろう?」。だが、おそらく、狂った世界の中にただひとり狂わない者がいるなどということは、《ありえない》のである。「狂っている」という性質は、世界の中のあるひとりを除いて他の全員がそうであることができるような性質ではないのだ。“p.121
《ありえない》の《》は原典にはない。実際は傍点五つ。

狂っている=極少数派に属する、という定義であるから、大多数が狂う=多くの人が極少数派に属する、ということは言葉では作れても現実ではありえない。


第四章 時間の謎  

 1  ドラえもんは何のためにいるのか――藤子・F・不二雄『ドラえもん』

のび太のせいで大借金をいまだ払い続けている孫のセワシ君は、「特定意志薄弱児童監視指導員」の肩書きを持つドラえもんをのび太のもとに送り込む。ここまではいい。
では、のび太が借金を子孫まで残すような大失態をやらかす原因が、ドラえもんによって消えたならば、ドラえもんがのび太のもとにいる原因(理由)そのものが消えてしまう。
そう、ドラえもんは、自分自身の存在理由自体を消し去ることが存在理由なのだ
!

自分の存在理由を消し去ることがその存在理由である存在! 彼が少しでも内省力のあるロボットなら、ある日そのことに気づいて、「ぼくっていったい何のために存在しているのだろう」という実存の不安に襲われるはずである(実際にはそんなようすはまったく見られない。のび太ほどの思索力もない、能天気なやつなのである)。p.125-126

ドラえもんはのび太ほどの思索力もない、能天気なやつなのかー。
のび太の言うことの方が哲学的な気がする。


蛇足
ドラえもんを送り込んだセワシ君自信は借金から逃れられないんじゃないの?

けいと‏@keitotanner
1970年に自分がタイムトラベルするとしたら、そのときその瞬間に起きた出来事は、「自分が1970年に行った」なのか。それとも、「自分の周りの世界が全て復元された」のか?(「タイムトラベルの
哲学」からかいつまんで引用)

 2  殺されつづけるのは誰か――手塚治虫『火の鳥――異形編』

火の鳥の道徳観が浅薄であるのは、とにかく殺人はいけないという一般原理の水準でしかものを考えておらず、殺人禁止の規範の成立根拠までさかのぼって思考していないことにもとづく、と私は考えた。だが、手塚治虫のような大衆的な大御所マンガ家には、錯誤にもとづく道徳観を持つ必要性=必然性があるのだ。
だれもが「とにかく人を殺してはいけない」と信じている社会と「場合によっては人を殺してもよい」と信じている社会とでは、どちらが安全で快適な社会か、と言えば、明らかに前者である。じつを言えば、みんながそう信じ込むということは、安全で快適な社会を実現するための手段にすぎないのだが、そういう社会を確実に実現するためには、道徳がそのための手段にすぎないという事実は、知られないほうが都合がいい。だから、道徳は盲目的に信じ込まされるほうが――信じ込まされる当人にとってさえ――好都合なのである。そして、手塚治虫のような人こそが、そのために一役買う使命を負わされているのである
。”p.136-137

嘘は絶対についちゃいけない」と子どもも大人も嘘をつく
道徳の嘘と原発の守護者・手塚治虫


 5  自分会議の決定を尊重すべきか――藤子・F・不二雄「自分会議」

“ このとき、過去や未来の自分は一種の他人であるという、この章のこれまでの考察から得られた結論が効いてくるのではないだろうか。私はなぜ、九年後や、二十三年後や、三十三年後の自分のために、いまの自分の利益や幸福を犠牲にしなければならないのだろうか。それは一種の利他主義にならないだろうか。長期的な利己的配慮は、それを要求する「自分」たちが他者としていまここに実在してしまえば、もうすでに利《他》主義であり、一種の道徳に転化するのである。真の利己主義は利《今》主義を含むはずなのである。「己」は「今」を含むからである。
しかし、完璧に利今主義的な利己主義者は少ない。たいていの人は、多少とも将来の自分のためにいまの自分を犠牲にする。なぜそうなのか、理由はわからない。だが、もしそうでなかったとしたら、つまりすべての人が利今主義的な利己主義者だったとしたら、道徳や法律は機能しなくなるにちがいない。
道徳や法律というのは、要するに、他人の利害を将来の自分の利害に換算するシステムなのではあるまいか。それらは、結局、他人に害を与えれば、それが(将来の)自分に害を与えることになるようにつくられた社会システムなのだと思う。道徳は、そんなことをすることは《結局は》自分のためにならないと説教し、法律は、未来の当人を処罰する。真に利今主義的な利己主義者にとっては、それらは無意味な──抑止力のない──制度にすぎないだろう
。“p.154-155
《》内部は本文では傍点


第五章 子ども VS.死――終わることの意味

 1  未来にまかれた種としての子ども――楳図かずお『漂流教室』

社会が崩壊したときにはこれまでの常識道徳は役に立たない。だが、道徳的な《しばり》はこれまで以上に必要不可欠になる。このとき必要なのは、道徳の本質に対する洞察である。それは何のために存在し、何を実現しようとするのか。その原理を直観的にであれ、とらえていないと、これまでの安定した社会状態を前提にした常識道徳に頼った、まちがった判断をしてしまいがちなのである。”p.160
《》は原典では傍点。

道徳は個人的感情から生まれた、秩序維持の手段であるから、平時と非常時とでは当然違ってくる。平時では「道徳だから守れ」で上手く行くが、非常時ではそれを主張する「善人」はただの邪魔であり、とんでもない損害を生みかねない。なにせその「善人」は道徳の意味を理解せず、ただ何も考えずに守っているだけだから融通がきかないのだ。実はその意味では、「善人」は全く道徳的でないのだ。不道徳な善人もいれば、道徳的な悪人もいるのだ。
「善人」は道徳的に正しい主張がいつでもどこでも優先されると考えている点で決定的にまちがえている。正しい道徳は大抵の場合は実行されるべきだが、非常時は「大抵」には含まれないのだ



 3  なぜ子どもは大人になるのか――諸星大二郎「子供の遊び」

あなたは大人から生まれたのに、子どもという種族で生まれた。
子どもは不完全な大人ではない。
子どもとは独立した種族なのだ。
ある日、子ども族のあなたは変な動物を飼い始める。
その動物は大人という種族の胎児なのだ。
大人族の胎児は成長し、大人という成人となる。
そして育て親の子どもであるあなたと交替する。
では、あなたはどこへ行ったのですか。


子供が変化して大人になるのならば、変化の基体が変化後にも存在し続ける、つまり、変わらない何かが存在しなければならない。
もし変化の基体が存在しなければそれば変化ではなく消滅(と別のものの誕生)である。
子供と大人の共通点がまったくないのであれば、子供から大人に「変化」することはありえないということ


【閲覧注意】諸星大二郎の意味不明さは異常 駅から出られらないやつの恐怖感は異常
http://narcissu.doorblog.jp/archives/21164103.html


 7  包み込まれていく死――しりあがり寿『真夜中の弥次さん喜多さん』

“ 死ぬということを、この世的な意味の次元に引きもどして考えるなら、だれかの夢の世界に入ることと考えるのがいちばん美しく、またいちばんふさわしい。
 だが、ほんとうの死は、その夢からもなお排除されることなのである。子どもの死も同じことだろう。ある意味では大人の夢の世界に取り込まれることによって、しかしまた同時に別の意味ではそこからも排除されることによって、子どもは死ぬからである
。”p.188

私が死ねば主観的には完全に死ぬ。
そして私の死は半分完了される。
そして、私の記憶と記録がすべてなくなれば、客観的にも完全に死ぬ。
そして私の死は完了される。


第六章 人生の意味について


4  捨てるべきものがあれば――坂口尚『あっかんべェ一休』

後小松天皇の子供であるが、南朝の志を継ぐ可能性を封じるために幼少時に出家させられた一休さんの貴種流離譚の趣のある、真の悟りあるいは禅を求めるお話。


おまえが〝チリ〟という時〝清浄〟が
〝浄らか〟という時〝汚れ〟たものが
おまえの心の中に生まれるのじゃ

おまえが〝善き〟ものと思う時
おまえの心は〝悪しき〟ものを生んでいるのじゃ

坂口尚『あっかんべェ一休』上, 講談社漫画文庫, 1998年,P.278

欲を断ち切ろうと思う時点で、「欲を断ち切ろうという欲」という欲から逃れられていない。この無限背進を断ち切るにはどうしたらよいのか
無意識においてははじめから達成されているのだが。意識ではどうしようもないのかもしれない。

“このマンガの中で、彼は「人の世の争いは無くならぬものでしょうか」という問いに「争いを無くしたいなら平安も求めぬことだ。平安という夢を…信仰を…!」と答えている。過激だが、水で薄められていない禅の極意があるのかもしれない。”p.206

組織に属している限り悟りなんてありえない。
悟りって楽しいの?


 7  これも究極超人だ――赤塚不二夫『天才バカボン』


“ 言葉でやたらに駄洒落を言う人はいるが、あれはくだらない。バカボンのパパは、言葉で駄洒落を言うのではなく、行為で駄洒落を《する》のだ。と言うより、人生そのものが駄洒落みたいなものなのだ。こんなふうに次々とギャグそのものを生きているような人がいたら、さぞ疲れるだろう、というのが私の正直な感想である。
駄洒落というのは、言葉の表層上の類似だから、当然、意味上のつながりを欠いている。意味連関が欠けた生を生きるということは、人生をきわめて短期的に生きていくということだ。キリストも、明日のことを思い煩うな、程度のことは言ったが、三十秒後のことを思い煩うな、とまでは言わなかったし、ましてそんなことを実践することはできなかった。あしたはあしたの風が吹く、どころではないのだ。一瞬ごとに、次は次の風が吹く、ということなのである。人生の意味もへったくれもない。そんなことを言っているから駄目なんだ!
この類型は、文字どおりの超人(スーパーマン)であるから、常人にはまねをすること自体が不可能である。しかし、これが人生の理想の一方の極であることはまちがいない。一休が最後にたどりつくべきなのは、このバカボン・パパの境地なのではあるまいか?“p.213-215


“だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。”
マタイによる福音書の第6章34節


バカボンのパパって絶対に世話をする人が必要だよね。
俺の生活はまかせた。俺は駄洒落をする。←キャーカッコイイ(?)。みたいな感じだ。
バカボンパパと結婚することを決めたママって凄いな。


おまけ 感想や引用がない箇所のタイトル

 5  感情の客観性(1)――中川いさみ『クマのプー太郎』
 7  感覚の客観性――城アラキ・甲斐谷忍『ソムリエ』
 8  合理性の洞察――福本伸行『カイジ』

第二章 私とは誰か?
 1  死んだのは誰か――萩尾望都『半神』
 2  愛は記憶を超える?――萩尾望都『A-A'』
 3  私は記憶を超える?――吉野朔美『ECCENTRICS』
 4  この身体は私のものか――士郎正宗『攻殻機動隊』
 5  もうひとりの私――高橋葉介「壜の中」
 6  私は二人いる――川口まどか「ツイン・マン」
 7  今はオレだ!――田島昭宇・大塚英志『多重人格探偵サイコ』

 1  夢はわたしに覚める――高橋葉介「夢」
 2  固有の夢こそが現実をつくりだす――佐々木淳子「赤い壁」
 5  夢の懐疑とロボットの懐疑――諸星大二郎「夢みる機械」

 4  回帰は実在するか――佐々木淳子「リディアの住む時に」

 2  子どもという狂気――楳図かずお『わたしは真悟』
 4  大人のなり方(1)――松本大洋『鉄コン筋クリート』
 5  大人のなり方(2)――吉野朔美『ぼくだけが知っている』
 6  純化された死――永井豪「霧の扉」

 1  被差別空間の感触――西原理恵子「はにゅうの夢」
 2  人生の意味と幸福――業田良家『自虐の詩』
 3  「真実の愛」が見つかるまで――しりあがり寿『ヒゲのOL藪内笹子』
 5  いながらにしていない――つげ義春「無能の人」
 6  これが究極超人か!――ゆうきまさみ『究極超人あ~る』

第七章 われわれは何のために存在しているのか
 1  倫理から存在論へ――星野之宣『2001夜物語』
 2  答えを超える問い――石ノ森章太郎『リュウの道』
 3  何も守らぬ闘い――永井豪『デビルマン』
 4  守るべきもののリアリティ――岩明均『寄生獣』
 5  私は何のために生まれてきたの?――星野之宣『スターダストメモリーズ』


藤子・F・不二雄『藤子・F・不二雄[異色短編集]1 ミノタウロスの皿』小学館文庫 1995-07
表紙が素晴らしい。あたらしく出たやつよりもこっちのほうが表紙がいいね。

ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)
(1995/07)
藤子・F・不二雄

商品詳細を見る



読書ガイド↓
Fの異色短編集、何が好き?
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/50926133.html
漫画家 藤子・F・不二雄氏(以下F氏)が手がけた漫画作品群である、「SF異色短編」(以下、「SF短編」)の事について解説する。
http://dic.nicovideo.jp/a/sf%E7%9F%AD%E7%B7%A8


オヤジ・ロック
商品を売りつける相手と自分をひそかに、その商品が売れている場面がある未来へ飛ばし、日本人は「周りに合わせる教」大好きなので超効く「その他の人も買っているよ買っていないのはあなただけ」だと見せつける。そしてひそかに元の時空に戻り、商品を買わせる
濡れ手に粟だね。
しかし、現代で商品が売れる理由が未来にあるというのは変だな。買う場面を見せないとだめだから一つは買う人がいないといけない。まあ身内に自作自演させればいいか。

スタンピード【stampede】
=大挙して逃げたり押し寄せたりする、群衆の突発的行動やパニック。


じじぬき
じじが死ねばみんな上手くいくんだ、という家族たち。
じじは死にました。じじは天国へ。天国でばばと再会。
――――
じじは天国の役所(死役所だね)の戸籍係にお願いして生亡(生き返るという意味だろう)するがやはり家族に嫌がらせをされたので、ついに堪忍袋(どこにあるのだろうか股間かな)の緒が切れたじじは、息子に対して、
おまえを一人前にするまでの養育費 学資のいっさい、今の物価指数に換算して合計してある。応ぜねば訴訟!! 敗訴覚悟で徹底的に争って広く世間にわしの最後っ屁
を撒き散らしてやるんじゃと狂った笑いをした
―――――
という事実はなく、単なる天国の戸籍係の人が、蘇りたいと希望するじじに見せた予見夢だった。
じじは蘇ることをやめて、ばばと一緒に暮らします。
締めに、墓参りに来た家族のうち、母親のおじいちゃんがお喜びになるような良い子になるのよと言う。
今さらおせーよ。おじいちゃんが生きているうちから良い子でいろよ。

それにしても孫の目が怖すぎ。


・自分会議
 学生のぼくはある日突然、時価約三億円の山林の相続者となった。
ここで九年後のぼくが登場する。
九年後のぼくはドボンのギャンブルにはまって金に困っていることは勿論言わずに、山林を売って自分に預けろ(よこせ)と言う。
ここで二十三年後のぼくが登場する。
二十三年後のぼくは、九年後のぼくがギャンブルで金に困っていることを暴露する。
二十三後のぼく(一人称わし)は、わしの時代は爆発的なインフレで三億円が紙クズ同然になっているから山林は売るなと主張する。
ここで三十三年後のぼく(一人称わし)が登場する。
わしの時代では一切の土地が国有化されてしまい今や一文なしじゃ、山林を売るべきじゃ、山林を宝石に変えて全部わしに預けろと主張するのだ。
これらのぼくの主張は皆、学生のぼく視点では本当か確かめるすべがない
より年上の自分に、より年下の自分の言っていることが正しいかと確かめることはできるが、凶暴されていたらアウトだし。
九年後のぼくがギャンブルにはまっていて金に困っているのは本当っぽいけど。
 学生のぼくを主人公にすると、はっきり言って未来のぼくも過去のぼくも他人だから、みな別の時代のぼくを騙そうとしても別におかしくない。
「自分は他人のはじまり

 そうしているうちに未来のぼく(学生のぼく基準で九年後、二十三年後、三十三年後、の三人)と主人公の合計四人が山林を売るか売らないかで多数決をとるが、九年後と三十三年後は売る派、現代のぼくと二十三年後のぼくは売る派となる。同数である。不毛な多数決だなあ。
過去の自分にも発言権があるはずだと幼いぼくを一人呼ぶ。
だが未来の三人の良い争いは激化する。

解決策。
二十三年後のぼくに、学生のぼくの頃でも二十三年後でも高い価値があるものをきいて、それを買っておいて、年代ごとに等分したらいいじゃない
が、そのような結論にいたる前に、険悪すぎる雰囲気に耐えられなくなった幼いぼくが窓から落ちた。
飛び降りたのか、単にどこでもいいから出ようとしたらたまたま窓だったのかはわからないので、最後のコマを見るに死んだのだろう。
つまり主人公も主人公の未来も死にましたとさ。
めでたくなし。めでたくないはなし

最終的な決定権は学生のぼくにあるのだから、実は学生のぼくが最高権力者なんだけどね。
ぼくの人数が少ないのはわざとかな。大勢にしようとしたが短編では収拾がつかなくなったのかもしれない。

9、23、33って数秘術を意識していそうだね

おまけ
 5  自分会議の決定を尊重すべきか――藤子・F・不二雄「自分会議」

“ このとき、過去や未来の自分は一種の他人であるという、この章のこれまでの考察から得られた結論が効いてくるのではないだろうか。私はなぜ、九年後や、二十三年後や、三十三年後の自分のために、いまの自分の利益や幸福を犠牲にしなければならないのだろうか。それは一種の利他主義にならないだろうか。長期的な利己的配慮は、それを要求する「自分」たちが他者としていまここに実在してしまえば、もうすでに利《他》主義であり、一種の道徳に転化するのである。真の利己主義は利《今》主義を含むはずなのである。「己」は「今」を含むからである。
しかし、完璧に利今主義的な利己主義者は少ない。たいていの人は、多少とも将来の自分のためにいまの自分を犠牲にする。なぜそうなのか、理由はわからない。だが、もしそうでなかったとしたら、つまりすべての人が利今主義的な利己主義者だったとしたら、道徳や法律は機能しなくなるにちがいない。
道徳や法律というのは、要するに、他人の利害を将来の自分の利害に換算するシステムなのではあるまいか。それらは、結局、他人に害を与えれば、それが(将来の)自分に害を与えることになるようにつくられた社会システムなのだと思う。道徳は、そんなことをすることは《結局は》自分のためにならないと説教し、法律は、未来の当人を処罰する。真に利今主義的な利己主義者にとっては、それらは無意味な──抑止力のない──制度にすぎないだろう。“永井均『マンガは哲学する』講談社 2004-08
p.154-155
《》内部は本文では傍点


・間引き
ほのぼの狂気が実に上手い。
無差別殺人ではない。ちゃんと相手を厳選しているから差別殺人である。厳選は大事。
人間が食糧になる時代が来る。必ず来るって。狂っていようがいまいが腹は減るのだから。配給制度が始まりお食事券ならぬお食事権を取り合う汚職事件が大量発生するだろうね。共食いもするだろうし。動物もどんどん減っていくだろう。食べるものないから。ペットも全部食用になるかもね。
芥川龍之介の『河童』では河童が本にされております。
人間が食料になるどころか、あますところなく死体があるいは生きたまま利用される時代が来――てほしくないな。人骨の家具なんて嫌だ

あ、中身の話しなくちゃ。

表紙が主人公であるお爺さんの結末そのまま。
腹が減ればモラルも減る、愛情も減る、いろいろ減る。あなたをHELL!
秩序なき世界へGO! この話の感想なのか考察なのか意識か無意識たれながしの無秩序文章へGO! 
どころかすでに無秩序だよん。
クレーマーにはご飯あげることで怒りが緩和されるらしい、という言説って間違いじゃなさそうですね。電話とかだとどうしようもありませんが。
新聞記者の名前を木地捏造って名前にすればよかったのに。

カロリー保険
①被保険者の死亡年齢を平均寿命からさし引き、
②今後摂取されたであろうカロリーの三分の一を食券として遺族に渡す、
③料金は掛け捨てだが安い、
本人の承諾なしでその本人を他人(家族限定かも)が勝手に入れることができる保険。
(掛け捨て=払った金は戻って来ない、だが決してそうは言わないのが詐欺ポイント)
(死亡原因には言及されていないのが怖い

つまり、早く死ぬと腹をすかした遺族が得する保険であり、長生きすると払った金は無駄になるからこの保険に入った人はほぼ間違いなく早死にする超恐ろしい保険である。
(カロリー保険の危険性をわかりやすく説明せよって問題思い付いた。漫画読んで解釈する問題も入試でありだと思う)
愛情を薄れさせるように働きかければ完璧だね。

“On 5月 29th, 2013, まっこうモグラ(管理人) さんのコメント:

人口爆発は収束しないと考えています。
 
根拠は主に二つ。
時間がない。あと数十年で限界値ですから。
そして、もう一つは、掛け算で増えていく人口に対して、資源量は足し算で増えるしかないからです。
 
むしろ、日本の現状は「人口を減らす=収めるためのテスト地域」ではないのかさえ自分は考えていますし。

先進国だから人口は減ってく。収まるわけで、多数の後進国が存在しないと成り立たない国=先進国であるわけです。
大多数の後進国では、人口増加は押さえられません。
だからこそ、後進国に自分達のための経済活動を斡旋しながら「人口を直接的に調整する」方向性が、今、出てきているのだと思います。
 
もし、人口調節のために原発からの放射能流出を計画していたのがテスト地域の日本
でなら、BRICSで、もしくは、それに続きそうな国で、数年後に原発事故がおきる可能性があるかもしれません。
 
人口調整のためにエイズがばら撒かれた、これは、よく考えれば、実に理にかなった「人間というのが平等という考えから離脱した場合」では、「正しいこと」と言えてしまう訳です。“

“On 5月 29th, 2013, まっこうモグラ(管理人) さんのコメント:

人間=平等ではなく、それ以上の視点で正しいことをすべきか?は、啓蒙思想の土台です。
人口が掛け算で増えていくことと、そこらへんの啓蒙思想がどう関わったかは、今、自分達の経済活動がどうなのか、チョコレートを食べたことがない人が、先進国のためにカカオを育てている経済活動の理由とか、ここらへんは、この記事あたりから、関連記事を追いかけていくとわかりやすいかも、しれません。
 
http://www.mkmogura.com/blog/2009/12/17/577“
ベジタリアンで知る今ここにある食の危機【20130502】
http://www.mkmogura.com/blog/2013/05/02/1374

選民思想は経済学から進化論へ【20091217】
http://www.mkmogura.com/blog/2009/12/17/577


・3万3千平米

広い土地とマイホームが欲しい主人公だが、現実は24坪≒80㎡(一辺4√5≒9メートル)の土地が限界だったが買うかどうか決めかねる。売り手が信頼できる友人だから騙されないことが保障されている土地のなのにそれを買わずに、いかにも詐欺師みたいなやつに、もうまとまりかけている話がなどという典型的な騙し言葉(あせらせて判断力奪う。限定、ぐずぐずしていると他の人に取られて「損をする」と思わせれば簡単に引っ掛かってくれる)に乗せられてそいつから別の土地を買ってしまう。
その土地は緑地地域(緑地帯を維持することを目的に建築物の新増設や景観の変更が厳しく制限される)であり、家が建てられないのだ。法律条件はきちんと満たされているので業者側に落ち度はないので裁判しても負ける。
物権説明書はちゃんと読まないとカモ。
主人公は土地と家が欲しい癖に不動産のこと全然勉強してないのな
。抜け目抜け穴だらけですな。

子どもに家を建ててやれないなんてなどと失意に沈む主人公だが、息子は家なんてめんどくさいものいらないし、借家でいいからもっと広い家に引っ越そうと家だけに建設的なことを言う。不況時代を先取りしとる思考ですな。
以前より、寺主(主人公名)の家に奇妙な格好をした開発局用地課の男が現れ、寺主の持っている3万3千平米の土地を売ってほしいといわれていたのだが、主人公には意味が分からない。
結局、強制的に主人公の3万3千平米の土地は時価三億円の宝石で買い上げられた。主人公は億万長者になり、広い土地とマイホームを手に入れる。
主人公は思い出した。千円出して一万坪の火星の土地を買ったことを。
火星の土地権利証を持っていることを。
開発局用地課の男は
①火星を開発しようとしている異星人
②未来の地球人
のどちらかでしょうね。①だろうけど。
異星人は律義に地球人が勝手に決めた権利や法律を守ろうとし、
地球人は法律を盾に詐欺まがい契約がされているという対比
も印象的だった。
異星人が主人公に(とばっちりだが)まったく誠意がないと言われているし。


おまけ
宅地建物取引業法第35条http://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AE%85%E5%9C%B0%E5%BB%BA%E7%89%A9%E5%8F%96%E5%BC%95%E6%A5%AD%E6%B3%95%E7%AC%AC35%E6%9D%A1
(重要事項の説明等)
第35条  
1. 宅地建物取引業者は、宅地若しくは建物の売買、交換若しくは貸借の相手方若しくは代理を依頼した者又は宅地建物取引業者が行う媒介に係る売買、交換若しくは貸借の各当事者(以下「宅地建物取引業者の相手方等」という。)に対して、その者が取得し、又は借りようとしている宅地又は建物に関し、その売買、交換又は貸借の契約が成立するまでの間に、取引主任者をして、少なくとも次に掲げる事項について、これらの事項を記載した書面(第五号において図面を必要とするときは、図面)を交付して説明をさせなければならない

一  当該宅地又は建物の上に存する登記された権利の種類及び内容並びに登記名義人又は登記簿の表題部に記録された所有者の氏名(法人にあつては、その名称)

二  都市計画法 、建築基準法 その他の法令に基づく制限で契約内容の別(当該契約の目的物が宅地であるか又は建物であるかの別及び当該契約が売買若しくは交換の契約であるか又は貸借の契約であるかの別をいう。以下この条において同じ。)に応じて政令で定めるものに関する事項の概要

三  当該契約が建物の貸借の契約以外のものであるときは、私道に関する負担に関する事項

四  飲用水、電気及びガスの供給並びに排水のための施設の整備の状況(これらの施設が整備されていない場合においては、その整備の見通し及びその整備についての特別の負担に関する事項)

五  当該宅地又は建物が宅地の造成又は建築に関する工事の完了前のものであるときは、その完了時における形状、構造その他国土交通省令で定める事項

六  当該建物が建物の区分所有等に関する法律 (昭和三十七年法律第六十九号)第二条第一項 に規定する区分所有権の目的であるものであるときは、当該建物を所有するための一棟の建物の敷地に関する権利の種類及び内容、同条第四項 に規定する共用部分に関する規約の定めその他の一棟の建物又はその敷地(一団地内に数棟の建物があつて、その団地内の土地又はこれに関する権利がそれらの建物の所有者の共有に属する場合には、その土地を含む。)に関する権利及びこれらの管理又は使用に関する事項で契約内容の別に応じて国土交通省令で定めるもの

七  代金、交換差金及び借賃以外に授受される金銭の額及び当該金銭の授受の目的
八  契約の解除に関する事項
九  損害賠償額の予定又は違約金に関する事項
十  第41条第1項に規定する手付金等を受領しようとする場合における同条又は第41条の2の規定による措置の概要

十一  支払金又は預り金(宅地建物取引業者の相手方等からその取引の対象となる宅地又は建物に関し受領する代金、交換差金、借賃その他の金銭(第四十一条第一項又は第四十一条の二第一項の規定により保全の措置が講ぜられている手付金等を除く。)であつて国土交通省令で定めるものをいう。以下同じ。)を受領しようとする場合において、第六十四条の三第二項の規定による保証の措置その他国土交通省令で定める保全措置を講ずるかどうか、及びその措置を講ずる場合におけるその措置の概要
十二  代金又は交換差金に関する金銭の貸借のあつせんの内容及び当該あつせんに係る金銭の貸借が成立しないときの措置
十三  当該宅地又は建物の瑕疵を担保すべき責任の履行に関し保証保険契約の締結その他の措置で国土交通省令で定めるものを講ずるかどうか、及びその措置を講ずる場合におけるその措置の概要
十四  その他宅地建物取引業者の相手方等の保護の必要性及び契約内容の別を勘案して国土交通省令で定める事項
2. 宅地建物取引業者は、宅地又は建物の割賦販売(代金の全部又は一部について、目的物の引渡し後一年以上の期間にわたり、かつ、二回以上に分割して受領することを条件として販売することをいう。以下同じ。)の相手方に対して、その者が取得しようとする宅地又は建物に関し、その割賦販売の契約が成立するまでの間に、取引主任者をして、前項各号に掲げる事項のほか、次に掲げる事項について、これらの事項を記載した書面を交付して説明をさせなければならない。
一  現金販売価格(宅地又は建物の引渡しまでにその代金の全額を受領する場合の価格をいう。)
二  割賦販売価格(割賦販売の方法により販売する場合の価格をいう。)
三  宅地又は建物の引渡しまでに支払う金銭の額及び賦払金(割賦販売の契約に基づく各回ごとの代金の支払分で目的物の引渡し後のものをいう。第42条第1項において同じ。)の額並びにその支払の時期及び方法
3. 宅地建物取引業者は、宅地又は建物に係る信託(当該宅地建物取引業者を委託者とするものに限る。)の受益権の売主となる場合における売買の相手方に対して、その者が取得しようとしている信託の受益権に係る信託財産である宅地又は建物に関し、その売買の契約が成立するまでの間に、取引主任者をして、少なくとも次に掲げる事項について、これらの事項を記載した書面(第五号において図面を必要とするときは、図面)を交付して説明をさせなければならない。ただし、その売買の相手方の保護のため支障を生ずることがない場合として国土交通省令で定める場合は、この限りでない。
一  当該信託財産である宅地又は建物の上に存する登記された権利の種類及び内容並びに登記名義人又は登記簿の表題部に記録された所有者の氏名(法人にあつては、その名称)
二  当該信託財産である宅地又は建物に係る都市計画法 、建築基準法 その他の法令に基づく制限で政令で定めるものに関する事項の概要
三  当該信託財産である宅地又は建物に係る私道に関する負担に関する事項
四  当該信託財産である宅地又は建物に係る飲用水、電気及びガスの供給並びに排水のための施設の整備の状況(これらの施設が整備されていない場合においては、その整備の見通し及びその整備についての特別の負担に関する事項)
五  当該信託財産である宅地又は建物が宅地の造成又は建築に関する工事の完了前のものであるときは、その完了時における形状、構造その他国土交通省令で定める事項
六  当該信託財産である建物が建物の区分所有等に関する法律第二条第一項 に規定する区分所有権の目的であるものであるときは、当該建物を所有するための一棟の建物の敷地に関する権利の種類及び内容、同条第四項 に規定する共用部分に関する規約の定めその他の一棟の建物又はその敷地(一団地内に数棟の建物があつて、その団地内の土地又はこれに関する権利がそれらの建物の所有者の共有に属する場合には、その土地を含む。)に関する権利及びこれらの管理又は使用に関する事項で国土交通省令で定めるもの
七  その他当該信託の受益権の売買の相手方の保護の必要性を勘案して国土交通省令で定める事項
4. 取引主任者は、前三項の説明をするときは、説明の相手方に対し、取引主任者証を提示しなければならない。
5. 第1項から第3項までの書面の交付に当たつては、取引主任者は、当該書面に記名押印しなければならない。


劇画・オバQ
=「オバQの世界」-漫画的許容+現実的シビアさ。
表紙怖い。

皆が集まって酒に酔っているシーンで、頭だけが子どものころに戻っているコマがある。酔わなければ子どもには戻れないのだ。子どもはもはや異常な状態となってしまっているのだ。
因囚はね、酔った時しか子どもに戻れないの」
「無意識こそが子どもなんだよ。でも殆どの人は意識が大人になって、意識が強くなりすぎて因囚になっていくんだ


ドジ田ドジ郎の幸運
 超大きな悪運偏差のせいで運が超悪い(らしいが死んだり大けがはしていない)ドジ田ドジ郎が、ゴンスケという、自己修復回路の故障で3.5次元の世界を漂流していたロボット(外見は『21エモン』に出てくるゴンスケまんま)と出会う。
ゴンスケの肩書きは「宇宙合目的調整機構統計局均整課偶然係長」。
主人公は突然運が良くなるが、周りの人は運が悪くなった。

ゴンスケは確率操作できるのか。ドラえもんと是非闘っ――いやもしもボックスあるから――いや「たまたま」壊れたんだ――やっぱりゴンノスケの方が――ドラえもんがゴンノスケの能力を知っていて、ゴンノスケはドラえもんの存在すら知らないのならドラえもんの勝ち――以下略


T・M(タイムマシン)は絶対に
“しられたくない秘密はだれにでもあるもんだ。
個人の情事から、それこそ国家機密にいたるまで。
それがあるうちはT・Mは実用化されないんだよ永久に。“

p.151

タイムマシンが実用化されない理由は技術的問題だけじゃないことを描く。
過去に行って過去の自分に出会っても別に何も起こらないからね。
いや、その過去に行った自分が過去の自分に出会ったという記憶があったら会っていいし、なかったら会っちゃだめ、というのが正しいかな。
ちなみに、過去に行った自分にとっては、過去世界は未来世界だ。過去世界は未来から来た人にとっては新天地にすぎないからね

あと、侵入者は国家機密側の人だろうね。


・ミノタウロスの皿
傑作すぎる。まず見るべし。
アニメ版のできもいい。 

ミノタウロスの皿
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12672294


イノックス星の家畜(ウス)=見た目は地球の人間
何号舎の所属か決められている。
とはいえ、狭い場所に閉じ込められているわけではない。
愛玩種、労働種、食用種の三種類あるいはそれ以上の区分がある。
ミノア(髪の毛がソーセージに見える)が血統のいい肉用種と呼ばれていたが、これは食用種のさらなる区分けの一つかもしれない。
自分の境遇に関して疑問や抵抗感を全く抱かず、食用種はズン類に「おいしく食べられる」ことこそが一番の栄誉と考えており、自身が「おいしくなる」ために幼い頃から競いあう。「発育が悪い」と判定されたり、体に傷や痣がついて等級が下がりハムやソーセージ(自分の腸の中に自分の他の部位の肉が詰められるのかうげげ)や肥料にしかならないことは何よりも忌まわしい屈辱と考えていて、死への恐れはそれに比べて小さい。
大祭のときに食べられる「ミノタウロスの皿」と判定されることが最高の栄誉で、食われるウス(ヒロイン)が賞賛の言葉を聞きながら食べられたいので、活け造り(人工肺で意識を保るので自分自身が食べられている様子が見られるうげげ)になることを自ら希望するほど。
草や木の実ばかりをエサとして(料理ではない。ウス≒人間は自分たちが食べるものをエサと呼ぶ)食べていることから草食性かもしれないが、単に作者が牛の食べ物を人間に似た生き物に食わせているだけかもしれない


イノックス星の人類(ズン類)=見た目は地球の牛人間ミノタウロス
外観は地球の牛によく似ていて、二足歩行をする。
ウスと違って肉も食べる。ウスの肉も当然食べるので、地球人からみれば牛が人間をくっているように見える。
ズン類はウスを保護し住居とエサを与え、ウスはその愛情にこたえおいしくなろうとつとめる。
また、愛護週間、ギャクタイには厳罰を与えるなど非常に食べ物として大切にしている。
多少訛りがあるもの(東北弁などの地方訛り?)の言葉を喋り(ウスより高い身分であることも象徴かもしれない。身分ごとに言葉が違う)、性格は温厚で理性的

宇宙船を作るほどの科学技術はないが、ウスを美味しく食べるために麻酔薬とソースを兼ねた人工血液や「活け造り」用の人工心肺を作るなどかなり高い技術力を持つ。

家畜人ヤプーよりは設定がソフトだな。
家畜人ヤプーほどスサマジイものもあまりないだろうけど。

http://www.fujiko-f-fujio.com/fan/sf/sakuhin/mino.html
“【ミノタウロス】
 ギリシア神話で、半人半牛の怪物。ミノスの王妃が牡牛と通じて生んだ子。後にテセウスがアリアドネの助けで迷宮ラビュリントスで退治した。
【ミノア】
 『ミノア文明』クレタの伝説的な王ミノスの名にちなんでいう。紀元前20~15世紀を最盛期としてクレタ島に栄えた文明で、エーゲ文明の中心。20世紀初頭、エヴァンズによるクノッソス宮殿の発掘でその存在が知られた。ギリシア本土にも影響を及ぼし、ミュケナイ文明興隆の一因となった。
【イノックス星】
 ミノア文明の遺跡。20世紀初頭にエヴァンズが発掘。迷宮ラビュリントスや壁画で有名。
【カストル条約】
 『カストル』双子座の首星。白色で光度1.6等の連星。“


冒頭で主人公は水も食料もない状態でどうやって行きのびろというんだというシーンでは仲間の死体が描かれている。そう、その死体を食糧および水分補給源だと思っていないことがわかる。


昔はウス=人間似、も食べられるのは嫌だったのでしょう。ですが、おそらくは戦争で負けてそのあとで徹底的な洗脳がはじまったのでしょう。そして今や支配するズン類側でもその歴史を知る者はほとんどあるいはまったくいない状態になっているのではないでしょうか。


“「ここにいたら食べられちゃうんだぞ。」
「じゃ、地球では食べられないの?」
「あったりまえだ!!
牛が人間を食うなんて、そんなベラボーな!」
「まあっもったいない。
ただ死ぬだけなんて……なんのために生まれてきたのか、わからないじゃないの。
あたしたちの死は、そんなむだなもんじゃないわ。
おおぜいの人の舌をたのしませるのよ。
とくべつおいしかったら、永久に大祭史に名がのこるのよ

競争がはげしいの。生まれたときからその日のために努力するの。
すこしでもおいしくなるよう。あたし自信があるわ。
発育が悪いとそりゃみじめなものよ。
並肉でだめならハムかソーセージ。
もっと悪けりゃ畠の肥料……」”p.171-172

どうせ死ぬなら生きてきた意味と栄誉が欲しい。この報酬と引き換えにウスは命を差し出すのだ。
これはイノックス星の存在からすれば残ぎゃくではない。相互理解し、虐待などを禁じているのだからかなり良心(?)的である。傷つけずに管理するのに一番合理的だったからかもしれないけど。
だから、主人公が「残ぎゃくな風習」と言って食人をやめさせようとするが、ズン類の一人は「意に反すて生命をうばわれる」ことだと返す。

有史以来五千年間、食べる者、食べられる者 身分について疑問を持たれた例はかつてない。おおきな視点でみれば食物連鎖の一環に過ぎない。ウスは草を食い ズン類はウスを食い 死ねば土にかえって草をそだてる。うらみっこなしでしょうが。と風呂に入っていたズン類は風呂から出てウス女性に体をふかせたりマッサージさせたりしながら言う。

正論ゆえに恐ろしい。
言葉は通じるのに話が通じない奇妙な恐ろしさだった。


あ、これって人口爆発対策になるね。これから本当にそうなりそうだな。食料がなくなるから。人口減らしつつ食糧確保。うげげ。

あなたは、
米を食べるなんて残虐過ぎる!
すぐにやめなさい!
だって、相手の了解をとらずに一方的に斬り殺して死体を煮て食べるなんておかしい
!」
と言われて、米を食べるのをやめますか?

稲は人間の食料にされているが、それは同時に、稲は人間に種の保存を補助させているともいえる


主人公の子孫がやってきて、今度はウスがズン類を食べるのが当たり前になっている世界になっていたという続編を考えた。
が、それ単なる地球だった。否、牛の知性は人間と同等ではないから事情が違うな。

言葉だ無理なら暴力しかないと大祭を中止させようとするが無理だった。
ウスのエサである木の実や草を食べながら主人公は、救助船が来ればうまいビフテキが食える 人造肉じゃないのを腹いっぱい! と思ったり、
鼻輪をつけながら星際法(国際ではない)ってものがあるんだぞ! カストル条約にてらし宇宙連合に提訴し、聯合艦隊をくりだして
 おまえらをビフテキに――など叫んだり、
最後のコマでステーキを食べて泣いたりしている
のですが、
この地球人の主人公の考えはまんまズン類=牛人間と同じ構造だといういうことに本人はまったく気づきません。
主人公はズン類を食べるための牛だと見ていましたし。
人造肉。たしかにズン類がウスからつくった肉も人造肉ですな。

第一処理室で消化器系統を洗浄され、
第二処理室で血をいれかえられ、人工血液により麻酔と味をつけられ、
第三処理室で香料風呂に入ったミノアは食われ、食われている最中で人工心肺につながれて首だけになっておいしいと言う賛辞を聞きながら喜びそして死ぬのでしょう。
ズン類とウスにとってはハッピーエンド。
主人公にとってはバッドエンド。

ちなみに、若い女性の肉がおいしいとは限らないそうです(どこ情報?)。おっぱいは脂肪の塊ですので燃料に使われます。骨はどうするんだろうね。
ウスの味覚は描写されていないので分りませんが。
カノッサの屈辱的には
女性=医薬用外劇物、だそうですから当然ですね。


おまけ
猿は肉を食べるのか その1【20121125】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/11/26/1218

猿は肉を食べるのか その2【20121126】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/11/25/1211

人は人を食べるのか【20121127】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/11/27/1224


女性を、“医薬用外劇物”
“「クリスマス」は異性との生殖行為を誘発するための日”
だと定義づけた貴重な、女性の化け学をかたる動画

クリスマス化学史 元素記号Hの発見
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18681098?group_id=deflist
日本のクリスマス
“「もみの木」はドイツ、「サンタクロース」はスウェーデン、「くつ下」はトルコ
「七面鳥」はイギリス、「きよしこの夜」の曲はオーストリア


ミノアが最後当たりの場面で見につけている、○+Tみたいな円形の取っ手の付いた十字は、古代エジプトにおける生命の象徴アンクだね。
もしかして○の部分は太陽で、Tの部分は南十字星?
キリスト教十字のモデルかもね。

エジプト十字(エジプトじゅうじ)とも呼ばれる。そもそも、 Ankh という古代エジプト語自体が生命を意味しており(ツタンカーメンの項目の語源解説を参照のこと)、生命的宗教的象徴とされる。
ツタンカーメンも Tut-ankh-amen の ankh の部分にこの文字が用いられている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AF
アンクについて
http://www.karakusamon.com/egypt/ankh.html

ツタンカーメン(トゥトアンクアムン、Tutankhamun[1]、Tutenkh-、-amen、-amonとも。紀元前14世紀、紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)。より厳密な表記ではトゥト・アンク・アメン (Tut-ankh-amen)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3
父アクエンアテンの生存中に、唯一神アトン信仰が説かれていたためにトゥトアンクアテン(Tutankhaten、「アテンの生ける似姿」の意)[2]と名乗っていた。アクエンアテンの死後、即位すると伝統的な神であるアムン=ラー(アメン=ラー)[3]の信仰を復活させ、トゥトアンクアムン(「アムン神の生ける似姿」の意)と改名した。


一千年後の再開
 盲亀の浮木・優曇華の華。
もしかしたら、漫画で出てきたゼロよりは大きい最低確率で、ギネス記録かもしれないね。


・ヒョンヒョロ
藤子・F・不二雄 「ヒョンヒョロ」
http://www.youtube.com/watch?v=1wRF8xmAwn8


【藤子】ヒョンヒョロ【短編】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7521671


よりコメント抜粋


ヒョンヒョロ※ジョジョ7部のD4Cの元ネタだろうなとなりのせかい・・・?
ここの宛名が重要なわけね
↑ あいらぶ湯
<◎>  <◎>ボクヲ ツカマエタ ツモリ?幼児言葉
たぶん緑色の大男も宇宙人だな
「常識」ってのがね
「誘拐されるのは子供」という固定観念が、後の大惨事を招いたのか・・・
子供を巻き込まないでくれ・・・これ伏線な
まーちゃん以外の人類全員誘拐されましたあれは息子に対しての脅迫状、そして誘拐の対象は・・・ウサギ族には子供がいない、つまり子供だからという概念は・・・↑いや子供以外を誘拐するのは当初の予定からだぞ だからこそ最初の宛名は「子供宛」だったんだよ
まー君が隣の世界に誘拐されて、あえてそっちを描いたのかと思ってた(隣の世界はドラえもんで言う鏡の世界みたいなもんかと)
子供を巻き込まなかったことの伏線は「それによって、ヒョンヒョロの正体が絶対に露見しなくなった」部分だよな。
「子供は巻き込まない」って約束しちゃったからもう渡す機会ないよ
たかだか地球人ほぼすべての命であの星人からひょんひょろ守ったんだから、結果勝ちでは?大うさぎが「うちの子供と関わらないでくれ」という約束を遵守したら永久に・・・


←何故って事件性もないことに呼び出されたら怒るでしょ
藤子世界って男性の身長低いよね 女性の方が高い傾向がある
Fはドラえもんを「子供を見降ろさない高さ」に設定している
藤子作品の大人「非常識から目をそらす」
まあ確かに死体の肉片食ってるな
俺の持ってる版だと おかしな人→きちがい になってるな
修正前のセリフ「精神病の血統はないんだけどな」
精神病→変な病気、に修正した意図が分からん。精神病は別に差別用語じゃないだろう…
小学館の言葉狩りに酷さは異常
分裂繁殖すげえww
あんたが今やってるのはひょっとして
生体の組織に異物を挿入しこれを破壊しようという試みではありませんか。
ならば無駄です次元が違う。

日本の漫画の言論統制が酷い件【言葉狩り】
http://narcissu.doorblog.jp/archives/20775737.html

大きなうさぎ型の地球外存在の名前はヒョンヒョロではないが、大きな以下略は長くて面倒なのでヒョンヒョロをうさぎっぽいこいつ↓の呼称にするかもしれません(ではこいつの名前を「うさヒョン」にしようそうしない)。
   /∥    ∥ヽ
         | ∥    ∥  |
         |  ∥   ∥  /
        ヽ ∥   ∥ /
         ヽ ∥  ∥ /
         ┴┴─┴┴ - 、
       /             ヽ
      |     MM  MM   |
      |     (゜ ) (。)   │
    三三/⌒    ⊂⊃   ⌒三ミ   
      \____人_______ノ
 Ci^iっ  |       \|/      |
  ヽ \┌─────────-、
   ヽ │ ○   \Δ /  ○ i \
      |        /      |

大人が理解できない存在。なかったことにしたい存在
・子どもだけに見える空想上の友達――ではなく実際は別次元の宇宙人
・単性生殖、分裂による増殖を行う生物
・地球人の次元の干渉が一切不可能な存在
・自分の手紙を読むのがとても恥ずかしい



冒頭の“あいらぶ湯”p.210でなごむとびっくり仰天度が増しますな。

きょうはく状
ヒョンヒョロをください
くださらないと誘拐するてす
マーちゃんどの
”p.212
(する「で」すではなくする「て」す)

宛先がマーちゃんであって両親ではない。
(そもそもあのウサギもどきに子どもと大人区別があるのか不明。分裂で増えるのはわかっているけど)
あと何を誘拐するかを書いていない。
人間の子どもは誘拐される対象だという「常識」で大人たちは対応する。警部らしき人が幼児言葉なのはわざとだね。

保護するためにマーちゃんは遠ざけられる。ヒョンヒョロの意味を知っている人が関われなくなってしまった

マーちゃんは大うさぎを両親の前に連れてくるが両親は幻覚として無視。徹底的にスルー。

葉ッパヤ魚ノ死体ヲ食ウデスカ?
タイヘン素ボクナ食事デアルネ
。”p.219

両親無視。
寝室で両親が、なんでマーくんがあんなになったのかと話をする精神病のけはないんだけどなあとかいって口論になるも仲直りしチューしたあとで二人目をつくるんですかねというところにうさヒョン乱入。
風でドアが開いたと両親は華麗にスルー。

ドウシテヤメルデスカ キョウミアルデス。
ボクノ星ノ生物ミナ分裂繁殖。
イッペン有性生殖ノ実サイヲ観察シタカッタデアリマス
。”p.225

ウサギ族ちゃんには子供がいないだろう(大きさは半分なのかは知らない。一気に三体以上に分かれるのかもしれない)。
ボクという一人称があるが、分裂生殖に異性は不要なので、おそらくは股間のかたちが人間のオスににているからボクにしたのかもしれないし、ボクは女性でも(俺よりは多分)使うので僕が異性も同性も好きになれないのはきっと自分が実は異性生殖生命体にたまたま似ている単性分裂生殖生命体だったんだ――!
話中断――、「私」でいいじゃんそれなら。
おちけつ私!

皆分裂生殖ってことはヒョンがいるところはヒョンみたいなのしかいないのか、他の生物も分裂するんだろうな。

地球の風俗を考証しても、子どもと大人の区別は暗黙の了解なので調べた資料には書かれていなかったのかもしれない。
息子に対しての脅迫状を送ってもなんらおかしくない。
そして誘拐の対象は、子どもと大人を区別しないうえに、人数は書かれていない(もしかして数と言う概念がない? いやいや分裂という概念があるなら数の概念はあるはず。場所と時刻指定の概念もあるし)。
脅迫状の誘拐対象を書かなかったヒョンちゃん側も問題だな。
子どもと大人を区別しない(というよりそういう概念がない)うさぎ存在との対比だね。

出て行けとパパがものを投げる。このときはじめてパパとママはともに同じものを見ているとわかり、でかいうさぎもどきが本物だと確信する。
自分以外にも見えているかどうかもっとはやく確認すればあの悲劇は――否それでもさけられなかっただろうね。

小さな子どもには現実と空想の区別がつかないとパパは言うが、両親の方が現実と空想(幻覚)の区別がついていない皮肉。

で、“続きょうはく状”(日時と時刻が指定されている)を警察に届け、パパはどなりながら依頼する。
誘拐予告犯が警官の目の前にいたりして混乱する警部らしき人。
誘拐のお手本を見せるためにパトカーと運転手をトナリノ世界へと送る。
平行世界なのかひょんうさぎの世界なのか別の世界なのかはわからない。
狂乱の警部はうさぎもどきに手錠をかけたり銃をぶっぱなしするが無効。

“アンタガ今ヤッテルノハヒョットシテ、
生体ノ組織ニ異物ヲ挿入シコレヲ破壊シヨウトイウココロミデハアリマセンカ。
ナラバムダデス次元がチガウ
。”p.231

三次元より上の次元では三次元のようにものとものが衝突することはないから当然、手錠や銃も無駄。高次元から射影で三次元世界に存在しているのがこの兎なのだろうか。うさぎが本来四次元存在なら、この兎のすがたは四次元存在の「断面」=三次元立体、であるが、このようなはなしは別の機会があればすることにする。
ドラえもんの四次元ポケットにあんなにも詰め込めるのは、この「詰め込む」ということ自体が四次元では当て嵌まらないからだ。四次元では三次元のようなものとものの衝突はありえないから

これいじょう子どもをまきこむのはやめてくれ、とパパは頼むが
エッソレハチョットオカシイノデハ……
という大きな兎。
となると、うさヒョンには子どもと大人の区別がついていることになるな。
でも子どものマーちゃんはきょうはくのまさに当事者である。
だって最後の場面で明かされるが、ヒョンヒョローって落ちてきた星(のかけら)こそがヒョンヒョロなのであり、マーちゃんが持っているのだから

マーちゃんにひょんうさがきょうはく状を送ったのは、そのマーちゃんこそがヒョンヒョロの所有者だからだ。
例えばヒョンヒョロ初版版を要求するならば、ヒョンヒョロ初版版を持っている人に要求するように。
しかし変則ダガヤクソクスルデス。
と言ったように子どものマーちゃんをまきこまないことを約束するでかうさぎ。
もはやヒョンヒョロを渡す機会は失われ、ヒョンヒョロの正体が絶対にわからなくなってしまう。

時間通りにパパが
宝石や札束=石ころと紙クズ、をもってくるがうさぎは激怒。
ヒョンヒョロとは何かと大人たちはきく。

“宇宙最高最大ノ価値アル、アノヒョンヒョロヲ!?
非常識ナ! アマリニモ非常識ナ!!
イーヤ信ジラレナイ!!“
p.237

知っているのに知らない振りして誤魔化したと思ったのだろう。
これが兎側の「常識と非常識」だ。

誘拐ヲ実行スル!!”p.237
    |  ∥        //    “LW”  
 実”      ヽ ∥       //      ノ  
“行        ヽ ∥     // /    .誘    
 ス        ┴┴───くY/     .拐  ..
ル      /  ミ m三三三mlllヽ      ヲ
 !!     /  ;;;ミ( \三三/);;|     
       三三/⌒彡彡 ̄(⌒)⌒三ミ
       / ;;;;;人____人__ノ
       / ;;;;;;|l||||||||||||\レ|lll/;;;)
      /  ;;;;;;\llll⌒Y⌒|llll/;/
Ci^iっ  /       \___)/
 ヽ \┌─────────-、
  ヽ / ○   \Δ /  ○ i \
    |          /     |


ヒョンヒョロ所有しているマーちゃん以外の全員が誘拐されてしまったというおち。


うさぎちゃんをドラえもんで置き換えて読み返してみよう。
ドラえもんが受け入れられたことが最大の謎
だとわかるから。

このうさぎはD4Cの元ネタと言っている人がいる。
D4C(いともたやすく行われるえげつない行為)とは、漫画スティール・ボール・ランの登場人物である、ファニー・ヴァレンタイン大統領の持つスタンド能力である。

ファニー・ヴァレンタイン
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
”非常に長いスタンド名なため、作中では「D4C」と呼ばれる。物同士に挟まれる事により無数の別次元に移動する能力を持つ。別次元の物を持ち込む事もできるが、同じ物同士が出会うと破壊されてしまう。人間も同様。例外は大統領のみ。自分自身は例外なのを利用してダメージを受けた時、別次元の無傷の大統領と入れ替わってくる事ができたり、平行世界の自分を基本世界へ連れて来て共同で相手を襲ったりできる

詳しくは『D4C』の項目を参照。

D4C -ラブトレイン-

終盤においてD4Cが大統領の所有する遺体(遺体化したルーシー)の力を得た際のスタンド名。遺体を軸にして空間に次元の狭間が出現し、大統領のみがその次元の狭間に入ることが出来る。次元の隙間にいる限り、大統領に対するあらゆる攻撃が無効化し、この世界の誰かがその攻撃を代わりにくらう。即ち、(大統領にとっての)幸運のみを残し不幸を地球上のどこかに吹き飛ばすというとんでもない能力である。ただし”未知なる回転エネルギー”は例外で、次元の壁を打ち破り対抗することができる。”

http://dic.nicovideo.jp/a/d4c
”そっくりそのままの少しだけ違う世界を行き来できる能力を持ち、移動の際には何かの間(ガラス片や水滴のような液状物でも可)に挟まることが必要である。
また、対象を何かの間に挟むことで、それを別世界へ送ることもできる。

一つの世界に「同じもの」は大統領本人を除いて存在することはできず、同じ者同士が出会ってしまった場合、それらはお互いに細切れのスポンジのように崩れ、消滅を始める。(つまり、別世界から金を持ってきても消滅してしまい、お金持ちにはなれない。)
複数の世界から大統領を複数人連れてくることもできる。

さらに、同じ空間上に隣の世界の出来事を同時に起こす事も出来る。
隣の世界は基本的に基準の世界と同じ運命を辿ることになり(時差は有るが)、大統領本人がその運命に干渉できる。

能力の特性上、たたきつけたり、挟み込んで押しつぶすような攻撃が通用せず(Dioの場合は「手刀で突き刺す」方法で攻撃、実際効果はあった)、大統領を絶命させることができずに別世界へ逃亡を許した場合、別世界の『無傷』の大統領が入れ替わり襲いかかってくることとなる。

なお大統領自身は意識を共有しており、作中ではすでにDioとホット・パンツによって3人は倒されている。しかしそのたびに『別次元の大統領』を連れてくるため、実質不死身も同然である。倒すには新たに『別次元の大統領』をつれてくる前に、大統領を全員殺害するしかない。ただし平行世界移動能力を持つのは基本世界の大統領のみであり、他の次元のD4Cは単純な近距離パワー型スタンドと思われる。

”D4C-ラブトレイン-

【破壊力 - A / スピード - A / 射程距離 - C / 持続力 - A / 精密動作性 - A / 成長性 - C】

聖なる遺体をその身に宿したルーシー・スティールを中心に世界中からルーシーにとって「吉良(きちりょう)」なるものが集まり、反対に「害悪」となるものは遠くへとはじかれていく。
その過程でできたルーシーを中心として放射状にできる空間のすき間をD4Cは移動することができる。
すき間にいる大統領およびD4Cへの攻撃(害悪なるもの)はそのすき間の延長線上にいる誰かに何らかの不幸という形でふりかかり(ヘタをつかまされる)、大統領に敵対する人物が何らかの形で負った傷(これも害悪なるもの)もはじかれてその心臓や頸動脈などに到達する。
これを利用して大統領はすき間から一方的に攻撃を加えることが可能になり、その攻撃によって負った傷はかすり傷でも致命傷となる。
また攻撃を加えたものはすき間からヘタをつかまされた誰かの不幸を目の当たりにすることになる。


言葉狩りについて

いかなる言葉も差別用語にすることができる!
「食べ物」を差別用語にして見せよう
「人間」を差別用語にして見せよう
「差別用語」自体を差別用語にしてみせよう

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7521671にあるコメント抜粋(今はあるかわかりません)


俺の持ってる版だと おかしな人→きちがい になってるな

小学館の言葉狩りに酷さは異常

修正前のセリフ「精神病の血統はないんだけどな」

精神病→変な病気、に修正した意図が分からん。精神病は別に差別用語じゃないだろう…“

そう、しらないひとがきいたらきちがいだと思うよ。
きちがい→おかしな人
言葉を変えてごまかしても子ども使いまくってるんですけどきちがいって言葉。むしろ子どものほうがよく使います。
きちがいは異常な言葉狩りをする方だ。作者死んでるのに。


わが子スーパーマン
幼い子どもがスーパーマンの力を持ち、超ささいな悪いことをしたものにも過大な暴力を加えて「正義」を実行する話。
ヒーローもののテレビ番組の悪役の中の人をぶっ殺すのだから、現実と虚構の区別すらできていない。
強大な暴力を誰が持つか、使うかが大事だと痛感。
成長したらどうなるんだろうか。
個人が正義を行う時点で、客観的正義なんてありえないし。


・コロリころげた木の根っ子
谷崎潤一郎『途上』
江戸川乱歩『赤い部屋』
確率殺人
(蓋然性犯罪)
=成功する「かも」しれない殺人(事故・病死・老衰・自然災害・人間以外生物など)

昔のくみ取り式便所はメタンガスが溜まりやすいので、トイレでタバコ吸うと爆発したりする。
サルは致死性の感染症を媒介し得る

などなどを利用するのです。
糞夫作家がすべてを知っていたのならそれはそれで面白いな。ガス抜き工作?

不健康になる方法が書かれているので反面教師として健康になれるかもしれないサイト
http://white.ap.teacup.com/otokotosake/106.html
http://white.ap.teacup.com/otokotosake/107.html


『気楽に殺ろうよ』(小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉2)
気楽に殺ろうよ (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)気楽に殺ろうよ (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)
(1995/07)
藤子・F・不二雄

商品詳細を見る


・ミラクルマン

木関(きせき)
=名前の通り奇跡を起こし、思った出来事を実現できるサラリーマン。
=奇跡↓

マンガ物理学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6
“マンガ物理学(マンガぶつりがく、Cartoon physics)とは、アニメーションでは通常の物理法則が、ユーモラスな方向で無視されるという事実を、冗談めかして指す言葉である。
例えば、カートゥーンアニメのキャラクターが走って崖の端を越えてしまっても、しばらくそのキャラクターに重力が作用しない、など。”

“空中、または水面を走ることが出来るケース 仲間が危機に陥っている、あるいは自身が敵に追跡されているなどの理由で忘我状態にある場合に限り、特殊な装備や能力を持たなくとも空中あるいは水面を走ることができる。ただし、本人が空中あるいは水面にいる事に気づくと落下あるいは落水する(ただし、溺れているように手足をばたつかせることで数秒間空中に留まれることもある)。『ドラえもん』の野比のび太や『ルパン三世』に例が見られる。より現実的な例としては、同様のきっかけによって足の悪い少女が歩き出すというものがある。”

VS
郷里(ごうり)
=木関の話を合理的に説明するサラリーマン。
=合理↓

夢の仕組み パノラマ視現象
http://d.hatena.ne.jp/ugon105/20101005/1286291962
“また、夢の中で飛び降りたら現実世界でベッドから落ちた、という経験はないでしょうか。仮説ですが、これは「夢の中で飛び降りたから現実でも身体が動いて落ちた」というより、「ベッドから落ちる"瞬間"に飛び降りる夢を見ている」のではないかと思います。事故の瞬間に走馬灯のように映像が浮かんでくるという現象も同じ原理だと考えます。”

・大予言
 脳はせいぜい少し先の未来までくらいしか考えるようにできていない。現在を最優先するのは当然。

・老雄大いに語る
 オチの後が気になる。

・光陰
時間が早く流れるようになる=状態変化が早まる、とする。
主人公たちの状態変化は早まっていなくても、周囲よりは遅くなっているならば、相対的に主人公たちの周りの時間が早く流れるようになっているので主人公の主張は正しい。

・幸運児
創造主は不平等待遇を採用しているなり。

中ピ連
=“中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(ちゅうぜつきんしほうに はんたいし ピルかいきんを ようきゅうする じょせいかいほう れんごう)は1970年代前半に活動した戦闘的なウーマンリブ団体。中ピ連の略称で知られた。代表は元薬事評論家の榎美沙子。新左翼のものを模した♀印のついたピンク色のヘルメットと過激な活動内容でマスコミを賑わせ、当時の社会現象となった。”
“1973年10月23日には突如日本家族計画連盟主催の討論会「産児制限を考える」に乱入し、「ピルを解禁せよ」とシュプレヒコールをあげたほか、1975年4月5日には京都市内で開催されていた日本産婦人科学会総会に押しかけ、ピル解禁を政府に勧告するよう要求するなどしている。このほか人工妊娠中絶の制限を主張し国会で優生保護法改正を提案していた自由民主党の参議院議員、玉置和郎と当時その秘書だった村上正邦(後に自民党参議院議員、賄賂で逮捕)に対し、「優生保護法改悪反対運動」等と称し街頭で玉置・村上を四方八方から取り囲んでもみくちゃにしたり、玉置・村上の自宅や参議院議員会館に押しかけたりした[1]。

1^ 玉置・村上の支持団体である
宗教法人、生長の家が妊娠中絶に反対している。”のでこの団体が支持している人が叩かれたりしたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%B5%B6%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%B3%95%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%97%E3%83%94%E3%83%AB%E8%A7%A3%E7%A6%81%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%A7%A3%E6%94%BE%E9%80%A3%E5%90%88

風の子 ‏@makeanovel·1月17日
間接統治などにマイノリティを使う
RT @kitsuchitsuchi キリスト教とその変形が大衆に八百長を見せている。在日とユダヤは単なるバイト
↓両方ともボスは和風キリスト教

自民党=ワールドメイト+生長の家+神道政治連盟
民主党=ワールドメイト+生長の家+スピリチュアル

和風キリスト教  紅卍字会

スピリチュアル
      ↑

金光教→大本教 → 世界救世教
      ↓  ↓  ↓
      ↓三五教 真光
      ↓ 神道=✝↓
      ↓→ワールドメイト
      ↓
   生長の家
→ 白光真宏会
    ↓
幸福の科学(+ GLA)


knznymmmy‏@knznymmmy
神道修成派の教庁は杉並区松庵。幸福の科学の総合本部が一時杉並区松庵に置かれていた。大川隆法(中川隆)の父で善川三郎(中川忠義)はGLAに籍を置いていたが生長の家に生長の家に池田大作氏も傾倒。生長の家の谷口雅春氏は大本の出身。
大本の聖師出口王仁三郎は御嶽教で免許を授かっている


yamtom/山口智美‏@yamtom·5月27日
日本の右派の歴史に、生長の家が果たした役割も大きいし、日本会議を支えている最大の団体は神社本庁だし。70年代以来、フェミニズムは、とくに妊娠中絶をめぐって、生長の家と闘ってきたともいえるし。


生長の家の現役・過去の幹部・有力信者
http://blogs.yahoo.co.jp/mikaeru0628/38314807.html
”>そもそも「生長の家」なるカルトはいったいだれが入信しているのでしょうか?

確か、竹内まりや・・・。良い歌歌っているのに残念ですね。
選挙パワーだけなら創価学会が最強です。しかし、生長の家の
恐ろしさは、楯の会、一水会、在特会、つくる会、日本会議、
チャンネル桜、頑張れ日本はすべて、生長の家
のカルトであり、
右翼組織という暴力装置を支配しているのが生長の家の特徴の
1つ目であり、2つ目の特徴は、生長の家から、法の華三法行、
幸福の科学、白光真宏会、国際正法協会
といった、問題の
カルトを多数輩出している点、この2つの危険性です。GLAも
実質は、生長の家の講師だった園頭広周が内部に潜入して、
教団をGLAと国際正法協会の2つに割ったことから、生長の家の
影響下です。幸福の科学の教祖である大川隆法は、昔、生長の家と
GLAの2教団に入信しておりました
。これで、分かるでしょ、
生長の家のヤバさが。

~生長の家の現役・過去の幹部・有力信者~

★→生長の家の確実に信者
☆→生長の家の信者疑惑あり

★鈴木邦男
⇒一水会の最高顧問、産経新聞社の元記者

★大川隆法
⇒幸福の科学(カルト宗教)の総裁

★古賀浩靖(改名後:荒地浩靖)
⇒楯の会(三島由紀夫が創設した右翼テロ組織)のメンバー、
生長の家の幹部、生長の家の第2代総裁である谷口清超の娘婿

★小賀正義
⇒楯の会(三島由紀夫が創設した右翼テロ組織)のメンバー

★松浦芳子
⇒楯の会(三島由紀夫が創設した右翼テロ組織)のメンバー、
チャンネル桜の発起人の1人、頑張れ日本(右翼団体)の
事務局長

★高橋史朗
⇒チャンネル桜の発起人の1人、新しい歴史教科書をつくる会の
役員

★伊藤哲夫
⇒日本会議(生長の家{カルト宗教}の傘下の右翼政治結社)の
常任理事

★福永法源
⇒法の華三法行(カルト宗教)の教祖



★園頭広周
⇒国際正法協会(カルト宗教)の教祖、GLA(カルト宗教)の幹部

★五井昌久
⇒白光真宏会(カルト宗教)の教祖

★井脇ノブ子
⇒衆議院議員、小泉チルドレンの1人、中曽根康弘
(内閣総理大臣)の秘書

★衛藤晟一
⇒参議院議員、安倍晋三(内閣総理大臣)の兄貴分

★村上正邦
⇒参議院議員

★竹内まりや
⇒歌手

☆平沼赳夫
⇒日本維新の会の国会議員団代表、たちあがれ日本の発起人、
経済産業大臣、徳川将軍一族

☆稲盛和夫
⇒京セラの創業者、KDDIの創業者、JALの名誉会長

☆リチャード・コシミズ

⇒ただのデブ、バイセクシャル、嘘つき、精神病患者

<おまけ>
え~~と、独立党の東北支部の渡部という男が、
生長の家に入信している可能性が強いと私は思っております。

独立党とチャンネル桜を繋ぐものは生長の家。
311当時、被災した渡部さんは、なんと独立党の天敵であるはずの。
チャンネル桜のインタビューに答えて、
しかもチャンネル桜の「2000人委員会の方」として紹介されておりました。

独立党には生長の家もいっぱいいるということです。(高英の言うとおりだ!)
リチャードもそうじゃね?



チャンネル桜は統一教会ではなく、
生長の家が母体になっているようです。

~チャンネル桜の発起人と役員と番組審査員の名簿~
☆発起人☆
★田形竹尾
誇りある日本をつくる会の会長、日本書道教育学会の参与
★梅沢重雄
日本航空学園の理事長、中国国際商会四川商会国際顧問
中国西部国際博覧会組織委員会国際顧問、JAA財団の会長
★松浦芳子→生長の家系
生長の家の信者、楯の会のメンバー、頑張れ日本!の事務局長
★高橋史朗→生長の家系
生長の家の信者、新しい歴史教科書をつくる会の役員”
”この一水会の鈴木邦男さんが、赤軍派の塩見孝也とかオウム村井を刺した徐さんとか、関東連合の中野ジローさんとかとも仲がいいのです。
(自分のお誕生日パーティーに呼んでるから~~~
w)”

・やすらぎの館
 主人公にやすらぎの館に浸らせて厄介払いしようという作戦だったのかもね。
 大きな家具と巨人症の女性により幼い時代に精神後退させる。ガキ大将を母親役が追っ払うことによりお客の母親役に対する依存度を上げ成功率をあげる。真っ白な空間すなわち周りの小道具を置かないことで想像力により更なる幼児退行を促す。すべての義務から解放されすべてを母親に委ねるやすらぎを味わいつくす

これは逃れられない快楽ですな。箱男みたい。


・定年退食
鳥の鳴き声はするが、鳥の姿がまったくないので食べられてしまったか環境汚染で死んだか他の土地に移住したのだろう。いてもロボット鳥だし。
肥満剤と満腹感剤を使う程切羽詰まっているのになんで畑だらけになっていないんだよ。牛肉作るよりは鶏肉の方が餌に比べて肉が得られる量が多く、イナゴなら更に多い。虫を食うのが盛んになるはずだしするだろう。汚染で虫が死にまくったのかもしれないけど飼育箱で育てればいいし


定員法…非生産者となる定年のことを1次定年(56歳から)とし、国家の扶養を失う事を2次定年(75歳から)=切り捨てとする法律。
楢山節考首相が、定員法の更なる縮小を宣告し、一次定年56歳、二次定年57~72歳となり、主人公への食糧年金医療などすべての国家保障は打切りとなった。

・サンプルAとB
小森麻美作画。元ネタはロミオとジュリエット。
語り手は炭素系生物ではない(人間を炭素系生物と表現しているので)。
・p.117“各個体の外観は まちまちで 体の大部分は繊維質の外皮に包まれている。”
外皮=服。
p.117“上肢に持った金属片を 相手の体の中に挿入”
=剣術


語り手は金属系生物ではないだろう。金属系なら我々の一部などと表現するだろうし。プラズマ生命体かな

・p.118“彼等は二本の下肢の付根を支点とし 重心の移動によって前進する。”

彼等という表現から語り手は個体の区別がついている生命体であり、全員で一個体=群体ではないことがわかる


受光孔(眼)と太陽光で認識。
・大気の振動でコミュニケーションを行う


・p.120“石と木で構築された巣。巣に共生する他の個体 いずれもAグループ。サンプルAと近似点多し。以下A´と呼ぶ。A´´と呼ぶ。台上の物体には かつて生命活動を おこなっていたらしい形跡がある。A、A´、A´´はこれを身体上部の穴へ押しこみはじめた。”

サンプルA=ロミオ。Aグループ(モンタギュー家陣営)

・p.121“彼等は これを摂取 することによって 身体構成素子を増殖し活動のエネルギー源としているらしい。 数時間後 不要物質の排出が見られた。 摂取→排出孔は 曲りくねった長い管で接続されている。 極論すれば この生物のモデルは 一本のチューブで表わし得るわけだ。 その後の観察によって チューブを満たす行為は彼らの日常生活の 主目的となっていることが明らかにされた。”

・p.122“彼等の目的地は Bグループその他の大群生地であった。これは先刻の激しい反発ぶりからみて不可解というほかはない。
群は上肢をつなぎあい律動ある単調な運動をくり返している
。”

手をつないでダンスしている。観察存在には戦いの訓練という概念がないのかもしれない。

・p.124“一つの因子と推定されたのは頭部表面の凹凸である。 他の個体の観察例を集計した結果 凹凸の微妙な差と異変との間に明らかな相関関係が示された。”

美醜=頭部表面の凹凸の微妙な差。
美人=「異変を起しやすい」絵と、不美人=「きわめて起しにくい」絵が描かれている


・p.125“二個は発振孔を接した。前述した通り発振孔は栄養摂取孔をもかねている。 彼等はこのような時にも栄養摂取欲を失わないのである“
キスの起源は口移しかも


・p.126“AはBグループ群生地に引き返しBの静止室に接近した。
註:彼等は 生活単位時間の 三分の一を静止状態で過す。このための区画が静止室だ。”
観察存在に睡眠の概念はないのだろう。
・p.128“静止不足”=睡眠不足。
・p.129“A、B両者が恒常的に近接して存在したい”=結婚したい



・p.130“この儀式には A、B、Xの他に第三者が介在していたようだ。「至高の存在・万能者」などとXは呼んでいた。 そんな高等動物にならぜひ会ってみたいと 手をつくして探査したが ついに発見できなかった。”
儀式=ロミオとジュリエットの内密の結婚式
X=僧ロレンス。
ゴッド=高等動物、ならば探査すれば見つかるはずだという合理的思考


・p.132“鉄片はa´の中に吸いこまれた。 組織が破壊され搬送液がまきちらされた。 a´は生命活動を停止した。 おどろくべきもろさである。 こんどはAがbの生命活動を停止させたのだ。 前出の規制者(Zと呼ぶ)がきた。 ZはAに対し棲息地を遠く移すことを命じた。 A、Bは永遠に離れて存在することを強いられたわけである。”
語り手は人間よりは死ににくいらしい。

・p.133“Bは受光孔から液体を分泌した。この液体は他の個体の思考波に影響を及ぼすものらしい。Yは影響された。”
涙。

p.134“外皮を取り去った両者の体には相違点がある。 他のあらゆるサンプルについても この相違点は認められた。種族の違いか? それとも単なる個体差か? ともあれAとBはその相違点を奇妙な形で利用しあったのである。 この行為は相求める両者の欲求の帰結であったらしい。AもBも深い充足感に満たされた。 相違点の利用は夜中 飽くことなくくり返された。”

相違点利用図=女性器及びその内部の男性器を示す断面図。
交尾しまくったということ。
=有機物質で構成された先が丸い円柱状のものを、同じく有機物質の壁によって構成された蠕動する窪みに挿入する行為の繰り返し。
充足感という概念などから、観察存在は人間に似通っている(そもそもそうしないと人間が理解できない)。

・p.135“朝をむかえ A、Bは大気振動を交わす。 以下はその大意である。
 ちがう あの大気振動は昼行性飛行小型生物によるものではない。あれは夜行性飛行小型生物のものである。
 事実と相違する。遠距離上方を受光せよ。 分裂していく浮遊水滴集団をふちどる朝の光を ただちにこの位置から移動しなければ 生命活動停止あるのみ。
それもよい 光は衛星からのものと仮説する 大気振動は夜行生物のものと仮説する。 Aも移動したくはない。現状の継続こそ望ましいのだ。
いや朝だ あの不快な大気乱振動は昼行生物のもの。時間を消費せず移動せよ。光量が増大してくる。
Aは長距離移動した
。“

ここで中野好夫訳『ロミオとジュリエット』(新潮文庫)の該当箇所が登場する。これは気が狂っていた(虚航船団風)ということはない。
p.135あたりから始まる第三幕 第五場が元ネタ。
p.136”ほら、御覧、あの向うの東の空、別れていく雲の裂目を縁どって、あの意地悪い朝の光を。(中略)往って生命を助かるか、ぐずぐずすれば死があるだけだ。“
観察している存在は昼夜の区別があるところに住んでいるのだろうか。

p.136より観察存在も生命活動停止は一大事であることがわかる。
p.137“恒常的近接生活は 通常 非生命体との間にはおこなわれない。 したがってBは「元生命体貯蔵所」に放置されるはずだ。”
p.138“頭部保護細管”=頭髪


・休日のガンマン
虚構を楽しむコツは俗世間のことを持ちこまないことさ!
このテーマパークってリピーターが少なそうだな。金持ち以外。
現実世界での資金力と立場が反映されるテーマパークなんて願い下げさ!

・分岐点
辿らなかった方の人生の分岐点を辿っても特別良いことなんかないよ。

・換身
藤子先生作品では男は女よりも背が低くて太っているな。

・気楽に殺ろうよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E6%A5%BD%E3%81%AB%E6%AE%BA%E3%82%8D%E3%81%86%E3%82%88
“価値観の変わったもの[編集]
食欲と性欲
種の保存と繁栄に必要不可欠な性欲は公益的性格を持つが故に罪深いものではなく、むしろ個体の生存にのみ必要不可欠である食欲の方が独善的性格を持ち、罪深く恥ずかしいことである。そのことからすると、性を扱った本や映像記録を持つことは恥じることではない。そのため、子供用の絵本であるはずのシンデレラが結婚したシーンに、王子とシンデレラが性交をしている描写がある。逆に食事中の写真をもつ事は恥であり、またポルノの換わりであるという事になる。ちなみに病院の先生は乱食パーティーの写真や8ミリをコレクションしていた。

平日と休日
月曜日が休日となっていることから、日曜日が平日になっている。

公共交通機関
主人公の知り合いが、切符を値切っている。

殺人
殺人が公認されているのだが、1人殺すためには子供を1人作って権利書を貰う必要があると考えられる


登場人物[編集]
主人公
名字は河口で、名前は不明。突然価値観が違う世界に入り込んでしまう。

主人公の妻。夫がおかしくなったと感じ、病院に行くように勧める。
先生
主人公の担当医。
学生のカップル
体型が父親に似た赤ん坊をゴミ箱に捨てて、新しい子供を作るべく駅のプラットホームで性交しようとしたが、駅員に注意される。
駅員
子供を捨てたカップルに対して、「ちゃんとスペア(次の子供)を作ってから保健所へ電話するのが順序だろ」と注意
をする。


・ウルトラ・スーパー・デラックスマン
USDマンと略される。

【藤子】ウルトラ・スーパー・デラックスマン【短編】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15927984


ウルトラスーパーデラックスマン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13714659

マンガ物理学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6
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永井均の著作三冊:『子どものための哲学対話』・『翔太と猫のインサイトの夏休み』・『私・今・そして神』 

永井均『子どものための哲学対話』

子どものための哲学対話子どものための哲学対話
(1997/07/23)
永井 均、内田 かずひろ 他

商品詳細を見る


子供から〈子供〉までの超難問集。
小学生でも読める。
でもわからないかも。
大人でもね。
いや、大人だからこそかな。
本書は何よりも
〈子供〉のためのものだ。


※引用ページは、文庫になる前(哲学本が文庫になるってすごいと思う)のハードカバー本のものです。

永井均,内田かずひろ 『子どものための哲学対話』講談社,1997

※講談社文庫版発売日 2009/08/12
子どものための哲学対話 (講談社文庫)子どものための哲学対話 (講談社文庫)
(2009/08/12)
永井 均、内田 かずひろ 他

商品詳細を見る



二人の人がそれぞれ一つの穴を掘っている。
Aさんが掘っている穴Aの傍には「ボクは今 世の中のためにあなを掘ってます」と書かれた看板がある。
Aさんは、「ヘイ! どう!? ボクのあな!! かんそうおまちしてまス」
と外の人に言ってます。
一方、
穴Bの側には看板が立っていない。穴Bを掘っているBさんは、外に一切話しかけず、「ああ あなをほるのはたのしいな」と心の中で思いながらニコニコして穴を掘っている。

Aはネクラ
…表面的な明るさや暗さではなく「根」が暗い。外部に意義を求める、他人に認めてもらわなくては満たされない人。それが下品ってこと。

Bはネアカ
いつも自分の中では遊んでいる人。「根」が明るい。なにかの目標のために努力しているときも、なぜかいつもそのこと自体が楽しい人。
根本的に、自分自身で充ち足りていて、意味のあることをしていなくても、他人に認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで充ち足りている。
それが上品ってこと



根が明るくて上品な人が、自分の遊びのために他人を酷い目に遭わせることは勿論ある。あまりないが、絶対ないとは言えない。
上品な人は道徳的な善悪なんてあまり重視しないから、けっこう平気で悪いとされていることができる。
逆に、下品な人は、道徳的な善悪を重視しがち。なぜなら、自分の外側にしか、頼るものがないから。
それなら、上品な人があまり悪いことをしないのはなぜか。
将棋で例えよう。
上品な人は、勝つという結果が絶対に大事ではなく、勝とうとしながら将棋をするという「過程自体」が大事だから。それが将棋が遊びになったということ。達成目標第一主義ではないってこと。
だから、インチキをしてでも勝つってことはしない。インチキをしてでもわざと負けることはあるかもしれないけど。
下品な人が上品になったり、上品な人が下品な人になったりすることはもちろんありうる。


第一章 8 こまっている人を助けてはいけない?

ぼく:こまっている人や苦しんでいる人がいたら、やっぱり助けてあげなくちゃいけないよね? 助けてあげるべきだよね?
ペネトレ:いや。こまっている人や苦しんでいる人を、やたらに助けちゃいけないよ。そのときかぎりの単純なこまりかたの場合ならいいよ。たとえばけがをしたとか、さいふを落としたとかね。でも、もっと深くて重い苦しみを味わっている人を助けるには、きみ自身がその人の苦しみとおなじだけ深く重くならなくちゃならないんだ。そんなことは、めったやたらにできることじゃないし、できたとしたら、きみの精神に破壊的な影響を与えることになるんだ。もし、「きみ自身が深くて重い苦しみを味わったことがあるなら、それとおなじ種類の苦しみを味わっている人だけ、きみは救うことができる可能性がある。」そういう場合だけ、相手が助けてもらったことに気がつかないような助けかたができるからね
ぼく:なんだかむずかしいはなしだな。
ペネトレ:そんなにむずかしいはなしじゃないんだけど……。じゃあ、これだけ覚えといてくれよ。自分が深くて重くなったような気分を味わうために、苦しんでいる人を利用してはいけないってこと……。“p.30‐31
※「」内は原文では太字


p.31の三コマ漫画
男の子
「どうしたの!? しょんぼりして…」
女の子(泣いている)
「あした えんそう会なのにワタシのクラリネット
“ド”と“ミ”と“ソ”と“ラ”の音が出なくなったの」
男の子
「ちょうどよかった
ボクは“レ”と“ファ”と“シ”の音が出なくてこまってたとこなんだ
協力してくれないかい」

二人ともクラリネットを楽しそうに演奏しています。
その光景を、ぼくとペネトレがにっこりして見ています。
※“”は原典では傍点

破れ鍋に綴じ蓋。


第一章 10 学校には行かなくてはいけないか?

“ぼく:猫はいいなあ。学校に行かなくてもいんだから。
ペネトレ:どうしてきみは、学校に行かなくちゃいけないんだい?
ぼく:だって、お父さんもお母さんも先生たちも、みんなそう言っているよ。
ペネトレ:世の中のいろんなことにはね。公式の答えというものが用意されているんだ。世の中をこのままちゃんと維持していくためには、どうしてもみんなにそう信じてもらわなくちゃこまるってことなんだよ。そういうものを、すこしも疑わずに信じられる人のほうが、うまく、楽しく生きていけるんだけどね。でも、もしどうしても信じられなかったら、無理はいけないな。
ぼく:信じなくてもいいってこと?
ペネトレ:小さい集団にはその外というものが必ずあるからね。外に出ればいいんだ。どうしても学校になじめなければ、行かなければいい。でも、死なないかぎり、この世の中そのものの外に出ることはできないな。『だから、世の中そのものが持っている公式の答え、世の中が成り立つためにどうしても必要な公式の答えは、受け入れなくちゃならないんだ。』すくなくとも、受け入れたふりをしなくちゃならないんだ。それさえどうしてもいやなら、死ぬほかない。あるいは、殺されるほかはない。
ぼく:殺される?
ペネトレ:たとえば、きみがもし人を殺してはいけないという世の中の常識をどうしても受け入れられなくて、受け入れているふりをすることさえもできないなら、そのことで、きみは殺されることになるかもしれないよ。きみの考えをきみ自身に適用することで、世の中はきみに復讐をするのさ。
ぼく:それって死刑ってこと? じゃあ、死刑は必要なの?
ペネトレ:刑務所の中で生きているのでは、世の中の外に出たことにならないとすればね
。”
p.35-36
※『』内は原典では太字


言葉の意味は必要から変わる

気が置けない
気を許せない、信用できない
気を使わずに、遠慮なくつきあえる


情けは人のためならず
他人に情けをかけることは、情けをかけられたその他人のためにならない
他人に情けをかけることは、情けをかけた自分のためになる。

通用している意味(建前、つまり嘘なので、ほとんどの人が表だって公言する意味)
他人のためという利他主義を根拠にして他人に同情しないことをすすめる。
(四の五の言わずに助けろよ! 
めんどくさがってんじゃねーぞ! 
他人に情けをかけるなって言ってるが、本当は単に他人を助けるのが面倒なだけだろうが!
と言いたい人がいそうですねー
ウルトラマンとかエミヤとか上条さんとかね)


本当の意味(ほとんどの人が表だって公言しない意味)
自分のためという利己主義を根拠にして他人に同情することをすすめる。
他人を助ければ、自分を誰かが助けてくれるから結局、得をする。

本当の(もともとの)意味を隠すように、新たな公共の意味が発明される」。
圧倒的な多数派に支持されたから正しい意味になったのではない。
それが必要だったから圧倒的な多数派に支持されるようになったはず。
もっとも、そのこと自体が、圧倒的な多数派の支持があったあとで、はじめてわかることだ。


元気が出ないときどうすればいいか

気分や感情は無理に抑え込もうとすると心の中でくすぶり続けるから、ただ忘れるのが一番いい。
でも、嫌なことほど、心の中で反復したくなるし、嫌な感情ほど、それに浸りたくなる。その嫌なことを忘れてしまうと、自分にとって何か重大なものが失われてしまう気がしてしまう。
嫌なことは、何かで埋め合わせしたいと思うから

どうしたらいいのか。
不愉快な気分や嫌なことを自分で上手く処理する方法を身につけている人が、本当の意味で大人。
じゃあ、子どもでもできるやりかたは?
ヒントだけ。
1、元気が出ない本当の原因や理由を、一度徹底的に考え直してみる。理由や原因を曖昧にしておいては駄目。できたら紙などに書いてみたり、パソコンでワードなどに打ってみたらいい。対策もかきだす。
すべて考え出したと思ったら、そこで考えるのをやめる。できる対策はこれから実行していくことにして、どうしようもないことは諦める。

2、もうそのことは繰り返して考えないことにする。そして、なんでも良いから他のことに没頭する。別の喜びを見出す。今問題になっていることと関係ない遊びをはじめる。
3、時間が経つのを待つ。時が解決。

原因を考えてわかれば不安も解消されます。
1と2はさまざまな場合に有効。

ある感情が沸き起こって来た原因をよく理解すると、その感情が薄れたり消えたりすることがある。頭でよくよくわかれば、心のもやもやも消える。
いやな奴がいやな奴にならざるをえなかった必然性=原因、がある。

心理学を学ぶのも手ですね。これはこういう法則にもとづいているなー。実例が目の前にあるなー、とか思ってたら、冷静でいられますからね



「強さ」について

一生懸命やっても上手くいかなくってがっかりしたり後悔したりする。
でも、そういうことは結局、そうでしかありえなかった。人為だけではできないことはもちろんある。
そうでしかありえなかったのだから、それでいい。そう、自分に言ってやらないと。くよくよ悩む必要なんてぜんぜんない。
誰かがそう言ってなぐさめてくれれば、安心できるのですがねー。
そう思うなら、あなた自身が、自分で自分がいいと思えずになやんでいる人に向かって、そう言ってやればいい。いや、ただ言ってやるだけじゃなくて、本気でそう思えるようになればなおいいね。
あのありかた、そのままでいいんだってね。
あなたがそう心から思えるってことが、その人にとってものすごく力になると思うよ。
誰かがぼく自身にも言ってくれるかな。
誰も言ってくれないさ。他人からそんなこと期待しても駄目だよ。
自分の場合は、自分自身で「これでいいんだ」って思わないと。
ほんとうにそれができることが「強い」ってこと。
でも、
たとえきみがそこまで強くなれなかったとしても、ひとにそう言うことなら、簡単にできる。
言うだけじゃなく、本気でそう信じることだってね


人はみな、肯定を望んでいる。
何かを失っても、その人自体はありのままにそのままです。


第2章  6 友だちは必要か?

“(前略)
いまの人間たちは、なにかまちがったことを、みんなで信じこみあっているような気がするよ。それが、いまの世の中を成り立たせるために必要な、公式の答え(…)なんだろうけどね。でも、その公式の答えは受け入れないこともできるものだってことを、わすれちゃいけないよ
ぼく:猫のことは知らないけど、人間は、自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなんだよ
ペネトレ:そんなことはないさ。そんな人はいなくたって生きていけるさ。それが人間が本来持っていた強さじゃないかな。ひとから理解されたり、認められたり、必要とされたりすることが、いちばんたいせつなことだっていうのは、いまの人間たちが共通に信じこまされている、まちがった信仰なんだ
ぼく:そんなことを言ったのはペネトレだけだよ。
ペネトレ:『人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。』
そして、友情って、本来、友だちなんかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものなんじゃないかな?
ぼく:そんなはなしは、はじめて聞いたよ。“
p.62-63 ※『』内は原典では太字


友だちの基準ってなんだろう?
知り合いとの違いは?


いやなことをしなければいけないとき
1、そのことが正当なこと、すべきことであることを自分に言い聞かせる。
それが終わったら
2、じゃあやろうかな、と思って、ちょっと待っている。力を抜いて。そうすると、すーっと、ふと、やれるときがくる。
その時が来るのをただ待つ。大切なのは、不図=意図なしに、やってみること。
なれてくれば、人生全体をふと生きることができるようになってくる。
そして、人生全体から小さな作為をすこしずつ取り去っていく。そうすると最後には、いやなことなんて、なくなっちゃうさ。

勉強や仕事などいろいろ
まずやりはじめてみる。なにかをやりとげようとしないで、ただやりはじめる。はじめるだけでいいって考える。
ふと続けていく。
やめかたのコツは、なんとなく調子が出てきて、もっと続けたいと思うところでやめる。
一区切りついたところでやめると、あとでまた続けるのに力が必要なので、わざと区切りをつけずに持続力を残しておく。


勉強は、人生を遊ぶためにする。
将来遊ぶより、いま遊んだほうがいいいのでは?
ちゃんとした人=自分の未来のために自分の現在を犠牲にできる人
どうしようもないやつ=自分の現在のために自分の未来を犠牲にしちゃう人。

善人=他人のために自分を犠牲にできる。
悪人=自分の為に他人を犠牲にしてしまう
善人や悪人になれるのは、ちゃんとした人だけ。

どうしようもないやつは、ちゃんとした悪人にさえなれない。

善でも悪でもなく中立な人はどんな人なんだろう?

ネクラや下品な人がちゃんとした人になるためには、なにか人生全体に対する「理想」のようなものが必要。そういうものをどっかから借りてきて、その理想の観点から見て、いまやってることに意味があると自分に言い聞かせなければならない。
ネアカや上品な人は、そんな理想は不必要で、未来の遊びのための準備それ自体を現在の遊びにしてしまう。他人のための奉仕を、自分の娯楽にしてしまう



うまく眠るこつ

人間がするたくさんのことのうちには、自力で絶対に実現できないことがある。眠ろうとすることはできても、あとは待つしかない。
自分で何かをやろうとしたらかえって妨げになる。
眠れなくていいんだと信じこまないと。
眠る時にだけ使えるいいやりかたを紹介。
眠るとは、別の世界に入ること。起きている時の世界を忘れること。ただ忘れることは、ただ待つことよりも難しい。
だから逆に、眠ってから入る世界のほうをあらかじめ自分で作ってしまうほうが簡単。夢の世界を勝手に作ってその世界の中で生きている気になっちゃうのさ。それが完璧に成功したときあなたはもう眠っている

羊を数えても効果ないよ。英語だとsheepがsleepを連想させるけど日本語じゃあ無理だから。


青い鳥はいつ青くなったのか?(1)

“答えはね、「あとから青く変わった」でもなければ、「もともと青かった」でもなくて、『「<もともと青かった>ってことにあとから変わった」』
なんだ。”
p.83 ※『』内は原典では太字

×青くない→青
×青→青
○「どっちか不明」だけど青かったことにしとこう→(今も)青(だということにした


ものは見えるからあるのか、あるから見えるのか?
“物はたんに「見えるから存在する」のでもなければ、たんに「存在するから見える」のでもなくて、『「<存在するから見える>というように見える」』ってことになるんじゃないかな
?”
p.86 ※『』内は原典では太字

×見える=原因→存在する=結果
×存在する=原因→見える=結果
○「どっちが原因で結果か不明」

泣くから泣き虫なのか、泣き虫だから泣くのか?

“たんに「しょっちゅう泣くから泣き虫」なのでもなければ、たんに「泣き虫だからしょっちゅう泣く」のでもなくて、『「しょっちゅう泣くから<泣き虫だからしょっちゅう泣く>」』ってことなんでしょ
?”
p.89 ※『』内は原典では太字


自殺に成功すると、「あいつは自殺したかった」と判断される。
自殺に失敗すると、「あいつは“本当は”死にたくなかった」と判断される。
“本当は”は本人のみぞ知る


天才だとか、成功したのは努力が報われただとか当て嵌まる例はいろいろありそうです



青い鳥はいつ青くなったのか?(2)

 “(前略)
ペネトレ:たとえば、人にうまくだまされたりして自分は幸福だと思いこんでいた人が、だまされていたことに気づいたとき、そのとき不幸になるんじゃなくて、もともとほんとうは不幸だったって思うようになるだろう? つまり、たんに「気づいたときに不幸になった」わけでもなければ、たんに「もともと不幸だった」わけでもなくて、「気づいたときに<もともと不幸だった>ことになった」ってわけだ。「青い鳥」の場合はどうだろう?
ぼく:そうか、「青い鳥」の場合はその逆なんだ! 『子どもたちは、そのとき幸福になったわけでも、もともと幸福だったわけでもなくて、そのとき<もともと幸福だった>ってことになったわけだ。』”
ペネトレ:だから、幸福だと思ってはいなくても、ほんとうは幸福だったってことは、ありうることになるね
ぼく:ほんとうは幸福だったってあとから思うってことが、でしょ? それって、ほんとうに、ほんとうは幸福だったってことなのかな?“p.92‐93
※『』内は、原典では太字

人生体験マシンで幸福な人生を体験している人は、幸福なはずです。なぜなら、その中にいる人は「外」なんてものは認識できませんから。
しかし、人生体験マシン内の「私」と人生体験マシンを使用している「私」は違う存在なのでは?


クジラは魚である!

“ペネトレ:クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚じゃないってはなし、聞いたことある?
ぼく:もちろんあるよ。クジラは、魚のようにえらでじゃなくて肺で呼吸するし、魚のように卵の形で子どもを産むんじゃなくて、クジラの形で産むんだよ。それで、産まれてきた子どもは水中で母乳を飲んで育つんだ。だから、クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚類じゃないんだよね?
(…)
ペネトレ:つまり、『そういう点ではクジラはどうしても哺乳類のように思えちゃうけど、肝心な外形や生活環境が魚みたいだから、ほんとうは魚なんだ』って言ったら?”
ぼく:なんで外形や生活環境のほうが肝心なのさ?
ペネトレ:そんなら、なんで内部のしくみのほうが肝心なのさ?
ぼく:だって外形のほうがだいじなら、ほんものと見分けがつかないようなにせもののダイヤモンドは、ほんもののダイヤモンドだ、ってことになっちゃうよ!
ペネトレ:そうなんじゃない? とくに宝石なんて、見かけの美しさこそがいちばん肝心なんだから。内部構造はぜんぜんちがうけど、いちばん肝心な見かけがおなじだから、『ほんとうは』ダイヤモンドなんだ、って言えると思うよ
ぼく:そんなの、なんかおかしいよ。
ペネトレ:それはきみが科学に洗脳されているからだよ。科学っていうよりもっと根本的な、ある種のものの見かたにだな。見かけや外形の奥にかくれているものこそが、その物のほんとうの姿である、っていうような
ぼく:そうじゃないの?
ペネトレ:それは、ひょっとしたら、奥にあるものを知っている人が知らない人たちに対して権力を持つために作り出した作り話だったんじゃないかな? みんな、うまくだまされちゃったのかもしれないよ
ぼく:まさか!
ペネトレ:でも、分類のしかたによってはクジラは魚でもあることは、たしかなことだよ。外形や生活環境よりも内部のしくみを重視するって前提があってはじめて、クジラはほんとうは魚じゃないなんて言えるんだ。じゃあ、なぜ内部のしくみのほうを重視するのかっていえば、それはぼくらがそういう文化の中に生きているから、としかいいようがないんだよ。いつか人間たちが、クジラはやっぱり『ほんとうは』魚だったって思うようになる日がくるかもしれないんだ。“
p.94‐97 ※『』内は原典では太字


科学は、構造や構成要素や因果関係を解析するのが目的ですから、ものの内部が本質だと考えますからね。
むしろクジラが哺乳類ってことは、「教えられなければわからない」ので、
人間の自然な感覚からしたら不自然で、魚だという認識の方が自然でしょう

その教える側の教師や教科書だって、クリスチャンで白人の銀行家(金の支配者)と銀行家を手先として使っている王侯貴族たちが都合よく決めるのですから。

あとダイヤモンドの話ですが、違いが分かる人が存在しなければ、本物も贋物もありませんから。
目利きがいなけりゃみーんなモノホンってこった。
厳密にはな、パチモン・ホンモン自体が成立せーへんねんけどな
。ナンセンスや。

8 地球は丸くない!

ぼく:地球が丸いってことも、太陽のまわりをまわっているってことも、『発明された』の? 
ペネトレ:そうさ。でも、地球は丸いのに、どうした下のほうにいる人が落ちちゃわないんだと思う?
ぼく:そりゃあ、引力があるからじゃん!
ペネトレ:でも、引力って引っぱる力だろ? そんなものがあるんなら、もっと地面に引っぱられているような感じがするはずじゃないかな? どうして引っぱられて、はりついているような感じがしないんだろうね?
ぼく:たしかに、そんな感じはしないけど……。
ペネトレ:だから、ほんとうは、ぼくらは引っぱられてなんかいないんじゃないかな? 『引っぱられるっていうのは、この地面の上にいて、ひとに腕を引っぱられたりするときの、あの感じについてだけ、言えることなんじゃないかな?』
ぼく:じゃあ、引力はないって言うの?
ペネトレ:引力がないだけじゃなくて、地球が丸いっていうのも、ちょっとあやしいな。
ぼく:どうしてさ!?
ペネトレ:丸いっていうのは、この地面の上にある、スイカとかボールとかについてだけ、言えることなんじゃないかな?この地面が球体であるって考えたとたんに、ぼくらは地球というものを、この地面のことじゃなくて、この地面の上のほうにある巨大なボールのようなものだと考えてしまっているんじゃないかな?その証拠に、地球は丸いのに下のほうにいる人が落ちないのは引力があるからだ、なんて考えてしまうだろう
ぼく:どこがいけないのさ?
ペネトレ:地球には「下のほう」なんてないはずだからだよ。でも、ぼくらは上下のある絵しか描けない。できるって言うんなら、上下のない地球の絵を描いてごらんよ。世界地図だって、地球儀だって、星座早見盤だって、必ず上下がある。それはつまり、地面の上に乗っているってことだよ。だから、ぼくらが住んでいるとされる地球という名前の惑星をふくめて、ほんとうは、すべてのものが、この地面の上にあるんじゃないかな?
ぼく:ペネトレ、それ本気で言ってるの?!!!”p.100‐102
※『』内は原典では太字

物理法則という客観的だとみなされている(この法則の観測は主観的になされる)のですが、結局のところ、人間の肉体的制約や生活様式の前提に縛られます。
肉体的制約とは、左右対称、上下非対称などで、
生活様式の前提とは、重力下で生活(頭は上、足は下)などです。
地球上にいる時、われわれにとっての地球とは地面のことであり、そこから逃れられないのです。
仮に、人間の体が完全な球体だとすれば、文字は左から右へだとか、その逆だとか、縦書きだとか、横書きだとか、という概念が生まれるか?
などなどさまざまな思考実験ができますな。

森博嗣『笑わない数学者MATHEMATICAL GOODBYE』文庫版
にある鏡に映ると左右は入れ替わるが、上下や前後は逆にならない理由↓

鏡に映った像は、左右が反対になりますね。どうして、上下や前後は逆にならないで、左右だけ入れ替わるのか、刑事さん、答えられますか?」(…)
「定義の問題です。左右だけが、定義が絶対的でないからです。上下の定義は空と地面、あるいは、人間なら頭と足で定義されます。前後も、顔と背中で定義できます。では、左右はどうでしょう?左右の定義は、上下と前後が定まったときに初めて決まるのです。人間の体型が左右対称ですし、歩いたりするときも横には動きません。上下と前後の定義が独立していて、絶対的なものであるのに対して、左と右の定義は相対的です。この定義のために、鏡で左と右が入れ替わるんですよ
「待って下さい(…)鏡の映像に……、そんな、人間の考えた定義が関係するのですか?あれは物理現象であって、人間の言葉には関係がないと思いますが……」
「いいえ、我々は、ものを定義して、それを基準に観察するんですよ
(…)僕たちに、顔がなかったとしましょう。そのかわりに、片手だけが大きくて、バルタン星人のようにハサミがついているとします……。この場合……、ハサミのある大きな手が、右と定義される。顔がないから、前後の定義が相対的なものになります。つまり、上下と左右が定まって、初めて前後が決まることになります。この顔なしバルタン星人が、鏡を見たら、前後が逆になりますよ。良いですか?ハサミの方の片手を挙げて、鏡を見てみましょう。鏡の中の自分も、やっぱりハサミの手を挙げているでしょう?つまり、左右は入れ替わっていない
(…)
「それでは……、こういう説明ではどうでしょう。右と前、左と後ろ、この言葉を入れ替えて使う国があったとしましょう。その国では、右という言葉は前のことです。左という言葉は後ろのことです。顔がある方が右、背中が左です。さて、この国では、鏡を見て、左右が入れ替わるでしょうか?」“p.433‐435


ぼくが生まれるために必要なこと(2)

 “ペネトレ:まだ人間のいない世界を考えてみよう。そこで神さまが五人の人間を作るとする。もちろん、それぞれ顔かたちも性格もすべてちがう五人だよ。さて、そのとき、ただたんに五人のちがう人間が作られるだけじゃなくて、その五人のうちに自分というものがふくまれているためには、神さまは、それぞれ個性を持った五個の肉体と精神を作る以外に、なにをしてくれればいいのだろう?
ぼく:自分って、このぼくってこと?
ペネトレ:そうだよ。でも、その世界には、まだ、きみというものは一度もあらわれたことはないんだ。そのとき、神さまがいまのきみのような肉体と精神を作ったとしても、そいつがきみになるかどうかはわからない。どれかひとりがきみであるためには、なにが必要だろう? 神さまは、なにをしてくれればいいんだろう?
ぼく:五人のうちのひとりがぼくであるためには、神さまが五人に、それぞれちがった肉体と精神を与えるだけじゃ、足りないね。それだけじゃ、五人がそれぞれみんな平等に、それぞれの個性を持ったそれぞれの自分である、ってことにしかならないからな。その中のひとりだけが、ぼくであるという特別のありかたをするためには、肉体や精神のもつ個性とはちがったなにかが必要だな
ペネトレ:しかし……、そのなにかを与える能力が、神さまにあるだろうか?全能の神でも、その能力だけはないんじゃないだろうか?
ぼく:どうして?
ペネトレ:もし、「その五人のうちのひとりがなぜかたまたま自分だったとしても、そんなことはなかったとしても、神さまには、そのちがいを見分けることができない」からだよ。だって、その二つの世界は、五人のうちに自分というものがふくまれているかいないかという点以外は、まったくおなじ世界なんだから
ぼく:見分けることができないんだから、作りわけることもできないってこと?
ペネトレ:神さまにできることは、さまざまな心や体を持ったさまざまな人間を作ることだけなんだ
ぼく:その中にぼくがいるかどうかは、神さまにとっては、なんのちがいもないのか……。つまり、神さまは、ぼくが存在していることを知らないんだ。だから、神さまは、ぼくのような人間を作ることはできても、ぼくというものを作ることはできないのか……。”p.110‐113
※「」内は原典では太字

宗教における死後の世界を「生きている」人間にわかるはずがない。
全部嘘っぱち。
あるいは錯覚


“ぼく:夢の中では夢の外のことを考えられない?
ペネトレ:夢の中で、自分はいまふとんの中で眠っていて、夢を見ているだけだ、と思ったとしても、そういう夢を見ているだけのことだろう?夢の外のことを考えたことにならないだろ。それとおなじように、きみが中心にいるこの世界の中で、きみ自身が消滅することを、どんなに考えようとしても、それはどうしても、この世界の中で起こるひとつの出来事になっちゃうんだよ。それから、夢なら、逆に、さめてからその夢の中のことを覚えているから、夢の外からその夢について考えることはできるんだけど、人生の場合はそれもできない。死んでから生きていたときのことを覚えていることはできないからね。だから、人生は、さめたときにはけっして覚えていられない夢みたいなものさ
ぼく:死後の世界はないの?
ペネトレ:だから、考えることができるきみの死後の世界というのは、すべて錯覚なんだ。そういう意味で、死後の世界というものはありえないんだよ。死ぬっていうのは、すべてが終わることなんだ。それなのに、生きているうちは、そういうすべての終わりであるような死について考えられないから、だから、そういう錯覚が起こるんだよ
ぼく:死ねばすべてが終わるのか……。
ペネトレ:世の中がきみに与えることができるいちばん重い罰は死刑だね? 死刑以上の重罰はないだろ? ということはつまり、世の中は、死ぬつもりならなにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ。「認めざるをえない」のさ。“
p.116‐117
※「」内は原典では太字

死を恐れない存在ほど怖いものはない。
目的しかないから。
未来を対価にして現在における強さを手に入れる。


翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)
(2007/08)
永井 均

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“精神病院で自分はナポレオンだと信じてる患者がいた。
あるとき、医師が
「なぜキミは自分がナポレオンだと主張するんだ」
と訊くと、その患者は、
「神様がおまえはナポレオンだと言った」
と答えた。
すると、すぐそばにいたべつの患者が怒った顔でこう言った。
「おれはそんなことを言った覚えはない!」
” http://koee.net/1096

永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み――哲学的諸問題へのいざない』を参考にして、
主に言語を学べる条件について考える。

実は、『ロボット』とか『人間』とか『黒』とか『痛み』などの言葉の意味を習得しつつある子供には、人間がロボットに見えるとか、黒が白く見えるとか、痛みが眠気に感じられるとかを主張する権利はない。
意味が固定=基準が決定、された後にはじめて事実に関する極端な主張ができるようになるのであって、意味を学びつつある段階では、誰もが凡人。
なぜなら、
人間=ロボット、だと認識している人が、
人間がロボットに見える=人間とロボットは一般的には別物である、と言えるはずはないから


子供のころから汚水をきれいだと感じて、浄水をきたないと感じる人がいたとすると、その人は『きれい』や『きたない』の言葉の意味を学べない。
なぜなら、私たちは言葉の意味を「実例を通じて学ぶので、最初から多数と判断が一致していないと、そもそも意味を学ぶことはできない」から。
つまり、感じていること、考えていることなどが同じ(あるいは「ほぼ」同じ)だという前提のもとで、はじめて意味を教えたり学んだりすることが可能
になる。

例えば、日本語が母国語の人が、マレー語をまったく知らずにマレーシアに行ったとしても、その人は少しずつわかるようになっていくだろう。
なぜなら、なんとなくわかることがあるから。
自分を指差して何かを言ったら自己紹介をしているのだろう、
自分以外を指差して何かを言ったら指差されたものについて何か言っているのだろう、といったことなどだ。

ではなぜ、「何かを指差して何かを言ったら、その言った内容は指差したものに関係しているはずだ」って思うのか?
まさにそこがキモ。
要は、相手がこちらが予想できることをしてくれないと、相手の言葉は絶対に学べないということだ
そうでないと、相手の話している内容を推測して、自分の言葉(おそらく母国語)にあてはめて理解し学んでいくことはできない。

他にも言語を学ぶ前提はある。
相手が言っていることの意味がわかるようになっていくためには、相手が、(こちら側の基準で)まともでありふれた存在でないといけない。
そうでないと予想すらつかない。
相手がほとんど正しいことを言っていると前提しないとどうしようもない。
皆が真理を語るとは限らないが、相手がこちらの観点から見てたいていは真理を語っている、理のあることを、整合性があることを言っていると前提することが、理解の前提


つまりは、自分とぜんぜん違う言葉が喋っている人が、「汚水はきれいだけど、浄水はきたない」って意味のことを言うことは「ありえない」ってこと。
それが意味理解の前提なので、ひょっとしたらほんとうはそう思っているかもしれないってことすらない。

相手が自分と同じ信念を持ち、自分が真実とみなすものを真実だとみなす、といった言語以前の形式--人間は言語は違っても、重力下で生き、表皮は固体で、左右対称で、生存のためにはエネルギー摂取が必要で、挨拶し、自己紹介し、などなどといった共通項--
を少なく或る程度はもっていると前提しないと、意味の理解ははじまらないってこと。

いや、この「言語以前の形式」以前の形式、
つまり、カントのカテゴリーなどのものさえ共有できていればまだ理解は可能かもしれない。

感性(感覚みたいなもの)的に見出される経験における一般性を支えるのが「悟性」(知性と訳すことあり)である。
悟性的な理解とは、それが何であるかを把握する能力である。
五感で感覚される対象が一般的に何かであることは悟性によって規定される。
悟性固有の形式が、純粋悟性概念=カテゴリー↓

カントのカテゴリー
 ※悟性…感性が与えてくれた対象を、カテゴリー(質、量、関係、様態など)に基づいて判断。

①分量
(すべてのものか、
特殊なものか、
それともこのひとつか)

②性質
(これは~である、といえるものか、
これは~でない、といえるものか、
これは非~である、といえるものか)

③他のものとの関係
(いついかなる場合であってもこれは~である、といえるのか、
もし…なら、~である、という条件付きのものか、
これは~か…のどちらかである、といえるのか)

④様相(物事のありよう)
(~であるだろう、といえるのか、
~である、といえるのか、
かならず~でなければならないといえるのか)

別の表現だと
1. 量(単一性、多数性、全体性)
2. 質(実在性、否定性、限界性)
3. 関係(実体性、因果性、相互性)
4. 様態(可能性、現実存在、必然性)


[アリストテレスの10のカテゴリー(範疇)

1実体
主語が何であるか

2量
主語がどれほどの量であるか

3質
主語がどのような質であるか

4関係
主語が他のものとどのような関係にあるか

5場所
主語がどのような場所にあるか

6時
主語がいつあるか

7状況
主語がどのような状況にあるか

8状態(所有)
主語が(物との関係で)どのような状態にあるか

9能動
主語が他のものに対してなにをしているか

10受動
主語が他のものから何を被っているか]

カテゴリーは認識のフィルターのようなもので、カテゴリーに引っかからなければ認識されないので、カテゴリーを外れたものは存在しないとみなされる

言語の話に戻す。
相手が人以外でも同様。
何やらよくわからない異世界あるいは宇宙空間からやって来たらしきものが、どうやら言葉を話しているようなのだが、何を言っているのか意味がさっぱりわからない存在がいたとする。
では、その存在が言語(らしきもの)を話していると仮定して、そいつの言っていることを推測していくにはどうしたらいいのか。
外国語学習とまったく同じく、私たち基準で合理的に行動していると解釈する場合にしか、彼らが言語を持っているとか、何か考えているとか、みなすことはできない。
人間以外の動物や植物なども同様。

よって
言葉は持っていて私たち人間にもその意味もわかるけど、私たち人間と(言語が成立する前提的な意味で)まったく違う考え方をしているものなんて「いない」。
いるかもしれないが私たち人間には決してわからない、なんてことに意味は与えられない。
そして、意味が理解できるようになってはじめて、相手の間違いやこちらの誤解がわかるようになる。
考えや理解の違いを確認するためには、相手がほとんど言葉の意味を間違えず、相手が今まで従ってきた意味体系と同じ体系に従っていると前提しないと成り立たないからだ。

話すたびにまったく違う意味体系に従って喋っていて、なおかつその場にまったく関係ないことしか喋らない存在の言語なんて学びようがないってことです。せいぜい、わめいている、と認識されるのがおちでしょう


言葉の意味がわかるようになる場合
①相手がまともで言葉が違うだけのとき
②相手の気が狂っているが、正しく日本語(一例)を使っているとき

言葉の意味がわかるようにならない場合
(その人が何を信じているかもわからない)
①相手の気が狂っていて、しかも間違った日本語(一例)を使っているとき。
②相手の気が狂っていて、しかも私たちの知らない言葉を使っているとき。


冒頭の引用のような精神病的妄想を持っている人に対して、精神科医やカウンセラーは、普通、相手が言葉の意味自体は誤解していないって前提で接するらしい。
私はナポレオンだ。神がそう言った。
と言ったら、「その人はそういう妄想を持っている」と考える。
言葉自体は受け入れる。
ナポレオンが実は「敵前逃亡の一兵卒」だったり、神が実は「人間」だという可能性は、相手に質問して肯定しない限り、あの有名なナポレオンとみなす。
そうしないと、話が成り立たない。


今度は、「色」という概念が存在しない(必要としない)宇宙生命体(生命体の定義も実に曖昧だがここでは議論しない)を仮定する。
私たちがとらえる世界では、物の種類とその色とは対応していない。
しかしもし、物の種類と色が完全に対応している、例えばカラスは絶対に赤いといった風に、と彼らが認識していたら、彼らに「色」なんて概念は存在しない

また、例えば三角形は絶対に青いと認識していれば、やはり「色」の概念は存在しない。
「形」と「色」が一体となっているとも言える。
つまり、「形」と「色」が一体となった概念が誕生しているはずだ


我々から見れば、認識の一部が欠けているとみなされる。
が、先に行ったカテゴリーを少なくともある程度は共有していれば、宇宙生命体の言語も学べるのである。

カテゴリーのことを相手に伝えればいいのではないのか。
と言いたい人がいそうである。
カテゴリーは頭の中や心の中にあるものではなく、言葉を使って「実際に活動しているその活動の中に“示されている”形式」。
活動中に意識するなんてありえない。意識しようがない。

絵がどんなものかは言語で伝えられない。
「とにかく見て!」と言って見てもらわないといけない。
見ないとだめだから「示す」しかないように。言葉の限界を示す。
カテゴリー「について言葉で言う」のではなく、
カテゴリー「に従って
『赤いリンゴ五つ!』と言う」。
そうすると、
果物屋は、
「まず」『リンゴ』という「実体」のある場所へ行って、
「次に」『赤い』(性質)のを、
「最後に」『五つ』(個数)選ぶ。
この順序は変えられない。
まず個数から初めて、次に性質、最後に実体(=個数や性質の前提)
なんてことは、カテゴリーの中で生きる人間には想像すらできない。
果物屋のこの「必然的な行動形式の中にカテゴリーが示されている
」。

そしてこの「カテゴリーに背後はない」。
カテゴリーは動物の必要からできたってことはありえない。
なぜなら、動物とか生物といったとらえる枠組み自体がすでにカテゴリーに依存しているから。
因果関係が逆。
原因と結果を入れ替えてはいけない。
「まず」カテゴリー「によって」ものごとがとらえられ、「そこからすべてがはじまる」。

神や宇宙生命体の姿をイメージすると、思わず人型になってしまうのは当然だということ。人間の思考形態に当てはめないと思考すらできないから。
カテゴリーを外れた宇宙存在とは交流不可。
正確には、存在自体を認識しないから交流以前の問題
である。

このような日常の大前提について徹底的に考えたウィトゲンシュタインが偉大なのは、
「意図的にするはずがないことを意図的にする」
という、いと面白き意図を持って哲学し、哲学史に
「無意識的に意識的になるような」不思議で奇跡な書物を残したからである。

青山拓央『新版 タイムトラベルの哲学』ちくま文庫、2011
p.261における、永井均による本書の解説(本書をヒントにした永井独自の哲学小論)
“ともあれ私は、このような考え方を、というかこのように考えていくやり方そのものを、(二人ともこんな考えは自分とは関係ないと言うであろうが)『純粋理性批判』のカントと本書の青山拓央から学んだ。本書を書いた時点で青山は哲学を学び始めたばかりの学生にすぎなかった。そんな素人の議論と哲学史上最大の古典を並べるのを可笑しく思う人がいるかもしれないが、それは違う。哲学界で慣習的に受け入れられている思考法に依存せずに、自ら手探りでゼロから哲学をするやり方そのものを直に学べるのは、素人と古典からだけであるからだ(言い換えれば哲学の古典はどれも素人の書いた書物である)。だが、素人なら誰でもいいわけではもちろんない。いったい本書の何がこれに類例のないほどの啓発力を与えているのか、それは各人が自らの探究と摺り合わせて確認していただくほかはない。”


永井均『私・今・そして神』

私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)
(2004/10/19)
永井 均

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『私・今・そして神――開闢の哲学』(講談社現代新書、2004年


“私は、私を叱った先生よりも、私の発言を支持した生徒たちから、理解されなさを強く感じたのを覚えている。
哲学的疑問は理解されない。哲学はつねに無力であり、力があるのは科学や常識や思想である。授業科目や学問領域としての哲学の問題は理解できても、実際に哲学的疑問をなまで感じる人は驚くほど少ない。表明してみても、ほとんど理解されない。理解しているつもりの人も、実際にはぜんぜんちがう意味に取っていることが多い。
 そういう体験を重ねて、私は哲学的疑問をみだりに口にするのはやめた。それは慎みを欠く行為である。いまではその理由もよくわかる。学問領域としての哲学の世界に足を踏み入れてからは、ふだんはみんなと口裏を合わせて、なんとなく適当なことを言っておいて、本当に言いたいことは自分の哲学としてだけ語ることにした。
 もちろん、哲学の世界といえども、中学校と同じで、そこで通用している一般的常識は、これまた驚くほど疑われない。そこにもまた、あの理科の先生のような人たちと、あの生徒たちのような人たちがいる。それは当然のことである。なぜなら、私自身も他者に対しては、そのように振る舞うことにしたのだから。
この本で書いたようなことは、実際の人生の中で口にされることはまずない。そんなことを言うのは、つねに的はずれだろうから。幸か不幸か、私が言いたいと思うことは、なぜかこの種のことが多いのだ。”p.4-5

“音楽を例に取ろう。日々音楽を聴くことを糧として人生を過ごしており、たとえばリパッティの演奏するショパンのワルツやルプーの演奏するシューベルトの即興曲やグリュミオーの演奏するヘンデルのソナタから、えもいわれぬほど大切な何かを聴き取る感性は持つが、しかし楽譜ひとつ読めず練習曲ひとつひけない人と、日々スケール練習に余念がなく、たとえばリストなりパガニーニなりを高速で正確にひけるが、しかし人生の中で音楽を聴く歓びを味わったことのない人、この二者を比較してもらいたい。音楽の本当の意味と価値を知っているのはどちらだろうか。
 この二者の比較であるかぎり、前者の人であることは疑う余地がない、と思う。この比喩によって私は、俗に「ついて論文」といわれる(典型は「○○期××の『△△』の概念について」)研究論文を書くことを主要な仕事としている「哲学」学者を馬鹿にしてはいけない、と言いたいのである。彼らは哲学をそのもの〔原文ママ〕を自分でやってはいない、としばしば言われる。たしかにそうかもしれないが、その彼らこそが哲学の本当の意味を理解している可能性は十分にある。逆に、出来合いの哲学練習問題集に収められている「哲学問題」をどんなにスマートに解くことができても、それはじつはちっとも哲学ではない可能性はきわめて高い。たいへんに頭がよく、とてもよく勉強もしているが、少しも哲学が感じられない(先ほどの比喩でいえば音大生の技巧誇示のような)読むからに寒々しい「哲学論文」を書く人は――私の印象では最近とくに――多い。
 とはいえ、「ついて論文」派と「練習問題」派への分裂は、哲学を殺してしまうように私には思われる。それはたぶん、哲学が学問でありながらも、じつはなにか特別の種類の天才の、凡人に真似のできない傑出した技芸の伝承によってしか、その真価を伝えることができないようにできているからだと思う。矛盾対立する学説がいつまでも淘汰されずに共存しつづけ、敬意を払われつづけるのは、たぶんそれゆえだろう。このことについては、本書の内容とは直接に関係ないから、ここではくわしく論じない。
 かわりに、哲学を志す若い人にちょっとした提案をしたい。先生筋の模範演奏からではなく、古典的名演奏から直接に何かを学び、しかし崇め奉るのではなく、それらを直接勝手に使って、自分自身の哲学をやったらどうか、ということである。たとえばプラトンやアリストテレスを「研究」するのではなく(かといって出来あいの無人称的な「哲学問題」を直接考えるのでもなく)、彼らの仕事を勝手に使って、そこから直接問題そのものを考えたらどうか。本書を書きながら、私はそういう可能性があると感じた。
 私は本書において、ライプニッツとカントをはじめとする古典的な哲学者について論じ、彼らの議論を自分の問題を考えるために利用している。「ついて論文」派の専門研究者から見ればこれらはほとんど牽強付会に近いものだが、それでも彼らの議論のある面は確実に継承されているはずである。哲学の古典はこのように利用してもいいし、むしろそうすべきものであろう。この点に関しては、私の真似をすることを、おおいに勧めたい。”p.6-8

だれも覚えていない過去はつくれない
 世界は、その時そうであった通りのあり方で、本当はまったく実在しない過去を「覚えている」と思い込んでいる全住民ととともに、五分前に突如として存在しはじめた――これは少なくともどういう事態が起こったのかがわかる。だから、全能でいたずら好きの神さまなら、≪その≫事態を引き起こすことができる。しかし、その神さまでさえ、だれも覚えていない過去を≪そのとき≫同時に作り出すことなどはできない。全能の神でさえ、それは≪不可能≫なのである。
 全能なのにできないことがある? そうなのだ。だって、住民のだれひとりとしてその時点で「覚えている」と思い込んでさえいない過去そのものを、≪その時点で≫つくるって、いったい何をすることなんだ?
 もし≪その時点で≫つくられたなら、やっぱり過去には存在しなかったんじゃないか。神が≪いま≫それをつくったということがいったい何をしたことなのか、どういう事態を起こしたということなのか、われわれにそれがわからない。われわれにそれが理解できないのだ。だから、それだから、全能の神でさえ、≪そんな≫ことをすることはできない。神でさえ≪それ≫は作り出せない。≪それ≫はわれわれの言葉で表現され、われわれの理解によって指定されている事態だからだ。神の全能でさえ、この壁は打ち破れない。なぜなら、この壁は神の側からは存在せず、われわれの側からだけ存在する壁だからだ

 だから、ひょっとしたら、気まぐれな神さまは、五分前に、だれも知らない五年前の出来事を急につくったかもしれない。それは五分前にできた以上五年前にはなかったのか、それとも、神が五年前という時点に設置した以上五年前にもうあったのか、答えはない。時間の内部でその時間をつくり直すという想定がわれわれに理解できないかぎり、この想定は不可能な想定なのである。「記憶一般と記憶の対象とを同時に可能ならしめる条件」に反しているからである。世界にはわれわれに理解可能なことしか起こりえない。なぜなら、われわれに理解できる形で捉えられたときにのみ起こったとされるから。この意味において、神もまたわれわれに理解可能なことしかなしえない。“
p.27-28 原典の傍点を≪≫で代用。

人格神は全能ではありえない。
人間化=不完全化され、人間が解釈できて人間の理解の範囲のことだけができる、
宗教家の操り人形だから。
「全知全能」という記述すらも人間の理解の範囲内にある。

そもそも物事の誕生の根源があるとすれば、それは創造神ではなく、「変化」それ自体である

Aが存在し「ない」状態から、
Aが存在「する」状態への「変化」がなければ何も誕生することができない

「変化」がなければ創造神は何もなすことができない。
その創造神に人格があるとされていることも奇妙だ。
人格がない状態のときには既に変化は存在していた。
つまり、創造の根源は存在していた。
したがって、意志によって初めて創造が行われたとするのは誤り。
その「意志」が誕生するための「変化」こそが創造の源泉なのだから。
仏教ではこの「変化」を
諸行無常
と呼んでいる。

無論、人格はないので、解釈者=宗教家が支配に利用することができないようにしている点が重要である。

万物の根源が「人格と意志ある」存在だという宗教家の主張は嘘だということだ。
人格と意志が誕生する為の前提=変化が根源だ。
創造神を想定するなら最初は無感情だったということだ。
後に感情が誕生して感情的になったといえる。
つまり、創造神が文字通り無慈悲で無感情だったころがあるということだ。
その創造神が一神教の神ならば、感情、人格を持ってからもやっていることは、無慈悲な悪魔そのものである。
悪、悪魔を創り、そのまま悪を滅していないのだから。
そもそもゴッド=善、ということ自体が悪が存在しないと成立しない。
善と悪は同時に生まれたものだ。
一神教は敵=悪を必要とする。
ゴッドとサタンは同業者であり一心同体。
共倒れしない程度に自作自演しているわけだ。
ゴッドが悪魔を創ったとわかる聖書は世界一流布している本であり、安価(時にはタダ)であることが、聖書が偽りであることの証明である。
支配層にとって都合が悪いなら、ここまで流布することはありえず、値段も高額になるはずだからである



“外界だけの懐疑論を、五分前世界創造説との類比でつくってみよう。それは、知覚されているものがじつは五十センチ前方でつくられている、というようなことになるだろう。もちろん、記憶はふつうに成立している。これを「五分前世界創造説」に対応させて「五十センチ先世界創造説」と呼ぼう。
少し考えてみると、五分前世界創造説の「五分前」という条件は、なかなか味があることがわかる。第一に、五分前にできたということは、できた時点が固定していて、その後は世界創造の時はしだいに遠ざかっていく、ということである。まさかラッセルは、世界が<つねに>五分前につくられている、なんて想定をしたわけではないだろう。もし、つねに五分前につくられているのだとしたら、これは大変なことだ。そして、じつをいえば、この大変さこそが近ごろの私を捉えて離さないテーマなのだ(ある意味で本書は全体としてこのテーマをめぐって展開しているともいえる)。
第二に、五分前であって今ではないということは、その五分間はふつうの記憶が成立していたということだ。これをもし、今できたということにしてしまうと、今からはじまるふつうの記憶の身分があやしくなってしまう。そもそもそれが記憶であるとなぜいえるのかが不明確になってしまうのだ。すでに成立しているちゃんとした記憶があって、それと<連続的に>贋物の記憶がある、というところが、とてもうまくできているところだ。
五十センチ先世界創造説ではどうか。眼の五十センチ前方であって眼の位置ではないということは、その五十センチの区間はふつうの知覚が成立しているということだ。これをもし、眼の位置でできたということにしてしまうと、それがそれでも知覚であるということの意味が不明確になってしまう。前方五十センチの間はちゃんとした知覚があって、それと連続的に贋物の知覚風景が開けている、という点がとてもうまくできている……と言えるだろうか。
どう考えても、これはまずいところがある。第一に、今から五分前は客観的な時間点だが、私から五十センチ前方は客観的空間点ではない。今と私の性質の違いがどうしても気になる。だって、私の前方三メートルのところにはよく他人というものがいて、なぜだか私に話しかけたりしてきて、場合によっては、五十センチ以内に近づいて、私に触ったりもする。もちろん、触角はすべて本物で、聴覚は(五十センチ以内の至近距離から発せられた音以外は)贋物なのだろうが、それにしても、その他人がもつ知覚はどうなっているのか、という問題はやはり気にはなる。世界を完璧に独我論的に考えるという条件を入れないと、この世界描写は完結しない。”p.33-35
<>は傍点の代役。


気分を率直に語るなら、「私」と「今」とは同じものの別の名前なのではないかとさえ感じている。そもそもの初めから存在する(=それがそもそもの初めである)ある名づけえぬものに、あとから他のものとの対比が持ち込まれて、<私>とか、<今>とか、いろいろな名づけがなされていく、といった感じである。
 他人との対比が持ち込まれれば<私>ということになり、過去や未来との対比が持ち込まれれば<今>ということになる。身体との対比が持ち込まれれば<心>ということになり、外界との対比がもちこまれれば<内界>ということになり、死との対比が持ち込まれれば<生>ということになり、さらに非現実との対比が持ち込まれれば<現実>ということになり、もっとさらに決定論のようなものとの対比が持ち込まれれば<自由意志>ということにもなる……といったぐあいである。
対比が持ち込まれた後では、あたかも対比が成り立つための共通項がもともとあったかのような錯覚が生まれる。そして、この錯覚こそが現実になるわけだ。<私>と他人との対比が持ち込まれると、あたかもそれらに共通の「人間」というものが存在するかのように考えられることになり、<今>が過去や未来と対比されると、あたかもそれらに共通の客観的な「時間」というものが存在するかのように考えられるようになる。
もともと存在しているのは< >で囲んだほうだけなので、それがそれ以外のものと一緒にその内部に位置づけられるような共通項は、じつは存在しない。人間たちの中に私はおらず、時間の中に今はない。むしろ<私>の中に人間たちが、<今>の中に時間がある

< >で囲んだほうが存在することこそが、世界の開闢そのものなのである。これを「開闢の奇跡」と呼んでおこう。
ところが、対比が持ち込まれた後では、話が逆になって、もともと存在していた< >で囲んだほうが共通項の中の一つとされるので、その例外的なありかたを何とかうまく共通項の中に埋め込んで消去しようとする、倒錯的な努力が開始されるわけである。
開闢それ自体が、それによって初めて成立したはずのものの内部に位置づけられることになるわけである
。”
永井均『私・今・そして神』P40-P42より 

時間的に表現すれば、すべての始まりであって、時間的位置を持たないはずの開闢の奇跡に、その内部に存在する事物の存在基準が適用され、時間的位置を持たされるということだ。つまり、開闢は、それ以上遡行不可能な単なる奇跡にすぎないのに、そこで開闢したものが「存在する」といえる基準は、対比が持ち込まれて共通項が設定された後で、その共通項の中で決まることになるわけだ
 〈私〉についていえば、他人と対比されて自己同一性(self-identity)という問題が生じ、それが他人と同じ人物同一性(personal identity)の基準なしには把握できないものとなる、というわけである。
 開闢それ自体が、その内部で後から生じた存在と持続の基準に取り込まれる。そのことによって、われわれの現実が誕生する。だから、現実は最初から作り物であって、まあ最初から嘘みたいなものなのだが、しかし、それこそがわれわれの唯一の現実なのだから、それを認めてやっていかなければならない。この構造こそが、本書全体を通じて私が問題にしたことの根源である。“p.43

“たとえば、五分前に突然できたのか、ちゃんとふつうに継続してきたか、というこの違いのように、われわれの能力によっては原理的に識別できないのに、われわれの知性にはその違いが理解できるようなことがらが存在する。しかしなぜ、われわれの能力によってその違いがけっして識別できないのに、違いがあることが理解はできるのだろうか。
 それは、つまり、われわれが神を信じているからなのである。神の存在を、というよりは神の概念を、つまり、われわれに理解できる全能者という概念を、である。
 言い換えればわれわれは、(違いが)識別できること、(違いを)理解できること、(違いの)理解さえできないこと、の三つを区別しているのだ。重要なのは真ん中である。つまり、識別はできなくても理解はできるという領域を認めること。それによって、われわれはある種の超越性を容認
しているのである。”p.47

永井均の神(の概念)
①人間が理解できることのみをなす(なしたことになる)全能者。
②全ての前提たる開闢(開闢後は、レベルが強制的に下げられてしまう=殺されてしまうもの)。
要は、超越的なものは皆が信じています(あるいは思考の前提になっています)よってこと。単なる自然法則と言う人もいそう。人間の語る神など所詮は人間が勝手に設定した人間の能力に縛られた神でしかないということ。


“心を与える者は、ぜひとも神(あるいは神のごとき者)でなければならない、ということである。これはきわめて重要な条件なのだ。たとえばロボット工学者は、このロボットに心を与える能力がない。ロボット工学のいかなる進歩を想定しても、原理的にない。ロボットがどんな反応をするようになっても、心が付与されたかなお付与されていないかは、いつまでも謎にとどまるからだ。ここで想定されている意味での心を与えるということが何をすることなのか、ロボット工学はけっして理解することができない。
 だから、五分前世界創造説の場合と同様、人間に識別できない違いなどはないのと同じことだという立場も、十分に成り立つ余地がある。しかし、人間に識別できないという点こそが重要なのだ。もし神というものに固有の仕事があるとすれば、それは世界に人間には識別できない(が理解はできる)変化を与える仕事だからである。自然や人間にもできる土木工事(世界の物的創造)や福祉事業(心の慰め)は本来の神の固有の領分ではありえない。
 だから、ロボットのこの変化を理解し、そういうことがありうると思った人は神の概念を信じているのであり、(識別できるかぎりではこのロボットと変わりがないはずの)他人たちに心があると現に信じている人は、神が現に存在していることを、つまり神の実在を、信じているのである!”p.49


“ロボットに心が与えられるケースは他者に起こる変化であり、人間から心が奪われるケースは私に起こる変化であること、それが問題の本質なのである。
だから、後者のケースの本質は、私から心が奪われることにあるのではなく、私が<私でない>者にされることにある。そこで私ではなくなった者がなお心を(もちろん<そいつの>)持っていたとしても、問題の本質に変化はない。それゆえ、前者のケースであっても、ロボットに心が与えられるだけでなく、そのときロボットが<私になる>のだとすれば(それまでその世界に私は存在しなかったとしよう)、そこに識別可能なはっきりした変化が起こったことになるだろう。
それなら、私におけるこのような変化<と同じこと>が他者における変化の場合にも起こっていることを、私が(識別はできなくても)理解はできるのはなぜだろうか。それは、心を与えたり奪ったりするのが神だからであり、かつ私が神(の概念)を信じているからなのである。実際には私の場合にだけ識別できる違いを、他者にもあてはめて理解するとき、この超越を根拠づける存在は神でしかありえない。
この理解可能性が五分前世界創造説などよりも複雑な構造を持つのはここである。私から心が奪われるとは、私が私でない者に、つまり他者にさせられることであった。すると、他者から心が奪われる場合、他者はもともと私ではないのだから、どうしてさらに他者にさせられることなどができようか。<他者の≪私≫>というものを想定しておいて、それが奪われると考えるほかはないだろう。それはしかし、あの「開闢の奇跡」が複数化されるということなのだ。世界の開闢そのものである私とは、世界にひとりしか存在しない本性上の唯一者なのだから、相並ぶ他の私などはありえない。しかし、神によって、そして神によってのみ、そのありえないことが易々と実現されてしまうのだ。
『省察』のデカルトは、方法的懐疑によって「私の存在」の確実さに到達した後、まずはその内部から「神の存在」の証明をしなければならなかった。『省察』を読む者の多くがそこで躓くが、以上のように考えれば、それは理解しがたいことであるどころか、むしろ、それ以外にはありえないほどの必然的な道筋だったはずなのである
「心」とは、世界を開く「開闢の奇跡」を世界<の内部に>複数個並存させるためにつくられた高度に抽象的な超越概念である。「個人」も同じだ。だれもがロボットに心が与えられる際の変化の意味を理解できるはずだ、と私が言うとき、私はすでにこの超越性に乗ってその内部で発言している。”p.51-52
<>は傍点の代用。

擬人化して人間の認識、言語をあてはめて物事を理解するのが人間。そして人は擬人化ならぬ「擬私化」して他者などを理解する。しかし私と他者とは別次元のごとき隔たりがあり、「私」に擬するなんて不可能なのではないか。それを繋ぎ可能にするのが超越する何か(永井曰く神だが人格神ではなくてもよいように思える。神の概念でも可)。世界に唯一しか存在していない特別な開闢の前提の私が、特別でもない他者と繋げられるのはなぜかということ

<>は傍点の代役。

“たとえば、五分前に突然できたのか、ちゃんとふつうに継続してきたのか、という違いのように、われわれの能力によっては原理的に識別できないのに、われわれの知性にはその違いが理解できるようなことがらが存在するのはなぜだろうか。
この問いに対する前節の答えは、それはわれわれが神を信じているからだ、というものであった。そのさい私は「神」の概念を「われわれに理解できる全能者」という概念に言い換えていた。何でもできるのだが、何をやっているのかわれわれに理解できないようなことができるのではなく、やっていることの意味がわれわれにも理解できるようなことが何でもできるような全能者、である。識別できないのになぜ理解できるかといえば、理解には本質的に拡張的な性質があるからだ。”p.53

“自分(たち)が識別できない違いを、識別できないにもかかわらず理解はできることには、だから、必然性がある。自分(たち)が識別できることによって獲得した概念の適用範囲を拡張し、とりわけそれを自分(たち)自身にも遡及的に適用すること、これがわれわれの世界把握の基本的なあり方だからである。
 さて、それでは、神はどこにいるのか。開闢に神の業を見るか。それとも、開闢は自明の所与とみなして、そこからの超越にこそ神の業を見るか。私が存在することが神の業なのか。それとも他者が、つまりありえないはずの他の私が存在することこそが、神の業なのか。今が存在することが神の業なのか。それとも、ありえないはずの他の今が存在することこそが神の業なのか。
 もちろん、どちらも神の業だ。しかし、両者を一つに束ねる「心」とか「自我」とか「個人」とか「実在」とか一様に流れる「時間」とかいった概念が生まれ、そちらのほうが出発点とされることによって、神は死ぬのである。もちろん、神の死は必然である。なぜなら、神が死ななければ、われわれがふつうに理解している客観的世界は生まれないからだ
さてそれでは、なぜ神が世界を五分前に創造したと想定することが可能なのだろうか。それは、結局のところ、こうしてできたわれわれの客観的世界を、開闢の視点へと引き戻してみることが、つねに可能だからなのではあるまいか。そのような仕方で神を復活させることが、つねに可能だからなのではあるまいか。
もちろん、いったん神が客観的に存在するものとされてしまえば、開闢と結びつかない神の業も当然ありうることになるだろう。宗教というものを信じている人は、基本的にこの形で神を表象することになるだろう。だが、それは神の死のもう一つの形態ではなかろうか。“p.55-56

「世界把握」を「世界は悪」と誤変換された。しかし或る意味では「正」変換である。

 開闢=神の死、それは原因と結果の逆転。すべての前提である開闢を理解する為には、開闢のおかげで生まれた言語によって開闢のレベルを下げなければそもそも人間に扱えない。どんな高次のものでも、言語表現するためにはレベルを強制的に下げないといない。
 文章でも何でもそうだが、筆者の主張あるいは重要だと考えていることは、形をかえて繰り返されることが多い。読書のコツ。読解のコツ。国語問題を解くコツ。

神(開闢)の死=言語による開闢の隠蔽=(人間の言語)世界の誕生


“ある夜、哀れに思った神さまが、ロボットに心を与えた。あくる朝、意気揚々と学校にあらわれた彼が、友人たちに向かって「今日からぼくは心があるんだぞ」と言ったら、友人たちはどう反応するだろうか、というのが前節の問いであった。
しかし、彼が「今日からぼくは心があるんだぞ」などと言うはずがない。なぜならその夜、神は彼に心そのものをはじめて与えたのだから。それはつまり、それまでの人生の記憶も与えたということだ。だから、そのとき与えられた心は、その内側から見れば「そのとき与えられた心」ではない。「はじめからずっと存在していた心」なのである。それでも、<神は>彼にそれを与えたのだ。
それでも、神はそれを与えた? しかし、いつ? そして、だれに?
いつ、というなら、それはもちろん「その夜」である。この変化は、他人たちにも自分自身にも、だれにも知られることはない。だれにとっても変化ではない。それでもこれが変化だといえるとすれば、それはこれが神による変化だからであり、まさにこのような変化を与えることこそ、神にふさわしい業だからである。――というのが、私の神学上(?)の見解なのであった。そこで、神に敬意を表して、だれにも知られなくとも、やはり変化はあったのだと考えることにしよう。さてしかし、その変化はだれに起こったのだろうか?
 ここで重要なことは、前節の、逆のケースを経由した考察を思い出すことである。逆のケースとは、神が人間から心を奪ってロボットにしてしまうというケースであり、それは私に起こることなのであった。この場合、問題の本質は、私から心が奪われることにあるのではなく、私が私でない者にされることにあることが分かった。この考察を経由して、私はこう書いた。「前者のケースであっても、ロボットに心が与えられるだけではなく、そのときロボットが私になるのだとすれば、そこに識別可能なはっきりした変化が起こったことになるだろう」と。
 では、ロボットは、心を付与されるだけではなく、私になるのだとしよう。そこに私に識別可能なはっきりした変化が起こっているだろうか。
 たしかに私は、昨夜までは心などなかったのかもしれない。しかし、神が昨夜、私に心をあたえてくれたのだとしても、私はそれを知ることができない。だから、それは<私に>起こった変化ではない。むしろ神が、そして神だけが起こしうるある変化によって、私ははじめて誕生したのである。それまでもずっと存在しつづけてきたとの確信とともに。
 つまり、問題は五分前世界創造説の場合とまったく同じなのである。前に使った言葉を使うなら、これはいわば開闢である。しかし、この開闢は、実際に「それまでもずっと存在しつづけてきたこと」と<だれにも>区別がつかない。
 五分前世界創造説と対比して、これを昨夜私創造説
と呼ぼう。
 さて、そこで一つの問題は、後者が私に起こった変化だといえないなら、同様にして、前者も世界に起こった変化だといえないということにはならないか、というものだ。
 もう一つの問題は、神による私の創造が昨夜一回だけではなく毎晩であることは可能なことだろうか、というものだ。これはもちろん、世界がそのつど五分前につくられているという想定に対応する。“p.57-59 <>は傍点の代用。

“ロボットが私にさせられるとは、ロボットに記憶が与えられることではない。記憶が与えられても、それだけでロボットは私になるとはかぎらない。ロボットが私にさせられるとはまた、ロボットに感情や感覚が与えられることでもない。思考力や想像力が与えられることでもない。記憶も含めて、そういうものがすべて与えられても、ロボットは私になりはしない。せいぜい人間になるにすぎない。私にさせられるとは、世界が私という特異点を持ち、世界がそこから開かれるようになる、ということなのだ。そこから開かれるような世界が、新たに誕生するということなのである。
さて、このように考えたとき、神には〈私〉の着脱能力があるか。これが問題だ。これは、感情や感覚のような心理状態や、記憶や知覚のような表象状態を着脱するような、なまやさしい話ではない。もし神にこの能力があるのだとしたら、それはロボットに心を与えたりする通常の神より高階の神でなければならない。すなわち、開闢の神
である。
 通常のオーダーの低い神では、世界の中にそもそも私が存在するかどうか、かりに存在するとして、どれが私であるか、識別する能力がない。神はただすべての人の心をお見通しなだけである。すべての人の心を見通したって、そのうちのどれが私であるかはわからない。識別能力がないのだから、神はもちろん私を創造する能力もない。ある特定の性質をもったある特定の人間を造れるだけである。私が生じるのは神の手の及ばない≪偶然≫である(デカルトの「我」が「欺く神」に対抗できるのはそれゆえである)。
 だからもし、神に私を創造する能力があるとすれば、ふつうの神より高階の神を考えなければならない。心を持った人間が複数存在する世界を(主として物理的に)創造する神という神表象を捨てなければならない。どれが私であるかを含み込んだ世界をつくる神を考えなければならない

さて、私にかんするこの高階の「神の事実」に対応するような、世界にかんする高階の「神の事実」がありうるだろうか。これが問題であった、そしてこれが、これから考えていきたい問題である。
この高階の神なら、実在の過去そのものを作ったり消したりできるかもしれない。なぜなら、どの人間が私であるかを含み込んだ世界をつくる神は、どの時点が今であるかを含み込んだ世界をつくる開闢の神でもあろうから。”p.65-67  ≪≫は本書の傍点の代用。

「私」を着脱する能力者が「ある人の私」を剥奪して、哲学的ゾンビ=永井の言うロボットになったとしても、その人以外の人にとっては何の変化もないし、その変化を感じる「その人の私」はもはや存在しない。つまり、実質なにも起こっていないように思える。
読者などの上位存在だけが認識可能な変化。これこそ魔法である。しかも最上位の。
最も驚くべき点は最上位、否、世界の開闢に関わるのだから位を超越した絶対魔法は、「何も起こらない」のだ!
こんな物語はどうか。
この絶対の魔法による変化が前後でわかる者を探す旅の話だ。
「ずっと……<私>のあるなしを、私の世界の開闢の存在と不在の違いを感じられる存在を、探していた。私にとっては最強にして最高の、他者にとっては最弱で最低どころか無意味の絶対魔法、<私>の着脱を使える術者を」

で、その術者により<私>を持つ存在全員から<私>が抜かれていて、三次元世界に<私>は文字通り存在しないが、高次元に<私>は送られた、というオチ。
<私>が抜かれようが、抜かれまいが、高次元にいようが、三次元にいようが、今の生活が何一つ変化しないことに恐怖を覚えないだろうか?


 開闢後の世界で開闢を操作できるのかな? 
何せ、操作する操作される、操作「前」・操作「後」の区別すらないのが開闢あるいは開闢以前(以前という言葉に意味があるのかな)なのに。
でも言葉は前後関係無しでは絶対に成立しないから言葉ではそもそも議論できないのでは?
「変化」が根源だと前述したが、その「変化」以前があるかどうかをそもそも議論できないのと同様の問題=言語の限界である。
言葉が通用しない分野ではロゴスの権化たる哲学は無力すぎる。


“デカルトの方法的懐疑では、まずは、これは夢ではないか、と疑い、次に、悪霊に欺かれているのではないか、と疑う。これはいわば、神の位階を上げているわけだ。
 <これ>が夢だとしても、夢の中でも外でも、二たす三は五で、四角形の辺は四つである。夢には、現実ではないことを現実だと思わせる力はあるが、それだけの力しかない。神の能力にあてはめれば、これはかなり位階の低い神だ。デカルトが次に想定する悪霊(欺く神)の位階はもっとずっと高い。悪霊には、たとえば、われわれが四角形の辺を数えるたびごとにまちがって四つであると思い込ませるといったような力があるのだ。これはなかなかすごい力だ。そんな力があるなら、言葉の意味をすべてまちがって理解させるといった力もあるにちがいない。しかし、そんな可能性を「疑う」なんてことがそもそも可能だろうか。その疑いの遂行において使われている言葉の意味がすべてまちがっている可能性を疑うなんてことが。(そもそもこういう場合「まちがっている」とはどういう意味なのだろうか。この点については第3章で考えよう。)
 夢なら覚めることがある。そして、覚めたかどうかがわかる。たとえそれもまた夢だったとしても、少なくともそれ以前に見ていた夢から覚めたことはわかる。で、悪霊の位階が高いことは、まず、悪霊の欺きから覚めたかどうかがわからない、という点にあらわれるだろう。覚めるということの基準そのものを、いやそれどころか「覚める」という概念そのものを(!)、この悪霊が(われわれを欺いて)作り出しているのかもしれないからだ。さらにまた、もしほんとうに覚めたとしても、悪霊の能力があまりにも巨大なら、欺かれて成立していた世界とその外部の世界とに共通するものは、もう何もないだろうから、やはり「覚めた」といえる根拠はないだろう。たとえば、時間というものそのものをそいつが作っているのだとすると、「覚めた」なんて過去形は適用できない、とか。何度も言うけど、これはすごい力だ。
とすると、そもそもほんものの神とこういう悪霊との区別は、どこにあるのか。この悪霊は何が悪なのか。もちろん、われわれが知っている善悪や真偽の区別は、この悪霊が作り出しているはずだ。それでも、そいつはほんものの神ではなく、私はそいつに<欺かれ>ているのだ
、という認定はどこからなされるのか。さらにもっと位階の高い神の視点からか!
それで思い出したのだが、『創世記』のような神の世界創造の場面の描写を読むといつも疑問に思うことがある。それは、ナレーターは誰なのか、という疑問だ。人類未到の山頂への初登頂の模様を、テレビカメラが山頂から撮影しているといったことにちょっと似ている。もしそれが開闢であるなら、そこにナレーターがいるはずがないじゃないか、とよく思ったものである(私は神を信じているにもかかわらず宗教というものに対する不審の念はとことん深い)。
話は逸れたが、欺かれて出来たこの世界の外に本当の世界があるとしても、断絶があまりにも大きくて、私(あるいは私たち)が同一性を保ったまま、その二つの世界を架橋することが不可能ならば、欺かれているという認定には実質内容がなくなる。結局、この世界こそが現実の世界だというほかはなく、悪霊こそが神だということになるだろう。”p.68-70 <>は原文にはなく、原文では傍点。

GODによる世界創造が三人称視点で記述されている=GODの創造を見ている存在がすでにいる。
GODの一人称で記述されていない時点で、創世記はGODがなしたことの記録ではない。一人称という一番厳密な語り方をしない時点で、三人称というより厳密でない=不完全な語りをGODが採用したという、完全ゆえに矛盾だらけな問題が生じる。
三人称視点で記述した文章は「完全」なのだという前提を逆手に取ると、三人称視点が正しいのならGODを見ている何らかの別の存在の視点を認めていることになり、GOD以前あるいはGODと同時にGODに類する存在が生まれていたことになり多神教化する。
ナレーターこそが真の創造神かもしれない(すでに多神教になってしまい一神教破綻)。
創世の物語は文字の読み書きができるエリート層の人間が書きました。識字率は非常に低かったから。てゆうか全知全能のGODなら人間の脳に記憶をインプットすればいいよね。
徹底的に疑って論理を積み上げるが哲学なのに、わざわざ絶対に疑って検証してはならない宗教を信仰するってアホ過ぎますな(身を守るために表向きに表明しているだけである場合は除く)。
 悪魔も異教徒も創ったGODが善であるはずはなく、自作自演で騙す悪魔そのものである。ほんものの神がいるとすれば善悪を超越した人格なき単なる世界全体そのものあるいは世界が誕生する前提そのものであるから、原理的に人間が解釈することなどできないし、ましてや意志など存在しない。人格神は絶対に全能になれない。人間が全能ではないからだ。

哲学のお勉強は、それに先立って相手の問題水準まで自分なりの問題意識から(つまり相手とは独立に)到達していないと、何の役にも立たない。到達していればおおいに役に立つが、それはもちろん、相手の言っていることとは全然ちがうことをそこから読み取ることができる、という意味である。
ライプニッツは真理を、理性の真理と事実の真理の二種類に分類した。理性の真理は必然的で、そうでないことは不可能だが、事実の真理は偶然的で、事実はそうであるが、そうでないことも可能ではある。
理性の真理は、概念を分析するだけで真理であることがわかる。どんな未亡人の夫も必然的に死んでいる。それは世界の事実を調べてみなくても、「未亡人」という概念を分析するだけでわかる。対して、事実の真理は、世界の事実を個別的に調べてみなければ真理であるかどうかわからない。三島由紀夫が割腹自殺する(した)かどうかは、いくら「三島由紀夫」概念を分析してみても、世界の事実を調べてみなければわからない。だから、三島由紀夫が割腹自殺しなかった可能性もじゅうぶん考えられるのである。
しかし、ライプニッツには充足自由律(=十分な理由の原理)というものがある。すなわち、すべての事実には必然的にそうであるべき理由がある、というのだ。だから、「未亡人」という概念(一般概念)に「夫が死んでいる」ということが含まれているのと同じように、「三島由紀夫」という概念(個体概念)にも「割腹自殺する」ことが含まれている。そうすると、「三島由紀夫」という概念を分析するだけで、彼が割腹自殺する(した)ことを知りうる者がいることになる。それはだれか?
神である。つまり、三島由紀夫が割腹自殺することは、もともと「神の知性」の中に用意されていたことなのである。しかし、もともとそうだったのだとすると、神はいつ、どこで、おのれの自由意志を行使できるのだろうか。アルノーのこのような問いに、ライプニッツはこう答えている。

「三島由紀夫と彼の割腹自殺の結びつきは、神の自由意志に依存しないという意味で必然的な結びつきなのではない。というのは、可能的なものとして考えられた神の自由な決定は、可能的な三島由紀夫の概念の中に含まれていたのだが、まさにこの決定が≪現実≫となったとき、つまり、神がそう意志したとき、≪現実の≫三島由紀の原因となるからである。三島由紀夫のような個体的なものは、その個体概念のうちに、神の自由意志を原因として持つ、ということを含んでいるのである。一般概念や理性の真理が、神の自由意思を仮定しないで、もっぱら神の知性にのみ依存するのとは、その点が違っているのである」(『ライプニッツ著作集8』工作舎、二六〇-一頁参照)。

神ではなく、一七世紀のヨーロッパ人にすぎないライプニッツが、なぜ三島由紀夫のことを知っているのか、などという野暮な疑問を持たないかぎり、ここではきわめて重要なことが言われていることがわかる。概念や理性の真理は、もっぱら神の知性にのみ依存し、神の意志を必要としない。それは、神の知性の中にあるあらゆる可能世界に同じように存在するから、≪現実に≫創造される必要がない(正二十面体が可能であることが証明されれば、正二十面体はそれだけで存在する)。対して、個体や事実の真理は、その概念のうちに、現実世界で生じるということが含まれているので、神の知性のみならず神の意志もはたらく必要がある。つまり、神によって≪現実に≫創造されなければならない(三島由紀夫は個体概念として可能であることが証明されても、それだけでは存在することにならない)。だからこそ、≪それ≫が現実には創造され≪ない≫ことも可能であるわけだ。
お勉強ついでに一言。この分類において、神の知性を神の意志に吸収してしまうのが、デカルト哲学。逆に神の意志を神の知性に吸収してしまうのが、スピノザ哲学である。
さて、しかし、三島由紀夫の個体概念が、彼に関して成り立つすべてのことをあらかじめ含んでいるなら、どうして≪彼が≫割腹自殺しなかったことも可能なことではあるのか。それは不可能ではないか。”p.84-87

一般概念・理性の真理(定義的に絶対正しい)
…神の知性にのみ依存。神の自由意志なし。

事実の真理(正しいかどうか検証が必要)
…神の自由意志を原因として持つ。神の知性も必要



“何が起ころうとそれが起こるのは現実世界である。ある意味で、これは自明であって、疑う余地がない。
では、こういう場合はどうか。この現実世界の内容が、あるとき突然、これまでとまったく関係ないものになってしまったとする。人類は突然消滅してしまう。自然法則も無くなって、世界は突如としてまったくの無秩序になってしまう、等々、どんな突飛なことを考えてもいい。何であれ、考えられるようなことは、すべて考えられるようなことなのだから。どんな内容であれ、現実にそれが起こってしまったのなら、それは仕方がない、起こってしまったのである。何が起ころうと、それが起こるのは現実世界なのだから、それは現実だ。
ここまで読んで、「それは、そうだ」と思ったなら、この状況に次のような想定を付け足してみたらどうなるか、考えてみてほしい。現実世界に異変が起こったちょうどそのときから、現実世界のこれまでの歴史経過と内容的に完全に連続した内容が、別の(非現実の!)世界で生起しはじめる、という想定である。非現実というのは、神の知性の中の可能世界でもいいし、だれかが見ている夢の世界でも、何でもいい。だから、もちろん、この連載もその世界でつづくことになる。つづけて読んで下さいね!
さきほど「それは、そうだ」と思った人も、今度はむしろ、内容上の連続性によって、その非現実の世界のほうが現実世界に<なる>、と言いたくなりはしないか。だって、そっちには、これまでどおりの自然法則が支配していて、これまでどおりの人間たちがちゃんといるんですよ。でも、もしそうだとすると、まったくの無秩序になってしまった世界のほうはどうなるのかなあ? <現実に>そうなってしまっただけなのに、非現実ということにされてしまうのか
?
二つの原理が対立している。何が起ころうとそれが起こるのは現実世界だ、という原理と、起こることの内容的なつながりによって何が現実であるかが決まる、という原理だ。この対立は、何が経験されようと経験するのはつねに私だ、という原理と、経験されることの内容的なつながりによってどれが私であるかが決まる、という原理との対立に、平行的である。現実の場合も私の場合も、前者をライプニッツ原理、後者をカント原理と呼ぼう(勝手な命名だが)。
ある意味で、ライプニッツ原理の正しさは疑う余地がない。さまざまな可能性のうち、最も起こりそうなことが起こったのは現実だ、なんていえるわけがないからだ。どんなに起こりそうもないことが起こったって、それが起こってしまったなら、それが現実だ。最も起こりそうなことが起こっている可能世界のほうは、非現実というほかはない。
同じことは私についてもいえる。私とは、現に世界がそこから開けている唯一の原点のことである。だから、何が経験されようと、経験されてしまったなら、それを経験するのは必ず私なのだ。ということは、経験される内容に関係なく、ということである。経験される内容のつながり方によって、どの人物が私で、どの人物が私でないかが決まる、なんてことはない。もし全然つながらないことを経験するようになってしまったなら、つながらないことを経験するようになってしまっただけのことだ。現に端的にそこから世界が開けている主体は一つしかなく、原理的に一つしかありえないのだから、つながり具合を相互に比較してみることなんか、そもそもできないのだ。いちばんつながりぐあいのいいやつが私になるなんて芸当ができるわけがない
私が分裂するという、よくある思考実験の場合だと、別れた二つは内容的にほとんど同じ人物なので、どちらが私になるかは、ただ偶然が(言いかえればただ神の意志が)決める。問題なのは、それまでの私の記憶をちゃんと受け継いでいるほうがなぜか私ではなく、受け継いでいないほうがなぜか私である、という場合だ。ライプニッツ原理によれば、そういうことが起こりうることになる。私である人物の経験内容の継続として最もふさわしい人物は、しかし、他人でありうるわけだ
言うまでもないことだが、この思考実験を物体の分裂と並行的に論じるのは、まったく的はずれである。心的性質を持つ物体である人間や動物でも駄目だ。「現実」の歴史経過と「私」の記憶との類比こそが問題の本質なのだから。並行的に論じて哲学的意味を失わないのは、世界の分裂、今の分裂、そして神の分裂! だけである。
しかし、それにもかかわらず、私の場合と世界の場合とでは、事情が異なるのではないか? だって世界の場合には、現実世界のこれまでの歴史とつながった歴史経過が別の世界で生起しはじめたら、内容上のつながりによって、その非現実の世界のほうが現実世界に<なる>、と言いたくなったではないか。私の場合にも、これと対応することが考えられるだろうか?
もし私の場合と世界の場合とで事情が異なるのだとすれば、その理由は、現実世界とつながった歴史経過が別の世界に起こると考えたときに、その別の世界にもとの世界から連続した<私が>存在しつづけていると感じたからではないか。それはつまり、どの世界が現実であるかはそこに私が(しかも今)存在するか否かで決まる、ということではないか。
もしそうだとすると、神は、人間たちの中から一人を選んで意志によって私を創造するとき、諸世界の中から一つを選んで意志によって現実世界を創造するときの意志と知性の対比をそこでもう一度<反復>したのでは<ない>ことになる。その二つの行為は、じつは二つの別の行為ではなく、同じ一つの行為でしかありえなくなるからだ
。”p.104-108
<>は傍点の代役。

ライプニッツ原理
何が起ころうとそれが起こるのは現実世界だ
何が経験されようと経験するのはつねに私だ
現実世界や私の同一性は、起こったことや経験の内容と無関係
何かが起こったり、何かを経験さえすれば、現実世界や私は同一〔そして恐らく唯一〕のままである)

カント原理
起こることの内容的なつながりによって何が現実であるかが決まる
経験されることの内容的なつながりによってどれが私であるかが決まる
(現実世界や私の同一性を前提とせず、起こったことや経験内容によって現実世界や私であるかが決まる。現実世界や私は、起こったことと経験の大前提なのだが、その大前提が逆転している。これだと、私が二つに分裂して、片方だけが記憶を引き継げるとすると、記憶を引き継いだ側=私、となる。
対して、
ライプニッツ原理だと、今までの記憶を引き継いでい「ない」側が私となり、記憶を継いだ側が他者となりうる。
私が二つに分裂するということが私という言葉の定義上=唯一であると制約上、そもそも想定してはいけないのではないのか。私が、私①と私②に分裂したとしても、私=私①、私②=私あるいは私①から見た他者、となるだけで、私が分裂したことにならないのではなかろうか。他者が増えただけなのではないのか)

何が起ころうとそれが起こるのは現実世界だ
(あまりにも今までも違うことが起こっても、同じ世界のまま。
あまりにも今までと違っていても別の世界とはみなさない)

起こることの内容的なつながりによって何が現実であるかが決まる
(今まであまりにも違っていれば、別の世界とみなす。複数の世界を想定)

何が経験されようと経験するのはつねに私だ
(経験内容に関係なく私はずっと私のままであり、別の私なるものはない)

経験されることの内容的なつながりによってどれが私であるかが決まる
(あまりにも今までと違う経験をする私は、別人Xであり私ではない。
あるいは、その別人こそが真のあるいは新たな私である)


開闢そのものが、それによって開かれた世界の内部に位置づけられ、その内部を支配する条件の側から、その存在と持続の基準を与えられることになる。そうなれば「何が起ころうとそれが起こるのは現実世界だ」などとはもう言えない。これがカントの洞察だ、と。開闢とは、ここでは、その条件設定そのものの開闢である。
で、こんどはカントのお勉強。その条件とは、同じ世界が連続して存在しているといえるための条件である。世界のつながり方には因果性をはじめとする一定の型があって、それに従っていなければ同じ世界が連続して存在しているとはいえないのだ。その条件が、同じ私が連続して存在しているといえるための条件と一体をなしている。それがカントの決定的な洞察である。
一体をなしているから、「我思うゆえに我あり」という原理だけから客観的世界の存在が証明できる。なぜなら、意識に与えられたまとまりのない多様なものが、私の側が与える条件に従ってまとめられることが、すなわち客観的世界を構成する(=客観的世界が成立する)ことだからである。だから、意識の一定のまとまりだけで(そしてそれだけが)客観的世界を成立させることができる。それゆえ、すべての現象は、たとえ外的な事物であっても、ある意味ではやはり内的であるわけだ。
すると「内的」という言葉には二つの意味があることになる。客観的な外的世界をも含み込む意味での「内的」世界と、それを含まない「内的」世界、つまりいわゆる「心の中」とである。
だが、その「心の中」にも、二つの意味があるはずだ。客観的世界を成立させるはたらきそのものであるような「心の中」と、成立した客観的世界の内部に位置づけられるような「心の中」とである。カント的な用語で言えば、前者は「無規定的な(=位置づけられていない)私の存在」の「自己意識」にあたり、後者は「規定された(=位置づけられた)私の存在」に対する「自己認識」にあたる。つまり私は、ただ私であるだけで、この客観的世界そのものをはじめて成立させる主体であり、それと同時に、その世界の内部に存在する、身体をもって持続的に存在する、一人の人間でもあるわけだ。ここにもやはり、開闢を開闢された世界の内部に位置づけるという構造が見て取れるだろう。
しかし、ただ私であるだけのものが、客観的世界をはじめて成立させるはたらきなんぞというだいそれたものを、なぜ持てるのか。それは、私であるというまとまりをなすことが、それだけですでに、客観的世界を成立させるというまとまりをなすことと不可分の関係にあるからだ。だからこそ、「我思うゆえに我あり」という原理だけから、客観的世界の存在が証明できるどころか、証明されてしまわざるをえない、というわけだ。「我思う」から「我あり」を導く「ゆえに」の一語には、客観的世界の成立という大事件が隠れているのでなければならないのだ
しかし、ここにはある循環構造がはらまれてはいまいか。ただ私であるというまとまりをなすことが、<すでにして>客観的世界を成立させるというまとまりをなすことと不可分の関係にあるのなら、その不可分の私は、すでにして成立した客観的世界の内部に位置づけられるような客観的人間なのではあるまいか。”p.109-111
<>は傍点の代用。

“「心の中」の諸表象が因果性その他の条件によって相互に関係づけられれば、そのことによって「心の外」の外界が成立する。そのように関係づけられて外界を成立させたとき、それは知覚や記憶等の客観的判断とされ、そうでないとき、<そのことによって>それは夢や幻覚や妄想等の主観的経験とされるわけだ。私が自らを一人の人間として客観的世界の中に位置づけていれば、たとえ私の客観的判断が他者によって訂正されても、私であるその人間の主観的経験(という名の客観的なもの)の実在が、なお認められるわけである。
因果性その他の条件によって関係づけられる、と言ったが、その条件がカテゴリーと呼ばれるものである。どんなに奇想天外な世界を想定しても、それがおよそわれわれに経験可能な世界であるならば、それはカテゴリーに従っていざるをえない。世界がこういう点で現実と違っていたらこのような概念を使うことができない、ともし語ることができるならば、そのような概念は単なる経験的概念であってカテゴリーではない。そんな場合をそもそも想定することができないとき、その概念はカテゴリーとなるわけだ。
ということは、カテゴリーはそもそも語る(枚挙する)ことができないはずではないか、という疑問(ウィトゲンシュタイン的疑問)が自然に湧いてくるが、それはいまは棚上げしておこう。カテゴリーの適用によって客観的世界が成立するなら、夢もまた客観的世界ではないか
、という疑問もいまは棚上げにしよう。それよりも先に、カントのデカルト主義批判に注目すべきだからだ。
カントは、我思うゆえに我ありという原理だけから客観的世界の存在が証明できると言った。しかしこのことは、世界全体を経験する単一の非物質的な主体(肉体から離脱した霊魂あるいは自我)が実在するという意味ではない。世界を成立させるはたらきそれ自体もやはり世界の中に位置づけようとする傾向のために、われわれは、統覚のこの統一作用を世界の中にある単一の非物質的主体であるかのように誤認しがちである。だが、経験を可能にする統一のはたらきは世界を成立させることそのものなのだから、世界の中の一対象として現れることはできないのだ。客観的世界とそれを成立させる心のはたらきとの、この表裏一体性の認識は、カント哲学の比類なき洞察である。
この洞察によって、私が同じ私でありつづける条件と世界が同じでありつづける条件とが文字どおり一体化する。この洞察によって、私が二つに分裂するという思考実験が世界そのものが二つに分裂することとして理解されなければならない必然性がはじめて理解され、「私の今」が突然三十年前に戻ってしまうと無関係な森昌子も「せんせい」を歌ってデビューせざるをえない必然性がはじめて理解される
だが、カントのこの比類なき洞察にも、致命的な難点が含まれている。たしかにカントは統一的な客観的世界の成立可能性の条件を示した。だが、統一的な客観的世界はまだ唯一の現実的な世界ではない。統一的な客観的世界としての条件を満たすもののうち、どれが唯一の現実世界となるのか。ライプニッツにあった唯一の現実世界の成立条件の問題が、カントにはないのだ。決定的とも見えるカントの批判からデカルトを擁護する道が、そこになお残されているはずなのである。”p.114-116
<>は傍点の代役


“私が夢を見ているとき、私は私の存在を客観的時間の中に位置づけてはいない。しかし、それがわかるのはつねに後からだ。私は、夢の中でも、その世界の他者と客観的世界を共有し、共通の客観的認識に達している――というように自分の諸表象をまとめあげている。私は、夢の中でも、知覚と幻覚を区別して体験することができる。いま私が夢を見ているとしても、私はそういう客観的世界の構成には成功している
夢の中での知覚と幻覚の区別は夢の中での相対的区別にすぎないではないか、と言われるかもしれない。しかし、相対的区別という点では、現実の知覚と幻覚の区別も同じだ、というのがカントの根源的洞察であったはずだ。だから、「それがわかるのはつねに後からである」という構造自体は、夢でも現実でも変わらないだろう。他の諸世界を非現実として内部に位置づけて、いま私が存在する世界こそが、現実世界なのである
夢世界は、他人にとってもまたそうであるという形で現れてくるかぎり、カント的には、統一的な客観的世界である。因果性その他の条件によって相互に関係づけられることで現実が存在するなら、夢もまた現実なのだ。”p.117-118

“私のあずかり知らぬところで、私のあずかり知らぬ主体が、突如として私のこれまでの経験の記憶を(私以上に正しく)受け継いだとしても、それは私には関係ない。たしかに一方ではそう言える。たとえその主体のその記憶がその主体自身にとって真なる記憶で、私にとってはそうでないとしても、である。
しかし他方では、内容的連関こそが「何が起ころうとそれが起こるのはつねに……」という原理を凌駕するとも考えられるのだ。このときはたらく原理は、現実と内容的に連続した世界でありながら現実世界でなくなることはありえない、という原理であり、私と内容的に連続した人でありながら私でなくなることはありえない、という原理である。それはすなわち、そこで神の意志がはたらくことは不可能である、神でさえそこに自由意志をはたらかせることはできない、というカント原理なのである。
ここには原理の対立があるのだが、ここで重要なことは、ライプニッツ原理とカント原理は、一方の原理によって他方の原理を包み込んで消滅させることはできない、ということである。
ただし、カント原理がライプニッツ的現実の内部でしかはたらかなくてもじゅうぶんカント原理だといえたのと同じように、ライプニッツ原理も、カント的に可能なもの『の中からの選択』(そのうち一つの現実化)としてしかはたらかなくても、じゅうぶんライプニッツ原理だといえるだろう。可能性の空間をはじめてつくりだすような強いライプニッツ原理は、むしろデカルト原理と呼ばれるべきかもしれない。

さて、この議論において、カントにはさらにもうひとつの貢献があるだろう。ライプニッツは無数の可能世界の中から一つを選んでそれに現実性を付与する能力が神にあると考えたが、私は、この能力は無数の人間の中から一人を選んでそれを〈私〉にする能力に対応すると考えた。カントは、『もし』神のそういう能力がありうる『とすれば』、その二つは同じ一つの能力でしかありえないことを論証したことになる。”p.126-127『』は傍点の代用。〈 〉は原文ママ。

“夢を見ているとき、われわれはそれが≪後で思い出される≫ことを意識していない。それは突如として思い出される。かりにもし夢を見ているときに後で思い出されると思っていたとしても、その思いと思い出しとは結びついていない。
現実に生きているとき、われわれはすでにそれが≪後で思い出される≫ことを知っている。思い出される可能性があらかじめ知られていて、それが思い出される。現在は、過去になったときはじめて過去だとわかるのでなく、現在であるその時すでにして必ず過去になることが知られている。つまり、現実の現在は、可能な現在のひとつにすぎないことが、その現場においてあらかじめ知られているわけだ。現在を可能な現在としての過去や未来の視点から位置づける超越論的構造が体験自体に宿っている
文(命題)は否定できるが、絵(像)は否定できない。否定文(命題)は作れるが、否定絵(像)は描けない。これが言語の本質に属することは、『論理哲学論考』の根本洞察だった。だがそれなら、文は時制変換可能だが、絵はそれが不可能だ、も同じだろう。肯定絵を否定絵に変換する操作と同様、現在絵を過去絵に変換する操作もない。が、肯定文を否定文に変換する操作と同様、現在文を過去文に変換する操作は必ず存在する。言語をもつ存在であるわれわれは、端的な現在を可能な現在の一例として把握できるからだ。そしてそれは、まさにカント的な超越論的構成作用に基づいている。”p.140
時制と同じことは、人称についてもいえるだろう。一枚の人物画はそれ以外の情報なしには自画像であるともないとも分からない。絵は人称を描けないからだ。対して、文は文自体の中に人称情報を繰り込むことができる。つまり私は私自身を、つまり現実の私を、可能な「私」の一例として把握し、「私は」と語り出すことができる。そのことによって、ただそのことによってのみ、過去や未来と同様、他我(他者の「私」)もまた必然的に存在することになるわけである。いわゆる独我論が誤りであることの根拠は、結局はそこにしかありえないだろう。
客観的時制構造と客観的人称構造を構成することによって、今と私をその内部に含んだ(客観的に位置づけた)客観的世界を成立させることができること、人々が「あたりまえ」のように感じているこの事実は、真に驚くべき事件なのである
。いいかえれば、カント哲学の洞察の深さはほとんど驚天動地というほかはないのである。もう一つおまけに四字熟語を使うなら、文字どおり空前絶後。”p.141 ≪≫は傍点の代役

「私」や「今」が唯一絶対のもののはずなのに、「他人も『私』や『今』という言葉を使え、しかも意味が了解できる」。
つまり、「私」や「今」が言語化された瞬間に、レベルが一段階下がってしまい、唯一絶対のはずのものが、共有可能で相対的なものになる。それが成立することは正に奇跡的でスサマジイことである。

“全宇宙に生起するすべての事実が記されている巨大な書物を想定しよう。その本には、文字どおりすべてが書かれている。昨日私が東千葉駅で見かけた野良猫の、二〇〇四年二月二十一日正午における身体全体の毛の総数までちゃんと記されている。でもその本には、いつが今であるかは記されていない。その本の中の「全宇宙史年表」が時計機能をあわせもっていたとしても、その針は、それだけでは今を示せない。それが今を示せるのは、その本の外に(そして時間の中に)いるわれわれが、それを『いま』見ることによってだからである。
 同じことはもちろん「私」についても言える。その本には、だれが私であるかは書かれていない。全宇宙史年表の時計の針と同様、その本には各人の自己意識の記述があって、『私が』覗けば「永井均」と書かれているわけである。
 どちらも、この本にあらかじめ書き込むことができない。だから、この二つの事実は「実在しない」というわけである。神の意志が神の知性の中にはないように
。“p.144-145

今=私=私の世界=神の意志。 
世界=神の知性

“哲学者たちはいわゆる独我論の誤りをいろいろな形で論じてきた。しかし、逆の問いが手つかずに残されている。すなわち「それなら逆に、その他人たちは私ではないのはどうしてなのか?」という問いである。
「私と同じように心をもち、ただ個性が違うだけの人間に、私でないという根本的な違いが生じているのはなぜなのか?」――肝腎かなめのこの問いに、多少とも肉迫できた哲学者は、史上ひとりもいない。哲学の終焉とか哲学の生き残りとかを語る人々がいるが、私は哲学はまだ始まっていないと思っている。
もう一つの不満は、歴史上の哲学者たちがみなそうだったからであろう、下々の哲学徒たちまでが彼らの真似をして、彼らの下請け作業に没頭するばかりで、ふつうに生きていて素朴に哲学的関心をはぐくめば当然問題に感じてよいはずのこの問いに、だれも迫ろうとさえしないことだ。不可思議な事実のほうはまるで自明の事実であるかのように前提しておいて、それが不可思議であるということに驚嘆した不器用な誇張表現にすぎないいわゆる独我論なんか批判したって、何の意味もないことはあまりにも明らかではないか?
とはいえ、そうでもしなければとことん寄る辺ない存在になってしまう哲学者たちが、ほかのだれよりも伝統や風習や作法や定石(や徒党や流行!)に寄りかかってしまうことは、いまに始まったことではないし
、また同情の余地もあるので、しつこく責めるのはやめて、マクタガートをめぐる議論にもどろう。”p.150-151

p.166“ところで、一般に哲学においては、議論で劣勢にまわる側に魅力的な視点と深い洞察が隠されていることが多いようだ。劣勢とはつまり、問題が解決されない側、解決できない側で、それなのに相手の「解決」にはどこまでも納得できない側である。”

“≪どちらか≫一方が私≪なら≫他方は私ではない。これは前提である。このとき、≪どちらか≫一方だけが私でありうる、というのがカント的意味で、≪この特定の側≫が現に私になってしまっている、というのがライプニッツ的意味だ。後者だけに、神の意志がはたらいている。それは端的な現実を作り出し、そして跡形もなく消えるのである。

 神自身にもあてはまる
 この区別は神自身にもあてはまるのではないだろうか。神の知性と神の意志の区別は、神自身にも遡及的に妥当するのではないだろうか。神の現実存在もまた、神の本質と独立に考えられねばならないからだ。神の存在についての、いわゆる存在論的証明をめぐる問題は、そのことを示している。
 存在論的証明とは、たとえばこんなふうな証明である。「神は定義上完全である。ところで、もし存在しなければ完全さを欠く(完全ならば存在もまたするはず)。ゆえに、神は存在する。」こういう証明である。ん? 何か変だな、と誰でも思うだろう。
 この証明をする(読む)人が神の存在を完璧に信じているほうがおもしろい。まちがいなく存在するはずの≪あの≫神に、この証明は到達しえているだろうか。最後に「ゆえに、存在する」とされた≪その≫神は、現に実在する≪あの≫神だろうか? 論証された「ゆえに、存在する」の「存在」の意味は、現に存在するあの「存在」(つまり現存在)を指せているだろうか?
(ここまでp.175 中略)
 近代に入ると、デカルトが存在論的証明を復活させた。この伝統に対して、またまたカントが決定的な批判をおこなう。その趣旨は、「存在する」をその他の通常の述語と同列に並べることはできないというものである。定義上「立方体で赤くて軽くて小さい生き物」を考えると、それは定義によって立方体で赤くて軽くて小さい。その定義に「存在する」を加えると、それは定義によって存在もするようになる。つまり、それが赤くて小さいことが必然的真理であるのと同様、それが「存在する」こともまた必然的真理となる。しかし、そうなったからといって現実に存在するようになりはしない。それならというので、定義に「現実に」を付け加えて「現実に存在する」と定義してみても、定義上「現実に存在する」ようにはなるが、少しも現実に存在するようにはならない。「夢ではなく十億円持っている」という夢を見た人が、夢ではなく十億円持っていることにはならないように。そこにはつねに決定的な「断絶」(本章第2節)があるのだ。“
p.174-177≪≫は傍点の代役

言葉の世界の恐るべき特殊性。

“「我思うゆえに我あり」もまた、神の存在論的証明が成り立たないのと同じ理由で、成り立たない。
 まちがいなく存在するはずの≪この≫私に、この証明は到達しえているだろうか。最後に「ゆえに、存在する」とされた≪その≫私は、現に存在する≪この≫私だろうか? 論証された「ゆえに、存在する」の「存在」の意味は、現に存在しているこの「存在」(つまり現存在)を指せているだろうか? 先ほどの神の存在を完璧に信じている人と同じ問題がここでも起きる。

 神・現実・私・今
 私もまた概念と存在(本質と実存)の一致を実現することはできない。
 思うことによって存在が帰結するのは、思っていることが直接明らかな「私」だけであることをいくら強調しても、そのことはどの「私」についても言えるのだから、このコギト命題は結局「ある人思うゆえにその人あり」という概念的関係に還元されることになる

(中略)
 神が≪現実に≫存在することを証明するとは、この現実世界に神が存在することを証明することだろう。すると、神が存在しない可能世界もあることになる。このような存在の仕方は、神の本性に反してはいないか。そもそもそうした諸可能世界そのものが神の知性の内部にのみあるのではなかったか
 現実世界は諸可能世界の内の一つの世界であるにすぎない。ところが逆に、それらの諸可能世界はすべて、現実世界の内部で(そこに現実に存在するものを基にして、それを変容させて)構想されているにすぎないともいえる。だから、われわれはその現実世界の存在を「証明」することはできない。それは必然的に(あらゆる可能世界で成立するという意味での必然性よりももっと根本的な意味で必然的に)前提されるほかはない。すべてはそこから始まるのだ。
神はこの意味での(こういう二重性を持った)現実世界の創造者であるのだから、このことに対応して、同じ二重性を持つことになる。それは現実世界に現に存在するという意味では偶然的存在にすぎないが、同時にそのとこ〈引用者註。「そのこと」の間違いだろう〉によって必然的存在である。すべての可能世界はその内部にあるのだから。(ただし、神はその現実世界を超越したその創造者であるから、現実世界の存在とちがって、神の存在を前提にすることはできない
。)“p.178-180

「完全」(=「存在する」という設定)という「設定」がある存在ならなんでもかんでも存在を証明してしまう。しかも、その証明はGOD以外の完全な存在を認めてしまう。そして複数いる完全な存在同士を区別したり不在だと証明はできない。


言語は開闢を隠蔽する。逆に言えば、世界を開く。人称、時制、様相は、客観的世界の成立に不可欠な要件だが、それは開闢それ自体を隠蔽することによって可能になるのだ。「私の今の言語」――この言い方が、言語の内部ではその人称概念と時制概念に吸収されて理解されることになる。”p.222
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クリスマスプレゼント「カワウソは犬。ゾロアスター教ではね。ゾロアスター教は犬派(猫は悪)。イスラム教は猫派(犬は悪)。」『ゾロアスター教の悪魔払い』。『ミトラス教』。良ツイート集 

良ツイート集とか読書メモを作るときは特に顕著なのが資料集的傾向。つまりは量が多くても当然なのだ。だってここに記しておけばもしかしたら遥か未来でも残るかもしれないじゃないかあ。

クリスマスプレゼントとして豆知識をどうぞ。
ゾロアスター教では犬は神聖で、
一番神聖な犬はカワウソ。
ヤマアラシもハリネズミも犬で神聖。
カワウソ、ヤマアラシ、ハリネズミはイヌ科、いいね?
一説ではキツネもイタチも犬らしい。
”鼻先の尖った内気な、ハリネズミである”
『アヴェスタ』にもそう書いてある。


【クリスマスプレゼントの豆知識】
ゾロアスター教では犬は神聖で
一番神聖な犬はカワウソ。
ヤマアラシもハリネズミも犬。
カワウソ、ヤマアラシ、ハリネズミはイヌ科、いいね?
”鼻先の尖った内気な犬、ハリネズミである”
(拝火教経典『アヴェスター』)
RTで配達にご協力お願いします!

猫はエジプトでは神聖。
キリスト教では猫は魔女の使い魔=悪。
イスラム教は猫派(犬は悪)。
ゾロアスター教は犬派(猫は悪)。
拝火教では四つ目の犬(両眼の上に斑点がある犬。悪魔を払う)に死体を検視させる。
牛とニワトリも神聖。
太陽=八咫烏=三足烏=鶏=金鵄(トビ。神武に味方)。


再生数がこのブログの今までと比較すると凄いことになっている。
理由は何だろう。アクセス地域で出た国を並べてみると
日本(九割)
オーストラリア
不明 (米国営利組織)
ベルギー
不明 (ネットワーク組織)
台湾
オランダ。
おお、こわいこわい。
アクセス解析したらベルギーからアクセスが!  EUの根拠地じゃないか!
大帝はバッキンガムだったな。 どうしようかなこのブログ。


しらとり@whitebird8 • 13時間13時間前
そもそも古代ミトラ教の昼が一番短くなる冬至開けの祭り=光の復活がキリスト教に移行してクリスマスの起源になったとも言われているから。

楽天家 ゲルト@Gerd_bot • 18時間18時間前
クリスマスはハロウィンと同じく、元々キリスト教の祭りでなくこの時期のいろんな祭りが起源で、主にローマ帝国の豊穣の祭りのサトゥルナリアと、ミトラス(ミトラ。)教の太陽神ミトラの降誕祭ディエース・ナタリス・ソーリス・インウィクティと、北欧の冬至の祭りのユールが混ざったものというよ。

Fumio Watanabe@fumio949 • 12月19日
クリスマスの起源は,聖書ではなく,古代の異教の祭りにある。例えば,農耕神サトゥルヌスのための祝祭であるローマのサトゥルナリア祭がそうだ。また,ミトラ神の信奉者たちは現代の12月25日に当たる日に「無敵の太陽の誕生日」を祝ったと新カトリック百科事典(英語)は述べてる。権威あるで。

J・ナナミ@pinkglalem • 12月17日
キリスト教はミトラ教のドグマを盗んだ詐欺集団です。イスラムはそのキリスト教がアラブをメシア思想で支配しようとして造ったローマの月崇拝の模造品。二つともインチキです。クリスマスはミトラ教が起源。

”GuciYama@GuciYama • 2013年6月19日
円谷 英二(つぶらや えいじ、本名:円谷 英一(つむらや えいいち)、1901年7月10日 - 1970年1月25日)は、福島県須賀川市生まれ
一家は全員カトリック教徒で、英二の洗礼名はペトロ”

ウルトラマンは手を十字に組んで必殺技を放ちますね



菊地研一郎 KIKUTI , Ken‏@kenitirokikuti
円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』。p.45 〈祖父・英二は晩年、カトリックに入信していましたから、円谷一族は全員クリスチャンで〉。/「帰りマン」から商品化権の入札制度を導入(日本のテレビ番組では初)。そのヒットでマイティジャックの失敗も払拭できたと思われたが…


明日斗ロン ‏@asumu99
特にキリスト教が露呈してるのがウルトラマンAなんですよ。ストーリィ構成の市川さんが、敬謙なクリスチャンで、当時男女の合体とかで色々あったようですが、キリスト教における天使は両性具有なんで、おそらくそれを狙ってたんだと思うんですよ。

(ゴルゴダ星でウルトラ兄弟が十字架に張り付けで、地球に来た敵がバラバってモロ。エースキラーも敵)

Shinya Watanabe 渡辺真也‏@curatorshinya ウルトラマンの脚本を書いた金城哲夫は、ウチナンチューの父と沖縄出身ペルー移民のクリスチャンの母のもと東京に生まれ、沖縄戦を体験した。金城がウルトラマン主題歌を、日英クオーターの尾崎紀世彦と、12使徒シモン・ペトロから名付けられたクリスチャン子門真人に歌わせたのは大変興味深い。


魚々太郎左衛門‏@1242_c
【英和辞典で見たいつわりびと】
狐:狡賢いものとされる。
馬:従順、高貴な動物として尊重される反面、好色、愚かさの象徴でもある。
兎:多産、臆病さを連想させる。
猫:魔女を連想させ、予言能力があるとされる。エジプトでは神聖。キリスト教では好色、怠惰の象徴。
魚:キリスト教徒の象徴。


木坂聖一 大阪桃谷教会‏@godlovesjapan2013年10月17日
アンパンマン作者「やなせたかし」自伝「人生なんて夢だけど」読了。【結論やなせさんはクリスチャンではない】中に教会に行った、聖書を読んだという記述は全くなし。強いていうと、奥さんの親戚に旧約聖書学者の中沢洽樹さんがいるというだけ。

(パンが肉体=イエス。しかも自己犠牲=肉体をちぎって分け与える救世主的ヒーロー。
キリスト教人脈がスカウトしたのだろうね。
作者本人は信仰していなかったとしても、スカウトされて利用されることはあると。
でもオニギリマンとかだったらここまで有名にはならなかったでしょうね

一応身内にクリスチャンがいるのね)

knznymmmy@knznymmmy •
シオンの長老の議定書は1897年スイスのバーゼルで
初のシオニスト会議が行われた時に書かれた 
ちなみに最初はミュンヘンで会議をする予定だったが
ユダヤ人がシオニズムに反対したせいで ドイツは諦めてスイスで開催した
ムーンマトリックス二巻p288

ポイントがいくつかあるな。
(1)記念すべき・栄えあるシオニズムの第一回会議が ドイツで開催という事
そーいや、ロスチャだの英国王室だの 辿っていけばドイツに行くんだよなw
(2)ドイツの次にスイスが出てくる点
(3)しかもドイツがダメになった理由がユダヤ人から反対された

ちなみにナチス党設立は1920年
ヒトラー誕生は1889年
ヒトラーなんかバーゼル会議当時は8歳だよ。
やっと九九覚えて先生からシールもらって喜んでるとか そんな感じだ
当然ナチスのユダヤ人迫害はまだなかった
だけどユダヤ人御本人様がご立腹だったんだとよw

イスラエル人の知らないシオニズムの真実 その1
シオニズム運動を起こし、イスラエル建国の父と呼ばれるテオド-ル・ヘルツルは反ユダヤ主義者だった。彼のユダヤ人観はヒットラ-のそれに通じる。シオニズムは、近代的同化ユダヤ人の、伝統を尊ぶユダヤ教徒への反感から生じた思想だった。
https://www.youtube.com/watch?v=n0YQX8fScd4

名無之直人‏@nanasinonaoto
江戸時代という近世でさえ、「天王山」「天王社」は「天王さん」ことであり、「天皇」のことではなかったとか参考になる。「禁裏様」や「内裏様」と呼んできた人物も「天皇」ではなかったとかも興味深い


J・ナナミ‏@pinkglalem
最も日本的でないモノが、皇室。これは明治政府が欧州の王室を真似て造った模造品。江戸時代まで一般人は天皇を知らなかった。そのうえ現人神と宣伝していたもんだから、当初ヒンディー信仰の下級神「天王」と勘違いしていた。牛頭天王とか.だから、すり替えも簡単でした。#偽天皇 #田布施システム

私たちの思考は、恣意的じゃァない。陥った環境で、ソコに追い込んだヤツの思い通りのことを考えてる...私は、その環境を造り出しているエレメントの中の一つを破壊した...私が無神論者になった理由。

そーか、今日はXマスイブ。一年で一番夜が長い。明日からだんだん短くなってゆく。キリスト教のもとのミトラ教はギリシャで太陽信仰になったから、ミトラスが処女から生まれたと言うのは、Jキャンベルの創作らしい。バビロニア版のタンムズは、近親相姦で産まれてる。未婚の母なのはそー言うワケ。

菊池‏@kikuchi_8
恐らくシンボリズムなどを使った洗脳は潜在意識を標的にしている。潜在意識は直接操作することができない以上それは五感を通してなされる。逆に五感で感受する感覚や情報に気を付けることが洗脳防止の基本に。六根清浄とは古い言葉だが、洗脳防止という観点から解釈すると大変現代的意義を持っている


自由@freeryuma · 2013年9月23日
『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 3月3日
846 ヴェーダの達人は、見解についても思想についても慢心に至ることがない。彼は宗教的行為によっても導かれないし、また伝統的な学問によっても導かれない。彼は執着の巣窟に導き入れられることがない(スッタニパータ)

フェイド大帝‏@FeydoTaitei
JーCASTが早速STAP陰謀論潰し
の記事書いてて笑った。w

何かある毎に実験ノートの
内容を引っ張りだして来る
受験勉強だけが取り柄の
ガキが出て来るけど、マスコミや
他人に研究資料なんか絶対に
見せんよ。こんな事は開発職
なら常識中の常識


ターちゃんの作者の徳弘正也
(尾田栄一郎の師匠でやたら聖書
の引用の多い
人ね)の描いた
「バンパイヤ」似たような話が
出てくるよ。

再生医療の重要性をよく理解
出来てない一般人が多過ぎる。

徳弘正也曰く、「不老不死は
秦の始皇帝ですら叶わなかった
願望」だぞ。

人類史の歴代皇帝や王が手にする
事が叶わなかった夢が現実にな
ったら、君がエリザベス女王や
天皇だったらどうするかね?

庶民と仲良く共有する?

確かに陰謀脳は付き合いにくい
人種かもしれない。

だが、メルヘン脳よりはマシだ。

芸術の世界こそ売り上げとの
乖離が著しい世界はないからね。
売り上げ=作品の価値という
経営学や商学の理論に無理矢理
芸術を当てはめたのが、商業美術
の欠陥の一つだろう。

売り上げだけで言ったら、エロ漫画
に勝てる一般漫画なんてほぼ皆無

になるぞ?

作家としてのセンスは徳弘正也や
諸星大二郎は尾田栄一郎や岸本斉史
よりずっと格上だからね。
「売り上げ」で判断すると罠に
掛かるぞ。
少女漫画家だったら原発問題を
かなり昔にとりあげていた
三原順を押しておく。


岡田明憲『ゾロアスター教の悪魔払い』(平河出版社)
ゾロアスター教の悪魔払いゾロアスター教の悪魔払い
(1984/10)
岡田 明憲

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『ゾロアスターの神秘思想』と著者が同じ。

※拝火教の基本的知識はあえて省いています。

ゾロアスター教の訳語は独特の造語だから面白いです。多殺者にして全殺者のアンラ・マンユとかね。

ゾロアスター教では犬は善なる存在。
犬の仲間には
カワウソ(獺。川獺)、
ハリネズミ、
ヤマアラシ
が含まれる。
牧羊犬、番犬、探索犬、猟犬、幼犬、
という今でも犬とされるものも勿論ある。

”鼻先の尖った内気な、ハリネズミである”p.219
聖典に書いてあるし確実。

ヤマアラシも登場。ハリネズミに似てるよね。
ハリネズミを「犬」と明言しているから、犬自体だと考えられていたのだろうね。犬と同様に神聖な存在としてではなくて犬自体としてね。

ハリネズミはスプンタ・マンユの被造物なので善。
ラオピは狐らしい。狐も犬の仲間疑惑。
ルピ犬は一説ではイタチ。イタチも犬の仲間疑惑。
イタチは地中の穴に住む悪しき動物を退治するために創造された犬の仲間でも神聖なものといわれる


なお、ジャズ犬というものが登場するが何を意味するかは不明。あのジャズじゃないぞ。

カワウソは、日本や中国の伝承では、キツネやタヌキ同様に人を化かすとされていたそうです。
が、ソロアスター教ではカワウソは別格で神聖な犬(犬だよ)。
今の生物学ではイタチ科カワウソ亜科だけどね。
どれだけ別格かというと、川獺に対する犯罪は、ほかの犬に対する犯罪よりも刑罰が重くて、聖典にもわざわざ特別に一章をさいているほど。
芥川龍之介の『河童』では、獺は河童の敵。この作品では、生命の樹と、それを崇める生活教が登場します。
河童の正体はカワウソ説があります。

ナルトだとイタチ(仏教とバラモン教側)は実は善寄りだったな。ナルトの立ち位置的に拝火教寄りなのがナルト。
木の葉が火の国。ゾロアスター教は拝火教。でも火の術を使うのはインドラ側


牛は人間に益をもたらす家畜の祖とされる。

・アシォー・ズスタ鳥は「正義の友」の意味で、フクロウを意味すると言われる。

・パロードゥルス鳥は雄鶏。
雄鶏は創造主によって犬とともに悪魔より人々を守る存在として作られたとされる。
ゆえに、雄鶏を飼う者の家には悪霊が侵入できないという。
雄鶏は暁に叫ぶ(=時をつくる)。ニワトリ
だな。

・ブーシュヤンスターは睡魔。

・バルスマン(聖枝)を持つペルシア人の画像がある。枝とは言っても枝の束。
(魔法使いの杖の元ネタだと思ったら束でした。持ち運びに不便だから一本だけになったのかも。
魔法の杖の起源は王の杖かもしれないけど。王=現人神あるいは神の代理人。神は魔法が使えて当然という発想。神話でも魔法が普通に出て来るし、杖を持っているし)
”敷かるべきバルスマン”と聖典にあるので束扱い。

・ミスラに関するヤシュト、ミフル・ヤシュトによれば、ミスラには大別して
①司法
②牧畜
③戦の神
という三つの側面を持つ。

本来ミスラはインド・イラーン的光明神であって、語義は「契約」に通じ、人倫の守護者であった。
そして、ミトラ=ヴァルナの双神として、起源的にはアフラ・マズダーと同等の資格を有する最高神であった。
ザラスシュトラの宗教改革ではアフラ・マズダーのみを最高神としてミスラを斥けた。
しかしイランの大衆の間ではミスラ信仰が根強かったのでミスラが最高神的性格を維持していた。
中世ペルシアの文献では、ミフル(ミスラの中世ペルシア語形)は特に死後の裁判における重要な判官となる。
アヴェスタでもミスラは人間の善業、悪業の監視者だった。ミスラは千の耳、万の眼を持ち、眠らざる者と称された。
(聖徳太子は実在せずミトラの象徴説。
ミトラ
ミスラ
ミトラス
ミフル
ミロク
は同じ。


・スラオシャは忠実の神であり、ミスラと同様に真言の具現者と称され、アフナ・ワルヤなどの聖呪を自らの武器とする。スラオシャは最初にガーサーを唱えた者とされる。
ゾロアスター教では呪(真言。マンスラ)を非常に重視し、各種祈禱の前後にはほとんど必ず唱える。
スラオシャがアーズィによって消されようとしたアータル(火)の記紀を、雄鶏に時をつくらせることによって救ったとされる。雄の鶏はスラオシャの使者。ゾロアスター教では聖火を燃やし続けることが重要な義務。
(魔法の呪文。魔法の呪文は言葉。命令文は効く相手と効かない相手の差が大きいね。人払いの魔法の実例は、「危険立ち入り禁止」だよ。引き寄せる場合もあるけどね。大半は追い払えるし。
ヤタガラスの元ネタの一つがニワトリ=太陽の象徴。三足のカラスは大陸と半島由来


・フワル・クシャエータの名前は「輝ける太陽」という意味。
不死なる者、富める者、駿馬持てる者などとも称される。
フワル・クシャエータはアフラ・マズダーの目と称され、彼が自らの姿を現わすや、一切のものを浄化するとされる。
これに反し、もし太陽が昇らざる時は、悪魔が七大州を破壊し、神々はそれに抵抗できぬと説かれる。
フワル・クシャエータはミスラと密接な関係を有するが、アヴェスタの記事による限り、ミスラと太陽は同一視できない。
クワルシェード(フワル・クシャエータの中世ペルシア語形)への礼拝は、ゾロアスター教徒の大事な日課。
(アフラ・マズダーは太陽神ではないのか? でもゾロアスター教は太陽信仰も間違いなくある


清めの儀式で、ニーラング(聖火の灰を混入した牛尿を真言で聖別したもの)と呼ばれる聖別された牛尿(ゴーメーズ)を飲むことがある。体に浴びて清めることもする。
裸になり、大地の女神アールマティへの祈りを捧げ、穴に身を屈め、牛尿を注がれる清めの儀式もある。
(これだと拝火教徒が増えないね


・マズダヤスナの教
とはマズダーを崇拝するという意味で、ゾロアスター教徒は自身の宗教をマズダヤスナの教と呼ぶ。


・ティシュトリヤ
シリウス星が雨の神とされるのは、シリウスが見え始める時期が雨季の開始と重なっていたためである。彼(ティシュトリヤ)は旱魃の悪魔アパオシャを駆逐し、イランの人々に収穫をもたらす神として、幾多の星の中でも第一に崇拝された。

・アータル
インド・イラーン人の信仰では火を神と人間の仲介者と考え、火の神たるアータルをアフラ・マズダーの息子と称して重視した。それゆえに火は絶やしてはならず、汚してもいけない。火に息を吹きかけてはいけない(拝火教とは口にマスクをしている)。火葬は大罪。死は悪だから。死体による不浄は最悪のものである。
大地の守護女神アールマティは、大地そのものも意味する。土を汚すのも駄目なので、土葬は大罪。
水も清浄なるものなので不浄物で汚してはならない。
よって沈黙の塔(ダクマ)での鳥葬なのである。

・死者を扱うことを専門とする者は必ず二人一組で行動。

・ゾロアスター教では、農耕はアフラ・マズダーの世界を豊かにし、アンラ・マンユに敵対する最も素晴らしい徳行の一つと考える。

・断食をもってする苦行は、悪行である。食べることは力になり、悪と戦う強い者となれるから
。食わなかったら弱るのは当然。

・死者の復活と最後の審判では、彗星が大地に激突する。そして大火が地球を包み、それにより地下の全ての鉱物が熔解して流出する。善人も悪人も等しくこの溶けた金属を浴びる。古代イラン人で顕著な、火による神聖裁判の習俗の影響だろう。悪人の体は焼かれて苦しむが、善人にとっては温暖な牛乳に浸るように心地よいらしい。しかし悪人を罪より解放し、悪人を清める。罪人だけでなく、地獄にも流入して地獄のケガレすら清める。それによりこの世から一切の悪とケガレは滅尽され、アフラ・マズダーの理想の王国を実現し、新世界が誕生する。
熟年に達した後に死んだ人は40歳
若くして死んだ者は15歳の姿に作り変えられる

生前と同様に妻や子が与えられる。性行為も享受されるが、もはや新たな子供が生まれることはない。

・ゾロアスター教の入門式
聖なる紐(クスティー)と衣服(スドラ)を授けられ、教徒の仲間入りをする為の儀式がナオジョテ。
バラモン教の入門式はもっぱら男子限定だが、拝火教では男女ともに差別なく、七から十一歳の間に行なわれる。
当人が儀式の意味を理解していない場合は知能の発達を待つべきとされるが、十五を越えてはならず、十五歳までにナオジョテを行わない場合は罪とされる。
スドラの胸元(襟の合わせ)の小さなポケット型の部分はギレーバーンと呼ばれ、最重要とされる。ギレーバーンは善業の財布と言われ、教徒が三徳を貯えるべきことを強調する。
スドラの前部(前身頃)は過去を、
後部(後身頃)は未来を象徴し、
身体は現在において過去と未来の間に生きるものとされる。
この聖衣を着る者は、あたかも戦士が鎧をつけるように、悪の攻撃から身を守ることができると説かれる。

・善と悪の戦場であるこの世にて善の戦士となる教徒を増やすべきなので、
結婚すべき、家庭を持つべき、子供を作るべき。生殖行為自体が、死をもたらす悪魔に対抗する最も強力な武器
である。

通夜の儀式で拝火教独特なのが「四つ目の犬」(両眼の上に斑点がある犬。悪魔を払う)によって死体を検視させる作法(サグディード)。古代イランでは犬はあの世とこの世の仲介者とされてきた。
ハリネズミ、ヤマアラシも犬の仲間とされている。
犬の仲間で最高とされるのがカワウソ


ウィーデーウ・ダート
=悪魔(ダエーワ)に対抗する法
とは、拝火教の聖典アヴェスタにおける除魔に関する規定を述べた部分のこと。
ウィーデーウ・ダートには、獺を害せる者の償いや犬の種類、犬に対する犯罪行為などが書かれているほどに犬を重視している。
髪の毛や爪を切った際の処置も書かれていて、呪文を唱えて穴に埋めるべきとされて、さもないと悪魔の温床になるとされる。

・ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラの命日(ザルトシュト・ノー・ディショ)はゾロアスター教暦の10月11日。

・棘のある木はアンラ・マンユ製の悪なる植物。

・蛙はトカゲ、蛇、サソリ、
蠅(最も忌むべきら悪動物。死体に群がるからかな)、
カメ(水を汚すから)
と共にアンラ・マンユの悪なる創造物。蛙はウォルカシャ海に生える白ハオマの木を倒そうとして狙うものである。
・神聖なる者、善き者の死を引き起こすには、それだけ強力な悪しき力が必要とされる。ゆえにこれらのものの死体はそれだけ不浄性が強いことになる。

・ゾロアスター教では、
父と娘、
母と息子、
兄弟姉妹間の結婚を
クワエートワダサと称し、最も徳ある行為とされた。
インセストがタブーではなく、善徳とされた。
聖典『アヴェスタ』で明記されているのだから嘘ではない。
血統主義の反映かもね。支配層が喜びそうな教義だな。
現在ではゾロアスター教でも近親婚が禁止されているらしいです



ゾロアスター教について話しませんか
http://tabisoku.blog.jp/archives/1013132933.html


ゾロアスター教の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1330016283/


“弁財天は元はインドの河神サラスヴァーティ女神。古代イラン語ではハラフワティー=アナーヒター女神。ゾロアスター教のアナーヒター女神は、カワウソあるいはビーバーの毛皮を身につけていた(カワウソであった)その使いは蛇であったに違いない。弁財天は蛇、アナーヒターはカワウソというのは、二つのうちのどちらかを強調して、独自性を主張する宗教的現象厳密な一神教に発展してゆく過程には、イスラエルの部族の祖先神としての蛇を崇拝する風習があった。
スペインの聖ドメニコの行列には生きた蛇が釣り下げられる。蛇が神の化身であり、それを殺すことによって神を救済しその再生を図った(イエスは蛇と同じように気にかけられ殺されることによって人を救済した)
人間第1号の男女も蛇、中国のふつきじょか 。ヘラクレスは蛇女と交わった。三つ子を産み、末子スキュティアがスキュティア(イラン系)の始祖となった。
セム族の、アダムとは男と人を意味する言葉で、エヴァとは、本来は「勢威あるもの、蛇」のことであった。
エジプトの女王には「ナイルの蛇」という形容語がつく
イザナギ・イザナミ両神は、風、木、山、野の四神を生んだ。野の神はカヤノ姫(野槌神ノツチ野の精)”
巳:十二支 - 唐草図鑑
http://www.karakusamon.com/2013k/midosi_imoto.html

“*1 イラン人は「文字を発明したのは悪魔だ」というくらい「書くこと」を嫌っていたので、アヴェスターが書かれたのはずっと後世になってからであり、最古の写本でさえ紀元後1300年のものである。ザラスシュトラの時代をできるだけ新しく設定したところで成立時期と記録時期には1000年以上の開きがある。
*2 ウィーデーウダートでは、ハリネズミやヤマアラシ、カワウソも犬の一種
だとされていたらしい”
アヴェスター - OccuFantasy - WikiHouse
http://www.wikihouse.com/OccuFantasy/index.php?%A5%A2%A5%F4%A5%A7%A5%B9%A5%BF%A1%BC


四つ目の犬には屍魔を駆逐する霊力があると信じられた。
四つの目ならマルドゥックで、ムシュフシュを従えているけど、ムシュフシュは犬じゃないよなあ。爬虫類要素がある時点でアウト。

マルドゥク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AF
“マルドゥク(Marduk、マルドゥーク、マルドゥック)は、古代バビロニアで信仰された神。バビロン市の都市神。想像を絶するほど絶妙に作られた四つの目と四つの耳を持ち、この目と耳で何事も見逃さず、聞き逃さない。神々の中で最も背が高く、他の神々10柱分の輝きに満ちており、唇を動かせば炎が噴き出す。他の神々の2倍の力を持つ。
マルドゥク神のアッカド名は、「アマルトゥ」で「太陽の牛」を意味した。エラム人もマルドゥク神を同じく「アマルトゥ」と記していた。マルドゥク神のヘブライ名は「メロダク」であり、同名の王が旧約聖書に登場する。しかし、マルドゥク神がメソポタミアで重要な神となるのは、バビロン市が古代メソポタミアの中心都市となるバビロン第1王朝(古バビロニア)時代(紀元前18世紀頃)以降のことである。アッシリア人にも好んで信仰されており、後には「神々の王」という意味で、「ベル」(主)または「ベル・マルドゥク」(主マルドゥク)という尊称でも呼ばれるようになった。
鍬をシンボルにしていることから、元来は農耕神であったと言われる。しかし、バビロン市の隆盛とともに各地の神の性格を取り込み、遂にはバビロニアの最高神にまで高められた。バビロンの祭司たちが神話を改変し、マルドゥクをティアマトの殺害者かつ世界と人間の創造者であるとしたと考えられている。バビロンの王は、戴冠式の代わりにマルドゥク像の手をつかむことで王となった。アッシリアがバビロニアを支配していたときも、アッシリアの王は新年の祭に毎年バビロンに来てマルドゥクの手をつかみ、王位を要求する権利を正当なものとした。
父エア神と母ダムキナ神の息子とされ、女神ザルバニトゥ(英語版)を妻とした。息子はナブー(ネボ、書記の神)。全ての神々の王であり、「50の名を持つ神」として称えられ、人間に判決を下し、魔術と知恵を司る水神でもあった。後には、「他の神の大半はマルドゥク神が別の姿で現れているに過ぎない」とまで主張された。
こうしたことは、マルドゥク神が多くの神々を取り込んでいることの証拠でもあり、マルドゥク神信仰には一神教的要素があると言われる。ただし、後代の一神教と異なり、決定的に他の神を排除する要素は持っていなかった。
バビロニアの国力が衰えた後世に書かれた『エッラの叙事詩(フランス語版)』では無気力となっており、戦闘的な神・エッラ(英語版)の脅威にさらされる。


ムシュフシュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%B7%E3%83%A5
“ムシュフシュ(アッカド語:Mušḫuššu, シュメール語: 𒈲𒄭𒄊 Mušḫuš)は、古代メソポタミアの図像、伝承に登場する霊獣。シュメール語で「恐ろしい蛇」の意[1]。以前はシルシュ(Sirrush)とも読まれていた。現在では、ḫuš は楔形文字では ruš とも読めるが、ムシュフシュのほうがより確実な読みであるとされる[2]。一般的には毒蛇の頭とライオンの上半身、ワシの下半身、蠍の尾を持つ
出世した竜[編集]

ナルメルのパレット。右側に2頭向かい合っている

イシュタルの門の聖獣ムシュフシュ
ムシュフシュは本来エシュヌンナの都市神ニンアズ(英語版)の随獣だった。図像学的には、最初期は非常に首の長い動物として描かれていたようであり[3]この姿のムシュフシュは古代エジプト美術に影響を与え、紀元前31世紀に作成されたナルメル王が上下エジプトを統一したことを示す『ナルメルのパレット(英語版)』にも彫り込まれた[4]。
エシュヌンナの守護神がニンアズからティシュパク(英語版)[5]に変わるとティシュパクの随獣となった。
そのまましかし、古バビロニア王国のハンムラビ王(紀元前18世紀)がエシュヌンナ市を征服すると、バビロンの都市神マルドゥクとその子ナブーの随獣になった。ナブーの足の下にムシュフシュがいる像が有名である。こうしてバビロニア王国がメソポタミア全域を支配し、マルドゥクやナブーがメソポタミアの最高神になると、それにともないムシュフシュも最高神の随獣として地位を高めることとなった[6]。
紀元前12世紀に編纂されたとされるバビロニアの創世叙事詩『エヌマ・エリシュ』においては、ムシュフシュはマルドゥクと戦うためにティアマト神によって生み出された怪物の一体とされる[7]。ティアマトの討伐後マルドゥクの軍門に下り、乗獣となったという。
新バビロニア時代(紀元前7世紀)に造営されたバビロンのイシュタル門には、天候神アダドの随獣である牡牛とともに四本足を持つ蛇に似た図像のムシュフシュが描かれている[8]。
ニンギッジドゥ(英語版)に捧げられた「グデアの献酒用の瓶」では、有翼の2頭の竜が門柱のような柱を支えており、中央にはカドゥケウスのように棒に巻きついた2匹の蛇が刻まれている[9]。
ユダヤ教およびキリスト教における伝承[編集]
「ベルと竜」との関連 [編集]

ベルと竜
『ダニエル書補遺』に「ベルと竜」(Bel and the Dragon)という挿話がある。ベル神、竜神ともに偶像崇拝している神を打ち倒したという話である。ここではベルの話は割愛して竜のみ説明する。『ダニエル書補遺』によると、バビロニア人は竜(大蛇とも)を信仰していた。ダニエルは偶像崇拝を拒否し、そこで武器を使わず竜を殺してみせると王に見切った。王はこの挑戦を認めた。そこでダニエルはピッチと脂肪と毛髪によって作られた団子で竜の像の口に入れた。すると竜の像は破裂して本当に神として死んでしまった。これを見て怒った民衆はダニエルをライオンの洞穴へ投げ込ませたという。そこでダニエルは7日間を過ごし、ハバククに助けられる、という内容である。この竜こそ「ムシュフシュ」ではないかと言われている。
悪魔アスタロトとの関連 [編集]
アッカド人の女神イシュタルはその後アスタルト、アシュトレト、アシェラ、アナト、アフロディーテ(アスタルテー)と名前を変えながらメソポタミア・ギリシャ地域に広く信仰が広がっていくが、キリスト教では悪魔アスタロトとされてしまった。巨大な蛇に跨り、右手には毒蛇を持ち、口からは毒ガスを吐き出すとされ、過去と未来を見通す能力を持つとされる。巨大な蛇に跨るのもムシュフシュの影響といえよう。


方相氏 ★ [わでこ/和deco]
http://kamioh.blog.so-net.ne.jp/2006-02-01
”「鬼は外、福は内」、のかけ声から明らかなように、節分の豆まきとは、災いを払い幸せを呼びこむ儀式です。このような儀式を、追難[ついな]と呼び、大晦日の行事の一環として、宮中で追難式を執り行うのが正式でした。

現在行われている追難の行事や節分の行事は、大晦日に行われていた宮中での追難式や、厄除の豆まきなどの行事が、混然となって、2月3日=節分=豆まき、という図式ができあがっているようです。大晦日の行事が、なぜこの時期に行われるようになったのか、という点については、諸説あるようですが、ボクは「大晦日はなにかと忙しいから、追難式を節分と同時にやるようになった」という説が正しいと思います。

追難の儀式は、鬼を払う方相氏[ほうそうし]という役(役職・官職)が、執り行います。この方相氏(方相師は誤記)は、四ツ目という異形の姿であるため、しばしば鬼そのものと誤解されるようですが、儀式における位置付けは鬼とは反対です。誤解したまま、方相氏を鬼に見立てて追い祓うという儀式を執り行っているところもありますが、その際は角が生えて鬼然とした様相に描かれていますから、別のものと考えた方が良いのではないでしょうか。


イランを知るための65章 その三
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/af103987bc98895d36d19ffa1bd5a62a
”犬猫に関して、ゾロアスター教とイスラム教では扱いが全く違う。イスラムではとかく犬は不浄な生き物で、少しでも接触すると身を清めないといけないとされ、犬の触れたものは全て汚れると見なされる。喧嘩を売る時の決まり文句は、相手を「ペダルサック(pedar-sag)!」という
罵倒。「(お前の)父親は犬」という意味で、最大級の侮辱なのだ。
 一方猫については、ムハンマドが大の猫好きだったことがハディースに見えるため、犬とは全く扱いが違う。猫を飢えさせた女は地獄で罰せられる、猫が飲んだ容器の水で見の清めをしてもよい、とあるそうだ。

イランを知るための65章 その四
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/215dd1129e1de6b0eb033ea13bc87c5b
”イスラム教とは正反対にゾロアスター教では犬が大切にされた。ヒンドゥー教と同じくゾロアスター教も牛を神聖視するが、後者では犬は人間の次に位が高く、他の生き物とは別格と見なされていた。パフラヴィー語の民間語言説には犬は se-yak (三分の一の意)なる表記があり、その三分の一が人間ということ。
 そして犬はゾロアスター教の死者儀礼には欠かせぬ生き物で、特に霊力が強いとされる両目の上に斑点のある四つ目の犬に死体を見させ、死魔を退散させる。サーサーン朝まではイランでゾロアスター教は国教だったこともあるのか、今でもイランでは他の中東地域よりも四つ目の犬が多いそうだ。

 一方、ゾロアスター教では教義上、猫は悪魔アンラ・マンユにより創造され、蛇、サソリ、ネズミ等と並び、不浄な害をなす生き物とされている。これら不浄な生き物は見つけ次第、殺すのが善行とされたし、かつてはこれらの生き物をしばしば屠殺処分していたほど。 国教がゾロアスター教からイスラムになって以降、犬への扱いは一変する。20世紀を代表するゾロアスター教学者メアリー・ボイスは、その背景をゾロアスター教徒への迫害に求めている。現代はどのイスラム圏でも犬を蔑視するが、イスラム初期はそうではなかったという。犬を不浄視するのは特にイランで形成されたらしく、犬への虐待はゾロアスター教棄教者証と見なされた。この過程で多くの犬が屠殺・虐待される。

 32章執筆者の上岡弘二氏は、イスラムが犬を貶めるのは、この宗教が商業都市を基盤として生まれ発展したことに求めている。対照的にゾロアスター教は牧畜社会を基盤として成立しており、季節により居住地を変える牧畜社会には猫の居場所がない。それに対し、犬は牧畜社会で有用である。平たく言えばイヌ派のゾロアスター教、ネコ派のイスラムなのだ。
 尤も教義上では不浄視されても、犬を大切に飼うムスリムはいたし、猫好きのゾロアスター教徒もいる。そしてイランでは猫は特に虐められも可愛がられもしていないらしい。猫は都市の食べ物屋のちかくによく居ついており、自分で餌を調達して気ままに生きているとか。上岡氏によれば、イランの猫は日本やトルコのように人懐っこくないという。トルコの猫はしばしば遊んでくれるのに、そうしないイランの猫は不思議だったそうな。確かに『世界猫歩き』などを見ても、トルコの猫は愛嬌があり人懐こい。同じ中東でも猫の気質が国により違うのか。


タブーに満ちたゾロアスター教の葬儀 
http://d.hatena.ne.jp/wanbi/touch/20140727/1406429714
”古代ペルシアを起源とするゾロアスター教は、善悪二元論の教えで有名である。サーサーン朝期に編纂された経典『アヴェスター』は21巻あるとされ、現存しているのは4分の1である。『アヴェスター』には、至高神アフラ・マズダーと大魔王アンラ・マンユ(アフリマン)の両勢力が争い、その戦いが日常生活までに及んでいる。

●葬儀

ゾロアスター教の葬送は、鳥葬か風葬である。遺体を棺などに納めずに野原などに放置し、風化ないし、鳥がついばむなど自然に任せるもので、その施設(沈黙の塔)が設けられることもある。ゾロアスター教の教義では、人間の肉体は善神の守護にあるので、遺体に不浄がもたらされないよう、鳥葬ないし風葬がなされるという。

ただし、経典には埋葬の深さが記されているので、鳥葬か風葬の前に一旦埋葬しておくこともあるようだ。

以下は「アヴェスタ」にある葬儀のタブー。経典には、あまりに細かいタブーが網羅されているが、それらは理解不能のため省略した。

●「アヴェスタ」にある葬儀タブー

・「もし、犬や人が小屋にて死亡した時は、マズダの信者はどうしたらよいのか?」

 マズダこれに答えて「ダクマをたずねるべし。死者を移すのが容易ならば、まず死者を運び出だし、その家を香気ある植物で薫蒸すべし」

・「神よ。遺体は火から、水から、信者からどのくらい離すべきか?」

「火から30歩、水から30歩、信者からは3歩離すべし」

「その場所に墓を掘り、もし地面が堅い時は深さ半尺、地面が柔かい時は死者の半身の深さとする。

 墓の上は牛糞で蔽い、又その表面は瓦、石、又は乾いた土の塵で蔽う」

「遺体は、2夜、3夜、または一か月、その所に置き、烏が飛び、草木が成長し、隠れた水が流れ始め、風は土地を吹き乾かす時節になるまで待つべし」

・「その後遺体を運び出し、遺体を食べる犬や鳥のいる場所にこれを安置する」

・「遺体を運んだ道は、家畜、人、アフラ・マズダの火は通ってはならない」

「そこでこの道を、4つ目の黄色の犬、または黄色の耳の白犬に3度歩かせる」

・「道に出て、神よりの保護と、悪の世界が滅びることを高らかに唱える」

・かくして後、信者は、その道路を通行することができる。

・そして信者は、その後、死者が出た家に食物、肉、及び酒等を備えることができるのである。

 出典 「アヴェスタ経(上)第8章」大正9年、THE ZEND-AVESTA TRANSLATED BY JAMES DARMESTETER(1880)



犬の信仰
http://www4.plala.or.jp/mozugusu/nihon/niho5-inu.html

"中国には黄耳という忠犬がおる

三国志の時代も終わりの頃、呉の名軍師陸遜の子孫に陸機という人物がおるのじゃが、その飼い犬に黄耳という賢い犬がおった

陸機は呉を祖国にしながら晋に仕えるため洛陽にいたが、ある日呉から家族の音信が途絶え心配になった

主人の様子がいつもと違うと黄耳が寄ってくると陸機は『呉に行って家族から返事を貰ってきてくれないか?』と冗談に言う

ところが黄耳はいたってノル気で、調子に乗った陸機が家族宛にしたためた手紙を入れた竹筒を黄耳の首かけると、すぐさま走って行ってしまった

すると黄耳は洛陽から呉まで本当に行き、25日後には家族の返信をもって帰ってきたのじゃった

これ以降陸機は黄耳を連絡犬に使うのじゃが、ついには年老いて死んでしまったのじゃ」

「本当だとしたら、呉から洛陽の陸機の家までの道のりを覚えていた事になるね」

「この話は多分、犬の帰巣本能が生んだ伝説じゃろうな

近代では犬が遠くから家に戻ってきたという話もあるし、一概に伝説と言えぬところが犬の凄いところじゃ」

"

"「生類憐れみの令は徳川綱吉が発した物じゃが、別に犬だけ特別に保護した令ではない

ただその中で犬だけが特別になり、江戸の犬を登録制にしてついには犬目付まで登場して、犬の保護と監視が強化されたんじゃ

その為、江戸は一種の密告が飛び交う監視社会になり、悪法としてよく知られておる」

「武士だけでなく江戸町民まで裁かれた悪法だよな」

「ただ、実は江戸町民が生類憐みの令で裁かれたという記録は殆ど残ってないのじゃ

この法令は未だ薄いながらも残る戦国の気風、つまり殺生という手段それ自体を禁じる為の法令であって、犬を特別に保護したわけでもないの

ただ何故犬かというと、戦国時代の武士はよく犬を食したからであってのう

戦国の武士を忘れ、江戸の武士として生きるようという意味を込めた法令なのじゃ

じゃから裁かれたのは殆どが武士階級の者じゃった」

「では何故ここまで生類憐れみの令が誇張されて現代に残っているかということですが

これは幕府をおちょくる江戸庶民の洒落なんです」

「洒落に踊らされる日本の歴史…面白すぎです」

「まともに歴史を検証しようとした人間はいなかったのかよ
…」

"

http://blog.goo.ne.jp/basilico_ohayonihongo/e/d81176a1d9dd4483f82c44023236fbfe
"けいしょう【鶏唱】

鶏が夜明けに時を告げること。


 落語では、「一夜明けて」というところを、よく「カラスがカーと鳴いて夜が明けて」という。「ニワトリがコケコッコーと鳴いて夜が明けて」とはいわない。まあ、こういうシーンはたいてい吉原など廓の噺での場面転換なので、ニワトリではイメージに合わないのだろうけれども。

「鶏晨(けいしん)」という言葉もある。「鶏の鳴く朝。夜明け。あかつき」の意味。ニワトリを朝の象徴として使っているのだ。

『日本大百科全書』などを読むと、ニワトリを夜明けや太陽と結びつける考え方は、昔から世界中であったことがわかる。古代メソポタミアやエジプトでは、夜明けを告げる勇気ある鳥として、神様への供物とした。ゾロアスター教は暗黒の悪魔を払うものとした。屋根に風見鶏をつけるのも、ニワトリが悪魔を払う太陽の象徴とされたから。

 日本でも縄文時代からニワトリがいた。『古事記』で天岩戸から天照大神を呼びだす常世長鳴鳥はニワトリ


 絵画でニワトリといえば伊藤若冲。あの絵をじっと見ていると、ニワトリはかわいいというよりも怖い。"

にわとり雑学博士 得猪外明さんの『こけこっ考』
http://www.ikn.co.jp/hiroba/kokekokkou/kokekokkou1.html
"こけこっ考(39) 鶏の神話・伝説(1)
紀元前6世紀頃、ペルシャ(今のイラン)で創始されたゾロアスター教(拝火教)は太陽を崇めることから鶏を太陽の使徒とし、高らかに夜明けを報ずる鶏を「一日の聖なる布告者」と呼び、偉大な神性を持つものとして崇敬しました。ゾロアスター教は鶏を神格化した最初の宗教であり、その信仰は西はギリシャを経てローマに、東はシルクロードを経由して中国にまで達っしました。
"
悪魔全書‏@DDS_complete
【バステト】
古代エジプトの殺戮と豊穣の女神。
太陽神ラーの娘、妹、妻といわれる。
後世では創造神プタハの妻とされた。
猫の頭を持つ女性の姿で現され、ファラオの守護者、人間を病気や悪霊から守り、多産を象徴するシンボルとされた。
クトゥルー神話では旧神の一人とされている。


猫の気持ちがよくわかるbot‏@nekoneko42561
古代エジプト人たちは猫をこよなく愛し、崇拝していた。

古代エジプトではネコがライオンの代わりとして崇拝されており、またバステト女神として神格化もされていたそうです。キプロスの遺跡からはネコが人間と同様に扱われていた痕跡が発見されたとのこと。


マトリョーシカbot‏@momijitree
古代エジプトでは猫が非常に崇拝されたことが知られている。猫を鳥撃ちの遠出に連れていき、猫を殺すことは第一級の犯罪であった。猫が死ぬとミイラにされ、月の女神バステトとみなされた。ミイラにした猫を埋葬する地ブバスチスの町では月が祀られ、猫は月の象徴として扱われた。


さとりの雑学bot‏@sato_zatu
三足烏(さんそくう)は三本足を持つカラスのことで、日本神話の八咫烏、ギリシャ神話のアポロンの烏、中国神話や高句麗の建国神話、マヤ文明にも太陽の象徴として登場するの
対象をカラスに限定しなければ、鳥を太陽の象徴とする神話は世界各地に存在するらしいわ。エジプトのホルス神とかね


∞音∞ a.k.a. 風*月@fuhgetsu · 4月11日
話を戻して、古代中国の射日神話では、十の太陽が同時に昇ったので、弓の名手である羿(ゲイ)が、赤い弓で九本の白い矢を放ち、九つの太陽を射落とすと、地には九羽の三足烏が落ちてきて、天は元通りになった。
しかし、太陽はおそれて岩戸に隠れてしまったので、呼び戻すという招日神話につながる。

五右衛門☆Rhapsody@G_rhaps · 4月23日

あ、そういえば、高句麗には日本の八咫烏に似た三足烏というのがあります。どちらが先かというと微妙ですが、それ以前に太古中国の神話にあるようだから、そのへんから高句麗→日本への伝播かな。ちなみに天武天皇の前の高句麗系は、神武天皇(に象徴される勢力)だと思います。だから、烏つながり。


ミトラ教と神智学
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html
キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。

【誕生の予言と目撃】

ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。これは福音書のイエス誕生と通じている。

【誕生日】

ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。

【奇蹟】

ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。イエスの数々の奇蹟と共通している。

【12弟子】

イエスには12人の使徒がいた。ミトラは12星座に囲まれる。ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。

【復活祭】

ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)

【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴

これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。

【聖体拝領】(パンとブドウ酒)

もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に「ミトラの友」であることを確認する儀式であった。新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。ただ、食べるのがイエスの肉=パンとイエスの血=ワインであるかの違いである。

【洗礼の儀式】

ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。

【昇天と再臨の予言】

もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミトラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。

【復活の日と最後の審判】

もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。

【最終戦争とハルマゲドン】

もとはミトラの最終戦争である。ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。『ヨハネの黙示録』によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。

 

■その他の共通点

●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。

●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。ミトラはまさしく岩の中から生まれた。

●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。

●ミトラ教の最高司祭は「パテル・パトルム」(父の中の父)と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。

●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行なわれた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行なった。

●イエスは創造主なる御父がいる。『アヴェスタ』においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。

●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。ミトラは光明神であり、太陽神でもある。

 

このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう




ミトラス教(1973)
M.J. フェルマースレン
ミトラス教 (1973年)ミトラス教 (1973年)
(1973)
M.J. フェルマースレン

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・ミトラスの奇跡の生誕
十二月二十五日は新しい光の到来と神の生誕が祝われる、ミトラスの祭日。
一つの岩から飛び出して誕生したのがミトラス。若神ミトラスはフリュギア帽を除けば全裸で、さしあげた両手に短剣と松明をもつ姿で表される。
太陽神ミトラは天の十二宮を通り過ぎてゆく太陽のコースを定める。
(十二使徒が十二人なのは星座から。クリスマスはミトラの祭りを乗っ取ったもの


・岩を射る秘蹟
ミトラスが弓で岩を射ると、岩から水が出て人々の渇きを癒した。
旧約の出エジプト記では、ヤハウェがモーゼに、岩を打つと水がそれから出て民は水を飲めると言うと、モーゼはそのように行ったとある


・聖餐式と昇天
激しい牛狩りと、牛屠りの秘蹟が終わると、ミトラは牡牛の体から離れて、太陽神とともに行う饗宴を催すことで、地上におけるミトラの滞在を完了する。
聖餐式は洞窟の中で催された。ミトラはペルシア風の服を着て、太陽神と食卓につく。
二柱の神は明らかに友好的。
ミトラス教の遺跡で発見されることがある廃棄用竪穴からは牡牛、野猪、羊、鳥類などの骨が出る。通常は牡牛の肉を食べ、その血を飲んだと推測されるが、牡牛が手に入らなかったり、あるいはあまりに高価である場合は、他の手近の動物の肉(たいていは小家畜)で我慢するか、肉の代わりには、パンと魚を、血の代わりには葡萄酒を用いた。
原始キリスト教会のユスティヌスは、パンと水がミトラ教の密儀で使われたと記している。
水を使うことでブドウ酒を避けている。
ブドウ酒がミトラ教で使われた証拠はある。
ドゥラ・エウロポスのミトラス神殿では教団の必要経費が壁面に刻みつけられていて、肉とブドウ酒の代金がある。
(パンとブドウ酒は既にミトラ教で使われていました)

キリスト教徒のテルトゥリアヌスによると、ミトラス教の聖餐式はキリスト教の聖餐式(ユーカリスト)の悪魔的模倣であるという。この護教家はミトラ教では復活の儀式も行っていたという

牡牛の肉を食し、その血を飲めば生命そのものが牡牛の血から再び創造されたと同様にミトラ信徒もまた甦ることができるというのである。牡牛の血肉は肉体的な力を与えるだけでなく、いつの日にか魂を蘇らせて久遠の光に浴させ、救済をもたらすと思われた。
盗んだのはキリスト教のほうね)

ユスティヌスによると、ミトラ教徒は聖餐式にてキリスト教と似た決まり文句を使ったという

キュモンが刊行した中世の一文献では、イエスの言葉がゾロアスターの語録と並べて置かれる。
ザルダシュト(ゾロアスター)は弟子たちに次のように話しかける。
「わが肉体を食し、わが血を飲むものはわれに帰一し、われはその者に帰一するが、そうしないものは救済の極意にいたらない」
イエスの弟子への言葉
「わが体を食し、わが血を飲む者は永遠の命を得る」

・三世紀にはミトラの崇拝はローマ帝国に非常に広く分布したので、サーサーン朝ペルシアがローマの競争相手として現われてもミトラの立場は悪くならなかった。
210年に、若いシリア人のローマ皇帝ヘリオガバルス(エラガバルス)はバール神のシンボルをシリアのエメサ市からローマ市へ移そうとしたが、ローマ市民は、黒い石の形をしたバール神を受け入れることができなかった。
(バアルは嵐と雷であり、太陽神ではない

307(あるいは308)年にディオクレティアヌス帝は他の共同統治者とともに、ローマ帝国の北辺カルヌントゥムでの会議の間に、「帝国の恩恵者」ミトラスに一祭壇を奉納した。
四世紀後半のユリアヌス帝は子供のころに受けた厳し過ぎるキリスト教教育に反発して、背教者と呼ばれた。
ユリアヌスは新プラトン学派の強い影響下にあり、確固たるミトラ教徒であった。

・ミトラス神は水の湧き出る泉に近い自然の洞窟で礼拝されねばならなかったという言い伝えがある。岩壁に牛を屠るミトラが彫られている洞窟が発見されている。
ミトラス神殿は洞窟を模して作られたので地下に作られることがあった。
洞窟は天の蒼穹のシンボルであり、ミトラス神殿の天上はアーチ状に作られることが多く、そこには星が描かれた。


・インドのヴェーダでは、ミトラは「天界の主」ヴァルナ神の脇侍の神として現われる。
すなわち、光と太陽の霊力とに密接に結びついている。太陽自身も「ミトラとヴァルナの目」と唱えられた


・イエズス会のペルシア学者G・メッシナによると、マグなる単語はマガに参与する人、という意味であって、マガとは聖なる贈り物、すなわちアフラ・マズダの教え給うたこと、である。
従って、本来マグはマズダ神の信徒を指すが、史上初のマゴス神官はゾロアスターだと考えられた。
イエズス会が拝火教やミトラ教を研究させているのね。つまりいざとなれば情報の独占ができる。
漫画の『マギ』の魔導学院マグノシュタット=マグ【マギ】+インゴルシュタット。
イルミナティ陰謀論の発明者がイエズス会士バリュエル。秘密結社の陰謀論でキリスト教が悪いとされないものはすべて教会のデマ。メーソンってキリスト教系だよ。ユダヤでも悪魔教でもないよ。
悪魔教というのはキリスト教のことだよ


・マゴス神官たちはペルシア帝国の宮廷に仕え、大きな実力を持った。マゴス神官は皇太子の養育係であり、キケロいわく、マゴス神官たちによって教育を施された者しか王位に就けない決まりであった
ヘロドトスの著作もマゴス神官の地位の高さを示す。
なお、ヘロドトスは、マゴス神官をメディア人の六大部族の一つだと考えた。
北部メディア人の典型的な葬制に、死体を、埋葬する代わりに、野獣や野鳥に食わせるという風習があったが、これはマゴス神官と同じものである。
ヘロドトスが描いたように、マゴス神官が叛逆事件を起こしても、マゴス神官は大衆に尊敬された。
ヘロドトスによると、マゴス神官の司式なしにはいかなる供犠も奉納できなかった。マゴス神官は息によって聖火が汚されないように、マスク(パーダム)をかけ、手にはバレスマン(バルスマン)あるいはバルソムと呼ばれる枝木の束を持って立つ。マゴス神官の前には巨大な祭壇があって、それに牡羊と牡牛の頭部が捧げられている。

・ペルシア帝国が拡大するにつれ、マゴス神官たちは小アジア全域に足跡をしるした。そこでは各地に「カルデア人」と呼ばれた神官階級がいたが、マゴス神官たちは彼らに接し、ギリシア人の文化をより知った。
マゴス神官のオスタネスはイラン伝来の教義をギリシアに伝え、マゴス神官の神学とギリシア哲学を交流させたといわれる。ギリシア語のマゲイア(マゴス神官の教え)は神々に対する崇敬や礼拝の同義語となった。
しかし、そでにソフォクレスの悲劇にみられる一般民衆の受け取り方では、マゴスは魔術師(ゴエーテース)と同義語である。マゴスの語義のこのような変遷はマゴス神官と神官としてのカルデア人との間に起こった接触が、次にはカルデア人の特技として有名な占星術を通して、ギリシア世界に強力な影響力を持ったことを示す。
小アジアでミトラス神密儀を創始したのは、ギリシア文化に接したこれらのマゴス神官に違いない。

プラトンは輪廻思想があって、バラモン教思想を教えてもらったのでしょう)

・ミトラスの密儀は紀元前一世紀にはキリキアの海賊に知られていた。
一世紀の歴史家プルータークによると、ローマ人たちは小アジアの属州キリキア出身の海賊を通じてミトラスを知るにいたった。この海賊たちは当時ローマにとって大きな脅威となっていたので、ポンペイウスがその海域を掃蕩した


・ミトラス教の密儀の階梯
入信希望者は明かされる奥義を何者にも漏えいしないという厳粛な制約を行わなければならなかった。
入信式は「父」と「使者」の称号を持つ二人の高位の信徒によって司式された。
儀式が終わると、入門者は他の信徒たちの「兄弟(フラテル)」であり、「父」の子であるとみなされた。
「父」によって認知されるためには、両手に刻印を押される、つまり刺青を入れられなければならない。
多くの古代の肖像画では何人かの皇帝までが刺青の跡をはっきりと見せている。両手の代わりに額にすることもある.
(仲間内を兄弟と呼んだり、父とか父の子とか、聖痕っぽい刺青とか、キリスト教が盗んだネタですな。
ミトラ結社の離反者がキリスト教作った可能性があるな。入信しないと学べなかったはずだからね
)

・ミトラ教の七つの位階。
下に行くにつれ地位が上。
大鴉(コラクス)
花嫁(ニンフス)
兵士(ミレス)
獅子(レオ)
ペルシア人(ペルセス)
太陽の使者(ヘリオドロムス)
父(パテル)
※「父たちの父」は「父」の中でも最上位


これらの位階名は、4から5世紀のキリスト教に教父ヒエロニュモスによって伝えられている。そのことはオリエントとヨーロッパで発見された多くの碑文や出土物によって確認される。七つの位階の順序は全ローマ帝国を通じて同一であったことがわかる。
儀式用語だけでなく七位階の言葉に於いてもギリシア語が支配的である。ペルシア人という位階があることは外国起源のしるし。
(ギリシア語は新約聖書の言語だからそのまま用語を盗んだんだね)


・大鴉
コラクス
大鴉は大気の元素の象徴。
ミトラスの牛屠りの物語では、大鴉はミトラスに彼の運命を伝達するためにやってくる使者。
大鴉は神々の使者であるメルクリウス(マーキュリー。錬金術=科学の神ヘルメスと同一視)の代理として、ヘルメス・メルクリウスの魔法の杖(カドゥケウス)を固有の持ち物として持つ

・花嫁
ニンフス
花嫁のシンボルが、
松明(結婚式用)、
王冠(ヴィーナスの象徴)、
ランプ
(太陽神ミトラスとの新たな親密な結合の中から流れ出る新しい光〔ネオン・フォース〕を象徴)。
サンタ・プリスカ教会地下の壁画では、「花嫁」は花嫁用のヴェールをつけている。その情報に描かれた碑文による、金星ウェヌス(ヴィーナス)の加護の下におかれる。
オスティアの「壁画付ミトラス神殿」に描かれた、手鏡を持つ画像は、アフロディテ女神か「花嫁」自身かは判断できない。
ドゥラ・エウロポスのミトラス神殿では「花嫁」が一時期に十六人もいた。
ミトラス教では女性は入れない。
よって花嫁は男であり、聖なる結婚式によって「父」によってミトラス神と結ばれる。
この花嫁の位階の入信に際しては忠誠と盟約の誓いとして右手を握りしめること(デクシオーシス)が重要な役割を演じた。この右手を握りしめるジェスチャーは古代ローマ人だけでなく、古代ペルシア人によって行なわれた。

(英語辞典によると、知恵者の心は右にありと聖書にあるから右手=正しいという連想が生まれたとある。この右を重視する元ネタだね

(女性は入れないって密儀には入れないのかな。一般と秘儀参入者でわかれていたのかな。男尊女卑も受け継いだのか)


・兵士
ミレス
ミトラス神は、常に不敗の神(デウス・インヴィクトゥス)とみなされた。
アヴェスタに記されたように、戦場にて彼の信徒たちに勝利を得させる。ミトラス教の信徒は全員いわば軍務に登録された存在である。
ミトラス神が兵士の花輪であり、兵士の花輪は神の中にある。
大鴉は光(と大気)の元素を代表。
花嫁が水の元素を代表。
兵士は地の元素を代表するとされるが決定的な証拠はない。
獅子は火の元素を代表


・獅子
レオ
獅子は深紅の外套をまとい、常に「乾燥して燃えるような性格」を持つ。
レオのシンボルは燃料受皿。
獅子に入信した者は水のかわりに蜂蜜で清められる。
シドン(サイダ)出土の永遠時間の神像では、獅子頭の後頭部が中空にされているが、これは何かの儀式のときに火がそこで燃やされるためであったろう。いくつかのミトラス神殿では、獅子の彫像が安置されたが、それは古代エルトリアの墓地にみられるようなこまいぬを想起させる。
シドンと言えばフェニキア人。永遠時間ってアイオーンか。つまりズルワーン。
オルフェウス教にもファネスという時間の神がいる


5 ペルシア人
ペルセス
サンタ・プリスカ教会地下の壁画では、「ペルシア人」はグレイの外衣をまとい、月の特別の加護の下に置かれる。「獅子」のように彼の両手は蜂蜜で清められる。
蜂蜜は古代の砂糖であり、ヘロドトスは蜂蜜の防腐作用を強調する。
古代ペルシア人の思想では、蜂蜜は月から来る。月ではミトラスが屠った牡牛の精液が運ばれ浄化され、やがて新しい果実と植物を実らせる。月は果実の成熟の一時期の守護神であり、「ペルシア人」はこの月を人間で表したものである。鋏と鎌がシンボル


6 太陽神の使者
ヘリオドロムス
太陽神(ヘリオス・ソル)の代行者を示す。
光を発する光背がシンボル。
松明や地球儀を持っていることがある。

7 父
パテル
ミトラス教最高位。ミトラス神の現世における代行者。
それゆえにミトラスと同じ服装で描かれる。よってフリュギア帽子がシンボル。
「父」は兄弟(フラトレス)と互いに呼び合う一門の頂点であり、
聖なる密儀の導師(マギステル・サクロールム)、
つまり指輪と錫杖(ラプドス)によってその英知が象徴される教師である。
「父」はまた、マゴス神官、
知恵の教師(ソフィステス)、
最高神官(スンムス・ポンティフェクス)
「父中の父」は教皇に相当する。占星術の研究者であり、ミトラスの密儀は七惑星と七位階のようにように占星術思想に従っている


蛇は地
甕は水
獅子は火
鳥は風
の四元素のシンボル。

古代ギリシアでは、ニワトリはペルシアの鳥と呼ばれた。ニワトリの鳴き声は悪霊を追う払うとされた
(上記の読書メモでわかるようにニワトリは拝火教で神聖)

・ヘロドトスの歴史によると古代ペルシア人は黄泉の国の神に、感謝の捧げものとして人間を生き埋めにする習慣を持っていた。


フェイド大帝@FeydoTaitei
ミトラに拘る人達はヴァルナを もうちょっと調べた方がいい。
ヴェーダ教ではこの二神は ペアでセット。
ミトラが太陽なら、ヴァルナは 夜空の星々。
ミトラが契約の神の意味は?
契約を破った時に罰を 降すという意味さ。
昼はミトラに。夜間はヴァルナに。 監視されてるってことさ

ギリシャ神話で一つ目の キュクロプスと頭100個の ヘカトンケイルって古い神が いたろ?
ミトラさんとヴァルナさん?

この契約と罰則の発展系が 法学の繋がっていく。
ヴァルナって元々、宇宙の法を 司ってたろ?
今は水の神
だが。
東大でも法学部が 重視されるのは単に
官僚育成だけが理由 じゃないってこと。
東大ではこれに医学部 が加わるが、
ハーバード では神学部も。

悪魔全書@DDS_complete •
【ミトラ】 イラン神話に登場する、契約を意味する古い神格。 ギリシャからローマにかけて、広く信仰された。 インド・イラン共通時代には友情、友愛の守護神とされ、リグ・ヴェーダではヴァルナと表裏一体をなす。 仏教の弥勒菩薩の性質は、この神の性質を受け継いでいると言われる。
【ヴァルナ】 古代イラン・インドの始原神であり、ミトラと並ぶ最高神。 ゾロアスター教が成立してからは光の神アフラマズダとされたが、インドではヴェーダ時代に天空神、司法神などの地位に置かれるも、ブラフマーやヤマによって奪われている。 日本では十二天の一つである水天
となった。

神様紹介bot(神ボ)@myth_god_bot • 12月12日
《アンジャナ/インド神話》世界の守護神であるローカパーラの神々を背中に乗せた象の1体で背中で世界の重みを支えている。アンジャナは西の領域を守護しており、ヴァルナを乗せている。文献によってはサウマナサとするものもある。

神様紹介bot(神ボ)@myth_god_bot • 11月22日
《アガスティヤ/インド神話》ヒンドゥー教の聖仙。ウルヴァシーがミトラとヴァルナの2人と床を共にして身籠ったとされる。彼は宇宙の安寧を脅かすどんな障害でも消滅させることができる。ラーマとラーヴァナの戦いの際にはラーマに武器を与え、ラーマはその武器を用いてラーヴァナを倒した。

倉橋香里奈@karinakurahasi • 5月27日
ミトラはヴァルナとワンセット。ヴァルナは宇宙の法則を司り、ミトラは人間の契約と法規を司る。古の時代の最高神であり、日本では隠れた神様であるアメノミナカヌシになってる。この天の法と地上の法をごっちゃにすると今の時代の宗教や思想が絡んだ正義の押し付けみたいな面倒臭い事になる。


倉橋香里奈@karinakurahasi • 12月29日
因みに契約には二種類ある。人間同士の契約を司ってたのがミトラ神。人と神の契約を司ってたのがヴァルナ神。 法にも人の法と世界の法があるし、罪にも例えば日本でも天津罪と国津罪があるね。

ヴァルナとは、古代のイラン・インドの神話共有時代における始源神であり、友愛と契約の神ミトラとならぶ最高神でもある。ミトラとともに太古のアスラ族、アーディティヤ神群を代表した神である。仏教においては西方守護の水天。

古代インド・イランのアーリア人共通の古い神ミスラ(ミトラ)」 「『リグ・ヴェーダ』においては…  魔術的なヴァルナ
神と対をなす、契約・約束の神


445夜『ミトラス教』マルタン・フェルマースレン|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0445.html
”なぜ誰も闘牛のルーツがミトラ神の牡牛殺しだと言わないだろうか。なぜ誰もアンチキリストのモデルがミトラ神にあったという研究に没入しないのだろうか。
 ミトラス教あるいはミトラ神をめぐる信仰の歴史についての研究はあまり多くない。
 ベルギーの宗教史学者で考古学者でもあるフランツ・キュモンの『ミトラの密儀』が1902年に、その拡張版が1913年に刊行され、これによって本格的な研究が始まったまではよかったのだが、本書を書いたフェルマースレンの登場以降は、ほぼフェルマースレンの周辺の補助研究で終わっている。
(…)
ミトラ神は中世ヨーロッパではアンチ・キリストの王者とみなされていた。これも放ってはおけないはずなのだ。

 ミトラ神の起源はまことに遠い。
 古代インドにおける『ヴェーダ』中のミトラか、古代イランにおける『アヴェスター』中のミスラにまで溯る。どちらも最高神に近い神格をあたえられていた

 インドとイランの信仰がどのような近親憎悪関係にあるかは、やはり「千夜千冊」第376夜『ゾロアスター教』で説明しておいたからここでは繰り返さないが、どちらの民族の信仰でもミトラ(ミスラ)は同盟者という意味あるいは位置をもっていた。
 たとえば、イランにおけるミスラは光輝神アフラ・マズダが暗黒神アーリマンと闘うにあたって、アフラ・マズダの陣営についた同盟神だった。一方、インドではミトラはヴァルナ神の脇侍として崇められた。つまりはミトラには戦士の性格が付与されていた。もっとありていにいえば「牡」としての勇猛性が漲っていた。
 やがてゾロアスター教の神官マゴスの活動とともに、ミトラは小アジアに広まっていく。小アジアにはすでにカルデア人の神官たちがいて、マゴス神官はこれらと交じってカルデア人の占星術をはじめとする密儀をとりいれ、さらにギリシア文化に接してその密儀性を膨らませていった。
 その密儀はギリシアでは太陽神のおもむきをもっていたが、そこには異様な性格も内蔵されていた。
 それが牡牛信仰である。
 小アジアやヨーロッパにおける牡牛信仰=牛角信仰ほど、謎に満ちたものはない。そもそもモーセが闘ったのが異様なバール神という三日月型の牛角をもつ牡牛信仰だった。しかしながら、その牡牛信仰と「牡牛を屠る神」とは、どこか共通するものがありながら、そこには別の立場の強調というものがある。

 太陽と牡牛を秘めたミトラの力にとびついたのは、キリキアの海賊たちである

 海賊たちはミトラに「牡」の力を見分け、これにあやかった。このころからミトラは戦士神としての色彩を加えていく。プルタークは、かれら海賊たちがリュキアのオリンポス山に風変わりな貢物を持って入り、ある秘密の儀式をしていたが、それはいまも見られるミトラス神の宗門の儀式に近いものだったと書いている。
 ついでミトラ神はローマ帝国領内に入っていく。記録にはっきり残っている事績では、アルメニア王ティリダテスがローマ皇帝ネロの戴冠をうけるためにトラキア、イリュリア、イタリア東岸を通ってローマに入ったとき、ティリダテスがネロにこう言ったというらしい。「いまや私は陛下のもとに来て、陛下にミトラス神に対するのと同様の礼拝を捧げます」。プリニウスはそのあとのことも少しだけだが、書いている。「ティリダテスはネロを魔法の食事の儀式に導き入れた」。

 どうやらネロがミトラ信仰と最初の接触をもった皇帝であることは事実のようだ。
 これが西暦66年のことである
。まったく同じころ、原始キリスト教がローマに入っていった。このときローマ人たちはイエスが生まれたときに、東方の三博士がマゴス神官の恰好をしてベツレヘムに到着したという伝承を聞く。そのひとつの証左になるが、マタイ福音書のアラビア語版には、「見よ、マゴス神官たちがエルサレムにやってきた。これはゾロアスターによって予言された通りの出来事である」とある。
 ゾロアスターは土地の言葉ではサオシャントともいう。ローマ市内に出土したラテン語碑文のいくつかには、しばしば「サオシャント万歳」の文字が判読できる。どこかでゾロアスターの神とミトラ神とが習合したにちがいない。
 ともかくも、こうしてしだいにイコンとしてのミトラ神が成長していった。神殿も各地に広まった。そしてその神殿正面には必ずといってよいほどに牛を屠る神像が飾られた。タウロマキアとはその牛屠りを聖化している状態をあらわしている言葉である。この図像を調べることはミトラを解くことであり、ミトラを解くことはのちのキリスト教徒たちがなぜ自分たちのことを兵士ととらえるかという謎を解く。

 残念ながら、本書によってミトラ神の全貌はあきらかにされてはいない。そこで各種の資料を補って、ごく簡潔なミトラ神の本来を想定しておくことにする。
 まず、幼神ミトラ(ミトラス)は12月25日に岩から生まれたということだ。岩のことをペトラ・ゲネトリクスという。このことはミトラが「冬至」の儀式と深いつながりをもつことを意味するとともに、その誕生がとんでもない奇跡であったことを強調している。冬至とは「太陽の再生」を願うことである(ナタリス・ソリス)。あるいは「征服されざる太陽の誕生日」のことである。この日にイエスが生まれたとするキリスト教が、こうしたミトラの誕生譚を換骨奪胎したであろうことは推測するに難くない
 冬至に岩から生まれたということは、太陽神とその母との近親相姦による誕生か、もしくは男性や男根を象徴する岩からの直接生成を暗示する。ミトラが洞窟に多く神殿をもつことは、ミトラ出身の母体が大地に穿たれたトポスであることを示唆するが、他方、創生の岩窟は男性原理の象徴でもあって、ミトラが「母なき幼体」という異神であることも示唆している。聖母マリアがしばしば岩窟のマリアとして描かれたことを想起しよう。
 次に、幼神ミトラは帽子(フリュギア帽)を被り、両手に短剣と松明をもつ図像であらわされるか、あるいは弓と矢をもった武神として図像化される。この弓と矢は光と火の象徴になっている。このばあいのミトラは狩猟神の先行形態となる。ミトラが誕生してまもなく左手で地球を掲げ、右手で十二宮の輪にふれている図像は、予想がつくように、ミトラがアトラス信仰の原型のひとつであることをあらわしている

 ミトラが「母なき幼体」であることは、母の代替物がどこかに隠れていたか、なんらかの理由で母を放逐する必要があったということである。
 その代替物が牡牛だ。ミトラはこの牡牛の血潮を体に塗って育っていく。古代における牛は生産の象徴であって、農耕労働の象徴であり、かつその角の力強さにおいて闘争の象徴である。ここからミトラの軍神性が派生した。しかしミトラ神がいかに軍神に近づいていっても、そこには岩窟出身としての宿命が背負われている。ここに、ミトラがクロノス・サトゥルヌス神との親近性をもっていく所以が生まれる。クロノス・サトゥルヌス神はやがてサトゥルヌス・ユピテル神を派生する。
 ざっとこんなところがごくごく原型的なミトラなのだが、この原型にまことに多くの機能や属性や象徴が絡んでいく。その最も多い絡みはゾロアスター教に出所しているが、残り半分は小アジアを中心にユーラシア全域にまたがる習俗を寄せつけた。ときにはケルトのオーディン的性格さえ付与されることがある。それほどにミトラ神が蠱惑的だったのであろう。
 しかし、最初に書いたとおり、いまだにミトラ神の謎はその大半を21世紀に残したままなのである。その理由は、多くのミトラ的なるものがキリスト教に融合摂取されてしまい、いまではそのオリジナリティを問うこと自体がキリスト教社会のタブーとなっているからである。
 できることならば、ぼくはミトラをスペインの闘牛場から復活させたいと、21世紀の最初の冬至が近づく夜に呟きたい。

参考¶本書の引き金となったフランツ・キュモンの研究書は『ミトラの密儀』として平凡社から翻訳された。そのほかのフェルマースレンの研究書には『キュベレとアッティス』(新地書房)がある。”

376夜『ゾロアスター教』メアリー・ボイス|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0376.html
”ラファエロの『アテナイの学堂』にはゾロアスターが描かれている。そこではゾロアスターは右手に天球儀をもち、地球儀をもつプトレマイオスと一対になっている。その前で地面に身を屈め、コンパスで円を描こうとしているのがユークリッドだ。ラブレーの『パンタグリュエル』にもゾロアスターは顔を出す。
 ジョージ・ルーカスが大学でジョセフ・キャンベルに学んだことをいかし、『スター・ウォーズ』の下敷きのプロットにゾロアスター教をまるごとつかったこともよく知られていよう。かの仮面王ダース・ベーダーは暗黒神であって多殺神であるアンラ・マンユそのものなのである
 ニーチェの「この人」や「超人」がツァラトゥストラことゾロアスターであったことは、もはや言うまでもない。「永劫回帰」の襲来はニーチェのゾロアスターとの邂逅の暗示であった。ボルヘスは『永遠の歴史』のなかで、そのようなニーチェとゾロアスターとの蜜月関係を「フリードリッヒ・ツァラトゥストラ」とさえ書いた。

 いったいゾロアスター伝説がヨーロッパの神秘思想と哲学思想の歴史に与えた影響には、われわれには諮りしれないものがある。ピタゴラス、プラトン、プロティノス、アウグスティヌス、すべてゾロアスターの申し子だ。
 (…)最初の最初に、半遊牧民の原インド=イラン語族ともいうべき母集団が南ロシアのステップ地帯にいた。
 祭司・戦士・牧畜民で構成されていた。犬も飼っていた。この集団が強力な宗教的伝統をつくりあげた。祭司たちは水と火による苛烈な儀式をもっていた。水はアーパスという女神に擬人化され、火はアグニあるいはアータルと呼ばれた。
 その母集団がしだいにカスピ海や黒海のほうへ降りてきて、さらに南下して紀元前3000年前後には言語上のイラン系トインド系に分かれた。イラン系はアヴェスタ語に、インド系はサンスクリット語になっていく。問題はここからである。

 イラン系とインド系は激しい分派を生み出すにあたって、宗教儀式とコンセプトを相互に対立分化して分け持った。
 水と火の儀式はイラン系が「ヤスナ」に、インド系譜は「ヤジュナ」に、自然を律するシステムはイランでは「アシャ」と、インドでは「リタ」と名付けられた。そこに捧げられる神酒もイランではハオマ、インドではソーマと呼ばれた
 アシャやリタには誓いのしくみがあった。その誓いには連携を意味する「ヴァルナ」と交換を意味する「ミスラ」の二つがあり、これを破れば恐ろしい復讐が神判された。やがてこの二つは二つの神となり、イラン系では「アフラ」に、インド系では「アスラ」として人格化され、その眷属がつくられていった。しかし、両族は互いの神を上回るか、墜落させる必要があった。

 これでおよその察しがつくとおもうが、このあとイランの宗教すなわちゾロアスター教はアフラを光輝神アフラ・マズダとして絶対化し頂上化したのに対し、インドの宗教すなわちバラモン型の初期ヒンドゥイズムは、アスラを地下に貶めて、新たにインディラを最高神に設定することになったのである。このアスラがいわゆる阿修羅になっていく。
 何がおこったのか。
 互いに神と神判を取りあい、互いにその絶対化を競って、先にアフラの絶対化に走ったイラン系を、インドはこれに対抗して同格のアスラを悪神化してしまったのだ。
 世界にまだユダヤの神々のシステムもオリンポスの神々のシステムも登場していない早期に、こういう対立分化が徹底して進んでいたということは、注目すべきことである。
 (…)
 こうした背景をもってザラスシュトラすなわちゾロアスターが出現する。スピタマ家に生まれた祭司であった。
 ゾロアスターはインド系の祭司たち(バラモン)が『リグ・ヴェーダ』を編集していったように、ほぼ同じころ『ガーサー』を編集する。モンスラ(インドではマントラ)によって綴られた。『ガーサー』はその後『アヴェスタ』(ゼンド・アヴェスター)に組み入れられた。このなかでゾロアスターは自身のことをザオタルと呼んだ。ニーチェが、そしてルー・ザロメが憧れに憧れた"ツァラトゥストラ"の誕生である。

 もっともゾロアスターの事跡は何もわかっていないに等しい。
 古代ギリシア人、たとえばヘロドトスもプラトンもゾロアスターが何かものすごい教えを創唱したらしいということは知っていた。しかし、その宗祖がいつごろの、どんな人物かはまったく知ってはいない。
 キケロはピタゴラスがゾロアスターのところに教えを乞いに行ったと書き(おかげでぼくは二人を結びつけて考えていたのだが)、プリニウスも「ゾロアスターは笑いながら生まれた」「ゾロアスターは20年にわたって砂漠に住み、いつまでも腐らないチーズを食べて修行した」といったことを書いたが、それでゾロアスターの事跡がなにほども特定できるわけではなかった。
 キリスト教徒たちは、イエスの誕生を祝福し東方の三博士がマゴス(マギ)と呼ばれていたというマタイ伝の記述から妄想を逞しくして、ゾロアスターこそがマギを通してイエスを祝福したのだという解釈をつくった。


knznymmmy@knznymmmy • 21時間21時間前
ムーンマトリックス4巻p202
サタンの語源はシュメール語の差タムorサンタナ
そのシンボルは「三叉の熊手」
参考画像例は添付参照
これはBSDのデーモン 
黄色いフォークみたいなのが 今話題になってる熊手

ちなみにさ、internet explorerのレンダリングエンジンって 「トライデント」って言うんだぜ? んで、その意味する所は さっきと同じ三叉の熊手 つまりIE=悪魔だったのさ!

ムーンマトリックス4巻p214
ロックフェラーやブッシュは 秘儀参入者の中では下級 p220
百合=リリー=リリス よってイルミちゃんの好きな花は百合
これは多くの王家の紋章に見られる
フルール・ド・リスにつながる (添付画像参照)

ムーンマトリックス5巻 アダムは火星で遺伝子操作により生まれた
うーむ。だんだん話がアサッテの方に行きだしたな
私はヴェリコフスキーとか好きだけど 火星文明までは・・・どうよ?

とりあえず火星の自転周期は24.62時間
ニャンゲンの体内時計は25時間ってよく言われるが
もともと火星・・・と思ったら 微妙に火星とも合わないんだよな

ムーンマトリックス5巻p77
赤色は悪魔や火星を意味する
テンプル騎士団の赤十字
お下劣国旗の赤十字
イルミちゃんラブの赤十字とも関連する
ロスチャも文字通りには「赤い盾」
ムーンマトリックス5巻p86
アルファロメオのロゴ 右半分はニャンゲンを食う蛇なのか?
我々はエイリアン様の餌に過ぎないのか?
http://alfaromeo.offramp.me/?p=64
http://musashino.fgaj-dealer.jp/alfaromeo/blog/?date=20131206

十字軍が左で、右がロンバルディアならキリスト教銀行支配に最も加担した勢力じゃないか。)

(マルドゥクの乗り物らしいですよ。ムシュムシュと言う名前だそうです。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%B7%E3%83%A5)

マルドゥク神のアッカド名は、「アマルトゥ」で「太陽の牛」を意味した。
ふーむ。また「太陽」だの「牛」だの お馴染みのテーマだな

そうだ。蛇の女神の息子が「牛」って話は書いたが
そこでいきなり牛が出てくるのは 「蛇に角が生えているから」 角=牛っていう事らしい。
角の生えた蛇で?ニャンゲンみたいな足もあって? どんな珍獣だよ 一回ウチに出てこい あいほんで記念撮影しようず

(エイリアンの誘拐は) 物理的に誘拐されている訳ではない。
誘拐されたのは犠牲者の肉体エネルギーであり、 そのために壁を通り抜けて家から連れ去られたと

ムーンマトリックス5巻p103 これな。前に書いた般若心経の話参照

reptilianisreal.blogspot.jp/2013/08/blog-post_2663.html …
美智子様は人間ではない証明 爬虫類宇宙人信者のブログ あのさ・・・いつも不思議なんだけど 「変な線がある」と「だから爬虫類宇宙人だ」ってのは 結びつかないよね? 他の可能性を何ひとつ残さず否定しきれる根拠がひとつも無い

だからてめーらはドグマなんだ
dogmatic - he believes in what he believes in BECAUSE he believes in what he believes in

んじゃ代案ふぉーちゅんな私が 他の可能性というやつを提示してやろう 例えば美智子がヤブ医者の整形手術を受けてたらどうだ? 例えばコレ http://www.gohongi-beauty.jp/page-851/ プロテーゼを皮膚の下に入れても 浮き上がってきたりとかトラブルがあるんだぜ?
同じく http://www.maniado.jp/community/neta.php?NETA_ID=15078 … AKBの喜び組でも整形してしかもプロテーゼが浮いてるヤツはいる ましてババアの美智子が昔受けた手術だと 今よりレベルが低かった可能性はあるだろう んじゃ、整形でいじった所が浮いたり変になる事も 十分ありゆる(ぬこた先生風
結局「衝撃動画!白昼堂々UFOが!」なんていう ゆーちゅーぶ動画と同じレベルだ。 見てみりゃ確かに「何か変なもの」は映ってる だけど「何か変なもの」と 「グレイ型うちゅうじんがマッパもといマッハですっ飛ばす飛行船」 の間には越えられない壁があるだろう それを都合よく無視するな

なんかわからないもの 既存の科学で説明できないもの

じゃ、UFO
この「じゃ」がおかしい だからCIA公式アカが 「おめーら50年代UFO、UFO騒いでたじゃん?あれウチだからwww」 ってつぶやいたりするわけだ
tocana.jp/2014/08/post_4574_entry.html …

 参考

☓ なんかわからない→じゃUFO
○ なんかわからない→じゃCIA
こーゆーこと。 これからUFO、UFO騒ぐ奴は べーぐんの秘密実験ではないと 断定できる根拠を示してから偉そうな顔をしろ

twitter.com/CIA/status/484429844777037824 … 今でも公式アカウントにちゃんと残ってるぞ? おめーら、うちゅうじん信者どもは CIA様を否定できるほどの情報持ってるのか? その割にはいっつも出してくる動画も証言もしょっぱいじゃねえか どうなってんだよ?タマには本気出せ
CIA@CIA • 7月2日
Remember reports of unusual activity in the skies in the '50s? That was us
.
#U2Week #UFODAY http://1.usa.gov/1lU3oIU

ムーンマトリックス5巻p216 蛇の目は瞼が無く開きっぱなしなので
光熱の源として捉えられ ここから太陽につながる
同じp216 太陽は赤色の代表 ・・・赤・・・ロスチャイルド

p216 赤蛇=しゃくち ふーむ「赤蛇」でぐぐっても「しゃくち」とは出てこないが?
「おろち」「みずち」とは言うから ぐーぐる検索だけを根拠に否定はできないか
ちなみに「ち」→「血」→「赤」でもあるそうな
これさ・・・ 蛇形うちゅーじんがいて、そいつがニャンゲン作って、宗教もそいつを元に作られてっていうんじゃなくて
逆じゃない? 太陽崇拝宗教があった で、太陽→蛇の目&赤 だから 蛇宗教ができた はじめにうちゅうじんありき じゃなくて はじめに太陽崇拝教ありっつーこと

蛇神様(含レプティリアン)→太陽

こう(↑)じゃなくてこう(↓)

太陽→蛇神様(含レプティリアン)

同p221
蛇は神官シャーマン 南方稲作文化
龍は王権 北方畑作文化


フェイド大帝‏@FeydoTaitei
カバラ文献だとエデンにいたのは
ラクダ
なんだけどね。

蛇ネタは多分、中国の龍山文明
からパクって来たんだろう。
あそこから発掘された工芸品が
豚龍(ズーロン)と言ってウロボロス
さんにソックリ。
蒼天航路の孔子の怪物「貪」に
も瓜二つ。

一番古い中国の遺跡の龍の
絵はどう見ても「鹿
」。

中国文明の前身のシベリア
シャーマンの霊獣が鹿
だったから自然な流れだろう。

もののけ姫のシシ神も
鹿
みたいな奴だったな。w

knznymmmy@knznymmmy
同p222
南方の稲作文化では龍は新参者なので地位が低い
例えば苗族の神話では最高神は太陽を運ぶオンドリ
次が山の神ムカデ
次が水の神=龍


ちなみに北方では龍は最高神
苗族の伝承には龍が人身御供を要求するので
ムカデorムカデに変身した若者が
退治したったったという話がある

これさ・・・首里城の展示品思い出した

首里城にさ、昔の水軍か何かの絵巻みたいなのがあって
そこででっかいムカデを旗みたいに船に飾ってるのさ

ガイドさんによると寝ていた龍の鼻にムカデが入って
龍がひどい目にあったという
神話か民話があって
そのせいで龍の天敵はムカデ
らしい
もちろん龍=嵐を防ぐマジナイな

東京グールで主人公がムカデなのはアンチ竜か?)

・・・ちなみに今読んでる箇所は
翻訳者の為清勝彦が
翻訳者の身の程もわきまえずに
延々と100頁ほども勝手なコラムを書いてる箇所ね
デービッド=アイ君は今の所
龍についてはいまいち書いていない
為清勝彦は前も書いたけどさ
大本教臭いんだわ
生長の家とか系列のカルトかもしれないけど
だから龍とかなんとかね
飼い主様に布教しろと言われて一生懸命カルトの教えを
書き散らかしてるのかな



フェイド大帝@FeydoTaitei · 9月2日
八咫烏ってただのニワトリだぞ?

山咲吾浪@gorow9 · 2012年1月8日

長江中流域で長江文明を担った彼等苗族は雲南省でシ眞(てん)王国を拓く。苗族の集落の真中には蘆笙柱を立て此の柱の上には東を向く鳥が止まっている。また祭祀に鳴らす銅鼓の中央には太陽が彫金されている。ハシブトガラスを守護神とするインディオ部族の神話では烏が太陽を盗んで人間に齎すのだ。
竹田義男@take35c · 2013年11月30日

日本人のルーツの1つ苗族→稲と鳥と太陽の道 http://1000ya.isis.ne.jp/1141.html 

フェイド大帝@FeydoTaitei
太陽の塔に似てるだろう?
苗族のトーテムポール。
天辺に乗っかってるのが八咫烏さんだ。
巻きついているのは龍です。

「半沢直樹」の監督って、
一万円札の人の子孫なんだぜ!
知ってた?

よし、じゃあ良い子の皆んなは
東京証券取引所と三井家と
理研の歴史
について調べて
みようか!ww

kihitsu 木→火→土@kihitsu · 11月18日

「ミャオ(苗族)は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる。中国では55の少数民族の一つである」。


世界の歴史@sekaishiB_bot · 2013年5月29日

BC.2500 黒陶文化(遺跡の名前から龍山文化とも)。世界四大文明のうちのひとつで、黄河の中・下流域で栄えた黄河文明の後期。黒陶(黒色土器)や灰陶を特色とする文化。村落の規模が拡大し、邑と呼ばれる都市国家に発展していく。

knznymmmy@knznymmmy
蛇の目→太陽
蛇の目→赤
という理屈でいくなら日本の日の丸はレプティリアンの旗かwww

【定期】神道では日曜日の神様が天照大御神
http://bit.ly/UQzPO4
http://bit.ly/UQBDqn
一方ユダヤ教の聖日は土曜日
あれ? 神道ってユダヤ教じゃないの?
もしかして神道では土曜日より日曜日が大事なの?
それじゃまるでキリスト教じゃん♡

いるね。超能力としか表現できない事をやらかす人はいる
まぐれレベルでいいんなら凡人でも使ってると思う
「不思議だね」でスルーしちゃってる体験
おめーらさんだってひとつやふたつあるだろ?
それ本当に偶然の産物か?


私が気になって仕方がないのは
死んだ連中はなぜかこっちの世界が羨ましくて妬ましくて仕方がないらしいって事
こんなクソゲーのどこが羨ましいんだか?
何なら代わってやろうか?と言いたいが
死んだ後では「一方通行」に気づいても遅いんで
ダラダラしてるんだよな

死んじゃえば終わりなんだから・・・と思ったら
まさかの死んでも無限ループオチかよっていうね
ひとつ言えるのはこの世からあの世に行くのは簡単
だけどあの世からこの世に来るのは・・・どうなんだろう?

生まれ変わりって本当にあるのかねえ
私は有るとも無いとも言えないんで困ってるんだよな
板垣恵介がバキの単行本の扉で「人生は一度しか無いって事が本当に怖い」
云々書いてたけどさ、私は逆だよ。
こんなクソゲー何回もやらされるのかと思ったら
それほど怖い事はない


鹿も角があるな
ぐぐったら
http://matome.naver.jp/odai/2138482865059056601/2138483147062595803 …

>バフォメットを象徴する角がある鹿の
>(すべての角がある動物は、バフォメットのシンボルとして使われている
>画像を背景にして歌っている。

こんなのもある

フェイド大帝@FeydoTaitei

ユダ公の1日って午後六時スタート
なのよね。夕方から翌日の夕方
までが1日。
吸血鬼みたいな生活してるな。w

カバラ占星術がマニアック
過ぎて資料が手に入らん。
セフェル イェツィラーは
読み難いから、簡潔に
纏まってる物が欲しい。

植草一秀の新刊に日本の
政治家には専門の占い師が
着いていると書いてあってね、
算命学と西洋占星術が重要
だと言ってたもんでね……

安倍内閣は魚座と乙女座の
閣僚で固めてあると書いて
あったな。

爬虫類って毒持ってる奴以外は
基本無害で自分から積極的に
攻撃して来ないけどね。
蛇とかは一週間に一回しか食事
しないし、基本は巣穴にずっと
籠っている。
ストレスで拒食症を起こして
そのまま餓死したりもする。

アイクの言うレプの特徴は寧ろ
狼やライオン等の哺乳類の
方が近い



アイクは爬虫類について
何も分かってないよ


第一、中世ヨーロッパのドラゴン
って外耳(耳殻)が長いだろ?
この時点で爬虫類じゃない


(knznymmmy‏@knznymmmy
耳が長いって角か。
そこから蛇の分際で牛君になっちゃうわけだ


あと、儀式の様に毎日同じ時間に
同じ行動を取るのに異常に拘る、
脳が低脳だからと著作で述べている
けど、これも間違い。

そもそも爬虫類は変温動物動物
だから、日中の暖かい時に
日光で体を暖める必要がある。
体が暖まらないと胃腸の消化機能
も低下したままだから、餌も
食べれない。

また骨を形成するカルシウムを
直接骨の養分に変えれないから
紫外線を浴びて化学変換が必要。

必然的に毎日同じ行動パターンに
なる。夜は太陽が沈むからね。

同じ爬虫類でも夜行性のヤモリ類は
日光をそこまで必要としないから
夜間行動も出来るし、
リクガメなども紫外線灯で照らし
続けて体温も上げてやれば
夜エサを上げても食う。

後、爬虫類は自分の名前も
識別出来るし、飼い主と
他人の区別も出来る。

爬虫類に感情がなくて
冷酷だというアイクの説は
完全に間違ってるよ。

それにうちのカメは
ブリティッシュ野郎みたいに
悪質なストップ狩りは
絶対にやらないよ。
「缶入りの茶っ葉を買うのは
日本人ぐらいだ!プギャー!!」
ってバカにしないしね。

ネットで検索しても日本は
情動=脳機能の人が多いなー
最新の哲学だと↑の説って
数多くある仮説の一つに
過ぎないのだけど


フェイド大帝は「感情」は
脳で理解するものじゃなくて、
ハートで感じる物だと
思っているのだけど。

knznymmmy@knznymmmy
ムーンマトリックス5巻p279
人間は本来蛇であるゆえに祖霊蛇の領する他界から来て
他界に帰すべきものであって
その生誕は蛇から人への変身であり
死は人から蛇への変身である
日本人の死生観 吉野裕子著

ほう、そう来たか
俺が!俺たちが!ガンダムだ!

ムーンマトリックス5巻p267

人は自らの本体である蛇を外側に有る存在として誤認識するようになり
畏怖、崇拝するようになった。
これは自分自身を怖がるのであるから
深層意識での自己否定=精神病になる
この結果、宗教ができ、宗教が幽界を作った
(続き)死んでも神の世界に帰らず幽界
(想念が作っているので各宗教ごとにある)に留まるのだ
こうして何度も生まれ、死んでは
現世と幽界を往復するループに陥る事になった
======
確かに・・・悪霊付きとか死霊とか妙にヘブライ語やラテン語喋るって聞かない?

キリスト教なんぞ信じたばっかりに
成仏できないで下級霊としてハタ迷惑な存在になってんジャマイカと・・・

あれ?そういや、私、洗礼受けてるんだがどうすりゃいいのwwww

キリスト教が悪霊を産むなら、
みんな死ぬしかないじゃない!あなたも・・・私もっ


ムーンマトリックス6巻p23

我々が日常的に経験している世界は
基本的に同じことを反復するだけの
タイプループである。
我々が未来と呼んでいるものは結局過去となり
何度も何度も現在を繰り返すように回転している

・・・これ何ていうオートリバース説
??

ぞんべーたん私はね、
この世に誕生できる魂の数に上限があるんじゃないのか?って書いたの
で、死んだ連中はなぜか知らないがこの世に生まれたがっている
こんなクソゲーに参加したいとかお前らバカじゃねえのって
言いたいけど
んで、この世に定員があるのなら(続)

誰かが死ねばその分先に死んでる連中がこの世に生まれる
余地?可能性?が上がる
だから死者の霊とか下級霊なんて
所詮は「こいつ(=私ら)を殺してやろう」という
下心があると見ておかないといけない
以前エスパー魔美は悪魔憑きのアニメだって
説明したけどさ
エスパーとまではいかなくても占いが当たる
例えばコックリさんだのウィジャ盤だのが当たるってのは
勿論ただの偶然とか心理トリックとか色々あるけど
一部はそういう下級霊も関係すると思うから・・・
ところでさ、宗教=精神病であるからそのせいで幽界なんかができちゃったって説は前書いたけど
成仏---この世---幽界=宗教

こういう事?本来は死んだら成仏して肉体どころか
魂?も何もかもキレイサッパリしなきゃいけなかったのに
宗教なんか作るからあらぬ横道に脱線するバカが続出した
んで、死んでから自分の失敗に気づいた連中は
本来の道に戻りたいからこの世に生まれたいの?


いや、勿論こんな思いつきで書いた図なんか
大ハズレだとしても知らないけどさ
んでね、親族でも殺しに来る時は殺しに来るよ。
これは前ちょっと書いたけどヤバすぎるんで今回は省略
但し、親族だと情が移っちゃう事もあるんじゃないかなあ

珍説、もとい、新説・時間はオートリバースであるという仮説 ver0.9(2014年9月14日版)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sa6f3a
”以前も少し書いたのだが、私は
時間はカセットテープのオートリバースの状態で延々と再生と逆再生を繰り返している
しかも"今"は逆再生の最中である

と思っている。(確信しているというほどではない)

いや、オートリバースってのは便宜上の表現であって、
本当のオートリバースだと、A面の再生が終わればB面、
そしてA→B→A→B(以下略)だから、「逆再生」は出てこない。

私の言う内容は「A面を順送り再生」と「同じA面を逆送り再生」を繰り返すという内容だ。
B面が出てこない、というかそもそも存在しない。

A→B→A→B・・・じゃなくて
順→逆→順→逆・・・なので厳密にはオートリバースとは違
う。
リピート再生とも違うので、便宜上、オートリバースと呼んでみただけだ。

そもそもなぜこういう発想が出てきたのかというと
子供の頃、宇宙に関する本を読んで
その中でビッグバンが説明してあった。
そのへんが原点のような気がする。

そもそもビッグバンは、今、全宇宙のいろんな銀河が
物凄い勢いでバラバラに離れていっているから
「これってすんげえ昔は一箇所に集まってたの?」という考えが原点らしい。
で、その子供の頃読んだ本には
ビッグバンに関する3つの仮説が書かれていた。

(1) このまま宇宙は膨張を続け、どんどん真空に近づいていく
(2) 宇宙は膨張を続けるが、新しい星や銀河が生まれるので密度はあまり変わらない
(3) 宇宙は膨張と収縮を繰り返す

この(3)の仮説が今の私の考えに近い。
今は膨張の時代だが、超古代には収縮の時代があった
若しくは超未来には収縮の時代が来る、という仮説だ。

(その本自体、随分昔に読んだし、しかも当時としても、
そんな出版直後のピカピカの新品を読んだような記憶は無いので
仮説としては随分古いものだと思う。
というかインドあたりの宗教か何かにこういう考えなかったっけ?
ま、どっちにしても2014年現在、科学的に否定されていても知った事ではない)

しかし、宇宙が膨張の後、収縮するのは、まだおめーらさんも理解できるだろう。
呼吸みたいなもんだ。
広がって、縮んで、広がって、縮んで・・・と延々繰り返す訳だ。

だが、時間の流れまでもが順、逆、順、逆、(以下略)
というのは随分と珍説に思えないだろうか?
ましてや、今現在、私らの生きている、現在の時間の流れが「逆再生の最中です」
となると随分、無茶苦茶な話と受け取られると思う。

例えば、ヒヨコがニワトリに成長し、日々エサを食って、卵を産み、やがては死ぬ。
これが自然な流れだと私らは認識しているが、これが全く逆って話になる訳だ。

ニワトリの死体がムクムク起き上がって、ウンコや卵をケツから吸い上げて
口からエサを吐き出す。毎日毎日そんな珍妙な行動を繰り返すうちに
ニワトリがどんどん縮んでいって、ヒヨコになって、卵になって、
親鳥のケツに吸い込まれていく

これが本来のあるべき姿だという主張になってしまう。

「アホかバカか、メチャクチャじゃねえか」と言いたくもなるが
これが「メチャクチャである」と認識している、
その視覚、その思考、その認識そのものが現在「逆」なんだとしたら?
という話である。

では、そのような、現在とは逆の時間の流れがあったと仮定しよう。
存在を仮定するだけなら、別にいいだろう。
しかし、その奇妙奇天烈な「逆の流れ」こそが
「順送り」、「本来の姿」であるという根拠は何か?

ひとつの根拠は夢の世界では時間の流れが逆転しているという事である。

勿論、これは夢の中では
「ニワトリがケツから卵を吸い上げて口からエサを吐いている」
という意味ではない。
knznymmmyは、べつにニワトリの夢を見た覚えはないが
仮に見たとすれば、やはり「ニワトリはエサを食って卵を産む」はずだ。

いや、もうちょっと言えば、夢の中では、本来
「ニワトリがケツから卵を吸い上げて口からエサを吐いている」
世界ではあるのだが、
夢を認識する私らの一般の意識が「逆再生モード」であるので
認識が逆転してしまっている。
だからニワトリは夢の中でも「エサを食って卵を産む」ように見
えてしまうのだ。

では、夢が、どっち送りの再生であろうが、
一般の意識、つまりknznymmmyの主張・命名によるところの
「逆送りモード」でしか認識されないのなら、
つまりそれって、夢の世界の流れの正体と関係なく、
「現実世界と同じ」って事でいいんじゃないのか?
夢の中でもやっぱりニワトリは「エサを食って卵を産んでいる」
それでいいじゃん!

・・・という事にはならない。・・・なりません。

ある瞬間に、「やっぱり夢の中では時間の流れが逆転している」と確認できるからである。

これは、フロイトの著書に出てくる夢の例
でもあるし
また、似たような経験は私自身もしているとのだが
夢の中で起承転結があるストーリーを経験したとする。
その「結」で教会のベルが、ゴーン、ゴーンと鳴り響いてうるさいなあと思ったら
実は目覚まし時計のベルでした・
・・似たような夢は誰でも一回ぐらいは見ているだろう。

はい、ここ(↑)で、時間の流れが逆転しました。

なぜ、これが逆転であると言えるのか?
起承転結だからである。

夢の中ではデタラメな流れで話が進む事もあるだろうが
ちゃんと順番、ストーリーに整合性のある夢だってあるだろう。
今、それを仮に「起承転結」と呼んでいる。

「1」の次は「2」、「2」の次は「3」、「3」の次は「4」という合理的な夢だ。
「1」の次にいきなり「1兆」が来ちゃうような非合理的な夢は除外しての話だ。
そういう夢を起承転結のある夢と言ってもいいだろう。
そういう夢に対して、現実世界が介入する瞬間に
「ああ、夢の世界では時間の流れが逆転している」と認識できるのだ


もうちょっと具体的に書いてみる。

=============

起=プー閣下がオバマ君と殴り合いをしていました

承=ローマ法皇が「私が魅力的すぎるからって喧嘩はよくないわ。
 それに私、オバマ君ともうデキちゃってるの」と言いながら割って入りました

転=プー閣下は「アホかクソ坊主、テメーなんざこっちからお断りだ」と言って
 ローマ法皇にパンチを食らわしました。

結=ローマ法皇はぶっ飛んで行って、バカチンの教会の鐘に頭を打ち付けました
 ゴーン、ゴーンと音が響き渡ります「空っぽの頭はよく響くなあ、うるさくてかなわない」

 ・・・と、ここで目が覚めました「あ、ウルサイと思ったら目覚ましか」

=============

ほらね?時間の流れが逆転したでしょ?
え?どこで逆転したか分からないって?
始めっから逆転してるんですよ。
だからこそ「夢の世界は時間の流れが逆」と主張するんです。

では、仮に「夢の世界も現実の世界も同じ時間の流れ方である」と仮定すると
おかしい点が出てくる。
目覚まし時計をセットしたのだから、ベルが鳴るのはいいとして
なぜ、都合よく夢の世界にも「うるさい音」が登場するのか


ここ(↑)である。大事な事なのでもう一度。
整合性のある夢、合理的な順序の夢を見てる最中なのに
「あまりにも都合よく」うるさい音が登場するのって非合理的だよね?
という問題
提起だ。

起承転結の流れが、まるで、その「うるさい音」の登場を
始めから知っていたかのような、
矛盾の無いストーリー展開になっているのはどういう事か

という問題提起だ。

あまりに話の展開の都合が良すぎるのだ。
始めっから「結」を見越しての展開だから、出来すぎなのだ
目覚ましの事なんか寝ている間は忘れていて当然なんだから
本来なら、例えば・・・

起=プー閣下に悪の枢軸がジェットストリームアタックをしかけてきました。
  先頭はオバマ、二番手アベシ、三番手ネタニヤフです。
  まずは先頭のオバマ君を殴り倒しました。
承=続いて二番手のアベシを殴り倒しました。
転=続いて三番手の便所民ネタニヤフを殴り倒・・・・
結=なんか、いきなり、うるさい音がします 何?何? 何の音? 一体何事ですか?
・・・ハッそうか。目覚ましだ。

(一例として)こういう流れじゃなきゃおかしい。
「なんかいきなり」「なぜか突然」じゃなきゃおかしい。
起承転結の中に脈絡なく、目覚ましが割り込んでくる展開でないとおかしい。
そうでなく整合性のある流れとして音がするなら、
始めから音を想定して、前提として、脚本が存在したのか?
って事になる。

ではここで時間軸を逆にして考えてみる。
「起承転結」ではなく「結転承起」で考えてみる

オチをスタート地点として考えてみるのだ。

=============

なぜ、バカチンの教会の鐘がうるさいんですか?
 それはローマ教皇が空っぽの頭を打ち付けたからです
それはなぜですか?
 プー閣下が殴り飛ばしたからです。
それはなぜですか?
 ローマ教皇がキモい事を言い出したからです
それはなぜですか?
 ローマ教皇は喧嘩を止めたかったのです
それはなぜですか?
 プー閣下とオバマ君が殴り合いをしていたからです

=============

・・・ほらね。むしろ「結」の部分からストーリー展開を考えた方が自然。
音ありきでストーリーを考えた方が自然。
唐突な箇所、意味不明な箇所が無くなる。
という事で、夢の中では時間軸が逆に流れているという仮説が登場
した。
(いや、あくまでも仮説ですよ?)

目覚ましの音が鳴ってからそういうストーリーを展開させたのか?
普通に再生したら何十秒もかかる夢の場合だってあるだろう?
そこまで長い夢を見ている間に目が覚めるんじゃないのか?
・・・というのは愚問。時間は(少なくとも体感的には)伸び縮みをする。
例えば交通事故にあった時に周りがスローモーションで見えた経験。
実体験をした人は少数でも、話に聞いた事ぐらいならおめーらさんにだってあるだろう。
極度の集中状態では通常の処理速度の何倍もの勢いで脳が働くので
通常再生で認識すると「零コンマ何秒」が「何十秒」に感じられるのは別に不自然ではない。
ということは、寝ていて、視覚その他の邪魔がカットされている
ある意味非常に集中した状況下では、何十秒分の夢を零コンマ何秒で見ていても
これも不思議ではない


==============

では、仮にそうだとしても
夢の中こそが「順送り」で、現実世界が「逆送り」だという根拠は何か?
むしろ、現実世界が「順送り」で、夢の世界が「逆送り」だったりはしないのか?

これは、マイケル=ドロズニンの「聖書の予言」を読んだ時に出てきた一節なのだが
聖書の予言は「未来の予言は過去形で書いてある」という事が根拠のひとつだ。
だから、時間軸にとらわれない視点だと(それが神様かどうかはどうでもいい)
今の現実世界の流れは「逆再生」に見えるのか?という仮説になる。
(注:私は「聖書の予言」そのものはパチモンだと思っているし、
ヘブライ語は日本語や英語みたいな「現在形」「過去形」「未来形」とは
ちょっと文法が違っているのだがw)

amzn.to/1nZBV4s 他にもこれ。「リバーススピーチ」
なぜ「逆再生」すると「本音」「隠されたメッセージ」が 聞こえちゃうのか
そりゃあ、「逆」こそが「本流」だからじゃないのか?
また、赤ちゃんが意味不明な発音(喃語という)をしている時も
逆再生をしてみると「普通の」言語を喋っているケースがあるという。
つまり、人間は最初はリバーススピーチで喋る事を学習し、
次にそれを「通常の」「リバースのリバース」で喋るようになるのではないか


他にも聖書(創世記)には天地創造の時に
「夕となり、また朝となった、第○日である」と書いてある。
これもオートリバースの間接的な証拠になる。
そもそも論としてユダヤ教では日没が一日の始まりである。
だから「夕となり、朝となった」って、まず「夕方」を持ってくる
ちょっと違和感があるが、まだそれだけならいい。
しかし「一日」をヘブライ語では「ヨム」という単語で呼んでいる。
このヨムは「一日」であると同時に 「日中」を意味する。
・・・ここまで来ると明らかにおかしい。
まず夕方からスタートして、朝になった。
夕方から朝までの間はどう考えても夜じゃないのか。
なんで、いきなり「ヨム=日中」なのか


しかし私の主張する時間逆行説に従えば全然不思議じゃなくなる。
ニワトリがケツからウンコ吸い上げて 口からエサ吐き出す世界なら
太陽は西から昇って東に沈むはずなので、
(通常の認識で呼ぶところの)夕方→昼→(通常の認識で呼ぶところの)朝=一日
という事になる。
いや、そう考えればなぜ日没が一日の始まりなのかも非常に納得がいく。

よって時間を「超越できる存在」から見れば 現在、時間は絶賛逆再生中です。
そいつが神様なのか、牛君なのか、うちゅーじんなのか、んなこたーどうでもいい

他にもこれ http://fumio.music.coocan.jp/honoo0011.htm
>コルトーナ(Cortona)・教区美術館のテンペラの板絵「受胎告知」(Annunciazione)だった。
>15世紀のドメニコ会厳格派の修道士であり画家であった
>Beato Angelico フラ・アンジェリコ、俗名、グイド・デイ・ピエトロ、の
>1433年頃描いたと宗教画である。
>回廊に座って聖書を読んでいたマリアのもとに大天使ガブリエルが
>舞い降り、救世主キリストの受胎を告知する。
>ラテン語で
>「聖霊が汝に臨み、いと高き者の力が汝をおおうであろう」と上下二行に分けて書かれ
>マリアの返答
>「わたしは主のはしため。おことばどおりこの身になりますように」が、
>その間になんと上下逆さまに記されている。
>天使のことばは順方向で書きマリアのことばは逆に書いたのはなぜだろうか。
>それは天上の神に読まれるためということである。
>人のことばは天から見れば逆になるらしい。
>それがフラ・アンジェリコ流の絵の中に声を取り込む方法だった。

ほらね。天使ってのが何者なのか、処女懐胎が本当にあったのか
そんな事はどうでもいい。アッチの世界からコッチの世界を見ると逆に見えるのだ。

このリンク先は太陽=エル=AR → 逆にすればRA=ラー
月=ミューア=MUA → 逆にすればAUM=オーム等なかなかおもしろい。
(注:言っておきますけど、私は今でもキリスト教徒は嫌いですよ)

=================

と、いう事で時間の流れは、逆送りこそが本来の順送りであり、
しかも、夢の中では今でも逆送り(本来の順送り)であるという事になった。
(確定ではない。あくまでもそういう仮説が成り立つというだけの話だ)

さてさて、ではでは、順送りと逆送りがあるとして、
しかも、現実世界が今現在、(本来の意味での)逆送り中であるとするなら
「あれ?どこで逆送りに切り替わったの?」という事になる。
あるべき姿、本来の姿がまずあったからこそ、今が逆転なのだ。
つまりどこかに「ターニングポイント」があったのか?という事になる。
すると、この先だって、どこかに「ターニングポイント」があるんじゃないのか?
という仮説が出てくる。

ここで思い出されるのが太極図だ。
「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」という事。
「順送り極まれば逆送りに転じ、逆送り極まれば順送りに転ず
」という事だ。
これをひとつの喩えとして「オートリバース」と呼んだ。

するとここでつながるのが子供の頃読んだビッグバン仮説の(3)だ。
宇宙だけではなく時間も「陰→陽→陰→陽→・・・」を
繰り返しているんじゃないのか?という事だ。
(了)”

knznymmmy@knznymmmy
誰にも頼まれていないけど
オートリバース説の間接証拠シリーズ

刃牙道でさ、「意識は0.5秒遅れてやってくる」って
また出てきたじゃん?
おめーらさん頭の中で判断、決断をして
それからパンチなり何なり出すと思ってるじゃん?
それが逆だって事

はい、オートリバース乙!
つオートリバース説

もしかしたらガチで夕方こそが1日の始まりだったかもよ〜❤︎
今の1日→東に日の出→西に日の入
昔の1日→西に日の出→東に日の入

ムーンマトリックス 6巻p188
>振動の波と電気信号が「言語」に復号されて
>初めて我々の言葉になる
>よってイタリア人の霊媒は
>別世界との通信をイタリア語で解読し
>お下劣の霊媒は英語で解読する
ほう。そもそもデービッド=アイ君は ガセネタを多数並べてる疑惑濃厚なんだが ・・・それにしてもサッチャーの霊言とか言って しょっぱい英語で語ってたどこぞのダメ親父・・・いたよな。 大川隆法w

p190 右脳は並列処理(複数同時処理)
左脳は直列処理(順番に処理)
右脳では何もかも同時に発生していても
左脳では直線的な時間 これってさ、オートリバース説の時に書いた
何十秒の夢をゼロコンマ何秒で見ちゃう事の原因か?

右脳では複数の画像・場面を同時に見ちゃってて
それを左脳で再構成する時に時系列順に並べるから
何十秒になっちゃう? この再構成がうまくいかない状態が 「夢を見たけど内容は忘れた」って事?


p198 熱帯の果物を食べていた頃のニャンゲンは進化の頂点だったが そういう生活をやめた結果=エデンから追い出されて 退化する事になった こりゃーガセだな。 この理屈でいきゃフィリピンだの インドネシアだのブラジルだの 超人だらけじゃなきゃおかしいじゃん

ニャンゲンが本来のあるべき姿から逸脱している って所は同意だな だけどそれが熱帯のフルーツ云々 ましてやレプティリアン云々ってのは アイ君お得意の誤誘導だろう

p212 何かの行動をする時 脳の電気的活動は ニャンゲンが意識的にその行動を取ると決める前から 始まると科学的に証明されている オートリバース乙!

意志ってないんじゃないかな。意識的理由づけは何時も後付けってこと

sydneyminato‏@sydneyminato
私は「常識を棄てろ!」とは思わない。常識の役割をよく見た方がいいとは言える。常識を常識とするやり方は、誰がそれをプロデュースしているのかを見ていくとその本質へ辿り着く。常識とは見せ方と言い換えることができる。本質は変わらないのである。虚像の見せ方であらゆる印象を操作しているのだ。

虚像を使えば、実像をある角度からだけ見ていれば、きれいでご満足頂けますよというサービスが利いていることが分かる。ある角度とは何か?そこが最大の騙しどころである。その眺めから最高の状態をアレンジして、期待感を2倍にも10倍にも膨らませる訳である。落胆や怒りはそれに比例するといえる。
今多くの人々の中で?が付いていることは、「私あの人選んでない」とか「あんな政党推した覚えがない」ということだろう。お金にしても「何で自分は儲かっていない?」と思うだろう。そもそも騙されたのではなく、仕組みが自分達向けに作られてはいなかったのである。努力や反省で直るものですらない。
常に逆さまの論理性が利いているということと、出来レースが基本
であること。この二つだけでもない。不正もあるだろう。今あるのは多くの不信感を煽った上での揺り戻しだろう。これが最大にプロデュースされている虚像の目的である。日本政府がプロデュースしているのではない。世界政府の主催である。
私が分かるのは多くのストレスや不満を増長させる政治が行き届いているのは、よりその不満を潜在的に増長して最終的になるべく大きく爆発させる為に画策されている証しである。これが最大に爆発する時には日本政府が破壊されるかもしれない。主催は飽くまでも世界政府である。天皇家の血を引く安倍氏。

天皇家が何故出てくるのかといえば、それは間違いなく、世界で最も通用する家系の一つであるからといえる。そして、天皇家が担保している金の価格が世界の負債を今だに支えている。これはもう虚像そのものだが、それが虚像や大義名分であったとしても、崩れたら最後世界中の銀行が一気に潰れる仕組み。
天皇家は、赤十字社と関係があることは皆さんの方がよく御存知だろう。赤十字はテンプル騎士団と同じマークである。無関係?偶然?まあここから先は陰謀論に詳しい方の領域ですが、マークは単に付けられているのではなく国旗も含めて流れを表している。 pic.twitter.com/szglplVYJi

十文字といえばキリスト。キリスト教も同じマークである。十は十字架の十でもあるし、傾けるとXになる。クロスは傾けようがどうしようが戦いや衝突を表す。形が持つ形霊には抗えない様になっている。同じマークを付けた国はたくさんある。十やXの国旗は世界中にある。このことは偶然ではない本質だ。

何故日本がキリスト教のお祝いであるクリスマスパーティをするのかを今日思い返して見てもいいだろう。潜在的な刷り込みが必要だからというのも一つの答えだ。サンタクロースはUFOだろう。天皇家にもUFOが関係がある。一見非常識繋がりのことが裏では即暗号として行き交っているというのである。

非日常が世界の心臓部を席巻していることには殆どの人達は意識もせずにオカルトだと思って相手にはしない。即ちオカルトこそ秘密の隠し場所となっていると言い替えてもいい。盲点を突くには巧妙な罠が必要だからこそ、世間の目を覚まさない様に大胆であっても、この様な暗号をたくさん用いるのである。
何も信じないといっている人でも、オカルトは別な領域だと思っている。こと魔術に於いては、ゲームや映画の専門領域と思って決して真剣には捉えないのである。信じないといいつ、信じないことを信条にしてしまっては見えるものも見えない。信じないのは肩入れをしない為なら、見ることはしてもいい
筈。

何も信じない人が、信じない教に入信して、それが科学教であったりもする。科学は魔術の別名であるから、そこを見誤ると結局オカルト信者と同じ思考パターンにあるとも言える。公式・常識教とも言える。それは無意識の内にキリスト教信者であることの表明でもある。信じないとはそういう姿勢ではない

本当に何も信じないとは、全てのものを真っさらに見ることができる目を持つことである。盲点を作ることが信じないだとしたら、それは悟りからは最も遠い信じないである。分かりやすく言えば顕在意識的な信じないは誰でもできることである。全てを理解する為に肩入れしない姿勢の信じないは覚悟が必要


フェイド大帝‏@FeydoTaitei
3Dプリンターで全部作った
のかと思ったら、銃の一部
だけなのね……
それじゃ意味無いね……

いや、3Dプリンターで使う
樹脂だからABSだと思うけど
ちょっと強度が足りないかな?
と思ったので。

ま、どの道、銃の本体だけ作っても
弾薬が作れないから意味無いと
思うけどね。
日本の火薬類の規制は
半端ないよ?
ハミガキ粉とかでさえ火薬
の材料になる成分は抜かれてる
からね。

だから安倍ちゃんオススメの
弓にしとけって言ってるだろう。
s価のレゴラス君も強かっただろう?

銃の利点は火力と装填のしやす
もあるけど、一番の長所は
「飛距離」。
草原みたいな場所だとライフル
の長所を存分に活かせれる。

だけど、君達は日本国内で
闘いたいんだろ?
それも東京みたいな大都市だよな?
アサルトライフルを欲しがる
という事は野ウサギを捕まえる
目的じゃないと思ってるけど……
ド田舎で銃持ってもイノシシ狩り
しかやる事ないだろ?

東京は狭いから弓で十分さ。
弓なら総理大臣公認だから
問題ないだろ。w

あ、ちゃんとアメリカ製に
しとけよ?
後、鏃が重要だからな。
円高の時に買えば安く
調達出来るよ。


ところで日本のマスコミの連中
が相当パニクった事件がある。

「名古屋立て篭り放火事件」ね。

不払いに抗議したトラックの
運ちゃんが、客先の事務所に
ガソリンを撒いたら、引火して
ビルのフロアが全部吹っ飛んだ

アレね。

あの事件当時、日本のマスコミ
連中は相当ちびったらしいよ?w
ビビりすぎて脱糞した奴も
いるんじゃない?w

そりゃそうだろ。あれだけ銃や
火薬を厳しく規制しても、
一番身近なガソリンで霞ヶ関を
吹っ飛ばせる事が発覚したんだから
。w

それに実質上ガソリンは
とりしまれないだろう。
車とか全部廃止にする
のは無理だから。

でもトヨタの水素燃料電池
の車が普及したら、
ガソリン取り上げられるかもよ?

そもそも水素燃料燃料電池なんて
触媒に白金を使うからさんざん
採算が取れないって言われてた
のにね。

何で急に復活したんだろう?w

え?地球に優しいから!?ww

とある先輩の名言:
人間に優しくない連中が
地球に優しいわけないだろ



仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 10月26日

837 マーガンディヤよ、「私はこのことを説く」ということが私にはない。諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の偏見における過誤を見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎを私は見た(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 10月26日

839 「教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる」とは私は説かない。「教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも清らかになることができる」とも説かない(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 10月27日

846 ヴェーダの達人は、見解についても思想についても慢心に至ることがない。彼は宗教的行為によっても導かれないし、また伝統的な学問によっても導かれない。彼は執着の巣窟に導き入れられることがない(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 10月31日

884 真理は一つであって第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない。彼らはめいめい異なった真理を褒めたたえている。それ故に諸々の<道の人>は同一の事を語らないのである(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月10日

1033 世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月10日

1035 世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。気をつけることが煩悩の流れを防ぎ守るのである。その流れは智慧によって塞がれるであろう(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月12日

1076 滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。彼をああだこうだと論ずるよすがが彼には存在しない。あらゆる事柄がすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月13日

1078 世の中で真理に達した人たちは、哲学的見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。煩悩の魔軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、彼らこそ聖者である(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月13日

1099 過去にあったもの(煩悩)を枯渇せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執着しないならば、そなたは安らかにふるまう人となるであろう(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月14日

1119 つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、死の王は見ることがない(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月17日

5 実にこの世においては、怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 11月25日

100 無益な語句を千たび語るよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている(ダンマパダ)

159 他人に教える通りに、自分でも行え。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に制し難い(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 12月9日

227 アトゥラよ、これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。(ダンマパダ)


仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 12月10日

228 ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう。現在にもいない(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 12月13日

259 多くを説くからとて、それゆえに彼が道を実践している人なのではない。たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人、怠って道から外れることのない人、かれこそ道を実践している人である(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 12月15日

277 「一切の形成されたものは無常である」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 12月15日

278 「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 12月22日

365 自分の得たものを軽んじてはならない。他人の得たものを羨むな。他人を羨む修行僧は心の安定を得ることができない(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 12月24日

380 実に自己は自分の主である。自己は自分のよるべである。ゆえに自己をととのえよ。商人が良い馬を調教するように(ダンマパダ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 15時間15時間前

アーナンダよ、人間たるものが死ぬというのは不思議なことではない(大パリニッバーナ経,第二章 8)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words · 3月3日

846 ヴェーダの達人は、見解についても思想についても慢心に至ることがない。彼は宗教的行為によっても導かれないし、また伝統的な学問によっても導かれない。彼は執着の巣窟に導き入れられることがない
(スッタニパータ)

仏陀 ブッダ ことば 仏教@Buddha_Words • 12月28日
今でも、また私の死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、彼らはわが修行僧として最高の境地にあるであろう(大パリニッバーナ経,第二章 26)
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『チベット密教の本』(学研)『ワンピース』『東京喰種トーキョーグール』『さよなら絶望先生』『ねじまきカギュー』 

その内、ガイドライン(短い通史的なもの)を書きます。ユダヤというバイトを叩いてもオーナーのキリスト教が得するだけなのと、
メーソンの二つの派閥
(キリスト教変形OK=科学重視=最初の人類は黒人
 VS 
聖書絶対=キリスト教原理=最初の人類は白人)、
メーソンが生まれたのはカトリックの科学と異教弾圧のせいなのに、今はメーソンとキリスト教がグル=メーソン員は大半がクリスチャン=結局キリスト教の変形であること、
政党の構成団体のことがわかれば基本は卒業なんですけどね。

ツイートを他人に見えないようにするなど悪質なことがされる場合があるそうなので、新たな私のツイートをのせておきます。
タイムラインは操作されています。
ユダヤ人もユダ金もユダヤ陰謀論も日ユ同祖論もキリスト教の捏造。キリスト教が黒幕なのでキリスト教を黒幕とする陰謀論はほぼゼロ。
イスラエルの帰還法のユダヤ人の定義(耶蘇教製)は不合理。
①ユダヤ人が母←Xの定義にXは使えない。
②ユダヤ教徒←宗教で民族は定義不可。”

"ユダヤ人がいる根拠は聖書。ユダヤ陰謀論はキリスト教の伝統。
キリスト教が異教と科学を迫害したせいで科学研究する異教団体のメーソンが誕生。キリスト教の手先がユダ金とメーソンを悪魔と言うのは、悪魔=科学+異教だと言うとキリスト教が悪魔を産んだ大悪魔=黒幕だとバレるから。"

”あなたは大本教系と紅卍字会に逆らえる?
自民党
=米共和党日本支部+CIA+統一協会+耶蘇教原理主義+ナチ残党。
公明党(イルミナティの和訳)
=大日本皇道立教会派生の創価
(耶蘇教仏教部。聖教=耶蘇教)。
民主党
=EU日本支部+グラントリアン+ニューエイジ。”

”バチカンが科学と異教を迫害したせいでメーソンが誕生。
バチカンの弾圧から逃れる為に、科学研究する異教団体が秘密結社化し、その一つがメーソン。キリスト教の手先はメーソンを悪魔と言うことで、悪魔=異教と科学(メイソンの中核)を隠し、元凶のキリスト教を擁護。”

”科学研究する異教団体だったメーソンも今はキリスト教化してキリスト教とグル。イングランド+アメリカ系(プロテスタント)と、スコットランド+フランス系(科学重視の本来のメーソン陣営。でもカトリック)を両方含む英国が陰謀の中心の一つなのは確実です。英国王室の先祖は選帝侯。”

”紐付き陰謀論者が選帝侯=銀行家の親玉(キリスト教)に言及できないのは、ユダヤ陰謀論がバチカンと王侯貴族の創作だとバレるから。中央銀行支配の実務担当(=ユダヤ=キリスト教製弾除け係)のロスチャイルドの初代をスカウトしたのはキリスト教の貴族(後のヘッセン選帝侯)。”

”キリスト教が科学と異教を迫害したことがメーソンの起源で、反バチカンだったメーソンもキリスト教化されて今やグルなのは事実なのになぜそれを言うとブロックされたのやら。”

”秘密投票と民主主義は世襲制を存続させる為。選挙は記名にして投票行為に責任を持たせつつ票の移動を不可能にしないと駄目。背後にカルトがいない本物の改善者と、本物に偽装した紐付きの反対役(後で裏切る)を大衆は区別できないから支配者は選挙に行かせようとする。”

(”【教訓】「陰謀論界隈」とやらで、党する、群れる、ヘンに心を許した“仲良しクラブ”になるのは決して勧められないということ。仲良しクラブをつくりたがる者はハーメルンのなんちゃらである可能性あり。いいこと言ってこの指とまれ、そして一昨日に誘導ってね。”丸いずフェチ←@maruizufeti )

”群れると個人の思考力が低下するので操り易くなる。多数が関わると個人の思考力が弱ることを利用するのが選挙。本物の改善者の類似品を作っておけば(正論を言う役。当然裏切る)、洗脳奴隷は区別できないから本物に票が行かなくなる。不正をする為に選挙と民主主義を発明。”

日ユ同論はクリスチャン製品で、金を得るための企画です。
日ユ同祖論者は天皇の名前表記が漢字で、しかも聖書由来の名前がなく、皇族や貴族の他人に見せない日記ですらヘブライ語なんて使われていない理由を教えて下さい。


佐伯 好郎(さえき よしろう、明治4年8月1日(1871年9月15日) - 1965年6月26日)は日ユ同祖論の最初期の論者だが、単なる「企画」だった。クリスチャンであり、英語名はピーター・(ヨシロウ・)サエキ。
"1908年の論文「太秦を論ず」で発表された「秦氏=ユダヤ人景教徒」説は、古代日本の渡来人系有力氏族・秦氏の本拠地であった京都・太秦の地名・遺跡などを根拠としながらもほとんど語呂合わせ的なものであり[7]、当時の歴史学界ではほとんど相手にされなかった(現在も否定されている)。また彼の日ユ同祖論(日本人・ユダヤ人同祖論)を主張する人々からは、同祖論を学術的に根拠づけるものとして歓迎されたが、晩年、弟子の服部之総に「在来の、日本的に矮小な開発計画では駄目だ。ユダヤ人の大資本を導入してやろう。それにはユダヤ人の注意を日本に向けさせる必要がある」と、同祖論が単なる功利的な「企画」であることを語り、服部を仰天させた"
佐伯好郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E5%A5%BD%E9%83%8E

いつものことですが””のみなら、私のツイート
お遊び陰謀論がやりたい方は大本教系と紅卍字会と
SAGEグループと大日本皇道立教会と
選帝侯と、ユダヤ陰謀論を捏造したバチカンと、
仏教徒の天皇から神道カルト偽天皇へのすり替えと、
神道・神器・天皇が道教用語
だと言っちゃダメ! ”

プロフィールをこれに変えた後でフォロワーが減った気がする(気のせいさ!).

"キリスト教「自分がされたいことを他人にせよ」
孔子「自分がされたくないことを他人にするな」
は全く違う。自分がしてほしいことが他人がしてほしいとは限らないから。信者がしてほしいこと=異教徒の絶滅なので、信仰の押しつけによる侵略を推進するのに都合が良いのがキリスト教の聖書の黄金律。"

"①最初から従っている②途中から介入された③都合が良いので勝手に利用された。ニコ動や2ch(WASP至上主義・CIA・統一協会ネトウヨ)での中韓叩きに都合が良いネタが一部あり、利益も見込めるから採用されたのでしょう。③+名作+陰謀要素は少ないと判断。"←絶望先生について。

“世界をひとつみたいな●●●ースはつまらないのに人気ありすぎ。サブカル人気の魔物が人間食べちゃう漫画はぶっちゃけ面白いけど、何故か被害者の人間よりも加害者の魔物の方に同情しそうになる ヤバさがあります。さよなら絶望先生は面白いのにマスコミからはスルー。” ぴいぷう妖怪‏@pirorinpipipi

“出来レース?ワンピースの白ひげは悪魔の力で人工地震を起こす。白ひげの旗は卍から骨十字に変更。ポセイドンは海と地震の神。WASP至上主義(聖書絶対。ナチ残党を吸収)+CIA漫画。絶望先生は統一協会だから海賊=集英社マーク側。”

”絶望先生は面白いですが感情と分析を切り離すようにしております。櫻井や麻生らクリスチャン+統一協会的要素が強調されたり、ケルト系キリスト教のまどマギを作ったシャフトが何度もアニメ化しているように、WASP至上主義陣営だと判断。走れメロスはメーソン小説。”

魔物が人間食べちゃう漫画は東京グールかな?
東京喰種トーキョーグールについて少し。

グール(人食い)
VS
白鳩(=メイソンが好きな智慧の女神の象徴。人間)

主人公の金木研(カネキ)は半グール。左目(月側)だけグールの目(黒+赤)になる。眼帯で左目を隠して右目=太陽をだしている。上井大学(上智大学=イエズス会←狩る側。十字架)学生。

ヒロインの霧嶋董香(トーカ。「ラビット」)は右目=太陽が隠れていて、左目=月を出している。
月はグールの象徴なんですね。

店長=フクロウ=最強クラスキャラ。フクロウは智慧の女神(メーソンが大好き)の象徴。
店長の娘=隻眼のフクロウ=最強クラス(一つ目)。

亜門鋼太朗=人間側の主人公。未来の嫁のアキラに尻に敷かれている。
アモン=白人のためのイエス=ゼウス。アモン君って人間側の主人公だよね。
(もし半グールになったらどうなるやら)
十字を身につけている。

ちなみに、逆十字=聖ペトロ十字:キリスト教のシンボル
聖ペトロはイエスキリストと同じ方法で磔にされる価値は自分にないと考えたので、逆さに磔にされた。
悪魔の十字架には「∞」がある。悪魔の聖書からのもので硫黄の化学記号をベースにしてる
外国人「逆さ十字を悪魔崇拝の象徴だと勘違いしてる人が多すぎる」海外の反応
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/7410183.html

笛口雛実(ヒナミ)はかわいい(鍛えたら超強くなるね)。
月山習=変態。
「トレ・ビアぁん!」
「なんだこの味は!」
「舌の上で深く絡み合う!」
「ハ~モニイィィィ~!」
月山はカネキを捕食しようとするのですが、先にトーカちゃんがカネキをおいしくいただいて味わいます(意味深)。
カネキ「トーカちゃんはあの時僕をさんざん味わったじゃないか!」と将来言うかもね。
唐突に終了。

ヤングジャンプ繋がりで割と気に入っていたチベット系漫画を紹介(連載終了したけど)。

『ねじまきカギュー』の主人公はインドやチベットっぽさがありますよね。チベット仏教にカギュー派というものがあります。蝸牛=カタツムリの意味だけではありません。
でも作者はひも付きではないでしょうね。陰謀臭もしないし。
作者の色が前面に出ていて、万人受けはしない内容と絵柄(作られたベストセラーにはなりえない)。
戦闘するのは女ばかり=女性優位の内容ですね。
敵の理事長=ニーチェ+理性+感情なし。
QBみたい。でも主人公の先生に「愛を教えて殺る」されて愛を知って罪悪感で死にました。
ラスボスが完璧超人
多分、主人公とヒロイン死亡エンドで、輪廻転生したであろうエンド。
(※ネタバレ注意
漫画ブログ化した『そのスピードで』、そして生徒会長・衿沙
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1311.html
中山敦支『ねじまきカギュー』10巻 悪との対峙
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1466.html
中山敦支『ねじまきカギュー』15巻 長旅の前夜
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1869.html
中山敦支『ねじまきカギュー』完結 DNAを打つ
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1897.html
菅野博之『漫画のスキマ』
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1460.html)


今回はチベット仏教(チベット密教)についての読書メモです。

現在、チベット仏教の根幹が揺らいでいるんですよね。 ダライ・ラマ14世が、独ウェルト紙の会見で、彼の後継問題がらみで「チベット仏教の転生制度を廃止すべきだ」=輪廻転生を否定と述べましたから。
活仏制度なんて死人の権威を奪い取る、単なる洗脳と権力維持の為の道具
じゃねーか!


ダライ・ラマ14世の転生「廃止」発言 後継選定を主導したい中国政府「秩序損なう」と猛反発
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140910/chn14091021120007-n1.htm

チベット仏教(ラマ教。ラマ=師匠、上人)
=ボン教(土着伝統宗教)+大乗仏教+密教。
モンゴル・旧満州(中国東北)・ネパール・ブータン・ラダック
十三世紀サキャ派の高僧パスパが元の王室の帝師となり元に大きな影響を与える。
他に満州族、ナシ族、羌族などが伝統的にチベット仏教を信仰してきた。満州族から出た清朝の影響で、北京や五台山、東北部(満州)など中国北方にもチベット仏教寺院がある。

第一次大本教弾圧事件の後、出口オニ三郎は控訴審中に出獄し、満州に密航、張作霖の保護で大本ラマ教を創始しています。
チベット、満州、大本教をやたら重視するのが欧州王侯貴族


『チベット密教の本―死と再生を司る秘密の教え』 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 11号): 学研マーケティング (1994/12)

密教とは、三次元的な幻想に彩られた人の意識を、効率よく的確かつ速やかに破壊して、一気に本質的覚醒の境涯にまで引き上げブッダと成す(=即身成仏)ことを目的とした意識革命の教えである。
その心身に対する変化は、眼もくらむようなスピード感を伴い、具体的、劇的な変容を内包している。それゆえ、より強力な指導者が要求され、一歩間違えばこれほど危険な教えはないのである
。”105

あえて創造主を捜していくとすれば、それは自分の心です。そのあり方によって、さまざまな喜びや苦しみが生まれてくるのです。”
p.37

チベット独特の身体観↓
チベット・ヒーリング
http://mandalaya.com/tibe_heal.html

・密教とは、三次元的な幻想に彩られた人の意識を、的確かつ速やかに破壊して、一気に本質的覚醒の境涯にまで引き上げて仏陀となす(即身成仏)ことを目的とした意識革命の教え。

・ポタラ宮とは、観自在(観音)菩薩の生まれ変わりとされるダライ・ラマの宮殿である。

空…一切の現象は縁起によって生じ、固定的な実体はないとする。空は、すべてのものに実体があり縁を離れて独立して存在しているという迷妄を打ち破る考え。大乗仏教において般若経系統の思想の根本概念。ゲルク派(ツォンカパ。ダライラマ制度がある)では空性の理解を重視する。
外的な奇蹟を行うことは、人々に疑念を起こさせ、仏法から遠ざけてしまう可能性がある。よってゲルク派は古くから奇蹟を行なって人々に見せることは迷いをもたらす禁じ手とされている。

生命の風(ルン)
物質としての肉体が消滅しても意識そのものは滅びない。
生命の風(ルン)=意識は、
①生命エネルギー
②情報端末
の両面を持つ。生前の記憶(カルマン=業)などに関する情報や宇宙の巨大な情報系とも連絡している。
ルンはサンスクリット語では生気(プラーナ)と訳され、インドのプラーナが中国の気の元だという説もある


p.129のインドのクンダリニー・ヨーガによるチャクラと脈管の模式図にはチャクラを表す蓮華が七つある。みぞおちあたりにヘキサグラム=六芒星発見

・インドとその文化圏では、生命や意識活動を司る風(ルン)は、脈管(ナーディー)と呼ばれる通路を通って五体を巡ると考えられている。脈管はルンを全身に巡らせるための回路であり、そこをルンが流れて動いているうちは生命体に死は訪れない。脈管の数は三十二本だと伝統的に考えられているが、中でも重要な管が三本ある。会陰部(えいん=性器と肛門の間)から発し、脊髄に沿ってまっすぐ頭頂部に至る、中央脈管(ウマ)。
中央脈管(ウマ)の左右を走っている、左脈管(キャンマ)と右脈管(ロマ)。
・人が死に瀕すると、ルンは集約されて中央脈管に集まり、そのときの意識は第一の光明と呼ばれる真理の実相を直覚する。この段階で師僧(ラマ)による正しい導きが得られるか、生前の修行レベルが高度に達している人は、ただちに悟りを開き、生命の風は頭頂部に開いたブラフマンの孔から脱け出て解脱する。

・ニンマ派の『死者の書』
(中有=死んでから次の生に移るまでの中間的生、から輪廻の世界に戻らない方法を説くことが主眼)
とは異なり、
ゲルク派の『死者の書』
(ゲルク派では輪廻は免れ得ない絶対の法則といった色調が強く、解脱方法よりはインド仏教哲学をベースに輪廻の構造を解き明かすことが主眼。
瞑想やヨーガの技術で生きながらに死を体験・消化し、意識を仏の境涯に転移=ポワすることへの説明は口伝に属し、師の講義=シェーギュンにより秘儀が開陳されるらしい)
では風(ルン)や脈管(ナーディー)についての説明がより分析的になっている。
ニンマ派では生命の風(ルン)でひとくくりになっていた意識=生命連続体が明確にルンと意識の二要素に分けられている。
意識は認識することはできるが、動けない。
ルンは動けるが、認識はできない。
(頭部と首から下みたいなもの)
会陰部(えいん=性器と肛門の間)から発し、脊髄に沿ってまっすぐ頭頂部に至るのが中央脈管(ウマ)。
ウマの中心は胸(心臓部)にあり、そこには「上半分が白で下半分がの小さな玉」


がおさまっている。この上白下赤の玉は、不滅のティグレ(心滴)と呼ばれる輪廻の主体で、中には
非常に微細な意識と、
非常に微細なルンが封入されて眠っている。

・マニ車(マニぐるま):回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるそうです。
http://matome.naver.jp/odai/2137079002070963201

・転生制度をはじめて採用したのが、黒帽ラマ、トゥースム・キェンパ(カルマ・カギュ派の創始者)。
チベット仏教では、輪廻の原因となる悪い業(カルマン)を断って仏と一体化しない限り、輪廻転生の世界から逃れられる者は存在しないとする。
従って、人間界に生まれる者はすべて転生しているのだから未解脱者である。
例外が、既に解脱して輪廻転生から脱却しているが、衆生を救うという菩薩行を実現するために、繰返し生き替わり死に替わりして自発的に転生するとチベット民衆に信じられているのが活仏である。
本書によると、数千人は活仏が存在するらしい。
(いすぎ)
慈悲の象徴である観音の化身がダライ・ラマで最も高貴な転生ラマとされる。
ダライ・ラマに次ぐ高貴な転生ラマがパンチェン・ラマで、阿弥陀如来の化身とされている。
(ダライ・ラマ=観音が、ナチス+欧州系工作員。

欧州貴族が白人至上主義派閥を切る前。共産主義にDロックフェラーあたりがまだ協力していた時期は、ナチス=CIA系とは限らない。ロスチャイルドあたりのバチカン+欧州貴族の手先がナチスだから。
ニコニコ動画やら生長の家=大本教系やら2ちゃんやら自民党CIA統一教会ネトウヨが応援しているのはナチスの残党繋がりだからでしょうね。ニコ動ではヒトラー映画の嘘字幕ものが大量にありますよね。
慈悲(笑)

“自民党をナチに似てると言わないで。ナチスと世界は批判するけど、ナチ最大スポンサーのIGファルベンは、今の米国共和党の土台だし、連携した旧陸軍だって製薬界の土台。米国共和党のCIA資金が自民党を作り、統一教会が運営してきたわけで、GHQ情報参謀二部という起源はそのものなんだから。”
“改憲は、敵対してたGHQ民政局がこの憲法を作ったからと、その左翼思想が嫌いなだけ。だから、自民党支持者なら、どうどうと、ナチスの生き残りと自負しましょう。”
“GHQを憲法を作った民政局と、
CIAの起源になる情報参謀二部で、混同させてては、永遠に話は見えないよ。
対立してたの。文字通り右と左で。昭和電工疑獄事件とかね。”
村手 さとし@mkmogura

オウムの麻原はダライ・ラマとの写真を売り出しに使っていた。オウムに宗教法人格を与えたのは石原慎太郎元都知事。石原は霊友会。霊友会は日蓮宗で、そこから独立した立正佼成会は創価学会とプロレス中。創価と統一は新興宗教左派と右派でプロレス中。八百長カルト国家ニッポソ(苦笑)”
U@wayofthewind

“ダライ・ラマはナチスとつながっていた。オウムの麻原から献金されていた。一説にCIA工作員という情報まであるのがダライ・ラマ。”
加茂忍@daharsou

“中国でチベット族男性が焼身自殺 【河北 http://www.kahoku.co.jp/naigainews/201404/2014041601001435.html …
ダライ・ラマと習近平 【https://twitter.com/kenkatap/status/403080647301808128 …
ラマと習仲勲 【https://twitter.com/kenkatap/status/457295805045432320 …
ラマの家庭教師ハラーはナチ党員(党員番号:6307081)”
ken‏@kenkatap

イエズス会(王族・貴族+バスク)>シオニスト
ken‏@kenkatap

当時ナチスは何度もチベット探索隊を派遣しています。現ダライ・ラマの家庭教師はイエズス会から派遣されているはずです。ヒトラーの菜食主義もこのあたりがルーツのようです。”
/ヒラ/@punanny_chang

“訪米中のダライ・ラマ14世、「同性婚に問題なし」 【AFP http://www.afpbb.com/articles/-/3009918 …
▼同性愛嫌悪を非難
▼仏教徒が多数派を占める国で同性婚を認めている国はない
▼先月21日にはオバマとホワイトハウスで会談 (オバマ、ダライ・ラマ、共に、ノーベル平和賞受賞者)
ken‏@kenkatap

WASP至上主義CIA系派閥は、キリスト教原理主義=同性愛者は殺せと聖書に書いてあるから同性愛迫害。
よってダライラマは欧州系=同性愛容認+科学重視
(欧州貴族とバチカンの手先としてのナチス

と判断しました。
性に関しては妥協できないので、対立が顕著になり易いです。
WASP至上主義陣営=ネトウヨ=2ちゃん+ニコニコ動画などに、南朝偽天皇の正統宗教が、神道=和風キリスト教ではなく、真言立川流という仏教の異端派セックスカルトだと言ってみると、反応がキリスト教っぽくなること間違いなし


欧州貴族とバチカンの手先としてのナチス
欧州貴族に切られて白人至上主義に吸収されたナチス
この二つのナチスの見極めが大事です。


“武器輸出三原則:日米グローバリストが合作した偽善 【スロウ忍 http://surouninja.blogspot.com/2013/12/three-principals-of-arms-exports-of-japan-to-benefit-the-communist.html?spref=tw …
▼1967年武器輸出三原則=共産国にとって非常に有利なもの

▼佐藤栄作(ノーベル平和賞)
▼ジョンソン+裏方キッシンジャー(ノーベル平和賞) (米民主党の真髄=親中、反日)”

“プーチン大統領もノーベル平和賞候補、推薦数は過去最高の278 【ロイター http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA230AV20140304/ …
▼プーチン大統領のほかには
▼米当局の情報収集活動を暴露した米中央情報局(CIA)元職員のエドワード・スノーデン氏

▼ローマ法王フランシスコらが推薦されている”

“ノーベル平和賞受賞者 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E#2010.E5.B9.B4.E4.BB.A3 …
▼13年、OPCW
▼12年、EU
▼09年、オバマ
▼07年、アル・ゴア
▼06年、グラミン銀行
▼01年、国連
▼00年、金大中
▼90年、ゴルバチョフ
▼89年、ダライ・ラマ14世
▼88年、PKO”
ken‏@kenkatap

ロスチャイルド周辺の王侯貴族系が多く受賞するのがノーベル賞。武器商人とノーベルの関係などもあり、英米系戦争屋とも繋がっているだろうけどね。
“目玉おやじ(ホルスの目)でもありますね。 その団体は『鶴』もモティーフにしていたはず。 創始者の船越は東大で、現在は拓殖大閥中心みたいですね。 最大組織を除籍になったため、人離れが進行中のようです。”

日本の大きな武道団体、全日本空手道連盟、極真、少林寺拳法、合気道などは、旧満州閥と笹川良一マネー(統一協会含む)で始動しています。 剣道と柔道は、警察利権で自民党旧経世会寄り。 GHQによる禁武政策の影響が、このあたりにm見えてきます。”

“苫米地もベンジャミンもダライラマもオウムも、みんなお仲間なんですよね。 十年ほど前に、業界ゴロみたいな人から「ダライラマと写真を撮りに行こうぜ! 後々役立つから!」と声を掛けられたことがありました(笑) そいつの背後も、調べてみると統一協会系でしたね。”

フルコンタクトカラテは、故大山倍達・極真会館総裁の時代から、在日朝鮮韓国人が中心となってお送りしております。 日本中に張りめぐらされたネットワーク、おかしなことに使ってないよね?”

“極真の広告塔となった「空手バカ一代」の原作者・梶原一騎も在日です。 バカ一代のアニメを放映していたフジテレビとは、統一協会(勝共連合)つながり。 極真の大会もフジテレビ。K-1もPRIDEも最初はフジテレビ。 昔はいいドラマも作ってたんだけどな~(笑)”

極真は朝鮮半島系人脈ですが、創始者の大山倍達が南なのに、松井章圭は北だった。 それが分裂騒動の一因にもなったようですね。”

“大山は生前、松井に韓国籍に移るように何度も勧めたそうですが、民族教育を受けていた松井は頑なに拒んでいたとか。 大山自身も側近には「どうしても日本人が好きになれないんだよ」と洩らしていたり。 民族の壁というのは、途轍もなく大きいんだなと思わされたものです。 ”

“2ちゃんねるの“sage”は、SAGEの草が忍び込んでいる証だったりして(笑) トップページには、ちゃんと“壷”が表示してありますし(壷と珍味とメッコールといえば、統一協会) “国際ナントカ”グループとか名乗っちゃうような人は、ぁゃιぃ羽織ゴロばかり(笑)


“朝堂院大覚は大物右翼(笑)ですね。マイケル・ジャクソンに名誉五段を与えたり、佐山聡(初代タイガーマスク)や真樹日佐夫(梶原一騎の弟)を子分に従えています。いろいろと噂のある人物ですね。”
以上U‏@wayofthewind

本部と中枢メンバーを考えると空手は韓国の武術で、柔道はスイスの武術。日本の伝統=キリスト教と神道カルトが創りました!という意味。
大本教信者で紅卍字会員の植芝氏が合気道を創始していますよね


・“密教とは、三次元的な幻想に彩られた人の意識を、効率よく的確かつ速やかに破壊して、一気に本質的覚醒の境涯にまで引き上げブッダと成す(=即身成仏)ことを目的とした意識革命の教えである。
その心身に対する変化は、眼もくらむようなスピード感を伴い、具体的、劇的な変容を内包している。それゆえ、より強力な指導者が要求され、一歩間違えばこれほど危険な教えはないのである
。”105


神智学とチベットの関係は深い。
神智学を創始したヘレナ・ブラヴァッキーは、思想の源はチベットの奥地に住むマハトマ(大師)から送られてくる霊的通信だと自ら述べているほどだ。

ニコライ・リョーリフ(レーリヒ)は神智学メンバーでチベットとシャンバラについて紹介した。1929年にレーリヒは、パリ大学によってノーベル平和賞候補に推薦された(1935年には2度目の推薦を受けている)。
平和についての高い関心に基づき芸術と文化の「国際赤十字」となることを目標に掲げた『パックス・クルトゥーラ』を創設。

シャンバラの名を始めて西欧に告げたのは十七世紀のイエズス会の宣教師だが、現実性を帯びた紹介が始まったのはニコライ・レーリッヒ(レーリヒ。リョーリフ)なのである。
(シャンバラ!チベットに眠るとされる伝説の王国アガルタの首都!
http://takashi1016.com/shambhala-4996)

(●『黒魔術の帝国 ─ 第二次世界大戦はオカルト戦争だった』(徳間書店)
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha815.html)

(“神秘家が幻視した虹の都・アガルタ
 やはり20世紀の初頭、西欧世界では”異名のシャンバラ”ともいうべき、もうひとつの聖地伝説が噂として広まっていた。その名は、アガルタ---。
 フランス近代の神秘思想家、サン・ティーヴ・ダルヴェードルは、著者「インドの使命」のなかで断言した。
 「古代に存在したラム帝国の中心期間であったプラデッサの教団=精神的権威は、アナーキーの侵攻と迫害を逃れてインド奥地に避難し、アガルタという大学を設立した」
 紀元前1万2000年の昔の至高の精神性を備えたケルト人王国があったが、無原則な暴力的国家(アナーキー)に脅かされて遥かなアジアの地へと去ったというのである。
 世俗的には認知されてない異説だが、完全なオリジナルではなく、神智学ファーブル・ドリヴェが天界した理論を背景にして、その土壌の上にアガルタの実像を描き、「大学は壮大な地下帝国となって今も中央アジアに存在している」と主張したのである。
 驚くべきことに、彼の死後、中央アジアを探検したポーランド人作家、F・オッセンドフスキーが「動物・人・神々」のなかで、サン・ティーヴの説を裏づける発表をする。「卓越した文化と文明を誇る理想郷が地下帝国として存在し、”世界の王”と呼ばれる偉大な指導者によって統治されている」と。
 さらに、フランスの神秘思想家、ルネ・ゲノンが、その表現をタイトルにした「世界の王」を刊行して大いに賛美し、アガルタの名は神秘主義のなかに定着したのである。
 やがて、レーリッヒの書が世に出ると「アガルタの首都がシャンバラ」等の解釈によって、次第に同一視されるようになっていく。
 また、やはりこのころ、パンチェン・ラマ3世がある経典をもとにして著わした、「シャンバラへの道案内書」が西欧に翻訳紹介され、人々の目は”神秘の国チベット”に向きはじめた。
 そして、東洋の未知の理想郷への過剰な期待とたくましい創造力は、作家や思想家の手によって次々と新奇な作品を生み出した。
 R・ディクホフの「アガルタ---虹の都」では「太古の昔、金星人の侵略から逃れた火星人が地下に作った大帝国」とされ、B・リットンの「来るべき民族」、J・ヒルトンの小説「失われた地平線」も名を挙げた。後に肥大化したシャンバラ幻想はアンドルー・トマスらの宇宙考古学者により、SFを凌駕するほどの存在となるのである。p90”

チベット密教の本
地球人スピリット・ジャーナル
http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200704150002/

“非常に多くの姿で表される観自在のうちで、チベット、ネパールで最もポピュラーなのが六字世自在(観自在)だ。「六字」とはチベットや中国でも非常に有名な真言、「オーム・マニ・パドメ(ペメ)・フーム」(オーム、宝珠と蓮華よ、幸いなれ)の6つの音節を指す。p203「観自在」”
http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200809080000/

“「シャンバラ関連年表」

       中央アジアに理想郷伝承。

       チベットにシャンバラ伝承。

 987年○ロシア正教会の神父セルギウス、ベロヴォディエを探索に向かい、行方不明となる。

 
1043年○セルギウス帰還。

1000年代○「時輪(カーラチャクラ)タントラ」編算。

 1627年○イエズス会ステファン・カセラとジョン・カブラル、中央アジア探訪、「XEMBALA(センバラ)」の情報を得る


 1775年○パンチェン・ラマ3世、「シャンバラへの道案内書」を著す。

 1871年○ブルワー・リットン「来るべき民族」を著す。

 1875年○ルイ・ジャコリオ、カルカッタで理想郷「アガルタ」の談話採集。

 1860年~1870年代○ブラヴァッキー、チベットの大師(マハトマ)より霊的通信を受け取る。さらに彼女は、理想郷アガルタとシャンバラ、ヴリルを融合させる。


 1885年○サン・ティーヴ・ダルヴェードルのもとに奇妙なアジア人一行が訪れ、アジアの理想郷「アガルティ」の情報を著す。

 1886年○サン・ティーヴ「ヨーロッパにおけるインドの使命」を著す。

 1888年○ブラヴァッキー「秘密教義(シークレット・ドクトリン)」を著す。

 1920年○オッセンドフスキー、アジア旅行。「動物・人・神々(1922年発行)」を著す。

 1925年○ディクホフ「アガルタ」を著す。

1930年代○二コライ・レーリッヒ、中央アジアとヒマラヤを探訪。「シャンバラ」を著す。                 p99”
チベット密教の本<4> 死と再生を司る秘密の教え )

(ナチスとチベットの妖しい関係
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha200.html
画像のある引用元を見る方がいいです。
“■■第1章:ベルリンのチベット人死体の謎
 (中略) 
●その日、連合軍の兵士たちは、東ベルリン地区の壊れたビルの中をパトロールしていた。隠れているドイツ兵を摘発するためであった。
彼らは崩れかけた部屋を一つ一つ見て回った。1階のある部屋に踏み込んだ彼らは、そこでSS(ナチス親衛隊)のマークを付けた7人のドイツ兵らしい死体を発見した。ありふれた光景だった。変わっている点といえば、6人の死体が円を描くように横たわっており、中央に1人の死体があることだった。彼らはそのまま通り過ぎようとした。

●しかし、そのとき兵士の1人が、死体の様子がおかしいことに気付いて、仲間を呼び止めた。
彼らは改めて7人の男の死体を眺めた。円の中央にあおむけに倒れている男の両手は祈るようにしっかり組まれていた。その手には不気味な「緑色の手袋」がはめられていた。しかし何より彼らを驚かせたことには、男の顔がまぎれもなく東洋人、それもチベット人のものだったことである。中央の男ばかりではなかった。ドイツの軍服を着てはいるが、周りの男たちもみなチベット人であった。
「これは、いったい……」
連合軍の兵士たちは、説明のつかない目の前の光景に声も出なかった。
ただ明らかなのは、チベット人たちは、殺されたのではなく何らかの儀式的な自殺を図ったらしいということだけだった。
それらの死体は、いずれもドイツ軍の制服を着てはいるものの、認識票もなければ、身分証明書も所持していなかった。遺体は整然と地面に横たわり、それぞれが儀式用の短剣で自分の腹を貫いていたのである。

●この事件を皮切りとして、ベルリンの至る所で、数百体にものぼるチベット人の死体が続々と発見された。
また、ヒトラーが自殺したとされる日以降も、ベルリンにおいて最後まで頑強に抵抗する部隊があったが(特にベルリンの通信管理センターでの戦闘は激しかった。全てが倒され、最後の死守がなされていた)、この通信管理センターの廃墟から発見された兵士1000人の遺体はチベット人だった。彼らはヒトラーの近衛兵でもなく側近でもないのに、最後の最後まで命を賭して戦っていたのである。

●これはコーネリアス・ライアンの『ヒトラー最後の戦闘』にも記述されている広く知られた事実である。いったいチベット人たちは第二次世界大戦下のベルリンで何をしていたのか? ナチス・ドイツとチベットの間には、どのようなつながりがあったのか? 謎は深まるばかりであった。そして、この謎の鍵を握っているはずの最大の人物アドルフ・ヒトラーは、ナチス帝国崩壊とともに姿を消しており、チベット人の死体の謎を解く手掛かりは何もなかった。
しかし戦後、ナチスの「影の部分」についての研究が進むにつれ、意外な事実が明らかになる。
その意外な事実はこれから少しずつ段階的に紹介することにします。
■■第2章:ヒトラーに思想的影響を与えたハウスホーファー教授

●カール・ハウスホーファーはドイツの代表的な地政学者である。
「地政学」とはイギリスの帝国主義者サー・ハルフォード・マッキンダーのひねり出したもので、植民地拡大主義を正当化したものである。ハウスホーファーは第一次世界大戦で数々の軍功をあげた将軍であり、大戦後はミュンヘン大学の地政学教授となった。そして彼は「ミュンヘン地政学研究所」の所長も務めた。
●ハウスホーファーは単なる著名な地政学者というだけではなかった。彼には秘教的な傾向もあった。
1908年から数年間、武官として日本に滞在したが、その間に禅の研究を行なった。また、その来日前、インドやチベットで諜報活動に従事しており、チベットでラマ僧から奥義を受けたと主張していた。
彼はベルリンに「ヴリル協会」といった秘密結社をつくった。この結社の目的は、アーリア人種の根源を探り、ヒンズー
教のクンダリニー・エネルギーに相当する“ヴリル”の気力を呼び起こすために精神集中訓練を行なうことだった。
ハウスホーファーは、“超人”の秘密を所有するチベットの結社と関係があると称し、イギリスの作家で神秘主義者のブルワー・リットンの、未来の超人種に関する著書『来たるべき民族』を字義通り受け入れていた。

●このミュンヘン大学教授のハウスホーファーはランズベルク刑務所において運命的な出会いをする。1923年、ミュンヘンのビヤホール暴動に失敗して捕らえられていたアドルフ・ヒトラーとの会見である。この会見は、ヒトラーの片腕であり、ミュンヘン大学で教授の教え子でもあったルドルフ・ヘスの仲介によって実現したのであった。
ハウスホーファーは毎日のようにヒトラーを訪れては、ユダヤ人によるドイツ支配を崩し、優秀なゲルマン民族によって全世界が支配されねばならないと説いた。そして、オカルティズムによる世界征服という思想をヒトラーに植え付けた。そしてヒトラーに『我が闘争』の執筆を勧め、共同執筆者となった。(ヒトラーは1924年12月20日まで刑務所に収容されていたが、ヒトラーへの待遇は極めて寛容なものであった。『我が闘争』はその間に執筆されたのである)。
こうして、ハウスホーファーは1920年代にはヒトラーの政治顧問を務め、同時に、「トゥーレ協会」の黒幕ディートリヒ・エッカルトに次ぐ、ヒトラーの第2の“秘教助言者”となったのである。彼は「ドイツ総力戦研究所」の所長に就任し、彼が発刊した雑誌『地政学評論』はナチス政権の政策・理論の基礎として重用
された。
(中略)
ハウスホーファーはヒトラーに
『我が闘争』の執筆を勧め、
ヒトラーの政治顧問を務めた
●なお、ハウスホーファーはナチ党員にはならなかったが、ヒトラーに対して援助は惜しまなかった。
ヒトラーはハウスホーファーとの出会いののち、ミュンヘン大学へ聴講に行き、ハウスホーファーの尽力で大学の図書館に通いつめ、独学で収蔵されている図書の多くを読破してしまった。これをみたハウスホーファーはヒトラーに次のように言っていた。
「君は人が4年かかってもできないことを、わずか1年でやり遂げた。君は素晴らしい天才であり、全ドイツ国民が君を求めている。」

ハウスホーファーやその他の「ヴリル協会」のメンバーの後押しにより、ナチスは何度もチベットに調査団を派遣することになる。1926年から1942年まで毎年派遣された調査団は、チベットの僧侶に接触し、深い関係を築きあげていった。1926年頃には、ベルリンとミュンヘンにちょっとした「チベット人区」ができあがっていた。1929年には、チベットの海外本部がドイツに設立され、ベルリン、ニュルンベルク、ミュンヘンに支部が開かれた。
だが、チベットはナチスに全面的に協力したわけではなかった。ナチスに協力してくれたのはチベットの一派だけで、彼らはドイツでは「緑の男の会」として知られた。これは数百年におよぶ日本の「緑龍会」
との強いつながりから来ていたという。

●ベルリンでは、ヒトラーは「青衣の魔術師」とも「緑の手袋をした男」とも呼ばれるチベット教団の指導者と定期的に会っていた。透視力と予知力に定評のある僧侶で、新聞紙上でドイツ議会で選出されるナチスの代表議員を三たび正確に予言した。更にヒトラーがドイツの指導者になる正確な日付ばかりか、第二次世界大戦が始まる日付まで予言した。
この正確な予言がオカルトに興味を抱くナチ党員の間でたちまち広い関心を呼び、ヒトラー同様ヒムラーもまたチベットのラマ教に強い関心を抱くようになった。そしてベルリンにオカルト訓練カレッジを開設して、SSの幹部に特に魔術課程をとるように命じたのであった。

●なお、「緑龍会」とは、ハウスホーファーが日本駐在の武官時代に入会した秘密結社である。
「緑龍会」の会員たちは人間に内在する神秘能力を修行によって開花させようとしていたらしい。また、この会の起源はチベットにあったという。そしてハウスホーファーは「緑龍会」に入会を許された
、たった3名のヨーロッパ人のひとりだったという。この「緑龍会」所属の7人の会員がドイツの会にも参加していたそうだ。
この「緑龍会」に関しては不明な点が多く、その存在自体を否定している研究家もいるが、いずれにせよ、日本にひそかに伝えられている何ものかを汲み取ろうと試みていたことはまず間違いない。実際、ハウスホーファーの日本理解は驚くほど深いのである。彼は流暢な日本語を話し、日本に関する著書をたくさん残している。
 
●ハウスホーファーが日本に関して書いた本は、まず『大日本(大いなる日出ずる国)』(1913年)。そして次が『日本の地理的闡明におけるドイツ人の分け前』(1914年)。後者はミュンヘン大学の哲学の学位論文として提出され、彼は最高の栄誉をもって地理学、地質学および歴史学についての学位を得たのであった。
陸軍を退役後、ミュンヘン大学の講師となってからは、著作活動が盛んになり、『日本帝国』(1920年)、『日本の国情』(1921年)、『日本帝国の地理的発展』(1921年)、『日本及び日本人』(1923年)、そして大著『太平洋地政学』(1924年)などと続いた。
特にこの『太平洋地政学』は岩波書店や青年外交協会から翻訳刊行され、日本でも多くの識者に強い影響を与えた。例えば、マルクス主義経済学の平野義太郎や歴史学の信夫清三郎といったそうそうたる学者を擁した「太平洋協会」が設立されたし、京都帝国大学の地理学教室を中心としたグループは地政学に転向し「日本地政学宣言」なる旗揚げまで行なったのである。
 
 (引用者註。画像は引用元にてお願いします)
(左)『大日本(大いなる日出ずる国)』。
(右)昭和17年に岩波書店から出版された『太平洋地政学』。
いずれもハウスホーファーの著書である。
 
●ハウスホーファーの著書のほとんどは日本を対象としているが、なぜ日本なのだろうか?
ハウスホーファーによると、日本人たちの間における、あの不思議な一体感に大いに関心を持ったという。日本民族はその島国的な生存圏に対するあらゆる危険をテレパシーのように敏感に感知する能力を持っていると、彼は言う。このような一体感はドイツには欠けていた。それはナチスがドイツ民族を集団化させるのに、宣伝にいかに苦心したかでも分かる。
また彼は、20世紀が大西洋文化の窒息状態からの解放であるとしたら、太平洋という呼吸空間を柱としなければならないのは当然と考えた。アメリカやイギリスが大西洋的国家から転じ、植民地政策により太平洋的国家へ変身しようと望んだのは、先見の明というものだと感じていた。当時のドイツは、この西洋列強による太平洋分割競争に乗り遅れていたため、今後太平洋に討って出るためのドイツの戦略として、彼は地政学的に太平洋の“高気圧”とみたてた日本の動きを重要視していたのである。

●なお、彼は、日本民族の起源を南太平洋の「海洋遊放民族」に求め、その最初の国家は瀬戸内海地方に建設されたと主張していた。太平洋=大洋州の各地の“天地創造”がそれを裏付けていると、彼はいうのである。更にかつて太平洋は「中心の盆地」であり、日本人の祖先である海洋民族はインドの島々からアメリカ大陸の太平洋海岸地方にまで、結合的な文化圏を築いていた、と推測していた。

●ハウスホーファーは、第二次世界大戦への日本の動きにも理解を示した。佐藤信淵の「世界征服計画」の一部を肯定するのだ。
例えば満州ヘの進出は、“日本国民の生活圏に対するあらゆる危険をテレパシーのように感知する能力”がしからしめた賢明な戦略であった、と評価する。日本は満州と経済ブロックを組んで力をたくわえ、ゆくゆくは中国とインドを含む「モンスーン諸国」のリーダー格となって、その自立と発展をはかるべきだ、とまで主張したのだ。当時の日本の「大東亜共栄圏」講想に、遠くドイツから地政学による理論的支柱を贈ってきたのである。
だが、なんのために? 現代のハウスホーファーの批判的研究者もその点を指摘している。
曽村保信氏は著書『地政学入門』の中でこう書いている。
「なぜドイツの陸軍軍人だった彼が、本職をなげうってまで、太平洋の地政学に心魂を傾けるようになったのか? これは、やはり解きがたい一種の謎である。」

●ただここで注意しなければならないのは、ハウスホーファーは当時の日本の生活圏拡大の動きに理解は示したが、その全部に賛成したわけではないという点である。地政学的観点から、満州の日本による秩序化までは認められるが、それ以上は侵略であるとともに、全く勝ち目がないと日本軍部にアドバイスしていたのである。
1936年に日本とドイツの間で「日独防共協定」が締結された際、ドイツ側の功労者として、ハウスホーファーは日本政府から勲二等瑞宝章を授与され感謝された。しかし、その翌年の夏、日本軍部が盧溝橋事件によって日中戦争(支那事変)に突入し、上海・南京を占領して、ハウスホーファーの助言を裏切る形に出ると、彼は在日のドイツ武官を通じて、この無謀な侵略を中止するよう警告していたのである。
 
(左)1940年9月、「日独伊三国軍事同盟」がベルリンで結ばれた。日本代表は
松岡洋右外相。来栖三郎駐独大使、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相、
チアノ伊外相がこれに署名した。 (右)三国軍事同盟祝賀会。
 
●彼は日本は大陸より太平洋に目を向けよ、と強調していたのであるが、同時に地政学的には日本とドイツはソ連と提携しあうのが必須だと考えていたようだ。そのため、のちにヒトラーが彼の地政学的主張を無視する形でソ連侵攻を開始(1941年6月)すると、ハウスホーファーのヒトラーに対する影響力は決定的に低下したのであった。
このハウスホーファーとヒトラーの関係悪化の状態は、ずいぶん前から始まっていたようで、1937年にハウスホーファーが日本に再来日した際には、ナチス本部から日本支部に秘密指令が出されており、その内容は「彼の歓迎を極力控えるようにし、しかも滞日中の動静を逐一ベルリンに報告するように」というものであったという。

●ちなみに、ハウスホーファーの息子アルブレヒト・ハウスホーファーは、1944年夏、ヒトラー暗殺計画に関与した罪で、レフルトレスラッセ刑務所で他の大勢の容疑者と一緒に処刑された。彼のポケットからは、次のような言葉を書きつけた紙片が見つかったという。
「わが父は、悪魔の息吹きを意に介さず、かくして悪魔をばこの世に解き放ちたり」
ハウスホーファーは、この息子の事件および彼の妻がユダヤ系という2つの理由で、全ての地位を剥奪され、ナチス当局から監禁状態の生活を余儀なくされるようになったのであった。


●さて、最後に、ハウスホーファーが日本で入会していたとされる「緑龍会」のことだが、個人に課せられた使命に失敗すれば、「緑龍会」の会員には儀式的な自殺が求められていたという。実際、ナチスの「使命」に失敗したあと、ハウスホーファーがやったのもまさにこれだった。
ナチス・ドイツ崩壊後の1946年3月10日、ハウスホーファーは、妻を道づれに毒(砒素)をあおって死んだ。(このとき日本流の「ハラキリ(割腹自殺)」をしたと主張する研究家がいるが、真偽のほどは定かではない)。
彼の埋葬地には十字架も墓石もない。彼が抱いていた秘密は全て、彼の死とともに消え去った。ハウスホーファーはヒトラーが自分の意図した方向から徐々に外れていき、暴走していくのを目にして、彼に「知識」を授けたことを大いに後悔していたのではないだろうか。
■■第3章:ナチスと「来たるべき民族」伝説

かのカール・ハウスホーファーが夢中になっていた本に『来たるべき民族』があった。
彼はこの本をヒトラーに貸し与えたが、案の定、ヒトラーもまた夢中になった。
この『来たるべき民族』は、1871年にイギリスの小説家ブルワー・リットンによって書かれたSF小説であるが、この物語はヒトラー世界観に決定的な影響を与えたのであった。この本は、チベットの「シャンバラ伝説」とナチスとを結び付けるうえで、非常に重要な役割を果たしたのであった。
●では『来たるべき民族』とは、具体的にどのような内容の小説なのだろうか。
ひとことでいうなら、地底に栄える高度な文明社会の秘密を描いた物語である

そこで描かれた地底民族「ヴリル・ヤ」は、もともとは地上に住んでいた民族の一部族だったが、大洪水などの天変地異を逃れて、山中の洞窟に避難し、最終的に地底に都市を建設するまでになる。そして、そこで凄まじい未知エネルギー「ヴリル・パワー」を発見したことにより、地上の人類より遥かに進んだ超科学を駆使するようになった。更に人々は「ヴリル・パワー」に基づいたサイキック能力を開花させるようになった。もちろん、この地底民族はいつまでも地底に住み続けるつもりはなく、ある時期が来たら地上に戻って、地表民族を滅ぼして地球全体を支配することを目的にしているという。
著者ブルワー・リットンは最後に、この恐るべき地底民族が地上に現れるのが、少しでも遅くなるようにという願いを書き付け、人類への警告として、この物語を結んだのであった。
『来たるべき民族』の詳しいあらすじは、別の機会に載せたいと思う。

●『来たるべき民族』が発表された当時、この物語の真偽を巡って、イギリスの秘密結社「黄金の夜明け」団の会員たちの間では何度も議論が行なわれた。著者のブルワー・リットンは、この物語はフィクションであると主張していたが、ブルワー・リットン自身、神秘主義に深く通じていて、実際に薔薇十字系の結社の会員であったという事情もあり、「黄金の夜明け」団の会員の多くは、ブルワー・リットンが実際に地底の超人たちと接触をもっているにちがいないと考えた。
この「黄金の夜明け」団ドイツ支部の草創期からのメンバーに、カール・ハウスホーファー
がいた。彼は軍人時代に参謀本部の一員として、インド、アジア、日本を訪れていたが、この時、アジアの神秘主義を深く研究し、「シャンバラ伝説」についても知識を得ていたのであった。彼は「地政学」のドイツの代表的エキスパートであったが、彼は「地政学」に独自のアイデアを加えて、ナチス政権の政策・理論の基礎として重用されたのである。

チベットの寺院に描かれた神秘的な壁画

アジアの神秘主義を深く研究したハウスホーファーは、
チベットの地底王国アガルタを中心とした中央アジア
地域こそ、ゲルマン民族発祥の地であると信じた
 
ハウスホーファーは、地底王国(アガルタ)は「瞑想の場、神の隠れた都市、世界のどんな人間も入れない場所」であり、その首都シャンバラは「その力が個々の人間や集団に命令を下し、人類が時代の転換点へと達するのを助ける町」であると述べている。
更にハウスホーファーは、アガルタを中心とした中央アジア地域こそ、ゲルマン民族発祥の地であると信じた
。そして、ドイツ人の究極目標は、この地域(ハートランド)を完全に支配することによって、世界をユダヤの支配から解放し、ひいてはゲルマン人による世界制覇を達成することであると主張するに至った。地政学の観点から「ハートランド」を制する者はすなわち世界の覇権を握るのである、と強調した。
この点で、ブルワー・リットンの『来たるべき民族』は、彼がアジアで得た信念と一致した。つまり、地底民族「ヴリル・ヤ」とアーリア人は共通の祖先を持つがゆえに、自分たちも全生命力の源泉「ヴリル・パワー」を用いる能力を持っているという確信であった。そしてその確信に基づいて「ヴリル協会」なる団体が組織されていたが、ハウスホーファーはこの団体にも参加し、重要な役割を演じていた。「ヴリル協会」はヴリルの制御技術を開発することを目的としていたが、彼はヴリルを自由に操る者が世界を制覇する、という『来たるべき民族』の思想を、そのまま信じていたのである。

●ハウスホーファーとヒトラーの運命的な出会いは、第一次世界大戦後のランズベルク刑務所であったことは、既に紹介したが、ハウスホーファーがヒトラーに『来たるべき民族』を貸し与えたのはこの時であった。
独房の中でページをめくるヒトラーは、強い興奮を覚えたという。ハウスホーファーの解説により、この奇書が事実に基づいて書かれたものだと知らされたヒトラーは、自分たちこそこの小説に書かれた「来たるべき民族」にほかならないと信じたのである。更に、1925年、中央アジアを探検したポーランド人の地理学者F・オッセンドフスキーの『獣・人間・神々』が出版されるにいたり、地底の超人たちの存在に関するヒトラーの確信は不動のものとなった。

●ヒトラーは学者たちに命じて、著者ブルワー・リットンの生活を詳しく調査させ、ブルワー・リットンが「ヴリル・ヤ」にいたる坑道を発見したと思われる鉱山の正確な場所、そして訪れた日時までを割り出させた。
一方でヒトラーは、シャンバラと深いかかわりがあるはずのチベットの僧侶たちを大勢ベルリンに迎え、彼らが受け継ぐはずのヴリルの技法によって、軍事政策を支援させようとした。彼らは、ベルリンの随所に配置され、ナチスの勝利を祈る儀式を行なったという。そして、ヒトラー自身も、政策を進める上で、高位の僧侶に意見を求めることがしばしばだったという。また、ヒトラーは軍事行動を起こす時、特殊なチベットの秘教カードを用いて、一種の易を立てたとも言われている。この方法は、ナチ党の母体となった「トゥーレ協会」で用いられたものだが、ヒトラーはこの易に熟達していたという。
また、アーリア人=チベット人起源説を実証するために、ナチスの科学アカデミー「アーネンエルベ」の傘下に「スヴェン・ヘディン協会」が設立され、チベットに調査団を送り出している

  
(左)「アーネンエルベ」本部 (右)「アーネンエルベ」のシンボルマーク

この組織の傘下に「スヴェン・ヘディン協会」が
設立され、チベットに調査団が派遣された

(スヴェン・ヘディンについては第5章で詳しく紹介します)
 
●このように、ドイツのチベット人グループとカール・ハウスホーファーは、ヒトラーから高い評価を受けていた。
だが、それは1941年までのことである。その後、ソ連軍がスターリングラードでドイツ軍を撃退し、戦局が大いに不利になると、ヒトラーはチベットの魔力を以前ほど信じなくなる。またヒトラーに対するハウスホーファーの影響力も低下し、もっと邪悪な人物フリードリヒ・ヒールシャーがこれに取って代わる。
フリードリヒ・ヒールシャーはハウスホーファーより更に高度の“魔術集団”に属し、一段上の秘術を身に付けていたという。SS長官のヒムラーさえも彼を恐れ、ヒトラーに次ぐドイツの実力者と述べたぐらいだ。ヒールシャーの冷酷な悪魔的な指導のもと、ヒトラーは急速に破滅的な道を辿っていった。
 
■■第4章:「シャンバラ魔国」説を作ったテオドール・イリオンの探検記

●1937年、ナチス政権下のドイツで、従来の善的なシャンバラ観を覆す衝撃的な探検記が発表された。
そのショッキングな体験記録は各国のラジオ・新聞などで大々的に報じられ、同じ年にドイツの出版社から本となって出版された。
著者はドイツの探検家テオドール・イリオンである。チベット領内に外国人がいることは違法とされていた1930年代初頭、この神秘なる地に足を踏み入れた数少ない西洋人の一人であった。
 

ドイツ人探検家
テオドール・イリオン

チベットの理想郷「シャンバラ」を
捜し求めて、1934年、外国人禁断
の国チベットに単身入国した
 
●テオドール・イリオンは1932年に「チベット踏査計画」に着手し、1934年にチベットに単身入国した。
外国人だとわかれば殺される恐れがあるので、顔と頭髪を茶色の染料で染めてチベット人に変装し、ロシア南東部から潜入したという。目的はチベットに伝わる楽園伝説「シャンバラ」の発見であった。
彼はチベット内で地下都市を探して2年も孤独な旅を続け、ついにサンポ渓谷に地下都市があるとの情報を耳にする。しかし村人はみな、そこには近づかないほうがいいと忠告したという。
「神秘の谷に行っちゃいけねえ。おらの仲間はあの谷へうっかり入り込み、帰ってきたが、口がきけなくなった。それに3歳もふけちまった。あそこは恐ろしいところだ。行かねえほうがいい。」
しかしそう言われると、逆に好奇心が燃えるのが探検家の心というもの。テオドール・イリオンは村人のそんな忠告を無視して、さっさと目的のサンポ渓谷(別名「神秘の谷」)に潜入する。

●サンポ渓谷の奥まで来ると、巨岩の壁が横に3つ並び、その壁の間を抜けると中央に大きな通風孔のようなものを発見。その通風孔を中心に、半径約100mの円上に等間隔に並んだ7つの木製棚があった。
ほどなくして、地下の出入口から木綿製の粗末なガウンを着たチベット人の集団が地上に出てきて、テオドール・イリオンは「ゾンビのような目」をした無表情な女に導かれて、地下の聖都へ入る階段を降りたという。彼女はこの地下都市には約100名の住人がいると説明したという。そして、翌日、彼は「光の王子」と名乗る最高位の人物と接見することに成功。この男は長身で白いヒゲを長く垂らしていたそうだ。
しかし、テオドール・イリオンは次第にこの地下都市が、聖なるシャンバラどころか、人肉食の習性を持ち人間の魂を奪い取る「闇の霊団」の国であると判断し、決死の脱出を図る。そして幾多の困難を乗り越えて、チベット潜入から2年ぶりに奇跡的生還を果たしたということだ(1936年)。
彼は地下都市には3日間しか滞在しなかったのだが、この3日間は数十年に匹敵するほどの思いだったという。

 テオドール・イリオンは、地下都市での恐怖体験を基に、
シャンバラは一般に想像されていたような「神の楽園」
ではなく、堕天使の世界だと主張するようになった
 
●このチベットでの恐怖体験が綿々とつづられたテオドール・イリオンの著書は、当時のヨーロッパで波紋を広げ、「シャンバラ魔国」説を作った。シャンバラは一般に想像されていたような「神の楽園」ではなく、堕天使の世界だというのだ。
しかしこの「シャンバラ魔国」説は長くは続かなかった。
というのも1941年から1991年の50年間、まるで封印されるかのように、著書は大英博物館に所蔵され、各国での翻訳の機会を失うのである。(※ 1991年、アメリカの世界的探検家デビッド・チルドレスにより大英博物館から掘り起こされ、50年ぶりに復刻出版された)。
 
テオドール・イリオンの著書
 
●一説に、ヒトラーをチベットに駆り立てたものは、このテオドール・イリオンの書いた探検記だともいわれている。
しかし、既にお分かりのように、ヒトラーのチベットへの関心はハウスホーファーによる影響が大であり、テオドール・イリオンが登場する以前からあった。また、テオドール・イリオンの探検記が発表された時期は、ちょうどナチスが政権を握った時期と重なり、毎年、ヒトラーによってチベット探検隊が組織されていた時期でもある。そのため、テオドール・イリオンの情報は、シャンバラを独占したいヒトラーが世界に対して仕掛けた「ニセ情報(情報操作)」との見方もあるが、真相は謎に包まれている。

■■第5章:20世紀最大の探検家スヴェン・ヘディンとナチスの関係

●ハートランド(中央アジア)を制する者は世界を制するとして、ナチスはチベットに対して熱い視線を注いでいた。ナチスはアーリア人=チベット人起源説を実証するために、チベットに調査団を送り出していた。
この調査団を組織するにあたって、ヒトラーは「アーネンエルベ」の傘下に「スヴェン・ヘディン協会」を設立したのだが、この協会に冠せられた「スヴェン・ヘディン」という人物をご存知だろうか?

●19世紀から20世紀にかけては、地球上の最後の地理学発見の時代であった。このような探検史の黄金時代、中央アジアを舞台にして、実に多くの探検家を輩出させたが、この中で、最も大規模に、かつ永い年月、その未知の自然解明に業績を挙げた人物がいた。
それが、20世紀最大の探検家といわれるスウェーデン生まれのスヴェン・ヘディンである。

20世紀最大の探検家といわれる
スウェーデン生まれのスヴェン・ヘディン
(1865~1952年)
 
当時、シルクロードを中心とした中央アジアは、唯一、地理学的に未開の土地であった。地上最後の地図上の「大空白地帯」であった。
スヴェン・ヘディンは、ここで「地図」を作成することに執念をみせ、幻の王国「桜蘭(ローラン)」廃墟の発掘、幻の湖「ロブ・ノール」の移動
の確認など、今でも20世紀最高の地理学的業績をあげた。彼は得意の素描画・文章を生かし、名著を次々と刊行。
世界各国から様々な賞を受賞した。
 
スヴェン・ヘディンの著書
 
●しかし、そんな輝かしいスヴェン・ヘディンの栄光も、チベット探検をめぐってイギリスと対立するようになると、次第に雲行きが怪しくなり、晩年は「ナチス信奉者」という烙印を押されてしまう。
彼は16分の1ユダヤ人だったが、現在においても、なおヘディンの名を語ることは、ヨーロッパ社会ではタブーであるという。
いったい、彼の身に何が起きたのだろうか?
何故に「ナチス信奉者」という烙印を押されてタブー扱いになってしまったのだろうか?
少し長くなるが、スヴェン・ヘディンとナチスの関係について紹介していきたい。
 
●20世紀初頭、インドはイギリスの植民地であり、更に領土拡張を狙うイギリスとロシアの両国は、残された大空白地帯「チベット」を巡って、激しい覇権争いを展開していた。(チベットは1844年以来、ずっとヨーロッパ人の侵入をはねつけてきた)。
また、当時のイギリス政府は世界の学問・産業・文化をひっぱっていく「大英帝国」としての誇りが強く、中央アジア探検の主導権は、当然大英帝国のアカデミズムにあるべきだと考えていた。
スヴェン・ヘディンとロシア皇帝ニコライ2世とは個人的な友人であった。スヴェン・ヘディンがチベットに潜入しようとした時に同行したコサック兵は、ロシア皇帝の全くの好意によるものであった。しかし、イギリス政府はスヴェン・ヘディンのチベット潜入計画をロシア皇帝の息がかかったスパイ行為とみなし、激しく激怒。外務省を通じてチベット政府に圧力をかけ、スヴェン・ヘディンのチベット潜入計画を阻止した。

●領土拡張を狙うイギリス政府は、その3年後の1904年に、チベットに対して大胆な行動に出る。インド軍と連合して、チベットの首都ラサに進駐したのである。このときチベットの法皇ダライ・ラマ13世はモンゴルへと逃亡した。このイギリスの軍事行動は世界中の非難を浴び、結局、イギリス軍は仕方なしに、兵をひきあげることになった。

●その後、スヴェン・ヘディンは、1906年に再びチベット潜入を試みる。イギリス軍の妨害をうまく避けながら、数千メートル級の峠を幾つも越えた。酷寒の中で地図を書き、スケッチをし、岩石標本を採集し、新山脈「トランス・ヒマラヤ」発見(1908年)という快挙を成し遂げた。この報は「地理学上最大の発見」とされ、トップニュースとして全世界に広まった。現代でもこれはスヴェン・ヘディン最大の業績といわれている。
だが恐ろしいことに、この時、イギリス政府はチベット政府に対し、「スヴェン・ヘディンを処刑すべし」との圧力をかけていたという。
そんな不穏な圧力に屈せず、なんとか無事にチベット脱出を果たしたスヴェン・ヘディンだったが、このあとイギリス政府による陰湿な「イジメ」が彼に襲いかかる。

●1909年、イギリスを代表する地理学の大権威とアジア探検家がずらりと肩を並べた「大英帝国王室地理学会対話集会」が開催された。
スヴェン・ヘディンの業績はこの公式集会において華々しい注目と喝采を浴びると多くの人が信じていた。が、この会のメンバーたちは、あろうことかスヴェン・ヘディンの業績に対して、屁理屈同然の言葉でこき下ろし、嘲笑したのである。いわく「トランス・ヒマラヤはとっくの昔に発見されていた山脈だったからこの会で発表する価値なし」と。
もちろん彼らは明白なウソをついていた。スヴェン・ヘディンの踏査以前には、「トランス・ヒマラヤ」はその両端のわずかな部分のみが知られていたにすぎなかったからだ。当然、その会に出席していたスヴェン・ヘディンはこんな屁理屈を言われて大激怒。必死の反論をしたが、多勢に無勢。

●スヴェン・ヘディンの20世紀最大の発見「トランス・ヒマラヤ」の名は、こうしてイギリスの地図から消滅してしまったのである。
更に決定的な反目により、スヴェン・ヘディンは「大英帝国王室地理学会」から除籍されてしまった。のちにはロシアとフランスの両地理学会からも、彼は除籍されてしまったのである。

●孤立を深めていくスヴェン・ヘディン……。
彼に暖かい手を差し伸べたのは、ドイツであった。1909年に「ドイツ・ベルリン地理学会」は、最高栄誉である「フンボルト金メダル」をスヴェン・ヘディンに与えたのである。幸いなことに、まだこの頃はナチスは存在しなかった。

●スヴェン・ヘディンとナチスが急接近したのは、スヴェン・ヘディンが再びドイツを訪れたときのことだ。このドイツ再訪は26年後の1935年に起きた。
スヴェン・ヘディンはその間、再び中央アジアへ探検に出かけ、幻の湖「ロブ・ノール」などを調査していた。そして、1935年に祖国スウェーデンへ帰る途中にドイツに立ち寄り、そこでヒトラーの出迎えを受けたのである。彼は探検の旅の長い不在によって、ヨーロッパ政局の激変を熟知していなかった。そのせいもあって、素直にヒトラーの祝福を受けてしまったのである。
彼は誘われるままドイツ全土で「中央アジア探検40周年」の派手な祝福を受け、更に門下の探検隊員を伴って、ドイツ国内91の都市で計110回もの講演を行なった。いたる所で大盛況のうちに講演は続けられ、更に隣国スイスやハンガリーにも足をのばしたのであった。
 
1935年、祖国スウェーデンへ帰る途中に
ドイツに立ち寄り、素直にヒトラーの祝福を
受けてしまったスヴェン・ヘディン
 
●もちろん、ナチス政権はスヴェン・ヘディンを純粋な気持ちで招いたわけではなかった。
彼らには彼らなりの政治的打算があった。
ナチス宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは、スヴェン・ヘディンがナチスの同調者となることを期待していた。彼にドイツ各地を調査させ、新生ドイツを客観的・学術的に擁護する「研究書」を発表させるための計画を進めていたのである。世界中に強い影響力のあるスヴェン・ヘディンの本なら、党発行のパンフレット数百万枚にもまさる効果があると考えていたわけだ。

第三帝国を演出したプロパガンダの天才
ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝大臣

ヒトラーの手足となって働き、当時の新しい
メディアである「ラジオ」を積極的に活用した
 
●しかし、スヴェン・ヘディンがまとめあげた研究書『ドイツと世界平和』は、ドイツに同情的ではあるが、ナチスの好戦的政策やユダヤ人に対する非人道的な扱いを穏便な形で批判する内容になっていたのである。
この内容にいたく失望したゲッベルスは計画を諦め、スヴェン・ヘディンがまとめあげた研究書は世界に向けて発表されることなく闇に葬られた。
これを機にスヴェン・ヘディンとナチス幹部との関係は冷えた。
これで彼はドイツとの縁も切れたと思った。

●しかし、時代の歯車は再び彼をナチス・ドイツに近づけることになる。
1939年9月に第二次世界大戦が始まり、フィンランドとノルウェーがソ連とドイツに侵略されると、隣国にあたるスヴェン・ヘディンの祖国スウェーデンは大変な危機感にさらされた。
スヴェン・ヘディンは、かつてヒトラーに直接会ったことのある男として、地元で注目を浴び、ヘディンの家には連日、多くの政治関係者が集まった。もちろんその中には、スウェーデン外務省の人間もいた。彼らは、スヴェン・ヘディンに直接ヒトラーに会ってもらって、スウェーデンを侵略する意図があるかどうかをさぐってくれることを要請していたのである。
スヴェン・ヘディンは彼らの期待に応えるべく、ドイツに行った。探検家から政治家へ──スヴェン・ヘディンは新しい人生をスタートさせたのである。
 
探検家から政治家へ、新しい人生を
スタートさせたスヴェン・ヘディン
 
●彼はヒトラーと直接会見し、ヒトラーにスウェーデン侵略の意図がないことを無事に確認するのに成功した。
この功績により、スウェーデン外務省から多大な感謝の意を受けた。
その後もスヴェン・ヘディンはナチス指導者と会談を重ね、ノルウェーの反独パルチザンの助命嘆願に成功し、24名のパルチザン兵士の命を救うこともできた。
この時、スヴェン・ヘディンは決してナチスのシンパになったのではなく、ナチスに接近することにより、自分なりの戦争阻止と平和の道を探っていたのである。

●なお、スヴェン・ヘディンが首都ベルリンを訪れた際、彼はそこでチベットの傭兵(グルカ兵)が訓練しているのを目撃して驚いている。当時、ヒトラーは同盟軍としてチベットの傭兵をベルリンに招き寄せていたのである。
スヴェン・ヘディンがヒトラーに対して、「チベット人は今回のヨーロッパの戦闘とは何の関係もないでしょう」と問うと、ヒトラーはこう答えたという。
「わがドイツ地政学をご存知のあなたなら、理由はいずれわかるはずです……」

●さて、1945年5月にナチス帝国が崩壊し、その後、第二次世界大戦が終結すると、不運なことに、世間の人々は手のひらを返すようにスヴェン・ヘディンを「ナチス信奉者」と決め付けて、本もろくに出版させなかった。戦後ヨーロッパでは、ナチス狩りの影響で、スヴェン・ヘディンの名を公で語ることは暗黙のタブーとなっていたのである。
そして、冒頭でも触れたように、そのタブーは今現在も続いているという。

●戦後、ずっと孤独な環境で堪え忍んで生きたスヴェン・ヘディン……。
彼が亡くなる直前の1952年の夏、彼のもとに、オーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーが慰めの訪問をしている。ハインリッヒ・ハラーは「生きている最後の探検家」賞をもらったことのある高名な登山家で、チベットでは1951年まで7年間、少年期のダライ・ラマ14世の家庭教師をしていた男である。ハインリッヒ・ハラーはスヴェン・ヘディンにおみやげとしてチベットに咲く花を手渡した。そして感動にうち震えるスヴェン・ヘディンに優しく伝えた。
「法皇ダライ・ラマは今でもあなたのことを覚えていらっしゃる」と。
それから数ヶ月後の同年秋、スヴェン・ヘディンはストックホルムの自宅のベッドで眠るように静かに息をひきとり、波乱に満ちた生涯を閉じたのであった。

オーストリアの登山家
ハインリッヒ・ハラー
 
●なお、既にお気づきの方もいると思うが、このハインリッヒ・ハラーは、あのブラッド・ピット主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のモデルとなった人物である。
ハインリッヒ・ハラーもまたスヴェン・ヘディンと同様に「数奇な運命」を送った。
映画の封切りを狙い撃ちして、ドイツの週刊誌『シュテルン』誌が、ハインリッヒ・ハラーは元ナチスの親衛隊だったことを暴露。そのため、既に終盤を迎えていた映画撮影は、冒頭部でハラーがナチスの党員だと強調して撮り直したのである。
(※ 映画は予定通りに公開されたが、アメリカのユダヤ人団体は、この映画のボイコット活動をした)。
 
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』
(1997年制作/ブラッド・ピット主演)
 
●チベット探検家として、登山家として世界に名をはせたスヴェン・ヘディンとハインリッヒ・ハラー……。
2人はナチスという時代の潮流に巻き込まれながら、ともにチベットにひかれていき、波乱万丈の人生を送った。いずれヨーロッパで、スヴェン・ヘディンに対するタブーが解かれる日が来るのを願いたい。
ちなみに生前、スヴェン・ヘディンは日本を訪問している。まだ若かりし1908年の時だが、そのとき明治天皇、乃木将軍、東郷将軍をはじめとする国を挙げての歓迎を受けている。
 
─ 完 ─ 
■■追加情報: シェーファーSS少佐の「チベット探検隊」について

●ヘディン研究家である金子民雄氏は著書『秘められたベルリン使節──ヘディンのナチ・ドイツ日記』(中央公論社)で、ヘディンとナチスの関係を正面から扱い、『文明の中の辺境』(北宋社)で、SS長官ヒムラーがチベットに送ったエルンスト・シェーファー(SS少佐)の探検隊について触れている。
 
(左)『秘められたベルリン使節 ─
ヘディンのナチ・ドイツ日記』金子民雄著(中央公論社)
(右)『文明の中の辺境』金子民雄著(北宋社)
 
●この本を参考に、以下、SS長官ヒムラーがチベットに送ったSS少佐エルンスト・シェーファーの探検隊について、簡単にまとめてみたいと思う。
※ 各イメージ画像とキャプションは、当館が独自に追加

エルンスト・シェーファーは、ミュンヘン大学で動物学、特に鳥類学を学んだ。
若い時に、アメリカのフィラデルフィア科学アカデミーが支援したチベット遠征隊に参加し、東チベットを調査旅行した。そして『神秘のチベットの調査と探検』と題した旅行記を出版。1936年にドイツに戻り、ヒムラーにかわいがられ、SSの探検隊をまかされた。
1937年と1938年には、2巻から成る東チベットと西部シナの旅行記が出版された。『知られざるチベット』と『世界の屋根』である。シェーファーはこの旅行記と報告書によって、若くして優れた探険家としての地位を確立した。(1942年には『神秘なるチベット』を出版)。
 
チベットの探検家エルンスト・シェーファー(SS少佐)
彼のパトロンはSS長官ヒムラーだった
 
●1940年3月、20世紀最大の探検家といわれるスヴェン・ヘディンはベルリンでSS長官ヒムラーと面会した。
ヒムラーはヘディンと挨拶を済ますと、シェーファーのチベット探検隊について語り始めた。
「ドイツの若い探険家ドクター・エルンスト・シェーファーが南チベットを探検し、見事に目的を達成して最近帰国した……」

●シェーファーのことなら、ヘディンは既に知っていた。ドイツで出版されていたシェーファーの旅行記を読んだことがあったからである。
しかしこの時の会談でヘディンを仰天させたのは、シェーファーの率いたチベット探検隊が、実はヒムラーの支援を受けていたという事実だった。しかも、このSSの長官が、はるか遠いヒマラヤの彼方のラマの国へ、これほど強い関心を抱いていたことなど、今まで想像もしていなかった。
 
 
(左)SS長官ハインリッヒ・ヒムラー (右)スヴェン・ヘディン

スヴェン・ヘディンはシェーファーのパトロンが
ヒムラーだったことを初めてヒムラー本人の
口から直接知り、びっくり仰天したという
 
●ヒムラーは、シェーファーと彼の仲間たちが、チベットのラサに40日間滞在し、貴重なフィルムを持ち帰ったことを誇らしげに語り、次のように述べた。
「シェーファーはイギリス側の入国禁止地帯と警戒網をくぐり抜け、シッキムとギャンツェの間のどこかで、うまくチベットに潜り込むことに成功し、チベットの首府に行ったのである。インドでは、彼はインド総督を訪問した。」
「今度、シェーファーにはこちら(ベルリン)に来るように言ってやり、チベットで撮影したフィルムをあなたにお見せするように知らせておこう。」
 
エルンスト・シェーファーSS少佐の探検隊とチベット人
 
ドイツからはるばるやって来た探検隊に、チベット人たちは友好的だった
 
●1940年11月、ヘディンはミュンヘンにあるシェーファーの調査研究所へ案内された。
この研究所でヘディンは、シェーファーがチベットから持ち帰ったチベットの儀式用の品々の標本や、ラサを写した素晴らしいカラー写真、そしてタシルンポやその他の寺院で撮影した記録フィルムなどを見せてもらった。このカラーフィルムにはチベットのラマ僧たちの所持品や儀式などが記録されており、儀式につきものの太鼓、ラッパ、横笛などを演奏する僧侶たちも撮影されていた。
ヘディンは大きな感銘を受けた。
 

チベットについて熱く語り合う
ヘディン(左)とシェーファーSS少佐(右)
 
●記録フィルムを上映しながら、シェーファーはいろいろと説明していった。そして2人はチベットについて熱く語りあった。
これが終わるとヒトラーの政治顧問であるハウスホーファー教授が、「今のような苦闘の時代、君のような輝かしい仕事をした有為の人は、ドイツにとって名誉あることだ」と、ベタ褒めの賛辞を送った。
翌日、ヘディンはハウスホーファー夫妻の別荘に招かれたが、家の1階部分は全て書棚で占められていたという。
 

ドイツの代表的な地政学者
カール・ハウスホーファー教授
 
●さて、ここから下は、ヘディン研究家である金子民雄氏の言葉をそのまま紹介していきたい。
金子民雄氏は、「ナチスのチベット探検」について次のように述べている。

「ヨーロッパ中北部に位置するドイツが、アジアの中央部チベットと関わりを持つというのは何か異様なことのように、思われるかもしれない。しかし、これは別に不思議なことではなかった。ドイツとチベットとは、20世紀初めから、探検や学術調査を通して、きわめて関係が密接だった。特にチベットの桃源郷シャンバラをヨーロッパに初めて紹介したのは、ドイツの古代インド学者のグリュンヴェーデルが、仏典から翻訳してから以降のことである。」

「ナチスはとりわけ中央アジアにとり憑かれていた。特に関心を持っていたのは、ナチスが古代インド、ペルシア、チベットから“転用”した彼らのシンボル・マークであるカギ十字との関わりからであるという。古代仏教の卍の逆卍がナチスのカギ十字である。
ナチスの似非科学、すなわち民族学的疑似科学によれば、アジアはアーリア民族の古い揺籃の地であり、ここにアーリア民族が隔離されて住んでおり、チベット人は民族的に見て“純粋”な種であるという理論である。雑婚していない原種というわけである。それにこのヒマラヤの彼方、チベット高原のどこかに、理想郷であるシャンバラが存在するはずであると彼らは信じた。これはジェームズ・ヒルトンが勝手に捏造した地上の楽園シャングリ・ラの原郷である。」

「SSの長官ハインリッヒ・ヒムラーは、ことのほか、このことに興味を抱いたのだった。世間では彼を学問もない無教養な人間に思いがちであるが、彼はちゃんと大学教育は受け、博士号も持っているインテリだった。しかし、彼の学問的常識が少し狂っていたのである。彼はオカルトの心酔者でもあった。
ヒムラーはナチスの高官になると、彼の考えを実行に移し出したのだった。そこで目をつけたのが遺伝学を専攻していたエルンスト・シェーファーだった。彼はミュンヘン大学で研究していた若い研究者だった。
ヒムラーは早速シェーファーをスカウトし、チベットの探検に派遣することになった。ただこの辺りがまだ十分公表されていないので、裏事情が分りづらいのであるが、シェーファーは親衛隊(SS)の少佐であった。」
 
チベット仏教の総本山「ポタラ宮殿」
 
●金子民雄氏は、更に次のように述べている。
「シェーファーのチベット遠征に参加したブルーノ・ベガーは、1937年、シェーファーがチベット探検に出かけるというニュースを聞いたとき、ベルリンで人類学を学んでいたという。多分、まだ20代の若者だったろう。しかしシェーファーとベガーがなぜ結びついたか。それは2人が、1935年、人種問題を含む科学的問題を調査するという目的で、ヒムラーが創設した親衛隊(SS)組織の『アーネンエルベ』の隊員だったという。
ヒムラーは、チベット人がスカンジナヴィア(北欧)地方から移住していった後裔であり、そこには失われた大陸アトランティスからの移民たちが建てた偉大なる文明が、かつて存在していたという
、まったく正気と思えない妄想にとりつかれていた。この理論を証明しようというのが、ベガーだった。
ちょっと考えれば、これはもう正気の状態とは思えない。
ちなみに、チベット人は、日本人と同じモンゴル系であるが、ヒムラーは、日本人とドイツ人の祖先を同じ系統にしたがっていたという。当時、ドイツと日本は密接な関係にあったから。」
 
チベットを調査するシェーファーSS少佐(左)と民族学者ブルーノ・ベガー(右)

※ ブルーノ・ベガーもチベット探検家として有能な人材の1人
 であった。2人はSSの「アーネンエルベ」のメンバーだった


「アーネンエルベ」が発行した月刊誌『ゲルマニア』

ナチスの御用学者たちはナチスの世界観に合うように歴史を歪めた
 
●金子民雄氏は「ハインリッヒ・ハラー」の名前を挙げて、次のように述べている。
「ヘディンは、シェーファーのパトロンがヒムラーだったことを、初めてヒムラーの口から知ったのだった。のちにヘディンはシェーファーとも会い、旅行の実際のことも聞いたが、恐らくヘディンは、まさか彼がSSの少佐であることまでは知っていたと思えない。知っていたらいくらヘディンでも、いま少し用心して接していたはずだからである。ヘディンはシェーファーのミュンヘン大学にあるチベット研究所の名称に、ヘディンの名を使用することを強く要請され、断り切れなかったようだからである。戦後、ヘディンがナチ党員ではなかったかと疑われたのも、この辺りから出ている。」

「戦後になってヘディンは、ラサにいる未知の探検隊ハインリッヒ・ハラーから数通の手紙を受け取り、この返書をラサに宛てて出していた。自分を尊敬するこの若い旅行者ハラーすらもSSの下士官だったとは、夢にも思わなかったにちがいない。ハラーと共にチベットに滞在したペーター・アウフシュナイターもまがうことなきナチ党員だった。」

「ヒムラーのSSは、文字通り血の団結であった。隊員相互の信頼と秘密は鉄のような結束で固められ、守られていた。ナチスの中ではエリート中のエリートだったことを、ぜひ知っておく必要がある。
シェーファーが戦後、戦犯として一時身柄を拘禁されながら、別に罪を問われることなく、短期間で釈放されたのには、SSについての身分は取調べ側の連合国軍が、あえて深追いしなかったからであろう。ともかく彼の身分が世間に漏れなかったことだけは事実である。ここにシェーファー、ハラーとなにか連合国軍側との間の胡散臭さを感じるのは、私だけではあるまい。裏取引があったのではないだろうか。
戦後も50年以上たって、映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の制作がきっかけとなって、やっとハラーの身分が割れたのは、むしろ奇跡に近かったろう。旧SS隊員は、戦後も結束し合い、仲間の身元を不用意に喋ったりはしなかったからだ。」
 
 
(左)ハインリッヒ・ハラー (右)英紙『ガーディアン』紙を
飾ったハラーの暴露記事 (1997年10月29日)。
これより先に、ハラーがSS隊員だったことを暴露
したのはドイツの週刊誌『シュテルン』誌だった。


ダライ・ラマ14世と再会を喜びあうハインリッヒ・ハラー

ハラーは、チベットで1951年まで7年間、少年期の
ダライ・ラマ14世の家庭教師をしていた

 
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』
(1997年制作/ブラッド・ピット主演)

1939年秋、登山家ハインリッヒ・ハラー(ブラッド・ピット)は
世界最高峰ヒマラヤ山脈への登山に向かった。時悪く、第二次世界大戦の
ためにインドでイギリス軍の捕虜となってしまった彼は脱獄し、チベットへと行き着く。
チベットで過ごす日々が彼の荒んだ心に変化がもたらす。しかし、その生活も
中国人民解放軍のチベット侵攻によって終わりを告げることとなるのだった。

※ 内容が内容だけにチベットで撮影できるわけがなく、アルゼンチンで
 ロケが行なわれ、ポタラ宮殿やラサの街並みはセットである。

監督は、「薔薇の名前」「愛人/ラマン」で
 知られる名匠ジャン=ジャック・アノー。
 
●また、金子民雄氏は、現在のチベットが直面している問題(中国による侵略)にも言及している。
参考までに紹介しておきたい。

「映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』は、まず1939年、ナチスのカギ十字の旗がいたる所でひるがえるオーストリアの町(グラーツ)の街頭を、ナチ党の人たちに見送られ、むっとした表情のハラー夫婦が駅に向かい、列車に乗り込む場面から始まる。 〈中略〉
チベットの神秘性、その後の中国の武力侵入と、なんとか人権抑圧をテーマにしたい映画制作者に、最初の導入部からナチスのカギ十字を描くことは、この映画のイメージをぶち壊しにしかねない。しかし、ハラーの前歴が暴露された以上、こうでもしなくては収まりがつかなかったのであろう。映画制作者の苦悩が、ここからでも十分うかがえる。
アメリカで、この映画の封切り以後、どんな反響があったのか私(金子)にはさっぱり分からない。『タイタニック』の映画が人気を博した陰に隠れて、前評判ほどでなかったのが、むしろ好運だったかもしれない。またチベット人の人権抑圧を声高に批判するアメリカ政府が、別にこの映画で人権活動をスローダウンした様子もうかがえない。」 “)

ロシアのブラバッキーがシークレット・ドクトリンを出した二年後に
サン・ティーヴが『インドの使命』を発行し、アガルタを世に知らしめた。
ロシアのG・I・グルジエフという近代神秘主義の巨人も『注目すべき人々との出会い』にて中央アジアに古来の大いなる叡智を結集した聖地があると主張した。
ロシアは様々な分野でアジアとヨーロッパを結ぶ働きをしている。

(日本シャンバラ化計画という、オウム真理教が日本で樹立しようとしていた祭政一致の専制国家構想
があるのですが、関係あるでしょうね。
エヴァにも影響しているし。というか、エヴァとオウムのボスは同じでしょうね。
ハガレンの映画版にもシャンバラってもろに出てますよね)

――終了――

自分で自分の記事に拍手できるのかやってみたら、できちゃった。なお、複数回はできないようです。この記事の拍手数は一つ減らして認識してください。拍手が一つの記事は作者が自分で拍手したと思われかねないですね。
読書メモ  :  trackback 0   :  comment 0   

『古代秘教の本』の読書メモと、『アークザラッドII』の軽い分析と、お勧め受験参考書紹介:八柏龍紀『日本史論述明快講義』。メーソンは、フランス・ドイツ・スコットランド系(科学重視)と、イングランド・アメリカ系(聖書重視)とでは根本が違うので分けないとだめ。 

他の人には見えているのか不明
子子子子子(ねここねこ)@kitsuchitsuchi · 8月27日
神社が天皇を動かしたのは嘘。愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理した。仏教徒の天皇と本地垂迹説=仏教圧倒的優位、門跡寺院はあるが門跡神社はないことを隠す為に、神道=和風耶蘇教の儲のガーター勲章持ち偽天皇をクリスチャンが捏造

”価値を与えるマジック(魔術+呪術)
①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。
②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。
葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。”

“国学≒蘭学。
天皇家が関わる万葉集は漢字表記(日ユ同祖論は嘘)。
契沖は真言宗僧侶で徳川光圀がスカウト。
国学の四大人
荷田春満(伏見稲荷の神官)
賀茂真淵(春満の姪が妻。春満門下)
本居宣長(伊勢出身。真淵門下)
平田篤胤(和風クリスチャン。宣長の没後門人)”

陰謀論初心者は有名サイト(キリスト教系)を読むのでユダヤ陰謀論(キリスト教の伝統思想)を注入され善意の工作員となる
エジプトに注目させるのも真の中核思想のインド・イラン思想に至らせない為。
日ユ同祖論は神道の元ネタが道教と耶蘇教なのを隠す為。故に道教・インド・イラン系陰謀論は希少。”

日ユ同祖論とユダヤ陰謀論というキリスト教が流すデマ情報を喧伝しまくっているのが、大本教系カルトです

ここで突如脱線し、まどマギに関する未来の記事が開示される。

まどマギは、フレームがキリスト教。
魔女が敵=キリスト教。
杏子は明確にクリスチャン。
少女を生贄に捧げる話。
一人の少女=女版イエスの生贄により世界は救われたとさ。
鹿やケルト十字から考えるとケルト系キリスト教寄り。
とはいえ、まどかが変身するときにメイソンのサイン(手で△又は直角定規+コンパス◇作って片目で覗きこむ)をしていることや、特にQBの一つ目監視から分かるように、メーソンも後援団体です。

メイソンの派閥対立で分析すると面白い。
メイソンを語るときは、
有色人種容認派のグラントリアン(フランス)+スコットランド+ドイツ系
(科学重視。百科事典作成して広める。本来の反キリストの要素あり)

有色人種全滅派のイングランド+アメリカ(WASP)系
(聖書は絶対に正しい)
で分けないといけません。思考の出発点が全然違うのでごっちゃにしてはいけません。
紐付きキリスト教系陰謀論者はこの違いを指摘せず悪魔主義とか言いません。
キリスト教視点での悪魔=科学+百科事典+異教徒
というメーソンの根本を言いたくないから(つまりメイソンのひも付きでもある)です。


QB=感情ゼロの完全なる理性と合理主義
  =真の意味で理性的存在(メイソン本流とイルミナティの理想)。

(感情がある人間としての壁)

悪魔ほむら
=グラントリアン+スコットランド系メイソン(+ドイツ)〔もどき〕

「もどき」なのは、もはや理性で感情を統御しないから。
キリスト教的(まどか的)不変的全体愛(秩序)の否定。
個人的欲望(独占愛)の肯定。
・文明(科学技術)の象徴(ほむら=火は文明の象徴)。なのでOPで砂漠を緑にできる。
なお、まどかも砂漠を緑にしてもおかしくないので、両者共に砂漠を緑にできるということ。
(ノンクレジットOPで白いドレスほむらと同じ格好で手首に白い紐を巻いているまどかが冒頭に登場。まどかが砂漠を緑にしているように見える。手だけ映すことで両者を同時に表現しているのかもしれない。
映画館放映版やクレジットありのOPだとドレスまどかが出ないので、ほむらが砂漠を緑にしているとしか判断できない)

・科学研究する異教徒というメーソン本来の姿勢の体現。
「悪魔」とはキリスト教視点における「異教徒」「科学」「個人的欲望」。
ドイツ語→ニーチェ「神は死んだ」→ゾロアスターはかく語りき。
暁=黄金の「夜明け」団。暁の空には金星が観測できる。
暁の空の星=明けの明星=金星=ルシファー(キリスト教視点)。
「暁」「美」「焰」すべてルシファーを形容する言葉。
後付けだとか偶然の一致だとか適当に名前決めたとか嘘やごまかしは勘弁してほしい。
例えば、名字が「石屋」のキャラの由来は何ですかってきいてもまともに返答するわけないでしょ。
石屋は大本教などが使ったメーソンの訳語


ゾロアスターとほむら=火、とくれば、拝火教(ゾロアスター教)。
メーソンはゾロアスターを極めて重視した。
メーソンのモーツァルトは魔笛(ドイツ語の作品)にてゾロアスター(ザラスシュトラ)をザラストロとして登場させている。
メーソンのヴォルテールはゾロアスター教の研究を奨励した。

「永遠に女性的なるもの」(=まどか)
は『ファウスト』の最後の言葉からの引用。
作者のゲーテもメーソン。

同性愛肯定(百合)。そういえば魔女ほむら=ホムリリー(炎の百合)。
聖書原理主義だと同性愛者は殺せ。

女神まどか
=女版イエス
 +鹿の神ケルヌンノス(ケルトの自然神)
 +ダヌ(ケルトの女神)。
自然(秩序)の象徴だが、自然のままにでは砂漠は砂漠のまま。

TV版と始まりと永遠の物語では、
英米系メーソン寄りの、フランス+スコットランド(+ドイツ)系メーソンとの混成的存在だったが、
叛逆の物語では、ほむらがフランス+スコットランド+ドイツ系要素を吸い取った結果、
キリスト教原理主義派閥の英米系メイソンに完全に変化し、アメリカ留学することになる。

メーソンは最低でも、
最初の人類は黒人(科学)派=仏+スコットランド+独 と
最初の人類は白人(キリスト教原理主義)派=イングランド+アメリカの
二種類に分けないと根本思想が違うのでだめですよ


一人の少女=女版イエスの生贄により世界は救われたとさ。
めでたしめでた……
めでたくねえ! ってのが悪魔ほむほむら、ルシファー以下略
唐突に終了。

忘れないうちに、私が今もたまに読む日本史の受験参考書をご紹介。

八柏龍紀『論考テーマ型日本史論述明快講義―「論点」の整理と「歴史」の捉え方』(旺文社)
・蓄銭叙位令の目的は流通を促す目的だとされているが、本当のところは財源の確保が狙いだったでしょう。

・岩倉具視(薩摩派)の政治ブレーンとなった平田派神官(国学者平田篤胤の流れをくむ神官)玉松操らは、神道の国教化をはかる運動を展開します。

・様々なことに応用可能な読み方を教えてくれる(読み方=知識や知恵や技術の抽出の仕方)。

国学者=アンチ北朝正統宗教の天台宗。
平田篤胤=和風クリスチャン。和風キリスト教の国家神道(天皇一神教)のモデルとなる平田神道を作る。
平田派神官=和風キリスト教信者。
という本ブログの用語変換知識を使えば、凄いことが書いていることがわかります。この本に出会えて使っている受験生は幸運ですね。

間違っても、超速日本史シリーズのような、国柱会(キリスト教仏教部)の石原莞爾やら、竹島は日本の領土だと平気で書く神主が著者のものは使っちゃだめだよ!


『古代秘教の本 - 太古神話に隠された謎の秘儀と宗教』学研マーケティング(1996/08発売)

・洪水神話で有名なアトラハシスでは神々は人間を労働用の奴隷として作った。千二百年ほどたつと、人間の数が増え過ぎて非常にうるさくなったので、世界の運行を司るエンリルは、人間を減らす為に疫病、旱魃、飢餓を起こさせた。人間は狼まで食うようになり、労働しなくなり、すっかり荒廃した。エンリルとエンキが人間をどうするべきかで言い争いを始め、結局、エンリルが洪水を起こし、エンキがアトラハシース(ウトナピシュティムの父親という)に警告して造船させ、特定の人間を救った。

・聖婚は、豊穣をもたらす愛と戦の女神イナンナとその夫ドゥムジの結婚に倣ったもの。バビロニア時代に入ると、女神イシュタルと夫タンムズと呼ばれるようになる。王がタンムズ役であり、女神の代理となって王と床を共にしたのが、女祭司あるいは神殿娼婦。ヘロドトスの歴史で記述されたバビロンの神殿での奇習によると、この国の女性は身分の高低を問わず、一生に一度は神域内で男に身を与えなければならなかった。「女たちはアフロディテ(=イシュタル)の神域の中で、頭の周りに紐を冠のように巻いて坐っている。……金を投げた男は『ミュリッタ様の御名にかけて、お相手願いたい』とだけ言えばよい」。
紐はイシュタル女神との繋がりを示すシンボルであり、ミュリエッタはイシュタルの別称。神殿売春はイシュタル女神の聖なる力を請う儀礼に始まっている。

・紀元前2500年頃、セム系のカナン人が地中海東岸(現在のレバノンからシリアにかけて)に幾つかの都市国家を打ち建てた。このカナン人はギリシア人からはフェニキア人と呼ばれ、このフェニキアと隣接したパレスチナの地を併せた地域は「乳と蜜が流れる地=カナン」と名付けられた。
1929年、シリア北部地中海沿岸のラス・シャムラ(古代名ウガリット)にて、紀元前14~12世紀に書かれた粘土板文書の神話において、カナンの神話と祭儀を知ることができる。
ウガリット神話の主神は、神を意味するセム語エルで、王とも雄牛とも呼ばれた。そのエルの地位を奪うのがバアル(穀物を意味する神ダガーンの子)。神々の王座に就いたバアルは「海の王子、川の摂政」であるヤムと対決し、鍛冶の神コシャル・ワ・ハシスに手渡された魔法の棒でヤムを倒す。ちなみにヤムはエルの長子で、地上の水を支配する神であるとともに、七つの頭を持つ龍、すなわち水に棲む魔物でもある。

(ヤムの項目は日本語版ウィキにはない。臆せずに〔尻ごみさせるのが支配者の狙い〕英語版ウィキを見ると、“Yam is the deity of the primordial chaos and represents the power of the sea, untamed and raging; he is seen as ruling storms and the disasters they wreak. The gods cast out Yam from the heavenly mountain Sappan (modern Jebel Aqra; Sappan is cognate to Tsephon. The seven-headed dragon Lotan is associated closely with him and he is often described as the serpent. He is the Canaanite equivalent of the Sumerian Tiamat, the primordial mother goddess.” http://en.wikipedia.org/wiki/Yam_(god)
Lotanという七つ頭のドラゴンと結びつけられた、同一視されたらしい。黙示録の龍の頭の数の元ネタですね。元ネタの根源は拝火教のアジ・ダハーカだろうけど)

七つ頭のヤムを退治して王宮を建てたバアルは、同じくエルの息子の死神モートの挑戦を受ける。が、バアルは冥界に降りて行き、殺されてしまう(バアルが地上から姿を消すと大地は干上がってしまう。豊穣をもたらすバアルを不毛をもたらすモートが殺したからである)。それを知ったバアルの妹であり妻でもあるアナトは、屍体を探して埋葬すると同時に、モートを捉え、切り裂いて畑に撒いてしまう。エルは繁栄をもたらす若き神バアルの甦りを願い、やがてそれは実現する。バアルは平和をもたらす、永遠(とこしえ)の王として君臨することになる。
エルの息子にして、不毛の死神モートに敗れて死んだバアルを弔い、敵を討つアナトは愛と戦の女神。メソポタミアではイナンナ、イシュタルとして知られていた大地母神である。
アナトは死神を探しだし、大地に新しい生命を回復させる。アナトがモートを殺害し、穀物のように吹き散らすことによってバアルが甦るのみならず、のちにヤムとモート(七年目に再生)さえ生き返って「海」と「冥界」を再び支配することになる。
(イナンナの冥界下りの七つの門のように七は聖なる数とされた)

・エジプトはナイルの賜物だとヘロドトスは言った。暁天にセペデト(シリウス)の輝く七月中旬、下流では定期的な氾濫が起こり、洪水と同時にその両岸の砂漠地帯に黒い沃土を堆積させてきた。古代エジプト人が祖国を呼ぶ言葉「ケメト」とは、ナイル川がもたらした肥沃な「黒い大地」を意味する。この増水期を計測する必要から、この地では早くから高度な天文学や強力な中央集権国家の成立が促された。

・魂(バァ)と霊体(カァ)。
古代エジプト人の冥界は日の没する西方の地下にあるとされてきた。死者の墓所の多くはナイル川西岸に作られ、ミイラ化された遺体は文字通り三途の川を象徴するナイル川を渡って墓所に送られた。古代エジプト人によれば、人間の死とは、魂(バァ)が肉体を離れることを意味する。死者の書ではバァ(魂)は人の頭をした鳥として表現され、昼は来世に行き、夜は現世に戻る。
それ以外に、人間にはカァ(霊体)もついている。カァの概念は未だ明らかではないが、当人の存命中はその人を指導し、死後はバァ(魂)を導くといわれる。エジプトでは死ぬことを「カァ(霊体)のもとに行く」と表現した。カァ(霊体)は墓の中で供物を食べて暮らすが、墓を出てさまようこともできる。供物が足りなければ、カァ(霊体)は外へ出て残飯や汚水を漁らねばならないという。その為エジプトでは死後に供物を捧げることが特に重要視された。
(婆さんと母さん)

・穀物神オシリス信仰が普及すると妻のイシス女神も広く崇敬を集める。イシスはセトによって殺され体を14分割された太陽神オシリスの体を妻集め再生を試みるが、魚が男根を飲み込んだためオシリスは現世に留まれず冥界の王となり、遺児ホルスがセトを倒し現世の王となる。イシスは魔術(魔法)と死者の守護神である。
・穀物の神にして冥界の王オシリスは太古のエジプトの善王であったとされた。オシリスに対して行われた儀式の再現(模倣魔術)こそがオシリス密議の重点である。模倣魔術は「過去の儀礼的永続化」である。

・イシス・オシリス密儀を伝えた二世紀の哲学者アプレイウスは著作の黄金のロバではイシスに「私は造物主、大地母神、四元素の愛人、時の最初の子ども、あらゆる霊的なものの支配者、死者の女王、不滅の者の女王、存在するすべての神々と女神の唯一の顕現」と語らせた。

・聖刻文字(ヒエログリフ)は音声や思考を可視の形象に変換する為の手段であり、同時に、言葉の持つ呪力そのものも固定し永遠化する技術である。言葉には呪力があり特別なものだとされた。聖書ではエジプトは魔術の国とされている。モーセは自分の杖を蛇に変えたり、ナイル川の水を血にしたり、大量の蛙を川から出現させたりするが、エジプトの魔術師たちも同じことをして対抗する。

・モーセの海割りには前例がある、第十八王朝期に書かれた「ウェストカーのパピルス」に登場するジャジャ・エム・アンクという神官(第四王朝期の人物)による類似の前例がある。

・「ウェストカーのパピルス」によると、当時百十歳の魔術師テタは、クフ王から死者を復活させるよう命じられたという。王がその為に捕虜の首を切ろうとすると、テタは人間にそのようなことをするべきではないと答え、聖なる鵞鳥の首を切り、その胴体を柱廊の一方の端に、首をもう一方の端に置いた。魔術師テタが呪文を唱えると、首と胴体はもぞもぞと動き出して互いに接近し、ついに元通りに繋がったという。更に彼は、雄牛に対しても同じことをしてみせた。

・古代エジプト人にとっての「ヘカウ」(魔術・魔力)とは、人間を超える神々の力を借りる為の技術であり、力ある呪文や一定の儀式によってこれを駆使することができると考えらえていたのである。
・魔術師以外のも広く使われたのが護符。代表的護符は、宝石や磁器によって作られた神聖甲虫(スカラベ)である。通常、その土台部分には呪力のある言葉が刻まれ、死者の復活を約束するものとして屍体の上に乗せられた。「ケペリ」と呼ばれる護符である。
また、ウジャトと呼ばれるホルス神の目を象った護符は、瑠璃と碧玉の二つを一組とし、金箔を貼って作られたが、夏至の日に聖別して屍体に乗せると、死者がラー神の船に乗れるようになるとされた。
・偶像もまた、護符と並んで魔術に使われた。偶像にはそれが表象するものの魂が宿るという(偶像に魂が宿る)のが、古代エジプト人の基本的概念であった。偶像破壊とは偶像に宿る神々を像の中から放逐することであった。

・ヨーロッパ人はエジプトを魔術の故郷だと考えてきた。多くのギリシア人はエジプトの神々をギリシアの神々と同一視した。「神々の崇拝においてはエジプト人は、他のいかなる民族より優れている」と記したヘロドトスは、ギリシアの一部の神々のエジプト起源を提唱していたほどである。

・アレクサンダー大王の後、エジプトを支配したプトレマイオス王朝。その首都アレクサンドリアには大図書館があり、アルキメデスやエウクレイデスなど著名な聖賢が数多く訪れた。アレクサンドリアは、今から二千年ほど前にすでに蒸気機関を発明していたのである。
・プトレマイオス王朝の国家神セラピスは、オシリスにギリシア的外見を与えて作られた神である。この新たなギリシア的姿によりオシリス信仰がギリシアにも広まり、ギリシアから更にローマ帝国まで伝わった。
セラピスの祭儀の制作者は、エジプトの古代秘教の権威であるエジプト人神官マネトと、エレウシス密儀を極めたギリシア人ティモテウスである。この祭儀は、一般公開される公共の祭礼と日常の祭儀、そして秘儀伝授にあたる密儀からなっていた。
アプレイウス『黄金のろば』の記述などによれば、密儀の参入者は、まず水による聖別を受け、「洩らしてはならぬ秘密」を教えられた後、祭司に導かれて地下の冥界(を模した)部屋に赴き、宇宙の四大元素の領域を順に通過する。最後に真夜中に煌々と輝く太陽を幻視した参入者は、「地界の神々にも天上の神々にも目の当たりに接」し、自らを太陽神オシリスもしくはホルスと同一視するに至る。この時、参入者は実際に神秘体験、神秘的合一の感覚などを味わうという。神秘劇など演劇的な空間で精神変容を促したり、極度の肉体的消耗や薬物などにより変性意識を誘発させることもしただろう。
かくして、薔薇十字団や十九世紀末のゴールデン・ドーンの総合に至るヨーロッパの密儀伝統では、セラピス秘儀に見られる要素――冥界遍歴の末の再生、四大元素の通過、そして真夜中の太陽など――が重要なモチーフとして扱われるようになった。それにより人格を質的に変化させ成長をもたらすのである。

・ゾロアスター教の最後の審判。「更新」が来ると、すべての人が生きながらにして善悪を分かつアフラ・マズダーの火(あるいは溶鉱)をその身に浴び、これに耐えた者だけが義者とされるのである。火は天則(アシャ。反対語は、不義・虚偽=ドゥルジ)の象徴であり、またアフラ・マズダーの息であるとか、その息子として地上に下りたものであるとか、さまざまな説明がなされているが、おそらくこれは古代イランで実際に用いられていた試罪法に基づくものと考えられる。
ユダヤ教はかなり早い時期から直線的時間観念を獲得していたことが窺えるが、終末論的観念は存在しない。終末論的観念は後代の黙示文学の時代に至って初めて登場するものなのである。
(ユダヤ教からキリスト教が誕生したのは嘘。聖書が絶対に正しいことが前提。超常現象的救世主はユダヤ教の救世主=実務ができる有能な支配者、とはかけはなれていて、ミトラとゾロアスターの救世主そのものです)

・ゾロアスター教の終末神話。
宇宙は誕生後、一万二千年を経て終末を迎える。宇宙には本来時間は存在しなかったが、光明神オフルマズドが無限の存在であるのに対して、悪神アフリマンは有限であったので、このままでは勝ち目がないと、時間を無限から引き離し、その寿命を創ったという。
(時間を創ったのは邪神。暦という時間基準は人々の行動を管理支配します。日本は西暦=キリスト教暦なのでキリスト教支配国家ですね)

この一万二千年は、三千年ごとの、つまりは四つの期間に分かれている。現在はその最後の第四の期間。第四の期間の始まりは、ザラスシュトラの誕生の年であり、終末はその三千年後に到来するといわれている。ザラスシュトラの千年後、二千年後、三千年後の終末時に、それぞれ一人ずつのサオシュアント(救世主)が出現する。中でも終末時に出現する最後のサオシュアントこそが真の救世主であり、彼はオフルマズドと連合軍を組織してアフリマンとの最終戦争に挑み、勝利する。
(サオシュアントの母親は、ゾロアスターの精子バンクのよって処女懐胎します。ゾロアスターは七歳になると呪師が邪眼で呪ったが、逆に吉眼〔きちがん〕で返し、失神させている。三十歳で宗教家になる。七十七歳で他殺される。メイソンとキリスト教が好きな数字だなあ。元ネタが拝火教だから当然)

一方、地上には世界の誕生以来の死者が全員復活させられる。しかし、突如そこに彗星が激突し、世界中の全ての鉱物が溶解して、復活した死者を飲み込む。これが最後の審判であり、三日間にわたって続くという。義者はその間、まったく熱さを感じないが、不義者は苦悶に泣き叫ぶ。だが、これによって不義者の罪は浄化され、全員が新たな理想世界に生まれ変わるのである。
(不義者も救われる点が素晴らしい。キリスト教は永遠の地獄でしたっけ)

ゾロアスター教の救世主、最終戦争、死者の復活と最後の審判、彗星、その後の理想世界の実現など、キリスト教の黙
示録との類似性は一目瞭然。

・契約、戦、太陽など多彩な顔を持つイランのミスラ(インドではミトラ)は、インド‐イランで絶大な人気を誇っていた。ミスラは歴代のペルシア王朝において国家の守護神として尊崇されてきた。
一方、一世紀後半に西北インドに興ったクシャーナ朝に伝えられて太陽神ミイロになり、後にこれが仏教に採り入れられ、未来仏の弥勒(ミロク)となる。
アケメネス朝の頃から、ゾロアスター教の神官たちは小アジア地方にも活動の場を広げていたが、紀元前一世紀ごろになると、彼らはギリシアの影響を強く受けるようになった。結果、ミスラをギリシアの太陽神ヘリオスと同一視した新たな信仰、ミトラス教が生まれた。イラクやハトラにミスラ神殿の遺跡が残っている。三世紀のミトラス教のマゴス神官が描かれたミトラス神殿の壁画ではマゴス神官がペルシア風の帽子という最高の霊的達成の象徴を被っている。
(フリギア帽かな。ドラゴンボールの魔人ブゥの頭もフリギア帽でしょうね)

・ゼウスが交わる女神の大半が大地を象徴する女神である。これは女神信仰で知られるクレタ島で産まれたゼウスが各地の女神と聖婚し、オリュンポス山の頂に昇りつめたことを表している。男性神が先住民の豊穣祈願の女神=地母神信仰を吸収したのである。
(現地の神話の乗っ取り。日本も現地の信仰を乗っとられ、本物の天皇を殺され、クリスチャン製の神道=和風キリスト教を信仰する偽天皇が据えられました)

・エレウシス密儀。
大地の女神デメテルと、娘ペルセフォネの神話が理解の鍵。ペルセフォネが冥府の神プルトーに攫われ、母デメテルが嘆き悲しんで大地が枯れたため、ゼウス(穀物の生成を司る大地母神デメテルとゼウスの娘がペルセフォネ)の命令でプルトー(ハデス)がペルセフォネを返した物語が軸になっている。ただし、ペルセフォネは冥府でザクロを食べてしまったため、一年の三分の二を地上で、三分の一は冥府に住まなければならなくなる。デメテルの恵みは春から秋までであり、冬は大地がデメテルから見捨てられるのである。
エレウシス密儀の参入者は、海水による沐浴で身を清めたが、その際に生贄の子豚を腕に抱えていたことが知られている。これはペルセフォネが冥府へ降りていったシンボルであった。豊穣の母デメテルと娘ペルセフォネの神話は、大地の死と甦りを語る農耕社会型神話であり、エレウシス密儀とはそこで語られた死と復活に参入する祭儀に他ならない。

・オルフェウス密儀。イニシエーションによる魂の転生。
トラキア出身の音楽の神オルフェウスは竪琴の名手であり、アポロンと詩の女神カリオペの間に生まれた。オルフェウスは完全な和音を作り出し、神々を感動させたと言われる。オルフェウスはオルフェウス教の開祖である。
愛妻の妖精エウリュディケを連れ戻す為に冥界に下りて行ったオルフェウスは禁を破って後ろを振り向いたために永久にエウリュディケを失ってしまう。その後、オルフェウスは再婚せず、ディオニュソス祭りで狂乱したトラキアの女たちに捕えられ、身を裂かれ殺された(ディオニュソス密儀によいてバッコス信女たちが行う八つ裂きと生肉食いは神との合一の儀式である)。
ヘプロン河に投げ込まれたオルフェウスの首は歌を歌いながらレスボス島に流れ着き、やがて島で神託を下すようになったとされる。
オルフェウス密儀は冥府下りを密儀の中心に据えている。
オルフェウス密儀は、ディオニュソス的熱狂とは対照的に、アポロン的浄化によって実現しようとした。そこからギリシアでは極めて珍しい禁欲的な集団が誕生することになる。オルフェウス教徒は菜食を貫いた。ギリシア神話では、人間が神々に最初の供犠をおこなった際、プロメテウスの入れ知恵で屠った雄牛を二つに分け、骨を脂身で包み、肉と内臓は胃袋に隠した。脂身に誘われたゼウスは骨を選んでしまう。いら、供犠では神々に骨を捧げ、肉は人間が食べるようになった。肉食の起源神話。
菜食、肉食の拒否は、輪廻と魂の不滅が信じられていたからである。オルフェウス教徒たちは、人類が犯した原初の犯罪に対する罰として、魂は肉体に閉じ込められ、死が真実の生活の始まりとなる、と考えた。すなわち、魂は生前の過ちと徳が審判を受けた後、新たに転生するとみなされたのである。魂の不死性は輪廻思想を生み、人間の魂を持っているかもしれない動物を食する習慣をやめたのである。また、肉食の禁止はプロメテウスの教唆で神々を欺いた原罪に対する改悛の表れでもある。
(戦争したい支配層に実に都合がいい。死こそ生、そして原罪。原罪もキリスト教は盗作したんですね。オルフェウス教の輪廻、魂の浄化、原罪の元ネタはインドの輪廻とカルマ論だと思いますけどね)
「『死こそ生』、『肉体は魂の牢獄(霊肉二元論)』、『原罪』、『霊魂の不死』〔=『輪廻』〕
トラキアのオルフェウス教
→ピタゴラス教団
→プラトン→新プラトン主義

キリスト教(輪廻は否定。死んでもキリスト教徒だけは甦るが、異教徒はどうでもいいに変更。なお、最大の元ネタはローマのミトラ教とイランの拝火教。ユダヤ教派生なのは嘘で拝火教とミトラ教から派生。エジプト神話のホルスからもパクリまくり。オリジナルな点は、有色人種のはずのイエスが白人だという点ぐらい)」

・ティタンの汚れを清める儀式。
オルフェウス密儀の誕生に大きな影響を及ぼした神話が、ディオニュソス=ザグレウス神話。
幼いディオニュソスをティタンたちが切り刻んで鍋で煮てしまったので、怒ったゼウスに焼きつくされてしまう話である。なお、ディオニュソスは取っておかれた心臓を元にして甦る。人間の創造神話の一つは、人間はこのティタンたちの灰から創造されたことになっている。この神話はオルフェウス教徒にとって大きな意味を持つ。ティタンたちの灰には、彼らが食べた幼児ディオニュソスの肉体も含まれていたからである。つまりその灰から生まれた人間にはティタンとディオニュソスの要素があるということになる。そこで、人間のティタン的要素を排除していけば、ディオニュソス的要素が濃くなると考えられた。オルフェウス密儀の究極の目標は、ディオニュソス神と合一し、ティタンのケガレをぬぐい去ることである。

・ピュタゴラスが数学と音楽を重視したのは、魂を清め、英々ンの真理を探究したから。前提となる思想が、魂は永遠であり、魂を清めれば冥府における罰を免れ、天の楽園に帰っていくことができるというものである。ピタゴラス教団は教義を書きしるすことを禁じた為、密儀の内容は不明。教義問答書には「ソラマメを食べるな、あいまいに話をするな、指輪に神の像をつけるな、白い雄鶏を犠牲にするな」といったタブーがあった。
・ピタゴラスは世界は数でできていて、数に固有の性質があるとした。後に数秘術という秘教・占い・神秘哲学に甚大な影響を及ぼした。
天体も普遍的な神の記号であった。七惑星(水、火、金、木、土。惑星ではないが月、太陽も含める)も神の記号であり占星術で重視された。
(そもそも宗教は数字を極めて重視します)

・ギリシアが古代世界をリードする以前、オリエント各地では豊穣と多産と自然の勝利の権化である地母神を中核とする母性原理に基づいた社会・文化形態が優勢だった。その典型が小アジアのリュキア人の社会に見られる。古代の小アジアのリュキア人の世界では、新生児の名付けには父方ではなく母方の名を用いた。氏の系譜は母方の祖先の系譜によって示され、リュキアの慣習法に基づいて相続権は娘が独占した。
母権優位に基づく慣習法や社会的宗教的観念は、エジプトその他の大文明圏にも広く認められた。それらの社会では父権に属する日中より母権に属する夜が重んじられ、太陽より月、生者より死者、右より左が重視された。
ヘレニズム・ローマ期のうち、西方ギリシア文明が東方を征服していった前期は、まさに母権が後退して父権が支配的になっていった時代に当たる。

・ヘレニズム期を通して熱烈に崇拝された東方三大母神が
エジプトのイシス、
フリュギアからギリシアに入ったキュベレー、
エフェソスのディアナ(アルテミス)。

・キリスト教の儀礼の根幹であるパンとブドウ酒による聖餐の秘儀のルーツはミトラス(ミトラ)教。
(人肉食だったんでしょうね元々は)
キリスト教がミトラス教から奪った祭儀がクリスマス。イエス生誕祭とされるこの祭りは、元は冬至における太陽神ミトラス復活の為の祭りだった(冬至を過ぎれば日照時間が長くなる=太陽神の復活)。
ミトラス教の勢力範囲は、ローマ、ペルシア、イングランド、イスラエル、シリア、アフリカのサハラ砂漠まで及んでいたことが遺跡などから分かる。

・ミトラス教のイニシエーションは七段階。下から順に、
水星に保護された大ガラス(大烏。コラックス)、
金星に保護された花嫁(ニュンボス)、
火星に保護された兵士(ミレス)、
木星に保護されたライオン(レオ)、
月に保護されたペルシア人、
太陽に保護された太陽の走者(ヘリオドロムス)、
土星によって保護された父(パテル)。

密儀は洞窟ないし洞窟を模した神殿に運ばれた。洞窟はミトラス神が世界を創造する為に用いた世界の子宮を意味する・参入者はこの子宮内で、自分の魂が下ってきた道の逆をたどって天界に帰還する為、つまり生まれ変わる為のイニシエーション(加入儀礼)を受けた。
ミトラス神は「不敗の太陽神(ソル・インヴィクトゥス)」と称えられ、ミトラスによる救済の証は、ミトラス神によって屠られる雄牛の血によって象徴された。
七段階の内、最後の三段階は、月、太陽、土星。
月はミトラスに殺される雄牛(月は占星術のおうし座の守護星)であると同時に、古代オリエントの母神。
太陽は普遍的な救済者であるミトラス神。
最後の土星は父神(土星と習合された古代神サトゥルヌスは、ローマの父神の一つ)。
母、子、父。
(我らが父よ! と言いうるのはキリスト教だけではないんですね。というかキリスト教がパクリました。パクリ=盗作、なのは、元ネタを明かさずに破壊して隠蔽して殺しまくったからです)
(雄牛は金星じゃないんだね。金星=花嫁、なのはヴィーナスとかを意識していそう)
・キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥であるユリアヌス帝はミトラス教徒であり、地母神キュベレー崇拝者。ユリアヌスは『太陽神賛歌』にてミトラス神を称えるとともに、この本の中でキュベレーを聖処女と呼び、知恵、摂理、我々の魂の創造主と褒め称えた。
しかし結局は、異教儀礼への国費補助は打ち切られ、異教の神殿は破壊され、ミトラス神の洞窟神殿だった聖域の上にキリスト教会が建てられた。
(教義が似ていることを利用して、ミトラス教の施設をキリスト教に塗り替えたのでしょう)

・右=男性原理の優位。
女神を崇拝する東方密儀宗教は母を重視し、
オリュンポスの神々を戴いたギリシア精神は父を重視した。
母は生命、物質の原理。
父は精神の原理。
子は生命と精神を繋ぐ紐帯。
この三位一体から母を完全に抜き去ろうとしたのがキリスト教。子と母の関係の抹殺を図った。イブはアダムの従属物でしかなく、女性原理ですらない。
イエスの座は神の右にある。
父権制は右優位。
母権制は左優位。
マリアはキリスト教では本来大したことない存在のはずなのに、実際は存在感抜群である。聖書ではマリアの存在は実に軽い扱いである。カトリックはマリアの聖性を公認するほどにマリア崇拝は熱狂的であった。マリアを最初にテオトコス(神母)と認めたのが、地母神信仰の故郷たる東方を拠点とする教会だった。最大のライバルはイシスだった。
(グノーシス主義は、一神教の致命的な弱点である「悪魔を創ったのに善である神」、しかも全能の癖に悪魔をなくさない、ということを克服する為に、この物質世界を創った神は悪魔だ、この世は悪魔が創ったから惡まみれなんだと考えます。グノーシス派では物質=悪、聖書の神=悪です。しかし、本物の善なる神、物質ではない神がいて、選ばれた我々だけが特別な知識=グノーシスを得て、その本物の善なる神と合一できる=自分が神になれる、と考えます。キリスト教なみにヤバイですね。
グノーシス派のナグ・ハマディの写本に女性創造神の話があります。
女性神が母に似せて不死のイブを創った。
対抗して男性神がアダムを創った。
イブという人間の女が、アダムという人間の男よりも先に誕生した。
そしてイブがアダムに命を吹き込んだ。
男性原理のキリスト教に対してグノーシス派は徹底して女性原理なのです)

・ヘルメスはローマでは商人と弁論家と泥棒などの守護神。ヘレニズム時代の哲学者・神秘家はヘルメスは秘められた知識や知識を司る言語と学問の神メルクリウス(水銀)として崇拝された。このヘルメス(+メルクリウス)がエジプトに入ると、エジプト神話で言語と学問を司る書記神にして大魔術師のトートと結びつき、ヘルメス・トートとなった。ヘルメス+メルクリウス+トートは、ヘルメス・トリスメギストス(三倍偉大なヘルメス)と呼ばれた。

・ローマ時代のヘルメス像(後に錬金術のシンボルになるカドゥケウスの杖=二匹の蛇と両翼がある杖、を持つ。履物に羽)の写真が載っている。。

犬の顔をしたトート神(犬? 頭からトゲトゲ=恐らく太陽光)が右手に一匹の蛇がまきついた杖(永遠の生を象徴)を、左手に♀(エジプト十字)を持っている絵が載っている。
・ヘルメス文書の神話に基づき描かれたヘルメス・トリスメギストスによる人間創造の絵が載っている。

・先史ヨーロッパ巨石文化の遺構である、復元された墳墓(アイルランド)には、ぐるぐる渦巻き模様の巨石がある。

・カエサルはガリア戦記でケルト社会の支配層であるドルイドについて記している。
ドルイドは
①祭司を司る
②司法を司る
③兵役の義務が無い
④納税の義務が無い

⑤身分が世襲でない
(各地から参集する修行者を長期にわたり教育する学校があった。修行に際して文字の使用が現金だった)

⑥霊魂不滅思想がある
⑦天体の運行に関する知識がある。

ドルイドの語源は諸説あるが、ギリシア語のdrus(樫。オーク)と、印欧語の語根wid(知る)に関係があるとする説が最も有力とされる、つまり、樫の木の賢者である。
(印欧語=インド・ヨーロッパ語族は完全に言語学上の概念であり、特定の文化や人種に結びつけることはできません)
よって、樹木崇拝、特に樫の木、樫の木に寄生するヤドリギを重視していたと考えられる。

ローマの碩学プリニウスは博物誌にて、ドルイドによるヤドリギ狩りの儀式を次のように描写している。
まず典礼に則って樫の木の下に生贄と供物が用意される。白い雄牛が二頭、互いの角を結びあわせて連れて来られる。白衣を着たドルイドが木にのぼり、黄金の鎌でヤドリギを切り取る。樹下の人々は白い厚地の布にそれを受け止め、生贄を捧げて神に祈る。
上記の儀式については、フレイザーが金枝篇(クロウリーの推薦書。金枝=ヤドリギ)にて核心をつくイメージを提供し、広く人口に膾炙し、白衣+黄金の鎌+ヤドリギという通俗的ドルイドのイメージが定着した。
・ドルイドによる人身供犠の作法としては、水を満たした大滝に投げ込み窒息死させる、木に吊るして矢を射かけるなどして傷害死させる、俗にウィッカーマンと呼ばれる木製の巨大な人型の中に大勢の人間を押し込め焼き殺す、といった方法が知られている。

・ギリシアの歴史家シクロスは、ケルト人は戦場で殺した敵の首を切り取り、馬の鞍に結んで飾った、と述べている。ケルト人の頭に対する信仰は強烈だったらしく、壁龕(へきがん)の中に置かれたり神殿の壁に嵌めこまれた頭蓋骨や、頭の形に刻んだ石などが、多数発見されている。頭蓋骨には聖なる力が宿り、災厄から守ってくれるという観念があったのだろう。
フランス系ケルト族の聖域に掲げられた、頭蓋骨が埋め込まれた石柱と石の門めいたものの写真が載っている。
・予言や託宣もドルイドの重要な仕事であった。鳥の飛び方や生贄のない像の状態から未来を占うことができたという。タラの神話に語られる牛の夢と呼ばれる儀式では、ドルイドはシャーマンの様相も示す。犠牲として殺された牛の肉を食らい恍惚状態となったドルイドの傍らで呪文が唱えられ、正気に返った後、夢の中で得た託宣が告げられる。

・ドルイドにも輪廻転生思想がありピタゴラス教団との類似性が指摘されるが細部が異なる。ドルイドは、人間の霊魂は滅びることなく、一定期間を経たのち、魂は別の肉体へと移り第二の生をおくるとする。
つまり、ピタゴラス派のような、罪にけがれた人間の魂は輪廻転生を繰返し地上をさまようとは考えていなかったのであり、ドルイドには原罪意識はない。

ドルイドは楽天的な永生への確信や彼岸への憧れがあったと思われる。ケルト神話の一特色である不老不死の楽土ティル・ナ・ノグ(常若の国。とこわかのくに)。

・アイルランドはキリスト教の布教が最も迅速に円滑に進んだ地域。ケルト十字は太陽崇拝の名残かもしれない。
(ケルト系キリスト教アニメのまどマギに多く登場


・カエサルはケルトの神々をローマの神に当てはめて分類している。
メルクリウスに相当するのがテウタテスと呼ばれ、技芸・通商の神であり、部族的な性格が強いとされる。テウタテスは、マルスに相当する軍神エスス、
ユピテルに相当する雷神タラニスと共に三位一体をなしており、いずれも人身供犠を好んだとカエサルは記している。
なお、これら三柱を統合する神格として光明神ルーフをメルクリウスに同定する見方もある。

アポロンと同一視されるベレノスは太陽神にして病を癒す神で、アイルランドの信念の火祭りベルティナ(五月一日に催される)は、ベレノスに由来する。
(五月一日といえばメーデーというイルミナティの祭典があります。無論、ケルト意識もあ
ります)

・ミネルヴァにあたる神は、女神ブリギット。ブリギットは生命の源を司る大地母神で別名ダヌともいい、ケルト神話で中心的役割を果たすダナーン神族(女神ダヌを母とする種族)の祖である。
冥府の神にして死の導き手である、角が生えている神ケルヌンノス(角を持つ者の意)。
魔女(古代の異教的知恵に通じた在野の賢者)たちの夜宴サバトで崇められる雄山羊の神は、まさにケルトの有角神ケルヌンノスそのものであり、祭司の呪文にはその名も登場している。
魔女を敵視するケルト系キリスト教アニメであるまどマギの鹿目まどかは、鹿=ケルヌンノス、に女神ダヌの要素を加えた、目〔あの一つ目〕と円=輪廻なキャラ。最終的に輪廻から魔法少女らを解脱させ、死者を導く。杏子はクリスチャンで胸のソウルジェムが眼の瞳

アイルランドやウェールズで盛んになっているドルイド教復興運動などは、自然回帰や古代回帰を指向するニューエイジ系の宗教の動向と切り離しては考えられないだろう。

・馬にまたがった女神エポナ。
(ゼルダの伝説でリンクが乗る馬
の名前)

・デンマークのゴネストロップで出土した紀元前一世紀ごろの大釜
=グンデストルップの大釜(グンデストルップのおおがま、Gundestrup cauldron)
の画像を見るとわかるようにケルヌンノスが描かれている。
(マナナン・マクリルは、ケルト神話=アイルランド神話に登場する海神にして魔術師。
ティル・ナ・ノーグ=常若の国の王とされる。彼の養子であるルーに与えたのが、決して的を外さない十字剣フラガラッハ。コーマック=コルマク・マク・アルトに与えたのが真実のゴブレット。他には炎の兜、魔法の船「静波号」〔ウェイヴ・スウィーパー。鎮波号, WaveSweeper〕など、多くの魔法の品を持つ)

・タキトゥスの『ゲルマーニア』によると、ゲルマン人が最も崇拝しているのはメルクリウスにあたる、死と戦争と知恵を司るオーディンだという。ローマと北欧の神々の対応関係は、英語やドイツ語、スカンジナヴィア語の曜日名に名残を留めている。メルクリウスの日=ウェンズデーがオーディンの日を意味する。

ヘラクレスは北欧神話最強の闘神トール、
マルスは軍神・法律神チュールであると考えられる。
オーディンには人身供犠を差し出すことになっていたが、チュールとトールには獣類でよかったとされる。
北欧神話『ハヴァマル』によると、宇宙樹ユグドラシル(オーディンの別名たるイグの馬=ドラシルを意味する)の樹上に九夜にわたり吊るされたオーディンは飲食物も得られぬまま槍によって傷つけられ、自らをオーディンに捧げた(自分自身を自分に捧げた)。すると、オーディンの呼び掛けに応じ、ルーン文字が啓示された。こうしてオーディンは秘められた知識と詩歌の才能を獲得したというのである。
死の神、戦争の神、神秘的な知恵の神オーディンのみが、密儀において人間を要求し、そして最も崇拝されている。

・北欧ゲルマン神話では、最高神オーディン、ヘーニル、ローズルの三柱により、人間は樹木から創造される。
まずオーディンが息を吹き込み、
次にヘーニルが魂と考える能力(知力)を与え、
最後にローズルが感覚と肉体的な外観を付与した。
ちなみに、アイスランドに伝わる『巫女の予言』は「古エッダ」に属する貴重なものであるが、それには、樹木に対してオーディンが息を、ヘーニルが心を、ローズルが血と声と姿をそれぞれ与え、人間が誕生したとある。
そして最初の人間は男がアスク、女がエムブラという名前を与えられ、夫婦となった。
男性がトネリコ、女性がニワトコの樹から創造されたといわれている。世界樹ユグドラシルは巨大なトネリコとされる一本の樹木であり宇宙全体を組織している。ドルイドはトネリコを聖なる樹木として扱っていた
なお、巨人ユミルの左わき腹から人類が生じたという異説もある。
↓では脇の下から男女誕生だから訳の違いかな。
北欧神話の人間創造~はじめ人間?
http://www.moonover.jp/2goukan/north-s/mine9.htm
(ということは北欧神話は男性原理なのかな)

古代文明圏では例外なく供犠獣や人間を捧げて祈る儀礼であった。焼かれた犠牲獣は煙になって天に届くと考えられた。
(今も生贄殺人をやっていますが隠されています。キリスト教は生贄を否定しましたが、異教徒を殺しまくるのは生贄ではないようです


・供犠獣(通常は羊)の内臓から神のメッセージを読み取る内臓占い。バビロニアでは臓物占いを行う際のテキストとして使っていたと思われる粘土製の肝臓模型がある。解読を司る者は「バル(見る、調べる、の意)」と呼ばれた。内臓解読技術は太陽神シャマシュと嵐の神アダトの智慧に属していた。それがバビロニアの伝説的な古代王エンメドゥランキに伝えられ、エンメドゥランキを始祖と仰ぐバルたちに継承された。
内臓占いは地中海世界全域へ伝播した。古代ローマは戦争など大事の際には内臓占い(腸卜ともいう)が行われた。ギリシアでは内臓を調べるだけではなく、供犠の際の炎の上がり方を読む「火炎予言」さえ存在していた。

・夢占いも内臓占いと並んで広く行われていた。神による夢の啓示などの正夢と、邪神や悪魔が偽りを告げる虚夢(雑夢)とを分ける技術が必要であった。
古代世界では夢占いをしなかった国はなく、夢占い師の関与なしで戦争を始めようとした王は存在せず、彼らへの相談なしで大事を企てようとする民もいなかったと言われるほど広く行われたのが夢占い。夢は神による直接的な未来の啓示だとみなされた。
古代エジプトの格言「神は病を癒すために医術を創り、悲しみを払うために酒を創り、未来の分からぬ人を導くために夢を創った」

南メソポタミアでは四千年近く前からムッフ(女性ならムッフトゥ)などと呼ばれる夢解き霊媒が活躍して高い地位を確保していた。夢解き以外に降霊術や魔術も行う霊術のプロであり、国事に関する重大なアドバイスをすることもあった。
旧約では奴隷だったヨセフがファラオの夢を見事に解いたことで一気に王の補佐官になれた程に重視されたのである。大予言者ダニエルはバビロニアのネブカドネザル王の夢を解読した。
天の秘密は神に由来する夢に現れる。
占師は古代メソポタミアではマシュ・シュ・ギドゥであり原義が供犠の動物に手をさしのべる者。
(夢は本当にそのまま起こることがあります。脳内計算と予測であるような気がしますが)

霊夢を得るための参籠(インキュベーション)による治療
夢は病気を癒す力があるとも考えられた。

洞穴や神殿に参籠(インキュベーション)し、一夜を明かし、そこで夢や幻影を見ることで、治療がなされる。古代世界に広く認められる民間呪法で、日本でも奈良の長谷寺など有名なインキュベーションの聖地があり、他には、エジプトのセラピス神殿(セラペイオン)やギリシアの医神アスクレピオスの神殿での参籠(インキュベーション)が有名。
九尾べえ「僕と契約して以下略)

星の位置=カレンダー、暦。占星術=暦を作り、星のエネルギー値の周期を知る技術。
殷王朝時代には、「大火」(さそり座のα星アンターレス=大辰)が季節の指標を意味する「辰星」として用いられ、この星が日没時に南中するのをめどに、夏5月の初めが計られた。
それに続く周王朝時代には「北斗七星」(=北辰)が辰星に採用され、七星の柄杓が日没時に下を指すと6月、西を指すと秋9月とされた。
古代エジプトでは、「シリウス(おおいぬ座のα星)」が季節の指標として用いられ、シリウスが太陽と重なる日を「犬の日」と呼んで新年の指標としていた。

(ドッグ・デイズ
ヨーロッパでは、おおいぬ座α星シリウスが太陽と同じ方向に現れる7月23日から8月23日までの期間を「犬の日」と呼ぶ。この星が現われる頃は猛暑で、人も家畜も体力が弱まり病気になりやすいのはこの星のせいだという言い伝えあり。

7月23日は宇宙の中で、シリウス 太陽 地球が一直線上に並ぶ時で、アフリカでは、シリウス星が地平線の下へ隠れた後、数ヶ月は視界から見えなくなる。7月23日の朝、太陽が昇る一分前に再びその姿をルビー・レッドに輝きながら真東の地平線のすぐ上に現れ、その60秒後に太陽が昇り始める。
これは太陽と同じ時刻、同じ場所に昇る「シリウスのヘリアカル上昇」と呼ばれ、古代世界では重要だった。エジプトではスフィンクスの見つめる方角も含めて、大抵の神殿がこの線に沿って建造されている。

エジプトの古代狼星(シリウス)暦の第一日目
=「犬の日」(Dog-day):太陽と一緒にシリウスが昇る「ヘリアカル・ライジング」が起きる日のこと。古代エジプトでは犬の日を1年の最初とするシリウス暦を採用していた。日の出とともに星は見えなくなるので、実際には太陽が昇る直前にシリウスが昇る)

紀元前七百年ごろ、天球の黄道帯を360°に区分する方法をバビロニア人が発明した。占星術の基盤となる座標が確定できるようになった。
紀元前六百年ごろ、黄道を十二等分して、天の各区に固有の性格を与えるという革命的アイデアが発明された。
紀元前三百年ごろ、バビロニア人は惑星の運動を計算で導き出せるようになっていた。
計算と理論によって行なう今日的な占星術に編成し直したのはギリシア人であった。

バビロニアの関数的天文学と、ギリシアの幾何学天文学とを総合するかたちで、地中海ロードス島のヒッパルコスが古代天文学の礎を築いたのは、紀元前二世紀半ばごろ。そしてそのころ、ホロスコープ占星術が盛んになっていた

八幡神と鳩は関係がある。
(ハトは八幡という支配の根幹の象徴でもある。石清水八幡宮はもとは護国寺だから寺だったのですよ。
女王セミラミス〔アッシリア語で「鳩から来た者」〕だけではない


鳩~ハト  八幡神社(応神天皇)の鳩
http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/tori/hato/hato.html
“「応神天皇の神霊が金色の鳩に変じた」
「宇佐八幡から岩清水八幡に分霊する際に金鳩が出現した」
といった伝説から、鳩が神使
とされたと思われる。”

・火の起源がセックスの起源と関係している。オセアニアの神話では火は当初、女性器の中にあったという。日本ではイザナミが女性器から火を産んで火傷で死んだ。錐と板との摩擦熱による発火と、男根と女陰の交合との照応関係。

古代エジプトの魔術の王がトート。文字の発明者にして神々の書記。世界の全ての智慧を記した42巻の魔法書を著したと信じられていた。トートはイシスに厖大な呪文を伝授している。イシスも偉大なる女魔術師という称号を与えられた。
古代エジプトでは、神々が人間以上の力を発揮できるのは魔術(魔力)の秘密を掴んでいるか、その力が備わっているからだとされた。特別な人間にも持つことが可能とされた。場合によっては魔術師が神々より強大な力を持ち神々に命令し統御することができると考えられたほどである。魔術は呪文=言葉と直結した。言葉は神聖視され、特に名称を知ることは、その名を持つものを支配することと同じだった。だからこそラーの本当の名前は絶対的な秘密だった。ラーはいくつもの名前を持つというカモフラージュを行い、偉大さを維持していた。イシスとホルスのみが、太陽神の秘密の名を知っており、そのため彼らはラーに次ぐ地位を得るに至ったのである。
(トートは知らなかったの? 42巻のどこかに書いてあるのかな)
(オシリスの奥様は魔女!)

・メンフィスの神プタハは事物の名を唱えることで現実世界にその事物を具体化=創造した。言葉の現実化、言葉でものを生み出す思想は、日本の言霊思想と酷似している。
新約聖書の言葉=ロゴスによる創造の元ネタ

『アークザラッドII』(Arc The Lad II)

“ゲームのアークザラッド2のラスボスはおめめなんだよねー。日本がそーめん国家ロマリア(ローマ、場所はモロに英国)を戦うという大本教げーむ。主人公はスメリア(天皇シュメール起源説か!)の王子様でヒロインはその国の神職というからね。。。”
“アークザラッド2で一番面白かったシーンは自由の女神から毒電波ビーム!”
ねこたさん

日ユ同祖論とユダヤ陰謀論というキリスト教が流すデマ情報を喧伝しまくっているのが、大本教系カルトです。

”日ユ同祖論を肯定する陰謀論者はインチキ
・日ユ同祖論は聖書が絶対正しいことが前提のキリスト教製。
・ユダヤ陰謀論もキリスト教製。
・ユダヤ人自体がキリスト教製の生贄。
・陰謀論者の九割はキリスト教+神道カルト(和風キリスト教)。”


”陰謀論初心者は有名サイト(キリスト教系)を読むのでユダヤ陰謀論(キリスト教の伝統思想)を注入され善意の工作員となる。エジプトに注目させるのも真の中核思想のインド・イラン思想に至らせない為。日ユ同祖論は神道の元ネタが道教と耶蘇教なのを隠す為。故に道教・インド・イラン系陰謀論は希少。”

”日油同祖論破りの忍術「同祖論は侵略用の思想。記紀は漢文で道教色が濃い。道教が神道と一番似ている。神道は道教用語で格下扱い。皇室の思想は道教と仏教。道教の最高神=北極星=天皇大帝は剣と鏡の二種の神器を持つので天皇即位にも剣と鏡の二種の神器が登場し後に三種になる」”

”単語の数は大変多いのでどの二つの言語を選んでも必ず似たものはある。ニクダー(母音記号)なしだといくらでも都合よく読める子音表記のヘブライ語だとどんな言語でも同祖論を作れる。邪馬台国の当時の読みは?神道は道教の一派だから日中同祖論はいかが?”

ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論とは、支配者の敵に支配者の見方を吹き込み、自覚無き協力者にしてしまう操作技術
ニーチェ「怪物と戦うことであなたが怪物になるな」(意訳)。
布教と聖書解釈はGOD・ユダヤ人・イエスの実在を前提=絶対正しいとさせ具体的行動で自己説得させる為。”

”母音記号(ニクダー)なきヘブライ語の正しい読みが不明なことすら知らない日ユ同祖論儲は、日ユ同祖論破りの名(後付け)「子子子子子」を読んでみて。嵯峨天皇「子子子子子子子子子子子子を読め」小野篁(いくらでも都合よく読めるね)「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」”

”明治以前の「神道」
①単なる土着神崇拝。神社は地域土着の祭壇。政治に影響力なし。
②道教用語としての神道(天皇と神器も道教用語)。天武・持統天皇合葬陵は八角形(道教思想)。
本地垂迹説なので神仏習合は仏教が上。 日ユ同祖論者は道教と仏教を無視。”

”ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論がセットなのは、偽ユダヤVS本物ユダヤ茶番で聖書の無謬を前提とさせ、ユダヤの銀行家自体がキリスト教製なのを隠す為。聖書で妄信させたいのは①GOD②イエス③ユダヤ人。正体は①悪魔②ホルス+ミトラ等③別民族。”

”動機や思想は何であれ、工作員と行動が一致したら、左右の運営(大本教系+キリスト教+メーソン)にとっては貴方も「優秀な工作員」です。善人の行動を無自覚に悪行に変える操作技術。ミイラとりがミイラ。ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論はキリスト教製品。”

”日本人の大半は無自覚クリスチャン!
キリスト教製品一覧
①愛は善(仏教で愛は悪)
②教会・神前結婚式
③処女が理想(夜這は悪)
④ユダヤ陰謀論
⑤日ユ同祖論
⑥神道家の天皇
ユダヤ押しつけ陰謀論者は嘘吐き。


”隠れキリスト教(神道)系陰謀論者の特徴
ユダヤ陰謀論と日ユ同祖論(キリスト教製)で神道を捏造したキリスト教を隠す。ユダヤに金融特権を与えたバチカンや、ユダヤの銀行家を管理する選帝侯(クリスチャン)を無視(英国王室は選帝侯の末裔)。”

アークザラッド2は長過ぎるので飛ばし飛ばし見ることを推奨します。長い話をちゃんと見るなら、ゼノギアスの解説付き実況を見る方がいいです。

ロマリア=ローマ+ブリタニア=英国。
ローマ帝国はペルシャ帝国をモデルに創られました。

“ローマ帝国の優れた統治システムという「税金さえ払えば信仰の自由と財産は保証する」ってやつ、実はローマが帝政になる前より既にペルシア帝国なんかにあったシステムっぽいぞ。ローマだけことさら賛美されるのも白人の陰謀です。すべての道はローマに通じるの土木建築だってペルシアにもあったし。”

“キュロス印章を思い出しました【http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0808/feature01/_03.shtml … 
▼人類初の人権宣言
▼宗教と民族の自由を呼びかける文字が刻まれ、奴隷制度やあらゆる種類の弾圧、代償なしに財産を奪うことなどを禁じている”

“白人様の偉業のように語られる統治システムは既に古代の中東にあったんです。そいえばキュロスといえばユダヤ様をバヒロンから解放した英雄でふ。バビロンにつれてかれたことでユダヤ教が変質したようでメシアとかいうのも入ってきたり”

“キュロス印章を大英博物館が米国に貸し出すようですが、キリスト教徒に気づかせようとしてるんですかね。ダルビッシュ(イラン系)が今年、メジャーに行ったのも仕組まれていたような気が
【http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5 … 【http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10222867264.html …”

“うーんよくわかんないです。でも有色人種の文明の再評価の流れは間違いなくロスチャイルド系が仕組んでそーですけどぉ。”

“そうですねぇ(笑)なんでも、陰謀にしてると自分の人間性を疑われてしまいそうです。証明できないですから。”

“陰謀妄想パラノイアにされそーですね。あっ、有色人種の再評価がロスチャイルドというかフランスメイソンというのは史実ですよ。学生運動の発端になった5月革命と連動してニューエイジ=スコッチ・フランスメソなどが有色人種の文明の再評価を仕組んでまふ。その一端がビートルズ
魔法使いハンターねこた‏@lanekotaとken‏@kenkatapの会話より。


アルディア=アメリカ、にある女神像=自由の女神(メイソンの象徴)。
ロマリアからアルディアへ友好の印として贈呈された女神像から毒電波ビーム。
正確には体の力が抜けて意識の遠のく光を発する不自由の女神。
ロマリア軍四将軍の一人であるガルアーノが立っている壇の前側あたりに△で上の頂点に☆(光の象徴)。
シルバーノアという飛行船に乗っている魔法使いのゴーゲン爺さんがサンダーストームで上半身を吹き飛ばす。
しかし破片が落下してくるので式典会場の人の何人か絶対に死んでいるので、一般人からしたらテロにしか見えません。
自由の女神の中身に本当に毒電波飛ばす装置がありそうなんですけど。
ちなみに、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』では、
ロマリア=イタリア。
エジンベア =スコットランド。
(アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.5
http://www.nicovideo.jp/watch/sm486062)


・ギーア寺院のモデルはキリスト教(キリスト教系カルトって言葉があるけどキリスト教自体がカルトじゃん)。暗黒神ギーアを崇めていて、ホルンの魔女からラムールの街を守るという口実で、大聖堂を作るための寄付を集めております。最上階の鐘で人々を操る(音楽は洗脳と操作として使われております)ことができるのですが、ホルンの民には効かなかったので、ラムールの住民を使ってホルンを襲わせました。
上のほうの階は ×神聖 ○邪悪 な場所ということで、特殊能力が使用できません
(カルトは人間本来の能力を封じる為に存在します)。

ギーア寺院の運営は勿論モンスターがやっております。最上階に至る途中までは床が目玉や髑髏だらけだったり非常に気色悪いです。鐘がある最上階は床がメイソン模様(市松模様・チェス盤模様。ゼルダのハイラル神殿的な)。あと、オベリスク的なものがありますね。
動画で創価叩くコメントするなら、大本教(和風キリスト教)仏教部だとか、キリスト教仏教部だとか、メイソン仏教部だとか、大日本皇道立教会=南朝偽天皇を崇めるキリスト教+メイソン団体、が母体だって言うべきです。
(アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.49
http://www.nicovideo.jp/watch/sm623866)

・ピラミッド内部の床に、手の中に一つ目=20世紀少年の“ともだち”マーク=ファーティマの手。
ファーティマはムハンマドの娘。イスラム第四代正統カリフのアリーの妻。シーア派(イラン=元ペルシャ=マギ〔魔術師〕の国、で勢力が強い)の代々の最高指導者〔イマーム〕は代々ファーティマの子孫であり、イシスやマリアなどと同じく聖母的存在です。
ファーティマ朝は十~十二世紀にエジプトを中心に、北アフリカ~シリアを支配した、最初のシーア派王朝です。カイロを都とし、地中海貿易を独占しました。アズハル学院(大学)の建てられたカイロはバグダードに代わるイスラーム文化の中心地となりました。アズハル大学は、ナポレオンのエジプト遠征後に近代化(キリスト教+メイソン化)し、フランスの影響を受けつつ(フランス系メーソンはエジプト大好き)、現在も全イスラム世界から留学生が集まります。
(二ノ国の主人公の母の名前はアリー。性別を女に変えて女性崇拝を示しております)

・祭壇の像の中に洗脳兵器。というか偶像(アイドル)崇拝させる宗教自体が洗脳兵器ですけど。
(アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm785343#!sm785343?t=1408431643278
アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.75
http://www.nicovideo.jp/watch/sm796490)

・スメリアは精霊の国とも呼ばれる島国で日本のこと。精霊山シオンや聖櫃(アーク)が登場。日ユ同祖論詐欺ですね。

・パレンシアタワーは、床に八角形の中にゼルダのトライフォースと同じ△が三つ集まっている模様が大量にある箇所あり。エレベーターは11の倍数が好き。11はメイソンが大好きな数字であり、大きめの素数であるので意図的でないと入れにくい数字。77はゾロアスターが死んだときの年齢。
(アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.80
http://www.nicovideo.jp/watch/sm845841)

・ロマリア王(小物。傀儡)の玉座の間の床が、長方形ですがメーソン模様。狛犬みたいにライオン像が二つ。
(アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.97
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1062519)


・“だれかを選んで生かすなんて事が為されるとしたら、それは悪魔の仕業だろう
アーク

旧約聖書用語が多い作品なのですが、アークという旧約ズバリな名前の人が選民思想を否定します。聖書の神は悪魔を創造した癖に自分だけは完全に善だとしている時点で悪魔なんですけどね。
そういえば、アララトスという、人類発祥の地と呼ばれる、アララト山がモデルのものが登場しますね。ギルガメッシュ叙事詩からぱくりました。
・ラスボスに黒幕の闇黒の支配者=巨大な一つ目。
・地震と津波などの災害を一つ目に操られているロマリア(ローマ帝国+英国)王が人工的に起こす。
・闇黒の支配者は第一形態は巨大な一つ目。第二形態になると宇宙人らしき姿になります。倒すとへその緒みたいなのが出ていますから巨大な胎児ですね。

(アークザラッド2 ストーリー
http://rdone.web.fc2.com/arc2/arc2_d021.html
アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.106
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1207334
アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.107
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1213744
アークザラッドⅠ&Ⅱ 10年ぶりにプレイ 【Ⅱ編】 part.ED2
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1213863)

『アークザラッドII』(Arc The Lad II)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B6%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89II
“教皇
フォーレスのギーア寺院の指導者。ラムールの街でホルンの魔女伝説を利用して街の人々から支持を集め、寄付金で寺院を建設していた。ロマリアの手の者で、寺院完成後はラムールの人間を操ったが、ホルンの民には効かなかったためラムールの人々にホルンを襲撃させ、壊滅させた。
発言からヤグン将軍配下と思われる。ラムールの人々を操っている事を咎められても、「この国の人間を幸せにしている」と吐き捨てる。”

“闇黒の支配者
古に七勇者に封印された邪悪な存在。その正体は欲望に駆り立てられた人間の王のなれのはてで、闇の精霊をとりこんでいる。”

“殉教者計画
ロマリアが進めている計画で、全世界に殉教者の塔と呼ばれる建造物を建設し、その建造物に洗脳装置を取り付けて人間を思いのままに操る計画。ロマリア四将軍のアンデルが指揮している。
殉教者の塔と呼ばれる建物に取り付けられているため、その国で最も高い建物である事が多い。作中ではアルディアの女神像、スメリアのパレンシアタワー(洗脳装置を取付けていない囮)、フォーレスのギーア寺院、ブラキアのバンザ山、ミルマーナの海底油田、アミーグの神の塔、バルバラードのピラミッド、北極・南極の塔が確認でき、アンデルとヤグンの会話からグレイシーヌではラマダ山に洗脳装置を取り付ける予定だった模様。
実は真の殉教者の塔である北極・南極の塔が本命であり、世界中にあった塔の大半は前座に過ぎない程度の物であったことが判明する。”

記事終わり。
おまけ
エルク「うへぇ、ロリコンか」(リーザ「ロリコンってなに?」)
「だいたいてめぇ、さっきからセリフがひらがなばっかりじゃねえか。あたまわるそうなやつだな」
主人公(笑)
http://dic.pixiv.net/a/%E4%B8%BB%E4%BA%BA%E5%85%AC(%E7%AC%91)#h4_7
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