読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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いつから「自分で決めている」と錯覚していた? この世で最強の力は暴力。特に宗教と結びついた暴力が最凶。大衆が強大になる原因を作った支配者は、みずからを亡ぼす。 秘密選挙は初めから、票の移動がバレず、全員落選の選択肢が無い不正。秘密選挙は支配層が権力を濫用するためにつくったものであって、権力者を抑えるものではありません。マキアヴェリ流心理学。『君主論』『マキアヴェッリ語録』『ディスコルシ 』(政略論) 

大抵の場合、記事を書いた後で数日するとよい発想が浮かんだりします。アイデアの熟成期間ってやつです。

なんちゃら先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!
有色人種の猿が海賊王になれるのはフィクション(虚構)だけ!
海賊王になれるのは、(ジョン・)ディーを名に持つブルーブラッドだけ!
現実には海賊王ではなく、海賊女王が英国にいて、英国国教会のトップを兼ねております。
聖俗の権力が融合したのが英国。

八咫烏 ‏@takayukiway
イルミナティ手口•ノックオンザドア これくらいなら通るだろうという見込みよりはるかに過激な変化を提案、反対の声が上がるのを待ち最終的に元々の見込みの線で決着するというテクニック。この方法を使うと反対派にこちらが妥協し途中で諦めたと思わせる事が出来る。現内閣が好きなワンパターン手法

(嫌な話は後から小出し
人間は一度自分が何かを決めたらその判断を正しいと思い込もうとする習性があります。
なので後から少しマイナス判断材料を提示されても、あまりその結論を変えようとはしません。
ですからまずはメリットを話し、それから少しずつデメリットを小出しにしていくと、相手は判断をかえにくくなります。既成事実戦法ですね)


面食らった人は前回の記事をどうぞ。
今回は、超有名なフィレンツェ共和国の外交官マキアヴェリ(Niccolò Machiavelli。 1469 - 1527年)。
「マキャヴェリ」「マキアヴェリ」「マキャベリ」「マキァヴェリ」「マキアヴェッリ」「マキァヴェッリ」など様々な表記があるので、検索時に注意。
私がイタリア語を勉強時に読書用に使う予定の著述家です。

では、マキャベリの言葉をどうぞ。
「君主」を「聖書の神」や「カルトの上層部」などに置き換えて読んでみて下さいな。
一部例を示しておきましょう。

カルトの存在しない社会はあったためしがないのである。

民衆というものは頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない。というのは、人はささいな支配には仕返ししようとするが、大いなる支配にたいしては報復しえないのである。したがって、民衆に危害を加えるときは、復讐のおそれがないようにやらなければならない

宗教は、信者でない人より、信者を容赦なく傷つけるものである。

教祖が衆望を集めるには、なによりも大事業(大規模な布教。自作自演含む)をおこない、みずからが類いまれな手本を示すことである

大衆が強大になる原因を作った支配者は、みずからを亡ぼす。
(だから秘密選挙は初めから、票の移動がバレず、全員落選の選択肢が無い不正なのです)

なるべく少なく味わうことによって、なるべく少なく傷つけるように、虐殺・異教の迫害・理不尽な法律や条約の実施はまとめて一度になされねばならない。けれども御用学者や紐付き陰謀論者に嘘をつかせ続ける為の報酬のほうは少しずつ施すことによって、なるべくゆっくりと味わうようにしなければならない

人間は、危害を加えられるであろうと思い込んでいた支配層から恩恵を施されると、そういう恩人にいっそうの恩義を感じてしまうものである。

教祖は、おのれの信者の結束と忠誠心とを保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。

教祖は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、畏れられる存在にならねばならない。

支配者には、残酷さと優しさとを巧みに使い分けることが、必要になる。
なかでも、哲学(理性の利用)と宗教(非理性の利用)を範とすべきである。なぜならば、宗教は(少なくとも末端信者は)理性的な巧妙な罠から身を守れず、(宗教団体は武装するのが常識であるが)哲学は暴力から身を守れないがゆえに。したがって、哲学となって理性的な巧妙な罠を悟る必要があり、宗教を手本にして暴力による脅威に備える必要がある。
だが、必要なのは、この宗教の性質、これを巧みに潤色できることであり、偉大な偽装者にして隠蔽者たる方法を会得することである


道徳を後生大事にするのは有害だ。支配層が道徳的な善人だと大衆に思わせる事が有益なのだ。

支配層(王族・貴族・皇族・教祖など、キリスト教・大本教系上層部)は恩を与える役は進んで受け、憎まれ役は他人(下っ端の実行部隊=ユダヤ・在日)に請け負わせればいい

このことだけは、肝に銘じておいてほしい。支配者の存在しない社会はあったためしはないのである。だからそれをする人を選ぶときには必ず、支配者が権力を濫用しようにもできないような、制度を整えておくことだ。
秘密選挙は支配層が権力を濫用するためにつくったものであって、権力者を抑えるものではありません

悪事を犯せば必ず罰せられるということを大衆に悟らせるには、古代ローマが実行したように、善行には必ず褒賞をもって報いることが大切だ。たとえ大衆は、群れをなせば大胆な行為に出るが、個人となれば臆病である。が貧しかろうと、これを怠ってはならない。報いの性質さえはっきりしていれば、それを受ける側はいかなる大きな褒賞より名誉に感じるものだ。
(大衆が群れをなさないように、分割統治。学歴などカースト制度を作る)


まったくもって情けない現実だが、権力者というものは権力を持てば持つほどそれを下手にしか扱えないものであり、そのことによって、支配層はますます耐えがたい存在と化すものである。

奴隷を強力にする原因を作る支配層ものは、自滅する。これはただ一つの例外も存在しないといってよいほどの普遍妥当性を持つ原則である。

いかなる種類の戦いといえども、支配層は弱体化につながりそうな戦いは絶対にしてはならない。名を落とそうがどうしようが、避けられる限り避けねばならない。このことを考慮しない、いわゆる強気は、害あって益ない愚行である。
(金持ちケンカせず)


心に留めるべきは、支配者はとうぜんやるべき加害行為を決然としてやることで、しかもそのすべてを一気呵成におこない、日々それを蒸し返さないことだ。逆のことをやってしまうと、その支配者は必然的に、いつも短剣から手を離せなくなる


マキアヴェリは、君主は軍事のことを何よりも考えないといけない、つまりは、君主は暴力を何よりも最優先に掌握しなければいけないと考えおります。
権力も財力も、強大な暴力には敵いませんからね。

この世で最強の力は暴力。
特に宗教と結びついた暴力が最凶


なぜなら、暴力こそが直接的に人を殺せるから。
だからこそ、表向きは厳しく制限されている
わけです。


マキアヴェッリ語録(塩野七生/著   新潮文庫)
マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)
(1992/11/30)
塩野 七生

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”なぜ古典は敬遠されるのか。それは、本文に附けられた膨大な「註」にあるように思えます。 p8”

” 権力をもつ人々の間でも、最近に与えた恩恵によって、以前の怨念が消えるなどと思う人がいたならば、その人は、とり返しのつかない誤りを犯すことになる。 君主編16”

”弱体な共和国にあらわれる最も悪い傾向は、なにごとにつけても優柔不断であるということである。 国家編38”

”中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。反対に、圧勝することしか考えていない者は、しばしば、陥し穴にはまってしまうことになる。 人間編49”
96冊目は塩野七生の「マキアヴェッリ語録」
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_tetsuya/archives/3548274.html


新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)
(2002/04/25)
ニッコロ マキアヴェリ
池田康 訳
新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)
(2002/04/25)
ニッコロ マキアヴェリ

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『君主論』 (中公クラシックス)
Il Principe:イル・プリンチペ
マキアヴェリ,Niccol`o Machiavelli,池田廉
出版社/メーカー: 中央公論新社


 民衆というものは頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない。というのは、人はささいな侮辱には仕返ししようとするが、大いなる侮辱にたいしては報復しえないのである。したがって、人に危害を加えるときは、復讐のおそれがないようにやらなければならない。(p16)


 危害というものは、遠くから予知していれば大作をたてやすいが、ただ腕をこまねいて、あなたの眼前に近づくのを待っていては、病膏肓に入って、治療が間に合わなくなる。(p18)


人間はおおかた、他の人がかつて歩んだ道を踏みしめ、先人の行動を模倣しつつ進もうとする。それでいて、先人の道を違わずに踏み、目標の人物の力量にまで到達することはできない。そのために、賢い人間であれば、先賢の踏んだ足跡をたずね、並はずれた偉人をこそ、つねに範とすべきであろう。(p41)


平和な時代に、市民がその政権を必要としているときの上辺だけを見て、それを鵜呑みにしてはいけない。なぜなら、平時にあっては、誰もがみなはせ参じたり、約束してくれる。死がはるか彼方にあるときは、誰もが、わが君のために死をも辞さない、と言ってくれる。だが、いざ風向きが変わって、君主がほんとうに市民を必要とするとき、そんな人間はめったに見つかりはしない。(中略)
 したがって、賢明な君主は、いつ、どのような時勢になっても、その政権と君主とが、市民にぜひとも必要だと感じさせる方策を立てなくてはいけない。そうすれば市民は、君主にたいしていつまでも忠誠をつくすだろう。(p78)


気前のよさぐらい、あなた自信を蝕むものはない。(p.124)


たほう人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである。(p.128)


 君主が衆望を集めるには、なによりも大事業(戦争)をおこない、みずからが類いまれな手本を示すことである。(p167)


人は、慎重であるよりは、むしろ果断に進むほうがよい。なぜなら、運命は女神だからだ。彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突飛ばす必要がある。運命は、冷静な行き方をする人より、こんな人の言いなりになってくれる。
 要するに運命は、女性に似てつねに若者の友である。若者は思慮を欠いて、あらあらしく、いたって大胆に女を支配するものだ。(p.190)


http://ittokutomano.blogspot.jp/2012/01/blog-post_6815.html
”たとえば、世襲の君主政体は保持が楽だが、新興の場合は困難であることなどが論じられている。しかしその際も、もし支配地の言葉や風習が同じであれば、次のことを守れば支配は盤石になるとマキャヴェッリは言う。

「新たな政体を獲得した者が、そこを保持したければ、次の二点を守らねばならない。その一は、古い君主の血筋を抹消してしまうこと。その二は、住民たちの法律も税制も変えないこと。そうすれば、彼らにとって古くから続くことになる君主政体と、ごく短期間のうちに、そこは一体化してゆく。」

 そして、もし支配地の言葉や風習が違ったものであれば、次のことを守れとマキアヴェッリは言う。

最上かつ最強の手当の一つは、支配地を獲得した人物がみずからそこへ赴いて住みつくことだ。」
「最上の手当のもう一つは、新しい支配地のいわば足枷となるように、一、二箇所に植民兵を送り込むことである。」

 そして次の有名な言葉が述べられる。

「ここで注意しておくべきは、人民は優しく手なずけるか、さもなければ抹殺してしまうかだ。なぜならば、軽く傷つければ復讐してくるが、重ければそれができないから。したがって、そういう誰かを傷つけるときには、思いきって復讐の恐れがないようにしなければならない。」

 マキアヴェッリが述べる、 支配や権力の保持のための格言を、あといくつか紹介しておこう。

「病気の初期において治療は易しく発見は難しい。だが病いが進むにつれ、初期の発見が遅れて治療も施さなかったがために、症状の発見は易しくなるが治療は難しくなる。それと同じような事態が政体に関しても起こる。」

他者が強大になる原因を作った者は、みずからを亡ぼす。」

なるべく少なく味わうことによって、なるべく少なく傷つけるように、加害行為はまとめて一度になされねばならない。けれども恩恵のほうは少しずつ施すことによって、なるべくゆっくりと味わうようにしなければならない。」

人間は、危害を加えられるであろうと思い込んでいた相手から恩恵を施されると、そういう恩人にいっそうの恩義を感じてしまうものである



2.軍隊について

 続いて本書では軍事理論が展開される。

 最初の命題は、「自己の軍備を持たなければ、いかなる君主政体も安泰ではない」である。したがって傭兵は厳しく拒否される。

 そして言う。君主たる者、軍事のこと以外にうつつを抜かしては決してならないと。

「君主たる者は、したがって、戦争と軍制と軍事訓練のほかには何の目的も何の考えも抱いてはならない、また他のいかなることをも自分の業務としてはならない。なぜならば、それこそは命令を下す者がなすべき唯一の業務であり、それこそは力量の大きさによって、単に君主の身に生まれついた者たちにその座を保持させるばかりか、私人の身分に生まれ落ちた人間をしばしばあの地位にまで昇らせることさえあるのだから。そして逆に、君主たちが軍備よりも甘美な生活のほうを重んじたとき、彼らが政体を失ってきたことは、現に見られるとおりだ
。」

3.冷酷さについて

 本書後半では、君主はどのようにあるべきかが論じられる。
 まずマキアヴェッリは言う。君主たるもの冷酷であれ、と。

君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心とを保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。なぜならば、殺戮と掠奪の温床となる無秩序を、過度の慈悲ゆえに、むざむざと放置する者たちよりも、一握りの見せしめの処罰を下すだけで、彼のほうがはるかに慈悲ぶかい存在になるのだから。」

 慈悲のゆえに国全体が乱れるよりは、一部の者たちに対して冷酷であることで秩序を保った方が有益である。そうマキアヴェッリは言うのである。

 しかし彼は、次のように付け加えることも忘れない。

「だがしかし、君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない。

4.獅子と狐

 では、君主はどのような存在であるべきか。マキアヴェッリは言う。君主は獅子と狐を手本とすべきである、と。

君主たる者には、野獣と人間とを巧みに使い分けることが、必要になる。」
「なかでも、狐と獅子を範とすべきである。なぜならば、獅子は罠から身を守れず、狐は狼から身を守れないがゆえに。したがって、狐となって罠を悟る必要があり、獅子となって狼を驚かす必要がある。」
「だが、必要なのは、この狐の性質、これを巧みに潤色できることであり、偉大な偽装者にして隠蔽者たる方法を会得することである。


5.軽蔑と憎悪

 またマキアヴェッリは次のようにも言う。君主は軽蔑と憎悪を避けなければならないと。

 軽蔑を避けるにはどうすればいいか。マキアヴェッリは言う。

軽蔑を招くのは、一貫しない態度、軽薄で、女々しく、意気地なしで、優柔不断な態度である。これを、君主は、暗礁のごとくに、警戒しなければならない。そして自分の行動が偉大なものであり、勇気に溢れ、重厚で、断固たるものであると認められるように努めねばならない。」

6.運命をねじふせよ

 最後に、運命についてのマキアヴェッリの有名な言葉を紹介しておこう。

 確かにわれわれは、運命の前に無力であると言わざるを得ない。しかしそれは、運命に前もって立ち向かう準備をしていない時だけである。

運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、そこをめがけて、すなわち土手や堤防の築かれていない箇所であることを承知の上で、その場所へ、激しく襲いかかってくる。」

 さらにわれわれは、運命をねじふせることさえできるはずである。運命とは女神である。そして女は、荒々しく果敢な若者にこそ身を任せるからである。マキアヴェッリはそのように言う。

「慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。なぜならば、運命は女だから、そして彼女を組み伏せようとするならば、彼女を叩いてでも自分のものにする必要があるから。そして周知のごとく、冷静に行動する者たちよりも、むしろこういう者たちのほうに、彼女は身を任せるから。それゆえ運命はつねに、女に似て、若者たちの友である。なぜならば、彼らに慎重さは欠けるが、それだけ乱暴であるから。そして大胆であればあるほど、彼女を支配できるから。」



”「民衆というものは頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかでなければならない。」(第三章)

「他の誰かを偉くする原因をこしらえる人は自滅する。」(第三章)

君主は例え愛されなくてもいいが、恨みを受けず、恐れられなければならない。」(十五章)

「君主は野獣と人間を巧みに使い分ける事が肝心である。」(十八章)

道徳を後生大事にするのは有害だ。備えているように思わせる事が有益なのだ。」(十八章)

恩を与える役は進んで受け、憎まれ役は他人に請け負わせればいい。」(十九章)

「中立は滅びる。勇敢に旗幟を鮮明にすべし。」”
http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/KunsyuRon.htm

外交官の語録BOT ‏@Diplomacy_bot
「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。…これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」N.マキアヴェリ(フィレンツェ共和国外交官)

ニコロ・マキアヴェッリbot ‏@Niccolobot
権力をもつ人々の間でも、最近に与えられた恩恵によって、以前の怨念が消えるなどと思う人がいたならば、その人は取り返しのつかない誤りを犯すことになる。

次の二つのことは、絶対に軽視せぬこと。
1)忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶かすことができると思ってはならない。
2)報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転できうると思ってはいけない



危険というものは、それがいまだ芽であるうちに正確に実態を把握することは言うは易しいが、行うとなると大変に難しいということである。


このことだけは、肝に銘じておいてほしい。為政者であろうと指導者であろうと、支配者の存在しない社会はあったためしはないのである。だからそれをする人を選ぶときには必ず、その人々が権力を濫用しようにもできないような、制度を整えておくことだ。


指導者を持たない群衆は、無価値も同然の存在である。

人間というものは、いかに傷つけられようと、自分がその責任者であれば痛みも和らぐというものである。

人のなす事業は、動機ではなく、結果から評価されるべきである。

人間というものは、自分を守ってくれなかったり、誤りをただす力もない者に対して、忠誠であることはできな
い。

悪事を犯せば必ず罰せられるということを市民たちに悟らせるには、古代ローマが実行したように、善行には必ず褒賞をもって報いることが大切だ。たとえ国家民衆は、群れをなせば大胆な行為に出るが、個人となれば臆病である。が貧しかろうと、これを怠ってはならない。報いの性質さえはっきりしていれば、それを受ける側はいかなる大きな褒賞より名誉に感じるものだ。

将来起こりうる紛争も、芽のうちに摘み取っていれば、対策も容易になる。医療も、効果を発揮させるには「間に合う」ことが必要であるからだ。

まったくもって情けない現実だが、人間というものは権力を持てば持つほどそれを下手にしか扱えないものであり、そのことによって、ますます耐えがたい存在と化すものである

他者を強力にする原因を作るものは、自滅する。これはただ一つの例外も存在しないといってよいほどの普遍妥当性を持つ原則である

一度でも徹底的に侮辱したり、手ひどい仕打ちを与えたことのある者を、重要な任務に就かせてはならない。なぜならこの者は一挙に悪評を挽回しようとしてか、あるいは、どうせ結果は悪く出ても自分の評価はこれ以上悪くなりようがないと思うかして、一か八かの勝負に出やすいからである。

それにしても、聡明な君主と評判を得ている人物に対し、あれは君主自身の器量によるものではなく、側近に人を得たからだという人が多い。それは、明らかな誤解である。なぜなら、聡明な君主でなければ助言者を活用できるわけがないからである。

民衆は、群れをなせば大胆な行為に出るが、個人となれば臆病である。


怒り狂った民衆に平静さを取り戻させる唯一の方法は、尊敬を受け、肉体的にも衆に優れた人物が彼らの前に姿を現すことである。

君主たるもの、他者に左右されるような状態からは、できる限り自由であらねばならな
い。

いかなる種類の戦いといえども、あなた自身の弱体化につながりそうな戦いは絶対にしてはならない。名を落とそうがどうしようが、避けられる限り避けねばならない。このことを考慮しない、いわゆる強気は、害あって益ない愚行である。

ニコロ・マキアヴェッリbot ‏@Niccolobot

人間というものは、危害を加えられると思い込んでいた相手から親切にされたり恩恵を施されたりすると、そうでない人からの場合よりはずっと恩に感ずるものである。

組織マネジメントの為の名著・古典bot ‏@manage_bot
君主が心得るべきことは、人に蔑まれないようにすることと、恨みを買わないことである。鷹揚だとの評判を得ようとして他者の物を奪うよりは、けちだとの悪評だけをもらって恨みを買わない方がよい。 

優れた君主は、けちだという悪評など少しも気にかけない。君主の節約によって歳入が十分で、民衆に負担をかけることなく大事業に乗り出せれば、何一つ物を取り上げたりすることなく結果的に鷹揚であるからだ。
 →君主論 

言語も風習もまったく異なる地域を獲得したとき、その支配は極めて困難だ。最も効果的な策は征服者が現地移住すること。そうすれば不穏な空気にも直ちに対処可能で、住民もいつでも君主に救いを請える。 →君主論

偽教授 ‏@TanTanKyuKyu 2014年2月8日

心に留めるべきは、ある国を制服するとき、征服者はとうぜんやるべき加害行為を決然としてやることで、しかもそのすべてを一気呵成におこない、日々それを蒸し返さないことだ。(略)逆のことをやってしまうと、その人は必然的に、いつも短剣から手を離せなくなる」 ――マキアヴェリ 『君主論』

きく @porarisupo • 2012年4月4日

ナオミ・クライン著「ショック・ドクトリン」を読み始めたら「加害行為は一気にすべきである。そうすれば相手にそれほど苦しい思いをさせることなく・・」マキアヴェリ『君主論』からの言葉。瓦礫拡散・原発再稼働・TTP参加・消費税値上げ・・黙っていれば、生活破壊。苦しみが一気にやってくる


鎌倉 麗 ‏@kamakurara 2012年10月22日

うちの犬のようだ・・・^^ RT @nuxyu: 人は恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つける(マキャベリ) 君主論読んだけど頭に入らなかった。ここだけ覚えた。

ktaku ‏@ktaku11 2013年3月25日

いろんな人がいたけど、卒業式に両親が来るのをあまり迷惑だと思わない方が良いんじゃないかな。「人は恐れている人より 愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つける」という言葉を思い出した。

ディスコルシ ローマ史論 (ちくま学芸文庫)ディスコルシ ローマ史論 (ちくま学芸文庫)
(2011/03/09)
ニッコロ・マキァヴェッリ

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”国家にとって法律を作っておきながら,その法律を守らないことほど有害なことはない。
とくに法律を作った当の人達が,それを守らない場合は文句なく最悪だ。


君主は,民衆が何か誤りを犯したとしても苦情を言うことはできない。
なぜなら民衆の犯した過ちは,統治者側の怠慢からか,そうでなくても統治者が犯したことを彼らもまた踏襲しているのに過ぎないからである。
リヴァレスは言っている。「大衆は,政治を行う者を模倣する」


リヴァウスの「ローマ史」を読んで,そこから何かの教訓を得ようとするならば,ローマの市民と元老院のとった行動を,じっくりと検討する必要があるだろう。
検討する価値ある事柄は多いが,その中でも特に次のことは重要だと思う。
それは,軍隊を率いる執政官や臨時独裁執行官や軍指令たちに,どの程度権限を与えて送り出したか,ということである。
答えは,はっきりしている。
古代ローマ人は,この人たちを絶大な権限を与えて送り出したのであった。
元老院は,新たに戦争を始めるときと,和平を講ずる場合の決定権しか持っていなかった。
その他のことはずべて,現場の指揮官たちの意志と判断にまかされたのである。
(中略)
これと反対の例は,ヴェネチアやフィレンツェでのやり方である。
この二つの共和国の指揮官は,大砲を置く位置からなにから,いちいち本国政府に指示を仰がなければならない。
戦争開始後を除けばなにもかもがこの式で,官僚主義一色に染まっているのが現状だ。
つまり,個人の栄誉はなく,栄誉は全体のものであるべきという立派な理由によるのだが,実際にはこれが,現在の惨状の原因になったのであった。


なぜ古代(ローマ)では秩序が保たれ,現在(16世紀フィレンツェ)では無秩序が支配しているかの理由解明は,これまた簡単である。
すべては,昔は自由人であったが,今では奴隷の生活をするしかないことにある。
前にも説明したように,自由に生きることができる国では,社会全体が繁栄を享受できるようになるのは,歴史が示してくれる真実である。
このような社会では,結婚を避ける傾向もなく,財産を減らす恐れをもたずに子孫を増やすことができたので,人口は健全な増え方をしたのであった。
親たちは,自分の子が自由な社会に生き,それゆえに才能があれば,指導者階級に属すことも可能だと信ずることができたから,子供の生まれることを喜び,その子達の養育にも力を入れることができたのだ。
このような国では,あらゆる分野での富が増え続ける。人々は富を増やせば増やすほど,それを享受する喜びも増やすことができるからである。
このような社会では自由競争の原理が支配的になる。私的な利益と公的な利益の両方共が,ごく自然な形で追求されるようになる。
結果は,両方とも繁栄に繋がるのだ。


国家が秩序を保ち,国民一人一人が自由を享受するには,清貧が最も有効だ。
(中略)
ローマの例が物語るように,清貧の方が富裕よりも共同体のためになる,例を挙げても挙げたり内ぐらいである。
清貧を尊ぶ気風が,国家や都市やすべての人間共同体に栄誉を与えたのに対して,富追求の暴走は,それらの衰退に役立っただけなのであった。


これだけは民衆に言っておきたい。
このことだけは肝に銘じて覚えてほしい。
為政者であろうと指導者でと呼ばれようと,支配者の存在しない社会はあったためしがないのである。


過去や現在のことを思いめぐらせる人は,たとえ国家や民族が違っていても,人間というものは同じような欲望に駆られ,同じような性向をもって生まれてきたことがわかるであろう。


宗教でも国家でも維持していきたいと思えば,一度といわず何度でも本来の姿に回帰することが必要である。
それで,改革なるものが求められてくるのだが,自然に制度の改革ができる場合は,最も理想的である。
だが何かの切っ掛けで,その必要性に目覚め改革を手につけた場合も長命だ。
つまり,はっきりしていることは,なんの手も打たずに放置しているような国では短命に終わざるをえない。


歴史は,共和政体であろうと他のいかなる政体であろうと,国家というものにとって嫉妬による中傷ほど害をおよぼす者はないことを教えてくれる。
そして,それを放置したままだと,これによる危険が想像を超えて増大することも教えてくれる。
この種の中傷による害を排除するには,法的に告発できる権利を確立しておくことしかない。


人間というものは,必要に迫らなければ善を行わないようにできている。
それゆえに,全てが自由放任であると誰もが勝手気ままに行動してしまい。世の中は混乱と無秩序のみが横行することとなる。


戦争するしか能のない者達を常に抱えておくことほど,為政者にとって危険なことはない。


場合によっては,人を屈服させるのに,非常で暴力的な行為よりも温情に満ちた人間的なあつかいの方が,有効であることがある。
歴史上,軍事力で落とせなかった都市が,攻撃側のとった人間的で寛大な処遇によって。城門を開けた例は多いのだ。


いにしえの歴史家は次のように言っている。
人間というものは,恵まれていなければ悩み,恵まれていれば退屈する
そして,この性向からは同じ結果が生ずるのだと。


なにかを成し遂げたいと望む者は,それが大事業であればあるほど自分の生きている時代と,自分がその中で働かねばならない状況をを熟知し,それに合わせるようにしなければならない。


共和国において,一市民が権力を駆使して国のためになる事業を行おうと思ったら,まず始めに人々の嫉妬心を押さえ込むことを考えねばならない。
なぜなら,いかに力量抜群でかつ国益のためにやる気充分の人物でも,人々の嫉妬心に妨げられては,実現できることも実現できないで終わってしまうから
である。”
マキャベリ著 政略論 おっさんの雑記帳
http://dfhksafhdsa.seesaa.net/article/140180359.html
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