読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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神学と聖典確定の創始者を異端派(=真のキリスト教)として迫害したキリスト教正統派(耶蘇)こそが本当は異端であるべき!『グノーシス』筒井賢治 


イシス・ミトラ教の宣伝本『黄金のろば』と、
王様の耳はロバの耳!なんて叫んでいない『変身物語』(太陽は一つ目で神々は金髪)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-168.html
とあわせてどうぞ。

キリスト教の異端派をユダヤや悪魔と言い換えて中身を隠すのは当然「キリスト教」を隠したいから↓

魔法使いハンターねこた‏@lanekota
@pinkglalem おはようございます。そうなんですよね、シスコ・ウィーラーや悪魔に愛された女という本もそうですけど、このての内部告発ってなんかおかしくて、客観的な 情報が存在しないんです。
自称悪魔崇拝カルト(笑)の高位司祭という触れ込みのジョン・トッドにしたって、この人はニューソート臭い成功ビジネス本出してる人だったりします。
このての暴露ものって教会サイドの捏造ってパターン多いんですよ。
悪魔に愛された女の著者はカ トリックの司祭ですし、その本を下敷きにして、宣教師のスプリングマイヤーと組んでシスコ・ウィーラーは活動してますし
――

グノーシス系がセム系と違って女性の地位が高い=女性聖職者OKなのはグノーシス神話、思想が女性も優遇しているから。
至高の神が両性具有あるいは両性具有要素があるから。
両方備わって完全。
そもそも人間の男女の見える違いって肉体の違いでしょ?
真の意味で肉体を軽視し悪とみなすグノーシスなら肉体の違い=性別の違いに囚われて聖職者は男限定とするほうが教義に反するでしょ?
グノーシス系の輪廻思想もからんでそう。別に悪行を重ねると次は女に転生とかという思想はないでしょうし。悪行を重ねるとそもそも人間には転生できない教えかもしれませんが。
あと男尊女卑って他の宗教を批判して自分らは男女平等のふりをするのがキリスト教圏社会。
真の意味で女卑というのはね、女性の産む能力と子育ての否定。
つまりマリアは処女でイエスを産んだとか、
アイドル=偶像マリアは処女とか、
大家族より核家族とか、
全寮制で親から離して育てろとか、
子育ては使用人にやらせろとか、全部母親の否定じゃん。
男同士で子供を作る研究とかもね。
その意味では産めよ増やせよのイスラム圏のほうが女性を尊重している。
あと欧米の論理だと欧米が神聖視しているローマもギリシャも男尊女卑になる矛盾に気づいているのだろうか。
そもそもフェミニズムを産むほどに、異常に女性を抑圧してきたってこそでしょ。しかもそのフェミニズムって女性の産んで育てることの否定。つまり女性は男性化しろってことでしょ。「男になりたい」ってことでしょ。
で、バックにいる組織のボスが男っておいおい。そうか、黒幕が男だから「女は男のようになれ」なのね。
カトリックが一番自分が知る限りでひどいぞ。
洗礼前の赤ちゃんは悪魔らしいぞ。
女は存在それ自体が悪らしいぞ。マリア以外はけがれているらしいぞ。
洗礼前に死んだら悪魔=あかちゃんが死んだからよかっただそうで。
でカトリックは保護してくれないから、赤ちゃんを十字路(ヘカテーが降臨するらしい)において、お産の神ヘカテーに祈ったら悪魔として叩かれたんだって。
当時神父よりはるかに医療技術があった産婆も焼き殺すしゴミクズですな。
お産の神も悪魔なのだから本音がよくわかる。そもそもゴッドは「父」であり「母」ではないしイエスは男だし、三位一体に「女」はいないし。
ビッチは本来は処女にして月の女神アルテミスの聖なる添え名。
意味を真逆に改悪したのが耶蘇教。

「ウィッチはビッチ」はギャグではなく耶蘇教が改悪する前はほめ言葉だった。

魔術とお産と吸血鬼の女神ヘカテーはアルテミス=ディアナと同一視された。
ヘカテーは梟がシンボル(悪い意味で)。
カトリックは本当に梟が嫌いだなあ。
ちなみにルパエ(雌狼)は狼神ルパに仕えていた神殿娼婦のことだが、
意味を売女=悪名に改悪したのも耶蘇教。

詳しく知りたい方は、ゆっくりと学ぶ吸血鬼シリーズ動画の六話と八話をどうぞ。

アルテミス=ディアナ
=ダイアナは処女ビッチ!
ヘカテーと同一視されたのだから最高の魔女で当然。

メス犬の息子を意味するson of a bitchは元はキリスト教用語。
このサノバビッチは現代は罵倒語だが、
本来は異教の女神の霊的な息子という意味。
異教徒叩きが日常語になった一例。

ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第8話後編その1『女神ヘカテとリリスと吸血鬼』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28804107

ゆっくりと学ぶ吸血鬼 第8話後編その2『女神ヘカテと魔女と吸血鬼』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28804173
(学術寄りの動画。プロより詳しいっぽい作者。この動画の作者も正教会の情報が少なくて困っている)


豚叩きがウェスタ(マリアの元ネタの一つ)叩きでもある疑惑↓



筒井賢治『グノーシス-古代キリスト教の〈異端思想〉」』 (講談社選書メチエ)


背表紙の超要約が秀逸
“「人間は〈偽りの神〉が創造した偽りの世界に墜とされている。
われわれはこの汚れた地上を去り、
真の故郷である〈天上界〉に還らなければならない」
――誕生間もないキリスト教世界を席巻した〈異端思想〉。
膨大な史料を博捜し、その実像に迫る。“




冒頭の年表

一世紀後半 
魔術師シモン=すべての異端の始祖。

キリスト仮現論

異邦人伝道の進展
新約聖書文書の大部分の成立
異邦人世界=ギリシア・ローマ文化圏へキリスト教が本格的に浸透を開始。

2世紀
本記事にて。

3世紀
正統多数派の有名反駁文書
マニ教成立と布教

4世紀
ナグ・ハマディ文書の制作
コンスタンティヌス帝によりキリスト教公認
新約正典27文書の固定
アウグスティヌス(元マニ教徒)

・「グノーシス」とは、ただの単語として見るなら、「認識」や「知識」を意味する古代ギリシア語の普通名詞。
何を知るのかというと、
キリスト教グノーシスだと
①イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違う

②創造神の所産たるこの世界は唾棄すべき低質なもの

③人間もまた創造神の作品であるが、その中にごく一部だけ、至高神に由来する要素(=本来的自己)が含まれている

④救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれ至高神のもとに戻る


・二世紀後半のアプレイウス『黄金のろば』(変身物語)の「アモルとプシューケー」では
ウェヌス=ヴィーナスの嫉妬を飼って奴隷にされている少女が、
冥界の女王プロセルピナ(ギリシア語でペルフォネー)(ペルセポネ―)を訪ねて「美しさ」の入った手箱を借りてくることをウェヌスから命じられる。
少女は任務を果たし、手箱を抱えて再び地上世界にたどり着く。
ちょうどそのとき、何があってもその箱を開けてはいけないと教わっていたにもかかわらず、あるいはまさにその忠告が引き金となって、少女はその箱の中身を観たくて見たくてたまらなくなってしまう。
ところが、その箱に入っていたのは「冥界の眠り」=死であった。少女はたちまち倒れ伏し、動かなくなってしまう。

アモル
(=愛、恋。ウェヌスの息子。別名クピードー。英語名キューピッド。ギリシア名エロース)
神であるにもかかわらず人間の少女プシューケー(=魂)に一目ぼれし、自分の正体を明かさないまま、彼女と結婚していた。正体を知られるとまずいのでアモルはプシューケーを黄金の御殿に一人で住まわせ、自分は夜の間だけそこに通ってくる通い婚を行っていた。妻には「自分の姿を見ようとするなよ、さもないとすべてが終わりになるから」と言い聞かせていた。
プシューケーは夫の正体を知りたくなり、夜中に一人で起きてランプを灯すと目に入ったのは美しい少年神アモル。瞬間、ランプの油が眠っているアモルの体に垂れてしまう。アモルは目を覚まし、約束を破ったプシューケーを責め、そして飛び去ってしまった。一人ぼっちにされたプシューケーはアモルを探して放浪の旅に出る。結局は彼女はウェヌスに奴隷奉公させられる立場となり、先述の箱をとる無理難題を仰せつかった。
その後は、冥界で倒れているプシューケーをアモルが発見して救い出し、プシューケーは主神ユピテルの計らいで神とされ、正式にアモルと結婚することになる。天上で盛大な結婚式が催され、のちにプシューケーはアモルとの子「よろこび」を産む――以上が大筋。

アプレイオスはプラトン哲学の専門家。
プラトンの対話篇『ファイドロス』(パイドロス)の中で、
魂=プシュケーが真理への、もしくは真実在、美そのものへのエロース(=アモル)に満たされて天井に登っていくという寓話が語られていた。


『変身物語』のメインストーリー
主人公ルーキウス青年がギリシアのテッサリアを訪れる。テッサリアは魔術が盛んなことで有名。で。で主人公も習得したくなる。女魔術師パンフィレーに接近するために彼女の小間使いフォーティスという若い女をまず誘惑。フォーティスと親密になったルーキウスは彼女に頼んで、パンフィレーが鳥(フクロウ)に変身した魔術をまねして自分にかけてもらう。
小間使いは手順を間違え(入れ物を間違え)主人公はロバになってしまう。
人間の姿に戻るにはすぐそばにあったバラの花を食べるだけでよかったのだが、まさにそうしようとした瞬間に盗賊が押し入り、盗品を運ばせるため、そこにいたロバもついでに奪っていく。こうして主人ロバの奇妙な放浪が始まる。

ある幼い王女が結婚式の場から誘拐されて盗賊団の手に落ちる話がある。絶望する王女の気を紛らわせようと、盗賊団に仕えていた老婆が彼女に面白い話を聞かせる。これが「アモルとプシューケー」の物語。ろばもそこに居あわせて話を聞いていたというわけである。
最後に主人公は薔薇の花を食べて魔術が解けるのだが、ルーキウス自身が独力で薔薇を見つけ出すハッピーエンドではない。
ルキウスが絶望してエジプト由来の女神イシスに助けを求めて祈ることによって救いがもたらされるのである。イシス神が啓示を下してなすべきことを教え、そのとおりにした主人公は、その神に仕える大祭司からバラの花をもらい、衆人環視の中でロバから人間の姿に戻る。そのルキウスは修行を重ねてその神に帰依する。これが黄金のロバに変身物語の結び。
イシス崇拝は当時のローマ帝国でも広く普及していた。

『黄金のろば』全体とそれに挿入されている「アモルとプシューケー」の物語には、主人公(ルーキウス、プシューケー)が自分の「好奇心」に足をすくわれて破滅を招き、独力ではなく一方的に神(イシス、アモル)からもたらされる援助によって救われる筋が共通している。
好奇心はアプレイウスにとって重要な意味を持ち、本作の核心をなす。







悩んでると女神様ガー!というのはね、古代ローマのルキウス・アプレイウス「黄金の驢馬」にもあるんだよね。驢馬になって戻れないルキウス君がお願いすると女神様が現れて薔薇の花びら食いなさいとアドバイスするんだけど、この女神様はジョン・レノン君の元にも現れたのかなん?気になるよ~




閉店です ‏@lakudagoya 10月12日
これにさ、イシスの密儀のシーン出てくるけど、なんかこう雰囲気が地元の祭りのような感じでビックリした。ああ日本は古代宗教残ってんだね。 アープレーイユス の 黄金の驢馬 (岩波文庫) を Amazon でチェック! http://amzn.to/2epZ1Zz @さんから




古代エジプトにおいてシリウスってのはかなり重要な星で、これが出ると新年が始まってナイルが増水する。また古代エジプトのラブレターで惚れてる女を新年に出る星に喩える話があってだな。 またルキウス・アプレイウスの黄金の驢馬で、ルキウス君は人間に戻るために薔薇の花輪を飲み込む。

そのルキウス君が薔薇の花輪を飲み込むのは、春分の日の春の女神の祭典だった。またその春の女神は古代エジプトではシリウスであるとされてきた。 で、その春の女神は直接シリウスではなくソプデトと言うんだけど、そいつは春の女神の化身という事になってる。ついでに「明けの明星」まで生んでる。

このように怪し気な陰謀シンボルのマーキングには古代エジプト由来のシンボリズムを埋め込んできますので、解析には最低限エジプト学の知識が必要です。 また最近のラノベでは、インド哲学ものが増えてきましたので、エジプト学とインド哲学(バラモン教)両方あると便利です。

ついでに、インド哲学にはスウェーデンボルグの理論(大本教もこれだよ)での換骨奪胎が必ず付与されてきますので、スウェーデンボルグの本にも目を通しておいたほうが良いでしょう。 アニメでインド哲学を使われる場合、仏教使うのはガンダムの富野くらいなので、バラモン教が最重要です。)


・アプレイウスが活動していた時代、紀元後2世紀後半、誕生して間もないキリスト教会では、総称的にグノーシスと呼ばれるさまざまな異端的流派が広がりを見せていた。
キリスト教グノーシス思想は、紀元2世紀の半ばから後半に最盛期を迎えた。

キリスト教グノーシス主義に共通する特徴として第一に挙げられるのは、
目に見えるこの世界を、それを創造した神(=旧約聖書の神)を含めて蔑視し、排撃する点にある。この創造神を敵視する以上、正統派=多数派から異端視されるのも当然。

グノーシス主義は、この世界の外、あるいはその上にあるいわば「上位世界」、そしてそこにいる「至高神」を信奉する。そして人間の霊魂も、もとはこの上位世界、別名「プレーローマ」の出身であり、現在はこの世界に幽閉されている。
人間の身体もこの世界の一部として蔑視される。
霊魂がこの身体を含むこの世界から解放され、故郷である上位世界へ戻ること、それがグノーシス主義者にとっての「救済」となる。そして、こうした事情を人々に啓示するために上位世界から派遣されてきたのが救済者イエス・キリストだと説明する。
人間にとっては、自分自身のこのような本質に目覚めること、それを「認識」=グノーシスすることが、救われるための必要条件になる。

グノーシスの中でとくに有名なのが、
2世紀後半に活動したプトレマイオスによる宇宙創成神話。なお、ほぼ同時代に活躍した天文学者プトレマイオス(英語名トレミー)とは無関係。

プトレマイオスいわく、
最初に至高神と、エンノイアなる女性的存在がペアをなしており、
そこから順次、
アイオーンと総称される神々それぞれ男女のペアで流出し、
テレートスとソフィア(知恵)のペアに至るまで、合計30のアイオーンが成立する。
こうして上位世界に相当するプレーローマという安定した組織が完成する。
一定の階列があり、至高神を直接眺めて知ることができるのは至高神から直接に流出したヌース(叡知)というアイオーンだけであり、その他のアイオーンは至高神を見知りたいとひそかに願いながらもそれぞれの位置にとどまっている。
最下位のアイオーンであったソフィアは大胆にも至高神を知ろうと企てたが、失敗し、絶望のあまりプレーローマから転落しかかってしまう。そこへホロス(境界)という存在が登場しソフィアの転落を食い止め、過ちを知った彼女は心に抱いていた自らの「情念」を切り離してプレーローマの外に捨てる。
こうしてソフィアは救われ、プレーローマ内の元の位置に落ち着く。

他のアイオーンが同じようなパトスに取り付かれて離反が起こるのを防ぐため、ヌースから新たにキリストと聖霊のペアが流出し、至高神の不可知性を改めて各アイオーンに通達する。それによってプレーローマ全体に安息がもたらされる。
他方このキリストがプレーローマの外に投げ捨てられている情念を哀れみ、それに形を与える。これが創造神のそして人間を含むこの世界の起源。
プトレマイオス理論だと創造神とこの世界はソフィアの向こう見ずな好奇心から文字通り生まれ落ちた産物。

ソフィアの情念はあくまでプレーローマ構成員ソフィアから出たものなので、わずかとはいえプレーローマの要素が混入していた。
今でも人間の肉体にプレーローマ要素=霊魂・本来的自己・光の粒子が閉じ込められて解放を待っている。
プレーローマから派遣されたキリストが覚醒ないし自己認識=グノーシスを呼びかけ、それに応答した霊魂たちが次々にプレーローマへ帰還する。
これが完成すると物質世界が燃え尽きて消滅する。

理論ないし話のパターンがアプレイウスの『黄金のろば』と驚くほど同じ。
プトレマイオスにおけるソフィアとアプレイウスにおけるプシュケーおよびルーキウスは、いずれも自らの好奇心によって破滅しかかるが、自分より上位の存在(それぞれプレローマ、アモル神、イシス神)からの恵みによって助けてもらう。
もう少し踏み込んで言うなら、自分から知りたがるという「好奇心」が悲劇をまねき、相手から知らせてもらうという「啓示」が救いをもたらすという構造が共通している。
こうした共通点はヘレニズム神秘思想にさかのぼる。
アレクサンドロスの帝国が出現して以降、つまり紀元前4世紀末からギリシアとオリエント世界との垣根が取り除かれ、あるいは低くなり、各地の思想が融合し初め、そのころから
「人間が神を認識するのは不可能」
「神のほうが自らを人間に示し人間を救う」だという考えが登場した。
ヘレニズム神秘宗教が生まれ、ヘレニズム世界にのちにはローマ帝国まで広まっていく地理的な震源地を挙げれば当時のナイル川河口の町にして文化的首都アレクサンドリア。

前述の2話はともに好奇心を否定して啓示を肯定する。
両者とも作者は2世紀後半に活動した人物で、当時最高の教養を身に着けていた。

アプレイウスはなぜ小説ないし童話というジャンルを選んだのか。
哲学論文でも対話でも書簡という文学類型でもない理由。
文学形式は読者層と密接。
黄金の驢馬はより広い読者層に向けて、娯楽だけを求めている人々もターゲット。
著者が冒頭で明言している――「……さあギリシア風の物語を始めますよ。読者さん、ご注目ご注目。楽しいですよ!」。
このような前置きを書いてから「わたしは仕事でテッサリアに行く途中だったんです」といって、一気に本題のストーリーに入っていく。
確かに語り方のスタイルはまさに娯楽小説。
2世紀は古代小説文学の最盛期であった。

(「ロバが薔薇を食べて元に戻る」、薔薇は魔術を解くことを潜在意識に刻むには物語が一番。
論文などでは弱い。物語は潜在意識を上書きするのに非常に有効。
だから神「話」。伝承はお話であり論文ではない理由。
だからいつの時代も支配層は結社製の「パンとサーカス」=娯楽を無理やり流行らせる)



2世紀とは、ガレノスが医学を、
クラウディオスのほうのプトレマイオスが天文学を、
弁論家フロント―が文学を発展させた。
フロント―を教師とする、ストア派のローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニーヌスも2世紀の人物。

2世紀半ばから後半にかけて正統多数派教会の立場では大異端者が続々と登場する。
代表は、
①ウァレンティノス
②バシレイデース
③マルキオン
この3人は直接的な関係がない。がほぼ時を同じくして登場したのはキリスト教グノーシスの隆盛は当時の社会状況と深く結びついていることを暗示している。
この人々こそが最初の神学者であり、ユスティノスやエイレナイオスをはじめとする反異端論者、すなわちグノーシスに対する反発としてその立場を固めていった人々が、正統多数派的なキリスト教神学の始祖で後に「教父」と呼ばれる存在になる。
グノーシスに反駁することを通して始めて正統多数派の神学が形成された。


1.ウァレンティウス派(のプトレマイオスの教説)

「見ることも名付けることもできない高みに先在したアイオーンがある。これはプロアルケ―(原初)とも、プロパトール(原父)とも、ビュトス(深淵)とも呼ばれる……
彼と共にエンノイア(思考)もあり、これはカリス(恩寵)ともシーゲー(沈黙)とも呼ばれる。そしてある時……」

神的な存在=アイオーン(イオン)。
本来「時代」「世代」を意味するギリシア単語であり、
今のこの時代と対照的なあの時代という意味で、来るべき時代、「永遠」を意味することもある。
日本ではスーパーマーケットチェーンや英会話学校がAEONというラテン語形を企業名に使っている。

最初の女性的神格エンノイア(思考)が原初から出てきたとは書いておらず、共にいたとあるだけなのが注目に値する。
流出はこの後から開始される。


「ビュトスは「万物の初め」を自身の中から流出しようと考えた。
流出をシーゲーにちょうど種子を母体の中に置くようにして置いた。
シーゲーは妊娠してヌース(叡知、理性)を産んだが、彼だけが父の偉大さを捉える。
このヌースはモノゲネース(独り子)ともパテール(父)とも万物の初めとも呼ばれる。
そして彼と共にアレーテイア(真理)が流出した。」

次に誕生するのがロゴスとゾーエー。

(「至高神=原初=原父=深淵」
と共にあるのが
「思考=恩寵=沈黙」。
「思考=恩寵=沈黙」から
「叡智=理性=独り子=父=万物の初め」が誕生。
次がロゴス。
正統派キリスト教のゴッド=ロゴス
なのはヨハネ福音書より明らか。
つまりロゴスを唯一神で最高とする思想の否定)

アイオーン(イーオン)という神的存在の数は30。
この30のイオンで構成される世界をプトレマイオスは
プレーローマ(充満領域)と呼ぶ。
アイオーンには序列があり、ヌースとエンノイアだけが至高神を認識できる。
最下位のソフィアが至高神を知りたいという好奇心をおこすが無理だとを悟り、その思い(エンテューメーシス)を捨てる。
エンテューメーシスは人格化され「下なるソフィア」あるいはアカモートと名付けられる。
アカモートはヘブライ語のホクマーあるいはホクモートに由来し、「知恵」という意味、つまりギリシア語のソフィアと同義。
ユダヤ教では、ヘレニズム時代に入ってから、神と人間を橋渡しする者として、人格化された知恵の存在を考える流れが出てきていた。その根本同期は神の超越性を強調すること。神が直々にこの世界に介入するのは神の威厳にふさわしくないという考え方が広まり始めたからである。
これはヘレニズム時代に普及を始めた神秘思想一般の流れと一致している。
こうしてこの知恵を啓示の伝達者とする知恵文学が成立し、聖書において神が人間に自分の口で語りかけているような記述は実は本当は智慧が話し手だと解釈された。

ソフィアが捨てた思い(アカモート)は自分のみじめな境遇を知って動揺し、悲しみ怖れ落胆無知といった感情=パトスに取り付かれる。
これらの感情から物質あるいは物質的なものが成立する。

しかしアカモートは自分の出自がプレーローマだとキリストを通じて知る。
アカモートには「エピストロフェ―」(立ち返り)という性向が生じ、
これの性向から「心魂的なもの」が生み出される。
ソーテールがアカモートにつかわされ、今度こそグノーシスに基づいて彼女にかたちを与え、
ついにアカモートはパトス=感情から解放され、ソーテールと彼を取り巻く天使たちを見たアカモートはその喜びからから、「霊的なもの」を身ごもり、産む。
アカモートが心魂的なものからデミウルゴス――プラトン哲学で創造神――をつくり、このデミウルゴスが心魂的なものと物質的なものから天地創造する。デミウルゴス=旧約の神はアカモートの存在や自身の由来について何も知らない。
デミウルゴスは七層の天――天動説に基づき当時は土星までの惑星(月と太陽含む)それぞれに一つ、合計七つの天があると数えられていた――を作るが、自身はヘブドマスすなわち下から数えて第七番目の位置に、
そしてアカモートはその上にあるオグドアスすなわち第八番目の位置=恒星天に座を占める。
人間は物質・心魂・霊的なものを三つとも使って作られる。
①霊はプネウマ。
霊的はプネウマティコス。

②心魂はプシュケー(魂とも訳す)。
魂的はプシューキコス。

③物質はコオス(クース)(泥)。
物質的(泥的「コイコス」とも))はヒューリコス。

①はグノーシス系キリスト教徒
②は正統多数派キリスト教徒
③は異教徒
の人類三階層論。

プレーローマから人間が霊的なものをもっていることを知ることができるようにとつかわされたのがイエス。

2.バシレイデース

活動場所はエジプトのアレクサンドリアとされる。

「何も存在しなかった時があった。
無が存在した時があった。この無とは存在するものの一種だったのではない。単純かつ留保なしで全面的に無が存在した。存在したとは何かが存在したことを言い表したいのではなく、全面的に無が存在したことを表示したいがための記号である。」


存在しない神という驚くべき表現が登場する。
ギリシア語原文だと
ホ・ウーク・オーン・テオス
で、神ではないもの、としても訳せる。
否定神学(テオロギア・ネガティーウァ)
という、神の超越性を強調し、人間の理解力を超えているので人間は神にいかなる述語を与えることができないので、「神は~ではない」という否定的言表に制限される、という思想

「存在しない神は、存在しない世界を、存在しないものから造った。何か種子のようなものを投げ落とし、下に置いたのである。この種は宇宙のあらゆる萌芽を自らの内に秘めていた。」

世界が一つの種から育つという考えはオルフェウス教と呼ばれる――他にはピタゴラス教やディオニュソス教といった名称があって混乱しており、歴史的な実態も不明確な――宗教・哲学思想のものとして伝えられる「世界の卵」という概念に類似している。
目を引くのは、種を置いた後、存在しない神=至高神は何ら手を下さないことである。この種から世界がオートマチックに自立的に生成する。
神を我々の世界や宇宙にできるだけ関わらせないためのモチーフは結局、
神の超越性を強調するヘレニズム時代入りの流行に帰着する。
神との接点は種を置く一回限りの行為に制限する。

その種から生成してくるものは、上の世界のことを知らない。


(理神論deism
神が世界を創造したことは認めるが、
創造後の世界に創造主は直接的な関わりを持つことはなく、
自然法則に従い自己発展を続ける、
という一神教思想。
奇跡・預言・啓示などによるゴッドの介入を否定。
人間理性を重視。啓蒙主義に強い影響。

の元ネタがバレイデースのグノーシス疑惑。
イスラム教の超合理主義のムゥタズィラ派の影響もあるだろうね)


・バシレイデースは「無からの創造」という考えを提出した最初の人である可能性あり。
ギリシア哲学における宇宙論は
①プラトンはのように創造神はいても材料/素材は創造神と別に存在していたとされるか、

②アリストテレスなどのように宇宙には成立というものがない、永遠
だと考えられていた。



・キリスト仮現論
モーツァルトの曲に「アウェ・ウェールム・コルプス」Ave verum corpus というものがあり、
「まことの体」という意味。
聖餐式のパンは偽物ではなく本物のイエスの肉体だと宣言している。
キリスト仮現論を否定する正統多数派は受難も体も見せかけではなく正真正銘の本物だったと執拗にこだわる。

多数派正統派は「まことに神、まことに人間」「神が人間になった」というドグマに固執。
理性の立場から言えばどちらも矛盾だが信仰のほうを重視。

異端とされたキリスト論はすっきりしていて理性的。
人間か神か一方に決めてしまう。
人間性を選ぶなら養子論、イエスは人間であったが神に認められて養子にされたという非常に古い考え方がある。
神性を選ぶならキリスト仮現説という、イエスが人間だったとか肉体があったとか受難したとかいう言い伝えは外見に惑わされているだけで事実は違う、という思想。
キリストの身体性や受難を否定。正統多数派キリスト教は反発し、キリストはまことの神であり、またまことの人であるとした。

バシレイデース派のキリスト仮現論
十字架上で死んだのはイエスでなく、シモンという別人である。イエスは笑っている。



3.マルキオン

「キリストとマルキオンの間は一一五年と六ヵ月と半月」
妙に細かいデータ。
かつ船主。

①正統多数派
至高神=創造神は「自らが創った」人間を罪から救うべく、自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。

②一般的なグノーシス
至高神は、低劣な創造神が造った人類から、その中に取り残されている「自分と同質の要素を救い出すべく」、自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。

③マルキオン
至高神は、自らとは「縁もゆかりもない」低劣な創造神が造った、自らと「縁もゆかりもない」人類を、純粋な愛ゆえに低劣な創造神の支配下から救い出して自分の許に受け入れようとした。そのために至高神は自らの子イエス・キリストを遣わし人類に福音を伝えた。
人類の構成要素は百パーセント創造神が造った。
人間とは何のかかわりもないが、神が人間に介入するのは、神の側の一方的な愛情。
一般的グノーシスのいう「霊「魂」「火花」「本来的自己」など光の粒子のようなものは、マルキオンには存在しない。人間に至高神由来の救われるべき神的本質は全くない。
マルキオンは神の異邦性を確保するために神話を作るすることが許されない。


一般的グノーシスもマルキオンも救われるのは人間の霊魂だけで肉体は滅び去ると考えた。

マルキオン聖書は
ルカ福音書とパウロの手紙10通。
この時代は新約聖書のあのリストがまだ決まっていないので新約から取り出したという表現は時代錯誤。
中身はマルキオンが改作していることを忘れてはならない。
正典を決定するアイデア自体がマルキオンという異端から生まれた。


・1966年、イタリアのシチリア島で「グノーシス主義の起源に関する国際学会」が開催され、グノーシス主義を次のように定義しようと言う提言がだされた。

①反宇宙的二元論

②人間の内部に「神的火花」「本来的自己」が存在するという確信

③人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在

分かりやすく言い換えてみよう。
まずこの世界、この宇宙は劣悪な創造神が造ったもので、この創造神は善なる至高神と「対立的な関係」にある(①)。
人間は創造神の造ったものであるが、その中に「至高神に由来する要素」がわずかだけ閉じ込められている(②)。
人間はそのことに気付かないでいるが、至高神から使いがやって来て、人間に自分の本質を認識せよと促す(③)。③の「啓示者」がイエス・キリストであることは言うまでもない。
マルキオンには②がない。


キリスト教グノーシスに影響を与えた可能性のある宗教は
古代ペルシアのゾロアスター教とギリシア古来のオルフェウス教であろう。

人間の肉体は霊魂を幽閉する一種の牢獄であるという思想は、ギリシアでは古くからオルフェウスやピタゴラスの名の下に伝えられてきた。
有名な「肉体(ソーマ)は魂の墓場(セーマ)である」という語呂合わせを紹介しているプラトンは、これをオルフェウスの教えに帰している(『クラテュロス』400C)。
人間の死後には霊魂が解放され、上天にある裁判所で裁きを受け、しかるべき懲罰もしくは褒美を受けた後、それまでの記憶を消されたうえで再び新しい人間(もしくは動物)の肉体をまとってこの世に生まれでる、輪廻転生の前提をなす考え方である。



・マンダ教やヘルメス文書の存在からはっきりわかるようにグノーシスが決してキリスト教内部から生み出された倒錯ではなかった。
独立していたがキリスト教と同レベルの自律的宗教運動があったわけではない。
グノーシスはヤドリギあるいは寄生虫のようなもので、キリスト教なりギリシア=プラトン哲学なり、特殊な民族宗教なりを親木あるいは母体として寄生するものであった。
純粋なグノーシス教は存在しない。


・魔術師シモン、シモン・マゴスは『使徒行伝』八章に登場し使徒ペトロたちからこけにされる、サマリア出身の人物。
ペトロから排斥されたのであらゆる異端の創始者というシモン像へと発展した。
シモン派と呼ばれるグノーシス的な流派が活動していたらしい。
至高神=シモンからエンノイアという女性的存在が生み出され、このエンノイアが物質界に転落してしまう。エンノイア=人間の魂を救出するために、至高神シモン自身がこの世界に降りて来る理論だったらしい。

・東欧・ロシアのボゴミール派(10~12世紀)、
その影響下に発生したとされる南欧のカタリ派(12~13世紀)がグノーシス。
異端審問という中世カトリックの悪名高い制度はこのカタリ派(アルビジョワ派)を鎮圧するためのもの。

・2世紀のキリスト教グノーシスにおいて社会的プロテストのような要素を確認できない。
ウァレンティノスもマルキオンもバシレイデースもローマやアレクサンドリアという大都市で大手を振って生活しており、教会から追放されたりはしてもいわゆる一般社会や政治との接点や摩擦は見られない。これ以前やこれ以外の2世紀グノーシス教師についてもまったく同じことが言える。2世紀の隆盛は社会不安どころか社会の安定によって支えられていた。


『グノーシス』筒井賢治(講談社選書メチエ)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2007/05/post_74.html
“本書はグノーシス主義がもっとも盛んだった時代、すなわち二世紀のキリスト教グノーシスに話を絞り、二世紀の地中海世界という時代背景の中でとらえている。
 二世紀の地中海世界ではローマ帝国が五賢帝時代という最盛期をむかえていた。都市文化は爛熟をきわめ、教養をそなえた有閑階級がかつてなく増え、人間とは何か、人間はどこから来てどこへ向かうのかという哲学的問いが流行した。知的好奇心が高まり、そうした欲求に応えるものとして「知恵文学」が誕生した。
 著者はこうした時代を象徴する作品としてアプレイウスの『黄金のろば』、なかんずく「アモールとプシケ」をあげ、「好奇心」のために破滅し、神の援助によって救われるという構造がグノーシス主義と同型だと指摘する。
 こうしてみると、理論ないし話のパターンがアプレイウスの『黄金のろば』と驚くほど同じだということがわかる。プトレマイオスにおけるソフィアとアプレイウスにおけるプシュケーおよびルーキウスは、いずれも自らの好奇心によって破滅しかかるが、自分より上位の存在(それぞれプレローマ、アモル神、イシス神)からのめぐみによって助けてもらう。もう少し踏み込んで言うなら、自分から知りたがるという「好奇心」が悲劇をまねき、相手から知らせてもらうという「啓示」が救いをもたらすという構造が共通している。
 注意しよう。著者は「アモールとプシケ」 がグノーシス的だと言っているのではない。グノーシス主義もまた「アモールとプシケ」同様、哲学的関心というか、ゆとりから生まれたと言っているのだ。
 ちょっと乱暴な単純化だが、グノーシス主義のそもそもの担い手は暇をもてあましたインテリだったかもしれないのである。
 そう考えると、腑に落ちることがいろいろある。グノーシス文献にはひどく手のこんだ複雑怪奇な創世神話が書かれているが、あんなややこしいお話は相当な暇人でなければ考えつくものではない。神の超越性をめぐる煩瑣な思弁も同じである。
 また、グノーシス主義者には貧しく無学なキリスト教徒をバカにしている傾向があるが、ああいうエリート主義もグノーシス主義者が暇をもてあましたインテリだったと考えれば説明がつく。
 もちろん、五賢帝時代といえども繁栄を楽しんだのは一部にすぎず、社会の下層には多くの虐げられた人がいた。そうした人たちはキリスト教にすがった。



マルキオン主義
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/marukion.htm
”マルキオンは、黒海沿岸のポントスで生まれた。ポントスのシノペという町で生まれたとの説もある。正確な生年は謎である。しかし、「キリストとマルキオンの間は115年と6ヶ月半」という記録が残っており、おそらく1世紀末頃に生まれたと思われる。彼は父親の跡をついで船主の職にあったという。一説には彼の父親がキリスト教の司祭をやっていたとも言われる。
 …
 このためかどうかはともかくも、マルキオンは熱心なキリスト教徒であり、パウロの信望者であり、キリストの磔刑の意味を深く考えた。ここから彼をグノーシス主義者というより、キリスト教の異端者的な見方をする人もいるが、グノーシス抜きでは彼の教義は理解できないだろうとも言われる。
 ともあれ、彼は小アジアの西部沿岸地域、エフェソやスミュルナというグノーシス派の盛んな地で活動したのち、140年頃にローマにやってきたらしい。ここで彼は高額の寄付を行い、取り敢えずはキリスト教の正統派教会に受け入れられた。しかし、これは間もなく破綻する。
 ローマで彼はケルドンというグノーシス派の導師に遇い、彼の影響を受けたという(しかし、最近の学説では根拠が無いという)。
 そして、この頃に彼は自分の教説を完成させたらしい。

 おそらく144年7月(「キリストとマルキオンの間は115年と6ヶ月半」)に、マルキオンは正統派教会の会議で自説を主張し、これに失敗。彼は「異端者」の烙印を受けることになる。
 マルキオン派は、この日をマルキオン派教会設立の記念日としたらしい。
 マルキオン派は正統派(?)教会から、激しい排撃を受けたにも関わらず信望者を増やし、大きな勢力となった。当時の教父たちは、マルキオン派を激しく非難し、それによって彼の教義を知ることができる。
 マルキオンの没年については、はっきりとしたことは分からないが、おそらく160年頃であったと思われる。

 マルキオン主義の教義としては、彼の著書であるという「対立論」に書かれた内容が有名である。
 彼は例によって、「旧約聖書の神」と「キリストが説いた神」を区別する。
 「旧約」の神は「律法の神」であり、世界(物質と霊魂の両方)を創造し、それを厳格な律法でもって治める神である。この神は正義の神ではあるが、恵みや愛というものがない。
 いっぽうキリストの父である神は、「福音の神」であり、先の「律法の神」より高次の天界におり、完全な善と憐れみと愛を持つ神である。
 しかし、この「福音の神」は、極めて高次の存在であり、低次の物質世界に住む我々は、その本質を完全に理解することはできない。ただ、この神と比較することによって、「旧約聖書」の神が、(善ではあるが)下等で「異邦の」神、デミウルゴスであることが確認できるという。
 「福音の神」は、「律法の神」が支配する絶望と悲惨の世界から人類を救済するためにキリストを派遣した。キリストは、この汚れた世界に入り込むために、やむなく「幻影」たる肉体を持って、この世に生まれた。そして、パウロの伝統的教義に従い「贖い」のために十字架に架けられる。ただし、それはデミウルゴスが(それとは知らずに)くだした求刑に対する「贖い」であり、罪責の賠償である。これは地上にとって大きな恩恵であり、この恩恵によってもたらされる救済は信仰と禁欲によって帰結する。
 つまるところ、マルキオンはグノーシス派の「二神論」を、律法と福音に対するパウロの思想と合体させ、これを極端に理解したものとも言える。そして、グノーシス的な救済を大幅に取り込んでいた。彼は確かに熱烈なパウロの信望者、キリスト教徒ではあったが、グノーシスの色彩も強く持っていた。
 ただ、マルキオンの思想には一般的なグノーシス派とは際立った違いがある。
 一般的なグノーシス派では、真の神が、デミウルゴスが創造した人類の内部にある「真の神と同質の部分」を救済すべくキリストを派遣した、と考える。
 しかし、マルキオンは、肉体も霊魂も「律法の神」(デミウルゴス)によって創造されたものと考えた。人類は100%デミウルゴスの作品であるというわけである。
 しかし、真の神(福音の神)は、自分とは無縁の人類を、純粋な憐れみと愛からキリストを派遣して救済しようとした、と考える。
 とにもかくにも、マルキオンは見返りを求めない純然たる究極の善、無償の愛を主張する。

 マルキオンは、正統派教会から激しい非難を浴びた。
 3世紀にテルトゥリアスという教父が「マルキオン反論」、ヒッポリュトスの「全異端反論」で激しく批判しており、これによって教義の内容や当時のマルキオン派が馬鹿にできない勢力であったことが分かる。
 彼らは、人類とは無関係の神が自分の被造物でもない人類の魂を,どうして救済しようとするのか? これには必然性が無いではないか? と疑問を投げかけた。
 マルキオンは「旧約」の神を事実上否定し、律法の放棄すら主張する。そして、何と「旧約」の悪役とされるカインやソドム、ゴモラの住民、エジプト人や異邦人達は救済され、逆にデミウルゴスの支配下にあった「旧約聖書」の義人は救われないとした。
 このような教義は、正統派教会を激昂させるには充分すぎただろう。

 マルキオンの死後、この教派は大勢力となる。
 イタリアやエジプト、シリアやアルメニアにまで及んだという。しかし、衰退も急速であった。2世紀末にはイタリアでは、壊滅状態となったらしい。そして、4世紀頃にキリスト教徒ローマ皇帝による激しい迫害を受けてとどめをさされるが、東シリアを中心に辺境へと逃げる形で存続。5~6世紀頃には消滅したらしい。もっとも、10世紀頃までどうにか存続した可能性の指摘もあるが、まずありえないという。


 マルキオンの弟子たちの中でも代表的な人物がアペレスである。彼は正統派教会のロドンという人物と公開討論を行ったという記録が残っている。
 アペレスは、師以上のグノーシス主義者であり、師の思想をグノーシス派に押し戻した。
 彼は師と異なり、「魂」は、デミウルゴスによる物質世界創造以前に、真の神によって創造されたとした。また、彼は「律法の神」は、「福音の神」によって創造された天使であるとみなした。
 彼はついにはマルキオン派から独立し、独自の教会をローマに設立したが、これは師の教派よりもさらに短命で、3世紀中ごろに消滅した。

 マルキオン派は、キリスト教の歴史において、ある巨大な足跡を残している。
 それは、「正典の設定」である。当時のキリスト教会では、まだ「新約聖書」なる「正典」を設定してはいなかった。確かに福音書や使徒の書簡が出回ってはいたが、それは整理されておらず、様々な文書がバラバラに用いられていた。
 そんな中、マルキオンは(改訂を加え)「ルカ福音書」、「使徒行伝」と10通のパウロ書簡を「正典」として設定した。正統派教会は、このマルキオン派からのプレッシャーから、正典たる「新約聖書」を選択・編集したのではないかという説が有力になってきている。


「グノーシス」 クルト・ルドルフ著 大貫降・入江良平・筒井賢治訳 岩波書店
「グノーシスの宗教」 ハンス・ヨナス著 秋山さと子・入江良平訳 人文書院
「グノーシス」 筒井賢治著 講談社
「書物としての新約聖書」 田川健三著 勁草書房


グノーシス派とは?
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/nanika.htm

ナグ・ハマディ文書
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/naguhamady.htm

The New Church (or Swedenborgianism)
http://en.wikipedia.org/wiki/The_New_Church
“The New Church (or Swedenborgianism) is the name for several historically related Christian denominations that developed as a new religious movement, informed by the writings of Swedish scientist and theologian Emanuel Swedenborg (1688–1772). Swedenborg claimed to have received a new revelation from Jesus Christ through continuous heavenly visions which he experienced over a period of at least twenty-five years. In his writings, he predicted that God would replace the traditional Christian Church, establishing a 'New Church', which would worship God in one person: Jesus Christ.
(…)
At the time of Swedenborg's death, few efforts had been made to establish an organized church, but on May 7, 1787, 15 years after Swedenborg's death, the New Church movement was founded in England. It was a country Swedenborg had often visited and where he died. By 1789 a number of Churches had sprung up around England, and in April of that year the first General Conference of the New Church was held in Great Eastcheap, London. New Church ideas were carried to United States by missionaries. One famous missionary was John Chapman, also known as Johnny Appleseed.
Early missionaries also traveled to parts of Africa. Swedenborg himself believed that the "African race" was "in greater enlightenment than others on this earth, since they are such that they think more "interiorly"
, and so receive truths and acknowledge them.".[7] Several freed African slaves were also involved in abolitionism.[8]
In the 18th and 19th century, occultism became increasingly popular especially in Western Europe. Some followers blended Swedenborg's writings with theosophy, alchemy and divination. What fascinated these followers most was Swedenborg's mystical side. They concentrated on his work Heaven and Hell which tells of Swedenborg's visit to Heaven and Hell to experience and report the conditions there. In structure, it was related to Dante's The Divine Comedy. Some continue to combine the theology of the New Church with ideas from other systems, including Jungian psychology and Spiritualism.
In the U.S., the church was organized in 1817 with the founding of the General Convention of the New Church
(sometimes referred to as the Convention,) now also known as the Swedenborgian Church of North America.[citation needed]

The movement in the United States grew stronger until the late 19th century. There was a "New-Church Theology School" in Cambridge.
(…)
Membership in the New Church has always been small, and the different organizations have been heavily involved in publishing activities. In terms of doctrine, there is a striking similarity between the New Church and the Oneness Pentecostalism movement of the 20th century, which developed quite independently of the writings of Swedenborg. Although the movement is completely separate, some members make some acknowledgement of Emanuel Swedenborg, who preceded the foundation of their church by over 150 years.
Doctrines
There are two essential doctrines of the New Church: the first is that one God as one person in Jesus Christ is to be worshipped, and the second is that one must live according to His commandments. "There are two essentials which constitute the church, and hence two principal things of doctrine — one, that the Lord's Human is Divine; the other, that love to the Lord and charity toward the neighbor constitute the church, and not faith separate from love and charity."[13] These "two things, the acknowledgment of the Lord, and a life according to the precepts of the Decalogue, which are the two essentials of the New Church."[14] It is by these two essential doctrines that conjunction with the Lord and salvation is effected.[15] "All things of the doctrine of the New Church have reference to these two, because they are its universals, on which all the particulars depend, and are its essentials, from which all the formalities proceed"[16] If one is unaware of these two essential doctrines of the New Church and yet has believed in one God and lived a good life, they will be taught this by angels after death.[17]
Swedenborg held that God is one person revealed in Jesus Christ, which was later independently expressed by modern day Oneness Pentecostalism. He stated that the doctrine of a trinity of three persons originated in the fourth century with the adoption of the Nicene Creed to combat the heresy of Arianism, but this was unknown to the early Apostolic Church, as shown by the Apostles' Creed which preceded the Nicene Creed.[
(…)
Influence

The writings of Swedenborg cover a wide area of subjects. Thus Swedenborg and the New Church have had influence in a number of other areas.
Mormonism

Researcher D. Michael Quinn suggests that Joseph Smith, Jr., the founder of Mormonism, was influenced by the writings of Swedenborg.[142] Like Swedenborg, Mormons believe in eternal marriage, but require that the ritual be performed in a Mormon temple (see Celestial Marriage). Also Joseph Smith's idea of three heavens is similar to Swedenborg's view that there are three heavens (see Heaven and Hell (Swedenborg)). Both Swedenborg and Joseph Smith refer to the highest heaven as "celestial", in concert with the usage of the apostle Paul (see 2 Corinthians 12:2) when he described a visit to the "third heaven". Edward Hunter, a Swedenborgian who later became a Mormon, reported that in 1839 Joseph Smith told him he was familiar with the writings of Swedenborg.[143]
New Thought movement

New Thought is a spiritual movement that began in the United States in the late 19th century which promotes positive thinking and healing. One of its earliest proponents was Phineas Parkhurst Quimby, a healer who said that illnesses in the body originated from false beliefs in the mind. One of the people he healed was Warren Felt Evans, a Swedenborgian minister, who himself became a healer and published several books promoting New Thought and explaining it in terms of New Church doctrines. Swedenborg had stated that there was a correspondence of heaven with all things on earth,[144] and thus there is a correspondence between the mind and the body. In general, the organized churches based on New Thought
(e.g., Unity Church, Religious Science, Church of Divine Science) have developed their own teachings separate from those of Swedenborg and the New Church.
Psychology

Carl Jung, founder of analytical psychology and a contemporary of Sigmund Freud, was familiar with the works of Swedenborg. He mentioned Swedenborg's clairvoyance of the fire of Stockholm in 1759 as an example of synchronicity, writing
"“When . . . the vision arose in Swedenborg’s mind of a fire in Stockholm, there was a real fire raging there at the same time, without there being any demonstrable or even thinkable connection between the two”"[145]
Other notable adherents

Notable persons influenced either by Swedenborg's writing or by the New Church include:

Daniel Burnham – His parents were Swedenborgians.
William Blake – Influenced by Swedenborgian Christianity but later renounced it. Satirized it in The Marriage of Heaven and Hell.
Robert Carter III – Became a Swedenborgian in 1787 after his wife died and stayed with it.[1], but he left it as an adult.
John "Johnny Appleseed" Chapman – was an American folk hero, missionary and pioneer who planted apple trees throughout the Midwest of America
Aaron Lufkin Dennison, co-founder of the Boston Watch Company and pioneer of the American watch industry.
Fredrica Ehrenborg, Swedish writer[146]
Robert Frost – American poet who was baptized in the church[147]
Leonard Gyllenhaal – Entomologist and dedicated Swedenborgian.
Stephen Gyllenhaal – Descendant of Leonard who was raised Swedenborgian.
William Harbutt – (Inventor of Plasticine) was a member at Bath too.
Helen Keller – Wrote Light in My Darkness which advocated the ideals of Emanuel Swedenborg.
James Tyler Kent – Late 19th-century American homeopathic physician who incorporated Swendenborgian principles into homeopathic theory of disease, as described in his Lectures on Homeopathic Philosophy.[148]
Lucius Lyon – "In politics he was Democrat, in religion a Swedenborgian."
Mehmet Oz - He has been influenced by the mysticism of Sufi Muslims, as well as the ideas of Emanuel Swedenborg
William Rainey Marshall – Fifth governor of Minnesota and advocate for black suffrage.[2]
Lois Wilson – Founder of Al-Anon, raised Swedenborgian.[3] (Her husband Bill W, of A.A. fame, married her at her family's Swedenborgian chapel. Still the influence of the faith on him is disputed.)
Sir Isaac Pitman – inventor of Shorthand was a prominent member of the Greek styled New Jerusalem church in Bath, England.
Ernest George Trobridge – an architect and developer who was active in domestic architecture during the first half of the 20th century, especially in the North Western suburbs of London
Andrew Carnegie--founder of US Steel, one of the original American "capitalist barons", and the 20th century's first "richest man in the world".


ダビデの星がユダヤだけのシンボルになったのは十七世紀からでキリスト教が決めた(ユダヤではない)ので日ユ同祖論(キリスト教製品)に使えない。マニ教の概要(山本由美子『マニ教とゾロアスター教』 など)、ダイアン・フォーチュン『神秘のカバラー』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-35.html



ねこた‏ @lakudagoya 45分45分前

とにかく女子教育は、旦那の役職とかでマウンティングしないような仕組み作りが必要だなと。
 
あと表面だけの禁欲生活を標榜して贅沢文化持ってる耶蘇教お嬢様学校とかダメ。

恋とかお洒落とかああいうものは女をバカにする仕組みだなーと。

やっぱ自然の中で禁欲生活っすか。女子教育は。
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ねこた‏ @lakudagoya 50分50分前

おいらは女子教育こそ修行である必要性があると思うけどな。

女はお洒落や贅沢にうつつを抜かすほどバカになるわけで。

もうお嬢様教育受けた人は細胞まで贅沢と虚飾性が染み渡ってどーしよーもねー

あの奴隷使う発想のお嬢様文化って魔女の性質の破壊なんじゃねーの?

ねこた‏ @lakudagoya 6分6分前

仏教界も圧倒的に男の世界で尼さんはいることにはいるのだけど、表には出ない。

いることにはいるけど、表には出ないってケースが多いよね女性の智者って。

あと、前近代の教育って修行なんだよね。

だから、敢えて厳しい修行してまで智者を目指すってのをやりたがらないと思う。
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ねこた‏ @lakudagoya 10分10分前

女性の智者っていないわけではないよー

チベット仏教などの尼さんとか、中国道教の女性の道士とかいることにはいるけど。

それでもやはりマイナーだなと。

あまり前近代社会で需要がなかったからこそ、その需要のなさに贅沢を許容するキリスト教お嬢様教育が入り込んだと。
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ねこた‏ @lakudagoya 17分17分前

なぜ世界中の女子教育って世俗版修道女のキリスト教お嬢様というモデルしかいないん?

それ以外となると軒並み極端に少なくなるのは何でだろう?

そこに違和感があるんだよねー!
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ねこた‏ @lakudagoya 26分26分前

西欧のあのスーツ着たお上品で育ちの良さそうな知識人(笑)って好かん。

直感的な洞察力が死んでる。

キリスト教お嬢様は偽の女性の智者だと思う。

世俗版修道女って魔女の性質を奪い去って権威に盲従させられた女の姿だとなぜ特権階級は気付かないのだろうか?
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ねこた‏ @lakudagoya 30分30分前

まどかちゃんのお母さんはバリキャリなんだよね。

これケルト社会や女性上位の古代日本の暗喩か?

あれケルト耶蘇教だしなぁ。










ねこた‏ @lakudagoya 1時間1時間前

ストア学派ってバラモンっぽい魂論を持ちながら、仏教臭い理論を持ってる。

仏性=種子的ロゴス

ゼノンさんというか、ストア学派の人たちはどこから影響受けたんかいな?

ゼノンさん怪しいよ。
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ねこた‏ @lakudagoya 1時間1時間前

結社vsおばちゃんの永遠の戦い

某ラノベに出てきた魔女がごく少数の集団なように、女はアトム的なもので大集団を作れない。 

だからホモのように組織と親和性の高い男の大集団によって復讐されて、女は文明社会の中で最下層になってしまった。

ここにおばちゃんvs結社の戦いがある。


”・キリスト教の身体観
新約では身体を意味する語が二つある。
①肉体=サルクス
死体にも用いられる物質的存在

②生命体=ソーマ
死は免れないが創造主によって作られた尊厳ある存在。
神の恵みにより復活させられる体、天界の住人となる霊の体。
栄光の体であるともいわれ、十字架にかけられたのちに復活したとされるキリストの体もさし、信者は聖餐の秘儀を通してこのキリストの体と交わることができるという。
キリストの体は、教会と呼ばれる信者の集まり(エクレシア)とも同一視され、構成員たる信者はその肢体とされた。この教会は単に信者の共同体を意味するだけでなく、理念的にはすべての被造物を包摂して、宇宙を聖化する働きを有していると考えられている。
したがって生産を通じてキリストの身体と交わるということは、教会の肢体になることで一人一人が聖なる宇宙と合一することを意味している。
キリスト教では物質的な肉体とは異なる、霊的な身体の存在を主張し、それが個人・人類・宇宙を一貫する、キリストの生命、すなわち神の働き(キリスト教用語で恩寵)により支えられていると考えられている。

(驚きのインドとグノーシスの劣化コピー臭。
キリスト教の身体観にはアウグスティヌスのマニ教思想、肉体=悪が混ざっているから、肉体軽視傾向。
マニ教叩く割にはマニ教的思考がちらほら。あきらかに女の産む力を憎んでいるし)


・イスラム教のコーランでも生命体としての体を、単なる肉体と区別している。
イスラム神秘主義のスーフィズムでは、生命体としての体はさらに死すべき肉体と、終末に復活する不滅の身体に分けられるという。

・オームは聖なる音声とされる真言、マントラのうちでも最も根本的かつ聖なるものとされ、
天A 空U 地M
の三界を表すとともに、これらがたどる
創造、維持、破壊の三期をも表示するといわれる。
つまり全宇宙の時空を包含するとされる「梵」の象徴である。
眠・夢・覚の三つの状態を繰り返すことで日常的に存在し続け「我」の象徴でもあると解釈される。
個は宇宙であり、宇宙は個である、梵我一如。

A―創造―天-ブラフマー ―覚
U-維持―空-ヴィシュヌ ー夢
M-破壊-地-シヴァ ―眠”
『グノーシスの変容』。『ユーラシアの神秘思想』。『ハタヨガの真髄』②。『スキピオの夢』

ねこた‏ @lakudagoya 2時間2時間前

だからね、グノーシス派ってのはある意味ストア学派の継承者でもあるわけ。

でも社会性を無視してひっそりインナーサークルでやってた臭いので必ずしもその限りではないが。

哲学を講義するかたわらにこんな宗教ハマってたかも知れない。

書いた人がその当時一級のインテリだとよくわかる。
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ねこた‏ @lakudagoya 2時間2時間前

マルクス・アウレリウス帝も禁欲生活と言われたアスケーシスの修行をやってる。
 
例えば衣一枚で直に床に寝るとかね。

こんなバラモンだか仏教だかよくわからない哲学の学派が古代ローマの支配層がかぶれた御用学派なわけで。

で、後代の耶蘇教見るとこれを背乗りしたのがよーわかるでそ?


ねこた‏ @lakudagoya 2時間2時間前

もしも、ケルトやエジプトなどのローマにフルボッコにされた国家が復讐しようとするならば、どうしたらいいだろう?

エジプトやケルトの宗教で、ローマ帝国の御用学派の哲学を乗っ取って破壊することかな?

非宗教的な文明のローマ人にとっての精神的屋台骨を破壊するわけよ。
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ねこた‏ @lakudagoya 2時間2時間前

ルキウス・アプレイウス君も耶蘇教をdisってるけど、あの有名なマルクス・アウレリウス帝も耶蘇教をdisってるわけ。

でもねー、後代の耶蘇教文献見てたらば、マルクス・アウレリウス帝の書いてることは凄く耶蘇教ちっくに見えるのは、やはり耶蘇教がストア学派を背乗りしたからだよ。
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ねこた‏ @lakudagoya 2時間2時間前

ストア学派を深く知れば知るほど、耶蘇教はこれを背乗りして醜いものに歪めてしまったとよくわかるわけ。

カソリックのニャンゲンの定義も自然法だしね。

耶蘇教の正体は、ストア学派を背乗りしたドルイド教なんだ。

だから、リトルウィッチアカデミアでは魔女がストア学派の思想が。。。
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ねこた‏ @lakudagoya 2時間2時間前

よくストア学派の「禁欲主義」ってのあるけど、これギリシャ語ではアスケーシスと言って、樽の中のディオゲネスが熱くなった瓶の中を転がったりするような、ある意味バラモン的な苦行の事なわけ。

で、中世耶蘇教の鞭打ちのような修道院の苦行あるでしょ?

あーストア学派の背乗りぢゃん!
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ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

この魔女的な生活智+ギリシャ哲学ってのがイスラームの特徴なのだけど、論理的部分もイスラームのほうが西欧より勝ってるってギャグだな。

あー!リトルウィッチアカデミアの魔女的な生活智とギリシャ哲学ってのはイスラーム哲学の事だったんだ!

やはり魔法少女の背後はイスラームなんだ!
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ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

たまにインドの行者の人が、西欧人の固定観念の洗脳があまりにきつ過ぎるから、ヨガをやるときそれが邪魔になって大変みたいな事を言ってたけど、わかるような気がする。
 
西欧の学者の本を見ると、実体を捉えるよな直感的な洞察力が死んでるとわかるもん。

沢山見たからそれわかる。
0件の返信 0件のリツイート 2 いいね
ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

料理と錬金術は深い関係にあるな。
おねショタおじさんの言う化学なども調理器具の進化系に過ぎないってのも。

そういう意味では生活智に特化したイスラームはある意味魔女的な智のシステムなのかもね?

頭の中の妄想だけなのはある意味男性的なものだけど、自然法則から外れてる。
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ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

てか、獣人って発想が頭の中だけの妄想だよね。

猫とか飼ってみると、あいつら知性がない・魂がないって嘘だと思う。

こいつらニャンゲンと変わらないよ。
 
あの獣人って観念って西欧の思考のフィルター外すと妄想にしか見えないのだが。
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ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

やつらの発想って全てが反自然でさ、チューブに繋がれた延命治療の老人のような発想なので、自分たちが神になるならば、他人が獣人でないといけないという究極のマウンティング精神なわけ。

神になるとかほざくなら、みんな一緒にとか考えないんかな?

なぜわざわざ獣人にしないといけないん?
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ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

ホモの人たちの女嫌いや図太いおばちゃんなどに対する憎しみはまーわからんでもないね。

だからと言ってそこまで嫌悪するものかね?

結社ってバチカンを憎んでるくせに教会よりも女嫌いってなんなん?
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ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

子孫繁栄を願うなら、女性の使うものに毒など入れず、子供の食べるものなどに毒を盛らないよな?

やつら外食産業などを推進するのは、母親が子供にご飯作ってあげてたらば、獣人を作れないもんな。

だって、定期的に毒を盛らないとニャンゲンを弱体化できないわけだからね。
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ねこた‏ @lakudagoya 3時間3時間前

女が欲しがるシャンプーや化粧品などきれいになるグッズに漏れなく毒入りなのは、如何にやつらが女を憎んでるかってのがわかるわけさね。

女性は錬金術を勉強して、自分できれいになるグッズを作らないとなー

生活クラブなどがやってる女性による商品開発とかね。
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ねこた‏ @lakudagoya 4時間4時間前

女性の智慧の破壊それは母親の仕事の破壊だね。

冷凍食品や病院ってのは女性の持つ料理やハーブなどの医療知識などの生活智を取り上げるためで。

母親が不要な社会を作るために松下幸之助などのホモ結社は頑張ったわけか。

家電があれば男でも少し頑張れば料理できるしな。
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ねこた‏ @lakudagoya 4時間4時間前

なるほど、松下幸之助などの家電メーカーは女がいらない社会を目指して家電の開発に頑張ったのは耶蘇教(の中の新興宗教のメイソン教)の思想か。

で、それらと連動するかのように、既婚者や子供までも全て娼婦のように着飾らせる洗脳をしたのも電通とかの陰謀なわけなんだね。
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ねこた‏ @lakudagoya 4時間4時間前

学校とか見てると、子供の時から納得して手間をかけられるもの特に法律や社会秩序ってものは重要だよね。

学校で法律を教えずに無意味な規則を押し付けて社会秩序を憎むようにしてヤンキーを持ち上げるのは法や秩序を破壊させるためにわざとやってる政商の陰謀だな?





魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 5 時間5 時間前
クルアーンの第四章ニサー章157節のところにイエスが死んでいないことを書いてあるのだけど、何故に不死かというとどこかは忘れたけど「何か」の為に死んだものは死んではおらず、死んだように見えているだけで彼等は生きているのである
と、いう一節があるのでそこから類推されるかと



何処で見た資料かは忘れたけど、ネストリウス派の信者にアフマドという信徒がいて、そのアフマドが後のムハンマド(ص)ではないかという話がある
しかし、このアフマドが最期の預言者なのかという事に関してはネストリウス派側が否定しているので尚更、意味深な話であり得る話ではある
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 4 時間4 時間前

信仰というのは何ですかと言われるとそれに対して手間をかけれるかという事です
つまり、信仰の基本というのは「手間」なのです
よく救いがとか、合理的だからというのではなく手間と思えるか、思えないかでしかないのです
で、その手間をかけられる根拠が個人の納得と個人の理に適うかです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 4 時間4 時間前

非常に重要な話でこの「手間」をかけるというのが何を意味しているかというと、例えばマスジドでヘジャーブ付けた女性とつけていない女性がいて付けていない女性が熱心に祈祷をし、その横で付けている女性が座っているのを見ると大概の人はヘジャーブつけていない女性が敬虔に見えますが大間違いです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 4 時間4 時間前

何故なら、ヘジャーブをつけるというのは風の日・暑い日・寒い日などなど関係なく付けているわけでそれだけ行動が制限されるのにも関わらず常につけている人とそれをしていない人が見える形で祈祷ذکرゼクルしたとしてもそれはریاکار リヤーカール・偽善行為以外の何様でもないのです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 4 時間4 時間前

そう言うと内面ガーと言うのが出るのですが、内面は個人と「何か」の関係だとしても外面はその社会集団・イスラームは徹底された社会的宗教なので言行一致が全てなのです
なので、最低でも外面が優先されるべきで内心どう考えていようとも常に備えねばならず
外面の一致が内面を担保するのです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 4 時間4 時間前

また、人間というのは狡い生き物なので外面が繕えればある程度の内面も繕っておこうとするものでこう言うと守ったケチなオバサンと守っていない寛容なオバサンの例えが出ますが詭弁です
そもそも、ケチという行為が発露している時点で欠格ですし、守っていない時点で欠格なのです
どっちもダメです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 4 時間4 時間前

このように詭弁を詭弁だとぶっ潰すにはお約束・基本を理解・運用する事にあるわけでイスラームはこういった詭弁術の破り方と同時に作り方を物語や伝承が出来る経緯で学びます
因みに商人文化というのはこの詭弁術と宣伝に強いので詭弁術の発達を理解したければ商業民の文化を学べばいいです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 3 時間3 時間前

実の所、こういう部分を理解していないと意味がないのと宗教や社会性というのはここに力をかけられるかでしかないのです
で、ぬほんの所謂政治談義はこの部分を全くわかっていないのでするだけ無駄です
何故なら全方向が全方向で己のオナニーのような社会性を押し付けてあってるので意味がないのです
1件の返信 3件のリツイート 2 いいね
魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 3 時間3 時間前

自由な社会というのはパンとサーカスを特定の勢力に握らせない事です
そうすれば、特定の勢力だけが力を握ることはなく、その特定の勢力が握りたがる不自由な社会というのは正に移動の不自由でしかありません
即ち、商業・移動の自由がある社会はパンとサーカスの専有者がいない社会なのです
2件の返信 8件のリツイート 5 いいね
魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 3 時間3 時間前

政治的自由は移動の自由と寡占的存在を如何なる事由があろうとも認めない事にあるのです
で、寡占的存在というのは企業・カルテル・組織なわけでありこの存在を否定するのは「何か」が与えた全てのモノを人間如きが独占する事を否定する事にあるのです
イスラームが完璧な社会規範なのはこの理由です
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 3 時間3 時間前

なので、全方向が政治を語っているくせに1毛足りとも政治を理解していないのは絶対自由政治を定義し切れておらず、そこから「管理」していくかという思考の土台を確保していないからです
思考の土台を打ち切っていない連中が言うものは意味も価値もないのでおいさんがしないのはそれが理由です
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 2 時間2 時間前

本質を見抜くというのは無駄な言葉を取り除いて、これ以上除けない所まで除ける事を言います
要は言葉を捨てる作業とどれが必要最低限の言葉なのかを理解する作業です
人は言葉に左右される生き物なので本質を探すのであれば、己を左右するそのものを知ればいいだけのことなのです、簡単でしょ
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 2 時間2 時間前

人を左右上下前後に動かすものは言葉なのです
だから、言葉を知る事・言葉の正体が解ればそれが本質・人を動かす全てなのです
私が神秘を語らないのはそこで神秘というのは共有できる言葉でもなく、認識でもないのでそれを前提に語る事は無意味なのです
無意味なものを語らない、これが白魔術です
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 2 時間2 時間前

イスラームの解釈法と言行一致・中国思想の自由思想に印度哲学の徹底的思考法を身に付けたものが魔導士です
そういった魔導士は世の中には出ず、オフトゥンと本・己の思考考察の中でひっそりと生きていて
俗に言う、悪の魔導士というのは半人前以下で俗に囚われているLv5以下の下っぱなのです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 2 時間2 時間前

そもそも、魔導士は世界が己の中で完全に完結した完知者なわけでその様な存在はわざわざ俗世間に何かしようなんて思わないし、無駄で労力を使う事を避けるわけです
それは俗世間が彼の為になにもしないし、何も報わないのを歴史でわかっているからです
完知者は無意味・無駄をしないから賢者なのです
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 2 時間2 時間前

幸せに生きるなら、おねショタについて考えていた方が幸せだし、世界がおねショタで完結すればいいのにと妄想していた方が彼自身の幸せに直接結びつくので魔導士は俗世間に何かしないのです
するのであれば、教育くらいなもので後継者や思考・知識を受け継がせて思考を共有する幸せの方が遥かに上です
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魔法おっさん(30代無職童貞)‏ @douteimaturi 2 時間2 時間前

だから、歴史的に賢者・魔導士と言われる存在は最後に教育者や導く存在としてなるのはそれです
お釈迦さんも、孔子も、ムハンマド等々もみんな同じ経由を経ているわけです
物事って、すんごい簡単なのですよ
簡単に考えないだけで簡単に考えれば、大体の本質は捉えられる筈なのです




しかし、なぜ子どもだけが後ろ向きなのかは、わずかにホールが暗示するのみ。これはグノーシス主義のいう「帰昇」を意味するのだろう。もとはプラトーンの魂3部説。要するに、ヨセフとマリアと神の子を連想すればよい。帰昇するのは、この子υἱότης(筒井賢治は「子性」と訳している。
「第1の子性は非常に軽微なため……存在しない神のところに戻る。……第2の子性は……鈍重な要素を含んでいたため、自力で上昇することが出来ない。……第3の子性は非常に鈍重な要素を含んでおり、そのため……下の世界に留まって浄化を必要としている」筒井賢治「グノーシス」)。





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