読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

03 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

魔法使い初級おねしょた兄貴 

どんどん追加していく ”陰謀追及者において重要なイスラム教の特徴
・異端審問の禁止
(人が神に代わって裁くことの禁止)

・多数派は信仰告白が義務
(信仰隠しは少数派の教義のみ)

・神学も法学も、理性と論理的思考も重視
(反知性主義の否定)

・ユダヤ教神学もイスラム神学の理性と合理主義重視派に影響されている
(合理的なものほど異端になるのがキリスト教神学の特徴)


イスラム教徒って工作員に全然向いてないってこと。
信仰隠しを一番するのは新キリスト教系工作員

23470円=おねショタおじさん ‏@douteimaturi さんの傑作
”イスラームでは異端審問をしてはならない事になってます
これは人間があれがムスリムでこれはムスリムではないという文言を封じるためです。
それがわかるのは最期の日な訳で
人間が人間を異端扱いして勝手に裁き殺したなら地獄でやかれる事になります。

陰謀ではお金の流れも重要ですが、もっと重要視せねばならないのは尊厳の流れかもしれません。
むしろ、魔術師退治を考えるなら、尊厳という認識がいかにして作られるかという部分に着目すべきではないかと。

魔術師というものは言葉で人を縛り上げる術に長けていて、そこが魔術の根幹なのです。
例えば、選挙という単語を出すだけでさまざまな言葉が発生します。 不正、民主、多数決などなど、この連想させる力自体が魔術師の魔法なのです。 言葉を支配し、言葉が言葉を繋げる魔術これが最強の魔法です。

謀議論をやる上で必要なもの。 歴史学、神学、心理学、天文学、幾何学、哲学、占星術、数学、帝王学。 特に歴史学と神学、心理学が重要。 基本、歴史に名が残っている先祖の末裔を探し、そいつらが今なにしているかで大体予想がつく。組織もそう、正史を知っていればしっかり繋がる。

紐付きはこの正史の部分を隠そうとするので隠さない人は比較的本物。次に大切なのは神学についてどういう立場をとるかを見る。日本人の95%以上は仏道及びケを信じている人達なのでそうでない場合は立ち位置ありとの判断でその人間の批判の仕方をみて決める。悪魔とか言っちゃうとー評価みたいに

この3つで考えてください 1、反証性 2、論理性 3、合理性
この3つに従ってものを考えれば、そう間違える事はありません
もし、間違えるのであればまず貴方の信じたい事、事実ではない事、思い込みたい事がそこに入っているということです
だから、間違えるのです

わしゃ帰ってきてよく思ったよ 仏法はよくできすぎだし、漢籍はよく完成されてる
まだ、漢籍については戦国策や韓非、孟子しか読んでないけど
この思想と西洋哲学じゃあ2000年遅いことを西洋はやってる こりゃあ、破壊したいし、隔離したいのがよくわかるよ”

工作員=異端審問官
なので異端含め✝系ばかりでイスラム系がゼロ。仏教に詳しい人々に絡む工作員。
私もいつ消されるかわからないので保存お願いします!後悔したいの?
藤原偽天皇”
陰謀追及者において重要なイスラム教の特徴  
イスラム神学と法学の理性の扱いが完全に耶蘇教の右目の中の右目派の基盤でびっくり!
桜井啓子『シーア派』などイスラム資料集
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

更新中ヘブライ語とアラビア語が似すぎ!どこが日本語?
ヘブライ語(イブリット)とアラビア語勉強メモ
『アラビア語が面白いほど身につく本』アラビア語勉強中
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-126.html

ねこた ‏@lakudagoya
「ロクでなし魔術講師と禁忌教典」というラノベで一番面白いのは、主人公の持つ必殺技「愚者の世界」というもので、一定時間そのエリアの魔術の発動を完全に無効化できるっての。 それくらいの力を持ってるよ、イスラーム側の視点は。 やつらの幻術をすべて木っ端微塵にする力があるもの。

私はたまにこのイスラーム側の視点という、やつらの幻術封じを使ってフィールド魔法を解除してるけどな。 あのラノベでも、魔術の発動を完全に封殺した上で敵を無力化してボコってたけど。 これくらいのカードがないとやつらとは戦えないのよ。 これ考えたの陰謀論者では私が初めてだわ。

イスラーム側の視点使って陰謀論って、やりだしたのは私が初めてかな。 おねショタおじさんがもっと凄いの出してる。 だからさ、このカードを持たない陰謀論者は、いくら頑張ってもやつらの手の内から逃れられないよね。 そこ大きなアドバンテージだわ。大きすぎるくらい。






おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年10月25日
中東で日本では毎日、朝に家を出てずっと会社や仕事場に夜遅くまで居て、家に帰るような仕事をして生活をしている、していたと言ったら
「それは人間の社会ではなく、家畜の社会で人間が羊や牛のように屠殺されているので貴方はそのような社会に帰るべきではない」
高々、8ー19時の仕事だったが…
因みに中東では皆、暇や隙があれば茶やコーヒーを飲みます また、大体のお役所や個人商店では昼ご飯後は一回閉めて自宅に帰るなり昼寝したり、子供と遊んだりしてから夕方前に2時間位仕事してから家に帰って家族と一緒に過ごすので仕事はしてますが無駄に働いてはいません
例、個人商店のおっさんの一日 朝礼拝ー二度寝ー朝食、出勤(徒歩5分)ー8時開店テレビ見たり携帯弄ったり世間話ー昼礼拝帰宅後昼食ー昼寝、家族と過ごすー夕方4時再度開店ー夕方と夜の礼拝を店でし、日中と同じ様に仕事ー夜11閉店ー帰宅後シャワーと深夜の礼拝後12時就寝

中東でも立ち仕事やいつ休んでいるんだろう、と思う仕事はありますよ ナン焼き職人とか、ケバブ屋の兄ちゃんや携帯屋の職人とかいますけど日本みたいにストレスが溜まるような働き方はしてませんし、いつどんな時でも茶やコーヒーを飲む瞬間は絶対に忘れません

日本は「過労死や孤独死出来る環境」なんです 例えば、独居老人とか世界にもいますけど毎日親戚が顔出したり、今はSNSがあるから年寄りでも携帯ポチポチしてメールやSNSをしているのはよくある光景です だから、少しでも連絡途絶えたら親族が直ぐ駆けつけますし、大概は周りは知り合いです

毎日、町の礼拝堂に朝来ていた爺さんが今日だけ来なかったとなれば、周りの人が昼前までには爺さんに何かあったかはわかってます つまり、個人が孤独状態に陥るという事は殆どなく、中東で死んで体が腐った状態で発見される事なんて戦場で戦って死んだのに葬られていない死体くらいなものでしょう

こんな事を言うと日本と海外は違うとのたまう人がいるのですけど、はっきり悪いものを自己都合で追認することは絶対不動の悪でしかなく 絶対不動の悪というのは人間の生命環境を狭めたり、汚した上で私益を貪り、そのために詭弁を使うことは絶対不動の悪で絶対不動の悪は相対でほじくり出すのです

中東でもし、現地会社員で親がなくなったので休みが欲しいと言った際に仕事が優先で休むなと言った日本人上司はその瞬間に殴り殺されているか、何か都合の良い鈍器で殴り殺されるか、無視して出て行かれるかの三択でしょう 日本人が中東で商売したら絶対に失敗するというのはこういう部分でしょう



厳しい言い方をすると過労死や孤独死というのはあある程度の相互監視と扶助がある社会であるならば、ありえない現象なのです
特にSNSなどが発達した現代でも孤独死や過労死が発生するという事は社会秩序がない事でしかなく、ロックが言った「万民が万民の敵」というのは日本のことなのです

(ホッブスやルソーではないの?)

こんな事を言うと「日本から出ていけ!」何て短絡的な事を言う人いますけど、実際出て行きましたし帰りたくもないのです それでも帰るのは親、親戚や友人がいるからであり、己が日本という土地に絶対者が創ったのはそれを改めさせる義務からであり、程度の低い感情ではなく義務と命令からなのです



おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2017年2月13日
ハラール認証の話 そもそもشرکت 会社や法人の存在がハラームなのでそこに関係した上にクルアーンを切り売りする行為は地獄行きなので全部ハラームで地獄に堕ちる為の行為なので地獄で焼かれたかったら食えば? 以上終わり

ルパン@6月からフィンランド移住 ‏@Asena0330 2月12日
マジで日本でイスラム教徒の子供に生まれたら大変だよ。僕は親がガチガチのイスラム教徒だったから、ファストフードだめ、ファミレスもだめ、お祭りもだめ。博多生まれなのに博多ラーメンだめ。中学の打ち上げで何も食べれない。友達には距離置かれるし一種の地獄だよ
あと民族衣装着せられるのが嫌だった。すごい注目浴びて恥ずかしいから小学生には辛かった。そのトラウマで今もすごい人の目を過剰に意識しちゃう。日本にいるイスラム教の偉い宗教家の方は是非日本で生まれたムスリムの子供ができるだけ自由にできるよう働きかけてほしい。




あと酒を飲むイスラム教徒は山ほどいます 留学生の知り合いも「日本酒うめえええええ」と1週間に何度か飲んでいます。しかしこれは破門される案件ではありません。偉い人も「異国の地に住んでもストレスなくイスラムを信仰できる生活をすればいい」と言っていました。
最後に 昨日から「父のせいで」と父のこと書いてきましたが、父は好きです。あくまで「宗教を強制する父が嫌い」なだけで、海外から移住してきて僕を私大にまで行かせてくれた父を心の底から嫌いなわけありません。20歳まで一滴も酒は飲まずにすみましたので。



もしこれから皆さんがイスラム教徒と出会ったら ・最初は寿司屋かうどん屋に連れて行ってください ・こちらから肉、酒の話はしないようにしましょう ・向こうが肉を注文したら日本はハラールじゃないけど大丈夫?と聞いてあげてください ・それで大丈夫と言ったら焼肉に連れて行ってください
逆に父がイスラム教徒でよかったのは、肉が食べれないから寿司屋によく連れて行ってもらったこと。父の友達のムスリムの方達がお小遣いをよくくれた事。仲間意識が強いから僕が小学校でいじめられた時にアラブ系の人10人を引き連れて職員室に文句を言いにいいってくれた事ですね。
ハラールよりもまず先にムスリムの子供達がいじめられない環境作る方が優先だと思う。多感な時期にいじめられるのがどれだけ辛いか、しかも自分で選べないことが原因のせいで。そういういじめや偏見問題よりも給食の方が大事だとは思えない。まず先にハーフや外国人の子供が勉強しやすい環境作りを。

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2017年2月13日
うーん こういうのを見ると最低限毎日、五回の礼拝だけはしとけと何食うにしろ必ず「ビスミッラーヒルラフマーニルラヒィーム」と言えばいいよ というのが最低限の線だろうねえ シーア派のイスマイール派以降ならタキーヤで逃げれるけど、スンニ派だったら一番緩く考えてこうだろうねえ

例えば、スンニ派だとアッラーと個人の契約で押しきりますがこれだと「両親が信徒であれば、子も信徒である」のならば、それは個人の契約ではなく集団の契約と考える他なくなるのです
確かに解釈はいく様にもありますが基本はクルアーンの記述と伝承から離れてはできない部分があるのです

で、一番不味いのは棄教宣言でそういう家庭なら最低でも一回はシャハーダ・信仰告白を言ってしまっている可能性があるのでその場合は告白→後日、強制させられたという場合は棄教という扱いになります これが強制させられて信仰告白というならば信徒ではないは使えるのですが逆の場合はだめです
後、日本人は低脳過ぎて勘違いしているけど、宗教というのは生活原理なのです 全ての生活の原理は宗教素地があった上で成り立っているわけで宗教なき生活と生活なき宗教というものはないのです 例えば、お辞儀 これも道・儒教の宗教思想が複雑なお辞儀の体系を産んだ訳でそれは原理なのです
正直、やべえなぁ…と思ったのはどんなにぐうたらで酒や豚食うムスリム・ムスリマでもネットや外の世界で信じていないや棄教宣言は死んでもしないし、するなら命懸けの事なのにフィンランドでしょ…あそこ地味にイスラーム人口が多いので日本の現状をそのまま持って行ったら村十分くらうかも知れんない
これが日本人というのであれば問題はないのですけどねぇ…取り敢えず、両親が信徒である事がバレない事を本気で祈るまでです

うーん やっぱりダメだ、完全に勘違いしている 両親が信徒であれば、強制という定義は使われないので棄教になる で、無理のないと信仰というのは他者から排除されないという意味であって、基本的な信仰行為が邪魔されないのであれば、それは無理のない信仰が成立しているので言い訳にならない



そもそも、イスラームでは破門というのは存在しないが棄教は存在するので如何なるぐうたらな連中でも棄教になる事だけは本気で避ける
これは中東だけではなく、全世界にあるイスラーム集団に追われる事を意味するのでスンニ・シーア・スーフィー・異端派の全てが「敵に回る」のでガチでこれは避けるの
これはイスラームというのがキチガイとか、狂っているじゃなくて、そいつ自身が完全に狂った事を意味しているので日本で言えば、何処でも全裸で自慰しながら、うんこ塗りたくってそこらじゅうをうろつき回るようなものでそれが正しくて、社会的常識何て言ったら精神病院行きでしょ?

だから、そう思ってもそれだけは口に出さないわけ
日本語って、全く言葉に重みがない言語だからそれでいいだろうけど、アラビア語や英語となると意味合いがまたガラッと変わるからその延長を海外に持って行ったらかなり危険というか、普通にリンチ受ける
いやまあ、わかっているだろうけどtl

また、自由というのも勘違いしているなぁ…自由というのは物質的なものではなく、何かを規定した上で成立する自由が本来の自由であって 所謂、形而下の自由というのは本能的な自由でしかないのね
そういうと何故に「何か」が悪を作ったのかというけど、これも頭の程度が知れる質問なのね

「何か」というものは至善なわけで悪は行わないし、悪を用意することはないの
悪を用意しない存在は完全なる善であり、
またその存在は「何をも必要としない、絶対単性」なわけで悪と善でわかれていればそれは必要としている存在であり、それは「何か」ではないわけ、まずここで破綻しているの

(「悪を用意しない存在は完全なる善」
全でも悪でもないあるいは善悪の分類が無意味な存在というカテゴリーが抜けている。
アッラーの善悪の話だから善でも悪でもないカテゴリーはそもそも想定していないのかも。)

では、その「何か」は何を人に与えたのかというと全ての力・知・生の土台を与えたのよ
例えば、包丁の持つ力・知識というのは何かを切ったり、安全に調理したりする為のものだけど、時には人を殺すわけ で、「何か」は人を殺す事を命令したのだろうか?するわけがない、殺す事は悪だからだ

(包丁からあらかじめ人を殺す性質を消去しなかったのはなぜか。
悪の芽を摘み取らない理由はなぜか。
そもそも殺人に使うこと自体を不可能にしなかったのはなぜか。
あと全知全能=結果がわかるのに「試す」や「審判」の理由がわからない。
少なくともシーア派神学はヨブ記は誤りとするらしいが、結果が見えるのになぜそんなことをするのか。
無駄で無意味なことはしないのではなかったのか)

と、すると強制されている・予定という概念は成立しない
なんで?何で悪という事を「何か」が強制して、しかも地獄に堕ちる事を確定させるんだよ?
そんなの善なる存在ではまったくないでしょ? そんなのは単純な論理でわかるわけ、そんな事もわからないのが現代のやそとスンニ派の大部分です
だから、人間にはその「何か」の力と知識を使う能力があり、その能力をどう使うか「だけが」問題なの
これが「何か」の絶対公正性なわけ、これが神学で哲学・ハシタメのご主人様の正体なわけだ 御主人様は古いようで常に新しいのでショタジジイみたいなものだね、やっぱりおねショタに帰結するんや
(自由意志の必要性!
悪をなす能力がありながら善を選んでなすなら善なる存在と言える。
善「しか」なせないならそもそも「善」なる存在なのか?
悪の性質も悪をなす能力もあるがそれをなさないなら善)




面白くわかりやすくする設計図
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-118.html


おねショタおじさん ‏@douteimaturi
じゃあ、支配者は何であんなにオカルトみたいなのが好きなの?
と、聞かれれば儀式に依存しているわけで儀式を大量に作り出して選別しているだけなのです
つまり、儀式依存症なわけでその儀式に漏れる事を恐れるわけなのです
深い知識や意味があるのではなく、儀式を作って自分から依存してるのです

狼たちは知っている ‏@wolvesknow
バラモン教は、自己の権威を高めるために複雑な祭式規定を発達させたんだよな。







森の人 ‏@mountainhermitt 2015年3月15日
ゴールデンカムイ読んでいたら、アイヌ民族は赤子に病魔が近づかないよう汚い名前をつける風習があると描写されていたのだけど、同じ風習がモンゴルにもあるのよね。
タイだと人間だと思われないよう動物の名前をつけたり。
この風習が広まった経過がとても気になる。

丸焼け ‏@maruyake4 2015年3月5日
そういえばゴールデンカムイでアイヌでは魔除けに幼い子供に汚い名前を付ける風習が出てたけど、モンゴルにも似た習慣があるみたいだし日本の幼名(××丸)もおまるから取ってるって聞くからそれぞれ同じ起源があって分散していったのかしら。


樹木 ‏@ichinenjyu 9月5日
「世界の名前」って新書を読んでると複数の国でわざと悪い名前をつけるってことがでてきて、そうするとアイヌの『幼少期は汚い名前で悪霊を遠ざける』のもそう珍しい傾向じゃないのかなって思えてくる

いざよい@自家通販中 ‏@izayoisakenomi 2月3日
グラニアの名前の意味が醜悪って、アイヌの子供が爺さんの尻の穴とか平安時代の子供がくそまろとか(どちらも魔除けで敢えて汚い名前をつけられる)そういうのとは違うんやろ……フィンの名前なんて黄金の髪が美しいから名付けられたんやろ……何故そんな名前をつけられた……呪術か……妄想するで……

おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月
言葉は呪いで祝詞だと思ってください
そして、邪悪でもあり聖善だと解れば、言葉が持っている本来の属性が分かるはずで
言葉は人の思考を縛るんです
すべての両義的なものは言葉から生まれるのでその言葉は何を縛るのか?という、視点で考える事です

特に日本語は抽象的な表現や暗喩が滅茶苦茶多いので言葉が様々な意味を縛りあげるのです
例えば、ネタ
これだけで噺の種や食べ物、様々な言葉を繋げて縛りあげるわけで
言葉を自由に扱うものは様々な言葉や意味を繋げるのです
だから、言葉を創る仕事が悪の下っ端魔術師の主な仕事なのです

では、上級魔導士は何をしているのかと言うと言葉を創るための源を作ってます
それは表現だったり、物質だったり、階級だったり、社会構造
だったり、
単純に考えてください
何で家は家というのですか?
何で猫は猫というのですか?
何で本は本というのですか?
その名前は誰が決定したものですか?
タコという言葉は何で海に住む生き物と空にあげる遊び道具と同じ名前なのですか?
いかという言葉は何で海に住む生き物と体を治す学術、ある標準よりも下のことを同じ発音で発声するのですか?
こういう疑問が出てこないこと、当然とするための言葉作りが上級魔導士の最高魔術で導きの力なのです

つまり、己が魔導士になりたければ言葉を創る苦悩をすればいいのです
言葉を創り、それを独り歩きさせられれば言葉はまるで式神のように人々に取りつくのです
魔導士の仕事は翻訳と言葉の現地化です、
それで全く無関係な文化圏に共通性を創造して、自分が言葉の魔法で人を操るのです

人間は基本何でも出来るように出来ているのです
家も一人で作れるし、物が壊れれば自分で直せるし、多芸に秀でる必要はなく、あれもできるこれもこなせる
それでいいのです
そもそも、分業社会は消費の増大と依存の為にさせられているわけで
秀でていなきゃいけないという妄想や迷信は捨ててください


人類を幸せにできない
思想は全部妄想で出鱈目です、そういったものは完璧なるうそです
それは能力があるものはあるものとしての責任があり、ないものはないものとして責任が免除されている訳なのですが
それが逆転している日本社会は反人類社会でしかないので人類は日本では生きていけないのです

神はいません、但し絶対的なる統治者がいてその知識と神智がこの世界を支配する方法の全てです
要は人類が目指すべき統治法というのは神権、民権でもなく融和した神智政治です それは犠牲を強要する世界ではなく、すべての存在が神智を持っているという世界観であり、其れが最後の日だと信じてます

最後の日というのは全ての存在が神智を得た日であり、全ての存在がこの世界に絶対者に相応しい世界を完結した日でもあるのです
また、それは物質的な意味ではなく精神的に完結した世界とも取れる事ができます
どちらにしろ大乗的、全ての集団が救われる世界というのは精神の共有化にあります

全ての存在には仏性があり、全ての存在には神智がある
要はそれを育てる事ができれば、この世界に仏国土ができ、天国ができ、地獄というものは消えだるわけです
つまりは地獄というのは想像の中にあるのではなく、この世の中にあり
また、地獄を産み出しているのは限定的な善意がその正体でしょう

即ち、己の組織、己の親戚、己の財布、己の家族という限定的な善意によってこの世界に地獄が沢山創られているわけなのです
つまりは執着、または見える範囲での利益共有が交差していくことで私たちは日々地獄をこの世界に増やしている訳なのです
又言葉が増えるというのは執着が増える事を意味します

地獄を減らすには不要な言葉を減らす必要があります
不要な言葉の最たるものがシンボル、象徴です
言葉がこの世に地獄をもたらす種であるならば、シンボルはその果実であり、
果実は種を持ちそれをまた撒き散らすので象徴に意味を持たさない、意味を消す事が地獄を消す方法でしょう

例えば、日の丸
あのシンボルが持つ意味というものを無効化できるのであれば、アレに集団としての帰属性を無効化できますし、
他にもその象徴による儀式体系も認識も滅ぼす事ができます
それにはシンボルを追うのではなく、シンボルを無効化する思想を創造せねばなりません

即ち、魔導士の仕事であるシンボルを追うのではなく、シンボルに力を与えない儀式自体を無効にさせるための構造を作り上げる必要があるのです
しかしながら、それは出来ないでしょう
何故なら、人類史はシンボルと共に歩んできたようなものです
人は滅亡まで表現し、世界に顕現させるからです


(人間から視覚を奪うとどうなる?
目が見えない人もシンボル操作されるの?)

人が絶対に進化しない理由の一つとして、表現をやめない、表現を無効化させずに積んでいくというのがあります
私が絵描きさんしかフォローしない理由も彼らは挫けても表現する事はやめない、やめない故に表現を継続していくことにあります
人類が進化するというのは今迄の表現が無効になる事です

私が言う事の全てが陰謀的な話ではないかもしれませんが様々な陰謀を無効化する術を言っているだけであり、
これを徹底できれば世拾い人になれます
必要な物だけ拾い、不要なモノは鼻からない状態にし、
それは世を捨てたのではなく元からあると勘違いしていた脱いだだけのことなのです

こうやって、魔術師というのは言葉を創るのですが
悪の魔導士は種あり葡萄の様に言葉の中に大量の種を入れては言葉を創り

善の魔導士は種のないぶどうの様にその言葉だけで完結し、
種を作らせない言葉を創り出しては
種ある葡萄を根っこから、種から刈り取るのです
だから、善の魔導士は恐ろしいのです

人の執着の数だけ言葉がある
言葉の数だけ欲求がある
欲求の数だけ執着する
お釈迦様が矛盾する事を言うのは言葉に意味はないということをはっきりさせるために言葉を操っているわけで
矛盾と言っている時点で言葉に意味を求めてしまっているのです
それが執着なわけであり、臨済さんが言うような「頭の上に頭を置くな」というところに帰するわけです


『景徳伝燈録』訳文 - 愛知学院大学 禅研究所
http://zenken.agu.ac.jp/research/25/12.pdf
”宝峯和尚が僧に尋ねられた。 「昔の禅僧は、 一 本のしっかりした道筋をもって、 後輩や初学者を指導している。 貴僧は、 このことを知っていますか」 と。
僧は、 「師にお願いします。 昔の禅僧の 一 本のしっかりした道筋をお示しください」 と言った。
師は、 「そうであるなら、 貴僧はもう既に知っ てしまっています」 と言われた。
僧は、 「頭の上に更に頭を置くというもので、 丁寧もいいところです」 と言った。
師は、 「私、 宝峯は、 ひときまに尋ねるべきではありませんでした」 と言われた。
僧は、 「尋ねることに不都合はありません。 どうぞ質問してください」 と言った。
師は、 「ここ (宝峯院) では、 今まで、 理屈を捏ね回して喋り散らす人は 一 人もいなかった。 出て行きなさい」
と言われた。”



おねショタおじさん ‏@douteimaturi 10月21日

言葉は呪いで祝詞だと思ってください
そして、邪悪でもあり聖善だと解れば、言葉が持っている本来の属性が分かるはずで言葉は人の思考を縛るんです
すべての両義的なものは言葉から生まれるのでその言葉は何を縛るのか?という、視点で考える事です

特に日本語は抽象的な表現や暗喩が滅茶苦茶多いので言葉が様々な意味を縛りあげるのです 例えば、ネタ これだけで噺の種や食べ物、様々な言葉を繋げて縛りあげるわけで言葉を自由に扱うものは様々な言葉や意味を繋げるのです だから、言葉を創る仕事が悪の下っ端魔術師の主な仕事なのです

では、上級魔導士は何をしているのかと言うと言葉を創るための源を作ってます それは表現だったり、物質だったり、階級だったり、社会構造だったり、単純に考えてください 何で家は家というのですか?
何で猫は猫というのですか? 何で本は本というのですか? その名前は誰が決定したものですか?

タコという言葉は何で海に住む生き物と空にあげる遊び道具と同じ名前なのですか? いかという言葉は何で海に住む生き物と体を治す学術、ある標準よりも下のことを同じ発音で発声するのですか? こういう疑問が出てこないこと、当然とするための言葉作りが上級魔導士の最高魔術で導きの力なのです

つまり、己が魔導士になりたければ言葉を創る苦悩をすればいいのです 言葉を創り、それを独り歩きさせられれば言葉はまるで式神のように人々に取りつくのです 魔導士の仕事は翻訳と言葉の現地化です、それで全く無関係な文化圏に共通性を創造して、自分が言葉の魔法で人を操るのです


(ユダヤ教のタナハ=キリスト教視点では旧約 
は当然ヘブライ語原文を翻訳せずに読む。
翻訳には積極的ではない。コーランも。しかしキリスト教はやたらと翻訳に積極的。翻訳こそが魔法の場を作る=陣地作製から)

だから、表現規制を言う連中のどの顔見ても下品で知性を持ち合わせていないのは必定なのは 要は連中が己の頭で解釈出来ないものを言葉にする事が出来ないから、発狂しているのです 私は如何なる表現規制を否定します、それは言葉や表現の発明は人類が滅亡まで続く開拓知ですから

人間は基本何でも出来るように出来ているのです 家も一人で作れるし、物が壊れれば自分で直せるし、多芸に秀でる必要はなく、あれもできるこれもこなせるそれでいいのです そもそも、分業社会は消費の増大と依存の為にさせられているわけで秀でていなきゃいけないという妄想や迷信は捨ててください

人類を幸せにできない思想は全部妄想で出鱈目です、そういったものは完璧なるうそです それは能力があるものはあるものとしての責任があり、ないものはないものとして責任が免除されている訳なのですが それが逆転している日本社会は反人類社会でしかないので人類は日本では生きていけないのです




さとう こうじ ζ Koji Sato ‏@sato11koji33 2月7日
キリスト教におけるお辞儀は神様への尊敬や服従を意味しているので、謝罪にお辞儀が付くという考え方がないと思われます

西欧では謝罪でお辞儀があるみたいですが、腰を曲げるのは男性だけです

イスラム教は対人間へのお辞儀は忌み嫌われ、
ユダヤ教は神様以外へのお辞儀は禁止です





閉店です ‏@lakudagoya 2016年10月15日

日本語でシーア派の情報というと、桜井啓子先生のシーア派の本や、松山洋平さんの「イスラーム神学」が参考になるよ。

でもシーア派ってそれくらいしか情報ないよね。

となるとやっぱペルシャ語情報必須なんだよ。

あとシーア派の説明にはね、スンニ派と違って独自のロジックがあるから。

Shi'@Ali ‏@Al_Muwahhidun 2016年12月5日

@lakudagoya 日本語書籍ですと、慶應義塾大学出版、ムハンマド・ホセイン・タバータバーイー著「シーア派の自画像」がシーア派視点で勉強になるとおもいます。桜井氏のは宗教学、松山氏のはスンナ派護教学の視点からみたシーアですから。





今生はただの遊び、戯れ。来世こそが本当の生。もしも彼らが知っているとしたら。(クルアーン29章64節) 『イスラームの論理』https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86 … 『イスラーム法とは何か』
「神」という単語をアラビア語における「イラーフ=真に仕えられるべき/崇拝されるべき者」の意で用いる。



これが、アーダム(アダム)創造以降、地上のあらゆる民に遣わされた使徒(人々に創造主の使信を伝えることを命じられた預言者)が訴えた、「タウヒード(唯一なる者となすこと)」の教えである。使徒たちがもたらしたこの教えを受け入れ、創造主のみを崇拝する者を、アラビア語で「帰依(イスラーム)する者」、ムスリムと呼ぶ。


おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年10月26日

名家が道家や法家などなど、諸派から批判を受けたのは単純で中国古代思想は基本的に現象と言葉の乖離を嫌うので論理学と言っても、起きている現象と離れた論理を説くのを否定します
なので、中国古代思想は名と実を別々に認識出来ながらもそれをくっ付ける事に重きをおきます


おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2016年10月27日

善の顕現としてはお釈迦様やさまざまな預言者等がここに当たるわけであり、悪の顕現としては世界の悪政者や悪魔と言われる存在がここにあるわけです
その上で神道は世界的な宗教論や哲学論を共有して、論理的に組み立てる事ができるわけなのです
だから、神学が必要で組み立てねばならないわけです
で、えぐい事を言えば神話とかなんて偽書を作ってしまって組立ちまえばいいんです 例えば、当時の日本には文字があったなんて言いたいのであればホツマツタエみたいな粗製品ではなく、古代揚子江や長江で発掘されている文字にアルメニアあたりの文字を拾い上げて当時の音声表記すればいいのです

んで、紙とかも当時位に工業的に劣化させて地面に埋め埋めしたものに大切なのは時代時代によって解釈されたような解釈本をちゃんと用意すること 奈良後期、平安時代、鎌倉時代、室町等々ちゃんと歴史考証加えられているように捏造しなきゃいけません
こんなヤバイ偽書が出てきたら怖いねえ 作ったやつは絶対に確信犯だし、やり口がえぐいし、どうせ馬鹿な学者は歴史考証で騙されるんだろうから、カルトの無自覚的なプロパガンダになるだろうしね でも、こういうのが出てこないのは本当に俗世間の陰謀というやつは小学生向けなんだろうね

こういった、天皇主義者や国体論者が出てこない限り彼等を私は信用しないし、できない まあ、出てくることはないだろうね なぜなら、日本人って超排他的で徹底して考える癖を捨てているから、但し天才が現れたなら神学を組み立て直して、哲人的なものを作り出すかもしれないけどね


現代(西)アルメニア語 単行本 – 2004/1
佐藤 信夫
グルジア語の語彙本9000語
グルジア語文法
アラム語入門―ペルシア帝国の国際公用語キリストの日常語―そして現
古代の歴史ロマン2 アラム語—イエスの誕生、キリスト教の全貌
はじめての古代エジプト語入門≪ヒエログリフ入門≫ (オリエンス語シリーズ)
ヒエログリフの勉強を始めようという方はまず、吉成 薫のヒエログリフ入門、ジャニス・カムリン(斎藤 久美子訳)の古代エジプトのヒエログリフ、マーク・コリア(坂本 真理訳)のヒエログリフ解読法あたりから始めて、もっと例文を解読したいと思ったらこの本を購入するのがいいと思います。発音記号、文字の並び方に惑わされずに知識を深めることができます。(*^。^*)

本の紹介 其の四『アルメニア語文法』
http://iftah-yaa-simsim.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_720b.html

『基礎アラビヤ語』
  著者:内記良一 出版社:大学書林 
  価格:5,040円(本体4,800円+税)
  発行年月:1983年1月
  ISBN:4475010470
  購入場所:東京・蒲田/駅ビルのサンカマタか
         パリオの書店 
  購入時期:1988年初夏の頃

 中学までフランス語一辺倒でやってきた僕が、高校に入学し初めてフランス語以外で興味を持った外国語がアラビア語でした。この『基礎アラビヤ語』は4冊目の本です。実際は中学の一時期ドイツ語にも手を出し、その時に買った本が3冊目なのですが、今は訳あって手許にないのでまた別の機会に御紹介したいと思います。話をアラビア語との出逢いに戻せば、何故アラビア語だったのかは実はよく覚えていません。と言うよりも、恐らく当時たまたま書店でパラパラとページをめくってみたのが本書で、そこに書かれていたアラビア文字に何となく興味を持ったというただそれだけの理由だったのではないかと思います。

 どうでもいい事なのですが、この本のタイトルが『基礎アラビア語』ではなく『基礎アラビヤ語』となっているところに大学書林らしさを感じてしまいます。先程アラビア語を選んだ特別な理由はないというようなことを言いましたが、この本はよく利用しました。つまり、当時アラビア語の勉強に結構のめり込み、独学で勉強した割には簡単な文章なら書いたり読んだりできるようになりました。この本には別売りテープがありますが(しかし高い!!)、本来が「アラビア語を話し聞く」ということに主眼を置いていないため、アラビア語の会話の勉強は別の本によってだいぶ後になってから始めることになりました。この本は、アラビア語の基礎的な文法事項をクルアーンやアラブの諺などを多数引用し、極めて簡潔に解説した文法書です。文法説明はさっぱりしているのですが、練習問題が豊富なので文法の知識を整理する意味でのドリルとしての使用も適しているかも知れません。内容はガチガチのフスハー(正則アラビア語)の教科書ですが、初めての外国語に接する時は多少お堅い位の共通語(標準語)に接するのが良い、と考えている僕には肌の合った教科書だったと思います。

 因みに、別売りカセットに吹き込まれているアラビア語は完全なるフスハーですから(これも一寸妙な言い方ですが)、口語では一般的に発音されない語尾の格変化部分 や名詞のタンウィーンまでしっかり発音されています。アラブの人からするとよそよそしい、やや肩に力の入ったアラビア語といった印象でしょうか。

アルメニアの公用語「東アルメニア語」および「西アルメニア語」を学ぶためのYoutube動画まとめ
http://tagengo-gakushuu.hatenablog.jp/entry/2015/11/11/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%94%A8%E8%AA%9E%E3%80%8C%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E8%AA%9E%E3%80%8D%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3

勉強するためでしたら、戸部の本は、中古でも買わないほうがいいですし、ただでももらわないほうがいいです。
戸部の本以外の泰流社の本は、もちろんものによりけりですが、大野徹の「ビルマ語入門」や土井久弥「ヒンディー語入門」などは、よくできたいい本です。

泰流社がつぶれたのは戸部の本のせいだと噂されたほどです。あまりにひどいので、泰流社の本全般の印象が悪くなって、他のいい本も売れなくなったのだと。実際は、それだけじゃなく、いくら私費出版請負でも最低限の内容の保証もないような本の出版を自社名で乱発するような経営方針に問題があったはずですが。

私は語学オタクで、戸部の本は出るたびに立ち読みをしてあきれていました。昔、大学図書館に、友人と連名で、こんなひどい本を購入してはいけないと抗議したことがありますが、寄贈してくるので捨てるわけにいかないという返事でした。

戸部の「ケチュア語入門」などは、あるとき大修館の雑誌「言語」で、原著の誤植までまる写しにした本だと指摘されてことがあります。
「ウズベク語入門」には、口蓋垂閉鎖音を表すキリル文字 Ғ (喉の奥の「ガ」)の発音をカタカナで「ファ」で記してあり、ローマ字の f と勘違いしているのです。
「モンゴル語入門」は、大学書林語学学校の小沢重男の授業の配布教材の一部をそそまま載せ、そのままだったらまだいいのですが、自分で理解しないままこれに間違った説明を書き添えています。
「コンカニ語入門」では、「コンカニ語ってどこの言葉だと思いますか。私もそう思いました」なんてレベルの人に入門書を書いてほしくない。

その他多数の「~語入門」は、ほとんどが種本を、自分で十分に理解しないままに和訳して、そこに誤訳と大量の誤植を加え、さらに不正確な説明を添えただけのものです。しかも、種本が不十分のものが多く、簡単な文法説明のあとは単語集だけというのも多いです。それが100ページもないのに新刊書で1万円前後の値段でした。しかも、種本が何かを記さない本が多い、これはマナーとしても問題です。

以上のような本ですから、知識のない人が戸部の本で学ぶのは危険です。それをわかった上で好事家として収集するのでないかぎり、ただでもおすすめしません。
戸部実之 - 同社で多数の語学書を出版していた人物。
実用アラビア語入門の筆者、どこかで見た名前だと思ったらこの人のアイヌ語入門読んだことあるわ というか幅広い言語の入門テキスト書いてるんだな戸部実之

寝んどロイド・にきⰏⰵⱅⱀⰵⱃ傲慢公 ‏@Medtner1880 2016年5月28日

【戸部実之】
言語オタにとっての有名な地雷
新古書店じゃなくてガチの古本屋に行くとずらっと並んでいて、知らずに買っていく人を想像すると真顔になってしまう
#リプで来たものについて語る

中西裕樹 ‏@baslerhund 2014年3月29日

@a_oik 「戸部実之」で検索をかけるとわかりますが、残念ながらこの辞典はトンデモ本かと思われます。中身を見ずに言うのは良くないのですが、ほぼ間違いないかと……。ご存じだったらすみません。

C.C.Beijing 鈕祜祿・一順 ‏@GolminAlin 2014年9月9日

@BlogJoseph 第2期の語学書の内容がなかなか「トンデモ本」で著者の戸部実之(東京外国語大英米科卒らしい)のナントカ語入門本を高額で各自治体の図書館に売り込んでた時期がありまして…。




P・グラレム ‏@pinkglalem 2015年3月8日

最近たまたまテレビを見る機会があって...そしたら、日本とトルコの友好の歴史みたいなモノをやってたンだョね。...ただ、テレビでも学校の授業でもけして教えない闇の歴史が両国間には存在する。相手の恥部を隠してやった歴史がある。#アルメニア人大虐殺


@pinkglalem 現在でもこの史実をトルコ政府は認めていない。第一次大戦後の軍事法廷で裁かれる予定であったのを、日本と米国は強行に反対した;http://matome.naver.jp/odai/2139045989525696201 …

@pinkglalem この虐殺の理由について調べて行くと、アルメニア人というのは独特の宗派のアルメニア正教徒で、ものすごく初期のキリスト教なんだって。そんでもって、これは推測なんですけど、この宗派はキリスト教成立時の色々な秘密を知っていたンじゃぁないかなぁ?

The Armenian Genocide: http://youtu.be/6A1emayyhmI @YouTube;
المذبحة التركية الإسلامية للأرمنTurkish Islamic massacre of Armenians: http://youtu.be/548lD5SvERk
@YouTube トルコ政府の「移送」は絶滅を意味する暗号として伝達, 実行された...;http://www.geocities.jp/armenahit/genocide.htm … …

ローレライ ‏@rolelei 2015年3月8日

『トルコが親日の理由?』@pinkglalemアルメニア虐殺追求を日本と米国は強行に反対した!


P・グラレム ‏@pinkglalem 2012年10月25日

アケメネス朝 #ペルシャ は当時オリエントに栄えた巨大文明で、エジプト、バビロニアから、トルコ、アルメニア、今のアフガニスタン辺りまであって、その地域の人たちに朝貢させていたという。そこから #アレクサンダー大王 が略奪して持ち帰った物って、何だったのか?


P・グラレム ‏@pinkglalem 2013年12月21日

@lanekota @rideigan グルジェフは元々アルメニア正教でしょう?ペルシャの近くの...イランにはアルメニア人がいっぱい住んでる。彼の弟子ウーペンスキーの著作の中にこの実験の模様が書かれています。別の弟子が(確か)アヘンを用いていたと証言しています。



グルジエフ「エニアグラム講義録」郷尚文訳
ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(Георгий Иванович Гурджиев, George Ivanovich Gurdjieff, 1866年1月13日? - 1949年10月29日)はアルメニアに生まれ、一般に「ワーク」として知られる精神的/実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。ロシア、フランス、アメリカなどで活動した。

ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。

以下のうち(1)から(3)はAll and Everythingと題された著作三部作を為しており、グルジエフはこれらは必ず順番どおりに読むように求めた。もともとロシア語とアルメニア語で書かれたものを生徒たちが英語に翻訳した。

(1) Gurdjieff: Beelzebub’s Tale to His Grandson

グルジエフの主著で原書で千ページを越える超大作。グルジエフはまずこれから読むように強く求めた。若き日の反逆ゆえに宇宙の中央を追放されて惑星地球にやってきた主人公ベルゼバブが宇宙船カルナークのなかで孫に語る人間に関する壮大な物語。宇宙、人間、歴史、文明、芸術、宗教、教育などをめぐるグルジエフの見解が総合的に反映されている。英語版も日本語版も翻訳が二種類ある。

グルジエフ『ベルゼバブの孫への話 - 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』 浅井雅志訳、平河出版社
グルジエフ『ベルゼバブが孫に語った物語 - 人間の生に対する客観的で公正な批判』 郷尚文訳、電子書籍:Amazon

(2) Gurdjieff: Meetings with Remarkable Men

自伝的体裁の著作だが、「竹馬に乗って砂嵐のなかを旅する」など、あからさまに実話ではないストーリーも含まれていて、ノンフィクションとはなっていない。父、少年時代の師、青年時代に探求の旅を共にした「真理の探求者」のグループの仲間たちなどを章ごとに取り上げ、彼らの人生の軌跡や彼らと共にした東洋の辺境をめぐる旅などについて語る。最終章「物質的問題について」は、カネをめぐるグルジエフの奇想天外な立ち回りや壮絶な闘いの記録となっている。電子版の新訳は、原書の段階から表記などに細かい誤りが多かった地名や人物名や民族・歴史的事項を再調査のうえ、脚注と地図リンクを付与したものである。

グルジエフ『注目すべき人々との出会い』 星川淳訳、めるくまーる
グルジエフ『注目すべき人々との出会い』(脚注・地図リンク付き新訳版) 郷尚文訳、電子書籍:Amazon

(3) Gurdjieff: Life Is Real Only Then, When ‘I Am’

グルジエフはこの第三集で最終的な知識の開示を計画していたが途中で執筆を断念する。現在はその未完の状態のままに出版されている。

グルジエフ『生は<私が存在し>て初めて真実となる』 浅井雅志訳、平河出版社
グルジエフ『生は<私が存る>ときにのみリアルである』郷尚文訳


⓵「事実と意見を区別」②「思う、感じる、感情表現の禁止」を守れば論理的文章がすぐ書ける!←そんなことより 「丸に十字」「人型の十字架」「エプロン」のマンダ教だ! 青木健『古代オリエントの宗教』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-115.html
”・二世紀のローマで成立したマルキオーン主義は旧約と新約のミスマッチを指摘し、旧約聖書全てと新約聖書の大半を切り捨てて、ルカ書とパウロ書簡のみを採用し、これこそイエスの真意であり正しいキリスト教だと論じた。
これを嚆矢として新約聖書の結集が始まり、エジプトやシリアでは同様の発想に立ったグノーシス主義と呼ばれる諸派が乱立していく。
同じ頃に旧約聖書も新約聖書も否定し(部分的には新約の洗礼者ヨハネを尊重する)、独自のマンダ教聖典を作ったマンダ教がヨルダンで成立した。

・マンダ教の成立(1~2世紀)。
1世紀、ヨルダン川流域で成立

2~3世紀、イラン高原西部へ

3~現代、メソポタミア(西アジアのティグリス・ユーフラテス両河川流域=ほぼイラクの中心部。アルメニア高原からペルシア湾にわたる地域)南部に定住し、現在に至る。
(…)
・ミトラ信仰の聖地アルメニア
アルメニア~小アジア=インド・イラン世界の最西端。
アルメニアは、イラン高原の西端がコーカサス山脈の南麓と交わり、複雑な山岳地形をおりなす地域。メソポタミアと並び、地中海世界との交流が密接。
アルメニアの上がグルジア
アルメニアの右がアゼルバイジャン
アルメニアの左がトルコ
アルメニアの下がイラン。
(トルコの下がシリア。
シリアの左にレバノン。
レバノンのすぐ近くにイスラエルとヨルダン。
シリアの右下にイラク)

古代インドの発音ではミトラ
古代イランではミスラ
中世イランとアルメニアではミフル
ギリシア語・ラテン語ではミトラス
(ソグド語でミール
仏教で弥勒 ミロク
ミは共通。
神智学ではマイトレーヤ)

・56年にパルティア皇帝の分家をアルメニア王として送り込み、アルメニアを藩王国としたあたりから、次第にアルメニア史の輪郭がはっきりしはじめる。
この際にアルメニア語にはイラン語(正確にはそのパルティア方言)の語彙が大量に流入。
アルメニア藩王国は、パルティア王国が224年にササン朝に滅ぼされた後も、ササン朝の王家の宗主権の下で
428年までアルメニアを支配した。この合計372年間も存続したパルティア系の王家のおかげでアルメニアにはイラン文化の影響が大きい。
聖都アニやバヴァンには、
アラマズド(アフラ・マズダー)、ミスラ(ミトラ)、
ヴァハグン(ウルスラグナ)、アナヒト(アナーヒター)など
――アルメニア語には長母音がないのでかなり寸詰まりの名前に変化している――
の神殿が立ち並んだとされている。
このうち、ヴァハグンはヴァン湖の底に沈んでいる得体の知れない水棲動物(普通は竜だと考えられているものの、アルメニア人が移住してくる以前から恐れられていた水中の怪物らしい)を退治した英雄であり、
アナヒトは偶像崇拝や神殿売春を斡旋する女神である。
イラン系の神々の中で最もアルメニア王家に好まれたのがミトラであった。古代イラン人のあいだでは相当崇拝された神だったが、ザラスシュトラの宗教改革の結果、ゾロアスター教の中では六大天使のうちにも入れてもらえないほど零落していた。
が、ゾロアスター教の影響が必ずしも及ばないアルメニアや小アジアなど西方ではその人気を順調に維持していたらしく、今も蒼穹を背景にガルニの丘に聳える神殿は、ミスラに捧げて建立されたものとされる。これはオリエント世界で現在確認される唯一のミトラ神殿遺構としてミトラ教研究で非常に重要。ただし、ヘレニズム風の神殿に見える。現在のその神殿は近代になって再建されたものだそうだ。
イランは地中海世界に比べると独自の文字文化の発達が極端に遅かったので、当時のアルメニアでは文字が発達せず、最盛期の実態が同時代のアルメニア語文献からただちにわかるという性質のものではない。アルメニア文化の開発自体がキリスト教布教の目的でなされており、古典アルメニア語文献といえば、キリスト教の聖職者たちが五世紀以降に執筆したキリスト教文献に限定されるのである。
301年にアルメニアの国教がキリスト教になる。世界初のキリスト教国教化。
404年に学者聖人メスロプ・マシュトツによって考案されたと伝わるアルメニア文字がキリスト教伝道の大きな武器になった。シリア文字やパフレヴィー文字が右から左に書くのに対し、
アルメニア文字はギリシア文字と同じく左から右に書く。
(新約はギリシャ語)
イラン高原の方では文字利用そのものが一般化しておらず、パフラヴィー語文献の大量執筆は9~10世紀にならないと不可能だったのだが、アルメニアでは5世紀の段階でかなりの量の文献を残すことができるようになった。
ローマ帝国では
313年コンスタンティヌスによるキリスト教公認
392年テオドシウス一世によるキリスト教国教化。

ミトラ信仰は、海賊やローマ軍兵士を通じて地中海世界、ローマ帝国に流入したらしい。
地上ではなく地下に密室を掘って男だけで寄り集まり、短剣で牛を屠って再生を経験する儀式を行った。

・キリスト教に土着宗教が習合した東方での最初の事例は、4世紀のアルメニアのミトラ信仰。当時のアルメニアではイラン系のミトラ崇拝が主流を占めていた。
アルメニアはローマ帝国とペルシア帝国の境界線上にあり、古代よりイランの影響力が強く、2世紀頃にはミトラがほとんど主神だった。ミトラ信仰は地中海世界に大きく受容され、2~4世紀にはローマ帝国内でミトラ教として完成される。
が、301年にアルメニア王国がキリスト教を国教として採用するとキリスト教の聖人の中に取り込まれた。

アルメニア藩王国はササン朝ペルシアの属国であるからペルシャは
428年アルメニアへ侵攻し、372年間続いたパルティア系王家を廃してアルメニアを直接統治下に置いた。その際にパフラヴィー語で書かれたゾロアスター教改宗勅令によりアルメニア人にイラン高原の文化への回帰を促したとされる。
が、イラン高原の宗教事情も三世紀を境にすっかり変わっており、パルティア時代のミトラ信仰はサーサーン朝が奨めるズルヴァーン主義に置き換わっていた。アルメニア藩王国としてはミトラ信仰への復帰なら考え直したかもしれないが、見ず知らずのズルヴァーン主義への復帰はおよそ考慮の埒外だったかもしれない。
この五世紀ころササン王朝がいかに激しくアルメニア人キリスト教徒に対してゾロアスター教ズルヴァーン主義に改宗することを迫ったかは、1965年にアルメニアの聖地エチミアジンの原始キリスト教教会内部でパフラヴィー語の銘文の施された拝火壇が発見されたことからも明らかにされている。これが400年代中葉にササン朝の占領軍が原始キリスト教教会を拝火神殿に改修した際の動かぬ証拠だと考えられている。
484年には改宗勅令をペルシャ帝国は撤回した。
56年間も戦争状態に陥っていたのでアルメニア正統使徒教会は451年に開かれたカルケドン公会議に代表を派遣できず、アルメニアのキリスト教教義は自動的に単性論派に分類されてしまった。つまりローマ・カトリック教会とギリシア正教会からは異端視される非カルケドン派教会とみなされてしまった。

アルメニア正統使徒教会はズルヴァーン主義に対しては直接の反駁で応じたが、既に民間信仰化していたミトラ信仰に対してはキリスト教への習合を図った。
アルメニアでは異教の神殿をメヘアン(ミトラの変化形)と呼び、奇岩や洞窟をムヘル(ミトラの変化形)と呼ぶなど、ミトラ信仰の痕跡は比較的保存されている。
三世紀以前のアルメニアではミトラは岩から誕生したとされ、奇岩から泉が湧いている光景への信仰がそのままミトラ信仰を意味していた。
聖ナルセス・フライェツィ(1173年没)の詩では、奇岩からの湧水がそのまま十字架上のイエスの脇腹からの出血とみなされ、人類すべての罪の贖いの象徴とされている。

(ローマ帝国がペルシャの力を削ぐ為にアルメニア藩王国に干渉したのでしょう。

「ミトラ=太陽」は雷と嵐の神の象徴である「ゼウス=牛」を殺します。
晴天VS雷雨。
白人宗教のキリスト教は太陽神ミトラ系ですが、白人が日光に弱いので嵐・雷系のゼウス=ギリシャ神話や、セトや、バアル=生贄教などアンチ太陽信仰要素あり。
キリスト教を作った勢力は恐らくミトラ結社出身。だから教義を盗めたのでしょう。
ミトラ結社の離反者がキリスト教の原型かも。
ギリシャ神話・ローマ神話勢力は、キリスト教と大本教系という白人化された太陽信仰系カルトを批判することがありえます。
新左翼がギリシャ・ローマ神話好きかどうか気になるところ。

宗教を、重視する天体や天気の種類で分けると、
イラン・ペルシャは太陽信仰。
ゾロアスター教の最高神アフラ(アスラ)マズダーがアスラ族にして太陽神。
密教≒ミトラ+拝火+グノーシス+仏教など
の毘盧舎那もアスラ王とウパニシャッドで表現されていて、仏教の密教でも太陽神とされています。
インドのバラモン教の主神がインドラ、後にシヴァに変わりますが両方とも嵐の神です。”



まずは根本的な世界観の理解を



MB13 ‏@MB13 2016年1月30日

話題の松山洋平『イスラーム神学』購入。スンナ派の解説云々、ナサフィー信条和訳も付いてるよ!というような書評を目にしていたので概説的な本なのかと思っていたらとんでもない。ナサフィー信条についての極めて丁寧な訳解が大部分で、えっ、こんなすごい本が日本語で読めていいのかと逆に困惑


正典としてのクルアーン―ヘブライ語聖書・新約との比較分析2007/10
中田考
イスラーム神学

著者/訳者:松山 洋平

日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解 単行本 – 2014/8/2
中田 考
メヴレヴィー教団(-きょうだん トルコ語Mevlevilik)とはイスラム教のイスラム神秘主義(スーフィズム)の教団の一つ。13世紀にジャラール・ウッディーン・ルーミー(1207年 - 1273年)によって開基された。
概要
セマー(旋舞)の様子
セマー

メヴレヴィー教団は日本語では旋舞教団といわれ、スカートをはいた信者が音楽にあわせて、くるくると回転をし踊るという宗教行為(セマー)で知られる。これは祈りの手段であり、回転は宇宙の運行を表し、回転することで、神との一体を図るというものである。


教団の中心地はルーミー最期の地であるトルコのコンヤであり、墓廟がある。
スーフィズム教団間を統括するような教理体系は現れなかったが、おおむね一致する教理として次のようなものがある[1]。つまり、創造者である神と被創造物である人間の内的な繋がりを仮定し、強い愛の力によって両者の隔たりを消滅させ、精神的合一を目指すというものである。

スーフィーの修行は階梯にたとえられ、神の与えてくれる心的状態(アフワール)を経験するとひとつ上の段階に移行できる。すべての階梯を登り切ると忘我の境地に至り、霊知(マアリファ)と真理(ハキーカ)と呼ばれる高い意識を永続的に得られると考えられた。

スーフィズムでは禁欲的で厳しい修行を行う。 修行法は様々だが、もっとも重要な行はズィクルと呼ばれる祈祷句を読み上げる儀礼である[2]。神に思念を集中し一心不乱に連祷することでファナー(消滅・消融)と呼ばれるトランス状態に入り神秘体験をする。

ファナーに入るために音楽や踊りも盛んに用いられた。たとえば、白い布状の服を身につけて一心不乱に回る、回旋舞踊(セマー)と呼ばれるものを行い、神との一体化を求めた。スーフィーは導師の指導の下、決められた修行(マカーマート)を段階的にこなし、準備を進める。最終段階では、雑念を捨て去り一心に神の事をのみ考え、神と合一したという悟りが訪れるのを待つ。この境地に至った者は、時として聖者に認められ、崇拝の対象となった。
ルーミーによる著作は『精神的マスナヴィー』、『シャムセ・タブリーズ』、『ルーミー語録』などがあり、とくにルーミーが14年の歳月を費やし著した『精神的マスナヴィー』は全6巻で2万5000句から構成され「ペルシア語のコーラン」と呼ばれている。

メヴレヴィー教団

13世紀に小アジアに興った神秘主義教団。旋回する舞踏を行いながらアッラーとの一体化を求める。
 イスラーム教が西アジア及びその周辺に定着、拡張していく上で大きな意味のあった神秘主義(スーフィズム)をかかげた神秘主義教団(ターリカ)の一つ。13世紀に小アジア(アナトリア)のコンヤでスーフィーの聖者と仰がれたルーミーを中心に組織された。今もコンヤのルーミーの墓廟は、その聖地として巡礼者が多く、また旋回する舞踏によって神との一体感を得るという独特の信仰が守られている。メヴレヴィー(メウレヴィー、メフレヴィーとも表記する)とは、「我らが導師」を意味するマウラーナーというルーミーに対する尊称に由来する。メヴレヴィー教団はオスマン帝国時代にはムラト2世のころから歴代のスルタンの保護を受け、有力な教団として発展した。

聖者ルーミー
 その創始者ジェラレッディン=ルーミー(1207~1273)は、イスラーム神学者の子として現在のアフガニスタンのバルフにまれ、放浪の末、1229年ごろアナトリアのコンヤに定住した。コンヤはルーム=セルジューク朝の都だったので、彼はルーミーと号した。シリアに留学してイスラーム神学を研究していたが、1244年に放浪の托鉢僧シャムス=アッディーン=タブリージーと合い、その生き方に神の愛の完全な像を見いだして、それまでの生活を一変させ、神秘主義のスーフィーとして修行に転じた。神の愛を歌い上げるたくさんの詩を作り、また踊りながら陶酔の境地となって神との一体感を得ようとした。その詩はマスナビーと呼ばれて2万6千句に及び、ペルシア語で書かれ、散文の『ルーミー語録』とともに神秘主義の文化の最高水準とされている。その墓地は現在もコンヤに残されており、信仰を集めている。

Episode 踊る宗教
 メヴレヴィー教団の教義はキリスト教やプラトンの思想も包摂する寛容さにあり、社会の上層部から民衆にまで受けいれられる要素があったが、最大の特色は「音楽に合わせて集団で旋回する」(サマーともいわれる)という舞踏を行うことである。ヨーロッパでは彼らは「踊るデルウィーシュ」Dancing Derwishes と呼ばれた。1925年には他の神秘主義教団と共にその修道場は閉鎖されたが、社会の各層にはなお根強い支持者がいる。<平凡社『イスラム事典』1982 p.378>
 現在、トルコ有数の観光地となっているコンヤでは、メヴレディー教団で行われていた修道者の舞踏が観光用のショーとして行われ、今も白い肖像をまとった踊り手が集団でクルクル旋回する舞踏を見せてくれているという。

参考文献
『コーラン』I, II 訳:藤本 勝次, 伴 康哉, 池田 修
中公クラシックス

『世界文学大系68:アラビア・ペルシア集 精神的マスナヴィー』 訳:蒲生 礼一
筑摩書房

levha.net
13世紀の宗教者/文学者ルーミーの作品読み下しを中心にその周辺から果ては身辺雑記まで。
http://levha.net/

『ルーミー詩撰』はてな館
http://d.hatena.ne.jp/kyoko_nishida/

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 8月4日
ねここねこさんの仏教の記事読んだ。 日蓮宗の箇所なんだが…… アレは元々は天台宗原理主義。 だから天台智顗の教えを知ってないと よく分からない。 法華玄義、法華文句、摩訶止観を読破 してほしいw 天台宗はガチ高度だから、パリサイ派の 悪口集であるキリスト教は足元にも 及ばない

仏教哲学の高度さは、一般人には 掴みにくいと思う。 西洋哲学でも「心の哲学」という 20世紀以降の哲学でようやく 同レベル。(サールとかデネットね) アウグスティヌスやアクィナスと 同じ水準だと考えたらいかんよ?

まぁ、それはさておき、 天台宗で重要なのは「悪は何処から来るか?」 という問題。 この時代の仏教ってのは黎明期の 仏教と違って、この世界は仏が 創造したみたいな教え
になってる。 すると善の存在である仏が何故悪を 創ったのかという疑問が当然起こる。

元々の仏教は創造神がいないので こういう疑問は起こり得なかった。 まぁ、天台智顗は初期仏教の 阿含経(いわゆる今日で言う原始仏教) を低脳と一蹴してたので、創造神の いる法華経をベースに教義を 組み立てているから、当然この 難問にぶつかる。

そこで出たのが「天台性悪説」。 続きは添付論文読んどいて。 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36075/1/rel027010.pdf …

カルトでも何でもいいけど、 これぐらいは知識としてあった方がいい。

天台性悪説の考察――仏教における悪の問題――
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36075/1/rel027010.pdf
悪を「欠如」とする考え方がキリスト教の伝統のなかにある。つまり存在するものは善なのだが,完全に善なる
存在である神にとっては,神以外の存在は不完全なものであり,善が欠如していることになる。そして,世界が全体として完全であるためには,あらゆる段階の不完全さをも含んでいなければならない。このようにして,神の絶対性から悪の存在が説明されたのである。仏教では悪について全く違う考え方をする。さしあたり私は仏教を,あらゆる種類の還元論を
否定するものと大まかに捉えておきたい。ここでいう還元論とは,唯一絶対の存在を想定し,一切の事物をそのような根源に由来するものとして説明しようとする思想の傾向を指している。それに対し,仏教がまず関係性から出発し,あらゆるものの相互依存を「縁起」として説くとするなら,その縁起の網の目から超越する存在などありえないことになる

(…)
天台性悪説とは,狭義には智顗(538-597)の『観音玄義』において説かれた思想であり,その主張の要点は,如来が行為としての悪(修悪)は断じていても,本性としての悪(性悪)は持っているというものである。ひいては,悪は世界の本質(理毒)であり,何か否定されるべきものとして存在するのではないということになる。この性悪説は他の思想的伝統と天台を区別する特徴的な主張であるとされ,中国と日本の天台教学においては一貫して正統なものとみなされてきた。この教説は思想史的にみても非常に興味深い問題を提起しているし,仏教の思想的背景から出てくる独特の倫理と実践を端的に表わしているものとみることもできる。性悪説への導入もかねて,悪についてもう少し一般的な議論を考察の出発点としたい。M. ヴェーバーは,宗教に課された世界の不完全さという問題を,神義論(Theodizee)として一般化した「諸宗教の重要な特性はまさしくこうした要求によって形づくられた。」(ヴェーバー:49)
このような前提から,ヴェーバーは世界宗教における神議論の三つの類型を示した。
1 予定説(キリスト教,イスラム教)
二元論(ゾロアスター教,グノーシス)
3 業・輪廻の思想(仏教,ヒンドゥー教)
予定説においては,全知全能の神が限りなく世界から超越しているが故に,その被造物の世界における善悪のような尺度を神に適用することはできない。人間の運命は神によって決定されており,それは神の御意として人間的に測り知ることはできないものである。また,二元論は世界を神と悪魔,善と悪などに表わされる二つの原理の混濁と戦いの場所として説明する。最後の業の教説とは,輪廻の信仰に基づき,この世における苦難や幸福は過去の行為の結果であると説明する。そして罪業や功徳は来世において必ず報いを受けるとされる。ヴェーバーの関心は宗教と合理主義の関係にあったわけだが,ここでは次の指摘の重要性を確認しておくだけにしたい。 それは, 悪の問題は単に苦難の説明や正当化という問題にとどまらず救済を求める実践と直に結びついているということである。つまりそれは,さまざまな救済の前提あるいは方法として,日常の実践や倫理に重大な影響を及ぼすということである。また「性悪」という言葉は中国の儒教思想における性善・性悪の議論と混同されてしまう恐れがあるかもしれない。通常,孟子が本来人間は善である(性善説)と主張したのに対し,荀子は逆に人間の本性は悪だと(性悪説)反論したとされる。しかし二つの説はこのように単純に対置できるものではない。孟子は善へ向かう傾向が人間に本来的なものだとしたのに対し,荀子は人間の性向の後天的な要素を重視した。だから荀子は性(本質)を「礼」によって変化させることを重視する。つまり性を何か絶対善のような本質的な存在として前提とするか,しないかの議論だとみることもできる。いずれにせよ,ここで重要な点は,儒教的な意味での「性(せい)」はあくまで人間の生得的な本質 心理的傾向と捉えられているのに対し, 仏教でいう「性(svabhāva)(しょう)」とは人間に限らず存在する全ての事物(諸法)に適用される言葉であるということである。したがって仏教の文脈で「性」は悪であるといった場合, それは単なる人間社会の問題にとどまらず, そのまま宇宙観・世界観の問題となることに注意しておきたい。
(…)
闡提とは一闡提(いっせんだい)(icchantika)の略であり,断善根とも訳される。それは悟り・成仏の可能性をもたない者のことをいう。この一闡提の存在をどう考えるかは大乗仏教の伝統においても大きな問題とされ, 『涅槃教』においては全てのものが仏性を持つ(悉有仏性)(しつうぶつしよう)という立場から一闡提の成仏も説かれた。この『観音玄義』の場合,如来と一闡提を対比的に捉えつつも,決定的な断絶というものを両者の間に想定しない 如来は実際の行為としての悪 修悪 は断じているが本質・可能性としての悪(性悪)は具えているという。逆に,一闡提は行為としての善(修善)はないが,本質・可能性としての善(性善)を具えているのである。もし悪を完全に断ち切っていたら,如来は煩悩の世界から切り離され,そこにおいて活動できなくなってしまうだろう。悪を断じていないからこそ 如来は衆生の世界において自在に衆生を救うことができるのである(2)。
その逆もまた言えるだろう。つまり,性善というものが,一闡提に限らず凡夫の成仏の根拠となる
のである。
(…)
四明知礼は, 「即」のさまざまな解釈を示しつつ,天台の立場を明らかにしようとしている。それぞれ異なるものとしての善と悪が合一している(二物相合)のではなく,同一のものの表裏一体の関係において善と悪がある(背面相翻)というのでもない。天台の当体全是とは,悪を切り離したり善に還元することを説くのではなく,善は善,悪は悪としてそのままで即同一であるというのである。
(…)
このようにして中国で確立された天台教学は,日本においては,いわゆる本覚思想 と呼ばれるものを生み出していくのである。本覚思想においては, 「善悪本より自仏なるが故に,迷ひの時も悟りの時も全く欠くることなし。己心所具の法なり。常住にして改めず。」(『三十四箇事書』, 日本思想大系9,169)というように,善と悪の対立関係すらなくなり,悪は悪としてそのまま肯定される,という方向に思想が展開していくことになる
(…)
いわゆる天台教学というものの根幹をなすものが『法華文句』, 『法華玄義, 『摩訶止観』の『天台三大部(5)』といわれるものである。そこで示された智顗の思想において基本となっているのが心を観察すること(観心)である。その際,観の対象(境)とされる心が実は世界そのもの(法)であると観ずることが重要なわけであるが,その心=法のあり方が十界として表される。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の世界が分けられ,それぞれの世界が分割されつつ,互いを分有しているという世界観が智顗の思想の根幹にある。悟りの世界も迷いの世界も孤立しておらず,相互に関連して成り立っているのであり,つまり心は地獄から仏,悪から善へと様々に転化しうる可能性があるとされる。このような心の捉え方は一闡提の成仏の可能性を「性善」とし,如来の救済の能力を「性悪」とした性悪説の理論的な背景
となるものといえる。
このような天台教学の体系において悪とはいかなる意味を持つものであるのか。仏教でいう悪とはすなわち煩悩のことである(6)。天台では煩悩に三種を数える。見思(けんじ),塵沙(じんじや),無明の三惑である。
まず見思の惑とは見惑と思惑の二つの惑のことである。見惑とは物の道理に迷う知的方面の煩悩のことをいう。すなわち空の道理を知らずに事物には実体があると誤認することで生じる諸々の見解である。思惑とは物事に執着して喜怒哀楽する人間の感情的・身体的方面の煩悩をいう。
次に塵沙の惑とは,菩薩化導障ともいい,菩薩だけがもつ煩悩とされる。誤った社会的知識により,人びとを救済できないことである。最後に無明の惑とは根源的な無知のことで,分別された世界を生み出す煩悩である。
この三惑を観心の実践によって克服していくのが,天台の基本的な主張だといえる。しかし,智顗は単純にこのような悪を消滅させてしまえばよいと考えていたわけではない


凡夫の心の一念に即ち十界を具し 悉く悪業の性相あり ただ悪の性相は即ち善の性相なり
悪によって善あり。悪を離れて善なし。(『法華玄義』,大正33,743c)

このように 善と悪は相対性かつ相互依存的なものだと説かれている 見惑(空を見ないこと)と思惑(貪怒痴)によって実体化(有見)が生じ,その有見が善悪の違いを生むのだから,要するに善と悪は有見(一切法,つまり存在するものを有とみてとらわれるありかた)に由来することでは同じである。悪とは端的にいって, 「心=一切法のありかたを有とみるところに成立するいわば認識論的態度」(新田1975:145)だといえるだろう。

大乗にも亦心は一切法を生ずと明かすは 十界を謂うなり 若し心は是れ有なりと観ずれば
善あり,悪あり。...皆是れ中道実相の法にして畢竟清浄なり。誰かは善,誰かは悪...此十法
の邐迤浅深は皆心より出づ。(『摩訶止観』,大正46,52bc)

「煩悩即菩提」とか「生死即涅槃」といった言葉は智顗の著作のいたるところに見出すことができる。それと同じ事態が「十界互具」という言葉で表されているとしたら,観心の対象とされる諸法の実相も,善と悪をともに含んだものでなければならないはずである

凡夫の一念に皆な十界の識名色等の苦道の性相有り...苦道を離れて別に法身有らず
(『法華玄義』,大正33,744a)

このような主張は性悪説と変わるところはない。それはもちろん,悪の正当化ではない。
「汝今云何ぞ善を呵して悪に就かん。」(『摩訶止観』,大正46,19a)。
悪がそのものとして正当化されるというのは,空へ執着(悪取空)しているものの言葉である

大乗の観心は,悪心を観ずるに悪心にあらず。また悪に即して,しかも善なり。また即ち悪にあらず,善にあらず。善心を観ずるに善心にあらず。また善に即して,しかも悪なり。また善にあらず,悪にあらず。一心を観ずるに即ち三心あり
(『法華玄義』,大正33,778c)

天台教学において悪とは,善と同じ根源をもつものであり,つまり善と悪はともに諸法としてそのまま真理(実相)なのである

4 縁起的世界としての諸法実相
ここで,天台思想の核心を表わす言葉である諸法実相(しよほうじつそう)ということが問題となってくる。現象世界(諸法)がそのままで実相(真実のあり方)なのだ,という考え自体は龍樹にさかのぼることができる。中村元によれば,中論において縁起, 「『縁って生ずること』がそのまま諸法実相として捉えられ」(中村2002:283)ている。このように,諸法と実相との二項対立を立てないことが仏教,特に大乗仏教の根幹をなす考えであったとするなら, 『法華玄義』の解釈は法華経の教説を単に正確に注釈するというよりも,むしろその思想的本質を継承し,解釈しなおしたものといってよいだろう。
(…)
縁起は法の本来的なあり方であり,生滅変化してやまない世間の相も,縁起である限りそのままで法の住,法の位,即ち常住であるということである。つまり世間,これは現実の煩悩の世界といってよいと思うが,それが悟りの世界と同じものだと解釈することができる。「法」と「世間」は究極的には同一の真理をあらわすものである。
(…)
真理と現実の断絶を認めるものではないのである。
世界と断絶していたり,すべてがそこに還元されてしまうような超越的存在のようなものはその前提からしてありえない。それは, 「如来・仏」であろうが「心」であろうが例外ではない
。このような思想が実践的に展開したのが性悪説であるとみることができる。
(…)
天台の説く如来とは,世界から超越しない如来なのである。つまり,如来といっても単に悪を断ち切って別の世界に行ってしまった存在とは全く異なる 「悟り」というものも世界から隔絶された何か別の存在に変身することではない
(…)
また重要なのは,天台教学で心が法であるといわれるとき,法と心のどちらかに一方が還元される,という意味ではないということである。それは「心法を仏法や衆生法の根本とするが如き唯心論的思想とは趣を異にしている。」(安藤1968:138)。
(…)
一心が一切法を生じるという説,心とは別に存在している一切法を一心が認識するという説,また心に一切法が還元されるとする説,このような考えがすべて否定されている。心と一切法は時間的,あるいは空間的に関わるのではない
(…)
ここまで考察してきた天台性悪説の思想構造と特徴をまとめてみれば,すべてが相互依存において成り立つという縁起論的世界観の徹底と,実践的問題意識の追求の二つだといえるだろう。
否定的なものが同一性に回収されない世界を性悪説は説いているといえる。天台の説く世界には中心が無いのである。
性悪説において最も特徴的なのは,救済と修行の基盤・根拠として超越的なものを想定しないということである。超越や還元という考え方こそ,天台思想が批判するものであった。このような観点から性悪説を捉えなおしてみれば,どうなるだろうか。
天台性悪説へ向けられた批判の一つは,その倫理性であった。もちろん悪の正当化であるという理解は誤解である。性悪説は縁起論の正統な理解に基づき,悟りと救済の根拠として説かれた
のである。
(…)
性悪説は一闡提の成仏と如来の救済の根拠として説かれた教説であった。その主張によれば,如来といえども縁起の世界から超越した存在ではない。悪を完全に断じた仏・如来という想定は縁起によって成り立つ世界を否定してしまうからである。如来/一闡提という実体が本性として善/悪を持つと理解すると誤解が生じる。いずれも縁起的存在として理解すべきである。そしてこのような性悪説の主張は,決して異端的なものではなく,天台教学,そして仏教の思想の中で正当化できることを示してきた。性悪説は現世の単純な肯定でも拒否でもなく,超越者や絶対の真理というものの実体化を徹底して避ける縁起思想が実践論となったときに行きつく必然的な帰結なのである。
(…)
田辺は天台教学の用語を借用しつつ, 「区別はありながら,互いに融通し合って相互にもちつもたれつ,相即不離の関係をたもち,動的統一を形造るというのが,空仮中の三諦が円融しておるということなのです。」(田辺2003:70)ということを重視する。このような議論は天台と華厳の論争を想起させる。性悪説とは, 「翻善之悪は理に違し物を損す。不善の相は麁にして上位に通ぜず。」(『探玄記』,大正35,319b)というような華厳がたてる理(真如)の基体的性格(7)に対して唱えられたものであった。田辺は,あらゆるものが善なる一者において階層的に発出し,還元されるプロティノス的な基体論,流出論を批判したのである。(…)
如来が悪でなければならないのは,悪が如来そのものだからなのである。このような意味で,性悪説は超越者のいない倫理である。

(…)
超越者のアプリオリな前提が,他者への暴力やニヒリズムというように袋小路に陥ることは歴史が示してきた。今村仁司は,仏教に別の道を探ろうとしている。

超越存在を否定しても,あるいは超越的な神を除去しても,広義の「宗教的態度」が可能であり,また人倫的行為(仏教でいう慈悲行)が完全に可能であり,その可能性が現実的になるということこそ,仏教が教えるもっとも重要な事実であり,またそこに仏教の最大の特徴があり,人類思想史上卓越した意味がある。(今村2004:456)
(…)
仏教の「自他不二」という対場が決してニヒリズムに陥らず,逆に実践の原理となることを示した歴史的な例もある。寂天(じやくてん)の『菩提行経』は,中観派の立場から他者に対する奉仕の実践を説いている興味深い書物である。
まず仏教というものは知っているだけでは何の意味もなく,実践として具現化されなければ何の意味もないとされる。「口に誦するも身に行わざらば,当に何に喩うる所を得べき。譬えば重病人に空しく薬の力を談ずるが如し。」(大正32,547b)。仏教の実践とは苦しみを避けることであった。「如来及び法とは,有情と平等なり。」(大正32,550a)。このように「自他不二」を観ずれば,自分の苦しみと他人の苦しみは別のものではない 「彼が苦怖より脱せずんば,自らに於て当に何にか勝るべき。」(大正32,554c)。つまり自他が不二であることに,他人の苦しみを救う理由があるのである。「自らの苦を消除せずして,他の苦を消除せんと欲す。」(大正32,554c)。
苦しむことが,苦からの脱却を目指す実践となる。性悪説の意味するところは,この逆説なのである。
「十界互具」というものも,本当は悪人も仏なのだというように還元主義的に誤解してはならないだろう。逆にいえば,仏も本当は悪なのである。このことが示すのは, (十界の)ある状態を特権化してそこに安住してはならないということである それ自身であり続けるものなどない。
全ては変わらずにはいないのだし,分節化された世界に住む以上,行為の網の目から超越(善悪の彼岸)することはできない。これは,各々の存在の状態はつねに流動的な円環のなかにあるということに他ならない。悟りに至った如来としてのあり方も一つの始まりにすぎない。地獄を含むどの世界も一つのあり方であると同時に新しい局面の始まる出発点を示している。このような意味で,われわれは仏の影響の外に出ることはできないともいえよう

(…)
仏教の考える悪の消滅とは,悪という実体が消え去ることではなく,悪を悪たらしめていた条件が解体することであろう。仏・如来というのも超越的な存在ではなく,縁起している世界そのものである。このことの自覚が涅槃である。そこでは,善悪や真偽のような二項対立自体が消え去っているはずである。つまり,涅槃によってこの世界が否定されるのではないということである。何かが否定されたり排除されるのではない。差異は差異としてそのまま法なのである。これこそ,十界互具という言葉で言い表された事態でもある。
このように徹底した縁起論的前提に立てば,実体化された善や悪や絶対神といったものに安住することは決してできないし,安易な現実肯定に陥ることもないだろう。悪はなぜ存在するか,という冒頭の問いに戻るなら,性悪説の立場からはこう答えられるだろう。悪も善(如来)もそのものとしての実体はなく,超越的な存在ではない。両者は救おうとする働きと救われる対象が生み出される働きとして,同一のものなのである。そしてここに, 「救済」と「修行」という実践の根拠を見出すことができるのである。
(…)
仏に性悪があることによって,極悪人が悪をなし,罪を犯すにいたった心情を理解することができ,ひいては救済の能力も出てくるのであり,善のみで悪を知らなければ,悪人を救済することができず,したがって仏の資格にふさわしいものではない。
(…)
悪をめぐる議論は天台だけでなく,仏教全体に関わる問題である。善悪の問題については原始仏教の時代から論じられてきた。仏教にとって悪をなさない,といわれることの根拠は外面的に表れた行為そのものではなく,欲望にある。これが典型的な仏教の考え方だといえるだろう。だから単純に悪がなくなり善だけが残ればよい,というのではない。悪というのは善と同様,欲望がとる一つの形態に過ぎない。逆に,行為をいくら外面的に規制したところで欲望が変わらなければ無意味となる 目指されるべきは欲望のコントロールである 原始仏教では この解脱の道としての善(kusala)と世俗的な意味での対概念である善(puñña)と悪(pāpa)は実は明確に区別されている。”

過去の最低帝国  ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドの創世神話全文公開
”ウパニシャッドというのは古代インドの哲学書。
「奥義の書」とも呼ばれ、基本はヴェーダの解説書でもあります。
言葉的には”近くに座る”という意味が一般的で師匠の側に座って
秘儀を授かるという意味。

そんなウパニシャッド、日本では複数の訳本がある。
高いのと安いのがある。

高いやつは2万5千円以上するので、一般的に入手しやすい
のは文庫系の安いやつだと思います。

「ところが安い文庫はウパニシャッドが全巻載っていない」

またブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドが抜けている場合が多い。
このウパニシャッド、有名人の大哲人ヤージュニャヴァルキヤさんが
活躍するウパニシャッドなのに......
ヤージュニャヴァルキヤは心の哲学とか勉強されている方には
なじみ深い人物だと思います。

皆さんも漫画やアニメで聞いた事がある、「ブラフマン/アートマン」
哲学の大元の人です。

そんな有名なウパニシャッドなのに何故か文庫版では
ことごとく省かれている。
実はブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドにはもう一つ
重要な説話があって、

「それが創造神話である」

インドってのは創造神話のパターンがいくつもあって
中国、北欧神話の様に巨人を切り裂いて天地を作った話や
道教の様に何もない無極から世界が生まれた、世界卵から
生まれた等、世界中の創造神話が集まっているのではないか
ぐらい豊富なのです。
ですから、武術の様にこの創造神話ってのはむしろインドから
世界に広がっていったのではないかとフェイド大帝は考えています。
(実際インド/アーリア人ってのはブリテン島にまで上陸している)

でブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドの創造神話の何が
問題かというと、

「神の正体が何なのかはっきり書いてある」

実はユダヤ教やキリスト教、イスラーム教ってのは
唯一神が何なのか一切教えないんですね。
多分、神様の権威を守るためにわざと教えてないんだと
思いますが。
ただそれがブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドには
はっきり書かれてある。
だから、インド/イラン系宗教に洗脳されやすい日本の出版界ってのは
ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドを闇に葬りたいのだと思います。

そこで、今回はネットにこのブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッドの
創造神話を全文載せます。
はっきり言って、この神話を日本国民の目から隠し続けるのは
もはや犯罪レベルと言っても差し支えないぐらいですから。

訳の元本は湯田豊訳版を使います。

以下、本文:
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

初めに、ここには全く何もなかった。まさに死によって、
これは覆われていた、飢えによって。
なぜなら死は飢えだからである。
「私は体を具えるようになろう」と、死は決心した。
そこで死は讃歌を歌いながら行った。
それが讃歌を歌っていたときに、水が生じた。
「まことに私が讃歌を歌っていた時に、私のために水が
 生じた」と。
まさにこれが讃歌の讃歌たる所以である。
このように、この讃歌の讃歌たる所以を知っている人、
その人にはまことに、水が生じる。

讃歌は、まことに、水であった。
そこで水の泡であったもの、それは凝固して大地になった。
死はその上で苦労した。それが労苦によって疲れ、熟した時に、
それの熱=精髄は火になった。

それは自己自身を三重に分けた。
三分の一を太陽に、三分の一を風に。
これが三重に分けられた息である。それの頭は東の方角である。
そして、両腕は南東と北東である。それから、それの尾は
西の方角である。そして、それの両腿は、南西と北西である。
そして、脇腹は南と北である。そして、背は天である。
腹は大気である。胸は大地である。これは水において
確立されている。このように知っている人は、どこへ行こうと、
それが行く所で確立されている。

死は欲した。
「私に第2の自己が生まれる様に!」と。
飢えである死は、その思考によって言葉と性交した。
それの精液であったものは年になった。それよりも以前に
年は存在しなかった。これだけの時間、すなわち、一年だけ
死はそれを保持した。
これだけの時間が過ぎた後で、死はそれを流出した。
それが生まれるや否や、死はそれを呑み込もうとして
口を開けた。
それは”ブハーン”と叫んだ。まさにそれが言語になった。

死は熟慮した。
「まことに、もしも私がこれを殺害するとすれば、私は
 食物をより少なくするであろう」と。
その言葉およびその身体によって、それはおよそここに
存在する全ての物ーリグ・ヴェーダ讃歌、ヤジュル・ヴェーダ
の祭詞、サーマ・ヴェーダのウドギータ、韻律、祭祀、人間
および家畜ーを流出した。
自分が流出したものが何であろうと、死はまさにそれを
喰い始めた。まことにそれは全てを食う(アド)ゆえに
それはアディティと呼ばれる所以である。
このように、このアディティのアディティたる所以を
知っている人は、この一切を喰う人になるのであり、一切は
その人の食物になる。


死は欲した。
「より大きな祭祀によって、私は更に供物を捧げよう!」と。
それは労苦によって疲れ、激しく熱した。それが労苦によって
疲れ、熱した時に、それの栄光=力は立ち去った。
諸生気はまことに栄光=力である。諸生気が立ち去った時に
それの身体が膨らみ始めた。しかし、まさにそれの身体には
思考が存在していた。

死は欲した。
「私のこの身体(死体)は祭祀に適したものになるように!
 この身体によって私は自己を具えるように!」と。
それからその身体は馬になった。それは膨らんだので、
馬祀祭に適したものになった。まさに、それが馬祀祭の
馬祀祭と呼ばれる所以である。
このように馬祀祭を知っているこの人、彼はまことに
馬祀祭を知っている。

とにかく馬を囲い込むことなく、死は、馬を囲い込もうと
考えた。一年後にそれは自己自身のためにそれを屠殺した。
それ以外の家畜を、それは神々に引き渡した。それゆえに
人々はプラジャーパティに属する馬を一切の神々に捧げられた
ものとして屠殺する。

ここで燃えている太陽はまことに馬祀祭である。
年はそれの身体である。この火はアルカである。
これらの世界は、それのもろもろの身体である。
それらの二つは、アルカ(祭火)および馬祀祭りである。
更に、それらはただ一つの神格、まさに死である。
このように知っている人は再死を避ける。
この人に死は到達しない。死は彼の自己になり、
これらの神格の一つになる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

太字にした所に注目して欲しい。
貪り食う死は”アディティ”である
と説かれている。

「アディティとは大女神ディヴのインド版である」

つまり、東條ミトラ教の最高神の正体は死である!

そしてもしアルティメット・まどかのモデルが大女神ディヴで
あるとすると......考えただけでも恐ろしい!

「オタクが”まどか、まどか”と騒いでいる場合じゃない」
「お前ら喰われるぞ、まどかに」

日本のアニメ/コミック業界が広めようとしている
女神信仰、これの正体のおぞましさが理解できましたかな?


はじめましてムックと言います。
今このアニメコミック陰謀論を読んだのですがこれまた興味深いですね。
ミトラ教というのはよくわからんのですがかなり危険な宗教なのですか?
まあ軽くここを読んだ感じですとオカルティックな話だなあと思うのですが
この人達の目的というのが今ひとつわからんのです。
仮にアニメコミックを通してこの宗教の教えを広めたとして具体的に何に
なるのかなあって………

大女神ディヴ=死と解釈するなら人類皆死ぬってことですかね?
私はまどマギはよく知らんのですが制作チームにオカルト信仰者がいて
作品内にその要素を散りばめた所で視聴者にそこまで影響を与えるとは思えないのですが………

仮にこれで洗脳されたとしてもその洗脳力は弱そうですし本気でやるならもっと効率的なやり方があると思います。
結局作品内にオカルト要素を入れてるのは製作者の自己満足であり我々が懸念剃る必要などないでしょう。

ただこういう見方自体は面白いと思います。
私自身陰謀論は嫌いではありませんよ。
[ 2013/07/28 06:12 ] ムック [ 編集 ]
Re: タイトルなし
ムックさん初めまして。
コメント有り難う御座います。

”陰謀論”という書き方をしてしまいましたが、
アニメやマンガに於いてオカルト的な情報や図柄を
入れるのは実際には験担ぎみたいなものだと思います。

フリー・メイソンのシンボル群というのは元々西洋魔術
が起源でして、神社のお守りの護符とかと似た様な物です。
一番最初にアニメ業界やマンガ業界でこういったシンボルを
導入したのが誰かは分かりませんが(多分ディズニーだと思います)
フリー・メイソンのシンボルを入れる事によって作品がよく
売れるかもしれないというような業界慣習があるのではないかな、と
思っています。音楽業界も同じだと思います。

特にこれで誰かを”洗脳”しようだとか、世界を支配してやろう
というような深い意味では使っていないと思います。

まどマギに関しては元々の題材が”魔法”少女物なので
”魔法”の世界観を演出するために美術監督辺りが
フリー・メイソン等の西洋魔術のデザインを
参考にしただけの様な気もします。

ただ、傾向的にこういったデザインを活用する
クリエイターさんが多い様な気はします。
まぁ、日本は信仰の自由が保証されている近代国家
ですから、中には”ガチ”でこういうオカルト思想に
ハマっている人が制作者の中にいたとしても不思議では
ありませんが。
[ 2013/07/28 14:33 ] フェイド大帝 [ 編集 ]
返信ありがとうございます。

験担ぎですか……確かにそういうものにハマっていれば十分ありそうですね。

>特にこれで誰かを”洗脳”しようだとか、世界を支配してやろう
>というような深い意味では使っていないと思います。

まあ実際こんなこと考えてるならもっと効率的な方法がありますからね。
視聴者の限られる深夜アニメで洗脳するったって費用対効果が悪すぎるでしょう。

>フリー・メイソン等の西洋魔術のデザインを
>参考にしただけの様な気もします。

陰謀論やオカルト好きのスタッフが面白半分にこういうネタをいれたらネットでメーソン作品だなんだと騒がれてしまったなんて例もありそうですね。

メーソン作品と言えば以前テレビ東京でエヴァとメーソンのつながりを指摘する番組があったようですがこれって実は日テレにエヴァを奪われたテレ東によるちょっとした嫌がらせとかだったんじゃないでしょうか?

まあ元々エヴァはこういうオカルトアニメの筆頭みたいな感じですが………


>まぁ、日本は信仰の自由が保証されている近代国家
>ですから、中には”ガチ”でこういうオカルト思想に
>ハマっている人が制作者の中にいたとしても不思議では
>ありませんが。

まあ製作者が何教徒であろうと人様に迷惑をかけたりしなければ問題はないと思いますが最近のアニメって昔に比べて随分あからさまにこういうのを全面に出しますよね。昔は出したとしてももう少し薄っすらとしていたように感じますが…………

これはどういうことなんでしょうか?
制作チームにおけるオカルト信仰者が昔より増えたとかそんな感じですかね。
それともお上のご命令?
[ 2013/07/28 18:55 ] ムック [ 編集 ] ”




[ゆっくり朗読] 付喪神絵巻(崇福寺本)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30556752

付喪神絵巻でわかるように、
付喪神は神道的アニミズムではなく、
真言宗の説く「草木非情 発心修行 成仏」(命あるものが発心修行して成仏できるのであれば、どうして山河草木瓦石瓶盆など命のない物にそれができないといえるだろうか)、
すなわち非情成仏
=草木や国土など情 (こころ) のないものでも仏になれる。
アニミズムと混ざっていてもはや不可分。
霊とか魂≒仏性。
『大般涅槃経』では、仏性を衆生(人間)に限らず、山川草木や生類すべてに仏性があるとする、
「草木国土は悉く皆成仏す」
一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)が説かれた。非常に神道的アニミズムと相性が良い。

[ゆっくり朗読] 付喪神絵巻(国会図書館本系統)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29742951

[ゆっくり妖怪雑話] 付喪神入門
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30058634

[ゆっくり妖怪雑話] 付喪神絵巻考
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30264011


おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2月11日
けものフレンズは無為自然
荘子の無用の用等がけものフレンズの正体なので荘子と老子の説く、小国寡民があの世界
けものフレンズをシーア派的に見ようか? カバンちゃんの正体はعقلアグル、知識及び技術というものは悪意や個人利益等による汚染がない限りは如何なる存在、如何なる状況でも必ず良い結果がやってきて、それは来訪神のように通り過ぎて行くの 知識や技術は必要な時に必要として用いられるのでね
あの世界は無知なのではなく、無用の用と用とする時に用を用いる世界で完知された世界なの
だから、そういう世界では無駄に意味を作り出す言葉は存在する必要がないの 言葉が最低限の世界は象徴も最低限にしか存在しない、それは認識や必要が完全に共有されているから象徴で誤魔化さないの
そして、純然に技術と知識を用いる事が出来るのは困ったことはあっても「不足しているものがない」から
不足しているのものというのは物質的な物から、抽象的なモノまで不足していない世界であり、
不足していないからで不足していないが故に様々な存在がその特性を使い切れる世界なのである
知識が不足すると無知と有知で別れる
物が不足すると過剰と不足で必要と不要で別れる
能力が不足すると無能と有能で別れる
心情が不足すると妬みや嫉妬、傲慢と軽蔑で別れる
シーア派的にはعدلアドル公正・公平が完成された世界であり、このけものフレンズは絶対公平世界と断言でき
ディストピアとか、ユートピアというアホで抽象的な下らない・ゴミ・核廃棄物以下の物ではなく 公正が完成された世界であり、象徴的な思考をする必要のない「用が完結した世界」なのであって、それは荘子が説く世界であり シーア派的にはアッラーの公正で満たされた世界となる

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2017年2月13日
象徴があっても、思想があったとしても現代にも出てこないというのは再現性がないもの
再現性がないものは不要なものであるか、元々ないもの
元々ないものであるなら、それは復元のしようがないわけで
元々ないものを復元しよいなんて土台無理ってこと
厳しいけど、意味ある文化なんてそうないんだよ
これも勘違いしているけど、文化というのは根本的にその文化集団に属しているもの以外にとっては全く無意味なの
例えば、食文化なんかわかりやすいけど片方常に米を炊く文化があれば、パンを作る文化があり
米を炊く文化はどこでも米を炊こうとし、その逆もまた真であるのだよね
じゃあ、じゃがいもを茹でる文化の人達にとって米や麦というものは価値があるのだろうか?
食料以上の価値はなく、そこには文化的な意味を持っている物ではないということ
特性帯びるのは文化というか、生活によって発生しているわけで別に何か意味があって行っているものでは根本的にないという事
ここで分かるのは文明は文化の延長では全くないこと
文明はどこの土地だろうが、猫も杓子も関係なく共通した認識の中で共有しあえるものであって、それが文化と文明との大きな違い
で、文明というものには必ず普遍的で不変な知識と技術が存在するのそれを満たさないと文明ではないわけ
言うなれば、米というものを炊く・生産するという技術や知識というのは文明で
その米の食べ方や集団的意味を与えるのが文化と言っていい
んで、シーア派が言うتخت قدرت خدا 全ての力の土台はアッラーさんが用意されたもので文明というのはこの土台を意味するの、それは文化ではないの
なので、全ての種子を集めて保存するというのと全ての知識を集めて保存するというのは全く違うか、真逆な事をしているの
種子=文化
・知識=文明なので種子が幾らあろうとも文明の種にはならんし、
知識さえあれば場合によっては特定の文化を再度発見することができる
なので、文明=知識を集めるの
そんな事を言うと特有の文化が消えていくのはー、と言うのだろうけど
言語何かもそうだけど、何で言語が消えるのかはピジンができないからであり、結局はそれで商売できるのかという事でしかないの
そこから考えるように文化というものは「実用性」によって消える用な代物でしかないのよ
言い方を変えれば、日本のような高度に翻訳文化が発生した土地は様々な文明をつまみ食いした文化を作り出すのが容易いという事でもあるのね だから、文化が素晴らしいというよりも何時でも・如何様にも文明を自由に選択できるというのが強みなわけでそれは文明を盾に文化を守っているとも言える
なので、どっかの文明に被れる必要がないのだからさっさと様々な文明を総合研究して自家薬籠中みたいなものを作り出せばいいわけ
所謂、西洋文化も中華文明もインド文明もイスラーム文明もギリシャ文明も日本にはクソだってわかった・わかっているのなら勝手に作ればいいわけ、ちょー簡単でしょ
思想的に独立するというのはこういう事で思想が独立していれば、文化は不動なの
だから、文化が不動な人々は他の文明は利用しても文化は動かないわけだから、何処にいたって己の中にあるとらわれるべきものは不動なわけ
これが文化を守る魔法でこの魔法はオカルトではなく、反証・合理・論理なのさ
だから、儀式や物質では文化を守ることはできないし、それを守る事が文化を守る事ではないのよ
文化を守るというのはその社会の独立した行動様式を守る事であって、それを弄られると独立した動きができなくなり まるでおもちゃの様に操られては不要になれば捨てられるわけ、でそうなっているよね?
なので、博物学的な英国面・石屋面に堕ちたこと自体が悪の根源なわけ
でも、簡単にそれは捨てれるんだよ?
何でかというと、日本は大量に「自国の言葉と意味で解釈し」翻訳されている古典が腐るほどあるから
なので、困ったら古典を読めばいいし、簡単に帰られるわけこれってかなりの利点なんだよ
例えば、ウルドゥー語やパシュトゥーン語なんかはカントやデカルトですら碌に翻訳されていないし、全部英語となるわけ 但し、英語となるともちろん「英語風の解釈で汚染」されているわけでそこにはその言語独自の意味で解釈されていないわけ その時点でその文化はかなり弱いわけなのだよ
でも、パシュトゥーン人何かがそれでも独自の文化を守れているのはその文化が絶対であり・固定化された生活だからで不動な軸を持っている上に物理的に強い人達だからというのもあるわけ
文化を維持するというのは物理的強さと集団性が必要なのだけど、それは当然ファシズム如きの下らないものではない
そもそも、こういったものを現代の学術的方便で言い回す事が大間違いでファシズムや社会主義という単語以前に彼らはその様な生活をしてきたわけだから、そういった単語で表現する事が意味なく・大間違いなのね
なので、こういった単語はそういう風に見える程度の意味合い以上は持たないし、持てない
なので、そういう風に見える程度の意味合いしかない言葉をそうなければならないとか、それが彼等の固有の文化なんて誇大妄想に取り憑かれる事が迷妄そのものでしかないの
それって、最初商人が来て・やそ乞食が来て・最後に軍隊が来るの精神版なの
だから、左翼というのは文化侵略の手羽先なのよ
それで発生した右翼という発想も文化侵略の手羽先から守るという思想が発生した時点で二元論が発生し、文化探しを始めては物質や儀式としての文化を見つけては己の固有というのを見つけだそうと躍起になるわけ
で、記号化された固有というのは博物でしかないのよ、その時点で完全敗北なのよ
そう考えると西洋の豚共は邪悪で悪辣な流石邪教を捏造するその性癖には驚きを隠せない
イスラームではوطن バタンやأمة ウンマというのには二つ意味がある、
一つは己が属している母集団=故郷と
二つは必ず帰る元がある=イスラームがあり
形而上と形而下で両方の意味での母集団があると見る
なので、形而上での帰る元を想定しない限りは永続的な循環論が続くだけで意味がない
それで捏造したのがヤソ多神教なのだけど、これが大失敗
だって啓典もねえ、預言者がいねえ、思想もねえ、そんなゴミ以下のケツ拭く紙にもならないものを前提にしたので絶望な迄に大失敗したわけ
せめて、仏教か儒教を前提にした上で捏造すりゃ良かったのにただの少しは利口な革命戦士には脳内妄想を外部化するだけの能力がなかったんだろうし、あれってただの英国とフランスの代理戦争以外の意味がないからそこまで手が回らなかったのだろうね
なので、皇道立教会みたいなもん作ったのだけどね
なので、ぜーんーぶ物質で誤魔化したwww
ヤスクンニ神社や軍珍神社みたいな象徴もテンちゃんという物質もテンちゃんだけがする儀式も皇族という象徴もぜーんーぶ物質で物神をこねこねシコシコ作って誤魔化したわけ
で、右も左も物神に取り憑かれているでしょ?
なので、イスラームは全否定すんの
象徴が何故に絶対悪なのかというと、それ自体に全く全然意味がないのにそこに無益に意味を与えてしまうからなんだよ
但し、アッラーがそういう風に作ったのは知恵と知識というものの副産物であり、やっぱりそういう風に認識してしまうのだからそれを外部化するのはやめましょうというのよ
物事って、至極単純で明快で完結しているの もし、そうじゃないのならどっかが間違っているのではなく根本が間違っている事を疑ったほうが早い
確実に土台のどっかが大間違いだから、上に立ち上げているものがズレているわけ
なので、困ったら土台を調べる事 これ以外の方法はまずないです


〔 ピジン言語(Pidgin language、単にPidgin)とは、異言語間の意思疎通のために簡略化された接触用言語。

社会言語学たん ‏@socioling_tan 2016年12月1日
ピジンの具体例はたくさんあるけど、例えばハワイに移住した日系人のピジン英語(英語+日本語)、旧満州国でのピジン日本語(日本語+中国語)などが挙げられるわ。ピジンはベースとなった言語より文法などが簡略化されているのが大きな特徴よ。これを母語とする人間が現れると、クレオールになるわ。

木村接骨院 ‏@kimuraseikotuin 2月9日
ピジンが話されている環境で育った子どもたちが、ピジンをまねするのではなく、一貫性のある文法規則を備えた言語を自然に生み出し…中略…
こうして子どもたちが使うようになった独自の言語を、「クレオール」といい、この現象を「クレオール化」と言う。
─酒井邦嘉『言語の脳科学』p279〕

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2月13日
イスラームに存在するのは解釈で解釈全てです
しかも、解釈しその宗教令に辿り着くまでには
アラビア語の語形論サルフとナフブ
クルアーンの読み方と暗記
教条論・アガーエド
ルバイアート・伝承・物語・逸話
歴史とその解釈
の上に科学的知識が入るのでアフカームはイスラームの結晶です

即ち、宗教令を蔑ろするというのは結晶を蔑ろにするのと同じなのですが西洋的な自由思想・実態はただの相対主義に汚染されはじめているのでそれに毒されたバカがしょっちゅうお粗末な宗教令を出す事で信頼がガンガン下がっているのです 例えば、ポケモンGOの話

アズハル大学の学者はポケモンGOをシルク・多神教崇拝とかボケた事を抜かして、失笑されましたがシーア派12イマーム派ウスール学派のイランの学者は単純に社会影響が大きいという社会悪に決めて禁止しました 前者は典型的なローマ法・後者は中国とかでは典型的な社会統治論とかけ離れているのです
イスラームは社会統治論と社会道徳論と社会救済論と社会規範論すべてを合流させたものでそれはあっらーの力と知が生きているから、こういったものが出てきたのです で、それは全て完全に論理・反証・合理で説明されるもので神秘というのはクルアーンと預言者と指導者達の存在で担保されているのです

だんから、イランは憎まれる そりゃそうさ、表面上共産主義にして中身は儒等の合理的社会統治論に変え切った中国と違って、イランは表も裏も社会統治論でやっているから、大量にデマが流される まあ、極右もいるけど、正直他の極右よりもかなり冷静で馬鹿ではないというか極右って学者集団だからね
イランにおいては極左も極右もどっちも学者集団なので活動家というより、学者同士の喧嘩というのが本当のところ しかも、博士とってとかではなくてそこから何十年も学問やっている人が右・左に分かれている訳なのでこれも他の国のレベルとはかけ離れた世界なの、想像ができないだろうけどね

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2月14日
イランの薬草学凄い
こいつら食虫植物まで薬草にするし、ケシでシロップ作ったりするし、しかもその作り方が平然と書いてあるから真似できる
朝顔科の植物の花を干したものを15分1リットルの水で煮出して、すぐ様取り除いてこしたものに500gの砂糖かはちみつを混ぜてシロップ作ると書いてある

不眠症の食餌療法とか書いてあって、夜の8時・10時くらいにはこういったものを食べたり、逆に食べるなと書いてあって これが1000pくらいのイランの薬草学百科事典につらつらと書いてある うん、やっぱりあるよ不思議な知識体系と実践思想 多分、他の分野でも発掘すればあると思う

しかも、よくわからないのがニンニクジュースとか、香菜ジュースとか、玉ねぎジュースとか書いてあって他にもイマームサーデック(ع)の伝承を取り上げて野菜や果物の効能についても書かれている うん、やっぱり大学者の知識というものは制限がないから、大学者なのだろうね かなり興奮・驚いた

おねショタ魔法使い初級おじさん ‏@douteimaturi 2月19日
凄い知識や発想というのは石のようにころがっている
石だから拾うものはないが拾うものにとっては如何なる貴金属・宝石に比べる事ができないほどの宝である、宝はものではない
常に認識という叡智の中にしかない

理性は超能力なのだけど、その理性をバンバカ簡単に使えてしかも時には閃きがやってきて世界に光明をついつい差してしまえるようになるには一つのお約束を徹底すればいいだけです
そのお約束が「善悪の判断と基準を確定させる事」これが守れれば、理性や閃きはバンバンやってきます、バンバンです

それでも降ってこない場合はその善悪は相対善・相対悪でしかなく、絶対善・絶対悪ではないという事です
まだまだ、削ったりする事が出来る部分があるという事実なのです
最悪なのは相対善・相対悪を絶対悪・絶対善と決めつける事ですね、
これすると永続に迷いますので形而上を否定するのが無難です

なので、日本で一番資料があって・翻訳されていて・読みやすいのは
形而上をするのであれば孔子・孟子・荀子・朱子・陽明学をやるのが無難で
形而上を絶対殺戮する気なら唯識などの古典仏教と臨済さんとかの古い禅のおっしょさんの文献に当たるのがいいでしょう
それ以外は何一つオススメしません

形而上をやるのなら、本当に良い先生に当たらなきゃいけないけど、
殺すのであれば独学でできます
というかできちゃったからお釈迦様が現れちゃったのだけどね
まあ、お釈迦様が善の化身みたいのを見たとあるけど
あれは後世の真っ赤な嘘ね
だって、生涯形而上的なものを否定した人が見るわけねえじゃん

正しくは無記だけど そういった存在がそういったものを前提に語る事はないわけで
それは無記というのをとった存在の思考ではないのね
そもそも、この世界が悪くなっているのは完全悪が蔓延しているわけで
その完全悪は相対善・相対悪の積み重ねによって誕生したとんでもない奇形児なの

つまり、相対善と相対悪を積み重ねて出てくる結論は簡単で
己以外悪・己だけ善
または己の集団が善・それ以外は悪
という相互が悪と断定する事で全ての存在が悪として戦い出すので
何かはそれだけは絶対に避けるために悪魔を創造したのだけど、
悪魔はあくまでも同じ宗教を信じるものの中にしかいないの

何故なら、悪魔は基本信じているものにしか近づかないし、
ハナから迷っているものはずーっと迷い続けているのだから放置しているの
そういうと「何か」は無力だと完全悪に浸った連中は言うがその為に永続の地獄と天国を用意したわけ
神学って、人間が考える程度の事はちゃんと潰しているから神学なの

ここでわかるだろうけど、宗教を信じないや無神論とか言う人達は完全悪の存在なわけ
これらは己の功利に当たるものだけが善、それ以外は絶対悪と考えているわけで
そのような連中をサイコパスというわけでサイコパスは完全悪な存在なの、
悪魔はサイコパスには近づかないのだって完全悪そのものだからだ

むしろ、シャイターンや悪魔は人を惑わすだけだが完全悪は人間に実害を与える
なので、神学はその完全悪なる悪魔よりも恐ろしい存在が発生させないための防御手段であり
その為に「何か」は法・宗教というものを与えたのです
勿論、人間は自由な存在なので完全悪を発生させる能力と抑える能力があるの

はっきり言うと日本というのは完全悪な社会です、
完全悪の社会では人間は生存できません
ホッブスが懸念したものはこの現代の日本というところで出てきたわけなのです
なので、もしこの地上で一片足りとも光明が差していない社会というのは日本だけでしょう
こればかりは如何なる例外もありません

仏教の弱い所はここで人間は形而上が無くとも広義の宗教を見つけるといいますが、
それは本当に漢字の意味での宗族の教えとなり集団の功利と功利がぶつかるだけの世界になります
んで、それを歴史として顕現したのが中国史なわけで彼等が何故に儒を用いあのような思想体系を産み出したのはその理由です
下は宗族でぶち殺しあっているが
せめて同じ認識を共有する者達だけは殺しあったり、
害をなさないようにしようというお約束が俗習の上にある儒なのです
全ての知識や発見というのは勿論、用意されているのですが
必要によって見つけるのです
歴史という形而下はその意味で最強で強固なものなのです








おねショタ魔法使い初級おじさん‏@douteimaturi 2月22日
知識は工具みたいなもん
工具は一杯あって、一つ一つ使い方があるように使い方と道具は一緒なの
だから、プラスドライバーでプラスのネジを開けるわけで場合によってはマイナスドライバーでネジも開けられるけど、正しい使い方ではないのね
でも、開けられるわけでその感覚が大切なの

しかし、小さいドライバーでは大きい穴や大きいネジは開けられないし、逆も然りなの よくあるユダヤがーとか、中国がーというのは大きいプラスドライバーみたいなものでそれで開けられるネジは少ないわけ、但し何かをぶち壊す事は出来るわけで殆どの人はその破壊と破壊力を楽しんでいるだけなの

で、よく工具セットとかってあるでしょ? あれが哲学とか、神学なのだけど工具セットにも色々なものがあって道具が完備されていて何時でも整備出来、小さいものから大きいものまで何でもできるのもあれば逆に全部サビてたり、工具自体が壊れているものもあるのなのでそこに警戒しないとダメ
では、良い工具というのは長い間使われていて、壊れないものであるという鉄則を守れば古い哲学や神学をやるのがお約束なわけ 物事って至極単純なんだ、問題なのは常にその使い方で使い方を間違えたり・わからないとバールのようなもので破壊しか出来ないわけ、で今起きている事は正にそれなわけだ

工具で開けたり・閉じたりできるというのは人間が作ったものでなければ出来ないわけ 明らかに人間が作ってないもの・わからないものは工具の使いようがないわけでそれは触れる必要がない=仏教、工具を開発しよう=形而上を想定した哲学・神学なわけ だから、使う工具が目的によって違うのさね
そういう意味では特定の宗教ではない・工具箱の大きさが限られていない、翻訳文献が大量にある・工具の設計図と説明書が膨大にある社会というのは幾らでも工具セットを作りたい放題できるわけ これって、とんでも無い程の利点なのだけどコレに気づかないという事はその程度でしかないという事だ

おねショタ魔法使い初級おじさん‏@douteimaturi 2月23日
組織で大切なのは個人を追う意味は全くないこと
大切なのはその連中が集まった時に何の目的と議題を共有しているかであること
おいら、個人について話さないでしょ?
それは固有名詞を無駄に増やしてもしょうがないのと
固有名詞というのは魔術の塊だから、
それについて言わないのが簡単な白魔術なんよ
それにもっと厳しいことを言うと固有名詞を追うことは無駄、
本当に上から下の社会であるなら
一日に三回は上からの命令が変わると思っていれば、
組織やその組織同士の繋がりを見る事は無意味で
上というものは勿論所謂組織ではなく、同じ認識なので組織や個人を追うことは全く無意味と簡単にわかる

なので、同じ認識を共有しているという事が重要で
認識の後に組織が出来るから、
まず認識を踏まえる事だけが全て
ただ、ハッキリ言っとくけど認識が共有されていても物質で繋がっている連中は
物質での上下にはかなりの乖離があるということ
例えば容姿・知識・見識で位があるようなもん

なので、そういう不純な連中を知ったところで博物的な知識でしかないのよ
おいらがこういう事を追う事のをやめたのは
形而下を追ったとしても形而下で上位のもの歴史や心理を追う事に意味はあっても、
下位の組織論を追っても大した事が見つからない癖に直接危険があるから意味がないわけよ

こういうのを「金にしかならない、物質にしか変換しない知識」なわけ、
だから過去の人は金にしかならない知識を道具として使っても、
それを最上の知識とは思わなかったのよ
所詮、道具は道具でしかないからね なので、
この感覚を持っている形而上的知識はすべてを統括・支配するのよ


おねショタ魔法使い初級おじさん‏@douteimaturi 2017年2月26日
物事の単純な解決法としては二つです
逃げるか殺すです
逃げられるのであれば、徹底的に逃げる
逃げられないのであれば、殺す・殺し尽くすしかありません
如何なる社会運動でも究極的に逃げる・殺す以外の選択肢がない社会運動は偽物です
同じことを度々言っていますが備忘録として書いておきます

自然法則だけではただの創造物でしかないのです、
そこに一定の規範を与えたことでやっと統治が始まるわけでそれが何かの公平に繋がるのです
シーア派12イマーム派ウスール学派ではعدالت 公平の中にはشرعتی 規範・法とتکوینی 創造が存在すると考えられています

法や規範は人間も作り出せますが創造に関しては何かだけの特性となります
但し、その創造の痕跡を探す事ができるのは現状人類だけであり、
その特性が全ての存在と人間の差でもあるわけです
動物は本能だけで精霊や天使・悪魔は力はありますが善・悪しかありません
人間は本能と善悪二つ持っている
わけで性質を他の存在よりも多く持っているのは人間だけに与えられた特性であるわけです
つまり、人間にとっての自然というのは動物とは完全に隔絶され、
また善悪を超えた・普遍的な真理とされるものを探求することにあるのです
それが何かから与えられた人間が唯一持っている自然なのです

人間の自然はさまざまな存在の正体を探る事であり、それは形而下の現象の事ではありません
自然というのは何かが創り出した力や知恵の根源を探る事なのです
これが人間にとっての大自然なのです
何で、人間はどこにあろうとも何かの知恵の痕跡の中に存在するので何処でも自然でしかないのです

なぜに何かが人間にシャリーアを与えたのかといえば、単純に人間が人間を支配する為の法であるならば恣意的要素しか入らないからです
しかし、超越した何かの法であればそれは絶対に公平です
ストア学派の失敗は絶対公平を発見することが出来なかった、全てはここに尽きるわけです

イスラームにおいての人間規定は制限能力者と能力者の違いがあります
例えば、ダウン症や自閉症のように産まれから欠格事由がある存在は様々な義務が免責されていますので
彼等は天国へ行く事が確定していますが
能力者はそうではなく
知恵とモノを知れるという時点で能力分せねばならないのです

これはウマイヤ朝の失敗が関与しており、アラビア語においてのバルバロイのような事を言って差別して、
結果として自滅したという部分からの反省でもあり
また、預言者(ص)は伝承の中で白だろうが、黒だろうが最も信仰するものだけが尊いと仰られておるので
そこからも優生的観点は否定されます

むしろ、関係なく人を含んで行ったのが現代のまで続く拡張であるので
知恵がない人種は存在しないというの大前提です
当然、理解の幅・仕方の幅はあります
但し、それは何かが根拠があって創造したのであるから、
その多様性をイスラームが否定する事は絶対にありえません
それは創造の否定ですから

なので、私が大本みたいのを全否定するのは何かの創造が何故に多様させたのかについて思考しないからです
全ては一つといっても、それはまずその一つが何かを考えた上で多様が矛盾せずにあるのかを考えないからです
で、何かの法というのは動きません・不動であるから法であり、動くものは方便です

人類が凄いのは不動の発見であり、その不動というのは死や生などの現象には存在しないと見つけた事なのです
ここで付け足すなら、人間は不死であるというのを発見したのがインド哲学であり、不死であるからこそ解脱せねばならなかったわけでそれを教義化したのが唯一の発見だったのです
であるならば、宗教思想や痕跡を探るのであれば地中海からインドまでの宗教思想を理解していないと何故に唯一を発見したのか、何故に繰り返す生から離れようとしたのかがわかりません
そう考えると中華というものは世界の端なのに独立した思想を作り出したというのは非常に異様な事なのです












おねショタ魔法使い初級おじさん‏@douteimaturi 2017年2月27日
DQNというが男なら、美意識につけこんで孫子辺りを読ます事は簡単で
実社会でどういう風に使うかもチャンと説明すれば彼等は納得する
問題は女
女に関しては正直無理、
何故ならまず語彙を得ようという美意識がないのが多い
で、唯物でしかないので思考や思想による優位という発想がない

女には統治論が不要で連中に必要なのは状況優位でしかない事
状況優位というのは朝礼暮改の社会であり、それだけでは成立しない
中東は法や規範が一日五回変わる事がある社会だが、
それが可能なのは絶対的なる規範が存在する事によって成り立っているので
ローマ法だけではないから成立するのです

よく社会は男性的・女性的という連中が多いが
中東というのは男女の役割が確立して動かないので両性社会です
本来は女性的・男性的と言っている連中の程度が知れるものなのですが、
全ての存在が仕事を与えられているのでそのような社会では
性による仕事が確定されています、なので単性なんてないのです

なので、両性社会でなければ・性による立場が確立していない社会というのは
無政府状態・無統治状態という事でしかなく、
それは何かが性をわざわざ作った理由にならないのです
故に現代社会・西洋文化に汚染された社会というのは無政府・無統治状態でしかないので
それを前提にした政治何て無意味です

神智政治というのは両性社会であり、役割の分担と配分がしっかと確立された世界であり、
そこには虚飾性が一分足りとも入らないのです
入ったとしても状況によって飾る必要がある時だけであり、
それすらも礼儀と規範によって確定されているものなので虚しい物ではなく、意味しかないのです

神学はこの世界が「意味しかない世界と認知してから始まりです」
意味がないものを何かが創造する事はなく、
この世界は人間が不要と思うものですら、何かしらの要があるのです
老子や荘子の要という発想も神学の基礎であり、
全ての思想や学問の基礎は要しかないという前提であり、それが神学なのです

リンゴは北部コーカサスが原産でこの時期、イランではリンゴとみかんが大量に出回ります
因みにイランは北と南で気候差が激しいので北部ではりんごが南部では棗やしとか普通に取れます
しいていうなれば、バナナはとれないみたいでバナナだけはパキスタン辺りからの輸入らしいと聞きました

おねショタ魔法使い初級おじさん‏@douteimaturi 2017年2月28日
http://jamali.info/simorgh/zalezar-ya-zardosht-azmayesh-kardan-az-ruzgar/ …
えーとね、これはزالペルシャ語でアルビノを指す単語なのだけど
ここにあるزال زرというのが どうやら ザラトーシュトラを意味するみたいで直訳すると古い金になるのね
で、زال زر というのは 最上の人間を意味するみたい

で、زرتشت というのは導き者なので預言者を意味して、多分意味したいところ唯一の預言者として唯一な何かにイランへ送られた存在でシーマルグを何なのかわからないが「全ての人間に時間を教えた」と書いてある どうやら、このサイトはゾロアスターについて詳しい人が書いてるみたい

取り敢えず赤くなっているところだけ 次にザールザルزال زرの唯一なる何かは直訳すると看護婦・しかしここでは実の母ではなく乳母で「ザールザルの唯一なる何かは乳母であり、教師・先生ではない」しかし後に世界と時間を教える彼の先生、または乳母となると書いてある

で、下の赤は「イランの文化として、絵画乳を与える乳母を描く」と書いてあり アレに関係してすべての人間に関与する、時間・人々・世界と書いてある 一応、グーグル翻訳で見たけどある程度は意味がとれるからそのままかけて平気だと思う

ちょっと個人的には部分・部分わかるけど、全体的に意味を取ることはまだできないな 正直、多分この文章はゾロアスター教の基礎を知っている上での文章だから、こっちのゾロアスターについての基礎教本を探して、読んで、理解した後のものかな うーん…暇を見つけたら怪しいもの探しに行こう…。

直感的にザルトーシュトラはアルビノだった可能性がある زالی で、アルビノの人を指すのでもし関係しているのなら、名前がそのまま表していると想定したら またはザラトーシュトラがいた、場所はタジク人とか混じっているので髪は黒いが肌はイラン人と比べて白いのでそれもあるかもしれない

結社員で固定化した発想する連中は下位です
上位は白魔術と黒魔術を自在に操れる
・言葉の効用と反作用を知って使える
ので高須のおっさんは下位の下位
・そもそも、上位は固有名詞を使わないし
・使われないし結社員のお約束から放たれている、
下位が知らない存在が本当に上位なのです

なので、私が本当に結社員の上位の存在であるなら、
結社員の決まり事を知らないふりをして試すでしょう
むしろ、他人を試せる存在というのが絶対上位者の立場であって、
いつの時代も絶対上位者というのは下位のものを試すわけです
それは神学にしろ、伝承にしろ、古典の逸話にしろ全部同じです

だから、よく結社員の決まり事みたいな象徴がネットでよー出て来ますが
あれはある一定の地位者同士での下位と上位でしかないでしょう
いいですか、本当に上位者というのは決まりを創る存在です、
その決まりを堅守しているというのは上位者でありません
上位者は上と下から全部を見れる存在なのです

上位者というのは解釈できる存在です
なので、解釈に従っている存在は結社員の上位者でない事は単純に見据えるのです
つうか、解釈できるようになって一人前なのでまだ下の中ですが
殆どが下の下の下であるので
結社員というのはそういった奴隷以下の虫けら層が大量にいるので幾らでも誤魔化せるのです

因みに高須のオッサンは虫けら層で一生虫けら層でしょう
ああいった結社というのは何代か経て、一定の貢献を続けていないと上に上がれない、
秘跡を得る事が出来ないので一生虫けら層でしょうね
それは東京の小中学校のPTA会長が地元に住んで15代目とかから選ばれるのと全く同じです

相続税を廃さないのもコレが理由です
即ち、自分達以外の結社・地元の血族的繋がりを否定してすり潰して逃散させるのが目的であり
GHQの土地改革も結社という視点から見れば、
血族的結社の破壊が目的という視点で見ることができるのです
相続税は日露戦争からですよね?
はい、そういう事です

つまり、反乱とかしながらも残っていた血族的結社を破壊するために
死ぬと国によって強制的にタワケさせられるのが相続税なわけです
当時は税が重くなかったとか言うでしょうけど、
日常的に殺し合いの運動していた時代ですから国が金や土地を毟るのに躊躇するのは当たり前です

だから、私がしつこく言うように不満があるなら、役所や省庁を焼き討ちすればいいのです
税が重いなら、国税庁や総務省を片っ端から焼き討ってデータサーバーから何から何まで破壊しきって納税関係のデータを消しちまえばいいのです
実際、史記で蕭何が秦の首都で書簡回収したのはそれが理由です

度々、中国史で戦乱が起きると税庫が焼かれる・焼くのはこれが理由です
なので、焼けばいいのです
何も人間が繰り返してきた「自然な営み」なのです、
小・大便をする・子作りする・ご飯を食べる
・困ったから困っているもの同士集まって役人を殺戮して、書類を焼く・非常に自然な行為なのです

私が言っているのは歴史的事実であり、それは必ず起こるという事でしかありません
革命とか、そんな大層な方便じゃないんです
困窮民が日常道具を持って・集まって・殺して・破壊するたったそれだけの事だから恐ろしいのです
これを起こさせない為に結社を解体し、無力化させたのです

小澤 祥司‏ @ozawashoji 2015年12月15日

年末調整で一喜一憂される方もいるかと思いますが、源泉徴収制度が1940年に戦費調達を確実に効率よく行うため始まったことをお忘れなく。
日清戦争の時には所得税の増税、日露戦争時は酒税と相続税、増税はつねに戦争とともにあり、一度できた税は二度となくならないんです。

宇宙人ぶー‏ @Bu_uuu 2016年1月8日

例えば、日本では、日清戦争では所得税、日露戦争では相続税、大東亜戦争では、源泉徴収税が、それぞれの戦費を調達するために導入された。そして次は「消費税」が導入された←いまここ http://fidelcastro01.seesaa.net/article/399961226.html …



おねショタ魔法使い初級おじさん‏ @douteimaturi 2017年2月28日

うーん、ただの文化紹介的なサイトだったみたい
やっぱり、物を探さないとだめだなぁ…。

うーん、سیمرغ というのはキメラみたいなものなにだけど 象徴ではなく、あれは人間の知恵の一部みたいなものであると言われた あーやっぱり、イスラームは象徴に囚われずに無意味又は性質を問うように考えるように出来ているし、製造元はあれが性質の塊である事を理解しているわ、敵わんね

象徴というのはアレ自体が何か意味するところ、何かの性質でしかないので彼等自身の性質を理解していないと象徴の意味と性質がわからない で、よく共通性とか言われるけど、大陸である以上は影響があるし、また同時発生もありうるので共通性で無理矢理結びつける事は無意味で性質だけを問うべきなの

だから、象徴学辞典がぐちゃぐちゃなのは当然の事なわけでアレはその集団の特性と性質を理解していない限りは象徴同士で結ぶことは出来ないというか、象徴はその集団の性質と特性でしかないので違う集団の象徴同士つなげる事は無意味で繋がる事は絶対にないの うわー、ひっでぇなんだそりゃ

即ち、西洋的な分類学だと象徴の共通性や固有性やらとかを探そうとするけど、全体的に見てあれは性質を顕現したものと見れば、彼等を表す印以上の意味がないの 所詮、影響されあった性質・自家化した印でしかないので追うのであれば彼らの性質を知るためのモノでしかない 西洋魔術完全死亡ひっでぇー


――
お読みくださり感謝しますが、この人のツイートを直接お読みくだされば幸いです。
スポンサーサイト
未分類  :  trackback 0   :  comment 1   

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

# |  | 2017.02.27 21:02  edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yomenainickname.blog.fc2.com/tb.php/137-c3e44fed
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)