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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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ミロク信仰を咎める法華経。植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 『サンスクリット原典現代語訳 法華経』。マグダラのマリア、ベヨネッタ、ハンター×2、ファイアパンチ 

植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 岩波書店(上・下)、2008年
植木雅俊『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上下)、2015年
のメモ。
梵漢和対照・現代語訳版よりも、サンスクリット原典現代語訳版のほうが読みやすい。
後者は、梵語原典と、鳩摩羅什による漢訳の文語訳が載っていない。現代語訳と少ない註釈と解説ぐらいだ。


植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 岩波書店(上・下)
2008年

■上巻

はしがき
翻訳に当たって、これまでの訳の再考を踏まえて以下の四点を自らに課した。

①正確を期す
(岩波文庫の岩本裕(ゆたか)の訳の誤りを指摘している。
具体的には、崇め尊ぶ対象が「経典」である箇所なのに、「如来」を対象にしてしまっている)

②意訳・深読みをしない

日本語としてよほど読みにくくならない限り極力、サンスクリット語の文章の雰囲気を残すようにした。

③掛詞も見落とさないで訳出する

④曖昧さを残さない

nimitta-(有相)(鳩摩羅什「空無相無作」の箇所のサンスクリット原文の検証について)



第1章:序(序品第一)

p.7
偉大な人であるマイトレーヤ(弥勒)菩薩

ブラフマー神群に属する一万二千人の天子たちに従われたサハー(娑婆)世界の主であるブラフマー神(梵天)も伴っていた。
(1万2千強調。サハーは娑婆)


p.57
註釈23
仏典ではブッダのことをしばしばjina-(勝利者)と呼んでいる。勝利者という語は、原始仏教においてもしばしば見られる。ただし、それは他者に対しての勝ち負けを言っているのではなく、自己に勝つこと(克己)として語られている。

『ダンマパダ』には次のようにある。
「実に自己に克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。自己を調えている人の中で常に自己を抑制している修行者――このような人の勝利したことを敗北したことになすようなことは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない」

仏教で最も重視されたことは、「真の自己」に目覚めることであるが、それは自己に勝つことによってなされる。

「真の自己」って表現は誤解されそうなので避けた方が良いのでは?
「本当の私」というアートマンみたいなものを見つける意味にとられかねないじゃん。
欲望を滅し、執着しなくなったことが勝利。これが「真の自己」という意味で使っているのだろうが、それなら、「悟りの境地」でいいじゃん。
)

p.65

未来における成仏の予言(授記)

p.41
アジタ(弥勒)

あの”名声を求めるもの”という名前の菩薩で怠け者であったところの人がいた。アジタよ、まさにあなたこそが、その時、その状況で怠け者であったその”名声を求めるもの”という名前の菩薩であったのだ115。

仏教化したミトラつまり弥勒〔の前世〕は怠け者だったと書いている。弥勒の格を下げて、弥勒信仰を咎めるための記述


註釈p.68から
114
燃燈仏(ねんとうぶつ。ディーパンカラ)は、はるかな過去において、釈尊の前身であった青年に「汝は、将来必ず釈迦牟尼仏となるであろう」と予言(授記)したとされる。この説話は、紀元前3世紀ごろの西北インドに起源するようで、南方仏教にも伝わったが、北方仏教で特に重視された。燃燈仏(ねんとうぶつ。ディーパンカラ)授記をテーマにした浮き彫りが、パキスタン北部からアフガニスタンの一部にかけたガンダーラ美術圏で多数発掘されている。

115
ここでは、マイトレーヤ(弥勒)に対していささか厳しい評価がなされている。マイトレーヤ信仰が強まるのは、クシャーナ王朝になってからと思われる。
ガンダーラ仏教美術では釈尊の成道以前(=菩薩)、成道以後(=仏陀)の姿、そしてマイトレーヤの菩薩像が礼拝の対象として彫刻されていた。マイトレーヤ信仰に対するゾロアスター教の影響を指摘する学者もいる。ガンダーラ美術の影響を受けた中インドのマトゥラーやアヒチャトラでも水瓶を持ったガンダーラ式のマイトレーヤ菩薩が見られる。その二例には、「マイトレーヤ像」という文字が刻まれている。マイトレーヤ信仰は、大乗と小乗のいずれにも受け入れられていた。ただし、『雑譬喩経』の冒頭(大正蔵、巻四、499頁中)には、弥勒菩薩に会いたくて死にきれなかった高僧の話が登場する。弟子たちから「弥勒の教えには、六波羅蜜や、四無量心、四恩、四諦の教えと何か異なる点があるのでしょうか」「異なることがないのなら、弥勒の出現を待つ必要などないではありませんか」と諭されて目が覚め、弥勒菩薩を待つことなく阿羅漢に達して往生したという話である。こうした話が記録されているということは、マイトレーヤ信仰に対して仏教徒の中にも疑問を持っていた人たちがいたということであろう。『法華経』も、特にこの序品第一(第1章)や湧出品第十五(第14章)においてマイトレーヤに対していささか皮肉を込めた態度を取っている。
「お釈迦様の教えと、弥勒の教えが同じなら、お釈迦様の教えを実行すれば良いだけだから、弥勒信仰は不要では?」ってことだ。
バラモン・ヒンドゥー教や、ミトラ教の影響はなかったの?


クシャーナ朝 - 世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh0201-051.html
” クシャーナ朝
1世紀頃、イラン系民族が北西インドを支配して建てた王朝。東西貿易ルートを抑え、2世紀ごろ全盛期となった。そのカニシカ王は仏教を保護し、そのもとでガンダーラ美術が栄えた。
〔画像省略。「1~3世紀 クシャーナ朝の統治範囲」。マトゥラーとプルシャプラが含まれている〕
 古代インド(近代前)の紀元1世紀中頃、中央アジアから北インドにかけて支配を及ぼしたイラン系の国家。東西交易の大動脈を抑えて繁栄した。2~3世紀ごろの統治者カニシカ王は、前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王と並んで仏教の保護にあたった王として知られている。
・POINT・ 教科書ではマウリヤ朝とクシャーナ朝は連続して説明され、いずれも仏教を保護したことを中心にとりあげられるので、同じような王朝と思いがちだが、同じインド史上の王朝であっても違いがかなりあることに注意しよう。まずマウリヤ朝は前3世紀にガンジス川流域に興ったインド人の国家であるが、クシャーナ朝は後1世紀ごろバクトリア方面から北インドに入ったイラン系国家(次第にインド化したが)であるこを押さえよう。また、クシャーナ朝の支配は南インドには及ばなかったこともを地図で確認しておくこと。

大月氏国とクシャーナ朝
 クシャーナ朝(クシャーン朝とも表記する)は中央アジアの大月氏国の支配を脱した同じイラン系民族のクシャーナ族が、西北インドに侵入してつくった国家であり、中国の史書(漢書)にも貴霜として現れる。
 月氏ははじめ中国のすぐ西にいたが、前2世紀後半に匈奴に敗れて西方のバクトリア(現在のアフガニスタン)に大移動し、大月氏国を建てた。漢の武帝が同盟しようとして張騫を派遣したあの大月氏国である。大月氏国は国土を有力な5諸侯に分けて統治させていたが、この5諸侯については、大月氏の一族と見る説と、土着のイラン系有力者と見る説とがある。そのうちの一つであるクシャーナ族の首長クジューラ=カドフィセスが1世紀の中ごろ、他の4諸侯を制圧して王を名乗り、西方のパルティアと戦った。続いて北インドのインダス川流域にも進出し、ガンダーラ地方のプルシャプラ(現在のペシャワール)を都として支配した。大月氏はイラン系の遊牧民であったが、ガンジス川流域に支配を及ぼすことによって、次第にインド化し、仏教も取り入れるようになった。<世界各国史(新版)『南アジア史』2004 山川出版社 p.86 などによる>

カニシカ王の仏教保護
 クシャーナ朝の第3代カニシカ王(その即位年は78年、128年、144年の三説があるが、2世紀前半のいずれかであろう)
は仏教に帰依し、マウリヤ朝のアショーカ王に続く仏教の保護者となった。またこの時代に、ギリシア・ローマ起源のヘレニズムと、ペルシアのイラン文化、さらに中国と中央アジアの文化が融合し、ガンダーラ美術が開花した。都はガンダーラ地方の中心地のプルシャプラ(現在のペシャワール)であったが、その支配が岩持する川流域に及んだので、今日のデリーの近くのマトゥラーを副都とした。またこの時代に、仏教の革新運動としてナーガールジュナが登場し、大乗仏教が成立した。
カニシカ王の像 マトゥラー近郊の遺跡から、カニシカ王の像と言われるものが出土している(山川詳説世界史教科書 p.57)。これは頭部を欠いているが、中央アジア風の外套を身につけてベルトをしめ、フェルトの長靴を履いており、「遊牧民らしい出で立ち」となっていてクシャーナ朝が本来遊牧国家であったことをよく示している。

クシャーナ朝の支配領域
 クシャーナ朝はインドの王朝といっても、民族系統はイラン系と考えられ、またその支配領域も現在のアフガニスタン、イラン東部からパキスタンのパンジャーブ地方、インドのガンジス川上流から中流にかけてであった。インド全土を支配したのではないことに注意する。その支配は、ガンジス下流やデカン高原以南には及ばず、デカンにはインド亜大陸の先住民族であるドラヴィダ人の国家であるサータヴァーハナ朝が存在し、さらにその南にはチョーラ朝(前期チョーラ朝)とパーンディヤ朝があり、インド洋交易圏で活動していた。
クシャーナ朝のインド化 イラン系民族であるクシャーナ族は、前2世紀末ごろ、バクトリアに侵入して定住し、さらに紀元後1世紀ごろに領土を拡張し、パルティアやインド北部を征服してクシャーナ朝を建てた。彼らはバクトリア語を話し、ギリシア文字を使い、ゾロアスター教の拝火儀式も行っていたが、その本拠をインドに移すに従い、バクトリア語もゾロアスター教の信仰も棄て、プラークリット語(文語であったサンスクリット語に対するインドの俗語)を話し、大乗仏教の熱心な保護者となった。それによって仏教は内陸アジアに広がっていったが、北伝仏教の中の弥勒菩薩信仰は、ゾロアスター教の救世主思想の影響があったと考えられている。<メアリー=ボイス/山本由美子訳『ゾロアスター教』2010 講談社学術文庫 p.168>

クシャーナ朝と東西貿易
 クシャーナ朝時代は地中海をローマ帝国が支配していた時代で、ローマ帝国の支配下のギリシア人商人がペルシア湾からアラビア海に進出し、季節風貿易を展開した。前1~3世紀には、クシャーナ朝だけではなく、デカン高原のサータヴァーハナ朝やインド南端のチョーラ朝も、インド洋交易圏の季節風貿易を利用したローマとの交易を行っていた。インドからは胡椒などの香辛料、宝石、真珠、象牙、綿布などが輸出され、ローマからはぶどう酒やオリーブ油がもたらされたが、常にインド側の輸出超過であったので、ローマから代金として金貨がインドにもたらされた。クシャーナ朝ではローマからもたらされた金をもとに、ローマ貨幣に模して大量の金貨を造った。

後漢、ローマ帝国との関係
 クシャーナ朝の王は、東の漢帝国(後漢)に使者を送っている(『後漢書』ではクシャーナ朝も大月氏として出てくる)が、ローマ帝国のトラヤヌス帝の時にインドから使者というのもクシャーナ朝の王の使者であろうと言われている。

クシャーナ朝の衰退
 クシャーナ朝は3世紀に西方イラン高原に起こったササン朝ペルシアに圧迫され衰退した。同じころ、ローマ帝国も3世紀の危機といわれる衰退期に入っており、ローマとの交易も衰えたことがクシャーナ朝の衰退の要因の一つと考えられている。
” (着色は引用者)



第2章:巧みなる方便(方便品第二)
p.77
〔七つの〕覚りへの要件(七覚支)(しちかくし)

本書では
( ):言葉の言い換え
だが (しちかくし)は私がルビの代わりに書いた。
〔 〕:筆者による言葉の補足


p97から
シャーリプトラよ、私はただ一つの乗り物(一乗)、すなわち〔衆生を〕ブッダへと到らせる乗り物(仏乗)(ぶつじょう)について衆生たちに法(真理の教え)を説くのだ。シャーリプトラよ、〔そのほかに〕何か第二、あるいは第三の乗り物が存在するのではない 63.
〔法を法たらしめる〕根本の理法(法性)(ほっしょう)はこれなのである。

衆生たちにただ一つの乗り物(一乗)、すなわち、一切種智(仏智)(ぶっち)を終着点とするブッダに到る乗り物(仏乗)(ぶつじょう)について法を説かれたのである。

p145から
63の注釈。
(↓鳩摩羅什による漢訳の文語訳)
「余乗の若しは二、若しは三有ること無し」について。
けれどもサンスクリット原文を厳密に読めば、これは唯一を強調するレトリックであり、「声聞」「独覚」とも、「二乗」「三乗」とも読むのは誤りであることがわかる。

注67
(岩本訳や中公版の誤訳について)
筆者(本書の著者である植木)、
「如来たちは、巧みなる方便である三つの乗り物(三乗)による教示を通して、そのただ一つのブッダの乗り物(一仏乗)を説かれるのである」と訳した箇所は原典では次のようになっている。
省略
(岩本訳では)
「唯ひとつの仏の乗り物」を「三種の乗り物」という言葉に置き換えられて説かれるだけで、名前は変わっても同じものかという誤解を与えかねない余地がある。
それに対して中公版は次の通りである。
「三つの乗り物に分解して」
この場合は、原点にない「分解して」という言葉を補って訳した結果、「仏陀の乗り物」を三つに分解したものが「三つの乗り物」であるかのような誤解を招きかねない懸念が残る。

一仏乗と三乗との間には、「止揚」という関係が無視できない。
三乗は一仏乗を言い換えたものではない。
分解したものでもない。

三位一体とかほざいているスピ系がいそうだな


p169
註200
私にとって、この世に声聞〔と言われる人〕はだれ一人として存在しないのだ」と

一仏乗の思想によって「声聞と言われる人」を見ると、その人たちも本来、菩薩であって「声聞〔と言われる人〕はだれ一人として存在しないのだ」という意味なのである。
声聞がいなくなるとは、声聞が菩薩になるからではない。
それは、この方便品で展開される「声聞の菩薩への止揚」という考えに反するのである。「菩薩になる」のではなく、「本来、菩薩である」と法華経は主張しているのだ。これは、仏教史上画期的な発言である。
この世に声聞と言われる人はだれ一人として存在しないとは、法華経の根本思想の主張。


禅みたいだな。仏になるのではなく、すでに仏であることに気づく。言葉だけでなく心でも理解しないといけない)
(法華経などにいちいち『』をメモでつけないことがある)


第3章:譬喩(譬喩品第三)

p.179の漢訳では「魔」と訳されているのを、現代語訳で「悪魔」と訳しているのが気になるな。
この訳語はよくないよ。私なら避ける。理由は
①キリスト教のイメージが強い
②悪とは限らない

注220
p274
岩本訳は、漢訳の「堕落」を採用して、次のようになっている。
 「そこで堕落を続けるのだ」(文庫上、p.211)
 漢訳の「堕落」は、他の「墜堕」「墜落」と同様、「落ちる」「陥る」といった意味で訳されている。ところが、岩本訳の用い方はそうではない。
 
落ちる⇒堕落⇒「おちぶれること」といった意味のずれが生じている。
 同じ意味を持つ二つの異なる漢字を重ねた熟語で、中国語が文字通りのことを意味するのに対して、日本語では抽象化される意味が付加されるという具体例が、『漢語からみえる世界と世間』に挙げてある。
  超越:
中国語「追い越す」(「前の車を超越する」)、
日本語「ずば抜けていること」「俗事にとらわれないこと」(抽象化されている)。

  軽薄:中国語「薄くて軽い」(文字通り)
  堕落:漢語ではもとの意味が維持(堕も落も「おちる」)、
     日本語では「おちぶれること」(抽象化が行なわれている)。
     岩本訳には、その混同が見られる。
  (そうだよな、中国語も勉強しないといけないんだよな。本当に翻訳は大変だよ)

第4章:信順の意向(信解品第四)

p321
註9
中村元博士は、法華経に金貨の使用のことが言及されていることから、法華経の成立時期を西暦47年以後と推定されている。大乗仏教が起こるのはクシャーナ王朝の時代であり、クシャーナ王朝において金貨を最初に発行したウェーマ・カドフィセース王の就任の年を基準に割り出したものである。


p310の長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の箇所の漢訳に、
”軟語すらく、『若、我が子の如くせん』”とある。
なんごすらく、なんじ、わがこのごとくせん、と読む。
軟語だぞ。愛語じゃないぞ。
そういえば、法華経には「演説」や「演(の)」(「述べる」の「述」という意味)も登場する。
演説って表現が広まったのは法華経の影響だろう。
法華経の鳩摩羅什訳が日本語に与えた影響は絶大。
天台宗が法華経系だからね。鎌倉新仏教も天台宗系で学んだ人々が作ったからね。

[2023年5月5日に追加:
法然、親鸞、一遍、日蓮、道元、栄西は比叡山で学んだことがある。
つまり、鎌倉新仏教の6人の開祖全員だ。真言宗ではないのが重要だ。

開祖 一遍上人
http://www.muryoukouji.or.jp/founder.html
”この当麻山を開山し、時宗の開祖として崇められている一遍上人は、延応元年(1239)2月15日、伊予の名門武士であった河野家、通廣公の次男として生まれました。

幼名を松寿丸といい、幼くして母を亡くしてしまいますが、父のすすめにより7歳にして同国越智郡の得智山に登り、縁教律師を師として仕え、修行にはげみました。そして15歳のとき、同師について剃髪し、名を随縁と改め、台教(天台宗の教え)を学びます。
18歳のとき、比叡山(延暦寺)に登り慈眼僧正の室に入り、三大部及び密灌をうけます。

22歳のとき、兄通真の死去により、家督相続の争いに巻き込まれ、ますます発心を強くし叡山を出、修行の旅に出ます。
26歳のとき、深く浄土門に帰し、法然上人の弟子として知られた観智上人のもとに赴き7年間修行し、浄土の安心を伝授され名を智真と改めます。

建治元年(1275)、37歳のとき宇佐八幡宮にて参籠の後霊夢を感じ、回国結願の大願を起こし、南無阿弥陀佛の名号の算(ふだ)を作り人々に配り諸国を遊行するになります。

建治2年3月25日、(当時、もっとも阿弥陀の浄土に近い場所とされていた)紀伊国熊野本宮の證誠殿において、百日参籠につとめます。その満願の日、まのあたり熊野権現にまみえ本願の深意、他力の奥旨を悟ります。この時より一遍と名乗り、《賦算(名号のお札をくばる)を続ける》旅に出ます。

弘安2年(1279)、41歳の時、信州佐久郡で踊り念佛を始めます。その後、正応2年(1289)8月23日、摂津国(兵庫)の観音堂で51年の生涯を終えられます。
南は九州から北は奥羽にいたるまでくまなく遊行し、身命を尽くされた一遍上人は法然上人、親鸞聖人と並び日本浄土教を確立された名僧として称えられています。
” ※着色は引用者

歴史 | 延暦寺について
https://www.hieizan.or.jp/about/history
”当時、「仏に成れるもの、仏に成れないものを区別する」という説もありましたが、最澄は、「すべての人が仏に成れる」と説く『法華経』に基づいて、日本全土を大乗仏教の国にしていかねばならないとの願いが募り、『法華経』の一乗の精神による人材の養成を目指しました。
[中略]
平安末期から鎌倉時代はじめにかけては、法然・栄西・親鸞・道元・日蓮といった各宗派の開祖たちが比叡山で学びました。こうして後に比叡山は日本仏教の母山と呼ばれるようになったのです。
” ※着色は引用者

演説|じつは身近な仏教用語|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイト
https://www.nichiren.or.jp/glossary/id319/
”演説

【えんぜつ】

【s:nirdeśa(ニルデーシャ)】

『広辞苑』には「多くの人々の前で自分の主義主張や意見を述べること」と定義し、現在は選挙の際につきものとして使用される言葉です。

演説は江戸時代に演舌と書き、演説は福沢諭吉の新造語だと解釈しますが、誤りです。

元来は仏法を説く事、またはその教えを述べる言葉を指します。

古く維摩経などでも「如来は一音をもって法を演説したまひ」などと用いられ、説経や唱導と同じ意味で仏教語として存在していました。

サンスクリット語[s:nirdeśa(ニルデーシャ)]の訳語です。


みじかな仏教語 8 | 黙山斎場・火葬場
http://mokusan.net/2017/06/29/%E3%81%BF%E3%81%98%E3%81%8B%E3%81%AA%E4%BB%8F%E6%95%99%E7%94%A8%E8%AA%9E%E2%91%A7/
”仏教では、教えを演(の)べ説くことを「演説」といいます。ですから演説はいろいろな仏典に登場する語です。

例えば「世尊、我等を哀愍(あいみん)して演説し給へ」(華厳経)、「仏、一音を以って法を演説したもうに」(維摩経)、「世尊、法を演説し」(法華経)、「一切の経典を宣暢し演説す」(無量寿経)という具合です。いずれも、お釈迦さまが真理や道理を人々に説きあかしているのです。

そこから多くの人びとの前で自分の主義主張や意見を述べることをいうようになったようで、街頭演説・応援演説・演説会場・演説口調などすべてこの意味です。また講義し演説することを講演ともいい、これもまた日常よく使われる言葉です。


追加ここまで]


第5章:薬草(薬草喩品第五)

p381
〔慈・悲・喜・捨の〕四種類であるところの敬虔なる行為に住すること(四梵住)(しぼんじゅう)と、〔布施
愛語・利行(りぎょう)・同事(どうじ)の四種類によって衆生を〕受け入れること(四摂事(ししょうじ))95とが説かれた。

〔 〕は筆者による言葉の補足なのだが、補いすぎでは?
愛語って誤訳っぽいんだよな。キリスト教流入以前はよくても流入後はダメでしょ。
和顔愛語は駄目だけどな。和顔軟語でないとな。


p396
注95
「四摂事」は、catvāri saṃgraha-vastūni(〔人びとを〕包容〔して救うため〕の四つの事柄)を漢訳したもので、
①dāna(布施=施しを与えること)、
②priyavacana(愛語=慈愛の言葉)、
③arthacaryā(利行=他人のためになる行為)、
④samānārtha(同事=他人と協力すること)――の四つからなる。

高楠順次郎による編集の『大正新修大蔵経』(全百巻)だと「和顔軟語」。欄外の注には、「軟=愛」と表記されている。しかし、現在流布している比較的入手しやすい『無量寿経』のテキストや資料には、「和顔愛語」となっている。意図的に「愛」に変えようとしている奴らがいるってことだ。
仏教では愛は渇愛を想起させるので悪い印象がある。まあ良い意味でも使われるんだけどさ。
無量寿経というなかの和顔軟語というのを、愛にむりやりすり替え、和顔愛語と改竄した経典を広めたグループの一員が高楠順次郎。
高楠順次郎はエスペランティストで、
1906年に黒板勝美らと共に日本エスペラント協会の結成に参加し、東京支部長。
1919年に日本エスペラント学会が設立された際は、当初は評議員として参加。
世界連邦派の仏教を耶蘇化させるための憑依戦術系の工作員。
神戸の裕福な高楠家の婿養子となり、その援助で英国に留学、オックスフォード大学でM.ミュラーに師事し、その後、ドイツやフランスにも留学しているあいだにスカウトされたのだろう。
仏典もできる限り昔に出たものを読まないとダメだね。
仏教は神秘主義という完全に間違ったデマを広めた神智学系の鈴木大拙と、
エスペラントの高楠順次郎がからむ本で仏教を学んではいけない!
仏教経典改竄を平気でやるヤソ勢力。エスペラント大好き大本教の王仁三郎「仏教を滅ぼせ」


以下、というか他の箇所や記事でも基本的に着色は引用者。

浄土三部経 講義
 仏説無量寿経上巻
http://tubamedou.egoism.jp/Joudo/JoudoKaisetu/Muryouju01/JoudoKaisetu00.htm
” 『和顔軟語先意承問』:和やかな顔、軟らかい言葉、先に相手の意を承けて問いかけること。”


「愛語」についてだが、キリスト教流入以前からこの言葉は使われている。しかし現代だとキリスト教的に解釈されそうなので使わない方が良いよな。

和顔愛語 - 新纂浄土宗大辞典
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%92%8C%E9%A1%94%E6%84%9B%E8%AA%9E
”わげんあいご/和顔愛語

なごやかな笑顔とやさしい言葉の意味。人に接するときは柔和な表情でやわらいだ笑顔を示し、親愛の情を込めたおだやかな言葉で話すのが、念仏者の常日頃の心掛けである。『無量寿経』上の「四誓偈」に続く一節に、法蔵菩薩の常の姿として説かれている。「和顔愛語して、意に先だって承問す」(聖典一・二三五/浄全一・一二)という経文の説くところは、にこやかにほほえんで、やさしく話し掛けることに加えて、相手の心持ちを先んじて知り、その思いを満たしたいとの気遣いや心配りである。なお別本には「和顔軟語」とある。

【執筆者:勝崎裕彦】

このページの最終更新日時は 2018年3月30日 (金) 06:35 です。
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新纂浄土宗大辞典について


愛語とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%84%9B%E8%AA%9E-23661

あい‐ご【愛語】
〘名〙 (priya-vādita-saṃgraha の訳語) 仏語。四摂(ししょう)の一つ。菩薩が人々を導き、その心に親愛の情を抱かせるために優しい言葉をかけてやること。
※顕戒論(820)上「不悪語麤鉱語常説愛語美妙語

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について”

(そ):あらい
顕戒論(けんかいろん〔819年(弘仁10)〕)は最澄が書いた仏教書なので、最澄が「愛語」という言葉を使っている。ただし、四摂の1つではなさそう。

顕戒論とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E9%A1%95%E6%88%92%E8%AB%96-60320
”日本大百科全書(ニッポニカ)「顕戒論」の解説
顕戒論
けんかいろん

平安初期の仏教書。最澄(さいちょう)著。3巻。最澄は仏教による護国を実現するためには、純粋な大乗の菩薩(ぼさつ)僧の養成が不可欠であると考えた。そこで比叡山(ひえいざん)に新たに大乗の戒律だけによる受戒によって僧の資格を与える大乗戒壇の設立を志し、天台宗の僧の養成の規則(『山家学生式(さんげがくしょうしき)』)の認可を朝廷に請うた。奈良の仏教界はこれに対して強く反対したため、僧綱(そうごう)の四条式(山家学生式の一つ)への批判に対して最澄が反駁(はんばく)を加えながら、戒律思想を詳説したのが本書である。全体を5篇(へん)に分かち、56明拠(明らかな証拠)をあげて、大乗の寺院のあり方、『梵網経(ぼんもうきょう)』に説かれている大乗の僧の戒律、受戒の儀式の仕方、そのほか関連する事項について説かれている。819年(弘仁10)に著し、翌年朝廷へ提出した。なお、大乗戒壇設立は、最澄没後7日目の822年6月11日に許可された。

[田村晃祐]

『安藤俊雄・薗田香融校注『最澄』(『日本思想大系4』1974・岩波書店)』”

四摂とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E6%91%82-2045882
”精選版 日本国語大辞典「四摂」の解説
し‐しょう ‥セフ【四摂】
仏語。
[1] 菩薩が衆生を悟りに導く際の四つの方法。布施(教えやものを施すこと)、愛語(やさしい言葉をかけてやること)、利行(りぎょう)(=他人の利益になることをすること)、同事(共に同じ仕事にあたること)の四つ。四摂法。
※法華義疏(7C前)二「亦譬如来有四摂四等六度。覆救六道受若衆生」 〔仁王護国経‐上〕”

西暦7世紀には四摂は登場している。なぜ確認したのかというと、明治以後にできた可能性があるからだ。




第6章:予言(授記品第六)


24
月を意味する語は、candra-など多いが、ここでは別の単語。
「ウサギ」に所有を意味する接尾辞-inを付したもので、「ウサギを持つもの」を意味する。
中国では昔、月にはヒキガエルがいると考えられていた。ところが、仏教が伝来すると、ウサギがいるという考えに取って代わった。(
月にウサギって仏教由来だったんだ)


授記という「将来ブッダになれるという予言」(おすみつき、ほしょう)がなくても修行は続けるなら授記っていらなくないか?って思った。
保証されると心の支えになるのは確かだけどね



第7章:過去との結びつき(化城喩品第七)
[ 化城喩品(けじょうゆほん)]

p466から
『無明は行に縁(えん)たり。行は識に縁たり。識は名色(みょうしき)に縁たり。名色は六入(ろくにゅう)に縁たり。六入は触(そく)に縁たり。触は受(じゅ)に縁たり。受は愛(あい)に縁たり。愛は取(しゅ)に縁たり。取は有(う)に縁たり。有は生(しょう)に縁たり。生は老死(ろうし)、憂悲(うひ)、苦悩(くのう)に縁たり。

無明(むみょう)滅すれば、則ち行(ぎょう)滅す。行滅すれば、則ち識滅す。識滅すれば、則ち名色滅す。名色滅すれば、則ち六入滅す。六入滅すれば、則ち触(そく)滅す。触滅すれば、則ち受滅す。受滅すれば、則ち愛滅す。愛滅すれば、則ち取滅す。取滅すれば、則ち有(う)滅す。有滅すれば、則ち老死、憂悲、苦悩滅す』

仏教では基本的に愛が悪い意味である理由。
渇愛、つまりめちゃくちゃ喉が渇いている時に水を求めている時のような激しい執着や愛着だからね。
愛着とは深く心を惹かれることだ。
仏教は、「愛=執着」を滅せよという教え。
これはキリスト教徒には気に入らんよな。loveの訳語を愛にした人って愛は執着ってわかって訳した疑惑があるな。
loveの訳語は御大切でよかったじゃん



不死(甘露)の太鼓を打ち鳴らしてください。
安らぎ(涅槃)へと到る道を示してください。
法(真理の教え)

『これが苦しみ(苦)であり、これが苦しみの生起(集〔じゅう〕)であり、これが苦しみの滅尽(滅〔めつ〕)であり、これが苦しみの滅尽に向かって行く道(道〔どう〕)である――ということが、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)である』と〔説かれた〕89。
 また、〔十二項目からなる〕縁による生起(十二縁起)の機能について詳細に説かれたのである。『まさに以上のように、男性出家者たちよ、無知(無明)を原因として〔存在しないものを存在するかのごとく〕生成する作用(行〔ぎょう〕)が〔あり〕、生成する作用を原因として〔自他彼此(じたひし)などと相対的に〕区別して識(し)ること(識)が〔あり〕90、区別して識ることを原因として心的と物的な要素〔からなる個人存在〕(名色)が〔あり〕、心的と物的な要素を原因として六つの感覚器官(六入)が〔あり〕、六つの感覚器官を原因として〔色・声・香・味・触・法との〕接触(触)が〔あり〕、接触を原因として感受作用(受)が〔あり〕、感受作用を原因として渇愛(愛)が〔あり〕、渇愛を原因として取著(取)が〔あり〕、取著を原因として生存(有)が〔あり〕、生存を原因として誕生(生〔しょう〕)が〔あり〕、誕生を原因として老いること・死ぬこと・憂い・悲嘆・苦しみ・悲哀・憂悩があるのだ。このようにして、この純粋な苦しみの大きな集合からなる〔連鎖的な〕結合が生ずるのである。
 〔また〕無知の滅尽から〔存在しないものを存在するかのごとく〕生成する作用の滅尽が〔あり〕、生成する作用の滅尽から〔自他彼此などと相対的に〕区別して識ることの滅尽が〔あり〕、区別して識ることの滅尽から心的と物的な要素〔からなる個人存在〕の滅尽が〔あり〕、心的と物的な要素の滅尽から六つの感覚器官の滅尽が〔あり〕、六つの感覚器官の滅尽から〔色・声・香・味・触・法との〕接触の滅尽が〔あり〕、接触の滅尽から感受作用の滅尽が〔あり〕、感受作用の滅尽から渇愛の滅尽が〔あり〕、渇愛の滅尽から取著の滅尽が〔あり〕、取著の滅尽から生存の滅尽が〔あり〕、生存の滅尽から誕生の滅尽が〔あり〕、誕生の滅尽から老いること・死ぬこと・憂い・悲嘆・苦しみ・悲哀・憂脳が滅尽されるのだ。このようにして、この純粋な苦しみの大きな集合の滅尽が起こるのである』と。


渇愛と取の違いは何だろうな。取著と執着は違うのか?


サンスクリット原典現代語訳版(梵語と鳩摩羅什訳がない版)の上巻のp.210では
「感受作用を原因として渇愛(愛)があり、渇愛を原因として執着(取)があり、執着を原因として生存(有)があり、」。
p.211では「渇愛の滅尽から執着の滅尽があり、執着の滅尽から生存の滅尽があり、」。
以上より、取著は執着と同じ意味だとみなしてよいだろう。少なくとも植木訳ではそうだ。
梵語と漢訳がない版の上巻の注で

十二因縁
人の苦悩の成立原因を、
①無明(無知)
②行(潜在的形成力)
③識(識別作用)
④名色(名称と形態)
⑤六処(六つの感官)
⑥触(接触)
⑦受(感受作用)
⑧愛(妄執)
⑨取(執着)
⑩有(生存)
⑪生(生まれること)
⑫老死(老いて死ぬこと)――の十二段階に分けて説いたもの。

とあるので、愛は妄執、取は執着と明言している。

愛とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%84%9B-23564
”精選版 日本国語大辞典「愛」の解説
〔中略〕
① 親子、兄弟などが互いにかわいがり、いつくしみあう心。いつくしみ。いとおしみ。
※梁塵秘抄(1179頃)二「遊女(あそび)の好むもの、雑芸(ざふげい)鼓(つづみ)小端舟(こはしぶね)、簦(おほがさ)翳(かざし)艫取女(ともとりめ)、男のあい祈る百大夫」
※太平記(14C後)二九「親にも超(こえ)てむつましきは、同気兄弟の愛(アイ)なり」 〔孝経‐聖治章〕
② 仏語。
(イ) 十二因縁の一つ。ものを貪(むさぼ)り執着すること。欲愛(性欲)・有愛(生存欲)・非有愛(生存を否定する欲)の三愛その他がある。
※正法眼蔵(1231‐53)仏教「十二因縁といふは、一者無明、二者行、三者識、四者名色(みゃうしき)、五者六入、六者触、七者受、八者愛、九者取、十者有、十一者生、十二者老死」 〔倶舎論‐九〕


渇愛とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%B8%87%E6%84%9B-464079
”渇愛(読み)かつあい
精選版 日本国語大辞典「渇愛」の解説
かつ‐あい【渇愛】
〘名〙 のどがかわいて水を欲しがるように、凡夫が五欲に愛着すること。また、はなはだしい愛情。〔大宝積経‐九三〕〔梁簡文帝‐唱導文〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉「渇愛」の解説
かつ‐あい【渇愛】
のどがかわいて水を求めるように、激しく執着すること。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
普及版 字通「渇愛」の解説
【渇愛】かつあい
愛する。

字通「渇」の項目を見る。

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
世界大百科事典内の渇愛の言及
【愛】より

…ただし,巴〈アッタatta‐(梵アートマātma‐)・カーマ〉:〈自己愛〉が,〈自分をたいせつにすること〉として肯定されているのは,注目に値する。 梵〈トゥリシュナーtṛṣṇā〉,巴〈タンハーtaṇhā〉:〈愛・渇愛〉。原義は〈渇き〉で,英語〈thirst〉,ドイツ語〈Durst〉と対応し,英語〈dry(乾いた)〉などと同源で,〈十二支縁起〉の一つとして,〈苦〉の原因とされている。…
【解脱】より

…仏教でも古い文献には,〈解脱〉の代りに〈不死〉という言葉がしばしば用いられている。 仏教では,われわれの輪廻的生存を〈苦〉そのものであるとし,さかのぼってその最終的原因を〈渇愛(かつあい)(トゥリシュナーtṛṣṇā)〉ないし〈無明(むみよう)(アビドゥヤーavidyā)〉と見る。したがって,それを滅ぼせば輪廻的生存はやみ,〈苦〉もなくなることになる。…

※「渇愛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について


パーリ語のtaṇhā、またはサンスクリット語のtṛṣṇā, (तृष्णा)の漢訳(中国語訳。日本語訳にも採用)が愛。
日本語訳だと愛または渇愛(渇愛も漢訳かもしれないが、法華経の鳩摩羅什訳では「愛」なので「渇」がつくのは日本特有かもしれない)。
英訳だとthirst, craving, desireなど(英語と比較すると意味が明瞭になる場合があるのは事実だ)。
原義が「渇き」なので、執着の原因としての渇きが元で、そこから派生して執着や愛着自体も意味するようになったのだろう。
(渇)愛を原因として取(しゅ)が生じる。

取(しゅ)について。
パーリ語のupādāna、サンスクリット語のउपादान, (upadana)の漢訳と日本語訳が取(しゅ)。
英訳だと、clinging, grasping, attachment, fuel, material causeなど。
燃料って訳もあるのが面白いな。
渇愛から取(ウパーダーナ)=執着が生まれる。
十二因縁の文脈でないなら、渇愛だけでも執着を意味することがある。


#3458 取著(しゅちゃく)  Nov. 17, 2016 [5. こころの洗濯]
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2016-11-16-4
”南伝の仏教経典は漢訳の経典とは異なりわかりやすい。パーリー語で書かれた経典群は漢訳よりも古く、サンスクリット語訳よりも古い。お釈迦様が衆生にわかりやすい言葉で説かれたことがよく伝わってきます。
 増谷文雄訳『阿含経典第1巻』(筑摩書房1979年刊)から「33 取著」を引用します。
〔中略〕
33 取著

 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊はサーヴァッティーのジェータ林なるアナータピンディカの園にましました。
 その時、世尊は、比丘(びく=僧侶)たちに説いて、かように仰せられた。
「比丘たちよ、取著するものを味わいながら観ていると、その人には愛着の念がいやましてくる。愛によって取がある、取によって有がある、有によって生がある、生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積の生ずる所以である。
 比丘たちよ、それは、たとえば、ここに大きな焚き火があって、そこで十把の薪、あるいは二十把の薪、あるいは三十把の、あるいは四十把の薪を燃やしておるとする。しかるに、その時、人があって、時を見はからって、その焚き火に、また乾いた草を投じたとする。あるいは乾いた牛糞を投じたとする、あるいは乾いた薪束を投じたとするならば、どうであろうか。比丘たちよ、そうすれば、その大きな焚き火は、そのために、いよいよ久しく燃えつづけるであろう。
 比丘たちよ、、それと同じで、取著するところのものを味わいながら観ていると、その人には、愛着の念がいやましてくる。愛によって取がある、取によって有がある、有によって生がある、生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積の生ずる所以である。
 しかるに、比丘たちよ、取著するところのものを、これはいけないぞと観ていると、その人には愛着の念が滅する、愛が滅すると取が滅する、取が滅すると有が滅する、有が滅すると生が滅する、生が滅すると老死・・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。かくのごときが、このすべての苦の集積の滅する所以である。
 比丘たちよ、それは、たとえば、ここに大きな焚き火があって、そこで十把の薪、あるいは二十把の薪、あるいは三十把の薪、あるいは四十把の薪を燃やしておるとする。しかるに、その時、人があって、時を見はからって、その焚き火に、また乾いた草を投じたとする。あるいは乾いた牛糞を投じたとする、あるいは乾いた薪束を投入することをしなかったとするならば、どうであろうか。比丘たちよ、そうすれば、その大きな焚き火も、やがて、さきの薪は燃え尽き、新しい燃料は加えられないということで、消えてしまうであろう。
比丘たちよ、それと同じく、取著するところのものを、これはいけないぞと観ていると、その人には、いつか愛着の念が滅する。愛が滅すると取が滅する、取が滅すると有が滅する、有が滅すると生が滅する、生が滅すると老死・・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。かくのごときが、このすべての苦の集積の滅する所以である。」

* この経題の「取」 Upadana=grasping とは所対の境に取著することをいうことばであって、十二支縁起の第八支をなす。いま釈尊は、それを中心として、比丘たちのために法を説いているのであるが、それについて釈尊の説かれた卑近の譬喩(ひゆ)が印象的である。 
* 愛 tanha もと喉の渇きをいうことば。それによって激しい愛着の念をゆびさすのである。

============================

 「有」には欲界(欲望の世界)、色界(物質の世界)、無色界(抽象の世界)の三つがある。
 「取」には見に対する取著、戒に対する取著、欲に対する取著、我に対する取著の四つがある。
 「渇愛 tanha」には物に対する渇愛、声に対する渇愛、香りに対する渇愛、味に対する渇愛、感触に対する渇愛、法に対する渇愛の六つがある。

 「所対」は能対の対義語と思われる。「能(よ)く対す」に対して、「対せられる所」。能動的に対して受動的という意味。こちら側の意思にかかわりなく訪れるものへの取に言及している。仏教辞典には記載のない用語のようだ。
 「八正道(はっしょうどう、巴: ariya-aṭṭhaṅgika-magga, 梵: ārya-aṣṭāṅgika-mārga)は、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のこと 。」
 「十二因縁の支分は、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個であり(支分の詳細は十二の支分の節を参照)、この12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という 。また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という 。」


 こころに取著が生じたら、これは取著だとありのままに観ればいいのです。ありのままに観ていれば、取著は自然に消えていきます。
 南伝の経典群を読むと、言葉を通して限りなく透明な知性を感じます。



取とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%96-76660
”精選版 日本国語大辞典「取」の解説
〔中略〕
しゅ【取】
〘名〙 (upādāna の訳語) 仏語。煩悩(ぼんのう)のこと。食欲・性欲などの欲望。十二因縁の一つに数え、また、これを欲取・見取・戒禁取(かいこんじゅ)・我語取の四取に分ける。
〔中略〕
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「取」の解説

しゅ
upādāna
仏教用語。 (1) 執着すること。 (2) 初期仏教の重要な教理である十二縁起 (→十二因縁 ) の第9番目のもの。他のものに執着することで,煩悩の別名とされることもある。
〔中略〕
世界大百科事典内の取の言及
【仏教】より

…認識の対象)→(5)六入(ろくにゆう)(眼・耳・鼻・舌・身・意の六種の感官)→(6)触(そく)(認識,感官,対象の接触)→(7)受(じゆ)(苦楽などの感受)→(8)愛(渇愛(かつあい)。本能的欲望)→(9)取(しゆ)(執着。物,物の見方,まちがった行為軌範,自我に対する固執)→(10)有(う)(欲界,色界,無色界という三界の生存状態。

※「取」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について


※以上、着色は引用者



第8章:五百人の男性出家者たちへの予言(五百弟子受記品第八)


p551
このブッダの国土は、悪が消滅しており、また女性もいなくなっているであろう17。

自然発生(化生〔けしょう〕)
真理の輝きをもつもの(法明〔ほうみょう〕)という正しく完全に覚った尊敬されるべき如来

p572から
注17
女人成仏を説く『法華経』において、このように女性を悪と並べてブッダの国土から排除するのは、例外的なことである。シャーリプトラなどの他の声聞たちのブッダの国土においては、女性は全く排除されていない。刈谷定彦博士は、この箇所の描写は後世の付加であろうと述べている。著者は、『無量寿経』の思想を割り込ませたものだと考える。その詳細は、cf.植木雅俊著『仏教のなかの男女観』、岩波書店、pp.243-249。
(
新約聖書のマグダラのマリアの特別な地位を見るに、マグダラのマリアもどうみても使徒なのに、使徒が男ばかりなのを思い出すな。
娼婦でない可能性が高い。そもそも娼婦という解釈も女性差別が混ざってそうなんだよな。
外典ではマグダラのマリアは使徒(イエスの弟子)なんだよな。使徒だったのを男尊女卑的に改悪したのだろう。仏教みたいにな。

https://twitter.com/nekonomical/status/1338483666045923328 と続き

紀元前後のインドでは現代で言う小乗仏教が多数派で、大乗仏教は少数派だったのだ。『般若経』は大乗仏教の側から小乗仏教の出家者たちを批判、『維摩経』は保守的で権威主義的な部派仏教を糾弾するものとして書かれたのだ。そして『法華経』は小乗と大乗の対立を止揚するものとして書かれたのだ。
画像
午後11:12 · 2020年12月14日·Twitter Web App

原始仏教から小乗仏教(=「説一切有部」と言う部派が代表)に至る流れで、小乗仏教の権威付けのために多くの改変がされているのだ。

例えばゴータマは「私は人間である」と原始仏教では語っているのに、小乗仏教では「私は人間ではない、ブッダである」と人間離れしたものに祭り上げられたのだ。
午後11:18 · 2020年12月14日·Twitter Web App




https://twitter.com/LfXAMDg4PE50i9e/status/1426416539096412160


〔ベヨネッタの髪の毛の服のモデルってマグダラのマリアなんだろうな。
ハンター×2のパームっていう髪の毛を体にまとう能力者の元ネタかもな〕

https://twitter.com/cameodeed/status/1192085176282566661
”カメレオ
@cameodeed
ベヨネッタの服は髪の毛で出来てて…魔法の媒体に髪の毛を使うので魔法を使う時服が消えるという合理的設計…
午後11:23 · 2019年11月6日·Twitter for Android”

https://twitter.com/hunterx2bot/status/1377196054534361091
”ハンターハンター bot
@hunterx2bot
毛髪で自身を武装するパームの
『暗黒の鬼婦神』は
"ブラックウィドウ"
感情によってその様相を変えるが

その役割は専ら 防御にあり

真におそるべきは

守りを強堅な髪の鎧に
委ねる事でこそ可能な

全身全霊を込めた殴打である
午後6:48 · 2021年3月31日·Botbird tweets”



p.555
煩悩(漏)のない、一切知者の智慧(一切種智〔いっさいしゅち〕
(鳩摩羅什訳では「一切智」)



第9章:アーナンダとラーフラ,そのほか二千人の男性出家者への予言(授学無学人記品第九)

p.599
最も微小なる微塵(みじん)(原子)

微塵切りも仏教由来なのね)

上巻終わり。

ここから
■下巻

第10章:説法者(法師品第十)

第11章:ストゥーパの出現(見宝塔品第十一,十二)
(十二の方が提婆達多品(だいばだったほん)。
本書では、第11章と、第11章の続きで分けられており、
続きの方が提婆達多品(だいばだったほん)第十二)

提婆達多品(だいばだったほん)第十二


p102
注2
提婆達多品(だいばだったほん)は、文献学的には後代に付加されたものとされている。

龍樹(150~250年?)の著作とされる『大智度論』に提婆達多品(だいばだったほん)の名前は見当たらず、
世親(4世紀~5世紀)の『法華経論』には提婆達多品(だいばだったほん)、および龍女の成仏に言及されており、提婆達多品(だいばだったほん)の登場は龍樹よりも後のことかと考えられる。

鳩摩羅什の妙法蓮華経には初めは提婆達多品(だいばだったほん)が存在せず、七巻二十七品であった。後に提婆達多品(だいばだったほん)が追加され現行の八巻二十八品となった。


p87
まさにデーヴァダッタのおかげで、私は、六つの完成(六波羅蜜)や、偉大なる慈しみ(慈)、偉大なる憐れみ(悲)、偉大なる喜び(喜)、偉大なる平等観(捨)(しゃ)〔からなる四梵住〕(しぼんじゅう)も、偉大な人が見える三十二種類の相(三十二相)、八十種類の副次的な身体的特徴(八十種好)(はちじっしゅごう)、金色の皮膚を持つこと、十種の力(十力)(じゅうりき)、〔説法における〕四つの揺るぐ(原文ママ)ことのない自信(四無畏)(しむい)、〔人々を〕包容〔して救うため〕の四つの事柄(四摂事)、ブッダに具わる十八種類の特別の性質(十八不共法)(じゅうはちふぐうほう)、大いなる神通の力を持つこと、十方の衆生を救うことも完全に成し遂げたのである。そのすべてが、デーヴァダッタのおかげなのである。
 男性出家者たちよ、私は、あなたたちに告げ、分からせてやろう。この男性出家者であるデーヴァダッタは、未来の世において、量ることも、数えることもできない劫を経て、”天への階段”(天道)という世界において、”神々の王”(天王(てんのう))という名前の正しく完全に覚った如来で、尊敬されるべき人(阿羅漢)で、学識と行ないを完成した人(明行足〔みょうぎょうそく〕)で、人格を完成した人(善逝〔ぜんぜい〕)で、世間をよく知る人(世間解〔せけんげ〕)で、人間として最高の人(無上士〔むじょうじ〕)で、調練されるべき人の御者(調御丈夫〔ちょうごじょうぶ〕)で、神々と人間の教師(天人師〔てんにんし〕)で、〔目覚めた人(仏陀)で、〕世に尊敬されるべき人(世尊)となるであろう。

サンスクリット原典現代語訳版(梵語と鳩摩羅什訳がない版)の下巻では、
「偏見・差別を捨てて衆生を利する偉大なる平等性(捨)」


p104
注16
提婆達(デーヴァダッタ)を極悪人とする傾向は、説一切有部などが有力であった西北インドにおいて顕著であった。それは教団維持のエゴイズムに基づくものであり、一種の近親憎悪であると中村博士は見ておられる。


p95から
マンジュシリー〔菩薩〕が言った。
「良家の息子よ、サーガラ龍王の娘(龍女〔りゅうにょ〕)がいるのだ。〔その娘は〕生まれて八年で、大いなる智慧をそなえ、研ぎ澄まされた能力を持ち、智に基づいた身体と言葉と心の行ない(身口意〔しんくい〕の三業〔さんごう〕)を具えており、あらゆる如来が説かれた象徴的表現の意味を会得していて、ダーラニー(陀羅尼)を得ており、あらゆる事物や衆生に対して精神集中する幾千もの三昧(ざんまい)を一瞬にして獲得しているのだ。

〔サーガラ龍王の娘は〕次の詩句(偈)(げ)を述べた。
私にとって完全なる覚りは思うがままであり、その際、私の証人は如来であります。


尊者シャーリプトラ(舎利弗)
「(前略)女性は、今日まで五つの位に到達したことはないからだ。
第一はブラフマーの位、第二はインドラの位、第三は大王の位、第四は転輪〔王(のう)〕の位、第五は不退転の菩薩の位である」

仏どころか不退転の菩薩にすらなれねーよって小乗の立場で言っている。
シャーリプトラは汚れ役だな


一切世間の〔人々の〕眼前において、また長老シャーリプトラの眼前において、その女性の性器が消えてなくなり、男性の性器が現われ33、そして、サーガラ龍王の娘は、自ら真の菩薩であることをはっきりと示した。

サハー〔娑婆〕世界

p107
注33
「女性の性器が消えてなくなり、男性の性器が現れ」という箇所は、「変成男子(へんじょうなんし)」(変じて男子と成る)と漢訳された。この言葉尻をとらえて、「女性に対する差別」「時代思潮の制約から完全には自由になっていない限界」などといった論評がなされている。ところが、原文の前後を読むと、変成男子は、女性の成仏に必要不可欠な条件として描写されているのではなく、小乗仏教の偏頗な女性観にとらわれた人に、女性の成仏が可能なことを説得するための手段として用いられていることが分かる。


デーヴァダッタという悪人でも成仏できる=仏陀になれるという悪人成仏が重要。
①女性でも、②年齢が8歳(1桁の子供)でも、③人間でなくても、仏になれると書いたのが重要。
女人成仏思想。

スピ系が勝手に、両性具有属性とかドラコニアンとかシェイプシフトとか言ってそうな箇所だな。



第12章:果敢なる努力(勧持品第十三)
p.114
獅子吼(漢訳仏典)

p.115
世尊の面前で獅子吼をなした。
 「世尊よ、以下略

獅子吼とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%8D%85%E5%AD%90%E5%90%BC-73212

獅子吼(読み)ししく
故事成語を知る辞典「獅子吼」の解説
獅子吼
雄弁を振るうこと。意気盛んな大演説をすること。

[使用例] 長い政治経歴の間、演説で論争で獅子吼を続け、つぶれ、きたえ上げられた声だ[小松左京*日本沈没|1973]

[由来] 仏教の経典で、非常によく使われている表現。たとえば、「法華経―勧持品」には、たくさんの菩薩たちが仏の前で「師子吼(「師子」は「獅子」と同じ。ライオンがほえるように力強いことばで弁じること)」して誓いを立てる場面があります。

出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
デジタル大辞泉「獅子吼」の解説
しし‐く【×獅子×吼】
[名](スル)
1 雄弁をふるうこと。意気盛んな大演説をすること。「壇上に獅子吼する」
2 仏の説法。獅子がほえて百獣を恐れさせるように、悪魔・外道を恐れ従わせるところからいう。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「獅子吼」の解説
獅子吼
ししく
siṃhanāda
釈尊が説法する様子を獅子のほえる様子にたとえたもの。釈尊が大衆に恐れることなく説法することをいう。漢訳仏典では「師子吼」と書くのが通例である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について”



第13章:安楽の住所(安楽行品第十四)
p.140
(鳩摩羅什訳)微妙(みみょう)の義を以(もっ)て、和顔(わげん)にして為(ため)に説け。

p.141
常に嫌な顔をしないで種々の意味を持つ魅力的な〔話〕を語るべきである。

p153
貪愛・憎悪・迷妄〔、すなわち貪欲・瞋恚(しんに)・愚癡の三毒〕の消滅を〔なし〕、あらゆる三界から出離することを〔なし〕、一切の魔を撃退することを〔なし〕以下略

愚痴ではなく愚癡。どちらも「ぐち」)

第14章:大地の裂け目からの菩薩の出現(従地涌出品第十五)


第15章:如来の寿命の長さ(如来寿量品第十六)

p226
(鳩摩羅什訳)
我、実に成仏してより已来(このかた)、久遠なること斯くの若(ごと)し。但、方便を以て衆生を教化(きょうけ)して仏道に入らしめんとして、是(か)くの如き説を作(な)す。(大正蔵、巻九、四二頁中~下)
(本書の鳩摩羅什訳は大正蔵が出典)

p227
如来はこのように遥かな昔(久遠)に覚りに達していても、〔如来が〕『私は、久しからざる過去に覚ったのである』とこのように語る 18 ということ――これらの法門が語られたのは、衆生を成熟させるためと、〔覚りに〕入らせるため以外にはないのだ。

p228
我、成仏してより已来(このかた)、甚だ大いに久遠なり。寿命は無量阿僧祇(あそうぎ)劫なり。常住にして滅せず。諸の善男子(ぜんなんし)よ、我、本(もと)菩薩の道(どう)を行じて成(じょう)ぜし所の寿命、今猶(いまなお)、未だ尽きず。

pp.229~230
如来は、それほどに遥かな昔(久遠)に覚りに達し、量ることのできない寿命の長さを持ち、常に存在し続けているのである。如来は、完全なる滅度(涅槃)に入ったことはなく、教化のための願いによって完全なる滅度を示してみせるのである。また、良家の息子たちよ、私は、〔私の〕過去の菩薩としての修行(菩薩道)を今なおいまだに完成させていないし、寿命の長ささえもまた、〔いまだに〕満たされていないのである。
 しかもまた、良家の息子たちよ、〔私の〕寿命の長さが満たされるに至るまで、私にとって今なおその〔久遠に成道してから現在に至るまでの時間の〕二倍だけ、〔すなわち、現在から未来へとさらに〕幾百・千・コーティ・ナユタ劫にわたるであろう33。だから今、良家の息子たちよ、私は実に完全なる滅度(涅槃)に入ることはないのに、〔私は〕完全なる滅度〔に入るだろうということ〕を告げるのである。

久遠実成(くおんじつじょう)。この寿命の長さだと今現在お釈迦様は生きていることになる。まだ存命。寿命があるので永遠不滅の存在ではない)



第16章:福徳の分別(分別功徳品第十七)

第17章:喜んで受け入れることの福徳についての表明(随喜功徳品第十八)

p297
それらの衆生たちは、その人からその法を聞くであろう。聞いて後に、一刹那、一瞬時、一瞬間にして、すべて〔の衆生たち〕は”〔聖者としての〕流れに入ったもの”(預流〔よる〕=須陀洹〔しゅだおん〕)、”〔天界から人間界にもう〕一度だけ還〔ってきて悟りを得〕るもの”(一来(いちらい)=斯陀含(しだごん)、”〔二度と迷いの世界に〕還ってこないもの”(不還(ふげん)=阿那含(あなごん)となり、、”〔二度と迷いの世界に〕還ってこないもの”の果(不還(ふげん)果)を得て、煩悩を滅し、禅定に専念し、大いに禅定に励み、八種類の解脱によって禅定を行ずる 8 阿羅漢にまでなるであろう。


第18章:説法者に対する讃嘆(法師功徳品第十九)

第19章:常に軽んじない菩薩(常不軽菩薩品第二十)

第20章:如来の神力の顕現(如来神力品第二十一)
p.401
注19
dharmatāは一般に「法性」と漢訳されるが、「法を法たらしめるもの」「法の本性」「根本の理法」といった意味である。翻訳に当たり、分かりやすいようにと考えて、それらを組み合わせて「〔法を法たらしめる〕根本の理法(法性)」とした。

そういえば、授記ってもともとは、質問に対しての釈尊(お釈迦様)の解説や、仏典に関する解説や説明などを意味していたんだよな。解説範囲が相手の未来にまで及ぶようになったってことなのだろう)


第21章:ダーラニー(陀羅尼品第二十六)

第22章:“薬の王”の過去との結びつき(薬王菩薩本事品第二十三)

p.450
鳩摩羅什訳
”悪魔、魔民、諸天、龍、”

現代語訳
”魔のパーピーヤス(波旬)がつけ入る機会を得ることがない〔ように〕、魔の集団に属する神々たちも、龍たちも、”

(「悪魔」も仏典にある。デビルを「悪魔」と訳したのは仏典由来なのだろうな。
今は、完全にキリスト教的な意味に上書きされてしまった。
つまり、現代では訳語で避けた方が良いな。別に「魔」一文字で問題ないじゃん



第23章:明瞭で流暢に話す声を持つもの(妙音菩薩品第二十四)

第24章:あらゆる方向に顔を向けたもの(観世音菩薩普門品第二十五)

第25章:“美しく荘厳された王”の過去との結びつき(妙荘厳王本事品第二十七)


第26章:“普く祝福されている人”による鼓舞(普賢菩薩勧発品第二十八)
p.558
鳩摩羅什訳
「若しは魔、若しは魔子、若しは魔女、若しは魔民、若しは魔の著する所と為る者、」
〔若(も)し、著(じゃく)する と読む〕

p.559
現代語訳
「魔のパーピーヤス(波旬)も、魔の息子たちも、魔の集団に属する神々の子(天子)たちも、魔の娘たちも、魔の眷属たちも、
(中略)さらには魔によって纏い付かれることがなくなるまで、」

鳩摩羅什訳と梵語原文は完全に対応することはないので注意。
「魔女」という単語が「魔の娘」という意味で使われている。
魔術や魔法を使う女ではないが、訳語の出典は法華経かもしれない


p.568
鳩摩羅什訳
「少欲知足」
「法の螺を吹き」
(螺は「かい」と読む)

p.569
現代語訳
「自分で得たものに満足している(少欲知足)」
「法の螺貝を吹き鳴らし、」
(螺貝はそのまま「らがい」と読む。
少欲知足も鳩摩羅什訳で広まったのだろうな。


第27章:付嘱(嘱累品第二十二)

解説 『法華経』原典と翻訳の歴史と思想
(梵語が無い方の現代語訳の下巻の解説と被っている箇所があるのでそこはメモしない。
先に読んでメモったのが、梵語がない方の下巻の解説だったので)
p588から
ネパール駐在公使であったイギリスのB・H・ホジソン(1800~1894年)が、1837年にネパールから多数のサンスクリット仏典を持ち帰った。その中に『法華経』も含まれていた。

法華経などの初期大乗仏典のサンスクリット原典は、正規のサンスクリットからなる散文の長行と、プラークリット(方言)の混じった仏教混淆梵語(Buddhist Hybrid Sanskrit, BHS. と略記)で書かれた韻文の偈(げ)(詩句)との二部構成になっている。

p594から
「インドの貨幣経済は……ウェーマ・カドフィセース王(在位約37年~)の時代に於いて急激に発展した。故に法華経成立の上限は約西紀40年であると考えられる」と論じておられる。
 また、法華経成立の下限としては、「西北インド及びヒンドゥスターンにある多数の仏教のストゥーパは、主としてヴァースデーヴァ王のとき建造されたものであり、この王の時代のものが圧倒的に多い。そうしてこの王以後はストゥーパ建造の風潮が急激に減退しておる……ヴァースデーヴァ王は西紀202~229年頃に統治していた。しからば法華経の嘱累品(ぞくるいほん)第二十二までの部分は40~220年の間に成立したものであることが知られる」とも指摘されている。
 (1~3世紀に成立。なお、全体が一気にできたとは限らない。
一部が1世紀、一部が2世紀、一部が3世紀かもしれない。
 なおメモのときは漢数字をアラビア数字に変えていることがある)

法華経のタイトルは、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」である。
サッダルマは「正しい教え」(正法)、プンダリーカは白蓮華(びゃくれんげ)、スートラは「経」。

サンスクリット文法を体系化したカシミール出身のパーニニ(紀元前5-4世紀)の文法書とその注釈書によると、「プンダリーカ(白蓮華)は複合語の後半にきて、前半の語を譬喩(ひゆ)的に修飾する」

従って、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と著者は訳した。

p600から
独覚(どっかく)(梵:pratyeka-buddha。パーリ:paccekabuddha)という存在も認められていた。それは、縁覚(えんがく)とも言われ、辟支仏(びゃくしぶつ)と音写される。原始仏教のころは、仙人(r.si)(リシと読むのだろう)などの孤独な隠遁的修行生活を送る者のことであり、必ずしも仏教徒とは限らなかった。ところが、仏教に採り入れられると、山野に自活して三昧(瞑想)に没頭して、縁起の法を内観し覚る者のこととされた。彼らは、独覚果を得ることを目的としていた。


法華経において、一乗と三乗とが真実と方便として立て分けられているとなると、法華経の言う菩薩乗と仏乗との関係は、全同ではないということになる。

仏乗について定義した『法華経』方便品の次の一説が裏づけている。
 「一切種智(仏智)(ぶっち)を終着点とするブッダに到る乗り物(仏乗)(ぶつじょう)……」(本書上巻、p.99)
 

植木雅俊『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上下)
2015年


現代語訳(梵語がない方)の上巻
2015年に発行。



p273から

第一章

独覚(どっかく)
他人のために教えを説くことのない利己的な出家修行者のこと。

阿羅漢
ブッダの十種類の別称の一つであり、「尊敬されるべき人」「供養を受けるに値する人」が本来の意味である。ところが、釈尊滅後百年経ったころに始まる部派(小乗)仏教時代には、既にブッダの別称から格下げされ、声聞たちの到りうる最高の位とされた。ここでは後者の意味で用いられているので、前者と区別するために「阿羅漢」と表記する。


カーシャパ(迦葉)三兄弟という。
釈尊は、鹿野苑(ろくやおん)における初転法輪で五人の弟子を覚らせた後、ブッダ・ガヤーへ舞い戻り、そこで教化したのがバラモン教の火の行者として知られたこの三人の兄弟であった。

シャーリプトラは大乗仏典では小乗仏教を代表する役回りで描かれている。

アーナンダ
ここ(第一章)で「有学」と断っているが、鳩摩羅什訳では「有学」とも何とも言っていない。本書の第九章でもアーナンダを有学とは言っていない。ここで「有学」としたのは、後世にアーナンダの地位低下を図ってなされた操作の影響を受けたものであろう。

ダーラニー
心が散乱するのを防いで集中したり、教えや経文を記憶するために唱える呪文。陀羅尼と音写される。

ダシャンは10、
シャタは百、
サハスラは千。

マンジュシリー:
般若経をはじめとする初期大乗仏典に頻出する菩薩。空を覚り、智慧(般若)を具えていて、説法も巧みである。イランの神の影響で生み出された観世音や弥勒と違い、マンジュシリーは仏教の内部から生み出された菩薩である。文殊師利と音写される。

観世音
慈悲による救済を特色とする菩薩で、イランの神の影響を受けて形成されたと考えられている。

マイトレーヤ
弥勒と音写される。釈尊に次いで五十六億七千万年後に現われるとされる未来仏のことで、現在は菩薩として兜率天(とそつてん)に住しているという。ゾロアスター教のミトラ神との関係も議論されている。


シャクラ神
インドラ神ともいう。リグ・ヴェーダで最大の神とされる。


結跏趺坐
足の甲(趺)をそれぞれの反対側の太ももの上に乗せて(跏)、交錯させて(結)、坐ること。


三界
衆生が生死流転(しょうじるてん)する世界を、
①欲界(欲望を有するものの住む世界)、
②色界(欲望を離れ絶妙な物質からなる世界)、
③無色界(物質をも超越し精神のみが存在する世界)――の三段階に分けたもの。

袈裟
「黄褐色」を意味するサンスクリット語のカシャーヤを音写したものである。それは、アウトカーストのチャンダーラ(栴陀羅〔せんだら〕)たちが身に着けていた衣であった。

ヨージャナ
牛の首につける軛のことで、由旬と音写された。それが、牛に軛をつけて車につなぎ荷物を運ばせる際に、牛が疲れて軛をはずしてやるまでに進む距離という意味に転じて、距離の単位となった。一ヨージャナの距離については、種々の説があるが、『ジャータカ序』に、成道したブッダが、ブッダガヤーからバーラーナシーを目指して、「十八ヨージャナの距離の旅路につかれた」とあり、両者は直線距離にして約二百二十キロメートル、道の弯曲などを考慮すると、筆者の計算では一ヨージャナは、十五キロメートルほどと考えることができよう。

ウシごとに長さが変わる単位って駄目じゃん)


四聖諦
生きる上での苦を乗り越えるための四つの真理のことで、
①苦諦(この世は苦であるという真理)、
②集諦(煩悩と妄執が苦の因であるという真理)、
③滅諦(苦の因を滅するという真理)、
④道諦(覚りを得るための実践という真理)――の四つからなる。

十二因縁
人の苦悩の成立原因を、
①無明(無知)
②行(潜在的形成力)
③識(識別作用)
④名色(名称と形態)
⑤六処(六つの感官)
⑥触(接触)
⑦受(感受作用)
⑧愛(妄執)
⑨取(執着)
⑩有(生存)
⑪生(生まれること)
⑫老死(老いて死ぬこと)――の十二段階に分けて説いたもの。


第二章の注
p280から

(五種の働き)
五根
解脱に到るための五つの能力。
①信根(信を生じ維持する能力)
②精進根(努力する能力)
③念根(記憶して忘れない能力)
④定根(禅定の能力)
⑤慧根(智慧の能力)。

(五種の能力)
五力(ごりき)
解脱に到らせる五つの力。五根が機能して現れる
①信力
②精進力
③念力
④定力
⑤慧力――の五つの働きのこと。

(p.38の、七つの悟りへの要件(七覚支)(しちかくし)(6)について)
七覚支
覚りを得るために役立つ七つのこと。
①択法覚支(ちゃくほうかくし)(教えの真偽を選び分けること)、
②精進覚支(正しい教えによって努力すること)、
③喜覚支(正しい法を実践する喜びに住すること)、
④軽安(きょうあん)覚支(心身の軽やかさと快適さを保つこと)、
⑤捨覚支(対象にとらわれる心を捨てること)、
⑥定覚支(心を集中して乱れないこと)、
⑦念覚支(記憶して忘れないこと)。

要件:大切な用事、必要な条件)



禅定、解脱、三昧、等至:
いずれも心を集中して静かに瞑想することを意味する。
この四語は定型句のように用いられることが多い。
それぞれは、さらに分類され、その数を示して「四禅」「八解脱」「三三昧」「八等至」と表記される。「四禅」は、欲界の迷いを超えて色界に生ずるための四段階の瞑想を意味する。「八解脱」は、三界の煩悩を離脱して解脱する八種の瞑想のこと。「三三昧」は、あらゆるものごとを空(実体がない)・無相(差別相がない)・無願(欲望を離脱している)と見る瞑想のこと。「八等至」は、色界の四禅と無色界の四定(空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定)の八つのこと。


第三章

五蘊:
自己とあらゆる存在を物質と精神の五つの集まりとして分類したもの。
①色(しき)(物質や身体)
②受(感受作用)
③想(表象作用)
④行(意志作用)
⑤識(識別作用)。


資産家(グリハパティ)
「居士」「家長」と漢訳されているが、中村元博士は「資産者という階級がひとつの身分として現われ、王族およびバラモン族に次ぐものとして位置づけられている」として、もともとの「家長」の意味が変質していることを指摘している。ここでは「資産家」とする。グリハパティは直訳すると「家(グリハ)の主人(pati)」という意味であるが、特に商工業に従事する実業家や資産家を意味していた。

六通
六神通とも言う。六つの超人的な能力。
①天眼通(てんげんつう)(常人に見えないものを見る能力)、
②天耳(てんに)通(常人に聞くことのできない音を聞く能力)、
③他心通(他人の心の思いを知る能力)、
④宿命(しゅくみょう)通(自他の過去世を知る能力)、
⑤神足(じんそく)通(意のままに行きたいところに行ける能力)、
⑥漏尽(ろじん)通(煩悩を断じ尽くす能力)。


三明
三つの超人的な能力。六通の中の宿命通、天眼通、漏尽通を取り出して、
①宿命明(みょう)、②天眼明、③漏尽明とした。


ティシュヤ
シャーリプトラという呼び名で呼ばれることが普通だが、これは本来「シャーリーという女性の息子(putra)」ということであり、ウパティシュヤという別名でも呼ばれていた。それについては、出家前の俗名などといった種々の説明があるが、よくは分からない。ティシュヤはその省略形である。


ローカーヤタ派
順世外道と漢訳される。古代インドの自由思想の一つで、唯物論の立場に立ち、地・水・火・風の四つの元素と、虚空の実在のみを認めていた。地・水・火・風からなる人間は、死後は無に帰すとして、霊魂、輪廻、業の存在を否認し、祭祀、供養、布施の意義も否定した。


第五章
無生法忍
あらゆるものが空であって、固定的な自性がなく、不生不滅であると認めること。


四梵住
四つの広大な利他の心のことで、四無量心とも言う。
①慈無量(無量の慈しみ)、
②悲無量(他者の苦しみに対する無量の同情)、
③喜無量(他者を幸福にする無量の喜び)、
④捨無量(怨親などの差別相を捨てて、無量に他者を平等に利すること)。

四摂事
人びとを包容して救うための四つの事柄。
①施し与えること(ダーナ、布施)、
②慈愛の言葉(priya-vacana、愛語)、
③他人のためになる行為(利行)、
④他人と協力すること(同事)――の四つからなる。

愛語の訳語は慈語じゃダメだったのか?
以下を読むに、親語や優語でいけそうだな。

Priyavacana, Priya-vacana: 9 definitions - Wisdom Library
https://www.wisdomlib.org/definition/priyavacana
”General definition (in Buddhism)
[«previous (P) next»] — Priyavacana in Buddhism glossary
Source: Wisdom Library: Dharma-samgraha

Priyavacana (प्रियवचन, “kindly speech”) refers to one of the “four bases of sympathy” (catursaṃgrahavastu) as defined in the Dharma-saṃgraha (section 19). The Dharma-samgraha (Dharmasangraha) is an extensive glossary of Buddhist technical terms in Sanskrit (e.g., ṣaṣ-pāramitā and priyavacana). The work is attributed to Nagarjuna who lived around the 2nd century A.D.


priya - Dictionary | Buddhistdoor
https://www2.buddhistdoor.net/dictionary/details/priya

Dictionary Definition :
Definition[1]




snyan

[translation-san] {C} karṇa

[translation-san] {C} kāvya

[translation-san] {C} priya

[translation-eng] {Hopkins} ear

[translation-eng] {C} poetry; poem; dear; kind
Source

Jeffrey Hopkins' Tibetan-Sanskrit-English Dictionary
Definition[2]




snyan pa

[translation-san] {MSA} priya

[translation-san] {MSA} madhura

[translation-san] {MSA} sukha

[translation-san] {MSA} kalā (vāc)

[translation-san] {MSA} yaśas

[translation-san] {MSA} varṇa

[translation-eng] {Hopkins} pleasant; sweet to hear; fame; renown; glory

[translation-eng] praise; well-sounding
Source

Jeffrey Hopkins' Tibetan-Sanskrit-English Dictionary
Definition[3]




snyan po

[translation-san] {MSA} priya

[translation-eng] {Hopkins} pleasant; sweet to hear; fame; renown; glory
Source

Jeffrey Hopkins' Tibetan-Sanskrit-English Dictionary
Definition[4]


sdug

[translation-san] {MSA} priya

[translation-san] {MSA} snigdha

[translation-eng] {Hopkins} dear; kind; beloved

[comments] also short for sdug bsngal, suffering
Source

Jeffrey Hopkins' Tibetan-Sanskrit-English Dictionary
Definition[5]


sdug pa

[translation-san] {LCh} priya

[translation-san] {C,MSA} śubha {C}(=praśasta)

[translation-san] {C} śubhatā

[translation-san] {MSA} iṣṭa

[translation-eng] {Hopkins} attractive; nice; beautiful

[translation-eng] {C} dear; kind; beloved; lovely; wholesome; pleasant; merit; pleasantness
Source

Jeffrey Hopkins' Tibetan-Sanskrit-English Dictionary


Vacana, Vācanā: 20 definitions
https://www.wisdomlib.org/definition/vacana
”Sanskrit dictionary
[«previous (V) next»] — Vacana in Sanskrit glossary
Source: DDSA: The practical Sanskrit-English dictionary

Vacana (वचन).—[vac-lyuṭ]

1) The act of speaking, uttering. saying.

2) Speech, an utterance, words (spoken), sentence; ननु वक्तृविशेषनिःस्पृहा गुणगृह्या वचने विपश्रितः (nanu vaktṛviśeṣaniḥspṛhā guṇagṛhyā vacane vipaśritaḥ) Kirātārjunīya 2. 5; प्रीतः प्रीतिप्रमुखवचनं स्वागतं व्याजहार (prītaḥ prītipramukhavacanaṃ svāgataṃ vyājahāra) Meghadūta 4.

3) Repeating, recitation.

4) A text, dictum, rule, precept, a passage of a sacred book; शास्त्रवचनम्, श्रुतिवचनम्, स्मृति- वचनम् (śāstravacanam, śrutivacanam, smṛti- vacanam) &c.

5) An order, a command, direction; शुश्रूषां गौरवं चैव प्रमाणं वचनक्रियाम् (śuśrūṣāṃ gauravaṃ caiva pramāṇaṃ vacanakriyām) (kuryāt) Rām.2.12.26; मद्वच- नात् (madvaca- nāt) 'in my name', 'by my order'.

6) Advice, counsel, instruction.

7) Declaration, affirmation.

8) Pronunciation (of a letter) (in gram.).

9) The signification or meaning of a word; अत्र पयोधरशब्दः मेघवचनः (atra payodharaśabdaḥ meghavacanaḥ).

1) Number (in gram.); (there are three numbers, singular, dual and plural).

11) Dry ginger.

Derivable forms: vacanam (वचनम्).”



現代語訳(梵語がない方)の下巻
2015年に発行。



第二十一章 ダーラニー(陀羅尼品第二十六)
(陀羅尼品第二十六)

p178
この「ダーラニーの章」が説かれている時に、六万八千の生命あるものたちに何ものも生ずることはないという真理を認める知(無生法忍(むしょうぼうにん))の獲得があった。


第二十二章 “薬の王”の過去との結びつき(薬王菩薩本事品第二十三)

p181から
さらに、その世尊は、"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という偉大な人である菩薩を足がかりとなして、それらの偉大なる声聞たちや、それらの偉大な人である菩薩たちのために、この”白蓮華のように最も勝れた正しい教え”という法門を詳しく説き明かした。

その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩は、その世尊の説法のもとで困難な修行(苦行)に専念した。その菩薩は、一万二千年の間、そぞろ歩き(経行(きょうぎょう))の場所に立ち、卓越した努力精進への取り組みによって、精神統一に専念していた。その菩薩は、一万二千年の経過の後、”あらゆる姿を顕現すること”(現一切色身(げんいっさいしきしん))という名前の三昧(さんまい)を得た。その三昧の獲得と同時に、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩は、満足して、心が高揚し、心が満たされ、狂気し、喜悦と歓喜を生じ、その時、次のように考えた。
(略)

そこでさらに、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩は、しっかりとした意識をもって、思慮深く、その三昧から立ち上がった。立ち上がってから、次のように考えた。
『神力によって奇跡を顕現して世尊に供養をなすことは、自己の身体を喜捨することによって供養をなすことには、はるかに及ばない』と。


しかも、そのようにして、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩は、絶えることなく常に香を飲食し、チャンバカの花の油を飲み続けているうちに、十二年が過ぎ去った。
 すると、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩は、その十二年の経過の後、自分の身体を天上の衣で包んで香油の中に浸け、自らに願力を加えた。自らに願力(がんりき)を加えて後、如来に対する供養のために、また、この”白蓮華のように最も勝れた正しい教え”という法門に対する供養のために、自分の体に火を着けた。
 (法華経も12が好きなんだな
 )
すると、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩の身体の燈火から放たれたそれらの光と焔に照らされて、八十のガンジス河の砂の数に等しい世界が明らかに出現した。そして、それらの世界において、まさに八十のガンジス河の砂の数に等しいそれらの世尊であるブッダたちのすべてが、感嘆の言葉を発した。
 『素晴らしいことである。素晴らしいことである。
これこそが、偉大な人である菩薩にとって、真の努力精進への取り組みであり、これこそが、真実の如来に対する供養であり、法に対する供養である。

これこそが、最高の布施であり、王国を喜捨する布施も、愛する息子と妻を喜捨する布施も、それに及ぶことはないのだ。さらに、両家の息子よ、この自己の身体を喜捨することは法に対する供養であって、最上にして、最高であり、最善で、最も勝れ、卓越したものなのである』

これ生贄思想につながるから初期仏教の釈迦ならダメって言うだろうな。
つーかこれアグニ崇拝でしょ。
これ生贄と火の儀式だから、バラモン・ヒンドゥー教の影響だろうな
これを世尊であるブッダたちのすべてが褒めたたえるのがマジでまずいでしょ。
いやまあ、自己の身体を喜捨するつまり焼くことは比喩であり、法華経の教えに全てを捧げるということだと解釈すれば大丈夫だろうけどさあ。


 その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩の身体が燃え続けている間に、千二百年が過ぎ去った。けれども、その火が消えるには至らなかった。千二百年が経過した後に、それは消えたのだ。
 すると、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん))という菩薩は、このような如来に対する供養と、法に対する供養を行なって、そこで死んで、まさにその世尊である”月と太陽の汚れのない光明によって吉祥であるもの”(日月浄明徳〔にちがつじょうみょうとく〕)という如来の説法のもとで、”清らかな布施をなすもの”(浄徳)という王の家に、〔前世の業の結果として〕化生(けしょう)(1)して生まれ、王の膝の上に結跏趺坐して出現した。

おいおい、1200年間、燃え続けた後にこの菩薩が死んでんじゃん。
いやこれ、焼身自殺扱いにならないの?
自殺が駄目なのは非殺生戒は自分も含まれるからだよ。
この薬王菩薩本事品は後から付け足されたものだから、もともとは法華経の思想ではなかったことに注意。

法華経 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C
”迹門と本門

鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている[注 5]。現在、日本で広く用いられている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく五百塵点劫という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の天台宗や法華宗一致派は両門を対等に重んじ、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。

また、三分(さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとする。

経本としても流通しているが、『妙法蓮華経』全体では分量が大きいこともあり、いくつかの品を抜粋した『妙法蓮華経要品』(ようほん)も刊行されている。
迹門

前半部を迹門(しゃくもん)と呼び、般若経で説かれる大乗を主題に、二乗作仏(二乗も成仏が可能であるということ)を説くが、二乗は衆生から供養を受ける生活に余裕のある立場であり、また裕福な菩薩が諸々の眷属を連れて仏の前の参詣する様子も経典に説かれており、説法を受けるそれぞれの立場が、仏を中心とした法華経そのものを荘厳に飾り立てる役割を担っている。

さらに提婆達多の未来成仏(悪人成仏)等、“一切の衆生が、いつかは必ず「仏」に成り得る”という平等主義の教えを当時の価値観なりに示し、経の正しさを証明する多宝如来が出現する宝塔出現、虚空会、二仏並座などの演出によってこれを強調している。また、見宝塔品には仏滅後に法華経を弘める事が大難事(六難九易)であること、勧持品には滅後末法に法華経を弘める者が迫害をされる姿が克明に説かれる等、仏滅後の法華経修行者の難事が説かれる。
本門

後半部を本門(ほんもん)と呼び、久遠実成(くおんじつじょう。釈迦牟尼仏は今生で初めて悟りを得たのではなく、実は久遠の五百塵点劫の過去世において既に成仏していた存在である、という主張)の宣言が中心テーマとなる。これは、後に本仏論問題を惹起する。

本門ではすなわちここに至って仏とはもはや歴史上の釈迦一個人のことではない。ひとたび法華経に縁を結んだひとつの命は流転苦難を経ながらも、やがて信の道に入り、自己の無限の可能性を開いてゆく。その生のありかたそのものを指して仏であると説く。したがってその寿命は、見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものとして理解される。そしてこの世(娑婆世界)は久遠の寿命を持つ仏が常住して永遠に衆生を救済へと導き続けている場所である。それにより“一切の衆生が、いつかは必ず仏に成り得る”という教えも、単なる理屈や理想ではなく、確かな保証を伴った事実であると説く。そして仏とは久遠の寿命を持つ存在である、というこの奥義を聞いた者は、一念信解・初随喜するだけでも大功徳を得ると説かれる。

説法の対象は、菩薩をはじめとするあらゆる境涯に渡る。また、末法愚人を導く法として上行菩薩を初めとする地涌の菩薩たちに対する末法弘教の付嘱、観世音菩薩等のはたらきによる法華経信仰者への守護と莫大な現世利益などを説く。
現代のサンスクリット学者の見解

近現代のサンスクリット学者は、嘱累品第二十二までが古い時代に成立した原型であり、薬王菩薩本事品第二十三からあとは後世に付け加えられたものと推定している[12]。
『法華経』は、嘱累品第二十二までは、男女平等を説くなど、原始仏教への原点回帰的な主張が多い。ところが薬王菩薩本事品第二十三からあとは、原始仏教が禁じたオカルト的な呪法(陀羅尼)や、極楽浄土に女性はいないとする浄土教系の男女差別思想、『法華経』そのものではなく観音菩薩の神通力にすがる観音信仰など、それまでの記述とは矛盾する異質の思想の混入が目立つ[13]。これらの異質な部分は、大乗仏教が誕生したあとも太古さながらの呪術や迷信を信ずる一般大衆を信者にとりこむため、仏教側が妥協して後から付け加えたものと推定されている[14]。
方便品第二と如来寿量品第十六

『法華経』といえども異質の矛盾した思想があちこちに混入しているため、伝統仏教の一部流派では、迹門の方便品第二と本門の如来寿量品第十六(特に最後の自我偈の部分)を、『法華経』の真髄として重視した。例えば日蓮は、信者に対し、『法華経』の根幹は方便品と寿量品であり他の品はいわば枝葉なので、方便品と寿量品さえ読誦すれば他の品の教えは自然と身につく、と説いた[15]。
妙法蓮華経二十八品一覧

前半14品(迹門)
第1:序品(じょほん)
第2:方便品(ほうべんぽん)
第3:譬喩品(ひゆほん)
第4:信解品(しんげほん)
第5:薬草喩品(やくそうゆほん)
第6:授記品(じゅきほん)
第7:化城喩品(けじょうゆほん)
第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
第10:法師品(ほっしほん)
第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
第12:提婆達多品(だいばだったほん)
第13:勧持品(かんじほん)
第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)

後半14品(本門)
第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
第22:嘱累品(ぞくるいほん)
第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)(観音経)[注 6]
第26:陀羅尼品(だらにほん)
第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)
第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)


その他の追加部分

第29:廣量天地品(こうりょうてんちぼん)[16]
第30:馬明菩薩品(めみょうぼさつぼん)[17]

28品のほか、以上の追加部分も成立しているが、偽経扱いとなり普及しなかった。「廣量天地品第二十九」は冒頭部分のみを除いて失われている。『妙法蓮華経』28品と同じくネット上でも大正新脩大蔵経データベースで閲覧できる。
8巻と28品の対応関係

鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』8巻28品の、各巻ごとの内訳は以下のとおり。

第1巻 第1:序品 第2:方便品
第2巻 第3:譬喩品 第4:信解品
第3巻 第5:薬草喩品 第6:授記品 第7:化城喩品
第4巻 第8:五百弟子受記品 第9:授学無学人記品 第10:法師品 第11:見宝塔品
第5巻 第12:提婆達多品 第13:勧持品 第14:安楽行品 第15:従地湧出品
第6巻 第16:如来寿量品 第17:分別功徳品 第18:随喜功徳品 第19:法師功徳品
第7巻 第20:常不軽菩薩品 第21:如来神力品 第22:嘱累品 第23:薬王菩薩本事品 第24:妙音菩薩品
第8巻 第25:観世音菩薩普門品 第26:陀羅尼品 第27:妙荘厳王本事品 第28:普賢菩薩勧発品

『更級日記』の作者・菅原孝標女が少女時代、夢の中で僧侶から「『法華経』の第5巻を早く習いなさい」と忠告されたのに無視した挿話[18]は有名である。第5巻には、女人成仏を説く提婆達多品や、天台系寺院の勤行で読誦される安楽行品、「本門」(後半14品)の最初の章である従地湧出品などが含まれている。
〔中略〕
最終更新 2022年5月19日 (木) 15:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

 ※着色は引用者


p269 注
化生には、
①両親なくして何もないところから忽然と生まれること、
②前世の善悪の業の結果として生まれること――の意味があるが、ここでは②である。

生まれ変わっているから解脱していない〔輪廻の輪から外れていない〕んだよな。焼身自殺で解脱にはさすがにしていないな


p184に戻る。
その世尊である”月と太陽の汚れのない光明によって吉祥であるもの”(日月浄明徳〔にちがつじょうみょうとく〕)という如来に対して、供養を行なった後、私は、”すべての音声に精通している”というダーラニー(解一切衆生語言陀羅尼〔げ いっさい しゅじょう ごごん だらに)を得ました。


省略したが、法華経も7が好き。


その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見〔いっさいしゅじょうきけん〕)という菩薩は、それらの如来の遺骨を納めた八万四千のストゥーパの前で、幾百もの福徳の相で飾られた自分の腕に火を着けた。七万二千年の間、腕を燃やして、それらの如来の遺骨を納めたストゥーパに対して供養を行なったのである。
 また、"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見〔いっさいしゅじょうきけん〕)という菩薩は、供養を行ないながら、その集会の幾百・コーティ・ナユタもの数えることのできない声聞たちを教化した。そして、それらのすべての菩薩たちは”あらゆる姿を顕現すること”という三昧を得たのである。

『この"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見〔いっさいしゅじょうきけん〕)という偉大な人である菩薩は、私たちの師であり、教化者である。まさにその人が今、身体に障害を持つものとなり、腕のないものとなってしまわれた』と。

これ両腕なの? それと、後に腕が元のようになったとあるので、腕を切り落としてから火をつけたのだろう。
『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(下)の
第22章:“薬の王”の過去との結びつき(薬王菩薩本事品第二十三)での、
p.436の鳩摩羅什訳で
「両の」臂(ひじ)となっているので両腕


〈如来の供養のために私自身の腕を喜捨して後、私の身体を金色(こんじき)にする真実と真実の言葉によって、私のこの腕は元のようになれ。そして、この大地は六種類に震動せよ。空中にいる神々の子たちは、大いなる花の雨を降らせよ〉
 すると、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見〔いっさいしゅじょうきけん〕)という菩薩が、この真実の誓いを直ちに立てると、まさにその時、この三千大千世界が六種類に震動し、上方の空中から大いなる花の雨が降った。そして、その"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見〔いっさいしゅじょうきけん〕)という菩薩のその腕は、元のようになった。すなわち、それはまさにその偉大な人である菩薩の知の力の獲得と、福徳の力の獲得によってである。
(凡例より、
( )は言葉の言い換え
〔 〕は、筆者による言葉の補足 〔私も使うことあり〕
『 』は本文中では、会話(「 」で囲まれた部分)中の会話
〈 〉は、『 』の中の会話)

肉体の再生能力を得た。つまり、この菩薩はファイアパンチのアグニ〔再生能力があるのでずっと燃え続けている〕みたいになれるな。創作ネタに使えそう。


”薬の王”という偉大な人である菩薩こそが、その時その状況で、"あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見〔いっさいしゅじょうきけん〕)という菩薩であったからだ。

薬王菩薩="あらゆる衆生が喜んで見るもの"(一切衆生喜見〔いっさいしゅじょうきけん〕)と明らかになったのだが、
薬の王が自身を焼いたのを、ブッダが褒めたたえるのはまずいよなあ。アグニ崇拝の復活はまずい。
法華経のこの箇所が護摩を焚くことの根拠の1つになっているのだろうな。

ファイアパンチは、バラモンとキリストを混ぜた思想であり、インド系創造維持破壊思想が濃厚だ。
ワンパンやグールの作者と同じ陣営なんだろうな。33も強調↓














p.263から
第十一章=続き
〔第12:提婆達多品(だいばだったほん)のこと〕
劫火 kapla-ダーハ
世界を焼き尽くしてしまう大火のこと。仏教の宇宙観では、世界が成立し(成(じょう))、存続し(住(じゅう))、破壊され(破(え))、消滅する(空)という四つの期間(四劫(しこう))を繰り返し、その三番目の世界が壊滅する時に起こるとされる。ここではカルパ・ダーハ(劫焼(こうしょう))という語が用いられているが、カルパ・アグニ(kalpa-agni、劫火)という語もある。

第十三章
チャンダーラ
栴陀羅(せんだら)と音写される。シュードラの男性とバラモン階級の女性との間に生まれた混血種姓のことで、最も蔑視され、嫌悪された。アーリヤ人がインド亜大陸に移動してきた当初と異なり、後にアーリア人の純血をたもつことを重視するようになり、このような混血種姓を最も蔑視することによって、混血を避けさせようとした。

アーリヤだったりアーリアだったり表記が一定しない。
女性の方がバラモンの場合の方が悪とされるんだな


第二十四章
”自在に観るもの”(観世音)
鳩摩羅什訳には女性も含まれているが、サンスクリット語の原文では男性のみとなっていて異なっている。
インドで発掘された彫刻も、すべて男性の姿である。


p275から
解説


538年に仏教が伝来すると、聖徳太子(574~622年)がその注釈書『法華経義疏(ぎしょ)』を著した。

6世紀に日本に入って来た)
最澄(767~822)も法華経を重視した。(『』でいちいちくくらない)
道元(1200~1253年)が著した『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』で最も多く引用されている経典は、法華経である。
日蓮(1222~1282年)は、大地の裂け目から出現した地涌(じゆ)の菩薩、あるいは常不軽(じょうふきょう)菩薩をわが身に引き当てて、「法華経の行者」として法華経を身読(しんどく)したことで知られる。日本仏教は法華経を無視しては語れない。平安文学をはじめとして日本文化の底流に滔々と流れ続けているのが法華経であった。

最澄の死後ちょうど400年に日蓮が誕生。道元は1200年ちょうどに誕生。ただし西暦。
西暦の方が覚えるのは楽だもんな。途中で元号が多数あると大変すぎる


法華経の漢訳は、現存するものだけでも次の三つがある。

 ①『正法華経』(しょうほけきょう)十巻二十七品、竺法護(じくほうご)訳、286年
 (3世紀には法華経はできていたんだな)
 
 ②『妙法蓮華経』七巻二十七品(後の八巻二十八品に補足された)、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳、406年
 (5世紀に成立)
 
 ③『添品(てんぽん)妙法蓮華経』七巻二十七品、
   闍那崛多(ジャナクッタ)と達磨笈多(ダツマギュウタ)の共訳(鳩摩羅什訳を補訂)、601年
 

鳩摩羅什の『妙法蓮華経』のほうが広く用いられてきた。

法華経は、ガンダーラを含む西北インドで成立したとされるが、そのサンスクリット原典写本は、1837年にネパールで発見されたほか、パキスタン、中央アジア、チベットなどで発見されており、ネパール系(11世紀以降)、中央アジア系、カシミール系に大別される。

本書は、そのケルンらによる校訂本(ケルン・南条本)を底本とした。

原題の意味は「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」

法華経の何をもって、最勝とするのか、それは、方便品第二(第二章)以下に説かれる一仏乗(いちぶつじょう)の思想と、如来寿量品第十六(第十五章)に説かれる久遠実成(くおんじつじょう)の思想に裏付けされた永遠の菩薩道、および種々のブッダの統一ということができよう。それは、以下に述べるとおりである。

 思想的格闘の跡としての大乗仏典

 法華経は、般若経、維摩経(ゆいまきょう)などとともに初期大乗仏典の代表とされる。近年では、大乗仏典は「非仏説」(ひぶつせつ)とされている。確かに直説(じきせつ)ではない。それでは価値がないのか? 筆者はそうは思わない。中村元(はじめ)先生は『比較思想論』で、北京大学教授などを歴任したフウ友蘭(ユウラン)の「偽書であっても、根本において価値があるならば、価値を失うことはない。また真実であっても、根本において価値がないならば、価値を有することはない」という言葉を引用しつつ、「思想そのものを問題とする場合には、真作か偽作かは大して問題とならない」と述べている。
 思想というものは、時代と社会に対する主張を伴って形成されるもので、大乗仏典もその時代の思想との対決の中で編纂されていった。いわば、時代・社会の現実との対決の中で自らの信念を主張し、格闘した足跡だと言えよう。それは法華経も同じで、その代表としてあらゆる人が平等に成仏できるとする一仏乗の思想を挙げることができよう。成仏とは、現代的には「人格の完成」と言い換えることができよう。

 人類史上初めて唱えられた平等思想
平等は、「へいとう」と読まないで、「びょうどう」と読む。漢音ではなく、呉音の読み方がなされるということは、「平等」が仏教用語であることを意味している。それは、サンスクリット語のサマ(sama)、あるいはその名詞形サマターの漢訳語である。中村博士は、1949年に出版した『宗教における思索と実践』で、「人類の歴史において『平等』ということを最も明瞭な自覚を以て最初に唱えたのは、インドの仏教徒であった」と論じている。
 歴史的人物としての釈尊の教えに近い原始仏典では、際立った平等思想が説かれ、釈尊在世中の教団内ではそれが実現されていた。釈尊は、決して権威主義的ではなく、原始仏典では自分のことを「人間」であり、「善き友人である私」と語っていた。弟子たちから「ゴータマ」、あるいは「ゴータマさん」「君よ」と呼ばれても、全く意に介することはなかった。釈尊在世当時の男女の弟子たちが自ら綴った詩集『テーラ・ガーター』『テーリー・ガーター』を読むと、女性たちが男性たちに勝るとも劣らず、溌剌として「釈尊の教えを成し遂げました」「解脱しました」と語っている(拙著『仏教のなかの男女観』第二章を参照)。ブッダという語は「目覚めた人」という意味で、原始仏典では特定の一人を指す固有名詞ではなく、普通名詞として複数形で用いられていた。釈尊の最初の説法の際の五人の弟子たちの覚り(原文ママ)の場面の描写は、釈尊の場合と全く同じ表現になっていた。
 ところが、釈尊入滅後、次第に様相は変化する。釈尊が亡くなって100年ほど経った紀元前三世紀後半以降、教団は分裂を繰り返し、部派仏教(いわゆる小乗仏教)の時代に入る。そこにおいて、教義の緻密な体系化がなされる一方で、男性・出家者中心主義、隠遁的な僧院仏教という傾向を強め、煩瑣な教理の研究と修行に明け暮れ、遂には民衆と遊離してしまった。その中でも特にガンダーラを中心に西北インドで勢力を振っていたのが説一切有部であった。こうして、保守・権威主義的な傾向を強め、在家や女性に対する差別が始まり、仏弟子を意味していた「声聞」から在家や女性は排除されてしまい、小乗仏教の男性出家者をさす言葉に限定された。その結果、大乗仏典で「声聞」という語は、もっぱら小乗仏教の男性出家者を批判する場面で用いられることになった。
 こうした思想情況に対して、紀元前後ごろに平等の旗印を掲げて思想運動を展開したのが大乗仏教であり、それが法華経の一仏乗の思想へと結実した。

 
 小乗仏教の差別思想
 原始仏典では、在家も出家も男女の別なく仏弟子とされ、在家であっても「智慧を具えた聖なる仏弟子」とまで称されていたが、小乗仏教では在家と女性が仏弟子から排除された。
 原始仏典で代表的な仏弟子は、在家・出家・男女の区別なく列挙されていて、女性の智慧第一、説法第一もいたし、在家の説法第一もいた。釈尊の教えを理解できなくて智慧第一の女性に質問し、明快な答えを聞いて感動した男性出家者の話も記録されている(拙著『仏教のなかの男女観』96~100頁を参照)。それなのに、小乗仏教では女性と在家の代表的な仏弟子が削除され、「智慧第一のシャーリプトラ(舎利弗)」「多聞第一のアーナンダ(阿難)」などと男性出家者のみの十大弟子に限定された。
 原始仏典で釈尊は、「私は人間である」と語っていたが、小乗仏教では「私は人間ではない、ブッダである」と神格化され、釈尊の言葉に仮託して、「私を喬答摩(ゴータマ)などと呼ぶものは、激しい苦しみを受けるであろう」とまで語られるようになった。最古の原始仏典とされる『スッタニパータ』に、「まのあたり即時に実現され、時を要しない法」(中村元訳『ブッダのことば』)とあったにもかかわらず、小乗仏教では、何劫(こう)(kalpa)もの天文学的な時間をかけて修行(歴劫修行〔りゃっこうしゅぎょう〕)してやっとブッダになったとされ、ブッダが人間離れしたものとされた。
  釈尊はその歴劫修行の結果、遥かな過去のディーパンカラ仏(燃燈(ねんとう)仏)のもとで未来成仏の予言(授記)がなされたとされ、ブッダとなるまでの釈尊を「覚り(bodhi)が確定している人(sattva)」という意味でbodhi-sattva(菩提薩埵(ぼだいさった)、略して菩薩)と呼んだ。それは紀元前二世紀ごろのことであった。小乗仏教で菩薩は、釈尊と未来仏のマイトレーヤ(弥勒)に限定され、ブッダになれるのは、釈尊とマイトレーヤのみとされた。男性出家者はブッダにはなれないが、阿羅漢にはなれる。その阿羅漢には、どんなに徳があり、学識があったとしても在家は至ることはできない(在家非阿羅漢論)。ましてや女性は、女性であること自体で絶対に成仏できない(女人不成仏(にょにんふじょうぶつ))とされた。原始仏典では、多くの女性出家者が「ブッダの教えを成し遂げました」「解脱しました」と語り、また在家について「世俗の生活のままで究極の境地に達し得るという思想が表明され」(中村元著『ゴータマ・ブッダⅠ』)ていたのとは、大変な様変わりである。

生まれで差別する(性別含む)って放っておったら勝手にそうなるんだろうな。

初期経典に覚りに達した女性がいっぱい出てくるんだよな。岩波文庫から『尼僧の告白』って題名で出てる『テーリーガーター』など。
『テーリーガーター 尼僧の告白』は釈尊の女性弟子たちの発言録で、涅槃に至った人々もいる。
女人不作仏は釈迦の教えではないとよくわかる。
法華経の悪人成仏と女人成仏は革新的。悪人成仏の初期仏教の扱いは知らないけどね。
「かくのごとき車に乗る人は、男であろうと、女であろうと、実にこの車によって、安らぎ(ニルヴァーナ)のもとに至るであろう。」(中村元訳「相応部経典」より)


 大乗仏教の平等思想と差別思想
 それに対して、紀元前後に興起した大乗仏教は、仏弟子(声聞)として仏の説かれた教え(声)を学ぶ(聞く)のみの小乗仏教の自利(じり)の修行に飽き足りず、ブッダと同じく菩薩行を修してブッダの覚りを得ること、人々に対して利他行(りたぎょう)を貫くことを理想とした。その大乗仏教運動の先駆けが『般若経』編纂者たちによってなされた。
 彼らは、自らの掲げる教えをマハー・ヤーナ(偉大な乗り物)と称し、伝統的仏教をヒーナ・ヤーナ(貧弱な乗り物)と貶称(へんしょう)した。それぞれ、「大乗」「小乗」と漢訳された。大乗は、「覚り(bodhi)を得ることが確定している人(sattva)」という意味で小乗仏教が用いていた菩薩(bodhi-sattva)という言葉を、「覚り(bodhi)を求める人(sattva)」と読み替え、成仏をあらゆる人に開放するという仏教本来の平等思想を打ち出した。
 (だから、大乗は仏教ではない、というのも誤りなんだよね
 )
『法華経』をはじめとする大乗仏教の主張は、「釈尊の原点に還れ」をスローガンとする"仏教のルネッサンス運動"であったと言っても過言ではない。

 ※色付けは引用者
ルネサンス - 世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh0902-001.html
”14~16世紀、イタリアから始まり西ヨーロッパで展開された文化、芸術の運動。同時期の大航海時代、宗教改革の動きと共に、ヨーロッパの中世から近代への移行期(近世)の出発点となった。
 14世紀のイタリアに始まり、15世紀に最も盛んとなって、16世紀まで続いた、ヨーロッパの文化、芸術上の動き。15世紀末に本格化する大航海時代、16世紀の宗教改革、さらにイタリア戦争から顕著になる主権国家の形成などと密接に関係しながら、近代社会の成立を準備した動きと言える。

ルネサンスの意味
 ルネサンス Renaissance とはフランス語※で「再生」を意味することばである。日本では「文芸復興」と訳すことも多かったが、それはこの文化運動がギリシア文化・ローマ文化のいわゆる「古典古代」の文化を「復興」させるという面があったからである。まとめると、ルネサンスとはギリシャ、ローマの古典文化を再生すること
、ということができる。
ルネサンスという語は、もとはギリシア語からきた宗教用語で「死者の再生」という意味の「パランジェネジー」と言う言葉を、フランス語式に言い直したもので、フランスでは「新しいものとして生まれ変わる」という意味で使われていた。それを歴史的な概念として用いたのは19世紀中頃の歴史家ジュール=ミシュレに始まる。この項では語源をラテン語としていたが、ラテン語を直接語源としているのではないので訂正した。

ルネサンスの意義
 ルネサンスの意義はさまざまな論議があるが、従来の一般的な見方は、ゲルマン民族という蛮族の侵入と、それによってもたらされた封建社会、そして神を絶対視し人間を罪深いものとするローマ教皇の思想が支配している中世を「暗黒の時代」と見て、その暗黒から人間を解放しようと言う運動がルネサンスである、というものであろう。そのような観点からすれば、ルネサンスの意義は、封建社会と神中心の世界観の束縛から、人間性の自由・解放を求め、ヒューマニズムと個性を尊重という近代社会の原理を生み出したこと、と言うことができる。

ルネサンス観の変化
 ルネサンスという歴史用語は、19世紀に生まれた、新しい概念である。
〔中略〕
「ルネサンス」観の多様化  こうして現在では、中世=暗黒時代、ルネサンス=明るい近代への序曲、といった単純な見方は影を潜め、中世の段階での文化の豊かさ(カロリング=ルネサンスや12世紀ルネサンス)が強調されるようになり、一方ではルネサンス以降の社会でも例えば魔女裁判が続いたことなどのように暗黒面が残っていたことが言われている。見方はだいぶ変わってきているが、ルネサンスが絵画、建築などの美術や文学の面で新しい内容とスタイルを生み出したものであり、思想の面でもより人間性に光が当てられるようになったことは確かであり、その際の手本となったのがイスラーム文化を通じて伝えられた、キリスト教以前のギリシア・ローマの古典古代の文化がであったことも事実であり、その価値は変わることはない。


 ただし、そこには例外があった。小乗仏教の男性出家者、すなわち声聞乗と独覚乗の二乗は除かれ、二乗は「炒れる種」「腐敗した種」とされて、成仏できないもの(二乗不作仏(にじょうふさぶつ))と断じられた。
 「在家非阿羅漢論」と「女人不作仏」が小乗仏教の差別思想であるならば、「二乗不作仏(にじょうふさぶつ)」は大乗仏教の差別思想であった。大乗仏教は、新たな菩薩思想によって際立った平等思想を打ち出したものの、差別思想を残している点では小乗仏教と五十歩百歩であった。
 (
 平等を強調しつつ、例外をつくるのは本当に人の傾向性なんだろうな)
 
 小乗と大乗の差別思想の超克
 小乗と大乗のそれぞれの差別思想を超克し、両者の対立を止揚すること、そして普遍的平等思想を打ち出すことが、法華経に課せられた思想的課題であった。
 二乗の成仏がテーマとなってストーリーが展開する。過去からの意義付けや、巧みなる譬喩(ひゆ)によって人間存在がいかに尊いものなのかが、手を変え、品を変えして明かされるのだ。そこでは、女性の成仏も当然のことであった、
 釈尊は、「私にとって、この世に声聞〔と言われる人〕は誰一人として存在しないのだ」(本書上巻、七二頁)と語り、声聞と言われている人も、実は既に過去に菩薩行を実践している菩薩であるとして、その自覚を促す。菩薩と名乗っている人たちに対しては、声聞も菩薩であるという「秘要の教え」(同)を受け入れるように諭す。
 これは、「二乗を非難している菩薩」から「二乗も菩薩であることを受け入れた菩薩」への転換を迫るものである。後者は”真の菩薩”と言っていいであろう。ここには、①二乗を菩薩の自覚に目覚めさせ、②菩薩を"真の菩薩"たらしめる――という二段階の止揚が込められている。
 
声聞乗〔に代表される二乗〕と菩薩乗に設けられていた例外規定はすべて解消する。”真の菩薩”は、一仏乗と言い換えてもいいほどである。その一仏乗について、釈尊は次のように語った。

 シャーリプトラよ、私はただ一つの乗り物(一乗)、すなわちブッダに到る乗り物(仏乗)について衆生に法を説くのだ。シャーリプトラよ、そのほかに何か第二、あるいは第三の乗り物が存在するのではない。(本書上巻、50頁)
 
 これは、一仏乗の独一性を強調した言葉である。だれ人(びと)も例外扱いすることなく平等に成仏させる一仏乗こそが真実の教えであり、だれかを例外扱いする声聞乗、独覚乗、菩薩乗の三乗はいずれも方便の教えだということだ。
 
 目的地は、声聞乗が阿羅漢果であり、独覚乗が独覚果であって、いずれもブッダではない。ブッダを目的地とするのは菩薩乗と仏乗である。目的地が同じであるという意味では、仏乗と菩薩乗は似ている。違うのは、菩薩乗に乗れるのは声聞、独覚の二乗を除いた菩薩だけであるのに対して、仏乗には声聞、独覚、菩薩や、男女の別なくすべての人々が乗ることができるし、そのすべてが目的地のブッダに到達できるとしていることだ。
 仏乗は本物の車、菩薩乗は他の二乗と同様に玩具とされている。二乗は出家の男子に限られ、在家と女性は全くの対象外とされる。菩薩乗は、在家と出家の男女の成仏を許してはいるが、二乗を排除している。仏乗は、それらの差別を取り払って二乗も含めた在家と出家の男女のすべてを成仏可能としているという違いがある。
 従って、二乗と菩薩乗の違いは、①在家と女性を含めるかどうかということ、②ブッダの境地に到れるとするかどうかということ――の二点である。
 
 仏乗(ブッダに到る乗り物)は、声聞、独覚を含めた一切衆生が乗れる。三乗など一切衆生(在家と出家の男女)が乗る人。
 本物の牛の車でたとえられる。菩薩乗は玩具の牛の車でたとえられる。
 声聞乗は玩具の鹿の車、独覚乗は玩具の羊の車でたとえられる。
 
 
 p289から
 未来成仏の予言(授記作仏)
 
 久遠の成道に裏付けされた永遠の菩薩道
 法華経では、ブッダに成るのは当然のことであり、成ってどうするのかという行為こそが問われる。それは、永遠の菩薩道に徹するということである。
 
 寿量品において久遠実成(くおんじつじょう)(無量無辺の遥かな過去において釈尊が成道していたこと)を明かすのと併せて、
 
 私は、私の過去における菩薩としての修行を今なお未だに完成させていないし、寿命の長ささえも、未だに満たされていないのである。(本書下巻、92頁)
 
という言葉が記されていること自体が、ブッダであると同時に永遠に菩薩道を貫いている釈尊自身の姿を通して”真の菩薩”の在り方を表明している。

 各種のブッダの統一
 このように久遠実成の思想を打ち出したことが、法華経の「最も優れた」点とされる二つ目である。それは、当時、多仏・多菩薩の時代を迎え、それらを整理・統合するという意味もあったのであろう。こうしたことを意図した経典は法華経のみである。
 釈尊の入滅後、釈尊を慕うあまり、「肉体としての釈尊」(色身、生身(しょうしん)、応身(おうじん)などと表現される)は滅んだが、「真理(法)としての釈尊」(法身)は永遠であるはずだという考えが生じてくる。こうして仏身論が登場する。当初はこの二身論であった。法身は、法(真理)を身体としている仏であって、これは永遠不変のものだが抽象的である。現実世界に対する働きかけができない。応身は、肉体を具えた生身(なまみ)の体で、始まりがあって終わりがある。現実世界への働きかけ(応)が可能であり、具体的だが有限である。この両者は、全くかけ離れている。その両極端の橋渡しをする存在として、報身(ほうしん)が論じられるようになり、三身論(さんじんろん)が登場する。報身とは、永遠性と具体性を兼ね備えた存在である。

それぞれのグループで個別に考えだされた過去仏や、弥勒などの未来仏、そして阿閦(あしゅく)仏、阿弥陀如来などの十方の諸仏をはじめ、イランなどの西方の神々が仏教に取り入れられ観音菩薩や、阿弥陀如来も仏典に登場するようになる。その傾向は法華経以後も続き、毘盧遮那仏も取り入れられる。こうして多仏・多菩薩の時代を迎えることとなった。
 それは、釈尊というブッダを差し置くことでもあり、こうした傾向に批判的な人たちもいたのであろう。『雑譬喩経』(ぞうひゆきょう)の冒頭(大正蔵、巻四、499頁中)には、弥勒如来の登場を待望してなかなか死にきれないでいた高僧を、弟子たちが「弥勒の教えと、釈尊の教えに違いがないのに、今、釈尊の恩を受けていながら、どうして釈尊を差し置いて、弥勒に帰するのですか?」とたしなめるという経典が残っている。
 こうした傾向の中で法華経は、釈尊とかけ離れてアトランダムに考え出された諸仏を、釈尊という仏陀を根本に据えて、体系化・統一するということを意図したようである。序品第一と湧出品第十五で、未来仏として待望されていた弥勒菩薩が、『維摩経』ほどではないが、まるでピエロのように扱われているのも、その意図の一環として理解できよう。

 その統合は、まず釈尊自身の成道が、四十年ほど前のブッダガヤーでのことではなく、想像を絶する天文学的な遥かな過去であったことを明かすことによってなされる。すなわち「永遠のブッダ」ということだ。
 (
ブッダをアートマンみたいに扱っていないか気になるな。
空思想と矛盾しないのかどうか。
寿命はあるみたいだから大丈夫なのかな。
寿命があるから「永遠」じゃないじゃん。

https://twitter.com/nekonomical/status/1338493838021722112 と続き


引用者注:
法華経などでわかるように、大乗仏教はミトラ=弥勒信仰を咎めるわけよ。
対して「仏教を滅ぼす」思想の大本教系は「みろくの世(ミトラの世)」を強調する。
仏教大嫌い思想なので、仏教が「良くない」と言っていることを崇めたり褒めたりするわけだ。



提婆達多(デーヴァダッタ)は教団を分裂させた悪人とされてきたのだ。しかし『法華経』では彼を仙人として登場させ、しかも釈尊が『法華経』の教えを請うため奴隷になって仕えたと語られるのだ。悪人とされた提婆達多もブッダの善き友であり、成仏できるのだ。
八歳の龍女でも成仏できるのかという話が面白いのだ。まず龍なので「畜生」なのだ。そして八歳というのは、当時の価値観で「胎児」とされるのだ。そして女性差別は激しく、夫が亡くなったら妻は火の中に飛び込まなければならない慣習だったのだ。(寡婦焚死、ヒンディー語で「サティー」と言うのだ)

このような背景があった上で、龍女は悟りを持っていることを語るのだ。しかし聞いている方(智積菩薩)は簡単に納得できないのだ。そこで龍女は説得のために男性に変身(変成男子)して、成仏の姿を見せ、大衆を説法し、人々を歓喜させたのだ。菩薩も沈黙してしまうのだ。

善女龍王像 長谷川等伯・画



 釈尊は多くの世界に現れては、それぞれの国土で如来としての自分の名前をそれぞれに名乗る。
 (並行世界論じゃん。その発想自体に法華経が影響しているかも。日本語以外の言語の翻訳の歴史についてはよくしらないけど)

こうして、多くのブッダ、如来たちが、釈尊という「永遠のブッダ」の化現(けげん)したものだとして統一した。
(お経がたくさんある理由の説明ね)

 釈尊は、「遥かな昔に覚りに達し、量ることのできない寿命の長さを持ち、常に存在し続けている」(本書下巻、92頁)、すなわち、久遠以来ずっとブッダであり、存在し続けて説法している。
 「永遠のブッダ」は「果徳」であり、「菩薩行の実践」は「因行」に当たる。そうすると、これは報身のことを示す「因行果徳身(いんぎょうかとくしん)」ということになる。永遠性に根差しつつ、現実とのかかわりを持って菩薩としての働きをなし続ける存在だということである。
 
 以上が、法華経の原型とされる部分の概略である。
 (寿命があるなら永遠じゃないじゃん。
久遠実成(くおんじつじょう)=無量無辺の遥かな過去において釈尊が成道していたこと)

 衣裏珠(えりじゅ)の譬え(授記品)
 (
 人名みたいだ。エリ、エリージュちゃん)

p.294から

(大乗非仏論について著者が書いた箇所にて。富永仲基が)
p.294、植木 雅俊〔うえき まさとし〕訳『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(下)(の植木の解説より)

大乗仏典の文献学的考察において独創性を発揮したことは大いに評価されるが、『法華経』の思想的内容にまでは理解が及ばなかったといえよう。中村元先生が、「思想の研究において文献学のみに頼って研究する人を、私は信用しません」と語っておられた(拙著『仏教学者 中村元――求道のことばと思想』(四三頁を参照)ことを思い出す。



終わりに
法華経も、形骸化され、権威の象徴に祀り上げられることもあるかもしれない。
それは、ほかならぬ法華経自身が「正しい教え(正法)に似て非なる教え(像法)」という言葉を用いて懸念していたことである。
(スピリチュアル仏教のことかな?
法華経が懸念していたのが像法だもんな。
スピ信者って法華経が好きっぽいんだよな。憑依できそうな箇所があるでしょ?
まさに像法じゃねーか。いや像法どころか邪教というか外道だな。だって根本が違うからな)

あとがき
p299
本書の出版のために手直しした『法華経』の現代語訳
(梵語があるのとは訳文が違うということだ。

マジで素晴らしい翻訳と解説だったよ!


メモ自体は以上。

参考資料

※着色は引用者

梵漢和対照・現代語訳 法華経 (上)
https://www.iwanami.co.jp/book/b261280.html
“綿密な校訂作業と正確な読解を通して,サンスクリット原典を平易でこなれた読みやすい現代語に移しかえた画期的達成.
梵漢和対照・現代語訳 法華経 (上)
著者 植木 雅俊 訳
ジャンル 書籍 > 単行本 > 宗教
刊行日 2008/03/11
ISBN 9784000247627
Cコード 0015
体裁 A5 ・ 上製 ・ 628頁
定価 6,050円
在庫 在庫あり
この本の内容
目次
著者略歴
経典のサンスクリット原典を,綿密な校訂作業と曖昧さを残さない正確な読解を通して,読みやすいこなれた現代語に移しかえた画期的達成.深い仏教理解に基づく詳細な注解を付した本書は,仏教の教えを学ぶ最良の書と言えよう.


■編集部からのメッセージ

 際立った平等思想を説いていた釈尊(前463~383年)が入滅すると,教団は隠匿的な僧院仏教となって民衆から遊離し,在家や女性を差別するなど次第に保守的で権威主義的傾向を強めていった.紀元前後に興った大乗仏教は,それらの伝統的・保守的仏教を“小乗”(二乗)と貶称し,自らを“大乗”(菩薩乗)と称して,だれでもが成仏できるとする運動を展開した.この小乗と大乗の対立と限界を止揚することで登場したのが『法華経』の「一仏乗の思想」であり,「法華七譬」といわれる見事な譬喩などを通して人間への尽きせぬ信頼と,平等を謳歌した.
 19世紀に発見された『法華経』サンスクリット原典写本のヨーロッパでの初の出版(ケルン・南条本)から100年.本書は,複数のサンスクリット・テキストに綿密な校訂を施し原典テキストを確定させるとともに,深い仏教理解に基づいて詳細な注解を付した画期的達成である.8年がかりの一点一画をも疎かにしない原典に忠実な訳業により,曖昧さを残さない,読みやすいこなれた現代語訳がここに完成した.テキスト相互の対象を可能とすべく,サンスクリット原典,鳩摩羅什による漢訳テキストも併記した.


植木雅俊(うえき まさとし)
仏教研究家(東方学院),1951年生まれ.九州大学大学院理学研究科修士課程修了.東洋大学大学院文学研究科博士後期課程中退.86年に東洋哲学文化賞受賞.91年から東方学院で中村元氏の下でインド思想・仏教思想論,サンスクリット語を学ぶ.学位請求論文「仏教におけるジェンダー平等の研究――『法華経』に至るインド仏教からの考察」でお茶の水女子大学から人文科学博士の学位を授与される(男性では初めて).日本ペンクラブ会員,日本印度学仏教学会会員,比較思想学会会員.

著書に,『仏陀の国・インド探訪』(メディア・ルネッサンス,1994年),『男性原理と女性原理――仏教は女性差別の宗教か?』(中外日報社,1996年),『仏教に学ぶ対話の精神』(中外日報社,1997年),『マザー・テレサと菩薩の精神』(中外日報社,1997年),『仏教のなかの男女観』(岩波書店,2004年),『釈尊と日蓮の女性観』(論創社,2005年),Gender Equality in Buddhism(Peter Lang Publ. Inc.,2001年),Images of Women in Chinese Thought and Culture(Dr. Robin Wangとの共著,Hackett Publ. Inc.,2003年)など.

論文に「日蓮の時間意識」(『印度学仏教学研究』,1995年),「Sadāparibhūtaに込められた4つの意味」(『印度学仏教学研究』,1998年),「Saddharma-puṇḍarīkaの意味」(『印度学仏教学研究』,2000年),「法華経のSaddharma-puṇḍarīkaの意味――“最勝”を譬喩する白蓮華の考察」(お茶の水女子大学文教育学部哲学科・平成13,14年度科研費研究成果報告書,2003年)など多数.


梵漢和対照・現代語訳 法華経 (下)
https://www.iwanami.co.jp/book/b261281.html


サンスクリット原典現代語訳 法華経 上
https://pub.hozokan.co.jp/book/b532084.html

サンスクリット原典現代語訳 法華経

この本に関するお問い合わせ・感想
著者 植木 雅俊 訳
出版社 岩波書店
ジャンル 経典・聖典(学術的)
出版年月日 2015/03/01
ISBN 9784000247870
判型・ページ数 B6・301ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 お取り寄せ
この本の内容

『法華経』を正しくわかりたいと願うすべての人々のために,決定版翻訳がさらに読みやすく生まれ変わった.綿密なテキスト校訂,深い仏教理解に基づく詳細な注解,細部まで原典に忠実な翻訳,によって多くの読者の支持を得ている専門書『梵漢和対照・現代語訳 法華経』を一般向けに改訂,手に取りやすくした.


■訳者からのメッセージ

 仏教は,これまで信仰としてとらえられてきたようだが,思想・哲学としてとらえ直した時,新たな価値が見出されるのではないかと思う.この『法華経』も,思想として読み直した時,新たな意味が発見されるのではないだろうか.例えば,今日「文明の衝突」が危惧されているが,『法華経』の止揚の論理,寛容の思想は,注目されてもいいのではないだろうか.それは,信仰とは意味が異なったものである.
 『法華経』が成立したのは,ガンダーラを含む西北インドであったと推定されることは,既に述べた.そこはインド人のほかに,アレクサンドロス大王の西北インド遠征(紀元前三二七年)以来,定住したギリシア人をはじめ,パフラヴァ人,サカ人などが共存していた.異なる宗教,異なる文化を持つ異なる民族が,対立という文明的試練を超え,相融和して暮らしていた.紀元前二世紀後半には,ギリシア人の王ミリンダ(弥蘭)と,インド人の仏教僧ナーガセーナ(那先)との間で行なわれた『ミリンダ王の問い』(漢訳,『那先比丘経』)と題する東西対話の舞台となった.そうした精神風土の中で,『法華経』の止揚・統合の論理は醸成されたのである.
 「差異と融合」「対立と融和」を象徴する譬喩が,薬草喩品に見られる.薬草喩品は,同一の雨水に潤されながら,千差万別の植物がそれぞれの個性を持って同一の大地に生い茂っていることを譬えとして,一仏乗の思想を説明している.ここには,それぞれの差異の故に対立するのではなく,差異を差異として認め合い,尊重しつつ,普遍的視点に立って共存・融和するという視点が読み取れる.平等相と差別相の密接な関係が象徴的に述べられている.「文明の衝突」が危惧される今日,異質なものとの対立を乗り越え,共存するための智慧というメッセージが『法華経』に込められているように思えてならない.
――「解説」(下巻所収)より

目次
『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(毎日出版文化賞)を経典を理解したいと願う、より広い読者のために生まれ変わった翻訳本。原典に忠実で正確で読みやすい決定版となりました。上・下全2巻。

はしがき
凡例

第一章 序(序品第一)

第二章 巧みなる方便(方便品第二)

第三章 譬 喩(譬喩品第三)

第四章 信順の志(信解品第四)

第五章 薬 草(薬草喩品第五)

第六章 予 言(授記品第六)

第七章 過去との結びつき(化城喩品第七)

第八章 五百人の男性出家者たちへの予言(五百弟子受記品第八)

第九章 アーナンダとラーフラ、そのほか二千人の男性出家者への予言(授学無学人記品第九)

第十章 説法者(法師品第十)



植木雅俊(うえき まさとし)
1951年生.九州大学大学院理学研究科修士課程修了.東洋大学大学院文学研究科博士後期課程中退.91年から東方学院で中村元氏のもとでインド思想・仏教思想,サンスクリット語を学ぶ.2002年人文科学博士(お茶の水女子大学).仏教思想研究家・NHK文化センター講師.

著書:『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(2008毎日出版文化賞),『思想としての法華経』(2012ともに岩波書店),『仏教学者 中村元』(2014角川書店)ほか多数



サンスクリット原典現代語訳 法華経 下
https://pub.hozokan.co.jp/book/b532085.html
“著者 植木 雅俊 訳
出版社 岩波書店
ジャンル 経典・聖典(学術的)
出版年月日 2015/03/01
ISBN 9784000247887
判型・ページ数 B6・310ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 お取り寄せ

『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(毎日出版文化賞)を経典を理解したいと願う、より広い読者のために生まれ変わった翻訳本。原典に忠実で正確で読みやすい決定版となりました。上・下全2巻。

凡例

第十一章  ストゥーパの出現(見宝塔品第十一)

第十一章  ストゥーパの出現=続き(提婆達多品第十二)

第十二章  果敢なる努力(勧持品第十三)

第十三章  安楽の住所(安楽行品第十四)

第十四章  大地の裂け目からの菩薩の出現(従地涌出品第十五)

第十五章  如来の寿命の長さ(如来寿量品第十六)

第十六章  福徳の分別(分別功徳品第十七)

第十七章  喜んで受け容れることの福徳の表明(随喜功徳品第十八)

第十八章  説法者に対する讃嘆(法師功徳品第十九)

第十九章  常に軽んじない[のに、常に軽んじていると思われ、その結果、常に軽んじられることになるが、最終的には常に軽んじられないものとなる]菩薩(常不軽菩薩品第二十)

第二十章  如来の神力の顕現(如来神力品第二十一)

第二十一章 ダーラニー(陀羅尼品第二十六)

第二十二章 “薬の王”の過去との結びつき(薬王菩薩本事品第二十三)

第二十三章 明瞭で流暢に話す声を持つもの(妙音菩薩品第二十四)

第二十四章 あらゆる方向に顔を向けた“自在に観るもの”の神変についての教説(観世音菩薩普門品第二十五)

第二十五章 “美しく荘厳された王”の過去との結びつき(妙荘厳王本事品第二十七)

第二十六章 “普く祝福されている人”による鼓舞(普賢菩薩勧発品第二十八)

第二十七章  付 嘱(嘱累品第二十二)


解説
あとがき


大歓喜トップ >> サンスクリット|トップ >> 音読のための基礎文法 >> ローマ字表記と発音
https://www.mahaananda.jp/sanskrit/maana/p02.html



お読み下さり感謝!
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