読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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空をまなぶならミリンダ王だね 

随時追加予定 ぶろぐったー は誤字脱字すら治すつもりなし  聖書したり増補したものは将来の記事に飛んで登場するであろう。つまり忘れぬためのメモなのじゃ

仏教は、「ある」と「ない」の二元論じゃないのが中核。
「ある」にも最低でも二種類の「ある」がある。
「ない」にも最低でも二種類の「ない」がある。



映画やドラマの陰陽師、指導多し☆高橋圭也‏@Keiya_Takahashi
江戸時代初期は何でも神道ブームの時代で儒学者・林羅山の理当心地神道や朱子学者(儒学の一種)の山崎闇斎の垂加神道などが生まれ、土御門安倍家は吉田神道を取入れ、後に垂加神道の影響で陰陽道を神道化した。だが実はこの時代の神道は仏教や儒教、道教などの影響が非常に濃いゴチャ混ぜ状態だった。
戦国時代末に衰えた陰陽道を土御門安倍家は吉田神道によって再編し、後に江戸時代の儒学でも何でも神道化する神道ブームの際、山崎闇斎の垂加神道などの影響で陰陽道を神道化した。だが、それ以前の陰陽道は道教が混入した密教経典等を参考にして陰陽道祭祀を作ったから、密教的観点からの再考も重要。

「賀茂保憲や安倍晴明の陰陽道の技術を現在も伝えている」という所があるそうだ。だが賀茂本家は戦国時代に断絶し、安倍家は豊臣秀次の事件に関係したとされ、秀吉の怒りを買って島流しにされて陰陽道の技術や資料の多くを失って江戸時代に吉田神道を学んで作り直したから、信用するのはちょっと無理。

氏家法雄‏@ujikenorio 2012年6月27日

興味深いもう一つは、キリシタン批判の吉田神道から受洗者がでているという話題(知りませんでした。吉田兼右の甥・清原枝賢、さらにその娘(伊与局)が入信、伊与局が細川ガラシャを信仰に導くことになる。伊藤聡『神道とは何か』、253-254頁。

ken‏@kenkatap 2013年5月9日

吉田神道の正体【匿名党 http://tokumei10.blogspot.jp/2011/12/blog-post_18.html … ▼清原枝賢は公卿であったが 唯一神道とうを唱えた吉田兼倶の曾孫▼ロレンソに説き伏されて キリシタンに改宗▼娘・清原マリアは細川忠興夫人に侍女として仕え、セスペデス司祭の指導の下にガラシャの霊名で洗礼を授けた。

世界史bot(古代〜近代)‏@World_h_bot 2月19日

【ベネディクトス戒律】ベネディクトスがモンテ=カシノに開いた修道院を筆頭に修道院が増える。モットーは「清貧・純潔・服従」合言葉は「祈り、働け」

(奴隷への命令かな?
金を持つな、セックスするな、従え、信仰しろ、働け)


燈火‏@to_moshibi 2月22日

個人的に考えている歴史の教科書に載せるべきもの

・一国を統べる者が血の繫がらない有徳者へと位を譲る話
・書物など文化面での時代ごとの伝播図と年表
・宗派の発生や学派の系統などの、宗教や思想の全体の流れ
・歴史上に見られる地位継承の方法や統治理論
・世紀ごとの交易路を示した図や表



蜜蜂の八の字ダンスって結社大好きシンボル満載だな
蜜蜂と八jの事アナレンマ太陽軌道

 なにか人に注意をするときは、直前にほめることだ。それが露骨なお世辞であっても、その後の悪印象を薄めてくれる。私たちはほめられた後では、苦言を苦言と感じにくくなる。
素晴らしいな。
言っている人が読図なのは置いといて。

横山紘一『阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門』(幻冬舎新書、2011年(平成23年))




と見rんだ王のやつ読んだらここに追加する予定





みづはし ‏@the_tenth_art 2015年8月9日
デカルトは意識は松果体にあると言った。これは何でも物事を区分けして考えようとするアリストテレス以来の西洋哲学の悪癖。インド哲学では、ミリンダ王の問いに見られるように一つ一つに分解せずに物事を総体として見る考えがあった。車を車たらしめているのは車輪でも座席でもない。全体が車なのだ。

T-T ‏@TT32768 2010年10月1日
大乗仏教の「ミリンダ王の問い」では「車輪、イス、その他、どれが車か?」と問われ「どれも車ではない」と答え「手、足、体、どれが私か?」と問われ「どれも私ではない」と答え、「ならば私とは何か?」「それらの集まりだ」つまり「すべての名は「仮」のものだ」とする。多一論もそういうものか。

蒼穹のカウパー ‏@shiomura_kojin 1月20日
ミリンダ王の問い、開幕から「坊さん(偉い)がミリンダ王の前世にゴミを捨てるよう命令するも無視したので殴られ、異常に怯えながらゴミを捨てる」だったので腹を抱えて笑ってる。

ミリンダ王の問いに代表される空
http://libpsy.com/mirinda-kuu/4054/
”この世に存在するものは全て実体はない。

すべて因縁によって存在するようになったのが「空」です。

つまり『色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)』(この世界の森羅万象は空で、しかも森羅万象は空から発生する)のです。
(…)
この理解が難解至極のために、ヨーロッパの学者からも、仏教内でさえも仏教は「ニヒリズム(虚無主義)、無神論、否定主義」などと批判された歴史があります。
(…)
西洋の論理の伝統であるアリストテレス論理(形式論理学)以来の実在論によれば、有か無かどちらかしかないのです。

しかし、ナーガールジュナが著(あら)わしたインド大乗仏教中観派における空の理論の「空観」。そして彼の代表著作の「中論」。
これらでは「有」とともに「無」をも否定しています。

ここに分かりやすい日本の事例をいくつか挙げておきます。

●江戸時代前期の臨済宗の僧の至道無難(しどうぶなん:1603~1673)は
「草木国土、悉皆成仏」(仮名法語)と歌っています。

『草木も 国土もさらに なかりけり ほとけといふも なおなかりける』

ここでは「仏はいない」と仏教僧が公然と言っています。

●浄土宗の開祖の法然(1133~1212)も「空」が難解すぎて全く理解できず、臨済宗の開祖の栄西(1141~1215)に仏について質問しました。その際に栄西は、

『仏などいない、いるのは狸と狐ばかりである』

と言いました。

キリスト教の宣教師が、江戸時代に日本に来た時に日本の僧侶が仏像を拝むのを見て、
「仏なんかは塵芥(ちくありた:チリ、ゴミ)だ」と僧を批判しました。
キリスト教では愚像崇拝はいけないことだ、と頭から決め込んでいるのです。
しかし、僧は『仰るとおり、仏など塵(ゴミ)に過ぎない』と言って一喝したというエピソードがあります。
「神はあるか?」と問われれば、(ギリシャのアリストテレスの)形式論理学で言えば「ある」「ない」の二つしかない。
キリスト教やイスラム教では「ある」と答えないと信者にはなれない。
「ない」と答えれば無神論者になる。
しかし仏教では「仏はない」「仏なんぞ塵芥(ゴミ)にすぎない」と答えても立派に仏教徒でありうる。


●愚管抄の著者の慈円(1155~1225)は、

『ひきよせて むすべば柴の 庵にて とくればもとの 野はらなりけり』

と歌っています。これも「空」の歌です。
庵(いおり)とは草木で結んで作った質素な小屋のことで、僧や世捨て人が仮住まいとしていたものです。庵は「建築する」のではなく「結ぶ」と言ったのです。その辺の柴をかき寄せてて結んで作って庵、もし結び目を解いてしまえばそこには何もない。
結べば庵はある。結び目を解けば庵はない。
したがって、あるといえばあるし、ないといえばない。
庵はもともと存在しなかった。が、空(非実在性)は実在を生み出す。
結びさえすれば庵ができる。
庵は存在せず「無」。柴を結んで「有」になる(=空即是色)。結びを解けば庵はなくなる(=色即是空)。


●豊臣秀吉の辞世の句では、

『露(つゆ)と落ち 露と消えぬる わが身かな 浪華(なにわ)のことは 夢のまた夢』

と歌われました。夢とは実在ではないが、夢を見ているときは確かに存在していると思っている。秀吉は貧しい農家で生まれ、足軽、侍大将、摂政関白にまでなったことは現実のことなのか、夢ではいけないのか、現実と思うことが誤りではないのか。すべては仮説ではないのか。
・・空と唯識に対しての大変深い理解をうかがえます。

●織田信長が好んで舞った、能の「敦盛(あつもり)」の、

『人間(じんかん)五十年 下天のうちに比べれば 夢幻のごとくなり』

・・これも空とも考えられます。

●戦国大名の大内義隆(1507~1551)が家臣の陶晴腎(1521~1522)に襲われて殺された折りの辞世の句

『討つものも 討たるるものも もろともに 如露亦如電(にょろやくにょでん) 応作如是観(おうさぜにょぜかん)』

討つ側(陶側)と討たれる側(義隆ら)も、露が落ちるように、また、稲光が一瞬の閃光とともに消え去るように、変転果てしが無いこの世の万物の理である。それは、仏が種々に実身を変幻し、他の容を示現する作業と同じことであろう。私は、これらの事を、ありのままに観じ、自己を捨て去ろう。
・・これも同じく空です。

龍樹(ナーガールジュナ)の空の理論を、
古代ギリシャ哲学のアリストテレスの形式論理学を超えたという意味で
『超論理学』と呼びます。

こう呼ばれるのに至ったにも、西方の形式論理学と、東方の超論理学が正面対決したエピソードがあります。
それが「ミリンダ王の問い」(中村元、早島鏡正・訳)です。

ミリンダ王は、凄まじい権力者で哲学教養も豊かでな人物で、紀元前160~140年頃にインドへ侵入してパキスタンを首府にインドを統合しました。
その際に、ミリンダ王は、インドの真の知的優越者ナーガセーナ長老に会いました。
ここで形式論理学(ミリンダ王)vs 超論理学(ナーガセーナ)のバトルが行われました。

この議論の最後に、ミリンダ王は「空」を悟ります。

ナーガセーナ「王よ、あなたが車でここまでやってきたのなら、何が車であるか告げてください。軸ですか?車輪ですか?車体ですか?」

ミリンダ王「どれも違う。」

王は、ナーガセーナの問いに全て「否」と答えた。
ではそこに車はないのか、そこに存在する車は何なのか。名前だけのものか。

ミリンダ王「軸に縁って、車体に縁って、「車」という名前が起こるのです」

ナーガセーナ「そうです。王よ。あなたは車を正しく理解されました。私自身も、形に縁って、感受作用に縁って、表象作用に縁って、形成作用に縁って、識別作用に縁って、ナーガセーナという名前が起こるのであります。そこで人格的個体は存在しないのです。」

ミリンダ王は、実念論(realism リアリズム:普遍的に概念が実在している立場)だけでなく、
文字色唯名論(nominalist ノミナリスト:存在するのは個々のものだけ、普遍的なものは便宜上の名前に過ぎないという者)も克服しました。

この「車の譬(たと)え」は、昔から人々に愛好されたストーリーで仏教入門として最良のものです。

このように車を車輪などのいくつかの構成部分に分解して、車という実体はないと観ずる説明を「析空観(しやつくうがん)」と言い小乗仏教の説く空です。
対して大乗仏教では、ものの存在そのものを空であると見なします。
小乗は、空のみを見て不空を見ないから「但空(たんくう)」で、
大乗は、一切の事物を空であると見なしながら、同時に空でない面も見るから「不但空(ふたんくう)」=中道空(ちゅうどくう)なのです。


『ミリンダ王の問い』(Milinda Pañha, ミリンダ・パンハ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%80%E7%8E%8B%E3%81%AE%E5%95%8F%E3%81%84

『ミリンダ王の問い』
http://hishikai.exblog.jp/8109223/


インド文学・数学・仏教

親としてのインド思想

西洋思想への影響の情報集
http://kawauchi.la.coocan.jp/bukyoeikyo.htm
”わが国では江戸時代のベストセラーかつロングセラーであった『塵劫(じんこう)記』(吉田光由著)に初登場している。これは古くインドの仏典にあり、後、中国の『算法統宗』他各名著に記録され、これがわが国に輸入されたのである。一、十、百、千までは一桁の単位で、万以上は四桁ごとの単位である。

万、億、兆、京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙(こうがしゃ)、阿憎砥(あぞうぎ)、那由化(なゆた)、不可思議、無量大数[無量(1068)と大数(1072)を別にすることもある]。これらの数詞には仏典由来のものが少なくない。

〔使用例〕千載(1047)一遇[各種国語辞典には「千載(千年)に一回しかあえないようなめったにない好機会(chance of a lifetime)」などとしているが、数学では 載年=(1047)年であり、広辞林(三省堂1941版)では千年一遇としていて、千載一遇は載せていない。]

◆小さな数の呼び名

前掲『塵劫記』に、大きな数の呼び名と共に記録されている。このほうは、分が100分の一で、他は一〇分の一単位となっていて、23桁あり、(10-25)になっている。

分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊(もこ)、逡巡、須庚(しゅゆ)、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚、空、清、浄
(→極微→0→涅槃)  (→極微→原子論) 〔使用例〕塵埃とか、繊細な神経、または説明が暖昧模糊としている。
虚であり、空であり、清であり、浄であるのは、仏教の涅槃への段階でもある。また極微から原子論への進展もある。

[参考〕比の表し方の一つである歩合では、"割”の単位が”分”の前にある。打率が三割二分五厘とか金利などがそれである。割(ten percent,10のマイナス2乗)は日本独特のもの。

しょう‐じょう【清浄】シヤウジヤウ 清くてけがれのないこと。「―潔白」 

〔仏〕悪業の過失や煩悩のけがれをはなれていること。「六根―」(広辞苑)

ごく‐み【極微】〔仏〕(梵語 paramanu) それ以上分割できない物質の最小単位。七つの極微で一微塵を構成し、それらが集まって物質が構成されるとする。極微塵。(広辞苑)

ごくみ<極微>は、梵語パラマーヌ「最も微細な粒子」の訳。あらゆる物質の本質的な構成要素で、見ることも触ることもできないものとされる。現在の原子論は「極微」説に由来するといわれる。(岩本裕著日常仏教語 中公新書288)
(…)
宗教集団としてのピタゴラス派はオリエント風の信仰で、霊を善、肉体を悪とし、霊肉二元論として魂の不死と転生を説く。霊魂の浄化をたんなる祭祀や秘儀にだけでなく、道徳的、政治的活動に、さらに知識の獲得に求めるようにした。霊浄化の手段は純粋の知識の獲得(法門無量誓願学)にテオーリア(静観・理論の意味で、仏教の禅定、仏道無上誓願成)に求められた。

輪廻説のような「東洋的で非ギリシア的な思想」(インドからマケドニア、トラキア起源といわれるオルフェウス教を哲学的に発展させたとされる)はやがてプラトンにもみられるギリシア思想の宗教的潮流となっていく。
(オルフェウス教:レナル・ソレル著、脇本由佳訳、白水社「文庫クセジュ」863)

オルフェウス教は、19世紀以降、墓地の発掘の際に「オルフェウスの金板」が幾つか発見され、それによると、紀元前5~4世紀に遡り、アッテカ(アテナイを含む地域)からシチリア島へ、南イタリアからローマへ伝わったことが証明される。紀元前1~2世紀に宇宙と神々の誕生を説明する新しい説が二つ生まれた。「24の叙事詩からなる聖なる言説」とヒエロニュモスとヘラニコスのものといわれる宇宙誕生譚である。ギリシア各地で「オルフェウスの流れ」が不意に出現してから一千年以上もたった紀元5~6世紀にアテナイとアレキサンドレイアの新プラトン派学者たち(シュリアノス、プロクロス、オリュンピオドス、とくにダマスキオス)が、とりわけオルフェウス教の宇宙と神々の誕生譚に関心を抱くようになり、それを「聖なる書」と見なした。彼等はそれを体系的にプラトンと調和させようと努めることになった。プラトンの著作が一種の神学を伝えると確信していたからだとされる。オルフェウス教の宇宙誕生譚がわたしたちに伝えられるのは、それがギリシア神話に関係づけられるからなのである。そして他方では間接的影響が初期キリスト教に確実に及んだ。聖パウロの神論で、人間の魂はオルフェウス教でいう意味でも、さらにはプラトン的意味でも、「神的なもの」ではない、と断言されていた。オルフェウスは新プラトン派の中心的教義を先取りしていたのだが、その教義を後にキリスト教思想が発展させ、完成することになるのだと説いている。

ピタゴラスの宗教上の意見は輪廻転生の説であり、イタリアのクロトーンにおいて道徳的宗教的教団を組織し、厳格な戒律を布き、宗教的改革家として多大の感化を与えた
。(波多野精一著「西洋哲学史要」大日本図書株式会社刊 P34)

釈迦と同時代であり、関係の深さを示す次のような伝説が残っている。
ピタゴラスはシャカと会見し、人間の転生について意見が一致したというギリシアの伝説である。史実は別にして、それほど関係が深かったことに驚いた。

しゃか‐むに【釈迦牟尼】(梵語 ?akyamuni 「牟尼」は聖者の意) 仏教の開祖。その生没年代は、前五六六~四八六年、前四六三~三八三年など諸説がある。インドのヒマラヤ南麓のカピラ城の浄飯王(ジヨウボンノウ)の子。母はマーヤー(摩耶マヤ)。姓はゴータマ(瞿曇クドン)、名はシッダールタ(悉達多)。生老病死の四苦を脱するために、二九歳の時、宮殿を逃れて苦行、三五歳の時、ブッダガヤーの菩提樹下に悟りを得た。その後、マガダ・コーサラなどで法を説き、八○歳でクシナガラに入滅。シャーキヤ‐ムニ。釈尊。釈迦牟尼仏。(広辞苑)

ピタゴラス【Pythagoras】ギリシアの哲学者・数学者・宗教家。サモスに生れ、南イタリアで教団を組織、霊魂の救いを目的とする新宗教を説き、宇宙の調和の原理を数とそれの比例とした。(前570頃 ―)

こんな伝説があるくらいで、仏教思想の影響が大きいと思われ、ギリシア哲学の「アトム」の思想は「極微」によるとされる。(日常仏教語 岩本裕著 中公新書)
(…)
アレクサンドロス大王東征によるヘレニズムと仏教の融合

   (アレクサンドロス大王と東西文明の交流展による)

アレクサンドロス大王の東征の後、中央アジア、インド亜大陸では、クシャーン朝下のガンダーラにおいてグレコ・バクトリア・ローマ・インド・イラン式のガンダーラ仏教美術が誕生した。このガンダーラ美術を再読すると、次のように解することができると説いている。神ではないが、「霊魂の導師的存在」であるギリシア神話の中の海獣(ケートス、トリトン)を重視し、それらが仏教の到彼岸=涅槃=極楽往生のエスコートとして用いられ、やがてその役割が釈迦牟尼仏陀に取って代わられ、仏像が創造されたという新しい見解を提示した。また、ディオニュソス神に関係するエロティックな図像も積極的に用いたが、これらが通説とは異なり、到彼岸=涅槃=極楽往生の至福悦楽を具体的に再現している聖画像であったからである。この交流展では、ギリシアの諸神がガンダーラにおいて仏教や天部の直接モデルとなることを図像学的に示していた。例えば「花綱を担うエロスの浮き彫り」(クシャーン朝、2-3世紀、パキスタン、スワート出土)では、花綱はギリシア起源で死者の霊魂を無事にあの世に導くものと考えられ、エロス(アモール)と共にローマ時代の石棺装飾に多用された。これが仏教美術に採り入れられ、ストゥーパの仏伝図を荘厳していた例などが挙げられる。
さらにギリシア神の「ヘルメス」は「大黒天」となって日本に渡り、また「ヘルメス」は「毘沙門天」となって伝わった。「北風ボレアス」は「風神」となり、「ゼウス+雷てい」は「帝釈天」に、「ヘラクレス+棍棒」は「執金剛」「金剛杵」そして「仁王」となり、「テュケ女神」は「訶梨帝母」となり中央アジア原産の石榴を伴って「鬼子母神」となった。「海獣ケートス」はドラゴンに姿を変え、そして龍となって仏教を守護する。また、菩薩像の首飾りによく見られる像であるという。仏塔基壇などを支える「アトラス神」はギリシア神話で天空を支える巨人神であり、肩でストゥーパを支える。ガンダーラで仏教彫刻に採り入れられたギリシア神は、ヘルメス(メルクリウス神で商業の神、体育・教育施設の守護神)、ヘラクレス神(体育・教育施設の守護神)、ディオニュソス神(バッカス神)、ボレアス神(北風神)、テュケ女神(豊穣と都市の守護神)、ニケ神(勝利の神で、ナイキの語源)、ヘパイストウス神(造化・鍛冶の神)、アトラス神(天空を支える巨人神)、ポセイドン神、ニュクス=ノクス女神(夜の神)、エロスなどが上げられている。このようにギリシア神と仏教の融合は極めて深いものがあったのである。

拝火教の影響─弥勒菩薩と東大寺お水取りの火の行法「だったん」

(…)
バクトリア王国 ミリンダ王の問い

アショカ大王の死後統一力を失ったマウリア王朝。 そのため、西北インドはギリシャ王の支配するところとなった。紀元前の2世紀中頃、現在のアフガニスタンのカーブル近郊で生まれたギリシア人のミリンダ(メナンドロス)王は、紀元前2世紀の後半、この西北インドを支配した。王であるとともに偉大な哲人であった彼は次々とインドの哲学者を論破していく。仏教の思想を論破するため当時の仏教教団の指導者の一人であったナーガセーナ長老と対論を始めた。ナーガセーナ長老はインドの仏教界の中で唯一ミリンダ王と対論することが可能であるだろうと思われるインド随一の哲人であった。

あなたは誰か――ミリンダ王の問い (隔月誌『Paramahamsa』27号より)

今よりおよそ二千年以上も昔のこと、古代ギリシアの人々は地中海世界を征服し、その勢いはインドの西北、現在のアフガニスタン、パキスタン辺りにまで及んでいた。そこにギリシア人たちは王国を建て、中でも繁栄を極めたバクトリア王国は、インド内部にまでその版図を広げた。その最盛期に現れたのがメナンドロス王である。メナンドロス――インド名ミリンダ――は実在した王であり、また仏教には、彼に帰せられる『ミリンダ王の問い』なる準聖典が伝えられている。ギリシア人としての哲学的素養からか、ミリンダ王は征服地であるインドの哲人を訪れたいと考えたようである。当地の仏教サンガを率いていた長老ナーガセーナのもとを訪ね、挨拶を交わし、型通り相手の名を問うところから彼の問いは始まる。
「あなたは名を何と言われますか」
「大王よ、私はナーガセーナとして知られています。だがこの『ナーガセーナ』という者、単なる呼び名であり、標識、記号、ただの言葉に過ぎませぬ。人格の実体などは存在しないのです」
王は、これは異なこと、と、そこに居合わせた人々に呼びかけた。
「皆々方、私の言うことを聞かれい。これなる人物ナーガセーナは、ここに人格の実体がないとおっしゃる。さてこんなことを認めてもよいものだろうか」
そしてさらに長老に問うた。
「もしあなたの言われる通りなら、あなたに布施をする者、それを受けて修行する者などはいったい何者でしょうか。戒を破り罰を受ける者とは誰なるや。言われる通りなら、善も悪も、それを行う者も行わせる者もないし、あなたを殺す者にも罪なしとはなりませぬか。あなたは『私はナーガセーナと知られている』と言われるが、その『ナーガセーナ』とはいったい何ですか。頭髪か、肌か、爪か、歯か」
「そうではありません」
「では肉か筋か骨か、腎臓か心臓かそれとも脳髄か」
「そうではありません」
「では肉体、感覚、思い、性格、意識のいずれかですか」
「違います」
「ならば、そういったものとは別に『ナーガセーナ』があるのですか」
「そうではありません」
「何と!私はあなたに問いを重ねながらも、『ナーガセーナ』が何なのか一向に合点まいりませぬ。それは単なる名称に尽きますのか。とはいえ実体なくして名称のみあるはずもない。あなたの言われることは無茶苦茶ですぞ。『ナーガセーナは存在せず』などとは」
長老ナーガセーナはこれに対しこう問い返した。
「大王よ、あなたは今日ここに歩いてこられましたか、それとも車に乗られてか」
「車に乗ってです」
「さらば、あなたは車の何たるかをご存知であろう。私にそれが何かを教えて下さい。それは轅ですか」
「いえ、そうではありませぬ」
「車軸が車だろうか。それとも車輪か、車室か、車台がそれか」
「そうではありませぬ」
「では、軛か綱か鞭か」
「違います」
「ならばそれらを寄せ集めれば車になりますか」
「そういうわけでもありませぬ」
「となれば、それ以外に車なるものがありますか」
「いや、さにあらず」
「大王よ、私は車が何なのか一向に合点できませぬ。それは名称に過ぎぬのか。あなたの言われることは無茶苦茶ですぞ。さてや皆の衆、このような嘘偽りを果たして認めてもよいものだろうか」
この問答を聞くや、ギリシア人たちは長老に歓呼し、王を励まして言った。
「さあ大王様、精一杯弁論して下さいよ!」
ミリンダ王は長老ナーガセーナにこう抗弁した。
「私は嘘偽りなど申してはおりませぬ。『車』というは、轅・車軸・車輪・車室・車台に依存し、呼び名・標識・記号として成り立つものにござる」
ナーガセーナ長老、ここでわが意得たりと、こう言った。
「よくぞ言われた、大王よ。あなたは車の何たるかが分かっておられる。それとまるで同じですぞ。私ナーガセーナとは、頭髪・肌・爪、骨に肉、心臓に脳髄、感覚、思いなど、もろもろに条件的に依存し、呼び名・標識・記号として成り立つ一方、人格の実体ではござりませぬ」
これにはさすがの大王も歓びの声を上げた。
「驚嘆に堪えません、ナーガセーナ殿!まこと鮮やかな問答であります。尊者ブッダがここにおられたなら、さぞお褒めになったでありましょう。ナーガセーナ殿、お見事」
王と長老の問答はこうして始められた。

賢者の論と王者の論 

以下は有名な「賢者の論」と「王者の論」について語ったくだりである。
ミリンダ王 「尊者ナーガセーナよ。私とともにまた対論しましょう。」
ナーガセーナ長老 「大王よ。もしもあなたが賢者の論をもって対論なさるのであるならば、私はあなたと対論するでしょう。しかし、大王よ。もしもあなたが王者の論をもって対論なさるのであるならば私はあなたと対論しないでしょう。」
ミリンダ王 「尊者ナーガセーナよ。賢者はどのようにして対論するのですか。」
ナーガセーナ長老 「大王よ。賢者の対論においては、解明がなされ、解説がなされ、批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、賢者はそれによって怒ることがありません。大王よ。賢者は実にこのように対論するのです。」
ミリンダ王 「尊者よ。また王者はどのようにして対論するのですか。」
ナーガセーナ長老 「大王よ。しかるに実に諸々の王者は対論において1つの事のみを主張する。もしそのことに従わないものがあるならば、『この者に罰を加えよ』と言って、そのものに対する処罰を命令する。大王よ。実に諸々の王者はこのように対論するのです。」
ミリンダ王 「尊者よ。私は賢者の論をもって対論しましょう。王者の論をもって対論しますまい。」

ここにおいて長時間にもわたる「ギリシア思想」対「仏教思想」の問答が開始されたのであった。
①時間の起源とは?
ミリンダ王「過去の時間の起源は何ですか。未来の時間の起源は何ですか。現在の時間の起源は何ですか」
ナーガセーナ長老「過去の時間と未来の時間と現在の時間の起源は、
無明(一切の煩悩の根源)を表している。無明(一切の煩悩の根源)を縁として行(形成力)が生まれ、
形成力を縁として識(認識作用)が生じ、
認識作用を縁として名色(心・精神の有する物)が生じ、
名色を縁として六処(認識領域)が生じ、
認識領域を縁として触(感覚器官による知覚)が生じ、
触を縁として受(感受)が生じ、
感受を縁として愛(迷妄の執念)が生じ、
愛(迷妄の執念)を縁として取(執着)が生じ
執着を縁として有(生存)が生じ、生存を縁として生(誕生)があり、
誕生を縁として苦(苦しみ)が生じる。
このようにしてこのすべての時間の始源(一切の煩悩の根源)は認識することができない。」
ミリンダ王「尊者ナーガセーナよ、あなたは『始源は認識することができない』と言われましたが、その始源とは何ですか」
ナーガセーナ長老「大王よ、過去の時間がその始源です」
ミリンダ王「尊者ナーガセーナよ、あなたは『始源は認識することができない』と言われましたが、尊者よ、始源はすべて認識できないのですか」
ナーガセーナ長老「大王よ、あるものは認識され、あるものは認識されません」
ミリンダ王「尊者よ、それはいかなるものが認識され、いかなるものが認識されないのですか」
ナーガセーナ長老「大王よ、それよりも以前には全然いかようにも無明(煩悩の根源)が存在しなかったというこの始源は認識されません。しかし以前には存在しなくてもいま生じ、存在してふたたび滅びるというもののこの始源は認識されます」
②輪廻とはなにか?
ミリンダ王「尊者ナーガセナよ、あなたが輪廻と言っているところの、その輪廻とは何ですか」
ナーガセーナ長老「大王よ、この世で生まれたものはこの世で死に、この世で死んだものはあの世に生まれる。あの世で生まれたものはあの世で死に、あの世で死んだものはさらに他所に生まれる。大王よ、このようなものが輪廻です」(77項)
ミリンダ王「尊者ナーガセーナよ、死んでからのち、次の世に生を結ばないものがいますか」
ナーガセーナ長老「ある者は次の世に生を結びますが、ある人は次の世に生を結びません」
ミリンダ王「誰が次の世に生を結び、また誰が次の世に生を結ばないのですか」
ナーガセーナ長老「大王よ、煩悩のある者は次の世に生を結びますが、煩悩のない者は次の世に生を結びません」
ミリンダ王「それでは尊者よ、あなたは次の世に生を結びますか」
ナーガセーナ長老「大王よ、もしも私が執着を持っているなら、次の世に生を結ぶでしょう。またもし執着を持っていなければ、次の世に生を結ばないでしょう」(32項)

長時間にわたりナーガセーナ長老と対論を交わしたミリンダ王は、その後仏教徒になった。

参考書籍:清水書院 森祖道・浪花宣明著「ミリンダ王~仏教に帰依したギリシア人」
       東京書籍 中村元著「仏教経典散策」
       角川ソフィア文庫 増谷文雄・梅原猛著「仏教の思想 智慧と慈悲」
ギリシア科学のベースとなる分析・総合に、仏典(倶舎論)に見られるような五位七十五法表の分析や解脱の考え方や極微の考えが影響しているのではないかと考えられる(私注)。

アレクサンドロス東征以後で、インド王とギリシア王の交流があったことを示す話が伝えられている。このころ、インド王がギリシアにイチジクと酒と哲学者を注文した際、アンティオコス王は、「イチジクと酒はお送りするが、学者の売買は禁止されていて、できない」と返書したという。

くしゃ‐ろん【倶舎論】(梵語 Abhidharmako?a-bhasya) 三○巻。世親の著。玄奘(ゲンジヨウ)の訳。詳しくは阿毘達磨倶舎論。小乗仏教の教理の集大成である「大毘婆沙論」の綱要書。一切諸法を五位七十五法に分け、迷いと悟りについて詳細に論ずる。仏教の基礎的教学書。倶舎。(広辞苑)

せしん【世親】(梵語 Vasubandhu  旧訳は天親テンジン) 西紀320-400年頃、いまのアフガニスタンのペシヤワル(ガンダーラ)に生まれた北西インドの僧。初め小乗仏教を学び、後に兄無着(ムジヤク)に教化されて大乗に入った。兄と共に唱えた唯識仏教は中観学派と並んでインド大乗仏教の二大系統をなした。著「倶舎論」「唯識二十論」「唯識三十頌」「浄土論」など。世親菩薩。ヴァスバンドゥ。(広辞苑)

ガンダーラ【Gandh ra・健駄羅】パキスタン北西部、ペシャーワル地方の古名。紀元前後より数世紀間にわたって、この地を中心にギリシア美術の影響を受けた仏教芸術が発達。ケンダラ。

「ゼロの発見」(少なくとも前2世紀という)に始まるインド数学の発展は、おそらく、クシャン朝からグプタ朝へと成熟してきたものだろう。その時期は、大乗仏教哲学の形成期でもある。

ゼロの記号を数の記号中に人類が用い始めるまで千年を費やしたという。(カヂヨリ著「数学史講義」一戸直蔵訳 大鐙閣刊 P4)

だいじょう‐ぶっきょう【大乗仏教】‥キヤウ 紀元前後頃からインドに起った改革派の仏教。従来の部派仏教が出家者中心・自利中心であったのを小乗仏教として批判し、それに対し、自分たちを菩薩と呼んで在家者を重視し、利他中心の立場をとった。中国・日本・チベットなどの北方仏教はいずれも大乗仏教の流れを受けている。(広辞苑)

インド哲学の特質について、ホルステッドのように、「空虚な無に対して、単に位置・名称・記号のみでなく、有力な力を与えたのは、その母胎たるインド民族の特質による。それは涅槃を能動力につくりかえたのに似る」などの説もある。インドのゼロを涅槃に結びつけるなら、2世紀からの中国数学における負数を陰陽に結びつ:けることは誰でも思いつくかも知れない。

ギリシア数学が「俗界」を否定し、純粋性を求めたことは、仏教の出家修行の考え方の影響ではないか(私注)。

ギリシア懐疑派の始祖、ピロン(前360-270ごろ)はペロポネソス半島のエリス市の人で、アレクサンドロス大王の軍に従って東方へゆき、インドで行者の苦行をみたという。帰国後エリスで学校を開いた。彼は生の終局目標を心の平静(アタラキシア)におき、このためすべての判断をやめること「判断中止」(Pyrrhonism)を説いた。これは仏教の「無分別」と酷似する。(玉井茂著「西洋哲学史 上」青木書房 P145)

あらや‐しき【阿頼耶識】〔仏〕(梵語 alaya-vijnana) 人間存在の根底をなす意識の流れ。経験を蓄積して個性を形成し、またすべての心的活動のよりどころとなる。唯識派で説く。八識の中の第八識。旧訳(クヤク)では阿梨耶識。略して阿頼耶・頼耶・阿梨耶・梨耶とも。

*インド科学の歴史には、グプタの後の時代に、現在まだ知られていないギャップがあるが、これは遠からず埋められるものと期待される。それは大部分インド半島の発展だったように思われる。平野は蛮族の侵入にあまりにもさらされていて、その侵入は、同じ時期にヨーロッパをも侵し、そこの概してギリシア、ペルシャ型の文化を破壊し、11世紀のアフガニスタンのガズニー朝のマハムード王の略奪で絶頂に達した。しかし、デカン高原と、そのさらに南方には、諸文化の一大会合地があったように思われる。すなわち、北方と海上からはギリシア―ローマ文化が、やはり海上からアラブとペルシャの文化が、また陸路による仏教の巡礼と海路による商人とによって中国文化が運ばれてきた。これらの刺激を得た以上当然ながら、繁栄と文化的進歩の諸条件の下にあった土着のインド人の才能は、知識の総合を生みだし、今度はそれが初期のイスラム科学を鼓舞することができた。科学への主な寄与は、数学と化学にあったように思われる。数学上の観念は、その形からみて、またその誤りの点ではおそらくなおさら、初期の中国のものを手本にした証拠がみられるが、インド人はパビロニア人の概念をも発展させたらしく思われる。(バナール著「歴史における科学 1 」 P103)

8世紀以降、ギリシアがイスラムと交代する。ギリシア数学を継承したのは、イスラム世界であった。ギリシアが現世から遮断された純粋性の中に体系を見出したのと反対に、イスラム人は課題の密着することで問題解決の技術に数学を見出した。特にインドの記数法とも結びついて、数量的処理が発達した。ピタゴラス的哲学でなく、ありのままの量として数を処理することになった。この思弁的でない「数概念」は成熟していった。負数や無理数に「数」としての権利を獲得させたものは、哲学や体系ではなく、この日常性であったという。

これは、インドでの出家から在家の日常への大乗仏教の広がりが影響していたのではなかろうかと思える(私注)。
(…)
仏教論理学と認識論  (三枝充悳著 「仏教入門」 岩波新書 p201-206) 

インドでは仏教誕生以前から対論や論争が実にさかんであり、それが論理学の形成を促した。このことは古代ギリシアと類似し、いわゆる論理学が組織的に研究されてその体系を確立したのは、人類史上ギリシアとインドに限られるといってよい。

その論理学を、仏教では「因(理由命題)にもとづく学」(へートゥヴィトヤー、因明いんみょう)と、インド哲学ではニヤーヤ(正理しょうり)と呼ぶ。
仏教論理学の歴史も古い。二世紀ごろの成立と推定される医学書の『チャラカ本集』、漢訳の残る『方便心論』(ナーガールジュナ著述説もある)、ナーガールジュナ著の『廻諍論えじようろん』といったテクストに、論理学への発言が伝えられ、それらに用いられる諸術語は、後代の仏教論理学にもインド論理学のニヤーヤ学派にも、ほぼそのまま共有される。

仏教論理学は精密な理論体系を誇る唯識説において磨かれ、そのひとりディグナーガ(陣那)が、知識論―認識論とともに樹立する。ディグナーガには『プラマーナ・サムッチャヤ』(知識集成論、『集量論じゅりょうろん』と訳されるチベット訳のみ)の主著のほかに、漢訳の『観所縁論』『掌中論ようちゅうろん』『因明正理門論いんみょうしょうりもんろん』などがある。
ディグナーガは、正しい認識(プラマーナ、量という)の根拠として、直接知覚(プラナィヤクシャ、現量)と推論(アヌマーナ、比量)との二種のみを承認し、直接知覚は分別(判断に相当しよう)を離れていて無内容であるが、それに推論が加わることによって具体的な認識として成立するという(このあたりはカントの感性論と分析論とにおける認識の成立と酷似する)。このように推論が効果(アルタクリヤー)を有することは、日常の経験から確認される(この点でアプリオリ…先天的、またトランスツェンデンタール=先験的〔超越論的〕を説くカントから離れる。ただしカントも弁証論では、対象との接触を欠いた理性は仮象を生むという)。
さらにディグナーガは、
推論を「自分のため(スヴァ・アルタ)の推論」と
「他人のため(パラ.アルタ)の推論」とに二分して、その認識論を進め、以後この二種の推論を論証に用いつつ、かれの最大の功績である論理学の確立に向かう(この「他人のための推論」を弁証論と名づける現在の専門家もいるが、それは少なくともカントのいうディアレクテイクとはかなり異なる)。かれはまた、認識の対象を個別(スヴア・ラクシャナ、自相)と普遍(サーマーニャ・ラクシヤナ、共相ぐうそう)とに分け、認識にさいしては両者がかかわると説く。ただし普遍は一種の観念的な存在(分別の所産)にすぎず、独立の個別がただ一回かぎりの刹那ごとに直接の認識の対象となるのであり、存在ではなくて、「他者の排除」を内容とすることを主張する。この排除(アポーハ、離)の話とその応用は、その後の仏教をふくむインド哲学の各学派に重用され、それぞれの認識論のキーワードとして論究される(それはスピノザの説く「否定」がヘーゲルにおいて最重要視された軌跡と類似する)。
ひとこと付加すると、認識の根拠について、上述の直接知覚と推論のほかに、古い資料(たとえぱ『廻諍論えじようろん』など)は「聖典のことば」(アーガマ、聖教量しょうぎょうりょう)と比喩(ウバマーナ、讐喩量)とを加えて四つ(四量)とする。しかし、験伽行派唯識(たとえば『解深密経』、ステイラマティの『唯識三十頒への註釈』)では比喩を除いて三つとし、またディグナーガは「聖典のことば」も推論にふくめて、上述のように二つとする。それは認識の対象が二種(個別と普遍)であることにもとづく。この二根拠(二量)説は、かれ以後の論理学に携わる人々(ダルマキールテイはもとより、バヴイヤなども)に伝えられ、守られた。

ディグナーガの論理学は、推論に関して、理由命題(ヘートゥ、因という)の具えるべき条件を三種として、これを「因の三相」という。その名称のみあげると、遍是宗法性へんぜしゅうほっしよう、同品定有性どうぽんじよううしょう、異品遍無性いほんへんむしょう であり、主として周延しゅうえん関係をいう。また理由命題のあり得る条件を九種あげて、これを九句因(やはり周延に関係して、九種のうち二種のみが正しい因とする)と称する。因の三相はアサンガがすでに説いているが、九句図説はディグナーガの新説とされる。とりわけかれの名は三支作法さんしさほう と呼ばれる新しい推論式の確立によって、インド全体に著名となり、これは新因明しんいんみょう と名づけられる。それはインド論理学(インド正統哲学にあり、またその諸派が採用)の伝統が五つの命題を掲げていた(五分作法ごぷんさほう という)のを、三つの命題(三支)に改革し、かれ以後はインド論理学のすべてに普及した。三支は、宗しゅう(プラナィシュニャー、主張命題。論証されるべきもの)、因いん(へートゥ、理由命題。論証の根拠)、喩ゆ(ドゥリシターンタ、実例。同喩と異喩との二つ)からなる。例はつぎのとおり。

宗……声(音)は無常である

因……(声は)つくられたものであるから

喩……すべてつくられたものは無常である、たえば瓶のように(同喩)。すべて常住のものはつくられたのではない性質をもつ、たとえば虚空のように(異喩)

新因明も因明も論証につねに喩を立てるという特徴があり、その喩は経験にもとづくと考えてよく、その全体は帰納的論理とみなされよう。かれの論理学には、年代不明のシャンカラ・スヴァーミン(商掲羅生しょうからしゅ、天主てんしゅ)の著わした『因明入正理論いんみようにっしようりろん』(玄装訳、サンスクリット本もある)という入門書がある。ディグナーガの論理学は、七世紀のダルマキールティ(法称ほつしよう)によって完成をみる。ダルマキールティの七種の著述がチベットに伝えられるなかで、(1)『正理しょうり一滴論』(『ニヤーヤ・ビンドゥ』、論理学小論)、(2)『量決択りょうけっちゃく』(『プラマーナ・ヴィニシチャヤ』、知識の決定)、(3)『量評釈』(プラマーナ・ヴァールヅティカ、知識批判書)の三部が主著とされ、それぞれ全体または一部にサンスクリット本が発見公刊され、チベット訳は完備する。各本とも諸註釈書があって、同時代にも後代にもいかによく読まれたかが知られる。
ダルマキールティは唯識説によりながら、かなり軽量部きょうりょうぶ に近く、たとえば外界を八識の所産に帰するのではなく、外界の存在は推理されるという。ただし有部うぶ のような外界の素朴実在論的ではなく、外界は推理されるのみと限定する。さらにかれは軽量部の刹那減の説を導入して、対象は刹那減であることを論証し、その意味においては非連続であり、同時にその流れは意識の流れと相応して連続を構想すると主張する。また推論の効果(アルタクリヤー)を重視して、認識の現実性は対象との斉合性であるともいう。
ダルマキールティは認識論にしても、論理学にしても、ほぼすべての問題を網羅し徹底的に論究した。ダルマキールティの全貌解明が現在進められているなかで、かれは仏教論理学を演繹えんえき的ないわゆる三段論法に一新した、と評する専門家もいる。かれの何人かの弟子のうち、デーヴェーンドラブッディなどが知られる。掉尾とうび を飾るかのように、モークシャーカラグプタ(十一―十二世紀)が出て、名著『タルカバーシャー』を著わした。タルカは論理またとくに推論、バーシャーはことばを意味する。この書は、ダルマキールティ説とそれ以後の展開とを、簡潔で内容豊かに紹介し解説して、仏教論理学の最もすぐれた綱要書とされる。
このような諸学問はその後も絶えることなく継承されたが、すでに信者の数も減少し、さらにイスラーム軍による寺院の破壊と出家僧の殺害にみまわれて、その拠点を失い、仏教はインドに衰滅を迎える。

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デカルト【Ren Descartes】フランスの哲学者。近世哲学の祖、解析幾何学の創始者。「明晰判明」を真理の基準とする方法により一切を方法的に疑ったのち、疑いえぬ真理の第一原理として「考える自己」を見いだし、そこから「思惟する精神」と「延長ある物体」とを相互に独立な実体とする二元論の哲学体系を樹立。著「方法序説」「第一哲学についての省察」「哲学原理」「情念論」など。(1596 1650)

スピノザ【Baruch de Spinoza】オランダのユダヤ系哲学者。デカルトの方法をさらに徹底させ純幾何学形式によってその体系を組み上げた。永遠で絶対な自己原因としての神が唯一の実体であり、唯一の存在である(一元論)。すなわち、神即自然(汎神論)。この神の属性中、吾人の認識し得るのは思惟(意識)と延長(拡がり)との二つだけで、世界の万物はこの二属性の諸様態にほかならない。この様態の世界では一切は厳密な必然性に従って生起し、同じく思惟・延長の二様態の合一体としての人間にもまた自由意志というものはあり得ない(決定論)。真の自由は知的観照を通じてこの必然性を「永遠の相の下に」洞察することにあり、これが神に対する知的愛であり、最高の善であるとする。著「エチカ」「知性改善論」「神学政治論」など。(1632 1677)    (仏教入門203頁)

ライプニッツのモナッドと仏教
ライプニッツ【Gottfried Wilhelm Leibniz】ドイツの数学者・哲学者・神学者。微積分学の形成者。モナド論ないし予定調和の説によって、哲学上・神学上の対立的見解の調停を試みた。今日の記号論理学の萌芽も示す。近代的アカデミー(学士院)の普及に尽力。主著「形而上学叙説」「単子論」「弁神論」「人間悟性新論」。(1646 1716)  (仏教入門182頁)

カントと仏教 (仏教入門202頁)
カント【Immanuel Kant】ドイツの哲学者。ケーニヒスベルク大学教授。科学的認識の成立根拠を吟味し、認識は対象の模写ではなく主観(意識一般)が感覚の所与を秩序づけることによって成立すること(コペルニクス的転回)を主張、超経験的なもの(物自体)は科学的認識の対象ではなく、信仰の対象であるとし、伝統的形而上学を否定し、形而上学を批判的基礎づけの学とした。同様に道徳や美的判断の根拠を明らかにし、文化の諸領域を基礎づけた。著に「純粋理性批判」「実践理性批判」「道徳形而上学原論」「判断力批判」など。(1724 1804)

ヘーゲル (仏教入門203頁)
ヘーゲル【Georg Wilhelm Friedrich Hegel】ドイツ古典哲学の代表者。彼の哲学は自然・歴史・精神の全世界を不断の運動・変化・発展の過程として、その内的連関を明らかにしようとした巨大な試みであり、これを絶対的イデー(宇宙的理性または神)の弁証法的発展として把握した(絶対的観念論)。その弁証法はマルクスにより史的唯物論に基づく歴史の論理として批判的に継承され、キルケゴールやフォイエルバッハ、さらにはサルトルの実存主義などにも影響を与えた。主著「精神現象学」「論理学」「エンチクロペディー」「法律哲学綱要」のほか、死後出版された哲学史・歴史哲学・美学・宗教哲学などの講義がある。(1770 1831)

ヘーゲル‐がくは【―学派】(Hegelianer ドイツ) ヘーゲルの哲学を種々の方向へ発展させた人々。ヘーゲルの死後、学派は、 宗教的には正統派的、哲学的には思弁的、政治的には
保守的な右派(ガプラー・ヴェルダー・グッシェルら)、 
無神論的・唯物論的・急進的な左派または青年ヘーゲル学派(シュトラウス・フォイエルバッハ・シュティルナー・マルクスら)、 
中間派(ローゼンクランツ W.Rosenkrantz 1821 1874・エルトマン J.E.Erdmann 1805 1892 ら)の三傾向へ分れ、一九世紀末にようやく萎靡(イビ)したが、二○世紀になって各国のヘーゲル学者を一括して新ヘーゲル学派と呼ぶことがある。

ショーペンハウエルと仏教
ショーペンハウアー【Arthur Schopenhauer】ドイツの哲学者。カントの認識論を現象主義的に徹底させて、世界を表象とみなし、その根本原理は生への盲目的意志であり、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の滅却・諦観以外にないと説いた。主著「意志と表象としての世界」。(1788 1860)

フォイエルバッハ【Feuerbach】 (Paul Johann Anselm von ~) ドイツの刑法学者。犯罪から遠ざけるために心理強制説を主張し、罪刑法定主義を基礎づけ、近代刑法学の父といわれる。著「現行ドイツ普通刑法教科書」。(1775 1833) (Ludwig ~) ドイツの唯物論哲学者。 Ⅰの子。ヘーゲル哲学を批判し、思弁哲学は神学であり神学の秘密は人間学であるという立場から宗教を批判、マルクス・エンゲルスに多大の影響を与えた。著「キリスト教の本質」など。(1804 1872)

キルケゴールの「主体性が心理」と仏教 (仏教入門182頁)
キルケゴール【S ren Kierkegaard】デンマークの思想家。合理主義的なヘーゲル的弁証法に反対し、人生の最深の意味を世界と神、現実と理想、信と知との絶対的対立のうちに見、個的実存を重視、後の実存哲学と弁証法神学とに大きな影響を与えた。著「あれか、これか」「不安の概念」「死に至る病」など。(1813 1855)

ニーチェ【Friedrich Wilhelm Nietzsche】ドイツの哲学者。実存主義の先駆者。キリスト教倫理思想を弱者の奴隷道徳とし、強者の自律的道徳を説き、この道徳の人を「超人」と称し、これを生の根源にある権力意志の権化と見た。また伝統的形而上学を幻の背後世界として否定し、神の死を告げた。著「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「権力への意志」など。(1844 1900)

(…)
「創世直後、十の三十二乗分の一(10-32)秒の間に、宇宙が十の百乗倍(10100)に一気に膨張した時期があったという理論です。計算によると、この過程で〈子の宇宙〉〈孫の字笛〉という具合に、次々と宇宙が生まれる。互いに行き来はできませんが、理論的には我々のいるこの宇宙以外にも、宇宙は無数にあることになる。最近ではこういう考え方を<ユニバース>になぞらえて、〈マルチバース〉の理論と呼んでいます」

―宇宙がいったん誕生した後の筋道が見えてきたとすると、今度は「宇宙の始まり」そのものがナゾになってきますね。

「そこが長い間、ビッグバン宇宙論の問題点でした。時間をさかのぽっていくと宇宙が膨張し始めるポイントがある。そこでは宇宙の物質が一点に集まって密度が無限大になる。そこは現在の物理理論が適用できない〈特異点〉と呼ばれます。説明不能なら、宇宙を生み出したのは<神>と言うに等しい。だから、宇宙論には宇宙をスタートさせた<神の最初の一撃>という言葉もある。言ってみれば、この世界には神様の入ってくる<穴>が開いていたわけですね」

「ところが、今ではこの問題を解決してしまう理論さえ出ている。イギリスの宇宙物理学者、スティーブン・ホーキングなどが唱える説がそれです。彼によれば、創世の時の宇宙は我々の生きている時間とは違う〈虚時間〉の中で始まったことになる。この辺の話になると、皆さんキョトンとするんですけどね。要するに、虚数の時間というものを考えると、そこには始まりという点がない。そこからある時、今のような時空が始まった。

--まるで禅問答のような話ですね。

「この理論では、特異点なしで宇宙が始まることができる。いわば、神様が入ってくる穴をふさいでしまったんですね。もちろん、そういう物理法則がなぜあるのかという話になれば、これは説明できないと言うしかありませんが」



(…)


(…)



「ミリンダ王の問い」『バラモン教典,原始仏典』 長尾雅人編、大地原豊訳、中央公論社〈世界の名著 1〉、1969年5月30日。ISBN 978-4-12-400081-8。

「ミリンダ王の問い」『バラモン教典・原始仏典』 長尾雅人編、大地原豊訳、中央公論社〈中公バックス 世界の名著 1〉、1979年2月20日。ISBN 978-4-12-400611-7。

『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』第1巻、中村元・早島鏡正訳、平凡社〈平凡社東洋文庫 7〉、1963年11月。ISBN 4-582-80007-6。

『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』第1巻、中村元・早島鏡正訳、平凡社〈ワイド版東洋文庫 7〉、2003年5月。ISBN 4-256-80007-7。

『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』第2巻、中村元・早島鏡正訳、平凡社〈平凡社東洋文庫 15〉、1964年3月。ISBN 4-582-80015-7。

『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』第2巻、中村元・早島鏡正訳、平凡社〈ワイド版東洋文庫 15〉、2003年5月。ISBN 4-256-80015-8。

『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』第3巻、中村元・早島鏡正訳、平凡社〈平凡社東洋文庫 28〉、1964年10月。ISBN 4-582-80028-9。

『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』第3巻、中村元・早島鏡正訳、平凡社〈ワイド版東洋文庫 28〉、2003年5月。ISBN 4-256-80028-X。

「弥蘭陀王問経」『国訳大蔵経 経部』第12巻、国民文庫刊行会編、山上曹源訳、国民文庫刊行会、1917-1918。



空(くう)とミリンダ王の問い
http://ameblo.jp/healing-quigon/entry-12105936306.html
”では空を理解するための最適なテキストはなんでしょう?

それはズバリ「ミリンダ王の問い」です。このテクストは初期仏典の一つになります。ミリンダ王とは古代のギリシャの哲学王で、古代ギリシャ人らしく論争が好きです。反対にその相手役のナーガセーナ長老はインド人です。ミリンダ王はギリシャの伝統の実在論に立ち、ナーガセーナ長老はアビダルマ派を代表する非実在論者になります。実在論とは、この場合肉体とは別の魂の実在を認めることであり、反対に非実在論は魂の実在を否定する立場です

空の極意を現したものを以下引用します


「大王どの、もしやあなたが車でおいででしたのなら、それがしに車(のなんたるか)を述べてくださいませ。大王どの、轅がくるまでしょうか」
「いや、先生、そうではありませぬ」
「車軸が…車輪が…車室が…車台が…軛が…軛綱が…鞭打ち棒が、車ですか」
「いや先生、そうではありませぬ」
「そうではなくてと、では大王どの、轅・車軸・車輪・車室・車台・轅・轅綱・鞭打ち棒とは別に、車があるというわけですか」
「いや、先生、そうではありませぬ」
「大王どの、それがしはあなたに問いを重ねつつ、車(のなんたるか)をいっかな合点できませぬ。車とは大王どの、単なる名辞に尽きるのか。そえにしても、(存在なくして名辞はないはず、)ここで車とは何ものか。大王どの、あなたは事実無根の虚言をなされますぞ、『車(なるもの)は存在せず』と。大王どの、あなたは普天のもとに覇王たるかた、しかるに何をおそれてうそ偽りを語られるか。ご参集の各位― 五百のギリシア系市民および八千の比丘衆 ―は、それがしの提言を聞かれたい。これなる人物ミリンダ王は、『それがしは車で参りました次第で』などと申しつつ、『大王どの、もしあなたが車でおいでしたのなら、それがしに車(のなんたるか)を述べてくださいませ』と求められる段には、車(なる存在)を確証できぬ始末ですぞ。このこと、はたして是認してよろしかろうか」
このような弁論がなされるや否や、五百のギリシア系市民は長老ナーガセーナに歓呼し、ついでミリンダ王にこういった
「さあて今度は、大王さま、力の及ぶかぎり弁じてくださいませよ」-と
するとミリンダ王は、長老ナーガセーナに向かってこういった
「それがしは、ナーガセーナ長老、うそ偽りしゃべってはおりませぬ。(と申しますのは、)『車』とは、轅・車軸・車輪・車室・車台に依存し(た相関関係のもとに)て、(はじめて)呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのものとして成立する(にとどまり、それ自体としての存在はない)のでございます」-と
「よくこそ申された、大王どの、あなたは車(のなんたるか)がおわかりでいらっしゃる。それとまったく同様でございます、大王どの―それがしにつきましても『ナーガセーナ』とは、頭髪・膚毛……脳髄に依存し、様態・感受・知覚・表彰・認識に依存し(た相対関係のもとに)て、(はじめて)呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのものとして成立する一方、絶対的次元におきましては、ここに(相即して特定の)人格的実体(が存在するものと)は認められぬ― という次第であります。
(引用終了 太字はブログ主による)

車という概念は、それ単独で存在するのではなく、そのほかの概念に支えられて我々の前に現れます。つまり我々の自我が車という概念を選び出したとき、その下には様々な概念がぶら下がっていうということです。そして空とは概念のなかで一番抽象度の高いTOPに置かれます。一番上なので任意の概念をすべて包摂します。なにもかもを包摂しているのであらゆる状況に対応できます

空を悟ることができればあらゆることに対応が出来るようになります。あらゆる状況に対応できるとは、なにも先手を打つということではなくあらゆる状況を受け入れられる状態のことをいいます。受けいれられるので、常にリラックスしていて前頭前野で思考できます。そしてその抽象度の高い思考が病を治したり、IQが上がったり、生産性があがることを助けるでしょう

世界の名著〈第2〉大乗仏典 (1967年)/中央公論社”


まんどぅーかネットで連載しているリーディング教材のうち、日本語訳部分だけを抜き出したもの
http://www.manduuka.net/i/p/r/index.htm
[出典記号]
ア=アナセンリーダー
高=高楠『巴利語仏教文学講本』
水=水野『パーリ語仏教読本』

まんどぅーか ミリンダ王の問い
自己はない(名前の問い、車のたとえ)(ア55 高4-1)
http://www.manduuka.net/i/p/r/milinda/mi11.htm
”さて、まことにミリンダ王は、尊者ナーガセーナのいる所に近づいた。近づいて尊者ナーガセーナにあいさつした。日常のあいさつの言葉を終えて、一角に座った。尊者ナーガセーナもまた親しくあいさつをかわし、それによってミリンダ王を喜ばせた。
さてミリンダ王は、尊者ナーガセーナにこれを言った。
「尊師はどのように知られていますか。尊者よ、何という名ですか」と。
(ナーガセーナ)「大王よ、私はまことにナーガセーナとして知られています。大王よ、同輩の僧たちは私をナーガセーナと呼びます。にもかかわらず父母はナーガセーナと、またスーラセーナと、またヴィーラセーナと、またシーハセーナと名づけています。にもかかわらず、この、ナーガセーナとよばれるものは、名称、通称、概念、慣用、名のみのものであり、ここに自己は発見されません」と。
そこでミリンダ王はこう言った。
「尊者たちよ、500人のギリシア人と80000人の乞食修行者たちは私のいうことを聞け。このナーガセーナはこう言った。『ここに自己は発見されない』と。これを賞賛することがはたして有益かどうか」と。”


”さてミリンダ王は、尊者ナーガセーナにこれを言った。
「尊者ナーガセーナよ、もし自己が発見されないならば、それでは誰があなたがたに法衣や乞食の食物や寝具や医薬品や必需品を与えるのですか。誰がそれを享受するのですか。誰が道徳を守るのですか。誰が修行を実践するのですか。誰が生物を殺すのですか。誰が与えられないものを取るのですか。誰が姦淫をなすのですか。誰が偽って話すのですか。誰が酒を飲むのですか。誰が五無間業をなすのですか。それゆえによいことはなく、よくないことはなく、よいことやよくないことを、するものもさせるものもなく、善行や悪行の行為の結果である報いはありません。尊師ナーガセーナよ、もしあなたを殺すものがいても、彼の殺生もありません。尊師ナーガセーナよ、あなたには師匠もなく戒を授ける教師もなく具足戒もありません。あなたが『大王よ、同輩の僧たちは私をナーガセーナと呼びます』と言うなら、この場合のナーガセーナとは誰なのですか。尊師よ、いったい髪がナーガセーナなのですか」と。
(ナーガセーナ)「いいえ、大王よ」と。
(ミ)「体毛がナーガセーナなのですか」と。
(ナ)「いいえ、大王よ」と。
(ミ)「爪…(くりかえし)…、歯、皮膚、筋肉、腱、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、胃、大便、胆汁、痰、膿、血液、汗、脂肪、涙、リンパ、唾液、鼻汁、関節滑液、小便、頭における脳が、ナーガセーナなのですか」と。
(ナ)「いいえ、大王よ」と。
(ミ)「尊師よ、いったい物質がナーガセーナなのですか」と。
(ナ)「いいえ、大王よ」と。
(ミ)「感受作用…概念…構成…意識がナーガセーナなのですか」と。
(ナ)「いいえ、大王よ」と。
(ミ)「尊者よ、それなら物質および感受作用および概念および構成および意識がナーガセーナなのですか」と。
(ナ)「いいえ、大王よ」と。
(ミ)「尊者よ、それなら物質・感受作用・概念・構成・意識以外のものがナーガセーナなのですか」と。
(ナ)「いいえ、大王よ」と。
(ミ)「尊者よ、それなら私は質問しても質問してもナーガセーナを発見できません。尊者よ、いったいナーガセーナとは音声だけのことなのですか。それならここにいるナーガセーナは誰なのですか。あなたは偽って『ナーガセーナはいない』とウソの言葉を話しているのですか」と。 ”
http://www.manduuka.net/i/p/r/milinda/mi12.htm


”さて尊者ナーガセーナは、ミリンダ王にこれを言った。
「大王よ、あなたは実に王族で繊細に育ち、非常に繊細でおられます。大王よ、そのあなたが真昼間に、熱せられた土地や熱い砂の上を、固い小石や砂利や砂を踏みつけて、徒歩で来たのなら、足は痛み身体は疲れ心は病み苦痛を伴う身体の意識が起きます。あなたは徒歩で来たのですか、それとも乗り物でですか?」と。
(ミ)「尊者よ、私は徒歩で来たのではなく、車で来ました」と。
(ナ)「大王よ、もしあなたが車で来たのなら、車を私に告げてください。大王よ、いったい轅(ながえ)が車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「車軸が車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「車輪が…車のかごが…車の杖が…くびきが…手綱が…むちが車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「大王よ、いったい轅および車軸および車輪および車のかごおよび車の杖およびくびきおよび手綱およびむちが車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「大王よ、それなら轅・車軸・車輪・車のかご・車の杖・くびき・手綱・むち以外のものが車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「大王よ、それなら私は質問しても質問しても車を発見できません。大王よ、いったい車とは音声だけのことなのですか。それならここにある車は何なのですか。大王よ、あなたは偽って『車はない』とウソの言葉を話しているのですか。大王よ、あなたはインド全体の王であるのに、何を怖れて偽って言うのですか。尊者たちよ、500人のギリシア人と80000人の乞食修行者たちは私のいうことを聞け。このミリンダ王はこう言った。『私は車で来ました』と。『大王よ、もしあなたが車で来たのなら、車を私に告げてください』と言われて、『車を用意できない』と。これを賞賛することがはたして有益かどうか」”
http://www.manduuka.net/i/p/r/milinda/mi13.htm


”こう言われて、500人のギリシア人たちは尊者ナーガセーナに同意の声をあげて、ミリンダ王にこれを言った。
「大王よ、さあ今こそ、あなたは可能ならば言え」
さてミリンダ王は、尊者ナーガセーナにこれを言った。
「尊者ナーガセーナよ、私は偽って言うのではありません。轅によって、そして車軸によって、そして車輪によって、そして車によって、そして車の杖によって、車という、名称、通称、概念、慣用、名が起こるのです」と。
(ナ)「実に結構です。大王よ、あなたは車を理解なさいました。まさにこのように、私もまた、髪、体毛…脳…物質…意識によって、ナーガセーナという名称…名のみのものが起こりますが、最上義(勝義諦)からは、ここに自己は発見されないのです。大王よ、また女性乞食修行者(比丘尼)ヴァジラーはこのことを世尊の目の前で言いました

♪部分の集積によって車という語があるように要素があって衆生という名がある」と。

(ミ)「尊師ナーガセーナよ、不思議なことです。尊師ナーガセーナよ、驚くべきことです。質問に対するすばらしい知性が出されました。もし仏陀がご存命ならば、同意の声をあげるでしょう。実に結構です。ナーガセーナよ。質問に対するすばらしい知性が出されました」 ”
http://www.manduuka.net/i/p/r/milinda/mi14.htm

”ミリンダ王は、以下の発言からもわかるように、霊魂を感覚する主体として認識していた。

身体の内にある個我は、眼によって形を見、耳によって音を聞き、鼻によって香りを嗅ぎ、舌によって味を味わい、身体によって触れられるべきものに触れ、意によって事象を識別する。それは、ちょうどこの宮殿に座っている我々が、東西南北どの窓からでも眺めたい窓から眺めることができるのと同じことである。[12]

感覚器官が五感ではなくて、仏教的に、眼、耳、鼻、舌、身、意という六処(Sanskrit: Ṣaḍāyatana; Pāli: Saḷāyatana)となっている点は、ギリシア人の主張として不自然であるが、それでもこの発言を仏教徒による完全な創作と断じることはできない。なぜなら、個我(abbhantare jivo)は、他のパーリ語の聖典には見当たらないからである。この観念は、どうやらミリンダ王独自のもののようである。

ナーガセーナは、ミリンダ王に対して、次のように問い返し、霊魂が存在しないと言う。

ここの宮殿に座っている私たちは、これらの窓を開けて、顔を外に出せば、大虚空を通していっそうよく形を見ることができるでしょうが、それと同様に、眼の門が除去されると、内にあるこの個我は大虚空を通して、いっそうよく形を見るのでしょうか。また、耳、鼻、舌、身体が除去された時には、大虚空を通していっそうよく音を聞き、香りを嗅ぎ、味を味わい、触れられるべきものに触れることができるでしょうか。[13]

もしも人間の中に小人がいると想定し、その小人を感覚の主体とする認識モデルを肯定するなら、小人の中にさらに小人を想定しなければならず、無限後退に陥る。霊魂がそういう意味での実体として身体の中に存在するのではないのは、車を解体すると、中から小さな車の実体が出てくるのではないのと同じことである。

ギリシアの一般人はともかくとして、ギリシアの哲学者たちはそのような粗雑な実体主義には陥っていなかった。例えば、アリストテレスは、霊魂と身体が形相と質料、現実態と可能態、実体と偶有性の関係にあると言う。

霊魂は実体、それも可能的に生命を持つ自然的物体の形相という意味での実体であるということになる。しかし、この意味での実体は現実態であり、霊魂はこのような自然的物体の現実態ということになる。しかし、この現実態は知識(エピステーメ)と知識活動(テオーリア)という二通りの意味で言われる。[14]

形相と質料は概念的に区別できても、空間的に切り離すことはできない。だから、アリストテレスの哲学では、霊魂は身体の中の小人ではありえないのである。アリストテレスが認識しているように、霊魂は知識の選別を行う情報システムであり、知識活動は、物質を通じて行われ、また物質を離れては存在しないものの、情報システムを物質と同一視することはできない。

無我(Pāli: anattā; Sanskrit: anātman)説は、上座部仏教における三相(Pali: tilakkhaṇa; Sanskrit: trilakṣaṇa)、大乗仏教における三法印、つまり、仏教をそれ以外の教えから区別する三つの教義のうちの一つであるが、ガウタマ本人の本来の教えは、「自我への執着を捨てよ」という倫理的実践的教説であって、「自我は存在しない」という形而上学的教義ではなかった。ガウタマは、「死後霊魂は存在するか」といった形而上学的に問題に対して答えず、無記(Pāli: avyākata; Sanskrit: avyākṛta)、すなわち、真でも偽でもないものとした。そうした問題について論争をすると、自説への執着が生じ、修行の妨げになるからである。

では、なぜ無我や無常(Pāli: anicca; Sanskrit: anitya)が仏教の三法印あるいは三相になったのだろうか。もしも自我が存在しなければ、自我への執着はなくなる。自我への執着を捨てたいという願望が、自我は存在しないという思い込みにつながったと考えられる。同様に、富や権力が一時的ではかないものであるならば、それらに対する執着もなくなる。物への執着を捨てたいという願望が、すべては無常であるという思い込みにつながったと考えられる。サンユッタ・ニカーヤ2が無我や無常の否定を「悪魔の思想」とするのは、それが自我と物への執着を呼び醒まし、迷いの原因となるからである。

こうした願望を実現するための思い込みは、仏教に特有の思考である。仏教は、女が不浄であるというが、この女性蔑視の思想は、男の修行僧が女性への執着を断ち切るために、女性が汚くて魅力がなければよいのにという願望を抱くようになり、そしてその願望を実現するために、女性は不浄であると思い込むことで出来したものである。

ガウタマの死後、ガウタマを名乗った仏典が数多く書かれたが、ガウタマでない仏教徒がガウタマに成りすますのは、仏教は無我を法印としており、霊魂の実体的同一性を認めないので、自分とガウタマとを区別する理由がないからと説明することもできるが、ガウタマのようになりたいという仏教との願望が、自分はガウタマであるという思い込みに発展した結果であると説明することもできる。


4 : 輪廻説と無我説は矛盾しないのか

インドでは、生き物は、生前の業、すなわち、カルマ(Pāli: kamma; Sanskrit: kárman)の結果、別の生き物に生まれ変わるという輪廻(Pāli, Sanskrit: Saṃsāra)の思想が古くからあり、仏教もこれを受け継ぎ、生死を超えた因果応報説を信者に説いた。古代ギリシアでは、ピタゴラス学派やプラトンなどの例外はあるものの、輪廻転生説は一般的ではなく、ミリンダ王も輪廻転生に関して多くの質問をしている。無我説は、輪廻説と矛盾しているように見えるし、霊魂の実体的同一性を否定すると、因果応報説が倫理的に無意味になるように思えるからだ。

ナーガセーナによると、輪廻の主体は名色(みょうしき; Pāli, Sanskrit: Nāmarūpa)である。名と色のうち、色は色蘊に、名は他の五蘊に対応する。両者は、アリストテレスの哲学における質料と形相との関係に似ているが、名色は、名も色も実体的同一性を持たないという点で、質料や形相とは異なる。現世の名色と来世の名色は異なるが、因果の関係で結ばれているので連続性があることをナーガセーナは以下のような例を用いて説明している。

ナーガセーナ:それは、搾り出された牛乳がしばらくすると酪になり、さらに酪から生蘇となり、生蘇から醍醐となるようなものです。大王よ、牛乳が酪、生蘇、醍醐と同じであるということは正しいでしょうか。

ミリンダ王:尊者よ、そうではありません。それに依存して、他のものが生じたのです。

ナーガセーナ:大王よ、事象の連続はそれと同様に継続するのです。生じるものは、滅びるものとは別のものではあるが、両者はあたかも前後別物でないかのごとく継続しているのです。このように、それは同じでも異なるのでもないものとして、最後の意識に上るのです。[15]

酪、生蘇、醍醐というのは、チーズやバターのような乳製品で、牛乳を乳酸発酵して作る。乳酸発酵によって、分子の形が変わるので、形相は変化するが、質料は自己同一性を維持すると言うことができる。質料が自己同一性を維持すると言っても、素粒子には実体的な自己同一性はないので、量子力学的なミクロのレベルでは非連続的に連続性を観る仏教的世界観の方が正しいと言えなくもないのだが、ここで例に挙げられているようなマクロなレベルでは、そうした解釈は正当化されない。

ナーガセーナは、牛乳を買うという契約が、牛乳が酪となることによって無効にはならないという例を引き合いにして、名色が不連続であっても、輪廻によって前世の悪業を免れることはできない[16]と言う。だから、無我説は、輪廻転生説や因果応報説とは矛盾しないというのであるが、もしも悪業をなす名色とその報いを受ける名色が、たんに因果関係で結ばれているだけで、実体として異なるものであるとするならば、悪業を免れることになるし、もしも悪業を免れることがないというのなら、変動する偶有性とは別に、責任の主体となる人格の実体的同一性を想定しなければならなくなる。

矛盾している教えを和することを仏教では会通(えつう)というが、ナーガセーナの会通は説得力に欠く。その最大の理由は、無我説を「自我に対する執着を捨てよ」という倫理的教義ではなくて「自我は存在しない」という形而上学的教義にしてしまったところにある。自我に執着するから、自我と一緒に輪廻転生を繰り返すのであり、自我への執着を捨てるなら、輪廻転生から解脱することができる。自我への執着を不可能にするために、自我は存在しないということにすると、存在しない自我がなぜ輪廻するのか、なぜ解脱するとなぜ輪廻転生から免れるようになるのかがわからなくなってしまう。 ”
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2012/milindapanha/
ギリシアの有の哲学対仏教の無の哲学















お読みくださり感謝します。
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