読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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ヤマギシ会所属歴ありで「大本教は研究しない」宣言をした島田裕巳『日本の10大新宗教』(と『整体入門』) 

仏教が「これをやると幸せになれない」ことを実践しまくっているのが今の支配層。
天理教は一神教だと自分で言っている。神道は耶蘇の隠れ蓑!
老壮会/老荘会(ろうそうかい)がやばい。メンバーに下中弥三郎と大川周明がいるし、名前が道教系で、母体に内田良平(黒龍会主宰かつ紅卍字会員)がいるから、紅卍字会の傘下かつ大本教系。
日本にイスラム思想を入れたやつらが神智学まじりの神道カルトだからはじめから歪んでいる。
大本教完全否定のムスリムの情報が重要。
つまりおねしょた兄貴は超貴重。

大川周明はシュタイナーの社会三層化論を日本に紹介するなどスピ系=インド風の耶蘇の影響を受けている。
クルアーン全文を翻訳。

下中弥三郎は大アジア主義者で、大川周明とも関係が深い。
下中弥三郎『すめらみこと信仰 : 万教帰一の最高具体標識』
下中弥三郎が関わった平凡社(百科全書派)・啓明会・七人委員会・世界連邦運動。
下中弥三郎(平凡社の創業者)は璽宇(大本教と提携している世界紅卍会道院信者の呉清源が信者のカルト)のスポンサー。
下中は第二次大本事件前に『出口王仁三郎全集』を企画し、刊行。
大々的に販売し全国で数万部売れたともいうが下中の璽宇とのかかわりも大本との関係が元にあったものと思われる。
下中弥三郎は大東社メイソンだろうね。でもスピリチュアル系の大本も支援。左右の胴体側かな。
ロッジに問い合わせたら教えてくれるか不明。

イルミナティの実行部隊名を大量に紹介します~下中弥三郎+百科事典+教育系の組織。大アジア主義者で万教帰一賛同者の下中弥三郎はメーソンで、大本教や天津教などとも繋がりがあります。~
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

バチカンの科学弾圧により秘密結社=科学研究所誕生。
百科事典=聖書を否定する科学の本。
1728年チェンバーズ百科事典
1751年百科全書(↑の影響)
1768年ブリタニカ百科事典
1914年平凡社(下中弥三郎)
1919年啓明会(同上)
下中弥三郎は万教帰一(宗教統一)賛同者。

‘55年11/11発足の世界平和アピール七人委員会。
初代委員:下中弥三郎(提唱者。人選でも中心)、
植村環(日本YWCA会長)、
茅誠司(東大総長)、
上代たの(日本婦人平和協会会長)、
平塚らいてう、
前田多門(新渡戸稲造の弟子)、
湯川秀樹。

∸――
仏教が「これをやると幸せになれない」ことを実践しまくっているのが今の支配層。

大乗仏教では仏性、
ストア派では理性、
グノーシスでは神性、
これら三つは人間の平等性を説く根拠。

ただし大乗仏教では一切衆生悉有仏性なので人と人以外の生物との隔たりが弱め。
あと理性も神性も不滅ではないし、よって不滅の霊魂も否定。
仏教だけ本当に他の宗教と比べて異質だよなあ。

数秘術で思ったんだけど、マニ教の終末の炎は1468年続くとあるけど何か使われている実例が見当たらない。四桁はさすがに埋め込みにくいなあ。


∸―
心の問題うんぬんではぐらかし、宗教は生活基盤であり社会システムであることを隠そうとする人が多い。
議論が劣勢になると言葉や客観的物証を否定して誤魔化すスピ系信者に対して、

「貴方の言語能力が低くて議論できませんってことでOK?
支配層製スピリチュアル教義の言葉に縛られている貴方が言葉を超えるなんて不可能。
なので『言葉を捨てろ』は滑稽。
スピ系のように言葉と理性を捨てると、理性的対話ができなくなるのですね。
私は幼児化したくないので、言葉と論理できちんと議論ができることを重視。
ロゴスを最終的ではなく最初から捨てろと言うスピ系の本音は「幼児化しろ」では?
スピ信者が好むインド思想はロゴス『も』重視」なのはご存知?」

私が必読リストに入れているのは「言葉に操られずに言葉を操れる人」。
「言語能力(文章・論理的思考・文脈を読む・語彙力)が高い
=支配層に都合が良い定義の言葉に縛られている度合いが低い」

劣勢になると言葉じゃないってごまかす奴は工作員でなくとも知力が弱い。

宗教は社会システム。
心の問題ではない。
心は主観的すぎるので詭弁に多用される。
支配層が悪用してるのが問題だからね。
支配層にとっては道具である宗教の使い方が問題。
末端信者の心なんてそもそも問題にしていない。
心ではなく「どう動くかか、操られるか」が問題。



=主観依存すぎて客観的共有が出来ないので議論に使うと「人それぞれ」と同様に「議論は嫌!」という意味にしかならない詭弁用語。「心の問題」という表現が多い。

本人の日本語能力(論理的思考と文脈を読む力含む)はツイートを読めばわかるし、
本当にすごい人は語彙からしてレベルが高いからね。
言葉に操られずに言葉を操れる人以外のツイートなんて読んでいる暇がないよ。
定義をまともに示せないってことは自分で何言っているかわかっていない証拠か、
騙す意図が見え見えなのでどちらにせよ相手にする価値無し。

心云々で、
メーソン=反カトリック≒プロテスタント。
元祖イルミナティ=反カトリック教会≒プロテスタント内の反王政
などを隠すからね。
中身=定義を示すと正体がばれるから定義を聞くと退散するよ。

∸――

本記事にも登場する、活元運動という、野口先生が神道の霊動法から宗教的な要素を抜いた健康法がある。
宗教色をわざわざ抜いたのに戻すのがカルト。
大本系の世界救世教系がこの活原運動を悪用している。
教祖の力で止まったとか、霊が憑りついたとか詐欺の温床。
単なる技術であり信仰対象ではない。
必要な時だけ偶像は作り使ったら即捨てて焼き払わないといけない(魔術師が儀式前と後に必ず行う退去)。
神秘は外部ではなく自身こそが神秘の一部をなすのにね。

初期仏教もユダヤもイスラム偶像崇拝禁止。
偶像は潜在意識に干渉してくるから厄介。

東洋の解剖図が実際にはない内臓があるぞと指摘して悦に入る西洋医学一辺倒野郎がいるが、
そもそも解剖して目で見える内臓のみを記述すること自体が西洋思想。
エネルギーが集まる場所とか人体のエネルギーの流れの拠点とかは一切考えてないあたりが浅い。
チャクラも解剖しても見つからないと批判するのかな。

「存在する」の定義が違う。
西洋…解剖して物理的に認識できるものは存在する
東洋…物理的でなくてもエネルギーが心に感じられたら存在する。
∸―

小森健太朗‏ @komorikentarou 1月22日
河口慧海の『チベット旅行記』電子版で読んでいると、神智学関係者との接触の話が出てきて興味深い。ところで大川周明がイスラム講義のタネ本に使った「クルアーン講義」の著者Ahmed Shahも「チベット密教」とか「インド神秘思想」などを著している神智学系の著者なんだよなー。



















以下本文引用。 《書簡の送付先は天理教信者として公表されている
柳沢伯夫・厚生労働、
甘利明・経済産業、久間章生・防衛、
高市早苗・内閣府特命の各大臣(資格をもつ信者を表す「ようぼく」)と、本部で教理受講中の信者を意味する「別席運び中」の伊吹文明・文部科学、長勢甚遠・法務の両大臣。》

jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-09/2007040914_01_0.html …よりまとめ。
#天理教 #柳沢伯夫 #甘利明 #久間章生
#高市早苗
(上記四名は、資格をもつ信者を表す #ようぼく )
#伊吹文明 #長勢甚遠
(上記二名は、本部で教理受講中の信者を意味する #別席運び中 ) (※敬称略)

ふぎさやか ‏@maomaoshitai 2014年5月3日
そういえば天理教は実は一神教で世界と人類の創造主は天理王命(通称親神)ということになっています。私もよく知りませんが、ここはキリスト教の影響も受けているのかもしれませんね。幕末には漢訳の聖書も手に入れられたようですし、本格的な発展は明治以降ですから。




魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 3月25日
シンボル解釈する際は必ずその土地に近いもので解釈しましょう この場合の近いというのはその象徴が発生した周辺の神話や伝説・習慣等の俗習的なモノから引用する事です 往々にして、その象徴には俗的な不満などが詰まっているのでそこから見る事です 西洋画が何故に全裸が多いのと同じです
なのでシンボル辞典を引用する際は必ず土地の歴史や民族と民俗を理解した上で読み解きましょう 西欧の秘密結社みたいに中東のシンボルをアフリカの民俗・アメリカ原住民の民俗で読み解くみたいな欺瞞的普遍・不変主義みたいなことをしない様にそれすると大本みたいなバカが発生するのでやめましょう

つうか、日本にイスラームを持ってきたのは大本系でしょ
大川周明先生とかのアジア主義者がアジアの思想的統一=大本の思想強化と確立の為に持ち込んだのが現代日本イスラームの始まりと見ていいでしょう
その為、日本でイスラームというと見ている限り神道カルトがかなり関係している


おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年10月6日
やっぱり、ヤソは明白な邪教だわ
何で邪教かって?奴らはヤソ以外を悪魔つきだと考えているところなわけでそんな全方面に喧嘩売っている宗教が平和言うのはヤソ以外全部滅びせば平和という事を言っているわけでこんなおぞましい邪教が世界中を汚染し、破壊しているのは必然の事態と言える




【優れた要約】
ゆらゆら ‏@yuurayurari 2013年7月15日
熱波は金井センセイ人気か満席で入れず。10大新宗教を読むことに。はじめに、から様々な論点が出され興味深い。第1章は天理教。著書が大学3年のときに訪れた天理市は宗教都市だったとのこと。行ってみたいな。

新宗教の発生時期3大学説。
①天理教などが生まれた幕末維新期。
②大本教が誕生した19世紀終わりから20世紀はじめ。
③立正佼成会や創価学会が拡大する第二次大戦後。

10大新宗教。①天理教。奈良・丹波市村の中山家に嫁いだ中山みき(享年90歳)が教祖。「お産の神様」として周辺地域で活動。同業・権力からの迫害を避ける為に長男秀司は京都の吉田神道や真言宗の傘下に入る等立ち回る。芹沢光治良『教祖様』はみきの伝記。大西愛治郎の「ほんみち」は分派。

戦後の天理教を教祖の元の教えに回帰させるようとする試みの先頭に立ったのがみきの曾孫・中山正善。東大宗教学科に学んだインテリで、稀覯本の蒐集家としても知られ、皇族とも付き合いがある、とのこと。

ゆらゆら ‏@yuurayurari 2013年7月16日
10大新宗教。
②大本教。京都の福知山で生まれたなおが、綾部の出口家の養子になり婿養子を迎えた。金光教の枠内で活動始めるが終末論的世直しの性格を持つように、更に娘婿の王仁三郎登場。小山内薫や芥川龍之介にも影響を。高橋和巳「邪宗門」
出口和明「大地の母」
富岡多恵子「三千世界に梅の花」。

王仁三郎は一時幹部と対立し大本教を離れるが2年後戻ってきて旺盛に活動再開。
大正維新を掲げ、大阪の有力日刊紙・大正日日新聞の買収など。第一次大本事件という弾圧にもめげず、大陸進出、エスペラント、南洋諸島開発、レコード・映画製作。昭和維新→第二次大本事件(1935年)。

10大新宗教。③生長の家。海外(特に戦後ブラジル)の信者数が国内より多い。教祖・谷口雅春(明治26年、神戸市生)、早大文学部でトルストイの人道主義等に惹かれる。大本教へ入信するも違和感から脱退。清貧、菜食主義、執筆。1929年雑誌「生長の家」創刊=運動の核、読むと病気が治るとも。

画家・松本峻介も一時期入信して「生長の家」の表紙を描いたりしていたが、3年ほどで離れる。また大宅壮一が批判記事を書いたりも。いずれも、哲学を説く思想団体から現世利益を喧伝する宗教団体へと変わっていったことが背景に。戦時〜戦後は、天皇崇拝、保守思想に傾くも冷戦終結で存在意義薄れる。

10大新宗教。④天照皇大神宮教。教祖・北村サヨ(1900年、山口県生)による歌説法。信者は「無我の舞」を踊り「踊る宗教」とも。戦前サヨは生長の家に入ってた。戦後上京し46年高田馬場駅ホームで初歌説法。52年ハワイへ進出 。58年「婦人公論」で深沢七郎と対談。67年没後孫娘が継ぐ。

10大新宗教。④(天照皇大神宮教との関連で)璽宇(教)。璽光尊こと長岡良子が中心。天照皇〜のサヨ同様、天皇の人間宣言により空白になった現人神の座を生き神として継承しようと。46年引退後の双葉山が呉清源に伴われ杉並区関根町(現上荻)の璽宇を訪問、翌年金沢で検挙。下中弥三郎の支持も

10大新宗教。⑤立正佼成会。高度経済成長期に第二・三次産業に就く為地方から都市に移ってきた労働者を信者に拡大。庭野日敬(1906年、新潟県生)が子どもの病から霊友会に、天理教徒だった長沼妙佼(1889年、埼玉県生)は日敬に出会い霊〜入りするが38年教祖への違和感から共に独立開祖。

基本は法華系。先祖供養、妙佼の霊感、日敬の姓名判断、法座(10〜20人が車座で話す)。56年読売新聞に土地買占批判されるも読売を自分たちの行き過ぎを戒めた「菩薩」と。57年妙佼死後は日敬が教義体系化。杉並区和田に本部、大聖堂、普門館(全国大会開催の吹奏楽の聖地)、佼成学園の中高。

10大新宗教。⑤(立正佼成会の母体としての)霊友会。三重県生れの西田無学の仏所護念会が基になり、縁のあった久保角太郎(1892年、千葉県生)とその兄嫁・小谷喜美の男女で発足(立正〜も同様)。久保が組織をまとめ、喜美が神懸かりする霊能者という分担。戦前から現在まで多くの分派を生む。

10大新宗教。⑥創価学会。日蓮・法華系の在家仏教団。「折伏(しゃくぶく)」による積極的な布教活動。創立者・牧口常三郎。北海道の師範学校で学び(小学校校長歴任)、日蓮正宗に入信。先祖供養を否定し霊的なものへの関心を持たず。元は創価教育学会という名で、教育者の団体という性格があった。

息子戦死のショックから獄死した(伊勢神宮のお札・神宮大麻を焼却させ投獄)牧口の後継、二代会長・戸田城聖は学習塾経営等実業家の才あるカリスマ。創価学会に名称変更、会長就任51年に75万世帯の折伏を死ぬまでの目標に掲げ(当時会員は千世帯前後)、実現(58年死去時には会員百万世帯超)。

戸田の攻勢。55年「小樽問答」(日蓮宗僧侶との教義をめぐる議論)、57年日本炭鉱労働組合との戦い(炭労の学会締め出しに対して青年部800名を行動隊として北海道に送り込む)。国立戒壇のために政界進出(政党結成、衆議院進出は否定→この二つを実現したのは60年就任の三代・池田大作)。

敗戦直後に折伏され入信した池田は傘下の出版社や信用組合の立直し等で頭角を表す。会長就任は32歳。創価学会を厳しい批判する人物や組織を「仏敵」と呼び対決→70年「言論出版妨害事件」から政教分離の明確化。70s後半日蓮正宗との対立が契機で会長辞任するも90sの同宗との決裂で「復権」。

10大新宗教。
世界救世教団。岡田茂吉が開祖。尾形光琳の紅白梅図屏風、野々村仁清の色絵藤花文茶壺等国宝があるMOA美術館@熱海はMokichiOkadaAssociationの略で地上の天国として建てられた。岡田は大本信者の経歴があり手かざし(浄霊)を救済システムの中核に据えた。

岡田は浅草の露天商の家に生れ一時画家を志するも肺結核を病み断念。1920年に大本に入信し、31年には夢で啓示を受け開眼、「岡田式神霊指圧療法」等独自の活動を展開し34年に脱退。翌年大日本観音会という宗教結社を組織するも医師でないのに医療行為を行ったと検挙され大日本健康協会に改称。

戦後日本浄霊療法普及会を経て熱海に日本観音教団を再建。観音信仰を背景に手かざし「お光さま」を行う。50年に世界救世教に改称し教団近代化を進める。直後脱税・贈収賄で有罪となると、美術品収集、自然農法の普及などにも手をのばす。55年岡田没後は小山美秀子の神慈秀明会等多くの分派を生む。

ホリエモンって東大の宗教学科にいたと思うのだけど、きっとそこで「人を集める」みたいな原理を宗教から歴史的に学んでそれを応用してライブドアを発展させたのかなあとふと思った。当てずっぽうだけど。

10大新宗教。甲子園と新宗教。全国私立高の約3分の1が宗教団体を経営母体としてる。うち6割がキリスト教系、仏教系は3割、神道系はごくわずか。新宗教は20校程。が、天理高校、PL学園、創価高校、佼成学園、智辯学園・智辯和歌山(辯天宗)、金光大阪(金光教)等多くが野球に力を入れてる。

10大新宗教。⑧PL教団。教祖・御木徳一は1871年松山の商人の家の生れ。父が商売に失敗、寺の養子に出され住職になるも生活が立ち行かず23歳で妻子と大阪へ出て商売を始める。そこで金田徳光(弘法大師信仰→御嶽教=山岳信仰)に出会い徳光教の信者に。徳光はPL教団では「幽祖」とされる。

1919年に徳光が亡くなると後を継ぎ、25年御嶽教徳光大教会本部を設立、28年扶桑教に移り31年扶桑教ひとのみち教団を立ち上げる。この頃、朝参りという早起きの徳を強調する行事始まる。ひとのみち教団は中国や朝鮮半島にも進出し、34年2万人収容の大本殿を大阪に作り信者は百万を超える。
「人生は芸術である」の通り社交ダンスを布教手段に取り入れ芸術雑誌を刊行したりした。毎年8月の徳一の命日には所有の聖丘カントリークラブで12万発(!…隅田川で2万発)の花火大会を行ってる。また370床の総合病院を持ちレジャーランド(PLランド、閉鎖された)を作る等他に類を見ない。

35年第二次大本事件を始め国家が新宗教を警戒すると、体制に従順だったひとのみち教団も特高により解散させられる。不敬罪で徳一は取り調べを受け保釈中に死去。息子で共に活動していた徳近も同じく不敬罪で入獄。終戦後出所すると教団再建の動きが始まりパーマネント・リバティー教団に改称。
パーマネント・リバティーからすぐにパーフェクト・リバティーに改称、46年に佐賀県鳥栖の徳近の妻の実家、でPL教団の立教、47年には基本教義21カ条(徳近が神から啓示を受けた)発表。第一条人生は芸術である、二・人の一生は自己表現である、九・人は平等である等戦後的価値観を反映。

10大新宗教。⑨真如苑。開祖・伊藤真乗(1906年山梨県生)。代々易学が伝わる家で母は天理教信者。17歳で上京し飛行機エンジニアに32年従兄妹の内田友司(霊能者家系)と結婚。36年会社を辞め宗教家として独立する覚悟をし真言宗の修行を。が、長男(1歳)、戦後次男(15歳)を亡くす。

子の死を「抜苦代受」(人の苦しみを代りに受け亡くなる)として乗越え活動を続け大阿闍梨(真言宗の高位僧)に。38年真言宗(醍醐派)傘下で立川不動尊分教会を設立、戦後独立し「まこと教団」設立。友司の霊能者家系の修行も取り入れ真言宗と別方向に。50年修行中にリンチを行ったと告発される。

この「まこと教団リンチ事件」で悪化した教団のイメージアップのため53年真如苑に改称し、友司が苑主になり自身は一歩退く。52年次男の死後「涅槃経」(一切衆生悉有仏性)に出会い57年から仏像制作も始める。67年友司が亡くなり「霊祖」となる。89年真乗死後(83歳)、三女・真聰が継ぐ。

真如苑の中心は「接心」修行という教義独自の秘儀。神懸かりよりもカウンセリングに近い。誰もが霊能者になれるという。世直し的性格、終末思想等も持たず、現世利益を説くが創価学会・立正佼成会ほどアグレッシブではない。信者は両者が爆発的に拡大した高度経済成長期のあとからじわじわ増えてった。

2001年日産工場跡地の取得、07年『真乗 心に仏を刻む』(中央公論新社刊)ベストセラー等現在も活動的。信者公称90万人。宗教ブームの80年代バブル時代に沢口靖子らの入信が報じられる等話題に。立川に本部、応現院がある。応現院は宗教施設というより病院か大学のキャンパスの様な雰囲気。

10大新宗教。(10)GLA。教祖・高橋信次は1927年長野県の農家の家に生れる。戦後日大工学部に学び50年小さな町工場を大田区池上に作り64年大森に高電工業(現在も)を設立。古代エジプトや中国の霊が降りてくる等霊的体験をし68年本格的な宗教活動開始(松島幸之助の霊が降りたり)。

69年「大宇宙神光会」発足70年GLA(God Light Association)に改称。霊言が古代インド語やアトランティスの言葉でなされる等、時代のオカルト趣味とも合致。が、76年高橋は亡くなる。活動は10年未満、生涯専門の宗教家とならず。妻が事業を、娘の佳子がGLAを継ぐ。

高橋は真のメシア「エル・ランティー」、佳子はその助力者「大天使ミカエル」と呼ばれた。佳子を支える教団の青年達は「ビバ・ミカエル」と叫び肩を組んで歌い熱狂的ファンとアイドルのような雰囲気が生れた。古くからの会員が去り、その後講演会(集団的なカウンセリングのよう)開催等現実路線へ。



・天理教教祖のみきは外部の人間には精神異常に見えたが、激しい神がかりを繰り返す彼女を見た信者はそれこそ彼女が神である証だと考えた。

みきがお産の神様として地域の信仰を集めるようになると、同業の民間宗教家と対立するようになる。迫害も受けた。
みきの長男秀司は、京都まで出向き、神社の総元締めである吉田家に入門。吉田家の権威により周囲の民間宗教家からの迫害を避けようとしてのことだった。

中臣六根、御潔めの祓いといった神道式の儀礼を学んだ秀司が中山家に悖ると、神主の格好でそれらを実践した。
天理教の「みかぐらうた」「おてふり」はこれ以降にできるので、吉田神道式の儀礼の影響だろう。
また、吉田神道の影響は天理教の祭神にも及んだ。
当時は、現在の天理王命ではなく、天輪王明神という記紀の十二柱の神々が合わさったものが神だった。
吉田神道では国常立尊を宇宙の根源的な神である大元尊神としてとらえ、一神教的な性格を持っていた。
室町時代末期に吉田神道を集大成した吉田兼倶は、宇宙の根源神である国常立尊から自分に至る血脈を想定していて、その中には、天輪王明神を構成する十二柱の神々のほとんどが含まれていた。
新宗教は既存の宗教的伝統の上に登場する。
天理教は仏教からも強い影響を受けている。

例えば、天輪王の元は仏教の転輪王だと考えられる。
釈迦が誕生したとき、将来において悟りを開いてブッダとなるか、世界の支配者である転輪王になるかそのどちらかだと予言されたという伝承があり、転輪王は仏の世界と世俗の世界両方に通じる神聖王とされている。
また、「ぢば」に据えられた「かんろだい」のもとになった甘露も仏教用語で不死の妙薬である。
教会本部の中心は「ぢば」と呼ばれ、人類発祥の場所とされる。天理市の本部に礼拝に行くことは「おぢばかえり」と呼ばれ、駅には「お帰りなさい」という看板がある。

(吉田神道は一神教的ではないよ。ごちゃまぜ宗教だから神道なのか怪しい。
仏より神が上=反本地垂迹説(神本仏迹説)
=仏教否定しそうだから天理教は採用したんでしょ。
天理教は一神教って自分で言ってるし
清原枝賢(きよはら・しげかた、1520~90)というキリシタン公家は唯一神道の確立者である吉田兼倶の曾孫。
彼の娘マリアは細川忠興夫人に侍女として仕え、セスペデス司祭の指導の下にガラシャの霊名で洗礼を授けた。
神道は耶蘇の隠れ蓑!


九十歳で亡くなった教祖中山みきは肉体としての身はなくしたもののその魂は今でも教祖殿にあって、人々の暮らしを見守っているという信仰がある。よって教祖に対して一日三度の食事が供えられ、季節ごとに衣替えされ、テレビ普及後にはテレビも備え付けられている。
高野山でも空海は今も生き続けているという信仰があり、同様に食事がそなえられている。
おそらく天理教は高野山のこの信仰を取り入れたのだろう。

みきは九十歳で死んだが、生前に人間の寿命は百十五歳までと公言していた。九十歳という早すぎる死は予言外れ、神の約束破りにあたる。
みきには後継者が決まっていて、大工の棟梁だった飯降伊蔵であり、彼も生前から神がかりした。
彼は神がかりし、みきが百十五歳の寿命を二十五年縮めて信者たちの救済にあるのだという意味の言葉を下した。
この言葉が下されるまで、みきの死から六日かかっている。
教団は決定的危機を回避。

(都合いいなあ嘲笑苦笑。
六日間もめたんだろうなあ。
初代教祖が死ぬと危機に陥るのはどの宗教でも同じだなあ。

予言と終末論系は教団が長く続くほど信憑性が薄れていくのもまずい。
「その時」を一万年後に設定して、予言成就の日時を過ぎることを回避しても、教団の思想自体を否定する思想が出てきたらだんだん教団の力は弱まっていく。
特に科学、理性主義、啓蒙思想あたりが天敵。
なお終末論系は世界の終わりを言わなくても、
「未来は必ず良くなる。今は痛みに耐えろ。現状を根本的に改善することはするな」なども含まれるよ


天理教は、みきの死後、教派神道の一派として公認され、それから比較的自由に宗教活動ができるようになる。

天理教は社会的に認知されるために政府に積極的に協力。
戦争が起これば、航空機などを寄付したり、志願兵の応募に積極的に応じた。
満州国が誕生すれば満蒙開拓団にも参加。
教義でも独自の神話を表に出さず、
教典も国家神道の体制に迎合するものに改めて布教を展開。
この教典は現在の教典とは違うもの。
教部省の教則三条の「天理人道を明らかにすべき事」に基づき名称を天理教に改めた。

(うげげ。媚び媚びじゃん。名前まで迎合かよ。
戦後には本当は平和に願っていましたなんて白々しい嘘をついているんだろうなあ。
東京オリンピック中止発表ぐらいに戦争が起こりそうだけどまた協力するんじゃないの?
生長の家よりは戦争協力は消極的だったとか言い訳しそうだが、生長はレベルが違うだろ


天理教が対象の終わりから昭和の初めにかけて信者が急増し都市部を中心に急速な拡大。
このころ天理教は搾取の宗教ともいわれた。
信者の大半が庶民で、信仰の証に布教活動にすべてを費やし、稼いだ金は皆教団に献金してしまったからである。
「貧に落ちきれ」という教義がある。教祖伝にみきが際限なき施しを続けたせいで中山家が没落したとある。これをモデルに教団への献金が勧められた。だが、みきが際限のない施しをしたという証拠はない。地主であった中山家が没落したことは事実だが、原因は米や綿の相場に手を出し、それで損失したから。
信者に献金を迫るため伝承が造られ、信者に伝えられたと思われる。

(まじ搾取の宗教だな!
献金させるために伝承も捏造!
没落理由が相場に手を出し失敗したからって情けないなあ。
教祖の施しの対象って教団じゃねーだろ。
金に困っている人に直接施せよ!

漢字変換ミスで、しん「邪」って出て苦笑。真邪だったら爆笑してた)

・戦後の天理教は国家神道の影響で歪んだ信仰を正し、教祖の元の教えに回帰することを試みた。
先頭に立ったのが二代目真柱、中山正善。彼は東大宗教学科で学んだインテリで珍しい文物や稀覯本の収集家としても知られ、今日の天理参考館や天理大学図書館に結びつく。皇族ともつきあいがあり庶民である信者とは対極。

(天皇人脈の一角が天理教=一神教)


・天理教の特徴は分派が多いこと。
飯降の後、神の言葉を取り次ぐ存在が途絶えたので誰もが天理王命の啓示を受けたと主張できるようになったから。ほんみち(もとは天理研究会)が有名。

神がかり系は分派ができやすい。言ったもん勝ちだから)


・大本
(大本って書くと初見の人が一般的な意味か宗教団体かわからないからそれに配慮して大本教ってかいているのに、正しい読み名も知らないのかってケチ付けて来るやつがいたな。私が知らないとでも思っているのかなあ。あまりに大本大本言い過ぎてそれが一般的意味とかけ離れすぎていることを自覚できなくなった信者っぽいなあ)

大本教関係者が出した小説『大地の母』
を刊行したのは毎日出版社。
毎日は大本が二回目の弾圧を受けた際にその先頭に立って反大本の社会風潮を扇動した。
『大地の母』を著者の島田が知ったのは1980年前後に古武術の甲野善紀を通して。
氏とはその時一度しかあっていない、氏は『大地の母』の面白さについて熱く語った。図書館で借りて読んだ。大本がモデルの『邪宗門』は既読。

(武術カルトの甲野は大本人脈。まさかの登場。ナンバは江戸しぐさのような偽伝統らしい)


・著者の島田は『大地の母』を読んで大本に対する印象は一変した。大本のことだけは研究するまいとも思った。研究者が扱える世界ではなかったからである。大本におこったことを合理的に解釈することなどできない。
『大地の母』 の作者は膨大な事実に基づいて物語を書いている。外部の研究者が資料を集めようとしても、到底そこまではいかない。大本に関しての研究は不可能だという気持ちは今も変わらない。

(宗教学者の島田は大本教の研究はできない、と明記。
掘り下げまくったら突然死しそうだもんな!
宗教学者なら影響力のやばさはわかっているだろうし。カルトと陰謀論の関係もね。
本書で唱えるカルトが唱えた陰謀論の比較はしていないけどね。
大本も生長の家もユダヤ陰謀論だけど。
ユダヤ陰謀論も日ユ同祖論も大本教の教義。
上記の大本教を大本に変えると、大本の研究が、根本的な研究って意味にもとれるね。少なくとも大本教を知らない人には。それもあって大本教と表記するのが私)

・芥川龍之介も『大本神諭』を熟読したという。
芥川は海軍機関学校の教授として英文学を教えるようになったが、その前任者が大本信者の浅野和三郎。
浅野は退任後に大本本部のあった京都の綾部に移住するが、大本関係の本を学校に残していて、それを芥川が読んだ。
浅野は第一次大本事件後の教団を離れ、心霊科学研究会を結成し日本でのオカルティズムの先駆者となった。この組織は名前を変えて存続している。

陸軍と海軍関係者さらには、明治天皇の皇后である昭憲皇太后の姪である鶴殿ちか子が大本に入信。
彼女は鶴殿男爵の夫人で、岩下子爵や宮中顧問官だった山田春三も入信。


(皇族も入信したから、和風キリスト教の国家神道派に警戒されて弾圧されたんだろうね。
和風キリスト教のスウェーデンボルグ派の大本教との利権争い。弾圧されたから善とか幼稚なこと言っている信者っぽい奴がいたなあ。啓蒙主義を叩いていたから露骨に大本スピリチュアルだった。









芥川の河童に生命の木とスウェーデンボルグが登場する。ちらっとだけ。
『悪の果』とあるのでクリフォトの知識もある。当時の西洋文献の専門書を読んだ?

“ 長老は大様に微笑しながら、まず僕に挨拶をし、静かに正面の祭壇を指さしました。
「御案内と申しても、何もお役に立つことはできません。我々信徒の礼拝するのは正面の祭壇にある『生命の樹』です。『生命の樹』にはごらんのとおり、金と緑との果がなっています。あの金の果を『善の果』と言い、あの緑の果を『悪の果』と言います。……」
 僕はこういう説明のうちにもう退屈を感じ出しました。それはせっかくの長老の言葉も古い比喩のように聞こえたからです。僕はもちろん熱心に聞いている容子を装っていました。が、時々は大寺院の内部へそっと目をやるのを忘れずにいました。
 コリント風の柱、ゴシック風の穹窿、アラビアじみた市松模様の床、セセッションまがいの祈祷机、――こういうものの作っている調和は妙に野蛮な美を具えていました。しかし僕の目をひいたのは何よりも両側の龕の中にある大理石の半身像です。僕は何かそれらの像を見知っているように思いました。それもまた不思議ではありません。あの腰の曲った河童は「生命の樹」の説明をおわると、今度は僕やラップといっしょに右側の龕の前へ歩み寄り、その龕の中の半身像にこういう説明を加え出しました。
「これは我々の聖徒のひとり、――あらゆるものに反逆した聖徒ストリントベリイです。この聖徒はさんざん苦しんだあげく、スウェデンボルグの哲学のために救われたように言われています。が、実は救われなかったのです。この聖徒はただ我々のように生活教を信じていました。――というよりも信じるほかはなかったのでしょう。この聖徒の我々に残した『伝説』という本を読んでごらんなさい。この聖徒も自殺未遂者だったことは聖徒自身告白しています。」”
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/69_14933.html
芥川龍之介 河童

↓芥川はどうなんだろ。りゅうのすけ6文字って言いにくい。
  下の名前が4,3,4,3,4文字より多いと避けられそう。
  苗字も5文字で多いなあ。PNは4文字にすべきだね。
STB ‏@RC_StB 2月26日
文芸の世界だと、下の名前で呼び捨てにされて一流だよ 「鴎外」「露伴」「芭蕉」「蕪村」「藤村」で通じるよね 三島由紀夫は「三島」とは呼ばれるけど「由紀夫」とは呼ばれない 川端康成も「川端文学」は使うが「康成文学」とは言わない


STB ‏@RC_StB 2015年3月29日
残念ながら海外で一流の人は日本に留学に来ません 大体英米で日本はその次の次の次くらいかな 日本語教員は結構留学事情を知っている しかも被曝したから余計人気は低い 尚日本語一番勉強しているのは韓国人。旅行者は中国人が多い。ジャパンハンドラーのデマゴーグに騙されて隣国と戦争しないでね)



・稲荷講社所属の金霊学会として王仁三郎は活動。
一次大本を離れて京都の神職養成機関の皇典講究分所に入って神職の資格を得る。建勲神社の主典となり、教派神道十三派に含まれる御獄教や大成教(現在は神道大成教)の役員ともなった。
綾部に帰った後で、金竜殿や五六七(みろく)殿なども建築。

(本当に「明」って言葉大好きだなあ支配層は。大本教は完全にマニ教=明教の一派でもあるし。
5+6+7=18.)


・大正維新を掲げた大本は
1920年(大正9)に大阪の有力な日刊新聞『大正日日新聞』を買収し影響力が格段に高まった。
これにより大本ブームが起こり、学生や知識人、軍人や貴族が入信するようになった。

1921年には世界が壊滅し新たな理想世界が出現するという終末論的予言が主張される。大正十年立替之説。
予言系宗教は、予言が外れることで多くの信者が去り、残りが予言が外れたことを正当化する新たな教えを作って危機を脱するのが典型的パターン。

・第一次大本事件目から王仁三郎はエスペラントに興味を持っていた。
ロシアの盲目の詩人エロシェンコやバハイ教徒との出会いから、エスペラントの本格的普及に力を注ぐ。
世界紅卍字界と連携。頭山満や内田良平と強力。頭山と内田などを発起人に、王仁三郎は世界宗教連合会を設立。本部は北京。普天教、道教、救世新教、仏陀教、回教、仏教、キリスト教などが参加。
1925年、大本の社会的実践団体として人類愛善会を組織。
大本海外進出に積極的。
メディア・ミックスの方法で宣伝活動を行った点が先進的で、音楽部を作ってレコードを出したり、映画製作に乗り出したりした。


・1934年、昭和九年に王仁三郎は昭和維新を掲げ昭和神聖会を結成。昭和神聖会は反体制的な運動ではなく、賛同者には大臣や貴族院議員、衆議院議員、陸海軍の将校なども名を連ねていた。
具体的活動計画が明確ではなかったが瞬く間に成長したことが国家権力にとって脅威であり
1935年に国体の変革を目指しているとして第二次大本事件発生。メディアは一斉に反大本化。

(ねこた(ニート勇者Lv.1 実は遊び人) ‏@lakudagoya 1日1日前
大本教のタチが悪い所は世界中の宗教のものを全部自分のものだと絡めて主張して取り込む背乗り教のモンスターという所ですね。万教帰一を推し進めるならこれほどタチが悪いものはありませんし、そのために世界中の宗教ごちゃまぜアニメを日本でやってるのはその陰謀ですね。 RT
おねショタおじさん @douteimaturi 10月8日
大本というのがやっている絶対にやってはならない事は一点
大本を軸にして比較宗教やっている事です
これは多神教的帰一主義の悪いとこで手口として主管が言っている事を様々な宗教と比較して、どんどん絡んでやっぱり全ての真理は私達にあると一人合点することです

なので、私は大本的な思想を全否定します
基本的に宗教思想というのは譲れない絶対論があって成り立つものであって、それには必ず唯一でしかないものがあるのです
だから、神学としてこういうアプローチがあると言っている時点でその宗教には神学が存在せず吸収して肥えるスライムみたいな物です

神学はスライムではなく、縦軸がしっかりしているものなのではっきり異物は異物として認識がカッチリされています
ただ、大本みたいなものは異物ですら取り込んで飲み込むので私から言わせれば宗教ではなく、学問でもなくただのご都合主義的なその場凌ぎに終始する言い訳であり、宗教や学問でないです

簡単言えば、泥棒で盗癖があって盗みを働いているのにこれは自分のものだと言い張っているようなものでホツマツタエや霊界物語自体が泥棒に泥棒を重ねてどれが盗んだものかわかんなくなっている泥棒の落書き帳なのでそんな落書き帳を研究するなんて人間の所業ではなく、口舌し難い悪人の行いでしょう

別にただの万教帰一的なものなら何もここまで否定しません、しかしながら大本系とそれに近い泥棒の落書き帳を研究とか言っている連中は神学的にありえないので全否定します
繋げる事は非常に簡単なのですがそれを整合つけるのは実に難しいのですが、奴らは大本が軸で結ぶのでそういう苦労をしません

そんな雑すぎるものを学問とも言いませんし、比較宗教学でも神学でもありません
むしろ、神学がないからそんな粗末な思考ができるのでしょう
全く人類、生物として信じられません
もし、人間であるならば何故ここまで違うのかに戸惑うはずですがアメーバなのでそんな事できません物理的に不能です

大本なんて名前が間違っているのですから、スライム教やアメーバ教と本来の存在の名前を言うべきなのです
本当に聖なるものを豚喰い、犬喰い、蛇のように丸呑みする連中は実に醜い


おねショタおじさん @douteimaturi10月8日
はっきり言いますけど、ギリシャ哲学と
中国の諸氏百科それに心身一元論に契約の思想、
イスラームやユダヤを正しく認識していれば西洋哲学はただの毒物でしかありません
あんなよくわからない文章を読むぐらいでしたら、論語や韓非、墨子などを読んだほうが遥かに現実的に使えますし、簡単です

恐ろしいのは西洋哲学は詭弁と雄弁術、修辞学の塊なのでそれなりに聞こえてしまうのと舶来物信仰があるのでそれにコロリとやられてしまう事です
特にぬほん人は舶来物が大好きなので簡単に新しい舶来物に被れて、そこの内容物を問わないという悪癖があります
まあ、軸がない人々という事です

でも、ものの本質を隠すような議論をしても意味がありませんので生活が神学であるイスラームとユダヤはある意味、言行一致を求めるので日本人に受け入れやすいのではないかと思います
ただ、超排他的で徹底的に非寛容な日本社会とその性癖で都合の良い誤解をしていくのは容易に想像できますけどね

イスラームで感じれる人になるまで、クルアーンと正しいとされている6冊の伝承の暗記(全部アラビア語)と解釈法の暗記に主要な学者の説の暗記(全部アラビア語)それに信仰とその確信を持ち、そして弁に長けてかつ人格者であり神秘的な体験をして感じれる人になれます

それにしても、ガチでやばそうな人にアレなアカウントな人達って絡まないのね
まあ、私のTL見てもエロ絵描きさん達ばっかりだし、完全に趣味なんだけど呟いていることは全く真逆だから判断しづらいのかなぁ
それに表面上の話は全然しないから尚更なんだろうね、そんなもんだ

あんまり言いたくなかったけど、汎神論の反対は心身一元論です
無神論は汎神論の一部で絶対者信仰者が思考実験として、絶対者が存在しない世界というのは何か?という議論から始まったものです
で、この議論の結論は出ていて全ての理由は何処にあり、ただの物質主義に陥るか、否かになります

要はこの世界には何かしらの根拠と理由があるのか?という議論で汎神論はあるで無神論はない
で、心身一元論はわからないという立場をとります
心身一元論はそれを言ったところで物質と精神が一緒である、己が良くなるか悪くなるかと問われた時に意味ある行いではないのでしません

基本的に心身一元論だけの宗教というのはないような気がします、まあ事実これは哲学と言ってもいいので仏道のように心身一元論に至るために心身二元論から離れる、道教みたいに魂魄があって魂はあの世でもこの世と同じ生活するという一元的な思考をします、なので唯一と多神という分けも正しくないです

なので、この世で確かめられない世界には言及しない態度と無神論は別で心身一元論が怪物やそういった陽の目に現れないものについては一切言及しない態度
無神論は言及して、否定する態度のことであるんで心身一元論者は神秘、超越な存在について一切口出しません
これ大きな違いです


・生長の家
創設前の話。谷口は、本来の理想的世界=無想不二なる世界と
現実に存在する世界=差別の世界
とを区別していた。
神戸の三宮にあったヴァキューム・オイル会社に翻訳係として雇われ、経済的な自立を果たした。
阪神沿線の住吉村に住む。そこで彼は宗教的悟りを経験し、根本思想である実相論を確立。
色即是空を思い浮かべながら合掌瞑目しているとどこからともなく「物質は無い!」ときこえ、「無より一切を生ず」という声がした。
彼は実相こそが神だと悟る。
「お前は実相そのものだ」という天使たちが自分をたたえる声が聞こえてきた。
一燈園の『光』や、『新時代』といった雑誌に文章を発表。

(新時代=ニューエイジ)


「現象は無い!無いものにひっかかるな。無いものはないのだ。実相のみがある。お前は実相だ、釈迦だ、キリストだ、無限だ、無尽蔵だ」という声が頭に鳴り響いた。
この内なる声に促され、
雑誌『生長の家』創刊号を刊行。
1929年、昭和四年の大みそかに一千部の雑誌が刷り上がり、正月早々無料進呈。
生長の家の特徴は雑誌の出版を主体にしていること。谷口は中退したとはいえ、早稲田大学に学び、英語の思想書を読む力をつけ、文才に恵まれていたからこそ可能な方法だった。
また、かつて所属していた大本の影響があった。大本は出版事業にも力を入れ、機関誌を広く販売するとともに新聞社の買収なども行っていた。谷口は大本のメディア宗教としての側面を積極的に活用。

・実相の世界ではすべてが調和した完全円満な神の世界とされた。
ところが、現象の世界に生きる人間の「念のレンズ」は、歪み、その結果神の世界と人間の世界とに不一致が生じた。迷いという念のレンズの曇りがなくなれば地上にも神の世界が現れるとした。
念のレンズの曇りをとる方法が神想観。
神との一体感を高めるために合掌正座して行う独特の祈り。
雑誌『生長の家』は雑誌の形をした聖書とされ神誌と呼ばれるようになる。
神誌を読んだだけで病気が治ったという人間があらわれ、それに感謝する手紙が多数谷口のもとへ寄せられた。
谷口はすべての病はこころの影、つまりは想念によるもので、病気は本来実在するものでは無いと説いた。

・1934年、自分たちの運動を「人類光明化運動」と名付け、その主体となる組織として株式会社 光明思想普及会を結成。
最初の事業として、『生長の家』の合本である『生命の実相』全集普及版十巻の刊行開始。
宣伝活動には十七万二千円という巨費が投じられた。『生命の実相』は第一巻だけで五万三千部も頒布。
新宗教教団が教祖の著作を大々的に宣伝し多くの部数を売りさばいている事例が目立つがその先駆けは生長の家。
大宅壮一は生長の家の誇大広告を批判するとともに、生長の家の根本思想は素朴な唯心論にあり「病は気から」という俗説を「盲減法」に普遍化し、それを神秘化して宗教に仕立て上げ、徹底的商品化を目指したと分析。
宗教の専門家が宗教的にでたらめだと批評しても、生長の家のお得意先は宗教のアマチュアなので正確な知識はかえって商売の邪魔になると指摘。


谷口はアメリカの新しい宗教運動のクリスチャン・サイエンスやニュー・ソートの流れをくむ思想を学んだりした
経済問題については、マルクスの唯物史観に対して
唯心史観を強調。神は富を無尽蔵に生み出す無限供給者であり近代経済組織は万一の時を恐れて節約に励む人間の恐怖心に基づくもので、そのために富が一部の人間に蓄積され十分に流通しなくなったとした。その恐怖心さえなくせば神によって十分な富が与えられるという。
神の世界を全てが満ち足りた理想世界としてとらえそこに到達するためには心の持ち方さえ変えればいいという、新宗教全般に共通した教えは、前提や有効性を証明できないにしても、広く大衆の心をとらえた。
本来は哲学的で難解な実相思想を、現世利益的な病気直しに結びつけたことが谷口が大衆の心をつかむ才能を示している。
1940年に宗教団体法が施行され生長の家が収去結社として認められると、天皇信仰を強く打ち出す。
谷口は「すべて宗教は天皇より発するなり。大日如来も、釈迦牟尼仏も、イエスキリストも、天皇より発する也。ただ一つの光源より七色の虹が発するごときなり。各宗の本尊の実を礼拝して、天皇を礼拝せざるは、二女の実礼拝して、太陽を知らざる途なり」と主張。
大本の影響かもしれないが、すべての宗教の元は同じだとする万教帰一の考えがあり谷口はその根源を天皇に求めようとした。実相は天皇という実体を得た。
戦争への道を歩んでいた当時の日本社会では、神道を全ての宗教を超越した国家祭祀とする体制が確立されておりすべての宗教が帰一する先を天皇へと求めることは時代の流れに沿う
ものであった。
それは、日蓮信仰と皇国史観を合体させ五・一五事件や二・二六事件といった軍部のクーデターにも影響を与えた国柱会(宮沢賢治や、満州事変の首謀者である石原莞爾が信者)の田中智学などの日蓮主義思想とも重なり合っていた。
谷口は天皇信仰を核に据えることによって生長の家の存在意義を社会に向けてアピールしようと試みた。
谷口は太平洋戦争が聖戦だと主張。
その聖戦に敗れたあとも、谷口は「日本は決して負けたのではない」「偽物の日本の戦いは終わった」と敗戦を合理化し国体が滅びたのではないことを強調する一方で、
生長の家の教えの中に「本来戦いなし」の言葉があるとし、生長の家が平和主義を説いていたと主張。戦後は、生長の家は明治憲法復元、起源説復活、日の丸擁護、優生保護法改正などの主張を展開した。
海外にも進出ブラジルで最も成功。ブラジルに浸透しているカトリック信仰を否定しない。カトリックのまま入信できる


ベルリンの壁やソ連崩壊で天皇信仰や反左翼、反共産主義の政治運動が衰退。
1992年に二代目総裁谷口清超の長男、雅宣(現副総裁)が大西洋戦争を侵略と認め、聖戦論を否定する見解を発表。


(子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年6月11日
自民党 =ワールドメイト(大本教系) +生長の家初代派(大本教系) +神道政治連盟

民主党 =ワールドメイト +生長の家3代目派 +スピリチュアル

小沢=ワールドメイト +世界救世教(大本教系)
大本教=和風耶蘇


自分は実相=神だという天使の声が聞こえたって完全に魔境に魅入られた狂人だな。
思想が完全にプラントと新プラトン主義だから仏教完全否定。
色即是空の完全否定。実相ってイデアorゴッドのことでしょ。
天使だからキリスト教。

「現象は無い!無いものにひっかかるな。無いものはないのだ。実相のみがある。お前は実相だ、釈迦だ、キリストだ、無限だ、無尽蔵だ」ってすごいな。
釈迦は輪廻を脱したから釈迦の生まれ変わりは存在しないし、
イエスも生まれ変わりは存在しない。
病気は心の問題ってニューソート=光明思想のパクリだな。
物理と心の両面の対処が大事なのに。
すべては実相だから物理的対処は不要ってか?
ユダヤ陰謀論本の出版もキリスト教系の特徴、というか耶蘇教の変形カルトの王道。
ユダヤ陰謀論本を出すと異端派キリスト教のバックアップが受けられるからね。
異端派っていったのは正統派だと支援を嫌がりそうだから。
極右の実相=神=谷口ってことは生長の家は邪神の組織ってこと。
ほんとうに、天皇流出論、天皇起源論言い出したあたりから完全に有害カルト。
万教帰一、天皇絶対が二大教義。
万教帰一は自分ら以外の宗教を全て滅ぼしてただ一つの宗教すなわち自分らの宗教しか存在しないようにするって教え。
自分の宗教が最高って思想がある限り必ずそうなる。他の宗教はどうでもいいってこと。
特定の宗教信者が万教帰一なんて言った時点で嘘確定。
万教帰一を否定する宗教はどうするの?
潰す以外の選択肢がないよね?
仏教は実体思想否定だから、プラトン哲学も新プラトン主義もキリスト教も大本教も生長の家の大前提を完全否定なので破壊するしかないよね?
仏教の元、根本が全く別物だからね。
万教帰一の大本教も自分らは最高って認識だから大嘘つきだね。

教祖は石油利権派人脈がある。

恐怖心さえなくせば金持ちになれるらしい。心の問題詐欺。個人でどうこうできる問題ではない。
戦争大好き。戦後にしらじらしく平和主義だったとだと。教義の中核はご都合主義と二枚舌だね。



・田布施の天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)
の教祖北村サヨは自身は「総理大臣として使ってやる」など自信を総理大臣より上だと位置づけていた。
サヨの夫の清之進は一時ハワイに移民していたことがあった。
山口はハワイへの移民が多い地域で後に天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)がハワイイ進出するのもそうした地理的環境が影響していた。
サヨは生長の家に入っていたことあり。

(また大本人脈かよ。当然田布施人脈
でもある))

・天照皇大神宮教のサヨは第二の璽光尊と呼ばれた。
璽光尊(長岡良子)の璽宇の信者に、元横綱の双葉山定次がいる。
彼は、囲碁の名人、呉清源(「昭和の棋聖」)と璽宇を訪問。
呉は戦中から有力信者で、夫人の中原和子は神がかりして神示を伝えるなど璽宇の中で重要な役割。
双葉山は現役を引退していた。
双葉山は日蓮宗の熱心な信者。璽宇で礼拝していると霊的現象を体験した。

呉清源が璽宇に愛着を示したのは彼が璽宇と関わったいきさつが関係。
璽宇の前身は篁道大教(鉱山関係の実業家で神道系の行者の峰村恭平が中心)。
これが1941年璽宇に改称した際、
大本教系グループと
長岡良子(真言密教系霊能者)が合流。
この大本系グループに、大本教と提携している世界紅卍会道院信者の呉清源が含まれていた。
呉が結婚する中原和子は、峰村の親戚。
1956年に入信した山田専太を通じ海外進出。
彼は柔道と合気道師範で、スコットランドヤードで教える際に布教。
下中弥三郎(平凡社の創業者)も璽宇に共感しスポンサーとなる。
下中は第二次大本事件前に『出口王仁三郎全集』を企画し、刊行。
新宿の紀伊国屋書店では大々的に販売し全国で数万部売れたともいうが下中の璽宇とのかかわりも大本との関係が元にあったものと思われる。


日蓮系、法華経系の立正佼成会(りっしょうこうせいかい)
の母体は霊友会。
創価学会の日蓮系。
佛所護念会も妙智会も日蓮系。いずれも霊友会からの分派。


霊友会のもとをつくった西田無学は、法華経による先祖供養を強調。総戒名と呼ばれる独自の戒名が特徴。夫の祖先と妻の祖先の両方を含む戒名。
祖先の戒名を書きだしていく霊鑑(過去帳)
もつくった。

霊友会から立正佼成会(りっしょうこうせいかい)が派生。
立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の武器が、総戒名による先祖供養と姓名判断と法座(座談会)

教団独自の言葉は最初は外部の任を阻む壁となるが壁がある
∴信者となった人間は壁を乗り越えたつまりは試練を乗り越えたという実感をもつことができる。


・戦後に勢力拡大した立正佼成会(りっしょうこうせいかい)は創価学会と対抗し、反創価学会系の新宗教教団が集結した新日本宗教団体連合会(新宗連)の中心として活動。
また自民党と公明党が対抗関係絵だった時代は自民党候補者を応援し新宗連代表議員も出していた。
公明党が連立政権に入ってからは民主党にシフト。
が自民党との関係を切ったわけではなく推進議員の中には自民党候補者もいる。

霊友会二代目会長の継成は東京大学のインド哲学科の博士課程を修了したインテリ。インナートリップ(自分探し)を掲げ若年祖をターゲットに布教。
(法華経カルトが和風キリスト教だらけなのは法華経が一神教に改造するのに都合が良い内容だから。特に日蓮宗系はさらに一神教と親和性が高い。

フェイド大帝…仏は神ではないぞ。 仏が聖書の神みたいな認識に なったのは華厳経と法華経からだ。密教の大日如来も聖書の神ちっくだが、そもそも密教の曼荼羅では 開祖の釈迦が端っこの方に 追いやられている。”
仏教で神が輪廻に囚われた存在なのが我慢できない 新 ✝
@kikuchi_8)

・霊友会や立正佼成会の中核は先祖供養。
が、創価学会では先祖供養にあまり関心を示さない。
牧口は霊的なものへの信仰は邪教で邪宗として完全否定。
先祖供養の重要性を否定。

創立者の牧口は地理学関係の著作もあり、小学校校長を歴任。
柳田国男や新渡戸稲造が関わった郷土会という民俗学研究団体にも入っていて柳田と新渡戸とも交流があった。

・二代目会長戸田は学習塾を開き、公開模擬試験も行い、算数の受験参考書が百万部を超えるベストセラーとなる。手形割引の会社も造った。小口金融事業もした。

・創価学会は「仏法は勝負だ」という思想があり勝ち負けを問題にする。
選挙でも公明党候補者の全員当選は聖教新聞で完勝と表現される。
名誉会長初め会員たちは中国の三国志や水滸伝を好みアニメまで作っている。
(大日本皇道立教会=創価の母体について言及しない島田。
勝ち負けを気にする時点で仏教じゃないな。
創価の二代目ボスが金融やっていたのか)


・世界救世教
教祖の岡田茂吉は大本教信者時代、大本の建て替え思想を五六七(みろく)の世の到来ととらえた。
霊の世界で起こったことが現実の世界に表れるとする霊主体従の法則と、大本教由来の浄霊法を確立
独自の活動をしたので大本の中で批判されたので脱会。

・教祖が大本教出身の世界救世教系分派も多い。世界救世教に分派が多いのは手かざしという浄霊法が救済システムの中核だから。
起源は大本教。出口王仁三郎は患部に手を当てて病を治すことを行っていたが、
やが御手代とよばれる杓子に王仁三郎の拇印を押したものが弟子に渡されそれで病気直しが行われるようになった。地上天国という思想も世界救世教が大本から取り入れたもの。

・崇教真光
の教祖である岡田光玉(本名・岡田良一)は元世界救世教信者で、陸軍の元軍人。

“ 新宗教に入信する動機として、一般に「貧病争」ということが言われる。光玉は、そうした不幸の原因が悪霊による憑依によるものだととらえ、浄霊によってその霊障を取り除くことができると説き、浄霊を「真光の業」と呼んだ。具体的には、霊障に苦しむ者の前に、「(神)組み手」と呼ばれる信者が座り、右手を額の前にかざすと悪霊が動き出す霊動が起こり、それによって浄化され、不幸の原因が取り除かれるというのである。組み手になるには三日間の研修を受ければいい。
 基本的には、これがすべてで、その救済のシステムは極めてシンプルである。真光の業と霊動との関係は、野口晴哉の創始した「野口整体」における「愉気」と「活元」を宗教的、霊的に解釈したものである。”
p.156 島田裕巳『日本の10大新宗教』

(野口晴哉は宗教色を抜いたのに、悪化させる救世教派生カルト。
体が自動的に自身のおかしなところを察知して自動的に整体するように誘導。誰でも条件を整えれば動くし、勝手に止まるので、信仰心とか教祖の力とか全く関係ないが、救世教系はそれを教祖などの力だとして悪用。
宗教的にすると依存心を育てるから病気が治りにくくなることは無視するカルト。

野口晴哉『整体入門』の活元運動の誘導のやり方は
子子子子子流健康法~今までの主に健康に役立つ記事のまとめ+α~
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-category-30.htmlに書いておきます。


・光玉は、1962年から神によるさばきである「火の洗礼」がはじまったとする終末論的予言を行った。こうした予言は、73年のオイルショック以降、世の終わりに対する恐れを抱いた若者を教団の中に取り込んでいくうえで重要な役割を果たした。

(火の洗礼なんて完全にキリスト教)

世界救世教系の自然食品店が全国にある。
著者の島田はかつて農業共同体であるヤマギシ会に属していた時代、ヤマギシ会は一部で世界救世教の土地を借りて農場を営み、そこで生産された食品を世界救世教系の自然食品店で販売してもらったりしていた。
(世界救世教って名前がどう見てもキリスト教じゃねーか。
著者の島田がヤマギシ会所属歴ありって言ってくれてありがとう。
島田が大本教研究をやらない理由の一つっぽい)



・甲子園と新宗教のかかわりは深い。創価学会や立正佼成会以外にも新宗教と関係する高校が多く甲子園常連校もある。
全国の私立高校の内およそ三分の一が宗教団体を経営母体としているそのうち六割がキリスト教系。仏教系はキリスト教系の半分(三割)で神道系はごくわずか。新宗教系は20校ほどに過ぎない。
が高校野球では新宗教系が目立つ

辯天宗(べんてんしゅう)という、大森智辯によって開かれた新宗教の学校が、
奈良の智辯学園高等学校と、和歌山の智辯学園和歌山高等学校。
関西福祉大学や金光大阪は金光教。

PL学園はパーフェクトリバティー教団、通称PL教、PL教団。
PLでは病気をみしらせととらえる。病気を神からのメッセージとしてとらえる。人が聞こえ違いをしたとき神が警告を発すると考えられている。
PLに限らず多くの新宗教で採用されている考えですでに天理教に見られる

一般信者にはどういった聞こえ違いをしているかわからないので、PLは担当教師から原因と対処について解説してもらうのが「みおしえ」。
また、「お身代わりの神事」という信者の苦痛を一時的に教主の肉体に引き取ってもらうものがある。

・真如苑
の開祖・伊藤真乗(1906年山梨県生)は子の死を「抜苦代受」(人の苦しみを代りに受け亡くなる。当時は身代りという表現だった)と解釈。
天理教でみきが本来は115歳で死ぬはずだったがあえて25年縮めて肉体は死に人々の救済にあたるという教義に似ている。
38年真言宗醍醐派立川
不動尊分教会を設立、戦後独立し「まこと教団」設立。
50年修行中にリンチを行った「まこと教団リンチ事件」と告発される。
悪化した教団のイメージアップのため53年真如苑に改称。
次男の死を契機に『涅槃経』に出会う。
法華経でもなく、真言宗の大日経や理趣経でもなく涅槃経を重視しているのは新宗教で真如苑以外にない。涅槃業には一切衆生悉有仏性という日本仏教伝統で重視された思想がある。
真如苑の重要な特徴は世直し的側面が一切見られない点。
一般に新宗教が勢力拡大するのは社会が危機に陥ったり不安定化している時期で、社会の問題点を批判しこのままの状況が続けば決定的な危機が訪れることを強調し、世界の根本的刷新があるという予言を行うことで信者を集めていく、のが基本的パターン。
真如苑は世直し予言的側面はなく、世界救世教のように地上天国の実現をとくわけでもない。
それは真如苑の安定に寄与。終末を予言し外れるという根本的危機を回避。

・GLA
の教祖・高橋信次の義弟に紀元前千三百年、エジプト生まれの「ワン・ツー・スリー」


高橋は古代エジプトや中国の霊が降りてくるなど霊的体験をし
68年本格的な宗教活動開始。松島幸之助(松下 幸之助?)の霊が降りたりもした。
新宗教の霊は普通は先祖の霊。
69年「大宇宙神光会」発足。
70年GLA(God Light Association)に改称。
霊言が古代インド語やアトランティスの言葉でなされる。
60年代の『ウルトラQ』などオカルトへの関心が高まっていたので社会風潮とも合致。76年高橋は亡くなる。
妻が事業を、娘の佳子がGLAを継ぐ。
佳子はミカエル・ボーイズ・アンド・ガールズという親衛隊を作り彼女が登場すると親衛隊は「ビバ・ミカエル」と叫び方を組み歌ったりした。熱狂的ファンに取り巻かれるアイドル

と呼ばれた。佳子を支える教団の青年達は「ビバ・ミカエル」と叫び肩を組んで歌い熱狂的ファンとアイドルのような雰囲気が生れた。古くからの会員が去り、その後講演会(集団的なカウンセリングのよう)開催等現実路線へ。

(エジプト生まれなのに名前が123の英語名(笑)。一二三ひふみって言いたいんだろ?ひふみ神示系だね。
聴き手が高確率で日本語と英語しかできないだろうからそれ以外の言葉で語ればなんでもあり。
そもそも存在しない言語なら絶対に大丈夫。
大本のおふでさきって原文全然読めないし。読めるようにした王仁三郎が都合よく改変したんだろうなあ。
ミカエルっていう有名っぽい陰謀追及サイトがありますね。GLA系への言及に注目。
高橋は真のメシア「エル・ランティー」で、佳子はその助力者「大天使ミカエル」らしいからね。




↓で大本からスピと生長が分かれました。矢印の場所がずれていてすみません。






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補足資料

Shin ‏@Link_Style_ 2014年10月24日
※ 第4階層 GLA総合本部 → 分派のカルト GLA関西本部、高橋信次先生の法を学ぶ会、国際正法協会(生長の家の流れも汲んでいる)、幸福の科学(生長の家の流れも汲んでいる)、レムリア・ルネッサンス、偕和會、千乃正法会(パナウェーブ研究所)

龍陽海容 ‏@unbonvinblanc 2016年3月31日
智辯学園の辯天宗、原健三郎、松下幸之助、笹川良一が有力信者ってのは山口文憲の『日本ばちかん巡り』で読んだ記憶があるんだけど、今ググって知った「婦人部長・浪花千栄子」という衝撃。

■[読書]山口文憲『日本ばちかん巡り』
http://d.hatena.ne.jp/taron/20120108/p1

積読荘の住人 ‏@tsundokulib 2016年5月15日
山口文憲の新宗教・新新宗教ルポ「日本ばちかん巡り」で、信者が家族ぐるみで共同生活するとある宗教で、共同の広い食事室があるけど、家族ごとにだいたい座るテーブルが決まっちゃってて、好みのふりかけとか海苔佃煮のびんとかがごちゃっと置かれてるのに注目したとこなんか、印象的だなあ

塚田 穂高 ‏@hotaka_tsukada 2016年3月20日
「笑え、笑え、笑わんかい」 善隣教教祖・力久辰斎が、自らの死の床において、集まって悲しむ信者らに言った言葉。瀕死の状況で横になりながら、口をひょっとこのように突き出して、周りの泣いている信者たちを笑わせた。没後に、善隣教は「ひょっとこ祭り」という教団年中行事を始めた。

岸本元 ‏@bowwowolf 2015年8月7日
宗教界では善隣教が善隣会の時代から40年以上にわたって韓国原爆被害者協会を通じて在韓被爆者の支援を行っている。これは力久辰斎師が戦前に朝鮮半島でも修行を行ったこと、また力久師が戦後大韓民国を訪れ何の補償もなく苦しんだ被爆者と出会い心を痛めたことが根源となっている。

Kimura SUITCASE Ryo ‏@r_kimura 2010年7月13日
ソフトバンク孫正義氏と新宗教団体「善隣教」BUBKA編集部のブログ http://ow.ly/2aJPC 善隣教は福岡県の宗教団体で、孫氏の父親が病気を機に善隣教に入信。孫氏本人も幼い頃から善隣教の教えを勉強されています。孫氏の「やりましょう」は善隣教の「やります」からきている。

菅野完 ‏@noiehoie 2015年3月3日
生長の家が他の新宗教や新新宗教と違う最大のポイントは、大本やGLAや幸福の科学みたいに、「霊の世界の階級」がないこと(←寺田喜朗「新宗教とエスノセントリズム」引用)。中心にあるのは、「実相」だけ。だからこの実相に「天皇」も「人権」もなんでも当て込める。

菅野完 ‏@noiehoie 2016年10月22日
生長の家の政治運動停止後、信者が幸福の科学に流れたってのは、エル・カンターレ氏の営業努力が素晴らしかったから。彼の「霊言」は、確か最初、日蓮ー>谷口雅春ー>高橋信次の順で出版されたはず。つまり創価学会ー>生長の家ー>GLAと、「新興宗教の信者向けアピール」が濃厚にあったから


ぜん☆G ‏@zen_g3939 2015年8月9日
私的まとめ甲子園宗教校 天理(天理教)・PL学園(PL教)・創価(創価学会)・
智辯(辯天宗)・上宮(浄土宗)・京都成章(日蓮宗)・駒澤大学付属苫小(曹洞宗)・龍谷大学付属平安(浄土真宗西本願寺派)・国学院大学久我山(神道)・聖光学院(プロテスタント)・海星(カトリック)

ゆらゆら ‏@yuurayurari 2013年7月17日
10大新宗教。甲子園と新宗教。全国私立高の約3分の1が宗教団体を経営母体としてる。うち6割がキリスト教系、仏教系は3割、神道系はごくわずか。新宗教は20校程。が、天理高校、PL学園、創価高校、佼成学園、智辯学園・智辯和歌山(辯天宗)、金光大阪(金光教)等多くが野球に力を入れてる。


ken ‏@kenkatap 2014年6月13日
仏教新興宗教・辯天宗(高野山真言宗の流れ)=松下幸之助、笹川良一が信仰 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%AF%E5%A4%A9%E5%AE%97 … ▼大阪府茨木市に本部 ▼系列の智辯高校は、甲子園常連校
▼大森智辯(旧姓・吉井清子)が大辯才天女尊より天啓 ▼特に、笹川は大森家と婚姻関係を結び、本部の土地を寄進

Mas ‏@860masjp 9月5日
自民党国会議員、北村経夫(wiki) 「田布施町出身。天照皇大神宮教の教祖北村サヨは祖母。安倍晋三とは同郷で、親交が深い。北村家と安倍家は、安倍の外祖父・岸信介の代から交流があったとされる。《みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会》所属。元産経新聞政治部配属。」

雅 羊々 ‏@miyabi_yoyo 6月10日
一部で安倍晋三の宗教的背景と噂される天照皇大神宮教(山口県田布施・安倍晋三の足元) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E6%95%99 … 「宇宙絶対神(=天照皇大神)は3千年に一度だけ地球に降臨するとされ、一度目釈迦、二度目教のキリスト、三度目北村サヨ」という明らかな邪教

胸の振り子 ‏@soraigh 10月4日
北村サヨは田布施で生まれた天照皇大神宮教という新興宗教の教祖。息子は自民党の議員になっている。岸信介の故郷の田布施は、もうひとつ神道行天居という新興宗教を生んでいるし、金光教の巨大な教会もある。

小張 學 ‏@manauwf 2月24日

『岸信介の回想』(文春学藝ライブラリー)を読み始めた。単に資料として見始めたんだけど、色んな意味で滅茶苦茶面白い。 天照皇大神宮教の北村サヨ(岸は「踊る神様のサヨ婆さん」と親しく呼ぶ、さすが田布施)は、岸は死刑にならず三年で出所と予言したらしい。

RT ≠ endorsement ‏@stealth_market 2015年11月22日
天照皇大神宮教の教祖・北村サヨ「原爆や水爆が出て皆不安におびえておるが、あれは殺虫剤よ。田に虫が殖えたからホリドールを播くのと同じこと。最後の審判が来たのよ。心の悪魔を掃除しておかぬと皆祓われるぞ。あんたら田布施の道場に来りや」http://d.hatena.ne.jp/Newshirogarasu/20150921/1442801720 …

CPL ‏@meets_tak 2015年1月7日
島田裕巳著『日本の10大新宗教』より生長の家の項目から引用。 〈大本で文才が認められた谷口は、機関紙の編集や聖典である『大本神諭』の編纂作業に当たり、大本の霊学の体系化にも力を注ぐ。そして、一九二◯(大正九)年には、『皇道霊学講話』という最初の書物を東京の新光社から出版した。〉

〈それでも、個人の罪の問題に強く感心をもっていた谷口には、神による最後の審判を強調する大本の路線には違和感があった。〉
〈時の政府は、世の終わりを説き、急成長をとげていた大本に警戒心を強め、教団の調査を行っていて、一九二一年二月十二日早朝、不敬罪ならびに新聞紙法違反の容疑で大本の本部などを家宅捜索した。〉
〈「第一次大本事件」である。谷口は逮捕を免れたが、聖師、出口王仁三郎は中心人物として獄につながれた。〉
〈王仁三郎が拘留の執行停止で出獄中、『霊界物語』の口述をはじめ、谷口はその筆記に当たるが、大本への信仰に疑問を持つようになっていた彼には、その仕事は苦痛以外のなにものでもなかった。〉

さらに、大阪の控訴院から大本の開祖である出口なおが神憑りで記した「御筆先」と、それを王仁三郎が漢字混じりに書き直したものとを比較対照し、不敬罪に該当する箇所がないかを調査する作業を依頼され、谷口は御筆先をすべて読むこととなった。〉
〈彼はその作業を通して、教団の発表した予言にくいちがいがあり、前年の予言のうちで当たったものだけが機関紙に掲載されている真実を知った。〉
〈さらには、御筆のなかに、「天照皇大神宮、地は出口の血すじで治めるぞよ」といったことばを発見し、出口家を天皇家に代わる地上の権力者にしようとする啓示に決定的な疑問を感じる。
〉 以上引用終わり。

最後の部分が印象的。 そら不敬罪になるわなw 最後の部分、非常に重要だと思う。「出口家が天皇家の代わりになる」という部分が。

同書によると、谷口雅春は第一次大本事件の半年後、西田天香が設立した一燈園(京都にある)に出向いたこともあったそうだ。一燈園は宗教的な団体であるが宗教法人ではない。企業や学校などへ行き、トイレ掃除をする。ダスキンの創業者、鈴木清一氏が一燈園の影響を受けている。











鳩特急 ‏@hatoexpress 6月19日
ミスドの運営会社はダスキンだし、ダスキンの元々の母体は、一燈園(京都市山科区)という宗教団体。 突然家にやって来て「トイレを掃除させて下さい」という人達なのだから、なんら不思議ではないのでは。 #ldnews http://news.livedoor.com/article/detail/11523433/ …


nomad 777 ‏@biosphere0054 5月16日
「祈りの経営」というダスキンとミスタードーナツの会社理念は、創業者・鈴木清一が入信した金光教と、それから一燈園、この2つの新宗教の影響が強いらしい。

水の奏で ‏@melodies_of_M 12月19日
テレビで宗教学者の #島田裕巳 が言ってたことが興味深かった。日本人の男性の信仰心は、若い頃は低いけれど、中年になると急激に高くなる。この時代だからではなく、いつの時代も普遍的とのこと。何かの宗教にハマるということではなく、神社やお寺に平穏を見出すということなのかな。








#島田裕巳 著『#日本の10大新宗教 』によると、#岸信介 が#巣鴨プリズン へ拘留される前に#田布施 の実家へ戻ったのだが、その時 #北村サヨ に「三年ほど行ってこい。魂を磨いたら、総理大臣として使ってやるわい」と言ったそうだ。で本当に総理大臣になった。

同じく#島田裕巳 著『#日本の10大新宗教 』によると、#山口県 はハワイへの移民が多い地域だそうで、#天照皇大神宮教 がハワイに進出したのもそういう理由があったかららしい。


三浦晋 ‏@baien_miura 4月15日
創価学会はなぜ社会から嫌われるのかhttp://toyokeizai.net/articles/-/111672 … やっぱり、著者は #島田裕巳。東大教授の肩書きを利用して、頻繁にメディアに露出し、10年以上の間、オウム真理教は素晴らしいと誉めそやしていた方。世間は簡単に忘れませんよ。今度は創価学会ですか。



子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年12月13日
ナルトは少年ジャンプの集英社=WASP至上主義の聖書重視=キリスト教原理主義陣営。 小学館は『マギ』に顕著だが欧州貴族の新キリスト教(スピリチュアル、ニューエイジ、宇宙人)で万教帰一+カトリック側。 集英社は小学館からの分派で共に相賀一族支配の一ツ橋グループ。 両者の対立は演技。
相賀家は日蓮宗。日蓮宗に偽装した和風キリスト教で有名なのが創価(聖教=キリスト教)と国柱会(八紘一宇と仏前結婚式)。 国柱会教祖の田中智學が日蓮宗に入り智学と称したのが1871年。 1875年に神智学協会が設立。 神智学=インド的新キリスト教。 智学の元ネタが神智学ではなさそう。


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年11月10日
八咫烏と裏天皇論は #日ユ同祖論(聖書が根拠)・ #ユダヤ陰謀論 (バチカンの伝統)とセットだからキリスト教が黒幕だろ? ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。 クリスチャン・カバラは15世紀にピコが創始。 八咫烏の元ネタの一つの鶏を崇めたら?



yapoo ‏@blowback2020 2015年8月2日
璽宇 前身は篁道大教(峰村恭平)で1941年改称した際、大本教系グループと長岡良子(真言密教系霊能者)が合流。世界紅卍会道院信者の呉清源。
山田専太(柔道、合気道師範)がスコットランドヤードで教えた。
下中弥三郎(平凡社)がスポンサー



子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年7月26日
@lanekota @narukemist @hagino22 紅卍字会会員③ 情報下さい。
内田良平(アジア主義。黒龍会主幹)
笹川良一(巣鴨プリズン組。辯天宗信者〔松下幸之助も信者〕)
呉清源(昭和の棋聖)
陳漢森
今小路了円
林出賢次郎
張海鳳
笹目秀和
中西旭
伊與田覺)

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月26日
名家が道家や法家などなど、諸派から批判を受けたのは単純で中国古代思想は基本的に現象と言葉の乖離を嫌うので論理学と言っても、起きている現象と離れた論理を説くのを否定します なので、中国古代思想は名と実を別々に認識出来ながらもそれをくっ付ける事に重きをおきます

物事というものは一回通例とされているものをひっくり返して考えてみる事です そうすると思わぬ見方が出来ると思います それを癖にすることが出来れば、思わぬ視点がでてくるでしょう その思わぬ視点が自分の思想的合わない事でもやめない事ができれば、人の考えを操る事ができるようになります

日本というものが破綻しているのは社会道徳がないという事です 社会道徳というものがないという事は善悪がない事であり、善悪がないという事は物事の基準がないという事です 物事の基準がないというのは社会が成立していないのです、だから日本社会というものはハッキリないのです

論理的な方法で理解できないものであるならば、それは存在しないものでただの空想です
人が妖怪を作り出して来たのは感覚の具現化への努力の結果であり、そういう具現化することによって論理的に証明する事に努めて来たのです 論理的というのは時代によって異なりますが人は説明する努力を捨てません

天皇主義者だから言うけど、私は本当の天皇はもう滅んでいてあの天皇らしき物質は全て偽物なのね それは物質的に偽物ではなくて、「物質である」天皇が偽物なわけでもう真正なる天皇はこの地上にはとっくのとうに滅んでいるわけ事実天皇が諱なのはそういう意味でもあるわけなのね

だから、天皇という物質ではなく天皇を含めた皇統という叡智が重要なのであってそこには徹底した神智と現実的統治論としての本当の意味での神学者必要なのね それは儀式ではなく、実質的な統治論を含めた総合的知識体系なわけであってそういった哲人を創りださねばならないわけ

だから、儀式しかせず人々を統治もしない天皇というのは不要であって、いるだけ邪魔な上に最高の哲人である天皇という名前を汚した上に名を簒奪した、最も穢れた存在なの それが150年以上もこの最高の哲人が納める社会を穢し続けているのだから、天皇主義者は一秒でも早く除染することは義務なのね

つまり、天皇及び皇統というのは様々な形で存在で継続して顕現されてきたわけでその中でも重要な顕現された天皇の言業に注目して神智を組み立てるのが神道学者の仕事なわけで祝詞がーとか、伊勢派がーとか、出雲派がーというのは神道学者の仕事では全くないのそんなの歴史学者の仕事なんだよね

例えば、仁徳天皇の言業を神智して本来の天皇の仕事というのは仁を元にした政治であり、仁の政治というのは何か?で、もし天皇が物質的に存在するのであれば天皇の赤子である臣民が苦しむような政治を元首として容認するのであろうか? という、論理を組み出さなければならないのね

であるならば、神武天皇が東征したのは何のためか?それは悪政と同じような名を語る偽物と戦うためであったとするなら、天皇が物質的に存在する仮定の元で臣民が税や悪習に苦しむのを天皇という存在は認めるのだろうか?と神智するならば、天皇が物質的な存在ではない事は一目瞭然なわけなのです

つまり、この地上で天皇が物質的に存在しているということはそれは明らかで明白な偽物であって、天皇主義者及び天皇を神智しそれを政治するのであるならば一刻も早く絶対虚実な存在を滅ぼし神智者、神道学者による哲人政治へと移行させる事は天皇主義者の義務であり、それがカミのクニ造りなわけです

天皇主義者は国家有機体説を取るのが基本で様々な機関は手であり、耳であり、足であり、内臓であり、血液、血管なわけです そして、脳というのは神道学者による哲人政治、哲人協議会であり、その組織は独自に認知する器官を統合するものであって、常に全ての機関からの情報を整理、調整するものである

なので、神道学者や神智者というのは臣民への最高の奉仕者であり、最高の統治者であり、最高の臣民の奴隷でなければならないわけです 知識や見識があるというのはそれだけで責任が発生するものであり、責任を全う出来るものが神智者なわけです だから、地位と責任は常に同じ椅子に座らねばなりません

神道学者や神智者に必要なのは儀式ではありません、実質的統治と善政に平穏を臣民に与えられるかだけが取り柄です 儀式を行うのであれば、内部でだけであって、臣民への形骸化した儀式をする必要は全くありません 重要な儀式は内部に隠されるべきであり、それが社会責任を産む最大の機会となるのです

そこまで考えた上で神智政治を求めるのが天皇主義者であり、皇統、スメラギノミチの探求者であるはずでこれ以外の事を言う連中は天皇主義者ではなく、皇統を仰ぐものでもなく、スメラギノミチの探求者でも、弥栄への求道者でもなく ただのしょうもない権威主義、盲、白痴でしかないのです

または唯物主義者、現物主義者、何かが物で存在することでしか信じられない神智や神秘を認識できない知恵足らずのどれかなのです もし、皇統を仰ぐものが唯物としての穢れた存在を恐れ多くも「てんのう」とのたまっているのなら、それは唯物主義者か白痴のどちらかでしかないでしょう

天皇の叡智というのはある時は善の顕現として、また別のある時は悪の顕現としても出てくるわけです つまり、良き天皇や悪しき天皇というのは必要によって世界に現れて来たわけでそれは世界にどんな土地で会っても似たような物語を共有出来るわけです

善の顕現としてはお釈迦様やさまざまな預言者等がここに当たるわけであり、悪の顕現としては世界の悪政者や悪魔と言われる存在がここにあるわけです その上で神道は世界的な宗教論や哲学論を共有して、論理的に組み立てる事ができるわけなのです だから、神学が必要で組み立てねばならないわけです

で、えぐい事を言えば神話とかなんて偽書を作ってしまって組立ちまえばいいんです 例えば、当時の日本には文字があったなんて言いたいのであればホツマツタエみたいな粗製品ではなく、古代揚子江や長江で発掘されている文字にアルメニアあたりの文字を拾い上げて当時の音声表記すればいいのです

んで、紙とかも当時位に工業的に劣化させて地面に埋め埋めしたものに大切なのは時代時代によって解釈されたような解釈本をちゃんと用意すること 奈良後期、平安時代、鎌倉時代、室町等々ちゃんと歴史考証加えられているように捏造しなきゃいけません

こんなヤバイ偽書が出てきたら怖いねえ 作ったやつは絶対に確信犯だし、やり口がえぐいし、どうせ馬鹿な学者は歴史考証で騙されるんだろうから、カルトの無自覚的なプロパガンダになるだろうしね でも、こういうのが出てこないのは本当に俗世間の陰謀というやつは小学生向けなんだろうね

こういった、天皇主義者や国体論者が出てこない限り彼等を私は信用しないし、できない まあ、出てくることはないだろうね なぜなら、日本人って超排他的で徹底して考える癖を捨てているから、但し天才が現れたなら神学を組み立て直して、哲人的なものを作り出すかもしれないけどね

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 2016年10月28日
右翼を真面目にやるのなら、「杉本五郎中佐遺書 大義」と国学の4大人に中国の漢籍を片っ端から読むことです これさえ徹底できれば、俗に言われている右翼、左翼なんてゴミ以外の何様でもなくなるでしょう 何故なら、全てが皇統の弥栄に帰結するという大義が見つかるからです

つまり、共産主義という知識や民主主義という知識、全ての知識は皇統の弥栄のためにあるわけで 皇統を否定する知識や思想も根本は皇統を批判する事でより良い徳治を見出すために存在するのであって、皇国史観を身につけているのであれば皇統を否定、批判する知識も全ては皇統の為にしか存在しません

なので、西部とか、佐伯とかそこらへん読んで保守に被れるやつはただの生ゴミで無駄なことをして時間を浪費している下らぬ連中と心の底から軽蔑していました 誠に曲学阿世の徒ほど全く必要のない妄痴を振り回しては嘘偽りを売って、その下種な心を慰める

イスラームでは天秤の右側にクルアーンが左側に伝承、ハディースがあります ただ、それよりも大切なのは天秤を支える軸であり、それは解釈といいます つまり、クルアーンや伝承をいくら知っていても解釈を正しく理解していない限り天秤は倒れるのです

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 2016年10月29日
色々と文献見ていると後世の文献というのが大体、グノーシス主義的じゃねえと思わされる事があって 英語のグノーシスバイブルとマニ教、トマスの福音書と浄土三部教と読み比べて見たんだけど、どう足掻いても既視感しか感じなかったのね やっぱりグノーシス的な思想が世界を蹂躙しているんだねえ

あーそうそう、不立文字というのは共通した真理を見出した事ではなくて、その人間にとっての真理を見抜いた事を指す事だからね だから、免許皆伝者の巻物が白紙というのはそこに自分が手に入れた見識を言葉で伝えた上でその先は己で見いだせという事だから 唯一なる神秘ではないからね


ゆらゆら ‏@yuurayurari 2015年12月13日
宇治は「生長の家」の別格本山というすごい立派な施設があった。で、生長の家ってどんなんだっけと、前に新宗教の本を読んでたときのメモ。
10大新宗教。③生長の家。海外(特に戦後ブラジル)の信者数が国内より多い。教祖・谷口雅春(明治26年、神戸市生)、早大文学部でトルストイの人道主義等に惹かれる。大本教へ入信するも違和感から脱退。清貧、菜食主義、執筆。1929年雑誌「生長の家」創刊=運動の核、読むと病気が治るとも。

峨骨 ‏@Chimaera925 2016年7月2日
@Chimaera925 「自分の中に、あるから近寄ってくるのであるぞ。嫌なこと起こってくるのは、嫌なことが自分の中にあるからぢゃ。」日月神示 ああ、これもニューソートだね(笑) 心頭滅却すれば火もまた涼しと焼け死ぬパターン。心頭滅却しても火は身を焼くんだ。
世の中の不条理は自分の心が作り出した?どこの自己責任論だ。強盗が強奪しておいて、「これはお前の心が引き寄せた。自己責任だ」と言われたらアホか?と思うだろうに。悪い事が起きるのは自己責任。利益を得るのはそれを引き寄せたから。誰にとって都合がいいか。


峨骨 ‏@Chimaera925 2015年12月15日
仏教で愛は己の欲望を満たさんとする執着心。元々仏教国だった日本では今日のような愛の概念は無かった。神の愛の名の下に異教に対する侵略と強奪を繰り返して来たキリスト教、愛を大義名分として他者の意思をねじ曲げようとする者、個人にせよ国家にせよ、愛と呼ばれる発明品は支配の道具に使われる。

峨骨 ‏@Chimaera925 2016年3月5日
神話の国で地獄に行く者は、信心が足りないか、努力(苦行)による成長が足りないと聞く。天国に入れる数に限りがあっても、そこに入れなければ信心や苦行が足りない事になっている。昔、寺に火を放たれた僧は「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言い残して焼死した。餓えた虎を友と思っても喰われる。

峨骨 ‏@Chimaera925  2017年1月2日
嫌なものは嫌と言うか、静かに距離を置く。今のところ、これが最も効果的。無理に我慢して精神ブッ壊れるよりも低コストだし、ブッ壊れたらまともに考える事も判断する事も出来なくなる。しかし、多くの人々は想像できる現在の継続、我慢を選ぶ。拒否した後の具体的な想像が出来ないから。

具体的に想像できない、未知の恐怖は、それが何か具体的に説明できない漠然とした恐怖だから、対策も想像できない。故に、解消できない恐怖となる。恐怖を克服する事は、精神を鍛える事ではなく、調べ上げて知り、想像すること。あるいは知り得ぬもの、想像しえぬもの、未だ起きていない未知が


今現在、現実に起こっていない、現実に無いもの、存在の証明も説明できぬものを想像し、恐れたところでどうにもならない。例えば死後や地獄。恐怖に囚われて何も出来なくなるなら、それについて想像するのを放棄するのが良い。存在しない単なる妄想、徒労だ。現実にそれを確認してから考えれば良い。

不安を解消する手っ取り早い手段は妄想を手放す事だ。思考が全て現実化するならば、誰もが幸福で大金持ちだろう。しかし、現実はそうではない。誰もが不幸や貧困を想像した結果が現在だろうか?それも否。考えた事、想像した事の多くは、都合の善し悪しを問わずそのまま現実に反映される訳ではない。


非論理一辺倒だと簡単に騙されるから論理を扱う。しかし、論理だけではどうにもならないものもある。言語あるいは芸術、非言語これらを用いても語り得ぬものは、沈黙して無いものとしておくのが無難だ。それらに思い悩む必要は無い。無くても回るなら、存在しなくても良い。

危険が迫った時に心の問題、心をどうにかして助かろうとするのは最後の最後で良い。さっさと危険から距離を置くか、危険が何か具体的に知り、現実的に可能な解決手段を考えて行動するのが先決。心、認識をどうこうしたってどうにもならないものは大抵どうにもならない。どうにもならないから苦しむのだ

労力を投入する場所を間違えれば単なる徒労。現実味の伴わない妄想は認識や想像を歪める。

生きたものは殺せば死ぬ。形あるものは壊せば壊れる。厄介なのは思想、イデオロギー、人類に悪霊のように寄生し捕らえる実在しないイデアの牢獄。真の世界や真の認識など探した所でありはしない。無いもの有ると信じ囚われる。無いものをあると信じさせる、呪いのような架空の永久運動装置。

偶像や呪物、シンボルを悉く否定してせせら笑い、存在していないものが偶像や呪物としてでっち上げられる前の状態にしてやる。そうする事で、物理的な危険を除く大抵の恐怖や不安は消える。頭の中にあるだけのものならば。

偶像や呪物、シンボルは道具として使うには便利だ。しかし、それらを崇拝してはいけないし、在るものとして扱ってもいけない。必要な時に作り、その場だけ在るものとして心の底から信じて用が済んだら破棄して忘却する。これをしないで扱うのは危険だし、扱うための訓練も必須。


それら道具に使われる者は、道具としてそれらを扱う者に使われる。無いものをあると同意させ、信じさせたあるいは存在するかのように振る舞わせただけで影響下に置ける。世界中にこのような呪いは溢れている。無いもの始めから無いものとして否定し解呪するならば、呪いから身を遠ざける事が可能だろう

とはいえ、自身にかけられた呪いですら、解呪するのは難しい。呪いを呪いと自覚する段階で、それと認識出来ずに躓く。今までの常識や認識、物差し、これらを進んで否定しようという物好きはそう居ないし、自己を掘り進めて否定するのは容易ではない。その前に意識や無意識、恐れが立ちはだかる。

一歩間違えれば狂人の仲間入りか、社会生活が営めなくなるから、一般常識は方便だと思って流すくらいで留めておくのが無難か。自身の独自の単位や物差しを用意して、自身の中ではそれを適用するようにしておけば、影響を減らしつつ社会生活にも支障が出ないでどうにかなる。

「君達は間違っている」なんて言って回っても、礫か磔刑か火刑か陶片あたりが関の山だろう。どうもこうもないさ。

何らかの情報に触れてそれらを扱う時は、それが自身の考えや思想あるいは調査・検証によるものなのか、自身の外から来た誰かのものなのか分けて考える必要がある。同調し、同化してしまえば懐疑する事すらできなくなるだろう。

情報や思想は検証、考察、考えて判断する為の材料あるいは道具であって、信仰する為のものではない
し、信仰してはいけない。無用な偶像や呪物、シンボルを抱き合わせで植え付けられて、恐れたり崇めたりする羽目になる。

何かを学ぶ時は守破離。守の段階で基礎を身につけ、破の段階で他の分野からも取り入れて型に囚われず改良していく。離ではその一派から離れて一人立ちする。換骨奪胎の手法だ。もともと換骨奪胎は自身の凡骨を取り去って仙骨に取り替え、胎を奪い仙人に生まれ変わる、あるいは生まれ直す事を指す。

守の段階で基礎を構成する必要最低限の要素、基礎の背景にある思想や思考の手法、抜いてはいけない骨
を理解するとコツが手早く掴める。この理解は漠然と繰り返すだけでは進まないし、身には付かない。咀嚼して血肉に変えて、土台の骨に肉付けしつつ、骨を継ぎ足したり削ったりしてやれば破の段階だ。

継ぎ接ぎだらけでも、継ぎ目が見えなければ唯一無二の独創的なものに見える。多くの人々が知らない場所から持ち出せばそれも独創的に見えるか。あくまでそのように見えるだけで、最初は誰しも基礎を学ぶ。ゼロからの創造など不可能な話だ。例え、それが天才であっても先人の試行錯誤が土台にある。

物理的な世界と認識上の世界をまぜこぜにせず、認識が先か物理的な現象が先かを見極める。物理的な現象と認識と誰かの解釈が混ざりあったものを読み解く際にも有効。ふるい分けが足りていないと、まだ起きていない情報により認識を書き換えられただけで、現実が書き換えられてしまう。

まるでARだポケモンGOのアプリをインストールして遊んでいない者にはポケモンの姿は見えないし、認識上の現象にも存在しないが、プレイヤーにはそれが見える。架空あるいは虚構の情報と物理的な現象、現象が重なりあっている。現実を上書きするアプリは頭の中にある。

哲学が金にならなくて食えない?神学や哲学を土台にしたシステムや思想を利用されて、今まさに喰われているではないか。


峨骨 ‏@Chimaera925 2016年11月9日
「汝の欲する事を為せ」セレマ教にしてもファラリス教にしても、間違った解釈は厄介だ。唯、欲する事を為せとしてしまえば無意識の蜘蛛の巣に引っ掛かった記号が、最初から胸の内にあったかのように振る舞うようになり、外部から植え付けられられた記号から来るものを本心が欲していると錯覚する。

まして、注視して集中する訓練を行っていたなら尚更。植え付けられた願望を注視してそれに囚われる。蜘蛛の巣と不純物とを焼き払い、精錬することもなく、植え付けられたものを熱烈に欲してしまう。こいつと紛い物の幻視や幻聴が加わると最悪だ。神秘ありきだと陥りやすい。

全て焼き払い、灰にして、論理と技術で組み立てる。最後の最後に言語では説明出来ない僅かな要素が必要となる。そこまでは全て論理と技術。飾り立てられた神秘は邪魔になる。ちっぽけな人間、自分の意思では越えられない壁を越える道具としては使えるけど、あくまで手段でしかない。

手段が目的となり、神秘に囚われると破滅する。神秘を追い求めるなら、神秘絶対殺すマンになった方が楽。スピ系にありがちな特殊能力だの何だのって、日本で言う狐憑きや狸憑きとそう変わりはしない。コールドリーディングやホットリーディング、多種多様の心理トリックもあるけどな。


峨骨 ‏@Chimaera925 2016年6月14日
洞窟の外に世界や太陽はない。そもそもそんな洞窟など存在しないし、イデア界など存在しない。物理の問題にある摩擦係数ゼロの床と同じだ。プラトンは比喩を使って、仮定を同意させる事で、その存在があると信じ込ませた。まやかしの洞窟は二重構造。


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月24日
私が心のうんたらかんたらを全否定するのは殆ど生活と認識に必要な事は言葉で説明及び表現されきっているわけでそれをよくわからず心のうんたら言うのはこういう事を言いたくないですが、まず自分が何を認識しようとしているのかがわかっていないのでものを述べる前に黙る事を覚えろとしか言えません
https://twitter.com/douteimaturi/status/790697795481108480

心なんて人によって形成されたもの、通過した儀式、社会経験とその見識によって似たような人はまずいないのでそんな共通性がない言葉を使うこと自体が反則でそれを言った時点で最低でも学識不足といいようがありません 結局、心という言葉が出てきた先の議論はわかりません以外の言葉が出て来ません
https://twitter.com/douteimaturi/status/790699276636749824

だから、馬鹿と詭弁屋は心という単語を多用します 因みにこれを潰すやり方も当然のことながらあるわけで議論を己の感想レベルまで落とすなゴミ、といって再度引き摺りあげるか
こっちも心と言って同じように相手の言ったレベルに落として心という単語を相手より多様して殴るというやり方があります
https://twitter.com/douteimaturi/status/790701454939951104

折角なので例として、#まなざし村 でやってみると心の問題だと行ってきたら 心では個人の認識で散見して分からないので女性についての表現が規制された社会とされていない社会で比較してみましょう 例えば、イスラーム社会ではー、欧米社会の規制ではー、それによる社会的影響はー が、前者
https://twitter.com/douteimaturi/status/790704330265530368

#まなざし村 が心の問題がー、と言ってきた場合 じゃあ、俺の心はどうなるんだ!?俺が表現したいという心をお前はないがしろにするのか!?この差別主義者!心が無い奴め!俺がどれだけ、この心で苦しめられてきたかわからんのか、この人の心がない人非人が!と、言うのが後者のやり方
https://twitter.com/douteimaturi/status/790705354694885377

基本、議論が己へ有利に進んでいる状況下では心何て単語を使うことはまずありえません なので、心という単語は議論の投棄や避ける行為であって議論を進める上では使うことはまずないのです 故に私自身、心という言葉を使わないようにしているのは議論を無意味にするのでそれを避けるわけです
https://twitter.com/douteimaturi/status/790707026338938880
ねこた ‏@lakudagoya
「心の問題   @lakudagoya」検索で出るツイート
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%40lakudagoya&src=typd

おいらが一番大嫌いな誤魔化しワードが「宗教は心の問題」というやつ。

心の問題なら社会に関わるな!

こういう詭弁を言って、自分は信仰告白しないでキリスト教の押し付けをする事がムカつくわけ。

「宗教は社会システム」が正しい。

その視点からおいらは批判してるのにね。
https://twitter.com/lakudagoya/status/781282651969769473

信仰は個人の心の問題とかのたまう馬鹿がいるけど、いつだって売国を働くのはクリスチャンだと相場が決まってる。キリスト教の信仰は民族主義にとっては邪魔以外の何者でもない。
一番いけないのは底辺のルサンチマンと選民思想を煽って支配してるとこかな?
日本の原住民ニダ!もそういう構造。
https://twitter.com/lakudagoya/status/702818271670587392

キリスト教は明治維新で負けた藩士だの部落などの貧困層を取り込む事で拡大した。そうやって負け組のルサンチマンにつけこみ、そいつらに「神に近い」とか言って選民思想を吹き込んで間接統治と売国の道具に使うんだろ? そのためのツールとしての日ユ同祖論だろ?w 何回も同じ手口に騙されるなって

サウジやオマーンの王族は、欧米の犬になって反イスラーム的な閉鎖国家で利権を貪ってて、利子を取るのが許されないのに金利生活やってるとサラフィーに批判される事ってあるじゃん?

スピリチュアルやキリスト教も本来はこんな批判をするべきなんだよ。

宗教が心の問題ってありゃ嘘だね。
https://twitter.com/lakudagoya/status/781281699233542144

宗教というのは社会構築手段なんで心の問題とか言いながら、政府の公金で工作やってるやつは詐欺師ですね。
https://twitter.com/lakudagoya/status/781288801775738880

宗教の話をしていて心の問題にするのはダメよ。 心の問題ではなくて、宗教は社会システムなの。 天皇財閥は民衆を生贄にした事でイスラム原理主義者に比べるとどれほど悪質かわかります? そのグロテスクな体制がイエズス会謹製でしょ?
https://twitter.com/lakudagoya/status/790491824343306240

ユダヤ教と耶蘇教の違いをあえて言うとしたら、現実的な「生活智」のあるなしだね。もうひとつは共同体の守るルールとしての律法(聖書)があるかどうか。 タルムードってのは、ある種のイスラームのシャーリアに近いの。 心の問題ではなくて、共同体の法と生活ですからってのがユダ公の視点。
https://twitter.com/lakudagoya/status/783761187821326336

宗教は心の問題じゃなくて社会システムだし、カルトもいわば宗教という名の知識と技術の集積なんだもん。 古代エジプトの神殿なんて医療や建築などの現実的な知識と技術を独占してた。 仏教は心を扱う技術の集積を持ってる。   それらを技術を持たないカルトは最悪なんだよ。
https://twitter.com/lakudagoya/status/789492295150084096

大体、心の問題とか言う時点で詭弁だよ。 そもそも権威なるものは情報によって作られてるのだから、テレビのない村に住む土人にテンノー崇拝押し付けても「誰それ?」だもの。 テンノー崇拝バカは、理論的に突っ込まれるとそいつの心の問題とか誤魔化す詭弁屋だというからね。
https://twitter.com/lakudagoya/status/791028127417774080

情報格差とそこから生まれる水位差を利用して権威を作り、偶像崇拝させる輩が大嫌いなのさ。 一般人にはベールをかける必要のある情報があるのはわかる。なんなら影でこっそりやってくれよ。 そんなの一般人に見せつけて偶像崇拝させてそれに突っ込んだら心の問題って何の詭弁だよ?w
https://twitter.com/lakudagoya/status/791027546959646720

イスラームの人たちはアッラーへの信仰を隠さない。 でも耶蘇や神道カルトや偽史カルトは自分らの信仰心をひた隠しにして洗脳工作する。ずるいよなー テンノー崇拝なら最初からそう名乗れ!テンノー崇拝を隠して議論をするから話が噛み合わなくなって心の問題という詭弁を連発するようになる。
https://twitter.com/lakudagoya/status/791029865902288897

全く陰謀論コミュという所は、肝心な話を人の心の問題にして誤魔化そうとする野郎ばかりだぜ。 特定の宗教思想を持った人がそれを洗脳する場なんだな。 だからエスプリが効かず必死。 まだ横文字パヨクのほうがマシだぜ。 面白さではなくて、自分の立場を守る場なのだもの。
https://twitter.com/lakudagoya/status/792042110392242177

神道の特異性を言うやつって、世間一般多くが欧米のメイソンの視点からの自然崇拝すげーになってるからね。 老荘思想や道家の影響はないのか? つーか心の問題って議論としては詭弁なんだよね。 認識論やったら権威なんざ情報を遮断すればそれって美味しいの?だしな。
https://twitter.com/lakudagoya/status/791031107042979840

あとヴィクトリア朝の中産階級のリア充の生き方、あれねちょっと内臓が悪いだけで成り立たない。 あと人生の前半戦に大変なことがあるとそれも成り立たない。 で、イスラームは豚肉禁止の場合、それを知らずに食った場合やそれしかない場合の特例措置があるけど、こっちにはないんだよね。

ヴィクトリア朝の中産階級の生き方は、ごく一部の人が全力投球・全力疾走して何とか守れるものぢゃん。 で、そんな人生なんて何があるかわからない一寸先は闇なのに、不確定要素が襲ってくるとあっけなく崩壊する。 これ生き方のモデルとして普遍化できるものではないんでないか?

こんな守れもしない理想像を作ってそれに縛られて、社会や個人に莫大な無駄をさせる事自体為政者としては失格なわけよ。 しかもこの理想像は我欲だけで押し付けてないか? 社会全体の整合性を考えて作り上げられたモデルではないだろ? こんな為政者としてうんこなのに心の問題はないわ。
https://twitter.com/lakudagoya/status/794237567176577024

しかもさ、欧米が押し付けてくる価値観やマナーなどはみーんな自己都合でしかない。 意味があってある戒律でないんだよ。 例えばイスラームのヒジャーブは女性の商品化を防止する事や虚飾性に走らせて家庭崩壊させないためにちゃんと意味があってあるんだぜ? それを迷信のようにさ。

おいらの悪の魔導師陰謀論は、ニャンゲンは技術に支配される技術陰謀論なんだよ。 例えばこれ紐付きの言動を見る上においてもそうぢゃん。中身ではなく扇動技術に動かされてる。 で、ユダヤが悪いにしてもさ、おいらがタルムード読んだときにこれは社会で成功するわと思ったもの。

だからさ、大本教がユダヤ人が霊的に悪いとか言ってる事を聞いてはぁ?と思ったよ。 あのさ、ユダヤ教の教育をやれば誰だって社会で成功する智慧が手に入るぢゃん。 何で紐付きはユダヤがあそこまでのさばれる教育システムや思想を叩かないの? タルムード朗読会なんてどうかしら?

おいらが初めてだよね。教育システムの陰謀論。 これに気付いたのは色々あるのだけど、何でファンタジーの世界では周期的に魔王を生み出してるのか?という問題だよね。 で、魔族ではなくて魔王になるパターンは高位魔導師の人がこじらせちゃってという事が多いぢゃん。これを見てさ。

ファンタジーの魔導師に出てくる魔導師教育は魔王を作る要素を内在してるんでね?と思ったもん。 それでいてばっちし対策もできないのだから欠陥システムじゃね?と思ったもん。 となるとさ、逆引きしたら魔王を生み出してるのは教育システムという問題に行き着くわけよ。わかるかな?

で、更に妄想すると周期的に魔王を生み出してその対策に疲れた(派遣奴隷の勇者を使って討伐するけどそれも面倒なんだよ!)魔導師さんたちはもうこんな事が二度と起きないように仏教を背乗りする事を思いつきましたとさ。 全ての問題は大きすぎる力を持つものの心の問題に帰結するからさ。
https://twitter.com/lakudagoya/status/795228435001974784

力を持つものが常に心の問題で世界に迷惑かけてるなら魔王も人の子。心の苦しみや不安定さを取り除く技術を持っているのは仏教だけだー!と気付くもの。 多分仏教の背乗り案を思いついた人は「やべ!俺天才かも?」と思ったかも知れない。 そうしたら魔王問題を劇的に減らせる事に気付きました。
力があれば使いたくなるのは人情ですから。 で、今の社会の問題点は力を持つものか剥き出しで弱者を蹂躙してるのはととても良くないです。 それは陰謀論にでも言えるよね?わかるかな?


おねショタおじさん ‏@douteimaturi 11月5日
真実というのは信仰告白をする事であり
事実というのはどうしようもなく起きてしまった出来事を言う
真実を言うものは出来事を信仰で歪めるので私は真実という言葉を使いません
なぜなら、真実を知るものが信仰を知りきっているわけではないからです
https://twitter.com/douteimaturi/status/795007985231728640


菊池 ‏@kikuchi_8
大本教は実質的に出口王仁三郎と浅野和三郎が作ったようなものだからだと思います。「御筆先」の元になった文字列は、出口なおが「常同症」という同じ行為をひたすら繰り返す精神疾患の症状によってなされたもの(この場合は濫書)と中村古峡氏は分析していました。
知られざる名著        
『学理的厳正批判大本教の解剖』
オウム事件は第四次大本事件か?
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/text/text2.htm

菊池 ‏@kikuchi_8 2015年7月14日
社会主義者の堺利彦は大本教信徒の迷信ぶりは馬鹿にするものの、彼等の「革命」への情熱は「使えるタマ」だと評価していたようだ。この「情熱」を社会主義革命に向けたらと「下心」を滲ませている。中村古峡の大本教批判書に当時の著名な知識人が前文を寄せているが堺もその一人。そこに書いてあった。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/620616801936740352

石黒壯明 ‏@Msowmay 2012年9月2日
永井叔もまた、エスペラントを独習した。二葉亭四迷が『世界語』を著して以来、新渡戸稲造、柳田國男、
堺利彦、大杉栄、土岐善麿、秋田雨雀、出口王仁三郎、新村出、
山田耕筰、宮沢賢治、ヤクルトの代田稔、そして永井叔… 日本のエスペランティストの系譜から近代史における意外な横軸が見えてくる。

竹中編集企画室(ホモ エーデンス) ‏@Takeridon 2015年2月9日 神奈 茅ヶ崎市
宮沢賢治がエスペランティストであることはよく知られている。では誰に学んだのか。ひつじ書房『日本エスペラント運動人名事典』後藤斉ほか編 によれば、
川原次吉郎と推定されているという。エッ、川原は吉野作造門下の政治学者で、吉野没後、吉野の随筆集『古川餘影』を編集発行した人。〜

ひつじ書房
柴田巌・後藤斉編,峰芳隆監修『日本エスペラント運動人名事典』
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/biografialeksikono.html

竹中編集企画室(ホモ エーデンス) ‏@Takeridon 2015年2月11日
『日本エスペラント運動人名事典』はすごいねえ。木下順二を立項し、エスペランティスト菅季治をモデルとした「蛙昇天」をあげているだけでなく、堺利彦と大杉栄をモデルとした人物がエスペラントに言及する「冬の時代」にも言及。素晴らしい事典です。 http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/biografialeksikono.html …

菊池 ‏@kikuchi_8 7月12日
新興宗教は神道系は大本系、仏教系は日蓮系が多く、それ以外だと神智学系もある。大本教は世界連邦やエスペラント運動を推進し、日蓮系は田中智学のように全世界法華経化=ワンワールド思想と結びつきやすく、神智学は言わずと知れたメーソン思想である。新興宗教=NWO側と判断してほぼ間違いない。


※平民社の堺利彦
は日本における最初の『共産党宣言』の翻訳を発表。
明治38年(1905年)に社会主義機関誌『直言』にエスペラントに関する記事を掲載。明治39年(1906年)に発足した日本エスペラント協会の評議員に就任
平民社の標語が自由・平等・博愛というメイソン用語で、エスペラントって真っ黒な世界連邦賛成派。



老壮会/老荘会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%A3%AE%E4%BC%9A
”老壮会/老荘会(ろうそうかい)は、左派思想家と右派思想家が一堂に会した大正日本の思想団体。

1918年(大正7年)10月9日の創立。事務所は牛込区(現、新宿区)南町1番地に置かれた。世話人は満川亀太郎がつとめた。

明治31年(1898年)頃から麻布飯倉片町に集い始めた
権藤成卿、飯塚納、小沢打魚、川崎紫山、
内田良平(黒龍会主宰)
大江卓、樽井藤吉、山口弾正、大井憲太郎、
小島文六、三浦伴八、兼松義整、綱島正興ら『南葵文庫の会』の会員と会を母体として、
左翼思想家、国家主義者、社会主義者、国粋主義者など、その職業、思想を問わず、一定の目的も定めずに在京の思想家が一堂に会したような会合であった。月に一度の開催で時局を論じた。

1921年(大正10年)頃まで続いたが、主に左翼派の脱会者が数多くなるに従いのちに分裂。急進的な右翼的な思想を持つ満川亀太郎・大川周明・北一輝らは猶存社へ、
高畠素之らは大衆社へとそれぞれの思想系統へと分岐した。ただし満川はソ連政府を承認すべきことを論じ(「何故に過激派を敵とする乎」)、大川はその見解に対し賛意を示す[1]など、右翼とはいうもののこの二人はいわゆる「反共」ではない。
参加者

左翼派(当時)

堺利彦、高畠素之、
大杉栄[2]、
島中雄三、
下中弥三郎
大竹博吉、中村高一、
北原龍雄、小栗慶太郎、高尾平兵衛、
茂木久平、松延繁次、遠藤友四郎、等。

右翼派(当時)

北一輝、
大川周明

権藤成卿、満川亀太郎、沼波瓊音、渥美勝、
鹿子木員信、笠木良明、岩田富美夫、清水行之助、金内輔平、
山元亀次郎、嶋野三郎、細井肇、等。

その他

大井憲太郎、水野海暁、佐藤鋼次郎、小原達明、
山口正憲、長瀬鳳輔、川島清治、
草間八十八、田鍋安之助、
中野正剛、亀井陸良、宮川貫一、工藤鉄三郎、
石田友治、長谷川光太郎、伊達順之助、上泉徳弥、
平貞蔵、佃信夫、長崎武、臼井清造、
角田清彦、野中負、麓禎助、
阿部真言、十菱愛彦、森伝、等。

参考文献

「愛国団体一覧表」出版地・出版者・出版年未記載。ガリ版。90頁。24cm。オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵。

出典

^ 大塚健洋『大川周明と近代日本』木鐸社、1990年、147頁
^ 鈴木邦男のブログ 北一輝と大杉栄は老壮会でよく会っていた


魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 3月25日
シンボル解釈する際は必ずその土地に近いもので解釈しましょう
この場合の近いというのはその象徴が発生した周辺の神話や伝説・習慣等の俗習的なモノから引用する事です
往々にして、その象徴には俗的な不満などが詰まっているのでそこから見る事です 西洋画が何故に全裸が多いのと同じです
なのでシンボル辞典を引用する際は必ず土地の歴史や民族と民俗を理解した上で読み解きましょう 西欧の秘密結社みたいに中東のシンボルをアフリカの民俗・アメリカ原住民の民俗で読み解くみたいな欺瞞的普遍・不変主義みたいなことをしない様にそれすると大本みたいなバカが発生するのでやめましょう

つうか、日本にイスラームを持ってきたのは大本系でしょ
大川周明先生とかのアジア主義者がアジアの思想的統一=大本の思想強化と確立の為に持ち込んだのが現代日本イスラームの始まりと見ていいでしょう
その為、日本でイスラームというと見ている限り神道カルトがかなり関係している


小森健太朗‏ @komorikentarou 1月22日
河口慧海の『チベット旅行記』電子版で読んでいると、神智学関係者との接触の話が出てきて興味深い。ところで大川周明がイスラム講義のタネ本に使った「クルアーン講義」の著者Ahmed Shahも「チベット密教」とか「インド神秘思想」などを著している神智学系の著者なんだよなー。







エルンスト一世か二世かわからんぞ
ルター保護の選帝侯ならカトリック皇帝が弱くなれば得する。

エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%881%E4%B8%96_(%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%85%AC)

日本語記事がない元祖イルミナティの創始者の記事
Johann Adam Weishaupt (6 February 1748 – 18 November 1830)
https://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Weishaupt
“Activities in exile
He received the assistance of Duke Ernest II of Saxe-Gotha-Altenburg (1745–1804), and lived in Gotha writing a series of works on illuminism, including A Complete History of the Persecutions of the Illuminati in Bavaria (1785), A Picture of Illuminism (1786), An Apology for the Illuminati (1786), and An Improved System of Illuminism (1787). Adam Weishaupt died in Gotha on 18 November 1830.[1][2][3][4] He was survived by his second wife, Anna Maria (née Sausenhofer), and his children Nanette, Charlotte, Ernst, Karl, Eduard, and Alfred.[2] Weishaupt was buried next to his son Wilhelm who preceded him in death in 1802.
After Weishaupt's Order of Illuminati was banned and its members dispersed, it left behind no enduring traces of an influence, not even on its own erstwhile members, who went on in the future to develop in quite different directions.[22]“

Ernest II, Duke of Saxe-Gotha-Altenburg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_II,_Duke_of_Saxe-Gotha-Altenburg
“Freemasonry
From 1774 he was a Freemason in the Zinnendorf system and a member of the Gotha Lodge Zum Rautenkranz, which had been founded by Abel Seyler, Konrad Ekhof and other members of the Seyler Theatre Company in the same year. In 1775, he was appointed Grand Master of the Landesloge of Germany (Zinnendorf system). In 1783, he became a member of the Bavarian Illuminati under the name of Quintus Severus and/or Timoleon, and in 1784, he was made Supervisor of Abessinien (a name for Upper Saxony). In 1787, he granted Adam Weishaupt, the founder of the secret society, asylum in Gotha. He was buried wrapped in a white cloth on the park island.“

ザクセン選帝侯領
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E9%81%B8%E5%B8%9D%E4%BE%AF%E9%A0%98

エルンスト2世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%882%E4%B8%96_(%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%85%AC)

Ernest I, Duke of Saxe-Coburg and Gotha
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_I,_Duke_of_Saxe-Coburg_and_Gotha

Ernest II, Duke of Saxe-Gotha-Altenburg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_II,_Duke_of_Saxe-Gotha-Altenburg

イルミナティ(パヴァリア啓明結社)の興亡
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/iruminateli.htm
”イルミナティは、「パヴァリア啓明結社(イリュミネ)」とも呼ばれ、急進的な社会改革思想を持ち、徹底した自由と平等を唱え、反キリスト教、反王制を唱え、一種のアナーキズムを主張した。そして、原始共産主義的な共和制国家の樹立を主張した。
 とはいうものの、この結社は創立当初においては、そんなに過激な結社だったわけではない。また、初期においては政治的な色彩も薄かった。
 創立時においては、学者の知的サークル的な色彩が強かったのである。

 実際、シンボルによる人間の意識への働きかけを考察し、キリスト教神秘主義者の立場から、魔術、カバラ、ヘルメス哲学を擁護したカール・エッカルツハウゼンも団員だったが、彼は過激な政治的革命思想には批判的だった。

 イルミナティの創立者のアダム・ヴァイスハウプトは1748年バイエルン王国のインゴルシュタッドで生まれた。
 彼の父親のヨハン・ゲオルグ・ヴァイスハウプトは著名な法学者であり、インゴルシュタッド大学に、わざわざ呼ばれて教授となった。
 というのも、当時のパヴァリアを支配したマクシミリアン3世は進歩的思想の持ち主で、教育改革を行うためにインゴルシュタッド大学に科学アカデミーを創設し、そこの責任者に進歩的なイックシュタッド男爵を任命した。男爵はドイツ中から優秀な学者を呼び集め、大学改革に乗り出したのである。
 彼の父のヨハンは男爵の甥にあたり、法学の硬学として名も通っており、まさにうてつけの人材であった。
 当時のインゴルシュタッド大学は、カソリックのイエズス会系学者たちの支配下にあり、この改革は、旧体制的なイエズス会系の学者たちと摩擦を引き起こした。

 インゴルシュタッド大学がイエズス会の強い支配下にあったがゆえに、アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会式の教育を余儀なくされた。彼はイエズス会神学校に学び、インゴルシュタッド大学法学部に入学後もイエズス会系の学者たちから教えを受けた。そこで彼は優秀な成績を納めし、わずか20歳で法学の学位を取り、若干24歳にして教授となった。
 彼は、当然の如く初期に置いてはイエズス会の強い影響下にあった。
 しかし、彼はフランスの啓蒙主義や百科全書派の書を読みふけるようになり、次第に反イエズス会の思想に染まってゆく。
 1773年のクレメンス15世によるイエズス会の解散命令は、一つの契機だった。インゴルシュタッド大学では、この事件は逆にイエズス会系の学者達を団結させ、彼らは非イエズス会の学者達に圧力を加えるようになった。

 そのため、 アダム・ヴァイスハウプトは一時期、大学での講義を禁止され、ミュンヘンに逃げるまでになる。
 彼が自由主義の秘密結社の設立を決心した大きな原因が、このイエズス会による迫害にあったことは、間違いない。
 彼は古代エジプト、ピタゴラス学派、ユダヤ教エッセネ派について研究し、さらにはフリーメーソンにも興味を持った。
 彼は一時期フリーメーソンに入会することも考えたらしいが、実現はしなかった。本来のフリーメーソンでは、ロッジ内での宗教議論や政治議論を禁止していたので、彼の思想とは相容れなかったのである。

 彼の目的は、イエズス会の影響を逃れ、自由な学問追求を目指す学者サークルであった。
 1776年、ついに彼は自分の結社を創立する。「完全可能性主義者の会」である。この同年に「パヴァリア啓明結社(イリュミネ)」と改称する。
 結成初期の団員は、いずれもヴァイスハウプトの弟子や友人たちであった。
 しかし、1778年頃に、多くの市民と下級貴族が大挙入団し、組織は巨大化する。

 初期のイルミナティの位階は単純で、新参入者、ミネルヴァル、ミネルヴァル天啓の3つしかなかった。ミネルヴァル以上に昇進した団員は、「戦士名」を授けられる。それは古代古典に出てくる英雄の名が使われた。
 例えば、創立者のヴァイスハウプトはスパルタクスを名乗り、彼の弟子で幹部のマッセンハウゼンはアヤックス、友人で幹部のツヴァイクはカトーであった。
 参入者は団員の紹介が必要である。そして、「保証人」がつく。保証人は新参入者を観察し、彼が団の規則を守っているか、道徳的に正しい人間であるかを調べ、毎月それを書類にして団の上層部に提出する。また新参入者も、同様に自分の保証人について観察を行い、これを上層部に提出しなければならない。
 要するに「相互監視制度」があった。これは実はイエズス会の真似であり、ヴァイスハウプトは反イエズス会を標榜しながら、その影響を強く受け続けていたのである。
 新参入者からミネルヴァルに昇進するときは、イニシエーションが存在した。ここで彼は上層部の幹部から祝福を受け、「戦士名」を授かった。
 そして、仲間の監視報告の他にも日記の提出が義務付けられた。
 ミネルヴァルからミネルヴァル天啓への昇進は、事務的な人事であり、イニシエーションは無かった。
 そして、下級団員達には、上層幹部のことは絶対に秘密であり、首領の「スパルタクス」の正体を知っているのは、一部の側近達だけだった。
 彼らはしばしば集会を行い、反イエズス会や啓蒙思想の本を回覧したり、情報交換を行った。
 そして、独自の暦
を作り、これを用いていた。

 しかし、この組織の運営はやがて行き詰まった。
 団員達がフリーメーソンの方が楽しそうと考え、退会が相次いだからだ。
 ヴァイスハウプトは、これを止めるために、新たにゾロアスター思想に基づいた「火の位階」という新位階を設定したが、焼け石に水。
 そこで彼が考えたのは、フリーメーソン的なものを取り入れるということだ。
 彼はメーソンに忠実な団員を潜入させた。
 彼はベルリンの大ロッジにスパイを送り込み、まんまとロッジの認可証を手にれるや、ミュンヘンのロッジを乗っ取る。
 さらに、アドルフ・ファン・クニッゲ男爵の入団によって、イルミナティは大きく変貌する。
 クニッゲは、もともと高位メーソンであり、フリーメーソンの知識や人脈を豊富に持っていた。そのうえ、思想は啓蒙主義的であり、ヴァイスハウプトと意見があった。
 ヴァイスハウプトは、彼にプィロンという戦士名を与え、側近に加え組織の大改革を実行させる。
 クニッゲは、組織の位階制を13位階以上から構成されるメーソン風の複雑なものに変えた。これは1782年に正式に認可される。
 さらに彼はメーソンの人脈を利用して、ドイツ各地の小ロッジを次々に乗っ取った。貴族、政治家、高級官僚、学者、医者、高位聖職者、軍人等の有力者たちが次々に参入し、確かにこの結社はドイツ全土の政界に馬鹿にできない影響……は持てなかった。
 というのも、あまりに成長が急であったために、組織の統一性が思うように計れなかったのである。
 また、イルミナティの最盛期の会員は600人とも2000人とも言われるが、実はこうした人数は、イルミナティの正式な団員ではなく、彼らの思想に共感したフリーメーソン内のシンパを入れての数であるらしい。

 さらに、この巨大化と共に、イルミナティは政治色を強めてゆく。それも急進的な反王制、反教会的な革命を含んだ政治思想である。そして、イルミナティは次第に政治思想的な秘密結社へと変貌してゆく。
 こうなったそもそもの原因は、イルミナティを巨大化させたクニッゲ男爵によるところが大きい。彼は貴族でありながら、反王制・共和主義者であったのだ。
 とは言うものの、クニッゲは暴力革命には、はっきりと反対の立場を取っていた。

 曰く、本来国家の主権は人民にあるべきなのに、王がその座に居座っている。そして、王は人民を従えるために、他国の人々を憎むように教え(いつの時代も偏狭なナショナリストの考えることは同じということか)野蛮な戦争を起こす
 しかし、国家転覆を目指すようなことは考えない。我々はあらゆる暴力を否定する。暴力的な革命はろくな結果を生まない。我々はゆっくりと、政府の高官や支配階級に団員を送り込み、あるいは彼らを教育して同志とし、ゆっくりと国家を改造する。最終的には「国」は消滅し、戦争の無い、人民が一つの家族となる時代が来よう。
 それには数千年かかるかもしれないが、それでも構わない。
 
 さらに、クニッゲ男爵は、実はこの既存の国々を統一し、一つの国を作るという発想は、当時バラバラだったドイツを統一する程度のニュアンスしかなく、全人類レベルのような大それたことは考えていなかったらしい。
 だが、スケールの大小に関わらず、これは既存の国家政府を否定する革命思想であることには変わりなく、当時の支配者たちからしてみれば危険思想であったことには変わりない。
 言うまでも無く、反イエズス会の態度は、教会をも敵にまわす事になる。

 イルミナティの成長は早かったが、崩壊も早かった。
 1777年にマクシミリアン3世が死去すると、イエズス会が勢いを盛り返した。
 インゴルシュタッド大学でも大規模な反動が起こり、廃止されていた本の検閲と禁書制度が復活した。
 この結果、イルミナティはパヴァリアからの撤退を余儀なくされ、本拠地をワイマールとウイーンに移す。文豪のゲーテ(戦士名はアバリス)が入団したのも、この頃である。
 さらに、ライバル結社との抗争も激化する。フリーメーソンの反撃によってフランクフルト進出に失敗。
 そして、ベルリンにおいては、かの黄金薔薇十字団が最盛期を迎えており、彼らはドイツ皇帝を動かしてイルミナティに圧力を加えた。
 そして、最悪なことに、この大事な時期に、イルミナティ内部で深刻な内部抗争が勃発した。
 首領のヴァイスハウプトは、クニッゲ男爵の影響力が強くなりすぎたことに反発し、男爵から全ての権限を取り上げようとした。当然、男爵はこれに反発し、命令を拒否する。
 そして、この両者の決別が、事実上のイルミナティの崩壊であった。1784年のことである。
 クニッゲ男爵は退団し、その後はあらゆる秘密結社を否定する論者となったしまう。

 とどめは1785年にさされる。まず、「政府の許可無く組織を作ることを禁止する」という禁令である。
 さらに致命的なスキャンダル事件が起こる。
 国立アカデミーの教授でイルミナティ幹部だったヨーゼフ・ウイッツシュナイダーが、密告を行った。
 いわく、イルミナティはオーストリアのヨーゼフ2世と結託し、ドイツを転覆させ、ドイツをオーストリア帝国の支配下に置く陰謀を企んでいる。そのために毒殺や短剣を用いた要人の暗殺を企んでいる。
 政府はイルミナティの調査を命令する。結果、反キリスト教的思想、反王制思想、革命思想が発覚してしまう。
 同年、2回目のイルミナティを名指しで禁止する法令が出される。
 一連の指導者は逮捕され、政府高官は左遷、公職追放。
 さらに、団の文書の中から毒薬調合に関する物が発見される。だが、これには胡散臭さがついてまわる。本当に団は毒薬を使う気があったのか? これは謎である。

 ヴァイスハウプトはレーゲンスブルクに亡命し、イルミナティの弁護の著書を次々に出したが、無駄であった。この頃、彼は私生児を設け、これを堕胎させた。
 これは結果的に赤ん坊殺しのスキャンダルに発展し、終いには「イルミナティでは赤子を生け贄にする黒ミサを行っている」というデマまで生まれた。
 さらに、イルミナティの元団員達が裏切り、あることないことを吹聴してまわる。曰く、イルミナティは毒殺と私刑に満ちた恐怖支配の黒魔術結社であり、テロによる政府転覆を狙う陰謀結社である云々。
 そして、狂信的な反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを撒き散らした。
 (彼らの撒き散らしたデマを信じる人間が現在もなお居るのは、何ともやりきれない)
 政府も世論も完全にイルミナティの敵となった。主な団員は公職追放され、団員達も退会する。
 オーストリアとワイマールの支部は、その後も何とか存続しようとしたが、1786年に壊滅する。
 イルミナティの寿命は、わずか十年間であった。

 ヴァイスハウプトは、その後も、ほうぼうを亡命しなら著作活動続けたが、ドイツ中部のゴータ公領に逃げ込み、彼の支持者だったエルンスト公爵に庇護され、そこで余生を過ごした。1811年に彼は死去した。

 彼は社会的な平等を唱え、全ての人間は「王(神?)」になることができ、そのためには自己の意志に忠実に生きなければならないとした。なにか妙にクロウリーを思わせる思想である。
 彼の理想は古代の家父長制度による原始共産主義的な社会であり、封建君主や教会制度はそこに至るための過渡的なものと捕らえていた。
 こうした制度を排し、一般大衆に「啓明」を与え、先の原始的なユートピアを作ろうと考えた。
 これは非暴力によって行われなければならないが、どうしようもないときは革命も仕方無いと考えていたふしも否定はできない。
 とはいえ、ヴァイスハウプト自身は、政治活動にはあまり関心がなく、あくまでユートピア建設思想を育むために、団員の徳の向上をはかることがイルミナティ創立の目的であった。

…ドイツで壊滅状態に陥ったイルミナティの難民としてヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデなる男が、ミラボー伯の手引きでフランスに現れる。ミラボーは、彼をフランスのメーソンの顧問的指導者にしようとする。
 当時フランスのフリーメーソンはオカルト色が強かった。ボーデはこれを排そうとする。

 しかし、カバラの替わりに政治思想を、ヘルメスの大作業のかわりに暴力革命を持ち込もうとする彼らの思想ははなはだ不評であった。
 それでも、一部の小ロッジの中には、彼らの影響を受ける者もいたが、やがてそこからはジャコバン党のような連中を生み出し、フランス大革命後の血なまぐさい大混乱のさなか、彼らは多くの人々をギロチンに送り、やがて自分等も自滅してしまうのである。
 また、フランスの各地でも、イルミナティを名乗る結社がいくつか作られた。
 しかし、言うまでも無く、これらの結社は、ヴァイスハウプトの正統なイルミナティとは何の関係も無い。勝手に「イルミナティ」の名を名乗っているだけだった。”


読了多謝
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追加中会話術随時追加 会話などとにかく使える話のコツまとめ 

ああ工事中 ここ下の自分なりまとめ
本当に治したいなら「やるべき、やるなリスト」を作成、印刷、録音、音読しまくって潜在意識まで吸い込んで実践すること。


録音機は救世主。スマホにあるよね。
自分の声を聞いて自分の話す速度と、内容が相手に理解できるものかを客観的に見てみよう。

人に嫌われたり、陰で笑われたり、軽蔑される方法。
相手の話を、決して長く聞くな。
終始自分のことだけをしゃべれ。
早口でしゃべれ。
相手が理解できない用語を使いまくれ。
すぐに相手の話をさえぎれ。
相手はこちらよりも頭の回転が鈍い、下らないおしゃべりをするなと常に思え。
話の途中で遠慮なく口をはさめ。

ジュリアン・トレジャー: 人を惹きつける話し方
https://www.youtube.com/watch?v=eIho2S0ZahI

”You can locate your voice,/ however.//

声を出す場所を 変えられます

So/ if I talk up/ here/ in my nose,/ you can hear the difference.//

鼻から話してみます 違いますよね

If I go down here/ in my throat,/ which is/ where most of us speak from most of the time.//

さらに のどで話してみます ほとんどの方は ここから声を出しますね

But/ if you want weight,/ you need to go down here/ to the chest.//

でも もっと重みを加えたいなら もっと下 ― 胸から出します

You hear the difference?//

違いが分かるでしょう?

We vote for politicians/ with lower voices,/ it's true,/ because we associate depth/ with power/ and/ with authority.//

低い声の政治家に 投票するという事実もあります というのも 私たちは 深さを力や 権力と結びつけるからです

That's register.//

それが声域です

Then/ we have timbre.//

つぎに「声色」があります

It's the way/ your voice feels.//

声の質感です

Again,/ the research shows/ that we prefer voices/ which are rich, smooth, warm,/ like hot chocolate.//

研究によれば 豊かで なめらかで 温かみのある声が好まれます ホット・チョコレートのような声です

Well/ if that's not you,/ that's not the end of the world,/ because you can train.//

あなたの声がそうでなくとも 悲観する必要はありませんよ 訓練できます ボイス・トレーナーを探しましょう

Go/ and get a voice coach.//

And there are amazing things/ you can do with breathing,/ with posture, and with exercises to improve the timbre of your voice.//

息づかいや 姿勢 練習によって あなたは 見違えるように 声質を改善できるのです

Then prosody.// I love prosody.//

そして「韻律(プロソディー)」

This is the sing-song,/ the meta-language/ that we use/ in order to impart meaning.//

私のお気に入りです 抑揚や ― 言葉に意味をそえるメタ言語で

It's root one/ for meaning/ in conversation.//

これこそ会話の醍醐味です

People/ who speak all/ on one note are really quite hard/ to listen to/ if they don't have any prosody/ at all.//

ずっと同じ調子で話されると 聞く気が起きませんね 韻律がないからです

That's/ where the world monotonic comes from,/ or monotonous,/ monotone.//

それこそ 単調で変化に乏しい 一本調子の世界です

Also/ we have/ repetitive prosody now coming/ in,/ where every sentence ends/ as if it were a question/ when it's actually not a question,/ it's a statement.//

それから こんな韻律も よく聞きますよね? 疑問文のように 文末が上がるものです? 実際は疑問ではなく 意見なのに?

(Laughter)/ And/ if you repeat/ that one over and over,/ it's actually restricting/ your ability/ to communicate through prosody,/ which I think/ is a shame,/ so let's try and break/ that habit.//

(笑) これを何度も繰り返していると 韻律を使って 意思疎通を図ることが できなくなってきます それはとても残念なことですから この癖は ぜひとも なくしましょう

Pace.// I can get very,/ very excited by saying something really,/ really quickly,/ or I can slow right down/ to emphasize,/ and at the end of that,/ of course,/ is our old friend silence.//

そして「ペース」 とても速く話すと すごく興奮している 感じになります 一方 ゆっくり話すと 強調できます 究極的には よくご存知の 沈黙です

There's nothing wrong/ with a bit of silence/ in a talk,/ is there?//

ちょっと沈黙したからって 何も問題はないでしょう?

We don't have to fill/ it/ with ums/ and ahs.//

「えーと」とか「あー」で 沈黙を埋める必要はありません

It can be very powerful.//

沈黙には すごい力があります

Of course,/ pitch often goes along with pace/ to indicate arousal,/ but you can do it just/ with pitch.//

感情の高ぶりは普通 「音高(ピッチ)」と テンポで表現しますが 実は音高だけでも可能です

Where did you leave my keys?//

僕のカギをどこに置いた?

Where did you leave my keys?//

僕のカギをどこに置いたんだよ?

So slightly different meaning/ in those two deliveries.//

音高を変えると 少し違う意味になるでしょう

And finally,/ volume.//

最後に「声量」です

I can get really excited by using volume.//

声量によって 興奮した感じにできます

Sorry/ about that/ if I startled anybody.//

驚かせましたかね

Or,/ I can have/ you really pay attention/ by getting very quiet.//

あるいは とても静かに話すことで 注意を引きつけられます

Some people broadcast the whole time.//

大音量でずっと 話す人もいますが

Try not to do that.//

それは避けましょう

That's called sodcasting,/ imposing your sound/ on people/ around you carelessly and inconsiderately.// Not nice.//

それこそ「大迷惑」というもので 何も考えず まわりの人に自分の音を 無神経に押しつけているのです 感心しません

Of course,/ where this all comes into play/ most of all is/ when you've got something really important/ to do.//

こうしたことは 何か重要なことを 伝えるときに 役立ってきます

It might be standing on a stage/ like this/ and giving a talk/ to people.//

こんな風にステージで 話すときかもしれませんし

It might be proposing marriage,/ asking for a raise,/ a wedding speech.//

結婚のプロポーズをするとき 賃上げ交渉や 結婚式でのスピーチかもしれません

Whatever it is,/ if it's really important,/ you owe it/ to yourself/ to look at this toolbox/ and the engine/ that it's going to work on,/ and no engine works well/ without being warmed up.//

それが何であれ ここぞ というときには ぜひ この道具箱を見て これから使うエンジンも確認しましょう エンジンは 温めなければ動きません

Warm up/ your voice.//

声もウォーム・アップしましょう

Actually,/ let me/ show you/ how to do that.//

どんな風にするか お見せしましょう

Would you all like to stand up/ for a moment?//

皆さん ちょっと 立っていただけますか?

I'm going to show/ you/ the six vocal warmup exercises/ that I do before every talk/ I ever do.//

これから 6つの 声の準備体操をご紹介します 私がいつも話す前に していることです

Anytime/ you're going to talk/ to anybody important,/ do these.//

重要な人と話すときは ぜひやってください

First,/ arms up,/ deep breath in,/ and sigh out,/ ahhhhh,/ like that.//

まずは 腕を上げて 深く息を吸って 吐き出します アーーー こんな風にね

One more time.//

もう一度

Ahhhh,/ very good.//

アーーー いいですよ

Now/ we're going to warm up/ our lips,/ and we're going to go/ ba,/ ba,/ ba,/ ba,/ ba,/ ba,/ ba,/ ba.// Very good.//

つぎに 唇の準備体操です こんな風に バ バ バ バ バ バ バ バ いいですよ

And now,/ brrrrrrrrrr,/ just like when you were a kid.//

それから ブルルルルルルル 子どもの頃 やったように

Brrrr.// Now/ your lips should be coming alive.//

ブルルルル これで 唇も準備万端です

We're going to do/ the tongue next/ with exaggerated la,/ la,/ la,/ la,/ la,/ la,/ la,/ la,/ la.//

つぎに舌を動かします 大げさな「L」で ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ

Beautiful.// You're getting/ really good/ at this.//

素晴らしい 皆さん上手ですよ

And then,/ roll an R.// Rrrrrrr.//

それから巻き舌の「R」 ルルルルルルル

That's like champagne/ for the tongue.//

舌のための シャンパンみたいなものです

Finally,/ and/ if I can only do one,/ the pros call this the siren.//

最後に ぜひともするべきこと 業界では「サイレン」と言いますが

It's really good.// It starts with "we"/ and goes to "aw."//

お勧めです 「ウィー」で始まり「オゥ」で終わります

The "we"/ is high,/ the "aw"/ is low.//

「ウィー」は高く 「オゥ」は低く

So you go,/ weeeaawww,/ weeeaawww.//

行きますよ ウィーーーオゥ ウィーーーオゥ

Fantastic.// Give/ yourselves/ a round of applause.//

素晴らしい 皆さんに拍手を

Take a seat,/ thank you.// (Applause)/ Next time/ you speak,/ do those/ in advance.//

お座りください ありがとうございます(拍手) 今度 話をする前には やってくださいね”
TED日本語 - ジュリアン・トレジャー: 人を惹きつける話し方
http://digitalcast.jp/v/20593/

ーー


いろんなところか集めてきたけど出典とか忘れているなあ

欲望を崇めていないか 埋め込まれた欲望  理由を問えば大半の欲望は焼失する

論破はしてもフォローは重要。人間関係まで論破して壊してはいけない

意識と無意識の捜査、切り替え
欲望を崇めていないか 埋め込まれた欲望  理由を問えば大半の欲望は焼失する

論破はしてもフォローは重要。人間関係まで論破して壊してはいけない



たしか人を動かすにあったやつ

<人に嫌われたり、陰で笑われたり、軽蔑されたりしたかったら、次の条項を守るに限る──
 一、相手の話を、決して長くは聞かない。
 一、終始自分のことだけをしゃべる。
 一、相手が話している間に、何か意見があれば、すぐに相手の話をさえぎる。
 一、相手はこちらよりも頭の回転が鈍い。そんな人間の下らないおしゃべりをいつまでも聞いている必要はない。話の途中で遠慮なく口をはさむ。
 世間には、この条項を厳守している人が実在するのを読者は知っているはずだ。私も、不幸にして知っている。>



人を説得して何かやらせようと思えば、口を開くまえに、まず自分にたずねてみることだ-----「どうすれば、そうしたくなる気持ちをあいてに起こさせることができるか?」これをやれば、自分勝手な無駄口を相手に聞かせずにすむ。
誰にでもその人なりの理由があり、自分は正しいと思っている。批判はせず、まず相手を理解する。
誰にでも長所があり、他人に認められたい気持ちがある。長所をほめ、相手に”重要感”を持ってもらう。
常に相手の立場になり、「どうすればその人がそうしたくなるか?」を考えて働きかける。
相手に誠実な関心を寄せる。
常に笑顔で人に接する。
人の名前を憶える。(何回も言葉に出し、メモを書き、見つめて憶えこむ)
人の話は親身になってじっくりと聞く。
相手の関心があることを話題にする。
誠意をこめて純粋な気持ちでほめる。
議論に勝つ唯一の方法は「議論をしないこと」と心得る。
相手の意見を尊重し、間違いを指摘しない。
自分が間違った場合は、速やかにこころよく認める。
友好的な口調で、おだやかに話す。
相手が「YES」と言いやすい質問から始める。
相手に心おきなくしゃべらせる。
意見は相手に思いつかせる。
相手の気持ちになって、相手の考えや行動の理由を理解する。

「私があなたでも同じように思うでしょう」と心からの共感を寄せる。
相手の良心・良識に訴えかける。
事実に動きを与える「演出」を考える。
相手の競争心に火をつける。
まずほめる。
注意は遠まわしに伝える。
自分の間違いを話す。
命令はせずに、意見を求める。
相手の顔を立てる。
わずかなことでも惜しみなくほめる。
相手に期待をかける。
相手を励まし、自身を持ってもらう。
相手が喜んで協力する理由を用意する。
うるさくいわない。
相手の長所を認める。
相手のあら探しをしない。
ほめる。
ささやかな思いやりを大切にする。
親しき仲にも礼儀あり。
性生活に前向きに取り組む。
人を動かす唯一の方法は、その人の好むものを問題にし、それを手に入れる方法を教えてやることだ。これを忘れては、人を動かすことはおぼつかない。
 悪いことをしている人を善い方向に動かしたいと思うなら、「お前は悪いことをしている。だから行動を改めろ」と言ってはいけない。
 非難で人を動かすことはできない。
穏やかに話す
 腹が立ったとき、相手をこてんぱんにしてやりたいという気持ちが起こるのは当然である。
 だが、それが成しとげられたとして、果たして相手は自分の思うとおりに動いてくれるだろうか?
 人を説得するためには攻撃的・威圧的に話すのではなくて、穏やかに、情理を尽くして話すことが大切である。
イエス”と答えられる問題を選ぶ(相手が即座に”イエス”と答える問題を選ぶ。)
体の組織が、進んで物事を受け入れようとする体勢になる。それゆえ、はじめに〝イエス〟と多く言わせれば言わせるほど、相手をこちらの思うところへ引っ張っていくことが容易になる。

 考え方が違うような問題をなんとかしたいと思っているとき、それをはじめに取り上げてはならない。
 はじめに取り上げるべきは、「イエス」と答えてくれるような、二人の意見が一致しているような話題である。たとえば「もうすっかり夏って感じですね」とか。
 そのような話題を重ねていくことで、「自分たちは同じ方向を向いている」ということを確認させることができる。
 「イエス」ばかりを言わせるようにして「ノー」とは言わせないようにする。
 そうすることで、意見の擦りあわせが困難な問題でも、人を説得することができる。
敵をつくりたければ、友に勝つがいい。味方をつくりたければ、友に勝たせるがいい
 人は、自分のことを思う存分話すことを許可してくれる相手に好意を持つ。
 その性質を利用し、相手が望むままに話してもらうのである。たとえば社長に「さぞかし苦労されて、今の会社をお作りになられたと聞いています」と質問するなど。
 聞き手に回ることは、人を説得する上でとても効果が高い。
.思いつかせる
相手に相談を持ちかけ、できるだけその意見を取り入れて、それが自分の発案だと相手に思わせて協力させるのだ。
 人は、誰かに押し付けられたアイデアよりも、自分が思いついたアイデアをやりたがる。たとえそれが相手に「思いつかされた」アイデアであっても。
 だから人を説得する手段の一つとして「思いつかせる」ことがある。
 「これって、どうすればいいかな?」と「相談」を持ちかけ、うまく相手を誘導する。そしてやりたいアイデアを、議論の末に、相手が思いついたように偽装する。
 容易でないことだが、上手く利用できればこれ以上の説得法はない。
議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。
議論は、ほとんど例外なく、双方に、自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。議論に勝つことは不可能だ。たとえ買ったにしても、やはり負けているのだ。なぜかといえば、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。「議論に負けても、その人の意見は変わらない。」
相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。
・人の意見を変えさせることは、最も恵まれた条件の下でさえ、大変な仕事だ。何を好んで条件を悪化させるのだ。
・人を説得したければ、相手に気づかれないようにやることだ。誰にも気づかれないように、巧妙にやることだ。
・人に物を教えることは出来ない。自ら気づく手助けが出来るだけだ。
・相手が明瞭な間違いをしている場合は、「実は、そんな封には考えていなかったのですが、おそらく私の間違いでしょう。私はよく間違います。間違っていたら改めたいと思いますので、ひとつ事実を良く考えて見ましょう。」という具合に切り出す。
・私達は、他人からいろいろなことを聞かされるが、そのとき、相手の言ったことに対して理解ではなく、価値判断をまず与えるのが普通である。即座に評価して決め付けてしまう。相手の真意が、どこにあるのか正確に理解しようと努めることは、きわめて稀である。
・われわれは、自分の非を自分で認めることはよくある。また、それを他人から指摘された場合、相手の出方が優しくて巧妙だと、あっさり兜を脱いで、むしろ自分の率直さや腹の太さに誇りを感じることさえある。しかし、相手がそれを無理やりに押し付けてくると、そうはいかない。
自分の誤りを直ちにこころよく認める。
・自分に誤りがあるとわかれば、相手の言うことを先に自分で言ってしまうのだ。そうすれば、相手には何もいうことがなくなる。相手は寛大になり、こちらの誤りを許す態度に出るだろう。
・自分が犯した誤りを認める勇気は、ある種の満足感が伴う。罪悪感や自己防衛の緊張がほぐれるだけでなく、その誤りから生じた問題の解決に役立つ。

・どんなばかものでも、過ちの言い逃れくらいは出来る。事実、ばか者はたいていこれをやる。自己の過失を認めることは、その人間の値打ちを引き上げ、自分にも何か高潔な感じがして嬉しくなるものだ。
・自分が正しいときは、相手を優しく巧妙に説得しようではないか。また、自分が間違っているとき(驚くほど多いものだ。)は、速やかに自分の誤りを快く認めることにしよう。苦しい言い訳をするよりも、よほど愉快な気持ちに慣れる。
おだやかに話す。
・相手の心が反抗と憎悪に満ちているときは、いかに理を尽くしても説得することは出来ない。人間は自分の心を変えたがらないということを、心得ておくべきだ。人を無理に自分の意見に従わせることは出来ない。しかし、優しい打ち解けた態度で話し合えば、相手の心を変えることもできる。
・もし相手を自分の意見に賛成させたければ、まず、諸君が彼の見方だとわからせることだ。
相手が即座に「イエス」と答える問題を選ぶ。
・人と話をするとき、互いに意見の異なる問題をはじめに取り上げてはならない。まず、互いの意見が一致してい問題から始め、それを絶えず強調しながら話を進める。互いに同一の目的に向かって努力しているのだということを、相手に理解させるようにし、違いはただその方法だけだと強調するのである。

・議論をすれば損をする。相手の立場で物事を考えることは、議論をするよりもかえって興味があり、しかも、比較にならぬほど利益がある。
相手にしゃべらせる。
相手を説得しようとして、自分ばかりしゃべる人がいる。相手に十分しゃべらせるのだ。相手のことは相手が一番よく知っている。だから、その当人にしゃべらせることだ。
相手に思いつかせる。
・人から押し付けられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうを、われわれは、はるかに大切にするものである。すると、人に自分の意見を押し付けようとするのは、そもそも間違いだといえる。暗示を与えて、結論は相手に出させるほうが、よほど利口だ。
・賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことはない。
人の身になる。
・相手は間違っているかもしれないが、彼自身には、自分が間違っているとは決して思っていないのである。だから、相手を非難しても始まらない。非難は、どんな馬鹿者でも出来る。理解することに努めねばならない。懸命な人間は、相手を理解しようと努める。
・相手の考え、行動には、それぞれ、相当の理由があるはずだ。その理由を探し出さねばならない。そうすれば、相手の行動、さらには、相手の性格に対する鍵まで握ることが出来る。
・「もし自分が相手だったら、果たしてどう感じ、どう反応するだろうか」と自問自答してみるのだ。これをやると、腹を立てて時間を浪費するのが、ばかばかしくなる。原因に興味を持てば、結果にも同情が持てるようになるのだ。おまけに人の扱い方が一段とうまくなる。 ・自分に対する強烈な関心と自分以外のものに対するいい加減な関心戸を比較し、次に、その点については、人間はみな同じであることを考えれば、あらゆる職業に必要な原則を把握することが出来る。すなわち、人を扱う秘訣は、相手の立場に同情し、それをよく理解することだ。
・自分の意見を述べるだけでなく、相手の意見をも尊重するところから、話し合いの道が開ける。まず、話し合いの目的、方向をはっきりさせて、相手の身になって話を進め、相手の意見を受け入れていけば、こちらの意見も、相手は受け入れる。
・他人に物を頼もうとするときには、まず目を閉じて、相手の立場から物事を良く考えてみようではないか。「どうすれば、相手はそれをやりたくなるだろうか」と考えてみるのだ。この方法は面倒には違いない。だが、これによって見方が増え、より良い結果がたやすく得られる。
相手の考えや希望に対して同情を持つ。
口論や悪感情を消滅察せ、相手に善意を持たせて、あなたが言うことを、おとなしく聞かせるための文句は、「あなたがそう思うのは、もっともです。もしわたしがあなただったあら、やはり、そう思うでしょう。」といって話を始める。
・われわれが交渉を持つ相手の4分の3は、みな同情に飢えている。それを与えてやるのだ。すかれることは請け合いである。
人の美しい心情に呼びかける。

・通常人間の行為には2つの理由がある。1つは、いかにも潤色された理由、いま1つは真実の理由である。真実の理由は、他のものがとやかく言わなくても、当人にはわかるはずだ。人間は誰でも理想主義的な傾向を持ち、自分の行為については、美しく潤色された理由をつけたがる。そこで、相手の考えを変えるには、この美しい理由をつけたがる気持ちに訴えるのが有効だ。
・相手の信用状態が不明のときは、彼を立派な紳士とみなし、そのつもりで取引を進めると間違いがないと、私は経験で知っている。ようするに、人間は誰でも正直で、義務を果たしたいと思っているのだ。これに対する例外は、比較的少ない。人をごまかすような人間でも、相手に心から信頼され、正直で公正な人物として扱われると、なかなか不正なことは出来ないものなのだ。

演出を考える。単に事実を述べるだけでは十分ではない。事実に動きを与え、興味を添えて演出しなければならない。興行的な手法を用いる必要がある。
対抗意識を刺激する。

仕事には競争心が大切である。あくどい金儲けの競争ではなく、他人よりも優れたいという競争心を利用すべきである。
・成功者はみなゲームが好きだ。自己表現の機械が与えられるからだ。存分に腕を振るって相手に打ち勝つ機会、これが、いろいろな競争や競技を成立させる。優位を占めたい欲求、重要間を得たい願望、これを刺激するのだ。
・人を批判する際、まずほめておいて、次に「しかし」という言葉を挟んで、批判的なことを言い始める人が多い。ところが、「しかし」という一言が耳に入るまで、今のほめ言葉が果たして本心だったのかどうか疑いたくなる。結局は批判するための前置きに過ぎなかったように思えてくる。この失敗は「しかし」ということばを「そして」に変えると、すぐに成功に転じる。

まず自分の誤りを話した後、注意を与える。
・人に小言を言う場合、謙虚な態度で、自分は決して完全でなく、良く失敗するがと前置きをして、それから相手の間違いを注意してやると、相手はそれほど不愉快な思いをせずに済むものだ。
・自分自身の誤りを認めることは、たとえその誤りを正さず、そのままにしておいても、人を変えるのに役立つ。

命令をせず、意見を求める。 ・命令ではなく、暗示を与える。「あれをせよ」「そうしてはいけない」などとは決して言わない。「行考えたらドウだろう」「これでうまくいくだろうか」などといった具合に相手に意見を求める。決して命令はせず、自主的にやらせる。そして、失敗によって学ばせる。
・命令を質問の形に変えると、気持ちよく受け入れられるばかりか、相手に創造性を発揮させることもある。命令が出される過程に何らかの形で参画すれば、誰でもその命令を守る気になる。

相手の顔を立てる!これは大切なことだ。しかも、その大切さを理解している人は果たして幾人入るだろうか?自分の気持ちを通すために、他人の感情を踏みにじっていく。相手の自尊心などはまったく考えない。もう少し考えて、一言二言思いやりのある言葉をかけ、相手の心情を理解してやれば、そのほうが、はるかにうまくいくだろうに。
・相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪に陥らせるようなことを言ったり、したりする権利は私にはない。大切なことは、相手を私がどう評価するか、ではなくて、相手が自分自身をどう評価するか、である。相手の人間としての尊厳を傷つけることは犯罪なのだ

わずかなことでも、すべて、惜しみなく、心からほめる。
人を変えようとして、相手の心の中に隠された宝物の存在に気づかせることが出来たら、単にその人を変えるだけでなく、別人を誕生させることすら出来るのである。

期待をかける。

・相手をある点について矯正したいと思えば、その点について彼は既に人よりも長じているといってやることだ。良い評判を立ててやると、その人間はあなたの期待を裏切らないように努めるだろう。

激励して、能力に自身を持たせる。

・馬鹿だとか、能無しだとか、才能がないとか言ってののしる逆を行くのだ。大いに元気づけて、やりさえすれば容易にやれると思い込ませ、そして、相手の能力をこちらは信じているのだと知らせてやるのだ。そうすれば相手は、自分の優秀さを示そうと懸命に頑張る。、

喜んで協力させる。

・肩書きや権威を与える。

失敗は〝しかし〟という言葉を、〝そして〟に変えると、すぐに成功に転じる。

 「しかし」を「そして」に変えるだけで、注意は遠まわしな注意に変わる。
 「今回の成績はよかったね。”しかし”もっと数学をがんばれなければいけないよ」という注意を「今回の成績はよかったね。そしてもっと数学をがんばることで、次回はさらによい成績になるだろう」と言い換えるだけで、だいぶ遠まわしな表現になる。きっと勉強に前向きにとりくめるようになる。
 ほめたあとは「しかし」ではなく「そして」で文章を繋げる。そうすることで、期待通りに相手が動いてくれるだろう。

.自分の過ちを話す(まず自分の誤りを話したあと相手に注意する)

人に小言を言う場合、謙虚な態度で、自分は決して完全ではなく、失敗も多いがと前置きして、それから間違いを注意してやると、相手はそれほど不愉快な思いをせずに済むものだ。

8.激励する(激励して、能力に自信を持たせる。)

<子供や夫や従業員を、馬鹿だとか、能なしだとか、才能がないとか言ってののしるのは、向上心の芽を摘み取ってしまうことになる。その逆を行くのだ。大いに元気づけて、やりさえすれば容易にやれると思い込ませ、そして、相手の能力をこちらは信じているのだと知らせてやるのだ。そうすれば相手は、自分の優秀さを示そうと懸命に頑張る。>

 けなすよりも激励を。
 長所を見つけほめる。相手は元気がでるし、希望も持つ。向上心を抱えて行動することができる。
 自分の能力自信を持つことで、人は変わることができる。

喜んで協力させる

<これは、子供だましのような気がするかもしれない。だが、ナポレオン一世も同じようなことをやった。彼は、自分の制定したレジョン・ドヌール勲章を千五百個もばらまいたり、十八人の大将に〝元帥〟の称号を与えたり、自分の軍隊のことを〝大陸軍〟と呼んだりした。歴戦の勇士を〝玩具〟でだましたと非難されると、彼は答えた。 「人間は玩具に支配される」
 新しい責任と肩書きを与えられた人は、はりきってばりばり働くようになる。世の中の結婚のうち、五十パーセント以上は失敗に終わっているそうだ。新婚の夢が破れ、離婚の憂き目を見る原因の一つは、あら探しをすることだという。
 家庭において、パートナーの欠点を見つけ、それを咎めることは、決してプラスの効果をもたらさない。
 変わらぬ愛情を継続していくためには、多少気に食わないことがあっても目をつぶってあげることが大切である。
フランス上流階級では、女性の服装について一晩に何度もほめるべきであると、幼少から教育されている。
 結婚を賭博にしないためには、男性は女性の「自分を美しく見せようとする努力」を常日頃から称賛すべきである。
ささやかな心尽くしを怠らない

<普通、男は、あまり多くの日付を覚えなくても、結構暮らしていける。だが、忘れてならない日も若干はある。妻の誕生日と自分たちの結婚記念日だ。絶対に忘れてはならない!
 一般的に女性は男性よりも記念日を重視する。男性は記念日を覚えておくように、特に気をつけたいものだ。
 要は相手のことを気遣っていると知らせることが大事なのである。記念日でなくとも、電話一本、花を数本、と考えてみよう。
礼儀は、いわば結婚生活の潤滑油である。

 親しき仲にも礼儀あり。無作法は結婚生活をめちゃくちゃにする。相手が不愉快にならないように、双方が気を遣うべきである命令をしない(命令をせず、意見を求める。)

 命令を質問の形に変えるだけで、驚くほど受け入れられることがある。
 「この書類、明日までによろしく」ではなく「この書類、明日までだったかな?」
 「君の車を動かしてくれ」ではなく「今、車動かせる?」
 命令をただ実行するのではなく、命令を作る段階に相手を巻き込むことができれば、人は気持ちよく動いてくれるだろう。
 誰かを傷つけると、その人は絶対に自分のために動いてはくれない。
 人は、誰かに押し付けられたアイデアよりも、自分が思いついたアイデアをやりたがる。たとえそれが相手に「思いつかされた」アイデアであっても。
 だから人を説得する手段の一つとして「思いつかせる」ことがある。
 「これって、どうすればいいかな?」と「相談」を持ちかけ、うまく相手を誘導する。そしてやりたいアイデアを、議論の末に、相手が思いついたように偽装する。
 容易でないことだが、上手く利用できればこれ以上の説得法はない。





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あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-130.html
” よし。では、3つの中間目標に設けよう。まずはひとつ目の中間目標をクリアーすることをめざせ。それが果たせたとき、自分の進んでいる道が間違いではなかったと、はじめて信じることができるだろう。あとの2つの目標は、それより困難だが、ひとつ目をクリアーした自信がお前を支えてくれるだろう。3つの中間目標は、次の通りだ。
 1.スモールトークをこなせるようになれ
 2.男女混合の集まりを作れるようになれ
 3.他人の恋の相談に乗れるようになれ

ここでいうスモールトークとはプログラム言語のことじゃない。間にスペースを挟んだ「small talk」、
辞書には「light conversation(軽い会話); chitchat(雑談、世間話)」とあるな。
同義語には「banter(気さくな会話、冗談の言い合い), chatter(むだ話), gossip(うわさ話)」なんかがある。要は「たわいもない話」だ。伝えたいことがある場合とは違った、ただそれ自体を目的とした言葉の交換だ。何故これが重要なのか? 
 なぜなら、人はこの「取り立てて内容のない話」によって、相手の人柄を推し量り、人間関係の距離を調整するように進化してきたからだ。スモールトークは、いわば人間関係を支える下草だ。ヒトの言葉の起源は、猿の群れにおける毛づくろいだという話は知ってるか?

群れを作る種である猿たちは、つくる群れの大きさが大きい猿ほど、より長い時間を互いの毛づくろいに費やす。もっとも大きな群れ(平均で個体数50)を作る猿は、活動時間のおよそ2割を費やして互いに毛づくろいする。餌を取るための時間がその分減ることを考えれば、あるいが外敵への注意がその分おろそかになることを考慮すれば、莫大なコストを支払ってまで、サルは互いに毛づくろいする。何故だかわかるか?

 フリー・ライダー(ただ乗り野郎)を排除して、群れを守るためだ。
 群れると、外敵に注意を払うコストをみんなで分担できるし、そもそも襲われにくくなるメリットがある。
 だが、コストを分担せずに群れに居るだけで安心を享受しよう、フリーライダーになろうと誰かがはじめれば、誰もがフリーライダーになった方が得だということになり、結局誰も外敵に注意を払うものがいなくなって集団防衛体制は崩壊する。
 これを食いとめるには、誰かがフリーライダーしだしたら、制裁が加えられるようになってないといかん。
 ところが、このフリーライダーへの制裁ってのも大変だ。50匹いれば、各自が50匹を互いに監視しなくちゃならんとなったら、他のことなんてやってられなくなる。
 だから群れを作る動物は、フリーライダー対策を減点方式じゃなく加点方式でやる。
 つまり身近なところから、少なくともこいつは裏切らないだろうという「仲間」をつくり少しずつ増やしていく訳だ。毛づくろいは、仲間関係の維持・更新手続きだ。猿はお互い、誰に毛づくろいしてもらったか覚えてる。
 その猿の叫び声を録音したものを流すと、そいつと毛づくろいし合った猿だけが反応する。
 いろんな猿を調べていくと、その種のつくる群れの大きさと大脳皮質が脳に閉める割合は比例関係にあることがわかった。これを人間の大脳皮質の割合に当てはめると、人間がつくる最大の「群れの大きさ」は約150人となる。


cortex-groupsize.jpeg

 問題は、どうやって仲間関係を維持・更新するかだ。
 毛づくろいは一対一で、しかもお返しも要れると、さっきも要った通りかなりの時間が必要だ。
 これも150人という集団サイズに当てはめると、人間は起きている時間の40%を「毛づくろい」に費やさなければならない。これはもう限界を越えている。

 幸いにも、もっと効率のよい手段が見つかった。
 音声言語、つまりおしゃべりだ。
 本当に親密におしゃべりするには4人程度という限界があるが、それでも1対1の毛づくろいよりは、3倍効率がよい)。
 内容のないコトバの交わし合い(スモールトーク)は、つまるところコトバによる「毛づくろい」だ。
非モテ
それは、つまるところ、大抵の人間がすでにやっているのでは?
親父
 その通り。おまえが同級生相手に話してるバーチャル・ナンパ話もその一例だな。同年代の男同士だから、女子との交際についての「妄想話」が、そこでの人間関係の維持・更新に役に立つ。
 が、そこまでだ。
 つまり、おまえの無駄話は、同年代の女子との人間関係を維持・更新するのに、役に立ってない。
どんな「無駄話」ができるかで、おまえの人間関係は決まる。どんな連中と、どんな関係を結べるかは、どんな「無駄話」をするか、できるかに依存する。
 逆にスモールトークを逸脱すると、どんな目に遭うかは、ガーフィンケルが学生への宿題としてやらせてる。一発で「ひとでなし」になること、うけあいだ。 どうだ、やる気が出てきたか?
非モテ
は、はい。当たり前のようで、目からうろこです。しかし、普段あまりに無意識にやってることなんで、いったい何から手をつければいいのか、皆目見当がつきません。
親父
心配するな。昨日ネットサーフィンしてたら、たまたま「無駄話の仕方」ってコンテンツを見つけた。英語だけどな。

問題ない。おれが親父語に逐語的に訳してやる。


How to Make Small Talk 「どうでもいい話」をする方法
http://www.ehow.com/how_10812_make-small-talk.html

Small talk can be a big challenge, but a little preparation and confidence is all you need.
「無駄話」を舐めるな。大冒険になるかもしれん。だが少しの準備と勇気があれば大丈夫。

1.Practice. Converse with everyone you come across: cashiers, waiters, people you're in line with, neighbors, co-workers and kids. Chat with folks unlike yourself, from seniors to teens to tourists.
練習しろ。すれ違った奴全員と喋れ。レジの人、ウェイター、話が合う人、ご近所さん、同僚に子供(ガキ)、誰でもいいからおしゃべりしろ。老人からティーンエイジャー、観光客、自分と似ていない奴とも話してみろ。

2.Read everything: cookbooks, newspapers, magazines, reviews, product inserts, maps, signs and catalogs. Everything is a source of information that can be discussed.
なんでもいいからとにかく読め:料理本、新聞、雑誌、書評、取説、地図に看板にカタログ。すべては、話のネタになる。

3.Force yourself to get into small talk situations, like doctors' waiting rooms, cocktail parties and office meetings. Accept invitations, or host your own gathering.
「無駄話」しなきゃならない状況に自分を追いこめ。病院の待合室、カクテルパーティー、職場の会議みたいな場面だ。招待はすべて受けろ、でなきゃ自分で集まりを主催しろ。

4.Immerse yourself in culture, both high and low. Television, music, sports, fashion, art and poetry are great sources of chat. If you can't stand Shakespeare, that too is a good topic for talk.
自分を「文化漬け」にしろ。高級なのと低級なの、両方だ。テレビ、音楽、スポーツ、ファッション、芸術、詩、どれもおしゃべりの大きなネタ元だ。おまえさんがシェークスピアに我慢ならないというなら、どれだけ嫌いかというのも十分話題になる。

5.Keep a journal. Write down funny stories you hear, beautiful things you see, quotes, observations, shopping lists and calls you made. That story of the long-distance operator misunderstanding you could become an opening line.
日誌をつけろ。おまえが耳にした笑い話、目にした美しいもの、引用、観察、購入品目リストも、かけた電話番号も書き出せ。おまえを誰かと勘違いした電話交換手の話だって、会話のきっかけになるかもしれない。

6.Talk to yourself in the mirror. Make a random list of topics and see what you have to say on the subjects. Baseball, Russia, butter, hip-hop, shoes ... the more varied your list, the better.
鏡の前で自分相手にしゃべってみろ。でたらめな順番に話題を並べたリストを作れ。そして、それぞれの話題に合わせて何を言わなきゃならないならないか確かめろ。野球、ロシア、バター、ヒップホップ、靴……話題.リストは長ければ長いほどいい。

7.Expand your horizons. Go home a new way. Try sushi. Play pinball. Go online. Paint a watercolor. Bake a pie. Try something new every day.
おまえの活動範囲を拡大しろ。通ったことない道で帰ってみろ。寿司をためせ。ピンボールをやれ。ネットしろ。水彩画を描け。パイを焼いてみろ。毎日、なにか新しいものを試すんだ。

8.Be a better listener. Did your boss just say she suffers from migraines? Did your doctor just have twins? These are opportunities for making small talk.
今よりもっと良い聞き手になれ。上司は、ちょうど片頭痛で苦しんでると言ってなかったか? かかりつけの医者のとこは子は双子じゃなかったか? (連中は誰かにその話をしたくてうずうずしている) 「無駄話」をする機会はいくらもある。

9.Work on confidence, overcoming shyness and any feelings of stage fright. Remember, the more you know, the more you know you can talk about.
自信をつけろ。内気と人前であがることを克服しろ。知識が増えれば増えるほど、話題はどんどん増えていることを思い出せ。

Tips:
おまけ:
 Be yourself. Keep in mind that confidence and humor are superb substitutes for comedic genius or wit.
自分自身であれ。自信とユーモアは、コメディの才能やウィットの代わりを十分果たしてくれることを覚えておけ。

 Remember, you never have to do it alone.
思い出せ。会話しているとき、おまえは決して一人じゃないってことを。



非モテ
も、ものすごく大変なような……。
親父
じゃあ、あきらめろ。話ベタで死んだ奴はいない。だが、言っとかないとフェアじゃない気がするんで、これだけは言っておく。人生で、あらかじめ準備しておけることなど、実はあまりない。大人の仕事は常にやっつけ仕事、恋はいつでも初舞台だ。

非モテ
中間目標の、その2とその3、聞いてもいいっすか?
親父
いいとも。聞いていけ。2.男女混合の集まりを作れるようになれ、っていうのは……、非モテ、合コンに必要なものは何だ?
非モテ
おしゃれな会場と粒揃いの参加者、ですか?
親父
じゃあ、それらをどうやって調達する?
非モテ
どうやって、と言われても……、手当たりしだい声をかけるくらいしか……。
親父
振り出しに戻ったな。そして、事は累積的に進むことも明らかになった。もてる奴は、粒ぞろいの参加者の一人として繰り返し、粒揃いの参加者たちが集う満足度の高い合コンに参加できるし、事によると主催することもできる。
こうやって、粒ぞろいの人脈を元手に、さらに粒ぞろいの人脈を広げていく。これを恋愛市場におけるマタイ効果とよぶ。新約聖書マタイ伝の一節、「富めるものはますます富み、貧しいものは持ってるものすら取り上げられる」というところから命名された。
非モテ
モテるものはますますモテるようになり、モテないものはますますモテなくなる、と。
親父
恋愛市場は労働市場のように二重化ないし多重化されている。大雑把に言えば、モテが参加参入できるモテ市場と、非モテが参加する非モテ市場だ。モテ市場への参加するコストは高い。それなりに粒ぞろいの人脈を投資できないと参加できない
。非モテ市場への参加コストは低いが、そのため供給を上回る需要が「価格」を高める。冷静になると大したことのない異性に、いきなり高値がついたりする。いわゆる女子マネ(ージャ)効果、紅一点効果だな。「オタサーの姫」も同じ理屈の上に成立する。
非モテ
親父師匠、では、どうすれば?
親父
いくつか方法はあるが、お勧めなのはブルー・オーシャン戦略だ。
非モテ
では、養殖少女ではなく、手つかずの天然少女に活路を見出せと。
親父
まあ、待て。とりあえず第一の中間目標がクリアーされていれば、人脈関係は量質ともにかなり改善されているはずだが、まあ、それは置いておいて、違う手を考えよう。
 そもそも何故合コンなんだ?頭数だけ男女同数揃えても、いいところを持って行くのは、いつも決まった少数者じゃないか。結局、男女が出会える場をつくればいいんだろう。わざわざ席替えを盛り込まないと、違う相手と話すことすらできない場づくりは、ほんとに男女交際について最適化されてるのか?
非モテ
確かにそういわれると。
親父
場づくりなら、いくらでも手があるぞ。未成年だから今のうちに言っとくが、月1回しか開かない、ちょっとありそうにない酒場を自分たちで開くなんて、どうだ? 余裕があるなら月2回でも週1でもいいが、無理はするな。
 スタッフはもちろん厳選、しかし「おれと付き合ってくれ」を目標にしてくどくのと、
「どこにもない酒場をやりたいんだけど、なんかアイデアない?」と誘うのとは、困難さにおいても、相手に残る印象の深さでも、雲泥の差があるぞ。酒場なんて原価の安い商売だ、儲からなくていいなら、かなりの良心的価格設定でできる。場所をみつけるのも、大いに助けを募れ。はっきりいってこの手の企画については、女子の方が何枚も上手だ。思う存分、力を借りろ。男性スタッフも女子に紹介してもらえ。一つの企画をやり切ると、参加メンバーの間には特別な関係が生まれる。「次はどんなおもしろいこと、やろうか」って声が出てくるようになれば、おまえさんの人脈はどんどん広がって行くだろう。
 この頃になれば、顔とプロポーションだけを追ってたナンパ馬鹿も、いい女を見ぬく目が育ってくるだろう。女子の間で、女子の評価はかなりシビアだ。いっしょに働くのは、いい経験だ。同じファミレスや居酒屋でバイトするにしても、ただ金と暇を引き換えにするのか、そういう自分の企画のための肥やしにするつもりで勤めるのとでは、見えるものが違ってくる。まあ、だいたい、おなじことを繰り返し言ってるんだがな。


まあ、いきなり店を開けってのは敷居が高いか。
なら、自分でヒトの集まりをつくる前に、集まりに参加することからはじめるといい。
とりあえず色恋と関係ないところ、自分の足が自然には向かないところがいいな(人間関係を広げる第一原則だ)。
あと金はかけろ。クソくだらないお見合いパーティに行くくらいなら、水商売や風俗にいくなら、とも付け加えとくか、たとえば割高な(値段設定の高い)英会話スクールへ行ってみろ。8割は、ちょっとしたお嬢さんだ。まあ語学系は、いずれにせよ女性が圧倒的に多いけどな。
 真面目に英語をやりに来てるから、不真面目だと総スカンを食う。だが、おまえさんが本気で英語をやる気を見せれば、どんなにヘタでも、恥をかくことはない。誰だって最初は初心者だ。むしろ、それを恐れずにやってきたドンキホーテは暖かい目で迎えられるだろう。そして、そういう場所でもスモール・トークができるようになれると、これもまた人脈を育てる。
 とにかく色恋抜きで、男女を混ざった集団を作れ。作れないなら探して見つけて参加しろ。そして参加しつつ、作り方を考えろ。


非モテ
「3.他人の恋の相談に乗れるようになれ」というのは?
親父
企画や集まりのオリジネーター(originator:発案者/発起人)をやってると人脈が広がるところまでは話したな。上下関係のない、フラットな集まりでも、「言い出しっぺ」のところには、様々な情報と悩み事が持ち込まれる。それを公平(フェア)にさばけるようになれば、結果は自動的についてくる。

誰に紹介されたら、女性はおまえをもっとも信用するか。第三者の賞賛が効果的であることは社会心理学の常識だが、中でも、すでに決まった相手のいる恋愛中の女性が、おまえを紹介してくれるなら、こんなに強い援軍はない(ついでにいうと魅力の高い女性から紹介された方がより有利となる)。これは男女どっちでもいえることだが、異性の友人は、異性を紹介してくれる。そしてそこで良い評判を持って紹介されれば、出会いの機会は、倍倍ゲーム的に広がる。異性の友人が増え続け、複数の人間が、おまえの援軍となるわけだ。
 まあ、この段階に至るには時間がかかるだろうけどな。まあ、じっくりやれ。
非モテ
押忍。ありがとうございました。
親父
あ、最後に一つ、さくらももこに『ひとりずもう』というマンガがある。このなかでバカそうな女子高に通ってるちびまるこのクラスメートたちが「ディスコにいって、彼氏を探そう」とか言って浮き足立ってるのを見つけた担任教師が「おまえたちが将来結婚したいような相手は、絶対にディスコなんかで踊ってはいない!そのひとたちは きっと今頃 家で勉強してるぞ!」って一喝するシーンがある。”

コトバによる「毛づくろい」で人の世は保たれる/ダンバー『ことばの起源:猿の毛づくろい、人のゴシップ』
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-125.html
” 実は脳内麻薬は、単調な肉体的刺激によっても分泌される。彼等は確かにイライラしている。それを押さえるための無意識の行動は、繰り返しの動作となることが多い。

 たとえば貧乏揺すり。思えば我々は、小さいころから年老いてまで、無意味に思えるほどの「繰り返し行動」をほんと繰り返し、飽きもせずやっている。事によると、これこそ、このストレスフルな社会で生きる生体防衛行動なのだ。


 しかし猿の毛づくろいは、それ以上の意義がある。

 毛づくろいはもちろん脳内麻薬を分泌させるが、それだったら相手は誰でもよさそうなものである。しかし毛づくろいは、ちゃんと相手を定めて行われる。

 しかも録音した猿の声をつかった実験では、お猿は自分の毛づくろい相手の声を聞き分ける。毛づくろいは、猿社会の紐帯なのだ。

 より大きな群れをつくるお猿ほど、より長い時間を毛づくろいにかける。しかし毛づくろいはかなりコストが高い。それをやってる間は他の事ができないからだ。

 最大の群れ(平均で個体数50)を持つ猿は、起きてる時間の1~2割もの時間を仲間との毛づくろいに費やす。

 人間の大脳皮質の割合から換算した「群れの大きさ」は約150人だから、式に当てはめると大体起きている時間の40%を「毛づくろい」に費やさなければならない。
 大変だ。
 もっと効率のよい手段としてコトバをつかうことにした、というのがオチ(親密に話すには4人程度という限界があるが、それでも1対1の毛づくろいよりは、3倍効率がよい)。

 つまりこういうことだ。
 内容のないコトバの交わし合い(これが言葉の使用の実に3/4を占める)=ゴシップこそは、コトバによる「毛づくろい」だ、と。
 
 あと、昔の人類は150人の群れでよかったが、都市に暮らす現代人はそんなに「毛づくろい」する相手がいないから、ゴシップ小説やカルトが流行る、とか、言わなくてもいいようなことを、最後にちょっとダンバーは付け加えてる。”

雑談の核(コア)となるのはネタではない
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-142.html
雑談(スモールトーク)は、言葉による毛づくろいである。

 重要なのは、何を話すかではなく、どのように話すか(また話さないか)である。
 
 身体に触れなければならない生業の人たちのことを思いだそう。

 見知らぬ他人の身体に触れることは、通常はタブーである。そうした行為が許される職業の人たちでも、相手の心理的障壁は無くなったわけではない。一時的に機能低下させられているにしてもだ。
 だから、少しでも心理的距離を縮めるために、美容師やマッサージ師は雑談(スモールトーク)する。
 もちろん、職業は雑談の必要性を求めても、その技術を保証するわけではない。話を聞けないカウンセラーがいるように、雑談のできない美容師はいる。しかし、あなたや友人が繰り返し指名する者がいるならば、彼らがどのように話すかは学ぶに足りる。あなたが二度と来るものかと思った相手がいるならば、どのように話すべきではないかを学ぶことができる。

 英会話であれ、雑談であれ、会話は話すことを通じてしかトレーニングできない。
 例文や決まり文句を覚えること、発音をブラッシュアップすることは、タタミの上の水泳に等しい。無意味だというのではない。それだけでは身につかない、というだけだ。順序として、まず話してみてから、例文のインプットや発音練習を行なうならば、逆の順序の場合よりも、多くのものを得られるだろう。
 雑談における「タタミの上の水泳」はないのだろうか? いくつかある。しかし話すことを避けては、いずれも意味も効果もないことは言うまでもない。

 雑談における「タタミの上の水泳」その1は、「相手がイエスと答える質問」を考えることである。もちろん、これは「誰を相手にするか?」で異なってくる。具体的に身近な人をターゲットにして、15秒でいくつ考えつくかを試してみよう。できれば書き出すこと。本当にその質問に相手がイエスと言ってくれるか、見なおすことができるし、細かい言い方を変えてバリエーションをもたせることもできる。できれは「イエスと答える」予想確率をそれぞれの質問ごとに予想し書き込んでおくといい。

 その相手と話す機会ができたら、質問の出来を検証する。相手がダイレクトに「イエス」という必要はない。表情を見れば、その質問が「当たり」であったかどうか、確認できる。むしろ表情から確認する力こそ、雑談においては大きなスキルである。
 意識的にであれ、無意識にであれ、ノン・バーバルなサインを拾える人は、雑談能力が高い。まず第一に、余計な言葉で、関係や会話の流れをぶち切ることを回避できる。加えて、話すことに大した内容が無くても、そうした人と話すのは心地好い。いくら話題が豊富でも、こちらの反応を無視して話す人は、ただのおしゃべりかビックマウスにしかなれない。
 
 雑談の能力のうち7,8割までが、ノン・バーバルなサインを拾うことと、ノン・バーバルなサインで相手に合わせること(たとえばうなずくこと)が占める。
 この視点で、誰かが楽しそうに話しているところを観察してみるといい(たとえば携帯で、そこにいない誰かと話している人を)。彼らは実に表情豊かに、身振り手振りもまじえて、ほとんど「どうでもいいこと」を話しているだろう。 
 言葉で嘘をつくより、表情で嘘をつくほうが難しい。

 雑談ベタは、自分のネタを話す事にいっぱいいっぱいで、少しも相手を、相手の反応を見ていない。あるいは悪く解釈できる反応ばかりを拾っている。
 相手があなたに興味を持っていないことが、相手の表情や身振りから分かっても、過敏に反応する事はない。そんなことは、あらかじめわかっていたことだ。だからこそ、あなたは雑談するのだ。

「最近~~はどうなの?」
 互いに知っている相手で、相手の喋りたい事に予想がつくならば、その話をしてくれるように話題を振ればいい。 

「すみません。教えていただけると助かります」

「~へはどう行けばいいですか?」

「ありがとうございました」「助かりました」

「寒くなりましたね」「ひさしぶりに気持ちのいい天気ですね」


 ほとんど初級英会話の例文のようになってきた。実のところ、初歩の英会話は、スモールトークのミニマム・セットだ。挨拶、簡単な自己紹介、天候の話題、依頼、そして感謝を述べること。これだけでは、何か意味のある事を話すには足りないが、人として最低限のレベルをクリアするものがそこにはある。


ーー
声で損をしている人は多い

【大魔導師への道①呼吸法・ボイトレ・姿勢】声と姿勢を良くする秘訣、問われず話すもおこがましいが、知らざあ言って聞かせやしょう!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-134.html


を実践しよう。

発声法に従って以下の文を音読みこめばいい。
般若心経は省いたけど覚えておくべき。

ボイトレ用。
書写山の社僧正シャア少佐の肩たたき器を暖かく迎え入れた柿食う客飛脚の東京特許許可局局長、高架橋橋脚上の究極高級航空機にて六カ国協議今日急遽休暇許可拒否。
公序良俗やお綾や親にお謝り お綾やお湯屋に行くことと骨粗鬆症訴訟勝訴を八百屋にお言い。
老若男女の低所得者層ジャズシャンソン歌手総出演新春シャンソンショー。
 探査車除雪作業中に京のなま鱈奈良なま学鰹に竹立てかけた高速増殖炉内の白装束集団の魔術師助手魔術修業中摘出手術中、集中術著述。


”祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、
諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。
娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、
盛者必衰(じやうしやひつすい)のことはり(ことわり)をあらはす。
おごれる人(ひと)も久(ひさ)しからず。
只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。
たけき者(もの)も遂(つひ・つゐ)にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。
遠(とほ・とを)く異朝(いてう)をとぶらへば、
秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、
是等(これら)は皆(みな)旧主(きうしゆ)先皇(せんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、
楽(たのし)みをきはめ、諫(いさめ)をもおもひいれず、
天下(てんが)のみだれむ事(こと)をさとらずして、
民間(みんかん)の愁(うれふ)る所(ところ)をしらざ(ッ)しかば、
久(ひさ)しからずして、亡(ばう)じにし者(もの)どもなり。
近(ちか)く本朝(ほんてう)をうかがふに、
承平(しようへい・せうへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(ぎしん)、平治(へいぢ)の信頼(しんらい)、
おごれる心(こころ)もたけき事(こと)も、皆(みな)とりどりにこそありしかども、
まぢかくは、六波羅(ろくはら)の入道(にふだう・にうだう)前太政大臣(さきのだいじやうだいじん)平(たひらの・たいらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)のありさま、
伝承(つたへうけたまは)るこそ心(こころ)も詞(ことば)も及(およ・をよ)ばれね。
其(その)先祖(せんぞ)を尋(たづ)ぬれば、
桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の皇子(わうじ)、
一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原親王(かづらはらのしんわう)九代(くだい)の後胤(こういん・こうゐん)、
讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(まご)、
刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛(ただもりの)朝臣(あそん)の嫡男(ちやくなん)なり。
彼(かの)親王(しんわう)の御子(みこ)高視(たかみ)の王(わう)、無官(むくわん)無位(むゐ)にしてうせ給(たまひ)ぬ。
其(その)御子(みこ)高望(たかもち)の王(わう)の時(とき)、始(はじめ)て平(たひら・たいら)の姓(しやう)を給(たまはつ)て、上総介(かづさのすけ)になり給(たまひ)しより、忽(たちまち)に王氏(わうし)を出(いで)て人臣(じんしん)につらなる。
其(その)子(こ)鎮守府将軍(ちんじゆふのしやうぐん)義茂(よしもち)、後(のち)には国香(くにか)とあらたむ。国香(くにか)より正盛(まさもり)にいたるまで、六代(ろくだい)は諸国(しよこく)の受領(じゆりやう)たりしかども、
殿上(てんじやう)の仙籍(せんせき・せんセキ)をばいまだゆるされず。”
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den146.htm


”行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

玉敷(たましき)の都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或いは去年(こぞ)焼けて、今年造れり。或いは大家(おほいえ)亡びて、小家(こいえ)となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中(うち)に、わづかに一人二人なり。朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。

知らず、生まれ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或いは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或いは花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つ事なし。

予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそじ)あまりの春秋(しゅんじゅう)をおくれる間に、世の不思議を見ること、ややたびたびになりぬ。

去(いんじ)、安元三年(あんげんさんねん)四月廿八日(にじゅうはちにち)かとよ。風烈しく(はげしく)吹きて、静かならざりし夜、戌(いぬ)の時ばかり、都の東南(たつみ)より、火出で来て、西北(いぬい)に至る。はてには、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などまで移りて、一夜のうちに、塵灰(じんかい)となりにき。

火元(ほもと)は、樋口富の小路(ひぐちとみのこうじ)とかや。舞人(まいびと)を宿せる仮屋より出で来たりけるとなん。咲き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇をひろげたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙(けぶり)に咽び(むせび)、近きあたりはひたすら焔(ほのお)を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅(くれない)なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一、二町を越えつつ移りゆく。その中の人、現し心(うつしごころ)あらむや。

或いは煙に咽びて倒れ伏し、或いは焔にまぐれて、たちまちに死ぬ。或いは身ひとつ、からうじて逃るるも、資財を取り出づるに及ばず。七珍万宝(しちちんまんぽう)さながら灰燼(かいじん)となりにき。その費え、いくそばくぞ。そのたび、公卿の家十六焼けたり。ましてその外、数へ知るに及ばず。惣て(すべて)都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女死ぬるもの数十人、馬・牛のたぐひ辺際を知らず。
人のいとなみ、皆愚かなる中に、さしも危ふき京中の家を造るとて、宝を費やし、心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍る。

また、治承(じしょう)四年卯月(うづき)のころ、中御門京極(なかみかどきょうごく)のほどより、大きなる辻風(つじかぜ)起こりて、六条わたりまで吹けること侍りき。

三、四町を吹きまくる間に、籠れる家ども、大きなるも小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平(ひら)に倒れたるもあり、桁(けた)・柱ばかり残れるもあり。門(かど)を吹きはなちて、四、五町がほかに置き、また、垣を吹き払ひて隣と一つになせり。いはんや、家のうちの資材、数を尽くして空にあり、檜皮(ひはだ)・葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。塵(ちり)を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず、おびたたしく鳴りどよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業(ごう)の風なりとも、かばかりにこそはとぞ覚ゆる。家の損亡(そんぼう)せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身をそこなひ、かたはづける人、数も知らず。この風、未(ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の嘆きをなせり。

辻風は常に吹くものなれど、かかることやある。ただごとにあらず、さるべきもののさとしか、などぞ疑ひ侍りし。

また、治承四年水無月(みなづき)のころ、にはかに都遷(うつ)り侍りき。いと思ひの外(ほか)なりしことなり。おほかた、この京の初めを聞けることは、嵯峨(さが)の天皇の御時(おんとき)、都と定まりにけるより後、すでに四百余歳を経たり。ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人安からず憂へ合へる、げにことわりにも過ぎたり。

されど、とかく言ふかひなくて、帝(みかど)より始め奉りて、大臣・公卿皆悉く移ろひ給ひぬ。世に仕ふるほどの人、たれか一人ふるさとに残り居らむ。官(つかさ)・位に思ひをかけ、主君の陰を頼むほどの人は、一日なりとも疾く(とく)移ろはむと励み、時を失ひ、世に余されて、期(ご)する所なきものは、愁へながら止まり居り。軒を争ひし人の住まひ、日を経つつ荒れゆく。家はこぼたれて淀河(よどがわ)に浮かび、地は目の前に畠(はたけ)となる。人の心みな改まりて、ただ馬・鞍(くら)をのみ重くす。牛・車を用とする人なし。西南海(さいなんかい)の領所(りょうしょ)を願ひて、東北の庄園(しょうえん)を好まず。

その時、おのづからことの便りありて、津の国の今の京に至れり。所のありさまを見るに、その地、ほど狭くて条理を割るに足らず。北は山に沿ひて高く、南は海近くて下れり。波の音、常にかまびすしく、塩風ことに激し。内裏(だいり)は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやと、なかなか様(よう)変はりて優なるかたも侍り。日々にこぼち、川も狭(せ)に運び下す家、いづくに造れるにかあるらむ。なほ空しき地は多く、作れる屋(や)は少なし。古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。

ありとしある人は皆浮雲の思ひをなせり。もとよりこの所に居るものは、地を失ひて愁ふ。今移れる人は、土木のわづらひあることを嘆く。道のほとりを見れば、車に乗るべきは馬に乗り、衣冠(いかん)・布衣(ほい)なるべきは、多く直垂(ひたたれ)を着たり。都の手振りたちまちに改まりて、ただ鄙びたる武士(もののふ)に異ならず。世の乱るる瑞相(ずいそう)とか聞けるもしるく、日を経つつ世の中浮き立ちて、人の心もをさまらず、民の愁へ、つひに空しからざりければ、同じき年の冬、なほこの京に帰りたまひにき。されど、こぼちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、ことごとくもとの様にしも造らず。

伝へ聞く、いにしへの賢き御世(みよ)には、憐れみをもちて国を治め給ふ。すなはち、殿(との)に茅(かや)葺きても、軒をだに整へず。煙の乏しきを見給ふ時は、限りある御調物(みつきもの)をさへ許されき。これ、民を恵み、世を助け給ふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

また養和のころとか、久しくなりて確かにも覚えず、二年が間、世の中飢渇(きかつ)して、あさましきこと侍りき。或いは春・夏、ひでり、或いは秋・冬、大風・洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀(ごこく)ことごとくならず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋刈り、冬収むるぞめきはなし。

これによりて、国々の民、或いは地を棄てて境を出で、或いは家を忘れて山に住む。さまざまの御祈(おんいのり)始まりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、源は田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟(ぞく)を重くす。乞食(こつじき)、路のほとりに多く、愁へ悲しむ声耳に満てり。

前の年、かくの如く、辛うじて暮れぬ。明くる年は、立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まさざまに跡形なし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつ、きはまりゆくさま、少水の魚(うお)のたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに、家ごとに乞ひ歩く(こいありく)。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地(ついひぢ)のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、臭き香(か)世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。

あやしき賤・山(しづやま)がつも力尽きて、薪(たきぎ)さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価(あたい)、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹付き(につき)、箔(はく)など所々に見ゆる木、あひ混じはりけるを尋ぬれば、すべき方なきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世(じょくあくせ)にしも生まれあひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。
また、いとあはれなる事も侍りき。さりがたき妻(め)・をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、稀々(まれまれ)得たる食ひ物をも、かれに譲るによりてなり。されば、親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先立ちける。また、母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳(ち)を吸ひつつ、臥(ふ)せるなどもありけり。

仁和寺(にんなじ)に隆暁法院(りゅうぎょうほういん)といふ人、かくしつつ数も知らず死ぬる事を悲しみて、その首(かうべ)の見ゆるごとに、額(ひたい)に阿字(あじ)を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。人数を知らむとて、四・五両月を数へたりければ、京のうち、一条よりは南、九条よりは北、京極(きょうごく)よりは西、朱雀(すざく)よりは東の、路(みち)のほとりなる頭、すべて、四万二千三百余りなんありける。いはんや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの辺地などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはんや、七道諸国をや。

崇徳院の御位の時、長承のころとか、かかる例(ためし)ありけりと聞けど、その世のありさまは知らず。眼のあたり、めづらかなりしことなり。

また、同じころかとよ。おびただしく大地震(おほなゐ)ふること侍りき。そのさま、世の常ならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌(いわお)割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波に漂ひ、道行く馬は足の立ちどを惑はす。都のほとりには、在々所々(ざいざいしょしょ)、堂舎塔廟(どうしゃとうびょう)、一つとして全(また)からず。或いはくづれ、あるいは倒れぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)に異ならず。家の内に居れば、たちまちにひしげなむとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(ない)なりけりとこそ覚えはべりしか。

その中に、ある武者のひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、築地のおほひの下に、小家を造りて、はかなげなるあどなしごとをして、遊び侍りしが、にはかにくづれ埋められて、跡形なく、平にうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりづつうち出だされたるを、父母かかへて、声を惜しまず悲しみあひて侍りしこそ、あはれに悲しく見侍りしか。子の悲しみには、たけき者も恥を忘れけりとおぼえて、いとほしく、ことわりかなとぞ見侍りし。
かく、おびたたしく震る(ふる)ことは、しばしにてやみにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。世の常、驚くほどの地震(ない)、二・三十度震らぬ日はなし。十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどお)になりて、或いは四・五度、二・三度、もしは一日まぜ、二、三日に一度など、おほかたその余波、三月(みつき)ばかりやはべりけむ。

四大種(しだいしゅ)のなかに、水・火・風は常に害をなせど、大地に至りては異なる変をなさず。昔、斉衡(さいこう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みぐし)落ちなど、いみじきことども侍りけれど、なほ、この度(たび)には如かずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。 ”
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/houjouki001.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/houjouki002.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/houjouki003.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/houjouki004.html

”月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊(ひょうはく)の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神(どうそじん)の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べつしよ)に移るに、

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家

表八句を庵の柱に掛け置く。

弥生(やよひ)も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、富士の峰幽か(かすか)に見えて、上野・谷中(やなか)の花の梢、またいつかはと心細し。睦まじき限りは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟をあがれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻の巷(ちまた)に離別の涙をそそぐ。

行く春や 鳥啼き(なき)魚の 目は泪(なみだ)

これを矢立(やたて)の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと、見送るなるべし。 ”
『おくのほそ道』の1:月日は百代の過客にして
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/hosomichi001.html


”序
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。
玉敷の都の中に、棟を竝べ甍を爭へる、尊き卑しき人の住居は、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年破れて今年は造り、あるは大家滅びて小家となる。住む人もこれにおなじ。處もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、誰がために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。その主人と住家と、無常を爭ひ去るさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花殘れり。殘るといへども朝日に枯れぬ。或は花は萎みて露なほ消えず。消えずといへどもゆふべを待つことなし。

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安元の大火
およそ物の心を知りしより以來、四十あまりの春秋を送れる間に、世の不思議を見ること、やゝ度々になりぬ。
いにし安元三年(*1177年)四月二十八日かとよ、風烈しく吹きて靜かならざりし夜、戌の時ばかり、都の巽より火出で來りて、乾に至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部省まで移りて、一夜が程に、塵灰となりにき。
火元は樋口富小路とかや。病人を宿せる假屋より出で來けるとなむ。吹き迷ふ風に、とかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如く、末廣になりぬ。遠き家は煙にむせび、近き邊はひたすら焔を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なるなかに、風に堪へず吹き切られたる焔、飛ぶが如くにして、一二町を越えつゝ移り行く。その中の人現心あらむや。或は煙にむせびてたふれ伏し、或は焔にまぐれて忽ちに死にぬ。あるは又、僅に身一つ辛くして遁れたれども、資材を取り出づるに及ばず、七珍萬寶、さながら灰燼となりにき。その費いくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち三分が一に及べりとぞ。男女死ぬる者數千人、馬牛の類邊際を知らず。
人の營みみな愚かなるなかに、さしも危き京中の家をつくるとて、寶を費し心をなやますことは、勝れてあぢきなくぞ侍るべき。

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治承の辻風
また治承四年(*1180年)卯月二十九日の頃、中御門京極のほどより、大きなる辻風おこりて、六條わたりまで、いかめしく吹きける事侍りき。
三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大きなるも、小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり、桁柱ばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほどに置き、又垣を吹き拂ひて、鄰と一つになせり。いはんや家の内の寶、數を盡して空にあがり、檜皮葺、板の類、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなり動む(*ママ)音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かくこそはとぞ覺えける。家の損亡せるのみならず、これを取り繕ふ間に、身を害ひて、かたはづけるもの、數を知らず。この風坤の方に移り行きて、多くの人の歎きをなせり。
「辻風は常に吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず、さるべき物のさとしか。」などぞ(*原文「さとしかなとぞ」)、疑ひ侍りし。

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福原遷都
又おなじ年の六月の頃、俄に都遷り侍りき。いと思ひの外なりし事なり。大方この京のはじめを聞けば、嵯峨天皇の御時、都と定まりにけるより(*薬子の変以後を指すか。)後、既に數百歳を經たり。ことなる故なくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人たやすからず愁へあへるさま、ことわりにも過ぎたり。されどとかくいふかひなくて、御門より始め奉りて、大臣、公卿、こと\〃/く移りたまひぬ。世に仕ふるほどの人、誰かひとり故郷に殘り居らむ。官位に思ひをかけ、主君の蔭をたのむ程の人は、「一日なりとも疾く移らむ。」とはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、期する所なき者は、愁へながらとまり居たり。軒を爭ひし人の住居、日を經つゝ荒れ行く。家は毀たれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、唯馬鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ願ひ、東北國の莊園をば好まず。
その時、おのづから事の便りありて、津の國今の京に到れり。所の有樣を見るに、その地ほどせばくて、條里を割るに足らず。北は山にそひて高く、南は海に近くて下れり。波の音常にかまびすしくて、鹽風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木丸殿もかくやと、なか\/樣かはりて、優なるかたも侍りき。日々にこぼちて、川もせきあへず運びくだす家は、いづくに作れるにかあらむ。なほ空しき地は多く、作れる家は少なし。故郷は既に荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。もとよりこの處に居たるものは、地を失ひて愁へ、今うつり住む人は、土木の煩ひあることを嘆く。道の邊を見れば、車に乘るべきは馬に乘り、衣冠布衣なるべきは直垂を著たり。都のてぶり忽ちに改りて、唯鄙びたる武士に異ならず。これは世の亂るゝ瑞相(*前兆)とか聞きおけるもしるく、日を經つゝ世の中うき立ちて、人の心も治らず、民の愁へ遂に空しからざりければ、同じ年の冬、なほこの京に歸り給ひにき。されど毀ちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、悉くもとのやうにも作らず。
ほのかに傳へ聞くに、いにしへの賢き御代には憐みをもて國を治め給ふ。すなはち御殿に茅を葺きて、軒をだに整へず、煙の乏しきを見給ふ時は、かぎりある貢物をさへゆるされき。これ民を惠み、世をたすけ給ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

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養和の飢饉
又養和の頃かとよ、久しくなりてたしかにも覺えず。二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。あるは春夏日でり、あるは秋冬大風大水など、よからぬ事どもうち續きて、五穀悉く實らず。空しく春耕し、夏植うる營みのみありて、秋刈り冬收むるぞめきはなし。
これによりて國々の民、あるは地を捨てて境を出で、あるは家をわすれて山に住む。さま\〃/の御祈り初まりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらに其のしるしなし。京の習ひ、何わざにつけても、みなもとは田舍をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操も作りあへむ。念じわびつゝ、樣々の寶物かたはしより捨つるが如くすれども、更に目みたつる人もなし。たま\/易ふる者は、金を輕くし、粟を重くす。乞食、道の邊に多く、愁へ悲しぶ聲耳に滿てり。
さきの年(*治承5年=養和元年〈1181〉)かくの如く、辛くして暮れぬ。明くる年は、立ちなほるべきかと思ふに、あまさへ(*ママ)疫病うちそひて、まさるやうに跡方なし。
世の人皆飢ゑ死にければ、日を經つゝきまはり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。はてには笠うち著、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものども、歩くかと見れば、即ち倒れ死ぬ。築地のつら、路のほとりに飢ゑ死ぬる類は數も知らず。取り捨つるわざもなければ、臭き香、世界にみち\/て、變り行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。況んや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。
あやしき賤・山がつも、力盡きて、薪にさへ乏しくなりゆけば、頼む方なき人は、自ら家を毀ちて、市に出でて之を賣るに、一人が持ち出でたる價、なほ一日が命を支ふるにだに及ばずとぞ。怪しき事は、かゝる薪の中に、丹つき、白銀黄金の箔など、所々につきて見ゆる木のわれ相交れり。これを尋ぬれば、すべき方なき者の、古寺にいたりて、佛を盜み、堂の物の具を破り取りて、わりくだけるなりけり。濁惡の世にしも生れ逢ひて、かゝる心憂きわざをなむ見侍りし。
又、あはれなること侍りき。さり難き女男など持ちたるものは、その思ひまさりて志深きは必ず先だちて死しぬ。その故は、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふ方に、たま\/乞ひ得たる物を、まづ讓るによりてなり。されば親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先だちて死にける。また母が命つきて臥せるをも知らずして、いとけなき子の、その乳房に吸ひつきつゝ、臥せるなどもありけり。
仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ數知らず死ぬることを悲しみて、聖を數多語らひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月が程數へたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百餘りなむありける。況んやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、西の京、もろもろの邊地などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはんや諸國七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝる例はありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、悲しかりしことなり。

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元暦の大地震
また元暦二年のころ、大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水湧きあがり、巖割れて谷にまろび入り、渚こぐ船は浪にたゞよひ、道行く駒は足の立處をまどはせり。況んや都の邊には、在々所々堂舍塔廟、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬる間、塵灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の震ひ、家の破るゝ音、雷に異ならず。家の中に居れば、忽ちにうち挫げなむとす。走り出づれば、また地割れ裂く。羽なければ空へもあがるべからず、龍ならねば雲にのぼらむ事難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけりとぞ覺え侍りし。その中にある武士のひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、築地のおほひの下に小家を作り、はかなげなる跡なしごとをして遊び侍りしが、俄に崩れ埋められて、あとかたなく平にうちひさがれて(*押し潰されて)、二つの目など、一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲も惜しまず悲しみ合ひて侍りしこそ、あはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみには、猛き武士も恥を忘れけりと覺えて、「いとほしく。理かな。」とぞ見侍りし。かくおびただしくふる事は、暫しにて止みにしかども、その餘波屡絶えず。世の常に驚くほどの地震、ニ三十度ふらぬ日はなし。十日二十日過ぎにしかば、やう\/間遠になりて、或は四五度、ニ三度、もしは一日まぜ(*一日おき)、ニ三日に一度など、大方その餘波三月許りや侍りけむ。四大種(*四大)の中に、水火風は常に害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。「昔、齊衡(*ママ)の頃かとよ。大地震ふりて、東大寺の佛の御頭落ちなどして、いみじき事ども侍りけれど、猶この度には如かず。」とぞ。すなはち人皆あぢきなき事を述べて、聊か心の濁りも薄らぐかと見し程に、月日重なり、年越えしかば、後は、言の葉にかけていひ出づる人だになし。 ”
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/hojoki.htm
(現世は儚き生き地獄。
来世は墓無き死に地獄。
世の儚さ、対句、七五調、主役の先祖の紹介、
風、火、飢饉、地震の描写はこれら名文を訳して前後の文にあるようにしたらよろし。
古文の勉強は徒然草を現代語訳だけ読むことから始めたらいいよ。
徒然草が自分が習った中では一番役に立っているからね。
一番気になった段の原文を徹底的に勉強して暗唱できるまでにする。
いかに学ぶ価値があると実感できるかが重要)

花伝書「風姿花伝」本文
http://www.geocities.jp/actartcreator/shiryoushitzu/kaden-honbun.html
”古きを学び、新しきを賞するなかにも、全く風流をよこしまにすることなかれ。
 ただことばいやしからずして、すがた幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきか。まずこの道にいたらんと思 はんものは、非道を行ずべからず。ただし、歌道は風月延年の飾りなれば、もつともこれを用ふべし。
 およそ、若年よりこのかた、見聞きおよぶところの稽古の条々、大概注しおくところなり。

 一、好色、博奕・大酒、三の重戒、これ古人のおきてなり。
 一、稽古は強かれ、情識はなかれとなり。 ”

”じょうしき【情識】とは。意味や解説、類語。[名・形動ナリ]1 仏語。心。迷いの心。2 強情であること。また、そのさま。頑固。「稽古はつよかれ、―はなかれとなり」〈花伝・序〉”
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/108600/meaning/m0u/

ビジネスパーソンに捧ぐ世阿弥のことば|
http://www.the-noh.com/jp/zeami/words.html


精神安定術も会話術の一つ。

安那般那念
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%82%A3%E8%88%AC%E9%82%A3%E5%BF%B5
"安那般那念(あんなはんなねん[1]、巴: ānāpāna-sati(アーナーパーナ・サティ)、梵: ānāpāna-smṛti(アーナーパーナ・スムリティ))とは、仏教の瞑想法の一種。安般念(あんぱん[1]ねん)、安般守意(あんぱん[1]しゅい)、阿那波那(あなはな)[1]、入出息念、出入息念、持息念、数息観などとも。
(…)
ānāpāna(アーナーパーナ)とは、「āna」(アーナ)と「apāna」(アパーナ)の合成語であり、「āna」(アーナ)は「入息」を、「apāna」(アパーナ)は「出息」を意味する。
また、sati(サティ)やsmṛti(スムリティ)は、「念」(意識していること)を意味する。
合わせて、ānāpāna-sati(アーナーパーナ・サティ)、ānāpāna-smṛti(アーナーパーナ・スムリティ)とは、「入出息(呼吸)を意識すること」(あるいは、呼吸を数えること)を意味し、上記のような音訳・意訳も含む、様々な漢訳語が生み出され、使用されている。
(…)
安那般那念は、狭義には、文字通り「入出息(呼吸)を意識する」(あるいは、呼吸を数える)ことで、意識を鎮静・集中させる「止行」(サマタ瞑想)の一種、ないしは導入的な一段階を意味するが、広義には、そこから身体の観察へと移行していき、「四念処」に相当する「観行」(ヴィパッサナー瞑想)の領域も含む行法全般を指す。
(…)
「安那般那念経(Ānāpānasati sutta)」では呼吸を使った瞑想法について次のように具体的に記述されている。以下は安那般那念経(パーリ語の英訳版)からの引用である。

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'[3][4] 長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paṭisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)[5]を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)[5]を静めて息を吐こう」と訓練する。

これがどのように修行をするのかについて書かれた一節である。このような修行に関して次のように述べられている。

This is how mindfulness of in-&-out breathing is developed & pursued so as to be of great fruit, of great benefit.[3][6] これが呼吸による気づきであり、このように熱心に行い、自身を訓練することは大きな果報となり、大きな利益となる。
"


読書多謝
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終末なにしてますか?神学ですか?哲学ってもらっていいですか?手加減なしで書く哲学記事と、プラトン『メノン』メモ翻訳比較 

使注追加中う メノン読むと哲学が止まらなくなったのでかき殴った生地。

プラトンは生まれる前の魂は全知だと考えていたらしい。
何でも知っている、輪廻転生を繰り返す不滅の魂は全知であり、刺激を受けてその記憶を想起することで、事物に対する知識を生み出すという想起(アムネーシス)説。
長所(アレテー)を身に付けているのは、知性とは無関係に(知性がなくてもアレテーがある)、神的なもののおかげらしい。

ナルトとプラトンを結びつけて論じたのは恐らく私が初だが今回は渇愛、じゃなくて割愛。私のツイートか過去記事をどうぞ。


フェイド大帝
「プラトンは「メノン」で”徳(アレテー)”は教育によって
教えれる物なのかどうかを問題に挙げている。
結論を言うと、プラトンに拠れば”徳”というのは
先天的にしか身に付かない
と唱えている。
プラトンがイラン系宗教の隠れ信者であったことは既知の
事実であるが、「メノン」ではプラトンが実は”輪廻転生”を
信じている
ことが分かる記載がある。

プラトンは”徳”と言うものは前世が記憶しているからこそ
現世においてそれが”徳”であると認識できるのだと
説いている。
つまりプラトン哲学だと”徳”は前世から「遺伝」
するのだ!

アスラ
=自然/本能の神格化=自然/本能のまま生きる「貪人」

デーヴァ
=自然/本能を制御する文明=本能を制御する「魂人」」

ーーー


プラトン
『メノン 徳(アレテー)について』渡辺邦夫/訳 光文社古典新訳文庫
と『メノン』 藤沢令夫訳 岩波文庫

・アレテー=ものの働きの卓越性、良い性能、優れたところ。
人のアレテーは徳と訳されることが多い。
(誤訳じゃねーか!長所って訳のほうがよくないか?)

『メノン』 藤沢令夫訳 岩波文庫 1994年
“こうして、魂は不死なるものであり、すでにいくたびとなく生まれかわってきたものであるから、そして、この世のものたるとハデスの国のものたるとを問わず、いっさいのありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。だから、徳についても、その他いろいろの事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起すことができるのは、何も不思議なことではない。なぜなら、事物の本性というものは、すべて互いに親近なつながりをもっていて、しかも魂はあらゆるものをすでに学んでしまっているのだから、もし人が勇気をもち、探求に倦むことがなければ、ある一つのことを想い起したこと――このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが――その想起がきっかけとなって、おのずから他のすべてのものを発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ。”p.47-48(81C、D)

”徳というものは、もし徳が誰かにそなわるとすれば、それは明らかに、神の恵みによってそなわるのだということになる。”p.118(100B)

『メノン 徳(アレテー)について』プラトン/著 渡辺邦夫/訳(光文社古典新訳文庫)
このように魂は不死であり、すでに何度も生まれてきており、この世のことでも冥府のことでもあらゆることがらをすでに見てきたので、魂が学び知っていないことは何もないのだ。したがって、徳(アレテー)についても他のさまざまなことについても、なにしろ魂が『以前にもう』知っていたことなので、魂がこれらを想起できることには何の不思議もない。
なぜなら事物の自然本性はすべて同族であり、魂はすべてのことを学び知っているので、人が或るたったひとつのことでも想起するなら――このことを人間どもは「学習」と呼んでいるが――、その人が勇敢であり、探究を厭わなければ、他のすべてをかれが発見することには何の妨げもないのである。というのも探究することと学習することは、けっきょく全体として、想起することに他ならないから。
”p.70(81C、D)
※『以前にもう』は、引用元では『』はなく、『』内にある文字に傍点。本ブログ形式ではルビはふれないので仕方なし。
※自然本性(フュシス)はネイチャーの起源であり、日本語の自然よりも意味が広い。
或る物事「の」自然本性、例えば、人間の・国家の・アレテーの自然本性(フュシス)のように様々な語に使える。

”徳(アレテー)は、それが人に備わる場合にはいつも、神的な運命によってわれわれに備わることは明らかである。”p.156(100B)


岩波文庫版
ソクラテス
“おまけに、どうやらぼくは、美しい人たちの前に出ると弱い男だということを、君に見ぬかれてしまったらしいね。……しかたがない、君の機嫌をとるために、答えることにしようか。”

光文社版
ソクラテス
“それに、きみは同時に、わたしが美少年にはからきし弱いということに、どうやら気づいたようだね。
そのようなわけで、わたしはきみの気を引くようにして、答えてあげよう。”p.46(76C)

(オルフェウス教とピタゴラス派は魂は不死だという思想を、プラトンは受け継いでいる。

まったく、「ホモ」・サピエンスの業は深いぜ!
欧州貴族が同性愛容認なのはプラトンの影響が大きいです。
そしてキリスト教では同性愛は(表向き)禁止。
つまり、タブー化による利権が生じるわけです。
禁酒法と同じ構造。
非差別層に特権を与えて間接統治させるのも、差別というタブーによる利権の強化をする目的もあります。
日本の江戸時代みたいに同性愛なんて当たり前だったら裏社会利権化はしないわけです。
同性愛容認か反対かどうかでどの陣営に属するかがわかります。
性に関しては妥協しにくいので分かりやすいです。
聖書絶対陣営(ネトウヨとか)は聖書絶対なので聖書の記述通り、
同性愛者は殺せ=同性愛反対です。
逆に、科学重視派、欧州貴族とバチカンの宗教統一賛成派は同性愛容認です。
これから、人口抑制の為に同性愛を推奨するでしょう。
そして同時にギリシャ文化やギリシャの哲学者を宣伝するでしょう。

すくすく。 @ScreamoTAI · 4月7日
面白いのは、江戸時代までの男色は「大人が美少年とやる」ものなわけです いわゆる「ボーイズラブ」ではない 少年同士の対等な性愛文学は明治後期まで待たないといけない 腐女子というジャンルを生み出した源流は明治時代でした)

プラトン全集読破ポータル
http://narimasu.wordpress.com/plato/
内の
プラトン『メノン』メモ
http://narimasu.wordpress.com/2013/12/11/%e3%83%97%e3%83%a9%e3%83%88%e3%83%b3%e3%80%8e%e3%83%a1%e3%83%8e%e3%83%b3%e3%80%8f%e3%83%a1%e3%83%a2/

徳は教えられうるか
想起説 (例として正方形の面積を求める過程)
「知識」と「思わく」の違い

なお副題は「徳について」。以下は読書時のメモです。

メノン「こういう問題に,あなたは答えられますか,ソクラテス。―人間の徳性というものは,はたしてひとに教えることができるものであるか。それとも,それは教えられることはできずに,訓練によって身につけられるものであるか。それともまた,訓練しても学んでも得られるものではなくて,人間に徳がそなわるのは,生まれつきの素質,ないしはほかの何らかの仕方によるものなのか…。」(70A)

ソクラテス「すくなくとも,君がこの土地のだれかをつかまえて,いまのような問をかけるつもりになってみれば,それがわかるだろう。きっと誰でもわらってこう答えるだろうから。
「客人,どうやら君には,ぼくが何か特別に恵まれた人間にみえるらしいね。徳が教えられうるものか,それともどんな仕方でそなわるものなのか,そんなことを知っていると思ってくれるとは!だがぼくは,教えられるか教えられないかを知っているどころか,徳それ自体がそもそも何であるかということさえ,知らないのだよ。」」(71A)

ここで,ソクラテスの本対話篇での一貫した立場を架空の人物に語らせています。つまり「徳とは何か」が分からないのだから,それがどういうものであるか,つまり教えられるのかどうか,というのも分からない,と。

ソクラテス「君があげたいろいろの徳についても同じことが言える。たとえその数が多く,いろいろの種類のものがあるとしても,それらの徳はすべて,ある一つの同じ相 (すがた) (本質的徳性) をもっているはずであって,それがあるからこそ,いずれも徳であるということになるのだ。この相 (本質的徳性) に注目することによって,「まさに徳であるところのもの」を質問者に対して明らかにするのが,答え手としての正しいやり方というべきだろう。ぼくの言おうとすることがわからないかね?」(72C)

この言葉の前には,「男の徳は~,女の徳は~,子供の徳は~」といったように色んな条件での徳があるとメノンが言い,それに対するソクラテスの言葉です。
所謂「イデア」を思わせる言葉です。…

メノン「正義は,ソクラテス,徳なのですから。」
ソクラテス「徳,だろうか,メノン,それとも,徳の一種だろうか?」
メノン「と言われる意味は?」
ソクラテス「ほかの何についても言えるようなことだ。たとえば,円形というものについて考えてみてもよいが,ぼくなら,それを形の一種であると言って,ただたんに形であるとは言わないだろうね。なぜそういうふうに言うかというと,ほかにもいろいろ形があるからだ。」(73D)

メノン「それでは,勇気が徳であると私には思われますし,それから節制,知恵,度量の大きさなど,ほかにもずいぶんたくさんあるでしょう。」
ソクラテス「再度われわれは,メノン,同じ目にあったわけだね。一つの徳を求めながら,またしてもわれわれはたくさんの徳を見つけ出してしまった。そうなるに至った手順は,さっきとは別だけれども。君のあげたすべての徳目をつらぬいているただ一つの徳を,どうしてもわれわれは見つけ出すことができないのだ。」(74A)


あとこれは知らない人には何の事だかサッパリだと思いますが,ソフトウェア開発の「オブジェクト指向」の考え方で,イデア論やもしくは哲学を説明しようとする試みが行なわれていたのをどこかで見たことを思い出しました。ここの部分は,いかにも is-a 関係 (つまり継承) の例になりそうなので。私自身は,真実を追求する姿勢に数学的・理系的なものを感じたり,対話のやり方にアジャイル的なものを感じることはあっても,ソフトウェア開発の方法論を当てはめる観点でプラトンを読もうと思ったことはありません。

ソクラテス「そして問答法においては,ただたんにまちがっていない答をあたえるだけでなく,質問者が知っていると前もって認めるような事柄を使って答えるのが,おそらくその結果によりかなったやり方というべきだろう。」(75D)

これはさらっと書かれていますが,案外プラトン対話篇をつらぬく重要なことかもしれません。というのは,プラトン対話篇というのは読者に何の前提知識も求めず,何から読んでもそれ単体で読めるものになっているからで,それを示しているようにも思えるからです。知らないことを知っていると思わせないために,「分かった気にさせない」ということでもあるのかなと思います。

メノン「ソクラテス,お会いする前から,うわさはかねがね耳にしていました―あなたという方は何がなんでも,みずから困難に行きづまっては,ほかの人々も行きづまらせずにはいない人だと。げんにそのとおり,どうやらあなたはいま,私に魔法をかけ,魔薬を用い,まさに呪文でもかけるようにして,あげくのはてにこの私を,すっかり途方にくれさせてしまったようです。もし冗談めいたことをしも言わせていただけるなら,あなたという人は,顔かたちその他,どこから見てもまったく,海にいるあの平べったいシビレエイにそっくりのような気がしますね。なぜなら,あのシビレエイも,近づいて触れる者を誰でもしびれさせるのですが,あなたがいま私に対してしたことも,何かそれと同じようなことであるように思われるからです。なにしろ私は,心も口も文字通りしびれてしまって,何をあなたに答えてよいのやら,さっぱりわからないのですから。」(80A)

ソクラテス「それから,このぼくのことだが,もしそのシビレエイが,自分自身がしびれているからこそ,他人もしびれさせるというものなら,いかにもぼくはシビレエイに似ているだろう。だがもしそうでなければ,似ていないということになる。なぜならぼくは,自分では疑問からの抜け道を知っていながら,他人を困難に行きづまらせるというのではないからだ。道を見うしなっているのは,まず誰よりもぼく自身であり,そのためにひいては,他人をも困難に行きづまらせる結果となるのだ。」(80C)

シビレエイのたとえが出てきました。ソクラテスの対話でよく出てくる,所謂アポリアーです。但し前半の言葉によると,実際にソクラテスの容姿はシビレエイそっくりらしいのですが。これは貴重な証言なのではないでしょうか。…

ソクラテス「こうして,魂は不死なるものであり,すでにいくたびとなく生まれかわってきたものであるから,…魂がすでに学んでしまっていないようなものは,何ひとつとしてないのである。だから,徳についても,その他いろいろの事柄についても,いやしくも以前にもまた知っていたところのものである以上,魂がそれらのものを思い起こすことができるのは,何も不思議なことではない。なぜなら,事物の本性というものは,すべて互いに親近なつながりをもっていて,しかも魂はあらゆるものをすでに学んでしまっているのだから。もし人が勇気をもち,探求に倦むことがなければ,ある一つのことを想い起したこと―このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが―その想起がきっかけとなって,おのずから他のすべてのものを発見するということも,充分にありうるのだ。それはつまり,探求するとか学ぶとかいうことは,じつは全体として,想起することにほかならないからだ。」(81C)

これが「想起説」と呼ばれるもののようです。そもそもメノンが「知っている事柄については,既に知っているのだから探求する必要がない,しかし知らない事柄については,何を探求すればよいのか分からない」ということを指摘した (実際にはソクラテスに言わせた) のがきっかけで,ソクラテスが語ったことです。
科学的な知見がない時代なので,本能的なものがなぜ人間に備わっているのかを説明しようとしたとも思えます。しかしどちらかといえば,セレンディピティみたいな後天的な閃きに近いでしょうか。それにしても上手い説です。本当によく考察した結果なのだなと思います。

この後,メノンの召使に正方形の面積についての問題を「想起」によって解かせる場面があります。メモは全面的に省略しましたが,面白い場面です。ここは「いかにして問題をとくか」という古典的な本 (理系では有名?) で,生徒に先生がどう図形の問題を解かせるかを教える場面を思い出しました。非常に似ていると思います。つまり未知の問題を解くプロセスとして,この想起説の考え方は今にも生きているのではないかと思います。

ソクラテス「とすると,もし徳というものが,魂にそなわる資質のひとつに数えられるようなものであり,また,かならず有益なものでなければならないとするならば,徳とは知でなければならないことになる。なぜなら,いやしくもすべて魂の資質というものは,それ自体単独では有益なものでも有害なものでもなく,そこに知もしくは無知がはたらくことによってはじめて,有害なものとなったり有益なものとなったりするのだから。こうしてこの議論にしたがえば,徳が有益なものである以上,それはひとつの知でなければならないのだ。」(88C)

この少し前では,「例えば勇気は,正しい知識が伴わなければ害を受け,伴えば有益になる」というようなことを言われます。ということで,徳は善いものであれば知識であり,知識なのであれば教えられる,という論理的な帰結が導かれたことになります。しかしそもそも徳は知識なのか?という疑問が生じ,「思わく」というものを提示した結果,次のように言われます。

ソクラテス「してみると,行為の正しさということに観点をおくなら,正しい思わくは,導き手としての「知」に何ら劣るものではないことになる。そしてこの点こそ,われわれがさっき,徳とはいかなるものかを考察するにあたって,見のがしていたことなのだ。われわれは,正しい行為を導くのはただ「知」だけだと言っていたのだから。実際にはしかし,正しい思わくもまたそうだったのだ。」(97B)

「思わく」の例として,実際に目的地までの道を歩いたことがあり行き方を知っている (知識) のと,歩いたことはないが行き方の見当をつけて,それが結果的に正しい (正しい思わく),ということが直前に書かれています。目的地に到着できるかぎりでは,知識と正しい思わくは同じだと。

ソクラテス「つまり,正しい思わくというものも,やはり,われわれの中にとどまっているあいだは価値があり,あらゆるよいことを成就させてくれる。だがそれは,長い間じっとしていようとはせず,人間の魂の中から逃げ出してしまうものであるから,それほどたいした価値があるとはいえない―ひとがそうした思わくを原因 (根拠) の思考によって縛りつけてしまわないうちはね。しかるにこのことこそ,親愛なるメノン,先にわれわれが同意したように,想起にほかならないのだ。そして,こうして縛りつけられると,それまで思わくだったものは,まず第一に知識になり,さらには,永続的なものとなる。ここにこそ,知識が正しい思わくよりも高く評価されるゆえんであり,知識は,縛りつけられているという点において,正しい思わくとは異なるわけなのだ。」(97E)

ここで「想起」と「知識と思わくの違い」が結びつきます。
「思わくを縛り付けたものが知識」というのは結構実感できる部分です。同じことを訊かれても,その時々で自分の答えが変わるようなことは確固たる知識ではないのかもしれません。他方で確かに自分の中で何か順序だてて答えを導いたようなことは,頭の中でしっかりと定着したような感じになります。このプロセスが「想起」なのだと言われれば,すごく納得します。

ソクラテス「してみると,実際の行為に関するかぎり,正しい思わくは,知識とくらべて何ひとつ劣るところはなく,また有益であるという点でも,けっしてひけをとらないわけだね。同じことは,正しい思わくをもっている人と,知識をもっている人とをくらべた場合にも言えるだろう。」(98C)

ということで,ここから,過去の偉大な政治家等の人物が国を治めることができたのは,知識を持っていたのではなく,正しい思わくをもっていたにすぎない,ということが言われます。知識ではないから,子孫に伝えられなかったのだと言われます。そしてその思わくは,神によって授けられるものである,と言われます。…ただこの結論は,どちらかといえば時間切れという側面なのかなと思います。結局は,ソクラテスの最初からの姿勢である,「そもそも徳とは何であるか」をまず明らかにすべき,というところで終わります。”


ーーー
ここに注目すると思想を学ぶときにより面白いかもしれない論点

うにょうさんそう【右繞三匝/右遶三匝】とは。意味や解説、類語。仏語。礼式の一で、仏に対して右回りに3回まわること。また、その作法。
トリは霊魂の比喩。

このツイート見てエジプトの心臓とか調べてた。
でインドと比較した。

TOMITA_Akio‏ @Prokoptas 20時間20時間前
ところで地獄はどこにあるのか?
エチオピア語エノク書によれば、死者は地上、地下、地獄に分かれて住み、
スラヴ語エノク書では、地下の地獄、第3天北側の地獄、そのほかに第2天と第5天に懲罰の場が存在する。
ギリシア語ペテロ黙示録によれば、七層天のどこかにあるだろう……。(クリアーノ)
精緻を極めたエジプト死者の書によれば、死者の心臓が審判されるのは天でも地でもないツアトである。
仏教的に言えば中有であろうか。ツアトは地上と同じであるが、ただ次元が異なる。その意味で、ウェイト版で恋人/審判/悪魔札の男女の立ち位置がくるくる異なるのは納得のゆくことである。

「この世」の人間と「あの世の」人間と共通するのは心臓のみで、この心臓が秤にかけられる。義人の心臓は返還されるが、そうでない者はそのまま凶霊の国に落とされる。心臓を還された魂は、クウという身体をまとうカーになる。そこで修業すればバーに昇格すると(『死者の書』)。








凶霊の国の詳細はわからないが(とアニは言う)、「そこは水なく空気なく、霊たちは生命力を失ってあてどなく処々を彷徨う」と。これは、エチオピア語エノク書と同じであることが注目。「天蓋が上になく、下に地の基がなく、上に水がなく、鳥もいない、荒涼たる、ものすごい場所を見た」(18章)。
「港に入り、発芽し、クウは育つ、これによりてバーは生きるなり」……「港に入り」とは人間として死んで霊界に入ること……「発芽し」の意味はクウが生まれること……しかしそのクウは無から生まれるのではない。死者の遺体から”発芽”するのだ。……そこで遺体保存……という理路だ。『死者の書』

『死者の書』が腐敗を恐れる程度は半端でない。しかし腐敗はまた生命(体)を生むこともよく知っていた。「エジプトの牛をとある場所に埋め、角だけを地面から出しておき、しかる後に鋸で切り落とすと、蜜蜂たちが飛び出してくる……牛が腐ってその生物に分解するという」アンティゴノス断片19。


死者の書によると、この世界は「原始初生の一滴」の水から生じた、その精が男神ヌウと女神ヌウトだった。「一面水だらけの水面に大きな波が二つ起きた。二つの波は遠く離れた水面に起きたが、それが次第に寄り添ってやがて互いに砕け合った。そしてそこからぽっかりと一つの丸いものが生まれ出た。→

これが実は霊界の生命の根源、太陽神ラアの誕生であった。……二神は相談して、「ラアを浮かべる天の水面として空を生んでやった。「ラアは水から生まれたし、空もまた水から生まれた。そこで空には水面と同じように地上のものが映る。→
ラアは空の水鏡に映った地上……を見間違えて自分の航路を間違えることがしばしばあった」。 天界も地下界も、「この世」の鏡像にすぎない。 「霊の世界はあくまで心の世界だ」と、『死者の書』は驚きべきことを言ってのける(『世界最古の原典エジプト死者の書』p.129)。



無職童貞を無色透明にかえると単なる透明人間である。
透明人間は目が見えないのは当然である。

臓器記憶  輸血 若返る 若返り 
輸血で人格カエル 別人にするとか
呼吸法と輸血が若さの秘訣かもね。ジョジョの作者。
教皇を神と敵対させるカトリックへの嫌がらせのジョジョ。



これらの論点は学んでおくべき。
カルトのいんちき教義の矛盾を突くのに有効。
仏教は本体がある輪廻を否定する、本体なき輪廻。なぜ本体があるとまずいのかが重要。しかし日本人には人間の生は解脱しないかぎり永続するというインド人にとっての絶対的事実が肌でわからないからなあ。

色々浮かんだこと

・人間はどの程度まで考えられるのか。認識不可能なものを思考できるか。
ゴッドについて考えることはできるのか。それは単に人間レベルに落としたゴッドもどきではないのか。そもそも言語化できないなら言語で書かれた聖典とは何か。
非言語でも同様に結局は人間レベルではないのか。超次元だろうが何次元だろうが結局人間が聞けてしまうならその程度ではないか。すごいのはその異次元存在では無くてその人自身ではなかろうか。
デカルトが考えた悪霊がやばいのは、認識の根拠ごと幻影を見せられるからでそれだと結局ただの現実だからで悪霊こそまさにゴッドだから。
逆に言えば、言葉で言葉を創ったゴッドを否定しきるのは不可能ではないのか。
言葉で言葉を創ったゴッドを定義するのは不可能ではないのか。
否定神学というゴッドは~ではないでしか言えないとする手法があるがおそらく正しい。しかしそれすら言語である。結局言葉を超えたものは要請と筆要請(ひつようせい と読む私の造語。ロゴス的要請)ではないのか。
不可知論になるのか無記になるのか。反実在論か。

・ゴッドと絡むが世界の始まりを言葉で知ることはおろか思考も不可能。なぜなら思考も言語もイメージも順序というものが必要だから。順序すらない状態を仮にカオスと呼ぼう。しかし順序がないのでカオスは生まれることができない誕生ができない。ならはじめからあったのか。というかはじめという言葉も適用できない。
ただあったものが変化しないと何も生まれない。何かに干渉したり自分の一部を変化も同様。で結局一部は変化可能でなければならない。あと完全不変なままで他に干渉は不可能ではないのか。干渉すると干渉沙汰ものの影響を必ずうけるのではなかろうか。
突き詰めて考えると人格神が世界の始まりを起こした創造新であることは不可能ではないか。人格は明らかにかなり後に生まれるはず。
慈悲をもって世界を創造とはどういうことを意味しているのか。
善意とか慈悲をもってなんてそれこそわかりようがないのではないか。
そもそも言語表現不可能で言語を超えた、人間的感情に類する善意や慈悲とは何なのか。結局善意悪意うんぬんは後付けなのではないのか。

・理性や魂はみんなあるからみんな仲間思想はかなり有用。

・魂の定義。実在するか。不滅か。生まれ変わるときに必要か・。

・輪廻の定義。輪廻しないのはなぜか。輪廻するのはなぜか。輪廻から脱すると何がいいのか。脱してどうするのか。
輪廻する本体はあるか。輪廻に本体は不要か。記憶を完全に失うなら輪廻とは何なのか。記憶を断片的でも継承できるなら輪廻に本体があるのではないか。
何か共通点があるから輪廻的に前世は云々出きるのではなかろうか。
輪廻前と後になんの共通点もないならそれは輪廻なのか。
輪廻は単なる状態変化なのか。

・人間の本体はなにか。どこから来るのか。そもそもどこかなろといえる場所があるのか。
首の後ろ当たりと言ったがそれはなぜか。肉より電流流れる血液のほうが本体ではないか。むしろ骨ではないか。脳以外にも記憶が宿るのはなぜか。部位によって記憶しやすい事柄があるのか。
エジプトでは心臓が本体だったらしい、脳は鼻水。たしかに心臓がなかったら死ぬ。頭が欠けても生きている実例を見たからだろうか。
インドだと心臓あたりにチッタと呼ばれる記憶貯蔵庫があるらしいが、
唯識の阿頼耶識はどこにあると考えたのだろうか。心だろうか。
調べるとエジプトでは魂なる人間の本体は五つの要素からなるそうで、名前と魂と霊と心臓と影だっけ。心臓だけ物理じゃねーかと思ったが心臓は思考もするらしいから物理ではない。

∸――


宮川 孝幸‏ @M8839 2011年2月2日
血は性格を左右しないと言われるが、体の中を流れる半分以上の血を入れ替えるほどの輸血を経験すると、人間は別人に変わる。数例しかないので科学的根拠までは解っていませんが、副作用として…まぁ、身をもって経験してます。

ホロデッキでポンファー‏ @m5knt 2015年1月5日
そいや昔、親が血を全部入れ替えして性格変わって別人みたいなことになったって話を同僚からきいたっけなぁ

☆かおりのすけ☆‏ @kaorinosuke 2015年7月22日
ママ友さんの話。出産の時に大量に輸血を受ける事態になったのだが、その後物凄く毛深くなって男性のニオイ?が肌からするようになって、ギョッとしたそう。旦那さんにも体臭を指摘されたとか。一年位続いたらしい。


☆かおりのすけ☆‏ @kaorinosuke 2015年9月27日
前にも書いたかもだが、ママ友が出産時輸血した後、凄く毛深くなったり明らかに自分の物と違う男性の体臭がしたりが1年間位続いたらしい。自分の身体じゃないみたな感覚の変化が色々あったとか。
輸血で身体が変化する。

(輸血や臓器移植で別人になれるのなら、特定の人格や体質に改造するために人工輸血や人工臓器を移植しているんだろう。
思想教育だけでなくその思想を持つ人間の血と臓器を入れることでコピーはオリジナルに近くなる。
支配層の頂点レベルと結社員がやってそう。
輸血による若返りが一番の取引材料っぽいけど
ブレサリアンになる技術もありそう。

血液記憶?)

峨骨‏ @Chimaera925 13 時間13 時間前
輸血で性格が変わる、ねぇ?確かに、育毛剤を服用(内服薬)していると献血できない。血に含まれる成分んいよって体質が変化するということはあるだろう。それによって性格が変わるならば、まだ想像が付く。実際問題、俺は生まれてまもなく母親の血を輸血しているんだけど、性格は似てないなぁ。

だいたい、胎児の時に臍の緒を通じて繋がっている訳で。性格がそこで似るというならわかるが、それらの要素で性格が似通ってくるのは後天的なものが強いだろうな。
寧ろ、血を取り変えるような出来事があると、「変わらなくてはならない」という無意識の効果もあるんじゃあるまいか。プラシーボ効果ってのは侮れない。偽薬等は倫理的な問題があるから忌避されるけれども、実際問題そこそこ効果がある。瀉血みたいにロクでもないものでなく、毒にも薬にもならんもの
だったら無害と言えば無害だけれども、それを使う者が有害でないとは限らない。そこに宗教や思想、金銭が絡んでくるから問題があるという事にしておくのが無難だ。






☆かおりのすけ☆‏ @kaorinosuke 2012年5月27日
【科学的事実をいって差別になるなら民主主義国家を標榜するのはやめろ。輸血による被曝は食物接種なんかより心筋にダイレクトにくる。出産による輸血等で無用な事故がおこる。エビデンスを待ってる場合じゃない。一時期の英国滞在者が献血できなかったのと同じ。差別じゃなく区別だ 】




永井均‏ @hitoshinagai1 2016年6月21日
悪霊は「私は存在する」という考えを誰にでも何にでも持たせることができるが、持たされたその者(の一つ)がなぜか私であることは悪霊の感知不可能な事態。したがって、その「私」は悪霊を指すどころか彼の能力の外部にある。とデカルトは発見した。 https://twitter.com/shogoinu/status/744657257162383361 …
清水将吾‏ @shogoinu 2016年6月20日
「私は存在する」という考えを、仮に悪霊に無理矢理もたされているとしたら、その「私」は悪霊を指すことにならないだろうか。

永井均‏ @hitoshinagai1 2016年6月21日
返信先: @hitoshinagai1さん
悪霊は本質的に欺く者だがここでは欺けないのは、神は本質的に創造する者だがここでは創造できないことに基づく。神は「私は存在する」と考える者をいくらでも作り出せるが、作り出された者(の一つ)がなぜか私であることだけは神の力も及ばない。とデカルトは発見した

神が私を創造できないのは、彼が創造した「私は存在する」と考える多数の者たちの内から、私を識別する(という私には易々とできる)ことが彼にはできないからだ。彼は私の心の奥底まで知っているが、どれが私であるかは知らない。私は彼の力の外で存在を得ている。

神は「この時点が今である」といえるような無数の時点を創造できるが、それらのうちいつが今であるかを知る=識別する(という我々にはあまりにも容易できる)ことが(それだけは)できない。その一つの理由は、この「あまりにも容易に識別されるもの」が実は実在していないから、というもの。


しかし、この「神が識別できない」「実は実在していない」ものこそが、神の顕現の場なのだ、と拙著『存在と時間』第6章では言われている。つまり、ここで神の意味そのものが変わるわけだ

「神」(やそれに類する話)はこのように理解するのでなければ意味がない、と私は思っている。この議論にではなく、「神」そのものに関心のある方に、ご意見を聞きたいところ。(中田さんだけでなく。)

「「神」そのものに関心のある方はたいていこの議論が理解できないので「ご意見を聞く」こともできないのでは?」というご意見があり、まあ、事実としてその通りなのですが、私にはそのことが不思議であるわけです。
「……このように理解するのでなければ意味がない」と思っている理由は、超越性へのルートはこれ以外にはありえない、と思っているからです。

永井均‏ @hitoshinagai1 2時間2時間前
永井均さんが森岡正博をリツイートしました
まったくその通りですが、同時代のアカデミックパラダイムで評価される論文を書ける実力を養いつつ、同時にそれによってそのパラダイムそのものを転覆させる計画を虎視眈々と練ればよいので、大丈夫です。両立します!
森岡正博‏ @Sukuitohananika 3月6日
返信先: @Sukuitohananikaさん
現在の世界のアカデミック哲学界を席巻してる英語圏分析哲学がなぜつまらないかといえば、強固なジャーナル査読システムで論文をふるい分け、同時代のアカデミックパラダイムで評価されるもののみを残す仕組みを完成させたからだ。哲学は本来、同時代のパラダイムを転覆させる危険なものだったろうに。




「至神智教団」
ねこた‏ @lakudagoya
モデルは恐らくイスマーイール派かな?
「至神智教団」の学院は恐らくアズハル大学。これ、元々イスマーイール派の学院。
イスマーイール派と言えばブラバッキー夫人のパクリ元じゃん!
 この「至神智教団」ってのはシーア派系の団体だったんかよ!?

なぜイマーム・アリーは重要なの?
それはイマーム・アリーは神智を齎す存在だから。

まさかネットも満足な本もないのにシーア派の情報も入ってるとは恐れ入った!
主人公はフサインのように迫害される。


時間の神である「一の神」の神官である「至神智教団」の祖師様って、もしかして彼の使える神はあっらーさんの比喩かも知れないよ?

イスマーイール派の神話も関係あるかな?

月蝕の巫女を探してたのだから。

時間=お月さまだよ。

で、あっらーさんの娘さんは月の女神だよ。黒曜石だ。


月蝕紀列伝

で、北部は山岳地帯で南部は砂漠のある亜熱帯。

スペインにも似てるけど、アラビア半島で山岳地帯と言えばアシール!

その北部の山岳地帯に本拠地を持つ「至神智教団」ってクルディスタン?

それとも、アラムートの遺跡に本拠地を置いてたイスマーイール派かな?

月蝕紀烈伝に出てた「至神智教団」って教育カルトかな?

「ニャンゲンの可能性を追求」とか言うならば、教育カルト以外になりようがない。

で、神や精霊から離れてニャンゲンの可能性を探求ならば、ストア学派のような理神論を取らざるを得なくなるよー!

月蝕紀烈伝に出てくる理神カルトの至神智教団の教義

「 神々から離れて人間の内に神聖を見いだすこと。人間の持つ無限の可能性を引き出すことです。善と悪、取るべき二つの道があって、たとえ悪の方が魅力的で楽に見えたとしても、結局、人間は善を選ぶものだと、私は信じてるんです。」


LGBTとグノーシス。面白いねぇ。
この前紹介したラノベの「至神智教団」って、封建社会なのに身分にこだわらないんだよ。性別も。

このガチ系啓蒙主義のこだわらなさは世の中の不思議でもある。

この古代から男女平等思想を受け継いだ連中の暗躍が気になる所だが。

この「至神智教団(神智学協会の類似品ではありません!)」の構成員の事を兄弟とおフレンチ語で言っちゃうのってさ(とまーてさんにおフレンチ語が間違ってますぅ!とつっこまれたらいいのにw)、一瞬高須クリニックの人のついったーを思い出したでよ。

あの人素人目から見ても下っ端だとわかるw

大昔のラノベの「月蝕紀烈伝」に出てくる理神論カルトの至神智教団が陰謀まみれの真っ黒黒助でワロタ。

陰謀論者として陰謀を見るのは面白い。

よくここまで頭から腐った陰謀組織が出来上がるわ。

でも、こいつら敵キャラとしては交渉通じそうなのが他のラノベにはない特徴だね。

イスラームは理論的な宗教だけど、やはり一般の信者の中心は現世利益のあったスーフィズムだよ。

この至神智教団ってのも普及すればスーフィズム臭くなるんでね?


「至神智教団」
ニャンゲンの知性のみを信じて、神も精霊も信じない(何それサドカイ派?でもサドカイ派は神を信じてたぞ?)無神論カルトって、中世ヨーロッパみたいな社会で流行るんかい?

これ知識層でないと流行らないね。

普通の社会では現世利益の多神教だよー。

至神智教団の目的

「 神々から離れて人間の内に神聖を見いだすこと。人間の持つ無限の可能性を引き出すことです。善と悪、取るべき二つの道があって、たとえ悪の方が魅力的で楽に見えたとしても、結局、人間は善を入れるものだと、私は信じてるんです。」


「異端の魔道士セイル」というラノベには、理神論みたいな魔道士のカソリックみたいな宗教が存在するけどその名前が「至神智教団」だ。

自然法則を感じる力である理性というものは非常に神的なものであると思われてました。やつらの理性崇拝ってものは根底にはこの思想があります。 また、情動に流されずそれらの自然に従って生きた賢者は死後はお星様の世界で暮らせると信じられてました。
また人間には自然法則を感じる超能力である「理性」が備わってて、人間社会の中での自然法則である自然法を理解する力があるから、国籍や民族に囚われずに人類は皆平等であると言いました。 人類みな兄弟や世界政府みたいな考え方はどう考えてもこれらの思想が根底にあります。


おいら「でも神々を信じる人たちは、魔導師さんたちの事を神を信じぬ人間中心主義の徒と言うのよ?」

魔導師さん「それは間違いね。そもそも神々はニャンゲンに内在してるわけなんだから、外に偶像を作って拝むことが偶像崇拝の邪教の徒であって、それこそが神に対する冒涜じゃないかしら?」

ねこたさんが追加
ねこた @lakudagoya
ねーねー魔導師さん、何でこの魔導師の教団は、神や天使から離れてニャンゲンの理性のみを至上としてるの?

「だって、神は内在していてニャンゲンの内側にあるの。だからわざわ…
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ねこた‏ @lakudagoya 3月11日

ねーねー魔導師さん、何でこの魔導師の教団は、神や天使から離れてニャンゲンの理性のみを至上としてるの?

「だって、神は内在していてニャンゲンの内側にあるの。だからわざわざ外に偶像作って拝む必要ないでしょう?

だってニャンゲンの理性は神と同じ性質を与えられてるのよ?」

ねこたさんが追加
ねこた @lakudagoya
至神智教団の目的

「 神々から離れて人間の内に神聖を見いだすこと。人間の持つ無限の可能性を引き出すことです。善と悪、取るべき二つの道があって、たとえ悪の…

ねこた‏ @lakudagoya 3月11日

ねこたさんが菊池をリツイートしました

啓蒙主義陰謀論こそ実はイルミナティの中核ですよね(笑)

あと理性主義に関しては、近代的理性=頭の中の妄想ではなく、古代哲学で言うところの神々と同質な自然法則を感じれる超能力としての理性の崇拝だと思います。彼らは神が内在してるから外に偶像を作らないのでわからないかも? RT

ねこたさんが追加
菊池 @kikuchi_8
返信先: @kikuchi_8さん
俯瞰すると陰謀論の歴史は西洋の思想史をまるでなぞるように展開してきた事を発見した①キリスト教圏で発生した為にキリスト教系陰謀論が大勢→②神智学系やニューエイジ系つまり神秘主義派の陰謀論が登場しキリスト教を批判(アイクなど)→③啓蒙主義系の陰謀論が登場しキリスト教と神秘…
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ツワブキさんがいいねしました
ねこた‏ @lakudagoya 3月11日

ねこたさんがねこたをリツイートしました

この理神カルトは、外に神々を作って拝まないのはなぜか?

それは、この思想の元になった思想では、グノーシス派のように神は内在してるから。わざわざ外に偶像を作って偶像崇拝する必要がないの。 

だから、神的な存在であるニャンゲンの理性を大事にするよ。 RT

ねこたさんが追加
ねこた @lakudagoya
至神智教団の目的

「 神々から離れて人間の内に神聖を見いだすこと。人間の持つ無限の可能性を引き出すことです。善と悪、取るべき二つの道があって、たとえ悪の…
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ねこた‏ @lakudagoya 3月9日
返信先: @uhehoさん

でも、ユダヤ人はバアルなどの異教の神は悪魔ではなく、異教の偶像崇拝で神ではないと言ってますけどね、悪魔にされたのは耶蘇教のせいです。

ユダヤ教徒は異教と区別してました。
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね

逆喷射サンチーム驫麤1000番台さんがいいねしました
ねこた‏ @lakudagoya 3月6日

イスラム圏は、偶像崇拝が禁止されてるからシンボルは文字(特に詩など)やデザインで表すのね。

耶蘇教世界はそうでないから、イコンみたいな形で表すのね。

そういう表現の違いはあるけど、で、タロットカードは耶蘇教世界の秘教伝統も加えて完成したのではないかな?と思う。
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夏之さんと他1人さんがいいねしました
ねこた‏ @lakudagoya 2月28日

ユダヤ学やイスラーム学には、そういった大人たちの陰謀を無効化する知恵が詰まってる。

だから、ユダヤが悪いと煽ってタルムードには触れさせないのね。

中国の古典に触れさせないために反中やってるのと同じ。

特に偶像崇拝を無効化する思考は強い。強いよ。
0件の返信 8件のリツイート 9 いいね

黄皇大栄さんがいいねしました
ねこた‏ @lakudagoya 2月28日

若者のリーダーや新星って若者にはこの偶像を拝めと押し売りされてるかのようだ。

若者にはおしゃれで権力に反抗するも本質を外すような偶像さえ与えておけば良いという、大人が透けて見える。

若者に希望をもたらすかのような偶像が出てくる度に違和感を感じてたな。

カノポス壷と守護精霊 - Biglobe
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/sisya/sisya-canope.htm
”古代エジプト人が考えた、人格を構成する五大要素というものについて理解する必要があるかと思う。
 言ってみれば、中国の思想で言うとこの「三魂七魄」みたいなモノで、古代エジプトでの”人間という生命の存在”は、「肉体と魂」という二元管理ではないのである。

 五大要素の内訳は、以下のとおり。

1.カー 2.バー 3.肉体 4.名前 5.影

 以上、五つが結合して初めて完全なる人格が形成されるのだという。
 と、いうことは、一つくらい欠けていても(たとえば名前を持たない子供がいたとしても)人間としてはやってけそうだが、それは完全なる形態ではないのである。



「カー」

人が生まれる時、ともに生まれ、死後もともにあり続ける存在。
生きているものすべて体の中にあって、生きていく力を与える、ミトコンドリアのごとき別生命体というイメージである。
カーが元気をなくすと生きる力も減少するので、カーを元気にする儀式などもあったという。(それが、カーの神格化された由縁だろうか。)
しかも、本人が死ぬと失われるわけではなく、親から子へ受け継がれることがある。

カーは「ひじを曲げて差し挙げた両手」の形で表される。
右図の像(木製)の頭の上に載っているカタチが、まさしく、ヒエログリフの「カー」。

カーは、それが宿る人と同じ姿をしており、宿る人が老齢や病によって変貌すれば、同じように年老いて、弱ってゆくと思われる。なぜなら、カーの生命力は、それが宿る人の生命力でもあるからである。

右図の像は、ホル王のカーを表した像。カーが元気であるように、と、死者の健康で若々しく、最も状態の良かった姿がカーとして表現されている。

日本語の「魂」に近いニュアンスも含んでいるが、本人とは深いつながりに在りつつ、実際は別個のものであるという点において異なる。

「バー」

鳥の姿をとり、その生き物が死ぬと抜け出すが、死後の世界で復活するときは、何故かついて来てくれる”自分の分身”である。
日本語の「魂」に最も近い概念といえよう。

さきの「カー」は本人とは別の生命体のような雰囲気だが、こちらは、その人の一部ということで、欲望も欲求も共有する。また、鳥の姿になっているときも、本体の人の顔をしていることが多い。
もちろん女性のバーは女性の顔、男性のバーは男性の顔である。

肉体と密接な繋がりがあり、バーは定期的に、自分がもと住んでいた肉体へと戻ってくるという。


「サフ」または「アク」

高貴な魂、という意味も持ち、バーとは違った形の、神々しい鳥の姿で表される。右図のような壁画の描かれ具合からして、ホオアカトキというトキの一種だと考えられている。
高い位にクラスチェンジした魂を意味し、一説によると、「カー」と「バー」が一体化した、死後の世界での死者の姿を意味するという。

生きてる間は持っておらず、死後、復活を許された者だけが持つもの、「祝福された死者」の証、それが「サフ(またはアク)」なのである。

「肉体」

五大要素に入っていないがカノポス壷の守護リストに入っている「イブ」は、心臓のことである。ヒエログリフで書くと、まんま心臓の形で表される。
古代エジプト人が肉体の中で最も重要視したのが心臓であり、心も魂も、体に生命力を与えるものはすべて、そこに入っていると考えられていた。


心臓は、死者の審判で胸から取り出され、真実の羽根と天秤にかけられる。もし心臓が罪に穢れていたら、その場で廃棄処分にされてしまう。アメミットの口の中にポイ。罪に穢れていなかったら、返してくれて、胸に入れなおして、永遠の世界へ旅立ちと相成る。
審判の場まで持っていかなくてはならないので、ミイラにするときは取り出さない。

「名前」と「影」

日本にある「言霊」という概念と似て、古代エジプト人は名前を重視していたようだ。影
名前を忘れ去られるということは、その人の存在自体がこの世から消えてしまうのと同じことと考えられており、政権争いの相手が、ライバルの記念碑から名前の部分を削り取るといったことも頻繁に行われていた。また、罪人から名前を奪い、かわりに悪しき名前をつけたという記録も残されている。

影というのは、「影人(古代エジプト語では”カイビト”と書かれている。)」とも呼ばれ、悪しきものから肉体を守護する自分自身の分身で、場合によっては自ら高速移動することも可能とされる。自然光が基本の古代、影は太陽の光によって作られるものだったことと関係があるとされている。


右の図は、自らの影の上を飛ぶバーの図。影も、バー同様に肉体から抜けだす自由な身であったようだ。”

光と祝福 真我の探求 - FC2
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真我は、5つの鞘(コーシャ)に被われ、3つの体をまとう。

真我は、チッタ(心)の中心に座している。
真我を最初に包んでいる最も精妙な体は、原因体、コーザル・ボディ(カーラナ・シャリーラ、またはリンガ・シャリーラ)と呼ばれる。
心臓にある小さな空間に位置するといわれている。


5つのコーシャの内、アーマンダ・マヤ・コーシャ(至福鞘)と重なる。

原因体から生命の光を受け取り、知識エネルギーと活動エネルギーの情報をやりとりしている次なる体は、微細体、サトル・ボディ(スークシュマ・シャリーラ)といわれる。
ブッディ(理知)、マナス(マインド)、5つの微細感覚器官、5つの微細行動器官、5つの微細元素または感覚対象(タンマートラ)、
以上の17の実在原理から構成されている体だ。
脳のブラフマランドラといわれる空間に位置するといわれている。

ヴィジュニャーナ・マヤ・コーシャ(理知鞘)、マノマヤ・コーシャ(マナス鞘)が重なる。
マナスとは、感覚器官や行動器官を制御している司令塔という言い方もできよう。
意思力と、呼んでもよいだろう。

3つ目の体は、物質でできた体だ。
微細体から送られてくる力や刺激によって、肉体の動きは引き起こされている。
微細な物質でできたプラーナ・マヤ・コーシャ(プラーナ鞘)と、粗雑な物質でできたアンナ・マヤ・コーシャ(食物鞘・肉体)から成り立っている。”

佐保田鶴治のヨーガ禅 マントラとお祈りの効用⑤
http://buen-vivir.seesaa.net/article/432755565.html
”近代心理学でも一度経験された印象はすべて潜在意識に残され消えずに機会ある毎に記憶として心の表面に浮かんでくることが知られている。インドでも同じことが考えられていた(4p57)。

 ヨーガの心理学では、前世の記憶を含めて、すべての経験の残存印象が貯蔵されている記憶の貯蔵場所を「チッタ」と呼ぶ。チッタは神経細胞ではなく、今日で言うエーテル体やアストラル体のように、眼に見えない精妙な物質からできているとされる(4p58)。すなわち、過去に経験された心の印象は「チッタ」と呼ばれる心の土の中にいわば種子として保存されている(4p159)。この集積された膨大な経験のトータルな残存印象のことを「行(サンスカーラ)」あるいは「薫習(くんじゅう)」と言う(4p59, 4p160)。

 普段の日常での心の働き、想念も、このチッタから「発現」している。『ヨーガ・スートラ』では、この発現を「転変」と表現する(4p58)。

過去の印象、業が現在の外部環境を作っている

 けれども、過去の経験からの残存物は、過去からの記憶「チッタ」だけではない(4p59)。個人が過去において行なった善や悪の行為の残存印象である(4p61)「業(ごう)」や「煩悩」もある(4p59)。

 記憶の残存印象である「行」の中には外部環境を作らない記憶もあるが、外部環境を作り上げる種子もある。これを「業」と呼ぶ(4p60,4p159)。「業」はチッタに貯蔵されている「行」の一種だが、心理的な内容に「転変」せず、外界を「転変」する原因となってしまう(4p60)。ただし、「業」は自然世界の設計図のようなもので、そのまま世界を創り出すわけではない。この設計図にしたがって、宇宙を作る根源的な力である、天地のエネルギー源、自性(プラクリティ)が流れ込むことによって、世界が作られていく。要するに、過去に行なった無数の残存印象が種子として植え付けられることで、世界を作る神的な力によって畑が作られていくのである(4p61)。そして、記憶に外界の力を作る力があるのは、無意識の世界が環境を作っているからである(4p161)。外界、すなわち、自分の周囲の環境世界は、個々の瞬間毎に各個人の心によって「発現」されているものだと考えれば、心の操作によって、外界も変わっていくことになる(4p61,4p64)。

 よく、ヨーガを正しく習得した人から「このごろ不思議にツキが良くなった」ということを耳にする。これは、守護神の恩加護のためだと考えることも間違ってはいないが、このように考えれば、その理由も理解できるし、ヨーガの神秘性を強調する必要もなくなる(4p64)。

運命とは自分が過去に行った行為の結果である”

パタンジャリのヨーガスートラ
http://www.ultraman.gr.jp/ueno/2-yo-ganew_page_3.htm
”□ヨーガの八支則(アシュタンガ・ヨーガ)

 それでは、これら総合的なラージャヨーガの代表的な教典、パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」に添ってヨーガの構造や行法を見ていきましょう。

この教典はパタンジャリという聖人によって紀元前から綿々と受け継がれたヨーガを、紀元後4~6世紀頃に記述され完成されたといわれている教典です。

八段階の積み重ねによって構成されているので、アシュタンガ(8つの部分=八支則の)ヨーガと云われています。

この総合的なヨーガの行法は、その目的に到達するために、日常の生活においての行動の規範である禁戒や勧戒を山の裾野にして、段階的に体を整え、呼吸を整えながら、順次に山の高みに上っていく道のようです。そして、この実践の過程において、先回お話した五つの鞘からなる総合的な私達の存在の各層に働きかけ、人間が本来備えている肉体と精神とそして霊性の資質や能力が高められ、バランスあるものとなり、心身の健康度が飛躍的に高まり,その人自身の生き方(自己実現)に多大な実りをもたらすものとなります。

第一段階 「禁戒(きんかい)」= ヤマ

 心の平安を得るためには、他者とのエネルギーの交流の中に私達の存在が成立しているという事実にめざめ、自ら発する他者への行為を良好にする事が大切です。これは「出したエネルギーの質が、何らかの形で、同じ質のものが当人に帰ってくる」と云うカルマの法則を基盤にしています。

禁戒の後に勧戒という順序は、命に良い事をなす前に、まず命を害するものをとり除くという事が先決で、医学でいえば薬を飲む前に、毒を吐き出させるという事になります。これを「金剛律(ダイヤモンドの戒律)」の後に「黄金律(黄金の戒律)」という順序となります。

ヨーガ・スートラでは、次の最も基本的な五つの生活法則を示しています。

① 非暴力(アヒンサ)…仏教では不殺生戒

    生きとし生けるものに無用な暴力、殺生をくわえない。

すると、害されなくなる。

② 正直(サティア)…仏教では不妄語戒 

言葉と行動を一致させ誠実なものとする。                              すると、信頼を得る。                                                

 ③ 不盗(アステーヤ)…仏教では不盗戒

     他人の物、時間、喜びなどを不当に盗らない。 

     すると、豊かになる。

④ ④梵行(ブラフマチャリヤ)…仏教では不邪淫戒

 性的エネルギーを適切にコントロールする。

      すると、強健になる。

⑤ ⑤非所有(アパリグラハ)…仏教では不貪戒(または不飲酒戒) 

所有欲を克服し、ものに執着しない。 

       すると、生の目的を悟る。



第二段階 「勧戒(かんかい)」= ニヤマ

 この地上において、本来の自己を実現するためには、日々の暮らしの中での良い生活習慣の積み重ねが最も大切です。

この勧戒は、自分自身の生活態度を改善し、心身ともに霊性を高める五つの生活法則「黄金律」が説かれています。

① 清浄(シャウチャ)…ヨーガにおいての清浄とは、外面と内面双方にお ける清潔さが求められています。肉体的な浄化法と心的な浄化法(慈悲喜捨)がそれにあたります。

② 知足(サントーシャ)…与えられた環境・現状をまず受け入れ、感謝し

     肯定の姿勢から物事に対処していく態度です。 

③ 精進(タパス)… 日常において自らに課した「行」や仕事の積み重ね

  によって心身を強いものにして目標の実現力を高めます。

④ 読誦(スヴァーディヤーヤ)…常に聖典を読んだり、真言を唱え、「生命

     の智慧」の理解と学習を怠らない事です。

⑤ 自在神祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)…各自を守っているハイヤ

    ーセルフともいうべき守護神に、人生における気高い目的の達成を常

    に祈り願う事です。

第三段階 「体位法(たいいほう)」= アーサナ 

いよいよヨーガの特徴である、いわゆるポーズの段階になります。アーサナという名詞は、「座る」という動詞のアースから転化したもので、元来、「瞑想」を主な行法とするヨーガは、座ることが基本でした。およそアーサナ(座法=体位法)は大別して ①瞑想の為のもの ②リラックスの為のもの ③身体を造る為のものとに分けられます。 一説ではシヴァ神は、8400万のアーサナを説いたと云われていますが、その中でも84のアーサナが優れていると云い、他のヨーガ教典では32種類のアーサナを説いています。現在でも、立位、座位、寝位のヴァリエーション(変形)を入れると、多くの種類になりますが、いずれにしても、ゆっくりとした呼吸と共に、身体のその一定の型を通して、動く瞑想、体を使った祈りと云った状態をめざし、身体的な健康を実現します。この領域はアンナマヤ・コーシャ(食物鞘)の調整になります。

 アーサナを日常生活の中で規則的に、一定の時間行じていくと、身体的には、血行を促し、筋肉、骨格、内臓器官、神経、ホルモン体などに良い影響を与え、ひいては、心の状態を安定させ、各人の性格や、生き方にも多大な影響を与えることとなります。

 ヨーガスートラにおいてはこのアーサナを以下のように定義しています。

  「座法(アーサナ)は安定していて、快適なものでなくてはならない」(Ⅱ-4)

  「緊張をゆるめ、心を無辺なものへ合一させなくてはならない。」(Ⅱ-47)  

  「そのとき行者はもはや、寒熱、苦楽、毀誉、褒貶等の対立状況に害されない。

                                 (Ⅱ-48)

※実際のアーサナの代表的な形と種類は後の「身心八統道」の項で説明いたしま      す。



第四段階 「調気法(ちょうきほう)」= プラーナーヤーマ

 調気法とは、宇宙のエネルギー=プラーナ(生命力)を呼吸法によって、コントロール(アーヤーマ)する行法です。様々に工夫された呼吸法によって、酸素を体内に取り入れ、血液を燃焼させ、生命エネルギーに転換する作用に加え、交感神経と副交感神経のバランスをとったり、感情とリンクして心の状態をコントロールのよすがともなるのです。そのことにより心肺機能を高め、病気を追放して、静かで落ち着いた心をはぐくみ、霊妙なる「宇宙の気」と交流します。この領域はプラーナヤマ・コーシャ(生気鞘)の調整になります。

 ヨーガスートラにおいては「プラーナヤーマを行ずる事によって、心の輝きを覆い隠している煩悩が消える」「その外、心が色々な凝念に堪えられるようになる」(Ⅱ-52・53)と述べられています。

※ 実際の種類と技法は「身心八統道」の項に譲ります。



第五段階 「制感(せいかん)」= プラティヤハーラ

プラティヤハーラとは「向けて集める」という意味です。ここから、今までの身体生理的な部門から、心理的な部門へと入る掛け橋となるのがこのプラティヤハーラの段階です。

座法や呼吸法の後、意志的な「動作を納めて」、瞑想の姿勢に入ります。その時、生じてくる静けさの中にて、外の世界に向かう心や、感覚を対象から離し、意思の働きを内部に向けて、冷静に自己をみつめる心理作業の準備となります。外界の対象をはからずも、つかみ、つかまれている自分の思考と五感はおのずから、その対象から離れ、内面へと集中していく行法は、絶えず心を悩ませ、不安を与える問題から一旦心を引き離し、「なにものにも囚われない自在な心」にリセットするきっかけを作ります。この領域は、マノーマヤ・コーシャ(意思鞘)の調整に入ってきます。

ヨーガスートラにおいては「諸感覚器官がそれぞれの対象に結びつかず、あたかも心素(チッタ)自体に似たものの如くになるのが、制感(プラティヤハーラ)である」(Ⅱ-54)と述べられている。

第六段階 「凝念(ぎょうねん)」= ダーラナー

凝念は、心をある一点にとどめて動かさないことです。この凝念と次の静慮、三昧の段階は実際には、はっきり分割できない一連の心理的流れとなり、一括して<統制(サンヤマ)>とよばれます。ここでは、主にロウソクの炎とか、特定の図形や、自分のみけんの一点に心を集中するとか、ひとつのテーマにイメージを集中する方法などを用います。この領域は、ヴィジナーナマヤ・コーシャ(理智鞘)の調整に入ってきます。

ヨーガスートラにおいては「凝念(ダラーナ)とは、心素(チッタ)を特定の対象物(場所)に縛り付けておくことである。」(Ⅲ-1)と述べられている。

第七段階 「静慮(じょうりょ)」= ディヤーナ

凝念で一点に集中していた心が、その対象と同化し始め、それを中心にして、日常の意識を超えてある種の「洞察」や「ひらめき」が起こり、広く深く、自由に展開されていく状態のことです。その直感的映像や思考は、やがて自我の認識領域を越えて、新たなる「生命の智」をもたらす領域へと導いていきます。この「ディヤーナ」を中国で音訳し「禅那」となり、日本に渡って「禅」となっています。この領域は、ヴィジナーナマヤ・コーシャ(理智鞘)の中心的調整作業に入ってきます。

ヨーガスートラにおいては「その対象に対する想念が、ひとつの不断の流れになっているのがディヤーナ(静慮)である。」(Ⅲ-2)と述べられている。

第八段階 「三昧(さんまい)」= サマーディ

自我の認識領域を越え、「生命の智」をもたらす領域の中に入ります。「梵我一如」の心境で対象も主体も、ともに合一した状態をいいます。仏教では、これを<空>といいあらわしていますが、この境地は「なにもない」という意味ではなく、直感的洞察や啓示の場であり、宇宙的意識の働く空間でもあります。そこでは、きわめて鮮明で充実した内容をもって、その味わいは、まさに新たな生命感と、宇宙的啓示と、感涙の時となります。ここは、アーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)の開示される領域になってきます。

ヨーガ・スートラにおいては、この体験を「真我がその周囲を取り巻いている自然的存在と自分とを混同していた過失に気づいて、その束縛から脱出することである」と説明しています。

これがヨーガ・スートラの八支則についての構造と行法の概要になります。

□ヨーガの流れ

 古代から伝承され、発達してきたヨーガの思想と行法は、紀元前後にヴェーダンタ哲学を基盤にし、「人生の苦しみからの解脱」を説く「空」なるものの悟りの教えである仏教を生み、その影響をうけながら、やがて、観照者たる純粋精神(プルシャ)と現象する根本原質(プラクリティ)の二元論を説くサ-ンキャ哲学を理論的支柱として、今、検討しました「ラージャ・ヨーガ」の体系であるヨーガスートラが6世紀の頃に成立しました。

ほぼ同時代に併行して、インド思想の原点といわれる叙事詩マハーバラータの成立(BC2世紀~AD4世紀)によって、神への愛と奉仕の道「バクティ・ヨーガ」、行為による悟りの道「カルマ・ヨーガ」、智恵と悟りの道「ジュニャーナ・ヨーガ」が説かれ、8世紀にはヴェーダンタの学匠シャンカラ(700~750頃)によって仏教やヒンズー教を統一する教え=この世はブラフマンという絶対の現われであるという「不二一元論」が生まれ、その後の、インド宗教哲学の中心思想となります。

やがて10世紀を過ぎますと、これまで顕教的、心理的な「私∞宇宙」に対するアプローチから、密教的、感性的「私=宇宙」の捉え方に移行してきました。これをタントリズムといいます。これは現世を苦の世界として否定し解脱を得るという思想から、この世界こそブラフマンの現われであり、陰・陽の原理によって成立しているという現世肯定的な思想の当然の帰結となります。そのことは、人体こそ宇宙(梵)の構造そのものであり、神はその中に宿る生命意識(真我)そのものであるという認識により、その体験を感得する様々な身体技法が考えられ、発達してきました。

13世紀頃になりますと、ヨーガにおいてはその密教的タントリズムの特徴をもった「ハタヨーガ」の教典が聖者ゴーラクシャ・ナータによって書かれ、その後15~16世紀頃には「ハタヨーガ・プラディーピカ」や「ゲーランダ・サンヒター」や「シヴァ・サンヒター」などが成立してきます。

ここでは、様々なヨーガの身体技法や呼吸法や瞑想によって、独自な人体宇宙観が形成され梵我一如の思想が顕現されていきます。その一端を図示し解説を加えていきましょう。

 □ヨーガの人体宇宙観

ヨーガにおいては生命の源は宇宙の気=プラーナであると考えられています。

この宇宙の気=プラーナが人体を満たし、宇宙の雛型である私達を生かし、宇宙もまた私達の雛型であると考えらているのです。

そのプラーナが人体を通る道 はナーディーと呼ばれそのルー トの数は7万2千本とも35万 本ともいわれています。これら は現代医学では血液の循環経路 や神経管の経路とも捉えること ができますが、比較的東洋医学 の鍼灸に用いられる「経絡」に近いものと考えられ、ヨーガで は微細体(プラーナヤマ・コー シャ)の次元の経路と考えられます。そしてそれらのナーディ ーなかでも大切なルートは14 本あり、その中でも特に重要な 幹線が次の3本となります。

・スシュムナー管 

このスシュムナー管が頭頂から脊髄の基底部へと通り、人体の中軸となり、天と地を貫くプラーナの通り道となります。宇宙の生命エネルギーであるプラーナは人体の中ではクンダリーニ・シャクティと呼ばれ、このスシュムナーの基底部で三巻き半のとぐろを巻いている蛇と隠喩されています。またこのスシュムナー管を通る生命エネルギー(クンダリーニ・シャクティ)は、そのの中に7つあるといわれる蓮華の花に喩えられるチャクラ(輪=センター)を経過し、次第にそれらを開花(活発化)させて行きます。

これらチャクラは、ヨーガに基づいた生活をしていると、徐々に活性化されて行くものですが、クンダリーニ・ヨーガとは、ムードラやバンダ等を用いた特殊な体位法や呼吸法、瞑想法等の修行によって、より効果的にその眠っている生命力の源、クンダリ-ニ・シャクティ(女神)を目覚めさせ、それぞれのチャクラを活性化させ、眉間の部位(アジナ・チャクラ)で待っているといわれるシヴァ神(男神)と合体し、体内の歓喜のエネルギー(プラーナ)を宇宙全体に解放し、梵我一如(ブラフマン・アートマン・アイキャ)の体験を実現しようと発達したヨーガの体系です。このクンダリーニ・ヨーガといわれる中には、タントラ・ヨーガやハタ・ヨーガ等が入ります。このスシュムナー管を中軸にして、イダーとピンガラーという二つの拮抗したエネルギーの流れる代表的なナーディ管がチャクラをはさんで左右交叉しながら通っていると考えられている。これらはあたかも現代の医学においての交感神経と副交換神経の働きを指しているようであり、また、そのチャクラ(輪)という微細体のセンターも、医学的には、各種のホルモン体の位置に対応しているとも考えられている。

・ イダー(月の気道)

イダーは月に象徴され、このイダーを通るプラーナの流れは「陰の性質」を受け持ち、冷やす・静的・女性・精神性等が優位になります。上部では左の鼻腔に通じています。ですから片鼻のアヌローマ・ヴィロマなどで、こちらを優位に呼吸をすると、副交感神経を刺激し、また、交叉して右脳(感性)を活発化いたします。

・ピンガラー(太陽の気道)

ピンガラーは太陽に象徴され、このイダーを通るプラーナの流れは「陽の性質」を受け持ち、暖める・活動的・男性・行動性等が優位になります。上部では右の鼻腔に通じています。ですから片鼻のアヌローマ・ヴィロマなどで、こちらを優位に呼吸をすると、交感神経を刺激し、また、交叉して左脳(理性)を活発化いたします。

[チャクラについて]

 これらはプラーナマヤ・コーシャ(微細体=イメージ体)上のものであるので、修行者やその状態によって、異なる場合がありますが、脊椎の基底部から上にスシュムナーに添って、順に説明していきましょう。

ムーラダーラ・チャクラ

 ムーラは「根」「土台」、アーダーラは「支え」「支柱」の意味です。人体においては最下部にあり生命力の源・クンダリーニ・シャクティの内蔵されている場所です。会陰部、または肛門と関わりがあります。瞑想によって、4枚の花弁があり、燃えるような金色をしていると捉えられている。

スヴァディシュターナ・チャクラ

スヴァは、「自身の」「私の」、アディシュターナは「状態」「立場」の意味です。人体において性器の辺りにあり、宇宙の気の出入りを司ります。瞑想によって、6枚の花弁があり、血のような赤色をしていると捉えられている。

マニプラ・チャクラ

マニは「宝石」、プーラは「町」の意味です。人体において臍の辺りにあり、内蔵の働きを調節する太陽神経叢にあたると云われている。瞑想によって、10枚の花弁があり、火をあらわすオレンジ色をしていると捉えられている。

アナーハタ・チャクラ

アナーハタとは「打たれざる」「触れざる」という意味です。人体において胸あるいは心臓の辺りにあり、打たれざる音・「ナーダ音」がします。血液の循環とともに感情のセンターでもあり真我のとどまっている所です。胸腺とも関わりがあります。瞑想によって、12枚の花弁があり、蕾のような内部は緑がかった輝く光で、外側はピンクのバラ色をしていると捉えられている。

ヴィシュダ・チャクラ 

ヴィシュダは、「清浄にされた」の意味です。人体において喉の辺りにあり、

言葉を司り、興奮ホルモンを分泌する甲状腺とも関わりがあります。瞑想によって、26枚の花弁があり、海のような色をしていると捉えられている。

アージニャ・チャクラ

 アージニャは「命令」「指揮」の意味。人体においては眉間の辺りにあり、第三(霊視)の目であり、命の統合・命令・調整を司ります。脳下垂体や視床下部とも関わりがあります。瞑想によって、2枚の花弁があり、白光色をしていると捉えられている。

サハスララ・チャクラ

サハスラは「千」の意味。千の花弁を持つ蓮華のチャクラと云われています。人体においては脳の中、そして頭頂から天に開いています。アージニャ・チャクラでシヴァ神(智恵)とシャクティ女神(生命力=クンダリーニ)が合体しブラフマ・ランドラ(結節)を突き抜けて頭頂へ至り梵我一如の境地を得て、サハスラを経て宇宙へ至ります。千枚の花弁があり、光の虹色をしていると捉えられている。 ”


”・ドルイドにも輪廻転生思想がありピタゴラス教団との類似性が指摘されるが細部が異なる。ドルイドは、人間の霊魂は滅びることなく、一定期間を経たのち、魂は別の肉体へと移り第二の生をおくるとする。
つまり、ピタゴラス派のような、罪にけがれた人間の魂は輪廻転生を繰返し地上をさまようとは考えていなかったのであり、ドルイドには原罪意識はない。

ドルイドは楽天的な永生への確信や彼岸への憧れがあったと思われる。ケルト神話の一特色である不老不死の楽土ティル・ナ・ノグ(常若の国。とこわかのくに)。”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
”オルフェウス教徒は菜食を貫いた。ギリシア神話では、人間が神々に最初の供犠をおこなった際、プロメテウスの入れ知恵で屠った雄牛を二つに分け、骨を脂身で包み、肉と内臓は胃袋に隠した。脂身に誘われたゼウスは骨を選んでしまう。いら、供犠では神々に骨を捧げ、肉は人間が食べるようになった。肉食の起源神話。
菜食、肉食の拒否は、輪廻と魂の不滅が信じられていたからである。オルフェウス教徒たちは、人類が犯した原初の犯罪に対する罰として、魂は肉体に閉じ込められ、死が真実の生活の始まりとなる、と考えた。すなわち、魂は生前の過ちと徳が審判を受けた後、新たに転生するとみなされたのである。魂の不死性は輪廻思想を生み、人間の魂を持っているかもしれない動物を食する習慣をやめたのである。また、肉食の禁止はプロメテウスの教唆で神々を欺いた原罪に対する改悛の表れでもある。”
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永井均 存在と時間 書評 誤植リストを彼のツイートに暴投で置いているよね確か
『存在と時間』哲学探究1 永井均

永井均‏ @hitoshinagai1 2016年4月5日

拙著『存在と時間』の重要な誤記:176頁の後から5行目「一七三頁」→「一七四頁」。247頁「動く現在とこの現在」の2行後「一九三頁」→「一八七頁」。259頁8行目「現在の現在」→「現実の現在」(最重要!)。
さほど重要ではない誤記:24頁4行目「あるもかかわらず」→「あるにもかかわらず」。140頁3行目「繋がり原理」→「繋がりの原理」。
宮武徹雄‏ @miyataketetsuo 2016年4月6日

@hitoshinagai1 257頁11行目「線上ない」→「線上にはない」でしょうか。
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね
永井均‏ @hitoshinagai1 2016年4月6日

@miyataketetsuo そのようなので、さほど重要ではない誤植に加えます。



読書多謝