読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

冬至の祭のプレゼント(クリスマスとは言わない)! カバラと魔術系良ツイートと、ダイアン・フォーチュン『神秘のカバラ―』の再読メモ  

人間の本体は脳じゃない。首の後ろ。脳が欠けても生きられるが首が欠けたら死ぬ!

陰謀論でカバラカバラうるさい奴のカバラがクリスチャン・カバラばかりなのに気づけよ!
ユダヤ・カバラにイエス・キリストが登場するわけねーだろ!


#日ユ同祖論 の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から(イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年12月25日
【クリスマスプレゼントの豆知識】
ゾロアスター教では犬は神聖で
一番神聖な犬はカワウソ。
ヤマアラシもハリネズミも犬。
カワウソ、ヤマアラシ、ハリネズミはイヌ科、いいね?
”鼻先の尖った内気な犬、ハリネズミである”
(拝火教経典『アヴェスター』)
RTで配達にご協力お願いします!









(だからサイヤは野菜。金髪になってオーラ=気が見えるようになるほど強くなるからね。
尻尾を持ったままのサイヤ猿宇宙人が月を見ると大猿になるってことも重要。
覚醒すると金髪になる宇宙人って北欧系思想ですね。
鳥山はチベットとインドとドラゴンが大好き!

大猿は猿の巨人。あれ、やっぱり進撃の巨人って……
進撃はもっと話が進んだら考察するよ。

↓独自性=純粋、純血、~発祥、周りからの影響なくなど非現実なレベルでのオリジナリティ信仰

閉店です ‏@lakudagoya 10月8日
やたらと独自性にこだわるのは、悲しい歴史を持つ国だけですので気をつけましょう。
なんか神道カルトがよく使う、アーリア人(笑)を日本人に主語を入れ替えただけの白人のお古の独自性なんていりませんって。

ユダヤを疫病のように扱っててさ、デザイナーがイエズス会ってバレバレなんだよwww)































クリフォト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%88
”クリフォト(Qliphoth、קליפות)は、ユダヤの神秘主義カバラにおける悪の勢力もしくは不均衡な諸力を表す概念である。

「クリフォト」という言葉自体はヘブライ語で「皮」「殻」を意味するクリファ(qlipha, קליפה)の複数形である。
〔…〕
邪悪の樹(Tree of evil)はクリフォトを図式化したモデルのひとつである。 邪悪の樹は最下位のセフィラであるマルクトの下方に伸びており、生命の樹を逆さまにした構造を持つ。 邪悪の樹の各球体には様々な悪徳と悪魔が対応する。 また、球体の番号にはそれぞれ虚数単位を意味する「i」が付けられている。

日本では「トワイライトゾーン」誌に掲載された魔術に関する記事でこの図式が紹介されたが、その情報源はウイリアム・G・グレイ(William G. Gray)の The Tree of Evil である。魔術の学院I∴O∴S∴の学習主任である秋端勉も同じモデルを採用している。

各悪徳及び悪魔は以下のようになっている。

1i サタンのバチカル(Bacikal、無神論)
2i ベルゼブブのエーイーリー(Iweleth、愚鈍)
3i ルキフグスのシェリダー(Sheriruth、拒絶)
4i アスタロトのアディシェス(Adyeshach、無感動)
5i アスモデウスのアクゼリュス(Akzeriyyuth、残酷)
6i ベルフェゴールのカイツール(Kaitul、醜悪)
7i バールのツァーカブ(Shakah、色欲)
8i アドラメレクのケムダー(Chemdah、貪欲)
9i リリスのアィーアツブス(Aiyatsbus、不安定)
10i ナヘマーのキムラヌート(Qimranut、物質主義)

(秋端勉『実践魔術講座』硯文社、第9・10章を参照)
〔…〕
Magical Correspondences by Bill Heidrick:クリフォトを含む魔術照応表

最終更新 2015年11月6日 (金) 15:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。)

Magical Correspondences---Heidrick
http://www.billheidrick.com/works/mcor.htm














三つ編みヘアーだしな!w 両者ともw

(『マギ』のマギは全員三つ編み。結社員のサイン。

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年12月13日
プラトンと同じく『マギ』にも輪廻思想がある。最上級の魔法使いであるマギは生まれ変わる。
マギの特徴は三つ編みで、インドの三神一体とカトリックの三位一体を意味する。
フィクションに多い平行世界論は神がこの世界にいないなら異世界にならいるはずだ!というキリスト教に都合が良い思想。







あれ、そんなに語り合うほどの内容 だったか?
マシュはくたばったままの方が良かった ね。
奈須が仏教シンパ(本当は仏教の解釈 に失敗してただのニーチェ的ニヒリズム なだけだが……)なのはらっきょの頃から そーだろ?
奈須がニーチェ好きなのは、ニーチェ が反キリスト教家だったのも関係してる だろ?
で反カソリックの皮を被ったプロテスタ ントという別のキリスト教が作った
新興カルトにどっぷりハマったw
同業者の山本弘とかも同じビョーキ に掛かってるだろ?w
プロテスタントの新興カルトは 石屋教って奴な!
三角に目ん玉付いてるマスコット キャラのとこね。 奈須の尊敬するラヴクラフトの祖父の ジジィも入信してた新興カルトねw

ゲーティアさんのお話は「ガチャ」 と「爆死」に例えると理解しやすいよ。
「我々は多くの爆死者を見てきた。 もう沢山だ。FGOは一度スタッフを 全員解雇してゼロから作り直さないと ダメだ。 我々はガチャを無償で引き放題にすれば 良ゲーになると思う」
ゲーティア 「だがFGOをゼロから作り直すには 膨大なリソースが要る。お前らのデータ も全部飛ぶ。だが、やる価値はあると 思う。」
「ソロモン塩川……!この無能 ディレクターめ‼︎ お前はFGOがバグだらけなのを知って いながら放置してきた!」

ゲーティア 「ぐだ子よ…!何故だ⁉︎ 何故爆死すると分かっててガチャを 回すのか⁉︎」 ぐだ子 「ただ回す為に」 ゲーティア 「ファ⁉︎⁉︎」

ゲーティア 「私の聖昌石も無限ではなくなった… だが!爆死すると分かってても 私の意地の為に、10連させて貰うッ!」 「たった一回しか回せなかったが、 生まれて初めての盛大な爆死だった… 初めての経験だ……」

フォウ 「マシュ。聖昌石が0の君はゲーム オーバーだけど、僕の貯めた欠片で もう一回コンテさせてあげるよ」 マシュ 「マジで⁉︎ ラッキー♡」

ダヴィンチ 「さ!この呼符10枚を使って二人で ガチャを回してきたまえ!」 マシュ 「先輩、私、塩川さんから聞きました… 呼符でも稀にバグで金ビリビリから 星5鯖が出る事があるって……」 ぐだ子 「ああ、だからガチャは止めれない」
アルテラ 「ガチャは良い文明!」 一部完

燈火 ‏@to_moshibi 12月16日
燈火さんが燈火をリツイートしました
「大辞林 第三版の解説」より ①身近な人々への愛情。 ②キリスト教倫理で、他者たる隣人に対する愛。 https://kotobank.jp/word/%E9%9A%A3%E4%BA%BA%E6%84%9B-411254 … 友愛=隣人愛と同義であることより、友愛の中核が何なのかがはっきりしています。
燈火さんが追加

燈火 ‏@to_moshibi 12月16日
以下のリンク内において「世界大百科事典 第2版の解説」の項に注目すると、「友愛は〈博愛philanthropy〉〈隣人愛brotherly love〉と同義である」と書かれています。確かに宗教関係の用語としても使われていますね。 https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8B%E6%84%9B-650203 …







fategoも輪っかで地球吹っ飛ばす 話だったし、オバマも広島で三角に 輪っか引っ掛けてたしなー
シュローモの輪っかの72柱なんざ 黄道(24節気を三分割=72)の事だから 太陽だろ?
でドレイクの決め台詞が「太陽を 落とした女」。
冬木の爆心地が遠坂邸でイシュタル凛 が天の牡牛だかなんかを落としたんだろ?w 「太陽を落とす」ってのは当然 核ミサイル着弾の事だから、やっぱ 汚染ピッコでなんかやらかすんでね?
AKIRAでも東京にエレシュキガルちゃん の穴ボコが空いてる予言がされてたん だろ?w
Vガンダムも輪っかで全人類を 赤ちゃんに戻すって話だったしな!

ぐだトマト ‏@pteras14 2016年12月28日
まどマギ如きで感動する輩って結構
多いんだな。

もっと色んなアニメやアニメだけじゃ
なくて映画や演劇も見ようぜぇ〜




(とまとさんがRTしたイラスト付きツイートに対して)
絵が上手いという理由でRTしてる わけじゃないんだぜ? 冬コミ前の絵師や漫画家、専門学校生共 の営業活動がfategoの最終章を利用し 捲って滑稽なのを皆んなに知って貰う 為にRTしてんだw
専門学校ではイラストレーターは 商業美術屋(クライアントの依頼通りに 描く人の事)で、自分の絵を描いて オ◯ニーしたい奴は「画家」を目指せ! と、檄入れてたけど、むしろ逆だよ。 お前らそんなに「金」の為に絵描かさ れるの好きなの?
「画家」がオ◯ニーなら、 イラストレーターや漫画家なんて ただのドMじゃん。 三角目玉なんか毎日描かされて 何が楽しいのかサッパリ分からん。 え?「金のため」だって⁉︎ 悲しいなー 藝術や美術ってそんなに程度の 低い活動なのかねぇ……
ほらほらw こーゆーのねww 飽きもせず商魂逞しいわー 現代アーチストさん方はw
いや、まぁ本人の自由だから好きに やって貰って結構なんだけど、 これだけ研ぎ澄まされた高い技術 持ってんのに、「金」という枷が なければもっと凄い作品作れそうなのに 残念だなぁーって思ってね。
え?「金」という動機があったからこそ 俺様の絵の技術がクライアントの厳しい 要求に応える為にここまで頑張って 上げて来ただって⁉︎ その程度の動機で身に付いた技術なんざ そもそもその程度のなんちゃって美術 だったってだけの話さ。
なんかリーナスの名言であったよね? 微軟は金儲けの技術がなんちゃら〜って ヤツ。 正にその通りだと思うよ。
いや、マシュの絵があまりにも大量に 垂れ流されて来るからいい加減ウゼェ と思ってね。#FGO #FateGO

ぐだトマト ‏@pteras14 2016年12月29日
言っておくが、FGOのストーリー最高
とか言ってるニーチェまで読んで哲学
は精一杯って連中、今連載中の少年
サンデーの「マギ」もまんま同じ
ストーリーだぞ?

地球の全生命を無に帰してリセット
しちゃおうぜ!ってお話。
2chのiOS版スレとか気持ち悪いわ。 チェンクロのシナリオライターが FGOの最終章をベタ褒めしてたとか。 どんだけ引き出し狭いんだよw
カルトや結社の入れ知恵以前のレベル だから何でこういう似たような ストーリーばっかになるのか教える けど、基本、物語作りってのは 「Demise」と言ってメインテーマと 言うか伝えたいメッセージを決めるの。 で、大体、哲学から引っ張って くるの!

これは映画でも何でもそう! で問題は物語論ってのは基本 アリストテレスの三幕構成論が スタートだし、哲学も最初から勉強 するときギリ哲から手を付ける。 ところが大体読みづらいカントの 辺りで皆んな挫折してニーチェ辺りで 投げ出すのよ。
ギリ哲自体が膨大な上に、ローマや 初期キリスト教神学も含めると半端 じゃない量な上、日本人なら当然 仏教学ぐらいはやらないといけない。 だから、結局「心の哲学」みたいな 比較的新しい分野までカバー出来る 奴がいないの!
ギリ哲自体が場所の関係もあって ペルシャ(イランの辺り)からの パクリが多いから、どうしても同じ アーリア系のインド哲学に近くなるのよ。 大体の知識人がギリ哲でもうお腹一杯 状態になるから、ハリウッドも含めて ギリ哲偏重な脚本が多くなる。
最新の哲学までちゃんと途中の ポストモダンも飛ばさないでやれば、 ギリ哲みたいな時代遅れな骨董品 なんかとっくに卒業してるの! 神学も同じで古くさ〜い、バルトの 本しか置いてないから原理主義っぽく なるのよね。
まぁ、ギリ哲でも突っ込んで極めて くれりゃまだ良いんだけど、日本の 作家って小説しか読まない奴が多いから 皆んなマギの大高忍みたいなチンケな ニーチェの使い古しのネタをグルグル 使い回すし、漫画家や作家を監督する 編集者も似たようなもんだから。
まぁ、読者も無学で無教養でコミケ でお気に入りの美少女キャラの ケツを追い掛けるだけで精一杯の 知能みたいな連中が多いから、 出版社側も作家側も「ほら!売れてる じゃないか!」って結論になるから 一向に程度が上がらない。














悪の樹・クリフォト教義
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/aku.htm
”あらゆる宗教において、「悪」の考察は外せない。
(…)
 クリフォトの教義は、盲人イサクの系統を継ぐカバリストであるトドロス・ベン・ヨセフ・ハ・レヴィ・アブラフィアという13世紀後半の人物よって、よく知られるようになった。
 トドロス・アブラフィアは、グノーシス派の影響を受けている人物で、そういった思想を持ったカバリスト・グループにも所属していたらしい。
(…)
 このクリフォトと言う言葉は、「殻」という意味である。それも卵の殻のような「外殻」の意味を持つ。
 これは、エゼキエルの幻視と関係してくる。「エゼキエル書」の第4章1節に「北のほうから激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまり火の中には、琥珀金のような輝きのようなものがあった」とある。
 これは、「神性」が4つの「殻」で囲まれていることを示すという。すなわち、中心の「琥珀金のような輝き」こそが、「神性」である。しかし、それは4つの「殻」に包まれている。一つ目の「殻」は「激しい風」であり、2つ目は「大いなる雲」、3つ目は「巻き起こる火」、4つ目は「その火の周囲の輝き」であった。これは、とりもなおさず「神性」は常に、こうした「殻」に囲まれた形で出現するということでもある。
 この「殻」は、「悪」である。
 ずっと後世(16世紀)のイサク・ルリアは、「悪自身の中に善の閃光がありえる」とした。
 この教義は、やがて合成され、これは、「善」は「悪」と殻と実のように結合されている、あるいは「善」は「悪」の内に見出されることもある。また、その逆も然り。ということにもつながるようにもなった。
 いわば、これは「悪」と「善」は表裏一体、隣合わせの存在でもある。言ってみれば、「クリフォト」は「セフィロト」の硬貨の裏側のような存在でもあるのだ。
 しかしながら、本来、「クリフォト」というものは、独立した原理でも要因でもない。これは「セフィロト」それ自体の不均衡な破壊的側面のことにすぎない。
 「セフィロト」においては、均衡が重要になってくる。しかし、完全なる均衡、完全なる安定は、同時に不動の状態であり、それでは進歩は望めない。だからこそ、「樹」には、対象的なシンボルが存在し、それはお互いに干渉し合い、引き合っている。「樹」の「安定」は、慣性の安定ではなく、緊張の安定である、とも言い換えられるだろう。例えば「コクマー」と「ビナー」の関係などがそうだ。
 これは二つの崖に架けられた吊り橋にも似ている。両の崖の橋から引っ張られるからこそ、橋はピンと立ち、安定していられる。しかし、片方の崖ふちから引っ張る力が無くなれば(すなわち切られてしまえば)、橋はまッ逆さまに転落してしまうであろう。
 しかし、この緊張した安定にも、問題はある。互いに引っ張り合っていると、たまに力が片方に偏り、不均衡な状態に陥ることがある。これが「クリフォト」の状態なのだ。
 「クリフォト」の球である「クリファー」は、「セフィロト」の球である「セフィラ」の流出の過程で、こうした不均衡な状態の現れとして出現した。例えば、ケテルがコクマーを流出した時、その力が余分に出来て、力があり余ってしまった。余ったがゆえに力が過剰となり、不均衡が生じた。この病的な過渡期の状態の時に、ケテルに対応する「クリファー」が生じる。
 すなわち、「クリフォト」は、「セフィロト」の流出・進化の過程で、周期的に生じてしまう均衡の喪失の位相の間に抑制が効かなくなって生じた存在であるのだ。
 したがって、こうした「悪」を切り離したり、消滅させようとしても無駄である。それは本来あるべき姿の不均衡な結果にすぎないからだ。だから、カバリストは「悪」を消滅させようとするのではなく、それを補い、調整を取ることによって、「クリファー」が生じた「セフィラ」に再吸収させなければならない。

 例えば、先の例で言えば、ケテルの過剰な力から生じたクリファーを解決するのは、ケテルと引き合っているコクマーを活性化させることにより、両者のバランスを取り、中和させればよいのである。
 「樹」を登って、修行を行おうとする修行者にとって、この考えは重要である。
 修行の過程で、何らかの不均衡が生じると、そこにクリフォトが生まれ、修行者はそこに転がり落ちるかもしれない。
 
  これは「創世記」に出てくるヤコブの子らと戦って滅亡したエドム11人の王にも例えられた。創造の過程に置いて、神が不要と見なした物を破戒する作業でもあった。「創世記」で語られるエドム11人の王達の死は、いわばこの破壊のシンボルと見なされることもあった。クリフォトはこの王達の残滓である廃棄物で作られた「悪」の勢力にも例えられた。
 これは、修行でいうのなら、修行者は自分の内部の人格が不完全であるとこを、まず自覚する。そして、より高次の人格を作るためには、この人格を再構成しなければならない。再構成を行うには、古い建物の一部を破壊しなければならない。当然、破壊すべきは「悪」の部分だ
 エドムの王達は、その人格のある部分を象徴しており、この「創世記」の物語は、精神の各部分の相互作用を象徴しているとも言えるのだ。
 もっとも、破壊とはいっても、要するにこれは「均衡の獲得」に他ならない。エドムの王達との戦いは、「不均衡の王」達との戦いである。
(…)
 また、クリフォトはセフィロトと同様に図式化することも可能である。
 それは、セフィロトより下向きに伸びている、逆立ちした樹である。これは「生命の樹」に対して「邪悪の樹」と呼ばれることもある。
各セフィラに「ケテル(王冠)、
コクマー(智恵)、ビナー(理解)、
ケセド(慈悲)、ゲブラー(唆厳)、
ティアファレト(美)、
ネツァク(勝利)、ホド(栄光)、
基盤(イエソド)、
マルクト(王国)」とあるように、

クリファーには
パチカル(無神論)
エーイーリー(無神論)〔引用者注:「愚鈍」が正しい)、シェリダー(拒絶)、
アディシュス(無感動)、アクゼリュス(残酷)、
カイツール(醜悪)
ツァーカブ(色欲)、ケムダー(貪欲)、
アィーアツブス(不安定)、
キムラムート(物質主義)
と名づけれられることもある。そして、セフィロトに神名や天使の位階が照応されるように、悪霊の位階やその他の物騒な名前も割り当てられている。
 とは言うものの、こうした突っ込んだ理論は魔術カバラのものであり、ユダヤ教カバラの、少なくとも正統派では、あまり考察されたことはない。そもそも、ユダヤ教カバリスト達は、天使については熱心に研究を行ったが、悪霊にはあまり関心を持たなかった。
 クリフォトのより詳しい象徴体系については、「The Sorcerer and His Apprentice」(Gilbert編  Aquarian社)に収録されている、メイザースの講義録を紹介することで、終わりにしたい。

 
「ユダヤ神秘主義」 G・ショーレム
「ユダヤ教思想における善と悪」 シャローム・ローゼンベルク 昇光書房
「カバラー」 チャールス・ポンセ 創樹社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社
「神秘のカバラー」 D・フォーチュン 国書刊行会
「魔法入門」 W・E・バトラー 出帆出版
「トワイライトゾーン」誌 No.153 KKワールドフォトプレス
「The Evil of Tree」 W・G・Gray WEISER”




ねこた消滅ツイート要約 「本家ユダヤカバラはスピノザに影響を受けている
日本のカバラが本物と言う奴は、生命の木理論が15世紀から登場したこと、生命の木なしカバラや、ハシディズムの義人思想とか一切知らない
口当たりのいい情報だけを集めてたら、カルトの術中」

「セム語は各文字に対応する意味と数字がある。暗号化可能。子音だけを繋げ読む。
これはアラビア語やセム語の影響を受けたギリシア語や一部ラテン語でも同じ。
日本人が本当のユダヤならセム語の特徴を何故捨てた?
シュメールは膠着語。ヘブライ語やアラム語のセム語と違う」

「エッセネ派はお金が嫌いで独身主義なのでユダヤっぽくない。子孫繁栄と現世利益が強いのがユダヤ教。
タルムードから引用される寓話とかユダヤジョークとか極めて現世的。
六芒星をユダヤの象徴にしたのはイエズス会。当時のラビは猛反対。中世以前にユダヤ=六芒星の象徴なし


「日ユ同祖論が旧約なら日本にヘブライ語のトーラーがあるの?日ユ同祖論の資料は嘘ばかり。
多神教の古代イスラエルはパレスチナ周辺の民族と何が違う?
書物の宗教だからユダヤ教は特異
アラビア語のルーフはヘブライでルアク 天使=アラビア語のマラークはヘブライではマラキム



ユダヤ教徒は教育の民。五歳からヘブライ語の聖書を学び、ユダヤ学院で一日中タルムードの勉強。ようやく30過ぎてカバラ。ヘブライ語の聖書も読めないのに日本の本当のカバラはおかしすぎ。カバラは聖書をどう読むかという話
ニクダーのないヘブライ語は何語とでも同祖論作れる

ユダヤ教のまともな知識もない奴が鼻息荒く日本人は本当のユダヤ人だと言う。
トーラーとタルムードを学ばないのは何故?
日本の本当のカバラと言う奴は、ユダヤ教神秘主義がイスラームみたいに律法=戒律を熱心に守ることを言わない。
騙されてたほうが気持ちいいんでしょうね

ユダヤ教の知識なしで日ユ同祖論は信じる人が多すぎ。この人達はユダヤ教やヘブライ語のアレフベートを勉強しない。
聖書神話の中に閉じ込め行動させる技術。だから黒幕は神話を操る。
日ユ同祖論とユダヤ陰謀論という一見アンビバレントなものも聖書神話を日本人に吹き込むため」







” 第2期(成長期)10~12世紀
「創造の書」を中心にし、発展… これ以前のカバラ思想が、神学的な思弁・瞑想に留まっていたのに対し、宇宙論や「宇宙の創造の過程」、と言った考察が始まる。ピタゴラス主義が流入…”
工作員が無視する生命の木なしユダヤ・カバラ時代!

” 第3期…12~16世紀
「バヒルの書」登場… 「生命の樹」の概念が作り出される… 「ゾハール」が表舞台に登場…
輪廻転生(!)の思想も取り込まれる… 生命の樹の理論の原型を作った盲人イサク…
キリスト教へのカバラ移入が始まる”
盲人イサクは1165年生まれ

”第4期(後期完成期)16~17世紀
「ゾハール」の研究、本格化。
ゲマトリアを始めとした文字によるカバラの体系も完成…我々が知っているカバラの形が、整えられる…
キリスト教カバラも活発化”
工作員が言うカバラはクリスチャン・カバラに偏っている。黒幕がバレバレ

”第五期(衰退期)17世紀以降
サバタイ・ツディ運動で異常な盛り上がりの後、急速に衰える。 護符や呪文を用いた魔術カバラが盛んになる。 ユダヤ教カバラの魔術書「ラティエルの書」出版…
正統派ラビ達は、次第にカバラを異端視…ユダヤ教カバラは、事実上、消滅”←!

キリスト教カバラおよびオカルティストの魔術カバラだけが生き残る… ユダヤ教カバラは…ショーレムの登場によって、20世紀になって、復活… 魔術カバラは…キリスト教カバラの流れを組む”
ユダヤ・キリスト・魔術カバラの3区分も盲人イサクも出ないカバラの歴史≒カルト製




彼は今日の「生命の樹」のそれに近い概念を持っていた…現代のセフィロトとは異なるものである…彼が、現代伝わる「生命の樹」の原型を作った… 絶えることのない超越した神性からの流出…万物の本質と流出による創造の各段階の相互関係…”
新プラトン主義の流出説が元ネタ!


”万物は相互に照応…関係し合い…万物は全宇宙的流出のプロセスに内包…ここでも「生命の樹」の基本概念…!…流出による創造とは、神ご自身の瞑想の結果…。 盲人イサク…以降を「カバラ」と呼ぶべきであり、それ以前は「ユダヤ教神秘主義」とすべきだ、という主張すらある。”







物証成立年代を捏造する #日ユ同祖論… 最低限、カバラには二種類あり…
①ユダヤ・カバラ 旧約聖書の解釈を重点を置く。 もともとカバラに生命の木理論はなかった。 3~6世紀間に成立の『イェツィラ(形成の書)』。
12~13世紀間に成立の『バヒル(光明の書)』、 『ゾハル(光輝の書)』…
代表的カバラ基本経典は紀元前にはありません。

②クリスチャン・カバラ 15世紀にピコ・デラ・ミランドラが創始(ルネサンスが重要)。
「生命の樹」が中心になっている(タロットも) ユダヤのカバラは旧約、特にモーセ五書(トーラー)に基づいていますが
クリスチャンのカバラはネオプラトニズム(流出説が生命の木思想で重要)が入っています。
違いを理解してください。成立時期が重要ですよ。
生命の木カバラが古代にあって日本云々だと言っていたら嘘確定。道教などの中国思想は都合よく無視…”  工作員は成立年代を隠す!





猫太“カバラが成立したのは早くても三世紀な?新プラトン主義などの影響をモロに受けてる。理論が固まったのは13世紀頃。生命の木が登場したのは15世紀の西洋。だから、紀元前6世紀から日本のカバラ(笑)がーとかありえない。単に道教の話をそう読み替えてるだけでしょ?




”日本の知的な中流階級はどこまでも欧米のサルマネに走る。ネオプラトニズム系の神秘主義は、カバラの生命の木のように、天界の階層論を形成して、流出した大河を鮭みたいに逆流すれば一者に合一できるという思想…日本の中流階級のサルマネはまるでネオプラトニズムの神秘主義…










秋端勉『実践魔術講座リフォルマティオ』 ・超常的な力を求める者は自我の膨張に陥りやすい。修行していると自分が特別だと感じ、超人や達人だと錯覚し、統合失調症に陥る危険を冒す。霊的グループ内で自我が膨張すると悲惨。自我膨張による悲劇を防ぐ為、自己規範で野狐禅を防止

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年9月30日
日ユ同祖論は
①佐伯好郎(景教博士。最初期の論者。キリスト者)が功利的企画だと暴露
②ダビデの星がユダヤのシンボルになったのは十七世紀から(イエズス会製)
③カバラに生命の木が登場するのは中世から
④仏教徒の天皇も側近も縦書きの漢字を使用
⑤天皇は道教用語
を無視して捏造してね!

菊池 ‏@kikuchi_8 12月25日
イスラエル王国はユダ王国から分離して建国したとされる。イスラエル王国はユダ王国より先にアッシリアに滅ぼされた。日猶同祖論で言う「失われた十部族」とはイスラエル王国を構成していた部族。
一方で「日本にはダビデの王統がある」とも言う。ダビデを出したユダ部族はユダ王国側。この時点で矛盾。

日猶同祖論者は「日本には失われた十部族が来ている」と言う一方で「日本にはダビデの王統がある」とも言う。ダビデはユダ王国を構成したユダ部族の出身であり十部族ではない。最も旧約聖書の歴史物語自体が史実であるとも思えない。同祖論は聖書を信じる事が前提であり聖書の内容にすら矛盾している。


―――――

ダイアン・フォーチュンのThe Mystical Qabalah
の日本語訳のメモ2回目




The Mystical Qabalah
Dion Fortune


一回目メモ
ダビデの星がユダヤだけのシンボルになったのは十七世紀からでキリスト教が決めた(ユダヤではない)
ので日ユ同祖論(キリスト教製品)に使えない。
マニ教の概要(山本由美子『マニ教とゾロアスター教』 など)、
ダイアン・フォーチュン『神秘のカバラー』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-35.html


・コクマーとビナーは
力と形を表しこの2つが顕現世界の単位となっている。

神秘的なダートは決して木に表されず、いかなる神の名も天使の軍勢も割り当てられないし、惑星や4大元素の象徴を持たない。
ダートはコクマーとビナーの結合から生まれる。
至高なる父アッバが、至高なる母アマと結婚し、ダートはその子供。
ダートがある場所は「深淵」が中央の柱を二分するところ。そして中央の柱の上に「矢の小径」すなわち心霊家が各次元を昇り詰めるさいに意識を走らせる小径が中央の柱にある。そしてここにはクンダリーニも存在することも思い起こすならばダートの中にこそ生成と再生の秘密が隠されていると判るだろう。
万物は対立する二極に分裂し、第三のもので結合することを通じて顕現する。この顕現世界を解くカギがダートの中にある。
中央の柱は不可視のセフィラ―=ダート=知識(意識的覚醒、知性)を通って昇っていく。
この柱の頭部には、ケテル=王冠=万物の根がある。
かくて意識はケテルという霊的本質から発し、ダートの悟達を通って「深淵」をくぐり、ティファレトの意識に翻訳され、「パロケト」のヴェールを引きちぎるキリストの犠牲によって、そこまで達するのである。
その後、意識は月の天球たるイエソドの心霊意識の中に入り、そこからマルクトという感覚的、頭脳的意識に至る。
こうして意識は巻き込みの過程を通って下降する。巻き込みとは「ほどける」ことの逆で、「最初の顕現」から存在の精妙な諸次元を経て濃密物質に達する過程を意味
する述語である。
厳密に言えば、秘伝家は霊的向上という言葉を、物質から霊への上昇を意味するときだけに使わなければならない。そのさい、精妙な諸次元を通って下降し、巻き込まれたものが、逆にほどけていく。これを向上という。

ミクロプロソポス(小さな顔)とマクロプロソポスの間にある深淵は、2つの次元に存在するものの本性と類型をはっきりと区別する。深淵の中にはダート(不可視のセフィラ―)があり、それは生成のセフィラ―と呼ばれている。知識とも呼ばれ、視覚、把握、意識として解釈することもできる。

ダートは西洋体系では首の部位に割り当てられている。ここは脊髄と脳髄が交わる点である。
ダートは普通、異次元の意識、または別乾坤、他界の意識を表すと考えられている。本質的には鍵の変更という観念を表す。
頭蓋管の規定にあるダートの機能は、ヒンドゥー体系では喉頭部に関係する「ヴィシュドゥ・チャクラ」と結びつけて考える。

(ダートが首、喉にあることが超重要。エヴァ、進撃、道教のツボ、アイヌの守護霊において首の後ろが重要。
人間の本体は脳じゃない。首の後ろだ。脳が欠損しても生きられるが首の後ろが欠損したら死ぬ。
道教思想だと、取り憑く霊は首の後ろのツボから侵入するらしい。
首筋に寒気がしたら下腹部から絞り出し、唸るような大声で叫ぶと大抵風邪をひかない、大声を出すのが無理な環境ならば叫ぶように息を吐くだけでも問題無い、
という技術と関係ありそう。

峨骨 ‏@Chimaera925 2016年12月29日
首筋に寒気がしたら大声で叫ぶと大抵風邪をひかない。大声を出すのが無理な環境ならば叫ぶように息を吐くだけでも問題無い。他人は知らないけど、俺はこれで何とかなっている。
経験上、寒気がした時に息を飲み込むと失敗するような感はある。
叫ぶ時の発声は下腹部から絞り出し、唸るような声。甲高い折れそうな声は失敗な。イメージで言うと、病魔が恐れるような声。まあ、そんなもん存在しないだろうからあくまでイメージな。感染から潜伏期間考えたら、感染した瞬間に発症なんざありえないお話だ。免疫力や生命力を高めれば多少マシになる。


――
月刊シロロ5月号 - アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/201605.html
”前回まで見てきた人間や動植物のラマッ(霊魂)は、いずれも元々そのモノに内在していた霊魂でした。船などの道具のラマッも、その素材となったモノの霊魂がそのまま宿り続けるというものでした。今回はラマッに関する記事のしめくくりとして「憑依」という特殊な事象について書きたいと思います。

 「憑依」とは、何かの事物に、そのモノ本来のラマッとは別のラマッが憑くことです。ちなみに「憑依される」というと大変な事態のようですが、アイヌの信仰では人間なら誰でもトゥレンカムイ「憑神」という神に守られていることになっています。この世界に誕生する前の人間のラマッは天界のラマッカラカムイの元にあり、そこで諸々の活動に必要なラマッをそろえて成形された後に地上に降りてくるとされます。このとき、降下していく人のラマッに、何かのカムイが付き添って一緒に地上に降り、その人が亡くなるまで見守り続けるとされます。この神をトゥレンカムイと呼び、その人の肩や首の後ろ付近に宿っているとされます。神々について良く知っている人は、美味しい物やお金など良い物が手に入った時には、肩から首の後ろにかけてかざす仕草をします。こうすることによってが、トゥレンカムイに報告をしたり、捧げたりすることができるといいます。こういう意味では、アイヌの信仰においては誰でもいつでも憑依霊を伴っていることになります。

 トゥレンカムイとなる神は人によって違い、その性質・能力、嗜好や気性が憑かれている人に影響を与えることもあると言います。またアイヌの宗教におけるシャマン「トゥスクル」も、この憑神の力によってトゥスというシャマ二スティックな儀礼を行います。ただ、全ての人にトゥレンカムイが憑いているからといって、誰でもトゥスクルになる訳ではありません。トゥレンカムイは通常は至って静かにその人を守護しており、はたから見て分かるような影響は表れません。

 通常よりも強い力を持つトゥレンカムイに守られている人は、いわゆる第6感のような感覚が強いことがあり、普通の人では感じ取れないような兆しを感じ取ることができるといいます。たとえばノイポロイクシと言って、獲物のいる方角を頭の痛みによって知る能力(頭の右側が痛かったらその方向に獲物がいる)を持つ人が知られています。そしてトゥスクルの場合は、より直接的に自ら口を通じてカムイの意志・声を語ってもらうことができるというのです。

 宗教学者の佐々木宏幹氏は、憑依霊が人に与える影響の在り方について次のように整理しています(なお、文中の例はいずれもアイヌ文化以外のものです。念のため)。

(1)神・精霊が当該人物の身体の中に入り、人格転換が行われ、彼(彼女)は霊的存在として振舞い、「吾れは某々の神であるぞ!」のように第一人称で語る。口寄せ巫女として知られるイタコやカミサンは、死者の霊を憑依させると、死者自身として語り出す。またシャーマニックな新宗教の教祖も、この型に属する者が多い。諸外国のシャーマンもトランスに入ると、第一人称の自己表現をするのが一般的である。

(2)神・精霊が当該人物の身体には入らないが、リアルに姿を見せ、直接身体に接触して、胸部を圧迫したり、手足をつかんで振り廻したりし、神意を伝える。彼(彼女)は、「神さま、しかじかのことについて、何とぞ教えてください」と願い、霊的存在の答を「はい、はい、わかりました」などといって受け、これを依頼者に伝える。この場合、当人には人格転換は起らないので、霊的存在との直接交通も、第二、第三人称を用いて行われる。

(3)神・精霊が当該人物の身体に入ることもなく、またその身体に直接接触することもないが、彼(彼女)の眼、耳、心を通じてその意志を伝える。「神さまに悟らせられる」とか「神さまにしゃべらせられる」という状況である。遠くから身体の悪い人が訪ねてくるとして、もしもその人が霊の影響を受けているとすると、悪いところの痛みが自分に現れるという。霊との交渉は第三人称で表現されることが多い。

[佐々木1980:54-57]



 この分類に照らすと、先のノイポロイクシは「人格の交替が起こらず、知覚に働きかけて何かを知らせる」という点で(3)に相当するといえるでしょう。これに対し、トゥスは(1)あるいは(2)の状態だといえます 。
  
 なお、佐々木氏は憑依が起こる過程についても「自発的憑霊」と「非自発的憑霊」に分類しています。自発的とは文字通り、シャマンが自ら意図して霊を呼び出して憑依させること。一方の、非自発的憑霊は、不本意に起こる事態を指します。トゥスについての事例を見ていると、しばしば非自発的憑霊に当たる記録も見られます。トゥスクルの憑神が、トゥスクルの気付いていない事態を知らせようとする際にこれが起こると考えられます。また、憑神ではなく神や死者などが突然憑依することもあります。なお、アイヌ語(北海道方言)ではキンラという言葉があり「何かに憑りつかれたような」異常な心理状態を指します。ニュアンスとしては、こちらの方が非自発的憑霊に近いように思えます(樺太方言でのキンラは、法力・魔術に近い意味になります)。

 なお、トゥスクルになるかどうかの素質は、憑神となった神の性質によって、言わば生まれつき決まります。各地域のシャマニズム文化の中には、例えばモンゴルのように修行によってシャマンとなることが可能な場合もありますが、アイヌ文化においてはいくら修行をしても、後天的にシャマンとなることはできない事になっています 。

 ただ、非自発的憑霊はトゥスの能力の無い普通の人にも起こることであり、本人を病気にしたりキンラを引き起こしたりと、危害を加えます。そこで、これらの症状の治療として、憑依したモノを当人の体から出すことが必要となります。”

月刊シロロ 11月号(2015.11) - アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/201511.html
”憑き神(守護霊)は頭の後ろのへこみ「盆の窪」についているのだそうで、その人を守ると同時に性格を決定づけるものと考えられています。④⑤で両肩にお神酒をつけているのはこの憑き神に対してで、これは女性も同様の所作をします(後出)。③サパウンペ(幣冠)、⑤エムシ(刀)にお神酒をあげている意味も、祈りを手助けしてくれる者たちにご褒美をあげているわけです。
(…)林イツ子氏が、イクパスイで自分の左肩、右肩、頭の後ろに向けて捧酒する仕草をしている(=⑧)のは、先に述べたように、首の後ろのへこみ(盆の窪)にいる憑き神にお神酒をあげているわけです。”)


・秘伝家は世界の終末とか千年王国の到来などということを考えない。
事態が当然の進展をたどっていること、始めこそが価値があり、旧悪をただすのに必要なことであっても、終わりには極端に走ってしまうことを知っている。
リズムの原理はあらゆる顕現世界に内在しており、どんな体制であれ、難破状態から立ち上がるや否や、必ず立て直し始める。
キリスト教の最大の弱点はこのリズムを無視することである。
ヴィシュヌとシヴァの代わりに神と悪魔を対立させるのだが、この二元論は二者の均衡をとるのではなく、二者を対立させてしまう。従って力の均衡をとる第三者として働くものが決して出てこない。
神は昨日も今日も永遠に同じものである。
神は現に進化しつつある創造に関与しない。一回限りの特別な創造行為を行った後、栄光の冠をつけて休らっているのである。あらゆる人間の体験、知識はこのような考え方が真実である可能性に反対する。
キリスト教は「あることが善であるからといってその反対は必ずしも悪ではない」ということを理解していない。

一回限りの創造、被造物世界に関与しない……理神論。
悪の説明に都合が良い。

理神論deism
神が世界を創造したことは認めるが、
創造後の世界に創造主は直接的な関わりを持つことはなく、
自然法則に従い自己発展を続ける、
という一神教思想。
奇跡・預言・啓示などによるゴッドの介入を否定。
人間理性を重視。啓蒙主義に強い影響。

の元ネタはバレイデースのグノーシス疑惑。

『グノーシス』によると
バシレイデースいわく
「存在しない神
=言語ではそもそも語れない、『存在』 という言葉で縛られない、あのすべての根源たる神
は、存在しない世界を、存在しないものから造った。何か種子のようなものを投げ落とし、下に置いたのである。この種は宇宙のあらゆる萌芽を自らの内に秘めていた。」

世界が一つの種から育つ。種を置いた後、存在しない神=至高神は何ら手を下さない。
この種から世界がオートマチックに自立的に生成する。
神を我々の世界や宇宙にできるだけ関わらせないためのモチーフは結局、
神の超越性を強調するヘレニズム時代の流行。
神との接点は種を置く一回限りの行為に制限する。
その種から生成してくるものは、上の世界のことを知らない



・ケテル

神名…エヘイエ―
魔法のイメージ…髯を生やした古代の王の横顔

称号…ルクス・インテルナ(内なる光)、存在の存在、隠れたるものの隠れたるもの、
 太古の太古、創造の日々、原初の点、円の中心点、いと高きもの、
 巨大な顔、白い顔、存在しない頭、マクロプロソポス、アーメン、
 ルクス・オクルタ(隠れたる光)、へー。

宇宙チャクラ…第一動者、ラシット・ハ・ギルガリム(最初の渦巻

霊的体験…神との合一
美徳…成就、大いなる業の完成
悪徳…なし

ミクロコスモス…頭蓋骨、サー、イエキィダー、神の閃き、千弁の蓮華。
象徴…点、王冠、鍵十字

密議参入の道とは木の上にいる智慧の蛇のとぐろをたどっていくことである。だが「照明の道」は「約束の弓」、ケシェトから打ち放たれた矢の小径をたどることである。
この弓はイエソドの背後に後光のように広がっているアストラル的な色彩の虹
を意味する。

原初の点=ケテルは王冠と呼ばれ、王冠は頭の上に置かれるがケテルは一般に受肉期間中には決して到達できそうにもないような意識を表すと考えられている。
かたちの世界に関する限り、ケテルは事物の図式的理解を超えたところにある。
ケテルに配当された霊的体験は神との合一。神との合一を達成した人は、光の中に入り、2度と戻ってこないと言われている。
ケテルに対応するサハスララ・チャクラ、千弁の蓮華は頭の上にある。

・ニルヴァーナとは完全なる存在様式または次元の変革を意味する。
ニルヴァーナに達した人の魂の状態を最もよく表してるのは、外輪が姿を消し、幅が光線となって全創造界に浸透し行き渡っている車輪である。
その放射光線の中心は無限のかなたに影響を及ぼし、それ自身の内からでなければ決してやむことはなく、永遠にエネルギーの中核として同一性を保っている。

ケテル、純粋存在に触れるのは、われわれがいかなる部分も属性も次元も持たない存在の本性を実感できるときに限られている。この体験はよく涅槃寂静と呼ばれている。これを経験した者は神と共に歩むが、そこにはいない。神が連れ去ってしまうからである。

仏教や儒教のような形而上学的信仰はケテルを目指す。

曲解するな。目指してねーよ。一神教とバラモン教もどき思想で勝手に内容歪めるな)
仏教のニルヴァーナではないよ。
佛教は当然、聖書が中核のカバラは完全否定



・セフィロートとは状態であって、場所ではない。純粋で無制約なる存在、あらゆる部分も活動も存在しない状態のある所はすべてケテルと呼ばれる。
だからこそわれわれは形而上学的カード索引システムの十個の仕切り棚に顕現宇宙の全体に関する観念を分類することができる。
言葉を変えれば純粋なエネルギーが働いているところはどこでもコクマーの力であると認識することができる。
万物照応の体系によりあらゆる内在的観念によりそれらを結びつけることができよう。
普通これは潜在意識の仕事であり、潜在意識はそれを自動的に遂行している。オカルティストは覚醒意識を訓練してこの同じ方法を用いるのである。
個人が潜在意識から直接働きかけるときはこの方法を使っているのである。芸術的天才や発狂状態、夢や禅定のさいに同じことが起こる。


タロットの4枚の3はビナーに割り当てられたカードだが、3は物質における顕現という観念と密接に結びついている。三角形はもっとも濃密なる物質の神としてサターンに割り当てられた象徴の一つであり、それは方術の三角形と呼ばれている。
魔法の儀式の中で物質界において肉眼に見えるように霊を呼び出そうとする場合に用いられる。
他の顕現方法の為には円が用いられる


・剣の3は悲嘆と呼ばれ、タロットにおける象徴は三本の剣が突き刺さった心臓。カトリックではマリアが剣の刺さった心臓と共に表されている。マリアはマラー、苦さ、海に等しい。
幸いなるかな、マリア、海の星よ(アウェ・マリア、ステラ・マリス)。

・第4セフィラ― ケセド 慈悲
ミクロコスモス…左腕
象徴…(立体)、正四面体、ピラミッド、ギリシア十字、
宝珠、杖、王笏、鍵









・第六セフィラ― ティファレト 美
神名…テトラグラマトン、アロアー・ヴア・ダート
宇宙チャクラ…セメッシュ(太陽)
ミクロコスモス…胸
象徴…薔薇十字、胸飾り、十字架、
    頂点の欠けたピラミッド

    立体。

ケルト十字の先細の軸は実を言うと、頂点の欠けたピラミッド。

ピラミッドは、大地にしっかりと足をつけ、諸天における統一に向って次第に補足なっていくことによって、全人、換言すれば 至高者(イプシシムス)を象徴する。頂点の欠けたピラミッドは秘儀を授けられた導師、すなわち小導師を象徴する。それはヴェールの内に入ってきたが、いまだ自分の教程を完了していない者。このピラミッドの六面はアダム・カドモン、すあんわち元型的人間を構成する六つの中央のセフィロートに対応し、ケテルの統一で終結する至高の三角形がそこに加わることでピラミッドが完成する。

十字架と結びついた薔薇=世界の薔薇(ローザ・ムンディー)

ティファレトは木全体の均衡の中心。
あらゆるイエソドのアストラル・ヴィジョンもティファレトの神秘体験を「通して」形而上学的用語の翻訳しなければならない。この翻訳が行われないなら幻覚に囚われる。
潜在意識の鏡に映り、顕在意識の言葉に翻訳された映像が真に実在する事物と考えてしまうのである。実はそれは象徴的表現にすぎな。
ケテルは形而上学的、
イエソドは心霊的、
ティファレトは本質的に神秘的。神秘的とは一種の心の持ち方として理解されなければならない。その中で意識は象徴的 潜在意識的 表象の中で働くことを止め、情緒的反作用を通して把握される。

・超越的なものを表彰体験によって表現し、消灯体系を毛事情学的な言葉に翻訳することで、
心霊的なものは知性を「通して」霊的なものに結びつく。
この翻訳が行われるところこそティファレト。ティファレトにて直接的意識の神秘的体験が行われ、それが心霊的象徴を照明する。


・我々の最初の高次の心霊現象の体験は通常低次の心霊現象から始まる。
ようやくマルクトから離陸したところでありティファレトの太陽を
イエソドという月の天球から見上げているにすぎない。
こうして我々は内なる耳によって諸々の声を聞き、内なる目によってさまざまなヴィジョンを見る。
しかしそれらは通例の心霊意識とは異なっている。なぜなら、それらはアストラル界の諸形態の直接的表示ではなく、霊的事物がアストラル意識の中に現われる象徴的表象なのである。
これは潜在意識の持つ通常の機能であるが、必ず完全に理解しておかなければならない。この点に関する誤解は極めて深刻な問題を産み、精神の不均衡を招くことさえありうるからだ。

(安全面の知識と理解が最重要)


・神々は被造物の創造物。礼拝者の崇拝により創造される。創造の作業をなすのは神々ではなく、それぞれその性質に応じて働いている大いなる自然の諸力によってなされる。神々は諸民族の集団精神の流出。
礼拝者の想像力に作用し、神々はミクロコスモスとマクロコスモスを結びつける。

・ヴァイオレット・メアリー・フォース、
魔法名ダイアン・フォーチュンは
1891年ヨークシャーに生まれた。
幼少よりクリスチャン・サイエンスの指導を受けた
彼女はその後、本格的に
心理学、神智学、魔法、深層心理学を究める。
1919年 魔法結社 黄金の夜明けに入団。
1922年 内なる光の協会 設立。
自ら高等魔法の通信教育をあたるとともに多くの小説・研究所を発表。
1946年 敗血症で急死。
本書は実践カバラーの入門書。

クリスチャン・サイエンスと神智学に黄金の夜明け……
仏教嫌いで仏教を曲解しまくる、理神論系キリスト教的多神教!

既存のキリスト教を叩いて布教する、一神教的多神教カルトを私は、
新キリスト教 (国家神道、スピリチュアル、ニューエイジ、人型限定宇宙人、神智学、大本教、生長の家=ニューソート)
と定義しています。
やっていることはイエスとゴッドと終末論の言い換えです。
アセンション(Ascension) はスピリチュアルで有名だが、キリストの昇天という意味なので出自がバレバレ。

本物の魔女が彼女の作品は小説が重要って言っていたなあ


内なる耳にしばしば聞こえてくるのは、高次の自己(「大霊」「聖なる守護天使」「最初の秘儀伝授者」)の声であって、伝統的な訓練を経ていない人々によって考えられているような、肉体を離れた存在者たちの声や「神」御自らの声ではない

・カバラ―用語に通暁している人々は、最初の密議参入は「聖なる守護天使」の知識と会話を享受する力から成る、と言われていることを知っている。
よく覚えていてほしいのだが、聖なる守護天使とはあなた自身の高次の自己である。
心的作用のこの高次の様式は、霊聴でも霊視でもなく、純粋意識であるというのがその第一の特徴である。
それは強度の覚醒であり、この頓悟から高度に発達した直観の性質を持つ独特の洞察力が生じるのだ。
高次の意識は決して心霊的なものではなく、常に直観的であり、何の感覚的イメージも含んでいない。
練達の秘伝家に、彼が高次の意識の段階にいることを教えるのは、この感覚的イメージの不在なのである。

古代人はこのことを認識していた。彼らは地下の神々、または黄泉の国との接触を引き起こす神がかりの方法と、
密議の神聖な陶酔とを区別していた。
ディオニュソスの祭の中で狂乱して突き進むマイナデス(ディオニュソスの巫女)たちは、
デルフォイのアポロの巫女たちとは全く異なる密議伝授の位階に属していた。
アポロの巫女は霊能者であり、霊媒だった。
しかしマイナデスはディオニュソスの密議の秘伝家であり、意識の高揚と生命の頓悟とを享受したのだ。

・パラケルススが云ったように、血は特製の液体。

ティファレトの天球の神名はアロアー・ヴァ・ダートである。その名の天球を、この天球とケテルの間に来る不可視のセフィラ―であるダートと密接に結び付ける。ダアトは理解力としてつまり意識の黎明としてもっともよく理解されるだろう。
テトラグラマトン・アロアー・ヴァ・ダートという語句は、神が心の領域に顕現されたと解釈できる。


・ネツァク 勝利
魔法イメージ…美しい裸の女性
イエツラー文…隠れた知性
神名…イエホヴァー・ツァバオト(万軍の主)
宇宙チャクラ…ノガー(=ヴィーナス、アフロディテ、金星)
美徳…無我
悪徳…淫乱、不貞
ミクロコスモス…腰、臀部、脚
象徴…ランプ、帯、薔薇
タロット…各組の7
色彩…ブリアー界ではエメラルド色。

・物質は結晶化した霊であり、霊は揮発した物質である。物質と例の間に素材の違いは何もない。水と氷の間に違いがないのと同じ。どちらも錬金術師がいう「一つのもの」の異なる状態なのである。これが金属変容の秘密教義の基礎を形成する錬金術の大いなる秘密なのだ。

・自然の女神の真の秘密は、対立する一対の抗争しあう権利を承認することである。善と悪の間にあるような二律背反は存在しない。ただ両極端の間に均衡が存在するだけ。それぞれが度を越したときに悪になるのである。
無拘束の認可は堕落へと通じる。
しかし不均衡な理想主義は精神病理学へと通じる。

ホド 栄光 
魔法のイメージ…両性具有
イエツラー文…絶対的知性あるいは完全な知性
神名…エロヒム・ツァバオト(万軍の神)
大天使…ミカエル
天使の位階…ベニ・エロヒム(神の息子たち)
宇宙チャクラ…コカブ(水星)
ミクロコスモス…脚、腰
象徴…名、呪文、エプロン
タロット…各組の8
色彩…ブリアー界ではオレンジ


・ツァバオト=軍勢、軍隊。
大天使ミカエルは常に蛇を踏みつけ、それを剣で刺し貫いている姿であらわされる。
しばしばその手に一組の秤を持っている。均衡の象徴。イエツラー文の 原初者の平均 と同じ観念を表す。
大天使が踏みつける蛇は原始的な力であり、フロイト派の男根の蛇。原始的な力を削減し、その力が境界を越えてあふれ出すのを防ぐのはホドの制限する慎重であるとこの絵文字は教えてくれる。
堕落は「木」の上ではあてがわれた境界を越え出て、王冠を頂いた頭をダートまでもたげる、七つの頭を持った大いなる蛇によって表されることを思い出してほしい。
象徴が互いにおりあわされ、また互いにときほどかれ、強化され、相互の意味を解読しあい、その結実をカバラ―的な観想に与えるさまを観察することは、大変面白い。

伝授を受けた者は「宇宙の偉大なる建築士」として神が働いていると考える。偉大な建築士の計画は元型界に構想されていると考えるのである。

呪文は真言的で、ロザリオの作用に従って何度も繰り返されると自己暗示として心に作用する。

エプロンは賢者ソロモンの秘伝家にとって直接的関連がある。密儀を伝授された者の特徴的な衣服。彼は比喩的に職人とみなされる。職人は形の製作者。エプロンは月の中枢、イエソドを覆い隠す。イエソドはアストラル界の 対する一対 の機能的側面だ。

(偉大なる建築士とエプロン……
もろにソロモン大好きなメイソン=プロテスタントと異端系キリスト教の用語!


“友愛という言葉は,狭くは〈友情friendship〉を意味する場合もあるが,特に英語fraternityなど西欧語の訳語として,兄弟の間の情愛から,さらにひろく家族など同一集団を結合する情愛,人間全体を一つの家族として包み込む人間相互の兄弟愛をも意味する。このもっとも広い意味で,友愛は〈博愛philanthropy〉〈隣人愛brotherly love〉と同義である。このような友愛の観念は,洋の東西を問わず古くからあるが,近代以降もっとも明確な観念と制度化を生んだのは,西欧の場合である。 “
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8B%E6%84%9B-650203

“りんじんあい【隣人愛】

身近な人々への愛情。

キリスト教倫理で、他者たる隣人に対する愛。
【…】
キリスト教倫理の根本原理。旧約聖書《レビ記》19章18節に〈あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない〉とある。イエスは,神を愛することとともに,この隣人への愛こそもっともたいせつな戒めだと教えた(《マタイによる福音書》22:39)。また,今助けを必要としている人の隣人になってあげることにその意味があるとして,善きサマリア人のたとえを語った(《ルカによる福音書》10:25以下)。自己を重んじることもまたこれに含まれる。
“https://kotobank.jp/word/%E9%9A%A3%E4%BA%BA%E6%84%9B-411254)

・天球はすべてその資質に従って作用する。
その性質はどのような魔術的、奇跡的影響力によってもどれほど強力でも変えられない。
以上に注意を払わねばならない。
我々はただ表現の設計を訂正できるだけ。
表現された事柄は不変のまま残る。
物質界の状況を勝手に意志に従わせることはできない。
マルクトはただイエソドを通じて接近できるだけであり、
イエソドへはホドを通じて接近できる。
ホドにおいて表現は設計される。
霊が物質に直接作用するのは誤り。
霊は心を通じて作用し、心はエーテルを通じて作用する。
エーテルは物質の骨組みであり、生命力の媒介物である――その性質の範囲内で操作されうる。
これは極めて重要。
従ってあらゆる奇跡的、超自然的出来事はエーテルの本質を操作することで引き起こされる。
エーテルの以下の二つの特性が全体系の土台を形成する。

①心によって形へとかたどられるアストラル的エーテル。

②分類棚の仕切りのように張力のある網のような紐によって、
濃密な物質の分子を保持するアストラル的エーテル


・イエソドは月の天球
永遠に処女なる女神ダイアナ
エペソスのダイアナは多くの乳房を持つ豊穣の女神
イシスも月の女神。イシスの額の三日月はハトールでは牝牛の角。
牝牛はあらゆる民族の間で母性の特別の象徴。
カバラでは生殖器はイエソドに割り当てられる。
月には三人の女神が割り当てられる。
ダイアナ、セレナ、あるいはルナ、
それにヘカテ。ヘカテは魔術の女神にして出産も司る
非常に重要な月神が魔法の主トート。

・マルクト 王国
神名…アドーナイ・メレク=王なる主。
アドーナイ・ハ・アレッツ=大地の主
ミクロコスモス…足、肛門

象徴…立方体を二つに積み上げた祭壇
(上のごとく、下もしかり の象徴。
この祭壇は中央に置かれる。
六フィートの人間のへその高さで、幅と奥行きはその高さ分であれば適当な寸法


ギリシア十字
(釣り合いのとれた均衡状態にある四大元素。
マルクトの四色に対応。
レモン色はイエソド
黒はクリフォト
オリーブ色はネツァク
あずき色はホド)

魔法の円、魔法の三角形

どのような作業も作用がマルクトの言葉で表現されるまでは、つまり物質界に表れるまでは完結しない。そうでないと生み出された力は適切に接地、アースされない。
魔法実験での禍の元凶になるのはこの放置されたままの力。
実験が重なると効果は累積してしまう。不完全な技術が災いをもたらす。


・惑星記号は三つの象徴から合成されると考えられている。
円=太陽
三日月=月
十字=腐食作用または犠牲

・実践上で重要な神格の付属物は香料と色彩。

他人が用意してくれた生命の木がほとんど判読できないほど汚れたので自分で塗りなおしたのだが、即座に著しく増大した磁気を帯びたのに気づいた。
常に自分の魔法の武器は可能な限り自分の手によって用意すべきである
という古くからの言い伝えが納得できた。

・流された血がエクトプラズムを発するのは事実。

・霊を召喚する唯一の確かな通路は魔法使い自身である。
エジプトの召喚方法は神の姿を帯びる法として知られているが、魔法使いは自身を神と同じものとみなし、自らを顕現の通路としてささげる。マルクトとイエソドの間にある深淵に橋を架けるのは彼自身の磁気なのだ。
生物の持つ磁気の量はどんなに高価であろうと金属や結晶体の持つ磁気の量をはるかに上回っているのでこれほど満足できる方法はほかにない

ミクロコスモスの木が考察される場合、
肉体はマルクト
エーテル体ダブルはイエソド、
アストラル・メンタル的身体はホドとネツァク
高次の精神が考えうることはすべてマルクトに顕現しうる。

最良の魔法の武器は魔法使い自身。他の仕掛けは全て目的のための一つの手段に過ぎない。
目的とは凡人からマグスを創り出す意識の高揚と集中である。
「あなたがたはあなたがたが生ける『神』の宮であることを知らないのか」
と「偉大なる一者」は言われた。この生ける宮の象徴的装置の使い方さえわかれば我らは天国の鍵を手に入れる。
この使用法の鍵は木のミクロコスモス的属性の中に与えられている。
これらを機能の観点から解釈し、その機能を霊的諸原理から解釈すれば、力の宝庫の扉を開けることができる。
神の力は修行・献身する人間が活性化し神人合一に至ることで最も早く最も完全に顕現する。

高次の世界では捉えようがなくはっきりしなかったものを最終的に確認し明確なものにするのが、
マルクトの形を与え具現化する機能。
あらゆる魔法作業は完了したと考えられる前にマルクトを通過しなければならない。マルクトにおいてのみ力は最終的にかたちという家に閉じ込められるから。
アストラル界にのみ作用する瞑想形態よりも、物質界で遂行される儀式の形態のほうがより完璧に成就される。
何かが物質界に存在しなければならない。
護符に描かれた線や宙に書かれた記号だけでも良い。
それがマルクトの次元全体に作用する。このように完結された作業がアストラル界にのみ終始する作業とは全く違ったものであることは体験からわかる。


・教育を受け、啓蒙された宗教の解説者たちは二元論を異端と考える。光と闇、霊と物質の闘争を信じるのは無知な信者にすぎない。闘争は結局神の勝利に終り、敵対勢力は一掃されることになっている。
新教徒はルシファーが光を運ぶ者であり堕天使サタンであることを忘れている。
悪は吸収し調和させることによってのみ処理できる。

・霊能者、魔法使いを問わず、人間がアストラル的存在と接触する場合、彼は必ずそれを人格化する。
つまり接触し、理解し、支配しようとする把握しがたい精妙な諸力を自分自身に呈示するために、自身に似た諸々の形を創造するのである。彼は「大いなる母」ビナーの真の子供であり、組織化し形作るために彼に生来備わっているの形象化能力を彼の意識を高められる次元にまで携えていくのである。

・文明人よりもはるかに心霊的な未開人は、現象の背後にいる存在は彼自身の夢の生が営まれている世界と似通った世界に住んでいると考える。
白日夢は眠りの中で見る夢と酷似していて、しかも意のままに誘致できるという利点を持つので、彼は別世界の存在者たちに彼らの王国に入ることによって近づこうと試みる。つまり彼は白日夢や空想の中で、できるだけ夢に近い特別の通路を作りあげるのだ。
もし高度の集中力を発揮すれば、彼は目覚めている意識を閉ざして、自由自在に夢見の状態に自分で決定した夢を見ながら入って行けるのである。
この目的を達成するために、彼が折り合いをつけたいと望んでいる自然現象を司る霊的存在を象徴するように意図された心像を彼はイメージの中で形成する。彼は繰り返しその像を形成し、崇拝し祈りをささげ、呼び出す。
彼の祈願が十分に熱烈であれば、彼の求める存在はテレパシーによって彼の祈りを聞こうとし、彼が行っていることに興味を持つようになる。彼の礼拝と供犠がその霊的存在の意にかなえば、その協力が得られるだろう。
次第にその存在はならされ、家畜化していく。
最後には、その乗り物として心的素材から造られてきた形に生気を吹きこむよう説得されるようになる。
この作業の成否は、礼拝者が呼び出そうと一心になっている存在の性質を共感によってどれだけ認識しうるかにかかっている。
この作業はただ彼自身の気質がその存在の性質をどれだけ帯びているかに応じてできるだけである。
この工程が上手くいけば自然の生命の一部を飼いならすことができるわけだ。
その生命は礼拝者たちの作った形の中に受肉する。
その種の生命との共感的な交合に入ることのできる礼拝者が適切な礼拝をおこない、それによってアストラル的な形が保ち続けられる限り、そこに受肉した神が存在することになる。その神は接触ができ、人間の近くでとらえるものとなるのである。礼拝をやめると神は自然の懐の自分本来の場所へ引きこもってしまう。
しかし別な礼拝者が現れ、呼び出すべき生命力の本性に合致した形を作り出すのに必要な知識とその生命力を呼び出すに足るだけのイメージ力による共感を持っていれば、形に魂を吹き込むのに慣れた生命をもう一度形へとひきつけることは比較的簡単なことである。
それは古からの密議の伝統で伝わってきた魔法作業の方法である。集中に必要な技術を習得し、様々な形を作り出す象徴を知っている者によって利用されるとき、この方法は有効に作用し、古き神々が再び火の灯された祭壇に帰ってくるからである。
確かな成果が礼拝者の意識の中で得られる。もし礼拝者が高齢術師の方術を借り霊を具現化する霊媒を用いるとすれば非常に明白な現象が生み出されるからである。

(自然の力の一部を自身のシンボル操作で無意識に注入してから、
建材意識に流して、肉体外部に放出して、エネルギーを与える対象者の肉体の形に変えて
――さながら人型の鋳型のように、人型化と擬人化をすれば扱いやすくなる――
対象者に注入したら自然の力の一部を注入して治療とか強化とかできる人がいるんだろうなあ。
力を注ぐ経路は首の後ろ。

アスリートが良くやっているイメージトレーニングは、理想の自分のイメージを召喚して自身に憑依させる技術。
召喚魔法ですよ。
あるいは理想的な動きの設計図を召喚してそこから伸びた『イト』に操られるように自身の肉体を操る術かな。



・単一のセフィロートは決して機能しないことを決して忘れてはならない。
一つの機能は均衡のとれた対立する一対を持たねばならない。
そこから均衡した第三者が生じて初めて機能するからだ。
対立する一対はそれだけでは機能しない。それらは相互に打ち消し合うからである。それが力強い活動性を獲得するのは父と母と子の象徴に従って、ただ第三者として流出するために均衡した力の中で結合するときだけなのだ。
その力は呼び起こされるのを待ちながら、それらの中に永遠に閉じ込められている潜在的な力とは区別されなければならない。

・低次の三つ組の機能する三角形はホド、ネツァク、イエソドからなる。
ホドとネツァクはそれぞれアストラル界における形と力である。

イエソドはアカシャとかアストラル・ライトといったようなさまざまな名で呼ばれているエーテル的素材の土台である。

ホドは特に魔法の天球である。それは形を明確に組織化する天球であり、ゆえに魔法使いが実際にそこで作業する領域なのだ。
形を明確に組織化するのは魔法使いの心であり、その形に魂を吹き込めるネツァクの天球の自然の力との環を作るのは、彼の意思なのである。

しかしながらネツァク、つまりアストラル的な力の局面との接触がなければ、形に魂を吹き込められないことに留意しなければならない。
そして情念の天球であるネツァクとの接触は、共感と、感情を同調させる ことによって成立するのである。
意志の力は魔法使いをホドから投射するが、ただ共感の力のみが彼をネツァクへ取り入れることができるのだ。単に感情的で共感しやすい人物と同様に、抑圧的で無情な人物もまた力と共に作業する導師にはなれないのである。集中した意志の力は、魔法使いが彼の作業に対して心を落ち着けることができるために必要である。
しかし、イメージ力による共感の力は彼の接触を可能にするために欠くべからざるものなのだ。
なぜなら我々が自然の諸力と接触できるのは、ただ我々自身とは異なる存在様式を持つ生命の中へイメージ力によって入り込む我々の力に依るだけだからだ。彼らが抵抗すれば 強力な神名 によって呪いながら、純然たる意志によって彼らを支配しようと試みるのは、ただの招霊術にすぎない。

自然の諸力と接触するのは、我ら自身の気質の中にある照応する要素を通じてである。我々をネツァクに象徴される影響力と接触させるのは内なるヴィーナスである。
我らをホド―マーキュリー∸トートの天球の諸力と接触させるのは我ら自身の知性の魔法能力なのである。

密儀と階級において与えられる教えは以前には潜在意識的であったものを意識的にし、高次の知性に導かれて意志の支配下に置くよう単に設計されている。
そのように向上した能力は、それまではただ適当な刺激に対して盲目的に反応するだけだった。
次のことには十分に注意が必要。
この反応能力が感情的反射の域を超えて理性的支配に服する度合いに応じて我らはその能力から魔法の力を作り出せるのである。あらゆる次元においてヴィーナスの呼びかけに応じる能力を持っている志願者が、意志によって容易に造作なく反応を断つことができるときにのみ、彼はネツァクの天球の密儀を授けられるのだ。このことが導師について「彼はあらゆるものを利用できるが、何ものにも依存しない」と言われる理由なのである。



・ヘブル語の3つの母文字は、
アレフA、メムM、シンShである。
『セフェール・イエツィラー』によれば、
この3文字はそれぞれ
風、 水、 火 の3大元素に割り当てられている。
アレフが司るのはケテルの風の3つ組でありそこでは風の「根」が下に降りて、
ティファレトすなわち太陽の火を通って、
イエソド、月の光に達している。
ピナーの中に水の根(マラー、大いなる海)があり、
ケセドを通してホドにまで反映している。ここはメム、水の母が司っている。
コクマーの中に火の根があり、ゲブラ―を通ってネツァクにまで反映している。ここは火の母、シンが司る。

「根」とあるが、イェツラーに現在の生命の木と木の部位に対応するセフィラはないはずなんだが……
生命の木カバラは中世からなので、古代ユダヤの生命の木(と日本)云々ときたら嘘確定。シオニズムはキリスト教思想。シオニストはクリスチャン。


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
カバラ基本経典は紀元前にない。イェツィラー(3~6世紀。新プラトン主義成立後)
・バヒル(12世紀)・ゾーハル(13世紀)。
ユダヤ・カバラは旧約聖書重視(元祖カバラに生命の樹なし)。
クリスチャン・カバラ(生命の樹中心)は15世紀にピコが創始。
物証成立年代を捏造する #日ユ同祖論。

生命の木であなたがイメージするカバラは
15世紀以降成立のクリスチャン・カバラ=キリスト教化されたユダヤ・カバラ。
#ユダヤ陰謀論 と #日ユ同祖論 がキリスト教に見えないキリスト教思想なのと同じく外見がユダヤでも中身がキリスト教。
成立年代を確かめないと騙され放題。


猫太”日本のカバラが本物とか言うやつは、生命の木理論が15世紀からしか出てないとか、生命の木なしカバラとか、ハシディズムの義人思想とかそーいうの一切知らないからな。”
”多神教の古代イスラエルとかパレスチナの周囲の民族と何が違うのか?と。書物の宗教だからこそユダヤ教は特異なのに”

有名なカバラはクリスチャン・カバラでキリスト教徒製。 猫太”本家ユダヤカバラの解説見てたら〜、なんかスピノザくさいよね〜とか思ってたらモロに影響受けてるやん!”
”センセーショナルなネットに落ちてる口当たりのいい情報だけを集めてたら、文字通りカルトの術中にハマってしまうからな。”

日ユ同祖論は
①佐伯好郎(景教博士。最初期の論者。キリスト者)が功利的企画だと暴露
②ダビデの星がユダヤのシンボルになったのは十七世紀から(イエズス会製)
③カバラに生命の木が登場するのは中世から
④仏教徒の天皇も側近も縦書きの漢字を使用
⑤天皇は道教用語 を無視して捏造してね!







西洋魔術そのもの…ある特定の時(例えば日付)で特定の儀式を行うのは魔術の基本…カバラ系の魔術本では基本としてボックス呼吸と…毎日特定の時刻を決めて特定の動作をすると書いてあった。”
誕生日ケーキは元は月の女神アルテミスに捧げる生贄。 つまりアルテミスは現在最強クラスの女神←重大

”メスメリズムやスウェーデンボルグ主義のように…先行するものがあった。
スピリチュアリズムは円盤の先輩…スピリチュアリズム運動の中心的指導者アンドリュウ・ジャクソン・デイヴィスは、スウェーデンボルグ主義とメスメリズム…に濃厚な影響を受けた。”

スピリチュアルが広まるきっかけであるフォックスの
"ハイズヴィル事件を予告したとされるデイヴィスを支援したのがスウェーデンボルグ主義者にしてあのブッシュ家の血筋の人。 スウェーデンボルグは宇宙人カルトとスピリチュアルの源流。 まあ、デイヴィス推しは支配層製ですね。デイヴィスは無学だったし。"


メーソンを叩くスピ信者へ 「貴方のスピリチュアル思想は神智学系。神智学協会誕生の原因がエジプトとカバラかぶれのフェルト。フェルトを招待し、神智学協会を団体名としたサザランはメーソン。神智学の教義が陰謀論。メイソン製スピ系陰謀論はメーソンの中核は絶対叩けない」


”魔術師エリファス・レヴィ…の教義で革新的とされるのはタロット・カードとカバラの結びつけ。
レヴィ曰く、
魔術=合理的科学。 魔術、すなわち隠秘科学(シアンス・ゾキュルト)は理性に一致する。 魔術理論では人間の意志の力を重視。 …鋼の錬金術師のアルフォンス“

閉店です ‏@lakudagoya
てゆーか、何でヌッポンのカバラガー!とか言うやつは、何でこうもクリスチャン・カバラに偏ってるんだろうか?誰かおせーて。あと何で文献を書いてくれないの?あと西洋のカバラとの対比とかやって欲しいなぁ。あとなんでアブラフィアさんやモーゼス・マイモニデスは無視されんの?ww

カバラに生命の木が登場したのは15世紀ですよ。そもそも今の聖書と違う聖書ってどんなことが書いてあったんですか?最古のヘブライ語写本はアレッポ写本ですが、それ以前の内容をあなたは知ってるのですか?根拠がありますか?

今から2600年前からヌッポンのカバラガー!と言う人、良かったらそのヌッポンのカバラの参考文献を5つくらい上げてくれないかなぁ?お願いねん。で、西洋のカバラ文献のベストセラーのセフェール・イェツィラーなんだけど、大帝に聞く限りだと、日ユ同祖論の人がすげえ嫌そうな事書いてありそう?





閉店です ‏@lakudagoya 5月6日
隠れユダヤの陰謀って言われてもな。確かにユダヤ系は社会の要職についてるしネットワークもあるのだろう。
しかしな、例えば祖父の代がムスリムで親の代にはカソリックに改宗してて、そいつがカソリックの神学院出て大司教とかなって活躍してたら、これ隠れムスリムの陰謀とか言うの?
レコンキスタで改宗を強制されたのは何もユダヤだけじゃないのだが。隠れユダヤもいたけど、隠れムスリムもいたんだよ。
どちらも改宗して代を重ねる毎に宗教的なアイデンティティを喪失していくのに、何でムスリムは言われないでユダヤ「だけ」ユダヤの血が入ってたらユダヤ扱いされるの?

隠れユダヤの陰謀!とか言うなら、隠れユダヤがどのような世界を作りたいか全くわからないよ。
アレクサンドリアのフィロンのようにモーセの律法に従う人はみんな世界市民という思想?(笑)
これ純粋ユダヤ思想じゃないけどな。 少なくともメイソンは作りたい世界のヴィジョンを持ってた。









主婦の陰謀論者はさ、キリスト教が乗っ取られた疑惑が浮上中〜とかお花畑な事騒いでたけど、秘密結社の連中が一貫して反カソリックだったと考えるとスッキリ理解できる。 反キリスト教じゃなくて反カソリックな。これがミソだ。覚えておけよ。 子供のアニメで教皇が悪者なのもこんな思想なのよ。
高位のフリーメイソンの儀式ではさ、ローマ教皇の帽子を踏んづけるシーンがあるんだけど、如何にメイソンがカソリックを憎んでたかわかる話だよね? キリスト教が乗っ取られた疑惑が浮上中〜とか言うなら、反カソリック勢力の動向も見て言わないといけないよ。 社会改革と教皇権の否認はセットよ

反カソリック勢力一覧表
1 プロテスタント全て
2 グノーシス全て
3 キリスト教異端やキリスト教神秘主義の殆ど
4 世俗化したユダヤ教徒
5 ニューエイジ・スピリチュアルなど(アリス・ベイリーとかもキリスト教をぶっ壊す!と宣言)
6 カソリックにいじめられた勢力全て

バチカンは今までの1700年の歴史に歴史において敵を作りまくってたので、どの勢力に狙われても何も不思議はないからな。 グノーシス主義の特にカタリ派などはバチカンにいじめられてた者同士ユダヤやムスリムと仲良しだった。 ユダヤ・カバラの学校があったのは南フランスなんだよ。
隠れユダヤの陰謀ガー!と騒がれる背景には異端とユダヤの関係性を理解しないといけない。 異端とユダヤは割りと仲良しだったのよ。フリーメイソンは最初はユダヤ教徒は入会禁止だったけど受け入れたしね。 異端とユダヤの蜜月の関係性を無視してユダヤ「だけ」叩くのはおかしい!


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 5月6日
“フェイド大帝…
これ立ち読みだけどRAPTスレ の連中もやたらと拘る「カタリ派 大虐殺」、言葉足らずだな。 当時、カタリ派以外にも異端って 沢山グループがいたんだぜ? カタリ派の粛清も一回で やった訳じゃなくて、何ステップ かに分けてやってた。”
@lakudagoya
”(黒川正剛 (著) 「魔女」の世界史 (別冊宝島 2409) の画像) なんでカタリ派だけ徹底的に 叩いたかというと、奴ら独立した 教皇庁みたいなのを作って、 自分達で勝手に司教職を任命してた。 この事がバチカンの逆鱗に 触れたからヤラれた。” メーソン=異端派✝=反カトリック


フェイド大帝…仏は神ではないぞ。
仏が聖書の神みたいな認識に なったのは華厳経と法華経からだ。
密教の大日如来も聖書の神ちっくだが、
そもそも密教の曼荼羅では 開祖の釈迦が端っこの方に 追いやられている。”
仏教で神が輪廻に囚われた存在なのが我慢できない✝と新✝

”西洋人の神は常住善と常住悪の肯定から来ている。プラトンの言うイデアと一緒ね。
仏教は無常を説くので、そもそもイデアなんか存在しませんというスタンス。
ちなみに常住というのは実存する という意味ね。反対語が無常。”
西洋思想=不変が根本
仏教=不変の否定が根本









Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2014年1月18日
トーとタロットの皇帝?ああ、それ、残像になるからね、ずっと見てると。 その間違い探しをするとはすごいなー まぁたまにはいいじゃない。 もしもそれ以外の過程でこれが起こったらそれは何か間違ってる。#劣化コピー

会議をネットワークのトポロジーで解釈すると、バス型は順番に意見を言うタイプ。先頭を意識する。スター型は分散しこうなので意見がまとまらない。リング型は循環するので先頭を意識せずに全体と調和する。だから、本当は円卓会議が優秀だと思う。

ま、そんな感じで四大分類したときに身体は両足が両極端の火と地になるのだから、この両極端の極性を利用すると力が生じるの。
つまり、足運びとその体重移動が力の根源となる。
頭は霊なのでこれらの統治であり。そして意思の決定するものとなる。
人の足払いによって足を刈られても軸足に重心があるのなら倒れない。
そして軸足に体重を完全に乗せるのは移動する瞬間だけ。これが歩法。
人の意見に左右されず、そして自分の意見がどこに立脚してるのか?
これもまた自分の頭部を軸とした正中線にある。つまり霊。大地ではない。
だから頭がふらふら動いてると身体の力は霧散する。
だから歩法は姿勢を正すこと、前を向き、尾てい骨(イェソド)から頭(ケテル)まで引っ張り上げ、動物的本能から大霊まで引き上げる。即ち、頭(霊)を基準として動作するの。
イェソドからケテルにまで意識を引っ張りあげようとしながら進むのなら、身体的意識は上昇する。これによって意識のステージは上がる。即ち、八卦掌の意識体験とはこれのこと。移動技術と歩法においては八卦掌の右に出るものはない。力の効率や打撃基準なら違うけどそういう問題ではないから。
例えば、八極拳と八卦掌の大きな違いは、前者が進行方向を前に固定気味にすることで力の効率を高めてるけど、その点、回避は二の次になる。八卦掌は回転によりこれとは逆の効率を求める。この回転への意識が渦を生じさせて意識の上昇を生む。これはLRPGの動作そのもの。これは良否では語れない。
意識と身体動作の一致は最重要のこと。たとえば、筋を違えたりするのは無意識に身体と意識が不一致になった結果。それとは真逆に一致させるのならその動作効率は最大になるのは自然なこと。なら、正中線を基準に意識をしたから引っ張りあげつつ動くのは凡ての武術の基本となる。
このマインドセットの使い方は魔術でも例外じゃないの。
肉体から意識に同期させるのが武術、意識から肉体に同期させるのが魔術だとしたらあなたはど考えるでしょうか?

けれど、最終的にその区別はなくなるの。

んにょ。陳家太極もいいですね。楊家は向かない。 QT @kulfi: つ 太極拳

そのようなわけだから、魔術をやる人は好きな武術を選んで行うと良いです。得物はあってもなくてもいい。物理的強さは求めず寧ろ二の次。意識と身体の同期で最大効率のみを求める。物理的強さは肉体のポテンシャルを超えられない。そしてそれを支えるのは常に精神。なら、何に基準を置くかは明白なの。
まあ、ぶっちゃけ。テニスだってダンスだっていいのだけど、理屈さへつかめるのなら。
だってね、プロのテニスプレイヤーの体重移動と力の放散の仕方が基本的に自分のとは違うなんていったらその人は武道家じゃないよ。だって人間の意識と身体の動作なんて極めたら同じなんだから。テニスはこ拳ではなくてボールに発勁が乗ってるだけ。プロのサービスは恐ろしいものですよ。

武術をやると強さを履き違えてるひとがいるけど、肉体と精神の訓練はそのためにあるんじゃないの。女性なら男性の肉体に勝てないし、小さな男性はプロレスラーみたいな人に勝てない。なら、肉体の強さはそういう風には使わない。それと戦いは違うから。逃げられる方が強いに決まってる。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2014年1月19日
ん、象徴表現を文字通りに読んでも意味がないと思います。星座とか惑星で表現されてるのはその概念との類似性で身体機能を説明しようとする試みなので文字通りの対応と考えるとそれは迷信となるから。

象徴を文字通りに読んで誤解釈するのをわたしなら♂Rt(火星のレトログレード)と表現する。勿論、これは表現の一つだから、ほかの表現もできる。水星のRtでもよいし間違いではない。

もし、物事の誤解釈が表面上のことに囚われてるだけなら水星のRt、誤解釈によって何かを故意に批判しようとする表れなら火星のRt、もしも既成概念に囚われて常識の固執するという意味で捉えるのなら土星のRtなどとわたしなら表現する。つまり、占星術記号などはすべてこうして用いるの。

ところで、わたしは12星座とか惑星記号を定型文としては捉えてないし記憶してません。最初から神話との一意対応なのでそれがカバラーとセフィロトの解釈法で纏まったので定型文を覚えなくても良かったのです。つまり、ギリシア/ローマ神格の性格と特性を知ってるとあとはいらないの。
ブラックホールというと太陽は小さすぎるのでこの場合は恒星天かしら?つまり、12宮のある角度の部分にある特性。

さいころをころころ。色球とかを使ってもいいけど最近はこればっかり。占いの道具はあまりいらない。数字から幾何学展開して抽象概念を取り出すだけだから。
ん~、例えばアレ。数字の1がでたら単一概念。六ならその調和。これを開始と終わりに見立てることもできる。勿論、10面体のほうがセフィロトに一意対応するので使いやすいけど普通の六面体でも使えないことはない。やり方はいろいろ。
ん・・・3と6がでたらその合算で9をあらわすので三角形と(土星)六芒星(太陽)で9番目の宮を・・・ぐーすかぴー。


魔法が科学化する?無理。認識論的アプローチをした瞬間に科学ではなくなるから。それに組み合わせの魔法は意識の仕組みを知らないと使えない。

ひとつ確かなことは、科学者が自ら魔術を習得しないと魔術の解明はできないと思う。その良い例はカール・グスタフ・ユング。彼はそれゆえにオカルティストの謗りを受けた。

そもそも人の幸福感は定量化できない。幸福感を感じるための薬品を与えたりはできるけど、それは幸福の結果として生成される脳内物質を与えることで快感を与えることは可能だけど、幸福そのものを再構成することなどできない。幸福自体は複合概念イメージによるもの。個人で違うのだから再現不能。

だから幸福感は個人のものだよ。科学によってそれは作り出すことはできない。もし科学的手法で再現可能なら好き嫌いを治す薬も作れるし、凡ての芸術は消えてしまう。五感による好みすらなくなる。それが幸福だと思うのかな?この物質から精神への不可逆性こそが生命の価値だと思う。

例えばこういう例え。そこに美しい彫刻があるとする。それをトレースすることで芸術家の描いた脳内イメージを再構成しうるのか?確かに形をトレースはできるけど、それは認識の網を通る前のロー・イメージを再構成しないと意味がない。凡ての五感に変化しうるそれは再構成は無理だと思う。

もう一つの例え。自分が見の前に描く異性は姿と色は持っていても他はないのか?匂い、声、しぐさ、表情、性格、それら凡てが自分の理想で魅力に思えないといけない。その魅力の正体は凡ての組み合わせとそれに付随する背後にある概念イメージ。これがないと幸せに感じないの。

視覚化をまともにできる人なら、それが純粋な視覚イメージのみで構成されてるなんて思う人いないのに。

もし、誰かの心を大切に思うのなら、その人の好きなものを捉えようとする。けれど、それは五感に変換されたイメージの表現。だから大事なのはその表現されたものじゃなてく形にならない心のイメージ。これってその作品より芸術家の方が大事なのと同じなの。それをわたしは「霊」と呼んでる。

みんな魂が入った~みたいにその作品を呼ぶけど、その魂とは作者の概念イメージのコピーのことだよ。つまり、その心のイメージがどのくらい作品に再現されたかで魂が入ってるとかはいってないとか呼んでる。これが霊とか魂の概念なの。
そしてその投射された概念イメージは明確化して具体化されると何故か不思議なことに物質から遊離して自立性を持って感じられる。これが魂と人工精霊の概念。付喪神も同じ話です。強烈なイメージ投射が起こると、作品の美術性とは関係なくそれが起こる。召喚や喚起の基本です。力はイデアから引っ張る。

だから美術品が贋作かそうでないかは霊的価値でみるとわかりやすい。どちらも同じような油絵でそっくりだとしても、作者によって本物は概念イメージによってイデアに繋がってる。だからより深く鑑賞するとその違いに気づくの。同じようにみえて同じではない秘密。

ほら、わたしは人間が思い描いた概念イメージのことを「霊」と呼んだ。これは何のことかというと、欲望そのものなの。だからアストラル体のことを神智学では別名欲望体と呼ぶ。それは人が作り出した複合概念のイメージのこと。自分に対する自我イメージもアストラル体、つまり欲望だよ。


愛は植物を育てるが如く育てるの。愛といえばネツァク、勝利の光球。それにはゲブラーの機能が作用する。綺麗に花が咲くことを目的として鋏を入れたり肥料をまいたり水をあげたり薬を与えたり。可愛がるだけだと枯れてしまう。7、8、9のセフィラはアストラルつまり欲望の三角形を構成する。
そんなわけで、わたしは恋愛にすらカバラーを踏襲する。ネツァク(金星)で愛を育て、ホド(水星)にてコミュニケーションし、デートの約束を取り付ける。イェソド(月)にてその期日の細かな調整をしてデート計画を練る。そして最後にマルクトにてそれを実行するの。

もしも、マルクトの当日にデート計画がことごとく失敗して予定が狂った場合は、マルクトの基底部から赤い竜がにょろにょろっと出てきた証拠だからデートを早めに切り上げて二人でのんびり過ごせる場所を探す。それも無理そうならそのまま早めに切り上げて様子を見るの。これが魔術師のやり方。

赤竜というのは物事の実現に反対する古い勢力だから、「今の若いもんは」とか言いながら管を巻く。それは新しい形を壊そうとするのでイデアから引きおろした力に反抗する。なので、まずいとおもったらとりあえず切り上げて後日に対策を立てるの。そのまま争うとろくなことにならない。

魔術カバラの概念を俗っぽく引きおろしたけど、基本的に考え方は同じ。『神秘のカバラー』を一通り呼んだ人ならご理解いただける思う。

まぁ、メンテーとの神話的関係は本当はペルセポネー神話の一つなのだけど、それをさかのぼるとアプロディテーに繋がる。それはアプロディテーの嫉妬の概念の流出。そしてペルセポネーはそもそも植物神の片割れ。なのでメンテー(ミント)は鎮静作用としての嫉妬への効果とかそういう関係にあるの。
なぜなら、嫉妬の炎はそのまんま炎症を意味してるから。なら、ミントとの相関関係もご理解できると思います。

さて、ネツァクのクイーン・スケールがエメラルド・グリーンをしてる理由は本質的に植物の育て方と同じだという象徴なの。そこで思い出して欲しいの。ヴィーナスなどの象徴はみんな薔薇。この光球も薔薇が配属する。このとき、薔薇という植物に調べてみて。特に人のために品種交配してきた歴史。
薔薇というのはあらゆる意味で人間のための植物。観てもよし、香ってもよし、食べてもよしとにかくいろいろ。ゲブラーは五番の火星光球だから剪定とかそういう概念。薔薇は綺麗な大輪にするために剪定が欠かせないのは常識。この5番が通過して7に届くのは6番の美と調和の光球。つまりそういうこと。

ところで、ミントをもしもセフィロトに帰属するのなら、わたしならマルクトにする。するとこういうのが出来上がる。彼の写真を見ながら毎晩ローズティーを楽しむ。ローズヒップでもいいし、蜂蜜は多めに。コミュニケーションのときはシナモンとかそういうの。デートのときはミント系を常備。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2014年1月20日
ビナーの裏面を必ずしも悪魔とするのはどうなのかな?キャラのこと良く知らないからあれだけど、へカテーの局面は単なる刈り取る者。冬の到来と同義。不要な生命、異常なものなどを凡て刈り取る。きちんと着実に歩んだものだけが残されるように。これはマルクトにも反映される。

へカテーの局面にも二つある。一つは未成熟な根っこをちゃんと張ってないものを刈り取ったり、病害の発生を防ぐための排除。また、大地の栄養分を次世代のために確保する役割。一方で、その裏面は必要なものや根が張られた物も根こそぎ奪い取る。この違いなのだけど、なかなか区別されない。

女性にとっていちばん切実なのはイェソドの機能。この中に土星的性質が表れてる。それは生理時の鈍痛。そしてそれに伴う精神状態。これがへカテーそのもの。へカテーは月の暗い局面でもある。でも、これがないと女性としての豊かさや華やかさは保てない。これが土星の月の光球における役目。

土星や火星の概念って基本的に我慢とか忍耐、妥協や判断、決断などを伴うからかなり嫌われて理解されてないこと多いよね。優しくないし、現実的だけどそれが豊穣の母の裏面。だからこれを意識してないと必ず転ぶの。

そして月の三極性というのはこういうの。生理がきてるときが乙女であり三日月。生理機能が停止して活動が増大するのが母にして妊娠時。つまり満月。そして最後は生理機能が停止して衰退するのが老婆で象徴される。
月に関してはこのくらい。生理中と生理停止時についてはこれ以上触れません。それが何を意味するのかはウィッチクラフトの実践的領分だから。
ん、まぁ。一つだけ。Moon Magicは女性のためのもの。男性でも使えないことはないけど周期性について掴みにくいので気づかない。女性なら体温、気分、その他の状態変化を凡て記録して体内で何が起こってるのかを数ヶ月分析すると自ずと判る。各種欲求の変化が鍵。
ヒント。フォーチュンの『海の女司祭』にて「子作りタイミング」がどうなってるのか?男性と女性の周期性をどうやって合わせてるのか?これが最大のヒントです。
サービス問題。初めてのキスは海のそばで夕日を観ながら。なんで夕日なの?
うにゅ。妊娠中は特に日の入りと日の出タイミングで就寝と起床してたほうがいいのだけど・・・。月の周期より概日周期に引っ張られるから。
このへんの太陽と月の周期というのは公然の秘密。組み合わせの問題なのだけど。
女性に関してだけ言うと、初潮以前、そして妊娠中と生理の終了後は概日周期に必ず従うこと。そうしないと精神と身体の健康が保てないから。はやめに寝たほうがいいの。生理中も同じ。
女性と男性は顕在意識と潜在意識のバランスや分離度合いは同じじゃないのよ~。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2013年8月23日
フォーチュンが『神秘のカバラ』の中で「手元に生命の木の図を置いておかないと私は木について書くことができない」と告白しているけれど、一方で古いカバラ魔術の本では生命の木を手に持ってる賢者のような挿絵が入ってる。これは比喩じゃなくて現実。そのような感じで木が見えないといけないの。

この手の話をツイートするときは、できる限り『神秘のカバラー』の範囲で述べようと努力はしてるのだけど、最終的に説明が必要なので『完全版黄金の夜明けシステム』その他の知識をがんがんいれてます。足りなければ他の分野や神話も探るし、伝統的カバラも無意識から掘り起こす。一冊じゃ無理だから。

当たり前なのだけど、既に神秘のカバラー、カバラ的象徴の実践ガイド、柘榴の園、生命の木は基本文献なので沢山読んでます。更に基本には10冊以上の本が必要でしょう。魔術カバラを語るのはその先なのでこういう話をしてるときは強固な木のイメージを眼前に投射してます。これが目指す場所です。

わたしが購入したフォーチュンの『神秘のカバラ』は現在で三冊目です。過去の二冊は完全にぼろぼろになって分解してしまいました。それでもまだ時間があると読んでます。既に内容も頭に入ってるけど、目を通すことで思考をトレースしてるの。著者より詳しくなることを目指しなさい。三冊目が死にそう。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2013年8月22日
ですね。正確にはミニトゥム・ムンドゥム(小宇宙図)です。セフィラはブリアー、パスはアツィルトの色です。 QT @rideigan: @Ripple1975 下位の女神、つまりブリア-界(女王)の色彩ですね。全ての色を混ぜると黒になる(『神秘のカバラ-』を読みながら)。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2010年9月19日
『神秘のカバラー』を卒業するのは熟読30回目以降だけど、小径に関する学習は10回目辺りから。このとき、リガルディーの『石榴の園』か『生命の木(洋書)』、ガーレス・ナイト『カバラ的象徴の実践ガイド(洋書)』が必要になる。さもなければタロットの門を使ってパス・ワークしかない。

『神秘のカバラー』を数回呼んだ程度では魔術カバラについて何も語れない。心に「木」が構築されだすのは10回目以降。30回、50回と読んで本がぼろぼろになる頃、最初のカバラーの訓練は終わる。その頃、かれはカバラ用語で日常の全てを語れるようになる。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
日本で知られているカバラーって要するに魔術カバラー(クリスチャン・カバラー)だからユダヤがどうこうというのは別物です。それが出てくるのはGD系やそれ以前のカバラーなので、ゲルショム・ショーレムの書籍を重点的に読むと「えっ?」ってなると思うの。

要するに、そういうユダヤのカバリストって創世記から申命書までのペンタトークを殆ど丸暗記してるようなひとたちよ? (^^;

魔術カバラーは1800年前後くらいから作り上げられていったものと思われる欧州を中心にした独自のカバラーのことです。それはキリスト教を象徴の骨子にすえているもので、本来のユダヤ教とはあまり関係が無いの。でも、キリスト教的世界観が嫌いな人もいるのでCRCという伝統が組み込まれた。

だから魔術カバラーとはキリスト教的象徴によって魔術に応用しやすいように簡略化し、纏め上げられたカバラーのことです。それゆえに、クリスチャンローゼンクロイツがジーザスの代わりとなって普及することになるの。中身あんまり変わんないけどね。w


天使には本来的には姿は無いの。何故ならそれは電気とか慣性、重力みたいなもので何かの力を伝達する現象として作用してるからです。それゆえに宗教画などでは炎の車輪などの幻視として描かれます。車輪は歯車であり何かの「動力」を伝えるという存在で形を与えて力を利用してるのは人間に他ならない。

したがって、天使そのものに形はないから天使に鋳型としての形を与えてるのは人間だと思います。だからといってその姿どおりの存在が天使だとするのは間違いだと思います。それは水風船のようなもので、水が丸い形を保ってるのはゴム風船で形を与えてるからです。

人が直接交流を持つことが出来ない存在だからこそそれに形を与えるの。そうでなかったら神格というのは人にはとらえどころが無いものだからです。

御使い(天使)とはメッセンジャーであり、神様の意志を伝えるもの。それは力が現象として作用するさまを人が観察してそれに形を与えるのです。

昔は真空中を電気(電波)が伝達するさまを「エーテル」という媒体によって伝達するものだと仮定したのです。これをエーテル仮説というのだけど、後にそれは否定されて別の仮説が立てられた。この想像(仮説)は人が電波が伝達する現象からイメージによって形を与えたのです。

いまでこそ科学的仮説はいろいろと当たり前のように言われてるけれど、これこそが力に形を与えるということです。本当は形なんてないのだけど、人のイメージが姿を与えてる。これが天使の姿と同じだというわけです。物理を扱ってるのか人の精神を扱ってるのかの違いはありますが。

電気という言い方をしたけれど、より正確には電磁波ですね。光もその仲間だから「どうやって光は真空中を伝達するの?」という問題なの。

電磁波、光もそうなんだけど干渉波を起こしたりするからいろいろな光に輝く。虹がそのひとつの例だけど、イリスという神格はキリスト教で言うところの大天使に相当するもの(人格神であり自然の擬人化)。現象そのものに対してイメージを与え、その力を理解しようとしていたのです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月26日
変化を祝福しましょう? 分点が回帰するたびに。

天(理想)と地(現実)はいつもちぐはぐ。小さな頃から「主の祈り」唱えていて思ったことは、救い主が自分の心の中に現れないことには解決できないということ。「天にあるように地にも御心が果たされますように」というのは「カバラ十字」とまったく同じことだった。御子はその仲介者だから。

だから御子(ジーザス)は天と地の仲介者であり、この心の中にあるちぐはぐな想いを正してくれる。理想と現実は違うんだという認識にそもそもの問題があった。理想としていたものがとても狭い考えによるもので、胸の中心に咲く薔薇はこれらが和解したことの証となる。

だからいまでこそ想うの。「御国が来ますように」と祈るのは心の中に理想と現実の仲介者が現れてそこに調和を見出してくれること。これらは相反するものではないことを知ること。それゆえに心が平安の中に入ること。この地を天国にも地獄にも変えるのは自分の心の問題だということ。

それはそうだよねって想う。理想と現実に齟齬があると認識していたらいつまでたっても心が休まることはない。救われることもない。だから綺麗なものだけではなくて汚いものであっても冷静に見つめる。それが胸に咲く薔薇の証なのだから。

それに気づいて以来、わたしは中心にルビーがついた金の十字架を胸に下げるようになった。本当の意味で5=6に到達したことに気づいたのだから。
5=6になったからといって聖人になれるわけではないの。でも、心の中に何が起こってるのかを既に理解してるから初めてまともに主に祈ることができるようになった。その差は大きいと思う。何のことか理解しているだけでも。

なんていうのかな? 薔薇十字のレイメンがはじめて実効を持った瞬間のこと。それまではオカルト的なシンボルでしかなかったから、信仰とは結びついていなかった。だからこそそれは意味を成さなかった。
信仰は自我にとっては生命に等しい。光、生命、愛。救い主が受肉するのって自分の中にだから。


図版は"The Complete Golden Dawn"からのもので追放後のエデン図。イブはマルクトに埋没してるので物質主義に傾倒し、アダムからもものとして扱われる。

追放後のエデンとはひとことでいうとアナーキズム。

赤竜というのは、その場限りの欲望による理想の改変を目的とした意志のことだから、どんどん増えてはどんどん滅する。つまり行き当たりばったりなのです。それぞれに違った理想を唱えており、神の意志とは関係がない。すなわち物理法則とも関係のないことをしようとする意志です。それゆえに非科学的。
だからあれ。互いに争う顎とも称します。お互いに別の理想を唱えていて、しかも次から次へとそれは増えていくからきりがない。
それはまるで溶岩の中に見え隠れする竜たち。数が決まった実体ではなくて、その時々に応じて増えては消えるもの。そういう意味では似非科学の流行にとても良く似てる。
この場合、天上を守ってるケルビムというのは常識的な科学のこと。物理法則に反してるのだから、竜たちはかれらに切り倒されていく。

(仁 ‏@sakazuki11 12月26日
@Ripple1975 関わる人の数だけ竜は増えそうですが、真の平安を獲得しようとするなら、無駄に増やすべきじゃないってことなんですかね?

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月26日
@sakazuki11 竜に王冠を与えるのが問題なのかも? エドムの王たちに王冠を与えるものがいるのです。つまり、似非科学を支持する人たち。)

赤竜の例としてよくありがちなのは運動をしないでダイエットをするというもの。食事制限だけでは意味がなく、バランスの取れた食事と運動、そして睡眠が不可欠です。でも、自分の欲望のためにこの常識的選択をせずに何かにすがろうとする意志。これが赤竜でなくてなんだというのかしら?
今日やるべきことを毎日やってすごせばそんなに体重は増えないの、わたしに限って言えば。もしさぼったら少し太ってきちゃう。心の肥満が体の肥満につながるから、そこをなんとかして継続できれば身体は自然になっていく。

オカルト百科 生命の樹
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/lifetree.htm
”生命の樹は、創造による流出の連続した過程を図式化したものだ。
 アイン、アイン・ソフ、アイン・ソフ・アアルという3つの未顕現があり、
最初の顕現ケテルが現れ、コクマー、ビナー、
ケセド、ゲブラー、
ティファレト、
ネツァク、ホド、
イエソド、
マルクトと、稲妻のように連続した流出が起こる。
 ビナー、ゲブラー、ホドは「竣厳の柱」。
コクマー、ケセド、ネツァクは「慈悲の柱」となり、
それぞれが対照となって対になる。
その真ん中には、ケテル、ティファレト、イエソド、マルクトが「中央の柱」となる。
ケテル、コクマー、ビナーは「至高の三角形」を形成し、
その下には「深淵」があって、隔てている。ビナーとケセドの間には、ダートと呼ばれるセフィラが潜んでいる。
また、テイファレトの後には「神殿の幕」があり、これも深淵のように上下を隔てている

 さらに、カバラの4世界、アツィルト界、ブリアー界、イエツィラー界、アッシャー界が、それぞれに属するセフィラを覆っている。これが大雑把な樹の形である。

 ここで私は、生命の樹の概念を解説してみたい、という誘惑にかられる。しかし、私ごとき浅学な者がそんなことをしても、かえって誤解と混乱を引き起こすだけかもしれない。
 そこで、W・E・バトラーの真似をして、良書を強く薦めるに留めておきたい。

 それは、もちろんダイアン・フォーチュンの「神秘のカバラー」(国書刊行会)である。
 これは、あまりに有名なので、「生命の樹」と聞くと、「神秘のカバラー」とすぐに出るほど、定番となっている本であろう。
 フォーチュンは、この本を書くにあたって、独自の見解や自分の流派だけに属する解釈を極力避け、一般的なスタンダードな解釈を紹介すしている。魔術カバラを学ぶ者にとって、流派を問わず極めて有益な本である。

 しかし、「神秘のカバラー」を読んだ後に「私は、これで生命の樹を理解した」と、もしそう思うのなら、あなたは生命の樹を殆ど理解していない 証拠である。

 まずは、「パス」だ。
 生命の樹において、「パス」は「セフィラ」と同じくらい重要だ。
 しかし、「神秘のカバラー」には、セフィラについては詳述されていても、パスについては、殆ど記されていないことに気づくであろう。
 パスを理解するのは、まずセフィラについて、ある程度の知識が無ければならない。
 だから、初心者は、まず「神秘のカバラー」を読むことが求められるのだ。
 では、パスについて知識を得るのに良書は何か? と問われれば・・・
 ガレス・ナイトの「A Practical Guide to Qabalistic Symbolism」である。
 「はじめに」で触れたように、私は、このサイトにおいて、本は極力、日本語の物に絞ることにしている。しかし、ナイトのこの本ばかりは、どうしても紹介せざるを得ない。初心者向きに、パスをここまで親切に詳述した本は、ちょっと他には無いからだ。
 この本の1巻は、主にセフィラの解説だが、2巻にてパスのことが詳しく解説されている。

 22本のパスを理解することは、22のヘブライ文字の象意、タロットの大アルカナのカバラ的解釈を理解することにも、直接つながるのだ。如何にパスが重要であるかが、これで分かるだろう。
 そして、セフィラを真に理解するためには、パスの知識が必要だ。
 まず、セフィラの基本概念を学び、それに基づいてパスを理解する。そして、もう一度セフィラに戻って、パスの知識を元にもう一度学ぶのだ。そう、パスとセフィラは相互に補完しあっているのだ。
 さらに、カバラの4世界、クリフォト、「ヤコブの梯子」など、学ぶべきことは、まだまだ沢山ある。

 樹の理解のために、日本語で読める良書は、他にリガルディの「石榴の園」、ウィリアム・グレイの「カバラ魔術の実践」が挙げられる。これらもまた、絶対に必読である。
 さらに、樹の「万物照応表」の理解については、クロウリーの「777の書」も、必携である。

 「神秘のカバラー」の知名度の高さは、カバラの知識を広めることに、大いに貢献してると思う。
 しかし、同時に生命の樹を誤解させる原因をも引き起こした。
 生命の樹は、いわゆる「万物照応評」の基となる。すなわち、どんな物でも、これに当てはめることが可能だ。
 ゆえに、奇妙奇天烈な解釈を多く生み出した。
 よくある例が、魔術以外の体系との組み合わせである。特に、仏教の宇宙論を樹に当てはめるような例である。
 無論、東洋の体系を、生命の樹と合体させる思想そのものは充分に意義のあることだし、早くもパピュスの時代から、こうした研究が始められている。
 しかし、「神秘のカバラー」を読んだだけの初学者が、このような考察を行うのは、あきらかに早すぎる。

 もっとも、いわゆる「頭の体操」、ないし知的ゲームとして楽しむだけなら問題はないし、批判される理由も無いとは思う。私自身、アニメのキャラを樹に当てはめて遊んだことがある。
 また、一見無茶な解釈でも、それが新しい発見につながることがあるやもしれない。フラター・エイカドが、「カバラの花嫁」の付録で行ったアクロバット的解釈のように。

 しかし、シンボリズムが狂っているということは、魔術の実践者にとっては、やばいどころか縁起でもない話である。
 パス・ワーキングを実践してる人にとっては常識であろうが、生命の樹は、瞑想において道に迷ったり、崖から転げ落ちたりしないための「地図」の役割を果たしている。
 その地図が、目茶目茶になっていたとしたら……



「神秘のカバラー」 ダイアン・フォーチュン 国書刊行会
「777の書」 アレイスター・クロウリー 国書刊行会
「石榴の園」 イスラエル・リガルディ 国書刊行会
「カバラ魔術の実践」 ウィリアム・グレイ 国書刊行会
「QBLの花嫁」 フラター・エイカド 国書刊行会
「ユダヤの秘儀」 ハレヴィ 平凡社

「A Practical Guide to Qabalistic Symbolism」 Gareth Knight WEISER
※翻訳権を買い取った出版社があるが、未だに邦訳は出ていない。”

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
艦これアニメを以前購入ししたBDでみてたけど、第七話の冒頭。大淀さんがモールス聴き取ってるので一緒に聴こうとしたら・・・和文だった。; ;
あ、「長点が一個多い」ってなってもうがっかり。それもそうかって。
速度は100文字/分を超えてると思う、多分だけど120文字/分程度。欧文なら十分に聴き取れる速度だけど和文ならもう・・・orz
聞き取れて無いです。(^^; 聞き取れてるときは「文字に変換されずにそのまま言葉になる」のです。あのくらいの通信速度(練習では無い速度)だといちいち音を文字にしていたら頭がパンクしてしまいますw
アマチュア用で国家試験になってるモールスの速度は通信用の速度ではなくて練習速度。実際はあんなに遅い速度で通信することはありません。普通に会話していくとき、自然と速度があがっていくからです。欧文では最終的に200wpmくらいはいくでしょうね。
モールス符号が聴こえたからといってそれが即座に言葉に変換されることは無いんですよね。ただ、音として耳に残ってるのを、数秒前の音として思い出すことで「どんなこと話してたっけ?」と聴きなおすの。そして言葉に変換されないとき、速度が追いつかないかコードがそもそも違うかがわかります。
耳に入ってくるモールスコードを逐次変換していたら高速な信号は復号化できないでしょう。
このお話、モールス符号を高速で聞き取るときに必要なお話なのだけど、本当のところもっと重要なことが含まれてるの。母国語だと気づかないけれど外国語語で速く会話するときに必要なのが「音で聴いて数秒間覚えておくこと」だからです。だから英会話は音で覚えるとよく言われる。バッファ鍛えてるの。
脳内バッファの拡張は意識的に継続してやらないと決して身につかないの。このことを実感するのに、わたしはモールスの練習が答えを出してくれました。外国語を身に着けるときもまったく同じだったからです。
「外国語を学ぶのって無意味な音に対して意味づけを習慣化すること」なのですから、最初の「無意味な音」の段階でこれを保存することが必要になります。次に、それを思い出すことで意味づけがなされるように意識的に意味を考えるの。完全に習慣化されたとき、もはや音や文字に変換されなくなります。
言葉を使うからといって必ずしも高度な知性はいらない。だって、ただの会話ならばそれは習慣によるものだから頭を使わないのですw だって、言葉を使うこと注意を払わないからです。
ですから、言葉遣いに注意を払うということは、言葉を意識化してしまうので慣れていない人は言おうとしようとしていたことをころっと忘れてしまいます。(^^; これは習慣化している母国語について「考えようとした」からにほかならない。習慣って考えてしまうとうまくできなくなるからです。
習慣を破壊して意識的に矯正する方法はそれ自体にずっと意識を集中することなの。実はこれが一番難しいから多くの人は魔術の修行を放り投げてしまいます。w
エーテル体制御は種がわかってしまうと神秘でなんでもなくなる。但し、習慣をイメージ化して操作するから難しいことは難しい。合気道で相手を倒すのもそういうのとまったく同じ理屈だから相手の習慣を読み取る能力が必要になる。それをすることはまず自分の習慣と向き合うのです。
月(イェソド)は幻想の光球とはいうけれど、それは水面に写った月の姿のことです。例えば、自分が立ち上がって歩くとき「歩く」ということを無意識的にイメージしてるの。このイメージが「月」と呼ばれるものだからこれが壊れてしまうと肉体が正常でも歩けなくなるし話せなくなります。
ですから、オーラ制御というのは習慣の破壊と再生のことなのでこれをよく理解していないと日常生活に問題が起こるかも知れません。呼吸を利用してリズムを掌握する方法もそのひとつであり、そのほかにもたくさんやり方があります。
自律神経系を意識的にいじってること、よく理解してください。
エーテル体制御、たとえば「中央の柱」の行法で「月の分離」という言い回しがあるのだけど、これの意味するところは習慣の顕在化なのです。自分の習慣をイメージとして見つめることに成功するとそのような言い方をするの。
ひとによってはこの状態を「水面に月を再発見した」というかもしれない。
これはあくまで比喩なのですけど、そういうことなのです。
それでは、自分の「月」を水面に再発見してね。

いいかたを変えれば、古代エジプトだってかな交じりの文章使ってましたけどね。だってそれ、ヒエログリフィカを簡略化していくとデモティックになるからで、民衆文字はかな文字に相当するのです。
言葉を筆記すること、特に重要な言葉はみんな速記しなくてはならないから、書記は必ず簡略文字を開発することになるのです。例外は最初から簡略化しようが無い文字だけです。(^^;
普通は習慣って「なんとなく身に着けること」なのでこれを修正するのが難しいの。何故なら、意識化することで修正が可能になることなので、無意識はこの意識化をとても嫌がります。だから、無意識的に意識化することそれ自体を忘れさせようとするのです。まずはこれを突破することが最初に課題です。
無意識との付き合い方は隣人との付き合い方によく似てるの。それは自分の意志でありながらまるで他人みたいなものだからです。
だから正面から意志の力でねじ伏せようとしても無駄なこと。その扉は取っ手が正面にはついてないので向こうから開いてもらうしかないのです。
ですから、無意識の自分の挙動を他人のように扱うの。防御円を設けてその外側に、三角形の中に呼び出します。なんのことかわかってるとは思うけど。(^^;


2016年12月24日
日本には宗教と名前がついてない宗教があまりにも多すぎて、誰もそれを宗教だとは考えていなかったり。
同調圧力は苛めの原因とされるけれど、それって要するにカルトに見られる特徴的なこと。たぶん、そういう土壌なのだと思うの。
だからたぶん、自分が一番打ち込んでることに関する仲間意識は強いけれど、そのへんが不器用だから一度関係をこじらせたら大喧嘩になる。宗教の代わりとなってるそれは結局のところ宗教なのですから。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2016年12月24日
本当に困っていないのならかみさまは応えてはくださらない。実のところそのことについての本気を試されてるから。
もしも本気だったら「プライド」も「面倒」も手放してるはず。手放すものがなくなるまで手放して、それでさあ、どうかなっていう世界だと思うの。
余計なものみんな手放さないと自分の意志なんてそう簡単には見えてこないの。だからもしまだ見えないのなら、まだ余計なものたくさん抱えてる証拠だといえるでしょうね。


水垢離も風邪を引く前ならいいと思うんだけど、風邪を引いた後なら逆効果になる。風邪の前だったら、肉体に本気を出してもらうためにショック療法となるけど、すぐに身体を暖めないといけない。風邪のあとなら肉体は現実に戦いを開始してるので無理はいけない。

荒行は病気になることを目的とはしてないから、ケアのことも考えないと意味がまったくなくなるの。それが出来ないならしないほうがよいと思う。それはダイエットもそうですけどね。

肉体を鍛えることも心を鍛えることもそうだけど、アフターケアについてきちんと知らないならしないほうがいいかな? まずはそこを学んだほうがいいから。


いのちの宿らない樹は邪悪に染まる。
それは枯れ果てた樹であり、樹の洞だけが残っているもの。すなわち、殻。
セフィロトにはかみさまが棲んでるから、火花が閃いて宿らないとそれは枯れてしまうの。エドムの王たちに支配され、それは冥府へと伸びていく。言い方をかえると信仰の宿りがあってこそ上位セフィロトを理解する。
というか、本来のカバラーがユダヤ教神学からの派生であり、魔術カバラーがキリスト教神学からの派生であるという点について真剣に議論されることがないのはなんで?
信仰をもたない5=6なんて全くありえないとおもうのだけど。
それだからRR et ACは招待をする権利を持たない。招待を受けたひとがやってきてそれを認可するだけですから。
それはこういうこと。自分自身の中に救い主が現れないことには、誰もそのひとを救うことが出来ない。





トモフミくん ‏@tomofimorgon 2015年7月2日
根性論でとにかく量をこなせばいいって思ってる顧問の方はこれを見てよく考えてほしいです。スポーツの色んな技術に応用できるはずです。

スポーツが上手になるコツ 武井壮が語る 説得力ありすぎ! http://youtu.be/WS6lK2UmR3A
八木 ‏@kou_yagi 2015年5月23日
授業で教えている方法と全く同じ。
6分間我慢して観てもらえれば、デザインの上達の仕方が分かると思う。
デザイン作業に置き換えて観て欲しいな。
「スポーツが上手になるコツ 武井壮が語る 説得力ありすぎ!」https://www.youtube.com/watch?v=WS6lK2UmR3A …
○スポーツがうまくなるためには一番重要なのが「思ったとおりに身体を動かせること」

○例えば、目を閉じて両手を水平に上げてみても、ほとんどの人がちょっとずれている(実際にタモリもずれてた)

○スポーツは競技中は自分の動きは目で確認できないから、これでちょっとずれているということは競技中も思ったとおりに実際には動けていないということ

○この状態のまま反復練習しても、ズレてる照準器に慣れただけだから、応用が効かない技術になる

○実際に武井壮自身も、10種目競技の全てを練習していたわけではない。思ったとおりに身体を動かす練習がメインだった。

○しかし、思ったとおりに身体が動くようになっていれば、競技場に行ってうまいやつを見て自分も真似すれば記録が出る

(…)
僕もスポーツを結構マジでやっていた時期があって、選抜とかに選ばれていたこともあるからなんとなく分かる。

実際に今も、フットサルを始めたから練習とか一人でやってるけど、何をやってるかというと、ボールをコロコロ足の裏で転がしてるだけ。

ひたすら。

グラウンド5周とか。

コロコロやるだけ。

でもこれってすごく大切なことで、こういった単純でシンプルな動きをどれだけミリ単位で正確にできるかで、その後の伸びしろが決まってくる。

細かい部分にどれだけこだわれるかなのだ。

まずは、ボールと向き合うのではなく、身体と向き合う。

新しいスポーツで必要な筋肉や、要求される動きに対して、自分が正確に動けるかを計測していく。そして、正確さをコンスタントに磨いていく。一日10分とかでもいい。感覚の問題だから、一日でたくさんやるよりは、短めに何度もやって身体に思い出させるほうがいいのです。
(…)
スポーツでは、「自分の身体が正しく動いているか」というのが測定するべき精度だよと武井壮は言っているのだろう。

では、ビジネスなら何を測定するべきか。

それは間違いなく、コンバージョンだと僕は思う。

現在のビジネスのコンバージョン。それが正しく計測できているなら、何をするべきかの優先順位を間違えないからだ。

計画を立てても、ある程度思い通りに数字が積まれていく。

コンバージョンは反応率のことであり、相手を動かせる割合を意味しているわけだから。

自分が何をしたら、相手がどう動くのかを正確に計測できる


これが基本じゃないかなと思う。

だから、スポーツの上達のコツが「身体を思い通りに動かす練習」なら、ビジネスの上達のコツは「コンバージョンを自在に調整する」ということになるんじゃないかなと。”https://www.toriikengo.com/takeisou-movie/

それぞれのスポーツをたくさん練習する前に、やっておくべき事がある。

それは当然のことだが、自分の身体を動かす技術を上げておかなければならない。

頭で思っている動作と、実際にやっている動作がずれていると、うまくいかない。

よくあるスランプの原因は、ほとんどそれである。



頭で考えていることと、実際にやっていることがずれている状態で反復練習をするので、反復練習があまり身にならないのだ。

その結果、悪いほうに固まり、練習を続けることで結果は少しずつ良くなってはいくが、それは結果的に”ずれた動作を良くしたもの”となる。

一つのスポーツは伸びていくが、別なスポーツをやると素人同然になる人は、自分を動かす技術が変わっていないのだ。


スポーツする時には、自分の身体の見えていない部分を動かすことになる。

自分の考えている動きと、見えていない部分の身体の動きがずれた状態でスポーツを行っても、ずれたままでの動作となる。

それは結果が良くても、自分が思っている通りの動きではない。

なので、ひとつのスポーツがうまくなっても、また違うスポーツをやるときには、より多く練習をしなければならなくなる。

そうなると、練習する時間が際限なく増えてしまう。

練習する時間を減らすためには、そのスポーツ特有の技術練習をする前に、自分の身体を思ったように動かすことができるようにしておく事が、いちばん大事である。

頭で思っている動作と、実際の動作がずれた状態でスポーツを習得するのと、動作の基準があり、そこを考えてスポーツを習得するのでは、伸びる速度が全く変わってくる。

「上手い選手は、普段からああやってやるんだ!」を、すぐ真似られるようにしておく。

そうすればできるようになるまでに時間はかからない。
”http://nk.hateblo.jp/entry/2014/01/31/125808

McLaren MP4/12C ‏@mclaren0909 2015年12月15日
@desupehannari さすがデスペさんですね。デスペさんのツイートって真意をつかむのが結構むずかしいですw とても真意をついています。今、頭から離れないのですが、『何かを変えたきゃ、詐欺師になれ』って言うのも同調からきてますよね?良い言い方をすればwin-winみたいな

desuperado ‏@desupehannari 2015年12月15日
@mclaren0909 そです。同調です。ほんとに詐欺師になれ!なんて言いませんがw誰でも扱ってる技術なんですよ。コミニュケーションの中で。為政者達は事実を9割嘘を1割り以下でぇ~って、嫌な感じで皆言いますが、一番自分の意見を通すには、その割合がベストなだけです

McLaren MP4/12C ‏@mclaren0909 2015年12月15日
@desupehannari やっぱりデスペさんは違うw かっこいいという意味ですよ?w 今の人は『はい、論破ぁ~!』とか勝ち負けに拘りすぎですね。相互依存が出来ないといいましょうか。ある意味、自尊心だけは3人前なので煽るのは簡単です。人に物を言うのは論破せず、寸止めがいいですね

desuperado ‏@desupehannari 2015年12月15日
@mclaren0909 その人が見たいものの方向にに流せば良いのですwブルースリーの水であれと一緒ですwただし、人工川ですがねw

@0nigiri_3_ @mclaren0909 間にRTしてくれた百獣の武井のスポーツ談義ですよ。自分のイメージ通りに身体を動かせているのか?って奴。間違った反復練習じゃ、変化に簡単にやられますからね。これは反応あるな、これないな、と実験(遊び感覚)でどーぞw

武井壮、じつは「下半身不随になる」と医師から宣告されていた!
http://trend-izumi.com/post-1076/
”武井壮さんが番組内で、「十種競技で怪我をしたとき、医者から『一生歩けない』と言われた」というお話をされていました。

下半身が動かなくなり、自宅でうつ伏せで静養していた時「骨の図解書」を読んでいたそうです。

武井壮さんはその本に載っている、骨のブロックの写真を見ながら

『自分の骨は、こうなるだろう』

とその骨通りに治るとずーっと、イメージしていたそうです。

そうしたら、なんと2ヶ月で完治してしまったんだとか!

ご本人曰く、『ストレスで胃潰瘍になるくらいだから逆も絶対イケる!』と本気で信じていたそうです。

その後、陸上競技・十種競技元日本チャンピオンになりました。”

Souma ‏@Nks2Sou 10月2日

武井壮
背骨の骨折を 栄養素の摂取と骨がくっついていくイメージをして治したらしい。
これはやりてぇ! っと思ったけど骨折だからな。わざわざ骨折してまでやるのは頭がいかれてる。

やるならば 筋肉が修復されるのをイメージして....、
あっ、いいねこれ!

みずいかな ‏@fasbfrkXYIf5jO3 9月29日

武井壮さんの事を昨日テレビでやっていたけれど、骨折した背骨の直し方が超人的すぎた(笑)
動かないようにして+骨になる成分を口にして+あとは骨が固まる脳内イメージ

想像力って大切だなぁ(´ω`).。o0(もちろん、それだけで治るなら医者いらないけどさw)


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
ダークマターは存在を論理的に肯定するときに必要になる無の概念だから、そもそも存在しないものだと思うの。カバリストならお馴染みの概念で、ケテルにかかってるアイン、アインソフ、アインソフアウルの三重のヴェールと似たようなものです。信じること意外に肯定できないものは無が必要になるの。
それゆえに上位セフィロトになると論理証明が困難になるのでアビスが存在します。
だからそれは祭壇に掛かった黒い布でしかなく「全」を想定するときに必要な仮のものなのです。幕屋の幕という表現もあります。論理的に証明不能なものを捕らえるときに「一時的に」必要なのです。
この問題ってカバラーを習うときに一番最初に習うものなの。

内田樹先生 街場の至言(非公認bot) ‏@tatsuruwords
私につねにもっとも適切な命令を下す「私だけの神の声」を現代人は「ほんとうの自分」というふうに術語化しているわけである。 自己利益の追求とか自己実現とか自己決定とかいうのは、要するに「『ほんとうの私』という名の神」に盲目的に聴従せよと説く新手の宗教なのである。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
シングルベル? 家族と過ごすか、独身で一人しかいないのなら聖母子像のポストカードをテーブルに飾ってローストポークとワインでいいんじゃないかしら? キリスト教がお嫌ならハトホルとホルスの像、それもいやならフレイヤ。豚さんは本来イノシシさんなのでそこはお好きに。

ワインはマルドワインがいいとおもうよー。スパイスと蜂蜜を加えてほっかほか。フレイヤで気づくと思うけど聖母はこのとき、Stella Marisだから明けの明星と宵の明星。なぜこんな分け方するのかというとクリスマス・イブは夕方から翌朝までの一晩をかけるから。金星属性なのです。

それゆえにお菓子はあまーいものを。金星なのですからとろんとろんに甘いのがいいの。
天上の母のあまあまなイメージを思い浮かべながらすごすといいのです。
蜂蜜とシナモン、クローブ、あとはナツメグを使ったとても甘いミルク粥でもいいかも? 胃腸の調子がよくないのでしたらそれで。できたらドライフルーツたっぷりいれたいかな?

うん、オートミールのミルク粥をプディング状にしあげたら、そこにココアパウダーをふるってもいいかも/
クリスマス本来の象徴に、古い宗教もあわせて盛り込むとそんな感じになるかも?
このお話、まとめると天上の母は魂の器だから、イブ(イブニング)はシェキナーの降臨を待ち望む夜(ヴィジル)となる。それだから、子供たちは「よい子にして」眠らなくてはならない。信仰に灯火を齎すために必要なもので、そこでやっと青いボウルの蝋燭に火がつくことになる。つまりイブは祈りの夜。
ジーザス降誕というのはそのひとの心の中に救い主が生まれるという意味だから、そこから続くかれの死と復活を観想してすごすものだとわたしは理解しています。それゆえに、イースター(春)が待ち遠しくなる。

クリスマスはなにをしてすごすものなのかと、魔法使い志望のかたにさへ聴かれることが多いので、わたしが知る限りのことを説明してみたの。
器がなければ神様のワインは注げない。それゆえに器(ツェノール)は必要なのです。キリスト教ならそれは聖母が象徴となってる。ほかの宗教ならそれに類する母なる神様が。
「女教皇」が足元においてる三日月がその器。すなわちネシャマーです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月18日
テーマからそれてしまった場合は無理にそれを消そうとはしないでね。ただ、テーマにそっと戻すようにするの。方向修正すればいいだけなので。

無理にそれてしまったもの(邪念)を消そうとすると、そこまでたどってきた道筋がそのまま消えてしまって最初からやり直すことになります。だから、無理に消そうとはせず、単純に少しずつ方向を戻していきます。

邪念を消そうとするともと来た道まで消えてしまってるというジレンマがあるので。
邪念は連想による分岐が原因なので、分岐した地点を戻ることになります。すぐに気づいたならまだ戻れますから。そこを消そうとすると迷子になってしまうの。
瞑想は車の運転みたいなものである程度は慣れですから。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月18日
祝福とは常に肯定の言葉だからです。否定の言葉には祝福を取り去る効果がある。なのでそれについては肯定をもって祝福します。
これで相手を褒めることは祝福することで、肯定の言葉による魔法だということが理解されるでしょう。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月19日
え? 魔術結社は特定の宗教で縛ったりはしませんよ? 青きフードのついた蝋燭を聖母マリアの外套だとして断定しないのもそういう魔法の学院の持つ魂の保護の役割のひとつです。だからこそ回りくどい表現をするのです。魂の保護って、信仰の自由なのですから。

だから、ボウルに入った灯りはネシャマー(魂)の象徴だよとしか言わないのです。特定の宗教に入信させたいわけではなくて、大切なところだけを自力で見つけてほしいからなの。本人がそれについてどんな形を与えるかは本人のみの問題だからです。

祈りの番をするもの、つまりケルックスというのは他者の介在を許さないもののことです。本人の魂と神様だけの対話なのだから、ほかのいかなる存在も二人の対話には割り込ませないこと。枯れの役割というのはそういうものです。

仏教にも該当する象徴はすぐに見つかると思います。よくしられたこわーいひとが。

(sai11 ‏@sai11_o_n_b_b 12月19日
@Ripple1975 仁王さんですか。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月19日
@sai11_o_n_b_b だとおもいます。GDのケルックスとセンティネルも内側と外側の守り。いわゆるツー・マン・セル行動です。門の内側はSSだと思われます。

それでケルックスが召喚すべきなのはケルビムたちであるのはわかると思うのだけど。SSを守るのですから、彼らが必要なのです。
座天使というのは玉座を守る天使のことですから。
あ、ケルックスとセンティネルは内外の衛兵なので剣を持ちます。
センティネルは外側の守り、ケルックスは内側を守ります。
女の子でしたら、センティネラとケルッカイナといいます。

簡略式儀式だとセンティネルはいなくてケルックスのみですね。その場合、ハイエロファントとヘゲモン、ハイエルースのみは最重要なので残されて、浄化と聖別を受け持つストリステスとダドウコスをどうするかが問題になるの。


日本の魔術関係者の意見としてはILは堕落したと思われがちだけど、本来GDが持っていた要素が二極化しただけだとわたしは思います。オカルト的要素と宗教的要素(宗教ではないけど)が分かれていまあるだけ。オカルト好きの人にとってはつまらないことのように言われてますけどね。


日本の魔術界をみていると、宗教的アレルギー反応が凄いからその部分の要素がすっぽりと抜けてしまっていて、ときとして「あれっ?」となってしまうの。文化的差異なのかもしれないけど、自らの宗教観や信仰を見つめなおすという部分にはなかなかつながっていかないみたい。だからテクニックに走り勝ち

ユングを持ち出すオカルティストも彼が述べてる欲求の要素のひとつである宗教的欲求という部分をすっかりとスルーしてしまうから。

魔術師って日本語にかなり正確に訳すと禅を使う人かな? 思弁能力を高度に発達させるから、それゆえに教祖様にも、賢者にも、愚者にも、ペテン師にも、詐欺師にも、そして何もしない人にもなれるのです。だからこそ必ず何らかの信仰を持っていて、さらに変節を許されない。
普通なら「何もしないひと」を選ぶと思うの、魔術師は。
Zen masterで大体あってる。
そのほうが通じると思うんだけどな・・・。かなり正しく認識するのなら。
MagiとかMagusなどの古い言い回しがあるのだけど、日本語だとそのほうが恐らくしっくりくるから。

日常で忙しいと「人生ってなんだっけ?」と考える時間がなくなるの。そうすると人生の目的を見失い空回りをはじめる。だからわたしは教会に通うし、忙しいときは自分用のテレステリオンを持ってる。俗から聖に切り替えるというのはそういうことなのですから、無宗教であってもいいけどね。

(テレステリオン Telesterion
“古代ギリシアのデメーテルとペルセフォネの聖地エレウシスに建てられていた秘儀のためのホール。前6世紀後半,ペイシストラトス時代に創建されたホールは,内部に5柱5列の柱をもつ方形の前柱式建築。


【エレウシス】より

…初期にはおそらくエレウシスの名門氏族の祭祀であった秘儀が,単なる地方的祭祀ではなく,アテナイの重要な祭儀となったのは,前6世紀になってからであろう。この世紀末に入信式の行われた神殿テレステリオンが大規模に改築されている。ペルシア戦争時に破壊された同神殿は,その後数回再建され,そのつど拡張され,神域そのものの規模も拡大化していった。…”)

魔術儀式、特にGDのそれは自分に合った信仰を自分自身の手でDIYする方法といってもいいから、あなたの好みなら仏教でもキリスト教でも、その他の新しいものでも実現していいのです。ただ、自分が何をしてるのかをよく理解する必要があります。

誰も長くはそこに留まらない。だからいいんじゃないかな? 水が腐らないで済むから。
清らかでい続けることは流水のごとくあることだから、過ぎ去ったものを祝福して新しいものをまた祝福するの。祝福というのは価値を認めることだから過ぎたもの、新しいものに「善かったね」をあげることだと思う。
過ぎたものに対して価値を認められなくてずっと自分のところにとどめていたとしたら、それは腐ってしまう。水が流れるのをやめて匂いが出てくる。滞るというのはそういうことだからとても宜しくないこと。過去を切り捨てるというひとがいるけどそれは終わってない。価値を認めるまでは。
過去についてのお別れの儀式は常に過去に対して「善かったね」を与えることだから、それが過去への祝福になるし自分への祝福にもなる。それでやっとお別れが完了するのです。
そのための呪文なのよ? 「めでたしめでたし」は。
でもこれ、「愛でたし」なのかもしれない。過去を愛でることだから、などと解釈してみる。
しらべて見たけど意味は似てる。それまでのことを祝い、肯定するという意味で。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月20日
料理は少しずつ楽しむのがいいかも? 塩で焼くを覚えたらそこから広げていく。ねぎを加える。またはしょうがを加える、胡椒を加えるなど。これとは逆にしょうゆ焼くというやり方で、ここに薬味とかを少しずつ加えていく。

いきなりレシピにある材料をすべていれてしまうよりは、少しずつ加えていって何故そうするとよいのかを少しずつ理解していくの。そうしないとイメージが頭の中で作れないから。

知識を溜め込みすぎると理解が追いつかない。それはまるで閉じられた本を暗い倉庫の中に積み重ねていくみたいなもの。だから、基本的で大切なものは倉庫の入り口付近においていつも開いておくの。そして何度も読み返す。
入門書はいつも椅子の横においておくの。たとえ10年、20年たったとしてもそれはきっと役に立つからです。
座右の銘とは入門書のことだとわたしは思ってる。
それはその道のバイブルだし、一番基本的なことだからです。
カバラーだって、バイブル読まないと意味わかんないです。バイブルは入門書なので、最初に読むものなの。だから子供にも読めるように工夫されてる。
魔術カバラー(クリスチャン・カバラー)ならば一番最初に読むべき基礎文献が新約聖書で、それに先立ってタナハ(旧約聖書)も読んでおく。特にペンタトークは重要だから、そこからはじめないときっと理解に苦しむと思うの。
具体的にいうと、地に下りた大天使四人が福音書の四人であり、エゼキエル書由来のケルビムの変化した姿であることにすぐに気づく程度にはよんでおくとよいと思います。

(Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月9日
要するに、そういうユダヤのカバリストって創世記から申命書までのペンタトークを殆ど丸暗記してるようなひとたちよ? (^^;


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12月20日
魂の問題って神様しか責任は取れないからどんな聖職者でも立ち入ってはいけないと思うの。出来ることは神様に祈るように助言をすることだけですから。これはどんな教師でも当てはまることだと思う。人間と神様は混同できないから。
ヒーリングでもそうなんだと思う。条件を整えてあげるだけでそれ以上のことは出来ないから。もし相手の魂に干渉しようとするのならそれはもう邪道としかいいようがない。

誰かの魂に(本来的意志に)干渉した場合、干渉した人も干渉を受けた人も一緒に黒くなってしまうの。だからそうならないように注意しないといけない。
そのひとの勇気を鼓舞することはできても、捻じ曲げることは出来ない。魔法使いだってそうだと思う。

簡単よ? 自分もほかの人に優しくすればいいの。その人に愛を返さなければいけないわけではなく。そのひともまた、愛の循環をきっと望んでるからです。
わたしが知る限り、尊敬できるひとはみんなそうだった。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
何か集中して学ぶのはキック・スタートのときだけ。一度身についてしまえばその知識を道具としてすべてを観察するから日常の中ですらそれを用いて考える。だから~学なんて難しいことを机上で考えるものというイメージは実のところ正確ではないと思うの。どこにいても何をしてても考えるから。
専門が音楽だとしたら、料理中でもお花の世話をしていても、子供のおしめを換える時だってそれについて考えてるものだと思うの。そうでないとそれを「専門にしている」などとはとてもいえないと思う。
自分の人生の一瞬一瞬をそれに捧げていれば、自然と道は開けてくる。そこまでしたら神様が心の声をお聞き届けしていただけないはずも無い。それが祈る(pray)ということだと思うの。

魔法をやりたいのなら魔法の本を読むのをやめるし、漫画を描きたいのなら漫画を読むのをやめるかな? わたしなら。読者や観客の立場を一度やめないといけないから。
読むのをやめないと書くことはしないし、話すことをやめないと聴くこともしない。何をしたいかはそのひとがしてることを見ればわかるから。
たぶん、批評することをやめたら創造する事を開始すると思うの。
批評することはアーティストにとっては害悪にしかならない。
魔法使いも分類するとしたらアーティストだから、他人のことよりも自分のこと。その創造の事。それだけを見てるのがいいと思う。


「心の故郷」の問題は「もっとも個人的なこと」であるから、ある意味で性の問題とよく似てるのです。だからとても慎重に扱わないといけないと思うの。
それゆえにカルトによる強制勧誘をわたしはレイプの問題と同列に扱っています。
本当にね、そのひとが心から安心できる心の支えを得られるのならどうでもいいと思うの。そのための信仰ですから、それこそ何の宗教でもかまわない。そのひとが本当に魂の平安を得られるのであるなら。
わたしもミッション系スクールでしたけど、そういう雰囲気は感じてましたね。熱心なクリスチャンはいませんでしたし。
だからかな? 他人の聖域に土足で上がるのは気持ち悪いことですし、自分もそうされるのを嫌います。とても単純に、故郷を汚されるのは嫌だからです。お互いにそういう感覚があるのならどんな宗教の方でもお友達にはなれるから。
だからね、突然手かざしされたり癒して差し上げますとかいわれると「魂のレイプ」とわたしはそれを呼んで、他人のオーラの中に勝手に入るのはご法度だよというの。

(間沼 緋紗緒 ‏@scarlet_mnm 6 時間6 時間前
@Ripple1975 その辺をきちんと弁えているかどうかが、きちんとしたオカルティストとスピッちゃった人の境界線だと思っています。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 6時間6時間前
@scarlet_mnm そうですね、バトラー師も散々その著書で書いてることですけど。あと、フォーチュンもその問題を扱っています。

それがたとえ善意からであってもやってはいけないことだと思う。他人の家に勝手にあがるどころか寝室にまであがりこむのと同じだからです。
だからこそ、わたしはさきほど性と同じ問題だよといったの。
オカルトに強い倫理や信仰が求められるのは当然のことで、そうでないと魂の問題は扱えません。

自分の所属する教会(お寺なども含めて)の偉い人であっても、わたしたちの間に入り込むものは誰でも許さないの。信仰対象と自分自身のみの対話が最重要だから、たとえ教師であってもこれには入り込めないしそうさせてはいけない。少なくともこれがわたしがよく知る魔法を習う条件だからです。
だって信仰してるのはかみさま(信仰対象)であって生きてる人間ではないのです。(^^;
これもまたGD系魔術の一部だからあえてお話したけどね。

魂の象徴を意味する何かを祭壇におくだけでもう至聖所になるのです。だから浄化と聖別は念入りに行うし、人払いは完全に済ませておく。そういう場所を個人的に持ってお祈りするのが大事なのですから、その部分を蔑ろにしてしまうと魔法の意味がなくなるの。

神様とは誰かの仲介によらず自分と神様だけで対話するものですから、ほかのひとは見守るだけです。また、その成果もすべてはご本人のものであり、完全にプライベートでないといけないの。それは夫婦や恋人同士だって入り込んではいけないお話ですから。

その部分は自我の基礎部分にかかわるお話なので静かに本人が自分の信仰対象からのお返事を貰うまで待ってるだけなの。
自我の基礎部分って自己愛にかかわる部分だから、その人の一生に影響を及ぼす。それだけ重大な問題だから、どうかSSやテレステリオンを用意するときは注意してくださいね。

わたしがかみさまと呼んでる方をほかのひとがなんと呼んでもかまわない。それは結局、人類の、そして生き物のルーツを意味する何かなのですから、あまり気にしてないのです。
だからただ、そのひとが自分が信じてる信仰の対象を愛していればいいなって思う。
えっとひとつだけいいかな? 女性には全部説明しなくていいんじゃないかな? だって、ある程度イメージを膨らませればあとは勝手に想像できるんだもの。
青いボウルをもってね、星屑を集めてるの。それが落ちてくると胸の辺りに灯火がともる。その星屑のことをシェキナーと呼ぶのです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 7月1日
水の中で低体温で遊ぶと溺死すると思うの。動揺しなくなるというのは意識が外から内側に傾き始めるのだから、心拍数の低下は意識の低下につながる。やってることはトランスと同じなのだからお風呂とはいえ外界に反応しなくなれば溺死が待ってる。実際に知り合いの彼氏がそれで亡くなっています。


消えた猫田ブログ”イドリースィー もうひとつのヘルメス
魔術についてウンチクを語ってみたくなったので、ブログを作ってみました。
どうも、はじめまして。イドリースィーです。書きにくいのでイドリシでいいです。

イ ドリシ、またはイドリースというのは、アラビア語でエノク、またはヘルメスという意味なんですが、何で西洋魔術の話をするのにアラビア語の名前なん?って ツッコミを入れるかも知れませんが、実はルネサンスにヘルメス文書がビサンティン帝国からもたらされる前に、中近東でヘルメスはイドリースという名前で認 知されておりました。

おそらく西洋魔術に詳しい人でも、あんまり知らないネタだと思うけど、実は10世紀頃のトルコ東部のハランでは、なんとズバリ、ヘルメスを祀る人たちがいたんですよ!知ってた?

その人たちは、ギザのピラミッドをヘルメスが作ったと思ってて、巡礼に行ってたわけなのですよ。
ハランは、中世の最先端学術都市でね、後に中国で景教と呼ばれることになる、ネストリウス派のキリスト教徒たちの学術都市でもあったわけだ。

西ローマ帝国崩壊間際の529年にプラトーンの900年続いたアカデミアが閉鎖されて、アテネにもいられなくなった学者たちは、当時サーサーン朝ペルシアの領土だった、シリア領に逃げ込むの。その逃げ込んだ先が、シリア領のひとつが、ハランなわけ。

もちろん、ハランと言えばアブラハムがハランを経由してカナンの地に入った話は、いみじくもカバラーをやる西洋魔術の子は知ってるよね?

西洋魔術をたまにヘルメス学と言ったりするけど、これはヘルメス文書のヘルメス・トリスメギストスに由来してるのはみんな知ってる話だよね?

で もね、ヘルメスってのは別に魔術や錬金術や占星術などの「西洋の」秘教伝統ばかりでなく、中東のイスラーム神秘主義でも大変重要な神様なんだよ?とある スーフィーは、ヴィジョンの中で旧約聖書の預言者以外にも、ヘルメスに出会ったと主張してるし、スーフィーは自分たちの技術の祖はヘルメスに帰せられると も言ってるの。

つまり、西洋・中東の秘教伝統において非常に重要な神なんだよ。ヘルメスは。


私はね、欧米人の魔術師は怒るかも知れないけど、西洋の秘教伝統を見る場合は、どうしても中東と西洋の秘教は繋がってると思うの。

それで、中東と西洋の秘教伝統をまたぐ意味でイドリシなんて名前をつけたわけです。

別にスーフィズムと西洋魔術の技法を混ぜるつもりではないので(そもそも私はスーフィーの修行法を知らない)そこは勘違いしないでね。あくまでも秘教伝統に対する視野を広げるつもりで。

西 洋魔術はラノベで取り上げられる場合もそうだけど、西洋魔術=イギリスが源流とか、どうも視野狭窄に陥ってるように見えるから、もっともっと西洋魔術好き な子には視野を広めてもらいたくて、このブログを作りました。よかったらひそやかなうんちく話にお付き合いお願いします。

”魔法使いの危機管理
いわゆる魔道士さんが持つ知識と技術(アート)は悪用するとバカに刃物になっちゃうので、スパイ天国な我が国の危機管理並にゆるゆるですが、例を紹介しましょう。

スレイヤーズ

スレイヤーズすぺしゃる4 魔道士協会の陰謀 (富士見ファンタジア文庫)
(2012/10/04)
神坂 一、あらいずみ るい 他

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ス レイヤーズという作品では、魔道士協会という団体が魔道士を育成しておりますが、そこで教えて貰えるものは「理論(テオリアとカッコつけて言いましょう か?)」のみで、攻撃魔法というのは教えて貰えません。攻撃魔法知りたければ、自分で理論を元に組み立てやがれ!タコ!というステキすぎる安全対策がなさ れております。理論というのは、ロジックですから、魔法と言えど論理学や哲学に強いとお得ではないか?と、「コンスピラシー・セオリスト(陰謀論者)」な わしは思うわけです。エレアのゼノンのアキレウスと亀の話でも読んで論理的思考の訓練をすると言いかもしれません。

ドラゴンランス

Towers of High Sorcery (Dragonlance)
(2004/11)
Jamie Chambers

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ドラゴンランスでの魔法の管理は徹底しております。スレイヤーズの魔道士協会の比ではありません。
「Tower of High Sorcery<上位魔法の塔>」というフリーメイソン的な組織がドラゴンランスの世界の魔法を一元的に徹底管理しており、中核的なすごい魔法の知識を得 たかったら、「大審問」という通過儀礼を経ないといけないというシステムになっていて、その「大審問」ってやつが過激でして、魔法の才能と技量と意欲をギ リギリまで調べられて、失敗すると「死」という古代のドルイドのイニシエーションも真っ青なえげつないシステムになっております。

ちなみ に、今では芸能人の公開いじめにしかなってないバンジージャンプも、本来はバヌアツの部族の死のイニシエーションなんですよね。文化人類学などでいわゆる 未開の社会を調査するのですが、未開の社会で保持されている成人の儀式は皆「死」を体感する事で新しく生まれ変わるというものです。これは、単に象徴的な 儀礼から、バンジージャンプみたいな実際に死ぬような事をやらせる例もあるわけなんですね。魔法使いとして一人前になる「大審問」はそういった古来からの イニシエーションの作法を踏襲している。

ちなみに、GDの5=6の儀式も「死と再生」の儀式なんですよー。アデプタス・マイナーになってはじめて一人前の魔術師ですから。ま、傍観者の俺には関係ない事だけどね。

んで、その「大審問」なんですが、死のリスクの果てに通過すれば「Order of High Sorcery」という組織に加入できて、そこで始めて新しく中核的な魔法の知識と技術を教えてもらえるというシステム。

うーん、フリーメイソンそのまんまなシステムやねー。まあ作者のひとりがバリバリのモルモン教信者なんでメーソンクオリティと言ったとこかw


こ のドラゴンランスの本篇なんですが、この本はどうやら実践魔術をやらないとわからないような思想や表現が盛りだくさんだったりするので、魔術的な哲学・魔 道師の美学という意味でもドラゴンランスシリーズの「ドラゴンランス伝説」をおすすめします。ストーリーがわかんないので「戦記」から読む必要あります が。

ドラゴンランス伝説〈1〉パラダインの聖女
(2004/03)
マーガレット ワイス、トレイシー ヒックマン 他

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つ いでに書けば、「ドラゴンランス」シリーズの外伝である英雄伝では、その「大審問」のシーンが描かれるのですけれども、そこで描かれる事が、古代密儀宗教 の儀礼そのまんまでワロタという話。「大審問」が冥界下りですよ?デメテルとコレーの話とか、イシスの密儀の話とまったく同じではないか?と。やっぱ書い てるやつが結社員ってわけか。

ドラゴンランス セカンドジェネレーション(上巻)
(2003/04/25)
マーガレット ワイス、トレイシー ヒックマン 他

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特にルキウス・アプレイウスの「黄金のろば」に出てくるイシスの密儀に似てるなーと。

黄金の驢馬 (岩波文庫)
(2013/07/18)
アープレーイユス

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まあ、こんな感じで魔法使いの危機管理のネタを書くつもりだったんですけど、またまたいつの間にか脱線です!

「魔 法入門カバラ」のブログの魔龍さんは、日本の漫画やアニメなどの創作の世界では魔法結社員が暗躍してるという話をされてますけど、海外も例に漏れずそう だったという。その中で特にドラゴンランスは、くっきりと魔法結社員か秘教結社員かどっちか知らないけど、そういった組織のメンバーが小説を書いてると ハッキリわかる本ですな。

危機管理の話どうなったー?

でもちゃんと、秘密は守られてるそうです。でも、結社員は秘密守るのつらいもんで、どうやら漫画・アニメ・ゲームなどであちゃらかの思想を「象徴」を使って絶叫しておるみたいなのでラングトン教授みたいに象徴学を勉強すると良いです。

ラングトン教授と言えば、ダン・ブラウンの最新作「インフェルノ」いまいちでしたなw

象徴学を勉強するなら、マンリー・P・ホール本がおすすめです!

人間―密儀の神殿 (1982年)
(1982/11)
大沼 忠弘、マンリー・P.ホール 他

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画像がないのが残念な限り。ちなみに、ダン・ブラウンの象徴学の種本がマンリー・P・ホールなんですよねー

ラングトン教授はマンリー・P・ホールが作った。

(…)

ぐだトマト ‏@pteras14 8月10日
聖杯がイエスの血じゃないと
ダメなのかどうかが要だ。
飯屋の血でOKなら、理論上
ダビデに定期的に献血して貰えば
聖杯を量産出来るはず。

フレポ召喚でダビデが呼ばれる度に
マナプリじゃなく、ダヴィンチちゃんに
血を丸ごと抜き取って貰えばOK。

#FGO
#FateGO

閉店です ‏@lakudagoya 8月10日
@pteras14 とまーてさんこんばんわ。これって聖杯の血ばかりでなくて、やつらが大好きな生贄の血にも応用できませんか?吸血にしても生贄にしても病院の血液検査のように注射器で血を抜いて献血してもらえば済むのをなぜにわざわざ生贄にこだわってんだろ?とかいう疑問もありまする。

ぐだトマト ‏@pteras14 8月10日
@lakudagoya
アイクは人間が恐怖を感じた時に
アドレナリンが血液に混ざるから
と言ってましたが、

中国道教だと神霊に何か「犠牲を
捧げる」事によって「願いとトレード」
するためだと書かれてました。

ベルセルクの「心の亀裂」理論が
正しいかと思います。

ぐだトマト ‏@pteras14 5月22日
中国道教だとお札用の赤インクは
元々は人間の血。
これが人間の血→鶏の鶏冠の血→辰砂
(水銀の材料ね)に代わった。

アフリカのフードゥーだと蝙蝠の
血とか使ってたらしいけど、最近は
ハーブのMIXで赤色を出してる。

道教だと元々、神だか精霊だかと 取引するのに血液が要るらしいんだが 一々人間をその都度殺してたんじゃ 効率悪いということで別の材料が 開発されていった。 どうしても天然辰砂とか、鶏の血が 見つからない時は普通の赤インクに 自分の血を一滴だけ垂らせばOK。

ぐだトマト ‏@pteras14 10月29日
なんだ?
ねここねこさんが昔ブロッコリーした
奴のRT飛ばしてくるから何かと思ったら
ねこたさん道教にハマってるのか。

99〜なんたらは昔の中国の「承認」
みたいな判子みたいな文言だよ〜ん。
石屋のso, mote it be!みたいなもん。
まぁ、石屋がパクったんだろうけどw

道教も初期の頃はお札をお湯に溶かして 飲むと病気が治るみたいな単純な教え だった事は注意ね。 現代の道教みたいにやたらと複雑に なったのは密教に対抗し始めたのと 南蛮征討の時に南蛮人の呪術に コテンパンにされてから。

南蛮人ってのは今で言うタイとか マレーシアの辺りね。ポルトガル人 の事じゃないよ?w
ちなみに神道のお札が道教由来なら 造り方が間違ってるから効果ないよ。 まぁ、そもそも道教含めお札文化を 信じてない人にとってはどっちでも 効果ないんだろうけどもw


ところがどっこい! 中国文化の素晴らしい所は中国の 怪しい通販を利用すれば、判子も 歴代師匠のサイン集みたいなのが 普通に売ってたりするw 台湾の本とか秘伝を隠す文化が あるから、あまり秘伝を隠さない (共産主義の副作用か?)本土の 本と合わせて解読するのをオススメする。
この紙が黄色なのも意味があるから、 日本の神道みたいに黄色い紙使わない のはNG。

まぁ、日本人で道教寺院に入門するの ムズイから(一応、武当山とか龍虎山とか に学校あるけど、昔は中国当局に頼むと 紹介してくれたらしい) 自分で流派作る方が早いよ。

基本、沢山の人が信じてる+歴史が長い 神霊の方が強力なんだけどね。
だから初音ミクの中が空洞になってる 人形が欲しかったw 高すぎて買えなかったww

判子も「初音ミク」って彫って作れば 良いし、自分が開祖なら初代師匠なので 自分のサインだけで事足りるw 歴史が短いから威力は期待できないけどw

判子用の赤いインクがネックかもね。 本当は天然辰砂じゃないといけないん だけど、若しくは白い雄鶏の鶏冠の 血。 究極的には自分の血でもおkなんだけどw

後、ミクさんの人形の中に生きた スズメバチを3匹詰め込むのが 最難関かもw スズメバチを使わない方法もあるけど 教えてあげないw

ちなみに神道のお札が道教由来なら 造り方が間違ってるから効果ないよ。 まぁ、そもそも道教含めお札文化を 信じてない人にとってはどっちでも 効果ないんだろうけどもw

ぐだトマト ‏@pteras14 10月7日
まぁ、日本は中臣の藤原野郎が作った
「氏の長者システム」が一番完成度
とセキュリティ度が高いと思うよ。

あの血縁者で固めた組織で社会を
乗っ取るという方式ねw

欧米では「赤盾方式」って呼ばれてる
やつね。
昨今になって国家ぐるみで「家族」 を破壊しようとしてるのは、 例えば「女性の社会進出」とかね。 全てこの「氏の長者システム」を 一般人に作らせないための政策なんだ。 奴等はこの仕組みが現代社会で最も 強固なセキュリティを所持してるのを 知ってるからね。

ぐだトマト ‏@pteras14 10月8日
なんかねここねこさんが進撃の巨人に ハマってる?のかな? 最初の方は面白かったんだけど巨人同士 の戦いになって詰まらなくなってから 読んでないんだけど、まぁ、気付いた 所を一つ挙げると、巨人の本体って 「首の後ろ」の所だろ? コレってエヴァのパイロットが 入ってるとこと一緒。

で、何で首の後ろかと言うと、
中国道教の人体図というかツボの
位置が分からないとあれなんだけど、
「何らかの霊が取り憑く時、霊は
首の後ろのツボから侵入する」
と言われてる。

ツボの名前は忘れたけどw




なんかねここねこさんが進撃の巨人に ハマってる?のかな? 最初の方は面白かったんだけど巨人同士 の戦いになって詰まらなくなってから 読んでないんだけど、まぁ、気付いた 所を一つ挙げると、巨人の本体って 「首の後ろ」の所だろ? コレってエヴァのパイロットが 入ってるとこと一緒。

個人的には医学に関しては中国の
方がインドのアーユルヴェーダより
古いんじゃないかな?っと思ってる。

よく探せばアーユルヴェーダにも
同じ説明があるのかもしれないけど、
ぐだトマトさんが調べた範囲では
この説は中国道教でしか見掛けた
事がない。

まぁ、後は「城壁」を築く文化と
築かない文化の違いかな?

あのエレン達が住んでる島のモデル
が江戸時代の鎖国政策と取れなくも
ないけど、日本はどちらかと言うと
城壁を築かないタイプの文化なのよね。
戦国時代に寺を城壁代わりにしたり、
掘りを掘ったりはしたけどw

もっとも、平城京の頃までは中国の
長安をモデルにしてたらしいから、
その頃は城壁を作ってたらしいん
だけど、日本の地形に向かないのか
途中から辞めちゃうのよね。

あの「壁」を作る文化って大陸の
方の特徴なのよね。
「壁で都市を囲む」って意味ね。
壁自体は何処にでもある。


峨骨 ‏@Chimaera925
神が世界を作ったなどと言う連中は何故、救世主を崇めるのだろう。この地上に苦しみが溢れているのは神がそのように作ったのだとしたら、そんなものの遣いや子なんぞやって来たら、普通に考えて崇めるどころか抹殺するだろうに。苦しみを与えておいて救済者を遣わして崇めろと言うのだから。

より良く生きる為に願うのならば、そもそも願う必要などない。より良く生きる為の行いを実践するだけだ。そこに神や宗教など必要無いし、願う必要もない。必要なのは自身の意思と実践だけだ。鏡に映った自身の顔が汚れていたら、顔を洗いはしまいか。誰かに綺麗にして貰おう等といちいち願いはしない。

スピリチュアルや自己啓発、ビジネス系自己啓発が流行る中、それを通して頭の中がクリスチャンに書き換えられている。「強く願い潜在意識に働きかければ実現になる」これはニューソート。魔術と比較すると、「ああ、コレは失敗するわ」ってな方法が書いてある。成功しないから依存して固定客になる。

俺は仏教は哲学思想としては支持するけど、信仰の対象にはしていない。だからと言って理解を他人に求めようとは思わないが。信じる事や念仏で救われるって、現世利益か来世利益かが違うだけで、思考が現実化するとか言うニューソートとまるっきり一緒。あれは不完全。


一時期流行ったスピリチュアルや自己啓発(ニューソート、クリスチャンサイエンス、スピリチュアル)は看板が違うだけのキリスト教思想で、ありがちな自己啓発は現世利益をぶら下げ、欲望を肯定し、プラス思考を強制し強迫観念を植え付けることで卑屈で貪欲なサイコパスや人格破綻者を量産した。

精神世界に偏重すると単なる頭でっかちになる。口先が上手いだけの頭でっかちに騙されて、そいつらを肥え太らせる為のカモになってしまう。死後の世界や世界の滅亡等の目に見えず証明できないもので脅迫されて、連中の都合のいい教義、目に見えないもの、証明できないものを信じる羽目になる。

スピや宗教の言う心の問題ってのは、ソシャゲのガチャと一緒だ。ゲーム内のガチャでどれだけ強いカードやアイテムを手に入れたって現実では強くならないし、豊かにもならない。豊かになるのはゲームに参加させて課金させる側。心の問題、いい逃げ口上だ。
いくらでも複製できて、コストもかからない。そのゲームに参加していない者には何の意味も無い。ゲーム参加者が多数を占めるならば、それが現実であるかのように振る舞うが、単なる妄想だ。
賽銭を投げて祈願ってのはNHKみたいだ。電波を一方的に送りつけておいて、「受け取ったから対価を払え」というソレに似ている。俺が神なら、大挙して欲にまみれた願いをぶつけてくる連中の願いなんて気持ち悪くて聞きたくないし、受けとりたくもないな。
愛や恋の気持ち悪さもコレだな。テメェの都合で感情をぶつけてきて、願いを叶えろと。あれにはうんざりする。関係性を構築して作り上げるのでもなく、脚本を用意してこの通りに演じろという。
あのような人々は他者を見ていない。自身の願望を現実の延長線であるかのように見ている。それが人形遊びならば、何の害も無いのだから好きにすれば良いが、連中のやろうとする人形遊びは人間から自由意思を奪い、己を楽しませ、ちっぽけな自尊心を満たす為に行われるものだから関わりたくは無い。
愛しているから○○しろ、愛しているから○○する。まるで呪いだ。人間関係の構築に呪いなんぞ必要無い。まして、既存のモデルや脚本を模倣してそれらを演じる必要も無い。愛や正義、善意、耳障りの良いこれらの言葉は人々を操り苦しみを与える為によく使われる。互いに呪い合って何になる?
相手の人格や自由意思を尊重し、時間をかけて信頼関係を構築する。信じていたのに裏切られたなんてのは、他者が自身の思い通りになると思って相手ではなく頭の中に作り上げた他者の偶像を見ていただけのこと。人は常に変化し続ける。既存の脚本を持ち込んで、おままごとを強要しても続かんさ。
偶像化されて崇拝されるってのも、なかなかしんどいものだよ。望んでもいないのに、「あなたの為に」「あなたを思って」なとと好き勝手されて、「やめてくれ」と言っても聞いてはくれないのだから。崇拝者の頭の中の偶像と実体が解離して妄想では埋められなくなると、実体が偽物扱いされるんだ。

支配と被支配、所有と被所有、一方的にあるいは双方が行い互いに呪い合い、それを愛だと彼らは言い、互いに執着し合っている。相手の人格や自由意思を尊重し、何も望まず、期待せず、相手を支配・所有もせず、それでも続くようなものではないから、取引や契約みたいな上下関係になる。対等ではない。
そのようなおかしな関係が善とされる社会では隠者のようにひっそり生きた方が楽だ。

人間の創造する超越存在なんて、ネット小説の最低モノの最強主人公と大して変わらんよ。最強で全知全能でモテモテでハーレムってな、ハーレムなんて面倒臭くて胃が痛くなるような代物だけど、作者が自己投影して考えつく限界なのだろう。本当に全知全能なら、問題も起きず物語も始まらない。
あの手の作品は作者のコンプレックスがよく解るから、人間観察の一環としては面白いな。わざわざ登場人物を愚鈍にして主人公を称賛させて自画自賛なんて、まるで神のようではないか。超越存在が人形遊びして人形に自身を崇めさせるかのようだ。あれは実に面白い。

仏教では愛=執着=悪。
愛憎を超えた慈悲=善。

愛はキリスト教では創造神が与える善。
明治維新でキリスト教の植民地になって以降、
愛=善というキリスト教思想に染まったのが今の日本人
国家神道=天皇一神教や大本教という和風キリスト教






Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 10月19日
人は言葉が通じる生き物を特別視する傾向があって、それ以外を差別する傾向を持ってる。それは人種であったりほかの動物であったりするけれど、本当は生き物はみんなそんなに変わらない。このことを忘れると自らの獣性を忘れてしまう。言い換えると理性をなくす。動物をみると理性を取り戻すの。

ダイアン・フォーチュンの小説の中に「牧神の娘」というのがあるけど、これはパン神に触れることによって野生を観察することで自己同一性を取り戻すというもの。ひとによっては野生から帰ってこないことがあるけれど、たいていの人は理性を取り戻す。ある意味でショック療法だから。

言葉によって思考するのがほかの動物と人間の大きな違いだと思う。けれど、それに埋没すると自分が動物であることをしばしば忘れてしまう。だから感覚によってときたまそれを思い出すようにすることで理性は回復する。理性の根拠って自尊心だからその回復でもあると思う。

小説の名前は『The Secrets of Dr. Taverner』です。有名な本だけど。
彼女の本、魔法を主題とする場合は彼女の魔術書よりも小説のほうがはるかに重要だと思う。
象徴や儀式の解説書などは基本的なやり方や解釈の仕方は教えるけれど、実際的な魔法の扱い方については何も教えてくれないの。教えようにも型どおりのことを理解しても何の役にも立たないからです。だから本だけでなんとかする場合は深い実践を要求する


正直にいうと、魔法以外のすべての本が魔法にはとても大事なのです。

Ange in Wonder Blog : 道具の違いと理屈の違い
http://angeliqua.doorblog.jp/archives/51912379.html

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 10月20日
邪念? 目的外意識のこと。あと、思い込みのこと。道具を使ってて怪我をするとき、思い返すとみんな意志に反してることが理解されます。意志は目的を決めてこれにしたがって行動する。素材の加工がその意志の流れなのに道具、そして力そのものに意識がそれたとき、必ず怪我をするからです。

本来の目的を忘れちゃうというのは目的外の意識にとらわれることなので邪念と呼ぶの。包丁が切れても切れなくても、いつもと違う感覚によって力(この場合は切る道具)に意識が向かうとき、意思に反したことになります。

実際、わたしは調理中に包丁のこと、ましてやその良し悪しなんてまったく気にしていないし意識に入ってない。だから怪我をする可能性があるのは刃物をしまうときと研いでいるときです。この双方ともに力そのものに意識が向いています。だから力は使い終わるとさっさとしまいます。

自分の目的に向かってどのくらいその心、意識をささげられるかがいつも問題になってる。目的意識を魔術と絡めて繰り返すのはそういうことなの。

アルターエゴの表出とか、忘我の境地とかなんだか偉そうで難しい言葉を使う人がよくいるのだけど、要するにどれだけ自分の目的に意識のすべてを捧げるかの問題なのです。難しいけれど、目的外の意識をとにかく修正するのが大切だから。

そういう修練は危険であるほどいいという考え方もあるけれど、それを要約すると危険があるほうが失敗したときに怪我をするから緊張感が保てるというその一点に尽きます。実際のところ、そんなのは言い訳に過ぎない。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 10月20日
月の明るさは反射によるもので太陽とは異なってる。月の温もりは以前、太陽と比較したように引いていくことで感じる想像による温かさなの。これを説明するのは、愛しい人に触れられていた温もりがなくなり寂しさを感じるときの思い出す温かさのこと。自分が投射するぬくもりのこと。冷たい温かさ。

それゆえに月は故郷を思い出す幻想であり、自らが投射するもの。そういうものが月ですね。
だからこそ月は揺らぐ。水面に映ってるそれだから。水面とは自分の心のこと。

月の温もりは夜中に暴れだすの。思い出すことでそれは強くなるから。それゆえの月であり、満ちては欠ける。それは感情がイメージを投射し続ける活動。

ナルシスというのがいるけど、そのひとが見てる水面の自分自身は月の局面です。それだからかれの行動はその特徴を持ってるの。
月に浸ってると風邪を引くから水からあがりましょう。身体を暖めてご飯を食べます。あとはぐっすりよく寝るの。幻想をみてるうちは自分の本心には気付かない。そういうものです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
わたしがみているケルト系の女性のイメージはどちらかというと賢女というものですし、実際にお話を紐解くとモーガン・ル・フェイは魔女というよりもそういうイメージなのです。湖の貴婦人というのはそういうのだから。湖の精霊は霊感を得た女性ということになります。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
いろんな技術は極めればひとつの芸(アート)になるけれど、だからといってそれを常時使うという考え方はなんか変なの。野菜のスライスをするのにスライサー使えばよいからそこであえてナイフを使うのは趣味的です。そうやって合理からかけ離れていくと何かがおかしくなっていくの。

目的を忘れるとそこで大きなロスになる。どんなことでもこれはいえることだけど、この逸脱が大きく最初の意志を曲げてしまうことになる。趣味もいいけれど逸脱はほどほどにしたいと思う。

目的からの逸脱は趣味への道でもあるけれど、泥沼にはまる前に引き返すタイミングはいつも「その選択が不自由を生んでいるか?」と問うこと。それが不自由さを生んでいるのなら引き返すことにしてる。それこそこの世界を生きづらくするから。

無駄な動きをすると自然から離れていく。それは自分の意志から離れるということでもあるし、ナイフを鞘にしまうときに横にずれちゃうことを意味してるのです。だから当然怪我をするでしょう。
ものごとにはある程度のクリアランス、つまり余裕が必要だけれど軌道から外れると元には戻らなくなる。ロケットのドッキングみたいなもので、一定の軌道からはずれてしまうと再接近不可能になってしまうから(燃料が切れます)。

心霊現象だとか心の病だとかそれがどんなものであったとしても、結局のところ予防に徹するのがまず先にあるから。対処法の前に予防がある。それは風邪と一緒だと思うの。

オカルトはかかわりを持たないのならそれに越したことはないの。運悪くそうなってしまったら対処していくしかないけれど、必要がないのならそのほうがいいからです。

そういうことしなくても立派に自分の道を開いている人はいっぱいいるのですから。

魔法は万人のものだけど、万人がそんなことしなくてもいいの。必要なものを必要な人がするだけでいいから。道への到達の手段はもっと無数にある。それしかないと思ったときはこれを思い出すといい。
合目的であることは明日への道だと思う。もし明日がどっちへ向かってるかわからなくても心配はいらないの。そんなときはお腹をいっぱいにして明日が幸せならいいなと思って眠るだけだから。
たぶん、そのまんまの答え。実行に躊躇してるのならその躊躇の原因を探ると良いでしょうね。

オカルト的な話は普通の生活には必要ないし、直接的には何の関係もないの。ただ、薄く少しずついろんなことに関係してるだけなので本当に1割以下の要素でいいように思ってる。

占いは自分の心の正直さを引き出す工夫だと思う。普段どれほど無意識的に自らを偽ってるのか普通は気付かないもの。それでこんがらがってしまったものをほぐすのにわたしは占いを使うの。タロットや星占いだけではなくて、瞑想もまた同じだから。

理不尽はいつでも世界ではなくて自分だものね。つじつまの合わないことしてるからややこしくなってる。

たくさんの方法があるということは決定打がないということ。だからそれは自分にあった方法を探すしかないと思う。どれも慣れれば習熟できるけれど、そこに至る前に扱いやすい方法を見つけるのが良いと思う。

だから流派を転々とするのって普通のことだと思うの。自分にあうものをみつけたらそれに食らいつくし、ある程度やったら足りないところを捕捉するためにまた旅に出ます。

それぞれが自分のやり方を追求すればよいと思うんだけどな。何かの体系はそのための足場なのですから。

共時性? 自分自身との同期のこと。現実と想像してることが合わさること。リアルの体験。
普段自分の心としっかり向き合えなくてかっちりと嵌ってないのでその同期が起こると異様な感じを受けるの。そのためにこれが特別なことだと思って想像をたくましくしてしまうの。
いまが楽しいのなら夢はみないんじゃないかな? 「黄金の斧(夢)と鉄の斧(現実)、落としたのはどちらですか?」と問われて現実のほうが楽しいのなら、きっと鉄の斧を選ぶから。

糸車と女神さま
http://angeliqua.doorblog.jp/archives/51912540.html

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
いろんな大事なこと教わった。アプロディーテーとエロースが別の神様であるということ。彼女はかれを従えてるけど別の人格として表現されてる。それが一緒になると阿修羅男爵みたいで醜悪になるの。そして彼女の巫女の本来の名前を見失ってた。また、家庭の女神は正確には居ないということ。

母を、妻を表現する神様はヘーラー。家を守る神様、竈の女神はヘスティアーだけど家庭そのものを表現する神様は居ない。それというのも、家庭にはそれぞれの形があり、決まったものがないから。ヘスティアーが守ってるのは一緒に暮らすということ、生活それ自体の核心部分。それこそご飯のため。

ヘスティアーが守ってるのは家庭ではなくて実はご飯を一緒に食べる人たちのことで、家庭の形には捉われない。竈ってそういうものだからです。だから、より正確には「同じ釜の飯を食べる仲間」のことだと思う。それは一緒に生きていく人たちの集まりのことで家族関係を必ずしも意味していない。

いろいろと面倒くさいよね、人間って。社会倫理は人間として暮らすためで、だからといって動物さんの部分もきちんと存在してる。その部分を切り離してしまうと人は病気になるの。けれど、人としての暮らしもあるからそれも蔑ろにはできない。

これはそれぞれの神様の祝福をちゃんと受けるためにはどうしたらいいのかという問題だから。
ひとは物事を美麗な言葉で飾り立てすぎた。祝福される必要があるのはすべての神様だから。
その結婚が祝福されるのはアプロディーテーとエロースが一対で同時に祝福を下さるからで別々に行動したりはしなかったという理由が大きい。もしもこの神様たちから別々のところで祝福を授けたとしたら、少なくとも社会的には問題になるから。
クビドは二人を結び付けるけれど、それは必ずしもアプロディーテー/ヴィナースとは別物。

このふたりの神様は別々にやってくると困るのです。
クピドが子供の姿で表されるのは当然のことで、だって「生まれる」から。
神話は当時の社会問題をどう扱うべきかということがテーマになってるからいろいろと勉強になるの。けれど、結局のところ現在とそれは大差ない。人間はそういう意味で殆ど変わらないから。

わたしにとってすべての分類は氷でできてる。どんな象徴でも、科学的な分類でもそうだけど物事を比較して行動を決定するまでの足場でしかない。一度行動を起こせばもはやそれを使わない。その足場は溶けて地面にしみこみ、そして空気に融けて行く。それは自転車の補助輪であり動き出すと足かせになる。

自転車の補助輪はきちんと運転できるようになると気持ちよく運転するための邪魔になるし、自由を楽しめない。わたしにとっての分類はそういうものだから、一度滑り出してしまうとすべての象徴、分類は排除してしまうのです。そうしないと分類は自分の呼吸すら妨げるから。

なにかの分類が大事なのではなくて、行動によって起こる結果のほうがいつも大事だから。それらが行動を阻害するのならさっさと脱ぎ捨てるの。

足元にはいつも注意を払うけど、はるか下においてきた足場なんてみていたら上から落っこちてしまうの。心はいつも目指すべきところ、つまり頂上をみていなくてはならないから、麓のほうなんてみないのです。

だから占いをして行動を決めたらそれをさっさと忘れるの。占いの内容自体を忘れて、決めたことだけを覚えておく。何をするかだけに注意を払いたいから。

手すりに触りながら歩くのなんて危険な場所をわたる時だけなの。だから橋の真ん中を普通は歩く。はしをわたるべからず。

峨骨 ‏@Chimaera925
心身を整える養生法や若さを保つ方法として使えるので活用してやってください。そこから小周天や大周天等に応用することも可能なので、慣れてきたらイメージも動かすとより効率が上がるかなと。

呼吸法の応用で面白いのは色との組み合わせ。色は777の書、万物照応表を参照しなくても、色イメージや心理関連の情報を漁って応用できる。嫌な自分の要素のイメージした色(濁らせてイメージする)を吐き出し、なりたい自分の色イメージを想像して吸い込む。基本が解らなければ毒にも薬にもならんよ

怒りっぽいから冷静になりたいなと思えば、深く息を吐くときに口から濁った赤黒い煙が出ていくのをイメージ
して、吸うときに綺麗な青い色が口から入るようイメージする。応用すると、空間をイメージで塗り潰して周囲の人間の印象を変えたりすることも。雰囲気ってやつだね。

鏡を見ながらその色に自分が包まれたイメージを重ねる事で自己暗示が強くなるので、割かし使える。ライブやってた時は色イメージも纏って外出していたな。オーラだのカリスマだのってのは、そこまで難しい事じゃない。あとは視線や指先の置き方、動作の早さや緩急……才能や素質など不要だ。

人間が「あの人はオーラがある」とか「カリスマがある」と言うのは、大抵は姿や声、後光効果。一般人との違いは言語化されない細部。暗示と模倣でそれを後付けするのは不可能ではない。立場や役職が人を作るように、自身の心理操作でそれを行う。大した違いはない。存在感がある者も元は一般人。

他者にその色イメージを伝達するのは、色イメージに従った自身の立ち居振舞いだったり言動だったり。他には類感魔術の応用でいける。類似したもの同士は互いに影響しあうってヤツな。相互に影響されるから要注意だ、深淵を覗き込む者はなんとやら。基礎を体得していなければ毒にも薬にもならないけどな


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
混合してる色をうまく分割して整頓すること。それがマルクトの象徴である四色。そうしないと混ざり合ってなにがなんだかわかんないから。

魔術の趣旨というのは「意識の中に変化をもたらす技術」というように最終的には体験によって意識変革を行うものです。その結果として行動が変化して物事が現実となる。だから知識や道具それ自体は枝葉末節といえるでしょう。だから魔術道具に拘りすぎるのも駄目なのです。

うん、わたしはクリスチャンだからキリスト教用語を使うけど別に本当は何でもいいの。それらの宗教用語は人の心の仕組みを説明するための方便としてわたしは捉えてるので問題はないのです。仏教にもっと詳しければそちらの用語を使うのも吝かではない。目的が大事なのでそういうのは枝葉末節なの。

本当は象徴操作や呪文、動作なんて凡て枝葉末節に過ぎないの。どんな方法だろうとやってることは同じこと。人の心は基本的なところは同じなのだから同じ法則が成り立つ。文化的差異があろうとも人であることは代わりがないのだから、数万年以上換わらないところだけを見るの。

魔法の道具だてというのは正直なところ祭壇となるテーブルと一つの灯りがあるのなら何でもいいのです。それ以外は枝葉末節だともいえる。他に必要なものといわれても実は困る。真理の光を奉納する以外に何がいるのと逆にお尋ねしたい。四大武器やその他についても同じ。最後はたったこれだけになる。


いいえ、別に専門的な学問だけが勉強ではないし、むしろそれは枝葉末節に過ぎないの。あなたが持ってる大事なの与えれば済むこと。知識与えておしまいではないのよ。 QT @kulfi: @Ripple1975 学士程度の思考能力持ってないのでむりですなー

普通のオカルト好きの人にとってはきっと「そんなことよりも知られていない天使のの名前とか階級、召喚の具体的な描写とか知りたいんだけど!」なんてきっと思ってることでしょうねw でもそういうのって枝葉末節なので普通の本を読んだほうが同人誌やゲームなどのネタになると思います。

星占いの根本思想は「身の回りの現象とそこに内在する真理は世界共通、宇宙共通なんじゃないの?」というのがある。この素朴な小宇宙=大宇宙相互影響説が東西に関係無い根本思想だから、座標区分や神話の利用は枝葉末節と捉えることが出来る。というより、占いにそれ以上の大切なことなんてないし。

わたしの思考の特徴は一見すると論理の塊かも知れないけど、実は加算減算と明晰な直感にだけ裏打ちされてる。あまり複雑なのは苦手なので複雑な枝葉末節をそのまま貫通して本質のみ見つけます。難しいのは哲学とか数学を専門にしてる人に任せるか、それともパソコンに頼るというwww
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恐らくそういう照応で正しいと思います。枝葉末節で違いはあると思うけど本質の部分で正しい。 QT @0134H: @Ripple1975 @rideigan 面白そうな話題なので横から失礼します。泰山府君=須佐之男命=地蔵菩薩=閻魔大王=ヘルメス=トート=少名彦那神=薬師如来=小童

んに。ある程度放射線について心配するのは当然だけど、放射線科学の常識を無視して枝葉末節に拘るのは分別がないですよね。 QT @akio_r_m: @Ripple1975 そうなんです。それが分かっていないのが問題なんです。あの震災以降、神経質になる人が多いのですが、震災前も後も存

結局のところ、魔術とそれに相当する名称をもつものはすべて、「意識の技術」である。人間の精神構造とその応用を熟知し、当たり前の法則に則って行う意識的行動である。実際、儀式の枝葉末節はたいしたことではない。それらは心理学的補助に他ならない。しかし、扱うのは精神の根幹。危険は当然である

魔術というと、とても神変不可思議な奇術のように思われることが大半。けれど、力の解放と接地という単純明快な技術であることを知れば、言葉にすること、それを為すことに集約される。すると、それはごく日常的なことなのだと判る。つまり、儀式はその枝葉末節に過ぎない。(誤字のため再送)

科学はわたしたちが呼ぶイデアやヌースを狭義で用い、わたしたちはそれを心にも適用する。この点が違うけど、単なる視点の違いなので用語の問題ともいえます。方や白衣、方やローブです。机が祭壇になり、実験器具が四大武器になる。あとはイメージ操作の違いだけ。


うーん、祭壇とは何かって?目の前に展開した大地の表現、箱庭。意識の台座。定義した心の形。分離・分割したもの。供物を捧げる場所、祝うための場所。心との対話の場所。意識の机。すなわち、Altar。心の視座。

困ったときは辞書頼み。多くの主張はビジネスや立場による影響があるからバイアスが少ない解釈を参照するためのもの。勿論、複数あったほうが好ましいの。

バイアスのない意見や主張は難しい。だからどんなにクリーンな意見でもバイアスが入ってることを意識してる。それは大抵は個人的な限られた経験による見落としからなる。それゆえに複数の信頼できるソースを参照する。それすらもバイアスはあるけれどないよりはまし
だから。

だからマルクトはいつもまだら模様。いろんな意見があって混じってしまってるの。それぞれがたとえクリーンだとしても個人的主観によって分割されてる。それがいろいろと混じってしまうとグレーになる。そういう場所だから。

儀式的に何かするのって心理的になにかするわけだから、その前に物理的に対処する癖は必要だと思う。普通の医療行為しないでヒーリングを行うというのとまったく同じことだから。

ヘルメース的には上のごとく下も然りなので心理的状況を物理的に実現しないと意味がないの。

まあ、あれ。霊能者的に言うと「さまよえる霊を適切な場所に導く」というもの。その経路が感情だったり物理的なものだった利するので、適切なとこに落とすというわけ。

霊と言うものの正体がたとえ不明で何なのかわかんなくても、感情を経路にするというのはわかりやすい話。交霊術もそういう発想だから。

原因になってるものが本当は何かわかんなくてもその経路について工夫すると何かがきちんと起こる。電気などもそうなのだけど、科学だっていまだにそうなのです。

第三者的に証明できないものは個人的なものだから、正直に言うと「わかんないもの」としかいえない。個人的な信仰は別として。だからといって何もできないわけではないと思う。

儀式の本番ってお片づけのほうなの、正直にいうと。つまり、物理的に何かして動かないと何も起こんないから。
そうでないと気分が良かったね、おしまい。となるのです。原因は何も解決してないので一時しのぎにしかならない。
オカルトで重要なのは何を見たかやどのように解釈したかというのは二の次だと思うの。むしろ、見たものをそのままの存在であると思わず、またその確証がないということをいえる正直さだと思うの。そうでないのならそのひとの言うことは信頼に値しないとわたしは考えます。

タロットを簡単にするといろはカルタみたいなものになると思うの。それは文字だけのもの。象徴をふんだんに使うか、もしくは文字をひとつぽつんと描くかという究極の選択。どっちがいいかはお好み次第。

タロットはいうなれば絵本。それ自体がひとつのお話になってる。

一枚のタロットがそれだけで象徴の組み合わせで物語の骨子を描いてる。だから象徴を読み解くというのはあらすじを再構成するということなのです。

簡単に言うと、一枚のタロットだけで小説がかけちゃうのです。(^^;

だから、タロットはそのままで象徴で構成された物語のプロットであり、神話体系がそれに肉付けをしてくれるの。それゆえに神話を読み解かないとタロットはまったく面白くならない。

(私が小説書くなら一章一カードかな)

タロットがしばしばパスワーキングにつかわれるのはそういう理由。物語のプロットがその中に入ってるから、それをまず理解するのが先決なの。
それがタロット、神秘的な絵本。

パスワーキングのアクティブ・ワークというのはシナリオが先にかいてないから、タロットのシンボルだけで即興でプロットをくみ上げ、それにあわせて想像していくというやり方なのです。
だから最初に素材となる神話が頭の中にあって心に根付いていないと使えない。
ノウィッキさんの『閃く小径』というのはパッシブワークのシナリオ集と解説になってるので初心者向け。上級者にはそんなのいらないから即興で心の中にシナリオが生まれるのです。
シナリオをかくのではなくて「生まれる」と表現したのは勝手にそうなるから。正しく象徴を紐解いていれば自然とそれは出てくる、流れるようによどみなく。
わたしは象徴の解釈を苦労して考えた引っ張り出したりはしてないの、いつも。それは勝手に出てくるもので神話が教えてくれます。

何でもどこかに着地させないと問題が出るように思うの。手段が目的と化すのが趣味だから、その手段を野放しに膨らませるといつかは破綻する。だからオカルトだって日常に役立てる文化に流れた。わたしの場合だと食べることに接地させてる。料理趣味ってそういうことだから。

接地する対象は本当に容量(懐)が大きいほうが良い。そうすれば接地抵抗が少ないから力はどんどん吸収されて中空に彷徨ったりしない。それは普遍的でもっとも日常的で当たり前なものがいいと思う。そのスキルを適用させるのに事欠かないほどに。

電気的な意味合いと同じ意味において、心のモヤモヤは漏電というの。接地が足りないからそうなる。それは接地容量がたりないことであり、抵抗が大きいこと。「太い線で最短で」懐の大きいものに接地します。そうするのがもっともよいからです。

電気的(物理的)お話と精神的なお話って殆ど同じなのです、コツという意味で。


(電気って霊的だよね。血液みたいに)


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
価格操作って印象の操作ですし、幻想の操作ということを理解するのは魔法使いの嗜み。モノには決まった価値があると思ってるのならそれこそお金も魔法も理解していないのです。では、おやすみなさい。

CRCとはクリスチャン・ローゼン・クロイツの略称のことです。キリスト教系文化の衰退から生じた仇花のひとつだけれど、キリスト教の神話が再び生命を取り戻すには一度死ぬ必要があると思ったのでしょう。それは形が一度失われなくてはならないからです。ゴミで汚れたら肉体を脱ぎ捨てるの。

形(アストラル体)が失われても人格神は黄金のテトとして(スピリチュアル体)はよみがえることが出来ます。これは何のことかというと、神話が廃れてしまってもその中に込められた骨子部分は人々が必要とすればいつでも心によみがえるという意味です。たとえ全盛期の神話の形を持っていなくてもです。

だからCRCのヴォールトはいつも空っぽなのです。それはアストラル体が既に分解された(人格神として存在していない)神話として表現されてる。それゆえに、違った形で人々の心によみがえるようにこのお話は企図されています。つまり、個人主義的な信仰の夜明けを意味しています。

棺の中身が空っぽというのはいつもそういう意味だとわたしは思うの。偶像として生まれ汚れてしまえばいつかそれは死なないといけないからです。太陽神という分類になる神様の多くがそういう性質を持っています。゜次の春にまた違った形で人々の心の中に芽吹くように。

人格神のアストラル体はいつも大衆によってその信仰の犠牲となり捧げられてる。それはつまり消費されてるのです。だから目減りして細くなればまた次に生まれないといけない。アストラル体は欲望の体のこと。それは人々の欲望のために捧げられたのだから。ということでCRCやジーザスのお話はおしまい

ひとはいつも誰かに「こんな人であってほしい」と自分の欲望を重ねるよね? アイドルであれば複数の、たくさんの人がその欲望を重ねてるの。これをアストラル体(欲望の体)といいます。そしてスキャンダルやそういうので汚れてくるとアイドルはこれを脱ぎ捨てるか何かします。

ですから、その偶像が既に亡くなってる人である場合はお話が少々厄介になります。作られてしまった偶像(アストラル体)が汚れてきたらお掃除するのが大変だからです。さらにこれが生存しなくなるようにするのも大変なこと。偶像それ自体は自分で死ぬことが出来ないからです。

こうやって専門用語をきちんと解説する人が少ないとお話がややこしくなるのです。本当はもっと簡単なことなのに。



ビナーのキングスケールはクリムゾン
キングスケールのケテルは光輝とあるけれど、クイーン、ナイトスケールは白い輝きとあらわすの。問題はページスケールのとき。これは最初のただの光輝が最後にどうなるのかを示してる。光輝を強くして点滅させると網膜に黄色いキラキラ斑点の残像が残ります。これがそれなのです。
わたしはこの図の中でプリンス、プリンセスと表記されたものをナイト、ページと言い換えたけど説明はいらないよね? タロットのコートカードのそれと同じことだから。

火星は異化作用だから出産にもね? マリア様がイブの日に金星として現れたなら、これから始まる陣痛と言うのは火星に当たるのです。金星が火星の影響下に入るとき、ドラマが起こるのです。

見方を変えれば出産は月経と同じなのです。両者とも火星の影響下にあって、金星が優勢なとき(妊娠中)は同化作用が優勢にあるので火星の機能(月経)は停止しています。だから出産はとまっていた月経が開始する一回目と数えてもいいの。これはオカルト上の分類ですが。

では、金星と火星の女性的機能について続けると、つきの影響とは何かという問題に思い当たるの。これは簡単に言うと、想像妊娠に想像月経のこと。他人の月の循環が自分にも影響してしまうというアレです。女子の集団にいるとよく体験することですが。

月の影響というのは常にイメージによる心理的影響のことです。これは身体への影響(フィジカル・エフエクト)を起こすけれど、大抵の場合は満月に向かうときイメージを制御しやすく、下限に移行すると制御しにくくなる。新月なら制御不能に陥るという例。必ずしも現代人は物理天体と同期しないけどね。

物理天体と身体に起こることを一緒にしないでもいいの。それは象徴的意味を持つから、同期してるか否かはあまり関係がない。大切なのは身体に起こってる変化について象徴的に理解することです。三日から一週間に及ぶヘカテーの期間は想像力の制御を行えないので疑心暗鬼になりやすいことだけ理解します

気配りが出来て優しい子ほど想像力が豊かだから、ヘカテーの期間に重いほど打ちのめされると思うの。だから気をつけてあげてほしいな。
月が強いのって感受性が高くて反射によって容易く相手の心を類推する能力のことだから、その感受性と想像力は制御下にないと心が打ちのめされるのです。肉体よりもそちらのほうが辛いと思うの。
だからそういうときは太陽の助けが必要になります。明晰な知性と理解力のこと。月が使い物にならないのなら、それが有効になるからです。
パートナーを相手に太陽神の召喚を必要とするとき、そういうことなのです。それとは逆に男性が月神降臨を必要とするときも同じこと。それぞれに得手不得手があるからです。
月の機能(感受性と想像力)がうまく働かないときは知性に頼るほかはなくなります。そういうことなのですけどね。(^^;
月による反射は「自分の心に照らし合わせて相手の気持ちを慮る」という意味なの。
太陽的知性は相手を知るのに状況判断によって類推することだから月の場合とは異なっています。外部からの認知ではなくて自分に照らし合わせてみるというのが月的感受性の使い方。この違いを理解していないとお互いに理解を深めるのは難しいと思います。
便宜上、オカルト用語を使ってはいますがそれぞれの習慣による心の使い方の違いを説明してるだけなのです。本当は難しいことではないのですけどね・・・。

前にも太陽と月の違いを説明したことあるのだけど、太陽はいわば相手のぬくもりを直接的に捉えること。だから、手の温かさをそのまま捉えようとします。一方で月の場合は手が離れて冷たさを感じたときに温もりを想い出すことでそれを感じることなの。だから月は反射が心に届くまでに少し時間がかかる。
それゆえに月影を観るというのはとても象徴的言葉の意味をもっています。それは影を見ることで本体を想像することだから、記憶像を思い出すことで直感像に変換されることをも意味するからです。
直感像の使い方はパスワーキングの入り口やタットワ、クリスタルゲージング、クレヤヴォヤンスでも使うので月と太陽として知られる心の使い方の違いの理解は最重要課題となります。

彼と逢ってるときよりもお家に帰ってデートのときの彼を思い出してるほうが遥かに長いというのであるなら、これはもう月子さんですね。(^^;
両性具有的? 太陽と月の象徴を足して、そこに十字架を加えてみればいいの。水星になるでしょう? 太陽的は男性的、月的なのは主に女性的資質のことを意味してるから(肉体に関係なく)水星はそのどちらも使いこなせると言う意味になります。だから両性具有的。
月と太陽の結婚というのはオカルト用語でいうところの心の使い方を両方できるようになることです。
だからヘルメースの学徒というのです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
個人差の大きい問題をあまり一般化して分類するのもどうかと思うのだけどね。何かを男女差に置き換えたり、人種で分けたり、占星術分類したり、子供や大人に分けたりするのはあくまで指標の一つでしかないから、あまり捉われすぎるとただの差別になってしまうの。

何かを分けることが知性的であるなどと思っていいるのなら、それはただの「安心の道具」にとりつかれた差別的な偏屈さんになってしまうの。そういうのは嫌かな? 心が頑なで恥ずかしいから。

分類とは何かを切り裂くための道具。それは一種のペーパーナイフみたいなもの。ペーパーナイフはよく切れるほうが確かに使いやすいの。但し、良く切れるということは安全に使うための工夫と心遣いを必要としてる。これはまさに知性というナイフのことだからです。

象徴を学ぶのはナイフを研ぐことによく似てるのです。だからこそ、わたしはときたまこういう警告を発します。ナイフを研げば研ぐだけ良く切れるようになるけれど、切れ味に陶酔してれば必ず怪我をするからなの。砥ぎあげたナイフはすぐに鞘にしまうのがいいのです。(^^)
これは実際にエアー・ダッガーを自分で研いでみればいいです。きっと、紙を切ったりいろいろして切れ味に夢中になるから、いつか必ず怪我をするでしょう。指を怪我したらわたしの述べたことが身にしみるようになります。

風の象徴はナイフで表されるから'GDでは)それには必ず鋭いエッジがついています。だから風の象徴で分類できるものは常に鋭いエッジを持っている道具なんだと意識することが必要なのです。そのためにエアー・ダッガーに慣れ親しみます。これが魔法の道具の理解そのものなのです。
「風を操るとき」ですから、エッジを向ける方向は常に自分へ。それは他人に切っ先を向けてはいけない。それゆえに他人を占うときは特に慎重になります。本来、分類を安全に用いるのは自分に対してだからです。

イメージして? 自分が誰かに向かって占いを行うとき、それは見えない「風の短剣」を相手に向かって振り回しているということを。だから使い方を誤れば相手をずたずたに切り裂いてしまいます。それは治療でもなんでもなくてただの暴力です。
短剣のお話はGDのカリキュラムだと2=9 Theoricusのことだから、まさに理論者が身に着けるべきもの。理屈を振り回すことが何を意味してるのか、ナイフから直接学ぶのです。それが出来ないと次の段階には進めないから。

ひとは(宇宙は)丸いケーキなのよ? 食べやすいように、どこから切り分けてもいいのだけどどこを起点として30度ずつに切り分けようと、15度ずつに切ったとしても元はまん丸なのです。それは食べやすいように(理解しやすいように)意図的に切ってるに過ぎない。これを忘れてはいけないと思う。
だから「あの人は四角い」「いや、三角じゃないのか?」みんなそういう風に理解してる。でも、本当は丸いから捉えどころがないものです。宇宙をそうやって好き勝手に切り分けることで理解し始めてる。でも、本当は丸いから微粒子すら残さずにすべてのピースが揃わなければ理解することはないと思うの。

ピースが欠けている場合はいつも不完全な理解だから、欠けた部分はいつも類推でしかない。その類推を理解したものに分類してはいけないの。知らないものは知らない、理解していないと意識していないと欠けたピースが落とし穴になってしまいます。

例としてとあるものが三角形ではないのかと言われてるとします。このとき、三角形の角度の合計は必ず180度になりますよね? だから、二つの角度がわかれば残りの角度は自ずとわかるでしょう。ところが、この段階ではまだ類推なのです。だって、それが本当に三角形なのかどうかどうやってわかるの?

この段階では類推でしかないからそれが「三角形だったとしたら」という前提でしか成り立たない。ところが三番目のピースが現実として発見されない限りはそれがどんな形をしてるのかは実はわかりません。計算が成り立つのは前提条件が正確だった場合に限るからです。

前提条件を信じ込むことの危険性について述べるために、誰でもわかり易い例えを用いたに過ぎません。純粋数学のお話でしたらほかのテーマに移ってしまいますよ?
線の二つがどこかで閉じているという前提をまずは疑いましょう。何故なら、有限世界というのはどこかで線が閉じていないと成り立たないからです。そしてその有限はどこから生まれたのでしょうか?
宇宙は膨張するって観測されてるのなら、それは本当に有限として線が閉じてるのかな? 本当に? もし閉じてるとしたら、有限はどこからやってきたの? 言い換えるのなら「存在世界」はどこからやってきたのでしょうか? 閉じてる世界ならばそれは成長しないからです。言い換えるのなら死んだ世界。
有限世界というのはそれを理解するために「便宜上有限として扱ってるもの」を意味するのだと思います。これが前提条件ですから、これを確定事項として扱わないでください。それはあくまで物を考えるときの前提でしかないのですから。
数字はただの道具です。それはとある仮定を証明するためにある道具でしかなくて、それが本当に正しいのなら寸分の狂いもあってはいけない。科学もより正確にはすべて仮定の上に成り立ってるもので便宜上「使えればいい」というものだから、突き詰めるとただの空理空論になるでしょうね。
だからいうの、そんなに頭がよろしいのなら結果をまずは出してください。お話はそれからです。
結果のない真実なんてどこかにあるの?
それはシャボン玉みたいにわたしにはみえるのです。神様のシャボン玉。ストローからでた泡がそのストローの口から放たれたとき世界は閉じたように見えるものです。でも、閉じた世界からするとその外側のことについては何もわからない。存在の次元からは否定的存在の世界って微小なストローにみえるの。
なぜって、閉じた世界からすれば意識して何かを考えることが出来る点はストローの口のところだけなのです。つまり、この世界と何かが接していた部分について思いを馳せることはできても、その全体については何もわからない。微小なストローと表現したのはイベントホライズンの中心点です。
この世界は本当に閉じてるのかな? まだ神様のストローに繋がってるのではなんてわたしは考えてます。それが見えないだけの話で、捉えようがないだけの話だと思うの。
これ、魔術カバラーのケテルの説明なんだけとね。

電気とは結局のところ何か? これについて電磁波の専門のわたしに説明してほしいかな?
わたしもわかんないのですから。(^^;
何かの前提を立てて、その仮説を証明する公式を生み出して、それを使って計算してある程度類推の通りに結果をだすことは出来るの。ところが、それについて正体を正確に掌握するとことはできない。少なくとも、わたしの専門についてもそんなのです。
だからわたしが理解してるのは「真実」は決まった形を持っていなくてこの世界には存在しない何かだということ。それがないと言ってるのではなくて、有限世界からは手が届かないのだから、それ自体を追い求めたりはしない。ただ利用させてもらうだけでいいのです。
なぜって、わたしは現象世界(存在する世界)に棲んでいるからで、否定的存在(仮に無と呼ばれるもの)には棲んでいないからです。それは神様の領域だからわたしにはわかりません。
科学はとても不思議なのよ? Aという説は正しいのにBという説は間違ってるというの。ところが、実際にはAもBも特定の条件下ではきちんと作用するのです。ということはAが正しくBが間違いというのは成り立たない。どちらも限定的であることが理解されます。千年経てばどちらもその先はわからない
強さも正しさも時間の前には移ろい行くもの。何か形があるものに一定不変などないと思うからです。だから他人を気にしなくていいと思う。そのとき必要なものを受け入れて利用するだけでいいから。「正しさ」にとらわれてしまうと恐らくは道に迷います。

「正しさ」ってただの標識ですからね。道が時間経過や環境変化によって変わってしまうこともあります。また、設置されてる標識が間違ってる可能性もあるの。だからいつも半信半疑でいいのです。
たどり着ければなんでもいいの、わたしは。標識の正しさについてあれこれとは考えない。だって、わたしは標識マニアではないのだから。
標識これくしょん。標これ。それは何か正しさにこだわるひとのこと。
自分の旗を立てたらいいのです。他人の旗には拠らずに。そうすれば何も心配はなくなるからです。自分の基準によらず他人の基準を意識しすぎるからお話がややこしくなるの。重力の説明を受けなくても、ニュートンさんがいなくてもわたしは自分の足でいま立ってるのですから。
なんかね、重力の説明をうけてそれが万有引力が働くことを証明されなければ、いま自分が地面に足をつけてることさへ信じられないという人が多くて残念に思うのです。そんな説明なくても足元を意識するだけでいいのに。
当たり前と考えた時点で観察と思考をやめてしまうからです。当たり前であることはこの世界になくてみんな奇跡だということに気づいたのなら、もっと身の回りのことに集中するでしょうね。遥かかなたの世界よりも足元に注意が向くからです。
運気という言い方をする人は多いけど、わたしはそういうふうには考えないの。身の回りの些細なことに興味がなくなってその結果集中力を欠いてしまう。そうすると不注意から失敗が多くなってもそれに気づかないのです。幸福であることに鈍感になるのを運気が遠のくと表現するからです。


聴いて? あなたは自分をひとつの生命だと思ってる? 自分を構成する細胞がいくつあると考えてる? それらの生命には意志がないと本当に思ってるの? だとしたらその細胞のすべてを自分の意志で動かしてみるといいのです。出来ないのなら自分は彼らの代表でしかないことを理解するでしょう。
自分の体の細胞の隅々に語りかけるのは自分の国民に語りかけるのと同じことだからです。自分はその代表であり、声なき声を聴く義務があります。そうでないのならただの暴君と呼ばれるでしょう。

全身全霊をこめてあなたの神様を愛せばいいんじゃないかしら? ここで神様と呼んでるのは森羅万象にして自然のことだから、言い換えると「あらゆる可能性」のことなの。僅かでも解った振りをしないで連続的にその疑問を自分の内側に向かって問い続けること、一時間でも二時間でも途切れることなく。
神様に祈ることは、わたしにとっては「自然に対して疑問を連続的に問い続けること」だから、解ったふりをして満足したらそこで神様は席を立つのです。だって、不義理を働いたことになるから。
全身全霊でかみさまと対話してるときは知識を誰かに自慢したり、自尊心が満たされること自体がそもそも発生しないのです。そもそも、自意識が消失してるから自分の疑問とそれへの回答の声しか意識にないの。感動すら忘れてる状態で興味がその一点に集中することです。
ですから「識ること」以外に僅かでも心が揺れたらやり直したほうがいいです。占いもそうなんだけど、何か自分の自尊心をくすぐる感覚が生じたら恐らくは不完全な答えか若しくは間違ったものにすり替わってると思われるからです。
神様との対話で得ようとしてるのは「深い安心」と「納得」だから、自意識は関与しないのです。もし自意識が関与してるのならそこには自尊心をくすぐるようなものが紛れ込んでいます。それは自分で造りだしたものだから神様のものではありません。それを区別してくださいね。


―――――

お読みくださり感謝の極み!
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