「どちりいな-きりしたん」16世紀にGODを神と訳していないし、loveを愛と訳していない。偽書を見抜こう。
Posted on 2014.07.07 Mon 05:53:30 edit
キリスト教徒"I love you."(耶蘇教に支配された日本の現状)
仏教徒「あなたは私の迷いの原因なので別れて下さい。」
(仏教国教時代)
日本思想大系〈25〉キリシタン書・排耶書 (1970年)内収録
どちりいな-きりしたん 一五九一年版国字本 ヴァチカン図書館蔵 H.チースリク 土井忠生 大塚光信 校注
当時の使用語彙と訳語がわかる。
仏教用語を利用しつつ、根源的な用語は訳さずに、そのまま使っていることが多い。ただし、アルファベットではなくひらがなで。
16世紀にGODを神と訳していないし、loveを愛と訳していない。
「GODの訳語の神も、loveの訳語の愛も聖書の中国語訳→日本語訳に輸入」で入ってきたもの。
国教だった仏教では神は大したものではない。
「天」=超すさまじい神。
「愛」=執着をもたらす悪であり捨て去るべき迷いの根源。
大したことない「神」(だって漢字からして、祭壇+稲妻だし単なるよくある自然現象)
と悪である「愛」を良い意味に変えたのはキリスト教が原因であり、聖書の訳語を和風キリスト教徒(神道家)とクリスチャンらが広めまくったから。
神道関係に多い偽書を見抜こう(偽造するのは当時存在していなかった証拠。仏教時代以前の超古代と和風キリスト教が国教の明治以降が大好きなのが神道家でなぜか半島人や中身クリスチャンが多い)。
どちりなきりしたん(ドチリナ・キリシタン。ポルトガル語でDoctrina Christão、ラテン語でDoctrina Christiana)は、
16世紀にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本。どちりなきりしたんは、 慶長5 年(1600年)に長崎で和訳されたキリスト教の教義。信徒たちに広 く読まれたキリシタン本のひとつ。。
ザビエルによるキリスト教伝来(1549年)からキリスト教禁止令(1614 年)の間に刊行された。
日本で刊行されたドチリナ・キリシタンは、刊行年・刊行地共に不明の国字本「どちりいな・きりしたん」、 天正19年(1591年)に島原半島の加津佐で刊行されたとされる。文禄元年(1592年)発行の天草版ローマ字本、慶長5年(1600年)発行の長崎版ローマ字本、同年発行の長崎版国字本「どちりな・きりしたん」の4種類がある。 長崎版「どちりな・きりしたん」は、長崎の町年寄であった後藤宗印により刊行された。長崎の出島を管理していたのが佐賀藩。佐賀藩はクリスチャンだらけ。幕末に最新鋭の技術をクリスチャンから手に入れていた。
ひいです…信仰 Fides ラテン語(以下ラ)
ゑすぺらんさ…希望。望徳 Esperança ポルトガル(以下ポ)
God
でうす…Deus ラ
御作者(ごさくしゃ)
御親(オンをや)
“ぽろしもは皆でうすの御(おん)写(うつ)しに作給(ツクリたま)へば也“p.51…
ぽろしも=隣人、は皆ゴッドの写し身、の「隣人」に異教徒は含まれるのかな?
悪魔 デビル サタン
天狗、天魔(の奴〔やつこ〕)、狗兄(グヒン)
くるす…十字架 Cruz ポ
ゑけれじや…教会 Ecclesia (ラ)
イエス・キリスト
“御主(オンアルジ)ぜず-きりしと”p.14 何度も登場
ぜずゝ
御扶手(オンタスケテ)
御(オン)子
御(ご)ぱしよむ。御ぱしよん…受難。パッション。 Passiom ポ古
マリア
びるぜん-だうみな-さんた-まりあ
Virgem Domina Sancta Maria
びるせん-さんた-まりあ
御母(オンハワ)さんた‐まりあ
びるぜん‐まりあ
※処女マリアだけでなく、童貞マリアって表現が公式にある。
「罪」、「罪人」、「原罪」は一度も使われていない。
科(とが) が百回以上登場
一度だけp.28“罪科(ざいくわ)”
※『全訳古語辞典』によると、
つみ…道徳、法律などに反する行為。罪を犯した結果としての「罰」をも意味した。
動詞「罪す」「罪なふ」なども「(処)罰する」ことを意味する。
とが…「生れつきの」欠点や不注意からくるあやまち。中世以降多用される。
科を送る…罪の償いをする
科送り…罪の償い。贖罪
科人(トガニン)
“「科(トガ)を犯(ゝか)す者は天魔の奴(やつこ)也」”p.20
原罪
=“受(う)け続(つゞ)く初(ハジメ)の科(トガ)”p.24
=“おりじなる科(トガ)”p.65
=一人の科↓
“天狗(テング)は善悪の智恵(ちゑ)の木(コ)の実(ミ)をもて(モツテ)、我等が先祖(せんぞ)をたばかりすまし、又一人(ひとり)の科(トガ)を以(モツ)て一切(さい)人間を我(ワ)が進退(しんだい)になしたるごとく(以下省略)”p.43
進退…自由にする。支配する。
もるたる科
=死に至る罪(永遠の生命の損失)
=大罪
七(ナナツ)のもるたる科=七つの大罪
※大罪によってゴッドの恩寵である神的生命=永遠の生命、を失うので、「死に至る罪」
霊魂は不滅だと考えるので、霊魂は死なないとするが、天においてゴッドの生命と幸福に参与する資格と能力を失い、しかがって永遠にゴッドから離れてしまう結果となるそうだよ。
⇔
べにある科
=小罪
愛(する)
かりだあで…love。 Caridade ポ
御大切…love。キリスト教の愛。
大切に思し召す…お愛しになる
御大切に思ひ奉る=「大切に思ふ」のでうすに対する尊敬表現
…愛する
恋の歌、恋する、恋慕、など「愛する」ではない
御作の物…被造物
“流人(るニン)となるゑわの子共”p.33
…アダムとエワ(エヴァ)の罪のため楽園を去った人類(エヴァの子孫)、らしいが、アダムは黒人だから、ゴッドもエヴァも黒人だね!
“世界の終(おは)りなるじゆいぞの日”p.45
じゆいぞ…juizo ポ 最後の審判
じゆいぞ‐ぜらる…公審判。最後の審判。 Juizo geral ポ
“あまねくよみがへりたるじゆいぞ‐ぜらるの後は人間二度死(フタタビシス)る事あるまじきと云(イフ)事也。たゞし善悪二(フタツ)の模様(もやう)は変(かは)るべし。其(ソノ)故は、ぜんちよと悪(あ)しききりしたんとは、終(をは)りなくゐんへるのゝ苦(くる)しみを受(う)けてながらへ、がらさにて果てたるよききりしたんは天にをひて楽(たの)しび(ミ)を極(きは)めて、不退(ふたい)の命を持(モツ)べしと云へる儀也。”p.47
不退の命…永遠の命
ぜんちよ…異教徒 Gentio ポ
悪いキリスト教徒と異教徒→永遠にインフェルノで苦しむ
いいキリスト教徒「だけ」→天にて永遠に楽しむ
あめん…アーメン
かりす…聖杯 Caliz 古ポ
ぱあぱ…教皇。法王。Papa ポ
かとうりか
…普遍的。世界的。カトリック。Catholica ラ
※カトリックはもともとは普遍的という意味で、漢字で「加特力」
“でうす告げ玉ふ“p.37
…神の啓示
あんじょ…天使 Anjoポ
さん-がびりゑる-あんじょ…天使ガブリエル São Gabriel Anjo
さん-みげる-あるかんじよ…大天使聖ミカエルSão Miguel Archanjo ポ
さん-じゆあん-ばうちした…洗礼聖ヨハネ São Juan Bautista ポ
あぽうすとろ…Apostolo 使徒 ポ
さん-ぺとろ…使徒聖ペトロ São Pedro
さん-ぱうろ…使徒聖パウロ São Paulo ポ
あるたる…祭壇。「神」の左側の「ネ」。Altar ポ
ぽんしよ‐ぴらと
…ピラト(ユダヤおよびサマリアのローマ総督。在任26‐36)Pontius Pilatus
ちりんだあで…三位一体。 Trindadeポ
ぺるさうな…位格 Persona(ラ・ポ) 三つのぺるさうなは、聖父・聖子・聖霊
でうす-ぱあてれ…聖父 Deus Padre ポ 三位一体なるGODの第一位
ひいりよ…聖子
すぴりつ-さんと…聖霊 Spiritu Santo ポ古 第三位
じゆすちいしや…裁判 Justiça ポ
どちりいな…耶蘇教の教義
あにま…霊魂 Anima ラ・ポ
経…聖書
さからめんと…サクラメント
こんぱにあ…会。Companhiaポ
Companhia de Jesus=イエズス会の略語
そうぺれなつらる…超自然の。スーパーナチュラル。 Sobrenatural ポ
御をんたあで…デウスの思し召し Vontade ポ
陰陽交会(いんやうけうくはい)…男女の交わり
がらさ…Graça ポ 恩寵。神の恵み
隠れキリシタンかもしれない明智光秀
の娘・明智 珠(明智 玉 あけち たま)
は、明治期にキリスト教徒らが彼女を讃えて「細川ガラシャ」(伽羅奢、迦羅奢)と呼ばれた。ガラシャ=グラツィア=がらさ(洗礼名)
ばうちずも…洗礼 Bautismo 古ポ
べんさん…祝福 Benção ポ
御作のもの…デウスの作られたもの
べあと…聖人。福者。幸いなる者。祝福された者 Beato ポ
をゝれよ…油 Oleo ポ
尊きをゝれよ
=キリズマ
=香料を混ぜたオリーブ油
キリスト=キリズマを注がれた者
ぽろへゑた… 預言者 Propheta ポ
すぴりつ…霊 Spiritu 古ポ
じゆでよ…ユダヤ人 Judeo ポ
ぐらうりや…栄光 Gloria (ラ・ポ)
あぶらん…アブラハム。ユダヤ人の太祖。
せよ…天 Ceo ポ
さんとす…Santos(ポ、複数) 聖人たち
“
弟 我らが敵とは何(ナニ)たる者ぞ。
師 世界・天狗・色身、これ也。
(…)
弟 彼三様(カノミサマ)の敵よりおこすてんたさんを、でうす止(や)め給(たま)はぬ事はいかん。
師 それと敵対(てきた)い、でうすの御合力(ゴカフリヨク)を以(モツ)て利運(りうん)を開(ひら)き、又其利運(ソノりうん)の御勧賞(ゴくはんじやう)を与へ給(たま)はん為也。“p.23
我らキリスト教の敵は何?
現世・悪魔・肉体が敵。
現世と悪魔と肉体という三つの敵の誘惑をゴッドが止めなさらないのはなぜ?
その敵と戦い、ゴッドのお助けによって勝利し、またその勝利の褒美を与えて下さるためだ。
※訳は記事主
弁神論になってないな。詭弁だな。
人間も悪もゴッドの被造物で両者が戦う。
人間がゴッドが作ったはずの悪と戦うのをゴッドが手助けして人間に勝たせる。
自作自演乙。
マッチポンプ売りのゴッド。
現世・悪魔・肉体という敵=惡、が存在する理由を誤魔化したな。
メーソンっぽいライプニッツの、この世界は無数の可能世界から最善の世界をゴッドが選んだものだって言ったのと同じぐらい詭弁だ。
もろにフランス系メーソンのヴォルテールに、この世界のどこが最善なんだ? と批判される始末。
世界…この世、人間界
色身…肉体
御合力…御助け
利運を開く…勝利を得る。勝つ
御勧賞…褒美
てんたさん…誘惑 Tentação ポ
p.25カッコ内は引用の前の文の現代語訳
(色身はなぜ誘惑するのか?
悪い天性と悪い癖によって科に人を向かわせるから。
その悪い天性と、悪い癖とは何?)
“
師 心中(シンヂユウ)におこるみだりなる望み也。是即(コレスナハチ)心をくらまして、悪を見知(シラ)ぬ様にする者也。
其(ソレ)と云(イフ)は、身(ミ)の深き望みと、頼もしきと、愛すると、憎むと、悦(よろこ)びと、悲(かな)しみと、恐れ(をそ)と、怒(いか)りなどの事也。”
経=聖書、のように、日本に馴染んでいる仏教語で置き換えた表現が多々見られる。
よって「愛する」=可愛がる。モテアソブ、「愛=執着を起こすもの=惡」なので、悪い意味が含まれているはず。少なくともloveではないし、ゴッドという上から下されるものでもない。
まんだめんと…戒律。掟。 Mandamento ポ
ぽろしも…隣人 ポProximo
どみんご…主日=キリスト教における日曜日。主なるゴッドを崇める日。
ユダヤ教では金曜日の日没から土曜日の日没まで
“
○第七(シチ) でうすの御掟(ゴおきて)の十(トツ)のまんだめんとの事。
(中略)
“初の三ヶ条(サンガデウ)はでうすの御威光(ゴいくはう)にあたり奉り、今七ヶ条(シチカデウ)はぽろしもたがひの徳の為也。
第一 御(ゴ)一体のでうすを敬(うやま)ひ貴び(たつとミ)奉るべし。
第二 貴(タツト)き御名(ミナ)にかけて、むなしき誓(ちか)ひすべからず。
第三 どみんご祝(いはひ)日を勤(つと)め、守(まも)るべし。
第四 汝の父母(ブモ)に孝行(かう\/)すべし。
第五 人を殺(ころ)すべからず。
第六 邪淫(じやいん)を犯(おか)すべからず。
第七 偸盗(ちうたう)すべからず。
第八 人に讒言(ざんげん)をかくべからず。
第九 他(タ)の妻(つま)を恋(こひ)すべからず。
第十 他(タ)の宝をみだりに望(のぞ)むべか(ら)ず。
右此十ヶ条(コノジツカデウ)は、たゞ二ヶ条(ニカデウ)に極(きは)まる也。一(ヒトツ)には、たゞ御(ゴ)一体のでうすを万事にこえて、御(ゴ)大切に敬ひ奉るべし。二には、我(ワガ)身のごとく、ぽろしもを思へと云(イフ)事是(コレ)也。“
p.48-49
“
弟 空誓文(そらぜいもん)をすまじき為の便(たよ)りとなる事ありや。
師 常(つね)に誓文(せいもん)せざるやうに嗜(たしな)む事也。“
p.50
“
弟 ぽろしもをばわが身のごとく、何(ナニ)と様(ヤウ)に思(おも)ふべきや。
師 でうすの御掟(ゴおきて)に随(シタガツ)て、わが身の為に望(のぞ)むほどのよき事を、ぽろしもに対しても望(のぞ)むべき者也。”p.54
ぽろしも=隣人、に異教徒は含まれないのですね。
十戒は隣人に「のみ」適用されるから、全人類の半数以上アウトだな。
“
師 科(トガ)の品は多(おほ)しといへども、万(よろづ)の科(トガ)の根元(こんげん)となる科(トガ)は七(ナナツ)あり。
○一(ヒトツ)には驕慢(けうまん)。
二(フタツ)には貪欲(とんよく)。
三(ミツ)には邪淫(じやいん)。
四(ヨツ)には瞋恚(しんい)。
五(イツツ)には貪食(とんじき)。
六(ムツ)には嫉妬(しつと)。
七(ナナツ)には懈怠(けだい)。
是(コレ)也。是(コレ)をすべてもるたる科(トガ)と云(イフ)也。“p.60
“
○色身にあたる七(ナナツ)の事。
一(ヒトツ)には、飢(う)へたる者に食(しよく)を与(アタユ)る事。
二(フタツ)には、渇(かつ)したる者に物を飲(の)まする事。
三(ミツ)には、膚(はだへ)をかくしかぬる者に衣類(いるい)を与(アタユ)る事。
四(ヨツ)には、病人(びやうにん)をいたはり見舞(ま)ふ事。
五(イツツ)には、行脚(あんぎや)の者に宿(やど)を貸(か)す事。
六(ムツ)には、とらはれ人の身を請(う)くる事。
七(ナナツ)には、死骸(しがい)を納(おさ)むる事、是(コレ)なり。
○すぴりつにあたる七(ナナツ)の事。
一(ヒトツ)には、人によき異見(いけん)を加(くは)ゆる事。
二(フタツ)には、無知なる者に道を教(ヲシユ)る事。
三(ミツ)には、悲(カナシ)み有(アル)者をなだむる事。
四(ヨツ)には、折檻(せつかん)すべき者を折檻(せつかん)する事。
五(イツツ)には、恥辱(ちじよく)を堪忍致す事。
六(ムツ)には、ぽろしもの不足(ふそく)を赦(ユル)す事。
七(ナナツ)には、生死(シヤウジ)の人と、又我に仇(あた)をなす者の為に、でうすを頼み奉る事、是(コレ)也。
”p.78
本書の製作にかかわった人々
校註者や作者や編集者や編纂者を調べるのは当然。経歴不明なら著作を探る。
フーベルト・チースリク(Hubert Cieslik)神父様(イエズス会司祭)
“チースリク神父様は、広島に原子爆弾が投下された時、幟町教会の司祭館で被曝されました。その時、司祭館に4人の神父さんがおられましたが、その内のお一人です。チースリク神父様は、1914年に旧東ドイツ、シュレジア州のワイスワセルWeiswasserで誕生され、19”8年9月22日に84才で帰天されています。
神父様は、1933年19歳でイエズス会に入会し、翌年20人の希望者の中から選ばれて栄光学園におられたハンス・シュトルテ神父様と共にお二人で来日されました。
(中略)
1950〜1957年、東京の聖三木修道院院長、1953〜1994年「祈祷の使徒会」の指導司祭、同時に月刊誌「聖心の使徒」の編集に携わるほか、聖心女子大その他の大学講師などを歴任。特に、全国のキリシタン研究において貴重な足跡を残されました。なかでも、広島における信仰の証であるキリシタンの歴史について著した「芸備キリシタン資料」「キリシタン人物の研究』など、私たちに貴重で重要な資料を残されています。“
http://memorial-world-peace.txt-nifty.com/blog/2012/03/h-0d58.html
“土井忠生 どい-ただお
1900-1995 昭和時代の国語学者。
明治33年3月16日生まれ。広島文理大,広島大の教授をへて,昭和40年広島女子大学長。キリシタン文献の国語学的研究で知られ,「吉利支丹語学の研究」「ロドリゲス日本大文典」ほかの著訳書がある。平成7年3月15日死去。94歳。広島県出身。京都帝大卒。“
http://kotobank.jp/word/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E5%BF%A0%E7%94%9F
大塚光信は著作集を見るにクリスチャンかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%85%89%E4%BF%A1
“大塚 光信(おおつか みつのぶ、1926年 - )は、日本の国語学者。京都教育大学名誉教授。
岡山県生まれ。1952年京都大学文学部卒業。尾道女子短期大学講師、京都教育大学教授、1990年定年退官、名誉教授、梅花女子大学教授、1992年 - 1995年学長。2004年の春に瑞宝中綬章受勲。
著書[編集]
• 『キリシタン版エソポのハブラス私注』臨川書店、1983
• 『抄物きりしたん資料私注』清文堂出版、1996
• 『ことばと資料私注』清文堂出版、2008
編著[編集]
• コリャード『懺悔録』翻字、校註 風間書房、1957
• コリャード『羅西日辞典』解題・索引 臨川書店、1966
• 『日本思想大系 25 (キリシタン書・排耶書)』どちりいなーきりしたん 病者を扶くる心得 サカラメンタ提要付録 御パションの観念 丸血留の道(H.チースリク)土井忠生共校注 岩波書店、1970
• 『エソポ物語 付・古活字本伊曽保物語』校注 角川文庫、1971
• 『抄物資料集成』全7巻別巻 岡見正雄共編 清文堂出版、1971 - 1976
• 『続抄物資料集成』全9巻 編 清文堂出版、1980 - 1981
• 『義経記文節索引』天田比呂志共編 清文堂出版、1982
• 『コリャード自筆西日辞書 複製・翻刻・索引および解説』小島幸枝共編 臨川書店、1985
• コリャード『さんげろく私注』臨川書店、1985
• コリャード『懺悔録』校注 岩波文庫、1986
• 『新日本古典文学大系 53 中華若木詩抄・湯山聯句抄』朝倉尚、尾崎雄二郎共校注 岩波書店、1995
• 『エソポのハブラス 本文と総索引』来田隆共編 清文堂出版、1999
• 『新抄物資料集成』全4巻 編 清文堂出版、2000
• 『大蔵虎明能狂言集 翻刻註解』編 清文堂出版、2006”
《岩波書店》海老沢有道/H.チースリク他校注
キリシタン文献を多角的に収載し、東西思想の接触と対立を究明する!
近世的生命が力強く息吹き始めたころ伝来したキリシタン宗門は、儒仏神の三教が共存する宗教社会の中で、伝統思想の大胆な批判者として新しい世界観・人間観を提示し、また庶民の精神的解放者、あるいは科学的知見・合理主義の播種者として先駆的役割を果たした。本書は、「どちりいな・きりしたん」ほかの教理書、林羅山・崇伝らの邪教排撃文書、弾圧下潜伏時代の信仰書など、全14篇を1巻にまとめた。これによって、従来、専門家の独占物の観のあったキリシタン文献は、広く一般読者の関心を呼ぶ機縁となるであろう。 (帯より転載)
《収録作品》
●キリシタン書 どちりいな-きりしたん/病者を扶くる心得/仏法之次第略抜書/妙貞問答 中・下巻/サカラメンタ提要付録/御パションの観念/丸血留の道/こんちりさんのりやく/天地始之事
●排耶書 排耶蘇/排吉利支丹文/破提宇子/破吉利支丹/対治邪執論
解説 キリシタン宗門の伝来(海老沢有道)/キリシタン書とその思想(H.チースリク)/排耶書の展開(海老沢有道)
http://item.rakuten.co.jp/takahara/iwa-3-25/
以下、聖書翻訳における訳語における引用いろいろ。
”私がそれに違和感を覚えたのは、現代のドラマに氾濫する「愛」と、戦国時代にこの文字の持つイメージは違うのではないかと考えていたからだ。仏教で愛の字は警戒感を呼ぶ言葉だ。物事に執着する心タンハー(渇愛)こそすべての迷いの根本と釈迦は述べた。タンハーという言葉に渇愛が当てられたことが不幸だったかもしれない。
この時代にはキリスト教が上陸して、短い間に日本人のこころをとらえた。支配者が禁教令を発するまでの四十~五十年の間になんと人口の1%の人々がキリスト教に帰依したとされている。今の日本では0.5%以下だからその勢いは大変なことだった。キリスト教は「愛の宗教」だと言われているが、この時代の宣教者も信徒も「愛」の文字はまったく使わなかった。残念ながら、福音書の翻訳は残っていないが、公教要理であるドチリナキリスタン(岩波文庫)が残っていて、当時の宣教に使われた言葉がわかるが、そこにはいまは「愛」と言葉が使われるところには「ご大切」という訳が当てられている。「愛」という文字がイエスの福音のエッセンスとして使われるようになったのは、明治初め中国語訳から転用されて以来の事で、ごく新しいことである。
そのような意味で、直江兼続の『愛』の前立ては何からきたのかを知りたかった。たまたまこの5月病院にいなければならなくなった10日間にその無聊を慰めてくれた雑誌サライがあった。そして最新号に直江兼続の特集がでたのである。それをみて疑問が氷解した。直江兼続の兜の前立ての愛は『愛染明王』『愛宕大権現』の「愛」だというのが定説なのだそうだ。愛染明王は西大寺でお目にかかったが、赤身憤怒の相貌で手に弓矢を持つ仏教の守護神である。
彼の主人である上杉謙信の兜の前立ては毘沙門天の「毘」の一字だそうだ。これに呼応した愛染明王の「愛」であってこそ、上杉家一門の武将にはふさわしいシンボルだ。
上杉謙信の語録には「慈愛をもって民を憐れむ」という言葉があり、「愛民」の行動も直江兼続にはあったとのだろうが、「愛」の前立てをその人格が愛であったことのシンボルだと言い立てるのは、現代人の軽すぎる押し付けだろう。”
天地人 「愛」の前立ての意味に疑問
http://kozu5.my.coocan.jp/KozuHomePage3/public_html/kigaru-09/09.05.27noguchi.html
”岩手県気仙地方の言葉「ケセン語」で翻訳されたマタイによる福音書が作られました。「マッテアがたより」といいます。訳者は大船渡教会の信徒で医師の山浦玄嗣先生。2002年7月7日と14日のカトリック新聞 7月14日NHK「こころの時代」に紹介されました。
この翻訳では「愛」という言葉を使っていないそうです。「ケセン語」にはないからで、「ご大事(でいじ)」というケセン語を当てられたそうです。我が意を得たりと思いました。
13年前のことです。ヘンデルのメサイアを合唱団で練習していたわたしは、その意味を知りたくて、カトリック教会の門を叩きました。応対してくださったブランチフィールド神父さんが誘ってくださって、1年の入門講座を受けました。これがその後の私の人生を変えるとは思っていませんでした。
その講座では始まって間もなく「愛」のセッションがありました。私は当時自分の子供たちを批判的に眺めるにつけ、自分は子供を愛しているのだろうかと真剣に悩んでいたこともあり、これが重要と思い、神父さんにしっこく私には「愛」というのが分りませんと食い下がったのでした。愛は、音読みにしますが、訓読みの大和言葉では、「めでる」、「いとおし」、「あいらし」、などになり、そのどれもがイエスのこころではないように思えたのでした。しかもこれまで親しんできた仏教の言葉では、愛着として捨て去るべき執着心に近く、決して良い意味はありません。
(中略)
岩波文庫のドチリナキリシタンは17世紀日本にキリスト教が伝えられた頃の、キリスト教公理です。これにはなんと書いてあるか、調べました。「ご大切」でした。これこそ本物と思いました。私は自分のキリスト教入門講座で、毎年これを皆さんに紹介しています。
ケセン語聖書の山浦先生も同じことをなさいました。そして「愛」の替わりに「ごでいじ」を当てられたのでした。これはすばらしいことです。日本語の聖書ではじめて愛という誤解を生む言葉が追放され、イエスの言葉に近づいたのです。
山浦先生はテレビの番組の中で話しておられました。私にはイエスの「汝の敵を愛せよ」というのが理解できなかった。愛する相手が敵というのは意味の矛盾ではないか、しかも嫌いな敵はいつもやむを得ずできる、それは好きにはなれないではないか。と、しかし「汝の敵を愛せよ」というのが、その敵を大切に思いなさいという意味だととれば腑に落ちるのです。と語っておられました。
イエスの言葉、それが言葉面のものでなく、心にすとんと落ちるものであるには、方言でなければならないのでしょう。
(私は、当時この愛が定着したいきさつが知りたくて、国会図書館に保管されている明治初期の新約聖書を調べました。そのいくつかを見ましたが、初めから例外なく「愛」が、採用されていました。なぜ明治以降の聖書が「ご大切心」を忘れたのでしょうか。おそらくその理由は、明治に伝道が開始された頃は、すでに一足先に中国でのキリスト教伝道の歴史があり、漢訳聖書が翻訳されていたことの影響だろうと思いました。愛の文字の原意は、心がせつなくつまり、身はのけぞって足もそぞろという状態を示し、明らかに恋の状況から来ています。文字の国、中国で何故、これをアガペに当てたのでしょうか?少なくとも言えることは、中国の思想にもその言葉にも、また日本の思想と言葉にも、イエスのアガペに相当する言葉がなかったからと考えることが重要です。)
”ついに「愛」の言葉を追放した聖書 - Biglobe
http://www7a.biglobe.ne.jp/~meet-with-Jesus/kesen.htm
“「はらいそ」。ポルトガル語でパラダイスをあらわすパライゾから生まれた言葉。
(…)
小学館の「日本国語大辞典」によると。
パライゾ(paraiso)(ハライソ、ハライゾウ)。
キリシタン用語。天国。楽園。パラダイス。
元はパラダイスをあらわすポルトガル語の「paraiso」ですが日本では、ハライソだけではなく、はらいぞう、なんて言い方もあったのですね。1600年に日本で刊行された『どちりな きりしたん』
に「パライゾ」は出てきますので、一部の人しか手にしていないものだとしても立派な日本の古語と言っていいでしょう。
【パライゾの定義】
善行をおこなったものが死後行く場所であるとともに、場所よりも完全な心の状態のことを指しているのですね。
キリシタンはパライソ(Paraiso)と称し今は天国と言っているが、これは場所よりも、完全な幸福の状態を意味している。 (p576 日本思想体系25(岩波書店)解説より)
D(私注/日本思想体型25収録の「どちりいな きりしたん」ではDは「でうす」になっています。)はいづくにもおはしますといへども、たすかり玉ふ善人たちに尊体をぢきにあらはしたまはんために、天にパライゾをさため玉ふによてなり。 『どちりな きりしたん』(岩波文庫 p30/この本は 1600年!に刊行された長崎版)
後生ノ善所ハ パライゾ ト云イテ天ニアリ、悪所ハ インヘルノ ト云イテ地中にアル事。
『妙貞問答下巻』1605年刊行。日本思想体系25(岩波書店)p164より。
【パライゾ以外の言い方】
①「はらいぞ」として登場。
じゆすへる これをきくより、ゑわ・あだんをたばかりと、ころてる にいそぎける。道にて、いたすまじき、まさんの木の実をとり、ゑわ・あだんが方ゑゆき、「あだんはいづかたゑ」といふければ、ゑわ きゝて、「はらいぞの五門の訳也」とこたゆる。
『天地始之事』
日本思想体系25(岩波書店)p383より。
ゑわとあだんってエバとアダムのことですね!
②「はらいぞう」として登場。
人間には、でうすより、真の霊(たましい)を作り添えたまふ故に、此の身死すれども霊死せずにて、今生善悪乃業により、苦楽を受く。善業の者をば、はらいぞう として、楽しみ尽ぬ世界を作り置きて是へつかはし給ふ。
『破切支丹(はきりしたん)/鈴木正三 1642年頃』日本思想体系25(岩波書店)p453より。
⑤「頗羅夷曾(ぱらいぞ)』として登場。
『対治邪執論(たいじじゃしゅうろん)/雪窓宗崔 1648年』日本思想体系25(岩波書店)p462より。
(…)
さて、「はらいそ」が出てくる歌舞伎もあります。
作品名は『天竺徳兵衛韓噺』by鶴屋南北。
江戸時代、鎖国がおこなわれる前にインドに航海した実在の人物、徳兵衛の物語。
徳兵衛が、「でいでい、はらいそはらいそ」という呪文をとなえるという作品です。
日本芸術文化振興会が運営する文化デジタルライブラリー(ttp://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/)で紹介されています。http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc15/sakuhin/p1/
「作品紹介」の「作品の概要」ではこんな風に書かれています。
本水(ほんみず)を使った水中の早替り(はやがわり)、見世物(みせもの)的な大蝦蟇、屋体崩し(やたいくずし)など迫力に溢れるケレンと松助の体を張った演技で評判を取りました。天竺徳兵衛が唱える「デイデイ、ハライソハライソ」という呪文(じゅもん)は、「主イエス」「天国」という意味の隠れキリシタンのオラショ(祈祷[きとう])でした。水中の早替りは「切支丹(きりしたん)の妖術ではないか」という噂まで呼んで話題をさらい、2カ月以上に及ぶロングランとなりました。
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南米チリに「バルパライソ」という港町があるようです。意味は天国の谷、だとか。住むのは大変かもしれませんが、海が見える、坂道の港町、の風景って憧れます。”
http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2011/08/post-3259.html
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