読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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『オルフェウス教』とニーチェへのストア派とエピクロス派の影響の考察。 

グノーシスやオルフェウス教など、多数派と対立した異端派、少数派の解説書を読めば読まねばならない本の数を減らせる。異端は、少数派の説明は多数派、正統派の教義と対比してなされるので両者を一度に学べてお得。当時の常識の説明も入るのでストア派の説明もある。

『オルフェウス教』レナル・ソレル Reynal Sorel 著/脇本由佳 訳
、文庫クセジュ(白水社)、2003年(原書 1995年)

Orphism (Orphicism; Ancient Greek: Ὀρφικά)
"Orpheus-initiators" (Ὀρφεοτελεσταί)
でも検索して日本語情報と比較するのがおすすめ。

本文

・オルフェウス(オルペウス)教は紀元前六世紀の古代ギリシアに発達した。
当時は一般に神々と人間とは根源から異なると信じられていたのだがオルフェウス教はそれに反対する運動だった。
古代ギリシアには宗教教義を扱った著作やまとまった聖典はまったくなかったが、宗教生活が公式に構成されなかったわけではない。
古典期と呼ばれる古代ギリシアの最盛期(紀元前5~4世紀)には宗教とポリスは分かちがたく結びついていて、市民の宗教行為は一つにまとまっていた。
敬神の道とは何よりも市民全体で行うものだった。
ポリスが神々に血の滴る生贄を捧げるのは神々に当然のものを支払うためであり、参加者の名誉となる正義の行いであった。
人間は不死なる神々に対して人間の種族と種族の間には消すことのできない違いがあるのだと忘れてはならない。
紀元前八世紀ごろのものと言われるホメロスの詩(伝統的宗教の礎)でも神々と人間は対等ではないうぬぼれるな不死なる神と地上を歩む人間は種族が違うなどととがめている。
ヘシオドスも生贄を神々に捧げよと書く。
神に生贄を捧げることをオルフェウス教は反対した。
神々への服従の証としての生贄の義務は、プロメテウスの欺きがもとになって取り決められたことであると、オルフェウス教とは告発した。
一般的ギリシャ思想だと、人は死すべきものであり、魂は肉体を離れるやハデスに飲み込まれる。死者はもはや「影か夢」。ホメロスにとって夢は実際にある光景を受け取ることである。ギリシア人にとって夢は眠りの間に経験するものではなく、夢は見るものであり、見る人からは独立している。同様に死者の亡霊は生者の世界から絶対的に切り離されている。エレボス(地下世界の闇)に追いやられた魂は、「鏡の中の人間の像」のように生きていない。魂を不死なるものとは見ず、あの世であやふやな状態で存続すると考えている。
人と髪を分けて考えること、死者の魂をぼんやりした影、ハデスに囚われた身と位置付けることにオルフェウス教は根本から反対し公認宗教の正統派の教義に真っ向から対立した。

・オルフェウス教はディオニュソス神話をもとに魂の不死を主張。幼いディオニュソスはティタン族により八つ裂きにされた。ディオニュソスはゼウスとペルセフォネの息子なのでゼウスが雷でティタン族をうつ。ティタンは焼け焦げ煙が上がった。積もった煤から人間が生まれた。この神話の登場神物は不死なるものであり不死こそが本リアの状態であったと考えらえている。
人間は神聖な出来事の結果降り積もった灰から生まれたので人間の種族は不死性より生まれている。
魂はその起源故死ねないが源は先祖が犯した殺害という罪に汚れている。魂を「墓(セーマ)」としての人間の「身体(ソーマ)」に閉じこめられる。ペルセフォネの要求するいにしえの悲哀(息子ディオニュソスを失った)の償いとして代価を支払わない限りこの状態は続く。母の恨みが人間に返ってくる。すべての人間の魂には不死の性質という趣旨がばらまかれており、そのことが彼女の悲しみをよみがえらせる。生贄の儀式は彼女の悲しみを煽る。ポリスの伝統的宗教行為は不敬だとする。肉を焼く煙ではなくお香の煙を捧げないといけない   。
ペルセフォネの嘆きを鎮めるためにオルフェウス式生活をすればその恨みから逃れられる。戒律とは、身を清め、肉食を絶ち、流血を伴う生贄を禁じ、禁欲生活をおくることであり償いである。
魂の生まれ変わりというつらい循環を中断させるのが完全なイニシエーション、入信儀礼。肉体を与えられることは詩に似ており、死はあの世での至福の生活の始まりとなりうる。
戒律のうち最も大切なのは、命あるものを害さないことつまり菜食主義。
十九世紀以降、墓地の発掘の際にオルフェウスの金板が発見された。紀元前5~4世紀にさかのぼるものである。それによってオルフェウス教がアッティカ(アテナイを含む地域)からシチリア島へ、南イタリアからローマへ伝わったことが証明される。もっとも特にローマにオルフェウス教団が存在したことを証明できるわけではないが。これらの銘板がオルフェウス教の直接の証拠資料としては唯一である。
注:オルフェウスの金板に刻まれた冥土の旅に必要な案内の恩恵は女性も受けていたことが発掘で明らかになり、女嫌いがオルフェウス教の運動に典型的な考え方ではないことが証明された。
注:オルフェウスの少年愛の暗示の記述がある。『変身物語』に、愛を幼年の男児に移し、その青年期に抱きだって、つかの間の人生の春を、早咲きの花々を摘み取ることを、身をもってトラキア人に教えたのも彼オルペウスだ、とある。
(グノーシスが女性優遇するのと関係ある?オルフェウス教だと少なくとも男同士の同性愛は肯定。
オルフェウスは男色肯定派。だって男色を教える側だもん。)

・プラトンがオルフェウス教を非難したことは、オルフェウス教が大衆に確かな人気を博していたに違いない。
アリストファネスの茶化しも、オルフェウス教が一般に広く知られていたことを前提としている。
オルフェウス教の宗教運動がこの磁気には書物を用いた現象になっていたことがはっきりと見て取れる。師匠から弟子へのひそかな教義伝授から、書き物の利用へと移行していたことを示しており、そういう傾向がそれだけ広がっていたということは書物といえばエセ宗教活動と決めつけられても仕方のない好ましくない兆しが現れていたに違いないと考えられることになる。

・オルフェウス教運動については間接的な証言によってしかわからない。抜粋の作成年代と、原作が書かれた時代を一緒にしてしまってはいけない。
肝に銘じないといけないのは、私たちが用いる文献は、示している原典に対して非常に批判的であるか、
原典にはなかった哲学的・神学的メッキをかぶせてしまっている傾向を持つか、のどちらかであることだ。
オルフェウス教はほとんど無名の人々の運動である。

・伝説のオルフェウスは「(オリュンポス山に近い)トラケ地方出身のアジア人」である。河の神と詩歌の女神ムーサの息子であり(ビストニア人とマケドニア人とオドリュサイ人の)王子または王とされているが、とりわけ歌い手、音楽家(竪琴=キタラ弾き)、並外れて才能に恵まれた詩人とされる。
彼が詩を歌うと自然全体が虜になり無生物も動き、獰猛な獣や怪物はおとなしくなり人々は集まり神々も屈服する。
注:オルフェウス誕生の地は現在のブルガリアとトルコとギリシアの接点であるのでオルフェウスをシャマン(巫者)と考える学者たちもある。シャマニズムはシベリアに特徴的な現象であるので用語の濫用は問題である。
注:一般オルフェウスはトラケ(トラキア)の河神オイアグロスと、
ゼウスとムネモシュネ(記憶の女神)の娘カリオペ
の息子と考えられている。

・一人になって死者の国から帰ってきたオルフェウスは以前とは異なる状態と苦悩との中に再生する。オルフェウスが以上に戻ってきたことは再生・転生であり地下に下ることは死である。死の瞬間、魂は、記憶の力による幸福な生か、忘却によって生じる、肉体への生まれ変わり(メテンソーマトーシス)つまり地上の生へと送り返されるか、の岐路に立たされる。

宇宙誕生の物語は宇宙が生み出された様を表す不可能な描写を言葉の中に固定させるもの。
不可能というのは世界の誕生は空間と時間という次元が確立するよりも前のことであり、空間と時間という次元の外では人間精神(カント的意味で)は何かを考えられる状態ではないからである。
宇宙誕生譚の考えでは世界は暗がりの中で生まれそこには目印というものはない。が決して混乱の中で生まれるのではない。混沌(トユブユ)、つまりばらばらな宇宙のカオス的無秩序という概念を古代ギリシア人はまったく抱いていなかった。
最初にあらわれるのは産み出す力であり、その前には生まれていないのだから存在しない。生成の力は、無性生殖および交合によって子どオを産む。世界の誕生は空間と時間の広がりができるより前のことだから、最初の存在はまだ物質的な要素ではない。つまり太古にはガイアは大地ではなくウラノスは空を表わさずニュクスは昼と交代でやってくる夜を意味しない。
ただこれらの命名だけがそれらを出来事として把握することを可能にする。空間と時間という宇宙生成の描写の二つの枠組みが確立されるより前の出来事だがそれら枠組みの確立が可能になったのもまたその出来事のおかげである。

固有名詞が一般世界よりも先にある。
固有名詞が一般世界よりも先にあることを宇宙誕生譚は理解させる。


原初の存在の並外れた生殖力にもしとどめが刺されなかったら宇宙開闢は際限なく永久に続き、コスモス(秩序)の観念そのものが捨て去られてしまっただろう。宇宙誕生の衝動は生まれるが終結せねばならない。
ヘシオドスではウラノスの去勢(鉄の鎌を作ったのはガイア。使ったのは末子クロノス)が世界の最初の段階に加えられるとどめの一撃を意味する。言い換えれば世界が空間と時間の中で明確にされまた規定されるために原初の力は無力にならざるをえない。したがって原初の力は自ら物質的な実在になる。
原初の存在が突然無力になったとき、歴史は始まる。
始まりの力の最後のけいれんというのはすべて完成した世界にとっては心底危険なものだ。それゆえ行程の最後にあたるガイアとタルタロス(大地となったガイアの奥底で最も深いところに沈む、目のくらむような穴)の結合はテュフォン(テュポン、テュフォエウス)を産み出す。テュフォン(テュポン、テュフォエウス)は恐ろしい怪物でしゅうしゅうという耳障りな蛇の頭が百生えていて、目印をかきみだし、底と頂とをかきまぜた。この怪物をゼウスは雷で撃つ。この怪物が死んでも市外から無秩序な風が吹き出す。

原初神たちが時の流れに埋もれ無力になることで秩序コスモスが保証される。
空間と時間が生まれると当然権力欲も生じてくる。クロノスとゼウスが支配権をめぐり戦う時代こそが世界が厳密に神統記的になる段階。つまり空間と時間が拘束されている間はいかなる支配権にも意味がない。ガイアとウラノスとカオスとニュクスには奪い合うべきものが何もない。これらの名前は支配しない。ただ盛んに生み出す。

この特徴はヘシオドスの特徴であり彼の作品は紀元前八世紀の終わりごろ又は七世紀の初めに残された。
注:(もういちいちつけないかも)神統記はテオゴニア=神々の誕生が本来の意味。
カオスは語源的には隙間、ぽっかり空いた穴、開いた口。あくびをして開いた口がカオス。
宇宙誕生時のカオスは完全な未分化状態の中でのすべてのものを混ぜ、一緒くたにした無秩序の状態という関係とはまったく無関係である。
カオスを混乱状態ととる考えは、ストア派の解釈に由来する。ストア派ではカオスという言葉を「注ぐ」「まき散らす」に関連付け、諸要素が一緒に注がれて混ざり合った状態と定義。カオスに無秩序という概念を導入したのはストア派の学者たちと言ってよいだろう

(カオス=無秩序はストア派の解釈!
これほど浸透している解釈を作ったのがストア派。
ほら、ギリシア・ローマがらみの古代思想の本を読むとストア派思想の解説が混ざる。当時の常識だから当然。
だってラテン語入門でおすすめされるはじめてのラテン語でいきなりストア派の説明が入るんだぞ。

固有名詞が一般世界よりも先にある、は本当に慧眼。
世界の創造を言葉で語るとどうしても矛盾が生じる理由は言葉誕生以前をそもそも言語表現できないから。
「変化」を描写するにはAからBという原因と結果という「順番」「方向」がすでに生じていないといけないが、その「順番」や「方向」が「誕生」すると描くと矛盾。なぜなら「誕生」は「変化」の一種だから。
いっておくが完全なるランダムも順番という秩序に従っているので原初ではない。この原初という言葉自体が以下略。
まあそうしたことを言葉で真実のように言っている奴は意図的な嘘つきか自分で何言っているか分かってない無自覚嘘つきかのどちらか。)


ヘシオドスは原初の存在としてカオス、ガイア、エロスという三つの名前をあげている。
原初の「裂け目」(カオス)は自分一人で完全に濃密な闇を産み出す。
エロスは、ガイアとウラノス(ガイアから誕生)の夫婦のきずなを一層強く締め付け始める。
クロノスがウラノスを去勢し、それによりガイアとウラノスの間に隔たりが生じる。
ウラノスは空になる。他の神々も固有名詞から一般名称へと移行。
神々はもう自分一人で生み出さず結ばれる。
ゼウスは女神メティス(狡知)を飲み込んでおり予測のつかないことを統御できる世になった。また女神テミス(掟の秩序の象徴)と結婚しその助けでそれぞれに持ち場を割り当てる国教が守られるようになる。これがヘシオドスの体系の究極の目的、つまり人間と神々は分割されているという図式。

ヘシオドスではウラノスが去勢されたときからはっきり時間が考慮されている。ウラノスが去勢され地がガイアに滴ってしみになる。ガイアは受精し「歳月が巡ると」復讐の女神たちと大いなる巨人たちとメリアイと呼び為されるニンフたちを産む。同様に切られた性器は「久しい間」ポントス(海)の水に漂っている。

・オルフェウス教の神話は複数ある(一部だけ紹介)
オルフェウス教の宇宙誕生譚は一つの決まった定説があるのではなく、いくつもの異なった説がある。

アテナゴラスとダマスキオスの説。
アテナゴラス説だと、
水があらゆるものの始原。水から泥が形成される。水と泥から蛇(ドラコーン)が生まれる。この蛇はしっかり生えた獅子の頭を持ちそれらの中央に神の顔があり、ヘラクレスそしてクロノス(時)という名を持つ。このヘラクレスはとてつもなく大きな卵を産んだ。
卵は産み落としたものの荒々しい力に満たされ摩擦によって二つに分割される。
一番高い部分が最終的にウゥラノス(天空)となり、
下の部分がゲー(大地)となった。
そこからは(ねここねこ注。そこが何を指すのか。下から出たのか?)「双胴の神」(=ファネス、パネス)も出てきた。
ウゥラノスはゲーと交わり合ってクロト、ラケシス、アトロポスという娘たちと、
ヘカトンケイル族
とキュクロプス族(一つ目巨人族。つまりブロンテス=雷鳴、ステロペス=雷光、
アルゲス=閃光)
という息子たちをもうけた。
ウラノスは息子たちによって権力座を追われることを知ると息子たちを縛り上げタルタロス(奈落)に突き落とした。そのためゲーは怒りティタン族を産んだ。

ダマスキオスの別伝によれば
初めに水があり、そして素材(ヒューレー)があった。ヒューレーが凝固することで大地ゲーが形成された。すなわち水と土を最初に提示している。水は土をくっつける。水と土から、しっかり生えた牡牛の頭と獅子の頭を持っていて中間には神の顔がある蛇(ドラコーン)であり、両肩には翼があり、「老いを知らぬ時」または「ヘラクレス」と呼ばれた存在が生まれる。
そしてそれと結びついているのが必然(アナンケ)である。これは本性の点でアドラステイア(私の注:「逃れられざるもの」)と同じであり、非物体的で宇宙全体に腕を伸ばし宇宙の際涯に触れている。この「時」=蛇は三者からなる子孫を産む。
湿ったアイテル(上層天)、無限のカオス、霧のようなエレボス(幽冥)である。
更に時がこれらの中に卵を産んだ。卵が中に持つのは二つの性質、男女のそれであり真ん中にはあらゆる種類の種がたくさんある。
そしてこれらに続いて三番目に、非物体的な神がおかれる。両肩に金の翼があり、わき腹にしっかりと生えた牡牛の頭をいくつか持ち、頭部にはあらゆる種類の動物の形に似た巨大な蛇(竜)がいる。これをプロトゴノス(最初に生まれたもの)として称賛し万物の組織者そして宇宙全体の組織者たるゼウスと呼んでいる。ゆえにこれはまた、パーン(全宇宙)とんも呼ばれている。

リュック・ブリソンはクロノス(時)とヘラクレスを同一視することをストア派の寓意解釈から説明している。ダマスキオスがヘラクレスのことを「自然でありまたアドラステイアであるところの必然と結合する」と言っているこの箇所ではダマスキオスは明らかにストア派の主張を借用している。
ストア派では
神は自然と運命と同一(セネカ『恩恵について』)であるとみなされねばならない。
続いてセネカはこう説明する。この神はまたヘルクレスとも呼ばれうる。
「この方の力が無敵の強さを持ちその仕事をし終って疲れた時は再び火に戻ることになるからである」。
この翻訳の注釈には
「神は万物を創造する火であって、万物はここから出でて、周期的に再びここに溶解するというストア説。
ヘルクレス(ヘラクレス)は十二の難業を果たしたのち結局は自分の死を悟ってオイタの山上に火葬壇を築かせ焼身しようとしたとき天上に召された。」。


(水+泥
=頭が神とライオンで、名前がヘラクレスと時間である蛇。
これは蛇なのか?
蛇とライオンと時間とヘラクレスの地位が高い。
蛇は龍でもあるから重要。
一つ目巨人の名前の意味が雷と光がらみ。

「神=自然=運命=万物を創造する火」であり、
万物は「神=自然=運命=万物を創造する火」から出でて、
周期的に再び「神=自然=運命=万物を創造する火」に溶解するというストア説


『二四の叙事詩からなる聖なる言説』
老いることなき時(クロノス)、その知恵は不壊なる者は、
アイテル(澄んだ領域)と、大いなる恐るべき深淵(カスマ)をあちこちとなく生み出した。
偉大なるクロノスが神々しいアイテルによって銀白の卵を作った。ファネスは起き上がり下の方ではもやのかかったカスマと風もないアイテルが裂けた。
世界は完全数6に従って配列される。王権を手中にするのはファネスが最初。続いてニュクス、ウラノス、クロノス、ゼウス、最後の六番目がディオニュソス。

ティタン族のKronosと、時間khronosという名を取り違えたのは新プラトン派の人が持ち込んだと考える人がいるが、誤りだ。ティタン族のKronosは時を意味しないし、ホメロスは時間khronosを主語に使わなかった。
ティタン族のクロノスの一番本当らしい起源は、語根kerケル「切り分ける」だろう。クロノスはhのついたkhronos(時)とは別の言葉であり時間概念とは無関係。
クロノスは切りとるものであり彼に伝統的に付けられる枕詞「曲がった知恵持つ」はホメロスにおいてすでに実例のある修飾語であり、彼が去勢に使った鎌の曲がった形を彼の性格にまであてはめたものである。

ファネスは万物に号令する。オルフェウス教に特有の神。動詞ファイノー(輝かせる、明らかにする、現す)からの派生であり、ファネスは「白日の下にさらす」という時クロノスの性質を実現する。
ファネスは女であり父親であると称えられる。彼が二つの姿を持つことが最も普遍的な生き物であることをあらわにしている。両性具有の二重の姿というのはどこにもない夢物語だ。男女の対立から成る制限を超えたところに神は身を置いている。宇宙誕生モデルの人間界においては両性具有は堕落である。
ファネスは単に両性を備えているだけではない。ファネスは四つの目を授かっており、いくつもの動物(蛇、獅子、牡羊、牡牛)の頭と、背中には黄金に輝く翼を付けている。

・伝説ではオルフェウスは流行に従ってその地で学問を磨くためエジプトに留学する。おもにディオドロスの筆によれば、彼は一種の模倣者となって帰る。かの地からもたらしたもののおかげで彼はギリシアで敬服されるようになった。
(オルフェウスもエジプト留学。
TOMITA_Akio‏ @Prokoptas 4月23日
「オルフェウス教のリストには、月の諸相を表す動物のシンボルが見られるが、そのような28のシンボルのほとんどの動物はエジプトに見られるものである」(テスター『西洋占星術の歴史』p.112)。 この出典が見つかったらご紹介するつもり。)

・テオファジー=信奉する神を食べる。

・オルフェウス教によれば、ゼウスとその母レイア(またはデメテル、両者はおそらく同一人物とされている)、
またはゼウスとその娘ペルセフォネという、
正式の夫婦ではないどころか近親相姦の交わりによって生まれたディオニュソス(時にザグレウスとも呼ばれる)は、ゼウスの妻ヘラの嫉妬の的となった。
ヘラはディオニュソスの子守をしていたクレスたちの注意をそらせておいて、おもちゃと鏡を使って子供をおびきよせてからティタン族にこれを殺させた。この殺害者たち(体に石膏をふりかけていた)は、幼い犠牲者の遺体を切り分け、その手足をゆで、次に焼いて、後期の説によればそれを貪り食った。
狂気の人食い行為を免れたのはディオニュソスの心臓だけだった。パラス・アテナ神がそれを取りあげてゼウスに私、ゼウスは平原にいたティタン族を雷で撃ってタルタロスに投げ込んだ。
どちらも異説だらけの二つの説が、死に至った神ディオニュソスのその後の運命を詳しく語っている。
一方の説ではディオニュソスは彼の手足の残骸が集められたのち、生き返る。
デルフォイの説ではその心臓は聖所のなかでも最もアポロンにちかしい場所に埋葬される。オルフェウス教のものと言われる伝承では人間の種族は雷で撃たれたティタン族から立ち上った蒸気が凝固してできたすすから生まれた、と主張されている。
ディオニュソスの解体された手足を火で料理するのはこの神話の常に変わらない部分であり、キリスト教作家たちまで下っても確認できる。

・オルフェウス教のディオニュソス
法悦的宗教のほうの、病的なマヒ状態に陥ることや幻覚に囚われて原罪を歪曲する極端なディオニュソス信仰に対抗して、
オルフェウス教の受難の神としてのディオニュソスは異なる型の禁欲を提示する。
禁欲、苦行はフランス語でアセーズといい、語源はギリシア語のアスケーシス(訓練)である。訓練という意味での禁欲がオルフェウス式生活(ビオス・オルフィコス)であり根幹をなすのが、いかなる殺生も行ってはならない=肉食禁止と生贄禁止。
オルフェウス教のディオニュソスはゼウスとその娘ペルセフォネ(乙女=コレーとも呼ばれる。地下世界の女王)から生まれた幼神であり、神々の最後の王となる運命を持ち完全数にかなった六番目のものである。
(法悦も仏教用語。仏の道を聞いて起こる、この上ない喜びであり神の道ではないことが重要。神仏習合では神の正体は仏なので、すべてが仏ってこと。
道楽=さとりの楽しさ、
超=完全なさとり、って意味の仏教用語が元。
• えっ!仏教語だったの?
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/word/word40.html)

再生(パリンゲネシア)。
ストア派では、パリンゲネシア=宇宙の同じ諸要素の周期的再来が永遠に続くこと。
後二世紀のローマ五賢帝最後の皇帝であったマルクス・アウレリウスによれば
「理性的な魂は全宇宙とこれを取り囲む虚空間とこれの形態を回遊概観し、無限の時間を貫いて伸び広がり、万有の周期的再生(ペリオディケー・パリンゲネシア)を自己の内に抱擁し、一望のもとに収める。そしてわれわれより後代の人びとも、より新規なことを何一つ見はしないであろうこと、またわれわれより前代の人びとも、より異常なことを何も見はしなかったこと、むしろある意味で、四十歳にもなった人は何ほどかの知性を有するならば、すでにあったこととこれからあるであろうことのすべてを、現代の事象との相似性のゆえに、見てしまっているのだということをそれは看取するのである。」(『自省録』)
ストア派では、我々の先祖たちも今ある以上のものは何も見なかったし、同様に子孫たちも何も新しいものを見ることはないであろうと考える。

(ストア派のパリンゲネシアが、ニーチェの永劫回帰の元ネタだろう。
ニーチェに対するストア派の影響の指摘をする人はねこたさん以外にもいる。
永劫回帰と運命愛はストア派由来だろうし、超人にはストアの賢人像が混ざっている。
がニーチェのいう超人はストア派の賢者そのものではない。

考察は長くなるので後述。
理性(ロゴス)により感情(パトス)を制し、不動心(アパティア)に達することが理想であるストア派。
自然に従えというストア派。
注意! 
ニーチェはストア派の「自然に従って生きよ」を『善悪の彼岸』にて批判している。
むしろ自然に従うべきではないと言っている。
ストア派が従うべきだと言う自然は浪費し、無関心で意図も顧慮もなく、憐憫も正義も知らず、不確実である。
どうやってこの無関心に従って生きることができるのか。
生きるとはまさにこの自然とは違ったものとして存在しようとすることではないのか。
生きるということは評価すること、えり好みすること、不正であること、限られたものであること、関心をもとうと欲することではないだろうか。
自己欺瞞者である君たち=ストア派の傲慢な心は、自然にすら自分の道徳と理想をおしつけ、自然を我が物にしようとしている。
自然がストア派に従った自然になることを求めているのだし、すべての存在が自分たちの像にしたがってのみ存在することを望んでいる。
ストア派の哲学は自己の暴力的な支配である。自然も暴力的に支配できると信じ込んだ。
しかしストア派の哲学者らもまた自然のひとかけらではないだろうか。
哲学はつねに世界をみずからの像にしたがって作り上げるし、ほかのやりかたはできないのだ。哲学とはこのように暴力的に支配しようとする衝動そのものである。もっとも精神的な、力への意志であり、世界の創造への意志であり、第一原因(カウサ・プリマ)への意志である。

以上は光文社文庫版『善悪の彼岸』p.33哲学の暴力 を再現=厳密な引用ではない。

ストア派の自然を誤解している気がするのだが。
自然に従えの自然自体をストア派に都合よく解釈するなら従っていないなたしかに。
しかしそれを言ったらおしまいだよねーっていいたくなる。
それだと
「人類創造のアダムの時代を理想としあらゆるものを共有し全裸で原始共産的生活」をするアダム派万歳にならないか?
ルソー教はどうか。
どちらもニーチェが奴隷道徳って言いそうだけど。
君主道徳はストアの賢人とかぶってそう。
更に詳しい資料は後述。
運命愛の資料も後述)

・オルフェウス教のディオニュソス神話と、エジプトのオシリス神話と深い関係があるという見解が受け入れられているが、誤りであり両者の間には何の関係もない。
究極目的も合致しない。
オシリスは弟のセトに殺されナイル川に浸される。遺体は切り刻まれてエジプト各地に散らばり、妻イシスが遺体を探し元通りにする。アヌビスがミイラ=復活のための体を作りイシスが再び命を吹き込むことができるようにした。
エジプト神話は死から生命を生じさせている。
対してギリシア神話では肉体という器の中に神性のかけらが潜んでいる。
エジプト人が、誕生を繰り返すもの(アメンエムハト一世やセティ一世につけられた称号の一つ) という言葉を口にする場合、彼らが考えているのは活力の転換という段階であって、
魂の生まれ変わり(メテンプシューコーシス)ではないのである。ファラオ時代のエジプト人の精神構造には、魂の生まれ変わり(メテンプシューコーシス)のための土台はまったくなかった。



(オシリスと秘密おケツ社とかけているのかな))

・ディオニュソスとザグレウスは同一ではない。ザグレウスの語源はいまだわかっていないが、クレテ起源であることは確かなようである。ザグレウスは野獣を狩る夜の狩猟神をさす。
古代のオルフェウス文献ではザグレウスはまったくほのめかされてもいない。ザグレウスは熱狂的ディオニュソス教の神と同様生肉食いを好む。

・神の殺害者であり、ディオニュソスの肉を食べたティタン族の残りかすから生じた人間は、二重の本性を持つ。
けがれた本性(祖先の殺りく行為から)と、
浄い本性(灰は彼らが貪り食ったゼウスの息子の神的本質も含むから)である。
人間の種族はティタン族に由来するが、彼らがガイアとウラノスの最初の子孫に属する、より古い神々であり、ゼウスは雷で撃つが、彼等は牢獄タルタロスに監禁されるだけでその後も生き続ける。
仮にティタン族の咀嚼が後代の付けたしにすぎないとしても、人間の種族はゼウスの稲妻から(稲妻を原因の一つとして)生まれた事実により神性は示されている。
人類の祖先は神々であり、神々とはガイアとウラノス、地と天(すすを立ち上らせたティタン族の両親)と、
ゼウスと息子である。
オルフェウス教徒が死後の旅で最後の決め手となる関門に差し掛かった時に唱えねばならない式文の最初の言葉が「私は、ゲー(大地)と、星芒輝くウゥラノス(天空)の子だが、私が属するのは、天空の種族である」である。
(雷に撃たれたティタンは死んだのでは?耐えたやつがいたかもしれないし、そもそも無関係なやつもいるってこと?)

・オルフェウス教の輪廻転生では、魂は父とも母とも妻とも娘とも馬とも鳥とも犬とも蛇ともなるというように、異なる魂に入って行く。
魂は人間又は動物の肉体の中に輪廻転生するが植物の中にはけっして生まれ変わらないのであれば、ぴったり合う言葉は
「肉体内への転生(メテンソーマトーシス)」だろう。
輪廻転生思想は紀元前六世紀末ごろにギリシア系の国々にあらわれている。
肉体への生まれ変わりは苦痛である。それは原初の罪を信じることと結びついた。試練である。オルフェウス教の厭世主義。


(神智学(インド風の新キリスト教。今のスピリチュアルの源流の一つ)や神智学交じりのニューエイジ輪廻転生思想だ、オルフェウス教やピタゴラス教やヒンドゥー教や仏教などと異なり人間からは人間にしか転生しないとすることが多いのは、聖書の動物蔑視思想からきている。
霊的カースト制度+陰謀論が教義だから悪質。
そういえば輪廻転生は植物は除外で、除外だから食べてよかった気がする。現代だと微生物はどうするのかという問題もある。

死こそ生、肉体は魂の牢獄(霊肉二元論)、原罪、霊魂の不死+輪廻
トラキアのオルフェウス教 →ピタゴラス教団 →プラトン→新プラトン主義
オルフェウス教はグノーシスの原型の一つっぽい。)

・生贄は神々への奉納物ではない。贈り物だがすぐに損なわれる。のどを切るための小刀または斧で奪われる命、肉を食べられる。投げ落とされることもあるが、普通は焼かれる。
贖罪(神に対して罪が置かされたときに再びその神に好意的になってもらう為)のためのものであることもあるが、どちらかといえば何かを嘆願するためのものであることが多い(願掛け、感謝を約束)。
オリュンポスへの祭式なら生贄は日の出の際に行われる。獣を儀式に従って屠殺した後食事が行われる。骨と脂身を焼いてそのにおいを神々に捧げ、それは天まで立ち上る。いいところの肉と臓物その他の肉は祭壇の上で焼いてその場で食べる。人間の胃袋に収まる。
オリュンポスの神々に捧げられた犠牲は高い祭壇の上で生贄にされる。血が空に向かって吹きだすように喉は上に向けてまっすぐ持ち上げられる。生贄は遠くからも見える神殿で行われた。
一方地下への祭式では奥まった聖所、墓のように見える一種の洞窟の中で行われた。
オデュッセウスに知恵を授ける魔女的女神キルケが地下への儀式の指示を与えている。

地下への祭式では、儀式は常に夜間に執り行われる。贖罪のための生贄でありまた誓言とともに行うこともできる。対象となるのは冥界の神々、暗い水の神々、半神、死者達である。捧げられた犠牲獣の喉は地面のほうへと低く下げられ、血は低い祭壇の上を、または地下の神々の穴へと流れ、地面にしみこんでそこを住む存在を潤す。犠牲獣は生贄後の食事では食べない。血を抜かれた死骸は焼き尽くされるか穴の底に投げられた。
食べられない生贄は浄化=穢れを清めると、厄除けを行うと主張されたがオルフェウス教徒からすれば殺害行為でしかなかった。

・オルフェウス教では、人間は生贄を捧げるために創造されたのではない。
オルフェウス教は神と同化することを主張する。肉食を控えることは神々のごとくあるということである。人間を神と反対のものと定義するのを拒否。禁欲は人間を神にすることである。
プロメテウスの方式に従う公認の信仰はティタン族の犯した罪を繰り返しているのであり、ペルセフォネの嘆きをぶり返さているのである。

・テュシア(thysia)「生贄」は流血を伴う生贄とそのあとの食事を指すのに普通に用いられる。動詞テューオー(生贄という好意に用いられる。厳密には動物の焼かれる部分に餅られる)から派生したテューマという名詞は、生贄の犠牲獣を意味する。
(フィクションの人名で使われそうなので書いておいた)

・オルフェウス教の戒律の一つがソラマメの絶対的禁止。ソラマメ禁止はピュタゴラス主義とオルフェウス教とエレウシス秘教に共通しており、ピュタゴラス主義の人々が作り上げた、豆類と生命の起源との象徴的対応に基づいて定着しているもののようである。
「豆は人間の種子にほかならぬ」
ソラマメと睾丸の類似が生殖をあらわしているのだろう。
別の理由づけとしては次のようなものがある。
ソラマメは茎に節がない唯一の植物であるので、蝶番のないハデスの門に似ているからである。
この奇妙な理由がソラマメを誕生の循環と密接に関係づける。
ソラマメは誕生の循環の道具となる。魂はハデスから再び太陽の光の下へと昇ってくるときにソラマメを足掛かりとして使うのである
ソラマメを断つことは次のように説明できる。ソラマメは魂に満ちていると同時に、人間の命の起源に跡を残している罪で汚れている。ソラマメは誕生の循環に協力しているからである。ソラマメを食べることは必然的に、人肉食い、共食い(アツレーロフアギア)につながる。つまりソラマメを食べることはペルセフォネの息子の受難を再現し彼女の悲哀をよみがえらせる。
ソラマメは存在の源に属する。
「罪」(秘教的意味での堕落の罪)によってソラマメはけがれている。したがって罪を永続させないためにまた、人間として存在するのを止めるためにソラマメは禁止される。人間はソラマメから発して存在しているのだから。

ピュタゴラス主義者にだけはより攻撃的、政治的な動機付けも書かれた。イアンブリコスいわくソラマメの絶対的禁止の裏には民主主義の象徴に対する拒否姿勢があったのではないかと疑っていた。ソラマメは役人の抽選に使われるからである。

(ソラマメ禁止の理由は初めて聞いた。

ユダヤ教とイスラム教は豚を食べないけどその究極的な理由はわからないが正解。「何か」という「神」という言葉で表現された途端にレベルが落ちる思考の絶対存在の意図はわからなくて当然。そもそも人間的な「意図」があるか不明。
「善意」はあるらしいがその「善」は人間の「善」とは違うだろう)

自殺の禁止。自殺は殺害である。我々の肉体はディオニュソスに属する。

ストア派の賢者にとっては自殺は自己の神格化を確かなものにする行為。自殺は、絶対的な力である運命(その裏には有限性がひそんでいるのであるが)と張り合うことができると主張された。「生を保ち続けるべきか」という質問に対する答えは、「現状において、生き続けることは生から離れることよりもより自然に即しているか」(キケロ『善と悪の究極について』)。

(マニ教から殺人禁止を抜くと最悪のカルトになるな。
上位のみ殺人OKで、下位は殺人禁止なら、下剋上で殺されることを抑止できる。現状そのままだ)


・羊毛でできた屍衣に包んでの埋葬に関する禁忌を、ヘロドトスが詳述。
「エジプト人は毛のものは聖域へは身に着けて入らず、遺骸につけて埋めたりもしない。それは宗教上禁ぜられているのである。この点では、いわゆるオルペウス教およびバッコス教(これらは本来エジプト起源である)、さらにはピュタゴラス派の戒律と一致するものがある。これらの宗派の密儀にあずかった者は、毛の着物をつけて葬られてはならぬことになっているからである。このことについては縁起説話が伝えられている」。
動物からとれたものであるから、羊毛は命あるものの延長である。

・エレウシス秘教の志願者は、春にとりおこなわれる小密儀と、
六か月後の大密儀、そして一年後の、厳密な意味での入信儀礼(エポプテイア)との間は細心のきよめが要求された。エポプテイアをいったん受けてしまえば(エポプテイアは神を直接見るという至高の体験であり救済の効力をもつ)、めいめいの者は普通の生活を再開し、市民としての義務、個人的信仰のための生贄とポリスの礼拝、に復帰した。
オルフェウス教の戒律は一時的なものではない。

・オルフェウス教の秘教の儀式ではあの世で撮るべき道を信徒に教えてくれる。ハデスの二股の分かれ道や四辻は一つ一つが入信していない不浄な魂ならば必ずかかる罠である。
オルフェウス教では冥界下りはあらかじめ準備され、何度もおさらいしている(秘儀によって冥界の地理に習熟させる)。
忘却対策に金の薄い板に詩の形で刻まれた短い書簡集であり、普通はキヅタの葉をかたどったものを持っていく。心臓の形に図案化されていることもあり、大きさは必ず極めて小型。
この有名なオルフェウスの金板は墓所の発掘で発見されたもので、故人の胸の上もしくは手の近くに置かれた状態で見つかることがもっとも多い。いくつかの古い品は紀元前5~4世紀にさかのぼる。

金板の文章抜粋。
ムネモシュネ(記憶)の沼から流れる救済の冷たい水、その監視者。
監視者らに向って云う合言葉は、
「私は、ゲー(大地)と、星芒輝くウゥラノス(天空)の子だが、私が属するのは、天空の種族である」

「私は、ゲー(大地)と、星芒輝くウゥラノス(天空)の息子です」。

銘文の共通点。
魂が太陽の光(ホメロスが生者の世界を表わすのに使う)を後にするや否や、
つまり死が肉体を襲い、魂がハデスに降りていくとすぐに、魂は左と右という二つの方向に直面する。魂は間違えることなく右の方向をとり、永遠に流れる泉に到達しなければならない。それはムネモシュネ(記憶。その反対がレテ=忘却であり、忘却の泉は左にある)の沼から流れ出ている。
魂は渇きにさいなまれて、その場で監視をしている者たちに向って合言葉を口にする。
それにより魂はその冷たい水を飲むことを許される。
「私は、ゲー(大地)と、星芒輝くウゥラノス(天空)の子だが、私が属するのは、天空の種族である。このことをあなたたちみずからも心得よ。私は、渇きのために喉が乾涸びて死にそうだ。」
この決まり文句のお陰で、渇きをいやす(=自分の神的起源の記憶を保つ)ことのできた魂は、右手の道を前進し続け、ペルセフォネに自己紹介する。ペルセフォネは彼女の神聖なる草原と杜(もり)に行くことを魂に許可する。魂はそこで他の英雄たちの間で統治者となる。
起源の懐に回帰する。

・魂は死ぬことはできない。時bンを忘れsの神的起源を忘れるか(左の道をとることになる)、あるいは神的起源を思い出すか(右の道)。
この二者択一は入信儀礼を受けたものにしか現れない。
それ以外の魂はハデスの館の左に位置した道に自動的にさしかかる。
この左の道はレテ、忘却の泉に通じる。魂の神的起源を覆い隠している忘却は、原初に生じた悲哀にたいして 無知な状態であり、それゆえオルフェウス式生活と、それによって可能になる入信儀礼に対して無知な状態でもある。
忘却はそのまま、太陽の光の下に新たに誕生することと同じになる。
忘却の平原に踏み込めば結局、転生の憂き目を見る。
忘却は生殖と深くかかわっている。
反対に、記憶は紙との失われた同一性の回復であり、過去(ペルセフォネの悲哀と分かちがたく結びついてた人間の起源)を知ることであり、それゆえ魂の永続性を知ることでもあるのだ。魂はその本来の起源ゆえに消えてしまうこと、ふわふわした煙のようになって消滅することはできないので肉体の中で生きる=よみがえることを余儀なくされるか、転生の円環から解放されるかのどちらかである。
幸福とは生まれ変わりの循環から解放されることであり入信儀礼を受けている人々は秘儀のときにすでにその味をしめている。
魂が渇きのために死にそうなのはまだ記憶の水を飲んでいないからである。
ムネモシュネは、ヘシオドス以来の伝統によればムーサたちの母であるが、オルフェウス教においてもひとりの神だ。冥界の前に位置し死後の運命の入り口に君臨している神だ。

ピュタゴラスの徒が主張した数(正の整数)の知の概念が、二つの欄に分けられた一覧表で表わされている。それぞれの欄の頭には、
限り(ペラス)と無限(アペイロン)という断固とした二つの原理がある。
右には奇数、一、明、善。
左には偶数、多、暗、悪。
一が見いだされるので右は善。
左が悪なのは二者関係と偶数性からなる生殖の原理によって示されている。
ピュタゴラス式生活の戒律の一つは、あらゆる神殿には右手から入って回ることを命じていた。
プラトンいわく、死後の魂は二つの道が交差していてそのあいだには裁判官たちが席を占めている場所にやってくるとあり、
正しい人々に対しては右側の天を通って上に向かう道を行くように明治、
不正な人々には左側の下へ向かう道を行くように命じる。
死者の霊魂を導くヘルメスは冥界の分かれ道で右の道をとって正しい人々の魂を冥界の判官ラダマンテュスのところへ導く。
神話の英雄アエネアスはウェルギリウス作『アエネイス』にて冥界下りをするが、道案内をしたアポロンの巫女しびゅらはこの英雄に必ず取らねばならない道筋について念を押す。
「右は偉大なるディースの城市へと向かう。われらはこちらを進んでエリュシウムへ行く。左は悪人どもに罰を下し、不敬なタルタラへ送る道だ」。
ディース=ギリシアのハデス。
エリュシウム=ギリシア語のエリュシオン「極楽」。
タルタラ=タルタロス。

ファラオ時代のエジプトでは、広く快適な西の道(右の道)と、
反対の険しく狭い東の道が考えられていた。
ユダヤ教のカバラでは「向こう側」の教義は全世界の悪魔の悪しき勢力を「左の階層序列」に従って述べる。

ポルフュリオス『ピュタゴラス伝』より、
ピュタゴラスは、
対立する力で、
優れるものを、一、光、右、等、停止、直。
劣るものを、二、闇、左、不等、曲、運動と呼んだ。

アリストテレス『形而上学』より、
ピュタゴラス学徒のうちでもある人々は、
原理を十対ある双欄表に列挙。
限りと無限、
奇と偶、
一と多、
右と左、
男と女、
静と動、
直と曲、
明と暗、
善と悪、
正方形と長方形
がそれである。
(左利きの女が嫌いなのかな?
ピュタゴラス教団も男女平等ではないな。
女性の体形は曲が強調されているよね。

オルフェウス教は救済には記憶が必要だとする)

・冥界の監視者に告げる合言葉は、
「私は、ゲー(大地)と、星芒輝くウゥラノス(天空)の子だが、私が属するのは、天空の種族である」
ガイアとウラノスの息子と自己紹介することで死者は人間と神々の共通起源を完ぺきに記憶していることを証明する。

・入信儀礼を受けている魂は、冥界の道や落とし穴や危険を避けおおせる。
女主人(デスポイナ)の懐(冥界の中もその女王が身を置く部分を遠回しに言った表現)に到達した魂は、ついにエウクレス(ハデス)とエウブレウス(ディオニュソス)とペルセフォネの前にやってくる。
「種としてまかれたあらゆる存在に君臨するシ者(エフオロス)として、ディオニュソスの母神はその魂の清浄さを確認する。その者の記憶は過去と魂の永続性の知識を保持しており、ペルセフォネの法を遵守してきた。確認が終わるとそれから起源にあった不死性が再構成される。人間と神との失われた同一性が回復され、新たな勝利が数えられる。オルフェウスの冥界下りの際にハデスの手のひらから抜け出た勝利である。

オルフェウス教の影響が初期キリスト教にも及んだ。
地下墓地カタコンベには野獣たちが竪琴のたえなる調べのとりこになって、オルフェウスを取り巻いている図が刻まれる。
影響は間接的なものにとどまった。
聖パウロいわく、人間の魂はオルフェウス教の意味でもプラトン的意味でも神的なものではないと断言されていたから。
パウロ曰く魂は紙の恩寵の座、神の息吹のすまうところ。パウロは神的状態を獲得するということ、人格が入れ替わることによる働きは理解したが、神的状態を取り戻すという概念は持っていなかった。
オルフェウス教では自分自身に本来あるものを崇めて神的なものを見つけていった。

十五世紀のフィチーノに代表されるフィレンツェの人文主義ではプラトン神学をキリスト教に統合しようと努力された。
フィチーノは古代神学者たちを列挙し、ヘルメス・トリスメギストスのすぐ次にオルフェウスをあげている。
オルフェウスは新プラトン主義の中心教義を先取りしていた。
(グノーシス系キリスト教にオルフェウス教の影響がありそう。輪廻思想はオルフェウス経由かも)



(ハリーポッターの第一巻がまんまオルフェウスの冥界下りを模している。
フラッフィー=ケルベロスを音楽で眠らせる。
奥にいるのがヴォルデモート=ハデス=名前を読んではいけない存在。
ハデスの名を言うことは忌避されたからまんま。

冥界の王にして、冥界の裁判所のトップにして、呪術・富・鉱物・宝石・豊穣・死者の埋葬・葬礼をつかさどり、死者に敬意を払わないものを罰するハデス(英語プルート。ラテン語プルトン)のシンボル。 隠れ兜(かぶると姿を消せる皮でできている)、王笏、玉座、果樹園、冥界の鍵、豊穣の角(コルンコピア。…両手でかかえるほど大きい)、糸杉、ミント、白ポプラ、アスポデロス(不死の花)、水仙、ザクロ、メンフクロウ/ミミズク(縁起の悪い鳥でハデスの使者といわれる)、
ケルベロス。
ハデスの名は直接口にするのは縁起が悪いので避けられた…
ハデスの別名は縁起の悪さを感じさせないポジティブなものが多い。プルトン(富める者)、アイドネウス(見えざる者)…
ハデスは…生殖能力のない男神だと考えられているが、本流ではないギリシャ神話(オルフェウス神話)では子供を持っているときがある。

(時間の神は重要。数が少ないので覚えやすい。
ズルワーンとクロノスとアイオーン。
ケルトの時間の女神
"Arianrhod" (arian, "silver,"  rhod, "wheel")
銀の車輪=アリアンロッドはケルト神話に登場する時を司る女神。



訳者あとがき

・オルフェウス教は秘教なので情報が少ない。

・オルフェウス教は多神教だが、とりわけディオニュソスおよび母神ペルセポネを崇める。
(オルフェウスより崇められているのかな)

人間は本来、神と同一の起源から発生した存在。
とりわけ人間の魂は神と同じく不死。
だが人間の魂にとってこの世に生まれ変わり続けることは苦しみ以外の何物でもない。この輪廻転生の苦しみから解放されるには、あらゆる殺生と肉食を絶たねばならない。ソラマメも食べてはならない。
生前は浄い生活を続け、肉体が死んだ暁には冥界でペルセポネにそのことを証明できたなら魂が輪廻転生から解放され神の性質に回帰できる。
オルフェウス教で最重要な儀式は入信儀礼(イニシエーション)。
しかし具体的にどのように行われたものなのかは判らない。

著者いわく古代ギリシアにおいて伝統的宗教に対する反逆の意味も持っていたのがオルフェウス教。
ギリシアの神は人間くさいと言われる。ホメロスの二大英雄叙事詩イリアスとオデュッセイアを文学として鑑賞するのみならず、あらゆる事柄の手本として古代ギリシア人は見た。
子供への教育ではホメロスの両詩は最重要科目とされた。
吟遊詩人でなくともこの二大叙事詩を暗唱できる人はいた。
非倫理的な神観にすべてのギリシア人が賛成していたわけではなくプラトンはホメロス的神観に反対していたことはよく知られている。
ホメロスでは神々を崇め畏れる宗教行為は生贄式である。
牛など主に家畜を祭壇で切り殺し、肉は自分たちで食べ、骨を焼いて煙を神々に捧げる。
オルフェウス教では生贄ではなく、焼香で煙を神々に捧げたらしいがこの儀式の詳細は不明。
ホメロスではすでに人間と神々とを隔てる思想が強い。
不死なる方々と死すべき者たちの対比。
対してオルフェウス教では神々と人間は本来同一存在だと主張であり、伝統宗教に対する反逆でもある。

古代ギリシアでは古代エジプトなどと異なり、来世信仰はそれほどでもなかった。
あの世であるハデスはあるが、天国や地獄のようなイメージはない。
影のような存在になった死者たちがさまよっているだけらしい。
人間が死後に赴き永遠に暮らす(さまよう)場所はホメロスではふつうハデスだが、ほかにエリュシオンの野という極楽浄土のような場所もあった。ホメロスにも言及あり。
しかしここに送られるのはごく一部の偉人、英雄などであり一般人に望める場所ではなかった。
また生まれ変わりへの信仰も普通見られない。
救済宗教ではない。生贄さえ捧げていれば十分で、人間にとっては現世がすべてで死後にはほとんど何もない。
(土着のギリシアの伝統宗教と異なるということは外来由来だろうね。またインド・イランっぽい。トラキアに入ってきてもおかしくない)

ホメロスの作品は英雄叙事詩。英雄叙事詩は王侯貴族の為の文学として発展したと考えられる。宮廷での一種の娯楽として特に活発に作られ歌われたものと思われる。
王侯貴族がパトロン的存在となり発展させたと思われる。
オデュッセイアにも宮廷に仕える吟遊詩人が登場するし、ホメロスの作品で活躍する人物はすべて王侯貴族である。英雄叙事詩は長い間、王侯貴族に聞かせる文学だったと考えられる。ホメロスの宗教が救済宗教とならなかったことに関わっている事情であろう。
現世で富と幸福を享受している王侯たちに精神的救済や来世信仰は必要ないのである。
奴隷層や貧しい人々にとってはオルフェウス教の
「この世の生はそれ自体が罰である」という教義はむしろ自然に受け入れられたのではなかろうか。現世で苦しんでいた人々に迎えられた宗教はキリスト教が有名だがキリスト教以前にオルフェウス教のような救済宗教が存在していた事実は注目に値する。


解説索引

・アドメトス:ペライの王。アポロンが彼に恩義があったため、彼の定められた死の際に、身代わりとなって死ぬものが現れれば長生きできるようにはからった。
結果、妃アルケスティスが身代わりとなった。エウリピデスの劇の題材ともなっている。

・ディオニュソスの親子関係比較
  一般神話     オルフェウス教神話
父 ゼウス       ゼウス
母 セメレ(人間)   ペルセフォネor
             デメテルor
                レイア

幼い神ディオニュソスをティタン神族=巨人に殺させたのはゼウスの妻ヘラ。
オルフェウス教のディオニュソスとザグレウスを同一視する説を本書は否定。

巨人神ティタンは天地より誕生。天はウラノス。地はガイア。

・セメレはテバイの王女(人間)。
ゼウスに愛されデュオニュソスを身ごもるが、ヘラの策謀で死ぬ。
ゼウスは彼女の遺体から退治を取りあげ自分の腿に縫い込んだ。
ディオニュソスはそこから産まれたという。

・デメテルはクロノスとレイアの娘でオリュンポス族の女神。
ゼウスの姉。穀物、豊穣を司る。
ゼウスとの間に娘ペルセフォネがいる。
エレウシス秘教では中心的な女神。時としてレイアと同一視される。

・ペルセフォネ(ペルセポネ、別形ペルセポネイア)の別名は乙女(コレー)
ゼウスとデメテルの娘で、冥界を支配するハデスにさらわれて地下の冥界に連れ去られ、ハデスの妃になった。
以上一般神話。
オルフェウス神話では
ペルセフォネは父ゼウスとの間にディオニュソスを産んだ。
嫉妬したヘラがティタン族に命じて赤子だったディオニュソスを殺させた。
怒ったゼウスはティタン族を雷で撃ち、焼け焦げたティタン族から立ち昇ったすすから人類は生まれたという。
ために、ペルセフォネは人間を見ると我が子を殺された悲しみを思い出し、人間は輪廻転生という罰を負わされているという。

・プロメテウスは
ティタン族の一人イアペトスの息子だが、
ティタン族とオリュンポス族の戦いであるティタノマキアの際、
オリュンポス族に味方したので、他のティタン族のよう拘禁されることがなかった。
彼はしばしばゼウスに反抗して人類を援助した。
メコネで神々と人類が生贄の取り分を決めようとした時、プロメテウスは牛を切り分け、ゼウスを欺いて神々の取り分を牛の骨とした。
以後、人間は神々に生贄の骨を燃やす儀式を行うのが義務だったという。


・オルフェウス(オルペウス)の
父は河神オイアグロスorアポロン、
母はカリオペ(ムーサの一人)。

・カリオペは
ゼウスと記憶(ムネモシュネ)の娘。ムーサの女神たちの一人で、オルフェウスの母といわれる。

・テテュスはアキレウスの母で海の女神。
アキレウスが赤子の時に彼を火に入れて不死にしようとしたが失敗。
アキレウスをステュクス(冥界の河)の水に浸して不死身にしようとしたが踵だけがつからなかったという異伝もある。

(炎に入れて不死にするのを失敗したら焼け死ぬんじゃ……。
たしかイシスも火で不死にする儀式していたな)

・デモフォン(デモポン)はエレウシスの王ケレオスの息子。
穀物の女神デメテルが人間界を巡り歩いたおり、エレウシスの王ケレオスの館にやって来た。彼女は赤子だったデモフォンの乳母となって育て、夜に火の中に埋めて不老不死にしようとしたがデモフォンの母親に妨げられて失敗に終わった。

・エレウシス秘教
はデメテル女神を祀る秘教。
オルフェウス教と並んで古代ギリシアの代表的な秘教だった。
エレウシスはアテナイの北西海岸にある市で、アッティカにおけるデメテル女神崇拝の中心地だった。

・テレタイ、テレテー
=秘儀。一般には入信儀礼(イニシエーション)と訳されることが多い。
(作者はイニシエーションは誤訳だと指摘)

・トラケ
=トラキア(ラテン語形)
はギリシア北方の地方。

・トゥリオイはイタリア、ルカニア地方にあったギリシア植民都市、金板が出土している。

・パンドラ(パンドレ)は人類最初の女性。
人類=男性への罰としてゼウスが与えた。パンドラの箱(ヘシオドスでは「甕」)の神話が有名。
(パンドラ登場以前は男の人間しかいなかったのか……)

・オルフェウスの金板
オルフェウス教信者が秘儀に参加し終わったときに授けられるもの。信者は死ぬとこの金板と葬られた。それは詩の形で書かれた短い書式集であり金の薄板に刻まれている。
死後の旅でとるべき道、唱えるべき呪文を教えている。
死後、冥界で金板が指示する通りに行動すれば、オルフェウス教信者の魂は女神ペルセフォネの赦免を受けて輪廻から脱却し、神性に回帰できると信じられた。

・オルフェウス神話のクロノスkhronos=時。
オルフェウス教神話の宇宙誕生譚に登場する原初神「時」という概念を擬人化した神。
下記とは異なるので注意。
Kronosクロノスは大地ガイアと天ウラノスの息子で、父=天を倒して世界の支配者になるが、息子ゼウスに倒される。クロノスはティタン族の末弟にして代表者。

・「死すべき」は人間の枕詞。
神々は「不死なる」・

・新プラトン派は後三世紀半ばに成立し、プラトン哲学を中心に、ピュタゴラス主義、アリストテレスとストア派の哲学、さらには当時の宗教思想も取り入れた。
完成者は後3世紀のプロティノスで神秘主義に属する思想。
新プラトン派の多くはプラトンとアリストテレス哲学は調和しうるという信念に立って膨大なアリストテレス注釈を著わした。

・シンプリキオスは後6世紀の新プラトン派。

・スーダ辞典は後10世紀の百科事典。
約3万語を収録しコンスタンティノープルで誤りと無知を防ぐ。「スーダ」(防壁)として編纂された。

・アグラオフォモス(アグラオパモス)Aglaophamos
トラケの秘教神官の名と言われ、ピュタゴラスにオルフェウスの言葉と秘儀を授けたという。
新プラトン派のイアンブリコス 『ピュタゴラス伝』

・アリストクリトス 後五世紀のマニ教徒
『神智学』Theosophia


・オルフェウス教の宇宙誕生譚に登場する原初の存在が宇宙卵。
原初神「時(クロノス)」が生み出したものともいわれるが、本来は宇宙最初の存在とも考えられる。




ディオニュソスの親子関係比較
関係一般神話オルフェウス教神話
ゼウスゼウス
セメレ(人間)ペルセフォネor
デメテルor
レイア


オルペウス(=OrfeuvV)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/orpheus.html
”オルペウス教の入信儀式の神秘的で重要な語句の1つに、「我、小さき児は、母の乳の中に倒れぬ」という句がある。これは、おそらく、ペルセポネーの胸のもとでの死と、それに続く彼女の養ない児としての再生に関連するものと思われる。

 古代の祭式には、ユダヤ教の律法が特別に禁じたものが含まれていた。「あなたは子やぎを、その母の乳で煮てはならない」(『出エジプト記』第23章19)。この儀式に対するユダヤ人の恐怖はきわめて大きく、彼らはミルクと肉製品には違う皿を使うべきだと主張するほどであった。しかし、彼らの神はかつては、ペルセポネーのような、「穴」としての母神アシュラと、聖なる結婚の儀式によって、結婚したのであり、この儀式には仔ヤギをその母親の乳の中で料理することが含まれていた[15]。この語句が聖書記者にとって何を意味していたのかは、誰にもわからない。この禁令は、確かに、動物に対する優しさや、ヤギの母性愛に対する崇敬が動機となっているのではない。それには何かほかの、ある神秘的な理由があったのである。

 紀元2、3世紀頃には、オルペウス教は、キリスト教の最も容易ならざる競争相手であった。教会が、オルペウス教の救世主とキリストを同一とする案を考え出すまで、この事態は続いた。4世紀のキリスト教美術は、オルペウスの姿をしたキリストを描き出している。キリストはプリュギアの帽子をかぶり、竪琴を奏で、足許には生贄の仔ヒツジが描かれていた[16]。アレクサンデル・セヴェルスは、彼の家の礼拝堂にキリストとオルペウスの聖像を並べて置いた[17]。

 オルペウス教の福音は、地中海沿岸地方一帯において、少なくとも1200年の間にわたる長い間布教されていた[18]。そしてキリスト教の教理に大いに貢献し、また中世の吟唱詩人の物語においても再び語られた。



ペラスゴイ人の創世神話
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/genesis1.html

ホメーロスおよびオルペウスの創世神話
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/genesis2.html

――ニーチェへのストア派とエピクロス派の影響—

結論。運命愛と永遠回帰はストア派由来。
でも自然に従って生きよは否定。
超人にはストアの賢人像が混ざっている。
エピクロス派の影響がどこまであるかは私には判断できない。

英語版ウィキはちゃんと、運命愛Amor fati
の概念はストア派のエピクテートスに遡り、ストア派のマルクス・アウレリウスとつながっているとある。マルクスアウレリウスは運命愛という言葉は使っていない。ギリシア語で著述し、ラテン語は使わなかったから。『自省録』はギリシア語。
古代ギリシアやローマの古典・哲学・文学等で優秀な成績を残し、古典文献学教授までなったニーチェがエピクテートスとマルクス・アウレリウスを読んでいないこともありえないし、思想を理解していないなんてありえない。
ニーチェはストア派の自然に従えを否定するわりに、運命愛と永遠回帰の概念は採用している。
ツァラトゥストラにある「これが生であったか、よしもう一度」という運命愛。

カントもニーチェも古代哲学がわかっていないと意味不明な箇所が多々あるので注意。
ニーチェの本の引用はネットで調べると高確率で出て来る。
有名箇所は日本語訳でかなり長い塊で載せているサイトもある。
有名だと楽だね。
西洋哲学では英語文献のほうが豊富で当たり前。
日本語話者の利点は漢字文献の理解度の高さ。

Amor fati
https://en.wikipedia.org/wiki/Amor_fati
“The concept of amor fati has been linked to Epictetus.[1] It has also been linked to the writings of Marcus Aurelius,[2] who did not himself use the words (he wrote in Greek, not Latin).
The phrase is used repeatedly in Friedrich Nietzsche's writings and is representative of the general outlook on life that he articulates in section 276 of The Gay Science:
I want to learn more and more to see as beautiful what is necessary in things; then I shall be one of those who makes things beautiful. Amor fati: let that be my love henceforth! I do not want to wage war against what is ugly. I do not want to accuse; I do not even want to accuse those who accuse. Looking away shall be my only negation. And all in all and on the whole: some day I wish to be only a Yes-sayer.“


以下は光文社文庫版の解説
善悪の彼岸9:哲学の暴力
http://blog.livedoor.jp/akamakigami7/archives/33794927.html
“p33~p35

これもまた、「願望=真理」への批判です。矛先はストア派。
ストア派もまた、エピクロス派と同じくプラトンと同時代です。開始から400年続いたそうですが。
ストア派は厳しい自己抑制を特徴とした教えで有名です。ストイックの語源になったそう。
彼らは「自然にしたがって生きよ」と教え、「不自然な感情」である破壊的な衝動は判断の誤りから生じ、それゆえ判断を司る「理性」を鍛えることが重要だと言います。
さて、自然は随分秩序だっているようです。少なくともストア派の人たちにはそう見えたそう。
物を上に放り投げれば必ず落ちてくるし、琥珀を擦れば必ずビリっとする。三角形の内角の和は必ず180°です。
当時の人たちは、これが随分不思議に思えたそうで、自然の法則が働く事を「理性が働いている」などと考えたみたいですね。
だからストア派も「自然=理性的」などと言ったのでしょう。

ニーチェはこのストア派も、やっぱり「自分の見たいように物事を見ている」と非難します。
ニーチェ曰く「自然は際限なしに無関心」であり、「生とは、自然と〈違ったものとして〉存在すること」。
自然は僕たちが生きようが死のうが、苦しかろうが楽しかろうが、そんなことに頓着せずにただひたすら存在する。
しかし、僕たちは「評価し、選り好みし、何かに関心を持たなくては」生きていけない。
前に見てきたように、僕たちの判断の底には「生存本能」が蟠っているのだから。
「生存に有利=よい」と評価してしまうのです。
同じようにストア派は、「自然から自分たちの掟を読み取る」などと言っておきながら、その実「自分たちの思うとおりに自然を解釈している」。
そして自慢の「自己抑制」で自らを「支配」できるがゆえに、自然をも「暴力的に支配」できるだろうと考える。
「自然を作り上げる」のである。
そしてこのことへの意欲こそが「、力への意志」であり、「『世界の創造』への意志」である、とニーチェは言います。”

以下は別の翻訳の引用。
「自然に従え」の誤謬 『善悪の彼岸』より
http://kodokunahorosya.blog.fc2.com/blog-entry-662.html?sp
“おお、諸君、高貴なストア派の人々よ、諸君は「自然に従って」生きようと欲するのであるか。それは何という言葉の欺瞞であろう!自然というものの本性を考えてみたまえ。節度もなく浪費し、限度もなく無頓着で、意図もなければ顧慮もなく、憐情もなければ正義もなく、豊饒で、不毛で、かつ同時に不確かなものだ。諸君はその無関心そのものが力としてであることを考えてみるがよい。―諸君はこの無関心に従って生きることがどうしてできようか。生きること、それはまさしくこの自然とは別様に存在しようと欲することではないのか。生きるとは評価すること、選び取ること、不正であり、制限されてあり、差別的(関心的)であろうと欲することではないのか。そして、「自然に従って生きる」という諸君の命法が根本において「生に従って生きる」というのと同じほどの意味であるとしたら、―諸君は一体どうしてそうでなくありうるというのか。諸君自らがそれであり、かつあらざるをえないものから、何のために一つの原理を作るのであるか。―実を言えば、事情は全く別なのだ。というのは、諸君は我を忘れて自分たちの掟の基準を自然から読み取ると称しているが、実は或る逆のことを欲しているのだ。つまり、諸君は奇妙な役者で、自己欺瞞者なのだ!諸君の誇負は自然に対して、自然に対してすらも、諸君の道徳、諸君の理想を指定し、呑み込ませようと欲している。諸君は自然が「ストアに従って」自然であるように求め、そして一切の現存をただ諸君自身の姿に準じて現存させようと望んでいる。―しかもストア主義の巨怪な永遠の讃美と普遍化としてなのだ!諸君の愛を悉く真理に捧げつつ、諸君はあれほど長く、あれほど執拗に、あれほど催眠術で動けなくされて、自然を誤って、すなわち自然をストア的に見るように自分たちに強いたので、ついに諸君は自然をもはや別様に見ることが不可能になった。

(中略)

哲学はいつも世界を自らの姿に擬して創造する。それよりほかの遣り方を知らない。哲学はこうした僭王的な衝動そのものにほかならず、力への、「世界の創造」への、《第一原因》へのもっとも精神的な意思なのだ。   『善悪の彼岸』ニーチェ著より”
緑雨‏ @ryoku28 2013年8月29日
『サルトルの誕生』において「ストア派-ニーチェ-サルトル」の稜線が完全に捨象されているのは何故だろう。サルトル自身も戦中にストア派について長大な省察を残し、また「根源的選択」やら、それに影響を与えているであろう「永遠回帰」やら「運命愛」やらにはストア派の影があるというのに…。

Yuuki Ohta‏ @yuuki_with2us 2014年7月17日
「誠実さ、それが我々自由な魂も逃れられない我々の徳だとして—ならば、もてるすべて悪意と愛をもってそれに取り組もうじゃないか、そして*我々の*徳、我々に最後に残された徳、そこで我々自身を「完全にすること」に疲弊してしまわぬよう[…]*堅牢*たれ、我ら最後のストア派よ!」(ニーチェ)
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ワダアキラ‏ @akira23141 2015年2月2日
クリシュナムルティとニーチェは根底でつながっている。通底しているのはアウトサイダーの哲学であり高貴であること。自分で自分のケツを拭くこと。何ら外部の物のせいにしない事である。外部のものに影響されないとは、さらにエピクテートス、エピクロス、ストア派にも親近性があり賢者の智慧は同じだ
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ワダアキラ‏ @akira23141 2014年10月31日
と考えると、肉体において苦痛がなく精神において乱されないエピクロス的幸福、消極的幸福が望ましい。ストア派にはどうしても荒れ狂う欲望を理性によって強引に統御するという趣きがある。ニーチェがストア派よりもエピクロスに惹かれていたのは何となく分かる気がする。
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ボルボラ‏ @zairic0 2015年5月12日
返信先: @rollnpanさん
@rollnpan 『ストア派』といえば、ローマ五賢帝の最後の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの手記『自省録』が有名ですねー。私はこれは読みました。ニーチェとは考え方が合いませんが、これはこれで非常に良い本です。薄いですし読みやすいです。
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ボルボラ‏ @zairic0 2015年5月12日
返信先: @rollnpanさん
@rollnpan ニーチェを読み返していると思うのですが、前提知識がやや必要なところがあって、そこでは苦労するかもしれません。批判対象として「ストア派」とか「イマニュエル・カント」があがってきたりしますが、このあたりは知らないと何書いてあるのかわからないですねー。
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ワダアキラ‏ @akira23141 2016年2月25日
ストア派はニーチェのように痩せ我慢の哲学であり、ニーチェがエピクロスに憧れたのも故なきことではない。エピクロスは友愛にも力を入れていて、それこそニーチェやゴッホの夢見た《芸術家・哲学者たちの共同体》だ。そして二人ともこれに挫折し、氷島の孤独を味わなければならなかった。
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ワダアキラ‏ @akira23141 2016年4月15日
ニーチェがマルクスアウレリウスに言及した形跡はないが、けだし彼はストア派の指導理性を信じていなかったし、そんなものよりも自身の意志を信じていたのだ。しかしニーチェ哲学はストア派にもエピクロスにもはたまた懐疑派にも似ている。あたかも彼らのいいとこ取りのような感じがしないでもない。
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ねこた‏ @lakudagoya 2016年5月3日
返信先: @lakudagoyaさん
ストア学派のクリュシッポスは、ニーチェやショーペンパウエルやセネカやガザーリーも真っ青なほど、パトス死ね死ね言いまくってた。 支配者の中核思想はストア派臭いので、耶蘇教が乗っ取られたという話が浮上中〜なんて今更お花畑に言う主婦に対してはどうするか火を見るより明らかでしょうよ。
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J. めがね‏ @Philoglasses2 2016年11月24日
ニーチェが『善悪の彼岸』の中でストア派批判しているところ、大事。「君たちは、自然が〈ストア派に従って〉自然であるようにと、そして一切の存在をひたすら自分たち自身の姿に型どって存在させようと、熱望している」(信太訳)。もしありえるとすれば、ストア派はこの批判にどう応えるだろうか。
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koykoy‏ @koydende 4月28日
(ストア派は)「自然にしたがって生きよ」と教えたが、君たちはほんとうに生きることを望んでいただろうか。~ 君たちの傲慢な心は、自然に(自然にすら)、自分の道徳と理想をおしつけ、わがものにしようとしているのだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』)
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西洋古典叢書編集者‏ @Deipnosophistai 2012年4月13日
【今日の名言】人間の歴史は円環をなす。くるくる廻り、同じ者が常に幸福であることを許さない。……ヘロドトス『歴史』I, 207(いわゆるヘロドトスの循環史観で、後にポリュビオスに影響をあたえる。これをさらに徹底させ、同じ出来事が繰り返されるという永劫回帰を唱えたのがストア派。)
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西洋古典叢書編集者‏ @Deipnosophistai 2013年12月27日
【今日の名言】ストア派によれば、大燃焼の後で宇宙にある同じ数のものがすべて再び生成する。……クリュシッポス「断片」II 624(いわゆる永劫回帰の思想。ただし、「同じソクラテスやプラトンが…」はネメシオスなどキリスト教作家が使う批判の言葉であることに留意すべき。)
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月影 耿太郎‏ @Riesenhuber 2014年3月1日
思考には連続性があり、日々の連想の質が永劫回帰によって凝縮され、運命を形成していく。繰り返された習慣はいずれ運命となるのだ。ニーチェもストア派の哲学やエマソンを読むことで、永劫回帰概念に辿り着いたのではないだろうか。
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エピクロスの快楽主義の検討
http://kotoyumin.com/epicurus-79
”われわれは快楽を、至福な生の始めであり、また終わりでもあると言っている。というのは、われわれは快楽を、生まれると共に持っている第一の善として認めているからであり、そしてこの快楽を出発点にして、すべての選択と忌避を行っているし、また快楽に立ち戻りながら、この感情(感覚)を基準にしてすべての善を判定しているからである。(DL.10.128-129)

……神々については敬虔な考えを持ち、死については常に恐怖を抱かず、自然的な目的(快)をすでに省察しており、善いことの限度(苦しみのないこと)は容易に達せられ獲得されるものであるし、悪いことの限度は時間的にも痛みの点でもわずかであることを理解している。また、一部の人が万物の女王として導きいれた「運命(必然性)」を嘲笑している人、このような人より誰が優れているときみは考えるか。(DL.10.133)



ちなみにストア派では欲望はもとより、あらゆる感情は完全に滅するべきであると考えられていました。欲望は感情の一部です。



……ストア派によれば、すべての感情(perturbationes)は判断(judicium)と想念(opinio)から生ずる。

……欲望(libido)とは、すぐ目の前にあって手の届きそうな、将来の善に対する想念である。

(キケロ 『トゥスクルム荘対談集』 4.14、木村健治・岩谷智訳)



もろもろの感情と戦うには襲撃を加えねばならぬ。小細工ではいけない。かすり傷ぐらいではなく、強襲をかけて敵軍を撃退せねばならぬ。嘲るぐらいでは駄目だと思う。なぜなら相手を粉砕せねばならないのであって、ののしるのではないからである。

(セネカ 『人生の短さについて』 10-1、茂手木元蔵訳)



ストア派と違い、エピクロスは欲望を全て悪いものとはせず、自然な欲望が満たされることで人は幸福になれると考えました。”

エピクロスの神(5)
http://monsieurk.exblog.jp/18384929/
”カトリック教会は長年にわたって警戒をおこたらなかったが、エピクロスの思想は、甦ったルクレティウスの詩篇とともに、イタリアの人文主義者や芸術家たちに衝撃をもってむかえられた。サンドロ・ボッティチェッリの代表作《春(La Primavera)》(1482年頃)は、それを示す端的な例である。
 絵の中心にはヴィーナスがおり、その周りにいるのは古代の神々である。神々が見せるさまざまな動きは、春の到来による大地の復活をあらわしていて、ルクレティウスの詩句の再現にほかならない。
 「春はヴィーナスとともに訪れ、それに先立ちヴィーナスの
  翼ある先駆者がやってき、西風の足跡には
  母なる女神フローラがあらかじめ道いっぱいに、
  彼らのため妙なる色と香とをまきちらす。」(『物の本質について』5卷、737-740行)

 影響はイタリアだけに留まらなかった。モンテーニュは『エセー』(初版は1580年)で、ルクレティウスをたびたび引用し、その英訳(1603年)を読んだシェイクスピアは、『ロメオとジュリエット』で、唯物論への共感を披露している。シェイクスピアの専門家であるグリーンブラッドによると、シェイクスピアはラテン語に堪能で、活字本として出版されたルクレティウスを直接読んだ可能性があるという。
 19世紀になると、さらに多くの人たちがエピクロスの思想に関心を寄せた。若きカール・マルクスは、「デモクリトスとエピクロスとの自然哲学の差異」という論文を書いて、イエーナ大学に提出して博士号を獲得した。この論文は失われてしまい、現在は準備のためのノート数冊が残されている(『マルクス=エンゲルス全集』第40巻、大月書店)。マルクスはヘーゲルの影響のもとで、唯物論の立場からエピクロスに関心をもったのだった。
 「神は死んだ」と宣言したニーチェも、ライプチヒ大学在学中にディオゲネスやルクレティウスを精読し、「ディオゲネス・ラエルティオスの資料について」という論文を書き、古典文献学の新鋭として一躍脚光をあびた。そしてこの仕事をきっかけに、大学を出る前に、スイスのバーゼル大学から教授として招かれたのである。

 1883年の夏、友人ペーター・ガストに宛てた手紙で、このころを回想している。
 「むかしデモクリトスとエピクロスの研究に没頭していたころの思い出を一筆。――このあたりは文献学者にとっては、いまなお汲めどもつきせぬ研究の世界です!
 君も知るように、(発掘された) ヘルクラネウムの文庫には、時間をかけ、苦心を重ねて、ようやく読めるようなパピルスがあります。それは過去の一エピキュリアンが持っていた文庫なのです。だからエピクロスのほんものの著作が発見される希望があるわけです!
 たとえばその中の一片は、ゴンベルツによって解読されました(ウィーン学士院紀要所収)。それは『意思の自由』を論じたもので、その結論は(たぶん)エピクロスは運命論のはげしい敵対者だが、同時に――決定論者ということでしょう。」(氷上英廣「ニーチェとエピクロス(2)」、岩波新書『ニーチェの顔』所収)
 氷上英廣は『ツァラトゥストラはこう言った』の翻訳で知られる優れたニーチェ学者で、「ニーチェとエピクロス」は、ニーチェが生涯繰りかえし思索の俎上にのせたエピクロスを論じたものである。彼は文中で、ニーチェの『華やぐ知恵』のある断章を引用している。
 「エピクロス。――そうだ。私はエピクロスの人物をおそらく誰とも違ったふうに風に感じていて、それを誇りに思っている。エピクロスについて、何を聞き、何を読んでも、わたしはそこに古代の午後の幸福を味わうのである。・・・エピクロスの眼は、日を浴びた岸辺の岩群のかなたに、広大にひろがる白く光った海をみている。大小の禽獣はこの日光の中で嬉戯し、その日光のように、またかの眼と同じように、悠々自適している。だがこうした幸福を編みだすことのできるのは、不断に苦悩している者だけだ。」
(同) ニーチェが思い描く幸福な光景は、ステファヌ・マラルメの詩「牧神の午後」に通じる牧歌的理想郷「アルカディア」を思わせる。
 ニーチェは代々プロテスタントの牧師を出した家系につらなる者だが、「キリスト教によって高度に発展せしめられた誠実の感覚が、すべてのキリスト教的な世界解釈と歴史解釈に対して嘔吐を覚える」(『力への意志』)。つまり上の文中の、「こうした幸福を編みだすことのできるのは、不断に苦悩している者だけだ」とは、彼自身のことにほかならない。
 ニーチェは「神は死んだ」と宣言したが、そこには若いときに知ったエピクロスをめぐる葛藤があったのである。彼はその上でこう断言するにいたる。
 「科学は同時に死に関するあらゆる観念、あらゆる彼岸の生命を否定した。そのことによってわれわれの関心事はひとつ減った。すなわち『死後』はもはやわれわれとは関係がなくなった。これは言いようのない恩恵であって、恩恵としてあまねく感得されるには、まだあまりに新しすぎるものなのである。――ここにあらためてエピクロスが凱歌を上げる!」(『曙光』)  ”

『エピクロス 教説と手紙』
https://booknote.jp/life/kyosetsutotegami
” それゆえ、快が目的である、とわれわれが言うとき、われわれの意味する快は、――一部の人が、われわれの主張に無知であったり、賛同しなかったり、あるいは、誤解したりして考えるのとはちがって、――道楽者の快でもなければ、性的な享楽のうちに存する快でもなく、じつに、肉体において苦しみのないことと霊魂において乱されない(平静である)こととにほかならない。

自己充足の最大の果実は自由である。

自己を保全するためにまず第一に尽くすべきおのが分は、自分の青春を大切に守り、荒れ狂う欲望によってすべてを台無しにするものを警戒することである。

水とパンとで暮らしておれば、わたしは身体上の快に満ち満ちていられる。そしてわたしは、ぜいたくによる快を、快それ自身のゆえにではないが、それに随伴していやなことが起こるがゆえに、唾棄する。

より大きな快を楽しむために、これらのさまざまな苦しみに耐えることは、よりよいことである。また、もっときびしい苦しみに悩まないために、これらのさまざまな快をさしひかえることは、有益である。

自己充足は、あらゆる富のうちの最大のものである。

明日を最も必要としない者が、最も快く明日に立ち向かう。

幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何かの権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなくて、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属するのである。

隠れて、生きよ。
※アテネの反体制者への弾圧などがあった。”


エピクロスと快楽主義の哲学
http://philosophy.hix05.com/Hellenism/hellenism04epicuros.html
“エピクロス (BC341-BC270) は、ストア派の創始者ゼノンとほぼ同じ時期に生まれ、アテナイを拠点に活動した。彼の創始した学説は、ストア派の説と並んでヘレニズム時代の思想を代表するものとなった。いずれも、世界帝国の中で相対的に地盤沈下した個人の生き方に焦点を当て、人間にとってよき生き方とは何か、個人の幸福とは何かについて考察した。ストア派が禁欲に重点を置いたのに対して、エピクロスの徒は快楽こそが幸福の源泉と考えたのであった。

エピクロスが実際に唱えた快楽の思想とは、快楽という言葉から伝わってくるような享楽を旨とするものではなく、心の平静を成就しようとするものであった。彼はそれをアタラクシアと呼んだ。

アタラクシアとは、文字通りにいえば無感覚という意味の言葉である。それは感覚のもたらすものに惑わされず、何事に接しても心の平静を保つという境地を表わした言葉なのである。

エピクロスの若い頃の学業についてはわからぬことが多い。デモクリトスの思想を学ぶことから出発したようである。エピクロスはそれをナウシパネスから学んだらしいが、自分ではそのことを認めず、またデモクリトスもレウキッポスも尊敬しようとはしなかった。だが彼の思想の骨格は一種の唯物論であり、そこにはデモクリトスの影が大きく作用していることが認められるのである。

デモクリトス同様エピクロスも、世界が原子と空虚からなっていると考えていた。魂もまた原子からなっている点ではほかの物質と異なるところはない。感覚とは物体の原子が魂の原子に打ちあたることから引き起こされる物理的な現象である。感覚から導き出される想念も、魂の原子がさまざまに配分されることによって生ずるのであった。エピクロスがデモクリトスと異なるところは、これらの原子の動きが自然法則によって決定付けられているのではなく、そこには自由が介在する余地があると考えたことである。

快楽の追求に関してエピクロス自身がいったという言葉を、ディオゲネス・ラエルティオスが引用している。「我々は快楽を、至福な生の始めであり、また終わりでもあるといっている。というのは、我々は快楽を、我々が生まれるとともに持っている第一の善と認めているからであり、そしてこの快楽を出発点として、すべての選択と忌避を行なっているし,また快楽に立ち戻りながら、この感情を基準にして、すべての善を判定しているからである。」(岩波文庫)

エピクロスにとって、快楽には能動的と受動的、あるいは動的と静的との2種類のものがある。動的な快楽とは、満たされていない状態を満たそうとすることから生まれる満足であり、がつがつ飲食したり、性交の快楽にふけることからもたらされる。熾烈な権力闘争から生まれる快楽もこの種のものである。

それに対して静的な快楽とは、たとえば飢えが満たされたときにもたらされる平静な状態のようなものである。それは満たされぬものを満たそうとする希求ではなく、自分自身のうちに満たされていることといえる。

こうした考えから、エピクロスにとって快楽とは、快楽の存在よりもむしろ苦痛や不足がないという充足感のようなものに近いのである。充足感の中でも胃や性器のような肉体にかかわるものより、心の平静が重視される。エピクロスが「アタラクシア」という言葉でさしたのは、この心の平静なのである。

エピクロスは性交を避けるべきだといった。それは人間の肉体や心の状態を撹乱し、激しい情念を燃やし続けさせることによって、心の平静とは最も遠い状態に人間を置くからであった。

ところで人間の心をもっとも撹乱するのは、恐怖の感情である。恐怖の源泉の中でも最も重要なのは宗教と死である、とエピクロスは考えた。

エピクロスは神の存在は否定しなかったが、それは伝統的なギリシャ人が考えたような恐ろしい神ではなかった。神は人間に災いをもたらすこともある生きた存在であるというより、自然の摂理のようなものと捕らえられた。一種の理神論であろう。ここにもデモクリトスの影響が見られる。

エピクロスは徹底した唯物論者であったから、魂の不死も信じなかった。肉体が滅びれば、魂も同時に滅びてしまう。だからといって死ぬことを恐れる必要はない。死は正しく理解すれば決して恐ろしいことではない。それが恐ろしく思えるのは、死んだ後も魂は残って、あるいは地獄に落ち、生前の業に応じてさまざまな試練を課されるといった、誤った想念にとらわれているからだ。

死についてエピクロスのいった言葉は、人間の長い歴史の中でも、もっとも崇高な言葉の中に数え入れられるべきである。

「死は、もろもろの災厄の中でも最も恐ろしいものとされているが、実は、我々にとっては何者でもないのである。何故なら、我々が現に生きて存在しているときには、死は我々のところにはないし、死が実際に我々のところにやってきたときには、我々はもはや存在しないからである。したがって、死は、生きている人びとにとっても、また死んでしまった人々にとっても、何者でもないのである。生きている人びとのところには、死は存在しないのだし、死んでしまった人々は、彼ら自身がもはや存在しないのだから。」(ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシャ哲学者列伝」)”



ストア派の運命論についての考察1―ストア派は「やせ我慢」ではない
http://kotoyumin.com/stoicdeteminism-318
“ストア派の目指す理想の境地は「不動心(アパテイア)」です。読んで字のごとく、「何ものにも動じない心」を身につけるということです。まさに実践哲学。

この「不動心」は、ストア派の持つ「運命愛」の思想に基づいているように思われます。あるいは、「運命愛」という心的態度の帰結として「不動心」が練成されてくるもののように思えます。
運命愛というと、宿命論であったり、ニーチェ的な発想とも連なります。たぶん、プラトン・アリストテレスにはあまりない発想じゃないかと思います。
…”

∸―――
雑多

アイオーン 蛇に巻きつかれた獅子
http://www.karakusamon.com/aeon.html
”ミトラス密儀の獅子頭像
考古学の発掘等により、ローマ帝政期時代において、頭部が獅子で、人間(男性)の身体を持ち、蛇を全身に巻き付けた神と思える像が発見された。この像は、「アイオーン神の像」と考えられたが、ギリシア神話におけるアイオーンの神の像とも、グノーシス主義におけるアイオーンの擬人化神像とも考えられた。
また近年有力なのは、これはミトラス教の「時間の主神」であるペルシア起源のズルワーンの像であるという説もある。ズルワーンはゾロアスター教の神であり(ただし、ズルワーンを主神として崇拝する派は、正統ではないとされる。ズルワーン主義とも呼ばれる)、ミトラス教でも重要な位置を持っていた。アイオーンの像が何であるのか、正確には判明していない。 ”

キュモンの『ミトラの密儀』を読む
http://www.karakusamon.com/roma/cumont.html)
” 第1章 起源(p17)
ペルシア人の祖先たちがインド人の祖先たちとまだ一つであった遠い昔、彼らはすでにミトラを崇拝していた。ヴェーダの讃歌は、アヴェスターのそれと同じようにミトラの名を讃えている。
カッパドキアの楔形文字が明らかにしたところでは、ミタンニ人によって前13世紀ごろ崇拝されていた。
アヴェスターの中ではミトラは天の光の精霊である。
彼は成長をもたらし、豊穣をもたらし、家畜の群れをもたらし、子孫と生命とをもたらす。
ミトラは「まどろむことなくマズダー神の創造物を保護する。」
女神アナーヒターと同様、アルタクセルクセスの碑文の中で、アフラマズダーとともに祈願される。
コマゲネス王アンティオコス一世(在位前69~34)の墳墓の碑文
(タウロス山脈)ミトラと握手している。
コマゲネ王は母方でシリアのセレウコス朝、父方でヒュスタルペスの子ダレイオスから出たと自称、ペルシアとギリシアの神々や儀礼を結び付けた。彼の王朝ではアンティオコスとミトリダテスという名前が交互する。
小アジアのマゴス達の宗教は、外来征服者の宗教に吸収されることなしに、それと自らを結びつけた。同一視という古くからの方法に依存

第2章 ロ―マ帝国への伝播
「密儀(ミュステリオン)」というギリシア語・・秘教
ミトラはギリシア世界からは締め出されたままであった。
(p37) 古代インドの信仰が起源 このマズダー教の下層には古代バビロニアのセム系の教義の厚い沈殿
(p35)多くの異質の要素が一体となったこの合成宗教は、 ヘレニズム時代にアルメニア、コマゲネ、カッパドキア、ポントスで栄えた複合文明の適切な表現である。
ミトラ教の主要な布教者は軍隊

第6章 ミトラとローマ帝国の諸宗教
(p142)キリスト教とミトラ教、敵対する二つの宗団の類似点は非常に多く、古代のすべての人々の間でさえ強い印象を与えるほどであった。
二世紀以来、ギリシアの哲学者たちはペルシアの密儀トキリスト教の比較対照を行ったが、それはすべて明らかに前者にとって有利なものとなった。
(p143)借用の範囲を詳しく確認できる唯一の分野は美術である。
キリスト教徒はミトラが矢を射かけて命ある泉水を湧き出させる図像から霊感を得てモーセがホレブ山の岩を杖で打つ図像をつくりだした。
キリスト教とミトラ教は酷似しており、その主要な例は魂の浄めと至福なる復活の希望であった、根本的な違いは、ローマの古代宗教との関係
キリスト教・・ 全偶像崇拝に対する容赦ない敵対
ユリアヌス皇帝の背教・・反動

ミトラ教美術
牛を殺すミトラ
(p165) オリエントに原型を持つ獅子頭のクロノス
同類の存在の多くの者と似て、動物の頭部を持つこの怪人は、オリエント的想像力の産物である。その系譜は疑いもなくアッシリアの彫刻にま遡る。ただしオリエントの芸術家たちは、ギリシアの神々の体系にとっては異質な神を表現したに違いなく、またいかなる特定の流派によっても拘束されなかったので、自分対置の空想を自由に羽ばたかせた。
彼らが施した様々な改変は、一方では宗教的配慮―多くの事物を付加することによって、この神格化された抽象観念の象徴的意味をますます複雑化させる傾向によって、 そして他方では この野蛮な登場人物の怪奇さを可能なかぎり和らげ、それを少しでも人間化しようとする願望、によって動機づけられる。 結局、彼らはこの神の獅子頭をやめ、この動物を足でだけあらわしたり、胸にこのもう獣の顔面を配置することで満足する。

(p166) 永遠を表す獅子頭の神はミトラ教美術の最も独自な創造物であり、たとえ愛らしさや優雅さに全く欠けていても、その外観の奇抜さや事物の暗示に富む集積は、人々の好奇心をそそり、瞑想にいざなう。
この時間神以外で、オリエント起源を証明することが確かにできるものとしては、たとえば、杖の上にかぶさったプリギア帽とか天界を象徴するための鷲が乗った球体などいくつかのシンボルがある。

(p167) ミトラ教美術はギリシア彫刻が創造したいろいろなタイプの宝物庫から多くの借りものをしたにもかかわらず、本質的にはそれが表していたところの密儀と同じようにオリエントのものであった。
いくつかの浮彫にひしめいている登場人物や群像の寄せ集めや、
永遠を表すクロノスを覆い尽くさんばかりの持物の錯綜は、「何らかの新しい理想が新しい宗教形態とともに生まれたことを示している。
これらの醜く冷たいシンボルはミトラ教遺物によって執拗に使われたことがわかっているが、優美さとか高貴さによって人を惹きつけるものではなかった。
それらは人々の精神を未知なるものの困惑させるような見直によってひきつけ、魂の中に厳かな神秘に対する畏敬の念を起させるものだったのである。

(p168) そういうわけで、その不完全さにもかかわらず、非常に洗練されているミトラ美術は永続的な影響力を行使することになった。

ペルシアの神の信者たちがにぎにぎしく複製を作って広めた宇宙循環の図像は、ほんとうはキリスト教の精神に抵触するものであったにもかかわらず、キリスト教によってとりいれられた。 なぜならミトラ教徒にとっても自然全体は神聖であったからである。 例えば、天、地、海、太陽、月、惑星、獣帯の記号、四方位の風、四季、四大元素等がそういうものであり 、キリスト教徒の石棺、モザイク画、細密画などにも頻出する。 ”

返信先: @NanananYoginiさん
紛れもなくこれは魔法です。(^^) 現代人は誰でも知っていてみんな使ってるから、それが魔法であることを意識していないのです。
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• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
腕時計を腕にはめるとき、時間に縛られるということを象徴してる。それは社会的ルールの基本だからほかに時計機能を持っていてもぜひつけてほしいな? 素敵な懐中時計でもいいのだけど、社会的責任を果たすための大切な《時間魔法》だから忘れないでね。
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• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
いまではスマホがあるから時計を持たない人が多いみたいだけど、腕時計はいまとなってはクロノス神のタリスマンです。腕時計に意識を向ける回数が多いほど力はチャージされる。面倒だとは思うけど効果的な「時間の呪術」です。
0件の返信 12件のリツイート 20 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
時計は必ず手元においておくこと。腕時計はおうちにいるときもつけておきます。
0件の返信 6件のリツイート 5 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
おそらく時間感覚の消失があるから、タイムテーブルだけ意識してみては? 定期的に時計を見て行動するの。大まかな時間割を決め手それに従います。大まかでいいから優先順位を決めて最低限それだけには従う習慣をつけます。
0件の返信 5件のリツイート 5 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
うがいが先かも?何故なら、細菌やウイルスの感染に対する防衛は時間との戦いだから早いほうがいいのです。(^^)

「異端派には智慧を。正統派には盲信を」
異端派=少数派の教義は合理的で知性重視
正統派=多数派の教義は非合理で反知性主義。
異端派=少数派に秘密と技術を持たせることで、有する暴力の強さが、
多数派の数の暴力と釣り合うようにして運営。
支配層も少数派なのが重要。


(この動画シリーズおすすめ。類似品がないので貴重。

ゆっくり東方(オリエント)物語 第十七話「自由の証明書」
動物ですら契約社会なのか。
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm30668031
コメント。
くしゃみ=息(命)により猫(生命)が誕生。 
布から=くしゃみなしで命を創れるイエスすごいぞってこと。)






http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-141.html
https://twitter.com/kenkatap/status/571492688995852288
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/503928152662372352

(ゆっくり東方(オリエント)物語シリーズ超おすすめ
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/739416128418516992
ゆっくり東方物語番外編4「十一から十五話までの補足」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30697321
鹿はイラン系の神話によく見られ、不死のシンボル
ペルシャの文学でも美女を鹿に喩えることがある。
ナルト叙事詩でも美女と鹿はよくセットで登場





ギリシア神話豆知識bot‏ @greekmyth_bot 2016年9月12日
パンドラ〔人〕ヘパイストスに造られた、最初の人間の女。神々から開けてはいけないと念押しされた壺を贈られ、エピメテウスに嫁ぐ。しかし好奇心から壺を開けてしまい、そこから飛び出した老いや欺瞞など、様々な災禍が人間に与えられた。

ナノ‏ @nanoduck 2014年11月15日
η Πανδώρα パンドラ ※παν(あらゆる)+δώρα(贈り物) パンドラの箱のパンドラは最初の人間の女性です。プロメテウスが人間(当時は男オンリー)に火を教えたことに怒ったゼウスが「後で考えればいーや」な弟エピメテウスに送りこんだ美人兵器ですw 兄は肝臓ついばみの刑に。

‏ @akaaimea 2016年2月19日
泥から作ったパンドラに、アテナは女としての仕事のノウハウを、アフロディーテは男を惑わす魅力を、ヘルメスは狡猾な心を与えたっていうのが「やはりヘルメス……貴様か……」となるよね。ギリシャ神話はいいぞ

子影‏ @Shewi_4A 2012年6月29日
さて、パンドラとは実際何だったのかというと、神々の祝福の内容を見れば理解できる。というのも、アテナは女性のするべき仕事能力、アフロディテは男を苦悩させるほどの魅力、ヘルメスは「犬のように」恥知らずで狡猾な心を贈られた。つまる所、傾国の美女であり稀代の悪女でもあった、と理解できる。

hellcatcart‏ @hellcatcart 2月6日
パンドラやばいな。最強の家事能力と男絶対殺す誘惑とヘルメスさん直伝の狡猾さとかやばい



パンドーラー(古希: Πανδώρα, Pandōrā)
パンドラ 開けるなと言われて開けてしまった箱から絶望を召喚してしまった 人類初のバカ女
パンドラって、災厄が詰まった箱だぞ。百歩譲って、開けるなって言われてた箱を欲望に負けて開けたバカ女の名前
プロメーテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るようにヘーパイストスに命令したという
アプロディーテーからは男を苦悩させる魅力を、ヘルメースからは犬のように恥知らずで狡猾な心を与えられた。
ゼウスは人間達を懲らしめるために壺とパンドラってバカ女を遣わした
宝具名
見た目だけいいバカ女(パンドラ)
結社は女を嫌う。組織崩壊のゲ人になる可能性が極めて高いから。だから逆に敵組織には見た目だけいいバカ女を送り込む。
なんかリズムいいなと思ったら
みためだけいい7 ばかおんな5
子ぢ亜からr年面と受け継がれてきた最強の生物兵器だ!
なにせ子供という自分の分身まで作るれるからな!(分身というのは自分の思想を吹き込みまくるって意味。あるいはヒステリー^で子供精神を壊したり(なにせバカ女だからな

バカ女は釈迦ですらさ取れるるのは難しいと匙を投げるほどだからな。
女全員ではないよ。者kな弟子には女性もいたからね。
原始仏教って女のことは想像するのも禁止だったような。あらゆる意味でも生産活動の禁止が戒律だから生産の権化たる女はダメなんだろうね。
でも同性愛はOKになる不思議。確かに子供はできないけど。
女は入れる結社は事前審査で思考が男よりか判断してんだろうね。アテナミネルヴァならOK。で入っても厳しく監視。苦の位置は見方ですら信用されてないらしいし。



オルフェウス教の情報少なすぎ 日本語訳された研究所が一冊だけかまだあるかもしれんが
スピの元祖っぽいな。やそがずっと変えない要素が多い。輪廻とグノーシス以外。輪廻とグノーシス要素戻したらまんまスピだな。



トラキア=ブルガリア+ギリシア+トルコあたり。
バルカン半島南東部
=西トラキア(ブルガリアの南東部とギリシャ北東部)+東トラキア(トルコのヨーロッパ部分)。
黄金文明と呼べるほど大量かつ精巧な金細工が発見されている。
紀元前6世紀頃からトラキア地方にはギリシア人の植民都市が建設された。
ペルシアのアケメネス朝が領域を広げると大部分はその支配下に入った。
紀元前4世紀に西のマケドニア王国によって征服された。
その後、一時独立を回復するも、南部は共和政ローマに支配され、ほぼ現在のブルガリアに含まれる北部もローマ帝国、東ローマ帝国の支配を受けた(トラキア属州)。
キリスト教が広まるとともに、スラヴ人が侵入して言語的にはブルガリア語とギリシャ語が主流になっていった。また、4世紀からトラキアの東端部にあるビュザンティオンがローマ帝国の新首都コンスタンティノポリスとなったことからトラキア地方は首都近郊の重要な地域となった。
東は黒海、南はマルマラ海とエーゲ海で、海によって画される。西はマケドニア地方、北は古代にモエシアと呼ばれていた地域。

『PLUTO』(プルートウ)という、手塚治虫の『鉄腕アトム』に含まれる「地上最大のロボット」の回を原作としている浦沢直樹の漫画。監修・手塚眞。
作中の設定は連載開始当時ニュースをにぎわせていたイラク戦争を反映。
トラキア合衆国
「世界のリーダー」を自負する大国。アレクサンダー大統領が国を治める。首都はニューワシントン。「エデン国立公園」という広大な保護区域があり、アメリカ先住民を思わせるナナブー族が居住している。

Dr. ルーズベルト
トラキア合衆国大統領アレクサンダーのブレーン。大統領を陰で操る存在ながらも、決して隠された存在ではない。
その目的は、ロボットの時代を作り上げることであり、アレキサンダー大統領ですらも手駒としか考えていない。本性は「自分以外はすべて敗者で愚者で死者」「人間はロボットの下僕」という考えを持つ極めて傲慢なロボット。7人の高性能のロボット暗殺の手引きをアレキサンダーと共にひそかに行い、成功する。その後、ボラーによってすべての生物が滅ぼされると言う情報を聞いてもまったくといっていいほど動じず、「ロボットは生き残る」とむしろそれを望んでいた。プルートウによって地球が救われた後、意気消沈するアレキサンダーの前で、新しくロボットの時代が始まると宣言する。が、その直後に来襲したブラウ1589の槍によって端末を破壊された。

アレクサンダー大統領
トラキア合衆国大統領。
トラキアを最強の国家に仕上げる為に、大量破壊兵器が出来ていることを口実にペルシア戦争を実行。

ダリウス14世
元ペルシア王国国王。自らが同国の王位継承者であると宣言し、ロボット兵器による急激な軍備拡張を展開。第39次中央アジア紛争を引き起こすも、トラキア合衆国を中心とした列強国の軍事介入により失脚。
悪の独裁者というイメージがあったが、実際は「自分に忠実な国民には」優しい男で、砂漠のペルシアを緑の大地にするのが夢であり、実はボラーもそのための環境改造ロボットとして製造する予定だった。
王宮陥落直前、完成したプルートゥに対し、7体の高性能ロボット暗殺を命じ、アブラー(=ゴジ)に対しては、ボラー調査団の暗殺とトラキアの制裁を命じている。




ストア派の至高存在(神)
=「技術的(創造的)な火」
=知性的な「ロゴス(理性、言語など)」
=自然の摂理。
神=火=ロゴス=自然(神の摂理)。
自然と調和した平静な心の獲得が目標。
肉体的要素を否定しない。
インド哲学の平静な心を求める傾向の影響がありそう。



ストア派 [ヘレニズム・ローマ]
http://morfo.blog.so-net.ne.jp/2011-05-07
"ストア派はヘレニズム期を代表する哲学です。
ストア派の哲学者の多くはの出身者で、多分ズルワン主義の影響を受けて哲学の延長線上で表現を行いました。
ストア派を始めたのは、キプロス島出身でフェニキア系のゼノン(紀元前4-3世紀)で、彼はアテナイで活動しました。
その後のタルソス出身のクリュシッポスによってストア派哲学は体系化されました。
さらにバビロニア出身のディオゲネス、最高の占星学者と呼ばれ、シリア出身でロードス島で活動したポセイドニオスらによって様々に発展させられました。

よくストア派は禁欲主義、エピクロ派は快楽主義として対比されますが、どちらも、間違った思い込みによって煩わされず、自然(神の摂理)と調和した精神的な平安を求める点で共通しています。

ストア派の宇宙論はヘラクレイトスと似て、至高存在を「技術的(創造的)な火」と呼び、同時にそれを「ロゴス」と考えました。
これらは神的で知性的で、諸元素に変化して、やがてまた「技術的な火」に戻るのです。
宇宙は収縮によって生まれ、やがて空虚に広がりながら燃焼して消滅して「技術的な火」に帰します。
宇宙は年(2万6千年)かかってこの生滅を繰り返し
ます。

宇宙の構造は、月下の世界は4大元素が層状をなしていますが、その上の恒星天にはアイテールがあります。
恒星天には世界霊魂の指導的部分が存在します。
ストア派はこのアイテールをほぼ「技術的な火」と同じもの
と考えました。

ですが、ストア派の特徴は、ヘラクレイトスの「火」やロゴス、プラトンのイデアのような超越的な存在ではなくて、「技術的な火」と「ロゴス」を世界に内在するものと考えたことです。
「技術的な火」、「ロゴス」は能動的な原理として、受動的なの中に胎児・精子として内在して成長する創造的な存在です。

そして、世界の存在はそれぞれに内的な「緊張(トノス)」を持っています。
つまり、静的な形・性質ではなくて、生きた運動性を持っていると考えたのです。
この「緊張」にはいくつかの階層性があります。鉱物は構造、植物には成長、動物には霊魂、人間には知性があるのです。
つまり、自然の階層性を、アリストテレスが形・性質の観点から考えたのに対して、ストア派は緊張のあり方として考えたのです。
そして、存在は「プネウマ」によって統一体として存在します。「プネウマ」はほぼ「霊魂」と等しい存在で、火と空気の中間的な存在です。

アリストテレスにとって重要なのは、個物の中にある普遍的な本質である形・性質であって、認識とはその本質を感覚を通じて理解することです。
ですが、ストア派にとっては、個物はそれ自身の固有性と個性を持ったもので、普遍とは単に言葉でしかありません
そして、認識とは、内的緊張を持った霊魂が、内的緊張を持った対象の個物と交流を持って、影響を受けながら発展し、対象と調和するこ、「共感」するとです。
つまり、相互生成的な運動として考えたのです。宇宙ではすべてがすべての中にあり相互作用する連続して一体の存在なのです。
この発想は、ほぼ同時代の仏教の『華厳経』やプロティノスの思想と共通しています。

アリストテレスは、「AはBである」という命題を重視して、述語の中で、最低種概念だけを実在的なものとして重視し、それ以外の一切の様々な性質を軽視しました。
これに対して、ストア派は、「AはBした」という出来事を重視しました。
つまり、世界は最低種概念に枠づけられた存在としてではなくて、無限に多様化する出来事として捉えられるのです。
現代の哲学者ドゥルーズはこの点で、ストア派が静的なプラトン・アリストテレス哲学を否定するものだとして評価しました。

ストア派は自然の運動には神の摂理(運命)があると考えました。
そして、この自然の摂理を認識して、これに従ってことを理想と考えました。
この摂理は「ロゴス」でもあります。ロゴスは知性的な存在ですが、ストア派は感情なとの肉体的な要素をプラトンのように非知性的な存在として否定しません。
病的・倒錯的な状態になって知性やロゴスに反するようになった感情を否定するのです。
また、ストア派は、プラトン同様に、天の星の世界は秩序に満ちた世界で社会や人間のモデルとなるべき
存在と考えました。

プラトン、アリストテレスといったギリシャ本土の哲学が形・性質を重視したのに対して、ペルシャ、バビロニアなどのオリエント色の強かったストア派とソクラテス以前の哲学がともに「生成」を重視したことは興味深く思えます。
生成の哲学を展開したニーチェがゾロアスターを主人公にした書を著わしたことも不思議ではありません。




(ストア派の存在の階層)
技術的な火=ロゴス=摂理(運命)
内在的・種子的

アイテール
プネウマ=魂
人間
動物
植物
鉱物
空気

 



"




• • ken‏@kenkatap
鉄×青銅の剣、技法解明 岡山のオリエント美術館 【日経 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16HBE_X10C17A2000000/ … ▼西アジアは世界で最も早く鉄を使用した地域とされ ▼イラン北部でバイメタル剣は青銅器時代から鉄器時代への移行期に見られ ▼鉄器の利用開始と拡散の謎に迫る金属製品と考えられている

古代イランのバイメタル剣、先進的な加工技術が明らかに 広島大学ほか 【大学ジャーナル http://univ-journal.jp/12155/ ▼鋳ぐるみという当時としては先進的な技術 ▼バイメタル剣は、鉄利用の先進地と考えられるイラン北部からコーカサス地方で鉄移行期によく見られる金属器

『古代秘教の本』の読書メモと、『アークザラッドII』の軽い分析と、お勧め受験参考書紹介:八柏龍紀『日本史論述明快講義』。メーソンは、フランス・ドイツ・スコットランド系(科学重視)と、イングランド・アメリカ系(聖書重視)とでは根本が違うので分けないとだめ。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
"・エレウシス密儀。
大地の女神デメテルと、娘ペルセフォネの神話が理解の鍵。ペルセフォネが冥府の神プルトーに攫われ、母デメテルが嘆き悲しんで大地が枯れたため、ゼウス(穀物の生成を司る大地母神デメテルとゼウスの娘がペルセフォネ)の命令でプルトー(ハデス)がペルセフォネを返した物語が軸になっている。ただし、ペルセフォネは冥府でザクロを食べてしまったため、一年の三分の二を地上で、三分の一は冥府に住まなければならなくなる。デメテルの恵みは春から秋までであり、冬は大地がデメテルから見捨てられるのである。
エレウシス密儀の参入者は、海水による沐浴で身を清めたが、その際に生贄の子豚を腕に抱えていたことが知られている。これはペルセフォネが冥府へ降りていったシンボルであった。豊穣の母デメテルと娘ペルセフォネの神話は、大地の死と甦りを語る農耕社会型神話であり、エレウシス密儀とはそこで語られた死と復活に参入する祭儀に他ならない。

・オルフェウス密儀。イニシエーションによる魂の転生。
トラキア出身の音楽の神オルフェウスは竪琴の名手であり、アポロンと詩の女神カリオペの間に生まれた。オルフェウスは完全な和音を作り出し、神々を感動させたと言われる。オルフェウスはオルフェウス教の開祖である。
愛妻の妖精エウリュディケを連れ戻す為に冥界に下りて行ったオルフェウスは禁を破って後ろを振り向いたために永久にエウリュディケを失ってしまう。その後、オルフェウスは再婚せず、ディオニュソス祭りで狂乱したトラキアの女たちに捕えられ、身を裂かれ殺された(ディオニュソス密儀によいてバッコス信女たちが行う八つ裂きと生肉食いは神との合一の儀式である)。
ヘプロン河に投げ込まれたオルフェウスの首は歌を歌いながらレスボス島に流れ着き、やがて島で神託を下すようになったとされる。
オルフェウス密儀は冥府下りを密儀の中心に据えている。
オルフェウス密儀は、ディオニュソス的熱狂とは対照的に、アポロン的浄化によって実現しようとした。そこからギリシアでは極めて珍しい禁欲的な集団が誕生することになる。
オルフェウス教徒は菜食を貫いた。
ギリシア神話では、人間が神々に最初の供犠をおこなった際、プロメテウスの入れ知恵で屠った雄牛を二つに分け、骨を脂身で包み、肉と内臓は胃袋に隠した。脂身に誘われたゼウスは骨を選んでしまう。いら、供犠では神々に骨を捧げ、肉は人間が食べるようになった。肉食の起源神話。
菜食、肉食の拒否は、輪廻と魂の不滅が信じられていたからである。
オルフェウス教徒たちは、
人類が犯した原初の犯罪に対する罰として、魂は肉体に閉じ込められ、
死が真実の生活の始まりとなる、と考えた。
すなわち、魂は生前の過ちと徳が審判を受けた後、新たに転生するとみなされたのである。
魂の不死性は輪廻思想を生み、人間の魂を持っているかもしれない動物を食する習慣をやめたのである。
また、肉食の禁止はプロメテウスの教唆で神々を欺いた原罪に対する改悛の表れ
でもある。

(戦争したい支配層に実に都合がいい。
死こそ生、そして原罪。原罪もキリスト教は盗作したんですね。
オルフェウス教の輪廻、魂の浄化、原罪の元ネタはインドの輪廻とカルマ論だと思いますけどね)

「『死こそ生』、『肉体は魂の牢獄(霊肉二元論)』、
『原罪』、『霊魂の不死』〔=『輪廻』〕
トラキアのオルフェウス教

→ピタゴラス教団

→プラトン→新プラトン主義

キリスト教
(輪廻は否定。死んでもキリスト教徒だけは甦るが、異教徒はどうでもいいに変更。
なお、最大の元ネタはローマのミトラ教とイランの拝火教。
ユダヤ教派生なのは嘘で拝火教とミトラ教から派生。エジプト神話のホルスからもパクリまくり。
オリジナルな点は、有色人種のはずのイエスが白人だという点ぐらい)」


・ティタンの汚れを清める儀式。
オルフェウス密儀の誕生に大きな影響を及ぼした神話が、ディオニュソス=ザグレウス神話。
幼いディオニュソスをティタンたちが切り刻んで鍋で煮てしまったので、怒ったゼウスに焼きつくされてしまう話である。なお、ディオニュソスは取っておかれた心臓を元にして甦る。
人間の創造神話の一つは、人間はこのティタンたちの灰から創造されたことになっている。この神話はオルフェウス教徒にとって大きな意味を持つ。
ティタンたちの灰には、彼らが食べた幼児ディオニュソスの肉体も含まれていたからである。つまりその灰から生まれた人間にはティタンとディオニュソスの要素があるということになる。
そこで、人間のティタン的要素を排除していけば、ディオニュソス的要素が濃くなると考えられた。オルフェウス密儀の究極の目標は、ディオニュソス神と合一し、ティタンのケガレをぬぐい去ることである。

・ピュタゴラスが数学と音楽を重視したのは、魂を清め、永遠の真理を探究したから。
前提となる思想が、魂は永遠であり、魂を清めれば冥府における罰を免れ、天の楽園に帰っていくことができるというものである。
ピタゴラス教団は教義を書きしるすことを禁じた為、密儀の内容は不明。

教義問答書には「ソラマメを食べるな、あいまいに話をするな、指輪に神の像をつけるな、白い雄鶏を犠牲にするな」といったタブーがあった。
・ピタゴラスは世界は数でできていて、数に固有の性質があるとした。後に数秘術という秘教・占い・神秘哲学に甚大な影響を及ぼした。
天体も普遍的な神の記号であった。七惑星(水、火、金、木、土。惑星ではないが月、太陽も含める)も神の記号であり占星術で重視された。
(そもそも宗教は数字を極めて重視します)

ギリシアが古代世界をリードする以前、オリエント各地では豊穣と多産と自然の勝利の権化である地母神を中核とする母性原理に基づいた社会・文化形態が優勢だった。その典型が小アジアのリュキア人の社会に見られる。古代の小アジアのリュキア人の世界では、新生児の名付けには父方ではなく母方の名を用いた。氏の系譜は母方の祖先の系譜によって示され、リュキアの慣習法に基づいて相続権は娘が独占した。
母権優位に基づく慣習法や社会的宗教的観念は、エジプトその他の大文明圏にも広く認められた。それらの社会では父権に属する日中より母権に属する夜が重んじられ、太陽より月、生者より死者、右より左が重視された。
ヘレニズム・ローマ期のうち、西方ギリシア文明が東方を征服していった前期は、まさに母権が後退して父権が支配的になっていった時代に当たる。


ヘレニズム期を通して熱烈に崇拝された東方三大母神が
エジプトのイシス、
フリュギアからギリシアに入ったキュベレー、
エフェソスのディアナ(アルテミス)。


・キリスト教の儀礼の根幹であるパンとブドウ酒による聖餐の秘儀のルーツはミトラス(ミトラ)教。
(人肉食だったんでしょうね元々は)
キリスト教がミトラス教から奪った祭儀がクリスマス。
イエス生誕祭とされるこの祭りは、元は冬至における太陽神ミトラス復活の為の祭りだった(冬至を過ぎれば日照時間が長くなる=太陽神の復活)。
ミトラス教の勢力範囲は、ローマ、
ペルシア、イングランド、
イスラエル、
シリア、アフリカのサハラ
砂漠まで及んでいたことが遺跡などから分かる。

・ミトラス教のイニシエーションは七段階。下から順に、
水星に保護された大ガラス(大烏。コラックス)、
金星に保護された花嫁(ニュンボス)、
火星に保護された兵士(ミレス)、
木星に保護されたライオン(レオ)、
月に保護されたペルシア人
太陽に保護された太陽の走者(ヘリオドロムス)、
土星によって保護された父(パテル)。

密儀は洞窟ないし洞窟を模した神殿に運ばれた。
洞窟はミトラス神が世界を創造する為に用いた世界の子宮を意味する・参入者はこの子宮内で、自分の魂が下ってきた道の逆をたどって天界に帰還する為、つまり生まれ変わる為のイニシエーション(加入儀礼)を受けた。
ミトラス神は「不敗の太陽神(ソル・インヴィクトゥス)」と称えられ、ミトラスによる救済の証は、ミトラス神によって屠られる雄牛の血によって象徴された。
七段階の内、最後の三段階は、月、太陽、土星。
月はミトラスに殺される雄牛(月は占星術のおうし座の守護星)であると同時に、古代オリエントの母神。
太陽は普遍的な救済者であるミトラス神。
最後の土星は父神(土星と習合された古代神サトゥルヌスは、ローマの父神の一つ)。
母、子、父。

(我らが父よ! と言いうるのはキリスト教だけではないんですね。というかキリスト教がパクリました。パクリ=盗作、なのは、元ネタを明かさずに破壊して隠蔽して殺しまくったからです)
(雄牛は金星じゃないんだね。金星=花嫁、なのはヴィーナスとかを意識していそう)

・キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の甥であるユリアヌス帝はミトラス教徒であり、地母神キュベレー崇拝者。ユリアヌスは『太陽神賛歌』にてミトラス神を称えるとともに、この本の中でキュベレーを聖処女と呼び、知恵、摂理、我々の魂の創造主と褒め称えた。
しかし結局は、異教儀礼への国費補助は打ち切られ、異教の神殿は破壊され、ミトラス神の洞窟神殿だった聖域の上にキリスト教会が建てられた。
(教義が似ていることを利用して、ミトラス教の施設をキリスト教に塗り替えたのでしょう)

・右=男性原理の優位。
女神を崇拝する東方密儀宗教は母を重視し、
オリュンポスの神々を戴いたギリシア精神は父を重視した。
母は生命、物質の原理。
父は精神の原理。
子は生命と精神を繋ぐ紐帯。
この三位一体から母を完全に抜き去ろうとしたのがキリスト教。
子と母の関係の抹殺を図った。イブはアダムの従属物でしかなく、女性原理ですらない。
イエスの座は神の右にある。
父権制は右優位。
母権制は左優位

マリアはキリスト教では本来大したことない存在のはずなのに、実際は存在感抜群である。聖書ではマリアの存在は実に軽い扱いである。カトリックはマリアの聖性を公認するほどにマリア崇拝は熱狂的であった。
マリアを最初にテオトコス(神母)と認めたのが、地母神信仰の故郷たる東方を拠点とする教会だった。
最大のライバルはイシスだった。

(グノーシス主義は、一神教の致命的な弱点である「悪魔を創ったのに善である神」、しかも全能の癖に悪魔をなくさない、ということを克服する為に、この物質世界を創った神は悪魔だ、この世は悪魔が創ったから惡まみれなんだと考えます。グノーシス派では物質=悪、聖書の神=悪です。しかし、本物の善なる神、物質ではない神がいて、選ばれた我々だけが特別な知識=グノーシスを得て、その本物の善なる神と合一できる=自分が神になれる、と考えます。キリスト教なみにヤバイですね。
グノーシス派のナグ・ハマディの写本に女性創造神の話があります。
女性神が母に似せて不死のイブを創った。
対抗して男性神がアダムを創った。
イブという人間の女が、アダムという人間の男よりも先に誕生した。
そしてイブがアダムに命を吹き込んだ。
男性原理のキリスト教に対してグノーシス派は徹底して女性原理
なのです)

・ヘルメスはローマでは商人と弁論家と泥棒などの守護神。ヘレニズム時代の哲学者・神秘家はヘルメスは秘められた知識や知識を司る言語と学問の神メルクリウス(水銀)として崇拝された。このヘルメス(+メルクリウス)がエジプトに入ると、エジプト神話で言語と学問を司る書記神にして大魔術師のトートと結びつき、
ヘルメス・トートとなった。ヘルメス+メルクリウス+トートは、ヘルメス・トリスメギストス(三倍偉大なヘルメス)と呼ばれた。

・ローマ時代のヘルメス像(後に錬金術のシンボルになるカドゥケウスの杖=二匹の蛇と両翼がある杖、を持つ。履物に羽)の写真が載っている。。

・犬の顔をしたトート神(犬? 頭からトゲトゲ=恐らく太陽光)が右手に一匹の蛇がまきついた杖(永遠の生を象徴)を、左手に♀(エジプト十字)を持っている絵が載っている。
・ヘルメス文書の神話に基づき描かれたヘルメス・トリスメギストスによる人間創造の絵が載っている。

・先史ヨーロッパ巨石文化の遺構である、復元された墳墓(アイルランド)には、ぐるぐる渦巻き模様の巨石がある。

・カエサルはガリア戦記でケルト社会の支配層であるドルイドについて記している。
ドルイドは
①祭司を司る
②司法を司る
③兵役の義務が無い
④納税の義務が無い

⑤身分が世襲でない
(各地から参集する修行者を長期にわたり教育する学校があった。修行に際して文字の使用が厳禁だった)

⑥霊魂不滅思想がある
⑦天体の運行に関する知識
がある。

ドルイドの語源は諸説あるが、ギリシア語のdrus(樫。オーク)と、印欧語の語根wid(知る)に関係があるとする説が最も有力とされる、つまり、樫の木の賢者である。
印欧語=インド・ヨーロッパ語族は完全に言語学上の概念であり、特定の文化や人種に結びつけることはできません
よって、樹木崇拝、特に樫の木、樫の木に寄生するヤドリギを重視していたと考えられる。

ローマの碩学プリニウスは博物誌にて、ドルイドによるヤドリギ狩りの儀式を次のように描写している。
まず典礼に則って樫の木の下に生贄と供物が用意される。白い雄牛が二頭、互いの角を結びあわせて連れて来られる。白衣を着たドルイドが木にのぼり、黄金の鎌でヤドリギを切り取る。樹下の人々は白い厚地の布にそれを受け止め、生贄を捧げて神に祈る。
上記の儀式については、
フレイザーが金枝篇(クロウリーの推薦書。金枝=ヤドリギ)にて核心をつくイメージを提供し、広く人口に膾炙し、白衣+黄金の鎌+ヤドリギという通俗的ドルイドのイメージが定着した
・ドルイドによる人身供犠の作法としては、水を満たした大滝に投げ込み窒息死させる、木に吊るして矢を射かけるなどして傷害死させる、俗にウィッカーマンと呼ばれる木製の巨大な人型の中に大勢の人間を押し込め焼き殺す、といった方法が知られている。

・ギリシアの歴史家シクロスは、ケルト人は戦場で殺した敵の首を切り取り、馬の鞍に結んで飾った、と述べている。ケルト人の頭に対する信仰は強烈だったらしく、壁龕(へきがん)の中に置かれたり神殿の壁に嵌めこまれた頭蓋骨や、頭の形に刻んだ石などが、多数発見されている。頭蓋骨には聖なる力が宿り、災厄から守ってくれるという観念があったのだろう。
フランス系ケルト族の聖域に掲げられた、頭蓋骨が埋め込まれた石柱と石の門めいたものの写真が載ってい
る。
・予言や託宣もドルイドの重要な仕事であった。鳥の飛び方や生贄のない像の状態から未来を占うことができたという。タラの神話に語られる牛の夢と呼ばれる儀式では、ドルイドはシャーマンの様相も示す。犠牲として殺された牛の肉を食らい恍惚状態となったドルイドの傍らで呪文が唱えられ、正気に返った後、夢の中で得た託宣が告げられる。

ドルイドにも輪廻転生思想がありピタゴラス教団との類似性が指摘されるが細部が異なる。
ドルイドは、人間の霊魂は滅びることなく、一定期間を経たのち、魂は別の肉体へと移り第二の生をおくるとする。
つまり、ピタゴラス派のような、罪にけがれた人間の魂は輪廻転生を繰返し地上をさまようとは考えていなかったのであり、ドルイドには原罪意識はない。


ドルイドは楽天的な永生への確信や彼岸への憧れがあったと思われる。ケルト神話の一特色である不老不死の楽土ティル・ナ・ノグ(常若の国。とこわかのくに)。

・アイルランドはキリスト教の布教が最も迅速に円滑に進んだ地域。ケルト十字は太陽崇拝の名残かもしれない。
(ケルト系キリスト教アニメのまどマギに多く登場)"

オルペウス秘儀
http://morfo.seesaa.net/article/196190386.html
”紀元前6C頃のギリシャの世界観、つまりホメロスに代表されるオリンポスの宗教によれば、人間は人間に対して決して好意的ではないゼウスや運命の女神などによってもてあそばれながらも、現世利益を求めて生き、死後は冥界でみじめに暮らす、というものでした。
こういった考え方に対して、シャーマニズムやオリエントの神秘主義的な世界観を引き継いだ、霊的なものを積極的に求める宗教・思想運動が起こりました。
秘儀宗教やオルペウス教、そしてプラトンに代表される多くのギリシャ哲学はこの流れにあります。


こういった潮流の象徴的存在が、トラキア出身と言われる伝説的人物オルペウス(オルフェウス)です。
彼は、ルネサンス、ロマン主義など、霊的なものが重視される時代には、常にその象徴として復活しました。
オルペウスの存在は神話化されていますが、その歴史的な実在性に関してははっきりしません。伝説によれば、彼はギリシャにおける秘儀の創始者です。
ズルワン主義(バビロニア=ペルシャ系の神秘主義思想)の影響が濃いと言われるオルペウス派によってギリシャの宗教思想、秘儀は大きく転換しました。先にディオニュソスの神話のオルペウス教による秘伝を紹介しましたが、彼らは独自の秘教的な神話の創造や神話解釈を行いました。ちなみに彼らの神話の核心にあたる創造神話は、姉妹ブログの記事で紹介する予定です。


神話のオルペウスはアポロン直系の存在ですが、ディオニュソス的な性質をも合わせ持っていて、次項で紹介するオシリスにも似ています。
彼はアポロンの子とも言われていて、アポロンから譲り受けた竪琴によって人や動物を魅惑します。
オルペウスはディオニュソスのように死んだ妻を助けるために冥界に下って竪琴で冥界の存在を魅惑して妻を連れ帰ろうとしますが、途中で後ろを振り返ってしまったために失敗します。
これは日本のイザナギ=イザナミの神話と同じです。
落胆したオルペウスは女性を避けて少年と暮らして、冥界から持ち帰った秘儀を教えました。

その後、オルペウスはディオニュソスの女性信者に引き裂かれて死んで、彼の頭部は竪琴に釘で打ちつけられて、オシリスの遺体と同じように川に投げ込まれました。
これはレスボス島に流れついて、オルペウスの首はディオニュソス神殿に埋葬されて、竪琴の方はアポロン神殿に保管されました。
一説では彼の首はその後も神託を下しました。


オルペウスの信仰は、1つの教団というよりも思想運動としての広がりを持ったものでした。
彼らは書物も重視して、秘教的な神話やその解釈、死後の案内書を残しました。
オルペウス派の思想は、輪廻思想、禁欲主義、菜食主義などを特徴としていて、音楽による浄化を重視するなど、瞑想的な傾向を持っています。


オルペウス派によれば、人間はティタンがディオニュソスを殺害した原罪を引き継いでいて、これに対する罰として霊魂が肉体に閉じ込められて輪廻を続けるのです。
ですから、オルペウス派は肉体を霊魂の墓
と考えました。
オルペウス派によって初めて本格的な輪廻思想が西洋世界に持ち込まれました。
ですから、オルペウス派は禁欲によってティタン的要素を否定してディオニュソス的要素を伸ばすことで、輪廻からの解脱を果たそうとしました。菜食は、プロメテウスとゼウスの牛の分割以来の神と人間の区別を否定するものです。


オルぺウス派によれば、人は死後、複雑な道を通って冥界に向かいます。
正しい行いをした者は、聖なる草原とペルセポネーの森へと向かう右の道に送られます。
これに対して、邪悪な者は、近くに糸杉の生えたレーテーの泉に向かう左の道に送られます。
レーテーの泉の水を飲むと、地上の体験を忘れて地獄に送られて、千年後にその体験も忘れて地上に再生します。
ですが、これを飲まずに思い出の湖の水を求めて飲むと、ペルセポネーの胸元に行くことができて、輪廻から解き放たれて神のようになれるのです。

オルペウス派は、清めの儀礼やイニシエーション的儀礼を行っていましたが、その実態については分かっていません。
体系化された秘儀を行っていたかどうかも不明です。


オルペウス派の思想は、エンペドクレス、ピタゴラス、プラトンらの哲学者に受け継がれました。
ピタゴラスはエジプトやペルシャなどを旅して秘儀に参入したと言われています。
ピタゴラスがオルペウス派の思想につけ加えたものは、秘密結社的な組織性と、秘教的な数学を中心にした総合的な学問の体系です。
プラトンはピタゴラス派に大きな影響を受けました。
彼がオルペウスやピタゴラスの思想につけ加えたのは、霊的なものを探究してそれを地上に実現する実践的で総合的な哲学です。
彼は、霊魂が地上に再生する時にレーテーの水を飲んで霊的世界の体験を忘れてしまうので、それを思い出すことが哲学の目的
だと考えました。”

今週のジャンプの『BLEACH』(ブリーチ)でファーティマの手が登場。
ギリシア哲学(特にプラトン)とキリスト教「思想」(人は単なる部下)が真の黒幕であり、黒幕の中核(源流。本体)はインド=イラン「思想」。
思想は領土がなくても生き残る霊魂。
馬と馬車と金属加工の技術を持った秘教集団。
トラキアの「死は善。生は悪」が悲劇の起源?良ツイート集。

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-66.html
”ようこそ、人間をすなどる漁師に絡めとられし者よ。
 はっきり言っておく、
 『BLEACH』(ブリーチ)の話は真摯に記されし囮なり。
 続く良ツイート集を読むことで集英社の意図を知るべし。
 見よ、撒き餌は既に与えられた。
 針に貫かれぬように食いつくがよい。
 ――魔鯛伝より


霊王の右腕の甲に一つ目の神(ミミハギ様)
=ファーティマの手(ハムサ)
=20世紀少年の”ともだち”

が主人公=剣+キリスト教の元ネタの古代宗教(シーア派はイスラムではない)側。

※『BLEACH』第616(足して13)話「ミミハギ様」
東流魂街七十六(足してまた13)地区の逆骨に伝わる単眼異形の土着神。
自らの持つ眼以外の全てを捧げた者に加護をもたらす。

敵=弓側のボスはYHWH(旧約聖書の神)
ユダヤは旧約のみ、キリスト、イスラムは旧約が聖典に入っている。

つまり、元ネタVS盗作犯
(宗教は元ネタを基本的に明かさないので盗作です。
キリスト教ならユダヤ教という偽の元ネタでなくて、
真の元ネタのミトラとオルフェウスと拝火教
+ピタゴラス学派思想+プラトン哲学+トラキア思想ね。
オルフェウス教とトラキア思想とは、
「生まれる=悪。
死ぬ=善」
詳しくは後述。)


刀側の死神の卍解は「卍」でわかるようにインド意識。
(イエスの元ネタのミトラも元はインドの「契約」と盟友の神。契約の神はインド派生。聖書からではない)

ユーハバッハ
呼称の由来は「YHVH(ヤハウェ)」
=ゼウス(雷を投げる)
=バアル
=雷と嵐の牛神。

ヤハウェ、バアル、 ヨッド・へー・ヴァヴ・ヘー、アドナイ、エロヒム……全部本名ではありません。
本名(=住所。目立つ的)を知られると本名を知る者に魔術で操られてしまうからです。
聖書の神と聖書で悪魔とされるバアルは、実は同一人物、もとい同一神物です(後の引用をどうぞ)。
(…)
フェイド大帝 @FeydoTaitei
イルミというのは思想が問題で あって、特定の人物や組織が 焦点ではないぞ? 要は犬やライオンのアルファ 権勢症候群の人間版みたいなもん。 本能的に人間という生物種に 備わっていると思った方がいい。 つまり、イルミ思想というのは 自然発生する。

いくら遺伝子交配で改良しても おバカ犬っているだろう? 処分するのも一つの手だが、 大半は「しつけ」で矯正を 試みる。 「しつけ」と言うのはぶっちゃけ 人間で言う「教育」と思えばいい。

ところがヨーロッパの王族とか 貴族とかの子供は庶民が通う様な 学校には行かないし、普通は勉強 しない「帝王学」を親から まなばされる。

「帝王学」や「拝金主義」というの 「道徳」、「倫理」と相反する。

困った事に、「道徳」というのは 宗教みたいなもんなんだよな。 絶対的で不可侵な常住する 「善」が存在しないと成り立たない。

で、ヨーロッパ庶民の「道徳」の 教育担当がキリスト教だったわけ。 ところが教会もローマ帝国も 意図的なのか、失敗したのか 結果論だけ言うと「道徳」の 先生を上手くやれなかった。

哲学というのは「道徳」を 究める学問ではないからね。 ルネッサンス時代にルソーの ヨタ噺を間に受けたフリーメイソン も結局は「道徳」は教えられない。 そもそもキリスト教を改修して 正しい方向に向かわせれば済んだ 話を、革命によって排除する 方向に走ってしまった。

あらゆる主権を倒した後、 メイソンは何を教える? ルソーにプラトンをトッピング したジャンクしか残ってないだろう?

東洋はまた別問題。 仏教が間違えたのは 「常住善」を否定したこと。 だから、天台宗や華厳宗が 勘違いして「悪も仏性なんだ」 という曲った解釈をしてしまった…

もちろん釈迦はバカじゃないから、 一応の対策を考えることはした。 それが「戒」。 これはユダヤやイスラームの 律法と同系の考え方なんだけどね。


この世に善も悪もないなら 人間は何でも自由にやってしまう。 さてどうする? (フリーメイソンの「自由」追求の 思想的欠陥もここにある)

取り敢えず明らかにコレを やったらマズイだろうと 釈迦が判断する行為を リスト化して、ルール化しよう。 これが仏教のタブーのルール集 「戒」。

不殺生、不邪淫は「戒」と 捉えるのが一般的なのだが。

西洋人の神は常住善と常住悪の 肯定から来ている。プラトンの 言うイデアと一緒ね。 仏教は無常を説くので、 そもそもイデアなんか存在しません というスタンス。 ちなみに常住というのは実存する という意味ね。反対語が無常。



「福島産の食材には消費税が 掛かりません」 という政策があったらイルミさんも 賢いのだが……


コクマー=叡智、ビナー=理解ね。 ユダヤ カバラでは叡智は人間の 言葉では表現出来ないとされてる ので、叡智を理解するという プロセスを経て 初めて人の言葉に変換される。 これを男女の結び付きに隠喩 してるので、父母の関係になる。

最上位のセフィラ ケテルを「王冠」 と表しているのが鍵です。 カバラでは「アイデア」(つまり プラトンのイデアでもある) というのは人間の頭から生まれる のではなく、身体の外から やって来るという発想。 だからケテル「王冠」は人間の 頭の上に被る物
として表現されます。アイデアが 頭の中で固まって具体化すると 「叡智」になるわけです。 それを「理解」することで 初めて「応用」が出来る形になる。 この考え方はカントの理性の 捉え方にも通ずるでしょう。

この思想の恐ろしいところは、 究極的には人間に自立した 思考等存在せず、人間の考える 事は全て「神」から発生するので、 神の命じるままに動きなさいよと 言う聖職者達にとって実に 都合のいい思想な所です。



そもそも角川を除いた大手 出版が同族経営の株式非上場の 独占禁止法スレスレのオーナー 企業ばっかりが「利権の温床」 でないはずがあるまい。

角川もラノベに関しては 独占企業だからね。 電撃だとか、スニーカーだとか 全部角川の子会社だから。 だけど角川は株式上場してるから アマゾン辺りに敵対買収されれば 経営体質が変わる希望はある。

ではアマゾンに対抗するため に、日本の出版、印刷連合が 何をやっているかと言うと 「文化庁」などの政府機関 とツルんで外資を閉め出す規制の 政策ばかり作ろうとしている。

まぁ、アマゾンも文化庁と 同じメイソン、イルミ系企業だが アマゾンは税金を払わない企業 だから、日本のイルミ達からは 嫌われているんだろう。

ちなみに文化庁は「まどマギ」に 賞をくれてやった所ね。 他にも「電脳コイル」や「カイバ」 みたいな思想的にヤバイ アニメに 賞をくれている。

アニメミライなんてご大層な 名前と、日本のアニメ産業の 発奮などと理念はご立派だが、 そもそもディズニーに全く歯が 立たない時点で日本のアニメに 「ミライ」など全くない。

ドイツの「Laura's stern」とか ジブリよりも出来いいぞ? まぁ、日本のアニヲタ達はこういう 物は観ないのだろうけど。

ちなみにディズニーが 「ナディア」や、 「ジャングル大帝」をパクった 時に庵野や虫プロがあまり 騒がなかった理由をよく 考えたことあるかな? 日本のアニメ業界はディズニーに 足を向けて寝ることは出来ない からね。むしろディズニーさまさま だろうね。

日本のアニヲタ達はピクサーの 監督が専門学校時代に作った 「電気スタンド」のアニメ群 ぐらいは観た方がいいぜ? フェイド大帝はあれ観た時に こりゃ勝てんと悟ったね。

ちなみにもう一つ面白いこと を教えてやろうか? 君達アニヲタに好評な 新海誠っているだろう? あいつがグランプリとった コンテスト(猫のアニメで入賞 したやつね)ってのはプロ経験 のある奴は応募出来ないんだ。

ところが奴は日本ファルコムで アニメを作っていた経歴を 隠して応募したんだ。 本当はあのコンテストの グランプリは二位の奴が 受賞すべきだったんだ。

新海誠のアニメは所謂伝統的な 2Dアニメだったが二位の人のは 完全なフル3Dアニメ。 二位の人がグランプリを 取っていれば、日本のアニメも 3Dに移行する方向に進んだ はずだったんだ。

ところが新海が大賞を受賞した せいで、日本アニメはまた古臭い 2Dに逆戻り。 そして3D路線に完全に移行した ディズニーを始めとした海外勢に 大きく水を開けられることになる。 取り返しのつかないほどに。

ついでだ。もう一つ取っておきの タブーを教えてやるよ。 ドラえもん初のフル3Dアニメ 「stand by me」って最近出ただろ?

あれは元は東宝を受けた就活生 の考えた企画が元ネタだ。 当然その就活生は落とされている。 当時、東宝で採用担当していた 人事担当者はその後、本社に 呼び戻されて出世している。

これは「stand by me ドラえもん」 が封切りされる五年前の話だから、 大体あの手のアニメの制作期間 ぐらいの見積もりになる。 いや〜、明るいねぇ〜、 日本のアニメの未来って奴は。w


イタチ ‏@mapetitebelette 11月3日

身内から紹介された(←冗談なのか本気なのか)護身用具の通販ショップ、品揃えがかなりバラエティ豊富で面白い。でも吹き矢って何よ。http://www.body-guard.jp/kate/hukiya.htm

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 11月3日

@mapetitebelette タクティカル ペンという ただの固いボールペンを 購入したフェイド大帝という 人物がいた事も忘れないで下さい。

警棒とかもそうですが、あの手の 護身具はプロ用です。 だって相手を殺さずに加減して 痛めつける必要があるのって プロしか考えられないでしょう? あ、プロというのは警官や警備員 のことね。アウトローさんのこと じゃないですよ〜。

イタチ ‏@mapetitebelette 11月3日

@FeydoTaitei そうですね、プロ用と明記してありましたしね。 催涙スプレーなどは女性の護身具とありましたけど、それだって余程の身の危険を感じた時にしか使用しないシロモノですしねえ。 所持していても警察に没収されるんじゃ、持ってる意味ないしw

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 11月3日

@mapetitebelette 昔、仲良くなったベテランの暴走族 が良く携帯してたのが工具の ドライバー。 安い、長さが色々ある、武器として 見られない。使った後その辺に 捨てれる、……

イタチ ‏@mapetitebelette 11月3日

@FeydoTaitei なるほどー。武器として見られずに済むというのがミソですね。厄介ごとを避けようと思うなら重要なポイントだと思います。

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 11月3日

@mapetitebelette ただしマイナスドライバーは ピッキング用によく使われるため 警官に難癖付けられるリスクが あるので、玄人の不良は プラスドライバーを持つの だそうです。w

物盗りが目的の場合、鉄パイプ で殴る場所も相手の太腿だったり 決まっています。 痣が服で隠れる、致命傷にならない、 逃げにくくなる… 殴っても動じない相手からは 直ぐに撤退します。 金を直ぐに差し出すカモを 効率よく回転させるのがコツです。w

ただし、要注意は外国人で ロシアや東欧系。 奴らは刑務所を怖れないので 危険です。 紛争だとか戦争のある国の 性なのかもしれませんが…… 後、海外は銃持っている場合も あるので注意。

何だかんだ言って一番安全なのは 危険な場所に行かない、交番に 駆け込むだと思いますよ。 複数で行動するとか。 暴漢を撃退する人もいますが、 金を直ぐに出して追っ払う方が リスクが少ないと思います。

これは一つコツなのですが…… 学生さん限定です。

ある程度の規模の不良グループは 必ず盗品市場を開いてる奴がいます。 そういう奴はやたらと地元のギャング や不良グループの勢力図や分布に 詳しかったりします。 ヤンキー漫画の解説キャラみたいな やつね。w

そういう奴と仲良くなっておくと、 街のどこにどんな危険な人間が いるか分かるので、そういう場所を 避ければいいのです。w

大人の場合、警察か地元の自治会 とかでそういう情報を収集している 可能性もあるので、結局は コミュニケーションが大事って ことですかね。

イタチ ‏@mapetitebelette 11月3日

@FeydoTaitei 仰る事、とても分かります。笑 コミュニケーションは大切ですね。いつどのような貴重な情報を得られるか分かりませんから。そのためには人との間に信頼関係を築いておくことですよね。


アルテピアッツァ株式会社 ‏@ArtePiazza 2月7日

【倉庫】今やほとんど使われていないマイナスねじ。しかも今、先端の幅0.5cm以上、長さ15cm以上の大きなマイナスドライバーを、業務等正当な理由なく隠して屋外で携帯すると、最悪の場合、通称ピッキング防止法違反に問われる可能性もあるとか。十分ご注意を。(志)

あーちゃん ‏@Archan_Japan 10月18日

ちなみに、バッグや車のダッシュボードにハサミを入れてるだけで軽犯罪法で捕まえることができる。マイナスドライバーはピッキング防止法に引っかかかる。警察がその気になれば、起訴できるかどうかは置いといて何とでも理由つけてしょっ引くことはできる。

まくはりきょうとう ‏@maq_kyoto 10月8日

それよりも「マイナスドライバーやカッターナイフをかばんに忍ばせた」”だけ”で、ピッキング防止法違反や銃刀法違反になることのほうが知られていないし、現実に判例もあるというのになぜこちらは「知られていない法違反になる行為」で取り上げられないか不思議。

タケダモトツグ ‏@Mototsugooday 2013年3月27日

なんで、マイナスドライバーを所持してはいけないかというと、特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律(ピッキング防止法)の「指定侵入工具」に指定されており、 >業務その他正当な理由による場合を除いて「隠して携帯」すると処罰されることとなった。

ちゃーるう ‏@tya_ruu 2012年6月18日

『仮にこれが、凶器にもピッキングにも使えない只のプラスドライバーだったとしても、工具の不法所持でアウトでしょう。 いずれも軽犯罪法ですが、有罪にすることができます。 2009年の秋葉原では、そうゆうことが本当に横行していたことはネットニュースでも話題になりました。』


魔法使いハンターねこた @lanekota
トラキアの話をまとめてみた(グダグダ要注意)
http://togetter.com/li/611489
“トラキアン・コード見終わったぞ!感想いくで。重要な事がわかったよ!グノーシスの源流かもしれない

“トラキア。ねこたはね、ディオニュソスやヘルメス神の故郷で、遊牧騎馬民族でいわゆるイラン語派にあるよーな人たちかな?という認識しかなかった。でもこの国重要よ!単なるマケドニアの隣国じゃない!”

“ねこたはトラキアの宗教に対してはほんと、知識がなくてオルペウス>>ピュタゴラス>>プラトンという順序でギリシア哲学に多大な影響を与えたって話しか 知らなかったの。そしたらやべえことがわかったんだよ!テレビの情報なんでクロスチェックしてなくてすまないけど、引用する”

“引用「トラキア人。人が生まれると悲しみの歌を唄い人が亡くなると喜びの歌を唄った。肉体は魂のひつぎであり死ぬと魂が解放され自由になるのだと考えられ ていた。」おお!これグノーシスやん。しかもトラキア人は本来のニャン間の居場所は星の世界にあると信じてたらしいんだ。”

“ギリシア神話のヘルメースはトラキアから来た神なんだよね。エジプトの時代になってヘルメスはヘルメス・トリスメギストスになり、ヘルメス文書というのが書かれたの。私2バージョン持ってるけど、ヘルメス文書の世界観がさ、これまたトラキアの宗教観そのまんまなんだよね!”

“トラキア人は、プラトンやピュタゴラスが言うように肉体を魂の墓場だと考える思想を持っていた。みんあ知らんけど、トラキアのオルペウス教の影響を受けた ピュタゴラスのギリシア哲学に対する影響はパネエものがあってね、ソークラテースが死ぬのウキウキしてた話もピュタゴラス派と対談の中だよ!”

“さっき引用したようにトラキア人は、子供が生まれると悲しみ、人が死ぬと魂の開放として喜び、星辰の世界が本来の人間の住処だとおもってたらしい。これっ てさ、オフィス派の世界観やヘルメス文書などのグノーシス文書にあるよね?地上を抜けた魂は、月下界を抜け、遊星点を抜け、最後は恒星点に行く”

“かなりトラキア人の宇宙論はグノーシス系の宇宙論とかぶるよね。トラキア人の王は、死ぬとき最愛の女房を道連れにするんだけど、この感覚ってインドのサ ティーに似てるわ。旦那が死ぬと未亡人が後を追って死ぬの。これ、上流階級だけの習慣なんですよ。インドの。トラキアでも同じみたい。”

“トラキアの遊牧騎馬民族の文化っていわゆる、インド=イラン系のアーリア(笑)人の文化とかなり似てる。文字を残さなかった所とか、インドでも同じで肉体 は仮住まいだと思ってた所とか、騎馬民族とか、イラン人の美的感覚もこの世のものでないような幻想的な感覚だよね?ああ、なんかgdgdだわw”

“とにかく、トラキア人の文化は、いわゆるアーリア(笑)人と呼ばれるサカ族とか、ペルシア人とかそういったイラン系の遊牧民と共通点があると思われます。 青木健先生の「アーリア人」という本を見ればそのあたりの感覚がよくわかります。遊牧騎馬民族で文字を持たず、冶金に長けてた。コーカサスもそう”

“またヒクソス、トラキア、コーカサス、ケルト、イランこのあたりは馬と馬車を持ち込んだ遊牧騎馬民族なんですよ。私このラインすごく怪しいと思ってます。このラインを追っていくとなぜか、輪廻転生だの独自の宗教観や、金属加工などに優れた面などが出てくるわけですよね。”

“またトラキアってワインの名産地でしてね、ギリシアにディオニュソスの密儀を持ち込んだのもトラキア人なんですよ。ディオニュソスといい、ヘルメスといい、西洋神秘主義で重要な役割をしている神はどうもトラキアに関係あるんですよ。ヘルメスとトラキアhttp://tsukinoshizuku2012.weebly.com/30334295391239829579.html”

“遊牧騎馬民族というのは、アラブのベドウィンもそうだけど、いわゆる商業民でもあるわけやな。中央アジアのゾロアスター教の担い手で有名だったソグドやク シャナ人など、中央アジアのイラン語派系遊牧騎馬民族は有能な商業民でもあった。おそらくトラキアもそうだったんだろうな。”

“あとトラキアのラインを追いかけていったら、陸上の移動としての馬(広大なペルシア帝国は幹線道路が整備されてて早馬だと端から端まで7日でした)とフェ ニキア人などの海洋民族とドッキングしたりもするわけか。フェニキア人も金属加工に優れて民族で、錫を求めてブリテンにまでいってるんですよね。”

“フリーメイソンはフランス語で言うと、リベルタメイソンになり、なんか言葉がおかしいのでフルリ人という意味もある。フルリ人か。ここね、トラキアとフェ ニキアがドッキングした土地なんだよね。ここでの言語は確かイラン語派だったような覚えがあります。フルリ人謎が深い
です。gdgdすんません”

ケルト・フェニキア・トラキア・フリギア・フルリはどうもアナトリアの西部あたりでドッキングすることがわかってんだよな。有名な「イーリアス」に出てく るトロヤはミダス王で有名な黄金文明のフリギアと同じだし、トラキアに繋がる。またローマ人は我々はトロヤから来たという伝説がある。”

“フルリ人といえば、不思議な話があって、フルリ人はアナトリアに住んでたのに、ゾロアスター教の経典の言葉であるアヴェスター語(サンスクリット語とも深 い関連があるで)とそっくりの言葉を話してたんだよ。あのね、ザラスシュトラが話してたアヴェスタ語は、イランのホラサーン辺りの言葉だよ。”

“ゾロアスター教の経典のアヴェスター語は、ヴェーダの言葉であるサンスクリット語と深い関連性があってね、元々はインドに近いイラン東部の言葉なの。そう いった古いインド=イラン語がアナトリアで話されてて、フルリ人の名前がメーソンのダブルミーイングがあってさ、なんかおかしいよね?”

“フルリ人で検索しましたところ、なんということでしょう。ヒッタイトの関連性が出てきました。たんぽぽさんは、エジプトに侵略した謎の民族のヒクソスは ヒッタイトとフェニキアとユダヤの連合軍ではないか?と言ってました。またしても遊牧騎馬民族と金属加工技術が繋がるわけですよ。”

“トラキア人はテレビでもあってたように、ものすごく緻密な金銀細工を作ってる。この冶金って技術大事な視点だよ?錬金術は元は冶金なのよ。トラキア、ケル ト、ヒッタイト、ヒクソスあたりどうやら冶金技術との関連がもりもり出てくるわけよ。なぜ騎馬民族に金属と言えば馬具の必要性からね?


“なんかこう、gdgdになってもうたけど、フリメの背後に、インド=イラン系の馬と馬車と金属加工の技術を持った秘教集団がおるみたいでな。トラキアもそ の一部で、トラキアのさかさまーな宗教観が古代ギリシアに影響を与えまくってて、その影響から現代も抜けきれないというやばい状態なのよねー”

“フリーメイソンで特別の聖人といえば、カインとトバルカイン。カインは罪人やけど、鍛冶屋の祖でもある。鍛冶屋などの特別な技術を持ったギルドの祖なのよ わかる?また、せんじろうさんの話ではもののけ姫のたたら場(多々良は百済だよ)みたいに鍛冶をやってると目をやられるんだってさー。おめめー”

“おっと、トラキアの生死観の間にあるのがオルペウス教の神話。オルペウス教の詳しいのはこっち読んでね。http://morfo.seesaa.net/article/196190386.htmlこれすごく、イザナギとイザナミの話に似てるよね?それが西洋の輪廻転生やらグノーシスのモトネタとはな”

“引用「オルペウス派によれば、人間はティタンがディオニュソスを殺害した原罪を引き継いでいて、これに対する罰として霊魂が肉体に閉じ込められて輪廻を続 けるのです。 ですから、オルペウス派は肉体を霊魂の墓と考えました。オルペウス派によって初めて本格的な輪廻思想が西洋世界に持ち込まれました”

“引用「ポンポニウス・メッラは、「ヨーロッパの最大勢力であるトラキア人を注意深く観察する者は、この蛮族がおそらく自然信仰のためであろうが、死を恐れないということに容易に気付くであろう」と物語っている。」ここにグノーシスの秘密があると思うんだ。”


U ‏@wayofthewind 2014年1月31日
現代の社会システムは、社畜や生贄(保険m)というヘルメスっぽい哲学で回していますよね。太田龍は何十年も前に、そこに気づいていたところがすごい。 @lanekota“太田龍先生が牧畜こそ邪悪の根源といってましたから、ヘルメスは羊飼いの遊牧民のトラキアの神”

ヒロチャ ‏@hogege55 2014年1月5日

エルメスと苦悩死素が交差する時貧乏が生まれる…!? "@lanekota: トラキアから来たヘルメースとアレクサンドリアでできたヘルメス思想(こっちはヘルメス・トリスメギストス)とグノーシスが交差する時、陰謀は生まれる~♪"


Angeliqua ‏@Ripple1975 2013年9月14日
ヘルメスについてはよく調べてください。彼は古くはトラキアの風の神様。認識と意識、言葉の神様であることをよく理解してから、その神話を追いかけてください。トート神も古くは原初神。その性質は酷似してる。この視点を確実に認識しながら神話を読むと凡てが解明されます。汝自身を知れの格言通り。

罰ゲームメイカー ‏@DoppelDomes 2011年6月24日

《幻想コーナー》【ハルパー】ギリシャ神話の怪物メデューサの首を落としたペルセウスの剣。ヘルメスから与えられた黄金の剣。鉤爪の様な湾曲の刀身で、内側が刃になっている片刃の曲刀。ギリシャの古刀の名称でもあり、ローマ時代ではトラキアの剣闘士の持つ曲刀を指した。切断を象徴する鎌状の短剣。

senは墨と狼喰ってます ‏@sen_wired 2013年12月16日
トラキアのヘルメスの方だったら一応羊飼いと風の神様なんですけどね


平川哲生 ‏@bokuen
時代順に話を進めます。古代ギリシアのディオニュソスの密儀、オルフェウス教、ピュタゴラス教団などは、人と神の「一体化」を求める神秘主義でした。プラトンはこの影響を受け、さらにプロティノスの新プラトン主義に受け継がれます。

へぼん辞林 ‏@hebon_jirin
【オルフェウス教】オルフェウスきょう 紀元前七世紀頃,ディオニュソス崇拝から成立したギリシャの宗教。オルフェウスの詩に基づき,宇宙の起源や神々の系譜を説き,霊魂不滅信仰を中心に密儀を行い,禁欲的苦行を行なった。ピタゴラス教団やプラトンに大きな影響を与えた。 #daijirin

よぼよぼ @yoboyobo · 2011年2月8日
〖Orpheus〗オルフェウス ギリシャ神話に登場する,トラキアの詩人・音楽家。オルフェウス教の創設者とされる。アポロンから与えられた竪琴に合わせて歌う彼の歌は鳥獣・山川草木をもひきつけたという。アルゴー号の遠征に参加。死んだ妻エウリュディケーを冥府から連れ戻 #daijirin

桃園穂鳥 ‏@cawaU
ギリシアの伝説的詩人、音楽家。トラキアに生まれ、母は詩女神カリオペといわれる。オルフェウス教の開祖。竪琴を奏で、美しい声で歌うと、人も木も石も動いたという。死んだ妻エウリュディケを冥府から連れ戻すのに失敗し、いつまでも嘆き悲しんでいたため、トラキアのマイナデスたちに体を裂かれた。

オルフェウスを開祖と仰ぐ古代ギリシアの密儀宗教。英語でOrphism。時間神クロノスや卵生神話を含む宇宙創成論、ディオニュソス=ザグレウスの死と復活に仮託された人間論および輪廻転生説など、特異な教義で知られる。ピュタゴラス学派とは密接な関係にあると思われ、古代末期まで存続、新プラ


風橋 平( 㷑 ) ‏@Kazahashi_O
人が産まれると悲しみの歌を歌い、人が死ぬと喜びの歌を歌う。それは肉体は魂の牢屋であり、自分達は魂として星の世界へ行く。 -トラキアの伝承より


安中 ‏@yasunakayo

トラキア人の、肉体は魂の牢獄だから生まれたときに悲しみの歌を、死んだときに喜びの歌を歌い、星の世界に本当の魂の世界があるってのすごいなぁ

野生の瀬宮ニャンがあらわれた ‏@shin_semiya

これどこから来たのかというと黒海北西部のトラキア発祥で、トラキアにおいては、地上とはあの世であり、人間は生きている間精神生命体として星々の海を巡り、死ぬと原罪により地上で懲役刑みたいな感じで生きることになるとされた。 よく生きよく死ねば、原罪は購われ、より高位の存在になるとされた

くろゑ@3月中旬新曲(予定) @xhloe · 12月13日

Illuminatiシリーズはグノーシス主義的な世界観を借りていますが、グノーシス主義オフィス派は蛇=人類に知恵を授けた聖なる遣いとして信仰していたそうです。

グノーシス主義オフィス派派の『バルク書』によれば、第二の男性原理エロヒムの天使が、第三の女性原理エデンまたはイスラエル(体は女性、足は蛇身)の女性体の部分の土からアダムを創り(蛇身の土から動物を創った)、エデンが魂を、エロヒムが霊を置いた

神話辞典bot @shinwa_jitenbot · 10月10日

ヤルダバオト グノーシス主義のオフィス派の説で7人のアルコンの一人。アリエルとも。名前の意味は「カオスの子」。 創造神として、「不可知な父」「未知の神」のすぐ下の地位を占めている。  http://www.jiten.info/dic/europa/ialdabaoth.html …

まだ夏だった白玉もち @siratamamoti777 · 2014年1月17日

ヒッタイトさん世界初鉄製武器使用戦車使用。バビロニア滅ぼしちゃうぜ。ミタンニさんフルリ人支配しちゃうぜ。 前十二世紀海の民がヒッタイト潰してエジプト後退させる。バルカン半島にまたギリシア系下りてくる。その名もドーリア人。ミケーネ諸王国南下の過程でいくつか潰す。

文キューちゃん @bunkyubotchan · 2月22日

紀元前16世紀頃にフルリ人が メソポタミア北部に建てた国 ミタンニ

世界の歴史 @sekaishiB_bot · 2013年5月17日

BC.1550 フルリ人がアッシリアの北西部にミタンニ王国を築き、西は北シリアから地中海に面したウガリト(現在のラス・シャムラ)まで、東はアッシリアを征服してチグリス川の東方まで進出した。

wikipedia bot スマホ対応版 @WikiBot_SmaPho · 12月21日

フルリ語 http://goo.gl/Giy5ZJ フルリ語は紀元前2300年ごろから紀元前1000年ごろまでメソポタミアに暮らし、ミタンニ王国を築いたフルリ人の言語。ウラルトゥ語と近く、二つをまとめてフルリ・ウラルトゥ語族と呼ぶ。フルリ・ウラルトゥ語族が孤立的である...


casipoco @secapoco · 2013年5月21日

ミタンニ:前16世紀にメソポタミア北部からシリアを制圧した王国。人口の大部分は民族系統不明のフルリ人が占めていた。前15世紀にはエジプト・ヒッタイトと並び繁栄したが、14世紀にヒッタイトに敗れ衰退し、後にアッシリアに併合された。

あかりペディア @akaripedia · 9月15日

ミタンニ(ヒッタイト語:Mi-ta-an-niあるいはMi-it-ta-ni、アッシリア語: Ḫa-ni-gal-bat - 「ハニガルバト」)はフルリ人が紀元前16世紀頃メソポタミア北部のハブル川上流域を中心に建国した王国である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%8B …

神様紹介bot(神ボ) @myth_god_bot · 2013年3月15日

《グルス/ヒッタイト神話》グルスたち。ヒッタイトの女神で名前の意味は「書記」、「運命を決める女性」。彼女達は個々の人間にそれぞれの運命をふりあて、生と死ばかりか、善と悪をも司る。フルリ人は彼女達をフテルナと呼んだ。

AK @ho_ro · 5月5日

エアもしくはエンキは、シュメールの外にも広範な影響をおよぼしたことから、(ウガリットの)エルや、おそらくは【カナン神話の神(エブラの)ヤハと同一視され、フルリ人やヒッタイト人の神話にも、契約の神として登場し人々に特に好まれていた】

神様紹介bot(神ボ) @myth_god_bot · 2013年9月15日

《クマルビ/ヒッタイト神話》先住民フルリ人の神。天候神テシュブに敗れ、復讐のために石の怪物ウルリクムミを生んだ。知恵の神エアが天地を切り離した魔剣でウルリクムミの足を切断して倒し、天候神の支配が確立された。

(石を剣=金属で倒した話。つまりフルリ人の金属加工技術の反映)


愛宕山太郎坊 @HTH_1557_1630 · 2012年9月29日

@pat_1308 ミタンニ王国はフルリ人(民族系統不明)らに建国された国で、ヒッタイトに吸収されたとしか知りませんでしたが、今調べたらサンスクリット系統の言語が使われていて神話も共通しているみたいですね。フルリ人も印欧系の可能性があるんですかね。

パト (派渡)@秘封病怖い @pat_1308 · 2012年9月29日

@Hanumaaaaan あれですよ、確かインド・アーリヤ系の人たちがミタンニのフルリ人を支配してたらしいですね。ヒッタイトとミタンニとの間の条約では「Mitrasil」(=ミトラ)、「Uruvanassil」(=ヴァルナ)、

パト (派渡)@秘封病怖い @pat_1308 · 2012年9月29日

@Hanumaaaaan (続)「Indara」(=インドラ)、あと「Nasatianna」(=ナーサティヤ双神)という神々の名前が出てきましたよ

フェイド大帝 ‏@FeydoTaitei 12月16日

ミトラに拘る人達はヴァルナを もうちょっと調べた方がいい。 ヴェーダ教ではこの二神は ペアでセット。 ミトラが太陽なら、ヴァルナは 夜空の星々。 ミトラが契約の神の意味は? 契約を破った時に罰を 降すという意味さ。 昼はミトラに。夜間はヴァルナに。 監視されてるってことさ。

”以下、『世界の名著13』内の水野有庸が翻訳した『スキピオの夢』。
全18頁しかないのによくもこれだけ重要個所を詰め込んだものだ。
この水野有庸の翻訳が一番重要。
やはり注釈が大事。
(古代にできた重要本!って神道カルトあたりが捏造しまくっている聖典(笑)があるけどさ、
「では解釈書や注釈書が時代ごとにあるはずですよね?著者名と署名を教えて」
と聞くと黙るよ。
四書五経の注釈書何冊あると思ってんの?
仏典も聖書もコーランもすさまじい量だよ?
当然、偽書か判断するための基準もできているよ。
偽書を創る奴らって解釈書までは捏造する知恵がないからね。
時代ごとに創らないといけないから大変だよね。
当時の知識人が一切言及しない理由もでっち上げないといけないし。
つまり既存の資料の中身を改竄する手法のほうが多いだろうね)

違う翻訳で再読すると見のがしていた重要個所が浮かび上がる。
邦訳が複数ある重要な本は読み比べが有効。

引用で誤字脱字は気を使うが、
特にひらがなやカタカナが連続するところ、
漢字の送り仮名に注意。
ゆっくり音読が有効。
黙読だと見のがす。
漢字は句読点の代わりになるので、文章の区切りとしても重要。
引用すると文書を書いた人の文章の癖が良くわかる。

“太陽は、ほかのことごとくの、光を放つものの群れにとって、その総司令、その首領、その光度の調節者。宇宙の霊であって、そのほどよい和らぎのみなもと。太陽がそなえている力はまことに強大で、あまねく万物を、自分の光で輝きわたらせるほど。この太陽に、従者のように侍り従うのは、片方ではウェヌスの、片方ではメルクリウスの進みゆく道。
しまいに、最下の輪を、月が、太陽の放つ光に照らし出されながら、回(めぐ)ってゆく。けれども、その下には、死すべきものが、崩れ滅びゆくものが、あるばかり。その例外は、神々の恵みによって人類へ授けられた知性だけ。つまり、月より上が、あらゆるものの不滅である所なのである。それからもう一つ、宇宙の中央にあって、九番目のものである地のたま(「たま」に傍点)は、動かずにいるばかりか、下の極みをもなしており、したがって、目方のあることごとくのものは、自分の落ち癖によって、その上へと、ひた走りに急ぎゆく」”
『世界の名著13』内の水野有庸 訳『スキピオの夢』、
九(キケロ『国家論』第十七章p.74

・75頁の大スキピオが語る諸天体の軌道の概略図

円(楕円ではない)の外に円が続いている図。
中央が地球。
地球の一つ外が月。
月の一つ外が水星。
以下、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、天球(恒星天)
の順に外に位置している。

(太陽=宇宙の霊は光を放つもののボス。
金星と水星は太陽の従者。
太陽神が最高神の思想は多い。
キケロは太陽派っぽい。
神々が与えた知性は滅びないという思想

・当時から土星までは見えていたことがわかる天体描写。
宇宙には和音が響いている
(らしいが宇宙は真空なので音なんて以下略)

“ そればかりではない。はるか将来に生まれてくる世代が、すすんで、われらひとりひとりの功(いさお)を、跡絶(とだ)えなくその父祖が語るのを継いで、つぎの世に伝え残すようなことをしてくれるとしても、一定の時がいたればかならず襲ってくるはずの、地上の各地に及ぶ洪水と劫火のゆえに(3)、われらが手にすることができる誉れは、永遠であることはおろか、年数(としかず)のながいものでさえないのである。
 また、おまえのことが後世の人々の語りぐさになろうと、それに格別どれほどの意味があろうか。過去の時代の人々は、後世の人々にくらべて、人数も少なくないばかりか、優れた人物であったにちがいないのに、この人々の口からは、おまえの話など、出たわけもないことを思えば。

(3) たとえばストア派の考えかたによると、一定の周期が回ってくるごとに、天体を構成するアイテールの勢力が極大に達してその火力により全宇宙は炎上し、滅び去る。逆に、海をはじめとする水の勢力が宇宙の日の性ry9億に打ち勝つと、禅地上波洪水に襲われる。ストア派以外にも、たとえばルクレティウスが、『蛮勇について』第五巻第三蜂ゼロ~四一期行で、類似の考えを述べている。”
『世界の名著13』内の水野有庸 訳『スキピオの夢』、
十三(キケロ『国家論』第二十一章p.78(注釈はp.79)

(火が先。水は後。
世界が始まって間もない黄金時代が最高でだんだん劣化していく思想。
進歩主義というだんだんよくなっていくって思想と真逆)

ねこた‏ @lakudagoya 2016年7月23日
マタイによる福音書 3章 11節 「わたしは、悔い改めに導くためにあなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方はわたしよりも優れておられる。わたしはその履物をお脱がせする値打ちもない。その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 」 え?311人工地震テロ?




聖書だと水が先。水の洗礼者よりも火の洗礼者のほうが上。
ストア派だと火が先)


・人=心(が本体であり、肉体は本体ではない)
“神であるぞ、おまえは。”p.81
の文の次にその根拠が続く。
滅するものを不滅のものが動かしているから人は神。
自分で自分を動かすものが不滅。
魂は自分で自分を動かすことにかけてはほかに類のないもの。
∴魂は不滅。
動きのはじめをなすもの(万物を産むもの)とは、自分が自分によって動かされるもののことである。
これは生まれることも死ぬこともない。

(殺人大好きカルトになるのをどうやって防ぐのか?

魂はある一定量最初からあったってこと?
魂の数はあらかじめ決まっている疑惑)

・魂を幽閉する肉の快楽に溺れるな、神々も人間も従うべきである法を犯すな。


・注釈
(スキピオを取り巻く一座の談話が発展し、スキピオが自分が見た夢をみなに聞かせる気になった。このスキピオの夢は長年口外しなかったものであった。)
小スキピオがこの夢を見たのは紀元前149年。
この談話は前129年で、小スキピオ暗殺の直前。

(公式の信用できない耶蘇教成立年代より前かつそこまで前ではないことが重要。

本書は短いし内容も素晴らしいから、外国語学習に便利。
生徒にあらかじめ日本語訳で代表的作者の本のうち短いものを読ませて、一つ選ばせて学習してもらうとよいのでは?)





• アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
• ヘシオドス『神統記』廣川洋一訳、岩波文庫(1984年)
ヘーシオドス『仕事と日』

ヘシオドス『神統記』私訳
http://www.saiton.net/ethics/theo.htm




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