読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

07 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

だいたい水戸黄門の水戸学と平田篤胤=ファシストの元凶のせい。           大本教(聖書肯定のスウェーデンボルグ思想)や                   国家神道など「神道」のほぼ全てが平田篤胤の和風キリスト教の強い影響下。                                               神道事務局                                     (神道大教の前身。初代管長が稲葉正邦=平田鐵胤の弟子)               ⇒皇典講究所                                    (國學院大學と神社本庁が継承。神職試験が平田篤胤説。大本教の出口王仁三郎が学ぶ)                                           ⇒神社本庁                                    ⇒神道政治連盟・日本会議・生長の家(大本教派生)。                                                                                                  日ユ同祖論もユダヤ陰謀論もイシヤ=フリーメーソン陰謀論も大本教が黒幕。      RAPTはキリスト教系なので注意。 

完成!しりとり式に引用して間の私による文章なしにする案もあったのですが、結局、つなぎの文を書くことにしました。
長いので冒頭に要約をつけます。

要約(一番短い要約は記事のタイトル)。

ねこた“オウムも大本教も言ってた「ユダヤ=フリーメーソン」の陰謀論。イラン系思想を持つ、まんまダイレクトに秘密結社の手羽先はユダヤに全ての罪を押し付ける事で暗躍してる現実があるんぢゃ!
陰謀論者の宗派リスト(陰謀論者はカルトばかり!?

http://t.co/xcYJnwGNNC(引用者註。本ブログの保存記事にリンク)

"☆殆どの陰謀論者クリスチャンか大本教
☆ユダヤ陰謀論、秘密結社の陰謀論はキリスト教の宣教
☆日月神示などは神道カルトの洗脳


国家神道=天皇一神教 の元ネタは平田篤胤。
平田篤胤は神=善神に一元化したクリスチャンで
1806年の『本教外篇』で和風キリスト教=神道にした。
ハングルから神代文字を捏造した似非国学者。
国家神道=キリストの代わりに天皇を祀り上げたキリスト教・改
の元ネタがキリスト教信者で国学者(アンチ仏教)の平田篤胤。

平田篤胤の本教外篇より
本教=和風キリスト教=神道。
平田の弟子の大国隆正も本教を主張。
大国の弟子が
福羽美静(明治天皇の侍講)
と玉松操(岩倉具視の腹心)。

平田篤胤の養子の平田鉄胤(かみたね)も明治天皇の侍講。

平田篤胤系の出口王仁三郎の
大本教は大本と名乗り
 本教を隠す。
大本教系の日月神示の元ネタの一つが
平田篤胤の神字日文伝(神代文字を捏造)

国家神道
=新キリスト教
=平田篤胤思想+現人神思想+スウェーデンボルグ思想。
スウェーデンの貴族スウェーデンボルグの思想が神智学、ニューエイジ、宇宙人説、出口王仁三郎の霊界物語、大本教系の日月神示の元ネタ。

王仁三郎の大本
=平田篤胤思想+現人神思想+スウェーデンボルグ思想。
聖典『霊界物語』の執筆より前に既に、スウェーデンボルグの和訳本は出版されていた。
北光天使
=天の目一箇神
(=北欧イルミ✝教徒=△目)
=スウェーデンボルグが教典に登場し、素晴らしい善なる存在として描かれている


水戸学(=南朝正統系。北朝天皇否定)の会沢正志斎の弟子が本田親徳(平田篤胤系)。
本田親徳の弟子が長沢雄楯(かつたて)。
長沢雄楯(かつたて)の弟子が大本教の出口王仁三郎は学んだ


平田篤胤(和風キリスト教)+水戸黄門(水戸学=北朝天皇否定。南朝崇拝)
⇒本田親徳⇒長沢雄楯⇒出口王仁三郎


その上、出口王仁三郎は平田派の教学の影響が強い明治期の皇典講究所(後の国学院)で学んで いるので、
平田神学=和風キリスト教・仏教の否定
の影響がかなり強い


神道事務局
(神道大教の前身。初代管長が稲葉正邦=平田鐵胤の弟子)
⇒皇典講究所
(國學院大學と神社本庁が継承。神職試験が平田篤胤説。大本教の出口王仁三郎が学ぶ)
⇒神社本庁
⇒神道政治連盟・日本会議・生長の家(大本教派生
)。

よって、大本教など平田篤胤系(国家神道など「神道」のほぼ全て)は仏教否定思想
=絶対者の存在(一神教寄りの多神教

+仏の否定と神の肯定。

仏教国教時代の思想が本地垂迹説。
=神仏習合建前にして実際は、土着の神々を仏教化して支配するための宗教支配戦略

日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとすることで、神は「ユダヤ人」のように仮面や名札としてしか存在せず、中身は実在しないとする思想。
そこで神社を寺化したり、神に菩薩号をつけたり、神体に代わって仏像を祀ったり、僧形の神像(本地仏)で表現。

なお、大乗仏教は仏も神も「空」の思想により実体を否定される=絶対的存在の否定が中核。

よって、いくら仏教をよそっていても、絶対者が存在するならそれは(和風・インド風)キリスト教(+新プラトン主義。ギリシャ哲学)。
典型的な例が創価学会=聖教=(日蓮正宗風)キリスト教



平田篤胤→大国隆正→福羽美静→明治天皇 。
大国隆正→玉松操→岩倉具視

✝の平田篤胤の本教=和風キリスト教=神道。

国学≒蘭学(アンチ仏教の点で)。
天皇家が関わる万葉集は漢字表記(日ユ同祖論は嘘)
契沖は真言宗僧侶で徳川光圀(水戸学の祖)がスカウト。
国学の四大人
荷田春満(伏見稲荷の神官)
賀茂真淵(春満の姪が妻。春満門下)
本居宣長(伊勢出身。真淵門下)
平田篤胤(和風クリスチャン。宣長の没後門人)

国学はキリスト教の隠れ蓑
平田篤胤(✝。『本教外篇』で本教=和風キリスト教)
→大国隆正(平田篤胤門下。本教本学を提唱)。
→福羽美静(大国隆正門下。明治天皇の侍講)、
玉松操(岩倉具視の腹心。大国隆正門下)。
平田篤胤→大国隆正→福羽美静→明治天皇。

平田篤胤→平田鐵胤(篤胤の後継者)→明治天皇。
平田篤胤→平田鐵胤(篤胤の後継者)
→稲葉正邦(神道大教)→皇典講究所(国学院)→神社本庁


なお、平田派は明治政府の中枢から排除され影響力を失っていったとする情報があるが、
国家神道=天皇一神教の元ネタが平田篤胤=和風キリスト教なのに、どこがどう影響力を喪失?
パイ(利権)の取り合いなだけで、パイ自体(神道=和風キリスト教利権)はそのまま。
どう転ぼうが、キリスト教>和風キリスト教=国家神道のまま



ほしいも ‏@hosimo1 2月23日
島根の津和野=山陰の小京都。
森鴎外、西周、
大国隆正(平田篤胤門下)、
福羽美静(大国隆正門下。明治天皇の侍講)の出身地。
玉松操(元・真言宗醍醐寺僧。岩倉具視の腹心)も大国隆正門下。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-23.html "

五郎丸村の万願寺が伝導所だった理由わかりました。

村手 さとし @mkmogura · 2014年1月3日
神社格付けランキング。
3 どう考えても寺である。日光東照宮、鶴岡天満宮、下鴨
2 実はキリスト教とやたら親しい。つまり、神神うるさい。亀岡の出雲など。
1 もともと仏教な天皇が参拝したことはないのに、なんか天皇の神社みたいになっている。伊勢、他官国幣社多数。

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
@mkmogura 泉涌寺が天皇家の菩提寺 ×神社
神仏習合=仏教化による神社支配(寺>神社) 
鰐淵寺(出雲大社を管理)
石清水八幡宮護国寺
祗園社(祗園は仏教用語)
伊勢大神宮寺
弥勒寺(八幡大菩薩宇佐宮の宮寺)
鶴岡八幡宮寺(八幡は菩薩=仏教)
愛染寺(伏見稲荷大社を管理


天皇が信仰した思想体系がある伝統宗教=神道は明治期の #キリスト教 の捏造。
輪王寺:日光東照宮=寺の一部。天台宗の門跡寺院
寛永寺:徳川家菩提寺。天台宗
増上寺:徳川家菩提寺。浄土宗
仏教用語と仏像だらけの歴史

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

初詣はキリスト教製の偽伝統。初詣の初出は明治18年
キリスト教のおかげで真言宗は再興できた。金剛峯寺の建立は明治以降
神社(和風教会)は神道=和風キリスト教の施設。
✝の手先に金が集まるのが全国初詣客数ランキングでわかる。
平和を願い戦争屋に金を送る大衆


琢 ‏@777Taku7 12月22日
日光東照宮・世良田東照宮・仙波東照宮・上野東照宮は徳川家縁の寺の近くに在る事からも解かるように、東照宮は元々独立した神社ではなく、寺の境内社でした。

のら猫の手 @noranekonote
ねこたさんが「皇族女性が出雲大社の跡取り息子と結婚の件だけど。その出雲大社はキリスト教ぽい。キリスト教的な神権政治に警戒しないといけない」とか。すごい面白かったです。
江戸時代まで皇族は仏教徒で、寺が神社を管理してたのに。明治以降は、キリスト教が神道をでっち上げて、出雲大社もキリスト教勢力の子分で。キリスト教的な神権政治に向かうかもしれんと警戒すべきなのね。参考になります。

antigangstalking ‏@gbcjpn 1月3日

ホツマツタエ? RT @onigiri3_: RT @kitsuchitsuchi: @Link_Style_ 古代の発音数と文字数が合わないことと、何でも日本起源にしたい大本教の日本雛型論者がいるので、平田篤胤がハングルをモデルに神代文字を捏造したと判断。 多々良=大内=周防を

松平俊介@花粉症 ‏@matu2syun 1月1日

幕末の国学者は、平田篤胤に限らないのですが、ハングルを元に文字を捏造して「日本古来の文字だ!」と言い出したり、古史古伝を創作したり、アレな人が多いのよね。その人達の弟子連中がワープアの青年将校を焚き付けて「昭和維新や!」とか言い出したのがファシズムの源流という説もあります

ホモ エーデンス ‏@Takeridon 8月1日

神代文字について: 平田篤胤の『神字日文伝』(1824年序)の表紙(上)及び本文の一部。どう見ても、ハングル(諺文)の系列の文字だ。 pic.twitter.com/WETg9SnRBo

ホモ エーデンス ‏@Takeridon 7月31日

神代文字について: 実在説の平田篤胤が編んだ『神代日文伝』に対して、伴信友が『仮字本末』で批判。写真は『仮字本末 附録』のある丁だが、平田らが神代文字としてあげるのは、ハングル(諺文)の流れを受けたものとしか見えない。 pic.twitter.com/lsjILOjGwm


knznymmmy ‏@knznymmmy 3月24日
平田篤胤の弟子であり、大東亜共栄圏の父ともいわれる農本主義者、佐藤信淵は綾部藩に招かれた。後の大本教と大本にそっくりな九鬼神道の発祥の地。 変形朱子学たる水戸学の会沢正志斎の会沢神道を学んだ本田親徳に、大本教の出口王仁三郎は学んだ。 以上コピペ

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
水戸学=南朝天皇崇拝。
徳川光圀(水戸黄門):神仏分離。神主を京に派遣。楠木正成を讃える墓を建造(後の湊川神社)。
ワインを愛飲。黒人家臣。
名君伝説が流布したのは江戸末期~明治期=南朝崇拝の宣伝

茨城県が舞台のアニメの傾向が予測可能。

黄門、諭吉、下中弥三郎は左右の胴体。
天皇絶対(右。WASP至上主義)と万教帰一(左。欧州王侯貴族)を標榜する生長の家のように、左右のカルトを製造・運営する側。生長の家の創始者の谷口は出口ハルヒの大本教出身。
大本教はバチカンとメーソン製品。憂鬱?驚愕?

ken ‏@kenkatap
大日本史【http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2 … 
▼水戸徳川家当主徳川光圀によって開始
▼特に南朝関係の史料を広く収集
▼南朝方武将楠木正成の忠誠心を朱舜水に示唆された【特色】南朝正統論を唱えた
▼尊王論で貫かれている
▼歴代天皇が現在のものに改編されたのも『大日本史』の影響とされる

徳川光圀「南朝=崇めるべき」という思想=水戸学
▼印籠=天皇【http://www.mkmogura.com/blog/2010/06/23  
水戸黄門=南朝洗脳【http://www.mkmogura.com/blog/2010/06/23/816 …

アルルの男・ヒロシ@日本あ~あ党 ‏@bilderberg54 2013年8月18日
徳川慶喜 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%85%B6%E5%96%9C … 天保8年(1837年)9月29日、江戸・小石川の水戸藩邸にて第9代藩主・徳川斉昭の七男として生まれた。
水戸学=南朝正統系

J・ナナミ ‏@pinkglalem 2013年11月29日
奈良の #天理教。岡山の #金光教。京都の #大本教。いずれも明治に出来たカルト。中でも大本教の影響力は絶大。「#生長の家」の #谷口雅春 はかつて大本の機関紙の編集主幹、「#世界救世教」の #岡田茂吉 も大本の信者でした。「#ワールドメイト」の教祖・ #深見東州 も元大本の信者

J・ナナミ ‏@pinkglalem 2013年11月18日
偽装したカルト団体では、「洗脳」を「覚醒」と呼ばせる。#カルトあるある みんな、「#開化派」でググれ。 #DickSuckers #ユダヤ陰謀論詐欺 #差別思想注入 #ワールドメイト #生長の家 #高尾英司の乱 #実はカルトとズブズブ #誰からお金と指令を貰ってるの?


怒れる不動明王 ‏@goubuku_fudou 11月23日
国 家神道信奉者の右翼どもは、日本の伝統は天皇による神の国というお笑い思想に固執する。歴史を見れば天皇制が機能していたのは奈良時代の女帝の時代までで 平安以降は摂関政治に始まり、以降、江戸末期まで武士の時代になる。江戸末期に本居宣長や平田篤胤が国学というもので歴史を歪めて天皇制を見た

H ‏@Tempatmata 7月20日
左翼が嫌う「天皇マンセー」的神道とは江戸時代の異能の男、平田篤胤によって完成された平田神道であり本来の神道ではない。日本の神道に「救済」は無いぞ。勝手に靖国に霊魂を送るな。日本の復活は平田神道に基づくべきではない、日本の価値を考えよう pic.twitter.com/d9IqsteJ3j

むらやまこういち ‏@murapyon71 4月19日

捏造に手をそめた人として平田篤胤を挙げましたが、もうひとり大御所がいましたね。渋川春海は『日本書紀』の暦日の正しさを証明する為に持統天皇の時代の元嘉暦の前に日本独特の暦法があったとして三種類の暦法を捏造し『日本長暦』をつくった。これは小川清彦に捏造である事を実証されている。

nishii naoto ‏@nishii3 2013年2月17日

 天皇崇拝を推進したのは、倒幕を目論んだ吉田松陰の戦略であるが、その吉田松陰を啓蒙したのは平田篤胤である。国学者は現代にいるのだろうか?そして、普遍的アジェンダ、死後霊魂はどこへ向かうのかである。紫微宮と呼ばれる世界(冥界)に平田篤胤はいると言われている。

クロダオサフネ@例大祭I22b ‏@kuroda_osafune 2014年1月25日
『津和野は国家神道と深く結びついた町である。「天皇は全世界の正統的支配者だ」と説いた大国隆正は平田篤胤の弟子、脱藩後藩主亀井茲監に招かれ藩校教授となる。その弟子玉松操が岩倉具視に入説し、明治維新を「神武創業への復帰」と性格づけさせたことは有名』

RINOGAWA✿JUNKICHI ‏@MiguelMoune 2014年1月7日
そもそも、国家神道とか民族主義みたいなものが日本的でねーっちゅーの。ありゃ平田篤胤や岩倉具視や伊藤博文が発明したもんだからね


菊池 ‏@kikuchi_8 3月18日
村 岡典嗣という学者が平田篤胤神学への耶蘇教の影響を指摘している。國學院大の学長を務めた神道学者も篤胤は早くからキリスト教知識に触れ、「万物の主宰 神」という考えを持っていたと指摘しているので「平田篤胤は耶蘇教の影響を受けた」というのは神道学界では一般的な認識ではないかと推測する。

菊池 ‏@kikuchi_8 2月20日
カ ルトの手口は日本人が古来から親しんでいる神道や仏教の用語を西洋的な意味に改竄する事である。これは平田篤胤が天御中主神をキリシタンがいう天主(天地 の創造者)と同定して、意味する所をすり替えたのが典型的であり、これが元祖だろう。篤胤流の手口はその後の神道系仏教系カルトで多用さる

菊池 ‏@kikuchi_8 2月13日
幕 末期に平田派として活動した角田忠行という神道家が明治期に熱田神宮の大宮司をしていた。熱田神宮の大宮司の曾孫がメーソンの32階級だか33階級で「極 東のメシア」と言われているというネット上の噂がある。角田忠行との関係如何が気になる。平田派とメーソンの関係を考えるヒントになるからだ。

菊池 ‏@kikuchi_8 2月11日
神 仏習合みたいに思って世界連邦運動に参加している宗教者がいるようだ。だが日本人は無差別に何でもかんでもを習合してきたのではない。それなりの枠組み内 で習合・共存させてきた。現にキリシタン信仰は受け入れていない(平田派が密輸入したが)。無自覚な宗教者が日本の精神的伝統を危うくする。

iseakira ‏@iseakira 1月10日
@kikuchi_8 平田派は普通にカルトですからね。耶蘇書から盗用も分かってますし、本居などのように純神道を志した人物ではなく山師という評価です。維新に与えた影響はありますが、これとて太平天国や東学党のような革命の扇動にカルトが重要な影響えお与えるといったよくある構図かと。

耶蘇書からの引用が見られることはもう一般認識ではないでしょうか? で、それ国学を志す人間としてそもそもからおかしい態度じゃん?と当然なるわけで。

菊池 ‏@kikuchi_8 1月10日
@iseakira そう思います。支那の革命期に跋扈してくる白蓮教のような宗教カルト現象に近いものはあると思います。平田派は尊皇攘夷を掲げていますが、その神観に洋夷 的なものが入り込んでいるわけで本当の「攘夷」にはなりえていないどころか、逆に洋夷化していると見ることもできるかと。

はい。村岡典嗣という学者が平田篤胤の思想とキリシタン教学の影響関係を論証しています。私もまったく同じ評価です。宣長先生の神の定義を見ると縄文アニ ミズムを根源とする本来の神道のそれだということが明確ですね。本居派(鈴屋派)は平田派をかなり嫌っていたと聞きます。

菊池 ‏@kikuchi_8 12月13日
日本近代カルトは平田派、日蓮思想、キリスト教、神智学。大体この四つの源泉あり。
平田派→大本教、
日蓮思想→創価、
キリスト教→統一協会、
神智学→幸福の科学

現代日本で幅を利かせている四大カルトはいずれも上記の源泉を持つ。前一つが反米派、後ろ三つが親米派に影響力大。この両建構造。

菊池 ‏@kikuchi_8 12月13日
日 蓮思想とキリスト教の類似点
①末法思想という終末思想が前提
②法華経の教え以外の全面禁止の要求(排他性)
③久遠本仏という実体的な超越者の崇拝
④上行菩 薩というメシア待望論
➄宗派によっては日蓮が本仏とされ、ゴッド=イエス思想と類似。
●平田派の系譜の神道系カルトと並び日蓮系カルト多
し。


菊池 ‏@kikuchi_8 11月24日
近 代日本のカルト宗教の二大源泉は平田派神学と日蓮主義。
神道系カルトは前者から発祥し、仏教系カルトの多くが後者に発祥する。
真言立川流も源泉の一つと考 えるようになった。真如苑の教祖は立川流の祖仁寛と同じ醍醐
寺の僧侶出身である。平田神道系、日蓮系と並び密教系のカルトも多い。

菊池 ‏@kikuchi_8 8月1日
34)大本系カルトの根源には平田篤胤による神道のキリスト教的宗教化がある。教義をつけるだけならいいが、自己絶対化と不可分のキリシタン神学を密輸入するのは禁じ手である。儒・仏・道・陰陽思想、等を取り入れるのとキリシタン神学を密輸入するのでは意味が全く違う。

菊池 ‏@kikuchi_8 8月1日
32) 平田篤胤は鈴屋学派(本居宣長直系)からは極めて評判が悪かったそうである。キリシタン宗的な死後の世界等言挙げによってあれこれ形而上学的な教説を作る という宣長先生がもっとも嫌ったことをしたことに憤ったのであろう。検証不能な形而上学をこさえた平田篤胤はさかしらを用いすぎた。

菊池 ‏@kikuchi_8 8月1日
31) 共存が壊れるときはきまって教義を絶対化した一派が登場するときである。戦国時代のキリシタンや明治初期の平田派などである。もともと人間と自然の感応・ 感動=もののあわれを作法化したものである神道をキリシタン神学と無理やり接合し、宗教化してしまったのが平田派である

菊池 ‏@kikuchi_8 7月27日
11) 日本が中国や印度の文物・思想を移入しながら、独自性を失わなかったのは、もともと日中印の文化に汎神論の伝統という共通した大枠がありそれによってス ムーズな文化移入が行われたからだと考えている。平田派のキリシタン神学密輸はその大枠そのものから逸脱した。がこれはまた別の話である

菊池 ‏@kikuchi_8 2014年3月16日
20)神道にキリシタン神学を入れて別のものに変えてしまった平田神道のように、日本の伝統仏教に組み付いて、換骨奪胎して別のものに変えてしまおうというしつこい策動の存在を感じる。「一者」のような実体思想を入れたらもはや仏教ではなくなってしまう

菊池 ‏@kikuchi_8 2013年12月19日
7)「アセンション」を煽った主な勢力が大本一味であったように、これらは今にいたるまで国際秘密力の対日謀略機関として機能している。平田神学の影響は当然、表のいわゆる国家神道→神社神道の系譜にも流れ込んでいる。

菊池 ‏@kikuchi_8 2013年12月19日
5)戦国期から江戸期にかけてなんとかキリシタンの侵攻を阻止して生態系を守ったものの、江戸後期に平田派がキリシタン神学を密輸入して一神教的な「神道」をでっちあげてしまった。その害毒は今にいたるまで我が国を蝕んでいる、近代日本の宿痾なのである。

6)その最初の現れが明治初期の廃仏毀釈であった。そのときの平田派の振る舞いは戦国時代のキリシタンの振る舞いにそっくりではないか。廃仏毀釈が収まり 平田派が表向き明治政府から追放されたあとも悪影響は無くならない。その在野における現れが大本教を元祖とする「神道」系カルトの系譜である。

菊池 ‏@kikuchi_8 2013年11月17日
2)しかしながらキリシタン神学(特に創造主・超越神の観念)を密輸入して一神教化してしまい、のちの大本を元祖とする明治以後の疑似神道に繋がっていく平田神道より 、真言密教の方がよほど日本古来の神道の世界観に哲学的理論的に近いように思うのである。

菊池 ‏@kikuchi_8 2013年11月23日
1)古事記の冒頭の天地開闢の部分を解釈する。最初に「天地初めて発けし時、高天の原に成りませる神の名 は、天之御中主神」とあり、まず自然に天地が開け、そこに天御中主神がお生まれになったとある。

2) であるからこの部分を素直に読めば天御中主神が平田派や大本教がいうように「天地に先立ち天地を創造した主宰神」でないことは明白である。彼らがキリシタン神学の影響でこの部分をねじ曲げたことは明らかであろう。

3)天御中主神観としては天御中主神は天地開闢と同時か、天地開闢の後にお生まれになったと考えるのが 古事記の記述からして正しいであろう。

4)天御中主神がお生まれになったあと高御産巣日神と神産巣日神がお生まれになる。このあと天御中主神は姿を隠され、ムスビの二神はしばしば姿をあらわせられる。これはなにを意味するか。

5)まず天御中主神が姿を隠されたのは消えたのではなく宇宙全体を象徴されるからかえってある限定された姿をとるのがふさわしくないからだろう。むしろ宇 宙全体を象徴する天御中主神はどこにでもおられると言える。(こういう意味では真言密教で言う「六大所成」の大日如来に近いかもしれない)

6)またムスビの二神は宇宙が万物を産み出す生成作用を象徴する。特定の個物に限定できない天地宇宙(= 天御中主神)と、具体的な姿を持つ個物の、その際(きわ)に位置する生成作用を象徴するので、天御中主神と違ってしばしば姿を御見せになるのであると思う。

7)このことで個物に具現化せんとする宇宙の生成作用を現したのであろう。まとめて言うと天御中主神は「体」であり、高御産巣日神と神産巣日神は「用」である。この三神は「造化三神」と言って一体として語られるが体と用が一体だと言うことを意味すると解釈する。

8)つまり古事記ひいては神道の宇宙観では天地宇宙(=体)は万物を産み出す作用(=用)と一体であって、ダイナミックに生成化育する天地宇宙の背後に実 在界を想定する本体論ではないことを意味する。作用と本体に区別はなく、活動する天地宇宙そのものが生きた作用をなす御神体だということである。

9)これは六大・四慢・三密の体・相・用を一体とする真言密教や衆生世間・器世間・智正覚世間の三種世間を毘盧遮那仏の身体だとする華厳、さらには理を気の条理とする陽明学などの気一元論や道を万物に内在するものとする壮子哲学などに通じる宇宙観であると思う。

10)中でもとりわけ日本仏教が古神道的感性から生まれ、あるいはその感性のもとに定着したと考える由縁である。聖武天皇が東大寺の大仏様を建立されたのには日本哲学的に非常に大きな意味があられたと拝察申し上げる。

11)聖武天皇は「三宝の奴」とおっしゃられたが、決して縄文以来の神道的宇宙観を破棄されたのではなく、むしろ哲学的に洗練されたのであろうと思う。野 道に咲く小さな花に宇宙を見る日本人の感性は華厳の説くところと一致しており、それはまた縄文以来の 古神道的感性に由来すると思う。(了)

菊池 ‏@kikuchi_8 2013年6月10日
大 本教(現:大本)の教義や神観について調べてみて、大本教では神について「創造主神」「神は大創造主」「神が創造された世界」などと書かれているのが目に 付いた。やはり大本教義における神観は平田神学のキリスト教的神観の系譜を引くものであることが確かであると思う次第である。

(絶対者=神と創造を結びつける表現が目立つのが和風に偽装したキリスト教の特徴です



菊池 ‏@kikuchi_8 2013年5月29日
現世より来世を真の世界とし(グノーシス的二世界論) 最後の審判や超越神の神観など、そういうさまざまなキリスト教的神学要素を神道に密輸入したのが平田篤胤であり、のちの神道系新興宗教は大なり小なりその影響を受けていると思われる。

菊池 ‏@kikuchi_8 2013年5月29日
実 体から現象は生まれないが、現象から実体概念は生まれる。その現象は常に生成される。生成する力を「産霊」と呼ぶ。古代日本人の叡智は偉大である。「産 霊」は偉大な働きであって、超越的実体とは違う。キリスト教神学を導入して、天御中主神を「造化の神」から「超越神」にしたのが平田神学である。


甲斐宗運act4 (早川 数秀) ‏@KazuNoSaru 2011年2月13日
会沢正志斎・平田篤胤→本田親徳→長沢雄楯→出口王仁三郎・友清歓真・中野与之助(與之助)→アナナイ教(三五教)→(財)オイスカ(ニヤリ


鳥山仁@『純粋娯楽創作理論 第二章』発売 ‏@toriyamazine 3月16日
そういえば、審神者は本田親徳、みそぎは川面凡児が広めた概念で、どちらも明治以降の神道家だから、日本古来の概念と言われると「?」ということになる。単語自体はあったはずだが、重視されていたかと言われれば相当怪しいはずだ。

神霊狩次回予告bot ‏@GH_next_preview 3月18日
鎮 魂――。逝った人のことを想うこの言葉には、もう一つの意味がある。生きているものの魂は不安定で、躯につなぎ止めておかねば乖離してしまうという。明治 時代初期、本田親徳は鎮魂と神を人間の肉体に下ろす帰神を軸として古代の神道を体系化し、出口王仁三郎らに影響を与えたのだった

菊池 ‏@kikuchi_8 8月1日
33) 平田派の系譜から大本教が出、各種神道カルトの源流を成している。出口王仁三郎は恐らく平田派の教学の影響も強かったであろう明治期の皇典講究所で学んで いる。また幕末期に平田国学を学んだ本田親徳の鎮魂帰神法の影響を色濃く受けている。平田派と大本系神道カルトはかくして接続している。

武田崇元 ‏@sugen_takeda 2014年2月19日
@sugen_takeda但し篤胤は「ひふみよ」は天照大神が思兼神に作らしめ卜部に伝ったとした。いずれにせよ両方とも本田親徳の教儀に組み込まれた。出口王仁三郎は「ひとふたみよ」を「天の数歌」と称し重視したが、大本系でも岡本天明は「ひふみよ」を「一二三祝詞」と称し特別視した。


甲斐宗運act4 (早川 数秀) ‏@KazuNoSaru 2013年12月27日
平田篤胤の弟子であり、大東亜共栄圏の父ともいわれる農本主義者、佐藤信淵は綾部藩に招かれた。後の大本教と大本にそっくりな九鬼神道の発祥の地。 変形朱子学たる水戸学の会沢正志斎の会沢神道を学んだ本田親徳に、大本教の出口王仁三郎は学んだ

甲斐宗運act4 (早川 数秀) ‏@KazuNoSaru 2013年1月28日
会沢正志斎→本田親徳 + 平田篤胤→佐藤信淵 = 綾部藩 と メーソン(どこまで影響してるか知らんが一応挙げておく) + 国家神道 = 津和野藩 のラインがキツイ。

……ようやく、要約が尾張(キリスト教だけに)。

王仁三郎は京都の皇典研究所(国学院大学)に入学し、建勳神社や御嶽教に勤務しつつ、さまざまな宗教や人物と交流したことがあります。
国学院の神職試験は主に平田篤胤の神学を採用。

研究フォーラム「皇典講究所・國學院と『古事記』研究」
http://www.kokugakuin.ac.jp/oard/orc-activities_3g_h22_forum.html
“[発題2] 戸浪裕之 「皇典講究所の神職養成と『古事記』講義」
 神職の養成・教育は、皇典講究所・國學院創立以来の重要な事業の一つであり、それは他の機関には見られない重要な個性であった。戸浪は、神職 の養成・教育のなかで『古事記』がどのように扱われてきたのかについての発題を行なった。戸浪はまず、皇典講究所の前提・前身となる神道事務局生徒寮の神 職養成を取りあげた。続いて、皇典講究所の神職養成事業とそれに関連する刊行物の説明を行い、学階試験問題集と「学階試験科目全書」を中心に、『古事記』 に関わる神職試験の内容を窺った。結論として、平田篤胤の説が用いられているものの、神職養成のなかでの『古事記』の扱いは、おおむね宣長の『古事記伝』 を継承したものであり、それは国学の道統を正しく継承しているという自負の表われではないかとした。“


國學院大學
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E5%AD%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%B8
“神道の研究・教育機関であった皇典講究所を母体とした大学である。
(…)
國學院大學には神社本庁の神職の資格が取れる神職課程がある。大学でこの資格を取得できるのは國學院大學と皇學館大学のみである[2]。
(…)
皇典講究所初代総長の有栖川宮幟仁親王。
(…)
國學院初代院長の高崎正風。
(…)
1882年に神職養成や国学普及などを目的に創設された皇典講究所が、教育事業の拡大を図り、1890年に設立した国学系の学生養成機関である國學院を起源とする。 1920年の大学令によって大学に昇格し、戦後は1948年に現行学制によって大学となる。
(…)
研究機関との連携
コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所
セインズベリー日本藝術研究所


皇典講究所(こうてんこうきゅうじょ 明治15年(1882年) - 昭和21年(1946年))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%85%B8%E8%AC%9B%E7%A9%B6%E6%89%80
“明治15年(1882年)8月23日に、有栖川宮幟仁親王の令旨を奉じた山田顕義ら内務省高官と、松野勇雄ら数名の国文学者が「専ら国典を講究するため」として研究機関を設立した。 また、内務省の委託を受けて神職の養成を行ったほか、各種の講演会、『古事類苑』・『延喜式』の編纂事業を行っていた。

第2次世界大戦敗戦後の昭和21年(1946年)1月25日にGHQ/SCAPによる指導を受けて解散、事業と資産は学校法人國學院大學と神社本庁に継承され、学校法人國學院大學が『皇典講究所』の登録商標を保有している。なお、日本大学の前身である日本法律学校は、開校当初この皇典講究所の教室を夜間借りて講義を行なっていたが、皇典講究所と組織上の繋がりはない。日本大学においては皇典講究所との関係性から、大正13年(1924年)から神道教師の再教育を目的として神道講座が開講され、神道教派聯合会(後の教派神道連合会)によって神道奨学会が組織された。
(…)
設置課程(開設当初)
本科3年、予科2年
• 文学部
o 修身科
o 歴史科
o 法令科
o 文章科
• 作業部
o 礼式科
o 音楽科
o 体操科



ken @kenkatap • 2013年6月6日
明治以降、日本がとりいれたヨーロッパ式の教育システム=キリスト教の学校システムから発生したもの
【http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%A8 …】
イエズス会によって日本に設置されたセミナリヨ(神学校)=近代日本の教育の原点
▼それまでの日本の教育にはなかったものとして音楽と体育が重視

神道大教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93%E5%A4%A7%E6%95%99
神道大教(しんとうたいきょう)は、教派神道の一つ。 明治政府が明治5年に神道の総本山とすべく設けた大教院が元であり、神道十三派と呼ばれる各教派神道の母体となった。初代管長は、稲葉正邦である。
(…)
昭和15年以前は「神道本局(正式名称は神道)」という教派名であった。その元となった大教院は明治6年に設けられ、神道の総本山として皇道発揚に歴史的な役割を果した。
明治7年には全国でその存立を闡明にしており、中、小教院280、教導職数7240名を擁したのだが、その組織上の重大な過失があり、早くも明治8年5月には大教院は解体を余儀なくされた。明治8年3月にこれに代る組織として神道事務局が創設され、次いで大教院は神道側独自の講学布教機関となり名称も神道大教院と改称した。
神道事務局と神道本局は組織的には一応別であるが、神道事務局が有していた神道各教会を統轄するという性格は引き継いだ。明治18年に本局は新たに 「神道教規」を制定し翌年認可されると、東京駿河台、次いで築地に本局が置かれ、初代管長には稲葉正邦が就任した。以後、神道本局は、独立した教派を形成 しえない神道系の諸教会の統轄という機能を担った。
昭和15年宗教団体法施行に当り、当局に神道本局にも教名の変更が妥当ではないかということを勧告され、大会議を開き慎重審議の結果、明治三年の大教宣布の詔[1]にのっとり、神道が国教と定められ、その聖旨に添うべく神道事務局が創設せられ、やがて神道本局に受け継がれた。その由緒をもって神道に大教を結び「神道大教」と改名した。

皇典講究所と神道大教
神社本庁および國學院大學の前身である皇典講究所は、 神道大教とは切っても切れない関係にある。明治三年、大教宣布の詔が発せられ、統一的な神道の宣教機関として生れたのが神道事務局(神道大教の前身)であ るが、その神道事務局の神職を養成するために設置されたのが皇典講究所であり、ここを母体に生れ、発展したのが國學院大學である。


稲葉 正邦(いなば まさくに)天保5=1834~明治31=1898年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E6%AD%A3%E9%82%A6
稲葉 正邦(いなば まさくに)は、幕末の大名・老中・京都所司代で、山城淀藩12代目(最後)の藩主。正成系稲葉家宗家16代。
(…)
版籍奉還により淀藩知事となり、廃藩置県によりその地位を退く。維新後は平田鐵胤に入門して神道に傾倒、三島神社宮司や大教正などを歴任し、明治初期の神道の発展、整備に寄与した。明治8年(1875年)神道事務局を設立し、管長に就任、事務局が神道本局に改組されると、再度管長を担当した。著作に『妖幻夜話』『東閣遺草』など。
跡は養子の正縄が継いだ。”

平田鐵胤
=平田銕胤(ひらた かねたね、寛政11=1799-明治13=1880年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E9%90%B5%E8%83%A4
“伊予国(愛媛県)出身。新谷藩主・加藤泰理家来・碧川衛門八の長子で篤眞(あつま)と称す。
文政7年(1824年)1月15日、国学者平田篤胤の養子となり、篤胤の娘おてう(後に織瀬と改名した)と結婚し、名を篤実(あつさね)、通称内蔵助(くらのすけ)のちに大角(だいがく)と改め、篤胤の後継者となる。
明治元年(1868年)、神祇官判事に任じられ、明治天皇の侍講
となり、ついで大學大博士に進み、大教正となる。”

神社本庁(神社本廳、神社本廳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%BA%81
神社本庁(じんじゃほんちょう)は、神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人

神社本庁の宗教法人としての規則である「神社本庁庁規」では、神社本庁の目的を、包括下の神社の管理・指導、神社神道の宣揚・神社祭祀の執行・信者(氏子)の教化育成・本宗である伊勢神宮の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた広報活動など、としている。また政治運動として、皇室の男系継承の尊重、首相の靖国神社公式参拝の推進なども行っている。また、神道政治連盟や日本会議といった団体を通じて、自民党を中心とした一部の保守政治家にも影響力を持ち政治活動を行っている。
(…)
設立の経緯

戦前の日本においては、教派神道などの例外を除き、神道を国家神道とすることで日本国民の道徳の根源として、事実上国教化していた。戦後改革の一環として連合国軍最高司令官総司令部は1945年12月15日、国家と神道勢力が結合する形態は、政教分離の概念から問題があるとして神道指令を発し、神社を国家から分離することを命じた[1]。

そのため、1946年2月3日、皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会の3団体が中心となり[1]、全国の神社の総意により内務省の外局・神祇院の業務を引き継ぐ形で神社本庁が設立された。神祇院の後継的存在だが、現在では宗教法人法にもとづく包括宗教法人の一つとされる。
(…)
神道とは日本民族の古来の習俗に由来する、自然崇拝・祖先崇拝を基調とした信仰を総称した言葉であり、神社神道には、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランのような教典は存在しない(教派神道は除く)。伊勢神宮系であり出雲派教義を明治期遠ざけたため、そのしこりは今も存在している。
(…)
事務所は東京都渋谷区代々木一丁目1番2号(明治神宮の隣)。
(…)
政治活動

神社本庁はしばしば政治的活動や声明を行うことがある。特に神道政治連盟および日本会議を通して主に自民党議員への影響力を持ち、政教分離の面からの批判がある。
皇室典範の改正
(…)
「皇室典範改正問題に関する神社本庁の基本見解」においては、「皇位は、125代にわたって一つの例外もなく男系により継承されており、天皇を中心に国家・社会の安寧と秩序が保たれてきた」「本来、「伝統」とは、その本質において不変のものであり、皇位継承の伝統も各時代ごとにその本質を崩すことなく、様々な努力と選択が積み重ねられ伝えられてきた」などと主張。有識者会議の報告書について「女系継承の大前提となる女子皇族の配偶制度をはじめとする諸課題についての具体的議論を経ないままに、新制度を「安定的」と断ずることは甚だ疑問としなければならない」などと主張している。

首相の靖国神社公式参拝
(…)
首相は靖国神社参拝を継続するべきである・いわゆるA級戦犯は国会の決議とそれにかかる政府の対応により合祀されたというものである。

なお、神社本庁は靖国神社崇敬奉賛会の法人会員でもある。

紀元節復帰運動

1957年(昭和32年)8月21日には、神社本庁は生長の家、修養団などと合同で紀元節復活運動のための統一団体「紀元節奉祝会」を結成した。1967年(昭和42年)には「建国記念の日」の名称で紀元節を復活させるなど政治的な理念も有して活動している。

原子力発電への支持・四代八幡宮への圧力
「上関原子力発電所」も参照

中国電力が建設予定の山口県上関原子力発電所予定地の一部が四代八幡宮の境内地にかかっていたが、当時の四代八幡宮宮司は神社地の原発用地への提供に反対したため、2003年には原発推進派の氏子が四代八幡宮宮司の解任を要求する騒動に発展した。これに対し神社本庁は、「原子力発電は地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しないため環境破壊に当たらない」として原発支持を表明
し、四代八幡宮に対して原発用地の売却を命じる声明を発表した[4]。

また、これに関連して、四代八幡宮の秋祭りにおいて、山口県神社庁副庁長が祭祀を妨害するなどの圧力を加えた[5][6]。
選択的夫婦別姓

選択的夫婦別姓制度導入に反対している。

地球温暖化は原発推進の為の嘘。
原子力発電所は核燃料の保存庫+核兵器開発工場


J・ナナミ ‏@pinkglalem 3月31日
北朝鮮の核兵器は日本製。54基の原発はその為の核プラント


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
✝の平田篤胤の本教外篇より 本教=和風キリスト教=神道。
平田の弟子の大国隆正も本教を主張。
大国の弟子が 福羽美静(明治天皇の侍講) と玉松操(岩倉具視の腹心)。
大本教は大本と名乗り
 本教を隠す。
大本教系の日月神示の元ネタの一つが 平田篤胤の神字日文伝(神代文字を捏造)。

平田神道と国家神道
http://www.aguro.jp/d/file/r/reli42.htm
1. “様々な神道の登場
1. 鎌倉時代:伊勢神道
1. 内宮の祭神…天照大神
2. 外宮の祭神…豊受大神
1. 宮の神職の家柄の渡会氏が唱導
2. 『日本書記』…「混沌」を万物の根元のカミ
3. 諸神、諸仏、人間…このカミに帰着
4. 仏教とは別に-神道の主体性
 
2. 室町時代:吉田神道
1. 吉田(ト部)兼倶(1435-1511)により大成
2. 虚無太元尊神(日本書記の国常立尊と同じカミ)=宇宙の根本神格
3. 森羅万象はこのカミに起因
4. 世にあるすべての道(法則、規範)-この根本神格からの派生
5. 枝葉(儒教)、花や実(仏教)、幹や根(神道)
6. 江戸時代-幕府の命により、仏教の支配外の神社の大半を支配
 
3. 江戸時代
1. 前期:
1. 吉川神道 :吉川惟足(1616-1694)
2. 垂加神道:山崎かん斎
 
2. 後期:
1. 本居宣長 :仏教や儒教と習合した諸神道諸説を批判
2. 「古典にあらわれた神道の精神に復古すべき」と主張
3. 皇室の祖先神としてのアマテラス、とその子孫としての天皇崇拝
 
2. 平田神道:平田篤胤
1. 宣長の継承者:平田篤胤(1776-1843)の神道-キリスト教の強い影響
1. 禁書のキリスト教書-中国からひそかに入手し、彼の思想に取り入れた
2. 『本教外編』(上・下)←カトリック宣教師からの盗作
3. 上巻:M.リッチ著『き人十篇』の意訳、G.アレニ著『三山論学紀』の改訳
4. 下巻:D.パントーハ著『七克』の翻訳
5. 全能の創造神、三位一体、原罪、死後審判等のキリスト教教理が紹介
1. 世の悪…責任を人間に帰している
2. 宣長…「禍津日神」というカミに帰している
3. 比較すると、一歩前進
 
2. 平田篤胤著『霊の真柱』、『古史伝』…キリスト教教理をさらに深く神道理論と関係づけ
1. 主宰神としての天之御中主神の登場
2. 死後審判の思想の出現
3. 宇宙支配の構造
1. 天之御中主神…宇宙すべてを支配する主宰神
2. 『古事記』の冒頭部分-「高天原」→「天御虚空」と改ざん
3. 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神…三位一体になぞられている
1. 創造神としての「アメノミナカヌシ」の登場…神道で不明確であった宇宙全体の支配構造の明確化
2. 大国主神の地位の向上…天孫降臨以前は国土を支配、天皇の祖神に譲り、幽世(死んだ人間が行く世界)に行き、死後の人間の審判を行う役割
3. 審判の基準が問題…顕世において「産霊大神の命賜へる性」に背くか否か=この世で天皇の支配への服従があるかどうかに帰着
4. 男神アダムと女神エバの話…日本からの輸出としている
1. きわめて偏狭な皇国中心主義を露呈
1. 平田篤胤の思想…神道を肉付けするためにキリスト教から盗みとりしたにすぎない
2. しかし、篤胤の死後…平田派復古神道の尊皇主義を信奉する者が多数-諸藩の下級武士、神職、地主、在郷商人等、門人は千人以上

 
3. 国家神道の成立
1. 幕末の尊王攘夷→尊王開国、近代への道
1. 古代の律令国家の神祇官の復活→神々の国家統制
2. 国家による宗教統制-地方の神社の神々や土着の新興宗教にまで
3. 日本古代の宗教的弁証法-<形式>が民衆の宗教意識<原質>を包み込もうとする圧力
 
2. 国家神道下の神社政策:典型例
1. 神田明神…江戸時代、日枝山王の祭りと並び、天下祭りと呼ばれ、一年おきに交代でそのみこしが江戸城内に入る特権
1. 創建は、聖武天皇のころ(730年)、祭神は大己尊命
2. その後、平将門を合祀(1309年)
3. 江戸時代-百余か町の商人・職人の氏子を得て繁栄
 
2. しかし、明治維新以降-政府から勅祭社に准ぜられ、将門の霊は別殿に移設
1. 平将門…平安時代、東国八カ国を平定(935年)
2. 自ら「新皇」と称し、朝廷への反逆を企て、敗れ去った人
3. 将門の霊を祀る…民衆の側から「一種の御霊信仰」
4. きびしい権力支配という形式に対する<原質>からの反動
 
3. 明治の王政復古…天皇の権威
1. <形式>からの再反動
2. “国賊”の霊をカミとして祀ることを禁止
3. 再び、強力な<形式>の支配が到来
4. 明治維新とともに-日本各地の神社に国家の統合の手
5. こうして「国家神道」が成立していく
6. 太平洋戦争終結までの約80年間…近代日本人の心は深くクニと天皇に縛られることになった
 
4. 国家神道の特徴
1. 明治政府によって創出された〈形式〉宗教
2. 明治維新から帝国憲法発布までの二十年くらいの間に造られた
3. 内容は古くからの神社神道と皇室神道が結びついたもの
4. 天皇とその氏神の伊勢神宮を頂点とした
5. 仏教の徹底的排除によって成立
した


平田篤胤の復古神道はキリスト教のパクリだという話を聞きましたが,これって本当ですか?
宮中祭祀は神道の復古というよりも神道風味のモルモン教みたいなもの
でしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10110021760
“1.はい,パクリです。「天皇陛下」を現人神とする復古神道の教義は江戸時代に平田篤胤がご禁制のカトリック教理書を剽窃してでっち上げた謬説だからです。

2.聖書の三位一体の創造神は「造化三神」として古事記にも記録さているからです。天照大神は末神なので比較対象になり得ません。

3.徳川慶喜はカトリックを革命思想として開国を考えましたが、伊藤博文・大熊重信ら攘夷派はキリスト教を恐れ、儒教も仏教も教派神道でも欧米列強に対抗 できないと考えました。そこで欧米のカトリック神学に古事記の神々を接ぎ木した平田の人造神道に飛びつきました。日本が戦争に勝ったなら貴殿に一理ありま すが、現実は逆になってしまいました。

説明:根拠は「大嘗祭」です。
実は平田篤胤の復古神道、これが皇室祭儀の教学であり、國學院で教える神道教義になります。

■「天皇」とは何者か?
「大嘗祭」において皇太子は母神「天照大神」と同衾します。同衾により「天皇霊」が皇太子に宿り、初めて「天皇」になる。つまり、天皇の本質は「天皇霊」 にあるという訳です。皇太子は人だから死にます。しかし天皇霊は霊だから不滅です。こうして天皇霊は神武天皇の時代から今日まで「万世一系」続いてきたと いう新教義です。

キリストは何者かを説く教義を「キリスト論」と言いますが、その中に「養子論」という異端の教説があります。それは普通の人間イエスが聖霊を受けたのでキ リストになったという異端です。
これを、イエス→皇太子、
聖霊→天皇霊、
キリスト→天皇と置換し、
父なる神→母神天照大神
と置換した教義が皇室祭儀になっ ています。
下記、ⅰ→ⅱですね。

イエス+聖霊=キリスト・・・・・・ⅰ
皇太子+天皇霊=天皇・・・・・・ⅱ

■三位一体の神道神:
平田国学では神道神は三位一体になっています^^

①キリスト教:父なる神、子なる神、聖霊なる神
②復古神道:母神天照大神、天皇、天皇霊


キリスト教は、父神、子神、聖霊は、同一本質とされ、その中の誰が一番偉いとは言いません。同様に考えるなら、
平田神道も、母神、子神、天皇霊は、同一本質とされ、みな同格の偉さということになります。

■復古神道=神道風味モルモン教説:
平田篤胤はイタリア人宣教師マテオ・リッチが書いた中国語のカトリック教理書を剽窃して教義にしたからというのがキリスト教側の研究から立証されています。復古神道はキリスト教の異端であるという説です。
モルモン教は父も子も聖霊も元人間なのに神になったと教えます。天照も天皇も天皇霊も元人間ですからキリスト論的には同一構造ですね。
平田国学は神道版モルモン教の異端
!不遜にも天皇を反キリスト扱い?
(…)
有名な話です。
http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/135/1/kenj...
平田篤胤以後の後期国学のなかにキリスト教の影響
があることは,日本思想史学の創始者,村岡典嗣の衝
撃的な論稿以来,広く知られている(1)。かつて村岡は,
平田篤胤が『本教外篇』にカトリック教義書を密かに
書き写していたことを暴露し,彼の幽冥観のなかにキ
リスト教の影響があることを論証した。
そればかりか,
幕末にいたると,プロテスタントの漢訳教義書が入っ
てきて,国学者はそれか
らの影響をも受けるように
なった
,と村岡は論じた。”

平田 篤胤(ひらた あつたね。1776=安永5年-1843=天保14年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4
篤胤の復古神道は平田神道と呼称され、後の神道系新宗教の勃興につながった。
篤胤の学説は学者や有識者のみならず、庶民大衆にも向けられた。一般大衆向けの大意ものを講談風に口述し弟子達に筆記させており、後に製本して出版している。これらの出版物は町人・豪農層の人々にも支持を得て、国学思想の普及に多大の貢献
をする事になる。庶民層に彼の学説が受け入れられたことは、土俗的民俗的な志向を包含する彼の思想が庶民たちに受け入れられやすかったことも示している。特に伊那の平田学派の存在は有名である。後に島崎藤村は小説『夜明け前』で平田学派について詳細に述べている。倒幕がなった後、明治維新期には平田派の神道家は大きな影響力を持ったが、神道を国家統制下におく国家神道の形成に伴い平田派は明治政府の中枢から排除され影響力を失っていった。
(…)
平田鐵胤

1824年(文政7年)1月15日、唯一無事に成長した千枝が、伊予国新谷藩の碧川篤真と結婚した。碧川篤真は碧川好尚の実兄で、平田家の養嗣子となり平田鐵胤を名乗る。千枝はのちにおてう(お長)に改名し、また晩年には母の名である織瀬を受け継いでいる(1888年(明治21年)3月没)。

鐵胤は内蔵介のち大角とも名乗り、1868年(明治元年)には神祇官判事に任じられ、明治天皇の侍講となり、ついで大学大博士に進み、のち大教正となった。篤胤の死後は家学を継承し平田学を普及させ、又先代の負債を清算した。著書に『祝詞正訓』がある。1880年(明治13年)10月15日鐵胤没す。享年82。なお、その後の平田家は、延胤、盛胤(婿養子)、宗胤と続くが、宗胤には、子がおらず、1973年11月7日に死去、絶家となる。ただし、宗胤は、死去の前年絶家を認識しながら代々木に平田神社を創立しており、その2代神主、米田勝安が、事実上平田家の名跡を継いでいるといえる。
(…)
現世は仮の世であり、死後の世界こそ本当の世界であるとした。これはキリスト教の影響である。篤胤は、キリスト教の教典も、『古事記』や仏典などと同じように古の教えを伝える古伝のひとつとして見ていたのである。

大国主命の主宰神説

篤胤によれば幽界は、大国主命が司る世界だという。大国主命は死者の魂を審判し、その現世での功罪に応じて褒賞懲罰を課すとしているが、死者が受けるその懲罰について、篤胤は詳細を述べていない。これは、篤胤の関心があくまで、この世における人生の不合理性の解決・救済にあり、為政者が望むような倫理的な規範の遵守を説くものではなかったことを示している。

この大国主命の幽冥界主宰神説は、篤胤以降復古神道の基本的な教義となり、近代以降の神道および政教関係を大きく方向付けることとなった1881年(明治14年)の祭神論争の出雲派の敗北で、公的には否定されるが、現在でも多くの神道系宗教で受け入れられている。”

”明治維新期には平田派の神道家は大きな影響力を持ったが、神道を国家統制下におく国家神道の形成に伴い平田派は明治政府の中枢から排除され影響力を失っていった”
のに、
”大国主命の幽冥界主宰神説は、篤胤以降復古神道の基本的な教義となり、近代以降の神道および政教関係を大きく方向付けることとなった1881年(明治14年)の祭神論争の出雲派の敗北で、公的には否定されるが、現在でも多くの神道系宗教で受け入れられている。”
しかも、復古神道がモデルの天皇絶対教が実質的国教にまでなっていますから、「表向きには弱体化したように見えるが、実際は平田篤胤神学が実質的国教である国家神道に受け継がれるなど、弱体化はしておらず、影響力は健在であった。また、現在の神道系宗教に影響力を持ち続けている。」とするのが適当でしょう。


日本国粋主義の元凶とされている平田国学の「万国の本国」思想
http://higurasi101.hatenablog.com/entry/2014/11/24/192146
“和辻哲郎は、『日本倫理思想(下)』の中で、「篤胤は、その狂信的な情熱の力で多くの弟子を獲得し、日本は万国の本である、日本の神話の神が宇宙の主宰神であるというような信仰をひろめて行った。この篤胤の性行にも、思想内容にも、きわめて濃厚に変質者を思わせるものがあるが、変質者であることは狂信を伝播するにはかえって都合がよかったであろう。やがてこの狂信的国粋主義も勤王運動に結びつき、幕府倒壊の一つの力となったのではあるが、しかしそれは狂信であったがために、非常に大きい害悪の根として残ったのである」と、述べている。(*1:p225)
明治20年代にはこのように平田篤胤の評価は定まっていた。しかし、この「万国の本国」思想は、ここで終焉したのではない。《日本は万世一系の皇統を守り続けている国である。皇室は万世一系の天照大神の子孫であり、神によって日本の永遠の統治権が与えられている(天壌無窮の神勅)天皇により日本は統治されている》という皇国史観・国体主義が主張され国民に広まる中で、再び脚光を浴びていったのである。日本では、国家が危機に瀕してくると、「日本は神国である」という主張が高まり国民を鼓舞するという歴史がある。日清日露戦争の時、太平洋戦争の時、「我が国は天皇を頂いた神国である」という主張がなされ、国民を鼓舞していった。その「神国」観念も、太平洋戦争の敗戦によって灰塵に帰し、国民は幻想から覚めたのだが。

国粋主義の元凶とされる平田篤胤の「万国の本国」思想とはいかなるものか、平田篤胤の主張の中にその姿を見てみる。篤胤の主著とされる「霊能真柱」の中にはこのように記述されている。(なお、平田篤胤は狂信者とされているが、仙童寅吉を通してあの世(幽冥界)の世界の見聞を深めようとする一方、キリスト教をはじめとして諸外国の宗教・古史を研究して、人間の救済について真剣に考えていたことを付記しておく。)

≪「万国の本国」思想≫
我が皇大御国(すめらおおみくに)は、万国の、本つ御柱たる御国にして、万物万事の、万国の卓越たる元因、また掛まくも畏き、我が天皇命は、万国の大君に坐すことの、真理を熟に知得て、後に魂の行方は知るべきものになむ有ける。(『霊能真柱』上巻)
② こ々に吾が皇大御国は、殊に、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)二柱の大神の、生成賜へる御国、天照大御神の 生坐(あれます)る御国、皇大孫命(すめみまのみこと)の、天地とともに、遠長に所知看御国(しょしめすみくに)にして、万国に秀で勝れて、四海の宗国た るが故に、人の心も直く正しくして、外国の如く、さくじり偽ることなかりし故にや、天地の初の事なども、正しき実の説有て、少(いささか)も、私のさかし らを加ふることなく、有のまにまに、神代より伝はり来にける、これぞ、虚偽なき真の説に有ける。(『霊能真柱』上巻)
③ まづ皇国は、神ながら言挙せぬ国と云て、万事外国の如く、かしこげに、言痛く諭(あげつら)ひさだすることなく、ただ大らかなる御国ぶりなるが故に、天地 の初の説なども、外国の説どもの如く、これは此故にかくの如し、それは云々(しかじか)の理によりて、かくの如しなどやうに、細に言痛く、説諭したる物に は非ず、ただ有しさまのまゝを、大らかに語り伝へたるのみにて・・・・・・(『霊能真柱』上巻)
と語るのである。またいはく、
④ 「外国どもの初めは、二柱神大八洲を生賜ひて、国土と海水と漸に分るるに随ひて、此処彼処と潮沫の、おのづから凝堅まり合たるどもの、大にも小くも成れるものなり。篤胤云、実に中庸の論ひの如く、万の外国どもは、皇国に比べては、こよなく劣りて卑しかるべきこと、・・・・・。(『霊能真柱』上巻)
と語るのである。
アドルフ・ヒトラーのアーリア民族の人種的優越説を彷彿させるような日本民族優越説である。ファシストの元凶と言われるのも当然である。
(…)
篤胤は、自分が説く「古伝」はそのまま事実として確定しなければならないという課題をもっていた。それが、彼の眼を海外に向け、キリスト教のアダムとイブの話を取り入れさせる原因となる。
「抑天地世界は、万国一枚にして、我が戴く日月星辰は、諸蕃国にも之を戴き、開闢の古説、また各国に存り伝はり、互に精粗は有なれど、天地を創造 し、万物を化生せる、神祇の古説などは、必ず彼此の隔なく、我が古伝は諸蕃国の古伝、諸蕃国の古説は、我が国にも古説なること、我が戴く日月の、彼が戴く 日月なると同じ道理なれば、我が古伝説の真正を以て、彼が古説の訛りを訂し、彼が古伝の精を選びて、我が古伝の闝(ひょう)を補はむに、何でふ事なき謂 (ことわり)なれば、・・・・。(『赤県太古伝』一、上皇太一紀一(七))と。
もし外国に伝わる伝説がわが国の古伝と整合するとすれば、それだけわが古伝の真実性が増し、篤胤における「古伝・古史」が事実として承認されるとい うのである。後期平田学の大半を占めるインド学・シナ學の研究は、宇宙の始まりから、天・地・泉(よみ)の成立までの事実の真実性を証明するとともに、わ が皇大御国と天皇は四海万国における最高の存在であることを明らかにすべき役割をもつものであったわけである。(田原嗣郎*2:p573~575)
アダムとイブの聖書の話については、こんな具体的な記述がある。
「遥西の極なる国々の古伝に、世の初発、天神既に天地を造了りて後に、土塊を二つ丸めて、これを男女の神と化し、その男神の名を安太牟(アダム)といひ、女神の名を延波(エバ)といへるが、此二人の神して、国土を生りといふ説の存るは、全く、皇国の古伝の訛りと聞えたり」(「霊能真柱」)(「日本思想体系50「平田篤胤 伴信友 大國隆正」岩波書店 1973 p32所収」

ところで、平田篤胤の「万国の本国」論は、篤胤が独自に創り出し主張したのかといえばそうではない。篤胤は、本居宣長の結論から出発したといわれているのだが、「万国の本国」論も、やはり宣長の主張を受け継いでいる。宣長は、「直毘霊」のなかでこう述べている。
皇大御國(スメラオホミクニ)は、掛(カケ)まくも可畏(カシコ)き神御祖(カムミオヤ)天照大御神(アマテラスオホミカミ) の、御生坐(ミアレマセ)る大御國(オホミクニ)にして、萬國に勝(スグ)れたる所由(ユエ)は、先( ヅ)こゝにいちじるし。國という國に、此( ノ) 大御神の大御德(オホミメグミ)かゞふらぬ國あらめや。大御神、大御手(オホミテ)に天(アマ)つ璽(シルシ)を捧持(サゝゲモタ)して、御代御代に御 (ミ)しるしと傳(ツタ)はり來(キ)つる、三種(ミクサ)の神寶(カムダカラ)は是ぞ。(直毘霊)
いともめでたき大御國(オホミクニ)の道をおきながら、他國(ヒトクニ)のさかしく 言痛(コチタ)き意行(コゝロシワザ)を、よきことゝして、ならひまねべるから、直(ナホ)く清(キヨ)かりし心も行(オコナ)ひも、みな穢惡(キタナ) くまがりゆきて、後つひには、かの他國(ヒトグニ)のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずて は、國は治まりがたき物ぞと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の蔽(ツミ)なることを、えさとらぬなり。古( ヘ)の大御代に、其道 をからずて、いとよく治まりしを思へ。(直毘霊)
宣長もやはり日本という国が他の国に比べて優れていると主張しているのである。”


1190夜『国家神道』村上重良|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/1190.html
” 日本を「神の国」だと思っている日本人が、かつては8割以上、いまでも半分以上いるらしい。しかし徳川18世紀社会まで、日本を神国だと感じていたのは多くても2割くらいだった。さらに徳川社会で日本を仏教国ではなく神道国だと思っていたのは、ごくごく少数の日本的儒者と神職たちで、それもそのように希んでいたという程度だった。
 こんなことはいまさら強調するまでもないが、日本は長きにわたって神仏習合あるいは神仏併存の国だったのである。その長い流れのなかで、徳川幕府が「宗門改め」や「寺請制」を導入して国家的な戸籍管理を初めて実現した。日本史上、戸籍と宗旨がここで初めて結びついたのだ。これは幕府が仏教を“国教扱い”にしたということにほかならない
 このように、日本はけっして「神の国」としての歴史のみをもってきたとはいえないのであるが、明治になって神仏分離と国家神道が登場して事態が変わり、仏教ではなくて、神仏習合でもなくて、神道のみをもって日本の国家像を語るようになった。途中、「信教の自由」によって神仏分離はまもなく撤回されたにもかかわらず、その後の敗戦後の今日にいたるまで、みんながなんとなく日本を「神の国」だと感じたままになっている。なぜこうなかったかといえば、国家神道の影響が大きかったからだ。
 そのように近代日本の舵を切った神仏分離や国家神道とはいったい何なのだろうか。なぜそうなったかを、誰がちゃんと説明できるだろう? 誰がちゃんと受け止めているだろう? それは結局のことろ、何を近現代日本にもたらしたのか。 
 神仏分離と廃仏毀釈については1185夜にある程度のことを書いておいたので、今夜は国家神道のほうの“正体”とおぼしきものに焦点をもたせたい。そのため、村上重良の先駆的な名著『国家神道』をとりあげる。
(…)
 日本人の生活の隅々にも仏教は浸透した。それだけでなく奈良仏教が鎮護国家の仏教になってこのかた、中世の「王法と仏法」の対応確立をへて(777夜『王法と仏法』参照)、徳川幕府の仏教国教化にいたるまで、仏教は日本の社会体制の骨格をなしていた。こういう仏教をはずして日本を語るわけにはいかない。日本はどう見ても神仏併存で語るしかないはずのだ。
 そうした歴史のなか、国家神道だけはきわめて異様
なものになった。古代中世の神々の物語の物語とも異なっている。どこが異様なのか、今夜はそこを解きほぐしておきたい。
(…)
 あとでやや詳しく説明するが、国家神道とは、伊勢神宮を本宗(ほんそう)として、全国の神社を統合的なヒエラルキーをもうけて編成し、それにもとづいた神宮・神社の祭祀を画一化したものをいう。ここまでなら神道が全国的なピラミッド組織をもったというだけで、民族宗教がそれなりに近代化していったとも見られる。
 ところが、ここが国家神道の奇妙な性格になるのだが、明治政府はこれを宗教とはみなさず、一貫して「神道は国家の祭祀である」と主張して、国民に国家神道をゆきわたらせることを企てた。1185夜に書いたように、そこにはさらに神仏分離や廃仏毀釈という異常も進行していた。なぜ、こんなふうになったのか。
(…) 
 そもそも日本社会の歴史では、宗教はたえず多元多様的に併存してきた。エトノスとしての神社神道も、外来宗教としての仏教も、陰陽道や神仙気分をともなった道教(タオイズム)も、また宗教というよりも学問や世界知として導入された儒教(つまり儒学)も、そして生死観や数々の迷信をふくむ民間信仰も、みんな併存した。
 そのなかで神道と仏教だけをとりあげてみても、どんな時代のどんな階層にもたやすく習合した。稀に衝突することがあったとしても、当初の物部と蘇我の排仏・崇仏の対立のような政治局面に発展することはほとんどなかった。
 910夜に詳しくのべたように、早くも9世紀に寺院と神社が合体した「神宮寺」が各地に次々にあらわれたのだ。神社は寺院とともに発達し、神詩における「神前読経」や「巫僧」なんてザラだったのだ。その後も全国各地での神仏習合はやまず、基本的には明治維新まで多様な姿をとりつづけたと見たほうがいい。
 それにもかかわらず、神社神道は神社神道としての「共同体の祭祀」という特質を失わないままにきた。神社信仰のまわりに何が近寄ろうと、何がまぜこぜになろうと、日本の村落の神祇感覚はほとんど変更されずに維持されてきたのだ。神社祭祀に対する共同体員の気持ちも、今日の各地のお祭りがそうであるように、ほとんど変化していない。住民や庶民の感覚もあまり変わらない。そこが世界の諸宗教とくらべると、きわめて特異なのである。
(…)
 鎌倉に武家政権ができあがると、古代の神祇制度はだんだん有名無実化していた。封建領主たちは自分の勢力の氏神を重視した。諏訪・八幡・熊野・神明などが勢力を広げ、それぞれが神人(じにん)や供御人(くごにん)をかかえた。
 加えてここに鎌倉新仏教と修験道がしだいに広まり、浄土宗・真宗・日蓮宗・時宗・臨済宗・曹洞宗などが各地域に強力な教線をのばしていくと神社の性格にも変容せざるをえないところが出てきた。たとえば仏教側で、真宗だけは一貫した神祇不拝を掲げたが、禅宗は神祇礼拝を進めたのだし、日蓮宗は神祇をかなり積極的にとりこんで「法華神道」さえ提唱するというような変化もおこった。これでは古代の神祇制度は有名無実化したと見たほうがいい。
 こうしたなか、当然のことだったろうが、神社界にも理論武装をする必要が迫ってきた。放っておけば神社勢力が衰える。神社界は焦っていた。とはいえ神祇に、独自の理論があったわけではない。そこで「仏本神迹」の本地垂迹説を背景に、それを「神本仏迹」に組み替えて編集していった。端的にいうのなら、「仏が神を扶けている」という思想を「神が仏を救っている」というふうに切り返した。
 ようするに神仏習合の促進のなか、神社が仏教理論を借りたのだ。これこそが「神道」
なのである。

 最初は、天台による本地垂迹説に立つ「山王一実神道」と、真言による「両部神道」が登場した。かなり大胆なものだった。
 もともと日本密教は、その土地の天神地祇の信仰に結びついて発展していたので(最澄の比叡山、空海の高野山が象徴的だ)、「神祇の本地仏」の思想を用意していた。神々はたんに仏の衆生なのではなく、特定の如来や菩薩の仮のあらわれ(権現)なのだという見方である。そのため、熊野三所の神は阿弥陀仏・薬師仏・千手観音に準(なぞ)られ、伊勢の神は盧舎那仏や救世観音や大日如来に同定されたりした。山王一実神道と両部神道についてはたいへん興味深いものがかなりひそんでいるので、いつかとりあげたい。
(…) 
 南北朝期になると、伊勢神宮の外宮をセンターにして「伊勢神道」が編集された。外宮禰宜の度会行忠・家行らによるもので、反本地垂迹説と両部神道と仏教を参考にして(おそらく道教も採り入れて)、さまざまなイデオロギーをミックスした編集だった。クニトコタチを本源の神とし、その生成がアメノミナカヌシによって動いたと解釈した。
 伊勢神道は『神道五部書』として広まったほか、行忠の『神名秘書』はアマテラスと天皇との系譜が密接であることを説き、家行の『類聚神祇本願』は“三種の神器”の歴史的意義を訴えた。ただしここでも注意してもらいたのは、このような伊勢神道が生まれたのは外宮のほうであって、内宮ではなかったということだ。
 室町期になると、京都で神祇官を代々担っていた卜部(うらべ)氏の吉田兼倶によって「吉田神道」が確立され(唯一神道・卜部神道・元本宗源神道ともいう)、これを引き金に各派や各社家が神道の“家元”を主張しはじめた。神祇伯の白川家による白川神道(伯家神道)、安倍晴明を輩出した安倍家に陰陽神道(安家神道)、賀茂神社の賀茂神道、春日神社の春日神道などだ。いずれも中世になってからの発芽であった。
 その内容も、神道独自のイデオロギーが確立したというのではなくて、やはりのこと、かなり雑多な神仏儒の習合思想を神祇の側で切り結ばれた。吉田神道に顕露教と隠幽教の区別があったり、行法に神道護摩や神道灌頂といったものが組み込まれていったのも、あきらかに密教の色彩に彩られている。
(…) 
 近世の神道は、幕藩体制下の初期すでに、吉田神道の影響が色濃く反映した。幕府も伊勢に山田奉行を、日光には日光奉行をおき、神職の装束は白張をのぞいて「吉田の訴状」に従うように定めて、吉田家の“神道家元”としての地位を保証した。
 それとともに現世利益を訴求する神社がふえてきて、そこに生き神信仰をはじめとする数々の民間信仰がまじっていった。いいかえれば、この時期の神道はまことに種々雑多なもので、村落の祭祀も氏子の代表が頭人(とうにん)や頭屋(とうや)となって、宮座を組んで村祭りを仕切ることが多くなり、残る氏子たちも講中をつくって自主的な信仰活動を広げていくようになった。これらの動向にはなんらの上からの統制があったわけではなかった。
 しかし幕府は、そのような村落の祭りや講の盛況とはべつに、幕府のレジティマシーを東アジア社会に構築するべく、梵舜による吉田神道の体制化、天海による山王一実神道の権威化、林羅山による「儒家神道」の確立などを画策した。いずれも理論的には中途半端なものではあったけれど、1090夜の『徳川イデオロギー』や796夜の『現人神の創作者たち』やNHKブックスの『日本という方法』にも案内しておいたように、そこには、天皇と将軍を東アジアの天下のもとになんとか直結したいという切実なヴィジョンが渦巻いていた。
 このような状況のなか、徳川中期にさしかかると、独自に神道理論を組み立てる者があらわれてくる。その代表が山崎闇斎(あんさい)の「垂加神道」(すいかしんとう)である。
 闇斎は妙心寺の仏僧だったのだが、あるとき儒学者に転じ、そこに吉川神道(吉川惟足の創唱)や吉田神道をとりこんで“神垂冥加”を思索してからは、アメノミナカヌシ、アマテラス、サルタヒコの神道がありうると主張するようになった。とくに日神信仰を重んじた闇斎はしだいに天皇崇拝に傾き、その後の神人合一的な神道イデオロギーにかなりの影響力を発揮した。

 こうして18世紀、日本儒学と国学の勃興の時代がやってくる。「漢意」(からごごろ)から「古意」(いにしえごころ)への転位が劇的にはかられたのだ。
 荻生徂徠は記紀神話については荒唐無稽と退けたけれど、その一方で「天ト祖考ヲ一ツニシテ、何事モ鬼神ノ命ヲ以テトリ行フ」という「吾国ノ神道」は「唐虞三代ノ古道」にほかならないとして、天皇と祖先を祀る国家的祭祀制度の重要性に言及した。こうした解釈は前世代の山鹿素行や熊沢蕃山にもあったものだが、それが太宰春台になるとさらに正祀性が高められ、重要な祭祀は「天子国君則祭主」という立場でなされるべきだというところにまで発展した。
 なかでも中井竹山が寛政の改革に際して綴った『草芽危言』は、儒学的合理主義に立ちながらも、天皇の即位礼を本来のものに戻すこと、ときどき行幸をして平民に天皇尊崇の気風をもたらせること、さらには一世一大制にして年号を諡号とすることなどの提言をしていて、俗流を排することに幕府の姿勢がむかうべきことを説いた。
 このような提言が儒者から出てきたのは、幕藩体制下では天皇の権威があまりにも失墜していたからである。有名な話だが、後水尾天皇が御所を出たのはたった2度きりで、それもすぐ隣りの仙洞御所に行っただけだった(1046夜参照)。その後の天皇も幕末の孝明天皇にいたるまで、まったく行幸などなかったのである。儒者たちはこれに心を痛めたのだった。

 一方、国学者たちは、儒者とはまた異なる視点で「いにしえごころ」や「やまとこごろ」の解明にとりくんだ。詳細は1008夜の『仁斎・徂徠・宣長』や992夜の『本居宣長』に譲るけれど、一言でいえば、おおかたの予想とはちがって、真淵や宣長が国家神道的なものを用意したとはまったく思えない。
 たとえば、宣長が『玉くしげ』に天皇主義に近いことを書いていないかといえば、それはたしかに書いている。ただし、それは「漢意」による中国的な様相でアマテラスや天皇を解釈することを否定するために書いたことで、そこに国家神道に直結するような皇国主義が跋扈したというのではなかった。「異国風のこざかしき料簡」を問題にして、それに代わる「まこと」を提唱したのだった。宣長はむしろ、ムスビ(産霊)の観念とその作用に多大な意義を見いだすほうにアブダクションをはたらかせた。
 というわけで、ここまでの神道っぽい思想には、必ずしも国家神道的な濃厚なシナリオはまだ認められないと見たほうがいい。画然とはしていない。では、どこで維新政府が突出した皇国主義や国家神道の下地がつくられたのかといえば、やはり平田篤胤の『古史成文』や『霊の真柱』以降、もしくは後期水戸学以降なのである。

 平田篤胤については、いずれ相手にしなければならないとずっと思ってきた面倒きわまりない御仁だ。
 今夜は簡潔に紹介するしかないのだが、ざっというなら、初期は服部中庸の『三大考』を参考にしつつ、世界というものが未分の「大虚空」(オホゾラ)から「天(アメ)・地(ツチ)・泉(ヨミ)」から分化しただろうこと、日本の神代はその天(アメノミナカヌシが治める)に最も近い特別の位置をもっているだろうこと、それゆえ皇国は「天地ノ根帯」となっているだろうことなどを、かなり強引に直観した。
 ついで篤胤は、世界を霊性(タマシヒ)の行方によって、現世としての「顕世」(ウツシヨ)と来世としての「幽冥」界に二分すべきだと考えた。とくに人間のタマシヒは、死後はオオクニヌシの司る幽冥界(黄泉)に行って鎮められると見た。しかしここまではいささか風変わりだとしても、まだしも国学の延長である(実はキリスト教の教義からの援用も多かった)。
 ところが、諸外国はスクナヒコナとオオクニヌシが渡来して作った国だから、外国は必ずや日本に臣従するだろう、その従い方は「大倭心」にもとづくものとなるだろう、それならば本来の日本の神道はそうした大倭心をもったものであるはずだというような、こういう奇矯な推理を持ち出してからは、そうとうに皇国主義的なロジックが渦巻くことになる。これは宣長の国学の延長とはいいがたい。
 もうひとつ篤胤がかつてなく踏み出したことがあった。それは『出定笑語』などにおいて、一向宗(浄土真宗)と日蓮宗を神敵二宗と名指してして、のちの排仏につながる仏教批判を強く主張したことだ。
 こうした篤胤の神道思想はその後、『済生要略』を書いた越後の桂誉重(かつらたかしげ)、『民家要術』『国益本論』を書いた下総の宮負定雄(みやおいやすお)、『顕幽順考論』を書いた山城乙訓の六人部是香(むとべよしか)らに飛び火し、やがて篤胤の養子であった平田鉄胤、伊予の矢野玄道、津和野の福羽美静などにつながって、いわゆる「復古神道」の流れを各地に広げていった

 後期水戸学がどういうものであったかは、997夜の『水戸イデオロギー』に大筋を示しておいた。なかで国家神道のシナリオに寄与してしまったのは、なんといっても藤田幽谷の『正名論』、その嗣子藤田東湖の『回天詩史』、その弟子会沢正志斎の『新論』である。
 これらはそのセオリーをまとめれば神儒一致説というものであるが、幽谷の『正名論』は名分を説いて尊王攘夷を謳い、東湖の『回天詩史』は「狂狷は国の元気」を宣言して忠君愛国をこそ「正気」とすべきだと説き、正志斎の『新論』は天皇を頂点とした「国体」こそが日本の民心の核心になるべきだと主張したことにおいて、それぞれ国家神道に利用されていくシナリオを用意したといえる。
 こうした水戸イデオロギーが尊王攘夷派の言動に煽動力と憂国心をもたらして、大橋訥庵、吉田松陰、久坂玄瑞(天皇の神聖英武を扇動)、平野国臣(天皇親政による討幕を主張)、真木和泉(天皇の世界支配の使命を暗示)
らに具現化していったことは、いまさら説明するまでもないだろう。
 もっとも、これらがのちの国家神道の骨格にあたっていたかといえば、それはちょっとあやしい。ここから先は、やはり維新政府による急激な転回を見なければ事情がわかりにくい。

 さてところで、今日の宗教学では、神道には神社神道のほかに、皇室神道、学派神道、教派神道、民間神道があると考えられている。
 「皇室神道」はもともとは天皇家の宗教で、古代王政とともに公的性格をもち、宮中祭祀に発展していった。「学派神道」は中世以降に教義としての神道学説をたてた流派(学派)のもので、神仏習合神道、神儒習合神道、および平田篤胤らによる復古神道がある。時代ごとにいずれもかなりの影響を与えたが(伊勢信仰・尊王攘夷など)、各流派が独自の教団を形成するにはいたらなかった。「教派神道」は幕末維新期に急激に生じたもので、習合神道の側面と山岳信仰(修験道)の側面とをあわせもって、多くが「惟神」(かんながら)の道を主唱する(黒住教・金光教・天理教・如来教など)。
 これらとはべつに「民間神道」は、“生き神信仰”をふくめて近世になって民衆に定着して生活に入りこんだものをいう。それでも幕末には井上正鉄による禊(みそぎ)教、梅辻規清による烏伝(うてん)神道、伊藤食行による身禄派(富士信仰)、柴田咲行の実行教などを派生していった。
 こういう区別はあるのだが、明治政府はこれらのなかで皇室神道と神社神道と学派神道を組み合わせ、ここから国家神道を導き出すことにした。なぜそのようなことが可能になったかということだ。必ずしもすべての神道議論を集約したのではなかったし、正統国学や水戸イデオロギーを転用したのではなかった。むろん、以上にのべてきたような古代神祇感覚や中世神道思想をそのまま援用したわけでもなかった。

 本書では、国家神道が確立していった時期を大きく4段階に分けている。このあとの事情がわかりやすいだろうから、ざっと示しておこう。

(1) 形成期は、御一新から明治20年くらいまでで、神道国教化政策が打ち出されて、それが国民教化政策になっていくまでをいう。宮中祭祀が整えられ、伊勢神宮を本宗とする全国神社の編成がおこなわれた時期にもあたる。
(2) 教義的完成期は、大日本帝国憲法が発布されて日露戦争が終結するまでの時期で、憲法によって天皇制の枠内での「信教ノ自由」が与えられる一方、明治23年(1890)発布の「教育勅語」が国家神道のイデオロギー的バックボーンになっていった時期にあたる。「国体」の思想もほぼここで確立した。
(3) 制度的完成期は昭和初期までで、日本資本主義が帝国主義の様相を呈して、そこに国家神道がくみこまれていった。内務省は神社を整理し、官国弊社を国庫供進金で賄うことや神社祭式の制度化がすすんだ。神社と氏子の関係が国家の統制的観察のもとにも入っていった。
(4) ファシズム的国教期は、満州事変から敗戦までである。日本軍国主義がアジア全域の制圧をめざして、その支配圏は五族協和の喧伝のなか、アジア各地に神社を創建していくムーブメントとなっていく。とくに紀元二千六百年には神祇院が設置されて、国家神道は正真正銘の国教となった。それとともに各宗派は宗教団体法によって完全に政府のコントロール下におかれた。ついに日本が「神国」となった時期である。

 一応はこのような4段階があるのだが、今夜の議論は(1)の形成期に何がおこったかというところにとどめたい。国家神道はどのように出奔したかということだ。

 維新政府がまっさきにとりくんだ神仏分離と廃仏毀釈がどのようにおこったかということは、すでに1185夜に詳述した。そこで紹介した津和野藩の亀井茲監らが平田派のイデオローグだったことも、すでに説明済みだ。いったいこのとき、制度的には何がおこったのかということをもう一度整理しておく。
慶応3年10月に大政奉還が断行されると、翌年1月には神祇事務科(すぐに神祇事務局)が設置された。ここで、徳川時代には吉田家に神祇官が名目的におかれていたにすぎなかった古来の神祇制度が(神祇感覚ではなくて制度としての神祇)、ここで実質的に復活したのである。このとき神祇事務局に、有栖川宮幟仁、白川資訓、吉田家の吉田良義、亀井茲監、平田派国学者の平田鉄胤・矢野玄道・六人部是愛、日吉社の樹下茂国、皇陵研究の谷森種松、福羽美静らが加わっていた。
 これが15歳の明治天皇による「五カ条の御誓文」の誓祭以前のことだ。ついで祭政一致の方針が確認され、太政官名義によって神仏分離・神仏判然が発令されて、廃仏毀釈が始まった。つづいて明治元年3月には、宮中で軍神祭が天皇の親祭としておこなわれ、アマテラス、オオクニヌシ、タケミカヅチ、フツヌシが招かれた。戊辰戦争の必勝を祈願したのである。
 このあと、東京奠都と天皇の東京入り、天皇の武蔵一の宮の氷川神社への参拝、大神アマテラスの皇租化、宮中三座(八神・天神地祇・歴代皇霊)の鎮座、惟神の大道を示した「大教宣布」の布告(つづく宣教使の設置)、全国神社の社格の決定、伊勢神宮の御改正、「宗門改め・寺請制」の廃止とそれに代わる「氏子調べ」の開始などが次々に連打され、ここに「祭政一致・皇道興隆」の大方針が一気に確立した。
 ようするにあっというまに、日本全体が「大教」としての神道にもとづく国教
に染められていったのである。そのための教部省と大教院・中教院・小教院も設置した。それとと同時に廃仏毀釈が過激に進行したことは、1185夜に詳しくのべたのでくりかえさない。

 神道国教化政策は、あくまで明治政府がトップダウンに実施したものである。当然、神社界はこれに呼応したわけだが、主導権があったわけではなかった。また、神社界が一致団結できているわけでもなかった。
 たとえば明治13年に東京日比谷に「神宮遥拝所」が設けられることになったのだが、これをめぐっては、その祭神は造化三神とアマテラスだと考えられていた。ところが、出雲大社大宮司の千家尊福は幽冥界のオオクニヌシを加えて5神とするべきだと主張し(これは平田派に近い見解だが)、伊勢神宮派とまっこうから対立した。その収拾に副島種臣・大隈重信・山田顕義が乗り出したほどになった。
 結論は出雲派が退けられて、伊勢派が承認され、かくて伊勢内宮の権威は国家の最高位に達したのである。出雲派の後退は平田派の復古神道
のイデオロギーが後退したことを物語る。
 (…)
 もっとも政府は、憲法発布後も「日本には国教制度は存在しない」という公式見解をつりつづけた。
 (…)
教育勅語をめぐる事情やその本質については、これまたいつか改めてゆっくり説明してみたいのだが、ここではごくごく集約したことだけをのべておくと、その内容は、天皇崇拝と祖先崇拝とをはっきり重ねたこと、イエにおける「孝」をクニにおける「忠」につなげたこと、神を敬うことは天皇の親政をいただくことにほかならないことなどを宣言する。また、それをもって「国体」と感じてほしいということを結論づけた。つまり「敬神」することが「国体」を護ることになる、そのことを学んでほしい、そういう内容なのだ。
 知られているように、教育勅語はおおかたの想像を絶するほどに劇的な効果を発揮した(これまた知られるように、それが昭和の敗戦まで続いた)。たちまち天皇を「親」とみなし、国民を「赤子」(せきし)とみなす風潮が生まれ、そこに敬神と国体をもって国民道徳とするというイデオロギーが伝わった。また、このことを徹底するため、全国の小学校に天皇皇后の「御真影」が下賜された。
(…)
 最後に付け加えておけば、国家神道がこんなにも早急に広まりえたことについては、いろいろの理由が取り沙汰されている。
途中に日清・日露の大戦があったため国民のあいだに必勝や武運長久を祈願する風潮がともなったこと、すべてが国教対策でありながら神道も宗教の姿をとろうとしなかったこと、廃仏毀釈が撤回されて仏教界も皇国思想に協力しえたこと、キリスト教の学校とキリスト者たちが日本の敬神思想を助力したこと、不平等条約を乗り越えるという挙国一致の願望がはたらいたこと‥‥等々だ。今夜のべてきたこととともに、これらのことの検討がなされるべきだろう。”


王仁三郎の師が長沢雄楯で本田親徳の弟子
本田親徳(ほんだ ちかあつ、文政5年=1822年 - 明治22年=1889年)は「丸に十字」薩摩(鹿児島)国出身。
古代に存在したとされる帰神(人に神を降ろす法)の復元を図り、鎮魂帰神を中核とする本田霊学を確立。その理論は出口王仁三郎が開いた大本などの神道系新宗教に影響を与えた。
会沢正志斎(尊王攘夷を主張した水戸学者=南朝崇拝)に入門し、平田篤胤などの影響を受けながら国学を学ぶ
かたわら、20代前半の時期に「狐憑き」の少女と出合ったことをきっかけに神霊の研究を始める。その教義は30代半ばに体系化されたとされ、
•神や霊を人に降ろす方法である「帰神法」
•帰神を実現するための精神統一の修行法である「鎮魂法」
•鎮魂で得た力の応用としての「禁厭」
からなっていたそうです。
また、神懸かりによるお告げであっても、それを鵜呑みにするのではなく、懸かった神霊の階級や種類やを判別する「審神」(さにわ)を重視しました(悪霊や邪神だったらまずいですからね)。


1147夜『鎮魂行法論』津城寛文|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/1147.html
”本書は近代の鎮魂行法家を、二つの流れに大別している。ひとつは本田・大本系、もうひとつはそれ以外である。
 本田・大本系は近代鎮魂行法の嚆矢を告げた本田親徳と、その系譜に加わっていった大本教系の流れのことで、長沢雄楯、出口王仁三郎、浅野和三郎、友清歓真(よしさね)、谷口雅春、若林耕七、荒深道斉(あらふかみちなり)、宇佐美景堂、岡田茂吉、岡田光玉(こうたま)、佐藤卿彦(あきひこ)、黒田みのる、五井昌久らがつらなる。
もうひとつは先に紹介した川面凡児に始まり、それぞれ別々に活動したのだが、田中治吾平、宮地水位、宮地厳夫、山蔭基央(もとひさ)らが輩出した。これらのなかから主な行法家をとりあげておく。

 本田親徳は文政5年生まれの薩摩の神道家で、17歳のときに皇史を読んで感動し、東上して会沢正志斎や平田篤胤の門に学び、西郷隆盛を介して副島種臣とも交流した。35歳前後に神祇伯白川家の最後の塾頭だった高浜清七郎とも交歓があったようで、そのとき白川神道を吸収した。白川神道は公家の神道というべきもので、ここからは幕末維新のさまざまな“黙殺されてきた歴史動向”が暗示的に引き出せる。
 本田はそうした幕末の最後の慶応3年の前後に「帰神法」を確立したらしく、その事跡の細部はわからないのだが、明治になって静岡県知事の奈良原繁(薩摩出身)の力添えで静岡県志太郡岡部の神(みわ)神社を最初の拠点にすると、ついでは秩父に、川越に道場をひらいた。その行法は初期は「神懸三六法」というもので、のちに「本田霊学」と呼ばれるようになった。ぼくは以前から鈴木重道編纂の『本田親徳全集』全一巻や佐藤卿彦の『顕神本田霊学法典』という本をもっていて、「産土百首」や「古事記神理解」や「天数卜原図」といった、そうとうに奇妙な歌や図や解義を折りにふれてちらちら眺めていたものだ。
 長沢雄楯は安政5年の清水生まれ、漢学を学ぶかたわら御穂(三保)神社などにかかわり、月見里(やまなし)家の屋敷で稲荷講社などを仕切っていた。やがて明治17年の27歳のときに本田親徳に出会って詰問をことごとく論破され、ついで鎮魂帰神術を教えられると、各地の神主の指導に当たるようになっていった。昭和5年には県下の神職としてただ一人、昭和天皇に拝謁した。この長沢の弟子筋に出口王仁三郎、中野与之助、友清歓真らが出た。

 出口王仁三郎こと上田喜三郎については、いずれあらためてとりあげたいので今夜は詳細を省くことにするが、いわずとしれた出口ナオのお筆先から生まれた大本教をほとんど独力で一挙に拡張した大立者である。書くこと、為すこと、作ること、いずれも奔放で破天荒だった(書もおもしろい)。
 明治4年に亀岡穴太に生まれ、明治21年に本田親徳に出会い、明治31年に丹波綾部の出口ナオと出会っている。長沢同様に稲荷講社の活動が原点にある。奇書ともいうべき大著『霊界物語』には、長沢雄楯が審神者(さにわ)となって自分を招いたという記述がある。つまり王仁三郎は長沢の鎮魂行法によって神懸かりに入ったというのだ。大本系では、憑依していく者を神主といい、憑依をふくむすべての活動を傍らで統御する者を審神者という。そのうえで主として「帰神」「神懸」「神憑」の3つを説き、行法化した。
 その王仁三郎の大本教に浅野和三郎が登場してくる。いっとき「大本の浅野か、浅野の大本か」と言われたほどだが、活躍は大正6年からの数年間に集中する。「神霊界」を編集して(のちに「心霊界」)、王仁三郎の絶大な信頼を得た。が、大本教が弾圧され、ついにその神殿が爆破されるにおよんで(この顛末を書いたのが高橋和巳の『邪宗門』)、浅野は単独の心霊研究に乗り出していく。今日の日本心霊科学協会はその土台のうえに築かれた。

 友清歓真は明治21年に山口
に生まれ、11歳で神隠しにあったのがきっかけで、政治性と神秘性の両方に惹かれていた。大正6年に英彦山で雷鳴に打たれたのがさらなる転機となって、修験・密教などをへたのち、浅野和三郎が審神者となって大本教に入信した。
 が、まもなく大本教に疑問をもち、本田霊学に回帰した。やがて九鬼盛隆とともに格神会をおこし、これが前身となって「神道天行居」を結社した。それが大正10年である。「浄身鎮魂」(みきよめたましずめ)を唱導した。昭和に入ると山口県熊毛の石城山に日本(やまと)神社をおこした。この神社名から想像がつくように、友清歓真はひとかたならぬ国粋主義にも傾いていて、日米決戦の必然を解いて各地の山上で霊的国防神事を挙行している。
 谷口雅春はよく知られていよう。「生長の家」の創始者である。ただその前は早稲田大学、退学、紡績工場勤務、退職といったことをくりかえして、当時の神霊雑誌「彗星」で大本教を知って入信、大正7年には綾部に移住してかなりどっぷりと大本の日々を送っていた。
第一次大本事件ののちはしばらく浅野和三郎の心霊研究を手伝ったりしていたのだが、やがてクリスチャン・サイエンスやニューソートの動向にも惹かれるようになり、唯心論にのめりこんだのち、昭和5年に「生長の家」を立教した。その鎮魂行法は「神想観」と名付けられている。付け加えると、ぼくの母は穏便な「生長の家」のシンパサイザーだった。母はぼくにも『甘露の法雨』という短い経典のようなものを読むようにしきりに勧めていた

 岐阜の中洞村に生まれた荒深道斉は、長沢の高弟の若林耕七が審神者になって神懸かりして、さらに浅野によって大本の神髄にふれていった。昭和3年に「純正真道(まことまさみち)研究会」をおこした。今夜の冒頭にあげた「依霊」「水滌厳法」「真澄息吹」といった用語はすべて荒深道斉による造語である。依霊は憑依霊を離していくこと、水滌厳法や真澄息吹は清水とのかかわりや呼吸法のことをいう。いずれも現実の人間が「本霊」(もとひ)や「直霊」(なほひ)になれる方法を示唆しようとしたものだと思えばいい。
 宇佐美景堂は、もともとは神宮皇学館の出身で伊勢神宮に奉職していた神社神道の"正統派"であったのだが、大正4年に大本教に入信してからかなり変化した。大本も早々に退会して、名古屋の水野万年の言霊学を学んだり、警視庁巡査になったり、日本大学の宗教学科に年長入学したり、竜田神社や丹生神社に務めるというような神社神道的な経歴をもっている。

 これで本田・大本系のだいたいの流れが見えてきたとおもうが、当時の大本体験がいかに決定的な転機をもたらしていたかは、よくわかるであろう。いずれも貧乏・病気・不遇・不運の時期をおくっていた者ばかりである。都会出身者は一人もいない。
 岡田茂吉もその一人で、かつ最後の大本系の行法家であった。岡田はいまは世界救世教の開祖として知られるが、やはり病気・事業破綻・妻子との死別などを連続的に体験したうえで大本に入った。大正9年の入信、昭和9年の退会である。
 岡田が大本から学んだものは「立て替え・立て直し」の思想と薬物批判の思想だった。薬物批判とは、そのころの多くの神道系の新宗教が重視していたことで、医学や薬物によっては病気は治らないという思想をいう。ろくな医療をうけられなかった大正昭和期の日本の地方の実態から派生した治癒思想
でもあったが、それが近代日本人の霊力への関心を高めたのである。岡田はとくに王仁三郎が考案した「御手代」(みてしろ)に影響をうけ、和歌を書いた扇を鎮魂の行器にした。王仁三郎は杓子に和歌を書いて拇印を捺し、それをもって信者の霊的治病具とした。こうした岡田の活動はのちにまとめて「浄霊」とよばれる。
 岡田光玉(こうたま)はその岡田の世界救世教から分派して、世界真光(まひかり)文明教団を創始した。その「真光の業」や「手かざし」は世界救世教の浄霊の庶子である。苗字は同じ岡田だが、まったく血縁関係がない
 このほか本田霊学の正統をうけついだ佐藤卿彦(月見里稲荷講社の出身)、「ス光光波世界神団」や「光輪」の黒田みのる(スはスサノオ)、日立製作所の工場から世界救世教・生長の家・千鳥会をへて「白光真宏会」をおこした五井昌久らがいる。”



大本神諭 明治25年旧正月
http://heiwatori.com/page63
三千世界一同に開く梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成ったぞよ。
梅で開いて松で治める、神国(しんこく)の世に成ったぞよ。
日本は神道(しんどう)、神が構わねば行けぬ国
であるぞよ。
外国は獣(けもの)の世、強い者勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。
日本も獣(けもの)の世に成って居るぞよ

外国人に化かされて、尻の毛まで抜かれて居っても未だ目覚めん暗がりの世になって居るぞよ。
これでは国は立っては行かんから、神が表に現われて、三千世界を立て替え立て直しを致すぞよ。
用意をなされよ。
この世はさっぱり、新(さら)つの世に替えてしまうぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除をして、天下泰平に世を治めて、万劫末代続く神国の世
に致すぞよ。
神の申したことは一分一厘違わんぞよ。
毛筋(けすじ)の横巾(よこはば)ほどの間違いも無いぞ。
これが違ったら神はこの世に居らんぞよ。
「東京で仕組みを駿河美濃尾張大和玉芝国々に、神の柱を配り岡山」
天理、金光、黒住、妙霊(みょうれい)先走り、トドメに艮(うしとら)の金神(こんじん)が現われて、世の立て替えを致すぞよ。
世の立て替えのあるという事は、どの神柱にも判って居れど、どうしたら立て替えが出来るという事は、判って居らんぞよ。
九分九厘までは知らせてあるが、もう一厘の肝心の事は、判って居らんぞよ。
三千世界の事は何ひとつ判らん事の無い神であるから、淋しくなったら、綾部(あやべ)の大本へ出て参って、お話を聞かせて頂けば、何もかも世界一目(ひとめ)に見える神徳を授けるぞよ。
加美(かみ)となれば、隅々(すみずみ)までも気を付けるのが加美(かみ)の役。
上ばかり良くても行けぬ、上下(かみしも)揃わねば世は治まらんぞよ。
洋服では治まらん、上下揃えて人民を安心させて、末代潰れぬ神国の世に致すぞよ。
用意をなされよ、足許(あしもと)から鳥がたつぞよ。
それが日本を狙って居る国鳥(国取り)であるぞよ。
○○○までも自由に致して、神は残念ぞよ。(○○○は不明)
日本の人民、盲(めくら)聾(つんぼ)ばかり、神が見て居れば、井戸の端(はた)に茶碗を置いた如く、危なくて見て居れんぞよ。
外国人よ、今に艮(うしとら)金神が、返報返(へんぽうかえ)しを致すぞよ。
根に葉の出るのは虎耳草(ゆきのした)、上も下も花咲かねば、この世は治まらぬ。
上ばかり良くても行けぬ、下ばかり良くてもこの世は治まらぬぞよ。
てん○○綾部(あやべ)に仕組みが致してあるぞよ。
○○○、○○○を拵(こしら)えて、元の昔に返すぞよ。
洋服を着てウロツク様な事では、日本の国は治まらんぞよ。
国会(こっかい)開き、人民がいつまでかかっても開けんぞ。
神が開かねば開けんぞ。
開いて見せよう。
東京は元の薄野(すすきの)に成るぞよ。
永遠(とわ)には続かんぞ。
東(あずま)の国は一(ひと)晴れの後(のち)は暗がり。
これに気のつく人民は無いぞよ。
神は急(せ)けるぞよ。
この世の鬼を往生させて、地震雷(かみなり)火の雨降らせて、○○○ねば、世界は神国にならんから、昔の大本(大元)からの神の仕組みが成就致す時節が廻って来たから、苦労はあれど、バタバタと埒(らち)をつけるぞよ。
判った守護神は一人なりと早く大本へ出て参って、神国(しんこく)の御用を致して下されよ。
その代わりに努め上がったら、万劫末代名の残る事であるから、神から結構に御礼申すぞよ。
世界中の事であるから、何程(なにほど)智恵や学があっても、人民では判らん事であるぞよ。
この仕組み判ってならず、判らねばならず、判らぬので改心が出来ず、世の立て替えの末代に一度の仕組みであるから、さっぱり学や智恵を捨ててしまって、生まれ赤児の心に立ち返らんと、見当が取れん難しい仕組みであるぞよ。
今までの腹の中のゴモク(汚いもの)さっぱり放り出してしまわんと、今度の実地まことは分かりかけが致さん、大望(たいもう)な仕組みであるぞよ。
氏神様の庭の白藤(しらふじ)、梅と桜は、出口直(でぐちなお)の御礼の庭木に植えさせたのであるぞよ。
白藤が栄えれば、綾部良くなって、末(すえ)で都と致すぞよ。
福知山、舞鶴は外囲い、十里四方は宮の内、綾部は真ん中なって、金輪王(こんりんおう)で世を治めるぞよ。
綾部は結構な所、昔から神が隠しておいた、世の立て替えの真誠(まこと)の仕組みの地場であるぞよ。
世界国々所々に世の立て替えを知らせる神柱は、沢山(たっぷり)現われるぞよ。
皆艮(うしとら)の金神、国常立尊
の仕組みで、世界へ知らせてあるぞよ。
大方(おおかた)行き渡った時分に綾部へ諸国の神、守護神を集めて、それぞれの御用を申し付ける、尊い世の根の世の本の、竜門館(やかた)の高天原であるから、何を致しても綾部の大本の許し無き事は、九分九厘で引っ繰り返るぞよ。
皆神の仕組みであるから、我(われ)が我がと思って致して居るが、皆艮(うしとら)の金神が化(ば)かして使って居るのであるぞよ。
この神は一人手柄をして喜ぶような神で無いぞよ。
大本の仕組みの判る守護神であったら、互いに手を引き合って、世の本の立て替え立て直しを致すから、これまでの心を入れ替えて、大本へ来て肝心の事を聞いて、御用を務(つと)めて下されよ。
三千世界の神々
様、守護神殿に気をつけますぞよ。
谷々の小川の水も大河(おおかわ)へ、末で一つになる仕組み。
綾部世の本、誠の神の住まい所(どころ)。
唐(から・外国)と日本の戦(たたか)いがあるぞよ。
この戦(いくさ)は勝ち戦(いくさ)、神が蔭から仕組みが致してあるぞよ。
神が表に現われて、日本へ手柄致さすぞよ。
露国(ろこく)から始まって、もう一(ひと)戦(いくさ)あるぞよ

あとは世界の大たたかい(戦い)で、これから段々判って来るぞよ。
日本は神国、世界を一つに丸めて、一つの王で治めるぞよ。
そこへ成るまでには中々骨が折れるなれど、三千年余りの仕組みであるから、日本の上(かみ)に立って居れる守護神にチョット判りかけたら、神が力(ちから)を付けるから、大丈夫であるぞよ。
世界の大峠を越すのは、神の申すように素直に致して、どんな苦労も致す人民でないと、世界の物事は成就致さんぞよ。
神はくどく気を付けるぞよ。
この事判(分)ける御魂(みたま)は東から出て来るぞよ。
この御方(おんかた)が御出(おいで)になったら、全然(さっぱり)日の出の守護と成るから、世界中に神徳が光り輝く神世になるぞよ。
大将を綾部の高天原の竜門館に○○さんならん事が出て来るぞよ。(○○不明)
中々大望(たいもう)であれども、昔からの生神の仕組みであるから、別条は無いぞよ。
一旦戦(たたか)い治まっても、後の悶着(もんちゃく)は中々治まらんぞよ。
神が表に現われて、神と学との力(ちから)競(くら)べを致すぞよ。
学の世はもう済みたぞよ。
神には勝てんぞよ
。”


文盲(もんもう)
=文字を読み書きできない
=非識字
の出口なおがなぜ、キリスト教にミトラ(弥勒)・ゾロアスター教(インド・イラン)を混ぜた終末論という日本の伝統思想(全能でもなく創造もしない神々と仏)とかけ離れた内容のものを書き始めるのですか?
出口なおが自動書記で書いた(とされている)ものを上田喜三郎(出口王仁三郎)が漢字をあてて発表したものが『大本神諭』なので、上田喜三郎(出口王仁三郎)が書いたのでは?

『大本神諭』の中核はキリスト教ですか?(と気付けるくらいに学ばないから簡単に騙されるのですよ


“外国は獣(けもの)の世、強い者勝ちの、悪魔ばかりの国”
神(人)vs悪魔(獣)の善悪二元論
(西洋哲学とキリスト教の動物蔑視
)。

獣と神(人)の対比なら神智学を思い浮かべた人がいるかもしれません。
1892年(明治25年)時点では、心霊主義運動の父にして神智学思想を大本教に持ち込んだ浅野和三郎はまだ入信していません。
(神智学協会設立が1875年なので既に大本教に入りこんでいたかもしれませんが)
1916年(大正5年)に浅野和三郎は海軍機関学校を退官し、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた大本に入信しました。結局、日本でのスピリチュアル思想拡大の立役者も大本教から出ているのです。
右も左も大本ではスピリチュアル


“新(さら)つの世に替えてしまうぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除をして、天下泰平に世を治めて、万劫末代続く神国の世に致すぞよ。
神の申したことは一分一厘違わんぞよ。”
“三千世界の事は何ひとつ判らん事の無い神”

大洗濯、大掃除って要はヨハネ黙示録的な虐殺でしょ?
救済の創造の前に破壊あり。
神は全知ってことですね。
全知の神なんて日本土着の信仰にいません
よ。


“この世の鬼を往生させて、地震雷(かみなり)火の雨降らせて、○○○ねば、世界は神国にならん”
やはり大量死が必要だと。艮(うしとら)の金神は陰陽道の悪鬼なんですけど、鬼じゃないんですか?


“世界国々所々に世の立て替えを知らせる神柱は、沢山(たっぷり)現われるぞよ。
皆艮(うしとら)の金神、国常立尊の仕組みで、世界へ知らせてあるぞよ。”
“何を致しても綾部の大本の許し無き事は、九分九厘で引っ繰り返るぞよ。”

“日本は神国、世界を一つに丸めて、一つの王で治める”
大本教(キリスト教の変形)を国教とするワンワールドにしようということです。

“神には勝てんぞよ。”
日本の伝統的信仰では人が神に勝ったり、神と等しくなる話が普通にあります

1892年(明治25年) 大本教が中国とロシアと戦争すると予言
(という名の予告。大本教は和風キリスト教カルトの大ボスだからキリスト教系白人支配者から情報を貰っていたのでしょう

1894年(明治27年) 日清戦争
1904年(明治37年) 日露戦争

大本神諭(おおもとしんゆ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD
“大本神諭(おおもとしんゆ)は新宗教大本の教典。お筆先とも呼ばれる。
概要
明治時代後期、大本の開祖出口なお(直)(以下なお(直)と表記)は天地の創造主神国常立尊の帰神から、1918年(大正7年)に逝去するまでの約27年間、自動書記により「お筆先」と呼ばれる一連の文章を残した[1]。お筆先はほとんどひらがなで記されたが、これを娘婿にして大本の聖師の出口王仁三郎(以下王仁三郎と表記)が漢字をあてて発表したものが『大本神諭』である[2]。「神のお告げ」による啓示系の教典である[3]。現代文明に対する強烈な批判と、国常立尊の復活に伴う終末と再生を預言した[4]。大本において『大本神諭』は、なお(直)の死後に発表された王仁三郎の『霊界物語』と併せ、大本二大教典の一つとして扱われる。
内容
大本神諭は『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ』という宣言を機軸とする[5][注 1]。神の名前や啓示そのものは、当時のなお(直)が置かれた極貧生活や明治時代という社会情勢、金光教や九鬼家の影響が見られるが、それだけで解釈できない点もある[6]。王仁三郎は、艮の金神の正体を古事記や日本書紀で国祖神とされる国之常立神(国常立尊)と審神した[7]。国祖神の治世は厳格を極めたため、不満を募らせた八百万の神々により国常立尊は艮の方角(門)に封印されて「艮の金神」となり、妻神豊雲野尊は坤の方角にこもって「坤の金神」となったという[8][注 2]。神諭は、節分(豆まき)、鏡餅、門松など日本の多くの宗教的儀式に国常立尊を調伏・呪詛する目的が隠されていると指摘する[9]。だが国常立尊が再び現れる日は迫っており、それにともない体主霊従の文明から霊主体従の文明へと、価値観が大転換すると説く[10]。変革が行われたあとに到来する理想世界はみろくの世とされる[11]。「水晶の神世」「松の世」とも表現される[12]。独特の神話観と、個人的利益・救済の域を超えた強烈な終末論・千年王国思想は従来日本宗教の中でも特徴的である[13]。
お筆先は、神懸かりしてから大正7年6月の最後の筆先まで約27年間、半紙20枚綴りで約1万巻を記述したが、二度の宗教弾圧(大本事件)により多くが散逸した[14]。筆先は基本的にひらがなの みで構成される。それは、神の意志によりひらがなで記述されることが筆先の中に記されている。一つには、とかく学問に縁遠い当時の婦女子にも読めるように という事において、二つには物質文明を支える知識学識万能主義に対する警告として、である。しかし句読点も漢字も当てられていないので、通読はしてもその 意味は何通りにでも理解出来てしまい、王仁三郎以前の大本幹部達はその内容を整理できず教義を確立できなかった[15]。ひらがなばかりの独特の書体は執筆当初から執筆を終える約27年間、ほとんど変化なく同じ筆圧、筆速、力強さも同じであり、一種の風格をえ、賛美する書家もある[16]。断定的な表現と独特の文体は読者に強い印象を与えた[17]。歴史家松本健一は、神諭の文体は王仁三郎の文章と比較して非常に厳しく男性的であり、「変性男子」にふさわしいと評している[18]。”

“天地の創造主神国常立尊”=和風ゴッド。
“国常立尊の復活に伴う終末と再生”=終末論(破壊)と再生

体主霊従の文明から霊主体従の文明へと、価値観が大転換する”=スピリチュアル・神智学(オウムが同じことを言っています)

“みろくの世”=ミトラ(太陽神。ミトラ重視は新キリスト教)。

強烈な終末論・千年王国思想は従来日本宗教の中でも特徴的”
=改造版キリスト教
なのだから当たり前。

“王仁三郎は、艮の金神の正体を古事記や日本書紀で国祖神とされる国之常立神(国常立尊)と審神した”
艮(丑寅)の金神=国之常立神=陰陽道の悪鬼

“お筆先は、神懸かりしてから大正7年6月の最後の筆先まで約27年間、半紙20枚綴りで約1万巻を記述したが、二度の宗教弾圧(大本事件)により多くが散逸した”
鬼三郎がどこまで書き換えたか判らないように証拠隠滅。恐らく、聖典と違い過ぎるものを処分したんだろうな。スサマジイ弾圧のように見えて、実際は別働隊が生き残りまくっているし



“句読点も漢字も当てられていないので、通読はしてもその 意味は何通りにでも理解出来てしまい、王仁三郎以前の大本幹部達はその内容を整理できず教義を確立できなかった[15]。ひらがなばかりの独特の書体”執筆当初から執筆を終える約27年間、ほとんど変化なく同じ筆圧、筆速、力強さも同じであり、一種の風格をえ、賛美する書家もある[16]。断定的な表現と独特の文体は読者に強い印象を与えた[17]。歴史家松本健一は、神諭の文体は王仁三郎の文章と比較して非常に厳しく男性的であり、「変性男子」にふさわしい“
上田鬼三郎(出口鬼三郎)以外の男性が書いたんじゃないのですか?
出口なおに憑依したのはイエス・キリストなのですか?
(しかも変性男子=両性具有の完全な神思想)?
出口なおに憑依したのは聖書の作者ですか?
(内容が和風聖書)
出口なおに憑依したのは神智学信者ですか?
(インド・イラン要素がある耶蘇教


菊池 ‏@kikuchi_8 12月5日
10) 鞍馬弘教にしろ、大本教にしろ、折口信夫にしろ、伝統思想が歪められる過程には神智学が介在している場合が多い。現地の伝統に憑りついて別のものに変貌さ せてしまうという英国系メーソンの憑依型戦術の有力な武器が「神智学」なのだから当然であるか。鬼退治、王仁退治!である。

菊池 ‏@kikuchi_8 12月11日
鞍 馬寺が神智学に影響を受けたルートは神智学協会アリス・ベイリー派→三浦関造→鞍馬寺貫主信楽香雲。
大江山の霊媒集団(大江山鬼の交流博物館のHP上の資 料を参照した。大江山の鬼・酒呑童子とは仏教勢力に追われた渡来系の鉱山民の首領ではと推測した。)→大本教。王仁三郎「わしは仏教を滅ぼす

U ‏@wayofthewind 2014年2月7日
佐村河内がブレイクする一端となったのが、カプコンの『鬼武者』だった。『鬼』を持ち上げるのは、大本教系列。そして大本といえば、旧満州、玄洋社、黒龍会、中国へ……とつながってくるわけね。

村手 さとし ‏@mkmogura 2013年12月25日
丑寅の金神とは、牛のツノに虎のパンツの『鬼』を神様にひっくり返した善悪逆転論であり、白人宗教思想の特徴だ。 あと、最近大本教について騒いでくれてるが、江戸時代のキリスト教の事である本教を作り直したのが大本教であり、それを誤魔化すために『大本』と呼ばせている。だからキリ教のことも家

村手 さとし ‏@mkmogura 2014年2月1日
年 によって変わる方角を向いて恵方巻きを食べる風習は滑稽である。節分もそうだか丑寅、牛のツノに虎パンツの鬼を追いやる節分も陰陽道にもとづく。忌むべき 方角は同じである。丑寅ね。この恵方巻きも近年に作られた西洋の方角にあわせた風習であるそうな。裏にはキリスト教、大本教の艮の金神がある。

日ユ同祖論もユダヤ陰謀論もイシヤ=フリーメーソン陰謀論も大本教が黒幕

“かの有名な宗教家・出口王仁三郎によると、
ユダヤ人の3分の1はよいが、3分の2は悪いという。
また、ユダヤの12の支族のうち11支族は外国にあり、
日本には一番よい流れが入ってきた
ものの、その後、
変質したので本当のものは少ないという。
(…)
──王仁三郎は日ユ同祖論についてどういう見解をもっていたんですか。
■武田  王仁三郎がユダヤ問題についてまとまった形で述べたものはないんですが、如是我聞のような 形で彼がいろいろ言っていたことは事実で、たとえば、ユダヤ民族の12の支族のうち11支族は外国にあり、日本には一番よい流れが入ってきたものの、その 後、変質したので本当のものは少ないということを強調したりしています。
また、王仁三郎は、ユダヤ人は神命奉仕者で、神様から選ばれたのだから神の選民であることは間違いないが、天孫民族とは全く違うと述べています。日本は天孫民族だから選民と違って神の直系であるというわけです。
(…)
■武田  出口王仁三郎は、ユダヤ人の3分の1はよいが、3分の2は悪い。その悪い連中がフリーメーソンを組織している。第二次世界大戦はフリーメーソンの仕業だというようなこともいっています。“
「日ユ同祖論」の謎の淵源を探るhttp://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb411.html


ユダヤ民族と出口王仁三郎について
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/4579051.html
“〇ユダヤの悪口は言わぬ
昭和十八年大本農園にて、内海健朗氏がユダヤのことをいろいろ申しますと「王仁はユダヤのことを悪く書いたところはない。これを読め」と『霊界物語』第六十四巻(校定本では六十四巻上)を示されました。

〇艮の金神とユダヤ
ユダヤは神の選民で、艮の金神が道具に使っていられる。ユダヤは悪に見せて善をやるのや。ユダヤは九つのしるしあるものを探しているのだ。

ユ ダヤは十八階級のうち一階級三人。二階級十八人。三階級三十六人。日本人でもユダヤに這入(はい)っているが、十二階級以下である。一階級上のことは全然 判らぬから、最高幹部の考えていることは判らぬ。ユダヤの仕組で十六魔王を戦争で戦いぬかして倒してしまう。東条も十六魔王のうち。

王仁が白紙委任を頂くようになってから、天国の姿の通り移して制度を日本に立てるのだ。ユダヤの最高幹部やこちらは判っているから出来上がったら、この仕事は艮の金神様の仕事やと王仁は証明するだけや。

艮の金神様が天の大神様から勝手にやれとまかされたのやと思うのや。
わしらは今から思うと笑いがとまらぬ。水も漏らさぬ仕組とはよく言ったものだ。

イスラエル民族の十二の支族のうち十一は外国にある。日本にも一つの流れがあるが変質しているから本当のは少ない
(昭和十九年四月十日)

〇神は偽悪
神は偽悪だ。悪に見せて大善をなす
(昭和十九年四月十日)

〇天孫民族とユダヤ
ユダヤということは、神命奉仕者ということで、神様から選ばれたのだから神の選民なのだ。イスラエルというのはユダヤと同じ事。天孫民族とは全然違う。
日本は天孫民族だから選民とは違うんや。直系や。

ユダヤの三分の一は良いので三分の二は〇いので、これがフリーメーソンをやっているのである。今の戦はこれがやっている。

イスラエルの十二の氏族は選ばれたのや。一番いいのが日本へ来ているので日本民族だ。

(昭和十九
年六月九日)”

 神は偽悪だ。悪に見せて大善をなす。
悪魔は偽善だ。善に見せて大悪をなす。
全ての神は邪神(悪魔)の側面を持つ。
善悪は相対的であるがゆえに。
善を名乗るには悪が必要であるがゆえに



霊界は何層界なのか?
http://kamikotokai.com/006/page004.html
“ 仏教であの世(霊界)に渡ることを三途の川を渡ると云います。三途の川とは、前稿で死後の世界
では天国と地獄に一般霊界(中有界)と呼ばれる三つの途があることを示していると説明しました
が、天国界・中有界・地獄界の三界はおおまかな区分けであって、もっと細かく分類されるべきで
す。
 ほとんどの霊能者が支持しているのは、スウェーデンの哲学者で霊能者(神秘主義者)であったス
ウェーデンボルグ(西暦1688~1772)が霊界を探訪して、霊界は第1.2.3天国界と中有界と第
1.2.3地獄界の七層あると云った説がもっとも有力とされています。ラッキーセブンの元。仏教の
六道輪廻は、天国三界と地獄三界の六界で中有界が抜けているのです。また、立体的論理ではな
いのです。

 大本教の出口王仁三郎聖師は、西洋人では一人だけが霊界を探訪していると言い。このスウェー
デンボルグの七層説に更なる天国界が存在すると云って、霊界八層説を説いています。
(…)
 大本教の出口王仁三郎聖師は、西洋人では一人だけ(スウェーデンボルグ)が霊界を訪れている
としています
が、日本では多くの霊能者が霊界を見聞していています。”


神諭の疑義 (後)
http://www.geocities.jp/susano567miroku/shinyunogigi3.html
“●水鏡
 キリストは、最後の審判を為す為めに再臨すると云つたが、彼の最後の審判と云ふのは、火洗礼を施す事の謂ひである。彼は火洗礼を施さんとして、其偉業が中途にして挫折したため、再び来つて火の洗礼を、完成せんと欲したのである。
 火洗礼とは、人間を霊的に救済する事であると云ふ事は、既に我弟子達の周知の事である。最後の審判は、閻魔大王が罪人を審くと同様なる形式に於て行はるると、考へて居る人が多いやうだが、それは違ふ。天国に入り得るものと、地獄に陥落するものとの【標準】を示される事である。此標準を示されて後、各自はその自由意志によつて、自ら選んで天国に入り、或は自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念の如何によるのである。
 【標準】とは何か、霊界物語によつて示されつつある【神示】そのものである。故に最後の審判は、大正十年十月より、既に開かれて居るのである。バイブルに「又天国の、此福音を万民に、證せん為めに、普く天下に宣べ伝へられん。然る後末期いたるべし」とある如く、大正十二年より、支那、朝鮮の順序を経て、今や全世界にこの福音が宣べ伝へられつつあるではないか・・・。

 火の洗礼を行う途中で絶命したイエスに成り代わって王仁三郎が真の完成を達成すべく【霊界物語】を編纂したことが明確に書かれてあります。しかし、イエスの火の洗礼が十分ではないとしても、やはり神の真理は込められているようであり、軽視できるものではありません。それを示唆する記述が霊界物語天祥地瑞に書いてあります。

●霊界物語第73巻 天祥地瑞編 第1章 天之峯火夫の神
 天もなく地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点のヽ忽然と顕れ給ふ。このヽたるや、すみきり澄みきらひつつ、次第々々に拡大して、一種の円形をなし、円形よりは湯気よりも煙よりも霧よりも微細なる神明の気放射して、円形の圏を描きヽを包み、初めて◎(ス)の言霊生れ出でたり。此の◎の言霊こそ宇宙万有の大根元にして、主の大神の根元太極元となり、皇神国の大本となり給ふ。我日の本は此の◎の凝結したる万古不易に伝はりし神霊の妙機として、言霊の助くる国、言霊の天照る国、言霊の生くる国、言霊の幸はふ国と称するも、此の◎の言霊に基くものと知るべし。
 キリストの聖書にヨハネ
伝なるものあり。ヨとはあらゆる宇宙の大千世界の意なり、ハは無限に発達開展、拡張の意なり、ネは声音の意にして宇宙大根本の意なり。ヨハネ伝首章に曰く、『太初に道あり、道は神と偕にあり、道は即ち神なり。此の道は太初に神と偕に在き。万物これに由て造らる、造られたる者に一として之に由らで造られしは無』と明示しあるも、宇宙の大根元を創造したる主の神の神徳を称へたる言葉なり。

 ここに記されることですが、天祥地瑞は主神が臨在する霊国を描写した物語であり、王仁三郎はこの神書に真実を込めたと語っています。特に霊界物語天祥地瑞編は他の霊界物語72巻までを二、三回読んだ後でないと判らない。と語り、この天祥地瑞には、宇宙開闢の物語が記されています。その最も根幹とする内容を口述筆記した物語がまさに天祥地瑞73巻ですが、この巻の冒頭に【ヨハネの福音書】のことが記されてあります。これはつまり、聖書は神の意思に沿った文献であることが十分に考えられるものです。

 霊界物語第3巻 第50章 安息日【附言】には、

 聖書に、神は六日に世界を造り了(を)へて、七日目は安息せりといふ神言がある。この神言について言霊研究の大要を述べてみやうと思ふ。ナの言霊は宇宙万有一切を兼て統一するといふことである。◎(ス)の凝る形であり、行届く言霊であり、天国の経綸(けいりん)を地上に移すことともなり、◎(ス)の確定ともなり、調理となり成就となり、水素の形となり、押し鎮むる言霊の活用ともなる。

 とあり、さらに霊界物語第5巻 第22章 神示の方舟 には、

 顕恩郷の神人(かみがみ)らは衣食住の憂ひなく、心魂(しんこん)ともに質朴にして少しの猜疑心もなく、天真爛漫にして現代人のごとく小賢(こざか)しき智慧も持つてゐなかつた。そのために従順に神の命に服従することを得たのである。聖書にも、【神は強き者、賢き者に現はさずして、弱き者、愚なる者に誠を現はし給ふを感謝す】とあるごとく、小なる人間の不徹底なる知識才学ほど禍(わざわい)なるはない。

 と表記され、聖書を引用している描写が見受けられます。その中でも特に【神諭】と聖書の関係性について注目すべき口述箇所があります。下記ご覧下さい。

●霊界物語第42巻 第1章 北光照暗 
 北光の神なる天の目一つの神は白髯を撫でながら、セーラン王や耶須陀羅姫、竜雲その他を集めて、神界の御経綸や神示に就て綿密なる解釈を与へつつあつた。
セーラン『昨日より承はりました世界の終焉に就て、今一応詳細なる説明を御願ひ申上げ度きもので御座ります。瑞の御霊の御神示の中に、世の終りの来る時は其日の患難の後、直ちに日は暗く月は光を失ひ、星は空より墜ち、天の勢ひ震ふべし。其時、人の子の徴天にあらはる。又地上にある諸族は哭き哀しみ、且つ人の子の権威と大なる栄光とを以て天の雲に乗り来るを見む。又その使等を遣はし、ラツパの大なる声を出さしめて、天の彼の極みより此の極みまで、四方より其選ばれし者を集むべし……とあるのは、其言葉の通りに解すれば如何なもので御座りませうか、文字通りに解すべきものとすれば、最後の神の審判と云はれてある世界終焉の時に、是等の恐るべき事件が出現すると見なくてはなりませぬなあ』
『この予言をもつて教示の文字通りに解するものは可なり沢山あるさうです。是らの人は、日月光を失ひ、星は空より墜ち、主なる神の徴(しるし)天に現はれ、また雲の中よりラツパを持つた天使は、瑞の御霊の救世主と共に、現実的に天より降(くだ)り給ふものと思考してゐるのみならず、見る限りの世界はことごとく滅びて、ここに始めて新しき天地の出現を見得(みえ)らるるものと早合点してゐるのである。三五教の宣伝使の中においても、かくのごとく信じてゐる人があるやうです。かくのごとく信じてゐる人は、神諭の微細なるところに至るまで密意の存在しあることを知らないのである。神諭の裡(うち)には文字のごとく解すべき自然的世間的のことではなくして、心霊的、神界的の秘事を包含されてをる。一文一句のうちにも、いちいち内義を含ましめむために、ことごとく相応の理に由りて示諭されてある。ゆゑに神諭は、普通の知識や学問の力では、たうてい真解さるるものではない。是すなはち神聖なる神諭たる所以(ゆゑん)である。主なる神、大空の雲に乗りて来たるとの神示も亦この内義に由つて、解釈すべきものである。

「即ち暗くならむといふ日は、愛の方面より見たる救世主厳の御魂を表はし、
月は信の方面より見たる、救世主瑞の御魂を表はし、
星は、善と信との知識または愛と信との知識を表はし、
天上における人の子の徴(しるし)は、神真の顕示を表はし、
地上において哭(な)き哀まむといふ諸族(もろもろのもの)は、真と善、または信と愛とより来たる万事を表はし、
天の雲に乗りて権威と栄光とを以て主すなはち救世主の来たらむといふのは、神諭の中に救世主の現存することを表はし、かねて其の黙示を表はし、
雲は、神諭の文字に顕はれたるを表はし、
栄光は、神諭の内に潜める意義を表はし、
天人のラツパをもちて、大なる声を出すというてあるのは、神真の由(よ)りて来たるべき天上界を表はしたものである」
 このゆゑに救世主の宣(のたま)へる如上(じょじょう)の言葉は、何の意義なるかと言へば、教の聖場の終期に当りて、信と愛とまた共に滅ぶる時、救世主は神諭の内意を啓発し、神界の密意を現はし給ふといふことである。目下の婆羅門教徒(ばらもんきょうと)もウラル教徒もまた三五教徒(あななひきょうと)も、ほとんど全部知るものなしと謂(い)つても良(よ)いくらゐだ。実に宣伝使の職にあるものすら、神諭のわが解釈を否(いな)まむとする者ばかりだ。そして彼等の多くは曰ふ。『何者か、能く神界を探査し来りて、是等の事を語り得るものぞ』と。斯の如き説を主張する者、特に世智に長けたる人々の中に多々あるを見る。其害毒の或は真率純真の人に及ぼし、遂に其信仰の壊乱を来すの恐れあるを歎き、我は常に霊魂を浄めて天人と交はり、之と相語り合うたのである。天人と言語を交換する事、人間界と同様に神界より許されて、親しく天界に起る諸多の事件や地獄の有様をも見ることを許され、神界の真相を天下万民に伝へ示し、説き諭すに努めて居るのは、無明の世界を照破し、不信の災を除き去らむが為である。例へ神諭に天地が覆へると示してあつても、泥海になるとあつても、人間が三分になると示されてあつても、眩舞が来るとあつても、決して之を文字其儘に解すべきものでない。凡て内義的、神界的、心霊的に解すべきものである。さうで無くては、却て天下に大なる害毒を流布し、神慮を悩ませ奉る事になるものである事を承知せなくてならぬと思ふ。併し乍ら、是は北光一家の私言だ。脱線して居るかも知れぬ、アハヽヽヽ』

 とあります。

 この文はエマニュエル・スウェーデンボルグ著【天界と地獄】の序章からの引用抜粋であることが既にわかっています。これは【マタイの福音書 第24章29~31節】をスウェーデンボルグが霊的に解説したものです

●鈴木大拙訳 エマニュエル・スウェーデンボルグ著【天界と地獄】
 一、主、諸弟子の前にて、世界の終焉、即ち教会の末期につきて説き給へるとき、愛と信とに関して教会は種々の変遷をすべきことを預言し、其終りに言い給へるは、「これらの日の患難ののち直ちに日はくらく、月は光を失ひ、星は空より堕ち、天の勢震ふべし、そりとき人の子の徴、天にあらはる、また地上にある諸属は哭き哀み、且つ人の子の権威と大なる栄光とをもて、天の雲に乗り来るを見ん。又其使等を遺し、ラッパの大なる声を出すださしめて、天の彼極より此極まで、四方より其選ばれしものを集むべし」と。(馬太傳、第二十四章、二九、三〇、三一。)これらの言葉を文字の意義にのみ従ひて解するものは、最後の審判と云われたる世界の終焉のとき、是等の事件、字義の如くに起り来らんと信ずる外なかるべし。是故に彼等は信ぜん、日月光を失ひ、星空より堕ち、主の徴天にあらはれ、又雲の中よりラッパをもてる天人と共に主の来るを見るのみならず、又他處に預言せられたる如く、見る限りの世界は悉く滅びて、此に始めて新たなる天地の出現を見得んと。今日教会に属する人の意見は大抵此の如くなりとす。されどかく信ずるものは、聖言には微細の處に至るまで、密意を存せざるなきを知らざる也。何となれば聖言には変わる処なく一々内義なるものを有すればなり。而してその裡には、文字の如く解すべき自然的、世間的のことにはあらで、心霊的、天界的のことを含み居れり。こは数多の文句を概括して解するときのみ然るにあらず、之を個々に分かちたるときも、亦然るを見るべし。何となれば各個分立の文句のうちに、一々内義を含ましめんため、悉く相応の理によりて述べられたもの、是れ即ち聖言なれば也。此意義の何ものなるかは「天道密意」の中に説き示せる処にて明白なるべく、又黙示録に記せる白馬の義を解釈せんとて纂めたる諸文句によりても明白なるべし。上に引用せる文中、主が大空の雲に乗りて来るとのことも亦此の内義によりて会ざるべからなず。即ち暗くならんと云う日は、愛の側より見たる主をあらわし、月は信の側より見たる主を表はし、地上において哭き哀まんと云う諸族は、真と善、又は信と愛とより着たる萬事を表はし、天の雲より権威と光栄とをもて主の来らんと云ふは、聖言の中に主の現存するを表はし、かねて其黙示を表はし、雲は聖言の文字に顕はれたるを、而して光栄は聖言の内に潜める意義を表はし、又天人のラッパをもちて大なる声を出すと云ふは、神真の由りて来るべき天界を表はす也。是の故に、主が宣へる如上の言葉は何の義なりやと云ふに、教会の周期に当たり、信と愛と亦共に滅ぶるとき、主は聖言の内義を啓き、天界の密意を現はし給ふといふにあるは明白なるべし。次の諸章において、われは、天界の地獄の事、及び死後の生命に関する密意を現はすべし。是等の事は総て聖言の中にしるさるれども、今時の教会者流はすべて之をしらず。実に教会の中に生まれたるものすら此事を否まんとするもの少なからず。其心に思へらく、「何者か能く彼の世より来りて是等の事を語れるぞ」と。此の如き非理を肯ふもの特に世智に長けたる人々の中に多きを見る。其毒の或は真率純真の人に及び、遂にその壊乱を来たすことなきを圖らざるが故に、われは過去十三年の間、天人と相変り、之と相語ふこと、猶人間の如くなるを許され、又親しく天界にある諸事件、及び地獄の模様をも見るを許されたり。而してわが今これらの見たる所、聞きたる所を書き記すは、世の無明を照らし破り、不信を除き去らんがためなり。今日此の如き直下の黙示ある所以は、是れ即ち主の来降を義とするものとす。

 霊界物語第42巻 第1章は三大教の北光神がセーラン王に説示した内容ですが、北光神は瑞霊です。つまりは主神と言われた神素盞嗚大神の系統ということになります。スウェーデンボルグは聖書にあるマタイの福音書第24章29~31節を抜粋し、【天界と地獄】でこれを解説しています。さらに王仁三郎がこの【天界と地獄】を引用し、このマタイの福音書を王仁三郎は霊界物語で【神諭】として位置づけている描写があることにご着眼ください。

 【霊界物語】と【天界と地獄】を対比して見ていきます。

 霊界物語には、

【天の雲に乗りて権威と栄光とを以て主すなはち救世主の来たらむといふのは、神諭の中に救世主の現存することを表はし、かねて其の黙示を表はし、
雲は、神諭の文字に顕はれたるを表はし、
栄光は、神諭の内に潜める意義を表はし、
天人のラツパをもちて、大なる声を出すというてあるのは、神真の由(よ)りて来たるべき天上界を表はしたものである」】

 天界と地獄には、

【天の雲より権威と光栄とをもて主の来らんと云ふは、聖言の中に主の現存するを表はし、かねて其黙示を表はし、雲は聖言の文字に顕はれたるを、而して光栄は聖言の内に潜める意義を表はし、又天人のラッパをもちて大なる声を出すと云ふは、神真の由りて来るべき天界を表はす也。】

 ほぼ同じことが書いてあります。紫色に着色した部分ですが、神諭が聖言とされています。この後、霊界物語には、

 このゆゑに救世主の宣(のたま)へる如上(じょじょう)の言葉は、何の意義なるかと言へば、教の聖場の終期に当りて、信と愛とまた共に滅ぶる時、救世主は神諭の内意を啓発し、神界の密意を現はし給ふといふことである。

 とありますが、天界と地獄には、

 是の故に、主が宣へる如上の言葉は何の義なりやと云ふに、教会の周期に当たり、信と愛と亦共に滅ぶるとき、主は聖言の内義を啓き、天界の密意を現はし給ふといふにあるは明白なるべし。

 とあります。

 ご覧の通り、聖師は霊界物語第42巻において神諭としているのは、スウェーデンボルグ神学での聖書の【聖言】を置き換えたものです。これは明らかに【大本神諭】ではありません。それも、この文の前半には、

【ゆゑに神諭は、普通の知識や学問の力では、たうてい真解さるるものではない。是すなはち神聖なる神諭たる所以である。】

 と強い論調が見え、 さらには、

【目下の婆羅門教徒もウラル教徒もまた三五教徒も、ほとんど全部知るものなしと謂(い)つても良(よ)いくらゐだ。実に宣伝使の職にあるものすら、神諭のわが解釈を否(いな)まむとする者ばかりだ。】

 と批評されるように、三五教、バラモン教、ウラル教という正邪を含めた宗教界全体がこの重大なことに気付いていないとして厳しく警鐘を発する文が見られています。スウェーデンボルグ神学、【天界と地獄】でも同様で、 

 是等の事は総て聖言の中にしるさるれども、今時の教会者流はすべて之をしらず。実に教会の中に生まれたるものすら此事を否まんとするもの少なからず。其心に思へらく、「何者か能く彼の世より来りて是等の事を語れるぞ」と。此の如き非理を肯ふもの特に世智に長けたる人々の中に多きを見る。其毒の或は真率純真の人に及び、遂にその壊乱を来たすことなきを圖らざるが故に、われは過去十三年の間、天人と相変り、之と相語ふこと、猶人間の如くなるを許され、又親しく天界にある諸事件、及び地獄の模様をも見るを許されたり。而してわが今これらの見たる所、聞きたる所を書き記すは、世の無明を照らし破り、不信を除き去らんがためなり。今日此の如き直下の黙示ある所以は、是れ即ち主の来降を義とするものとす。

 とあります。【教会】と天界と地獄で記されていますが、霊界物語ではこの部分が【三五教】【ウラル教】【バラモン教】に置き換えられています。
 霊界物語では大本神諭を尊重するような語調としながらも、実は聖書を支持する文意を表わしていました。聖書をあまり知らない人たちがこの霊界物語第42巻を見ても中々気付けないと思います。まして、これはスウェーデンボルグ神学なのですから、普通では分かるはずがありません
 王仁三郎のこの措置は非常に重要な意味を成しているといえるでしょう。神諭とは、通常大本では【大本神諭】が当たり前でした。しかし、もう一つ、【神諭】として聖書の聖言を紹介したということであれば、それは何らかの意図があったはずです。
 この霊界物語第42巻第1章にある北光の神の言葉の最後には、

例へ神諭に天地が覆へると示してあつても、泥海になるとあつても、人間が三分になると示されてあつても、眩舞が来るとあつても、決して之を文字其儘に解すべきものでない。凡て内義的、神界的、心霊的に解すべきものである。さうで無くては、却て天下に大なる害毒を流布し、神慮を悩ませ奉る事になるものである事を承知せなくてならぬと思ふ。併し乍ら、是は北光一家の私言だ。脱線して居るかも知れぬ、アハヽヽヽ

 とありますが、この部分からはマタイの福音書ではなく、大本神諭に触れています。このポイントは非常に注目すべきところです。北光の神は聖書、マタイの福音書にある【聖言】を天界の秘儀として説明していたにも関わらず、いきなり大本神諭の問題にシフトしています。それも説明の流れは一定であり、その流れの中で一息おいたりすることなく突如、聖書から大本神諭に話題が切り替わっています。これはあまりにも不自然です。また、セーラン王の北光の神に対する質問には、

 瑞の御霊の御神示の中に、世の終りの来る時は其日の患難の後、直ちに日は暗く月は光を失ひ、星は空より墜ち、天の勢ひ震ふべし。其時、人の子の徴天にあらはる。又地上にある諸族は哭き哀しみ、且つ人の子の権威と大なる栄光とを以て天の雲に乗り来るを見む。又その使等を遣はし、ラツパの大なる声を出さしめて、天の彼の極みより此の極みまで、四方より其選ばれし者を集むべし……とあるのは、其言葉の通りに解すれば如何なもので御座りませうか、文字通りに解すべきものとすれば、最後の神の審判と云はれてある世界終焉の時に、是等の恐るべき事件が出現すると見なくてはなりませぬなあ

 とありますから、ここで質問されているのはあくまでも【瑞霊による神示】であるマタイの福音書の記述についてです。厳の神示、【大本神諭】について質問しているのではありません。

 ここで少しまとめます。北光の神の話の流れは聖書、マタイの福音書から始まっています。セーラン王も大本神諭ではなく、瑞霊の神示の霊的秘儀を北光の神に質問していました。その流れの中で王仁三郎は天界と地獄で記載されていた【聖言】の文字を【神諭】と置き換えて物語に投入し、スウェーデンボルグが聖書の【聖言】の霊的秘儀を説明していた部分を北光の神は説示していたにも関わらず、突如、話は大本神諭へとシフトしていった。

 非常に巧妙な方法だと思います。大本神諭は既に出口王仁三郎著【道之大本】において退けられました。また、霊界物語でも開祖出口直の意志想念を洞察するによって、大きくその信憑性が欠如していることは先の論文【神諭の疑義 (中)】で論証した通りです。この霊界物語第42巻においてこのような方法が執られるというのは、大本神諭を賛美しているように見せかけて、実は【聖書】こそが真の神諭となりえると王仁三郎はアピールしたかったのではないかと思われます。
 この章で北光の神がセーラン王に説明していたのは、あくまでも【マタイの福音書】であり、内容はスウェーデンボルグ神学【天界と地獄】です。少なくとも大本神諭ではありません
。大本神諭と聖書はなんら共通点がなく、書かれ方もまるで違うものです。両者は明らかに異質であり、同質として取り扱うことはできません。
 また、大本神諭に霊的秘儀があるなら、大本神諭から引用抜粋し、その字句にある霊的秘儀を王仁三郎が説明すれば事足りることであって、わざわざ聖書を引用して大本神諭を称賛するような手法では非常にややこしく、手間がかかりすぎます。また、分かりにくいものがあります。当時、霊界物語と並んで尊重されてきた大本神諭を称賛するにはあまりにも遠まわしで湾曲しすぎており、ストレートではありません。
 
 北光神は、

 併し乍ら、是は北光一家の私言だ。脱線して居るかも知れぬ、アハヽヽヽ

 とセーラン王に対する教説の末尾に上記の言葉を残していますが、彼自身が言うように北光神の説明は話の筋として明らかに脱線しています。王仁三郎は自己の記述に矛盾があることを既に分かっていた上でこのような表記をしたのでしょう。上記の北光神のセリフはそれを象徴しているのではないかと考えられます。
 このような手の込んだ手法がある以上、それは大本神諭を支持したのではなく、聖書の聖言をこのような形で表に出したかったのではないかという王仁三郎の意図が考えられます。 
 王仁三郎は天界の情景と霊主体従の理念そのものをスウェーデンボルグ神学から応用しており、スウェーデンボルグは【聖書】の真解を著述しています。王仁三郎は【山上の遺訓】すら十分ではないとし、開祖の筆先も純然たる教典ではない。と位置づけながらもこの観点から見ると、より神の真理に近く真の【神諭】となるものは、【大本神諭】ではなく、まさに【聖書】であるといえます
 霊界物語第42巻第1章に記されたマタイの福音書24章第29~31節からの引用は新訳聖書、【ヨハネ黙示録】に、旧約聖書からはエゼキエル書に、また、ヨエル書、イザヤ、ゼパニア書にも同様の文章を見ることが出来ます。その中でもヨハネ黙示録に見られる霊的意義をベースにこれらの聖言のアルカナ(秘儀)を見ていきたいとおもいます。

●ヨハネの黙示録 第8章 第12節
 第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。

●エゼキエル書 第32章第7節
 あなたが滅び去るとき、
 わたしは空をおおい、
 星を暗くし、
 太陽を雲で隠し、月に光を放たせない。

●スウェーデンボルグ著 黙示録講解 静思社 p435
 五二三 一二節
 「第四の天使は鳴らした。すると陽の三分の一は打たれ、月の三分の一と諸星の三分の一は打たれ、それらの三分の一は暗くなり、日はその三分の一は輝かず、夜も同じく輝かなかった」。十二。
『第四の天使は音を立てた〔ラッパを鳴らした〕』は、天界から注がれた流入とその結果発した第四の変化を意味し、(五二四番)、『陽の三分の一は打たれ、月の三分の一も諸星の三分の一も打たれた』は、愛の凡ゆる善と真理、とにかかわる凡ゆる知識は死滅したことを意味し(五二五番)、『その三分の一は暗くなった』は、凡てこれらのものは悪の誤謬に、誤謬の悪に変化したことを意味し(五二六番)、『日はその三分は輝かない、夜も同じく輝かない』は、真理の霊的な光と真理の自然的な光は完全に消滅したことを意味している(五二七番)。

 五二四 一二節 「第四の天使は音を立てた」は、天界からの流入とその結果発生した第四の変化とを意味している(前の五六二番とそれにつづくものとを参照されたい。)
 
 五二五 「陽の三分の一は打たれた、月の三分の一も、諸星の三分の一も打たれた」は愛の凡ゆる善は、信仰の善と真理とはことごとく、善と真理に関わる知識はことごとく死滅してしまったことを意味している。これは以下から明白である。すなわち、『三分の一』の意義は凡てのものであり、(前の五〇六番を参照)、『陽』の意義は主から発する愛の善であり、『月』の意義は主から発した信仰の善と真理であり(前の四〇一番イからチまで)、『星』の意義は、同じく主から発している善と真理とにかかわる知識であり(前の七二、四〇二番を参照)、『打たれること』の意義は、それが愛と信仰との諸善と善と真理とにかかわる諸知識に言及しているときは、死滅することである。このことは『陽の三分の一、月の三分の一、諸星の三分の一』は、愛の凡ゆる善が、信仰の善と真理とのことごとくが、善と真理とにかかわる知識のことごとくが死滅してしまったことを明白にしている。『陽、月、諸星』によりわたしたちの太陽系の世界の中で人間の目の前に現われている陽、月、諸星がこに意味されてはいないで、霊界における天使たちの前に現われている陽、月、諸星が意味されているのである。なぜなら主はそこでは、主から発した主に対する愛の善の中にいる者たちの前には陽として現われ、信仰の善と真理との中にいる者たちの前には月として現われておられるからであり、このことが『陽』は愛の善を、『月』は信仰の善と真理とを意味している理由である。ヨハネに現われたものは明らかにその陽、月、その諸星であったのである。かれはそれらを見たときは霊の中にいたためである。(主は天使たちの諸天界の中では陽として、また月として現われたもうていることは「天界と地獄」、一一六-一二五番の中に見ることができよう)。これらのものが打たれたと言われていることは外観から発している、なぜなら人間のもとに愛の善と信仰の善と真理とがもはや存在しないときは、それらはもはや存在しないし、死滅してしまっているとその者には見えるのであり、聖言は文字の意味では外観(目に見えること)に応じて記されているのである。
 五二六イ 〔その三分の一は暗くなった〕は、これらは凡て悪の誤謬に、誤謬の悪に変化したことを意味している。これは『暗黒(暗い)』の意義が誤謬であることから明白であり、かくて『暗くなること』は誤謬に変ることを意味している。それは悪の誤謬のみでなく、誤謬の悪にも変化することを意味しているのは『陽の三分の一は暗くなり、月の三分の一も、諸星の三分の一も暗くなった』と言われているためであり、『陽』は愛の善を『月』は信仰の善と真理とを、『諸星』は善と真理とにかかわる知識を意味しており、それで『陽は三分の一は暗くなった』は愛の善は悪に、悪から発した誤謬に変化したことを意味し、悪から発した誤謬は悪の誤謬である、なぜなら、善は悪に、悪から発した誤謬に変化するが、しかし、『月』により意味されている信仰の真理は誤謬に、そこから発する悪に変化し、それは誤謬の悪であるからである。誤謬の悪は教義の誤謬であり、そこから生命の悪が発し、悪の誤謬は生命の悪であり、そこから教義の誤謬が生まれるのである。(二)暗黒が誤謬を意味するのは光は真理を意味するためであり、暗黒は光に対立しているものであるように、誤謬は真理に対立しているものであり、さらに、神的な真理である生命の光が人間のもとに存在しないときは、死の蔭が人間のもとに在り、それは誤謬である。なぜなら人間は人間自身のものであるものからは凡ゆる悪の中に、悪から発した誤謬の中におり、これらのものからは単に教会の真理によってのみ遠ざかるからであり、従って真理の無い所には悪の誤謬が在るのである。(人間があくから遠ざけられ、清められ、改良されるのは真理によってのみ行われることは「新しいエルサレムの教義」、二四番を参照されたい。(三)『暗黒』は聖言においては色々な種類の誤謬を意味していることは以下の記事から認めることかできよう。ヨエル書には--

 エホバのおおいなる、恐るべき日が来る前には、陽は暗黒に、月は血に変わるであろう(二、三一)。
『陽は暗黒に、月は血に変るであろう』は『陽の三分の一と月の三分の一とは暗くなった』と同じような意義をもっている、すなわち、教会の終りには愛の善に代って悪の誤謬が在り、信仰の真理に代って誤謬の悪が在ることを意味している。(四)陽と月が暗くなることが話されている聖言の他の所にも同じような意義が在り、例えばイザヤ書には--
 
 諸天の諸星とその星宿はその光を輝かさず、陽は登るさいに暗くなり、月はその光を輝かさないからである(十三・一〇、二四・二一、二三)。
 
 エゼキエル書には--

 わたしがおまえを消し去るときは、わたしは諸天をおおい、その諸星を暗くしよう、わたしは陽を雲でおおい、月はその光が輝かさないであろう、諸天の光の光体をわたしはおまえの上一面に暗くしよう、わたしはおまえの地の上に暗黒をおこう(三二・七、八)。

 ヨエル書には--

 エホバの日は来る、暗黒と暗闇の日、雲と不明との日。エホバの前に地は震え、陽と月とは暗くなり、星はその輝きを失った(二・一、二、一〇)。
 
 福音書には--

 その日々の苦悶の後に直ちに陽は暗くなり、月はその光を放たず、諸星は天から落ちるであろう(マタイ二四・二九、マルコ十三・二四、二五)。

 これは教会の最後の時について言われており、その時にはもはやいかような霊的な善も、または真理もなく、または天界と教会との善と真理とはなく、悪と誤謬とが存在するのである。愛の諸善と信仰の諸真理と呼ばれる教会の諸善と諸真理とは悪と誤謬に変化することは『陽と月とは漠然とし、暗くなり、星はその光を与えないであろう』により意味され、そのときつづいて起る最後の審判は『大いなる、恐るべきエホバの日』 により意味され、このことは教会が暗黒と暗闇との中に在るとき来たため、その日はまた以下の記事におけるように、『暗黒と暗闇の日』と呼ばれ、また『霊の不明の日』とも呼ばれている。(五)アモス書には--

 エホバの日を求める者らはわざわいなるかな。エホバの日はあなたは何であるか。それは暗黒であって、光ではない。エホバの日は暗黒ではないのか、光がないときではないか。暗闇ですらあり、それらは何らの輝きもないのではないか(五・十八、二〇)

 ゼパニア書には--
 
 エホバの日、荒廃と剥奪の日、暗闇との日、雲と陰うつの日(一・十四、十五)。
 
 イザヤ書には--

 かの日かれはその地を眺めるであろう、見よ、それは暗黒と苦悩であり、光はその廃墟には暗くなるであろう(五・三〇)

 同書に--

 見よ、暗黒は地をおおい、暗闇は民をおおう(六○・二)。
 
 エレミア記には--
 
 エホバが暗黒を生み出される前に、あなたらの足がうす明りの山々の上によろめく前に、あなたらの神エホバに栄光をささげまつれよ、そのときはあなたらは光を探し求めるであろう、しかし、エホバはそれを死の蔭に変えられるであろう、エホバはそれを暗闇にされるであろう(十三・十六)。
  
 これは、主が世に来られて、審判が行われねばならない教会の最後の時について言われており、そのときにはもはや愛の善はまたは信仰の真理は何ら存在しないで、誤謬の悪と悪の誤謬とが存在するため、その日は『暗黒の、暗闇の日』と呼ばれている(六)同じことが以下によっても意味されている--

 主が十字架にかけられたもうたとき、第六時から第九時に至る迄全地にあまねく臨んだ暗黒(マタイ二七・四五、マルコ十五・三三、ルカ二三・四四-四九)。

 『全地をおおた暗黒』は全教会の中には悪とそこ発した誤謬以外には何一つなかったことを、誤謬とそこから発した悪以外には何一つなかったことを表象し、さらに、三時間は充分な完全なものを意味している。なぜなら主の受苦について福音書に述べられている凡ゆる物はその中に天界のアルカナを貯えていて、神的な天的な事柄を意味しており、それは内なる霊的な意味によってのみ明らさまにされることができるからである。

 北光の神が説示したマタイの福音書第24章29~31節は聖書に記載される他の文章にも同様の霊的意義が施されていることに気付きます。旧約聖書、新約聖書の分別を超えてこれらは皆共通して意義をなし、また、【聖言】として記されていることに着眼していきますと、マタイの福音書が【瑞の神示】であるなら、他の書も同じくして瑞の神示ということになります。スウェーデンボルグが指し示した霊的意義はこのような形で黙示録をベースとしながらも聖書全体にある霊的秘儀を解説し、聖言の字句とそれによって組み立てられた文章構成によりこれらは全て連結されていますから、この点から事実上、聖書そのものが【瑞の神示】という帰結になります。

 ヨハネの福音書 第1章に記されてある内容は、天祥地瑞に記される【宇宙開闢】を示しているという点で共通しています。スウェーデンボルグ著、新エルサレムと聖書の教義(ラテン語原典訳 アルカナ出版より抜粋)には次のように記されてあります。

『ヨハネ福音書にあります。
【初めに<みことば>は神のもとにあった。<みことば>は神のもとにあった。神は<みことば>であった。その中に<いのち>があった。<いのち>は人の光であった。】(ヨハネの福音書 第1章1~3節

 ここで、<みことば>とは、神の真理の面での主をあらわします。その中にこそ、<いのち>と光があります。したがって、<みことば>は主のみ力によるもの、主ご自身ですが、それがため、【活ける水の泉】と言われています。』

鈴木大拙訳、天界と地獄では聖書の言葉を【聖言】と表現したことに対して、アルカナ出版、天界と地獄では、<みことば>として翻訳されてあります。) 

 この文には、【<みことば>とは、神の真理の面での主】という表記があります。王仁三郎は主神が顕現する天界は天国ではなく、天界の中でも【霊国】であると【霊の礎】で述べています。

●霊の礎 
 高天原の主神より  任さし給ひし宣伝使は
 自ら説法の才能あり  霊国以外の天人は
 神の家にて説くを得ず  而して神の宣伝使は
 祭司となるを許されず  神の祭祀を行ふは
 天国人の所業にて  霊国人の職ならず
 その故如何と尋ぬれば  高天原の神界の
 祭司を行ふ職掌は  天国に住む天人の
 惟神の神業なればなり  そもそも祭司の神業は
 霊国に坐す主の神の  愛の御徳に酬ゆべく
 奉仕し尽す為ぞかし  高天原の天界(神界)の
 主権を有すは霊国ぞ  善より来たる真徳を
 義として真に居ればなり  高天原の最奥に
 おける説示は証覚の  極度に達し中天の
 説示は最下の天国の  説示に比して智慧に充つ
 如何となれば天人の  智覚に応じて説けばなり
 説示の主眼要点は  何れも主神の具へたる
 神的人格を各人が  承認すべく教へ行く
 事を除けば何もなし  之を思へば現界の
 宣伝使また主の神の  神格威厳を外にして
 説示すること無かるべし  アヽ惟神々々
 高天原の天界の  主神の愛とその真に
 歓喜し恭まひ奉る。
 
 天祥地瑞は霊国の世界を記述したとされ、霊国は真理をベースとした天界であることが【霊界物語】、【天界と地獄】ともに記されてあり、双方共に宇宙開闢でのルーツの説明をしている点で、まさに両者は共通しているということが言えます。これはつまり、霊界物語内において聖書を【神諭】と表現し、スウェーデンボルグ神学を通した聖書を重要視する形はここに整合性として合致するものになります。
 それは、天界の【言霊】として記される文献が【聖書】である以上は、聖書こそ本来、拝読すべき【神諭】であり、正邪、真偽すらも十分に判別できない【大本神諭】は神諭として正しく該当しないという結論に達すると思われます

 エマニュエル・スウェーデンボルグ著【新エルサレムと聖書の教義】には、次のような表記があります。

 <みことば>がなければ、だれも神を 知ることはないし、天界と地獄、死後の<いのち>を知ることもなく、まして主を信じることはない。

 とされ、さらに、 

 <みことば>はただ、主ご自身についてしるされたもので、<みことば>によって、主はすべての中でのすべてにましまし、だからこそ、<みことば>と呼ばれているからです。

 とあり、

 教会はたとえ相対的に少数の人たちから成り立っていたとしても、<みことば>があるところに教会が存在するだけで十分です。それが全世界のどこであっても、主は<みことば>を通して臨在されるからです。<みことば>を通して人類は天界と結ばれます。

 と記されてあります。

 これは王仁三郎が霊界物語で、【言霊】を神そのものとして表しているという理念に直結します。さらには【<みことば>(聖言)】は天界における相応の理によって記されています。【聖書】は天界の【言霊】で記された文献である以上、霊界物語の示す霊的意義と共通します。
 また、霊界物語で記される言葉として、【一四四キューピット】という記載があります。下記に表示します。

●霊界物語第41巻 第18章 替へ玉
 イルナ城の奥の間には黄金姫、清照姫、セーリス姫の三人が首を鳩めて姦しく喋々喃々と論戦を戦はして居る。
セーリス『あのまア、清照姫様のお美しい事、ヤスダラ姫様そつくりですわ。ようまアお顔も御覧になつたことがないのに、それ程似るやうに造れましたねえ』
『照山峠の麓でお目にかかつたのですよ。其時のお顔を記憶に止めて居て作つたのですから、写真に取つたやうなものですわ。何事も新しい女の覇張る世の中ですから、清照姫もどうやら新しいヤスダラ姫様になつて仕舞ひました。オホヽヽヽヽ』
『併し、新しい世の中が建設されるとか、されたとか、三五教では仰有るぢや厶いませぬか』
 黄金姫はしたり顔にて答ふ。
『新しき天と新しき地とが今度は三五教の神力によつて現はれるのですよ。今迄の天と今迄の地は既に過ぎ去つた今日です。是から聖城なる新しきヱルサレムが地に下り、国治立尊が降り給うて天下万民も亦新しく生き返らせ給ふ時代に近づいたのです。ヱルサレムの城は四方になつて居て長さと幅と同一です。木花姫命様が天教山より出雲姫命を遣はし給うて、竿を以てエルサレムの城を測量させられた所が一万二千フアーロングあるといふことです。城の長さも広さも高さも皆相等しく、其石垣は百四十四キユーピツトあつて、碧玉にて石垣を築き、其城は清らかな玻璃の如き純金で造り、城の石垣の礎は各様々の宝石で飾られてあります。十二の門は十二の真珠で造られ、透き徹る様な黄金造りの建物ばかりで目も眩ゆきばかりであります』
 セーリス姫は驚いて、
『新しい天や新しい地が現はれるとはソリヤ大変な事ぢやありませぬか。地異天変も爰に到つて極まれりと謂ふべしですな』
『新しき天地とは新しき教会のことで、要するに埴安彦、埴安姫の神様が三五教の道場をお開き遊ばしたことを指して謂ふのですワ』
『天より下り来るエルサレム城といふことは全体何をいふのでせうか』
『救世主神埴安彦の神の示し給ふ所の天地の誠、三五教の教説のことであります』
『その長さ広さ高さ相等しくして各一万二千フアーロングあると仰有つたのは、如何なる意味で厶いますか』
『三五教の教説中の真と善と美とを合一して言つたのです。又城の石垣といふのは此教を守護し宣伝する神司のことです。百四十四キユーピツトあるとは三五教の真と善と美の三相を悉く挙げて称讃したもので、宣伝使たるものの純良なる性相を言つたのです。又真珠より成つた十二の門とは能道の真を言つたのです。宝石より成れる石垣の礎といふのも彼の説教を聞いて立つ所の諸々の知識を云ふのであります。城を造れる清く透れる玻璃に似たる黄金とは至仁至愛の徳を指して言つたのです。教説と其真と善と美は愛の力に由つて倍々透明となるものですからなア』
『さうすると「天地が逆様になるぞよ」といふ三五教の御神諭も矢張右の式で解釈すれば宜いのですかなア』
『三五教の宣伝使や幹部の中には今でも天と地とが現実的に顛覆するやうに思つて居る人々もあり、御経綸の霊地に真珠の十二の門が現実的に建つ様に思つて居る人々があるのだから、それで困るのですよ。セーリス姫様も矢張さう思つて居られませうなア』
『ヘイヘイ、最も現実に立派な宮が建つたり、お城が築造されるものだと、思つて居ましたワ』
『現実的にソンナ立派な宮を建てようものなら、忽ちウラルやバラモンから睨まれて叩き潰されて了ひますぞや。オホヽヽヽ』
『オホヽヽヽ』
『本当に神様の教といふものは六ケ敷いもののやうな易いものですなア。何故コンナ事が肝腎の幹部の連中さまに解らなかつたのでせうかなア、お母さま』
『是も時世時節だから仕方がありませぬわ、アーアー』
『かうして、清照姫様のヤスダラ姫は出来上りましたが、右守はもう来さうなものですなア。ユーフテスも何を愚図々々して居るのでせうか』

 この章に記載される【百四十四キユーピツト】ですが聖書からの引用です。黄金姫は【聖言】の秘儀が分かっていたようであり、セーリス姫に説示しています。また、これは聖書、【ヨハネ黙示録】である可能性があります。この章では聖書の聖言を解説した後に聖言の秘儀と立て分けてセーリス姫は【大本神諭】について黄金姫に質問しています。黄金姫は神諭にある記載を聖書と同意義で文字通り解釈するべきではないと語りますが、実際、大本神諭のベースとなる筆先には【火の雨が降るぞよ】とありました。火の雨とは太平洋戦争末期、本土空襲で使われた焼夷弾(あるいは原爆)である示唆が出口王仁三郎の【吉岡発言】でみられます。

●吉岡発言
 自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。「火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ」のお告げも、実際となって日本は敗けた。

 とあるように、火の雨は現実化されているもので、聖書の文字にある秘儀、【表象】とは大きく質が異なっています。聖言にみられる火の意義とはスウェーデンボルグ神学では【天的愛の善】を意味し、また、天界の愛を表象しています。逆の意義では悪を表象します。このように質が異なっている以上、大本神諭と聖書では双方に関係性を見出すことはできませんから、黄金姫の言うように同意義的に説明がされていたとしても、聖書の聖言と同じものであるかのように解釈することは出来ません。大本神諭にはヨハネ黙示録と共通する字句がこれ以外にもいくつかありますが、大本神諭にある文章構成をみるにおいて、これらをスウェーデンボルグ神学と比較検証すると【火】の場合と同様、意味がまるで違うものになることがわかっています。

●新月の光 下 八幡書店発行 p277
○お筆先をあわせぬために
 王仁が出たのはお筆先をあわせぬようにするためである。お筆先があたってたまるものか。
(昭和二十年)

 また、上記のように王仁三郎は語りますが、昭和20年となりますと終戦の時期であるわけですが、火の雨や地震雷が起こると警告していた艮の金神の宣言を外すために王仁三郎が世に出てきたのであるなら、これはスウェーデンボルグ神学で解説されていた聖言とは全く異質であることがわかります。聖言とは神から与えられた愛善と信真であり、神諭で見られるような単純な予言や警告ではありません。筆先にあった予言を外すことができるなら、その時点で筆先の存在意義はなくなるのですから存在意義がなくなった筆先は切り捨てることが出来ます。切り捨てることが出来るなら、それは聖言ではありません。

●霊界物語第48巻第12章 西王母
 治国別、竜公両人は言霊別命の案内によつて第一天国の或個所に漸く着いた。此処には得も云はれぬ荘厳を極めた宮殿が立つてゐる。これは日の大神の永久に鎮まります都率天の天国紫微宮であつて、神道家の所謂日の若宮である。智慧と証覚と愛の善と信の真に充されたる数多の天人は此宮殿の前の広庭に列をなし、言霊別一行の上り来るを歓喜の情を以て迎へて居たのである。言霊別命は遥か此方より此光景を指さし、
『治国別様、あの前に金色燦然として輝いてゐるのは、エルサレムで厶ります。さうしてあの通り巨大なる石垣を以て造り固められ、数百キユーピツトの城壁を囲らしてあるのを御覧なさいませ』
『ハイ、有難う厶ります、如何したものか吾々は円満の度が欠けて居りまするために、エルサレムは何処だか、石垣は何処にあるか、城壁の高さも分りませぬ。只私の目に映ずるのは赫灼たる光と天人の姿が幽かに見ゆるばかりです。さうしてエルサレムとか仰有りましたが、それは小亜細亜の土耳古にある聖地では厶りませぬか』
『エルサレムの宮とは大神様の御教を伝ふる聖場の意味であります。又高き処の意味であつて即ち最高天界の中心を云ふのです。石垣と申すのは即ち虚偽と罪悪との襲来を防ぐ為の神真其ものであります。度と申すのは性相其ものであつて、聖言に云ふ、人とは凡ての真と善徳とを悉く具有するものの謂であります。即ち人間の内分に天界を有するものを人と云ひ、天界を有せないものを人獣と云ふのです。ここには決して人なる天人はあつても現界の如き人獣は居りませぬ。然し私が今人獣と云つたのは霊的方面から云つたのです。凡て神の坐します聖場及び其御教を伝ふる聖場を指して貴の都と云ひ、或はエルサレムの宮と云ふのです』
『さう致しますと、現界に於けるウブスナ山の斎苑館を始め、黄金山、霊鷲山、綾の聖地及び天教山、地教山、万寿山其他の聖地は凡て天国であり、エルサレムの宮と云ふのですか』
『さうです、実に神格によつて円満なる団体の作られたものは凡てエルサレムとも云ひ、地上に於ては地の高天原と称ふべきものです。地上の世界は要するに高天原の移写ですから、地上にある中に高天原の団体に籍をおいておかなくては、霊相応の道理順序に背いては、死後天国の生涯を送る事は出来ませぬ。サア之より最奥天国の中心点、大神の御舎に御案内致しませう』

 この章でも同様であり、キユーピツトの記載があります。この記載は非常に重要であり、スウェーデンボルグ神学からその意義を参考にします。

●アルカナ出版 エマヌエル・スヴェーデンボルイ著【天界の秘儀】第1巻
646.第15節:それを次のように造りなさい。箱舟の長さは三百キュピト、その幅は五十キュピト、その高さは三十キュピトとしなさい。(旧約聖書 創世記第6章15節)

 ここでの数は前述したように、少量の残果を示します。「長さ」は、残果の聖性を、「幅」は残果の真理を、「高さ」は残果の善を意味します。

647. 以上の数が意味とすることは、だれにとっても異様で縁遠いように思われます。例えば、数の「三百」「五十」「三十」などは、少量の残果を示すとか、「長さ」「幅」「高さ」が聖性、真理、善を表すなどです。ただし、本章の第3節で数について述べ、そこで「百二十」は信仰の残果を意味すると言いましたが、それ以外に、だれにとっても分かるのは次のことです。
 内的意味の中に浸っている善霊や天使たちは、万事、地上のもの・物的なもの・単に現世的なもの、さらに、万事、数にかかわるもの、寸法にかかわるものの外にあって、また全く抽象された状態で、主によって<みことば>を充分に感じ取るように導かれています。
 それが真実ですから、以上の数が霊的なもの・天的なものを含み持っているのは明らかです。これらは文字上の意味からかけ離れており、個々全体にわたって、天的なもの・霊的なものとしては決して見えてきません。ですから人が理解前には信じないで、感覚的・科学知的手段で、信仰的事柄を探求することが、いかに狂気じみたことであるか分かります。

648.<みことば>での数や寸法は、天的なもの、霊的なものを意味し、さらにそれがはっきりするのは、ヨハネの黙示録とエゼキエル書にある「新しいエルサレム」や「新しい神殿」が、天界と地上における主のみ国を意味しています。同時に、天界と地上における主のみ国は、地上の寸法で測れないにもかかわらず、長さ、幅、高さといった数的次元で示されています。結論として言えることは、数や寸法は、聖なるものを意味していることで、次のようにヨハネが記しています。
 「それからわたしは、杖のような測り竿を与えられたが、天使が近づいてきてわたしに言った。『さあ立って、神の神殿と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。』と」(黙示11・1)
新しいエルサレムについては、
「それには大きな高い城壁があって、十二の門があり、その門の上には、十二人の天使がおり、イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書かれていた。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また都の城壁には、十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。わたしと語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために、金の測り竿を持っていた。都は方形であって、その長さと幅と高さとは、いずれも同じであった。また城壁を測ると、百四十四キュピトでああった。これは人の、すなわち天使の寸法による」(黙示21・12-17)

 いずれの箇所でも、十二という数が出てくると、これは最も聖なる数で、信仰の聖なるものを意味していることは、本章の第3節で示しました。また創世記第29、30章については、神なる主の慈しみに頼って、いずれ述べることにします。ここにはこの寸法について、「これは人の、すなわち天使の寸法による」と付け加えられています。同じように、エゼキエル書には、新しい神殿と新しいエルサレムについて記され、そこにも寸法が記されています。(エゼキエル40・3.5.7.9.11.13.14.22.25.30.36.42.47;41・1-終わり;42・5-15、ゼカリア2・1、2参照)。以上の数は、それ自身として見るとき、意味はありませんが、その数から抽象された場合、天的聖性と霊的聖性を意味します。箱舟の三次元を表す数(出エジプト25・10参照)や、贖罪所、金のテーブル、住居、祭壇、その他も同じです。(出エジプト25・17、23;26;27・1参照)。そして神殿の数と諸次元も同様で(列王上6・2、3)、その他にも種々あります。

 このようにして聖書の聖言は霊界物語では特に天界にある秘儀としてスウェーデンボルグ神学を重要視しており、聖書の重要性はますます高まってくると思われます。
 イエス・キリストの火の洗礼が充分ではないとし、霊界物語こそが真の火の洗礼であるとした王仁三郎。しかし、霊界物語に記される記述を見ていると、その関係性は聖書にみられるイエスの火の洗礼を払拭するのではなく、統合してさらに昇華した様子が見られています。瑞の神示たる聖書は霊界物語を通して最大限にその光明を放つのでしょう。 
 出口王仁三郎の信仰観とは古神道をベースにしながらも、実は聖書、スウェーデンボルグ神学が大きくウェイトを占めていることがわかります

 霊界物語と神諭は常にセットとして表現されていました。しかし、本当の【神諭】が【聖書】だったということは、霊界物語と聖書を拝読して後、神の臨在する天界の扉は開かれ、本当の愛善と信真を接受することができるのではないでしょうか。”


「各自はその自由意志によつて、自ら選んで天国に入り、或は自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念の如何によるのである。」
人間が自分の意志で天国に行くか地獄に行くかが決まるという、バチカンが怒り狂いそうな思想は完全にスウェーデンボルグの思想と同じ

出口王仁三郎の『霊界物語』にスウェーデンボルグが北光天使=天の目一箇神として登場。
高橋和夫『スウェーデンボルグの思想―科学から神秘世界へ』、『スウェーデンボルグの惑星の霊界探訪記』。
火星人はクリスチャン(笑)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
”ボルグは、霊界にて、悪人から表面的な善が、善人から表面的な悪が剥がされて内部が明らかになる過程を「剝脱」と呼ぶ。霊となった人間は自由意志で一番居心地のよい場所を求める。
「優勢となった愛」がつき動かす自由によって、善人は天界へ、悪人は地獄へと向かうのである。この過程に関与する唯一の者は自分自身であり、地獄に落とす審判者もないし、教条的信仰や絶対者もいない。

(これってキリスト教の最後の審判の否定
だよね。ボルグは「最後の審判」と呼ばれる大異変を、1757年 霊界で「目撃」したらしいけど)

・ボルグいわく、天界と地獄は場所ではなく生命の「状態」。
この世の人間には天界と地獄から霊的な流入がある。
(…)
地獄にはサタン、悪魔がいない。ボルグは、地上に人間として生まれなかったどんな神話的存在も、霊界の存在として認めない。霊となった人間の「自己愛」と「世俗愛」という霊的に転倒した生命こそが地獄を生み出す。
地獄の霊たちは強制的に閉じ込められているのではなく、自分で好んで地獄に落ち付き、最も居心地がよいと思っている。霊界では「優勢となった愛」がいつも彼らを内部からつきうごかしている
からである。
なお、地獄にいる霊も天界にいけるので、普通のキリスト教でいう永遠の地獄は存在しない
地獄の火とは自己愛や世俗愛に源を発する欲望と快感のこと。

・ボルグの教説の一つに、人間は、自らによるものとして自分の力で悪を避け善をなさねばならないが、それでも善は自分自身に由来せず、神にのみ由来することを信じなくてはいけない、というものがある。絶対自力でも絶対他力でもない。

人間それ自身には本来的に生命はなく、人間はただ神からの生命の受容体、器である。
神のみが生命。
(スピリチュアルの特徴が肉体は魂の入れもの=肉体軽視


・人間は常に有限で不完全なので、新生のプロセスはこの世でもあの世でも永遠に続き、これで完全無欠になったという状態はない。
ボルグいわく、18世紀半ばの当時のの人々の霊的な状態は、
大半の人々は新生の第一の状態、
若干の人々が第二の状態、
それよりも少ない人々が第三・四・五の状態、
さらにわずかな人々が第六の状態、
第七の状態(天的な人間)に達している人はほとんどいない。
霊的人間と天的人間の差異は、天的原理たる愛と、霊的原理たる信仰のどちらがその人間の中核に座を占めるかの違い。

神智学の霊性進化論の源流。神智学の「根幹人種」は七人種。”


王仁三郎が霊界物語で、【言霊】を神そのものとして表している」
新約聖書のゴッドはロゴス=神は言葉(絶対の真理)、が元ネタですね。
言霊思想は言葉=霊(スピリット)であって、ゴッドではありません。
新約のゴッド=言葉=真理とする思想は、生長の家も受け継いでいます

生長の家は、右寄り(石油屋、聖書原理主義陣営)ですが左右の運営に近い位置にいる上級カルトです。
生長の家は世界聖典普及協会というモロにキリスト教系だとわかる組織を創設しております。
 生長の家の創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、1918年(大正7年)に大本(教)の専従活動家になり、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任しました。
勤務していたヴァキューム・オイル・カンパニー(WASP至上主義陣営)を辞め、文筆活動でニューソート(スウェーデンボルグの影響を受けた新キリスト教)を和風にして布教するために生長の家を創始。
真理の言葉の力(ゴッドのロゴス)による人類光明化(イルミネーション!)運動の実現を目指し、「言葉こそ真理そのものである=ロゴスは真理すなわちゴッド」として「声字(しょうじ)即実相」の真理を説きます。
「人間・神の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」
(宗教統一思想=左。生長の家=右翼という分類は誤り。右「寄り」の胴体)のニューソート流(=スウェーデンボルグ思想を改変)主張し、『生命の實相』という聖典を執筆。本人が書いたかどうか不明。
ニューソートは禁欲を説いたカルヴァン主義への反発から生まれた宗教改革思想であり、カトリックもプロテスタントも否定したスウェーデンボルグの思想は神学の作り直しのお手本になりました。
「言葉は真理」というように言葉を、特に言葉で声を出して説明したり布教するものはキリスト教とギリシャ哲学由来のものです。
本来の日本文化では言葉に出さないことが特徴ですから、偽伝統を見破ることができます。
キリスト教徒の朝鮮半島系の人が日本の伝統を大声で宣伝なんておかしいでしょ?
黙って仏を拝むのが本来の日本人の伝統的信仰


「霊界物語では大本神諭を尊 重するような語調としながらも、実は聖書を支持する文意を表わしていました。聖書をあまり知らない人たちがこの霊界物語第42巻を見ても中々気付けないと 思います。まして、これはスウェーデンボルグ神学なのですから、普通では分かるはずがありません。
 王仁三郎のこの措置は非常に重要な意味を成しているといえるでしょう。神諭とは、通常大本では【大本神諭】が当たり前でした。しかし、もう一つ、【神諭】として聖書の聖言を紹介」
「霊界物語内において聖書を【神諭】と表現し、スウェーデンボルグ神学を通した聖書を重要視」
「天界の【言霊】として記される文献が【聖書】」
「聖書の聖言は霊界物語では特に天界にある秘儀としてスウェーデンボルグ神学を重要視しており、聖書の重要性はますます高まってくる」
「出口王仁三郎の信仰観とは古神道をベースにしながらも、実は聖書、スウェーデンボルグ神学が大きくウェイトを占めている」
以上に気づく為には、
「人間の内分に天界を有するものを人と云ひ、天界を有せないものを人獣と云ふのです。ここには決して人なる天人はあつても現界の如き人獣は居りませぬ。然し私が今人獣と云つたのは霊的方面から云つたのです。」
を読んで、聖書的で神智学的表現だと判定できることが必要で、聖書の知識を日本人の大半が持っていないために騙されてしまいます。和風を偽装すると騙される人が大量発生するからこそ偽装します

大本教の中核は「北光の神なる天の目一つの神」であり、
「北光の神がセーラン王に説明していたのは、あくまでも【マタイの福音書】であり、内容はスウェーデンボルグ神学【天界と地獄】です」ので
北光一家」=北欧イルミネーション・スウェーデンボルグ勢力です。


子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 9月4日
君たちはいつもそうだね。どうして人間は、まどかが変身シーンで△と片目のメイソンサインをしたり、文化庁の背後に伊勢神宮奉賛会(初代会長の佐藤尚武がメーソン)や世界聖典普及協会(生長の家=大本教+紅卍字系)などの神道カルト(和風耶蘇教)やキリスト教団体がいる事実から目を背けるんだい?
マミさんですね。イタリア語はバチカン意識ですね。 ルシファーもキリスト教製ですね。黒幕は理性の権化のQB。 アルバちゃん「僕と契約して世界聖典普及協会(生長の家)に入ってよ!」

なわふみひとカルト思考の弊害
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/369.html
“『それでは、つぎに我が国最高の予言書である「日月神事(ひふみ神事)」に目を通してみましょう。日月神事は、黒住卿、天理教、大本教と続く神道系 の宗教団体の教祖に、リレーするかのように降ろされた神示のアンカーだといわれています。その出現が当時の大本教教祖の出口王仁三郎によって予言され、や はり大本教にかかわっていた岡本天明という人物を通じて自動書記の形で表されたものです。』
前述しましたが出口王仁三郎の予言はカルト詐欺、岡本天明の自動書記(突然神懸かり状態になって手が勝手に動いて書いてしまう)もヤラセであると認識して います。出口王仁三郎はやりたいことを反対されると、「これは神がやれといっている」と強引に押し切っています。岡本天明はその出口王仁三郎の寵児です。 彼は霊媒体質と文才を買われて、出口王仁三郎の代わりに神示を書いています。「神」というのは、何と便利に使われるジョーカ-なのでしょう。
何もかも三分の一じゃ。大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組みじゃ。三分難しいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも助けたさの日夜の苦労であるぞ。

エドはどうしても火の海ぞ。それより外やり方ないと神々申して居られるぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな。世界中一度に唸る時が近づいて来たぞよ。

四つん這いになりて這い回らなならんことになるのざぞ。のたうち回らなならんのざぞ。土にもぐらなならんのざぞ。水くるらなならんのざぞ。人間可哀想なれど、こうすねば鍛えられんのざぞ。この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通してくれよ。

月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の海となるぞ、流れも血ぢゃ。人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。大地震、火の 雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ。天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。』

「暗黒の三日間」の様相が詳しく述べられています。人類もハッキリ二種類に分けられるようです。終末には人類も二極分化をしていくことになりますが、その 人類を待ちかまえるシナリオも「神のシナリオ」と「サタンのシナリオ」の二つが準備されています。さて、私たちはそのどちらを経験することになるのでしょ うか。』

日月神示は、最後の審判を真似ていると思います。

『聖書のなかには、「終末には人の子(救世主)が雲に乗ってやってきて、選ばれた人たちを救済する」というニュアンスのことが書かれています。この「救 済」のことを英語ではRaputureと書き、「空中携挙」と訳されます。ヨハネの黙示録では、救世主が雲の上から「ここに上がってきなさい」と言ってい ますので、「空に引き上げてくれる」というふうに解釈されたのだと思います。しかしながら、これは霊能者であるヨハネが霊視した例会次元での話であって、 この物質世界で雲の上に引き上げることを意味しているのではないと思います。』
♪ラプチャーはアメリカ国民の半数以上がこれを信じていると聞きました。たとえば子供が学校から帰って来て母親の姿が見当たらないと、(あ、ママはラプ チャーされちゃったんだ)と思うのはとりたてて奇異な反応ではない、それくらい洗脳が進んでいるそうです
。そういえば数年前、図書館の新刊コーナーで『ア メリカは成功した上九一色村である』という本の副題を見かけたことがあります。

『私はラプチャーに関しては全く独自に別の見解を持っています。日月神事には「一時は天に引き上げる」という表現があります。しかし「天」というのは「空 の上」ということではなく、「霊界(神界)」のことを言うのです。つまり、これは神次元からの表現であって、人間側には「引き上げる手」は見えないので す。私はこれは俗にいう「神隠し」現象だと考えています。つまり、波動を高めた人に神が懸って、肉体のまま天すなわち神次元の世界へ連れていかれるという ことです。
終末には神の特別措置によって、普通の人でも神の手助けを受けて神霊界に引き上げてもらえるということです。もちろん、その時点で神が懸れるほどに、一定 のレベルまで波動を高めておくことが条件になります。つまり、「光の子」になっておくことが必要なのです。イエスが「眼をさましていなさい」というのはそ のことを言っています。警告とでもいうべきこの言葉は、聖書のなかにたびたび出てきます。波動を高めておくことが、それだけ重要なことなのです。
いずれにしても、聖書と日月神事に全く同じ内容が述べられていることに注目しておきたいと思います。地球が「暗黒の三日間」を迎える前に、波動を高めた人 はすでに別次元に移されていますので、カタストロフィーを経験することはないということでしょう。日月神事の神様が「身魂を磨け」としつこく言われるの は、そのためなのです。』

聖書と日月神事に全く同じ内容が述べられていることは、確かに注目すべき事象です。私見では、日月神示は聖書の黙示録に似せて書くように依頼された請負仕 事です。新約聖書は初期キリスト教徒を殲滅する目的のもとに創作されたもので、その過程で初期福音書が抹殺され、偽造された福音書が取って代わりました。 つまり偽造されたヨハネの黙示録に似せて、日月神事が作成されたということです。その目的が奈辺にあるか想像がつくというものです。

『聖書や我が国の日月神事、大本神論などには、起こる内容と合せて「人類がどう対応すればよいのか」が事細かに述べられています。二〇一二年という年は間 違いなくやってきます。これからさらに多発すると思われる終末現象も、人類にとっては決して心地よいものではないでしょう。そして、その仕上げは「暗黒の 三日間」です。それは備えのない人には恐怖そのものと映るかもしれません。私たちは決して高(ママ)をくくることなく、今からしっかりと心の備えを始めて いきたいと思います。』

♪完全なカルト思想だと思います。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、かつて私も同類の神示にかぶれていました。古代の碑文からキリストの行跡を解明 した本に感銘を受け、キリスト教の欺瞞を証拠づける一資料としてLEGACY OF ASHES様に推薦しました。疑念が湧いた時点で、LEGACY様に はお詫びして白紙撤回を申し入れました。現在は日月神示とキリスト教は、同じ欺瞞に根ざしていると認識しています。重ねて認識不足をお詫びします。

日月神示は完全なヤラセだと思います。岡本天明が突如神懸かりの状態になって書かされた、ということになっていますが、岡本天明はその霊媒体質を見込まれ て人為的に『神懸かり』状態になる訓練を受けています。彼はつとに画家として知られていますが、その実態は出口王仁三郎に寵愛されたゴーストライターで す。
つまり人為的に神懸かり状態になる訓練を受け、かつ出口王仁三郎の神示の代筆をしていた岡本天明が、ある日神社で神懸かり状態になって書いたのが日月神示 です。国常立尊(くにとこたちのみこと)が世界を作ったというのは創世記の、「暗黒の三日間」というのは最後の審判のパクリだと思います。このヤラセ神示 が何を目的に書かれたかというと、世界の終末において日本とイスラエルが手を結ぶべきだと謂わんがためです。日本人とユダヤ民族が同族だというプロパガン ダ
はここから出ていると思われます。私見では上田喜三郎こと出口王仁三郎なる人物は、天皇家及び諜報機関と直結していたと考えています。
完全ガイド版を謳っている中矢伸一『魂の叡智 日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』徳間書店からダイジェストします。中矢伸一氏は日月神示を絶対視する立場にある方なので、私の疑義は♪の部分にさしはさませて頂きます。
明治政府は国民教化策の一環として、とくに十三派を選んで独立を認めます。黒住教、神道修正派、出雲大社教、扶桑教、実行教、神道大成教、神習教、御嶽教、神道本局、禊教、神理教、金光教、天理教の十三派です。大本教はその番外編として捉えることができます。

黒住教、金光教、天理教、大本教の開祖には、強烈な神秘体験が動機となって開教しているという共通項
があります。
♪黒住、金光、天理の神秘体験はいずれも「太陽信仰」から採っているようです。
大本教の場合は、開祖出口なおが突然激しい神懸かり状態になり、「三千世界一度に咲く梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世になりたるぞ よ・・・」の言葉が発せられ、大本教が開教されます。そこに上田喜三郎(後の出口王仁三郎)が加わって、二人三脚で神示を取り次ぐようになります。そして 上田喜三郎の審神(さにわ)により、出口なおに憑依した艮の金神は国常立尊(くにとこたちのみこと)であることが判明します。やがて出口なおのお筆先によ り、上田喜三郎は王仁三郎と名乗るようになります。
♪二人三脚で審神をするというのはまことに便利です。
さて「現界の出来事なぞは数百年数十年先の後まで知悉」することのできた王仁三郎は、世の建て替えがいつ来るかぐらいはっきり知悉しているはずなのに、予 言は外れてばかりいます。彼は大正七年五月十日に「三千年の 世の建て替えも迫りけり 後の三年に心ゆるすな」と神歌を詠んでいますが、一向に世の建て替 えは起こりません。
♪脅しの予言が外れてしまうのがカルト詐欺師の常
です。
第一回目の大本教弾圧が起こります。恩赦で仮釈放された王仁三郎は、単身中国に渡ります。日本軍の特務機関の斡旋で、匪賊の張作霖の客分として滞在してい た或る馬賊の頭目と親しく交わり、張作霖の承認を得て神軍を結成し蒙古平原に進軍します。蒙古では「大本ラマ教」を設立、雨を降らしたり病人を治したりす る奇跡を演じて、自らダライ・ラマを名乗ります。

♪特務機関、張作霖、神軍結成、自称ダライ・ラマ・・・・・。
しかし張作霖が挙兵したと聞いただけで出口王仁三郎の神軍は
総崩れとなり、馬賊の頭目は銃殺刑に処され、出口王仁三郎もあわやというところでしたが、刑の執行直前に危ういところを助けら本国に強制送還されます。なんで助かったのかは原因不明ということです。

特務機関の諜報員だから。出口王仁三郎は諜報組織の一員だと思います。バーガミニは昭和天皇も諜報活動をしていると書いています。葉山御用邸は保養目的 ではなく、諜報活動の隠れ蓑として用いていると。諜報組織はワンワールドで繋がっていて、世界統一政府のピラミッドの頂点にいる者の手足となって動かされ ているようです。
そして懲りるということを知らない出口王仁三郎は、やがて海外の宗教団体との交流を盛んに始めるようになります。イスラム教徒とも交流を深め、頭山満や内 田良平の協力で大正十四年五月二十日北京で「世界宗教連合会」を正式に発足、総本部を北京に置き、東洋本部を大本教の本部亀岡の地に置くことを定めます。 参加団体は、大本教や中国道院を初め、イスラム教、仏教、キリスト教などの一派、朝鮮の普天教、ドイツの白旗団など多彩なものです。

♪頭山満は、昭和天皇の庇護者であり賓客です。
出口王仁三郎はこの宗教団体で主導権を握るつもりでいましたが、あにはからんや集団指導体制になってしまいます。そこで一計を案じて「人類愛善会」なる会を設立し、別の運動を始めます。

♪やっていることはほとんどマルチ詐欺商法だと思います。しかし日月神示完全ガイドの著者は次のように絶賛しています。

『王仁三郎自ら命名した「人類愛善会」は、あらゆる宗教、人種、国家などの障壁を乗り越えて、大本を中心に、広く世界の人々を包含するという意味を持って いた。宗教団体間のみの提携を目的としていた「世界宗教連合会」と比べても、全人類の啓発を目的としたその主旨は、はるかにスケールの大きいものであっ た。昭和九年における人類愛善会支部の数は、国内九百六十二、海外二百八十五、計千二百四十七の多きに達していた。まさに、大本にとっての「黄金時代」の 到来であった。』
世界統一宗教の雛形のようです。出口王仁三郎は天皇家や世界統一政府と繋がる諜報員だと思います。ちっとも予言が当たらない出口王仁三郎が、満州事変が 起こる日にちだけピタリと当てているのは、そういう関係だからだと思います。松本重治が西安事件をスクープしたのと同じからくりです。

図に乗った出口王仁三郎は、昭和天皇の裕仁をもじって尋仁と名乗り、臆面もなく天皇さながらの行動をとりはじめます。出口王仁三郎は以前から、「人類愛善 会」の新聞購読が百万部を超えたら神軍を率いて決起すると予告し、実際に百万部に到達すると、軍部、政界要人、皇族らと「大日本協同団」の結成を謀りま す。しかし横槍が入って、結局は「昭和神聖会」という大本を母体とした団体を結成します。

♪ナチス発足を髣髴とする挙行式の模様を以下に抜粋します。

『昭和九年七月二十二日、昭和神聖会は、東京・九段の軍人会館で盛大な創立発表会を挙行した。発表会の当日には、三千人を超える人々が集まり、入り切れな かった人が会館の外にまで溢れる盛況ぶりであったという。檀上には、統管・出口王仁三郎、副統管・内田良平(黒竜会)、出口宇知麿らが並び、祝辞を述べた 者の中には、内務大臣・後藤文雄、衆議院議長・秋田清、玄洋社・頭山満、政友会代議士・松岡洋右らの姿があった。祝電は、逓信大臣・床次竹次郎をはじめ、 皇道会、明倫会、世界紅卍会など、千五百通にも及んだ。』
♪当の大本教の二代目教主・出口澄(すみ)は乗り気でなく、「神様がやれと言われるから、やるのである」と王仁三郎に説得されて反対意見を引っ込めます。三代目教主・出口直も神聖会の運動には終始反対でした。やがて大本教の弾圧が勃発します。私はヤラセだと思います。

『昭和十年十二月八日未明、千人余りの武装警察官隊が「皇道大本」を急襲した。日本の近代宗教史上最大・最悪と言われる「第二次大本事件」が、ついに起 こったのである。岡田内閣の命を受けていた内務省警保局長・唐沢俊樹は、「今度こそは大本を地上から抹殺する方針である」との声明を発表している。その言 葉通り、大本に浴びせられた暴力の嵐は、想像を絶する残虐非道なものとなった。周到な計画により万全の態勢を布いていた警察側の行動は迅速であった。

この日、王仁三郎は、亀岡にも綾部にもおらず、島根の大祭のため松江別院に滞在していた。王仁三郎は、むろん抵抗などはしなかった。王仁三郎は、もう六十の坂を越えていたため、尋問の矛先は、次期継承者と見られ、年齢もまだ三十歳と若かった出口日出麿に向けられた。
彼に対する拷問は、とりわけ酷かった。連日にわたり、竹刀でメッタ打ちにされ、軍靴で顔を踏みつけられ、銃の底で頭や顔面を何度も何度も殴られた。そのために、日出麿は歯のほとんどすべてが折れ、体中に無数の傷を負った。精神に異常をきたしたとも言われる。』
♪まさしく2・26を想起させます。この宗教史上最大・最悪と言われる弾圧を命じた岡田啓介首相こそは、昭和天皇の命を受けて2・26のヤラセに協力した インサイダーです。岡田首相は襲撃を予め知っていたので義弟を身代わりにし、自分は女中部屋の押し入れに潜んで難を逃れた卑劣漢です。彼はまたヨハンセン グループの中核として、戦犯候補を密告する二つのルート、すなわち昭和天皇ルートと吉田茂ルートの両方のルートで、米内光政とともに暗躍しています。大本 教弾圧は、国賊集団ヨハンセングループと出口王仁三郎が共謀して演じたヤラセだと思います。もし出口なおがあの世から出口王仁三郎こと上田喜三郎がやって いることを見ていたら、血涙を流しているでしょう。

『それでは、いったい出口王仁三郎という男は、何者だったのだろうか。出口なおに起こった”神懸かり”とは、何だったのか。

神界・幽界・現界にわたる三千世界を根本から建て替え、立て直し、神のみ御意のままの世をつくるのが、神の経綸であるという。キリスト、釈迦、マホメット などといった過去の聖賢たちが現れたのも、そうした神の経綸の一環であった。日本においては、江戸末期の頃より発生した黒住教、天理教、金光教といった神 道系新宗教が主にそうであった。

しかし、各教祖たちから発せられた神の言葉を人民は聞き入れなかった。そこで神は、いわば強制的に世界の大改造を断行する方法をとる。それが、出口なおの 肉体を機関として大本が地上に発生させられた原因であった。冒頭の初発の神勅の中に、「天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮の金神が現れて、世の 立替を致すぞよ」とあるのは、その意味である。

大本は、世界の立替の「雛形」を行ったのである。王仁三郎は、大本の最高指導者として、世界大改造の雛形を演じたのであった。』
♪洗脳された人間の見本のような文章です。中矢伸一氏は病膏肓に入る段階にあるのかもしれません。げに恐ろしきはマインドコントロールです。世界統一政府 を目論む連中は、伊藤博文ら長州のインテリジェンスにクーデターを起こさせて、軍事独裁傀儡政権を造らせただけでなく、世界統一宗教の雛形として黒住、天 理、金光教といった太陽陽信仰のカルト神道を浸透させ、出口王仁三郎という大輪の仇花を大本教に咲かせ、ゴーストライター岡本天明によるヤラセ神示を結実 させたのです。
『日月神示には、「日月大神、キリスト大神、釈迦大神、マホメット大神、黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神、老子大神、孔子大神、すべて十柱の大神 は、光の大神として斎(いつ)き祀り結構致しくれよ」と、神示自らが、釈迦・キリスト・孔子・マホメット・黒住・天理・金光・大本の次に来る、十番目のと どめの啓示であると宣言しているように、まさしくこの神示こそ人類に与えられた最後の天啓であることが、その内容を深く知れば知るほど明らかになってくる のである。』
♪その内容を知れば知るほど、とんでもないカルトであることが明らかになってきます。日月神示が世界統一政府のプロパガンダであることを示唆する箇所を抜粋します
『「アイカギ ㇾ○⦿ コノカギハ イシヤト シカ テニギルコトゾ」

イシヤの正体をあぶり出し、彼らを撲めつせんとするのではなく、彼らを正神の前に改心させ、しっかりと手を握る
。それこそが、岩戸を開く「鍵」となるのだ ‐。神示はこう告げている。別々に別れていた”善”(ㇾ)と”悪”(○)が、一つになることによって、いわゆる「ミロクの世」「地上天国」「至福千年王 国」が顕現するのである。
スメラ神国(日本)とユッタ神国(ユダヤ)と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのじゃ
悪い者殺してしもうて善い者ばかりにすれば、良き世が来るとでも思うておるのか
悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ』

♪善と悪、悪神と正神、スメラ神国とユッタ神国、悪い者と良い者、悪い世と良き世。典型的な二進法のカルト思考です。最近気がついたことですが、カルト思 考を長年続けている人間は思考力が退化して、人格が幼稚になる傾向があるようです。世界統一政府を目論む連中が、本気でオリンポスの神々の末裔オリンピア ンズを自称しているのを見てもそう思います。


三五(あなない)教とスウェーデンボルグ(1)
http://sassasa1234.seesaa.net/article/124298294.html
“「スウェーデンボルグはイルミナティ」の件ですが、


大正時代に王仁三郎が書いた『霊界物語』には、スウェーデンボルグが「北光天使(きたてるのかみ)」の名前で何度も登場してますヨ(笑)


「北欧」の「光の教え」のヒトだから「北光」なんでしょうか。



最初の登場は『霊界物語』第六巻。
三大教と五大教が合併して三五教が成立する場面に、三大教サイドの宣伝使として出てきます。


(※もちろん中野与之助が戦後作った「三五教」ではなく、神代の時代の話として。)

で、驚くなかれ


(1)ご丁寧にも、その場面は「カイン河」なる川のほとりとして描かれてマス。


(カインと言えば、「ふr-めーそんはカインの系統云々」とよく言われてますネw)


(2)この「北光天使」、なんと「目が一つ」の「天の目一箇神」の前身でもあると書かれてマス。


(目が一つといえば言わずもがなw)


基督教関連をモノスゴク研究した王仁三郎がコレを書いた意図は明白でしょう(笑)



第34章 三大教(さんだいけう)〔284〕
http://mobile.onisavulo.jp/rm/06/34.html
北光天使は、
『神様は至善、至美、至仁、至愛の御方である。故に悪を憎み、無慈悲を御嫌ひ遊ばすのは云ふまでもない。しかし人間はいかに立派な賢い者でも、神様の御智 慧に比べて見れば、実に恥かしいものであります。災ひ多く、悪魔の蔓延(はびこ)る今日の世の中は、どうしても無限絶対力におはします神様の力に依頼(た よ)らねばならぬ。あなたが家を焼かれ、山林|田畑(でんぱた)を掠奪され、女房を取られて、その怨みを晴らさうと思ひ、諸方を尋ね回らるるのは人情とし てもっともであり、吾々も満腔の同情をよせますが、しかし、そこを人間は忍耐して、敵を赦してやらねばならぬのです。そこが人間の尊い所であって、神様の 大御心に叶うといふものです』”


第35章 北光(きたてる)開眼〔285〕 - モバイル・オニサブロー
http://mobile.onisavulo.jp/rm/06/35.html
“第35章 北光(きたてる)開眼〔285〕
________________________________________
 霊鷲山(れいしうざん)の宣伝神(せんでんしん)北光天使(きたてるのかみ)は泰然自若として、一心不乱に神教を説き進めつつあった。
(…)
このとき東彦命(あづまひこのみこと)はその竹槍を右手にグッと握ったとたんに右方へ押した。甲はよろよろとして倒れ、傍(かたは)らのエデン河の岸より 真逆さまに顛落した。北光天使(きたてるのかみ)は驚いて真裸体(まっぱだか)となり河中に飛び入り、甲の足を掴み浅瀬に引いてこれを救うた。
 これよりさしも猛悪なりし乱暴者の甲も衷心(ちうしん)よりその慈心(じしん)に感じ、悔い改めて弟子となり宣伝に従事することとはなりぬ。宣伝使はこ れに清河彦(きよかはひこ)と名を与へたり。ちなみに北光天使は天の岩戸開きについて偉勲を建てたる天(あめ)の目一箇神(まひとつのかみ)の前身なりけ る。
(大正11年1月22日 旧大正10年12月25日 加藤明子録)”

第36章 三五教(あななひけう)〔286〕
http://mobile.onisavulo.jp/rm/06/36.html
“五大教(ごだいけう)の宣伝使(せんでんし)東彦天使(あづまひこのかみ)は、北光天使(きたてるのかみ)の無限の慈悲心と、その忍耐力に感服し、口を極めてその徳を讃嘆し、かつ天地に向かって、
『吾々は宣伝使の聖き職にありながら、かくまで仁慈深く、忍耐強く世に処する事はできなかった。実に神に対しても恥かしく、かつ申し訳もなき次第であっ た。今日まで、意気揚々として自分は最も聖き者、正しき者、かつ博愛に富み忍耐強き者と自惚(うぬぼ)れてゐた。然るに三大教(さんだいけう)宣伝使の心 と、その行ひの立派さ尊さ、吾々宣伝使はその足下にも寄りつけない。嗚呼(ああ)今日は慈愛深き大神様の御恵(みめぐ)みによって、活きたる教訓をうけま した。嗚呼今日極めて尊き神様の大御心(おほみこころ)を覚らして頂きました。過去を顧みれば、私(わたくし)はヨウも大きな面(つら)をして、宣伝歌を 謡ひながら、天下を遍歴したことでせう。かくのごとく不純にして愛の欠げたる吾々が、天下の人々に向かっていかに口を酸(すう)くして説き諭すも、何ほど 骨を折るも、その効果の挙がらないのは当然であります。嗚呼神様よ、自惚(うぬぼれ)強き、力弱き、心の暗き盲目(めくら)同様の吾々を、今日までよくも 赦して下さいました。私のごとき盲目(めくら)が、世の中の盲目の手を曳いて、暗(やみ)の地獄へ導いたことは何ほどか判りませぬ。一生懸命に心を尽し、 身を尽し、神様の誠の御用を努めさして頂いた積りで、神様の御邪魔ばかり致して居りましたことを、今更の如く悔悟いたします。ドウカ吾々の心に一ツの灯火 (ともしび)を照らさせ給うて、三大教の宣伝使|北光天使様(きたてるのかみさま)のやうな、聖き美(うる)はしき、仁慈に富める、耐へ忍びの強き天使 (かみ)とならしめ給へ。吾々に天津神(あまつかみ)より下し給うたる、直日(なほひ)の御霊(みたま)の本守護神(ほんしゅごじん)をして、天地に輝き 渡る美はしき、伊都能売(いづのめ)の霊魂(みたま)として、御用の一端に御抱へ下さらむことを願ひ奉(たてまつ)ります』
と感謝の涙に咽(むせ)びつつ、祈願を凝らしける。
 北光天使を始め一同は感謝の涙に打たれて、ここに一同宣伝歌を合唱し、声朗かに天津祝詞や神言(かみごと)を奏上したり。
 今まで雨雲に包まれたる大空は東西にサツと開けて、中天には明光(めいくわう)赫々(かくかく)たる日の大御神が一同の頭上を照らし給ひぬ。
 ここに北光天使は南へ、東彦天使は西へと、再会を約し惜しき別れを告げにけり。
 しかして一同は、二人の宣伝使の弟子となって、天下に神の福音を述べ伝ふこととなりける。

『エデンの河の水清く
心も聖き宣伝使
西と南に別れ行く
黄金(こがね)の山は天空(てんくう)に
天津日(あまつひ)の如(ごと)輝きて
烏羽玉(うばたま)の世を照らしつつ
神の御国(みくに)に救はむと
埴安彦命(はにやすひこのみこと)もて
東(あづま)の国や西の国
海川山野(うみかはやまぬ)打ち渡り
霜(しも)の朝(あした)や雪の宵(よひ)
踏み分け進む神の道
霊鷲山(れいしうざん)に現(あ)れ坐(ま)せる
三葉天使(みつばのかみ)の命(みこと)もて
玉(たま)の井村(ゐむら)に現はれし
心も聖き宣伝使
暗きこの世を照らさむと
巡り巡りて北光(きたてる)の
天使(かみ)の命(みこと)の宣伝歌(せんでんか)
清く流れてエデン河
岩より堅き真心を
打ち破(わ)り諭す岩の上
巌(いはほ)に松の生(お)ふるてふ
常磐堅磐(ときはかきは)の神の世に
造り固めて天(あめ)に坐(ま)す
天津御神(あまつみかみ)の御許(ももと)べに
功績(いさを)を建てむと勇ましく
足に任して葦原の
千草百草(ちぐさももぐさ)押し分けつ
四方(よも)の民草(たみくさ)救ひ行く
嗚呼(ああ)勇ましき宣伝使
実(げ)にも尊(たふと)き宣伝使』

と清河彦(きよかはひこ)は、二人の宣伝使を讃美する歌を謡ひながら、霊鷲山(れいしうざん)に北光天使(きたてるのかみ)と共に到着したりける。
 ここに東彦(あづまひこ)は、一たん黄金山(わうごんざん)の山麓の埴安彦神(はにやすひこのかみ)の御許(みもと)に帰り、三大教の宣伝使たる北光彦 の言心行(げんしんかう)一致の神業(しんげふ)を讃嘆しながら奏上し、かつ三大教の教義を詳細に語った。埴安彦神はこれを聞いて大いに感じ、直ちに使ひ を霊鷲山に遣はし、三葉彦神(みつばひこのかみ)を迎へ帰らしめたり。
 三葉彦神は三大教の教主である。このとき北光天使より、五大教の教義を詳細に聞きて大いに歓びつつあった際のこととて、直ちに承諾の意を表し、北光天使 と共に黄金山に参ゐ上り、埴安彦神に面会して、種々教理を問答し、互ひに諒解を得てここに両教を統一し、三五教(あななひけう)と改称することとなりぬ。
 しかして埴安彦神は女神にして、三葉彦神は男神なり。ここに両教一致の結果、三葉彦神は名を改めて、埴安姫神となりて女房役を勤め、救ひの道を天下に宣 伝することとなりぬ。この東彦(あづまひこ)は、天の岩戸の前に偉功を建てたる石凝姥天使(いしこりどめのかみ)の前身なり。
(大正11年1月22日 旧大正10年12月25日 石破馨録)
(昭和10年2月16日 於阿万支部 王仁校正)”

石凝姥天使(いしこりどめのかみ)の元ネタは大石凝真澄(八幡書店が著作を出版)
 1898年に無名時代の上田喜三郎=出口王仁三郎に大石凝は
言霊学を授けています。それが後にカルトの教祖製造工場になる大本教の教勢拡大
とともにオカルト界に浸透していきます。


菊池 ‏@kikuchi_8
1)落合莞爾氏の上田家伝承研究に出口王仁三郎の祖父上田吉松の子「牧口某」というのが出てくるが創価学会の初代会長牧口常三郎の双子の兄とか。事実なら創価も丹波人脈に連なることになる。出口には大石凝真素美の法華経信仰の影響があり「三千世界」という仏教用語を使う。思想的にも共通点がある。

@lanekota 日本仏教の中でもっとも一神教的なのは日蓮系だと思います。出口の師匠の大石凝真素美は法華経からヒントを得てメシアニズムを唱えたようです。大本教におけるメシアニズムの起源は法華経の弥勒信仰から来ていると考えています。彼ら「ミロクの世」と申しますね。

竹生島(ちくぶしま)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%9F%E5%B3%B6
竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている。
(…)
古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。ちなみに、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。

戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。

近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張した(『大石凝真素美全集』1923年、国華社)。

日本起源説。大本教は日本雛型論=日本が世界初で世界が日本を真似る。
「文明は日本初」勢力はねこたさんのリスト追加候補
です。
例えば、日本初世界超古代文明のRAPT(貴方に天国から降り注がれる音楽を)って悪魔とか、ルシファー(キリスト教製)とかまんま思考がクリスチャンじゃないですか。
キリスト教って教祖が生贄になったことに感謝する悪魔崇拝ですよね?
聖書って悪魔の本ですよね?
と聞いたらどうなることやら。
天国というキーワードやラプチャー=携挙(けいきょ、英語:Rapture)の略称と思われる名前だからプロテスタントが運営?
ラプト(「Rapt」ure)記事の右側に「聖書のご購入について」とあるのでキリスト教系なのは間違い
ないです。

”携挙(けいきょ、英語:Rapture)とは、プロテスタントにおけるキリスト教終末論で、未来の主イエス・キリストの再臨において起こると信じられていることである。まず神のすべての聖徒の霊が、復活の体を与えられ、霊と体が結び合わされ、最初のよみがえりを経験し、主と会う。次に地上にあるすべての真のクリスチャンが空中で主と会い、不死の体を与えられ、体のよみがえりを経験する。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E6%8C%99

「今日で世界が終わる」って?
http://fugenji.org/~thomas/diary/index.php?no=r590
”rapture というのは日本語で「携挙」と言われるものである。

携挙というのは何か、と言われると、僕としては少々困ってしまう。これはキリスト教の言葉ではあるのだが、カトリックで用いられることのない言葉だからだ。「携挙」とはプロテスタント、特に終末思想を強く主張する福音派の人々や、いわゆる fundamentalism(聖書根本主義)を信奉する人々が主張する概念である。ざっくりした話は、上にリンクしておいた Wikipedia のエントリーにコンパクトに書かれているけれど、この世の終わりが来たときに、人が天に上げられることをこう呼んでいて、この言葉を使う人々は、以下の聖書の記述が実現されることだ、としている。

主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

―― 1 テサロニケ 4:15 - 18

この 1 テサロニケ、つまり『テサロニケの信徒への手紙 一』というのは、パウロが最初期のキリスト教宣教において遺したと言われている文書で、おそらくこの記述は、共観福音書で「終末の徴」と書かれる箇所(マタ 24:3 - 14, マコ 13:3 - 13, ルカ 21:7 - 19)を反映したものだと思われる。

ではなぜ僕達カトリックが携挙を重要視しないのか、というと、『テサロニケの信徒への手紙 一』で述べられている主の再臨というのが、この書簡を読んでいる人達の存命中に起きることを意図して書かれているからである。当時、キリスト教というのは迫害の対象で、特にパウロの生きていた頃はローマ皇帝があの悪名高きネロだった頃だから、キリスト教徒は一種のスケープゴートとして、たとえばローマの大火の後に虐殺されたりしていた。当時の人々にとって、苦難の時期とは、彼らが生きているその時代そのものだったし、彼らの生きているうちにそこからの救済が齎されることが、彼らの心の支えだったのである。

しかし、プロテスタントはそんなことは考えない。彼らの信仰の根本にあるのは "sola scriptura"、つまり「聖書のみ(に依る)」、という姿勢だから、聖書にそう書いてあったら、今の自分達に神から齎された真理だ、と考える(いや、皆が皆そうだと言うわけでもないんですが)。だから「携挙」なんて話になるわけだ。

これが、現代の人々、特にアメリカのプロテスタントにどれ位リアリティのある話なのか、おそらく日本の普通の方々には分からないと思う。アメリカで、この「携挙」に与れずに「取り残された」人々の姿を描いた『レフトビハインド』(Left Behind)という本が、全米でなんと650万部以上を売り上げるベストセラーとなり、映画化もされ、シリーズは現在第12弾が発売中、という状態であることは、この国で暮していると耳目に触れることはまずない。映画の方は、一応『人間消失』という題名で日本でも DVD 等が販売されているのだが、まあ日本人には受けないだろうし、実際受けていない。

しかし、この blog でも何度か触れている通り、アメリカ人の大体3割程度が福音派のプロテスタントであり、程度の差こそあれ、このような世界観を現実のものとして信じている。こう書いても信じてもらえないかもしれないが、これは厳然たる事実である。”

Fuka-ku‏@FoxTwoThree4月12日
縄文文化に強い関心抱くロスチャイルド家 日本の縄文文化を研究するNPO法人「国際縄文学協会」の名誉理事にジェイコブ・ロスチャイルド男爵の三女で考古学者のエミリー・ロスチャイルド・アットウッド女史が就任している

(古代史封印の為の団体
ですな)

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 12月15日

猫太”大本教の日本雛形論の元ネタは未訳のヘルメス文書のアスクレピオスにあるエジプト雛形論のパクリでーす。出口クロコダイル(出口王仁三郎)ってコピペ論文みたいなパクリだらけ!(笑) 英訳はこちらで
http://www.gnosis.org/naghamm/asclep.html
日本が世界のお手本と言う人は怪しい。


【古神道編】フェイド大帝が考える”高天原”の場所候補
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-653.html
”古神道の世界観で有名な日ユ同祖論だが、
個人的にはフェイド大帝はあり得ないと
思っている。

また日ユを逆にした”日本世界雛形論”と
いうのもある。

縄文時代に栄えていた文明が世界中に伝わった
とされる説ね。

陰謀論で有名な故・太田竜等が積極的に
唱えていたかな?

一応、この”日本世界雛形論”、古神道系の
団体は皆採用しているが、

元ネタは大石凝真澄という人の著作。
この人の影響を受けて水谷清が
古事記を変な方向に解釈しはじめたのが
始まりと言われている

(…)
まぁ、真相がどうであれ、フェイド大帝は
日本縄文人、世界の帝王だった説”は
個人的に眉唾だと思っている。

なんか、古代日本人はフェニキア人と同族で
古代エジプトに文明を授けたのも日本人だった
とかの様な奇説もあるようだが......

フェニキア文字が古代日本の文字に似ている
のだとか何とか......

個人的には全然似てないと思うが......

それよりもフェイド大帝がずっと関心を
示しているのが

Y染色体ハプログループの分布図である。

簡単に言うとDNA分析によって、人間の
移動経路を特定しましょうという理論
なのだが、

この分布図を見て欲しい。

(画像は引用元にて)

日本人特有のYAP遺伝子ことD系統の
遺伝子が茶色で示されている。

チベットと日本の東北地方が同じ色だ。

個人的には古神道の”古史古伝”はデタラメの
創作物であると考えているが、
東北系王朝系列の奴は一部事実が
混ざっているのかもしれない


なので、日本神話の高天原がどこにあったのか
が謎だが、

フェイド大帝はチベットじゃないかと思っている。

高”天原なのだから当然、高い所にあるのが
常識的でヒマラヤ辺りなら古代の宗教聖地でも
あるし、太陽の昇る方向を目指して東進したのも
頷けるかなと考えている。

大乗仏教の密教が唯一残っている国も
ネパール、チベット、日本のみ
である
ことを考えると、同じ遺伝子を持つ者同士、
趣向が似通っているのかもしれない。

ところで面白いのが、

西ヨーロッパはイラン辺りからのアーリア系
遺伝子の流入が大半である事だ。

逆にロシア等のスラブ系や北欧は違う遺伝子

分布になっている。

これはアイルランド神話のトゥアハ・デ・ダナン神族
の入植を裏付ける事実となる。
何故ならダナン神族は”女神ダナの息子”という
意味で女神ダナ=ドナウ川の擬人化
だと
伝えられているからだ。

逆にユダヤ系列のセム系はアフリカ、中東の
外に出
ていないことが分かる。

つまりセム人的影響よりもアーリア人的影響力の
方が西ヨーロッパでは強かった
のではないかと
思われる。

また、これは東西キリスト教での思想の相違も
こういった人種的な趣向性の違いが現れているのでは
なかろうか?”

言っておきますけど、ユダヤ系列のセム系というのは聖書の古代ユダヤ人の子孫という意味ではありません。古代のセム族はフェニキア人、アラム人、ヘブライ人。これらをモデルに創作されたのが聖書のユダヤ人

善の宇宙人VS悪の宇宙人は、 #日ユ同祖論 での本物ユダヤVS偽ユダヤと同じ嘘。聖書のユダヤ人を宇宙人に置き換えただけ。結局は聖書に見えない聖書思想による洗脳。遺伝子分布云々はデマ。架空の人物の子孫はない。聖書の「ユダヤ」とその変形で洗脳し、囮にするキリスト教


まとめ記事ができるまでのつなぎ【20100430】
http://www.mkmogura.com/blog/2010/04/30/737
“On 5月 2nd, 2010, mkmogura さんのコメント:
この知り合いのブログで、平沼赳夫が、皇室典範改正騒ぎのときに「神武天皇のY染色体を守れ」と言っていたなんて情報を見つけて驚きました。
 
monosepiaさんも知ってる、Y染色体の話を持ってきた、自分のブログのコメに来た人なんですが、こっち系の人かな?と推測できますな。
 
Y染色体(YAP多型)のことは、サクサクっと調べたんですが、学術的な研究は、アリゾナ大学の宝来聡教授あたりの研究結果を元にしてるようです。
YAPがあるのが縄文系男性、ないのが弥生系男性という強引過ぎる判断の話もあります。

わりと信憑性が高い、理系のお話です。
もちろん、自分が反論した「下戸遺伝子」=お酒が飲めないゲコの話も理系的なお話です。
中国が起源です。これも

ただ、この遺伝子研究の宝来聡教授は、こう言ってるわけで。
 
>ミトコンドリアDNAを分析し、日本人の成り立ちを調べた。それによると、本州では、日本人固有のタイプは4.8%、それに対して韓国人や中国人と共通の配列を持つ人がおよそ50%に達し、アイヌや沖縄と共通のタイプを持つ人が4分の1であった。現代の日本人が北アジア人、特に韓国人に最も近い遺伝的類似性を持っていることを確認した。このことは、弥生時代以降に大陸や半島から日本へ遺伝子の拡散が生じたとする従来の説と一致する。さらに、宝来教授らは太平洋を隔てたアンデスの先住民が、日本のアイヌや沖縄の人々と非常に近いことを示したのである。つまり、1万2千年前に日本列島に移動し、縄文の文化を築いた集団がいた。それから1万年後、別の集団が再び日本列島に渡ってきて弥生文化を築いたのである。
 
以上引用。
 
自分のブログにコメントしてきた人が、東アジアで北モンゴロイド特有のYAP因子を持つのは日本人だけで、今の朝鮮半島は新羅人や支那人との混血として「明確に区分けする根拠になる」というのが、どこでどう、誤変換されたのが不思議でしょうがないです。
 
http://www.mkmogura.com/blog/2010/04/19/693/comment-page-1#comment-1532
 
 
コメントの人の主張
>東アジアで北モンゴロイド特有のYAP因子を
>持つのは日本人だけにしか存在しないんだ。
>今の半島は新羅人や支那人との混血だろ?
 
宝来聡教授の研究成果
現代の日本人が北アジア人、特に韓国人に
>最も近い遺伝的類似性を持っている
 
こういう研究結果である科学者の理論が、なんで真逆の主張の根拠になったのかな?と疑問に思っております。
って、地球温暖化詐欺という科学の集大成と同じ理由
なのは、ご存知と思いますが。
 
まあ、心の中で「このYAPの話を持ってくるのは、生長の家の特徴」と、メモったのは秘密です。
 
老婆心ながら、MONOSEPIAさんは、YAPの話を紹介してたし、(たぶん俺より詳しいでしょう)、YAP理論が捻じ曲げられてる事と生長の家みたいに特定の人達が言ってる事で、勘違いされないように&この事は知ってるかな?ってことで書いときます。

MONOSEPIAさんとこの縄文人も弥生人もYAP+民族だろ?の添付ファイル、今読んでる最中ですが・・・。
 
Y遺伝子では日本人と朝鮮半島の人には違う特徴がある=その研究結果を出した人が、ミトコンドリアイブの遺伝子研究では、近似性を認めているというのを、ちゃんと両方(mtDNA&YDNA)を言わないと、利用されてしまうってことですね。
 
「なぜ片方だけを言うのか?」を考える事が、常に自分の視点であり、特徴
なわけですが。
posted on 5月 2nd, 2010 at 4:11 PM

3 On 5月 4th, 2010, monosepia さんのコメント:

YAP遺伝子の件を引用してきたコメントさんですが、恣意的な引用というより、誤読するにふさわしい状態だったのでしょう。
始めに結果ありきで、資料を読むひともいるのでしょうか?うーん、でも恣意的な引用だったのかな?(笑)

YAP遺伝子はおよそ3万年前の原初のアフリカ脱出時の頃に由来する渡来を示すものなのでしょうね。
それと合わせて検討されたmtDNAの塩基配列の調査結果からすると、それ以降の渡来者による混交混血は何度かあった、というのが故宝来聡氏の考えだと私は読みましたが。当然に半島の人々の列島への移住も混血もあったとするのが妥当でしょうね。
ただし、その逆はなかったということでしょう。YAP遺伝子があちらで見当たらないということは。
単一民族説など笑止ですが、日本列島人としての同一性は共有したいものです。それを「日本」と言うなら。

あのー、実は遺伝子の問題を片手落ちに引用することに意図があるかも知れない
とは思ってもみなかったのでした。
私はオメデタイ(痛)

うぃきの方に、下記ページを作ってみました。
http://www25.atwiki.jp/monosepia/pages/3189.html
参考になるでしょうか?

posted on 5月 4th, 2010 at 11:18 PM

4 On 5月 5th, 2010, mkmogura さんのコメント:

おつかれさまです。

うぃきのほう読ませていただきました。
宝来聰さんの論文をまとめてくれてる方は、読みやすくていいですね。
ミトコンドリアイブのことしか書いてないけど。

遺伝子学的な情報を総合的に見て判断する。
じつは、専門家ではなく一般人も気にしなきゃならない問題で、こういう歴史の解釈ではない話です。
 
DNA鑑定で合致=間違いない

裁判などの話だと、こういう印象を多く持ってる方がいますが、DNA検査にも種類があって、採取サンプルなどの量や状態でもできる検査が違ってきます。
 
それなのに裁判では、合致した時のみ証拠となるわけです。
つまり、採取サンプルが多くて、もっと正確性のあるDNA検査をして「不一致」だった場合、正確性のない検査=(一致する確立数千分の一とかの、逆を言うと、合致=エラーが出やすいDNA検査)の結果だけが裁判で出されてしまうわけです

 
そそ、一致したから、それが正しいとは限らないわけ。
極論を言うなら、「血液型が一致したから犯人だ!!!」って理論と同じ事になってしまう。
 
そういう、確立の問題なのに、さらには合致したのだけが証拠になり、合致しなかったのは公表もせず、証拠にはならないわけです

 
これも遺伝子情報の統合的判断ということですな。
 
 
この情報が蔓延するなかで、monosepiaさんのように、多角的にまとめてくださるのは、本当に感謝しております。
正しいかは、あとで考えるとして、自分の思ってることを書いていきたいです。
 
こういう裁判も含めて、世の中を少しでも、変えれるように。
ま、これも総合的判断が必要なんだけど、良くなったのかわるくなったのか。

knznymmmy @knznymmmy · 1月18日
生長の家信者(疑惑じゃなくて確定) ↓
福永法源、大川隆法、五井昌久、竹内まりや、 井脇ノブ子(元気、やる気、イワキの小泉チルドレン)

疑惑 ↓
平沼赳夫 稲盛和夫(京セラ、KDDI、JAL) リチャード・コシミズ


ken ‏@kenkatap 2012年9月1日

安倍晋三元首相らが新興宗教「生長の家」の関連団体で講演‐NAVERまとめ http://matome.naver.jp/odai/2132915473170274701 …
▼青年真志塾:三橋貴明、平沼赳夫、安倍晋三等
▼日本経済人懇話会:山谷えり子、横田滋・早紀江、
佐藤優、森本敏、中山成彬、
田母神俊雄、山田宏、戸塚宏、中田宏、小野寺五典等

Bell Boyd @Bell_Boyd · 2010年11月10日
平沼赳夫:新宗教・生長の家の聖典のひとつである、『生命の実相』を愛読書とする。「私は母から薦められた谷口雅春先生の『生命の実相』によって唯物思想から脱却した」と述べており、生長の家系列の過激な団体であるときみつる会の指示を受けた。うぃき

長い記事をお読み下さり誠にありがとうございます。
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