読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

現実の魔導士が読んでいるかもしれない『魔法入門』の続き。「嘘つきにこそ真実を言わせよ。真実を告げる者は嘘つきに仕立て上げろ」。秘密結社と宇宙人の陰謀論の殆どがユダヤと在日叩きと同じくキリスト教擁護の為ですので注意。最低でも聖書を否定し、聖書が根拠の日ユ同祖論も否定していないと駄目。 

魔法とは「思うままに意識の中に効果的な変革を起こす技術」なのである。“
『魔法入門』p.138

魔法=潜在意識操作(意識の中に効果的な変革を起こす技術)
なので悪用されているのです。

創作物は予め嘘だと言うので真実が最も多い分野なのですが、
特に魔法や錬金術ものは暴露が多いですね。
嘘吐きが真実を言うと逆効果になることを利用します。
嘘つき(フィクション)にこそ真実を言わせよ。真実を告げる者は嘘つき(フィクション)に仕立て上げろ
よって、支配者に許可されているのです。

子子子子子(ねここねこ)@kitsuchitsuchi

クラピカが具現化系の念能力(魔術)の訓練で、鎖(魔法の杖)のイメージを確立する為に、一日中鎖を視て聴いて味わって触って嗅いで、毎晩鎖の夢を見るようになると鎖なしで鎖の幻が見え始め、幻覚の鎖を明確に五感で実感できるようになると具現化した鎖ができていた。作者の修行体験が元ネタかもね。

洗脳が薄い子供は妖怪(一つ目が多い)が見える。
ハンターハンター: 制約と誓約で念能力(魔法)強化=ケルト神話のゲッシュ。クラピカは鎖を一日中いじり鎖のイメージを確立し、鎖の具現化魔術を獲得。

一つ目がウォッチ!
ハンターハンター:幻影旅団=幻想教団(イルミの和訳)。
ファラオ=メルエム=全てを照らす光は薔薇(結社の象徴)の毒で死ぬ。
イルミ(変身する殺し屋)は針で人を操る操作系能力。

秘密結社と宇宙人の陰謀論の殆どがユダヤと在日叩きと同じくキリスト教擁護の為ですので注意。
こういうこと↓を隠します。偏った批判は有害です。

ken@kenkatap
ナチス残党支援組織「オデッサ」
【毎日 http://mainichi.jp/shimen/news/20141026ddm010030134000c.html …
▼戦犯の多くは、赤十字国際委員会発行のパスポートで渡航
▼逃亡に、カトリック教会や赤十字団体が関与
▼逃走ルートは「修道院ルート」とも呼ばれる
▼バチカンは98年3月、公式文書を出し、過去を謝罪

秘密結社の陰謀論の殆どが、ユダヤ・在日(派遣社員)押しつけ陰謀論の変形=無自覚クリスチャン製造装置。悪魔崇拝とだけ連呼して、メーソン員の大半がクリスチャンであること、キリスト教が科学を弾圧しなければメーソンは生まれなかったこと、悪魔=科学や異教徒であることを言わないのが✝の特徴。

宇宙人・スピリチュアルの陰謀論の殆どが、信仰=非論理=反証不可能なことを混ぜて検証を妨害する為のカルト製。
最低でも聖書を否定し、聖書が根拠の日ユ同祖論も否定していないと駄目。
教皇・皇室・王室の責任転嫁を助けるのは駄目。
キリスト教擁護の無自覚工作員にならない為に、理詰め第一


"キリスト教の伝統がユダヤ陰謀論←最重要。
∵陰謀の黒幕がキリスト教でありユダヤは派遣。
∴陰謀論者の九割がキリスト教に逆らえない。
ねこたさんの陰謀論者の宗派リストも含む 、多くの陰謀論者が無視する点を盛り込んだ陰謀論者チェックリスト"
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-1.html


ハンターハンターの作者は、魔術の修行をしたと思われます。
(しかもセーラームーンの作者の奥さまは魔女!)
だからこそ魔術の本の内容をかみ砕いた修行法が登場するのです。

”ハンターハンターでは制約と誓約によって念能力(魔法)の力を高めますが、これはケルト神話のゲッシュが元でしょう。
自分に誓約を課すことで神の加護を得られます。ケルトの英雄はゲッシュの力を得ていることが多いです。ゲッシュを破ると、呪いが自分に降りかかります。ゲッシュを利用されて殺されたりします)

クラピカが具現化系の念能力の訓練のために鎖のイメージを確立するために、
最初は鎖で遊ぶ以外何もせず、一日中、とにかく四六時中いじくり、目を閉じて触感を確認したり、何百枚何千枚と鎖を写生したり、ずっとただながめてみたり、舐めてみたり、音を立てたり嗅いでみたりし、
しばらくすると毎晩鎖の夢を見るようになり、その時点で実際の鎖をとりあげられ、
今度は幻覚で鎖が見え始め、
さらに日が経つと幻覚の鎖がリアルに感じられ、重さも冷たさも、すれあう音も聞こえてきていつの間にか、幻覚ではなく自然と具現化した鎖ができていたという

現実の魔法の訓練法の応用のようなことをしております。
生命の木や曼荼羅を鎖で代用しているわけです

イルミっていう目を強調された、針で人を操る暗殺キャラが出てきますよね。
幻影旅団(パヴァリア幻想教団というイルミナティの訳語あり)は構成員が死んでも存続するというコンセプト。構成員なんてシステムや思想が住む家でしかないということです
王メルエム(「全てを照らす光」という意味。イルミですね)はファラオなデザイン”

『二ノ国』を主に考察。『二ノ国』、『とある魔術の禁書目録』+『ドラクエ』
(本記事内では主に『ドラゴンクエスト1・2・3、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』を考察)、
マギ、もののけ姫、ハリー・ポッター、
ドルアーガの塔(ドルイド+ナーガ〔龍〕)、
まどか☆マギカ
(鹿目まどか。鹿〔ケルト神話。恐らくアーリア系〕+一つ目+円〔輪廻〕)は恐らくみな同じ結社陣営製品。
ナルト、ワンピース、ドラゴンボール、マスターキートン、
フェイトシリーズ、ハンターハンター、エヴァンゲリオンも恐らく。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-27.html

※多少訂正。


魔法とは「思うままに意識の中に効果的な変革を起こす技術」なのである。“
『魔法入門』p.138

”カバラ基本経典は紀元前にない。
イェツィラー(3~6世紀。新プラトン主義成立後)
・バヒル(12世紀)
・ゾーハル(13世紀)。
ユダヤ・カバラは旧約聖書重視(元祖カバラに生命の樹なし)。
クリスチャン・カバラ(生命の樹中心)は15世紀にピコが創始。
物証成立年代を捏造する #日ユ同祖論。”

“セム語の構造って面白いよね。ひとつひとつのアルファベットの意味があり、子音だけを繋げて読む。そして文字が対応する数字を持っており、暗号のようなこともできる。これはアラビア語やセム語の影響を受けたギリシア語や一部ラテン語でも同じ。” 魔法使いハンターねこた@lanekota

“ヌッポンが本当のユダヤ人(笑)ならこういったセム語の特徴を何故捨ててしまったのかねぇ?もったいない。てかシュメールとユダヤを結びつけられるけど、シュメールは膠着語でヘブライ語やアラム語などのセム語はそうではない。” 魔法使いハンターねこた@lanekota


カバラは大きくユダヤ・カバラとクリスチャン・カバラに分類され、西洋の魔術書は基本的にクリスチャン・カバラです。
本来のカバラであるユダヤ・カバラは、ユダヤ教徒が旧約聖書を解釈するためのもの。
クリスチャン・カバラは生命の樹が中心です。
新プラトン主義=ネオプラトニズム (Neoplatonism) の影響が強いです。
新プラトン主義では、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉える思想で、紀元3世紀頃にプロティノスによって展開され、ルネサンス期にイタリアで再び盛んになりました。
なお、ルネサンス期においても、プラトンの思想とネオプラトニズムは区別されていなかったそうです。
そりゃ中東やアジアに比べて全然大したことない文明でしたからね。
イスラムなしでは、ローマ・ギリシア文化もまともに保持できなかったくせに。
しかも、当時のローマ・ギリシア人って金髪碧眼じゃないし。
ここにも伝統のでっちあげがあるわけです。
で、神話や歴史という権威の乗っ取り。

15世紀のフィレンツェでメディチ家を中心にプラトン研究が盛んになり、プラトンやプロティノスの著書がラテン語に翻訳されました。美に対するプラトン的な愛(プラトニック・ラブ。同性愛なんだけど。聖書では同性愛者は殺せなんだけど)によって人間は神の領域に近づくことができると考えられました(でもこれって人間が神になろうとすることで異端なんじゃ。グノーシス主義ですね)。
ネオプラトニズムの思想はルネサンスの文芸・美術にも大きな影響を与えました。

xtra heavy@xtraheavy
”ローマ法王をも排出した西欧の名門メディチ家の語源は「メディシン」。少量の薬物で王族を救済、接近、庇護を受け、大量の薬物で政敵を毒殺、地位を堅持し築いた繁栄。絵の具ってのは基本的には毒であるが、ルネサンス絵画のパトロンとして君臨したというエピソードも、なんか関係有りげではあるな…。”


階層制と新プラトン主義の一者からの流出説(キリスト教的にはGODから全てができているということ)がクリスチャン・カバラの基盤なので、危険な選民思想を産みかねませんので注意です。

魔法入門―カバラの密儀 (出帆新社スピリチュアル・シリーズ)魔法入門―カバラの密儀 (出帆新社スピリチュアル・シリーズ)
(2000/12)
W.E. バトラー

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本書は
ⅠがMagic: Its Ritual, Power and Purpose
ⅡがThe Magician: His Training and Work
両方とも著者はWalter Ernest Butler (1898-1978)。

魔法入門第二部は本来は第一部とは別の本なので内容に重複がありますが気にせずに。

本書が高すぎるって?
英語版を購入するか図書館で借りる手があります。

ⅠがMagic: Its Ritual, Power and Purpose
Magic, Its Ritual, Power And PurposeMagic, Its Ritual, Power And Purpose
(2001/02/20)
Walter Ernest Butler、W. E. Butler 他

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ⅡがThe Magician: His Training and Work
The Magician: His Training and WorkThe Magician: His Training and Work
(1970/12)
W.E. Butler

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Ⅰは既に↓でメモし終わっています。
象徴やイメージで潜在意識に力を送り込み外部の現実も変える技術=魔法(魔術)
と占星術こそ支配者の技術で胡散臭い迷信だと喧伝して隠す

「三千世界」と「(大)立て替え」は大本教の宣伝。
フランス人権宣言とTIGER&BUNNYのウロボロスは錬金術重視のメーソンの象徴。
ウィキはスコットランド・仏メイソン系なのを意識して英語記事も読むべき。
『魔法入門』まとめ。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-29.html



・儀式の型を構成する部分は部分は様々な金属の線条や部品に似ており、一定の設計図に従ってそれらが組み合わされると、ある形而上学的な錠を形成する。この錠にある種の鍵をさしこんで回すと、超自然的な意識と力の扉がぐるりと開く。
(儀式により強力な力が得られるってことですね)

誰でも魔法使いになれる。しかしある人にはその能力があるが、他の人には力がないといった魔法の分野はある
(誰でもなることができることが重要)

・魔法には目を見張るに値する二つの面がある。
①目に見える霊を呼び出すこと(現象魔法)。
②意識の相互交換

・魔法使いは自分自身の霊的自己によって支配され動かされる。
霊媒は他者の諸力や影響力の通路。

・カバラの第一原理は万物の統一性。

・人間は小宇宙であり、大宇宙が持つ力と可能性をすべて備えている。

・魔法の第一原理の一つ。あらゆる魔法は内に始まり、外に向かって投射される。内から外へ。あらゆる魔法は内に始まり外に向かって投射されることは、常に心に留めておかなくてはならない。あらゆる魔法は内に始まり外に向かって投射されるという原理をしっかりと意識し、何もそれを抹殺できないほどにしないといけない。
魔法は内から外へという意識を抹殺できないほどに強くすることが唯一の安全の試金石である。かつ応用範囲の広い第一原理
である。

・我々はすべて、現在我々が生きている宇宙を鏡として見ている。この鏡はその上、常に変化して止まない。この鏡とは我々の個人的無意識つまり潜在意識的精神であり、昔のオカルティストには勘の領域として知られている。現代的表現ならオーラの卵、つまりは全ての人を包んでいる心霊的雰囲気である。
勘の領域こそあらゆるものが写し出される鏡である。修行中の魔法使いが最初に課せられる仕事はこの魔法の鏡を統御する力を得ることである。

勘の領域=オーラの卵=鏡=個人的無意識=潜在意識的精神を操作できるようにする

魔法使いは間接的でなければ外的世界に働きかけない。だがそれによって魔法使いの内的世界を直接変革し再形成することができるようになる。そうして魔法使いは外的世界と新しい関係に入るようになり、その結果魔法使いは外的世界がその者の新しい観点に従っておのずと形を成してくることに気づくようになる。というのはこの魔法使い自身のより深い局面とは、民族の集合的無意識、ひいては宇宙的意識に対応する深みの部分だからである。
魔法使いは意識の下に潜むあの大海の持つ諸力と能力を開く鍵を持たなければならない。その鍵とは海の中で満ち足り引いたりする潮に相当する。その深みの中にこそ生ける被造物が棲んでいるのだ。異なる文化は異なる絵文字を持ってきた。西欧の魔法の絵文字は生命の木である。東洋では曼荼羅。
クリスチャン・カバラが生命の樹中心だからキリスト教からは逃れられないね

人類の揺籃時代には、一種の無意識テレパシーを使うことが伝達の基本だった(人間は本来テレパシー使えるってことですね)。しかしテレパシー的手段で伝えてきたイメージがある音声と結びつくようになり、一連の思考形態――知覚、概念、言語など――が生まれた。

・本書でアストラル・ライトという言葉は、この地上におけるあらゆる生物の精神作用によって限定され基本的なアストラル・エーテルの諸層を指す。その精神の内には地球自体の精神・意識も含まれている。アストラル・エーテルは、それを観察できるものには一定の形象となって現われる。
このような形象はもともとはアストラル・エーテル(生けるエネルギー実体の領域)に生まれるのではない。その中に見出される形象とは、精神の創造活動が高次の心の諸層から降りてきたり、低次の物質的諸層から上がったりする結果に過ぎない。
それゆえ、アストラル・ライトは、精神や精霊を背後に持つ高次アストラル界と、物理的物質を背景に持つ低次アストラル界に分けられる。
しかし形象のことを離れても真のアストラル界はそれ自身の法則に従って示現し続け、クリスチャン・カバラの達人たちの天才は、問題となる特殊な諸力を指示する象徴として使うまたのさまざまな形象を発明した。
こうして生ける心の像の、強力で複雑な体系が生命の木の中枢たる絵文字を巡って形成されてきた。アストラル界の光の中に木のエグレゴレ(集団表象=シンボルやイメージ)をうちたてた。これこそ生ける魂であり、生命の木はその魂を包む肉体に過ぎない。木を用いてエグレゴレ=集団イメージ・シンボルと共感的に結びつくことができる。そしてそこからテレパシー的な作用を通じて、直面している問題の解決策や、通常では到達できない深い知識を得られる。
魔法に利用できるアストラル界の諸力はすべて、それぞれに結びついた一連のイメージの中に象徴的に人格化されている。そしてその代表的なイメージを意識的に操作することでそのイメージが表す諸力を思うままに操作すること、これが魔法
である。
このイメージに関係するのは潜在意識である。それゆえに、魔法の原動力(タロットの女教皇)は潜在意識的精神であることが魔法の一公理である。
一方、意識的精神は、その潜在意識的精神(魔法の原動力)を指令し統御する要素(タロットの魔法使い)である。
(潜在意識の力を意識的に操作するのが魔法


かくて個人的な意識によって行なわれるあらゆる魔法活動は間接的なもの。実際的な働きは心の潜在意識層によって演じられ、適宜なイメージを通して行われるのである。これが魔法に関する最も重要な法則の一つである。

実は自分自身用の木を作ることが可能である。事実、この仕組みを本当に働かせようとすれば、そうしなければならない。伝承されてきた分類体系をそのまま受け入れるのではなく、創作者にならないといけない。
生命の木とはあらゆるものの親縁関係に関して樹立された体系であり、知恵の扉を開ける一本のカギである。この木に向かって瞑想することで、生命の木のエグレゴレ=集団的思念像は樹立されてきた。それゆえ我々が現代的な木を作る時、そのことによってかの集団的思念像の形式に寄与することができれば、逆に我々の深い心の中にある祖型的イメージを通じてそれが働くことができる。

・瞑想のためにせよ、魔法を目的とするにせよ、生命の木の絵文字を使う時には必ず、象徴はその機能的親縁関係に応じて系統的に使用されなければならない。象徴はその機能的親縁関係に応じて系統的に使うことを覚えておくことは大切である。なぜなら、この親縁関係こそ生命の木の本質そのものだからである。木とは事物の親縁関係の図式なのである。
対立する二つの木を使用するのもよい。
すなわち火星の領域(ゲブラー)を使った瞑想や魔法の操作に引き続き、
木星(ゲドゥラー)の象徴を使うものがくるようにするのである。
このようにして釣り合いをとるのである。この均衡こそ大いなる業(わざ)の基礎である。

・生命の木は驚くべき記憶術の体系である。この体系は意識作用の本当の基盤、すなわち魂の潜在意識的かつ超越意識的諸層を利用しているのである。
とすれば自分自身の木を創り、自己暗示の目的で利用しないのかと問いたくなる。
が、過去の象徴にこだわるべきである。
我々は深い無意識の中で既にその民族の持つ原初的象徴を所有している。だから当然我々はそれを意識的に操作しながら使うことができ、そうすることによって我々の意識と潜在意識という心の二つの層は一つに結ばれるのである。
暗示という方法が訴える対象はすべてこの潜在意識であるから、原初的象徴を用いる方法は、もっとも効果的に潜在意識に働きかけることができるだろう。なぜならこの体系は原初的な原語で語られており、勝手気ままな意識や象徴体系のなしうる以上の働きをしているからである。

瞑想の本尊として生命の木の象徴を正しく用いないと魔法は無効になる
それゆえ、瞑想中はこの木の様々な象徴を取り上げ、それを二つの局面で考察する。これらの象徴は全てその本性上二つの側面を持っているからである。
一つは形式の側面、すなわちその象徴が表現するところのエネルギーに他ならない。そのエネルギーは魂と宇宙のあらゆる諸層でそれに照応する局面のもとに存在しているが、アストラル・ライトの次元では感情的エネルギーとしてあらわれているのである。
瞑想の中で象徴の体系を形成することで、故意に意識的に、或る象徴をそれに照応する力と結合する術を学ばなければならない。
そしてその象徴が意識の中にあらわれてくるという事実そのものが、木の上の当の象徴と結びついている感情的エネルギーを怒涛の如く引き起こすように熟達しなければならない

同じように、我々は感情的エネルギーの或る局面に身を開くことによって、魂の目によって内面的にそのエネルギーをあらわす象徴を見て取ることができなければならない。
この技術的な瞑想の中でアストラル・エネルギーがそれに照応する形象と結びつくことはその象徴の感情的意味に基づく幻想場面を形成することによって、最もよく行なわれる。
この幻想がはっきり形成されさればされるほど、問題となっているエネルギーに密接に近づくことができるようになる
。これがこの行の一つの局面である。
補足的な局面が、その背後に満たされた感情に対して瞑想することによって、このエネルギーと象徴を意識的に結びつけることから開けてくる。すると様々な感情的状態が我々の内の中で発展し、同時に象徴の形象を霊視できるようになる
このことを着実に実習すると、その後、その感情を考えただけで当の象徴形式を顕在意識の中へと投入できるようになる
このことを達成したとき、我々は新しいアルファベットを使い始める。そして密儀を形成する為にさまざまなエネルギーに充たされた象徴をこのような方法で結びつけることを学ぶのである。これらのイメージとそれに対応する力がこうして結合されたとき、それを我々は二つの方法で使うことができる。
一つは受動的な形で、もしすでに論じておいたイメージを喚起させる心理学的なトリックを身につけているなら、この結合された象徴を、我々の顕在意識に対して、感情的な自己の変動的な圧力と高揚を告知する指針として使用することができよう。そして我々の本性のこの感情的側面は不断にアストラル・ライトの諸力と叡智的存在者によって動かされているものであるから、我々の象徴が心のスクリーンに映じると、その象徴はアストラル体を、それ自身の平面で意識するという肉体的な言葉に翻訳することになる。
言い換えれば、我々は統御され訓練された心霊現象を持つことになるのである。このような心霊的知覚の方法は統御が可能であるという大きな利点を持っている。なぜなら他の型の象徴が突然わきおこってくることは、その映像の混乱を示すことになるからだ。
実際上、このような心霊的知覚は、極めて鋭いものとなり、象徴なしでもアストラル界を直接知覚するところまで高まる。
この形式の心霊的訓練は非常に大きな価値があり、その上、まったく覚めた自己の統御の下に置かれるという利点
を持っている。このことをはっきりしておくことが重要である。

カバラの心霊的訓練の体系では様々な次元、言い換えれば波動の諸層は互いに他のものから孤立するとされている。スェーデンボルグ(欧州支配者の思想の根本の一つ)によればそれらの次元は断絶しており連続していない
このことは、カバラ的に訓練された心霊家はアストラル界の霊視が突然日常の覚めた生活の中に噴出してくるという苦しみから免れていることを意味する。魔法使いが「意識的にそれを望んだ時だけ」肉体的な層と、より内面的な層の間でのヴェールが取り払われるのである。

客観的な側面では、結合の瞑想の訓練によって、魔法使いは自分のアストラル界の神殿を建築し、その中を、問題となっている象徴の意識的な操作を通じて、その象徴に対応する諸力で充たすことができるようになる。
生命の木を実際に使おうとすれば、着実かつ長期にわたるこの木に対する瞑想がどうしても必要
だということがわかるだろう。

また肉体的な生命の多様な象徴は対象はすべて、この木の上のそれぞれにふさわしい層に位置づけられうるから、様々なセフィロト群の間に存在する親縁関係は魔法使いの心の中で次第に固有な哲学的体系を形成するだろう。
この過程は種子の瞑想として知られているものを使うことで促進される。
これらの種子の瞑想に於いては特別な文句が瞑想の対象となり、無意識へと送りこまれる。それはいったん消えるけれども、後になって全く突然、意識の中に再び現れ、その時は厖大な連想観念を伴い、更にこれまでそれに対する意識的瞑想によっては得ることができなかった本当の意味が了解できるようになる
この木の上にある象徴はすべて、もっと限定して言うと、それぞれの径に配されたこの興味ある深淵なイエツィラーのテキストは皆このようにして種子の瞑想に使用することができる。

・アストラル・ライト(心霊学では精霊の世界。神智学ではアストラル界。ヒンドゥー教ではカーマローカ)は場所でもあるが、それが意識の或る状態であるという局面もある。
アストラル・ライトが意識の或る状態であるということは重要であり、界という場所的表現では意味が狭い。そしてまた、舵取りをする層であり、指揮する層でもある。

魔法の修行者は自身の人格から、設計図通りになっていないものを取り除いたり、現にあるものを取り換えたりする能力を獲得しなければならない。
この人格の作り変えの為に、径(みち)の第一の徳と呼ばれる識別が必要。
神秘体験や神秘思想の文献を読んだり瞑想したりして、霊的思考のある層に達する鍵を手に入れることができる

これらの本は自身の人格の真の設計図から外れているものが自身の内部にあることを悟らせ、また、それを正しい位置に置き直すには他のどんな材料を用いればいいかが分かる助けとなる。
人格の変革は注意深く進めないといけない。人格の中の特殊なものが実際は個人的人格を支える要だったりするからだ。正しい代用品がその要の位置につり上げられる前に、この要を動かそうとすれば、その人の命が崩壊する危険を冒すことになる。

・魔法の儀式においては、力のみなぎりが確かに存在する。魔法行為と上の実在者との間にある照応関係が近ければ近いほど、この行為は効果的になる。このことから魔法の修行者は魔法の儀式を巧みに構成して魔法使いが危険を冒すことなく操作できる最大限の力を効果的にみなぎらせることができるようにしなければならない


・魔法活動を成功させるために絶対必要なことは、術者が心の中にイメージを形成することができるということである。アストラル・ライトの力はこのような心の中のイメージによって指令され統御されるからである。

あらゆる魔法活動を成功させるためには、しっかりと自分自身を客観的諸層に錨を下すことが大切である。客観的諸層に錨をおろす為には自身を取り巻く事物の心的映像であるようなイメージを形成するとよい
だが抽象的な純粋に心的な観念が目に見えるように浮かんでくるのはかなり熟練した時だけである。
心の中に形象を思い浮かべるには二つの異なる方法があり、両者は他を補う関係にある。もっとも賢明な道は両者の中道である。

イメージの創造
実験者があまり簡単ではない何らかのイメージを構成するように精神を訓練し、その容易でないイメージの構成を注意深く
実行することである。イメージがあまり簡単であってはならないという理由は、精神は多様性を要求し、簡単な映像にはすぐ飽きてしまい、心からすり抜けてしまいがちだからである。
簡単過ぎると余計な雑念が浮かぶからね。外国語の呪文の方が集中できたりするし

②イメージの呼びだし
精神を意志によって静かな受動的状態に保つこと。そしてイメージが意識の中におのずと生じるのにまかせる


・潜在意識層は宇宙の見えざる心霊的心理的潮によって影響されているので(この潮は地球の磁場を通じて動く)、実際には意識層と潜在意識層の必要な接触を行うために、他の時よりずっと簡単な潮時というものが存在する。そして魔法の技術を修行するものはすべて、注意深くこの潮時に気をつけ、その変動についての図表を描かなければならない。この図表と客観的なデータを比較することによって、次に魔術師は惑星と月の位置が潜在意識的な生命力のある次元と結びついているらしいということを発見するだろう。このことを着実に注意深く行なうならば、イメージを喚起することがほとんど不可能な「乾いた時期」を避け、それに対して警戒しないといけない。この潮流に逆らって泳ごうとするのは馬鹿げたこと。
イメージを生起するがままにさせることを規則的、注意深く行なっていると、無意識のうちに持っていた多くの心理的葛藤や抑圧されたコンプレックスが沸き起こる。それは精霊として擬人化されよう。最初のうちは顕在意識が潜在意識の海の中で溺れてしまうように思える。もっと後になると、「飛ぶ鳥=顕在意識」は「海=潜在意識」に意志を持って意図的に水没を試みないといけない。

・イメージ形成の為の最初の訓練法がキムのゲーム。
いろいろなものを盆の上に置いてから布で覆う。布を取り去ってからしばらくの間位置を記憶し、再び布で覆ってから、覚えている限りの物品の状態と位置を書きとめる

この練習法をすると、ある物品だけがほとんど例外なく忘れ去られてしまうことがある。これは偶然ではなく何らかの心理的事件が起こっているのだ。このように示されたものは瞑想の出発点として使う(自身が忘れ去りたい無視したいものを意図的に使う)ことで、潜在意識の深みから、面倒を起こしている特殊な妄想やコンプレックスを引き出せる。抑圧からの解放により、その物品はもはや他のものと違うことはなくなることがわかるはずだ

なお、この練習法は都合のつくどんな時間にも試みて良い。
修行者は創意工夫して毎日の練習法に組み込むべきである。例えば、倉庫番はその仕事をキムのゲームの長い練習だとすればよいのだ。
(一定の場所に留まる仕事はキムのゲームの訓練にできる。ものの位置と状態を完璧に覚えて把握するということ


・次の練習法は、知覚の焦点再調節に関する特殊なコツを身につける為のものである。
「活力を視神経から心的知覚に向けよ。つまり肉眼で見るのとはまったく違った思念の力で見る努力をするのだ。ある知覚の形式を他の形式へと転化せよ。覚めた状態で積極的な意志によって夢の幻想をありありと思い浮かべよ」。
これは黄金の夜明け団ではタットワの観想と呼ばれている教えであり精神訓練法として大きな価値がある。
GD=黄金の夜明け団=黄金の暁会=ナルトの暁の元ネタ

実際にはこれは二重である。つまりその「逆の型」で、換言すれば心の映像から明白な客観的な事物へと移して、はっきり肉眼で見ることができるようになるまで努力しなければならないからである
勿論実際には肉眼で見るわけではない。むしろそう観察されるように見えるだけである。
水晶とか黒い鏡の中に透視家たちが見る映像はこのように投射された心的映像の一例である。これが意志的、随意的(無意識ではなく、自分で見ようと思った)であることが重要である。不随意なら精神病の特徴になってしまう。
ゆえに修行者は随意的にできるようにしないといけない。それを望んだとき以外は決して行なってはいけない。そして日常の世俗的な仕事に携わっているときは、決してこのことを試みてはならない。

また、投射しようとする思念映像を注意深く選ばないといけないし、少なくともこの訓練に関しては心的映像が用いられる機会を許してはならない

筆者が発見した最高の方法はこうである。
ある物体を無地の表面をした敷物の上に置き、明るくするにせよ暗くするにせよ、ある程度の光を浴びせる。
一枚の紙またはボール紙を使って、八寸の長さと二寸半の直径をもった円筒を作り、それを通して例の物体を眺める。その時、左右の目を交互に使うのである。
さもなければこの円筒を長方形に変えて両眼で同時に見るようにしてもよい。そのままその物体をずっと視野の中に置いていると目はわずかながら焦点をぼかしてしまう

われわれは時々白日夢=白昼夢=デイドリーム(英語:daydream)を見ている時にそうする。すると目にうつった映像が今度ははっきりと頭の中に心的に浮かんでくることになる。これは一つの心理的な仕掛けであり、普通何度も努力や失敗を重ねて初めて得られるものである。
一段と進んだ段階では目を閉じるとよい。最初の試みの間はごくわずかに、それから段々と目を閉じるようにしていくと、最終段階では、両眼をしばらく閉じていても頭の中で当の物体の映像がいわば目に見えるようにはっきりと浮かんでくるところまで到達する。

これを達成すると練習はかなりやさしくなる。
そうしたらそれを補う半面の操作を試みるとよい。
ある物品を選んで、それをじっと観察し、その知覚をいつもの方法で主観的な心のスクリーンに映すようにするのである。しばらくのあいだは目の前に単色の表面、例えば黒の上に白い円を書いたものや、白の上に黒い円盤を書いたもの、または水晶玉や黒の凸面鏡などを置いて、修行者がその心的な映像を投射するスクリーンとして使うとよい。
このとき修行者は目を充分開いてその円盤や鏡を見るようにしなければならない。
円盤や鏡には鈍い光を当てておくとよいだろう。そうしながら一方では心のスクリーンにしっかりとその映像を留めておく。
それから静かにそっと意志的に努力して、その映像を、スクリーンに向かって外へと投射するのである

ここでもある心理的なコツを身につけなければならない。しかしひとたびこのコツが飲み込めると、その後の訓練は安定化し、極めて大きな一歩を踏み出すことになる。
この投射は故意に行わないといけないと再び強調しておく。いかなる不随意的投射にも断固として抵抗しなければならない。
心的イメージを投射した結果、肉眼で心的イメージを知覚しているように見え、その意図と目的に応じて現われるようになる

・魔法使いの感覚訓練は視覚以外の感覚にも及ぶ。聴覚、味覚、嗅覚、触角である。
聴覚のイメージ形成の練習にはだんだんと消えていく音を使う。音叉が有効である。
聴覚イメージの投射を助けるには、大きな貝殻に海の音を聞くという工夫が良い。
音においても不随意的な音響投射は絶対に避けないといけない。
(不随意なら幻聴ですね)

聴覚の訓練法として協力者とする方法がある。協力者にゆっくりと普通の声で話してもらう。詩や読みものを数節、数ページ読んでもらうとよい。霊視作業と同じような方法で知覚を心の層に移すのである。わずかの間、協力者は話すのをやめて静かにしていなければならない。
この聴覚の知覚投射をごく簡単にできるようになったら、その逆の投射を試みないといけない。つまり、貝殻やイヤホンを使って聴覚イメージがはっきりと客観的に聞こえるまで投射するのである。
これにある程度熟練したら、なじみの声を持っている誰かが講演を行なっているのを想像上で聞き取る。この講演は初め自分自身が形を与えなければならないが、ある点に達すると形を与えるのをやめ、単に心の中で耳を傾けるだけにしなければならない。無意識がその講演を続けていくから、耳を傾けるだけでよい。
聴覚イメージが投射されてその声をはっきり客観的に聞き取れるようになれば
最終段階となる。

再三警告しておくが、イメージの投射は随意的でないといけない。覚めた自己の統御の下に置かれなければならない

視覚、聴覚、その他の訓練では完全に緊張を緩めて訓練することが大切である。ゆっくりとした深い呼吸をしなければならない。深い呼吸とリラックスで心的活動の異様な速度を制御するのである

・呪言、呪文、真言(マントラ)は波動のエネルギーを持つ。
名前の波動を起こさせる修行では声をできるだけ震わせるようにしなければならない。声の音程を低くし、同時にできるだけはっきりと心の中にその特殊な名前や呪力をもつ言葉と結びついた観念ないしは観念群を持ち続けることである。
練習法としては、掌の中でその名前の波動を響かせるというものがある。あるいは太陽神経叢(へその周り。丹田)や額から発していると思ってもよい。
この波動を起こす力が手やその他の場所から出るようになったらしめたもの。それからは簡単に肉体の他の部位にもこの練習を及ぼすことができるようになる。このような波動を加えた部位の病気を治せるようになるのである


呪力をもつ言葉を用いるには、リズム、音の高低、母音、子音という四種類の波動がある。様々な感情状態に引き込む為には、リズムが最も偉大な魔力を持つ。
理想的な魔法の歌は潜在意識に訴えかけるものである。それは極めて原始的である。それゆえ歌は反復を要求する。同じ音楽の節々を反復することは意識的精神をすこぶる退屈にさせる。ゆえに、歌は強いリズミカルなものでなければならず、その反復は「調子を変える」こと、調子の上げ下げが必要であ
る。

西洋世界では普通、コンサートピッチ(奏会用の標準音高。一般には、国際標準音=一点イ音=440ヘルツ)の音楽が多い。普通のピアノはこれに合わせて調律される。
マントラの音楽は半音低い。いわゆる原始的音度で4分の1音、上げたり下げたりする。このマントラの音楽を始めて聞いた人は、一般にいらいらするような気分に襲われる。だが魔法の歌を普通の歌声で歌っても実際的な効果はないという事実が実地の経験から知られている。

(支配者が研究して実験していて実践されておりますよね。有名アーティストは支配者側。440Hzの音楽は恐らく奴隷用なんだろうな。ということは能力封印用か。
だからマントラでは440Hzでない音にするんですね
。)

・仇名とは普通我々の遊び仲間が潜在意識的に把握した結果つけた名前であるから、我々の人格を言い当てており、それが個人名である。個人名とは必ずしも保護者がつけた名前ではない。洗礼名が個人名だったりもする。
潜在意識的に把握した結果つけた名前=個人の名前を大声で繰り返していると、不思議な恍惚状態に入って自身のより高次の存在に気がつくようになった詩人の例がある。
(魔法名も個人名ですね。
魔法名を付ける
http://magic.dancing-doll.com/magician/magical-motto.html
“魔法名とは魔術師が魔術を行う時や魔術団体の中で使われる名前の事。魔術用の名前です。
例としてアレイスター・クロウリーの魔法名を見ると...「Perdurabo」、
「V.V.V.V.V.(Vi Veri Vniversum Vivus Vici)」、
「To Mega Therion」、「Baphomet」など...このような感じになります。

言語
魔法名に使う言葉は基本的にはどのような言葉でも構わないのですが、一般的にはラテン語を使う人が多いようです。

マジカル・モットー
魔法名に最適なのは魔術的な目標(マジカル・モットー)を魔法名に使う事です。魔術的な目標を達成した時には新しい魔法名(新たな魔術的目標)を付ける事になります。また、環境・立場・状況などが変化した時にも必要であれば新しく適切な魔法名を付ける事があります。

フラター/ソロール
魔法名はそれを呼ぶ時や書く時に男性の魔術師なら魔法名の頭にフラター(Frater)を、女性の魔術師なら魔法名の頭にソロール(Sorror)を付ける事があります。これは魔術団体組織の内部において見られるものですが、魔術団体非所属の個人魔術師であってもフラターやソロールを魔法名の前に付けて使っている人はいるようです。魔術世界の同胞、一員と言う意味で使われます。”)

・閃く色彩。
色彩は魔法活動で第一義的な重要性を持ち、主要な鍵となる。色は魔法使いが扱う諸力と同調する手段である。自己催眠術に使える。色彩の図はこちら↓
<閃めく色彩>の構図
2010.12.24  クリスマスカラー <<06:11
http://nuevlxxxxrusfel.blog5.fc2.com/category17-1.html

煌く色彩を見つめて
http://ameblo.jp/shake-off/entry-11098399720.html
“緑の六角形を1個だけ、1分くらいずっと眺めていると、段々と他の緑の六角形のふちが、

輝くように見えてくるのです。

なるだけ、まばたきは、しないようにしていました。

そして、六個の緑の六角形のふちが輝いて見えたら、ふと視線を上げて壁を見てみると、

白い壁に、丸い模様が浮かびます。

その後です!緑色の大きな六角形の中に赤い小さな六角形の図が浮かびます。

見ていた図と逆の色彩が映りました。

とにかく、脳の中に残像が残っているという不思議体験ですね。

このトレーニングは、ひたすら図を見続ける受動的なものです。

これを毎日、繰り返しトレーニングすることが大事だと本に書かれています。

そうするうちに、自然と自分の中で図を思い浮かべると、くっきりと脳裏に浮かぶそうです。

これは能動的に、ビジョンを見ることになります。

この煌く色彩のトレーニングで、映像を呼び起こせるようになったら、水晶を使おうと思います。

水晶の中に、煌く色彩の六角形を映し出すわけです。

ただ水晶玉を見つめていても、永遠に何も見えないと思います。

自分が主体で、水晶が客体だとすると、自分の発するものが水晶に映るだけで終始します。

これでは、水晶から何も情報を得ることが出来ません。

自分が客体になり、水晶が主体になるという逆転状態になった時に初めて、水晶の中から情報を

得ることが出来るのだと思います。

その為の意識へ持って行くのが、煌く色彩トレーニングだと私は考えています。

つまり、あの赤と緑の六角形を見て、視覚を通して自分をだますことで、自分が主役(主体)だという意識を

一時的に忘れさせてしまうのです。

日常、私たちは電波塔として、自発的に生きているのです。

それを、受信的に自分の意識を変えてしまう。これは、とても難しい。

その時、自分が不在ということになります。

そんな事が、この社会で許されるわけが無い。車の運転中なら必ず事故ります。

あのフェラーリの玉つき事故のようにね。

不注意になってしまうわけです。

その自分不在になった隙間に、異次元からの情報を受信できるようになるはずです。

水晶玉に映像を見るのは、肉眼で見ているのではありません。

第二の身体、エーテル体とか幽体で見ているのです。

肉眼で、水晶玉の中に何か見えるのなら、その人は病気ですと松村潔氏が言っているけど、

私もそうだと思います。

意識が朦朧とした状態、ぼんやりした状態に持って行くことがポイントだそうです。

バチッと意識ハッキリしてる状態では、水晶を何時間見ても何も見えないでしょう。

ブラックオブシディアンをずっと見続け、7年経って映像が見えるようになった人がいるそうですが、

それは、ただひたすら見ていただけで、自分が何かを見たいと願わなかったからです。

タロットカードのように、質問を投げかけることで、水晶は反応してくれるわけです。

異次元には、膨大な情報が錯乱しています。

その中から、答えを導くためには、きちんと水晶に質問しないといけません。

つまり、水晶に何も見えないことは、膨大な情報量ゆえに映し出せないという事でしょう。

テレビのように、見たい番組をチャンネルで切り替える仕組みと同じです。

水晶も、チャンネルが合えば、必ず何かが見えるようになると思います。

毎日見るためのエクササイズが必要でしょう。私は飽きっぽいので難しいです。

また、こういったカバラとかのエクササイズは単純なだけに、飽き易いです。

これが修行なわけで、自分との闘いになります。

通常は、良き師匠について学ぶのが常識だそうです。独りだと挫折するからです。

これは、四柱推命でもそうですね。独学では限界があります。”

・あらゆるものは程度の差はあるが生けるものである。死せる物体は存在しない。万物は生きている。

法衣もその色によって色彩による暗示の作用がある。
衣装は色だけではなく、術者の人格(人格とは肉体的刺激に対する反作用で形成される)を隠す幕となり、それによって非人格性を形成するということである。
(仮面でも同じことができるなんじゃないかな。マスクとサングラスでいけそう)


特に魔法活動が男女からなる集団で行われる場合には特に頭巾やフードで大きな非人格性を与えることが重要である。
(魅力的な魔女っ子はよくないのかな)

衣装は極めて強い自己暗示として作用し、心を進行中の術の中に鍵として差し込む力を持っている。
(制服着ると連帯感が生まれるみたいな感じ。思想統制用の服だけど)

長年にわたって多くの魔法の術を手掛けているうち、衣装はあるエーテル的エネルギー、つまり磁気に充たされるようになる。そして極めて頻繁に浄化の過程――それは必ずしも実行されないけれど必要なことではある――を通ることによって、この磁気を多少払いのけることができるが、やがてまもなく再び充たされるようになる。
警告しておく。魔法の衣装をひとたび使ったら、その後は「いかなる条件下でも」純然たる世俗的な目的の為に使ってはならない。個人的にも、他人の前で見せびらかしてはならない。


・ある象徴を、何か特殊な反応を引き起こすようにする為に、潜在意識の中へ通過させるには、まず最初、潜在意識を感じ取ること、言い換えれば顕在意識のすぐ近くに潜在意識層を持ちあげることが必要である。この意志的な潜在意識層のせり上げないし露顕こそが至上命令である。潜在意識を顕在意識に近づけなければ象徴は直接的反応を引き起こさない、すなわち喚起しない。これが技術魔法の第一等の鍵の一つである。象徴を潜在意識へ送ることはさりげなくしないといけない。
象徴を伝達するという直接的で明確で意識的な志向以外の努力は必要ない

実際にそれ以上の努力をすることは当の目的を無効にしてしまうことになる。スイッチのように、いったんスイッチを入れた後はスイッチをいくら長く押しても意味がない。
飛ぶ鳥=意識的自己、と海=無意識を近づけるってことですね。この錬金術的イメージを使ったらいいんじゃないかな。鳥が海の上を飛んでいて、海面がせり上がって鳥に近づくイメージ

魔法活動でも同じことが言える。しかし象徴が条件反射の出発点になりうる前に、必要な意識的心理的努力が予め意識を伴って行なわれていなければならないという前提条件がある。象徴は心中にイメージを形成する能力によって形成されなければならない。

われわれの一人一人に潜んでいる個人的また集合的無意識の深みの中にはある力やエネルギーが存在しており、それを我々は意識における変革という効果を引き起こす為に、われわれの意識的な自己の中に出現するように呼び起こそうと試みること、これが魔法であり、この意識の中における変革ということこそ我々が宣言した目的である

このことを行うために条件反射を用いる。必要とされる諸力を、覚めた自己の中に呼び起こすような方法を使って、敏感になっている潜在意識の中へ、ある象徴を送り込むことで行うのである。
個人的な潜在意識は極めて大部分が絵のような性格を持っているので、われわれは視覚その他の感覚的意識を聴覚的イメージすなわち言葉よりも好んで用いる。ある種の呪力をもつ言葉はその文字が表す意味が用いられるのではなく、むしろその波動が用いられるのである。その周りにたてられた条件付けられたイメージが利用されるのである。
潜在意識を感じ取ったり、顕在意識の識閾の知覚に持ってきたりする為の手段が閃く色彩として知られる技術的な自己催眠の工夫であ
る。これは様々な色階および生命の木における照応関係に結びついて使われる。

・オーラ、オーラの卵は、精神の様々な体ないし鞘の広がりである。
肉体(=聖霊の神殿)の中では、それはエーテル体ダブルからの流出として現われる。このエーテル体ダブルとはそれに合わせて肉体が形成される枠組みそのものである
このエーテル体は健康のオーラと呼ばれているが、肉体の表面から数寸はみ出して広がっており、人間の肉体的健康状態を、それを構成するものの状態によって示すのである。さまざまな心霊的かつ磁気的諸力が肉体的次元にまで働きを及ぼすのは、このエーテル体とその放射するオーラの中でであり、またそれを通じてである。魔法の各流派はエーテル体の訓練と統御の技術を開発してきたのは、それが最も重要だからである。決してこの訓練を避けてはならない。エーテル体の訓練には危険があるが、それは様々な教えを軽視したときに限られている。あなたが技術魔法(アルスマギカ)を卓抜な術者になりたいなら、基本的なエーテル体の訓練を実習することは至上命令である。

・これから述べる技術を用いるにあたっては、我々が意志を盛る器官であらゆる体の広がり、つまりオーラとともに扱うべきであるということを念頭におかなければならない。この一体となったオーラは便宜的に知覚領域と記してもよいだろう。
まず最初、カバラの十字架をなぞり、指定通りに描かれ聖別された円を作る。
それから、これを比較的熟練するようになるまで実習した後、魔法の志願者は綾の光の修行に進むことになる。これは一般に中央の柱の訓練として知られている。
この綾の光=中央の柱の訓練はあるエネルギーの流れを知覚領域の中へと高め、そしてこの力を肉体的次元に導入することを目的としている。中央の柱の訓練の最初の二つの部分はオーラの知覚領域の中に二つの大きなエネルギーの流れを作る為に企てられている。
この訓練のこれらの部分を身につけた者だけが次の段階を実践することが許される。
そして円環的な流れがオーラの中で出発し、マルクトというセフィラつまり足から始まる。この流れは広い包帯のような白色光の帯のように見えるであろう。それは心の中で体のまわりをぐるぐるとまわり、あたかもミイラが包帯でぐるぐると巻かれているようになる。この包帯を巻く方向は右から左でなければならない。つまりこのエネルギーの流れは右足が乗っているマルクトのセフィラの部分から出発して左足の方へと動き、その背後を通るようにしなければならないことに気を付けることが大切である。
重要なのはこの中央の柱をひとたび実際に利用すると、その作用はその利用者の近くにいる人すべてに同じような作用を誘発し易い。その上、この「近く」というのは肉体的次元で隣にいる人に限らないということである


・中央の柱という技術で引き出されるエネルギーの源について考察する。
この訓練の中で、われわれはセフィラ・マルクトからエネルギーが湧き出て来るように見えた。
マルクトは主観的な生命の木の中では足の下の位置している。
しかしマルクトは、我々の主観的自己と「大地の魂」である「セフィラ・ケテル」との間の接触点である。このケテルは頭の上に定式化されており、宇宙的秘密と接触している点である。

(マルクト=一番下=足の下。
ケテル=一番上=頭の上←頭じゃない。
ケテル=大地の魂で、
主観的自己(どこにあるの?)とケテルの間にマルクトがあるってこと?
でもケテルって頭の上だからマルクトと真逆。
大地と一番関係するのはマルクト=足の下だし。
この部分って訳がおかしくない?
このあとで、「大地の魂」から孤立させる話が出てくるけど、地面関係の話だからマルクト関係だろうし。大地の魂=ケテルっておかしいなあ。
でも大地の塊から孤立させる話が出て来るから、マルクトと大地の魂は別物だろうし。
英語版を読む機会があれば検証しておきます。


我々はこの二つの接触点(マルクトとケテル)から基本的なエネルギーを引き出すのだが、同時に我々は統御された、潜在意識的精神の中に置かれている隠れたエネルギーのかなりの量を持ち続けることになる。この隠れたエネルギーを貯蔵する仕事は、自己のより深い感情に影響されて、例えばある種の宗教的回心におけるように、自発的に行動化するか、あるいはオカルト的技巧によって意識的に行なわれるか、である。
クンダリーニ・ヨガでは直接的意識操作によってこの隠れた力の蓄積に初動を与えようとするが、
西洋の体系では、普通はビリヤードのように間接突きの原理によって行なう。
つまり、意識的に方向づけられた力を使って潜在意識の活動を引き起こし、これが、中央の柱の訓練によって構成された心理的機構を通じて、隠れたエネルギーを突くのである。
しかしこのことを行うには、マルクトの中心は通常は大地と接触しているのだが、この際その大地から孤立していないければならない。そして主観的エネルギーの貯蔵庫と同一視されなければならない

それはヨガではムラダーラ・チャクラとして知られており、クリスチャン・カバラではイエソドである。
この「大地の魂」から孤立させるという問題に関しては、さまざまな面白い着想がある。水脈や鉱脈を探り当てる目的で使う多くの山師たちは、ゴム底の靴をはいている時には大地の力から切り離されていると意識して、この機能が使えなくなると思っている。
しかしこれまでの実際的な実験によって発見されたところによれば、これは純粋に「心理的な」禁令にすぎない。探り当てる者は自分がゴム底の靴をはいていると考えるだけで潜在意識的にその力を禁じてしまう。
しかしそのような靴を実際に履いていても身につけていないと考えれば、この能力は自由に働く。
自分を大地から切り離す為にマットの上に座って瞑想するヨガの行者がいるが、このような絶縁体を心理的に霊視するだけで同じような効果が得られると主張した。


蓮華座つまりパドマ・アサナ(地上との接触が短絡される)として知られているヨガの体位は、背骨の元にあるイエソドの中心と足の下にあるマルクトの中心を同じ箇所に集めている。
オーラの大地の中心がこの座り方でイエソドの中心と同一視されるとき、エーテル体のある磁気的な流れが方向を定めて隠れた磁気の蓄積が利用できるようになるのである。自分でもできないと思われるような離れ業ができるようになる。
この力を規則的かつ段階的に発展させて隠れたエネルギーの貯蔵庫の戸を叩くと、その人格全体を力で充満させることになる。
魔法的人格を瞑想によって形成しつつあるあいだ、この隠れたエネルギーが魔法的人格で結びつけられ、一つの力が呼び出されると次の別な力もあらわれてくるようになる。

蓮華座(パドマ・アーサナ) - ヨガのポーズ大全集
http://yoga-pose.info/zai/rengeza.htm

パドマアーサナ(蓮華座)が出来ない人の練習方法。:
http://affiliato-treasure.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

磁気(魔術師メスメルが貢献。ライヘンバッハいわくオド)の魔法。キスの意味は磁気にあり。
・あらゆる種類の動植物は、磁気論の言葉を使えば、二つの垂直な、はっきりとした極を持っている。体の右側は一方の極に属し、左側は反対のオドの極に属している。
また水平にも極がある。上半身は一つの極をなし、下半身はその対極。
・音の波動はオドの力を解放する。
・あらゆる物質がそれ自体の性質のこもったオドの力を電気現象のごとく放出する。

・魔法活動で術者の息が利用されることがある。息にはオドのエネルギーに強く充たされている。

・人間のオーラの場は互いに影響しあう。あるオーラはあるオーラと簡単に結びつくこともあれば、強く反発することもある。相性がある。
ある人々のオーラのエネルギーはエンチーム=酵素として作用し、彼らが現われると、反対のオーラも一時的に混ざりあってしまうかのように見える人が存在する。
このような人々は道場における修行の上では価値がない。なぜなら道場の現象はこのような混ざり合ったオーラを通じて行われるからである。
彼らは心霊術家の交霊会では極めて価値がある存在である。彼らが登場すると、失敗であった会が急に成功したりすることがしばしばある。酵素の持ち主の多くは赤褐色ないし、赤毛の人々であることが知られている。
(赤毛ってケルト系。アイルランドやスコットランド系。イングランド系が多かったから酵素になれたのかもしれない)


磁気の主観的な表現とは感情である。魔法では磁気と感情は同一である。磁気=感情

人間の人格は力を、四大のエネルギー(磁気、オドの力、プラナなど全てをカバーする言葉)から取り入れる。
四大のエネルギーはエーテル体を通じて流れ込む。姿勢で磁気エネルギーが流れる回路を決定する。ヨガのアサナ=体勢が多岐にわたる理由。


魔法使いは術をと通じて胸の上にはラーメン(護符)を身につける。霊的な局面を表すこの象徴によって諸元素からなるものに対して支配権と統御力を行使できる。
四大の力は自己治療にも使える。
訓練は緊張を解いて行うことが至上命令である。
師の教えに注意を払わないといけない。修行者がうっかりしてもいけない。肉体の潜在意識的活動を乱して致命的な打撃を与えないためである。
心霊の中枢=チャクラは内分泌線の近くにあるので、不適当な精神集中をすることは何としても避けねばならない。
四大のエネルギーを投射することで、心霊治療、霊的啓示、入門儀礼を施すこと、傷つけること、幻覚を催させることができる。
理論的には四大のエネルギーは物理作用抜きで、心の努力だけで投射することができるが、この投射は身ぶりや合図や決まった思念像の確立で、ずっとくまなく効果的に行なわれる。図像と標識は四大のエネルギーが通過する機関として作用する。
魔法使いは常に鍵となる観念を持っていないといけない


・タットワの潮
不可視の世界にある潮がある。魔法活動の成功は潮に依存している。
大雑把に五種類ある。
恒星の、太陽の、惑星の、月の、大地の潮。
自転と公転により地球の磁気圏の中に特に磁力の集中する点がいくつかできる。地球の表面のどこでも太陽光が当たっている間は、その部分は東から西へ(北半球)とある積極的な流れを送りだす。そのために地球の磁気圏の中には東から西へと流れる強い流れ、つまり潮があるのだ。
地球は太陽のまわりを巡っているので、磁気の流れは六カ月かかって北から南へと流れる。残った六カ月にはその逆が行われる。夏至と冬至で区別される。

破壊の潮 12月23日~3月21日
種まきの潮 3月21日~6月21日
収穫の潮 6月21日~9月23日
計画の潮 9月23日~12月23日
※北半球


積極的な流れは北極から、消極的な流れは南極から流れ出る。
そして東西の流れの通路は地球のピンガラ(東)とイダ(西)として知られている。
人間の肉体の中にもそれにあたるものを持っている。
エーテル体の背骨に相当するところを通じて、積極的な流れと消極的な流れが流れている。
一般的に言って、地球の磁気圏に限界線は大気圏の限界線の周りをとりまいており、この影響力の領域内で地上のあらゆる原子はタットワの潮のために作用と反作用を繰り返す中心となっている。
こうして地上に行われたあらゆる出来事はこの磁気圏に記録される。

(アカシックレコード?)

そしてある誘導過程を通じて、この地球の記録は太陽のプラナの領域にも刻みこまれる。これらの記録はすべて消極的なタットワ的諸力の影響下に置かれ、その力を支配するのは月である。
生命の木でイエソド=月球がイメージの宝庫と呼ばれる理由である。
月の潮は大陰暦の一カ月(「月」って言葉自体が大陰暦ですね)の周期によって動き、大雑把に二つに分けられている。
上限の月の潮と、下弦の月の潮である。
月が下弦にある間は、どうしてもというのでなければ、オカルト的活動を行うのを慎まないといけない。これがならわしである。最後の七日間、つまり月の出ない闇世には普通オカルト集会では簡単な講義にあてられている。


タットワの潮は地球を東から西へと五重に渦巻いている。
各層はそれぞれ、最大になる時期と最小になる時期がある。
アカシャは日の出のときがもっとも強い。
その後、ヴァーユという成分に変わっていく。
そして△テジャス、アパス、最後にプリティビィへと変化する。こうして円環が繰り返される。それぞれのタットワの流れは合成的なものである。日の出のアカシャ優勢時にも他の四つの局面が混ざり合っている。


タットワ - 魔術用語集
http://www.hi-ho.ne.jp/yjpt/Wizardry/yogo/yogo_391.htm
“タットワ ★ 編集
Tattwa
サンスクリット語の「ありのままの真実」を意味する。
本来はヒンズー教の五大説。
黄金の夜明け団流霊視修行の中核的存在。
神智学協会エジンバラ支部の長であった「ブロディ-イネス」が採用。
 地 「プリティヴィ」 黄色い正方形
 空気 「ヴァユ」   青い円
 霊 「アカシャ」   黒い卵形
 火 「テジャス」   赤い三角形
 水 「アパス」    銀の三日月
使い方・・・象徴を視覚化して没入する。
タロットよりも図形的に簡単なため、視覚化も容易。”

濃紺・黒の卵はエーテル(霊的物質)を示すアカシャ

●青い円は大気を示すヴァーユ

△赤い三角は火を示すテジャス

銀の三日月は水を示すアパス

黄色い四角は大地を示すプリティヴィ

これらは組み合わせて良い。
アストラル・ライトへの門=次元を開く鍵となる象徴としても使える。

黄金の夜明け全書、魔法入門等にある注意点は
・タットワを始める時と終わる時に追儺(御払い)をする
・タットワに入るときと出るときには同じ象徴を使う
・やるなら数日おきに1回程度
・体調不良の時はやらない

だそうです。

タットワ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/magic/tatowa.htm

「タットワ・シンボルを用いた高次参入儀式」
http://blog.goo.ne.jp/umekou_2004/e/16166417dd2db178c167a857177ea1af

【タットワの技法】
http://ameblo.jp/kanade444/entry-11762884745.html

【自己責任注意】異世界に行ってしまうかもしれない…「タットワの技法」とは?
http://matome.naver.jp/odai/2137844565313038201


【タットワの技法】
http://ameblo.jp/kanade444/entry-11762884745.html

タットワ五大元素の基本象徴 四大元素+霊の五大元素の画像http://aa57.blog133.fc2.com/blog-entry-131.html

光体
=魔法使いがその意識を肉体から投射する為に用いる意識ある人工的な体ないし器官
=マヌマヤコウシャ(思念で作られた幻想の鞘あるいは体)
=心の中に作られた意識の器官
=魔法使いの体のレプリカ

エーテル体が真の肉体。母胎にして鋳型。
エーテル体の母胎
=エーテル体ダブル=肉体の永久の鋳型(液状)
は肉体と密接に結びついているが、ある種の薬や麻酔剤、催眠術などで、ダブルだけが肉体から切り離されてしまう。ある量のエーテル体は肉体の中に留まる。そして外に出されたエーテル体ダブルとまだ肉体の次元に留まっているエーテル体との間には、銀の線と名付けられてきたものが存在する。この線が途切れたとき、即ち死ぬのである

ダブルは肉体を生かせておく為の生命力の通路であり、同時に肉体の脳髄とより内なる体の意識の、それに照応する中枢との結び目である。
アストラル体=心霊体的中枢=チャクラと、肉体の脳髄とは接触していないので、心霊的官能の知覚は肉体的次元の意識へと伝達されない。心霊開発として知られるものは、このような接触点を作ることに他ならない。魔法使いの訓練も、祖となる次元に対する意識と、より内なる次元に対する意識との間に、このような結び目を形成することを目指している

綾の光で準備作業を終えると、光体を公式化し使用することになる。
が、公式化は何度やっても失敗するだろうが堅忍不抜の精神で取り組まないといけない。

深いトランス状態では流れる血液の化学編成にかなりはっきりとした変化が認められる。エーテル体ダブルは肉体を離れるときはいつでも連結するエーテル体の結び目つまりは線と結びついている。このエーテル体の引き網は肉体に生じる様々な変化に極めて敏感であり、常に外に出たエーテル体を肉体の中に引き戻そうとしている。
なお、この修行は心臓に緊張を与えるかもしれないので、心臓病の人や心臓が弱い人はしてはならない。
もしそのような病人がアストラル界を意識的に知るようになりたいと望むならば、眠り込んだりまた起きたりして、ある象徴の鎖を用いて自分の意識の、アストラル体と肉体の二つの層を結ぶ結び目を発達させるべきであろう。こうすれば肉体に危険な負担をかけることなしに内的世界の実際的な知識と体験に達することができる。


では光体の公式化と投射はいかになされるのか。
最初の段階は簡単。
まず五芒星のお祓いを行うべき。
楽な姿勢をとる。
一定の体位で坐ってから、修行者は注意深く自分が投射しようと望む形象を主観的に心に思い浮かべる。
次にこの心に生じたイメージを外に出し、それを明らかに客観的なものとして見なければならない。そこにあらわれる人物は実験者と同じような着物を着ていたり、実権者の想像力が命じた通りの着物を着ているようにする。

これが終わったら投射の第二段階に移る。
エーテル体を分裂させて、繊細なエーテル体、アストラル体、メンタル体を自分が投影した思念像通りに投射するのである。
このような転移は綾の光の訓練とそれに基づく呼吸訓練が可能にする。

思念像がこのようにエネルギーに充たされた時、第三段階に移れる。
このとき実験者は顕在意識をその型へと転移させることに努めるのである。

光体を遠隔操作ロボットのように霊視された形態をはっきりと心の視野に留め置き、簡単に動かせるようになると、同一化という最後の仕上げに入る。
意識をその型に投射しようとする意図をしかっりと保持しなければならない。それは意志の強い瞬間的な努力によって行なわれる。気ままであってはいけない。はっきりした意図ないし意志の働きこそ適宜のエーテル的アストラル的な諸力を動かすのである。


次の一歩は思念の中に踏み込み、その本人の前に立てた型の中に入り込み、そこにあらわれた人物の立場から直接見たり、聞いたり感じたりする想像上の努力を行うことである。これがこの術の最も肝要な点である。

修行者は成功が得られるまで何十回となく試みる必要がある。普通、ある人が成功したとき、鋭い金属音のカリカリという奇妙な音が聞こえるはずである。
この時、修行者は肉体を抜け出して立ち、光体を身にまとっている。最初修行者は周囲の物理的次元のものをはっきり見るだろう。すべてがくっきりとはっきりとした青い光
に包まれて自ら発光している。修行者の眠っている肉体は修行者の前に横たわり、細いぼやけた光のような銀の線が修行者と肉体を結びつけている。
しかし修行者の肉体から少し離れたところへ行こうとすれば、もう一度瞬間的な意志の努力を使って、修行者が今その中にいる比較的濃密なエーテル体を多少戻さないといけない。このことが行われると、光体は次第に物理的次元にある様々な妨害物をそれほど感じなくなり、もっと遠くまで投射を行うことができるようになる。
投射の間、肉体的な脳に精神を集中して、自動書記により現に観察している事柄をそのまま記録させることができる。
または喉に意識を集中させてもよい。そうすると肉声はその所有者から送られてくるテレパシー的印象を記録するであろう。
活動後に肉体に戻る際にはぐいっと引っ張られて戻るのだが、急速に帰還すると意識の結び目とアストラル界での経験を思い出させる記憶の鎖を壊しやすい。
よって帰還は慎重に行なわないといけない。
一連の連想的な象徴を使うピュロンの扉という方法で外に出た場合、修行者はその扉のところまで戻り、光体の中で眠っている自分の肉体なるものを見下ろしながら立っていなければならない。
肉体にゆっくり戻ろうという意図が必要。外に踏み出したときと同じ意識の投射を「逆に」行う。
意識の星がそれに伴うアストラル界の記憶とともに肉体的次元に転位されたとき、修行者は自分が今までその中で働いてきたところの光体を自分の前に立っているものとして眺める必要がある。
この時修行者は強い意志の力によって自分自身の中へ引き返すべきである。このことを決して省略してはならない。
光体がそれ自身独立した存在であるという警告的な徴候を示すようになり、それを公式化する人に反応しなくなるのである。このようなことが起こったばあい、投射の実習に先立って、魔法の人格を形成する為に用いる為のいくつかの原理について瞑想を行い、誤った光体を訓練し統御する必要がある。光体を爆発させたり支配的にさせたりしてはならない。それはその人自身の召使であり道具である。主人であって奴隷になってはならない。

・魔法の人格の形成にあたっては、自分自身は必ず主人でなければならない。不随意的な人格交換が起こらないように訓練が必要。突然現れるのを決して許してはならない。自分自身の同意なしに出現させてはいけない


均整の取れた魔法の人格形成のために人生の三つの主張な側面である、力・愛・智慧をめぐって構成しないといけない。この一つ一つを順に取り上げ、瞑想の中心に置く観念として用いる。
これらの瞑想の目的とは、特殊な局面を持った一切の現象はすべて同一であることを実感することである。超越的一者と結合しようという志によって考察されかつ実践されなければならない。
(新プラトン主義がクリスチャン・カバラに顕著。一者=GOD。

宗教学たん@shukyogakutan •
プロティノスの流出論!一者を頂点とする神的流出のヒエラルキーだよ!一者の下には知性と霊魂が形成されて、自然と質料が続くの。世界の一切は一者から出て、そこに帰っていく無限の往還をたどるよ
一者>知性と霊魂>自然と質量

最も重要なことは、魔法人格の形成はこれら三つの人生の局面を徹底的に瞑想の対象とし、その性格を多少なりとも実感する以前に、はじめてはならないということである。
誤った人格の形成は悪い。

①人工的な魔法の人格は完全に意志の支配下に置き、意識的自己が欲する時以外は現われるのを許してはならない

②目的実現後は、呼び出した魔法人格を積極的に追い払って潜在意識化に戻さないといけない。

この訓練は魔法人格と密接に同一視しうる物体を選択することから始まる。
最も良い物体の一つは指輪である。金属製の象徴を胸にペンダントとしてつけてもよい。が、胸は魔法の胸板=ラーメンをつける場所なのでどちらかと言えば指輪の方が良い。
様々なグリモアールつまり魔法の奥義を記した書物の中では儀式に使われる品物の処女性が非常に強調されている。他の目的には使われたことがないもの、他のものと結びつく結び目を持たないもの、他の影響力と結び易い磁気の負荷を持たないものでないといけない。
また術者は自分自身で魔法の用具を作り、聖別しないといけないことも強調されている。が、別にできあがっているものを購入してもよい。が、中古品なら過去の歴史的影響力があるので磁気的に清めたり、新たに磁気を負わせないといけない。
新品でも中古品でも次のように観想して磁気を入れ替える必要がある。
つまり、指輪を身につけた時、魔法の人格が行為を通じて現われ、取り外した時に魔法の人格は去って、潜在意識層に戻っていくとしっかりと考えるのである。
必ず意志と意識の監督のもとで魔法人格を身につけないといけない。指輪をはめる行為自体を魔法の人格を我がものとする鍵にしないといけない。


指輪の宝石の刻面を内側に回し、静かにその上に象徴が彫られていると観想することで自己催眠をかけることができる

三つの役柄の一つ一つを発達させる。その後の段階で三者を一つの魔法人格に統合する。
修行の初期の段階では十分以上は魔法人格を帯びてはならない。十分後に術者は背後に銀色の帳を霊視すべきである。そして心中にその帳を通り抜けたり消えたりする魔法の人格の、衣装とフードを着けた人物像を見なければならない。指輪を外して傍らに置いた時には、術者は大地に根付いていなければならず、こういう風にして象徴的に術者が通常の日常意識に戻ったことを確認するのである。
このことに関して成功か失敗かを日記に記しておくとよいだろう。それから魔法人格はこの訓練を再開するまで記憶から追いやっておくべきであろう。
魔法の人格は計画的な何らかの儀式的操作を通じて利用されねばならない。

・儀式では目標を明確に定めて意識することが必要。注意深い瞑想で儀式を行う理由を心の中で水晶のようにはっきりと念じておくことが必要
。二次的な動機ではなく、主要な根拠だけを心中にくっきりと浮かびあがらせるのだ。
精神を一点に集中させることは、力の通路となり、この通路がはっきりしているほどに流れ込む力を統御し易くなる。

魔法使いは厳密に一つの体系を守るべきである。厳密に一つの体系を守ることは至上命令である。いくら強調してもし過ぎることはない。他の体系の哲学や技術を学ぶのはよいが、実際の方法を混同してはならない。その後、必要な知識を獲得した後は、各人の目的に沿っていろいろな体系を応用してもよいが、この応用は魔法の達人の仕事であり、初心者はしてはならない。

儀式では最初に、術を行う場所を準備する。小五芒星追儺 (ついな、Banishing=追放、追い払い)で、エーテル的アストラル的な雰囲気を浄化しつつ、心霊的な力が入りこまないように防壁をたてるのである。無論、自分自身も清めておかないといけない。
・儀式の終わりあたりで物理的次元に戻らないといけない。マルクトの領域に戻ったことを象徴する為の肉体的動作として、槌などで祭壇を叩いたり(2の5倍か、5の2倍の回数がよいだろう)、鐘を鳴らしたりすることで、夢想状態から世俗的意識に戻ることができる。
魔法の実験を行ったらただちに記録を作ること。この体験の繊細で微妙な局面を忘れないためである。
最後に魔法使いは自分自身のモットーを思い出し、認識し、敢行し、意志した後には、沈黙を守らないといけない。この自分の体験について喋喋することは魔法の上達を妨げる


・魔除けの魔法。
充電説(物理的魔除けを超物理的な貯蔵庫とみなす)。
魔除けとして使われる物体は最初、浄化されなければならない。これまで帯びてきた磁気を排除する。それから意志と思念によって生けるエネルギーの新鮮な力を注ぎこむ。するとこの充たされたエネルギーは或る種の神秘的な方法によって魔除けの中に蓄えられるのである。

物理的なものは一切その観念によって我々の精神と結びついており、知覚される対象と知覚するものとの関係が、両者が通常な知覚関係を結果としてもたらすような方法で宇宙的精神と結びつけられているという説
知覚者との通常な関係以外の関係で、その物体が精神に知覚されればその物体は奇蹟的なものとなる。この「内的霊的恩寵の外的可視的徴候」という知覚の変革を引き起こす為には、魔除けを作る人はその心と精神を高揚させて、知的に到達できる最高の観念にまで高まらないといけない。そこでしばらくの間、その魔除けが作られた特殊な目的をありありと思い浮かべなければならない。するとその魔除けは制作者の心を通じて神々しい力と結びつけられ、その力を呼び出すようになる。あらゆる精神は深層においては一つであるから、その物体は制作者、すなわちそれが作られた目的となった人と、この特別な関係で結びつけられるという。
(要は制作者と繋がるってことだな)


・気概に満ちた軍事的な力に関する魔除けは鉄か鋼で作られるであろう。軍神マルスに関係する金属だからである。

感情的緊迫に役立つ魔除けは愛の神ヴェヌスの金属である銅で作られるだろう。

羊皮紙は極めてよく磁気を保存する。オリーブオイルも磁気を極めてよく保存する。
絹とガラスは魔除けにふさわしくない。絹はその放電を防ぐために魔除け全体を包むのに使われる。
もっともよい魔除けは自分自身で作ることである。無理なら自分の為に作ってくれる人に頼むべきである。このことは常に自分自身の為に行わなければならない。真の魔法使いはこのようなことで料金を求めてはいけない。
魔除けとは特殊な線に沿って活動を感染に行うのを助ける為の一つの工夫にすぎない。魔除けはその人だけに通用する個人的なものだから、同じような禍に悩んでいる他人に与えてはならない。極めて重要である。中古の魔除けが災難をもたらすことがあるからだ。
魔除けはひとたび磁気に充たされると、実際にそれを充たした人と結びつきをもつようになる。結びつきを断ち切りたいなら、心の中で術者と魔除けを結ぶものとして霊視した銀の糸を断ち切るのである。
魔除けを破壊するときは最初に磁気を取り除かないといけない。
物理的物体を磁気化する技術で極めて重要な点は、霊的諸力の放射する中心にするようにその物体や建物を聖別することである。



魔法を学ぶ動機は、奉仕する為に知りたいという欲望が最初でなければならない。他の動機と併存することはあっても、この奉仕の欲望は何よりも最初に来なければならない。僧侶も魔法使いもその人格を通じて力は示現する。

魔法の最初の修行では肉体を随意的に弛緩させ、それから呼吸の統御を訓練する。弛緩と呼吸は大切であり決していいかげんにしてはならない。弛緩と呼吸はその他のすべてのものが最終的に依存すべき本質的な基礎をなしている

魔法の法具は本人が、法衣、杖、指輪などを作るべきであって既製品を買ってはならないのであるが、ものによっては不可能である。自作するのはその象徴に付加されている価値をしっかりと心の中に定着させ、その全体がいわば修行者の人格の延長のようになるからである

警告。魔法活動用に品物は作り手の技量の範囲でできるだけ完全に作らないといけない。構成上ずさんな箇所があって
はならない。何か普通に使われているもので代用してはならない

霊媒の質と魔法の付属物は共に単純かつ尊厳を備えていることが理想的。
修行者は常に高次の自己を目的にしないといけない。

弛緩術。リラックス方法。
くつろいで寝転んだり坐ったりする。頭のてっぺんに注意を向け、頭の筋肉がくつろいでいるか緊張しているかどうかをみる。緊張しているなら意識的にくつろがせる。それから額に移る。また緊張していたら意識的にくつろがせる。段々下に行く。ただし既にリラックスしたところがまた緊張していたらそこに戻ってまた緩める。上手くいっているかどうか確かめる方法としては、誰かに体の一部を持ちあげてもらって、死んだように重くなっていればOK。


呼吸。
喉や鼻の通路を意志の努力で閉じて息を保ってはいけない。危険である。
息を止める正しい方法は、胸部の筋肉と胸部及び腸の領域に渡る横隔膜を利用し、定められた期間の間、呼吸することである。つまり胸部を拡張して肺に完全に空気を充たす。胸部が拡張されたままになったときに横隔膜をおろす肺が空気を一杯にすった時、これが息の止まった状態である。胸部を鋭く叩くと空気は部分的に外に漏れる。緊張してはならない。緊張は呼吸の訓練でも危険である

四つの息。
①ゆっくり吸いこみ、心の中で1、2、3、4と数える。そこで息を止めて1、2、と数える。
②同じスピードで息をはき、再び1、2、3、4と数える。次に肺を動かさずに止めて1、2と数える。
これを5分間繰返す。はじめは5分以上やってはいけない。後になったら延長してもよい。

・中央の柱の訓練。
①自分が生命の木の図表を背負って立っている、とありありと思い浮かべる。
右手の柱は左手に、左手の柱は右手に重なる。中央の柱、ケテル、ダート、ティファレト、イエソド、マルクトというセフィロトは脊椎と足に重なる。

②頭の頂上一寸くらい上を思い浮かべて、そこに輝く白い光を発しながら円を描いている球体を考え、ここにこそ自分の中にある神聖な生命力の湧きおこる泉があるということを実感するように努める。
③「エー・ヘ・イエー」という名前を波動する。

④えり首の下にきらびやかに輝く光線を思い浮かべる。首はそこでは光り輝く球として輝いている。
この時波動すべき名は「イエ・ホー・ヴォ・エ・ロ・ヒーム」
つまり「イエホバ・エロヒム」である。
⑤その光線が心の中でティファレトの中心に向かって下っていくかのごとく思い浮かべる。
ティファレトは肉体上心臓の領域にあり、太陽神系叢(みぞおち?)の少し上にある。
この時の名は「エホヴォ・エロア・ヴァ・ダード」である。
⑥この光線をイエソドの中枢におろす。
イエソドは性器の上に位置しており、その名は「シャ・ダイ・エル・カイ」と発音される。
⑦この光線が足に下りてマルクトの中心で終わる。
その時の名は「アー・ドー・ナイ・ハ・アレッツ」である。

※最初は無理でも段々と中枢の局の場所や光線をはっきりと霊視することに上達するにつれて、それぞれの位置で瞑想し、留まることを始めなければならない。そしてそれに帰属する特殊な力と活動を瞑想するのである。
ケテルは白い輝き、
ダートは薄紫色の領域、
ティファレトは金色の黄色として、
イエソドは紫、
マルクトは濃いオリーブグリーン、あるいは真っ黒である。

中央の柱の訓練で心霊的領域に引き入れられるエネルギーを回流させる為に、綾の光の訓練をする。
中央の柱の訓練で得られたエネルギーを以下のように霊視機能を用いて統制するとよい。
マルクトの局に達した後、頭の上にあるケテルの局に再び関心を移す。そのとき燃え上がる白い輝きを意識し、心の中でそれが左の肩におりてくるようにとイメージする。そして左側を通じて左の足へとまっすぐに下ると考える。
そこでそれはマルクトの領域を通過する。そして右足に入り、体の右側を昇って右肩に達する。そしてケテルに戻る。

第二部。
意識は再びケテルに向ける。再び白い輝きが中心から顔の前を通って体と足の前を下り、つま先に抜けるように思い描く。その輝きは足の裏を通って、ふくらはぎ、すねの裏側、再び背骨と頭の裏側を通り抜けてケテルに戻る。ありありと思い浮かべつつ呼吸を合わせる。力が下に降りるときに息を吐き出し、上に昇るときに息を吸い込む。

・峻厳(あなたから見て左)の柱 → ビナー、ゲブラー、ホド。
・慈悲(あなたから見て右)の柱 → コクマー、ケセド、ネツァク。
・均衡(中央)の柱 → ケテル、ティファレト、イェソド、マルクト。

・至高(ロゴス)の三角形 → ケテル、コクマー、ビナーからなる三角形。
・倫理的三角形 → ケセド、ゲブラー、ティファレトからなる三角形。
・星幽(アストラル。魔術)的三角形 → ネツァク、ホド、イェソドからなる三角形

フェイド大帝@FeydoTaitei
"一応、ヒントだけ。 カインの額の印に注目。 旧約聖書に印の詳細に関する描写はない"
"一時期、ハリウッドのセレブ達の間で左手首に”赤い紐”をアクセサリーとして着けるのが流行った。"“この”赤い紐”、カバラ教の魔除けらしい。”
“カバラーは”生命の樹”の各セフィラを人体の各部位に当てはめる。
コクマー×ビナー=頭
ゲブラー×ケセド=両腕
ホド×ネツァク=両脚
イェソド=男性器
マルクト=女性器(子宮)だ”
“左手はゲブラーだ。
ゲブラーのセフィラは赤色。
方角は北。
対応星は火星。
神の峻厳を表すと言うが、
ユダヤ・カバラでは”悪”の生まれる 場所とされる。”
“だからユダヤ人は”悪”は”北”より出づる、と唱える。
そしてヘブライ語というのは我々の言語の様に”数”を表す専用数字が存在しない。”
“だからヘブライ文字のそれぞれは また”数字”も表す。
これを”ゲマトリア”と呼び、 この文法上の特性を利用した暗号技術を”数秘術”と呼ぶ。”
“では、ゲブラーのゲマトリアはいくつか?
ゲブラー=216であると言われている。”
“216=6×6×6
そう!
左手首の赤い紐は魔除けではない!
ヨハネの黙示録の”獣の数字”を表す。”
“この”赤い紐”を広めたマドンナは この”紐”を撒かないと”スターとして 出世できない”と言っていた。
彼女のこの発言とヨハネの黙示録の該当箇所をもう一度良く比べて、考えて頂きたい。”


“最上位のセフィラ ケテルを「王冠」 と表しているのが鍵です。
カバラでは「アイデア」(つまり プラトンのイデアでもある) というのは人間の頭から生まれる のではなく、身体の外から やって来るという発想。 だからケテル「王冠」は人間の 頭の上に被る物”
“として表現されます。アイデアが 頭の中で固まって具体化すると 「叡智」になるわけです。
それを「理解」することで 初めて「応用」が出来る形になる。 この考え方はカントの理性の 捉え方にも通ずるでしょう。”
“この思想の恐ろしいところは、 究極的には人間に自立した 思考等存在せず、人間の考える 事は全て「神」から発生するので、 神の命じるままに動きなさいよと 言う聖職者達にとって実に 都合のいい思想な所です。” フェイド大帝‏@FeydoTaitei

“せやな。そのために色々な恐怖で人を操るんや。極めて単純。ゆえに神罰や終末論も用意されている。作られた不安で現実を直視できない者は、自ら考えることを止め、ただひたすら神の衣を纏った偽者の預言者にすがりつく。” Aran Meclaren@WorldWildWow

“凛でもあったけど、自分の身体に魔力を通して一時的に身体強化するのは簡単。血液に魔力をまぜる程度のニュアンス。しかし器物に魔力を通すのは難しい。ので、普通は魔力を通しての強化ではなく、魔術でまるっと外面に一枚装甲を被せる、のが安価で速くて強い。”
アニメ『Fate/stay night』第1話 奈須きのこ氏の実況ツイートまとめ
http://bosel.blog64.fc2.com/blog-entry-3055.html

エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年-1772年 十八世紀の人。スヱデンボルグ。スウェーデンボルグ。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名)

・スウェーデン王国のストックホルム出身。
・父イェスペル・スヴェードバリ(Jesper Swedberg)は、ルーテル教会の牧師であり、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した。
・11歳でウプサラ大学入学。22歳で大学卒業後イギリス、フランス、オランダへ遊学。28歳のときカール12世により王立鉱山局の監督官になる。31歳のとき貴族に叙され、スヴェーデンボリと改姓。数々の発明、研究を行ないイギリス、オランダなど頻繁にでかける。

・科学者・神学者・神秘主義思想家で、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学(開拓者)に精通。
動力さえあれば実際に飛行可能と思えるような飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いた(26歳の時)。
・霊界では地球人の他に火星人や、金星人、土星人や月人が存在し、月人は月の大気が薄いため、胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって言葉を発すると主張。

・1745年、イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まる。スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、王室の庇護により、回避された。神秘主義者への転向はあったものの、その後国会議員にまでなった。
スヴェーデンボリは神学の書籍の発刊をはじめてからしばしばイギリスに滞在した。1771年の夏にロンドンに旅し、その地で翌1772年3月29日に没した。
・スヴェーデンボリの神学論は伝統的な三位一体を「三神論」であるとして退け、キリスト教では異端とされるサベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり受難した、とするものである。但し聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異なる。神の汎神論性を唱え、その人格性を大幅に後退させている。聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈。
・スヴェーデンボリが生前公開しなかった『霊界日記』において、聖書中の主要な登場人物使徒パウロが地獄に堕ちていると主張したり[1]、ダビデを「ドラゴン」と呼び彼も地獄に堕ちているとしたり[2]、同様にプロテスタントの著名な創始者の一人フィリップ・メランヒトンが地獄に堕ちたと主張した。だが、非公開の日記であるので、スヴェーデンボリが自身で刊行した本の内容との相違点も多い。この日記はスヴェーデンボリがこの世にいながら霊界に出入りするようになった最初の時期の日記である為、この日記には、文章の乱れや、思考の混乱等も見られる。主イエスの母マリアはその日記[3]に白衣を着た天国の天使としてあらわれており、「現在、私は彼(イエス)を神として礼拝している。」と発言している。
・スヴェーデンボリが霊能力を発揮した事件は公式に二件程存在し、一つは、ストックホルム大火事件、もう一つはスウェーデン王室のユルリカ王妃に関する事件である。
・スヴェーデンボリは聖書中に予言された「最後の審判」を1757年に目撃した、と主張した。
・スウェーデンボリによる霊界の描写は、現代人に起こる臨死体験と共通点が多いとされる。両者に共通する点は、広大なトンネルを抜ける体験や光体験、人生回顧や時空を超えた領域を訪れる体験などである。

・哲学者イマヌエル・カントは多く点で批判。
、哲学者ラルフ・ワルド・エマソンは、スヴェーデンボリを霊的に巨大と評価し、他にフリードリヒ・シェリングの『クラーラ』など、スヴェーデンボリの霊的体験を扱った思想書も存在。
・ヘレン・ケラーは「私にとってスヴェーデンボリの神学教義がない人生など考えられない」と発言。ゲーテ、オノレ・ド・バルザック、フョードル・ドストエフスキー、ヴィクトル・ユーゴー、エドガー・アラン・ポー、ストリントベリ、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなどに影響し、特にバルザックは、その母親ともに熱心なスヴェーデンボリ神学の読者。
・日本においては、仏教学者、禅学者の鈴木大拙がスヴェーデンボリから影響を受け、明治42年から大正4年まで数年の間、スヴェーデンボリの主著『天国と地獄』などの主要な著作を日本語に翻訳出版しているが、その後はスヴェーデンボリに対して言及することはほとんどなくなった。しかし岩波書店より出版された彼の全集には、スヴェーデンボリの著作の日本語翻訳文が入っている。

・ニューエイジ運動関係者、神道系の信者ら[7]の中にある程度の支持者層があり、その経典中で言及されることも多く、キリスト教関係者では、内村鑑三もスヴェーデンボリの著作物を読んでいる。
一方で、東京神学校助教授・牧師の尾形守は、『ニューエイジムーブメントの危険』の中で、キリスト教的には異端、思想的にはニューエイジムーブメントのはしりとしてスヴェーデンボリの千里眼事件を批判的に紹介し[8]、「霊だからといって、みな信じてはいけません、それが神からのものかどうか試しなさい」(Ⅰヨハネ4‐1)、「あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。」(レビ記19・31)等、新約聖書の字句を引用して、こうした傾向全体をキリスト教的には不健全で危険な発想と評し、悪霊による影響の可能性を指摘している。[9]

・米国の福音派キリスト教弁護団体であるCARMは、スヴェーデンボリを危険な非キリスト教的神秘主義であると評し、その特徴として、三位一体やキリスト教で言う聖霊の働き、キリストの十字架の贖罪の否定を挙げている。[10]
・思想体系としての現代への影響を見るなら、このスヴェーデンボリとメスメルの思想を背景として、19世紀にはスピリチュアル思想が起こり、これはブラヴァツキー夫人の霊媒論や神智学と相互に影響を授受し合いながら、現代のさまざまなオカルトや新しい宗教の源泉となった。[11]

・スヴェーデンボリ主義教会。
スヴェーデンボリの死後、彼の思想への共鳴者が集まり、新エルサレム教会(新教会 New Church とも)を創設した。新エルサレム教会はイギリスやアメリカに現存し、日本においても東京の世田谷区に存在する。また、別系統の団体としてジェネラルチャーチというグループが存在し、日本では東京グループが活動している。[12]
日本キリスト教団の沖縄における前身である沖縄キリスト教団では、スウェーデンボルグ主義の影響を濃厚に受けた牧師(戦時中の日本政府のキリスト教諸教会統合政策の影響からこの時期には少数名いた)が、戦後になって教団統一の信仰告白文を作ろうとしたところ、米国派遣のメソジスト派監督牧師から異端として削除を命じられ、実際削除されるような事件も起きている。[13][14]
・スヴェーデンボリの著作を主に出版するところとして、日本ではアルカナ出版があり、2006年にそこの主筆・翻訳者が逝去したが、出版社は逝去・死去したとは書かず、霊界入りしてしまった、とホームページに表記して事実を伝えた。[15]

・フリーメーソン
フリーメーソンリーの友愛組合の一つとして、スウェーデンボルグ儀礼が存在する。これはスヴェーデンボリの教えを基に設立された、とされており、その組織は徒弟、職工仲間、新しい親方、光輝な神智論者、青の兄弟、赤の兄弟、の計6つの位階からなる。[16] (なお、現代のジェネラルチャーチにおいても、最高聖職者(第三位階)は赤のストールを身に着け、次点の者(第二位階)は青のストールを、それに次ぐ司祭(第一位階)は白のストールを身に着ける。[17])
1773年、マーカス・デ・ソーンによってアヴィニョンに設立され、当初は当時のフリーメーソンリーの悪評に対する権利を主張する目的を持った政治色のある組織であったが[18]、最初の10年のうちに廃れてしまった。
1870年になるとこの儀礼はヘルメス主義組織として復活したが、1908年頃には次第に衰退をしていった。[19] が、1982年にこの儀礼の免状は、大英博物館の居室において、英国メーソンのデズモンド・バークによって、メーソンの作家であるミカエル・モラマルコに伝達され、彼はそれをアンティコ・リコ・ノアチタというイタリア儀礼の伝統の復古したような形に再編集した。
またスウェーデンにおいても、スヴェーデンボリの思想は、セーデルマンランド男爵に大きな影響を与え、彼は現地のフリーメーソンリー(Svenska Frimurare Orden)のグランドマスターとして、独自の位階制度を作り、その儀典を執筆した。
(中略)
文理書院版の訳書の翻訳者・笹岡康男は元大本信者である(『スウェーデンボルグを読み解く』288頁)『天界と地獄』6-7頁につけた註の中では一柱の創造主と天之御中主神を結び付け、日本神話の神を三つの位格に当てはめて対応させている。
エマヌエル・スヴェーデンボリ wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA
(参考文献 日本スウェーデンボルグ協会・編『スウェーデンボルグを読み解く』春風社、2007年)を要約。
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