読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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異端派版ヨハネ黙示録=『第四エズラ書』を収録する『旧約聖書外典(下)』、『旧約聖書外典(上)』『新約聖書外典』。 利子OKプロテスタントのカルヴァン派を隠すのがユダヤ陰謀論教の目的の一つなのを詳しく語るのは次回! 

 冒頭だけどワンフレーズ次回予告
資本主義の原因のカルヴァンが利子OKで、しかもスイスで活動って露骨だな!

ワンフレーズ今回予告
異端派版のヨハネ黙示録=『第四エズラ書』
↑反バチカン勢力が大好き!




『旧約聖書外典(下) 』(講談社文芸文庫) 文庫 – 1999/1/8
関根 正雄 (編集), 新見 宏 (翻訳)
旧約聖書外典は、ユダヤ教団によって異端的な書として廃棄され、主としてキリスト教団の手を経て今日まで伝えられてきた。
下巻は、「スザンナ」「ベールと龍」、「ソロモンの知恵」、「第四エズラ書」「エノク書」を収録。

・『第四エズラ書』の解説
“本書はユダヤ教黙示文学の中ではおそい方であり、紀元後のローマ帝国の支配およびエルサレムの滅亡をふまえている点で特色ある文書である。このため文体も新約のヨハネ黙示録に似ており、キリスト教会が本書を重視したのも(もとより反ユダヤ教的な加筆を含めて)うなずける。“p.304

『第四エズラ書』は反ユダヤ的内容を含むのにユダヤ教徒が持ち上げるわけないだろ!
反ユダヤ的=キリスト教が優遇。
同祖論は「キリスト教の」布教の道具!
ユダヤ教は布教に熱心じゃないよ


詭弁のオンパレード!
威圧、論点ずらし、質問に質問で返す「ぺ天使」↓

“あなたが罪を犯すものどもを生きながらえさせ、悪事をはたらく連中を見のがし、あなたの民をほろぼす一方、敵を守って来られたのを見たからです。しかもあなたの道をさとる手がかりをだれにもお与えになりませんでした。
(…)
そのとき、わたしのところにつかわされていたウリエルという名の神の使いが答えた。
「お前はこの世のことが全くわかっていないのに、至高者の道を知ろうとするのか」。
「はい、わが主よ」。
すると天使はいった。
「わたしは三つの道をお前に示し、三つのたとえを知らせるためにつかわされたのだ。もしお前がこのうちの一つでも解くことができたら、お前がさとろうと望んでいる道を教え、邪悪な心がどこから来るのかを教えてあげよう」。
そこで私は云った。「わが主よ、どうかつづけてお話しください」。
すると天使はいった。
「さあ、よいかね。
火の重さをはかってみよ。
風の分量をはかってみよ。
あるいは、すぎ去った日をよびもどしてみよ
」。
私は答えた。「地上に住む者の中、だれ一人として答えることができないような問いをどうしてわたしにおききになるのです」。
天使はなおもことばを重ねた。
「では、もしわたしが次のような問いを出したとしたらどうだろう。
 海のふところには住居がいくつあるか、
 あるいは、淵の源には泉がいくつあるか、
 あるいは、蒼穹の上には道がいくつあるか、
 あるいは、黄泉の門はどこにあるか、
 あるいは、パラダイスへの道はどこにあるか、などと。
 そうするとお前はたぶん答えただろう。
わたしはまだ深淵に下ったことはありませんし、黄泉におりていったこともなく、天にのぼったことも、パラダイスに入ってみたこともありません、と。
 だが、私はこんなむつかしいことをきいているのではない。私のきいたのは、火と風とすぎ去った日のこと、つまりお前が日常欠くことのできないものについてきいただけではないか。それでもなおお前は答えることができなかった」。
 天使はさらに語りつづけた。「もしお前が子供のときから親しく見ききして育ったことがらをさえ理解できないとしたら、どうしてそんな小さな力量で至高者の道をさとることができよう。至高者の道ははかることができない。このほろびゆく世の死ぬべき者に、不滅なお方の道を知ることがどうしてできよう」。 “
『旧約聖書外典(下)』版『第四エズラ書』p. 126-129


外典はグノーシス主義者など異端派=反カトリックかつ新キリスト教陣営が持ち上げる。
七日の断食=秘教を伝授されるための結社の儀式↓


“わたしがお前に知らせてもよいといわれているしるしはこのようなものだ。しかし、もしお前がふたたび祈り求め、嘆きつづけて七日の間断食をすれば、これよりもっと大きなことをきくことができるだろう」。
(…)
わたしをひとりにしてほしい。七日のあいだは近よらないでもらいたいのだ。
(…)
わたしは、天使ウリエルが命じたとおり七日間断食し、嘆き悲しんだ”
『旧約聖書外典(下)』版『第四エズラ書』p.137-138

“わたしは、天使ウリエルが命じたとおり七日間断食し、嘆き悲しんだ。”
p.138


七日の断食=秘教を伝授されるための結社の儀式。

独りで誰も近づかず七日間絶食or菜食のみで嘆き続ける……

変形が7だらけの男の子置き去り事件?

生存→結社員になる

死亡→生贄の儀式としては成功
+他の結社員の子供が背乗り(ほっぺふっくら)

後者=本物は死んだ疑惑。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/731908114509750272
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/736966891365761024


表紙裏の解説
旧約聖書外典は、ユダヤ教団によって異端的な書として廃棄され、主としてキリスト教団の手を経て今日まで伝えられてきた。

旧約でも外典を強調するのはキリスト教(特にバチカンに迫害された側)。
ユダヤ教団は外典を破棄したのだからユダヤ教ではない。
第四エズラ書を持ち上げているのは耶蘇教異端派=神道カルト。
神道カルトで同祖論で有名なのが大本教系カルト。

ぺ天使ウリエルは正典には含まれておらずカトリック教会では認可されていないことが重要。
反バチカン勢力が好きそう。
第四エズラを持ち上げているやつらが7と黙示録の脚本かいているのかねえ。

“天使はいった。「これらのことを今夜お前に知らせるためにわたしは来たのだ。お前がもう一度祈り求めて、また七日間断食するならば、わたしは、これよりももっと大きいことを示してあげよう。”p.147


” だが、あと七日間待てば――このあいだには、断食をしないで、家の建てられたことのない花園に入り、肉と酒とをとらず花だけを食べ、たえまなく至高者に祈りなさい――そうしたらわたしはまた来てお前と語り合おう」。”
p.174

わたしの子は、あつまって来た諸国民を不敬虔の罪でさばく。(このことはあらしで象徴されている。)彼は彼らに面と向って、彼らの邪悪な思いと、彼らのうける責苦をもって糾弾する。(このことのしるしは炎である。)そして、彼らを律法によって苦もなくほろぼす。(その象徴は火である。)
さてお前の見た別の一群のおだやかな人びとのことだが、これらはホセア王の時代に捕囚となってひいてゆかれた十の部族なのだ。アッシリアの王シャルマネサルが彼らを捕虜とし、河をこえて異国につれさったのだ。しかし、彼らは自分たちで別なくわだてを持ち、多くの国民をはなれて、人間がかつて住んだことのない遠いところに行って、さきに自国に居たときには守らなかった律法をそこでは守ろうと考えた。彼らはユーフラテス河の細い道を通ってそこに行った。そのとき至高者が奇蹟を行なって、彼らが河を渡ってしまうまで流れをとめたからだ。その地域を通って彼らは長い道のりを旅しなければならなかった。その旅は一年半もかかった。その土地の名はアルザレト(もう一つの国)という。
彼らはここに終末の時まで住んだが、いまやふたたび出て来る時がきた。至高者はもう一度河の流れをとめて彼らが渡れるようにするであろう

『旧約聖書外典(下)』収録の『第四エズラ書』
p. 196


律法を守っていないのでユダヤ教徒ですらないんですけど!
しかも律法を守っていない人々をヤハウェが助けているんですけど!
そりゃユダヤ教徒は破棄するよね!
ユーフラテス河とセットでよく出てくるチグリス河すら第四エズラに出てこないのはユーフラテス川は渡ったけどチグリス川までは渡らなかった、つまりユーフラテス河とチグリス河の間のイラクに行ったってことでしょ?
しかも当時のイラクあたりは無人じゃないでしょ!
当然当時の日本列島も無人じゃないよ!

ユーフラテス川は、トルコ北東部の山地を源流としてシリアを通過し、イラクでチグリス川と合流してシャットゥルアラブ川となり、最終的にペルシア湾に注ぐ川。
ユーフラテス河口付近はイランとイラクの国境になっていて、国境線の位置をめぐって紛争になっているので、ユーフラテス河付近は現在のイラン地域。
現イラクの国土は、歴史上のメソポタミア文明が栄えた地とほとんど同じ。

ティグリス川
=トルコを源流とし、イラクをほぼ南北に縦断してペルシア湾に流れる川。河口近くでユーフラテス川と合流し、シャットゥルアラブ川に名前が変わる。

ユーフラテス川の右がティグリス川。
イラクの右がイラン。

シャットゥルアラブ川
=チグリス川とユーフラテス川が合流してできている、イランとイラクの国境地帯を流れペルシャ湾に注ぐ川。


上記の河が流れる国々の地図はこちらをどうぞ! これほど良質で爆笑できる記事はあまりありませんよ!

第四エズラ書編 魁!日ユ同祖論フルボッコシリーズ その2
第四エズラガーとかシオン祭りガーとかいう与太話
http://codetripleseven.blogspot.jp/2016/05/blog-post_31.html

(こちらは別の人の訳文を載せた過去記事。
『第四エズラ書』は日ユ同祖論を否定する内容!『聖書外典偽典 第5巻』から学べる詭弁術!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-120.html
一部抜粋。

『聖書外典偽典 第5巻 -旧約聖書偽典Ⅲ-』
第4エズラ書(八木誠一・八木綾子訳) 

・本書の第四エズラ書はウルガタのラテン語本文から日本語訳した。つまり原典からは三重訳。
第四エズラ書の原文はヘブライ語で書かれ、ギリシア語に翻訳され、さらにラテン語、シリア語、エチオピア語、アラビア語に訳されたと考えられる。
ヘブル語原文とギリシア語訳は失われて、ラテン語、シリア語、エチオピア語、アラビア語(二種類)、アルメニア語(たぶんシリア語訳のアルメニア語訳)の諸訳がシリア語訳以下は十八、十九世紀にラテン語に翻訳され、このラテン語訳とともに出版された。以上のもので最も重要なのは古いラテン語訳。

・第四エズラ書はウルガタの附録に収められていて、第四エズラ書と名付けられている。
古代のラテン語訳では
第四エズラの第一、第二章が第二エズラ、
第三~第十四章が第四エズラ、
第十五、第十六章が第五エズラと呼ばれる。
外典の英訳では第二エズラと称されている文書がウルガタの第四エズラにあたる。
聖公会訳『アポクリファ』でも本書は第二エズラ書となっている。
つまり大変まぎらわしいのだが、本書の第四エズラとはウルガタの第四エズラの第三~十四章のことである、
前述したラテン語本における名称が、
第一~第二章(第二エズラ)、
第十五~十六章(第五エズラ)は後代の付加であることを暗示しているし、
実際古代東方語訳にはこの部分が欠けていて、キリスト教的な加筆であると考えられている。
章節の区分はウルガタによったので、訳は三章一節から始まって、十四章四七節で終ることになる。

・内容は七つの幻に分けられている。
第四エズラ書の著者はエルサレムの滅亡(70年)から30年後、バビロン(=ローマ)の繁栄を眼前にし、エルサレムの悲惨な運命を思っていたたまれなくなり、心の思いを神に訴える。

第一の幻
エズラ
「イスラエルの民よりもローマのほうがずっと悪を重ねているのに繁栄しているのはなぜか」

天使ウリエル
「人間には神の道を知ることはできない」

(詭弁乙)

エズラ
「イスラエルが滅びては神の御名が立たない」

ウリエル
「やがて終末が来てすべての問いは答えられる」


第二の幻

エズラ「イスラエルが辱められ散らされたのはなぜか」

ウリエル
「世の歩みには一定の秩序がある。世はすでに老いていて、やがて神自身の行為によって終末が到来する」

(さっさと助けろや)

第三の幻

エズラ
「世界はイスラエルのために創られたのに、なぜイスラエルは滅亡に瀕して世界を所有することができないのか」

ウリエル
「苦悩を通らなくては歓びに到達することはできない。
終末時にはメシアが現れ四百年間統治し、そののちメシアも死に、それから万人が復活し、神ご自身が審判の座につく」

(苦悩=悪を創ったヤハウェは悪だろ)


第四の幻

結婚後三十年もたってやとさずかった息子が婚礼の夜に死んだので悲しんでいる女性の話をきき、
エズラがエルサレムが破壊されているというのに自分の子供のことで嘆くその女の愚かさを責める。
すると女は栄光に輝く都市に変貌し、ウリエルが女がエルサレムを示すことを解き明かす。

(エズラの言っていることって「兵隊の息子が死んだのは、大義のためには仕方ない」って言う糞野郎と同じじゃないか)

第五の幻

夢に鷲が登場。その翼と頭が交替に支配しては消えてゆく。森からライオンが出てき鷲にに滅亡を告げる。
鷲は焼かれて失せる。
夢に現れた鷲は第四の王国=ローマであり、
ライオンはメシアである。

第六の幻

著者は夢を見る。海から人のようなものが立ち上がり、雲に乗って飛来して、それに戦いを挑む群衆を、苦力を火を吐いて焼き尽す。そして平和な民を集める。目覚めた著者に主が解き明かして、海から昇ってきた人は神が終末のために備えた神の子、審判者・救済者であることを告げる。彼が集める民は、イスラエルの失われた十部族なのである。

第七の幻

声があって世の十二の時期のうちすでに第十の時期が半ばすぎたことを告げる。著者は民に警告を与えなくてはならない。しかし律法は焼失してしまっていて誰もそれを知らない。そこで著者には聖霊が与えられ、著者は九四巻の書物を口述し筆記させる。それは旧約聖書と終末にかかわる黙示の書なのである。後者は民のうち賢者だけが読むことを許される。


“私はここに来て(ローマの民の)無数の不虔を目にしましたし、私の魂はこの三十年間多くの人が罪を犯すのを見ました。そこで私は気が狂いそうになりました。なぜといって、私は見たからです。どんなにあなたが彼等罪人を支持し、不虔に振舞う輩を大切になさったかを、あなたの民を滅ぼしてあなたの敵を守られたかを。(…)私達の不義と世に住む輩の不義とを天秤にかけてみて下さい。そうすれば天秤がどちらに傾くかがわかるでしょう。
(…)
すると私のもとにつかわされた、その名をウリエルという天使が私に答えて言った。(…)「あなたの心はこの世のことについても大いに誤っているのに至高者の道を把握しようと思っているのか」。(…)「私はあなたに三つの道を見せ、あなたの前に三つの比喩を提示するために遣わされたのだ。もしあなたがその中のひとつでも私に解き明かせたら、私の方でもあなたが見たがっている道をあなたに示し、何故(人の)心が悪であるのか、教えてあげよう」。(…)さあ私に火の重さを計ってみせなさい。吹く風を計ってみせなさい。また過ぎ去った日を呼び戻してみせなさい」。(…)あなた自身のものを知ることさえ出来ない。それなのにどうしてあなたの器が至高者の道を容れることが出来ようか。“
p.169―171『第四エズラ書』第一の幻 第三―四章

ヨブ記でオリオン云々とかと同じ詭弁


注釈
ウリエル
“四人の天使長(ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル)の一人。ウリエルは地獄とその主な元素である火を司る天使。後に光と関係させられ、人の心を照明する者とされた。”p.405


“私の子があらわれるであろう。それはあなたが見た海から上って来た人である。(…)彼が別の穏やかな群衆を自らの許に集めるのを見たが、これらはヨシア王の時代に捕えられ、その領土から連れ出された九つの部族である。アッシリア王シャルマネサルがこれを捕虜として連れて行き、河の向うへ移した。こうして彼等は異国に連れて行かれた。しかし彼等は異邦人の群を離れ、かつて人のやからが住んだことのない更に遠い地方へ行こうと相談した。それは自分の国では守っていなかった律法をそこで守るためであった。こうして彼等はエウフラテス河の狭い径を通って入って行った。その時至高者は彼等に対して奇蹟を行い、彼等が渡るまで川の流れを止められた。道程はその地方を通って一年半の遠さであった。その地域はアルツァレトと呼ばれる。それから彼等はそこに終りの時まで住んでいた。”
p.213―214『第四エズラ書』 第六の幻 第十三章

注釈
“歴史的にはヨシアではなく、ホセア王の時である。王下17 3以下参照。連れ出された部族の数はラテン語写本では一定しない。写本により十部族であり、シリア語訳、エチオピア語訳では九部族半である。” p.426



アルツァレト
“’erets ‘achereth すなわち「ほかの国」”p.426

詳しくは上記のリンクか行ってお読みください。

地面は肉体の貯蔵庫で、倉(どこにあるの?)は魂の貯蔵庫で、復活の際に戻ってくるだとか、

パラダイス(エデンの園)は世界の前に創造されたものの一つで、それらは、律法(トーラー)、悔い改め、エデンの園、ゲヘナ、栄光の座、神殿、そしてメシアの七つ(パラレルワールドかな?)だとか書いてます。
あと、ラビの伝承によれば光は第一日目に創造されたが、この光の源となる光は創造以前からあり、神の本質に属するそうです。のちに神はこれを来るべき世の義人のためにとっておかれたそうです。創世記前から世界があることを認めているよね。
パラレルワールド系の研究は一神教系団体から大量に資金提供されてそう。

傑作は、ベヒモスとリヴァイアサンが終末で生き残って救われた選ばれた者の食料用って記述ですね。
悪魔じゃなかったのか?

①律法と掟を中心とする勧善懲悪思想
②復活と来世、終末に対する固い信仰
がユダヤ教パリサイ派の特徴なのですが、
ゾロアスター教の影響が強そうなんですけど。
ユダヤ教関連の捏造だらけの歴史にゾロアスター教圏がからみまくりなので影響受けていて当然ですけどね。

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/712291914167398400
子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 3月22日

クジラ
・キリスト(とその復活)
ヨナは三日三晩大魚の腹にいた。人の子は三日三晩地の中にいた。
・悪魔、過酷な自然の力
・海と世界、生命の船
・魂を容れる肉体、肉体を容れる墓
・大きな魚が海面から飛び出ると嵐の前兆
・色欲
・鯨の口=地獄の門
レビヤタンと象徴を共有することが多い

クジラ座
・魚座と牡羊座の下にある星座
・船乗りの敵
・ネプトゥヌスがアンドロメダを食い殺させるために遣わした海の怪物にちなんで名づけられ、のちペルセウスによって殺された。夜空でもペルセウスに追われる位置。

クロス
ミトラ信仰の入信希望者は額にT字型の十字架を入墨した。

https://twitter.com/pteras14/status/734424497563009024
ぐだトマト ‏@pteras14 5月22日

知ってるかい?
星矢では雑誌版と単行本版で
くじら座の読みを変えたんだぜ?

http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1457130439 … pic.twitter.com/TTMsUGcG6O)


『ソロモンの知恵』
は全体がはじめからギリシア語で書かれたと思われる。ヘレニズム期のユダヤ人のギリシア語による著作と考えらえている。紀元前1世紀の著作と見るのが妥当。
著者はエジプト、特にアレクサンドリアに住んだユダヤ人とみるべき。ヘレニズム文化との深い接触、エジプト(エジプト人の圧政とエジプトに加えられた災い、動物崇拝!)との密接な関係は否定できない。
著者は旧約聖書以来のユダヤ人の神の異教の神々への優位を主張し、同時にギリシア文化にかなりの程度に精通している。ことにヘレニズム期にエジプトで盛んであったイシス礼拝の文献を知っていたとみられる。
紀元前1世紀ごろのアレクサンドリアにおいて、まず教養あるその地のユダヤ人に祖先以来の信仰の確立をすすめ、ことに当時の圧倒的なヘレニズム文化と強大な異教の影響下に、異教文化を頭から否定するのではなくある程度古典ギリシアの哲学思想や当時盛んであったストア哲学などの哲学思想を受け容れつつ、ユダヤ教の優位を論証しようとしたものである。
連鎖式と呼ばれるギリシア修辞法がみられる。プラトーン、アリステレース、ストア派の用語が多い


『ソロモンの知恵』はプラトン的な魂の先在や魂が肉体と一体になったことが処罰であるという考え方とは違い、
アリストテレス的な魂は肉体の形相したがってその完成とみる見方に近い。
また、シュンクリス(=比較)というアテーナイの弁論家やギリシアの歴史家にみられる文学的ジャンルが用いられている。
ユダヤ教側のミドラシ(ユダヤ教に広くみられる文学的ジャンル――聖書の説明的叙述――)には最近の死海文書も含めてこの種の比較は見られない。

ヘブライ語ではなくギリシア語を使うユダヤ教徒って何人? ギリシャ人じゃね?
ユダヤ教とか否かは思想で決まるから、ユダヤとギリシアのハーフ?


エジプトを「不義者」「不虔な者」と表現


妊娠の時期はタルムッドでは9カ月だが、本書では10カ月。イシス関係の金石文に出てくる考え方で後第四マカベア書にも10カ月の妊娠の時期のことがある。
義人は子なくして幸いであり、悪人は多くの子を持つとも不幸であるという思想。子沢山を神の祝福とする通常の知者の考え方に反している


正統派ユダヤ教の思想ではないことがわかります)


義人が神的知恵を花嫁として求める個所は著者の時代の「イシス賛歌」に由来し影響されているとみるべき。知恵を花嫁として擬人化。彼女=知恵。神と知恵のあいだに性的比喩が使われている。

グノーシスで重要なソフィアかな?)


“知恵は人を愛する霊であり
 瀆神者をその唇の罪ゆえ罰するであろう。
 何故なら神は彼の腎(むらと)の証人、
 その心の真実の見証者、
 その舌の聴き手であるからだ。“『ソロモンの知恵』p.24




(知恵は霊的なものだと考えているのね)

“神は死を造りはしなかったし、
 生ける者の滅びを喜ばれぬから。“p.25



腎は感情の座、心すなわち心臓は思考の座と考えられている。
創造の世界に存在する否定的なものは神が欲しなかったという考え(カール・バルトに通ずる)。

『ソロモンの知恵』は『マギ』の主人公アラジンが持つ力
『マギ』のマギ
=愛しきソロモンの移し身。

ソロモンが大好きなのが新キリスト教陣営(反カトリック)のメーソン。
マギは全員三つ編みがあります。
三神一体(トリムルティ。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが本来は1体だとする)が元ネタでしょう。三位一体!
元ネタの『ソロモンの知恵』はエジプトを叩きまくる内容なので、『マギ』はエジプトを持ち上げる要素もありますがやはり一番はインド・イラン思想(反イスラム教スンニ派。シーア派はイラン系だからOK)。

しかも『ソロモンの知恵』の著者はギリシャ思想の影響を受けているし、ギリシャ語で執筆。
またギリシャか。しかもアレクサンドリア。
エジプトは叩くが、エジプトの女神イシスは崇める思想を取り入れている。
『マギ』の姿勢そのまんま。

“ソロモンの知恵
種別:魔法 属性:無 初出:第72夜
使用者:アラジン

他者のルフに接続し、ルフと語らう聖宮の神秘の力。
術者自身が他者のルフの世界へと入り、その相手の記憶を見る事ができるほか、ルフの記憶をその本人に見せる、さらにルフの記憶を第三者に渡す、他者のルフとまた別の人物のルフをお互いに引き合わせることなどが可能。
「大いなる流れ」の源へと交信し、古今東西あらゆる人のルフを呼び出すこともできる。

極度に魔力を消耗する、アラジンの究極の技。
アル・サーメンからは「全知」と呼ばれ狙われているが、その真価はまだまだ謎に包まれている。

http://www4.atwiki.jp/tlom_magi/pages/77.html)


(神は死は造らなかったってほざいているけど、ヨハネ黙示録とノアの箱舟の話はどこへ行った?
死は造らなかったのに地獄は造ったの?
死なないのにどうやって復活するの?

カール・バルトは、20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたスイスの神学者。
スイスのバーゼル生まれの時点で怪しい。牧師である父ヨハン・フリードリヒ・バルトは改革派教会。
プロテスタント教会のひとつ改革派教会はカルヴァンの思想的流れを汲む教会。

カルヴァンはフランス出身だがスイスで活動し、スイス勢力が支配層の中でも上位である原因を作った人の一人。
神学校として1559年に創設されたジュネーヴ大学の創立者。
カルヴァンは利子を容認←超重要!
カルヴァン派は利子OK←超重要!
「ユダヤ=利子取れる、キリスト=利子取れない」の二元論の罠に注意!
しかも、資本主義を生んだのはプロテスタントのカルバン主義。
しかもカルヴァン派が利子を肯定し、資本主義を発展させたからスイス勢力が金融の黒幕となっているのです。
しかも、カトリック総本山のバチカンにスイスガードを送ってカトリックがスイスのカルヴァン派を攻撃できないようにしているし。
で、資本主義を牛耳っている勢力のどこがユダヤ教徒なんだよ。
カルヴァン陰謀論は言われないよね。 
資本主義に与えた思想と利子OKからしてどうみてもカルヴァンが資本主義の親。
カルヴァン派とカトリックの両建ての胴体であるスイスはタブーだもんね。
フランス系カルヴァン派=ユグノーがロンドンのグランドロッジ設立の中枢。
アンダーソン憲章、アンダーソン、デザギュリエ、長老派、ユグノーなどのキーワードで調べればすぐ出るし。
どうみてもメーソンってユダヤじゃなくて反カトリックのプロテスタント系なんですけど。
カトリックがメイソンへの入会を禁止しているのって要はプロテスタントになるなってことでしょ。
でカトリック勢力もプロテスタント陰謀論は唱えません。ユダヤと悪魔陰謀論ばかりです。
日本人の労働観はカルヴァン派まんま。
働かざるもの食うべからずは新約聖書由来。

詳しくは次回!)




『旧約聖書外典(上)』 (講談社文芸文庫) 文庫 – 1998/12/10
関根 正雄 (編集), 村岡 崇光 (翻訳), 新見 宏 (翻訳)
旧約聖書外典は、ユダヤ教団によって異端的な書として廃棄され、主としてキリスト教会を経て今日まで伝えられてきた。
上巻は「第一マカベア書」、「ユデト書」の他、「トビト書」「三人の近衛兵」「ベン・シラ(集会書)」を収録。

・『第1マカベア書』の記述「憎むべきもの」は、
『第2マカベア書』ではオリンポスのゼウスと同一視されている。
この偶像神のセム名バール・シャーマイム(天の主神)のギリシア神話に対応するものがオリンポスのゼウス。
『第2マカベア書』のシリア訳はゼウスをバール・シャーマイムと訳す


後期ユダヤ教では直接神の名を口にすることを避け、「天」「名」「場所」などの呼称で代用した。

(だから神聖四文字の正しい読みが失われるんじゃないの?

インドラと矢 と トライデントの系譜
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/25797500.html
”前回は、フルリ人の国であるミタンニ王国の王名にサンスクリットが使われ、さらにミタンニとヒッタイトとの間に交わされた条約の冒頭に、バラモン教の神々の名前が挙げられている事を書いた。

「ミトラ、ヴァルナ、インドラ、二柱のナーサティヤに誓う」

ミトラとヴァルナに続いて、今日はインドラをみてみよう。

インドラとトライデント
インドラはバラモン教、ヒンドゥー教に登場する雷を操る神の名称である。ヒッタイトとミタンニ王国の契約書は、本来であればフルリ人の嵐の神であるテシュプ神が述べられていてもよさそうであるが、奇妙にもインドラなのである。インドラは古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に天空の神として登場する。

『ラーマーヤナ』も『マハーバーラタ』と同様にBC4世紀の頃からAC2世紀頃にかけて編纂されたと考えられている。ただ、「インドラの矢」とか「インドラの炎」が登場するのは実はラーマーヤナではなく、マハーバーラタだと思われる(まだ未確認)。


『マハーバーラタ』(महाभारत, Mahabharata)は、古代インドの宗教的、哲学的、神話的叙事詩。ヒンドゥー教の聖典のうちでも重視されるものの1つであり、また世界3大叙事詩の1つとされる。『ラーマーヤナ』と並ぶインド2大叙事詩の1つでもある。

パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家の間に起った同族間戦争を主題とし、さらに様々な伝承やヒンドゥー教の説話、詩などが付け加えられて、グプタ朝ごろに成立したと見なされている。伝統的には作中人物の1人でもあるヴィヤーサの作と見なされているが、実際の作者は不明である。

原本はサンスクリットで書かれ、全18巻、100,000詩節、200,000行を超えるとされる。これは聖書の4倍の長さに相当する。

(引用→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%BF)

                         白い象に乗るインドラ

彼が手に持っているといわれるのがヴァジュラ(金剛杵)と呼ばれる武器だ。現在はシンボルとしてチベットなどで法具として使用されているが、物語にあるインドラの矢はこのヴァジェラから発動されたと考えられる。この最強の武器であるヴァジュラには、いくつかのバリエーションがある。

法具としてのヴァジュラの形は、基本的にグリップの上下に槍の先のような刃がついていて、その数によっていろいろな意味などがある。例えば

独鈷杵(刃が一つ。祈る人と仏が一体になることを表す)
三鈷杵(刃が三つ。祈る人の三業が仏様の三密に通じることを表わす。)
五鈷杵(刃が五つ。五智を表わし、仏樣の五智が祈る人の五智と一体であることを表わす。

ほかにも七鈷杵、九鈷杵、宝珠杵、宝塔杵などがある。上の説明は下記のサイトからの引用ですが、分かりやい写真もあるのでぜひ参照ください。
参照先 → http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/butugu/kongosho.html


さて、東に目を向ければインドラと同一視されている我らが帝釈天がいるのだが、

西に目を向けると古代オリエント世界の天候の神もしくは嵐の神と結びついているのが分かる。このブログでも以前嵐の神について書いた記事がある。


それらの神は、アダド神(アッカド)、イシュクア神(シュメール)、ハダド神(アラム)、テシュプ神(フリル)、タルフンナ神(ヒッタイト)、テシェバ神(ウラルトゥ)、バアル神(ウガリッド)、セト神(エジプト)などで、一つ一つが結びついて同一視することが出来る。

彼らがリリーフなどで手に持っているのは先の法具としてのヴァジュラとは違い、稲妻の矢とか杖を持った姿で刻まれている。また、例えばテシュプ神のいくつかのリリーフにはトライデントとよばれる3つの刃がついているものが結構ある。

テシュプ神のリリーフ 三鈷杵を持っている
イメージ 1イメージ 2

バアル神が持つ稲妻の槍
イメージ 4

何だかすごいものもってそうなサルマ神(笑)    稲妻の矢を持つハダド
イメージ 5
イメージ 6

インドでは、バラモン教がヒンドゥー教に発展していくと、やがてシヴァがインドラのポジションを担うようになる。インドラは厳密にはシヴァの前身というわけではないのだが、このシヴァが持つ杖はトリシューラといわれている。

                      トリシェーラをもつシヴァ

イメージ 7

先が3つに分かれる刃を持った武器というとギリシア神話にでてくるポセイドンが持っているトリアナだとかトライデントという武器がある。

                      トリアナをもつポセイドン
イメージ 8



しかし、上記の独鈷杵をもった神もギリシア神話に登場している。

それはオリエント世界からの嵐の神の系譜をもつ最高神ゼウスだ。

イメージ 9

イメージ 10
                         
                          ゼウスの持つ独鈷杵
イメージ 3

ふむ・・・

さて、話を戻す。

前回の記事ではミトラがヴァルナ、アーリア人とこれらの神々、ゾロアスター教のアヴェスター語とバラモン教のヴェーダ語における類似点等々、フルリ人がアーリア人である可能性もあり、ヒッタイトの契約書に述べられた神というのはゾロアスターの色彩を反映したものではないかと考えた。

しかしながら、ここにきてそんな考え方もにわかにあやしくなる。


インドラもゾロアスター教に登場するのは確かだ。。。


ただし、バアルがキリスト教において悪魔として描かれているように、


このインドラもゾロアスター教においては魔王として取り扱われている。


ヒッタイトの契約書に魔王を引き合いに出すとは考えにくい。


インドラは、インドにおいてこそ善神なのである。”

※画像が大事だけど画像省略。
すごいブログだから直接見ることをすすめます。)

・『トビト書』
では天使長ラファエルと悪魔アスモデウスが登場。
天使と悪魔などの存在が当然のように信じられていることに注目すべき。
もともとイスラエル宗教において神と人間の中間に位する天使・悪魔などの信仰は皆無ではなかったが、ペルシア時代に異教思想の影響でユダヤ教の中に次第に大きな位置を占めるにいたったものである。
ラファエルとアスモデウスの固有名詞や、個人を特に守護する守護天使信仰などはこの時代以降にはじめてみられる。著作年代は紀元前3世紀末から2世紀ごろとするのが通説

トビトは死体を埋葬したので、穢れを嫌い庭で寝ているとすずめの糞が目におちて失明。
悪魔アスモデウスはサラが嫁いだ7人の男をそのつど夫婦になる前に殺した。
トビトとサラの祈りにより天使ラファエルが二人をいやすためにつかわされた。ラファエルの使命は、トビトの目から白い膜を取り除き=失明をなおし、サラと、トビトの息子トビアスとを結婚させ、悪魔アスモデウスをしばりあげることであった。
トビアスは(人間のふりをしている)ラファエルと旅をする。
婚礼の部屋にて、トビアスはくすぶっている香の灰をとり、魚の肝臓と心臓とをその上において煙を出すと、アスモデウスはその悪臭をかいでエジプトまで逃げたがラファエルが彼をとらえてしばってしまった。
トビアスはサラと結婚した。
先述の魚の胆のう汁をトビトの目にそそぐとトビトの失明は治った。
最後にラファエルは自身が天使だと明かし、神に感謝し、一冊の書物にこの出来事をかきしるせと言って消える。


・紀元前2世紀、主としてエジプトのアレクサンドリアに住んでいたユダヤ人の間でギリシア語訳聖書に対する要求が次第に強くなり、律法五書をはじめとして預言者、諸書なども当時のヘレニズム世界の通用語コイネー・ギリシア語に翻訳されるようになった。最も流布した訳本がいわゆる七十人訳(セプトゥアギンタ)とよばれたものである。伝説では翻訳はエジプト王プトレマイオス二世の命令で七十二人のユダヤ人学者が共同して七十二日で完成したととされるが、史実とは考えられない。
七十人訳にはのちにヘブル聖典から排除された十数巻の書物が含まれていた。
「トビト記」「ユデト書」「ベン・シラ」などもそのうちの主なものである。しかし、紀元1世紀末にユダヤ教正統派が正典を決定し、24巻に限定してそれ以外の文書を排除し、さらに後代になるとこれらを異端の書として禁じたため、キリスト教会を通して保存されるようになった。
これら十数巻の書物は外典と呼ばれるが、そのうちあるものはローマ・カトリック教会では聖典の中に数えられ、あるものは聖典に準ずる第二正典として扱われている。
一方、宗教改革に際して、ルターがドイツ語訳をしたときに聖典をヘブル聖典にあわせ、外典を有益で読むによいが教理の正しい基準にはできないとしたので、プロテスタント教会はそれに従っている。


(ユダヤ教の聖典24巻
モーセ五書=律法(トーラー)5巻。
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記

預言者(ネイービーム)8巻
前預言者4巻。ヨシュア記、士師記、サムエル記 上下 、列王記 上下
後預言者4巻。イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書
12小預言書(ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書)
諸書(文学。カトビーム)11巻
真理(エメト)3巻。詩篇、箴言、ヨブ記
巻物(メギロート)5巻。
雅歌、ルツ記、哀歌、伝道者の書、エステル記
その他3巻
ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記、歴代誌(I, II)
※第四エズラは外典なので注意!





『新約聖書外典』 (講談社文芸文庫) 文庫 – 1997/12/10
荒井 献 (編集), 八木 誠一 (翻訳), 田川 建三 (翻訳), 大貫 隆 (翻訳), 小河 陽 (翻訳), 青野 太潮 (翻訳), & 2 その他

・外典は正典から排除された文書であり、伝統的にアポクリファ(ギリシア語の「隠されたもの」に由来)と呼ばれる。

“私共は先に、「アポクリファ」という言葉が、オリゲネスやエウセビオスの「偽書」あるいは「異端の書」に当ることを確認した。しかし、「アポクリファ」は元来、すでに言及したように「隠されたもの」を意味し、具体的には、――多くの場合直接イエスによって啓示され、使徒達によって伝えられる――「秘義」(アポクリフォン)が記された「秘書」のことを指すのである。実際、たとえばグノーシス派においては、この「秘書」としての「アポクリファ」が直接イエスに遡るとみなされているだけに、正統派のいわゆる「正典」よりも高く評価されている。たとえば、最近エジプトのナグ・ハマディから発見されたトマス福音書も、イエスの「隠された言葉」が書き記されたものとされており、同じナグ・ハマディ文書の中に、「ヨハネのアポクリフォン」と題する文書が三つも存在しているのである”
p.16『新約聖書外典』

外典を持ち上げるのは異端派。新キリスト教の中核の一つがグノーシス主義。

・ヘレニズム時代において一つの大きな思潮になっていたグノーシス主義では、人間が現実には悪魔的存在としての創造神に由来する非本来的自己(この世や肉体)によって、その本来的自己を疎外され、自己を忘却し、深き眠りに落ち込んでいるものとみなされている。
そして、人間の救済は、究極的存在からの「呼びかけ」により、自己を想起し、自己に目覚め、こうして自己が元来究極的存在と本質的に同一であることを「認識」(ギリシア語で「グノーシス」)することによって生起するといわれる。
このような思潮がキリスト教を取り込む過程において、究極的存在からの「呼びかけ」人がイエスと同定される。結果、イエスが究極的存在としての神の「秘義」(アポクリフォン)・まことの「知識」(グノーシス)の啓示者、人間の救済者として意味づけられる。
同時にイエスは人間に、非本来的自己から本来的自己を取り戻す手段として、あるいは取り戻した自己をこの世において保持し続ける条件として、厳しい禁欲の倫理を提示する。
外典行伝においては、イエスと本質的に同一である使徒達(特にトマスの場合)によって伝達されるのである。
最近の研究によれば、グノーシス主義が成立した社会的基盤は、ローマ政府によって禁治産宣告をされた、属州の有産知識層とみなされている。この説が正しいとすれば、グノーシス文書を担ったグループは、少なくともその当初において、一般大衆というよりはむしろ知識人であったということになるであろう。


『ヤコブ原福音書』(八木誠一)
聖母マリアは処女のまま身ごもったとされてるけど、『ヤコブ原福音』では神殿で育てられたと書いてあるから神殿娼婦だった疑惑。「処女」の定義が気になる……

1.ヤコブ原福音書概説
http://resurrectio.web.fc2.com/sub1-Gaiden.htm
” ヨアキムの妻アンナ(マリアの母親)も、月桂樹の下に座り、神に乞い願った。すると、天使(主の使い)が現れ、アンナが懐妊することを告げた。そこで、アンナは、自分が生んだ子供は、男女の性別に拘らず、神殿に捧げ、生涯、神に仕えさせることを約束した。

 ヨアキムとハンナとの間に生まれた女児マリア(イエスの母親)は、アンナが天使に約束した通り、3歳の時に、主の神殿に預けられた。
 マリアは、主の神殿で、鳩のように保護され、天使の手から食物を受け取っていたと言う。

 マリアが12歳になり、生理(月のさわり:レビ記15:20)が始まろうとした時、祭司たちは、「主の聖所を汚さぬために」、どうしたら良いか、協議して、大祭司ザカリヤ(将来の洗礼者ヨハネの父)に、主の支持を得るために、至聖所で祈願することを以来した。
 大祭司ザカリヤが、至聖所で、祈願したところ、天使(主の使い)が現れ、男やもめを集めて、杖を持たせ、主がしるしを誰か男性に示されたなら、マリアをその男性の妻とするように告げた。

 ヨセフ(イエスの法律上の父親)は、男やもめとして、杖を持って、神殿に集まった。
 大祭司ザカリヤ(将来の洗礼者ヨハネの父)は、男やもめが持参した杖を預かり、神殿で祈った後、杖を、それぞれの男やもめに戻したところ、最後に杖を戻されたヨセフの杖から、鳩が出て、ヨセフの頭上に舞い降りた。
 そこで、ヨセフが、主の処女マリアを保護する為に、マリアを神殿から引き取ると言うことに決まった(注1)。
(…)
 注1:正典福音書では、「マリアはヨセフの妻と決まっていた」(マタイ1:18)と記録されているが、ヤコブ原福音書によれば、ヨセフは、神殿で育った処女マリアを、保護する為に、引き取ったことになる。そして、処女マリアを保護するべきヨセフが、公の祝福の前に床入りして、マリアを身ごもらせたとすると、重大な律法違反であると、律法学者アンナスたちは、考えた。
 ヨセフ自身も、住民登録の為、ベツレヘムへ上る途中で、マリアを自分の妻として登録するか、あるいは、自分の娘として登録するか、迷っていた。
 なお、第19章には、マリア出産に立ち会った産婆に対して、ヨセフは、マリアに関して、「わたしのいいなずけ(許婚)です」、「マリアといって、主の神殿で育てられ、わたしは彼女を妻にするくじを引き当てたのですが、わたしの妻ではありません。けれども聖霊によって身ごもっているのです」と答えている。”


・『ヨハネ行伝』(大貫隆)は
確実にグノーシス主義的内容であり、88-102章に特に顕著。
グノーシス主義とは、キリスト教起源とほぼ同時期におそらくそれとは独立に成立したと考えられている。
グノーシス主義の構成要素
究極的存在と人間の本来的自己が本質的に一つであることの認識(グノーシス)が人間の救済であるとする、救済的自己認識の動機
②その本来的自己の非本来的自己との、またそれを囲繞する非本来的外界(現実)との対立という意味での反宇宙論的二元論
③人間にその外側から本来的自己を掲示する啓示者(救済者)

・95章14、15節、
“八つのものが一つになって、
私たちと共に賛美する。           アーメン
数字の十二が
天上で踊る。                アーメン“p.121『ヨハネ行伝』

はヴァレンティノス派の神話からきている。
ヴァレンティノス派はグノーシス主義と古代キリスト教とが相互に接触したところに成立した、キリスト教的グノーシス主義と呼ばれるグループの一つ。
ヴァレンティノス派は、人間を含めて宇宙的世界を、上界、中間界、物質界の三界において表象し、そのすべてを至高者からの一元論的な流出として垂直的に演繹するのである。
ただし、三界の間には区切りが存在し、境界(ホロス)と呼ばれる。境界によって区切られた上界は、多少擬人化された神的諸属性に満ち満ちた領域、すなわちプレーローマ(充満界)界である。
プレーローマ界の頂点には、
アレートス(発言しえざる者)、シゲー(沈黙)が「対」をなして立ち、
それらから、パテール(父)とアレーテイア(真理)が生まれる。
この四つからさらに、ロゴス(言葉)とゾエー(生命)、
アントローポス(人間)とエクレーシア(教会)の二つの「対」が生まれるというようにして、
合計30の神的属性(アイオーン)が流出される。
そのうち最高の8つの属性を「八つのもの」、次の10の属性を「一〇のもの」、
最後の残る一二の属性を「一二のもの」と総称することがある。
中間界、物質界においても流出が行われ、そこから生み出されるものも同様な総称を転用して呼ばれることがある。

・イエス・キリストの多様かつ超人間的姿での顕現
(88章後半-93章。見る人によってイエスの姿が異なる、まばたきを一度もしない、柔らかい胸になったり岩のように硬い胸になったりする。服を着ておらず、裸で、まったく人間のようではなかった。両足は雪よりも白く、足許の地面が照らしだされるほど。頭は天にまで高々と伸びていた。小さな人間の姿になったりする。)

十字架上の死の現実性を拒否
(99-101章。十字架の上に架けられた者は私ではない。群衆が云う十字架での私の苦しみを云うかもしれないが、私は何一つその苦しみを蒙りはしなかった。おまえや他の者たちに踊りながら示したあの苦しみさえ、奥義と呼ばれることを私は願っている。私の血は流れなかった



が注目に値する。
いずれも仮現論的キリスト論に属することは確実。
ただし、キリスト教的グノーシス主義の全てにおいてキリスト論が仮現論的であるというわけではない。

※『アンデレ行伝』(著作年代は二世紀後半、190年以前=パウロ行伝以前と考えられている)
の解説によると、
人が救いの宣教を受け容れて、自らの本来的存在を認識し(グノーリゾオー)想起して、移り変わる多様で動揺する世を去って唯一者たる神に帰り、真の存在を実現する、という考えは、グノーシスとは限らず、中期プラトン主義、当時のヘレニズム哲学の思想である。

(グノーシスす主義では肉体は悪。つまり、完全に善なるイエスが悪なる肉体を持つなんておかしいから十字架刑で死ぬなんてありえないという発想


エペソのアルテミス神殿を倒壊させたヨハネ。

(本当に、キリスト教は女神大嫌いだな!
女神信仰を潰すために女神信仰をパクったマリア崇拝を創ったからな!
ゴッド=三位一体に女が含まれていない。男が女を創ったという男尊女卑

鹿と熊と関係が深いアルテミスへの捧げものが誕生日ケーキの起源!



・『ペテロ行伝』(小河陽)

シモンは空中高く挙げられ、皆は彼がローマ市中遍く、あるいは神殿の上、あるいは丘々の上に飛び挙げられるのを見ました。
(…)
主よ、速やかにあなたの恵みをお示しください。この男を空から転落させて下さい。この男を虚脱状態にしておいて下さい。こんな男でも悔い改めることがないとも限りませんから。死ぬようなことはありませんように。むしろ敲(たた)きのめされ、足の三ヵ所で骨折しますように」。その言葉通りシモンは空から墜落、足を三ヵ所骨折しました。

p.221『ペテロ行伝』公共広間でのペテロとシモンの対決

p.222-223の魔術師シモンの末路の要約
シモンは、魔術を働いた科(とが)でローマから追放されたカストールという男のもとに逗留し、そこで足の切断手術を受けたが、とうとう悪魔の御使シモンはその町で一生を終えた。

(グノーシス主義の祖ともされる魔術師シモンは悪と記述。正統派キリスト教はグノーシス主義的キリスト教を異端=悪として徹底して排斥する姿勢が見えます)


・ペテロを魔術使いとして合法的に処刑しようとする者がいると判明。法律は、魔術を働いて人を釣るような者は場合によっては死刑にできる。
ペテロ「逃げろというのか」
弟子たち「別の場所に伝道地を見つけるということですよ。逃亡じゃありません」
(ものは言いよう)
ペテロ「誰にも迷惑をかけたくないから変装して一人で出ていきます」
ペテロが市の門を通り過ぎようとしていた時、主があちらの方からローマの街に入って来られるのを見た。
ペテロは
「主よ、ここから何処へ行かれるので」
(…)
“「私は十字架に掛けられる為、ローマに入って行く」

p.225
クオー・ウァディス・ドミネ
=主よ、何処に行きたもう
で名高いのが『ペテロ行伝』


ペテロ「もう一度十字架に付けられるおつもりで」
主「そうだ私はもう一度十字架に付けられる」
そう答えて主は天に昇って行かれた。
(結局十字架にはりつけられないのかよ!)
ペテロは
「私は人間的な思い煩いに囚われて、主の御心がいかなるものか問おうとしなかった。不信仰なことをしでかし、またもや主を十字架につけて晒しものにするところだった」
と悔い改め、
(たんなる幻覚じゃねーか!)
大喜びで主を賛美しつつローマに戻った。
「私は十字架につけられる」とはつまりペテロに起こるべきはずのことだったのです。
(わけがわからないよ)
ペテロは頭が下にくる、逆さまの姿勢で十字架につけるようにいった。
ペテロの逆さまの姿勢は人間が真逆に墜落して、神が創造時に人間にお与えの性質とはすっかり違ったものとなった、死んだものとなった、ことを表している。
十字架につりさげられたペテロの姿ことが初めて誕生た人間の模写。
(だから逆さ十字は悪魔のシンボルじゃなくてペテロのシンボルって言ってるだろ!)
ネロは後になってペテロが処刑されたことを知り、彼の意見も聞かずペテロを殺してしまった科でアグリッパ長官を叱責した。ペテロはもっとひどく懲らしめ、もっともっと過酷な仕方で復讐してやるべきだと思っていたから。ペテロはネロの側近のしもべたちを弟子にして、ネロから遠ざからせてしまう結果となったからだ。夜にネロは悪夢にうなされ、ある者にムチで撃たれつつキリスト教を迫害するなと言われた。この幻に恐れおののいたネロは迫害の手を引いた。
(おいおい)

ふぎさやか ‏@maomaoshitai 2013年9月1日
そういえば前に「ローマ教皇は上下逆の十字架を身につけていた、逆さまの十字は悪魔信仰の象徴だ。カトリックの真実はこれだ」とか書いてあるサイトを見たのですがね。ローマ教皇が持っていたのはどう見ても聖ペトロ十字でした。ペテロは悪魔の象徴なのでしょうか。

きちでん ‏@kiti109 2010年12月23日
逆十字:聖ペトロ十字と呼ばれる。ペテロはネロ皇帝から磔刑に処せられたが、その際上下逆さまに十字架に掛けられた。自分がイエスと同じ状態で処刑されるに値しないとして自らこの方法を望んだ。また悪魔崇拝とも関連づけられ、神の恩寵への反駁・主の恩寵からの離脱などの象徴として捉えた。

『ペテロ行伝』は相当早期に成立したことと、ペテロの著名度から初期キリスト教文学に与えた影響は大きかった。本書はローマか、小アジアで成立した。四世紀には本書に言及する資料も多く、すでに広範囲に流布していたことがうかがわれる。


Quo vadis, domine?
http://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=1689
“「クォー・ウァーディス・ドミネ」と読みます。
quo は「どこへ」を意味する疑問副詞です。
vadis は「行く、進む」を意味する第3変化動詞、直接法・能動相・現在、2人称単数です。
domine は「主人」を意味する第2変化男性名詞 dominus の単数・呼格です。
「主よ、あなたはどこに行くのか」と訳せます。”


“聖ペトロが、ローマでの迫害から逃れようとしたときに、イエスと会ったとされているのはこの教会が建つ場所である。カトリック教会の 古い伝承によれば、ペトロはイエスに「ドミネ、クォ・ウァディス?」("Domine, quo vadis?":主よ、どこへ行かれるのですか?)と尋ね、それに対しイエスは「エオ・ロマム・イテルム・クルキフィギ」("Eo Romam iterum crucifigi":ローマへ再び十字架に架かりにゆく)と答えたとされる。”
ドミネ・クォ・ヴァディス教会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E6%95%99%E4%BC%9A

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・『使徒ユダ・トマスの行伝』(『トマス行伝』 荒井献)
の使徒トマスは、多くの場合、ユダ・トマスと呼ばれ、シリアのエデッサ、パルティア、インド伝道の創始者とみなされている。
本書ではトマスが、トマスによる福音書と同様に、イエスの「双児」として、インド人に紙の奥義を開示・伝達し、彼らの魂を、多くの場合奇跡行為によって悪魔と肉体の支配から解放し、彼らを礼典(塗油を中心とする洗礼あるいは聖餐)を通してキリスト信徒に加え、信徒としての純潔な生活を保持するために禁欲倫理を勧める。

イエスがトマスを奴隷として売り飛ばす。
(おい! そういえば奴隷制度創ったのも神だよね?)


『トマス行伝』はグノーシス派、とりわけマニ教徒によって好んで読まれた。本書の一部にマニ教徒による改訂部分があると訳者は認めている。が、行伝全体をグノーシス主義者による作品とはみなせない。他の外典行伝と同様に、当時のヘレニズム的大衆小説の要素があまりにも多い。

・有名な「真珠の歌」は全体としてグノーシス主義的性格を持つことは明らか。
シリア語写本にはマニ教徒の改訂の部分させ認められる。
この歌を要約するとほぼ次のようになる。
 一人の王子が東方の王国から、蛇に守られている真珠を持ち帰るべく、エジプトへと派遣される。彼はエジプトで自己をいったん忘却するが、父王の手紙の呼びかけにより自己を想起し、蛇から真珠を奪って父のもとに帰り、出発の際に脱いだ衣を再び縫う。
このような王子の像そのものに、グノーシス主義に固有な人間の魂の受難と救済に関する教えを認めざるをえないだろう。しかし蛇のもとから真珠を持ち帰るというモチーフそのものは、おそらくインド-イランに遡る、元来グノーシス主義とは関係ない英雄伝説と共通するものであった


・トマス行伝がグノーシス派によって用いられていたことは、エピファニオス(~403年)の証言があり、アウグスチヌス(四から五世紀)も本書がマニ教徒の間に流布していたことに言及している。
しかし本書がその前後の時代に、キリスト教徒の信仰指導書あるいは大衆本として広く読まれていた。

・古代においては宴会や食後に油をからだに塗る風習
があった。

・初期キリスト教の正統教会から異端として排除されたグノーシス派は、七層の天をヘブドマス(七つ)と呼び、この天をも含めてその下の世界と、
上界プレーローマ(充足)とを区別して、
その中間界にオグドアス(八つ)を想定している。ヘブドマスの上にあるいはオグドアスの下層に、上界から脱落して下界形成の原因となったが同時に上界の神性を保持している神性の女性的属性ソフィア(知恵)が存在している、という。ユダの呼びかけの対象となっている女性的存在や
“七つの家のみ母よ、来りませ。その安息は第八の家にありたもうた。“(p.307)
などに、このようなグノーシス派神話の痕跡が残されている可能性があるであろう。

(グノーシスの最高神は両性具有。だからグノーシス主義と同性愛肯定=同性愛を悪とする聖書の否定
が結びつきます。
ところで、↓の結社員っぽい人はグノーシスを意図的に抜いているのかな?

大本教と世界連邦とスウェーデンボルグの関係を指摘している私が
bcxxx@bcxxxのツイート

”宮沢賢治はスウェーデンボルグ主義の影響強いんじゃないかと思います。スウェーデンボルグはスピリチュアリズム(心霊主義)の元祖になったイタコ体質の人で、キリスト教から派生したニューエイジの元祖でもある。エコ、イルカ、ヒッピー、宮沢賢治、統一教会、宗教右翼。このへん土台は同じ。

あ、大本教はスウェーデンボルグ主義の日本版解釈です。それが日本の宗教右翼の元祖になる。で、統一教会も別口でスウェーデンボルグの影響受けてる。こっちも宗教右翼になる。宮沢賢治も右翼でしょ。ヒッピー的・農村回帰的・エコロジー的右翼。

宮沢賢治=右翼、とまではならないと思います。そういう一連の思想潮流にもろに関わりがあった、ということで。エスペラントは、世界連邦運動と関わりがあるんですが、この運動は大本教や禅宗が中心になっていて、さらにユング経由でやはりスウェーデンボルグにつながるという…。

大本教の影響は直接あったのかな?スウェーデンボルグの影響を受けているのは間違いないのだが。何にせよ宮沢賢治も統一教会も日本の戦後宗教右翼も、同じ源流から生まれた。


をRTするとbcxxx@bcxxxにブロックされましたからエキュメニズム賛成派なのだと確信しました。

bcxxx@bcxxxのアイコンが大文字のエックスなんだけど、もしかして聖アンデレ十字?
英語名はセント・アンドリュー・クロス(Saint Andrew's Cross)でスコットランドの国旗に使われているから新✝側かな。

m.x ‏@x_pq_x 6月13日
@KawanagareK @777Taku7 @kikuchi_8 @wolvesknow @take35c @AmboTakashi
世界連邦で検索したらbcxxが詳しく説明してました。お仲間なのでしょうね
pic.twitter.com/u4CXaVng0X

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 6月14日
大本教と世界連邦とスウェーデンボルグの関係を指摘している私が↑をRTするとbcxxx@bcxxxにブロックされましたからエキュメニズム賛成派だと確信@x_pq_x @KawanagareK @777Taku7 @kikuchi_8 @wolvesknow @AmboTakashi

支配者の系図は工作員も広める
宗教の系図は工作員が隠す
右も左も大本教=和風キリスト教=悪鬼教

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/514154418409717760
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/520734336996233217
#宗教法人課税 @wayofthewind @pinkglalem @kikuchi_8

聖書の神=黒幕は表に出ず本名は隠せ。実務はぺ天使と預言者にさせよ。
本名=的を知られると本名を知る者に魔術で操られる。
本名で呼んだ人の近くに行きたくなる←召喚術の中核!
アカウント名に対する罵倒は本名に対する罵倒より苦痛が少ない。

@wolvesknow @kikuchi_8
@wolvesknow

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年9月4日
君たちはいつもそうだね。どうして人間は、まどかが変身シーンで△と片目のメイソンサインをしたり、文化庁の背後に伊勢神宮奉賛会(初代会長の佐藤尚武がメーソン)や世界聖典普及協会(生長の家=大本教+紅卍字系)などの神道カルト(和風耶蘇教)やキリスト教団体がいる事実から目を背けるんだい?

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 6月12日
伊勢神宮の六芒星入りの石灯籠。あれは古代ユダヤ人が作ったものなんかではない。
第二次世界大戦後になって寄贈されたから置いているだけのものだ。 伊勢神宮社務所も貰い物だからなぜ六芒星なのかは知らない と回答するらしい。寄贈したのは神宮奉賛会。

…六芒星を彫ったのは木藤昌宏という西宮の石材会社の社長。1955年の話だ。古代史もユダヤも全く無関係…木藤さんもなぜ六芒星なんか彫るのか納得はできなかったようだが神宮奉賛会会長で大阪タクシー社長の森岡善輝と元貴族院議員で宮内庁書記官の

二荒芳徳伯爵が、彫れ彫れとうるさいから彫っただけの話らしい。神宮奉賛会は伊勢神宮崇敬会という名前で現在も続く。ここ http://www.jingukaikan.jp/sukeikai/sukeikai.html
がそのHP 歴代会長に松下幸之助…二荒芳徳が元ボーイスカウト日本連盟顧問

でもある…フリメの末端組織だろう”
伊勢神宮崇敬会の歴代会長
http://www.jingukaikan.jp/sukeikai/sukeikai.html
初代 佐藤尚武(メーソン)
二代目 中野種一郎
三代目 松下幸之助

四代目 弘世現
(日本生命社長。劇団四季創設者の浅利慶太や石原慎太郎のスポンサー)

五代目 細川護貞
(神社本庁統理。長男が護熙)

六代目 東園基文(妻が明治天皇の孫=佐和子女王)

七代目(現在)豊田章一郎

※中野種一郎は京都商工会議所会頭、全国神社総代会会長、京都府酒造組合連合会顧問、日本WHO協会会長 、正四位 拡散


消されたり非表示になりそうなのでこの記事に保存


“シモン・マグス【Simon Magus】
サマリアの村キッタイに生まれ,後1世紀のサマリアとクラウディウス帝治下のローマでも活動した人物。生没年不詳。《使徒行伝》8章10節によると〈大能〉(至高の神性)を自己の身に体現すると主張した。シモン自身の教説のそれ以上の詳細は不明だが,後にシモン派のグノーシス主義へと展開し,正統教会からは全異端の草創の責を負わされた。マグスとは〈魔術師〉の意で,シモンの教説をおとしめ,その影響力を減じようとする原始キリスト教側の作為に由来する。
(…)
【グノーシス主義】より
…このほかナグ・ハマディ文書のかなりの部分はグノーシス主義に立っている。
[シリア・パレスティナ]
 グノーシスの祖と称されるシモン・マグスは1世紀サマリアで活動した(ただしこの人については異説がある)。今日まで続いている洗礼教団として注目されるマンダ教は,東ヨルダンに興ったグノーシス・セクトである。…
【聖職売買】より
…サマリア人シモン・マグスが使徒ペテロとヨハネに対して,金銭を提供することによって聖霊の降下を依頼したという《使徒行伝》 (8:18~24)の故事にちなみ,ラテン語ではシモニアSimoniaと言う。シモニアとは本来,霊的な事がらや神聖な事がらを金銭その他の手段によっ て獲得することを意味し,贖宥(しよくゆう)状(免罪符)取引なども含められていたが,一般的には教会や修道院の聖職を売買する行為をさす。…”
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%EF%BD%A5%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%82%B9-1172661#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88


“ペテロぎょうでん【ペテロ行伝 Acts of Peter】
新約外典の一つ。ペテロのシモン・マグスとの戦いにおける勝利,クオ・ウァディス物語,そしてペテロの逆十字架の処刑などの内容を持つ。2世紀末に小アジアで執筆されたもので,巷間の伝承を集めた信徒のための読物。《パウロ行伝》および3世紀前半の《ディダスカリア》はこの《ペテロ行伝》を用いていると思われる。当時の教会では好んで読まれたようであるが,4世紀初めの教会史家エウセビオスは,その証言の価値を否定している。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%86%E3%83%AD%E8%A1%8C%E4%BC%9D-1204076


https://en.wikipedia.org/wiki/Quo_vadis%3F
” Quo vadis? (Classical Latin: [kʷoː waːdis], Ecclesiastical Latin: [kʷoː vadiːs]) is a Latin phrase meaning "Where are you going?"
The modern usage of the phrase refers to a Christian tradition regarding Saint Peter. According to the apocryphal Acts of Peter (Vercelli Acts XXXV[1]), Peter is fleeing from likely crucifixion in Rome at the hands of the government, and along the road outside the city he meets the risen Jesus. In the Latin translation, Peter asks Jesus "Quo vadis?", to which he replies, "Romam eo iterum crucifigi" ("I am going to Rome to be crucified again"). Peter thereby gains the courage to continue his ministry and returns to the city, to eventually be martyred by being crucified upside-down.[2] The Church of Domine Quo Vadis in Rome is built where, according to legend, the meeting between Peter and Jesus took place.


俺のペテロ行伝
http://homepage2.nifty.com/butuUkai/bible/apocrypha6.htm

魔術師シモン
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/simon.htm
“ 実在のシモンについては、いくつもの記録に断片的に残っており、そこから推察するしかない。
 シモンの教団は、教祖の死後もしばらく続いた。2世紀には彼の教えをまとめた文書もあったらしい。その文書は「大いなる宣教」なるものだという。
 彼はサマリヤの出身で、彼の信徒たちからは「最高の力」と呼ばれ、神として崇拝されたという。また、彼自身、自分をキリストであると自称したという。
 シモン・マグスはグノーシス派の導師で、多くのグノーシス派がそうだったように、自分の教義にキリスト教の教義を取り込み、キリスト教徒たちを取り込も うとした。それゆえに、正統派(?)のキリスト教会は、彼を恐るべきライバルとして危険視し、結果的に上記のような伝説を生み出したのだろう。
(…)
 至高神が「エンノイア」と呼ばれる最初の流出を起こし活動を開始した。それによって世界が創造され、人間の魂が物質世界にとじこめられてしまった。という原始的なグノーシス思想であったらしい。
 シモンは、こうした物質に閉じ込められた魂の解放者であり、解放のための「呼びかけ」を行った。こうした解放を行うがゆえに、彼の信徒達は、彼を「至高の力」を示す神の体現者であったという。
 
 シモンはヘレナと呼ばれる女性を常に随行させていたという。
 キリスト教側の記録によると、「彼女はシモンによって売春宿から身請けされた女性である。彼の信者達は、この女をシモンから生み出された第一の思考の流 出、エンノイアであるという。この女はあらゆる人間の母であり、天使をも創造した。そして、天使たちは世界を創造したが、やがてヘレナを妬むようになり、 彼女を人間の肉体の中に幽閉した。こうして彼女は物質的な肉体に幽閉されたまま、何世紀もの間、転生を続けたが、売春婦として生まれ変わっていたところ に、救済者となって天から降りてきた神であるシモンによって見出され、解放された。」という。
 さらに、「ヘレナを幽閉した天使たちは、世界を支配するために、この世を悪く治めた。彼ら天使の首長は、旧約聖書の神と同一である(要するに、デミウル ゴス)。そこで、こうした事態を正すために、至高神たるシモンは降臨した。彼はまずヘレネを覚醒させ、解放する。そして、全ての人類に救いをもたらそうと している。この救世主をユダヤ教徒の一部は受難したと見なしているが、本当は受難したのではない」という。
 ただ、こうした記録は、おそらく誤解が多分に混入していると思われる。
 おそらく、ヘレナというのは、彼らの教義の象徴だったのではないか。彼女が売春宿に身を落とすというのは、聖なる魂(ヘレナ)が、物質世界(売春宿)に 落ちるが、それが真の神によって救済されるという教義が、このように誤解され、変形した形で記録に残されたのではないかとも言われている。
 だが、本当のところは良く分からない。シモンが宣教のために興行として、こうした女性を本当に随行していた可能性も充分にある。

 彼の教義は、弟子たちにも引き継がれ、その哲学も高度化していったらしい。
 先の「大いなる宣教」の記述も、彼自身の筆によるものではなく、こうした弟子たちによって発展したものらしい。
 この文書によると、彼の思想は、単一の神から、現実世界の二元性が導き出されたとしている。この考え方はシリア・アレクサンドリア型のグノーシス思想に分類される。始めから二つの原理があって、それが対立するというイラン型のグノーシスとは異なる。

 余談であるが、この魔術師シモンには、かのファウスト伝説の原型が見られる。
 上記のヘレナは、何度も転生を重ねたが、時の権力者たちは彼女を所有しようと争ったという。かのトロイア戦争のヘレネーも、彼女の転生の一つだったという。
 シモンは、ラテン語圏では、自分をファウストゥス(祝福された者)と名乗ったという。
 そこへもって、彼はヘレネーの生まれ変わりを、同伴させていた。
 ファウスト伝説では、ファウスト博士はヘレネーを呼び出し、恋仲になったという。
 これは単なる偶然の一致ではないだろう。

「グノーシス」 クルト・ルドルフ著 大貫降・入江良平・筒井賢治訳 岩波書店
「グノーシスの宗教」 ハンス・ヨナス著 秋山さと子・入江良平訳 人文書院
「聖書外伝偽典・7」 日本聖書学研究所編 教文館”


お読みくださり感謝の極みです!
 
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