読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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魔道図書館の倉庫 

随時追加改変更新中  


おねショタおじさん ‏@douteimaturi
すべては言葉です 突き詰めて考えられないというのは人間をやめて、犬猫以下の畜生になる事だ と、私の亡くなった母がよく言ってました なので、最低でも言葉で突き詰めて考えられない、考えない連中は畜生以下なわけでその畜生以下が社会を握っているので畜生以下の自然状態になるのは必然なのです

高級娼婦というのは肉体だけではなく、教養が必須でして大概の道がつくものや論語などをそらんじる事が出来たと言われています が、現代の日本の高級娼婦というのは道がつくもの自体が偽伝統に犯されているので西洋哲学は知っていても東洋的なものは認識できないでしょう

また、本を濫読しても意味はありません 本当に重要な本は何回も読まれますし、暗記するのです だから、イスラーム法学者がクルアーンや伝承を暗記してはそらんじ ユダヤの法学者はタルムードをそらんじ 儒学者が論語などをそらんじるのは必要だからであり、本は読み込むものであるという事です






12歳からはじめる ゼロからのC言語 ゲームプログラミング教室((単行本(ソフトカバー)))
大槻有一郎 (著)

カート・セリグマン 『魔法―その歴史と正体』






Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 10月31日
論理的にお話が繋がっていない場合は、とある場所から紐が先へ繋がっていないからとりあえず質問するのがいいかも? 紐の先が繋がってないことを隠すのならやめたほうがいいです。それを明確にしてるのならまだお話を聴く価値はあるかも?
都合が悪い場合、後ろめたさから普通は隠したいところは隠す。でも、そうでない場合はそれを説明するでしょうね。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 1月12日

厳しく識別する能力がないと情報の海の中で溺れてしまうの。そういう意味ではアストラルジャンキーになりやすいのと同じこと、インターネットというのは。そういう意味ではネット左翼やネット右翼とよばれてる人たちは妄想世界の犠牲者ともいえるのでしょうね。その両極端は現実にはないのだから。

もっと簡単にいうと、ネットの情報というのは霊界から受け取った情報と同一視していいくらいなのです。ほとんど眉唾の可能性が高いと思うくらいでちょうどいい。それゆえに自己検証できないのならふたを閉じるほうがよいと思う。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 1月13日

女性的変化というのは月単位の変化と土星的変化だから土星の周回周期によるもの。それによって約29.5年という長周期性と約27日という短周期を持つ。ほかにも火星や金星などの周期性が複雑に折り重なる。男性的周期性は太陽に依存するので日単位と分点の単位。太陽は恒星だから本質は変化しない。

もちろん、太陽周期には約11年というのがありますけどね、SSNが極大になると地磁気が強く影響されるから。
電波関係をやってないと磁気嵐やそういうのに目が向かないと思うけど。





ただ、そこまでいったら天文と科学の世界だからそのまま科学やるのがいいような気がしてる。
天体の影響が人体に対してまったくないとは言い切れないのだけど、その一方で各天体の影響は恐らくは微々たる物と予測される。もうひとつの視点は、その微々たる影響が太陽系以遠まで含んだ場合はそれこそ予測不能になる。あまりにも計算すべき要素が多すぎるのできりがないのです。

それだからわたしは天体の心に対する物理的影響を考慮しない。それよりも実生活における影響(目視による観察と神話的影響)のほうを重要視します。物理的な影響がないとは断言できないけど、現実的に見て神話の文化的影響のほうが大きいと見てるからです。

物理天体を占星術上でわたしがあまり考慮してないというのはこういうの。それは砂浜の砂みたいなものだから、全体としての影響は多大だとしても砂の一つ一つまで計算するわけにも行かない。それをするのなら少なくともスパソコンで地球のシミュレーションをするのと同等以上の分析をすることになるから


そういう意味では天気予報もまだ科学を使った占いだと思うのです。
天気予報って要するにパーセンテージであらわすだけで何も断言はしていない。ということは、答えを出してるのではなくてただ可能性の大小だけを示してる。それでもないよりはマシなのだけど、最終的に可能性の話になった場合は占断はできなくなるでしょうね。
天気予報って要するにパーセンテージであらわすだけで何も断言はしていない。ということは、答えを出してるのではなくてただ可能性の大小だけを示してる。それでもないよりはマシなのだけど、最終的に可能性の話になった場合は占断はできなくなるでしょうね。
では、天気予報の降水確率とは何かというのは科学的な裏づけのこと。そして占いといえる部分はここで、「傘をもっていくほうがいいですよ」という部分です。「雨が振らないかもしれないけどそうしたほうがいいですよ」という部分が占断なのです。
このように分解してみると、裏づけがあってもなくても最終的には何かをお勧めしようとしてるの。誰も未来のことは断言できないから、何らかの裏づけで納得させようとしてるのです。



現代人の多くは科学を信仰してるから、納得できる裏づけとして科学が用いられてる。でも、未来は実のところ誰も判らないから本当は信じられる裏づけならば何でもいいといえるのでしょうね。
当たりすぎる占いって怖いと思う。それは結果を占いの理屈に無理に関連付けて思考停止させるまやかしを使ってるとわたしは見るからです。100%の可能性というのは奇跡のことであり、神様しか使えないものですから。
占い師の立場を思えば当たっても当たらなくてもその結果には責任をもてませんからね。誰も責任が取れないことをあえて言おうとしてる立場ですから、その背景には神秘的なもの、神仏などと呼ばれる何かを置いてます。クライアントはその神秘的なものを信じることを通して決断を受け入れようとしてる。
背景にあるものが科学であっても神様であっても、その結果には一切責任をもてないのは道理だと思うの。だから、それが科学であろうとオカルトであろうと、結果はすべて本人の責任によらなくてはならず、何かをあえて言う側もその様に教えるのが誠実なんじゃないかなと思うのです。
ほかの誰も本人が下した判断に責任をもてないから、自分を信じる方法を教えるという考え方です。つまり、占いで大切なのは自主性を引き出すやり取りなんじゃないかなと思う。
不安に陥って迷ってる人にとってはいくら有力な根拠を集めても(それが科学であれオカルトであれ)結局は決断を下す勇気がないのだと思うの。だから、それを導くだけで占い師の役割は全うしてると思う。そういう占い師さんならば。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 1月13日

中二病といわれる状態についていくつか考えたことがあるの。わたしが思うに、目の前のことから妄想へと逃げ続けた結果、普通に生きてれば気づくであろうことについても気づくのが遅れてしまったのだと思う。本当は「当たり前とされてること」をそうやって一つ一つ気づいていくはずなのにね。
「当たり前」はそんなに簡単じゃないから。自分の中できちんと納得できるようになるまでは。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 1月14日

浄化と聖別? 例えば、プレゼントにする品物を買ってきて値札などをはがして金銭や既製品という価値を取り去るの、これが浄化。そして新しい価値を付与するためにラッピングなどを工夫して感謝という価値を籠めるのが聖別。案外みんなが普通にしてることなのです。

生きてる感じがしないのって忙しくて物事の表層ばかり見てみんな流れ作業になってるからじゃないかしら? 魔術作業ってその点では物事の内面を見つめるためにとても素朴で単調なことを細かく分解することで気づきを得ることだから、ただのリラクゼーションと呼吸だけでもいいのです。



大事なのはいつもその単調な作業を細かく観察すること。たったの五分間でもいいから、呼吸すること、身体の緊張や弛緩の状態についてよく眺めることにつきます。意識の時間がね、現実の速度とあわなくなってるのです。だから最悪、呼吸法だけでもいいの。
忙しいと意識が身体の動きに対して上滑りするようになるのです。これが心身の非同調(非同期)状態だから、これを直すためにリラクゼーションと呼吸法を使います。呼吸について、身体について細かく意識するとこの非同期状態を改善できるのです。



自動車や自転車で言えば、忙しいのってつまりあれ。ギアをハイにしたままで回転数だけ上がった状態のことです。だからギアをローに戻すために呼吸で調整します。ハイギアだとトルクがかからないでしょ? それがいくら漕いでも力がかからない感じがするのです。
坂道を自転車で上ろうとしたら普通はギアを上げ気味にすると思うの。だって、トルクがとても重くなるから。だけど、坂から降りてきて平坦な道に戻ったときにギアが上がっている状態なら漕いでもトルクがかからないから無駄に漕いでしまう。気づくとなかなか進まない状態。これをなんとかするのです。
それゆえに動作の開始と終了には注意をはらいます。それは身体と呼吸への意識化のことで、魔術師がまさにやろうとしてることと同じなのです。
思考の速度は身体から意識が離れた状態ほど早くなるから、作業が終わったら意識を肉体に戻さないといけないの。身振り足踏みというのはそういうことで、それを怠ると心と身体の非同期が起こって身体を壊します。肉体から意識が離れてるから気づくものも気づかなくなる。

運動でも心と身体が非同期だと筋をちがえたりします。首をひねったり足をひねったりと痛い痛い。だからね? 意識と肉体の同期化をするためにリラクゼーションや呼吸法を熟練するのです。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2017年1月14日

昨日、玄関の横にかけておいたベージュのコートを三女が暗くなってから目撃してゴーストさんと間違えてひどくおびえてた。翌朝になってなんか変だなと思ったらそういうことが発覚して、見間違えを違うものに転化させるのにちょっと苦労してた。そのまま消すのって難しいからほかのものに変化させるの。
見間違いだろうとなんだろうと、一度怖いものと認識してしまえばそれを取り去ってもあまり解決にならない。幽霊さんを作ってるのは見てるほうの人間の心の問題が多いから、それが認識されてしまうともはやそれがいるかいないかは関係ないんだもの。
だからね? 子供が怖いものを見たときに「そんなものは存在しないよ」というのはナンセンスなの。怖いものは怖いわけで、怖い原因を作った心の問題を何とかしないと解決なんてしないのですから。
大人の理屈ってさ、心を誤魔化すために使うことが多くて、それは日常の中で常識となってることでさへも納得するために無理やりごまかす方便にもよく使われてる。「理由」というのはそういうものだから、結局のところ実感して納得しないことには解決はされない。だから解決には素直さが最初に必要なの。
認識を変えるためのイメージ操作。魔術の本質はまさにこれなのだけど、多くの人が思うよりも効果的なのです。認識がそのひとの世界観を作ってるのですから。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2017年1月15日

魔が差すというのは視野狭窄による錯視によるもの。文字通りでもあるし、心理的なものでもある。僅かな可能性も心のどこかにおいておいて適度に油断しないのなら魔は差さない。集中すれば視野は狭まるから、集中を解くその瞬間にそれは起こる。だから弛緩して休むときはゆっくりと意識して。
それはこういうことなの。自分が見ている方向は意識してる方向。魔がいるのは見ていない部分、見えていない部分だから視野から外れてる境界線にある。そこには本当は何もないのだけど、意識がこの「明暗差」について僅かな警戒心をいつももってる。その恐怖を意識して制御できないと魔が浮き上がる。
恐怖心っていつも想像すらできないものに抱くものではなくて、「想像が及ばないまでも何か認識の中に入ってきそうなもの」におびえるのです。この境界線の住人についてはいろいろと昔から言われてる。それをうまく利用するのがホラー映画なのです。ヒッチコック作品とかみてみて?
認識より僅か外れたものに人は恐怖を覚える。だから、柱の影に何か隠れてるのに正体がぜんぜんわからないものだと、その影に集中して怯えます。このとき、その正体がなんであってもかまわない。その影は無限に想像力を掻き立てるから正体がずっと判らないほうがホラーなのです。
認識の範囲を広げると影はなくなるから恐怖心による無意識的な苦手意識も克服されます。これを魔を殺すというのです。意識の拡大、光の奔流のこと。
みえそうでみえないものにみんな怯えるの。大抵はいつもそうだから迂回して眺めてみるとそんなことはない。恐怖心を克服するのってそうやるのです。
急がば回れというように。
境界線の住人というのは認識してる範囲と認識していない範囲の、意識の境界線にいる存在のこと。それは「柱の影」のことであり、追いかけても逃げていく。実態がないのだから追いかけてもいないのです。遮光霊ともいいますけどね。
心の不思議な仕組みは、オカルトの中でたくさん利用されてるけど、結局のところ利用する側としてはそれを文字通りなどとは捉えない。用語としてそれを説明するのに適切だから「遮光霊」などという言い方をしますけどね。
霊は「視界の隅」にいつも生まれるの。そしてそれが退去するのも「視界の隅」に他ならない。認識外に消えるのではなくて、認識内と認識外の境界線の部分が入り口になってる。言い換えるのなら鏡の中に入るのではなくて、鏡の中と外の境界線が出入り口なのです。だから水溜りでも何でもいいの。
境界線って無限小の空間のことだから、つまり虚数空間のこと。存在しないのだけど架空の形として存在するもの。何かの現象を説明するのに現れた形のこと。もしくは生み出した形。
無を説明するのには想像力が必要なのです。それが心の機能だと思う。
無に意識するほど想像力がそれを広げようとします。無、無限、無限の光。それだから無限の光から無限の闇も生まれる。闇のほうは本当は存在しないのに無限の光の相対物として設置されるの、心の空間に。


試せば判るけど、無心になろうとするほどに妄想でいっぱいになります。それがひとの心だからしかたない。だって「無」を想定すること自体で存在が開始するようにできてるんだから。
忘我というのは心がからっぽになるのではなくていっぱいに満たされることを意味してる。それで充足することを意味してる。完全にからっぽなのはこの宇宙のどこを探してもないのです。

虚数なんてないさ~♪ 虚数なんて嘘さ♪まあ、そうなんだけどね。お化けも虚数も人が想定したものだけど、想定してイメージできるのなら少なくとも人の心の中には存在してるの、自然の中にはないだけで。これが悪魔は存在しないとしながらもエクソシズムが存在する意義。心の問題は放置できないから。

お化けは存在しないと言い切ることは簡単なのだけど、それを見てしまった人にとってはそれはその人の経験となる。つまり、少なくともその人の心の中には存在するものに変わりはない。実数を証明するのに必要なら虚数を想定するのは無理もないこと。だからといってこれを混同してはいけないと思う。
だからわたしも悪魔はいないとする。ただ、人の心の中にはいるけど。より正確には人の心がそれを生み出す。
科学は人の想像力を明らかに過小評価しすぎてるし、オカルトは人の想像力を妄信しすぎてるように思うの。現実と区別できないほどに。

物事が象徴化していく心の状態というのは、端的に言うと「細かなことが気になりだす」ことを意味しているの。細かいことを気になりだすと、いろいろなことが「天使の助け」だったり「守護霊の影響」など、何らかの不可知の存在の影響と看做すようになる。

(highants ‏@highants_game 7 時間7 時間前
@Ripple1975 一連のツイート、願ったり叶ったりで大変ためになりました。ありがとうございます。魔が差すのが自分だけでなく他人やその場全体に影響が及ぶ場合も、自分の認識の視野狭窄に起因しているものと考えればよろしいでしょうか?


Angeliqua@安眠中
‏@Ripple1975
@highants_game 概ねその通りだと思います。切っ掛けは焦燥や恐怖心が伝染するものであること、そして共通の世界観を持ってる人たちには特に共通のイメージを作りやすいのです。そのため、物事が象徴化して認識されだすと似たような幻想にとらわれるようになります。

不可知の何かの影響というのはあながち間違いではないのだけど、物事が象徴化されて抱いて投影したイメージは「解釈によるもの」であって「自然そのものではない」のです。自然は人間の都合によって姿をかえるだけであり、何か特別な決まった形を持たないからです。
だから何かわからないものにたいして、ある人はUFOだといったりある人は悪霊だといったりします。けれどそれらのイメージは偽りの形であり、人が投影したもの。何か決まったものを投影しないと人はその実態を何らかの形で認識できないからです。


直感像というのは分析すると消えちゃうものです。もし消えないとすればそれは物理的に存在してるか、もしくは心が強くそれに引っ張られてるために知性の機能が正しく働いていない証拠だと考えています。この分析とイメージの特性をうまく利用するのが退去儀式だからなの。
だから子供が怖いものを見てしまったときによくやるのは、それを詳しく説明させることです。そのままだとイメージが強化されてしまうけれど、それが錯覚によるものであることを気づかせるために、分析したイメージを組み替えてしまいます。
簡単に言うと、幻覚は何らかの心理的な状況を説明するために「偶然にも」パズルが組み合わさってしまったものをいうの。そのイメージが心理的状況の根拠であるかのように振舞うから、その根拠となってる鍵を解いて分解するのです。
これは偶然に見つけたイメージ「そうみえるもの」が観念連合によって結びついてしまったものです。それゆえに、その結び目を解くのにちょっと魔術的なことをするわけです。
思い込みがそのひとの心の支えになるとしたら、その「霊」はそのままにしておくのが得策だと思う。それが何であれ、彼の(彼女の)心に良い影響を与えているうちは。ただし、悪い影響になった場合は退去する必要があります。

ひとつのイメージって「なんにでもみえる」のだけど、怖い気持ちがこれと結びついたら怖いものとして解釈されます。だからね? 子供を後ろから抱きしめながらこういえばいいのです。「あれはウサギさんにも見えるよね?」そうやって複数に見えるものに変化させて問題ないイメージに落ち着かせるのです
(おねショタおじさんと同じ対処法!弱くてかわいい自分で扱える存在にイメージすればその通りになる!)

心理的状況がイメージを創出してるのだから、子供の心理的状況を好転させることに重きをおきます。だから背後から包むように抱きしめるの。後ろは見えないから無意識的に恐怖心を抱く。その状況でものがはっきりと見えない位に照明を落とし、安心させながらイメージ遊びでそれをモーフィングするの。
(名前を付けるとはっきりするよ)

このとき、力強い言い切り形式であたかも悪霊を扱うように行います。悪霊さんを貶さずに、しかも断固とした態度で帰っていただくようにいいます。
悪霊退去のときに神様を持ち出す理由はとても簡単です。神様は絶対存在だから「どうして帰らないといけないの?」という悪霊の問いに問答無用で答えるためです。対象としてる子が神様を信じていないのなら、ほかに適当な絶対存在を持ち出せばいい。それを根拠として退去すればいいのです。
「故に、我●●(戦隊ヒーローの名前)の御名によりて汝を退去せん!」でもいいのです。根拠とするのはその子が信じてる絶対存在になればいいのですから。(^^;

絶対存在というのはワイルドカードだからトランプで言うとジョーカー。神様を信じてる人にとってはその名前を使えばいいし、ほかの何かを信じてるのならその名前を使えばいい。ただし、みだりにその名前を口にしないことです。本当に大切なときにその根拠となる名前を使えなくなるのですから。

魔術技法は何か目的があって行うものだから、興味本位で手を出すようなものではないと思うの。霊とか悪霊、天使的存在であってもその正体が実際に何であるのかはわたしにも判りません。また、それを証明することもできない。なぜなら個人的経験によるものだからです。

個人的経験はあるかないかは問題にしてないの。問題は、何か心の問題が生じていたとき、それをいかにして改善して普通の生活に戻るかということだから、その手段が何であれ問題はない。有効ならば西洋医学でも心理学でも、占いでも、またスポーツであっても使います。本当にそれが有効ならば。
神様や天使、悪魔などはわたしにとってはすべて作業仮説なのです。それが実際に何であるかは判らなくても、一種の代数のように扱っています。その人にとってそれがそのように見えているのなら、その通りなのでしょう。問題はそれによって心が問題を起こしてるときにいかに対処するかなのですから。

(カラパイア ‏@karapaia 3時間3時間前

カラパイア : 神に近づくには地下深く潜るべし。地下につくられた世界10の宗教的・歴史的建造物 http://karapaia.com/archives/52232250.html …)

神に近づく方法としてそれが正しいかどうかはわからないけど、火星を目指すよりは海洋探査をしたほうがいいとは思ってるの。
地球のこともまだよくわかんないのに宇宙を目指しても・・・ね?
スペースシャトルや衛星軌道のコロニーよりも海洋探査船のほうがずっと興味津々のわたしです。
地底人とか宇宙人とかいわなくても、身の回りに驚くべき発見はいくらでも落ちてるんですけどね・・・。そういうのも見つけられないような感受性にはなりたくないかな?
いまのオカルトって多感だからではなくて、科学知識によって麻痺してるんだと思うの。何でも通りいっぺんの説明によって理解した気になってるからそれがどのくらいすごいことなのかを理解せず、また実感もしていない。
だからより突拍子もなくてサイケデリックな発想に飛びつこうとしてる。
感受性が強いのって花びらがひとひら落ちただけでも涙を流すようなことをいうのですから、そういうことを経験したことがないのなら霊感が育つのはありえないと思うの。
小さなことにも感動できない心の状態が、果たして霊的なもの感じることができるのかしら?

物事がややこしくなるほど行動を単純にする。そうすると大抵は解決するから。

人格神は信じていない人にはいないのも同じこと。だからどうするかというと非人格神を最初に見るの。見続けてずっと祈る。それは卵みたいなもので、聖母の体内に宿るもの。キリストのレトリックというのはそういうものであり、人の心の中に生まれるからです。人格神は心の中に生まれてくるの。
だからこそ、信じようとしてもそこにはいない。だって、まだ心の中、その胎内に宿ってはいないからです。
聖母の胎内という比ゆはそのまま聖書に書かれている通りのこと。そして魔術的に言うとネシャマーに宿るシェキナーのこと。シェキナー体験をもって魂に宿り生まれてくるのがキリスト(人格神)というわけです。
0:00 - 2017年1月16日
本当は信仰告白っていうのはキリストが(心の中に)生まれたときにいうものだと思うのです。だから人格神というのは生まれてきていないのならまだこれを祝うことができないの。ガブリエルの祝福というのは信仰が生じるときの先触れなのです。

まだ生まれてないものを愛しようがないよね? そういうことなの。
わたしもそれが生じるまではこんなことを説明することすらできなかった。実際に想像すらしていなかったから。だからこそ、魔術とは形式的で技術的な問題だと認識していたの。でも、いまとなってはそれはあまりにも浅はか過ぎたと思ってる。


信仰は内側から自ずと生じてくるものだから誰の助けも借りられない。言い換えると誰もわたしを「西洋の神秘的伝統」には参入させられないのです。それがどんな達人であっても不可能なことだから、ただ目の前で意味不明な術式を行ってそれをわたしは眺めるだけ。胸のお花は自ら咲くの。
何光年も先に思いをはせるよりも足元の石ころに注意を向けます。エクスカリバーだってお家からでたらいきなり目の前に突き刺さってるの。
月のウサギさんを思い浮かべても火星にいるかもしれないと想像してる火星人を思っても仕方ないのです。ひとつだけいえるのは、火星人がいたとして、彼らが足をつけてるのは母星の大地です。だから、わたしたちも母星の大地に思いをはせます。上のごとく下も然り。
アウリエルというのは足元への信頼のこと。この世界に信頼を寄せなければ上の世界で安全なわけはないのですから。
いま足元に神様を見出せないのなら、宇宙のどこを探しても見つからないでしょう。無限存在ということは、いま目の前にも存在してるという意味だからです。






DADaaa ‏@DADA__official 2015年2月24日

昔飼ってたネコが病気になり獣医さんに「薬殺しかない」と言われたが疑問に思い他の獣医さんに見せたら「この子の大好物はなんですかっ⁉︎」「かぼちゃの煮っころがしです‼︎」「すぐ台所で作りましょう!」脈拍も弱ってたがムックリ起き上がり、かぼちゃをむさぼるネコ脈拍安定、という教訓が。。



黄皇大栄 ‏@ououdaiei 2016年10月28日

勝手におすすめ中国の政治思想書とか。ほとんど抄訳しか読んでないけど。1・晏子春秋 http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/ansi.html  2・管子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E5%AD%90 …  3・孫子 4・諸葛亮兵書 将苑・便宜十六策 http://www.geocities.jp/fukura1234/koumei/syouen.htm …



ガチャのシステムはパチスロ=ギャンブルと同じで、依存症を起こさせて儲ける非人道的システム
本人が幸せならOKとか心の問題とか全部詭弁だからね。
その本人の行動が周りに影響するから本人だけの問題じゃないよね。
死人出ているんだけど?




1%の確率で師匠が出るとしよう。 100回ガチャれば必ず1枚師匠が出ると 仮定する。 で君は99回しかガチャ出来る金が 無いとしよう。 小賢しい運営は100枚目に師匠を 置く。 結果、師匠なしで確率は1%。OK?
で、小賢しい運営が「師匠ピックアップ」 というイベントを開催する。
君はいつも通り99回しかガチャ出来ない。 今度は運営が50枚目に師匠を置く。 すると今回は君は「50連目で出た! ピックアップ仕事してる!確率は 倍になってるぅ♡」と歓喜する。 だけど確率は1%のまま。OK?
今度は君は10回ガチャする度に もう10回分課金するユーザーと 仮定しよう。 すると小賢しい運営は今度は11枚目に 師匠を置く。 君は当然10回しか引けないから 爆死する。 確率は1%のままね。OK?

怒った君は「次なら来るだろう!」 ともう10回分課金した。 今度は小賢しい運営は師匠を10枚 後ろにズラす。21枚目に師匠を置く。 君は20連目も爆死するw だけど確率は表記通り1%のままww OK?wwww
毎月10万課金する客Aさんがいたと しよう。で、このAさんは去年の正月は 60万課金した実績データがあったとする。 さて、ここで知恵が必要だ! 小賢しい運営さんは今年の正月 ピックアップのAさんのテーブルの 何枚目に師匠を置くでしょうか?ww
因みに101番目が1番目に戻せると したらどーかなぁ? だけど番地は100個しか無いから確率は 常に1%のままw 師匠との距離は縮まらないまま、 無限に追い掛けっこww 本当は移動した分、分母が増えるから 1%じゃないんだけどね。 イカサマに気付かなければ1%のまま ってとこがミソね。#FateGO #FGO

ぐだトマト ‏@pteras14 2016年7月1日
……。 元k○ab社員から聞いた話だけど DWが必ず同じ仕組みを取ってる とは言わないけど、基本課金すれば する程出にくくなる仕組みになってる らしい 後、リアル個人情報入れるタイプだと 若い女性の方がレアが出やすいとか そーゆーのがあるらしい 女性の方が出やすいのはスケ○心 からじゃなくて、女性は最初から ハズレが出ると直ぐゲームを辞めて 他のゲームに乗り換える確率が高い という統計データがあるから、ね♡ #FateGO #FGO

ぐだトマト ‏@pteras14 2016年10月27日
ベイズ統計の入門本1〜2冊やったら 直接ぢ〜ぷら〜にんに入っちゃって 良いと思うよ。ソースコード写経し ながら勉強した方が効率良いと思うし。 ビショップ本とフレームワーク系は 最後に後回しでおk。
ぢ〜ぷら〜にんのためにベイズ統計 勉強し始めたけど、これ恐ろしい理論 だな。元々ベイズっていう牧師が 考えた理論だからベイズ統計っていう んだけど、これは所謂ヤハウェ君の 存在を数学/確率論的に証明しよう! って試みだ。

ベイズ統計のまだ触りの部分しか やってないけど、ある状態Bが起こる 確率が存在する時、直接Bが起こるの ではなく複数の確率A1、A2、A3の 複合が結果的にBの確率に終結する場合 A1

ベイズ統計に哲学は要らないとかいう ツイート多いけど、元々プロテスタント の牧師の提唱した理論なんだから、 神学と切っても離せない関係だと 思うけどね。 百歩譲ってラプラスをご先祖様としても 奴も宗教家みたいなもんだと思うけど。



ぐだトマト ‏@pteras14 2016年7月28日
ちなみにベルセルクの神云々は 統計学で言う「真の母平均」。 「検定・推定」使わないとその 存在自体がそもそも怪しい数遊びの 妄執ね。






閉店です ‏@lakudagoya 2015年10月1日

フェイド大帝おすすめの「インド宇宙論大全」は凄くいい本だ。この人インドのみならずアーリア系の言語や神話に詳しい。ギリシャ語のアンゲロス(天使)の語源がインドの火の神アンギラスなのはやられた!コーランには天使は火から作られたとあるのよね。アーリアの陰謀やべぇ!

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 9月17日
フェイド大帝が調べたところ、 旧ナチスのハウスホーファーの 「緑龍会」はどーも誤訳らしい。 実は正しくは「青龍会」くさい。 青と緑を間違えたんだね。

これの何が重要かと言うと、 旧ナチスとチベットの関係。 チベットのオカルトと言えば チベット密教。 日本で密教と言えば空海の 真言密教。天台宗の台密。

で、この空海が密教を習った 唐(中国)の寺の名前が、 「青龍寺」

(緑龍会=真言密教の一派ならあって当然ですね。「龍」からして東洋系)


フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 7月29日
奈良の大仏時代の菩提僊那という バラモン僧が重要そう。 コイツが華厳経とインド呪術を 日本に齎したらしい。

聖武の娘の孝謙天皇という 女の天皇がかなり怪しい。 こいつは重祚して称徳天皇、所謂 道鏡事件の時の天皇。 この女の怪しい所は、自分に反抗した 連中に呪いのあだ名を付けたり、 百万塔陀羅尼みたいな密教系の呪術が 大好き
な所。

陀羅尼ってのはいわゆる「真言」って やつなんだ。 マントラってやつね。 だけど密教系は空海の遣唐使帰還後に 入ってくるはずなんだ。 孝謙の寵愛してた道鏡は法相宗。 西遊記の三蔵法師の玄奘が興した やつで、これはガチ哲学系なんだ。 呪術とかやらない。

となると孝謙がどこでタントラ仏教呪術 を学んだかが肝になって来るんだが、 そこで怪しいのが菩提僊那
という事に なってくる。 菩提僊那の持って来た華厳経ってのは 一番カバラ思想に近くて、ネオプラトニズム に近い教義なんだ。 成立時期もカバラと重なる。

しかも孝謙は法華寺という寺と 関係あるし、母親は藤原家の光明子。 名前もイルミちっくだろう?w 法華経の天台宗と華厳経の華厳宗ってのは セットの仏教だから(本場の中国でって 意味
だぞ?)、最澄の遣唐使からってのは また怪しい話になる。

呪術家の卑弥呼に、呪術好きの 聖徳太子。称徳天皇(孝謙ね)は 読み方も一緒
だw この天皇娘にはもっと秘密が ありそうだw

summer ‏@kuchitarow 4月26日
和気清麻呂を和気穢麻呂(キタナマロ)に改名させた孝謙天皇の家庭教師は吉備真備


フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 8月4日
ねここねこさんの仏教の記事読んだ。 日蓮宗の箇所なんだが…… アレは元々は天台宗原理主義。 だから天台智顗の教えを知ってないと よく分からない。 法華玄義、法華文句、摩訶止観を読破 してほしいw 天台宗はガチ高度だから、パリサイ派の 悪口集であるキリスト教は足元にも 及ばない

仏教哲学の高度さは、一般人には 掴みにくいと思う。 西洋哲学でも「心の哲学」という 20世紀以降の哲学でようやく 同レベル。(サールとかデネットね) アウグスティヌスやアクィナスと 同じ水準だと考えたらいかんよ?

まぁ、それはさておき、 天台宗で重要なのは「悪は何処から来るか?」 という問題。 この時代の仏教ってのは黎明期の 仏教と違って、この世界は仏が 創造したみたいな教え
になってる。 すると善の存在である仏が何故悪を 創ったのかという疑問が当然起こる。

元々の仏教は創造神がいないので こういう疑問は起こり得なかった。 まぁ、天台智顗は初期仏教の 阿含経(いわゆる今日で言う原始仏教) を低脳と一蹴してたので、創造神の いる法華経をベースに教義を 組み立てているから、当然この 難問にぶつかる。

そこで出たのが「天台性悪説」。 続きは添付論文読んどいて。 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36075/1/rel027010.pdf …

カルトでも何でもいいけど、 これぐらいは知識としてあった方がいい。

天台性悪説の考察――仏教における悪の問題――
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36075/1/rel027010.pdf
悪を「欠如」とする考え方がキリスト教の伝統のなかにある。つまり存在するものは善なのだが,完全に善なる
存在である神にとっては,神以外の存在は不完全なものであり,善が欠如していることになる。そして,世界が全体として完全であるためには,あらゆる段階の不完全さをも含んでいなければならない。このようにして,神の絶対性から悪の存在が説明されたのである。仏教では悪について全く違う考え方をする。さしあたり私は仏教を,あらゆる種類の還元論を
否定するものと大まかに捉えておきたい。ここでいう還元論とは,唯一絶対の存在を想定し,一切の事物をそのような根源に由来するものとして説明しようとする思想の傾向を指している。それに対し,仏教がまず関係性から出発し,あらゆるものの相互依存を「縁起」として説くとするなら,その縁起の網の目から超越する存在などありえないことになる

(…)
天台性悪説とは,狭義には智顗(538-597)の『観音玄義』において説かれた思想であり,その主張の要点は,如来が行為としての悪(修悪)は断じていても,本性としての悪(性悪)は持っているというものである。ひいては,悪は世界の本質(理毒)であり,何か否定されるべきものとして存在するのではないということになる。この性悪説は他の思想的伝統と天台を区別する特徴的な主張であるとされ,中国と日本の天台教学においては一貫して正統なものとみなされてきた。この教説は思想史的にみても非常に興味深い問題を提起しているし,仏教の思想的背景から出てくる独特の倫理と実践を端的に表わしているものとみることもできる。性悪説への導入もかねて,悪についてもう少し一般的な議論を考察の出発点としたい。M. ヴェーバーは,宗教に課された世界の不完全さという問題を,神義論(Theodizee)として一般化した「諸宗教の重要な特性はまさしくこうした要求によって形づくられた。」(ヴェーバー:49)
このような前提から,ヴェーバーは世界宗教における神議論の三つの類型を示した。
1 予定説(キリスト教,イスラム教)
二元論(ゾロアスター教,グノーシス)
3 業・輪廻の思想(仏教,ヒンドゥー教)
予定説においては,全知全能の神が限りなく世界から超越しているが故に,その被造物の世界における善悪のような尺度を神に適用することはできない。人間の運命は神によって決定されており,それは神の御意として人間的に測り知ることはできないものである。また,二元論は世界を神と悪魔,善と悪などに表わされる二つの原理の混濁と戦いの場所として説明する。最後の業の教説とは,輪廻の信仰に基づき,この世における苦難や幸福は過去の行為の結果であると説明する。そして罪業や功徳は来世において必ず報いを受けるとされる。ヴェーバーの関心は宗教と合理主義の関係にあったわけだが,ここでは次の指摘の重要性を確認しておくだけにしたい。 それは, 悪の問題は単に苦難の説明や正当化という問題にとどまらず救済を求める実践と直に結びついているということである。つまりそれは,さまざまな救済の前提あるいは方法として,日常の実践や倫理に重大な影響を及ぼすということである。また「性悪」という言葉は中国の儒教思想における性善・性悪の議論と混同されてしまう恐れがあるかもしれない。通常,孟子が本来人間は善である(性善説)と主張したのに対し,荀子は逆に人間の本性は悪だと(性悪説)反論したとされる。しかし二つの説はこのように単純に対置できるものではない。孟子は善へ向かう傾向が人間に本来的なものだとしたのに対し,荀子は人間の性向の後天的な要素を重視した。だから荀子は性(本質)を「礼」によって変化させることを重視する。つまり性を何か絶対善のような本質的な存在として前提とするか,しないかの議論だとみることもできる。いずれにせよ,ここで重要な点は,儒教的な意味での「性(せい)」はあくまで人間の生得的な本質 心理的傾向と捉えられているのに対し, 仏教でいう「性(svabhāva)(しょう)」とは人間に限らず存在する全ての事物(諸法)に適用される言葉であるということである。したがって仏教の文脈で「性」は悪であるといった場合, それは単なる人間社会の問題にとどまらず, そのまま宇宙観・世界観の問題となることに注意しておきたい。
(…)
闡提とは一闡提(いっせんだい)(icchantika)の略であり,断善根とも訳される。それは悟り・成仏の可能性をもたない者のことをいう。この一闡提の存在をどう考えるかは大乗仏教の伝統においても大きな問題とされ, 『涅槃教』においては全てのものが仏性を持つ(悉有仏性)(しつうぶつしよう)という立場から一闡提の成仏も説かれた。この『観音玄義』の場合,如来と一闡提を対比的に捉えつつも,決定的な断絶というものを両者の間に想定しない 如来は実際の行為としての悪 修悪 は断じているが本質・可能性としての悪(性悪)は具えているという。逆に,一闡提は行為としての善(修善)はないが,本質・可能性としての善(性善)を具えているのである。もし悪を完全に断ち切っていたら,如来は煩悩の世界から切り離され,そこにおいて活動できなくなってしまうだろう。悪を断じていないからこそ 如来は衆生の世界において自在に衆生を救うことができるのである(2)。
その逆もまた言えるだろう。つまり,性善というものが,一闡提に限らず凡夫の成仏の根拠となる
のである。
(…)
四明知礼は, 「即」のさまざまな解釈を示しつつ,天台の立場を明らかにしようとしている。それぞれ異なるものとしての善と悪が合一している(二物相合)のではなく,同一のものの表裏一体の関係において善と悪がある(背面相翻)というのでもない。天台の当体全是とは,悪を切り離したり善に還元することを説くのではなく,善は善,悪は悪としてそのままで即同一であるというのである。
(…)
このようにして中国で確立された天台教学は,日本においては,いわゆる本覚思想 と呼ばれるものを生み出していくのである。本覚思想においては, 「善悪本より自仏なるが故に,迷ひの時も悟りの時も全く欠くることなし。己心所具の法なり。常住にして改めず。」(『三十四箇事書』, 日本思想大系9,169)というように,善と悪の対立関係すらなくなり,悪は悪としてそのまま肯定される,という方向に思想が展開していくことになる
(…)
いわゆる天台教学というものの根幹をなすものが『法華文句』, 『法華玄義, 『摩訶止観』の『天台三大部(5)』といわれるものである。そこで示された智顗の思想において基本となっているのが心を観察すること(観心)である。その際,観の対象(境)とされる心が実は世界そのもの(法)であると観ずることが重要なわけであるが,その心=法のあり方が十界として表される。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の世界が分けられ,それぞれの世界が分割されつつ,互いを分有しているという世界観が智顗の思想の根幹にある。悟りの世界も迷いの世界も孤立しておらず,相互に関連して成り立っているのであり,つまり心は地獄から仏,悪から善へと様々に転化しうる可能性があるとされる。このような心の捉え方は一闡提の成仏の可能性を「性善」とし,如来の救済の能力を「性悪」とした性悪説の理論的な背景
となるものといえる。
このような天台教学の体系において悪とはいかなる意味を持つものであるのか。仏教でいう悪とはすなわち煩悩のことである(6)。天台では煩悩に三種を数える。見思(けんじ),塵沙(じんじや),無明の三惑である。
まず見思の惑とは見惑と思惑の二つの惑のことである。見惑とは物の道理に迷う知的方面の煩悩のことをいう。すなわち空の道理を知らずに事物には実体があると誤認することで生じる諸々の見解である。思惑とは物事に執着して喜怒哀楽する人間の感情的・身体的方面の煩悩をいう。
次に塵沙の惑とは,菩薩化導障ともいい,菩薩だけがもつ煩悩とされる。誤った社会的知識により,人びとを救済できないことである。最後に無明の惑とは根源的な無知のことで,分別された世界を生み出す煩悩である。
この三惑を観心の実践によって克服していくのが,天台の基本的な主張だといえる。しかし,智顗は単純にこのような悪を消滅させてしまえばよいと考えていたわけではない


凡夫の心の一念に即ち十界を具し 悉く悪業の性相あり ただ悪の性相は即ち善の性相なり
悪によって善あり。悪を離れて善なし。(『法華玄義』,大正33,743c)

このように 善と悪は相対性かつ相互依存的なものだと説かれている 見惑(空を見ないこと)と思惑(貪怒痴)によって実体化(有見)が生じ,その有見が善悪の違いを生むのだから,要するに善と悪は有見(一切法,つまり存在するものを有とみてとらわれるありかた)に由来することでは同じである。悪とは端的にいって, 「心=一切法のありかたを有とみるところに成立するいわば認識論的態度」(新田1975:145)だといえるだろう。

大乗にも亦心は一切法を生ずと明かすは 十界を謂うなり 若し心は是れ有なりと観ずれば
善あり,悪あり。...皆是れ中道実相の法にして畢竟清浄なり。誰かは善,誰かは悪...此十法
の邐迤浅深は皆心より出づ。(『摩訶止観』,大正46,52bc)

「煩悩即菩提」とか「生死即涅槃」といった言葉は智顗の著作のいたるところに見出すことができる。それと同じ事態が「十界互具」という言葉で表されているとしたら,観心の対象とされる諸法の実相も,善と悪をともに含んだものでなければならないはずである

凡夫の一念に皆な十界の識名色等の苦道の性相有り...苦道を離れて別に法身有らず
(『法華玄義』,大正33,744a)

このような主張は性悪説と変わるところはない。それはもちろん,悪の正当化ではない。
「汝今云何ぞ善を呵して悪に就かん。」(『摩訶止観』,大正46,19a)。
悪がそのものとして正当化されるというのは,空へ執着(悪取空)しているものの言葉である

大乗の観心は,悪心を観ずるに悪心にあらず。また悪に即して,しかも善なり。また即ち悪にあらず,善にあらず。善心を観ずるに善心にあらず。また善に即して,しかも悪なり。また善にあらず,悪にあらず。一心を観ずるに即ち三心あり
(『法華玄義』,大正33,778c)

天台教学において悪とは,善と同じ根源をもつものであり,つまり善と悪はともに諸法としてそのまま真理(実相)なのである

4 縁起的世界としての諸法実相
ここで,天台思想の核心を表わす言葉である諸法実相(しよほうじつそう)ということが問題となってくる。現象世界(諸法)がそのままで実相(真実のあり方)なのだ,という考え自体は龍樹にさかのぼることができる。中村元によれば,中論において縁起, 「『縁って生ずること』がそのまま諸法実相として捉えられ」(中村2002:283)ている。このように,諸法と実相との二項対立を立てないことが仏教,特に大乗仏教の根幹をなす考えであったとするなら, 『法華玄義』の解釈は法華経の教説を単に正確に注釈するというよりも,むしろその思想的本質を継承し,解釈しなおしたものといってよいだろう。
(…)
縁起は法の本来的なあり方であり,生滅変化してやまない世間の相も,縁起である限りそのままで法の住,法の位,即ち常住であるということである。つまり世間,これは現実の煩悩の世界といってよいと思うが,それが悟りの世界と同じものだと解釈することができる。「法」と「世間」は究極的には同一の真理をあらわすものである。
(…)
真理と現実の断絶を認めるものではないのである。
世界と断絶していたり,すべてがそこに還元されてしまうような超越的存在のようなものはその前提からしてありえない。それは, 「如来・仏」であろうが「心」であろうが例外ではない
。このような思想が実践的に展開したのが性悪説であるとみることができる。
(…)
天台の説く如来とは,世界から超越しない如来なのである。つまり,如来といっても単に悪を断ち切って別の世界に行ってしまった存在とは全く異なる 「悟り」というものも世界から隔絶された何か別の存在に変身することではない
(…)
また重要なのは,天台教学で心が法であるといわれるとき,法と心のどちらかに一方が還元される,という意味ではないということである。それは「心法を仏法や衆生法の根本とするが如き唯心論的思想とは趣を異にしている。」(安藤1968:138)。
(…)
一心が一切法を生じるという説,心とは別に存在している一切法を一心が認識するという説,また心に一切法が還元されるとする説,このような考えがすべて否定されている。心と一切法は時間的,あるいは空間的に関わるのではない
(…)
ここまで考察してきた天台性悪説の思想構造と特徴をまとめてみれば,すべてが相互依存において成り立つという縁起論的世界観の徹底と,実践的問題意識の追求の二つだといえるだろう。
否定的なものが同一性に回収されない世界を性悪説は説いているといえる。天台の説く世界には中心が無いのである。
性悪説において最も特徴的なのは,救済と修行の基盤・根拠として超越的なものを想定しないということである。超越や還元という考え方こそ,天台思想が批判するものであった。このような観点から性悪説を捉えなおしてみれば,どうなるだろうか。
天台性悪説へ向けられた批判の一つは,その倫理性であった。もちろん悪の正当化であるという理解は誤解である。性悪説は縁起論の正統な理解に基づき,悟りと救済の根拠として説かれた
のである。
(…)
性悪説は一闡提の成仏と如来の救済の根拠として説かれた教説であった。その主張によれば,如来といえども縁起の世界から超越した存在ではない。悪を完全に断じた仏・如来という想定は縁起によって成り立つ世界を否定してしまうからである。如来/一闡提という実体が本性として善/悪を持つと理解すると誤解が生じる。いずれも縁起的存在として理解すべきである。そしてこのような性悪説の主張は,決して異端的なものではなく,天台教学,そして仏教の思想の中で正当化できることを示してきた。性悪説は現世の単純な肯定でも拒否でもなく,超越者や絶対の真理というものの実体化を徹底して避ける縁起思想が実践論となったときに行きつく必然的な帰結なのである。
(…)
田辺は天台教学の用語を借用しつつ, 「区別はありながら,互いに融通し合って相互にもちつもたれつ,相即不離の関係をたもち,動的統一を形造るというのが,空仮中の三諦が円融しておるということなのです。」(田辺2003:70)ということを重視する。このような議論は天台と華厳の論争を想起させる。性悪説とは, 「翻善之悪は理に違し物を損す。不善の相は麁にして上位に通ぜず。」(『探玄記』,大正35,319b)というような華厳がたてる理(真如)の基体的性格(7)に対して唱えられたものであった。田辺は,あらゆるものが善なる一者において階層的に発出し,還元されるプロティノス的な基体論,流出論を批判したのである。(…)
如来が悪でなければならないのは,悪が如来そのものだからなのである。このような意味で,性悪説は超越者のいない倫理である。

(…)
超越者のアプリオリな前提が,他者への暴力やニヒリズムというように袋小路に陥ることは歴史が示してきた。今村仁司は,仏教に別の道を探ろうとしている。

超越存在を否定しても,あるいは超越的な神を除去しても,広義の「宗教的態度」が可能であり,また人倫的行為(仏教でいう慈悲行)が完全に可能であり,その可能性が現実的になるということこそ,仏教が教えるもっとも重要な事実であり,またそこに仏教の最大の特徴があり,人類思想史上卓越した意味がある。(今村2004:456)
(…)
仏教の「自他不二」という対場が決してニヒリズムに陥らず,逆に実践の原理となることを示した歴史的な例もある。寂天(じやくてん)の『菩提行経』は,中観派の立場から他者に対する奉仕の実践を説いている興味深い書物である。
まず仏教というものは知っているだけでは何の意味もなく,実践として具現化されなければ何の意味もないとされる。「口に誦するも身に行わざらば,当に何に喩うる所を得べき。譬えば重病人に空しく薬の力を談ずるが如し。」(大正32,547b)。仏教の実践とは苦しみを避けることであった。「如来及び法とは,有情と平等なり。」(大正32,550a)。このように「自他不二」を観ずれば,自分の苦しみと他人の苦しみは別のものではない 「彼が苦怖より脱せずんば,自らに於て当に何にか勝るべき。」(大正32,554c)。つまり自他が不二であることに,他人の苦しみを救う理由があるのである。「自らの苦を消除せずして,他の苦を消除せんと欲す。」(大正32,554c)。
苦しむことが,苦からの脱却を目指す実践となる。性悪説の意味するところは,この逆説なのである。
「十界互具」というものも,本当は悪人も仏なのだというように還元主義的に誤解してはならないだろう。逆にいえば,仏も本当は悪なのである。このことが示すのは, (十界の)ある状態を特権化してそこに安住してはならないということである それ自身であり続けるものなどない。
全ては変わらずにはいないのだし,分節化された世界に住む以上,行為の網の目から超越(善悪の彼岸)することはできない。これは,各々の存在の状態はつねに流動的な円環のなかにあるということに他ならない。悟りに至った如来としてのあり方も一つの始まりにすぎない。地獄を含むどの世界も一つのあり方であると同時に新しい局面の始まる出発点を示している。このような意味で,われわれは仏の影響の外に出ることはできないともいえよう

(…)
仏教の考える悪の消滅とは,悪という実体が消え去ることではなく,悪を悪たらしめていた条件が解体することであろう。仏・如来というのも超越的な存在ではなく,縁起している世界そのものである。このことの自覚が涅槃である。そこでは,善悪や真偽のような二項対立自体が消え去っているはずである。つまり,涅槃によってこの世界が否定されるのではないということである。何かが否定されたり排除されるのではない。差異は差異としてそのまま法なのである。これこそ,十界互具という言葉で言い表された事態でもある。
このように徹底した縁起論的前提に立てば,実体化された善や悪や絶対神といったものに安住することは決してできないし,安易な現実肯定に陥ることもないだろう。悪はなぜ存在するか,という冒頭の問いに戻るなら,性悪説の立場からはこう答えられるだろう。悪も善(如来)もそのものとしての実体はなく,超越的な存在ではない。両者は救おうとする働きと救われる対象が生み出される働きとして,同一のものなのである。そしてここに, 「救済」と「修行」という実践の根拠を見出すことができるのである。
(…)
仏に性悪があることによって,極悪人が悪をなし,罪を犯すにいたった心情を理解することができ,ひいては救済の能力も出てくるのであり,善のみで悪を知らなければ,悪人を救済することができず,したがって仏の資格にふさわしいものではない。
(…)
悪をめぐる議論は天台だけでなく,仏教全体に関わる問題である。善悪の問題については原始仏教の時代から論じられてきた。仏教にとって悪をなさない,といわれることの根拠は外面的に表れた行為そのものではなく,欲望にある。これが典型的な仏教の考え方だといえるだろう。だから単純に悪がなくなり善だけが残ればよい,というのではない。悪というのは善と同様,欲望がとる一つの形態に過ぎない。逆に,行為をいくら外面的に規制したところで欲望が変わらなければ無意味となる 目指されるべきは欲望のコントロールである 原始仏教では この解脱の道としての善(kusala)と世俗的な意味での対概念である善(puñña)と悪(pāpa)は実は明確に区別されている。”


燈火
‏@to_moshibi

英国の国王を輩出したハノーヴァー家は起源をたどるとヴェルフ家にまで行き着き、そのヴェルフ家は神聖ローマ皇帝位を一代限りではあるものの輩出しています。

また、12世紀にバイエルンに領地を持ち、神聖ローマ皇帝に匹敵する実力を誇ったハインリヒ獅子公はヴェルフ家の出身です。



ヴェルフ家およびそれに連なる家系が得た主な称号

・ブラウンシュヴァイク公
・バイエルン公
・英国国王
・ロシア皇帝
・神聖ローマ皇帝
・ハノーファー選帝侯

いかに権威が大きいかが分かるかと思います。



ーーー







寝違えの原因は首じゃなくて脇!?意外と知らない寝違えの正しい治し方!!
http://matome.naver.jp/odai/2133739350605383501

寝違えをあっという間に治す方法 ~寝違えの原因と根本治療、対症療法のまとめ
http://d.hatena.ne.jp/kiyo560808/20121107/1352247651
“寝違えの原因
寝違いで首が痛くなり動かなくなる原因は、寝ている間に脇の内側を通る腋窩神経(えきかしんけい)が圧迫されること。
腋窩神経は首を支える筋肉につながっていて、ここが血行不良でしびれると首に痛みが発生する。


寝違えの治し方
根本治療と対症療法がある。
まずは根本治療を行い、痛みが残っていれば、対症療法を行うとよい。
【根本治療】脇の下の筋肉を伸ばし、血行をよくする
首や肩の痛いところを揉んだり、薬を塗っても治らないが、下記の方法で脇の下の血行を回復したら、動かない首が、すぐ動くようになる。

リラックスして手をダラーっと下げる。
首の痛む側の手をゆっくり後ろに、自然に止まるところまで引き上げる。
止まったところで、20秒数える。
次に肘を110度に曲げた(鈍角)状態から前方に上げていく。おそらく、真上まで上がる。
その状態で20秒。
以上を3セットほどすれば、神経が開放されて首が動かせる。重症な人はさらに2~3セット続ける。“

“【対症療法】コリをなくす(痛みを緩和する)
これは、抜本的な解決法ではないが、痛みを緩和する効果がある。

首を両側に傾けて、どちらが痛いか確認する
頭を中心(垂直)に戻す
もし首の左が痛んだら、左手の指を左のこめかみに当てる
右側が痛ければ、右手の指を右のこめかみに当てる。
指と頭で押し合う。そのとき双方の押し合う力は均等にする。つまり、頭の位置はそのままで指と頭で押し合う。
そのまま4秒ほど静止
そして、首の力をゆっくり抜く
1~6の手順を4セット繰り返す
※この方法は健康のためするものではないので、両側をやる必要はない。寝違えた時に、痛みのある方をやればよい。”



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 おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年11月30日
私が現代政治に対して言えることは「殺戮しろ、略奪しろ、権力を潰し切れ」以外の事は何も言えないの だから、これが本物の権力の中枢ーとか、誰が権力を握ってーとか、はっきり言って興味ないのそれよりも大事なのはお前が権力者になるか、否かであってそれ以外の権力に置いて重要な話はないの
私は基本的に政治術としての術を語る事には根本的に意味がないと思って語っているけど、究極的な答えとして貴方が政治の主体、及び政治というものを動かす側になるのかという議論以外重要なものはなくて、政治というものに関係を持っていないものが術を問いても意味が根本としてないのよ
政治って何か? 利益を撒く胴元になる為の思想や手段や手法であり、この場合における利益というものは特定ではなく、非常に多義におけて金銭もそうだし、地位の振り分けだったり様々な利益を分配する側に回るため、またはその利益を享受する為にはどうすればいいのかという事でしかないの
私がする政治術の話は事例でしかなく、現状起きている事実ではなく結果でしかないの 本来の政治というのは結果の話ではなく、過程の話をせねばならないわけなのだけど、そうなると一気に命や立場の危険が出てくるので私自身それを勧めないのはどうせ中枢の情報にありつく事はほぼないと見ているからだ
それが程度の低い権力者ほど占いを好むに繋がっているわけだ というか、程度の高い権力者は自分で自分を占う事が出来る ある時は己が見た夢で、ある時は己の身に起きた事象で、ある時は人づてに聞いた出来事によって己の身や周辺を占い、またはそれを分析する事が出来るので賢い権力者は占える
但し、専業で出来るものには劣っているので正確さを求める為に専属の占い師がいるのだけど、賢い権力者は一方的に占い師の言うことを信じない 正しくは信じてはいるものの信じ過ぎれば、己や周辺及び占い師にも害が生じるので矩を超えないようにする、それが権力者の占いである
言い方を変えれば、基本自分を占えない権力者は無能でいるだけで、害でしかないのよ なので、どこぞの連中がオカルトの儀式とかしているというのを聞くと本当にこの世界の権力者というものははりぼてで肩書きは大層なものをもっているが自分で自分を占う事が出来ない時点で核廃棄物でしかない
こういうこと言うとアホが湧くから言っておくけど、別に占いの能力って特殊な能力ではないからね 確かに特殊な能力を持つ人間が占いをやる事はあるけど、占いはあくまでも統計知であって、その統計知をどの様に解釈するかというのに柔軟性と経験が必要になるのでその分析感覚が難しいという事なだけ
何故に当たりやすい人と外れる人がいるのかは単純で
一つは解釈と相談者の立場を踏まえていない、
二つに相談者が隠している事がある、
三つに占い師が余計な思想や思考を持っている場合、
基本1と3は占い師の責任、2は相談者の責任である だから、誰が占っても外れる人間はまず自分を見直しませう
占い師にも占いされる側にも向いていない人間として、自己愛が強すぎる・他人の意見を聞かない
・一歩引いて物事を見たり考えたりすることが出来ない・意思が弱い・意見を右左にすぐに変える等のどちらにも両極端な人間は占い師にも、相談者側にも向いていませんし、占いという科学分析ができません
なので、そういう人は占いなんぞせずに勝手に生き死にしたほうがいいです どうせ、占っても外れるでしょうし、占っても自分勝手に生きるか、誤解して自滅するので占いをされる方が間抜けです 私は占いをするかって? しますよ、特に夢占いは何故なら私は幼い頃から不思議な予知夢をみるので





 さふ ‏@Sahkert 1月11日

手巻き,きせる,パイプ好きのにいちゃん方は風邪っぽくなったらスーパーでタイム買ってきて詰めて吸うといいですよマジで,
そう,鶏の香草詰めとかに入ってるあれです.
「煙遊びと煙薬」で知って俺も試してみたんだけど,古来からあるハーブって効果があるからこそ今まで残ってきたんだなと思える
0件の返信 10件のリツイート 18 いいね
青井硝子@18日薬研さんがリツイート
さふ ‏@Sahkert 1月11日

だいぶからいし匂いも「いかにも」といったものが漂うけど逆をとればこれこそ煙薬って感じだし情緒があってよろしい
0件の返信 3件のリツイート 4 いいね
青井硝子@18日薬研さんがリツイート
さふ ‏@Sahkert 1月11日

バカみてぇにのどかぜ治らねえのにブチ切れたから綿半でタイム買ってきてきせるに入れて吸ったら凄い勢いで回復したので香草は強い(強い)

( タイムは、から咳、百日咳、気管支炎、気管支喘息、喉頭炎などに使用するハーブティー
 http://www.hyakka-saen.co.jp/taimu/taimu.htm



Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2017年1月22日
そのためのマニ車。ころころとただ転がしてるのに意味がある。わからない人のためのもの。

LRPGでさへ本気でやらないときっとわからない、一生かかっても。でも、本気で何かをしていれば必ず何かをつかむ。そういうものだと思うの。 
大抵は最初に習うものに奥義がある。いろいろなことをみてきたけど、みんなそうだった。そこに基礎鍛錬以上のものがあるから。
基礎的な事柄は10年や20年続けても出し殻には決してならない。そこに何段階もあることを見出せたらきっと楽しくなる。その上に乗ってるものはすべて最初の発展形でしかない。だから基礎が駄目ならいつか先へはまったく進めなくなる。だから最初に戻ることになるの。
たぶんね、先に急ぎすぎてる。アートと分類できるものはたった数年では身につくことはない。それが可能なのは100年に一度の天才くらいだから。
基礎にたどり着くには30年かかることもまったく珍しくないの。テクニックがそこでみについて、アートに気づくのがやっとそこから。わたしもまだスタート地点に立っただけなのでこれ以上のことはいえないですけどね。
欲すれば欲するほど目は開かない。だから辞めちゃえばってよくいうのです。それで帰ってこられなければそれまでですし、本当に望んでるのなら必ず帰ってくる。

本当は臆病で弱い部分というのは武器になる。自分のそういう部分に気づけるのならその理も利用することができる。転ってそういうものだから、自分が視野狭窄になる瞬間を理解しないとこれは教えられない。

 懐中電灯もって夜道を歩けばいいの。そうしたらきっと何か気づくことがある。灯りをともしてそれを向けている方向しか見えない。その灯りを見たい方向に人は向けている。だから相手の見たい方向をこちらで制御できればほかは相対的に暗くなる。相手には全方向に目があるみたいで気持ち悪いでしょうね。

 何かに意識を集中するのってその領域に意識を限定するということだから、そのほかが見えなくなる。見えないということはないも同然なのです。

わたしはとてもシンプルで簡単なことしかいわないってよくいわれるけど、最終的に残るのは本当に簡単なことで十分なのです。形式すら持たないのが最終的にはいいのですから、形なんてそれにたどり着くためのプロセスでしかない。

 上昇と下降。最初に基礎から開始して複雑化していくの。でも、複雑化はただ降りてくるための下準備でしかない。徹底して複雑化してそれに慣れてしまえばあとは戻ってくるだけ。最初に戻るのです。

単純なのから難しいのに向けて行い、何度も上下を繰り返す。だから蛇行して進む。蛇さんの道なのです。基礎を展開して応用を、応用から転じて基礎を学ぶ。基礎を学ぶための応用なのですから。
応用をとことん学んだ後の基礎は最初に学んだものとはまったく異なってることに気づく。だから、基礎を学ぶのって応用が正しいか否かをみるための試金石なのです。
先に進めないようなら無理をせずに基礎だけ延々と続けさせるのがいいの。怪我をするよりずっとましだから、それで駄目なら先へは進めない。もし芽があるのなら基礎からでも何かに気づく。気づかなければ進まないほうがずっといいのです。

 それが柔道だったら受身だけ何十年も続けるほうがいいと思う。それで何かに気づかなくても、少なくとも怪我をしないことだけは確実に学ぶから。
ポンプーは基本中の基本。蟷螂門でもやりますね。
秘門蟷螂と竜形八卦掌はいまでもだんな様に習ってます。もう20年くらいになりますが。
最初に習ったのをもっと習熟すると使いやすくなるかも? あまり凝ったのを始める前に徹底するのがお勧めです。わたしはいまだにシャオフイェンばかりやってる。

〔崩歩…ポンプー

小虎燕(シャオフイェン)と小八極(シャオバァヂィ)〕

呼吸もそうですが内臓の意識化は大事だと思う。体の表面だけ意識することが多いから、ときたまそうやって調整しないと体と意識の同期がずれてくる。
4-4-4の繰り返しは止息が苦しいなら2のリズムでもいいですが、まずは身体の基準リズムに気づくところまでです。
呼吸で大切なのは数えることそれ自体です。身体について意識し続けることからあることを学び取ります。
意識による継続的な身体へのトレース。呼吸法で最初に目指すのはこれです。だから数えることをやめない。
呼吸それ自体に意識し続け、身体の状態変化を「聴く」のです。このとき、身体がどのような小さな変化を繰り返してるのかずっとイメージし続けてください。
数えることって、意識を集中するためのトリガーなの。

試してみて? 数えないで呼吸を繰り返してると次第に眠くなります。何らかの道筋がないと脳が眠ってしまうのです。だから数えることにまずは習熟します。

意識の基準点が判らないと上昇も下降もできない。電気なら、ゼロ電位が判らないのにそこから上とか下とかいっても具体的に何ボルトなのかわかんないのです。だから意識と身体の基準をみつけることから開始します。
耳鳴りが起こるのは身体が発する微細な音に気づくことだから、これはある意味でずれが生じてるの。それを聴きながらゆっくりと心をあわせていくと基準が見つかります。そのまま意識して無いとただ身体がゼロ点調整するので耳鳴りがそのまま消えるだけです。
聴覚は微細な受信機だと思えばいいです。身体自体がノイズを発してるから、そのノイズの頂点のところにゼロ点をあわせるとノイズは消えてなくなります。それとともに、受信感度は最大になるのです。



オカルトもいいけど、医学や科学の本もよく読むのがいいの。最も基礎的な文献のほうがいい。治療を行いたいわけじゃないので。
―――――――


燈火 ‏@to_moshibi 2時間2時間前

寺は戸籍の管理などで生活の一部として機能してきた歴史を持ちます。この点でも日本では仏教優位の時代が長く続いていました。
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アイボリー ‏@mrunsmily 2014年6月13日

お宝鑑定団は、鑑定家達の魔術を披露する番組という様にもとれる
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年8月27日

価値を与えるマジック(魔術+呪術)
①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。
②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。
葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。 @mrunsmily
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年8月28日

@mrunsmily 蓄銭叙位令の目的は流通を促す為という説明は一面的。真の目的は財源=現物確保。物々交換=等価交換が嫌で一方的に財産が欲しい朝廷は、金属片を貯めれば位が得られるようにする。等価交換ではないと理解していた人々にはあまり効果なし。朝廷も金融詐欺で財産を奪おうと画策。
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年8月28日

@Jd805 @mrunsmily 神社が天皇を動かしたのは嘘。愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理した。仏教徒の天皇と本地垂迹説=仏教圧倒的優位、門跡寺院はあるが門跡神社はないことを隠す為に、神道=和風耶蘇教の儲のガーター勲章持ち偽天皇をクリスチャンが捏造。


燈火
‏@to_moshibi

パレルモはイタリアのシチリア島にある都市で、かつてはシチリア王国の首都でもあり学芸の中心として栄えた歴史を持ちます。シチリアを統治したオートヴィル朝はパレルモを拠点に、東方の文化を積極的に採り入れ、世界地図を製作するなどしています。



20:32 - 2017年1月27日
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燈火 ‏@to_moshibi 4 時間4 時間前

オートヴィル朝のルッジェーロ2世がイスラムの地理学者イドリーシーに製作させたものが「タブラ・ロジェリアナ」と呼ばれる世界地図で、その正式名称は「世界横断を望むものの慰みの書」といいます。世界を南北7気候帯、東西10地区の70区画に分割した上でアラビア語で記述されています。
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燈火 ‏@to_moshibi 3 時間3 時間前

「タブラ・ロジェリアナ」はアジア・ヨーロッパ・アフリカの3地域を、地中海に面している場所を中心に記述されていて、当時の地図としては非常に正確で、数世紀にわたり使用されていたそうです。
コロンブスの成功を助けた!?イドリスィーの初の正確な世界地図
http://mankinds-bigadventure.blog.jp/archives/1562192.html


ぬこたさんの別名井鳥氏の由来



 燈火
‏@to_moshibi



太陽神スーリヤ
http://www.gregorius.jp/presentation/page_59.html
”■王妃クンティー

叙事詩『マハーバーラタ』においてスーリヤは、クル王パーンドゥの妃クンティーの若い頃の過ちにより、英雄カルナの父となります。

クンティーは若い頃、聖仙ドゥルヴァーサから、任意の神を呼び出して、その子を産むマントラを授かります。マントラの力を疑ったクンティーは、試しにスーリヤを呼び出しますが、実際にスーリヤが現れると、怖くなってスーリヤに戻るように願います。

しかし、スーリヤは、戻る前にマントラを実現する義務を負っていました。クンティーは仕方なく、子が父と同じ輝く鎧を身に着けるという条件で、スーリヤの子カルナを生みます。未婚での出産の発覚を恐れたクンティーは、生まれたばかりのカルナを箱に入れて川に流します。

その後、クンティーはクル王パーンドゥの妃となります。王は呪いのために女性に近づくことができなかったので、クンティーは再び神々を呼び出して、王のために子供を生むことになります。こうして、ダルマ神からユディシュティラ、風神ヴァーユからビーマ、雷神インドラから大英雄アルジュナが誕生します。

From Wikimedia Commons

■英雄カルナ

太陽神スーリヤの息子として生まれ、母のクンティーによって川に流されたカルナは、馭者アディラタに拾われ、養母ラーダーによって育てられます。

成長したカルナは、クルクシェートラの戦いにおける中心人物の一人となり、雷神インドラの息子で同母弟である大英雄アジュルナと対決します。

二人は激戦を繰り広げますが、カルナの戦車の片方の車輪が大地に陥没し、戦う術を失ったカルナの首を、アルジュナの矢が切り落とします。死後、カルナは昇天し、スーリヤと一体化したとされます。

カルナの最期と類似した筋書きがスーリヤにも見られます。カルナの父であるスーリヤとアルジュナの父であるインドラが戦ったとき、インドラはスーリヤの戦車の片方の車輪を不能にすることによって勝利したとされます。
(…)
太陽神スーリヤは、イラン・インドの神話共有時代に遡る太古のアスラ族アーディティヤ神群と密接な関係を持っています。

アーディティヤ神群とは、女神アディティの息子で、太陽の諸属性を体現した神々とされます。ヴァルナを首領、ミトラを次席として、八神ないし十二神で構成されます。

スーリヤ自身がアーディティヤ神群の一柱とされることもありますが、むしろ、スーリヤはこれらの神々の太陽神としての属性を複合した神格と考えられているようです。

ヴェーダにおいてスーリヤは「ミトラ、ヴァルナ、アグニの目」として頻繁に言及されます。これと際立った類似性を示すのは、ゾロアスター教の経典です。そこでは太陽が「アフラ・マズダーの目」と表現されます。

現代のサンスクリット語では「アーディティヤ」が単数形で「スーリヤ(太陽)」の同意語として使用されます。 ”

サンスクリット語 一日一語: 太陽礼拝(スーリャ・ナマスカーラ)の意味と ..
http://sanskrit-vocabulary.blogspot.jp/2015/04/suryanamaskara.html

スーリヤ
空を遍く照らす日光の要素が強く反映された太陽神で、司法神であるヴァルナやミトラの「眼」として下界を監視し、地上の人間全員の行いを漏らさずチェックする。
太陽の熱も象徴されているのか、火神アグニの別名「ジャータ・ヴェーダス」とも呼ばれる。
アグニもまた「裁く神」としての性質を持つ神である。

地平線から太陽が姿を現す時、彼は夜の闇を追い払い、生き物たちに力を与える。
日の出の太陽を象徴する事から、同時刻に活躍する暁の女神ウシャスとの繋がりも深い。
『リグ・ヴェーダ』ではウシャスの後にスーリヤが現れるのを「若い娘を若い男が追っかける」様子になぞらえている。
このためか、ウシャスがスーリヤの正式な妻とする説もある。

チャリオットが存在する文化の太陽神らしく、彼も戦車に乗る。彼が乗る戦車を引くのは七頭の栗毛の牝馬たちである。

別の太陽神ヴィヴァスヴァットと同一視される事もあり、その場合ヤマ(閻魔)の父ということになる。

仏教にも取り入れられ、漢訳仏典では「日天」と呼ばれる。ウシャスがモデルとされる摩利支天を眷属としている。
 Surya
https://en.wikipedia.org/wiki/Surya
”In the Brahmanas layer of Vedic literature, Surya appears with Agni (fire god) in the same hymns.[17] Surya is revered for the day, while Agni for its role during the night.[17] The idea evolves, states Kapila Vatsyayan, where Surya is stated to be Agni as the first principle and the seed of the universe.[18] It is in the Brahmanas layer of the Vedas,[19][20] and the Upanishads that Surya is explicitly linked to the power of sight, to visual perception and knowledge. He is then interiorized to be the eye as ancient Hindu sages suggested abandonment of external rituals to gods in favor of internal reflections and meditation of gods within, in one's journey to realize the Atman (soul, self) within, in texts such as the Brihadaranyaka Upanishad, Chandogya Upanishad, Kaushitaki Upanishad and others.[21][22][23]”This page was last modified on 10 January 2017, at 00:31.





選帝侯は神聖ローマ皇帝選挙権
ユダヤ保護権←重要
貨幣鋳造権←重要
を持つ大貴族。
ハノーヴァー選帝侯の子孫が英国王室。
反ユダヤ主義のルターを保護したザクセン選帝侯。
キリスト教徒の選帝侯が通貨発行権とユダヤの銀行家支配権を所有。
∴キリスト教>ユダヤ教
@wolvesknow

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光兎
ひろのしん
子子子子子(ねここねこ)
のら猫の手
hiroaki hatano
燈火
Eiji 5554
McLaren MP4/12C
狼たちは知っている

23:46 - 2016年5月5日
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年5月6日

金印勅書https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8D%B0%E5%8B%85%E6%9B%B8 …より引用、解説。
”最も有名なものは神聖ローマ帝国における1356年の金印勅書であり、ニュルンベルクで開催された帝国議会において神聖ローマ皇帝カール4世によって発布された。この金印勅書はその後約400年にわたって神聖ローマ帝国
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年5月6日

の基本的な体制を規定した。主な内容として、「ローマ人の王」(通常、ローマ教皇によって戴冠されて神聖ローマ皇帝となる)を選定する7人の選帝侯を規定している。大空位時代を解決するためだけの産物ではなく、レーエンも併せて規定された。
主な規定
選帝侯はマインツ大司教、トリーア大司教、
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年5月6日

ケルン大司教の3聖職諸侯、ライン宮中伯(プファルツ選帝侯)、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯、ボヘミア王の4世俗諸侯の計7侯に定める。
選挙はフランクフルト市で行い、戴冠式はアーヘン市で行う。
選挙は単純過半数にて行う。選挙結果に従わない選帝侯は選帝侯位そのものを失う。
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年5月6日

選挙結果は教皇の承認を必要としない。
選帝侯は諸侯の最上位を占め、領内における完全な裁判権、鉱山採掘権、関税徴収権、貨幣鋳造権、ユダヤ人保護権を有する。これらは先に述べたレーエンの最たる部分である。”
選帝侯特権は反バチカン。
選帝侯の手下のロスチャイルドは通貨発行権を持てない。
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年5月6日

”選帝侯領は分割を禁止し、長子単独相続とする。
選帝侯は、「呼び出されることなき権と召喚せられることなき権」を有する。選帝侯への反乱は大逆罪として処罰される。
皇帝が空位の場合には、プファルツ選帝侯がシュヴァーベン地方とフランケン法の及ぶ地域を統治する。
諸侯間の同盟は禁止する。
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年5月6日

私闘は禁止する。
選帝侯をはじめとする諸侯の領邦主権の法的確定をする。

金印勅書はこれ以後、神聖ローマ帝国の最高法規に位置づけられ…選定侯には、重要なレガリアと裁判権における不移管および不上訴の特権が付与され、主権国家のような強い権限が認められた…”
消されそうな記事ですね。
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年5月6日

参考文献 佐藤彰一・池上俊一『世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成』pp.326-327、中央公論社、1997年5月

多くの陰謀論者が無視する点を盛り込んで陰謀論者チェックリストを作りました~はじめにお読みください①


6.わずかなことでもほめる

子子子子子(ねここねこ)
‏@kitsuchitsuchi

陰謀追及者必読リスト
※本を出せる陰謀論者のブログや本や講演会は以下(最低限心理操作術と支配層の視点を学んでから)で判断基準が育つまで一切無視しないと信者化!
ネット上に要約があるものもあるので検索推奨
(ネット上で無料で読める)詭弁のガイドライン
チャルディーニ『影響力の武器』

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燈火
9年B組 セティくん
massi
すちーむれんじ
夏之
光兎
C.F.E.
ひろのしん
子子子子子(ねここねこ)

19:25 - 2016年11月27日
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@kitsuchitsuchiさんへ返信する


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年11月27日

子子子子子(ねここねこ)さんが菊池をリツイートしました

グーラ『論理で人をだます法』
野崎昭弘『詭弁論理学』
架神恭介『完全教祖マニュアル』
マキアヴェリ『君主論』
大田俊寛『現代オカルトの根源』←@kikuchi_8様とねこたさんオススメ
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/801322992584232961 …

子子子子子(ねここねこ)さんが追加
菊池 @kikuchi_8
オカルト好きの人におすすめの本がある。「現代オカルトの根源」大田俊寛著。現代のオカルトの起源が思想史的に解明されている良書。現代の各種思想・思潮というものは必ず過去を遡れば起源やネタ元がある。その辺に自覚的だとどっぷり洗脳されない耐性が身に就くと思う。思想史的な予備知識は…
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年11月27日

子子子子子(ねここねこ)さんが子子子子子(ねここねこ)をリツイートしました

ハフ『統計でウソをつく法』
孫子
佐藤優『神学の思考』
聖書(創世記、出エジプト、マルコ伝、黙示録)
魚川祐司『だから仏教は面白い!』
稲生平太郎『定本 何かが空を飛んでいる』
プラトン『国家』
フリース『イメージ・シンボル事典』

子子子子子(ねここねこ)さんが追加
子子子子子(ねここねこ) @kitsuchitsuchi
君主論や完全教祖マニュアル以外の良書集↓
https://twitter.com/ououdaiei/status/791890550550990848 …
https://twitter.com/ououdaiei/status/791891112382205952 …
https://twitter.com/ououdaiei/status/791892495584022528 ……
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年11月29日

子子子子子(ねここねこ)さんが菊池をリツイートしました

『統計でウソをつく法』
①誰がそういっているのか?出所
②どういう方法で分かったのか?調査方法
③足りないデータはないか?隠されている資料
④いっていることが違ってやしないか?問題のすりかえ
⑤意味があるかしら?どこかおかしくないか?

子子子子子(ねここねこ)さんが追加
菊池 @kikuchi_8
@kitsuchitsuchi 「詭弁論理学」はいいですね。あと、香西秀信氏の「論理病をなおす!」「レトリックと詭弁」「論より詭弁~反論理的思考のすすめ~」なども参考になりました。工作員の駆使する詭弁術の種明かし本としても活用可能だと思います。
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年11月29日

knznymmmy”統計でウソをつく法はおもしろいぞおー♥
全くなにひとつも不正なしに統計を出した結果を操作する実例が紹介されてたりする”

必読真偽判定術
史料批判方法
http://1st.geocities.jp/huhito80/F-M-Siryouhihan.html …
歴史学研究法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%B3%95 …
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子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2016年11月30日

木下是雄『理科系の作文技術』
”事実(証拠をあげて裏付けできる)と意見(判断、推論)をきっちりわけろ
事実を述べる文に主観に依存する修飾語(意見)を入れない…
ここからは「意見…区切りを明確に…”http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-118.html …

藤村シシン『古代ギリシャのリアル』

菊池 ‏@kikuchi_8 2015年8月15日

今様「出口王仁三郎」とはこの辺にいるのか?と一応「持ち上げておく」(笑)今の時代は、はっきりとした教団組織を取るよりも、リゾーム状のネットワークの中心にハブとしての「教祖」が座る、という形態の方が影響力を行使できるのかもしれない。「カルト教団」ばかり注視すると見誤るかも知れない。
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菊池 ‏@kikuchi_8 2015年8月15日

実際に、「大本教系勢力」は現代においては、大本教信徒であることはかなりまれである。某評論家くらいしか思いつかない。が、出口王仁三郎を崇拝する者達はかなり広範囲に及ぶ。所謂「スピリチュアル系陰謀論者」などに多数存在する。陰謀論系以外のオカルトマニアに信奉者が多いのは言うまでもない。
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菊池
‏@kikuchi_8

オカルト好きの人におすすめの本がある。「現代オカルトの根源」大田俊寛著。現代のオカルトの起源が思想史的に解明されている良書。現代の各種思想・思潮というものは必ず過去を遡れば起源やネタ元がある。その辺に自覚的だとどっぷり洗脳されない耐性が身に就くと思う。思想史的な予備知識は有効。



閉店です ‏@lakudagoya 2015年8月17日

@kikuchi_8 こんにちわ。オカルトのウリナラファンタジーの系譜なら「北極の神秘主義」と「聖別された肉体」も重要でしょう。大本教系のオカルト陰謀論者を一網打尽にできるくらい陰謀論のオカルトの元ねたがこれでもか!とかいてありまする。

黄皇大栄 ‏@ououdaiei 2016年10月28日

易経と孫子の発想は結構関係がある。そう武岡淳彦氏の著書であったように思う。陰陽の相互転化。過ぎるとそれは反対の作用をするようなるってこと。多すぎる兵は統制を失う。でも統制された少数精鋭は大軍以上の力を発揮するとか。正攻法も過ぎると詭計と同じようになり奇襲も日常化すると凡手になる

勝手におすすめ中国の政治思想書とか。ほとんど抄訳しか読んでないけど。1・晏子春秋 http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/ansi.html  2・管子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E5%AD%90 …  3・孫子 4・諸葛亮兵書 将苑・便宜十六策 http://www.geocities.jp/fukura1234/koumei/syouen.htm …
あと 歴史書も中国政治思想には大事かな。左氏春秋{まだ完全読破してないけど} 十八史略{陳先生ので読んだのでまだ完全ではない} 史記 流れを知るには三国演義・三国志の正史も面白い。

ねこたさんも読まれた貞観政要あと宋名臣言行録この二つもなかなか完訳は見つからないけど良いです半分歴史解説書・半分兵書でも李衛公問対も面白いhttp://www.geocities.jp/fukura1234/rieikou/rieikou1.htm … http://www.geocities.jp/fukura1234/rieikou/rieikou2.htm … http://www.geocities.jp/fukura1234/rieikou/rieikou3.htm …

中国の兵書は、半分ほど政治思想書。孫子と呉子では、兵士の供給源が違う。孫子は「一部の兵士を常備兵で精鋭。あとは民間から臨時で召集」呉子は「封建的な武士・騎士の身分制」商鞅書は「国民皆兵制の軍国主義」かな?

菊池 ‏@kikuchi_8 2016年11月27日

@kitsuchitsuchi 「詭弁論理学」はいいですね。あと、香西秀信氏の「論理病をなおす!」「レトリックと詭弁」「論より詭弁~反論理的思考のすすめ~」なども参考になりました。工作員の駆使する詭弁術の種明かし本としても活用可能だと思います。


PHP文庫 新釈 孫子

2009/2/16(月) 午前 0:51 書評 読書

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気まぐれ書評のコーナー~
突然ですが座右の書です。元陸将故武岡淳彦氏の遺作となった本だそうです。
孫子に関する本は数多く出ていますが、自分の読んだ中では飛びぬけていると感じました。
それは、
・孫子13篇全文の読み下し文、通解、そして解説が収録されている
・解説は一文ごとではなく、全文に意図された目的や時代背景を加味して丁寧に行われている
・これとは別に全文を俯瞰する解説がついており、現代に応用するに当たっての指摘も豊富
有名な「風林火山」や「兵は詭道なり」なんて言葉はこの孫子から来ているのですが、それぞれの言葉だけでなく本書のような解説書を読んでからだとまた感じ方も変わってきますね。
自分の好きな言葉は上の二つではなく、
「将に五危あり。必死は殺さるべし、必生は虜にさるべし。云々」
って言うところですかね。この言葉は兵を率いる将軍というものは、何事にもバランス感覚を持っていないと付け入られて敗れることを指摘しています。耳が痛いですね。



人間は投げつける筋肉が発達していると、コスモポリタンと超人ニュートン一族が暗躍するテラフォ―マーズにありました。鳥の能力者が鳥のすさまじい筋力でボール投げてました。敵のG人が黒人っぽく見えるのは意図的なんだろーなー。

ネズミさん ‏@Nezmi_san 21 時間21 時間前

ネズミさんさんがcosmosをリツイートしました

重曹歯磨き粉は高いが、数ヵ月で歯槽膿漏などは全く治まった。手に着くと手の皮が向けるいわゆる「歯磨き」は恐らく善玉金も殺すから、口内の生態系が崩れるんだろうね。

ネズミさんさんが追加
cosmos @cosmos115
癌の正体は『カンジダ菌』
そして、ある溶液で癌細胞が正常細胞に代わって行くということを発見!…
1件の返信 13件のリツイート 11 いいね

ネズミさん
‏@Nezmi_san

重曹は弱アルカリだから口内環境を「ととのえる」程度で「根こそぎ殺戮」はしない。 口内の細胞回復まで影響しない。(思うに砂糖と強力歯磨きが、相乗効果で歯医者を儲からせていたんだろうよ)
重曹は弱アルカリだから口内環境を「ととのえる」程度で「根こそぎ殺戮」はしない。 口内の細胞回復まで影響しない。(思うに砂糖と強力歯磨きが、相乗効果で歯医者を儲からせていたんだろうよ)

cosmos ‏@cosmos115 1月23日

癌の正体は『カンジダ菌』
そして、ある溶液で癌細胞が正常細胞に代わって行くということを発見!

その溶液とは

重曹は癌や被爆、虫歯、肝臓病などあらゆる病気を治す効果がある?! http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=310023&g=131207 …
pic.twitter.com/M2dAaN6ozm

cosmos ‏@cosmos115 1月23日

癌の正体は『カンジダ菌』
そして、ある溶液で癌細胞が正常細胞に代わって行くということを発見!

その溶液とは

重曹は癌や被爆、虫歯、肝臓病などあらゆる病気を治す効果がある?! http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=310023&g=131207 …
pic.twitter.com/M2dAaN6ozm





ツァイガルニク効果(ツァイガルニクこうか、Zeigarnik effect)は、人は達成できなかった事柄や中断している事柄のほうを、達成できた事柄よりもよく覚えているという現象。

ドイツのゲシュタルト心理学者クルト・レヴィンの「人は欲求によって目標指向的に行動するとき 緊張感 が生じ持続するが、目標が達成されると緊張感は解消する」という考えに基づき、リトアニア出身で旧ソビエト連邦の心理学者ブルーマ・ツァイガルニク(1901年11月9日 - 1988年2月24日)が「目標が達成されない行為に関する未完了課題についての記憶は、完了課題についての記憶に比べて想起されやすい」との事実を実験的に示した[1]。以上がツァイガルニク効果。

さらに、ツァイガルニクらには、未完成の図形と完成した図形についての記憶研究もある。知覚の実験にあっては、未完成図形の方が完成図形に比べて記憶の度合いが悪い。

自分自身の行為を記憶する過程と、視覚像を記憶する過程とは、相異なる法則性に従っている[2]
セルゲイ・ルビンシュテイン著『一般心理学の基礎2』明治図書出版、1982年には、「明らかに逆のこと、つまり、やり終え、完結し、現実性を失なったことは、なによりもはやく忘れるという傾向もある」との付言がある。
^ ヴィゴツキー著『子どもの心はつくられる-ヴィゴツキー心理学講義』菅田洋一郎監訳・広瀬信雄訳、新読書社、2000年。ISBN 9784788041110。


最後に

ドラマや漫画なので物語で非常に盛り上がって、さあどうなる、といった次の瞬間に「つづく」のテロップが入る。
話がいい所で中断されると、続きが気になって仕方なくなる。
そして、次回を見逃すまいと、頭の片隅で気にかけてしまう。
"人は満足すると提供されたものを嫌いになり
不足するとより好きになる心理的法則を持つ。"
お気に入り詳細を見る
"WEBへ誘導するため、値段など重要なことをあえて言わない"
あえていちばん大事なところで、話を中断する。
相手が乗ってきたら一度引く、盛り上がりが最高潮に達したときに止めるといったことを何回か繰り返し、相手の好奇心を好意に変えるテクニックとしてゼイガルニク効果が持ち出されます。
我慢すると満足度は高まる

ポイントはあえて中断する、我慢するところにあります。そして、短期間でも好物を我慢すると満足度があがります。さらに、その我慢は一瞬だけでも効果があります。
マッサージは休憩を挟んだほうが満足度が高い。

中断して距離をおくと楽しむ能力が増すということです。
クーポンやマクドナルドにも

皆さんもよく使うクーポン券。普通、有効期限が長いほうが使うチャンスが増えて得だと考えられてますが、実は、期間が短いほうがよく使われるということが最近の研究でわかりました。

また、あるアメリカのあるファストフードショップは、ベーコンとチーズをフライドチキンで挟んだ商品を発売し、一ヶ月に100万個売り上げる大ヒット商品を生み出しましたが、会社はこの大ヒットメニューを即座に引っ込めました。これにより、翌年も大注目され、毎年期間限定で発売されるロングセラーになりました。
販売期間を限定することで、購買意欲を維持する消費者心理を利用したマーケティング戦略。

「マクドナルドの月見バーガーも、レギュラーメニューにすればバカ売れするのにな~」と思っていましたが、こういう戦略にまんまとハマっていたんですね。
まとめ

ゼイガルニク効果を利用して満足度をあげる簡単な方法は、好きなモノやことに中断を挟むことです。 消費を控えるなどの自制が、好きなもののご褒美化につながり、楽しみを膨らませる

osusunehonn
「とある会社の経理さんが教える 楽しくわかる! 簿記入門」
• クリュシッポス『論理学研究』(散逸)
• セネカ
o 『怒りについて』(De Ira)
o 『寛容について』(De Clementia)
o 『賢者の不動心について』(De Constantia Sapientiis)
o 『心の平静について』(De Tranquillitate Animi)
o 『人生の短さについて』(De Brevitate Vitae)
o 『幸福な人生について』(De Vita Beata)
o 『神慮について』(De Providentia)
o 『善行について』(De Beneficiis)
• マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』



『サンスクリット入門 般若心経を梵語原典で読んでみる』


各宗教のインド古典文献に見る宇宙観を一般向けにまとめた本としては定方晟(さだかたあきら)『インド宇宙論大全』春秋社

統計学入門 (基礎統計学) 単行本 – 1991/7/9
東京大学教養学部統計学教室 (編集)

図解・ベイズ統計「超」入門 あいまいなデータから未来を予測する技術 (サイエンス・アイ新書) 新書 – 2013/12/18
涌井 貞美 (著)

国語算数理科しごと」は、SEを経て公認会計士となった岩谷誠治。 簿記の本を読めば、最初に「資産は負債と資本を足したもの」と書かれているんですよ。「実践編」といっても、基礎が出来ていなくても安心していい。なにしろ著者が言う通り、その図だけ覚えてしまえば、あとはいくらでも応用が効くのだから。実に簡単にして美しい図である。
資産
Asset 負債
Liability
資本
Capital
収入
Income
支出
Outgo

著者は、あえて前書きを解説なしのこの図ではじめている。何を意味しているのか、続きは本書で--というには、あまりに根本的な図だ。E = mc2 や eiπ = -1 に勝るとも劣らないぐらい、美しい図だと思う。ゲーテが感嘆したのもうなずける。

そう。これは貸借対照表(B/S)と損益計算書(P/L)だ。この双方を上下につなげたところに、著者のセンスがある。B/SはB/S、P/LはP/Lで分けてもいいのだし、むしろこの図ではB/SのB/Sたる 資産 = 負債+資本 になっていないのではというつっこみもありえるが、私はこの図の方が好きだ。

なぜなら、繰越金に利益を足したものを資本としてバランスさせた「〆た」会計より、下にP/Lを乗せることでB/Sがバランスするという「活きた」会計をこちらの方がよくあらわしているからだ。

こうすることによって、P/LとB/Sを単独で眺めていてはわからないことも即座にわかるようになる。

たとえば、利益の増やし方。

P/L的には、それには二つしか方法がない。

収入を増やす
支出を減らす

しかし、B/Sがあることにより、さらに

資産を増やす
負債を減らす
資本を減らす

という方法もあることがたちどころにわかる。B/S+P/Lはつねにバランスするので、そうすることによって収入が増えざるを得ないからだ。資産を増やすには値上がりする資産を持てばよい。負債を減らすには債務を何らかの形で減免してもらえばよい。そして資本を減らすには、配当してしまえばよい。

ここの部分、ちょっと誤解しやすいので補足すると、「他の項目を増減せずに」という条件がつく。たとえば株や不動産を買っても、その時点では資産の内訳から現金がその分減るので資産額はそのままだ。借金も単純に返済しては、資産も減るのでやはり何も変わっていないことになる。

財産を原因=得w田方法とえっか=今どんな形で存在しているかの二つの味方で見ているだけ
借り方左              貸方右
(財産・資産の現在の存在形式=結果)  (財産・資産調達法=存在原因)

資産     負債
        純資産
        当期純利益
費用     収益


ご存知のとおり、大変残念ながら現時点において会計は義務教育では教えていない。高校ですら必須科目ではない。これは政府の怠慢(あるいは陰謀)であるが、今からでも遅くはない。本書で自営、いや自衛して欲しい。少なくともローンを組むのは、本書をクリアーしてからにした方がいい。ましてや起業ともなれば。
本書「借金を返すと儲かるのか?」は、前著「国語算数理科しごと」を「理念編」とすれば、「実践編」に相当する。中学生以上であれば、いきなり本書からはじめてもいいだろう。前著ではカバーしきれなかった、減価償却や貸倒引当金といった概念も本書ではきちんと網羅




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ーーーー


“「目的を達成するためのやり方はどうやればいいの?」

まず目的を明確にします。
最終的な目標を達成するためには、きっと様々な段階があります。
例えば、“将棋で勝つ”場合、まず駒の動かし方を覚え、囲いを覚え、戦法、定跡、手筋、寄せ・・・などに分けられる訳です。
そしていくつかの目標に分割したら、それらをいつ、どこで、何を・・・など5W1Hに落とし込みます。
それらをまとめ、階層表を作ります。達成の困難度別に点数をつけるわけです。

階層表を作ったら、イメージトレーニングです。
それを達成する自分をイメージしていきます。そして、イメージでできるようになったら、次は実際にできそうなとこから手を付けてみる・・・”
ぼっちのための社会心理学シリーズ第九回コメ返しvol.1
http://ch.nicovideo.jp/witten/blomaga/ar1172366?nicorepo_user_register_chblog&zeromypage_nicorepo


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やまいはきからようそもあるか黄色は役立つこともある。
けどさそれって依存心と引き換えだよ。祖そもそも宗教色を取り去っても成り立つのなら宗教的要素は中核じゃないよねえツだろというア教える側の都合じゃん。
手かざしって俺もできうってことで分派が大量発生するそうな。神がかりカルトも同様だって言ったもん勝ち。
この世界は物質世界のマルクト王国だから物理的期間省が一番強いよ。呪うより殴れってやつ。
kabrakaburenokusenikonosekaigabussitusekamurukutodebussitugaitibannyuuittekotosurakidukanainonカバラかぶれのくせにこの世界が物質マルクトだから物質優ってことに気づいてないよなあ意識と精神偏重というか誤った精神論だろ物質も大事だよ
って気づいてないやつってカバラから何を学んだ野花南
意識はブースと掛けるのであって採取的には物理的干渉で動くのに



「「「「



おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 1月25日
ちょっと訳あって、般若心経について説明してたのだけど 般若心経というのは神智の門に来るまでの最も手っ取り早い道について説明したものでうちらで言うعقل کلی 完知の為の道筋なのね それで読んでいたのだけど、イスラームの教条論を知っていれば仏教も簡単に理解できるんじゃないかな

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 1月28日
本物・偽物言っている時点で全て偽物 偽物の中で最もらしい偽物を本物と言っているだけで肉体という限りを持っている我々が本物という名だけ知っていようが実は見えない 正に空のような存在であり、結局空観の徹底か無為自然の境界に触れる事なければ所謂本物というものを見いだすことは絶対にない

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2017年1月29日
拝金主義は上等な思想であり、非常に実用的な思想でまた人間の捉われたいという心とその安堵感を利用したもので完璧な思想です なので、これを否定するには2つの手段しかありません
1、絶対形而上からの否定
2、空観による、唯物と唯識の否定とその行動以外の方法はありえません

私から言わせれば、絶対形而上による規定と規範からの視点がない存在が何を言っても究極的な準拠が存在しないので語るだけ無駄です 例えば、表現について 表現はあっらーさんが事前に全ての人類に対して用意されていた知識と方法手段です だから、全ての表現は人間の権利の外にある筈なのです

即ち、表現が有料だの、無料だの語る事事態が無意味でそもそも我々は被創造物にすぎないので認識されて、言葉で固定化されては相互関係が必要な物質の奴隷になり下がる事は出来得ないのです
逆に、それで自由を得ているという見方もできるわけですから、相互が発生するものは絶対ではないのです

その前提がなく語られるものは全部、究極的な根拠がないので無駄で・無意味で・そんな事を考えるくらいならエロ本読んで自慰でもしていた方が遥かに合理です
絶対が規定されていない言論は無意味で・無価値です、必ずそこには詭弁と錯誤に個人都合が入るので聞くだけ毒でしかあり得ません

だから、私は何処かで己を固定化する必要があると言っているのです
それがない限りは相互に「尤もな事」言い放ちあっておしまいです
それは己の人生を浪費する事でしかないのです
まず、己の捉われたいものを確定させる事とそれが相互が発生するものか、否かで見極める事です




―――――

峨骨 ‏@Chimaera925 2016年10月3日
資本主義、民主主義、多くのイデオロギーの根底にはキリスト教神学、キリスト教中心主義の基礎部分がある。
キリスト教中心主義者が(神の下)世界は一つ、(神の下)人類皆兄弟と唱える際、
彼らはオッカムの剃刀で(神の下)を削ぎ落として人類の普遍的概念のように仕立て上げ、普遍的と誤認させる。


世界は一つである必要は無いし、人類が皆兄弟である必要も無い。異文化や他者の自由意思や思想の自由を尊重し、相手もそれを尊重する。価値観や思想が相容れないのなら不可侵として住み分ける。統合されてしまえば争いが絶えない。一つの価値観や思想、文化、宗教で統一する必要はどこにもない。

キリスト教中心主義者は自分達の宗教や神、それを背景とする思想、文化、価値観を普遍的な概念として広めて、世界を一つに、人類を皆兄弟にしようとする。それは神の下の世界統一、人類皆兄弟。神が何であるかは彼らが決める。
普遍的としてしまえば、解釈でいくらでも容易にねじ曲げられる。

自然法・国際法の父と呼ばれるグロティウスは17世紀のオランダ生まれ、法学書『捕獲法論』『海洋自由論(自由海論、インド貿易に関してオランダに帰属する権利について)』を著して東インド会社を弁護している。
普遍的な概念なぁ。

捕獲法論 wiki >マラッカ海峡でポルトガルの商船カタリナ号を捕獲した事件であった。この事件に関してオランダの海事裁判所で裁判が行われ、1604年9月9日に船主組合と合併した東インド会社に有利な判決が下され、捕獲によって得た品々を東インド会社が合法的に没収することができることが
>認められた。しかしこのような強引な手段によって利益を受けることはキリスト教の教えに反するとして東インド会社の一部の者たちはこの捕獲によって利益を受けることを拒み、そのなかには会社を脱退したり新たに会社を立ち上げる計画を立てる者もあらわれるなど、このとき東インド会社は混乱に陥った

>グロティウス自身が東インド会社と密接な関係にあることを書簡の中で述べていたこと、執筆にあたってグロティウスが東インド会社の資料を利用していること[注 1]、以上の理由から、
>グロティウスが『捕獲法論』を執筆したのは、こうした混乱の中で東インド会社からこのカタリナ号捕獲の正当性を論証し同社の立場を弁護することを要請されたためといわれている そして、グロティウスは『捕獲法論』第12章をもとにして『自由海論』を著わそうと考える。
>「自然法」とは、事物の自然本性から導き出される法の総称である。 したがって、この概念を主として人類・人間社会を念頭に置いて使用する場合、「倫理」と多分に意味内容が重複する概念となる。自然法は実在するという前提から出発し、それを何らかの形で実定法秩序と関連づける法理論は、自然法論


>自然法には、原則的に以下の特徴が見られる。但しいずれにも例外的な理論が存在する。

普遍性:自然法は時代と場所に関係なく妥当する。
不変性:自然法は人為によって変更されえない。
合理性:自然法は理性的存在者が自己の理性を用いることによって認識されえる。

自然法を考える段階でキリスト教中心主義のフィルターがかかっている。
この自然とは何を根拠としたものか、原則から導かれるものとは何か。
ルソーの言う人間の自然な状態ってのもコレだ。
彼らは神学の枷から離れられないから、何処まで行ってもポジショントーク。

全てから離れるのは不可能だが。

ギリシャ哲学、ストア派の自然法思想をキリスト教は取り込んだ。
アウグスティヌスやトマス・アキナスによって神を頂点とする世界秩序の法則性(永久法)、
聖書に啓示された法(神定法)、
その下位に自然法思想を置いた。
神こそが全ての頂点にってな具合に。 グロティウスは自然法の次に神定法。


エヴァの一場面ですね。

(キリスト教神学とユダヤ教神学とイスラム教神学の違いを学べば、
単なるキリスト教思想をユダヤ思想だと布教する詐欺師」に騙されなくなるよ)


峨骨 ‏@Chimaera925 2016年11月6日
世間で流行っている(事になっている)のか。エイベックス所属芸人。有名のクチコミだとステルスマーケティングと認識されにくいのかね。ジャスティン・ビーバーもYouTube出身だったな。今回の件でもワナビーが集まってコンテンツが充実するなぁ。質はともかくとして。誰でもスターってな(笑)

グローバル化により国境線や言語の壁の無い拡がる自由な世界、価値の多様化、一見そのように見える。実際のところは、GoogleやAmazon、AppleStore、iPhoneのように場を提供する企業の箱庭に取り込まれ、それを介して一つに向かっている。コスモポリタンの理想とするような
そんな世界に。そしてその世界にアクセスするには、それら企業を介さなくてはならない。一方で、それら企業は競合する各国のサービスを駆逐していく。最初は支持を集める為に人を集め設備投資に力を入れ、利用者に奉仕するが、競合するものが駆逐された時、我々が奉仕する側になる。物や情報、サービス
これらをいくら欲しても、これら企業を介さなくてはならなくなった時、企業は人々が何に興味を示し、何を欲し、何を考えているのかを知り、都合の良い思想や情報を吹き込む事ができる。多様化を体現したようなそれは、自然に見える人工的な庭園のようなもの。その自然の中には、彼らに許された存在だけ
が多様性の一つとして存在する事を許され、そこに無いものは多様性として存在しなくなる。見えないものは存在しなくなる。言語や性別、国境、あらゆるものを取り払って、
定義された価値観。
その人をはかる価値のメートル原器やキログラム原器は、一体、誰が用意するのか?
多様性というの名の規格化。


彼らの言う自然とは人の手によってデザインされた自然に見える人工的な庭園だ。そうでないものは、征服しなくてはならない未開。自然ではない。
自然は人間が生きるにはあまりにも過酷だ。まして自己家畜化した人間なら尚更。疫病に過酷な自然、不毛の土地に押し込められ、食うものも無くて人間に食えないものを家畜に食わせてそれを食らうしかなかった連中が宗教にすがり、肥沃な大地を自らのものだと考え、略奪するのも必然と言えば必然か。
そのような者達の考える自然は宗教を背景にしたユートピア思想。妄想の、ありもしないイデア界に存在するようなエデンの園みたいな自然。未開を征服して人工的な自然を地上に作り出す。ルソー教の言う自然回帰もこれだ。目を背けたい現実を受け入れられず、理想のユートピアを自然と定義した。
現実には存在しないユートピアの住人を理想的な人間のモデルとし、それらに合わせて社会をデザインする。その裏には支配欲。神になったかのように思い上がった傲慢。教育によって盆栽のように人をデザインしたところで、人は人以上にはなれない。狂気の妄執による理想はある種の呪いに似ている。

そうして人は社会によって、そのように仕向けた者によって剣闘士のように争い合うよう宿命付けられる。使い捨てカイロのように賭けの胴元の懐を暖め、そして迎えた死は自己責任と吐き捨てられる。


おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 1月29日
中国の学生と話すと孔子や老子がアライッサラーム、即ち指導者性を持つ者として認知されていて非常に面白い
後、筆談や日本語ー普通語変換のアプリが非常に進歩しているので何だかんだ言って意思の疎通がしやすい
なので、もし次に言語習うとすれば普通語という選択も非常にいいかもしれない

mko ‏@trappedsoldier 1月30日

「自爆テロに志願すれば、天国で72人の甘いバージンが待っている」とテロリストを煽動するサウジアラビア人宗教指導者ムハイシニ ↓ https://twitter.com/walid970721/status/826031481692811265 …

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2017年1月31日
@trappedsoldier
凄い出鱈目ですね
自爆というのは自分の意志で自分を殺す事なので自殺です、自殺は如何なる理由があろうとも地獄行き
また、勝手な異端審問と相手が自分をムスリムだと思っている相手を殺したら二重に地獄行き
三重の地獄行きを説く事はイスラームは出来ません

日本で宣教するなら、悪人正機説を採用して「死ぬ時にアシュハドアンラーイラハインラッラー、アシュハドアンナムハンマダンラスゥーウッラーと言えばいい」でいいと思う ある種、それが多神教者として産まれた最大の特権なのでそうやって救済していく他ないでしょう

正直、時宗みたいなこと言っているけど究極的な救済という事を踏まえるのであれば、アッラーさんが多神教者とその知識を創造した事を踏まえて考えるのであれば、多神教者の特権として今迄の罪は完全に消えさるというのを踏まえればこの方法しかないと思う なので、ギリギリまで待って入ればいい

何か、遠藤というオッサンの沈黙の話が出てきたけど アレって、やっちゃいけないのよ
だって、あっらーさんは相互関係を必要としない存在なのでアッラーさんは沈黙している訳でもなく、実は聖書で答えを言い切っている筈だからアッラーさんは最も賢い何かなので必要以上の事は言わないの

なので、何で助けてくれないのかと懇願している時点で実のところ現世利益になるので偶像崇拝に落ちるわけなの クルアーンには雌牛章のところに書いてあるけど、イスラームの為に死んだものは見えないけど、死んでいないとあるようにキリスト(ع)も死んでいないわけで信者は最期の日まで生きているの

あっらーさんの救いというのは最期の日に必ず救うという事であり、あっらーさんの為に殉死したものは最期の日まで生きていて、苦しむ事がないという事なの だから、何で現世で救ってくれないのかと嘆くのが大きな間違いで福音書を最低限読んでいればそういう解釈は出ない筈なのだけど、わからない

つうか、人間は何でもかんでも意味を与えて直ぐ偶像・象徴を作るからそれを外に表現する事を禁じたの 例えば、私何かは褐色でムチムチなつり目なお姉さんと妄想して、溢れるバブみに浸ってオギャりたいけど、それが内心で留まっているのなら問題はないの それが外に出るとマズイわけさ

すぐ何かに意味を与える人類のこの特性から、偶像を描かないというのは不能なわけ
だから、アレもコレもそれも偶像崇拝とか言っているおバカは己の描いている偶像以外認めないと言っているのと同義でアッラーさんは賢いので外部に偶像を作るなと言っているのにバカというのは直ぐに意味を誤解するの

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi
アドルعدلはあっらーさんの公平とした方が正しいです
何故なら、正義というのは常に揺れ動くものですが公平というのは動かないからです
また、均等なのと公平も異なりやらかし捲った人間とやらかしていない人間は均等ではなく、公平であるから地獄に堕ちる超人と天国へ行く超人が存在するのです

カニとエビ(観念論と唯物論、唯神論と無神論)はどっちも土台はアッラーさんの知恵と力、生があるから成り立っているわけでそれをほっぽっての議論は無駄 どっちも全部そうではないといけないと考えている時点でかに味噌とエビ味噌が詰まった連中でしかない、我々は究極的にはベクトルでしかない
ベクトルであるが故にどちらかの方向に向く力というのを削ぎ続ければ空観になる イスラームは人間は表現=如何様にしてもベクトルを持ってしまうというところから始まるのでシラータルムスタギィーン、アッラーさんへ向かう真っ直ぐで整備された簡単な道を行けば良いのだと嫌っと言う程言っている

その道は誰もが公正で公平なのだけど、しゃいたーんたそはその道を行くのを邪魔する だから、クルアーンの最終章にはその誘惑する存在とそれから護る事が伝えられているわけ 簡単でしょ、簡単だから禿げあがるほど難しいのだけど往々にして物事なんぞそんなものだ

アドルعدلを理解するとどうなるかというと、例えばヨブ記の記述は全否定される 何でかというと、アッラーさんは公平で公正なのでヨブが始まりから、終わりまで唯一性を理解した信徒であり、彼を試すことはあっらーさんの唯一性を瑕疵するのでアッラーはそんな事をしないでおしまいである
なので、試す存在であればそれは「所謂悪魔」しかおらず、唯一なる存在はヨブを苦しめる事はないのである そもそも、試さねばならないというのであれば、アッラー自身が己の力を疑うという矛盾が発生するのでそれは人間のعقل知恵から全否定されるから、無謬なる存在が矛盾する事をしないで終わり

じゃあ、旧約には何でそんなこと書かれているの?と、聞かれても私にはわからないし イスラーム側から見るとそれって後世の人間が勝手に足した話じゃねえの?人間の論理展開から否定される事をあっらーが人間に啓示するわけねえじゃん(侮蔑) 後は違う真意がある、以外の選択はないのです

(おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年12月11日

因みにクルアーンでは旧約や新約の預言者や絶対なる存在を物神化、相撲をとったという記述や酒を飲んだや強姦したなどの記述は全否定されます
なぜなら、それは絶対なる存在は物質ではないですし、預言者は罪から最も離れた存在だからそういった罪を犯さないのが大前提です

―――
―――マルキオン道アナことやろうかなあ。彼は付近書は火一つだけ再王採用だからな。至高絶対創造主全地全欧に反する記述をすべてチェックすると聖書のどこが残るのかなコーランもね。シャイターンがわなとして設置したものがあるだろう。というかシャイターンなら邪魔するなら聖典にに偽物をまzルのが一番だと考えるでしょ。デカルトが考えたあのニセの騙す神ってやっぱりぢア問題だよなあ。あのレベルまで欺かれたら嘘と真の区別すらできないし意味なくなるもん。

啓典(けいてん)は、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。旧約聖書、新約聖書を内包する。

ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)
モーセ五書(モーセごしょ)、時にはトーラ(ヘブライ語: תורה‎)とも呼ばれることがあるが、旧約聖書の最初の5つの書である。モーゼの五書、律法(りっぽう)、ペンタチュークとも呼ばれる。
創世記「בראשית」(ヘブライ語の原題は「初めに」[4]の意味)
出エジプト記「שמות」(ヘブライ語の原題は「名」[5]の意味)
レビ記「ויקרא」(ヘブライ語の原題は「神は呼ばれた」[6]の意味)
民数記「במדבר」(ヘブライ語の原題は「荒れ野に」[7]の意味)
申命記「דברים」(ヘブライ語の原題は「言葉」[8]の意味)

Genesis: "origin" (Hebrew: Bereshit – "In the beginning")
Exodus: "going out" (Hebrew: Shemot – "Names")
Leviticus: "relating to the Levites" (Hebrew: Vayikra, – "And he called")
Numbers: numbering of the Israelites (Hebrew: Bamidbar – "In the desert")
Deuteronomy: "second law" (Hebrew: D'varim – "Words")

Genesis

Genesis begins with the so-called "primeval history" (Genesis 1–11), the story of the world's beginnings and the descent from Adam. This is followed by the story of the three patriarchs (Abraham, Isaac and Jacob), Joseph (Genesis 12–50) and the four matriarchs (Sarah, Rebekah, Leah and Rachel). God gives to the patriarchs a promise of the land of Canaan, but at the end of Genesis the sons of Jacob end up leaving Canaan for Egypt due to a regional famine. They had heard that there was a grain storage and distribution facility in Egypt.
Exodus

Exodus begins the story of God's revelation to his people of Israel through Moses, who leads them out of Egypt (Exodus 1–18) to Mount Sinai. There the people accept the covenant with God, agreeing to be his people and abide by his holy Law, in return for his agreeing to be their God, and protect and defend them from their enemies, and provide for and prosper them . Moses receives the Torah from God, and teaches His laws and Covenant (Exodus 19–24) to the people of Israel. It also talks about the first violation of the covenant when the Golden Calf was constructed (Exodus 32–34). Exodus includes the instructions on building the Tabernacle and concludes with its actual construction (Exodus 25–31; 35–40).
Leviticus

Leviticus begins with instructions to the Israelites on how to use the Tabernacle, which they had just built (Leviticus 1–10). This is followed by rules of clean and unclean (Leviticus 11–15), which includes the laws of slaughter and animals permissible to eat (see also: Kashrut), the Day of Atonement (Leviticus 16), and various moral and ritual laws sometimes called the Holiness Code (Leviticus 17–26). Leviticus 26 provides a detailed list of rewards for following God's commandments and a detailed list of punishments for not following them.
Numbers

Numbers tells how Israel consolidated itself as a community at Sinai (Numbers 1–9), set out from Sinai to move towards Canaan and spied out the land (Numbers 10–13). Because of unbelief at various points, but especially at Kadesh Barnea (Numbers 14), the Israelites were condemned to wander for forty years in the desert in the vicinity of Kadesh instead of immediately entering the Promised Land. Even Moses sins and is told he would not live to enter the land (Numbers 20). At the end of Numbers (Numbers 26–35) Israel moves from Kadesh to the plains of Moab opposite Jericho, ready to enter the Promised Land.
Deuteronomy
Deuteronomy is a series of speeches by Moses on the plains of Moab opposite Jericho. Also referred to as Mishneh Torah in Hebrew (a repeat of the Torah) the essential gist of the entire book is a rebuke to the Children of Israel to not worship idolatry, to not follow in the ways of Cana'an, and to cleave to God. Moses proclaims the Law (Deuteronomy 12–26), gives instruction concerning covenant renewal at Shechem (Deuteronomy 27–28) and gives Israel new laws (the "Deuteronomic Code").[19] At the end of the book (Deuteronomy 34) Moses is allowed to see the promised land from a mountain, and then dies. The text emphasises that no one knows where Moses was finally buried (34:6). Knowing that he was nearing the end of his life, Moses had appointed Joshua his successor, bequeathing to him the mantle of leadership. Soon afterwards Israel begins the conquest of Canaan.
ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)
『詩篇』または『詩編』(しへん、ヘブライ語: תהלים‎ Təhillīm, 英語: Psalm)は、旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。

文語訳聖書では「詩篇」と表記し、新改訳聖書もそれを引き継いでいるが、新共同訳聖書では「詩編」と表記している。正教会での聖詠に相当する。
ほとんどの詩が典礼(礼拝・奉神礼)に用いられた詩と神への感謝の詩に分類することができる。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ。ラテン語で詩篇を意味する『Psalmi』は七十人訳聖書における詩篇のギリシャ語タイトル『プサルモイ』(心を動かすもの、複数形)に由来する。ユダヤ教聖書の配列では「諸書」(ケスビーム)の1つ。

イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)
日本正教会では福音経(ふくいんけい)とも呼ばれる。これは福音書を、奉神礼において詠まれる祈祷書(経典)の一つでもあると捉える考えに基づいている。
福音(Evangelion エウアンゲリオンあるいはユーアンゲリオン)は、ギリシャ語 εὐαγγέλιον, euangelion に由来する言葉で「良い(euエウ- 、"good")知らせ(-angelion アンゲリオン、"message".)」を意味する。これを英語に直訳すると、good news
ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)

また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。これは六信のひとつ。

ただし上記の4つの啓典は、クルアーンと同等というわけではない。キリスト教徒による改竄や悪意のない誤写、善意の辻褄合わせ等によって、本来のものとは文面の食い違っているところがあるとされ、その点は憶測や詮索あるいは研究の対象として認められる。そういう意味では、絶対不可侵のクルアーンよりは一段も二段も下に置かれるものである。
Tawrat or Torah: According to the Quran, the Torah was revealed to Musa [13] but Muslims believe that the current Torah, although it retains the main message,[citation needed] has suffered corruption over the years, and is no longer reliable. Moses and his brother Aaron (Hārūn) used the Torah to preach the message to the Israelites (Banu Isrā’īl). The Quran implies that the Torah is the longest-used scripture, with the Jewish people still using the Torah today, and that all the Hebrew prophets would warn the people of any corruptions that were in the scripture.[14]
Zabur: The Quran mentions the Zabur, often interpreted as being the Book of Psalms, as being the holy scripture revealed to King David. Scholars have often understood the Psalms to have been holy songs of praise.[15] The current Psalms are still praised by many Muslim scholars,[16][17] but Muslims generally assume that some of the current Psalms were written later and are not divinely revealed.[citation needed]
Injil or Gospel: The Injil was the holy book revealed to Jesus, according to the Quran. Although many lay Muslims believe the Injil refers to the entire New Testament, scholars have pointed out that it refers not to the New Testament but to an original Gospel, given to Jesus as the word of God.[18] Therefore, according to Muslim belief, the Gospel was the message that Jesus, being divinely inspired, preached to the Children of Israel. The current canonical Gospels, in the belief of Muslim scholars, are not divinely revealed but rather are documents of the life of Jesus, as written by various contemporaries, disciples and companions. These Gospels, in Muslim belief, contain portions of the teachings of Jesus, but neither represent nor contain the original Gospel written by God, which has been corrupted and/or lost.[19]聖詠(せいえい、希: Ψαλμός、露: Псало́м)とは正教会(日本正教会)において、旧約聖書に含まれる、主に王国時代に歌われていた歌頌を集大成したものを指す呼称。聖詠を収めた祈祷書を聖詠經(聖詠経、せいえいけい、希: ψαλτήριον 、露: Псалти́рь, Псалты́рь)と呼ぶ。私祈祷、公祈祷の別無く、奉神礼において頻繁に詠まれ、歌われる。)

椛もみもみ 宗教令的にはどっちの分類になるかはわかりませんが推論上、人間としての自覚と知性があればそれは人間として認められるので椛やケロちゃんのような擬人的存在は人類として分類されるでしょう なので、推論上椛は犬としてではなく、多神教者としての不浄となるのでしょうか




Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
ハーブティーをつくって飲んでる。ローズペタルとローズヒップ(少な目)、羅漢果を混ぜたものにはちみつを少し加えた。


ホロスコープの情報って個人情報だからあまり口にしないほうがいいと思うな。(^^; エフェメリスで検索できる人なら簡単に生年月日を割り出せてしまう。趣味のことや地域のことなども限定できれば、そこからいろんな情報が引き出せるので…

穴が開くほどアナロジー。オカルトではアナロジーが独り歩きして第三者的視点からの検証比較がまず行われないから頓珍漢な類推が成立するの。科学的視点による批判をはさまなければ幻想の翼を得てそれは軽やかに飛躍する。妄想のままならただのエンターテイメントだけど現実を忘れると大事故になる。

似非科学といわれるのも同様で、オカルト的アナロジー(類推)の利用に制限をかけないまま科学的手法に転写して用いるからしばしば大事故になる。それはコレスポンデンスの誤った用い方です。
オカルトをやるからには科学の基礎と常識を大事にするの。そうしないと足を掬われてしまうから。

オカルトにとって科学とは銀行みたいなもの。融資を受ける身としては誠実に付き合うべきだと思う。そうしないと強い味方が恐怖の対象に変貌してしまうでしょうね。魔法にとっても同じこと。科学は「相手のふり見てわがふり直せ」の「相手」に相当するもの。自己批判をなくしたらそれはただの妄想になる

コレスポンデンスはアナロジー(類推の一種)だから、一つや二つではなく20や30の類推を本題からぶれることなく並べられることが条件なの。主題からぶれてしまえばただの屁理屈になる。それが心の中で結晶化し、確実なものにすること。だから三次象徴でもまだ足りない。

そこに、ごみがいっぱいになったごみ箱を想像してみて? 一度片づけないとごみはもう捨てられないの。心残りのことを増やすと心のごみ箱が一杯になってしまう。今日できることを明日に回すというのはそういうこと。不思議なことに、そのままいくとごみ箱を見なくなってもっとごみをため込むようになる
乱雑なお部屋を放置したまま退去儀式を行っても意味はない。だって、大掃除しなければ下に積もった埃は片付くはずもないから。心の問題だって同じだから、日々コツコツとお掃除します。それができないのなら魔術作業はきっとうまくいかない。

アストラル的影響は必ず物理的に出ます。心が荒んだら身づくろいは等閑りでお部屋も片付いていないのが見て取れる。実際に霊視などはこの場合必要ない。上のごとく下も然りというわけですから。

霊的作業の八割は物理的作業で完結します。だから物理を優先するのです。それが最も効果的な方法なのでお掃除しましょうね。

(魔王アモン ‏@mryensrh11 9月23日
心の中の状態と 部屋の散らかり具合ってシンクロしてんだぜ 魔術訓練のひとつにも 部屋の掃除ってのはある は? みたいな話だけど いつまでたってもマンガと魔術の区別ができない アホどもからケチをつけられる筋合いはない

――――
ねここねこも部屋の掃除中。
ミクロコスモスとマクロコスモスの対応関係。当然自分の部屋もマクロコスモスの一部だからね。
霊的に浄化しても物理的に汚いと結局は霊的にも汚くなるからね


魔法の面接があるとしても、霊視は最初から行わないしその許可が相手からなくてはしてはいけないことになってる。そもそも、企業の面接官と同様で外見からその判断は凡そつくのです。髪の毛、襟足、口臭、肌の手入れ、男性なら無精ひげ、さらには言葉遣いや話し方、話す内容などで大体のことはわかる。
外見やしぐさ、表情、持ち物からほとんどのことがわかるのにわざわざ霊視などは必要ないのです。だからよほどのことがない限りはトランスに入って探索することはない。もしこれができないのなら、霊能者の資質に問題があるかもしれません。霊能力は通常能力の延長線上にあるからです。

霊というのはひとことでいうと人格構成のことだから、霊視能力がないひとでもある程度のことはわかるもの。それ以上のことだともっとも心の深い部分に振れるから、そもそも安易に触れてはいけないの。

霊能力がないからといって悲観しないで。なぜならほとんど使わないからです。手で持って重さを量れば済むことなのにわざわざ精密な電子秤を使うことなんてある? そういうことなの。
計量カップで済むお料理なのに「化学で使うメスピペットで液体をいれてます」というのが能力自慢のあれです。世にいう霊能力者をお料理番組のお姉さんだと思ってみるといいの。必要ないのにそんなことをしてるとしたら、何か変だなってわたしは思います。


外的状況から観察して分析したプロファイリング情報を霊能力だと偽る例はよく見かけます。それがもしも本物だとしたら戸口に立った瞬間にいくつか誰も知りえないことを答えられないといけない。だからとってぺらぺらと個人情報を口にするのは礼儀に反してますけどね。(^^;
それにもうひとつ大切なこと。魂をみるのって必ず成功するとは限らないこと。アストラル視ではそんなに精密な観測はできないものなのです。恐らくはその殆どがプロファイリングによるものだと思うの。深度トランスにでも入らない限りそれは行えないし、できたとしても結果は得られないかもしれない。
医師がレントゲン診断をして「これではわからないので切開してみましょうか」ということがあるのを知ってる? あれと同じなのです。(^^;
切開しても患部は手探りだし、病巣を発見できないこともあります。常識的に考えてもまったく同じなのよ。w


相手の心の中を覗くという行為は、自分の心というフィルターを通して自分を計測器として用いると考えてまず問題はないの。すると、自分というフィルターが邪魔をするからその精度は「いかに自分に正直になるか」で決まります。
鏡が汚れていたらそれは正しく何かを反映しない。だから自分の心を磨くほかはないのです。

鏡をみて、もしも何も映ってないのならそれでも問題はない。召喚や占い、そのほかどんなことでもいいけど強制をしてはいけない。ないならないし、あるのならある。少しでも強制すると自分でそれを生み出すことになるからしないほうがましです。

直観なんて生理のように毎月決まってくるわけじゃないですからw

たとえば、とある霊を召喚するのに成功したとして、連続でやってきていたのに今日は調子が悪いのかな? なんて思ったら無理に続けてはいけないの。そうすると遅れてやってくることがあるけど、多くの場合はそれは自分が生み出したもの。期待してたのとすり替わってしまったのです。
自分が強制して生み出したものは自分をだますために生まれたのですから、そのあとは自分をだますために働きます。だからもはやそれは信用してはいけない。さっさと退去しましょう。
魔法を知らないことによる罠はそういうのです。誠実さは特に重要な武器になる。どんな時にでもね。

ジョン・ディーの喚起魔術の話などはそのよい例かな? 途中から不振に陥って霊が出てこなくなると自らそれを作り出そうとする。それを利用してケリーが詐欺を働いた。


肌の色を気にするのって海外でお薬を処方されるときかしら? 人種の差は確かにそういうところに出るから、宗教的・文化的差異を除くとそれくらいしかないかも?

ホロスコープの情報って個人情報だからあまり口にしないほうがいいと思うな。(^^; エフェメリスで検索できる人なら簡単に生年月日を割り出せてしまう。趣味のことや地域のことなども限定できれば、そこからいろんな情報が引き出せるので…

途中を伝達する人は一定の教養が求められる。伝承や伝統もそうなのですが、自己判断でそれを改変してはいけない。それは情報のリレーだから、途中を走る人の力ですべてが決まるの。アンカーがどう頑張っても遅れは取り戻せない。
論文を書くのでもそうなんだけどな…。「○○がこういってました」では駄目で、誰がなんという本の(第何版の)何ページにこのような文章がありましたと示さないといけない。出典の不明確な情報は自分で調べるのです。

大事なお買い物のときはお腹を七分目くらいに満たしてからのほうが吉。食べすぎずお腹が空きすぎずにしてる。何が起こるかは習慣づけするとわかります。
お腹七分目というのは魔法の訓練でも同じなのです。獣性をほどほどに抑えてしかも鋭敏さを失わない。お腹が減りすぎても満たしすぎてもいいことがないから、大事な時は習慣にしてるの。

何かに妥協しないと、一番大切なことに力を注げないの。取捨選択を迫られたとき、どれを残すかというお話だから。

あとはそうね、一度決めたことについてくよくよと悩まない。自分の足を引っ張ることになるのはいつも自分だもの。

自分という名のカウンシルがあって、人格の中でいつも言い争いをしてるの。それに対して理性が採決を行い一番大切なことを決める。意志がそれに対して決定権を持っていて、まるで女王様のよう。意志は解散命令権しか持たない。でも、決めたことは実行しないといけないからね、王様らしく。

大丈夫よ? お片付けしたら少しだけ心もきれいになってるから。
お部屋のお掃除をすると、決断力が少しだけ上昇します。
退去儀式って根本的にそういうものだから、決断力次第なの。


捨てなくていいものまで捨てちゃうのは単なる火星の暴走だけど。(^^;
王者のようにふるまうのは他人に対してじゃないのよ? 自分自身に対してだから。マルクト(王国)というのはこの肉体のこと。そして自分が統治すべき国のことなの。だからみんな自分自身に対して王様なのです。
支配欲求を向けるのはいつも自分に対して。それをほかへ向けた場合は自分の統治に失敗するから。

肉体は神殿にして王宮。王冠、三本柱、王国。自分=小宇宙=ミクロコスモスを改築せよ!
部屋=自分の一部を掃除せよ!






Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2分2分前
• • Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 19分19分前
『母から娘へ、魔法の継承 ~ハイブ・オフと魔術結社の紋章』というタイトルで書き始めたら横から「それだけはやめて」と止められた。残念、女王蜂システムとあの紋章についてフェミニズム視点で書きたかったのに没になった。orz ウィッカたちとあそこが騒ぎ出すから。

女社会に生きるための秘儀だからなぁ…あれ。
なぜハイブ・オフが必要なのかも教えなくちゃならないし。
オスカルは働き蜂。
S○Lの構造自体が男性社会ではないというお話なの。魔術結社は男性社会というフリー・メイスン的な視点が一般的だけどその内実は違ってるからです。なぜなら、継承するのはイシス的秘儀ですから。
根本的にプリーストを育てるのがメイスン的階級により、プリーステスを育てるのは母と娘の二階級しかない。

三階級目というのは月の三番目の位相のことだからです。
だってほら、娘、母、老婆ですから。
と、いまはこんな遠まわしにほのめかすしかできなくてごめんなさい。
エレウーシス秘儀ってデーメーテールとコレー(ペルセポネー)の秘儀のことですからね。

それとね、ドイツ語とフランス語では太陽と月の名詞のジェンダーは入れ替わってる。英語にはジェンダーはないけど太陽は男性的と言われてる。ところが、ゾンネは女性名詞。GDの架空の本部はドイツ本部ということでこのへんも混乱のもとになってる。

「かわいい子には旅をさせよ」というのは女の子向けかな? 'hive off'が必要なのは女の子のほうだから。いまどきは結婚がきっかけとは限らないから、適齢期になったら追い出さないといけないの。

そうしないと女の子は腐ってしまうから。
女の子はみんな自分の巣を作らないといけないから。
'hive'のお話は形のお話だから経済的問題とはちょっと違うのです。生活様式や習慣とかそういうの。経済的活力は男性や自分自身でも構わない。そういうことではなくて生活としてのサイクルのこと。「習慣」という言い方をしたけど、まさにそれが形。自分独自のサイクルを生み出すのが女性なの。
日本風にいえば通じるかしら? 自分独自の「おふくろの味」を作ることです。

生活習慣やそのルールは月に関係してるのです。だから社会的なルールや力関係(太陽)のお話をしていない。

わたしにとっては少なくとも「家庭を守る」というのは生活リズムとそのサイクルを守ること。だから家事を行うこととは直結はしていないの。経済的な余裕があるのならほかの人に任せることもできるからです。
これら一連の月のお話はグレーター・サバト、女性特有の病気の疾患、生活習慣病、家庭の生活サイクルのこと、大体こういうのを網羅してる。
女性特有の祭儀のお話なので男性はあまり関係ないけど。
自分独自のサイクルに従わないといろいろと困ったことになるっていう伝承、これが失われてしまったから困るんですよね。女性的な秘儀って失われたので。

例外? お仕事などでルールが守れないときはわたしのリズムを乱さないように別行動するようになってる。一緒にご飯を食べられないときは自由なの。わたしがベースクロックだからそれが狂うと基準がなくなってしまうのでこれは守られるという約束。さまないと家庭という大枠が保てなくなるからです。
うん、TCXOだと思えば大体あってる。
そうそう。温度補償水晶発振器のことです。環境温度に依存しないようにベースクロックが正しくあるように工夫され保護された装置のこと。
家庭内の生活リズムが狂うということは家族の健康に多大な影響を与えるからなの。リズムが狂えば体調も狂うのです。だから、基準となるものを決めてこれに従って生活すること。大昔からの知恵です。
これだけは男性を基準にすると女性のほうが病気になります。だから家族全体をみたとき、生活リズムについてはママを基準にするわけです。
女性として譲れないのってこのくらいですけどね、わたしは。
うん、土星は大母神の星だから時間のかみさまでもあるの。このへんの関係なのです。
生理不順やそれに関連した病気も生活習慣にかかわってるから、リズムが大切なのです。

女性神格の祭儀って殆どそういうものだから、伝える人がいなくなると困るの。

女性の地位とかジェンダー問題などもあるのだけど、とりあえずそういうの後回しで。健康に暮らせることができないと意味ないからです。

流行やファッションで魔法をやってるわけではないので、わたしは。




(hive off
• hive-off
【名・形】
= spin-off

• hive off
【句動】
〔ミツバチが〕巣箱を離れて他へ移る、〔会社を〕やめる、下請に出す、〔子会社に〕割り当てる、行ってしまう、手を広げる、消える、分封する、分離する、立ち去る
________________________________________
1.
2. (1)〈ミツバチが〉分封する.
3. (2)〈集団・組織が〉(…から)いくつかに分かれてそれぞれ独立する((from ...)).
4. (3)((英話)) 急にいなくなる,雲隠れする.
5. (4)子会社を発足させる;(会社をやめて)新事業を始める(((米)) split off).







Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12時間12時間前
トト(トート)はラーの伝令だから夕闇と朝焼けの境界にいる者、トート・ヘルメース。冥府下りといえば地下世界にはアイドネウス(ハーデース)がいるの。彼は三つの頭を持つ犬を従えてる。それは月の象徴となる。かれも、その従えてるものも恐怖の象徴。ただ、知らないが故の恐怖だけどね。

トトがしばしば魔術の神様とされるのは言葉や数字を操るからだけではないの。それは知らない知識を冥府下りによって得てるから、冥府の世界の真実を知るものでもある。神秘は知ってしまえばただの常識。ハーデースとはお友達なのです。







Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 12時間12時間前

ペルセポネーが月に帰属されることを思い出すといいのです。そうすると彼女の夫であるハーデースが従えるケルベロスがどのような生き物なのか理解されるから。
ハーデースは夕闇それ自体。その中にペルセポネーなどの月の女神がぽっかりと浮かびます。彼女は三相をもってるから、それぞれペルセポネー、デーメーテール、ヘカテーと変化します。
これでケルベロスが何のことなのか理解されると思います。
恐怖が生み出した幻想だから。
町の中にいると、普段は本当の闇に触れることは少ないから一歩も足を踏み出せない恐怖は実感できないかもね。
ハーデースは闇でペルラポネーは月。月は幻想を運ぶもの。だから二人が揃うと二面性を持つことになる。優しい幻想もあれば恐怖の幻想もある。闇は幻想を得て生き生きとする。また、月は闇がないと輝けない。彼女にとって闇は優しく包んで輝かせてくれるの。昼間の月を見たことある? ぼやけてるよね?

ペルセポネーとハーデースの具体例を提示し忘れたの。ハーデースさんは壮年の頼もしいおじさまで闇を孕んだ外套を纏う。この例はちょっと見た目が頼りないけど日本人にわかりそうな具体例をどうぞ。
(クラリス カリオストロ でのグーグル画像検索結果へのリンク)

アーキタイプの残滓はあちこちに転がってる。創作の時の霊感の源泉となるから。

拡大解釈のし過ぎ。それは医学的ではない。
科学でもオカルトでも、あまりにも無軌道な妄想による迷信は避けて通りたいかな? って思う。結論への飛躍が大きすぎる場合、真っ先に根拠を疑うから、わたしは。
オカルトが一般の、特に一部の人たちに不評で嫌われてる理由は、他ならぬ魔術師を名乗ってるわたしにも理解できるのです。何故なら、オカルト側は何の予備知識もなくいきなり象徴を用いて話をはじめ、論理の飛躍をもってお話を完結させる傾向にあるからです
象徴とは本来、自然の道理を他者に伝えるためのレトリックに他ならず、想定される問題について何らかの示唆を与えるものだと思うの。ところが推論がいつの間にか検証を挟まずに決定事項にすり替わってる。こうした論理のすり替えが人々に受け入れられにくい原因になってるからです。
これは一種のコミュニケーション障害と呼んでも良いかもしれません。「わかる人だけわかればよろしい」というのは状況によっては真実ではあるけど、徹頭徹尾これでは対話を拒否する引きこもりっ子と大差ないからです。この様な態度は科学を信奉する側にもありますが人々に嫌われる原因です。

神秘の入ってる箱は崖から落として開けるものだと思ってる。錠(歴史的伝承)は脆く崩れやすくできていて、そもそも鍵を作っても安全に開けられる保証はないのです。恐らくは開けてる途中で壊れてしまうでしょう。だから神秘は形を持たないから崖から落としても大丈夫。箱の中は空っぽなのですから。
宝箱の中身が空っぽでもがっかりすることはないと思うの。「残念でした」と書かれた紙が入っていても同様。そこに箱が存在してること自体がすべての答えになってるからです。わたしはそれでいいと思うな。神秘について語るには一番良い姿だと思うから。
空の箱よりも神秘について雄弁に語ってる象徴は他にはないからなの。
GDの儀式道具一切が崖の下から見つかったという件について、これ以上ないくらい笑える神秘を表現する姿は他にはないでしょうね。かれらは神秘の性質についてよく理解していた証拠だとわたしは思ってる。
儀式道具はただのガラクタです、余人にとっては。わたしはそれでいいと思うの、神秘ってそういうものですから。

星が逆行してるときはただぼさっと突っ立てはいない。水星がレトログレードならコミュニケーションに障害が生まれやすいという解釈があるのなら、言葉に注意していつでも誤解を訂正できるように身構えます。ただやり過ごすというやり方ではいつまでたってもその神様とは仲良くなれないの。
神様のお社へは常に自分で出向く。逆境という状況は神様がお社にこもりっきりなのだから、自分の足で出向かないと状況は改善されないからです。

マッサージ師がわたしの歩き方をみてとても不思議がってた。「まるで体重がないように歩く」と教授から聴いたそうな。人は見たこと聴いたことがないと信じないし、逆に見たことがあると信じすぎてしまうの。グラビトンやフォトンすら作業仮説でしかないのに。自然はそれが存在するかのように振る舞う。
肉体でみたり聴いたり、または触れたりしないとひとは不安になるもの。だからこそ形にこだわり、それを根拠にしないと信じたり信じなかったりすることを「自分の意志では決められない」のです。本当はその感覚すらも欺瞞かもしれないのに。だってわたしたちはすべての電磁波を見聞きしたりはしていない
それ故に幽霊さんの存在を信じてない人は「みたら極端に信じてしまう」と思うの。形を常に根拠にしてるから、疑念も盲信も形にとらわれてしまう。それらがとても不確かなものと気づいたとき、きっと心が保てないから。
逆境の時は神様のお社に出向くと表現したけれど、儀式的な手続きとしてはその通り。具体的な意味としては神様が表象している事物に対して意識的になり注意していないといけないということなの。受動的、無意識でいられるのは神様がお社から出てくる状態の時のことだからです。
惑星の順行逆行は、神様がお社から出たり入ったりするのに擬えられるし、神様という言葉の意味は特定の物事を構成する大事な観念のことです。それ故に神様が外に出ているときは無意識的にそれが働くから習慣が作用してる。神様が閉じこもれば習慣が作用しないので意識的に務めるのです。

教養の殆どは習慣によるもので構成されてると思うの。それは生活に必要な知恵を根拠としてるから自動化されるまで教え込まれる。言葉遣いを教え込まれればその挙動もまた自動化されます。「星の力」と呼ぶのはこれら自動化されたそれぞれの徳のことであり、意識的に作ってきた習慣なのです。
アストラルっていうのは習慣そのもののことなのです。それはラテン語のシダスでギリシア語のアステル。両方とも星を意味するのだけど、星の運行と人間の習性、すなわち習慣を擬えてるの。星の力が弱い、もしくは逆行してるというのは、その習慣の力が弱まってるという意味。だから意識的に修正するの。
わたしが理解してる限りのことをかなり正確に表現したつもりだけど、これでわからないとしたら何も言葉にはならないかも?
ひとは習慣の恩恵を受けてるの。特定の習慣が壊れてしまうと、身体が平気だとしても立ち上がり歩くことすらできなくなります。習慣をつくるときは意識的に常に努力をしないといけない。それが無意識的に働くようになったら習慣はできています。けれど、習慣の力が弱くなる時期が定期的にあることも知られてるのです。そのとき、無意識化された習慣を意志の力で補強しないといけない。それが占星術的意味だと思うの。言葉だって話せなくなる。これを星辰の(アストラル的)影響といいます。
これでアストラル作業の実態とはなんのことか理解できるはずですけどね。
人間として正常とされてる一般的な習慣は多くあるのだけど、それぞれ個々の習慣はひとつのマクロのようなものです、なぜならそれはあたかも独立して(無意識的に)働いてるから。これが壊れたり動作不良に陥るのを何とかするのがアストラル作業だから、これらをシンボルで扱い、デバッギングしてるの。


これらのことはわたしのグループで普通に教えてることだけど一見するといささかも神秘性はないように見えます。でも、もしそうだと感じていたら神秘について多くの誤解をしてるのでしょうね。
赤ちゃんが立ち上がって、歩き出し、さらに言葉を発することにどれほどたくさんの神秘が隠されているのかを理解してる人は少ないの。そのこと自体に神様を褒め称えるほどの感動を見出せないのなら、魔法はできないと思うのです。
魔術訓練の最初に行うのが習慣の意識化であり、記録をとることだというのを思い出すといいのです。技法それ自体は神秘的な作業のように見えますが、それは物事の一端しか表してはいません。門外漢はその神秘に魅かれるけれど中身について理解したとき、離れていく人が多いのは当然だとわたしは思います
わたしのお話しする「魔法」は現実的過ぎてつまんないとは思うけど、真面目に実践してる人には大事なことだからあえて言葉にしてるの。これをはっきりと理解するのにすごい時間がかかるから。
魔法の学院は雑草だらけなので下草をみんな自分で刈り込まないと全体像は見えてこない。多くの場合、下草を崇める人ばかりだから肝心の神殿についてはずっと放置されてるのです。

因縁は悪い因習だから、特定の星の逆行時に行うとよいと言われてる。とはいっても、手順はかわってもそんなにたやすくはないですけどね。そのことについて考えないようにしたりするのは難しいから。
よくも悪くも無意識の習慣って扱いが難しい。最初に行うのは無意識にあるものを意識化することなのです。
象徴、シンボルによってその習慣を意味してる何かを無意識から呼び出すとき、間接的にその習慣を認識してることになるの。それが具体的に何を表してるのかをそのときに理解しないといけない。そのシンボルに対してイメージ(鋳型)を与えるのってそういう目的のためなんです。
こういう処方が大衆化され、迷信にまで砕かれるとよくあるおまじないになります。

ヘイトスピーチの一番の問題は、何よりも自らに呪いをかけてることだから。呪いには「主語がつかえない」以上、言葉に注意しなくてはいけないの。
呪いの言葉は自分の頭の中におが屑を詰め込む。それ以前とその後を比較することができるのなら(思い出すのなら)この差は歴然なのです。知性がそれによって衰えていくのが自分でわかるから。

科学はすでに手に入れた右手に持つ鋼鉄の剣だからこれを手放せないの。一方で左手に持った青銅の盾を宗教といいます。どちらもうまく使いこなす必要があって、そうしないと自然の中で戦うことはできないのですから。
ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエが著した『化学の結婚』とはこういったものがテーマになってる。化学(科学)には信仰が必要で、信仰には化学(科学)が必要だということ。それは剣と盾なのですから。
薔薇十字的思想というの総じて化学の暴走を懸念する意見から成り立ってる。時代は産業革命前夜であり、宗教の衰退から科学の時代への転換期に差し掛かってるときのこと。そういう流れに対する反動でもあったの。
CRCの伝承って、昔ながらの司祭が医者になって生まれ変わるという神話なのです。それは時代が変わって科学という衣を纏った伝統的な司祭の姿。すなわち、衣裳は常に時代により変化するの。だから、魔法のローブを着ていないからといって必ずしも魔法使いらしくないとは言えません。
科学者を名乗っていて事実、公的立場としてはその通りでもその思想は明白に昔ながらの伝統を引き継いでる方々は大勢います。実際のところ、わたしにとって姿かたちはどうでもいいと思うの。たとえオカルトとはまったく関係ないように見えても。
もっとも、そういうひとたちは「自分はオカルトなんかに手を染めていない」というでしょうけれどね。

ひとが眠りにつくと、肉体の束縛から外れ、次第に自我の束縛からも離れていくの。最後には魂は自由となる。その魂がどうなるかはわたしも知らないけど、神様の御許に還るとされています。一つだけ確かとわたしが思うのは、外側から観察して何の反応がなくても心は動いてるということ。
目に見えて何かの反応がないからと言ってそのひとが死んでることにはならないの。それをいったらこん睡状態のひとはみんな死んでることになりますから。金縛りの状態は心と肉体が切り離された状態のこと。これは反応したくても反応できない状態。だからといって心は死んでない。
医学的に説明されることはみんな外側から物理的な反応によって証明されたことを説明してることに過ぎないのです。それは実際の「心の状態を何ら説明してはいない」。これは人を心の側から見ているか物質の側から見ているのかの違いです。主体と客体が逆になった見方なのです。
この問題は「どこまでを科学と呼んでいいのだろう?」というお話に帰結します。これについてはそれぞれが考えることだと思うの。
その一連の主題はミニトゥム・ムンドゥム(小宇宙図)の見方の通り。人にセフィロトをあてはめたとき、
右手は左の柱、
左手は右の柱になります。
つまり、右は剣の道でレフト・ハンド・パスというの。
神様の視点なのか、人の視点なのかによって左右が逆転します。
それ故に、ホドは右の腰に当たり鞘が置かれる位置になり、右手には剣を持っている。
ネツァクは左の腰の位置に当たり、これは小さな丸盾が括り付けてあります。
すなわち、剣を腰の鞘にしまう時、栄光の時は訪れる。
ミニトゥム・ムンドゥムが反転したセフィロトの姿だというのは本来秘伝にあたるのだけど、すでにさまざまな書籍に書かれているのでいまさら隠す必要もなく。

多くのグループでは2=9あたりで習うことかな? それは月の鏡像と関係してるから。




Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2013年8月7日

ということで、小世界図(ミニトゥム・ムンドゥム)においてイェソドをイェツィラーとアツシャーの境界と考えるのは間違いなの。アッシャーの境界線は第32の小径の真ん中。つまり、アッシャーが属するのはマルクトのみなの。これはイデア界の力は顕現世界で四大的力に再構成されるという論拠。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2014年1月23日

ミニトゥム・ムンドゥムのセフィロト上ではセフィラはクイーンスケール、パスはキングスケール。つまり受動と能動に分かれてる。ここで重要なのはセフィラはブリアーで大天使的なの。パスは神界に対応させてるけど実践的にはナイト・スケールなので天使団的。つまり水から放出された気体が天使団なの。


Akihoさん、イデア界とマルクト、エレウシスのこと。
G∴D∴系魔術師Akihoさんシリーズ。
https://togetter.com/li/546012
”Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:12:16
ん・・・某銀の月に無限光の対応について混乱してるのあったけど、伝統的にこういうのもある。無限光は、無で至高の三角形、無限で倫理の三角形、無限光でアストラルの三角形に到達。最初の二つのとこはアビスとパロケトの帳あり。ここまでがイデア界。つまり9セフィラと無限光の文字一つが対応する。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:14:39
ひとつの考え方としては、イデア界とマルクト(現実界)はわけて考えるの。従って、アイン・ソフ・アウルが到達するのはイェソドまで。ここでイェソドとマルクトの間にはマルクトの引力という見えない帳が生じるの。これは落下の原理。アンナ・キングスフォードがペルセポネの落下について解説してる。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:23:17
ということで、小世界図(ミニトゥム・ムンドゥム)においてイェソドをイェツィラーとアツシャーの境界と考えるのは間違いなの。アッシャーの境界線は第32の小径の真ん中。つまり、アッシャーが属するのはマルクトのみなの。これはイデア界の力は顕現世界で四大的力に再構成されるという論拠。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:27:36
もうひとつ論拠を付け加えるのなら、マルクトは創造の三元素をテイファレト、ネツァク、ホドから受け取ってる。これは小世界図をみればわかる。創造の3元素の反映は地の大地に反射したイデアの色が濁って出来てる。つまり、レモン、小豆、オリーブ。これがマルクトが特別なセフィラである論拠。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:35:07
イデア界と物質界を分けて考えられていたという根拠はもっと出てくるけど、例えばペルセポネとデメテル神話の中に。アンナ・キンク゜スフォードによれば、ペルセポネはマルクトの裏側に落ちたと説明してる。錬金術の云う塩の象徴でわかるとおりマルクとトは二分割される。これイデア界からの脱落の話。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:38:18
デメテルは娘がいなくなってから九日間(9セフィラ)探して見つからず、最後にヘカテに教えて貰って地上で娘を見つける。これがマルクトの話。ヘカテはが教えた理由はヘカテがマルクトの裏面だから。つまり、これはペルセポネの脱落神話。明らかにイデア界を天上としててマルクトを現実としてる。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:52:51
イデア界と現実の違いの扱い次第で、魔法とかオカルト、信仰についての考え方が180度かわるんだよね。確かにアンナ・キングスフォードは現実の厳しさをよく理解してた。それゆえにイデア界を大切にしてたのだけどね。GDのに示す「生命の木」は結構シビアよ?彼らはそれを確かに熟知してた。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 19:58:23
夢も希望もないように感じられるけど、これが「黄金の夜明け」魔術の世界なの。イデア界は物質世界の法則に投射されて再分割され、アッシャー独自の展開を遂げる。それは粗雑で濃密な世界。フォーチュンもそう表現してる。つまり、これが現実なの。デメテルは現実を見る知性。出奔した娘コレーは魂。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:03:18
もともと、デメテルとコレー(ペルセポネー)は二柱で一つの女神なの。娘と単に呼ばれていた頃は、彼女は天上界に生きる魂で乙女。それが地上の裏側に落ちて現実の理不尽を知る。現実を見つめる知性である母デメテルはペルセポネーとなった娘を助ける。つまり、乙女は現実を理解した。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:08:15
これがエレウシス小密儀の真実なの。地上の知性と魂の救いの物語。それは海の水のように辛くて苦くて肌に痛いお話。体験すると泣くよ?ほんとに。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:17:21
この塩の瞑想で得られる現実の二分割は、ペルセポネーとデーメテールの物語に参入すると氷解して理解される。どうしようもない現実に叩きつけられて、錬金術的黒化が始まる。その後、すぐに白化で落ち着いて心を見つめる作業がくる。あとはね、自分で体験してね。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:22:48
エレウシス秘儀もそうだけど、大の男がマジ泣きするんだよ。面白いよ。え、わたし?大泣きしたwww
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:30:19
まあ、子宮から一度出た子供は元には戻らないんだよ。それは産道を通過するとヘカテーの局面を見るから子供は産まれて泣き叫ぶ。魂は形を得て物質化する。「二度生まれ」と呼ばれる人たちはみんなこれを追体験してきた。大地を、この現実を受け入れるために。それがエレウシス小密儀なの。
mura underground @reflect8mirror
2013-08-07 20:37:28
@Ripple1975 ギリシャ神話を読んで予備知識として頭に入っているからこそ、どういう事なのかがよく伝わってきました。あの物語の意味はこの解釈を元になるわけですか。色々感じさせられます
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:41:24
そうですね。話はあとから聴いたけど、GD魔術の本質はここにあるの。だからこそ、それを理解しつつ現実を笑い飛ばすの。 QT @murasame_nanasi: @Ripple1975 ギリシャ神話を読んで予備知識として頭に入っているからこそ、どういう事なのかがよく伝わってきました。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 20:59:40
ここまで言えば分かるとおり、タロットの世界の中にいるダンサーは本来、神的幻影なの。アイマ・エロヒムの下位に於けるイメージ。最後の元型。それは力動的陰と陽の二面性も表現する。ダンサー、即ちバランスしながら踊る者。それが彼女の本当の姿。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 21:06:49
まぁ、あれ。タロットの「世界」は昔、幸せだった頃の恋の記憶。結晶化して美化されちゃってるけど、いざ追体験させられるとかなりキツいというやつだよね。
Angeliqua@安眠中 @Ripple1975
2013-08-07 21:13:38
理想に合わせて「世界の設計図」を解釈するより、現実に照らし合わせて「世界の設計図」を解釈するほうがたぶん正しい。”)

自分の心の中を覗いたとき「リターンがあるから」というのを見つけたら本当に愛してるのか疑問に思ってる。なら「リターンがない場合は好きではないの?」ということになるから。本当にしたいことかどうかはいつもそれを目安にしてるの。





脆弱なはずなのになぜか知らないけど絶滅してない生き物は結構いるの。鏡の前にいたりする。

前世があってもなくても、少なくとも前のわたし(あるとしたら)と今のわたしは別人だもの。
そもそもアストラル体(自我)は死んだら分解されるといわれてるのです。で、コーザール以上だけ転生すると。ということは、少なくとも自我は新しく作られたことになるのです。(^^;
神智学といえば転生論者のひとたちだけど、そういうひとたちでさへアストラル体は分解するというのですから、新しく転生したら自我は新品だよといってるのも同然なの。だから気にしなくていいです。

わたしにとって「スピリチュアル」とはなにかというと、「科学などの知識によって当たり前とされ、軽視されがちな日常的な諸々について敬意を払い、これに対して心を開くこと」だと考えます。だから突拍子もない妄想はこれに含まない。もっと当たり前のことを大事にするという意味だからです。
それは心の持ちようであるし、心的態度のことだから庭木の手入れをしていようと、コンピューターのプログラミングをしているときでもスピリチュアルであることは可能なのです。それは何か特別なことを意味しないと思うからです。

オカルトの諸々、たとえば占いの道具ですとか、儀式の道具などは心を使うための工夫に過ぎない。それ故にプリミティヴな感覚が心に育たず、また蘇らないのであればそれは無用の長物となってしまうの。ルーンはもともと心の中にあるのであって手はそれを対象に刻む。道具を自分で作るのはそういう意味。
別にケルティック・ルーンでなくてもいいの、日本人なら「あ」とか「い」とか板に刻んでもいい。そうやって意味を付与するのであれば確かに使用可能になるからです。
もしつかえるのであれば、結び目による数、単純な形を彫ること、そういうのでもいいの。こういったことの意味を理解しないのなら、オカルトに対してより豊かなものを発見するのは難しいと思います。

ウィッチクラフトで有史以前の神様を復活させて召喚するというのは、大昔のダイナミズムに身をさらすことを意味してるの。それはまだ人間が貧弱な武器しか持たなかった時代のこと。ギリシアやローマよりもずっと古い時代のこと。その必要性を感じてる魔女たちも確かにいると思うのです。
テュポーン神は自我の根底に潜んでいて西のホルスを侮っていると暴れるのです。アルターの根底に潜むものを無視するわけにもいかない。オシリスの犠牲は知性の契約の証。嘆きのイシスとは何のことか思い浮かべてみるといいの。
承前、IAOの術式。LVXサイン、そして契約の十字架。すなわちオシリスの復活。
神々の座にどんな存在があるのかをきちんとイメージできないとお話がつながらないのです。儀式というのは神話を再構成するものだから、登場人物を端折りすぎてしまうと意味が分かんなくなるの。(^^;
それは神話の座標を決定するものだから、演劇でいうところの第何幕の第何場といった感じですべて指定されてる。途中から演劇を鑑賞してもストーリーがつながらず、感動することもできない。そういうものなのです。
ゴッドフォームは自分を神様の入れ物とする方法です。ですから、神様を人形のように動かすのとは発想が完全に逆なの。自分が神様によって突き動かされるため、これは召喚なのです。

わたしは超常現象なんて見ていない。少なくとも普段はそういうのを見る経験はほとんどないのです。その代り、自然を生きた経験として体験している。自然の神々という言葉で表現しているのはそういうもののことです。それはモノではなくて生きたシステム。人間を見るのと大差ない。
魔法をやればいつか認識がすっかり変わってしまい「活きた生命の中に自分がいること」にきづくようになる。けれどそれは変なもの、幻覚などが見えることを「まったく意味していない」。そういう何か見えるのは心霊能力というのです。これ、区別できない人おおいですよね。
心霊主義者と魔術師は根本的な部分で異なるのです。イメージとして何かを見ることはできるけれど必ずしもそれを必要とはしていないところです。大事なのは心でそれを理解する能力だから見えないとだめだなんて考えないでくださいね。
「我ら汝を活ける美へと呼び寄せたり」これは0=0儀式で聴く言葉ですがこの言葉の意味を理解するのはずっとあとのこです。それは超常現象とは関係なく、変なものが見えたりはしない。ただ、単調だったことがもっと多元的に見えていてとても深みを感じる。だからわたしはあなたを薄い肉塊とは思わない
ダイアン・フォーチュンは心霊主義者だったのかという質問については「イエス」です。彼女は確かにシャーマン的能力を持っていたので後になって魔術的素養と混同された感じはあります。また、彼女の周りはそういう人たちが多かったため、その部分が無用に強調されてるの。

お部屋から文字や数字を一切消してしまう瞬間も重要だと思うの。そうやって意識だけではなくて無意識もたまには休ませないと疲れてしまうから。
本当になんにもないところでぼーっと過ごすの。ただ静かな音楽を流してもよい。けど、人の声がはいらないこと。
あまりにも何もないお部屋だと、壁のシミですら数えてしまう。それは何をしてるのかというと、心に満たす何かがほしいから。ひとは何か考えないと起きてるのが難しい。そして思考するときに何か中間のイメージを生成してる。そういう行動を見つめてさらっと流すのです。疲れてるのなら。
人は印象を食べて生きてる。文字だったり形だったり、色や光、五感に働くものはみんなぱくぱく食べてる。それで別のものに変換して消費するのです。
何か心が穏やかではなくて疑心暗鬼になってるときは何か温かいもの、気持ちの良いもので心を満たしてください。心を空っぽにするのは逆効果になり、些細なことでも意味を無理やりに見つけ出して火に油を注ぐようになってしまうのです。燃料がなくてもそれを持ってくる状態だから、選んで与えます。
身体のほうも少しお腹に何か入れて満たします。食べすぎない程度に、心も体も気分がよくなるものだけを採ります。あとはぼーっとしながら眠るだけ。無理に考えないようにするのは逆効果になるので、ただ心に浮かんだものを見つめてそっと流すだけにします。
とりあえず、リラックスして眠る方法を習熟するの。それが何より必要だから。
忙しい世の中だから、ぼーっとする技術って有用だと思うの。
リラクゼーションの練習しててそのまま眠ってしまっても問題ないの。それならそれで問題ない。いずれにしても心がカチカチだと素直に何かを考えることすらできないから、それくらいだったら眠ってしまいます。

魔術訓練で日拝を推奨してる一番の理由なんて、健康であることを重視してるからに決まってるのです。心身ともに健康でないのなら何がオカルトなものですか。わたしはそう思っている。
太陽神というのは知性の象徴であり、理性の変化を表現するもの。人間特有の特質をそのようにして崇めているのですから、人間らしく生きようよって言ってるのと同義なのです。(^^;
太陽は直接的な光、知性のこと。月は太陽の光を受けた反射のこと、それは動物的直観、霊感のこと。どちらも重要なのだけど必ずTPOがあります。昼間から魔法の儀式なんてそんなことはしない。それは昼間の祭典であって霊感を駆使する儀式ではない。魔術的常識がそもそもないように思う。
月というのは太陽の反射だから、知性に直接働きかけるのではなくて霊感を駆使する。言い換えると、暗喩を使うのです。理屈ではなくて暗喩なの。太陽と月の違いをあえていうのでしたらそういうことです。
例: ピロートークは月の技を駆使するのだから直接的な言い回しなどしない。必ず暗喩を使うのです。なぜならば、イメージによってその力を駆動させるのだから知性に働きかけても無駄です。
みんなオカルトが特別なものだと思っていて、本当はどの文化にも当たり前に組み込まれている分別と常識であることを理解していないのです。知性と霊感の意味なんてその最たるもので、オカルトとは霊能力であるなんて思ってる人たちが大勢います。(^^;
霊能力は確かにオカルトの一部だけど、それがないからと言って悔やむ必要もないの。あれば便利な一面もあるのだけど、あったらあったで困ったことになりやすいのも事実だと思います。霊能力って心理的病気になりやすいから扱うのが大変です。ないほうが良いことも多いのよ?
「魔術結社は精神病院ではありません」と愚痴をこぼす指導者は多いと思います。まさにそう。
世俗的欲望にまみれたままそういうことに手を出しちゃ駄目だと思う。それだったら世俗的な通常能力を磨くべきです。だって、魔法は役に立たないから。

手には剣を持たない。一切の武器を持たずただ常識の灯りのみを持ちます。常識とは既成概念のことではなくて事実のことです。
錯覚や思い込みを直すのはとても苦労しますね。いくつかのことは確かに伝承の通りだけど、手あかにまみれすぎて解釈がアレになりすぎてます。
わからないものは無理に根拠を説明しなくてもいいと思います。もしかしたらそれは証明不能なものかもしれないのです。それを証明しようとしたら理屈や妄想で捻じ曲げることになりますから。

おとめ座的な対応というのはこういうものだと思うの。無垢であること、知らないものをしらないということ。少なくとも自分自身には嘘をつかないこと。何かを無理に捻じ曲げないこと、素直であること。
すなわち、「隠者」で表現されてるあれです。
魔法の技法、浄化や聖別などもそうだけど、どれひとつとっても大事な心の使い方を説明し、それを理解するためにあるもの。だからこそ最終的に道具はいらなくなる。魔法の道具は心の延長線上にあるものというのはそういう意味です。
こういうのはいくら説明してもオカルトパワーを信じている人がいてなかなかなくならない。心やイメージの力って普通の人が考えてる以上に深みのあるものだから全てを否定はできないのも確かなこと。だからといってあまりにも突拍子もない妄想は勘弁かも?
オカルトパワーっていうから変なことになる。ただ「心の力」っていえばその通りなのです。

魔術文献はとにかく読解力を試されてる。暗喩だらけになってるので斜めからさらっと読むとわかるのです。
魔術文献はいじわるだよね、意味を理解した人だけが寄ってたかって物事をややこしく説明してる。それについて外野があーでもないと解釈を重ねていく。それがひどい皮肉になる理由はよく理解できるのだけど、それにしてもちょっとひどすぎるのも多い。
ここまでぶっちゃけたことをツイートすると大体、ちょっと危ない感じのフオロワーさんはいなくなってくださると思うの。幻想は好きだけどそれはエンターテイメント。わたしが所属していて理解してる魔術とはべつものだからです。
わたしにとっては現実の中にある不思議、その神秘で十分。とてもお腹いっぱいになるからです。
魔法って何か人生のチート行為のようなものを求めてる人はすべて弾かれる。でも、真摯に心の中に人生の価値を求めてる人には道は開かれていると思う。

ワイルドライフって遊びでするようなことでもないから。庭に鶏さんを離せばキツネさんが追いかける。それをハヤブサさんが高い塔から急降下して狙うかもしれない。うちの鶏さんを助けるにはハヤブサさんを糾弾しても意味はなく、キツネさんを責めても仕方ない。鶏さんに逃げ切ることを教えるの。
優しさにおいて強いものを挫くだけでは、集団の名において強いものをいじめてるに過ぎない。弱いものに同情する気持ちには共感は持てるけれど、弱いものをもっと弱くして良いという道理はないと思う。それでは自然の中で誰も生き残れないから。鶏さんが自ら逃げ切る力をつけるのに協力します。
女神崇拝の大事なことの一つは自然における生存競争の妥当性を認めることだと思います。女神がそう定めたことなのだからこれを守り忘れない。それが過酷にならないように管理する必要はあってもなくしたらすべてはおかしくなるから。
人間同士が殺し合いをする理由なんて一番の理由はわかりきってることです。それは人間以外に外敵がいなくなってしまったから。人から自然が遠ざかりすぎると人間同士が争いを始めます。
優しさ信仰も行き過ぎるとまったく優しくない世界になってしまうし、愛の信仰も事実として優しくない世界を作ってしまってる。もしキリスト教に問題があるとしたら自然に関する注意喚起を怠ってしまってる点だと思う。聖母の中からそれをスポイルしてしまったからです。
これはGDをはじめとした魔術関係者の大方の意見で、ダイアン・フォーチュンも黒いイシスとして言及してる。それはつまり、聖母のスポイルされた部分のことです。
こういうのは教会にとっては明らかに異端審問の対象になるので昔は口にはできませんでしたけどね。
日本人にはこういえばわかると思います。聖母に存在していた鬼子母神的性質が欠落したのです。もともとはデーメーテールにすらあったのに。
古代の女神崇拝という主題にみんなこだわってるのはこういう部分かなと思います。
男性にとって、強く賢い母というのは不都合なんでしょうね。(^^;
ケルトの神々はもともと強く賢い女性像が当然のものとして受け入れられていたから、女神が存在しないというのは受け入れがたいと思うのです。最終的にキリスト教化してもアイルランドはごらんのとおりです。
自分たちがもってる女性に対するイメージがまったく受け入れられないとなれば、それは母親を侮辱されたのに等しいでしょうね。
フェミニズム運動って、そういう文化的背景があるのでそもそもが異教とキリスト教における宗教戦争のような様相を呈してるのです。ジェンダーが傷つけられてるっていうのは女性の持つ理想像が合致していないことを意味するから、要するに選ぶべき女ジェンダーの持つ理想像は神様の姿になる。だから女性には女性の女神が守護者になるのです。神様はあまたの男神を取り込んでいったけれど、女神さまはいろいろと取り揃えが少ない。これを服に例えると、女性の服装は少なく貧弱ねってことになります。
神を選べてないという意味なのです。
さて、これでGDがなぜイシス=ウラニアNo.3から開始されたのかお話はつながると思います。
それにGDはメイソン的でありながら女性会員も普通に在籍してたのです。これ、とても変でしょう? 中身はこうなってたからです。
GD魔術は歴史的背景から文化的背景までひっくるめないとお話がまったく通じないのです。

夢や占い、透視なども含めて無意識下の夢に他ならないと考えているので必ずしも意味をこじつけたりする必要もなく、むしろこじつけてしまうと全体として変になっちゃう傾向がある。だからそういうことはなるべく無意識に対して強制しないのです。それが実際はどんな世界かはともかくコツはコツだから。
その自覚を持ってらっしゃるだけで十分だと思います。わたし自身もそのように思われても仕方ないのですから。
当然、わたし自身もいつも自分の正気を疑ってる。どこまでを正気かという問題もあるのだけど、感じたものは感じたもの。でも、いつも無条件に感じたものを信じてよい根拠もない。だから感じたものを否定はしないけれどその通りのものなのかどうかについてはいつも保留してるの。
オカルトの道を進むというのは自分の正気を常に疑う道なの。それは完全に主観の世界の作業なのだから、自己チェックを怠れば途端に魔境の世界へと転落する。自分の心を見つめることはそういうことなので実はすごく孤独なのです。
なのでお花畑でみんな手をつないでらんらんらんというのはわたしにはありえないこと。これを理解してる人が意外に少なくて悲しくなることがあります。
本能について無理解が進んでるのなら無理して子供を作らないのがいいように思うの。そのほうが生まれてくる子供のためにもなるから。どうしてかというと、自然淘汰される危険性がある。女神(自然)の技はいつも厳粛に行われるから。
魔法の伝統においてしばしば性が聖なるものとして考えられてるのは、同じ女神の中の火星的部分である「自然淘汰とその選択」と同列に扱われるからだと思います。それは本能的な部分であるし、競争によって成り立ってる。性の部分も同じカテゴリーに属するのでそのように扱われるの。
あまりにも当たり前すぎていまでは誰も口にしなくなった事柄。というかむしろ忘れてしまって無意識の中に埋没したものごと。魔法使いってそういうものを研究するから。
自然界を眺めたときに「多くの生き物たちはこうなってるのに、人間はどうしてこうなのかな?」と思うことがある。このとき、自然に従わないことによる影響が見つかったらそれについて研究するのです。人の心の変化を神話を組み合わせてひも解いていくの。

いま現実に起こってることがすべて。人による妄想で現実を置き換えたりはしない。



これが図示しているのは、どこかの空間にひとつの点が設けられてそれを仮にケテルといいます。そこから無が生まれ、無限になり、無限の光(九文字)になって物質の門の最大まで広がってるという意味です。したがってイェソドがマルクトに接しています。ケテルからイェソドまでを無限光といいます。
セフィロトの概念は西洋の曼荼羅だとは言われてるけど、いずれにしても宇宙創成の概念図です。ですから創世神話を説明するものではありますね。

みんながよくみることがあるセフィロトは単なる図案の問題で二次元や三次元空間に配置した場合は意味に齟齬が生まれます。これは概念をわかりやすく説明するための配慮でありそれ以上の意味を持たない。だから説明文を完全に理解するまではセフィロトはただの仮初の椅子だとするの。
形のあるもの、その説明がすべてだと思ってはいけない。これは偶像崇拝に関する注意事項です。
椅子には背筋を伸ばして深く腰掛けます。瞑想をするときにはそうする。椅子はそこに安住するためのものではなくてあくまでも仮に腰かけるもの。瞑想における指示はそういう意味が含まれています。
おっしゃる通りです、座ること自体にすでに瞑想が始まってるのです。
だから「居心地の良すぎる椅子は良くない」というのです。(^^;
だって、お尻に根っこが生えてしまってきっと動かなくなるから。
いつまでも不動の地位はなく、固定された見方もできない。なぜなら、神様は「活ける美」だからずっと動いてる。わたしはエジプトの神様たちの座る姿を見て、そのように考えました。
意識は揺れる炎。神様だってそのように表現されます。アイマ・エロヒムは水の上を動きたり。
早い話が臨機応変、千変万化。アイン・ソフ・オール、無限の光とはそういうものだとわたしは考えています。
神様と一緒に踊りましょう。そんなところに座ってないで。
かみさまにはいつも翼があるのです。それは現象という名の神様、すなわち天使の姿のこと。だからいつまでもその地にとどまってはいない。かみさまを見つめたとき、天使は翼を休めている。けれど、神様はすぐに飛びさるでしょう。人がかれを見つめてるのはいつでも少しの間のことだから。
これは巧妙に仕掛けられたレトリックのことだと思うの。どんな種族でもかみさまについての伝承を持つ。そのほとんどが、かみさまには翼があるとされてる。何故だと思う?
これらはあくまでわたしの瞑想のプロセスを言葉にしてなぞったもの。では、わたしは本当に不思議なものなどをみているのでしょうか? それについて考えてみるのもいいと思います。
わたしの作業中は殆どの場合は幻想を見ることはありません。幻覚をみるのはかなり特殊な例です。視覚化によってサインを描くことはあっても不意に幻覚が生じることはないの。そんなものがなくても心は自然の中にかみさまをみて驚いてる。
自然の中にかみさまをみつけても、それがちゃんと科学と合致してるのかをいつも心の耳で聴いてる。自然科学の解釈が必ずしも正確ではないにしても、偉大な科学者たちは自然の中にそれを見つけてきた。だから彼らの助言にも耳をそばだてる。自分が見たものとちゃんと合致してるかを。
各分野は表現の違いこそあってもそんなに意見がかい離していないようにわたしには見えるの。だから突拍子もない意見には注意を払ってる。
わたしがみてるのは、他の人からすると大抵は普通のもの。ただ、心は違うものを見つめてる。そういうことなんです。
わたしがいう霊的とは、心がその中身をみつめることなのです。だから変なものが見えたりすることを意味していない。
直観像が見えてもみえなくても、それは心が何かをとらえる時のサインでしかない。無論、そういうのを一切通過しないで届く直観もあります。わたしの場合はそういう意味では後者のほうだから心霊能力者ではなくて神秘主義者という位置づけになるでしょうね。
ダイアン・フォーチュンがいうところのパープル・レイです。
オレンジはあまりうまくいかなかったので、グリーンで補強しながら進んだらパープルになったのです。進む道はいろいろとあって、自分にあったものを選びます。
霊能力者はものごとの中身をイメージを通して見つめるからそれを霊的な行為と説明するの。でも、神秘主義者であるわたしは物事の中身をイメージを介さないでも見る方法をとるから変なものを見てなくても霊的な行為と呼びます。中身が一緒でも方法が異なるのです。
最終的にものごとの理解にたどり着くのなら何でもいいと思う。危ないことでないのなら。



岩波文庫 「意識と本質」著者 井筒俊彦 です。井筒さんはイスラム学者として知られています。

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
ひとつの体系の中で図を新たに書き起こして同じことを違う表現にして説明するのは良いけれど(意味が最初にあるから)、一度形になったものをましてや別の体系で無理に解釈するのは感心しないかも? (^^;意味がめちゃくちゃになるので。
図によって説明されたモデルは、その図自体がその説明に限ったものと考えるのが適切であり、その使用範囲を超えた説明に用いられた場合は使用した図は愚か説明自体が破綻します。
特定の説明に用いられた図は、ですから何かを付け足したり差し引いてもいけないのです。それをするということは、自分で元になってる説明を捻じ曲げるという結果になるからです。これをやってしまったのがケイオスです。orz
一度捻じ曲げられた図とその説明ではいくら解釈を試みようとしても成功しないと思うの。もはやそれがどんな世界観を持っていたのかすらわからなくなります。それはまさに「追放後のエデン」だからです。
いまお話した数段のツイートは「荒廃した神殿」のお話なのです。悲しいことに基本が何一つ伝わってないから。
このお話は魔術カバラー(クリスチャンカバラー)に限定することなので本家のユダヤ教カバラーのことでしたらショーレム博士のご本などを参照してください。


日本語が難しいというのは、たとえば。「認識」という言葉をよくわたしは使うけれど、英語に直すとこれはいくつかあります。このなかでわたしが使ってる認識というのはcognitionといいます。ですから何か認知するもの、理解の前提になるもののことです。
目の前にわんこさんがいるとします。このとき、その姿をみたわたしはそれを精巧な絵として見ているのか、動画なのか、現実の姿なのか認識します。それが済んだらこの子がどんな状態なのかを自然を向こうへ少し移動しつつ理解しようとするの。これがcognitionです。自然じゃなくて視線です。打ち間違い。

ポストコグニションとかプレコグニションが派生した日本語の認識を意味する言葉です。
だからわたしは理解の前にやってくる認識を早期認識、早期知覚と呼ぶこともあるの。先ぶれという言い方もします。
わたしはこの視線の向こう側への移動のことを「瞳を覗き込む」と表現します。いきものでしたら実際にそのようにするし、何かの壁みたいなものでしたらその中に意識を向けます。
「これ、なんだろう?」 って覗き込むの。
「これなんだろう?」は興味がないとできないことなの。だから、ひとであってもものであっても、対象がどんな気持ちでいるのかを見ようとしています。

キリスト教のトリニティを理解するのはそんなに難しくはないのだけど、誤解だらけになってしまうのはしかたない。要するに./tetgrammaton/yehoshua/shekinahです。ルートディレクトリはアッラーとかほかの言い方をされてるのでルートを削除するとサブも消えちゃいます
え? 超意訳してもいいの? なら。わが前にラファエル、わが後ろにガブリエル。右手にミカエル、左手にアウリエル。わが周囲に自己管理の熱意が燃え上がり、わが人生の中に道理が貫く。
上向き五芒星の意味って動物的自己の霊的支配なので意識的生活のことなのです。つまりそういうこと。
六芒星が人生に置き換えられたのは簡単なことです。それは原因(神様)の御心が実現されますようにという意味なので、原因と結果が因果関係として道理という形で貫かれることを意味します。神様の御心の実現ってそのままいうと道理というか法則がそのまま働くことを意味してるから。
だからやったことは結果が出るし、やらないのなら結果は出ないの。
祝詞とかもよくよくきいてると結構当たり前のことお話してる。
人はなかなか当たり前のことをできないものだから、そのために教えが必要になる。そうはいっても、誰かに教えを垂れるということは自分がきちんとしていないといけないのでそれも難しいこと。だからみんな教師になりたがらないんだと思うの。

六芒星って要は人間のことではなくて宇宙のことなのでかみさまのこと。六芒星の柱という概念ならば必ず柱には両端がある。それは上と下。これは原因と結果のことを意味するから、柱というのはその間にある現象やプロセスのことになるのです。それ故に道理にかなった行動を意味してると思われます。

偶像って本当にわからない? それは考えを説明するために用いられる図像のことです。これを用いれば理解は早くなります。けれど、それを転用すると誤解釈が必ず生まれて収拾がつかなくなるのです。だから暗喩や図像を用いる時にはいくつかの注意事項があるの。それはつまり口伝が必要だということ。

口伝によって補強しないと書き写されて転用された図像かもしれないそれを正しく解釈しなおすことができます。最初に書かれた図像ならば問題ないのだけど、人づてに受けったものを勝手に転用された場合はもともとの意味を正しく伝えてるのかはわからない。それは秘伝というよりも誤解釈防止なのです。
ですから、密教的伝承というのはこの口伝を用いて、図像を元あった解釈に戻すことを意味してます。図像が大衆化されてさまざまな解釈を産んだ場合はもとある解釈は何だったのかわからなくなります。そのために口伝を別に用意するのです。
ですから、そのひとたちがきちんとした伝承を受け継いでるのか否かはすぐにわかります。それはその体系がすんなりと整合がとれてるのが見て取れること。かなり簡素な言い伝えであることです。あまり複雑だったり整合がとれずに意味不明な部分があるのなら説明を求めてください。誤魔化しは通用しない。

自分自身を占う時(殆ど他人のことは占うことがない)一番嫌いなことから手を付けてる。それをゆっくり口に含んで咀嚼を繰り返す。とても苦い気持ちになるけれど、次に神様がくれるのは甘いもの。大体そういう風になってるから。

セフィロトはよくみるとちゃんと全体がシンメトリーになってるのです。これはセフィラーに限らずパスにもいえること。ですから、一か所わからないところがあるときはその反対にある部分から補足することが可能なの。これは上下左右にもあるので注意してみるとわかりやすいです。
セフィロトって片方の目がつぶれてももう片方から再生復元する目みたいなものですから。(^^;
それに、秘伝って文字のカバラーのことだからすでに大々的に公開されてる。したがって実のところもはや秘伝でも何でもないのです。

わからない絵があったらわたしなら10年でも20年でも枕の下に入れるかな? 途中で絵を完全に暗記してしまうから枕の横に置くだけかもしれないけど。意味は無理に解釈せずに必ずゆっくり氷解するようにします。まるで冷凍肉を冷蔵庫でじっくり解答するみたいに。そうしないと身が崩れてしまいます。
象徴の意味を無理に読み解こうとするのは電子レンジや火であぶったりして溶かすのとまったく同じなのです。氷点に近い温度でゆっくりと溶かしていくみたいにして、寝かせ続けるの。これはまるで鮮度と身崩れの問題があるお肉みたいです。
シンボルの扱いはまさにそんな感じなのです。
「お肉」は冷蔵庫の中にいれたら大抵はその存在を忘れます。頻繁に「お肉」の様子をみたりはしないで、思い出したようにたまにそれを見るだけにします。これを何度も繰り返しているとなぜか知らないけど「お肉」は良い感じになっています。
シンボルが理解されたときはそれを言葉で説明できるのだけど、言葉によってシンボルを説明し、理解しようとしたら必ず失敗するのです。この特徴、ぜひ忘れないでください。
シンボルって言葉にとっては不可逆的なのです。
なぜかというと、それは体験による印象を集めては固めたものだからです。
だからこそシンボルは無意識的に体験されなくてはならない。言葉では体験の代わりにはならないからです。
.だからシンボルを眺めては何かを思い浮かべ、そして忘れます。そして忘れたころにまたシンボルを気ままに思い浮かべては忘れます。ずっとこの繰り返しをしてると、多角的に形成された体験が一つの活きた結晶になるのです。
では、シンボルはどのくらいの多面体がよいのかというと、それは球面に近くなるまでです。ですから、ひとつのシンボルに対して多くのイメージを思い浮かべてこれを理解し、最後にはつるつるの球面になるまで磨きあげます。
わからないことってとても悔しいと思うのです。だからこそ知識欲の旺盛な人ほどシンボルの解釈に失敗するの。わたしもそうだったのですが、これによって無理に解釈したせいで遠回りをした経験があります。失敗したからこそいまはそれが理解できるのです。

ロータスワンドの黒帯は白帯部分よりもいつも長いのがよしとされてます。
それは霊よりも物質、頂点よりも基礎のことだと思うの。


---



①批判はしない ②自由奔放 ③質より量を重視 ④アイデアを連想、結合し便乗する というブレストのルール



半木 糺 ‏@tadasunakaragi 2月9日
日本ではそれはかつて「型」と表現されていた。 https://twitter.com/nasastar/status/829645239094648832 …
nasastar ‏@nasastar 2月9日
逆にちゃんと練られたマニュアルって本当にすごいよね。だってそれをマスターすれば一通りこなせるようになるんだもん。で、今の日本に足らんのは、実はこの部分な。マニュアル通りならどうにかこなせる人間は多いのだから、ちゃんとマニュアル整備しなきゃならない。

マニュアルというから反発するなら、「型」と言い換えても良い。「かたなし」と「型破り」な話ってあるじゃない。そういうこと。






おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年12月
暇ねえ
暇があれば、学びそれを復習している
学んでいる状況というのは人生で一番幸せな時間といえる、これを蔑ろにするぬほんの教育は人類の知の希求に致命的な瑕疵を与えていると言っていい
これは反知性というのは人類の敵であり、それは人間の動物化である

動物は感覚を持っている、それを記憶する事が出来る、想像する事が出来るが何故に水が100度で沸騰するかわからない
言い方を変えれば、火をかければお湯がわく事を信じろというのが反知性である
勿論、火のかけ方、もの如何なる火かによって変わるこれが知性であり、人間の特性である

即ち、あっらーさんは人間に知恵や思考する事を与えたわけでそれが動物と人間の大きな違い
逆にしゃいたーんたそは人間を二つのやり方で誘惑する
一つは知恵を捨てたせて動物化させること、もう一つは悪い知恵を与えて惑わすこと
勿論、しゃいたーんたそはあっらーさんが創ったものの一部です

あっらーさんは人間にあっらーさんの啓示を受けてしまった人を一つの部族や一つの社会に必ず与えたとされ、ムハンマドのおじさんが最後の預言者でその前には124000人いたとこれはムハンマドのおじさんが言っている
これは数秘術的に意味がありそうだけど、分からないのでわかる人にして欲しい

なので、しゃいたーんたそはあっらーさんとムハンマドおじさんを啓示者と証言する人達、またはムハンマドおじさんの家族のおじさんの後の長であるアリーを信徒の代表者で大学者であると証言した人たち「だけ」を誘惑するの それは何故か? 元々、間違っている道を行く人を何故誘惑する必要があるの?

即ち、あっらーさんの道を選んで証言してしまっている人は整備されて、綺麗でまーすぐな道なわけでしゃいたーんたそはそれを邪魔するので精一杯なわけで元々、間違っている道を行く人達なんて眼中にないわけだし、そんな暇もないのだってムスリムが増えたらそれだけで仕事が増えてしまうからね

では、何故にしゃいたーんたそは人間の邪魔をするのか? しゃいたーんたそはあっらーさんがすべての存在が人間に平伏するようにしろと言われているのを恨んでいるからで人間を惑わせ続けるとあっらーさんに証言したからなの ねこですら、三代祟るのだから力がある存在なら一生恨むわけなのさ

話を戻して、しゃいたーんたそは人を惑わせるのに動物化と悪知恵を与えようとするの 即ち、考えるな信じろや欲求に従ってそれを正当化しろや想像に溺れて浸れとか言うのが動物化 これが良い知恵なのか、悪い知恵なのか識別させずに全部知識だからこれはいいものだと惑わすのが悪知恵なのね

これでわかったね やそ教の考えるな信じろというのは動物化でそれはあっらーさんの道ではなく、しゃいたーんたその道 逆に知識は何でもいいから百科全書のように持ち、それを識別せずに自分の為や自分の見える社会の為だけに使うというのもしゃいたーんたその道なのね どっちも火獄堕ちーなの

とは、面と向かっては言えないけどこの思考を援用するとこういうことになるのね これはイスラーム哲学の基礎です イスラーム哲学の基礎をやっていたら、やそ教の対立構造は簡単に木っ端微塵です 要は右目も左目も開いていてもそれはしゃいたーんたそを見ているのであって、所謂神の方ではないのです

例えば、エクソシスト あれはよく所謂神の力で祓うと言われていますね、それはどうしようもない嘘です 悪魔要はしゃいたーんたそはあっらーさんに「ぜーったいに反抗するんだからっ、従わないんだからねっ!人間を惑わし続けるのだからねっ!」と言ったツンデレつり目なロリ巨乳な幼女なわけです
なので、もし本当にしゃいたーんたその下僕ばどが取り憑いたのならあっらーさんの名前を言ったらより激しい抵抗と反抗してその人を殺してしまう筈です
なので、悪魔を止められるのは同じ悪魔正しくはしゃいたーんたそでしかありません
なので、彼等が唱えているのは祝詞ではなく呪詛です
なので、イスラームではジン要は精霊が取り憑いたといいます ジンは良いも悪いいて、且つあっらーさんに従っているのでジンはあっらーさんの名前を言われると従って出ていきます しかし、そのあっらーさんに従わないのがしゃいたーんたそとその下僕であり、彼らはあっらーさんを全く恐れないのです


どんどん、日本語化させるぞ
ガンガン、日本語化させるぞ
なるほど、初めて他の知識に触れた人達
初めて他の知識に対面し、頭を抱えた人達
そして、それをどう伝えるかを苦悩した人達
がよーくわかった、やっぱり仏道と中華思想やっていてよかった

これだけ知っていればいいです
1、反証性 それは反復している事例か、例外か?
2、論理性 それはしっかりと言葉を積み上げてかつ段差が幅なく組み立てられているか、否か?
3、合理性 それは大多数の人間が聞いても納得、納得はせずとも冷静にその言葉を認められるか、否か?
これだけです

あっらーさんには真名なんてありません 言葉にした時点でそれは絶対なる存在ではありません では、何故にあっらーさんと言われるのはわかりません ただ、そういう風に啓示を受けたから以上の理由はありません


私は日本の学生全員に言いたいのは中国の古代思想である諸氏百家と史記などの古代史と人物史の本だけでいいので繰り返し読んでください どこでも使えますし、どこでも同じです それ以外の学問は究極的には不要ですし、必要なのはその土地の言語だけです 知識は実に軽くて重い資産です


(サジダは、イスラームの額を地に付ける平伏叩頭姿勢。
中東ではイスラーム以前は太陽信仰が盛んだったが、イスラームでは完全否定。太陽はアッラーのアーヤ(徴)にすぎず、太陽でなくアッラーにサジダすべきと、Q41章37節に書かれている。

私の現時点の見解ではアッラーの元ネタは中東の月の女神。太陽崇拝を否定して当然。一神教では自然崇拝もアウト。
トウヒィードはアラビア語の綴りを見るにタウヒード〈神の唯一性〉。
コピペするとアラビア語の部分が分解したり形が変わるから困る。ヘブライ語も同様。元ツイートをご覧ください。
アグルの意味が分からなかったのでアラビア語を意味が分からないままコピペしてグーグル画像検索すると脳の画像ばかり出る。アグルはおそらくアクル=理性。

金城学院大学キリスト教文化研究所紀要
竹田伸一 聖書的象徴に関する考察 サタン
http://ci.nii.ac.jp/els/110008670165.pdf?id=ART0009747504&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1485266856&cp=
“②人間礼拝の拒否
第二の反逆の経緯は人間の創造以降とするものであり,そこでは「神の
似像」
(Imago Dei
)に創造された人間(アダム)に対して,天使たちが拝
することが求められ,それをサタンたちが拒絶したことを転落の原因と描
いている。たとえ人間が「神の似像」に創造されたとしても,唯一の神以
外のものに対して礼拝することが求められることは神学的には正しくなく,
非聖書的である。それ故,このようなエピソードは聖書正典にはない。そ
のような件は偽典やコーラン(クアルーン)などに残されている。サタン
は次項のアザゼルとは異なり,地下に閉じ込められるのではなく,期限付
きで地上の権力を握るものと扱われている。
アダムとエバの生涯
13
すると悪魔は答えた「何を言うか,アダム。
きさまが原因で俺はあそこから追放されたのだ。きさまが形造られた
時,俺は神の前面から追放され,天使たちの交わりの外へやられたの
だ。神がきさまの中に生命の息を吹き込み,きさまの顔が作られ,神
の像に似たものとされた時,
ミカエルもきさまをわざわざ連れてきて,
神の見ている前できさまを拝させた。そして,主なる神が,
『見よ,ア
ダム,わたしはそなたをわたしたちの像に似せ,わたしたちに似たも
のとして作った』と言った。
14
するとミカエルは出てゆき,天使を皆
呼んできて,
『主なる神の命じられた通り,主なる神の似像を拝しなさ
い』と言った。そして,ミカエルはまず自分が拝し,俺を呼んで,
『神
の似像を拝しなさい』と言った。そこで,俺は『俺はアダムを拝する
ことはできない』と答えてやった。ところが,ミカエルが拝するよう
にと俺をせきたてるので,俺は言った。
『どうして俺をせきたてるのだ。俺は,自分より劣るもの,後からできたものを拝したりはしない。
被造物の中では俺のほうが先だ。奴ができる前に俺はすでに作られて
いたのだ。奴こそ俺を礼拝しなければならない』と。
15
俺の下にいる
他の天使たちもそれを聞いて,これを拝しようとはしなかった。するとミカエルが,
『神の似像を礼拝しなさい。あなたが拝しないなら,主
なる神はあなたに対してお怒りになるであろう』と言った。そこで俺
は言ってやった『神がわたしに対してお怒りになるなら,俺は自分の
座を天の星より上のほうに置き,
いと高き方と似たものになってやる』
と。
16
すると主なる神は俺に対してお怒りになり,俺は俺の天使たち
と共に,俺たちの栄光の外へ追いやられた。こういうわけで,俺たち
はきさまが原因で自分たちの住居からこの世に追い出され,地に投げ
落とされたのだ。
これに似た伝承はイスラム教のコーランにもある。ここではサタンの名
称はイブリースとされている。
高壁章(アル・アアラーフ)
7

11
われはあなたがたを創り,形を
授け,それからわれは,天使たちに向かって,
「アーダムにサジダしな
さい。
」と告げた。それで外のものは皆サジダしたが,悪魔(イブリー
ス)はサジダした者の中に加わらなかった。
12
かれは仰せられた。
「わ
れがあなたに命じた時,どうしてサジダしなかったのか。
」悪魔は答え
た。
「わたしはかれよりも優れております。あなたはわたしを火から御
創りになりましたが,かれを泥で創られました。

13
かれは仰せられ
た。
「ここから落ちてしまえ。あなたはここで高慢であるべきではな
い。立ち去れ。あなたは本当に卑しむべき者である。

14
悪魔は答え
た。
「かれらが甦らされる日まで,わたしを猶予して下さい。

15
かれ
は,
「あなたは猶予されよう。
」と仰せられた。
16
悪魔は答えた。
「あ
なたがわたしを惑わされたので,わたしはあなたの正しい道の上で,
人々を待ち伏せるであろう。
17
そしてわたしは,かれらを前から,後
ろから,右てからも左てからも襲いましょう。あなたはかれらの多く
の者が,
(御慈悲に対し)感謝しないことが御分かりになるでしょう。

18
かれは仰せられた。
「恥辱を受けて追われて,ここから出て行け。凡そかれらの中あなたに従う者があれば,われはあなたがたの人々で地
獄を満たすであろう。

アル・ヒジュル章
15

28
あなたの主が,天使たちに向かって仰せら
れた時を思え。
「本当にわれは人間を泥で形作って,陶土から創ろうと
するのである。
29
われはかれを(完全に)形作った。それからわれの
霊をかれに吹込んだ時,
あなたがた
(天使)
はかれにサジダしなさい。

と(命じた)

30
それで天使たちは,イブリースを除き一斉にサジダ
した。
31
かれは一緒にサジダすることを拒否した。
32
かれは仰せられ
た。
「イブリースよ,あなたが一緒にサジダしなかったのは何故か。

33
かれは申し上げた。
「わたしにはあなたが泥で形作り,陶土から御
創りになった人間にサジダするようなことは,出来ません。

34
かれ
は仰せられた。
「それならあなたはここから下がれ。本当にあなたは,
呪われている。
35
この呪いは,本当に審判の日まであなたの上にあろ
う。

36
かれは申し上げた。
「主よ,かれらが甦される日まで,わたし
を猶予して下さい。

37
かれは仰せられた。
「あなたは猶予される,
38
定められた時の(その)日まで。

39
かれは申し上げた。
「主よあなた
は,わたしを迷わされましたので,わたしは地上でかれらに(迷いを)
好ましく思わせ,必ずかれら凡てを,迷いに陥らせましょう。
40
かれ
らの中で誠実な(恩恵により清められた)あなたのしもベの外は。

41
かれは仰せられた。
「この(謙虚で清純なわがしもベの)道こそ,われ
への正しい道である。
42
あなた(イブリース)に従って,邪道にそれ
るような者を除き,われのしもベ(信者)に関しては,あなたはかれ
らの上に何の権威を持たない。
43
本当に地獄こそ,かれら凡ての者に
約束される場所である。
44
それには

つの門があり,各々の門には,
かれら(罪人)の一団が割り当てられるのである。

コーランでは人間が泥で作られたのに対して,天使たちが火で作られた
ことが語られている。サタンは人間に対する自らの先在性と優位性を主張
し,礼拝を拒否する。また,複数の儀典ではエデンの園で人間を誘惑した
蛇とサタンを同一視している。
③人間の娘への欲望


世紀から前

世紀にかけての編集と見られるエチオピア語エノク書
(Iエノク)では,堕天使の原因としてサタンの反逆とは全く異なる理由を
挙げている。そこでは人間の娘に対して天使たちが欲望を持ち,彼女たち
と関係を持ち出したことが描かれている。これは創世記

章の神の子の堕
落の神話を発展させたものである。
創世記
6

1
さて,地上に人が増え始め,娘たちが生まれた。
2
神の
子らは,
人の娘たちが美しいのを見て,
おのおの選んだ者を妻にした。
3
主は言われた。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。
人は肉にすぎないのだから。
」こうして,人の一生は百二十年となっ
た。
4
当時もその後も,地上にはネフィリムがいた。これは,神の子
らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり,大昔の名高い英
雄たちであった。
エノク

章ではシェミハザはじめとする
200
人の天使が神に反逆して,
人間の娘たちを娶り,ヘルモン山で密約を結ぶ。

章では女たちとの間に
生まれた子孫が凶暴な巨人であり,
巨人たちはあらゆるものを食いつくし,
人間を襲い,遂には巨人同士の共食いを始めたことが描かれる。

章では
堕天使アザゼルが人間に武器の作り方を教え,女には化粧を教えた。その
結果不法と姦淫が地に満ちる。シェミハザらは魔術を教えた。

章では地
上で繰り広げられる惨劇を天使ミカエル,ガブリエル,ウリエル,ラファ
エルが目撃する。
10
章では「寝ずの番人」と呼ばれた堕天使たちに対する
神の審判が告げられ,アザゼルは天使ラファエルによって,ダドエルの荒
野に穴を掘って地下に最後の審判の時まで閉じ込められる。シェミハザら
も天使ミカエルによって,審判の時まで大地の丘の下につながれる。
このような堕天使たちが地下につながれるという思想は新約聖書にも受
け継がれている。
ユダ
6
一方,
自分の領分を守らないで,
その住まいを見捨ててしまっ
た天使たちを,大いなる日の裁きのために,永遠の鎖で縛り,暗闇の
中に閉じ込められました。
IIペトロ
2

4
神は,罪を犯した天使たちを容赦せず,暗闇という縄
で縛って地獄に引き渡し,裁きのために閉じ込められました。
また,Iエノク
15
章では滅んだ巨人たちの死霊が悪霊の起源であること
が示されている。
Iエノク
15

8
ところで,霊と肉から生まれた巨人たちは,地上で
は悪霊と呼ばれ,彼らの住居は地上にある。
9
悪霊が彼らの体から出
た。彼らは人間から創造され,彼らの最初の起源と土台は聖なる寝ず
の番人であるから,地上では悪霊であり,悪霊と呼ばれるのである。
11
巨人たちの霊は苦しめ,暴力をふるい,腐敗堕落し,争い,地上で
破壊し,問題を引き起こし,何も食せず,それでいて飢え渇きを覚え,
足元が危なくなる。
(…)
レビ記
16
章は年に一度のユダヤ教の国民的行事としての贖罪日を取り扱い,
二匹の雄山羊を取ってくじを引き,一匹は主のための犠牲とし,もう一匹
は国民の罪を背負って荒野のアザゼルの元へ追いやるべきものとしている。
この記事がスケープゴート(
scapegoat
)という表現の起源と言える。旧約
聖書でも神ヤハウェ以外の者に何かが供せられるような記事があるのはと
ても異例で,ある種の宗教変容の特色がうかがえる。偽典ではアザゼルは
堕天使の一人と数えられ,先に触れたようにこの堕天使は人間の娘に欲望
を抱いて娶り,武器や化粧の知恵を教えた者と考えられる。
レビ記
16

8
アロンは二匹の雄山羊についてくじを引き,一匹を主
のもの,他の一匹をアザゼルのものと決める。
9
アロンはくじで主の
ものに決まった雄山羊を贖罪の献げ物に用いる。
10
くじでアザゼルの
ものに決まった雄山羊は,生きたまま主の御前に留めておき,贖いの
儀式を行い,荒れ野のアザゼルのもとへ追いやるためのものとする。
アザゼルは元来先住民セム人の砂漠の羊の群れの神であったと考えられ
る。レビ記の
17


節の「山羊の魔神」に相当とする説もある。いずれに
しても異教の神が格下げされ,悪魔の一つとされたと言えるだろう。
”)

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 17:54 - 2017年1月24日
あーもう、解釈論を知らないと駄目だな アッラーがアダム(ع) にサジダしろと言ったのは序列を決定する為であってそれは توحيد トウヒィードを知らないと何もわからないわけです そもそも、クルアーンの記述がそのまま解釈しないという「解釈する」と色々と問題が発生するわけなの
例えば、クルアーンには
目の見えないものは地獄に落ちるという記述や
自分を殺しなさいというのがあるけど
前者はハラームで罪が大きいとは規定されていないですし、
後者は自殺で死んだら容赦なく地獄行きです そんな、矛盾することをアッラーが預言者(ص)に命令を下す訳があるわけないのよ
だから、アグルعقلが大切でその本来の意味を探すのが人間の特性であり、それを探すのが人類の義務なのです 因みに存在の序列があり、下から
1、石などの魂がないもの
2、木や草などの成長だけするもの
3、動物・人間などの欲求等があるもの
4、天使などの知恵や力があるもの
5、完全なるジン、精霊アッラーの命令を完全に守り生活する精霊、無謬な精霊 6、完全なる人間、無謬なる預言者(ص)と指導者達(ع)
7、全く相互関係を必要とせず、無限・無縁で全てを持ち、欠点を一つ足りとも持たない何か その7番目の存在が6番目の存在にサジダしろと言ったのです
そんなこと書いていない? じゃあ、書いてあることだけやればクルアーンは瑕疵のないものになるのかい? 違うでしょ、その真意を探すのが人類の義務なので基礎解釈論を知らないとわけのわからない矛盾した記述の塊と嘲笑うだけのバカとそれを信じるアホが発生するわけ、それは神智では当然ないの
それでもヤソは多神教だけどね そもそも、福音書が何冊もあるという時点でおかしいし、本当に真意であるなら福音書は必ず一つの筈でクルアーンも編纂の時にいっぱい異端なのがあったけど処分したのはウンマ・共認識体がちゃんと作用していたわけであり 預言者(ص)の認識を模倣者が持っていたのです
ウンマというのは共同体という意味で用いられていますがウンマの前提というのがمؤمن 信仰篤い信徒の集団である上に他にも光の道、絶対形而上を共有している人々と見ることもできるので絶対形而上を共有しているのであれば、形而下的なものは事前に解決されきっているわけなのです
つまり、ウンマأمة というのは絶対形而上を得た存在の人々を指すわけでその模倣子は預言者(ص)の前に全世界に124000人いて全世界に散らばれたのはその124000人は絶対形而上を共有していた存在であり、アッラーの知識を確立した模倣子だったのです
即ち、ウンマによる統治というのは絶対形而上を得た人々による共認識体であり、そこではシャリーアでの統治みたいな絶対形而上を得た存在が法という形而下で支配される事では全くないのです なので、ウンマによる統治というのは共認識を得た人々による責任ある哲人政治がその正体なので


おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年10月6日
やっぱり、ヤソは明白な邪教だわ
何で邪教かって?奴らはヤソ以外を悪魔つきだと考えているところなわけでそんな全方面に喧嘩売っている宗教が平和言うのはヤソ以外全部滅びせば平和という事を言っているわけでこんなおぞましい邪教が世界中を汚染し、破壊しているのは必然の事態と言える


おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年11月13日
中東で日本は何故、経済が大きくなったんだ?としょっちゅう聞かれるので街中に売春宿と賭博場それに酒屋に酒出す飲食店と詐欺や人の労働をなか抜きする会社ばかりになれば経済が膨れるよ、と言ってあげるのだけど
大概、狂ってる 悪魔の社会 そんな穢れた土地はイスラームでも救えないと言われる








村手 さとし ‏@mkmogura 2016年11月12日

探さなくても聞こえてくる情報は、全て操作された情報である。

情報を探してはいけません。
その情報がなぜ流れてるか、その目的を探しなさい。

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi

言わんでいいことは一生言わんでいいこと
酒で酔ってようが何だろうが口に出たものはその人間の真意
預言者(ص)はこれがある家には天使はやってこないと言われた、一つは酒、二つは華美な音楽、もう一つは忘れたが酒というのは人間を弛緩させるのでこういう害があるわけだ

(中田考 ‏@HASSANKONAKATA 7 時間7 時間前

「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果|WIRED.jp http://ln.is/wired.jp/2016/06/13/LFOhl …


所詮、تسلسل 無限連鎖・無限循環する存在には同等に無限連鎖・無限循環する存在以外認識及び囚われる事しかできないということ そんなのは釈迦が2500年以上前に解いているし、預言者(ص)が1500年前に啓示を受けている だから、馬鹿げた部分知なぞ究極的には無益である
この世界の主流の学問は部分知から、より小さい部分知を追うことが前提となっており そんなのは根源的無意味なものから、より無意味なものを追う事でしかない そもそも、人間の自由意思は人間と啓示されたものから反する行いをするという時点で自由意思が存在する事はわかっている、実に馬鹿馬鹿しい
何かの物質から離れた自由意思というのは同様に物質から離れ得る事はないわけであり 人類が物質でしかない以上は物質からの自由は存在しないのであるからこそ、人は想像面での自由が担保されているわけであって そこでやっと絶対形而上を規定した上で判断しないといけないわけ、アホらしい

クルアーンには歴史的クルアーンと実質的クルアーンがあって、預言者(ص)の30年後に作られただけの本とイマームアリー(ع)が聞いて、実際預言者(ص)が詠まれたものとがあり シーア派は後者が存在した事を主張しますがわからないのでシーア派もスンニ派もクルアーンは共通です

クルアーンには歴史的クルアーンと実質的クルアーンがあって、預言者(ص)の30年後に作られただけの本とイマームアリー(ع)が聞いて、実際預言者(ص)が詠まれたものとがあり シーア派は後者が存在した事を主張しますがわからないのでシーア派もスンニ派もクルアーンは共通です

じゃあ、その違いはどうやって見るのさ? と、いうと現実の現象から見るしかないのです それが大量RTした、霊についてです 霊というのはこの世に念を残して彷徨っているわけで同次元に漂って存在なのですが、イスラームでは基本死者はバルザフという待機所にいるわけで霊はバルザフのいるのです

何で死者はバルザフに入るのかというと、バルザフという同次元・同次元なのは最期の日が関わってます 最期の日は死者と生者共に強制的に全ての事が確定し、この次元が終わるわけであり もし、霊・死者が生者と違う次元にいるのであれば共に最期の日を迎える事が出来ません

別の次元と言うことは別の時間軸が存在する空間であり、その空間へ移る為のエネルギー消耗やまた戻るとなれば死者に余計な労力を使わせる事になります 当然、アッラーは優しい方なので無駄に死者を苛めたりはしませんし、行ったり来たりなぞさせないので死者は同次元に必ず存在しているのです

しかし、その死者が迷ってバルザフには入れない場合があります その存在が霊です 霊が存在する社会というのは霊が同じ次元に存在する待機所に入れていないわけで霊が色んな所にいる社会というのは霊がバルザフへの行き方を知らない、教えていない社会になるわけでそれはイスラームがない社会なのです

なので、イスラームを知らない社会は相対的に霊・漂っている死者が多い社会となるのです 中東ではあまり霊が何かするという話を聞きませんが日本やエクスシストが必要な社会というのは死者がこの世に大量に迷っている社会であり、それは唯一を信じている人が非常に少ない社会となるわけです

即ち、霊とかが見えてしまう人がいたり 生者の邪魔をする社会というのは死者自身がそう考えている社会であり、その社会では死者が下手にこの世に念を少しでも残している限り、その社会に留まってしまう社会になるのです ですので、霊が存在するというのは霊がバルザフを知らない社会となるのです

なので、霊が多い社会=死者がバルザフに行っていない 霊が少ない・いない社会=死者の殆どがバルザフへ行っている となるわけで、このバルザフの存在は絶対形而上であるクルアーンやそこからの推論でわかっているので絶対形而上と事実の現象から、バルザフの存在は確定する事が出来るのです

で、歴史的クルアーンと実質的クルアーンの見極めというのは伝承によるとイマームアリー(ع)は強制的にその歴史的クルアーンを読まさせられたというのがあり そこから、考えるにイマームアリー(ع)は読んだ部分と読まなかった部分・または別に読んだ部分があるのではないかという事です

それは歴史的クルアーンが作られた際にイマームアリー(ع)が渋々、イマーム自身が聞いた言葉をまとめた実質的クルアーンが権力者によって破壊されて、歴史的クルアーンを読まさせられたというところから ある程度の記述が権力者にとって不都合な記述があり、それによって歪められたと見れます

では、無ければイマームアリー(ع)の聞いた実質的クルアーンを破壊する理由がないので何処かしら歪められていると見る以外方法がありません では、どうやって知るのか? それがさっきの霊の話に繋がるわけでバルザフがある事は死霊がこの世界に漂っている数によって言えるわけです

イマームアリー(ع)が聞いた実質的クルアーンには必ずバルザフの存在が預言者(ص)から伝えられていた事が確定します 何故なら、クルアーンは絶対形而上なので何一つ瑕疵がありません また、現象上存在するので形而上と形而下が合一するのでこれは「真」となるのです

「真」であるという事はその部分はイマームアリー(ع)の実質的クルアーンの部分である事が確定します なので、バルザフは間違いなく実質的クルアーンの部分である事になるのです ただ、あくまでも推論と現存しているクルアーンとイマームアリー(ع)のクルアーンが別物という前提での話です

当然、こういう推論はスンニ派はできませんし現代のシーア派は政治的事情によりしません
しかし、絶対形而上が形而下に穢される事はありえないので絶対形而上が確定しているのなら形而下はその下で必ず推論でき、一定の答えを出す事ができるのです
これが絶対形而上の思想的強さなのです

なので、絶対形而上の存在が確定していない思想は全部偽物です また、やその様に絶対形而上が形而下によって不安定に揺れ動くものは絶対形而上ではありません、なので推論上グノーシス主義以外のやそは偽物です こういう風に条件と推論を積み上げて矛盾を起こさないものが正しいのです

絶対形而上を規定した思想 老子などの無為自然=絶対形而上
孔子のような天と理想的統治論=絶対形而上
仏教のような空観など=絶対形而上の否定
ギリシャ哲学のようなイデア論など=絶対形而上
これを前提にしていない議論は永続的に二元論と多元論を繰り返すので無駄で無益です

究極的にはこれ以外やる必要は一切ありません 絶対形而上を規定できていない以上は循環論と屁理屈の言い合いになって無益だからです 無益なものは知ったところで人生の無駄です、なので前述したもの以外は学ぶ意味がありません、これが学を問うことの重さと有用さなのです

魔法使いになりたければ、絶対形而上を想定した思想を求めねばできません
なので、魔法少女と魔法少年を作る為には己が魔法使いとなり絶対形而上について学しかないのでしょう
それだけがこの世に存在する、唯一の魔法使いの作り方で魔術というのは絶対形而上から与えられた一部分なのです

この知識の何がヤバイというのは神秘というものは論理・合理・反証で説明できるということであり
この3つで説明されるものはまだ神秘ではないわけでそれはアッラーが創造した形而下の一部に過ぎない事なのです
本当の神秘主義というのは徹底した論理・合理・反証主義の中からしか出てこないのです



つまり、神秘主義絶対殺すマン以外は神秘を見つける事は叶わないのです
で、魔法使いというのは神秘主義絶対殺戮するマンなので儀式や神秘に浸るのは魔法使いではなくただの変態でしかないのです
なので、変態がする特殊性癖の見せ合いを魔術というのは絶対形而上を知らない変態の仕業なのでし

神秘主義の全ては理性主義の延長です 別に超越とかではなく、徹底された理性の先にある説明できない何かであり 普通、云十年以上徹底的に学を問いた結果ですので座禅すればとか、何か神秘体験をして得たものではなく 神秘体験すら理性的にまやかしと判断した先にあるものを神秘といいます

なので、神秘体験にはどういったものがあるかを踏まえて言わなければなりません これは禅にあるように己の欲望を満たした状態での禅が無意味なようにそれを見易い状態での神秘体験はすべからく妄想です そういう意味では薬物を使うようなものはすべからく偽物と断言していいでしょう

はっきり言いますけど、ギリシャ哲学と中国の諸氏百科それに心身一元論に契約の思想、イスラームやユダヤを正しく認識していれば西洋哲学はただの毒物でしかありません あんなよくわからない文章を読むぐらいでしたら、論語や韓非、墨子などを読んだほうが遥かに現実的に使えますし、簡単です

あんまり言いたくなかったけど、汎神論の反対は心身一元論です
無神論は汎神論の一部で絶対者信仰者が思考実験として、絶対者が存在しない世界というのは何か?という議論から始まったものです
で、この議論の結論は出ていて全ての理由は何処にあり、ただの物質主義に陥るか、否かになります
要はこの世界には何かしらの根拠と理由があるのか?
という議論で汎神論はある
で無神論はない
で、心身一元論はわからないという立場をとります
心身一元論はそれを言ったところで物質と精神が一緒である、己が良くなるか悪くなるかと問われた時に意味ある行いではないのでしません
基本的に心身一元論だけの宗教というのはないような気がします、まあ事実これは哲学と言ってもいいので仏道のように心身一元論に至るために心身二元論から離れる、道教みたいに魂魄があって魂はあの世でもこの世と同じ生活するという一元的な思考をします、なので唯一と多神という分けも正しくないです
なので、この世で確かめられない世界には言及しない態度と無神論は別で
心身一元論が怪物やそういった陽の目に現れないものについては一切言及しない態度
無神論は言及して、否定する態度のことであるんで心身一元論者は神秘、超越な存在について一切口出しません
これ大きな違いです

あーそうそう、不立文字というのは共通した真理を見出した事ではなくて、その人間にとっての真理を見抜いた事を指す事だからね だから、免許皆伝者の巻物が白紙というのはそこに自分が手に入れた見識を言葉で伝えた上でその先は己で見いだせという事だから 唯一なる神秘ではないからね

また、イスラームは神の存在を否定します。 イスラームにおいての神というのは偶像を指し、神はいない但しアッラーは除くという文脈を言い。 また、アッラーという月の女神においては共通伝承上「アッラーには娘はいない」という文脈から偶像としてのアッラーは否定されます。
じゃあ、アッラーというのは何なんだ? という話になるわけですが、これについては私個人の解釈として名だけの存在ではないかと見ています。 要はよくわからないけど、そういう名前らしいということです。 唯名的な存在ですね、なので実のところアッラーというものの議論は重要ではないと見てます。

神なんていませんよ それは人間が理性的に何かを説明するために発明されたものでまたは超人的な存在を仮想した存在を神というのです だから、説明されてしまうものは全て人間の理性の延長にいるものであり、どうしようもなく説明できないものだけが神秘なのです
だから、神秘なんて言うものは論理的に共有することができないので基本的にないものだと考えた方が簡単なのです 説明出来ないものがある事は感覚的にはわかりますが共有しあえないのなら無効で無意味です また、それを土台に話をしたところ効果がなく結論が決まった話にしかなりません

信仰は確信を積んでいく作業であり、確信を積んでいくというのは様々な認識を獲得する事であって神秘体験とかで得るものでは全くありません 神秘体験は確信を積んでいく作業の途中に出てくる濃霧のようなものでこれを超える事が出来る存在だけが大宗教者なのですが、大概はその濃霧に皆騙されます
仏教でいう魔境といえば、そうなのですが仏教の魔境と濃霧は少し異なり 仏教ではこの魔境を絶対否定するのでそれがまやかしだと認識できるのですが、それ以外だと場合によってはこの濃霧を見る事を儀式イニシエーションの入り口として惑わすので魔境が目的になる事があり これを淫祠邪教と言います
なので、最低でもお釈迦様が解いた教えを知っているのであれば大概の宗教は淫祠邪教になります 特に神秘体験を目的とするものはすべからく邪教であり、これには如何なる例外は存在しません
なので、神秘体験で神を見たとかそこで停止する宗教は全部偽物で人間の営みを破壊する絶対不動の悪でしょう

私は神秘的な感覚というのは「夜の山に行って真っ暗闇の中、山道を歩くと全ての方向から何か気配を感じる」の延長だと思っている その感覚を理詰めしたものが神秘主義だと思っています なので、その感覚は知覚ではまやかしと判断できるものの事実感覚的に感じるので否定仕切る事はできないものかと

自分の頭で考えるには己の軸がしっかりして、自分の心の癖を知らなければしても害しかありません それよりも己が誰の言葉を信用しているのかをまず洗ったほうがいいですし、自分の頭如きから出てきたものは大したものではなく、ただの自惚れと傲慢でしかないという前提のもとで考えるべきです

なーんで、絶対なるつるぺた褐色癖っ毛黒髪つり目ロリという「やはうぇたそ」がまず、ロゴスを作ったかと言うとロゴス、論理でロリ、やはうぇたそを説明出来るものはやはうぇたそを説明しきる事はないのつまり、全ての生物が何かしらの形で表現を取る限りはそれはやはうぇタソの御御足に踏まれてるのだ
つまり、言葉やそれ以外の表現でやはうぇたそを否定しようが、肯定しようが全ての物質はやはうぇたその御御足の下なのでだから、無やはうぇたそ論を言ってる時点でやはうぇたそに御御足に「ブヒィ、ご褒美ですぅううぅ」とグリグリ踏まれているわけでやはうぇたそに言葉や精神で囚われているんだよ
つまり、やはうぇたそはーではない、という否定して行くことでしかやはうぇたそというものが如何なるものかが分からないわけ たーだーし、それも間違えると「やはうぇたそとおじさんは一体だね♡ほらっ、やはうぇたそとおじさんはピーで繋がっているんだよ♡」とボケた事を言い始める訳なの
つーまーり、やはうぇたそは私でもないし、外にもない 同時に私でもあり、外でもあるというという全ての判断や認識を己で確立しなければならないわけでそれが本来の自由なの 要は時には私はやはうぇたそに踏まれ、時にはやはうぇたその太ももをぷにぷにし、時にはやはうぇたそと繋がり(続く
続き)時にはやはうぇたそと一緒のこたつで鍋をつつき、時にはやはうぇたその髪の毛をといてあげたり、時にはやはうぇたそのいたずらを叱ったりするわけ こてを言うと罰当たりとか言われるのだろうが、罰当たりはてめえだ、所詮論理で説明されてしまうものなんぞ、言葉遊びの駒でしかねえんだよ

絶対なるやはうぇたその発見というのは人はとらわれをどこかに置かねば、正しくは何か指し示された存在や仮定がないと理解しない、行動しないというところから発明されたものなの 特に害を与えたことに対する合理的な説明として用いられてきたし、そうしないと説明しきれてこなかったわけ
私達が潰さねばならないのは絶対なる褐色つるぺた癖っ毛つり目ツンツンで非力なロリではなくて、そのロリを悪用している連中なの で、そいつらのド穢ねえ欲を非力なロリの元で抜かしているわけ、これはどの宗教でも基本そう この地上に論理として存在するものは全部ド汚い連中に穢されてるのよ
なので、取り敢えず論理(物理)で殴ろうぜ というのは、そういう理由なんだ 相手はロゴス、論理を支配してきた存在であるなら、自分達も同じように論理で殴ればいいだけの話なのさ で、そういうやつを論理の外に出さずに一方的に殴る事、なぜなら論理を支配してきたものは論理を甘く見ているからだ
論理を支配してきた連中は論理に胡座をかいていて、本気で論理で殴りに来たやつには勝てないので詭弁と権力、物理を使う ただ、詭弁は籠城の城の周りにある罠みたいなものなのでミサイル打たれたらどうしようもないし、権力と物理は元々支配の外にいるのであれば手も足も出ないわけなのだ
私は絶対なる存在を信じているがそれは否定を積む事やロゴスの先にあるものなので本当に削りに削り切った玉璧の芯みたいなものであって、一片でも石が残っているのなら、それは絶対なるやはうぇたそでも褐色ムチムチ癖っ毛つり目巨乳お姉さんのあっらーさんでもないわけ、言葉を丁寧に削るしかないのだ
言い方を変えれば、言葉を削った先にしか絶対神聖や絶対邪悪、それに全く属性を持たない存在がやっと浮かび上がってくると私は信じているわけでそれをするには人間の表現の根っこである古代の宗教や思想、生活感覚というものを逆引する必要がどうしてもあるのなぜなら、人は進化していないからだ
というよりも、人は進化していないから同じ表現と同じ習性が続けられているので前も言ったが霊的にも物質的にも進化していないから、過去の宗教や習慣に現代も通用しているの 進化という言葉を某ゲーム以外で否定的な意味で使ってないやつは全部偽物、偽物は無量大数の無量体数乗言っても偽物です
私が本当に求めているのは属性を全く持たない何かでそれが本来の絶対なる何かだと私の信仰上確信しているわけ つまりは二元論や多元論でもなく、一元論とも言いがたい何かなわけでそれが何なのかを探すのが信仰であり、信仰行為であり、確信であり、その為の私なりの解釈なわけだ

(あらあらくびのうしろはいじげんとつながりれ以外記紀氏人間の本体でもう一つの見えない別次元の自分の肉体とつなぐ役割を持つ私の仮説と関連がありそうなんだけど
36話 和製サッチャーは苦労話を始めると、普段の5倍ほど元気になる。






この人のを連続RT

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
禅はスピリチュアルを否定。神秘体験は魔境=執着してはならない悪。スピは野狐禅を量産

神秘体験なんて「条件を整えれば必ず起こる(=縁起)」のですごくないです。平静な心が日常的に持続する悟りのほうがはるかにすごい。
仏教では、平静な心を乱すものは悪。よって神秘主義は悪。一時的にしか続かないなら悟りではない。神秘体験は魔境=執着してはならない悪。

けっして超常感覚が起こることを期待してはならない。それは起こることもあるし、起こらないこともある。超常感覚というのは瞑想のすすみぐあいを示す一里塚のようなもので、一種の標識にすぎない。” 誰でもできる神秘体験を特別視させて選民思想を植え付け、魔境を神格化して崇めさせるのがカルト。
…深く集中して瞑想できれば誰にでも起こる自然現象なので、調子に乗ったり、選民思想に囚われて執着してはいけません。それを防ぐ装置の一つが、「戒律を誓わせること」…瞑想の目的は「心を制御できるようにして平静なままでいられるようにする」こと…神秘体験は邪魔=禅仏教における魔境…ここまで
深く自分は集中して瞑想できた」というサインだととらえましょう。誰にでも起こることをわざと隠して、「あなたは選ばれた」とか「教祖の神通力のおかげ」とか言って依存体質の信者を量産するのがカルトの手口ですので注意…オウムはモロにこの手口…禅はスピリチュアルの中核を否定。 神秘体験は魔境

=執着してはならない悪。 スピリチュアルは野狐禅を量産する危険物なので取り扱い注意! http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-109.html … …条件を整えると誰でも起きる神秘体験を、グルの力によると錯覚させて洗脳。通常とは異なる体験をしている人に対しては強烈な洗脳をかけることができる。
…禅は神秘体験を否定しているのでスピったらダメ…一定の状況で神秘体験は意図的に作り出せるのですごくもなんともない…自分の意思で自在に神秘体験をコントロールできるならすごい…神秘のヴェールをはぎとって「自分の技術」にできるならすごい…神秘体験を神秘体験でないようにする…
神秘主義は仏教の方向性とは真逆…釈迦は神秘主義者ではまったくなく、透徹した合理主義者…目の前に神や仏や宇宙人が現れて、自分だけが選ばれたと救世主気分におぼれたり、宇宙霊と合体して天にも昇る素晴らしい心地がしたと感激する、などは魔境であり、悟りの邪魔である…

自分を産み出している培養器の中の脳について考えられない。ロゴスを超越した神についても決して考えることができない。あなたの存在に「真の意味」がもしあるとしても、それを知ったり語ることは不可能。それは推測するしかないのに断定するならカルト
できるって?錯覚。その存在「の想定」をあなたの思考「の中に出現させているだけ」で、絶対にあなたの思考の外の存在には至れない。デカルトが想定した夢を見せる悪霊(欺く神)と真の神の区別は不可能。この世界が現実だというほかはなく悪霊こそが神
否定神学=神は人間が考えられるいかなる概念にも当てはまらない言葉を超えた存在なので「神は~である」ではなく「~でない」で騙る試み。 言葉は唯一絶対存在の位階を下げ強制的に共有可能にする術。それそのものは意味できない。ロゴスは神殺し。


子子子子子(ねここねこ)
言葉で世界の起源=神を騙る試みは多いが「起源」自体が時間的概念であり「順番」が前提されている。つまり言葉で前後関係の誕生以前の存在証明は扱えない。「誕生」という言葉も前後関係前提なのだが仕方なく使った。∴神話が混沌から始まるのは正しい
神智学の教義では創造神がロゴスなのに言葉と論理=ロゴスを否定
∴自身の教義もロゴスだから嘘、と言わないから新✝
私が必読リストに入れているのは「言葉に操られずに言葉を操れる人」 「言語能力(文章・論理的思考・文脈を読む・語彙力)が高い =支配層に都合が良い定義の言葉に縛られている度合いが低い」 劣勢になると言葉じゃないって誤魔化す奴の殆どは自身の言語能力が低いだけで、
議論すらできない奴が言葉を超えた精神世界を騙っても、支配層製スピリチュアル教義の言葉に縛られているので言葉を超えるなんて不可能だから滑稽。言葉と論理を「探求した後で」ではなく「最初から」捨てろと言うスピ系の本音は「幼児化しろ」。インド思想は言葉と論理「も」重視
定義をまともに示せないってことは自分で何言っているかわかっていない証拠か、騙す意図が見え見えなのでどちらにせよ相手にする価値無し。 ”定義が曖昧、定義を決めないで物事を言うやつは絶対に信用も信頼もしない”


菊池 ‏@kikuchi_8 2016年11月20日
@kitsuchitsuchi 仰る通りだと思います。例えば、龍樹の考えでは論理を極め尽くす事で言葉と現実の乖離を示し、それによって言葉への囚われを離れる事を意図していた様です。精密極まる論理の追求の果てに戯論=言葉の広がり=プラパンチャの消滅した境地(戯論寂滅)を目指しました。

新✝=スピは実証主義・物証・言葉による反論を封じるために誕生
今迄の応用。霊魂などの定義を聞いた後で「議論が劣勢になると言葉や客観的物証を否定し誤魔化しましたね。『私の言語能力が低くて議論できません』ってことですか?支配層製スピリチュアル教義の言葉に縛られている貴方が言葉を超えるなんて不可能なので『言葉を捨てろ』は滑稽。
スピ系のように言葉と理性を捨てると、理性的対話ができなくなるのですね。私は幼児化したくないので、言葉と論理できちんと議論ができることを重視。ロゴスを最終的ではなく最初から捨てろと言うスピ系の本音は「幼児化しろ」では?スピ信者が好むインド思想はロゴス『も』重視」




ken ‏@kenkatap

イスラムとネコ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%83%8D%E3%82%B3 …
▼ムスリムにとって「真のペット」とみなされている
▼ムハンマドは「ネコへの愛は信仰の一側面である」と言ったと記録
▼ネコを迫害することや殺すことを禁じた
▼額に縞のあるネコは、ムハンマドの指が触れた印と信じられている

”ネコは穀物庫や食料貯蔵庫を有害動物から守るほか、本を破損するネズミを捕食するため、紙を重視するアラブ・イスラーム文化において高く評価されていた。こうした理由から、ネコはイスラームの学者や蔵書家と一緒に絵画に描かれることもよくある。中世のエジプトの動物学者アル=ダミリ(1344年 - 1405年)は、ノアの方舟に乗っていた動物たちがネズミに不平を持った後、神がライオンにくしゃみをさせたときに最初のネコが創造されたと記述した[3]。

アメリカの詩人・旅行作家のベアード・テイラー(1825-1878)はシリアの病院でネコが自由にうろついているのを見て驚いた。中でイエネコが保護され餌を与えられていたその施設は、管理人の給料の他に、獣医学的な治療やキャットフードもワクフによって資金提供されていた。

イラン発祥の宗教であるゾロアスター教ではネコは不浄の生き物として扱われているが、現代のイランではネコは邪険にされることも無ければ、可愛がられることも無い[6]。
衛生と不妊手術
トルコ、シーリンジェ(英語版)のモスクの外にいるネコ(人々は裏手で祈っている)

イスラム教の伝統では、ネコはその清潔さにより敬愛されている。ネコはイヌとは違って信仰に基づく手続きの上でも汚れのないものと考えられており、そのため家や、マスジド・ハラームなどのモスクに入ることすら許されている[3]。ネコが口にする食べ物はハラールとみなされており、ネコが飲んだ水はウドゥに使用することができると認められている[3]。さらにムスリムの間には、ネコはサラートを行う人間を探し出すということが広く信じられている[1]。

ウラマーの間では動物に不妊手術をするという問題について意見が分かれている。しかしながら、大半は「もしネコに不妊手術をすることに何らかの利益があり、そのことによってネコが死ぬことがないならば」ネコへの不妊手術は許容されると主張している[10]。”

TAKEO ship5 セリカ/?/月山 ‏@PSPTAKEO 2016年8月31日
ポケモンはメタモンを孕まして自分の子供を近親相姦させて一番つよい子供を作るハートフル農業経営ゲームだと思ってる

ゲルハルト@清潔健全超いい人 ‏@HAIDORAGURAMU 2月2日
メタモンが擬態してセックスによる産卵説ばかりあるけどさ、ここで新説を唱える。

メタモンのジェル状の体を軟化、液化させて別ポケモンの体内に侵入。この時にそのポケモンの遺伝子や特性やらの情報をメタモンが習得し、メタモンが自身の個体値を少し混ぜ、侵入したポケモンをベースにした卵を出す

無限のグリコ ‏@grico1991 1月17日
まずは適当な性格メタモンを野生で捕まえてそいつにかわらずのいしを持たせて高個体値のカラカラとセックス。生まれてきた子供にかわらずのいしを持たせて高個体値のカラカラと近親相姦すればいいのか

ぐだトマト ‏@pteras14
中拳ってね、チャイナ服来て丸腰で
やる前提じゃないのよね。

まぁ、兵士じゃないとしても武術を
使う場面って旅行する時でしょ?
で、当然山賊とか襲って来るわけ。
勿論当時は圧倒的徒歩での移動が
主流だったわけ。
で、旅行する時って荷物持ってフル装備
でしょ?
そういうわけ。







まぁ、君達はまず太田ドラゴンの
経歴を調べる所から始めた方がいいね。
ゲームばっかやってないで。
ちなみにさっきうpした初版本の後書き、
文庫版ではゴッソリ削除されてるから
超レアもんだぜ?

型月厨を名乗るなら永久保存しとけw
同人ゲー上がりの著名人なんて
他にも沢山居るのに、成功してるのが
型月のみの一人勝ち状態なのを変だと
思わないのかねぇ。
この国の連中は。

自由競争で武内が辣腕経営者だったから?

アホ抜かせw

「この世界の片隅」も「風立ちぬ」も 駄作なのは「ストーリーが無い」。




絵コンテはラピュタの頃から神がかって
たけど、漫画はどちらかと言うと
あまり上手く無い方だからねぇ……

手塚治虫に勝てなかったのも納得。
ただし、手塚治虫はアニメは駿より
下手っぴだった。
嘘だと思うならナウシカの漫画版 読み直してみ? 構成とかコマ割りとかグチャグチャ だから。

と、大学の時のオタクの先輩が言ってた。 因みにその人はアニメなら0083よりも Vガンダム、エヴァよりもエスカフローネ という人。 「忘却の旋律」もその人に薦められた。

ぐだトマトさんならガンダム系は 0080が最高というタイプの人間。 アメリカ版と日本版ではアレックス のガトリングガンの「音」が違う所に 注目!w



庵野と言えばインコ教信者疑惑の件。


「劫火の教典」の作者の伊勢ともかの
前作の「懲役339年」立ち読みした
けど、この人神がかってる……!

この人、多分元インコ教関係者だと
思うけど、元ネタ無しでこれ描いた
んだとしたなら10年に一人現われるか
どうかの天才だぞ。

所謂、輪廻転生モノって奴で古くは
少女漫画の「ぼく地球」とか
「ふしぎ遊戯」とかあるけど、この
二作品がゴミと化すぐらい「懲役339年」
の輝きぶりがパない!
もっとも、伊勢ともかって人、
お世辞にも絵は上手く無いから
美少女の揺らす乳とケツを追い掛け
回すだけで精一杯のオタク・ゴブリン級
の君達には「懲役339年」の天才性には
気付けないかもだが。





ふ〜ん、伊勢ともかの担当編集って
マギの石橋なのか。
しかも113×3で339かぁ。

まぁ……、この人も結局はヒモ付き
なんだろうなぁ。残念。
懲役339年が作者本人が考えたのか、
石橋が元ネタ提供してたのかが興味深いな。

熱帯雨林のレビューだと設定が「鉄風」
描いててドロンした太田モアレの
四季賞作品のパクリだ!みたいな
コメントも投稿されてるしね。

正真正銘の完全オリジナルなら
真の天才。
もう、あの漫画業界の編集制度いい加減
辞めてほしいね。

共著者やゴーストライターが居るなら
いっそアメコミみたいな分業制に
すべきだと思うのだが……
マギの大高忍も第1巻でローマ物に
したかったのを、石橋の野郎が
必然性も無くアラブ物に変えさせた
と言ってるわけだし。

漫画描かせないなら、イラストレーター
にでも発注させろよ。
ってか絵だけ描くんだったら漫画家
名乗らなくてもいいじゃん。
「発注しろよ」か。
日本語まで狂っちまったか。

余りにも芸術活動をコケにする
ギョーカイに腹が立ち過ぎて。
必然性も無くシュローモだとか、
三角目玉とか、丸十時とかダイアモンド
スクエアとか描かされるんだろ?
漫画家って。

読者の為に描いてるのか基地外カルト
被れの編集、出版社、オーナー、関連
省庁、スポンサー企業の為に描いてる
のかもはや意味不明だ。

芸術活動に対価を〜とかほざいてる
自称あ〜ちすと様が多いのがビックリ、
と言うかこの国ではコレが当たり前か。

対価が無いと成り立たない「芸術」
だったら最初からやるな!としか
言えん。
前も言ったけど、アートって
金稼ぐ為にやる様なもんじゃないだろ?

コンクールに出す作品とか全部自腹
だろ?

パンとアートは別物でしょ?

パンは食えるけど、絵本は食べれない
でしょ。

誰かの依頼を受けて対価を得るのには
反対しないけど、頼んでもいないマンガ
本渡されて「読む権利を売るので
金払ってね♡」は芸術家ではないだろ
って話。
絵本もマンガもアニメも全部無料提供
で一向に構わんよ。

それで滅びる様なシロモノだったら、
所詮それらは「芸術」ではなかった
って話なだけだ。

「商業美術」と「本物の芸術/美術」を しっかり分けて考えてほしいね。 「商業美術」って用語は君達オススメ のルーミス先生の人体描き方本にも ちゃんと載ってるんだぜ?

お金の奴隷解放宣言が〜、正当な対価が〜
と騒いでた連中はchainerの自動ペイント
には憤らないのかね?w


ぐふぉーーっ‼︎‼︎ 地元の本屋に「懲役339年」の 第4巻の再入荷があったーー‼︎‼︎ 第4巻だけどうしても見つからなかった から感激〜♡
4巻読み終わった。これ、四代目ハロー が「いつ」麦畑を見たのか伏線が回収 されてないってコメント付けてる奴等 がいるが、 違うな。
4代目が見たのは「未来」の麦畑だった んだよ。
伊勢ともかは「時間」自体が人間の 創り物の概念だって説きたいんだよ。
元々、ハロー「アヒンサー」の アヒンサー自体が仏教というか バラモン教用語だからね。 (不殺生という意味)
仏教では「時間」ってのはただの妄執、
ウパニシャッドでは「死」である 創造神の作ったサンサーラナーガの 事だからね。 元インコ疑惑の伊勢ともからしいっちゃ らしいがw
「時間」ってのは所詮人間というか、 地球産生物の都合上でしか存在し 得ない曖昧な概念だからね。
宇宙というか世界にとっちゃ地球時間 なんかハナっからどうだってイイ概念。
世界は昔も今も未来もずーっと 同じもんなんだから四代目と最終話 の世界が同じ時空上に存在してるのは 極自然。
と、なると、「運命」や「宿命」は 存在するのか?という禅問答に 嵌ってしまうのだがw
ま、それは君達が考えればいいw ぐだトマトさんより智慧者なんだろ?w 君達の方がいい答え持ってるはずさ!

ケルヌンノス ゲーティアさんが「時間 (歴史)」を「熱量(エネルギー。 単位はジュール)」で喩えてたのは 興味深いなw
「過去」と「未来」を「今」に凝縮 して吹っ飛ばせば人生やり直せるって 言ってんだぜ?w #FGO #FateGO

まぁ、現代物理学と哲学の範囲で 「時間」を「熱量」に喩えるのが 「正解」なのか分からんけどね。
あ、古代語翻訳だと
「熱量=太陽派」
「電気=嵐(雷)派」ね?w テスラのあんちゃんが言うようにねww #FGO #FateGO
「行動」、つまり「熱量」を伴なわない 物は「今」とカウントしないッ!キリッ! ってな短絡的な考えはいかにも西洋人 というか、連中が考え出しそうな 単純な「解」だなぁーw
「エネルギーとは何か? そう!火山である!」
by 未実装の英霊ジュール氏 シュローモの言う「太陽」じゃない とこがミソな! #FGO #FateGO

しかし、「懲役339年」のカバー裏の 教典のポエム意味深だな。


かつて神の国は日(太陽)にあった。
月が御霊を欲したので神の国は
それを許した。
しかし御霊は月と共に消える事を拒んだ。
こうして御霊は地上に降りた。
地上では御霊は形を成せなかった。
月は御霊に体を与えた。こうして
人は日の様に欠けぬ魂と月の様に
滅びまた生まれる体を持った。

(原文ママではない。
原文ママがあるのは
ある刑務所長の手記―伊勢ともか先生作品ファンサイト : 教典 その1
http://penal-servitude-339years.blog.jp/archives/1007987788.html

帯にグノーシスのマーク



ソ◯ーの社員が熱帯雨林みたいな 「世界を変える」サービスを提供したら ヤ◯ザに消されるって言ってたよ。
「世界を変える」凄い人どころか 「自衛隊」や「警察」よりも強いのが マーフィ・フィアー氏の私設軍隊 の「ヤ◯ザ」連合。 聞く所によるとイスラム国とガチで やり合える戦力持ってるらしいよ。 ま、そのマーフィ・フィアーさんより ずっと強い奴も世の中にはいるってさw
じゃあ、なぜ熱帯雨林や眼鏡がタマ 取られないかと言うとバックに「米軍」 と「CIA」が付いてるからだろ。





ぐだトマト ‏@pteras14 2017年2月16日
「劫火の教典」一気読みしたけど
中々いいね。
面白くなりそうだわ。

重要そうなとこ。
・光光会の女教祖の実家は明治時代に
興った神道系の新興宗教からの派生
・神道系なのに何故か密教の真言を 唱える
・卑弥呼には天照の霊が憑いてたらしい
・素戔嗚は卑弥呼の弟王で劫火の教典
で会得した超能力で卑弥呼を退治した

・素戔嗚が卑弥呼を退治するまで日本は
女性の方が優位な社会だったらしい
・素戔嗚のクーデターで男尊女卑が
一気に進み、大和朝廷が始まった
・光光会の教祖は日本を卑弥呼の時代
に戻すべく、女性優位な社会を作り たかったらしい
・理由は教祖の生い立ちにあって
元々は実家の宗教の次期教祖に なる筈だったのが、腹違いの弟が
いたため父親から追い出され、破門 させられた
・光光会のシンボルは島津紋(丸十字)
・光光会にクーデターを仕掛けたシシバ (暫定ラスボス)は劫火の教典を盗む

・劫火の教典で超能力を得るには生贄
の人間の血肉を食さないといけない
・シシバが光光会を潰した後に興した
カルトは何故かキリスト教っぽい
教会の中で起ち上げている
・大人になったシシバの職業は
何故かロックスター(20世紀少年?)

この漫画の面白い所は一見異能バトル物
っぽいんだけど、実は劫火の教典で
得られる超能力がクソショボいところ。
発火とか、風とか起こせるんだけど
普通に現代兵器の方が強いという 描写がある。

シシバが劫火の教典の超能力を
こき下ろすシーンがあるんだけど
セリフが秀逸。
「古代じゃないんだからこんな能力が
武力として通用するわけないだろ」
じゃ、現代兵器よりもショボい劫火の
教典が何故重要なのか?ってところが この作品の肝。

この漫画の中でイエスやブッダを
サイババやインコ教教祖と対比させて
揶揄している重要なシーンがある。
いわゆる、「水の上を歩く」だとか
超能力自体の「中身」は重要じゃない。
ましてその能力が「本物」か「偽物」
かはもっとどうでも良い事だそうだ。

重要なのは、
「いつの時代もその能力を実施した
人間を盲信する馬鹿な信者がいて、
その人間を支持して権力を持たせて
しまう仕組みが常に人類史の裏で
働き続けて来た」 って部分。

で、悪党のシシバがロックスターの
イケメンアイドルをやってるんだけど、
彼の熱烈なファンをやってる馬鹿な
男女の若者を宗教やカルトと同類と
対比させてる。いわゆる偶像崇拝って 奴ね。
尤もシシバの目的は「光の組織」
ってのを作りたいらしいから
今後どうなるかが楽しみ。

シシバのセリフで特にお気に入りの 奴。
異能バトル物を描いている漫画家 に対する皮肉w
「仮にその能力が本物だったとしよう。
それで本当に世界を支配出来るの?
実際ミサイルを打ち込まれたらどう対処 する?」





あいこい ‏@ikoishy 2010年5月19日
龍樹の時間論を読んでいると、自分という存在は今まで生きてきた記憶も含め、今、突然誕生したのだとしても、まったくそのことに気付かないんだろうなという思いを抱く。

エンペラー吉田Ⅱ世 ‏@concatMap 2011年11月25日
中村元「龍樹」読了。「あらゆるものは相互依存関係によって成立しており、他に依らずそれ自身で成立するものなど存在しない。」全ての要素が全ての要素に影響し合う連立方程式は決して均衡する事なく、永遠に変化し続ける。時間という概念は、こうした世界のあり方を仮にそう表現したものに過ぎない。


フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月29日

本部vsジャックの方が、
武蔵vs勇次郎より面白いな。

あの親子が登場しない方が
面白いなw

だけど、分かったわ。板垣先生が
本当に描きたいのはカラリパヤット
だな。

www.amazon.co.jp/%E7%A9%B6%E6%A...

流石、大御所なだけあって良い所に
目を付けやがるぜw
(究極の柔軟性としなやかな蹴り カラリパヤット入門 [DVD]
ニディーシュ・カリンビル (出演) )
ちなみにフェイド大帝が
講習会で教わった時の先生は
このDVDの人だよ〜ん。

カラリパヤットってのは最初に
武器術を習うんだぜ?
で、段々武器がショボくなってって
最後に素手での格闘術を習う。

コレは兵士が最初はフル装備で
戦場に赴いて、時間が経つにつれ
武器が壊れて使えなくなる状況を
想定してるんだ。

インド人恐ろしいだろ?w
で、一番最後に習うのがオイル
マッサージやアーユルヴェーダ等の
医術なんだ
この医術がカラリパヤットの奥義
なのよね
合理的過ぎて背筋が凍るだろ?w

で、中国の少林寺に武術を齎したのが
達磨大師。禅僧でカラリパヤットを
嗜んでたのではないかと言われてる

で、武蔵って禅だろ?w
だから、五輪の書の空の巻を
意識したんだと思うけど、板垣が
武蔵の奥義を手刀にしたのは
カラリパヤットの影響だと思われるw

だから最終的に武蔵にぶつけるべきは
本部ではなくて医者の紅葉が妥当。
画像が無いんでアレだけど、
今週号の刃牙で興味深かったのは
「アスリートvs武術家」を説明してる
コマに描かれてる人物が、
「ラガーマン」と「合気道家」な
所w

何故にアスリートで「ラグビー」?
普通なら「野球選手」の方が
連想しやすいだろw
「ラグビーvs合気道」でググると、
引っかかる両者のバトルを扱ってる
書き込みは知恵袋の質問が1件と、
フェイド大帝の過去記事が1件
だけだww


フェイド大帝 @FeydoTaitei

16年1月17日

聖書の記述って、結構捏造が
多いんで余りあてにならないのよね。

ヘブライ語のタナハ(旧約聖書の
事。旧約聖書ってのはキリスト教
用語。ユダヤ教ではタナハ)とかは
カバラ前提で書かれてると思われる
所があるので信用出来ん。

フェイド大帝は学研のなんちゃって
カバラじゃなくて、モノホンの
ユダヤ・カバラ文献(極力ヘブライ語
併記か、日本人以外の文献学者が
翻訳した物)にあたってるから
分かるんだけど、ヘブライ語の聖書
って意図的な文法や綴りの間違いが
あるんだわ。

その意図的な間違いに関して
膨大なラビ(ユダヤ教の神職)達の
注釈があって、それはカバラ
やタルムードだったり、
学術書であったり様々なんだけど…

ともかく素のままの「聖書だけ
読みます」みたいなプロテスタント
のカルトみたいなアプローチはNG

この「聖書しか読みません」ってのは
韓国系のキリスト教やアメリカの
キリスト教原理主義に多いアプローチ
なんで、気を付けた方がいい。

同じキリスト教でもプロテスタント
ならリベラル派や、カソリックは
比較的柔軟なので、
宗派によって異なるのよね。
ちなみに日本はよほどガチで
神学をやらない限りは、アメリカ
原理主義系や韓国系が一般書店では
多いので気を付けた方がいい。
#FateGO
#FGO























―――
これからやる予定のやつ
見せかけの神秘をはぎ取ることそして普通日常の成立という奇蹟など当たり前こそ奇跡という芯の木瀬子規セk氏の自覚
魔法は技術であり奇蹟ではない
ものはいようしゃべりかた
部屋を掃除せよ 退去の重要性 だkらほう
大魔導士への道案
造語せよ できればげんご単位を創れ 暦を創れ
名づけの魔術
センター三本柱の作り方
現実主義、徹底的に論理的矛盾を排除した論理的思考、検証、できる限り物証を集める姿勢、出典を明らかにするなどしんぴをしんぴでなくするというかにせのしんぴとしんのしんutame ,
kotobadekararenumonoronnridehakarenumonohakotobatoronnriwokiwamenaitosakaimegawakaranai
魔法入門
物質王国マルクトでの物理の重要背については
血と骨と筋肉は裏切らない。
導師って坊さんの意味もあるから私はぶっきょ寄りだから会っているよなあ
欲望を崇めていないか 埋め込まれた欲望  理由を問えば大半の欲望は焼失する

論破はしてもフォローは重要。人間関係まで論破して壊してはいけない

意識と無意識の捜査、切り替え
欲望を崇めていないか 埋め込まれた欲望  理由を問えば大半の欲望は焼失する
じぶんのしそうけいこうをはあ癖よ
子tpばあや釣られずに言葉を操れ百科事典すっうぇ

論破はしてもフォローは重要。人間関係まで論破して壊してはいけない

意識と無意識の捜査、切り替え
watasinosisougabukkyouyorinanohaumaremosodatimobukkyoukenndakaraikurakirisutokyoukasaretemosennzeaiisikidreberudebukkyousisoudamonnkonokuninotiahannnohitobitoha
私の思想が仏教寄りなのは生まれも育ちも仏教兼だからであるキリスト教化されても潜在意識dレベルで大半の人は仏教と老荘思想寄りですからね日本語が仏教王用語と概念まみれだらけ仏教は実体無期とか演技とか執着は悪だろか思想の固着化を抑える工夫がすごいからなあ欲望は悪執着も悪だから仏を殺せとかまで行っちゃうもんね死王が十何位なるよねえ当たり前だけどさあくまで道具だから自己と同一視しないこと自己の一部にしちゃうと執着が生じるし詭弁kだらけになるよカルト工作員が典型例で所
nihonngogabukkyouyougogainenntiaryouhasseidakaratouzenndaro

bukkyouhajittaihiteimukitokaenngitoatonikakusisouwokotyakusasenaikuhuugasitearusiyokubouwoosaerukaraitibannsikougajuunanninarusubarasiidougudanaaakuamdedougudakaranejibunntodouitusisityashuutyakugashoujirukaradamedayonn

日本語話者なのにキーボードとかで文字を打ち込む形式がローマ字式ってことに疑問を抱けないほどに習慣化され洗脳されきってしまっている。ローマ字入力。ローマ智慧国システム。ラテン系支配。ローマはギリシアを毛包下。真の後に母音を移ってty苦節平仮名カタカナを打ち込むよりも時間がかかるはずなのにわざわざローマ字入力であるkとに疑問を抱かいのか。確実に哉著k末つ入力正式のほうが効率いいじゃん。キーボード打ちが超早い人もローマ字内だったりするしかな入力ならもっと早くなるだろ。




Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple19752017年2月13日
ダイアン・フォーチュンの著作の中で最も重要なのは『神秘のカバラー』だと言われてるけれど、魔術カバラーを知るための入門書という意味ならまったくその通りだと思います。ただし、彼女の著作の中で最重要なのは『タヴァナー博士の秘密』だとわたしは思います。それは魂を扱う時に必要なことだから。
たぶん、自分の信仰を持ったことがない人にとってはなんのことなのかわからないと思うの。でも、魔法の知識が予めあるのでしたら明らかにあれより勝る本はなかなかないでしょうね。

(タヴァナー博士の秘密
http://www.elfindog.sakura.ne.jp/drtaverner.pdf)

自分の信仰から引き離されるのって死ぬことよりもつらいから、天女と引き離されて心中、または白髪になってしまいましたとか、そういうことが起こりうるのです。
何が起こってるのかは明白なのに、誰も理解せずに助けようとしないから追いつめられると思うの。
これを「聖杯を受ける」とこちらではいうのです。
シェキナーがうっかり降りてきてしまったら、もはやマルカーは結婚するか、マルクトが破壊されるしかないのだから仕方ないのです。
ですね、下降するシェキナーの問題は象徴図として3=8と4=7で示されるわけですが、これだけでは恐らく何のことかわからないと思います。体験がはじめにあって、そのあとに示されると全てが氷解するわけですから。
霊的伝統はふわっとなんとなく理解するものではなくて、疑いようもないくらい明確に理解されるものですから。
仰る通り、パスの脱落と統合が起こるでしょう。
「木」を昇るのは、いわば帰る道を作るだけのこと。その時に決して迷わないようにするためです。このことについてはエジプト人が詳しいですが。
とある段階でその象徴図を示された場合に「まさにこれだ!」といって確信が持てない場合はまだそこを通過したことにはならないのです。それ故に、その象徴図について何も教えられなくても答えられねばなりません。




Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975
何かの力を渇望していたころよりも、少なくともわたしは今のほうがずっと自分が好きかな?むしろオカルト的力なんていりませんって神様にお願いしたくらいですから。
不安定なオカルト的力よりは確実で明晰な光と理解のほうがよほど役に立つと思ったからです。あとは通常の能力を鍛えるだけでとくに困らないから。

ファッションセンスがどうこうよりも、身づくろいは真剣にやるものかも? それが心の目の状態を如実に表すから。
「目の前の相手と真剣に向き合いたい」そういう意思がきちんと表れてる必要があって、それがエチケットに反映されるから。相手の目をのぞき込むって、心を開くときの態度がそのままでるから信頼に直結すると思うの。

魔法はアートの世界から近づいていくのをグリーン・レイというの。主に宗教(キリスト教ですが)から近づいていくのをパープル・レイといいます。それでテクニックの側(たとえば錬金術、化学など)から近づいていくのをオレンジ・レイというのです。これはダイアン・フォーチュンが用いた分類ですが。

霊感は渡り鳥のようなもので必ず飛び去る。だから別れの時はそれにしがみつかない。
召喚の時もそうだけど、退去儀式をしない意味はそこにある。それは退去ではなくてお見送りの詩だから。鳥さんが飛び去るのを察知したらすぐに心を切り替える。そうしないと彼らはまた逗留してはくれなくなるから。
召喚儀式における退去はかみさまを払うものではなくて自分自身に残留するものを払うためのもの。もし必要がないのならしなくてもいいけど、幻覚や幻聴など余計なものがこびりついていたらさっさと落とします。
実際、幻覚や幻聴は多くの場合で好ましくないからなければないほうがいいのです。
幻聴や幻覚って、神様の力が心に届いたときの心理的エフェクト(現象)に過ぎないのでずっとそこにとどめたりはしない。力を形としてとらえるために心に浮かぶイメージではあるのだけどそれ以上の意味を持たず。だからさっさと用が済んだら取り払います。神様は既に飛び去ってるからです。

魔法の訓練は幻覚を誘発させることもあるけれど、それ自体は目的ではないし寧ろこれを排除する傾向にあるのです。徹頭徹尾退去儀式を練習するのはそういう意味があるから。連続で幻覚を体験するのなら寧ろ病気を疑います。本来なら幻覚は最小限にしたいのです。払うの大変ですから。

アーティストが作品を作ってるときに自分の彫刻を破壊するのって気持ちはよくわかるのです。だって、あれは作ってる途中で神様の魂が去ってしまったのでもはやそれは抜け殻なのです。それを破壊するのは当然のことで、これこそまさに退去儀式の真髄なのですから。神様の捧げものは目的外使用は禁止。

オカルトの分野に足を踏み込んだらとにかく大切なのは正気を保つこと。何が何でも現実に噛り付くことかも? そうしないとせっかくそういうことに触れても大切なことを学ばなくなってしまうの。
実質的に夢見がちな青春時代を卒業してからやっと道が見えてくるのがオカルトですもの。

採血のときは痛いし気持ち悪いのでその日の献立とレシピを考え、調理方法をイメージしてます。w
瞑想とかイメージ形成力って実生活で大抵はそういうことに活用してる。

シンボルって、例えば腕の長さの緑色の細い棒。そこに拳大の赤いハートがついてるの。それが壁に一つ立て掛けてあって視界の隅に入る。正面から見るとただの棒とボール紙に過ぎない。でも、レンガ色の背の低い箱に入ってて数本並んでおり、視界の隅にあるだけならば何かの記憶として残るもののこと。
だからそれは視界のど真ん中にはいつもいない。そして意味がなんとなくわかるようなわからないような感じになるの。ミステリアスな女を装ってつかまえたい彼にアプローチしたりしない? それがシンボライズ、みんな何故だか無意識に知ってるのです。(^^;
いま作ったシンボルに答えはない。勿論、そこにはわたしの意図がある。人によって見えたもの、無意識に解釈したものは異なってるの。でも、作った本人にとっては必ず明確な意図がある。それがシンボルなのです。
ここまでいうば大体あとは説明が必要ないと思うけどね。
ご自分でいろいろと楽しそうなシンボルを作ってみるといいの。ただし、あまり変なものはつくらないでね。
これだけで魔法がどんなものなのか理解できるのでしたら、わたしからはもはや説明することはない。それを理解した瞬間、他者に変なものは見せたくないと思うでしょう。特に大切な相手ならば。
魔法というのはこういったものを扱うための技術体系のことで、それには直観で物を見る目が必要なの。それは無意識に捉えてるものを意識する能力のこと。ただし、完全に使いこなすにはそれを分析する視力も必要となる。それを月の目と太陽の目というの。
それだけわかるのならウラエウスがどんなものなのか理解されるはずなのです。
かれらが、魔法にめちゃくちゃ詳しい理由も理解できるから。
メーティスもそれもおなじ蛇さんなのは偶然でも何でもない。
月の目というのは直観で得たものからイメージを解釈する眼のことだけど、それだけでは相手の意図なんてわからない。だから意図を見抜いたり、その本質を理解するためには太陽の目によって分析が必要になる。そうするとへびさんがにょろーんとなるの。
シンボルの解釈はそれこそ人の数ほどあります。だから学んでいくとそれは膨大に膨れていくのです。でも、先ほども述べたようにシンボルを作った人には明確な意図があるの。だから、たくさんの解釈からその一つだけを引っこ抜いてくるには太陽の目が必要になってくる。太陽光によって心を照らすのです。
同じシンボルでもその解釈は一杯。問題なのは、そのシンボルがいまこのとき、どのような意図で用いられているかに要点あります。そのシンボルがどのような意図で用いられているかを見抜けない限りは魔法を使いこなせないし、またこれを看破して壊すこともできない。そういうものなのです。
ファンタジー風に説明すると、例えば白い魔法使いが邪教の神殿に潜入したとする。それでかれが並んでるシンボルを見つめてその「意図するもの」を看破するの。それで「心をそんな風に使ったらダメでしょ」といいつつ
シンボルの並び順などを変更して去っていく。その意図を問題ないものにしちゃうの。


シンボルとか名前、音、その他のものはすべて心の工夫なのです。よりその気持ちを習慣して即座に心の中に思い浮かべるようになること。そして決して忘れないようにすること。そういった心を自分のうちに定着させることですから。
魔法の作業を心理的な工夫と呼んだところで何も心配することはないの。もしそう感じたのなら神秘についてこれから知ることになるから。人の心がそもそも神秘なのです。
日頃の行いに心が籠らないことを形骸化というのだと思う。それは魂が籠らないことを意味するし、また無意識的な自動化のことでもある。だから習慣を見直して意識的に修正していくの。
ひとつひとつのことに価値を見出して(再発見して)いくの。いいかえると神々を見出すこと。そしてその神々に感謝をささげながら日頃のことを行っていく。このことは魔法に関してまったく間違ってないとわたしは思います。何も儀式的なことだけが全てではないからです。





峨骨 ‏@Chimaera925 2016年6月2日
スピリチュアル系は終末思想もセットで付いてくるから、毒にも薬にもならんどころか毒にしかならねぇ。不安を掻き立てて、実践しても解決しない。解決しないのは実践(信仰)の仕方が悪いのだ、と。信じる者は救われる、救われていないのは信仰が足りないから。正気の頭ならひっかからんのだけど。

石部金吉 ‏@kinkichi_ishibe 2月15日

スピ系の言う世界の全ては自分だけの問題で、ワンネスに目覚めれば戦争はなくなるとか、貨幣経済はなくなるとか、そういう戯れ言が個人的には大嫌いだ。そもそも覚醒って例えるなら、映画のスクリーンが映画のスクリーンの上で続いていくばかばかしい物語に自己同一化しなくなるだけって事だし。




Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2月16日
物質と霊は重合してるの。というよりも物質の中に霊が宿ってる。これらの関係を説明するときにしばしばそれを分けて扱うことがあるけれど、もしも物質の中に霊を見出さなくなったとしたら、自分の精神の拠り所を失ってしまうのです。

自分自身の肉体をただの土くれでできたモノとして扱ったとしたら、恐らくは他人もそのように扱うことになるでしょう。
あまり肉体と霊を切り離して考えすぎると原理主義的になっちゃうのです。orz

オカルトがしばしば問題になるのは、肉体を物質でできた牢獄と見做し霊を最上のものと考えること。その結果、物質の中の霊という概念を喪失してしまうのです。ただの石にパワーが宿っていると言いつつも自分や他人の身体を粗末に扱ってしまう。こうした矛盾が問題になるの。

矛盾があるというのは何か変なの。だから、自分自身の矛盾をまず見つけないといけない。オカルトもその例にもれず、多くの矛盾を孕んでいるのが散見されます。繰り返し述べますが、物質の中に霊が宿り、光と生命が宿っています。光、生命、愛が。

悪魔のカードで示されてるのは主従関係が逆転していること。意識というのはそもそも霊のことですし、ですから意識が物質を支配してる。けれどそこには善悪はなく、意識が主体であり肉体は客体であるということが崩れてしまってるのです。orz

これが起こると肉体霊の関係って分裂してしまうの。だから現実感がなくなってしまう。

肉体と霊の関係を理解するためにこれらを分離する訓練を行うのだけど、そのあとには必ず肉体に戻らないといけない。これを怠ると霊は肉体から分離し、現実感の喪失によって日常生活に支障をきたすことになるでしょう。

ぬれた手で高電圧線に触れようとする人多いよね…。

うん、十字架の秘教的意味について何も言ってないので。
5=6の儀式そのままの意味なのでいう必要もないの。
最初は象徴的にぼかされてる。ある意味で段階を追ってその意味を説明されるのだけど、幕が開くまでは何もわからない。けれど幕が開いたときはその象徴性は消えていてぼかして表現されることはなくなる。なぜなら、まったくその通りの意味だから。
事実、その通りの意味なのだからこれ以上の解説はいらない。5=6というのはそういうものなのです。

仮に「すごいぼくのりろん」というのがあったとして、それが何年、何十年、もしくは何百年後に覆されると思う? それを推論するの。いままで覆されなかったものはないから、恐らくあるはずなのです。それがわたしが持ってる答え。
自分の理論が覆される時期を推論によって予測すること。それができて初めてその理論は完璧じゃないのかなってわたしは思うの。どんなことにも消費期限があり、それが過ぎ去ると綻びてくるから、いくら繕っても使えなくなったとき、それを捨てるの。
消費期限切れの呪文をいくら唱えていてもわたしは無駄だと思うの。それを一度分解して新しく作らないと作用するとは思えないからです。
錬金術の金言を思い出せないの? Solve et Coagula.
これ、溶かして作り直すって意味よ?
お料理道具に使われてる金属だって昔は貴重品。直してみんな使ってた。ティンカーベルのティンカーとは金物屋さんで直す人。パッチをあてて直せないのならものはや溶かして作りなおす。それがsolve et coagula.

(「Solve et Coagula」 ラテン語で「溶かして固めろ」という意味の、中世錬金術師のモットー)

たとえ最初の形を知らなくても問題はないの。だって、用途が明白なら新しく作れるのだから。

それがたとえ古の発掘品で断片しか見当たらなかったとしても、みんなが横で何が正しいかなんていいあってるすきに、わたしは形なんて気にしないで元ある用途に即した形に仕上げてしまう。時間は無限ではないから骨董品を復元したところで飾りにしかならない。だから古いパピルスを組み上げていく。

全てを博物館の展示物にするのならそれは伝統とは言わないのでしょうね。

古代の知とはただの死体。実際にオシリスは冥界に復活してるのです。すなわち、世人には見ることができない場所のこと。かれの陽根は失われ、イシスが木製のシンボルによって代替とした。彼女は魔術の神様。このレトリックの意味するところがわたしの考え方なのです。

オシリスの身体は知的財産のことで一種の伝統のこと。それが三度にわたって破壊されたためもはや原型が分からなくなったの。だから、これを接ぎ木して使うにはこのような「魔法」が用いられた。このようなやり方自体が魔法なのです。不思議に思うかもしれけないけど、陽根を見つけるのが力なのです。

これと同じ伝説というか伝承が存在してるのです。ソロモン神殿のこと思い出してみて?
王様というのはその一族が滅んでしまわない限り必ず復活します。これはただの為政者との違いで、彼の特徴的な力なのです。ドラゴンはどこかがちぎれても必ず蘇る。それ自体が杖の象徴で陽根なのです。
これらの主題はあるひとつのテーマのことです。
魔術師は歴史を保存する者でもないしそもそも歴史研究家でもない。それは伝承の実践者なのですから歴史検証はほかのひとがすること。それが正しいとか間違いとかいうのはそのひとたちに任せておきます。わたしたちにはそれは関係ないから。

歴史的事実だけ書き連ねれば、西洋の伝統や先史以前の信仰なんてとっくの昔に途切れています。それはほぼ間違いなく近代の産物でしかなく、形自体は本当に最近生まれたのです。だからといってそれが使えないものとするのは問題がまったく別だと思うのです。

西洋占星術だって実のところそんなに古くはないの。中世といわれた広い時代には数学そのものが衰退しており、いろんなものが迷信の中に埋もれていった。だから後代の人たちがそれを組み立てなおし使えるように改変したのだと思います。

事実は事実であり幻想は幻想。形をとるか身をとるかの問題なのです。



それ故に、わたしはどれが正しい伝承なのかということは考えないの。それを言い出したらみんな神話の中に埋没してしまうのです。つまり、蛇さんのしっぽは見えない。だから堂々巡りになってしまうウロボロスの蛇さんなのでそれを引っ張り伸ばして杖とします。


西洋の神秘的伝統なるものは近世において復活させられたのだと思います。フランス、ドイツ、英国がその中心となり、あらたに再建されたのでしょう。そう、彼らは建設屋さんだからです。(^^
GDのカリキュラムやその思想って、こういうのを積み重ねないと理解できないから説明するのがとても大変なのです。
そうとう端折ってもこの通りで、前提としてメイソン系知識なども必要ですし、各神話体系も理解してることが前提になってるのです。
単に難解というよりも、カバー範囲が広すぎてそれを網羅するまで時間がかかり、全体像がみえるまでさらに時間がかかるというありさま。しかも実践を前提にしてるのです。
わたしは以前、目的意識を持つことは大切だと再三にわたり述べています。それは古い歴史を掘り起こすことなのか、何が正しい伝承なのかを求めることなのでしょうか? 歴史家であるのならそれでもよいとは思うけれど、実践者を目指すのであればそれでは足りない。では、それはいつ終わるのかが問題なの




慈悲は同化作用において神聖なもの、峻厳は異化作用において神聖なるもの。わたしはそのように考えてる。もしも生存の選択を迫られたとき前者は同族間において発揮できるけれど異族間においては許されない。生存のための選択が峻厳だからです。
必要がないのなら峻厳は極力発揮したくない。でも、本当に命のを選択をしなければならない時は峻厳の神聖さを受け入れる覚悟はしてるの。
左側(峻厳)の柱にあるセフィロトにはみんな共通するものがある。それは積極的には使わないことが美徳となってる。
土星、火星、水星がそれ。
水星は少しわかりにくいかもしれないけど時の流れの残酷さのこと。つまり流行遅れにする力。
いいかえるとそれは過去のものにしてしまうこと。バージョンをあげて新しいWindowsがやってくる。どんどんそうしていって下位互換性は失われていく。これがすなわち(過去の)栄光。
ホドのことを元彼といえばわかる?

ネツァク、勝利とは今彼のことなのです。


「勝利」と「栄光」はトレンドの移り変わりのことなのです。春に新しい勝利者が誕生するので女神の前でそれに先立って現在のメダルを返還しなくてはならないの。新しい勝利に挑戦するのなら。
そうやって勝利を更新していくのだから。
春は色々な意味での入れ替えの時期。古くなったものを新しいものへと更新していく。それ故に分点の回帰を祝祭し、新しいもの(勝利)をお祝いするの。
アストラルの三角形である、ネツァク、ホド、イェソドを総動員したけど。




王様をたぶらかしてる道化師が手に持ってる杖はよく見ると先が鋭利に尖ってる。地面に突き立てたそれはまるで槍のように見える。父は片目をカラスさんにつつかれたと語ってる。
まあ、信じても信じなくてもラグナロクなんだけど。
古エッダとか読みすぎるとレイヴンさんが大好きになります。
ホグワーツのあれってどうみたって民族分類ですからね。
サーベントというのはしばしばドラゴンのことなので。
蛇語ってちょっとひどい言い方だよね。話者少なくなってるけど。
まぁ、ありとあらゆる民族的な皮肉が集まってるのがホグワーツですけどね。orz

ん? オシリスの「しっぽ」はアツィルトにあるの。だからそれをつかまえてくれば全体像が復元できるのです。たとえ全てがバラバラでも復元できる。それが魔術的伝統だからなの。
それを伝統的にスピリチュアル体、神の真の名前、もしくは「杖」と呼称します。
だからその特徴を知ってるとどの図版が重要なのかわかってきます。

昔から伝統的な言い回しのみが重要だったのだけど、それがトート神によって示唆されてた。それはある種の符牒であり発見した人のみしかわからない。でも、誰でも発見するチャンスはあるのです。なぜならどこにでも書いてあるから。
DFNの著作に『デーモン・ラバー』というのがあるけど本当に身につまされるお話だよね。お話自体はファンタジー風味だけど、すべての5=6に共通のテーマだから。日本のJK風(?)にいうと「マジ必要、神様」ってことになるから。別に宗教でなくてもいいんだけど。
なぜかみさまが必要になるのかはなってみないとわからないことだと思うの。でも、なったときはその意味するところが明白にわかるから。




ヘアスタイルをころころと変えるとゲシュタルト崩壊するからやめてといわれたことある。
たぶん、ヘアスタイルで認識してて顔をよく見てなかったのでしょうね。
逆説的にいうとへアスタイルに依存しないで瞬時に誰だか気づくのなら、その人は相手をよくみている証拠になるのですが。
知性って急いでるときはアウトラインだけなぞることでインチキするからその真ん中をよく見ていない。それを補うために直観を利用するひともいるのだけど、それをやるとイメージが安定しなくなる。
だからこそ、これを補うために復習が必要になると思うの。知性の性質をかんがみるとあんまり信頼できないので。

わたし、自分の知性をあまり信じてない。なぜなら散々騙されてきたから。学んだと思っていても中身でぽろぽろと取りこぼす。100回読み返してもいまだに完全に解釈を終えていない本もある。完全に咀嚼するのにはものすごい時間がかかるから、睡眠時間中の夢も含めて摂食(読書)制限したりするの。
記憶すること自体は繰り返すことである程度平気なのだけど、問題なのは解釈間違いのほう。こればかりは認識の修正をするために自分に気を使ってないといけないから大変なの。ヘルメースは人をだますから。またったく気を抜けない相手なのです、知性というのは。
これらのお話はティファレト=ホド間のお話なのですなわちアイン、タロットの「悪魔」のことです。
悪魔っていうのは確認、復習を怠るように甘言をささやくものなのです。それで錯覚を起こす。
要するに太陽と水星をつなぐのは知性の過去方向への確認プロセスなのでこれを怠ると錯覚し、悪魔化するのです。でも、確認をすると昔の偉大な人に意見を求めるみたいにいいお仕事してくれます。
これは何のことかというと、経験への再検証のことなの。
それ故に、検証の行われない神秘体験は悪魔化された錯覚のことだとわたしは考えています。

書物などで管理する知性ってよんでるのがこれ。自主的に記憶と体験を管理しないと記憶を管理している知性がおさぼりをしてしまうのです。つまり、知性たる店主がバックヤードから出てきてたまには店員の様子を見ます。
悪魔って倉庫整理の鬼さんですからね、そりゃ数も数えますよ。(^^;

知ってるような気がするのに記憶がぼやけてるのは忘れてるからというよりも図書館の知霊さんがオサボリしてる可能性が高い。それで直観的にこれを補完しようとすると大抵は偽物をつかまされるのです。だから図書館まで行ってこの知霊をたたき起こす。すなわち、復習のプロセスを再度繰り返します。

本の流し読みって学んだことにはならないから、何度も何度も読み返す必要があるのです。だからわたしの場合は余白がすぐに付箋や直接書き込んで真っ黒になります。そこまでしても取りこぼすからです。



Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975






藤村シシン 2/19西宮NHK講座 ‏@s_i_s_i_n 2月14日

古代ギリシャ語魔術パピルスを読んでいて、恋や治癒の呪術はマンドラゴラや双尾のトカゲなど、入手が難しそうなアイテムが必要なのに、アポロンとか神を召喚する魔術の方がずっと簡単な手順でできそうなのが面白いなと思う。こっくりさんと同じように、呼び出すより帰ってもらう方が大変っぽいけど


『海を渡ってきた漢籍:江戸の書誌学入門』髙橋智 著 http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=4816926105&bookType=jp … 面白いぐらいわかる漢籍の話。図書館の未整理書庫がとても楽しい空間になる。図版243枚を例示して解説。「藩校・大名家蔵書等目録類一覧」「主な漢籍レファレンスブック」「関係略年表」付


U ‏@wayofthewind 1月10日

大手出版社「講談社」(東京)で青年コミック誌「モーニング」の編集次長を務める韓国籍、朴鐘顕容疑者(41)を殺人容疑で逮捕
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10HAZ_Q7A110C1CC0000/ …

NHKでm実名放送キター!
講談社編集次長・朴鐘顕が関わった作品名 「進撃の巨人」「聲の形」「7つの大罪」 キリスト教系の結社員か? 逮捕されるところまで、ミッションや通過儀礼なのかもね。 ここまで見越して「進撃」をヒットさせた黒幕がいるってことでもある。
進撃の巨人のテーマは「家畜の安息か? 戦って死か?」 妙に持ち上げられているものには、何かしら背後関係がある。 進撃も、在日ネットワークを使って、ステマを仕込んでいたんだろう。 だが、すべては米国の手のひらの上で踊らされていたに過ぎないってことか。


Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2月19日
魔法も化学、料理も化学。技術の使いまわしという点で親和性はとても高い。
化学は物理的なものと思うかもしれないけれど、人がやる以上は心理的なプロセスが必ず含まれてる。大切なのは思考のプロセスをどう扱うかという問題。結果だけだと本当に物理的な問題だけになるから応用が利かない。

何かの技術的な工夫をする段階では思考モデルがかならず形成されるの。その部分を他へと応用していくのが魔法の要となってる。
それだから魔法は意識に変革を起こすためのもの。思考モデルそれ自体をどうにかする方法論ともいえるから。
ひとはもともと魔法使いなの。何かを生み出すときに思考モデルを形成するのって恐らく人間だけ。それに気づくことが魔法使いになることでもある。あとはそれをどのようにして利用するかを学ぶだけだから。

ひとは意識それ自体をどのように扱ってるのか気づいてない。それは当然のことで、物心がついたとき既に肉体という乗り物に意識は乗ってるのだから、意識それ自体について考える機会はめったにないの。
多くの動物さんは人間のように道具を使えない。まったく使えないわけではなくて、自由にいろいろと作るのが苦手という意味。それに先立つのは自由に思考モデルを形成できることが条件になってるから人間のようにはいかない。だからこそ、思考モデルの形成についてひとが学ぶことでよりこれを発達させる

思考モデルを形作ってるのはホドの部分、力を与えてるのはネツァクの部分。これは一般に低次アストラルというのだけど、こういうのを自然魔術というのです。
それ故に一般的なアートや料理などを自然魔術の一部とわたしは認識してる。
自我の変性やそういう部分は高次アストラルといわれるもので、ブリアー領域でのお仕事。だからそれらは自然魔術には含まない。具体的にはティファレトより上か下かの問題になる。用語こそオカルトっぽいけど実のところそんなに難しくはない。
それだから自我変容はアートではめったに起こらない。それは自然魔術なのだから緩やかに自我に刺激をもたらす。そういう意味ではとても安全なのです。

そこにへんなお薬とか使わないのなら。
そんなにパロケトを突破してティファレトの光を望むのなら神様に祈りを捧げればいいのに、とわたしは良く思う。サイケデリックなお薬なんて使わずに。
宗教とは麻薬のようなものであるといわれるのは当然のことで、結果的には同じことを起こすからです。けれど、実際の麻薬のほうは心のタガを外して自分でコントロール不能にしてしまう。方や宗教のほうはしっかりと注意深く使えばそのコントロールは可能なのです。それ故にわたしはお薬を推奨しない。
宗教は劇薬成分が入ってるから最近ではソフト味なのです、プロテスタントさんみたいに。

それ故に神父さんや牧師さんのお仕事はその副作用をどのようにして抑えるのかも含まれてる。日常に支障がない程度に緩やかに心を変革するために。
宗教と魔法、アートの関係ってこういうものだからとても注意深くそれに望む必要がある。薬なんかでインチキしたらろくなことにならない。


アートの制作期間は信仰生活と同じなので世俗には触れないようにする。そうしないと神様には出会えないから。一方で売れてしまって物欲まみれになるとアートは生み出せなくなる。信仰生活もまた心を純粋培養にしてしまうのでお外に出たときに色々とつらくなる。周囲が汚くみえてしまうからです。
それだからアート制作には魔法の技術というのは実は結構使えるの。心の状態をコントロールする技術なのですから。

何か変わったもの、幻想的な神秘を求めるようになったら心は麻痺してる。感受性が鈍ってる状態では魔法もアートも使えない。だからまずは心を磨くことから開始する。
心が鈍感になったら現実に立ち返り、するべきことを片づけてしまうの。こういうのはお坊さんなどがよくご存知のこと。アーティストも彼らに習うといい。
芸術家的わがままが発生するのは霊感を受けることに対する反作用だから、対処方法は明確なのです。つまり、現実にたちかえること。これをしなくなったら霊感はどんどん薄れていってスランプに陥るからです。
霊感は現実が常に支えてる。このことを理解していないといつか行き詰って出口が見つからなくなるからです。
デーメーテールは現実でコレー(ペルセポネー)は霊感の源。けれど、これら二人は同一人物なのです。この二局面がエレウーシス秘儀の重要なポイントになってるの。二人ども同じ神様の二面性であることを忘れないでください。

「娘」は年間の1/3もしくは1/4だけハーデースのもとにいる。これの意味するところは冬の間だけ霊感をつかさどり、ほかの日は現実に立ち返る必要があることを意味してる。バランスとしてはそれで十分だから、ザクロの実を食べすぎてはいけないのです。そうしたら冥府から帰れなくなる。
娘は春から秋までは母といます。だから冬の間だ冥府へと引きこもる。オカルトや創作活動のバランスもそのくらいで十分なのです。
マルクト=デーメーテール論は事実

Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2月20日
日本でサムシング・フォーと呼ばれるマザーグースの一節。
わたしの解釈はこんな感じ。
何か古いもの(懐かしくも)
何か新しいもの(新鮮で)
何か借りたもの(大切にすべき)
何か青いもの(尊いもの)
これらのシンボルで囲うとその中心に霊的なブーケができる、それは新しい生活で決して忘れてはいけないもの。この一節自体がある種の魔法を構成し、それ故に儀式的にその気持ちを形に注ぎ込み霊的なプレゼントとする。なお、呪文の括弧内は決して口に出してはいけない。
これは魔法を読み取って構成するための一例です。



Angeliqua@安眠中 ‏@Ripple1975 2017年2月21日
国によって、文化によって虹の色の定義は異なってるのです。三色と表現する人もいれば五色、七色、十二色とするひとたちもいます。恐らくはそれぞれ見ている色にそんなに違いはないのでしょう。それでも色の範囲を定義するやり方が異なってるように思うの。
それだからわたしは色の定義についてそんなに気にしていない。それはシンボルの定義に等しいからです。ここで注意しているのは色の境界線部分です。色の違いを決める時、恐らくは境界線部分は曖昧になってる。言い方を変えると未定義に等しいのです。
わたしたちがそれぞれ意見の食い違いをみるとき、境界部分、色の定義が曖昧な未定義部分がどうなっているのかをつぶさに見つめることで新たなことがわかってくるように思う。ロータスワンドの12色帯がグラデーションであるとする意見について全く賛同します。持つ人によっては12色ではないから。


以前、光と闇の境界線部分から境界の住人、つまり一種の鬼が出てくるという説明をしたことがあるけどそれは未定義部分に混乱を齎す鬼さんが住んでいるからです。故にあらゆる解釈方法、定義方法をあえて用いることでこの境界線を知性の光で塗りつぶしちゃいます。それこそが偏見と錯覚の鬼だからです。
魔女は夜に活動すると言われるそうだけど、少なくとも魔術師は夕闇に立つ。もしくは朝焼けに立っている。それは善でもなく悪でもない、昼でもなく夜でもない、完全な光でも完全な闇でもない、男でも女でもない、すなわち未定義部分、トワイライト、逢魔が時のこと。それは自由な時間、解放(退社)の時
それ故に、α(始まり)とω(終わり)の中間でもあるの。それはStella Matutina(海の星)、金星の昇る時間。何かの隙間でもあるし余白でもある。怖いものが潜んでる場所だけど怖くないとただの自由の隙間でもある。何かに縛られない自由のひと時、さぁ、ハイティーを楽しみましょう。
内陣の秘密について少々おしゃべりが過ぎたので今日はこの辺でおしまい。

わたしたちはそれが何であれ、多くの先達たち、またその昔の本や口頭で伝えてきた人たちのお世話になってる。ひとつとして自分のものではない以上、その座っている椅子も借り物に過ぎないの。「アストの階段」すなわちイシスの椅子も例外ではないからです。


最上段はいつも開けておくの。神様の席だからです。

GD系魔術師は基本的にネオ・プラトニストです。ですから、かみさまをイデアとして捉え、天使のことをロゴスとして理解しています。それは原因に対する現象であり、自然の中にもそれを見出しています。
プラトーンのイデア論にしても、その前のアリストテレスにしてもかみさまは存在するということを大前提としており、そこから哲学が発展していき現代科学ですら最初はその恩恵を受けていたと思うのです。それがいつの間に自然は機械的な何かであり支配するものになってしまいました。
信仰がないと何もはじまらないよって述べているのはそういう意味なのです。



魔術カバラーを学ぶのに特定の宗教、例えばキリスト教やユダヤ教は必ずしも必要ではありません。でも、物事の初めである何かについて何らかの信仰を持っていないと何も始まらないのは事実です。


シンボルをみるとき、誰かがその解釈をするといろいろと荒れるから、特に有名な方はしないと思うのです。実際のところ、大切なのは誰かが言ったからではなくて自分でその答えを得るべきだからなの。ですからたとえクロウリーやフォーチュンがそういってたとしてもとりあえずは無視します。
大切なのはとにかく自分の心に正直になること。答えを急ぐ必要はなくてのんびりいきましょう。そうしたら自分のタロットの輪が完成すると思います。

自分の心にカードがぴったりと嵌ればそれが完成品。そういうピースを少しずつ集めていきます。自分の心に照らし合わせてぴったりと嵌るかどうかだけに注意してください。

わざわざ突っ込み待ちをする魔法関係の文書は多く、ある意味でグリモワールなどもその類でしょう。だからあれは「ボケてる」という言い方もできなくはありません。(^^;

だって、本質的にみんなジョーカーですもの(ヘルメスの学徒)。

日本の方が真面目すぎるのか形を重んじすぎるのか、それがあだになってる側面もあるのでしょうね。

その中にものすごく大真面目な気持ちとしょーもないジョークが入り乱れてるのです。そのような玉石混交の中から砂を洗い黄金を見つけていきます。それが魔術の世界なのですから、いたって健全で人間味のあるものだとは思いませんか? ジョークを忘れては駄目とみんなずっと言い続けています。

あらゆるところに地雷は含まれてるし、それを回避すれば楽園が待ってる。それは英国産の魔法なのですから当然です。その皮肉までもかみしめて楽しむのが英国の魔法なのです。(^^)

魔法に必要な批判的精神というのはジョークがわかる精神のことでもあるのです。魔法に必要な欠かせないセンスの部分ってそういうものだと思うのです。特に英国産魔法については。

それでは魔法のどこまでがジョークでどこからが本気なのかという問題について、それは個人個人が考えることなのです。なぜなら、そうやって考えて見極めること自体が魔法の訓練なのですから。(^^; 疑問を持つこと、それが最初なのです。疑問が出なければ答えも出ないのでわざと疑問を抱かせます。

クロウリーが初心者におすすめできないのは大切なところまでトラップだらけになってるところです。(^^; ですから最初は彼の著作は避けて通ったほうが無難かもしれません。
必死と真剣は別物なので火に水をかけては風(知性)を起こすの。そうしないとみんな真っ黒焦げになってしまうから。orz

ダイアン・フォーチュンはちょっと真面目すぎるくらいで悪質なトラップは入ってないです。それでもあまり気を抜いては駄目でやっぱりヘルメースの学徒ですから。個人的な好みを言うのならもう少しジョーク成分欲しいくらいかも?
師を敬いすぎてもいけないし軽んじるのは論外。このようなバランス感覚はとにかくオカルト活動には重要で、これをとにかく鍛えます。

難しく考えなくては答えが出ない場合は何か迷ってる。薔薇は形(図形)を作る。それはとても個人的な形でなくてはいけない。

GD文書には肝心なことが何も書かれていない。それは実践から「こうするのが合理的だ」というのが自然にわかるようにできてるから。


よく大統領選が近づくと候補のスキャンダル問題が浮上するよね。あれって後援会や家庭との不和を招くことで兵站線の寸断を行うことが目的だから基本的な戦略なのです。それが可能なら奥様にイケメンを送り付けることでもいいのだから。



霊感からアイディアをイメージに落とし込むのをわたしはアートと呼んでるの。問題はその先で、開発実装できるかの問題。多くのアイディアのうち実現可能なものはそんなに多くない。魔法でいうところのアースとはこの物質化する部分で現実に作ってみること。そうしないとただの空想になってしまうから。
このことからわかるように、魔法で物質化すること、つまりアースするのに手っ取り早いのはアイディアを料理に落とし込むこと。コストや労力、また失敗したときの問題まで含めてあまり事故にならない。アイディアを絵にかく段階だとまだアストラル作業と呼べる代物だからです。
実際には脳裏にイメージがぽっと浮かんだ時点でイェソドからマルクトに力がやってきたことを意味してるのだけど、実質的にそれを形にできるかどうかは別問題だから、何らかの手を打たないといけないの。デッサンを書いたりすることもその一つで、できたらその先にもう一歩進みたいところ。
デッサンの技術があるのならそれに越したことはないのだけど、絵心がないからといって気にしない。自分にとってそれがきちんとわかるような絵なら問題ないのだから。

霊感を受ける部分はマインドセットの作り方なんだけど、それは占いだったりプランシェット、水晶玉だったりといろいろ。また、そういうものの手助けを借りなくても最後にはできるようになると思う。

アストラルイメージをそのままにするとよくないのでとにかく絵をかいたり言葉にして記録したりするのです。できたら、それをもっと物質的な形にできたらもっといいと思う。

ん、たとえばゲマトリアやテムラー、ノタリコンとビブリオマンシーの組み合わせ。
それ以前にキムのゲームをしたほうがいいかも?ただの布とお盆だけですよ?かごのなかに適当なもの(小さなもの)をいれてそれをぐわっとつかんでお盆に乗せて、すぐに布をかぶせるなどいろいろあります。
工夫すること自体がすでに訓練に入ってるのです。
何か条件に合わないこと、問題が発生しても些細な問題ならば自分で工夫してみます。もし自分で工夫することを覚えないと恐らくうまくいかないと思うのです。興味を持つこと、工夫することは学びの第一歩だからです。

つまり自分にできることはすべてやります。

瞑想でもイメージのオーバーフローというのがあって、最初にそれを学ぶのです。あらゆる可能性を思い浮かべてそれを中心に投げ込むこと。ある意味でブレインストーミングみたいなものだけど、これはあらゆる工夫を試みてすべてやりつくすこと同じことなのです。まずはそこに到達する必要があるの。
とりあえず霊感の泉を掘り当てることが重要だから、そのあとで泉の水を飲んで、またはこれをカップにいれて凍らせ、それを使って彫刻を作ってもいいの。ヘラ女神によれば泉の水を飲めば病気が治り若返るそうだから。w

薔薇自体の意味というよりも、それはシギルを引くものという一番重要な観点があるのです。
RCLは置物でも飾り物でもないからです。(^^;
シギルの引き方について詳細について伝わっていないのは何故でしょう?
本に書かれてることはいまだ外枠だけで全てが記述されてるわけではないから。
0=0から4=7までに含まれてる教程のうち、無駄なのはひとつもありません。一見関係なさそうに見えることがカギになってるからです。
何か原資料があれば確証がとれることでも、たとえそれがなくても確実と思われることは結構あって、まずはパスワーキングを埋めるのが先かもしれないです。
シナリオワークは入門編なので是非パッシブワークをお勧めします。あまり正解か不正解化を気にせず、とにかく回数を重ねて記録を採り続けることです。
パスの意味が理解されてくると、そのうちに儀式のどの時点で何をすべきかは自動的に理解されてきます。また、儀式の意味が全体を通して理解されることでしょう。そのとき、書かれていないことについても読み取れるようになります。
一回のパッシブワークは読書数冊分以上に匹敵するからです。
日本には「門前の小僧」の譬えがありますが、パッシブワークはまさにそれです。カギは自分の中から手に入れるもので他人から受け取るものではないからなのです。
それ故に、ある程度の知識を身に着けたのでしたら「習わないお経」を読んでください。

だからわたしが誰かに「鍵」を渡そうにもそれは形でもないし知識でもないのでお渡しできないのです。
何かの発見をしてわたしがそれを口にしたとしても、それが正しいか否かを知る手段は自分で鍵を使って開くしかなくて、ですから鍵を発見する方法をお教えすることくらいしかできないのです。
象徴解釈の正誤表なんてあっても意味がなくて、自分の中で発見しないといけないという仕組み。魔法の道ってそうなってるのです。
だからわたしにとって本は一冊で足りてしまうの。ひとつのタロットデッキです。
シンボルの解釈は自分でするんじゃないの。教えてもらうのです。誰から? 自分の内側から。

探し回ってもダメなら沈黙です。ハーポクラテスのサイン。静寂のなかでしか声は聞こえないから。勿論、頭のなかのおしゃべりもなし。
自分自身すらもかみさまの一部である以上、失礼な態度はとれないのです。
かみさまって要するに宇宙全部のことだから、自分自身もこれに含まれてるのです。だから自分自身に対する態度もそのまま神様への態度となってしまうの。これに気づかないと向こう側から扉は開いてくれないのです。


エデンの果実にはいくつかの解釈があって、比較的有力なのがイチジクとその原型となる植物。まぁ、果実ならこの際なんでもいいんだけど。古代ギリシア的にはザクロかな?

メタ情報を一つ一つ言語化するには知識が邪魔になるの。例えば、お庭に鳥さんが飛んできます。これを眺めてもなんていう鳥さんなのか分んない。でも、その行動をつぶさに観察して特徴を捉え、何をしているのかを類推するのです。こういうのを何万回も重ねていきます。
鳥さんの特徴からその名前を調べたら駄目なんです、メタ情報を扱うには。ハンティングやバードウオッチングならそれでもいいけれど、霊を扱うのってそういうものだからです。
知らないものを知らないままに扱うの、それがとても大切だからです。
そして完全な考えが自分の中で固まってきた後に知識によって答え合わせを行います。ここまでがワンセットだから。
何かについて名前を付けるのって魔法だからなの。それは知ったことにする魔法だから、魔法を使う前に必ず自分で理解しなくてはいけない
。それだから何かを見聞きした後に知識に頼らず自らそれを観察して類推を重ねていくの。

シンボルを使った類型の掌握ってこういうものなのです。
最初に自分自身にかかってる魔法を解かなくてはいけない。それはとても長い道のりだから、大変なのだけどそれができるようになれば魔法を使いこなす一歩となるでしょう。

アビスの真ん中にダアト(知識)があるといわれてるのはとても示唆的なのです。それは仮想的なセフィラーであり実際は存在してない。だからこそ、セフィロトは10であり、9でも11でもないと言われています。
このお話にはまだ続きがあって、ダアトの出口はイエソドだと言われてるのです。何のことかというと、ダアトに触れたときに途中のセフィラーはショートカットされてイェソドに到着するのです。つまり、途中経過は「理解されない」。
それ故にこれを知識の消化不良と呼びます。(^^;
これが書かれてるのに説明されていないカバラーです。
わたしが無名なのはとても良いことなの。それがわたしの伝統の後ろ盾になってくれるからです。


九字をきるにしても、恐らくは文字ごとにイメージを展開する必要があるはずで、それを怠ったらただのおまじないになるように思います。これは西洋魔術師の憶測でしかありませんが。
一文字ごとに意味をかみしめて心にそれを喚起する訓練を行い、それを用いてイメージ投射をする。それを重ねるごとにイメージの展開速度を早めていくの。だから早九字といわれるものは恐らくはそうしたイメージの展開速度を増すための訓練法だったのではないかと推測してる。
ただこれって組み立てていくと武術的なメンタルイメージなんだよね。つまりは心で行う鍛錬法で、型を使うための一種のイメージトレーニングに似てるの。力流の扱い方を一つの文字であらわしてるみたいだから。
中国武術でいうところの文字による秘訣の表現。


(杖遣い@玄冬‏@blazingarm13 5 時間5 時間前

杖遣い@玄冬さんがAngeliqua@安眠中をリツイートしました

名前は一番短く、簡単な咒。その基本的な理論は、東西問わずなんだな。勉強になる。

杖遣い@玄冬さんが追加
Angeliqua@安眠中@Ripple1975
何かについて名前を付けるのって魔法だからなの。それは知ったことにする魔法だから、魔法を使う前に必ず自分で理解しなくてはいけない。それだから何かを見聞きした後に知識に頼らず自らそれを観察して類推を重ねていくの。



簡単で短い咒だから、色んな因果を巻き込んで、更なる因果の螺旋を作っていく。その咒を破るのは、本当に大変なこと。

杖遣い@玄冬さんが追加
Angeliqua@安眠中@Ripple1975
最初に自分自身にかかってる魔法を解かなくてはいけない。それはとても長い道のりだから、大変なのだけどそれができるようになれば魔法を使いこなす一歩となるでしょう。

Angeliqua@安眠中‏@Ripple1975 5時間5時間前

@blazingarm13 それだからこそ真言が呪文となりえるのかもしれないですね。

杖遣い@玄冬‏@blazingarm13 4 時間4 時間前

@Ripple1975 余談ですが、私の師匠は「真言とは、咒を効率良く構築しつつ、修法者の集中と意識を引き出しやすくする符号。」と言っておりました。

Angeliqua@安眠中‏@Ripple1975

@blazingarm13 ほぼ同じ意味でお話しておりました。それはシンボルの使い方と同じだからです。

杖遣い@玄冬‏@blazingarm13 4 時間4 時間前

@Ripple1975 そうなんですね。西洋の方は殆ど門外漢(タロットを少し学んだ程度)なので、Angeliqua様のツィートを拝見する度、色んな発見があり、勉強になっております。)


他派や別分野の言葉については参考までに、自分の流派の先生の言葉に注視するのが良いと思うの。あくまでひとの心身の使い方についてのプリミティヴな部分は活用できるにしても、その上に構築されてる方法論は別物だからです。

修行の進捗が進まなくなるとついつい他派のやり方に興味が移るものですが、それをずっとしてると先に進まなくなってしまうからです。ですからとりあえずご自分の先生の言葉に従うのが最善です。
名前をつけるのは認知の操作だから、それによって形を見えなくしてしまうのです。言い方を変えると意識が対象の周囲をぐるっとなぞることで理解しようとするのを阻害してる。だから物事の認識がまるで判で押されたようになるのです。認識それ自体は早いのだけど浅くなってしまう。

そうぞうしてみるとわかるのだけど、新しい友達ができたの。で、その子と遊ぶのだけど実は名前を知らない。このとき、彼女の名前を知らないから記憶にその姿をとどめるのが少し困難になってしまう。名前がわかると記憶しやすくなるのです。
それだから新しいお友達で名前も知らないときは自ら勝手にあだ名をつける。要するにそういうことなのです。
タグがないと検索できないですからね。
その代りタグをつけないで記憶を保存することでちょっと面白いことができるようになります。

それと、もうひとつ興味深いのは魔法使いの名前がモットーだということ。それは基本的にその人物を表すのに説明的な名前になってることです。このように説明的な表現があることを示しています。
まあ、すごく説明的な名前をでっちあげると「朝露に光る紫陽花の妖精の主」みたいなのを適当に。そのひとの雰囲気を適当にイメージとして説明的に構成するのです。それで、これをラテン語とかギリシア語にして最後には単語の短縮を用います。これ自体が既に魔法の手段なのです。

アニサキスの死亡は60℃で一分間、70℃で一瞬だそうです。ということは、お魚の表面だけのお話なら80℃ですぐに処理できるということなのだけど、中まで火が通ることを何ら説明してないのです。

簡単に口論を起こすような人にはどんな力も渡せないと思うの。それは権力、お金、知識、そのほかいかなるものであっても同じことだから。
わたしが知る限り、魔法はライフルより危ないです。
銃の問題点は他の武器に比べて簡単に人を殺傷できることではなくて、安全装置をかけにくいことなのです。だから本体と銃弾は別に保管するべきで、さらに手の届きにくい場所に鍵をかけてしまうことになる。だから、結局のところ防衛のために所持するのは理性の点で鉄の意志が必要になる。

個人祭壇はそれを用いる人の心の状態の表象なので儀式的手順は心のプロセスでもある。それを祭壇上で象徴的に外在化させるために道具立てを用いるのですから、熟達すればそれすらも必要なくなるの。また、儀式は神秘的な何かが起こることを僅かも望んでいない。そういうものではないからです。


wolfy™‏@wolfysway 2月21日

自分は「努力は嘘をつかない」という言葉に疑問を持っている。

ダルビッシュ有くんの「頭を使って練習しないと簡単に嘘をつくよ」とか
羽生くんの「努力はウソをつく、でも無駄にはならない。努力の正解を見つけることが大事」という言葉の方が

実際に即していて正しいと思う。



P・グラレム‏@pinkglalem
ネトウヨ=白丁みたいなコメを、youtubeでやったンですけど...(あたしのコメだけ)閲覧は出来ません。バイアスかかってるみたい...ネトウヨが天皇崇拝を強要する理由は、ネットではタブーみたい...www。#皇統無稽 #天皇は諡号 #山窩 #大本教 #
「嫌韓」とか言ってるヤツって、みんな白丁顔。白丁は朝鮮が嫌い。李氏朝鮮時代の不可触賎民。それを解放したのが明治政府と天皇。だから、儒教思想嫌いで、天皇崇拝を強要する。インチキ臭いウヨクは白丁。

#白丁 について調べてみると、日本の部落差別の起源が、ここにあるみたいな気がする。日本の部落差別が始まったのは、明治以降で、江戸時代には、穢多は火消しや岡っ引きのよーな役職を持っていた(つまり、この頃差別は無かった)。朝鮮半島の白丁差別は根が深く、始まったのは高麗崩壊後である。

高麗が崩壊したのは1392年。ここから日韓併合の1910年までの李氏朝鮮時代は、#白丁 にとって苦難の時代であった。彼らの社会的扱いは劣悪を極め、言葉通り犬以下だった。それを救ったのが、明治政府と天皇である。
#白丁 という言葉も、李氏朝鮮以前には、無冠の平民を表す言葉に過ぎなかった。

在日の間でも族譜を問われることを忌嫌う。「お前は白丁か?」と訊いているよーなモノなのである。あたしが「#ネトウヨは白丁」と言って、彼らが無反応になった意味が、よーやくわかった。
支配者層に #白丁 が加わったことで、部落差別が日本で始まったンじゃぁないの?白丁は、以前自分たちの置かれた苛烈な差別を日本で賤民に対して行なった。日本の支配層は #山窩 +白丁。

白丁の被差別の歴史は、日本の南北朝時代からと物凄く古い。
在日は部落民と一緒にされることを嫌う。半島には悲惨な賤民の歴史があったから...族譜を持たない白丁と同等に扱われると思っている。在日の友達がいるけど...あえて人前で本名を名乗ってた。自分の家族のアイデンティティに誇りを持ってるンだろうね。
東宮妃の実家大和田家は、明治時代に半島からやって来た、おそらく白丁だろうね。秋篠宮妃の実家川島家とは仲が悪いらしい。川島って、川原乞食の名前だね?秋篠宮を中傷する怪文書を流したとか、流さなかったとか...そんな噂が流れて来たことがあった。

#白丁 は、明治政府と天皇によって、賤民階層から解放された。天皇は彼らの救世主である。だから、天皇崇拝を強要する。彼らは通名を名乗らない朝鮮人である。半島では名前など名乗れなかったのだから...#皇統無稽 #ネトウヨ #朝鮮似非ウヨク


#古代史ロマン...?だったら、#天皇 とか #皇族 の #DNA を調べてみたら...?WWW.。2600年間も #万世一系 とかねかしてるンだからさぁ...www。#皇統無稽。wwwwwwwwww。#山窩 #白丁 #植民地政策 #英国支配


とか
羽生くんの「努力はウソをつく、でも無駄にはならない。努力の正解を見つけることが大事」という言葉の方が

実際に即していて正しいと思う。




Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975
聖剣はいつも家の戸口から出たらすぐ目の前に刺さってるの。多くの人がそれを引っこ抜く勇気を持てなくて、迂回しながらほかの聖剣を探そうとする。でも、どの聖剣も偽物で、最後にはお家の前に帰ってくるのです。これがエクスカリバーの伝説。それが一番使いたくない聖剣だからです。(^^;

良くも悪くもわたしが見てる世界は自己投影の代物なのです。だから、外せない色眼鏡の構造をよく調べて、それを磨くようにしていないといったい現実の何を見ているのかがわからなくなる。眼鏡が曇っていればお外から光が射してることも次第に分からなくなるから。

お家の前に刺さってる聖剣は呪い付きですからね。本当に覚悟ができるまではただの木の棒にしか見えないから。凡庸で貧弱な武器にしか見えないの。でも、気づいたときにはそれを引っこ抜いてやっと自分の道を探し始めて本当の冒険が始まるのです。

そういえば夢の中で失語症になったことがある。夢の中とはいえ、何らかの言葉で考えたりすることはできるのに、どんな言語も使えなくて絶海の孤島に放り出されたような気分だった。考えること自体が困難で感じることしかできない世界。そのあとで「回線」がつなぎなおされた。

なんか勘違いする人多いみたい。それに、関係ない話する。すべての言葉といったのは使える言語すべてが無効になる瞬間のこと。ロゴスを感じることができなくなるの。つまり、何らかの意味づけが作られない状態。だからモノとモノの関連付けが行われなくなる。リンゴ→赤い/丸いというのが無効になるの

これがどれほど恐ろしい瞬間なのかって説明できない。幽体離脱? そんなの知らないです。そんな話してないですし。

何かに名前がつかないと、名前が付いた者同士でなければ関連付けは起こらないのです。このことは実体験しないとなんのことか恐らく理解はできない。それだから、名前のない世界というのはそれぞれの事柄がすべて独りであり、まったく孤独な世界。関連付けという仲良し関係がないからです。

この関連付けとは分類が生じるということ。すなわち、名前を付けないとそれは分類できないようになってる。知識はそこから生じるの。それゆえに最初にロゴスありといいます。

象徴には名前がついてるけど、名前なんて忘れちゃったほうがいいの。それを見た瞬間に言葉が色々と思い浮かぶかもしれないけど、それよりも先に感覚とイメージが浮かばないとそれは使えるようにならないからです。


それ故に名前というのはただの器でしかない。中身が入るまでの仮初のもの。知識ってそういうものだから。
誰かいとしい人に会いたいときに心の中でわざわざ名前をよんだりするのかな? あのひとや、彼、なにかの代名詞になったりしてない? すでにイメージが出来上がってる場合は固有名詞はいらないからです。あれ、それ、でいいの。つまり、神様ならThe Oneといいます。

何かの固有名詞に入りきらないのが中身であり現実の実態。だから知識や名前という入れものからそれがはみ出して来たら、名前(形)を捨ててしまうのです。

かみさまは知れば知るほど何百何千の名前を持つことになるの。なぜなら、実体が大きすぎてひとつの形などにはおさまらないから、名前をたくさん与えないといけない。これをして何千の貌を持つという言い方もできます。何かを知るというのはそういうことだから、知識はただの器なのです。

知識なんていくら多く持ってもそれは器に過ぎないから中身が成長してくれば自然と手狭になってリフォームが必要になるのです。最終的にその器は無限のものになり表現ができないことになるでしょう。言葉をいくら尽くしても無駄なことを知れば、あれとかそれということになり、あとは沈黙するだけ。

だからこそ、それについての想いが溢れていって膨大すぎて言葉がすべて消費されつくしたとき、そのときの沈黙をただ待つの。言葉が続いてるときはまだ燃え尽きてないし理解されつくしてもいない。

ドラゴンボールに出てくる「みんなの元気をオラに分けてくれ」というのをみるにつけ、プラーナ思想というかタットワ思想を強く感じる。タットワは個人間にも、地球にもあって影響を与えあってる・・・とする思想なのでそんなものなのかなって。

パスポートは命と同じくらい大切。なぜって国籍を保証されることはそのまま命を保証されるのにも等しいからなの。それがないと人権不明な生き物になっちゃう。人権ってそもそも国によって保証されるものだからです。



レイガスの名古屋カフェ喫茶店巡り‏ @Raygass 2月22日

寝太郎さんの「自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ」を買った。以前の「Bライフ10万円で家を建てて生活する」の文庫版だけど大分加筆修正してある。面白いし読みやすくてあっという間に読んでしまった。早く小屋暮らししたいw
https://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E4%BD%9C%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%B1%8B%E3%81%A7%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%9D%E3%81%86-B%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%81%AE%E6%84%89%E3%81%97%E3%81%BF-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E6%9D%91-%E5%8F%8B%E4%B9%9F/dp/448043433X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1487776584&sr=1-1 …




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およみくださりっておよみできないよ
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