読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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真の魔法使いは神秘体験を検証、懐疑、否定、超克、制御、操作、支配、抹殺する。崇めないし信仰しない。神秘は日常そのもの。神、霊、魂、宇宙人の扱い方。語れないものを騙る輩 

工事中
引き寄せ引き寄せうるさいスピ信者って、悪魔を引き寄せたときの対処法を教えないから最悪だな。てめーらスピ信者が悪魔を創って引き寄せているんだろうが!
もぐらさんは「キリスト教は悪魔寄せの法則」と言っていたな。
キリスト教=悪魔崇拝。
キリスト教の弱点を減らして作った新たなキリスト教=スピリチュアル。
設計図が見える人は凄いな。
一神教の内、キリスト教だけやたらと悪魔の数が多くて強くて魅力的に描かれている。
悪魔寄せの変形が引き寄せ。
対処法のいくつかは②名前のところにある。

魔術で最重要なのは退去=場と精神の清め(掃除と平静になる)の技術であることを記憶すること。
最初に退去を教えないものは偽物、危険物。
「あなたの頭がおかしくなっても別にいいや」ってことだから。
なぜヨガや密教の最初の段階が戒律=道徳を守ることを誓うことなのかわかる?
西洋魔術の超基本が小五芒星の追儺==場と精神の清め
であり、儀式前と後に必ず行う理由がわかる?
なぜリラックス法と呼吸と姿勢が大事どころかそれができないならそれ以上学んでいけない理由がわかる?
わからないなら魔術師の道をあきらめるのがあなたとあなたにとっての他人のためだ。



私の見解は今現在の者で確定ではなく暫定的なもの。そもそも私は形而上的なことへは無記寄り。
次の講義候補 魔術では避けて通れない霊魂についてにするかも 宇宙人に人って子…場は言っている時点でダメじゃん 区別できるか問題 言語魔法はだいぶ書いたから非言語魔法にするかな
魔境進歩委体験って非言語妄想だろ

もういいたいことは過去記事ととツイッターに書いちゃっているな
真の魔法使いは神秘体験を検証、懐疑、否定、超克、制御、操作、支配、抹殺する。崇めないし信仰しない。神秘は日常そのもの。霊、魂、宇宙人の扱い方大魔導士への道シリーズ3 私は大魔道ではないけどな。大魔道の道シリーズ2名前のやつすらできていないけどね。名前系の本をもっと読まないと書けない。
要素はほとんど取り上げたから読んだら言いたいことはわかるだろう。 名づけは悪霊の対処法の内重要。
今回hあ霊魂、神秘、宇宙人エイリアンとか偽物本物判定法の基準とか
やはり物理だな!
魂の実在性ってどうやって証明るんだろう。魂は実体はないが存在は仮にあるというのが仏教流。
いっとくけどこのシリーズって今回の藩士の一部とか中華うがそれ寄りに前に在ったりするからね、これだけ読んでもダメだよ。
呼吸、姿勢、リラックス。、物理言葉論理が基本
ってところかな



復習。姿勢や呼吸法



神、霊、魂、宇宙人、ユダヤ、イルミナティの言葉をきちんと定義しないとと私はこれらについて話をしない。無駄だから。
文字通り話にならないから。そもそも話とは言葉をきちんと扱えないとできないからね。
カルト信者以外にも理解できる言葉でお願いします。









禅仏教のうち、野狐禅カルト=神智学者やニューエイジ経由でない本を読まないと偽物をつかまされて頭がおかしくなって元に戻せなくなるかもね。
大丈夫な本はすでに何度も紹介している。
『チベット密教 修行の設計図』

『禅の本』。
禅はスピリチュアルの中核を否定。
神秘体験は魔境=執着してはならない悪。
スピリチュアルは野狐禅を量産する危険物なので取り扱い注意!
読めないニックネーム(再開版)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-109.html

禅で持ち上げられる鈴木大拙は、神智学系で禅は神秘主義という完全に間違っている(おそらく意図的)から嘘を見抜けるだけの知識と論理を身につけてから読まないと有害。人脈調べたら真っ黒。
パトス=非論理側の判定法はあいまいな印象、どんどん勝手に中身を捏造する記憶などによるので使ってはいけない。
真偽判定法が、言葉での定義、説明、論理、合理、反証などロゴス側の手法しかないので、
真偽判定されたくないから、言葉と論理を否定するが神智学などに顕著なスピリチュアル。
スピ系が大好きなインド思想もチベット仏教(密教)思想も論理的思考と言葉重視。





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スピ系はカルマ(原罪)の浄化みたいな事を言いながら、本来の意味のカルマ(心の歪み)を強化して歪ませるから端から見たらギャグみたいだね。そんな環境に放り込まれた側は最悪だろうけども。

— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年6月6日




黄金夜明達人
神秘は道路に落ちてる石ころよりも遥かに多いけど、見ようとしなければ見えないし使えるわけもない。人々が呼吸を意識していないのと同じように、空気みたいなものなの。

神秘体験を得たとしたら残念なことです。神秘体験は幻惑によるもの。曖昧なものはいらない。神秘なものもいらない。よく注意して? 神秘体験を得たらはずれなのです。

検証の行われない神秘体験は悪魔化された錯覚
のことだとわたしは考えています。

初心者に対しての神秘体験は推奨されない。なぜなら冷静さを欠いたそれは気分を舞い上がらせたまま日常に帰してしまうからです。これを行う導師は批判を免れないでしょう。薬がまさに毒となるからなの。

神秘体験がとても大切だという人がいるけど、そのひとはわたしに言わせると経験がまったく足りてないといわざるを得ない。神秘体験とは薬と同じで毒にも薬にもなる。ある種の現実の認識は人によって絶望にも希望にもなる。これと同じことが神秘体験でも起こるのです。だから気安く勧めてはいけないの。

神秘体験の有無なんかで達成度を語るのははっきりいって無意味どころか害悪にしかなりません。長い目で見るとそれは障害にすらなるのに。

何度も言うべきことがある。それは神秘体験を重視してはいけないということ。それを求めるほど、本来求める道から外れていく。
神秘体験が悪いといっているのではない。ただ、幻想の世界に入ったらさらに上層にある意識に上昇する必要があるといいたいのだ。もしも幻想に捉われたらその人の進化は止まる

もしもあなたが神秘体験を求めているとしたら、求めるのをやめて健全な生活を送ったほうが良い。真の神秘体験は求めて得られるようなものではない。感覚遮断によるサイケデリックな状態は不健全な心の状態を生む。アストラル領域で遊んでいるのは構わないが、それは神秘体験とは呼ばない。

脳内イメージは五感のいずれかに紐付けされてるのだけど、そのうちに五感を介さないで直接的に脳内に送られてくる場合、五感から受け取った刺激から構成されるイメージとはそのうちに別物になってしまうでしょうね。その紐付けがなくなっていくのだから。
肉体的感覚を遮断した場合は、脳内のイメージは五感のいずれかとかかわりを持たなくなる。イメージ制御で大事なのは五感との紐付けを利用することでそれを強めたり弱めたりするのです。だから、魔術訓練で五感との紐付けを意識することはアースするというの。そこから遊離すると制御困難になるから。

例えば脳内で勝手に音楽が流れてループしちゃう場合、実際に音楽プレイヤーなどを使って頭に流れてる(記憶から思い出されて遊離してるイメージ)音楽に重ねて同じ曲を聴くといいの。そうしたらイメージと物理的音が紐付けされて音楽をとめたら曲もとめられるようになるから。

物理感覚をイメージ制御に用いるのはもっとも基本的なこと。だからイメトレばかりするといろいろと弊害が出るのです。

幽霊さんが現れたら、それを物理的仕組みで表現してこれを消す。幽霊さんがいるかいないかは関係がなくて、そのひとが幽霊らしきものをみてることが問題なのだから、心に浮かんでるイメージを消すためにこれを物理的感覚と紐付けするのです。魔術を行うときのこれは基本的な仕組みです。


霊的存在が、まるで幽霊みたいなそれが存在するか否かはわたしには判らないし、またきっといくら議論しても主観的問題だから答えは出ないのでしょう。それでも、心の中に遊離してるイメージがあるのならそのイメージに物理感覚と紐付けをすることで消し去る機会を得る。ただし、一時的に強化されるの。

脳内音楽ってある種の幽霊さんなんだよね。こういう言い方をすると語弊があるけど、音楽を聴いてその旋律に感銘を受けることでその音やリズムは記憶されて心の中で反復されることで自律性を持つことがあるの。だから本人の意思とは無関係に心の中で反復される。これを消すには形を再び与えればいい。

あらゆる願望達成術には興味もないの。そんなのは自力で何とかするもので、欲望を神様に押し付けたりしない。よくよく考えてみて? 親友にあれこれと欲望に任せて頼み込んだりするの? それするのって同でもいい相手じゃないかな?

瞑想などでちょっとでも結果が出始めると多くの人が出てくる情報をみんな鵜呑みにしてしまい、不思議なことがおきたといって大喜びしてしまう。でも、本当にそういう現象が本格化してくると制御できないことに気づいてあわててしまう。その恐怖が核になればもはや何が次に起こるのかは明らかです。

ネットの情報は必ずしも科学的でないとは言わないけれど、入手した情報を精査して、またソースを辿って確認するくらいのことをきちんとして流す人はそんなに多くはないの。それをするということはかなりの時間と労力、場合によっては専門知識や資料代も必要になるからお金がかかるのです。(^^;

「ネットの情報を鵜呑みにしない」というのは「アストラル世界の情報を鵜呑みにしない」というのとほとんど同じだと思ってもいいの。同じレベルで考えてもいいし、とりあえずは否定もせず、肯定もしないで黙々と記録をとり続けるのがいいかも? その後できちんと精査するまでは何も答えは出さないの。

何も魔法からすべてを学ぶ必要なんてないし、その必然性もない。他の分野からいくらでも学べることはあるのだから、まずは普通の分野から学びつくすほうがずっと道にたどり着くのは早いでしょうね。



うーん、仏教をキリスト教と一緒にするのはなんか違うかも? クリスチャンの観点から言って彼らを宗教と呼んでいいか疑問なので。

科学で説明できないのは「科学」と「それ以外」です。それ「以外」の中には宗教も入りますけど、厳密に言うと人文科学もそれ以外に入るでしょうね。神様を信仰してないのならそれは哲学に近いものだと思います。

そもそも仏教的瞑想とわたしが言うような瞑想(厳密には(観想)とは違うのよ?

例えば聖書を読んで、その中に登場する人物をイメージの中で会話してもらうの。なんていうのかしら? 脚本はできてるので役者さんを創造してイメージのスクリーンの中で適切に演じてもらうのです。もちろん、聖書世界、その神話空間の中であたかも現実に存在するかのように振舞ってもらう。

そういうのをひたすら繰り返して神話空間から聖書の意味内容を学んでいくのが観想です。

すくなくともわたしは、「なんとなく」とかあいまいな答えは求めていない。だからより具体的方法論を用いるの。抽象的イメージばかりに飛んでしまえば具体的理解をしないでごまかすということが往々に発生するから。


オカルト的ヒーリングって代替医療の、それもかなり外れのほうだからなぁ・・・。医療とは認められていない心の領域にまで踏み込んでるので主たる西洋医療などがどうしても使えない場合にするもので、より効率的で確実な方法が他にある場合はもちろんそれを選ぶのが筋というもの。

端的にいえばお医者さんにかかれない何らかの理由があるとき(経済的、その他合理的理由がある場合)、医療器具や薬品がなくて救援を待つばかりとかそんな状態ならば判るんだけどね。

やれることをやりつくしてないのにいきなりオカルトにすがろうとするのはまったく感心しないの。

オカルトっていつも合理的判断に基づいてできることをすべてやり尽くしたところから開始するから、もしそこまでに到達していないのなら単に楽をしたいだけということになる。それでは肝心のオカルトだって有効活用できるとは思わない。

魔法が心の力だというのなら、できることをすべてやりつくした後にしなければその効果があるとするのはとても不思議なことだと思うの。真剣さというのはそういうものだと思うから、それこそ魔法が生じるときの道理だと思う。

お金とは信頼の力だといったことがあるけど、まさにこの通り。

お金は物質の象徴だけど物質そのものじゃないの。それは信頼を与えるためのチケットのこと。それが少なくとも近い未来までそのままの価値であることを保障するもの。とても回りくどいのだけど与信のためのチケットなのです。

お金って依代だもん。だから生命があるの。それが生存するためには一定の稼ぎが必要。そうしないと目減りしていくだけなので。自分の家族だと思えば大体あってます。諭吉さんを擬人化してアストラル的に創造してみて? かれがどのように生存するか思い浮かべるといい。

紙幣に勅令って文字がアストラル的に書かれてるのみえない? 日本の大蔵省造幣局による魔法なのです。

紙幣というのは与信の力によって創造された一種の霊なのです。その力を行使するのはその国の一番権威ある魔法機関です。この場合は日本銀行になるでしょうね。貨幣それ自体は霊の身体にあたるから、別に電子に宿ってもかまわない。ただ、それも信頼の力によって保護されてないと霊は逃げていきます。

凄く世俗的な説明をしてるけど、根本的にこれは魔法なの。

ひとは目に見えないものはなかなか信じないの。そのために何か形式的なものを必要としてる。貨幣は信頼すること、何かの約束を形にしたものであり、実のところその形は信ずるべき対象にはならない。信じるものはその中身なんだから。たぶん、お金について問題が起こるのって形に目がくらんでるからなの

面白いことに、ケルト研究はケルト人と呼ばれる人たち以外に多いと思うのです。(^^; なんでしょうこれ?

多くの場合は排斥する対象としてそのひとたちを分類するの。つまり、都合のよい区分を設けてそれに名前を付ける。だから区分する人によって、また時代や出身によっても意見は分かれるのでしょうね。

そもそも異教徒って、蔑称なのです。その辺を察していただけると嬉しいかも?

現実なくなってもいいのならVRに没入したままでもいいかも? 完全に仮想世界に適応した後に電源からプラグを引っこ抜いたらきっと廃人になっちゃうけど。
VRに適応するというのは現実に対して違和感を持つようになるということだから、実際に起こりうることはアストラル・ジャンキーと同じことになると思うの。これを避けるために定期的にお外で普通に遊ぶのがいいです。




お膝に化粧したら? 影になってるところを消して、顔に見えなくしてしまうの。

具体的には白っぽい塗り薬を濃い目に使って影を消すようにしてしまう。怖いものには呪術的対応するの。

物質的なものには科学的対応を、心理的なものに対しては呪術的対応をしてもいいの。その原因になってるのが心、物事の感じ方だとすればそういう対応もありえるからです。なぜって、「感じてること」は理屈ではないから理屈で説明しても効果なんて上がらない。

簡単にいうと「怖いものは怖い」のです。子供に理屈が通じないのと同じように、大人でも理屈で納得しようとしてもうまくいかないことがあります。

悪魔がいると信じてる人に悪魔なんて科学的に存在しないといくら説明しても無駄なの。どのようにして悪魔を感じてるのかを説明してもらい、そこからそれを感じないようにする方法を考えます。この場合、存在しないものを怖いというのだから科学的にどうかは関係がない。

いつも怖いものの正体がなんであるかなんて、怖いものを見てる人には関係がない。だから心理学的説明をしてもあまり効果は上がらないと思うの。大切なのは知識を披露することではなくて、実際に見えない悪魔を退去してしまうことだからです。


教養のある人たちは言葉をかなり厳密な意味で使ってるの。普段の会話からではなかなか気づかないかもだけど。

言葉を厳密に選ぶときはその意味をかみ締めて精査してるから、言葉を発した後ですぐに質問に答えられる。なぜそうなのかというと、事前に定義をしてからお話してるからです。

これ、論文などを書いたことのあるひとの典型的な癖だと思う。

湯通しは単に殺菌のため。身体が弱ってるので。

身体が弱ってるときはちょっとした細菌にも抵抗力落ちてるのでやられちゃうのです。そういうときは野菜も生は避けたほうがいいのでせめて湯通しします、少しだけ。

何かを見間違えて、さらにそれを他の人が別のものに想像する。あとはその繰り返しのステロタイプ生産。これはエレメンタルズの特徴。


その実態は自然の活動それ自体だけど、自然に対する解釈がその源泉になってるので自然に触れる人がいなくならない限りはずっと続くと思うの。

とある形が「枯れ尾花」として看破されてもまた別の形が生まれてくる。精霊たちってそういうものだから。


精霊たちはいないわけじゃないの。それを最初に見た人はきっと自然の不思議な神秘をそのような想像で見ただけ。その人が他の人たちに伝え、それが伝承になると別の形、集団による想像が定着して精霊となる。だから精霊たちの力の源は自然。その伝承は自然への呼び声。


とても簡単なこと。ゆりの花の絵画を美術館で見るの。その絵はとても綺麗かもしれないけど、自然に咲くそのゆりを実際に見たとき、その感動に直接触れることになる。これはゆりの妖精の話ね?

自然の精霊はただの見間違いだというのなら、その認識には何も得るものはないと思う。見間違いというのは正しいのだけど、人々の想像をかきたて、自然の源泉に触れることで感動はさらに倍増する。精霊という想像の姿はその媒体。一種の自然のアートだと思うのならそれであってる。

精霊を見るのって、一種のアートのセンスに他ならないの。


こういうのは感性鈍かったらなんのことかわからず、物質の表面しか分らないと思う。

日本ではいろんなことを擬人化するのがはやってるけど、あれは一種の人工精霊を作ってるの。物質の内面をみてその活動を想像によって精神化してる。これができるのが人間の想像力だけど、これは要するに精霊が生まれるプロセスを意図的に辿ってる。うまくいくかはともかくとして。

自然の中に精霊を見るのは確かにそのきっかけとなるのは見間違えなんだけど、それは「ただの」とはいえない。そのようにして想像により生まれたものは自然の実態に関する何らかの示唆を含んでるの。人間の感性って、そこまで適当で鈍くはないからです。ただ捉えようがないものをそんな姿で捉えてる。

こういうのを理解するにはアートを沢山鑑賞するといいの。そうすればいつかなんのことか理解が生まれる。

うん、アートのセンスを心理学で分析などしたらアーティストはみんな精神異常ということになっちゃう。(^^;
物質の中に精霊を見るセンスというのは形という枠組みをはずしてその内面に生命をみるセンスのこと。これはまぎれもなくアートのセンスなのです。


小さな子供のほとんどは物質の内面についてみることができるからアートの天才なの。
でも、科学知識によってその表面に注力することを強制されると次第にその力は失われていく。
魔法使いになることはその力を取り戻すことなのです。これは教育の弊害ね、仕方ないけど。

子供と一緒にあそんでみればいい。かれらは妖精の世界に触れてるから。

自然のものをあるがままに眺める能力はかけがえのないもの。これは知識の増大によって失われていくの。だから知識があまり増えすぎないうちに体験を増やしていく。知識だけ増やすと体験によって得られるものが激減していくから。

「幽霊」に名前をつけると「本物」になりますからね。(^^; 少なくともその人の中では。
それゆえに悪魔は存在しないのに存在するの。「悪魔なんていません」とローマはいうのにエクソシストが存在する理由です。

それは「暗闇」の外在化技法を使う人たちで、本質的にはわたしが扱ってるものと大差ない。

暗闇には何もいないけどその前に何も見えない。だから薄明かりをなぞっていく。暗闇は見えないので視線がなぞることはできないから。

ネットの世界だとレン(真の名)を知る人は少ないよね。そういう意味ではアストラル界の霊とあまり変わんなかったり?

アストラル界の霊は
1. 正体不明であること、
2. 必ずしも確証が取れないこと、
3. 移り行く存在であること、
という特徴があるのでネットでのお相手と大差なく、礼儀を保ちながら相手の言葉を鵜呑みにしない、現実の常識に照らし合わせることが重要なの。

ネットでの会話はお互いに物理的な身体が見えないのだから肉体のない存在同士のようなもの。それは物理的線引きが不明確という意味なのでこれを常に意識するの。魔術的に防御円を使うようなものです。(^^;
そもそもアカウントハッキングなんて憑依現象のことよ? オブセッション。


肉体の管理統制権を剥奪して乗っ取るのが憑依なのだから、ネットでのそれと大差ないのです。

ネットのアカウントとそのIDって要するに肉体の代わりなのです。フルスペルで書くとidentificationだけど日本語では識別。現実では肉体をその本人識別に使うけど、会話してるのは肉体というよりその意識、人格そのものだから、ネットでは肉体のない霊と同じなのです。
なのでROM専ってなんのことかというと、いまだ現出していない霊のこと。書き込みによって初めてそこにIDが提示されるので肉体が現れた! というのとおなじことです。
ネットと魔法って一見すると関係なさそうにみえるけど、説明するとこんな感じで常識の捉え方がほぼおんなじなの。

だから召喚・喚起魔術でよくある相手の出自をたずねたり、何らかのアストラル的根拠を求めるという手続きは必須とされる。何故なら、相手が本当はどんな存在なのかわかんないのだからたとえ天使や神様であっても鵜呑みにしてはいけないの。そういうものですから。

ひとは見たいものがみえる(みえてる)のだから、自分の思考が相手に感染した場合、形を持たない何かは見たい姿に変化してしまうの。これをなんとかするのです。
だから「相手の気持ちは本人でないとわからない」ここからコミュニケーションをはじめましょう。

お家を建てようとしたら一度その土地を更地にして地質調査までいれないと長く保つしっかりしたお家を建てるのは無理だということなんだけど、基本的常識がそういう魔術的手続きの中にあるの。

ご飯は本気になれば数日単位で我慢できるけどお水や睡眠は駄目かな? 食事を抜いても気を逸らされる程度で済むけどお水も睡眠も減らすと意識レベルの低下を招くから。それだけ後者のほうが緊急性が高いという証拠。寝ないと脳の機能が本当におかしくなるから。
多少寝不足でも一応軽いお仕事ならできるけど、失敗すると高いリスクが伴うことは危なくてできない。自動車の運転などもそうだよね。ちょっと間違えば殺人を犯してしまうのがその類のもの。なのでドライバーさんとかそういうお仕事してる人は決して睡眠をおろそかにしないでほしいな。

あと、医療関係者もかな? 睡眠。

知ってる? ブラックホールは光ってるの。目に見えなくても光ってる。X線とかそういうのがそこからずっと放射されてる。物質が中に入って質量が崩壊して代わりにそういうのが出てくる。きっと、それら放射線は「価値」の正体なのでしょうね。みんなばらばらになって散らばってしまう。

それらは電磁波。電磁波というのは波動のこと。それは何かを媒体として伝わってくる波なので質量を持たない力のこと。チリでおきた大地震が日本の太平洋側、たとえば房総沖へ何日かかけて到達しても、津波はチリの海の水を含んでいない。波動だけが到達するから。放射線ってそういうものだから。

ついでなのでこれも説明補足しておく。アルファ線はヘリウムの原子核、ベータ線は電子の流れ、そしてガンマ線は電磁波なの。この中で仲間はずれなのは最後の電磁波であるガンマ線だけ。これだけ波動なので小さな粒子ではない。この違いです。

放射線とか波動とか簡単にそういう言葉を使うスピなひといるけど、波動って媒体を通じて届く力のこと。オカルトで用いられ照る比ゆは、何かの媒体を伝って届く力として説明される何かの比ゆであり、粒粒がなにか飛んできたりする比ゆじゃないってことなの。

X線とは電磁波のこと。つまり、波動。レントゲンという言葉もあるけど、それは軟X線と硬X線の違い、つまり波長(周波数)の違いです。これらは粒子がとんでくるんじゃなくて波動です。そしてこうした波動は電気的場を形成してる。電界や磁界と呼ばれるそれです。

よくよく考えてみると「電波が飛んでくる」というのはとても変な言葉なのです。(^^; それは伝わってくると表現するのが正しく、だってそれ波動だから。粒子みたいに飛んできたりはしない。
正確な用語だと電波の伝播といいますよね。飛ぶなんて言葉を使わずに。

眠くなるコツはいろいろと満足することかな? ご飯食べて眠くなったりするけどそういうの。満足するといろいろ細かいのはどうでもよくなるの。だから「ドーデもいい」のが鍵になる。いろいろ手放してしまうとたぶん眠れるかも?
眠るのって具体的に言うと肉体の制御を意識が手放してしまうことだから。リラックスって要するにそういうことだよね?

無理に眠ろうとすると眠れなくなる。それは同でもいいと思ってない何かがあるから。そういうの眠れなくなるから「ただ手放し続ける」の。それは人が死ぬのと恐らくはあまりかわんない。肉体を手放すか、意識だけを肉体から切り離すかの差でしかないから。少しずついろんなことをどーでもよくするの。

緊張してるのはどうでもよくない状態。リラックスしてるのはどうでもよい状態。そういえばわたし、いつもアルファー波状態だって言われてる。いろいろとどうでもいいのかな? って思ったことある。事実、そうかもしれないけど。(^^;

物に人の心を投射するのは明らかに人によるもの。擬人化というのはそういうものですし、それ自体には深い意味はないと思う。でも、この性質を利用することで人には計り知れない物の心が多少は理解できると思ってる。判らないものをより深く理解するための工夫。それがイメージ投射かな?

光体の役割ってそういうものだから。

光体というのは、捉えようのない心を理解しようとするために作るイメージの身体。それ自体は人の心によって生み出された粘土細工なの。その形自体は偶像そのものだからこれを信じてはいけない。問題はこの形を通して理解する人にはわからない「心」のほうだから。

天使さまだって《自然の諸力》が実体であるため本来的には力そのもの。それは人の形をしていない。それでは人には理解不能だから理解できるようにするために光体を必要としてる。イメージの力は魔法ではそういう風に使ってる。

こういうのがテレズマ魔法の要となってるので理屈を一度理解していまうとそんなに難しくないです。

テレズマ像を粘土細工と説明したものの、一度そこに力が宿ってしまえばこちらで勝手には変更できない。それは聖が宿ったということなので仏像に仏様が宿ったらそれはただの仏像ではないのと同じです。物なんだけど「ただの」ものではないからです。チャージされる前ならいいのだけど。

充電前の回路と充電後(電気が流れてるとき)の回路では別物なのと同じ。電気が流れてるの知ってて中身いじるのは危ないから。

心の問題を目で確認できない分、服装や身づくろいという部分で表に出てしまってるのだけど、大抵は。清潔感のない格好というのはそういうことだから。

オーラを心霊的にみるまでもなく。物理的にでちゃってるの。

わたしには心霊能力はいらないの、正直なところ。通常の観察でほとんど間に合ってしまうから、それ以上のことというと本格的に何かすることになるし、それ以前の話として物理的調査がメインなので(手っ取り早いですし)。より確実な方法をとるのがなにをするのでもセオリーですし。

科学の手に負えなくなるまで安易にオカルトに走るのは待ってほしいな。それで問題が悪化するケースがあまりにも多くて、実際にオカルト的何かが原因というケースは本当にまれだからです。ほとんどの場合、お医者さんか弁護士、警察が問題を解決できるから。

こっか



(魔法の達人が「神秘体験は害悪。オカルトに頼るな。まずは科学を勉強しろ」と言っている理由をよく考えるんだな! 
科学は魔術の一分野。偽物を見つけるための合理的、論理的思考と検証と反証。
この大魔女さんは電気と電波とPCに超詳しいからね。
霊はおそらく、電気の性質に近い存在)

真の神秘を知る気なんて全くないスピ「死ん邪」にこの言葉を送っても無駄だろうね。
おねしょた兄貴いわく「虫」らしいし。
読者は蟲師(魔術師)になってほしいな。
論語読みの論語知らずにならないように!

中国故事名言bot‏ @koji_meigen_bot
之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知れるなり。
(『論語』為政)
知っていることは知っているとし、知らないことは知らないと認める。それが、本当に知っているということだ。

(これは学びの秘訣でもある。知らないところ、曖昧なところ、知っているところをはっきり分けて、三つを比べて違いをはっきりさせると情報が整理されるから極めて覚えやすくなる。)

小知には事を謀らしむべからず。(『韓非子』飾邪)
生半可な知識しか持たぬものに、重大な物事をはからせてはいけない。

菜根譚bot‏ @caigentan_bot
人を陥れる策略や奇妙な慣習、変わった行動や特別な能力は、生きていく上で災いの元となる。 ごく普通の人間性と平凡な行いによってのみ、混沌を治め穏かな人生を送る事ができるのだ。

濃い酒や肥えた肉,辛いものや甘いものなど,すべて濃厚な味の類は,本物の味ではない.本物の味というものは,(水や空気のように)ただ淡白な味のものである.(これと同じく),神妙不可思議で,奇異な才能を発揮する人は,至人ではない.至人というものは,ただ世間並みな尋常な人である.





魔法おっさん(30代住所不定無職童貞)‏ @douteimaturi 2016年11月2日
神なんていませんよ それは人間が理性的に何かを説明するために発明されたもので
または超人的な存在を仮想した存在を神というのです
だから、説明されてしまうものは全て人間の理性の延長にいるものであり、
どうしようもなく説明できないものだけが神秘なのです
(彼曰く、アッラーは「何か」と呼ぶべきで「神」は誤りらしい)

だから、神秘なんて言うものは論理的に共有することができないので基本的にないものだと考えた方が簡単なのです
説明出来ないものがある事は感覚的にはわかりますが共有しあえないのなら無効で無意味です
また、それを土台に話をしたところ効果がなく結論が決まった話にしかなりません

信仰は確信を積んでいく作業であり、確信を積んでいくというのは様々な認識を獲得する事であって神秘体験とかで得るものでは全くありません
神秘体験は確信を積んでいく作業の途中に出てくる濃霧のようなものでこれを超える事が出来る存在だけが大宗教者なのですが、大概はその濃霧に皆騙されます

仏教でいう魔境といえば、そうなのですが仏教の魔境と濃霧は少し異なり
仏教ではこの魔境を絶対否定するのでそれがまやかしだと認識できるのですが、
それ以外だと場合によってはこの濃霧を見る事を儀式イニシエーションの入り口として惑わすので魔境が目的になる事があり これを淫祠邪教と言います

なので、最低でもお釈迦様が解いた教えを知っているのであれば大概の宗教は淫祠邪教になります
特に神秘体験を目的とするものはすべからく邪教であり、
これには如何なる例外は存在しません
なので、神秘体験で神を見たとかそこで停止する宗教は全部偽物で人間の営みを破壊する絶対不動の悪でしょう

私は神秘的な感覚というのは「夜の山に行って真っ暗闇の中、山道を歩くと全ての方向から何か気配を感じる」の延長だと思っている
その感覚を理詰めしたものが神秘主義だと思っています
なので、その感覚は知覚ではまやかしと判断できるものの事実感覚的に感じるので否定仕切る事はできないものかと

論理的な方法で理解できないものであるならば、それは存在しないものでただの空想です
人が妖怪を作り出して来たのは感覚の具現化への努力の結果であり、
そういう具現化することによって論理的に証明する事に努めて来たのです
論理的というのは時代によって異なりますが人は説明する努力を捨てません





















ーー

霊、宇宙人について


霊は人間的な意志はない、自然現象みたいなものってこと。
で、同じものがとりついても、人によって悪行をするようになったり、やたら善行を積むようになったりする、自然災害や自然の恵みみたいなやつだな。”
霊が人型で人格があるって支配層の洗脳でしょうね





「実際にその姿か、単に擬人化しただけか区別可能?
人間に化けた宇宙人か、宇宙人に変装した地球人か区別可能?
宇宙人はシェイプシフト(変身)できるのにどうやって判定する? 変身は人型限定?人型以外に化けて隠れるほうが有効では?
聖書に都合がよい姿なのはなぜ?」











Syuhei Osaki‏ @osaki_syu 6月2日
アブダクションの事例を眺めてると、ヒューマノイド型宇宙人の見た目に金髪碧眼が多く、びっくりするほど白人至上主義の世界だ

小山田浩史@幻解超常ファイル6月10日‏ @magonia00 2015年5月31日
UFOコンタクティーが遭遇するいいもん派宇宙人さんはノルディックなどと称され、その名のとおり北欧系の金髪碧眼イケメンが主流だが、ガチムチ兄貴系宇宙人とかブラザー系宇宙人がいないのはなぜかな(稲生平太郎の『何空』でコンタクティーを扱った章のタイトルは「空飛ぶレイシズム」)

日日不穏日記‏ @hibifuon 2013年11月26日
ありがとうございます。意外に単純だ・・・。RT @shinfujioka そんなユニークな言説ではなく、アダムスキーからマイヤーに至るまで、高度な宇宙人は金髪碧眼で、MIBは吊り目の東洋人風といったことです。 RT @hibifuon 第一部にある、「空飛ぶレイシズム」って何だ?














峨骨‏ @Chimaera925 2016年1月4日
どのような者が優れた者なのか、支配者に相応しいエリートであるのか、それらの基準を作った者は自らの似姿こそが最もそれに相応しいと考える。劣等な者は始末するか支配してやらなくてはならないと考える。どこぞの人買いの会長やら、いい大学出て素晴らしいキャリアを積んだ自称エリートにせよ

峨骨‏ @Chimaera925 2016年1月4日
彼らが神の像を作り、「これを崇めよ」と言う時には自身の似姿を作らせる。いささか美化され過ぎて背鰭に胸鰭、尾鰭と色々付きすぎて奇怪な姿をしているけれど。


峨骨‏ @Chimaera925 3 時間3 時間前
SFで食品を合成して作るなんて描写が屡々出てくるけど、放射性廃棄物の定義を変えて食品に変換するシステムは出てこない。現実は小説よりも奇なり、か。













科学的思考(論理的思考、客観=多数の他人の主観を反映した情報重視、数値化重視、再現と反証可能性重視など)

科学教(上記の否定)の違いがわかる人もわからない人も以下を読めば衝撃をうけるかもしれない。



“クジラは魚である!

“ペネトレ:クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚じゃないってはなし、聞いたことある?
ぼく:もちろんあるよ。クジラは、魚のようにえらでじゃなくて肺で呼吸するし、魚のように卵の形で子どもを産むんじゃなくて、クジラの形で産むんだよ。それで、産まれてきた子どもは水中で母乳を飲んで育つんだ。だから、クジラは魚のように見えるけど、ほんとうは哺乳類で、魚類じゃないんだよね?
(…)
ペネトレ:つまり、『そういう点ではクジラはどうしても哺乳類のように思えちゃうけど、肝心な外形や生活環境が魚みたいだから、ほんとうは魚なんだ』って言ったら?”
ぼく:なんで外形や生活環境のほうが肝心なのさ?
ペネトレ:そんなら、なんで内部のしくみのほうが肝心なのさ?
ぼく:だって外形のほうがだいじなら、ほんものと見分けがつかないようなにせもののダイヤモンドは、ほんもののダイヤモンドだ、ってことになっちゃうよ!
ペネトレ:そうなんじゃない? とくに宝石なんて、見かけの美しさこそがいちばん肝心なんだから。内部構造はぜんぜんちがうけど、いちばん肝心な見かけがおなじだから、『ほんとうは』ダイヤモンドなんだ、って言えると思うよ。
ぼく:そんなの、なんかおかしいよ。
ペネトレ:それはきみが科学に洗脳されているからだよ。科学っていうよりもっと根本的な、ある種のものの見かたにだな。見かけや外形の奥にかくれているものこそが、その物のほんとうの姿である、っていうような。
ぼく:そうじゃないの?
ペネトレ:それは、ひょっとしたら、奥にあるものを知っている人が知らない人たちに対して権力を持つために作り出した作り話だったんじゃないかな? みんな、うまくだまされちゃったのかもしれないよ。
ぼく:まさか!
ペネトレ:でも、分類のしかたによってはクジラは魚でもあることは、たしかなことだよ。外形や生活環境よりも内部のしくみを重視するって前提があってはじめて、クジラはほんとうは魚じゃないなんて言えるんだ。じゃあ、なぜ内部のしくみのほうを重視するのかっていえば、それはぼくらがそういう文化の中に生きているから、としかいいようがないんだよ。いつか人間たちが、クジラはやっぱり『ほんとうは』魚だったって思うようになる日がくるかもしれないんだ。
p.94‐97 ※『』内は原典では太字


科学は、構造や構成要素や因果関係を解析するのが目的ですから、ものの内部が本質だと考えますからね。
むしろクジラが哺乳類ってことは、「教えられなければわからない」ので、
人間の自然な感覚からしたら不自然で、魚だという認識の方が自然でしょう。
その教える側の教師や教科書だって、クリスチャンで白人の銀行家(金の支配者)と銀行家を手先として使っている王侯貴族たちが都合よく決めるのですから。

あとダイヤモンドの話ですが、違いが分かる人が存在しなければ、本物も贋物もありませんから。
目利きがいなけりゃみーんなモノホンってこった。
厳密にはな、パチモン・ホンモン自体が成立せーへんねんけどな。ナンセンスや。

8 地球は丸くない!

ぼく:地球が丸いってことも、太陽のまわりをまわっているってことも、『発明された』の? 
ペネトレ:そうさ。でも、地球は丸いのに、どうした下のほうにいる人が落ちちゃわないんだと思う?
ぼく:そりゃあ、引力があるからじゃん!
ペネトレ:でも、引力って引っぱる力だろ? そんなものがあるんなら、もっと地面に引っぱられているような感じがするはずじゃないかな? どうして引っぱられて、はりついているような感じがしないんだろうね?
ぼく:たしかに、そんな感じはしないけど……。
ペネトレ:だから、ほんとうは、ぼくらは引っぱられてなんかいないんじゃないかな? 『引っぱられるっていうのは、この地面の上にいて、ひとに腕を引っぱられたりするときの、あの感じについてだけ、言えることなんじゃないかな?』
ぼく:じゃあ、引力はないって言うの?
ペネトレ:引力がないだけじゃなくて、地球が丸いっていうのも、ちょっとあやしいな。
ぼく:どうしてさ!?
ペネトレ:丸いっていうのは、この地面の上にある、スイカとかボールとかについてだけ、言えることなんじゃないかな?この地面が球体であるって考えたとたんに、ぼくらは地球というものを、この地面のことじゃなくて、この地面の上のほうにある巨大なボールのようなものだと考えてしまっているんじゃないかな?その証拠に、地球は丸いのに下のほうにいる人が落ちないのは引力があるからだ、なんて考えてしまうだろう?
ぼく:どこがいけないのさ?
ペネトレ:地球には「下のほう」なんてないはずだからだよ。でも、ぼくらは上下のある絵しか描けない。できるって言うんなら、上下のない地球の絵を描いてごらんよ。世界地図だって、地球儀だって、星座早見盤だって、必ず上下がある。それはつまり、地面の上に乗っているってことだよ。だから、ぼくらが住んでいるとされる地球という名前の惑星をふくめて、ほんとうは、すべてのものが、この地面の上にあるんじゃないかな?
ぼく:ペネトレ、それ本気で言ってるの?!!!”p.100‐102
※『』内は原典では太字

物理法則という客観的だとみなされている(この法則の観測は主観的になされる)のですが、結局のところ、人間の肉体的制約や生活様式の前提に縛られます。
肉体的制約とは、左右対称、上下非対称などで、
生活様式の前提とは、重力下で生活(頭は上、足は下)などです。
地球上にいる時、われわれにとっての地球とは地面のことであり、そこから逃れられないのです。
仮に、人間の体が完全な球体だとすれば、文字は左から右へだとか、その逆だとか、縦書きだとか、横書きだとか、という概念が生まれるか?
などなどさまざまな思考実験ができますな。

森博嗣『笑わない数学者MATHEMATICAL GOODBYE』文庫版
にある鏡に映ると左右は入れ替わるが、上下や前後は逆にならない理由↓

「鏡に映った像は、左右が反対になりますね。どうして、上下や前後は逆にならないで、左右だけ入れ替わるのか、刑事さん、答えられますか?」(…)
「定義の問題です。左右だけが、定義が絶対的でないからです。上下の定義は空と地面、あるいは、人間なら頭と足で定義されます。前後も、顔と背中で定義できます。では、左右はどうでしょう?左右の定義は、上下と前後が定まったときに初めて決まるのです。人間の体型が左右対称ですし、歩いたりするときも横には動きません。上下と前後の定義が独立していて、絶対的なものであるのに対して、左と右の定義は相対的です。この定義のために、鏡で左と右が入れ替わるんですよ」
「待って下さい(…)鏡の映像に……、そんな、人間の考えた定義が関係するのですか?あれは物理現象であって、人間の言葉には関係がないと思いますが……」
「いいえ、我々は、ものを定義して、それを基準に観察するんですよ。
(…)僕たちに、顔がなかったとしましょう。そのかわりに、片手だけが大きくて、バルタン星人のようにハサミがついているとします……。この場合……、ハサミのある大きな手が、右と定義される。顔がないから、前後の定義が相対的なものになります。つまり、上下と左右が定まって、初めて前後が決まることになります。この顔なしバルタン星人が、鏡を見たら、前後が逆になりますよ。良いですか?ハサミの方の片手を挙げて、鏡を見てみましょう。鏡の中の自分も、やっぱりハサミの手を挙げているでしょう?つまり、左右は入れ替わっていない」
(…)
「それでは……、こういう説明ではどうでしょう。右と前、左と後ろ、この言葉を入れ替えて使う国があったとしましょう。その国では、右という言葉は前のことです。左という言葉は後ろのことです。顔がある方が右、背中が左です。さて、この国では、鏡を見て、左右が入れ替わるでしょうか?」“p.433‐435”


Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月4日

視覚化や聴覚化は神様の乗り物を用意する行為だからそれ自体に意味はなく。また、それを放置していたら雑菌が繁殖してしまうのです。そのことを理解するために人工精霊の喚起と退去を学ぶのだけど、神秘体験とは何かを本質的に理解していないとその能力は使い物にならなくなってしまいます。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2月18日

それ故に、検証の行われない神秘体験は悪魔化された錯覚のことだとわたしは考えています。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年9月13日

瞑想のときに神秘体験をしたりとかよく話題になるけれど、実際のところはそんなのは稀なことで普通の作業中に不意にそれは訪れると思うの。実践作業にも価値はあるのだけど、種が実を結ぶのはそのずっと後の話。神秘体験それ自体にはそこまでの意味は無いと思う。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年9月3日

花を愛でてもいいのだけど、もしも実りを得たいのでしたら自らそれを切り落とすこと。わたしが神秘体験について学んだのはそういうことでした。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年9月3日

そして最後にはあることに気づいたの。花が枯れた後に無理して花を生かそうとしても無駄なこと。それは毎年短い間だけ咲くけれど、そのままだと実はならなかったの。結果としてわたしは神秘体験というお花を自分で切り落とした。それによってやっと実りを得ることができたの。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年9月3日

神秘体験ってお花のようなものだと思うの。枯らしてしまった植物の代わりに造花を飾る人も多い。種から育ててお花が咲くまでにはとても時間がかかる。けれど、花の命は短くてその体験は泡沫のごとく終わる。ずっとわたしはそれを眺めてきた、毎年芽吹くのを待って育てながら。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年7月3日

わたしは霊的生活を倫理的な生活とほぼ同一の意味としてとらえてる。神秘体験は認識に至るまでのプロセスである副産物に過ぎないの。必ずしもそんな体験を経なくても立派で尊敬すべき人たちはいっぱいいる。だから不思議な体験にこだわるのは本末転倒だと思う。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年3月12日

現実の中で夢を見られないから神秘体験で酔いを求めようとする人が多すぎるの。不思議なキノコさんやハーブなどを求めないでバーに行けばいいのです。美味しいお酒でも飲んでお隣の人に声をかけてみる。たとえ同性同士でも楽しい会話ができるかもしれない。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年1月9日

神秘体験をペラペラ話すよりも瞑想の途中で寝てしまいましたと素直にいう人の方がわたしとしてはよほど好感が持てます。その素直さこそが宝物だからです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2016年1月6日

なんか神秘体験の有無がシャーマンの良し悪しを決めるのだとしたら、それはまるで膜のあるなしで女性の階級がきまるみたいでとても変だと思う。成人式済ませたらみんな本当に大人になるというの?
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月27日

神秘体験というのはひよこさんが殻を割って出てくるときの殻が割れる音、そして世界から漏れ出してくる光の事です。ひよこさんが世界に生まれた時、暫くは眩しくて目が見えない。けれどじきにそれは収まって目が慣れてくる。そうすると世界に生まれたんだとやっと「理解」するのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月27日

すなわち、儀式は深淵な物事の理解を促すために存在していて神秘体験それ自体は余禄みたいなものです。各種の暗喩,暗示それ自体には意味はなく、普通に言葉で説明すると「頭で理解してしまう」のを避けるために構成します。継続する力とはとても深い理解によるからです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月15日

錯覚というのは神様の御恵み。神秘体験もそう。何かを教えてくれてる。幻覚や錯覚というのは違う視点で何かを捉えたときに起こる。それは認識の枠組みが外れたときに起こる。とはいってもわざとそうしたら基準となる枠組みがなくなるから困ります。自然に起こるからいいのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月15日

神秘体験というのはひとつの事象に対して異なる解釈をしたということなのです。だからといって現実に変化などは起こっていない。それは比ゆ的に言うと人間の目がなくなったので一時的に猫さんの目を装着しましたというのに似てる。色の認識は変わり赤外線見えるようになるはずです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月15日

わたしが神秘体験にこだわらない理由はこういうことなのです。それは日常の事柄が意識の状態の違いによってコラージュされたりデフォルメされて認識される事象のことです。ですから、それは本質ではなく日常の些細な物事の神秘に気づく機会となる。つまり神秘体験は目的ではないのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月12日

自分がいかなる神秘体験をしてもその幻想に捉われないことです。そこにはきっと真実の一端が隠れていることでしょう。けれどその解釈が正しいとは限らないのです。ですから解釈を慎重に行うために事実のみをノートに記載していきます。この癖をつけないと妄想でいっぱいになるからです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月7日

神秘体験はできる限りマイルドであること、そして時間を置くこと。さらに薬物を使わないで出来れば排除すること。理解はとてもゆっくりです。安全にやろうとしたらつまんないくらいがちょうどいいの。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月7日

だから本当は薬物とか外的刺激によって劇的反応を示さない場合は「おめでとう」なのです。これは「神秘体験をしない幸せ」をいつもお話している理由です。それから学ぶこともあるのだけど、たいていは恐怖心が幻想を暴走させるのでまずいことになります。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年12月5日

神秘体験を吹聴することがこれで何を意味しているのか理解できることでしょう。それは自己欺瞞日記の羅列と大差ないからです。それは必ず日を追うごとに増えていきます。「誤魔化しがきかない」とはそういうことだからです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年11月18日

ひとつの答えを得るのに何年、何十年とかかるの。何か特別な神秘体験を経て突然ひらめいた! なんてことになればそれは教祖様デビューになります。でも、残念ながらそれはあまり幸福なことではないと思うのです。きっとのどから手が出るほどそういうのほしいというのはよく知ってる。だからこそです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年11月18日

GD系が扱う図の中でセフィロトをご覧になったことがあると思います。その中でパロケト、つまり幕屋がでてくるのです。内陣の外にこれがかかっています。これはアストラル的幻惑の象徴表現なのです。雲として表現されるそれは曖昧な夢のイメージのこと。つまり神秘体験と呼ばれるそれなのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年11月18日

GD魔術では再三にわたり「明晰な光」という表現が出てきます。それは曖昧な夢を意味しない。つまり、世間一般で扱われている神秘体験をそもそも相手にしていないのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年11月18日

魔法使いが神秘体験を否定するのはおかしいことですか? GDにおいて水平の上昇とはこれを目指してるのです。もしよろしければフライングロールをご覧ください。幻惑を避けることを主題にしてるのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年11月18日

神秘体験とは幻惑されてることを意味してるの。ある種の思考によって幻惑されてる。心がそれに慣れてないからです。アストラルライトは一種の雲のこと。これがあるから視界をよくく見渡せない。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年11月18日

神秘を理解することができたらそれはもはや神秘ではなくなるの。だから神秘体験それ自体をわたしは無意味といいます。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年11月18日

神秘体験を得たとしたら残念なことです。神秘体験は幻惑によるもの。曖昧なものはいらない。神秘なものもいらない。よく注意して? 神秘体験を得たらはずれなのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年10月14日

わたしはもうアストラル世界では遊ばない。それがなんのことか理解したからです。足の裏を地面につけているというよりも、地面が足の裏に引っ付いてくる。だからわたしは「世界」を回らない。なので厳密にいうと魔法使いとはいえないかもしれない。神秘体験を必要としなくなったからなの。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年10月7日

どんなすごい神秘体験を何万回積み重ねても神秘の意味を理解していないのならその意味はないと思う。それは単なる娯楽としてとらえたほうがいい。そう、趣味の問題だといえるでしょう。どんな世俗的なことにも神様の神秘を見つけられないのなら、本当の魔法使いとは言えないと思います。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2015年6月22日

初心者に対しての神秘体験は推奨されない。なぜなら冷静さを欠いたそれは気分を舞い上がらせたまま日常に帰してしまうからです。これを行う導師は批判を免れないでしょう。薬がまさに毒となるからなの。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

故に、神秘体験を得た人たちが自ら宣言をして達人が量産される。けれど後に恥をかくのは自分自身です。何しろ、本当の光明を得た後はそれが何かを知ってしまうからなの。だったらそんなことはしないほうがいい。無意味な高位階を誇示したところであなたの神が凡てお見通しなのだから。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

新参者に神秘体験を与えることはある程度は可能なのです。それは心理効果を利用した巧みな心理学的(現在は知られてはいないが)現象なのです。但し、これを与えても位階は授与できない。より正確には位階は自ら昇るものです。認定はできても授与は不可能なの。だから自ら勝ち取ってください。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

さらに付け加えると、神秘体験それ自体に価値なんてありません。それは単なる種でしかないのです。それが萌芽するまでにはとても時間がかかるものです。だから、それを得たらノートに記録して放置することです。ただこれをずっと続けること。体験を自分の心に強要してはならない。寧ろ避けるべきです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

神秘体験を決して他人に吹聴してはならない。もしそうしたらあなたが得たものは霧散して毒になってしまう。凡ては失われてせっかく受け取ったものが深化せずに無駄になる。そのようなことを繰り返していたら決して先へはたどり着かない。いい? よく聴いて。至聖所から宝箱を出してはならないの。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

感覚はすべて検証して論理付けをすることです。そうした上で体系をつくる。論理矛盾を極力なくすこと。このような分析過程を経ると次第に幻想は失われる。偽の神秘体験はなくなるのです。すなわち、光の前に影は消え去れり。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

聖杯を呷ってなお平気でいられる人は、神秘体験を望まない人であり、さらにそれを得ても悪酔いしない人に限られるのです。それはとても甘美な神酒なのだけど、その意識状態からさらに上方に脱却できなくては転落が待ち受けているのです。この素敵な酩酊状態を誰が避けられるというのでしょうか?
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

わたしが「神秘体験は求めてはいけない、そんなことのために道を探求してはいけません」などというと「既得権益の保護」や「綺麗ごとを並べ立てる似非オカルティスト」などという人は恐らく大勢いると思う。けれどこの問題はとても切実なのです。聖杯が毒杯に変わる瞬間をご覧になりたいのならどうぞ。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年11月25日

だから光明というのは穏やかに当たるのが宜しい。強烈な光は多くの人は耐えられません。きっと道を踏み外すので強い変化を望んではいけないのです。もし強い神秘体験でトリップしたいのなら通常の娯楽にいくらでもあります。バンジージャンプでもしておいで。魂の強さなんてそう簡単には判らないのよ?
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年5月22日

いい? 神秘体験を追求すると言うのは映画を楽しむのと似てる。楽しいのだけどそれが生活になってしまうとそのうち苦痛になるの。勝手に脳内で再生される映画です、そんなの見たくもないときに勝手に見せられるの。だから制限しないといけない。そしてそれを快楽のためではなく理解のために追う。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年5月22日

神秘主義において神秘体験を求めるというのは快楽を求めるのと道義です。それは中身についてなんら考慮されていない。もしそれについて理解してるのならそんなこと言わないから。どういうことかというと、神秘体験はエンターテイメントなので消費型コンテンツです。つまり体験したらおしまいなの。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年5月22日

わたしはアストラル的方法というのは不確かなのであまり使いたくはないのだけど、オカルト好きな人はみんなこれを求める。それは神秘体験だけど、そもそも快楽のプロセスとそれを得るしくみをちゃんと理解してる? みんなが求めてるのは単なる快楽なの。それはエンターテイメント。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年1月22日

まぁ、はっきりいってこれらのカバラー的解釈はみんな神秘性が全くないのだけど、それゆえに重要なのです。神秘体験はあえてみんなすっ飛ばしてます。神秘体験は重要なものではなくて理解度のレベルを示すものさしなの。だからそういうのは個人の問題。誰がどんな体験したかなんて意味ないのだから。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年1月10日

これがわたしが知ってる魔法の組み立て方。最終的に心に作用させるという意味において物理的心理的手法は問いません。神秘性の有無も関係がない。目的のためなら知ってる方法を凡て投入するのが魔術というアートだから神秘体験は副次的なものなんです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2014年1月3日

神秘体験がとても大切だという人がいるけど、そのひとはわたしに言わせると経験がまったく足りてないといわざるを得ない。神秘体験とは薬と同じで毒にも薬にもなる。ある種の現実の認識は人によって絶望にも希望にもなる。これと同じことが神秘体験でも起こるのです。だから気安く勧めてはいけないの。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2013年11月16日

それ以前に、神秘体験の有無なんかで達成度を語るのははっきりいって無意味どころか害悪にしかなりません。長い目で見るとそれは障害にすらなるのに。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2013年7月29日

神秘体験なんてね・・・神秘体験なんてね・・・それでお腹は膨れないのよ・・・ぐー。幻覚のなかにね・・・イケメンが出てきたら・・・あ、それ淫魔だわ・・・ぐー。テテレスタイ!・・・すー、ぴー。もうたべられないですぅ。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2013年7月24日
返信先: @MARAharuSさん

天国に昇天させられたら戻ってこれないです。長老エノクじゃあるまいし。メガトロンにってしまいます(^^; QT @MARAharuS: @Ripple1975 召命型シャーマンの神秘体験の予兆かもしれません。巫病が大変らしいですが。
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
魔羅覇盧‏ @MARAharuS 2013年7月24日
返信先: @Ripple1975さん

@Ripple1975 召命型シャーマンの神秘体験の予兆かもしれません。巫病が大変らしいですが。
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2013年6月28日
返信先: @meditationartYKさん

ああ、カトリックの司教候補は、必ずロヨラの「霊操」とかやるよ? だからみんな視覚化とか一般的訓練してるはずです。おそらく、神秘体験は魔術師なみにしてるはず。QT @ykkawa18: @Ripple1975 クンダリーニはヒンズー教発祥だったと思います(たぶん)。クリスチャンの場
1件の返信 1件のリツイート 2 いいね
川崎 悠太‏ @meditationartYK 2013年6月28日
返信先: @Ripple1975さん

@Ripple1975 クンダリーニはヒンズー教発祥だったと思います(たぶん)。クリスチャンの場合、修行体系が限られてしまうのでしょうね。神を観想する過程で神秘体験をすることは時々あるらしいですが、ごく一握りでしょうし。
1件の返信 0件のリツイート 1 いいね
Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2012年12月10日
返信先: @momochudokuさん

まあ確かにw QT @momochudoku: @kurara78 @Ripple1975 非合法のものを食べたり吸ったりかじったりして幻覚だの神秘体験だのリラックスだのは、私の人生に関係ないwそういうの好きな人も私の人生に関係ないw
0件の返信 0件のリツイート 1 いいね
歌屋山本けい‏ @momochudoku 2012年12月10日
返信先: @kurara78さん

@kurara78 @Ripple1975 非合法のものを食べたり吸ったりかじったりして幻覚だの神秘体験だのリラックスだのは、私の人生に関係ないwそういうの好きな人も私の人生に関係ないw
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
ハヌル/霊能者‏ @hanuru_ 2010年10月1日

あえて書いてこなかったけど共感同意RT @Ripple1975:(略) それを求めるほど、本来求める道から外れていく。神秘体験が悪いといっているのではない。ただ、幻想の世界に入ったらさらに上層にある意識に上昇する必要があるといいたいのだ。もしも幻想に捉われたらその人の進化は止まる
0件の返信 0件のリツイート 0 いいね
Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2010年10月1日

何度も言うべきことがある。それは神秘体験を重視してはいけないということ。それを求めるほど、本来求める道から外れていく。神秘体験が悪いといっているのではない。ただ、幻想の世界に入ったらさらに上層にある意識に上昇する必要があるといいたいのだ。もしも幻想に捉われたらその人の進化は止まる
0件の返信 0件のリツイート 4 いいね
Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2010年10月1日

舞踏、音楽やその他の方法でトランスに入り、シャーマン的に神秘体験を得ようとする人がいる。けれども、その方法は現代人向けではないのも確かである。わたしはそれを否定はしないけれど、そこに叡智は存在しない。それはかれらに必要な方法論であった。現代のわたしたちには新たな方法が必要だ。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2010年10月1日

真の神秘体験は言葉には翻訳できない。それは真に力という側面であり形を持たない。それゆえに形である言葉に置き換えると二律背反の概念として分離する。それは一種の心の状態のことを意味するのであり、高電圧の電線に触れているのに等しい。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 2010年10月1日

もしもあなたが神秘体験を求めているとしたら、求めるのをやめて健全な生活を送ったほうが良い。真の神秘体験は求めて得られるようなものではない。感覚遮断によるサイケデリックな状態は不健全な心の状態を生む。アストラル領域で遊んでいるのは構わないが、それは神秘体験とは呼ばない。



魔法おっさん(30代住所不定無職童貞)‏ @douteimaturi 2016年11月9日
私がユダヤ人とか、人種差別だとかくだらない事を言わないのは根底の流れとして名誉と毀損という物資の流れ以上に重要な事がはなされないからで
あった、なかった何てハッキリまやかし以下の物資的な補償の話にしかならないのでしたところで無駄
重要なのは尊厳の流れ以外ないのです

折角何でナチスの話をしようと思う
私はあの社会は間違いなく優生学と儀式・擬似神権国家だったのではないかと思っている
それは民族主義=血統優位説と血統優位な人々による政治的貴族の創造とカースト制を作り出すつもりだったのではないかと思う
彼等がアーリアとか言うのはカースト制の希求

(続き)と高カーストによる神権政治、つまりは哲人政治と剣と聖書の合一なわけで
何故にバチカンがナチスを擁護したのも書類には表面上物資援助の話しか書かれていないが
一番重要な名誉と毀損の流れで見るからにアーリア社会における独占的な神官の立場を保証したからではないかと思う

なので、最低でも陰謀論者である限りはナチスがユダヤ人をー、なんて言う議論に参加する自体が無意味で
もしそれを言っている陰謀論者がいるのなら知能が低すぎて、人としての生活が出来ているのが危ぶまれます
陰謀論者であるのならば、彼等が何故にその思想を作りだし、社会運用したかを問うべきです

なのでホロコーストがあった、なかった以前にホロコーストってどの立場の言葉?
と、言えないと話になりませんし、それは何を意味するの?
という事から言えねばなりません
なぜなら、言葉は意味を持ち、意味を作るからで言葉の創造は魔導士の基本仕事という視点から言及出来なければただの馬鹿です

村手 さとし‏ @mkmogura 2016年11月12日
探さなくても聞こえてくる情報は、全て操作された情報である。 情報を探してはいけません。 その情報がなぜ流れてるか、その目的を探しなさい。

魔法おっさん(30代住所不定無職童貞)‏ @douteimaturi 2016年9月29日
ユダヤとか抜かすならその会社や銀行なんか使うな まず、やつらと関わらない生活を言わなきゃ結局は指桑罵槐になるだけで意味がない 言っただけの陰謀論者は全部偽物、偽物は偽物らしく薄暗い骨董屋で引きこもってろ
(孫子の兵法「三十六計」の一つ「指桑罵槐」(しそうばかい)
=「桑の木を指して槐の木を罵る」
=的外れな批判で本体が攻撃されないように人心操作)

狼たちは知っている‏ @wolvesknow 2016年9月29日
返信先: @douteimaturiさん
おひさー。ユダヤ人の定義は無視して、ユダヤが悪い、ユダヤ人が悪と、人種・民族での分断統治に引きずりこむ奴ら、マジウザいですね。やれやれですわ。

魔法おっさん(30代住所不定無職童貞)‏ @douteimaturi 2016年9月29日
返信先: @wolvesknowさん
ユダヤというより、もっと質の悪い欧州貴族が悪いとか全世界の王族というカルテル、シンジケートを否定してさてどうするか。 まで、言うならまだしも奴等は所詮、派遣された税金取りや現地派遣社員でしかないのですけどね

狼たちは知っている‏ @wolvesknow 2016年9月29日
返信先: @douteimaturiさん
あちこちで、問題点をそらすための矮小化や、地域限定、個人限定のデコイ叩き、末端叩きばっかりやってて、嫌になりますわ。

魔法おっさん(30代住所不定無職童貞)‏ @douteimaturi 2016年9月29日
返信先: @wolvesknowさん
そうなんですよ、だからそういうゴミはゴミでしかないのでゴミとして燃やすか、発酵させて悪い見本としての肥料にするかの二択です なので、基本燃やすのが一番です

魔法おっさん(30代住所不定無職童貞)‏ @douteimaturi 2016年10月6日
そもそもユダヤの肉棒論って、ユダヤの何派が言っている立場なんよ? 超正統派や正統派は日々の戒律を守って暮らす事が優先でまず己の生活を律する事が優先だし アシュケナージ言ったってあれはただのユダヤ移民の事だし、世俗派なんてそれ以外の意味を持たないわけで在日特権とどうネタが違うのさ?



峨骨‏ @Chimaera925
人間の価値ねぇ、等しく無価値でいいじゃねぇか。どうせ、価値の有無の二元論に嵌り込めば、一番力の強いヤツが自分自身の似姿を最も価値のあるものとホルホルして、そこから離れるにつれて無価値とされるわけだ。先進や未開の基準が西洋だろ?価値なんて人間の作る恣意的な定義なんざアテにならんよ。

「男は臭い、汚い」と視聴者に価値観が植え付けられ認知バイアスがかかるし、男も「自分は臭くて汚いのでは」と無意識に強迫観念が植え付けられる。「雑菌が一杯、消毒しよう」と不快感を催すイメージ映像を見せて、「人間は不潔」と思わせ商品を買わせる。身近ななんでもないところで洗脳される。

血液型による性格診断はナチスの優生学から始まっている。ヒトラーを含む多くのドイツ人はA型でユダヤ人にはB型が多かった。よって劣っているB型は排除されるべし、と結論を導き出した。今日びの自己啓発・能力開発、スピリチュアルもキリスト教から生まれ、選民統治思想と優生学が混じっている。


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