資本主義国家の神は金と国と法人!理想的ワンワールドはイスラームがすでに達成していたがキリスト教勢力が破壊!『一神教と国家』『失われた宗教を生きる人々』
Posted on 2017.09.03 Sun 03:08:04 edit
資本主義国家の3大神は金と国と法人!
世界一人を殺している生物は法人(白人製)!
理想的ワンワールドはイスラームがすでに達成していたがキリスト教勢力が破壊!
イスラーム流のワンワールドは住み分けOK、内心には踏み込まないから、
要は文化と宗教の多様性を認める!
移動の自由は絶対なので国境でやたら区切ることはしない!
内田樹は日ユ同祖論とユダヤ陰謀論を否定!
”中ユ同祖論と日ユ同祖論は17世紀のイエズス会士ロドリゲスが起源。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月24日
「十の民族が東へ一年半進んで、アルサレトに定住したとはエズラ第四書の第十三章に述べてある…は日ユ同祖論に使われるが、正距方位図によるとイェルサレムから日本への方向は「東北」であって東ではない”@kikuchi_8
日ユ同祖論と中ユ同祖論の発明者は17世紀のイエズス会士ロドリゲス。日本のことなのに日本語版Wikiには書いていないうえに、日本語版では日ユ同祖論の起源が明治期のマクラウドだという嘘を書いている。佐伯の同祖論を支持したのはキリスト教徒。http://t.co/JfpDY2cahy
— 安保 隆 (@AmboTakashi) 2015年5月19日
子子子子(ねここねこ)さんは、よく勉強しているなぁ。
— 村手 さとし (@mkmogura) 2014年4月14日
ちゃんと確かめてる。http://t.co/VOtrqTYG4q
@mkmogura: 久しぶりに感動するほどの知性をみた。
— 村手 さとし (@mkmogura) 2015年5月22日
最近、その感動のなさに記事すら見なくなってしまっていたが。
ただ悲しいかな、賢人、凡人を知らず。日ユ同祖論がキリ教の侵略の手法だと知っても、長い物に巻かれろが、大多数の凡人。こういう人達と短いものを育てる計画を考えたい
知識を積んだ大知識人というのは本を持ちません、というかそこまで積んだ人は本が必要ありませんが人に説明する為の一冊だけが必要となります
— 宗教nnmn (@nnmnfiction) 2017年8月31日
イスラームならクルアーン・儒学なら論語・中国思想なら道徳経と必要な一冊だけで後は不要です 何故なら、その人の頭に万冊もの本が詰まっているからです
>知識を積んだ大知識人というのは本を持ちません
— Desty (@exa_desty) 2017年8月31日
何か「とある魔術の禁書目録」のインデックスを思い出した
雑に纏めると10万3000冊の魔道書を記憶してるんだってよ
詳細はわからんが公式絵 まぁ露骨だわな pic.twitter.com/PPwRW0vIYg
(碧眼。銀髪。英国国教会信者。リンゴ=知恵の象徴を持つ。
十万三千も数秘術だろうけど元ネタ不明。13?)
社会の最大の存在意義というのは教育者を作る事であり、一人の教育者は様々な指導者・知識人・技能士を生産するわけで社会は常に一定的に教育者を作る事で継続しているわけなのです 教育者というのは言葉の真意と意味・解釈を知る者を言い、それが自由自在で矩を越える事無いものをいうのです
— 宗教nnmn (@nnmnfiction) 2017年8月31日
内田樹・中田考『一神教と国家――イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書
イスラーム学者の本は今のところハズレがゼロなんだよね。
その中でも特に中田考・内田樹『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書)は当たり本。
内田樹と中田考の対談本。
内田樹は合気道+フランス人脈だろうけど、
大本教の教義である日ユ同祖論とユダヤ陰謀論を否定しているからね?
内田はユダヤ教徒にして有名な哲学者レヴィナスのフランス語著作の翻訳もしている。
・ユダヤ教では豚肉、ウナギ、エビ、カキ、イカ、タコなどの海産物もダメ。
シーア派エビや魚は食べるが、タコや貝は食べない。
(311以降海産物を食べない宗教信者の方が寿命が長くなる傾向になるだろう)
・イスラームでは男に対してはそれほど服装規定はなく、
とにかく膝からおヘソまでを隠せとなっていて、あとはトップレスでも構わない。
実際にはそんな恰好で街中を歩いてる男はいない。
むしろサッカーやボクシングなどのユニフォームなどのほうがまずい。
膝が出ちゃっているので。
女性は手首から先と顔をのぞく全身を覆うのが基本。
(見た目がいい女性は狙われるからその対策でもある。
化粧やファッションに心奪われることも防げる。)
ひげを伸ばすのは義務ではないという説もあるがハディースには、あごひげは手でつかめるくらいに伸ばしなさいとある。
くちひげは切るか剃る。
中田の頭は坊主だが決まりではなく、散髪が面倒だから。
帽子にも意味はない。頭をそったばかりなので青々としていて皆さんが気持ち悪いかなと。
・内田「この道場、神棚があるし、植芝盛平の写真も飾ってあるけど気にしないでくださいね」
中田「イスラームもそれほど厳しくはない。イランなどは原理主義の総元締めのことくに言われてますが、
ホメイニ師の特大の写真が飾ってあってりしますし。
なぜかというと、写真は偶像ではなく影だという判断で、鏡と同じようなものだからいいそうです。
戒律も実はそんなに厳しくない。人間の自由度はあくまで慣れの問題。
日本にもある。サラリーマンが夏でもスーツとネクタイ。今ではクールビズのおかげで軽装になった。
でもこんなに暑いのに俺はなんで服を着ているのだろう、脱いでしまって裸になったりシャツとネクタイをむしり取ったりしない。
女性のヒジャーブ(スカーフ)もそれと同じ。はた目には戒律を守っているように見えるかもしれないが、必ずしも宗教意識ではない。
別に窮屈だと当人たちは感じていない。イスラーム世界では当たり前。
フランスなどでムスリム女性にヒジャーブをつけさせるのは抑圧だといって禁止していることについて。
フランス人はフェミニズム的にそういうふうに教え込まれているからであり、
そういうふうに教えられていなければ抑圧なんて思わない。
もともとあれは女性の身体を目立たないように隠すのが目的。
それが立法趣旨なのに特にアフリカや東南アジアなどでは原色のものすごく派手な、日本だったらとってもこんな格好して歩けないぞっていうくらい派手なのをつける。
トルコなどはすごく洗練されていてスマートなのですけど、彼らは完ぺきにファッション
。実際有名デザイナーがデザインしたものもたくさんある。
ヨーロッパのファッションショーに出ているものもある。
(パリコレもイスラーム服装の排除にかかわっていそう。商売敵が減るからね。
ムスリム女性には髪の毛を見せるのは恥ずかしいからつける人もいるらしい。つまり無理やり脱がせるのはセクハラ。
あれ~フランスはセクハラは許さないんじゃなかったのかな~?
ああそうか、ムスリムは「人」じゃないから人権はないんだね!
人権も民主主義も世俗主義も無神論も啓蒙主義も結局はキリスト教思想の根本は否定しないもんね!
フランスもどこまでいってもヤソから逃れられないよね。
カトリックを潰しても別の奴ら、世俗主義至上主義のメイソン教が異端審問やっている。
イスラームを受け入れたり共存しようとしないグローバリズムや文化相対主義は偽物だから注意ね!)
決まりを守るという点では日本の方がずっと厳しい。
服装はみんなきちんとしているし、
電車は時間通りに来るし、中田先生は今日もこの約束(おそらくこの対談)に二分ほど遅れて焦ったのですがそれって外国人から見たら「なぜ!」ですよ。
たった二分をなぜそんなに守るのかと。
日本社会の儀礼の方がはるかに煩瑣。
(しかもこの時間に異常に厳しいカルトの誕生原因もまたカルヴァン派キリスト教)
マナーに外れたものへのまなざしも厳しいですね。
他国の人から見たら日本人ほど戒律をよく守る民族はいない。
(世界一カルヴァン派に忠実だもんね。
不要なマナーを作るのも好き、
他人の内心に平然と踏み込むのも好き。
FF外から失礼します、が典型的。
ツイッターでこれ以上変なローカルルール作るなよ。
ツイッターは構造上知らん人が話しかけられるシステムになるように組んであるだろうが。そんなに話しかけられたくないなら鍵かけてくれ)
中にいれば全く不自由は感じません。イスラーム圏では豚肉はそもそも存在しません。
なければ食べたいとは思わない。
礼拝もそう。礼拝のあいだ休めるし、仕事するより礼拝しているほうが楽。
礼拝に行くというと、絶対に止められない。
どんな労働をしていても中断してよい。礼拝の権利を妨げるのはたいへんな罪。
モスクで寝ている人がいる。
イスラームは許す文化であり、
吝嗇は最大の恥。
目には目を、歯には歯を
が単純な復讐法だと思っている人が多いが、
厳密にはそうではなくて、
イスラームの場合はゆるすのが一番いい。
クルアーンにはっきりと書かれていて、
人の罪を許すと自分の罪の償いになるので許すのが一番いい。
けれどもそれができない場合には同じことをやり返してもいい。
しかし自分がされた以上の過剰な復讐は決して行ってはならない。
ユダヤ教では目を潰されたら目を潰さないといけない。義務であり厳しい。
キリスト教だと汝の敵を許せなので許さないといけないので厳しい。
しかしイスラームは二段構え。
(合理的だね。汝の敵を許した現クリスチャン支配層を見たことがないのはなぜだろう?)
またイスラームは施しの文化であり、
困っている人に分け与えることをとても良しとする。
たしかに、ぼったくりはある。
百円のものを五百円でうりつけるとか、そういうところは日本人にたいへん評判が悪いのですが、
彼ら的には問題なくて商売として強欲なのはOK.
しかし人間として共有すべきものは共有すべきだというシェアの思想は厳然としてある。
例えばタクシーに乗ったら運転手さんがお水を飲んでいて目が合った。そのときにお客さんに「どうぞ」とすすめないのはとんでもないこと。これはやらにあのはどけちであり末代までの恥。
日本では強欲とケチをわけないがイスラームではまったく違う概念。
強欲はかまわないが、ケチ、吝嗇は最大の悪口。
強欲はタムウ、
吝嗇はブフルで言葉からまったく違い、まったく別の概念でありかなり普遍的に身体化されたエートス。宗教的に熱心でない人にも共有されている。
ラマダンも施しの文化。
日の出から日没まで飲食禁止で、日が暮れてから解禁となり、
市中のモスクやレストランで食事がタダでふるまわれる。
教会と違ってモスクはメンバーシップがないので誰でもは入れてお金がなくても食べられる。
日が落ちると人がいっせいに集まってくる。
ドゥユーフッラフマーン
といい、
アッラーの客
という意味。
メニューはお肉とかもありわりと贅沢。
貧乏な人でもラマダンのときには腹いっぱい食べられる。しかも一か月。
かなりよくできた福祉制度。
今どきの洗練された考え方では、
魚をあげるよりも魚を釣る方法を教えなさいと言うが、
やっぱり食べ物を配る方がいい。
絶対に。
やり方を教えたって現実にはできない人の方が多いんですから。
内田も同様にまず食べ物をあげるべきだと賛同。
イスラームでは施しの考え方が発達しているので、
普段からパンくらいは恵んでもらえます。
そのうえ、一年のうち一か月はたらふく食べられる。
日本の貧しい人、おいしいものを腹いっぱいになんかまったく食べられてませんもの。」
(このメモは必ずしもどちらがしゃべったか書きません。
まあイスラムについて詳しくしゃべっていたら中田先生なのはわかるけどね)
(釣る方法を教えないさいって言いだしたのっておそらく生活に余裕がある人だろうね。
餓死したら魚は釣れません。
魚がかかるまえに死にます。
財布を落としましたという表現はぜひ覚えておくこと。これ言うと変な奴が来ても去っていく)
喜捨の文化が発達している。
喜んで捨てるのでいやいやではなく進んであげる。
喜捨すると死後天国で報われる。
厳密には喜捨には義務のものと任意のものがあって、
義務のものは公然とやるので名誉みたいなものを得られる。
任意のものは人知れずやるのでその分来世で報奨を得られる。
大学に行ったりする世俗教育は有料だが、
今でもイスラーム教育は初等教育から高等教育まで無料。
どこへ行ってもタダ。
医療はグラデーションはあるが無料のところが多い。
社会主義の国は社会主義だから無料で、
湾岸の豊かな国は豊かだからという理由で無料。
ただし有料のところのほうが質やサービスがいい。
(イスラーム圏ではよほどのことがない限り餓死しない理由)
ミネラルウォーターに誰かが自分の名前を書いて置いておいたら、
現地人がこんなやつと一緒に働けないとすごく怒った事件がある。
イスラーム圏では水は回し飲み。
砂漠で水は貴重であり、私有、占有してはならない。
日本人から見ると貴重だから独り占めするほうが合理的に思えるので、言われた側はなぜ咎められるのか意味がわからなかった。
イスラームでは水だけでなく分かち合うものは多い。
食事は大きなお皿に盛ってみんなでわける。
イスラームではお茶も自分でついで飲むことはない。
つぐ人間がみんなのところを回る。
日本もそうだった。来客にお茶も出さないのは基本的に喧嘩腰。
たばこも。中田は吸わないがイスラームではたばこをみんなで楽しむ文化が伝統的にある。
自分がほしいものはまず他者に贈与して、他社から反対給付をうけるかたちで手に入れるのは共同体の基本ルールだったと思うんですけどね。
hystericな禁煙・嫌煙イデオロギーって本質的には健康志向ではなく反共同体志向。
禁煙運動を地方自治体レベルでやっている政治家っておおかた新自由主義者、つまり自分のものは自分のもの、他人のものは他人のもの、資源の共有は嫌でわかちあいの発想がない。
嫌煙は本質的に吝嗇の文化だと思う。
イスラームでは共有する文化が大勢。
(呼吸器が弱い人にとって煙は地獄だよ!咳が止まらなくなる
=呼吸困難になるよ!
タバコ弾圧ってイスラーム弾圧でもあるのだろう。
でも放射線で汚染されたたばこはダメです。
国産たばこはアウト。
添加物と放射性物質が含まれるからタバコでがんになるのさ。
本来の無添加有機海外産たばこは薬なのさ。
でないと支配層がたばこを吸うわけないでしょ?)
中田
「今日のユダヤ教はラビ・ユダヤ教で、キリスト教とほぼ同時期に並行して成立したもの。
(とんでもなく重要なこと言っているぞ)
キリスト教も成立当初には後にユダヤ教と呼ばれるようになる別の宗教と別の宗教という自意識はなかった。それ以前の宗教は便宜的に古代ユダヤ教と呼ぶこともあるが、イスラエルの民の宗教としか呼びようのない名無しの宗教だった。
アダムがユダヤ教徒だったと言う者はいない。
イスラームでは単純明快、神の啓典を授かった者はすべて預言者であり、
アダム以来の神の宗教はすべてイスラーム。
イスラームはユダヤやキリストと異なり、服従や帰依を意味する一般名詞であることが、イスラームの普遍主義を示し象徴的。
モーセが授かった律法はヘブライ語聖書ではなく、
イエスが授かった福音は新約聖書ではない。
聖書記者たちが編集したモーセの伝記、イエスの伝記だから。
イスラームにとっては、預言者ならぬ人間の言葉を聖典とし、権威に祭りあげることであり、
許しがたい被造物神化である。
イスラームがアダム以来の預言者たちのオリジナルでありキリストとユダヤ教は歪曲されたもの。」
(服従と帰依は唯一神アッラーにのみする
「ので」
他のいかなる存在=被造物を神格化して服従も帰依しないって意味ね。
だから後述のハラール認証は悪。
政府の神格化につながる。というか今の国民国家では国家は神)
食べてよいものだと許可する印をつけたハラール印がある。
中田はイスラームに反する多神崇拝の大罪ではないと思っている。
許可はハラール、
禁止はハラームというが、
クルアーンやハディースには個別の食品ごとに書いてあるのではない。
盗んだものは食べてはいけないとか、
合法的でない取引で獲得したものは食べていけない。
判断はムスリムが個人ですべき。
権威を装ってハラール、ハラームを決めて強制するのは神の大権を冒すたいへんな冒涜。
イスラームでは神以外に立法者はいない。
ラビや司祭などが神の名のもとに権威としてふるまうことがユダヤ教とキリスト教への批判の主要な論点の一つ。
イスラームに聖職者はいない。
ハラーム証明などというものを強制するのは神の大権の簒奪に等しい大罪。
マレーシアとインドネシアがまず始めて、中東にも広がってきた。
マレーシアにはハラール水もある。
政府の息がかかったイスラーム機関が出している。
イスラーム圏では
こっちからこっちは俺の領分だから入ってくるな
って感覚は希薄。
共生し共有するのが基本。
イスラームの人は共同生活が好き。
マレーシア人などは一人暮らしなんて寂しくて死んじゃうってくらい。
イスラーム世界では人と人のつながりをすごく大事にする。
大事にするというか、依存するというか、すり寄っていくというか、
ちょっと親しくなるとすぐ頼りにする。
ユダヤのネットワークもすごい。僕たちには想像できないくらい強固な宗教的・民族的ネットワークを持っている。
だからユダヤの陰謀なんて言葉が生まれてくる。
別にユダヤ人が世界支配するために作った中枢的な機関なんか存在しないんですけど、
彼らが僕たち日本人には想像できないくらいに緊密なネットワークを持っていることは事実ですね。紀元前から存在しているわけですから、これも一つのウンマ(共同体)だと思います。
内田は能楽の稽古をしているが、
能楽では旅の僧が山の中とか海辺とかを旅しているときに日が暮れて一夜の宿を請うところから始まるのが多い。
約200曲のうちたぶん50曲ぐらいがそういう話から始まるんじゃないかな。
不思議なことはこれがどれもまず断られるんですね。
結局泊めるのに最初からお泊りくださいという話はほとんどない。
日本はたとえ泊めてもまずは断る文化。
イスラームだと来られたら泊めないといけなくて少なくとも三日間は客人としてもてなさねばならないのが義務。
ヨーロッパでも南の方はノマド的でスペインとかではバックパッカーを気軽に泊めるみたいですね。
突然知らない若者が訪ねてきて、こないだおたくの息子さんと旅先で知り合った者です、だから泊めて
とかそれだけでも泊めちゃうらしいですね。北の方はそうでもないみたい。
アメリカもいきなりピンポンして泊めてはない。
(スペインってイスラム圏だったじゃん。
能楽でも登場する宗教家は坊さんつまり仏教徒ね)
レヴィナスは正統派ユダヤ教徒の哲学者で内田の専門。
レヴィナスはリトアニアのミトナグディームという非常に知性的なユダヤ教の流れに連なる人。
東欧のハシディズムはかなり情緒的・感性的なユダヤ教のかたちだが、
ミトナグディームは知性的で学問的なユダヤ教徒。
同じ一神教の仲間なのでキリスト教とイスラームに対しては繰り返しエールを送っている。
戦時中ヴィシーの反ユダヤ政策の実施を拒否したムスリム君主ムハンマド五世への敬意を表している。
内田
「ニューヨークのジェイコブ・シフというドイツ系ユダヤ人の銀行家がいて当時のアメリカの財界に君臨した大物。
彼はロシアでのポグロム(ユダヤ人迫害)についてロシア皇帝に深い恨みを抱き、当時ロシアとの開戦に備えて戦時公債の引き受け手を探していた高橋是清と会ったことを奇貨として日本を財政的に支援して帝政ロシアを打倒しようと考えた。国際ユダヤ資本に指示して日本が起債した戦時公債を買い取った。
同時にロシアの戦時公債の買取を拒否させた。シフと世界のユダヤ人の金融ネットワーク支援で合計二億ドルの戦費を調達できたことで日本は日露戦争に勝てた。
戦後シフは日本に呼ばれて明治天皇に拝謁して勲一等旭日大授章という勲章をもらっている。
これは日本人のユダヤ人観に深い影響を及ぼした。
一つはユダヤ人は親日だというある種の主観的願望。
もう一つはユダヤ人は戦争を買うことができるほどの超国家的勢力であるという恐怖に似た感情。
ユダヤの国際的ネットワークで日露戦争に勝った事実は一般の日本人には開示されなかった。
でも大日本帝国の指導部には重要情報として共有されていた。
石原莞爾が満州にユダヤ人の自治州を作ろうという計画をいいだした。
対米最終戦争で雌雄を決するまで戦争は先延ばしにしたいのでユダヤ人と組んだらどうだという話。」
中田
「河豚計画。
日猶同祖論というものもありますがほんとなのですか?」
内田
「ウソです。
日猶同祖論についていろいろ調べたことがある。
明治末期、日露戦争後に出現し、戦後はしばらく忘れられていたが今また出てきている。
言い出したのはスコットランドの商人で、明治初期。
日本はユダヤの失われた十部族の末裔だという説を唱えた。
でも自分たちとユダヤ人のルーツが同じだという話は世界中にある。
このスコットランド人は、
スコットランド=ユダヤ人同祖説という故郷で聞き覚えた物語を日本に適用しただけ。
アメリカにはインディアン=ユダヤ人同祖論説もあるし、
黒人=ユダヤ人同祖説もある。」
(黒人・インディアン=ユダヤ人同祖論説はどう見ても布教用。
内田は同祖論否定。ユダヤ陰謀論も否定(力はあることは認めている)。つまり大本教系が唱える同祖論と陰謀論の否定。
これが私が学者の立場を見極める基準で重視しているものの一つね。
現代オカルトの根源の著者も同祖論否定だし。
同祖論については英語とフランス語でも調べてほしかったな。ロドリゲスが登場する。
マクラウドが商人だとは確定できないよ。マクラウドはビジネスマンか、宣教師。
石原莞爾は国柱会と一緒に調べましょう。
私は別にユダヤ資本ネットワークが存在しないとは言っていないからね。
さらに親分がいる、かつユダヤ教徒でない奴もいると言っている。
ユダヤの中身が単なるクリスチャンでヘブライ語聖書もタルムードもまったく学んだことがなかったりする。
ユダヤ系クリスチャンって何?
親がユダヤ教徒で本人がキリスト教に改宗したってこと?
それって単なるキリスト教徒じゃね?
超国家勢力にキリスト教が含まれない謎。
世界中のどこ行っても教会はあるらしいよ。
シナゴーグはないらしいよ)
内田
「日本の軍部はイスラームに興味を持ちましたよね。
あのころイスラーム学の組織や友好団体を立ち上げた人たちは頭山満、大川周明をはじめ右翼が多かったのですがどういう説明がつくのでしょうか」
(ヤソ系の万教帰一側ばかりがイスラームを持ち上げているのに注目)
中田
「政治的な側面、特に中国に対抗するための戦略としてイスラームを利用した側面が強いと思う。ウイグルやマレー人などムスリム諸民族を漢族、華人と対立させ、イスラームとの連帯をうたってムスリム諸民族を味方にして中国を支配し、ムスリムの多いマレーシア、のちのインドネシアなどの石油など天然資源が豊富な東南アジアの国々を植民地化して欧米と対決しようとしたのではないでしょうか。
日本人がイスラームに対して同じアジアの宗教だという親近感の意識を持っていた。
イスラームはアニミズムと一神教を両方兼ねる。
神と便宜的に訳されるアラビア語のイラーフとはまるで違う概念なのでアニミズムにあたる部分に対して神々というような言葉を使っていないのでアッラーばかりが唯一絶対の感じがするが実は全部含まれている。
アニミズム的なものも事実としてあると認めたうえで創造主は一人という考え。ユダヤ教はどうですか?」
内田
「ユダヤ教の場合は神秘主義やハシディズムが比較的多神教のにおいがする。
ハシディズムの場合は千里眼とか空中浮遊する聖人に対する民衆的な信仰がある。
カトリックは布教の過程でゲルマンの土着信仰と接触して、習合的な聖人崇拝を生み出していくがアニミズムとまではいえない。」
中田
「同感。
非アニミズム的。人間だけが理性を持った生き物で、それ以外はすべてモノであるといった考え方が強い気がする。だからこそ近代的知性や合理主義のけん引役になったのでしょうけど。
先ほどのノマドの話もそうだが、一神教の中でもキリスト教はやっぱり異質な部分が多い気がする。
徹底した人間中心主義で世界を認識していく。
イスラームは異端審問のように人の内心には踏み込まない。人の内心はわからないと考える。イスラームにはそもそも教義決定機関がないのでキリスト教的な正統と異端という概念はありえない。魔女じゃないと本人が言っているのに無理やり魔女だと言わせるのはない。自分が違うと言ったらおしまい。自己申告。
異端審問的な事例はあるが非常に少なく宗教的というよりも政治的な問題。
また自分の宗教が知られると身に危険が及ぶ場合には信仰を隠すことをタキーヤといい、
シーア派では命じられており、スンナ派でも許されている。
内心の問題を神にゆだねて詮索しない柔軟性も千年以上にわたって多宗教が共存する中東アジアに根を張るイスラームの特徴の一つでしょう。
それに対してよくも悪くもキリスト教の西欧文化は人間の内面に精神というものがあると考える。
確固としてあると考えすごく重視する文化。
一方イスラームではあまりそういうことは考えない。そもそも内面に最初から悪魔とか悪人とかいろんなものが入っていると考える。それが当たり前だと考える。」
内田
「内面より行為というのはユダヤ教もそうです。
戒律か信仰か、形式的な正義か内面的な正義かというのはユダヤ教とキリスト教の最大の対立点。
新約が激しく批判するのはユダヤ人たちが内面より行為を重んじること。
ユダヤ教はある種のリアリズムだと思う。
心では慈愛にあふれているけれど貧者に何も差し出さない人間よりは、
心は何を考えているかわからないけれど貧者に食べ物を恵む人間の方を重く見る。
その人が何であるかではなく何をなしたかに基づいて人の価値は考量されるべきだという考えはマルクスの思想そのものですが、
このきっぱりと内面を無視する態度はユダヤ教の系譜から生まれてきたものだと思う。」
(利他をおこなわせるなら、外から見える行動を内面より重視する方がいいよね)
中田
「ですからカトリックの告解制度は恐ろしい制度だと思う。
内面を暴き出して人を支配していくってことですから。
イスラームでは罪を犯してもできるだけ人には言わない。
あくまで神と自分の関係とする。
対してキリスト教は人の心を他人が知ることもできて支配することもできると考える」
内田
「内面にフォーカスするキリスト教は一神教としては例外的なかたちなのかもしれませんね。神と人間の距離が近くて人間の内面の言葉を聞き取ってもらえるわけです。
ユダヤ教では神との距離は絶望的に遠い。戒律の理由も説明がつかない。
人間世界の実用性や合理性に基づいて戒律の適否や意味を論じてはならないということを叩きこむために戒律はあるんじゃないかと思う。
キリスト教だと戒律の採否は人間側に決定権がゆだねられる。」
(カトリックの告解制度って要は弱みを握るってことだもんね。
キリスト教だけ一神教のくせに人間中心なのは正しい)
ミトナグディーム
(反対者。ミスナグディーム)
=十八世紀に起こった立法研究よりも祈祷を重視したハシディズムを異端視した正統派ユダヤ教徒による運動。
ハシディズム
=十八世紀の東欧でイスラエル・ベン・エリエゼルによって唱えられたユダヤ教の運動の一つ。
東欧ユダヤ人に広まり、のちにイスラエルやアメリカに伝わった。神秘主義的傾向が強くツァディークという指導者を中心に祈祷によるエクスタシーを重視。
中田
「国家の歴史は短い。
しかし国家は主権を持ち、国民の生殺与奪の権を持ち、国民は国家に死ねと言われたら死ななければならない。そういう奇妙なものが国民国家。
ホッブズはこうした近代国家のことを地上における可死の神リヴァイアサンと呼んだ。
領域国民国家は西欧の世界支配システムであり、西欧が国家承認さえすれば実体がなかろうが、存在が住民に大きな厄災あおもたらそうが独立主権国家として存続してしまう。
本来はある地域の人が独立国家を作ることに意味があるとすれば少なくとも二つの条件を満たす必要がある。
一つは国家内部に一つの国家として束ねられているだけの顕著な同一性があること。
もう一つはその国家と外の国家の間に境界が必要なほどの異多性があること。
その点からいうとイスラームの国々はあまり独立している意味がない。
インドや中国は上記の条件にとてもよくあてはまる。
イスラームでは宗教儀礼言語はアラビア語、ムハンマドという一人の預言者、一つの聖典クルアーン、一つのイスラーム共同体があり、それをベースに国民国家がおかしいなら変えてしまえばいい。
今グローバリゼーションと呼ばれているものは単なるアメリカの覇権でしかない。
領域国民国家システムがリヴァイアサンの偶像崇拝なら、
資本主義というかアメリカ流の拝金主義はマモン(銭神)崇拝。
アメリカ流のグローバリゼーションは本当の意味でのボーダーレスな自由な世界を目指すものではなくマモンとリヴァイアサンの配偶神を拝む偶像崇拝」
リヴァイアサンは越境する者を潰す。
ウエストファリア体制以降近代国民国家の体裁が整ってゆくわけですけども、その時にまず敵視されたのはカトリックとユダヤ人。彼らは国民国家の概念にうまくなじまなかった。
ユダヤ人は国なき民なので領域的な国家への帰属意識や忠誠心を持ちようがない。
カトリックも国民国家とかなり確執した。
政教分離は十九世紀末だが、あの時期のフランス文学を読むとここまで悪く言うかというくらいイエズス会が悪者にされている。何かあればイエズス会の陰謀にされる。
街頭でデモなんかしている。
もともとカトリックの国で、つい十八世紀までは聖職者が貴族に並んで権勢を揮っていた国で、国民国家が成立するといきなりイエズス会のような国境を越えた宗派が目の敵にされる。
国民国家にはボーダーを越える者に対する生理的な憎しみがある。
イエズス会もユダヤ人もフリーメイソンも何かあると黒幕に見立てられる。
他には同じような理由で国民国家から暴力的に弾圧さえたのが、
植民地統治の尖兵の東インド会社。東インド会社は条約締結権や徴税権や交戦権まで持っていた。国民国家を越えるグローバル存在。
近代国民国家が成立する過程ですべて潰された。
フランスではフランス革命直後に潰された。オランダでもイギリスでもほぼ同時期に解体され、利権は国庫へ。その矛先がイスラームにも。
国境というイデオロギーにこだわり、クロスボーダーを攻撃するのは、
国民国家というものの土台が脆弱だという危機感があったからでしょう。
ただの恣意的な線にすぎない国境線というものが実は人間たちを隔てる決定的な切断線であって、これを越えて利害が一致する者たちはもはや人間ではないという話を作りこんでいった。
(資本主義国家の二大神は金と国であり反イスラーム!
理想的ワンワールドはイスラームがすでに達成していたがキリスト教勢力が破壊!
イエズス会陰謀論はかなり昔からあってプロテスタント系がよく主張していた。
国境を越えた宗派にはメイソンも入るから叩かれたんだろうな。
ボーダーを越える存在を叩く癖に特権階級は越えてもお咎めなしの二重基準。
東インド会社は北欧勢力も作っていたことが重要。
あと東インド会社は潰れるべき存在でしょ。
イギリス東インド会社
— 紋章bot (@coat_of_armsbot) 2017年9月2日
会社のくせに植民地経営し戦争までやる恐怖のブラック企業。あまりにブラックすぎて、インドで餓死者を出しまっくた挙句、大反乱を起こされたので解散した。左上に微妙に黒幕が主張してるところがポイント。 pic.twitter.com/9KNbujsmug
)
東インド会社
17~18世紀にかけてイギリス、オランダ、フランス、
デンマーク、スウェーデン各国が設立した東洋貿易のための独占的特許会社。当初香辛料などの輸入が目的であったが、植民地経営、行政にも深くコミット。
アメリカが必死で目指している経済のグローバル化が完了するためには世界市場が単一の言語、単一の通貨、単一の度量衡、単一の商慣習によって統合されていることが必要。
世界中の人々が英語を話し、ドルで売買し、同一の商品に欲望を抱き、金があるやつがいちばん偉いという価値観を共有するときにはじめて経済のグローバル化は完了する。
それは完成していない。それを阻む巨大な障壁がイスラーム圏。
西はモロッコから東はインドネシアにわたる人口16億の巨大なイスラーム圏が存在する。
同一の宗教儀礼、同一の儀礼の言葉、同一のコスモロジー、同一の人間観が共有されている。
グローバリストにとっては大いなる脅威。イスラーム圏は潰すしかない。
私的な信教として家の中で信仰する分には構わないが、イスラーム法による統治だとか、イスラームの商習慣に基づく経済活動は絶対これを許さないというのがグローバリストの立場。
個人的信仰としてのイスラームは許容するが、社会的な制度としてのイスラームは許容しない。
イスラームは国民国家ではなく国民国家という枠組みとは相性が悪い。遊牧民的な集団なのでクロスボーダーな仕方で連帯している。それがアメリカにとっては一番困る。
アメリカがある国のイスラーム勢力を軍事的に叩いても彼らは簡単に国境をすり抜けて隣国に逃げてしまう。
彼らにしてみたら自分たちのことを別に隣国に逃げた外国人だとは思っていない。
その辺を何百年も前から自由に行き来していたのに、最近になって鉄条網で境界線を区切って
こっちには来るなと無法なことを言い出すやつらが出てきた。ふざけたことを言うなが遊牧民的なメンタリティの本音でしょう。
遊牧民的な連帯を打ち砕くために、
国民国家・領域国家それぞれの主権と独立性を強化し、
隣国との利害の対立を強め、
国民同士が憎しみあうように仕向ける。
(世界連邦作って国境なくすと矛盾するな。国境作りまくった勢力と国境なくそう勢力が同じ勢力だから自作自演だな。
海外移住する日本人が少ないのって領域国民国家の呪いだろう。
国境超えたら死ぬって潜在意識では思ってるんじゃないの?)
中田
「欧米国がイスラーム世界の植民地支配を永続化させるために残していった彼らのエージェントたちが、独立を与えられたそれぞれの領域国民国家の支配層だったわけですが、彼らが作ったカルテルがOIC(イスラーム協力機構)です。
OICはイスラーム諸国の連帯を目的としているように見せかけながら、実は加盟国各々の既得権を守るためのカルテルとして機能して実際にはイスラーム圏の分裂を固定化するものとして働いているんです」
(OICが人工芝ってことは他の著書でも書いている)
内田
「ですからこれからのアメリカの世界戦略は、非イスラーム圏に対しては国民国家を解体する方向で圧力をかけ、
イスラーム圏に対しては逆に国民国家を強化するというかたちで圧力をかける、
ダブルスタンダードを使っていくのじゃないかと思います。
自由貿易で市場開放、食糧の自給自足体制の破壊、英語公用化、固有の食文化や商習慣を廃絶、国民国家としての自立性・主権性をなし崩しに無化。
一方、
正統性の乏しい独裁的な政権を支援して、境界線によって厳しく分断し、イスラーム内部の連帯が成立しないように全力を尽くす。
イスラーム圏という領域国民国家を超えた巨大な宗教的連帯が存在する以上、ダブルスタンダードでいくしかない。」
金貨の伝道師の中田
「世界はフラット化する必要はないし、フラット化しちゃいけない。
世俗主義が生んだ最大の魔物、マモン(銭神)はお金。
イスラームなり、ユダヤなり、カトリックなりが伝統的に持っていたグローバリズムは宗教文化としてある普遍的な理念を擁していたと思うのですが、世俗主義に徹した今のアメリカ型のグローバリズムになんらかの理念があるのかといったら、ない。
あるのは結局お金だけ。それだけ。拝金主義以外の何物でもない。
ある程度は必要ですけど、それ以上は持っても仕方がないでしょう。
イスラームではお金は金貨銀貨であり貴金属なのでそれ自体に何円かぶんの価値がありそれと同じだけの価値を持ったものと交換できる。
紙幣はただの紙切れであり国家が暴力を背景に押し付けたというだけで、何円かぶんの価値があるということになって流通している記号。
記号だから実体を離れて自己増殖を始める。利子が利子を生むマネーゲームの根本原因。
人間は記号を操って生きているので完全否定する必要はないが、放っておくとモラルを逸脱してとめどもなくエスカレートしていく性質を持っているからそうやって抑えるかがカギ。
紙幣は記号なので実体から遊離すると偶像に堕す。
純粋な記号の数字だけの電子マネーはもっと露骨な偶像。ゆえにそういうものの暴走は許さないというのが基本的なイスラームの考え方。
記号は記号でしかなく、それには記号が代理する実体に対応する価値を与えない。
イスラームは言葉と事物は正しく対応しうると考える。
言葉自体は記号でしかないので事物との対応は自然には保証されない。
言葉が事物との対応を失い、虚偽の幻想によって人々を支配するようになること、それが偶像崇拝。
イスラームは実体と対応した記号、言語の正しい用法にこだわり、記号が実体から遊離し、偶像崇拝に陥ることを常に警戒する。
本来はキリスト教も同じで、言葉と事物の正しいつながりを信じていたはずです。
ところが西欧近代言語学は言語と事物のつながりを断ち切り、言語と事物の関係を純粋に恣意的なものとしてしまった。
結果、名前はあるけれども実体のないものの存在を容認することになって、それがマネーという記号の独り歩きを助長。
それを避けていこうというのがイスラームの偶像崇拝禁止の概念。」
内田「だから金貨。金貨にしてもある種の物神性とか記号性は持っている。半分記号、半分物質みたいなもの」
中田「ええ。イスラームにも兌換紙幣はある。
西欧の小切手の起源はアラビア語の証券。
問題は金の裏付けのない不換紙幣でイスラームの世界にも中央銀行制度が入ってきているので不換紙幣も当然流通。
利子は禁止。
が、中央銀行が商業銀行に有利子でマネーを貸出している以上、だれもが完全に無縁ではいられない。
イスラーム法では利子(リバー)が禁止されているのは金と銀と穀物など一部の食料に対してだけなので、紙切れの紙幣に対しては適用されないとの説がある。これは紙幣を無効とし、金銀本位制に復帰することを説く人たちの議論。
やっぱり基本は金貨なのでアメリカみたいに完全に記号の世界にはなっていない」
(神以外の権威を認めない
=拝金主義の否定。
つまりカルヴァン派と資本主義の否定。
支配層の神格化も認めないから、
特権階級だけ金持ちという矛盾した共産主義の否定。
世界一言葉と中身がかけ離れているのがカトリックとプロテスタントとその変形だな。法律名と中身の乖離。
真の金持ちが紙幣を実物に変える理由がわかるでしょ?
価値を与えるマジック(魔術+呪術)
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2014年8月26日
①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。
②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。
葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。 @mrunsmily
@mrunsmily 蓄銭叙位令の目的は流通を促す為という説明は一面的。真の目的は財源=現物確保。物々交換=等価交換が嫌で一方的に財産が欲しい朝廷は、金属片を貯めれば位が得られるようにする。等価交換ではないと理解していた人々にはあまり効果なし。朝廷も金融詐欺で財産を奪おうと画策。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2014年8月27日
@Jd805 @mrunsmily 神社が天皇を動かしたのは嘘。愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理した。仏教徒の天皇と本地垂迹説=仏教圧倒的優位、門跡寺院はあるが門跡神社はないことを隠す為に、神道=和風耶蘇教の儲のガーター勲章持ち偽天皇をクリスチャンが捏造。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2014年8月27日
)
中田
「公共料金に支払いなどのために口座を維持する最低限の額以外はできるだけ金にかえている。
と言ってもわずかなものですが。
手持ちの現金は金貨にする方がいい。金貨を持っているとビジュアル的には守銭奴みたいだが、そんなことはない。金貨だとたくさんもっていてもしょうがないって思うようになる。」
内田
「電子マネーだと使わなきゃいけないという気持ちも起こらない。」
中田
「金貨は人間の身体にくっついた等身大の存在であるからため込まなくなる。」
内田
「金貨の物質性が、物神化を抑制。利子をつけない効用は?」
中田「流動性。利子禁止の理由は金は回していくものだという考えが根本。貯蓄してもしょうがないし、貸し付けるいみもないからぱっぱと使う」
内田
「貨幣は等価のものと交換する以外にはなんの使用価値もないものだ、ただの物の交換を加速さえるための装置にすぎないということをきっぱり宣言している。
貨幣の本務はものをぐるぐる回すことなので停滞する理由はすべて排除。利子で滞留するぐらいなら利子をつけない。紙幣にすることで退蔵されがちになるなら金貨を使え、合理的。
昔は日本は金をため込むことは卑しいという文化があった。金は不浄だから子供は金に触ってはならないというルールも僕の子供のことまではあった。子供は金の話をするなと父親に一喝されたり。金の毒への警戒心。金をため込むと体に悪いという人類学的な知恵は今はさっぱり感じられない。」
中田
「喜捨の文化も発達していない。ムスリムならあなたお金をたくさん持っているのだから寄付しなさいよと言ったらポーンと出す。
日本人が出さないのは気前よくお金を使ってもあまり褒められないから。貯蓄すると褒められる。つつましんだかケチなんだか。税金が高いから日本人はため込む。しかも税金の使い道が見えない。」
内田
「日本の英語教育がダメなのは目的が卑しいから。英語ができないと金にならないという発想そのものが子供たちの学習意欲を根本的なところで腐らせている。企業の求めるグローバル人材とは要は企業の収益を増やす人材」
アメリカは占領した国の経営が下手。イスラームの伝統と文化をちゃんと研究したのかと。基本的に同害報復という考えがあるので一人殺したらエンドレスになるとなぜわからないのか。とんでもない相手に喧嘩売っちゃった。
内田
「日本とドイツには成功。アメリカは日本はきちんと研究した。
それ以降のアメリカの占領統治は失敗。
日本占領の件は、ベネディクトの功績だけでなく、日本兵と交戦経験のない中西部出身の新兵たちで進駐軍を編成したのも成功だった。第二次世界大戦で仲間を殺された兵士たちが日本を占領していたらもっと暴力的な衝突があったと思う」
中田
「1990年代前半までは日本とイランの間にビザ免除の協定があったので出稼ぎに来ていた人も多くて親日」
内田「野球のダルビッシュはイラン人とのハーフ」
中田「彼の親世代がイランと日本が一番親密だった時代。
今、2013年現在のようにシリアが紛糾するようになった最大の要因は、
いちがいにはいえないがやはり西欧的な思想が入ってくることによってもともとあった人々の共存システムが崩されてしまったところにあるのではないでしょうか。
オスマン帝国解体後にシリアはフランスの植民地になりその後独立。
不自然な境界線によって仕切りが作られることによって複雑なものが混在しつつ生きてきた許容力みたいなもの、知恵のようなものが破壊されてしまったのではないかと。
シリア、レバノン、イラクもそう。
今のシリアを見ているとイスラームに政府も国家もいらないと実感する。このあいだシリアの反政府側の支配地に行った。当然無政府地帯だけどなんの問題もなく秩序が保たれていた。
イスラームの教えに従い相互扶助で生きていてけっこう安らか。
北斗の拳のような世界に政府がなければなるというのは現実に基づかない妄想。
動物行動学や人類学の知見に照らしても生物のデフォルトはいうに及ばず共存であり、争いはかならず起こるにしても例外。
自然状態を万人の万人に対する闘争と考えたホッブズは間違っており、
自然権が実現された平和状態と考えたロックが正しかった。
シリアでは政府のあるダマスカスのほうが誘拐や強盗が頻発してはるかに治安が悪い。
ムスリムはボーダーレスなグローバリストだということも改めて実感。国境はなく、アッラーの教えという連帯があるだけ。
シリアに亡命する人がいるのは暮らしやすいから」
法人概念がムスリム最大の敵
イスラーム国家がなぜこうもそろって放っておくと独裁政権になるのかについて。
部族主義で族長という大きな存在があったが、西欧的な国民国家の概念が結びついて最悪になったケースが多い気がする。
トップが個人ならいかにワンマンでもたいした力は持ちえないが国家は違う。
法人であり機関。レベルが違う。
これに族長みたいな性格をもたせたらたいへんなことになる。
すべてをいいように牛耳る権力になり危ない独裁体制が出現してしまう。
トップが個人か法人かにはとてつもない落差があることがわかってない。
国家はスルタン、カリフみたいなものだろうと思っている。
根底には究極のところ、この世は神がお決めになった法によって成り立っているのであり、人間の支配などはどうでもいいと考えていることがある。
イスラームにとっては法人概念が最大の敵、最大の偶像だと思っている。
下手するとスターリニズムみたいになってしまう。
カリフ制になると全体主義になるからよくないという人がいますが、ぜんぜん違う。むしろ逆。カリフ制のリーダーは個人であり法人ではない。
逆に法人概念がなくなるので保険とか保障とかもなくなり教育も個人になり、基本的に税金もとれなくなるので大規模なプロジェクトもなくなる。
今の日本でやっているような財政投融資もなくなる。全体主義にはならない。
本当のカリフ制なら大きな政府はなくなる。
イスラームには拠点とか相互扶助の文化がありそれに支えられた共同体があるので政府がなくてもカリフがいればやっていけるということ。
部族主義とは族長のところに部族のすべての資源を集中して族長がみんなに再分配するかたち。
なのでドカンと大きく集めてぱっぱと分配する気前のよい族長ほどよい族長。遊牧民の文化。とはいえ即座にリーダーの独擅場になるのではない。
彼らは一人では生きられないので群れから離れる自由がない。そこにある種の民主主義が発生。
近代民主主義とは違う。
遊牧民の民主主義は判断を誤ったら死ぬの絶対に間違ってはいけない民主主義。
族長が自分のところにひとまず集めることでリーダーの権威が保たれるので卑怯ではないのだが、これが近代国民国家概念と悪く結びついて改悪されることでおかしくなった。
西洋では解毒剤として人権思想とか西欧民主主義などを用意したが、
イスラームではその解毒剤がないまま国家という外枠だけが入ってきた。
これが族長制度の拡張主義と合体してとんでもないものになってしまった。
(これ、日本でカルヴァン派が凶悪化して労働教になった経緯と似てる。
安息日=休めという神の強制的命令
という解毒剤が抜かれているでしょ?)
遊牧民では軍隊組織的な厳しさがあり即断即決で切り抜けないといけないのでスピードと強いリーダーが求められる。
一方、定住の農耕民はもっとのんびりしたネゴシエーション文化になる。時間をかけて話あう。」
イスラームは占領経営が上手かった。
イスラームは世界的にみてものすごい速さで広がった。
ムハンマドが七世紀初頭に現れ彼の死から一世紀ほどのあいだに西アジアから北アフリカ、ヨーロッパまで達した。
こういう急速な広がり方をしたのはアレキサンダーの帝国とモンゴルとイスラームだけ。
イスラームで特筆すべきなのは、征服しても自分たちの宗教を信仰するようには決して強要しなかったおかげで民衆の反乱がほとんど起こらなかった。
千年以上ももつ安定したイスラーム法による法の支配を施行する全体の外枠のような仕組みだけを作って、そこに自由な貿易圏を展開したイメージ。
イスラームは相手が攻撃してこないかぎり内面にあまり興味を持たない。
イスラームは他者に対してはある意味政教分離的であって宗教による枠組み
法による共存の枠組みは別物と考える。けっこう高度なグローバリゼーション。
かえって欧米の方が混同していて、政教分離といいながら宗教的な価値観を背負って相手の陣営に攻め込んでいるところがある。
民主主義も人権も彼らは宗教だと思っていませんが、立派な宗教であり、特にアメリカにはその狂信者、宣教師がたくさんいる。
政教未分離。
ヨーロッパでも東方教会はほんとの政教分離。戦時中でも政教分離の原則を貫いて、その時の政権がどんな政権でも彼らのために祈る。
しかし西欧のキリスト教は結局は政権にかかわる。なぜなら彼らの政教分離の原点は世俗と宗教の分離ではなく、国家と教会の分離だったから。
ローマ帝国と教会が戦っていて、どちらも官僚組織で、どちらも地上の権威でかぶるので、
教会は来世、国家は現世の利益に書かある権威だとした。
しかし本質的分離ではなので為政者はなまなかな宗教心を抱いたまま戦争し続けることになる。これが西欧キリスト教の一番の問題。オバマも敬虔なクリスチャン。
世俗という概念自体が宗教的概念です。
戦争して人を殺してもこれは宗教ではなく政治の部分によってやっているのだと言いぬけする。
イスラームは潔く宗教だと断言」
(異端審問やりまくると結局反発されて上手くいかないのさ。
欧米のキリスト教圏って世俗主義とか政教分離とかほざくくせに、
背後の団体が宗教団体だったり、
単に神を別の言葉を言い換えただけだったり、よりカルトが奥に隠れただけじゃん。
人権の権利はゴッドから与えられているので宗教だろ。
民主主義も宗教だし。
政教分離って利権のとりあいの果ての妥協だよね。
政治家が全員無神論でも問題は解決されない。
無神論も宗教の一派であり、ゴッド信仰の系譜)
中田
「大ジハードは自分の中であれかこれかの葛藤があること、克己のこと。
戦闘などは小ジハード。
相手に勝つより自分に勝つ方が難しい。
イスラーム法学用語では異教徒との戦闘。
イスラーム法は女子供を殺してはならない、戦利品をどう分配するかなどのジハードのルールを定めている。
一国単位では本当にイスラーム共同体はできない。
領域国家の概念をまとうと、隣の国に飢えたムスリムがいてもどうしても自分の国に入れまいとするようになる。
サウジアラビアなどが良い例。
モロッコに貧しい人がいれば金持ちのサウジアラビアが手を貸してやるのが本来のイスラーム。
いくら国内で盗人の手を落とす厳格なイスラーム法を実施しても隣の貧しい同胞を救えないのならイスラームではない。」
アラウィー派
イスマイル派からの派生と考えられる。
神が人間の姿になって顕現することがあるとする。
シリア、レバノン、トルコ南東部などに信者が多く、
シリアの人口の約一割を占め、
政府、軍の高級将校にアラウィー派の占める割合が大きい。
アサド大統領をはじめバアス党幹部に信徒が多い。
バアスは復興を意味する。
バアス党はアラブ民族主義を掲げる。正式名はアラブ復興社会主義党。
アラウィーのアサド政権はロシア、中国、北朝鮮など全体主義独裁強権政権から軍事政治的支援を受けている。
シーア派十二イマーム派のイランの革命防衛隊、
イランをバックに持つレバノンのヒズボラ、
イラクのマフディー軍などから軍事支援を受けており、
いわばシーア派軍閥。
シリア反体制派勢力の主流はシーア派。
(さすがにイスラーム情勢の情報は詳しい。
西洋系のイスラームニュースの偏りがよくわかる。
ホメイニ革命以降の今のイランは徹底的に反アメリカ。
王政時代はCIAの傀儡の王様が支配していたからね。)
サラフィー
スンナ派。クルアーンとハディースの直接参照を義務を唱え、
イスラーム学の伝統の権威を否定。
特に神学とスーフィズムには激しく敵対。預言者ムハンマドとその教えを直接受けた教友の時代を理想視し彼らの行動や考え方を自らの道徳規範とする。
サラフ=先達。
(サラフィーはたいして勉強しなくてもなれるのが特徴)
五章 カワユイ(^◇^)カリフ道
にある画像が
カリフ制再興まであと一歩だ
と書いたブローチ(インドネシア)
なんだが、
左に思いっきり擬人化された蜂がある。
バグズライフみたいな蜂だな。
蜂を書いてあるからヤソ系結社が後ろにいるんじゃね?
イスラームで蜂がどういう意味かは私にはわからない。
中田
「石油は本来イスラーム全体の資源ですから、一国で囲い込んでいいのかという話がある。やっぱりみんなで恩恵を共有すべきだろうと思う」
内田
「イスラーム全体で石油資源を共有して、分かち合えばいいんですよね。
それ、いい話ですね。合理的だと思います。
そういう視点からも、かつてのイスラーム圏が持っていた連帯と相互扶助のシステムをもう一度賦活させたい、と。」
中田
「ええ。イスラームは一神教ですから、
当然、神は宇宙にいます唯一の神であり、
どこかの特定の国の神ではありません。
すべてのムスリムは天と地の主であるところの1つの神による1つの法に従うことによってムスリムとして生きることができます。
カリフ制を再興させることによって、その秩序ある生き方を甦らせたいわけなんです。
まずEUのようなかたちを目指すのが平和的なシナリオだと思います。
2007年にインドネシアのジャカルタの一番大きなスタジアムを貸し切って、
カリフ会議というのをやった。公称ですが十万人集まった。
2013年の二回目は十二万人。
主催は、解放党の人たちで、イスラームのいろいろな団体のかなり偉い人達が来てお祭り騒ぎになった。
解放党はパレスチナで第イスラーム学者が創設した国際イスラーム運動の組織で、カリフ制再興を目標に掲げている。
本部は中東にある。
私、中田はカリフ制再興を世界中に発信しようみたいなことを訴えた。
そしたら盛り上がりYOUTUBEで流れて国際的なお尋ね者みたいに私はなった。
アメリカのDIA(国防情報局)の要注意人物ですって。
たぶんもうアメリカのビザは降りないと思う」
内田
「義理と人情を秤にかけりゃの
高倉健の『昭和残侠伝』のファンである尾田栄一郎が書いているのがワンピース。
あの海賊コミュニティは侠客の共同体」
中田
「原泰久『キングダム』が好き。
中国の春秋戦国時代を舞台に、大将軍を目指す少年・信と後の始皇帝となる秦国の若き王・政が主役で、
信が
国境があるから国々ができ戦いつづける
と言うシーンがある。
『マギ』では金本位制の廃止と不換紙幣の発行の病理をわかりやすく解説している。」
中田先生のオススメ本が
内田先生の『先生はえらい』であり、
中田先生は脱血だブログの熱心な読者にして伝道者。
【感想・ネタバレ】先生はえらい(30件)のレビュー
https://booklive.jp/review/list/title_id/217099/vol_no/001
”内田氏のこの著作『先生はえらい』を自分なりに解釈すると、学ぶ側(学生、生徒)は、
「自分は何を知らないか、できないか」を適切に言うことができない状態を適切だとしている。
そして、先生は、その「何か=知識」を教えてくれるものではなく、
「スイッチ=媒介装置」の役割をすることが適切だと、
つまり、教師は、知識を教授する、しないは、あまり学ぶ側にとって真に必要とせず
学ぶ側が何を知りたいかを自己に問いかけるような存在になるべきだということです。
学ぶ側が、あっ自分自身は、こういう「知」を知りたいんだ、勉強したいんだと、
心の底から思える状態ではあれば、教師の役目は半ば終了し、
学ぶ側は、以後、自発的に学ぶ。
今、学校の授業はシラバス方式(いつ、何を、どう教えるを開示したもの)になっているらしい。
これは、先生を知識提供サービス者とし、勉強する側は消費者とする、
まさに、ビジネスの論理で教育を考えている。
これをやっちゃおしまいよという言葉がありますが、
内田氏曰く、お終いなのでしょう。
つまり今の状況は、学ぶ側にメリットがあるように思えるが
(だって知識を効率的に分かり易く教えてくれるんだから)、
しかし、実はあまりメリットがない。
そもそも、教育に対してメリット、デメリットを考えしまうこと自体が、
ナンセンスなのだろうと思う。
結局は知識の過多で点数をつけられるから、仕方ないかもしれないが、
これでは、今も昔も大量の勉強嫌い(点数をつけられ、順番をつけられることが嫌だと思うこと)
を生んでしまうように思う。”
『失われた宗教を生きる人々』
ピザノザウルス@ほぼイラスト垢@pizano1215
「ラクダやウサギの肉を食べてはいけない」
「自分と異なる性の動物の肉を食べてはいけない」
「イマーム・アリーに神性は無く、単なる立法者(これに関しては、タキーヤの可能性)」
↑『失われた宗教を生きる人々』より、アラウィー派に関する情報の内、個人的に初見のものを列挙。
他にもいろいろあるので、文献史料としての引用のために該当ページを写したものを載せておきます。 pic.twitter.com/GfcSeA9NQB
— ピザノザウルス@ほぼイラスト垢 (@pizano1215) 2017年9月1日
「神はアリーだ」はダメで、「アリーは神だ」とするのは正しい、というのは興味深い。アラウィー派は、あらゆる偉人・預言者は人の姿をとった神であると考えているのだが、前者の述べ方だと「神はアリーだけだ」と限定するのでダメ、というわけだ。 https://t.co/uxTVh3cR7z
— ピザノザウルス@ほぼイラスト垢 (@pizano1215) 2017年9月1日
— ピザノザウルス@ほぼイラスト垢 (@pizano1215) 2017年9月1日
(アラウィー派では性別不明の生物の肉はどうするのだろうか。)
・秘密の儀式では聖別されたワインを飲み、ミサと呼ばれる。
(飲酒OK。
聖典にイエスの記述あり。クルアーンにもイエスは登場する。)
・イランの伝統も取り入れゾロアスター教から受け継いだものを儀式の中心に据え、
その儀式で飲まれるワインを神と交わる一つの手段としている。
(ゾロアスター教も飲酒OK。)
・人間は人間だけでなく植物や動物に生まれ変わることもある。
(六道輪廻には植物は含まれないから、植物は食べていいとするのが仏教。
仏教型輪廻ではない。
人間は人間にしか生まれ変わらないとするゆがんだ選民思想のスピ系輪廻でもない。)
・ある種の木が聖なるものとして重要性をもつらしい。
(たいていの宗教では聖なる木が存在するんだけどね。)
・アラウィー派の聖典(信者以外には読めないが西洋学者が公表)
の思想は初期ムスリム哲学者によって正当性を証明されている。
(きちんと翻訳して公表した保証なし。
そもそも本物の聖典である保証なし。
秘密主義なら暗殺もやるでしょ。
クリーニング屋や葬儀屋や医者とかに扮してね。)
・神のしもべはムハンマドはイエスだけでなく、プラトンやアレクサンダー大王などの古代ギリシャの偉人もいる。最重要人物はムハンマドの娘婿アリー。
アリーは人間の目に見ることのできた神の姿あるいは神の像であり、限りある人間の精神にも理解可能な、地上における神に最も近いものだ。
アリーは神だ
といってアリーを賛美することは正しいが、
神はアリーだ
と言って神を限定することは間違い。
アラウィーでは、
神の像は神であるが、神は像ではない
という。
ネストリウス派の
メシアは神であるが、神はメシアではない
とよく似ている。
(神の像は神のごく一部を表現しているが、それは神そのもの=全体ではない
ってことだろう。
偶像崇拝禁止に抵触しそう。)
・ヤズィード教徒やハッラーン人と同じようにアラウィーも惑星を崇拝する。
彼らの部族名には太陽や月にちなんだものがある。
少なくともアラウィーには太陽や月への崇拝を美徳だと考える者がいる。
アラウィーの部族と生活をともにしその経験を本にまとめた十九世紀のイギリス人宣教師サミュエル・ライドは部族のメンバーが他の部族のことを「彼らは月を愛していない」と批判するのを聞いている。
また、
地上で最も神に近い存在であるアリーは、太陽の中心に隠れた
というのも聞いたという。
アラウィーが祈りをささげる際に太陽に向かう根拠だろう。
かつてはミトラ神も同じように考えられていた。
それがある時点で何かを隠すためか、あるいはアリーへの崇拝をミトラ教と融合させる意図によって、
アリーの名がミトラ神のかわりに使われ、その後、時の経過とともに忘れられていったのかもしれない。
(被造物=星崇拝もイスラームに反する。
ミトラ教も混ざっている疑惑。)
・アームスロトングが月面着陸するとアラウィー神学者に危機が訪れた。
ハッラーン人の思想と同様に、
アラウィーでは月は天の序列で神と人間の間にある精霊が物質の形をとったものだと信じられていた。
(実際は月に人間は行っていないし、
そもそも見える月が本物かわからないから大丈夫さ!
アポロ疑惑で放射線の話が避けられる傾向にある理由は割愛。
月の線量、月を往復する過程での線量の情報が出ない。
計算したことがあるけど、こりゃ人は死ぬわ)
・この問題を説明するためにアラウィーのシャイフは『月を求めて』という本を書いた。
この本は実際に出版されたことを確認できたし、星や惑星の性質を論じたものだと裏付ける書評も見つかった。が、本は一冊も残っていなかった。
本が消えたのは秘密主義によるものだろう。
徹底的に秘密を守るこの態度は、十三世紀の十字軍のアッコ(現在のイスラエル北部の西ガリラヤ地方の都市)の司教ヤコブ・ド・ヴィトリアーコが「法」と呼ぶアラウィーの秘密の教義に関する文章によくあらわれている。
「母親に法を明かした息子は、容赦なく殺さなければならない」
アラウィーは今も秘密主義。著者はあまり質問しないようにした。
対して、ヤズィード教徒は権力を持たないため、両目がつぶれるようなこともあまりない。
太陽を支配する、とミールザーのいうシャイフ・シャムスは、神の知恵を広めるために人間の形をとった地上に降りた天使でもある。ハッラーン人、アラウィー、ヤズィードの三者にはほかにもよく似たところがある。
三つとも輪廻転生を信じ、火を崇拝する
(ヤズィードは決して火につばを吐かない。手に炎を通すことがよくあるが、
そのやり方はまるで火にキスをして火で顔を洗うかのようだ、と十九世紀のイギリスの宣教師パーシーは書き記している。)。
ヤズィードとアラウィーは太陽に向かって一日三度祈りをささげ、
ハッラーン人は南に向かって一日三度祈りをささげる、とビールーニーは書いている。
日中太陽は南に面しているので、両者に違いはない。
ヤズィードにも魚を殺すことを禁忌とする人々がいる。
魚は水に住むため神聖なものとされるからだ。
(「千三百五十年前にヤズィード教の聖人がダマスカスでテントを張ったとき魚が川から出てきてそのテントの杭となったんです。
それ以来、ヤズィード教徒は魚を殺したことはありません」
とアブー・シバーブは付け加えた。
ビールーニーはハッラーン人の神殿がダマスカスにあったことを千年前に記録している)。
ハッラーンとヤズィードとの関係は分からない。
だが月神シンを崇めるこの古代の星辰崇拝者たちがオリエントの様々な宗教に影響を与えたことは想像に難くない。
そして中にはもちろんヤズィードも含まれているはずだ。
(秘密結社の秘密を一番言ってはいけない対象が母親らしい。
アッコってやっぱりユダヤ・キリスト教要素がある名前なのね。
宣教師が潜入しすぎだろ。
杭になる魚ってダツみたいなやつ?
ここまで火を崇拝するならゾロアスター。
アラウィーはイスラームではないな。
イスラームと対立した思想の隠れ蓑だったっぽい。
めちゃくちゃ万教帰一じゃねーか!
秘密主義の宗教は内容を一部公開してもすべて嘘の可能性があるからなあ。
アラウィーも面白いけど、
フェニキアの末裔だと主張するマロン派キリスト教も面白い
アラブ人=レバノンのキリスト教マロン派は古代フェニキアの子孫としての民族意識が強いhttps://t.co/mxqEU88W02
— ken (@kenkatap) 2017年3月1日
▼レバノンのキリスト教マロン派https://t.co/AfRs4s1qUW
▼アラブと欧米の言語や商慣行を知るため、有力商人輩出
▼ゴーンが有名
)
お読みくださり感謝!
英語の勉強にどうぞ。英語の勉強の発音編とシュリーマン流勉強法の英文とドイツ語原文
Posted on 2017.09.03 Sun 02:42:42 edit
口、舌、表情筋、喉の動かし方の癖がね、
全部、英語のまともな発音ができないように邪魔してんの!
だから、そこを訓練で弱めつつ、
英語に必要な癖と筋肉をつけないと、
ネイティブの発音を『真似ることすらできない』の!
センスと才能じゃない、物理的な癖の問題」
って言ってくれる先生は優秀。
口の形と舌の位置と形など、
どのように物理的に動かすと正しい音が出るかを具体的に教えてくれるのが良い先生。
日本語の口と舌の動きと対比して教えているならさらに良し。
どうあっても母国語で慣れた筋肉の動かし方に引っ張られてしまうからね。
理論が感覚より大事。
理論での再現なら才能は不要だからね。
だからうまい人を大量に生み出せる。
欧米が日本に勝っている理由がこのシステム化。
システムで安定して生み出せるうまい人の平均レベルが、
日本の平均を上回っていたらどうやっても勝ち目ないよね。
一部の天才(=運が超いい人)は数が少なすぎるからね。
真似しろ、真似しろ「だけ」のはハズレ。
真似「したくてもできない」からね?
ネイティヴの口と舌の物理的形の再現方法と、
日本語話者にしみついた口と舌の動きの癖を取り除く方法が重要。
ネイティヴの人が発音指導すると、
日本語話者にしみついた口と舌と表情筋と喉の動かし方という観点が抜けていることが多い気がする。
本人はネイティヴゆえに日本語ネイティヴの実情を「体感して理解」できないからね。
こういう理由もあって、外国語はその言語のネイティヴが先生でないとダメという説には反対。
ネイティヴでない、日本語が母国語の優れた先生が必要。
ネイティヴ不要というわけではない。音源だけならいくらでもとれるからね。
あとたぶん英語の発音に習熟すると、ほかの欧米語の発音も楽。
ぶっちゃけ日本語話者なら韓国語と中国とかの方が楽以下略。
中国語なら紅卍字の情報も以下略。
いや英語学習を強調しているのは英語でも情報を得てほしいからなのと、
私の記事の英語の個所だけ読み飛ばす人が減ってほしいから。
読み飛ばしてもわかるようにしているんだけどね。
カタカナでルビはできるかぎり早く卒業しないといけない。
カタカナは当然だが母音を発音する。
日本語話者はなんでもかんでも母音をつけて発音してしまう。
子音だけの発音にしないといけないところも勝手に母音をつけちゃう。
日本人って発音の際にどうしても母音をつけちゃうとかね。
日本語は舌の根元を上げる言語、
英語は下げる言語だから、たとえ舌先を上げるときも舌の根元は下げたままにすること。
舌先を上げると日本語話者は根元も上がってしまう。
舌や表情筋の一部が異様に疲れないのはちゃんと発音できていない証拠だとわかる。
一定期間きちんと発音訓練していて英語に良く使う筋肉も鍛えられているなら疲れないけどね。
日本語母語話者の癖を意識する一例を書いておく。
sとsh( ʃ )の違い。
[sh( ʃ )]
shは日本語母国語話者であれば自然に発音できる。
日本語は母音発音とセットなので母音がつかないように注意。
日本語で「シー」と発音すると、
口内の天井(口蓋)に舌先がくっついているかいないかぐらいのところに近づき、
天井と舌の狭い隙間から空気を摩擦させて音を出している。
舌の奥(付け根。舌先ではない)を上の奥歯付近に近づけ隙間から息を出す感じ。
英語の「she」は日本語の「シー」に近いが、
少しだけ舌が前に行く。
舌の位置に引きずられ、sheの方が口が丸くなる。
口を丸くすることと舌の位置を意識。
意識する基準は日本語の「シ」。
唇を少し前に突き出すようにすると、口を丸くしやすい。
「シュイー」と言ってしまったら「ウ」の音を取りのぞくようにすればよい。
[s]
sは、舌の先端を上の前歯の歯茎のあたり(歯の根元あたり)にくっつけ(または近づけ)、歯と歯茎の間から息を母音が伴わないように鋭く吐く。
舌の奥(付け根)の左右両脇が上の奥歯の内側あたりに触るようにする。
舌の両脇を奥歯で支え中央部にはくぼみができている。
日本語のさ行はあまり息を強く吐かないが、
英語のsは強く吐くこと。
声帯を震わせず(無声音)息を勢いよく出す。
練習用早口言葉。
The sixth sick sheik’s sixth sheep’s sick.
(病気の6代目長老の6匹目の羊が病気)
語学の勉強って、文法(統語論や語用論)を学ぶことで、その言語が有する世界観を徐々に獲得していくということだとおもってたけど、違うよね。発音を学ぶことで、自身の口鼻喉という発声器官が持っている別の可能性を見出すという肉体改造でもあるのかな?
— コウ(ミツグ)@FGOはじめました (@kou11lunatic) 2017年10月6日
和製英語が邪魔すぎるので調べたうえで自分も使わないようにすること。
発音練習用と暗唱用名文の選び方と読み方。
・ある程度の分量があり、しかも覚える価値がある文章を選ぶこと(最重要)。
・毎日、一単語でもいいから暗唱できる個所を増やすこと。
・心に響いた好きなところから覚えること。
・アウトプット(音読、暗唱=覚えているかのテストかつ覚えていない個所の明確化)の重視すること。
・X に気を付けて読むと毎回決めること。
冠詞、前置詞、発音など。
・早く読む、ゆっっっくり発音しながら読む、
細かいニュアンスが読み取れるほどに精読など、飽きないようにしつつ徹底的に学びつくすことすること。
私はこれをすすめる。
リード大学中退のジョブズによるスタンフォード大学の卒業式スピーチ。
スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年Steve Jobs Stanford 式辞
https://www.youtube.com/watch?v=VyzqHFdzBKg
”ThAnk you.
I'm
hOnored to be with you today for your commEncement from one of the fInest universities in the world.
Truth be told,
I never graduated from college
and
this is the closest
I've ever gotten to a college graduation.
TodAy
I want to tell you three stories from my life.
That's it.
No big deal.
Just three stories.
The first story
is about connecting the dots.
I dropped out of Reed College
after the first six months
but then stayed around as a drop-in
for another eighteen months or so
before I really quit.
So why did I drop out?
It started before I was bOrn.
My biological mother
was a young,
unwed graduate student,
and she decided to put me up for adoption.
She felt very strongly that I should be adopted by college graduates,
so everything was all set
for me to be adopted at birth by a lawyer
and his wife,
except that when I popped out,
they decided at the last minute
that they really wanted a girl.
So my parents,
who were on a waiting list,
got a call in the middle of the night
asking,
"We've got an unexpected baby bOy.
Do you want him?"
They said,
"Of course."
My biological mother found out lAter
that my mother had never graduated from college
and that my father had never graduated from high school.
She refused to sign
the final adoption papers.
She only relEnted a few months later
when my parents
prOmised
that I would go to college.
This was the start
in my life.
And seventeen years later,
I did go to college,
but I naively chose a college
that was almost as expensive as Stanford,
and all of my working-class parents' savings were being spEnt on my college tuition.
After six months,
I couldn't see the value in it.
I had no idea what I wanted to do with my life,
and no idea how college was going to help me figure it out,
and here I was,
spending all the money my parents had saved their entire life.
So I decided to drop out
and trust that it would all work out OK.
It was pretty scary at the time,
but looking bAck,
it was one of the best decisions I ever made.
The minute I dropped out,
I could stop taking the required classes that didn't interest me
and begin
dropping in on the ones
that looked far more interesting.
It wasn't all romantic.
I didn't have a dorm room,
so I slept on the floor in friends' rooms.
I returned Coke bottles for the five-cent deposits to buy food with,
and I would walk the seven miles across town every Sunday night
to get one good meal a week
at the Hare Krishna temple.
I loved it.
And much of what I stumbled into
by following my curiosity and intuition
turned out to be prIceless later on.
Let me give you one example.
Reed College at that time
offered perhaps the best calligraphy instruction
in the country.
Throughout the campus
every pOster,
every label
on every drawer
was beautifully hand-cAlligraphed.
Because I had dropped out
and didn't have to take the normal classes,
I decided to take a calligraphy class
to learn how to do this.
I learned about sErif and sans-serif typefaces,
about varying the amount of spAce between different letter combinations,
about what makes great typography great.
It was beautiful,
historical,
artistically subtle
in a way that science can't capture,
and I found it fascinating.
None of this
had even a hope of any practical application
in my life.
But ten years later
when we were designing the first Macintosh computer,
it all came back to me,
and we designed it all
into the Mac.
It was the first computer with bEautiful typography.
If I had never dropped in
on that single course in college,
the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts,
and since WIndows just copied the Mac,
it's likely that no personal computer would have them.
If I had never dropped out,
I would have never dropped in on that calligraphy class
and personal computers might not have the wonderful typography that they do.
Of course
it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college,
but it was very,
very clear looking bAckwards
10 years later.
Again,
you cAn't connect the dots looking forward.
You can only connect them
looking bAckwards,
so you have to trust
that the dots will somehow connect in your future.
You have to trust in something—
your gut,
destiny,
life,
karma,
whatever—
because believing that the dots will connect down the road
will give you the confidence to follow your hEart,
even when it leads you
off the well-worn path,
and that will make
all the dIfference.
My second story
is about love
and loss.
I was lucky.
I found what I loved to do
early in life.
Woz and I started Apple in my parents' garage
when I was twenty.
We worked hard
and in ten years,
Apple had grown from just the two of us in a garage
into a $2 billion company with over 4,000 employees.
We'd just released our finest creation,
the Macintosh,
a year earlier,
and I'd just turned thirty,
and then I got fired.
How can you get fIred from a company you started?
Well,
as Apple grew,
we hired someone
who I thought
was very talented
to run the company with me,
and for the first year or so,
things went well.
But then our visions of the future began to diverge,
and eventually we had a falling out.
When we did,
our board of directors sided with him,
and so at thirty,
I was out,
and very publicly out.
What had been the focus of my entire adult life
was gone,
and it was devastating.
I really didn't know what to do for a few months.
I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs dOwn,
that I had dropped the batOn
as it was being pAssed to me.
I met with David PAckard
and Bob NOyce
and tried to apOlogize
for screwing up so badly.
I was a very public failure and I
even thought about running away from the Valley.
But something slowly began to dawn on me.
I still lOved
what I did.
The turn of events at Apple had not changed that one bit.
I'd been rejected
but I was still in lOve.
And so I decided to start over.
I didn't see it then,
but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have Ever
hAppened to me.
The hEaviness of being succEssful
was replaced by the lIghtness
of being a begInner again,
less sure about everything.
It freed me to enter one of the most creative periods in my life.
During the next five years I started a company named NeXT,
another company named Pixar
and fell in love with an amazing woman who would become my wife.
Pixar went on to create the world's first computer-animated feature film,
"Toy Story,"
and is now the most successful
animation studio
in the world.
In a remarkable turn of events,
Apple
bOught
NeXT
and I returned to Apple
and the technology we developed at NeXT
is at the hEart
of Apple's current renaissance,
and LorEne and I
have a wonderful family together.
I'm pretty sUre
none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple.
It was awful-tasting medicine
but I guess the patient needed it.
Sometimes life's going to hit you in the head with a brIck.
Don't lose faith.
I'm convinced that the only thing that kept me going
was that I loved what I did.
You've got to find what you love,
and that is as trUe for work
as it is for your lovers.
Your work is going to fill a large part of your life,
and the only way to be truly sAtisfied
is to do what you believe is grEat work,
and the only way to do grEat work
is to lOve
what you do.
If you haven't found it yet,
keep looking,
and
don't
settle.
As with all matters of the heart,
you'll know when you find it,
and like any great relationship
it just gets bEtter and bEtter
as the years roll on.
So keep looking.
Don't
settle.
My third story
is about death.
When I was 17
I read a qUote that went sOmething
like
"If you live each dAy
as if it was your lAst,
someday you'll most cErtainly
be rIght."
It made an imprEssion on me,
and since then,
for the past 33 years,
I have looked in the mirror
every morning and asked myself,
"If today were the lAst day of my lIfe,
would I want to do
what I am About to do
today?"
And whenever the answer has been "nO"
for too many days in a rOw,
I know I need to change something.
Remembering that I'll be dEad soon
is the most important tool I've ever encOuntered
to help me make the big choices in lIfe,
because almost Everything
--all external expectAtions,
all pride,
all fear of embArrassment or failure
--these things just fAll away
in the face of death,
leaving only what is truly important.
Remembering that you are going to dIe
is the best way I knOw
to avoid the trap of thInking
you have something to lose.
You are already naked.
There is no rEason
not to follow your heart.
About a year ago,
I was diagnosed with cAncer.
I had a scAn at 7:30 in the morning
and it clearly showed a tUmor
on my pAncreas.
I didn't even know what a pAncreas was.
The dOctors told me
this was almost cErtainly a type of cAncer
that is incUrable,
and that I should expect to live no lOnger
than three to six months.
My doctor advised me to go home
and get my affAirs
in Order,
which is doctors' cOde
for "prepare to die."
It means to try and tell your kids everything
you thought you'd have the next ten years to tell them,
in just a few months.
It means to make sure that everything is bUttoned Up
so that it will be as easy as pOssible
for your family.
It means to say your goodbyes.
I lived with that diagnosis all dAy.
Later that evening
I had a bIopsy
where they stuck an Endoscope down my throat,
through my stomach
into my intestines,
put a nEedle into my pancreas and got a few cElls
from the tumor.
I was sedated
but my wife,
who was there,
told me
that when they viewed the cells under a microscope,
the doctor started crYing,
because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer
that is curable with surgery.
I had the surgery
and, thAnkfully,
I am fine now.
This was the clOsest I've been to facing dEath,
and I hope it's the closest I get
for a few more decades.
Having lived through it,
I can now say this to you
with a bit more certainty than when death was
a useful but
purely intellectual concept.
No One
wants to dIe,
even people who want to go to HEaven
don't want to dIe
to get there,
and yet,
death is the destination we all share.
No one has ever escaped it.
And that is
as it should be,
because dEath
is very likely the single best invention of life.
It's life's change agent;
it clears out the old
to make way for the new.
right now,
the new is yOu.
But someday, not too long from now,
you will gradually become the old
and be cleared away.
Sorry to be so dramAtic,
but it's quite trUe.
Your time is limited,
so don't waste it
living someone else's life.
Don't be trapped by dOgma,
which is living with the results
of other people's thinking.
Don't let the nOise of others' opinions
drown out your own inner voice.
And most important,
have the cOurage to follow your heart
and intuition.
They somehow already know
what you truly want to become.
Everything else
is secondary.
When I was young,
there was an amAzing publication
called The Whole Earth CAtalogue,
which was one of the bIbles
of my generation.
It was created by a fellow named Stuart BrAnd
not far from here in Menlo Park,
and he brought it to life
with his poetic touch.
This was in the late Sixties,
before personal computers and desktop publishing,
so it was all made with tYpewriters,
scissors, and POlaroid cameras.
it was sort of like GOogle in paperback form
thirty-five years
before Google came along.
It was idealistic,
overflowing with neat tools
and great notions.
Stuart and his team
put out several issues of the The Whole Earth Catalogue,
and then
when it had run its course,
they put out a final issue.
It was the mId-1970s,
and I was your age.
On the back cover of their final issue
was a photograph
of an early morning country road,
the kind you might find yourself hItchhiking on
if you were so advEnturous.
Beneath it
were the words,
"Stay hungry,
stay foolish."
It was their farewell message
as they signed off.
"StAy hungry, stAy foolish."
And I have always wished that
for myself,
and now,
as you graduate to begin anew,
I wish that for you.
Stay hungry, stay foolish.
ThAnk you all, very much.”
※スピーチ原稿ではなく、実際に言った内容を記載しているので注意。
ジョブズは原稿通りに話していない個所がある。
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404
などを修正。
stay around [about]
ずっと~あたり [傍]にいる、離れず[別れず]にいる。
※英米ともにaroundが好まれる。或る場所周辺。
relent
(soften, give in = yield)
(厳しかった)態度を軟化させる、
(怒り・興奮などが)優しく、穏やかになる、同情的になる、
(厳しい悪天候などが)弱まる、和らぐ。
down the road
=later
将来、今後、そのうち、やがて、後で。
turn of events
事態(、出来事、情勢)の変化、展開、節目
start over
もう一度一からはじめる、やり直す
buttoned up, buttoned-up
黙る、完成する、仕上げる、
きちんとした、きちんと運営(管理)された、整った。
embArrassment
困惑、気おくれ、きまり悪さ、
金銭的困難、
心肺の機能障害
とてつもない[有り余るほどの、半端じゃない]量
未来形の使い分け方(will、be going to、現在系)
http://yamamoto-english.info/%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E5%BD%A2%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E5%88%86%E3%81%91%E6%96%B9%EF%BC%88will%E3%80%81be-going-to%E3%80%81%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E7%B3%BB%EF%BC%89/
“ will ” と“ be going to ”の違いを整理してみた【比較表あり】
http://www.englishplus.jp/nuance/will-be-going-to/
「Will」と「Going to」の違いと使い分け
https://hapaeikaiwa.com/2015/06/30/%E3%80%8Cwill%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8Cgoing-to%E3%80%8D%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E4%BD%BF%E3%81%84%E5%88%86%E3%81%91/
冠詞5 無冠詞の表現
https://plaza.rakuten.co.jp/leilaenglish/5018/
their entire lifeの前に前置詞はないのが普通なのでしょうか?僕はinが抜けてるんじゃないかと思いました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11131767441
スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ-冠詞3
https://ameblo.jp/affectionate-ahiru/entry-11533775624.html
第38話 固有名詞と冠詞
http://www1.odn.ne.jp/xenom/kanshi.box/kanshi38.html
WALKとWORKの違いはあひる口にあった!
https://www.youtube.com/watch?v=GK0wUnIOhnY
英語の発音「L」が理解できない方へ! 言語オタクが丁寧に説明します
https://yossense.com/sound-l/
RとLの発音がビックリするほど上達する簡単トレーニング
http://mysuki.jp/pronunciation-rl-110
LとRの発音のコツ
https://www.youtube.com/watch?v=prmIhY5-2dU
PlayとPrayの違いと発音のコツ
https://www.youtube.com/watch?v=IwLxzmSL1aY
英語発音「TH」実はとっても簡単にマスターできる!TheyとThinkを例に発音のコツをご紹介
http://iinanosakini2015.com/hatsuonth/
英語のTHの発音|2つの舌の動きで飛躍的に上手くなる方法
http://mysuki.jp/pronunciation-th-140
スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ-冠詞3
https://ameblo.jp/affectionate-ahiru/entry-11533775624.html
スティーブ・ジョブズ氏のスピーチ-冠詞4
https://ameblo.jp/affectionate-ahiru/entry-11534384938.html
GとZの違い-「ジ」ではありません
https://www.youtube.com/watch?v=KM_-16N8cyA
英語母音[a]と[ʌ]の違いと発音のコツ
https://www.youtube.com/watch?v=YXQD2y1LnzU
7. 母音:ʌの発音
https://eigonokai.jp/phonetics/7-%E6%AF%8D%E9%9F%B3%EF%BC%9A%CA%8C%E3%81%AE%E7%99%BA%E9%9F%B3/
英語の発音で最も厄介な æ / ɑ / ʌ / ə の違い
http://www.multilingirl.com/2016/03/international-phonetic-alphabet-vowel-a-sound.html
英語の母音:マスターすべきは5つだけ!発音を見分けるポイント3つ
http://naminorism.com/vowels/
Reallyの正しい発音方法
https://www.youtube.com/watch?v=sDfj8O0A5c0
SとTHの発音の違い
https://www.youtube.com/watch?v=vVzFCZnAl1I
「シー(静かに!)」で学ぶ日本語と英語の「sh」の違い
https://ipa-mania.com/sound-sh/
「sea」と「she」の発音の違いとは?「スィー」と「シー」について
https://ipa-mania.com/she-sea/
日本人が間違いやすい英語の発音 - See・She・Sea・C
http://hatsuon.msize.net/sub7.html
DarkLをマスターすればネイティブっぽくなる
https://www.youtube.com/watch?v=A1ULzavVBn8
イギリス英語とアメリカ英語の違い。発音のコツ、単語の使い方など☆
https://www.youtube.com/watch?v=rBp5PtixsZE
EarとYearの発音の違い
https://www.youtube.com/watch?v=cR8qAz02Eqc
lunchとlaunch ー日本人の苦手な母音
https://www.youtube.com/watch?v=XdTOWMOSop8
WORDとWORLDの発音のコツ
https://www.youtube.com/watch?v=biOQemNRsDc
発音センシティブな英語弱者のための数冊の浮き輪
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-83.html
叫ぶ英会話!音読が想像以上に凄い6つの理由 Read Aloud!!
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-91.html
"人間の脳は、ぶっちゃけていえば、アウトプットしたものだけが人の頭に残ります。
アウトプットした情報は、
「アウトプットに足る利用度の高い情報」として優先順位が上があがるように脳ができているからです。"
American Accent Training American Accent Training
(2000/09)
Ann Cook
アメリカ英語の発音を独学するなら最終兵器らしい。CD5枚のトレーニング。ひとつひとつの単語を正確に発音するよりも、ポイントは抑揚とスピードだということが体に叩き込まれるらしい。
American Accent Training -Free Online Course- Part 1 of 5
https://www.youtube.com/watch?v=6DiQ95hUUfI
媒体にとらわれなくていい。
欧州にずっと住んでたけど、英語の
— ぐだトマト (@pteras14) 2017年10月11日
番組なんて一切観てなかったし、
周りのギャージンも英語出来ない奴
が多かったよ。
だけど、就職すると高校でずーっと
英語ダメだった奴が喋れるレベル
まで上がる。理由は「出来ないと
仕事にならないから」だそうだ。
因みにぐだトマトさんは英語は
— ぐだトマト (@pteras14) 2017年10月11日
鰤のゲームDIABLOで覚えた。
アイテム名とかにやたらと
形容詞やら副詞やらが付くので
語彙が勝手に増える。
聞き取りはバルダーズ・ゲートって
RPGのドワーフやジャヘイラって
言うハーフエルフの女キャラの台詞
聴いてたら勝手に上達した。
(車系は意味不明な和製英語がはびこっている。
この名前決めたやつ絶対英語できないだろ。
バックミラー=rear-view mirror
サイドミラー=wing mirror(アメリカ英語 side mirror)
ボンネット=hood(イギリス英語 bonnet)
ハンドル=(steering) wheel
※handleは「取っ手」なのでドアにある。
フロントガラス=windshield、windscreen
サイドブレーキ=emergency brake
オープンカー=convertible
ナンバープレート=license plate
ヘッドライト=headlight
バンパー=bumper
ガソリンスタンド=gas station
ウィンカー
=blinker、winker、
direction indicator、
turn signal、turning signal
http://www.eigo21.com/etc/italia/car.htm
http://english-samurai.com/?p=3962など参考)
シュリーマンの勉強法で忘れられがちなことが、
「熱狂する」
「外国語の習得がそのまま実生活に役立つ」
という記憶力を非常に強化する要素。
語学に関する記述だけは信用できるシュリーマンは、
ギリシア語の文法の勉強は格変化、規則助詞、不規則動詞だけだったらしいが、
文法書の最初の方に書かれているので、良質な文法書で学ぶのが早道。
シュリーマンの記憶力と分量はどうみてもおかしいのでそのまま真似はできない。
できる人はそもそも語学学習に苦労しない。
”Heinrich Schliemann (1822-1890)
Born as the son of a poor German preacher. In 1836 he had to leave school and work in a shop. One evening, a drunken miller staggered into the shop and, in front of the astonished boy, recited one hundred lines of ancient Greek. He was never the same. "Ich hörte nicht auf, Gott zu bitten, dass ich Griechisch lernen dürfe."
Schliemann’s method
(In Amsterdam) I applied myself with extraordinary diligence to the study of English. Necessity taught me a method which greatly facilitates the study of the language.
This method consists in reading a great deal aloud,
without making a translation,
taking a lesson every day,
constantly writing essays upon subjects of interest,
correcting these under the supervision of a teacher,
learning them by heart, and repeating in the next lesson what was corrected on the previous day.
My memory was bad, since from my childhood it had not been exercised upon any object;
but I made use of every moment, and even stole time for study.
In order to acquire a good pronunciation quickly, I went twice every Sunday to the English church, and repeated to myself in a low voice every word of the clergyman's sermon.
I never went on my errands, even in the rain, without having my book in my hand and learning something by heart; and I never waited at the post office without reading.
By such methods I gradually strengthened my memory, and in three month's time found no difficulty in reciting from memory to my teacher, Mr. Taylor, in each day's lesson, word by word, twenty printed pages, after having read them over three times attentively.
In this way I committed to memory the whole of Goldsmith's Vicar of Wakefield and Sir Walter Scott's Ivanhoe. From overexcitement I slept but little, and
employed my sleepless hours at night in going over in my mind what I had read on the preceding evening. The memory being always much more concentrated at night than in the daytime, I found these repetitions at night of paramount use.
Thus I succeeded in acquiring a thorough knowledge of the English language. I then applied the same method to the study of French, the difficulties of which I overcame likewise in another six months. Of French authors I learned by heart the whole of Fenelon's Aventures de Telemaque and Bernardin de Saint Pierre's Paul et Virginie. This unremitting study had in the course of a single year strengthened my memory to such a degree, that the study of Dutch, Spanish, Italian and Portuguese appeared very easy, and did not take me more than six weeks to write and speak each of these languages fluently.
My wish to learn Greek had always been great, but before the Crimean war I did not venture upon its study, for I was afraid that this language would exercise too great a fascination over me and estrange me from my commercial business; and during the war I was so overwhelmed with work, that I could not even read the newspapers, far less a book. When, however, in January 1856, the first tidings of peace reached St. Petersburg, I was no longer able to restrain my desire to learn Greek, and at once set vigorously to work, taking first as my teacher Mr. Nicolaos Pappadakes and then Mr. Theokletos Vimpos, both from Athens, where the latter is now archbishop. I again faithfully followed my old method; but
in order to acquire quickly the Greek vocabulary, which seemed to me far more difficult even than the Russian, I procured a modern Greek translation of Paul et Virginie, and read it through, comparing every word with its equivalent in the French original.
When I had finished this task, I knew at least one-half the Greek words the book contained, and after repeating the operation I knew them all, or nearly so, without having lost a single minute by being obliged to use a dictionary.
In this manner it did not take me more than six weeks to master the difficulties of modern Greek, and I next applied myself to the ancient language, of which in three months I learned sufficient to understand some of the ancient authors, and especially Homer, whom I read and re-read
with the most lively enthusiasm.
I then occupied myself for two years exclusively with the literature of ancient Greece; and during this time I read almost all the classical authors cursorily, and the Iliad and Odyssey several times. Of the Greek grammar,
I learned only the declensions and the verbs, and never lost my precious time in studying its rules;
for as I saw that boys, after being troubled and tormented for eight years and more in schools with the tedious rules of grammar, can nevertheless none of them write a letter in ancient Greek without making hundreds of atrocious blunders, I thought the method pursued by the schoolmasters must be altogether wrong, and that
a thorough knowledge of the Greek grammar could only be obtained by practice,--that is to say,
by the attentive reading of the prose classics,
and by committing choice pieces of them to memory.
Following this very simple method, I learnt ancient Greek as I would have learnt a living language. I can write in it with the greatest fluency on any subject I am acquainted with, and can never forget it. I am perfectly acquainted with all the grammatical rules without even knowing whether or not they are contained in the grammars; and whenever a man finds errors in my Greek, I can immediately prove that I am right, by merely reciting passages from the classics where the sentences employed by me occur.
Languages learned
1842 English, French (six months each)
1858 Arabic
1843 Dutch, Italian, Spanish, Portuguese (six weeks each)
1844 Russian (without a teacher)
He used an old grammar, a dictionary and a "bad translation" of Fenelon's “Aventures de Telemaque“ which he learned by heart. He wrote on his own and since he didn’t have anyone to correct his mistakes his writings were "without doubt very bad": "Da ich niemanden hatte, der meine Texte verbesserte, waren sie ohne Zweifel herzlich schlecht". He engaged "a poor Jew" for 4 Francs per week. The man's duty was to simply sit and listen to Schliemann's recitations even though he couldn’t understand a word of Russian. Schliemann was so loud that he had to change appartments twice because of the noise. „Mein lautes Rezitieren wurde bald den anderen Mietern lästig. In der Zeit meiner russischen Studien musste ich zweimal die Wohnung wechseln.“
1850-52 Chinese
1853 Swedish, Danish, Polish, „Slavonian“
1856-58 Greek, Old Greek
1861 Hebrew
1864-66 Hindustani
1866 Persian
1870 Turkish
He memorized even before fully understanding the text.
„Wie viele andere lernt er Englisch, aber er entdeckt an sich eine merkwürdige Begabung: Er kann sich englische Literatur auswendig merken, obwohl er den Sinn der einzelnen Sätze noch gar nicht versteht.“
Fenelon's “Aventures de Telemaque“ is some 600 pages long.
Bernardin de Saint-Pierre's "Paul et Virginie" is about 300 pages long.
Goldsmith's Vicar of Wakefield is around 220 pages.
Sir Walter Scott's "Ivanhoe" is around 540 pages.
Original:
Selbstbiographie
I. Kindheit und kaufmännische Laufbahn:
1822 bis 1866.
"So warf ich mich denn mit besonderem Fleisse auf das Studium des Englischen und hierbei liess mich die Noth eine Methode ausfindig machen, welche die Erlernung jeder Sprache bedeutend erleichtert. Diese einfache Methode besteht zunächst darin, dass man sehr viel laut liest, keine Uebersetzungen macht, täglich eine Stunde nimmt, immer Ausarbeitungen über uns interessirende Gegenstände niederschreibt, diese unter der Aufsicht des Lehrers verbessert, auswendig lernt und in der nächsten Stunde aufsagt, was man am Tage vorher corrigirt hat. Mein Gedächtniss war, da ich es seit der Kindheit gar nicht geübt hatte, schwach, doch benutzte ich jeden Augenblick und stahl sogar Zeit zum Lernen. Um mir sobald als möglich eine gute Aussprache anzueignen, besuchte ich Sonntags regelmässig zweimal den Gottesdienst in der englischen Kirche und sprach bei dem Anhören der Predigt jedes Wort derselben leise für mich nach. Bei allen meinen Botengängen trug ich, selbst wenn es regnete, ein Buch in der Hand, aus dem ich etwas auswendig lernte; auf dem Postamte wartete ich nie, ohne zu lesen. So stärkte ich allmählich mein Gedächtniss und konnte schon nach drei Monaten meinen Lehrern, Mr. Taylor und Mr. Thompson, mit Leichtigkeit alle Tage in jeder Unterrichtsstunde zwanzig gedruckte Seiten englischer Prosa wörtlich hersagen, wenn ich dieselben vorher dreimal aufmerksam durchgelesen hatte. Auf diese Weise lernte ich den ganzen »Vicar of Wakefield« von Goldsmith und Walter Scott's »Ivanhoe« auswendig. Vor übergrosser Aufregung schlief ich nur wenig und brachte alle meine wachen Stunden der Nacht damit zu, das am Abend Gelesene noch einmal in Gedanken zu wiederholen. Da das Gedächtniss bei Nacht viel concentrirter ist, als bei Tage, fand ich auch diese nächtlichen Wiederholungen von grösstem Nutzen; ich empfehle dies Verfahren Jedermann. So gelang es mir, in Zeit von einem halben Jahre mir eine gründliche Kenntniss der englischen Sprache anzueignen..."
"Dieselbe Methode wendete ich danach bei dem Studium der französischen Sprache an, die ich in den folgenden sechs Monaten bemeisterte. Von französischen Werken lernte ich Fénelon's »Aventures de Télémaque« und »Paul et Virginie« von Bernardin de Saint-Pierre auswendig. Durch diese anhaltenden übermässigen Studien stärkte sich mein Gedächtniss im Laufe eines Jahres dermassen, dass mir die Erlernung des Holländischen, Spanischen, Italienischen und Portugiesischen ausserordentlich leicht wurde, und ich nicht mehr als sechs Wochen gebrauchte, um jede dieser Sprachen fliessend sprechen und schreiben zu können.
Hatte ich es nun dem vielen Lesen mit lauter Stimme zu danken oder dem wohlthätigen Einflusse der feuchten Luft Hollands, ich weiss es nicht: genug, mein Brustleiden verlor sich schon im ersten Jahre meines Aufenthaltes in Amsterdam und ist auch später nicht wiedergekommen..."
"Endlich, am 1. März 1844, glückte es mir, durch die Verwendung meiner Freunde Louis Stoll23 in Mannheim und J.H. Ballauf24 in Bremen, eine Stellung als Correspondent und Buchhalter in dem Comptoir der Herren B.H. Schröder & Co.25 in Amsterdam zu erhalten; hier wurde ich zuerst mit einem Gehalt von 1200 Francs engagirt, als aber meine Principale meinen Eifer sahen, gewährten sie mir noch eine jährliche Zulage von 800 Francs als weitere Aufmunterung. Diese Freigebigkeit, für welche ich ihnen stets dankbar bleiben werde, sollte denn in der That auch mein Glück begründen; denn da ich glaubte durch die Kenntniss des Russischen mich noch nützlicher machen zu können, fing ich an, auch diese Sprache zu studieren. Die einzigen russischen Bücher, die ich mir verschaffen konnte, waren eine alte Grammatik, ein Lexikon und eine schlechte Uebersetzung der »Aventures de Télémaque«. Trotz aller meiner Bemühungen aber wollte es mir nicht gelingen, einen Lehrer des Russischen aufzufinden; denn ausser dem russischen Viceconsul, Herrn Tannenberg, der mir keinen Unterricht geben wollte, befand sich damals niemand in Amsterdam, der ein Wort von dieser Sprache verstanden hätte. So fing ich denn mein neues Studium ohne Lehrer an, und hatte auch in wenigen Tagen, mit Hülfe der Grammatik, mir schon die russischen Buchstaben und ihre Aussprache eingeprägt. Dann nahm ich meine alte Methode wieder auf, verfasste kurze Aufsätze und Geschichten und lernte dieselben auswendig. Da ich niemand hatte, der meine Arbeiten verbesserte, waren sie ohne Zweifel herzlich schlecht; doch bemühte ich mich, meine Fehler durch praktische Uebungen vermeiden zu lernen, indem ich die russische Uebersetzung der »Aventures de Télémaque« auswendig lernte. Es kam mir vor, als ob ich schnellere Fortschritte machen würde, wenn ich jemand bei mir hätte, dem ich die Abenteuer Telemachs erzählen könnte: so engagirte ich einen armen Juden, der für vier Francs pro Woche allabendlich zwei Stunden zu mir kommen und meine russischen Declamationen anhören musste, von denen er keine Silbe verstand.
Da die Zimmerdecken in den gewöhnlichen holländischen Häusern meist nur aus einfachen Bretern bestehen, so kann man im Erdgeschoss oft alles vernehmen, was im dritten Stock gesprochen wird. Mein lautes Recitiren wurde deshalb bald den andern Miethern lästig, sie beklagten sich bei dem Hauswirthe, und so kam es, dass ich in der Zeit meiner russischen Studien zweimal die Wohnung wechseln musste. Aber alle diese Unbequemlichkeiten vermochten meinen Eifer nicht zu vermindern, und nach sechs Wochen schon konnte ich meinen [14] ersten russischen Brief an Wassili Plotnikow schreiben, den Londoner Agenten der grossen Indigohändler Gebrüder M.P.N. Malutin26 in Moskau; auch war ich im Stande, mich mit ihm und den russischen Kaufleuten Matwejew und Frolow, die zu den Indigoauctionen nach Amsterdam kamen, fliessend in ihrer Muttersprache zu unterhalten.
Als ich mein Studium des Russischen vollendet hatte, begann ich mich ernstlich mit der Literatur der von mir erlernten Sprachen zu beschäftigen.
Im Januar 1846 schickten mich meine vortrefflichen Principale als ihren Agenten nach St. Petersburg, und hier sowol als auch in Moskau wurden schon in den ersten Monaten meine Bemühungen von einem Erfolge gekrönt, der meiner Chefs und meine eignen grössten Hoffnungen noch weit übertraf." ”
http://learnalanguageortwo.blogspot.jp/2009/07/heinrich-schliemann.html
"Ich hatte immer sehnlichst gewünscht, Griechisch lernen zu können; vor dem Krimkriege aber war es mir nicht rathsam erschienen, mich auf dieses Studium einzulassen; denn ich musste fürchten, dass der mächtige Zauber der herrlichen Sprache mich zu sehr in Anspruch nehmen und meinen kaufmännischen Interessen entfremden möchte. Während des Krieges aber war ich mit Geschäften dermassen überbürdet, dass ich nicht einmal dazu kommen konnte, eine Zeitung, geschweige denn ein Buch zu lesen. Als aber im Januar 1856 die ersten Friedensnachrichten in Petersburg eintrafen, vermochte ich meinen Wunsch nicht länger zu unterdrücken und begab mich unverzüglich mit grösstem Eifer an das neue Studium; mein erster Lehrer war Herr Nikolaos Pappadakes, der zweite Herr Theokletos Vimpos, beide aus Athen, wo der letztere heute Erzbischof ist. Wieder befolgte ich getreulich meine alte Methode, und um mir in kurzer Zeit den Wortschatz anzueignen, was mir noch schwieriger vorkam als bei der russischen[17] Sprache, verschaffte ich mir eine neugriechische Uebersetzung von »Paul et Virginie« und las dieselbe durch, wobei ich dann aufmerksam jedes Wort mit dem gleichbedeutenden des französischen Originals verglich. Nach einmaligem Durchlesen hatte ich wenigstens die Hälfte der in dem Buche vorkommenden Wörter inne, und nach einer Wiederholung dieses Verfahrens hatte ich sie beinahe alle gelernt, ohne dabei auch nur eine Minute mit Nachschlagen in einem Wörterbuche verloren zu haben. So gelang es mir in der kurzen Zeit von sechs Wochen die Schwierigkeiten des Neugriechischen zu bemeistern; danach aber nahm ich das Studium der alten Sprache vor, von der ich in drei Monaten eine genügende Kenntniss erlangte, um einige der alten Schriftsteller und besonders den Homer verstehen zu können, den ich mit grösster Begeisterung immer und immer wieder las.
Nun beschäftigte ich mich zwei Jahre lang ausschliesslich mit der altgriechischen Literatur, und zwar las ich während dieser Zeit beinahe alle alten Classiker cursorisch durch, die Ilias und Odyssee aber mehrmals. Von griechischer Grammatik lernte ich nur die Declinationen und die regelmässigen und unregelmässigen Verba, mit dem Studium der grammatischen Regeln aber verlor ich auch keinen Augenblick meiner kostbaren Zeit. Denn da ich sah, dass kein einziger von all den Knaben, die in den Gymnasien acht Jahre hindurch, ja oft noch länger, mit langweiligen grammatischen Regeln gequält und geplagt werden, später im Stande ist, einen griechischen Brief zu schreiben, ohne darin hunderte der gröbsten Fehler zu machen, musste ich wol annehmen, dass die in den Schulen befolgte Methode eine durchaus falsche war; meiner Meinung nach kann man sich eine gründliche Kenntniss der griechischen Grammatik nur durch die Praxis aneignen, d.h. durch aufmerksames Lesen classischer Prosa und durch Auswendiglernen von Musterstücken aus derselben. Indem ich diese höchst einfache Methode befolgte, lernte ich das Altgriechische wie eine lebende Sprache. So schreibe ich es denn auch vollständig fliessend und drücke mich ohne Schwierigkeit darin über jeden beliebigen Gegenstand aus, ohne die Sprache je zu vergessen. Mit allen Regeln der Grammatik bin ich vollkommen vertraut, wenn ich auch nicht weiss, ob sie in den Grammatiken verzeichnet stehen oder nicht. Und kommt es vor, dass jemand in meinen griechischen Schriften Fehler entdecken will, so kann ich jedesmal den Beweis für die Richtigkeit meiner Ausdrucksweise dadurch erbringen, dass ich ihm diejenigen Stellen aus den Classikern recitire, in denen die von mir gebrauchten Wendungen vorkommen.29[18] "
http://www.zeno.org/Geschichte/M/Schliemann,+Heinrich/Selbstbiographie/1.+Kindheit+und+kaufm%C3%A4nnische+Laufbahn%3A+1822+bis+1866
I. Kindheit und kaufmannische Laufbahn: 1822 bis 1866. Krimkrieg
"Noth (Deutsch)
Nuvola apps edu miscellaneous.png Noth ist eine alte Schreibweise von Not. Sie ist gemäß den Beschlüssen der Orthographischen Konferenz von 1901 seither nicht mehr korrekt. Alle Informationen befinden sich im Eintrag Not. Ergänzungen sollen bitte auch nur dort vorgenommen werden."
https://de.wiktionary.org/wiki/Noth
(グーグル翻訳
Noth is an old spelling of need. Since then it is no longer correct according to the decisions of the Orthographic Conference of 1901. All information is in the entry Not. Supplements should also be made only there.)
https://en.wiktionary.org/wiki/Not
より
Notは英語だと
”
need, imminence
Kinder in Not ― Children in Need (name of a charitable organisation)
necessity, poverty
emergency, crisis
”
"Ivanhoe
アイバンホー、『黒騎士』(くろきし、原題:Ivanhoe)は、
1952年に製作・公開されたアメリカ合衆国の映画である。
発音記号・読み方
/áɪvənhòʊ(米国英語)/"
http://ejje.weblio.jp/content/Ivanhoe
”ジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエール
(Jacques-Henri Bernardin de Saint-Pierre、1737年1月19日 - 1814年1月21日)は、
フランスの作家・植物学者。
ル・アーブル生まれ。12歳の時叔父とともに西インドへ旅行し、帰国後、技師としての教育を受ける。七年戦争に従軍し、1768年にモーリシャスへ旅して植物学を学ぶ。1771年にルソーの弟子となる。フランス革命後、1795年に政府の一員となり、植物園の館長となり、1803年にはアカデミー・フランセーズ会員に選ばれる。
1787年に発表したモーリシャス島を舞台に自然と純愛を描いた小説『ポールとヴィルジニー』(Paul et Virginie)で知られる。同作はロマン主義のさきがけとされる悲恋小説で、日本でも多数の翻訳があり、かつてよく読まれた。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB
”
フェヌロン
Fenelon, Francois de Salignac de la Mothe
[生]1651.8.6. ペリゴール
[没]1715.1.7. カンブレ
フランスの宗教家,神秘的神学者。パリのサン・シュルピス神学校で学び,1676年パリの女学校校長。異端とされたユグノー派に対する寛容を説き,信仰を強制することに反対した。 89年ルイ 14世の孫ブルゴーニュ公ルイの師傅。 93年アカデミー・フランセーズ会員。 95年カンブレ大司教。 88年ギュイヨン夫人の神秘主義に関心をいだき,静寂主義をめぐる論争に巻込まれ,97年『内的生活に関する諸聖人の箴言の解説』 Explication des maximes des saints sur la vie interieureを書き,ギュイヨン夫人を弁護して,J.ボシュエと対立。 99年ボシュエとルイ 14世の圧力で教皇インノケンチウス 12世は彼の 23の命題を断罪した。著作のなかではルイのために書いた『テレマックの冒険』 Aventures de Telemaque (1699) が著名。ほかに『女子教育論』 Traite de l'education des filles (87) ,『寓話集』 Fables (1789) ,『死者の対話』 Dialogues des morts (12) ,『アカデミーへの手紙』 Lettre a l'Academie (16) など。
”
https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8C%E3%83%AD%E3%83%B3-123184
”テレマックのぼうけん
Les Aventures de Telemaque
フランスの文人フランソア・ド・フェヌロンの小説。フェヌロンが傅育していたフランス王太子ブルゴーニュ公の教育のために書かれた古典風の教訓小説。著者の意に反して 1699年出版され,フランスでは発禁となり,オランダを中心に好評を博した。テレマック (テレマコス ) が父をたずねて旅をする物語で,行く先々での事件に託して教訓を述べる。特にイドメネ王宮滞在のくだりではその政治の過失を指摘,あるべき統治を説くが,これはルイ 14世の治世の間接的批判で,このため作者は王から宮廷への出入りを禁止された。完全なフランス語版は 1717年,甥のフェヌロン侯によって出版された。 ”
https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BA-101990#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8
シュリーマン、その虚言癖と外国語習得法
http://satotarokarinona.blog110.fc2.com/blog-entry-570.html
"結局シュリーマンは高等教育は受けられずに実科学校に通い、雑貨店の見習いからそのキャリアを始め、商人として成功を収めていくことになる。彼の成功を支えたのはなんといってもその語学力である。
「シュリーマンの一生とその功績を理解するための鍵の一つは、彼の驚異的な外国語習得能力にある。彼は母語のドイツ語の他に、オランダ語、英語、デンマーク語、スウェーデン語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、ポーランド語、古代ギリシア語、現代ギリシア語、ラテン語、アラビア語を自在にこなし、完全ではないながらトルコ語とヘブライ語も操ることができた。晩年の一○年間には、まるで現代語であるかのように古代ギリシア語を使うようになり、手紙や日記も古代ギリシア語で書いたばかりか、古代ギリシア語を使ってみようとする学者とはこの言語で会話までしたほどだった」(p.428)。
シュリーマンは職を求めオランダに渡り、そこで商社の面接を受ける。ドイツ語の他に英仏語も使いこなせ、オランダ語の習得もすぐにできるとアピールしたが、実際には英仏語は仕事に使えるほどではなく、オランダ語も初歩レベルだった。ここだけを見ると虚言癖を発揮したようにも映る。しかし雑用係りとして採用されると、シュリーマンは英仏語のブラッシュアップにとりかかりこれを完全にマスターし、またオランダ語も間もなく身につける。ロシア語話者の需要があるとみるとこれも学習して身につけ、ギリシア語などもこのような実用的見地から習得していったのである。
ここで気になるのが、「この驚異的な能力を、彼はどうやって身につけたのだろうか」ということだ。
トレイルは「多くの読者にとっては、シュリーマンがおよそ十五の言語を流暢に使いこなすことのほうが、考古学における業績よりも関心の高いことかと思われる」として、シュリーマンの『イリオス』の記述に触れている。孫引きになるが引用しておこう。
「私は、英語を習得するために並々ならぬ努力をした。しかし必要に迫られていた私は、やすやすと言語を習得する方法を発見した。その方法とは、たくさんの本を翻訳しないでまずは音読する、毎日練習する、関心のある問題についてその言語で毎日作文する、こうして書いた文章を先生の指導のもとで直す、そしてそれらを暗記する、次のレッスンで前日直されたところを繰り返し覚える、ということである」(pp.43-44)。
え~と、これのどこが「やすやすと言語を習得する方法」なのでせうか……という感じで、辛抱強い努力を要する方法なのでありました。「努力ができるのも才能の一つ」というが、シュリーマンはこういう地道な努力を重ねることが苦ではなかったのだろう。
シュリーマンはさらにこう続けている。
「よい発音を早く身につけるために、私は毎週日曜日に英国教会の礼拝に二度ずつ行って、牧師の説教を一言一句小さい声で繰り返した。
私は雨の日に使いに行くときでも、本を片手に何かしら暗記しながら出かけた。また郵便局で待っているときには、本を読まずに待っていることはなかった。
この方法で記憶力を徐々に向上させることができたので、三か月も経った頃には、毎日の授業で二〇頁分の文章を一言一言三回注意深く読んだだけで、テイラー先生の前で暗誦することができるまでになった。この方法で、私はゴールドスミスの『ウェイクフィールドの牧師』とウォルター・スコットの『アイヴァンホー』の全文を暗記した。
興奮のために熟睡できずに夜中に目が冴えてしまったときには、心のなかでその晩に読んだ本の内容を繰り返し暗誦していた。昼間よりも夜のほうが集中できたので、このように夜に暗誦することには大きな効果がある。
こうして私は英語を完璧にマスターすることができた。
次に、同じ方法を使ってフランス語も習得しようと考えて勉強に励み、マスターするのに同じく六か月かかった。フランス語の本では、フェヌロンの『テレマックの冒険』やベルナルダン・ド・サン・ピエールの『ポールとヴィルジニー』を全文暗記した。このように一年間みっちりと勉強して記憶力がかなり向上したので、その後に学びはじめたオランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語はとても簡単に感じられ、これらの言語を流暢に書いたり読んだりするまでには、六週間もかからなかった」。
トレイルも「ここまですれば、どんな言語でもマスターできるに違いない。問題は、どうすればこのような方法を根気強く実行することができるかである」としているように、「全文暗記した」なんてことをさらっと書いているが、それをすることが大変なんだよ!という感じである。
あと「牧師の説教を一言一句小さい声で繰り返した」とあるが、これは現在では「シャドーイング」と呼ばれる学習方法と重なる。
さらに書店の外国語学習コーナーに行くと、「英語で日記を書いてみよう」といった類の本がよくあるが、これもシュリーマンが実践していたことでもある。
シュリーマンはエジプトに三か月ほど滞在していた時期があるが、「ここでアラビア語を学んだ彼は、エジプト滞在中の一〇〇頁ほどの日記を、ほとんどアラビア語で書いている」(p.52)。
イタリアを旅行した際には「一か月をかけて案内書で推奨されているローマのほとんどありとあらゆる教会や美術館、博物館そして記念碑や遺跡を訪ね歩いた」が、シュリーマンはこの模様についてイタリア語で日記をつけていた(p.64)。
またある年には妻への手紙で「目下のところトルコ語の勉強に取り組んでいる」とし、「それを裏づけるかのように、彼の日記の六二頁分はトルコ語で書かれ、そのあとはアラビア語で書かれている」(p.136)のだそうだ。"
シュリーマンの発掘記録と発見品にはどこまで嘘が含まれるのか。「黄金と偽りのトロイ」を読み返してみた
http://55096962.at.webry.info/201602/article_6.html
『古代への情熱』のシュリーマンは虚像だった・・・【山椒読書論(158)】
http://enokidoblog.net/sanshou/2013/03/8703
コツカ@C92東つー14b @kotsuka1990 2010年12月4日
シュリーマンっていうのはトロイ遺跡を発掘した人なんだけど、実際はねつ造&盗掘しまくりの考古学者の風上にも置けないやつだったりする。
Source: Heinrich Schliemann [1822-1890], Ilios: the city and country of the Trojans (New York: B. Blom, 1968; reprint of the 1881 ed.), pp.14,15. ”
Methods for learning Greek
http://www.textkit.com/greek-latin-forum/viewtopic.php?t=11778
”There is a discussion of Heinrich Schliemann's method at:
http://how-to-learn-any-language.com/fo ... D=943&PN=2
Here are the key excerpts:
From his autobiography:
"I applied myself with extraordinary diligence to the study of English. Necessity taught me a method which greatly facilitates the study of the language.
This method consists in reading a great deal aloud,
without making a translation,
taking a lesson every day,
constantly writing essays upon subjects of interest,
correcting these under the supervision of a teacher, learning them by heart, and repeating in the next lesson what was corrected on the previous day.
My memory was bad, since from my childhood it had not been exercised upon any object;
but I made use of every moment, and even stole time for study.
In order to acquire a good pronounciation quickly, I went twice every Sunday to the English church, and repeated to myself in a low voice every word of the clergyman's sermon.
I never went on my errands, even in the rain, without having my book in my hand and learning something by heart; and I never waited at the post-office without reading.
By such methods I gradually strengthened my memory, and in three month's time found no difficulty in reciting from memory to my teacher, Mr. Taylor, in each day's lesson, word by word, twenty printed pages, after having read them over three times attentively. In this way I committed to memory the whole of Goldsmith's Vicar of Wakefield and Sir Walter Scott's Ivanhoe.
From over-excitement I slept but little, and employed my sleepless hours at night in going over in my mind what I had read on the preceding evening. The memory being always much more concentrated at night than in the day-time, I found these repetitions at night of paramount use. Thus I succeeded in acquiring a thorough knowledge of the English language.
"I then applied the same method to the study of French, the difficulties of which I overcame likewise in another six months.
Of French authors I learned by heart the whole of Fenelon's Aventures de Telemaque and Bernardin de Saint Pierre's Paul et Virginie. This unremitting study had in the course of a single year strengthened my memeory to such a degree, that the study of Dutch, Spanish, Italian and Portuguese appeared very easy, and did not take me more than six weeks to write and speak each of these languages fluently....
"My wish to learn Greek had always been great, but before the Crimean war I did not venture upon its study, for I was afraid that this language would exercise too great a fascination over me and estrange me from my commercial business; and during the war I was so overwhelmed with work, that I could not even read the newspapers, far less a book. When, however, in January 1856, the first tidings of peace reached St. Petersburg, I was no longer able to restrain my desire to learn Greek, and at once set vigorously to work, taking first as my teacher Mr. Nicolaos Pappadakes and then Mr. Theokletos Vimpos, both from Athens, where the latter is now archbishop.
I again faithfully followed my old method;
but in order to acquire quickly the Greek vocabulary, which seemed to me far more difficult even than the Russian, I procured a modern Greek translation of Paul et Virginie, and read it through,
comparing every word with its equivalent in the French original. When I had finished this task, I knew at least one-half the Greek words the book contained, and after repeating the operation I knew them all, or nearly so, without having lost a single minute by being obliged to use a dictionary.
In this manner it did not take me more than six weeks to master the difficulties of modern Greek, and I next applied myself to the ancient language, of which in three months I learned sufficient to understand some of the ancient authors, and especially Homer, whom I read and re-read with the most lively enthusiasm.
I then occupied myself for two years exclusively with the literature of ancient Greece; and during this time I read almost all the classical authors cursorily, and the Iliad and Odyssey several times.
Of the Greek grammar, I learned
only the declensions and the verbs,
and never lost my precious time in studying its rules; for as I saw that boys, after being troubled and tormented for eight years and more in schools with the tedious rules of grammar, can nevertheless none of them write a letter in ancient Greek without making hundreds of atrocious blunders, I thought the method pursued by the schoolmasters must be altogether wrong, and that a thorough knowledge of the Greek grammar could only be obtained by practice,--that is to say, by the attentive reading of the prose classics, and by committing choice pieces of them to memory. Following this very simple method, I learnt ancient Greek as I would have learnt a living language. I can write in it with the greatest fluency on any subject I am acquainted with, and can never forget it. I am perfectly acquainted with all the grammatical rules without even knowing whether or not they are contained in the grammars; and whenever a man finds errors in my Greek, I can immediately prove that I am right, by merely reciting passages from the classics where the sentences employed by me occur."”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-128.html
”プー閣下(knznymmmy @knznymmmy )の勉強についてのアドバイス集
(最近アイコンが緑と白なのは、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国の国旗の色が緑と白だからです。
緑=世界連邦などワンワールドカラー。
ザクセン=コーブルク=ゴータ家は名前が表に出ているファミリーでは最強クラスです)
knznymmmy @knznymmmy
RT> そう。記憶には潜伏期間が必要。これお勉強する上で重要ポイントな。 社会人になってから英語なりおフェランス語なり勉強して その翌日に、前日の学習内容全然覚えてなくても全然気にする事はない。 そこで「あー、もう若くないから記憶力が弱いんだ」とか悲観したら
(続き)マイナス思考で本当に記憶力が悪くなっちゃう。 おめーらもう忘れたかしれないけど小学校2年ですら 算数の九九の暗唱めっちゃ時間かけたじゃねえか ガキはバカだから毎日毎日九九を唱えさせられても疑問に感じない だけどオトナは余計な知恵がついてるから猜疑心が生まれる
(続き)で、しかも、年とってるのは事実だし、ちょっとぐらいなら 記憶力が落ちてるのも事実。だけどそこで「もうダメだ」は禁句 「あれ、昨日のレッスン内容全然覚えてねえや」って場合でも 「ま、コンピューターじゃあるめえし一発じゃ暗記できねえさ」と 復習をサラっとやったら次のレッスンに
(続き)進んじゃう、これ重要。 そこで「は?もし本当に記憶力が弱っててサラっと復習したぐらいじゃ 足りない時はどうすんだよ?」ってのはバカの発想 どうもしねえよ。一回の復習で足りないなら二回でも三回でもやりゃいいじゃん。 私は昔から同じ本を5回ぐらい読む事はよくある
1回読んだだけで内容が完璧に把握できるような本ってのは クッソくだらねえ本って事だ。
人から教えられた物ってのは どこかしら100%身につかない部分が残るんだよ。 だから、どうしても、自得させるように仕向ける という側面が必要になる。 こういうのを澤井健一先生は啐啄(そったく)と言った。
「啐啄」って言葉があってねヒナが卵から生れるとき 親鳥が殻を割る手伝いをするんだよ。
鳥の雛が卵からかえる時、 最後の最後に親鳥がつついて手伝ってやるんだよね。 それが啐啄。 あくまでも雛ががんばってくれないと話にならない。 だけど最後、ここぞという瞬間に 適切な助言、指導ができる事、 それこそが指導の極意って事らしい。
英語の勉強も少しでいいから毎日やるってことが 大きな影響力を持つ。 、、、、ほら、アレと同じだよ、被曝www 少しのベクレルでも毎日食ってりゃガンになるwwww
おまは好きな科目ねえの? 学校なんざつまんなくて当たり前じゃん ヌッポンがさ、そのうち沈没すると思うから 国外退去する可能性すら想定しておくべきと 思うんだよね 別に外国語っつーのは英語だけじゃないけど まー、やらされてる言語でもあるから とりあえずは英語真面目にやれ
現代文古文は大事ですね。ニャンゲンとしての基本 日本人としての常識です。文法は割とどうでもいいww 数学は高校の微分積分や三角関数あたりまで できるだけ頑張った方がいいです。 ぱちょこんとかマニアックにいじくり回すには そういうのも「あらまほしきものかな」とw
だって、将来日本沈没まで考えるのなら 単に「語学ができるだけ」じゃダメですよね。 現地の人と勝負して「コイツの方が仕事ができる」って 認めてもらえないといけないのですから とんでもないハンディキャップマッチを勝つ事を想定するなら 理系科目とか強いといいかも
ついでに英語勉強の極意書いておきます。(あれ?書いたっけ?) 「短時間でいいから毎日勉強すること」 これが外国語学習の最重要事項。 1日15分でいいから毎日勉強してください。 週に1日ぐらいなら休んでもいいですけど 「毎日やる」ここが超重要です。
週に1日8時間の勉強をするよりも 週に6日15分ずつの勉強をする方が 絶対に効果が出ます。 それからネイティブの発音を聞きまくる事 AKBオタクが毎日AKBの曲ばっか聞くみたいに ネイティブの発音毎日聞くこと んで、それを口真似する事 絶対に声に出す事。
黙読は意味がありません。音読する事。 それも大声であるほど効果が大きくなります。 日本語にない発音、リズムに慣れる事 最終的にはネイティブの発音と同時に喋ると 完全にハモってる事。 シンクロ率400%を目指す事 リツコがニャンゲンに戻れなくなると叫ぶまでやる事
あのね、できれば音声とテキストのみの教材がいいんです テレビとかだと視覚に意識が行っちゃう。 昔のアニメで聖闘士星矢ってあるんですけどね あの中に出てくる乙女座ヴァルゴのシャカが 目を閉じるのと同じ・・・って おまには分かんないかw
ミミズクって英語でhorned owlらしい件
だから英語で正常位って ミッショナリーポジションって言うんだぜ
これは本当 日本人は揚げ足取りが大好きなせいで 悪い意味で完璧主義になって 結果、元も子もなくする事が結構ある 例えば英語のテキスト勉強してても 完璧、100点、にならないと次の課に進まないみたいな感じ そうじゃなくて0点は論外だけど 大体おkになったら進んでいい
私が勧めるのは一旦DLしてVLCで聞く事ですね。 再生速度の調整ができますし 3秒巻戻、10秒巻戻等のキーボード設定があって まるで語学講座を聞くためのソフト じゃないかと驚きます。 ネイティブの発音をスローで聞いたり 自分の発音を録音して聴き比べたり 色々できますよ
RT> そう。例えば英語の発音練習でも リスニングできない音は発音できない 発音できない音はリスニングできない 自分の手持ちの駒でしか人間は対応できない。
だってさ、毎日決まった時刻に決まった行動を取るってのは 魔法修行の初歩の初歩だぜ? それともうひとつ 後でも聞けるから、今聞かなくてもいいや ってのは結局後でも聞かないパターンだろ? 本気で英語(には限らないけど)をどうにかしたい と思ってるのなら おめーの本気を見せてみろ
犬HKの基礎英語2の2月9日分の放送を聞いたった 人に勧める以上一回ぐらいは自分自身で チェックすべきかなと思ってw "人"ってのは分かるよな? 今日も創価信者がイチャモン付けてきたりとか 私の周りが騒がしいから名前は出さない。 とりあえず変なチョコやめろw
基礎英語2はそれなりにうまく教えている。 (来年度も同じ講師なんだがガイジンは交代らしい) ちょっとよかったのは 3分過ぎに 「音楽に乗せた発音練習」ってものがあったこと 英語の発音練習として 個別のLとかRとかの練習も大事なんだけど それらをぶちぬいて流れるリズムの勉強も大事
これ守らないとお経みたいな英語になっちゃう 定期的に強弱を繰り返すパターンが基本なので このリズムに乗るのが大事 例えば手拍子のリズムにのって発音する
例えば弱が二回続いたら ◯☓◯☓◯☓・・・って
テンポよく来てたのが ◯☓◯☓◯☓☓ ← なんかつまづいちゃう
だからそこは弱い単語2つを ササッとまとめて素早く発音して
◯☓◯☓◯☓のリズムを守るの
ひとつの「弱」の中に押しこんじゃう
逆に短いのにひとつの「強」を専有させないと いけない単語が出てきたらそこは ゆっくり発音したりする
だから強弱であると同時に緩急でもある
こういう緩急強弱を意識するのが大事。 勿論現実の会話ではこのリズムが崩れてる事も多いんだけど
原型としての◯☓◯☓◯☓のリズムが チラチラ顔を見せるのが大事
で、それを意識する練習として 基礎英語2みたいに音楽に乗るとか 或いは自分自身で机の角をデコピンしながらとか 発音練習するのがコツ
私は昔マザーグースを手拍子打ちながら暗唱した。 私自身が昔暗唱した例でやると (大文字が手拍子打つところ)
LADY bird LADY bird FLY away HOME your HOUSE is on FIRE and your CHILDREN all GONE ALL except ONE and THAT'S little ANN
例えばね、"is on"とか"and your"単語が2つじゃん 2つなんだけど「弱」ひとつしか 割り当てないんだよ だからここササッと素早く読む。「急」で「弱」。 じゃないと◯☓◯☓が崩れる。
あとは口か。シュリーマン的に 音読しまくって暗唱が大事ってことかな?
彼が「古代への情熱」って本の中で語学学習について 熱弁をふるっている箇所がある。
で、ギリシア語の活用について私同様 「活用の丸暗記なんかするな」ってスタンスなんだ。 んじゃ、丸暗記しねえでどうやって語学マスターするのかって話だが おーっとここでカレンダーを見るんだ!
RT> ちげーよ、ボケナス 寝る前は語学の勉強すんだよ ハインリッヒ=シュリーマン目指すんだよ
RT>私はラテン語やった事がないので ひょっとしたらトンチンカンかもしれないけど そもそも論として語形を必死に丸暗記する事自体が間違いなような気がする ぬこた先生はハインリッヒ=シュリーマンは知ってるかな? 天才でもあり天災でもあり変態でもある、偉人若しくは変人だがw
↓ ちょっと抜けてるな
動詞、助動詞の活用は暗記するな
暗記するんならよい例文を暗記する事だ とか、まだ色々書いてるんだぜ?
多分ね、このまとめ「古代への情熱」の前半しか読んでいない。
前半で語学学習ネタが終わったフリして 実は後半にも出てくるのさ!
(
declension=語形変化、格変化と
動詞(つまり不規則も規則動詞の両方)だけは学んだとあるから逆。)
しなざわ @shinazawa 8月24日
1 非常に多く音読すること
2 決して翻訳しないこと
3 毎日一時間をあてること
4 つねに興味ある対象について作文を書くこと
5 これを教師の指導によって訂正すること
6 前日直されたものを暗記して、次の時間に暗誦すること
シュリーマン
トロイヤ遺跡発見。10ヶ国語以上習得。
knznymmmy @knznymmmy 2月13日
一度日本語で書いたらダメ
最初から英語で書かないとダメ
深緑のオアゾーさん @aguridog 5月16日
『啐啄同時』(そくたくどうじ) という禅語は師匠と弟子、親と子の関係に当てはまる。
その意味は、鳥の雛が卵の中から殻を割るタイミングと親鳥が卵の殻を外からついばんで割るタイミングを合わせること。深いね。 https://twitter.com/pre_online/status/599385554363490304 …
らいおん @funa2741 7月14日
@shige8948 啐啄同時 読み方:そったくどうじ 禅において、悟りを開こうとしている弟子に、師匠が、うまく教示を与えて悟りの境地に導くことを指す表現。「啐啄」は、何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現。
knznymmmy @knznymmmy 6月2日
RDレインだったかな
「好き?好き?大好き?」って本がある
名前をつける事で
さも何かが分かったような気分になる
って側面はあると思う
例えばむかーし、参考書読んでたら
予備校の先生が◯◯の法則とか
やたらと名前を付けたがるのは
名前を理解しただけでしかないのに
承前)中身を理解したような 錯覚を起こす=予備校で、さも沢山勉強できたような 錯覚を起こすって説明をしていた
本体じゃなくてダミーを用意するってのは バテレンどもがニダヤを用意したのとも共通するな ユダヤ陰謀論を語れば さも、世界の真実を悟ったかのような 錯覚を起こす”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-104.html
”"Well, I don't want to be anyone but myself, even if I go uncomforted by diamonds all my life," declared Anne. "I'm quite content to be Anne of Green Gables, with my string of pearl beads. I know Matthew gave me as much love with them as ever went with Madame the Pink Lady's jewels."
but:~以外の
declare:断言する
content:満足して
string of beads:一連のビーズ
「そうね、私は自分以外の誰にもなりたくない、一生ダイヤで慰められなくてもね」きっぱりアンは言う。「私はグリーンゲーブルのアンで満足、真珠のネックレスでいいわ。ピンクの女性の宝石にも負けないほど、マシューが愛情を込めてネックレスを私にくれたのはわかっているから」”
https://ameblo.jp/stillthinking/theme-10064878221.html
赤毛のアン33章61
Francis Bacon: A Brush with Violence (2017) https://t.co/U54SYmopHc @YouTubeさんから 以前紹介したのですが、ベーコンに興味を持った人は、見てみてください。ヤワな日美の百倍面白いよ!
— コウ(ミツグ)@FGOはじめました (@kou11lunatic) 2017年10月18日
基本的には、ニコ厨なんだけど、最近はようつべさんにお世話になりまくっている。英語字幕の面白い動画がいっぱいあるので、ついつい見ちゃうんだよね。下手な英語教材よりも英語字幕の動画を見まくって英語読んだ方がいいと思うんだ。
— コウ(ミツグ)@FGOはじめました (@kou11lunatic) 2017年10月18日
ベーコン大好きだけど、物凄く悲しくなる( ノД`)シクシク… オマケに彼の幼少期を知るとひとしおなんだよね。ツイートしたBBCのドキュメントだと、厳格で保守的な父にゲイだとバレて鞭打ちされたらしいけど、それ以上に、恨みつつも父の性的な魅力に気づいていたみた話に胸が痛くなる。
— コウ(ミツグ)@FGOはじめました (@kou11lunatic) 2017年10月18日
僕は英語全然話せないんだけど、映画の字幕を読むのが大好きでたまらなく好きで、気が付くとそこそこ読めるようになっていたような変な奴なので、ありがた迷惑で生徒にも頭が悪いものと難しくて頭が痛くなるものを毎日少し強制的に見させている。例えば教科書職業体験で、僕はジーザスキャンプ見せてる
— コウ(ミツグ)@FGOはじめました (@kou11lunatic) 2017年10月18日
マザーグースを知れば、英語も映画も物語もより深く理解できる!?
http://blog.iknow.jp/posts/3207
しかし、鍵木戸のHPにまんま
— ぐだトマト (@pteras14) 2017年9月19日
異能ベーションっていうページが
あるな……
これ見れば別にブレストなんか
やらなくて良いじゃん。
ここに載ってる奴のお下がりが
流行るんだろう?
ただ、飽くまで自分の経験だと
日本の大手メーカーの製品や企画は
鍵木戸のお下がりを後追いでパクって
来た様なのが多い印象を持っている。
だから将来のトレンドをある程度
予測するのに鍵木戸のコンセプト集
は個人的には結構役に立つかな?
と感じている。
http://www.lockheedmartin.com/us/innovations.html
外国語のリズムの体得に使えそう
個人練習が捗る Googleで「メトロノーム」と検索すればメトロノームが即使える - ねとらぼ https://t.co/Uio8ruLyVr @itm_nlabさんから
— yacy (@yacy) 2016年7月3日
基本、遊びまくって・授業の内容を遊んでいる時にふと話したりするやつは賢いです
— 宗教nnmn (@nnmnfiction) 2017年8月31日
何故なら習ったことを一日に突如何回も反復して思い出すので頭が忘れません
だから、勉強の仕方が下手だと無駄に時間だけを食いますが日本の学習法は典型的な無駄な時間を食うやり方なので無駄に勉強させているのです
ドイツ語こっから
何を作文するか。まずは短文から。
目的に応じて文章を書きためる。
旅行目的なら、旅行用表現を覚えつつ、自分用にアレンジするとかね。
旅のドイツ語:まずはご挨拶 - ドイツ旅行
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%AA%9E%E3%80%80%E8%AA%AD%E3%81%BF%E6%96%B9%E3%80%80%E7%B0%A1%E5%8D%98&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox-b&gfe_rd=cr&dcr=0&ei=C2OwWeG6NvCQ8QfOprKYCw
ドイツ語で危機一髪 > 財布を盗まれました。
http://www.21germany.com/archives/2006/03/post_385.html
これは勉強になる!ドイツ語会話がはかどる3つの動画チャンネル
http://infodich.com/archives/2331
ドイツ語をキーボードで入力する方法( Windows 編 )
http://deutschlernen.jp/post-0-6/
英語と他の外国語の勉強を続けるのは大変なので、
英語で解説されている学びたい外国語学習書、サイト、動画などで学べばいい。
ドイツ語の発音のルール
https://www.youtube.com/watch?v=vwcqOM9Kj8s
Pronunciation of German Letters and Numbers
https://www.youtube.com/watch?v=_ozYlaSmUQY
聞き流し・基本のドイツ語会話フレーズ1000(日本語・ドイツ語音声付)
https://www.youtube.com/watch?v=bZDncR7o27Y
1000 Most Common German Phrases in Conversation (with English voice)
https://www.youtube.com/watch?v=S9igDeDWN-8
これ暗唱したらいいじゃん。
Thank you for reading this blog!
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