反イエズス会でも啓蒙主義でも反カトリックでも反王政でもないのをイルミナティと呼ぶ奴は全員無知か詐欺師!イエズス会や王侯貴族やバチカンやWASPにイルミナティという間違った名づけをするな!「光=イルミ」もやめろ!最重要マッキントッシュ『薔薇十字団』メモ
Posted on 2017.09.24 Sun 22:21:21 edit
名前の付いてない現象はxとでも呼べよ
— メルセゲル (@Meretseger2) 2017年9月19日
これが出来ないからイルナミティとかロックフェラーとかいう名前つけてくる連中に簡単に騙されるんじゃね
黒幕は「ユダヤ人」「イルミナティ」「メーソンはユダヤ」は
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年9月19日
「支配層は悪魔」と同じく何も言っていない…
有名陰謀論者
=定義があいまいな言葉を悪用する詐欺師
…バズワードとは…重要な概念を表しているよう見えるが、実際は明確な定義や範囲が定まっていない、@japan19890108
https://t.co/mw1OwHikxu
— Desty (@exa_desty) 2017年9月19日
メーソンとかその他の結社とかの知るべきことが書いてるよ
メーソンが黒幕~、メーソンは古代から存在する~、結社はメーソン~
という事しか言わない、知らない人は見るべき
あと、俺も薔薇十字団正統会員の方が上位だと思うよ
まさかと思うが陰謀論界の大多数は
— Desty (@exa_desty) 2017年9月19日
メーソン、イルミナティ、スカルアンドボーンズしか知らない?
それしか存在しないと思ってるんじゃ...
言葉は魔法。
自分で自分の能力縛る呪文唱えてんじゃねーよ
単語自体が毒なんだよ!
Xさんはサッカー選手なのに肩書を野球選手って書いて
Xさんは野球選手です!
っていう奴って無知か嘘つきかでしょ?
それと同じ。
無知には確かめないとか含む。
X勢力は支配層の一つの派閥にすぎないなのにすべての支配層の頂点って書いて、
Xは支配層の頂点です、こいつらを倒せばみんな幸せになりマシュ!
っていう奴って無知か嘘つきかでしょ?
イルミナティと呼ぶ場合、
当然、元祖の要素を受け継いでいないといけない。
ヴァイスハウプトのイルミナティの特徴
・反イエズス会(最重要の必須要素)
・反カトリック教会、反バチカン
・啓蒙主義(反知性主義の否定)
・反オカルト(スピリチュアルの否定)
・反王政(共和制の肯定)
が含まれていないといけない。
よって、
イエズス会、カトリック教会、バチカン、
反知性主義、オカルト好き、王政肯定側の
支配層の派閥をイルミナティと呼ぶ者は
全員
無知か嘘つき。
内容と真逆の名前をつけるってお前は、
悪法の名前を考える悪の魔法使いかよ、
てめーは!
ただのキリスト教をユダヤと名づける奴と同類だな!
名前は元ネタに沿っていないと詐欺。
クリスチャンをユダヤと呼ぶ詐欺に気を付けろと言っても
てめーには無駄みたいだな!
てめーって誰かな?
今は存在しないかもしれないよ。
未来では存在しているかもね。
別に特定の誰かを指してるわけでもないね。
WASP至上主義側は反知性主義だから、
啓蒙主義のイルミナティなわけないでしょ!
反カトリックでも反王政でないのをイルミナティと呼ぶ奴は全員無知か詐欺師。
∴イエズス会をイルミナティと呼ぶ奴は全員嘘つきか馬鹿!
つーかイルミナティという間違った名づけするんじゃねーよ
ヴァイスハウプトのイルミナティ思想を一番受けついているのはどうみても、
ライシテ教+啓蒙主義+理性主義+右目のフランス系結社だろーが!
理神論と無神論(寄り)と共和制(王政否定)、
反教会(反カトリックとはイコールではないけど)
の支配層の派閥のごく一部じゃねーか!
典型的なデマ↓
イルミナティ=イエズス会。
支配層=イルミナティ
メイソンの上層部=イルミナティ
全部間違いじゃねーか
桃太郎の菊りんはちゃんとわかっているよね。
西洋の両建構造の大枠は「一神教VS神秘主義(秘教)」である。近代以降の理性主義は神秘主義から枝分かれしたものだと考える。近代化学が錬金術から生じたように。英国系石屋では啓蒙主義と神秘主義が同居していた。仏蘭西系石屋は啓蒙主義に特化していった。ヴァイスハウプトは神秘主義を拒否した。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2017年9月23日
元祖イルミナティのヴァイスハウプトがユダヤ教徒ではなく、ロスチャイルドと無関係で、反カトリックで、啓蒙主義(反知性主義と新プラトン主義とオカルトの否定)で、王政を否定したことを知らない人が、教会のデマをもとにイルミナティを騙っているのを見ると笑っちゃいます。@wolvesknow
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月28日
ヴァイスハウプトのイルミナティと思想的になんのつながりもないなら、
つまり、反カトリック・反王政・啓蒙主義・反オカルトなどのヴァイスハウプトの思想を持たない組織なら、
イルミナティなんて名称は間違いなので嘘つきか不勉強かとなり、
よって百害あって一利なし。
そんな奴はイルミナティ陰謀論を発明したのがカトリック信者だとすら知らないか言わない。
ホーンというベネディクト会修道士がイルミナティ陰謀論を作るのに協力しているのにねえ。
イルミナティ陰謀論はイエズス会士とベネディクト会修道士の合作だ。
現代の陰謀論の父はイエズス会士のバリュエル神父!
ベネディクト会修道士でスパイで外交官でタクシス家とつながりありのホーンが、
ロビソンにメイソン・イルミナティ陰謀論のネタを提供。
リベラと同じくプロテスタント側の陰謀論者フェルプス(バチカン限定陰謀論)をカトリックのboが叩くのは当然!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-194.html
ロスチャイルドが元祖イルミナティ設立に関わったとかデマ垂れ流す奴は、
元祖イルミナティと黄金薔薇十字団の戦いすら知らねえだろ?
黄金薔薇十字団すら知らねえ奴が秘密結社の陰謀なんて騙るんじゃねーよ。
黄金薔薇十字はヘッセン系だ。
ヘッセンはロスチャイルドの親分だ。
黄金薔薇十字を否定するのが、啓蒙主義のヴァイスハウプトの元祖イルミナティだ。
元祖イルミナティにとってロスチャイルドはヘッセンの部下だから敵だ。
よって、ロスチャイルドが元祖イルミナティ設立にかかわったとか全部嘘だ。
”七四年に創設されたヴァイスハゥプト(三二歳)の啓蒙主義結社「イルミナティ」は、バイエルンの地方組織にすぎず、イェズス会残党の激しい攻撃にさらされ、メイソンリーに援助を求めていた。
おりしも、八〇年、黄金薔薇十字団の黒幕のヘッセン=カッセル方伯の腹心クニッゲ男爵(二八歳)は、嫉妬による陰謀に巻き込まれ、宮廷から追放されてしまう。
そして、彼は、「イルミナティ」に乗り込み、たちまち啓蒙主義メイソン五百名以上を参加させ、これを反黄金薔薇十字団運動の拠点としてしまった。”
(出典の論文はネット上から消滅。本ブログのどこかに写しがあるよ)
クニッゲのほうが重要!
私はイルミナティといったらヴァイスハウプト一択だけど、
デマに惑わされている人が多すぎるから元祖ってつけているよ。
https://t.co/mw1OwHikxu
— Desty (@exa_desty) 2017年9月19日
メーソンとかその他の結社とかの知るべきことが書いてるよ
メーソンが黒幕~、メーソンは古代から存在する~、結社はメーソン~
という事しか言わない、知らない人は見るべき
あと、俺も薔薇十字団正統会員の方が上位だと思うよ
”メーソンは一次予選通過者の集まりのようなもので、
そこから本命をスカウトするための人材紹介業者でもある。
複数の結社を掛け持ちしていないと妄想してないよね?
メイソン以外の友愛結社の名前をあなたはどれくらい知ってる?
フラタニティとソロリティぐらいは常識だよね?
ギリシア文字三文字の、
アルファ・カッパ・ラムダ
Alpha Kappa Lambda (ΑΚΛ) ぐらいはご存知だよね?
ギリシア文字を使った結社は他にもあるよ。
日本語で調べてもろくな情報はない。”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-224.html
結社名でメイソン以外思い浮かばない奴は読むな!
→ドラえもんの暗記パンとYahoo!とヤプーとラピュタの元ネタは
メーソン製の『ガリヴァー旅行記』!←けものフレンズへも影響?
こんな定義すらできないものを黒幕とする時点で確実に寸止め陰謀論=囮(ユダヤと在日)に罪を押しつけキリスト教を守る行為。「真の黒幕=一神教的多神教X>キリスト教>ユダヤ」キリスト教の上層部がXだから真の黒幕はキリスト教(神学とシステム)https://t.co/3CoTyIPXV3
— 安保 隆 (@AmboTakashi) 2016年9月5日
https://t.co/4S1icNn2fM
— Desty (@exa_desty) 2017年9月24日
イルミナティについてまとめてくれてる(助かります
俺もまだまだ引っかかってるから学ばないとな
メーソンの上層部=イルミナティなんて笑いもんだぞ
メーソンは人材集め=数ある一次審査的な場所の方が良いんじゃないの?
(言ってる人少ない?
他の審査は社交クラブとかな、すっ飛ばして入るやつもいると思うから注意ね
陰謀論界では
— なえなつ (@japan19890108) 2017年9月25日
フラタニティとソサエティも意図的に外されてない?
学閥もあるのにさ https://t.co/6xMekJVdS8
まあ結社員になってノルマがあるんでしょうね
— なえなつ (@japan19890108) 2017年9月25日
例えば一般人洗脳して捨て駒にしたり金を持ってきたり
どこかの要職になった奴は認められて組織の中で偉くなれると https://t.co/9J0cjjKp2J
金融機関はイルミナティだから預金を引き出せと煩いイルミナティ陰謀論者。イルミナティが湯金を引き出そうとしていると騒ぐイルミナティ陰謀論者。口で言うだけで何の行動も起こさないイルミナティ陰謀論者。おまえらヤルキナシーという秘密結社じゃねえの?w https://t.co/k5MeJe0l2Z
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年9月25日
(
やのっちは私にとって黒寄りのグレーで見る価値無し。
やのっちはカレイドスコープをおすすめしている。
やのっちは終末論の変形を布教しているからヤソ系だね。
異端と新型ヤソ含めれば、ヤソ系じゃない工作員ってほぼいないけど。
煉獄カトリックのカレイドを信奉する部下が、
笑われ男。なえなつさんに粘着していた笑われ男。
ねこたさんと私は、笑われ男に宣戦布告されたんだけど、正体自分でばらす奴に負けるわけないじゃん!
「安倍VS.小池」突然のゴング 衆院選の構図に影響:日本経済新聞https://t.co/W2jmwkvVTh
— 笑われ男@時時通信 (@KawanagareK) 2017年9月28日
これですね。
安倍晋三:CSIS
小池百合子:CSIS
日本経済新聞:CSIS
CSIS新聞がCSIS同士の政党代表の対立芝居を自作自演。
もうね、笑うしかw https://t.co/uzm4vncG4r
)
(メイソンって今は学歴差別しているらしい。
当初の精神はもう完全にないな。
カトリックの暴政(教育支配=学歴差別)を破壊するという大義がない。
結局、カトリックになり替わりたいだけの奴らばかりになったな。
され、デスティさんの親戚は結社の末端の末端なのか、中枢に近いのか気になるな。
つーか、真に支配層の中枢の血筋なら学歴関係なしにスカウトだろ。
となると、デスティさんの親戚はそこまで高い格ではなさそうなんだが、
一般人よりは恩恵を受けているのだろう。
身内の一部を変に冷遇すると反乱分子になっちゃうのにやり方がまずいぞ。
デスティさんもう反乱分子じゃん。
支配する側を倒そうとする人が支配層側から生まれるのはよくある歴史だよ
釈迦は元王族でしょ?
)
なえなつ @japan19890108
9月21日
"【ガチ】“フランシスコ麻生太郎”はイエズス会(イルミナティ)メンバーだった!「正式礼拝で安倍晋三に呪詛かけた可能性」政府関係者が衝撃暴露 tocana.jp/2017/07/post_1... @DailyTocanaさんから
イルミナティというのは通称なのかもね
イルミナティがあるかどうかではなく
この世の仕組みに参加している認められたメンバーにのみ
イルミナティと呼ばれる呼ばせる権利があるみたいな"
(
カトリックをイルミナティと呼ぶ時点でデマ。
今見たらこのツイート消してた。
間違いに気づいた?
)
光明とか大光とかのキーワードで思い付くのはイルミナティ
— 日本プロファイル研究所 (@jprofile36) 2017年9月24日
大光事件https://t.co/EyaOXVeP5v
(
光=イルミって反射的思考もやめなさい!
「光」を善として崇めない宗教はほぼ存在しないから、
いちいち光で過剰反応しちゃだめ!
「光をもたらすこと(エンライトメント)
=啓蒙
だから、
光がついたら全部、啓蒙主義」
っておかしいでしょ?
啓蒙主義ではない派閥もあるからね。
※啓蒙思想
(英語Enlightenment 仏語Lumieres 独語Aufklarung)
の原義
=光で照らされること(蒙(くら)きを啓(あき)らむ)。
lighten=(…を)明るくする、照らす。
接頭辞 en-
=「中へ」、「中に取り込む、「その上に」
光が登場=宗教団体が背後にいる?
で止めること!
大本系も光大好きだよ。
ヴァイスハウプトってどうみても大本みたいなのが大嫌いだよ。
あ、そうそう、私を啓蒙主義系工作員って言った来た奴がいたっけ?
そいつがさあ、スピリチュアル系で大本教叩きに反応していたし、
ひふみ123だしわかりやすかったなあ。
二元論思考すぎて泣けるよねえ。
で、私は思想表明しているけど、どうみても仏教ベースだよね?
確かに仏教は反カトリックというか反一神教で、
啓蒙主義(とはいえこの思想ってゴッドが前提だから仏教に使うのは不適切なんだ)
無神論者でもないよ。
この神はゴッドはでないけど、神秘ではある。
あとイスラームも啓蒙主義的だよ、とはいえ啓蒙主義は人間中心で、
イスラームで人間中心はありえないなからやはり啓蒙主義は不適切。
ほんとうに私を啓蒙主義工作員って言ったやつって無知だよね
啓蒙主義の前提が
「既存のヤソ=馬鹿こそ最高」への反発
って知らんだろどうせ。
馬鹿こそ最高がひどかったから、
馬鹿はダメって思想がおこったんだ。
そんな思想はね、仏教徒かイスラームとか学びと論理的思考は良いことだって思想ではそもそも啓蒙主義なんてものとは起こりえない。もとから学び重視だもん。
大乗仏教のうち、阿弥陀仏と念仏唱えりゃOKは反知性主義っぽいけどな!
そういえばさ、ユダヤかイスラームかキリスト教か確定できないっていちゃんもんつけてたな。
ユダヤとイスラームは似ているけど、ヤソだけおかしいから目立つんだよ!
三つとも神学を学んだからね私は。
イスラーム神学本を読めとまでは言わないけど、
基礎は本ブログにも書いたから学ぼうね。
イスラームはキリスト教の根本の矛盾を叩くからヤソの天敵だね。
仏教以上の天敵っぽい。
ヤソは一神教(もどき)なので、
仏教はもう別世界の存在みたいな感じするけど、
イスラームは一神教だからヤソは無視できないもんね。
)
結社員同士の暗号なんでしょうね。
— U (@wayofthewind) 2015年7月24日
蜂の巣=イルミナティ=イエズス会
@onigiri3_ @kitsuchitsuchi @nioumasashi“昭恵夫人が公邸中庭にミツバチの巣箱設置”
(
クリスチャンをユダヤって名づける詐欺と同じじゃん。
新約のイエスのユダヤ教保守叩きはヘイトスピーチでないの?
ルターは完全にユダヤ教徒へのヘイトスピーチ言ってるよね。
規制したら?
的外れ叩きと的外れ騒ぎ。
ユダヤってドラクエで例えるとゴーレムでしょ?
りゅうおうじゃないじゃん。
中ボスかどうかも怪しいぞ。
今気づいたけど、ゴーレムってユダヤ教由来じゃねーか!
新約も再編纂の時期が来ているし、なによりキリスト教自体が、ほら、ユダヤ人や神殿へのヘイトから生まれたものだからさ。
— 非人 (@Im_Weltkriege) 2017年9月19日
https://t.co/6s6HnnYcuK 低賃金カルテルにロスチャイルドもイルナミティも関係なかったのに、いかにも「俺はソース情報知ってる」みたいな雰囲気出して連中が、そのソース情報語ってるとこ一度も見たことないよなあ。低賃金カルテルは単なる「慣習」だったし
— メルセゲル (@Meretseger2) 2017年9月19日
https://t.co/qt3eSB243Z ロスチャイルドとロックフェラーの単語が出てくる文章でまともなソースあったの一度も見たことないので、この単語出て来た時点で読む価値ないですよねえ
— メルセゲル (@Meretseger2) 2017年9月19日
名前の付いてない現象はxとでも呼べよ
— メルセゲル (@Meretseger2) 2017年9月19日
これが出来ないからイルナミティとかロックフェラーとかいう名前つけてくる連中に簡単に騙されるんじゃね
タルムード思想が~にも言えますね
— Desty (@exa_desty) 2017年9月19日
タルムードがイエスを批判しているから悪魔の本としてクリスチャンが叩く
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2017年3月5日
『仮面を剥がされたタルムード』の著者プラナイティス神父はタルムードの内容を捏造してタルムード叩き
?元凶?から既にタルムードを理解していないhttps://t.co/Y0flj6OkAZ@kikuchi_8
「あれ?それって東の奴じゃない
— ぐだトマト (@pteras14) 2016年8月29日
よね?」って話になって、元本何処よ?
って追求されたら、「バチカンが
16世紀の全部焼いたから無い」
って言っちゃったらしくて、
プギャー??wされてフルボッコされて
この件は終わったらしい。
こんな定義すらできないものを黒幕とする時点で確実に寸止め陰謀論=囮(ユダヤと在日)に罪を押しつけキリスト教を守る行為。「真の黒幕=一神教的多神教X>キリスト教>ユダヤ」キリスト教の上層部がXだから真の黒幕はキリスト教(神学とシステム)https://t.co/3CoTyIPXV3
— 安保 隆 (@AmboTakashi) 2016年9月5日
カルヴァン派派生の資本主義・拝金主義・労働教も含まれる。
ライシテ教もね。
)
フラタニティとソロリティだけでなく、
クラブにも注目。
クラブと言ったら、ローマクラブは当然知っているよなあ!
ローマクラブと創価学会【ローマクラブ】https://t.co/JerTiCHma0
— 日本プロファイル研究所 (@jprofile36) 2017年9月26日
ローマクラブ→創価の公明党の指定枠は国土交通大臣。 実質的に環境利権で金になるポジションを確保している。
” 池田大作会長とローマクラブ創設者アウレリオ・ペッチェイ氏
●ローマクラブ創設者アウレリオ・ペッチェイ氏と池田大作会長(創価学会公式サイト)
…
池田大作会長とローマクラブ名誉会長ホフライトネル氏
…
見つめあう西と東―人間革命と地球革命
著 者 :池田 大作、リカルド ディエス=ホフライトネル
出版社 :第三文明社
…
ディエス=ホフライトネル,リカルド
ローマクラブ名誉会長。
1928年、スペイン生まれ。サラマンカ大学卒業後、ドイツのカールスルーエ工科大学で化学機械製造などを学び、スペインにおける化学産業の促進に寄与する。スペイン、コロンビアで大学教授を務め、
ユネスコ理事、スペイン教育科学相、
世界銀行教育投資部初代部長など国内外の要職を歴任。
91年ローマクラブ会長となり、2000年、名誉会長に(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
池田大作会長とローマクラブ共同会長ヴァイツゼッカー氏
…
地球革命への挑戦 人間と環境を語る
著 者 :池田 大作、エルンスト・U・フォン・ヴァイツゼッカー
出版社 :潮出版社
地球の未来のため
人類の平和のために
環境問題やエネルギー問題をはじめ、人類が直面する危機をいかに乗り越え、「持続可能な社会」を構築していくか。
ローマクラブ共同会長としてローマクラブの精神を体現し、発信し続ける環境学者と、平和行動を貫き通してきた仏法者が縦横に語り合う。
著者について
エルンスト・U・フォン・ヴァイツゼッカー
環境学者。ローマクラブ共同会長。
国連環境教育(UNEP)の「持続可能な資源管理に関する国際パネル」共同議長。
1939年、スイス生まれ。
ドイツ・カッセル大学学長、国連科学技術センター所長、ヨーロッパ環境政策研究所所長。ヴァッパータール気候・環境・エネルギー研究所初代所長、ドイツ連邦議会(下院)議員、…
池田大作…『二十一世紀への対話』(A・J・トインビー)、『二十世紀の精神の教訓』(M・S・ゴルバチョフ)など多数の対談集を発刊している。国連平和賞、国連難民高等弁務官事務所の人道賞、世界の大学・学術機関から350を超える名誉博士号・名誉称号等を受章。ローマクラブ名誉会員。
”
今の雅宣派「生長の家」はローマクラブです。https://t.co/dPoQn0tkPQ
— 日本プロファイル研究所 (@jprofile36) 2017年9月24日
ローマクラブについておさらいhttps://t.co/x6viBNtIIb
— 日本プロファイル研究所 (@jprofile36) 2017年9月24日
”ローマクラブ→地球環境問題を提起して利権を創出
退任後の大統領とか首相とかがバックアップするケースが非常に多い。
ローマクラブに同調する日本の団体→創価学会、生長の家(雅宣派)、
サンケイグループ、パソナグループ、(一社)ディレクトフォース
パナソニックと松下政経塾も入るんですかね?
国連ユネスコ人脈もそうなのでしょうね。
いずれ人脈を追ってみましょう。”
イルミナティという言葉自体を使うなって言った理由がよくわかるよね?
意味わかっている人が使っても、
受け手が勝手に意味わからず使って被害が拡大されるから、定義しても使っちゃダメな気がする。
毎回同じ不適切な単語で支配層を呼ぶと、他の単語で表現される支配層組織が得をする。
要は毎回同じ不適切な名づけをすれば呪いとなるということ。
要はこれと同系統。
↓
×毎日同じ時刻に同じ動作をすると魔法が発動する。
○毎日同じ時刻に同じ動作をすること自体が魔法。
雑。古いおうちの庭先で時折り見られる石造りの日時計や月時計。一定の時刻に呪文を唱えたり願掛けをすると魔法が発動するという設定が多いのです。それとは知らずに条件を満たしてしまい、非日常を到来させてしまう子供たちのお話もあります。微動する影をじっと見つめるのがコツのようです。 pic.twitter.com/oLwHxpVmgx
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2017年9月28日
でさ、例の一ドル札のマークって本当に元祖イルミナティ関与してんの?
アメリカは建国当初から反カトリックだけどさあ、
啓蒙主義じゃないじゃん?
王政反対だけどさあ。
王政反対で反カトリックだけだと特定できないじゃん思想的に。
元祖イルミのシンボルは一つ目じゃないし。
新キリスト教陣営の工作員用のクソリプ用画像。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2015年10月27日
ババリアのイルミナティの象徴はミネルバ(アテナ)のフクロウ。
右目=太陽派(特にフランス)。
緑=世界連邦カラー。
フランスの女神は右目=太陽を見せるマリアンヌ。@wolvesknow pic.twitter.com/FtUmeKa6kr
というかマーク自体が決まる過程追いかけた人って私含めて三人だよ。
1ドル紙幣にフリーメイソンのシンボルが隠されているが、実は「アメリカ独立前」の植民地時代には既にマーキングされていた! pic.twitter.com/1rertUGO3g
— ネズミさん (@Nezmi_san) 2017年9月18日
(じゃあなぜお札と国のシンボル考えたやつらを調べないの?
ホプキンソンとフランクリンとAPSでピンと来ない人がほとんど。
ひも付きってマーク「を考えた具体的個人と組織」を書かないから無価値なのさ。
ねずみさんは白っぽいグレーだと判断している。この界隈に白はいないので読む価値ありのアカウント)
実は、
フランクリンって百科全書派とつながりありで啓蒙主義人脈も持っているから別に一ドル札に1776あってもおかしくないよ。
つーか今もあのマークそのままってことはアメリカの頂点って今も右目では?アメリカに住んでないと思うけど。
単に建国当初は右目寄りだったが現在は白人至上主義の左目中の左目になっただけだろう。
ちなみにオカルト色が強いのが ヘッセン系列のメイソン。 これは一時解散された時のイエズス会 の残党や、メスマー、スウェーデンボリも 取り込んでる。 で、薔薇十字系をかまして近代魔術結社を 生む。 ちなみにメスマーの系列に宮崎駿で 有名なカリオストロ伯爵がいるぜ?
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月4日
で、ヴァイスハウプト系列の イルミナティは反オカルト系メイソン。 ドイツの原始メイソンの元締め の印刷屋ボーデとイギリスの 図書館長レッシンクが親玉だ。 ヘッセン系を潰すのが目的だ。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月4日
レッシンクの間抜けな所は、 彼の重用したユダ公のメンデルスゾーンが 実はイツィヒ家の子孫で、ヘッセンの 子飼いだと見抜けなかったことだ。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年5月4日
だが、ヘッセンもプロイセン王の 裏切りにより、一時期は壊滅に 追い込まれる。
だが、プロイセンが一次世界大戦を 経て衰退し、用済みになった ヴァイスハウプトがプロイセン王や ケニッゲ男爵に処分されると、 ヘッセンの子孫が今度はロス茶を 使って巻き返しを図ろうとする。
そして現在に至る。
ちなみにアメリカはフランクリン派と
ハンコック派に分かれる。
フランクリン派は穏健で親英派で、
おフレンチメイソンの百科全書派
(9姉妹)とのコネが太い。
ハンコック派は反英的な武力派で、 独立をゴリ押ししたのはこちらの 方だ。
”
↓お世話になっている世界史の窓より。
啓蒙思想 - 世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh1003-031.html
”18世紀の西ヨーロッパ(特にフランス)で興った、キリスト教的世界観や封建的思想を批判し、人間性の解放を目ざす思想。その影響を受けて啓蒙専制君主も現れたが、絶対王政の市民革命にもつながった。
18世紀フランスに興った、従来の封建社会の中でのキリスト教的世界観に対して、合理的な世界観を説き、人間性の解放を目指した思想。その世紀末のフランス革命を思想面で準備しただけでなく、「王権神授説」などにかわる新しい支配体制を模索した絶対主義諸国の君主の政治思想にも影響を与えた。
啓蒙の意味
「啓蒙」とは、「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。18世紀フランスに起こった啓蒙思想での「無知」とは、封建社会の中で教会的な世界観の中に閉じこめられていた人々のことを言い、彼らに対して「人間」や「社会」、あるいは「世界」や「自然」の真実を教え、無知から解放することが「啓蒙」であった。その啓蒙思想は当時のフランスのブルボン朝ルイ15世の絶対王政と、そのもとでのアンシャンレジーム社会に対する攻撃という毒を含むこととなった。
「啓蒙とは何か」 カントは『啓蒙とは何か』(1784)で次のように定義している。
(引用)啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことが出来ないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて(サペーレ・アウデ)」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。<カント/木田元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か』2006 光文社古典新訳文庫 p.10>
カントに言わせれば、「指示待ち人間」は「未成年状態にある」ということですね。サペーレ・アウデ!
啓蒙思想の前提
17世紀は科学革命の時代と言われ、イギリスのニュートンやベーコンによって切り開かれた自然探求とロックの政治思想で展開された経験論と、
デカルトやスピノザなど大陸で始まった人間主体の思想である合理論によって、神を絶対視した世界観は動揺し、自然科学が著しく発展した。その影響を受け、人間や社会、国家のあり方を根底から見直す動きとして現れたのが啓蒙思想であった。17世紀の「科学の時代」に対して、18世紀は「啓蒙の時代」と言われている。
主な啓蒙思想家
特にその先駆的な動きをもたらしたのが、フランス啓蒙思想であった。
モンテスキューの三権分立論などの国家論、
ヴォルテールの宗教的寛容論、
ルソーの社会契約説などが代表的な啓蒙思想である。それらの新しい思想を集大成したものがディドロとダランベールが中心となって編纂した『百科全書』であった。フランスの多くの啓蒙思想家がその執筆にあたったので彼らを百科全書派ともいう。また、ケネーは『経済表』を著して重農主義を主張し、
イギリスではアダム=スミスが『諸国民の富』を著して重商主義を批判し、産業革命による資本主義経済への移行を理論付け、古典派経済学の理論を打ち立てた。
…
啓蒙思想は、近代社会誕生の「産婆」役を担っていた。ルソーやディドロの思想はやがてフランス革命を生み出すことになる。同時に絶対王政を維持したい君主たちも、「上からの改革」の必要を察知し、啓蒙思想に学びながら支配を合理化するという「啓蒙専制君主」が現れた。プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、オーストリアのヨーゼフ2世などがその典型であった。
…
現代の日本のイギリス史家近藤和彦は、18世紀のキーワードとして「重商主義・啓蒙・公共圏」をとりあげ、その中の「啓蒙」について、次のようにまとめている。
(引用)啓蒙は、古代とイスラームの遺産を受けついだルネサンスいらいの合理主義・科学が成熟点をむかえた17世紀末~18世紀に、ヨーロッパの知の基調をなした。これは西欧文明が、近世に新しく拡大した世界のすべてを理解しなおそうというと欲した渾身の自己了解の試みであり、古代以来の知を組みかえ、展開すべき先端哲学であり、総合科学である。理性に照らしあわせてみずからの非合理なものを敗走とした実学であり、歴史や伝統、そして信仰を相対化する普遍主義であり、知と理性を信じ、現在の文明に自負をもち、未来を楽観する進歩思想であった。これは基本的に世俗合理主義であり、キリスト教の枠内にとどまる場合は理神論にかたむいた。<近藤和彦『文明の表象 英国』1998 山川出版社 p.127~128>
さらに近藤氏は、啓蒙を考える場合のポイントとして次の三点をあげ、具体的に説明している。
世界市民的(コスモポリタン)ひろがり
国際的な都会人と情報のネットワーク。ヴォルテールはイギリスやプロイセンに滞在し、ディドロはペテルブルクに旅行し、ヒュームはパリの大使館に勤務、アダム=スミスがルソー、ケネーらと文通していたころ、
ギボンはローザンヌとイギリスを往復し、ネッケル夫人と恋愛し、ローマの廃墟で『ローマ帝国衰亡史』を着装した。このような知的エリートだけでなく、ユグノーやフリーメイスン、そして普通の商人が全ヨーロッパ的・環大西洋的に活動した。芸術ではドイツのレッシングが熱心にイギリス文学を紹介し、
ヴィヴァルディの楽譜がアムステルダムで刊行され、バッハがそれを研究した。
モーツァルトはザルツブルクに生まれ、マンハイム、ミュンヘン、パリ、ロンドン、アムステルダム、イタリアの諸都市をまわり、ウィーンで死んだ。フランクリンやトーマス=ペインのようにヨーロッパとアメリカの英領植民地の双方で活躍した。
実学としての性格 文芸的であると同時に政治的出版、世論/公論の発達と表裏一体であった。アンシャンレジームのもとにあったヴォルテール、モンテスキュー、ルソーはイギリスの立憲政治や中国の文物を表象として捉え、宗教や諸制度の非合理を批判した。『人生論』のヒューム、『モラル感情論』のアダム=スミス、『経済表』のケネーも文通、相互批判をしながら社会と経済を分析した。スミスの『諸国民の富』と同じ1776年に刊行された『統治論断片』でベンサムは「最大多数の最大幸福」を論じ、その著作はフランス語にも翻訳され、全ヨーロッパに普及した。
先端総合科学としての博物学 新しく獲得された非ヨーロッパのめずらしい文物を知り、理解するための調査・学問が発達した。スウェーデン人リンネは生物の分類を確立し、同じくスウェーデン人博物学者兼宗教学者スウェーデンボルクは西欧を遍歴し、ロンドンで死んだ。イギリスのクック、フランスのブーガンヴィルの太平洋・オセアニア探検には博物学者や画家が同行した。ビュフォンの『博物学』も18世紀的知識の普及に大きな役割を果たした。博物館・植物園が造られたのもこの時期であり、大英博物館は1753年に発足し、王立植物園は1759年に設立された。ウィーン、ペテルブルク、パリにも博物館・美術館が開設された。
百科事典の編纂 こうした啓蒙の三つの側面の集大成として生まれたのが百科事典の編纂である。最初に1728年にはロンドンで、E=チェインバースの『百科事典』が刊行され、フランスではディドロ、ダランベールらによる『百科全書―科学・芸術・職業の理論的な事典』が1751年から刊行が開始された。『ブリタニカ百科事典』は1768年から刊行が始まり、その改訂は今に続いている。
宗教と世俗化 啓蒙は一般的に世俗化を意味した。フランスではアンシャンレジーム期に教会・戒律離れが進み、イギリスでは名誉革命の寛容法とその後のホイッグ体制のもとで、国教会低教会派(非国教徒との妥協を図る派)とプロテスタント非国教徒の連携がなされた。それに対する国教会高教会派(非国教徒の排除を主張する派)はたびたび反発して騒擾を起こしている。<近藤和彦『文明の表象 英国』1998 山川出版社 p.128~133> ”
”急進的な社会改革思想を持ち、
徹底した自由と平等を唱え、
反キリスト教、
反王制を唱え、一種のアナーキズムを主張した。
そして、原始共産主義的な共和制国家の樹立を主張した。
…
この結社は創立当初においては、そんなに過激な結社だったわけではない。
また、初期においては政治的な色彩も薄かった。
創立時においては、学者の知的サークル的な色彩が強かったのである。
…
イルミナティの創立者のアダム・ヴァイスハウプトは1748年バイエルン王国のインゴルシュタッドで生まれた。
彼の父親のヨハン・ゲオルグ・ヴァイスハウプトは著名な法学者であり、インゴルシュタッド大学に、わざわざ呼ばれて教授となった。
…
インゴルシュタッド大学がイエズス会の強い支配下にあったがゆえに、アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会式の教育を余儀なくされた。
…
しかし、彼は
フランスの啓蒙主義や
百科全書派の書を読みふけるようになり、次第に
反イエズス会の思想に染まってゆく。
1773年のクレメンス15世によるイエズス会の解散命令は、一つの契機だった。インゴルシュタッド大学では、この事件は逆にイエズス会系の学者達を団結させ、彼らは非イエズス会の学者達に圧力を加えるようになった。
そのため、 アダム・ヴァイスハウプトは一時期、大学での講義を禁止され、ミュンヘンに逃げるまでになる。
彼が自由主義の秘密結社の設立を決心した大きな原因が、このイエズス会による迫害にあったことは、間違いない。
…
初期のイルミナティの位階は単純で、新参入者、ミネルヴァル、ミネルヴァル天啓の3つしかなかった。
…。
参入者は団員の紹介が必要である。そして、「保証人」がつく。保証人は新参入者を観察し、彼が団の規則を守っているか、道徳的に正しい人間であるかを調べ、毎月それを書類にして団の上層部に提出する。また新参入者も、同様に自分の保証人について観察を行い、これを上層部に提出しなければならない。
要するに「相互監視制度」があった。これは実はイエズス会の真似であり、ヴァイスハウプトは反イエズス会を標榜しながら、その影響を強く受け続けていたのである。
新参入者からミネルヴァルに昇進するときは、イニシエーションが存在した。ここで彼は上層部の幹部から祝福を受け、「戦士名」を授かった。
そして、仲間の監視報告の他にも日記の提出が義務付けられた。
…
そして、下級団員達には、上層幹部のことは絶対に秘密であり、首領の「スパルタクス」の正体を知っているのは、一部の側近達だけだった。
彼らはしばしば集会を行い、
反イエズス会や啓蒙思想の本を回覧したり、情報交換を行った。
そして、
独自の暦を作り、これを用いていた。
…
彼はベルリンの大ロッジにスパイを送り込み、まんまとロッジの認可証を手にれるや、ミュンヘンのロッジを乗っ取る。
さらに、アドルフ・ファン・クニッゲ男爵の入団によって、イルミナティは大きく変貌する。
クニッゲは、もともと高位メーソンであり、フリーメーソンの知識や人脈を豊富に持っていた。そのうえ、思想は
啓蒙主義的であり、ヴァイスハウプトと意見があった。
…
クニッゲは、組織の位階制を13位階以上から構成されるメーソン風の複雑なものに変えた。これは1782年に正式に認可される。
さらに彼はメーソンの人脈を利用して、ドイツ各地の小ロッジを次々に乗っ取った。
…
さらに、この巨大化と共に、イルミナティは政治色を強めてゆく。それも
急進的な反王制、
反教会的な革命
を含んだ政治思想である。
…
原因は、イルミナティを巨大化させたクニッゲ男爵によるところが大きい。彼は貴族でありながら、
反王制・共和主義者であったのだ。
…
クニッゲは暴力革命には、はっきりと反対の立場を取っていた。
…
国家転覆を目指すようなことは考えない。我々はあらゆる暴力を否定する。暴力的な革命はろくな結果を生まない。我々はゆっくりと、政府の高官や支配階級に団員を送り込み、あるいは彼らを
教育して同志とし、ゆっくりと国家を改造する。
最終的には「国」は消滅し、戦争の無い、人民が一つの家族となる時代が来よう。
それには数千年かかるかもしれないが、それでも構わない。
さらに、クニッゲ男爵は、実はこの既存の国々を統一し、一つの国を作るという発想は、当時バラバラだったドイツを統一する程度のニュアンスしかなく、全人類レベルのような大それたことは考えていなかったらしい。
…
反イエズス会の態度は、教会をも敵にまわす事になる。
イルミナティの成長は早かったが、崩壊も早かった。
1777年にマクシミリアン3世が死去すると、イエズス会が勢いを盛り返した。
インゴルシュタッド大学でも大規模な反動が起こり、廃止されていた本の検閲と禁書制度が復活した。
この結果、イルミナティはパヴァリアからの撤退を余儀なくされ、本拠地をワイマールとウイーンに移す。文豪のゲーテ(戦士名はアバリス)が入団したのも、この頃である。
さらに、ライバル結社との抗争も激化する。フリーメーソンの反撃によってフランクフルト進出に失敗。
そして、ベルリンにおいては、かの
黄金薔薇十字団が最盛期を迎えており、彼らはドイツ皇帝を動かしてイルミナティに圧力を加えた。
そして、最悪なことに、この大事な時期に、イルミナティ内部で深刻な内部抗争が勃発した。
首領のヴァイスハウプトは、クニッゲ男爵の影響力が強くなりすぎたことに反発し、男爵から全ての権限を取り上げようとした。当然、男爵はこれに反発し、命令を拒否する。
そして、この両者の決別が、事実上のイルミナティの崩壊であった。1784年のことである。
クニッゲ男爵は退団し、その後はあらゆる秘密結社を否定する論者となったしまう。
とどめは1785年にさされる。まず、「政府の許可無く組織を作ることを禁止する」という禁令である。
…
ヴァイスハウプトはレーゲンスブルクに亡命し、イルミナティの弁護の著書を次々に出したが、無駄であった。この頃、彼は私生児を設け、これを堕胎させた。
これは結果的に赤ん坊殺しのスキャンダルに発展し、終いには「イルミナティでは赤子を生け贄にする黒ミサを行っている」というデマまで生まれた。
…
そして、狂信的な反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを撒き散らした。
(彼らの撒き散らしたデマを信じる人間が現在もなお居るのは、何ともやりきれない)
…
ヴァイスハウプトは、その後も、ほうぼうを亡命しなら著作活動続けたが、ドイツ中部のゴータ公領に逃げ込み、彼の支持者だったエルンスト公爵に庇護され、そこで余生を過ごした。1811年に彼は死去した。
彼は社会的な平等を唱え、
全ての人間は「王(神?)」になることができ、
そのためには自己の意志に忠実に生きなければならないとした
。なにか妙にクロウリーを思わせる思想である。
彼の理想は古代の家父長制度による原始共産主義的な社会であり、
封建君主や教会制度はそこに至るための過渡的なものと捕らえていた。
こうした制度を排し、
一般大衆に「啓明」を与え、先の原始的なユートピアを作ろうと考えた。
これは非暴力によって行われなければならないが、どうしようもないときは革命も仕方無いと考えていたふしも否定はできない。
とはいえ、ヴァイスハウプト自身は、政治活動にはあまり関心がなく、あくまでユートピア建設思想を育むために、
団員の徳の向上をはかることがイルミナティ創立の目的であった。
…
かのカリオストロ伯爵がローマで逮捕されたおり、苦し紛れにイルミナティなる国際的巨大な陰謀結社があり、自分はその命令通り動いていただけだ、というホラ話しをする。
…
そして、ドイツで壊滅状態に陥ったイルミナティの難民としてヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデなる男が、ミラボー伯の手引きでフランスに現れる。ミラボーは、彼をフランスのメーソンの顧問的指導者にしようとする。
当時フランスのフリーメーソンはオカルト色が強かった。ボーデはこれを排そうとする。
しかし、カバラの替わりに政治思想を、ヘルメスの大作業のかわりに暴力革命を持ち込もうとする彼らの思想ははなはだ不評であった。
それでも、一部の小ロッジの中には、彼らの影響を受ける者もいたが、やがてそこからはジャコバン党のような連中を生み出し、フランス大革命後の血なまぐさい大混乱のさなか、彼らは多くの人々をギロチンに送り、やがて自分等も自滅してしまうのである。
また、フランスの各地でも、イルミナティを名乗る結社がいくつか作られた。
しかし、言うまでも無く、これらの結社は、ヴァイスハウプトの正統なイルミナティとは何の関係も無い。勝手に「イルミナティ」の名を名乗っているだけだった。
結局、こうしたささやかな団も長続きはできずに消滅した。
しかし、「イルミナティ」の名前だけは生き残り、創立者のヴァイスハウプトの思想とはかけ離れた怪物化がなされ、今もなお一人歩きを続けているのである。 ”
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/iruminateli.htm
イルミナティ(パヴァリア啓明結社)の興亡
私が全記事読むように言ったサイトより。
ここから薔薇十字
クリストファ・マッキントッシュ『薔薇十字団』だけは読んでくれ、頼むから!
マッキントッシュのだぞ!
なんでもはしませんから!
読めない人は、
薔薇十字記事シリーズ
9.薔薇十字団運動とアンドレーエ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/barajuuji.htm
にある記事を全文嫁、婿!
この記事の典拠の一つが、ジョブズとウォズのあのPCではなく、人間が著した上記の本ね。
薔薇十字思想の
カトリックとプロテスタントを相互に越境できる理想の王国
実現のための活動の具体例ってエキュメニカル運動?
薔薇十字の起源は
「反カトリックのドイツのルター派プロテスタント牧師(しかも錬金術師=科学者)。
薔薇十字文書を作ったグループは、
チュービンゲンのルター派の学者達で、
キリスト教神秘主義と革命思想を持つ。」
反カトリック
神秘主義(異端寄り)
ルター派
錬金術=科学技術=既存のキリスト教視点では「悪魔崇拝」。
ドイツ語
しかも薔薇十字の起源の本が出たのが、ヘッセン・カッセル(笑)
カトリック系の薔薇十字団は本流ではないことに注意!
表向きカトリックでも中身がカトリックか怪しい団体も存在することに注意!
(イスラームでは科学研究は悪魔崇拝ではないので科学が発達!以下長くなるので割愛)
(薔薇十字正統会員ってのはこの人ね。どう見ても裏社会の人)
イルミナティは存在しませんw グノーシスの要素はメーソンにも強烈に有るのですが、メーソンの9割はそれに気づきません。というよりグノーシスが前面に出てるのは寧ろ薔薇十字団でしょうね。わたしも薔薇十字団ですけどぉぉぉぉw
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年9月16日
わたしは他に魔女の正式称号を持つ魔女結社のイニシエートでもあるのですが、薔薇十字団は階級などを公表できません。申し訳ないです。メーソンものならスコティッシュライトの儀典仲介集も古本屋で二束三文で売ってますから探して見ては?で、イルミナティは残念ながらないですよ。完全にデッチアゲw
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年9月16日
(メンバーだと自分で公表するのはOKらしい。
薔薇十字ってたくさんあるからどこかわからない)
管直人は統一教会人脈です。薔薇十字にもメーソンにも縁もゆかりもないですよん。アベも同じく全く関係ない。統一教会人脈でしかありません。ニッポンの宗教で薔薇十字・メーソン関係なのは大本教の流れがそっち系のカルト化して派生した部分みたいですがね。あ、池田犬作は入れてもらえなかった組w
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年8月22日
というよりはフランスでグランドロッジが形成されて英国で廃れたスコティッシュライトを復活させた背景に、既にグノーシス派の影響が見られますね。元々フランスを始めとする大陸系薔薇十字団に温存されていたものが流入して息を吹き返したのではないでしょうか。
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年7月29日
あとはシュタイナーでも読んでください。でもシュタイナーは薔薇十字団員であり、かつフリーメーソンのグランドマスターも兼任してましたけど、著作では自分独自の思想を展開してるので、既に薔薇十字団の伝統の痕跡しか見出せないでしょうけどね。
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年7月27日
(複数の結社に入っている)
で、薔薇十字団は正式イニシエートなので、内部の秘密は一切書けません。ご了承くださいまし。
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年7月27日
わたしは米国2系統と、ドイツとフランスの薔薇十字団からスカウト来たよ。英国の王立薔薇十字協会は、日本の天皇家が代々関わって来てて名誉騎士の称号とかを貰ってるみたいですね。英国には他にも庶民的な薔薇十字団もありカルチャークラブのボーイ・ジョージなどが有名。彼は創価学会との掛け持ち。
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2016年11月16日
おまえ。イルミナティだろwww。いや冗談です。でも憲法は自由貿易協定発効によって改正せざるを得なくなるんだよ。それ隠すために「憲法さえ変えなきゃ大丈夫」と
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年9月22日
のデマを流すのは正に「イルミナティ的」謀略ではないの?大体あんたの主張はCIA→KCIAラインの政治ゴロと全く同じだしな。 https://t.co/hpDmQ1Wqm4
(えいこって元スピ信者といっているけど、スピカルトの悪いところが抜けてない人ね。
この↓丸に十字一覧を作ってくれたことには感謝しているけど、他はお花畑から抜け切れていない印象。元信者だからって思想が信者でなくなっているとは限らない好例。
グノーシスでは物質=肉体=悪。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2016年11月13日
自己救済による神との合一=正統派キリスト教の否定←最重要
∴新?系異端派と仲良し
概説↓https://t.co/oYyZgxsd6H
丸に十字 @kitsuchitsuchiでツイッター検索結果↓https://t.co/2p44P4wkdm pic.twitter.com/UhT7qtIQVH
)
因みにオカルト系団体では、わたしが関与した4系統の薔薇十字団のうち、フランス系は肉体オルグで接近してきた。学生時代のバイト先であった某国大使館(アフリカの小国・フランス語圏)の職員たちからであった。イスラム教の国にしては珍しく大使館の中は同性愛で溢れていた。
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2016年12月11日
(大使館が薔薇十字、というか文字通りバラorユリ。
大使がスパイなのは割とある)
そのときは既に大学教員のフランス系薔薇十字団員と知り合ってましたから、話はとんとん拍子で進みました。中学生時代からグルジェフのファンだったと言うとびっくりされましたがね。
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年7月27日
いや、わたしは一介のジャーナリストでしたがね。既にフランス系薔薇十字団員ではあったが、ま、色んな複雑な要因が重なってそうおう運命のめぐり合わせが訪れてしまっただけです。
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年8月7日
(フランス系薔薇十字結社には少なくも属しているらしい。
ツイートを見ればわかるけど、この人は右目側。
統一教会とKCIAとCIA系を叩くの目立つから右目側。)
メーソンが英国に流入すると、聖公会の影響でグノーシス主義っぽさを掃討してしまったので、それを嫌う分派が独立して大量発生しました。なので英国経由で大陸に逆輸入されたメーソンの流れが再びグノーシスの流れと接触したという方が当たりかな?
— 暇な女子大小路 (@Punkcri2016) 2017年7月29日
これです。1992年にチェルノブイリの少年たちの講談社 pic.twitter.com/FaYEwGI1W9
— suns (@chappychanyo55) 2017年9月24日
薔薇十字団はフリーメイソンが使う神秘的な紋章に魅了され、いつの間にか結びついていたそうだ。フリーメイソンのテンプル起源説をもとに「黄金薔薇十字団」が結成されていったことで、薔薇十字団=フリーメイソンが定着していったそうだ。https://t.co/STgBHiQVfC
— denjihahigai (@denjihahigai) 2017年8月18日
こちらの2人はイエズス会の学校で教育を受けていたが、薔薇十字団に対する見解が微妙に異なる。
— denjihahigai (@denjihahigai) 2017年8月18日
薔薇十字団を批判していたマラン・メルセンヌhttps://t.co/1I8bGeVICm
薔薇十字団と同じ研究をしていたルネ・デカルトhttps://t.co/KdV7GcIkI6
薔薇十字の3冊の本で気になるのが「友愛」を強調していること。出版された時期が30年戦争の直前であること。チェコ(ボヘミア)のフス派が同じく神秘主義だったこと。薔薇十字の紋章がオクシタニア十字に似ていること。チェコ同胞団(ムスリム同胞団のようなもの)があったこと。
— denjihahigai (@denjihahigai) 2017年8月20日
この人物も有名だそうです。
— denjihahigai (@denjihahigai) 2017年8月25日
Francis Bacon https://t.co/m3AjveG1e6
このように、私は薔薇十字3文書の出版、及び、プロテスタントの一派に #イエズス会 が関わっていたと考えていますが、オカルト哲学そのものはイエズス会の発明ではないですし、イエズス会のスパイではなく本気で彼らと対立していた人々(プロテスタント、フリーメイソン)がいたと思います。
— denjihahigai (@denjihahigai) 2017年8月25日
読書メモ
原著の( )および注記的事項は【】。
訳者の補記は[ ]
黒星★=原注
=作者マッキントッシュがつけた注釈。
白星☆=訳注
=翻訳者の吉村がつけた注釈。
・序文 コリン・ウィルソン
始まりは、
1614年に「ファーマ」が出版されたこと。
その趣旨は、106まで生き、その遺体が120年のあいだ不思議な墓に注意深く隠された、
神秘家=魔術師クリスティアン・ローゼンクロイツの生涯を記述することにあった。
(ラテン語のつづり見ると一目瞭然だが、
薔薇十字友愛団はフラタニティだ。
『友愛団の名声、賞賛すべき薔薇十字団』
Fama Fraternitatis以下略
数字を覚えておきましょう。
『クジラの子らは砂上に歌う』に
ビャクロク様という最長老がいるんだけど106ってクリスチャン・ローゼンクロイツが106歳まで生きたという伝説が元ネタ?
と思って調べると
白緑(びゃくろく)とは、白身を帯びた淡い緑色と出るのでよくわからない。
本作はギリシャ語が用語に使われているのが特徴。
キャラ名が色の名前だからローゼンクロイツとは無関係だろうけど。
薔薇十字はラテン語とドイツ語)
本書の著者はFamaをdeclaration(宣言)と訳しているが、
コリンのラテン語辞典では、
ファーマは「通常の話、報告、噂、格言、伝承」
と定義しているので、
ファーマは神話や伝説と訳したとしても不適切とはいえない。
この小冊子ファーマは関心あるすべての人に薔薇十字友愛団に加入するようすすめる。
この小冊子の全文翻訳はイェイツ『薔薇十字の啓蒙運動』にある。
(日本語訳ではフランセス・イエイツ, 山下 知夫の薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史
の巻末に、名声と告白のテキストがある。
両者の抄訳なら象徴哲学大系 3 (3) カバラと薔薇十字団 | マンリー P.ホール, 大沼 忠弘にある。
新版はカバラと薔薇十字団 【新版】 (象徴哲学大系) | マンリー・P. ホール, Manly P。
化学の結婚――付・薔薇十字基本文書〈普及版〉 | ヨーハン・V.アンドレーエ
には、薔薇十字四大文書を原典から完全翻訳ものがあるらしい。
化学の結婚の抄訳なら、
象徴哲学大系4(4) 錬金術 | マンリー P.ホール, 大沼 忠弘にある。
おまけ かぶっていても気にしない。
フランセス・イエイツの『薔薇十字運動の覚醒』(原著1972・翻訳1986工作舎)。
種村季弘の『薔薇十字の魔法』(1975出帆社)。
ルドルフ・シュタイナーに『薔薇十字会の神智学』(平河出版社)。
マンリー・P・ホール『カバラと薔薇十字団』(人文書院)。
ロラン・エディゴフェルの『薔薇十字団』(白水社・クセジュ文庫)
「薔薇十字団」 ロラン・エディゴフェル 白水社
「化学の結婚」 ヨハン・アンドレーエ 紀伊国屋書店
「グノーシス 陰の精神史」 大貫降他編 岩波書店
「キリスト教神秘主義著作集16 近代の自然神秘主義思想」 教文社)
薔薇十字友愛団に加入するように勧めていて、
口頭あるいは著作で自分たちの関心を公表するだけでいい、
そうすれば薔薇十字友愛団がそれを知り、接触するであろうと述べている。
マッキントッシュ氏が語っているように、さらに二つの小冊子が続き、多くの人がそれに応答し、
薔薇十字友愛団に加入する意志を強く表明した。
われわれの知る限り、薔薇十字友愛団から返答を得たものはいない。
しかし薔薇十字団への考えそのものは驚くほどの興奮を引き起こすことになった。
それは「再臨」の預言のようなものであった。
マッキントッシュ氏は、
最初の二つの小冊子がおそらくテュービンゲンの理想主義的な哲学者グループによる共同作業であったと示唆している。
そのグループの一員のヨーハン・ヴァレンティン・アンドレーエの小説(ノヴェル)であり、
1616年に第三の薔薇十字文書として出版される『化学の結婚』によって触発されたものというのである。
返答する意志がないのであれば、なぜ彼らは志願者と新会員を募ったのか。
理想主義なら運動全体の最終目的は何であったのか。
それに答える主要な鍵は、
1634年すなわちアンドレーエが48歳の時に作成された遺書にあると私(ウィルソン)は信じる。
遺書は、
「私はいま友愛団を去るが、真のキリスト教的友愛団を去るのではない。
それは、十字架の下で薔薇の香りをただよわせ、
この世紀の汚れとはまったく無縁である。」
クリスティアン・ローゼンクロイツの思想がグノーシス主義者の思想にもとづいていることは明らかである。
(薔薇十字団初代はそう名乗っていたは知らないけど、実在は明白じゃん。
一部だけど作者までばれているし。
予言あるいは預言という計画表をあらかじめ広めて、
それに賛同した人々を動かす大規模魔術が初代薔薇十字では?
薔薇十字思想はグノーシスの影響も強い。
薔薇十字文書は当時の新聖書であり、
イエスの後継者が「クリスチャン」・ローゼンクロイツであり、
新キリスト教であった。
『化学の結婚』は、1616年に刊行されたのが、出した年度も数秘術が込められているのかな。
1+6=7 が二つか?
)
イェイツが属した魔術教団の神智学協会と黄金の夜明け教団はともに、
アンドレーエ牧師の例にならって、神話を現実のものとして宣伝することにより創設された。
(初代組織あるいはその原型→彼らが神話を宣伝→初代が創った神話をもとに分派形成。
本書は完全教祖マニュアル要素もある)
ブラヴァッキー夫人はチベットの秘密の導師と交流を持っていると主張。
黄金の夜明け教団をめぐる伝説では、
1885年にウッドフォード牧師がファリンドン・ロードの古本屋で本を漁っているとき、
暗号で書かれた写本を見つけたという。
彼の友人で会ったウェストコット博士は、その暗号文書が十五世紀の錬金術師トリテミウスの創案したものと確認した。
そこには新参入者を秘密結社に加入させる五種類の魔術儀礼が含まれていた。
写本にはまた一通の手紙が入っており、
儀礼に関心のある人はシュトゥットガルトのフロイライン・シュプレンゲルなる人物を接触するように勧めていた。
ウェストコットに黄金の夜明け教団の創設許可を与えたのは、
ドイツの魔術結社の代表者とされたこのフロイライン・シュプレンゲルである。
(フロイラインだから女性。女性なのは知恵を授ける女神だからだろう)
暗号文書そのものは【ファリンドン・ロードの古本屋で発見されるということはなかったにしても】
実際に存在していたのだろう。
シュプレンゲルという女性も、彼女の手紙も存在しなかったことは確実。
しかしその伝説は目的を果たし、
黄金の夜明け教団は十九世紀後半においてもっとも強い光を放つ魔術教団に発展。
クリスティアン・ローゼンクロイツ伝説は黄金の夜明けの魔術でも中心的な役割を果たす。
(題名と目次あるいは概要しか判明していない稀覯本。
箱とラベルと解説書はあるが、中身はない。
棺桶と「誰」の死体かのラベルと遺書はあるが、死体はない。
中身も死体も後で創られる。
器を作れば、中身は構想だけでもやがて実物として満たされる)
ヘラクレイトスは宇宙が生ける有機体のように死んで種子を残し、
新しい宇宙がその種子からふたたび生まれると信じていた。
コスモスにおけるすべてのものは、一種の火である基本原質から生まれ、循環しながら動いていく。
序文終わり
ここからマッキントッシュの本文。
(マッキントッシュあるいは翻訳者の注釈が入ることあり)
・p.23から
薔薇十字団という言葉が使用される半世紀前に、
十六世紀のプロヴァンスの占星術師・預言者ノストラダムスは次のように書いている。
死・金・名誉・富を軽蔑する
新しい哲学者の学派が興る。
彼らはドイツの山の近くに現れ、
多くの支持者と信奉者を獲得する。
1555年頃に書かれたこの四行詩において、
ノストラダムスはその後の信奉者たちが描く薔薇十字友愛団について驚くほど正確な預言をしているように思われる。
(ノストラダムス結社員疑惑。
予言ではなく預言と訳しているが、
訳者はさすがに違いは知っているだろうから訳文のまま。
そもそも英語では区別がない)
p.42
ヘルメス文書の中で最もよく知られているのは『ポイマンドレス』であり
その作者は瞑想中にポイマンドレスすなわち最高存在のヌース【精神、叡知】と
どのように語りあったかを記している。
ポイマンドレスは彼に、
基本的にはグノーシス主義の教義を教えるのである。
人間は神に由来するが、
神的知性の子であるデミウルゴスによって創造された物質界に転落した。
その死後、グノーシスを得た人は天球を上昇していって、
神性と再結合する。
ヘルメス文書が物質への軽蔑を教えているというのは誤解を生みやすい。
極端なグノーシス主義と違って、
ヘルメス主義は物質を創造の必要部分と考えているようである。
霊が物質を超えて上昇するためには
物質を理解し征服しなくてはならない。
従って、ヘルメス文書のこうした部分は錬金術の基礎となるものである。
(物質=悪がなく
かつ
神との一致を説くならグノーシス主義ではなく
よくある神秘主義。
神性と再結合もバラモン教の梵我一如由来だろう
)
錬金術はしばしば「ヘルメスの術」と呼ばれる。
このヘルメス主義的錬金術には病気の治療法に関する理論が含まれていた。
病気の治療は本来の薔薇十字友愛団の主たる活動の一つとみられていたので、
ヘルメス主義的生理学と医学の構成要素について少し考えてみるのも有益だろう。
第二章
p.51
1190年代に書かれたヴォルフラム・フォン・エッシェンバハの
偉大なアーサー王を主題とする詩『パルツィファル』を読めば
四百年以上も後に現れる薔薇十字団の宣言文書の話と
驚くほどよく似た多くの特徴を見出すことができる。
その作品の中では
聖杯(グラール)を守る騎士団がムンサルヴェーシェ城に住んでいる。
城の所在は明らかにされない。
この聖杯友愛団では人類に奉仕する男女の訓練が行われている。
男性は人に知られることなく
そして女性は公然と出ていく。
騎士たちは独身を義務づけられているが
聖杯の王は神の選んだ女性と結婚することができる。
ヴォルフラムによると
騎士たちの守る聖杯は
天子の一群が地上に残した「石」であるとされ
その驚くべき効力の中には病気の治癒と若返りの能力が含まれる。
(この聖杯=石も隕石か隕石の加工物かも。
ベチルやスクーン石やヤコブの石(柱)と同じものだろう。
近づいたり触ると体調が良くなる石は実在するから
超強力なヒーリング効果をもつ石がモデルだろう。
)
独身を守る騎士、秘密の住処、
姿を見る事ができない男性の密使などで構成される利他的で
理想主義的な友愛団は
『名声』と『告白』に記された薔薇十字友愛団と明確に対応している。
聖杯が石であるとする点も
『化学の結婚』の次の記述を想い起こさせる。
「そのとき乙女は、
われわれが『黄金の石の騎士』であると告げた」。
『パルツィファルと『化学の結婚』は、
双方に占星術への言及が多くみられる点でも類似している、
ヴォルフラムにより聖杯伝説の本来の作者とされるフレゲタニスは
「彼が語ることを差し控えたこと、
すなわち隠された神秘を、
自分の眼で星座に見た。
彼は『聖杯』という名前を星座の中にはっきり読んだと述べている」。
『化学の結婚』にも惑星と黄道十二宮への言及が多く見られる。
君主あるいは指導者が指導者が死ぬことなく眠った状態で
いつの日か目覚めるという趣向は
おなじみのものである。
アーサー王ばかりでなくシャルルマーニュ【カール大帝】や
フリードリヒ・バルバロッサのような歴史的人物にも適用される。
薔薇十字団の伝説では目覚めるのは友愛団である、
創設者は表面的には死んでいるが、
崩れ去ることのないまま、
信奉者たちにとって不滅性の象徴として存続する。
p.60
十二世紀のイタリアの修道院長であり神秘家であったフィオーレのヨアキム
【1145年頃 - 1202年】は
ノーマン・コーンが
「マルクス主義が登場するまでヨーロッパで最も影響力がある」と述べた預言体系を作りあげた。
長いあいだ聖書の言葉について瞑想した後、
ヨアキムは聖書にある預言的な信託を伝える啓示を受け取った。
ヨアキムの解釈によると歴史とは
三位一体のそれぞれの位格が主宰する三つの時代の連続である。
まず、律法の支配する父の時代、
次に福音と信仰を強調する子の時代、
最後に聖霊の時代が到来する。
聖霊の時代は愛・喜び・自由の時代であり
神の知識はすべての人々の心に直接明らかにされる。
この考えはヨアキムの死後何世紀にもわたって受け継がれていった。
ヨアキムによると
一世代を三十年として
それぞれの時代が四十二世代続くとされた。
第二の時代がキリストとともに始まるので、
第三の時代が始まるのは1260年となる。
そして新しい時代の到来のために道を整える必要があるのだが
その役割を果たすのが修道士たちの新しい教団である。
彼らは世界に福音を広め、彼らの一人が最高の導師となって、
眼をこの世的なものではなく霊的なものに向けるように人々に説くことになる。
しかし第三の時代が最終的に到来する前の三年半の間、
アンチキリストの支配する掃蕩の時代が訪れる。
彼は世俗の王として堕落したこの世的な教会を滅ぼし
真の教会を建てる準備をしておく。
しかしやがてこのアンチキリストも滅ぼされて
霊の時代が始まる。
17世紀の初頭には多くの人々がアンチキリストの時代が近いと預言していた。
p.64から
『名声』は
1604年をクリスティアン・ローゼンクロイツの墓の開かれた年としている。
明らかなことは、新教団がやがて到来する第三の時代を準備するというヨアキムの
考えが、『名声』の作者あるいは作者たちの心の中にあったということである。
薔薇十字団の問題に関連して最も預言的な著作家は
ジーモン・シュトゥディオンである。
自らオカルト学の奨励者であったヴュルテンベルク公フリードリヒの保護を受けていたが
正統から外れた彼の見解は多くの敵を作り
その敵たちがフリードリヒの寵愛から彼を引き離そうとした。
シュトゥディオンの最も重要な著作『ナオメトリア』は出版されることはなかったが、
写本として広く流布していた。
ナオスというギリシア語は神殿を意味しており、
書物のタイトルは神殿の尺度を意味する。
シュトゥディオンはヨアキムの強い影響を受けている。
『ナオメトリア』の年紀が1604年とされていることは重要である。
それはクリスティアン・ローゼンクロイツの墓が開かれたと想定される年であるばかりでなく
占星術的にも意義深い年であった。
その年には蛇座と白鳥座に二つの新星が現れたのである。
新星が現われたとき、木星と土星は第九宮において合の位置にあった。
木星は吉星、
土星は凶星と考えられていたので
いずれが優位にあるかという問題に関する推測がいろいろとなされた。
しかし一致した意見は、優位の惑星は木星であるというものであった。
第九宮は木星の宮であり木星は新星が観察された時点で上昇の位置にあったからである。
二つの惑星はまた、他の惑星との関係において好ましい位置にあった。
土星の位置が好ましいと
思慮深く真面目な人間が生まれる。
そのため木星と土星の合は
賢く正しく公正な預言者あるいは預言者たちの登場を約束するものであった。
さらにこのような星の位置は、
天地創造の際の星の位置に対応していると信じられた。
伝承によると太陽は創造の第四日に初めて現れたが
そのとき白羊宮は上昇の位置にあった。
このことから判断すると人馬宮は第九宮にあったに違いない。
従って1604年に新星が現れたときの黄道十二宮の配置は
世界の開始の際の配置と同じであり
1604年が偉大な新時代が始まる年ということになる。
薔薇十字団の文脈ではこの新しい始まりは
クリスティアン・ローゼンクロイツの墓を開けることと
薔薇十字宣言文書の公刊を意味した。
(占星術的に重要な年だから1604年が選ばれたのだろう。
また予言ではなく預言か。
でも自分の言うことは当たると思っているなら預言でもいいのか?
自分が新たな預言者になるってこと?
イスラームと違い、この人が最後の預言者宣言はないはずだからいいのか?)
薔薇十字団が独立した存在なのか、
あるいは降霊術師のような誰かが呼び出したものにすぎないのかもはっきりしなかった。
薔薇十字団を呼び出した降霊術師である可能性が最も高いのは
アンドレーエ【1586-1654年】というテュービンゲンの学識あるプロテスタント牧師であり
自伝において『化学の結婚』の著者であることを認めている。
おそらく『名声』の著者あるいは共著者でもあった。
p.78から
宣言文書の言語は多くの点で『ナオメトリア』の言語を反映している。
例えば『告白』の第五章には
教皇は
「爪によってばらばらに引き裂かれ、
彼の驢馬のような叫び声は唸る獅子の新しい声によって消え去る」とされる。
第十章では
「しかし、鷲の羽がわれわれの行く手を遮り、
われわれの邪魔をするということを述べておかなくてはならない」と記される。
獅子と鷲への記述はジーモン・シュトゥディオン(『ナオメトリア』の著者)の
「神秘的なイェルサレムと太陽の都、すなわち神の神殿」という図であろう。
ジーモン・シュトゥディオンは
1620年を鷲の統治の終わる年であり
獅子の統治の始まる年と理解していたのである。
(薔薇十字最重要文書の『告白』は完全に教皇の否定。
教皇が爪によってばらばらに引き裂かれるって生贄みたいだ
)
第五章 薔薇十字団の展開
p.97から
ヘルメス主義の伝統はイギリスでは比較的小さなサークルにおいてよく知られていた。
ジョン・ディーはその指導的な人物であり
薔薇十字運動にはディーの思想の影響が及んでいるのかもしれない。
薔薇十字団と関連するもう一人のイギリス人は
哲学者にして政治家であったフランシス・ベイコン【1561 - 1626年】であった。
ベイコンの死後に出版された『ニュー・アトランティス』に見られる薔薇十字的要素。
この本でこれまで知られていなかった土地で船乗りが発見したユートピア社会を描いている。
船乗りは
「翼を広げずに下に垂れさせた天使ケルビムと、
そのそばに十字架を描いた印章を押した」巻物を見せられる。
それは『名声』の末尾において
「ヤハウェの翼の陰のもとに」という標語とともに現れる封印に似ている。
彼らはまた
「上部に赤い小さな十字架のついた」白いターバンを巻いた役人の訪問を受ける。
彼らはニュー・アトランティス島の人々が外部世界に関する知識に詳しいことに驚く。
それに対して、
定期的に旅行者がニュー・アトランティス島から送り出され訪問した土地の住民が
気がつかないようにして交わっているという説明を受ける。
これもまた『名声』を想わせる部分である。
フランシス・イェイツが
『薔薇十字の啓蒙運動』のベイコンに関する章で指摘しているように
ベイコンが『名声』と『告白』を知っていてそれを利用したということは
こうした類似点から明らかである。
(当時の知識人で薔薇十字団思想の影響を受けていない人はいないのでは?)
・p.103から
フラッドはフリーメイソンであったかもしれない。
コールマン・ストリートにあった彼のロンドンの邸宅の近くに「メイソンズ・ホール」
があったことが記録されている。
ウェイトは薔薇十字団的な気質をメイソンに導入したのはフラッドではないかという問題を提起している。
われわれはその点についてはなんの証拠も持っておらず、
フリーメイソンと薔薇十字団が接触するようになった時期を確定するのは困難である。
しかし、両者を結ぶ最初の言及が1638年になされていることは意味がある。
それはフラッドの亡くなった翌年のことである。
ヘンリー・アダムスンの『詩女神の嘆きの歌』に、次のような詩行がある。
われわれに予知能力があるというのは誇張ではない。
われわれは薔薇十字団員であるからだ。
われわれはメイソンの言葉と第二の視覚を持つ。
来るべきことをわれわれは正しく預言する。
薔薇十字団とフリーメイソンを結ぶもう一人の人物は、
アンドレーエの弟子でありボヘミアの亡命者であったヨハネス・コメニウスである。
コメニウスは、アンドレーエが『クリスティアノポリス』で描いたような啓蒙化されたユートピアを夢見ていた。
そこでは科学と宗教がともに栄え、いかなる信条の人もいかなる人種の人も等しく尊敬される。
コメニウスは1641年以降にしばらくイギリスに滞在したことがある。
フリーメイソン史家の研究にもかかわらず、
十六世紀末から十七世紀初頭にかけて起きたと思われる
実践的フリーメイソンから思弁的フリーメイソンへの変化とその理由については、
はっきりしたことは何一つわかっていないのが実状である。
しかし、最も初期の思弁的メイソンとして知られている
ロバート・マリ卿【1600頃 - 75年】と、
イライアス・アシュモールがともに薔薇十字思想に深い関心を持っていたことは分かっている。
(ニュートンの愛読書がメイソンのアシュモールの本。
『薔薇十字の覚醒』を読む⑪
http://telhewga.blog25.fc2.com/blog-entry-84.html
”第14章 薔薇十字的錬金術へのアプローチ~アシュモールとニュートン~
エリアス・アシュモール(1617~1692年)
エリアス・アシュモールにとってディーは、あくまで崇められるべき魔術師(マグス)であり、
彼はその著作を蒐集し、その錬金術や魔術の教えを実行に移そうと努めていた。
創立メンバーの一員としてアシュモールが英国学士院に存在していた事実は、
「薔薇十字主義」――かりにそれがディーの影響と同じだとすれば――が、たとえ一会員の個人的興味にすぎないにせよ、学士院内部にいまだ席を占めていたことの重要な裏づけとなる。
フランセス・イエイツ著『薔薇十字の覚醒』山下和夫訳 工作舎
アシュモールは1652年に『英国の化学の劇場』を出版した。
それはイギリスの錬金術文書の選集であったが、薔薇十字団やミハエル・マイヤーについても論及している。また、この書の中でディーを善良な魔術師として弁護している。
アシュモールの錬金術再生運動はロバート・ボイルやアイザック・ニュートンに多大な影響を与えた。
アシュモールはまた古物研究科であり、
1672年に『ガーター勲章の歴史』を出版している。
ガーター勲章といえば、
ファルツ選帝侯フリードリヒ五世はイギリスのエリザベス王女との結婚に際しガーター勲章を贈られていた。
不幸なことにプラハ陥落の際にそれは敵の手に落ちてしまったわけであるが。
1690年、フリードリヒとエリザベスの孫であるファルツ選帝侯カールがイギリスを旅行した際、彼はアシュモールと会見し、ガーター勲章について大いに議論の花を咲かせたという。
アイザック・ニュートン(1642~1724年)
万有引力の法則などで知られるニュートンは、実は錬金術や神学についても膨大な研究を残していた。彼にとって、いや当時の錬金術師にとっては、
科学、神学、錬金術は一体であった。というのは、この世界とは神によって作られたものであり、神の意思の現れであるからである。自然とは神の書かれざる聖書であり、自然を研究することと聖書を研究することは同義なのだ。
ニュートンはアシュモールやマイヤーを愛読しており、薔薇十字の『名声』、『告白』も読んでいた。”
)
われわれはまた、ドイツで薔薇十字団が登場したのとほぼ同じころに、
イギリスで思弁的メイソンが現れたことも知っている。
その頃、秘教的な流れがイギリスとヨーロッパ大陸のあいだを自由に出入りしていた。
さらにメイソンのヒラム伝説は、
クリスティアン・ローゼンクロイツおよび
彼の墓に関する伝説と関係があると
しばしば指摘されてきた。
もっとも、メイソンにおいてヒラムのモティーフが重要となるのは1720年代になってからである。
従って、実践的から思弁的メイソンに変化していく背景には、
【もっとも広い意味で「薔薇十字団」という言葉を使用することにして】
薔薇十字的な推進力が働いていたことは十分考えられる。
シックは、ヒムラーの依頼で反フリーメイソン文書を書いたが、
彼の本は学問的に高い水準にある。
シックは、コメニウスは薔薇十字思想から展開するフリーメイソンへの橋渡し役的存在だと記述。
シックはまた、コメニウスと彼が代表する思想の流れが、
王立協会(ロイヤル・ソサエティ)形成につながる流れの一つであったと示唆している。
この流れはのちにイェイツにより検証されることになる。
最も活動的な初期の王立協会員であるロバート・ボイルは、ある手紙で
「見えざる学寮(インヴィジブル・カレッジ)」に言及している。
彼もときどき出席したこの見えざる学寮は、王立協会の先駆的な組織だったかもしれない。
もう一人の指導的な王立協会員であったジョン・ウィルキンズは薔薇十字伝説を知っており、
1648年の『数学魔術』でも触れている。
1660年に設立された王立協会は学問と啓蒙の友愛団という薔薇十字的な理想を具体化しようとする試みであった。
それはベイコン、アンドレーエ、コメニウスなどが描いた、一種のユートピアを招来するのに役立つはずのものであった。
しかし、王立協会はこうした試みをした最初の団体ではない。
これより以前のドイツにて、同様の団体がヨアキム・ユンギウス【1587 - 1657年】によって設立されていた。
彼は数学者・医学者であり、科学的植物学の樹立という点でリンネの先駆者でもあった。
ユンギウスは文通でコメニウスを知っており、
1618年のロストク滞在中にアンドレーエのサークルに属する人々と接触している。
ユンギウスは薔薇十字運動とかなり深い関係を持っており、
ライプニッツを含む多くの人々が『名声』の真の著者はユンギウスであると信じていた。
1622年にユンギウスは、ロストクにて
哲学協会
【Societas ereunetica; Societas zetetica】という団体を設立。
目的は、
「理性と経験によって真理を探究し、
真理が発見されたらをそれを証明すること。
理性と経験に基づくすべての技術と科学を詭弁から解放し、
証明しうる確実性にそれを引き戻し、
適切な教育によって普及させ、
最後に満足しうる創案によってそれを増大させていくこと
にあったとされている。
「哲学協会」は現実のものとなり、
その会員の中にはアンドレーエの友人でもあったヨーハン・アドルフ・タシウスもいた。
しかしこの協会は三十年戦争の混乱に紛れて消滅してしまう。
同様の団体はすでにイタリアに存在していたが、
北ヨーロッパで最初の科学アカデミーはこの哲学協会である。
薔薇十字団の理想がその背後にあったという事実は、
そうした運動を促進する力としての薔薇十字現象を強調することになる。
「哲学協会」は王立協会よりも学校という性格が強かったが、
コメニウスやその他の人々を通して情報を得ていた王立協会の創設者たちの模範となった。
薔薇十字思想はイギリスにおいて二つの異なる流れから見ることができるが、
この二つの流れはしばしば一つに収斂する。
一つはコメニウスに代表される流れであり、
社会的・科学的・哲学的理想に関心を持つ。
もう一つは、
ヘルメス主義=カバラ=錬金術の流れであり、
薔薇十字団のオカルト的側面により関心を持つ。
後者の流れを代表するのはトマス・ヴォーンである。
ヴォーンは宗教詩人ヘンリー・ヴォーンと双子の兄弟であり、
イギリスの薔薇十字団弁明者としてロバート・フラッドの後継者と見ることができる。
1650年、ヴォーンはエウゲニウス・フィラレテスという名前で
『神的魔術による人間の知』を出版するが、その書物は
「新生を得た薔薇十字団員」に献呈されていた。☆10
それは従来のものがラテン語で書かれていたのに対し、
英語で書かれた最初の薔薇十字団弁明書であった。
ヴォーンは同じ筆名で『名声』と『告白』の英訳【1652年】を序文をつけて出版している。
※p.278
☆10
☆=訳注
ポール・アレンは『クリスティアン・ローゼンクロイツ・アンソロジー』において、
ヴォーンの『神的魔術による人間の知』に関して次のような興味深い事実を指摘している。
『神的魔術による人間の知』を出版したハンフリー・ブランデンは、
ジョン・スパロウやジョン・エリストーンなどとともに一つのグループに属していた。
ドイツの神秘哲学者ヤーコプ・ベーメの著作を最初に英訳したのはこのグループであり、
フラッドからヴォーンにつながる薔薇十字団の系譜と並行して、
イギリスのベーメ研究グループの活動があったことが推測される。
『神的魔術による人間の知』は、やがて
1704年にドイツ語に訳され、
1782年にはベルリンで再版される。
ゲーテの詩『秘儀』が書き始められるのは、その二年後の
1784年である。
(こういう結社の方が地位が高そう。
翻訳集団って本当に怪しいよね)
p.108
『薔薇十字団の秘密象徴』において象徴に覆われた山は
錬金術の過程の寓意として使用されている。
☆11
(
薔薇十字文献にはときどき迷惑なくらいに大判のものがあります。これは見開きにすると42x62cmというサイズ。左の頁には黄金の夜明け団が採用したシンボルもちらほら。 pic.twitter.com/UayhwzhK68
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2014年11月17日
)
↑
右が哲学者の山の画像。
p.314
「哲学者の山」という図版
⑰【追補図版】哲学者の山
『薔薇十字団の秘密象徴』所収の彩色版画
【ロンドン大学ウォーバーグ研究所蔵】
p.278 ☆11=訳注
ここで言及されているのは、
『薔薇十字団の秘密象徴』の「哲学者の山」という図版であり、
本書(原著)の表紙図版として使用されているものである。
ロンドン大学ウォーバーグ研究所には、
初版彩色原本が一部所蔵されている。
そこでは錬金作業の過程が、
いくつもの象徴を利用して描かれている。
「哲学者の山」はその全体がレンガ塀に囲まれており、
錬金作業が外部世界と遮断されたところで進められることを示している。
この山に三人の志願者が近づく。
「入口」には裸体の老人が切株の上に座り、
志願者の選別を行う。
首尾よく「入口」を通過した者は山全体がその象徴になっている神秘階梯を上りつめていく。
中間に「塔」があって、
その階梯が二段階に分けられていることが理解される。
第一段階に登場する象徴は、
ウサギ、卵を温める雌鳥、
火の中のドラゴン、獅子である。
黒いカラスと白い鷲の守る「塔」の「入口」を通過して志願者は第二段階に進む。
そこに現れる象徴として、
水桶で洗われる太陽と月、
炉、
葉のついた木を持つ老人、
葉の代わりに星をつけた木、
聖霊の家、
硫酸の記号をつけた球、
そして最後に王冠がある。
(モノクロだがこの翻訳書にも図版がある。
「硫酸の記号をつけた球」は十字がついた球体、
つまり宝珠。
とまとさんのいう、ルシファーの玉。
ブレイクの絵画ルシファーではルシファーが持っているのが十字が刺さった地球。
王冠が一番上に宙に浮いているのはケテルだから?
太陽と月の並びはちゃんと「明」、読者視点で左に太陽、右に月)
(鳥か烏かまぎらわしいからカラスって書いてほしい)
p.111から
スコットランドは初期の薔薇十字団の展開において重要な
おそらくは鍵となるような役割を果たしていたように思われる。
話をイギリスに戻そう。
薔薇十字団に関心を持ったもう一人の重要人物は
イライアス・アシュモール【1617-92年】である。
アシュモールは古物研究科(アンティクアリ)、歴史家、錬金術師であり
オクスフォード大学のアシュモール博物館の創設者である。
アシュモールは錬金術に興味を持ち
『英国の化学の劇場』【1652年】という重要な錬金術文書を編纂した。
その序文でアシュモールは『名声』から直接引用している。
p.118
すべてのフランス人が薔薇十字団に敵対していたわけではない。
哲学者デカルトはドイツを旅行中に友愛団の噂を聞き
彼らと接触しようとしたが失敗している。
デカルトは薔薇十字騒動のさなかにフランスへ戻り
いつもながらの孤独な生活態度を捨てて
友人との交際に励む。
「姿を見せない」という薔薇十字団員の汚名を着せられないようにするためであった。
・p.135から
第七章 黄金薔薇十字団
が開始
オーストリアとのバイエルン戦役で一躍勇名を馳せたプロイセン王家の一員が
1781年に「黄金薔薇十字団」の志願者となる。
薔薇十字団にとって彼は重要な意味を持つ新会員であった。
彼は、叔父にあたるフリードリヒ対応の後を継いでプロイセン王となる
ヴィルヘルム・フリードリヒ二世であったからである。
彼の友愛団への参入は、まもなくわれわれが見るように、
かなり長期にわたる影響を及ぼすことになる。
この段階では、実際には互いに影響しあう二つの黄金薔薇十字団が存在していたことを強調しておきたい。
一つは、前章で説明した広義の錬金術的友愛団である。
もう一つは、「黄金薔薇十字」という名称を引き継いだフリーメイソン系の分派である。
実践的な石工職人の組合とは対照的な、
いわゆる「思弁的な」フリーメイソンのロッジがイギリスで最初に言及されるのは
1646年10月16日にランカシャーのウォリントンで
自分がフリーメイソン・ロッジの会員になったことを記しているイライアス・アシュモールの日誌である。
しかし、スコットランドには
1641年5月20日にエディンバラのロッジにロバート・マリ卿が加入したという信頼できる記録が残っている。
それ以前にもフリーメイソンのロッジが存在していたことは確実と思われるが、
思弁的フリーメイソンのロッジの記録としてはそれが最も古いものである。
(本書は「スン」ではなく「ソン」表記)
フリーメイソンが公的な組織として確定した年代は
ロンドンのグランド・ロッジの創立された1717年である。
グランド・ロッジは急速にイギリスのフリーメイソンを統括する中央組織となり
若干の抗争と分派活動はあったもにもかかわらずそのまま現在に至っている。
中央の権威ある組織が存続していたために
イギリスのメイソンには一貫性と安定性が見られ、
その歴史もどちらかというと直線的に進んできた。
しかし、
ヨーロッパ大陸のメイソンにはそうした中央組織がなく
その歴史は複雑きわまりないものとなった。
メイソンがイギリス以外で最初に足場を築いたのはフランスにおいてである。
フランスにおける最も初期のロッジは1720年代に創設されており、
1756年にはフランスのグランド・ロッジができる。
イギリス生まれのメイソンが発展していった背景には
ヨーロッパにいたジェイムズ二世派のスコットランド人とアイルランド人の助力があった。
そうした人物の一人が
シュヴァリエ【勲爵士】・アンドルー・マイケル・ラムジー【1696 - 1743年】である。
ラムジーはスコットランドのエアシャーで平民の子として生まれ
エディンバラ大学で学士号を取得する。
その後フランス語を習得し
学識ある冒険家としてフランスの貴族社会を自由に動きまわり
あるいはまた「老僭王」〔=ジェイムズ三世〕の子のローマにおける家庭教師となるなどした。
ラムジーはメイソンとしての活躍もめざましく
フランスのグランド・ロッジの高官になっている。
ラムジーはスコットランドには古代のメイソンの伝統が残っており
スコットランド以外の地ではすでに退化してしまった純粋のメイソンが維持されていると
主張した。
こうしてヨーロッパ大陸のメイソン員取って
「スコティッシュ【=スコットランドの】」という言葉は
特別な威光を持つものとなり
革新を正当化しようとする新しいメイソンの儀礼は
しばしばスコティッシュという旗を掲げるようになった。
結果、ラムジーによってフランスのメイソンから
不思議な子孫、スコティッシュ・メイソンが誕生してくる。
スコティッシュ・メイソンは
異国風の儀式と大げさな称号を持つさまざまな儀礼を表すようになる。
パリのグランド・ロッジは華やかに分立していく儀礼を管理できず
自らの権威を弱めていくのである。
正統的なメイソンとともに
スコティッシュ・メイソンはフランスからヨーロッパ全土に広がっていった。
確かにメイソンはもともとイギリス起源だが
ヨーロッパ大陸において最大の規模を誇ったのはフランス版メイソンであった。
メイソンが浸透した国の中で
スコティッシュ・メイソンとその分派が最も肥沃な土壌を見出したのはドイツである。
(ロンドングランドロッジの中枢にフランスのユグノーがいるので
フランス系カルヴァン派の影響は強い。
スコットランド系とフランス系のメイソンのつながりは深く
英米系と対立。
スコティッシュ・メイソンの起源がフランスなのが興味深い。
西洋魔術の本拠地はドイツ。
イングランドではない。
思想の流れで見てもドイツが中心)
ドイツにおけるスコティッシュ・メイソンの儀礼の中で
最も影響力が大きかったのは
1764年にフント男爵カール・ゴットヘルフによって創設された
「厳しい戒律の儀礼」である。
この儀礼はメイソンがテンプル騎士団から派生したことを強調し
ドイツ人は権威あるこの騎士団の伝統を真に受け継ぐ民族であることを主張した。
錬金術的な象徴体系を大いに利用し、
金属変成の秘密を獲得できると約束した。
この民族主義とオカルト学をうまく結びつけることで
「厳しい戒律の儀礼」は多くの人々の支持を得ることができた。
さらに異国風の儀礼は
牧師であったヨーハン・アウグスト・シュタルクによって創設された
「テンプル司祭団」である。
シュタルクは金属変成の術を含む「テンプル騎士団」の秘密の
真の管理者が騎士ではなく司祭であると主張した。
この段階で薔薇十字団とメイソンが出会いそして融合する。
「厳しい戒律の儀礼」や「テンプル司祭団」よりも
さらに深く錬金術の研究を進めようとする人々は
必然的に「黄金薔薇十字団」へと向かっていった。
黄金薔薇十字団は純粋にドイツ的な現象として
より人々を引きつける塚らを持っていた。
かくして薔薇十字的フリーメイソンの新しい儀礼が誕生したのである。
↑
・p.140
↓
新しい薔薇十字結社には錬金術的な知識の探求とは別に、
人々を引きつけるもう一つの特徴があった。
それは結社の政治的立場である。
pp.140-141
”
十八世紀後半の薔薇十字団は、
保守的な見解を持つ人々が結集する場所となっていた。
そうした人々は、ドイツにおいて重大な問題となりかけていた
急進的・理性主義的・反宗教的な傾向に反対する立場をとっていた。
…
アーダム・ヴァイスハウプトのバイエルン結社「イルミナティ【啓明結社】」は、
明らかに進歩的理性主義者の陣営に属している。
しかし、フランスの同時代の著作家が「イリュミネ」という言葉を使用するときは、
反啓蒙主義者たちを指しているのである。
フリードリヒ大王はけっして急進的ではなかったが、
フランス的な平等主義の信念を持つフリーメイソン・ロッジの会員であった。
どちらかというと、フリーメイソンには急進的な意味が含まれ、
新しい薔薇十字団にはそれと対照的に保守的な傾向がある。
…
黄金薔薇十字団の成功の背景には、次の四つの要因があった。
(一)特権的なエリート階級に約束された秘密の知識、
(二)保守派の中心としての結社の機能、
(三)宗教的な代替物としての魅力、
(四)民族主義的な傾向を持つ人々を引きつけたドイツ的性格。”
(黄金薔薇十字は保守でエリート的でヴァイスハウプトのイルミナティと思想が真逆なので対立。
工作員が言うイルミってイリュミネに近い。
啓蒙主義のヴァイスハウプト的思想を受け継ぐ結社は今はフランスの
百科全書・理性主義系。
啓蒙主義で反カトリックで反オカルトで共和主義でない組織に
イルミナティと名付けるのは誤り。
工作員は意図的に誤った名づけをしている。
誤った名づけをしているのはヴァイスハウプトと対立していた黄金薔薇十字系の末裔。
黄金薔薇十字団員が完全に今の支配層の先祖。
ドイツ語文献を読んで研究している人から情報を得ず
黄金薔薇十字vs元祖イルミの歴史を知らない人が
イルミを語っても騙りになる可能性が高い。
)
アルノルト・マルクスは
1929年に出版された黄金薔薇十字団に関する著書において、
黄金薔薇十字団の創設された年代を1757年と特定している。
黄金薔薇十字団はメイソンの影響圏の内側で発展し、
初期の頃には主としてドイツ語圏の南部で栄えた。
その中心地としては、
ヴィーン、
ホーフ、
フランクフルト・アム・マイン、
マールブルク、
カッセル、
レーゲンスブルク、
そしてプラハの居留地である。
最も活動的な中心は、
オーバープファルツのズルツバハ公国であり、
その領主たち、特に
クリスティアン・アウグスト公爵【1622 - 1702年】は神秘的思索に関心を持っていた。
この宮廷には神秘主義者たちが集まっており、
その中にはヘブライ語学者でありカバラ主義者であった
クリスティアン・クノル・フォン・ローゼンロート【1636 - 89年】や、
医師でありカバラ主義者でもあった
フランキスクス・メルクリウス・ファン・ヘルモント【1618 - 99年】がいた。
ズルツバハはまた、オカルト学や神秘的な著作の出版でも一つの中心地であり、
カバラやユダヤ教に関するヘブライ語の出版社があった。
ヘルモントは輪廻転生を信じており、
ローマに滞在していたときには、
そのために異端審問所の牢獄に幽閉されていたこともある。
(年代的に黄金薔薇十字団には属せないが
完全に黄金薔薇十字の先祖)
ズルツバハ公国が十八世紀の後半に黄金薔薇十字団の中心地になるということは
何も驚くことではない。
黄金薔薇十字団の指導者は、
ベルンハルト・ヨーゼフ・シュライス・フォン・レーヴェンフェルト博士【1731 - 1800年】であった。
シュライス・レーヴェンフェルトは七年戦争で軍務についた後、
ズルツバハの宮廷付き医師となり、最後には伯爵となっている。
多くの医学書の他に、薔薇十字団を弁護する著作も二冊書いている。
ズルツバハ以外に薔薇十字団の活動の中心地になっていたのは、マールブルクである。
そこで指導的な提唱者となったのは、
フリードリヒ・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・シュレーダー【1733 - 78年】である。
シュレーダーは大学で医学を教えており、
神秘学と錬金術に強い関心を持つ著名な医師であった。
1764年にマールブルクに移るとすぐにシュレーダーは、
「三頭の獅子」というメイソンのロッジに加入し、
翌1765年にはロッジの内部に薔薇十字団の支部(チャプター)を構成したと信じられている。
錬金術に関する著作の他に、黄金薔薇十字団の会員のための便覧を執筆した。
(医者多いな!
医学と占星術が一体だからオカルト好きも多いのだろう)
すでに述べたように、
南ドイツ、オーストリア、ハンガリー、北イタリアには薔薇十字団の
中心地が点在していた。
北ドイツにおける中心地はベルリンとハンブルクであった。
ハンブルクにおいて、1785年、多くの錬金術に関する挿絵と
黄金薔薇十字団の教義の説明を含む匿名の書『薔薇十字団の秘密象徴』が刊行されている。
黄金薔薇十字団のさらに重要なテクストとして、
ゲオルク・フォン・ヴェリングの『魔術・カバラ・神学論集』がある。
この書物は
1719年にフランクフルト・アム・マインで初版が出ており、
著者はグレゴリウス・アンゲルス・ザルヴィヒトであった。
この名はおそらくヴェリングの偽名であると思われるが、
実名であってヴェリングはその編者である可能性もある。
この本はかなり混乱した内容となってり、
1769年にこの書物を研究したあの偉大なゲーテも、
なかなか理解できなかった。
にもかかわらずそれは、黄金薔薇十字団が使用した最も重要な教科書となった。
1767年の改革は、結社がすでに変動期にあるときに行われた。
前年の1766年10月には、
オーストラリアにおいて薔薇十字団を禁止する皇帝の布告が出ている。
この布告は大ドイツ圏における結社全体に影響を及ぼすことになる。
それまで指導的な立場にあったフィクトゥルトはインスブルックに避難せざるをえなくなり、
その影響力も低下した。
シュライス、シュレーダーなどの新しい世代が指導者となり、
1767年の改革で具体化される新しい考えが登場した。
薔薇十字団の起源がテンプル騎士団にあるとする伝説が消え、
教義においては聖書が中心的な位置を占めるようになった。
黄金薔薇十字団も最終的に崩壊する前に、
その勢力と影響力が最後の盛り上がりをみせた。
プロイセン王が黄金薔薇十字団の会員となるのは、
この幸福な一時期においてである。
フリードリヒ・ヴィルヘルム公を友愛団に導いたのは、
ヨーハン・ルドルフ・フォン・ビショッフスヴェルダー【1741 - 1803年】である。
ビショッフスヴェルダーはテューリンゲンの貴族出身であり、
1754年に亡くなった父親も、
最後はサクス元帥の副官となるなど輝かしい軍歴を持っていた。
ビショッフスヴェルダーは、初め法律を学んだが、
やがて父親と同じ道を歩むことになり、
七年戦争の後半【1760 - 63年】にはプロイセンの騎兵隊の士官となっている。
戦争後、ビショッフスヴェルダーはクーアラント公カールの厩舎監・家令となり、
1764年には「厳しい戒律の儀礼」に加入し、「グリフォンの騎士」という名前を与えられている。
しかし、「厳しい戒律の儀礼」においてはビショッフスヴェルダーが求めていた神秘学の知識は得られず、
ライプツィヒにあるコーヒー・ハウスの経営者ヨーハン・ゲオルク・シュレップファーと知り合いになる。
錬金術師と薔薇十字団員を自称していたシュレップファーは
1774年に自殺しているが、
その前にシュレップファーは霊を出現させる機械と
若さと活力を維持させる霊液をビショッフスヴェルダーに贈っている。
ビショッフスヴェルダーが薔薇十字団に関心を持つようになったのは、
シュレップファーの感化によるのかもしれない。
いずれにしてもビショッフスヴェルダーは
1779年12月24日に黄金薔薇十字団に加入している。
フリードリヒ・ヴィルヘルムは、
すでに「黄金の鍵」というメイソンのロッジの会員であったので、
黄金薔薇十字団の志願者の資格を持っていた。
一年間の見習い期間ののち、
1781年8月8日にフリードリヒ・ヴィルヘルムは黄金薔薇十字団への加入を承認される。
彼にもオルメスス・マグヌスという特別な名前が与えられた。
友愛団の中ではビショッフスヴェルダーが彼の直属の上司であり、
そのとき以来特別の僚友となった。
ヴィルヘルムが王位についた後、
ビショッフスヴェルダーはプロイセンの外交政策にも強い影響力を及ぼし、
フランスのジャコバン主義に対する反革命十字軍を奨励した。
(黄金薔薇十字は保守だから王侯貴族系で
革命否定は当然)
ヴィルヘルムの参入儀礼において歓迎の講話をしたのが
ヨーハン・クリストフ・ヴェルナー【1732 - 1800年】であり、
ヴェルナーは後にビショッフスヴェルダーより強い影響力を王に与えることになる。
ヴェルナーは平民の出身であった。
ヴェルナーは黄金薔薇十字団に加入し、
まもなく北ドイツの中心的な指導者となり、
総勢200名からなる26支部の最高指揮官となる。
1786年にフリードリヒ・ヴィルヘルムが王位につくと、
ヴェルナーは新王の経済顧問官となり、
貴族に列せられる。
さらに、彼とビショッフスヴェルダーはヴィルヘルムの相談役として、
演説草稿の執筆をしたり、
旅のお供をしたり、
人事問題で意見を述べたりするようになる。
ヴィルヘルムは芸術にも熱心であり、
ベートーヴェンやモーツァルトなどの保護者であった。
ヴェルナーが最も強く影響を与えたのは宗教の分野においてである。
ヴェルナーの「嫌悪の対象(ベト・ノワール)」となっていたのは、
いわゆる「啓蒙主義者」であった。
(ヴァイスハウプト系は啓蒙主義だから黄金薔薇十字と対立)
二人の権勢は、ヴィルヘルムの死とともに終わる。
彼の息子のヴィルヘルム三世が王につくと、
薔薇十字団の徒党は一人残らず宮廷から追放される。
南部でも黄金薔薇十字団は勢力を失っていた。
1785年にオーストリア=ハンガリーで錬金術禁止令が出た後、
結社は休眠状態に入った。
1790年になって新皇帝レオポルト二世が即位すると、
彼が錬金術への関心を持っていたこともあって、
結社はふたたび表面に現れた。
しかし、レオポルト二世の統治も短期間に終わり、
彼は1792年に亡くなる。
その後を継いだフランツ二世の時代になると、
錬金術禁止令が再度交布される。
結社はしばらく地下に潜ったと考えられる。
オーストリア国立図書館にあるアルカリオンの『アーレフ』という錬金術=薔薇十字的写本は、
1802年という年代になっているからである。
その後、黄金薔薇十字団についての噂はまったく聞かれなくなる。
しかし、薔薇十字運動は別の土地において新しい局面を迎える。
p.171から
第九章 フランスにおける復活
薔薇十字フリーメイソンは、
現在ではいわゆる「第十八位階」として広く実践されており、
イギリスでは「古式公認【スコティッシュ】儀礼」の一階位となっている。
(メモ者注:スコティッシュライトだろう。
光のライトではなく儀式のrite。
18.)
1794年9月12日モーリシャス島において、
イギリス人シジスマンド・バックストロウム博士が
シャザル伯爵によって薔薇十字協会に加入することが認められたことを記録している。
シャザル伯爵は
モーリシャス島で最も学識と資産に恵まれた人物で
親を失った百人もの女児を教育し
彼女たちのために総額百万ピアストルにも達する結婚持参金を用意したと言われ
私的に行った慈善事業もきわめて多く
資金源に関しては毎年ボルドーから多額の収入を得ていて
動物磁気・電気・ガルヴァーニ電気による実験と治療をした。
このことからシャザル伯爵はサン・ジェルマン伯爵の伝統に属する薔薇十字団系のアデプトとしての
名声を持っていたことが理解される。
(二ノ国のシャザールの元ネタ?)
1888年、
ド・ガイタとペラダンは「薔薇十字=カバラ教団」を創設する。
ペラダンの熱心なカトリシズムのために、
ペラダンはまもなく「薔薇十字=カバラ教団」の他の会員と対立するようになった。
1890年にペラダンは教団と分離して、
「カトリック薔薇十字=聖杯神殿教団」を自分で組織する。
ペラダンは興行主・劇作家・演出家として演劇の分野でも活躍した。
音楽の分野でもペラダンは大きな影響力を持っていた。
ペラダンは熱狂的なヴァーグナー崇拝者であり
フランスにおいてヴァーグナーが高い人気を勝ち得た背景には
このペラダンによる支持も一役買っていたと思われる。
薔薇十字のオーケストラを組織し
その準専属の作曲家がエリック・サティであり、
サティは後に音楽界の著名人になった。
サティはペラダンの劇や儀礼のための音楽を作曲していたが、
一年ほど一緒に仕事をした後、
1892年にペラダンと決裂して
「主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン教会」という自分のグループを組織した。
ペラダンの教団は1918年に彼の死とともに消滅したが、
ド・ガイタの「薔薇十字=カバラ教団」は1897年にガイタが亡くなった後も存続し、
20世紀において多くの分派に分かれた。
アメリカ合衆国における多くの薔薇十字グループは
その権威をフランスの薔薇十字運動の分派から得たと主張している。
(サティが有名になる前にペラダンの組織に所属。
アメリカの薔薇十字団体はWASP至上主義要素が弱い傾向?)
※英国の魔術結社についてはメモを割愛。
薔薇十字団の始祖クリスチャン・ローゼンクロイツの肖像はいろいろありますが、英国薔薇十字協会が採用していたのはこれ。1907年に同会に寄贈されたもので、複写して蔵書票を作ったり、額に入れて飾ったりされました。 pic.twitter.com/lUf7DlJyOt
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2015年6月19日
アルブレヒト・デューラーの十二宮図。黄金の夜明け団が使用した図版はその多くがデューラーやキルヒャーからの借用です。薔薇十字伝統の由緒からいえば、当然の選択ともいえましょう。 pic.twitter.com/N5ysQCKSHL
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2014年11月23日
当館の蔵書に残る書き込みでもっとも異色のものはビーチクロフトの魔法円デザインです。ちなみにこの人はウェイトの薔薇十字団の団員にして英国薔薇十字協会会員でもあります。 pic.twitter.com/wq5MQe2YEc
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2014年9月9日
KTQ@wholiveo
2014年9月21日
"@MuseeMagica:英国薔薇十字協会会員のモーリス・ビーチクロフトは、
リックマンズワースにあるRoyal Masonic School for Girls の理事をつとめていました。この英語を「王立フリーメイソン女学園」と訳せば注目を集めるでしょうか?" ピースクラフト?
・p.207から
薔薇十字団の主題を利用した詩人にゲーテがいる。
ライプツィヒでの修業時代を終えて
1768年にフランクフルトに帰ると、
ゲーテは体調を悪くして数か月間病床につく。
ゲーテは、病から回復できたのは錬金術の秘密の「塩(えん)」を服用したからであると考え、
後に錬金術の実験を自分でも試みている。
病床にいるあいだ、ゲーテはヘルメス主義的な話題に関する多くの本を読んでいるが、
そうした関心をゲーテに呼び起させたのは、友人で会ったフォン・クレッテンベルク嬢である。
薔薇十字思想はゲーテが読んだものの中に含まれていたに違いない。
ゲーテは26歳のときに、若きカール・アウグスト公の顧問官としてヴァイマルに移るが、
薔薇十字思想への関心はその時まで続いていた。
薔薇と十字は、彼の未完の詩「秘儀」【1784-85年】の特徴となっている。
pp.208-209
” ゲーテは、一七八五年の春にこの詩を書くのをやめている。
彼はその主題にすでに飽きていたのだが、それを放棄する別の理由があった。
一箇月前に薔薇十字団は、
ヴァイスハウプトの創設したバイエルンのイルミナティ結社を警察に弾圧させることに成功していた。
第七章ですでに指摘したように、
十八世紀の薔薇十字団は政治的に保守的であるのに対して、
イルミナティ結社は急進的であった。
ゲーテは賢明にも、イルミナティ結社の弾圧が真の薔薇十字友愛団の理想にも及ぶことになると察していた。
インゴルシュタットの教会法教授であったヴァイスハウプトは、
バイエルンの薔薇十字集団とは意見が合わなかった。
エッカーという名前の歩兵隊の将校は、
ブルクハウゼンに錬金術研究を目的とする薔薇十字団の支部を設立した。
その支部は代理人をインゴルシュタットに送り込み、
ヴァイスハウプトが自分の結社のためにと注目していた会員を引き抜こうとしたために、
彼の怒りを招いた。
ヴァイスハウプトは、
「若い人々が黄金変成とか同じような馬鹿げたことに参加するなどということは、
私には耐えられない」と書いている。
ゲーテは、黄金薔薇十字団との対立においてヴァイスハウプトに共感を持っていたが、
薔薇十字思想それ自体を非難することはなく、その主題に興味を持ち続けた。”
(
(ヴァイスハウプトは薔薇十字が大嫌いである理由の一つが
薔薇十字に引き抜き攻撃を食らったこと。
ゲーテもイルミナティ結社のメンバーだが
薔薇十字が嫌いではない。
ヘルダーリンもイルミナティ結社員。
私がイルミナティという単語を使うとき基本的にヴァイスハウプトの結社を指す。
ヴァイスハウプトは錬金術の黄金錬成思想を否定。
つまり、薔薇十字思想の根幹の一つの否定。
そうえばシンフォギアでヴァイスハウプトが敵で性格最悪だったのは意図的だね。
日本は実質王政だから共和主義のヴァイスハウプトは叩かれやすいのさ)
p.218
黄金の夜明け教団の会員の一人であったW・B・イェイツはその詩や物語において
しばしば薔薇十字団の主題と薔薇のイメージを使っている。
黄金の夜明け教団の会員であったクロウリーの詩「薔薇と十字」は、
『オクスフォード神秘詩集』に入っている。★11
★クロウリーの使用した便箋の上部には一時期、
自分の称号として名前の下に
「M.D.Damc.」
と印刷されていたことがある。
『名声』においてクリスティアン・ローゼンクロイツがアラビアのダムカル【Damcar】で
医学の知識を修得したことに言及するものと考えられる。
(黒星★=原注
=作者マッキントッシュがつけた注釈。
白星☆=訳注
=翻訳者の吉村がつけた注釈。)
p.225
いつ薔薇十字団がアメリカに最初に上陸したかを確定することは困難である。
しかし、1694年にペンシルヴァニアに移住し、薔薇十字団との関係を持っていたとされる
ドイツの神秘主義的なコミュニティについては、いろいろ論じられている。
この集団の指導者は神智学と千年王国主義を信奉するヨーハン・ケルピウスである。
彼は以前、科学者であり神学者であったヨーハン・ヤーコプ・ツィンマーマンが創設した
敬虔主義のコミュニティの指導者であった。
(
レポート「『敬虔主義』とは何か?‐特に『ドイツ敬虔主義』(M,シュミット著、小林謙一訳
〈教文館、1992年初版〉)を中心にして考えたこと」
http://theologie.weblike.jp/jump2%20Theologie2013b.htm
”「敬虔主義」は17世紀、
ドイツに始まり現在まで世界各地で続いているキリスト教の、
特にプロテスタントの運動の一つである。その特徴は、聖書に基づく宗教的体験による個々人の教会生活の変革、実践を強調することによる社会への伝道、
社会福祉等への貢献、信徒を中心とし、
エキュメニカルへとつながる新しい自発的な集会やキリスト教団体を生み出したこと等にある”
ぐだトマト
@pteras14
2017年12月1日
アメリカってのは基本単純な国で
戦争をやる以外の役割が全く期待
されてない国なので、世界史的にね、
軍需TOP3&奈砂だけ追っかけてれば
十分。
次点で壁街の金融。壁街の
メインの役割は詐術で搾り取った
銭を上記の戦争屋に資金供給する役目。
以外と皆んな合衆国建国前のあの
地域の歴史にはあまり関心が無い
っぽいから、彼の国は建国前の歴史の方が重要だよ。
あの国は基本青田買いだから、あの国
で本当に優秀な奴はメガネみたいな
フェイク企業には就職しないって事
を知っておいた方がいい。
元々、ヨーロッパでやってけない
カルトや山賊、海賊、詐欺師達が
向こうに隔離されて建国された国
だから。
フィラデルフィアって町の語源とか
調べると連中の本性がよ〜く理解
出来るようになるよ。
一言で言うと、奴等がやりたいのは
デビルマンごっこで、期待されてる
役割は昔ゲームであった“ゼノギアス”
のラスボスの「デウス」の開発。
デウス=全自動全次元武力征服統合
システムの事ね。自動で戦争を勝手にやってくれるシステム。
で、アメ公はこの宇宙か、別の次元の
どこかに聖書のGODが実在してると
信じてて、自分達をGODに痛めつけ
られたルシファーの子孫だと思い込ん
でる。当然、ルシファーの勢力は
GODの1/3らしいので“デウス”の
性能が相当高く無いと返り討ちにされる。
最終的にはGODの隠れ場所を
見つけてGODを引っ叩くのが奴等
の願望ね。クトゥルフ小説の
言葉で換言すると「アザトースを
起こす」とゲームクリアー。
ゼルダの「夢を見る島」?もそんな
様な筋書きだったでしょ?
基地外じみてるのは分かってる。
だけどカルトの教義ってのはそもそも
そういうもんだ。合衆国は間違いなく
カルト信者達が建国した国だから、
未だにそのカルトの教義が国の根本
思想に根付いたままなのが実情。
文化的に遅れてるってのはその通り
だと思うけどね。どうにもならん。
フィラデルフィア市の歴史が分かれば
なんで日本で「けものFRIENDS」
というアニメが流行ったか分かる様に
なるよ。👍
もっとも「20世紀少年」にも
FRIENDSは登場してるんだけどね!
そういや、時代的にFGOのセイレム編
に近いね。ベティ少女の“卵占い”って
のに何か秘密が有りそうだが……
“ヴィーナス・グラス”というのを
使ったと言われてる奴ね。
セイレム(セイラム)というとキングの
小説の「呪われた町」の町の名前
だった気がする。
キングの小説では十字架を向けられた
吸血鬼の親玉が唐突に「俺は古代
ローマから生きてるし、お前の信仰
してる宗教の創立よりも旧いッ!
故に俺様最強ッ‼︎」みたいな不自然な
台詞があったのが妙に印象に残っている。
)
アメリカで薔薇十字思想を広く普及させたのはランドルフである。
ハインデルのグループは現在、薔薇十字団という名称を使ってアメリカで活動している
数少ない組織の一つ。
他には
薔薇十字友愛団がある。
その源流はランドルフにあるが主たる唱道者はクライマー。
アメリカの薔薇十字グループで最も影響力が大きいのは
スペンサー・ルイスの創設した
古代神秘=薔薇十字教団(AMORC)。
この三つのグループは互いに敵意を抱いており、
特にクライマーと古代神秘=薔薇十字教団(AMORC)とは長い抗争を続けた。
東方テンプル騎士団(OTO)は1906年にドイツ人テオドール・ロイスによって創設された。
ロイスはオカルト学者、メイソン、冒険家など多彩な活動で知られ
1912年にルイスに認可権を与えた。
多くの疑惑に包まれたままの発足であったが
ルイスの組織「古代神秘=薔薇十字教団(AMORC)」は
正式にフロリダで結成され〔1925年〕、
後にカリフォルニアに移った。
ルイスは田近に東方テンプル騎士団の認可状を持っていたが
それは当時ドイツの東方テンプル騎士団の指導者であったテオドール・ロイスから直接受け取ったものである。
クロウリーは1912年に
ロイスからイギリスで東方テンプル騎士団を運営する認可状を受け取っている。
古代神秘=薔薇十字教団(AMORC)は現在、世界中に会員を持つ巨大な組織である。
エジプト風の柱廊玄関、ドーム、スフィンクス像などを含む印象的な建築で本部は構成されている。
エジプト学博物館、科学研究所、講堂、神殿などがある。
(エジプト好きだからフランス要素が強そう)
古代神秘=薔薇十字教団(AMORC)の影響を多くの分派あるいは直系の組織に辿ることができる。
その中には、
サイエントロジー、
マヤ教団、
アスターラ、
シルヴァ・マインド・コントロールなどが含まれる。
(ヤバイのが混じってる)
・図版
p.301 ↓超有名なミツバチつき薔薇十字の画像。
原点にも色がついていたの?
④薔薇十字友愛団の弁明書であるロバート・フラッドの『至高善』【第4部, 1629年】の
タイトルページ。
上部の言葉は,
「薔薇は蜜を蜂に与える」と訳すことができる。
(
魔術的宇宙観では四大元素と七惑星が作用してさまざまな自然現象が発生するわけですが、金星の影響力が大気を通過するとハニーとなって花にたまり、それを蜂が集めてハチミツとなるとのこと。薔薇十字の寓意にミツバチが登場する所以でもあります。 pic.twitter.com/arQH7H3Arr
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2015年6月8日
ちなみに大気に月が作用すると露、水星で雪、太陽が雨全般、火星が雹、木星が樹脂、土星は旧約聖書のマナとなるそうです。どれも惑星力のエッセンスというか結晶ですから、惑星タリスマンよりも効果は高いとか。マナはそれ自体が正体不明なのが欠点といえば欠点。
三重冠は三位一体や天地人をあらわす、というのが主流の解釈のようです。カトリックをおちょくる目的で、スズメバチの巣をそれ風に改造して見世物に使った例はあったように思います。
#はちみつの日 ということなのでリツイート。
— 西洋魔術博物館 (@MuseeMagica) 2017年8月2日
魔術的宇宙観では四大元素と七惑星が作用してさまざまな自然現象が発生するわけですが、金星の影響力が大気を通過するとハニーとなって花にたまり、それを蜂が集めてハチミツとなるとのこと。図の薔薇十字が金星記号になっている点に注目。 pic.twitter.com/TqyxIyFkPr
)
⑩薔薇十字【第十八】位階に属するドイツ・フリーメイソンの装身具が二つ。
一つはペリカン、もう一つはワシ。
ペリカンは左目を見せる。
ワシは右向きで右目を見せている。
(右向きは珍しい!
紋章見ても左向きばかりだ)
・翻訳者 吉村正和の文章と注釈。
新プラトン主義の最終目標は人間の神化におかれている。
ポルピュリオスは『プロティノス伝』において、
師であったプロティノスが最終的に目指していたものについて次のように語っている。
「彼(プロティノス)は、つねに神的なものを目指して努力し、
心魂を傾けてそれを愛した。
……彼にとって目的つまり目標は、
すべてのものの上にある神に近づき合一することであった」。
プロティノスの「美について」(『エネアデス』に収録)は、
プラトンの『饗宴』で示された絶対的な美への上昇という主題を背景にして執筆された著作であり、
プロティノスの精神の神髄を最も明確に表現するものである。
美と善はともに神的な領域に属するものであることを前提として、
プロティノスは次のように述べる。
「ここに至るには、われわれが感性界に降下してみにまとったものを脱ぎ捨て、
上の世界に方向を転じて昇っていかなければならない。
このことは、神殿の秘儀に参加する者たちに、
いままで来ていた衣服を脱ぎ捨てて身を浄め、
裸のままで聖域に上ることが要請されるのと似ている。
そしてこのように昇りながら、
神に縁のないすべてのものを通過し、純粋な自分にもどるならば、
純粋単一で清浄な善をありのままに観ることができる」。
グノーシス主義の目標は、
霊肉二元論を前提として、
霊的な自己が内部に存在する神性に目覚めることにある。
人間の神化という点では新プラトン主義と同一の歩調をとっているが、
グノーシス主義を際立たせているのは、
その徹底した現世拒否の姿勢。
現世あるいは物質界は永遠界に本来の根拠を持つ魂を閉じ込める牢獄であるととらえられ、
霊知(グノーシス)によってその牢獄を脱出していくことが人間の使命とされる。
『使徒トマス行伝』という聖書外典に含まれる『真珠の歌』は簡潔にグノーシス主義の基本思想を表現している。
この物語では、
ある王子が父王からエジプトに行って海の中の蛇が守る真珠を持ち帰るように命令される。
出発に先立って彼は光輝く衣服を残していく。
エジプトにつくと彼はさっそく真珠を求めて蛇のいる場所に向かう。
しかしエジプト人の不浄の衣服を身に着けてエジプト王に仕えるようになる、
真珠のことも自らの素性のことも忘れてしまう。
やがて、父からの手紙を受け取った彼は自分の使命を思い出し、
魔力をもって蛇を倒すことにより真珠を獲得する。
寓意的な意味は明瞭。
エジプト、蛇、海は現世あるいは物質界、
エジプトにとどまる彼は物質世界に幽閉された魂。光輝く衣服と不浄の衣服はそれぞれ魂を包み込む光と闇の身体である。
真珠は幽閉された魂が再び永遠会へと復帰するために必要な霊知であろう。
グノーシス主義は紀元二世紀のウァレテンティノスの時代になることには複雑な体系を完成さえることになるが、
その基本的な姿勢は『真珠の歌』に示されているものと変わることはない。
(父は至高の神)
ヘルメス選集の『ポイマンドレス』はヘルメス主義の基本姿勢を簡潔に示している。
注目されるのは魂の上昇による人間の神化の過程に関する表現。
人間は、地上への下降の段階において天球から受け取った悪徳を、
上昇の段階において天球に返していき、
最後に始原なる神のもとに帰還する。
「神化、これこそがグノーシスを有する人々のための善き終極である」。
ここにはポイマンドレスの教えの基本的な姿勢が示されており、
ヘルメス主義の目標が端的に表現されている。
『ヘルメス選集』の他の冊子にもある。
「魂の徳とはグノーシスである。
なぜなら、認識した者は善であり敬虔であり神的でさえあるのだから」
「ところで、自己を神に等しくしないなら、神を知解することはできない」
「そこでこのヌース(叡知)は、人間のうちにあっては神である。
だから、人間のなかのある者たちは神であって、
その人間性は神性に近い」
中心にイエスの死と復活の神話があり、
彼の十字架上での死と復活への信仰によって、
信徒は死の克服と永遠の生命が約束される。
教会の祭儀行為は、
キリストの秘儀を記憶し再現することにより信徒の神化を実現させようとする。
キリスト教は密儀宗教あるいは魔術の全盛の時代に登場したために、
そうした要素はキリスト教の本質にかかわる部分に見出すことができる。
ルネサンス魔術の原点ともいうべきコルネリウス・アグリッパは、
魔術を自然魔術
(自然を動かす神の機構を解明しようとする)、
数学魔術
(ピュタゴラス主義の数秘論。
数的な秩序、調和、美を観照することで魂の浄化を追及)、
宗教魔術
(最も高次。対象は神あるいは天使。
カバラを駆使して天使と交わり最終的に自らの神化を達成しようとする)
の三つに分類。
アグリッパからジョン・ディーをへてロバート・フラッドに至る系譜において、
魔術は幾何学・絵画論・軍学・
天文学・占星術・工学・
音楽・光学などの諸領域を包み込む総合学となるが、
そのすべての領域を統括するのが数学。
(軍学も魔術に入っていることに注目。)
(
”万物は相互に照応…関係し合い…万物は全宇宙的流出のプロセスに内包…ここでも「生命の樹」の基本概念…!…流出による創造とは、神ご自身の瞑想の結果…。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側@ブログ更新中「必ずや名を正さんか」「怪力乱心を語るかも (@kitsuchitsuchi) 2016年12月21日
盲人イサク…以降を「カバラ」と呼ぶべきであり、それ以前は「ユダヤ教神秘主義」とすべきだ、という主張すらある。”@kikuchi_8
” 1165年、フランスに盲人イサクが生まれ…瞑想を中心とした実践的なカバラが大きく発展。彼の誕生をもって、「カバラ」が生まれたとする研究者もいる。彼は「生命の樹」と呼ばれる図形の原型を作った…とされる”←!!https://t.co/Q4cpaEoSwS@kikuchi_8
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側@ブログ更新中「必ずや名を正さんか」「怪力乱心を語るかも (@kitsuchitsuchi) 2016年12月21日
生命の木カバラの起源は12世紀、1165年の仏生まれの盲人イサク
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側@ブログ更新中「必ずや名を正さんか」「怪力乱心を語るかも (@kitsuchitsuchi) 2016年12月21日
11世紀以前に生命の樹カバラはないhttps://t.co/bokiXGTf2i
”盲人イサク…は1165年にフランス…で生まれたらしい…彼…は…新プラトン主義およびグノーシス思想の強い影響…@kikuchi_8
)
化学の結婚の概要
第1日目。
復活祭の前夜、瞑想し、祈りを捧げている私(クリチャン・ローゼンクロイツ)の前に天使のような女性が現れ、
1通の手紙を渡す。それには、ジョン・ディーのモナド論を表す記号が封印として押された王の結婚式への招待状であった。
その招待状には、「結婚式に参列する者は、神に選ばれた相応しい人物でなければならぬ」と書かれていた。
私は、罪深い自分には到底そんな資格は無いと絶望し、神に助けを求めて眠ると、夢でお告げを受ける。
「結婚式に参列することが神からの恩恵である」と。
この夢に勇気づけられて出席を決意する。
私は白いリネンの上着に赤いリボンをたすきがけに十字に結び、帽子には4つの赤い薔薇を刺して出発する。
第2日目。
出発して間もなく、森の中で王宮に通ずる四つの道の分岐する地点に出る。
私は偶然のように導かれるまま道を選び、会場の城につく。
第一の門から、獅子の守る第二の門、
さらに第三の門を抜けて城内に入る。
大広間ではすでの王侯貴族などの大勢の客達が居たが、皆うぬぼれ屋ばかりで、自慢話や大言壮語をしている。
私=ローゼンクロイツは最下位の席につく。
このあとほとんどの行事を主催する「光の乙女」が、
明日秤によって招待客の徳性が計測されることを告げる。
自分の愚かさを自覚している私は、その審査に挑戦することを断念する。
第3日目。
資格審査の日である。
大きな天秤の上に載せられ、信仰、慈愛、融和、純潔、忍耐、謙虚、節制の重さを計られる。
大部分の客は虚栄しか持たないことがわかり、
野外舞台で罰を受けた後に王宮から追放される。
私は最も高徳だと証明され合格。
私は頭に刺していた赤い薔薇を計量していた乙女に渡した。これは「大いなる作業」の象徴となる。
私は、「翼ある獅子(飛ぶ獅子)」の絵がついた「金羊毛」を与えられた。
そして、同様に徳性の高いと判断された少数の客とともに、
「錬金術」という名前の乙女を団長とする騎士団に加えられる。
この日、私は城を見学するが、ここには鉱山や工房、天文台、天体観測機器、図書館、王達の墓場があった。
夕食時には騎士団のメンバー達がルネサンス風の小話を語り、食事の儀式をし、夢を見る。
いずれも錬金術の寓意に満ちた内容であった。
第4日目。
結婚式当日。
選ばれた脚たちは、「泉」の水を飲んだ後、
光の乙女に案内されて、
錬金術の実験室のような広間に行き、3組の王と王妃を紹介される。
三つの玉座がある。
王と王妃が座る中央の玉座の前に、「祭壇」があり、
その上に、黒い書物、ロウソク、天球、
時計、頭蓋骨、白い蛇などが見えた。
その後、「太陽の家」においてダンスや寓意的な七つの劇を見る。
そして謁見室に戻る。
夕食時に厳粛な雰囲気の中、結婚式が始まる。
それはまず、3組の王と王妃がムーア人に首を切られ、
血は金の杯に、遺体は棺に納められる。
ムーア人も処刑されてしまう。
その夜、私は7隻の船によって、棺が運び去られるのを見た。死者達の魂は火となって、船の上方でゆれていた。
結婚式の日終わり。
(”ムーア人の用語解説 - 《Moor》
モロッコ・モーリタニアなどアフリカ北西部に住み、
イスラム教徒でアラビア語を話す人々の称。
本来はマグレブの先住民ベルベル人をさしたが、
15世紀ごろからはイスラム教徒全般をさすようになった。モール人。”
https://kotobank.jp/word/ムーア人-640785
イスラーム!)
第5日目。
私は夜明けに早起きをし、城を再び見学する。
「ビーナスの墓」、つまり王宮の地下墓に埋葬されたウェヌス、裸のビーナスを見てしまう。
そして、昨日殺された王達の葬式が行われる。
ここで騎士団長の乙女である「錬金術」の提案により、
七隻の船で「オリュンポスの搭」のある島まで航海し、王達を生き返らせる薬を取ってくることになる。
その搭は7層から成っていた。
最初の作業として、塔の一階にある実験室で薬草や宝石からエッセンスを抽出する。
その夜、私は一人で惑星の「合」を発見し、7つの火の玉が搭の天辺に留まるのを目撃した。
第6日目。
「オリュンポスの塔」では王と王妃の復活のための錬金作業が続けられる。
王達の遺体に、昨日作った薬を用いる。
溶けた液から卵を作り、そこから鳥が生まれ、その鳥を風呂に入れ、殺して焼いて灰にする……という、
まさに錬金術の寓意画のような作業を続ける。
私は三人の仲間達と共に、最後の作業からは締め出されるが、実は最も重要な作業を任せられるためであった。
私達は最上段の第7層に案内され、鳥の灰から美しい少年と少女をつくった。
こうして王と王妃は復活し、もといた城へと戻って行った。
(鳥の灰から作られた少年少女、って鳥人ゴーレム?)
第7日目。
彼らは十二隻の船で(五隻増えている)島から王宮に向い、
先に戻っていた王と王妃の歓迎を受ける。
私達は「黄金の石の騎士」に選ばれる。
船で城に戻ると、王と王妃に迎えられる。
私達は誓いをたて、騎士に叙任される。そして、愚かさと貧困と病気を支配する力が与えられた。
私は「無知こそ最高の知なり」と署名する。
しかし、ウェヌスを見た罪として、
ローゼンクロイツが王宮の門衛になる場面で終了する。
ーー終わり。
この結婚式は錬金作業の完成による霊的生命を目的とする「化学」の結婚。
「賢者の石」の探索をも象徴している。
錬金術において、金羊毛を求めて出向するアルゴー船の物語は、賢者の石の探索の象徴。
王を生き返らせるための万能薬を作るために航海するこの物語は、まさにそのもの。
ヘルメス哲学の作品であることは間違い無い。
(「化学の結婚」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/kagakukekon.htm
元に加筆)
(
ちなみにロス茶より格上の
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側@ブログ更新中「必ずや名を正さんか」「怪力乱心を語るかも (@kitsuchitsuchi) 2016年5月4日
ユダ公の大ボスはイツィヒ家
という家系な。
ドイツのヘッセン伯と繋がってる
やつな。
メンデルスゾーンもこいつの
子孫だ。
オカルト狂いの大銀行家で
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側@ブログ更新中「必ずや名を正さんか」「怪力乱心を語るかも (@kitsuchitsuchi) 2016年5月4日
ドイツ人のオカルトヲタの
落ちぶれ貴族から乗っ取った
魔術結社がGDの秘密のマスター
のモデルになった
イツィヒ家の現在について調べて
みたが、ロス茶やヘッセンに比べて
圧倒的に情報が少ない。
)
万教帰一は他の宗教を滅ぼせが本音なので悪。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2017年10月29日
スピリチュアル?のワンネスとアストラルの源流が
新プラトン主義の神Oneと
16世紀のパラケルスス派のアストルム。
オカルト百科
パラケルスス(ホーエンハイム)がいなければ薔薇十字もなかったhttps://t.co/GbFqg2hII7
“ヘルメス「アスクレピオスよ。
— 子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側 (@kitsuchitsuchi) 2017年3月18日
お前はエジプトがヘルメスの模像であることを知らないのか。…
天と天にあるすべての力たちの住処であることを知らないのか。
もし私たちが真理を語るべきならば、
この私たちの国は世界(宇宙)の神殿なのだ。”https://t.co/jSTcCs79yu
参考資料
一人追加! pic.twitter.com/ZOj5vUPCV9
— 日本プロファイル研究所 (@jprofile36) 2017年9月25日
ポケモン最新作のタイトルロゴは
— シブリンガル 低浮上ぎみ (@shibutaayumi123) 2017年6月6日
日蝕と月蝕をイメージしてる…? pic.twitter.com/Jwq1gDxToF
698夜『薔薇十字団』クリストファー・マッキントッシュ|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0698.html
”最初の問題は、ゲーテの「十字架に薔薇をからませたのはいったい誰か」という疑問にこたえるためにある。
歴史上の薔薇十字団の出発は、ドイツのカッセルで1614年とその翌年に出版された2冊の秘密パンフレットに由来する。これはクリスティアン・ローゼンクロイツなる人物が創設した「友愛団」の存在をあきらかにするためのもので、
それぞれ『称賛すべき薔薇十字団の名声』および
『友愛団の告白』というタイトルがついていた。
神秘主義ギョーカイでは前著を「ファーマ」、
後著を「コンフェッシオ」とよぶ。まとめて「宣言」ともいう。
いまではクリスティアン・ローゼンクロイツなる人物は架空の者だということがわかっている。だからこれらは他愛のない偽書でおわってもよかったのだ。
ところが1616年にドイツ語で綴られた『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』という物語形式の一冊が世に出るにおよんで、この幻想文学めいた物語が匿名で出版されたにもかかわらず、その影響は燎原の火のごとく波及した。
1614年から1620年のあいだのたった6年間だけで、なんと200以上の文書が乱れ飛んだのだ。それでどうなったのかというと、一言でいえば、薔薇十字団が“実在”することになったのだ。
しかも、「ファーマ」と「コンフェッシオ」と「化学の結婚」は一人の人物、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエによってすべて文書化されていたことがあきらかになった。
ヨハン・アンドレーエという男は誰なのか。
この男はなぜにまた「クリスティアン・ローゼンクロイツが薔薇十字を象徴とする友愛団をつくった」などという、とんでもない空想を綴ったのか。
いや空想だけなら、稀代の幻想文学の傑作として終わってよかったのである。ところが、そうはならなかったのだ。アンドレーエ自身も、これらを物語に終わらせるつもりがなかったようだ。
フランセス・イエイツもそういう叙述をしていたように、アンドレーエの祖父のことから入ったほうがわかりやすいだろう。
祖父はカトリックから改宗したプロテスタント運動の指導者で、“ヴュルテンブルクのルター”として知られている。テュービンゲン大学の学長も務めた。18人の子がいて、その7番目の子にやはりルター派の牧師が登場し、錬金術に強い関心をもった。その錬金術的牧師の子がアンドレーエだった。
時代背景と文化地理をちょっとだけ覗いておくと、テュービンゲンはネッカー川を望む美しい大学都市で、ヴェルテンベルク公フリードリヒ1世が慎ましい宮廷文化をつくっている。ただし、この町はプロテスタントに溢れていた。
近くのオーストリアはハプスブルグ家に司られた神聖ローマ帝国型のカトリックである。帝都プラハには魔術好きの帝王ルドルフ2世の異様な文化が栄えていて、複数宇宙論を唱えたジョルダーノ・ブルーノ、ヨハネス・ケプラー、エリザベス女王を操ったジョン・ディーなどが頻繁に訪れていた。
プロテスタントのテュービンゲンと、魔術的ではあるがカトリック・ルネサンスをまだ継承しているプラハ。この二つのあいだは、それでも緊張のない温和な関係がつづいていたのだが、フリードリヒ2世の反宗教改革がおこってからは、ここに歪曲と対立と越境が始まった。
アンドレーエはそういうテュービンゲンで、父の錬金術志向を浴びながら育ったのである。
父を継いでルター派の牧師となったアンドレーエは、17世紀に突入しつつあった巨大な時代変化を感じていた。
そこで「テュービンゲン・サークル」に入り、新たな時代を築くにはプロテスタントとカトリックを相互に越境できる理想の王国をつくることをしだいに夢想するようになる。テュービンゲン・サークルの中心には、クリストフ・ベゾルトという異能の者がいた。ヘブライ語をふくむ9ケ国語に通じ、グノーシス主義・カバラ・錬金術に長けていた。だいたいこういう男が事態を輻湊させていく。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイ』の脇役のように。
案の定、アンドレーエはベゾルトに感化され、最初は有名なユートピア物語『クリスティアナポリス』などを書いていたのだが、やがて“秘密の結社”という魔力に取り憑かれる。アンドレーエは最初は1577年に創設された「親友協会」に関心をもち、ついで17世紀に入って創設された「豊饒協会」に、さらにはそれが改組されて発展したらしい「椰子協会」に出入りする。
こうした協会の幹部たちはたいてい鉱山の所有者か精錬業者の親玉たちで、その錬金術っぽい思索と方法の成果が「アーカ」とよばれる秘筥に保管されていた。かれらは“黄金生成”を夢想していた超技術集団だったのだ。
アンドレーエが、クリスティアン・ローゼンクロイツなる人物が薔薇十字を戴いた友愛団をつくったという空想物語を思いついた背景で事実としてわかることは、とりあえずここまでである。
したがって、薔薇十字団という秘密結社が歴史的に“実在”していたという証拠は、ここまでのところは、まったくない、しかしながら、それが歴史の中でだんだん“現実化”していってしまったのだ。なぜなのか。
たしかにアンドレーエは、この物語を巧妙にでっちあげた。以下にごくおおざっぱな概要をしるしておくが、これではみんな騙されるにちがいない。
そもそもクリスティアン・ローゼンクロイツは1378年のドイツ貴族の生まれだと書いてある(この年代はカトリックのシスマがおこり、ニコラ・フラメルの錬金術が形づくられた時期にあたる。ヨーロッパ人からは一番遠くて、わかりにくい設定になっているのが、やはり巧妙だ)。
16歳で聖地巡礼を企て、キプロスで指導者に出会ったが死に別れた。そこでやむなく一人で旅を続け、ダマスカスでアラビアの賢者に出会い、エルサレムに向かうことを放棄して(こういうところがうまい)、イエメンの町ダムカールに入った。
ここでローゼンクロイツはアラビア語による知識をことごとく習得し、『Mの書』のラテン語訳にとりくんだ(こうした幻の書を巧みに入れている)。3年後にエジプトに赴いて植物と動物の研究に熱中し、『Mの書』の研究者が集まるというフェズに行き、アデプト(達人・賢者)の知を存分に吸うと、その後はスペイン経由でドイツに戻り、広大な館をたて、そこで哲学と数学と自然学の研鑽に入った。
やがてローゼンクロイツの噂を聞きこんだ同士や同朋が訪れるようになり、ここに「友愛団」の原型が生まれた。ローゼンクロイツは暗号言語(!)を考案して、さらに象徴的なパビリオン「聖霊の館」を建設する。やがて仲間をよく選ぶと、6つの規則をもって次々に世界に散るように命じた。
6つの規則が、なかなか奮っている。
①行き先の滞在国の習慣に従うこと(こういうところもうまい)、
②けっして特別な衣裳を着用しないこと、
③印章として「R・C」のグラフィック・パターンを用いること(これが薔薇十字)、
④無報酬で病人や貧者の治療にあたること(徹底したボランティアの哲学なのだ)、
⑤年に一度だけ「聖霊の館」に集合すること、そして最後に、
⑥むこう百年にわたって友愛団の存在を秘密にしておくこと、である。
アンドレーエの作為による物語はまだ続く。
そのうち2点を示しておく。ひとつは、『化学の結婚』に書いてあることだが、謎の人物クリスティアン・ローゼンクロイツは晩年になって山腹の洞窟に入り、復活祭の前夜に天使が降りてきて不思議な記号を届けるというふうになっていく。ローゼンクロイツは決意してまた旅に出る。
ここで3本のヒマラヤ杉、赤い薔薇を挿した帽子、賢者の石、金羊毛、風神メルクリウスなどの、数多くのシンボリック・アイコンが次々にあらわれる。のちにユングが異常な情熱をもって分析した集合的無意識を象徴する寓意に満ちたものばかりである。
もうひとつは、ローゼンクロイツの死後、墓所がしばらくわからなくなったのだが、その墓所が「隠し扉」とともに(こういうところも沸かせるところなのだ)、館の跡から発見されたというふうになっていく。そこは神秘的な丸天井の地下埋葬所で、円形の祭壇には遺骸が安置され、片手に羊皮紙に金文字の書物を持っている。その書物の文章は末尾がすべてラテン語になっていて、どうやらその内容は世界の縮図が綴られていたはずなのである。
しかし、この墓所が発見されたあと、そこはふたたび閉じられ、いまは同士たちの子孫が世界に散っているはずなのだ‥‥。
…
ローゼンクロイツの実在性を匂わせるのもさることながら、それだけではなく、たとえばパラケルススは薔薇十字の友愛団と似たような考え方をもっていたが、その盟約には入らなかったといったような、まことしやかな経緯をあれこれ書きこんでいるため、ついつい本気にさせられる(実際にはパラケルススが薔薇十字に関心を寄せたのではなく、アンドレーエがパラケルススの影響を深くうけて薔薇十字を思いついたのである)。
子孫がいまも散っているというのも、この手の伝承では絶対に欠かせない。
ただし、ゲーテが投げかけた「十字架に薔薇をからませたのは誰か」という疑問については、その仕掛けのすべてがヨハン・アンドレーエだったというわけにはいかない事情がある。
なぜなら、アンドレーエは当時知りうるかぎりの神秘的知識を古代からも中世からもルネサンスからもブラウジングして、これを徹底的に編集加工していたからだ。そこにはおそらく多くの編集団がいたのではないかとおもわれる。
アンドレーエが『化学の結婚』のなかで書いた神秘思想は、その淵源をグノーシス主義にまでさかのぼることができる。
グノーシス主義についてはいずれ別の書物の紹介を通して書いておきたいとおもっているが、ごく簡単にいうと、紀元前4世紀ころのエジプトに芽生えたとおぼしい融合力に富んだ神秘哲学で、宇宙の本質を霊魂と物質に二元的に分け、物質世界はデミウルゴスという下位の神性による創造であるが、人間に宿った知的な精神世界は宇宙的な霊魂そのものが分出させたものであるから、人間の「知」はいつしかデミウルゴスの頸城を破って宇宙霊魂と人間精神が重なる方向に向かって融合するであろうと説くものだ。
この融合の兆を継げるメッセージが「グノーシス」とよばれるもの、すなわち「霊知」なのである。グノーシスは天界から人界に洩れてきた兆候でもあった。
霊知についての予告は、その後、ヘルメス・トリスメギトスの著作とともに(これがいわゆるヘルメス文書=むろん偽書とされている)、後世に伝えられたというふうになっている。
その後のグノーシス主義はヘルメスの知を媒介に、ピタゴラス主義、新プラトン主義をへて、さらにユダヤ教カバラの神秘思想に結びつき、これらが総じてルネサンスの中で復活再生させられた。そのときのプロデューサーはコジモ・ド・メディチ、ディレクターはマルシリオ・フィチーノ、編集拠点は「プラトン・アカデミー」と名付けられた。
ここからフィチーノの弟子のピコ・デラ・ミランドラなどが輩出していった。いずれも「汎知学」ともいうべき「霊知」を求める探求である。
やがて、これらがドイツに飛び火する。
もともとドイツは、1190年代にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィファル』(この物語は『化学の結婚』といくつもの共通点をもつ)に見られるような「聖杯伝説」と、神秘的で使命感に富んだ「騎士団の伝統」をもっていた。
そこにグノーシス主義やカバラや錬金術が加わって、ロイヒリンやアグリッパやパラケルススといった傑出した神秘化学思想ともいうべき蓄積をつくっていったから、たまらない。いっさいの神秘の対象が身体的にも宇宙論的にも現実味を帯びたのだ。
アンドレーエは、仲間たちとともにこれらすべてを編集加工したといってよい。
とくにこのような汎知的なグノーシス主義の成果が薔薇十字団の思想に便利なのは、人間の知はデミウルゴスによって幽閉されているものの、それがいつかは突破されて神の英知と融合するというふうになっているところである。
…
すでにのべたように、アンドレーエの3つの文書が出た直後からの6年間だけで、薔薇十字団の噂があっというまにヨーロッパ中に広まった。むろんこれを怪しむマラン・メルセンヌ神父やガブリエル・ノーデといった知識人も少なくなかったが、イギリスのロバート・フラッドや化学者ロバート・ボイルや
SF文芸の始祖ともいえるジョン・ウィルキンズらが、またドイツの錬金術師ミヒャエル・マイアーがそうであったように、薔薇十字団を実在の秘密結社とみなす者ははるかに批判者を上回っていった。
もはや薔薇十字団と薔薇十字運動は、すべての西欧神秘主義の宿命を担ったままに一人歩きしてしまったのである。
理由は難しいところにあるわけではない。
この時代、たとえばアイザック・ニュートンがそうなのだが、錬金術はまさに科学の魂であったのだし、まだヨーロッパには各国語が確立していないために、あらゆる言語文字表現はその大いなるルーツを争っていたのである。つまり神秘を取りあっていたのだ。すなわち、すべての科学と言語学と地理学と神学が、どちらにせよ薔薇十字的な思索と仮説と探求の中にごった煮になっていたわけなのである。当然に、薔薇十字の物語はかれらの関心の的になっていったものだった。
18世紀になっても、この蠢動は収まらなかった。マリア・テレジアのウィーンには1万人の錬金術師がいたとされるのだが、そこではあいかわらず薔薇十字団の噂はもちきりであり、ときに霊液を呑んでいるといったサン・ジェルマン伯爵のような奇怪きわまりない人物があらわれると、たちまち薔薇十字団の隠れた本拠がそのへんにあるらしいというふうになっていったのである。
そこへフリーメーソンの運動が絡んでいった。1717年にロンドンにグランド・ロッジが結成されると、フリーメーソンの活動にいくつものロッジと会員が生まれるのだが、それがたえず薔薇十字団との類縁関係を取沙汰された。さらには金属変成を好んだというテンプル騎士団の末裔がここに交ざっていった。
これではもはや、とうてい収拾がつかない様相である。
薔薇十字運動が退嬰しなかった理由が、もうひとつある。それは理性主義や啓蒙主義の台頭によるムーブメントにあきたらない人士を、「反理性」のサークルとして巻き込んだという事情である。どうみても「理性」と「霊知」は対立する以外になくなっていた。理性に反抗する「知」の多くが薔薇十字派とみなされるにいたったのだった。
こうして、フリードリヒ・ヴィルヘルム公のような、フリーメーソンであって薔薇十字団の会員となったとされるような王侯貴族たちが、ついに薔薇がからまる十字のシンボリズムの内側に入ってきた。ヴィルヘルム公はよく知られているように、アマデウス・モーツァルトの庇護者であった。
加えてドイツ・ロマン主義の夜陰の波涛のようななだれこみがある。それらは必ずしも薔薇十字の思想を標榜するものではなかったけれど、薔薇十字的なるものを否定したり迫害するものでもなかった。ゲーテの『ドイツ移民の神秘の物語』やシェリーの『セント・アーヴェンあるいは薔薇十字団員』にみられるように、薔薇十字幻想はあたかも民族の記憶や地域の伝説として、欠くべからざるものにさえなったのだ。
ゲーテの『ファウスト』第2部がアンドレーエの『化学の結婚』からいくつものコントを得ていたことは、すでに何度となく指摘されてきたことだ。
…
デカルト、コメニウス、ベーコン、ゲーテはもとより、かのライプニッツさえ薔薇十字問題には注意を払ったのである。イエズス会が薔薇十字団の隠れ蓑だといわれた時期もあった。
…
参考¶薔薇十字団あるいは薔薇十字運動についての本格的研究はまことに少ない。すでにのべたようにフランセス・イエイツの『薔薇十字運動の覚醒』(原著1972・翻訳1986工作舎)は初期の実情研究で、種村季弘の『薔薇十字の魔法』(1975出帆社)は中世から近世にかけてのオカルティズムの特質そのものを扱っていて、詳細な個別研究ではなかった。またルドルフ・シュタイナーに『薔薇十字会の神智学』(平河出版社)が、マンリー・P・ホールに『カバラと薔薇十字団』(人文書院)があるものの、これらも神智学的展望や神秘主義的象徴哲学に重点があって、歴史の中の運動に焦点が当たっているわけではない。そうしたなかで、歴史を扱って、かつ入手しやすい2冊が翻訳出版された。ひとつがロラン・エディゴフェルの『薔薇十字団』(白水社・クセジュ文庫)で、もうひとつが本書である。なお本書にはコリン・ウィルソンのオカルト現代史から眺望した序文がついている。 ”
スクリャービン「プロメテウス」と神智学
https://blogs.yahoo.co.jp/museion2013/32722099.html
バッハ「14のカノン」
https://blogs.yahoo.co.jp/museion2013/33191686.html
” バッハは数字にこだわった作曲家の一人で、カバラの数秘術に親しんでいました。
カバラは、ユダヤ教の秘教で、
レコンキスタによってスペインを追われたユダヤ人がヨーロッパ各地に散らばり、カバラの知識が人々に知られるようになりました。
14という数字は、バッハの名前BACH=2+1+3+8=14であると解釈されています。”
サティと薔薇十字団
https://blogs.yahoo.co.jp/museion2013/33587995.html
” フリーメーソンや神智学、カバラと音楽家の関わりを書きましたので、もうひとつ、薔薇十字団に触れておきましょう。
エリック・サティ(1866~1925)は薔薇十字団に加入し、薔薇十字のための音楽も書きました。
「薔薇十字教団の最初の思想」
「薔薇十字教団の鐘の音」
また、次の曲も思想的に関係しているでしょう。
「至高存在」のライトモティーフ
「天国の英雄的な門への前奏曲」
サティが加入していたのは、正しくは1890年にペラダンが設立した「カトリック薔薇十字聖杯神殿教団」、略して「カトリック薔薇十字団」と呼ばれる団体で、1888年にガイタが創始した「薔薇十字カバラ団」から分岐したものなので、ちょっとややこしいのですが、これらは19世紀になってたくさん現れた薔薇十字系の団体です。
…
イタリア・ルネッサンス思想がドイツに波及するのですが、もともとドイツには「聖杯伝説」があり、エックハルトがいました。そこにグノーシス主義やカバラや錬金術が加わり、「薔薇十字運動」と呼べる潮流になっていったわけですね。
「薔薇十字団」はフリーメーソンやテンプル騎士団との関わりもあるようで、シュタイナーやユング、イエイツ、ブレイクも強い関心を寄せています。
モーツァルトの庇護者であったフリードリヒ・ヴィルヘルム公爵は、フリーメーソンであり薔薇十字の会員でもありました。
ドイツ・ロマン主義も薔薇十字を否定するものではなくて、
ゲーテの「ファウスト」第二部はアンドレーエの「化学の結婚」からいくつもの題材を得ていますし、
シェリーの「セント・アーヴェンあるいは薔薇十字団員」のように、文学の背景として欠かせないものとなりました。
19世紀のベールギーとフランスの象徴主義も薔薇十字の影響を受けており、
ベルギー象徴派のジャン・デルヴィルは薔薇十字のペラダンと知り合い、薔薇十字展に出品していました。ぺラダンのまわりにはサティの他にモローやルオーなどもいて、「カトリック薔薇十字団」は当時のデカダンス芸術家たちのサロン、プロデュースのための団としても機能していました。
シェーンベルクの「ヤコブの梯子」はシュタイナーの神秘劇と密接な関係があるとされますが、
「ヤコブの梯子」とは薔薇十字文書で言及される、神と接触するための方法を指しています。
…
現在も、薔薇十字を名乗る団体は存在しています。フリーメーソンに入会するためには、すでに会員になっている友人がいなければなりませんが、薔薇十字や神智学は誰でも入会することができます。でもそれをお勧めするわけではありません。不完全な人間が集まるところには必ず問題も生じるからです。
サティは「カトリック薔薇十字団」を脱退したのち、自ら「主イエスに導かれし芸術のメトロポリタン教会」を設立しました。信者は彼一人でした。”
薔薇十字友愛団と三十年戦争を巡る会話/純丘曜彰 教授博士
https://news.goo.ne.jp/article/insightnow/bizskills/insightnow-9762
”宗教改革の始まり
「フランスなんて、百年戦争にかろうじて勝っただけの小国だったじゃないですか。いつから、そんな大国になったんですか?」
「きっかけは、宗教改革だろうな」
「ドイツのルターの?」
「そう。ライプツィッヒ市の北のヴィッテンベルク街でルターが一五一七年に教会のやり方に疑問を呈すると、
二一年、領主のザクセン選帝「賢人」公フリードリッヒ三世がこれを匿い、
二四年にはドイツ中央、フルダ河畔のヘッセン方伯「寛大」フィリップ一世が公然とルター派を支持、プロテスタント(抗議派)となった。
おまけに、ブランデンブルク・ツォレルン辺境伯家出身のチュートン騎士団長も、二五年、騎士団ごとルター派に改宗させ、私領のプロイセン公国を創ってしまう」
「おいおい、ツォレルン辺境伯家って、アウグスブルクのフッガー家やフィレンツェのメディチ家とつるんで、免罪符を売った側だろ?」
「変わり身が早い、どさくさに紛れる、結果はしっかり手にする。悪い人って、そういうものですよ」
「このルター派とはまったく別に、教皇に離婚を認めてもらえないからって、三一年、イングランド国王ヘンリー八世が教皇権を否定して、イングランド国教会を興す」
「教会関係者しかわからないラテン語として封印されてきた『聖書』を自国語で読んだら、どこにも「教皇」なんていう言葉は書いてなかったんだから、そうなるのは当然の結果だな」「でも、これまでずっとそれがバレなかったんですから、やっぱり神さまの奇蹟じゃないんですかねぇ」「……」
「とはいえ、黙って引き下がるカトリックでもない。
カトリック教会では三四年にイエズス会ができる。
一方、三六年にはカルヴァンが出て来て、ジュネーヴ市に拠点を築き、対立は激化。
四六年、ヘッセン方伯「寛大」フィリップ一世や、ザクセン選帝「賢明」公フリードリッヒ三世の甥のヨハンフリードリヒ「豪胆」公が、皇帝カール五世に対してシュマルカルデン戦争を起こす」
「教皇はどうしていたんだ?」
「ファルネーゼ家パウルス三世は、もともと皇帝カール五世と仲が悪かったんだよ。就任前の二七年には、ローマ略奪を喰らっていたし、自分の息子を教皇領のパロマ公にしていたのに、四七年に暗殺されて、街も取られた」
「そういえば、ヴァチカン大聖堂の改修のための石の調達で、カラカラ帝浴場跡からファルネーゼ・ヘラクレス像が見つかったのって、一五四六年だったよな」「殺された息子のように、大切に思えたでしょうね」
遅れてきたルネサンス
「で、ようやく一五五五年のアウグスブルクの和議で、皇帝カール五世は、カトリックか、ルター派か、領邦単位の選択を認めてしまい、漁夫の利を得た」
「フランスは?」
「百年戦争でイングランド王・アンジュー伯家を破ってできたヴァロワ王家は、もともとずっとカトリック教皇の支援を受けてきた。そして、こんどは現フランス・スペイン国境北部のナヴァラ王ブルボン家が、フランスのカルヴァン派の盟主として台頭し、
六二年、ユグノー戦争になってしまう」
「隣のネーデルラントでも、カルヴァン派が、
六八年、カトリックの宗主国スペイン・ハプスブルク皇帝家に対して反乱を起しただろ」
「ドイツで収まったはずの宗教戦争が、フランスやネーデルラントに飛び火したわけですね」
「話は、もっと国際的だ。アウグスブルクの和議をまとめたカール五世以来、ハプスブルク皇帝家は勢力を拡大し続け、大オーストリア・スペイン・南イタリアとベルギーからミラノまでの独仏中間帯を握る巨大帝国となっていた」「それどころか、中南米やフィリピンまで進出し、「陽の沈まない国」と言われていただろ」
「もっとも、ハプスブルク家そのものがでかくなりすぎて、スペインとオーストリアで分かれてしまい、一五二七年生まれで六四年に即位したオーストリア・ハプスブルク家の皇帝マクシミリアン二世からして、ネーデルラントの反乱は、いとこのスペイン・ハプスブルク家の問題で、うちは知らん、と、アウグスブルクの和議の精神のまま、新旧両教に寛容だった」
「ほかの国は?」「このころ、ほかの北半ヨーロッパ諸国の宮廷も、遅れてきたルネサンスで、妙に穏健だったんだよ。伝統あるブラウンシュヴァイク公ヴェルフェン旧王家は、ハプスブルク皇帝家の盟友なのに、二八年生まれのユリウスは、シュマルカルデン戦争中にフランスに旅行して、その後、カルヴァン派の方に改宗してしまった。
ヘッセンの北半を相続した、ルター派の盟主のヘッセンカッセル方伯で三二生まれの「賢明」ヴィルヘルム四世は、夜空を見上げて天文学に没頭していたし、
イングランド国教会の長になった三三年生まれの女王エリザベス一世は、シェイクスピアの芝居に興じていた」「なんだかみんな、やる気のない人たちですねぇ」
ルドルフ二世と近代領主たち
「やたら元気だったのは、七二年、七〇歳で教皇になったグレゴリウス十三世くらいかな。もともとはボローニャ大学の法学教授だったのに、ファルネーゼ家パウルス三世に招かれて聖職者になったという変わり者だ」
「なにをしたんですか?」「ミケランジェロが六四年に亡くなって半球ドームの下輪のあたりで止まっていたヴァチカン大聖堂の建築を再開し、
クイリナーレ宮殿をはじめとして、ローマ市の大改造をやっている。
イエズス会の学校戦略を支援し、ユグノー戦争のプロテスタント虐殺を祝福、
イングランド女王エリザベス一世の暗殺も画策している。
先進的な天文学にも深い関心があって、観測に基づいたグレゴリウス歴に変えた。日本から行った天正遣欧使節の少年たちが一五八五年に会ったのも、この教皇だ」
「皇帝との関係は?」「教会の作戦が、大成功したんだよ。五二年生まれのマクシミリアン二世の息子、ルドルフ二世は、スペイン・ハプスブルク家の方に預けられたんだが、教会はこの間に彼をイエズス会の教育でガチガチのカトリックに染め上げたんだ」「それで、あんな変人になったんだな」
「どう変人なんですか?」
「実の弟、マティアスとケンカし続け、一五七六年に父帝マクシミリアン二世の跡を継ぐと、宮廷をウィーン市からプラハ市に遷して、結婚もせず、魔術的な錬金術だの博物学だのに耽溺してたんだ」「引きこもりオタクのはしりみたいな人ですねぇ」「引きこもりったって、皇帝だからねぇ。大帝国の政治はまったくのお留守」「それじゃ、よけい揉めますね」「それが、そうでもないんだよ。同世代で五三年生まれのナヴァラ王ブルボン家アンリ四世が、いまこそチャンスだ、フランス国内で揉めている場合じゃない、って、ユグノー戦争の収拾を図る。一方、イングランドでは、五四年生まれの国際的な文人冒険家フィリップ・シドニーがネーデルラントに渡って、軍人として加勢」
「フィリップ・シドニーって、『アルカディア』っていう長編詩を書いた人ですよね」「ただ、八六年に戦死してしまった。しかし、フランスでは、ヴァロワ王家が断絶し、
八九年、プロテスタントのナヴァラ王アンリ四世がカトリックに改宗して王位に就き、
九八年のナント勅令で、カトリック教会への納税を条件に、個人の信仰の自由を認める。また、ネーデルラントも、一六〇〇年ころまでには、事実上の独立を果たした」「プロテスタントの勝利ですね」
「ああ。アンリ四世は、フランスでは珍しく、国民に愛された王で、パレ・ロワイヤルをはじめとして、首都パリ市の大規模な再開発を行った。ネーデルラントも、アジアの香辛料貿易で巨大な富を得るようになった」
「建設とか、貿易とか、どっちもメイソンっぽいな」
「でも、とりあえず、いい感じじゃないですか」
「しかし、偏屈カトリックの皇帝ルドルフ二世は、まだ健在だったし、イングランドでは女王エリザベス一世が跡継の無いまま亡くなってしまい、
〇三年に代わって出てきていたのが、女王のおばさんの曽孫に当たるスコットランドのステュワート朝のジェイムズ一世だ。宗教も魔術も大嫌いで、科学者のフランシス・ベーコンを重用し、就任早々、カトリックもプロテスタントも徹底排除。王権神授説に基づく絶対独裁を始めた。
また、建築家のイニゴー・ジョーンズを王室営繕局長に採用して、
ロンドン市大改造をやらせ、コヴェントガーデンやセントポール大聖堂の改修を計画している」
「ドイツは、どうだったんですか?」
「ヘッセンカッセル方伯を継いだ「博学」モーリッツは、父の「賢明」ヴィルヘルム四世同様、みずから自然科学や人文学、芸術に深い関心を持ち、錬金術、演劇、音楽などを振興した。そしてなにより、彼はみずから建築家として、数々の都市計画や建築構想を創った」「まんま、メイソンだな」
「でも、ルター派の盟主だったのに、〇五年、突然、カルヴァン派に改宗してしまった」
「じゃあ、ルター派は?」「代わってプロイセン・ツォレルン公家が中心になった」「ツォレルン公家って、ほんと世渡り上手だな」
メイソン・傭兵・劇団
「それにしても、どの国も建設工事だらけですね」「この時期、都市国家から領邦国家へ構造が大きく変わっていったからね」「どう違うんですか?」「色で塗り分けた歴史地図みたいなのが誤解の元なんだよ。一六〇〇年以前、どこの国も、そんな広大な面の支配力なんか持っていなかった」「というと?」「城壁を持つ都市を中心に、あちこちに点在する町や村を持っているというだけ。だから、飛び地だらけで、地図を見てもわからない」「町や村のほかは?」「山賊と魔女と野獣がいる黒い森」「まあ、いまでもヨーロッパは、そうだけどな。町を出てしまうと、果てしない森が広がっているよ」
「ところが、宗教戦争や一五五五年のアウグスブルクの宗教和議で、領邦単位で信仰の選択をすることになった。こうなると、入り組んでいる支配権を面で整理する必要が生じた。いちばん問題になったのが、事実上の自治権を持つ自由都市だ。ヴェネツィアやジェノヴァをはじめとして、商人貴族たちが共同体の独立都市国家を成し、それが周辺に点在する町や村も支配している。連中は、領主が都市に介入することを激しく嫌っていた」
「ドイツのニュルンベルクも、商人貴族たちが支配して、皇帝城の城代伯ツォレルン家を追い出したんだもんな」
「ローマ市だって、フィレンツェ・メディチ家だの、バレンシア・ボルジア家だの、
トスカーナ・ファルネーゼ家だの、よそ者の教皇だらけで、ソリが合わなかっただろう」「ミラノ市も、ヴィスコンティ公家が支配していたのを、その傭兵だったナポリ出のスフォルツァ家が乗っ取ったんだしな」「パリ市も、昔からフランス王とは仲が悪いですもんね」「それに、ロンドン市も、スコットランドから来たジェイムズ一世を毛嫌いしていた。ハプスブルク家皇帝ですら、プラハ市の都市貴族たちと争っていたし、
ブランシュヴァイク公も、ブランシュヴァイク公とは言うものの、ブランシュヴァイク市に入ることもできず、ヘッセンカッセル方伯も、南のフランクフルト市とにらみあっていた」
「つまり、近代の面の領邦国家ができようとしているのに、その中に中世的な商人貴族たちが既得権を持って抵抗している自治都市が中に残ってしまっていた、というわけだな」「それを叩き潰すために、新時代の領主たちは、あえてそういう都市で大規模な再開発を行い、周辺でも鉱山開発、道路延伸、新都建設などをやって、面としての経済振興を図ったんだ」「織田信長や豊臣秀吉が東洋のヴェネチアと言われた商人自治の堺市を潰して、新都大阪を創り、そっちに主要街道を引いたのと似てますね」「あれは一五六八年だから、時代的にもまったく同じだな」
「手本となったのが、金融と建設でフィレンツェ市の支配を確立したメディチ家。そして、これを模倣したミラノ市のスフォルツァ公家や、
ローマ市のファルネーゼ教皇家」「ようするに、ブラマンテやダヴィンチ、ミケランジェロということか」「彼らは、紀元前一世紀の建築家ウィトルウィクスの著作をもとに、東ローマ帝国に伝わっていた古代ローマの建築様式、つまり、円柱、アーチ、半球ドームからなる幾何学的な集中様式を復興した」「いわゆるルネサンス建築ですね。パッラーディオが一五五四年の『ローマ建築』や七〇年の『建築四書』で本にして、広まったんでしょ」
「でも、実際に工事をしたのは、だれなんだ?」「だいいちには、東ローマ帝国から移り住んだ、多くの職工たち。ヴェネツィアなんて、第四回十字軍で宗主国の東ローマ帝国を乗っ取ったからこそ、そこから技術者たちを招いて、あんな特異な水上都市を建設することができたんだ。それから、ボルジア家のバレンシア、スフォルツァ家のナポリ。トスカーナのファルネーゼ家だって、領地は南イタリアの先端、モンタルトだからね」「つまり、領主は、その本来の領地の職工たちを引き連れて、抵抗する都市貴族たちの街に乗り込んできたんですね」「それだけじゃないだろ。バレンシアやナポリ、モンタルトなんて、みんな旧聖堂騎士団の拠点じゃないか」
「かつての聖堂騎士団と直接に繋がっているかどうかはともかく、そういうところにはフェニキアのヘラクレス術、巨大土木建設工事の技術の伝承は残っていただろうね」「新時代の領邦国家領主が、移動技術者集団、つまり、フリーメイソンを創ったということか」「それだけじゃないよ。これまで親族と忠誠で複雑に離合集散を繰り返していた軍隊に、彼らは傭兵を活用した。とくに厳しい山岳地帯の生活で鍛え上げられた屈強なスイス人傭兵は、圧倒的に強かった」「これも、移動戦闘者集団ですね」「これらを駆使することで、大都市を牙城とする古い特権的商人貴族たちの支配を、切り崩していったんだんだな」
「フリーメイソンやスイス人傭兵と並んで、もう一つ、新時代の領邦国家領主が活用したのが、劇団、つまり、移動演劇者集団だ。みんなそれぞれの街に大劇場を創っている」「前の女王エリザベス一世と違って、ジェイムズ一世なんて、芝居なんか関心がないだろ」「芝居はあくまで口実さ。実際は、領主に反発している都市の貴族や庶民を娯楽で懐柔し、また、外国に公演旅行と称して行って諜報や外交を行ったんだ」「たしかにそれ、便利ですね」「今で言うメディア戦略や情報戦略だな」
薔薇十字友愛団の幻影
「でも、一六一〇年、馬車に乗っていたアンリ四世が、パリ市第1区フェロンヌリ通り11番地で、狂信的カトリック教徒に刺し殺されてしまう。いま、ショッピングセンターのルアレがある、すぐ南の通りだ」「その後、フランスはどうなったんですか?」「まだ八歳だったルイ十三世が王位を継いで、メディチ家出身の母后マリーが摂政に就き、中立政策を維持したが、カルヴァン派の不満はくすぶり続けた」「それじゃ、まとまりそうにありませんねぇ」
「そんなとき、奇妙な事件がヨーロッパ中を騒がした。一六一四年、カッセル市で『薔薇十字友愛団の名声』という奇妙な冊子が出版されたんだ」「なにが書いてあったんですか?」「東方巡礼を果たしたクリスチャン・ローゼンクロイツという人物を中心とする秘密結社が、秘教科学を駆使して人間を死や病気から救う、その団員はすでに世界に派遣されている、という話だ」「なんだよ、それ」「ローゼンクロイツは、薔薇十字を紋章にしたルターだとか、赤バラ・白バラの二家で争ったイングランドの前のプランタジネット朝の残党のことだ、とか、当時、いろいろにウワサされた」
「なにをしたかったんですかねぇ?」「ほら、一五五五年のアウグスブルクの和議は、領邦単位での信仰の選択だっただろ。だけど、カトリック側諸国にも、すでにルター派の仲間が大量に入り込んでいるぞ、って、疑心暗鬼を煽ったんだろうな」「そんなの、効いたんですか?」「ああ、カトリックは、この話を本気にして、一六一六年のガリレオの異端審問をはじめとして、各地でまた時代錯誤の魔女狩りなんかやっている。
とくにプロテスタント領に接しているバンベルク市やマインツ市、ヴュルツブルク市では、この時期に何百人もが魔女や魔師として処刑されたんだ」
「だけど、その薔薇十字友愛団ってメイソンのことか? 著者がメイソンなのか?」「いや、著者のアンドレーエがローゼンクロイツのモデルにしたのは、おそらく一人じゃない。ブラウンシュヴァイク公ユリウスとその息子のハインリッヒユリウス、ヘッセンカッセル方伯「賢明」ヴィルヘルム四世とその息子の「博学」モーリッツ。彼らは、まちがいなくメイソンだ」「でも、ヴィルヘルム四世以外はみんな、ルター派ではなく、カルヴァン派でしょ」「なんで彼らがカルヴァン派に改宗したと思う?」「さあ……」「さっき話したように、彼らの本当の敵はカトリックじゃない。カトリックと対抗して、自分の領邦の中に巣くっているルター派の都市の商人貴族たちだからだよ。それに、カルヴァン派の方が、都市の商人貴族たちと対抗するメイソンや傭兵をネーデルラントやスイスから呼び込みやすい」「つまり、カトリックを刺激して、領邦内都市のルター派商人貴族たちと争わせようとしたわけ?」
冬王擁立という誤算
「でも、歴史は思ったとおりには転がっていかない。ジェイムズ一世は、前年の一三年にハイデルベルクのプファルツ(宮中)選帝伯フリードリヒ五世に娘を嫁がせている。この結婚は、テムズ川とライン川の合流、と言われた。
いや、遡れば、フリードリヒ五世自体、母はネーデルランドのオラニエ公とフランスのブルボン家の娘。つまり、大オーストリア・スペイン・南イタリアとベルギーからミラノまでの独仏中間帯を握るハプスブルク皇帝家に対して、フランスとイングランド、ネーデルラントが一本化した、ということだ。おまけに、このフリードリッヒ五世夫婦は、ドイツでもとても人気があった」
「じゃあ、ハプスブルク皇帝家と一触即発じゃないですか」「いや、この前後、財務長官のフランシス・ベーコンは、大陸側の各国にいくつもの劇団を送り出している。これを受け入れたのが、ブラウンシュヴァイク公ハインリッヒユリウスとか、ヘッセンカッセル方伯モーリッツとかだ。かれらはルドルフ二世の弟の、まともな新皇帝マティアスと連絡を取り、調整を計っていた」「カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、彼らの敵は、それぞれの国内の都市の商人貴族たちで、王族同士は教会のために争ってやる必要なんてないですからね」
「ところが、がちがちのカトリックの三番目のフェルディナンド二世がボヘミア王になったら、一八年、プラハ市の新教徒の商人貴族たちが、人気のプファルツ(宮中)選帝伯フリードリッヒ五世をボヘミア王に担ぎ上げてしまった」「え? それって、いい迷惑じゃないですか。遠い西のハイデルベルクにいるんでしょ?」「それ以前に、都市の古い商人貴族たちなんて、彼からすれば、知ったことじゃないだろ」「でも、フェルディナンド二世の方も、同じカトリックのバイエルン公を引き込んだせいで、宗教戦争のような構図になってしまう。そのうえ、翌一九年、まともな皇帝マティアスが死んで、弟のフェルディナンド二世が皇帝に成り上がり、対立はよけいに悪化」
「カルヴァン派のブランシュヴァイク公やヘッセンカッセル方伯は?」「ハインリッヒユリウスは一三年に死んでしまっている。モーリッツは生きていたが、どちらの国も、いくら同じプロテスタントだろうと、もともと都市貴族たちは嫌いだし、そうでなくても、メイソンに騙されたような、むちゃくちゃな大規模建設工事で財政破綻。まったく身動きが取れない。それどころか、相争う新旧両教から草刈場のように、最後の金貨までむしり取られた」
「イングランドのジェイムズ一世は娘婿を支援しなかったんですか?」「しないよ。ロンドン市だろうと、プラハ市だろうと、神がかった商人貴族の連中なんか、やっぱり大嫌いだったんだから。実際、ジェイムズ一世の宗教嫌いに愛想をつかして、清教徒のピルグリム・ファーザーズなんかは、一六二〇年八月には早々と、反教皇の聖堂騎士団が理想の新イェルサレムを建国しているはずの新大陸へ出発してしまった。ボヘミアの方も、二〇年十一月のビーラーホラの戦いに敗れて失敗。フランシス・ベーコンは一六二一年に汚職の嫌疑をかけられて失脚」「連携失敗の責任を取らされた感じだな」
薔薇十字教皇のねじれ
「でも、これじゃ、都市の商人貴族側が鎮圧されて、すぐに終わりそうじゃないですか」「ところが、ややこしいことに、カトリック教会の方が皇帝フェルディナンド二世を背後から抑え込みにかかったんだ。フィレンツェ市の商人貴族、バルベリーニ家は、世界に拡大するイエズス会とつるんで勢力を伸ばし、ローマの教皇庁に食い込むと、強引な親族主義で身内を次々と登用し、三十年戦争中の一六二三年にはついに一族のウルバヌス八世を教皇に押し上げた」「あー、ややこしい。北半ヨーロッパでは、都市の商人貴族たちはルター派だったけれど、イタリアではカトリックなのか」
「そのうえ、このウルバヌス八世は、甥のフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿や、その秘書のダルポッツォとともに、かつてのルドルフ二世のようなオカルト的博物学者。とくにダルポッツィは、ダヴィンチ手稿なんかを研究して、ガリレオの科学サークル「山猫学会」のメンバーだったんだぜ」
「カルヴァン派が話として捏ち上げたルター派の薔薇十字友愛団が、カトリック側で実体化してしまったということ?」
「そのとおり。前に話したグエルチーノの『われアルカディアにありき』の絵も、バルベリーニ家のコレクションだったし、『アルカディアの牧人たち』を描いたプッサンは、ダルポッツオのぶら下りだ」「ルネサンスのころのブラマンテやダヴィンチとは、ずいぶん趣向が違う印象ですね」
「でも、この薔薇十字教皇一味は、教皇庁の莫大な資産を、めちゃくちゃな新宮殿の建設とイエズス会の国際展開で浪費した。おかげで、カルヴァン派だったメイソン連中がカトリック側に寝返り、仕事を取ろうと、蜜にたかる蜂のようにバルベリーニ家やイエズス会に群がって行った」「ああ、そのせいで、たいして長い栄華でもなかったのに、ローマ市中、バルベリーニ家の三蜜蜂の紋章だらけなんだな」
「この奇妙な薔薇十字教皇ウルバヌス八世の登場で、二四年、カトリックのはずのフランスやヴェネチアが反ハプスブルク皇帝家の側、つまり、プロテスタントの都市商人貴族側で参戦。ジェイムズ一世も、やむなくこれに加わるが、二五年に死んでしまった。その息子、チャールズ一世は、両親に輪をかけたような無能で、二七年にはフランスに宣戦布告」「もうわけがわからないですね」「負けて三〇年に戦争から手を引いたものの、やはり戦費で財政破綻。それで、一六四一年には清教徒革命が起きてしまう。バルベリーニ家も、四四年にウルバヌス八世が亡くなると、ローマから追放された。おまけに、このころになると、同じ反ハプスブルク皇帝家側で戦っていたはずのスウェーデンとデンマークが争い始め、結局、スウェーデンがバイエルンまで攻め込んで、四八年、皇帝側の敗北で終わる。翌四九年には、イングランドの無能王チャールズ一世も、革命で首を刎ねられてしまう。この処刑のときに、チャールズ一世は、フィリップ・シドニーの『アルカディア』の一節を吟じたんだとか」「自分も薔薇十字だと思ってたんですかね?」
「結局、三十年戦争って、なんだったんだ?」
「すくなくとも、もう宗教戦争じゃなかった。
中世的な商人貴族の都市支配や、ハプルスブルク皇帝家のドイツ支配が解体し、
代わって面一帯を単位とする近代的な領邦国家群、とくに、フランスのブルボン王家がヨーロッパの中心になった、ということかな」「それで、その後のフランスが世界に植民地を持つほどの大国になっていくんですね」
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『アマテラスの黄金』などがある。)”
(カルヴァン派が、ルター派とカトリックを争わせるために薔薇十字団伝説を流した説)
Angeliqua@nap master @Ripple1975
引退はできるだけはやくしたいな。
できれば50歳までに。そのほうが周囲に迷惑がかからず、しかも残りの人生をたくさん楽しめるから。
座席も大切なリソースなのだから、早めにあけられるのならそれに越したこともなく。
上の人が席を譲らないと下のひとが大人にならない法則~。
Angeliqua@nap master @Ripple1975 4時間4時間前
ゲームのほうはしらないけど、これはもしかしたらアプロディテーの問題と同じなのかな? 性愛への理解と認識の問題。
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ヴェールヌイ(CV上坂すみれ)@ちきちき @Fate_TKTK 7時間7時間前
ヒンズー教の人からFGOのパールヴァティーの扱いが怒られたらしい。
http://www.rajanzed.org/upset-hindus-urge-removal-of-goddess-parvati-from-fgo-mobile-game-where-she-is-a-servant/ …
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ナショナルジオグラフィック日本版認証済みアカウント @NatGeoMagJP 9時間9時間前
サンタクロースの墓を発見か、トルコの教会の床下をスキャンしたところ、墓らしきものの存在が示されました。 #サンタクロース のモデル、聖ニコラウスの墓かもしれません #ナショジオニュース #ナショジオ
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Angeliqua@nap master @Ripple1975
いまどきのサンタさんはその神秘性を保つためにどこにいても発見・追尾されないように
人工衛星からも長距離レーダーからも隠れられるステルス機能を持ってそう。すると、ステルス素材や特赦塗料を扱う会社とお知り合いかもしれないです。
伝説や神話には諸説あったほうがいいよね。
だって現実になにか出てきたらファンタジーがなくなってしまうから。
その神秘性こそ想像力をかきたて力の源となっているのだから
本物がでてきたらまずいと思うのです。
キリストのお墓、ましてやローゼンクロイツやアンナ・シュプレンゼルのお墓が発見されたなんてニュースがあったら
わたしもびっくり。ハーメティックとはなんのことか理解されてないということなのだから。
本物があってはいけないのです。(^^; あとのひとたちのために。
その手の聖人やかみさまのお墓はいつもからっぽ。
かれらは「儀式的手順」を通じて「密閉」されその存在力は潜在力へと帰っていくの。
潜在力とはなかった状態のこと。なかったことにされること。
ただ伝承だけ残ること。
ある神話や伝説については本物が残るけれど多くの場合はきちんと「密閉」されてる。
なので棺のなかをあけてからっぽなことを知っても「そうなんだ」と理解したらそのままふたを閉じます。
それがハーメティックオーダーの作法ですから。
エリック・ハウなどの歴史家がこてんぱんにいわれる理由ってそういうことだと思うの。
密閉、つまり秘密にすることの意味やそれで得られる膨大な力のことを全く理解していないからです。
これは恋愛についてもいえることなんだよね。真実なんてどーでもいいこと。だって本人が信じてるものがまさに真実だからです。
シュプレンゲルがシュプレンゼルになってた。だれ?
そのひとが聖化され伝説になるようにしたいのなら、
ご遺体や生きていた証拠品をみんなかき集めて密閉し、
お墓を転々と移動させるのがいいでしょうね。
数十年に一回そのようにして、最後は元の一族が管理してる別の場所へと運ぶ。
そうしたうえで誰も本当のお墓を知らないようにしてしまうのです。
伝説が完全に根付いてしまうともはやご本人が存在したかいなかなんて関係なくなるの。
本物の証拠を完全に隠すことに成功すれば、こういった「儀式的密閉」の手順は聖櫃を形成する。
あとはこれをシンボルとして使うだけなので。
Angeliqua@nap master @Ripple1975
バチが当たるというよりもいろいろもったいないかも? ひとつのことに拘って心を痛めるよりもあっさりと諦めてほかに移ったほうがいいことありそうな気がするの。誰かをうらむくらいならそっと席を立つ勇気。
恐らくはそれが何かのきっかけになり、チャンスになるから。みすみすチャンスを逃すのは勿体無いです。(^^)
わたしも誰かのいたずらとかわがままでイライラってすることあるけど、
そういうときはきっとチャンスが隠れてると思ってる。
そのチャンスを見つけ出すのがわたしの才能と言われたことあるけど、それは天使の姿を見つけ出すことだと思うの。
無理に戦わなくてもいいの。たぶんそれはほかによい道がある兆候だから。
うーん、試練かしら? たぶん。たまにそういうことあるけど。
天使さまが隠れてる場所、きっとあるからそれをみつけるの。
ゲームなどでもあるじゃない? 宝物が変な場所にかくされてるというあれ。
普通は探さないような場所に隠されていたりする。
わたしがいう天使さまを探すのはそういうのです。
ただ戦うという選択は当たり前すぎてゲーム(試練)にならない。だからいろいろな方法を探るの。
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cnn_co_jp認証済みアカウント @cnn_co_jp 10時間10時間前
新種のハチ、ハリポタの悪役にちなみ「マルフォイ」と命名 NZ
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長谷川弘江 @aliceami2 10時間10時間前
ファンタジー世界のヒーラーを目指す人は必携!千年前の薬草図鑑が無料公開される。ダウンロードもできるぞ!
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Angeliqua@nap master @Ripple1975
コールドロン?
いつも炉の火を絶やさないこと。灰を少しどければ熾き火になるように。
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ヨシムラ マリ @coromegane 21時間21時間前
私が今まで見てきたアウトプットのすごい人(絵でも文章でもなんでも)は例外なくインプットの量と質もハンパないので、どんな食材がきてもおいしくなっちゃうイイ出汁の入った鍋が、いつでもスタンバイOKって感じでくつくつしてるんだろうなぁ。
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Angeliqua@nap master @Ripple1975
よいことをしたと思ったら、その瞬間に忘れます。悪いことをしたと思ったら覚えてるのがいいけど。
善意による行動は神様への手紙みたいなもの。投函して目的を果たしたらそのお手紙は天国へとどくからもう地上とは関係がない。だから忘れちゃうのがいいと思うの。
祈りってそういうものじゃないのかなって思ってる。
願って、行動したらいつまでも覚えてはいない。
~したから~が起こる、また報酬がもらえるなんて微塵も考えないの。だって神様のなさることを信じてるから、信頼してるからそれについてあれこれ悩んだりはしない。ボールを上に投げて「本当に落ちてくるかしら?」なんて悩む人はいないように。
でも、ときたまいるよね。分量を正しく作って冷蔵庫にいれたプリンやゼリーを本当に固まるのか疑う子供たち。そうやって何度も冷蔵庫をあけるから固まらないのです。(^^;
かみさまを信じたらゼリーだってかたまります。
わたしにとって神様を信じるというのは自然を信じることに他ならないから、もちろん自然法則がいつもきちんと働きますようにという意味でもあるの。さっきの比ゆならば冷蔵庫が壊れませんようにというお祈り。
物理法則(物理科学)はかみさまとしてわたしが捉えてる存在の物理的、
現象世界での側面の研究。だから科学もわたしにとってはかみさまの研究なのです。物理世界はかみさまのもの。創造の結果として生じた世界なのだから部分的にしても関係ないはずもなく。
「木」は下から上へと昇る。
このことは日常や物理的研究から開始するということを意味してるのだと思う。
すなわち、いまある普通の学問を先に学ぶのが大切だと思います。
マルクトのことをわからないのにイェソドのことがわかるなんて道理はないの。
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アドラーのことば @adler187027 11時間11時間前
「自分は役立っている」と実感するのに、相手から感謝されることや、ほめられることは不要である。貢献感は「自己満足」でいいのだ。 by アルフレッド・アドラー
#アドラーのことば
Angeliqua@nap master @Ripple1975
木星って腐敗したものもそのまま栄えてしまうからなぁ・・・。適度な火星も必要だったり。
吉凶は表裏だから大きくなればその裏も大きい。小さいのならその裏も小さい感じ。これは波にたとえるとたぶん判りやすいかも? 大潮なら干満が激しいし、小潮なら緩やか。満ち干きは吉凶。そう考えるといいかもね。
物事のよいか悪いかは人間にとって、個人にとっての問題なの。神様にとってそれは関係がなくて、ただ大きな変化と小さな変化があるだけ。ある意味で波乗りだと思う。
潮干狩りというのは干潮のときに行うけど、目的が貝ではなくてお魚さんだとしたら干上がってたら意味がない。だから潮の干満をもってそれが善とか悪、吉凶と断じるのは変だよね。つまりそういうことだと思う。
知識には責任がともなう。本当にそうだと思うの。少なくとも知恵があるのならその理由ははっきりと理解されると思う。
Angeliqua@nap master @Ripple1975
何度も繰り返し教えても理解されない場合、
本人はそのことをヴィジュアライズできてないんだと思うの。何をしたら何が起こり、
その先にあるのはどういうことなのかを実感しないと行動には移さない。ここでするのはプレゼンテーション能力の発揮で言葉のほうじゃないのです。だからわたしは絵を多用する
エンタメですることも結局はプレゼンテーションだと思うの。詩で表現したり小説で表現したりもできるけど、やはり挿絵は必要ですし、全体が簡単に見渡せるというのは直接実感させるから説得力はとてもあります。とくにイメージングができないひとには効果抜群なの。
状況判断には強力な想像力が必要なの。論理でどうこうするのは複雑で大規模になってしまうと無理があるし時間がかかる。でも、具体的にイメージできるのなら簡単でもっと早い。
RTがのびるのは絵がついてるほうじゃない?
いってることは単純で同じでも、たとえ下手でも絵がついてるのならきっと何倍もRTは伸びると思うの。その理由は、想像するのが苦手な人が一定数いることを示してます。
「薔薇十字団」 クリストファ・マッキントッシュ 平凡社
以外にも
「薔薇十字団」 ロラン・エディゴフェル 白水社
「化学の結婚」 ヨハン・アンドレーエ 紀伊国屋書店
「薔薇十字の覚醒」 フランシス・イエイツ 工作舎
「キリスト教神秘主義著作集16」 教文館
など薔薇十字系の本は日本語でも多くある。
例えを省くか検討した結果ここに来たやつ。
ペットボトルにコーヒー豆の成分を抽出した黒くて苦い液体が入っていて
中身が見えないように包装されていて
コーヒーとラベルが貼られているなら、
このコーヒーという名づけは適切。
逆に、ペットボトルと中身が見えないように包装されていて
コーヒーとラベルが貼られているなら、
当然、中身は
コーヒー豆の成分を抽出した黒くて苦い液体が入っていないといけない。
真逆の属性の、
白インゲン豆の成分を抽出した白くて甘い液体が入っていたら
当然
コーヒーという名づけは不適切。
要は、
コーヒーの条件A、B、C、Dがあるとする。
非A(豆の種類)、
反B(色)、
反C(味)、
D(液体は共通)
なら当然コーヒーと呼ぶのは無知か詐欺である。
1785年に『コーヒー』(元祖)なる組織が解体されたとする。
21世紀に『コーヒー』(子孫?)なる組織が存在するという者がいて、
しかもそれは1785年に『コーヒー』に解体された組織の後継者
あるいは解体されたと思われたが実はひそかに存続していたとも主張しているとする。
当然、子孫は元祖の要素を付け継いでいないと『コーヒー』という名づけは不適切になる。
元祖はコーヒー豆、黒くて苦いなのに
子孫(自称)が白インゲン豆、白くて甘いなら
どうみても嘘だろう。
これが支配層の組織なら、『コーヒー』(盾)を名乗ることで、
コーヒー豆、黒くて苦いは叩かせつつ、
白インゲン豆、白くて甘いは擁護する戦略である。
プー閣下風に終えてみよう。
全体の流れを見ないで、細部にフォーカスしちゃダメだよ。
— 村手 さとし (@mkmogura) 2017年9月19日
なぜ秦氏か。
神道というアホなキリスト教改変の存在証明に、渡来系秦氏は必要であり、嘘の重要なピースを任された立場だから。
俺に言わせれば、キリスト教で結婚式を挙げる奴ら全員が、戦争賛同者ともいえるね。
困っちゃうことに。 https://t.co/4MggY9dEYT
黒幕はキリスト教徒!
もう一声叫ぶ!
イエズス会、カトリック教会、バチカン、反知性主義、オカルト好き、
王政肯定側の支配層の派閥をイルミナティと呼ぶ者は全員、
無知か嘘つき。名前は元ネタに沿っていないと詐欺。
クリスチャンをユダヤと呼ぶ詐欺に気を付けろと言ってもてめーには無駄みたいだな!
お読みくださり感謝いたしますわ!
お読みくださり感謝!カワユイ(^◇^)
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