読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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ダビデの星がユダヤだけのシンボルになったのは十七世紀からでキリスト教が決めた(ユダヤではない)ので日ユ同祖論(キリスト教製品)に使えない。マニ教の概要(山本由美子『マニ教とゾロアスター教』 など)、ダイアン・フォーチュン『神秘のカバラー』 

 ダビデの星がユダヤのシンボルにしたのはイエズス会で十七世紀からだから日ユ同祖論に使えません
日ユ同祖論の最初期の論者である佐伯好郎(1871 - 1965年)はクリスチャンで、日ユ同祖論は単なる功利的な「企画」だと自分で言っています
クリスチャンと大本教系が流す日ユ同祖論という、「実はあなたは高貴な血筋だったんです(キリスト教製品の)神話」に騙されている人が多すぎますので何度も言うことにします。
日ユ同祖論を信じることは聖書が絶対に正しいと信じることと同じ!
日ユ同祖論の前提は聖書!だからクリスチャンが広めているの!
そもそもユダヤ教では「ダヴィデの星」ではなく、7枝の燭台「メノラー」がシンボルとして使われていました。
が、三十年戦争末期の1648年=十七世紀に、六芒星をユダヤのシンボルにしたのがイエズス会(当時のラビたちは猛反対)。
中世以前にユダヤ=六芒星のシンボル
はないのです。
そもそもダビデが出て来るのは旧約聖書でありキリスト教とイスラム教の聖典でもあります。
マークを根拠にしている癖にそのマークの成立年代を言わないのが日ユ同祖論詐欺師
ユダヤがらみはほぼ間違いなくキリスト教の捏造が絡んでいるのです
キリスト教への攻撃を防ぐためのユダヤ陰謀論=キリスト教製品。だからキリスト教陰謀論がない、のと同じく、ユダヤは全てがキリスト教を守る楯
明治・昭和・今上天皇はガーター騎士団に入っていますからキリスト教を利用しまくるということですよ!
病院の✝や、キリスト教暦使っているから一週間七日で、安息日の日曜日が休みで、全員ではないが教会で結婚する国ってキリスト教が支配する国なのですが、正に日本ですよね。

“単語の数は大変多いのでどの二つの言語を選んでも必ず似たものはある。ニクダー(母音記号)なしだといくらでも都合よく読める子音表記のヘブライ語だとどんな言語でも同祖論を作れる
邪馬台国の当時の読みは?神道は道教の一派だから日中同祖論はいかが?”
子子子子子(ねここねこ)‏@kitsuchitsuchi•3月30日

キリスト教がダビデの星を使っていた実例が以下の動画に出ています。20分46秒あたりの、ヨーロッパのビール醸造所の多くは修道院から始まっていて、修道院がビール作りの技術の科学研究施設だった~のくだりにおける、修道院(キリスト教施設)で酒を創る場面の絵にダビデの星(上が少し見えないけど)があります。
進化するビール【テストエンコ】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13066185

この動画では、中世ヨーロッパでは教会が酒造技術を管理したなどが分かる、非常に面白い動画です。綺麗な水は貴重だったので、製造過程で殺菌できる酒が重要だったのです。つまり酒の管理は綺麗な水の管理のようなもので、まあ支配にはうってつけですね。水道利権を持っているようなものだし。逆に言うと、酒に強い人は生き残り易かったということです。
この動画に面白いコメントがありましたので引用します。
魔術師手術中、呪術師醸造中
短い言葉で事実を伝える早口言葉。単なる早口言葉ではなく、マジシャン(魔術師、呪術師)は医術や酒造技術や字の読み書きの技術(昔は字の読み書きができる=インテリ)を持っていたということです。ペルシャの拝火教司祭(マギ。智識人で技術者)はもろに魔法使いという意味だし。
魔術(魔法)の一分野が宗教と科学です。再現性の低い科学が魔術、魔術が再現性を得たものを科学とも言えます。魔術は他人と共有もしにくく数値化もできないことも扱う総合学問です。他人と共有できる数字や経験論、繰り返しの実験を重んじる分野が科学。
キリスト教の科学迫害に理由は、単にキリスト教が嘘だとバレるからだけではなく、優秀な科学技術を持っていたのが主に異教徒だったからです。ずっとマイノリティだった白人コンプレックスですな(今でも白人の数は有色人種より少ないし)。

日本酒の歴史 - Wikipediaから僧坊酒に行くと
“僧坊酒(そうぼうしゅ)は平安時代から江戸時代に至るまで、大寺院で醸造された日本酒の総称。高品質の酒として高い評価を受けていた。
平安時代初期までは、朝廷が造酒司(みきのつかさ)などの部署を持ち、内部で酒造を行っていたが、やがて官衙の衰退により技術や人員が外部に流出するようになり、民間の酒造りの中心となったのが大和や河内をはじめとする各地の大寺院であった。
この時代の醸造は、今風に云えばバイオテクノロジーの最先端であり、当時の大寺院はそれを委譲されて担っていくだけの、以下に挙げるような数々の好条件に恵まれていた。

•経済力 - 広大な荘園から納入される豊富な米や、貴族などから集まってくる潤沢な寄進によって、大きな商業資本がまだない当時においては、大寺院とは最も資本の集中する存在であった。
•労働力 - 修行僧や僧兵など、体力をもてあましている精力的な人手に事欠かなかった。
情報力 - 大寺院では、遣隋使・遣唐使に加わった留学僧や、渡来僧などの知識人が、日本にもたらした知識をいち早く学ぶことができた。それら知識の中に酒造りに関わる農法や醸造技術が含まれていた。
•環境力 - 当時の最高学府として、新しい情報や知識を俗欲に惑わされず吟味し、実験し、改良していくだけの学究的な時間と空間にも恵まれていた。
•政治力 - 時の大寺院は、今日でいう治外法権が適用されるような領域であり、その特権に助けられ、市井では生育しにくい産業も朝廷から庇護された。さらに、治外法権ゆえに、一般社会ではお尋ね者となったような奇才をもった人材や、勢力争いにやぶれた権力者なども多く流れ込み(アジール)、またそうした人物たちが諸国に持つネットワークを活用し、今日でいう頭脳流入、人材流入の場ともなっていた。

日本以外の事情[編集]
実は大寺院という存在が、歴史のある時期、特に中古・中世などに、酒造りの中心となることは世界史的に見てもめずらしいことではない。ヨーロッパにおけるベネディクト派修道院のワインやシャンパン、トラピスト派修道院のビールなどが分かりやすい例であるように、上記とほぼ同じ理由から、宗教勢力が醸造業の最先端を牽引していく時代というものは、さまざまな文明で見出されるのである
” http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%A7%E5%9D%8A%E9%85%92

同祖論のおかしな点について更に詳しくは
英単語は英英辞典と類語辞典を使って覚えましょう(英語学習全般において重要)。ダビデの星がユダヤだけのシンボルになったのは十七世紀から。シャーロックホームズとメーソン員のコナン・ドイル・シャーロキアンとメーソン・民主主義は無責任体制等を意味する英文紹介。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-11.html
をどうぞ。

飲食物がらみでおまけ。

日本の支配層には漢字を是とする連中が西暦500年から仕切ったに過ぎない。それ以前は神話とし、明治以降ワケわからん歴史話で、政権を奪ってきた。”
“文字話はシソーラスな側面があり、意図的改竄があるので、あまり信用ならない。一方、食文化は明らかにルーツを醸し出す
。 関西で「何故蕎麦や納豆が食われない」か? この辺にヒントがある。 http://www7b.biglobe.ne.jp/~rakusyotei/sawakai59.html …”
“納豆は中国の北の文化で、蕎麦や仲間の植物である麦も北の出である。関東で蕎麦屋が何故人気か?関西はなぜうどん屋か?だ。”
“正確には中国北部だけが、納豆ではない。麦わらか稲わらか?麦なら北の、稲わらなら南の。”
以上、ネズミさん‏@Nezmi_san
『蕎麦3 そばの古代史考』 
http://www7b.biglobe.ne.jp/~rakusyotei/sawakai59.html
”当然ながら古代の飛鳥時代、奈良時代にも蕎麦は食べられていたはずである。ところがこれらの時代の書物である古事記、日本書紀、万葉集には蕎麦のことが出てこない。「古事記」にはオオゲツヒメが蚕、稲、粟、アズキ、麦、大豆を生んだ、と書かれている。つまりこれら弥生時代と想定される神代の時代に稲や大豆などが我が国へ持ち込まれたことを意味しているのだが、蕎麦についてはどこにも書かれていない。何故だろうか、この頃には皆が蕎麦を知らなかったのか? いえいえ、飛鳥時代に天皇から救荒作物として蕎麦の栽培を奨励するようにとの勅諭が発せられていることからも、古事記が書かれたこの当時にはすでに広く民衆に知れ渡っていたと考えられる。さらに、それに先立つ古代朝鮮半島の百済から軍事援助を頼まれて赴いた白村江の戦の時の倭国の跡地からも大量の炭化した蕎麦が見つかっているのである。


明らかに当時の倭国の一部にはすでに栽培されていたと考えられる蕎麦が何故、歴史書や和歌などの表舞台に表れてこないのだろうか。当時の他の穀物である粟や稗と比較して蕎麦はどのように見られていたのだろうか、私には大きな疑惑が湧いてくるのを感じる。山内義治氏によると、ソバはそもそも日本には自生していない植物であり大陸かどこかから人の手で運ばれてきた作物であるという。また、安達巌氏の「たべもの伝来史」によるとソバは縄文時代晩期に中央アジアからもたらされた、とされている。ソバは縄文時代晩期には北海道から九州にいたる日本海側の遺跡から多く見られ、ほぼ同時代のものと見られるものが発見されている。すなわち北海道では美々遺跡や御殿山遺跡など北海道の南西部に限られて見られ、本土ではソバ花粉のほとんどが日本海側の遺跡に片寄っている。安田喜憲氏によれば、縄文時代後期にソバが我が国の日本海側の各地に持ち込まれたと思われるが、それらが同じ時代のものであり、しかも広範囲であることから、かなり多くの人の流入が想定される、としている。

ちょうどこの時期は、中国では周、戦国時代から秦の始皇帝による統一国家へと王朝が切り替わっていった時期であり、このときに中国の中原といわれる周辺の東側に住んでいた民族が穀物を持って海に逃れたのではないかとも想像できる。そこで思い当ることがある。BC200頃に秦の始皇帝に不老不死の薬草を採りに行くと言って数千人の若者たちと穀物の種などを持って日本(蓬莱山)に向かって船出した徐福の話が中国の歴史書に残っている。それはちょうど日本では弥生時代中、後期に当るがこの話の、我が国での続きがない。また、弥生時代に続く古墳時代には、古墳から騎馬民族の土偶や壁画が沢山出土していることから江上波夫氏は騎馬民族が我が国に渡ってきたのではないか、との説をとなえている。いずれにしても彼らは蕎麦と共に育った寒冷地の民族である。彼らが倭国に渡ってきたとすると当然それまで身近に食べていた蕎麦を食糧に選んだことだろう。中国の遺跡発掘によって当時の中国の人たちの農作物の様子が分かっている。それは、一般的な傾向として中国北部からは粟、麦、黍、蕎麦、高粱などが出土しており、南部地方からは稲、粟、黍などの穀物のほか、瓜類、梅、棗など果実の出土が目立っている。このことからも中国北部に住んでいた民族は蕎麦を常食にしていた人たちである。食糧確保に腐心していた我が国の神代と言われる時代の人たちにとって、先進的な農業技術を持った若者たちが集団で渡来してきたとなると、どこかで我が国の食べ物に影響を与えていないわけがない。これ以上は想像をたくましくするするしかない。

私はふと、出雲族ってなんだったのか、気になってきた。出雲の地に集団で生活していた民族が「古事記」に書かれているように大和政権に国譲りをした後、和歌山や四国など全国に多くが散って行ったが、この民族とはどんな人たちであったのか、渡来した徐福の集団などとは関係ないのであろうか。なにか引っかかるものがあるが、私にはそれ以上の想像を膨らませるだけの情報を持ち合わせていない。

わが国ではソバの花粉は前述した通り縄文時代の初期から北海道や東北の遺跡から見られており、かなり前から栽培されていた可能性がある。縄文後期には福岡県板付遺跡から、弥生時代に入ると佐賀県菜畑遺跡や島根県タテチョウ遺跡からもソバの花粉が見られている。縄文時代の遺跡に見られる蕎麦は普通種であり、現在我々が食べている蕎麦なのである。高天原の時代から遙かに下って「続日本記」には、元正天皇が養老6年(722)7月19日に「宜しく天下の国司に令して、百姓に勧課して晩禾、蕎麦及び大小麦を植え蔵置して以て年荒に備えしむべし」と勅諭を出しているからである。この勅諭は古事記や日本書紀が完成した直後に出されている。つまりこれは天皇が勅諭として緊急対策にソバを栽培するように奨励しているのであり、天皇も農民も蕎麦について広く知られていたと考えられるにもかかわらず国の歴史書にはソバは全く登場してこないのである。



私は、縄文時代の後期から弥生時代前半にかけて、日本海側に住んでいた蕎麦を常食としていた民族と、古事記でいう高天原など神代の舞台に住む民族との間の交流がなかったのではないかと想像している。高天原民族は稲作を食の基本とし、米と大豆の食文化を展開して行ったと想像している。高天原の流れを受け継いだ大和朝廷が全国を支配することにより米と大豆が表の食べ物となり、その後の日本は米本位経済社会へと大きく舵を切ることになる。一方、蕎麦は日蔭のたべもの、救荒作物として位置付けられ、国の歴史書にもほとんど登場しないまま細々と山間の畑で受けつながれてきたのではないだろうか。だから我が国では縄文時代から食べ続けられながら「そば」についての記述がなかったのではないだろうか。

これに似た話として納豆の話を紹介しよう。我が国へは昔、2つの系列の納豆が持ち込まれている。一つは平安時代の初め頃の帰化僧や遣唐使が中国、黄河の北の文化として持ってきた麹菌で発酵した納豆である。当時の大和朝廷はこの納豆を「豆醤」として大宝律令で保護した。そしてこれらの納豆は京都を中心に広く関西に広がっていたが、今では「大徳寺納豆」や「浄福寺納豆」としてわずかに残っているだけである。一方、それよりも古い時代に南方漁労民によって東南アジアから渡ってきた「糸引き納豆」が各地に広がっていた。しかし、これら糸引き納豆は大和朝廷が推し進める「寺納豆」に押さえ込まれ、京都周辺では普及することが出来なかった。それから千年以上たった現在も、関西の「糸引き納豆」の消費量は他の地域に較べて依然として少ない。食べ物の習慣は根強く長年にわたって影響するものである。



我々が今知ることが出来る蕎麦食の痕跡は、縄文時代の遺跡からの出土の次は663年の白村江の戦いで敗戦した廃墟からの炭化した蕎麦であり、その次は元正天皇の勅諭まで飛んでしまう。さらにその次となると元正天皇の勅諭から850年後の木曾の定勝寺改修記録に現われるまで表面に出てきていないのである。そばが我が国の食の表舞台に登場するのはなんと江戸時代半ばになってからである。そしてこの長い日本の歴史は米中心の食文化一色に塗りつぶされてしまっていたのだ。

長い間救荒作物として日陰者扱いされていた蕎麦が、どのように江戸っ子の食べ物へと替わって行ったのか、その変遷の過程については岩崎信也氏の「江戸っ子はなぜ蕎麦なのか」(光文社新書)に詳しいので興味のある方は一読をお奨めしたい。


古事記は天武天皇によって「天皇は遙か神代の時代から繋がっている一本の道」であることが示された歴史書である。そしてこの天皇制は他の者に取って代わることの出来ない大原則であるとして律令制度の基本としたのである。だから古事記に登場する食べ物も彼らが常食としていたものだけしか書かれなかったのかも知れない。こうして片隅に追いやられていた日蔭の食べ物が表舞台に立つのが江戸時代半ばであり、米本位制社会が確立した後からであった。しかし、明治政府が文明開化を旗印に欧風化を富国強兵の手段に選んだことにより江戸文化は古い、捨て去られなければならない文化とみなされ、蕎麦文化も同じ運命を辿ることになったのであろう。


やっとマニ教に移れるぜ。

マニ教の概要。
前の記事でエヴァは、マニ教の要素もあると述べました。
山本由美子『マニ教とゾロアスター教』 山川出版社〈世界史リブレット〉、1998年4月 を主に参考にして述べます。

マニ教(マーニー教。摩尼教、明教、二宗教)
三世紀のマニ(マーニー)がササン朝ペルシアにて創始。
中核は善悪二元論(拝火教+グノーシス主義)。
物質・肉体=悪。
霊魂・精神=善。
菜食主義(肉食禁止)と飲酒禁止。
一日一食。週一度に断食。
動物を殺すことも、植物の根を抜くことも禁止。
食べて良い代表的なものは果物であり、透き通った野菜。
きゅうりやメロンは最も良いとされた。
(衰弱死しそうなんですけど)
白い衣服を着る。
現世否定。性欲否定。
性欲否定は神話の表現にも表れていて、光=善の側は産むとか生まれるという言葉が使われず、「呼び出す」という言葉を使います。
(苦しいですね。性欲否定の宗教の致命的な問題点は、生殖しないと信者がどんどん減ってしまうというものがあります。まあ、だから積極的に広めまくったのでしょう。子宝沢山は惡なのですから)
信者減少対策として、マニ教は、平信徒(聴聞者)と選ばれた者(アルダワーン=義者=拝火教で善をおこなった信者を呼ぶ言葉)に分けました。
聴聞者はそれほど強く戒律を守らなくて良く、結婚も子づくりも許されるとし、生産活動をして選ばれた者を支える役割にしました。戒律を厳密に守ると生産活動が不可能になりますからね。
アルダワーンには女性もなれます。布教師にもなれます。しかしマニ教神話は男性優位っぽいです。でもグノーシスは女性優位なんですよね。
マニ教の神話は色々混ざっています。長いので面白そうなところだけピックアップします。
・はじめに光明の父もしくは偉大な父(ズルワーン=時間)と呼ばれる存在が光の王国にあり、光の王国は上・東・北・西の方位にあり、光の五元素(光、風、火、水、エーテル)をその実体としていた。
闇の王国は下・南にあり、光の五元素に対応する五つの闇の元素からなっていた。
(はじめが父なので、男性優位思想。グノーシスは女性優位なのにね。
しかし神話に反して、女性が「選ばれた人(アルダワーン)」になることはタブーではなく、女性の布教師も珍しくはありませんでした。
ゾロアスター教ズルワーン主義=拝時教、の影響って凄いですね。
南になにか恨みでもあるのでしょうか。理由が知りたいです。
時間=変化の前提が始まりとは哲学的に感心しました。
時間=時計・天体の動きの周期・暦は農業用だったのに今や奴隷を長く働かせる為の道具になっております


・光明の父(偉大な父ズルワーン=時間)が、生命の母を「呼び出した」(産むが使えないので)。
この生命の母が最初の人である原人オフルミズド(アフラ・マズダーの中世ペルシア語形)を呼び出した。(処女懐胎以上にファンタジーですな)
・光明の父は、生ける霊(ミフルヤズド)も呼び出した。
ミフルは契約の神ミスラの中世ペルシア形で、このころは太陽神と同一化されるようになった。ミフルヤズド(ミスラ神)は、インドにおけるミトラ神、ギリシャ・ローマにおけるミトラス神に相当する。仏教における弥勒菩薩(マイトレーヤ)もまたミスラ(ミトラ)に由来するともいわれている。
(ミトラ=密特拉〔中国語〕の漢字表記の頭は「密」なんですよね。密教にもミトラの要素あるし。
マニ教においては光明神としての性格が強調され、太陽と同一視された。ソグド語で日曜日の事もミール
と呼ぶようになった)

この世界は倒された闇の悪魔たちの屍体から創られた。悪魔からはぎ取られた皮から十天が創られ、骨が山となり、身体や排泄物は大地となった。闇のアルコーン(執政官。高位の悪魔)たちは鎖で空に繋ぎとめられた。
汚されていない光の元素から太陽と月が創られた。
少し汚されたものから星が創られた。

(マニ教では、十層の天と八層の大地からなるという宇宙観。なんと日本でマニ教の宇宙図が見つかりました)

闇は、虜にした光の元素を取り戻されないように、物質がすべての悪魔を飲み込み統合して一つの大悪魔を創った。同様に女の悪魔たちも一つの大悪魔となった。その男女の大悪魔によって、憧れの的である第三の使者(光明の父が呼びだした)に似せてアダムとイブが創られた。ゆえに、アダムとイブは闇の創造物でありながら、大量の光の要素を持っていることになる
自分が光の要素を持っていることを知らないアダムに、自らの光の本質存在を知らせるために、第三の使者の化身であるイエスが送られ、アダムにグノーシス(知識)を与えて覚醒させる。覚醒したアダムは自らの内なる光の本質を救うために物質の連鎖を断ち切ろうと禁欲を誓う。
しかし、アダムよりは少ないがやはり光の本質を持つイブはグノーシスをイエスから与えられなかった。その理由を理解できず、アルコーンと交わってカインとアベルを産む。嫉妬に駆られたアダムは、自らを抑えきれずイブと交わり、セトが生まれた。かくして、人間の生命の営みが始まった。
(男尊女卑)

・この世界は物質である限り、闇のアフリマンの支配下にある。しかしグノーシスを得た人が少しでも光の元素を救いだそうとするので、戦いは続いている。
囚われの光の粒子は、閉じ込めている物質が壊されると解放される。それはまず光の柱を通って月に集められ、月が満ちると太陽に移され、その後に新しい天国に呼び集められる。
(囚われた光の粒子の経路は光の柱→月→太陽→新しい天国


・いずれ光と闇の最終戦争が起き、イエスが正邪を分ける判事としてあらわれる。世界の終わりには神が支えることをやめるので天地は崩れ落ち、1468年間も続く大火によって全て物質的なものは消滅する。イエスは光の王国と合体した新しい天国に戻り、二つの原理はもはや混じり合うことはない。

・「白衣白冠の徒」といわれた東方のマニ教(明教)は、景教(ネストリウス派キリスト教)・祆教(ゾロアスター教)とともに、三夷教ないし三夷寺と呼ばれた。

キリスト教の異端派がマニ教の変形である例はいくつかる。
アルメニアから始まって、黒海沿岸に広まったパウロ派は、使徒パウロの書簡を重んじる二元論的世界観を持っていた。

ブルガリアに発してコンスタンティノープルにも根拠地を置いたボゴミール派は、サタンによる創造神話や旧約聖書の否定など特徴的な教義が、異端審問の記録により信仰内容が良く知られている。ボゴミール派がブルガリアとビザンツ帝国が栄えたのは九世紀から十二世紀までである。

特にマニ教的だったのが十一世紀から十三世紀に北イタリアから南フランスにかけて受け入れられたカタリ派であるが、フランス統一をはかる北フランスのカトリックの王家により弾圧された。地中海沿岸の南フランスに栄えたのがカタリ派である。
ただしそのように非難されても、信者自身はマニ教との繋がりを認めてはいないが、宇宙の創造に悪魔が介入していることを認めたり、酒や女の快楽を否定し、結婚をよしとせず、水による洗礼を行わないように、非常にマニ教的である。女性の地位も高い。注意しないといけないのはマニ教だと非難したのはカトリック側であることだ。
(マニ教を守るためかもしれません。マニ教勢力の存在を明確に認めると狙われるから)

マーニーは珍しいことに、自分で教典を書き、バビロニアを中心に教団を形成した預言者。
マニ教団勢力は、サーサーン朝(ササン朝。ペルシャ=イランの拝火教国家)に迫害されるほどに勢力が強かった。
本拠地はバビロンだったが、マニ教が目覚ましい発展を遂げたのはまずローマ帝国領のシリアやエジプト、その他の地中海沿岸地方であった。エジプトではアレクサンドリア(錬金術=科学の聖地)を中心に発展したことは、元マニ教徒のキリスト教の教父アウグスティヌスが記している。
アウグスティヌスの母はクリスチャンだったが、彼はカルタゴでマニ教に出会って信者(聴聞者)となった。
アウグスティヌスがマニ教の影響からキリスト教の二元論を強化したと思います。善悪の戦いの強調の源流は拝火教ですけどね
当時のアレクサンドリアやカルタゴでは様々な宗教の間で公開討論会のようなものが行われ、自己の宗教の優位性を論理的に主張することが普通に行われていて、一種の娯楽だったらしい。折衷主義のマニ教はどのような論点も自己のものとして取り入れることができるので、非常に論争しにくい相手だったであろう。
(何でも信じているか、何も信じていないか、どちらも最強なんですよね

三世紀から千年以上もユーラシアの西はスペイン、東は中国福建省の泉州にまで広がったが、現在では消え失せしまっている世界宗教。実は中国では生き残っています。
そして現在の統一宗教=イルミナティ教のモデルでしょう


預言者マニ(マーニー)は自分で経典を書いた。予言者が自ら教義書を書いたのは、マニが史上初であろうことは先述したが、マニが主として経典にアラム語を用いたのには、当時の中東世界の共通語として広く意思疎通に用いられていたからであろう。
彼は速やかに経典を各地の言語に翻訳させたが、その際、彼は自身の教義の厳密な訳出よりは各地に伝わる在来の信仰や用語を利用して、入信者が理解しやすいように、自由に翻訳することを勧めた。場合によっては馴染みやすい信仰への翻案すら認め、このことは異民族や遠隔地の布教に有効であった。
マニ教は他の宗教と論戦しながら改宗を勧めていったのだが、相手の宗教を否定せずにむしろ積極的にその宗教独自の概念や神話を取り込んで、違ったものに作り変えてしまうことにひいでていたので大変議論がしにくかった。特有の概念や神の名を異なる脈絡で言及するので強い違和感を与えるものの反論しにくかったはず。
(改良版を売る戦術ですね。マニ教は実は君らの宗教の改良版に過ぎない戦法)

しかし、各地ごとに布教目的で柔軟に用語や教義を変相させていったため、普遍的な世界宗教へと発展した反面、教義の一貫性は必ずしも保持されなかった。
(だから消えても影響が残りまくったのがマニ教。道教みたいですね。神道・天皇・神器は道教用語であり日本由来ではないのです。全部中国産。年号だって漢文から。どこにヘブライ語があるの?)


中国(唐)にマニ教が伝わったのは七世紀。694年、マニ教の教師(佛多誕)ミフル・オフルミズドが、はじめて唐の宮廷を訪れ、則天武后と会見してマニ教の信仰を説いて布教が許された。マニ教はバビロニアの優れた天文学と暦の知識を持っていて、暦の改定を進めていた当時の唐には魅力的だった。
八世紀、758年の安禄山の乱において、弱体化していた唐朝を支援して乱の鎮定に尽力したウイグル王ヤブグ汗(ウイグル族は中央アジアのトルコ系部族)がマニ教に改宗し、ウイグルの国教とした。768年にはウイグル人のために長安にマニ教寺院大雲光明寺が建てられた。
マニ教の教義はすでに各地で仏教や、ゾロアスター教、キリスト教の教義との混淆を深めていたが、この時期になると、さらに中国独自の宗教である道教の教義とも同一化されるようになった。マーニーは道教の始祖老子の生まれ変わりとみなされたりした。
マニ教の後ろ盾となっていたウイグル汗が840年に、キルギスに敗れ、ウイグルの領土が高昌(ホッチョ)とその周辺地域に限られるようになると、中国各地でウイグルにたいする反感が吹き出し、ウイグル人の巣窟とみなされた各地のマニ教寺院が破壊された。
842年から4年間続いた武宗(道教重視)による「会昌の弾圧」は、マニ教のみでなく、拝火教、キリスト教、仏教をも含むすべての外来宗教を弾圧したものであったが、マニ教の受けた打撃は大きかった。
 仏教では、寺院4600寺が廃され僧尼26万5千人が還俗させられたので、「会昌の法難」と称している。
福建の泉州に逃れたマニ教徒はこの地で秘密結社のような組織になったという。
マニ教経典は、一見仏教の典籍の一つのようにされ、一部のマニ教徒は道教の一派のように振舞っていたこともある。キリスト教の一派とみなされたことも多く、マルコ・ポーロが泉州であったと述べている「キリスト教徒」はじつはマニ教徒だったといわれる。
結局、中国のマニ教徒は十五世紀くらいには姿を消し、これによってマニ教は事実上消滅した。
と思われたが↓
“元を倒した新たな王朝を築いた朱元璋が新王朝の国号を「明朝」としたのも、元朝打倒の原動力になった明教にあやかってのこと
出典中国におけるマニ教
マニ教は843年に唐の武宗によって禁止された後も「明教」と呼ばれ流布しつづけた。”
“中国・福建省でマニ教の寺院が複数現存していることが近年確認されている”
“何百年前に滅んだはずのマニ教が、中国では細々と生き残っていて、寺もあれば信者もいて、毎年マニの生誕祭が開かれている”
“御本尊の摩尼光仏
【歴史】マニ教 ー消えた世界宗教の謎ー
http://matome.naver.jp/odai/2134904705662315701

ササン朝書記にゾロアスター教の根幹を揺るがす重大な異端がズルワーン主義(拝時教)。すべての始まりにズルワーン(時)という神がいた。つまり善悪の出会いや創造は<(無限の)時>という枠組みの中に置かれることになった。ズルワーンは宇宙の創造を思いたち、その仕事を託す為の創造主を生み出そうとした。しかしその間に彼は創造が良いことなのかどうかに疑念を持ち、その疑念から醜悪なアフリマンが生まれた。思い直した彼が完全なものとして改めて産みだしたのがオフルミズドでその出来栄えに彼はすっかり満足して、ズルワーンは彼に創造の仕事を託して隠居した。オフルミズドは宇宙創造に取り掛かったが、不満を持つアフリマンがことあるごとに邪魔をしたため、両者はついに闘って決着をつけようということになる。
こうした神話はなぜ双子と言われる対立する二霊が存在したかという疑問を解決してくれるが、善悪の絶対的な対立を出発点とする、ゾロアスター教の最も重要な世界観と矛盾する。つまり、悪の存在理由と悪からの解放という他の宗教が解決できなかった問題に第一義的に取り組んだゾロアスター教の独自性を失わせるものなのである。
しかし、独自の教団も形成せず、ゾロアスター教を否定したわけでもなく祭儀上の問題も起こさないズルワーン主義は、ゾロアスター教の祭司たち(マギ)にも容認された。ササン朝初期にズルワーンという言葉を用いた人名が頻発するので、排斥されていなかったことが明らか。伝統的なゾロアスタ教の聖数3と7に加えて、ズルワーンの聖数4が色々な場面で見られるにも、ズルワーン主義の隆盛を示すものだろう。
(ギリシアではズルワーンはアイオーン。クロウリーの言うイオン=時代でもあります


・マズダク教
恐らくマニ教の影響を受けたマギであるマズダクMazdak(5~6世紀。ササン朝期)が提唱。全ての不幸の原因は所有欲にあるとし、現世に欲望を持たず、無所有を徳とする。不殺生、禁欲、婦女子と財産の共有(土地と女性に執着しないため)、肉食の禁止
などを主張した。
なお、その詳細を復原することは,資料の不足のために不可能。北方よりのエフタル族の侵入と飢饉で混乱する当時の社会情勢を背景に,急速に人心をつかみ,国王カワード1世(在位488‐496,499‐531)が、貴族、高級聖職者階級の権勢を制する意図もあってその信奉者となったことから王宮内にも勢力を拡大したが、マズダク教の影響力は社会不安を増大させるとして弾圧に転じた。
528年皇太子ホスロー(ホスロウ)に命じて、マズダク教の主だった指導者を一堂に集めさせて全員殺した。命運は絶たれたが影響は残り、イランで異端的な動きが起こると必ず言及されるほどである。

イスラムにはシーア派ってある。大多数のスンニ派との違いは、イマームの継承問題。WIKIにもそーとしか書いていない。ところが、地図で分布図を見ると...サッサーン朝ペルシャ時代にゾロアスターからマニ教が派生するンですが、シーア派の分布はこの生誕地と合致します”
J・ナナミ‏@pinkglalem

陰謀論はキリスト教が絶対に黒幕にならない=キリスト教が黒幕。ネットに出回り過ぎている情報=ユダヤ陰謀論は誤り。
ユダヤ人はキリスト教の捏造だとちゃんと言っている稀有なお方。私はブロックされましたけど。
マニ教とゾロアスターとミトラの混合でしょうね


『マニ教とゾロアスター教』 山本由美子 (山川出版社)
http://blogs.yahoo.co.jp/chanchan_yanagi/50699870.html
“【折衷主義的】
 マニ教は、すべての文化を混淆する傾向をもつヘレニズム文化の隆盛期に、古代文明の中心地バビロンにおいて、イラン人でありながら、ユダヤ教系の宗教集団に入っていた両親のもとに生まれたマーニーにより始められた。したがってマニ教はそもそもの誕生から、複数の民族や伝統、神話群と深く関わっていたのである。おそらくマーヒー自身も、自らの受けた天啓が、特定の民族やグループにのみ向けられたものとは考えもしなかったことだろう。彼は多様で異質な世界を受け入れ、そこに共通するもの、翻訳可能なものを積極的に取り入れて自らの信仰体系をつくりあげていった。その結果、それはだれにでもとりつきやすいもののようにみえながら、余りにも多種多様な神話や観念、倫理観を呑み込んでいるため、怪物のような複雑さをもつものになってしまった。マニ教は史上まれにみる折衷主義的な宗教である。(p.6-7)

【マニ教の二元論】
 マニ教の思想は折衷主義的な二元論にもとづいている。マーニーによれば世界は対立する2つの原理からなりたっているという。一方は光で他方は闇である。光は霊的なものであり、闇は物質的なものであった。この点では同じ二元論でも善悪、生命と死の対立を根本とするゾロアスター教の二元論とは異なり、ギリシャ哲学の二元論の影響を感じさせる。マニ教の物質や肉体にたいする嫌悪感は極めて強く、その現世否定は仏教の影響と考えさせるほどである。(p.31)
 ふぅ~~ん
 この世界は物質であるかぎり、闇の力であるアフリマンの支配下にある。しかし、グノーシス(知識)をえた人びとが少しでも光の元素を救い出そうとするので、戦いは続いている。囚われの光の粒子は、閉じ込められている物質が壊されると開放される。それは、まず 「光の柱」 をとおって月に集められ、月が満ちると太陽に移され、その後 「新しい天国」 に呼び集められるという。いずれ光と闇のあいだに最終戦争がおき、そのとき、イエスが正邪をわける判事としてあらわれる。
 月と太陽に関する記述があったので、書き出しておいた。
 最期の記述は、露骨にキリスト教的である。マニ教には、いろんなイエスが登場する。

【マニ教の隆盛と衰退】
 折衷的な教義をもつマニ教は、相手の宗教を否定するのではなく、むしろ積極的にその宗教独自の概念や神話を取り込んでしまうので、当時、イランの正統として確立していたらしいゾロアスター教は、議論をしにくく、徐々にその地盤を侵食されていったらしい。
 しかし、最終的にイランにおいてマニ教は衰退してゆく。世俗の政権の後ろ盾をもたなかったからだという。
 マニ教が拡大している時期、折衷主義は長所として機能するけれど、いざ衰退期になると、それぞれの宗教から異端とみなされ弾圧されるようになる。折衷主義という独自性のなさは、そのような宿命をもっている。

【中国のマニ教】
 694年、マニ教の教師(佛多誕)ミフル・オフルミズドが、はじめて唐の宮廷を訪れ、則天武后と会見してマニ教の信仰を説いて布教が許された。(p.70)
 祆教(ゾロアスター教:631年)や景教(ネストリウス派のキリスト教:635年)より遅い。
 マニ教は、バビロニア伝来の天文学と暦の知識が魅力となり、急速に拡大していった。それに怖れを感じた唐朝は732年に中国人の改宗を禁じる法令を出したという。
 758年に起こった安氏の乱を鎮圧することに功績のあったウイグル族の王ヤブク汗はマニ教をウイグルの国教とした人物であった。そこで、
 768年にはウイグル人のために長安にマニ教寺院大雲光明寺が建てられた。(p.71)
 長安以外にも、洛陽など揚子江流域に複数の 「大雲光明寺」 が建てられた。この時期、マーニーは道教の始祖老子の生まれ変わりであるという折衷説も取り入れられていたという。
 しかし、やがて・・・

【会昌の弾圧】
 中国各地でウイグルにたいする反感が吹き出し、ウイグル人の巣窟とみなされた各地のマニ教寺院が破壊された。842年から4年間続いた武宗による 「会昌の弾圧」 は、マニ教のみでなく、仏教をも含むすべての外来宗教を弾圧したものであったが、マニ教の受けた打撃は大きかった。
 仏教では、寺院4600寺が廃され僧尼26万5千人が還俗させられたので、「会昌の法難」 と称している。
(p.72)
 さすが中国。やることが派手である。会昌とは当時の年号のこと。
 この難を逃れたマニ僧は、福建の泉州に移り、秘密結社のようにして存続したらしいけれど、15世紀ともなると、マニ教は中国から完全に姿を消してしまったという。

                 <了>


 『マニ教とゾロアスター教』
http://d.hatena.ne.jp/itumadetabeteru/20081029
“マニ教の特徴は折衷主義的なところだそうだ。さまざまな宗教や神話のごった煮状態。
二元論だが、それはゾロアスター教の二元論とは違う。マニ教の場合は、世界は光と闇という二つの原理から成り立っていて、光は霊的なもの、闇は物質的なもの。だから当然、人の肉体という物質的なものも闇であって、結果、現世否定に至る。このあたり仏教の影響が感じられると著者は書いている。
 
◆ゾロアスター教
それに対してゾロアスター教の二元論は、この世のありとあらゆるものは善と悪に属し、現世はこの二つの原理の相争う場であるそうな。善とは生命であり光であり、創造主アフラ・マズダーである。悪とは死であり、闇である。だから死は忌み嫌われる。死体にふれることもタブーだった。ところで、この善と悪の争いが生まれたところの説明が面白い。
ゾロアスターの説くところでは、もともと二つの対立する原理が存在したのだという。二つは完全に対立するので、その間に優劣や強弱の差はない。それはあたかも双子のようなものだと彼は述べた。両者はまったく無関係に存在していたが、たまたま遭遇してたがいに相手の存在に気づいたとき、対立が生じた。一方の霊は善であったので生命を選んだ。他方は悪で非生命(つまり死)を選んだ。
(P.14)
両者はまったく無関係に存在していたが、たまたま遭遇して対立が生じたっていうのが、どこかのんきでいい。争う運命にあった、とかじゃないわけだ。たまたま遭遇しなければ対立も存在しなかったのかな。二つは完全に対立する「ので」優劣がない、という論理の立て方も面白い。飛躍があるようにも見えるが、優劣は共通の地盤に立って始めて言えるので「完全に対立」している場合は、優劣は言えない
、というようなことを前提にしている、テツガク的な主張にも聞こえる(でもそもそも「対立」とか「争い」がありえるためには共通の地盤が必要なんじゃないの?と思ったりもするけど、まあ、そこら辺は著者の書き方かもしれない)。
ただ、この創造主アフラ・マズダーがずるいというか抜け目がないというか。
叡智の主アフラ・マズダーは先見の明によって、対立する二霊は戦わざるをえないことを知った。その場合、戦う場と武器と主体が必要になるし、戦ったあとには勝敗が決まる。したがって、戦いを始めるにあたって、究極的に自らの勝利となるときを期限とすることができれば、自分が勝利して終わることは間違いがない。そこでアフラ・マズダーは、自分が勝利するときを終着のときとするという条件で戦おうと提案した。死と破壊の霊は、結果をみとおすことがないので、ただ戦うチャンスにとびつき、この提案は同意された。
(P.14~15)
明らかにアフラ・マズダーはずるい。当時のイランでは、公平であることよりも賢いことの方が価値があったのかな?
しかし、両者が対立した(戦い始めた)理由がよく分からない。
それについてまったく説明がないならともかく「(両者は)戦わざるをえないことを知った」(仕方ないから?)とか「(死と破壊の霊は)戦うチャンスにとびつき」(戦いたいから?)などと、ほのめかされている。で、死と破壊の霊が好戦的なのは分かった。でも、アフラ・マズダーの方はどうなんだろう?やはり好戦的なんだろうか?それとも「仕方なく」戦うのだろうか?少なくとも現代の社会では、「正義」は必ず「仕方なく」戦う。そうでなきゃ「正義」になれない。
かくして、アフラ・マズダーによって「争いの場」として世界が創造
され、そこに悪の霊が侵入して破壊をもたらした。植物は枯れ、人間や動物は死ぬ。その反撃として、善の勢力は死んだものから種をとりだして、さらに多くの生命をもたらした。人間は、善い心、善い言葉、善い行いの三徳を守り、善の側に立って戦いに参加する。最後には救世主があらわれ、悪は滅ぼされ、その後は完全な世界が永遠に続く。
分かりやすい。
 
預言者ゾロアスターが活躍したのは紀元前1200年ごろと言われている。ゾロアスター教は、イラン人の移住とともに次第にイラン全土に広まり、アケメネス朝ペルシアがオリエント世界を統一した前六世紀にはイラン人の宗教として確立していたそうだ。拝火教という別名にふさわしい「火の寺院」が建立されるようになったのもこのころのことで、メソポタミア(イラク)でさかんだった偶像崇拝や壮麗な寺院建立の慣習を取り入れた結果だ(しかしヘレニズム的な偶像崇拝の慣習は6世紀ごろには再び見られなくなった)。
アケメネス朝ペルシアがマケドニアのアレクサンドロスに前330年に滅ぼされた結果、イランにヘレニズム(ギリシア)文化がもたらされたが、征服した側のギリシア人はみずからの信仰を強制することはなかった。さらにその後はイラン東北部出身の遊牧民族パルティア人がイランを再統合する。これがアルサケス朝ペルシア。この帝国は地方分権制で、やはり各地の独自性には介入しないというポリシーであった。また、ゾロアスター教徒が自らの世界観を述べる際に、ギリシアの神々の形容詞を流用したり、ヘレニズム哲学の思考法や用語を使うこともあった。このころの人々には、固有の宗教や伝統、文化に執着するという習慣はなかったらしい。しかしこのような状況でイラン人の間でゾロアスター教などの自分たちの文化を守ろうとするイラニズムの傾向が見られるようになったとも書かれているが、ここら辺の事情についてはこの本ではよく分からない。
そのようななか、3世紀ごろイラン西南部に出てきたサーサーン朝は、自らの正統性を主張するために「アケメネス朝はイランの伝統からはずれた正当でない王朝である」と主張した。その結果、(正統性の根幹である)ゾロアスター教はアレクサンドロスの征服の際に滅び、サーサーン朝によって復興したのだと信じられるようになった
うーーん。どっかで聞いたような話だな。
 
◆マニ教
マニ教の開祖マーニーの父親はアルサケス王族出身で、母親も王家につながる家の出とされる(つまりゾロアスター教の伝統を持つ人たち)。マーニーが生まれたのは216年で、4歳のとき父パテーグが酒、肉、女を断てという声を聴き、家族ともどもグノーシス主義のグループにはいった。バビロニア(現在のイラク南部)で生まれ育ったので、ユダヤ教的教養にも触れることができた。12歳のときにマーニーのもとに精霊が訪れ、新しい信仰への自覚を持つにいたる(若い…)。24歳のときに再び精霊が訪れて彼に伝道を命じたので、まず両親を改宗させ(!)、インドへ向かった。このとき仏教やヒンドゥー教の知識を得たのだろう、と著者は書いている。このインド遠征で仏教徒であったバルーチスタンの王を改宗させたそうな
バビロニアに戻った彼は、サーサーン朝の王宮にまねかれ自らの思想を書いた書物を王に差し出した。「予言者が自ら教義書を書いたのは、史上彼がはじめてであろう」(P.27~28)(それだけでなく、マーニーは教団の形成も自ら行った)。マーニーは絵師であり医者でもあった。サーサーン朝の二代目シャープフル一世はマーニーを寵愛したが、これは王が彼の医師としての能力を買い、その思想を危険視しなかったからで、新宗教の教祖としての影響力はさほどでもなく、王の身内や貴族が何人か帰依した程度だった。王の死後、マニ教やそのほかの宗教の拡大を憂慮していたゾロアスター教の祭祀長キルデールは、王朝の後継者争いを期に発言力を増大させ、異端(キリスト教やユダヤ教、仏教、マニ教)の弾圧に乗り出した。もともとはあらゆる人々に開放された普遍宗教であったゾロアスター教は、このころ改宗を受け入れず、伝道活動もしないイランの民族宗教になっていたので、改宗をせまるキリスト教やマニ教は脅威だったのだ。
 
マーニーの宇宙観というのが複雑でおもしろい。最初にズルワーン(単に時をあらわす普通名詞)という「偉大な父」がいて、「闇の王子」の攻撃を予測したズルワーンが「生命の母」を呼び出し、この「生命の母」が最初の人である「原人オフルミズド(アフラ・マズダー)」を呼び出した(マニ教では性的関係に対するタブーから「産む」というとき「呼び出す」という言葉を使う)。オフルミズドは戦いに敗れ闇に呑み込まれる。これが第一の創造の物語。オフルミズドが助けを求めたのに応じるためにズルワーンは第二の創造を始める。まず「光の友」が呼び出され、ついで「偉大な建設者」が、救い出したオフルミズドを住まわせるための「新しい天国」を作るために呼び出される。その後「生ける霊(太陽神たるミフルヤズド)」が呼び出され、「生ける霊」は右手を伸ばし、闇に横たわるオフルミズドを引き上げ、新しい天国に連れて行く。
オフルミズドはこうして救われるが、彼とともに囚われの身となった光の元素は小さく砕け散って、多数の闇の眷属に呑み込まれている。これを救うために「生ける霊」と五人の息子たちは大戦争を起こす。このとき倒された闇の悪魔たちの死体から現世界がつくられる。その他の闇のアルコーン(位の高い悪魔)たちは鎖で空につなぎとめられた。救い出された光の元素のうちまだ汚されていないものから太陽と月がつくられ、少し汚されたものから星がつくられた。しかし約3分の1の光の元素は救い出されずに残った。
この残された光の要素を救い出すために宇宙には動きが与えられ、第三の創造がおこなわれた。ズルワーンはまず「第三の使者」を呼び出した(第三の創造では、このほかに「光の乙女」、「輝くイエス」、「偉大な心」、「公正な正義」が呼び出された)。「第三の使者」は輝くばかりに美しく、その使命は男女の闇の「アルコーン」を誘惑して(「光の乙女」や、輝く肢体の若者の姿になって)彼らが呑み込んでいる光の元素を吐き出させることにある。男の「アルコーン」が欲情して放出した精液の一部が水に落ち、巨大な海の怪物となるが、これは「生ける霊」の五人の息子の一人「光のアダマス」に倒される。残りの部分は大地に落ちて植物になった。女の「アルコーン」は地獄で胎み、流産して大地に五種の動物(二本足のもの、四本足のもの、飛ぶもの、泳ぐもの、這うもの)をつくる。
闇の側では、せっかく虜にした光の元素を取り戻されないように「物質」が「肉欲」の姿をとって、すべての男の悪魔を呑み込んで一つの大悪魔をつくり、同様に女の悪魔たちも一つの大女魔となった。その両者によって、あこがれの的である「第三の使者」に似せてアダムとイヴがつくられた。そのかたちをつくった物質には光の元素が呑み込まれている。したがってアダムは闇の創造物でありながら、大量の光の要素をもっていることになる。・・・・・・このアダムに・・・・・・「第三の使者」の化身である「イエス」が送られ、アダムにグノーシス(知識)を与えて覚醒させる。覚醒したアダムは・・・・・・物質の連鎖を断ち切ろうと禁欲を誓う。しかしアダムより少ないにしろ、やはり光の本質をもつイヴは、グノーシスを与えられなかったので、その理由を理解できず、「アルコーン」と交わってカインとアベルを産む。嫉妬にかられたアダムは、自らを抑えきれずイヴと交わり、セトが生まれた。かくして、人間の生命の営みが始まったという。
(P.35~36)
というわけで、物質的な(闇の支配下にある)この世界では、グノーシスをえた人びとによる戦いが続いている。いずれ最終戦争がおき、イエスが判事としてあらわれる。天地は崩れ落ち、物質的なものは消滅する。マニ教徒の使命とはすなわち、グノーシスを得て現世の救済に貢献することである
 
マニ教の本拠地はバビロンだったがマニ教がめざましい発展をとげたのはシリアやエジプトなどの地中海沿岸地方だった。ローマ帝国では、その版図の大部分にマニ教が広まり、キリスト教を国教としなかったらマニ教が国教となっただろうといわれるほどだったそうだ。キリスト教化されたヨーロッパでもマニ教的二元論は連綿と生き残り続ける。アウグスティヌスはカルタゴで初期のマニ教と出会い、無頼の生活から抜け出す。当時のカルタゴやアレクサンドリアでは宗教間の公開討論が一種の娯楽になっていて、キリスト教とマニ教の対決はとくに人気があった。アウグスティヌスもこれにひきつけられたが、キリスト教の司教アンブロシウスに出会い、論争よりも真の救いが重要だと気づき、改宗する。かえってマニ教に敵愾心を燃やすようになったアウグスティヌスはマニ教の欠陥を述べ立てたが、これが西欧におけるマニ教観に多大な影響を与えた。
 
750年にウマイヤ朝を倒したアッバース朝がイスラームのカリフ位を獲得し、その首都がバビロンに移される。三代目カリフのときにマニ教徒の弾圧が起こり、結局、十世紀ごろにはマニ教は中東世界から消滅する。七世紀後半から8世紀前半にかけて唐に伝わったマニ教は、安禄山の乱(758年)の鎮圧に貢献したウイグル王の後ろ盾もあり、中国全土に広まった。
マニ教の教義はすでに各地で仏教や、ゾロアスター教、キリスト教の教義との混淆を深めていたが、この時期になると、さらに中国独自の宗教である道教の教義とも同一化されるようになった。マーニーは道教の始祖老子の生まれ変わりとみなされたりした。
(P.71)
しかし、ウイグル王が死ぬとウイグルに対する反感がマニ教寺院に向けられ、各地で破壊活動が起きた。福建の泉州に逃れたマニ教徒はこの地で秘密結社のような組織になったという。
マニ教経典は、一見仏教の典籍の一つのようにされ、一部のマニ教徒は道教の一派のように振舞っていたこともある。キリスト教の一派とみなされたことも多く、マルコ・ポーロが泉州であったと述べている「キリスト教徒」はじつはマニ教徒だったといわれる。
(P.72)
結局、中国のマニ教徒は十五世紀くらいには姿を消し、これによってマニ教は事実上消滅した。


ダイアン・フォーチュン(Dion Fortune)『神秘のカバラー』 大沼忠弘訳、国書刊行会 旧版:紀田順一郎・荒俣宏責任編集『世界幻想文学大系』第40巻〔肖像あり〕

・生命の木はマクロコスモス(の魂)とミクロコスモスの人間(の魂)を包み込む絵文字であり、それが象徴するものが持つ論理的な連想作用によって心の中に様々なイメージを呼び出せ、術者の魂に宇宙(集合的イメージの海)からとてつもないエネルギーが入って来る=魔力を得られる

・第一のセフィラーであるケテルが「頭でない頭」であるのは、ケテルは「王冠」であり頭そのものではなく、頭の上に位置し頭を超えたところにあるからである。ケテルの象徴は王冠だけでなく、「点」や「鍵十字」もケテルの象徴。ケテルのミクロコスモス(人体の対応部)は頭蓋骨
最初のセフィラーであるケテルは王冠であり頭ではない、「存在しない頭」であるのは、ケテルが我々のコスモスの外にあって、内にあるのではないからである。ミクロコスモスで対応するのは「千弁の蓮華(サハスララ・チャクラ)」であるが、それはオーラの形で頭のすぐ上にある。このことはあらゆるものの最も内的な霊的本質は、人間であれ世界であれ、決して現実の顕現世界に現われることはなく、常にその背後にあってそれを支えている基盤または根であることをはっきりと示している。万物はそこから湧き出し、様々な次元に属しつつ、様々な存在の位置へと流出していくのである。秘教哲学の根底をなすのはこの様々に異なった存在の位階があるという観念である。魔法使い、すなわち作業を行うオカルティストの不可視なる王国を考察する際、常にこのことを心に留めておかねばならない。

ヴェーダンタ哲学では
「ケテル」=「パラブラフマン」
「コクマー」=「ブラフマン」
「ビナー」=「ムラプラクリティ」
に相当する。
ケテルに関しては常に形のないことと時間のないことに注目しなければならない。「ケテル」の神々は自分の子供を食べてしまう恐るべき神々である。なぜならケテルは万物の生みの親でありながら、進化の或る時期が終わった時に、宇宙を自らの中に飲み込んでしまうからである(※)。
ケテルは深淵である。一切がそこから起こり、その時期の終わりには一切がそこへ再び落ちていく。ケテルはあらゆる形や反作用によって制約されない純粋存在である。しかし人間に馴染みの存在とは全く異なる種類の存在なのでそれゆえ非存在に見える。人間が存在を規定するものとして考えてきた条件に何一つ合致しない。

※“中国の伝承の怪物。字の表記はけものへんに貪。孔子の書にもでてくる伝説の怪物。巨大で欲深く、なんでも、鉄も石も山も、すべて喰らって闇、無だけを残すという。果ては自分自身すらも食べてしまうという。”
トン 犭貪 中国の神話・民話 :幻想世界神話辞典
http://www.jiten.info/dic/asia/ton.html
“”死は熟慮した。
まことに、もしも私がこれを殺害するとすれば、私は
 食物をより少なくするであろう」と。”
         
  —ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド
の創世神話より”
(中略)
創造神の正体は”死”である。
そう、神とは純粋なる”悪”
なのだ。
(中略)
人間は「死」によって食べられる。
「死」は全てを食べる。
よって、「死」は全てに優れ、
「死」は全知全能であり、完全無欠である。
「死」の体はこの世の全てで構成されている。
だからウパニシャッドの創造神話では「死」が自分用の食物を
育てる場として宇宙を創造する。
また、自分で増える様に生殖機能を創造物に持たせる

(中略)
「貪+獣編」という怪物が登場する。
孔子の説話にも出てくる怪物らしいが、この怪物は中国の
聖獣”麒麟”と同じ姿形をしている。
この怪物は余りにも貪欲で全てを喰わずにはいられない。
太陽や月まで食べてしまい、終いには自分自身も食べてしまい
世界は無となる......
(画像)
↑中国の怪物”貪”。太陽を食べようとしている。
この中国の怪物も一種の”創造神”であろう。
そして仏教では、
(画像)
↑この恐ろしい怪物が「創造神」の姿であり、
この世の全てを六道輪廻に閉じ込め、
未来永劫、自分の食料としてあらゆる生物を
喰い続ける。“
【ヴェーダ・バラモン教編】創造神の名は......【Part2】
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-599.html

・象徴群の中に任意の次元における任意の力の現われ方を表現するある完全な表記体系があるから、神霊を呼び出すわけのわからない名前は一字たりとも決して変えてはいけない、と言われる。東洋ではサンスクリットが、西洋ではヘブル語が神聖言語である。ヘブル語は文字の一つ一つが数を持っており、名前自体が数を持つ呪文と言えよう。

・神聖四文字=テトラグラマトン(聖書の唯一神を示す)はヘブル語表記、つまりは母音がない。右から左に読むヘブル語において、母音を示すのは四角い文字の中または下に書き込まれた点(母音記号ニクダー)である。この母音点は最近になって導入されたものにすぎないので、古ヘブル語の書記法には母音点がなく、読者は自分だけでは正確な発音と読みを知ることができず(独学できない)、それを知っている誰かから教えてもらう必要があった

典礼的方法は通暁している熟練者の導きの元で行うのが一番良く、一人行ったり未経験な仲間と行うと危険を招く。だが、瞑想的方法はしてもよい。
・魔法の象徴を効果的に用いる為にはその一つ一つの象徴と接触を行っておく必要がある

が、一連の象徴表を作ってそこから儀式を構成しようとしても役に立たない。魔法においては「自分の音」を作り出さないといけない。既成の音では駄目である。
象徴体系の枠組みを各セフィラーに割り当ててしっかりと記憶することで、カード索引体系を作り大量の物事を記憶できる。
・象徴は潜在意識から意識面へとイメージを呼び起こす為に使わねばならない。
生命の木を使って呼び起こす視覚像は、実は人工的に作り出した覚めた夢なのであって、意図的に動かしたり、ある選ばれた主題と意識的に関係づけることが可能である。それにより潜在意識の中味(中身)だけでなく、超越意識的な知覚を呼び起こし、意識に認識可能なものにすることができる
。自然に起こる夢では象徴は脈絡なしに浮かびあがってくるが。が、カバラ―的視覚像の中では、その映像は一連の限定された象徴から呼び起こされるものであり、それに対して意識は高度に訓練された集中の習慣によって厳密に拘束されている。ある一定の限界内で心を解きほぐすのはこの特殊な集中力であり、それがオカルト的瞑想術の本質をなしている。

ひとたび象徴体系に習熟したら様々なセフィロートに他の体系におけるそれに相当する神々を割り当てることができるようになる。これらの神々に割り当てられた象徴、生命の木の宇宙的観念、礼拝形式、などを考察する内に、新鮮な悟りが洪水のように襲ってくるようになる。良い神話事典や百科事典、フレイザーの『金枝篇』、ブラヴァッキー夫人(※)の『秘密教義』や『イシス開帳』などを使って、勤勉さえ厭わなければ、最初は解決不可能だと思われた実に多くの謎を読み取ることができるようになる。非常に楽しい修行である。生命の木の図式的な形を通して事物はお互いの相関関係の中で捉えられるようになり、互いに互いを照らし出す光を投げかけるようになるからだ。
生命の木とその小径の心霊的局面を操作する為にオカルティストは色々なイメージを使う。視覚像が形成されるのはイメージとそのイメージを呼び起こす名前を通じてである。各セフィラーは原初的な象徴と結びついて魔法のイメージと呼ぶものを作り出す。次に心の中にある魔法のイメージと幾何学的な形とを結びつける。象徴を構成するときはその形を基礎として使うのである。
例えば第五のセフィラーであるゲブラー(精力と勇気の美徳と、残虐と破壊の悪徳を持つ)にはヘキサゴン(五角形)や火星が割り当てられているのでそれらを用いる。
しかし生命の木によって最も重要な形は各セフィラーに割り当てられた四つの力の名に結びついた形である。そのそれぞれに四つの色が結びついており、カバリストの四つの世界の一つ一つの中で象徴的な形をとって顕現すると考えられている。その最高の名は神の名前であり、これは霊の世界(アツィルト)に現われる。その名はセフィロートの天球を表す最高の力の名であり、あらゆる局面を支配する。第二の力の名は天球の大天使の名前であり、存在の統合的意識を表す。第三の力の名は一つの存在ではなく、ある存在の階級全体を表す。第四の力の名は宇宙チャクラであり、進化の特殊な位相の産物として考察された天体を意味する。
生命の木で呼び起こす視覚像=人工的に作った覚めた夢で意図的に動かせるって、明晰夢のことかな?)

※チベット大好きマダム・ブラバッキーは神智学(Theosophy。ギリシャ語のtheosテオス神+ sophiaソフィア。直接神と交わることで叡知を得ようとする、キリスト教の変形にしてスピリチュアルの元祖。キリスト教から「悪魔を創った創造神」という都合の悪いものをなくして弱点をなくした。偽スピリチュアルに嵌められた人にはその見えないものを誰が創ったのか聞いて、その神は悪も創ったよね、もっと疑うべきだね、と繋げましょう)。スピチュアル詐欺の元祖ですが、いいところはちゃんと活用しましょう。
今更ですが、特に当時は翻訳本がなかったものは題名が今現在流布しているものと異なることがよくあります

・各セフィラーに結びついた魔法のイメージと象徴とは、オカルティストが心の中で思い描く心像であって、その細部には多くの重要な瞑想用の象徴を持っている。魔法のイメージを完全に細部に至るまで視覚化する訓練は非常に重要である。

・第十のセフィラーマルクトの称号は王国。魔法のイメージは冠を戴き玉座に座った若い女性。生命の木の位置は均衡の柱の最下部。大天使はサンダルフォン。ミクロコスモスは足と肛門。

・第六のセフィラー「ティファレト」の称号は美。魔法のイメージは「威厳に満ちた王」「子供」「犠牲となった神」。生命の木の位置は均衡の柱の中央。ミクロコスモスは胸。宇宙チャクラは太陽(セメッシュ)。象徴は「胸飾り」「薔薇十字」「十字架」「頂点の欠けたピラミッド」「立体」。

・第二十三章――「ホド」。称号は栄光。魔法のイメージは両性具有。峻厳の柱の最下部。宇宙チャクラは水星。象徴は「名」「呪文」「エプロン」。※水星=マーキュリー(錬金術=宗教的科学で超重要な水銀。メルクリウス)=ヘルメス=トト
完全な神は両性具有(メーソンの本流、フランス系やスコットランド系が重視)。エプロンはメーソンで重要

・イエソドの称号は基盤。神名は「シャダイ・エル・カイ(全能なる生ける神。シャダイ=全能)。大天使はガブリエル。天使の位階はケルビム(強きもの)。宇宙チャクラはレヴァナー(月)。月という象徴は非常に流動的で、常に変動し、水の元素を司るガブリエルに支配される。
霊的体験は宇宙の機構の霊視。美徳は独立。悪徳は怠惰。ミクロコスモスは生殖器。魔法のイメージは非常に力強い美しい裸の男性。象徴は「香水」「サンダル」。

・月と地球は物理的には分離しているが、一つのエーテル体ダブル(※)を共有し、月の方が年長の相棒なのである。すなわち、エーテル界では月が電池の陽極で、地球が陰極。イエソド(月)はティファレト(太陽)を反射する。ティファレトは低次元のケテルである。エーテル的活動を刺激する要因が月の光である。地球と月は一つのエーテル体ダブルを共有するので、満月の時にあらゆるエーテル的活動は最も活発になる。逆に、新月の間はエーテル的エネルギーは最低となり、無秩序な諸力が生じやすくなり、面倒を起こしやすくなる。以上の理由より、新月の間は経験豊かなオカルティスト以外、実際的なオカルト作業は控えるのが一番良い。新月の間は生命を与える諸力は比較的弱くなり、不均衡な諸力が比較的強くなっているからである。未熟な者の手にかかれば混乱が引き起こされる。

エーテル体ダブル(Ethelic double):魂の目に見えない体ないし鞘。この魂の目に見えない体ないし鞘=枠組み(エーテル体ダブル)の中に物質を導入して一定の形象に仕上げたものが人間の肉体などの物体であるとされる。これは生きている限り不変であるが、死後には四大元素の中へと還元されてしまう。
月が年長って月が地球より先にできたのだ!って言いたいのかな?
支配者層は月の状態を重視しています。占星術は迷信ではなく、本物と詐欺師の差が激しいだけ


・ホドの魔法のイメージは両性具有であり、ヴィーナス-アフロディテは古代人の間で時に髭のある姿で表された

・イエソドは本質的に月の天球であり、そのためにダイアナ(ギリシアの月の女神)の支配下におかれる。ダイアナは永遠に処女なる純潔の女神でもある。好奇心が強すぎたアクタイオンがダイアナをうるさがらせた時には、アクタイオンは自分の猟犬によって八つ裂きにされた。しかしながら、ダイアナはエフェソス(エペソス。トルコ西部の小アジアの古代都市。アルテミス崇拝で知られたギリシア人都市であった)では多くの乳房を持つ者として表され、豊穣の女神でもある。
更にイシスもまた、額の三日月が示すように月の女神である。その三日月はハトール(※)では牝牛の角となる。牝牛はあらゆる民族の間で母性の特別の象徴なのである。カバラ―の象徴ではイエソドが生殖器に割り当てられる。
月には三人の女神が割り当てられている。ダイアナ、セレネ又はルナ、それにヘカテである。ヘカテは魔術の女神であり出産も司る。
他にも非常に重要な月の神がいてトート(魔法の主)である。ギリシアのヘカテと、エジプトのトートという魔術・魔法の女神が共に月に対応することから、魔術・魔法では月は重要である。そして月の女神はある時には処女神であり、ある時には豊穣の女神
である。

イエソドの天球はエーテル的だが、(物理的肉体的な)生殖器がなぜ割り当てられるのか。性に重要な局面はすべてエーテル的で、磁気的(生物の磁気は一定の潮流と共に増減する)だからである。性の現実的な肉体的反応はごく小さな部分を占めるだけで、決して性の機能の肝要な部分ではないのだ。このことを知らないから、実に多くの結婚が、二つの半分が一つの完全な全体へ溶けあうという目的を達成できないのである。教会が婚姻を秘蹟(=内的霊的徳の外的な目印。この徳とは自然の万物の喜びの中でパンを祝祭する徳)として分類する事実にも関わらず、結婚の魔法的局面は考慮されていない。
(3S=スポーツ・スクリーン=TVや映画・セックス。このセックスとは肉体的な側面のみを重視したセックスのことで、莫大な精神的エネルギーを得られ、真理と直結できるというセックスの重要な側面を弾圧する為でもあります。男と女を分割支配。女を支配すれば男も支配できる。化粧やブランドなどの欧州製品を素晴らしいと洗脳せよ

イエソドに香水とサンダルが割り当てられていることは意味深長である。魔法作業で重要なものだからである。サンダル、もしくは足が自由に動かせる柔らかい踵のないスリッパは、魔法陣を踏む典礼の中で常に用いられる。それは力の杖と同様、重要な実践的オカルティストの装備の一部である。達人は足に聖別されたサンダルをはくことで自ら聖なる地を作り出すのである。適切な象徴で印をつけられた適切な色の床敷きもまた、オカルト結社の家具の重要な部品である。それは、祭壇が霊的諸力の焦点となるのと同じように、作業に用いられる大地の磁気を集めるように設計されている。我々は足を通じて大地の磁気を吸い上げるのである。そして、その磁気が特殊な種類のものである場合、その磁気を抑制しないような特別のサンダルを用いるのである。香水もまた典礼作業において非常に重要。香水は作業のエーテル的側面を表すからである。香水の心理的影響力は良く知られているが、香水を心理的に用いる絶妙な技術はオカルト結社の外ではほとんど研究されて来なかった。香水の使用は感情に作用する最も効果的な方法であり、従って、意識の焦点を変える方法なのである。

※ハトール(ハトホル)はエジプト神話における死者の守護神で、イシスと共に雌牛の角と太陽円盤を持つ女神とされる。
幸福・舞踊・音楽を司る存在。聖獣は雌牛。

七という数字は古代エジプトにおいては「四」と「三」を足した数、という意味で使われたそうです。「三」は「複数」を意味し、「四」は「四方」、つまり「あまねく全て」というニュアンス。七とは、「沢山」という概念を表す最小単位でもあるそうで、七とは、「沢山」という意味。「七つの分身を持つ」や「七つの魂を持つ」とは文字通りではなく、沢山の分身や魂を持つという意味であるそうです。
(ハトホル Hathor(仏語:Hathor)
http://www.moonover.jp/bekkan/god/hathor.htm)

「神秘のカバラー」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/magic/sinpinokabara.htm
“ダイアン・フォーチュンの代表的名著にして、おそらく魔術カバラについて解説した書としては最高のものであろう。
 W・E・バトラーも、この本には最大限の賛辞を贈る。いわく、「これを手に入れ、教科書および参考書として活用すること、これは至上命令である」、「おそらくかつて書かれたうちで最も立派な書物」等である。

 この書物は1935年に初版が出され、いくつも版を重ねた。内奥の光派の魔術師にとっては、基本文献中の基本文献であり、またGD系の魔術師であれば、読んでおいて絶対に損の無い書の一つであろう。
 これは初心者が「樹」を学ぶためにも役立つし、また上級者が読んでも貴重なヒントが無数に見出させるという、まさに名著にふさわしい。
 この書の内容は一言でいうなら、「魔術カバラ」における「生命の樹」の解説書である。
 生命の樹は、神からの流出による創造の過程を図式化したものだ
 アイン、アイン・ソフ、アイン・ソフ・アアルという3つの未顕現があり、最初の顕現ケテルが現れ、コクマー、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イエソド、マルクトと、稲妻のように連続した流出が起こる。
 ビナー、ゲブラー、ホドは「竣厳の柱」。コクマー、ケセド、ネツァクは「慈悲の柱」となり、それぞれが対照となって対になる。その真ん中には、ケテル、ティファレト、イエソド、マルクトが「中央の柱」となる。ケテル、コクマー、ビナーは「至高の三角形」を形成し、その下には「深淵」があって、隔てている。ビナーとケセドの間には、ダートと呼ばれるセフィラが潜んでいる。また、テイファレトの後には「神殿の幕」があり、これも深淵のように上下を隔てている。
 さらに、カバラの4世界、アツィルト界、ブリアー界、イエツィラー界、アッシャー界が、それぞれに属するセフィラを覆っている。これが大雑把な樹の形である。
 これは、マクロコスモスとミクロコスモスをともに包み込む図形であり、マンダラでもある。
 また、人間の進化の過程を導く地図でもあり、万物を整理して区分けする「万物照応表」の基であり、人間の身体とも重なるエネルギーや気の流れをあらわしたものでもあり、魔術カバラの宇宙論や神学を説明するものでもある

 フォーチュンは、この複雑な理論を見事に一冊の本にまとめて解説してのけた。
 彼女はカバラを学ぶことの必要性を説くことから始まり、「樹」の大雑把な概念、基本について解説した後、10個の各セフィラについて詳細な解説と考察を行っている。

 また、フォーチュン個人の思想、すなわち心理学の魔術への導入。そして、女性原理の重視その他も見て取れる。しかしながら、この書は全体的にスタンダードなGD系のカバラに近く、初心者の指導にも向いていると私は考える。

 しかし、ここでいくつか注意しなければならないことがある。
 「神秘のカバラー」を読んだ後に「私は、これで生命の樹を完全に理解した」と思ってはいけない。

 例えば、「パス」である。生命の樹において、「パス」は「セフィラ」と同じくらい重要だ。
 しかし、「神秘のカバラー」には、各セフィラについては詳述されていても、各パスについては、ほとんど記されていないことに気づくであろう。
 パスを理解するには、まずセフィラについて、ある程度の知識が無ければならない。そして、パスを学んでから、再度セフィラに戻ると、そこでさらに深い理解が得られるようになる。
 では、パスについて知識を得るのに良書は何か? と問われれば・・・
 ガレス・ナイトの「A Practical Guide to Qabalistic Symbolism」が良書であろう。

 また、「神秘のカバラー」で解説されるカバラを、ユダヤ教神学のカバラと混同してはいけない。
 「神秘のカバラー」で解説されるカバラは、あくまで「魔術カバラ」である。確かに「魔術カバラ」は、「ユダヤ教カバラ」が変化し、「キリスト教カバラ」を経由して生み出されたものである。ゆえに、魔術師がユダヤ教カバラを学ぶことは大いに有益ではある。しかし、両者を単純にイコールで結ぶことも出来ないのである。
 さらに、生命の樹は、いわゆる「万物照応評」の基となる。すなわち、どんな物でも、これに当てはめることが可能だ。しかしながら、他体系について充分な理解や知識が無い状態で、それを不用意に導入し、シンボリズムを狂わせてしまうようなことも避けるべきではないだろうか。

 ともあれ、GD系の魔術師にとって、この「神秘のカバラー」は「生命の樹」を理解するための最良の入門書の1つであると、多くの方が認めるのではないだろうか。
 幸いなことに、この本は邦訳されている。
 さらに幸いなことに、翻訳者もフォーチュンの書を10年以上読み込んだ研究者である。
 魔術の基本文献として、読んでおいて損の無い書物であろう。

終了
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