読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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冬至の祭のプレゼント(クリスマスとは言わない)! カバラと魔術系良ツイートと、ダイアン・フォーチュン『神秘のカバラ―』の再読メモ  

人間の本体は脳じゃない。首の後ろ。脳が欠けても生きられるが首が欠けたら死ぬ!

陰謀論でカバラカバラうるさい奴のカバラがクリスチャン・カバラばかりなのに気づけよ!
ユダヤ・カバラにイエス・キリストが登場するわけねーだろ!


#日ユ同祖論 の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から(イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年12月25日
【クリスマスプレゼントの豆知識】
ゾロアスター教では犬は神聖で
一番神聖な犬はカワウソ。
ヤマアラシもハリネズミも犬。
カワウソ、ヤマアラシ、ハリネズミはイヌ科、いいね?
”鼻先の尖った内気な犬、ハリネズミである”
(拝火教経典『アヴェスター』)
RTで配達にご協力お願いします!









(だからサイヤは野菜。金髪になってオーラ=気が見えるようになるほど強くなるからね。
尻尾を持ったままのサイヤ猿宇宙人が月を見ると大猿になるってことも重要。
覚醒すると金髪になる宇宙人って北欧系思想ですね。
鳥山はチベットとインドとドラゴンが大好き!

大猿は猿の巨人。あれ、やっぱり進撃の巨人って……
進撃はもっと話が進んだら考察するよ。

↓独自性=純粋、純血、~発祥、周りからの影響なくなど非現実なレベルでのオリジナリティ信仰

閉店です ‏@lakudagoya 10月8日
やたらと独自性にこだわるのは、悲しい歴史を持つ国だけですので気をつけましょう。
なんか神道カルトがよく使う、アーリア人(笑)を日本人に主語を入れ替えただけの白人のお古の独自性なんていりませんって。

ユダヤを疫病のように扱っててさ、デザイナーがイエズス会ってバレバレなんだよwww)































クリフォト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%88
”クリフォト(Qliphoth、קליפות)は、ユダヤの神秘主義カバラにおける悪の勢力もしくは不均衡な諸力を表す概念である。

「クリフォト」という言葉自体はヘブライ語で「皮」「殻」を意味するクリファ(qlipha, קליפה)の複数形である。
〔…〕
邪悪の樹(Tree of evil)はクリフォトを図式化したモデルのひとつである。 邪悪の樹は最下位のセフィラであるマルクトの下方に伸びており、生命の樹を逆さまにした構造を持つ。 邪悪の樹の各球体には様々な悪徳と悪魔が対応する。 また、球体の番号にはそれぞれ虚数単位を意味する「i」が付けられている。

日本では「トワイライトゾーン」誌に掲載された魔術に関する記事でこの図式が紹介されたが、その情報源はウイリアム・G・グレイ(William G. Gray)の The Tree of Evil である。魔術の学院I∴O∴S∴の学習主任である秋端勉も同じモデルを採用している。

各悪徳及び悪魔は以下のようになっている。

1i サタンのバチカル(Bacikal、無神論)
2i ベルゼブブのエーイーリー(Iweleth、愚鈍)
3i ルキフグスのシェリダー(Sheriruth、拒絶)
4i アスタロトのアディシェス(Adyeshach、無感動)
5i アスモデウスのアクゼリュス(Akzeriyyuth、残酷)
6i ベルフェゴールのカイツール(Kaitul、醜悪)
7i バールのツァーカブ(Shakah、色欲)
8i アドラメレクのケムダー(Chemdah、貪欲)
9i リリスのアィーアツブス(Aiyatsbus、不安定)
10i ナヘマーのキムラヌート(Qimranut、物質主義)

(秋端勉『実践魔術講座』硯文社、第9・10章を参照)
〔…〕
Magical Correspondences by Bill Heidrick:クリフォトを含む魔術照応表

最終更新 2015年11月6日 (金) 15:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。)

Magical Correspondences---Heidrick
http://www.billheidrick.com/works/mcor.htm














三つ編みヘアーだしな!w 両者ともw

(『マギ』のマギは全員三つ編み。結社員のサイン。

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年12月13日
プラトンと同じく『マギ』にも輪廻思想がある。最上級の魔法使いであるマギは生まれ変わる。
マギの特徴は三つ編みで、インドの三神一体とカトリックの三位一体を意味する。
フィクションに多い平行世界論は神がこの世界にいないなら異世界にならいるはずだ!というキリスト教に都合が良い思想。







あれ、そんなに語り合うほどの内容 だったか?
マシュはくたばったままの方が良かった ね。
奈須が仏教シンパ(本当は仏教の解釈 に失敗してただのニーチェ的ニヒリズム なだけだが……)なのはらっきょの頃から そーだろ?
奈須がニーチェ好きなのは、ニーチェ が反キリスト教家だったのも関係してる だろ?
で反カソリックの皮を被ったプロテスタ ントという別のキリスト教が作った
新興カルトにどっぷりハマったw
同業者の山本弘とかも同じビョーキ に掛かってるだろ?w
プロテスタントの新興カルトは 石屋教って奴な!
三角に目ん玉付いてるマスコット キャラのとこね。 奈須の尊敬するラヴクラフトの祖父の ジジィも入信してた新興カルトねw

ゲーティアさんのお話は「ガチャ」 と「爆死」に例えると理解しやすいよ。
「我々は多くの爆死者を見てきた。 もう沢山だ。FGOは一度スタッフを 全員解雇してゼロから作り直さないと ダメだ。 我々はガチャを無償で引き放題にすれば 良ゲーになると思う」
ゲーティア 「だがFGOをゼロから作り直すには 膨大なリソースが要る。お前らのデータ も全部飛ぶ。だが、やる価値はあると 思う。」
「ソロモン塩川……!この無能 ディレクターめ‼︎ お前はFGOがバグだらけなのを知って いながら放置してきた!」

ゲーティア 「ぐだ子よ…!何故だ⁉︎ 何故爆死すると分かっててガチャを 回すのか⁉︎」 ぐだ子 「ただ回す為に」 ゲーティア 「ファ⁉︎⁉︎」

ゲーティア 「私の聖昌石も無限ではなくなった… だが!爆死すると分かってても 私の意地の為に、10連させて貰うッ!」 「たった一回しか回せなかったが、 生まれて初めての盛大な爆死だった… 初めての経験だ……」

フォウ 「マシュ。聖昌石が0の君はゲーム オーバーだけど、僕の貯めた欠片で もう一回コンテさせてあげるよ」 マシュ 「マジで⁉︎ ラッキー♡」

ダヴィンチ 「さ!この呼符10枚を使って二人で ガチャを回してきたまえ!」 マシュ 「先輩、私、塩川さんから聞きました… 呼符でも稀にバグで金ビリビリから 星5鯖が出る事があるって……」 ぐだ子 「ああ、だからガチャは止めれない」
アルテラ 「ガチャは良い文明!」 一部完

燈火 ‏@to_moshibi 12月16日
燈火さんが燈火をリツイートしました
「大辞林 第三版の解説」より ①身近な人々への愛情。 ②キリスト教倫理で、他者たる隣人に対する愛。 https://kotobank.jp/word/%E9%9A%A3%E4%BA%BA%E6%84%9B-411254 … 友愛=隣人愛と同義であることより、友愛の中核が何なのかがはっきりしています。
燈火さんが追加

燈火 ‏@to_moshibi 12月16日
以下のリンク内において「世界大百科事典 第2版の解説」の項に注目すると、「友愛は〈博愛philanthropy〉〈隣人愛brotherly love〉と同義である」と書かれています。確かに宗教関係の用語としても使われていますね。 https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8B%E6%84%9B-650203 …







fategoも輪っかで地球吹っ飛ばす 話だったし、オバマも広島で三角に 輪っか引っ掛けてたしなー
シュローモの輪っかの72柱なんざ 黄道(24節気を三分割=72)の事だから 太陽だろ?
でドレイクの決め台詞が「太陽を 落とした女」。
冬木の爆心地が遠坂邸でイシュタル凛 が天の牡牛だかなんかを落としたんだろ?w 「太陽を落とす」ってのは当然 核ミサイル着弾の事だから、やっぱ 汚染ピッコでなんかやらかすんでね?
AKIRAでも東京にエレシュキガルちゃん の穴ボコが空いてる予言がされてたん だろ?w
Vガンダムも輪っかで全人類を 赤ちゃんに戻すって話だったしな!

ぐだトマト ‏@pteras14 2016年12月28日
まどマギ如きで感動する輩って結構
多いんだな。

もっと色んなアニメやアニメだけじゃ
なくて映画や演劇も見ようぜぇ〜




(とまとさんがRTしたイラスト付きツイートに対して)
絵が上手いという理由でRTしてる わけじゃないんだぜ? 冬コミ前の絵師や漫画家、専門学校生共 の営業活動がfategoの最終章を利用し 捲って滑稽なのを皆んなに知って貰う 為にRTしてんだw
専門学校ではイラストレーターは 商業美術屋(クライアントの依頼通りに 描く人の事)で、自分の絵を描いて オ◯ニーしたい奴は「画家」を目指せ! と、檄入れてたけど、むしろ逆だよ。 お前らそんなに「金」の為に絵描かさ れるの好きなの?
「画家」がオ◯ニーなら、 イラストレーターや漫画家なんて ただのドMじゃん。 三角目玉なんか毎日描かされて 何が楽しいのかサッパリ分からん。 え?「金のため」だって⁉︎ 悲しいなー 藝術や美術ってそんなに程度の 低い活動なのかねぇ……
ほらほらw こーゆーのねww 飽きもせず商魂逞しいわー 現代アーチストさん方はw
いや、まぁ本人の自由だから好きに やって貰って結構なんだけど、 これだけ研ぎ澄まされた高い技術 持ってんのに、「金」という枷が なければもっと凄い作品作れそうなのに 残念だなぁーって思ってね。
え?「金」という動機があったからこそ 俺様の絵の技術がクライアントの厳しい 要求に応える為にここまで頑張って 上げて来ただって⁉︎ その程度の動機で身に付いた技術なんざ そもそもその程度のなんちゃって美術 だったってだけの話さ。
なんかリーナスの名言であったよね? 微軟は金儲けの技術がなんちゃら〜って ヤツ。 正にその通りだと思うよ。
いや、マシュの絵があまりにも大量に 垂れ流されて来るからいい加減ウゼェ と思ってね。#FGO #FateGO

ぐだトマト ‏@pteras14 2016年12月29日
言っておくが、FGOのストーリー最高
とか言ってるニーチェまで読んで哲学
は精一杯って連中、今連載中の少年
サンデーの「マギ」もまんま同じ
ストーリーだぞ?

地球の全生命を無に帰してリセット
しちゃおうぜ!ってお話。
2chのiOS版スレとか気持ち悪いわ。 チェンクロのシナリオライターが FGOの最終章をベタ褒めしてたとか。 どんだけ引き出し狭いんだよw
カルトや結社の入れ知恵以前のレベル だから何でこういう似たような ストーリーばっかになるのか教える けど、基本、物語作りってのは 「Demise」と言ってメインテーマと 言うか伝えたいメッセージを決めるの。 で、大体、哲学から引っ張って くるの!

これは映画でも何でもそう! で問題は物語論ってのは基本 アリストテレスの三幕構成論が スタートだし、哲学も最初から勉強 するときギリ哲から手を付ける。 ところが大体読みづらいカントの 辺りで皆んな挫折してニーチェ辺りで 投げ出すのよ。
ギリ哲自体が膨大な上に、ローマや 初期キリスト教神学も含めると半端 じゃない量な上、日本人なら当然 仏教学ぐらいはやらないといけない。 だから、結局「心の哲学」みたいな 比較的新しい分野までカバー出来る 奴がいないの!
ギリ哲自体が場所の関係もあって ペルシャ(イランの辺り)からの パクリが多いから、どうしても同じ アーリア系のインド哲学に近くなるのよ。 大体の知識人がギリ哲でもうお腹一杯 状態になるから、ハリウッドも含めて ギリ哲偏重な脚本が多くなる。
最新の哲学までちゃんと途中の ポストモダンも飛ばさないでやれば、 ギリ哲みたいな時代遅れな骨董品 なんかとっくに卒業してるの! 神学も同じで古くさ〜い、バルトの 本しか置いてないから原理主義っぽく なるのよね。
まぁ、ギリ哲でも突っ込んで極めて くれりゃまだ良いんだけど、日本の 作家って小説しか読まない奴が多いから 皆んなマギの大高忍みたいなチンケな ニーチェの使い古しのネタをグルグル 使い回すし、漫画家や作家を監督する 編集者も似たようなもんだから。
まぁ、読者も無学で無教養でコミケ でお気に入りの美少女キャラの ケツを追い掛けるだけで精一杯の 知能みたいな連中が多いから、 出版社側も作家側も「ほら!売れてる じゃないか!」って結論になるから 一向に程度が上がらない。














悪の樹・クリフォト教義
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/aku.htm
”あらゆる宗教において、「悪」の考察は外せない。
(…)
 クリフォトの教義は、盲人イサクの系統を継ぐカバリストであるトドロス・ベン・ヨセフ・ハ・レヴィ・アブラフィアという13世紀後半の人物よって、よく知られるようになった。
 トドロス・アブラフィアは、グノーシス派の影響を受けている人物で、そういった思想を持ったカバリスト・グループにも所属していたらしい。
(…)
 このクリフォトと言う言葉は、「殻」という意味である。それも卵の殻のような「外殻」の意味を持つ。
 これは、エゼキエルの幻視と関係してくる。「エゼキエル書」の第4章1節に「北のほうから激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまり火の中には、琥珀金のような輝きのようなものがあった」とある。
 これは、「神性」が4つの「殻」で囲まれていることを示すという。すなわち、中心の「琥珀金のような輝き」こそが、「神性」である。しかし、それは4つの「殻」に包まれている。一つ目の「殻」は「激しい風」であり、2つ目は「大いなる雲」、3つ目は「巻き起こる火」、4つ目は「その火の周囲の輝き」であった。これは、とりもなおさず「神性」は常に、こうした「殻」に囲まれた形で出現するということでもある。
 この「殻」は、「悪」である。
 ずっと後世(16世紀)のイサク・ルリアは、「悪自身の中に善の閃光がありえる」とした。
 この教義は、やがて合成され、これは、「善」は「悪」と殻と実のように結合されている、あるいは「善」は「悪」の内に見出されることもある。また、その逆も然り。ということにもつながるようにもなった。
 いわば、これは「悪」と「善」は表裏一体、隣合わせの存在でもある。言ってみれば、「クリフォト」は「セフィロト」の硬貨の裏側のような存在でもあるのだ。
 しかしながら、本来、「クリフォト」というものは、独立した原理でも要因でもない。これは「セフィロト」それ自体の不均衡な破壊的側面のことにすぎない。
 「セフィロト」においては、均衡が重要になってくる。しかし、完全なる均衡、完全なる安定は、同時に不動の状態であり、それでは進歩は望めない。だからこそ、「樹」には、対象的なシンボルが存在し、それはお互いに干渉し合い、引き合っている。「樹」の「安定」は、慣性の安定ではなく、緊張の安定である、とも言い換えられるだろう。例えば「コクマー」と「ビナー」の関係などがそうだ。
 これは二つの崖に架けられた吊り橋にも似ている。両の崖の橋から引っ張られるからこそ、橋はピンと立ち、安定していられる。しかし、片方の崖ふちから引っ張る力が無くなれば(すなわち切られてしまえば)、橋はまッ逆さまに転落してしまうであろう。
 しかし、この緊張した安定にも、問題はある。互いに引っ張り合っていると、たまに力が片方に偏り、不均衡な状態に陥ることがある。これが「クリフォト」の状態なのだ。
 「クリフォト」の球である「クリファー」は、「セフィロト」の球である「セフィラ」の流出の過程で、こうした不均衡な状態の現れとして出現した。例えば、ケテルがコクマーを流出した時、その力が余分に出来て、力があり余ってしまった。余ったがゆえに力が過剰となり、不均衡が生じた。この病的な過渡期の状態の時に、ケテルに対応する「クリファー」が生じる。
 すなわち、「クリフォト」は、「セフィロト」の流出・進化の過程で、周期的に生じてしまう均衡の喪失の位相の間に抑制が効かなくなって生じた存在であるのだ。
 したがって、こうした「悪」を切り離したり、消滅させようとしても無駄である。それは本来あるべき姿の不均衡な結果にすぎないからだ。だから、カバリストは「悪」を消滅させようとするのではなく、それを補い、調整を取ることによって、「クリファー」が生じた「セフィラ」に再吸収させなければならない。

 例えば、先の例で言えば、ケテルの過剰な力から生じたクリファーを解決するのは、ケテルと引き合っているコクマーを活性化させることにより、両者のバランスを取り、中和させればよいのである。
 「樹」を登って、修行を行おうとする修行者にとって、この考えは重要である。
 修行の過程で、何らかの不均衡が生じると、そこにクリフォトが生まれ、修行者はそこに転がり落ちるかもしれない。
 
  これは「創世記」に出てくるヤコブの子らと戦って滅亡したエドム11人の王にも例えられた。創造の過程に置いて、神が不要と見なした物を破戒する作業でもあった。「創世記」で語られるエドム11人の王達の死は、いわばこの破壊のシンボルと見なされることもあった。クリフォトはこの王達の残滓である廃棄物で作られた「悪」の勢力にも例えられた。
 これは、修行でいうのなら、修行者は自分の内部の人格が不完全であるとこを、まず自覚する。そして、より高次の人格を作るためには、この人格を再構成しなければならない。再構成を行うには、古い建物の一部を破壊しなければならない。当然、破壊すべきは「悪」の部分だ
 エドムの王達は、その人格のある部分を象徴しており、この「創世記」の物語は、精神の各部分の相互作用を象徴しているとも言えるのだ。
 もっとも、破壊とはいっても、要するにこれは「均衡の獲得」に他ならない。エドムの王達との戦いは、「不均衡の王」達との戦いである。
(…)
 また、クリフォトはセフィロトと同様に図式化することも可能である。
 それは、セフィロトより下向きに伸びている、逆立ちした樹である。これは「生命の樹」に対して「邪悪の樹」と呼ばれることもある。
各セフィラに「ケテル(王冠)、
コクマー(智恵)、ビナー(理解)、
ケセド(慈悲)、ゲブラー(唆厳)、
ティアファレト(美)、
ネツァク(勝利)、ホド(栄光)、
基盤(イエソド)、
マルクト(王国)」とあるように、

クリファーには
パチカル(無神論)
エーイーリー(無神論)〔引用者注:「愚鈍」が正しい)、シェリダー(拒絶)、
アディシュス(無感動)、アクゼリュス(残酷)、
カイツール(醜悪)
ツァーカブ(色欲)、ケムダー(貪欲)、
アィーアツブス(不安定)、
キムラムート(物質主義)
と名づけれられることもある。そして、セフィロトに神名や天使の位階が照応されるように、悪霊の位階やその他の物騒な名前も割り当てられている。
 とは言うものの、こうした突っ込んだ理論は魔術カバラのものであり、ユダヤ教カバラの、少なくとも正統派では、あまり考察されたことはない。そもそも、ユダヤ教カバリスト達は、天使については熱心に研究を行ったが、悪霊にはあまり関心を持たなかった。
 クリフォトのより詳しい象徴体系については、「The Sorcerer and His Apprentice」(Gilbert編  Aquarian社)に収録されている、メイザースの講義録を紹介することで、終わりにしたい。

 
「ユダヤ神秘主義」 G・ショーレム
「ユダヤ教思想における善と悪」 シャローム・ローゼンベルク 昇光書房
「カバラー」 チャールス・ポンセ 創樹社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社
「神秘のカバラー」 D・フォーチュン 国書刊行会
「魔法入門」 W・E・バトラー 出帆出版
「トワイライトゾーン」誌 No.153 KKワールドフォトプレス
「The Evil of Tree」 W・G・Gray WEISER”




ねこた消滅ツイート要約 「本家ユダヤカバラはスピノザに影響を受けている
日本のカバラが本物と言う奴は、生命の木理論が15世紀から登場したこと、生命の木なしカバラや、ハシディズムの義人思想とか一切知らない
口当たりのいい情報だけを集めてたら、カルトの術中」

「セム語は各文字に対応する意味と数字がある。暗号化可能。子音だけを繋げ読む。
これはアラビア語やセム語の影響を受けたギリシア語や一部ラテン語でも同じ。
日本人が本当のユダヤならセム語の特徴を何故捨てた?
シュメールは膠着語。ヘブライ語やアラム語のセム語と違う」

「エッセネ派はお金が嫌いで独身主義なのでユダヤっぽくない。子孫繁栄と現世利益が強いのがユダヤ教。
タルムードから引用される寓話とかユダヤジョークとか極めて現世的。
六芒星をユダヤの象徴にしたのはイエズス会。当時のラビは猛反対。中世以前にユダヤ=六芒星の象徴なし


「日ユ同祖論が旧約なら日本にヘブライ語のトーラーがあるの?日ユ同祖論の資料は嘘ばかり。
多神教の古代イスラエルはパレスチナ周辺の民族と何が違う?
書物の宗教だからユダヤ教は特異
アラビア語のルーフはヘブライでルアク 天使=アラビア語のマラークはヘブライではマラキム



ユダヤ教徒は教育の民。五歳からヘブライ語の聖書を学び、ユダヤ学院で一日中タルムードの勉強。ようやく30過ぎてカバラ。ヘブライ語の聖書も読めないのに日本の本当のカバラはおかしすぎ。カバラは聖書をどう読むかという話
ニクダーのないヘブライ語は何語とでも同祖論作れる

ユダヤ教のまともな知識もない奴が鼻息荒く日本人は本当のユダヤ人だと言う。
トーラーとタルムードを学ばないのは何故?
日本の本当のカバラと言う奴は、ユダヤ教神秘主義がイスラームみたいに律法=戒律を熱心に守ることを言わない。
騙されてたほうが気持ちいいんでしょうね

ユダヤ教の知識なしで日ユ同祖論は信じる人が多すぎ。この人達はユダヤ教やヘブライ語のアレフベートを勉強しない。
聖書神話の中に閉じ込め行動させる技術。だから黒幕は神話を操る。
日ユ同祖論とユダヤ陰謀論という一見アンビバレントなものも聖書神話を日本人に吹き込むため」







” 第2期(成長期)10~12世紀
「創造の書」を中心にし、発展… これ以前のカバラ思想が、神学的な思弁・瞑想に留まっていたのに対し、宇宙論や「宇宙の創造の過程」、と言った考察が始まる。ピタゴラス主義が流入…”
工作員が無視する生命の木なしユダヤ・カバラ時代!

” 第3期…12~16世紀
「バヒルの書」登場… 「生命の樹」の概念が作り出される… 「ゾハール」が表舞台に登場…
輪廻転生(!)の思想も取り込まれる… 生命の樹の理論の原型を作った盲人イサク…
キリスト教へのカバラ移入が始まる”
盲人イサクは1165年生まれ

”第4期(後期完成期)16~17世紀
「ゾハール」の研究、本格化。
ゲマトリアを始めとした文字によるカバラの体系も完成…我々が知っているカバラの形が、整えられる…
キリスト教カバラも活発化”
工作員が言うカバラはクリスチャン・カバラに偏っている。黒幕がバレバレ

”第五期(衰退期)17世紀以降
サバタイ・ツディ運動で異常な盛り上がりの後、急速に衰える。 護符や呪文を用いた魔術カバラが盛んになる。 ユダヤ教カバラの魔術書「ラティエルの書」出版…
正統派ラビ達は、次第にカバラを異端視…ユダヤ教カバラは、事実上、消滅”←!

キリスト教カバラおよびオカルティストの魔術カバラだけが生き残る… ユダヤ教カバラは…ショーレムの登場によって、20世紀になって、復活… 魔術カバラは…キリスト教カバラの流れを組む”
ユダヤ・キリスト・魔術カバラの3区分も盲人イサクも出ないカバラの歴史≒カルト製




彼は今日の「生命の樹」のそれに近い概念を持っていた…現代のセフィロトとは異なるものである…彼が、現代伝わる「生命の樹」の原型を作った… 絶えることのない超越した神性からの流出…万物の本質と流出による創造の各段階の相互関係…”
新プラトン主義の流出説が元ネタ!


”万物は相互に照応…関係し合い…万物は全宇宙的流出のプロセスに内包…ここでも「生命の樹」の基本概念…!…流出による創造とは、神ご自身の瞑想の結果…。 盲人イサク…以降を「カバラ」と呼ぶべきであり、それ以前は「ユダヤ教神秘主義」とすべきだ、という主張すらある。”







物証成立年代を捏造する #日ユ同祖論… 最低限、カバラには二種類あり…
①ユダヤ・カバラ 旧約聖書の解釈を重点を置く。 もともとカバラに生命の木理論はなかった。 3~6世紀間に成立の『イェツィラ(形成の書)』。
12~13世紀間に成立の『バヒル(光明の書)』、 『ゾハル(光輝の書)』…
代表的カバラ基本経典は紀元前にはありません。

②クリスチャン・カバラ 15世紀にピコ・デラ・ミランドラが創始(ルネサンスが重要)。
「生命の樹」が中心になっている(タロットも) ユダヤのカバラは旧約、特にモーセ五書(トーラー)に基づいていますが
クリスチャンのカバラはネオプラトニズム(流出説が生命の木思想で重要)が入っています。
違いを理解してください。成立時期が重要ですよ。
生命の木カバラが古代にあって日本云々だと言っていたら嘘確定。道教などの中国思想は都合よく無視…”  工作員は成立年代を隠す!





猫太“カバラが成立したのは早くても三世紀な?新プラトン主義などの影響をモロに受けてる。理論が固まったのは13世紀頃。生命の木が登場したのは15世紀の西洋。だから、紀元前6世紀から日本のカバラ(笑)がーとかありえない。単に道教の話をそう読み替えてるだけでしょ?




”日本の知的な中流階級はどこまでも欧米のサルマネに走る。ネオプラトニズム系の神秘主義は、カバラの生命の木のように、天界の階層論を形成して、流出した大河を鮭みたいに逆流すれば一者に合一できるという思想…日本の中流階級のサルマネはまるでネオプラトニズムの神秘主義…










秋端勉『実践魔術講座リフォルマティオ』 ・超常的な力を求める者は自我の膨張に陥りやすい。修行していると自分が特別だと感じ、超人や達人だと錯覚し、統合失調症に陥る危険を冒す。霊的グループ内で自我が膨張すると悲惨。自我膨張による悲劇を防ぐ為、自己規範で野狐禅を防止

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年9月30日
日ユ同祖論は
①佐伯好郎(景教博士。最初期の論者。キリスト者)が功利的企画だと暴露
②ダビデの星がユダヤのシンボルになったのは十七世紀から(イエズス会製)
③カバラに生命の木が登場するのは中世から
④仏教徒の天皇も側近も縦書きの漢字を使用
⑤天皇は道教用語
を無視して捏造してね!

菊池 ‏@kikuchi_8 12月25日
イスラエル王国はユダ王国から分離して建国したとされる。イスラエル王国はユダ王国より先にアッシリアに滅ぼされた。日猶同祖論で言う「失われた十部族」とはイスラエル王国を構成していた部族。
一方で「日本にはダビデの王統がある」とも言う。ダビデを出したユダ部族はユダ王国側。この時点で矛盾。

日猶同祖論者は「日本には失われた十部族が来ている」と言う一方で「日本にはダビデの王統がある」とも言う。ダビデはユダ王国を構成したユダ部族の出身であり十部族ではない。最も旧約聖書の歴史物語自体が史実であるとも思えない。同祖論は聖書を信じる事が前提であり聖書の内容にすら矛盾している。


―――――

ダイアン・フォーチュンのThe Mystical Qabalah
の日本語訳のメモ2回目




The Mystical Qabalah
Dion Fortune


一回目メモ
ダビデの星がユダヤだけのシンボルになったのは十七世紀からでキリスト教が決めた(ユダヤではない)
ので日ユ同祖論(キリスト教製品)に使えない。
マニ教の概要(山本由美子『マニ教とゾロアスター教』 など)、
ダイアン・フォーチュン『神秘のカバラー』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-35.html


・コクマーとビナーは
力と形を表しこの2つが顕現世界の単位となっている。

神秘的なダートは決して木に表されず、いかなる神の名も天使の軍勢も割り当てられないし、惑星や4大元素の象徴を持たない。
ダートはコクマーとビナーの結合から生まれる。
至高なる父アッバが、至高なる母アマと結婚し、ダートはその子供。
ダートがある場所は「深淵」が中央の柱を二分するところ。そして中央の柱の上に「矢の小径」すなわち心霊家が各次元を昇り詰めるさいに意識を走らせる小径が中央の柱にある。そしてここにはクンダリーニも存在することも思い起こすならばダートの中にこそ生成と再生の秘密が隠されていると判るだろう。
万物は対立する二極に分裂し、第三のもので結合することを通じて顕現する。この顕現世界を解くカギがダートの中にある。
中央の柱は不可視のセフィラ―=ダート=知識(意識的覚醒、知性)を通って昇っていく。
この柱の頭部には、ケテル=王冠=万物の根がある。
かくて意識はケテルという霊的本質から発し、ダートの悟達を通って「深淵」をくぐり、ティファレトの意識に翻訳され、「パロケト」のヴェールを引きちぎるキリストの犠牲によって、そこまで達するのである。
その後、意識は月の天球たるイエソドの心霊意識の中に入り、そこからマルクトという感覚的、頭脳的意識に至る。
こうして意識は巻き込みの過程を通って下降する。巻き込みとは「ほどける」ことの逆で、「最初の顕現」から存在の精妙な諸次元を経て濃密物質に達する過程を意味
する述語である。
厳密に言えば、秘伝家は霊的向上という言葉を、物質から霊への上昇を意味するときだけに使わなければならない。そのさい、精妙な諸次元を通って下降し、巻き込まれたものが、逆にほどけていく。これを向上という。

ミクロプロソポス(小さな顔)とマクロプロソポスの間にある深淵は、2つの次元に存在するものの本性と類型をはっきりと区別する。深淵の中にはダート(不可視のセフィラ―)があり、それは生成のセフィラ―と呼ばれている。知識とも呼ばれ、視覚、把握、意識として解釈することもできる。

ダートは西洋体系では首の部位に割り当てられている。ここは脊髄と脳髄が交わる点である。
ダートは普通、異次元の意識、または別乾坤、他界の意識を表すと考えられている。本質的には鍵の変更という観念を表す。
頭蓋管の規定にあるダートの機能は、ヒンドゥー体系では喉頭部に関係する「ヴィシュドゥ・チャクラ」と結びつけて考える。

(ダートが首、喉にあることが超重要。エヴァ、進撃、道教のツボ、アイヌの守護霊において首の後ろが重要。
人間の本体は脳じゃない。首の後ろだ。脳が欠損しても生きられるが首の後ろが欠損したら死ぬ。
道教思想だと、取り憑く霊は首の後ろのツボから侵入するらしい。
首筋に寒気がしたら下腹部から絞り出し、唸るような大声で叫ぶと大抵風邪をひかない、大声を出すのが無理な環境ならば叫ぶように息を吐くだけでも問題無い、
という技術と関係ありそう。

峨骨 ‏@Chimaera925 2016年12月29日
首筋に寒気がしたら大声で叫ぶと大抵風邪をひかない。大声を出すのが無理な環境ならば叫ぶように息を吐くだけでも問題無い。他人は知らないけど、俺はこれで何とかなっている。
経験上、寒気がした時に息を飲み込むと失敗するような感はある。
叫ぶ時の発声は下腹部から絞り出し、唸るような声。甲高い折れそうな声は失敗な。イメージで言うと、病魔が恐れるような声。まあ、そんなもん存在しないだろうからあくまでイメージな。感染から潜伏期間考えたら、感染した瞬間に発症なんざありえないお話だ。免疫力や生命力を高めれば多少マシになる。


――
月刊シロロ5月号 - アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/201605.html
”前回まで見てきた人間や動植物のラマッ(霊魂)は、いずれも元々そのモノに内在していた霊魂でした。船などの道具のラマッも、その素材となったモノの霊魂がそのまま宿り続けるというものでした。今回はラマッに関する記事のしめくくりとして「憑依」という特殊な事象について書きたいと思います。

 「憑依」とは、何かの事物に、そのモノ本来のラマッとは別のラマッが憑くことです。ちなみに「憑依される」というと大変な事態のようですが、アイヌの信仰では人間なら誰でもトゥレンカムイ「憑神」という神に守られていることになっています。この世界に誕生する前の人間のラマッは天界のラマッカラカムイの元にあり、そこで諸々の活動に必要なラマッをそろえて成形された後に地上に降りてくるとされます。このとき、降下していく人のラマッに、何かのカムイが付き添って一緒に地上に降り、その人が亡くなるまで見守り続けるとされます。この神をトゥレンカムイと呼び、その人の肩や首の後ろ付近に宿っているとされます。神々について良く知っている人は、美味しい物やお金など良い物が手に入った時には、肩から首の後ろにかけてかざす仕草をします。こうすることによってが、トゥレンカムイに報告をしたり、捧げたりすることができるといいます。こういう意味では、アイヌの信仰においては誰でもいつでも憑依霊を伴っていることになります。

 トゥレンカムイとなる神は人によって違い、その性質・能力、嗜好や気性が憑かれている人に影響を与えることもあると言います。またアイヌの宗教におけるシャマン「トゥスクル」も、この憑神の力によってトゥスというシャマ二スティックな儀礼を行います。ただ、全ての人にトゥレンカムイが憑いているからといって、誰でもトゥスクルになる訳ではありません。トゥレンカムイは通常は至って静かにその人を守護しており、はたから見て分かるような影響は表れません。

 通常よりも強い力を持つトゥレンカムイに守られている人は、いわゆる第6感のような感覚が強いことがあり、普通の人では感じ取れないような兆しを感じ取ることができるといいます。たとえばノイポロイクシと言って、獲物のいる方角を頭の痛みによって知る能力(頭の右側が痛かったらその方向に獲物がいる)を持つ人が知られています。そしてトゥスクルの場合は、より直接的に自ら口を通じてカムイの意志・声を語ってもらうことができるというのです。

 宗教学者の佐々木宏幹氏は、憑依霊が人に与える影響の在り方について次のように整理しています(なお、文中の例はいずれもアイヌ文化以外のものです。念のため)。

(1)神・精霊が当該人物の身体の中に入り、人格転換が行われ、彼(彼女)は霊的存在として振舞い、「吾れは某々の神であるぞ!」のように第一人称で語る。口寄せ巫女として知られるイタコやカミサンは、死者の霊を憑依させると、死者自身として語り出す。またシャーマニックな新宗教の教祖も、この型に属する者が多い。諸外国のシャーマンもトランスに入ると、第一人称の自己表現をするのが一般的である。

(2)神・精霊が当該人物の身体には入らないが、リアルに姿を見せ、直接身体に接触して、胸部を圧迫したり、手足をつかんで振り廻したりし、神意を伝える。彼(彼女)は、「神さま、しかじかのことについて、何とぞ教えてください」と願い、霊的存在の答を「はい、はい、わかりました」などといって受け、これを依頼者に伝える。この場合、当人には人格転換は起らないので、霊的存在との直接交通も、第二、第三人称を用いて行われる。

(3)神・精霊が当該人物の身体に入ることもなく、またその身体に直接接触することもないが、彼(彼女)の眼、耳、心を通じてその意志を伝える。「神さまに悟らせられる」とか「神さまにしゃべらせられる」という状況である。遠くから身体の悪い人が訪ねてくるとして、もしもその人が霊の影響を受けているとすると、悪いところの痛みが自分に現れるという。霊との交渉は第三人称で表現されることが多い。

[佐々木1980:54-57]



 この分類に照らすと、先のノイポロイクシは「人格の交替が起こらず、知覚に働きかけて何かを知らせる」という点で(3)に相当するといえるでしょう。これに対し、トゥスは(1)あるいは(2)の状態だといえます 。
  
 なお、佐々木氏は憑依が起こる過程についても「自発的憑霊」と「非自発的憑霊」に分類しています。自発的とは文字通り、シャマンが自ら意図して霊を呼び出して憑依させること。一方の、非自発的憑霊は、不本意に起こる事態を指します。トゥスについての事例を見ていると、しばしば非自発的憑霊に当たる記録も見られます。トゥスクルの憑神が、トゥスクルの気付いていない事態を知らせようとする際にこれが起こると考えられます。また、憑神ではなく神や死者などが突然憑依することもあります。なお、アイヌ語(北海道方言)ではキンラという言葉があり「何かに憑りつかれたような」異常な心理状態を指します。ニュアンスとしては、こちらの方が非自発的憑霊に近いように思えます(樺太方言でのキンラは、法力・魔術に近い意味になります)。

 なお、トゥスクルになるかどうかの素質は、憑神となった神の性質によって、言わば生まれつき決まります。各地域のシャマニズム文化の中には、例えばモンゴルのように修行によってシャマンとなることが可能な場合もありますが、アイヌ文化においてはいくら修行をしても、後天的にシャマンとなることはできない事になっています 。

 ただ、非自発的憑霊はトゥスの能力の無い普通の人にも起こることであり、本人を病気にしたりキンラを引き起こしたりと、危害を加えます。そこで、これらの症状の治療として、憑依したモノを当人の体から出すことが必要となります。”

月刊シロロ 11月号(2015.11) - アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/201511.html
”憑き神(守護霊)は頭の後ろのへこみ「盆の窪」についているのだそうで、その人を守ると同時に性格を決定づけるものと考えられています。④⑤で両肩にお神酒をつけているのはこの憑き神に対してで、これは女性も同様の所作をします(後出)。③サパウンペ(幣冠)、⑤エムシ(刀)にお神酒をあげている意味も、祈りを手助けしてくれる者たちにご褒美をあげているわけです。
(…)林イツ子氏が、イクパスイで自分の左肩、右肩、頭の後ろに向けて捧酒する仕草をしている(=⑧)のは、先に述べたように、首の後ろのへこみ(盆の窪)にいる憑き神にお神酒をあげているわけです。”)


・秘伝家は世界の終末とか千年王国の到来などということを考えない。
事態が当然の進展をたどっていること、始めこそが価値があり、旧悪をただすのに必要なことであっても、終わりには極端に走ってしまうことを知っている。
リズムの原理はあらゆる顕現世界に内在しており、どんな体制であれ、難破状態から立ち上がるや否や、必ず立て直し始める。
キリスト教の最大の弱点はこのリズムを無視することである。
ヴィシュヌとシヴァの代わりに神と悪魔を対立させるのだが、この二元論は二者の均衡をとるのではなく、二者を対立させてしまう。従って力の均衡をとる第三者として働くものが決して出てこない。
神は昨日も今日も永遠に同じものである。
神は現に進化しつつある創造に関与しない。一回限りの特別な創造行為を行った後、栄光の冠をつけて休らっているのである。あらゆる人間の体験、知識はこのような考え方が真実である可能性に反対する。
キリスト教は「あることが善であるからといってその反対は必ずしも悪ではない」ということを理解していない。

一回限りの創造、被造物世界に関与しない……理神論。
悪の説明に都合が良い。

理神論deism
神が世界を創造したことは認めるが、
創造後の世界に創造主は直接的な関わりを持つことはなく、
自然法則に従い自己発展を続ける、
という一神教思想。
奇跡・預言・啓示などによるゴッドの介入を否定。
人間理性を重視。啓蒙主義に強い影響。

の元ネタはバレイデースのグノーシス疑惑。

『グノーシス』によると
バシレイデースいわく
「存在しない神
=言語ではそもそも語れない、『存在』 という言葉で縛られない、あのすべての根源たる神
は、存在しない世界を、存在しないものから造った。何か種子のようなものを投げ落とし、下に置いたのである。この種は宇宙のあらゆる萌芽を自らの内に秘めていた。」

世界が一つの種から育つ。種を置いた後、存在しない神=至高神は何ら手を下さない。
この種から世界がオートマチックに自立的に生成する。
神を我々の世界や宇宙にできるだけ関わらせないためのモチーフは結局、
神の超越性を強調するヘレニズム時代の流行。
神との接点は種を置く一回限りの行為に制限する。
その種から生成してくるものは、上の世界のことを知らない



・ケテル

神名…エヘイエ―
魔法のイメージ…髯を生やした古代の王の横顔

称号…ルクス・インテルナ(内なる光)、存在の存在、隠れたるものの隠れたるもの、
 太古の太古、創造の日々、原初の点、円の中心点、いと高きもの、
 巨大な顔、白い顔、存在しない頭、マクロプロソポス、アーメン、
 ルクス・オクルタ(隠れたる光)、へー。

宇宙チャクラ…第一動者、ラシット・ハ・ギルガリム(最初の渦巻

霊的体験…神との合一
美徳…成就、大いなる業の完成
悪徳…なし

ミクロコスモス…頭蓋骨、サー、イエキィダー、神の閃き、千弁の蓮華。
象徴…点、王冠、鍵十字

密議参入の道とは木の上にいる智慧の蛇のとぐろをたどっていくことである。だが「照明の道」は「約束の弓」、ケシェトから打ち放たれた矢の小径をたどることである。
この弓はイエソドの背後に後光のように広がっているアストラル的な色彩の虹
を意味する。

原初の点=ケテルは王冠と呼ばれ、王冠は頭の上に置かれるがケテルは一般に受肉期間中には決して到達できそうにもないような意識を表すと考えられている。
かたちの世界に関する限り、ケテルは事物の図式的理解を超えたところにある。
ケテルに配当された霊的体験は神との合一。神との合一を達成した人は、光の中に入り、2度と戻ってこないと言われている。
ケテルに対応するサハスララ・チャクラ、千弁の蓮華は頭の上にある。

・ニルヴァーナとは完全なる存在様式または次元の変革を意味する。
ニルヴァーナに達した人の魂の状態を最もよく表してるのは、外輪が姿を消し、幅が光線となって全創造界に浸透し行き渡っている車輪である。
その放射光線の中心は無限のかなたに影響を及ぼし、それ自身の内からでなければ決してやむことはなく、永遠にエネルギーの中核として同一性を保っている。

ケテル、純粋存在に触れるのは、われわれがいかなる部分も属性も次元も持たない存在の本性を実感できるときに限られている。この体験はよく涅槃寂静と呼ばれている。これを経験した者は神と共に歩むが、そこにはいない。神が連れ去ってしまうからである。

仏教や儒教のような形而上学的信仰はケテルを目指す。

曲解するな。目指してねーよ。一神教とバラモン教もどき思想で勝手に内容歪めるな)
仏教のニルヴァーナではないよ。
佛教は当然、聖書が中核のカバラは完全否定



・セフィロートとは状態であって、場所ではない。純粋で無制約なる存在、あらゆる部分も活動も存在しない状態のある所はすべてケテルと呼ばれる。
だからこそわれわれは形而上学的カード索引システムの十個の仕切り棚に顕現宇宙の全体に関する観念を分類することができる。
言葉を変えれば純粋なエネルギーが働いているところはどこでもコクマーの力であると認識することができる。
万物照応の体系によりあらゆる内在的観念によりそれらを結びつけることができよう。
普通これは潜在意識の仕事であり、潜在意識はそれを自動的に遂行している。オカルティストは覚醒意識を訓練してこの同じ方法を用いるのである。
個人が潜在意識から直接働きかけるときはこの方法を使っているのである。芸術的天才や発狂状態、夢や禅定のさいに同じことが起こる。


タロットの4枚の3はビナーに割り当てられたカードだが、3は物質における顕現という観念と密接に結びついている。三角形はもっとも濃密なる物質の神としてサターンに割り当てられた象徴の一つであり、それは方術の三角形と呼ばれている。
魔法の儀式の中で物質界において肉眼に見えるように霊を呼び出そうとする場合に用いられる。
他の顕現方法の為には円が用いられる


・剣の3は悲嘆と呼ばれ、タロットにおける象徴は三本の剣が突き刺さった心臓。カトリックではマリアが剣の刺さった心臓と共に表されている。マリアはマラー、苦さ、海に等しい。
幸いなるかな、マリア、海の星よ(アウェ・マリア、ステラ・マリス)。

・第4セフィラ― ケセド 慈悲
ミクロコスモス…左腕
象徴…(立体)、正四面体、ピラミッド、ギリシア十字、
宝珠、杖、王笏、鍵









・第六セフィラ― ティファレト 美
神名…テトラグラマトン、アロアー・ヴア・ダート
宇宙チャクラ…セメッシュ(太陽)
ミクロコスモス…胸
象徴…薔薇十字、胸飾り、十字架、
    頂点の欠けたピラミッド

    立体。

ケルト十字の先細の軸は実を言うと、頂点の欠けたピラミッド。

ピラミッドは、大地にしっかりと足をつけ、諸天における統一に向って次第に補足なっていくことによって、全人、換言すれば 至高者(イプシシムス)を象徴する。頂点の欠けたピラミッドは秘儀を授けられた導師、すなわち小導師を象徴する。それはヴェールの内に入ってきたが、いまだ自分の教程を完了していない者。このピラミッドの六面はアダム・カドモン、すあんわち元型的人間を構成する六つの中央のセフィロートに対応し、ケテルの統一で終結する至高の三角形がそこに加わることでピラミッドが完成する。

十字架と結びついた薔薇=世界の薔薇(ローザ・ムンディー)

ティファレトは木全体の均衡の中心。
あらゆるイエソドのアストラル・ヴィジョンもティファレトの神秘体験を「通して」形而上学的用語の翻訳しなければならない。この翻訳が行われないなら幻覚に囚われる。
潜在意識の鏡に映り、顕在意識の言葉に翻訳された映像が真に実在する事物と考えてしまうのである。実はそれは象徴的表現にすぎな。
ケテルは形而上学的、
イエソドは心霊的、
ティファレトは本質的に神秘的。神秘的とは一種の心の持ち方として理解されなければならない。その中で意識は象徴的 潜在意識的 表象の中で働くことを止め、情緒的反作用を通して把握される。

・超越的なものを表彰体験によって表現し、消灯体系を毛事情学的な言葉に翻訳することで、
心霊的なものは知性を「通して」霊的なものに結びつく。
この翻訳が行われるところこそティファレト。ティファレトにて直接的意識の神秘的体験が行われ、それが心霊的象徴を照明する。


・我々の最初の高次の心霊現象の体験は通常低次の心霊現象から始まる。
ようやくマルクトから離陸したところでありティファレトの太陽を
イエソドという月の天球から見上げているにすぎない。
こうして我々は内なる耳によって諸々の声を聞き、内なる目によってさまざまなヴィジョンを見る。
しかしそれらは通例の心霊意識とは異なっている。なぜなら、それらはアストラル界の諸形態の直接的表示ではなく、霊的事物がアストラル意識の中に現われる象徴的表象なのである。
これは潜在意識の持つ通常の機能であるが、必ず完全に理解しておかなければならない。この点に関する誤解は極めて深刻な問題を産み、精神の不均衡を招くことさえありうるからだ。

(安全面の知識と理解が最重要)


・神々は被造物の創造物。礼拝者の崇拝により創造される。創造の作業をなすのは神々ではなく、それぞれその性質に応じて働いている大いなる自然の諸力によってなされる。神々は諸民族の集団精神の流出。
礼拝者の想像力に作用し、神々はミクロコスモスとマクロコスモスを結びつける。

・ヴァイオレット・メアリー・フォース、
魔法名ダイアン・フォーチュンは
1891年ヨークシャーに生まれた。
幼少よりクリスチャン・サイエンスの指導を受けた
彼女はその後、本格的に
心理学、神智学、魔法、深層心理学を究める。
1919年 魔法結社 黄金の夜明けに入団。
1922年 内なる光の協会 設立。
自ら高等魔法の通信教育をあたるとともに多くの小説・研究所を発表。
1946年 敗血症で急死。
本書は実践カバラーの入門書。

クリスチャン・サイエンスと神智学に黄金の夜明け……
仏教嫌いで仏教を曲解しまくる、理神論系キリスト教的多神教!

既存のキリスト教を叩いて布教する、一神教的多神教カルトを私は、
新キリスト教 (国家神道、スピリチュアル、ニューエイジ、人型限定宇宙人、神智学、大本教、生長の家=ニューソート)
と定義しています。
やっていることはイエスとゴッドと終末論の言い換えです。
アセンション(Ascension) はスピリチュアルで有名だが、キリストの昇天という意味なので出自がバレバレ。

本物の魔女が彼女の作品は小説が重要って言っていたなあ


内なる耳にしばしば聞こえてくるのは、高次の自己(「大霊」「聖なる守護天使」「最初の秘儀伝授者」)の声であって、伝統的な訓練を経ていない人々によって考えられているような、肉体を離れた存在者たちの声や「神」御自らの声ではない

・カバラ―用語に通暁している人々は、最初の密議参入は「聖なる守護天使」の知識と会話を享受する力から成る、と言われていることを知っている。
よく覚えていてほしいのだが、聖なる守護天使とはあなた自身の高次の自己である。
心的作用のこの高次の様式は、霊聴でも霊視でもなく、純粋意識であるというのがその第一の特徴である。
それは強度の覚醒であり、この頓悟から高度に発達した直観の性質を持つ独特の洞察力が生じるのだ。
高次の意識は決して心霊的なものではなく、常に直観的であり、何の感覚的イメージも含んでいない。
練達の秘伝家に、彼が高次の意識の段階にいることを教えるのは、この感覚的イメージの不在なのである。

古代人はこのことを認識していた。彼らは地下の神々、または黄泉の国との接触を引き起こす神がかりの方法と、
密議の神聖な陶酔とを区別していた。
ディオニュソスの祭の中で狂乱して突き進むマイナデス(ディオニュソスの巫女)たちは、
デルフォイのアポロの巫女たちとは全く異なる密議伝授の位階に属していた。
アポロの巫女は霊能者であり、霊媒だった。
しかしマイナデスはディオニュソスの密議の秘伝家であり、意識の高揚と生命の頓悟とを享受したのだ。

・パラケルススが云ったように、血は特製の液体。

ティファレトの天球の神名はアロアー・ヴァ・ダートである。その名の天球を、この天球とケテルの間に来る不可視のセフィラ―であるダートと密接に結び付ける。ダアトは理解力としてつまり意識の黎明としてもっともよく理解されるだろう。
テトラグラマトン・アロアー・ヴァ・ダートという語句は、神が心の領域に顕現されたと解釈できる。


・ネツァク 勝利
魔法イメージ…美しい裸の女性
イエツラー文…隠れた知性
神名…イエホヴァー・ツァバオト(万軍の主)
宇宙チャクラ…ノガー(=ヴィーナス、アフロディテ、金星)
美徳…無我
悪徳…淫乱、不貞
ミクロコスモス…腰、臀部、脚
象徴…ランプ、帯、薔薇
タロット…各組の7
色彩…ブリアー界ではエメラルド色。

・物質は結晶化した霊であり、霊は揮発した物質である。物質と例の間に素材の違いは何もない。水と氷の間に違いがないのと同じ。どちらも錬金術師がいう「一つのもの」の異なる状態なのである。これが金属変容の秘密教義の基礎を形成する錬金術の大いなる秘密なのだ。

・自然の女神の真の秘密は、対立する一対の抗争しあう権利を承認することである。善と悪の間にあるような二律背反は存在しない。ただ両極端の間に均衡が存在するだけ。それぞれが度を越したときに悪になるのである。
無拘束の認可は堕落へと通じる。
しかし不均衡な理想主義は精神病理学へと通じる。

ホド 栄光 
魔法のイメージ…両性具有
イエツラー文…絶対的知性あるいは完全な知性
神名…エロヒム・ツァバオト(万軍の神)
大天使…ミカエル
天使の位階…ベニ・エロヒム(神の息子たち)
宇宙チャクラ…コカブ(水星)
ミクロコスモス…脚、腰
象徴…名、呪文、エプロン
タロット…各組の8
色彩…ブリアー界ではオレンジ


・ツァバオト=軍勢、軍隊。
大天使ミカエルは常に蛇を踏みつけ、それを剣で刺し貫いている姿であらわされる。
しばしばその手に一組の秤を持っている。均衡の象徴。イエツラー文の 原初者の平均 と同じ観念を表す。
大天使が踏みつける蛇は原始的な力であり、フロイト派の男根の蛇。原始的な力を削減し、その力が境界を越えてあふれ出すのを防ぐのはホドの制限する慎重であるとこの絵文字は教えてくれる。
堕落は「木」の上ではあてがわれた境界を越え出て、王冠を頂いた頭をダートまでもたげる、七つの頭を持った大いなる蛇によって表されることを思い出してほしい。
象徴が互いにおりあわされ、また互いにときほどかれ、強化され、相互の意味を解読しあい、その結実をカバラ―的な観想に与えるさまを観察することは、大変面白い。

伝授を受けた者は「宇宙の偉大なる建築士」として神が働いていると考える。偉大な建築士の計画は元型界に構想されていると考えるのである。

呪文は真言的で、ロザリオの作用に従って何度も繰り返されると自己暗示として心に作用する。

エプロンは賢者ソロモンの秘伝家にとって直接的関連がある。密儀を伝授された者の特徴的な衣服。彼は比喩的に職人とみなされる。職人は形の製作者。エプロンは月の中枢、イエソドを覆い隠す。イエソドはアストラル界の 対する一対 の機能的側面だ。

(偉大なる建築士とエプロン……
もろにソロモン大好きなメイソン=プロテスタントと異端系キリスト教の用語!


“友愛という言葉は,狭くは〈友情friendship〉を意味する場合もあるが,特に英語fraternityなど西欧語の訳語として,兄弟の間の情愛から,さらにひろく家族など同一集団を結合する情愛,人間全体を一つの家族として包み込む人間相互の兄弟愛をも意味する。このもっとも広い意味で,友愛は〈博愛philanthropy〉〈隣人愛brotherly love〉と同義である。このような友愛の観念は,洋の東西を問わず古くからあるが,近代以降もっとも明確な観念と制度化を生んだのは,西欧の場合である。 “
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8B%E6%84%9B-650203

“りんじんあい【隣人愛】

身近な人々への愛情。

キリスト教倫理で、他者たる隣人に対する愛。
【…】
キリスト教倫理の根本原理。旧約聖書《レビ記》19章18節に〈あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない〉とある。イエスは,神を愛することとともに,この隣人への愛こそもっともたいせつな戒めだと教えた(《マタイによる福音書》22:39)。また,今助けを必要としている人の隣人になってあげることにその意味があるとして,善きサマリア人のたとえを語った(《ルカによる福音書》10:25以下)。自己を重んじることもまたこれに含まれる。
“https://kotobank.jp/word/%E9%9A%A3%E4%BA%BA%E6%84%9B-411254)

・天球はすべてその資質に従って作用する。
その性質はどのような魔術的、奇跡的影響力によってもどれほど強力でも変えられない。
以上に注意を払わねばならない。
我々はただ表現の設計を訂正できるだけ。
表現された事柄は不変のまま残る。
物質界の状況を勝手に意志に従わせることはできない。
マルクトはただイエソドを通じて接近できるだけであり、
イエソドへはホドを通じて接近できる。
ホドにおいて表現は設計される。
霊が物質に直接作用するのは誤り。
霊は心を通じて作用し、心はエーテルを通じて作用する。
エーテルは物質の骨組みであり、生命力の媒介物である――その性質の範囲内で操作されうる。
これは極めて重要。
従ってあらゆる奇跡的、超自然的出来事はエーテルの本質を操作することで引き起こされる。
エーテルの以下の二つの特性が全体系の土台を形成する。

①心によって形へとかたどられるアストラル的エーテル。

②分類棚の仕切りのように張力のある網のような紐によって、
濃密な物質の分子を保持するアストラル的エーテル


・イエソドは月の天球
永遠に処女なる女神ダイアナ
エペソスのダイアナは多くの乳房を持つ豊穣の女神
イシスも月の女神。イシスの額の三日月はハトールでは牝牛の角。
牝牛はあらゆる民族の間で母性の特別の象徴。
カバラでは生殖器はイエソドに割り当てられる。
月には三人の女神が割り当てられる。
ダイアナ、セレナ、あるいはルナ、
それにヘカテ。ヘカテは魔術の女神にして出産も司る
非常に重要な月神が魔法の主トート。

・マルクト 王国
神名…アドーナイ・メレク=王なる主。
アドーナイ・ハ・アレッツ=大地の主
ミクロコスモス…足、肛門

象徴…立方体を二つに積み上げた祭壇
(上のごとく、下もしかり の象徴。
この祭壇は中央に置かれる。
六フィートの人間のへその高さで、幅と奥行きはその高さ分であれば適当な寸法


ギリシア十字
(釣り合いのとれた均衡状態にある四大元素。
マルクトの四色に対応。
レモン色はイエソド
黒はクリフォト
オリーブ色はネツァク
あずき色はホド)

魔法の円、魔法の三角形

どのような作業も作用がマルクトの言葉で表現されるまでは、つまり物質界に表れるまでは完結しない。そうでないと生み出された力は適切に接地、アースされない。
魔法実験での禍の元凶になるのはこの放置されたままの力。
実験が重なると効果は累積してしまう。不完全な技術が災いをもたらす。


・惑星記号は三つの象徴から合成されると考えられている。
円=太陽
三日月=月
十字=腐食作用または犠牲

・実践上で重要な神格の付属物は香料と色彩。

他人が用意してくれた生命の木がほとんど判読できないほど汚れたので自分で塗りなおしたのだが、即座に著しく増大した磁気を帯びたのに気づいた。
常に自分の魔法の武器は可能な限り自分の手によって用意すべきである
という古くからの言い伝えが納得できた。

・流された血がエクトプラズムを発するのは事実。

・霊を召喚する唯一の確かな通路は魔法使い自身である。
エジプトの召喚方法は神の姿を帯びる法として知られているが、魔法使いは自身を神と同じものとみなし、自らを顕現の通路としてささげる。マルクトとイエソドの間にある深淵に橋を架けるのは彼自身の磁気なのだ。
生物の持つ磁気の量はどんなに高価であろうと金属や結晶体の持つ磁気の量をはるかに上回っているのでこれほど満足できる方法はほかにない

ミクロコスモスの木が考察される場合、
肉体はマルクト
エーテル体ダブルはイエソド、
アストラル・メンタル的身体はホドとネツァク
高次の精神が考えうることはすべてマルクトに顕現しうる。

最良の魔法の武器は魔法使い自身。他の仕掛けは全て目的のための一つの手段に過ぎない。
目的とは凡人からマグスを創り出す意識の高揚と集中である。
「あなたがたはあなたがたが生ける『神』の宮であることを知らないのか」
と「偉大なる一者」は言われた。この生ける宮の象徴的装置の使い方さえわかれば我らは天国の鍵を手に入れる。
この使用法の鍵は木のミクロコスモス的属性の中に与えられている。
これらを機能の観点から解釈し、その機能を霊的諸原理から解釈すれば、力の宝庫の扉を開けることができる。
神の力は修行・献身する人間が活性化し神人合一に至ることで最も早く最も完全に顕現する。

高次の世界では捉えようがなくはっきりしなかったものを最終的に確認し明確なものにするのが、
マルクトの形を与え具現化する機能。
あらゆる魔法作業は完了したと考えられる前にマルクトを通過しなければならない。マルクトにおいてのみ力は最終的にかたちという家に閉じ込められるから。
アストラル界にのみ作用する瞑想形態よりも、物質界で遂行される儀式の形態のほうがより完璧に成就される。
何かが物質界に存在しなければならない。
護符に描かれた線や宙に書かれた記号だけでも良い。
それがマルクトの次元全体に作用する。このように完結された作業がアストラル界にのみ終始する作業とは全く違ったものであることは体験からわかる。


・教育を受け、啓蒙された宗教の解説者たちは二元論を異端と考える。光と闇、霊と物質の闘争を信じるのは無知な信者にすぎない。闘争は結局神の勝利に終り、敵対勢力は一掃されることになっている。
新教徒はルシファーが光を運ぶ者であり堕天使サタンであることを忘れている。
悪は吸収し調和させることによってのみ処理できる。

・霊能者、魔法使いを問わず、人間がアストラル的存在と接触する場合、彼は必ずそれを人格化する。
つまり接触し、理解し、支配しようとする把握しがたい精妙な諸力を自分自身に呈示するために、自身に似た諸々の形を創造するのである。彼は「大いなる母」ビナーの真の子供であり、組織化し形作るために彼に生来備わっているの形象化能力を彼の意識を高められる次元にまで携えていくのである。

・文明人よりもはるかに心霊的な未開人は、現象の背後にいる存在は彼自身の夢の生が営まれている世界と似通った世界に住んでいると考える。
白日夢は眠りの中で見る夢と酷似していて、しかも意のままに誘致できるという利点を持つので、彼は別世界の存在者たちに彼らの王国に入ることによって近づこうと試みる。つまり彼は白日夢や空想の中で、できるだけ夢に近い特別の通路を作りあげるのだ。
もし高度の集中力を発揮すれば、彼は目覚めている意識を閉ざして、自由自在に夢見の状態に自分で決定した夢を見ながら入って行けるのである。
この目的を達成するために、彼が折り合いをつけたいと望んでいる自然現象を司る霊的存在を象徴するように意図された心像を彼はイメージの中で形成する。彼は繰り返しその像を形成し、崇拝し祈りをささげ、呼び出す。
彼の祈願が十分に熱烈であれば、彼の求める存在はテレパシーによって彼の祈りを聞こうとし、彼が行っていることに興味を持つようになる。彼の礼拝と供犠がその霊的存在の意にかなえば、その協力が得られるだろう。
次第にその存在はならされ、家畜化していく。
最後には、その乗り物として心的素材から造られてきた形に生気を吹きこむよう説得されるようになる。
この作業の成否は、礼拝者が呼び出そうと一心になっている存在の性質を共感によってどれだけ認識しうるかにかかっている。
この作業はただ彼自身の気質がその存在の性質をどれだけ帯びているかに応じてできるだけである。
この工程が上手くいけば自然の生命の一部を飼いならすことができるわけだ。
その生命は礼拝者たちの作った形の中に受肉する。
その種の生命との共感的な交合に入ることのできる礼拝者が適切な礼拝をおこない、それによってアストラル的な形が保ち続けられる限り、そこに受肉した神が存在することになる。その神は接触ができ、人間の近くでとらえるものとなるのである。礼拝をやめると神は自然の懐の自分本来の場所へ引きこもってしまう。
しかし別な礼拝者が現れ、呼び出すべき生命力の本性に合致した形を作り出すのに必要な知識とその生命力を呼び出すに足るだけのイメージ力による共感を持っていれば、形に魂を吹き込むのに慣れた生命をもう一度形へとひきつけることは比較的簡単なことである。
それは古からの密議の伝統で伝わってきた魔法作業の方法である。集中に必要な技術を習得し、様々な形を作り出す象徴を知っている者によって利用されるとき、この方法は有効に作用し、古き神々が再び火の灯された祭壇に帰ってくるからである。
確かな成果が礼拝者の意識の中で得られる。もし礼拝者が高齢術師の方術を借り霊を具現化する霊媒を用いるとすれば非常に明白な現象が生み出されるからである。

(自然の力の一部を自身のシンボル操作で無意識に注入してから、
建材意識に流して、肉体外部に放出して、エネルギーを与える対象者の肉体の形に変えて
――さながら人型の鋳型のように、人型化と擬人化をすれば扱いやすくなる――
対象者に注入したら自然の力の一部を注入して治療とか強化とかできる人がいるんだろうなあ。
力を注ぐ経路は首の後ろ。

アスリートが良くやっているイメージトレーニングは、理想の自分のイメージを召喚して自身に憑依させる技術。
召喚魔法ですよ。
あるいは理想的な動きの設計図を召喚してそこから伸びた『イト』に操られるように自身の肉体を操る術かな。



・単一のセフィロートは決して機能しないことを決して忘れてはならない。
一つの機能は均衡のとれた対立する一対を持たねばならない。
そこから均衡した第三者が生じて初めて機能するからだ。
対立する一対はそれだけでは機能しない。それらは相互に打ち消し合うからである。それが力強い活動性を獲得するのは父と母と子の象徴に従って、ただ第三者として流出するために均衡した力の中で結合するときだけなのだ。
その力は呼び起こされるのを待ちながら、それらの中に永遠に閉じ込められている潜在的な力とは区別されなければならない。

・低次の三つ組の機能する三角形はホド、ネツァク、イエソドからなる。
ホドとネツァクはそれぞれアストラル界における形と力である。

イエソドはアカシャとかアストラル・ライトといったようなさまざまな名で呼ばれているエーテル的素材の土台である。

ホドは特に魔法の天球である。それは形を明確に組織化する天球であり、ゆえに魔法使いが実際にそこで作業する領域なのだ。
形を明確に組織化するのは魔法使いの心であり、その形に魂を吹き込めるネツァクの天球の自然の力との環を作るのは、彼の意思なのである。

しかしながらネツァク、つまりアストラル的な力の局面との接触がなければ、形に魂を吹き込められないことに留意しなければならない。
そして情念の天球であるネツァクとの接触は、共感と、感情を同調させる ことによって成立するのである。
意志の力は魔法使いをホドから投射するが、ただ共感の力のみが彼をネツァクへ取り入れることができるのだ。単に感情的で共感しやすい人物と同様に、抑圧的で無情な人物もまた力と共に作業する導師にはなれないのである。集中した意志の力は、魔法使いが彼の作業に対して心を落ち着けることができるために必要である。
しかし、イメージ力による共感の力は彼の接触を可能にするために欠くべからざるものなのだ。
なぜなら我々が自然の諸力と接触できるのは、ただ我々自身とは異なる存在様式を持つ生命の中へイメージ力によって入り込む我々の力に依るだけだからだ。彼らが抵抗すれば 強力な神名 によって呪いながら、純然たる意志によって彼らを支配しようと試みるのは、ただの招霊術にすぎない。

自然の諸力と接触するのは、我ら自身の気質の中にある照応する要素を通じてである。我々をネツァクに象徴される影響力と接触させるのは内なるヴィーナスである。
我らをホド―マーキュリー∸トートの天球の諸力と接触させるのは我ら自身の知性の魔法能力なのである。

密儀と階級において与えられる教えは以前には潜在意識的であったものを意識的にし、高次の知性に導かれて意志の支配下に置くよう単に設計されている。
そのように向上した能力は、それまではただ適当な刺激に対して盲目的に反応するだけだった。
次のことには十分に注意が必要。
この反応能力が感情的反射の域を超えて理性的支配に服する度合いに応じて我らはその能力から魔法の力を作り出せるのである。あらゆる次元においてヴィーナスの呼びかけに応じる能力を持っている志願者が、意志によって容易に造作なく反応を断つことができるときにのみ、彼はネツァクの天球の密儀を授けられるのだ。このことが導師について「彼はあらゆるものを利用できるが、何ものにも依存しない」と言われる理由なのである。



・ヘブル語の3つの母文字は、
アレフA、メムM、シンShである。
『セフェール・イエツィラー』によれば、
この3文字はそれぞれ
風、 水、 火 の3大元素に割り当てられている。
アレフが司るのはケテルの風の3つ組でありそこでは風の「根」が下に降りて、
ティファレトすなわち太陽の火を通って、
イエソド、月の光に達している。
ピナーの中に水の根(マラー、大いなる海)があり、
ケセドを通してホドにまで反映している。ここはメム、水の母が司っている。
コクマーの中に火の根があり、ゲブラ―を通ってネツァクにまで反映している。ここは火の母、シンが司る。

「根」とあるが、イェツラーに現在の生命の木と木の部位に対応するセフィラはないはずなんだが……
生命の木カバラは中世からなので、古代ユダヤの生命の木(と日本)云々ときたら嘘確定。シオニズムはキリスト教思想。シオニストはクリスチャン。


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
カバラ基本経典は紀元前にない。イェツィラー(3~6世紀。新プラトン主義成立後)
・バヒル(12世紀)・ゾーハル(13世紀)。
ユダヤ・カバラは旧約聖書重視(元祖カバラに生命の樹なし)。
クリスチャン・カバラ(生命の樹中心)は15世紀にピコが創始。
物証成立年代を捏造する #日ユ同祖論。

生命の木であなたがイメージするカバラは
15世紀以降成立のクリスチャン・カバラ=キリスト教化されたユダヤ・カバラ。
#ユダヤ陰謀論 と #日ユ同祖論 がキリスト教に見えないキリスト教思想なのと同じく外見がユダヤでも中身がキリスト教。
成立年代を確かめないと騙され放題。


猫太”日本のカバラが本物とか言うやつは、生命の木理論が15世紀からしか出てないとか、生命の木なしカバラとか、ハシディズムの義人思想とかそーいうの一切知らないからな。”
”多神教の古代イスラエルとかパレスチナの周囲の民族と何が違うのか?と。書物の宗教だからこそユダヤ教は特異なのに”

有名なカバラはクリスチャン・カバラでキリスト教徒製。 猫太”本家ユダヤカバラの解説見てたら〜、なんかスピノザくさいよね〜とか思ってたらモロに影響受けてるやん!”
”センセーショナルなネットに落ちてる口当たりのいい情報だけを集めてたら、文字通りカルトの術中にハマってしまうからな。”

日ユ同祖論は
①佐伯好郎(景教博士。最初期の論者。キリスト者)が功利的企画だと暴露
②ダビデの星がユダヤのシンボルになったのは十七世紀から(イエズス会製)
③カバラに生命の木が登場するのは中世から
④仏教徒の天皇も側近も縦書きの漢字を使用
⑤天皇は道教用語 を無視して捏造してね!







西洋魔術そのもの…ある特定の時(例えば日付)で特定の儀式を行うのは魔術の基本…カバラ系の魔術本では基本としてボックス呼吸と…毎日特定の時刻を決めて特定の動作をすると書いてあった。”
誕生日ケーキは元は月の女神アルテミスに捧げる生贄。 つまりアルテミスは現在最強クラスの女神←重大

”メスメリズムやスウェーデンボルグ主義のように…先行するものがあった。
スピリチュアリズムは円盤の先輩…スピリチュアリズム運動の中心的指導者アンドリュウ・ジャクソン・デイヴィスは、スウェーデンボルグ主義とメスメリズム…に濃厚な影響を受けた。”

スピリチュアルが広まるきっかけであるフォックスの
"ハイズヴィル事件を予告したとされるデイヴィスを支援したのがスウェーデンボルグ主義者にしてあのブッシュ家の血筋の人。 スウェーデンボルグは宇宙人カルトとスピリチュアルの源流。 まあ、デイヴィス推しは支配層製ですね。デイヴィスは無学だったし。"


メーソンを叩くスピ信者へ 「貴方のスピリチュアル思想は神智学系。神智学協会誕生の原因がエジプトとカバラかぶれのフェルト。フェルトを招待し、神智学協会を団体名としたサザランはメーソン。神智学の教義が陰謀論。メイソン製スピ系陰謀論はメーソンの中核は絶対叩けない」


”魔術師エリファス・レヴィ…の教義で革新的とされるのはタロット・カードとカバラの結びつけ。
レヴィ曰く、
魔術=合理的科学。 魔術、すなわち隠秘科学(シアンス・ゾキュルト)は理性に一致する。 魔術理論では人間の意志の力を重視。 …鋼の錬金術師のアルフォンス“

閉店です ‏@lakudagoya
てゆーか、何でヌッポンのカバラガー!とか言うやつは、何でこうもクリスチャン・カバラに偏ってるんだろうか?誰かおせーて。あと何で文献を書いてくれないの?あと西洋のカバラとの対比とかやって欲しいなぁ。あとなんでアブラフィアさんやモーゼス・マイモニデスは無視されんの?ww

カバラに生命の木が登場したのは15世紀ですよ。そもそも今の聖書と違う聖書ってどんなことが書いてあったんですか?最古のヘブライ語写本はアレッポ写本ですが、それ以前の内容をあなたは知ってるのですか?根拠がありますか?

今から2600年前からヌッポンのカバラガー!と言う人、良かったらそのヌッポンのカバラの参考文献を5つくらい上げてくれないかなぁ?お願いねん。で、西洋のカバラ文献のベストセラーのセフェール・イェツィラーなんだけど、大帝に聞く限りだと、日ユ同祖論の人がすげえ嫌そうな事書いてありそう?





閉店です ‏@lakudagoya 5月6日
隠れユダヤの陰謀って言われてもな。確かにユダヤ系は社会の要職についてるしネットワークもあるのだろう。
しかしな、例えば祖父の代がムスリムで親の代にはカソリックに改宗してて、そいつがカソリックの神学院出て大司教とかなって活躍してたら、これ隠れムスリムの陰謀とか言うの?
レコンキスタで改宗を強制されたのは何もユダヤだけじゃないのだが。隠れユダヤもいたけど、隠れムスリムもいたんだよ。
どちらも改宗して代を重ねる毎に宗教的なアイデンティティを喪失していくのに、何でムスリムは言われないでユダヤ「だけ」ユダヤの血が入ってたらユダヤ扱いされるの?

隠れユダヤの陰謀!とか言うなら、隠れユダヤがどのような世界を作りたいか全くわからないよ。
アレクサンドリアのフィロンのようにモーセの律法に従う人はみんな世界市民という思想?(笑)
これ純粋ユダヤ思想じゃないけどな。 少なくともメイソンは作りたい世界のヴィジョンを持ってた。









主婦の陰謀論者はさ、キリスト教が乗っ取られた疑惑が浮上中〜とかお花畑な事騒いでたけど、秘密結社の連中が一貫して反カソリックだったと考えるとスッキリ理解できる。 反キリスト教じゃなくて反カソリックな。これがミソだ。覚えておけよ。 子供のアニメで教皇が悪者なのもこんな思想なのよ。
高位のフリーメイソンの儀式ではさ、ローマ教皇の帽子を踏んづけるシーンがあるんだけど、如何にメイソンがカソリックを憎んでたかわかる話だよね? キリスト教が乗っ取られた疑惑が浮上中〜とか言うなら、反カソリック勢力の動向も見て言わないといけないよ。 社会改革と教皇権の否認はセットよ

反カソリック勢力一覧表
1 プロテスタント全て
2 グノーシス全て
3 キリスト教異端やキリスト教神秘主義の殆ど
4 世俗化したユダヤ教徒
5 ニューエイジ・スピリチュアルなど(アリス・ベイリーとかもキリスト教をぶっ壊す!と宣言)
6 カソリックにいじめられた勢力全て

バチカンは今までの1700年の歴史に歴史において敵を作りまくってたので、どの勢力に狙われても何も不思議はないからな。 グノーシス主義の特にカタリ派などはバチカンにいじめられてた者同士ユダヤやムスリムと仲良しだった。 ユダヤ・カバラの学校があったのは南フランスなんだよ。
隠れユダヤの陰謀ガー!と騒がれる背景には異端とユダヤの関係性を理解しないといけない。 異端とユダヤは割りと仲良しだったのよ。フリーメイソンは最初はユダヤ教徒は入会禁止だったけど受け入れたしね。 異端とユダヤの蜜月の関係性を無視してユダヤ「だけ」叩くのはおかしい!


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 5月6日
“フェイド大帝…
これ立ち読みだけどRAPTスレ の連中もやたらと拘る「カタリ派 大虐殺」、言葉足らずだな。 当時、カタリ派以外にも異端って 沢山グループがいたんだぜ? カタリ派の粛清も一回で やった訳じゃなくて、何ステップ かに分けてやってた。”
@lakudagoya
”(黒川正剛 (著) 「魔女」の世界史 (別冊宝島 2409) の画像) なんでカタリ派だけ徹底的に 叩いたかというと、奴ら独立した 教皇庁みたいなのを作って、 自分達で勝手に司教職を任命してた。 この事がバチカンの逆鱗に 触れたからヤラれた。” メーソン=異端派✝=反カトリック


フェイド大帝…仏は神ではないぞ。
仏が聖書の神みたいな認識に なったのは華厳経と法華経からだ。
密教の大日如来も聖書の神ちっくだが、
そもそも密教の曼荼羅では 開祖の釈迦が端っこの方に 追いやられている。”
仏教で神が輪廻に囚われた存在なのが我慢できない✝と新✝

”西洋人の神は常住善と常住悪の肯定から来ている。プラトンの言うイデアと一緒ね。
仏教は無常を説くので、そもそもイデアなんか存在しませんというスタンス。
ちなみに常住というのは実存する という意味ね。反対語が無常。”
西洋思想=不変が根本
仏教=不変の否定が根本









Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2014年1月18日
トーとタロットの皇帝?ああ、それ、残像になるからね、ずっと見てると。 その間違い探しをするとはすごいなー まぁたまにはいいじゃない。 もしもそれ以外の過程でこれが起こったらそれは何か間違ってる。#劣化コピー

会議をネットワークのトポロジーで解釈すると、バス型は順番に意見を言うタイプ。先頭を意識する。スター型は分散しこうなので意見がまとまらない。リング型は循環するので先頭を意識せずに全体と調和する。だから、本当は円卓会議が優秀だと思う。

ま、そんな感じで四大分類したときに身体は両足が両極端の火と地になるのだから、この両極端の極性を利用すると力が生じるの。
つまり、足運びとその体重移動が力の根源となる。
頭は霊なのでこれらの統治であり。そして意思の決定するものとなる。
人の足払いによって足を刈られても軸足に重心があるのなら倒れない。
そして軸足に体重を完全に乗せるのは移動する瞬間だけ。これが歩法。
人の意見に左右されず、そして自分の意見がどこに立脚してるのか?
これもまた自分の頭部を軸とした正中線にある。つまり霊。大地ではない。
だから頭がふらふら動いてると身体の力は霧散する。
だから歩法は姿勢を正すこと、前を向き、尾てい骨(イェソド)から頭(ケテル)まで引っ張り上げ、動物的本能から大霊まで引き上げる。即ち、頭(霊)を基準として動作するの。
イェソドからケテルにまで意識を引っ張りあげようとしながら進むのなら、身体的意識は上昇する。これによって意識のステージは上がる。即ち、八卦掌の意識体験とはこれのこと。移動技術と歩法においては八卦掌の右に出るものはない。力の効率や打撃基準なら違うけどそういう問題ではないから。
例えば、八極拳と八卦掌の大きな違いは、前者が進行方向を前に固定気味にすることで力の効率を高めてるけど、その点、回避は二の次になる。八卦掌は回転によりこれとは逆の効率を求める。この回転への意識が渦を生じさせて意識の上昇を生む。これはLRPGの動作そのもの。これは良否では語れない。
意識と身体動作の一致は最重要のこと。たとえば、筋を違えたりするのは無意識に身体と意識が不一致になった結果。それとは真逆に一致させるのならその動作効率は最大になるのは自然なこと。なら、正中線を基準に意識をしたから引っ張りあげつつ動くのは凡ての武術の基本となる。
このマインドセットの使い方は魔術でも例外じゃないの。
肉体から意識に同期させるのが武術、意識から肉体に同期させるのが魔術だとしたらあなたはど考えるでしょうか?

けれど、最終的にその区別はなくなるの。

んにょ。陳家太極もいいですね。楊家は向かない。 QT @kulfi: つ 太極拳

そのようなわけだから、魔術をやる人は好きな武術を選んで行うと良いです。得物はあってもなくてもいい。物理的強さは求めず寧ろ二の次。意識と身体の同期で最大効率のみを求める。物理的強さは肉体のポテンシャルを超えられない。そしてそれを支えるのは常に精神。なら、何に基準を置くかは明白なの。
まあ、ぶっちゃけ。テニスだってダンスだっていいのだけど、理屈さへつかめるのなら。
だってね、プロのテニスプレイヤーの体重移動と力の放散の仕方が基本的に自分のとは違うなんていったらその人は武道家じゃないよ。だって人間の意識と身体の動作なんて極めたら同じなんだから。テニスはこ拳ではなくてボールに発勁が乗ってるだけ。プロのサービスは恐ろしいものですよ。

武術をやると強さを履き違えてるひとがいるけど、肉体と精神の訓練はそのためにあるんじゃないの。女性なら男性の肉体に勝てないし、小さな男性はプロレスラーみたいな人に勝てない。なら、肉体の強さはそういう風には使わない。それと戦いは違うから。逃げられる方が強いに決まってる。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2014年1月19日
ん、象徴表現を文字通りに読んでも意味がないと思います。星座とか惑星で表現されてるのはその概念との類似性で身体機能を説明しようとする試みなので文字通りの対応と考えるとそれは迷信となるから。

象徴を文字通りに読んで誤解釈するのをわたしなら♂Rt(火星のレトログレード)と表現する。勿論、これは表現の一つだから、ほかの表現もできる。水星のRtでもよいし間違いではない。

もし、物事の誤解釈が表面上のことに囚われてるだけなら水星のRt、誤解釈によって何かを故意に批判しようとする表れなら火星のRt、もしも既成概念に囚われて常識の固執するという意味で捉えるのなら土星のRtなどとわたしなら表現する。つまり、占星術記号などはすべてこうして用いるの。

ところで、わたしは12星座とか惑星記号を定型文としては捉えてないし記憶してません。最初から神話との一意対応なのでそれがカバラーとセフィロトの解釈法で纏まったので定型文を覚えなくても良かったのです。つまり、ギリシア/ローマ神格の性格と特性を知ってるとあとはいらないの。
ブラックホールというと太陽は小さすぎるのでこの場合は恒星天かしら?つまり、12宮のある角度の部分にある特性。

さいころをころころ。色球とかを使ってもいいけど最近はこればっかり。占いの道具はあまりいらない。数字から幾何学展開して抽象概念を取り出すだけだから。
ん~、例えばアレ。数字の1がでたら単一概念。六ならその調和。これを開始と終わりに見立てることもできる。勿論、10面体のほうがセフィロトに一意対応するので使いやすいけど普通の六面体でも使えないことはない。やり方はいろいろ。
ん・・・3と6がでたらその合算で9をあらわすので三角形と(土星)六芒星(太陽)で9番目の宮を・・・ぐーすかぴー。


魔法が科学化する?無理。認識論的アプローチをした瞬間に科学ではなくなるから。それに組み合わせの魔法は意識の仕組みを知らないと使えない。

ひとつ確かなことは、科学者が自ら魔術を習得しないと魔術の解明はできないと思う。その良い例はカール・グスタフ・ユング。彼はそれゆえにオカルティストの謗りを受けた。

そもそも人の幸福感は定量化できない。幸福感を感じるための薬品を与えたりはできるけど、それは幸福の結果として生成される脳内物質を与えることで快感を与えることは可能だけど、幸福そのものを再構成することなどできない。幸福自体は複合概念イメージによるもの。個人で違うのだから再現不能。

だから幸福感は個人のものだよ。科学によってそれは作り出すことはできない。もし科学的手法で再現可能なら好き嫌いを治す薬も作れるし、凡ての芸術は消えてしまう。五感による好みすらなくなる。それが幸福だと思うのかな?この物質から精神への不可逆性こそが生命の価値だと思う。

例えばこういう例え。そこに美しい彫刻があるとする。それをトレースすることで芸術家の描いた脳内イメージを再構成しうるのか?確かに形をトレースはできるけど、それは認識の網を通る前のロー・イメージを再構成しないと意味がない。凡ての五感に変化しうるそれは再構成は無理だと思う。

もう一つの例え。自分が見の前に描く異性は姿と色は持っていても他はないのか?匂い、声、しぐさ、表情、性格、それら凡てが自分の理想で魅力に思えないといけない。その魅力の正体は凡ての組み合わせとそれに付随する背後にある概念イメージ。これがないと幸せに感じないの。

視覚化をまともにできる人なら、それが純粋な視覚イメージのみで構成されてるなんて思う人いないのに。

もし、誰かの心を大切に思うのなら、その人の好きなものを捉えようとする。けれど、それは五感に変換されたイメージの表現。だから大事なのはその表現されたものじゃなてく形にならない心のイメージ。これってその作品より芸術家の方が大事なのと同じなの。それをわたしは「霊」と呼んでる。

みんな魂が入った~みたいにその作品を呼ぶけど、その魂とは作者の概念イメージのコピーのことだよ。つまり、その心のイメージがどのくらい作品に再現されたかで魂が入ってるとかはいってないとか呼んでる。これが霊とか魂の概念なの。
そしてその投射された概念イメージは明確化して具体化されると何故か不思議なことに物質から遊離して自立性を持って感じられる。これが魂と人工精霊の概念。付喪神も同じ話です。強烈なイメージ投射が起こると、作品の美術性とは関係なくそれが起こる。召喚や喚起の基本です。力はイデアから引っ張る。

だから美術品が贋作かそうでないかは霊的価値でみるとわかりやすい。どちらも同じような油絵でそっくりだとしても、作者によって本物は概念イメージによってイデアに繋がってる。だからより深く鑑賞するとその違いに気づくの。同じようにみえて同じではない秘密。

ほら、わたしは人間が思い描いた概念イメージのことを「霊」と呼んだ。これは何のことかというと、欲望そのものなの。だからアストラル体のことを神智学では別名欲望体と呼ぶ。それは人が作り出した複合概念のイメージのこと。自分に対する自我イメージもアストラル体、つまり欲望だよ。


愛は植物を育てるが如く育てるの。愛といえばネツァク、勝利の光球。それにはゲブラーの機能が作用する。綺麗に花が咲くことを目的として鋏を入れたり肥料をまいたり水をあげたり薬を与えたり。可愛がるだけだと枯れてしまう。7、8、9のセフィラはアストラルつまり欲望の三角形を構成する。
そんなわけで、わたしは恋愛にすらカバラーを踏襲する。ネツァク(金星)で愛を育て、ホド(水星)にてコミュニケーションし、デートの約束を取り付ける。イェソド(月)にてその期日の細かな調整をしてデート計画を練る。そして最後にマルクトにてそれを実行するの。

もしも、マルクトの当日にデート計画がことごとく失敗して予定が狂った場合は、マルクトの基底部から赤い竜がにょろにょろっと出てきた証拠だからデートを早めに切り上げて二人でのんびり過ごせる場所を探す。それも無理そうならそのまま早めに切り上げて様子を見るの。これが魔術師のやり方。

赤竜というのは物事の実現に反対する古い勢力だから、「今の若いもんは」とか言いながら管を巻く。それは新しい形を壊そうとするのでイデアから引きおろした力に反抗する。なので、まずいとおもったらとりあえず切り上げて後日に対策を立てるの。そのまま争うとろくなことにならない。

魔術カバラの概念を俗っぽく引きおろしたけど、基本的に考え方は同じ。『神秘のカバラー』を一通り呼んだ人ならご理解いただける思う。

まぁ、メンテーとの神話的関係は本当はペルセポネー神話の一つなのだけど、それをさかのぼるとアプロディテーに繋がる。それはアプロディテーの嫉妬の概念の流出。そしてペルセポネーはそもそも植物神の片割れ。なのでメンテー(ミント)は鎮静作用としての嫉妬への効果とかそういう関係にあるの。
なぜなら、嫉妬の炎はそのまんま炎症を意味してるから。なら、ミントとの相関関係もご理解できると思います。

さて、ネツァクのクイーン・スケールがエメラルド・グリーンをしてる理由は本質的に植物の育て方と同じだという象徴なの。そこで思い出して欲しいの。ヴィーナスなどの象徴はみんな薔薇。この光球も薔薇が配属する。このとき、薔薇という植物に調べてみて。特に人のために品種交配してきた歴史。
薔薇というのはあらゆる意味で人間のための植物。観てもよし、香ってもよし、食べてもよしとにかくいろいろ。ゲブラーは五番の火星光球だから剪定とかそういう概念。薔薇は綺麗な大輪にするために剪定が欠かせないのは常識。この5番が通過して7に届くのは6番の美と調和の光球。つまりそういうこと。

ところで、ミントをもしもセフィロトに帰属するのなら、わたしならマルクトにする。するとこういうのが出来上がる。彼の写真を見ながら毎晩ローズティーを楽しむ。ローズヒップでもいいし、蜂蜜は多めに。コミュニケーションのときはシナモンとかそういうの。デートのときはミント系を常備。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2014年1月20日
ビナーの裏面を必ずしも悪魔とするのはどうなのかな?キャラのこと良く知らないからあれだけど、へカテーの局面は単なる刈り取る者。冬の到来と同義。不要な生命、異常なものなどを凡て刈り取る。きちんと着実に歩んだものだけが残されるように。これはマルクトにも反映される。

へカテーの局面にも二つある。一つは未成熟な根っこをちゃんと張ってないものを刈り取ったり、病害の発生を防ぐための排除。また、大地の栄養分を次世代のために確保する役割。一方で、その裏面は必要なものや根が張られた物も根こそぎ奪い取る。この違いなのだけど、なかなか区別されない。

女性にとっていちばん切実なのはイェソドの機能。この中に土星的性質が表れてる。それは生理時の鈍痛。そしてそれに伴う精神状態。これがへカテーそのもの。へカテーは月の暗い局面でもある。でも、これがないと女性としての豊かさや華やかさは保てない。これが土星の月の光球における役目。

土星や火星の概念って基本的に我慢とか忍耐、妥協や判断、決断などを伴うからかなり嫌われて理解されてないこと多いよね。優しくないし、現実的だけどそれが豊穣の母の裏面。だからこれを意識してないと必ず転ぶの。

そして月の三極性というのはこういうの。生理がきてるときが乙女であり三日月。生理機能が停止して活動が増大するのが母にして妊娠時。つまり満月。そして最後は生理機能が停止して衰退するのが老婆で象徴される。
月に関してはこのくらい。生理中と生理停止時についてはこれ以上触れません。それが何を意味するのかはウィッチクラフトの実践的領分だから。
ん、まぁ。一つだけ。Moon Magicは女性のためのもの。男性でも使えないことはないけど周期性について掴みにくいので気づかない。女性なら体温、気分、その他の状態変化を凡て記録して体内で何が起こってるのかを数ヶ月分析すると自ずと判る。各種欲求の変化が鍵。
ヒント。フォーチュンの『海の女司祭』にて「子作りタイミング」がどうなってるのか?男性と女性の周期性をどうやって合わせてるのか?これが最大のヒントです。
サービス問題。初めてのキスは海のそばで夕日を観ながら。なんで夕日なの?
うにゅ。妊娠中は特に日の入りと日の出タイミングで就寝と起床してたほうがいいのだけど・・・。月の周期より概日周期に引っ張られるから。
このへんの太陽と月の周期というのは公然の秘密。組み合わせの問題なのだけど。
女性に関してだけ言うと、初潮以前、そして妊娠中と生理の終了後は概日周期に必ず従うこと。そうしないと精神と身体の健康が保てないから。はやめに寝たほうがいいの。生理中も同じ。
女性と男性は顕在意識と潜在意識のバランスや分離度合いは同じじゃないのよ~。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2013年8月23日
フォーチュンが『神秘のカバラ』の中で「手元に生命の木の図を置いておかないと私は木について書くことができない」と告白しているけれど、一方で古いカバラ魔術の本では生命の木を手に持ってる賢者のような挿絵が入ってる。これは比喩じゃなくて現実。そのような感じで木が見えないといけないの。

この手の話をツイートするときは、できる限り『神秘のカバラー』の範囲で述べようと努力はしてるのだけど、最終的に説明が必要なので『完全版黄金の夜明けシステム』その他の知識をがんがんいれてます。足りなければ他の分野や神話も探るし、伝統的カバラも無意識から掘り起こす。一冊じゃ無理だから。

当たり前なのだけど、既に神秘のカバラー、カバラ的象徴の実践ガイド、柘榴の園、生命の木は基本文献なので沢山読んでます。更に基本には10冊以上の本が必要でしょう。魔術カバラを語るのはその先なのでこういう話をしてるときは強固な木のイメージを眼前に投射してます。これが目指す場所です。

わたしが購入したフォーチュンの『神秘のカバラ』は現在で三冊目です。過去の二冊は完全にぼろぼろになって分解してしまいました。それでもまだ時間があると読んでます。既に内容も頭に入ってるけど、目を通すことで思考をトレースしてるの。著者より詳しくなることを目指しなさい。三冊目が死にそう。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2013年8月22日
ですね。正確にはミニトゥム・ムンドゥム(小宇宙図)です。セフィラはブリアー、パスはアツィルトの色です。 QT @rideigan: @Ripple1975 下位の女神、つまりブリア-界(女王)の色彩ですね。全ての色を混ぜると黒になる(『神秘のカバラ-』を読みながら)。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2010年9月19日
『神秘のカバラー』を卒業するのは熟読30回目以降だけど、小径に関する学習は10回目辺りから。このとき、リガルディーの『石榴の園』か『生命の木(洋書)』、ガーレス・ナイト『カバラ的象徴の実践ガイド(洋書)』が必要になる。さもなければタロットの門を使ってパス・ワークしかない。

『神秘のカバラー』を数回呼んだ程度では魔術カバラについて何も語れない。心に「木」が構築されだすのは10回目以降。30回、50回と読んで本がぼろぼろになる頃、最初のカバラーの訓練は終わる。その頃、かれはカバラ用語で日常の全てを語れるようになる。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
日本で知られているカバラーって要するに魔術カバラー(クリスチャン・カバラー)だからユダヤがどうこうというのは別物です。それが出てくるのはGD系やそれ以前のカバラーなので、ゲルショム・ショーレムの書籍を重点的に読むと「えっ?」ってなると思うの。

要するに、そういうユダヤのカバリストって創世記から申命書までのペンタトークを殆ど丸暗記してるようなひとたちよ? (^^;

魔術カバラーは1800年前後くらいから作り上げられていったものと思われる欧州を中心にした独自のカバラーのことです。それはキリスト教を象徴の骨子にすえているもので、本来のユダヤ教とはあまり関係が無いの。でも、キリスト教的世界観が嫌いな人もいるのでCRCという伝統が組み込まれた。

だから魔術カバラーとはキリスト教的象徴によって魔術に応用しやすいように簡略化し、纏め上げられたカバラーのことです。それゆえに、クリスチャンローゼンクロイツがジーザスの代わりとなって普及することになるの。中身あんまり変わんないけどね。w


天使には本来的には姿は無いの。何故ならそれは電気とか慣性、重力みたいなもので何かの力を伝達する現象として作用してるからです。それゆえに宗教画などでは炎の車輪などの幻視として描かれます。車輪は歯車であり何かの「動力」を伝えるという存在で形を与えて力を利用してるのは人間に他ならない。

したがって、天使そのものに形はないから天使に鋳型としての形を与えてるのは人間だと思います。だからといってその姿どおりの存在が天使だとするのは間違いだと思います。それは水風船のようなもので、水が丸い形を保ってるのはゴム風船で形を与えてるからです。

人が直接交流を持つことが出来ない存在だからこそそれに形を与えるの。そうでなかったら神格というのは人にはとらえどころが無いものだからです。

御使い(天使)とはメッセンジャーであり、神様の意志を伝えるもの。それは力が現象として作用するさまを人が観察してそれに形を与えるのです。

昔は真空中を電気(電波)が伝達するさまを「エーテル」という媒体によって伝達するものだと仮定したのです。これをエーテル仮説というのだけど、後にそれは否定されて別の仮説が立てられた。この想像(仮説)は人が電波が伝達する現象からイメージによって形を与えたのです。

いまでこそ科学的仮説はいろいろと当たり前のように言われてるけれど、これこそが力に形を与えるということです。本当は形なんてないのだけど、人のイメージが姿を与えてる。これが天使の姿と同じだというわけです。物理を扱ってるのか人の精神を扱ってるのかの違いはありますが。

電気という言い方をしたけれど、より正確には電磁波ですね。光もその仲間だから「どうやって光は真空中を伝達するの?」という問題なの。

電磁波、光もそうなんだけど干渉波を起こしたりするからいろいろな光に輝く。虹がそのひとつの例だけど、イリスという神格はキリスト教で言うところの大天使に相当するもの(人格神であり自然の擬人化)。現象そのものに対してイメージを与え、その力を理解しようとしていたのです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月26日
変化を祝福しましょう? 分点が回帰するたびに。

天(理想)と地(現実)はいつもちぐはぐ。小さな頃から「主の祈り」唱えていて思ったことは、救い主が自分の心の中に現れないことには解決できないということ。「天にあるように地にも御心が果たされますように」というのは「カバラ十字」とまったく同じことだった。御子はその仲介者だから。

だから御子(ジーザス)は天と地の仲介者であり、この心の中にあるちぐはぐな想いを正してくれる。理想と現実は違うんだという認識にそもそもの問題があった。理想としていたものがとても狭い考えによるもので、胸の中心に咲く薔薇はこれらが和解したことの証となる。

だからいまでこそ想うの。「御国が来ますように」と祈るのは心の中に理想と現実の仲介者が現れてそこに調和を見出してくれること。これらは相反するものではないことを知ること。それゆえに心が平安の中に入ること。この地を天国にも地獄にも変えるのは自分の心の問題だということ。

それはそうだよねって想う。理想と現実に齟齬があると認識していたらいつまでたっても心が休まることはない。救われることもない。だから綺麗なものだけではなくて汚いものであっても冷静に見つめる。それが胸に咲く薔薇の証なのだから。

それに気づいて以来、わたしは中心にルビーがついた金の十字架を胸に下げるようになった。本当の意味で5=6に到達したことに気づいたのだから。
5=6になったからといって聖人になれるわけではないの。でも、心の中に何が起こってるのかを既に理解してるから初めてまともに主に祈ることができるようになった。その差は大きいと思う。何のことか理解しているだけでも。

なんていうのかな? 薔薇十字のレイメンがはじめて実効を持った瞬間のこと。それまではオカルト的なシンボルでしかなかったから、信仰とは結びついていなかった。だからこそそれは意味を成さなかった。
信仰は自我にとっては生命に等しい。光、生命、愛。救い主が受肉するのって自分の中にだから。


図版は"The Complete Golden Dawn"からのもので追放後のエデン図。イブはマルクトに埋没してるので物質主義に傾倒し、アダムからもものとして扱われる。

追放後のエデンとはひとことでいうとアナーキズム。

赤竜というのは、その場限りの欲望による理想の改変を目的とした意志のことだから、どんどん増えてはどんどん滅する。つまり行き当たりばったりなのです。それぞれに違った理想を唱えており、神の意志とは関係がない。すなわち物理法則とも関係のないことをしようとする意志です。それゆえに非科学的。
だからあれ。互いに争う顎とも称します。お互いに別の理想を唱えていて、しかも次から次へとそれは増えていくからきりがない。
それはまるで溶岩の中に見え隠れする竜たち。数が決まった実体ではなくて、その時々に応じて増えては消えるもの。そういう意味では似非科学の流行にとても良く似てる。
この場合、天上を守ってるケルビムというのは常識的な科学のこと。物理法則に反してるのだから、竜たちはかれらに切り倒されていく。

(仁 ‏@sakazuki11 12月26日
@Ripple1975 関わる人の数だけ竜は増えそうですが、真の平安を獲得しようとするなら、無駄に増やすべきじゃないってことなんですかね?

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月26日
@sakazuki11 竜に王冠を与えるのが問題なのかも? エドムの王たちに王冠を与えるものがいるのです。つまり、似非科学を支持する人たち。)

赤竜の例としてよくありがちなのは運動をしないでダイエットをするというもの。食事制限だけでは意味がなく、バランスの取れた食事と運動、そして睡眠が不可欠です。でも、自分の欲望のためにこの常識的選択をせずに何かにすがろうとする意志。これが赤竜でなくてなんだというのかしら?
今日やるべきことを毎日やってすごせばそんなに体重は増えないの、わたしに限って言えば。もしさぼったら少し太ってきちゃう。心の肥満が体の肥満につながるから、そこをなんとかして継続できれば身体は自然になっていく。

オカルト百科 生命の樹
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/lifetree.htm
”生命の樹は、創造による流出の連続した過程を図式化したものだ。
 アイン、アイン・ソフ、アイン・ソフ・アアルという3つの未顕現があり、
最初の顕現ケテルが現れ、コクマー、ビナー、
ケセド、ゲブラー、
ティファレト、
ネツァク、ホド、
イエソド、
マルクトと、稲妻のように連続した流出が起こる。
 ビナー、ゲブラー、ホドは「竣厳の柱」。
コクマー、ケセド、ネツァクは「慈悲の柱」となり、
それぞれが対照となって対になる。
その真ん中には、ケテル、ティファレト、イエソド、マルクトが「中央の柱」となる。
ケテル、コクマー、ビナーは「至高の三角形」を形成し、
その下には「深淵」があって、隔てている。ビナーとケセドの間には、ダートと呼ばれるセフィラが潜んでいる。
また、テイファレトの後には「神殿の幕」があり、これも深淵のように上下を隔てている

 さらに、カバラの4世界、アツィルト界、ブリアー界、イエツィラー界、アッシャー界が、それぞれに属するセフィラを覆っている。これが大雑把な樹の形である。

 ここで私は、生命の樹の概念を解説してみたい、という誘惑にかられる。しかし、私ごとき浅学な者がそんなことをしても、かえって誤解と混乱を引き起こすだけかもしれない。
 そこで、W・E・バトラーの真似をして、良書を強く薦めるに留めておきたい。

 それは、もちろんダイアン・フォーチュンの「神秘のカバラー」(国書刊行会)である。
 これは、あまりに有名なので、「生命の樹」と聞くと、「神秘のカバラー」とすぐに出るほど、定番となっている本であろう。
 フォーチュンは、この本を書くにあたって、独自の見解や自分の流派だけに属する解釈を極力避け、一般的なスタンダードな解釈を紹介すしている。魔術カバラを学ぶ者にとって、流派を問わず極めて有益な本である。

 しかし、「神秘のカバラー」を読んだ後に「私は、これで生命の樹を理解した」と、もしそう思うのなら、あなたは生命の樹を殆ど理解していない 証拠である。

 まずは、「パス」だ。
 生命の樹において、「パス」は「セフィラ」と同じくらい重要だ。
 しかし、「神秘のカバラー」には、セフィラについては詳述されていても、パスについては、殆ど記されていないことに気づくであろう。
 パスを理解するのは、まずセフィラについて、ある程度の知識が無ければならない。
 だから、初心者は、まず「神秘のカバラー」を読むことが求められるのだ。
 では、パスについて知識を得るのに良書は何か? と問われれば・・・
 ガレス・ナイトの「A Practical Guide to Qabalistic Symbolism」である。
 「はじめに」で触れたように、私は、このサイトにおいて、本は極力、日本語の物に絞ることにしている。しかし、ナイトのこの本ばかりは、どうしても紹介せざるを得ない。初心者向きに、パスをここまで親切に詳述した本は、ちょっと他には無いからだ。
 この本の1巻は、主にセフィラの解説だが、2巻にてパスのことが詳しく解説されている。

 22本のパスを理解することは、22のヘブライ文字の象意、タロットの大アルカナのカバラ的解釈を理解することにも、直接つながるのだ。如何にパスが重要であるかが、これで分かるだろう。
 そして、セフィラを真に理解するためには、パスの知識が必要だ。
 まず、セフィラの基本概念を学び、それに基づいてパスを理解する。そして、もう一度セフィラに戻って、パスの知識を元にもう一度学ぶのだ。そう、パスとセフィラは相互に補完しあっているのだ。
 さらに、カバラの4世界、クリフォト、「ヤコブの梯子」など、学ぶべきことは、まだまだ沢山ある。

 樹の理解のために、日本語で読める良書は、他にリガルディの「石榴の園」、ウィリアム・グレイの「カバラ魔術の実践」が挙げられる。これらもまた、絶対に必読である。
 さらに、樹の「万物照応表」の理解については、クロウリーの「777の書」も、必携である。

 「神秘のカバラー」の知名度の高さは、カバラの知識を広めることに、大いに貢献してると思う。
 しかし、同時に生命の樹を誤解させる原因をも引き起こした。
 生命の樹は、いわゆる「万物照応評」の基となる。すなわち、どんな物でも、これに当てはめることが可能だ。
 ゆえに、奇妙奇天烈な解釈を多く生み出した。
 よくある例が、魔術以外の体系との組み合わせである。特に、仏教の宇宙論を樹に当てはめるような例である。
 無論、東洋の体系を、生命の樹と合体させる思想そのものは充分に意義のあることだし、早くもパピュスの時代から、こうした研究が始められている。
 しかし、「神秘のカバラー」を読んだだけの初学者が、このような考察を行うのは、あきらかに早すぎる。

 もっとも、いわゆる「頭の体操」、ないし知的ゲームとして楽しむだけなら問題はないし、批判される理由も無いとは思う。私自身、アニメのキャラを樹に当てはめて遊んだことがある。
 また、一見無茶な解釈でも、それが新しい発見につながることがあるやもしれない。フラター・エイカドが、「カバラの花嫁」の付録で行ったアクロバット的解釈のように。

 しかし、シンボリズムが狂っているということは、魔術の実践者にとっては、やばいどころか縁起でもない話である。
 パス・ワーキングを実践してる人にとっては常識であろうが、生命の樹は、瞑想において道に迷ったり、崖から転げ落ちたりしないための「地図」の役割を果たしている。
 その地図が、目茶目茶になっていたとしたら……



「神秘のカバラー」 ダイアン・フォーチュン 国書刊行会
「777の書」 アレイスター・クロウリー 国書刊行会
「石榴の園」 イスラエル・リガルディ 国書刊行会
「カバラ魔術の実践」 ウィリアム・グレイ 国書刊行会
「QBLの花嫁」 フラター・エイカド 国書刊行会
「ユダヤの秘儀」 ハレヴィ 平凡社

「A Practical Guide to Qabalistic Symbolism」 Gareth Knight WEISER
※翻訳権を買い取った出版社があるが、未だに邦訳は出ていない。”

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
艦これアニメを以前購入ししたBDでみてたけど、第七話の冒頭。大淀さんがモールス聴き取ってるので一緒に聴こうとしたら・・・和文だった。; ;
あ、「長点が一個多い」ってなってもうがっかり。それもそうかって。
速度は100文字/分を超えてると思う、多分だけど120文字/分程度。欧文なら十分に聴き取れる速度だけど和文ならもう・・・orz
聞き取れて無いです。(^^; 聞き取れてるときは「文字に変換されずにそのまま言葉になる」のです。あのくらいの通信速度(練習では無い速度)だといちいち音を文字にしていたら頭がパンクしてしまいますw
アマチュア用で国家試験になってるモールスの速度は通信用の速度ではなくて練習速度。実際はあんなに遅い速度で通信することはありません。普通に会話していくとき、自然と速度があがっていくからです。欧文では最終的に200wpmくらいはいくでしょうね。
モールス符号が聴こえたからといってそれが即座に言葉に変換されることは無いんですよね。ただ、音として耳に残ってるのを、数秒前の音として思い出すことで「どんなこと話してたっけ?」と聴きなおすの。そして言葉に変換されないとき、速度が追いつかないかコードがそもそも違うかがわかります。
耳に入ってくるモールスコードを逐次変換していたら高速な信号は復号化できないでしょう。
このお話、モールス符号を高速で聞き取るときに必要なお話なのだけど、本当のところもっと重要なことが含まれてるの。母国語だと気づかないけれど外国語語で速く会話するときに必要なのが「音で聴いて数秒間覚えておくこと」だからです。だから英会話は音で覚えるとよく言われる。バッファ鍛えてるの。
脳内バッファの拡張は意識的に継続してやらないと決して身につかないの。このことを実感するのに、わたしはモールスの練習が答えを出してくれました。外国語を身に着けるときもまったく同じだったからです。
「外国語を学ぶのって無意味な音に対して意味づけを習慣化すること」なのですから、最初の「無意味な音」の段階でこれを保存することが必要になります。次に、それを思い出すことで意味づけがなされるように意識的に意味を考えるの。完全に習慣化されたとき、もはや音や文字に変換されなくなります。
言葉を使うからといって必ずしも高度な知性はいらない。だって、ただの会話ならばそれは習慣によるものだから頭を使わないのですw だって、言葉を使うこと注意を払わないからです。
ですから、言葉遣いに注意を払うということは、言葉を意識化してしまうので慣れていない人は言おうとしようとしていたことをころっと忘れてしまいます。(^^; これは習慣化している母国語について「考えようとした」からにほかならない。習慣って考えてしまうとうまくできなくなるからです。
習慣を破壊して意識的に矯正する方法はそれ自体にずっと意識を集中することなの。実はこれが一番難しいから多くの人は魔術の修行を放り投げてしまいます。w
エーテル体制御は種がわかってしまうと神秘でなんでもなくなる。但し、習慣をイメージ化して操作するから難しいことは難しい。合気道で相手を倒すのもそういうのとまったく同じ理屈だから相手の習慣を読み取る能力が必要になる。それをすることはまず自分の習慣と向き合うのです。
月(イェソド)は幻想の光球とはいうけれど、それは水面に写った月の姿のことです。例えば、自分が立ち上がって歩くとき「歩く」ということを無意識的にイメージしてるの。このイメージが「月」と呼ばれるものだからこれが壊れてしまうと肉体が正常でも歩けなくなるし話せなくなります。
ですから、オーラ制御というのは習慣の破壊と再生のことなのでこれをよく理解していないと日常生活に問題が起こるかも知れません。呼吸を利用してリズムを掌握する方法もそのひとつであり、そのほかにもたくさんやり方があります。
自律神経系を意識的にいじってること、よく理解してください。
エーテル体制御、たとえば「中央の柱」の行法で「月の分離」という言い回しがあるのだけど、これの意味するところは習慣の顕在化なのです。自分の習慣をイメージとして見つめることに成功するとそのような言い方をするの。
ひとによってはこの状態を「水面に月を再発見した」というかもしれない。
これはあくまで比喩なのですけど、そういうことなのです。
それでは、自分の「月」を水面に再発見してね。

いいかたを変えれば、古代エジプトだってかな交じりの文章使ってましたけどね。だってそれ、ヒエログリフィカを簡略化していくとデモティックになるからで、民衆文字はかな文字に相当するのです。
言葉を筆記すること、特に重要な言葉はみんな速記しなくてはならないから、書記は必ず簡略文字を開発することになるのです。例外は最初から簡略化しようが無い文字だけです。(^^;
普通は習慣って「なんとなく身に着けること」なのでこれを修正するのが難しいの。何故なら、意識化することで修正が可能になることなので、無意識はこの意識化をとても嫌がります。だから、無意識的に意識化することそれ自体を忘れさせようとするのです。まずはこれを突破することが最初に課題です。
無意識との付き合い方は隣人との付き合い方によく似てるの。それは自分の意志でありながらまるで他人みたいなものだからです。
だから正面から意志の力でねじ伏せようとしても無駄なこと。その扉は取っ手が正面にはついてないので向こうから開いてもらうしかないのです。
ですから、無意識の自分の挙動を他人のように扱うの。防御円を設けてその外側に、三角形の中に呼び出します。なんのことかわかってるとは思うけど。(^^;


2016年12月24日
日本には宗教と名前がついてない宗教があまりにも多すぎて、誰もそれを宗教だとは考えていなかったり。
同調圧力は苛めの原因とされるけれど、それって要するにカルトに見られる特徴的なこと。たぶん、そういう土壌なのだと思うの。
だからたぶん、自分が一番打ち込んでることに関する仲間意識は強いけれど、そのへんが不器用だから一度関係をこじらせたら大喧嘩になる。宗教の代わりとなってるそれは結局のところ宗教なのですから。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2016年12月24日
本当に困っていないのならかみさまは応えてはくださらない。実のところそのことについての本気を試されてるから。
もしも本気だったら「プライド」も「面倒」も手放してるはず。手放すものがなくなるまで手放して、それでさあ、どうかなっていう世界だと思うの。
余計なものみんな手放さないと自分の意志なんてそう簡単には見えてこないの。だからもしまだ見えないのなら、まだ余計なものたくさん抱えてる証拠だといえるでしょうね。


水垢離も風邪を引く前ならいいと思うんだけど、風邪を引いた後なら逆効果になる。風邪の前だったら、肉体に本気を出してもらうためにショック療法となるけど、すぐに身体を暖めないといけない。風邪のあとなら肉体は現実に戦いを開始してるので無理はいけない。

荒行は病気になることを目的とはしてないから、ケアのことも考えないと意味がまったくなくなるの。それが出来ないならしないほうがよいと思う。それはダイエットもそうですけどね。

肉体を鍛えることも心を鍛えることもそうだけど、アフターケアについてきちんと知らないならしないほうがいいかな? まずはそこを学んだほうがいいから。


いのちの宿らない樹は邪悪に染まる。
それは枯れ果てた樹であり、樹の洞だけが残っているもの。すなわち、殻。
セフィロトにはかみさまが棲んでるから、火花が閃いて宿らないとそれは枯れてしまうの。エドムの王たちに支配され、それは冥府へと伸びていく。言い方をかえると信仰の宿りがあってこそ上位セフィロトを理解する。
というか、本来のカバラーがユダヤ教神学からの派生であり、魔術カバラーがキリスト教神学からの派生であるという点について真剣に議論されることがないのはなんで?
信仰をもたない5=6なんて全くありえないとおもうのだけど。
それだからRR et ACは招待をする権利を持たない。招待を受けたひとがやってきてそれを認可するだけですから。
それはこういうこと。自分自身の中に救い主が現れないことには、誰もそのひとを救うことが出来ない。





トモフミくん ‏@tomofimorgon 2015年7月2日
根性論でとにかく量をこなせばいいって思ってる顧問の方はこれを見てよく考えてほしいです。スポーツの色んな技術に応用できるはずです。

スポーツが上手になるコツ 武井壮が語る 説得力ありすぎ! http://youtu.be/WS6lK2UmR3A
八木 ‏@kou_yagi 2015年5月23日
授業で教えている方法と全く同じ。
6分間我慢して観てもらえれば、デザインの上達の仕方が分かると思う。
デザイン作業に置き換えて観て欲しいな。
「スポーツが上手になるコツ 武井壮が語る 説得力ありすぎ!」https://www.youtube.com/watch?v=WS6lK2UmR3A …
○スポーツがうまくなるためには一番重要なのが「思ったとおりに身体を動かせること」

○例えば、目を閉じて両手を水平に上げてみても、ほとんどの人がちょっとずれている(実際にタモリもずれてた)

○スポーツは競技中は自分の動きは目で確認できないから、これでちょっとずれているということは競技中も思ったとおりに実際には動けていないということ

○この状態のまま反復練習しても、ズレてる照準器に慣れただけだから、応用が効かない技術になる

○実際に武井壮自身も、10種目競技の全てを練習していたわけではない。思ったとおりに身体を動かす練習がメインだった。

○しかし、思ったとおりに身体が動くようになっていれば、競技場に行ってうまいやつを見て自分も真似すれば記録が出る

(…)
僕もスポーツを結構マジでやっていた時期があって、選抜とかに選ばれていたこともあるからなんとなく分かる。

実際に今も、フットサルを始めたから練習とか一人でやってるけど、何をやってるかというと、ボールをコロコロ足の裏で転がしてるだけ。

ひたすら。

グラウンド5周とか。

コロコロやるだけ。

でもこれってすごく大切なことで、こういった単純でシンプルな動きをどれだけミリ単位で正確にできるかで、その後の伸びしろが決まってくる。

細かい部分にどれだけこだわれるかなのだ。

まずは、ボールと向き合うのではなく、身体と向き合う。

新しいスポーツで必要な筋肉や、要求される動きに対して、自分が正確に動けるかを計測していく。そして、正確さをコンスタントに磨いていく。一日10分とかでもいい。感覚の問題だから、一日でたくさんやるよりは、短めに何度もやって身体に思い出させるほうがいいのです。
(…)
スポーツでは、「自分の身体が正しく動いているか」というのが測定するべき精度だよと武井壮は言っているのだろう。

では、ビジネスなら何を測定するべきか。

それは間違いなく、コンバージョンだと僕は思う。

現在のビジネスのコンバージョン。それが正しく計測できているなら、何をするべきかの優先順位を間違えないからだ。

計画を立てても、ある程度思い通りに数字が積まれていく。

コンバージョンは反応率のことであり、相手を動かせる割合を意味しているわけだから。

自分が何をしたら、相手がどう動くのかを正確に計測できる


これが基本じゃないかなと思う。

だから、スポーツの上達のコツが「身体を思い通りに動かす練習」なら、ビジネスの上達のコツは「コンバージョンを自在に調整する」ということになるんじゃないかなと。”https://www.toriikengo.com/takeisou-movie/

それぞれのスポーツをたくさん練習する前に、やっておくべき事がある。

それは当然のことだが、自分の身体を動かす技術を上げておかなければならない。

頭で思っている動作と、実際にやっている動作がずれていると、うまくいかない。

よくあるスランプの原因は、ほとんどそれである。



頭で考えていることと、実際にやっていることがずれている状態で反復練習をするので、反復練習があまり身にならないのだ。

その結果、悪いほうに固まり、練習を続けることで結果は少しずつ良くなってはいくが、それは結果的に”ずれた動作を良くしたもの”となる。

一つのスポーツは伸びていくが、別なスポーツをやると素人同然になる人は、自分を動かす技術が変わっていないのだ。


スポーツする時には、自分の身体の見えていない部分を動かすことになる。

自分の考えている動きと、見えていない部分の身体の動きがずれた状態でスポーツを行っても、ずれたままでの動作となる。

それは結果が良くても、自分が思っている通りの動きではない。

なので、ひとつのスポーツがうまくなっても、また違うスポーツをやるときには、より多く練習をしなければならなくなる。

そうなると、練習する時間が際限なく増えてしまう。

練習する時間を減らすためには、そのスポーツ特有の技術練習をする前に、自分の身体を思ったように動かすことができるようにしておく事が、いちばん大事である。

頭で思っている動作と、実際の動作がずれた状態でスポーツを習得するのと、動作の基準があり、そこを考えてスポーツを習得するのでは、伸びる速度が全く変わってくる。

「上手い選手は、普段からああやってやるんだ!」を、すぐ真似られるようにしておく。

そうすればできるようになるまでに時間はかからない。
”http://nk.hateblo.jp/entry/2014/01/31/125808

McLaren MP4/12C ‏@mclaren0909 2015年12月15日
@desupehannari さすがデスペさんですね。デスペさんのツイートって真意をつかむのが結構むずかしいですw とても真意をついています。今、頭から離れないのですが、『何かを変えたきゃ、詐欺師になれ』って言うのも同調からきてますよね?良い言い方をすればwin-winみたいな

desuperado ‏@desupehannari 2015年12月15日
@mclaren0909 そです。同調です。ほんとに詐欺師になれ!なんて言いませんがw誰でも扱ってる技術なんですよ。コミニュケーションの中で。為政者達は事実を9割嘘を1割り以下でぇ~って、嫌な感じで皆言いますが、一番自分の意見を通すには、その割合がベストなだけです

McLaren MP4/12C ‏@mclaren0909 2015年12月15日
@desupehannari やっぱりデスペさんは違うw かっこいいという意味ですよ?w 今の人は『はい、論破ぁ~!』とか勝ち負けに拘りすぎですね。相互依存が出来ないといいましょうか。ある意味、自尊心だけは3人前なので煽るのは簡単です。人に物を言うのは論破せず、寸止めがいいですね

desuperado ‏@desupehannari 2015年12月15日
@mclaren0909 その人が見たいものの方向にに流せば良いのですwブルースリーの水であれと一緒ですwただし、人工川ですがねw

@0nigiri_3_ @mclaren0909 間にRTしてくれた百獣の武井のスポーツ談義ですよ。自分のイメージ通りに身体を動かせているのか?って奴。間違った反復練習じゃ、変化に簡単にやられますからね。これは反応あるな、これないな、と実験(遊び感覚)でどーぞw

武井壮、じつは「下半身不随になる」と医師から宣告されていた!
http://trend-izumi.com/post-1076/
”武井壮さんが番組内で、「十種競技で怪我をしたとき、医者から『一生歩けない』と言われた」というお話をされていました。

下半身が動かなくなり、自宅でうつ伏せで静養していた時「骨の図解書」を読んでいたそうです。

武井壮さんはその本に載っている、骨のブロックの写真を見ながら

『自分の骨は、こうなるだろう』

とその骨通りに治るとずーっと、イメージしていたそうです。

そうしたら、なんと2ヶ月で完治してしまったんだとか!

ご本人曰く、『ストレスで胃潰瘍になるくらいだから逆も絶対イケる!』と本気で信じていたそうです。

その後、陸上競技・十種競技元日本チャンピオンになりました。”

Souma ‏@Nks2Sou 10月2日

武井壮
背骨の骨折を 栄養素の摂取と骨がくっついていくイメージをして治したらしい。
これはやりてぇ! っと思ったけど骨折だからな。わざわざ骨折してまでやるのは頭がいかれてる。

やるならば 筋肉が修復されるのをイメージして....、
あっ、いいねこれ!

みずいかな ‏@fasbfrkXYIf5jO3 9月29日

武井壮さんの事を昨日テレビでやっていたけれど、骨折した背骨の直し方が超人的すぎた(笑)
動かないようにして+骨になる成分を口にして+あとは骨が固まる脳内イメージ

想像力って大切だなぁ(´ω`).。o0(もちろん、それだけで治るなら医者いらないけどさw)


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
ダークマターは存在を論理的に肯定するときに必要になる無の概念だから、そもそも存在しないものだと思うの。カバリストならお馴染みの概念で、ケテルにかかってるアイン、アインソフ、アインソフアウルの三重のヴェールと似たようなものです。信じること意外に肯定できないものは無が必要になるの。
それゆえに上位セフィロトになると論理証明が困難になるのでアビスが存在します。
だからそれは祭壇に掛かった黒い布でしかなく「全」を想定するときに必要な仮のものなのです。幕屋の幕という表現もあります。論理的に証明不能なものを捕らえるときに「一時的に」必要なのです。
この問題ってカバラーを習うときに一番最初に習うものなの。

内田樹先生 街場の至言(非公認bot) ‏@tatsuruwords
私につねにもっとも適切な命令を下す「私だけの神の声」を現代人は「ほんとうの自分」というふうに術語化しているわけである。 自己利益の追求とか自己実現とか自己決定とかいうのは、要するに「『ほんとうの私』という名の神」に盲目的に聴従せよと説く新手の宗教なのである。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
シングルベル? 家族と過ごすか、独身で一人しかいないのなら聖母子像のポストカードをテーブルに飾ってローストポークとワインでいいんじゃないかしら? キリスト教がお嫌ならハトホルとホルスの像、それもいやならフレイヤ。豚さんは本来イノシシさんなのでそこはお好きに。

ワインはマルドワインがいいとおもうよー。スパイスと蜂蜜を加えてほっかほか。フレイヤで気づくと思うけど聖母はこのとき、Stella Marisだから明けの明星と宵の明星。なぜこんな分け方するのかというとクリスマス・イブは夕方から翌朝までの一晩をかけるから。金星属性なのです。

それゆえにお菓子はあまーいものを。金星なのですからとろんとろんに甘いのがいいの。
天上の母のあまあまなイメージを思い浮かべながらすごすといいのです。
蜂蜜とシナモン、クローブ、あとはナツメグを使ったとても甘いミルク粥でもいいかも? 胃腸の調子がよくないのでしたらそれで。できたらドライフルーツたっぷりいれたいかな?

うん、オートミールのミルク粥をプディング状にしあげたら、そこにココアパウダーをふるってもいいかも/
クリスマス本来の象徴に、古い宗教もあわせて盛り込むとそんな感じになるかも?
このお話、まとめると天上の母は魂の器だから、イブ(イブニング)はシェキナーの降臨を待ち望む夜(ヴィジル)となる。それだから、子供たちは「よい子にして」眠らなくてはならない。信仰に灯火を齎すために必要なもので、そこでやっと青いボウルの蝋燭に火がつくことになる。つまりイブは祈りの夜。
ジーザス降誕というのはそのひとの心の中に救い主が生まれるという意味だから、そこから続くかれの死と復活を観想してすごすものだとわたしは理解しています。それゆえに、イースター(春)が待ち遠しくなる。

クリスマスはなにをしてすごすものなのかと、魔法使い志望のかたにさへ聴かれることが多いので、わたしが知る限りのことを説明してみたの。
器がなければ神様のワインは注げない。それゆえに器(ツェノール)は必要なのです。キリスト教ならそれは聖母が象徴となってる。ほかの宗教ならそれに類する母なる神様が。
「女教皇」が足元においてる三日月がその器。すなわちネシャマーです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月18日
テーマからそれてしまった場合は無理にそれを消そうとはしないでね。ただ、テーマにそっと戻すようにするの。方向修正すればいいだけなので。

無理にそれてしまったもの(邪念)を消そうとすると、そこまでたどってきた道筋がそのまま消えてしまって最初からやり直すことになります。だから、無理に消そうとはせず、単純に少しずつ方向を戻していきます。

邪念を消そうとするともと来た道まで消えてしまってるというジレンマがあるので。
邪念は連想による分岐が原因なので、分岐した地点を戻ることになります。すぐに気づいたならまだ戻れますから。そこを消そうとすると迷子になってしまうの。
瞑想は車の運転みたいなものである程度は慣れですから。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月18日
祝福とは常に肯定の言葉だからです。否定の言葉には祝福を取り去る効果がある。なのでそれについては肯定をもって祝福します。
これで相手を褒めることは祝福することで、肯定の言葉による魔法だということが理解されるでしょう。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月19日
え? 魔術結社は特定の宗教で縛ったりはしませんよ? 青きフードのついた蝋燭を聖母マリアの外套だとして断定しないのもそういう魔法の学院の持つ魂の保護の役割のひとつです。だからこそ回りくどい表現をするのです。魂の保護って、信仰の自由なのですから。

だから、ボウルに入った灯りはネシャマー(魂)の象徴だよとしか言わないのです。特定の宗教に入信させたいわけではなくて、大切なところだけを自力で見つけてほしいからなの。本人がそれについてどんな形を与えるかは本人のみの問題だからです。

祈りの番をするもの、つまりケルックスというのは他者の介在を許さないもののことです。本人の魂と神様だけの対話なのだから、ほかのいかなる存在も二人の対話には割り込ませないこと。枯れの役割というのはそういうものです。

仏教にも該当する象徴はすぐに見つかると思います。よくしられたこわーいひとが。

(sai11 ‏@sai11_o_n_b_b 12月19日
@Ripple1975 仁王さんですか。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月19日
@sai11_o_n_b_b だとおもいます。GDのケルックスとセンティネルも内側と外側の守り。いわゆるツー・マン・セル行動です。門の内側はSSだと思われます。

それでケルックスが召喚すべきなのはケルビムたちであるのはわかると思うのだけど。SSを守るのですから、彼らが必要なのです。
座天使というのは玉座を守る天使のことですから。
あ、ケルックスとセンティネルは内外の衛兵なので剣を持ちます。
センティネルは外側の守り、ケルックスは内側を守ります。
女の子でしたら、センティネラとケルッカイナといいます。

簡略式儀式だとセンティネルはいなくてケルックスのみですね。その場合、ハイエロファントとヘゲモン、ハイエルースのみは最重要なので残されて、浄化と聖別を受け持つストリステスとダドウコスをどうするかが問題になるの。


日本の魔術関係者の意見としてはILは堕落したと思われがちだけど、本来GDが持っていた要素が二極化しただけだとわたしは思います。オカルト的要素と宗教的要素(宗教ではないけど)が分かれていまあるだけ。オカルト好きの人にとってはつまらないことのように言われてますけどね。


日本の魔術界をみていると、宗教的アレルギー反応が凄いからその部分の要素がすっぽりと抜けてしまっていて、ときとして「あれっ?」となってしまうの。文化的差異なのかもしれないけど、自らの宗教観や信仰を見つめなおすという部分にはなかなかつながっていかないみたい。だからテクニックに走り勝ち

ユングを持ち出すオカルティストも彼が述べてる欲求の要素のひとつである宗教的欲求という部分をすっかりとスルーしてしまうから。

魔術師って日本語にかなり正確に訳すと禅を使う人かな? 思弁能力を高度に発達させるから、それゆえに教祖様にも、賢者にも、愚者にも、ペテン師にも、詐欺師にも、そして何もしない人にもなれるのです。だからこそ必ず何らかの信仰を持っていて、さらに変節を許されない。
普通なら「何もしないひと」を選ぶと思うの、魔術師は。
Zen masterで大体あってる。
そのほうが通じると思うんだけどな・・・。かなり正しく認識するのなら。
MagiとかMagusなどの古い言い回しがあるのだけど、日本語だとそのほうが恐らくしっくりくるから。

日常で忙しいと「人生ってなんだっけ?」と考える時間がなくなるの。そうすると人生の目的を見失い空回りをはじめる。だからわたしは教会に通うし、忙しいときは自分用のテレステリオンを持ってる。俗から聖に切り替えるというのはそういうことなのですから、無宗教であってもいいけどね。

(テレステリオン Telesterion
“古代ギリシアのデメーテルとペルセフォネの聖地エレウシスに建てられていた秘儀のためのホール。前6世紀後半,ペイシストラトス時代に創建されたホールは,内部に5柱5列の柱をもつ方形の前柱式建築。


【エレウシス】より

…初期にはおそらくエレウシスの名門氏族の祭祀であった秘儀が,単なる地方的祭祀ではなく,アテナイの重要な祭儀となったのは,前6世紀になってからであろう。この世紀末に入信式の行われた神殿テレステリオンが大規模に改築されている。ペルシア戦争時に破壊された同神殿は,その後数回再建され,そのつど拡張され,神域そのものの規模も拡大化していった。…”)

魔術儀式、特にGDのそれは自分に合った信仰を自分自身の手でDIYする方法といってもいいから、あなたの好みなら仏教でもキリスト教でも、その他の新しいものでも実現していいのです。ただ、自分が何をしてるのかをよく理解する必要があります。

誰も長くはそこに留まらない。だからいいんじゃないかな? 水が腐らないで済むから。
清らかでい続けることは流水のごとくあることだから、過ぎ去ったものを祝福して新しいものをまた祝福するの。祝福というのは価値を認めることだから過ぎたもの、新しいものに「善かったね」をあげることだと思う。
過ぎたものに対して価値を認められなくてずっと自分のところにとどめていたとしたら、それは腐ってしまう。水が流れるのをやめて匂いが出てくる。滞るというのはそういうことだからとても宜しくないこと。過去を切り捨てるというひとがいるけどそれは終わってない。価値を認めるまでは。
過去についてのお別れの儀式は常に過去に対して「善かったね」を与えることだから、それが過去への祝福になるし自分への祝福にもなる。それでやっとお別れが完了するのです。
そのための呪文なのよ? 「めでたしめでたし」は。
でもこれ、「愛でたし」なのかもしれない。過去を愛でることだから、などと解釈してみる。
しらべて見たけど意味は似てる。それまでのことを祝い、肯定するという意味で。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月20日
料理は少しずつ楽しむのがいいかも? 塩で焼くを覚えたらそこから広げていく。ねぎを加える。またはしょうがを加える、胡椒を加えるなど。これとは逆にしょうゆ焼くというやり方で、ここに薬味とかを少しずつ加えていく。

いきなりレシピにある材料をすべていれてしまうよりは、少しずつ加えていって何故そうするとよいのかを少しずつ理解していくの。そうしないとイメージが頭の中で作れないから。

知識を溜め込みすぎると理解が追いつかない。それはまるで閉じられた本を暗い倉庫の中に積み重ねていくみたいなもの。だから、基本的で大切なものは倉庫の入り口付近においていつも開いておくの。そして何度も読み返す。
入門書はいつも椅子の横においておくの。たとえ10年、20年たったとしてもそれはきっと役に立つからです。
座右の銘とは入門書のことだとわたしは思ってる。
それはその道のバイブルだし、一番基本的なことだからです。
カバラーだって、バイブル読まないと意味わかんないです。バイブルは入門書なので、最初に読むものなの。だから子供にも読めるように工夫されてる。
魔術カバラー(クリスチャン・カバラー)ならば一番最初に読むべき基礎文献が新約聖書で、それに先立ってタナハ(旧約聖書)も読んでおく。特にペンタトークは重要だから、そこからはじめないときっと理解に苦しむと思うの。
具体的にいうと、地に下りた大天使四人が福音書の四人であり、エゼキエル書由来のケルビムの変化した姿であることにすぐに気づく程度にはよんでおくとよいと思います。

(Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月9日
要するに、そういうユダヤのカバリストって創世記から申命書までのペンタトークを殆ど丸暗記してるようなひとたちよ? (^^;


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月20日
魂の問題って神様しか責任は取れないからどんな聖職者でも立ち入ってはいけないと思うの。出来ることは神様に祈るように助言をすることだけですから。これはどんな教師でも当てはまることだと思う。人間と神様は混同できないから。
ヒーリングでもそうなんだと思う。条件を整えてあげるだけでそれ以上のことは出来ないから。もし相手の魂に干渉しようとするのならそれはもう邪道としかいいようがない。

誰かの魂に(本来的意志に)干渉した場合、干渉した人も干渉を受けた人も一緒に黒くなってしまうの。だからそうならないように注意しないといけない。
そのひとの勇気を鼓舞することはできても、捻じ曲げることは出来ない。魔法使いだってそうだと思う。

簡単よ? 自分もほかの人に優しくすればいいの。その人に愛を返さなければいけないわけではなく。そのひともまた、愛の循環をきっと望んでるからです。
わたしが知る限り、尊敬できるひとはみんなそうだった。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
何か集中して学ぶのはキック・スタートのときだけ。一度身についてしまえばその知識を道具としてすべてを観察するから日常の中ですらそれを用いて考える。だから~学なんて難しいことを机上で考えるものというイメージは実のところ正確ではないと思うの。どこにいても何をしてても考えるから。
専門が音楽だとしたら、料理中でもお花の世話をしていても、子供のおしめを換える時だってそれについて考えてるものだと思うの。そうでないとそれを「専門にしている」などとはとてもいえないと思う。
自分の人生の一瞬一瞬をそれに捧げていれば、自然と道は開けてくる。そこまでしたら神様が心の声をお聞き届けしていただけないはずも無い。それが祈る(pray)ということだと思うの。

魔法をやりたいのなら魔法の本を読むのをやめるし、漫画を描きたいのなら漫画を読むのをやめるかな? わたしなら。読者や観客の立場を一度やめないといけないから。
読むのをやめないと書くことはしないし、話すことをやめないと聴くこともしない。何をしたいかはそのひとがしてることを見ればわかるから。
たぶん、批評することをやめたら創造する事を開始すると思うの。
批評することはアーティストにとっては害悪にしかならない。
魔法使いも分類するとしたらアーティストだから、他人のことよりも自分のこと。その創造の事。それだけを見てるのがいいと思う。


「心の故郷」の問題は「もっとも個人的なこと」であるから、ある意味で性の問題とよく似てるのです。だからとても慎重に扱わないといけないと思うの。
それゆえにカルトによる強制勧誘をわたしはレイプの問題と同列に扱っています。
本当にね、そのひとが心から安心できる心の支えを得られるのならどうでもいいと思うの。そのための信仰ですから、それこそ何の宗教でもかまわない。そのひとが本当に魂の平安を得られるのであるなら。
わたしもミッション系スクールでしたけど、そういう雰囲気は感じてましたね。熱心なクリスチャンはいませんでしたし。
だからかな? 他人の聖域に土足で上がるのは気持ち悪いことですし、自分もそうされるのを嫌います。とても単純に、故郷を汚されるのは嫌だからです。お互いにそういう感覚があるのならどんな宗教の方でもお友達にはなれるから。
だからね、突然手かざしされたり癒して差し上げますとかいわれると「魂のレイプ」とわたしはそれを呼んで、他人のオーラの中に勝手に入るのはご法度だよというの。

(間沼 緋紗緒 ‏@scarlet_mnm 6 時間6 時間前
@Ripple1975 その辺をきちんと弁えているかどうかが、きちんとしたオカルティストとスピッちゃった人の境界線だと思っています。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 6時間6時間前
@scarlet_mnm そうですね、バトラー師も散々その著書で書いてることですけど。あと、フォーチュンもその問題を扱っています。

それがたとえ善意からであってもやってはいけないことだと思う。他人の家に勝手にあがるどころか寝室にまであがりこむのと同じだからです。
だからこそ、わたしはさきほど性と同じ問題だよといったの。
オカルトに強い倫理や信仰が求められるのは当然のことで、そうでないと魂の問題は扱えません。

自分の所属する教会(お寺なども含めて)の偉い人であっても、わたしたちの間に入り込むものは誰でも許さないの。信仰対象と自分自身のみの対話が最重要だから、たとえ教師であってもこれには入り込めないしそうさせてはいけない。少なくともこれがわたしがよく知る魔法を習う条件だからです。
だって信仰してるのはかみさま(信仰対象)であって生きてる人間ではないのです。(^^;
これもまたGD系魔術の一部だからあえてお話したけどね。

魂の象徴を意味する何かを祭壇におくだけでもう至聖所になるのです。だから浄化と聖別は念入りに行うし、人払いは完全に済ませておく。そういう場所を個人的に持ってお祈りするのが大事なのですから、その部分を蔑ろにしてしまうと魔法の意味がなくなるの。

神様とは誰かの仲介によらず自分と神様だけで対話するものですから、ほかのひとは見守るだけです。また、その成果もすべてはご本人のものであり、完全にプライベートでないといけないの。それは夫婦や恋人同士だって入り込んではいけないお話ですから。

その部分は自我の基礎部分にかかわるお話なので静かに本人が自分の信仰対象からのお返事を貰うまで待ってるだけなの。
自我の基礎部分って自己愛にかかわる部分だから、その人の一生に影響を及ぼす。それだけ重大な問題だから、どうかSSやテレステリオンを用意するときは注意してくださいね。

わたしがかみさまと呼んでる方をほかのひとがなんと呼んでもかまわない。それは結局、人類の、そして生き物のルーツを意味する何かなのですから、あまり気にしてないのです。
だからただ、そのひとが自分が信じてる信仰の対象を愛していればいいなって思う。
えっとひとつだけいいかな? 女性には全部説明しなくていいんじゃないかな? だって、ある程度イメージを膨らませればあとは勝手に想像できるんだもの。
青いボウルをもってね、星屑を集めてるの。それが落ちてくると胸の辺りに灯火がともる。その星屑のことをシェキナーと呼ぶのです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 7月1日
水の中で低体温で遊ぶと溺死すると思うの。動揺しなくなるというのは意識が外から内側に傾き始めるのだから、心拍数の低下は意識の低下につながる。やってることはトランスと同じなのだからお風呂とはいえ外界に反応しなくなれば溺死が待ってる。実際に知り合いの彼氏がそれで亡くなっています。


消えた猫田ブログ”イドリースィー もうひとつのヘルメス
魔術についてウンチクを語ってみたくなったので、ブログを作ってみました。
どうも、はじめまして。イドリースィーです。書きにくいのでイドリシでいいです。

イ ドリシ、またはイドリースというのは、アラビア語でエノク、またはヘルメスという意味なんですが、何で西洋魔術の話をするのにアラビア語の名前なん?って ツッコミを入れるかも知れませんが、実はルネサンスにヘルメス文書がビサンティン帝国からもたらされる前に、中近東でヘルメスはイドリースという名前で認 知されておりました。

おそらく西洋魔術に詳しい人でも、あんまり知らないネタだと思うけど、実は10世紀頃のトルコ東部のハランでは、なんとズバリ、ヘルメスを祀る人たちがいたんですよ!知ってた?

その人たちは、ギザのピラミッドをヘルメスが作ったと思ってて、巡礼に行ってたわけなのですよ。
ハランは、中世の最先端学術都市でね、後に中国で景教と呼ばれることになる、ネストリウス派のキリスト教徒たちの学術都市でもあったわけだ。

西ローマ帝国崩壊間際の529年にプラトーンの900年続いたアカデミアが閉鎖されて、アテネにもいられなくなった学者たちは、当時サーサーン朝ペルシアの領土だった、シリア領に逃げ込むの。その逃げ込んだ先が、シリア領のひとつが、ハランなわけ。

もちろん、ハランと言えばアブラハムがハランを経由してカナンの地に入った話は、いみじくもカバラーをやる西洋魔術の子は知ってるよね?

西洋魔術をたまにヘルメス学と言ったりするけど、これはヘルメス文書のヘルメス・トリスメギストスに由来してるのはみんな知ってる話だよね?

で もね、ヘルメスってのは別に魔術や錬金術や占星術などの「西洋の」秘教伝統ばかりでなく、中東のイスラーム神秘主義でも大変重要な神様なんだよ?とある スーフィーは、ヴィジョンの中で旧約聖書の預言者以外にも、ヘルメスに出会ったと主張してるし、スーフィーは自分たちの技術の祖はヘルメスに帰せられると も言ってるの。

つまり、西洋・中東の秘教伝統において非常に重要な神なんだよ。ヘルメスは。


私はね、欧米人の魔術師は怒るかも知れないけど、西洋の秘教伝統を見る場合は、どうしても中東と西洋の秘教は繋がってると思うの。

それで、中東と西洋の秘教伝統をまたぐ意味でイドリシなんて名前をつけたわけです。

別にスーフィズムと西洋魔術の技法を混ぜるつもりではないので(そもそも私はスーフィーの修行法を知らない)そこは勘違いしないでね。あくまでも秘教伝統に対する視野を広げるつもりで。

西 洋魔術はラノベで取り上げられる場合もそうだけど、西洋魔術=イギリスが源流とか、どうも視野狭窄に陥ってるように見えるから、もっともっと西洋魔術好き な子には視野を広めてもらいたくて、このブログを作りました。よかったらひそやかなうんちく話にお付き合いお願いします。

”魔法使いの危機管理
いわゆる魔道士さんが持つ知識と技術(アート)は悪用するとバカに刃物になっちゃうので、スパイ天国な我が国の危機管理並にゆるゆるですが、例を紹介しましょう。

スレイヤーズ

スレイヤーズすぺしゃる4 魔道士協会の陰謀 (富士見ファンタジア文庫)
(2012/10/04)
神坂 一、あらいずみ るい 他

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ス レイヤーズという作品では、魔道士協会という団体が魔道士を育成しておりますが、そこで教えて貰えるものは「理論(テオリアとカッコつけて言いましょう か?)」のみで、攻撃魔法というのは教えて貰えません。攻撃魔法知りたければ、自分で理論を元に組み立てやがれ!タコ!というステキすぎる安全対策がなさ れております。理論というのは、ロジックですから、魔法と言えど論理学や哲学に強いとお得ではないか?と、「コンスピラシー・セオリスト(陰謀論者)」な わしは思うわけです。エレアのゼノンのアキレウスと亀の話でも読んで論理的思考の訓練をすると言いかもしれません。

ドラゴンランス

Towers of High Sorcery (Dragonlance)
(2004/11)
Jamie Chambers

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ドラゴンランスでの魔法の管理は徹底しております。スレイヤーズの魔道士協会の比ではありません。
「Tower of High Sorcery<上位魔法の塔>」というフリーメイソン的な組織がドラゴンランスの世界の魔法を一元的に徹底管理しており、中核的なすごい魔法の知識を得 たかったら、「大審問」という通過儀礼を経ないといけないというシステムになっていて、その「大審問」ってやつが過激でして、魔法の才能と技量と意欲をギ リギリまで調べられて、失敗すると「死」という古代のドルイドのイニシエーションも真っ青なえげつないシステムになっております。

ちなみ に、今では芸能人の公開いじめにしかなってないバンジージャンプも、本来はバヌアツの部族の死のイニシエーションなんですよね。文化人類学などでいわゆる 未開の社会を調査するのですが、未開の社会で保持されている成人の儀式は皆「死」を体感する事で新しく生まれ変わるというものです。これは、単に象徴的な 儀礼から、バンジージャンプみたいな実際に死ぬような事をやらせる例もあるわけなんですね。魔法使いとして一人前になる「大審問」はそういった古来からの イニシエーションの作法を踏襲している。

ちなみに、GDの5=6の儀式も「死と再生」の儀式なんですよー。アデプタス・マイナーになってはじめて一人前の魔術師ですから。ま、傍観者の俺には関係ない事だけどね。

んで、その「大審問」なんですが、死のリスクの果てに通過すれば「Order of High Sorcery」という組織に加入できて、そこで始めて新しく中核的な魔法の知識と技術を教えてもらえるというシステム。

うーん、フリーメイソンそのまんまなシステムやねー。まあ作者のひとりがバリバリのモルモン教信者なんでメーソンクオリティと言ったとこかw


こ のドラゴンランスの本篇なんですが、この本はどうやら実践魔術をやらないとわからないような思想や表現が盛りだくさんだったりするので、魔術的な哲学・魔 道師の美学という意味でもドラゴンランスシリーズの「ドラゴンランス伝説」をおすすめします。ストーリーがわかんないので「戦記」から読む必要あります が。

ドラゴンランス伝説〈1〉パラダインの聖女
(2004/03)
マーガレット ワイス、トレイシー ヒックマン 他

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つ いでに書けば、「ドラゴンランス」シリーズの外伝である英雄伝では、その「大審問」のシーンが描かれるのですけれども、そこで描かれる事が、古代密儀宗教 の儀礼そのまんまでワロタという話。「大審問」が冥界下りですよ?デメテルとコレーの話とか、イシスの密儀の話とまったく同じではないか?と。やっぱ書い てるやつが結社員ってわけか。

ドラゴンランス セカンドジェネレーション(上巻)
(2003/04/25)
マーガレット ワイス、トレイシー ヒックマン 他

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特にルキウス・アプレイウスの「黄金のろば」に出てくるイシスの密儀に似てるなーと。

黄金の驢馬 (岩波文庫)
(2013/07/18)
アープレーイユス

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まあ、こんな感じで魔法使いの危機管理のネタを書くつもりだったんですけど、またまたいつの間にか脱線です!

「魔 法入門カバラ」のブログの魔龍さんは、日本の漫画やアニメなどの創作の世界では魔法結社員が暗躍してるという話をされてますけど、海外も例に漏れずそう だったという。その中で特にドラゴンランスは、くっきりと魔法結社員か秘教結社員かどっちか知らないけど、そういった組織のメンバーが小説を書いてると ハッキリわかる本ですな。

危機管理の話どうなったー?

でもちゃんと、秘密は守られてるそうです。でも、結社員は秘密守るのつらいもんで、どうやら漫画・アニメ・ゲームなどであちゃらかの思想を「象徴」を使って絶叫しておるみたいなのでラングトン教授みたいに象徴学を勉強すると良いです。

ラングトン教授と言えば、ダン・ブラウンの最新作「インフェルノ」いまいちでしたなw

象徴学を勉強するなら、マンリー・P・ホール本がおすすめです!

人間―密儀の神殿 (1982年)
(1982/11)
大沼 忠弘、マンリー・P.ホール 他

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画像がないのが残念な限り。ちなみに、ダン・ブラウンの象徴学の種本がマンリー・P・ホールなんですよねー

ラングトン教授はマンリー・P・ホールが作った。

(…)

ぐだトマト ‏@pteras14 8月10日
聖杯がイエスの血じゃないと
ダメなのかどうかが要だ。
飯屋の血でOKなら、理論上
ダビデに定期的に献血して貰えば
聖杯を量産出来るはず。

フレポ召喚でダビデが呼ばれる度に
マナプリじゃなく、ダヴィンチちゃんに
血を丸ごと抜き取って貰えばOK。

#FGO
#FateGO

閉店です ‏@lakudagoya 8月10日
@pteras14 とまーてさんこんばんわ。これって聖杯の血ばかりでなくて、やつらが大好きな生贄の血にも応用できませんか?吸血にしても生贄にしても病院の血液検査のように注射器で血を抜いて献血してもらえば済むのをなぜにわざわざ生贄にこだわってんだろ?とかいう疑問もありまする。

ぐだトマト ‏@pteras14 8月10日
@lakudagoya
アイクは人間が恐怖を感じた時に
アドレナリンが血液に混ざるから
と言ってましたが、

中国道教だと神霊に何か「犠牲を
捧げる」事によって「願いとトレード」
するためだと書かれてました。

ベルセルクの「心の亀裂」理論が
正しいかと思います。

ぐだトマト ‏@pteras14 5月22日
中国道教だとお札用の赤インクは
元々は人間の血。
これが人間の血→鶏の鶏冠の血→辰砂
(水銀の材料ね)に代わった。

アフリカのフードゥーだと蝙蝠の
血とか使ってたらしいけど、最近は
ハーブのMIXで赤色を出してる。

道教だと元々、神だか精霊だかと 取引するのに血液が要るらしいんだが 一々人間をその都度殺してたんじゃ 効率悪いということで別の材料が 開発されていった。 どうしても天然辰砂とか、鶏の血が 見つからない時は普通の赤インクに 自分の血を一滴だけ垂らせばOK。

ぐだトマト ‏@pteras14 10月29日
なんだ?
ねここねこさんが昔ブロッコリーした
奴のRT飛ばしてくるから何かと思ったら
ねこたさん道教にハマってるのか。

99〜なんたらは昔の中国の「承認」
みたいな判子みたいな文言だよ〜ん。
石屋のso, mote it be!みたいなもん。
まぁ、石屋がパクったんだろうけどw

道教も初期の頃はお札をお湯に溶かして 飲むと病気が治るみたいな単純な教え だった事は注意ね。 現代の道教みたいにやたらと複雑に なったのは密教に対抗し始めたのと 南蛮征討の時に南蛮人の呪術に コテンパンにされてから。

南蛮人ってのは今で言うタイとか マレーシアの辺りね。ポルトガル人 の事じゃないよ?w
ちなみに神道のお札が道教由来なら 造り方が間違ってるから効果ないよ。 まぁ、そもそも道教含めお札文化を 信じてない人にとってはどっちでも 効果ないんだろうけどもw


ところがどっこい! 中国文化の素晴らしい所は中国の 怪しい通販を利用すれば、判子も 歴代師匠のサイン集みたいなのが 普通に売ってたりするw 台湾の本とか秘伝を隠す文化が あるから、あまり秘伝を隠さない (共産主義の副作用か?)本土の 本と合わせて解読するのをオススメする。
この紙が黄色なのも意味があるから、 日本の神道みたいに黄色い紙使わない のはNG。

まぁ、日本人で道教寺院に入門するの ムズイから(一応、武当山とか龍虎山とか に学校あるけど、昔は中国当局に頼むと 紹介してくれたらしい) 自分で流派作る方が早いよ。

基本、沢山の人が信じてる+歴史が長い 神霊の方が強力なんだけどね。
だから初音ミクの中が空洞になってる 人形が欲しかったw 高すぎて買えなかったww

判子も「初音ミク」って彫って作れば 良いし、自分が開祖なら初代師匠なので 自分のサインだけで事足りるw 歴史が短いから威力は期待できないけどw

判子用の赤いインクがネックかもね。 本当は天然辰砂じゃないといけないん だけど、若しくは白い雄鶏の鶏冠の 血。 究極的には自分の血でもおkなんだけどw

後、ミクさんの人形の中に生きた スズメバチを3匹詰め込むのが 最難関かもw スズメバチを使わない方法もあるけど 教えてあげないw

ちなみに神道のお札が道教由来なら 造り方が間違ってるから効果ないよ。 まぁ、そもそも道教含めお札文化を 信じてない人にとってはどっちでも 効果ないんだろうけどもw

ぐだトマト ‏@pteras14 10月7日
まぁ、日本は中臣の藤原野郎が作った
「氏の長者システム」が一番完成度
とセキュリティ度が高いと思うよ。

あの血縁者で固めた組織で社会を
乗っ取るという方式ねw

欧米では「赤盾方式」って呼ばれてる
やつね。
昨今になって国家ぐるみで「家族」 を破壊しようとしてるのは、 例えば「女性の社会進出」とかね。 全てこの「氏の長者システム」を 一般人に作らせないための政策なんだ。 奴等はこの仕組みが現代社会で最も 強固なセキュリティを所持してるのを 知ってるからね。

ぐだトマト ‏@pteras14 10月8日
なんかねここねこさんが進撃の巨人に ハマってる?のかな? 最初の方は面白かったんだけど巨人同士 の戦いになって詰まらなくなってから 読んでないんだけど、まぁ、気付いた 所を一つ挙げると、巨人の本体って 「首の後ろ」の所だろ? コレってエヴァのパイロットが 入ってるとこと一緒。

で、何で首の後ろかと言うと、
中国道教の人体図というかツボの
位置が分からないとあれなんだけど、
「何らかの霊が取り憑く時、霊は
首の後ろのツボから侵入する」
と言われてる。

ツボの名前は忘れたけどw




なんかねここねこさんが進撃の巨人に ハマってる?のかな? 最初の方は面白かったんだけど巨人同士 の戦いになって詰まらなくなってから 読んでないんだけど、まぁ、気付いた 所を一つ挙げると、巨人の本体って 「首の後ろ」の所だろ? コレってエヴァのパイロットが 入ってるとこと一緒。

個人的には医学に関しては中国の
方がインドのアーユルヴェーダより
古いんじゃないかな?っと思ってる。

よく探せばアーユルヴェーダにも
同じ説明があるのかもしれないけど、
ぐだトマトさんが調べた範囲では
この説は中国道教でしか見掛けた
事がない。

まぁ、後は「城壁」を築く文化と
築かない文化の違いかな?

あのエレン達が住んでる島のモデル
が江戸時代の鎖国政策と取れなくも
ないけど、日本はどちらかと言うと
城壁を築かないタイプの文化なのよね。
戦国時代に寺を城壁代わりにしたり、
掘りを掘ったりはしたけどw

もっとも、平城京の頃までは中国の
長安をモデルにしてたらしいから、
その頃は城壁を作ってたらしいん
だけど、日本の地形に向かないのか
途中から辞めちゃうのよね。

あの「壁」を作る文化って大陸の
方の特徴なのよね。
「壁で都市を囲む」って意味ね。
壁自体は何処にでもある。


峨骨 ‏@Chimaera925
神が世界を作ったなどと言う連中は何故、救世主を崇めるのだろう。この地上に苦しみが溢れているのは神がそのように作ったのだとしたら、そんなものの遣いや子なんぞやって来たら、普通に考えて崇めるどころか抹殺するだろうに。苦しみを与えておいて救済者を遣わして崇めろと言うのだから。

より良く生きる為に願うのならば、そもそも願う必要などない。より良く生きる為の行いを実践するだけだ。そこに神や宗教など必要無いし、願う必要もない。必要なのは自身の意思と実践だけだ。鏡に映った自身の顔が汚れていたら、顔を洗いはしまいか。誰かに綺麗にして貰おう等といちいち願いはしない。

スピリチュアルや自己啓発、ビジネス系自己啓発が流行る中、それを通して頭の中がクリスチャンに書き換えられている。「強く願い潜在意識に働きかければ実現になる」これはニューソート。魔術と比較すると、「ああ、コレは失敗するわ」ってな方法が書いてある。成功しないから依存して固定客になる。

俺は仏教は哲学思想としては支持するけど、信仰の対象にはしていない。だからと言って理解を他人に求めようとは思わないが。信じる事や念仏で救われるって、現世利益か来世利益かが違うだけで、思考が現実化するとか言うニューソートとまるっきり一緒。あれは不完全。


一時期流行ったスピリチュアルや自己啓発(ニューソート、クリスチャンサイエンス、スピリチュアル)は看板が違うだけのキリスト教思想で、ありがちな自己啓発は現世利益をぶら下げ、欲望を肯定し、プラス思考を強制し強迫観念を植え付けることで卑屈で貪欲なサイコパスや人格破綻者を量産した。

精神世界に偏重すると単なる頭でっかちになる。口先が上手いだけの頭でっかちに騙されて、そいつらを肥え太らせる為のカモになってしまう。死後の世界や世界の滅亡等の目に見えず証明できないもので脅迫されて、連中の都合のいい教義、目に見えないもの、証明できないものを信じる羽目になる。

スピや宗教の言う心の問題ってのは、ソシャゲのガチャと一緒だ。ゲーム内のガチャでどれだけ強いカードやアイテムを手に入れたって現実では強くならないし、豊かにもならない。豊かになるのはゲームに参加させて課金させる側。心の問題、いい逃げ口上だ。
いくらでも複製できて、コストもかからない。そのゲームに参加していない者には何の意味も無い。ゲーム参加者が多数を占めるならば、それが現実であるかのように振る舞うが、単なる妄想だ。
賽銭を投げて祈願ってのはNHKみたいだ。電波を一方的に送りつけておいて、「受け取ったから対価を払え」というソレに似ている。俺が神なら、大挙して欲にまみれた願いをぶつけてくる連中の願いなんて気持ち悪くて聞きたくないし、受けとりたくもないな。
愛や恋の気持ち悪さもコレだな。テメェの都合で感情をぶつけてきて、願いを叶えろと。あれにはうんざりする。関係性を構築して作り上げるのでもなく、脚本を用意してこの通りに演じろという。
あのような人々は他者を見ていない。自身の願望を現実の延長線であるかのように見ている。それが人形遊びならば、何の害も無いのだから好きにすれば良いが、連中のやろうとする人形遊びは人間から自由意思を奪い、己を楽しませ、ちっぽけな自尊心を満たす為に行われるものだから関わりたくは無い。
愛しているから○○しろ、愛しているから○○する。まるで呪いだ。人間関係の構築に呪いなんぞ必要無い。まして、既存のモデルや脚本を模倣してそれらを演じる必要も無い。愛や正義、善意、耳障りの良いこれらの言葉は人々を操り苦しみを与える為によく使われる。互いに呪い合って何になる?
相手の人格や自由意思を尊重し、時間をかけて信頼関係を構築する。信じていたのに裏切られたなんてのは、他者が自身の思い通りになると思って相手ではなく頭の中に作り上げた他者の偶像を見ていただけのこと。人は常に変化し続ける。既存の脚本を持ち込んで、おままごとを強要しても続かんさ。
偶像化されて崇拝されるってのも、なかなかしんどいものだよ。望んでもいないのに、「あなたの為に」「あなたを思って」なとと好き勝手されて、「やめてくれ」と言っても聞いてはくれないのだから。崇拝者の頭の中の偶像と実体が解離して妄想では埋められなくなると、実体が偽物扱いされるんだ。

支配と被支配、所有と被所有、一方的にあるいは双方が行い互いに呪い合い、それを愛だと彼らは言い、互いに執着し合っている。相手の人格や自由意思を尊重し、何も望まず、期待せず、相手を支配・所有もせず、それでも続くようなものではないから、取引や契約みたいな上下関係になる。対等ではない。
そのようなおかしな関係が善とされる社会では隠者のようにひっそり生きた方が楽だ。

人間の創造する超越存在なんて、ネット小説の最低モノの最強主人公と大して変わらんよ。最強で全知全能でモテモテでハーレムってな、ハーレムなんて面倒臭くて胃が痛くなるような代物だけど、作者が自己投影して考えつく限界なのだろう。本当に全知全能なら、問題も起きず物語も始まらない。
あの手の作品は作者のコンプレックスがよく解るから、人間観察の一環としては面白いな。わざわざ登場人物を愚鈍にして主人公を称賛させて自画自賛なんて、まるで神のようではないか。超越存在が人形遊びして人形に自身を崇めさせるかのようだ。あれは実に面白い。

仏教では愛=執着=悪。
愛憎を超えた慈悲=善。

愛はキリスト教では創造神が与える善。
明治維新でキリスト教の植民地になって以降、
愛=善というキリスト教思想に染まったのが今の日本人
国家神道=天皇一神教や大本教という和風キリスト教






Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 10月19日
人は言葉が通じる生き物を特別視する傾向があって、それ以外を差別する傾向を持ってる。それは人種であったりほかの動物であったりするけれど、本当は生き物はみんなそんなに変わらない。このことを忘れると自らの獣性を忘れてしまう。言い換えると理性をなくす。動物をみると理性を取り戻すの。

ダイアン・フォーチュンの小説の中に「牧神の娘」というのがあるけど、これはパン神に触れることによって野生を観察することで自己同一性を取り戻すというもの。ひとによっては野生から帰ってこないことがあるけれど、たいていの人は理性を取り戻す。ある意味でショック療法だから。

言葉によって思考するのがほかの動物と人間の大きな違いだと思う。けれど、それに埋没すると自分が動物であることをしばしば忘れてしまう。だから感覚によってときたまそれを思い出すようにすることで理性は回復する。理性の根拠って自尊心だからその回復でもあると思う。

小説の名前は『The Secrets of Dr. Taverner』です。有名な本だけど。
彼女の本、魔法を主題とする場合は彼女の魔術書よりも小説のほうがはるかに重要だと思う。
象徴や儀式の解説書などは基本的なやり方や解釈の仕方は教えるけれど、実際的な魔法の扱い方については何も教えてくれないの。教えようにも型どおりのことを理解しても何の役にも立たないからです。だから本だけでなんとかする場合は深い実践を要求する


正直にいうと、魔法以外のすべての本が魔法にはとても大事なのです。

Ange in Wonder Blog : 道具の違いと理屈の違い
http://angeliqua.doorblog.jp/archives/51912379.html

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 10月20日
邪念? 目的外意識のこと。あと、思い込みのこと。道具を使ってて怪我をするとき、思い返すとみんな意志に反してることが理解されます。意志は目的を決めてこれにしたがって行動する。素材の加工がその意志の流れなのに道具、そして力そのものに意識がそれたとき、必ず怪我をするからです。

本来の目的を忘れちゃうというのは目的外の意識にとらわれることなので邪念と呼ぶの。包丁が切れても切れなくても、いつもと違う感覚によって力(この場合は切る道具)に意識が向かうとき、意思に反したことになります。

実際、わたしは調理中に包丁のこと、ましてやその良し悪しなんてまったく気にしていないし意識に入ってない。だから怪我をする可能性があるのは刃物をしまうときと研いでいるときです。この双方ともに力そのものに意識が向いています。だから力は使い終わるとさっさとしまいます。

自分の目的に向かってどのくらいその心、意識をささげられるかがいつも問題になってる。目的意識を魔術と絡めて繰り返すのはそういうことなの。

アルターエゴの表出とか、忘我の境地とかなんだか偉そうで難しい言葉を使う人がよくいるのだけど、要するにどれだけ自分の目的に意識のすべてを捧げるかの問題なのです。難しいけれど、目的外の意識をとにかく修正するのが大切だから。

そういう修練は危険であるほどいいという考え方もあるけれど、それを要約すると危険があるほうが失敗したときに怪我をするから緊張感が保てるというその一点に尽きます。実際のところ、そんなのは言い訳に過ぎない。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 10月20日
月の明るさは反射によるもので太陽とは異なってる。月の温もりは以前、太陽と比較したように引いていくことで感じる想像による温かさなの。これを説明するのは、愛しい人に触れられていた温もりがなくなり寂しさを感じるときの思い出す温かさのこと。自分が投射するぬくもりのこと。冷たい温かさ。

それゆえに月は故郷を思い出す幻想であり、自らが投射するもの。そういうものが月ですね。
だからこそ月は揺らぐ。水面に映ってるそれだから。水面とは自分の心のこと。

月の温もりは夜中に暴れだすの。思い出すことでそれは強くなるから。それゆえの月であり、満ちては欠ける。それは感情がイメージを投射し続ける活動。

ナルシスというのがいるけど、そのひとが見てる水面の自分自身は月の局面です。それだからかれの行動はその特徴を持ってるの。
月に浸ってると風邪を引くから水からあがりましょう。身体を暖めてご飯を食べます。あとはぐっすりよく寝るの。幻想をみてるうちは自分の本心には気付かない。そういうものです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
わたしがみているケルト系の女性のイメージはどちらかというと賢女というものですし、実際にお話を紐解くとモーガン・ル・フェイは魔女というよりもそういうイメージなのです。湖の貴婦人というのはそういうのだから。湖の精霊は霊感を得た女性ということになります。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
いろんな技術は極めればひとつの芸(アート)になるけれど、だからといってそれを常時使うという考え方はなんか変なの。野菜のスライスをするのにスライサー使えばよいからそこであえてナイフを使うのは趣味的です。そうやって合理からかけ離れていくと何かがおかしくなっていくの。

目的を忘れるとそこで大きなロスになる。どんなことでもこれはいえることだけど、この逸脱が大きく最初の意志を曲げてしまうことになる。趣味もいいけれど逸脱はほどほどにしたいと思う。

目的からの逸脱は趣味への道でもあるけれど、泥沼にはまる前に引き返すタイミングはいつも「その選択が不自由を生んでいるか?」と問うこと。それが不自由さを生んでいるのなら引き返すことにしてる。それこそこの世界を生きづらくするから。

無駄な動きをすると自然から離れていく。それは自分の意志から離れるということでもあるし、ナイフを鞘にしまうときに横にずれちゃうことを意味してるのです。だから当然怪我をするでしょう。
ものごとにはある程度のクリアランス、つまり余裕が必要だけれど軌道から外れると元には戻らなくなる。ロケットのドッキングみたいなもので、一定の軌道からはずれてしまうと再接近不可能になってしまうから(燃料が切れます)。

心霊現象だとか心の病だとかそれがどんなものであったとしても、結局のところ予防に徹するのがまず先にあるから。対処法の前に予防がある。それは風邪と一緒だと思うの。

オカルトはかかわりを持たないのならそれに越したことはないの。運悪くそうなってしまったら対処していくしかないけれど、必要がないのならそのほうがいいからです。

そういうことしなくても立派に自分の道を開いている人はいっぱいいるのですから。

魔法は万人のものだけど、万人がそんなことしなくてもいいの。必要なものを必要な人がするだけでいいから。道への到達の手段はもっと無数にある。それしかないと思ったときはこれを思い出すといい。
合目的であることは明日への道だと思う。もし明日がどっちへ向かってるかわからなくても心配はいらないの。そんなときはお腹をいっぱいにして明日が幸せならいいなと思って眠るだけだから。
たぶん、そのまんまの答え。実行に躊躇してるのならその躊躇の原因を探ると良いでしょうね。

オカルト的な話は普通の生活には必要ないし、直接的には何の関係もないの。ただ、薄く少しずついろんなことに関係してるだけなので本当に1割以下の要素でいいように思ってる。

占いは自分の心の正直さを引き出す工夫だと思う。普段どれほど無意識的に自らを偽ってるのか普通は気付かないもの。それでこんがらがってしまったものをほぐすのにわたしは占いを使うの。タロットや星占いだけではなくて、瞑想もまた同じだから。

理不尽はいつでも世界ではなくて自分だものね。つじつまの合わないことしてるからややこしくなってる。

たくさんの方法があるということは決定打がないということ。だからそれは自分にあった方法を探すしかないと思う。どれも慣れれば習熟できるけれど、そこに至る前に扱いやすい方法を見つけるのが良いと思う。

だから流派を転々とするのって普通のことだと思うの。自分にあうものをみつけたらそれに食らいつくし、ある程度やったら足りないところを捕捉するためにまた旅に出ます。

それぞれが自分のやり方を追求すればよいと思うんだけどな。何かの体系はそのための足場なのですから。

共時性? 自分自身との同期のこと。現実と想像してることが合わさること。リアルの体験。
普段自分の心としっかり向き合えなくてかっちりと嵌ってないのでその同期が起こると異様な感じを受けるの。そのためにこれが特別なことだと思って想像をたくましくしてしまうの。
いまが楽しいのなら夢はみないんじゃないかな? 「黄金の斧(夢)と鉄の斧(現実)、落としたのはどちらですか?」と問われて現実のほうが楽しいのなら、きっと鉄の斧を選ぶから。

糸車と女神さま
http://angeliqua.doorblog.jp/archives/51912540.html

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
いろんな大事なこと教わった。アプロディーテーとエロースが別の神様であるということ。彼女はかれを従えてるけど別の人格として表現されてる。それが一緒になると阿修羅男爵みたいで醜悪になるの。そして彼女の巫女の本来の名前を見失ってた。また、家庭の女神は正確には居ないということ。

母を、妻を表現する神様はヘーラー。家を守る神様、竈の女神はヘスティアーだけど家庭そのものを表現する神様は居ない。それというのも、家庭にはそれぞれの形があり、決まったものがないから。ヘスティアーが守ってるのは一緒に暮らすということ、生活それ自体の核心部分。それこそご飯のため。

ヘスティアーが守ってるのは家庭ではなくて実はご飯を一緒に食べる人たちのことで、家庭の形には捉われない。竈ってそういうものだからです。だから、より正確には「同じ釜の飯を食べる仲間」のことだと思う。それは一緒に生きていく人たちの集まりのことで家族関係を必ずしも意味していない。

いろいろと面倒くさいよね、人間って。社会倫理は人間として暮らすためで、だからといって動物さんの部分もきちんと存在してる。その部分を切り離してしまうと人は病気になるの。けれど、人としての暮らしもあるからそれも蔑ろにはできない。

これはそれぞれの神様の祝福をちゃんと受けるためにはどうしたらいいのかという問題だから。
ひとは物事を美麗な言葉で飾り立てすぎた。祝福される必要があるのはすべての神様だから。
その結婚が祝福されるのはアプロディーテーとエロースが一対で同時に祝福を下さるからで別々に行動したりはしなかったという理由が大きい。もしもこの神様たちから別々のところで祝福を授けたとしたら、少なくとも社会的には問題になるから。
クビドは二人を結び付けるけれど、それは必ずしもアプロディーテー/ヴィナースとは別物。

このふたりの神様は別々にやってくると困るのです。
クピドが子供の姿で表されるのは当然のことで、だって「生まれる」から。
神話は当時の社会問題をどう扱うべきかということがテーマになってるからいろいろと勉強になるの。けれど、結局のところ現在とそれは大差ない。人間はそういう意味で殆ど変わらないから。

わたしにとってすべての分類は氷でできてる。どんな象徴でも、科学的な分類でもそうだけど物事を比較して行動を決定するまでの足場でしかない。一度行動を起こせばもはやそれを使わない。その足場は溶けて地面にしみこみ、そして空気に融けて行く。それは自転車の補助輪であり動き出すと足かせになる。

自転車の補助輪はきちんと運転できるようになると気持ちよく運転するための邪魔になるし、自由を楽しめない。わたしにとっての分類はそういうものだから、一度滑り出してしまうとすべての象徴、分類は排除してしまうのです。そうしないと分類は自分の呼吸すら妨げるから。

なにかの分類が大事なのではなくて、行動によって起こる結果のほうがいつも大事だから。それらが行動を阻害するのならさっさと脱ぎ捨てるの。

足元にはいつも注意を払うけど、はるか下においてきた足場なんてみていたら上から落っこちてしまうの。心はいつも目指すべきところ、つまり頂上をみていなくてはならないから、麓のほうなんてみないのです。

だから占いをして行動を決めたらそれをさっさと忘れるの。占いの内容自体を忘れて、決めたことだけを覚えておく。何をするかだけに注意を払いたいから。

手すりに触りながら歩くのなんて危険な場所をわたる時だけなの。だから橋の真ん中を普通は歩く。はしをわたるべからず。

峨骨 ‏@Chimaera925
心身を整える養生法や若さを保つ方法として使えるので活用してやってください。そこから小周天や大周天等に応用することも可能なので、慣れてきたらイメージも動かすとより効率が上がるかなと。

呼吸法の応用で面白いのは色との組み合わせ。色は777の書、万物照応表を参照しなくても、色イメージや心理関連の情報を漁って応用できる。嫌な自分の要素のイメージした色(濁らせてイメージする)を吐き出し、なりたい自分の色イメージを想像して吸い込む。基本が解らなければ毒にも薬にもならんよ

怒りっぽいから冷静になりたいなと思えば、深く息を吐くときに口から濁った赤黒い煙が出ていくのをイメージ
して、吸うときに綺麗な青い色が口から入るようイメージする。応用すると、空間をイメージで塗り潰して周囲の人間の印象を変えたりすることも。雰囲気ってやつだね。

鏡を見ながらその色に自分が包まれたイメージを重ねる事で自己暗示が強くなるので、割かし使える。ライブやってた時は色イメージも纏って外出していたな。オーラだのカリスマだのってのは、そこまで難しい事じゃない。あとは視線や指先の置き方、動作の早さや緩急……才能や素質など不要だ。

人間が「あの人はオーラがある」とか「カリスマがある」と言うのは、大抵は姿や声、後光効果。一般人との違いは言語化されない細部。暗示と模倣でそれを後付けするのは不可能ではない。立場や役職が人を作るように、自身の心理操作でそれを行う。大した違いはない。存在感がある者も元は一般人。

他者にその色イメージを伝達するのは、色イメージに従った自身の立ち居振舞いだったり言動だったり。他には類感魔術の応用でいける。類似したもの同士は互いに影響しあうってヤツな。相互に影響されるから要注意だ、深淵を覗き込む者はなんとやら。基礎を体得していなければ毒にも薬にもならないけどな


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
混合してる色をうまく分割して整頓すること。それがマルクトの象徴である四色。そうしないと混ざり合ってなにがなんだかわかんないから。

魔術の趣旨というのは「意識の中に変化をもたらす技術」というように最終的には体験によって意識変革を行うものです。その結果として行動が変化して物事が現実となる。だから知識や道具それ自体は枝葉末節といえるでしょう。だから魔術道具に拘りすぎるのも駄目なのです。

うん、わたしはクリスチャンだからキリスト教用語を使うけど別に本当は何でもいいの。それらの宗教用語は人の心の仕組みを説明するための方便としてわたしは捉えてるので問題はないのです。仏教にもっと詳しければそちらの用語を使うのも吝かではない。目的が大事なのでそういうのは枝葉末節なの。

本当は象徴操作や呪文、動作なんて凡て枝葉末節に過ぎないの。どんな方法だろうとやってることは同じこと。人の心は基本的なところは同じなのだから同じ法則が成り立つ。文化的差異があろうとも人であることは代わりがないのだから、数万年以上換わらないところだけを見るの。

魔法の道具だてというのは正直なところ祭壇となるテーブルと一つの灯りがあるのなら何でもいいのです。それ以外は枝葉末節だともいえる。他に必要なものといわれても実は困る。真理の光を奉納する以外に何がいるのと逆にお尋ねしたい。四大武器やその他についても同じ。最後はたったこれだけになる。


いいえ、別に専門的な学問だけが勉強ではないし、むしろそれは枝葉末節に過ぎないの。あなたが持ってる大事なの与えれば済むこと。知識与えておしまいではないのよ。 QT @kulfi: @Ripple1975 学士程度の思考能力持ってないのでむりですなー

普通のオカルト好きの人にとってはきっと「そんなことよりも知られていない天使のの名前とか階級、召喚の具体的な描写とか知りたいんだけど!」なんてきっと思ってることでしょうねw でもそういうのって枝葉末節なので普通の本を読んだほうが同人誌やゲームなどのネタになると思います。

星占いの根本思想は「身の回りの現象とそこに内在する真理は世界共通、宇宙共通なんじゃないの?」というのがある。この素朴な小宇宙=大宇宙相互影響説が東西に関係無い根本思想だから、座標区分や神話の利用は枝葉末節と捉えることが出来る。というより、占いにそれ以上の大切なことなんてないし。

わたしの思考の特徴は一見すると論理の塊かも知れないけど、実は加算減算と明晰な直感にだけ裏打ちされてる。あまり複雑なのは苦手なので複雑な枝葉末節をそのまま貫通して本質のみ見つけます。難しいのは哲学とか数学を専門にしてる人に任せるか、それともパソコンに頼るというwww
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恐らくそういう照応で正しいと思います。枝葉末節で違いはあると思うけど本質の部分で正しい。 QT @0134H: @Ripple1975 @rideigan 面白そうな話題なので横から失礼します。泰山府君=須佐之男命=地蔵菩薩=閻魔大王=ヘルメス=トート=少名彦那神=薬師如来=小童

んに。ある程度放射線について心配するのは当然だけど、放射線科学の常識を無視して枝葉末節に拘るのは分別がないですよね。 QT @akio_r_m: @Ripple1975 そうなんです。それが分かっていないのが問題なんです。あの震災以降、神経質になる人が多いのですが、震災前も後も存

結局のところ、魔術とそれに相当する名称をもつものはすべて、「意識の技術」である。人間の精神構造とその応用を熟知し、当たり前の法則に則って行う意識的行動である。実際、儀式の枝葉末節はたいしたことではない。それらは心理学的補助に他ならない。しかし、扱うのは精神の根幹。危険は当然である

魔術というと、とても神変不可思議な奇術のように思われることが大半。けれど、力の解放と接地という単純明快な技術であることを知れば、言葉にすること、それを為すことに集約される。すると、それはごく日常的なことなのだと判る。つまり、儀式はその枝葉末節に過ぎない。(誤字のため再送)

科学はわたしたちが呼ぶイデアやヌースを狭義で用い、わたしたちはそれを心にも適用する。この点が違うけど、単なる視点の違いなので用語の問題ともいえます。方や白衣、方やローブです。机が祭壇になり、実験器具が四大武器になる。あとはイメージ操作の違いだけ。


うーん、祭壇とは何かって?目の前に展開した大地の表現、箱庭。意識の台座。定義した心の形。分離・分割したもの。供物を捧げる場所、祝うための場所。心との対話の場所。意識の机。すなわち、Altar。心の視座。

困ったときは辞書頼み。多くの主張はビジネスや立場による影響があるからバイアスが少ない解釈を参照するためのもの。勿論、複数あったほうが好ましいの。

バイアスのない意見や主張は難しい。だからどんなにクリーンな意見でもバイアスが入ってることを意識してる。それは大抵は個人的な限られた経験による見落としからなる。それゆえに複数の信頼できるソースを参照する。それすらもバイアスはあるけれどないよりはまし
だから。

だからマルクトはいつもまだら模様。いろんな意見があって混じってしまってるの。それぞれがたとえクリーンだとしても個人的主観によって分割されてる。それがいろいろと混じってしまうとグレーになる。そういう場所だから。

儀式的に何かするのって心理的になにかするわけだから、その前に物理的に対処する癖は必要だと思う。普通の医療行為しないでヒーリングを行うというのとまったく同じことだから。

ヘルメース的には上のごとく下も然りなので心理的状況を物理的に実現しないと意味がないの。

まあ、あれ。霊能者的に言うと「さまよえる霊を適切な場所に導く」というもの。その経路が感情だったり物理的なものだった利するので、適切なとこに落とすというわけ。

霊と言うものの正体がたとえ不明で何なのかわかんなくても、感情を経路にするというのはわかりやすい話。交霊術もそういう発想だから。

原因になってるものが本当は何かわかんなくてもその経路について工夫すると何かがきちんと起こる。電気などもそうなのだけど、科学だっていまだにそうなのです。

第三者的に証明できないものは個人的なものだから、正直に言うと「わかんないもの」としかいえない。個人的な信仰は別として。だからといって何もできないわけではないと思う。

儀式の本番ってお片づけのほうなの、正直にいうと。つまり、物理的に何かして動かないと何も起こんないから。
そうでないと気分が良かったね、おしまい。となるのです。原因は何も解決してないので一時しのぎにしかならない。
オカルトで重要なのは何を見たかやどのように解釈したかというのは二の次だと思うの。むしろ、見たものをそのままの存在であると思わず、またその確証がないということをいえる正直さだと思うの。そうでないのならそのひとの言うことは信頼に値しないとわたしは考えます。

タロットを簡単にするといろはカルタみたいなものになると思うの。それは文字だけのもの。象徴をふんだんに使うか、もしくは文字をひとつぽつんと描くかという究極の選択。どっちがいいかはお好み次第。

タロットはいうなれば絵本。それ自体がひとつのお話になってる。

一枚のタロットがそれだけで象徴の組み合わせで物語の骨子を描いてる。だから象徴を読み解くというのはあらすじを再構成するということなのです。

簡単に言うと、一枚のタロットだけで小説がかけちゃうのです。(^^;

だから、タロットはそのままで象徴で構成された物語のプロットであり、神話体系がそれに肉付けをしてくれるの。それゆえに神話を読み解かないとタロットはまったく面白くならない。

(私が小説書くなら一章一カードかな)

タロットがしばしばパスワーキングにつかわれるのはそういう理由。物語のプロットがその中に入ってるから、それをまず理解するのが先決なの。
それがタロット、神秘的な絵本。

パスワーキングのアクティブ・ワークというのはシナリオが先にかいてないから、タロットのシンボルだけで即興でプロットをくみ上げ、それにあわせて想像していくというやり方なのです。
だから最初に素材となる神話が頭の中にあって心に根付いていないと使えない。
ノウィッキさんの『閃く小径』というのはパッシブワークのシナリオ集と解説になってるので初心者向け。上級者にはそんなのいらないから即興で心の中にシナリオが生まれるのです。
シナリオをかくのではなくて「生まれる」と表現したのは勝手にそうなるから。正しく象徴を紐解いていれば自然とそれは出てくる、流れるようによどみなく。
わたしは象徴の解釈を苦労して考えた引っ張り出したりはしてないの、いつも。それは勝手に出てくるもので神話が教えてくれます。

何でもどこかに着地させないと問題が出るように思うの。手段が目的と化すのが趣味だから、その手段を野放しに膨らませるといつかは破綻する。だからオカルトだって日常に役立てる文化に流れた。わたしの場合だと食べることに接地させてる。料理趣味ってそういうことだから。

接地する対象は本当に容量(懐)が大きいほうが良い。そうすれば接地抵抗が少ないから力はどんどん吸収されて中空に彷徨ったりしない。それは普遍的でもっとも日常的で当たり前なものがいいと思う。そのスキルを適用させるのに事欠かないほどに。

電気的な意味合いと同じ意味において、心のモヤモヤは漏電というの。接地が足りないからそうなる。それは接地容量がたりないことであり、抵抗が大きいこと。「太い線で最短で」懐の大きいものに接地します。そうするのがもっともよいからです。

電気的(物理的)お話と精神的なお話って殆ど同じなのです、コツという意味で。


(電気って霊的だよね。血液みたいに)


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
価格操作って印象の操作ですし、幻想の操作ということを理解するのは魔法使いの嗜み。モノには決まった価値があると思ってるのならそれこそお金も魔法も理解していないのです。では、おやすみなさい。

CRCとはクリスチャン・ローゼン・クロイツの略称のことです。キリスト教系文化の衰退から生じた仇花のひとつだけれど、キリスト教の神話が再び生命を取り戻すには一度死ぬ必要があると思ったのでしょう。それは形が一度失われなくてはならないからです。ゴミで汚れたら肉体を脱ぎ捨てるの。

形(アストラル体)が失われても人格神は黄金のテトとして(スピリチュアル体)はよみがえることが出来ます。これは何のことかというと、神話が廃れてしまってもその中に込められた骨子部分は人々が必要とすればいつでも心によみがえるという意味です。たとえ全盛期の神話の形を持っていなくてもです。

だからCRCのヴォールトはいつも空っぽなのです。それはアストラル体が既に分解された(人格神として存在していない)神話として表現されてる。それゆえに、違った形で人々の心によみがえるようにこのお話は企図されています。つまり、個人主義的な信仰の夜明けを意味しています。

棺の中身が空っぽというのはいつもそういう意味だとわたしは思うの。偶像として生まれ汚れてしまえばいつかそれは死なないといけないからです。太陽神という分類になる神様の多くがそういう性質を持っています。゜次の春にまた違った形で人々の心の中に芽吹くように。

人格神のアストラル体はいつも大衆によってその信仰の犠牲となり捧げられてる。それはつまり消費されてるのです。だから目減りして細くなればまた次に生まれないといけない。アストラル体は欲望の体のこと。それは人々の欲望のために捧げられたのだから。ということでCRCやジーザスのお話はおしまい

ひとはいつも誰かに「こんな人であってほしい」と自分の欲望を重ねるよね? アイドルであれば複数の、たくさんの人がその欲望を重ねてるの。これをアストラル体(欲望の体)といいます。そしてスキャンダルやそういうので汚れてくるとアイドルはこれを脱ぎ捨てるか何かします。

ですから、その偶像が既に亡くなってる人である場合はお話が少々厄介になります。作られてしまった偶像(アストラル体)が汚れてきたらお掃除するのが大変だからです。さらにこれが生存しなくなるようにするのも大変なこと。偶像それ自体は自分で死ぬことが出来ないからです。

こうやって専門用語をきちんと解説する人が少ないとお話がややこしくなるのです。本当はもっと簡単なことなのに。



ビナーのキングスケールはクリムゾン
キングスケールのケテルは光輝とあるけれど、クイーン、ナイトスケールは白い輝きとあらわすの。問題はページスケールのとき。これは最初のただの光輝が最後にどうなるのかを示してる。光輝を強くして点滅させると網膜に黄色いキラキラ斑点の残像が残ります。これがそれなのです。
わたしはこの図の中でプリンス、プリンセスと表記されたものをナイト、ページと言い換えたけど説明はいらないよね? タロットのコートカードのそれと同じことだから。

火星は異化作用だから出産にもね? マリア様がイブの日に金星として現れたなら、これから始まる陣痛と言うのは火星に当たるのです。金星が火星の影響下に入るとき、ドラマが起こるのです。

見方を変えれば出産は月経と同じなのです。両者とも火星の影響下にあって、金星が優勢なとき(妊娠中)は同化作用が優勢にあるので火星の機能(月経)は停止しています。だから出産はとまっていた月経が開始する一回目と数えてもいいの。これはオカルト上の分類ですが。

では、金星と火星の女性的機能について続けると、つきの影響とは何かという問題に思い当たるの。これは簡単に言うと、想像妊娠に想像月経のこと。他人の月の循環が自分にも影響してしまうというアレです。女子の集団にいるとよく体験することですが。

月の影響というのは常にイメージによる心理的影響のことです。これは身体への影響(フィジカル・エフエクト)を起こすけれど、大抵の場合は満月に向かうときイメージを制御しやすく、下限に移行すると制御しにくくなる。新月なら制御不能に陥るという例。必ずしも現代人は物理天体と同期しないけどね。

物理天体と身体に起こることを一緒にしないでもいいの。それは象徴的意味を持つから、同期してるか否かはあまり関係がない。大切なのは身体に起こってる変化について象徴的に理解することです。三日から一週間に及ぶヘカテーの期間は想像力の制御を行えないので疑心暗鬼になりやすいことだけ理解します

気配りが出来て優しい子ほど想像力が豊かだから、ヘカテーの期間に重いほど打ちのめされると思うの。だから気をつけてあげてほしいな。
月が強いのって感受性が高くて反射によって容易く相手の心を類推する能力のことだから、その感受性と想像力は制御下にないと心が打ちのめされるのです。肉体よりもそちらのほうが辛いと思うの。
だからそういうときは太陽の助けが必要になります。明晰な知性と理解力のこと。月が使い物にならないのなら、それが有効になるからです。
パートナーを相手に太陽神の召喚を必要とするとき、そういうことなのです。それとは逆に男性が月神降臨を必要とするときも同じこと。それぞれに得手不得手があるからです。
月の機能(感受性と想像力)がうまく働かないときは知性に頼るほかはなくなります。そういうことなのですけどね。(^^;
月による反射は「自分の心に照らし合わせて相手の気持ちを慮る」という意味なの。
太陽的知性は相手を知るのに状況判断によって類推することだから月の場合とは異なっています。外部からの認知ではなくて自分に照らし合わせてみるというのが月的感受性の使い方。この違いを理解していないとお互いに理解を深めるのは難しいと思います。
便宜上、オカルト用語を使ってはいますがそれぞれの習慣による心の使い方の違いを説明してるだけなのです。本当は難しいことではないのですけどね・・・。

前にも太陽と月の違いを説明したことあるのだけど、太陽はいわば相手のぬくもりを直接的に捉えること。だから、手の温かさをそのまま捉えようとします。一方で月の場合は手が離れて冷たさを感じたときに温もりを想い出すことでそれを感じることなの。だから月は反射が心に届くまでに少し時間がかかる。
それゆえに月影を観るというのはとても象徴的言葉の意味をもっています。それは影を見ることで本体を想像することだから、記憶像を思い出すことで直感像に変換されることをも意味するからです。
直感像の使い方はパスワーキングの入り口やタットワ、クリスタルゲージング、クレヤヴォヤンスでも使うので月と太陽として知られる心の使い方の違いの理解は最重要課題となります。

彼と逢ってるときよりもお家に帰ってデートのときの彼を思い出してるほうが遥かに長いというのであるなら、これはもう月子さんですね。(^^;
両性具有的? 太陽と月の象徴を足して、そこに十字架を加えてみればいいの。水星になるでしょう? 太陽的は男性的、月的なのは主に女性的資質のことを意味してるから(肉体に関係なく)水星はそのどちらも使いこなせると言う意味になります。だから両性具有的。
月と太陽の結婚というのはオカルト用語でいうところの心の使い方を両方できるようになることです。
だからヘルメースの学徒というのです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
個人差の大きい問題をあまり一般化して分類するのもどうかと思うのだけどね。何かを男女差に置き換えたり、人種で分けたり、占星術分類したり、子供や大人に分けたりするのはあくまで指標の一つでしかないから、あまり捉われすぎるとただの差別になってしまうの。

何かを分けることが知性的であるなどと思っていいるのなら、それはただの「安心の道具」にとりつかれた差別的な偏屈さんになってしまうの。そういうのは嫌かな? 心が頑なで恥ずかしいから。

分類とは何かを切り裂くための道具。それは一種のペーパーナイフみたいなもの。ペーパーナイフはよく切れるほうが確かに使いやすいの。但し、良く切れるということは安全に使うための工夫と心遣いを必要としてる。これはまさに知性というナイフのことだからです。

象徴を学ぶのはナイフを研ぐことによく似てるのです。だからこそ、わたしはときたまこういう警告を発します。ナイフを研げば研ぐだけ良く切れるようになるけれど、切れ味に陶酔してれば必ず怪我をするからなの。砥ぎあげたナイフはすぐに鞘にしまうのがいいのです。(^^)
これは実際にエアー・ダッガーを自分で研いでみればいいです。きっと、紙を切ったりいろいろして切れ味に夢中になるから、いつか必ず怪我をするでしょう。指を怪我したらわたしの述べたことが身にしみるようになります。

風の象徴はナイフで表されるから'GDでは)それには必ず鋭いエッジがついています。だから風の象徴で分類できるものは常に鋭いエッジを持っている道具なんだと意識することが必要なのです。そのためにエアー・ダッガーに慣れ親しみます。これが魔法の道具の理解そのものなのです。
「風を操るとき」ですから、エッジを向ける方向は常に自分へ。それは他人に切っ先を向けてはいけない。それゆえに他人を占うときは特に慎重になります。本来、分類を安全に用いるのは自分に対してだからです。

イメージして? 自分が誰かに向かって占いを行うとき、それは見えない「風の短剣」を相手に向かって振り回しているということを。だから使い方を誤れば相手をずたずたに切り裂いてしまいます。それは治療でもなんでもなくてただの暴力です。
短剣のお話はGDのカリキュラムだと2=9 Theoricusのことだから、まさに理論者が身に着けるべきもの。理屈を振り回すことが何を意味してるのか、ナイフから直接学ぶのです。それが出来ないと次の段階には進めないから。

ひとは(宇宙は)丸いケーキなのよ? 食べやすいように、どこから切り分けてもいいのだけどどこを起点として30度ずつに切り分けようと、15度ずつに切ったとしても元はまん丸なのです。それは食べやすいように(理解しやすいように)意図的に切ってるに過ぎない。これを忘れてはいけないと思う。
だから「あの人は四角い」「いや、三角じゃないのか?」みんなそういう風に理解してる。でも、本当は丸いから捉えどころがないものです。宇宙をそうやって好き勝手に切り分けることで理解し始めてる。でも、本当は丸いから微粒子すら残さずにすべてのピースが揃わなければ理解することはないと思うの。

ピースが欠けている場合はいつも不完全な理解だから、欠けた部分はいつも類推でしかない。その類推を理解したものに分類してはいけないの。知らないものは知らない、理解していないと意識していないと欠けたピースが落とし穴になってしまいます。

例としてとあるものが三角形ではないのかと言われてるとします。このとき、三角形の角度の合計は必ず180度になりますよね? だから、二つの角度がわかれば残りの角度は自ずとわかるでしょう。ところが、この段階ではまだ類推なのです。だって、それが本当に三角形なのかどうかどうやってわかるの?

この段階では類推でしかないからそれが「三角形だったとしたら」という前提でしか成り立たない。ところが三番目のピースが現実として発見されない限りはそれがどんな形をしてるのかは実はわかりません。計算が成り立つのは前提条件が正確だった場合に限るからです。

前提条件を信じ込むことの危険性について述べるために、誰でもわかり易い例えを用いたに過ぎません。純粋数学のお話でしたらほかのテーマに移ってしまいますよ?
線の二つがどこかで閉じているという前提をまずは疑いましょう。何故なら、有限世界というのはどこかで線が閉じていないと成り立たないからです。そしてその有限はどこから生まれたのでしょうか?
宇宙は膨張するって観測されてるのなら、それは本当に有限として線が閉じてるのかな? 本当に? もし閉じてるとしたら、有限はどこからやってきたの? 言い換えるのなら「存在世界」はどこからやってきたのでしょうか? 閉じてる世界ならばそれは成長しないからです。言い換えるのなら死んだ世界。
有限世界というのはそれを理解するために「便宜上有限として扱ってるもの」を意味するのだと思います。これが前提条件ですから、これを確定事項として扱わないでください。それはあくまで物を考えるときの前提でしかないのですから。
数字はただの道具です。それはとある仮定を証明するためにある道具でしかなくて、それが本当に正しいのなら寸分の狂いもあってはいけない。科学もより正確にはすべて仮定の上に成り立ってるもので便宜上「使えればいい」というものだから、突き詰めるとただの空理空論になるでしょうね。
だからいうの、そんなに頭がよろしいのなら結果をまずは出してください。お話はそれからです。
結果のない真実なんてどこかにあるの?
それはシャボン玉みたいにわたしにはみえるのです。神様のシャボン玉。ストローからでた泡がそのストローの口から放たれたとき世界は閉じたように見えるものです。でも、閉じた世界からするとその外側のことについては何もわからない。存在の次元からは否定的存在の世界って微小なストローにみえるの。
なぜって、閉じた世界からすれば意識して何かを考えることが出来る点はストローの口のところだけなのです。つまり、この世界と何かが接していた部分について思いを馳せることはできても、その全体については何もわからない。微小なストローと表現したのはイベントホライズンの中心点です。
この世界は本当に閉じてるのかな? まだ神様のストローに繋がってるのではなんてわたしは考えてます。それが見えないだけの話で、捉えようがないだけの話だと思うの。
これ、魔術カバラーのケテルの説明なんだけとね。

電気とは結局のところ何か? これについて電磁波の専門のわたしに説明してほしいかな?
わたしもわかんないのですから。(^^;
何かの前提を立てて、その仮説を証明する公式を生み出して、それを使って計算してある程度類推の通りに結果をだすことは出来るの。ところが、それについて正体を正確に掌握するとことはできない。少なくとも、わたしの専門についてもそんなのです。
だからわたしが理解してるのは「真実」は決まった形を持っていなくてこの世界には存在しない何かだということ。それがないと言ってるのではなくて、有限世界からは手が届かないのだから、それ自体を追い求めたりはしない。ただ利用させてもらうだけでいいのです。
なぜって、わたしは現象世界(存在する世界)に棲んでいるからで、否定的存在(仮に無と呼ばれるもの)には棲んでいないからです。それは神様の領域だからわたしにはわかりません。
科学はとても不思議なのよ? Aという説は正しいのにBという説は間違ってるというの。ところが、実際にはAもBも特定の条件下ではきちんと作用するのです。ということはAが正しくBが間違いというのは成り立たない。どちらも限定的であることが理解されます。千年経てばどちらもその先はわからない
強さも正しさも時間の前には移ろい行くもの。何か形があるものに一定不変などないと思うからです。だから他人を気にしなくていいと思う。そのとき必要なものを受け入れて利用するだけでいいから。「正しさ」にとらわれてしまうと恐らくは道に迷います。

「正しさ」ってただの標識ですからね。道が時間経過や環境変化によって変わってしまうこともあります。また、設置されてる標識が間違ってる可能性もあるの。だからいつも半信半疑でいいのです。
たどり着ければなんでもいいの、わたしは。標識の正しさについてあれこれとは考えない。だって、わたしは標識マニアではないのだから。
標識これくしょん。標これ。それは何か正しさにこだわるひとのこと。
自分の旗を立てたらいいのです。他人の旗には拠らずに。そうすれば何も心配はなくなるからです。自分の基準によらず他人の基準を意識しすぎるからお話がややこしくなるの。重力の説明を受けなくても、ニュートンさんがいなくてもわたしは自分の足でいま立ってるのですから。
なんかね、重力の説明をうけてそれが万有引力が働くことを証明されなければ、いま自分が地面に足をつけてることさへ信じられないという人が多くて残念に思うのです。そんな説明なくても足元を意識するだけでいいのに。
当たり前と考えた時点で観察と思考をやめてしまうからです。当たり前であることはこの世界になくてみんな奇跡だということに気づいたのなら、もっと身の回りのことに集中するでしょうね。遥かかなたの世界よりも足元に注意が向くからです。
運気という言い方をする人は多いけど、わたしはそういうふうには考えないの。身の回りの些細なことに興味がなくなってその結果集中力を欠いてしまう。そうすると不注意から失敗が多くなってもそれに気づかないのです。幸福であることに鈍感になるのを運気が遠のくと表現するからです。


聴いて? あなたは自分をひとつの生命だと思ってる? 自分を構成する細胞がいくつあると考えてる? それらの生命には意志がないと本当に思ってるの? だとしたらその細胞のすべてを自分の意志で動かしてみるといいのです。出来ないのなら自分は彼らの代表でしかないことを理解するでしょう。
自分の体の細胞の隅々に語りかけるのは自分の国民に語りかけるのと同じことだからです。自分はその代表であり、声なき声を聴く義務があります。そうでないのならただの暴君と呼ばれるでしょう。

全身全霊をこめてあなたの神様を愛せばいいんじゃないかしら? ここで神様と呼んでるのは森羅万象にして自然のことだから、言い換えると「あらゆる可能性」のことなの。僅かでも解った振りをしないで連続的にその疑問を自分の内側に向かって問い続けること、一時間でも二時間でも途切れることなく。
神様に祈ることは、わたしにとっては「自然に対して疑問を連続的に問い続けること」だから、解ったふりをして満足したらそこで神様は席を立つのです。だって、不義理を働いたことになるから。
全身全霊でかみさまと対話してるときは知識を誰かに自慢したり、自尊心が満たされること自体がそもそも発生しないのです。そもそも、自意識が消失してるから自分の疑問とそれへの回答の声しか意識にないの。感動すら忘れてる状態で興味がその一点に集中することです。
ですから「識ること」以外に僅かでも心が揺れたらやり直したほうがいいです。占いもそうなんだけど、何か自分の自尊心をくすぐる感覚が生じたら恐らくは不完全な答えか若しくは間違ったものにすり替わってると思われるからです。
神様との対話で得ようとしてるのは「深い安心」と「納得」だから、自意識は関与しないのです。もし自意識が関与してるのならそこには自尊心をくすぐるようなものが紛れ込んでいます。それは自分で造りだしたものだから神様のものではありません。それを区別してくださいね。


―――――

お読みくださり感謝の極み!
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陰謀追及者において重要なイスラム教の特徴  イスラム神学と法学の理性の扱いが完全に耶蘇教の右目の中の右目派の基盤でびっくり!桜井啓子『シーア派』などイスラム資料集 

陰謀追及者において重要なイスラム教の特徴
・異端審問の禁止
(人が神に代わって裁くことの禁止)

・多数派は信仰告白が義務
(信仰隠しは少数派の教義のみ)

・神学も法学も、理性と論理的思考も重視
(反知性主義の否定)

・ユダヤ教神学もイスラム神学の理性と合理主義重視派に影響されている
(合理的なものほど異端になるのがキリスト教神学の特徴)


イスラム教徒って工作員に全然向いてないってこと。
信仰隠しを一番するのは新キリスト教系工作員

23470円=おねショタおじさん ‏@douteimaturi さんの傑作
イスラームでは異端審問をしてはならない事になってます
これは人間があれがムスリムでこれはムスリムではないという文言を封じるためです。
それがわかるのは最期の日な訳で
人間が人間を異端扱いして勝手に裁き殺したなら地獄でやかれる事になります。

陰謀ではお金の流れも重要ですが、もっと重要視せねばならないのは尊厳の流れかもしれません。
むしろ、魔術師退治を考えるなら、尊厳という認識がいかにして作られるかという部分に着目すべきではないかと。

魔術師というものは言葉で人を縛り上げる術に長けていて、そこが魔術の根幹なのです。 例えば、選挙という単語を出すだけでさまざまな言葉が発生します。 不正、民主、多数決などなど、この連想させる力自体が魔術師の魔法なのです。 言葉を支配し、言葉が言葉を繋げる魔術これが最強の魔法です。

謀議論をやる上で必要なもの。 歴史学、神学、心理学、天文学、幾何学、哲学、占星術、数学、帝王学。 特に歴史学と神学、心理学が重要。 基本、歴史に名が残っている先祖の末裔を探し、そいつらが今なにしているかで大体予想がつく。組織もそう、正史を知っていればしっかり繋がる。

紐付きはこの正史の部分を隠そうとするので隠さない人は比較的本物。次に大切なのは神学についてどういう立場をとるかを見る。日本人の95%以上は仏道及びケを信じている人達なのでそうでない場合は立ち位置ありとの判断でその人間の批判の仕方をみて決める。悪魔とか言っちゃうとー評価みたいに

この3つで考えてください 1、反証性 2、論理性 3、合理性 この3つに従ってものを考えれば、そう間違える事はありません もし、間違えるのであればまず貴方の信じたい事、事実ではない事、思い込みたい事がそこに入っているということです だから、間違えるのです

わしゃ帰ってきてよく思ったよ 仏法はよくできすぎだし、漢籍はよく完成されてる まだ、漢籍については戦国策や韓非、孟子しか読んでないけどこの思想と西洋哲学じゃあ2000年遅いことを西洋はやってる こりゃあ、破壊したいし、隔離したいのがよくわかるよ


工作員=異端審問官
なので異端含め✝系ばかりでイスラム系がゼロ。仏教に詳しい人々に絡む工作員。
私もいつ消されるかわからないので保存お願いします!後悔したいの?
藤原偽天皇











“先に述べたように十二世紀末頃までに、シーア派では、コーラン、預言者ムハンマドとイマームの言行、合意とならび、理性を法源とみなす考えが確立しており、これに基づいてアッラーマ・ヒッリーは、イスラーム法学者による論理的推論に基づく法解釈(イジュティハード)をシーア派法学における中心的な概念として位置づけた。
 もちろん誰もが、法解釈を行えるわけでない。アッラーマ・ヒッリーによれば、法解釈を行うことのできるウラマーは、「ムジュタヒド」と呼ばれ、アラビア語に精通し、コーラン、預言者ムハンマドやイマームの言行について十分な知識を持っているだけでなく、法学や法源学を修め、一貫した論理に基づいて法解釈を行うだけの能力を持たなければならない。言い換えれば、ムジュタヒドに求められているのは、霊感、啓示、秘跡といった能力ではなく、長年にわたる研鑽の末に、ようやく一握りの学者が到達できるほどの高度な学識なのである。”桜井啓子『シーア派』p.43
(法解釈は学者の高度な論理と知識に基づくのであり、神秘的能力は不要であることが重要。
キリスト教だと聖書に書いていない教父の勝手な非論理的解釈が聖書の文言より上という、意味不明なご都合主義)



イスラム教の基本
http://naotatsu-muramoto.info/syuukyounobenkyou/isuramukyou/isuramukyou.toppage.html

@lakudagoya  イマーム
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%40lakudagoya%E3%80%80%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A0&src=typd


”タキーヤ【taqīya】
〈恐れ〉〈警戒〉を意味するアラビア語であるが,イスラムの用語としてはキトマーンkitmān,すなわち〈危害を加えられる恐れのある場合に意図的に信仰を隠すこと〉の意味に用いられる。最初にタキーヤを認めたのは,ハワーリジュ派の一派のイバード派であったが,のちシーア派諸派によって継承発展させられた。シーア派は,信仰は心と舌(言葉)と手(行為)によって表現されるが,もし自己または同信者の生命財産に危害の加えられることが確実であるか,またはその可能性が強ければ,舌と手による信仰の表現は隠してもよいとした。”
https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%A4-1182857




世界史用語解説 授業と学習のヒント シーア派
http://www.y-history.net/appendix/wh0501-041.html



【シーア派】
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE-71730

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE-71730



匈奴の人 ‏@toquzoguz1055 2011年8月6日
@hiro_wakiyaku 要は何人目のイマームで分派したかって話なので、
五イマーム派(ザイド派。ブワイフ朝とか。アブー=バクルからウスマーンも劣ったカリフとして認めていて穏健)、
七イマーム派(イスマイール派。ファーティマ朝や暗殺教団。過激)、
十二イマーム派(サファヴィー)的な



イスラームにおける理性(‘aql)と伝承(naql)―スンニー派とシーア派
http://www.cismor.jp/jp/research-1/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%90%86%E6%80%A7aql%E3%81%A8%E4%BC%9D%E6%89%BFnaql%E2%80%95%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%B4%BE/
”啓示宗教としてのイスラームは、人智では判断できない超越的な神のメッセージ(とされるもの)によって成り立っている。しかし同時に人間は、この神の啓示を自ら理解して、様々な行動と思想を組み立てていく必要がある。さらにイスラームもアラビア半島を出て広く拡大していく過程で、多様な地域社会の問題に対処する必要があった。
この過程で、
人間の「理性」('aql、アクル)の発揮を比較的自由に認めるものと、
それをなるべく避け、神の言葉であるクルアーンと預言者ムハンマドの言行・判断の記録であるハディースからなる「伝承」(naql、ナクル)を重視する
ものという、2つの思想的傾向が現れた
(シーア派の多数派である十二イマーム派の場合は、ムハンマド後の12人のイマームの言行・判断も権威あるナクルとなる)。
 各地域で発達した理性知と伝承知を組み合わせて、イスラーム法解釈の体系を作り上げたのはシャーフィイー(840年没)である。彼はイスラーム法の法源を
クルアーン、
スンナ(ハディースに基づく預言者の言行)、
イジュマー(ムスリム全体の学者の同意)、
そしてキヤース(先例からの類推)
の4つに分類した。
「理性」の発揮にあたるのがキヤースである。しかし、現在は消滅しているが、出来るだけ人間の理性的判断を避けようとするザーヒル学派がかつて存在した。現存するスンニー派の4法学派の1つであるハンバル派も、同様の傾向を持っている(あとの3つはマーリク、ハナフィー、シャーフィイー)。
 シーア派の法学にとって(場合によっては神学にも)重要なのはウスール派
アフバール派である。
現在イランで主流を占めるウスール派は人間の理性的判断を非常に重視する。
他方、現在力を失っているアフバール派は伝承知を非常に重視し、ハディースの信憑性を論ずることは理性の行使であるとして避けるため、結果的に、それを自由に使用する。以上
のように、スンニー派でもシーア派でも、理性知を比較的重視するものと、その使用をできるだけ避けようとするものと、2つの傾向が法学の中に存在している。
 神学にとって重要なのは、理性的な議論を非常に重視したムウタジラ派である(全盛期はアッバース朝の初期)
結局スンニー派ではその主張は否定されたが、〈論理的に議論を進める〉という方式は、伝承知を重視するスンニー派の神学の中にも残った。他方、シーア派の正統神学には、ムウタジラ派の議論がほぼそのまま流れ込んでいる。加えてユダヤ教の神学は、ムウタジラ派の影響によって形成された。
 古代ギリシャ哲学を継承し、また理性的判断を極端に推し進める行為である哲学(このため哲学者はしばしば不信仰者と非難を受けた)
についてはどうか。
まずスンニー派では、アリストテレスの注釈書を多数執筆し、ヘブライ・ラテン両言語への翻訳を通じて結果的にスコラ哲学を生み出すイブン・ルシュド(1198年没)が、自らの哲学を正当化するためにクルアーンの章句を引いたこと以外は、伝承知と理性知の関わり合いはあまり見られない。
他方、シーア派の文脈においては、両者の結びつきはより強く、それが顕著に見られるのがモッラー・サドラー(1640年没)である。サドラーは、イスラームの神秘思想家イブン・アラビー(1240年没)の存在一性論(この世のあらゆるものが神的なものの顕現であるとする思想)と、アリストテレス哲学の実体論を統合して、「実体運動論」を展開した。この結果サドラーは、古代ギリシャ哲学の“常識”では相容れない実体(アイデンティティー)と運動(変化)を1つに結びつけて議論し、神の意志に基づく一瞬一瞬の「変化」こそが、表面上は固定的に見える「実体」の本来の性質であると主張したのである。その際サドラーに大きなインスピレーションを与えたのは、神の意志によって一瞬のうちに天地が大変化するさまを示すクルアーンの「終末」の描写である。
以上のように理性知と伝承知の2つのベクトルの関係によって、1400年にわたるイスラームの歴史の中で、様々な思想潮流が生まれた。さらに現在ではスンニー世界の学者が、サドラーに言及するなど、スンニーとシーアの思想的・哲学的なコミュニケーションが進んでいる。この結果、これからも新たな伝承知と理性知の結びつきを示す思想潮流が現れて、様々な方向に揺れながらも展開していくであろうとの結論がなされた。”

タウヒード 〈一化の原理〉 神の唯一性
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89
”イスラームにおける一神教の概念である。イスラームにおいて、タウヒードは〈一化の原理〉を意味すると同時に、世界観と存在論、すなわち価値観の根本である。

また、タウヒード論においては、神の唯一性という言葉で、和訳され論じられることも多いが、神の唯一性という言葉は、アラビア語において(ラテン文字表記をすると)waḥḥdat-Allah という明確な表現があるので、正確な訳出とはいえない点で留意する必要がある[1]。したがって、この記事においては、神の唯一性を起点とした上で、そこで活用された〈一化の原理〉に則りながら、現実解釈のための基本原則を提示する内容を描出することとなる。 タウヒードの反対の概念は、シルク(shirk、多元性)である。

タウヒードという言葉は、アラビア語の動詞ワハダ (waḥada) の第2型であり、〈一に化す〉、〈一に帰す〉を意味するワッハダ (waḥḥada) という動詞から派生した動名詞である。その原義は、〈一化〉、〈帰一〉を意味する[2]。
定義
イスラームにおける唯一神(アッラー)の存在は絶対であり、この理由のために、ムスリムは、キリスト教世界で信奉されている三位一体説を否定する。

スンナ派、シーア派ともに一致しているのは、イスラームにおける最重要な概念であるタウヒードがこの絶対で完全なる創造者を受け入れるということで展開されているということである。ムスリムは、「アッラーのほかに神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という信仰告白(シャハーダ)を公に唱えることによってムスリムとなり、かつ、自らの信仰を絶えず、再確認することとなる。
スンナ派の視点

スンナ派の人々は、タウヒードをイスラームの教条(Aqidah)の7つの重要な側面のひとつであると見なしている。

アシュアリー派の著名な学者の一人である Fakhrud-Din Ibn Asakir は、自らの著書で、スンナ派の信条を記述している。

アッラーは人々を導き、唯一の神である。
アッラーは全ての世界(天界、地上界)を作りたもうた。
全ての創造物は、アッラーの力により服従されている。
アッラーは、人生に帰する。睡魔にとらわれることは無い。
アッラーは、人間が予見できないことについて知っているただ、ひとつの存在であり、全知全能である。
アッラーの行うことは全て彼の意志に基づく。
アッラーは報酬を望まず、罪を恐れない。
アッラーは、創造の前から存在した。過去、未来というものをもたず、また、前後左右上下といった概念にはそぐわない。というのも、アッラーは全だからである。
アッラーが、宇宙の森羅万象を創造し、時間の存在を望んだ。アッラーは、時間に制限されるということは無く、場所に明示される存在ではない

神の不可視性

スンナ派のムスリムは、神は見ることはできないと信じている。仮に神の姿を見ることができるのであれば、自らの生涯の終わりを意味する死後に訪れる最後の審判の日のみであると信じている。


クルアーンを逐語的に解釈するのであれば、イブン・タイミーヤが説くように、神は、体の各部分を持たず、しかし、クルアーンやハディースに記述がある「手」、「目」、「顔」といった属性を持っている。しかし、それぞれは、人間が知っているような形状をしてはいない。そして、サラフィーは、神は天上界に住んでいると信じているのである。
シーア派の視点

シーア派においても、タウヒードは絶対なものである。
神の属性

シーア派は、神は見ることができるとは信じていない。また、アッラーはどんな形であれ、体を持っているという考えも拒否している。

神は、以下のような積極的な属性を持つと信じられている。

カディーム(Qadím) - アッラーは永遠である。始まり、そして終わりは無い。
カディール(Qadir) - アッラーは、全能である。アッラーの力は、全てのものに及ぼす。
アリーム('Alim) - アッラーは全知である。全てのことを知っている。
ハイ(Hai) - アッラーは生きている。それも永遠に。
ムリド(Muríd) - アッラーは、全ての事象に対して慎重である。混乱することは無い。
ムドゥリク(Mudrik) - アッラーは全てを受け入れてくる。全てを見聞する。あらゆる場所に存在している。ただし、目や耳を通して、見聞しているわけではない
ムタカリム(Mutakalim) - アッラーは世界の創造主である。アッラーは、言葉を作った。
サディーク(Sadiq) - アッラーは真実である。

また、消極的な属性を持つ。

シャリク(Sharík) - アッラーは妻を持たない
ムラカブ(Murakab) - アッラーは作られたものではなく、物質的なものでもない
マカン(Makán) - アッラーは、どんな場所、体に制限されない。
フルル(Hulúl) - アッラーは体を持たない。
マハーレ・ハワディス(Mahale hawadith) - アッラーは変化しない。
マリ(Marí) - アッラーは見ることができない。なぜならば、体を持たないからである。
イフティヤジュ(Ihtiyaj) - アッラーは、独立した存在である。アッラーは、飢えていない。というのもアッラーは、どんなものも持っていないからである。
シファテ・ザイード(Sifate zayed) - アッラーは、あらゆる制限を受けない。

クルアーンとタウヒード

シーア派の人々は、神が「神の永遠でない行動の一つ」としてクルアーンを創り人々に贈ったものと認識しているので、したがって、シーア派の信仰は、スンナ派とは対照をなし、クルアーンは、創造物であるということになる。シーア派の人々は、ムハンマドの「神は存在した(その時には時間の概念があった)、したがって、神のそばには何もない」というハディースを引用する。

たとえ、そうであったとしても、シーア派の人々は、クルアーンは完全なものであると信じているのである。”

ムゥタズィラ学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A5%E3%82%BF%E3%82%BA%E3%82%A3%E3%83%A9%E5%AD%A6%E6%B4%BE
”ムゥタズィラ学派(アラビア語: المعتزلة‎、al-muʿtazilah)とは、イスラム教の神学の学派である。9世紀初頭から10世紀にかけてのイスラーム世界で大きな影響力を持ち、分散して少数派となった後も思想の一部はシーア派に継承された[1]。

ムゥタズィラ学派は8世紀前半にイラクのバスラで創始された[1]。ワースィル・イブン・アター(699年 - 748年)が創始者とされているが、独自の学説が確立されたのはアブー・フザイル(751年 - 849年)の時代以降だと考えられている[1]。
アッバース朝のカリフ・マアムーンが設立した知恵の館での翻訳活動などの異文化の思考法の積極的な摂取、体系的思考を求める時代を背景にムゥタズィラ学派の思想が確立された[2]。
アリストテレスなどのイスラーム世界外の思考法を部分的に借用したムゥタズィラ学派
は思弁による解釈を進めていった[3]。
827年にマアムーンがムゥタズィラ学派が主張する「クルアーン(コーラン)創造説」を公認すると宮廷で権勢を振るうようになり、
833年にミフナ(異端審問)を開いた。

ムゥタズィラ学派が初期アッバース朝の保護を受けて繁栄した一因として、四代目の正統カリフ・アリーの即位に対して曖昧な立場をとったアッバース家を擁護し、ウマイヤ家を弾劾した点が挙げられている[4]。ワースィルはアリーを三代目の正統カリフ・ウスマーンより上の立場においたがアリーの至上論を認めず、4人の正統カリフに優劣を付けることを避けていた[4]。

ムゥタズィラ学派の行き過ぎた理論は批判を受け、カリフ・ムタワッキルの時代に入ると正統派知識人の勢力が盛り返した[5]。合理主義の徹底によって伝統的な世界観を揺るがすムゥタズィラ学派に対して法学の分野ではイブン・ハンバルが創始したハンバル学派、神学の分野ではかつてムゥタズィラ学派に属していたアシュアリーが創始したアシュアリー学派が現れ、ムゥタズィラ学派の思想に反駁した[6]。11世紀末に成立したホラズム・シャー朝の学者の中にムゥタズィラ学派の伝統は残っていたが、13世紀初頭のモンゴル帝国のホラズム征服の中で学統は失われた[4]。
思想

学派の名称である「ムゥタズィラ」は他称であり、この学派に属する人間は「タウヒードとアドルの徒」を自称していた[7]。「ムゥタズィラ」は「退いた人」を意味する言葉で、創始者のワースィルが師であるハサンが属するハワーリジュ派の一派から身を退いたことに由来すると言われている[5]。
ムゥタズィラ学派は大罪を犯した人間を信徒と認めないハワーリジュ派と、
罪を犯しても信仰を保ちさえすれば信徒であるとするムルジア派の両極端な主張から身を退いた中間の立場
をとっていた[8]。ほか、「ムゥタズィラ」を保守的な思想家から距離を置いた「離れ去った人々」の意味とする説[9]、カリフ・アリーの即位に中立的な立場をとるためだとする説もある[4]。この学派に属する人間は「ムゥタズィラ」の呼称を好み、進んで自称していたと言われている[9]。

ムゥタズィラ学派に属するグループは、バスラ、バグダードを中心に六派に分かれていたと言われる[3]。ムゥタズィラ学派の著作は正統派から禁書として扱われ、イスラーム世界の主要な文化地域からムゥタズィラ学派の著作が失われた状態が長らく続いていた[10]。このため、ムゥタズィラ学派の理論の復元を試みるイスラーム世界とヨーロッパの学者は、シャフラスターニーやイーズィーなどの著作の断片的な記述に頼っていた[10]。1929年から1930年にかけて、ヘルムート・リッターがイスタンブールで発見したアシュアリーの『イスラーム諸学派の所説』が出版されると、資料が不足していた状況が好転する[10]。1951年にサナアで発見されたアブドゥルジャッバールの『神学大全』の写本は初期・中期ムゥタズィラ学派の思想を伝える重要な資料となっている[11]。アシュアリーは同時代の
ムゥタズィラ学派に共通する思想として、以下の5つを挙げている[7]。

タウヒード
アドル(神の正義)
天国への約束と地獄への脅し
信者と不信者の中間の立場
勧善懲悪

ムゥタズィラ学派はカラーム(議論、思弁)を取り入れた最初の神学者の一派であり[7]、イスラーム史上初めて体系的な神学論を構築した初期のムゥタズィラ学派はタウヒードを合理的な思惟で擁護
した[7]。この学派に属する人間はイスラーム世界における神、人間、世界の関係を人間の視点から理性による説明を試みた[12]。
理性による説明は行為の分析を介した人間の自由意志の確認が前提となっており、ムゥタズィラ学派は「行為の創造者」という自立した立場から神の合理的解釈を行った[3]。
人間による行為の創造は性質が全く異なる意識的行為と無意識的行為に二分され、前者の行為について神は人間に行為を選択・実現する権利を授け、人間は様々な行為の可能性に対して正しい選択を行わなければならないとする「選択の権利」が説かれていた[13]。人間の行為の責任は当人に帰すると考えるため、最後の審判の時に預言者ムハンマドが罪を犯した信徒の罰を極力軽いものにする「執り成し(shafā'ah)」の信仰を認めていなかった[14]。

ムゥタズィラ学派の特徴として「神の属性の否定」、「クルアーン創造説」がある。正統派のウラマーが神の属性を認めていたのに対し、神が本質以外の外部の属性に依拠することはタウヒードに矛盾するとして、神の属性を認めなかった[7]。神を不可視の存在とする点で学派内の意見は一致していたが、心眼で見ることができるか否かで議論が交わされていた[15]。「クルアーン創造説」は、学派の創始者であるワースィルの弟子の中でも異端的な人間だったジャフム(? - 746年)によって提唱された[4]。ウラマーはクルアーンを「神とともに永遠の存在である神の言葉」と見なしていたのに対して、唯一の神の他に永遠の存在を認める矛盾を指摘し、クルアーンは神によって創られたものだと説いた[7]。

ムゥタズィラ学派の説く抽象的な神の解釈は一般市民に拒絶され、スンナ派多数派から反論を受けた[7]。しかし、極端な宿命論の否定と人間の自由意志とそれに伴う責任に関する議論は高い評価を受けている[7]。ムゥタズィラ学派の思想はアッバース朝支配下のユダヤ教徒にも影響を与え、ラビ・ユダヤ教神学形成の一翼を担った
[1]。

参考文献

井筒俊彦『イスラーム思想史』(岩波書店, 1975年11月)
岩永博「ムータジラ」『アジア歴史事典』9巻収録(平凡社, 1962年)
黒田壽郎「初期イスラーム神学」『イスラーム思想』1収録(岩波講座東洋思想, 岩波書店, 1988年10月)
塩尻和子「ムゥタズイラ学派」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)
嶋田襄平「ムータジラ派」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)


ムータジラ派
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%A9%E6%B4%BE-140596
”al-Mu`tazilah
イスラムの神学派の名称。始祖はワーシル・イブン・アター (748没) 。ムータジラという名称は,対立するハワーリジ派とムルジア派に対して中立の立場をとったことから,身をひく,離れ去るを意味するアラビア語i`tazalaからつけられたといわれる。

世界大百科事典 第2版の解説
ムータジラは【ムータジラ派 Mu‘tazila】
8世紀中ごろから10世紀中ごろまで栄えたイスラム神学の先駆的一派。初期のムータジラ派は,イスラムの根本的な教義タウヒードを合理的な思惟によって擁護した人々で,その特徴的な教義は神の属性の否定と,〈創造されたコーラン説〉であった。前者は伝統的なウラマーがアッラーの属性名を認めていたのに対し,本質のほかに属性を認めることは,神が外部の何ものかに依存していることになり,タウヒードに矛盾するとして神の属性を否定したものである。

【イスラム】より
…ムルジア派の判断保留は,単に罪の問題だけでなく,ウマイヤ朝とハワーリジュ派・シーア派との抗争に対する政治的中立をも意味した。これと同じ思想的風土に生じたものにムータジラ派がある。ムータジラと呼ばれた最初の人ワーシル・ブン・アターWāṣil b.‘Atā’(699‐748)は,信仰(イーマーン)と無信仰(クフル)の問題に関し,そのいずれでもない〈中間の状態〉を唱えたと伝えられる。…
【タウヒード】より

…神学者にとっては,神が一つということは,神の独一性,神と被造物との隔絶性,具体的にはコーランやハディース(伝承)における〈擬人的〉表現の解釈をめぐる議論である。これについて,ムータジラ派は神の絶対的唯一性を説く立場から多性を示すとする神の属性を否定するのに対して,アシュアリー派はこれを認める。またスーフィーたちは,これを自我意識が消滅してすべてが神に包摂されてしまっているファナーの意味に用いる。…
【マームーン】より

…イラン人の女奴隷を母にもち,東方諸州の総督となったが,809年の異母弟アミーンal‐Amīn(787‐813)のカリフ即位後,両者間は険悪化,内乱となり,813年バグダードを占領してカリフ位についた。国内の反乱の鎮圧に努力する一方,バイト・アルヒクマ(知恵の館)を建設してギリシア文献の翻訳事業を推進,その影響を受けたムータジラ派神学を公認教義として思想統一を図るとともに学問を奨励した。”



イジュティハード
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89
”イジュティハード(アラビア語:اجتهاد、英語:ijtihad)とは、イスラーム法における法律用語の一つで、クルアーンやシャリーア、スンナといった法源の解釈(フィクフ)に基づく具体的な法的決定の際に、十分な権威の確立された先例やイスラーム法学派による伝統的見解に依拠することなく決定者が独自の解釈理論を援用して法的な決定を行うことを指す。

イジュティハードを行う人のことをムジュタヒド(英語: mujtahid)と呼び、イラーム法学者(ウラマー)がこれを務めることが慣例化している。

ハナフィー法学派の視点--イジュティハードの門は閉じられた

イスラーム草創期、イジュティハードは、一般的に、法の実践という形で用いられており、また、カラーム(kalam、(en:kalam)イスラームにおける思弁神学一般を指す)の哲学に基づいて、宗教の差別なく用いられた。少しずつだが、いくつかの理由のために、実践から用いられなくなった。ガザーリーがもっとも特筆すべき法学者である。

注 アシュアリー法学派とはアシュアリーを祖とするイスラム神学の一派。マートゥリーディーを祖とするマートゥリーディー派と並んでスンナ派神学を代表する。その特徴は、理性的思弁(カラーム)によって正統的信条を弁証することにある。もっぱらクルアーンやハディースの引用に依拠して思弁を排する保守的なハンバル法学派と、合理主義的立場からそれと異なる信条を採るムータジラ派との中間に位置する。それだけに双方から攻撃を受けた。とくにシリアやバグダードなどでは、ハンバル派の影響が強く、また時には親ムータジラ派的、ないしはそれに接近するシーア派政権によって迫害されたりして、スンナ派神学として現実に受け入れられるまでには長い時間を要した。この派の歴史についてはまだ不明な点が多いが、バーキッラーニー、バグダーディー、イマーム・アルハラマイン、ガザーリー、ファフルッディーン・ラーズィー、イーズィー(Adud al-Din al-Iji)などの学者が有名である)である[1]。

ガザーリーの論理とは、いわゆる「イジュティハードの門は閉じられた」という論理である。この論理は10世紀に端緒がある。この世紀の前後には、主なハディースの収集が完了した。この論理を端的に説明するならば、「今後はすでに確立された法体系とその解釈の伝統を守るべきで、新たな法解釈は認められないという[1]」論理になる。
ハンバル法学派の視点--イジュティハードの門は閉じられていない

一方、ガザーリーの論理に対して真っ向に反対する論理を提示したのが、ハンバル法学派に所属するイブン・タイミーヤである。イブン・タイミーヤが活躍した舞台はフレグ・ウルスとマムルーク朝が対峙したシリアとエジプトである。イブン・タイミーヤが強調した論理は、シャリーアである。彼自身は、クルアーンとスンナの強調のみでは現実的な問題に対処することが困難であったということを十分に理解していたので、シャリーアが現実的機能を果たすためにも、クルアーンとスンナに現れている法的原則を解釈し応用する必要性を説いた。

イブン・タイミーヤは、法学者などのウラマーの重大な任務を説き、法源としてのクルアーンとスンナを絶対的優位な法体系に認めることで、この原則にのっとったイジュティハードだけが有効なものであるとし、個人によってそれぞれ勝手に独自の判断を認めなかった[2]。。

彼の論理は、18世紀のワッハーブ派の運動に大きな影響を与えていく。
十二イマーム派におけるイジュティハード
十二イマーム派においてウラマーによるイジュティハードを基礎付けるために用いられた弁証法は以下のようなものであった。まず、アッラーフは全知全能であり、アッラーフのみが一身専属権として有する立法権を用いて人類のために法を作り、人類にその法を伝えるために預言者を指名し、更にその法について人類を正しく導くイマームを指名した、と説いた。その上で、預言者(ムハンマド)も過去のイマームも神の業の全てを知り尽くして言葉に残したわけではなく、また現在のイマームであるムハンマド・アル・マフディーはお隠れになっている、とした。このような認識を前提として、ゆえにウラマーはアッラーフが作られた法律をクルアーンとハディースから特別な方法を用いて探す義務を追っており、これがウラマーによるイジュティハードの目的である、と彼らは結論した。この論理により、十二イマーム派はイジュティハードを一種の法発見の過程と位置付け、法創造であるとの批判を否定したと言われている。

イラン

シーア派の国家であるイランにおいては、イジュティハードは、「ヴェラーヤテ・ファギーフ(ペルシア語版、英語版)」(法学者の統治)という法論理に収斂されることになる。 ヴェラーヤテ・ファギーフ論とは第12代イマームがお隠れになった後に誰が宗教共同体(ウンマ)を率いるかという問題に直面したシーア派ウンマが生み出した法論理であり、その端緒は、ウラマーによる司法権限の代行、ウラマーによる宗教税の徴収と配分権の保有であり、現代では、政治面まで拡大している。

一定以上のウラマーにイジュティハードが与えられ、このような学者のことをムジタヒドと呼ばれる。ムジュタヒドの中での最高権威がマルジャエ・タクリードと呼ばれ、イスラーム法の解釈権を持たないものはムカッリド(模倣するもの)と見なされ、ムジュタヒドに従うことが求められる[4]。ただし『模倣』(タクリード)とは『盲従』(タアッボド)とは違い、理性による批判精神を捨てるよう求めるものではない。よってタクリードとはイスラーム法の専門家の権威を認めることであって、具体的にその学説を受け入れるかどうかは信者個人にゆだねられるという説もある。”

ジャアファル・サーディク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF
”ジャアファル・アッ=サーディク(アラビア語: جعفر الصادق‎, 702年4月20日 - 765年12月4日)、全名アブー・アブドゥッラー・ジャアファル・イブン・ムハンマド・イブン・アリー・イブン・フサイン・アッ=サーディクは、シーア派・イマーム派の第6代イマーム。アッ=サーディクとは「信に値する者」の意。

クーファの街を拠点に活動し、神学者・法学者としても著名。ジャアファル・アッ=サーディクの法判断はのちのシーア派法学においてジャアファル法学の基礎となっており、イマーム派シーア派の教義を確立したイマームといってよい。しかしジャアファル・アッ=サーディクの名声はシーア派内に留まるものではなく、信頼性の非常に高いハディースの伝承者として、また学問全般に対する貢献からスンナ派のあいだでも高い崇敬を受けた。

またジャアファル・アッ=サーディクの後継をめぐって、のちに主流派となる12イマーム派と今日のアーガー・ハーンの家系に連なるイスマーイール派との分裂がおこっている。

学者として

ジャアファルは幼時から祖父アリーの許で勉学を積み、祖父の死後は、743年のその死まで父ムハンマド・アル=バーキルとともに学んだ。

ジャアファルは、ハディース、スンナ、クルアーンなどのイスラーム諸学に通暁し、さらにイスラーム学に加えて、自然科学・数学・哲学・天文学・解剖学・化学、その他の諸学芸にも通じた。

イスラーム史における化学者として、第一に名の挙げられるアブー・ムーサ-・ジャービル・イブン・ハイヤーン(西欧語ではゲーベルの名で有名)は、ジャアファル・アッ=サーディクの弟子のなかでも特に有名である。ジャアファルは学問における自由主義的寛容さで知られており、異なる信仰あるいは信条をもつ学者らとの議論を切望した。

シーア派では、スンナ派の法学派や神学派の祖のうちの3人までもがジャアファルの許で学んでいるという理由から、彼らをジャアファルの弟子とすべきであると考える。この議論はスンナ派の立場からは、ジャアファルの影響を誇張したものであるとされている。学者らの多くは互いの講義に出席していたのである。

多岐にわたりジャアファルと研究をともにしたと考えられる学者
ジャービル・イブン・ハイヤーン: 偉大な化学者。ヨーロッパではゲーベルの名で知られる。
ムーサー・アル=カーズィム: ジャアファルの息子。第7代イマーム。ジャアファル学派を継ぐ。

ジャアファルの講義へ出席したり、研究をともにしたと考えられるスンナ派学者
ワースィル・イブン・アター: ムゥタズィラ学派の祖。
アブー・ハニーファ: ハナフィー法学派の祖。
マーリク・イブン・アナス: マーリク法学派の祖。

シーア派教義の確立

ジャアファルは前節の学者としてのあり方から見て取れるように、知と理性(アクル)を非常に重視した。これはシーア派学問や神智学的分野のみに留まるものではなく、法学分野に影響を与え、さらにシーア派の教義そのもの、ひいてはその政治思想にも影響を与えるものであった。判断(特に法的判断)における理性の強調は、とりもなおさず判断する者の「知」を重視することになるからである。この判断を社会全体での判断について当てはめると次のように議論が展開する。

ムスリム全体を導くために判断する者、すなわちウンマ(イスラーム共同体)を指導する者にも当然、知あるいは理性が求められる。では、預言者ムハンマド没後どのように「知」「理性」を持つ者が確保されてゆくのか。そこでジャアファルは、イマームこそ、そしてイマームのみが神の言葉たるシャリーア(イスラーム法)を正しく判断できるもの、とする。初代イマーム・アリーは知の完成者として賞賛されるが、ジャアファルは、その知のあり方はアリー家に受け継がれるとしたのである。こうして、ジャアファルにおいて、シーア派イマーム派の根本教義の一つ、アリー家の無謬のイマームが代々指導する共同体を志向するという教義が成立した。
ウマイヤ朝下のジャアファル

ジャアファル・アッ=サーディクは激しく転変する時代に生きた。ジャアファルは、先々代イマーム・アリーの信徒らに重んぜられたが、彼らはウマイヤ朝から見れば異端的な反乱軍であり、ジャアファルの縁者の多くはウマイヤ朝によって死に追いやられたのである。叔父ザイド・イブン・アリーはジャアファルの父ムハンマド・アル=バーキルが没した直後、ウマイヤ朝に対して反乱を起こした。ジャアファルはこれには参加しなかったが、ザイドをはじめ縁者の多くが亡くなり、また罰された。ウマイヤ朝末期の数年間にはこのほかにも多くの反乱があり、750年のアッバース朝成立に至る。このときジャアファルは48歳になっていた。

諸々の反乱勢力はジャアファル・アッ=サーディクの支持を求めたが、ジャアファルは自身の見解をはっきりとさせずに、この類の要請をはぐらかしつづけた。ジャアファルはカリフ位を彼に与えるというような文言を持つ書簡を燃やしてしまい「この者は私に従う者ではなく、そもそも神の領域に属することをなすことは、この者にはできない」と言ったという。ジャアファルはその本意を隠し、慎重に沈黙を続け、シーア派教義タキーヤ(信仰秘匿)の確立の淵源はここにあるとされる。タキーヤはすなわち、自らの本来の信条を明らかにすることで自己や他者が危険な状態に置いてしまうような場合、これを隠すことが認められるという教義である。


マズハブ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%8F%E3%83%96

ジャアファル法学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E6%B3%95%E5%AD%A6%E6%B4%BE


アシュアリー学派 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%AD%A6%E6%B4%BE

マートゥリーディー学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%B4%BE

マーリク学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AF%E5%AD%A6%E6%B4%BE

シャーフィイー学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A4%E3%83%BC%E5%AD%A6%E6%B4%BE

ハナフィー学派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E5%AD%A6%E6%B4%BE


数えられなかった羊 『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』
“イスラームにおける「異端」概念についての議論から。
 キリスト教とイスラーム教が比較される場合、前者がorthodoxyを求める宗教であるのに対して、後者はorthopraxyの宗教であると説明されることがしばしばある。ユダヤ教内の律法主義を批判しながら成立したキリスト教では信条・教義の正しさが求められるが、ユダヤ教と同様に戒律重視であるイスラーム教では、まず求められるのはおこないの正しさということである。宗教の全体的な傾向について言っているのなら、このような対比は間違ってはいない。近代初期までの西欧においてたびたび実施された異端審問のように、人の思想・信条に立ち入り、それを裁こうとする試みは、同時代の中東イスラーム圏ではあまり起きなかったのも事実である。
 もちろん、異端排斥的な教義論争がなかったわけではなく、本書内の引用箇所でも留保がされていますし、マアムーンのムウタズィラ派正統化による「異端審問」についても概説されています。
 本書全体の流れとしては、まず比較的教義の明確な「異端」が分離することで「その他大勢」としてのスンナ派が析出されてきて、多数派が遅れて理論構成する、という展開となっています。この歴史展開について、キリスト教におけるグノーシス派の「分派」との比較なども触れられています。
 
 続いて、スンナ派におけるカリフ論と無謬性についての議論から。
 (・・・)イマーム派系のイマーム論では、イマームは人間の中で「最良の者」であると定義される。これに対し、マーワルディー1の理論において重視されるのは、カリフの資質よりむしろ統治契約成立の有無である。マーワルディーはカリフの条件として、公正であること、知識があること、五体が健全であること、臣民を統治し公共福祉の増進を促すような意見を持っていること、イスラーム教の敵と戦う勇気と気概を持っていることなどをあげている。だが一方では、カリフ選出時に「もし、より優れた方の人物を推挙したが、不在や病気であったという事情や、あるいは劣っている人物の方が、人々の服従を得やすいとか、人身を掌握しやすいとかの理由によるのであれば、この選挙は有効で」あるとも主張している。マーワルディーにとって、カリフは無謬どころか最良でなくても構わない。劣っているからこそ都合が良いという理由でカリフが選ばれることすら、彼は許容する。また、カリフが在任中に精神に異常を来したり、身体に欠損を生じた場合にカリフが廃位される場合もありえると考えている。このような事態も、理論上は無謬のイマームには起こりえないことであろう。



読了 イスラーム教「異端」と「正統」の思想史
http://flourish.cocolog-nifty.com/psy_srm/2010/12/post-1bd4.html
“本書の大前提として、イスラム教が「セム的一神教」から外れていないことが冒頭で記される。これはユダヤ教によって発明された概念であるがキリスト教及びイスラム教にも継承されている中心理念であり、
1 唯一神
2 予言者に下される啓示と経典
3 神が人間に課す戒律
4 一度限りの創造と終末、終末の後に到来する永遠の来世
の諸概念から構成される。キリスト教は所謂三位一体概念により殆ど第1の要件を踏み外しかねない論理的な”アクロバット”を行っているが、辛うじて唯一神概念を保持している、とする。当然イスラム教はこの”セム的一神教”の枠組みの中で展開する事となる。
 ここまでが序章であり、章立ては以下のとおり。
1 理想の信仰共同体と「分派」の出現
2 「異端」と「正統」
3 「宗教宗派」シーア派の成立
4 イマーム派と極端派
5 イスラーム教のメシア思想
6 裏切られた革命(※アッバース朝とシーア派の関連について)
7 12イマーム派とイスマーイール派の台頭
8 シーア派とスンナ派の対峙
9 イスラーム教教義の限界に向かって
 本書の主張の基本は、
「シーア派諸派が成立し、それに対峙する形で多数派のスンナ派が自らの教義を形成して行った」
とするものである。これは、ネストリウス派キリスト教がカソリックに対峙していて、ネストリウス派に拮抗するためにカソリックが自らの教義を整えて行った事に比肩されると言う。地味ながら、非常な卓見である。そして、シーア派を形成して行った「悔悟者たちの反乱」等の事件を記載する。
 また、シーア派の隠れイマームの思想が救世主思想に親和的であって、イマームが救世主としてお隠れの状態から脱すると言う思想を生んだ、とする。だが、イスラーム等における救世主思想がセム的一神教に必然的ではないことを論じ、救世主思想を俯瞰する。
 ここで描かれる(ムハンマドの前の預言者の一人としての、また救世主としての)イエスの姿(※それは、ハディーズ文献に登場するものであり、必ずしもクルアーンに登場するものではない)は、時代と共に変遷するのであるが、何れも驚嘆すべき極めて興味深いものである。クルアーンは岩波文庫に邦訳されて容易に読めるが、ハディーズ文献は馴染みが薄い。このあたりの解説だけでも、本書は大いに価値がある。
 アッバース朝の成立とそれに当初は協力したシーア派が対立し、その中でアッバース朝はウラマーたちに宗教的解釈権を与えることで自分たちの立場を強化し、ここにようやっとスンナ派が成立した、とする。シーア派が一貫して、アリー及び預言者の娘ファーティマの子孫をカリフとして擁立しようとしたのに対し、アッバース朝とその後継者たちは一種の多頭支配に移行したものと言えるだろう。
 シーア派の運動は、アラブ民族によって征服された諸民族の反発による政治運動だと一般的には理解されるのであり、アッバース朝はイスラムであれば民族を問わず平等であるとしてこの政治運動の一部を飲み込み、アッバース革命とも称される。他方、アッバース朝の出自は預言者の叔父の系統であり、シーア派の主張する女系ではあるが預言者直系のアリー系カリフ就任は拒絶された。もし、シーア派運動が諸家が言うように被支配民族が興した政治運動であるならば、ここでシーア派の運動は終わりになったはずである。だが、シーア派の動きは更に活発になり、北アフリカに爾後シーア派王朝のファーティマ朝を樹立するに至る。




菊地達也 『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』 (講談社選書メチエ)
https://whbg.wordpress.com/category/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%BB%E4%B8%AD%E6%9D%B1/
”ムハンマドは、セム系アラブ民族クライシュ族の中のハーシム家に属する。

初期のカリフのうち、アリーはムハンマドの叔父アブ・ターリブの子で、ムハンマドのいとこ、アブー・バクルとウマルはクライシュ族の別の家、ウスマンはクライシュ族のウマイヤ家。

第3代正統カリフのウスマンがウマイヤ家出身なのは、高校世界史レベルだと盲点なので要記憶。

23ページの系図によると、ウスマンの父とアブー・スフヤーン(ウマイヤ朝初代カリフ、ムアーウィヤの父。初期布教期にムハンマドを圧迫した中心人物。)がいとこ同士なので、ウスマンとムアーウィヤは「はとこ」に当たるのか。

ムハンマドの子供のうち、男子はすべて夭折、ファーティマという娘が一人いるだけで、彼女がアリーと結婚。

ムハンマドのおじアッバースから始まるアッバース家はハーシム家に収まる。

これだけは押さえておかないと、話が繋がらない。

なお、正統カリフとはスンナ派にとっての「正統」で、シーア派はアリー以前の3人は簒奪者と見なす(ただし後述ザイド派などの例外あり)。

スンナ派のカリフとシーア派のイマームの区別。

カリフは血筋はあまり重視されず、前任者の指名または選挙で選出、政治と軍事の権限のみを持ち、宗教的権限はウラマー(学者)が持つ。

イマームはアリー家の血統と父子指名を最重視、共同体の統治者であるだけでなく、精神的にも絶対的指導者。

しかしアッバース朝期までは、宗教解釈権を行使したカリフも多かったとのこと。

このカリフ権限の説明ですが、大昔の高校世界史だと「カリフ=政教両面の指導者」、「スルタン=政治面のみの指導者」と習った記憶があり、整合しませんが私の習ったのは古い説なんでしょうねえ。

656年ウスマンが軍の反乱で殺される。

これがイスラム教徒による初のカリフ殺害(644年ウマルはキリスト教徒に暗殺された)。

アリーがカリフに登位するがシリア総督ムアーウィヤはこれを認めず、ムハンマドの寡婦アーイシャ(アブー・バクルの娘だったか)と教友ズバイルおよびタルハは反乱を起こし、第一次内乱始まる。

アーイシャらは鎮圧され、ズバイルとタルハは敗死。

アリーはイラクのクーファに移動しムアーウィヤと戦うが、657年スィッフィーンの戦い後、一時和議成立。

これを非難する一派がアリー派から分離、初の分派ハワーリジュ派成立。

ムアーウィヤだけでなく、それまでの指導者アリーをも悪と見なす極端な善悪二元論と攻撃性を持つ宗派で、アリー軍と戦って惨敗した後も、活動を続け暗殺者を派遣、ムアーウィヤ殺害は失敗するがアリー暗殺に成功、この661年をもってウマイヤ朝成立となる。

ハワーリジュ派はウマイヤ朝治下でも武装蜂起を繰り返し、弾圧を受け、現在では他派に比較的寛容なイバード派がオマーンに居住するのみ。

イスラム教を大きく分ける場合、スンナ派・シーア派にこのハワーリジュ派を加えるのが正確な言い方らしい。

第2章。

正統カリフのうち、ハワーリジュ派はアブー・バクルとウマルの権威のみ認め、他派にも同じ立場を採るものあり。

シーア派はアリーのみ。

シーア派以外ではアブー・バクルとウマルを否定するものはいないが、初期の伝承ではウスマンの失政をあけすけに語っているものもあり、「四代の正統カリフ」はアッバース朝以降の理解。

第3章。

アリー死後、ファーティマとの子ハサンがカリフ即位を宣言するが、ムアーウィヤとの交渉を経て、ハサンはメディナに隠遁。

ウマイヤ朝は、正統カリフ時代を終わらせ、有力アラブ部族のみを特権化した不平等な政治を行ったので、シーア派のみならずスンナ派からも後世の評価は芳しくない。

ムアーウィヤが死去し、ヤズィードが即位すると、ハサンの弟フサインがこれに反抗、メディナからクーファに移ろうとして、680年カルバラの戦いでウマイヤ朝軍に敗れ戦死。

兄のハサンがシーア派の静観主義、弟のフサインが行動主義・殉教主義を象徴。

683年アブドゥッラー・イブン・ズバイル(上記アーイシャ反乱の同志ズバイルの息子)がメッカでカリフ位を宣言。

685年クーファのシーア派勢力によるムフタールの乱。

ムフタールは、アリーがファーティマ以外の妻ともうけた子ムハンマド・イブン・ハナフィーヤを担ぎ、政治党派ではなく宗教宗派と言える初のシーア派集団、カイサーン派を創始。

初期のシーア派では、現在消滅してしまったこのカイサーン派が最大勢力となる。

アラブ社会は基本的に男系社会なので、ファーティマを通じてムハンマドの血統が流れていることが当時は後世のようには重視されず、アリーの息子であることが主に強調されたため、ファーティマの子ではないイブン・ハナフィーヤが旗印に成り得た。

イブン・ズバイルはムフタールとは対ウマイヤ朝で共闘せず(父のズバイルがアリーに敗死しているので当然だが)、反シーア派の立場。

シリアのウマイヤ朝、イラクのムフタール、アラビア半島のイブン・ズバイルと、この第二次内乱は三つ巴の様相を呈するが、イブン・ズバイルがムフタールを覆滅した後、692年ウマイヤ朝第5代カリフ、アブド・アルマリクがイブン・ズバイルを倒し、内乱を終結させる。

(アブド・アルマリクの息子がウマイヤ朝最盛期カリフのワリード1世。ヤズィードの子で直系が途絶えて、ウスマンのいとこの系統にカリフ位が4代目から移っている。)

この内乱の期間、フサインの息子ザイヌルアビディーンはメディナで隠棲。

その二人の息子のうち、ザイド・イブン・アリーはウマイヤ朝末期に反乱を企て処刑され、もう一人の息子ムハンマド・バーキルは父と同じく静謐のうちに過ごす。

ザイドを支持したのがシーア派内のザイド派で、フサイン家だけでなくハサン家子孫にもイマーム継承権を認めるのが特徴。

アッバース朝時代になり、ハサン家出身イマームを擁したザイド派の反乱が、第2代カリフ、マンスールに弾圧される。

ザイド派は非シーアの多数派に支持を広げるため、「劣位のイマーム」の概念を導入、シーア派内では例外的に、正統カリフのうちアブー・バクルとウマルの権威を認める。

ザイド派はのちに北アフリカにイドリース朝(東京書籍『世界史B』に少しだけ記述有り)を建設、現在はイエメンに存在。”

シーア派についてのメモ その1
https://whbg.wordpress.com/2010/01/10/%e3%82%b7%e3%83%bc%e3%82%a2%e6%b4%be%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%80%80%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%91/
”ムハンマド・バーキル→ジャアファル・サーディク父子を支持するのがイマーム派で、12イマーム派とイスマーイール派に分かれる。

ジャアファル死去時、息子たちのうち、父より先に死去していたイスマーイールを支持したのがイスマーイール派、ムーサーを支持したのが12イマーム派。

ウマイヤ朝末期からアッバース朝初期にかけて、ムハンマド・バーキルとジャアファル父子はメディナで学究生活を送り、イマーム派の「信仰隠し(タキーヤ)」論の根拠となる。

これは少数派であるシーア派が現在まで存続する上で有益だったが、一方同時期に多数派に反抗し蜂起を繰り返していたザイド派などからは非難されることもあった。

イスラム教が厳格な一神教で、キリスト教徒がイエスを「神の子」と呼ぶのを非難し、預言者ムハンマドもあくまで人間であるとしていることは高校教科書にも出てきますが、この時期のイマーム派の中からは、精神的指導者尊崇の一線を越えてイマームを文字通り神格化したり、イマーム間の神霊の輪廻を信じたり、真理を会得したものによる既存のイスラム律法の軽視・廃棄を認めるような極端派が生れる(だが、これらはシーア派主流からは排除されていく)。

第5章。

イスラム教内のメシア思想。

省略。

第6章。

750年アッバース朝成立。(この年代は当然絶対暗記事項。結局ウマイヤ朝は100年続いてない。)

中央アジア・ホラーサーン地方でアブー・ムスリムがシーア派勢力の支持を得て蜂起したのがアッバース革命の始まり。

イブン・ハナフィーヤの息子がアッバース家の人間をイマーム後継に任命したとの伝承がつくられ、シーア派のうちカイサーン派をアッバース家が乗っ取る形になる。

第2代カリフ、マンスールの時代にアッバース朝とシーア派は決裂を迎える。

ハサン家の武装蜂起は鎮圧され、首謀者は処刑。

ファーティマを通じた預言者の血筋を何より尊ぶシーア派勢力に対し、マンスールは女系相続はありえず、アリーの父アブー・ターリブは結局改宗しなかったのに対し、同じくムハンマドのおじのアッバースはムスリムとなり預言者に親しく協力したゆえに、ムハンマドの継承権はアリー家ではなく、アッバース家にあると反論。

アッバース朝初期のこの時点で、王朝正統性の根拠が当初のシーア派的イマーム継承から、アッバース家の血統に変更されている。

その後、第3代マフディー、第5代ハールーン・アッラシード時代に、統治の根拠はイスラム法を護持・執行することに再度変更され、血統主張は後退。

多数派ウラマーの支持を得るため、正統カリフとして(アッバース家でないのはもちろんハーシム家出身でもない)アブー・バクルとウマルの権威を認める。

アリー家からはアリーを認めハサンを外し、ウマイヤ家からはウスマンを認めムアーウィヤを外す。

これで我々の知る四人の正統カリフとなる。

こういう認識は、できる限り支持基盤を広げるための妥協の産物だったのだろうと推測される。”

シーア派についてのメモ その2
https://whbg.wordpress.com/2010/01/12/%e3%82%b7%e3%83%bc%e3%82%a2%e6%b4%be%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%80%80%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%92/
”アッバース朝時代、政権による弾圧で、イマームの召喚と幽閉が続く。

11代イマーム没後、息子の12代イマームが幽隠ののち、マフディー(メシア)として再臨すると信じるのが12イマーム派。

実在が確認できるのは11代イマームまでで、12代目の息子の年齢や名前をめぐって対立があり、小分派が乱立、現在の12イマーム派も当初はそうした一分派の一つだった。

10世紀はブワイフ朝とファーティマ朝の支配によって、「シーア派の世紀」とも言われる。

そのうち、ファーティマ朝の創始者は、イランでイスマーイール派に属していたアブドゥッラー(通称ウバイドゥッラー)。

当初はイスマーイールの息子の代理人を名乗り、各地で教宣組織をつくり、地下活動を続けるが、のちにイマームは自分自身であると宣言。

この主張切り替えが、元のイマームからの委任に基づくものなのか、それとも実は自身がイスマーイールの血統に属することを根拠にしたのか本書では明確に記されていないようなので、わからない。

この方針転換を受け入れず、激しく反発した一派がカルマト派と呼ばれる。

ウバイドゥッラーは北アフリカに逃亡後、909年チュニジアにファーティマ朝を建国。

12イマーム派のブワイフ朝が、946年バグダードに入城してからも現実主義を採り、アッバース朝カリフの権威を認め、自らは大アミール位についただけなのに対し、ファーティマ朝は自らカリフを称し、アッバース朝の完全な打倒を目指す。

第4代カリフ、ムイッズの治世である969年エジプトを征服、のちにメッカ・メディナの二大聖地やシリアも版図に入れるが、ブワイフ朝はカルマト派と同盟、イラクのアッバース朝までは到達できず。

このころには過激なメシア主義は後退し、既存のイスラム法尊重が主流になるが、第6代カリフ、ハーキムを神格化したドゥルーズ派などの揺り戻しも見られた。

11世紀に入ると、ガズナ朝君主マフムードやセルジューク朝によるスンナ派の反撃が始まる。

第8章。

以上のシーア派各派に対抗して、多数派が自己認識を形成した結果生れたのがスンナ派。

スンナ派とシーア派は、結局、指導者論以外では教義上大きな違いは無い。

スンナ派が、個人の無謬性を預言者ムハンマドのみに認め、以後は宗教共同体全体の一致、ウラマー全体の合意を無謬としたのに対し、シーア派はムハンマドに加え、その子孫のイマームを無謬とした。

第9章。

シーア派内分派について。

イスマーイール派から分離したニザール派がイランに移り、いわゆる「暗殺者教団」に。

ドゥルーズ派とアラウィー(ヌサイリー)派は現在シリアとレバノンに居住。

両者ともイマームだけでなく一般信徒の輪廻を信じ、コーラン以外の聖典を保持する特異性がある。

ドゥルーズ派はレバノンにおいてマロン派キリスト教徒、スンナ派イスラム教徒と並んで宗派別権力分配に預かるグループとして、他の本でよく名前が出てくる。

アラウィー派は、1970年以来シリアで政権を握ったハフェズ・アサド、および2000年その跡を継いだバッシャール・アサド父子が属する宗派として有名。

現在ではイエメンのザイド派にのみ政治権力を掌握するイマームがいる、と書かれているが、外務省の各国情勢で確認すると、イエメンが南北に分かれていた頃、北イエメンは元王国だったが共和政に変わり、南イエメンはソ連に接近し人民共和国を名乗っていて、それが冷戦終結後の1990年に統一されて現在も共和国とのことなのだが、それじゃあこのイマームというのは何なのだろう・・・・・?

制度上、君主ではないが、そうした宗教的存在がいるということか。

よくわかりません。

(追記:最近の北部での内戦について、以下の文章を見つけた。)

ル・モンド・ディプロマティーク  「イエメンの危機的状況」

やっとこさ、とりあえず終わりました。

最後、「おわりに」であった、原理主義についての文章が面白かったので、以下に引用。

長期にわたって学者たちが積みあげてきた学問的成果を軽視し、聖なるテクストを直解しようとする姿勢は、結果的には学問的に精密な分析よりは素人的で主観的な聖典解釈を生みだしがちである。その結果、本人たちの意志に反して、彼らの解釈は近現代の状況に縛られる。クルアーンやスンナを理解しようとする際、古典期までの学者たちは伝承資料に対して大いに批判的な精神を見せていたが、そのような批判精神は原理主義者には希薄である。時代状況への依存度が高く、主観性の強い原理主義の思想は、原点回帰を訴えてはいても、実際には近現代の状況の中で選び取られた、イスラーム教理解の一つのヴァリエーションでしかない。”

シーア派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE
の参考文献
• 桜井啓子 『シーア派 ――台頭するイスラーム少数派』(中公新書、2006年)

シーア派―台頭するイスラーム少数派
http://d.hatena.ne.jp/abekoji/20091225/1261714646
” 第六代イマーム、ジャアファル・サーディクは、シーア派法学における重要な教義を説いた。その一つが、信仰隠蔽(タキーヤ)である。これは、自分や家族、シーア派の存続を脅かすような危機に直面した場合は、信仰を隠してもよいとす教義である。つまり信仰隠蔽を、シーア派を弾圧や迫害から守るための手段として正当化したのである。

大お隠れ時代を迎え、イマームにイスラーム法に関わる法解釈を求めることができなくなったシーア派の間では、イマームに代わって誰が、何を典拠に、どのような方法で法を解釈するべきか議論されるようになった。シーア派のウラマーらは、イマームたちの言行(スンナ)も預言者の言行と同様に、イスラーム法学(フィクフ)の典拠つまり法源(ウスール)とみなし、イマームの言行を収集し編纂することで、その不在を補おうとした。その結果、一〇世紀から一一世紀にかけていわゆるシーア派の四大伝承集が完成した。



『シーア派―台頭するイスラーム少数派』桜井啓子

・イスラームのザカート=喜捨は義務。
ザカートは一年を通じて個人が所有していた金銭、家畜、農産物などの財産に対してそれぞれ定率の支払いが課されるもので、現金の場合は2.5%。

↓の「戦争(戦利品)で得たどんなもの」はアラビア語で広義には「利益一般」なので、シーア派は事業や商業にも適用可能と考えてきた。

(” 「まことにザカート・喜捨は、恵まれない人、貧しい人、それを管理する人のため、また人々の心を惹きつけるため、隷属や借金からの解放のため、そして神の道における戦い[ジハード]のため、また道の途中で途方にくれた人々のためのものである。これは神が定めた宗教義務である。神は賢く英明であられる」 (9:60)

一部の人々が、ザカートの分け前をくれと表明したことを受け、この節は、イスラムで義務とされるザカートの使い方について定め、こう語っています。「ザカートは、困窮にあえぐ人や生活力のない人、あるいは借金を抱え、それを返済する能力がない人に届けられる。また、旅のさなかで災難に遭い、途方に暮れた人にも配られる。非イスラム教徒をイスラムへと惹き付けるためにも、ザカートを費やすことができる。また必要とあらば、奴隷を買い、解放することもできる。もし戦いが起こったら、ジハードの経費のためにザカートを費やすことができる。もちろん、ザカートの収集とその支払いを請け負う人々への報酬も、そこからまかなわれる」”
コーラン第9章 タウバ章 悔悟 第56節~第60節
http://japanese.irib.ir/programs/%E5%85%89%E3%81%AE%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1/item/29200-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E7%AC%AC9%E7%AB%A0-%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%90%E7%AB%A0-%E6%82%94%E6%82%9F-%E7%AC%AC56%E7%AF%80%EF%BD%9E%E7%AC%AC60%E7%AF%80


”「[真理と偽りが]分かたれる日、[信心者と不信心者の]2つのグループが対立する日、神が僕たちに下したもの、そして神を信じるのなら、覚えておくがよい。あなた方が戦利品として得たものの5分の1は、神と預言者、近親者、孤児、恵まれない人、そして困っている旅人に施すものとなる。神は全てのことを知っておられる」 (8:41)”
コーラン第8章 アル・アンファール章 戦利品 第38節~第41節
http://japanese.irib.ir/programs/%E5%85%89%E3%81%AE%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E7%AB%8B%E3%81%A1/item/28777-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E7%AC%AC8%E7%AB%A0-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%AB%A0-%E6%88%A6%E5%88%A9%E5%93%81-%E7%AC%AC38%E7%AF%80%EF%BD%9E%E7%AC%AC41%E7%AF%80

””フムス (khums) は、イスラム教シーア派における、純益の五分の一を支払う宗教税である。本来はアラビア語において五分の一を意味する単語である。
概要

シーア派の観点によれば、フムスの根拠はクルアーンの以下の節による。

「戦争で得たどんな物も、5 分の1 は神とその使徒そして近親、孤児、貧者、そして旅人に属することを知れ」
— クルアーン 8 章〔戦利品章〕41 節、[1]

この字句によれば、フムスの分配対象は以下の6つである。

神(アッラーフ)
使徒(預言者ムハンマド)
使徒の近親者
孤児
貧者
旅人


イマームの在時には、イマームが受け取り、それらを対象に分配することが原則とされた。しかし実際には分配の対象は以下の2つに区分される。

イマームの取り分
分配対象の神、預言者、「お家の人々」がイマーム自身であると解釈されたことに基づく。
サイイドの取り分
孤児、貧困者、旅人は預言者一族の一員であると解釈されたことに基づく。

このうち、第一に関してはイマームがお隠れ(ガイバ)することで、法学者間の問題となった。イマームに代わり法学者が徴収可能であるかが主要な問題となり、議論が展開されていく[2]。現代ではイマームの代理として高位の法学者が習従する一般信徒からフムスを徴収して宗教活動に使用しており、その財政基盤となっている。

シーア派の歴史的研究では、オスマン帝国とシーア派宗教界に集まったフムスとイランからの聖地巡礼による収入は、カージャール朝の国家予算の数倍から10倍以上という莫大なものであったことが明らかにされている[3]。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A0%E3%82%B9_(%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0)


・アラウィ―派=ヌサイリー派:シリア、トルコ、レバノンなどに点在するシーア派系グラート(過激な教義の極端派)。
・ワクフ:土地や物件などの財産を寄進し、そこからの集積を宗教施設の運営など慈善費用に充てる制度。

・p.6 総人口に占めるシーア派率
イラン=88.3% 
イラク=57.1%  
バーレーン=54.4%  
レバノン=29.8%  
クウェート=18.8%  
パキスタン=14.5%  
アフガニスタン=5.9%  
トルコ=3.3%  
サウディアラビア=2.3%  
インド=1.8%  
シリア=0.6%  
アゼルバイジャン=61.0%  
タジキスタン=5.0%  

・“「隠れイマーム」
 第十代イマームの死にともなって、ハッサン・アスカリーが第十一代イマームに就任したが、八七四年にこの世を去った。彼に後継者となるべき息子がいたのか、いなかったのか知らされていなかった信徒は、第十一代イマームの叔父にあたる人物に、葬儀を主催するよう依頼した。ところが葬儀の礼拝がはじまると、突如一人の少年が現れ、葬儀の礼拝は、叔父ではなく息子である自分が行うのが相応しいと言い放ち、礼拝を行った。人びとはこの少年を第十二代イマームだと信じたが、礼拝の終了と同時に姿を消し二度と現れることはなかった。
 第十二代イマームの行方をめぐってさまざまな憶測が流れたが、結局第十二代イマームは、信徒と直接に触れあうことができない「お隠れ」(ガイバ)状態に入ったという解釈が受け入れられていった。こうした解釈が受容されたのは、第十代イマームも第十一代イマームもアッバース朝の監視を避けるために信徒の前に姿を現すことはなく、代理の者を介して信徒と交流していたからである。第十一代イマームが、迫害を恐れた息子の存在を明かさなかったとしても信徒にとって不思議ではなかったのだろう。第十代、第十一代イマームの代理を務めた人物は、引き続き第十二代イマームの代理人としてイマームと信徒の仲介を果たした。この人物の死後は、彼の息子がその任を引き受け、その後もまた別の人物が登場し、そうした状態は九四〇年に四人目の代理人が他界するまで続いたために、一般の信徒にとって大きな変化はなかったとされている。
ところが、四人目の代理人が、後継者を指名せずに他界したために、シーア派は、イマームとの交信の途を完全に断たれてしまった。預言者ムハンマドの他界からおおよそ三〇〇年後のことである。それでもシーア派は、「イマーム不在」の状態を永遠のものとは考えなかった。「隠れイマーム」となった第十二代イマームは、終末直前に救世主(マフディー)として再臨して、人びとをこの世の悪から救済してくれると信じたのである。
シーア派によれば、サーマッラーにある第十一代イマームの墓廟の下には洞穴があり、その洞穴のなかの一室には扉があり、この扉の向こうの部屋の隅に、第十二代イマームが消えた泉があるという。人びとは、この泉に集まり隠れイマームの再臨を祈る。
 のちにシーア派は、第十二代イマームのお隠れから四人目の代理人が他界するまでの七〇〇年近い歳月を「小お隠れ時代」(八七四~九四〇)、その後の時代を「大お隠れ時代」(九四〇年から現在)と呼ぶようになった。“桜井啓子『シーア派』pp.29-31

・シーア派法学の基礎
九四〇年から大お隠れ時代を迎え、イマームにイスラム法に関わる法解釈を求められなくなったシーア派では、イマームの代わりに誰が、何を根拠に、どのような方法で法を解釈するべきか議論されるようになった。

イスラーム教ではムハンマドの言行(スンナ)についての伝承(ハディース)を収集し、イスラームの規範を導き出そうとする学者をウラマーという。
スンナ派においてもウラマーはその学識によって宗教的権威を持つようになった。
シーア派にもウラマーが登場したが、シーア派ではムハンマドだけではなく、十二人のイマームの言行も重視。「隠れイマーム」の時代となると、シーア派ではイマームの持っていた金曜礼拝の指導や宗教税の徴収などをウラマーが代行。シーア派においては、ウラマーが宗教指導者としての強い指導力を有する。

イマーム不在を補うために、イスラーム法学(フィクフ)の典拠=法源(ウスール)に、
イマームらの現行(スンナ)も加えた。
十から十一世紀にかけてシーア派の四大伝承集が完成。
シーア派四大伝承を作った三人は全員現在のイラン出身。
法源学(ウスール・アル=フィクフ)も発達。

これに先駆けスンナ派では九~十世紀にかけてスンナ派の法源学も発達し、
十世紀にはハナフィー、マーリク、シャーフィイー、ハンバルの四大学派が成立。
これらに共通してるのが、
コーラン、予言者の言行(スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)の四つを法源とすること。
合意とは共同体の合意であるが、実質的には法学者の見解の一致。
合意が法源とされるのは、「わが共同体は誤謬において一致することはない」という預言者ムハンマドの伝承が存在するから。
類推とは類推で法規定を導くこと。

シーア派では合意成立条件にイマームの合意も加えている。法解釈のために集まったイスラム法学者の間に隠れイマームが気づかれぬままに参加していれば、そこで成立した合意は法源となりうるとした。
十二世紀末には、スンナ派の法源の類推に代わって、
法規定の抽出を可能にする健全な理性(アクル)を法源とみなすようになり、
コーラン、ハディース、合意、理性の四つがシーア派の法源として定着した。
この四つの法源を元に法学者が法解釈(イジュテイハード)することを認める立場はウスール学者と呼ばれ、十六世紀初頭にシーア派を国教とするサファヴィー朝において主流学派となる。
本書巻末の用語集によると現在もこの理性を法源に含むウスール学派が主流。

なお、理性を法源とみなすことに反対し、法解釈は無効だとみなし、予言者とイマームの伝承を法解釈の唯一の根拠とすべき見解もあり、これは後のアフバール(伝承)学派の先駆者とされる。

(イマームが気づかれぬままに参加しているなら参加しているかわからないじゃん、
ってことは理性=アクルは教えてくれないのだろうか。
この理性が本源の一つってことは極めて重要!
推論は論理的推論であることも超重要!
反知性主義の否定。イスラム教はスンニ派も科学を否定しないことにもつながる。スンニ派も知性は否定しない。
メッカへの方向を礼拝用に知らないといけないから観測道具が発達したなど、科学否定だと不都合がたくさんあったのだろうね。
キリスト教世界が科学=悪魔崇拝としたせいでどれだけ不衛生だったことか……)

・モンゴル軍の襲来でシーア派の拠点であったコム(ゴム)、バグダード、カーズィマイン(カーズィミーヤ)は破壊されたが、バグダードの南百キロのユーフラテス川沿いのヒッラという小さな町だけは破壊を免れた。
ブワイフ朝にに仕えていたヒッラの長はこの町にシーア派の学者をかくまっていたのだが、モンゴル軍が来た時に積極的に協力したので殺戮を免れることができた。
(シーア派の十二イマーム派を信奉するブワイフ朝。
946年にアッバース朝の弱体化に乗じバグダードに軍事政権を樹立し、スンナ派のアッバース朝カリフから大アミールの称号を与えられた。
11世紀の中頃、中央アジアから西アジアに進出したスンナ派のセルジューク朝に滅ぼされた)
イル・ハーン朝はイスラムに対して比較的寛容だった。
第七代目君主ガザンはモンゴル軍にイスラム教スンニ派への改宗を明治、イスラムを公式宗教とした。
第八代目君主オルジェイトゥはイスラムの普及に努めただけでアンク、シーア派への改宗宣言も行っている。
イル・ハーン朝がシーア派に好意的だったので、ヒッラに大学者が集まり、シーア派学問が発達。

“先に述べたように十二世紀末頃までに、シーア派では、コーラン、預言者ムハンマドとイマームの言行、合意とならび、理性を法源とみなす考えが確立しており、これに基づいてアッラーマ・ヒッリーは、イスラーム法学者による論理的推論に基づく法解釈(イジュティハード)をシーア派法学における中心的な概念として位置づけた。
 もちろん誰もが、法解釈を行えるわけでない。アッラーマ・ヒッリーによれば、法解釈を行うことのできるウラマーは、「ムジュタヒド」と呼ばれ、アラビア語に精通し、コーラン、預言者ムハンマドやイマームの言行について十分な知識を持っているだけでなく、法学や法源学を修め、一貫した論理に基づいて法解釈を行うだけの能力を持たなければならない。言い換えれば、ムジュタヒドに求められているのは、霊感、啓示、秘跡といった能力ではなく、長年にわたる研鑽の末に、ようやく一握りの学者が到達できるほどの高度な学識なのである。”桜井啓子『シーア派』p.43
(法解釈は学者の高度な論理と知識に基づくのであり、神秘的能力は不要であることが重要。
キリスト教だと聖書に書いていない教父の勝手な非論理的解釈が聖書の文言より上という、意味不明なご都合主義)

・血統を重んじるシーア派においてムハンマドの子孫は特別。
ムハンマド、
ムハンマドの娘ファーティマ、
ファーティマの夫で預言者の従弟でもあるアリー、
ファーティマとアリーの間の息子ハサンとフサインの五聖人、
イマームたちも含めた十四聖人は、無謬で特別な存在とみなされ、熱烈に崇拝される。
彼らは、「お家の人びと」(アフル・アル=バイト)つまり預言者ムハンマドの一族とも呼ばれ、歴史的存在を超越した宗教的な存在となっている。
シーア派では十四人に加え、預言者ムハンマドの孫にあたるハサンとフサインの男系子孫を特に「サイイド」(=預言者の子孫)とよばれ、崇められ、神の恵み(バラカ)を受け継いでいるとみなされ、免税や減刑の対象となり、困窮するサイイドの生活支援にフムス(五分の一税)が使われてきた。
厳格な一神教であるイスラームは偶像崇拝にことさら厳しい。アッラーはもちろん、預言者ムハンマドでさえも、絵画や彫像として具象化することは許されない。モスクの装飾に人物柄を用いることも禁止で、代わりにアラベスクという幾何学文様や装飾文字が発達。
これはスンナ派とシーア派共通だがシーア派はスンニ派ほどに厳格ではない。
イランの国定教科書の挿絵では預言者ムハンマドや歴代イマームは具象化を避けるために輪郭をおぼろげに描くにとどめている。ところが歴代イマームの人物が、特に初代イマーム、アリーと第三代イマーム、フサインの肖像画が氾濫している。
予言者に選ばれる前のムハンマドの肖像を描いた特殊なものまである。
肖像画のほかには十二人のイマームや五聖人をまとめて描いたもの、カルバラーで殉教した第三代イマーム、フサインの悲劇を再現したものなどが多い。油絵やじゅうたん、路上販売のポスター、ステッカー、カードにいたるまでその種類は様々。
本当は唯一神以外の崇拝は禁止だが、実際はイマームたちも神聖な存在として崇められてきた。

※アリーから12代続いたイマームを認める主流派が十二イマーム派で穏健派。単にイマーム派ともいい、現在イランに多い。
(イスラム教の分派は他の宗教でも同様だが、
①ボスはだれがふさわしいか、
②ボスの資格は何か
で争った結果誕生。
これで分類すると明確に把握できる。

偶像崇拝は虐殺装置であり、人間の潜在意識を簡単に書き換えてしまうので禁止。
本人の意思にかかわらずって点が悪質。
神は偶像化できないからって理由は表向き。
ゴッドを否定する釈迦の初期仏教も偶像崇拝禁止だから、仏像禁止で、釈迦は足跡などで表現された。
キリスト教ももともとは偶像禁止だから東西ローマは争った。
偶像使うと簡単に信者を集められるからOKされた。
つまり人間を操るなら偶像が一番ってこと。
潜在意識の凶悪な暴力。殴られたことすら気づかせない。
偶像崇拝がゆるいといっても異教徒視点では厳しく見えるが、利益もちゃんと考えましょう。
ホメイニの写真あるいは絵が堂々とイランではかざっているらしい。ホメイニは聖人じゃないのにね。

カルバラーの戦いは最重要レベル。
シーア派はムアーウイヤ以降のウマイヤ朝カリフを認めなかったため弾圧され、
太陰暦のイスラーム暦61年
=西暦680年
にアリーの息子フサインがウマイヤ朝に反旗を翻し、カルバラー=現在のイラク南部で戦ったが敗北。以後は少数派としてイラク地方のクーファなどで存続していったシーア派は、カルバラーでのフサインの戦死を「殉教」ととらえて彼を理想の殉教者とする。
また、その地を聖地の一つとし、その日=ムハッラム月10日を「殉教の日=アシューラー」という苦難を偲ぶ記念日とし、シーア派の重要な特徴としている)

・フサインの殉教劇(ターズィイェ)の登場人物は敵と味方とに分かれて演じるが、
見方は緑と白の衣装、
敵は赤なのが定番。
役者が台本の詩をよみあげるのは、偶像崇拝を禁ずるイスラームの教えに配慮し、観客が役者とイマームを同一視しないようにするため。

・十六世紀に誕生し、十八世紀まで続いたサファヴィー朝を樹立したのがイスマーイール。
イスマーイールはサファヴィー教団という神秘主義教団(ターリカ)の教主。
十二世紀頃から各地に、修行で神に近づこうとする神秘主義教団が誕生し人気を集めていた。
イスマーイール派ではなく、十二イマーム派が国教。
キズィルバーシュ(赤い頭。赤い帽子をかぶった)
=サファヴィー教団の信徒かつトルコ系遊牧民
の軍を率いてサファヴィー朝を樹立したイスマーイールは、王(シャー)を「地上における神の影」とみなす征服地ペルシアの伝統を引きつぎ、自ら「シャー・ハン・シャー」((王の中の王)と名乗った。
さらには自分は第七代イマームの子孫で隠れイマームの代理人とまで主張。
イランのシーア派化に貢献したのはアラブから移住したムジュタヒドだけではなく、
イスマーイールが作ったサファヴィー朝誕生後に、スンナ派からシーア派に改宗した土着のイラン系宗教層の多くは、橙土地を所有し、宗教施設を管理するサイイド=預言者の子孫である。
アラブ系ムジュタヒドはアラビア語を母語としイスラーム法学の専門家として迎え入れられた。
対して、スンニ派から改宗したイラン系宗教層はペルシア語を母語としイスラームの神秘主義的哲学(イルファーン)に造詣が深く、サイイドという血統を誇りとしていた。
イスファハーンの宗教学院では神秘主義的哲学が発達し、イスファハーン学派が活躍。
宗教学院:法学を中心にイスラーム諸学を学ぶ高等教育施設。寄宿制。マドラサと称されることも多いがイランやイラクではハウザ(ホウゼ)と呼ぶことも多い。

(シーア派はスンニ派と比べて血統主義ですが、ペルシャの伝統もからんで血統主義が強化されているのでしょうね。ゾロアスター教の暦を今も使っていますし、中核の設計図はゾロアスター教っぽい)

・カージャール朝時代のイランにて、当時優勢だったアフバール学派
(哲学的、神秘主義的傾向。
スンナの伝承のみを法源とすべきとする伝承十十四。
法解釈を否定)
を、
ウスール学派
(理性と法律重視の合理主義。
ムジュタヒドに強大な指導力を与える)
が駆逐し、
アフバール学派は現在ではイラクとバハレーンにわずかにその子孫がいるのみ。

カージャール朝時代のイランで、
ウラマーのうち、法解釈ができるムジュタヒドの頂点であるマルジャア・アッ=タクリード(模擬の源泉)が誕生。
アーヤトッラー(神の徴)より上の、アーヤトッラー・ウズマー(大アーヤトッラー、神の最高の徴)の中で、信徒向けに『諸問題の解説』を執筆した者がマルジャア・アッ=タクリードとして認知される。


なお、
イスマーイール派=7イマーム派:765年、第6代イマームの死のおり、その息子のイスマーイールのイマーム継承を主張して分離。)
ドゥルーズ派はイスマーイール派の分派で現在はレバノン、シリア、イスラエルなどに点在。

(イランの十二イマーム派系の法学、哲学、神学が合理主義的傾向である理由。

エジプトにもシーア派国家があったことも重要。
 最初の本格的なシーア派国家の最初は、イスマーイール派の一分派が10世紀、909年にチュニジアに樹立したファーティマ朝。
ファーティマ朝は969年にエジプトを征服し、カイロを建設してアッバース朝に対抗するカリフを称した。1171年にアイユーブ朝のサラーフ=アッディーンに滅ぼされた。アイユーブ朝はスンナ派。

“マルジャエ・タクリード
マルジャエタクリード
イスラム教の信徒が見習い,従うべき模倣の源泉の意。イランにおけるシーア派ウラマー (イスラム法学者) の最高権威。 18世紀イランではイジュティハード (イスラム法解釈) の権限をウラマーに認めるオスーリー (ウスーリー) 派が勝利して以来,ムジュダヒド (イスラム法解釈の権限を認められたウラマー) 内にゆるやかな階位制が生じた。
(…)
【十二イマーム派】より
…これに対し,18世紀に法学者の解釈権イジュティハードを主張したウスール学派が勝利した。この結果,王朝支配から独立する法学者の〈最高権威(マルジャエ・タクリードmarjah‐e taqlīd)〉説が再確認された。近・現代にはムジュタヒドの上級者がアーヤトッラーāyatullāhの称号をもち,その下にフッジャトル・イスラームḥujjat al‐Islāmと称される法学者が多数いる。” https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89-158376)
ウラマーのうち、法解釈ができるムジュタヒドの頂点であるマルジャア・アッ=タクリード(模擬の源泉)が誕生。
アーヤトッラー(神の徴)より上の、アーヤトッラー・ウズマー(大アーヤトッラー、神の最高の徴)の中で、信徒向けに『諸問題の解説』を執筆した者がマルジャア・アッ=タクリードとして認知される。


・石油国有化と反英デモ
第二次世界大戦が終結しても政治的・経済的状況に回復の兆しが見られず、急激なインフレが人々の生活を直撃。
批判の矛先は石油利権の独占で莫大な利益を得ているイギリスのアングロ・イラニアン石油会社に向けられる。
1949年、モサッデクらが国民戦線を結成し、石油国有化運動を牽引。
1951年、石油国有化法案が国民議会で可決されると国民的英雄となったモサッデクは首相に任命される。
がイギリスが国有化に抵抗したためイラン全土で反英デモ。
一部のウラマーは参加したが大半のウラマーは政治とは距離を保ちつつ事態を静観。
イランは石油国有化法に基づきアングロ・イラニアン石油会社を接収し、国営イラン石油公社と改め、自主運営に乗り出したが、石油販売を統制している国際石油資本がイラン石油をボイコットしたために、輸出の途を断たれ、窮地に陥ってしまった。

白色革命への宗教界の反発
事態が混迷を深めるなか、
1953年、国王パフラヴィーはアメリカを頼りにクーデターを起こし、モサッデク政権を崩壊させて復権。
アメリカは後退したイギリスと入れ替わるようにイランに進出し、国王の独裁化に手を貸した。
1957年、国王はCIA (アメリカ中央情報局)の援助で国家治安機構(秘密警察サーヴァーク)を設立し反対勢力の一掃に乗り出した。
1963年、イランを近代国家に改造することを目標に掲げ、白色革命あるいは
国王と人民の改革と呼ばれる六項目の改革に着手。
六項目中最大のものはイランの伝統的な地主・小作制度を根底から変える農地改革。宗教寄進地も対象となったので、宗教寄進地からの財源にモスクや宗教学院をはじめとする宗教施設を維持・運営する宗教界は猛烈に反対した。

また、女性選挙権と被選挙権にもイスラームの女性観に反するとして反発。
が、投票は行われ六名の女性議員が誕生。

さらに、当時10%台といわれた農村の識字率向上のために兵役期間中の高卒以上の若者を辺境に派遣し、識字教育にあたらせる識字部隊が導入。辺境での教師不足解消に一定の成果を上げる。一方、当時偏狭でまだ存続していたウラマーの運営するマクタブ(寺子屋式コーラン塾)を衰退させることになり、宗教界、十二イスラム教シーア派十二イマーム派へのさらなる打撃となった、

ホメイニーの登場
一連の改革にこれまで沈黙を保ってきたウラマーも強く反発。
政治に関与しないことで知られてきた最高権威マルジャア・アッ・タクリード(模擬の源泉)のボルージェルディーでさえも、私有財産を認めるイスラーム法に反するとして農地改革には反対。
彼の他界後は国王批判が一挙に噴出。
そうした動きの先頭に立ったのがホメイニー。イスラーム革命の指導者となる彼は当時はテヘランのすぐ南に位置するコム(ゴム)で教鞭をとる一介ののムジュタヒドにすぎなかった。
1902年にイラン南部のホメイン村でサイイド(預言者の子孫)の家系に生まれた。父ムスタファーもナジャフに学んだウラマーで、母も著名なウラマーの娘。
16歳で故郷の村を離れたホメイニーは、のちにコムの宗教学院再建に尽力する最高権威マルジャア・アッ・タクリード(模擬の源泉)のハーエリー・ヤズディーに師事した。
1963年、ホメイニーはコムの名門宗教学院であるフェイズィーイェ学院で国王の独裁と対米従属を糾弾する演説を行ったためにその二日後に逮捕される。
ホメイニ逮捕の知らせを聞いた人々が全国の主要都市で大規模な抗議デモを行ったが、これを鎮圧しようと政府が軍隊を出動させたために100人を超える死傷者が出て、ホメイニーの弟子たちも多数逮捕。翌年いホメイニーは釈放されたが再び国王を批判したためにトルコに追放され、
1965年にはイラクのナジャフに移る。
ホメイニーは世界各国のシーア派ウラマーが集まるイラクのナジャフで教育研究活動に励み、
1971年にはのちのイスラーム共和国の統治体制の基本的理念となる
イスラーム法学者の統治(ヴェラーヤテ・ファキーフ)論を発表。
ホメイニーは、イマーム(預言者ムハンマドの血を引くイスラム共同体の最高指導者)不在のあいだ、イスラーム法学者(ファキーフ)は、イマームが担ってきた司法権、宗教税の徴収とその配分、政治権力がイスラーム法から逸脱しないように監督するといった機能を代行することができるというこれまでの解釈を踏襲しつつ新たに統治権をも代行すべきだと説いたのである。

年では教育を受けた中層、上層のホワイトカラーが急増し西洋的ライフスタイルや消費生活がもてはやされるようになる。
西洋文化の無批判な需要により自己喪失に陥っている当時のイラン社会に一石を投じる作品を残したことで有名な作家のアーレ・アフマドは西洋かぶれと呼んで批判した。
1970年代になると開発投資が鈍化して失業率が上昇し、さらに未曽有のインフレが貧困層を直撃したために都市と農村の文化的、経済的格差はさらに拡大しイラン社会を危機的状況へと追い込んだ。人々はそれを背後で支えているアメリカを不幸の元凶だとみなすようになっていた。

1979年、ホメイニーが亡命先のフランスから戻り十五年ぶりに祖国の土を踏んだ。彼はただちに暫定晴雨を立ち上げ、パフラヴィー王朝は終焉。
イラン・イスラーム革命直後にホメイニーの弟子であるウラマーたちが結成したイスラーム共和党(IRP)はホメイニのカリスマ性と大衆の支持により勢力拡大し、新憲法にホメイニーのイスラム法学者の統治(ヴェラーヤテ・ファキーフ)を明記することに成功。

ホメイニーは東西両陣営から独立した外交を基本路線とし、東でもなく西でもないイラン・イスラーム共和国という東西不偏を掲げた。
アメリカに死を、ソ連に死を
はホメイニーの外交姿勢をより直接的に現したもの。
東西不偏と革命の輸出の二つの外交方針。

1979年は、イランとイラクというシーア派の二大中心地の関係が逆転した。
イランは革命で躍進、
一方イラクでは世俗主義のバアス党のサッダーム・フサインが大統領に就任。
十九世紀中ごろからシーア派学問の中心として栄えたイラクのナジャフの地位低下は決定的となる。
対してイランのコムは、コムで教育を受けたウラマーが政権の中枢を担ったことで政治的にも学問的にもシーア派の中心地として不動の地位を築く。
コムにはホメイニーをはじめ著名なウラマーを輩出したフェイズィーイェ宗教学院をはじめ優秀な教授陣を抱える名門宗教学院が集まっている。

女性教育の拡充
革命後のイランの新しい試みが、女性布教者や教育者を育成するための女子宗教学院。
宗教学院はもともと男のウラマー育成機関だったが、女性布教者の養成が不可欠だと考えたホメイニーはコムに初の大規模女子宗教学院を開いた。

(左目イギリスに石油支配されて、左目CIA製の王様に支配されて、イスラム教シーア派十二イマーム派の力を削いで左目キリスト教=WASP化させる白色革命されたのだから、今もイランは反英米、反CIA。
ホメイニの亡命先が右目陣営のフランス。イランは右目側だけど正確には両目あるいは第三の目も開いている三つ目だから特異。
結社における宗教の序列だとシーア派は正統派キリスト教より上。ちなみに密教もキリスト教より上。仏教じゃなくて密教ね。
イラクが狙われた理由の一つがイランに対しては成功しなかった、英米WASPによるシーア派イスラム潰し。
古代史の物証があるから積極的に破壊。石油利権よりも優先。

ホメイニーが力を持てた理由の一つがシーア派が血統主義であること。ホメイニも預言者の子孫。
婦人参政権とか識字率向上っていいことしてんじゃんって思うでしょ?
でもキリスト教化とイスラム教文化の破壊とセットだよ。
奪う為に与えるのが基本。
学校はキリスト教の神学校モデルのものだらけになり、政界進出した女性のバックはキリスト教系カルトばかり……という日本のようにはイランはならなかったけどね。
明治維新・戦後改革と白色革命ってかぶるね。
「白色」革命なのが露骨。CIAが国王を援助って堂々と書いてあるね。
あとイランは女性教育もやっているし。
言う機会がなさそうだから言っておくけど、フェミニズムって「女よ男になれ」だよね。考えたの男だよね。「女性が男のようになって活躍」だよね。男尊女卑は維持だよね。
ヴェラーヤテ・ファキーフはアルファベット表記でwilayah faqihらしいけど読めないぞ。

陰謀論二大勢力が
①左目右翼英米系のキリスト教原理主義
②右目左翼の共産主義・無神論・理性主義・啓蒙主義
だという見方があるけど、

③バハーイー大本教系・スピリチュアル・エキュメニカル万教帰一賛成
=新キリスト教と

④キリスト教原理主義・カトリック絶対エキュメニカル万教帰一否定
=既存のキリスト教維持

の対立軸もあるからややこしい。
製造者が右目(欧州。スコットランド)か左目(英米。イングランド)かと
教義が右目(知性主義)か左目(反知性主義)かで四種類の区分けもできる。
①は左目左目
②は右目右目
③は右目製造、思想左目
④は左目左目(③と④に反発)
ロス茶ロック対立論は二元論なのでダメです。
「理性による法解釈」の十二イマーム派は思想右目寄りだけど両目を兼ね備えバランスが取れている感じ。

八咫烏 ‏@takayukiway 2014年7月17日
昔から陰謀暴露を潰すのに「マージナライズ」という手法がとられてきた。 要は陰謀論者が主流派ではなく単なる頭のおかしい変人に見える様にレッテル貼りする。

hiroshibuttakuncat ‏@buttakuncat 2014年11月5日
@takayukiway 本当のことなのに、「これは、誰かが考えたシナリオで現実には無いよ」といったかんじで、陰謀という名の御伽噺に作り変える。

メルセゲル ‏@Meretseger2 2014年7月19日
@takayukiway @bilderberg54 北朝鮮拉致が陰謀論だった時代を知ってるので、すごく良くわかります

八咫烏 ‏@takayukiway 2014年9月26日
マージナライズ ある謀略や陰謀の暴露に対し複数の怪しい説を提示し、真説を相対的に怪しい説に貶める手口。 また、あえて真説を歪曲解釈し陰謀を陰謀論に貶める手口。 全く根拠の無い説を盲目的に信じて疑わない人も居るが…

閉店です ‏@lakudagoya 2015年7月11日
みんあ、ネトウヨは中国の共産主義を叩いてるけど、中国共産党は2006年にこの思想を捨てたのは知ってるかなん?なんか、ネトウヨってやってることが陰謀論バブルの前にしきりに反共活動をしていたアメリカのバイブルベルトのキリスト教原理を思い出すのよね。そいつらがペレストロイカで失業してさ

イスラームのテロリストが華々しくデビューする前の冬の時代は、悪魔崇拝の子供の生贄の陰謀論バブルを演出することで失業を防いだわけ。で、日本では逆で ペレストロイカで失業したサヨクが陰謀論バブルやって失業を防いだのよね。わかりやすい例を出せば太田龍とかな(笑)左右のシノギだね、陰謀論は

陰謀論はね、ペレストロイカで失業した左右両陣営の失業対策なんだよ。だから、陰謀論コミュで大御所な人って右側のアメリカの陰謀論輸入業者のキリスト教 原理主義か、冷戦時代にソ連圏に尻尾振ってたサヨクの基本二つの勢力しかいないでそ?元々こいつらの失業対策としてはじめたから自然とこうなる。)




「イスラーム生誕」「イスラーム思想史」「ロシア的人間」 
東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫) 井筒 俊彦
コウ@スイカ少年の日記 ‏@kou11lunatic 6時間6時間前
所謂、シャーマンとスーフィーって内観するときにイメージを多用している雑駁とした印象があるのだけど、どういう違いがあるんだろうか?って長年疑問だったんですが、井筒俊彦の「イスラム哲学の原像」に色々書いていて感動した。


芦原 英幸の実戦!芦原カラテ



世界史の窓 シーア派
http://www.y-history.net/appendix/wh0501-041.html

タバコ・ボイコット運動 その①
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/945e95549bd4fed0749f9614af0ba009

『シーア派―台頭するイスラーム少数派』桜井啓子
http://cyborg.relove.org/thought/shia_islam.html

桜井啓子『シーア派-台頭するイスラーム少数派-』
http://blog.livedoor.jp/mayanorihito/archives/25746848.html

桜井啓子 『シーア派 台頭するイスラーム少数派』 (中公新書)
http://flavius.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-6431.html



イスラム神学の生成 井筒『イスラーム思想史』#1
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20130615/p1
"井筒俊彦『イスラーム思想史』中公文庫、2005年、11–65ページ。

 イスラムの思想についての古典的著作から第一部「イスラーム神学」の前半部を読みました。思弁と論理によってイスラム信仰における難問を解決しようとする運動のことを、カラーム(思弁神学、イスラム神学)と呼びます。このような運動は原初のイスラムには存在しませんでした。ムハンマドの『コーラン』には解消しがたい論理的矛盾があったものの、そのことが大きな問題となることはありませんでした。ムハンマドの存命中は問題が生じれば彼の意見を仰げばよかったわけですし、そもそもイスラムが生まれた地に住む砂漠の民の民族性にある感覚主義と個物主義は、首尾一貫した教義を求めるようなものではありませんでした。しかしムハンマドが没し、またイスラムがギリシア思想が根づいていた地域を征服するにいたると、『コーラン』が教えるところを組織化する必要が生じます。

 このとき一つの焦点となったのが宿命の問題でした。『コーラン』にはすべての出来事は神の意志に由来するのだから、人間には自由意志はないという教えと、神の教えにしたがうか背くかは人間の自由意志によるという教えの両方が記されています。ここが教義上の分裂の起点となりました。たとえば人間の自由意志を否定するジャブル派、宿命を否定するカダル派が生まれました。カダル派によれば人間はおのれの行為を創造しているのだから、自由であるということになります。

 宿命と自由意志の問題に合理主義の立場から応答したのがムアタズィラ派でした。人間は自身の行為を創造する。この行為は理性的な基準により善であるか悪であるかに分けられる。神は悪を罰して、善に報いる。ここから正統派が認めていた「執り成し」の教義が否定されます。最後の審判のときにムハンマドが神に執り成すことで信徒がなした罪を軽くしてくれるという教義です。ムアタズィラ派によれば、おのれが創造した行為におうじて地獄の火に焼かれるという当然の報いから、予言者が信徒を救い出すことはありえないとなります。

 ムアタズィラ派の合理主義は神を人間的に考えることを排除するという特徴も持っていました。『コーラン』にある神を人間のように描く箇所は比喩的に解釈されなければならない[初期キリスト教における類似の教えについては、オリゲネスについての関連記事を参照]。神の本質とはその永遠性のみであり、その他の性質はすべてこの永遠性から派生する。したがって『コーラン』ですら神と共に永劫の昔からあったのではなく、他の被造物と同じく想像されたものとなります。「コーラン創造説」です。

 この極度な合理主義・理性主義への反発が即座に、しかもムアタズィラ派の内部から生じることになります。
"

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html
”世界の全てを支配する全知全能の神を信仰する宗教においては、「宿命」や「自由意志」をどう考えたらよいのかということが神学的に難しい。全能の神が全てを取り仕切っているなら、この世に存在する社会悪すらも神の意志ということになるし、人間には全く自由意志というものはないことになる。コーランの字句を素直に読むならば、このように世界の全ては神のはからいと見なさざるを得ない。こう考えたのがジャブル派と呼ばれる人たちだ。

しかし、そうだとすれば最高善であるはずの神が、自ら悪業を生みだしているということになる。このころはびこっていた社会悪、世の中の動揺、それらは全て神の仕業ということになるのだろうか? そんなことがあるはずがない、人は、自らの行為を自ら創造するのだ、と考えたのがカダル派である。時はウマイヤ朝の末期のことであった。

ジャブル派とカダル派は、「宿命」について全く逆の考えを持っていたわけで、両派の間では激烈な議論がわき起こった。そして人間の自由意志の有無を論じているうちに、次第に合理主義的思考が発達し、初期イスラームにおける最大の思想運動である「ムアタズィラ」がカダル派のうちから勃興してくるのである。

アッバース朝の初期、カリフ・マアムーンは学問を愛し、古代ギリシアの書物の翻訳事業や学者の優遇などを行った。ムアタズィラの教義はこのマアムーンによって公認され、ムアタズィラ派の人びとの権勢は絶頂となった。が、これを敵視する「正統派」の人びとによって後に徹底的に破壊され、ムアタズィラ派の著書はなんと一冊も残されていない。我々は、その反対者が批判のために書いた文章によってその教義を断片的に知ることができるだけである。

その教義の最も先鋭的な点は、真理の標準として「理性」に絶対的権威を置いたことである。すなわち、ムアタズィラ派では、真理は神の啓示と預言者の言葉によって示されるのではなく、理性によって到達できると考えた。その帰結として、真理に到達できるのは独りイスラームのみならず、ギリシア思想、ペルシア思想、キリスト教、ユダヤ教などどんな宗教・思想を土台にしても可能であるとし、ここにイスラームは他の先進的な思想と同列に並び、神学の世界を飛び出し、哲学的思索への路を踏み出したのである。

ムアタズィラ派の考えでは、神もそれまでとは違ったものとして認識された。それまで神と言えば、天空を覆う巨大な人格的存在と思われていたが、合理主義を推し進めたムアタズィラ派からすれば、そのような絵空事を承認するわけにはいかなかった。そして神がどのような属性を持っているのか、という探求が行われ、次第に神は思弁的なものとして変容していく。そうして神は、人間の認識できるどんな具象的形態をも持っていない無限の絶対者となった。そこには、人間の悩みや苦しみを親身になって聞いてくれる慈父のような神はもう存在しなかった。神は形而上の存在へと隠れてしまった
のである。

しかし一般の素朴な人びとにとって、そのように思弁的・抽象的な神の観念はとても受け入れることができない。もっと暖かい、包み込んでくれるような神を求めるのが普通の信仰者であった。
(…)
ガザーリーは、瞑想によって直接神に触れるのでなければ、決して真の救いは得られないという確信に至った。その確信の上に構築された彼の哲学・神学は、それまでの思弁的なものとは全く違うものとなっていったのである。

ガザーリーの存在は、イスラームにおけるデカルトである、と私は思う。彼はまず全ての出発点を「自己」の認識に置く。と同時に、徹底して懐疑的なガザーリーは「認識」そのものをも疑う。そして感性的認識は全く信頼できないとし、例えば数学的命題のような疑い得ない公理に基づいた悟性的認識によってのみ真の認識が可能であると説いた。

しかしガザーリーは、「悟性」そのものにすら全幅の信頼を置くことはなかった。たとえ悟性によって疑い得ない論証ができるにしても、それは悟性という原理が最高権威であることの証左にはならないからだ。悟性すら超越する存在があることを否定はできないのである。

こうしてガザーリーは、悟性は人間精神の全体に権威を有するのではなく、むしろ悟性の力が及ぶ範囲は限定されていると考え、悟性の絶対的主権が認められている領域を「知」と名付けた。そして「知」に対するものとして、信仰、つまり心の世界である「信」を置いた。ガザーリーにとって「知」は論理的に明澄で疑うところのない世界であり、それ以外はことごとく「信」の世界に属する。例えば、神学や形而上学といったものですら、いかに論証が多用されようともそれは「知」ではなく「信」の世界であった。なぜなら、悟性の領域、「知」の世界には異論や論争があるはずもないからである。

このように明澄な「知」の世界を切り出したガザーリーは、逆に「信」の世界においては信仰の内面化を重視し、頑迷固陋で形式主義に堕したパリサイ主義的イスラームに対して痛烈な批判を加え、そこに清新な信仰の息吹を改めて吹き込もうとした。伝統や形式のみに煩い当時のイスラームは宗教の権威を高めるのには役だっても、個人の精神性を育むためには無力だった。

ガザーリーは、この固形化し枯渇した信仰を再び個人の心の温床に移すことによってその生命を甦らせようとしたのである。そして道に迷う一般大衆を教導するため、大作『宗教諸学の甦生』を著したのだった。”

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著(その2)
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/03/blog-post_24.html
8世紀のカリフ・マアムーンのギリシア古典翻訳事業について触れなければならない。
マアムーンは知性的な君主であり、自身が神学的・哲学的思索を好んだ。彼は特にギリシア哲学の研究を組織的に行わせたため、非常なる熱意でギリシア思想の翻訳・理解が進められた。これにより、イスラーム世界にはプラトン、アリストテレスなどの諸著作が高水準の翻訳で流布された。特にアリストテレスの思想は強大な影響力を持ち、イスラーム思想に流れる巨大な伏流水となるのである。

そしてその伏流水がイスラーム世界に流れ込む取水口となったのが、新プラトン主義である。新プラトン主義とは、紀元3世紀ごろにプロティノスによって提唱され、後世に至ってプラトンの思想と混淆してプラトンに帰せられたもので、この時代のイスラーム世界ではプラトンの思想そのものと思われていた。

だがその内実はプラトンの思想とは全く異なり、プラトンのイデア論を土台にしながらも世界の創造を「一者」からの(意図しない)「流出」と見て理解するものだった。
この思想はキリスト教世界にも流行していたが、一神教世界で新プラトン主義が受容されたのには理由がある。

というのも、プラトンにしろアリストテレスにしろ、ギリシア哲学者は多神教の世界観で哲学を育んできたわけで、一神教の世界観、つまり至高の存在が世界を統べているという考え方とは齟齬する部分がある。そのため、ギリシア哲学を受容したイスラーム思想は、いきおい折衷主義的にならざるをえなかった。その折衷策の一つが新プラトン主義だったわけだ。

つまり、イスラーム世界はアリストテレスの哲学を継承してはいたが、それは新プラトン主義を通じて理解されたアリストテレスであった。換言すれば、純粋なアリストテレスそのものというより、潤色されたアリストテレスだったのである。その上、今では偽作と判明している諸著作もアリストテレスのものであると誤解されて、新プラトン主義の流布に巨大な影響を及ぼしたのであった。

そういう、新プラトン的アリストテリスムをイスラーム世界で確立したのが、最初のイスラーム哲学者と呼ばれるキンディーという人である。キンディーはアッバース朝の初期、マアムーンと次のムアタスィムという2人のカリフからの庇護の下、あらゆる学問に通暁した百科全書的な知識を土台にギリシア哲学の研究に邁進した。彼の哲学史的な意義は、新プラトン的アリストテリスムをムアタズィラ派のイスラーム神学と一致させようとしたことにあり、これがイスラーム思弁神学(スコラ哲学)の源流の一つなのである。

アリストテリスムを土台にしてイスラーム哲学を生みだしたのが、「第二の師」と呼ばれるファーラビーである(ちなみに「第一の師」はアリストテレス)。ファーラビーはアリストテレスの諸著作にたくさんの注釈を施してイスラーム的なアリストテレス理解を推し進めた。しかも彼は真理と理性を非常に重視し、哲学的思惟によって到達したことならば、たとえコーランと衝突しようともそれを主張したのだという。

そしてファーラビーの新プラトン的アリストテレス理解は後に西欧に移入され、甚大な影響をもたらすことになる。そこで、やや煩瑣になりすぎるきらいもあるが、ここで新プラトン的アリストテリスムについてほんのサワリだけ説明しておこう。

全ての結果には原因がある、という因果律を承認するならば、その原因にも原因があるはずで、因果の鎖はどんどん遡っていく。そしていつかはそれ以上遡り得ないものにまで行き着くのであるが、それがプロティノスのいう「一者」(または「第一原因」)である。これは全ての原因であるのだから、時間的には世界の始まりにあったはずである。そして、それは森羅万象あらゆるものの元になった原因なのだから、世界そのものの存在も「一者」に帰せられる。つまり世界の創造は「一者」によるものである。

この理論を提唱したプロティノスは、この「一者」をあらゆるものを超越した「無」であると考えたが、ファーラビーはこれをそのようなものとは考えなかった。ファーラビーがいくら真理を愛する哲学者であろうとも、やはり彼は敬虔なムスリムであったので、世界を創造したのは「神」でなくてはならなかった。

すなわちファーラビーは、この「一者」をプロティノス的な「無」ではなく、いかなる質料をも持たない(つまり現実世界における存在を持たない)絶対的叡智体、すなわち超越的な「知性そのもの」の神として表象し、「第一存在」と呼んだ。これがイスラームにおける新プラトン的アリストテリスムの基礎となる概念の一つである。

「第一存在」は全ての原因となる超越的な始原であり、そこから世界の全ては「流出」する。原因と結果の長い鎖が連なって全宇宙が構成されるわけで、このような世界観では、宇宙は大変スタティック(静的)なものになる。

やや乱暴な譬えをすれば、この宇宙は広大な玉突きゲームのようなもので、最初の玉(第一存在)の動きさえ決まればあとの玉の動きは全て決まってしまうというのが新プラトン的アリストテリスムの宇宙観であった。だがそうなると、世界の全ては受動的にしか動けないということになる。そんな世界で、果たして人間が自由に思考することというのは可能なのだろうか? 真理を求めて思索するその知性すら、因果の秩序に固定された、予め決められたものだというのだろうか?

ファーラビーはこの疑問に対し、「能動的知性」というものを考案した。我々の知性は、生まれつき備わっているものではあるが、それはあくまでも潜在的に知的活動できる(可能的知性)というだけで、それだけでは真の意味で(つまり思考力を能動的に使うという意味で)知的に働くことはできない。だが、そこに高次の世界(形而上の世界)から「能動的知性」というのが働きかけて、それによって我々の知性は働くことができるのだという。

つまり、先ほどの譬えをもう一度使うのなら、普段の世界は玉突きゲーム的なのであるが、そこに「能動的知性」というキュー(玉突き棒)が高次の世界からにゅっと現れて我々の知性をそれまでの因果の秩序に縛られない方向に動かし得るというわけなのだ。
(…)この「能動的知性」は「(創作の)霊感」とか「インスピレーション」といったようなものと近く、作家が「(アイデアなどが)降りてこないと書けない」とかいうのと同じような部分がある。この「能動的知性(intellectus agens)」はファーラビー以降の哲学で大きな問題となり、やがてイスラーム哲学を継承した西洋中世哲学にも取り入れられて喧しい議論が展開されていく。
(…)
スーフィズムがイスラームにもたらした重要な要素は、神に対する熱烈な「愛」という概念である。この神を焦がれる気持ちは恋愛にも擬せられ、やがてペルシア文学に大きな影響を与えることになる。抒情詩人たちは、神と人の関係を優婉な乙女と青年との切ない恋になぞらえ、 独特な官能的詩境を展開していった。元は現世的なものを全て捨てることから始まったスーフィズムから皮肉にも官能的な世界が生みだされ、この官能性は後世のイスラーム文学の一大特徴となっていくのである。”

『イスラーム思想史』 井筒 俊彦 著(その3)
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/03/blog-post_28.html
”イブン・スィーナー、後の西洋哲学において「アヴィセンナ」の名で知られる大哲学者である。
(…)『治癒』(医学の本ではなく学問の全体系を述べる)や『指示と勧告』、そして17世紀に至るまでの西洋医学で絶大な権威を持ち続けた『医学典範』などの重要な哲学的著作群をものしていったのである。

彼の哲学史上の意義を一言で述べるなら、それは「アリストテレス的イスラーム哲学の完成」である。それまで断片的・個別的であったイスラーム哲学を、彼は緻密な一つの体系へと組み立てた。しかもそれは一つ哲学のみではない。彼はルネサンス的万能人の先駆けであって、大げさに言えば、この世のあらゆる学問を体系化し、その中でイスラーム哲学を位置づけたのであった。
(…)
イブン・スィーナーはまさにデカルトの先駆者であった。彼の哲学の中核をなすのは「存在」と「存在者」という概念なのだが、その「存在」は直観によって一挙に把握され、それ以外に把握の途がないと考えた。

それを説明するため、イブン・スィーナーは「空中浮遊人間」という譬えを使う。仮にある人間が、目も見えず耳も聞こえず、己の四肢すら認識できず、空中に浮いていて地面を感じることすらできないとする。つまり環境と一切の相互作用ができないという状態を想像する。さて、ただ思惟だけしかできないその人間は、自分が「存在」していると認識できるだろうか? 自分というものが存在していると、何も証明する客観的事実がないとしても?

イブン・スィーナーは「できる」と考えた。なぜなら、まさしく彼は自ら思惟しているのだから。存在していないものは思惟できないではないか。後世に至って、デカルトが徹底的な懐疑主義の果てにたどり着いた「我思う、ゆえに我あり」という哲学の第一原理を、イブン・スィーナーも発見していたわけだ。

しかも興味深いのは、彼はこの「我の存在」を確証付けるものが、論理的な思考ではなくて「直観」であるとしたということだ。ここでいう「直観」とは、ファーラビーが言った「能動的知性」の働きかけによってなされるもので、要するに「どうしてそうなのか厳密には説明できないが、そうであるという確信が天啓によって生まれるもの」というような意味である。

そしてこれは、彼の思想的後輩であるデカルトも全く同じことを言っているのである。例えば先ほど軽率にも説明を付け加えたように、「我の存在」の基礎には「存在していないものは思惟できない」という大前提があるようにも見える。すなわち、三段論法的に言えば、大前提「存在していないものは思惟できない」、小前提「私は思惟している」、結論「ゆえに私は存在している」、という理屈によっているのではないだろうか?

としたら、「我の存在」という最も基本的な、哲学の土台となるような概念のその前に、既に「存在していないものは思惟できない」という一般原理が存在していることになる。しかしこのような考えをイブン・スィーナーもデカルトも共に否定した。「我の存在」はそういった理屈によるものではなくて、それ以前の「直観」で確証されるのだ、ということは、この二人の各々の哲学体系において非常に重要な点なのである。
(…)
イブン・スィーナーの哲学はやがて西洋哲学に継承され、アヴィセンニスム(アヴィセンナ主義)を生むが、それは彼が本当に作りたかった哲学ではなくて、彼がまとめた既知の哲学を元にしたものだったのである。”

『イスラーム思想史』 井筒 俊彦 著(その4)
http://shomotsushuyu.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
”イスラーム世界は8世紀にはスペインに達し、中東から北アフリカを経てスペインへと至る双頭の鷲となった。
(…)スペインに生まれ12世紀に目覚ましい活躍をしたイブン・バーッジャである。
(…)その後の西方の哲学の道筋を決めるほどの大きな影響を及ぼした。
それは、知性を最重要に考えるという点である。イブン・バーッジャはファーラビーの哲学、つまり新プラトン的アリストテリスムを受け継つぎつつ、真理は知性による冷静な思考によってのみ到達できると考え、安易な神秘主義思想を否定した。その合理主義から、晩年は無神論者との謗りを受け、おそらくは毒殺されたと考えられている

イブン・バーッジャの思想を発展させたのがイブン・トファイルである。その頃のスペイン(アルモハド王朝)は、当時まだ東方では異端とされていたアシュアリーやガザーリーの説を公認し、信仰と理性を調和させる宗教改革を行っていた。そのさなか、イブン・トファイルは公然と理性の優越を説いたのである。

彼は大学者というよりディレッタント的であって、その思想を大上段の思想書にはせず、『ヤクザーンの子ハイ物語』という小説で表現した。これは、無人島で人を知らずに(つまり言葉すら知らず)育ったハイという天才的人物が、自らの思索のみで最高の真理に到達するという話である。しかし話はそれで終わらない。ハイはやがて宗教心に富む人物に出会い、共に民衆教化の事業に乗り出すが、その事業は全く失敗に終わる。民衆はハイが見た最高の真理など見向きもしなかったのだった。

この小説において、イブン・トファイルはあからさまに形式的な宗教を蔑視している。彼は建前としては、最高の知性と最高の信仰は一致すると述べたけれども、実際には一般の民衆は低脳愚劣な輩であり、宗教とは低脳な民衆に哲学的真理を理解させるための象徴的な手段に過ぎないと見なしたのであった。このような民衆蔑視は、当然ながら民衆の間に反哲学の感情を呼び起こした。そしてこのような理性至上主義をさらに推し進めたのが、中世カトリック世界に大きな影響を与えたアヴェロエスことイブン・ルシドである。

イブン・ルシドは哲学者として絶頂にあったイブン・トファイルから王の主治医の地位を譲られ王の信任を得、王の勧めでアリストテレスの注釈の研究に邁進した。彼のアリストテレス研究は慎重を極め、学習者の学力と理解力に応じて大中小三種の違った注釈が作られるほどであった。そういう背景から出発した彼の哲学を一言で言えば「アリストテレスに還れ!」ということになる。

既に述べてきたように、これまで長い間イスラーム世界で培われてきたのは純粋なアリストテレス思想ではなく新プラトン主義的なアリストテレス理解であり、それはアリストテレスの思想をイスラームと融和させようとする折衷主義の産物でもあった。イブン・ルシドはそうした折衷主義を痛烈に批判したのである。

しかし、彼とて、最初から折衷主義の批判ありきではなかった。むしろ、イスラームの合理主義運動ムアタズィラが東方世界で挫折し、正統派の学者によって排斥されるに至り、哲学界では合理的な思考と信仰をどうやって調和させるべきかということが切実な課題となっていたのであり、イブン・ルシドも哲学と信仰の両立を明確に示そうとした。

彼も先輩のイブン・トファイルと同様、知性によって到達した最高の真理と信仰は一致するとしたが、よりその主張は激烈になっていった。例えば、知性によって導かれることとコーランが衝突する場合、どちらが正しいのかという問題がある。イブン・ルシドにとっては、それは知性が絶対に正しいのである。そのような場合はコーランの字句を文字通り受け取るべきでなく、譬喩的解釈をしなくてはならない。

つまり表面上哲学と宗教の一致を説いていても、その実はあからさまに哲学優位なのだ。それどころか、素朴な信仰は民衆の教導のためには必要なことであるから認めるとしても、神学などはかえって知性を曇らせる害悪であるとして、神学者は憐れむべき「病人」であるとされた。

そして哲学者は、自己の見解を他の人びとに漏らしてはならないとまで考えた。それは結局、愚昧な民衆はもちろん神学者などにも、知性によって到達した真理など理解できようはずもないからである。そして究極的には、哲学者にとって宗教など必要ないとまで言い切った。なぜなら、真理にまで到達するには理性のみで足りるのであり、コーランは必要ないのである。

こうした極めて無神論的な思想は、もはやイスラーム思想からはみ出していた。このような思想を土台にした微塵も妥協を許さないアリストテレス理解は、もはやそれ自体が異端であり、この学統を継ぐものはイスラーム世界には一人も現れなかった。また、西方イスラーム世界自体がイブン・ルシドとともに凋落し、キリスト教徒によるレコンキスタによってスペインの領土を失い雲散霧消してしまう。世界史上の大思想家とよべるイブン・ルシドは、イスラーム世界にはほとんど何の影響も残さずに消え去ってしまったのである。

しかしイブン・ルシドの全著作は13世紀にはラテン語訳され、カトリック世界でラテン・アヴェロイストたちの活躍を見るのである。しかしその思想において、カトリック世界のアヴェロイストたちもあくまでキリスト教の枠内で活動していたわけで、イブン・ルシドの方がより徹底して理性至上主義者であったといえよう。”


版によって神学的意味が逆になる「唯一の書」コーラン
http://52133480.at.webry.info/201105/article_1.html
”前回の続きですが、こちらやこちらとも関係があります。以下、強調はすべて私による。

 コーランという書物は、書き手が誰であれ、首尾一貫した神学思想に貫かれている書物ではありません。人間の自由意志についても、肯定的な箇所と否定的な箇所がある。
 以下、コーランの翻訳と章節表示は岩波文庫版に依る。振り仮名の一部を括弧内に入れ、訳注を一部省略した。

「まこと、アッラーのお徴(しるし)を信じないような者は、アッラーの方でも手引きなぞして下さらぬ。痛い苦しい罰が待っているだけ。」(コーラン16章106節)
「汝ら、禁じられた大罪さえ避けるなら、些細な悪事はみんな赦して、(天国に)晴れがましくいれてやろうぞ。」(コーラン4章35節)

これらの章句は明らかに、信仰したりしなかったり、罪を避けたり避けなかったりする自由意志が、人間にあるということを前提にしている。
また、以下のようなブハーリーによるハディース(伝承)もある。

「ムアーズ・ブン・ジャバルは語った。わたしが駱駝で預言者のうしろに乗っていたとき、彼が「ムアーズよ」とよびかけると、わたしは「はい、神の使徒よ」と応えた。そして、しばらく進んで行ってまた「ムアーズよ」とよびかけたとき、「はい、神の使徒よ」と応えた。次に預言者が「人間は神に対して何をすべきか知っているか」と尋ねたとき、わたしが「アッラーと使徒が最もよく御存じで、私にはわかりません」と答えると、かれは「人間はアッラーのみを崇め、それ以外の何ものにも仕えてはならない」と言った。それからまたしばらく進み「ムアーズよ」とよびかけ、「はい、神の使徒よ」と応え、次に預言者が「人間がなすべきことを行ったとき、アッラーは彼らに対して何をすべきか知っているか」と尋ねたとき、わたしが「アッラーと使徒が最もよく御存じです」と答えると、彼は「アッラーは人間を罰しないようにすべきだ」と言った、と。」(『ハディースⅤ』中公文庫 298~299ページ)

これなどは、人間に意志の自由を認めているだけではなく、正しい選択をした人間に対する正しい反応を、アッラーに対して義務付けてさえいる。

ところが、コーランには以下のような章句もあるのだ。

「まことに、信仰なき者どもは、お前がいかに警告しても、また警告しなくても同じこと。(いずれにせよ)信仰に進み入ることはなかろうぞ。アッラーは封緘をもって彼らの心を閉ざし、またその耳を閉ざし給うた。またその眼には蔽いが掛けられている。」(コーラン2章5~6節)
「さ、こういうお諭(さとし)が出たからは、その気になったものは誰でも主のみもとへと道を辿り行く。と言っても本当は、アッラーの方でその気におなりなさらなければ、決してお前たちにその気は起るまいけれど。」(コーラン76章29~30節)

また、以下のような伝承もあるそうだ。

「したがって神が(中略)人間を創造することを決意し土の塊に両手を入れた。その土からすべての人間は形作られ、彼らがいわば前もって存在していた。その土くれを等しい大きさの二つに分け、一つを地獄に投げて言った。「これらは永遠の火に。私は気にかけぬ」。もう一方を天国に投げ入れてこう付け加えた。「これらは天国に。私は気にかけぬ。」(Thomas Patrick Hughes著 Asian Educational Services社の『A Dictionary of Islam』148ページより拙訳。英語原文はこちら。)
これはネジュド地方のワッハーブ派が唱えていた暗唱文であり、「Mishkatu 'l-Masabih Babu 'l Qadrを参照せよ」とある。(が、私の手元にはないので、コメントできない)

陶器師と粘土のたとえは、よほど一神教に都合が良いらしい。というか、これはもう陶器師ですらないか。

コーランは単に、自由意志に関して矛盾する複数の章句を含んでいるだけではない。以下のような例がある。フィルアウンとは古代エジプトの国王ファラオのことで、キリスト教の聖書では「パロ」とも訳されている。ムーサーとは預言者モーセ、ハーマーンはフィルアウンの宰相である。

「するとフィルアウンが言うことに、「これ、ハーマーン、わしに高い塔を建ててくれい。あの綱に届くほどの高いのを。天の綱(まで届くものを)。一つムーサーの神様とやらを眺めてやろうぞ。ま、どうせ嘘だろうとは思うが」と。
 こうしてフィルアウンは己が悪業を立派なことと思い込み、(神の)道から閉め出されてしまった。このフィルアウンの計略が惨憺たる結果におわったことは言うまでもない。」(コーラン40章38~40節)

上記の「道から閉め出されてしまった」について、代表的なコーラン注釈書の日本語訳『タフスィール・アル=ジャラーライン』(日本サウディアラビア協会)は第3巻の266ページで「彼は道から逸れた」と「彼は道から逸らされた」という二つの版を示し(前者が「タフスィール・アル=ジャラーライン」が採用している版で、後者が一般に流布しているハフス&アースィム版)、以下のように注釈している。引用に際して、ローマ字化されたアラビア語をカタカナ表記にした。これはローマ字の添え字記号が当ブログでは正確に再現できないからである。「サード」は文字の名で、まあSみたいなものです。

「『逸れた』第一語根「サード」は母音「ア」(能動態)「サッダ(逸れた)」、または母音「ウ」(受動態)「スッダ(逸らされた)」(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法)」(『タフスィール・アル=ジャラーライン 第三巻』(日本サウディアラビア協会)266ページ)

「彼は道から逸れた」だと、動作の主体はフィルアウンであり、彼にはアッラ―への信仰という道から自発的に逸れる自由意志を持っていたということになります。
「彼は道から逸らされた」だと、動作の主体はアッラーであり、フィルアウンがアッラーへの信仰から逸らされたのは、彼の自由意志を発揮させたことが原因ではない(少なくともこの場面では)。

読誦法によって神学的意味が逆になるのですよ、コーランという書物は。
しかも、信仰を拒絶する/させるのは誰なのか、という一番のキモの部分において。

じゃあ、『タフスィール・アル=ジャラーライン』の著者は、一神教における自由意志という論点の重要性にまったく気がつかなかったのか?それは、おそらくあり得ない。なぜなら、イスラム教の歴史はその初期において、この論点をめぐって大騒動を体験しているからです。ムウタズィラ派という人間の自由意志を認める教派をカリフが公認し、ミフナと呼ばれる異端審問所までが作られ、多くの人々を迫害したことがあるのです。著者がそれを知らなかったはずがない。なんだってこんな矛盾する「読誦法」を採用するのか?

ヒントを差し上げましょう。『アラブ的思考様式』(牧野信也著 講談社学術文庫)第一章「アラブの言語にみる両極性」の「5 意味の領域の両極性」から98ページにある項目名を引用します。

「なぜか相反する意味をもたせたがる」

いや、まったく、仰るとおりです。

「ハフス&アースィム版」とそれ以外の版については『コーラン入門』(リチャード・ベル著 医王秀行訳 ちくま学芸文庫)の122ページを参照してください。
「ムウタズィラ派」については、『イスラーム思想史』(井筒俊彦著 中公文庫)54ページの「ムアタズィラ派の合理主義」が参考になります。
『イスラム教史』(世界宗教史叢書5 嶋田襄平著 山川出版社)を引用します。「創造されたコーラン」説というのは、コーランも他のあらゆる被造物と同等の存在であり、永遠不滅の神の言葉そのものではない、というムウタズィラ派の合理主義的な理論です。

「アッバース朝第七代カリフ - マームーンはみずから合理的な思想の持主であったが、 八二七年に勅令を発して「創造されたコーラン」の学説を天下に公布し、八三三年には、この学説に従わないカーディーを公職から追放し、かつこの学説に従わないものを弾圧するための審問機関ミフナを設けた。ミフナは、第十代カリフのムタワッキルが「創造されたコーラン」の学説を取り消し、正統派の信仰への復帰を宣言した八四八年まで続けられた
が、やや誇張した表現を許されるならば、八二七年から八四八年に至る二十一年間は、その後のイスラムの性格を決定した二十一年間であったといっても過言ではない。もしこのときムータズィラ派が勝利を収めていたならば、イスラムは全面的にヘレニズム的価値を受容・継承し、ヨーロッパに先がけて人文主義と宗教改革の道を歩んだであろうと想像することも、あながち荒唐無稽の空想とばかりはいえないのではなかろうか。」(嶋田襄平著『イスラム教史』(世界宗教史叢書5)山川出版社176-177ページ)

面白い意見だとは思いますが、『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』(菊池達也著 講談社選書メチエ)の167ページには、ミフナに投獄された保守的なウラマーを英雄として描いた「CD付き絵本(クウェート、2005年)の表紙」が掲載されており、現代のイスラム教世界では、一般にムウタズィラ派が高くは評価されていないことを示しています。
ファーティマ・メルニーシーは、その著書『イスラームと民主主義』(私市正年・ラトクリフ川政祥子訳 平凡社)の例えば55ページなどで、ムウタズィラ派の凋落を嘆いています。”


(…)





イスラム教の天国と地獄はどんな世界なのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-
http://reki.hatenablog.com/entry/160210-Islam-HeavenandHell








イスラーム神学綱要 1・2  ガザーリーなど
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/islam/philo/religion.htm


「中世の大思想家たち」より『アヴィンセンナ』を読む アヴィセンナの生涯と そのバックグラウンドについて(アラビア編)
http://sekibang.blogspot.jp/2012/10/blog-post_18.html


⓵「事実と意見を区別」
②「思う、感じる、感情表現の禁止」を守れば論理的文章がすぐ書ける!←そんなことより 「丸に十字」「人型の十字架」「エプロン」のマンダ教だ! 
青木健『古代オリエントの宗教』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-115.html
”・イスラム教シーア派のうちのイスマーイール派は、メソポタミアで地下活動を行なっていた時期に、グノーシス主義そっくりの教義を作り真のイスラームを名乗った。
イスマーイール派のイマームたちは政治活動にも乗り出して知識人に宣教した。
イラン・中央アジアにまで宣教員を派遣し、東方の知識人を惹きつけつつ、イスマイル派の解放区(ジャズィーラ)を設けている。
10世紀にはエジプト~チュニジアにファーティマ王朝(909~1171年)を樹立し、一時はイスラム世界の西半分を覆う程の権力をふるっていた。

(【超簡単】「スンニ派」と「シーア派」の違い-イスラム教
http://world-news.beauty-box.tokyo/entry/2015/11/25/193000
”西暦632年 ムハンマド死去

初代正統カリフ
アブー・バクルの時代

スンニ 派
「やべぇよ!ムハンマド様、後継者決めずに死んじゃったよ!」


「イスラム教徒の混乱必至!」

アブー・ バクル(スンニ 派)
「心配には及ばん!ムハンマド様亡き後、彼の長年の側近にして義父でもあるこの私が、正統カリフ(最高権威者)として、イスラム共同体を束ねていくぞ。」

スンニ 派
「頼んだぞ!アブーバクル!」

※スンニ派の名称は「ムハンマドの慣行・慣習(スンナ)、つまり生前の行動や行いに従う人々」の意から。

シーア 派
「勝手は許さんぞアブーバクル!時期カリフは世襲制だ!」

「ムハンマド様の息子は皆死んでしまったが、自身もムハンマド様の従弟にして、後に養子、更にムハンマド様の娘ファーティマの夫でもあるアリー・イブン・アビー・ターリブ(以下「アリー」)こそ、最も血の濃い男性血縁者であり、次期カリフにふさわしい!」

※シーア派のシーアとは、アラビア語で「党派」の意味。

つまり「(アリーの)党派」ということ。

スンニ 派
「やかましー!!!」
(…)
西暦632年アブー・バクル即位

アブー・ バクル
「私の病魔はもうすぐ私の命を飲み込むだろう。後は頼んだぞ・・・」

西暦634年 アブー・バクル病気により死去

2代目正統カリフ
ウマン・イブン・バッタールの 時代

ウマル・ イブン・ バッタール(スンニ派)
「アブー・バクル亡き後は、ムハンマドの4番目の妻の父である私が、2代目正統カリフだ。」

スンニ派
「頼んだぞ!ウマル!」


シーア 派
「勝手は許さんぞウマル!今度こそ次期カリフは世襲制だ!」
「血の繋がりのないお前など出る幕ではない!アリーこそ、最も血の濃い男性血縁者であり、時期カリフにふさわしい!」

スンニ 派
「やかましー!!!」
(…)
西暦634年 ウマル・イブン・バッタール即位

ウマル・ イブン・ バッタール
「待て!殺すでない!話せばわかる!!!」
「ぐわー!!!(断末魔の叫び)」

西暦644年 ウマルが個人的に恨みを買った奴隷により暗殺される

3代目正統カリフ
ウスマーン・イブン・アッファーンの時代

ウスマーン・ イブン・ アッファーン(スンニ 派)

「よし、これからはムハンマド様と妻ハディージャに次いで、世界で3番目にイスラム教に入信し、ムハンマド様の娘を2人も嫁に貰った私が3代目正統カリフだ。」

スンニ 派
「頼んだぞ!ウスマーン!」

シーア 派
「勝手は許さんぞウスマーン!今度という今度こそ次期カリフは世襲制だ!」
「同じ娘婿と言えどもアリーこそ、最も血の濃い男性血縁者であり、次期カリフにふさわしい!」

スンニ 派
「やかましー!!!」
(…)
西暦644年ウスマーン・イブン・アッファーン即位

ウスマーン・ イブン・ アッファーン

「ブルータス!お前もか・・・」
「ぐわー!!!(断末魔の叫び)」

西暦656年 ウスマーン・イブン・アッファーン下級兵士の反乱により殺害される


4代目正統カリフ
アリー・イブン・アビー・ターリブの時代

アリー・ イブン・ アビー・ ターリブ(シーア 派)
「待たせたな!ムハンマドの従弟にして、後に養子、ムハンマドの娘ファーティマの夫であり、最も血の濃い男性血縁者である私が正統カリフだ。」

シーア 派
「よっ!真打!待ってました!」
「ちょいとばかし不埒者がのさばっていたが、あんな連中は断じて正統カリフとは認めん!アリー様こそ真の正統カリフであり、シーア派における初代イマーム(指導者)だ!」

スンニ 派
「まぁ、ええんちゃう?そんじゃあ、アリーが4代目正統カリフってことで。」

西暦656年 アリー・イブン・アビー・ターリブ即位

アリー・ イブン・ アビー・ ターリブ
「おいおい、こんだけ待たしといて、そりゃ無いぜー!!!」
「ぐわー!!!(断末魔の叫び)」

西暦661年 アリーがモスクで祈祷中に暗殺される

正統カリフ以降

シーア 派
「次はアリーの子供達がカリフ候補ですな!」

スンニ 派
「いや、もう正直ムハンマド様の直系とかどうでもいいんちゃう?」

シーア 派
「何だとぉ!?どうでも良いとは、どういうことやねん!?」

スンニ 派
「いやだって、もうムハンマド様の作られたイスラムの精神はイスラム共同体である我々みんなに引き継がれたわけやし。」
「これからはムハンマド様の慣例(スンナ)を大切に、代表はみんなで決めていこうや。な?」

シーア 派
「何ぬかしとんねん!勿論スンナも重要やぞ。重要やけど、それは二の次や!」
「一番重要なのはイスラムの精神は、ムハンマド様の直系にのみ引き継がれていくっていう、そこやろが!?」

スンニ派
「まあまあ、そうカッカせずにさ。取り敢えず次期カリフは今一番力持ってるムァウィーヤってことで、ひとつヨロピク。彼を怒らせたら洒落にならへんぞ?」

シーア 派
「認めん!絶対に認めんぞー!何と言われようと次期カリフは、アリーの子供達だけじゃからのー!」」

スンニ 派
「じゃかーしー!大多数の人間がそれで良いって言っとるんじゃい!嫌なら勝手にしやがれ!この石頭!」

スンニ 派・シーア 派
「フンッ!」

※便宜上すべてをスンニ派とシーア派で色分けしているが、もちろん早い段階から明確にそれぞれの派閥・組織が存在していた訳ではない。
(…)
◆スンニ 派
ムハンマド以降の4人を正統なカリフ(最高権力者)と認める。
ムハンマドからみんなで受け継いだ精神と慣例・慣行を大切に、4代カリフ以降は話し合いで王を決めていくべきだと考える。

◆シーア 派
元々はアリーの支持者層
ムハンマドとアリー、そしてアリー亡き後はその子孫しか正統なカリフとは認めない。


日本人の中には、例えば真言宗と浄土真宗のように、宗教そのモノの解釈の違いからくる宗派対立だと思っている人も多い。

しかしあくまでも根本的な原因は跡目争いであり、そこから派生した政治的な対立だということだ。

極論を言ってしまいえば、ムハンマドという絶対君主亡き後、その時最も相応しい代表を選ぶ民主主義的な立場からイスラム国家を運営しよういうスンニ派と、世襲制による独裁国家的な立場からイスラム国を運営しようとするシーア派と言えば分かりやすいのではないか?

(もっともムァウィーヤがカリフになったのは、民主主義の力というより、圧倒的な武力によってだが・・・)

よってイスラム教そのモノの解釈とか、信仰という根本的な部分にはさほど違いはない。

勿論細かな相違点は多々ある。


ネットを見ているとそうした相違点をあげつらい、教義の観点から「スンニ派とシーア派は明確に違う」と主張する人間もいる。

だが、何度も言う様に元々の原因が跡目争いなのだから、大して違いが出てくるはずがない。

念の為、代表的な相違点をまとめておく。


◆代表的な相違点
スンニ派はシーア派に比べで戒律を重視する。
シーア派はスンニ派に比べて、戒律よりも信仰の内面を重視する。
シーア派は偶像崇拝をスンニ派程には禁忌としていない。”

イスマーイール派 イスマーイールは Ismā`īlīyah
“イスラム教シーア派の一分派。七イマーム派ともいう。シーア派はアリーの子孫をイマーム (教主) として立てていたが,7代目のイマームを6代目の息子ムーサーとすることを主張する者と,ムーサーの兄イスマーイールの子ムハンマドを主張する者とに分れ,前者は十二イマーム派としてシーア派の本流をなし,後者は七イマーム派すなわちイスマーイール派と呼ばれるにいたった。
(…)イスラム教シーア派の一分派。七(しち)イマーム派ともよばれる。シーア派の第6代(イスマーイー ル派では第5代)イマーム(指導者)、ジャアファル・サーディク(699/702―765)の没後、十二イマーム派が次子ムーサー・カージムを第7代とし たのに対し、この派は、イマーム位は先に没した長子イスマーイールに伝わっていて、その息子ムハンマドが第7代目で最後のイマームであると主張した。そし て、ムハンマドは死んだのではなく将来、救世主(マフディー)としてこの世に再臨すると信じる。彼らは9世紀後半以降、秘密結社的な革命的宣教活動を活発 に展開した。この運動の指導者、ウバイド・アッラー‘Ubayd All hは自分こそがそのイマームであると宣言し、10世紀初めに北アフリカにファーティマ朝を創設し、スンニー派イスラムに教義的、政治的に挑戦した。教義は時代とともに改変されたが、聖典解釈における秘教的比喩(ひゆ)的解釈の重視、神と人との仲保者であるイマームへの絶対的服従を特徴とする。一支派のニザール派は十字軍に暗殺者教団(アサシン派)として恐れられた。現在、信者は少数ながらシリア、インドなどにいる。
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%B4%BE-30850#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29


・2~3世紀のグノーシス主義と
9~10世紀の初期イスマーイール派の思想構造が強い親和性を持っている。
が、史料は乏しい。
2~3世紀にマンダ教とマニ教の足跡が途絶えて以降、メソポタミアにおけるグノーシス諸派の歴史は杳として知れない。マンダ教は現代も存続しているし、マニ教は10世紀まではメソポタミアで確認されるのだから、他にもグノーシスの残党が残っていたのだろうと推測されるだけである。
4~7世紀のメソポタミアはペルシア帝国の首都圏を形成していたにもかかわらず史料がほとんど残っていないために研究上の空白地帯と化している。
また、イスマーイール派自体も政治的な地下活動として始まったので、類まれな成功をおさめた10世紀以降ならともなく、初期の活動に関する史料はほとんどない。

イスマーイール派では、聖書の中に登場する預言者たちはそれぞれ聖法をもたらしたが、彼らの周囲には聖法の表面的な意味(ザーヒル)だけでなく、内的な秘義(バーティン)を明らかにするための「黙示者」が寄り添っていた。アダムには次子アベル、ノアには長子セム、アブラハムには庶長子イシュマエル(イスマーイール)、モーセには兄アーロン、イエスにはペテロ(彼だけまったく血縁関係がない)、そして預言者ムハンマドには従弟で娘婿のアリー・イブン・アビー・ターリブ(シーア派はこのアリーの血筋でないと指導者=イマームになれない。血統主義の世襲制)という黙示者がいた。
シーア派の支持基盤がメソポタミア。
聖書ストーリーの新解釈がどう見ても2~3世紀にメソポタミアで栄えたグノーシス主義に酷似した色調を帯びている。
初期の逸脱的なシーア派運動を、イスラーム思想研究上は「過激シーア派(グラート)」と称している。近現代のイスラーム原理主義とは趣を異にするので注意。
グノーシス主義と過激シーア派の結合が文献上で明確になってくるのが、およそ8世紀前半、第五と六代イマームのころである。当時の過激シーア派の内部資料は二冊しか残っていない。それ以外は、12イマーム派のウラマーたちによる分派学の書物しかなく、どこまで信頼してよいかわからない外部資料である。
内部資料の第一は、五代目イマームであるムハンマド・バーキルの側近アブー・アル・ハッターブが、主人から明かされた秘伝として記した『ウンム・アル・キターブ(書物の太源)』である。同書によると、第五代目正統イマームは、天上界の「影たち」が創造主の神性を認めない罪の故に転落を重ね、それによって天圏と地上界を形成し、ついに人間の肉体の中に捕囚されるというイスラームの秘義を明かしている。同書の神話構造は、光と闇の二元論が前提のマニ教タイプではなく、「偉大なる生命」に由来するプタヒルが自らを造物主と勘違いして「転落」したとするマンダ教タイプのグノーシス主義に酷似している。
同書はアラビア語で書かれているが、アラビア語原本は発見されていない。が、イスマーイール派共同体にて同書のペルシア語訳が発見されている。
資料の第二は、第六代目イマームであるジャァファル・サーディクに仮託して、ムハンマド・イブン・スィナーン(835年没)が執筆したアラビア語文献『キターブ・アル・アズィッラ(影の書)』である。こちらは『ウンム・アル・キターブ(書物の太源)』ほど有名ではないが、内容的にはほぼ同一の神話構造を伝えている。
『キターブ・アル・アズィッラ(影の書)』は後にシリアのヌサイリー派(アラウィー派。後年イスマーイール派から分派したとされるシーア派の一派)の宇宙論の基礎として活用された。

・ファーティマ王朝の樹立へ
『純粋同胞団』の著者が、一説には第八代イマームのアブドゥッラー・アクバルの息子アフマドだとされるが、確証はない。本書は新プラトン主義に大きく傾いた思想なので、イスマーイール派文献なのは間違いなく、ファーティマ朝成立の10世紀後半の著作とみなすのが通説。

アブドゥッラー・マフディーにいたって、宣教員の一人がアルジェリアのベルベル族の一派クターマ族への布教に成功する。150年間もメソポタミアで地下活動していたが、イスラーム世界の辺境であるアルジェリアの部族で成功した。
アッバース王朝の支配に対抗するイスマーイール派の解放区がアルジェリアに成立したため、アブドゥッラー・マフディーもサラミーヤの隠れ家からカイラワーン(現在のチュニジア中部の街)に移動し、ここで
909年1月5日の金曜日、35歳で預言者の家系の第11代正統イマーム兼ファーティマ王朝初代カリフとして、アッバース王朝の「偽」カリフに対抗した。
ファーティマ朝は969年に肥沃なエジプト攻略に成功し新都カイロを建設し、首都とする。

イスマーイール派は、聖書ストーリーの使徒たちを預言者と呼ばず、人数も七人に限定して、「告知者」と称する。告知者の聖法の背後に隠された秘義はアダムの時代から代々告知者の傍で使えた黙示者により保持されてきた。だが誰も明かしたりしなかったので一般に知られることはなかった。イスラム時代にいたり、預言者ムハンマドの黙示者であるアリーとその子孫たる正統イマームが、はじめてその秘義を開示する権能を行使する。
イスマーイール派教団はイニシエーションによって選ばれた団員で構成される、正統イマームを頂点とする階層構造を特徴とし、そのメッセージを受取りうる知性の持ち主を求めて宣教(ダァワ)する宣教員(ダーイー)に支えられた宣教組織を持つ。
秘義は万人が理解するにはあまりに高度なので少数のエリートにしか教えない。
一般大衆は素朴で表面的な信仰であっても差し支えが無い。
イスマーイール派は王朝樹立をはたしても、大衆にイスマーイール派の秘義を強要しなかった。

・イスマーイール派の、グノーシス主義を色濃く残した宇宙開闢論
時間と空間が生まれる以前、アッラー以外の何も存在しなかったとき、アッラーが自ら発した光に対して「あれ(アラビア語でクン)」と呼びかけると、驚くべし「クン」という言葉そのものが最初に具現化した。更に驚くべきことに、アラビア語の命令系「クン」がなぜか女性形の「クーニー」に変化して出現したとされる。クーニーはアッラーの第一の被造物であり、他の全ての被造物はこの女性的存在を介して存在者となる。
あたかも、グノーシス主義における「転落したソフィア(こちらもギリシア語女性形)」を彷彿とさせるような女性原理である。
しかしアッラーはクーニーからは認識できない不可知の存在だったので、彼女は自分自身から他のすべての被造物が発する以上、自らが創造主なのではないかと錯覚する傲慢の罪に陥った。
グノーシス主義的には、クーニーは思いあがった造物主デーミウルゴスである。
これを見て取ったアッラーは彼女を介して彼女の意思とは無関係に、クーニーのうえに三つ、クーニーの下に三つの合計六つの階梯を創造し、クーニーの増長を戒めた。
ここにいたってクーニーは「アッラーのほかに神はなし」との信仰告白の真意を悟って従順になったとされるが、一度生起した世界の発展は止められなかったらしい。
つまり、世界が開展する契機は女性原理の傲慢とそれに対する神の干渉、つまりクーニーの転落にあったとことになる。
この宇宙開闢論は二世紀のマンダ教でプタヒルが自分が造物主だと勘違いして世界を創造する神話構造と軌を一にしており、古代のグノーシス主義的要素を色濃く残しているとされる。

次にアッラーはクーニーに命じて、彼女の助手として「運命(アラビア語でカダル)」を創造させた。グノーシス主義的に言えば「天上界のアダム」に相当する人間の原型である。カダルはアラビア語の男性名詞であり、クーニーと一対となって神の原初の創造原理を代表する。神から言えば、上位の女性原理クーニーによってすべての被造物を創造し、下位の男性原理カダルによってそれらの運命を司るのである。
子音表記のアラビア文字では、クーニーは四文字、カダルは三文字で、合計七文字。
合計二十八文字あるアラビア文字は四×七に割り切れ、その最初の七つ組がこの四+三文字にあたる。なぜこの七文字がアラビア文字の中で特別なのかは部外者にとっては判然としない。ともかく、すべての存在者はこの七文字の組み合わせによって派生するがゆえに、クーニーとカダルは万物の根源であると言う。

この後、クーニーの瞑想から七つの天使的存在(ケルビム)が、カダルの瞑想から十二の精神的存在が誕生したとされる。ちょうど、マンダ教のプタヒルが、七惑星と黄道十二宮の助けを借りてこの世を創造したのと同様の設定である。但し、マンダ教ではこの二つのグループは闇の世界に属していたが、イスマーイール派の神話では男性原理の運命カダルが産出した十二の精神的存在のうち、最初の三つは大天使の当てはめられている。最初の三つとは幸運・勝利・想像である。
「幸運」はガブリエルに、「勝利」はミカエルに、「想像」はセラフィエルに当てはめている。当然彼らは善なる存在であり、天上界の出来事を告知者たちや正統イマームたちに宣教する役割を担い、地上におけるイスマーイール派の宣教組織の原像となっている。
しかし、クーニーとカダルの命令に従わないものもいた。
クーニーの直下の第四の階梯に属するイブリース(天上界のアダムへの跪拝を拒否し、天上界を追放されて地獄の大悪魔になったとされる)である。
イスマイール派では悪魔といえども天的な由来を持っているのである。

天上界の創造の後には、地上界の創造が続く。クーニー由来の天使的存在は七つの惑星天を支配し、カダル由来の精神的存在は十二の星宿を司る。ちなみにクーニー自身は太陽に相当し、カダルは月に該当するとされるので、天上界の創造物は地上界ではそのまま古代世界で知られていた天体に一対一対応している。
最終的に地上界で誕生する人間は天上界の要素を含みつつも、神からはるかに引き離されて、故郷の一切を忘却してしまう。そこで、女性原理の過ちから生じた人間は、天的な叡智を彼方の世界から授けてもらうことで、はじめて故郷へ帰還する救済の可能性を獲得するのである。

イスマーイール派のグノーシス神話の宇宙論
【天上界のプレーローマ】
不可知のアッラー
 ↓
クーニー
(あれ。女性原理。彼女の傲慢の故に世界が開展→6つの階梯)
↓                 ↓
カダル(運命。男性原理)      ↓
↓                 ↓
12の精神的存在  7つの天使的存在(幸運ガブリ、勝利ミカ、想像セラフィ)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【地上界】           ↓(グノーシスの授与)
  ↑↓    ↑↓  告知者や黙示者に叡智を宣教する
12の星宿  7つの天圏     ↓(グノーシスの授与)
        イスマーイール派宣教組織が人類に宣教する
↓           ↓(グノーシスの授与)
人間存在=神から最も隔たった地点に人間が誕生し、
天上界の出来事を忘却している
が、(少数の人は)イスマーイール派の宣教により秘義に覚醒する
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【地獄】
アダムへの跪拝を拒否したイブリースが、
第4階梯から転落し、大悪魔となって棲息
……

天上界の神聖史に続く地上界の人類史においてイスマーイール派は七つの周期の時間を想定する。その中で、全部で七人の告知者が出現して人類に聖法をもたらし、彼に随伴する黙示者がその奥の秘義を明らかにするとされる。
七つの周期の告知者とは、原初の七文字に対応して(便宜的にアルファベット表記にする)、
K=アダム
W=ノア
N=アブラハム
Y=モーセ
Q=イエス
D=ムハンマド
R=救世主
であり、第一から第六までの各周期に随伴する黙示者がいる。
聖法とはユダヤ・キリスト・イスラム教であり、
秘義とは天上界の記憶を呼び起こす神的な叡智すなわちグノーシスである。

イスマーイール派の七周期と告知者・黙示者

第一周期 告知者アダム (黙示者 次子アベル)
最初の人類。アダムが独自の聖法をもたらしたか否かについては見解が分かれている。

第二周期 告知者ノア (黙示者 長子セム)
聖法を編纂し、普及させた最初の人物

第三周期 告知者アブラハム 
(黙示者 庶長子イシュマエル=イスマーイール)
カァバ神殿を建設した人物

第四周期 告知者モーセ (黙示者 兄アーロン)
鍛冶を司り、鉄の武器をもって敵と戦った

第五周期 告知者イエス (黙示者 ペテロ ※血縁関係なし)
木細工(十字架)を始めた人物

第六周期 告知者ムハンマド (黙示者 従弟で娘婿のアリー)
鋳造を始めた人物

第七周期 救世主
新たな聖法はもたらさず、秘義を全面開示して人類の救済を成就する人物。
実像は諸説ある。
①第七代正統イマームであるムハンマド・マクトゥームとする説(カルマト派)
②ファーティマ朝の樹立とともに、とりあえず先送りされたとする説

イスマーイール派は、ムハンマドですら相対化する。
第七周期では、救世主は告知者と黙示者を兼ねる。聖法をあらたにもたらすことはないが、全人類に対して隠されてきた秘義を全面開示する。

初期イスマーイール派は、第七代正統イマームであるムハンマド・マクトゥーム本人をもって、預言者ムハンマドの周期を更新する第七の告知者にして、正統イマームが担う黙示者の使命をも成就させる救世主(マフディー。イスマーイール派独特の用語として、アラム語起源のカーイムとも呼ばれる)と捉えていたと思われる。
アリー家に代々伝わる聖剣ズルフィカールの鳴動と、ムハンマド・マクトゥームによる大復活の宣言の中に、時間を止める「聖書ストーリー」の絶頂が期待されていたのである。

カルマト派とは南メソポタミアに拠点を置くイスマーイール派の宣教組織。
ムハンマド・マクトゥーム没後もあくまで彼が救世主だと主張し、イマーム位を継承するアブドゥッラ―・アクバルたちと意見が分裂し、ついに
899年に袂を分かってペルシア湾岸のバーレーンで武装蜂起した。
930年の巡礼月にははるばるマッカまで遠征してカァバ神殿を襲撃し、イスラーム教徒巡礼者たちを大量虐殺したうえに、ご神体である黒石を略奪してバーレーンへ持ち帰っている。史料が残っていないので、彼らの思想を正確に掴むことは不可能であるが、イスラーム的聖法を遵守する必要がなくなったことを象徴的に示すためにカァバ神殿を襲撃したのだろうと推測されている。
カルマト派はアッバース王朝が莫大な金銭と支払ったので黒石をカァバ神殿に返却している。
899年後イラン高原や中央アジアなど東方のイスマーイール派宣教組織は、少なくとも10世紀前半まではカルマト派の教義を信奉している。ただ、カルマト派はアッバースやファーティマ朝と軍事衝突を繰り返し11世紀には内部崩壊してしまった。
よって、イスマーイール派の主流はアブドゥッラ―・アクバル系のファーティマ朝となった。

・九世紀前半のバグダードでギリシア語文献をアラビア語に翻訳する運動があった。
これを機にイスマーイール派も新プラトン主義を取り入れた。

イスマーイール派思想への新プラトン主義の導入にあたっては、
10世紀にイラン高原から中央アジアで活躍していた三人のカルマト派宣教員――後にイスマーイール派ペルシア学派と呼ばれた――が顕著な貢献を果たした。
北アフリカやアラブ地域のファーティマ朝系宣教員がこのような志向をまったく見せていないので、当時はイラン~中央アジアが哲学に対して敏感になっていたと思われる。
イスマーイール派の揺籃の地がメソポタミアであり、哲学的教義の揺籃の地はイラン高原だった。
カルマト派の宣教員ムハンマド・ナサフィーの著作『キターブ・アル・マフスール』(現在は散逸し、断片的な引用のみで知られる)はイスマーイール派の教義に初めて新プラトン主義を導入したもので、イスラム思想史上大きな影響力を持ち続けた。

カルマト派でペルシア学派のスィジスターニーは最も多くの文献が残存しているので、彼の宇宙論を紹介する。
スィジスターニーによれば、アッラーは不可知の神である。勿論、神話的教義ではクーニーの転落を担保するためにアッラーは不可知でなければならなかった。その影響でイスマーイール派ペルシア学派のアッラーも超越的な神と想定されたのかもしれない。
このため、以後のイスマーイール派の神観では、いかなる擬人神観も拒否し、アッラーは否定辞でしか表現できないとする否定神学(~ではない重視)が大きな特徴となった。
神話的教義でクーニーとカダルとされていた原初の原理は、それぞれ新プラトン主義の知性と霊魂によって置き換えられた。
アラビア語の「知性(アクル)」は男性名詞であり、
「霊魂(ナフス)」は女性名詞なので、この段階で女性原理クーニーの転落の物語は放棄される。
しかし、スィジスターニーは第一の被造物である「知性」がそのままアッラーから流出したとは考えない。そうではなく「知性」は神の言葉「あれ」を媒介として無から創造されたと理解する。
これはアッラーの超越性を維持しつつ、クルアーンの啓示を尊重し、かつ神話的教義の「クン」にも配慮した結果と思われる。
永遠・完全・不動の第一存在である「知性」からは、
第二の創造物として「普遍的霊魂」が流出する。
形のうえでは神話的教義でクーニーがカダルを創造したとする説の踏襲であるが、「一からは一しか生まれない」とするパルメニデス・テーゼを遵守するべく、「知性から何者かが溢れだすように霊魂が流出した」と表現している。
この霊魂は知性のように完全な存在ではなく、常に完全性を求めて上位の知性を希求している。ここから明らかに神話的教義から継承したとみられる、幸運=ガブリエル、
勝利=ミカエル、
想像=セラフィエルの三つ組も生まれる。
また、霊魂の希求から運動が生まれ、
「時間は運動の量である」と定義される時間も発生する。ここにいたって、形相と質量によって構成される生成消滅界の「自然」が流出する。
やがて形相と質量が七つの天圏と星辰を形成し、天圏の運動によって乾湿冷熱の四元素が混合して地水火風が誕生する。
そこから、植物的霊魂を持つ植物、
感覚的霊魂を持つ動物、
血性的霊魂を持つ人間の順で発生し、この世界を形作る。
このうち、人間だけは個別霊魂に与かっているのでより完全な普遍霊魂を希求してどうにか救済にいたる可能性を持っている。
人間は天上界の普遍的霊魂の欠片を持っているとする人間理解は、神話的教義における天的起源を持ちつつそれを忘却したとする人間理解に近いかもしれない。

新プラトン主義哲学化したイスマーイール派宇宙論
不可知のアッラー
↓(「あれ」と言って無から創造)
普遍知性
↓(流出)
普遍霊魂
↓(流出)
自然(=形相+質量)
~~~~~~~~

7つの天圏と星辰
↓(天圏の回転による時間の成立)
乾湿冷熱の混合

地水火風の成立
~~~~~~~
↑(人間のみが普遍霊魂を目指して天上界への帰還を希求)
人間=知性的霊魂

動物=感覚的霊魂

植物=植物的霊魂


・イスマーイール派の新プラトン主義的哲学教義の時期は10~12世紀まで。
909年にチュニジアにファーティマ朝が誕生し、
969年にエジプトを征服しイスラム世界の西半分を支配した時期。
潜伏時代のグノーシス主義的な神話に当時最新の時代思潮であったネオプラトニズムを導入し、教義が大きく変わった。
ペルシャ系宣教員が哲学的教義を整えた。
エジプトの本部からはイスラーム世界の東方各地に更なる宣教員が派遣されて、現地の知識人層や商人層に猛烈にアピールし、イラン北部や中央アジアにイスマーイール派の「解放区(ジャズィーラ)」を設定した。
この頃が政治的にも宗教的にもイスマーイール派の全盛時代である。

・イスマーイール派は
765年に十二イマーム派と分かれた後も、
899年にカルマト派(メソポタミア、ペルシア湾岸、イラン高原)とファーティマ朝(北アフリカ)に分かれ、そのファーティマ王朝は
1021年にはドゥルーズ派(シリア、レバノン)が出、
1095年にはニザーリー派(イラン高原の宣教組織)とムスタァリー派(エジプトの王朝本部)に分解した。
1191年にファーティマ朝が滅亡し、中央アジアからやって来たモンゴル軍によって
1256年にアラムート要塞が陥落して以降、政治的に没落。
主要な拠点を失ったイスマーイール派はイランやイエメンで神秘主義教団のかたちで生き延びざるをえず、民衆的な修行道や道徳訓話を加味しながら、教義を再転換していった。現在では、イスマーイール派の末裔は主として亡命先のインド西海岸とイエメンに少数派コミュニティーとして残存している。

(イスマーイール派思想の形成にもイラン思想の影響があります。
イスマーイール派の人類史で七つの周期の時間を想定する思想は、
神智学と人智学の元ネタの一つ。イスマイール派の本が恐らく市販されていななかった当時、ブラバッキーらはどうやってイスマイール派の思想を知ったのでしょうね?
一部のエリートにしか教えなかったのにね。宣教しても大衆向けではないし。
神智学の教義の作成にメーソンが絡んでいますから秘密結社経由でしょう。
ペルシャ思想の影響を受けているイスマーイール派なので、ペルシャを重視するメイソンは間違いなく情報を手に入れていたでしょうね。
グノーシス主義はキリスト教に迫害されましたから必然的に地下に隠れますから秘密結社化します。
神智学が反ユダヤ本の普及に協力したりするなど、神智学の中核にも反ユダヤカルトであるキリスト教があります。創造神ロゴス=ゴッドが登場することからもわかりますね。
いい加減ヨハネ福音書から離れたら?)


閉店です ‏@lakudagoya
@kikuchi_8 スーフィーにも占星術的なシンボリズムありますね。まー、スーフィーってイスラーム世界のマギの末裔じゃないですか?(笑)バラカという神の恩寵をもたらすのも血筋で血統主義ありますし、このあたりヤジディやらイスマーイール派に繋がりまする。シーア派も占星術の流出世界論
スーフィーはマギとサドゥーの混合ですよん。まープロティノスやらネオプラトンの人たちがイスラーム世界で流行り、マフディーを中心としたカトリックの天使論みたいな天界流出階層論がシーア派の神学として形成されましたね。血統主義はバラモンもゾロアスターもです。


やたらとおフレンチ系秘密結社のやつらがイスラーム好きなのは、薔薇十字団なんかみてるとわかるけど、イスラームからやって来た連中だからな

薔薇十字団の開祖の墓ハケーン!とかやる弟子とか見てると、スーフィーの廟とかを連想すんだよねー。

薔薇十字団の人イスラーム世界に留学してたしw


西洋には相当に、イスラム色を抜いたイスラム文化がたくさーん紛れ込んでるぞ?

これさ、両方を比較してはじめて「あー!」と騙された事に気付く。

グルジェフとかもさ、スーフィーの教えに「超古代の秘儀ガー!」というプレミアをつけて売ってたんだよ。

もちろんイスラム色抜くの忘れずにな


ユダヤ陰謀論で絶対触れられないのはイスラム世界からの資金の流れだ。 スーフィズムだかカバリストだとか近い位置にいて思想も似通ってたキリスト教異端にそいつらの資金が流れ込んだ可能性がある。 カタリ派とか見てみな? こいつらイスラーム世界とガッチリツルんでた。

更に言えばカタリ派に影響を与えたボゴミール派はスラブの山中で15世紀まで存続したけど、オスマン・トルコに攻め入られたらイスラームに集団改宗してる。ボスニア・ヘルツェゴビナとかのムスリムはそいつらの子孫。 おっと、オスマン・トルコの成立を助けたのはヴェネチアだよ。くっさいなー。
中世ヨーロッパでは、異端というものは常にオリエント世界からやってくる毒のようなイメージだった。 実際に各種異端はヨーロッパ内部よりも外部の影響があるもんな。 フランスやスペインの地中海沿岸やイタリアのロンバルディアまで異端のネットワークはボゴミール派から影響受けていた。

スーフィーを見て不思議だと思うのはムスリムなのに、宗教にこだわらないんだよ。 ルーミーという有名なイスラーム神秘主義の人がいるけど、キリスト教徒だろうがゾロアスター教徒だろうが、多神教徒(カーフィル)だろうが来なさい来なさいと言ってる。 ここのあたりに秘密があるんじゃね?

ユダヤ陰謀論の人はあまりキリスト教異端とユダヤとイスラームの仲良し関係は触れたがらない傾向
にあるけど、中世イスラームってヨーロッパに比べたら超経済大国じゃん。 国力がバブル時代の日本と自転車乗ってた時代の中国くらいは差がある。 そうなると資金投資されるとしたらどうなるって話。

そうなると、アメリカとつるむ事で成金国家になったサウジアラビアやUAEのようにイスラーム勢力とつるんだ勢力がキリスト教社会で大きな影響力持つじゃん。 で、問題点があるとすれば、イスラーム勢力はいつもバチカンに投資するの嫌がったって話なんだよ。そこが陰謀論の争点でね。
となると、江戸幕府の支配してた日本なのにイギリスに支援してもらって倒幕しちゃった薩長土肥みたいに、バチカンとしては当然面白くないよね? シチリアのフリードリヒ二世やカタリ派などやつらはいつだってバチカンの不満分子に投資しやがる。 となると生まれるのがユダヤ陰謀論だよ。
ユダヤがバチカンを潰して世界支配を企んでるという陰謀論は、ユダヤを通じてバチカンの不満分子に投資してバチカンの一極支配を崩そうとしてる中東の銀行家が許せないと言いたいんだよ。 でもなぜかそこは叩けないポイントだから、ユダヤがバチカンを内部から操って世界支配みたいな話になる
かと。

イエズス会の創設者の貴族の出て元騎士で従軍してたロヨラがユダヤってデマも、ロヨラが関わってたアルンブラドス派などの異端がユダヤを通じて中東から資金援助貰ってたというオチでね? 隠れユダヤ云々の論争の背景には、本人がユダヤというよりユダヤとツルんだ異端のネットワークがあるんでは?
大体、ユダヤ人は教会法で金融業と古物商以外の商売が禁じられてる(商館持つのもダメ)のに、キリスト教徒の貴族階級やそれに類する人しかなれない騎士にユダヤ人がなれるわけねーじゃん。 ロヨラの実家は城も残ってる貴族でユダヤ人の土地取り上げたりしてなかったですか? 隠れユダヤが貴族?
○○は実は隠れユダヤ人でっていう話、ユダヤ教の習慣も信仰も捨てたユダヤ教徒が隠れユダヤってのはおかしいぞ? それなら、隠れムスリムはどうなる?ムスリムなのにあの宗教キチのイザベラ女王様に強制改宗させられたムスリムがクリスチャン化してるのにムスリムとか言えるわけ?





閉店です ‏@lakudagoya 5月7日
隠れユダヤがあるなら、隠れムスリムだっていたのにそっちは言われない。

シーア派の少数派にはタキーヤと言って信仰を秘匿することが許可されてる。

それならば、隠れシーア派の陰謀論もあってもいいのにシーア派の陰謀論はないよね?

10世紀のファーティマ朝とか臭いぞ?
シーア派にはタキーヤというものがあるので、実はイランなどは嘘つきの文化があるのがご存知だろうか? 嘘つきの文化のみならず、象徴や寓話的な表現でコミュニケーションを計る文化もな。 佐藤優の本にシーア派に改宗した外交官の嘘つきの話が載ってる。嘘というより暗喩の文化なんだろうが。。





この13世紀頃に隆盛を迎えた思想が南フランスのカタリ派弾圧やレコンキスタでどう地下に潜って近世に繋がるのかそのあたりが気になるポイントなわけで。 このアブラハムの3つの宗教がさ、13世紀頃に似たような思想で地下水脈で繋がってたというのが気になるポイントなのだよなー。



ひとつ気になる点があるとすればだよ、スーフィーの連中はルーミーなんかを見ればわかるが、宗教によって差別しなかったんだよ。 フリーメイソンが異なる宗教に対して差別しないってさ、露骨に西ヨーロッパ純正には見えなくてね。 カタリ派とか、オリエントの匂いがする。 これ結構大事な情報
ひとつ気になる点があるとすればだよ、スーフィーの連中はルーミーなんかを見ればわかるが、宗教によって差別しなかったんだよ。 フリーメイソンが異なる宗教に対して差別しないってさ、露骨に西ヨーロッパ純正には見えなくてね。 カタリ派とか、オリエントの匂いがする。 これ結構大事な情報
ひとつ気になる点があるとすればだよ、スーフィーの連中はルーミーなんかを見ればわかるが、宗教によって差別しなかったんだよ。 フリーメイソンが異なる宗教に対して差別しないってさ、露骨に西ヨーロッパ純正には見えなくてね。 カタリ派とか、オリエントの匂いがする。 これ結構大事な情報


おいらは、近代を形成したのは実は中世ではないか?と思ってる。中世に一通り土台を作ってそれが近世で育って近代で花開いたような。 中世に作られた思想とか制度とかが近代や近代まで繋がってて多大な影響を与えてるのに、中世の与えた影響力に関しては殆どスルーだしねえ。 しかも工作とかさ。

スーフィズムの秘密言語と象徴 [イスラム教]
http://morfo.blog.so-net.ne.jp/2011-07-17
”日本人には理解しにくいのですが、語やヘブライ語などのセム語やハム語系には独特の特徴があります。
自然にある単語が別の単語を暗示・象徴し、とされるのです。

そのため、アラビア語を使うスーフィズムや、ヘブライ語を使うユダヤ神秘主義のカバラには、一種の秘密言語と言うべき特徴が存在します。
語やペルシャ語にも、似たものがあります。

その理由になる言語的特徴は2つあります。

一つはすべてのアルファベットが数字を表すのです。
ヘブライ語では400までですが、アラビア語は1000までの対応があります。
ペルシャ語はアラビア語と同じ対応
です。

そのため、ある単語を数値に変換してから再度、文字に戻して単語にした場合、最初の単語は最後の単語に、暗号として入れ替えることができる、あるいは2つは同じ象徴的な意味を持つ言葉として等値することができると考えるのです。
これは「アブアド法」と呼ばれます。

この文字と数の置換法の正確は方法は、ある単語のすべてのアルファベット文字を数字に変換して足した価(多くは3桁になります)の、それぞれの位の数値を(3つの)アルファベット文字に置き換えて、その3つの子音で構成される単語を得るのです。

もう一つの特徴は、ほとんどの単語が3つの子音で構成されていて、同じ3つの子音で表わされる複数の単語は、1つの語根からなる派生語の関係になるのです。
この派生語は自然に連想的に結びつき合います。
さらに、同じ3つの子音を、順番を変えて構成される語根の派生語も、この連想関係に加えられて、結局、これら派生語全体で一つの相互連想的な意味群を形成するのです。

つまり、セム語には秘密言語という側面があって、言葉同士の間に、通常の連想・象徴的な関係以外にも、様々な連想・象徴関係を生み出します。
それによって、世界観の中に複雑で創造的な関連性を生み出したり、新しい解釈を生み出すことになるのです。

このようは秘密言語を背景にして、特定の言葉が別の象徴的意味を持ちます。
その意味は、神秘主義的なの部外者には理解できないものです。

西洋の神秘主義の伝統で良く使われる言葉で、スーフィズム由来の言葉が多数あります。
西洋の神秘主義者も知らないのですが、スーフィズムに詳しい人なら分かるのです。
いくつか紹介しましょう。

・「黒」=「エジプト」、「賢い」
「黒魔術」は本来、エジプト魔術とか、知恵の術という意味だったのでしょう。
「黒い聖母」も、賢き聖母、エジプトの聖母(イシス)という意味だったのでしょう。
「賢者の石」は黒い石、つまり、メッカのカーバ神殿の黒石という意味だったのでしょう。

・「薔薇」=「行」、「十字」=「本質を抽出する」
「薔薇十字」は霊的な本質を顕現させる方法という意味だったのでしょう。

・「炭焼きたち(カルボナリ)」=「知覚者」
のカルボナリ党の本来の意味は、霊的な知覚者だったのでしょう。

・フリーメイソンが重視する「A」「B」「L」=「秘儀の導師」=「3つの瞑想のポーズ」(三角定規、水準器、ロープで現される)
もともと、テンプル騎士団やフリーメーソンは、東エルサレムにあるイスラム教の聖地、岩のドームに由来します。
岩のドームは元のエルサレム神殿(ソロモン神殿)の場所にあります。

・「バフォメット」=「意識の変容を経験した人間」=「智恵の頭」
バフォメットはテンプル騎士団が礼拝していた頭像で、後に悪魔像とされました。”

神秘主義/スーフィズム
http://www.y-history.net/appendix/wh0504-012.html
”イスラーム教の広がりとともに生まれた神との一体感を求める民衆的な信仰。8世紀ごろにはじまり、12世紀ごろから神秘主義教団が生まれ、イスラーム教の各地への拡大の原動力となった。
 イスラーム教の拡張とともに8世紀の中頃にはじまり、9~10世紀に流行した、踊りや神への賛美を唱えることで神との一体感を求める信仰形態および思想を神秘主義またはスーフィズムという。スーフィズムは、修行者が贖罪と懺悔の徴として羊毛の粗衣(スーフ)を身にまとって禁欲と苦行の中に生きていたスーフィーから来た言葉であると考えられている。その思想は、自我の意識を脱却して神と一体となることを説き、形式的なイスラーム法の遵守を主張するウラマーの律法主義を批判することとなり、より感覚的で分かりやすいその教えは都市の職人層や農民にも受け容れられていった。

神秘主義は宗派ではない
 しかし、注意しなければならないのは、神秘主義(スーフィズム)は“宗派”ではない
ことである。スンナ派でもシーア派でもみられる、信仰の“実践形態”の一つであり、 またその形態も幅広く、コーランとハディースのみを重視して簡素で規律正しい生活を送ろうとするグループもあれば、それでは十分でなくより直接的、感覚的に神を体験することを重視するグループもあった。
 はじめスーフィーはきわめて少数であり、彼らは世俗を離れて修行していたが、次第に聖者としてあがめられるようになって弟子や崇拝者が集まるようになり、各地に「スーフィー修養所」が作られた。そのような聖者崇拝はいくつかスーフィー修道会に発展し、神秘主義教団を生み出していった。彼らは民衆の願望に答え、知識や規則ではなく、感覚で神と一体となる方法を広げながら、教団を拡大していった。<M.S.ゴードン/奥西俊介訳『イスラム教』1994 青土社 p.106-113>

神秘主義の理論化と拡張
 代表的なスーフィズムの理論家に、セルジューク朝のガザーリー(1111年没)がいる。12世紀ごろから、各地に神秘主義の修行者を崇拝する神秘主義教団が生まれ、その活動が、イスラームの大衆化を進め、同時にアフリカやインド、東南アジア、中国に広がる背景となった。ムスリム商人の活動はこのような神秘主義教団の活動と一体になって進められ、アラビア語を解しなくともアッラーへの服従を説き、現地の土俗的な信仰と融合しながらイスラーム教の普及が進むこととなった。

インド・イランでの神秘主義
 インドでは南インドに始まるヒンドゥー教の改革運動であるバクティ運動と結びつき、15世紀末のカビールや16世紀初めのナーナクなどのヒンドゥー教との融合をめざす新宗教運動を生み出した。神秘主義教団の一つサファヴィー教団は、1501年にイランに入り、サファヴィー朝を建てた。

神秘主義に対する反動
 神秘主義(スーフィズム)はイスラーム教の普及拡大に大きな役割を果たしたが、同時に各地で土俗的な信仰と結びついたりして、本来のムハンマドの教えからは離れる傾向もあった。
それにたいして18世紀のアラビアでイブン=アブドゥル=ワッハーブが起こしたワッハーブ派の運動は、そのような神秘主義を批判して、ムハンマドの教えに戻るイスラーム復興を主張した。彼らはコーランとハディースの教えに厳格な本来のスンナ派の信仰を復興させることを掲げ、アラビアにワッハーブ王国を建てた。このようなイスラム改革運動は、現在のイスラーム原理主義の一つの源流となっている。 ”


おねショタおじさん ‏@douteimaturi
政治というのは究極的には殺す事でしか解決しません 反対とか、労働争議とかではなく究極的には敵を殺し続けることでしか解決しないのです なので、反権力・反天皇・反安倍ではなく 天皇を、安倍と役人を皆で殺しに行こうという運動以外は信じるに値しませんこれ以外は全部偽物でガス抜き運動です

その点、イスラームやアジア・アフリカの文化・文明は非常に合理的です 人を集めて敵を殺す・術数ではめて、多数派を形成して殺す・追放した後に罪を被して殺す・暗殺者となって殺す・権力者に阿って敵対者を殺す…などなど 相手を滅ぼさない運動や集団行動以外は全部偽物で信用するのが馬鹿です


日本のイスラーム研究者でこの場所で勉強しなかった人は基本除外してください
カイロ・マディーナ・ダマスカス・バクダット・ナジェフ・ゴム・イスタンブールのこの7都市がイスラームの研究の中心地です 悪い言い方すれば、この7都市で学習出来なかった人はその程度ということでしかありません

イスラームは基本的に5つの柱で構成されています
クルアーンと伝承・解釈論・哲学論・道徳論・法学論です
この五つが柱となっています、その中でも宗教の基礎と言われているのがクルアーンと伝承・解釈論・哲学論です、なのでその3つが基礎の柱という人もいます



特に今、栄えているのがイランのゴムです
イラクのナジェフに居た研究者がこぞってゴムに集まっておりシーア派のイスラーム哲学で最も重要なイルファーン(霊示・霊託=辞書では啓示、しかし啓示者(ص)でも指導者(ع)でもないものが善なるか、悪なるかわからない存在から受ける神託の様なもの)
その研究者が増えているとの事で伸びているのが現状との事です シーア派12イマーム派のウスール学派にとってこの霊示・霊託の研究は肝と言っていいものでこれが何故発生するのか、何故それを受けるのかを研究している人がナジェフではなく、ゴムで増えているのはスンニ派世界としては恐ろしい事です

何故、恐ろしいか?
それはシーア派12イマーム派のゴムのウスール学派は哲学を最重視し、哲学的論理性・合理性・反証性ないものを忌避した上でどうあがいてもそれで理解・説明できないものを仏教の無記の様に今の我々では説明できないが必ず出来るようになるという哲学的思考をするからです

その今、説明できないものは必ずイルファーンを得た大学者によって合理的・論理的・反証性を持つものとして解釈されると確信しているからであり スンニ派世界とは違い、神秘主義・法学主義に落ち込まず 必ず神智の絶妙を発見出来ると考えている部分なのです、これが当代のシーア派の恐ろしい所です
無記の先があると言っている時点で狂気でしかなく、神秘主義に甘えず・法学主義に安んじないという時点で発狂しているようなものでその上に生活知を含んでそれを日常で体現すると言っているので理性を体現する狂人としか言いようがないわけです こんな狂った学識者が集まっているのがイランのゴムです

なので、テヘランに引きこもっている日本の学者やマスコミはペルシャ文学や文明などは理解出来ていてもイランの真骨頂である、シーア派12イマーム派については知らないも同然なのでゴムを知らない研究者はゴミで聞く必要がありません なので、イラン本来の情報は日本にはほぼ存在しないのです

また、日本にいるイラン人の99%がその様なものを嫌って来た人達で世俗でしかない人なので彼等からの伝聞がイランではありません
日本人が歴史的に自滅してきた性癖として部分で全体を騙るという悪癖があります 経験知は常に己の認識を詐称するというのを念頭に入れて考える必要があります

で、もっとエグい事を言えば イランやイラクなどのシーア派12イマーム派はタキーヤ(信仰隠し)をしますので彼等が日本を異教徒の土地として信仰を隠されたらわかりません
なぜなら、異教の地で信仰隠しを決めたら、基本無期限なので日本を離れたら敬虔なムスリムという場合があるからです


なので、イラン人が日本で平然と豚食ったり、酒飲んだりしてムスリムじゃない振りして近づいても絶対に信用できないのはこのタキーヤというものがあるからで明らかにそういう事をしているイラン人がいたらまずスパイだと疑うのが貴方の身のためで長生きしたければ絶対にイラン人には近づかない事です




ハラール認証はハラームで大きい罪になるのであのマークが付いたものは罪を食うことになります それは金銭を扱う組織にも法学的規定があるイスラームにおいて、クルアーンの記述の一部を抜いて商売することはクルアーンの記述に抵触し、これに関しては異なる解釈ができないので言い訳は無理です

じゃあ、あのマークを買うインドネシア人とか何なの?と、言われますが知りません 何でかと言うと一般人が法学を知り、その解釈について知っているわけではないからです あのマークの組織として 1、印を得る為の金銭授受がない 2、全てムスリムがしている 3、組織ではなく合議的な構造

4、それによってどの個人にも収入等の形で金銭を受け取ることのない善意の集団
5、食物規定などの法学を納めたウラマーが幾人が参加し、全員が合法と判断すること
等々、瞬間的に思いついただけでもこの条件が満たされていないとハラームとハラールを法学的に規定する事は現実出来ません
なので、マジで・本気で・ガチで・冗談抜きで・本当に最期の日の後で焼かれたくないムスリムはあの印には近づきません 最低でも法学の基礎を知っていれば、あれは罪を食うことが明らかなので近づきません 変な言い方をすれば、絶対的大多数のムスリムはその程度でしかないという事なのです

しかし、最初に言ったようにその組織の中身を知り・見なければ別に無知ということで免除されるのでそれを知っているムスリムはその組織について調べません それはそれで賢いのですが、その態度がこういったものを蔓延させている元凶でもあり、本来はムスリム自身の態度の問題なのです

正しくは組織的に規定できないということです 法学って、究極的に最期の審判の時に何やらかしたかがはっきりするのでそのやらかさない為にあるのですが 現状、如何にすればやらかさないギリギリをやれるかという事になっているのが本当のところで実際それではマズイのですが難しいところです

日本の悪いところの全ては口約束文化の癖に当代、守られる事がなくなっているという事です そうなると、常に書く・明文化する文化社会というのが重要なのですが両方とも軽く見るのでどちらかを重きに置く文化・文明には勝てないのです 所詮、日本というのは野蛮人の異例な社会でしかないという事です

なので、契約という概念がある社会・口約束が必ず成立する社会・例え外部的には信用できないが内部に入ると必ず履行しあう社会等とは戦えないのです 当然、中国は最低でも三番目の社会・知的労働に関しては一番目に該当する社会なのでその社会には当然日本社会如きが太刀打ち出来る訳ないのです

また、人間のピンキリがはっきりしているわけで日本のように中途半端に賢いのでピンキリがはっきりせずに救えないものを救おうなんて無駄な事をしたり 地位と資産でしかはっきりしない上にその倫理がないのでそれでしか判断できない社会では社会の枠組みがないのでただ物量の社会になります
なので、物量しかなかった社会は物量がなくなれば急激に衰退するのは当然の結果でしかなかったのです それにとどめさすかの如く核汚染があるのでピンの若い・意志がある人間をとりあえず日本から離れさせる事以外の手段がないというのが現状なのです、終わっている以上はどうしようもありません
革命とか言うのでしょうがそれすらも歴史的には扇動元がいなければでき得ません 革命というのは本当に殺戮し尽くすことです、今それを責任持って・計画的に出来うる人間は日本には存在しません だから、ただ搾取され続けて絶滅されるだけなのです 諦めて下さい、これは必然です

私は元々民族派の右翼なのでここまで堕ちていく祖国というものは非常に辛いものですが、この流れを止めることはまず無理でしょう 無理なものは対症以外の方法はありません、強いて言うなら最低でも己の子供を見たければ、名古屋より以西に逃げるべきでしょうね、今でも遅くはありませんから






最と恐ろしいのはスンニ派の部族内や外国勢力のスンニ派同士が殺しあって、少数派だけではなくスンニ派住民の難民も大量に出てくるということです。 そうなるとシリアは無人地帯になってしまい、その勢力の空白によって中東戦争が起きる可能性があったので本当に危機なる状態だったのです。

現代において、主なシーア派のイスラーム哲学においてはこの五つを基礎とします
1、あっらーさんの唯一性
2、あっらーさんの公正・中庸性
3、預言者(ص)性について
4、イマーム(ع)・全ての人類の指導者性について
5、復活・最期の日及びその後 の五つです


情報は単独で存在しない 人は過去に縛られて生きている 過去にあって消滅されたとされる集団や知識は条件さえあえば再興する 定義が曖昧、定義を決めないで物事を言うやつは絶対に信用も信頼もしない 全ての意見や思想は主観でしかなく、客観性というのは数と暴力で出来ている これが陰謀論の基本

基本的に学術論的陰謀論がしっかりしている人は起きている現象について応用が効きますが状況論的陰謀論しかしていない人間は学術的考察と基礎知識がないのでできません なので、陰謀論を見るのであれば基本学術論的陰謀論を軸にしている以外の情報は要らないでしょう、無駄です

私が簡単に切り捨てて言っているのは普通の人、いわゆる働いていたり、様々な時間を持たない人向けに言っているわけでゴミ情報を1万文字読むくらいなら、軸となる情報の140文字の遥かに重いのです だから、言葉の定義、言葉の特定を重要視するのです

例えば、日本という単語 それは神話からの物語を指すのか、江戸時代以前を指すのか、明治以降を指すのか、大戦後を指すのか定義がはっきりしてなければ話しても意味がありません なので、真面目に右翼やっている人間ならお前の言っている日本という言葉は何処を軸にしているのかを定めて話します

なので、ネットやツイッターにいる連中は右だろうが左だろうがゴミ以下で文章を読む価値がないと言えるのは定義を定めず話連中が多く、それが圧倒的大多数なわけです 定義を定めて話していない限り無駄で無意味で無効でより無知無脳で無能になるだけです 本当にエロ絵師さんを見ている方がマシです

前も話したけど、再度おさらいしますが詭弁術の潰し方は相手の定義を定めさせる事、抽象的・曖昧な言葉を使ってきたら、その言葉をどういった意味で使っているかを確定させない限りは話を絶対に続けないのです なんでか?それは前提を共有してない同士が話すので情報の共有というのは必須だからです

あらら、変なのに絡まれて菊池さんも可哀想に ああいう類いは基本、過去の文章読んでから発言してくださいと言うか、または徹底的に無視するのが一番いいでしょう 私はブロックというのが嫌いなので無視かまたは凍結依頼でいいのではないかと 相手が勝手に勝利宣言したら無視作戦は成功です

シリア・イラクって、イラクはまだしもシリアは資源が少ない国でシリア何かはアサド家が台頭する前までは貧しい国でただ戦争の係争地だったのだけど、アッシリア正教会とか古い文化が多く 資源ではなく、文化浄化を狙ったものと見てます これが物資の流れではなく、尊厳の流れで見る場合です

これも基本にしてほしいですが物資の流れで答えきれていない場合は尊厳と古代宗教と思想の流れでみてください
文化は統合したら、離れる事はできませんしどこまでが固有なモノだったかは文献がない限り探知できません=純粋な文化は存在しない、もし言っているやつがいたら嘘確定
です

例えば、超古代文明とか言っている奴がいますが、これは条件と状況が揃えば思想や集団は再興するという部分に抵触します 事実、マニ教やグノーシス主義などの多神教的唯一者信仰は近代資本主義と流通革命により認知上の世界が広がったので19世紀から英仏で再度勃興しました

万教帰一の思想は博物学と優生学の思想を混ぜた上で出来上がったものでこの研究は所謂理性崇拝者、百科全書などを作った人達及びキリスト教内部の理性主義者が手を組んで撒き散らしたものでしょう
私が言えるのは新キリスト教と言えるものは全部万教帰一を軸に語り、修正キリスト教
でしょう

つまり、最低でも万教帰一という思想を真っ向から否定している上で宗教がかっていない陰謀論者を探さねばなりません だって、万教帰一の思想が下賤を高貴に特有の民族論、民族自決、全てを国家へ、領域国家等々近代の病理と病根というのをわかった上で批判と修正を問いて行かねばなりません

なので、万教帰一の思想を現代で言っている連中は全部、神学や宗教論的に偽物です 最低でも基礎神学に触れている基礎解釈を知っているものはその宗教の本音を知っています その本音が他宗教とは絶対に交わらないと確信していえる部分で影響はあれども別物であると認定できる部分でもあります

例 ユダヤがー→で、そのユダヤというのはどういう派閥の人です?
ユダヤ金融のー→で、そのユダヤというのはどういう派閥ですか?
裏政治のー→で、そのユダヤというのはどういう派閥ですか?
貴方はおちょくってー→だから、お前の言うユダヤというのはどういう派閥なのか答えてくれ

例 悪魔教徒の殺人儀式はユダヤ教の一部だー→それはどこの記述を読んでそう思われたのですか?
ユダヤ教がキリスト教のー→で、タルムードのどの部分が悪魔教徒の殺人儀式なのですか?
ユダヤの習慣がー→で、どの記述が悪魔教徒の殺人儀式なのですか?


国際秘密力を研究してー→で、ユダヤのどこが悪魔教徒の殺人儀式的なのですか? ユダヤの習慣知る事は創価でいうー→ですので、ユダヤのどの習慣と宗教儀式が殺人儀式と悪魔教的なのですか? 匙を投げー→で、ユダヤ教のタルムードや伝承と解釈のどこが悪魔教徒で殺人儀式崇拝なのですか?

私はこれを現実にされた事も、したこともあるので相手が勝手に逆ギレされたり、自分も頭に来た事があるので己の中で大凡の定義や認識がはっきりしていない言葉や単語はできる限り使わないようにしているのです なので、固有名詞の内容を説明出来ない単語やカタカナ文字を私は避けるでしょ?
そういう事

どこの世界でも大多数の坊主はクソです
なので、あからさまに聖人だの讃えられている連中は基本怪しむに限ります
例えば、金の流れがはっきりしていない
政府などの中枢を身内で固めようとする
悪い話が一方的に流れてこないなど
これを元にするとダライラマやガンジーなどの英国工作員は黒です

英語文献を読めるというのは非常に重要なのですが、問題なのは英語ができてもそれで何をするかであって 私が知る限り英語文献をそのまま読める人が古代の哲学や宗教などの解釈、直接文献に触れている人は全体の2%もいないでしょう いて見つけたなら、土下座してでも教えをこいましょう

日本の色々なものが世界で通用しないと言われるのは単純でそういう教育も世界で基軸となる規格を作ってこなかったのだから当然の帰結です はっきり言って、韓国人の方が英語教育がしっかり出来ているのでまだ世界で通用しますし、最低でも国家がそういう政策とってきたわけですから

象徴のお話 象徴というものには基本4つの分類があると思ってください
それは作ったものが意味を分かっている場合と
わかっていない場合にわかりやすい意味があるのか、
それとも隠れているのかの4つの分類をかけ合わせればそれで象徴を作り出すことができます

例えば、グノーシスの印である丸に十文字これはいろんなところにありますが何故にグノーシスが丸に十文字なのかはわかっていませんし、隠されています 白生地に赤マルですと、落日または墓場の印に白装束で死や憔悴を意味し、意味がわかってますし、その呪詛は表に出ているわけです

但し、その象徴は根源的に力を持っているのかといわれれば持っているのではなく持たされていると言うべきで本当に力を持っているのかと問いただされれば正直、首を捻らざるおえません なので、象徴というのは日々の生活の中で紛れているものであって、風習程度のものでしかありません

なので、様々な象徴は根源的に共通した解釈は存在せず、むしろ解釈した時点でその象徴の力が一人歩きし始めるのであり 一人歩きさせた時点で象徴は力を持ってしまうわけなのです、私が絵描きさんに注意しなさいといっているのは何かを具現化するのは常に表現であり、表現こそが力そのものだからです

もし、秘密結社やそういった象徴を破り破壊していくのなら様々な象徴を否定するのではなく、言語で説明される存在にし、明らかにさせることであり 象徴が象徴として力を持ってしまうのはその秘匿性と表現できないエネルギー、ここでは目的が単独ではない力があると考えられている部分にあるのです

要は秘密であること、秘密とみなされている事がエネルギーの捏造と創出の根源にあり
それを説明するには古代から継続されている象徴について解明するか、己にとってそれが力ないものだと叩き潰すしかありません
魔法を破るのは魔法でも呪詛でも祝詞でもありません、論理と論考に論証です

悪い言い方すれば、困ったら論理でブン殴れー(^ ^) とも、言えるわけです 例えば、霊について 霊=エネルギーの場合→エネルギーということは熱力学でエントロピー値の増大則で劣化するのですがどうやってその劣化を防いでいるのですか? 霊=物質の場合→では、それはなんと言う名前の物質ー

続き)物質ですか?炭素の塊ですか?物質なら、気化した何かなわけですから、当然発見されている物質ではないとおかしいですよね?もし、発見されていないのなら、それは現代の化学表では放射性物質になるのですが生物の霊は放射性物質なのですか? みたいに困ったら論理と論証でぶん殴るのです

他にも古代超文明についても思想や観念は条件によって再興されるのであれば、文明はわからなくとも最低でもその思想は再興されてないとおかしいわけなのだけど、彼らが如何なる思想や社会習慣を持っていたかが答えられていない、または再現されていないのであればそんな社会は元々なかったわけです

悪の魔導士が悪辣な所は象徴を創るだけではなき、言葉の定義を弄ったりする事なわけで言葉の定義を弄るために辞典を作るわけ
例えば、マイナー言語の日本語辞典をその言語の辞書や英語辞典で調べると間違っている事が多いのだけど、恐ろしいのは辞典で使われる言葉が日常使いではない場合がある

あー言っとくけど、金貸しや政商、役人、政治家等名前が世の中に出てくる連中は周辺だからな
本当の中心にいるやつは名前が何個も持っていたり、
名前を調べられてもそいつが何者なのか全くわからない奴や
表上重要視されない存在や
固有名詞を持たない存在が世界の軸
にいて、何かしているのを忘れるな

いいかい、基本的に陰謀論というのは世界を静学的に見る世界観なわけでただ世界は常に動いているので細々動いているわけ 但し、静学モデルをちゃんと組み立てないと動いている世界は見れないわけでその静学モデルは人間は何だかんだ言って一般的な意味ではない合理的な生き物であるという事だ

要は合理というものを何処に置いているのかという問題なわけで例えば、雨を振らせるにはどうすればいいかといえば、今はケムトレイルを撒くという行為だけど、過去は新生児を贄に出したり豊穣の神に祈っていたわけだがそれは反復性のある科学で非常に合理的な行為だったわけだ

合理という言葉も時代によって変わる、認知によって変わるわけで為政者が淫祠邪教に嵌るのも合理の認識が違うからなのだ
合理の誤謬というのはとんでもないもので戦いに勝つには誤謬してない場合、物資、人員を整備して訓練し、連絡機構をしっかりする等
誤謬している場合、戦争の神に祈るとなる
だから、もし社会体制が健全で機能および役割がしっかりしているのであれば後者は基本的に退けられ、
していない社会体制は後者を優先する
因みに前者の社会は法家的又は近代現代社会体制、
後者が野人の社会体制であるので権力者がよくわからない儀式が好きなら実際は後者の社会言えるだろうね

私が日本の政治家の名前や政商の名前を言わないのは穢れた存在の名を言うと己の魂も穢れるという単純な護呪術をしているからです 穢れた存在の事について考えたり、それについて述べるとその穢れに己の心を一瞬でも汚染してしまうからです、だから穢れた存在の名前は出来る限り言わないのです

勿論、私にとって蓮舫という存在も絶対不浄で穢れの塊ですよ ただ、論考するための良い例だったわけでその為に使うには仕方が無いでしょう そういった、都合の良い固有名詞でない場合は使うべきではなく穢れた存在は写真だろうが、映像だろうが一瞬たりとも見るべきではないのです

私は霊という存在を見えたり、物質として感じれる人が身内にいるものだからわかるのだけど、その感覚というのは考証できるものではなく、感じれるから優れても、劣っているものでもないのね むしろ、日常生活ではその体質の方が困るし、不便なわけで言うなれば余計な所にもう一本手があるようなもの

特に見えると相手がわかると寄ってくるものだから、困るのね 特に動物とかの霊は特にワラワラ増えていくらしいので困ったりするらしい 事実、家の玄関とかに塩とか盛っていたのはそういうのを近づけない意味があるのだけど、私のように見えない人間には共有できないから、言うべきではないのね

私の先輩で2LDKの屋根裏倉庫付きで三万とかいう訳ありのを借りていて、そこはラップ現象や背中を思いっきり叩かれるて真っ赤になるという現象があったんだけど、あるときその先輩が帰省で田舎帰る際にその同級生が一週間そこに住んだら、それ以降怪奇現象はなくなったという事があったのね

んで、先輩がその彼に聞いて何をしたんだと聞いたのだけど、全く答えないものだから酒飲ましてぐでんぐでん酔わしてから言わせたのね で、その人は何やったかと言うと霊を綺麗なお姉さんと妄想して自慰をしたという事でラップ現象とか起きる度に見られていると思って自慰をしたらしい

だから、霊もムキになってその人の体を寝ている時に叩くなりしたみたいなのだけど、むしろ綺麗なお姉さんに叩かれている妄想が捗ったものだから一日の自慰回数が増えてしまい、逆に霊が呆れて出て行ったみたいなことらしい おかげでその広い部屋を三年間、悩まされずに安く借りれたという話

そういうしょーもない話も知っているので霊という存在はあるのだろうね、とは言えるけど だからといって、それを前提にして話す事は出来ないのね だって、霊は除霊師とかよりもド変態野郎の方を嫌がるなんてアホな事言えないでしょ、悪魔も悪魔っ子に射精管理されたい何て変態の元には来ないようにね




おねショタおじさん ‏@douteimaturi 11月20日
これは凄い証言なのだけど、つまり今残っている史科資料というのは見られて平気な資料でしかなく、見られてまずい資料は存在しないという事なわけで要は現代史の一部は史科批判による論証が事実上出来ないと言っているのでどの立場取ろうとも史科上での反証・論証は効果がないという事になるのね

だから、南京だろうが慰安婦の話だろうがあった、なかった言うこと自体が無効で確証性がないという事になるのね だって、都合の悪い資料は処分されているとされるのであれば、資料不十分で史科上での批判ができないわけですから、どちらの立場であろうとも歴史史科を持って言い合うのは無意味になるの

ということは、日本の戦中及び戦前の資料に関しては見えている資料で判別するしかないのだけど、その時点で検閲によって識別されているので歴史資料としては資料自体が色をつけられているわけなので純然な資料としては二等、三等の資料の成り下がってしまうわけだ、つまり歴史批判は根幹から出来ない

だから、ネトウヨが慰安婦は女衒によるうんたらかんたら言っても、その軍の命令での資料がない事が前提になるので上位資料の存在がないので無効 左翼が軍の関与で方面軍とかの資料を出したとしても、最上位者である天ちゃんによる許可などの追認、上位資料がなければ無効になるので戦中を語る事は無理

それで証言を集めたりするわけなのだけど、それを裏付けるような資料はどの立場であっても、何が処分されているのかが分からず、基本的に処分されているのが前提になるので欠損した前提と言うことで無効になるのね なので、戦中や戦前の内部に関しては全てにおいて無効で無意味となる

歴史資料の場合は何がなくなっているのか?というのを探し出して考察する事でなくなっている資料の内容を推測するという方法があるのだけど、その周辺資料すらもまとめて処分されているのであれば、それも叶わないのね 何が処分された資料なのか吐いて貰いたかったんだけど、地獄へ持っていちゃったか

ねこた(ニート勇者Lv.1 実は遊び人) ‏@lakudagoya 1日1日前
大本教のタチが悪い所は世界中の宗教のものを全部自分のものだと絡めて主張して取り込む背乗り教のモンスターという所ですね。万教帰一を推し進めるならこれほどタチが悪いものはありませんし、そのために世界中の宗教ごちゃまぜアニメを日本でやってるのはその陰謀ですね。 RT
おねショタおじさん @douteimaturi 10月8日
大本というのがやっている絶対にやってはならない事は一点
大本を軸にして比較宗教やっている事です
これは多神教的帰一主義の悪いとこで手口として主管が言っている事を様々な宗教と比較して、どんどん絡んでやっぱり全ての真理は私達にあると一人合点することです

なので、私は大本的な思想を全否定します
基本的に宗教思想というのは譲れない絶対論があって成り立つものであって、それには必ず唯一でしかないものがあるのです
だから、神学としてこういうアプローチがあると言っている時点でその宗教には神学が存在せず吸収して肥えるスライムみたいな物です

神学はスライムではなく、縦軸がしっかりしているものなのではっきり異物は異物として認識がカッチリされています
ただ、大本みたいなものは異物ですら取り込んで飲み込むので私から言わせれば宗教ではなく、学問でもなくただのご都合主義的なその場凌ぎに終始する言い訳であり、宗教や学問でないです

簡単言えば、泥棒で盗癖があって盗みを働いているのにこれは自分のものだと言い張っているようなものでホツマツタエや霊界物語自体が泥棒に泥棒を重ねてどれが盗んだものかわかんなくなっている泥棒の落書き帳なのでそんな落書き帳を研究するなんて人間の所業ではなく、口舌し難い悪人の行いでしょう

別にただの万教帰一的なものなら何もここまで否定しません、しかしながら大本系とそれに近い泥棒の落書き帳を研究とか言っている連中は神学的にありえないので全否定します
繋げる事は非常に簡単なのですがそれを整合つけるのは実に難しいのですが、奴らは大本が軸で結ぶのでそういう苦労をしません

そんな雑すぎるものを学問とも言いませんし、比較宗教学でも神学でもありません
むしろ、神学がないからそんな粗末な思考ができるのでしょう
全く人類、生物として信じられません
もし、人間であるならば何故ここまで違うのかに戸惑うはずですがアメーバなのでそんな事できません物理的に不能です

大本なんて名前が間違っているのですから、スライム教やアメーバ教と本来の存在の名前を言うべきなのです
本当に聖なるものを豚喰い、犬喰い、蛇のように丸呑みする連中は実に醜い

おねショタおじさん @douteimaturi10月8日
はっきり言いますけど、ギリシャ哲学と中国の諸氏百科それに心身一元論に契約の思想、イスラームやユダヤを正しく認識していれば西洋哲学はただの毒物でしかありません
あんなよくわからない文章を読むぐらいでしたら、論語や韓非、墨子などを読んだほうが遥かに現実的に使えますし、簡単です

恐ろしいのは西洋哲学は詭弁と雄弁術、修辞学の塊なのでそれなりに聞こえてしまうのと舶来物信仰があるのでそれにコロリとやられてしまう事です
特にぬほん人は舶来物が大好きなので簡単に新しい舶来物に被れて、そこの内容物を問わないという悪癖があります
まあ、軸がない人々という事です

でも、ものの本質を隠すような議論をしても意味がありませんので生活が神学であるイスラームとユダヤはある意味、言行一致を求めるので日本人に受け入れやすいのではないかと思います
ただ、超排他的で徹底的に非寛容な日本社会とその性癖で都合の良い誤解をしていくのは容易に想像できますけどね

イスラームで感じれる人になるまで、クルアーンと正しいとされている6冊の伝承の暗記(全部アラビア語)と解釈法の暗記に主要な学者の説の暗記(全部アラビア語)それに信仰とその確信を持ち、そして弁に長けてかつ人格者であり神秘的な体験をして感じれる人になれます

それにしても、ガチでやばそうな人にアレなアカウントな人達って絡まないのね
まあ、私のTL見てもエロ絵描きさん達ばっかりだし、完全に趣味なんだけど呟いていることは全く真逆だから判断しづらいのかなぁ
それに表面上の話は全然しないから尚更なんだろうね、そんなもんだ

あんまり言いたくなかったけど、汎神論の反対は心身一元論です
無神論は汎神論の一部で絶対者信仰者が思考実験として、絶対者が存在しない世界というのは何か?という議論から始まったものです
で、この議論の結論は出ていて全ての理由は何処にあり、ただの物質主義に陥るか、否かになります

要はこの世界には何かしらの根拠と理由があるのか?という議論で汎神論はあるで無神論はない
で、心身一元論はわからないという立場をとります
心身一元論はそれを言ったところで物質と精神が一緒である、己が良くなるか悪くなるかと問われた時に意味ある行いではないのでしません

基本的に心身一元論だけの宗教というのはないような気がします、まあ事実これは哲学と言ってもいいので仏道のように心身一元論に至るために心身二元論から離れる、道教みたいに魂魄があって魂はあの世でもこの世と同じ生活するという一元的な思考をします、なので唯一と多神という分けも正しくないです

なので、この世で確かめられない世界には言及しない態度と無神論は別で心身一元論が怪物やそういった陽の目に現れないものについては一切言及しない態度
無神論は言及して、否定する態度のことであるんで心身一元論者は神秘、超越な存在について一切口出しません
これ大きな違いです


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 11月20日
悪魔を退治する方法
ちょー簡単で悪魔を強い存在として空想するのではなく、弱い存在や自分にとって都合の良い姿に空想すること
そうすれば、簡単に悪魔を退治したり、言う事聞かせられるよ

だから、悪魔を強い存在にしたがる奴はその時点で良からぬ邪念を持っているし、よからぬ願望を持ってるの

悪魔を強くしたがる理由は単純で何かの宗教の敵を作って、敵は強くないとその宗教の力が偉大か証明できないという魂胆があるわけでそれを捏造する事でその宗教の崇拝物をより大きくしたがるわけ
なので、悪魔というのは崇拝物のために強くなきゃいけないし、沢山いないと困るわけさね

なので、悪魔をか弱い女の子や男の子にしてしまえば悪魔というのは如何様にも管理できるわけ それに悪魔というものの住処は人間の心にしかいないわけで外や見える形では存在しないのさ もし、具現化したのであれば力ある存在として具現せずに非力な存在として具現しれば恐れる必要もないわけ

それは聖なる存在と言われているのもその方法を使えばいいのよ そうすれば、聖なる存在も弱い存在である事に出来るし、別にそれを崇め奉る必要はないわけ
なので、一番重要なのは心の管理方法なわけでそれを間違えると両方のどちらかが力を持って、ろくな事をしないわけで中庸こそ重要
なの

聖なる存在は勇敢を蛮勇にしたがり、悪魔は冷静を臆病にして人を偏らせようとするわけだ
つまり、聖なる存在も悪なる存在も弱くするという事は心のフレ幅を狭くすることにあるわけで
どちらかが一方が強いというのは天秤が揺れて、均衡を保てなくなり暴走するのね 天秤は縦軸と横軸の長さが大切

それを言うと老荘思想や孔子などを使えば、そのまやかしは正面から破壊しきれるわけでそれに迷っている連中が今の今まで迷っているのははっきり間抜けでしかなく 今ですら悪なるもの、聖なるもの言っている時点でド阿呆でしかないわけ、なので困ったときは古代の思想でぶん殴るに限るわけです

しょうもない人間の周りにはしょうもない人間しか集まらないのです なので、しょうもない人間を避けていく事だけが最も手っ取り早く良い知識と情報を手に入れる近道です 必要な情報や知識は常に数少ない人しか持っていない及びわかっていないのでバカが3人集まってもバカな答えしか出てこないのです

しかし、誰と何がしょうもなくて誰と何が重要なのかは痛い目や審査眼がないとわかりません なので、例をあげます
1、詭弁術を使わない
2、曖昧な表現や見識を言わない
3、ここで議論を吹っかけない
4、宗教おびてない、または先に言っている
5、曖昧な言葉はその場で定義して用いる
6、立場、主張がある場合は立場を隠さないで言う
7、多数派工作や偽装をしない
8、資料がある場合は枯れた資料、研究されつくした
又は如何なる立場が作ったかが明瞭な資料を出す
9、相手の批判は全体を見て反論し、部分やケアレスミスをあげつらわない
10、無意味に他人に絡まない

わかりやすく、区切りがいいので10ヶ条としましたが、この条件を守っている人がいれば、最低でも言葉に慎重な人でしょう もし、この10ヶ条の殆どに該当するような実に稀有、優曇華の華のような人がいるのであればその人の言葉は信用及び己が用いたとしても恥ずかしくはないでしょう

私がこういった基礎情報や基礎知識の話をするのはこの前提さえ誰もが守っていれば、誰もが必要な知識や情報を得、または迷うことはないからです その意味においては啓蒙主義者であり、百科全書派的であり、無神論的でもあり、事実主義的でもあり、全ての人類はおねショタにのみ救済されると信じてます

言い方を変えれば、この10ヶ条の殆どに該当する人間はエゴサーチしてブロックする対象となります ですので、無意味に絡んできた人間がでてきたら即座にブロックして構いません まず、傾聴に値する話はないでしょうし、見識もないでしょう 無駄な雑音が消音する、これは当然の事です

デマだろうが、デマでなかろうが困った時は何も考えず逃げる それは戦場でもそう、銃声がしたら銃声の反対方向や遮るものが多い方向へ直ちに逃げる じゃないと死ぬか巻き込まれる

災害や事件でもなんでもかんでもそうだが「落ち着いて行動してください」というやつは絶対に嘘つきでそいつの言葉は信じたら死ぬ 災害や事件に直面したときは落ち着いて行動した奴が真っ先に死ぬ、何故なら往々にして余計な事をして取り残されるからだ、財布を忘れただのとか言ってな

なので、正しくは「真っ先に最善をとってさっさと逃げろ」です 財布を忘れた、家鍵忘れた、携帯忘れたとしても逃げている途中なら無視する、道は車で混んでいるから走るか、自転車、逆走していいからバイク(命と罰金どっちが重いか?)道が混んでたならすいている道を瞬時に判断すること



これは兵法の基本である「兵は巧遅より、拙速を好む」という基本中の基本なのです
なので、この逆の事を言っているやつは全て偽物で快楽殺人者です
言い方を変えれば、災害や事件で「兵は拙速を好む」「最善を取って逃げろ」以外またはそれに真逆した事を言うやつがデマ元で快楽虐殺者です
信じていいデマと信じていけないデマとして 今ある災害、事件において己の身に危険が振りかかかるか、振りかからないかの二択でまず考える事です
例えば、冷却水が止まって、核燃料が熱おび始めた→信じていい、何故なら害があるから
津波はそれほど大きくない→これはダメ、命に関わるから

前者はデマだと解れば、戻ってくれば良いだけですが後者のデマは最悪、デマと気付いた時には津波に流されているかも知れないからです これは関東大震災の時に自警団を作り、多数の朝鮮人や中国人を殺したり、私刑にしたのはこの分類法では合理的な判断であり、デマを信じたとしても責められないのです




この時、流れたのは「朝鮮人や中国人が井戸に毒をまいている」でした この時代は一つの井戸が何、十何世帯を兼ねており井戸を守る為にその幾世帯の住人が一挙して自警団を発生させるのは当時の生活情勢を鑑みるに不自然な行為ではなく、現代の様に上水施設に毒を投げ込むのとでは意味が変わります

もし、地域の水を毒で汚染するのであれば、入手し安いものなら農薬をドバドバ入れなければならないでしょうし、最低限の警備がある上水施設に人が侵入したり、怪しいものが混ざったならそこでシステムが自動停止したりするでしょう それにツイッターで裏を取れるのでデマはすぐに見極められるのです

また、被災時に現代とは異なり単独で行動している人間を怪しむか、怪しまないかというのもあります 当時、でっち奉公していた曾祖父とその家族が下町の深川近くに住んでおり、被災直時は川向こうへ仕事で行っていて、上野の山の方へ逃げたと言っており、火災が終わった後に地元へ戻ったそうです

その際にこのデマが流されたようで帰っている間、かしこで自警団が形成されていたとの事で祖父も実家へ帰る間にそれを見た及び聞き、自警団から問いただされたようで、実家へ帰ったら何人かの大人と共に夜警をしたのは事実でした で、何故このような事が起きたのでしょうか?

もし、今の時代デマを流すのであれば複合し、具体的な裏が取りづらいデマを流さねばなりません 例えば、似た様なデマを作るなら「今、常磐道のいわきの方へ向かうサービスエリアにいるんだけど、日本語じゃない言葉を喋る集団がたむろしていて数台のハイエースとかの大きめの車に乗って行った 写真」

その写真の真贋はわからなくとも、デマは想像させたら成功なので後は如何様に解釈されるだけです 話を戻して、因みに祖父も道ゆく怪しい人間を数人止めて聞いたそうでその町内会では幸運にも私刑事件はなかったようです では、どういった奴が殺されたかというのを考えねばなりません

まず、当時は町内会などの繋がりが強くハッキリ言って知らない人は居ない状態の上に災害時まず人が気にするのは家族の安否であり、不思議と家に帰るわけです また、当時は朝鮮部落がはっきりしており、日暮里や荒川土手の方でそこら辺はどうやらあまり火災被害はなかったようでした

変な言い方をすれば、毒を撒く以前に火事場泥棒として貧困地域に住んでいる連中を怪しんだというのがあります 事実、朝鮮人だけではなく沖縄からの人間も殺されているところから見るに地域の人間が火事場泥棒と思われる人間を私刑にしたとも言えるかもしれません

もし、曾祖父が住んでいた深川区に見たこともない、日本語がおぼつかない奴が来たら真っ先に殺していたでしょう 特に深川区は焼け野原だったそうで焼けた廃材や死傷者の看護や埋葬の最中に知らない、見たことがない奴が来て明らかに役人のような風体もしない奴が来たら怪しむのは当然の判断でしょう

そういった連中がもし、やけた建物周辺をうろついてたらどう思いますか? 真っ先に考えるのは火事場泥棒でしょう、しかもそれがどうも怪しい日本語を話す奴なら「てんめえぇ、盗みにきやがったな!とっちめてやる!」と、なるのは無理もない状態下なわけで何でその状態を責める事は一切出来ないのです

これは流れた、流された情報が正確であるか、否か判断できない上で喫緊、即座に行動を起こさねばならない状況下での情報の判断方法であり それが判断できる状態下であるなら、デマと一蹴して言いわけです しかし、判断が出来ない事も多いのでその際は何を優先するのかが解ればすぐ行動へ移せるのです

事実、朝鮮人による井戸へ毒を投げるデマが晴れた後も自警団を解散しない町内会があったのは泥棒を警戒した上での事であったわけで建物がまた立ち始めたり、様々な仕事が復帰して行くことで自動的に自警団は解散していったのです このように情報を判断する際は組立た上で判断せねばなりません

脱線しますが、それを踏まえると仕事がない時に作る最も良い仕事が自警なわけなのですね だから、仕事がない土地の人間がすぐに民兵や兵隊のなるのは不思議な事ではないのです 特にイスラームではして良い商行為としていけないのがあるのでしてならない仕事は生業と見なされません



関東大震災の例を出したのは正確な情報が届きにくく、またその情報によって本来とは異なる別件が発生し、デマとわかった後も形成された組織が継続してしまう及びその組織の解散の条件というものを含めた上で最も良い一例だった俎上にあげたのです
これが大人対する説明と子供への説明の量の違いです
文脈を読みとく、前後をしっかり抑える事が出来れば高々260文字で済むのですが、これが出来ない者への説明となると言葉や例の説明という階段の段差を縮めなければならないので文字数と説明が長くなるのです これは大人の歩幅と赤ちゃんの歩幅の違いで赤ちゃんは3センチの段差だって躓くのです

常にそうですが、子供というのは前提となる知識量が少ないので言葉をあげつらったり、部分部分わかる言葉だけで判断しようとします また、子供は度々、凄まじい直感と閃きを放ちますがそれ以外の言葉は理解せずに言っているので相手にする必要はありません 但し、世の中は二つを兼ね備えた人は居ます

非常に下種な煽り方をすれば 「それは貴方が殺される側だからですか?」 という、短文でかつ明確で非常に下劣な煽りをしてもいいのですが私は差別主義者なので、差別を煽るとどういった結果や事態が発生するのか在特会やしばき隊の例を見ているので差別主義者であるほど罵倒語や侮蔑語を使いません

家畜にしか神はいない 野獣には神はいらない

人は社会的動物という飼いならされた獣なので人類には神が必要なのです それは無神論や唯一神論、多神論取るにしろ前提条件としてその存在を置いている以上は飼いならされた家畜なのです
もし、野獣となるのであれば「いるだろう、しかし我ら獣の発想の外にいるであろうから語らぬ」が無難でしょうね

差別主義者というのは在日死ねとか、日本人死ねとか言う人達じゃなくて、それを何重にも包んで表現し、表面上は尤もに聞こえ、それを制度化したりする事で利益を受ける様な人たちを差別主義者というのです 要は差別を作り上げたり、なかったものをでっち上げる連中なわけでそれが一番恐ろしい敵です

忙しい坊主は己の学識の点検と思い出しの作業と暗記に信仰行為をするために政治なんてやっている暇なんかありません イスラームやユダヤ教ならば、生活を含めての信仰行為なので宗教者が政治するのは当然のことですがそれ以外の宗教で政治をしているのであれば、それは宗教者では絶対にありえません

哲人政治というのは哲学者や学識者が暇や緊急時に集って大きな政策を決めるものであり、日々の日常ではその哲学者や学識者が街の人が困ったりした事を助言したり、導いたりすれば小さい規模での社会を安定させる事なので哲学者や学識者を増やす事が最大の目的だからあり、それが安定へ向かわせるのです

つまり、学識者や哲学者が増えれば、偽学者や道化が分かり、そういった存在は自然と消滅させられる上に不安定な状態が無くなって行くという思想であり 哲人政治というのは足元が固まれば、大きい政体を維持する事は容易であるという思想なのです だから、どこでも啓蒙するのです

なので、哲人政治が理想的と言えるのは上と下の意思が共通し、それによって良い政治が行えるわけです それは儒教も基本はそうです、小人やつまらぬ者がドンドン狭い思いをして、上と下がはっきりすれば、権力構造は安定し、革命が起こることはない状態を最前とするわけなのです

今日知った事 聖書(物理)、十字架(物理)、教会(物理)、イエス(現象と物理)、神(物理と現象)

やっぱり、やそはグノーシス文献が主だわ あんな頭がおかしい、考えるな信じろ何て素で言うアホな宗教を絶対なる存在が作るわけねえだろボケ 信じろだけで済むのなら聖書もいらねえし、様々な書簡何て不必要だろ、それって適当な偶像を心に描かせて信じさせること何が違うんだ、このアホ共は

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
スンニ派の経典宗教についての解釈論は特に詳しくないけど、一番緩い解釈だとユダヤ教・キリスト教信者が売った商品はムスリムが売ったものとしてみなすのですが明らかにハラームなもの例えば、臓器売買とかはダメな筈です
ただし、肉親とかによる譲渡の場合は免責される可能性があります

イスラエルが所謂イスラーム諸国へ臓器を密売する場合は子供や提供者をその購入者の養子縁組してその後に臓器提供という形であるならば、緩く解釈して可能です 但し、根本的に相手の臓器などを移植する行為は典型的なハッゴンナース、権利の侵害行為になるので最期の日を考えると避けるべきでしょう

先に断っておきますが思想や宗教というのは独学ではできないようになっています 独学では出来てもあくまでも枠組みの話だけで枠組みの中身を詰めていくには実際の肉声と解釈を考えないといけないのです なので、本来の学問というのは学ぶ・問うとかかれるようにこの二つが両輪なのです

偉大な学問というのは消費してきた才能の量に比例しますがもちろんそれは消費してきた仕方というのも関係あります
その消費の仕方がしょうもなければしょうもないし、正しく消費されてきたのであるならそれは学問として完成へと導かれようとしているのです
なので、学術的なサロンや喧嘩に近いような議論が出来る場がどうしても必要なのです 特に恥をかく・間違えていたことを発見することはそういった場の存在意義といっても過言ではありません 恥をかき・考えを修正するまたは根本から書き換えるというのは人間の特性なのです
いつの時代も思考だけが自由なのです ただ、思考は自由である故の暴走があると言っているのがイスラームなのです なので、イスラーム哲学は自由ですがイスラーム法学や道徳はその自由を縛りあげるのは人間の性分というのは限りなく自由にあるからです その自由性だけが人間の全てなのです

出エジプト紀の話で死んだ王ではないかと言われている王様がいて、でその王様のミイラが発掘され解剖学的に調べたらどう見ても溺れ死んだという結論が出た事があったのね んで、クルアーンの記述にはそのミイラが再度陽の目を見て、晒されるという記述があってその考古学者はムスリムになった話がある
それについて書かれているのがクルアーンの217p第十章のヨナ、75から92までの部分で92番目が「だが今日われらは後の者への徴とするため、あなたの体を救うであろう。だが人々の多くは我らの徴を疎かにする」とあるのね そんなのは偶然だと言うだろうけど、偶然なのは人間にとってだけ

但し、詭弁術の基本として原因と結果が完全に繋がるわけではないのに繋がるように見せかけるというのはよくある詭弁術なので要注意 前に言ったように稗田のアレの墓が見つかって存在は確認したけど、だからと言って古事記を奴が書いたと確定したわけではないという合理と整合性の誤謬って奴ね

このサイト貼ったら突然クソ重くなったんだけど…なかのひと的には嫌なものだったかな? まあ、別に私にとってはイスラームは誠だけど、別に改宗とか、奇跡とか言いたいのではなくこういった事例もあるというだけの話 そもそも、神智というのは物質的な物ではなく、精神のモノなのでねぇ

世間様は仕事納めでしょうが私には関係ありませんし、この時期は勉強に脂が乗っている時期です
学生は学問する事が仕事でそれを一生できるのならば、最高に幸せでしょう
日々知らないものを知れる、新しい解釈を見つけられるのを死ぬまで出来るなら、人類の知の枷を解く事が出来るでしょう

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 12月26日
ですので、特にフランス委任統治時代による分割統治の影響でアサド家のアレウィー派が強いのでこのまま国家主義を継続するのが妥当で、本当に多数派のスンニ派部族社会がシリアを牛耳れば全シリア人の四割以上が難民となるでしょう。正直に言えば、アサド大統領のお陰でこの程度で済んでいるのです。
Mikio Oishi ‏@mikionz 12月26日
はい、そうだと思います。カリフ制度では、イスラムの至高性を確立する過程で地域の多様性が大きく損なわれ、戦乱、迫害、テロで人々が苦しむなどコストが高過ぎて実現が難しく、残るは、現在の国民国家の枠組みの中で多様性を生かす方向(=シリア・ナショナリズムはその一つ)しかないと思われます。 https://twitter.com/douteimaturi/status/813313055023046656 …
おねショタおじさん ‏@douteimaturi 12月26日
特にシリアはフィニキア正教会やアラウィーやシーア派諸派(ザイード派やイスマイール派・12イマーム派)それにクルドと多岐に渡る上にフランス統治時代の残滓が未だに残っているので土台無理な話だったのです
なので、ユルユルのカリフ体か国家主義・バース主義以外では統治できないのです https://twitter.com/mikionz/status/812877352300486657 …

青十時 ‏@ao10ji 12月26日
@douteimaturi アサドをカリフにという話はどうやら本当の話のようですね。

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
@ao10ji いや、それは絶対にありえないです…。
カリフ位の条件は基本、サイード家であること
・その土地の住人の賛同
・権力者達の賛同
・法学者などの知識人の賛同
・兵士達の賛同とスンニ派であることが前提になるので
アラウィー派ではスルターンと言った方が穏当でしょうね

解釈が大量にあるから、ゆるくなるわけであり
また、あっらーさんは絶対なのでその絶対を知るためにはさまざまな解釈を知る必要があるのです イスラームにおいては死体はナジェス・絶対不浄なので砂漠うんすん以前に最低でも基礎的な常識を認識してからものを言って下さいと思う今日この頃

解釈が大量にあるから、ゆるくなるわけであり また、あっらーさんは絶対なのでその絶対を知るためにはさまざまな解釈を知る必要があるのです イスラームにおいては死体はナジェス・絶対不浄なので砂漠うんすん以前に最低でも基礎的な常識を認識してからものを言って下さいと思う今日この頃

死は忌まわしいか、忌まわしくないかと言われれば死は忌まわしいものではないでしょうがそれは罪を犯していない預言者(ص)と指導者達(ع)だけです ほかに人々は罪を犯す人達なので日々の反省とそれを繰り返さないという意思が重要なのです なので、死は悪をしてきた者には忌まわしく
逆に善をなしてきたものにはこの世での死は祝福なのですがその善なる行為が偽善や自尊心を慰める行為でしたのであれば無効で、善徳を積んだことになりません だから、それを知るものは自分の行いが偽善として無効になってないように礼拝し、祈るわけです 合理的でありますが意味が変わるのです

つうか、ドバイはまともなイスラームでは全くないです あそこはパキスタンなどの労働者を半分だまして働かせて建築、作っている空間なのでまともな場所では一切ありません 本当にまともであるのであれば、そういう搾取行為は火獄へ真っ直ぐなのでそういう話が出てくることはまずありえません

そもそも、まともなイスラームなんてものは存在しません あるのは解釈だけでどの解釈が論理的整合性を取れているかです、本当にまともなイスラームならば多神教徒を礼拝堂・所に入れる事はアッラーの命令から全否定されます もし、入った瞬間に集団リンチでしょうまともに命令に従っているのなら

そういう意味ではサウジがやっているようにマッカの中心には多神教徒を入れないと言うのは正しいわけでそれはアッラーさんの命令なわけです なので、日本のマスジド内に多神教徒を入れたというのは驚嘆・驚愕・唖然とするような事でそこは集会所という立場になり下がると考えるのが妥当となります

アッラーさんからの命令を鑑みるとマスジド内に多神教徒を入れた時点でマスジドはマスジドとしての機能を失う筈なのですがただ解釈だけは膨大にあるので解釈によってはそうではないのであるのだと思います
ただ、私は知りませんし知る由もありませんという事なので適当をマトモと思うのはバカです


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月25日
イスラーム的には基本、人から奪った金は全部ハラームです なので、ムスリムは日本社会で仕事することは事実上できません それは利益率設定から、株式会社、もし働ける会社があるのであれば合名会社とかになりますが株式化している時点でクルアーンと伝承の記述に反するので無理です

裏切って作った金は最期に自分を裏切ります それは他者を売った金であり、他者を売った金は他者を買えないのです そういう金で溢れている社会は社会といわず、地獄というのです 人は地獄では生きて居られません、地獄で生きていけるのは畜生と悪鬼修羅、餓鬼だけです

中東で日本では毎日、朝に家を出てずっと会社や仕事場に夜遅くまで居て、家に帰るような仕事をして生活をしている、していたと言ったら 「それは人間の社会ではなく、家畜の社会で人間が羊や牛のように屠殺されているので貴方はそのような社会に帰るべきではない」 高々、8ー19時の仕事だったが…

因みに中東では皆、暇や隙があれば茶やコーヒーを飲みます また、大体のお役所や個人商店では昼ご飯後は一回閉めて自宅に帰るなり昼寝したり、子供と遊んだりしてから夕方前に2時間位仕事してから家に帰って家族と一緒に過ごすので仕事はしてますが無駄に働いてはいません

例、個人商店のおっさんの一日 朝礼拝ー二度寝ー朝食、出勤(徒歩5分)ー8時開店テレビ見たり携帯弄ったり世間話ー昼礼拝帰宅後昼食ー昼寝、家族と過ごすー夕方4時再度開店ー夕方と夜の礼拝を店でし、日中と同じ様に仕事ー夜11閉店ー帰宅後シャワーと深夜の礼拝後12時就寝

中東でも立ち仕事やいつ休んでいるんだろう、と思う仕事はありますよ ナン焼き職人とか、ケバブ屋の兄ちゃんや携帯屋の職人とかいますけど日本みたいにストレスが溜まるような働き方はしてませんし、いつどんな時でも茶やコーヒーを飲む瞬間は絶対に忘れません

日本は「過労死や孤独死出来る環境」なんです 例えば、独居老人とか世界にもいますけど毎日親戚が顔出したり、今はSNSがあるから年寄りでも携帯ポチポチしてメールやSNSをしているのはよくある光景です だから、少しでも連絡途絶えたら親族が直ぐ駆けつけますし、大概は周りは知り合いです

毎日、町の礼拝堂に朝来ていた爺さんが今日だけ来なかったとなれば、周りの人が昼前までには爺さんに何かあったかはわかってます つまり、個人が孤独状態に陥るという事は殆どなく、中東で死んで体が腐った状態で発見される事なんて戦場で戦って死んだのに葬られていない死体くらいなものでしょう

こんな事を言うと日本と海外は違うとのたまう人がいるのですけど、はっきり悪いものを自己都合で追認することは絶対不動の悪でしかなく 絶対不動の悪というのは人間の生命環境を狭めたり、汚した上で私益を貪り、そのために詭弁を使うことは絶対不動の悪で絶対不動の悪は相対でほじくり出すのです

中東でもし、現地会社員で親がなくなったので休みが欲しいと言った際に仕事が優先で休むなと言った日本人上司はその瞬間に殴り殺されているか、何か都合の良い鈍器で殴り殺されるか、無視して出て行かれるかの三択でしょう 日本人が中東で商売したら絶対に失敗するというのはこういう部分でしょう

厳しい言い方をすると過労死や孤独死というのはあある程度の相互監視と扶助がある社会であるならば、ありえない現象なのです 特にSNSなどが発達した現代でも孤独死や過労死が発生するという事は社会秩序がない事でしかなく、ロックが言った「万民が万民の敵」というのは日本のことなのです

こんな事を言うと「日本から出ていけ!」何て短絡的な事を言う人いますけど、実際出て行きましたし帰りたくもないのです それでも帰るのは親、親戚や友人がいるからであり、己が日本という土地に絶対者が創ったのはそれを改めさせる義務からであり、程度の低い感情ではなく義務と命令からなのです

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月26日
名家が道家や法家などなど、諸派から批判を受けたのは単純で中国古代思想は基本的に現象と言葉の乖離を嫌うので論理学と言っても、起きている現象と離れた論理を説くのを否定します なので、中国古代思想は名と実を別々に認識出来ながらもそれをくっ付ける事に重きをおきます

物事というものは一回通例とされているものをひっくり返して考えてみる事です そうすると思わぬ見方が出来ると思います それを癖にすることが出来れば、思わぬ視点がでてくるでしょう その思わぬ視点が自分の思想的合わない事でもやめない事ができれば、人の考えを操る事ができるようになります

日本というものが破綻しているのは社会道徳がないという事です 社会道徳というものがないという事は善悪がない事であり、善悪がないという事は物事の基準がないという事です 物事の基準がないというのは社会が成立していないのです、だから日本社会というものはハッキリないのです

論理的な方法で理解できないものであるならば、それは存在しないものでただの空想です 人が妖怪を作り出して来たのは感覚の具現化への努力の結果であり、そういう具現化することによって論理的に証明する事に努めて来たのです 論理的というのは時代によって異なりますが人は説明する努力を捨てません

天皇主義者だから言うけど、私は本当の天皇はもう滅んでいてあの天皇らしき物質は全て偽物なのね それは物質的に偽物ではなくて、「物質である」天皇が偽物なわけでもう真正なる天皇はこの地上にはとっくのとうに滅んでいるわけ事実天皇が諱なのはそういう意味でもあるわけなのね

だから、天皇という物質ではなく天皇を含めた皇統という叡智が重要なのであってそこには徹底した神智と現実的統治論としての本当の意味での神学者必要なのね それは儀式ではなく、実質的な統治論を含めた総合的知識体系なわけであってそういった哲人を創りださねばならないわけ

だから、儀式しかせず人々を統治もしない天皇というのは不要であって、いるだけ邪魔な上に最高の哲人である天皇という名前を汚した上に名を簒奪した、最も穢れた存在なの それが150年以上もこの最高の哲人が納める社会を穢し続けているのだから、天皇主義者は一秒でも早く除染することは義務なのね

つまり、天皇及び皇統というのは様々な形で存在で継続して顕現されてきたわけでその中でも重要な顕現された天皇の言業に注目して神智を組み立てるのが神道学者の仕事なわけで祝詞がーとか、伊勢派がーとか、出雲派がーというのは神道学者の仕事では全くないのそんなの歴史学者の仕事なんだよね

例えば、仁徳天皇の言業を神智して本来の天皇の仕事というのは仁を元にした政治であり、仁の政治というのは何か?で、もし天皇が物質的に存在するのであれば天皇の赤子である臣民が苦しむような政治を元首として容認するのであろうか? という、論理を組み出さなければならないのね

であるならば、神武天皇が東征したのは何のためか?それは悪政と同じような名を語る偽物と戦うためであったとするなら、天皇が物質的に存在する仮定の元で臣民が税や悪習に苦しむのを天皇という存在は認めるのだろうか?と神智するならば、天皇が物質的な存在ではない事は一目瞭然なわけなのです

つまり、この地上で天皇が物質的に存在しているということはそれは明らかで明白な偽物であって、天皇主義者及び天皇を神智しそれを政治するのであるならば一刻も早く絶対虚実な存在を滅ぼし神智者、神道学者による哲人政治へと移行させる事は天皇主義者の義務であり、それがカミのクニ造りなわけです

天皇主義者は国家有機体説を取るのが基本で様々な機関は手であり、耳であり、足であり、内臓であり、血液、血管なわけです そして、脳というのは神道学者による哲人政治、哲人協議会であり、その組織は独自に認知する器官を統合するものであって、常に全ての機関からの情報を整理、調整するものである

なので、神道学者や神智者というのは臣民への最高の奉仕者であり、最高の統治者であり、最高の臣民の奴隷でなければならないわけです 知識や見識があるというのはそれだけで責任が発生するものであり、責任を全う出来るものが神智者なわけです だから、地位と責任は常に同じ椅子に座らねばなりません

神道学者や神智者に必要なのは儀式ではありません、実質的統治と善政に平穏を臣民に与えられるかだけが取り柄です 儀式を行うのであれば、内部でだけであって、臣民への形骸化した儀式をする必要は全くありません 重要な儀式は内部に隠されるべきであり、それが社会責任を産む最大の機会となるのです

そこまで考えた上で神智政治を求めるのが天皇主義者であり、皇統、スメラギノミチの探求者であるはずでこれ以外の事を言う連中は天皇主義者ではなく、皇統を仰ぐものでもなく、スメラギノミチの探求者でも、弥栄への求道者でもなく ただのしょうもない権威主義、盲、白痴でしかないのです

または唯物主義者、現物主義者、何かが物で存在することでしか信じられない神智や神秘を認識できない知恵足らずのどれかなのです もし、皇統を仰ぐものが唯物としての穢れた存在を恐れ多くも「てんのう」とのたまっているのなら、それは唯物主義者か白痴のどちらかでしかないでしょう

天皇の叡智というのはある時は善の顕現として、また別のある時は悪の顕現としても出てくるわけです つまり、良き天皇や悪しき天皇というのは必要によって世界に現れて来たわけでそれは世界にどんな土地で会っても似たような物語を共有出来るわけです

善の顕現としてはお釈迦様やさまざまな預言者等がここに当たるわけであり、悪の顕現としては世界の悪政者や悪魔と言われる存在がここにあるわけです その上で神道は世界的な宗教論や哲学論を共有して、論理的に組み立てる事ができるわけなのです だから、神学が必要で組み立てねばならないわけです

で、えぐい事を言えば神話とかなんて偽書を作ってしまって組立ちまえばいいんです 例えば、当時の日本には文字があったなんて言いたいのであればホツマツタエみたいな粗製品ではなく、古代揚子江や長江で発掘されている文字にアルメニアあたりの文字を拾い上げて当時の音声表記すればいいのです

んで、紙とかも当時位に工業的に劣化させて地面に埋め埋めしたものに大切なのは時代時代によって解釈されたような解釈本をちゃんと用意すること 奈良後期、平安時代、鎌倉時代、室町等々ちゃんと歴史考証加えられているように捏造しなきゃいけません

こんなヤバイ偽書が出てきたら怖いねえ 作ったやつは絶対に確信犯だし、やり口がえぐいし、どうせ馬鹿な学者は歴史考証で騙されるんだろうから、カルトの無自覚的なプロパガンダになるだろうしね でも、こういうのが出てこないのは本当に俗世間の陰謀というやつは小学生向けなんだろうね


こういった、天皇主義者や国体論者が出てこない限り彼等を私は信用しないし、できない まあ、出てくることはないだろうね なぜなら、日本人って超排他的で徹底して考える癖を捨てているから、但し天才が現れたなら神学を組み立て直して、哲人的なものを作り出すかもしれないけどね

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 2016年10月28日
右翼を真面目にやるのなら、「杉本五郎中佐遺書 大義」と国学の4大人に中国の漢籍を片っ端から読むことです これさえ徹底できれば、俗に言われている右翼、左翼なんてゴミ以外の何様でもなくなるでしょう 何故なら、全てが皇統の弥栄に帰結するという大義が見つかるからです

つまり、共産主義という知識や民主主義という知識、全ての知識は皇統の弥栄のためにあるわけで 皇統を否定する知識や思想も根本は皇統を批判する事でより良い徳治を見出すために存在するのであって、皇国史観を身につけているのであれば皇統を否定、批判する知識も全ては皇統の為にしか存在しません

なので、西部とか、佐伯とかそこらへん読んで保守に被れるやつはただの生ゴミで無駄なことをして時間を浪費している下らぬ連中と心の底から軽蔑していました 誠に曲学阿世の徒ほど全く必要のない妄痴を振り回しては嘘偽りを売って、その下種な心を慰める

イスラームでは天秤の右側にクルアーンが左側に伝承、ハディースがあります ただ、それよりも大切なのは天秤を支える軸であり、それは解釈といいます つまり、クルアーンや伝承をいくら知っていても解釈を正しく理解していない限り天秤は倒れるのです

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 2016年10月29日
色々と文献見ていると後世の文献というのが大体、グノーシス主義的じゃねえと思わされる事があって 英語のグノーシスバイブルとマニ教、トマスの福音書と浄土三部教と読み比べて見たんだけど、どう足掻いても既視感しか感じなかったのね やっぱりグノーシス的な思想が世界を蹂躙しているんだねえ

あーそうそう、不立文字というのは共通した真理を見出した事ではなくて、その人間にとっての真理を見抜いた事を指す事だからね だから、免許皆伝者の巻物が白紙というのはそこに自分が手に入れた見識を言葉で伝えた上でその先は己で見いだせという事だから 唯一なる神秘ではないからね)


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月27日
せいとうせいじの意味のない話を政治としての話と勘違いしている連中は永遠に政治について何も知らないのだろうね 政治というのは生活と日常の事、人は己の日常と生活の為なら簡単に武器を取り、当然のように人を殺す 日常と生活というのはそれほどまでに重いものなのです

人を殺したくない、己が殺される危険性を持ちたくないものはその政治の外に出るのが専らなのです なのでそういう危険性を持ちたくないのであるならば、さっさとその政治から逃れるべきなのです ではなければ、暴力に期待しないことです

右翼を真面目にやるのなら、「杉本五郎中佐遺書 大義」と国学の4大人に中国の漢籍を片っ端から読むことです これさえ徹底できれば、俗に言われている右翼、左翼なんてゴミ以外の何様でもなくなるでしょう 何故なら、全てが皇統の弥栄に帰結するという大義が見つかるからです
おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月28日
つまり、共産主義という知識や民主主義という知識、全ての知識は皇統の弥栄のためにあるわけで 皇統を否定する知識や思想も根本は皇統を批判する事でより良い徳治を見出すために存在するのであって、皇国史観を身につけているのであれば皇統を否定、批判する知識も全ては皇統の為にしか存在しません

なので、西部とか、佐伯とかそこらへん読んで保守に被れるやつはただの生ゴミで無駄なことをして時間を浪費している下らぬ連中と心の底から軽蔑していました 誠に曲学阿世の徒ほど全く必要のない妄痴を振り回しては嘘偽りを売って、その下種な心を慰める

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
ハザラテイーサー(ع)←これはアッラーからサラートであれと言われた存在であって、預言者(ص)とは異なり預言者ではなく、指導者として見るのが妥当であり啓示者ではあるものの 124000人いるアッラーさんからサラートであれと言われた人の中で重要な人止まりというのが落としどころでしょう

なので、ムスリムがハザラテイーサー(ع)の誕生日を祝うというのは124000人いる指導者層の一人を祝う事になるのでそれよりも祝うべき日は色々あるわけなのです 例えば聖戦の勝利日とか見つけようとすれば色々あるわけなのでムスリムもクリスマスをー、というのは論理的整合性が取れてないです

おねショタおじさん ‏@douteimaturi
イジュティハード・自由解釈の門が閉じていないというのはどういう事かと言うと例えば、よく科学者が人間は猿から進化したという論理とアッラーが人を土から作ったというのが相対していると言われますが第一にアッラーはこの世界を創られたのでそんな事は百も承知な上で見ないといけません

なので、この土というものの真意とは何か?という事を考える必要があり、この真意を考えるというのが人間の特性でそのアッラーが用意した真意というものを探すのが人間の義務でもあるわけなのです つまり、現在の進化論では猿から進化した または突然変異によって発生したものにしろ
今でも人間の科学者が侃侃諤諤と議論している事もアッラーはそれを纏めあげるようにクルアーンで土から作ったという単純な言葉で答えを示されているわけなのです 要は人類がなすべき事はこの土の真意について知る事であり、その土というものを何を意味するのかということなのです
例えば、土にいたウィルスや菌などによる突然変異 これは猿が何故に類人猿という形に変化したかという事を指し示すものであり 別に土壌内の放射性物質による刺激による突然変異だとしても矛盾は起こさないわけです、事実猿から類人猿で現代の人類まで変化しているわけですから
また、この土というのが別の意味を持っていてもいいわけです 即ち、アッラーが用意してくれた世界とその啓示者(ص)に伝えた言葉というのは完璧なわけであり、これから起こる全ての現象や知識は全部アッラーが事前に用意したものでしかないのです それを私達は発見する事が神智を探求する事なのです
なので、イジュティハードの門が閉じていないというのは人類が見つけるこれから先…最期の日まで続くあっらーさんが用意してくれたものを…そして預言者(ص)と指導者達(ع)本当に伝えたかった真意を探す事を止めない、行い続ける事によって知識の紐を解いていく、同時に結び目を創る事なのです
知識によってまた新しい疑問が生じれば、その結び目を解く事によってまた新しい知識を発見し、それによって数えることはできないあっらーさんの神智を一つ一つ解いていくことが神智学なのです クルアーンは絶対です、しかしクルアーンと起きている現象が矛盾すると考えるのがおかしいのです
なので、起きている現象が間違っているとか考える方がおかしいわけで地動説が間違っているなんて神学者は絶対に言えないわけです 何故なら、あっらーさんは地動説が前提の上でクルアーンと124000人の指導者(ع)を人類に送ったわけですから現象と聖書が矛盾する方がおかしいわけです
で、あるならば別の真意があると考えるのが自然であり、その別の真意があると考えるその解釈があっらーさんが人類に与えた最大の力であり、人類と動物とを分けた最大の理由なのであり アッラーがすべての存在・万物全て、アーダム(ع)に土下座させた根本的理由がここにあるわけです
なので、西欧的な思考法は全て間違いです
合理主義も理性主義も神秘主義も一体になってなければ完全に間違っているわけで
理性の先に絶対神秘があり、
その理性は徹底された合理にあり、
神秘は合理と理性によってのみにしか立脚できないわけなのです
つまり、西欧の思想は根幹から全部間違い
なのです
全てが間違っている以上はどうしようもありません、本当にどうしようもないとしか形容のしようがありません
この間違いを正すにはただの道徳論や信仰論ではなく、
信仰というのは理性と合理とその行為とその結果による納得によって信者となったわけです、
ただの奇跡だけで信者になったわけでない
のです

イスラームの本を探すのなら、一番いいのはムスリムが書いているものです わかりやすく言えば、中田考先生周辺のイスラーム研究者でかつムスリムであるという事が基本条件になります えー、それじゃあムスリムではない研究者は?と、言われますが基本イスラームと地域研究は別として考えて下さい

最低でもイスラームを信仰して、その本音を内部で聞いているものと外部からその現象を見ているものとでは隔絶とした開きがあるように先ずムスリムが書いているというのは大前提になります 最低でもイスラームを専門に学んだ人の言葉を聞くべきでムスリムではないものの言葉は感想として聞いて下さい
井筒先生や内藤先生、シリアの青山先生等は確かにオリエンタル研究または中東研究者としては先頭を走っている人ですがそれとイスラームを学んだ神学者は別です 外部から見るものと内部から俯瞰するものが別なように最初に内部の人間の声を探すべきであり、それは如何なる学問でも基本なわけです





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コーヒーの歴史。臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る――近代市民社会の黒い血液』(中公新書 1992年)の要約に、メーソンや百科事典の歴史を絡めるとコーヒーハウスは隠れメーソンロッジだとわかる。
キリスト教のアーメンは白人主義の象徴なので『マギ』は反イスラム+親キリスト+メーソンとイランの秘教崇拝 。ヤク中特攻隊。振武寮。高級茶はカフェイン=快楽物質が多い。
※香辛料は奴隷と変換して下さい
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
”「コーヒーは東アフリカ原産→イスラム神秘主義者スーフィーから広まる→白人が植民地で黒人を使い拡大→英国コーヒーハウスが郵便、株取引、保険を発達させる。パリの現存最古のカフェ・プロコップは百科全書派やフランクリンらの隠れフリーメーソンロッジとなりフランス革命とアメリカ独立革命を支援。」

「倒される側の王宮でもコーヒーサロンを媒介に百科全書派が出入りしていたんです。コーヒーと共にスーフィーから秘儀を授かった、一つ目と光る△がついたフリギア帽子を被った白人がコーヒーを飲みつつ百科辞書を読んでいたかも。そう思いながら、道教家は『蟲師』を見ていた。」
(…)
「コーヒーの原産地はアフリカ東部」
「イスラム神秘主義者が眠気覚ましに使用」
「メッカ事件(1511年。コーヒー取り締まり事件)の克服でコーヒーが更に広まる」
「十六世紀に史上初のコーヒーハウス誕生→十七世紀にヨーロッパに普及」
「オランダ東インド会社が作った植民地ジャワ・コーヒー」
※香辛料は奴隷と変換して下さい

「17世紀半ばにようやく初登場したヨーロッパのコーヒーハウスは情報集積所となり、郵便局・株式取引所・保険会社へ」

「1686年創業のフランスの現存最古のカフェ・プロコップ(プロコプ。プロコープ)は、フリーメーソンロッジかつ、黒人友の会本部。フランス啓蒙・理性・科学主義、百科全書派、アメリカ独立、フランス革命はメーソン思想が基盤」
(…)
東アフリカがコーヒーの原産地である。
十六世紀のジャジーリー『コーヒーの正当性のために』ではコーヒーの起源を紅海対岸の東アフリカーーつまりエチオピアと考えられる――としている。
しかし、イエメンのモカ(※)をコーヒー発祥の地とする起源伝説があるように、イスラム教とコーヒーの関係は深い。エチオピア対岸に港町モカがあることも重要だ。
はじめはコーヒーは嗜好品ではなかった。夜の礼拝などに、コーヒーを眠気覚ましとして利用したのである。カフェインの利用である。
何せ、コーヒー起源伝説はすべてイスラームの僧侶伝説であり、すべてスーフィーと呼ばれるイスラム神秘主義(スーフィズム ※※)の僧侶である。さらに限定すれば、アル・シャージリー(十二世紀末生まれ)によって開かれたシャージリーア教団のスーフィーである。この教団(教団成立はシャージリーの没後)では眠気覚ましとしてのコーヒーとの結びつきが強く、この教団から十三世紀ごろにコーヒーが流布し始めた。
アルジェリアではコーヒーをシャージリーエと呼ぶらしい。東アフリカ原産のコーヒーノキからコーヒーを作り普及したのはイスラム神秘主義の僧侶、スーフィーたちの関与が大であっただろう。
かくして、「黒いザムザムの水」
(※※※)の勢力拡大は加速し始める。

※モカは、アラビア半島の南西の端にあり、紅海に面する港町(現在イエメン共和国にある)。
イエメン共和国の首都サナアの外港で、15世紀から17世紀にかけてコーヒー豆の積出港として栄えた。モカの港だけはイギリス、オランダ、フランスなどヨーロッパの船舶が直接寄港を許され、買い付けを許可されていた。17世紀にこの地を支配したオスマン帝国は紅海を通行する船舶にモカでの納税を義務付けたという。現在、コーヒー豆集散地の機能は無く、漁業と観光で成り立つ。

※※スーフィズムとはイスラム神秘主義であり厭世主義(現世否定)かつ禁欲主義でありアッラーとの合一を目指す思想。スーフィズムは、欧米での呼称であって、アラビア語ではタサッウフと呼ばれる。
スーフィーが登場しだしたのは八世紀末、メソポタミア地方の、かつてのバビロンに近い、クーファという町であった。スーフィーというのは元来、羊の毛を指すスーフから来ているらしく、羊毛の白いマントをまとい荒野で公卿をしていた人々である。
キリスト教の異端派であるグノーシス主義(悪まみれのこの世を作ったのは悪の偽物のGODである。選ばれた者だけが認識〔グノーシス〕により、本当の善なるGODと一体になり、自身がGODとなれる。物質的な者はすべて悪だとする、実質多神教)の影響が見られる。
コーランでは繰り返しムハンマドは単なる人間であると述べられている。ムスリムがアッラーと合一(自身がアッラーになる)するのなら、多神崇拝(シルク)の罪や、ムスリムがムハンマドよりも上の存在になってしまう不都合のせいで、批判されたりしただろう。


 スーフィズム  矢野武志
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/020118.html
2001年度例会発表一覧
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001.html

※※※サウジアラビアにはイスラム教の聖地マッカ(メッカ)があり、そのメッカには
ザムザムの泉(アラビア語:زمزم‎ Zamzam)という聖なる泉がある。
古くからマッカの貴重な水源であり、ザムザムの泉から湧き出る水は「ザムザムの水」と呼ばれ、聖水扱いされている。巡礼に来たムスリムはウムラ(ズー=ル=ヒッジャ月以外でのメッカ巡礼。ヒッジャ月だとハッジ=大巡礼)の儀式が終わるとザムザムの水を飲むのが通例とされている。ちなみにこの水はサウジアラビアの法律によって国外への持ち出しが禁止されている。しかし、巡礼者の持ち帰りは日常的に行われており、巡礼者の代表的な土産物になっています。


「メッカ事件(1511年。コーヒー取り締まり事件)の克服でコーヒーが更に広まる」
しかし、イスラム圏では当初はコーヒーが広まるには障壁があった。イスラム教では炭を食べてはいけないのであるが、コーヒー豆は炭に見え、コーヒーは墨色なので、戒律を犯すと考える者がいたのである。コーランにはもちろん、コーヒーに関する記載はない(預言者なのに未来のことを見越して書けないの?)。
しかもコーヒーを「カフワ」(恐らく珈琲:coffeeの語源)と呼ばれたが、コーヒーが普及していない頃は軽い白ワイン(イスラム教徒は酒を飲んではいけない)という意味が主流であった。イエスキリストの血液や白人のための一神教を想起させたのである。
いくらコーヒーを広めているスーフィズムがイスラーム哲学や文学に貢献しようとも、イスラム神秘主義者は少数派である。ワイン禁制のイスラム世界では、カフワと聞けば飲んではいけないワインを想起する人が多かったはずである。
十五世紀末、アラビア・フェリックスに出現したコーヒーは瞬く間に広まっていき、十六世紀初頭にはメッカ、メディナの二聖都や、エジプトのカイロのモスクで、コーヒーを飲みながら礼拝を行うスーフィーが見られた。
しかし
コーヒーの飲み方には、アッラーを蔑(なみ)するものだとみなされることがあった。
アラビアには熱い料理に息を吹きかけて食べてはいけないという作法がある。
それは大食漢の印であり、息には生命の息吹が宿っており無闇に吐き出すべきではないからである。塵芥でできた黒人のアダムは、GODがその鼻に生命の息を吹き込むことで生きた者となった。
従って、客人には湯気の立つ熱い食事を出したりはしない。
湯気や煙はそもそも悪魔の宿る場所である。アラビアンナイトで煙に続いて登場するのは大抵は悪魔である。
じゃあアニメとかで魔法のランプで出て来る魔人(イフリート=イスラム教における堕天使)は悪魔なのね。
ランプの魔人=イフリート=イスラム教での悪魔(堕天使)だから、「敵にとっての悪魔はこちらの味方(かも)」論理で、クリスチャンやイスラムに弾圧された古代宗教はイフリートを優遇してもおかしくない。
『マギ』(表向きイスラムで中身イランってまんまシーア派)で出て来る青い巨大な方々はイスラム圏では悪魔なのかー(※)。
マギってイスラム圏モデルのくせに髭を生やしたイスラム教徒っぽい人が全然出てこない。
イスラム圏の悪魔=イフリートっぽい(青い肌)方々が主人公達の味方だし。
ちなみに、マギでのアモンの全身魔装のイメージモチーフは大日如来像(真言宗)です。使用者の名前がアリババなのに髪の毛が黄色(笑)。主人公のアラジンは青(笑)。
キリスト教の「アーメン」=アモンってことはマギは反イスラムかつイスラムが弾圧したペルシャ(インド-イラン)の秘境を崇めてメーソンを宣伝(マグノシュタットのマークは一つ目)漫画・アニメなんだね!
マギにおける有名な演説(動画)と、私が尊敬する二人のマギについての文章を本記事の終わりに引用しておきます。
このお二人、そして私などは、マギを多くのファンよりもよっぽど深く理解しているであろうという確信、これこそが陰謀論者の面目躍如にして醍醐味(仏教由来)なのではあるまいか?ちなみに、私が英語を学んで一番良かったのは楽しめる娯楽が増えたことです。
wwwマギでwwwwこれほどwww爆笑しているwwwww人(私含む)はwwwwwあまりいないwwww。


また、三人の天使を迎えた時のイブラヒム(アブラハム)のように、食事は迅速に、かつ音を立てずに済まさないといけない。
息を吹きかけて冷まし、音を立てて啜り、しかも炭らしきものを飲んでいるのだから、反発するムスリムがいて当然である。
メッカ事件が1511年に起こり、コーヒー弾圧が始まるが、長くは続かなかった。お上から、反イスラム教を伴っている場合のみ取り締まるべきだという結論を出されたからだ。
結局、
コーヒー禁止の議論に終止符が打たれたのはようやく十七世紀に入って、アハメッド1世の下で宗教的権威たちが、コーヒー豆は炭と呼ばねばならぬほど強度に焼かれていない、という統一見解をまとめ上げることによってであった。
かくして、
イスラム圏はコーヒーのメッカになった。メッカは全イスラーム世界の中心である。一生に一度はメッカ巡礼を行うイスラーム教徒たちは、カーバ神殿の黒石に接吻し、ザム・ザムの聖水を飲み、そしてもう一つの「黒いザム・ザムの聖水」を飲む。イスラーム世界。それはオスマン(トルコ)帝国がスレイマン大帝の治世(1520 - 66)を迎えてますます強大化し、膨張の一途を辿っている。十六世紀は世界史的に「オスマン帝国(トルコ)の世紀」であった。ちなみに、十三世紀はモンゴルの時代(1258年のモンゴル軍によるアッバース朝の滅亡など)であった。
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「十六世紀に史上初のコーヒーハウス誕生→十七世紀にヨーロッパに普及」
エジプトのカイロで、イエメンのスーフィーたちのコーヒーを飲む姿が見られたのは十六世紀の初頭であった。十六世紀は「オスマン(トルコ)の世紀」、(オスマン)トルコは当然コーヒーの流布に大きな影響を与える。
オスマン・トルコ帝国の首都イスタンブールには1554年、ハクムとシャムスというシリア人によって二軒の「コーヒーの家(トルコ語 カーヴェハーネ kahvehane)」が建てられた。その数はたちまち増え、スレイマン二世の治世下(1566 - 74)のイスタンブールにはすでに600余りの「コーヒーの家」があった。”

(…)

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ここらへんにグールで今木津行ったことかいとこ
主人公は矢守というレプティリアンに拷問されて覚醒し園や森レプティリアンを繰って覚醒資格じゃとなるし力を取り込む
元祖イルミナティフクロウも取り込む。そのフクロウはグノーシス主義者だから、元祖イルミ大当社+ヘッセン氏ピノレプティリアンとグノーソスまで取り込んだ主人公が左目白髪黒髪もあるけど。
だから王になれるのさ。両目の力を持つからね。

鳩のボスがローマ風ポーズしてるらしいね。
ローマ㎜カトリックだな。
グールを迫害するが、武器はグールから作るから結局はグールの力がないとグールを倒せない。
しかも武器名学院決定うラテン語。
子クリアもカタツムリっていうラテン語。
ラテン語、ローマ、イスラム系の民間伝承のの怪物大嫌いってどう見てもカトリック。
グールがスーフィーの比喩なのはね、すーふぉずむでは神との合一
kン策では当然神=グール
神の力がグールの力
人食いの邪心の力
この力を持っている奴が当然強い。
だからグールは普通の人間より強い。
鳩側でもきょうキャラは結局グールの力持ちだよね。血筋的に。
句インク吸っている人工はんグールもいるし。
ほら、キリスト教の異端派で力を持っている奴はイスラムと仲良しだ。
特に神秘主義大好きだ。イスラムで神秘主義ならスーフィー。
でしかもスーフィーは夜中の修行で眠らないようにコーヒーを飲んだのさ。
だからグールはコーヒーは飲めるのさ。
避けはタブー。
鳩って名前がアルファベット西洋名前の持自利ばかりだから明らかに西洋組織じゃん。
歴史的に一番イスラム神秘主意義が嫌いなのがカトリックだし。
グールは反カトリックなのさ。
ピエロはクラウンフランス系っぽいよなあ享楽主義がラテン系かなでもぼルはロシア系カトリック。
グールの力を技術強力な武器、金融解け特権だともろに今の歴史だな
鳩の上層部元きょうキャラもグールはんグールわしゅうきつ竜王ヴァースキ九頭竜だ文上層部はカトリックあありませんって落ち
主人公は左目だけど道目寄りだが陣営スタートなのも重要
右目梟の力を獲得する所は主人公がこの世界の事情をかなり知った後。
火左目は反知性主義側だから無知ってことだよ
事情を知って知識を得r津と右目に血数いてついには右目のボスの力を得るってとこもまんまだなあ。
コーヒーの歴史過去記事。
何故単なるしすらむじゃななくてスーフィー化というとね店長がグノーシス主義だから。神秘sh杉とグノーシスは切り離せない。そもそも神との合一は正統派一神教大催球のタブーだ人間が神と同等になった祐門。


読了多謝