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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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『よいこの黙示録』と「敵(支配層)と古典の真似」で、労働カルトを作ったカルヴァン派系支配層の視点を獲得しましょう! (◞≼◎≽◟)☝本当は教えたくないのですが、選ばれたあなただけに特別に今だけ、教祖として成功する秘訣の続編をお届け! 

 

選ばれし優秀なあなたも本記事を信じましょう!
よいこの黙示録
『よいこの黙示録』のありがたい教え

今回の目的は ふるいにかけて選別すること
「奇蹟」の「現場に居あわせた人間」と
「出遅れた人間」の水位差を作ってやるわけだ
前者は少ない方がいい
(…)
「出遅れた人間」はその水位差に気後れし
発信者にキャッチアップしようと必死になる
……まあ その「出遅れた人間」の在り方こそ
「信者」の本質



↑はあなたも上手く真似しましょう!
敵(支配層)と古典の真似により支配層の視点という最重要な能力が身につきます!
陰謀を仕掛ける側の視点を獲得しないといつまでもカモ体質のままですよ!
本気で搾取・奴隷・依存・カモ体質を脱したいなら、支配層と古典の優れた具体例を理論化して設計図を取り出す作業が必須!
いいから『君主論』と『完全教祖マニュアル』を読むのです!


①資本主義の黒幕であるプロテスタントのカルヴァン派は利子OK←最重要

②利子をOKしたカルヴァンの根拠地はスイスでジュネーヴ大学を創設←しかもスイスはバチカンの守護担当!


カルヴァンが利子OKしたってことが日本語版ウィキのカルヴァンとカルヴァン主義の項目になし!何が書かれて「無い」かが大事!



※カルヴァンが利子OKした記述のウィキにおける有無
項目名        日本語版  英語版
カルヴァン       なし     あり
カルヴァン主義     なし     あり
利子          あり     なし

英語版ウィキとの比較は史料批判の手法なので基本。

目次(的な要約)
①カルヴァン派 + 古代ギリシャ思想 - 安息日 = 労道教

②創造のために
「良いモデル=古典と支配層」を真似るのが最強

③カルヴァン派を
「理論化=設計図を取り出す」したうえで真似するのが至高

④日常生活に直結する教義は標的と真逆にするのが有効
(宗教Zを破壊した宗教I)

⑤優れた設計図を目的に合わせてコピペ改変

⑥科学と伝統を権威にして女と子供に布教

⑦ウィキペディアなど検索上位の情報の改竄

⑧教義を少しずつ変えて弱点を減らす

⑨陰謀論を教義に組み込み囮(偽の支配層)を叩き、上級カルトの支援を獲得

⑩「外見を変えずに中身(設計図)をすり替え」
=マニ教とイエズス会戦術による敵勢力の破壊

⑪やばくなったら分裂or新しい団体を作り吸収
⑫参考資料(大量なので絶対読むな!チラ見もダメ!)



掲示板っぽくしてみた


本記事は、前回
異端派版ヨハネ黙示録=『第四エズラ書』
を収録する『旧約聖書外典(下)』、『旧約聖書外典(上)』『新約聖書外典』。 
利子OKプロテスタントのカルヴァン派を隠すのがユダヤ陰謀論教の目的の一つなのを詳しく語るのは次回!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
カルヴァンはフランス出身だがスイスで活動し、スイス勢力が支配層の中でも上位である原因を作った人の一人。
神学校として1559年に創設されたジュネーヴ大学の創立者。
カルヴァンは利子を容認←超重要!
カルヴァン派は利子OK←超重要!
「ユダヤ=利子取れる、キリスト=利子取れない」の二元論の罠に注意!
しかも、資本主義を生んだのはプロテスタントのカルバン主義。
しかもカルヴァン派が利子を肯定し、資本主義を発展させたからスイス勢力が金融の黒幕となっているのです。
しかも、カトリック総本山のバチカンにスイスガードを送ってカトリックがスイスのカルヴァン派を攻撃できないようにしているし。
で、資本主義を牛耳っている勢力のどこがユダヤ教徒なんだよ。
カルヴァン陰謀論は言われないよね。 
資本主義に与えた思想と利子OKからしてどうみてもカルヴァンが資本主義の親。
カルヴァン派とカトリックの両建ての胴体であるスイスはタブーだもんね。
フランス系カルヴァン派=ユグノーがロンドンのグランドロッジ設立の中枢。
アンダーソン憲章、アンダーソン、デザギュリエ、長老派、ユグノーなどのキーワードで調べればすぐ出るし。
どうみてもメーソンってユダヤじゃなくて反カトリックのプロテスタント系なんですけど。
カトリックがメイソンへの入会を禁止しているのって要はプロテスタントになるなってことでしょ。
でカトリック勢力もプロテスタント陰謀論は唱えません。ユダヤと悪魔陰謀論ばかりです。
日本人の労働観はカルヴァン派まんま。
働かざるもの食うべからずは新約聖書由来。


の予告通り、
「利子OKプロテスタントのカルヴァン派を隠すのがユダヤ陰謀論教の目的の一つなのを詳しく語る」ことを、

『完全教祖マニュアル』で騙す側の視点を獲得しましょう。 (◞≼◎≽◟)☝本当は教えたくないのですが、選ばれたあなただけに特別に今だけ、教祖として成功する秘訣をお教えします!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-106.html

の続編として実践します。

峨骨 ‏@Chimaera925 8月8日
日本の労道は宗教です。



労道カルトの「作り方」がよくわかる回です。
カルヴァン派と古代ギリシャ思想から生まれたカルトが労道教なのは

古代ギリシャでは労働は美徳ではなく、自分で働いてお金を稼がねば生きていけないのは恥ずかしいこと。
支配層はギリシア哲学大好きなのでこの思想も継承。
(労働が美徳なのはカルヴァン派と、それを凶悪化させた日本の労働教。
「働かざる者食うべからず」の元ネタは新約聖書)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-116.html

を読めばわかることなので、
今回は宗教を創造し、維持、破壊する手法についてお話しします。

てなわけで、

(◞≼◎≽◟)☝「ここからは私が担当します」


~創造(のための真似)の章~

宗教を作るのに想像力も創造力も不要です!
オリジナリティなんて必要ない!
最重要なのは、

「良いモデルを探して真似る
(良いモデル=古典と支配層)」


ことです!
そして不思議なことに、真似ているのにオリジナリティは勝手にでてしまうのです。
オリジナリティ至上主義カルトにご注意!
オリジナリティ云々はまずは上手い人をうまく真似られてから言ってほしいものですね。
まずは多くの先人が洗練してきた良質な型を真似て、応用できるまで習熟してから、型破り=独自性が出てくるものなのです。
それなしに独自性を出してもほとんどの場合は過去にすでにより優れた類似のものがあるので劣化コピーになっちゃいますよ。
だからこそ古典=過去に上手くいきしかも今も上手くいっている実例を真似るべきなのです!


今回採用する上手い例とはあなたがたの予想通りカルヴァンです。

この素晴らしい教義(大前提と五大要素)を見てくださいよ!

予定説
人が救われるのは、人間の意志や努力なんてまったく関係なく、神がすべて決めているから願っても無駄

①全的堕落
(堕落後の人間は全員汚物。自分の意志で神に仕えることを選べない)

②.無条件的選び
(誰が救われるかは神があらかじめ全て決める。予定説)

③制限的・限定的贖罪
(キリストの贖いは救いに選ばれた者だけのため。全員を救うためにしたことではない)

④不可抵抗的恩恵
(神の恵みを拒否できない。被造物たる人間の意志なんてどうでもいい)

⑤聖徒の堅忍
( いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。
選ばれないと決まっていたら何やっても無駄)



予定説は本当に素晴らしい!
予定説では、信者が神を信じることすら信者の自発的意志ではなく、
神が「信じさせてくれている」(神が救う為にやってくれている)のだとします。
そして、異教徒は自発的意思によりプロテスタントのカルヴァン派を信じないのではなく、神から見捨てられているとみなします。
予定説から見れば、異教徒は神から見捨てられたとっても哀れで可哀そうな、全人類を愛している「とは思えない」(自作自演)の神の創造物なのです。

これを儲の立場から考えてみましょう。もし、あなたが儲だとします。あなたが急にふと唯一神の存在を信じられなくなったとします。予定説だとその瞬間、神から見捨てられたことになります。儲であるあなたは自分が神に見捨てられたなんて考えたくありませんし、信仰が薄れているなんて認めたくありません。ならば必死に信仰に篤いとアピールする為に熱心に活動したりするわけです。
これはつまり、
「信仰を失うという脱キリスト教的な動きすらも、キリスト教の枠内に抑え込んでしまう教義」

「信仰を失ってもキリスト教から離れることができず、逆にキリスト教の中で失墜するだけにしてしまう教義」

「信仰を失った者にさえ、なお『自発的に』信仰を求めさせて自己説得させることができる教義」


なのです。
別に宗教団体に限らず、組織固めの為にも、とても参考になると思いませんか?
五大要素について各自勉強して、
「理論化=設計図を取り出す」したうえで真似しましょう!

よくできた設計図を真似ることも大事ですが、目的に合わせて設計図を作ることも大事。
素晴らしい実例がイスラーム教。
キリスト教(アーリア系)をセム系の部族っぽく改造したイスラム教は、中東で力を持っていたゾロアスター教を破壊する目的のために以下のように教義を設定しました。

イスラム教
①猫は善。犬は悪。
②断食(ラマダン)は義務(善)
③一神教
④偶像崇拝禁止
⑤土葬は義務(善)
⑥飲酒禁止

ゾロアスター教
①犬は善。猫は悪。
②断食は悪
③多神教
④偶像崇拝肯定
⑤土葬は悪
(鳥葬が義務=善。火葬も水葬も悪)
⑥飲酒ok

露骨にゾロアスター教破壊用でしょ?
教義のうち、日常生活に直結するものを真逆にしているのが重要。
イスラム教の場合は敵対するとはっきり表明する実例。
敵対するとはっきり表明せずに対象を乗っ取り破壊する実例であるマニ教の設計図は後述します。

(教義について詳しく学びたい方は、
『宗教の犬派対猫派』「カワウソは犬。ゾロアスター教ではね。
ゾロアスター教とユダヤ教とキリスト教は犬派(猫は悪)。イスラム教は猫派(犬は悪)。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-56.html
をどうぞ)


真似するとはいっても、闇雲に真似するのはダメです。目的に合わせてコピペ改変しましょう。

労働教は、真似しているのは骨格の設計図(カルヴァン派)だけで、表面は完全に日本風なのが特徴です。

ゴッド→「労働それ自体」

に変えて、あとは日本人の性質についての研究に基づき現地にとけこめるように改造しました。
例えば、安息日は消去。
安息日という定休日は日本に根付いていないので好都合。
休日出勤を断る理由は一つでも排除。


見た目もソフトにしましょう。
原理主義派である過労死教では反発されるので労働教という名前にするのは安易な発想。
「教」なんて表現はダメ!
 貢献! 自己実現! 充実! 
単に搾取されて疲れ切っているだけなのですが、そこを上手いネーミングで乗り切りました。

無論、「救済」(搾取)を与える機能はそのままなのでご安心ください。
考える手間をなくして楽させてあげられる機能は健在。
信仰を持った人に
「信仰を持って良かったことは何ですか?」
と尋ねると、
「しっかりとした価値観が持てるようになった」
「何かに迷っていても、自分には宗教という指標があるからそこに立ち戻れる」
といった返事がよく帰ってきます。
要は、
「自分で考え疑い検証する手間が減ったのですごく楽だ」
ということです。
楽すなわちハッピー。騙しているわけでも洗脳しているわけでもありません。
儲=奴隷労働者をハッピーにできればそれでよいのであって、あらゆる権威も手段としてどんどん利用しましょう。

でも、「働かざる者食うべからず」は新約聖書にある聖なる言葉だと宣伝してはいけない!
聖書の権威は絶大ですが、正体=設計図を見せてはいけない!

労働教は聖書の権威は主張しません。
元ネタがばれるから隠します。
日本が所謂欧米だと思ってきたものは主に労働教の元凶であるプロテスタント圏で、労働教否定のカソリック圏ではないことも隠蔽!

布教すると必ず食らう、日本の伝統じゃねーだろ、という反論は無視!

代わりに、聖書の権威よりも日本では科学の権威のほうが強いので、
科学的体裁を取って、西洋の宗教の改悪版だとばれないようにと擬態!
新興宗教という胡散臭さを消すことに成功!
ほとんどの日本人は自分自身が民主主義教、デモ教、拝金教、選挙教、過労死教、性善説教の癖に、
「私は無宗教です」ってほざく無自覚野郎ですから、新興宗教ってだけで毛嫌いします。
なので、日本人が特に信仰している科学の権威を利用しつつ労働教を布教したのです。

「宗教です」と言わずに「科学的な日本の伝統です」、と言いましょう。

日本人のほとんどは、論理的な科学的思考ができないくせに伝統(捏造)と科学(の権威)だけはなんとなく信仰するイエローモンキーなので、ちゃんと日本人の特性にあわせた偽装をほどこせば問題なし!

「日本の伝統と科学の話をしているのです」

と言い張れば、大半の人は疑いません。
似非科学(反知性主義、思考停止)だろうが、
本物科学(啓蒙主義、実証主義)だろうが、
区別できないからこその大衆(どれい)なのです。
ほら、ゲーム脳だとか水からの伝言だとか、地球温暖化詐欺だとかエコだとか科学的体裁を取ることは実に説得力があるでしょ?
どうせ一般人は本当に伝統かどうかの歴史的検証も、効果があるかどうかの科学的検証も絶対しません。
マイナスイオン=陰イオンなんてそこらじゅうにあることすら知りませんから。
アトランティスだなんとか言っている癖に、原典のプラトンの著作を読まないようなものですよ。
新キリスト教=神智学思想もよい設計図の宝庫ですよ!

批判的精神を持ったインテリが合理的に反論してくることもあるでしょうが、
一般人=奴隷は見たいものしか見ないのですから関係ありません。
特に、主婦という真っ先に救済しないといけない人々(感情を煽って騙しやすいので絶好のカモ)を中心にひたすら布教しましょう。
労働教の布教法そのままですが、キリスト教の布教法の真似です。
女と子供をターゲットにし、インテリと男は無視しましょう。子育てするのは母親ですから、最終的にはインテリの男も洗脳できます。

~維持(する為の分断支配と情報操作)の章~

よいこの黙示録
①『よいこの黙示録』から学べる水位差による分断支配

”今回の目的は ふるいにかけて選別すること
「奇蹟」の「現場に居あわせた人間」と
「出遅れた人間」の水位差を作ってやるわけだ
前者は少ない方がいい
(…)
「出遅れた人間」はその水位差に気後れし
発信者にキャッチアップしようと必死になる
……まあ その「出遅れた人間」の在り方こそ
「信者」の本質”



水位差とは、身分、選民意識、階級などを産みだせる水源。
分断統治、権威の強化、階級制、選民思想などさまざまなものを生み出せます。
何年も前から計画された「流行」に踊らされる人は信者を見ればいかに素晴らしいお手本かがわかります。
意図的に「流行に乗っている人(実在しなくてもいい)」
と「流行に乗り遅れている人(カモ)」の水位差を作って操作して搾取……いえ、ハッピーにしてあげましょう!

この水位差という点を指摘している作者は本当にすごい!
カルヴァン派の教義はまさに悪質な水位差を多数作るのが目的
ですからね。

②ウィキペディアなど検索上位の情報の改竄

大多数の人は検索上位しか見ませんから、ウィキペディアは最低でも「聖絶」改竄して信者をアンハッピーにする要素は消してあげましょう。
読めないニックネームなどという悪魔が指摘している陰謀論のタブーに関することは積極的に消していきましょう!
例えば、プロテスタントのカルヴァン派が利子OKなのは都合が悪いのでウィキから消しておきましょう。
英語版も忘れずに。
カルヴァンが利子をokしたことは、消されたのか最初からなかったのかわかりませんが記述されていません。


③教義を少しずつ変えて弱点を減らそう

上手いこと弱点を消すように努めつつ教義を変形させていきましょう!
徐々にやっていくの重要です。
理由づけに困ったら、
「私は霊的に進化しているから教義も進化する!」
などと世迷言をほざいておけばよし!


④陰謀論を教義に組み込み囮(偽の支配層)を叩き、上級カルトの助力を得よう

迫害など外敵の攻撃を受けると、儲は自分達の宗教が間違っているとは決して考えません。むしろより依存してくれますので積極的に敵を活用しましょう。
聖典あるいは経典に
「我々は正しいがゆえに迫害を受ける」
としっかり書いておきましょう。
新キリスト教の特徴の一つに、陰謀論というものがあります。
それで成功しているのであなたも是非とも組み込むべきです。


支配層製の陰謀論カルトに共通する設計図は


A.ユダヤ陰謀論=キリスト教の伝統
(正統派、異端派、カトリック、プロテスタント問わず)

①キリスト教=絶対善
(乗っ取られる前の、本来の、聖書が改竄される前のキリスト教は善)
②メーソン・イルミナティ・ユダヤ=悪。
③メイソン・イルミナティ・ユダヤのメンバーにキリスト教徒はゼロ!
全員サタニストかユダヤ教徒!

※既存のキリスト教をユダヤ・悪魔崇拝だと叩いて(キリスト教と言ってはいけない)、
「正しい」=自分の派閥の新キリスト教(スピリチュアル、ニューエイジ、人型限定宇宙人、神智学など)を正当化するのはok

※「キリスト教が黒幕」陰謀論を主張する場合、キリスト教の範囲を限定するならok。
①バチカン叩き限定
②プロテスタント叩き限定
③スピリチュアル叩き限定 など実例多数
①~③を丸ごと叩くのは絶対禁止

※ 1.フランス系カルヴァン派=ユグノーがロンドンのグランドロッジ設立の中枢、
(アンダーソン憲章、アンダーソン、デザギュリエ、長老派、ユグノーなどのキーワードで検索)
2.メーソンはユダヤではなく反カトリックのプロテスタント系、
3.プロテスタントは異端だからカトリックはメイソンへ入会禁止、
への言及禁止

B.日ユ同祖論
⓵神道=ユダヤ教
 日本人=本物ユダヤ人
②『第四エズラ書』は真実

※ダビデの星がユダヤだけのシンボルになったのは17世紀からでキリスト教が決めた(ユダヤではない)ので日ユ同祖論(キリスト教製品)に使えないことへの言及禁止。

※日ユ同祖論は、
「中ユ同祖論(イエズス会士ロドリゲス製品)と英ユ同祖論を改悪した、キリスト教の布教のための捏造」
だとばれる情報へのリンクを貼るのは禁止。



決して、
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』
と茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマと
大日本皇道立教会と鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
はデマサイトだなんて言ってリンクを貼ってはいけません。
嘘がばれるかもしれない道は断っておきましょう。

絶対に
読めないニックネーム(再開版)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/
のような邪悪なサタニスト・ユダヤ・メーソン・イルミナティが運営しているカルトが作成した設計図を使ってはいけません!

とにかく、支配層の設計図を真似れば、必ず大先生である上級カルトが裏で支援してくれますから必ず採用しましょう。

言っておきますが、在日陰謀論は賢くありません。日本では在日は信者候補ですから、日本ではまずいないユダヤ教徒を叩きましょう。
在日を迫害してくれる勢力はすでに十分存在しているので、あなたは迫害ではなくひたすら救済に注力すればいいのです。

陰謀論を利用した支配マニュアルの一例


Aを否定したいなら、狂人にA肯定だと言わせればいい。
Bを肯定したいなら、狂人にB否定だと言わせればいい。

⓵頭のおかしい雰囲気のアカウント作る
(東海アマやコシミズのような日ユ同祖論者
=大本教系の異端派キリスト教の宣教師 を真似るのが有効。
なのでキリスト教の印象操作技術を盗むべき。異教徒のふりは基本!)

②攻撃したい内容に頭のおかしい雰囲気の演出をしつつ同意。

③バレそうになったら「陰謀論乙」などを連呼してレッテル貼り

④捨てアカウントで敵のアホを叩くのをメインにする
(無能な敵=味方。 無能な味方=敵)

⑤「事実と意見を区別」してはいけない←論理的思考の否定

⑥「思う、感じる、感情表現の多用」←論理的思考の否定

⑥複数人でグループで活動
(「Aが過激な主張をし、
Bがなだめつつ穏当な内容にし、
Cがそれを見て納得」
をDに見せて、Dを洗脳。互いに無関係を装うこと)



ユダヤ陰謀論を明らかに頭のおかしい奴の役目Aに言わせて、
Bがおかしさ(黒幕が表に出るわけない+上記の陰謀論の設計図)を指摘する役目を果たし、
「キリスト教>ユダヤ教」にもっていき、
Cが納得と「Dさん、Bさんが正しいと思います」と最終的に同意に誘導する役目を果たし、
ユダヤ陰謀論に洗脳されているDの洗脳を解く、
という毒抜きにも使えますが、絶対にやってはいけませんよ?
(やりたくても人数少なすぎだし時間ないしできねーよ。これできるの物量作戦ができるカルトでしょ)


~破壊(する対象は異教)の章~

①外見を変えずに中身(設計図)だけひそかに変える
 =マニ教とイエズス会戦術で都合が悪い勢力を乗っ取ろう

マニ教の概要は本記事にある過去記事へのリンクからどうぞ。

異教撲滅マニュアル

異教の外見を変えずに中身(設計図)だけひそかに変える。

⓵経典は布教する土地の現地語に翻訳。
教義の厳密な訳出よりは各地に伝わる在来の信仰や用語を利用し、入信者が理解しやすいように翻訳

②相手の宗教を否定せず積極的にその宗教独自の概念や神話を取り込み、違ったものに作り変える
(改良版を売る。我々は実は君らの宗教の改良版または元祖だよ戦法。
仏教を破壊したいなら、取り込むふりをしつつ、仏教の中核である
「A. 嘘を見破るのに有効な論理と論理的思考を重視する姿勢
B. 一神教と新プラトン主義を完全否定する無記と空と無常と縁起の思想」
を抜く)

③現地の言葉を学び、文化を研究し、現地の改宗者にスパイをさせ、現地の宗教の儀式をやりながら入り込む

④教義のうち、絶対に変えない個所は最小限にする
特にマニ教では「構造=設計図」が重要であり、布教のためならイエス論(マニ教は自称「真のキリスト教」)ですら変えてOK。
簡単に憑依できるのでマニ教が徹底して弾圧されたが、全然死滅していないことから、生き残りのために有効な技術。

(マニ教の設計図
A. グノーシス主義
B. イエスの絶対性
A. グノーシス主義のみが必須要素)

イエズス会は
A. 一番偉いのはローマ教皇=権威
B. 聖霊は父と子から出る=不滅の絶対的善なる存在
の二つだけを認めるよう要求。残りは改変OK。
AとBが両方とも存在しないカルトはない。
日本では
A. は、頂点=現人神(グノーシス的)=偽天皇や、
非人紙(=紙幣。あらひとがみ=人に非ざる紙)など。

B. は労働と民主主義と資本主義と秘密選挙など。




②やばくなったら分裂しよう

やばくなったら、今の団体を消して新しく作った団体に吸収させたらいいのです。
あらかじめ無関係を装っている裏部隊を作っておきましょう。
メンバーさえ生き残れば団体が消えても問題ありません。

スウェーデンボルグ派キリスト教の和訳である大本教は弾圧されたのに、大本教勢力が今なお隆盛なのは、分裂して名前と外見だけ変えたり、異教に寄生する戦術でたくみに生き残ったからです。

ノウハウを蓄積したらマニュアルを作って売る商売もすべきです。いわゆる子会社を作っておくのです。


~締め……そしてまた創造へ……~


(◞≼◎≽◟)☝「今回の呪業は異常DEATH! 新たな創造のための復讐をお忘れなく!」

最後に。奴隷で遺体なら絶対に飼ってはいけないものをご商怪します!
ご清聴、誠にありがとうございました!


【↑以外のテーマ別参考資料】

「労働教」

荒野草途伸 ‏@xatosi 6月21日
「働かざる者食うべからず」なんて思想はキリスト教福音派(カルヴァン派)の思想だからね。だから福音派国家のアメリカでは金持ちの子供でもバイトして稼げと言われる。その代わり無報酬労働は禁忌、ボランティアは神に対する労働とみなされる。日本はこれを資本家にとって都合のいい所だけつまみ食い

峨骨 ‏@Chimaera925
会社法では会社は社員の物とされる。社員は出資者、つまり株主を指す。正社員は単なる雇われ従業員に過ぎない。どれだけ働いても賃金が上がらず株主に配当金が回るのは正社員が社員ではないから。そんな正社員が社会人の常識だとか経営者目線で努力し成長とか言って献身しても、狡兎死して走狗烹らる。

与えられた役が苦しくとも耐えて努力すれば報われる、日本でありがちな思想。例えば与えられた役が奴隷で、努力したら報われて奴隷頭になれるかもしれない。しかし、奴隷以上にはなれない。 働いて、納税し、選挙に行けば社会人。法制度、各種必要な手続きを全く知らなくても。

ねこた ‏@lakudagoya @Chimaera925 日本でそういった摩訶不思議な制度や法律を利用するのは上級国民様だけに限られてますよね。 そういった近代国家(笑)の枠組みにアクセスできるのは上級国民様だけで一般国民がそれにアクセスしても門前払いってのが多いかも?

峨骨 ‏@Chimaera925
@lakudagoya 上級国民様はその道のプロに頼んで金で解決してますね。日本の上級国民様は例え実力が無くとも世襲したコネとカネだけはあるので(笑) 確かに、役人をお上だと思っている民間人は言いくるめられて門前払いでしょうね。強面のチンピラや外国人だとあっさり受理される事も。

カルヴァン派の予定説では、神の救済に預かる者は最初から定めら れており、禁欲的に天職に勤める事で成功する者であるといった思想だ。つまり、富を築いた者はなるべくしてそうなった、と。ここで言う禁欲とは、目標(利 潤の追求)の為に全精力を傾ける禁欲さのことを指す。天職思想はルター。

宗教改革の際、カルヴァンはテサロニケの信徒への手紙二の「働かざる者食うべからず」を利用して聖職者は他人の労働によって養われていると批判した。もともとはテサロニケ教会の人々に向けられた言葉であり、それは普遍的で絶対的な法則ではなかった。

天職(Beruf) アブラハムやモーセ、キリストは神から使命を与えられ勤めを遂行した。ルターは聖職者に限定されていたそれを拡大解釈し、神から与えられた使命。つまり神から与えられた世俗的な職業労働、天職に励むことを最高の道徳とした。ざっくりと。


役人に口頭で何かを求めても働かない。悪魔の使役と同じでも目的に応じた悪魔、もとい役人を選び、それに対応した魔方陣、否、不備の無い書類で命じなけれ ば命令を受け入れた振りして従わない。不備の無い書類を受け取った時点で彼らは命令に従う。急急如律令、「急々に律令(法律)の如く行え」ってな

悪魔は契約を正しく行えば契約に従う。のらりくらりと契約を回避し嘘をつくが、契約すれば従う。フィクションにある「急急如律令」と書かれたお札。これは 中国の漢の時代に公文書の末尾に、急々に律令のごとくに行えと書かれたのが始まり。急急如律令と書かなくても良いが、書類にはその力がある。

訴えても動かないのはその命令に効力が無いから。大事なのは効力であって、自分がどう思っているかではない。赤子ならば、泣き喚けば周りの大人が助けてく れるかもしれないが……クレームは正当な権利を要求する事。しかし、日本では権利の無い要求をして喚く図体のでかい赤子をクレーマーと呼ぶ。

根底にあるシステムやルール(法)を知らずに、何かで戦おうとするのは不可能だ。ゲームやスポーツですら勝てない。利害が相反する非対称ゲームで双方が利益を最大にしようとすれば、利害が衝突する。労働問題、社会問題は大抵がこれだ。システムやルールを知らねば知っている側の利益が最大化される。

ねこた ‏@lakudagoya
調べていけばいくほど、女の世界で相容れない問題は宗教観・宇宙論や自然観の違いだという事が明らかになってきた。 日本の上級国民の女はキリスト教名門校で中学などから教育受けるうちに無意識にキリスト教的な自然観や宇宙論の影響を受けてるのかも? だって教師の思考回路がそれだからなぁ。

普通、宗教学校は異教徒は入れんのよね。でもキリスト教だけが異教徒も入れる学校を運営してる特殊な状況を呈してる。 しかも幕末から明治にかけて入ってきたクリスチャンは世俗主義のフリして脱聖化されて入ってきた。 だから、どれが宗教に由来するのか見えなくなってしまったんだよね。

イスラームという視点から見てると、日本人が宗教じゃないと思ってる事の多くはガチ宗教だという事が浮かび上がってくる。 日本人がイスラームという視点で物事を見ると西洋の洗脳が解けてしまうからネガキャンしかしないんだなと。 無意識の宗教洗脳は信仰告白しないから怖いんだよなぁ。

イスラームってさ、あのISだって自分の信仰を隠して異教徒に宣伝したりしないじゃん。 イスラーム文明の良いところは全てが明文化されてるって所かな? それに引き換えキリスト教文明は、異教徒に対してガチ宗教なのに宗教と思わせないで洗脳する事ばかりやってる。 それ凄く迷惑なんだ!

例えばニートに関しても労働しないから悪って、凄くプロテスタントの価値観の押し付けだよね。 ニートに労働しないからけしからんって説教する坊主がいなかったのはここにも宗教観の違いが出てるなと。 日本人の自殺が多いのはこうやってご都合主義の価値観で洗脳されてるためじゃないか!

欧米型のSFのようなガチガチの国家管理主義は、アメリカの西部開拓時代のような自由を求めるアラブ人には屈辱以外何者でもないって発想が面白い。 欧米は国家という檻で移動できない一般人のみ囲って、特権階級だけグローバル貴族なんだもん。 これは凄く迷惑以外の何者でもない。

グローバル社会もさ、交易すればするほど豊かになるなら悪くはないのかも知れんけど、今の欧米型のグローバルの仕組みは、国際イナゴ集団じゃん! ローカル地域はひたすら収奪されるだけの存在だし(日本の地方がそう)、地方が自立して豊かに暮らせる仕組みを維持した上でグローバルがねーもん。

「キリスト教も実質利子OK」

ねこた(おしまい!) ‏@lakudagoya 5月7日
@to_moshibi なんでベネチアはこんなに世界史に甚大な影響力を与えまくってるのに、ユダヤだけが叩かれてイタリアの商人がスルーおかしくないですか? アホな陰謀論者はこいつらをユダヤとか言うんでしょうが、そもそもメディチ家とか商館持ってるのはクリスチャン商人だからですし。

ねこた(おしまい!) ‏@lakudagoya 2015年6月22日
メディチ家だってあそこまで富を蓄えたのはバカチン市国が禁止する高利貸しをせずにお金を儲ける方法を使ったからな。イスラーム世界から導入した「為替」という仕組みを使って高利貸しせずに莫大な財産をゲットhttp://yukipetrella.blog130.fc2.com/blog-entry-223.html …複式簿記だってイスラームからの輸入だよ?

ねこた(おしまい!) ‏@lakudagoya 7月1日
10世紀のイスラーム帝国時代、カリフに金を貸してたのはバグダッドに住むユダヤの両替商。 で、こいつらを押さえればカリフだろうとコントロールできるわけじゃん。 カリフを操って徳をするのは誰か?という目線で考えてみるといいだろう。 ヨーロッパも同じ構造ね。わかるかな?


ねこた(おしまい!) ‏@lakudagoya 7月1日
ユダヤ陰謀論は、誰がユダヤ様に金融特権持たせたかってのが争点なわけ。 ユダヤ様が金融特権持てるのはキリスト教もイスラームも表向き利子は禁止されてるって事だけど、これを定めたやつが問題よね。 金融特権押さえてればバチカンだろうが王様だろうがカリフだろうが思いのままだもの。

カルヴァンが利子OKで、しかもスイスで活動って露骨だな!

で、言っとくけどユダヤ教でも利子は禁止だよ。特例的に異邦人に対して認められてるだけ。 で、このアブラハムの宗教の利子の禁止は「旧約聖書」に根拠があるんだよ。 突き詰めたら旧約聖書を利用して3つの宗教を操って何かを成し遂げたい勢力がいたかも知れないって事。

イスラム金融とか見ればわかるけど、利子を取らない金融業ってなかなか難しい。利子なしで金融なんて成り立つわけないのをわかってて、旧約聖書の作者は利子は悪としたわけ。 表向きは禁止されてるけど実際は必要だったらその分野を特権化できる。教会が支配してた時代だと科学だと悪魔に特権化させる

おいらはこの特権化を禁酒法になぞらえて「アルカポネシステム」と読んでるけど、金融特権という蛇口を押さえてたらカリフだろうが王様だろうが支配できるのは便利だろうなぁ。 邪魔なギルドとか王様とか不満分子も金融の蛇口を押さえてたら操れるしねぇ。

ねこた(おしまい!) ‏@lakudagoya 7月1日
で、ユダヤ陰謀論の正体って、カトリックサイドの人だと、教会に対する不満分子勢力がイスラーム世界と繋がってるユダヤ人を経由して資金を引っ張ってきて教会に噛み付いたって事だろうなぁ 教会の面子の関係でイスラム叩きできないから、仕方なくユダヤ陰謀論でお茶を濁してるわけなのよw

なーんでか反カソリックの運動の背景にはイスラム勢力(+ユダヤ)がべったりついてる。 12世紀のカタリ派やボゴミール派の背後にはイスラム神秘主義勢力がいたりなw プロテスタント圏の経済発展だって資金は中東から。 反カソリック運動は異端というベールを纏ってキリスト教圏にやってくるw

おっと、賢明なるよい子は気付いたかな? 10世紀のアッバース朝の首都のバグダッドで銀行屋さんの多くはユダヤ人だったように、アブラハムの宗教は利子を取る事を禁じてるからこそユダヤ様という金融特権が発生するのだけど、一体この構造を作り出してウマウマしてる人は誰かわかるかなん?


ねこた(おしまい!) ‏@lakudagoya 2月13日
多分ね、秘密結社にも2つの派閥があると思う。
独仏系(ドイツ・フランス)の哲学系啓蒙主義者と
英米系の資本主義神秘主義者(というよりスピ系)の2つの流れ。
前者が啓蒙主義で
後者が神秘主義(というよりスピ系) 日本は蘭学や戦前のドイツの学問の影響から啓蒙主義者が強かった。

日本は恐らく江戸時代からプロテスタントのオランダと交易していた影響から啓蒙主義者に憑依されてるのだと思う。江戸時代中期以降に武士や町人の間で高度な技術革新があったのは果たして情報源は何もなかったんだろうか?長崎の外人墓地からコンパスと定規の墓石の人と何も関係はなかったのかな?
プロテスタントというと、日本ではチョンとかアメリカの反知性主義的な福音派をイメージするけど、実は欧州のプロテスタントにはリベラル派の啓蒙主義者がいたようだ。薔薇十字団のパンフを見てたらそいつらの存在に気づいたのだよね。薔薇十字パンフの出版はヘッセン=カッセル。おや?誰か来たかな?

あれー何で日本で欧州貴族陰謀論をやる場合、ハプスブルクの陰謀論がないのは何故かなー?ハプスブルクに比べて何も産業もないから傭兵貸しでほそぼそと稼いでたオカルトマニアの田舎貴族のヘッセンを異様に叩きまくるのは、どちらの顔色を伺ったポジショントークなんですかねぇ?(笑)

日本の神道カルトって本物の学識がないよねー。なんちゃって西洋の学問でデコレーションしたカルトの教義から一歩も出れない。だから戦前に生長の家が出したユダヤ=フリーメーソンの陰謀論なんてのにちょー簡単に引っかかるし、それを疑ってメーソンの研究本を調べようとさえ思わないからな。

本物の学識がないから、西洋史で当たり前のハプスブルク家の陰謀とか、神聖ローマ帝国の選帝侯とか、バチカンの間接統治のツールとしてのユダヤの金貸しが王侯貴族に大名貸しやってるとか、そういった事になーーにも言及せずに利権構造のポジショントークの勢力叩きに転がされてる陰謀論者。

常識的に考えて王侯貴族の陰謀論やるなら、ヘッセンとかのオカルトマニアの田舎貴族叩くより、新大陸の利権を持ってたスペインのハプスブルクはどーなんですかね?あと金貸しならテンプル騎士団とかヴェネチアやロンバルディアの教会法に引っかからず金貸し(為替)やってたクリスチャン銀行家は?

おいらは、欧州の歴史は王や貴族などの世俗権力とバチカンなどの教会権力の戦いと言ったけど、それ以上に小泉じゃないけど、金融業の規制緩和の歴史だと思う。最初はユダヤ人に罰金取って金貸しや両替商やらせてたのよね。大体金利が10%くらい。で、テンプル騎士団が出てきてそれが5%になった。

それまでユダヤ様の利権だった金貸しが一部テンプル騎士団という規制緩和で、タクシー業界みたいに異業種が独占利権を食ったわけ。しかも金利も安い。で、次に利子を取るのが禁止されてたので、イスラーム世界から為替という方法で金貸しをするロンバルディア人やメディチ家みたいなのが出てきた。

陰謀論コミュはメディチ家をユダヤとか馬鹿まるだしの事言うんだろうね。おまいらはユダヤは商館を持って商売できると思ってるわけ?もしメディチ家がユダヤなら商館を持つこともできないし、そもそも為替とか教会法をすり抜ける形でわざわざ金貸しする必要ないと思うんだが?

ユダヤユダヤクソうるさい割には、教皇庁の財政にも食い込んでたイタリアの都市国家の大商人とか完全にスルーするのはどーゆー事ですかねぇ?メディチ家なんかに比べたら18世紀のロスチャイルドとか単なるサラ金屋だぞ?アテクシはイタリアの都市国家の商人とそれからスイスへの流れが気になるんだが


まっこうモグラ君のロックフェラーvsロスチャイルドの理論ってこれはちゃんと調べたらおかしい。ロスチャイルドって単なるサラ金屋だろ?何でその前に金を持ってた大商人とか王侯貴族とグルになってた商人とかそいつらを調べないのかね?大体ロスチャイルド関係なくね?

キリスト教 教派早わかり
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/058kirisuto.htm
”改革派・長老派
 改革派教会、および長老派教会は、一六世紀のフランス人宗教改革者ジャン・カルヴァンの流れを汲むものです。
 改革派および長老派は、同じルーツに発したもので、大きな違いはありません。「改革派」は、カルヴァンが発展させた神学体系からつけた名称であり、「長老派」は、カルヴァンが発展させた教会行政組織からつけた名称なのです。
 カルヴァンは、はじめローマ・カトリックの聖職者でした。しかし、ルーテルの著書を読んで影響を受け、一五三四年にカトリックの聖職を捨てました。
 カルヴァンはカトリックに追われたため、スイスにのがれ、そこで宗教改革を押し進めました。彼は一五三六年に、プロテスタント初の体系的神学書『キリスト教網要』を著しました。
 またジュネーブで、プロテスタントの信仰に立って、厳格な清い生活態度を市民に説きました。
 その頃のジュネーブは、初代教会以来もっとも純粋な信仰が人々の間に見られる社会であった、と言われました。
 カルヴァンはまた、ジュネーブ大学を創設。商工業にも深い関心を持ち、市民の間に絹織物工業や時計製造を広めました。
 人がまじめに働くならば金をもうけても良く、また金を貸して利子を取るのも良い
、と説きました。


ジャン・カルヴァン

 これは、金もうけを「卑しい」と考えたローマ・カトリックとは異なる考えでした。カルヴァンの職業観や金銭観は、その後の資本主義の成立期の、市民の倫理となりました。
 カルヴァンは驚くほど多くの著述をなし、聖書の講解書も、聖書全巻にわたって著しました。いや、「全巻」というのは誤りです。彼は「ヨハネの黙示録」に関する講解だけは書きませんでした。”

メディチ家ってユダヤ人ですか?
http://yukipetrella.blog130.fc2.com/blog-entry-223.html
”「メディチ家はユダヤ人ですよね?」今まで何回かこの質問をお客様から受けました。
答えはNOです。
おそらく「金貸しはユダヤ人」という知識からこの「銀行家のメディチ家はユダヤ人」という考えがでてきたのでしょう。しかし正確に言えばメディチ家は「金貸し」ではなく「両替商」でした。

中世以来「お金を貸して利子を取ること」は教会法で禁止されていました。「何も求めずして貸せ」というキリストの言葉は絶対で、キリスト教徒はこれに背けば軽蔑と非難の対象となり、キリスト教徒として埋葬されることも許されなかったのです。そこで金貸し業は異教徒であるユダヤ人が行っていました。フィレンツェのような都市国家では、金貸しのユダヤ人に罰金を科して営業を許可していました。つまり営業税だったわけです。

ところがメディチ家のような大銀行は融資の利子を取らずに利益を得ていました。その秘密は「為替手形」です。為替手形を考え出したのはメディチ家、あるいはプラートの商人と言われています。これを使って2国間の換金レートの違いを利用し、教会から非難されることなく、利益を手に入れました。

Aさんがフィレンツェにてメディチ銀行から100フィオリーニを受け取ります。
Aさんはロンドンにいる代理人Bさん宛に為替手形を書き、メディチ銀行に渡します。
「100フィオリーニをフィレンツェにおける換金レートでポンドにして、ロンドンのメディチ支店に渡してほしい」
メディチ銀行は為替手形を受け取ったら、ロンドンのBさんに送ります。
ロンドンのBさんは指示された値段をメディチ支店に払います。

同じ操作を今度はロンドン→フィレンツェで行います。
Bさんが払った金額のポンドをメディチ支店から再び受け取り、Aさん宛に為替手形を書きます。
「受け取ったポンドをロンドンにおける換金レートでフィオリーニにして、メディチ銀行に渡してほしい」

この手段で「ある金額をいったん外貨に換えて、それをまた元に戻す」と違う金額になります。為替手形には振出地での換金レートが記載されていますが、このレートは場所や時によって変わるからです。一般的に「自国の通貨が強い」ことを利用しています。もちろん作業を行っている間に戦争などが起きてレートが極端に悪くなり、銀行が損をすることもあるでしょう。

話を元に戻して・・・
メディチ家は13世紀の頃からフィレンツェ近郊のムジェッロに土地を所有していた記録が残っています。それ以前の出自ははっきりしていませんが、当時は貴族やよほど裕福な商人などでなければ、家系がはっきりわからないのはごく自然のことでした。出自がはっきりしないメディチ家に「ユダヤ人の血が入っていない」と断言することはできないという反論をネット上で見たことがあります。しかしメディチ家が自分たちがユダヤ人であると認識していれば、このような面倒くさい手続きを取らず、金貸しをすればいいわけですから、やはり「メディチ家はユダヤ人ではない」と言っていいでしょう。”

利子について
http://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/05078d4996ec6c2d8a6ea069badfe7a1
”聖書の中の利子の問題

「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すなら(中略)利息を取ってはならない」 (出エジプト記22:25)

「金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない」(申命記23:19)

(旧約)聖書にこのように載っているので、ユダヤ・イスラム・キリスト教徒は利子を取ることに躊躇わなければならなかった

ユダヤ人はこれに対してどうしたか?

外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。それは、あなたが入って得る土地で、あなたの神、主があなたの手の働きすべてに祝福を与えられるためである。(申命記23:21)

この言葉を元にユダヤ人は異教徒に対して公然と利子を取った。イスラム教圏とキリスト教圏で生活しなければならない彼らは、それほど大きな問題でもなかったように思える。だが結局は彼らはユダヤ人同士で利子を取れる方法(聖書に触れないような、いわゆる脱法措置)が横行した。

イスラム教徒は?

Wikipedia 「ヒヤル」 より

金融におけるヒヤル

金融におけるヒヤルは、シャリーアによって利子を取ることを禁じられたイスラーム圏において、シャリーアを回避しつつ実質的に利子を取ることを目的とした金融技術の一種ということができる。

ヨーロッパにおいては、いわば商業の発達に押し切られる形で、利子つき(=有利子)金融が教会からも公認された。だがそれ以前から、非公認ながらも有利子金融は脈々と息づいて来ていた。一方、現代イスラーム圏ではイスラム銀行に代表される、「無利子金融」というシステムが確立している。が、しかし近現代に入るまでは、他地域と同様に、さまざまな方策を用いて利子禁止規定を実質的には骨抜きにしていた。これをヒヤル(奸計)と言い、商業において重要な役割を占めており、ヒヤルの方法を専門に解説した書物も、複数あった。

なお、利子そのものを禁じていない文化でも、高利に対する規制は厳しいことが多かったが、それに対して金融業者(高利貸)もまたヒヤルに似た対応をおこなっていた。(利子を参照)

ヒヤルの例(「モハトラ契約」)

任意の品(何でも構わない。例えば、本一冊)を、A・Bの両者間で売買する契約を結ぶことによって、利子つき金融と同等の効果を持つ。(この例は最も有名なもののひとつ)

1. ◇〈契約1〉AがBに本を120万円で売る(支払いは1年後)
2. ☆〈契約2〉BがAに本を100万円で売る(支払いは即時)
3. ☆〈契約2〉AがBに100万円支払う
4. ◇〈契約1〉BがAに120万円支払う

つまり、BがAから100万円借りて120万円にして返す、という契約を結ぶことはシャリーアによって禁じられているため不可能だが、このように、本(繰り返すがこれはダミー商品なので、何でも構わない)を売買する契約を二つ組み合わせることで、それと同様の結果が得られる。この任意の商品は両者の間を往復するだけで、実質的には移動しない。
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イスラム教も、脱法措置をとった。

ヨーロッパでは?

中世ヨーロッパは、イスラム世界から多くのことを学んだ。商業技術も学問もイスラムから学んだ。

その中でスコラ学の神学者が「利子を取ることは罪である」と言い出した。十字軍の後、商業・学問が発達してからだ。


朝日百科・世界の歴史 より

神の時間から市民の時間へ

時間が神の時間から人工の時間へ移る過程で、人工の時間を支配したのは実は商人であった。13世紀以降の商業の発展とともに、商人の時間と神学的時間の対立が表面化した象徴的な事件が、「利子」をめぐる問題である。

神学者や教会法学者によれば、「利子」は元来神のものである時間を売って得られたものである以上、教会としてはこれを認めるわけにはいかないとして「利子禁止法」を定め、商人の行為を非難した。

これに対し商人・高利貸は、利子は時間の組織的・計画的利用によって得られる以上、時間は神学的時間から開放された客観的時間でなければならないとした。
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世界大百科事典 「利子」 の項より

中世のヨーロッパにおいてはスコラの教義によって利子の取得は禁じられた.利子付き貸付けは
とみなされ,不法とされた.

しかし,商業の発展は信用の供与と利子の取得を必然的なものとした.そのためさまざまな形態の偽装的な利子取得が行われるようになった.

貸借の証書にあらかじめ利子分を含めた金額を記載しておくというのが最も一般的であった.

債権者が債務者の土地を担保とし,地代(レント)の形で利子を得る方法や,一度買った土地を当の相手に売るという偽装売買の方法もしばしば用いられた.後者の場合,土地の買値と売値の差が利子に相当することになる.また定められた期限に返済が行われなかったとして,損害
補償金の名目で利子が取得されることもあった.

このような方法のうちで商業活動にとって最も重要であったのは,為替(外国為替)であった.これは,現地の貨幣を受け取ったものが外地において外国貨幣で返済するものであり,利子は両通貨の換算率の中に含まれる.為替は送金のためにも,外国の市場へ商品を送るものが前もって両替商(銀行業者)から資金の貸付けを受けるためにも用いられた.神学者たちはこれを貨幣の交換とみて,利子付き貸付けではないとしたのである.

このように,教会の禁止にもかかわらず,現実には利子の取得は一般化していた.申世末期のイタリアでは一般に年7~10%程度の利子の取得が行われていた.

ユダヤ教徒の場合は,異教徒たるキリスト教徒に貸付けを行う際にかぎり利子を公然と要求した.しかし,実質的に大規模な金融活動を行っていたのはイタリア商人をはじめとするキリスト教徒であった.

以上のような徴利禁止の原則は,宗教改革によってくつがえされた.カルバンは利子取得を容認し,サルマシウスClaudius Salmasius(1588-1653)が徴利禁止の理論的基礎を批判した.

ギリスではヘンリー8世が1545年iこ年10%以内の利子取得を認める法令を発布した.

カトリック教会も19世紀前半に至って利子を容認
するようになった.
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メディチ家は外国為替の方法を良く使ったらしい(参照ページ)。
はじめは、複雑な方法で「脱法」していたが、慣れるに従い、空手形を使って簡略化を図る。その方法は当初フィレンツェ政府でこの慣行を禁止したが、メディチ家のコジモが政界を支配するようになると慣行禁止令の廃止が決定
された。


●カルヴァンについて、大塚久雄氏は『社会科学における人間』でこう言っている。

 第一にあげなければならないのは、禁欲的プロテスタンティズムのエートスが非常に強い反営利性を、あるいは反商人的・反高利貸的な色彩をおびていたということです。常識的な考え方では、中世のカトリック教会は利子を禁止していたのに、カルヴァンは利子の取得を許し、プロテスタントはしだいに営利に対して寛容になっていった、というふうに説明しますが、これは事実にまったく反しているのです。というのは、たてまえで禁止するということとほんとうに禁止するということを混同しているからです。カルヴァンは確かに五分の利子取得を許しましたが、その実施にあたっては法的な遁辞や抜け穴を許さなかったのです。たとえばカルヴァンやオリヴァー・クロムウェルの、しばしば神政政治などとよばれる厳しい社会的倫理的統制を考えてみるだけでも、プロテスタンティズムがはじめから営利に対して寛容であったなどということがいかに間違っているかが容易に分かるはずです。
http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/otukah.html
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というわけで、プロテスタントの世界では「5%の利子を認める代わりに、脱法・トリックの類の利子は認めない」という姿勢だった。この姿勢から、現在に至る利子取得の姿勢に変化する過程は分からなかった。

●ヘンリー8世はローマ教会と喧嘩して離脱し、イングランド国教会を作った人。イングランド国教会はプロテスタントに分類される。

●ローマ教会はどうしたか?

こちらのブログ より

1197年 第3回ラテラノ公会議では「利子を取る者は、キリスト教徒して埋葬しない」と決議している。
それがやがて崩れて、カトリック教会では、1517年 第5回ラテラノ公会議では「利子を取る貸し金を認める」と決定した。
このときをもって、人類の近代社会(モダン modem )の成立の日とすべきではないか、と私は考える 。(「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ 」(副島隆彦 編集、SNSI副島国家戦略研究所 著)
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1197年はまだスコラ学が流行っていたころだった。しかしスコラ学は廃れ、商業においての利子の必要性は増すばかりだった。ルネサンス期の教皇でさえ、銀行に預金した時に利子を欲した。だから商人だけでなく、ローマ教会も頭を悩ませた。

↑の第5回ラテラノ公会議にはメディチ家の血を引く教皇レオ10世がからんでいる
ところが興味深い。

しかし「第5回ラテラノ公会議では「利子を取る貸し金を認める」と決定した。」という文言は「カトリック教会も19世紀前半に至って利子を容認するようになった」というさらに↑の文章に反する。

第5回ラテラノ公会議では、何かしらの条件がついていたのだと思われる。が、どんな条件かは分からなかった。”


利子(りし、英: interest)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%AD%90
“ヨーロッパでは、中世を通じてカトリック教会によってキリスト教徒間の利子つき貸借は原則禁止されていたものの、貨幣経済が広く浸透した13世紀頃より徴利禁止の規定は次第に空文と化し、実態としては利子取得は一般的に行われるようになった。さらに16世紀には宗教改革の指導者の一人であるジャン・カルヴァンが5%の利子取得を認め、イギリスでは1545年にヘンリー8世が10%以内の利子取得を認める法令を発布した。これを皮切りとしてプロテスタント諸国では利子取得が是認されるようになった。17世紀の学者クラウディウス・サルマシウス(英語版)は正当な利子を擁護する論文を書いた。産業革命による経済の活発化をみた19世紀前半には、カトリック教会も利子を容認するようになった。シルビオ・ゲゼルは金利が社会にもたらすさまざまな悪影響について考察し、自由貨幣と呼ばれる減価する貨幣の導入で金利を廃止しようとした。
「利子」は「単利」の場合のみ認めるが、「複利」(利子の額を元本に組み込んで計算する)の利子つき金融を認めない例もある(ローマ法以来、多くの立法例で複利計算は禁止されていた。日本民法においても、利息の元本繰り入れは、契約によることを要し、その旨の約定がなければ単利計算となる)。
複利計算に関しては、復古主義としてではなく、近年の脱資本主義的思想・運動からの疑義もある。マルグリット・ケネディはこのようなたとえを用いて複利計算の矛盾を問うている。
ヨゼフが息子キリストの誕生のとき(西暦1年か紀元前4年かは不詳)に、5%の利子で1プフェニヒ(100分の1マルク)を銀行に預けたとする。
彼が1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4000万個引き出すことができることになる。
利子そのものを禁じていない文化でも、高利に対する規制は厳しいことが多かった(例えば江戸幕府の開府当初は年率20%が上限。元文1年〔1736年〕には15%に引き下げられる)が、それに対する金融業者(高利貸)は、名目上は「利子」ではない「手数料」(これはイスラーム圏でヒヤルと呼ばれるものに似ている)ということにして、取り立てていた。天保13年(1842年)の法令では法定利率が年率12%に引き下げられ、礼金・筆墨料などの名目で利子を余分に取ることなどが禁じられたが、「禁じられた」ということは、少なくともそれまで江戸の金融業者たちは、法定利率以上に徴収して利益を得ていたということが逆に分かる。
日本
律令体制の下では、国家による金融として出挙が行われた。当時、租という税として納められた米は、神への捧げものとして保管され、百姓が困窮した際に貸し与えられた。そして、収穫後には神への返礼として、借りた分よりも多い米を、神に返さなければならないとされた。そのため、日本では古い時代から利子を取ることはタブー視されなかった。
中世日本では、国家に代って、日吉神社や熊野三山などの寺社勢力な どが金融を営み、米や銭の貸し付けを行った。本来金融は、古代の出挙以来、神仏へ捧げられたものを貸し付ける行為とされた。その為、中世初期には、俗人は 金融に関わることができず、神仏に直属する者が行っていた。しかし、中世における貨幣経済の発展に伴い、金融は寺社勢力のみならず俗人も担うようになり、借上や土倉という金融業者が現れた。
単に借金の棒引きとイコールで捉えられることの多い、日本史で登場する「徳政令」であるが、基本的には「利息がついている契約」のみが対象であった。借金の返せない民が増え、徳政令の出番となるのは、多くの場合「元本を返済する能力があったとしても利子(鎌倉時代当時の言葉で「利平(りひょう)」と言った)が膨らんでしまう」ためであった。鎌倉時代末期には政治の行き詰まりが起こり、蒙古襲来に よる戦いにおいて土地も得られなかったために「御恩と奉公」を幕府の方針としたものの、土地が得られないことから借金が増大した。借金が増大したため徳政 令を発布するが、結局土地の問題の解決に至らず幕府に対する反感が強まった。後の鎌倉幕府崩壊への道にもつながっていく。
ヨーロッパ
古代ギリシアの海上交易においても利子を伴う貸付は広く行われていたが、当時から利子は問題視されていた[10]。アリストテレスはその著書『政治学』の中で、「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」(『政治学』1巻10章)と述べている。
古代ヘブライ人は徴利を禁じ、ヘブライ聖書に遺されたその掟は、同じく旧約聖書を 聖典とするキリスト教徒にも影響を与えた。例えば旧約聖書には「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すなら(中略)利息を取ってはならない」 (出エジプト記22:25)、「金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならな い」(申命記23:19)、「あなたの兄弟(中略)から利子も利息も取ってはならない」(レビ記25:35-37)と記されており、詩篇15は、利子を取 らずに貸す者を「主の幕屋に宿るべき人」と称えている。
また、新約聖書の「あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ」(ルカ6:34-35)、すなわち利得を期待せずに無償で貸すべきであるという教えは中世キリスト教において重んじられた[11]。キリスト教の初期の宗教会議、例えば325年のニカイア公会議では聖職者による徴利が禁じられ、中世前期にはクリシー公会議(626年)やカール大帝の「一般訓令」(789年)によってこの禁止は一般信徒にも適用された[12]。徴利禁止は12世紀以来の教会法に組み込まれた。13世紀にはこの禁を犯した者は破門に処すべきとされた[13]。「高利貸は神の所有物である時間を売っているのであって、他人の財産を売りさばく盗みに等しい行為だ」といった理屈は当時の人々の常套句であった[14]。
トマス・アクィナスはアリストテレスにならって「金は金を生まず」と述べ、金銭消費貸借において、貨幣本来の用途から逸脱して金銭そのものから代価を得ることは不正であるとみなした。一部の修道院はさまざまな形態の貸付を行い、中でも譲渡抵当、すなわち土地を担保としてそこから得られる収益を地代として貸付者に支払うという仕組みの貸借が多かったが、12世紀末には譲渡抵当を禁じる教令が発布された[15]。他方、ローマ法や中世初期のゲルマン法では年利12%の利子取得が認められており、13世紀には33.5%が上限とされていた[16]。
旧約聖書は「貧者」と「同胞」への利子を禁じているが、申命記23章20節では異邦人からは利息を取ってもよいと明言しており、中世のユダヤ人にとっては異邦人たるキリスト教徒から利子を徴収してもトーラーの教えに違反しなかった。中世ヨーロッパでは12世紀まで、ユダヤ人(および、前述のようにキリスト教の修道院)が消費のための利子付貸付の大部分を担っており、ユダヤ人は高利貸のイメージに結びつけられた[17]。当時のユダヤ人は、農業や職工といった生産活動に従事することを徐々に制限されつつあり、狭い地域の人々を相手に利子付の消費貸借契約を行う金貸しや質屋へと転じた(後には近世の商品経済の発展につれて、広域商取引に乗り出すユダヤ人も現れ、諸侯に資金を提供する宮廷ユダヤ人は銀行家へと成長していった[18])。 キリスト教徒の高利貸は教会法廷の管轄とされたため、世俗の裁判所に引き渡される場合を除き、過酷な刑罰が科せられたわけではなかったが、ユダヤ人と外国 人の高利貸は世俗裁判所の管轄とされた。13世紀のフランス王はユダヤ人高利貸に対して過酷な法令を発布してこれを抑圧した[19]。
中世のカトリック教会が禁じた徴利はラテン語で「ウスラ」 (usura) と呼ばれる。アンブロシウスが「ウスラとは与える以上に受け取ること」と述べたように、本来は、利率の高低の別なくあらゆる利息(ラテン語: faenus)はウスラであった。しかし教会による原則的かつ全面的なウスラの禁止は文面上のものにとどまり、実際に断罪されたのは度を越した高利貸のみであった[20]。12世紀以降、徴利が教会法の禁止条項に盛り込まれたり、スコラ学の論題となったことは、教会の懸念の表れであり、現実には利子取得が信徒間に蔓延するようになったという事実を反映していた[21]。
経済活動が活発になってくると、利子を取るためのさまざまな抜け道が用いられるようになった。たとえば、利息分を加算した額を貸借証書にあらかじめ記載しておく、土地の売買の差額を利子として徴収する、などの偽装的な利子徴収のやり方があった[10]。聖地巡礼者や貿易商に対して国際的な金融サービスを提供したテンプル騎士団は、十字軍やフランス王室にも融資を行い、利子の代わりに地代 (rent) を請求した(換言すれば、地代という名目で利子を取った)。やがて商業の発展とともに、キリスト教徒の商人の中から大規模な金融活動を行う銀行業者が現れた。貿易商にして両替商であるかれらは後期中世のイタリアの諸都市で大々的に金融を支え、中でもメディチ家はローマ教皇庁御用商人として財をなし、教皇庁の財政を担うまでになり、多くの芸術家を支援してイタリア・ルネサンスの 発展に寄与した。13世紀に登場した新しい両替商たちは、それ以前の「金貸し」が封建領主などの「消費」のために活動したのに対し、市民から集めた資本 を、貿易商人たちの商品購入資金や、工場主たちの設備投資のために、つまり「生産」と「流通」を対象に信用貸しを行った。北イタリアの金融業者はロンバルディア人と呼ばれ、カオール人と並ぶ高利貸の代名詞となった。
こうしたキリスト教徒の金融業が幅を利かせるようになった現実への対処として、スコラ学では利子取得を許容するいくつかの条件が規定された。例え ば、返済が遅延したことによって生じる損害の賠償という名目で利子を徴収することはウスラではなく合法とされた(ラテン語の interesse は名詞化して損害賠償金の意味で用いられるようになり、利子を意味する英語の interest の語源となった)。両替商の外国為替を通じた取引においては、利子に相当する差益が生じたが、これはあくまで貨幣の交換であって禁じられた徴利ではないと神学者たちは弁護した[10]。このように、不当な利子であるウスラと正当な利子との区別を設けることによって、徴利の禁止は事実上緩和された[22]。かくしてウスラは「法外な利子=高利」という意味を帯びるようになった。ローマ教皇庁も、税金や給料を払うための「補償金」という名目において、利子を取る金融を事実上認めることとなった。フランシスコ会が貧者救済を目的に15世紀に開設した公益質屋(モンテ・ディ・ピエタ)も無利子ではなく、のちにモンテ・ディ・ピエタの利子取得は第5ラテラノ公会議(1512年-1517年)で公認された。こうして中世末期までには、建前では禁じられていた利息つきの金銭貸借が現実には人目を避けずに行われるようになった。“
最終更新 2016年5月29日 (日) 14:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

John Calvin
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Calvin
“Calvin thought that agriculture and the traditional crafts were normal human activities. With regard to trade and the financial world he was more liberal than Luther, but both were strictly opposed to usury. However, Calvin allowed the charging of modest interest rates on loans. Like the other Reformers Calvin understood work as a means through which the believers expressed their gratitude to God for their redemption in Christ and as a service to their neighbors. Everybody was obliged to work; loafing and begging were rejected. The idea that economic success was a visible sign of God's grace played only a minor role in Calvin's thinking. It became more important in later, partly secularized forms of Calvinism and became the starting-point of Max Weber's theory about the rise of capitalism.”This page was last modified on 30 September 2016, at 20:06.


カルヴァンもルターも高利貸しにも反対。でもカルヴァンは控えめな利子は容認。
全員が働く義務があり、loafing(怠惰、手抜き、無職)と物乞いはダメだとしたのがカルヴァン。
ニートと主婦叩きの教祖だね!


Calvinism
https://en.wikipedia.org/wiki/Calvinism
“Calvin expressed himself on usury in a 1545 letter to a friend, Claude de Sachin, in which he criticized the use of certain passages of scripture invoked by people opposed to the charging of interest. He reinterpreted some of these passages, and suggested that others of them had been rendered irrelevant by changed conditions. He also dismissed the argument (based upon the writings of Aristotle) that it is wrong to charge interest for money because money itself is barren. He said that the walls and the roof of a house are barren, too, but it is permissible to charge someone for allowing him to use them. In the same way, money can be made fruitful.[146]
He qualified his view, however, by saying that money should be lent to people in dire need without hope of interest, while a modest interest rate of 5% should be permitted in relation to other borrowers.”This page was last modified on 28 September 2016, at 03:56.


「資本主義と労働教の黒幕はカルヴァン派」



子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 5月16日
スイス時計を担うユグノー=カルヴァン派
シオニズム運動の黒幕はプロテスタント
キリスト教シオニストを資金援助したロックフェラーはバプテストなので非ユダヤ教徒
米国ではイスラエル賛美のプロテスタント原理主義が強い
WASP>ユダヤ教徒

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/730467628926439424 …
子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 5月11日

ロックフェラーはユダヤ教徒ではなくプロテスタントの一派バプテスト。
ユダヤ陰謀論教でバプテスト陰謀論を隠す生長の家の開化派・独立党!
”千年期〈前〉再臨説」を主張するキリスト教原理主義者によれば、原罪からの人類救済計画のシナリオは、次の順に進展するという。”
”【1】ユダヤ王国再建…イスラエル建国で実現したと解釈)
【2】「携挙(ラプチャー)」の開始
【3】ハルマゲドン開始
【4】キリスト再臨
【5】「千年王国」開始
【6】千年経過後天国に移住 …
「携挙」とは、ハルマゲドン前に信者だけを天空に緊急避難させること”


ねこた ‏@lakudagoya
資本主義の発達は時計の発達とリンクしてる。迫害されたユグノー教徒がスイスに移住して時計産業を作った。資本主義もプロテスタントなら、時計もそうだ。またプロテスタント観念の強いスコットランドから科学技術が発達したのは偶然じゃないぞ?秘教はプロテスタント勢力が担ってきたんだぞ?

恐らく肉体労働者とホワイトカラーの知的な労働してる人とでは時間の流れが違うと思う。インド哲学では時間と空間は心でしか認識できない故にこの世をマーヤー(幻)と言う。時間を絶対化する今の時給労働はフランスからスイスに逃れたユグノーの時計産業によって絶対化させられた。

ねーみんな、プロテスタント(ユグノー)の時計産業と、終末論的な直線的時間観念と今の若者の20歳過ぎたら人生終わりって全部繋がってるよ?あとパートの時給労働もな。インド哲学では時間と空間は心でしか感じられないから幻であると言うわけ。ヨギがサマーディーに入ると数日が5分に感じるの。

前にUさんが成功を望む男は機械式時計が好きとか言ったけど、時計はおいらは理神論のシンボルでもあると思う。 この世界は機械仕掛けの時計のように一定の法則に基づいて動いてるという思想ね。 石屋さんの理神論とユグノーの時計産業はとても関わりがあるよ。ロボ思想の元ネタはこれだね。


ジャン・カルヴァン(フランス語: Jean Calvin、1509年7月10日 - 1564年5月27日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3

John Calvin
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Calvin

ジュネーヴ(仏: Genève、英: Geneva)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4
”第二次世界大戦前には国際連盟の本部が置かれ、現在も、国際連合の諸機関等の多くの国際機関が所在する世界都市であり、条約の作成やさまざまな国際会議が行われている(そのため、日本も特命全権大使を長とする在ジュネーブ国際機関日本政府代表部、及び、軍縮会議日本政府代表部を置いている。ただし、領事業務はこれらの代表部ではなく、在ジュネーブ出張駐在官事務所(2010年1月1日、それまでの在ジュネーブ総領事館に代えて設置)で行っている)。また、サロン・アンテルナショナル・ド・ロト(ジュネーヴ・モーターショー)、国際高級宝飾時計展(ジュネーヴ・サロン)をはじめとする様々な国際見本市も開催される。ピクテ銀行やロンバー・オディエ銀行等のプライベートバンクの本店が集中しており、プライベートバンクの中心地でもある。

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第39位の都市と評価されており[3]、スイスの都市ではチューリッヒに次ぐ第2位である。

スイスの公用語は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語であるが、フランス語圏のジュネーヴでは、ほとんどの場合フランス語が用いられる[4]。
(…)
ジュネーヴの歴史は古く、ローマ時代までさかのぼる。その後、神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)の支配を受けたが、1315年のモルガルテンの戦い等の独立運動の影響でハプスブルク家から離れていき、1648年のヴェストファーレン条約によって正式に独立が認められた。

近世にはプロテスタントの一派である改革派の拠点となり、1536年にカトリックのサヴォイア公国から独立し、宗教改革がなされ、ジュネーヴ共和国としての宣言がなされ、ジャン・カルヴァンらによる共和政治が行われた。ジュネーヴ革命とも称される。

ジャン=ジャック・ルソーはこの街の出身である。

1602年、サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世が、ジュネーヴ支配をもくろみ侵入したが、市民軍の抵抗にあい失敗に終わった[7]。この事件は、サヴォイア公が侵入に使った梯子にちなんで“エスカラード”(梯子の意)と呼ばれる。現在のエスカラード祭はこの事件にちなんだもの[8]。

1798年にはナポレオン・ボナパルトによりフランスに併合されたが、ナポレオン失脚後のウィーン会議において、スイス連邦に加わることになった。

経済的には、古くから国際的商業都市として発展した。”
最終更新 2016年7月5日 (火) 10:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

予定説 Predestination
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%AA%AC
”予定説(よていせつ)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。
(…)
予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。

救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる[1]。これは、聖徒の堅忍と信仰後退者の教理である。[2][3]
(…)
救いの選びと、滅びの選びについて教えた二重予定説についても議論が多い。聖書は救いに選ばれた者のために書かれたのであり、カルヴァンは滅びの選びを強調していない。滅びに選ばれた者のために聖書が書かれたわけではない。
アルミニウス主義の台頭

オランダ改革派のヤーコブス・アルミニウスは予定説に反対し、普遍救済説を提唱したが、1610年に改革派のドルト会議で、このアルミニウスの思想は異端として排斥された。このとき「人間の全面的堕落、無条件的選び、限定的贖罪、選びの召命における不可抗的恩恵、聖徒の堅忍」という、カルヴァン主義の5つの特質として定義された。
(…)
予定説と資本主義

マックス・ヴェーバーは論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、カルヴァン派の予定説が資本主義を発達させた、という論理を提出した。

救済にあずかれるかどうか全く不明であり、現世での善行も意味を持たないとすると、人々は虚無的な思想に陥るほかないように思われる。現世でどう生きようとも救済される者は予め決まっているというのであるなら、快楽にふけるというドラスティックな対応をする者もありうるはずだ。しかし人々は実際には、「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(ドイツ語で「Beruf」だが、この単語には「職業」という意味もある)を務めて成功する人間のはずである」という思想を持った。そして、自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、禁欲的に職業に励もうとした。すなわち、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。そしてそのことが結果的に資本主義を発達させた、という論理である。
(…)
予定説はキリスト教の全ての教派で受け入れられている訳ではなく、プロテスタントの幾つかの教派で受け入れられてはいるものの、最大の信徒数をもつローマ・カトリック教会や、東方教会で最大の教派である正教会では受け入れられていない教説である。

予定説は正教会には全く受け入れられていない[10]。既に17世紀の1672年にエルサレム総主教ドシセオス2世が召集したエルサレム公会で、他のカルヴァン主義の教説(信仰義認など)とともに予定説は否定された。なお、この公会においては、カルヴァン主義のみならずローマ・カトリックとも距離が取られている[11]。
正教会における救いの概念については共働を参照

カトリック教会では予定説は、トリエント公会議で異端として排斥された。”
最終更新 2015年8月17日 (月) 15:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

ストラスブール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB


ドルト信仰基準
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E5%9F%BA%E6%BA%96
”ドルト信仰基準(ドルトしんこうきじゅん)あるいはドルト信条(ドルトしんじょう)は、1618年のドルトレヒト会議で決められた信仰基準。
(…)
改革派教会、長老派教会といったカルヴァン主義の特徴を5つの特質として明確にしたことで神学史上大きな意味がある。

1. 全的堕落(Total depravity) - 堕落後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。

2.無条件的選び(Unconditional election) - 神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる(予定説)。

3.制限的・限定的贖罪(Limited atonement) - キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。

4.不可抵抗的恩恵(Irresistible grace) - 予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。

5. 聖徒の堅忍(Perseverance of the saints) - いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。

この頭文字をとって「TULIP」(チューリップ)の神学と呼ばれる。「カルヴィニズムの五箇条」として、カルヴァン主義の中心的な教理として扱われることがあるが、このドルト信仰基準 はあくまでアルミニウス主義陣営の信条に対抗してつくられたものである。”

限定的贖罪(げんていてきしょくざい、Limited atonement、definite atonement、particular redemption)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%9A%84%E8%B4%96%E7%BD%AA
”限定的贖罪(げんていてきしょくざい、Limited atonement、definite atonement、particular redemption)は、イエス・キリストの十字架の贖いの死は、救いに選ばれた者のためだけであり、すべての人のためではないという教理。特にカルヴァン主義神学を明らかにしたドルト信仰基準の5特質(頭文字をとりTULIP)の一つ。この教理はアルミニウス主義の不特定の贖罪と対立する。”

聖徒の永遠堅持(せいとのえいえんけんじ、Perseverance of the saints)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%92%E3%81%AE%E6%B0%B8%E9%81%A0%E5%A0%85%E6%8C%81
"聖徒の永遠堅持(せいとのえいえんけんじ、Perseverance of the saints)、とは神に選ばれ、召された選民の救いが永遠に失われずに、一時的に信仰が後退し、弱められても、回復の恵みを与えられるという教理であり、ドルト信仰基準が明らかにしたカルヴァン主義の5特質(TULIP)の一つである。聖徒の堅忍、聖徒の最終的堅持、究極救済の恩恵とも言われる。"


全的堕落(ぜんてきだらく、英語: Total Depravity)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%9A%84%E5%A0%95%E8%90%BD
"全的堕落(ぜんてきだらく、英語: Total Depravity)は、すべての人間が罪によって全的に堕落しているという聖書の教理の前提であり、プロテスタント、特にカルヴァン主義神学の根幹となる教理である。カルヴァン主義の5特質TULIPの一つ[1]。
(…)
ローマ・カトリックにおいては、アウグスティヌスの原罪論は採るものの、全的堕落説は採られず、アウグスティヌスの論を全的堕落の根拠とすることについて否定している[2]。

正教会では、アウグスティヌスを全否定はしないものの、アウグスティヌスの自由意志に係る論そのものを受け入れず、全的堕落という考え方は全く採られない。

(…)
ラテン教父

聖書のコンテキストからの聖典解釈から導かれる「全的堕落」や、さらにはアダムの堕罪さえも人類に対し影響を及ぼすべきものではないと最初に主張し始めた4世紀のペラギウスは、救霊は人間の自由意志によって実現され得るのだから、神の救済を必要としないとする(ペラギウス主義)
これに対立する、人間の自由意志は認められようが、かかる意志も神が予定したものに過ぎないとするアウグスティヌスとの論争は、ペラギウス派駁論集として著述に残されている。
結果、ペラギウスはエフェソス公会議において異端であるとの審決が確定し、排斥された。
カルヴァン主義
すべての人間の堕落

人は、アダムの創造主である神への反逆、すなわち堕罪ゆえに、その結果として「全的に堕落」したとするもので、ここに「全的」とは、二重の意味を持つ。第一に、その「堕落」が全人類に広がりアダムの末裔である限り、その「堕落」から逃れた者はいない、という「堕落」普遍性を示すことばであり、第二に、人格のすべての領域にその「堕落」が及んでいると言う意味において「全的」なのである。つまりすべての人間は堕落しており、また人間の人格もすべて堕落しているという意味である。「神学の第一原理は、人間の堕落、人間の罪である。」[3]と言われている。
(…)
理性・知性

「理性」においても、人は自らを賢い者としているが、その実、愚かになっている。近代、啓蒙主義が興るにつれて、人間理性は、神から自立した理性として自己主張し、その結果、物質的世界は、地中海世界から環太平洋世界へと格段に広がり、現代では、人間の知識は、地球を越えて宇宙へと広がりを見せている。しかし、その一方で、心理学の発展にもかかわらず、人は己に関して無知であり、霊の世界を見失って、自らを四次元の世界、五感の世界に閉じ込めてしまっている。

「生まれながらの人間」[5][6]は堕落しているので、聖書を理解することはできず、新生してクリスチャンとなり、聖霊に導かれて聖書を読んではじめて聖書を理解することができる[7][8][9][10]。

堕落前の世界と堕落後の世界は異なっており、堕落後の人間は堕落前の世界を理解することが出来ない[11]。また、人間の知性にも堕落の影響が及んでいるため、学問にもクリスチャンの学問とノンクリスチャンの学問の二種類の学問がある[12]。
(…)
相対的善

このように「堕落」は、人格の三要素「知情意」のすべてに及んでおり、ここに人の持つ根源的課題があるとされる。ジャン・カルヴァンはこのように述べる。「キリスト者は神のかたちを帯びることによって神の子と認識されるように、彼らは堕落して帯びるに至ったサタンの像によって、サタンの子らとして、正当に見なされるからである。(第一ヨハネ3:8)[13]

ただし、一般恩寵があるので、ノンクリスチャン、異教徒が善を行なう能力をまったく失ったわけではなく、彼らも救いに至ることのない相対的な善を行なう能力は有している。魂が神から離れていることでは霊的死の状態は悪魔と変わらないが、人間である異教徒と御使いであった悪魔には相違がある[14]。堕落した人間も、悪魔や悪霊ほどの腐敗の進捗は見られない[15]。

(…)
ローマ・カトリック教会において、全的堕落の見解は採られない[2]。

トリエント公会議(1546年、1547年の第5・第6会議)において、原罪と義認に関する教えがとりあげられた。ここにおいて、人間の自由意志は罪によって弱められるに過ぎず、救いの過程に参与する資格をもっており、人間の救いは恩寵と人間の行為とによるとされ、宗教改革に対抗する立場が明らかにされている[19]。
(…)

正教会においては、人間は生まれた時から、堕落した条件の中で生きざるを得ず、肉体的な弱化と、霊的な病としての意志の弱さ・連帯性の欠如といった結果がその条件からもたらされると理解される[21]。

しかし正教会では罪によって人間がこのように病んでいる事は認めるが、人間の本性が根から堕落し全面的に腐敗を被っているとはしない。ルター主義者が堕落によって人の内なる神の像が失われたとするのに対し、正教会では「神の像が昏昧したのであって絶滅したのではない」とし、「肖」(Likeness)は失われたが「像」(Image)は失われていないと主張する[23]。さらに、正教会においては、自由意志には限界はあるが絶滅してはいないとし、人間の意志は病んではいるとはいえ、依然として善を選択する事が可能であると理解される[23]。

アウグスティヌスによる、堕落の結果「自由意志は失われた」という説、「人間性はその落ち込んでしまった過誤に組み伏せられ、自由を失った」という説に、正教会は同意しない[23]。

正教会はエルサレムの聖キュリロスの言を採る。「(各人は)その行うことを実行する力を持っている。貴方は罪を犯すために生まれてきたのではないからだ。」「悪魔は悪へのほのめかしを行うことは出来る。しかし、貴方を貴方自身の意志に背かせる事は出来ない。」またさらに、西方教会神学の影響が甚だしかった時代に正教の護教的な信仰告白を表したとされるエルサレム総主教ドシセオス2世は、1672年にエルサレム地方公会で認められた『信仰告白』で、「神は、意志する力、すなわちご自身に従うことを意志する力も、従わないことを意志する力も、取り上げられることはない」と断言した[23]。

と同時に、救いは完全に神のみわざであるともされる。どんな「配分」にせよ、神と、その共働者人間それぞれの貢献につき、割合の概念を当て嵌める事は否定される。我々の救いというわざは、全体的に完全に神の恵みのわざであり、かつその神の恵みのわざの内にあって、人間は全体的に完全に自由であり続ける。神の恵みと人間の自由は互いに排斥する事は考えられず、互いに補い合う。ウラジーミル・ロースキイによればこれは「同じ現実の二つの極」と表現される。神の恵みの働きの余地が広ければ広いほど、人間の自由も一層活発に働くとされる[24]。"


ねこた(おしまい!) ‏@lakudagoya
カルヴァンがセネカ君ファンだったのは目から鱗でした。 はぁー、特に16世紀以降はルネッサンスの人文主義の影響で神学者で古典に影響されまくりな人が目立つ。 ここ、クリスチャン陰謀論者にとっては絶対的なタブーだよねぇ。 あとキリスト教お嬢様教育に影響を与えたスコラ学とかさぁー。

川尻雛子 ‏@fukuzawayumi 2012年1月25日
セネカはB.C.1か4年の生まれ。イエズスキリストと同時代でもあるのか。カルヴァンはセネカの思想の影響が強いのね。青年イエズスも読んだのかな。

KanoMasahiko ‏@arimasakano 2010年10月10日
長い間放置していたカルヴァンのキリスト教綱領をぱらぱら読んでいる。簡潔な法律家の文章だ。余りお友達にはしたくない感じだが、セネカやキケロ、アリストテレス、トマス、聖書以外に利用できるあらゆるものを援用している。キリストへ向かわせるというより、遠ざけるものだが、タフな精神力には瞠目

セネカの影響を受けているってまたストア派か!
セネカって、キリスト教迫害で有名なネロの家庭教師だぞ。普通は恨みそうなんだけどなあ



Seneca the Younger
https://en.wikipedia.org/wiki/Seneca_the_Younger

ルキウス・アンナエウス・セネカ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%8D%E3%82%AB


カルヴァン主義(カルヴァンしゅぎ、Calvinism)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9

バーゼル大学(独:Universität Basel)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6
”バーゼル大学(独:Universität Basel)は、スイスのバーゼルにある大学。1460年に創立されたスイス最古の大学であり、卒業者にユングがいる。

エラスムスやパラケルスス、セバスティアン・ブラント、ベルヌーイ、ブルクハルト、オイラー、イェーリング、ニーチェ、ヤスパース、カール・バルトなどがここで教鞭を執った。

現代では熱帯医学や地球科学、天文学、スラブ学で有名。
卒業生

フルドリッヒ・ツヴィングリ - 宗教改革者
カール・グスタフ・ユング - 心理学者


バーゼル(独:Basel / 仏:Bâle(バール))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB
”1897年には世界シオニスト会議が第1回の大会をバーゼルで開催している。

スイスの一州として神聖ローマ帝国の影響を離れ、宗教的にも急進的なプロテスタントではなかったことを背景に、15世紀後半に誕生した印刷・出版業が栄え、近世の多くの重要な著作の初版が出版されたことでも知られている。たとえば、ジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』(Christianae Religionis Institutio、1536年)、アンドレアス・ヴェサリウスの『人体の構造』(De humani corporis fabrica、1543年)などである。
交通
バーゼルは、ライン川という欧州水運の大動脈における最終遡行点、ライン川最初の架橋点(1225年)、スイス、ドイツおよびフランスが国境を接する地点として交通の要衝となっている。”

バール大学って呼ぼう(笑)

チューリッヒ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92#.E5.AE.97.E6.95.99
”中世、チューリッヒは独立性と帝国直接身分(英語版)を得ており、1519年にはフルドリッヒ・ツヴィングリが導くスイスのドイツ語圏でのプロテスタント宗教改革の発祥とその中心であった[4]。

チューリッヒは 主要な世界都市で世界の巨大な金融センターの一つに含まれる”

チューリヒの小鬼たち
https://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%81%AE%E5%B0%8F%E9%AC%BC%E3%81%9F%E3%81%A1-1367463
”世界大百科事典内のチューリヒの小鬼たちの言及 【為替投機】より

…為替レートが安定的に推移することを是とする実務家や通貨当局者の多くは,為替投機をもって為替レートの不安定性の大きな原因とし,国際貿易や国際金融取引の順調な発達を阻害する一要因とする。有名な“チューリヒの小鬼たちThe Gnomes of Zürich”という言葉の背後にはこのような考え方があり,顧客保護のため徹底した秘密口座制度をもつスイスの諸銀行を舞台として,“小鬼たち”(Gnomeとは地中の宝を守るとされる小地神のこと),つまり投機筋が暗躍していることを非難した表現である。 一方,経済学者の多くは上の見方に反対し,投機の積極的意義を認める”



『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(プロテスタンティズムのりんりとしほんしゅぎのせいしん、Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E
”オランダ、イギリス、アメリカなどのように、カルヴィニズムの影響が強い国では、非合理性を持った合理主義によって、近代資本主義が発達した。一方、イタリアやスペインなどのように、カトリックの影響が強く、実践的合理性の顕著な国や、ドイツなどでは、資本主義の発達が遅れた。これは偶然ではない。資本主義の「精神」とカルヴィニズムの間には、因果関係が存在するのである。ここでいう資本主義の「精神」とは、単なる拝金主義や利益の追求ではない。合理的な経営・経済活動を非合理的に支えるエートスである。(…)
カルヴァンの予定説では、救済される人間は、あらかじめ決定されている。したがって、人間の努力や善行の有無などによって、その決定を変更することはできない。つまり、善人でも救われていないかもしれないし、悪人でも救われているかもしれないのである。また、人間は、神の意思を知ることができない。したがって、自分が救済されるのかどうかをあらかじめ知ることはできない。

予定説における決定論は、仏教における因果論とは正反対の論理である。因果論においては、「善行を働けば(因)救われる(果)」のであるから、人間の神や仏に対する働きかけ(たとえば、寺院へのお布施や教会への寄付は、救済を金で買う行為であると言える)によって、救済が可能である。しかし、それはある意味では、自分が救済されるために、神や仏を道具として使うことである。そのため、それは、神に対する冒涜である。そこで、カルヴァン主義では、神の絶対性を守るために、予定説が採用された。そして、予定説においては、神は、人間の行為や意思に一切左右されることなく、絶対専制君主として振舞うのである。

予定説によれば、善人でも救われていないかもしれないし、悪人でも救われているかもしれない。となると、人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。

キリスト教においては、人生は一度きりであり、仏教のように何度も生まれ変わる(輪廻転生)ということはない。そして、死後(第1の死)に再び肉体を与えられて、最後の審判に臨むときに、救済される人間として選ばれなかった者は、永遠の地獄に落ちる、あるいは、消滅する(第2の死)。そして、そうなってしまえば、救済や復活は、もう二度と起こらない。

このように、善行を働いても救われるとは限らない。また、自分が救われているかどうかをあらかじめ知ることもできない。そして、もし選ばれていなかったら自分は永遠の地獄に落ち、二度と救済されることがない。このような予定説の恐るべき論理は、人間に恐怖と激しい精神的緊張を強いる。そして、人々は、そこから逃れるために、「神によって救われている人間ならば(因)、神の御心に適うことを行うはずだ(果)」という、因と果が逆転した論理を生み出した。そして、一切の欲望や贅沢や浪費を禁じ、それによって生まれたエネルギーのすべてを、信仰と労働(神が定めた職業、召命、天職、ベルーフ)のみに集中させた。こうして、人々は、禁欲的労働(世俗内禁欲、行動的禁欲、アクティブ・アスケーゼ)というエートスを生み出したのである。

そうして、人々は、世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことによって、社会に貢献した。そして、この世に神の栄光をあらわすことによって、ようやく自分が救われているという確信を持つことができるようになったのである。

しかし、禁欲的プロテスタンティズムが与えた影響は、それだけではない。禁欲的プロテスタンティズムは、「利潤の肯定」と「利潤の追求の正当化」を生み出した。つまり、金儲けに正当性を与えたのである。

それまで、金儲けは、高く評価されるものではなかった。そして、プロテスタンティズム、特にカルヴァン主義は、最も禁欲的であり、金儲けを強硬に否定する宗教であった。

金儲けに正当性が与えられない社会では、金儲けは当然抑制され、近代資本主義社会へと発展することはないはずである。

しかし、最初から利潤の追求を目的とするのではなく、行動的禁欲をもって天職に勤勉に励み、その「結果として」利潤を得るのであれば、その利潤は、安くて良質な商品やサービスを人々に提供したという「隣人愛」の実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、救済を確信させる証である。このようにして、皮肉なことに、最も金儲けに否定的な禁欲的な宗教が、金儲けを積極的に肯定する論理と近代資本主義を生み出したのである。

人々は、「結果として」の利潤の追求に励むことになる。利潤の多寡は、「隣人愛」の実践の証であり、救済を確信させる証である。そのため、多ければ多いほど望ましいとされた。そして、より多くの利潤を得るためには、寸暇を惜しんで勤勉に労働しなければならない。そのため、人々は時計を用い、自己の労働を時間で管理するエートスが成立した。このことを端的に示す諺が「時は金なり」である。厳格な時間管理の意識は、『近代』的な価値観の特徴のひとつである。そして、スイスなどのプロテスタント圏で時計産業が発達したのも、決して偶然ではない

それまでの人類の労働のあり方は、南欧のカトリック圏(非プロテスタント圏)に見られるように、日が昇ると働き始め、仲間とおしゃべりなどをしながら適当に働き、昼には長い昼食時間をとり、午後には昼寝や間食の時間をとり(シエスタ)、日が沈むと仕事を終えるというようなものであった。つまり、実質的な労働時間は短く、おおらかで人間的ではあるが、生産性の低いものであったのである。

しかし、プロテスタンティズムは、人類の中に眠っていた莫大な生産力を引き出したのであった。
(…)
節約(無駄を省くなどの支出の抑制)のために、収支を管理して合理的経営を行うのに不可欠な複式簿記が導入された。また、生産性を上げるために、科学的合理的精神に基づいた効率の良い生産方法が導入された。

禁欲的労働によって蓄えられた金は、消費によって浪費されることなく貯蓄された(資本蓄積)。

資本蓄積では、古典的資本主義とは違って、獲得された資本が、財貨財宝などの形に置き換えられる。そのため、資本は、資本としての本質を棄損されることなく、恒常的資本という性質を獲得した。そして、利潤追求のために不断に再投資されることになった。

このように、プロテスタンティズムが生み出した勤勉の精神や合理主義は、近代的・合理的な資本主義の「精神」に適合し、近代資本主義を誕生させた(資本主義の「精神」を体現した人物としては、ベンジャミン・フランクリンが挙げられる)。

こうして、プロテスタンティズムの信仰が、結果として、近代資本主義の誕生させ、それを発展させた。しかし、近代化が進展するとともに信仰が薄れてゆくと(世俗化)、宗教としての色彩が弱まり、利潤追求自体が自己目的化するようになった。(…)
現代社会に生きる我々は、知らず知らずの内に、宗教的な生き方を強制されている。現代社会で当たり前とされる労働のあり方は、地理的歴史的に見れば、決して普遍的なものではなく、極めて特殊で、地域的時代的宗教的なものなのである。”

ひのえ ‏@hinoe_t 2013年1月18日
全的堕落(非リアは自由意志でリア充になることができない)、
神の無条件的選び(リア充になるか非リアになるかは神の主権)、
限定的贖罪(キリストの磔刑によって原罪は贖われた※ただしイケメンに限る)、
不可抗的恩恵(リア充はモテることを拒めない)、
聖徒の堅忍(選ばれたリア充は堕落しない)


登馬 ‏@yasuraoka 2013年10月6日
「カルビニズムって、何?」「五つの強調点があってね、全的堕落、無条件的選び、限定的贖罪、不可抗的恩恵、聖徒の堅忍で、オランダ改革派のドルト会議で決まったんだ。英語の頭文字を合わせるとチューリップで、これはオランダの国花なんだ」

umezawa takatugu ‏@umezawatakatugu 2012年12月30日
1610年オランダ改革派のドルト会議で、「人間の全面的堕落、無条件的選び、限定的贖罪、選びの召命における不可抗的恩恵、聖徒の堅忍」がカルヴァン主義の5つの特質として定義された。



『完全教祖マニュアル』で騙す側の視点を獲得しましょう。 (◞≼◎≽◟) 本当は教えたくないのですが、選ばれたあなただけに特別に今だけ、教祖として成功する秘訣をお教えします!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-106.html
” (◞≼◎≽◟)☝「さあ! あなたも、人を精神的麻薬中毒者かつ酔っ払いにしてハッピーにする教祖になりましょう!
でも、決してあなたの宗教を必要としないほどにハッピーにしてはいけませんよ!
現世利益を言わない宗教があるのは、現世利益で幸せになると信者が離れ、長期間儲からないからなのです!
終末論などで不安を煽り、来るかどうかもわからない「明日」で釣り続けましょう!」

※奴隷になりたい人は絶対に見ないで下さい!
(…)
前回の記事「【奴隷の鎖自慢】=今までの集大成的な短文。 寸止め陰謀論者がよく客寄せのための餌に使う健康ネタまとめ。 健康関連の過去記事リンクつき。 」で、

“そこで、あなたに勧める。
知恵に富む者となるために、支配層の目線で書かれた 『君主論』を読み、
また、詐欺師の視点を獲得するために『完全教祖マニュアル』を読みなさい。
また、あなたの心がどう操作されるかを記した「心理学・精神操作」カテゴリーの本ブログの記事を読みなさい。
(新約聖書、ヨハネの黙示録、3章:18節のパロディ) ”

と書いたので『完全教祖マニュアル』の記事。

本記事は、教祖という、宗教を作り運営する側=支配層側の視点を学べるように執筆しました。
紐付き工作員は手口がカルト教祖と同じなので、陰謀追求の手助けになることでしょう。
寸止め陰謀論者はカモが支配層の視点を持つことを嫌います。
カルト製陰謀論者も信者がいるので教祖と言えます。
疑うことをやめるってことは考えるのをやめることと同じです。
信仰する対象が陰謀論者(工作員でない人も含む))に移っただけの人が多過ぎます。
信じるな、疑え、確かめよ。

陰謀論を参考にする場合、いかに毒を抜きつつ有用な情報だけ参考にするかが鍵。
毒を抜く技術のうち特に有効なのが、

①論理的思考
②支配層側の視点
③心理学。

①論理的思考
については今まで何度も言っているの割愛。

②支配層側の視点
に立てば、真の真相追及者を潰すために、あらかじめ偽の真相追及者を作っておくのは常套手段だと簡単にわかります。
陰謀論の大半が、シールズと同じ人工芝だって簡単にわかります。

③心理学
すなわち人間心理の仕組みと心理操作の手口について知れば、
寸止め陰謀論者のやっていることがカルトそのまんまだと簡単に気付けます。




『完全教祖マニュアル』(ちくま新書)
架神 恭介 著 , 辰巳 一世 著



の内容を元にしてねここねこが今回の記事を執筆しました。
元の本に書いていない箇所が入っていて当然ですので不悪(あしからず)。
「宗教ビジネス講師モード」になり続けるのが苦痛だったのか、素(=いつもの記事みたいな感じ)が出てしまっているかもしれません。

「いかに騙されないか(騙される側視点)」ではなく、「いかに騙すか(騙す側視点)」に重点が置かれた貴重な本である
『完全教祖マニュアル』 は、
目次を読むだけで爆笑できます。

完全教祖マニュアル目次
http://d.hatena.ne.jp/Halalneet/20091015/1255587415
“はじめに
序章 キミも教祖になろう!
教祖ってなに?/教祖はこんなに素晴らしい!/宗教って怪しくないの?/ホントに信者はできるの?
第一部 思想編
第一章 教義を作ろう 
神を生み出そう/既存の宗教を焼き直そう/【コラム】宗教の硬直化/
反社会的な教えを作ろう/【コラム】反社会的なチベット仏教/高度な哲学を備えよう
第二章 大衆に迎合しよう 
教えを簡略化しよう/葬式をしよう/現世利益をうたおう/
【コラム】創価学会と現世利益/偶像崇拝しよう
第三章 信者を保持しよう
怪力乱神を語ろう/【コラム】ハードコア無宗教/不安を煽ろう/救済を与えよう/食物規制をしよう/
【コラム】お肉だいすき/断食をしよう/暦を作ろう/【コラム】異常な宗教
第四章 教義を進化させよう
義務を与えよう/【コラム】悪人正機/権威を振りかざそう/セックスをしよう/
【コラム】ゆるゆる教祖生活/科学的体裁を取ろう/【コラム】宗教としての『水からの伝言』/悟りをひらこう
第二部 実践編
第五章 布教しよう
弱っている人を探そう/金持ちを狙おう/【コラム】お金を巻き上げる宗教/親族を勧誘しよう/人々の家を回ろう/コミュニティを作ろう/【コラム】いろんな宗教のコミュニティ/【コラム】イベントを開こう/宗教建築をしよう
第六章 困難に打ち克とう
他教をこきおろそう/他教を認めよう/異端を追放しよう/迫害に対処しよう
第七章 甘い汁を吸おう
出版しよう/不要品を売りつけよう/免罪符を売ろう/【コラム】免罪符でキミもマリアを犯そう!/喜捨を受け付けよう/あえて寄付をしよう/【コラム】イスラム教の喜捨
第八章 後世に名を残そう
国教化を企てよう/【コラム】国教化の功罪/奇跡を起こそう/神に祈ろう
「感謝の手紙」
あとがき
参考文献”
(…)
・不安を煽ろう(終末論)
そして来るかどうかもわからない「明日」で釣ろう。

「困った時の神頼み」とあるように、人は困っていないと宗教には見向きもしません。よって需要を作る必要があります。だから教義自体に「実はあなたは困っているんだよ」ってことを組み込みましょう。

不安を煽るプロ中のプロ、キリスト教を見て下さいよ。
キリスト教は世界一戦争と差別などを自作自演している点でも大いに学ぶべきことがあるのですが、何より教義が素晴らしい!
何せ絶対に確認できない大昔に勝手に「智慧の実つまみ食い」の罪状で罪人になった有色人種のアダムとイブさんの罪を全人類は引き継いでおり、このままでは地獄に堕ちるぞ!
って脅しているんですよ。
原罪=冤罪だけではありません。
他には、
・異教徒は有色のGODの裁きを受けるぞ!
(人類始祖は白人だと捏造する為のキリスト教創造説)
・イエス様が罪を贖ってくれたんだから感謝しなさい!
・信者「だけ」が救われます!

などと言って、
「俺は実は困っていたのか。なんとかしないとな」と不安にさせて、その不安解消策として信者になることを選ばせるのです!
(…)
不安を煽るのは要は需要を増やすわけですから、戦争屋と手を結ぶのも良い手ですね。戦争を起こしたりテロを起こしたりすれば不安な人が増えますから、宗教の需要も増えます。一石二鳥ですね。
ついでに、紐付きでない陰謀論者や他の宗教団体の教祖や幹部を始末すれば競合他社も減って一挙両得ですね。
そうしたい方は大本教に修行に行きましょう!
日本会議にも是非参加しましょう!
日本会議に賛同している宗教団体に見習いましょう!


・(わざと困らせて)救済を与えよう(自作自演)
そして救世主になろう!

救済の与え方の分かりやすい例として、浄土真宗系の新興宗教から発展した「内観療法」という精神療法をご紹介。
内観療法では、まず、相手に対してセラピストが
「あなたが(お母さん、お父さん、兄弟姉妹、上司など)に
①してもらったこと、
②して返したこと、
③迷惑をかけたことを調べて下さい」
などと過去の記憶を思い出すよう促します。
そして、真面目に思い返してみると、してあげたことよりもしてもらったことの方がはるかに多いわけですよ大抵は。
なんとも申し訳ない気分になってきます。そう、不安を与えているのです。ほら、こんな困ったことになっているぞってね。
これを続けているうちに、対象者の心情にある変化が生じます。
「自分はなんて駄目駄目な奴なんだ」
という思いから、
「こんな駄目駄目な自分でもみんなに助けられてちゃんと暮らしていけるって幸せだなあ」
という考えへとチェンジしていくのです。
この変化が生じれば内観療法は成功です。
周囲に感謝できる新たな価値観を手に入れたのです。この瞬間、不安は救済に変わるのです。
内観療法は、アルコール依存症や神経症、家庭内暴力や犯罪者の再犯防止などに効果があると言われています。
なお、内観療法は宗教的要素を抜いていますから
「みんなに助けられてちゃんと暮らしていけるって幸せだなあ」
という形に最終的に落ち着きます。
が、この元になった「身調べ」は浄土真宗系の修行ですから、
「こんな悪人の自分でも阿弥陀仏は救ってくれるんだ。今までよりももっと信仰するぞ」
と最終的にその宗教が正しいと言う確信を強めるようにする(より抜けられなくなる)わけです。
大切なのは、
不安を与える設定(原罪などの教義)を作って、
「それを解決できるのは自分達だけだ!」
と自作自演するわけですね。
ここで大事なのは、
「うちの宗教を棄てたり信仰を怠るとまた不安にさいなまれるぞ!」
といったニュアンスを上手く伝えることです。

くれぐれも直接堂々と
「地獄に堕ちるぞ!
呪われるぞ!
不幸になるぞ!」
などと下品に脅す必要はありません。
外聞が悪くなるしツイッターに書かれるし良くありません。
もっとお上品に、
「あなたが今幸福なのはこの宗教を信じているからですよね?」
と言うだけで良いのです。
教団への永続的なコミットメントを要求できるように救済を与えましょう!

さあ、「虐殺しまくっているのに紳士の国・英国」方式でレッツ自作自演!
(そう考えると、消耗品を買わせる手口って素晴らしいですね! 幸せの水とか!)

英国国教はカトリック的プロテスタント(教義はプロテスタント、儀礼と礼拝はカトリック)ですが、違うプロテスタントのカルヴァンの予定説は実に素晴らしい手法です。
予定説とは、
「人が救われるのは、人間の意志や能力なんてまったく関係なく、神がすべて決めているから願っても無駄です」
という神は絶対的に人間より上だという思想をより強化したものです。
そして予定説では、信者が神を信じることすら信者の自発的意志ではなく、
神が「信じさせてくれている」(神が救う為にやってくれている)のだとします。
そして、異教徒は自発的意思によりプロテスタントのカルヴァン派を信じないのではなく、神から見捨てられているわけです。予定説から見れば、異教徒は神から見捨てられたとっても哀れで可哀そうな、全人類を愛している「とは思えない」の神の創造物なのです。

これを儲の立場から考えてみましょう。もし、あなたが儲だとします。あなたが急にふと唯一神の存在を信じられなくなったとします。予定説だとその瞬間、神から見捨てられたことになります。儲であるあなたは自分が神に見捨てられたなんて考えたくありませんし、信仰が薄れているなんて認めたくありません。ならば必死に信仰に篤いとアピールする為に熱心に活動したりするわけです。
これはつまり、
「信仰を失うという脱キリスト教的な動きすらも、キリスト教の枠内に抑え込んでしまう教義」

「信仰を失ってもキリスト教から離れることができず、逆にキリスト教の中で失墜するだけにしてしまう教義」

「信仰を失った者にさえ、なお『自発的に』信仰を求めさせて自己説得させることができる教義」

なのです。
組織固めの為にも、とても参考になると思いませんか?

予定説も凶悪ゲフンゲフン優秀ですね。
あれ、予定説も異教徒も神が作ったんだよね? 
そして異教徒であることも神の意志なんだよね?
自作自演ゲフンゲフンゴッドの正体は悪魔うわなにするやめて。

あと日本の過労死教の元ネタはカルヴァン思想です。
資本主義を発展させたのはユダヤではなくカルヴァン思想ですからプロテスタントですね。

とにかく、信者を逃がさないために執着を強化し、欲望を煽りましょう!
一番お手軽なのが、
「我々は正しいから迫害される」
という教義です。
「我々は既知外だから迫害される」
の間違いなのですが、教義で既知外を正しいことにしておけばOK!
あとは、「異教徒は救われない憐れむべき存在」だという教義で信者の選民思想も強化しちゃいましょう!


・食物規制をしよう(禁欲)
そして帰属意識を高めさせよう。

組織を高める為には「差別化」が必要です。あなたの教団内に特殊なルールを採用し、教団の内側と外側に温度差を作ることで信者たちを教団に繋ぎ止めるのです。
食事規制は身近であり、食事は毎日何度も行うものですから実に有効です。

ユダヤ教はレビ記でいろいろ規制されていて、ブタ、エビなどのみならず、子ヤギをその母の乳で煮てはいけないのでクリームシチューが食べられないそうです。

(私ねここねこは日本人にあわない牛乳ではなく豆乳を使ったものを食べております。当然、原材料も製造場所も西日本。工場が東日本だと放射能汚染された水道水を平気で使いますからね。
あと、機内食も食べない方がいいです。できるかぎり自分で用意しましょう)”
(…)
権威を振りかざそう(目的)
そして考える手間をなくして楽させてあげよう。

人の行動は大半は自動的であり、権威に従うことは労力削減の為に役立つからこそ、人間は家畜仕様だと言われたりします。無駄な手間を省くのは立派な戦略なのです。
現代という最も労働を強制されている時代の社会で生き、特に労働が大事だと洗脳されている過労死教の信者は嫌悪感を抱くかもしれませんが、例えばライオンがあまり動かないのは動かないことが一番合理的だからです。
まあ、楽することは素晴らしいことなのですよ。
とうせ人は何らかの権威に従って生きざるをえないのですから、早いうちから一本筋の通った権威を仰いでおくのは幸せなことなんですよ。
合理的でしょ?
信仰を持った人に
「信仰を持って良かったことは何ですか?」
と尋ねると、
「しっかりとした価値観が持てるようになった」
「何かに迷っていても、自分には宗教という指標があるからそこに立ち戻れる」
といった返事がよく帰ってきます。
要は、
「自分で考えたり疑ったり検証したりする手間が減ったのですごく楽だ」
ということです。
楽すなわちハッピー。勿論、騙しているわけでも洗脳しているわけでもありません。
儲をハッピーにできればそれでよいのであって、権威はその一手段なのです。儲をハッピーにし、教団の結束を固める為にも、あなたは断固として権威を振りかざすべきなのです!
あなたが代わりに考えてあげることで、儲をハッピーにしてあげましょう!
支配層が大衆支配用に大衆用娯楽を結社員に創らせるように、教祖であるあなたも権威を振りかざして信者を酔っ払いにしましょう!
だからあなたも本記事を信じましょう。



科学的体裁を取ろう(擬態)
そして新興宗教という胡散臭さを消そう。

ほとんどの日本人は自分自身が民主主義教、デモ教、拝金教、選挙教、過労死教、性善説教の癖に、
「私は無宗教です」ってほざく無自覚野郎ですから、新興宗教ってだけで毛嫌いします。
なので、日本人が特に信仰している科学に偽装しましょう。
宗教ですと言わずに科学ですと言いましょう。
日本人のほとんどは科学的思考ができないくせに科学(の権威)だけはなんとなく信仰する馬鹿信者なので、ちゃんと日本人の特性にあわせた偽装をほどこしましょう。
「科学的な話をしているのです」
と言い張れば、大半の人は疑いません。似非科学だろうが疑似科学だろうが区別できないからこその大衆なのです。
ほら、ゲーム脳だとか水からの伝言だとか、先述した地球温暖化詐欺だとかエコだとか科学的体裁を取ることは実に説得力があるのです。
どうせ一般人は科学的検証なんて絶対しません。
マイナスイオン=陰イオンなんてそこらじゅうにあることすら知りませんから。
アトランティスだなんとか言っている癖に、原典のプラトンの著作を読まないようなものですよ(オカルト好きならせめて神智学思想ぐらい知っておけよ)。
もちろん、科学的体裁を取れば、批判的精神を持ったインテリが科学的に反論してくることもあるでしょう。
「科学は人間が経験できてしかも繰り返せることにしか扱えない。数字などで他の人と共有でないといけない。主観的宗教体験は科学ではない」
とかなんとか言ってきても気にしてはいけません。
一般人は見たいものしか見ないのですから関係ありません。
例えば、ゲーム脳を信じている人がネットで検索してその根拠を読んだとしても、その反論は絶対検索しませんからね。
特に、主婦に効きますよね。
まあ、嘘も科学も方便ってことで。



・弱っている人を探そう(獲物)
そして儲にしてハッピーにしてあげよう。

信者勧誘において、まず初めに狙いたい人たちが、病気で苦しんでいる人や死にかけの老人など社会的弱者です。彼らは絶好の布教対象ですので、確実に探し出して布教しましょう。
弱って判断力のない人を騙すなんて酷い?
逆ですよ!
弱っている人を救うことこそが宗教の本分であり、あなたの使命なのではありませんか! 
だからじゃんじゃん布教していこうぜ!
さて、布教の方法なのですが、「不思議なこと」や「理由のわからないこと」に意味づけすればいいのです。
偶然を意味づけて必然だと言ってあげればいいのです。苦痛をもたらす理不尽に対しては神の試練だとか言って布教してきたのが一神教でしょ?
なんか知らんが偶然弱っているのではなく、何か意味があって弱っていると思う方が圧倒的にハッピーになれますからね。
しっかり催眠術にかけて気持ち良くなってもらいましょう!
催眠はドラッグよりも気持ちいいらしいですよ?
宗教=麻薬=執着による苦しみをもたらす依存性の病、だと「ねここねこ」なる人が言っているそうですがそれは違います!
信仰してもらえば、酔っぱらっているかのような快感が得られて幸せになれるのですから、病だなんてありえません!
お酒はお金がかかるし、酔っ払いってものすごく、ものすごく迷惑なのですが、宗教的酔っ払いはお金がかからなくて酔っぱらう快感が得られますからとってもお得!
お酒を飲むのを教義で禁止してもお酒を飲んだかのような快感が味わえるなんて信者は恵まれていますよね!

・人々の家を回ろう(布教)
そして儲作りの種を蒔こう。
(一番有効な種は戦争やテロってことは内緒だよ)

信者が増えてきて、労働力にゆとりが出てきたら、二人一組にして戸別勧誘を行いましょう。二人一組は聖書の教え。相互監視や、二人で一人を対象にすると数で上回るから有利だとかさまざまな利点があります。
うーん、でも自分のとこに勧誘来たことあるけど全然心が動かされなかったぞ、というか迷惑だったぞ、という人もいるでしょう。しかし、そのときのその人にとってはその宗教が必要ではなかったのですが、その後はわかりませんよね。少なくともその宗教の存在を認識したこと、それが大事なのです。それに儲に抜けさせない為に儲に布教させるという目的は既に達成されております。

二人一組で勧誘といえばエホバの証人。
私が個人的に話したヤハウェの商人(中身をより正確に表現しつつ、間違った神の呼び方を改めました)の女性は、女性が信者に多いと言っていました。そして私が一番驚いたのが、「男は女よりも上」だと言ったことですね。え、女が男より下だと言っている宗教なのに女が多いの?
まじやべーですな。
そもそも「エホバ」って読み自体が間違いなのでお察しなカルトですが、詳細は過去記事のリンクを「参考にした資料」のところに載せておきます。


実は、ネトウヨ工作員が二人一組あるいはそれ以上でネットと活動したりするのは聖書の教え「二人ずつ組にして遣わす」に従っているのです。
ネット右翼のボスはナチスの残党・キリスト教原理主義でWASP至上主義の、アメリカ共和党あたりの人ですから、聖書に従うのは当然ですよね!
ちなみに、右翼系の実行部隊は、
生長の家、ワールドメイト(大本教系)、
神道政治連盟(神社の中枢はキリスト教)、
統一教会、CIA、自民党などです。
まんまニコニコ動画の実質的運営です。
なお、生長の家とワールドメイトは左翼系にも入り込んでいるので左右同根、右も左も同じ胴体です。


・他教を認めよう(寛容)
そして受け入れられやすくしよう。

伝統的な宗教はどこも程度の差はあれ、他教をこきおろしていました。
しかし、これをやると敵が確実に増えるのです。今や文化相対主義がトレンドなのですから、排他主義なんて古臭いですしかっこ悪いです。寛容が大事です。
そこでお勧めなのが、
宗教統一用の宗教=イルミナティ教ですよ。

紅卍字会、
大本教、

生長の家
(天皇絶対、万教帰一)、

国柱会
(八紘一宇=全世界を一つの家に統一。
統一世界政府。"all the world under one roof")、

世界救世教
(キリスト教としか思えない名前ですね)、

ワールドメイト
(人類みな兄弟が元ネタかな)、

三五教
(三五館と関係あるの?)、

カオダイ教
(△に一つ目マークがシンボルで爆笑)、

バハーイー教
(大本教にポーランド人製エスペラント語を持ち込む)、

天道、
一貫道
(一国に最低一つは統一用宗教があるんだろうなあ)、

などなどきっと手本になってくれるでしょう。

他の教えを認め、そして取りこんでしまうという上手い作戦を取っている好例が
バハーイー教です。
バハイ教は、シャイヒー派というイスラム教シーア派の一分派・十二イマーム派から生まれたバーブ教から生まれました(ややこしい)。
シャイヒーの教えは、救世主の出現を待ち望む戦闘的な集団で、時にシーア派の異端といわれます。
(十二イマーム派→)シャイヒー派→バーブ教の流れを受けて、イランで十九世紀半ばにバハーウッラーが創始した一神教がバハーイー教です。
世界の主要な宗教の教祖、つまりクリシュナ、ゾロアスター、アブラハム、モーゼ、仏陀、キリスト、そしてムハンマドなどは全員、それぞれその時代の人類の発達の段階に適した教えと法により、同じ唯一神から人類を教育せんがために遣わされた聖なる教祖であり、それぞれの時代に於いてはどの教えも正しいのだが、今従うべき指導者はバハイ教の教祖である、という主張です。
しかも、いずれは次の預言者が神から遣わされるからその時は自己の理性で判断して次の指導者に従いなさいという姿勢であり、以前にもバハイ教教祖と同じ格の人は以前にもいたしこれからも現われるだろう、とするなかなか徹底した相対主義です。
「あなたの宗教は立派ですよね、ところで私の宗教の話を聞いて下さい」
という姿勢なので、相手を改宗させる目的での布教活動は禁止されています。
また、聖職者もいませんし、各地のバハーイー共同体は「地方精神行政会」(Local Spiritual Assembly) と呼ばれる行政機関であります。
で、本部と聖地がイスラエルというすさまじいものになっております。「聖約」(神との契約)を重視する契約宗教ですから、まあミトラ(ミスラ。契約の意)、ゾロアスター、ユダヤ、キリスト、イスラームの宗教を混ぜて統一しつつ、仏教(特に無常と空と無記)を破壊する為の、ワンワールド構想の権化にして、新世界秩序宗教ですね。
ウィキの関連項目が本質を突いております。


“エジプトIDカード論争
ダビフッラー・マフラーミ
モナ・マフムードニジャード
藤田左弌郎
大本
イルミナティ
en:Bahá'í Faith in Japan - 日本とバハーイー教との関係。”

今(最終更新 2015年8月21日 (金) 23:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。)

モナ・マフムードニジャード、ダビフッラー・マフラーミ - 何れもイスラム原理主義下で殉教したバハーイー教徒。
エジプトIDカード論争 - バハーイー教徒の扱いを巡って論争になった。
藤田左弌郎
en:Bahá'í Faith in Japan - 日本とバハーイー教との関係。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC%E6%95%99

都合が悪い箇所は改竄されました。
記述だけでなく、記述者がやっていることも見ましょう
皆さんもウィキを読む際には関連項目も読むことをお勧めします。

NOW=世界連邦推進の大本教の公式サイトが、大本とバハーイー教と交流したと書いていますから改竄です。

これからのトレンドはイルミナティ教ですから上記の宗教も決して批判してはいけませんよ!

しまった! 
かなり過激で排他的な教義にしてしまったあ! 
という人! 
問題ありません。
キリスト教の変形であるスピリチュアルや神智学や人智学やニューエイジや人型の肉体ある宇宙人カルト(せめて霊体かつ人型でない姿にしておくれ)という、キリスト教の弱点を減らした新キリスト教の実例がありますからこれらを参考にしましょう。
流布しているスピリチュアル本は元ネタの本の内容を薄めまくって優しい雰囲気にしたものでございます。
ゴッドや天使や悪魔やイエスを
「あるかわからない神秘的な法則」など別のものに置き換えたキリスト教の変形です。
物証と実証主義と論理的思考を封殺するための改造版キリスト教です。

スピリチュアルの物質否定は、おそらくグノーシス主義から来ています。
①選ばれた者だけが真の神から智識を得て真の神と合一できる
②この世の物質的なものは全て悪
というヤバイ思想がグノーシス主義です。

あなたも、上手いこと弱点を消すように努めつつ変形させていきましょう!
「私は霊的に進化しているから教義も進化する!」
などと世迷言をほざいておけばよし!
いっそのこと、今の団体を消して新しく作った団体に吸収させたらいいのです。
メンバーさえ生き残れば団体が消えても問題ありませんから。
スウェーデンボルグ派キリスト教の和訳である大本教は弾圧されましたが、大本教勢力は今なお隆盛しております。


・迫害に対処しよう(共通の敵)
そして敵と戦う為に団結させよう。

迫害など外敵の攻撃を受けると、儲は自分達の宗教が間違っているとは決して考えません。
しかし何もしないのも不安ですから、聖典あるいは経典に
「我々は正しいがゆえに迫害を受ける」
としっかり書いておきましょう。
日蓮は法華経に「末法の世に法華経を広めると必ず難に遭う」と書いてありますから、(迫害される原因が自分自身の態度にあることからは目をそむけて)迫害をポジティヴに受け止めることに成功したわけです。
こうなっちゃったら無敵ですよね。
実はこれ、私自身にも当てはまるんですよ。
このブログが妨害されたり、私自身が攻撃されれば、それが私の発表していることの正しさの証明になるわけです。敵が自身の正しさを証明してくれるわけです。
私と大衆のどちらが狂っているのか、という狂気の証明がね。
まあ、私は自殺しませんから。今の検死制度は、誰でも「自殺」にできるシステムであり、心不全とは心臓が止まったが死因は言いたくないよ、という意味です。“

ねこた ‏@lakudagoya
日本が所謂欧米だと思ってきたものは主にプロテスタント圏で、カソリック圏ではないのがミソ。 日本の若者は自立しないからけしからん!と騒いでた文化人(笑)はさ、見てたのは英米だけなんだもん。 イタリアやスペインなどのカソリック圏はスルー。 日本は感覚がラテン系が近いんでね?w

カソリック圏からは19世紀のイギリスの産業革命で生まれた「中流階級」なるものは出てきてないよな。 大学を出て知的労働をするブルジョワの精神とプロレタリアートの生活をするようなポジションがない。 イタリアの状況書いたの参考なる? http://diamond.jp/articles/-/76704?page=3 …

(「イタリア的」な不思議は、
「カトリック」「カーニバル」「ユートピア」で説明できる
[橘玲の世界投資見聞録]
http://diamond.jp/articles/-/76704
”ローマにはカトリックの総本山であるバチカン(ローマ教皇庁)があり、イタリアが敬虔なカトリックの国だということは誰でも知っている。実際、激論の末に国民投票で離婚が認められるようになったのが1974年、妊娠中絶が認められたのはようやく1980年だ。
(…)
カトリックでは11歳になったら聖体拝領が許されるが、そのためには1年ぐらい、毎週土曜日の午後、教区の教会で神父やボランティアからカトリックの教えを学ばなければならない。これが教理問答(カテキズムモ)で、イタリア人の多くはこれによってカトリックの教義について一定の知識を保持している。

 これは幼少期に特定の宗教教育を受けることがない日本人との大きなちがいだ。日本人は宗教のことをよく知らないから関心がないが、イタリア人はカトリックの歴史や教義を知っていて、それでも世俗化や近代化のなかで宗教への関心を失う
のだ。

イタリアではすべての町や村に教会があり、日本の戸籍制度のように、教会は教区の信者の出生(洗礼)、結婚、死の記録を保存している。

 カトリックでは、子どもが生まれてから数カ月以内に教区の教会で洗礼(バッテージモ)を受けてキリスト教徒になる。小学校高学年でキリストの身体(パン)を受ける聖体拝領の秘蹟が、中学生のときにカトリック教育を終了した証として「堅信」の秘蹟が行なわれる。これに続いて多くのイタリア人が受ける秘蹟が婚姻(マトリモニオ)で、神の前で家族をつくることを誓う。
(…)
カトリックはプロテスタントとちがって、罪の告解を信者の義務としている。告解を行なうためには、キリスト教的な罪の概念と、それを犯した自己を客観的に認識することが必要だ。フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、この告解の秘蹟がヨーロッパ人の「内面」の構築に大きな影響を与えたと論じた。

 カトリック信者にとって生涯でもっとも重要な告解の秘蹟が死の直前の終油だ。死を迎えつつある信者のもとを神父が訪れ、慰めの言葉をかけ、告解を聞き罪を許してから、その身体に神聖な油で十字架の印を描く。この終油の秘蹟を受けることで、生前の罪は許されて神に救われるのだ。

 このようにカトリックは、政治的、文化的、象徴的な権威としてイタリア人の日常に直接介入
している。世論調査などによると、毎日曜日にミサに行き、カトリックの秘蹟を重視するひとは国民の3分の1くらいだそうだが、イタリア人の生活に与えるその影響はやはり大きいといわざるを得ない。
カトリックは一神教でありながら多神教的

 イタリアの教会を訪れた観光客は、ひとびとが聖母マリアの像を熱心に拝んだり、聖者(高位の聖職者)が信仰されていることに奇異の念を持つかもしれない。ユダヤ・キリスト教は一神教で、世界を創造した唯一の神(絶対神)以外を信じてはならないとされているからだ。

 ところがカトリックでは、多くの教会が(聖マリア教会のように)聖母マリアに捧げられているばかりか、聖母マリアがまるで神のようにこの世に姿を現わす(降臨する)とされている(第一次世界大戦直後に、ポルトガルのファティマで3人の子どもたちの前に現われたマリアは、奇跡を起こし預言を伝えたとされる)。

 アッシジの聖フランチェスコ、パドヴァの聖アントニオ、アッシジの聖キエラ、シチリアの聖ルチアなどの聖者も同様に、信者の熱心な信仰の対象になっている。ローマ教皇庁は奇跡が行なわれたとの噂が広まると検邪聖省という裁判所で調査し、それが本物であると認定されれば福者とし(列福)、さらに奇跡が認められると聖者に昇級する。

 カトリックにおいても、もちろん神は唯一絶対の存在である。だがその神はあまりにも遠く、人間は仲介者に頼らなければその存在を感じることができない。そもそもカトリック教会自体が地上における神の代理人なのだから、「ひとでありながら神に近づいた」聖者を積極的に認定するのは当然ともいえる。

 信者の側も、全知全能の神に直接、自分の卑小な願いを伝えるのは気が引ける。そこで天上界において神と直接言葉を交わすことができる聖母マリアや聖者に祈ることで、神との仲介を期待するのだ。

 だがこれは、理論的にはともかく、実態としてはきわめて「多神教的」
だ。

 仏教においても、仏陀こそが悟りの頂点にいることは共通の了解となっているが、阿弥陀如来や観音菩薩への信仰は広く見られる。神道などの伝統的宗教では祖先が神との仲介者になるとされている。カトリックは(ギリシア)正教とともに、キリスト教のなかでもこうした伝統的な習俗を色濃く残しており、これはゲルマン民族の女神信仰やアニミズムと融合した名残だと考えられている。
カトリックとプロテスタントの大きなちがいは救霊予定説を認めるかどうかだ。

 プロテスタントは、神が全知全能である以上、最後の審判で神の救済を受けられるかどうかは最初から決まっているとする。これはきわめて厳格な教義で、マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、プロテスタントは(自分が救済されるかどうかわからないという)この不安を克服するために、禁欲や奉職のような「資本主義の精神」を発達させたのだと論じた。これは一見逆説的だが、禁欲する自分は、禁欲できるという事実によって、神から選ばれていることを証明できるのだ。

 それに対してカトリックは、神は恩寵によってひとに自由意志の余地を残したと考える。罪を犯すか道徳的な生活を送るかは個人の自由で、たとえ罪を犯したとしても、神の大いなる慈悲によって懺悔のこころさえあれば救われるのだ。――歴史的には無論、こうしたカトリックの自由意志論が教会による信者の搾取を招いたとして、その批判からカルヴァンが厳格な救霊予定説を唱えた。

(…)
 イタリアの喜劇コンメディア・デッラルテの定番の物語は、ずる賢い家来が愚かな主人をバカにし、主人になり代わっていい思いをする、というもので、その逆転劇に庶民は喝采を送った。カーニバルの役割は、祝祭的な空間において秩序を一時的に停止させ、場合によってはひっくり返すことにある。そこでは支配される側の人々は、自由に支配者を批判したり、バカにすることが許される。権威主義的な制度の下で呻吟する彼らにとって、カーニバルは唯一の解放の希望だったのだ。

 だがそれだけでは体制を変革する力強い運動にはならず、たんなる娯楽(というか、ガス抜き)にしかならない。権力を一方的に否定し、社会の秩序を一時的に逆転させたとしても、それでよりよい社会がつくれるはずはない。カーニバルの祝祭性は、けっきょくは現存の秩序を強める役割を果たすことになるのだ。

(…)
 カーニバルは、ユートピアと密接に結びついている。

 ヨーロッパにおけるユートピアは「絶対的平等」の世界への夢想だった。これはもともと古代エジプトを起源とし、古代ギリシアやローマを通じてルネサンス期のヨーロッパの社会全体に浸透したもので、その現代的な意匠が共産主義であることはいうまでもない。

 イタリアのひとびとはずっと貧しい生活に苦しんできたために、誰もが安楽に暮らすことができる「クッカーニャ(富)の国」への憧れは強かった。このクッカーニャのユートピアを約束したのがカトリック(キリスト教)であり、共産党(マルクス主義)だった。戦後のイタリア政治の特徴は共産党の勢力がきわめて強かったことで、キリスト教民主党とのはげしい対立から多くの政治的スキャンダルを引き起こした。神と科学のいずれを奉じるかで両者は真っ向から対立するが、じつは「カーニバルとユートピア」という共通項でイタリア人の心性と結びついていたのだ。
(…)
ひとびとが望むのがクッカーニャ(富)のユートピアであるのなら、その実現には千年王国的な超人的指導者が不可欠だ。(…)

 ベルルスコーニは歌手(エンタテナー)から身を起こし、いまだ解明されていない方法で大金を獲得して建設会社を設立し、高度成長期のミラノで住宅地を開発・販売して大成功を収めた。その後はテレビ局、デパート、新聞・雑誌、金融業に進出し、人気サッカーチームACミランを買収して、90年代初期にはイタリア最大の富豪となった。
(…)
 たとえばベルルスコーニは、国防大臣に(国家=検察の捜査から自分の身を守るために雇った)顧問弁護士を、財務大臣に節税コンサルタントを、法務次官にマフィアの首領の弁護士を任命した。これは政治の常識からすればバカバカしいかぎりだが、ひとびとが求めたのが(秩序の一時的逆転という)カーニバルであるならば、ベルルスコーニは見事に自らの役を演じたのだ。
イタリアの大学に入学試験がないのは、カトリック的

 これもあまり知られていないことだが、イタリアの大学には入学試験がない。

 大学入学資格は5年間の高等学校や専門学校を卒業することだけで、どの高校を出ても、どこの大学のどの学部でも入学できる。ランベッリ氏はこの制度を、プロテスタント的な救霊予定説とは異なる、カトリックの自由意志説で説明する。

救霊予定説では誰が大学に入学するかはあらかじめ(神によって)決められているのだから、試験によって「選ばれた学生」を見つけ出せばいい。だが自由意志説では、信者は自らの自由な努力によって神の恩寵を得ることができる。この考えを教育に適用すれば、大学はすべての学生を平等に受け入れたうえで、卒業できるかどうかは学生の自由意志に任せることになるだろう。

 その結果イタリアの大学は、入学はかんたんだが(というか、誰でも入れる)卒業はきわめて難しい。たとえば文系学部では、約20の教科の試験にすべて合格したあと、200ページの研究論文を書いて教授2人の審査に合格し、さらに卒業委員会の面前で討論して認められなければ「ドットーレ(学士号)」が与えられない。このためストレートに卒業できる学生は10%以下で、ほとんどは留年するか、卒業をあきらめてしまうのだという。
(…)
 もともとイタリアでは、70年代になっても国民の多くは中学校を卒業すると働くのがふつうで、大学に進学するのは都市部の富裕層の子弟だけだった。

 イタリアでは小学校から大学までほとんどが国立で授業料も(ほぼ)無償だが、実際には教科書代がきわめて高く、上流階級でなければ大学には行けなかった。学生はアルバイトなどをするべきではないとされていて、日本のようなアパートやワンルームマンションもないため、大学に通えるのは都市部に実家がある恵まれた若者だけだったのだ。

 だが中流層の拡大によって大学進学が容易になると、当然のごとく有名大学は「超満員の象牙の塔」となり、教員は学生の教育や管理に追われ、科学・技術研究への投資が世界じゅうでもっとも少ない国になってしまったのだという。
(…)

 最近まで高等教育が上流階級の特権だったイタリアでは、労働者(高等学校以下)と事務職員(大卒)の階級差が歴然としている。

 たとえば工場などの労働者は8時から17時までの勤務で、12時から13時に昼食をとる。それに対して事務職員の勤務時間は9時から18時で、昼食は13時から14時だ。大卒の始業時間や昼食が中卒・高卒より1時間遅いのは、朝遅くまで寝ていられるのが上流階級の特権だとされていたことの名残だという。

 こうした歴史的経緯もあって、一般にイタリアの労働者は会社や経営者に対して忠誠の念を抱くことはない。仕事は生きるための必要悪で、資本家は労働者を搾取してゆたかになろうとしていると考えるのがふつうだ。これが、イタリアの工場でストライキが頻発したり、「イタリア人は怠け者だ」と揶揄されるようになった理由だ。だがそんなイタリア人も、職人のような自営業者になると、打って変わって(自分のために)熱心に働くようになる。

 一方、地方の商店はいまでも月曜から土曜の午前9時から12時半と3時半から7時半が営業時間で、シエスタ(昼寝)の習慣が残っている。これも日本人から見ると不思議に思えるが、イタリアでは歴史的に商人の地位が高く、「顧客の利便性」などということは考える必要がなかったのだ。


 もっとも労働者の仕事に対する考え方も、商店の休日や営業時間も、この10数年で急速にグローバル化しつつある。旅行者を戸惑わせる「イタリア的」なものも、やがて過去の文化遺産になっていくのだろう。

 ランベッリ氏は、イタリアの伝統的な習俗や前近代性の背後には“貧しさ”があると繰り返し指摘している。2014年の調査では、南部イタリアでは年1万2000ユーロ(約170万円)未満で暮らすひとの割合が60%に達している。”)

第10講 カルヴァンの教理形成過程
http://www.imcj.org/watanabe/10B.html
”(1)フランス人文主義による準備とそこからの離反

 1.カルヴァンの修行時代

 幼児期に母親の影響でカトリック的敬虔を身に付ける。少年期に故郷で学び、14歳でパリ大学に入る。学資は教会の教職禄。これを後年福音主義に回心したとき断わる。進歩的なラ・マルシェ学寮でマチュラン・コルディエに学ぶ。この師に後年「Ⅰテサロニケ註解」を献呈する。また、コルディエは後年ジュネーヴに移り住む。ラ・マルシェから間もなく保守的教育のモンテーギュ学寮に転じる。ここで保守的カトリック神学を学んだと思われる。ほぼ同じ時期にこの学寮にはイグナティウス・ロヨラもいた。フランソワ・ラブレーもいた。スコットランドのジョン・メイジャーの感化については分からない。

 19歳でパリ大学を卒業し、オルレアンの法学部に移る。法学とはいえ学問的には人文主義であった。ドイツ人教師ヴォルマールからギリシャ語を学び、ルターの宗教改革を紹介される。また、ヴォルマールのもとで、後年、後継者となるテオドール・ド・ベーズと知り合う。ヴォルマールとの関係は続くが、宗教改革に決断することはなかった。

 オルレアンからブールジュに移って、そこで法学部を卒業する。もともと法律家になるつもりはなかったので、パリに創立されてまだ新しい王立教授団において人文主義の研究に専念する。セネカの研究が主であったと思われるが、当時の学問は幅の広いものであった。ヘブル語もここで学んだ。
(…)
 1532年「セネカ“寛容論”註解」を出版する。彼はこの著によって学界で認められて教授の地位を得たいと思ったらしい。これがカルヴァンの最初の出版物であるが、1531年に出版されたニコラ・デュシェミンの「アンタポロギア」の序文を書いている。

 セネカの著作は前世紀後半から何度か出版され、1515年と1529年にエラスムス編集のセネカ全集が出版されたが、カルヴァンはそれにも不満があった。カルヴァンはラテン語の古典作家の中でセネカの文体と思想を好む。セネカはこの書を彼の生徒であった皇帝ネロに贈り、王者としての徳を勧めたものである。

 この著書におけるカルヴァンの思想、学問の態度はどうであったか。セネカはキリスト教と関係のない思想家であるが、カルヴァンはセネカ解釈をキリスト教的に行なおうとした。
セネカの書には帝王の理想、ひいては政治の理想がある。これを示そうとした。
(…)
 オリヴェタンと称せられるピエール・ロベールはカルヴァンの従兄弟である。ノワイヨンに生まれ、シュトラスブルクで学んだ。1535年ヌーシャテルで聖書のフランス語訳を出版する。フランス語では最初の原典からの全訳聖書である(ルフェーヴル・デタープルの訳はラテン語からであった)。これの序文をカルヴァンが書いた。訳文の検討もした。この校訂作業は後にジュネーヴの牧師会に引き継がれる。ジュネーヴ版フランス語訳聖書はオリヴェタン聖書をもとにしている。オリヴェタンはワルドー派との関わりを持ち、オリヴェタン聖書は初めはワルドー派の要請によって作られた。オリヴェタン聖書の序文にカルヴァンの神学的特色はうかがえない。これは神学的文章ではなく、散文詩である。
(…)

1.ルターへの尊敬

 カルヴァンは改革者の中でルターを最も尊敬していたようである。使徒職は教会の基礎を据える時代だけの務めであるとしながら、ルターを当代における使徒と見ている。綱要Ⅳ,4,4参照。ただ、ルターの書物としてはそう広く読んだとも思われない。

 2.ルターへの批判

 随所に批判が見られる。批判は一定の枠を超えないが、ルターの思想およびルター主義の問題性を随所に見抜いていた。

(…)
1.フランス語地域諸都市の宗教改革

 スイス宗教改革はツヴィングリによってチューリッヒで始まるが、カルヴァンに対するツヴィングリの直接影響はない。チューリッヒの感化のもとにスイス西部で改革を推進しようとしていたのはベルンで、その指導のもとにフランス語地域の改革は始まった。スイスのフランス語地域の都市と周辺地域の改革はジュネーヴが初めであり、それはギヨーム・ファレルによって着手された。ロザンヌ、ヌーシャテルは少し遅れる。

 ジュネーヴは当時まだスイス連邦に加盟してもいない。サヴォワ公の領地であって、都市としての発達につれて、市民の中にはサヴォワ公国から離れて自治体となり、スイスの同盟に加盟しようという動きが盛んになり、これが宗教改革と結び付いた。

 ベルンの1528年の条項と、1532年のベルン会議がジュネーヴに与えた影響は小さくな い。それはチューリッヒの改革の路線を継ぐものである。

 (…)
(4)カルヴァンの学問はどのように形成されたか

 1.語学

  i. ギリシャ語・ラテン語

 人文主義においては古典語が読めるだけでなく美しく書けなければならない。そういう教育を受けた。ギリシャ語はヴォルマールやビュデから学んだ。古典ギリシャ語と聖書のギリシャ語の区別が知られていない時代であった。

  ii. ヘブル語・アラム語

 王立教授団でヴァタブルから学んだのが最初。オリヴェタン聖書の翻訳の点検が出来る程度の力があった。当時の旧約研究家たちはアラム語でタルグムを読むことを始めているので、カルヴァンはそれを始める。独学である。バーゼルのヘブライスト、セバスティアン・ミュンスターと連絡を取って独学で学んだと考えられる。

  iii.フランス語

 学問的な書物をフランス語で書いた最初の人はカルヴァンである。これは単に思想の普及のためではない。知識を民衆の所有にするという思想がある。民衆語をラテン語と同格に扱う。ナショナル・ランゲージを樹立する気風が起こっている。

2.諸学芸

 カルヴァンが一般教養としてどういうものを重要視していたかは、1559年のジュネーヴ・アカデミーの規則にある6学年のカリキュラムから推察される。

 1学年では前半に言葉の変化、後半でフランス語とラテン語を比較しつつ品詞とラテン語初歩練習を教える。第2学年ではヴィルギリウスの田園歌から範をとってシンタックスの基礎を教え、子供に書くことを教える。第3学年ではシンタックスの規則を仕上げ、キケロの書簡集を用いて教え、その文例に倣って作文をさせる。また音節の長さの規則、オヴィディウスの悲歌、デ・トリスティブス、デ・ポントを読ませ、終わりには子供にギリシャ語を読ませ、変化を教える。第4学年ではギリシャ語文法を更に詳しく教え、子供がラテン語とギリシャ語の規則を注意深く守って文章を書くことが出来るようにする。彼らに読ませる著者は主としてキケロの書簡、友情論、老年論、ヴィルギリウスのエネイド、カエサルの戦記、イソクラテスの講話である。第5学年でラテン語の歴史としてはティトゥス、リヴィウス、ギリシャ語の歴史としてはクセノフォン、ポリビオス、あるいはヘロドトス。詩としては時々ホメロスを読ませる。また弁証法の初歩を教える。そして彼らが読んだ書の範例に倣って論文を書くことが出来るようにする。何よりもキケロの逆説、講演の最も短いものを、修辞の技法をもてあそぶことなく学ぶ。土曜日には3時から4時までルカの福音書をギリシャ語で読む。第6学年では弁証法の基礎として、範疇論、トピ カ、論駁を教え、修辞学初歩を教えて良い文章を書くようにし、月2回弁論会を開く。土曜日には3時から4時まで使徒の書簡の何かを読む。

 以上の過程を終えた者が神学過程に入る。ヘブル語が始まり、神学の講義以外に哲学書講読、自然学、修辞学の講義がある。”


「宗教乗っ取り」

ダビデの星がユダヤだけのシンボルになったのは十七世紀からでキリスト教が決めた(ユダヤではない)ので日ユ同祖論(キリスト教製品)に使えない。マニ教の概要(山本由美子『マニ教とゾロアスター教』 など)、ダイアン・フォーチュン『神秘のカバラー』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
折衷主義のマニ教はどのような論点も自己のものとして取り入れることができるので、非常に論争しにくい相手だったであろう。
(何でも信じているか、何も信じていないか、どちらも最強
なんですよね)
三世紀から千年以上もユーラシアの西はスペイン、東は中国福建省の泉州にまで広がったが、現在では消え失せしまっている世界宗教。実は中国では生き残っています。
そして現在の統一宗教=イルミナティ教のモデルでしょう。

預言者マニ(マーニー)は自分で経典を書いた。予言者が自ら教義書を書いたのは、マニが史上初であろうことは先述したが、マニが主として経典にアラム語を用いたのには、当時の中東世界の共通語として広く意思疎通に用いられていたからであろう。
彼は速やかに経典を各地の言語に翻訳させたが、その際、彼は自身の教義の厳密な訳出よりは各地に伝わる在来の信仰や用語を利用して、入信者が理解しやすいように、自由に翻訳することを勧めた。場合によっては馴染みやすい信仰への翻案すら認め、このことは異民族や遠隔地の布教に有効であった。
マニ教は他の宗教と論戦しながら改宗を勧めていったのだが、相手の宗教を否定せずにむしろ積極的にその宗教独自の概念や神話を取り込んで、違ったものに作り変えてしまうことにひいでていたので大変議論がしにくかった。特有の概念や神の名を異なる脈絡で言及するので強い違和感を与えるものの反論しにくかったはず。
(改良版を売る戦術ですね。マニ教は実は君らの宗教の改良版に過ぎない戦法)
しかし、各地ごとに布教目的で柔軟に用語や教義を変相させていったため、普遍的な世界宗教へと発展した反面、教義の一貫性は必ずしも保持されなかった。
(だから消えても影響が残りまくったのがマニ教。道教みたいですね。神道・天皇・神器は道教用語であり日本由来ではないのです。全部中国産。年号だって漢文から。どこにヘブライ語があるの?)



イエズス会VSロシア正教
http://blogs.yahoo.co.jp/mikaeru0628/38094379.html
”佐藤優氏の『国家の崩壊』(にんげん出版)

▼(以下引用。P99)
(イエズス会について)
ロシア語で「イェズィット」(イエズス会)という言葉があるんですが、それは嘘つきだとかペテン師、強盗だというのとほぼ同じ意味なんです。ロシア人にとっては、イエズス会はそういうイメージなんです。どうしてかというと、ほかのフランシスコ会などはカトリックの伝統のまま入って来ますけれど、イエズス会はロシア語を上手に勉強して、ロシア正教と同じような儀式をやりながら入って来るわけです。ロシア正教会と全く同じ形式で来るんです。だからかえって怖いということです。これは全世界どこでも同じで、中国の典礼問題などもその表れです。ロシアでもイコンを崇拝することぐらいイエズス会の連中は平気でやる。
 そのうえで、「ただし、二点だけ認めてください」というんです。第一点は、「一番偉いのはローマ教皇だということは認めてください」と言う。もう一点は、聖霊がどこから出てくるかという問題なんです。この問題では論争があって、ロシア正教会だと、「聖霊は父から出る」という考え方なんです。それが、カトリックだと「聖霊は父と子から出る」という考え方なんです。そこで、第二点として「聖霊は父と子から出るということを認めてください」と言う。「この二点だけ認めてくれれば、後はロシア語を使っても、神父さんが結婚してもいいですよ」と、カトリックであるにもかかわらず言うんです。
 要するに、本当に守らなければならないところのギリギリは何なのかということを、イエズス会は徹底的につめている
んです。それ以外は、全部妥協してしまう。だから、イエズス会は怖いという意識が、ロシア人の中にあるんです。
▲(引用終わり)

▼(以下引用。P316)
(ロシアのアイデンティティとは何か)
 しかし、このように、ロシアをまとめているものを、これだという積極的あるいは肯定的な形でとらえるのではなくて、これでもない、あれでもない、という消極的あるいは否定的な形でとらえるというのは、実はロシアの伝統的思想に合致するものなんです。
キリスト教の神学には肯定神学と否定神学があります。肯定神学というのは、神は愛である、というように肯定的な規定で神をとらえるものですが、それに対して、神はこれこれのものではないし、これこれのものでもない、と否定の規定を重ねていくことによってしか神をとらえることはできない、とするのが否定神学です。つまり、ロシア・アイデンティティのこのようなとらえ方は、否定神学のとらえ方と同じだということになります。
▲(引用終わり)”

つまりイエズス会は支配用宗教で絶対に必要なのは
①一番偉いのはローマ教皇=権威
②聖霊は父と子から出る=不滅の絶対的善なる存在

の二つだと考えているってことです。
確かにこれら二つが両方とも存在しないカルトはありませんね。
日本だと
①は、頂点=現人神(グノーシス的)
と非人紙(=紙幣。あらひとがみ=人に非ざる紙)で、
②は労働と民主主義と資本主義です。



⓵「事実と意見を区別」
②「思う、感じる、感情表現の禁止」
を守れば論理的文章がすぐ書ける!
←そんなことより 「丸に十字」「人型の十字架」「エプロン」のマンダ教だ! 青木健『古代オリエントの宗教』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-115.html
”マニが24歳のときにペルシア皇帝への献呈を前提として執筆したパフラヴィー語文献『シャーブフラガーン』の中では、マーニー教の最高神格「光の父」が時間の神ズルヴァーンに、
原人が善の神オフルマズドに、
闇の王が悪の神アフレマンに改称され、外見上はイラン系宗教に見えるように粉飾されている。
こうも簡単に置換されてしまう事実は、マニ教では「構造」が重要であり、布教のためならイエス論ですら代替可能であるというマニ教理解に一定の根拠を与えている。

(マニ教が布教したいのは
①イエスの絶対性
②グノーシス主義の二つであり、
②グノーシス主義が最優先事項なのでしょう。
「グノーシス主義=二神論=実質的多神教」こそが真のキリスト教であり、
「悪魔を産んだくせに最善(笑)の唯一神」教は、真のキリスト教ではない
と考えていたということです。

ねこた(ツイッター閉店中) ‏@lakudagoya 2015年5月3日
みんあさ、イルミちゃん調べたかったら、マニ教のグノーシスも調べてね。「マミさんは真のキリスト教に目覚めたようです」 で検索してみて。これ青木健の「マニ教」という本を買わなくてもいいくらい内容が充実してる。マニ教の恐ろしさは、既存の宗教に寄生して神話を換骨奪胎して乗っ取る作戦だから

ねこた(ツイッター閉店中) ‏@lakudagoya 2015年5月2日
「マミさんは真のキリスト教に目覚めたようです」が面白かった!マニ教の本買わなくても内容がわかるよ。http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-entry-4797.html ”

「敵と古典の真似が最強」

メルセゲル ‏@Meretseger2
古典=昔うまくやってた人の真似

ノウハウ潰しの基本は敵の真似。「放射脳はバカしかいない」ようにみせる演出が始まったら真似して「アンチ放射能はバカしかいない」ように演出すればいいだけ。例えば→ @aikokusensi1


ノウハウ潰しのために相手の真似してるだけなのに、「こいつ人を攻撃することしか能がないのか」とか言ってくる人がたまにいる。真似してるだけなんだけど

@macron_ @go_ya 簡単ですよ。頭のおかしいキャラクターに相手と同じ事を言わせればいいだけ。https://twitter.com/aikokusensi1/status/261796515067080704 … 具体的には東海アマやリチャード輿水の真似すればいいだけなので簡単です

(東海アマもコシミズも日ユ同祖論者=大本教系の異端派キリスト教の宣教師。
なのでキリスト教の布教手法を真似るべき。異教徒のふりは基本!)

基本的に東海アマの真似した違うテーマのアカウント作るだけでいろんなものがネガれる。やってみれば非常に簡単。なんで誰もしないんだろう。反原発を反反原発に入れ替えるのもコピペ改変作文スキルあればできる

誰でもできる印象操作マニュアル:1.頭のおかしい雰囲気のアカウント作る(東海アマの真似が推奨)、
2:攻撃したい内容に頭のおかしい雰囲気の演出をしつつ同意する。
3:バレそうになったら「陰謀論乙」を連呼する:簡単すぎる


権威で無理な理屈を押し通す方法以外の詭弁方法は誰でも真似できるという事を1%は理解していないんじゃないかと思う事がある。@aikokusensi1 の「捨てアカウント法」も1%がやってた事の真似だし

(相手陣営のアホを叩くのがメイン)

1%と99%の戦いは1%がどれだけ金を積んでも人任せにできない基本決定プロセスの部分を攻めるべき
と思っています。例えば1%側の基本方針として http://twitpic.com/9iehm1 こんなものが発見されていますが、これを利用不可能にするためこちらも真似してます

メルセゲル ‏@Meretseger2 2013年9月1日

メルセゲルさんが愛国の戦士@脱トンデモに一票をリツイートしました

@Angama_Market https://twitter.com/aikokusensi1/status/261796515067080704 … 原発推進派のふりしたアカウントにこんな事言わせるというのもあります。推進派が同じ事してるのを真似しただけですが
メルセゲルさんが追加
愛国の戦士@脱トンデモに一票 @aikokusensi1
#放射脳 はまだ放射能で人が死ぬとか、ありえないこと言ってんのか。おまえら中学の理科からやりなおせ。放射能ってのは光の一種だ。光で生き物が死ぬわけねえだろ。

twitpic.com/9iehm1  これのバカ側をあえてやるのが有効なのは「放射脳」ネガキャンでよくわかってるはずだしし、相手のやりかた真似すればいいだけなんだから、みんなしようぜ。どうせ正攻法じゃ誰も話聞かないぞ

自分が言われた事を真似して返すと相手がひるむ体験を何度かすると、真似スキルが上がる気がします


@b_w_m 基本的に相手のやる事を真似すれば、そこそこやれます。例えばこれは「見方のフリして」自爆する自演アカウントだと思いますが https://twitter.com/Jeff_Yamato/status/386657393922158593 … 同じような自演アカウントを自分も作ればいいという事です

基本的にネトウヨや新自由主義プロパガンダと同じ事を対象を逆向きにしてやるのが一番であると思う。あっち側はこっちがされると一番嫌なことを熟考してやってる。せっかく熟考してくれてるんだから真似しない手はない

「俺、おまえの方法論を真似してるだけなんだけどね」で投影を封じる事ができます

「おいしんぼ」のノウハウをこっちも真似すると、そのノウハウはとうぶんの間、使えなくなる。

@kinokokumi 敵側の使う戦略はとても有効な方法を厳選して使ってくるので、せっかく戦略を熟考してくれているのに、これを真似しない手はないのです。「正攻法」は前にやりましたが、全部駄目でした

@mutarmutar 真似をすると、その手法そのものを封じる事ができます。かつて「*の毒舌な妹」という手法が流行していましたが、真似して「ネトウヨの毒舌な妹」を始めたら、他の「妹」もRTされなくなりました

捨てアカ認定という新しい技を学習したぞ 次に使えそうな機会に真似しよう

@Angama_Market @sedzir せっかくあっち側の人達がいろいろ試行錯誤して印象操作の方法を工夫してくれてるのに,こっちが真似しない手はないです

敵のやりかたを真似するのは、あらゆる戦いの基本だが、嘘つきに嘘つきで対抗されたらやっかいだからSTAP細胞で異様に大騒ぎする理由の1つなのかも

@nofrills 嘘には嘘で対抗 すき屋みたいな奴隷労働は適当に嘘ついて手抜きしないとダメ
stap細胞は経営者を上手く騙すノウハウが詰まってるので真似できる点が多い

ブラック労働は適当に嘘言って手抜きすればいいという手本をSTAP細胞の人は素晴らしい完成度で実現してたのに,みんな叩くだけで真似しようとしないね.本当はブラック労働が好きなんじゃないの? http://togetter.com/li/700911#c1563779 …

@koba31okm STAP細胞のやり方を真似すれば、自分の古着に適当な値札つけて店舗に置いておくとか「工夫」はいくらでも出来るはずなのに、なかなかやる人がいないのが不思議で仕方ないです

敵の真似って要するにこういうことです(今回はちょっと今ひとつな返しだったけど)。自分が最初に藁人形やってると「それは藁人形だろ」で反論できないわけですから真似は最強なんです

敵が何か新しい手法を生み出してくることもありますが、それも積極的に真似していきましょう

たぶん自分の言いたい事を相手に伝えるなんてのは無視して、いかに相手を困らせるかを優先するというマニュアルがあるみたいなので、自分も真似しています

チャーチルが「敵の真似が最強」と言ってる資料を確かに見た記憶あるのに検索しても出てこない 敵の真似が最強 なのは実践して体感してるから確かではあるけど

別アカで頭のおかしい人の真似したら本人もキチガイになるって? 絶対ならないから

(狼たちは知っている ‏@wolvesknow
学ぶ→真似ぶ からだと言われてます。義務教育中に、学ぶ事の本質が真似る事から始まると理解されては困るので、個人での反復のみで理解や暗記を強要し、他社から学ぶ→真似ぶ事は重視しません。
発明が組み合わせである事も無視し、独自の創造性を重視。わかりやすい話で。

工作員の真似をして彼らをやり込めるための真似→良い真似。
何らかの実害を被る人がいる真似→悪い真似。)

https://twitter.com/saizou9/status/718224554942980098 … 真似とパクリが大事と考える立場から言えば「自分の言葉」というのはクソである
メルセゲルさんが追加
西蔵@Munich @saizou9
キミがだいたい言いたいところも、キミの政治的意思や立ち位置も、文化的許容度も、右寄りな人(もしくは左寄りの人)にシンパシーを覚えてるのも全部わかった。ちゃんと理解した。OK。でもキミのTL、RTばっかじゃん。自分の言葉でそれ書きなよって、時々思う。

真似とパクリは格差を縮小するからTPPは著作権に力入れてるんでしょうね

経験則として金持ちのやってることを真似するとだいたいうまくいく、という法則がある。今は自分で自分の遺伝子解析して自分で薬作れちゃうキットなんてのもあるし金無くても真似出来てしまう

だいたい真似で何とかなるのに、新しい発想とか剛腕とか信用ならない

@gyonikunet 真似パクリへの嫌悪感を捨てて、あちこちから真似で輸入するのはどうか?

真似やパクリへの「嫌悪感」は洗脳の結果だろうと思うが

「オレ達は特別なんだ。庶民は真似するな」

「中国がまたパクリしやがった」と騒げば、自分が他の人の真似をする事も禁止される。あの手の騒ぎの本当の目的はこっちなのでは?

ニコニコ超会議という
「真似はいけない」宣言を漫画から科学技術まで全方位にやらせる祭

漫画やアニメの「パクリ」ハンター達が大騒ぎするほど「真似」に拒否反応する人達が増えるのは、狙ってやってるんじゃ?

テレビの真似は失敗の元

「創造性」信仰で真似を拒否する人達の欧米崇拝教信者率の高さ

古典=昔うまくやってた人の真似

ほとんどの場合は,うまくいってる人や敵の真似をするのが最良な方法なんだけど
「欧米では創造性が重視されてるのに日本は前例しか見ない」
みたいな人達は注意した方が良いような感じがしてる
その欧米も医学とか化学とかイスラムから真似たのでは?

誰にも「勉強する方法」を教えてもらえない時は真似をすると良いかと思う

アカウントを変えるというのもネトウヨとかがやってる自演テクニックを真似したんだよね

自分が教祖になりたいわけじゃないなら敵の真似が一番

@itiokhrt 関西生コン関連ストライキという「レジスタンス」が成功したことがあるので、真似すれば他も行けるのではないでしょうか


知識の独占による階級構造を成立させているのは「独自の考え」を尊重する考え方。みんなが真似をすれば知識の独占は出来ない

アニオタは「独自のアイデア」というものに異常にこだわる。なので真似やパクリを見つけるとキチガイみたいに騒ぐ。誰かの真似をしないので心が成長せず幼稚園のまま。さらに「独自の考え方」であるネトウヨにも簡単にハマる。コミケで観察すると、とてもわかりやすい

同調圧力と真似は違う
d.hatena.ne.jp/mytestdone/20160219/1455854002 … 手段と目的は別と認識すると、手段が猿真似でも気にならなくなる
(手段=目的論法
”戦隊物ドラマなどで昔から言われている

「平和のために戦うのは矛盾している」

という目的と手段の矛盾を指摘する論法
原理

この論法を使うと次が言えて,問題がわかりやすくなる
「ケーキを作るのに小麦粉を使うなんてケーキと矛盾する!とんでもないダブルスタンダードだ!ケーキはケーキから作るべきだ!」

目的のもの(ケーキ)がまだ無いなら,それを作るために目的とは違う手段(小麦粉)が絶対に必要になる.そこに「矛盾」を指摘することで容易にいろんなものが「論破」できる.


子供向けドラマで昔から言われているネタであるので例は沢山ある

戦争はやめろ!やめないと皆殺しだ! ”)

(カレルレン ‏@carellen_ 2月19日
@Meretseger2 ネトウヨの使ってた安倍総理の画像がどうとかいうタグに批判画像をあげてたら、ネトウヨは逃走しましたが、これはネトウヨの使ってた手口なんですよね。
敵の真似をするのはエンダーのゲームという小説でも主人公が有効な手段として挙げてました。)

人工芝のやってることを真似するために人工芝の人工芝になろうとしたアカウント作ったこともあったけど,途中でやめちゃったんだよなあ

@herobridge 確かチャーチルが「敵の真似をするのが最強の戦術」みたいなことを言ってた記憶があります.それを実践しているだけです

さもなくば過去に上手くいくことが確認できてることの中に真似を組み込むか。
オリジナルはだいたい上手くいかない

敵のやり方を真似るというのは、敵のやり方の数カ所を変えるだけ。数カ所を真似して、残り数百ヶ所を自分で考えたオリジナルにする事じゃないよ

「自分の思いつく程度の事は必ず誰かが過去に同じ事やってるはずだし、調べたらもっと良い事が出てくる」
この普遍の原理を知らないと橋下徹の単なる思い付きとかを絶賛して信奉するようになる
敵の真似をしようというのも同じ考え方

弁証法よりも敵の真似が有効
という考え方を推奨したい

架空の殺人予告を受けたことにするという手法は自分も真似してみたい

@cxjr 敵の洗脳方法をこちら側も真似る方法が有効なことは確認しています。分かりやすかった事例としては「なんとかの毒舌な妹」という印象操作が流行ってた時に、こちらも真似して「ネトウヨの毒舌な妹」をやり始めたら、他の「妹」がどんどん消えていきました

敵の真似を今までやってきた自分としては,敵が,あんまり頭よい人達にみえないし,すごい脅威と感じないんだけど,ちょっとずれてるんだろうか

https://twitter.com/cxjr/status/639767348426113024 … 敵の真似をやってると敵側がそんな頭よくないのがわかってくるので,そんな悲観的でもないんだよなあ

https://twitter.com/aoi_mokei/status/638521981135032320 … 「悪いのは俺じゃない朝鮮人だ」でストライキとかあらゆる責任追及から逃れられるんだから,みんな真似するに決まってるじゃないか

戦うなら敵の真似が一番だという提案はスルーされまくってるし 検討違いのデモが論外なのは理解できるが

ソーズさんは主戦場をTogetter に一度変えてみてはどうか。Twitterだけだとブロックされたら終わる。あと政治系だけじゃなくて娯楽系の話題にも自然な感じでユーモアぶち込んだレスをつけていくと宣伝効果が高かった。ネトウヨがアニメを主戦場にしているのの真似だけど

戦うなら敵の真似が一番なのに、自分で自分の手足縛って(あれはダメこれはダメと言って)ワザと負けに行く人達

@wolvesknow 詐欺師のやり方を真似するついでに、そのやり方を誰でも真似出来る解説なりマニュアルなりも作れると、その詐欺方法自体が使っても無意味になって最高なのですが、自分もなかなかそこまでは手が回らない

「最近はアニメはウェイに乗っ取られてる」とかいうの、真似とパクリに拒否感のない人が最も得する行動してるだけなのを「乗っ取り」とか言ってるだけだし、自分も真似とパクリすればいいのに。

真似とパクリへの拒否感って単にマスゴミが連呼して刷り込んでるだけなんでは

「中国がパクった」とかいうの連呼してたのネトウヨ連中じゃん

(メルセゲル ‏@Meretseger2 4月24日
@makeanovel https://twitter.com/aikokusensi1/status/565562832604119041 … 応用例
メルセゲルさんが追加
愛国の戦士@脱トンデモに一票 @aikokusensi1
普通の日本人ならこれぐらい理解しろ
http://twitter.com/aikokusensi1/status/470816145394528257 … https://twitter.com/aikokusensi1/status/367401062782599168 … https://twitter.com/aikokusensi1/status/270623342552309760 … https://twitter.com/aikokusensi1/status/505676717323612161 … https://twitter.com/aikokusensi1/statuses/478377653406543872 …

政志@おせっかい ‏@nioumasashi 4月24日
@Meretseger2 @makeanovel @aikokusensi1 ずっと思ってるんですけど、言い回しはソフトにしないんですか?w

メルセゲル ‏@Meretseger2 4月24日
@nioumasashi @makeanovel @aikokusensi1
それは真似にならない

政志@おせっかい
‏@nioumasashi
@Meretseger2 @makeanovel @aikokusensi1 アレンジしてオリジナルにはしないんですか?


メルセゲル ‏@Meretseger2 4月24日
@nioumasashi @makeanovel @aikokusensi1 真似に意味があるので)


ガンジーのやった不服従を日本風にアレンジするなら 適当に嘘ついて仕事しない STAP細胞がまさにそれ

「ボカロとか常に新しい物を見せとかないと若者が古典を楽しんでしまうではないか」

昔、中国語を勉強してみようかとお勧め教科書を探してたのだけど、いろんなサイトで絶賛されてる中国の古典文化を紹介しながら学ぶ教科書が何故か絶版になってた。なんでも言葉の由来がわかると覚えやすいとか。

苺の種を通貨にすれば日本円はいらない.たぶん「偽札」は http://www.gizmodo.jp/2015/11/dnaamino3d.html … この辺の家庭バイオ工作キットで判別できるのでは? 古典的な種があればbitcoinなんていらなかったんだ


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