読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

01 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.» 03

おすすめ落語集.成功したいなら失敗例を学べ!失敗例集こそが落語。 

「落語知ってるとね、ケンカにならなくていいっすよ。(…)
ありとあらゆる失敗のパターンが全部入ってるから。
ケンカしてるうちに、
何のこたあねえこれじゃまるで『粗忽長屋』だな、
そうおしまいになっちゃうよ。それですんじゃうからね、(…)
昔の教えはそういうの教えたんだろうね、きっと。
こういうことがあるよ、ああいうことがあるよという、
落語ばっかりじゃなくて、いろんな教えをね、したんだ。」
立川談志



落語も仏教派生。説法から誕生。
登場人物に坊さんは出て来るが神道家が出てこない。
落語用語も仏教系が多い。


①時そば

まずはマジ美味えこいつを食らいやがれ!(そばだけに)
柳家喬太郎 時そば - コロッケそば
https://www.youtube.com/watch?v=8hGUS397nrg

和風キリスト教の大本教系の生長の家と
キリスト教系の統一教会の
ニコ動のコメントありで見たほうが面白かった。

柳家喬太郎 「時そば」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6899470

②つぼ算

壺算~桂米朝・枝雀・立川志の輔【動画】
http://rakugo.ohmineya.com/?p=341

壺算のトリック
http://ch.nicovideo.jp/moriarty/blomaga/ar192276

③粗忽長屋

粗忽長屋 立川談志
https://www.youtube.com/watch?v=UFXQdK-V2o0

粗忽長屋~柳家小さん・立川談志・柳家小三治他【動画】
http://rakugo.ohmineya.com/?p=418

④蜘蛛駕籠

「蜘蛛駕籠」 立川談志
https://www.youtube.com/watch?v=qyaYUjk2ZfI

⑤鰻の幇間

非常に勉強になる枕。
相手の願望を見抜き、
あわせつつ、
自分はあまりしゃべらず、
相手にしゃべらせ、
とても興味を持って聴き、
「おお、よく聞いてくれたね」と言われるような質問をすることが、
相手の起源を良くするコツ。
万事に通じる。
幇間=太鼓持ちが実践している技術。

■古今亭志ん朝 鰻の幇間*
https://www.youtube.com/watch?v=uNIre7msnbg

⑥だくだく

立川志の輔 だくだく
https://www.youtube.com/watch?v=HwAJ675xUz0
は傑作、のつもり。


⑦垂乳根(たらちね)

たらちね 柳家喬太郎
https://www.youtube.com/watch?v=yDKCzdIfK4I
を元ネタに
星新一が『ネチラタ事件』を執筆。
上品な言葉と下品な言葉が逆転する病気がはびこる話。
映像化した、世にも奇妙な物語「ネチラタ事件」を見ると爆笑できる。


⑧たちぎれ線香

桂米朝 たちぎれ線香(落語)
https://www.youtube.com/watch?v=RVTlLDQtEX0

人間国宝の米朝は、結社員の小松左京と飲み歩いていた仲で、芸者遊びもするほどだと枕で言っている。


⑨はてなの茶碗

人間国宝の桂米朝 (3代目) の『はてなの茶碗 』の動画が視聴できる、はてなブログ(笑)↓
僕がおすすめする、ビジネスに役立ちそうな気がする落語ベスト5
http://terakappa.hateblo.jp/entry/2016/01/07/115238

これみると節税の手口を思い出す。高名な鑑定士と仲良くなる。現金を美術品に変える。高額の値段のお墨付きをもらう。必要な時に換金。思いついたのだが、やっている金持ち多そう。

アイボリー‏ @mrunsmily 2014年6月13日
お宝鑑定団は、鑑定家達の魔術を披露する番組という様にもとれる

子子子子子(ねここねこ)‏ @kitsuchitsuchi 2014年8月27日
価値を与えるマジック(魔術+呪術) ①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。 ②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。 葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。 @mrunsmily

アイボリー‏ @mrunsmily 2014年8月27日
@kitsuchitsuchi どうもこんばんわ。鑑定家の魔術の内容、そちらの記述で合ってると思います。鑑定士は皆錬金術師でしょうね~。

子子子子子(ねここねこ)‏ @kitsuchitsuchi 2014年8月28日
@mrunsmily 蓄銭叙位令の目的は流通を促す為という説明は一面的。真の目的は財源=現物確保。物々交換=等価交換が嫌で一方的に財産が欲しい朝廷は、金属片を貯めれば位が得られるようにする。等価交換ではないと理解していた人々にはあまり効果なし。朝廷も金融詐欺で財産を奪おうと画策。


⑩代書

昭和10年代、副業として代書人(≒行政書士)だった4代目桂米團治が、その経験から創作した新作落語。

朝鮮人が客(?)に来る場面=当時の貴重な資料を勝手にカットしたり無音するの本当ににやめてほしいね。他の落語も含めて。

作者の4代目米團治の直弟子である3代目桂米朝の代書
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5494251

昭和12年当時の台本のままらしい。

代書~桂米朝・枝雀・立川談志他【動画】
http://rakugo.ohmineya.com/%e4%bb%a3%e6%9b%b8%ef%bd%9e%e6%a1%82%e7%b1%b3%e6%9c%9d%e3%83%bb%e6%9e%9d%e9%9b%80%e3%83%bb%e7%ab%8b%e5%b7%9d%e8%ab%87%e5%bf%97%e4%bb%96%e3%80%90%e5%8b%95%e7%94%bb%e3%80%91/

越境する民の記録:上方落語「代書」に聞こえる済州島方言
http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20100925/p3

たかちゃん‏ @w1919taka 2012年10月26日
桂枝雀
「東の志ん朝、西の枝雀」と言われた人気落語家。
演目「代書」には済州島の朝鮮人が出てくる。
(日本統治時代、朝鮮と済州島と大阪を結んで君が代丸が運航していた)
だが、この話はカットしていた。
主役のガタロ(川底ざらい・在日が多かった)も何故かポン菓子屋に変えて、自殺した。

yasu‏ @yasu_s 2013年8月15日
ところで、そのドキュメンタリーでわかったこと。落語の「代書屋」にあるガタロ、「ガタロ商を営む」のガタロは、落語のほうでは河川の廃品回収のことですが、語源は「河太郎」つまり河童と通じているようだいうこと、 #rakugo

kabujirou‏ @kabujirou 2013年9月18日

戦前でさえ、半島から日本に来るときは
渡航証明書をとるのが基本だったんですが。。。。落語の「代書」でもあつかわれてるんですがね。。

「代書」って落語は、実は、「ちびくろサンボ」とおなじで、朝鮮人が出てくる場面があるんだけど、だいたいカットしますわな。。「景清」といっしょ。

遠森慶◆発信専用◆鉄道◆姉絵‏ @tmk_8jasmin 2月10日

日韓併合時の大阪を舞台にした落語で、日本に来た朝鮮人が、代書業者に戸籍申請書を書いてもらう、という噺があります(『代書屋』の一形態)。済州島の人なんですが「慶尚南道済州島」って言います。当時はあそこ慶尚南道だったのね。で、大阪の代書屋も朝鮮のローカルな地名を漢字で書く書く!(笑

⑪狸賽(たぬさい)

たぬきが恩返しにサイコロに化けて博打で大勝…はしない。
ジョジョで宇宙人がサイコロに化けた話の元ネタ。

化ける瞬間を見られたらタヌキは、目撃者を消さないといけないらしい。
魔法使いかな?

柳家小さん「狸賽」
https://www.youtube.com/watch?v=ywBcYP6KS04

特選 米朝落語 「狸の賽」
https://www.youtube.com/watch?v=x1_Vn-rht64

ドラマチックに死にたくない!‏ @from_paraiso 2014年10月7日
古今亭志ん朝 (三代目) Shincho Kokintei 狸賽 落語 Rakugo:
https://www.youtube.com/watch?v=mUSkCql14A4&feature=youtu.be

ぽんぽこナレーションの中の人はこちら。
ぽんぽこ上映にちなんだ狸の噺。志ん朝は一番聴きやすくてオヌヌメ。


⑫【落語】柳家喬太郎 午後の保健室
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7735943

柳家喬太郎 午後の保健室 
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9712321




⑬落語 柳家喬太郎 赤いへや
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14991524





まだまだ追加していく予定





【動画】古典落語で好きな噺あげてけwwwwwwwwwww
http://sonicch.com/1716.html

☆古典落語最高傑作選☆
https://matome.naver.jp/odai/2143213343910737801?&page=1



桂枝雀が上岡龍太郎と語る笑いの分類
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16688264

日ユ同祖論、景教渡来説、スピリチュアル、神智学は仏教破壊用の兵器! 【落語風解説】 『真釈 般若心経 』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-114.html

――参考資料――

“落語知ってるとね、ケンカにならなくていいっすよ。もうねえ、なんて(ったって)、ありとあらゆる失敗のパターンが全部入ってるから。ケンカしてるうちに、何のこたあねえこれじゃまるで『粗忽長屋』だな、そうおしまいになっちゃうよ。それですんじゃうからね、落(語…)(た)だ、昔の教えはそういうの教えたんだろうね、きっと。こういうことがあるよ、ああいうことがあるよという、落語ばっかりじゃなくて、いろんな教えをね、したんだ。教えを何にも知らなくなっちゃったからね。エー、しょうがなくなっちゃって。”
落語 「蜘蛛駕籠」 立川談志
https://www.youtube.com/watch?v=qyaYUjk2ZfI
13:28~13:52分
()うちは私が補った。()前後は完全に正確でない可能性あり。言いかけてやめたあるいは不明瞭な発音の個所は文字おこしが難しい。
「なんて(ったって)」は途中でいうのをやめたと判断したが、「なんと」などかもしれない。「落(語…)(た)だ、」も速度を0.5倍速にしても聞き取りにくく不正確かも。意味の中核ではないのが幸い。 


立川談四楼 ‏@Dgoutokuji 2013年10月21日
落語と仏教は強いつながりがある。高座、前座がすでに仏教用語で、扇子を前に置いてお辞儀をするのは、そちら側がお客様でこちら側は芸人でございますという結界を意味する。手拭いを符丁で曼荼羅(まんだら)と言うに至っては説明の必要もないだろう。道理で本堂での落語会がしっくりくるはずである。

猫の泉 ‏@nekonoizumi 1月7日

「…芸能の発生には宗教の儀礼がふかく関係し、古代の社会では宗教と芸能とアートは渾然一体となっていた。日本の「語り芸能」や「話芸」は仏教の説教の影響が大きく、説経節、講談、浪曲、落語などには仏教的要素があふれている。江戸時代の落語の祖である策伝上人『醒睡笑』から、…」

中村甄ノ丞あるある早くいいたい ‏@ms06r1a 2011年6月7日

それにテレビもラジオもなかった時代、坊さんは地域随一のインテリで、話も面白かった筈なんだ。落語の祖とされる策伝も坊主だもんね。でも別に現代じゃ坊主はインテリでもなけりゃ面白くもないでしょ。インテリが珍しかった時代じゃないもん。

星山耕太郎 ‏@Kotarohoshiyama 2014年5月17日

初デジタル書籍。円朝の「落語濫觴(らんしょう:起源)」という本を読んだ。なんでも落語の起源は、江戸前期、策伝という坊さんが秀吉に聴かせた宇治拾遺物語だそうで、後に狂歌(笑える短歌)が流行したとき、狂歌即興会で黙って考えてるのもなんだからと、笑える話をしたことで再興したとのこと。






“ 日本の話芸の研究者の関山和夫氏は、「現在でも、落語の世界での「高座」「前座」「マンダラ(手ぬぐい)」「師匠と弟子」「一席・二席」などの用語や、講談でいう「中座読み」「修羅場」などの用語は、全てこうした、高座で演じた、仏教の説教から出たものである」と言われている。そして、日本の独特な話芸の源流には、仏教伝来当初から、言葉に節をつけて、説教(唱導)が、行われていたと言われている。そうした節付説教は、平安末期から鎌倉時代にかけて出現した天台宗の澄憲(1126?~1202)とその子の聖覚(1167~1235)が樹立した「安居院流」と、寛元年間(1243~1247)に定円が創始した「三井寺派」などを中心にして行われていたが、この「安居院流」を樹立した聖覚が、法然上人に帰依して、浄土宗に入り、やがて真宗に伝承され、真宗において、独特の型を生み出し、『節談説教』として、江戸時代から、昭和の初期まで、隆盛を極めた”
落語と仏教  ・・落語の源流はお説教?・・  
http://www.jiin.or.jp/turezure1/rakugo.htm


“落語の祖 策伝上人
第五十五世 策伝上人

戦国時代、誓願寺の第五十五世法主「安楽庵策伝上人」は、優れた説教師であるとともに、松永貞徳・小堀遠州らと親交を深めた文化人でもありました。

策伝上人は、ともすれば小難しくなりがちな「お説教」に、ふとした笑い話を含め、人々に分かりやすく、また親しみやすくお話になられました。またそれらの話を集めた「醒睡笑 (せいすいしょう:八巻)」という書物を著し、それが後世、落語のネタ本となったことで「落語の祖」とも呼ばれ、それにより誓願寺も落語発祥の地として知られております。
(…)
当誓願寺では、毎年十月初旬の日曜日に「策伝忌」を営み、追慕の法要とともに奉納落語会を開催しております。 (日程の詳細は、トップページの行事カレンダーをご参照いただくか、直接当山までお問い合わせ下さい。)
(…)
文人としては、「醒睡笑 (せいすいしょう)」が有名である。元和元年 (1615)から同9年 (1623)にかけて、自らの体験談、見聞録を出来るだけ面白く、さらに諷刺、教訓、啓蒙的な要素を附加して巧みに書き下ろしたものである。その滑稽の縦横なことは、まさに落語の教科書と称えるべきもので、その数々の咄は、落語中興の祖・烏亭焉馬を経て延々今日にまで及んでいるのであって、策伝上人が落語の始祖と言われているのは不自然ではない。 茶人・古田織部が、秀吉の「御咄の衆」 (主君の話し相手となる老巧の士)であった という事実も、策伝上人という笑話の天才が生まれるに至る機智性の血脈を知る上で注目される。

「醒睡笑」を完成するやかねてより隠居の志あった策伝上人は塔頭、竹林院を創立し、境内にあった茶室、安楽庵 (広島県、誓願寺に安楽庵好みと伝えられる八窓の茶室が復元されている)に入り、自ら安楽庵と号した。

寛永19年 (1642)正月8日、89歳で示寂するまで19年間、竹林院を訪れる風流人は絶えなかった。 陰欝な戦乱の世でも常に明るい面に眼を向けて、楽天的に笑い続けることを長寿の妙楽とし、ことに風雅と戯笑に満ちた晩年における生活は、文字通り悠々自適の余生であった。

落語の祖 策伝上人/浄土宗西山深草派 総本山 誓願寺
http://www.fukakusa.or.jp/p016.html


“立川談志師があなたも落語家になれる―現代落語論其2という本のなかでこう述べている。

   私の惚れている落語は、けっして『笑わせ屋』だけではないのです。
   お客さまを笑わせるというのは手段であって、目的は別にあるのです。
   なかには笑わせることが目的だと思っている落語家もいますが、
   私にとって落語とは『人間の業』を肯定しているというところにあります。
   「人間の業」の肯定とは、非常に抽象的ないい方ですが、
   具体的にいいますと、人間、本当に眠くなると
   「寝ちまうもんだ」といっているのです。

   分別のある大の大人が若い娘に惚れ、メロメロになることもよくあるし、
   飲んではいけないと解っていながら酒を飲み
   「これだけはしてはいけない」ということをやってしまうものが、
   人間なのであります。
   こういうことを、八つぁん、熊さん、横町の隠居さんに語らせているのが、
   落語なのであります。(中略)
   落語のなかには、人生のありとあらゆる失敗と恥ずかしさのパターンが入っている。
   落語をしっていると、逆境になった時にすくわれる。
   すくなくとも、そのことを思いつめて死を選ぶことにはなるまい、
   と私は思っている。   

このことは、落語のみならず喜劇全体の本質をも突いている。
喜劇は、人の愚かさに触れ、それを自身に振り返させると同時に、
人の不完全さについて改めて認識させるといった効用がある。”
45.月見座頭
http://choroku569.blog.fc2.com/blog-entry-46.html

“『あなたも落語家になれる―「現代落語論」其(その)二』は、談志が「落語は人間の業の肯定を前提とする一人(いちにん)芸」と定義した名著だ。
 忠臣蔵で例えれば、落語が本来、主題とするのは、亡き主君の敵(かたき)を討った四十七士ではなく、逃げたその他大勢の家臣の方だと本書は説く。大義名分ではなく、小さなことにクヨクヨする人生の、ありとあらゆる失敗と恥ずかしさのパターンが詰まっている落語を知っていれば、「逆境になった時に救われる」のだと。
 さて、読み終わったところで、余韻にひたりながら、ちょっと一杯……よそう、夢になるといけねえ。”
書店員に聞く この落語家を読め!
http://book.asahi.com/reviews/column/2015060500005.html

峨骨 ‏@Chimaera925
叶わなかった者は静かに消えて行くから、願って叶った者だけがそれを語る。願って叶わなかった者の言葉を集めて、どうすれば失敗するのかを研究できれば、願いを現実にする術に近付くだろう。しかし、死人に口なし。死して屍拾う者なし。

ビジネス書にありがちな、「こうすれば成功する」なんて成功体験はクソ程役に立たない。たまたま上手く行っただけで、同じことをして骸を晒したの者は声を上げないのだ。 重要なのは失敗の蓄積。「こうすれば必ず失敗する」これらを集めて失敗の種を潰していくのが近道だろう。
成功体験は勝ち馬に乗りたいワナビーを集めて金儲けするのに役立つ。しかし、そのノウハウが役立つ事はあまり無い。 バブル期に小遣い貰って就活して金持ちになった連中が同じ価値観や生き方を続けて落ちぶれたように、何をやっても上手く行く時代とそうでもない時代があるから、個人の力なんてのは
成功の為の因子のほんの僅かなものなのだろう。その、ほんの僅かなもので明暗が別れる事もあるだろうけどな。
バブル期に成功していた落ちぶれたジジイの成功体験聞いて見れば、成功体験が何の役にも立たないのがよく解る。

スピリチュアルや自己啓発、ビジネス系自己啓発が流行る中、それを通して頭の中がクリスチャンに書き換えられている。「強く願い潜在意識に働きかければ実現になる」これはニューソート。魔術と比較すると、「ああ、コレは失敗するわ」ってな方法が書いてある。成功しないから依存して固定客になる。

悪が存在しなければ存在意義の無い受動的な正義のヒーローよりも、日々試行錯誤を重ねて、何度ヒーローにやられても何度失敗しても諦めずに目的の達成しようとする悪の秘密結社には見習う所が山ほどある。「努力しても報われる補償は無い」「油断すれば足下を掬われる」と数々の教訓を残してくれた。

歴史にしたって勝者の都合の良いように書かれている。だからといって歴史を学ぶ必要が無いわけではない。知らなければ矛盾を探し出す事も不可能だし、人に矛盾を説明する事もできない。歴史を学ばない認めない、われわれの説あるいは教義が正しい。疑うな。心の問題だ。これでは単なる信仰。宗教だ。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず 孫子『謀攻』
敵則能戦之、少則能逃之、不若則能避之ともある。
ただ知っていれば勝てる訳ではない。
勝てない敵には勝機を見出す時まで守りを固めるか戦いを避け、勝てる状況を作り出し勝つ。
五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生
絶対の勝者は無い。

万全な計画や実行力によってそれらが全て計画通りに行っている訳ではない。全て計画通りで絶対的であると見せかけているだけであれは絶対でも全知全能でもない。最適な手を打っているように見せかけて、不十分だったり過剰だったり、不発だったりで大してコントロールできていない。
数打ってそこそこ当たったものがメディアで取り上げられる。失敗に近い成功でも目的達成の為に宣伝を繰り返してそれと認識させたならば、成功に近付けることができる。不発は話題にならない。数打てば当たる。凄腕のナンパ師だって片っ端から声かけて、ようやく一人でも成功例だけ見れば凄腕だ。

起こされた事象は素材。目的に沿ってイメージ操作を行う素材。素材として必要されなければ大してメディアや政府は騒がず、目的があって注目させたい場合は露骨に煽る。本来は時間をかけて刷り込むものを、ここまで露骨にやるのを見る限り定められたスケジュールにあまり余裕が無いのだろう。



捻くれた目で見ると、「なるほど、こうやって権威付けするのか」と見て取れる。アブラメリンは17~8世紀に書かれたドイツ語版、18世紀のヘブライ語版とフランス語版の写本。有り難がらずに同人本くらいの感覚で読むと面白い。14~5世紀のドイツに住んでいたユダヤ人 が著者だと書かれているけど、これもハク付けだろうなと見ている。

The Big O - Rui Nagai - Big-O! https://www.youtube.com/watch?v=PyosK5bielo … THEビッグオーの主人公、ロジャー・スミスは一流の敏腕ネゴシエーター。いつも交渉が失敗して、巨大ロボを呼び出して交渉。最後は暴力がものを言うと教えてくれた作品です。

村手 さとし‏@mkmogura 2014年4月2日
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、定義からの不一致(ズレ)が、人間の笑うことの衝動であると定義づけた。 論理的考察を鍛えたければ、誰かを笑わせる文章を訓練すべきである。 ストーリー性、必要事項、時系列。客観的印象も計算して、かつ短く、そこからズレ=落ちで笑わせるのである。

この社会における常識とは、客観性、冷笑的な皮肉ともいえる視点をあえて見ないふりをする『隣の人に右習え主義』であり、笑わせる文章におけるストーリー、定義そのものである。
誰がどんな定義に縛られてるかを考察し、その常識という筋道に外れた『笑い』のような物こそ珠玉の視点である。

村手 さとし‏@mkmogura 2013年12月18日

いいですか。Twitterでボケる、笑いをとるというのは、誰もつっこんでくれない事を気にしないところから始まります。
それは、自分の人格について誤解されても強く生きて行くという事に他なりません。
ピエロとも言います。

弱い自分をごまかして強く生きていきましょう。

村手 さとし‏@mkmogura 2012年8月10日

@lanekota ヒューム哲学。aよりbが価値があるなら、意味がある。権威とか餌とかではなく、もっと比較からバランスをとる反抗精神のほうがいいよ。たとえば、さっきのスピとかも、批判ではなく、指さして笑い者にするぐらいがいいと思う。


"哲学では概念という言葉がしばしば重要な役割を担う。英語で言うと「コンセプト」で、「作品のコンセプトは何ですか」とインタビュアーがアーティストなどによく聞いたりするので何となくニュアンス的には知っているだろう。「物事の概括的な意味内容」と辞書を引くとある。つまり、花という言葉に花の定義(本質)が定められることによってすべての実在の花に花という言葉が当てはまる。だが、世界はあまりに広く多様である。中には定義にピタリと当てはまらない花も存在するかも知れない。この不一致を笑い理論に関連付けたのが19世紀ドイツ哲学者のショーペンハウアー。

「笑いが生じるのはいつでも、ある概念と、なんらかの点でこの概念を通じて考えられていた実在の客観との間に、突然に不一致が知覚されるためにほかならず、笑いそのものがまさにこの不一致の表現なのである」と氏は断じる。
前編の「期待と現実の突然の不一致」が笑いを引き起こすというカントの理論と構造的に似ている。カントのときと同様、ショーペンハウアーの言う具体例を見よう。
パリのある劇場の観客が、かつてラ・マルセイエーズの演奏を要求したが、それが演奏されなかったので、叫喚と狂乱が生じた。そこでついに制服を着た一警部が舞台にあらわれ、劇場ではプログラムにあるのとは別のことがなされることは許されないと言明した。すると一声があがった。
「でもあなたもまたプログラム中にありますか」と。

だれかが、自分はひとりで散歩するのが好きだと言ったとき、あるオーストリア人は彼に言った。
「あなたはひとりで散歩するのが好きだ。私もそうだ。だから私たちは一緒に散歩することができる」と。
ふたつの例を挙げたのには意味がある。実は氏いわく可笑しさには2種類あり、実在的なものから概念に移行するときは「機知」、その逆が「とんちんかん」と定義しているからだ。つまり、最初の例が「機知」、二番目は「とんちんかん」。見ての通り、舞台にあらわれた一警部(実在的なもの)の次に正しい劇場のプログラム(概念)が現れているのに対し、二番目はひとりで散歩するのが好きな私たちがそれをふたりで一緒に楽しめる(概念)、私たちは一緒に散歩することができる(実在的なもの)と順序が逆なのである。概念と実在の不一致の順番を逆にすると笑いの種類がガラリと変わる、実践的なおもしろい理論である。

笑いといえばまさに「笑い(Le rire)」という本を書き残した哲学者を忘れてはならない。彼はフランスの哲学者ベルクソン。彼の笑い論はかなり有名だしその分量も多いので、ここで詳述しないが一応簡単にエッセンスを挙げておく。
「笑うべきことは、注意深いしなやかさと生きた伸縮性があって欲しいそのところに、一種の機械的なこわばりがある点だ」
これも抽象化の度合いが高い定義なのでよく分からないだろう。よって例を紹介する。
「往来を走っていた男がよろめいて倒れる。
すると通りがかりの人びとが笑う。(中略)笑いを催させるものは彼の態度の急激な変化ではなくして、変化の中にある不本意的なものであり、不器用である。(中略)しなやかさに欠けていたせいか、うっかりしていたせいか、それとも体が強情を張っていたせいか、こわばり、もしくは惰力のせいで」

「人間の体の態度、身振り、そして運動は、単なる機械を思わせる程度に正比例して笑いを誘うものである」とも言う。
そう言われてみると昔、何かのコントでロボットのようなぎこちない動きや機械的な声を真似た芸人を見てゲラゲラ笑う観衆を見た記憶がある。ロボットでなくても、不慣れでぎこちない動作で商品を間違えたり落っことしたりとヘマばかりするコンビニの店員のコントで笑いが巻き起こることなどは今もよく見られる。

最後に、同じくフランス哲学者のバタイユのかなり風変わりな笑い論を見よう。「非―知(Le non-savoir)」という不思議なタイトルの本の中に収められたもので、
「笑わせるものとは単純に、知りえぬものなのかもしれない。(中略)われわれが笑うのは、ただ情報や検討が不十分なためにわれわれが知るに到らないといった性質のもつ何らかの理由のためではなく、知らないものが笑いを惹き起こすからこそ笑うのです」と言う。
ベルクソンの例に当てはめると、通行人が倒れることは誰もあらかじめ知り得なかったことだ。私見だが、この理論ならもしや赤ん坊が笑う理由を説明できるかも知れない。
これまで挙げてきた哲学者が笑いの理由として使った期待の不一致、概念、実在、機械的、そうしたものを一切知らないのに、赤ん坊は笑うのだから。

笑いはいまだ未知の領域。そもそもアリストテレスの指摘した「人だけが笑う動物」なのはなぜかも分からない。ここはひとまずニーチェがぼそりと述べた言葉で末尾を飾るとしよう。
「人間のみが、笑いを考案せざるを得ないほどに深く苦しむのである」"
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1361768527021.html
「人はなぜ笑うのか」を考えた哲学者たち【後編】






• 安楽庵策伝著、鈴木棠三訳『醒睡笑』(平凡社東洋文庫、1964年)
•文庫判では、『醒睡笑』(鈴木棠三校注、岩波文庫 上・下、1986年)と、
『醒睡笑 全訳注』(宮尾與男訳注、講談社学術文庫、2014年)がある。

―――
聴いてくださり感謝します。
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