読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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カルト=キリスト教(中身)+X(外見で偽装)。エヴァとオウムの思想は同じ!いくら外見を変えてもカルトの中核はいつもキリスト教神学(聖書+ギリシャ哲学)。『現代オカルトの根源』と神智学 (インド風キリスト教。創世記とギリシャ哲学の動物蔑視) の霊性進化論 =神か獣かの善悪二元論+霊的カースト制度、についての過去記事の補足。オウム真理教事件の真の犯人は「思想」=キリスト教+ギリシャ哲学+進化論+スウェーデンボルグ+グノーシス主義+バラモン教=神智学。 

現在大衆を支配しているカルトの内、頂点レベルは「全て」「キリスト教(中身)+X(外見で偽装)」!
メーソン思想(科学主義)、スピリチュアル、神智学、人智学、ニューエイジ、ニューソート、自己啓発、食事療法カルトなどといくら外見を変えても、大衆支配のツールの本丸は「キリスト教システム」なのはずっと変わっていません。ただ単にパッケージと味付けをリニューア ルした商品が並んでいるだけで、本質はずっとキリスト教(絶対者の存在と動物蔑視など。ギリシャ哲学で武装したのがキリスト教神学)。


過去記事
オウムはインド風に偽装しているけど
神vs獣の善悪二元論・
終末論・
ハルマゲドン・
隣人愛
でわかるように中身はキリスト教!オウム思想の中核は神智学
(インド風キリスト教。創世記とギリシャ哲学の動物蔑視)
の霊性進化論
=神か獣かの善悪二元論+霊的カースト制度。
神智学がユダヤ陰謀論=キリスト教の伝統を広めるのに協
力。
大田俊寛著『現代オカルトの根源』(ちくま新書)。
「誠の神様はただ一柱」とする大本教は「天地の創造神」というキリスト教的な神を導入しつつも多神教の枠組みを一応維持していた平田派神学以上にキリスト教
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-75.html

についての資料の追加+コメント。

現代オカルトの根源 (ちくま新書)現代オカルトの根源 (ちくま新書)
(2015/03/13)
大田俊寛

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マサの先生 @naophon
14年3月2日
宇宙人も環境問題も、根っこは同じなんですよ。 外的要因による危機を演出して、人間という種が集団で同じ行動を取るようにする。そうやってひとまとめにしたほうがコントロールしやすいから。
これはCFRに調べさせた「アイアンマウンテンレポート」で詳しく書いてある。

kobo_q @kobo_q
13年11月13日
UFO見ると「宇宙人が乗ってる」と思っちゃう人の想像力はたかが知れている。宇宙人じゃなくて未来人かもしれないし、異次元人かもしれない。無人 機かもしれないし、ロボットが操っているかもしれない。乗り物じゃなくて生命体なのかもしれない。見たものが見間違いや錯覚である可能性もある

子子子子子(ねここねこ)
@noranekonote 善の宇宙人VS悪の宇宙人は、 #日ユ同祖論 での本物ユダヤVS偽ユダヤと同じ嘘。前提を無自覚に受け入れさせる為の二元論の罠。聖書のユダヤ人を宇宙人に置き換えただけ。結局は聖書に見えない聖書思想による洗脳。遺伝子分布云々はデマ。実在しない人の子孫はない。


魔法使いハンターねこた @lanekota
@kitsuchitsuchi @azkdeathcore まず、キリスト教的な世界観の崩壊で雲の上に天使がいないとわかるとチベットの超人が現れ、チベットが未開の地でないとわかると宇宙人が現れた。実によくできてます。
2014年4月15日 16:39

大田俊寛 ‏@t_ota 2012年12月9日
いわゆる「マヤの終末予言」の期日とされる2012年12月21日が近づいてきた。しかし実際には、マヤの暦における長期歴(約5126年周期)が一巡するというだけであり、古代マヤ人が「アセンション」や「人類滅亡」を予言していたというわけではまったくない。
この種の説が広まる切っ掛けとなったのは、ニューエイジ
系の思想家ホゼ・アグエイアスが、1987年に『マヤン・ファクター』という本を公刊したこと。実はこの本では、2012年の終末予言だけではなく、それまでのあいだに何が起こるかということが色々と予言されている。
例えば、1992年以降、各地域の中心に「太陽の神殿」という瞑想センターが作られる、太陽・惑星問題協議会が設立され、軍備の撤廃と共産制の樹立が実現 される・・・等々。『マヤン・ファクター』を直接読んでみると(特に第8章)、マヤの予言は「すでに外れている」ということが良く分かる。/終

大田俊寛 ‏@t_ota 2010年5月9日
(3)オカルト人種主義。神智学では、人間が霊的な進化を遂げると主張されるが、こうした霊的進化論は、しばしば人種論とも結びついた(どの民族が霊格が高いか、など)。オカルト的な人種主義は、ナチズムの人種論の先駆を為したことが指摘されている。

マコ・スクリームキャット ‏@MacoSakura 7月6日
エヴァンゲリオン始めサブカルの分野に大きな影響を与えている一種のオカルティズムである「霊性進化論」は、オームの中心教義でもあり、カルト化を放置すると危険なものだ。ある種の優生思想。そういったものの入り口にあるオカルティズムも同様に注意が必要だろう。

Carolyn ‏@CarolynMistress 2012年5月30日
優生学はかなり古くからあるようだが、プラトンはその考えを非常に明確に示している。彼が余りにも理想化されているため、このことは注意深く隠されてきたのだ

ken ‏@kenkatap 2012年10月7日
ナ チスが優生思想を考えついたのではない
▼古代ギリシャ哲学者、プラトンもそうした考え方をしていた
▼『国家』で「最もすぐれた男たちは最もすぐれた女たち と、できるだけしばしば交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちは、その逆でなければならない
。」としている【櫻井J】

政治哲学bot ‏@Staatsphilosoph 3月5日
プラトンは、民主主義の友ではなかった。プラトンは、詩人にも大衆にも人間の形成と指導を任せようとはしなかった。哲学者こそが支配すべきなのである。国家が哲学者の洞察によって導かれるならば、秩序と正義が支配するであろう。


菊池 ‏@kikuchi_8 2月21日
オ ウム事件についての番組をやっていたが、麻原彰晃は「物質世界から抜け出せ」「肉体は魂の牢獄」という趣旨の事を言っているが、これは明らかに仏教ではな くグノーシス主義の思想である。仏教では物質は「無記」(価値中立)とする。宗教的な基礎知識があれば、カルトに簡単に騙されることはない

kakuyu @southmtmonk • 5月15日
ひょっとすると、近年頻繁に目にするようになった「意識が高い」というフレーズも、霊性進化論からきているのかもしれないね。


U @wayofthewind • 5月11日
神道も大本教もロスチャイルドなら、オウムのバックにもロスチャがいる? @lanekota“神道カルトの理想が北朝鮮みたいですが。ちなみに「現代オカルトの根源」という本読みましたが、大本教のオウムの理想は同じなのですね。ビックリしました”

大貫剛 ‏@ohnuki_tsuyoshi 12月8日
前世紀エウアンゲリオン RT @aumsupreme: エウアンゲリオン・テス・バシレイアス オウム真理教がロシアから放送していたラジオ番組。オウムソングや麻原教祖の説法などを流していた。地下鉄サリン事件から3日後の放送が最後の放送 pic.twitter.com/ItYRUyKt06

エウアンゲリオンとエヴァンゲリオン。オウムとエヴァは共に神智学とニューエイジ派生。
新約聖書の原典は古代ギリシャ語。神聖世界。ハルマゲドン。オウムとエヴァの中核と背後にいるのはキリスト教思想とキリスト教勢力


ken ‏@kenkatap 2月28日
オウム真理教放送=92~95年まで放送されたオウム真理教のラジオ番組放送局 https://twitter.com/kenkatap/status/489941657643540480 …
▼国営放送ロシアの声の送信機を露通信省が無償貸し
▼題名はギリシャ語で神聖世界の絶対的真理
▼静岡県富士宮市で編集、モスクワに空輸、ウラジオストクから放送

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
ねこた”政治とは、理念ではなく、多くの人に矛盾を感じさせない技術であると書いたラノベがありましたけれども、そーゆーベターな選択が大事なのですね。この世界は不完全でクソだから破壊しちゃえーじゃダメなの。”
善意を悪行に変えるのが選挙、賽銭、ユダヤ陰謀論、銀行預金。キリスト教製多数

インド・イランの宗教を隠すのは、バチカンの盗作元かつ大東社の本体なので利害が一致するから。
イエズス会士バリュエルのイルミナティ陰謀論には中核(百科全書)があるが、今はそれを抜いた劣化コピーを紐付きが布教しているのでバチカンと大東社は今やグル。共倒れしない程度の暴露で中核を隠す

卍・逆卍の意味
・太陽
・回転する太陽や月の動き
・プロメテウスと関連することも
・邪眼に対する魔除け
・トールハンマー

以上『イメージ・シンボル辞典』。
トールはオーディンの息子。北欧神話の雷神。赤髪。木曜日。ゼウス=ユピテル=木星と同一視。武器は稲妻を象徴するトールハンマー

オーディン:北欧神話の最高神。海賊・嵐・戦争・死・詩・魔術の神。ローマ神話のメルクリウスと同一視。つまりヘルメス=錬金術(科学)の神。
自身を生贄に捧げルーン文字を発明。
つばの広い三角帽子を被った隻眼の魔法使い。△+一つ目。
終末論は北欧神話にもある。ラグナロク=ハルマゲドン


真言宗系新興宗教=和風キリスト教。
卍教団(ナチスも紅卍字会も大本系もインド・イランを意識)の
創始者の真木応瑞は真言宗出身。卍にラブのLがあると主張。
釈迦に還れと言う癖に、ラブ=善というキリスト教思想。
仏教では愛=執着=悪。
そもそも原始仏教は宗教=執着の塊を否定。
破門


バロールは、ケルト神話のフォモール族(悪役)の隻眼の魔王。片方の目(額の第三の目説あり)は見たものを殺す邪眼。
オーディンは隻眼の魔法使いで死神。北欧神話はヴァイキング側。
フォモール族はケルトの地に上陸した北欧のバイキングだと考えられる。
海賊系△一つ目=オーディン=バロール。

ファーティマの手(ハムサ)は太陽系一つ目。拝火教の最高神のアフラ(アスラ)・マズダはアスラ族で太陽神だから。
手が無いならナザール(目単独。概念は共通)だと思われるだろうが、手があったら元ネタを隠せないしマーキングしにくいから手抜き。
http://nekomegami.web.fc2.com/advent/2009/advent1211.html …

オーディン(+バロール)は北極星系一つ目。船乗りは北極星で自分の位置や方角を把握していたから。
ヴァイキングの船のデザインが竜を模している。
りゅう座α星(アイク曰く爬虫類人の母星)は昔は北極星だった。
拝火教のアンラ・マンユは爬虫類の魔王にして絶対悪。
共に△一つ目と縁がある


英国ガーター勲章を君主が貰った国は
ルクセンブルク、デンマーク、スウェーデン、スペイン、オランダ、日本、ノルウェー
北欧に注目すれば英国を筆頭とする、先祖は海賊同盟。
天皇は中国の天皇大帝=北極星信仰が元ネタ(+天照=太陽信仰)。日本と北欧で北極星同盟。
日本はキリスト教国家。

北極星(昔は竜座)から来た龍人(爬虫類人)はヴァイキングの北極星信仰と龍の船が元ネタ。スピリチュアルなアイクは北欧系。
スウェーデンの貴族スウェーデンボルグの思想が神智学、スピリチュアル、ニューエイジ、宇宙人説、出口王仁三郎の霊界物語、大本教系カルト、大本教系の日月神示の元ネタ


クロウリーはニューエイジの父。神智学はスピリチュアルの母。スウェーデンボルグは両者の祖父。
キリスト教の弱点(悪を創った善の神。矛盾した聖書)を消し、目に見えないものや、非論理という反証不可能なものを主張し物証を否定する、最悪のキリスト教(改)の元祖が北欧貴族スウェーデンボルグ


北欧神話とスウェーデンボルグの影響力は絶大。
ナチスのシンボルの中にルーン文字がある。
ハリー・ポッターに古代ルーン文字学があり、ハリーの傷に似たルーン
がある。
マギの光の膜で覆う防壁魔法名がボルグで初出が46話。大地震と46分。KJVの創世記で46番目の単語はライト=イルミ

平兵衛 ‏@heibay 11月26日

ナチスのシンボルの中にルーン文字がある。
>>>ヒトラーがワグナーに陶酔していたからでは?
ワグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指輪」(北欧神話が題材)で、契約を守るルーン文字の槍で世界を支配
とあるので。
@kitsuchitsuchi @noranekonote

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 11月26日

@heibay @noranekonote グングニルにルーン+北欧に金髪碧眼が多いから。
北欧神話のブリュンヒルデ=ポニョが津波が起こし全員死亡させつつ、原作のキリスト教要素を否定する宮崎作品。ハイジも原作のキリスト教要素を抜いたキリスト教否定作品。マギやハリポタと同じ陣営


べにウサ提督 ‏@usdk 2月14日

ポニョの本名がブリュンヒルデって結構話題になったでしょ
ヴァルキリープロファイルでお馴染み、北欧神話のワルキューレの長姉で「死者を天上に連れていく」役目を負っているから、劇中の洪水後は死後の世界ってことを言ってる人もいた

落書 ‏@stickmanarmy 4月12日

ブリュンヒルデ(古ノルド語:Brynhildr、英語:Brunhild、ブリュンヒルドとも)とは、北欧神話に登場する人物である。ワルキューレの一人で、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』では、主神ヴォータンと知の女神エルダの娘とされる。ドイツ中世叙事詩『ニーベルンゲ

YH@コメカミシースルー ‏@YHoo117 2月27日

「ニーベルングの指輪」って正直ゲルマンっていうよりギリシア神話っぽいなーと思う。
ヴォータン-ブリュンヒルデ父娘ってかなりゼウスとアテナを意識してるし。 pic.twitter.com/gu4PalEGcI

オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった
大田俊寛 / 宗教学
http://synodos.jp/society/8575
”麻原彰晃は事件の真相を理解していない

一連のオウム事件の主犯が誰であったかについては、一時期、「麻原彰晃の独断」説と「弟子たちの暴走」説のあいだで論争が行われていました。

最近『文藝春秋』(2014年2月号)で公表された井上嘉浩氏の手記に見られるように、オウムにおいては、たとえ上層の幹部であっても、「麻原の意志に背けば殺される」ということが陰に陽にほのめかされていましたので、どちらかといえば前者の方が事実に近かったと思いますが、オウム問題を広い視野から捉えようとする場合、そのことは実は、さして重要ではありません。
事件のすべては麻原の独断によるものであり、また同時に、その「真相」のすべてを麻原が了解していたかといえば、とてもそうは考えられない。麻原の裁判は一審で打ち切られ、二審と三審が行われませんでした。言わば、「デュー・プロセス・オブ・ロー(法の適正手続)」が堅持されなかったわけで、そのことはやはり批判されなければなりません。
しかし、一審の経緯を見る限り、麻原はそもそも、現在の法制度によって自分が裁かれるということ自体を拒絶しており、審理の途中から妄想の世界に逃げ込んでしまった。もし裁判が継続されたとしても、その状況はおそらく変わらなかったでしょう。
また何より、オウム真理教とは何だったのか、教団の活動が何故あのようなお粗末な悲喜劇に終わってしまったのかということを、世界のなかで誰よりも理解していないのが、麻原彰晃という人間なのではないかと私は思います。彼の思考は濃密な幻想によって覆われており、ある意味で彼は、そうした幻想に突き動かされて行動した人間の一人にすぎなかったのです。

オウムの思想の根幹は「霊性進化論」

それでは、麻原彰晃やオウム真理教を動かしていた幻想とは、一体何だったのか。オウムの思想に対しては、私はすでに『オウム真理教の精神史』『現代オカルトの根源』という二著によって一通りの分析を終えていますので、ここではもう詳しくはお話ししませんが、現在の私は、オウムとは、「霊性進化論」という思想潮流から生まれた宗教団体の一つであったと考えています。
霊性進化論の源流を作り上げたのは、一九世紀後半に活躍したロシアの霊媒、ブラヴァツキー夫人という人物です。当時の世界では、ダーウィンの進化論が広範に普及し、その影響から、旧来のキリスト教信仰が大きな打撃を受けていました。こういう状況のなかでブラヴァツキーは、スピリチュアリズムと進化論を融合させることにより、「神智学」と呼ばれる新たな宗教運動を創始
したのです。
それによれば、本当の意味での人間の進化とは、肉体のレベルではなく、霊性のレベルにおいて生じる。人間は地球において、七段階の進化を遂げることが予定されており、現在は物質的進化の極点に達しているが、今後は霊的進化への反転が生じることになる。簡単に言えば、「物質文明から精神文明への大転換」が起こることが予言されたのです。神智学の教えはその後、ニューエイジやポストモダンの諸思想に幅広い影響を与えていきました。
オウム真理教の最終目的もまさに、「物質文明から精神文明への大転換」を起こすことに置かれていました。オウムの内部でそれは、「種の入れ替え」という言葉によって表現されていた。現在の人間は物質的欲望に縛られて動物化しているため、これを粛清し、その後に霊性のレベルの高い神的人類から成るユートピアを建設する──それこそがオウムの目指していたことでした。オウムが起こしたあらゆる事件は、このような最終目的を実現するための布石として行われたのです。

なぜ裁判はオウム問題の本質に触れることができないのか
オウム真理教の本質を理解すれば、それによって引き起こされた数々の事件が、「思想犯」と呼ぶべきものであったことが分かります。ゆえに、オウム事件に対して裁定を下そうとすれば、本当は、その主要な原因となったオウムの思想自体の理非を問わなければならない。
ところがここで、大きな問題が現れます。それは、現行の日本の法制度においては、思想そのものの罪を問うことができない、ということです。
そんなことは当然だ、と思われるかもしれませんが、歴史を振り返ってみれば、思想の罪を問わないというのは、むしろ例外的な事態であることが分かります。人類の長い歴史のなかでは、社会を脅かす恐れのある「危険思想」に対しては、何らかの仕方で制裁が加えられるというのが普通でした。
ナザレのイエスが処刑されたのは、彼の説く「神の国」の思想がローマ帝国の統治にとって障害となると考えられたからでしょうし、中世のキリスト教社会では、「異端審問」がたびたび行われました。戦前の日本でも、治安警察法や治安維持法といった「治安立法」が存在していた。それらの法に基づき、「国体の変革」につながる恐れがあるという理由から、共産主義の他、数々の新興宗教団体に対する弾圧が行われてきたのです。
しかしながら、近代の社会が成熟するにつれ、「治安立法による思想犯の取り締まり」は、次第に行われなくなりました。それは、国家の安全よりもむしろ、信教の自由や思想・表現の自由を優先すべきだという見解が、大勢を占めるようになったからでしょう。
とはいえ、成熟した近代社会において、思想犯がまったく現れなくなったというわけではありません。戦後の日本の例で言えば、連合赤軍事件とオウム事件が、思想犯の典型であったと見ることができます。
連合赤軍やオウムは、それぞれの思想に基づき、現在の世界の体制を根本的に変革することを目指していた。ゆえに、これらの事件を裁こうとすれば、先ほど述べたように本当は、その思想の理非をまず問わなければならない。
しかし現行の法制度では、思想の罪を問うことはできず、法廷での議論はどうしても、武器をどうやって調達したか、犯行計画を事前にどこまで知っていたか等、あくまで即物的な内容に限定されてしまう。そのため、裁判に長い時間を費やしているにもかかわらず、いつまで経っても本質的な問題に話が及ばない、という不全感が残り続けることになるのです。
くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、だからといって私は、あらためて思想の罪を法廷で裁くべきだ、「異端審問」や「治安立法」を復活させるべきだ、と考えているわけではまったくありません。思想の罪を問わないということは、これまでの人類が長い試行錯誤を重ねた末にようやく獲得した原理であり、安易にこれを手放すことが、社会の改善につながるとは到底考えられないからです。
しかしながら、再び話を戻せば、法廷で裁かれないからといって、思想の罪自体が消えるわけではない。私たちはむしろ、思想の罪を法廷では裁かず、信教の自由や思想・表現の自由を最大限尊重するということに決めているのだから、そういった罪や責任は、国家権力が介在しない仕方で、市民社会の側からの自発的意志や見識に基づいて問うていく必要があります。私たちはそのことを、もっと明確に自覚しなければなりません。

オウム事件に対する思想的責任の範囲

オウム真理教事件に対する思想的責任や、道義的責任について考えてみると、問題の範囲は実に、オウムという団体やその信者のみに限定されなくなります。オウムの思想は、彼らがまったく独自に編み出し、彼らだけが主張していたという性質のものではないからです。
先に述べた霊性進化論というオカルト的な宗教思想、さらには、「物質文明から精神文明への大転換」といった類の空虚で粗雑な革命論は、一九世紀から現在に至るまで、世界中で蔓延し続けてきました。
ここでは話を日本に限定すれば、オウム問題については、宗教団体の分野、アカデミズムの分野、メディアの分野のそれぞれにおいて、思想的・道義的責任が問われるべきではないかと思います。
まず、宗教団体の責任について。麻原彰晃はオウムを創始する以前、さまざまな新興宗教に関与し、それらの団体が公刊している著作を通して、霊性進化論の枠組みについて学んでいきました。特別な修行を積むことによって神に進化しうる、物質文明が遠からず破局を迎えるといった観念は、オウム以前にも多くの宗教団体によって主唱されていた。そして、日本の多くの人々は、それらの団体の教えを通して霊性進化論の思想に慣れ親しむようになり、そのなかで、よりラディカルな実践に身を投じたいと考えた一部の人間たちが、オウムに足を踏み入れていったのです
私は昨年公刊した『現代オカルトの根源』において、霊性進化論の思想的系譜について具体的な考察を行ったのですが、それが原因でいくつかの宗教団体から抗議を受け、団体の広報担当者と長時間にわたって議論を交わすことになりました。結果的に、それは私にとって、教団の内実をうかがい知ることができるという点で、とても興味深い体験となりました
とはいえ、その際にこちらから、団体の教義の性質について公開の場で議論させてほしい、あるいは、オウム事件に対する団体の見解を公にしてほしいという要望を出したのですが、残念ながらそれらには応じてもらえなかった。しかしオウムは、七〇年代以降に生じた「宗教ブーム」という大きな流れのなかから現れた存在であり、そうしたブームを同じくした他の教団が、完全に思想的責任を免れうるということにはならないはずです。

次に、アカデミズムの責任について。これに関しては、すでに多くの機会に言及してきましたので、詳しくは述べません。しかしながら、大学においてニューエイジやポストモダンの思想が蔓延していたことが、多くの大学生がオウムに入信した要因の一つとなったことは、疑うことができないでしょう。また、そうした種類の空言が未だに完全には消え去っていないことは、人文学の信頼性と生産性を大きく損なっていると考えます。
霊性進化論の関連で少し付言しておけば、人文系の研究者のなかには、神智学の代表的な思想家の一人であるルドルフ・シュタイナーの信奉者が、かなりの数で存在しています。一昔前に流行した「シュタイナー教育」の影響が、まだ残っているということなのでしょうが、しかし研究者であれば、シュタイナーの思想や世界観が全体としてどのような性質のものであったのか、もっと明確に認識しておくべきであると思います。

最後に、メディアの責任について。もう忘れられたことかもしれませんが、麻原彰晃はオカルト雑誌『ムー』の愛読者であり、一時期はそのライターとしても活動していました。彼の思想は『ムー』によって育まれ、また初期のオウムの活動は、『ムー』によって広く認知されていった。
しかしオウム事件以後も、同誌は編集方針をまったく変えることがなく、オウムの教義と同工異曲の「メシア論」や「陰謀論」を掲載し続けています。また、霊性進化論的なオカルト思想は、徳間書店の「超知ライブラリー」や「5次元文庫」といったシリーズの書物によって、今も広められている。大手出版社が堂々とオカルト本を売り捌いているというのは、世界的に見ても稀な現象でしょう


二〇一二年にオウム最後の逃亡犯として逮捕された高橋克也被告の所持品のなかには、中沢新一氏の『三万年の死の教え──チベット『死者の書』の世界』(角川書店)という書物が含まれていました。この書物は、NHKが一九九三年に放映した、「チベット死者の書」というスペシャル番組をもとに作られています。
番組の内容は、一言で言えば、チベットの寒村における素朴な葬式の様子を描いたものにすぎないのですが、派手なCGや音響を随所に用いることにより、「死後の世界」をリアルに実感させるような演出が施されている。
この番組は当時、オウムが布教の手段の一つとして使用していたことが知られています。地下鉄サリン事件以前は、こうした番組が公共放送でも流されていたのです。今でもDVDが販売されていますので、一度視聴してみれば、オウムが日本社会で受容され、成長していった当時の雰囲気を実感できるかもしれません。
オウムとは直接的な関わりを持たなかったとしても、その背景となる思想を広めてしまったことで密かに良心を痛めている人は、今も日本社会のなかに沢山いるのではないかと思います。
来年は、地下鉄サリン事件から二〇年という節目を迎え、最後のオウム裁判となる高橋被告の裁判も始められるでしょう。本当にオウム事件を総括したいと思うのであれば、責任を感じつつも口ごもっている人々に勇気をもって発言してもらい、オウムの思想が日本全体にどこまで浸透していたかを明らかにすることが必要です。”

なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?
『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く
http://toyokeizai.net/articles/-/18156
”「最近はよくスピリチュアルって言いますけど、昔で言えばオカルトですよね」──オウム真理教による地下鉄サリン事件から16年を迎える頃、ラジオからこんな声が聞こえてきた。
かつてのオカルトブームの際に唱えられた『ノストラダムスの大予言』=「1999年人類滅亡説」はすでに過去のものとなったが、昨年暮れにもまた、マヤ暦の終焉に基づく「2012年人類滅亡説」がささやかれたことは記憶に新しい。
 一部の人々をとらえて離さないオカルト思想を「霊性進化論」という思想体系から読み解いたのが、『現代オカルトの根源──霊性進化論の光と闇』(ちくま新書)
だ。今回、著者で宗教学者の大田俊寛氏に「霊性進化論とは」「オウム真理教の最終目的」「オカルトとサブカルチャー」などについて話を聞いた。
ビジネス界とオカルト

――本書では、現代のオカルティズムが主なテーマとなっています。一般にオカルトに対しては、一部の好事家だけが扱う特殊な世界という印象があると思われるのですが。

いえ、そんなことはありませんよ。その発想は、ビジネスやジャーナリズム、サブカルチャーの世界にもみることができます。たとえばビジネス界には、船井幸雄という著名な経営コンサルタントがいますが、彼は典型的なオカルティストであり、本書で言う「霊性進化論者」のひとりです

氏の代表作である『エゴからエヴァへ──地球が変わる・人類が変わる』(PHP研究所)や、『百匹目の猿──思いが世界を変える』(サンマーク出版)では、一部の先進的な人間に意識変革が起こることにより、地球全体の精神レベルを上昇させることができると説かれています
ここ数年間の船井氏は、「2012年終末論」に盛んにコミットしていました。すなわち、2012年を境に、霊的に進化した人々が「アセンション(次元上昇)」を達成する一方、物質に囚われた人々は淘汰されるといった話ですね。意識革命を達成した人間、霊的に進化した人間が、ビジネスや政治や文化において先導者になるべきだというのが、船井氏の根本的な人間観です。
ビジネスの世界においては、何らかの仕方でイノベーションを起こし続けることが、つねに求められています。そのために多くのビジネス書では、「自己啓発」という名目で、新しい自分に生まれ変わる必要性が繰り返し説かれるわけです。その中にみられるさまざまな精神論は、元をたどれば、オカルトの世界に発していることが多いのですね。また、いわゆる「国際金融資本」にまつわる数々の陰謀論も、主にオカルトの分野を介して普及していったものです

――今、お話に出た「霊性進化論」は、本書の副題にも挙げられていますが、どのような思想を指すのでしょう?

その端緒と見なされるのは、19世紀後半、ロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人が創始した「神智学」というオカルト思想です。彼女は『シークレット・ドクトリン』という著作において、ダーウィンの生物学的進化論に対抗し、「根幹人種論」という特異な進化論を提唱しました。それによれば、地球上で人類は、第1から第7まで、7つの根幹人種を経て段階的に進化する。そして人間は、ひとつの生物種として肉体的に進化するのみならず、その「霊性」もまた進化するのだと唱えたのです。
さらにブラヴァツキーは、人類の中には「神人」に進化しうる種子が含まれている一方、霊性の次元から目を背けて「動物化」する人間もいる、という二元論を立てたのですね。私はこうした考え方を「霊性進化論」
と呼んでいます。

日本とスピリチュアル
――二元論的な世界観を持つ宗教は、世の中に数多く見られます。大田さんが以前に研究されていた「グノーシス主義」とも関係しているのでしょうか?

グノーシス主義というのは、紀元2世紀ごろ初期キリスト教の内部で発生した異端的宗派です。その神話では、物質世界を創造したとされる「デミウルゴス」という悪魔的存在と、「プレーローマ界」から降臨した光の神が対立するという二元論的世界観が、クリアに描かれています。グノーシス主義の思想は、西洋宗教史におけるオカルティズムの源流のひとつであり、確かにブラヴァツキーも、そこから大きな影響を受けています

大田俊寛(おおた・としひろ)
埼玉大学非常勤講師
1974年生まれ。一橋大学社会学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。専攻は宗教学。著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。

しかし、神智学に代表される近現代のオカルティズムにおいて特徴的なのは、「進化」という概念が重要な役割を果たしていることです。キリスト教が支配的であった近代以前の世界観においては、人間は「神に似たもの」として創造された地上の支配者と位置づけられ、人間と動物との間には絶対的な違いがあると考えられていました。
ところが、ダーウィンの進化論において「人間は動物から進化した」と唱えられたことにより、両者の違いは絶対的なものではなくなってしまった。また、その反面、「人間がもっと進化することができれば、神にもなれるのではないか」という発想が呼び込まれることになったのです。生身の人間が、進化して神になったり、退化して動物や悪魔になったりする。「進化」という概念を媒介することによって、従来の二元論がより具体化・先鋭化されたところに、現代オカルティズムの特色
があると考えています。

――進化論の影響がオカルト思想にまで及んでいるとは、驚きです。日本では1970~80年代にオカルトブームがあり、現在もスピリチュアルがはやっています。日本にスピリチュアリズムが入ってきたのはいつ頃なのでしょうか?

本書でも触れたように、日本におけるスピリチュアリズムのパイオニアと見なされているのは、戦前に活躍した浅野和三郎という人物です。彼はもともと英文学者であり、その素養を生かして、世界のスピリチュアリズムの動向を積極的に日本に紹介したのですが、すでに彼の思想にも、神智学からの影響をうかがうことができます。
浅野は1923年に「心霊科学研究会」を設立し、その組織を中心として、日本社会にスピリチュアリズムの考え方が普及していきました。ちなみに、「スピリチュアリル・カウンセラー」として有名な江原啓之氏も、その系統に属する人物ですね。

1960年代から80年代にかけて急成長した宗教団体のひとつに、高橋信次という人物が設立した「GLA」があります。この団体の教義は、スピリチュアリズムと神智学を融合させることによって成り立っていました。オウム真理教を創始した麻原彰晃は、若い頃、高橋信次の著作を愛読していたことで知られています。
また、GLAが発展する際には、『幻魔大戦』で知られるSF作家の平井和正が関与していたと言われています。超能力者として覚醒した神的人間と、「幻魔」と呼ばれる悪魔的勢力が対決するという物語の構図は、主に平井氏の作品を通して、サブカルチャーの領域にも普及していきました


オウム真理教とは何だったか

――オウム真理教について伺います。大田さんは、本書の冒頭において、オウムの幹部であった上祐史浩氏と行った対談について触れていますね。

はい。『atプラス』(太田出版)という雑誌の企画で、上祐氏と対談する機会を与えられました。オウム真理教が起こした一連の事件に対しては、彼らは結局のところ何を目指していたのかと、いまだにさまざまな憶測や議論が交わされています。しかし、対談の場での上祐氏の発言によれば、オウムの活動の最終目的は「種の入れ替え」に置かれており、そのことは教団の上層部において、ある程度共有されていたというのです。
著書では、19世紀の神智学から、オウム真理教・幸福の科学に至る系譜をたどっている

――「種の入れ替え」とは、聞き慣れない言葉です。どのような意味なのでしょう?

麻原の世界観では、人類全体が2つの種類に大別されていました。ひとつは、自らの霊性のレベルを高め、超人類や神仙民族と呼ばれる存在に進化する「神的人間」であり、もうひとつが、物質的欲望におぼれ動物化していく「動物的人間」です。麻原の見解によれば、現在の世界は「動物的人間」がマジョリティを占めており、他方、「神的人間」はマイノリティとして虐げられている。この構図を転覆しようというのが、「種の入れ替え」という言葉が意味していたものです。

オウムは、数々の修行やイニシエーションによって、「神的人間」を創出・育成しようとした。その一方で、人類の霊性進化の妨げとなる「動物的人間」を粛清しようと
、70トンという膨大な量のサリン生産計画に着手したわけです。現在の日本をサリンで壊滅させた後、「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれるユートピア国家を樹立しようというのが、オウムの最終目的でした。このように、オウムの世界観においても、「神への進化」と「動物への退化」という霊性進化論的な二元論が、極めて根幹的な役割を果たしていたのです。

※記事初出時、オウム真理教と幸福の科学の教義について、共通性などを論じた一節がありましたが、編集上、配慮を欠いた部分がありました。削除のうえ、関係者の皆様にお詫びいたします

霊性進化論とエヴァンゲリオン

――最初に、ビジネスの世界だけでなく、サブカルチャーの世界にもオカルト思想の影響が見られるとおっしゃいましたが、具体的にはどのような作品でしょう?

私は、SFやアニメについてそれほど詳しくないのですが、やはり『幻魔大戦』の影響力は大きかったと思います。私も中学生の頃に小説版を熟読し、作品の持つ独特の雰囲気に魅了された記憶があります。無理もないことですが、その世界観がどのような思想に由来するのか、当時の私にはまったくわからなかった。

先ほど述べたとおり、『幻魔大戦』の物語は、超能力に目覚めた少年少女が「幻魔」と戦うというものです。私を含め、1970~80年代の子どもたちは、スプーン曲げで一世を風靡したユリ・ゲラーなどの影響もあり、何らかの仕方で超能力は実在するのだろうと思い込まされていたところがあります。

――私も1970年代生まれですが、小学生の頃に超能力や『ノストラダムスの大予言』などがテレビで大々的に放送され、恐怖を感じたのを覚えています。より最近の作品ではどうでしょうか?

超能力に覚醒した神的人間が悪魔的勢力と対決する、あるいは、霊的に進化した新しい人類が旧い人類を淘汰する、という物語であれば、それこそ数え切れないほど存在していますよね。有名な作品で言えば、『機動戦士ガンダム』や『AKIRA』とか、『鋼の錬金術師』とか。

私は大学生の頃、『ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』など、庵野秀明監督のアニメ作品のファンになったのですが、今から考えればこれらの作品も、霊性進化論を基調とした物語だったと思います。『ナディア』は、高度な知性を備えた「アトランティス人」という宇宙人がひそかに地球を支配しており、人工進化によって地球人を創造したという内容であり、本書で触れた霊性進化論者のひとり、エドガー・ケイシーの歴史観ときわめて似通った物語でした。

また『エヴァンゲリオン』は、「ゼーレ」と呼ばれる秘密結社が地球を支配しており、「人類補完計画」によって人間を神的存在に人工進化させようとする物語ですね。人類を進化させるためには、「使徒」を含め、旧人類をすべて粛清しなければならない。その計画をめぐって主人公たちの抱く葛藤が、物語の主題に据えられているわけです。

このように霊性進化論は、サブカルチャーの領域にも広く浸透しており、私たち自身も知らず知らずのうちに、その種の世界観に深く魅了されているところがあります。同時に、アニメやSFの物語では、そうした思想に由来する革命論や粛清論の危険性に対する警鐘が鳴らされてもいるわけです。今後、サブカルチャー批評の分野においても、霊性進化論という思想潮流の存在が正しく認識されるようになればよいのですが。

オカルト思想が栄え続けるワケ

――では、最後の質問です。霊性進化論というオカルト思想は、なぜ社会に蔓延し続けるのでしょうか?

大きな原因として、現代社会における霊魂観の貧困化、より具体的には、霊魂観の個人主義化、さらにはオカルト化、といった問題があると思います。

古今東西の諸文化の中で、「霊魂」に相当する概念を持たなかったものは存在しないと言っていいでしょうし、また近代以前の社会では、さまざまなバリエーションがあったにせよ、宗教と社会、宗教と政治が、なんらかの形で密接に関連していました。人間が死んだらどうなるのか、死者をどのように弔い、彼らの遺産をどのように継承していくのかといった事柄に関して、社会的な合意やルールが存在していたわけです。

――つまり、「死」がよりパブリックなものであったと。

はい。というより、むしろそれは、公共性の中心を占める事柄
でした。ところがヨーロッパにおいて、宗教改革後の16~17世紀に宗教戦争が頻発し、それまで信仰によって一体化を保っていた社会が、むしろ信仰をめぐって争いを起こすという事態が引き起こされてしまった。そうした中で、どのような形の信仰が正しいのかを公的には決定しないという合意が成立し、それが近代における「政教分離」原則のバックボーンになっています。以降、霊魂観や信仰をめぐる問題が、公の場で議論されることは少なくなりました。

ただ、忘れてならないのは、現在のように「死後の世界」や「弔いの作法」に関する社会的な共通了解が存在しない状況というのは、長い人類の歴史においても、きわめて特異的な事態であるということです。政教分離をはじめ、近代の諸原則は、確かに一定以上の必然性や必要性から生みだされたものであり、それらを軽視することはできません。しかし、そこになんの問題も存在しないかといえば、そうではない。個々の人間の死に対して社会がどう向き合うのかということは、今も決して避けて通ることができない問題です。

――その空白を突いているのが、オカルト思想ということでしょうか?

そうですね。こうした状況に対して、本来であればまず、宗教の歴史や構造についての体系的な認識方法を提示し、問題の所在を明らかにする必要があるのですが、残念ながら現在の宗教学は、その任を十分には担えていません。その結果、一部の人間が考え出した恣意的な霊魂観が大手を振ってまかり通るという状況を許してしまったのです。霊性進化論は、そうした霊魂観のひとつであると言えます。そこでは、霊魂の存在が、社会や共同体という具体的基盤を喪失して個人主義化するとともに、「宇宙」や「霊界」という抽象的存在と直結するものととらえられるようになった。たとえば「宇宙における私の魂の霊的ステージ」などといった考え方ですね。こうして現代の霊魂観は、誇大妄想的でオカルト的な性質を帯びるようになったのです。

このような霊魂観を克服するためには、「魂とは何か」という問題をあらためて公に論じ合い、社会的合意を形成しなければならないでしょう。しかしそれは、いつ、どのような仕方で可能なのか。率直に申し上げて、現状では、私にも見通しがあるわけではありません。ただ、その前段階として、先ほど述べたように、現在の社会が抱えている困難や弱点の構造を、可能なかぎり明確化しておく必要があるのだろうと考えています。



オウム真理教とアカデミズム - 大田俊寛
http://blogos.com/article/39063/
”「日本の宗教学は、オウムという対象に自らが躓いたことを、率直に認めなければならない。しかし同時に、そこで終わってはならない。なぜなら、学という営みは根本的に、過去の行為に対する批判と反省の上に成り立つものだからである。オウムに躓いたことそれ自体ではなく、なぜ躓いたのかということに対する反省を怠ったとき、宗教学という学問は、本当に死ぬことになるだろう」(『オウム真理教の精神史』あとがきより)

1995年にオウム真理教によって地下鉄サリン事件が引き起こされてから17年。同事件によって、社会的な信頼を失ってきた日本の宗教学が、今直面している課題とは何なのか。『オウム真理教の精神史』で近代宗教としてのオウム論を展開した気鋭の宗教学者・大田俊寛さんに話を伺った。(聞き手 / 芹沢一也、構成 / シノドス編集部・宮崎直子)

オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義
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■アカデミズム全体への違和感
――最初に大田さんの中心的なご関心と、これまでの研究遍歴を教えていただけますか。

大田 私は昨年の三月にオウム真理教論を発表しましたが、もともとは、新宗教や現代宗教の領域を研究していたのではありません。学部生のときに卒業論文のテーマとして取り上げて以降、博士論文の執筆や処女作の公刊に至るまでの長いあいだ、「グノーシス主義」と呼ばれるキリスト教の異端思想を研究していました。グノーシス主義の教えが記された『ナグ・ハマディ文書』という古文書が1945年にエジプトで発掘され、近年その邦訳も公刊されたのですが、私にはどういうわけか、その内容がとりわけ面白く感じられたのです。

グノーシス主義は、2世紀の中頃から3世紀~4世紀にかけて、地中海世界を中心に広まった宗教思想です。一般には「オカルト」や「エソテリシズム(秘教)」の淵源ともいわれ、難解で謎めいた思想と受け取られることが多いのですが、実際にナグ・ハマディ文書を読んでみると、非常にドライで、ユーモラスに感じられるものがあります。
誤解を招く言い方になるかもしれませんが、グノーシス主義には、現代的な「二次創作」と多分に似たところがあるのですね。聖書ではこう書かれているけれども、実際には裏側でこういう事件があって、その前提としてこういう経緯があったんだよというように、新たな背景を次々につけ加えていくことによって、聖書の物語をパロディ的に転換してしまう。グノーシス研究とオウム研究は直接的には関係していませんが、折衷的に作られた複雑な世界観に粘り強く付き合うことや、その教義を歴史的に考察するというアプローチの方法は、グノーシス研究から学んだことだと思います。

――そもそも宗教に惹かれたのは何故なんですか。

大田 私が自分なりに物事を考えるようになったのは、高校時代に受験勉強に対して強い違和感を覚えたことがきっかけでした。はたして学問というのは、すでに決定された解答を追い求めるようなものなのだろうか、テストで良い点をとって他人を蹴落とすためのものなのだろうか、と。大学に入ってからは、もっと自由に学問を追究したいと思いましたし、何か「魂の深み」に触れるようなものを実感したいとも思いました。
そんな中、現代思想やポストモダニズムからも人並みに影響を受けましたが、中沢新一さんの著作にはとりわけ強く惹かれました。中沢さんの仕事を見ていて、「こういう仕方で学問をやってもいいのか」と思わされましたし、自分もチベット密教の修行をすれば、もしかすると今まで見えなかった世界が見えるようになるのかもしれない、新しい能力が獲得できるのかもしれない、と思い込んだところがあります。今から考えれば、あまりにもナイーヴだったのですが。
そういう状態でしたので、地下鉄サリン事件が起こったときの中沢さんの振る舞いには、とても強いショックを受けると同時に、幻滅も感じました。中沢さんには、オウムというカルトが誕生してしまったことに対して明確な責任があったにもかかわらず、結果として、その責任を引き受けることをしなかったからです。
中沢さんの処女作である『虹の階梯――チベット密教の瞑想修行』(1981)は、平河出版社から公刊されましたが、その母体となっているのは、阿含宗という新興宗教団体です。そして麻原彰晃は、もともとこの団体の信者でした。麻原は独自にヨーガ教室を設立し、徐々に阿含宗から離れていくのですが、この教室で最初期に行われたのが、『虹の階梯』の読書会であったと言われています。このように中沢さんの著作は、オウム教団のそもそもの発端から、決定的な影響を与えていたのです。
ほかの多くの方々も言っていることですが、私も中沢さんには、オウム事件の思想的責任を何らかの形で取っていただきたかった。しかし中沢さんは、「宗教学者」から「人類学者」へと看板を掛け替えただけで、その後も根本的に路線を変更することはなく、今でもオウム事件以前と同じことを言い続けています
たとえば昨年公刊された『日本の大転換』(2011、集英社新書)という著作では、オウムの教義と通底するような、ナイーヴな反近代主義的革命論やユートピア論がその基調になっている。そして、どういう事情があるのかよく分からないのですが、他の宗教学者たちもまた、中沢さんのこうした動きをまったく批判しようとしません。これでは、中沢さんのみならず、日本の宗教学者たちも皆、オウム事件から何も学ばなかったと言われても仕方がないでしょう。

――現在の大田さんの言論のベースには、中沢的なものとの対決があるわけですね。

大田 そうですね。それは決して、望んでいたことではありませんでしたが。自分の知的遍歴を振り返ってみると、大学に入った段階で中沢さんやニューアカデミズムに惹かれて、こういう世界に自分も加われないかと思っていた矢先に、オウムによる地下鉄サリン事件が起こった。そのときに、これはどうもオウムという特殊な団体だけがおかしいのではなく、自分が属しているアカデミズム全体もおかしくなっているのではないか、ということを感じました。とても長い時間が掛かってしまいましたが、そうした問題に自分なりに決着を付けたいと思って書いたのが、『オウム真理教の精神史』です。
■宗教学者と麻原彰晃
――オウム事件とのかかわりによって、日本の宗教学が社会的信頼を失ってしまったとのことですが、社会的信頼を失っているというのはどのようなことなのでしょうか。

大田 現在のところ、日本で最も有名な宗教学者は中沢新一さんと島田裕巳さんだと思いますが、オウム事件に関して、中沢さんは「自分は悪用された」と言っているし、島田さんは「自分はオウム擁護派と見られた」という言い方を繰り返しています。確かにお二人は、自分から積極的にオウムに接近したわけではなく、どちらかと言えばオウムから利用された、あるいは周囲の状況からオウム擁護の立ち位置を取らざるをえなくなったところがありますので、そう言いたくなる気持ちも分からなくはない。しかし、そういった経緯全体を踏まえた上で、自分には責任があったということを、明確に表明すべきであると思います。
オウムについてあらためて調べていく中で、私が感じたのは、中沢さんや島田さんが対談において麻原とどのような言葉を交わしていたのか、さらには、他の宗教学者や文化人たちが、サリン事件以前にオウムをどのように論評していたのかということを、きちんとした形でパブリッシュしておくべきではないかということです。当時の著名な知識人や文化人がどのような理由でオウムを評価していたのか、今の人たちにはよく分かっていないところがあると思うんですね。一般の人々が現在それを読んだうえで、宗教学者や文化人の責任問題をどう考えるのか、また、それに対して彼らがどのように応答するのか。もう一度そこからやり直したほうがいいのではないかと思っています。

しかしながら現時点において、少なくとも宗教学の内部においては、そうした動きはまったく見られません。それどころか、オウム事件の反省を明確にしないまま、「ニューエイジ思想」や「スピリチュアリズム」といったものを肯定的に語り、それを社会に広めていくことが宗教学の役割なのだと言っている研究者さえ少なくありません。驚くべきことに、いまだにオウム総括のはるか手前の状態なのです。
■死の意味づけをできない「近代」
――具体的に本の内容について伺っていきたいと思います。冒頭で大田さんは、これまでオウムについて書かれた学問的著作を検討しています。そして、これまでの学問的分析は、「視野が狭すぎる」か、あるいは「視野が広すぎる」と批判されています。まずはこの点についてご説明いただけますか。

大田 オウム事件とは、簡単に言えば、日本に現れた「カルト」の一つが起こした事件です。これに対するアプローチの方法として、先行研究では、大別して二つの考え方が取られてきました。一つは、80~90年代にかけての日本社会の問題を追求する考え方。もう一つは、密教を中心に、仏教の歴史全体から見る考え方。私は、前者に対しては「視野が狭すぎる」と言い、後者に対しては「視野が広すぎる」と言っています。それでは、適切な視野とはどのようなものでしょうか。
私が強調したかったのはきわめて単純で、それは、オウム問題を正確に捉えるためには、「近代」の構造をきちんと把握する必要があるということです。オウムのような宗教団体が日本社会に現れてきた理由には、近代という時代の特殊性が、最も大きな要因として存在していると考えています。
我々は現在、ヨーロッパで生み出された近代という構造の中で社会を動かしていますが、近代は決して万能なシステムではありません。ある意味では、近代の成功自体が、新たな弱点を生んでしまうところがあります。
たとえば、資本主義に基づく高度な生産様式が成立し、社会保障や医療の制度が整備されることによって、世界の人口は急速に増加していきました。これは明らかに、近代が成功した点の一つです。しかし困ったことに、急速な人口増加をどうやって止めるのかという知恵を、今のところ人類は持ち合わせていません。このままの勢いで経済の拡大や人口増加が続いていくと、資源の枯渇や環境破壊、戦争や恐慌など、回避しようのない事態に直面し、いずれひどい仕方でクラッシュしてしまうのではないかという潜在的な恐れを、私たち一人ひとりが抱えている。それは実は、近代の構造そのものにセットインされているものなのです。
また近代においては、公的なレベルでの「死者の弔いの作法」が消えてしまいました。ヨーロッパにおける近代の諸制度は、16~18世紀に頻発した宗教戦争の結果として生み出されました。それは、公的な領域に信仰の問題を持ち込むのはやめようという合意の上に成り立っています。いわゆる「政教分離」の原則ですね。しかしそれによって、近代以前にはあった、自分の死に対してどう向き合うのか、あるいは他者の死をどのように弔うのかということに関する社会的な共通了解が、スッポリと消えてしまった。このように近代は、人間の生に関しても、死に関しても、その均衡点や共通解をいまだに見出すことができていないのです。
近代の構造には、こうした矛盾や弱点、欠損部のようなものが潜んでおり、それが下地となって、さまざまな新興宗教や、オウムのようなカルトが絶えず生み出されてくることになります。人はオウムのような現象を突然目にすると、教祖が最終解脱者で神の化身であるとか、あと数年でハルマゲドンが勃発するだとか、あのような狂気がどこから湧いてきて、なぜそれが信じられるのだろうかということに驚きと疑問を抱きますが、近代という時代は、そうした荒唐無稽な幻想が絶えず湧き上がるような構造を備えているわけです。このような基本的構造を押さえなければ、オウムについても正確に理解できないのではないかというのが、私の考えです。

――本書を読んでいて最も印象的だったのは、「奇をてらったところがまったくない」という点です。たとえば近代という時代を説明するために使われているのも、ホッブスやルソーといったきわめてオーソドックスなものです。また、近代のうちにオウムを捉えるために持ち出されている三つの視角、ロマン主義、全体主義、原理主義についても、シュライアマハーやアーレントなど、思想史においてお馴染みの知識が駆使されています。一見かなり特異な現象に見えても、性急に特別な説明を持ち出さず、ぎりぎりまでオーソドックスな知識を動員して解明していくという強い意志を感じました。

大田 少し話が戻りますが、私がもともと研究していたグノーシス主義は、先ほどお話ししたように、キリスト教における異端的宗派の一つでした。そしてグノーシス主義を研究するということは、実際には、キリスト教の正統と異端の抗争史を扱うことでもあります。
私は、当初はグノーシス主義の方に肩入れしていたのですが、キリスト教正統派の思想家たち、具体的には、エイレナイオス、ユスティノス、アウグスティヌスなどの文献を読んでいくうちに、やはりこれらの人々は偉大だと感じるようになりました。彼らはキリスト教という巨大な宗教の骨格を、言葉の力で編み上げていったわけですね。神と人間の関係性、教会運営の仕組み、信徒の主体化の方法など、約一千年続く中世という時代を支えるに足る技法が、そこには確固として存在していたのです。
私はグノーシス主義について研究する一方で、必然的にキリスト教神学の領域にも踏み込むようになり、さらにそこから、そもそも宗教とは何か、ある種の信仰によって社会が統治されるとはどういうことかという事柄を、自分なりの仕方で学んだように思います。その過程では、エルンスト・カントーロヴィチやピエール・ルジャンドルといった法制史家から多くの刺激を受けました。こうした論者によれば、近代のシステムは実は、キリスト教のドグマの世界にその立脚点を持っています。近代は表面的には、政教分離というかたちでキリスト教信仰と袂を分かったのですが、近代の最も根幹にあるもの──たとえば、主権という理念、ローマ法に由来する法治の技法、投票による意志決定の仕組み等々──は、キリスト教のドグマに基礎を持っているわけです。

なにか特別な概念や幻惑的な思想を持ちだして、アクロバティックな仕方で現象を説明するのではなく、私はむしろ、今も我々がその下で生きている近代のシステムがどのような経緯によって成立してきたのかということを、かなり愚直に勉強してきた方だと思います。カントーロヴィチやルジャンドルの他にも、日本の研究者で言えば、南原繁、丸山眞男、福田歓一といった政治学者から多くのことを教えられました。こうした人々は、西洋思想史の通史となる書物を著しており、それらは近代成立の過程を知る上で大変参考になります。現代日本の新宗教や、オウムのようなカルトの問題を扱う際にも、近代の長所や弱点がどのようなところにあるのかという基本的な事柄を押さえていなければ、有効な分析は行えないだろうと思うのです。……(つづく)

※ネットは部分掲載なのでここまで。

@lanekota: 霊的進化論は19世紀の英国の捏造~♪
http://blogos.com/article/42874/?axis=&p=3
オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー
http://blogos.com/article/42874/
”宗教学者が“主観的”に宗教に向き合ってきた経緯

―まず最初に、「宗教学」とはどのような学問なのかをお聞かせください。

大田俊寛氏(以下、大田氏):宗教学は、19世紀の後半に成立した、まだ歴史の浅い学問です。宗教自体は、人類の歴史そのものと同じくらい古いものですので、宗教学も古い学問だろうと思われる方が多いのですが、実はまだ、200年に満たない歴史しかない。試行錯誤の段階にある若い学問です。

初期の代表的な研究者としては、『リグ・ヴェーダ』というインドの古典を研究したことで知られるマックス・ミュラー(1823-1900)、『セム族の宗教』を著したロバートソン・スミス(1846-1894)、『金枝篇』を著したジェームズ・フレイザー(1854-1941)、『宗教的経験の諸相』を著したウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)などの名前が挙げられます。

宗教学が成立するまでには、いくつかの段階がありました。歴史を遡って説明すると、まず中世ヨーロッパにおいては、キリスト教カトリックによる一元的な宗教支配が確立しており、その他の宗教は、「異教」や「異端」として退けられていました。しかし16世紀に起こった宗教改革により、ルター派やカルヴァン派といったプロテスタント諸派が乱立するようになり、カトリックの一元支配の構図が崩れました。キリスト教カトリックが相対化されたわけです。

さらに17~18世紀には、ガリレオやデカルト、ニュートンといった自然科学者たちの活動によって、科学的な世界観が急速に発展・普及していきます。その結果、天上界に神様が住んでいて地上界を見下ろしているといった、素朴なキリスト教信仰を維持するのが難しくなってきました。世界というのは、どうも聖書やキリスト教神学で説かれているような仕方では成り立っていないようだということが分かり、従来のキリスト教的な世界観や信仰形態が動揺し始めたのです。
そして19世紀には、欧米列強の帝国主義による植民地政策が進み、宗教に関する知見を含め、世界各地の詳細な情報が集められるようになりました。世界にはきわめて多種多様な宗教が存在しており、それぞれの方法で人々の生活を成り立たせているということを、欧米人たちが初めて肌身に触れて知るようになったわけです。
こうした状況を受け、キリスト教を唯一の正しい宗教とみなすのではなく、世界に存在するさまざまな宗教を比較分析し、宗教のあり方や機能を客観的に把握しようということから成立してきたのが、宗教学という学問です。
―多くの宗教を客観的に比較・考察することを目的に生まれた学問ということですね。

大田氏:はい。もちろんそこには、先ほど述べた植民地政策において、現地の宗教とどのように対峙するか、それをどのように利用するかという、実践的で政治的な動機も含まれていたわけですが、一つの学の理念としては、あくまで対象を客観的に把握することにその目的が置かれていました。
ただ、宗教学の歴史を振り返ってみると、宗教学者が本当に「客観的」な分析に徹することができたのかということには、疑問を呈さざるを得ないところがあります。実際には、研究者にとってどのような宗教が魅力的に見えるかといった、きわめて主観的な態度から対象を評価していたケースも少なくありませんでした。後でお話しするように、私は宗教学のそうした傾向性から、日本の宗教学者がオウム真理教を称賛・擁護するという現象が生まれたのではないかと思っています。

宗教学が誕生した19世紀以降の欧米社会は、キリスト教信仰の自明性・絶対性が失われ、何を信じればよいのか分からない「宗教の空白」が現出した時代でもあったわけです。また、近代化が進んだ結果、物質的には徐々に豊かになるのだけれど、「心の空虚感」に苛まれて精神的な病を抱えるといった現象も、この頃から目立ち始めました。生活が豊かになって、物質的な心配がなくなればなくなるほど、心のなかの空虚さが浮き彫りになってくる状態、現在の言い方では「メンタルヘルスを損なう」というような症状が生まれてくる。こうした現象が、近代以降の欧米社会で目立つようになったのです。
そうした状況にあって、宗教学者は、一見したところ宗教を客観的に分析しているように振る舞いながらも、本音の部分では、自分の心を癒やしてくれるような、あるいは、キリスト教が救ってくれなかった自分の魂を救済してくれるような宗教を探すといった、主観的態度から研究を進めることが多かったのも事実だと思います。
―具体的には、どのようなことでしょうか?

大田氏:一例として、先ほど名前を出したウィリアム・ジェイムズの場合を見てみましょう。彼は、プラグマティズムと呼ばれる哲学の創始者の一人であり、脳科学の先駆となるような心理学的業績も残した偉大な学者なのですが、彼自身が若い頃から、うつ病のような症状に苦しめられ続けてました。ジェイムズはある時期から、本格的に宗教の研究を始めるのですが、その動機としては、さまざまな宗教における救済経験のあり方を検討することによって、自らの精神的な病を癒やすための方法を見出したい、という思いがあったのです。
ジェイムズの著作である『宗教的経験の諸相』には、宗教的回心の体験によって、病み衰えていた人間が精神的健康を取り戻すという事例が数多く紹介されているのですが、そのなかの「宗教的憂うつ」の一例として、ジェイムズ自身の体験が挿入されています。研究者である自分の経験が研究上のデータの一つとして扱われ、また実は、自分自身がいかにして精神的健康を回復するか、癒やされるかということが、著作全体を貫く隠れたバックボーンともなっている。もちろん私は、こうしたある意味で「主体的」な研究方法や叙述方法のすべてを否定しようとは思いません。しかし、そこには多くの陥穽や弊害があるということを自覚しておく必要があります。批判的に言えば、宗教学者には往々にして、研究者と研究対象が厳密に区別できていないということがあるのです。
―宗教学成立時点からのそうした問題点が、オウム事件の際に宗教学者が、その教義を肯定したり、存在を擁護するような結果につながったのでしょうか?

大田氏:はい。そのことを否定するのは難しいのではないかと、私は思っています。

大学における宗教学という学問分野のあり方を考えてみた場合、それが実際にどのような役割を果たしていたのかというと、「心の空白」や「生きる意味の喪失」に苦悩する現代の若者たちに対する一つの受け皿になってきたということがあります。大学には研究の他に、学生の教育という役割もありますから、もちろんそのこと自体は、一概に否定的に捉えられるべきことではありません。私自身も少なからず、自分の生き方に思い悩んだところから、宗教学を学び始めたという面はあります。

しかしながら他方、宗教に対するそうした主観的な態度、すなわち、人生の意味を自分に教えてくれる宗教はどれか、自分の心を癒してくれる宗教はどれかという態度が、いつまでも許されて良いということもありません。一人の学生から研究者へと成長する過程のどこかの段階で、研究対象に客観的に向き合う態度をきちんと身につけなければいけない。そのような、宗教を客観的に分析することができるようになるための学問的訓練(ディシプリン)の手法や理論を練り上げるべきだったのですが、日本の宗教学は、その努力を怠ったところがあります。「私はこういう宗教によって成長しました、心を癒やされました」という主観的な態度を、いつまでも容認してきてしまったということがある。

宗教学者の中沢新一氏や島田裕巳氏は、90年代に、「オウムは聖なる狂気によって現代社会の価値観を根底から相対化する」「オウムのイニシエーションは、現代の若者を大人へと成長させるものだ」という理屈で、オウムを礼賛しました。今から考えれば彼らは、ネパールでの密教修行やヤマギシ会というコミューンでの個人的な体験から、宗教とはこういうものだと早合点し、同時に、オウムの教義とはどのようなものか、教団内で実際に何が行われているのかを正確に把握しないまま、オウムを評価してしまったわけです。私はオウム事件とは、日本の宗教学が当初から抱えていた欠点が、顕著に露呈してしまった出来事であると考えています。
―大田さん自身は、宗教をどのようなものだと考えているのでしょうか?

大田氏:私は現在のところ宗教を、「虚構の人格」を中心として社会を組織すること、そしてそれによって、生死を超えた人間同士の「つながり」を確保すること、と規定しています(『オウム真理教の精神史』三二頁)。宗教の本質規定の方法は、個々人の心理的次元に着目するものと、社会的機能に着目するものの二つに大別されますが、私の立場は後者に当たります。学問的には、『宗教生活の原初形態』という著作を書いた社会学者のエミール・デュルケム(1858-1917)から大きな影響を受けました。

しかしながら、宗教学者の全体を見渡してみると、心理的次元を重視するという研究者の方が数が多いかもしれない。さらには、より実践的に、宗教学の本領というのは現代人の「心のケア」を行うことにあると主張する研究者も少なくありません。先ほど述べたように、近現代の社会とは、多くの人々が精神的な悩みや病を抱えるような環境にありますので、そういうことを主張したくなる気持ちも分からなくはない。しかし、宗教学が自らの理論的基盤を明らかにしないまま、ズルズルと実践領域に踏み込んでいくことになると、一つの学としての立場をかえって危うくしてしまうのではないかと、私は危惧しています。
―ご著書の中でも、土地所有の正当性を示すための社会的機能として、祖先崇拝という宗教があったという主張をされていますね。

大田氏:はい。その見解は主に、デュルケムにも影響を与えた歴史学者フュステル・ド・クーランジュ(1830-1889)の著作『古代都市』に依拠したものです。社会とは、一人の人間の生死を超えて、知識や財産が継承されることによって成り立つものですので、そこには必ず、それらの究極的な所有者である「永続的な人格」が必要とされます。具体的には、「祖先の魂」や「神」などですね。仰るように、原始的な社会において家族や氏族といった共同体は、自分たちの住んでいる土地の所有者は「祖先の魂」であると主張することによって、土地支配の正当性や永続性を確保していました。
大学の講義で私はしばしば、現代の社会において、宗教としてのもっとも中心的な機能を果たしているのは「法人」である、と説明しています。法人というのは英語で「Corporation」と言い、その語源をたどれば、「corpus christi(キリストの身体)」というラテン語に由来します。キリスト教には、聖餐礼という儀礼において、一つのパンが「キリストの身体」として表象され、信徒たちがそれを分かち合って食べることによって、一つの体になる=共同体を結成する、という考え方があります。人間の社会は常に、こうした永続的な「虚構の人格」を中心に据えることによって成り立っているわけです。
宗教と言えば、神や仏や魂など、本当は存在しないものを存在すると信じ込んでいる古くさい迷信だと思っている人もいますが、それでは、「国家」や「会社」や「法人」は本当に存在していると言えるのでしょうか。一見して自明で世俗的にさえ思われるそれらの存在も、その根拠をたどっていけば、必ず宗教的な次元を内包しているものなのです。


当時の日本の宗教学や社会学の潮流には、オウム的精神と親和性があった

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―そうした大田さんの主張がある一方で、今までの宗教学者は、オウム真理教事件をどのように捉えてきたのでしょうか?

大田氏:詳しくは『オウム真理教の精神史』の序章を参照してほしいのですが、私がそこで学問的な先行研究として批判的に論評したのは、中沢新一氏、島田裕巳氏、島薗進氏という三人の宗教学者と、宮台真司氏、大澤真幸氏という二人の社会学者のオウム論です。
読者によってそれぞれ受け止め方が異なると思うのですが、私個人の印象としては、これらのオウム論はまったく腑に落ちないものでした。今から考えれば、どれも「オウムは自分には関係ない」という、どこかよそよそしい態度でオウムについて論じています。あえて精神分析の用語を使えば、核心的な部分に触れないようにして巧みに自己防衛するという意味で、そこには何らかの「防衛機制」が働いていたのではないでしょうか。

まず宗教学者について言えば、中沢氏、島田氏、島薗氏の学問上の「師」に当たるのは、東京大学教授であった柳川啓一という人物です。柳川氏の宗教論がどのようなものであったかについては、島田氏の1993年の著作『イニシエーションとしての宗教学』(増補版が『私の宗教入門』というタイトルで再刊)に詳しいのですが、そこでは、宗教の現場に飛び込んで「聖なるもの」を自ら体験すること、また、そうした体験によって子どもから大人へと脱皮するという「イニシエーション(通過儀礼)」の重要性が強調されていました。師から受けたこうした教えに基づき、「聖なるもの」を自ら体験するため、島田氏はヤマギシ会というコミューン運動に参画し、中沢氏はネパールでのチベット密教の修行に身を投じていったのです。
ネパールから帰国した後、中沢氏は、1981年にオウムの教義の重要なネタ本にもなった『虹の階梯』を発表し、続いて1983年に公刊された『チベットのモーツァルト』がベストセラーになったことで、浅田彰氏と並んで、「ニューアカデミズム」の旗手の一人となりました。若い人たちにはピンと来ないかもしれませんが、80年代半ばから90年代初頭にかけて、彼はアカデミズムの内外に広範な影響力を持っていたのです。当時の中沢氏がチベット密教の修行についてどのように語っていたのかがよく分かる映像資料として、1983年に制作された『眺め斜め』というドキュメンタリー作品があります。これを見ていただければ、このようなスタンスで宗教について語る「研究者」をそのまま受け入れてしまった、当時のアカデミズムの特殊な雰囲気を感じ取ることができると思います(現在ではネット上に動画がアップされていますので、探してみて下さい)。

よく知られているように、オウムにおいては、弟子が師(グル)に帰依することによって授けられる「イニシエーション」が重視されていました。そして、ちょうどそれと並行する形で、東大の宗教学においても、イニシエーションを重視する宗教論が唱えられていた。イニシエーションというのは、ニューエイジ思想のなかで頻繁に使われていた言葉ですので、麻原彰晃が東大宗教学から直接的に影響を受けたかどうかは分かりません。しかし、中沢・島田の両氏が不用意にオウムを礼賛してしまった理由は、2人が師と仰ぐ柳川氏が説いていたイニシエーション論と同じような論理がオウムでも説かれていたということが、大きな要因だったのではないでしょうか。
―当時の日本の宗教学の潮流と、オウムの教えに親和性があったということですね?

大田氏:ええ。そしてこのような傾向は、宗教学だけが持っていたものではありませんでした。私はあくまで宗教学の研究者ですので、社会学の内情を詳しく知っているわけではないのですが、当時の社会学もまた、オウムに対する精神的な親和性を有していたのではないかと思います。

先日逮捕された高橋克也容疑者は、オウムの刊行物の他、中沢新一氏の『三万年の死の教え―チベット『死者の書』の世界』(1993)や、カルロス・カスタネダの『呪術の体験──分離したリアリティ』(1971)を所有していたということが報道されました。カスタネダとは、アメリカのUCLAで学んだ人類学者とされる人物であり、彼はドン・ファンという名前のヤキ・インディアンの呪術師を研究の対象としました。当初カスタネダは、人類学のデータを採取するためにドン・ファンを観察していたのですが、次第にその世界観にのめり込み、「知覚の変容」を自ら体験して、弟子としてドン・ファンに帰依するようになっていきます。『三万年の死の教え』や『呪術の体験』といった書物は、ともに弟子が師に帰依することによって、現世とは異なる別次元の世界を体験する、という内容なのですね。
カスタネダの書物は、60年代後半から70年代にかけて、ニューエイジ思想の教典の一つとして世界的なベストセラーになったのですが、それを日本に紹介する役割を担ったのが、東京大学社会学の教授であった見田宗介氏でした。見田氏は、宮台真司氏や大澤真幸氏の学問上の師に当たる人物です。

見田氏は1977年に、「真木悠介」という筆名で『気流の鳴る音―交響するコミューン』という著作を公刊したのですが、このなかではカスタネダの理論や世界観が、大きな紙幅を割いて肯定的に参照されています。その内容は、カスタネダのような仕方で「知覚の変容」を経験した者たちが、近代社会を離れてコミューンを結成するといった、きわめてナイーブな「ニューエイジ革命」礼賛だったのです。オウム真理教もまた、「ロータスヴィレッジ」という名前の理想的コミューンを築き上げるという構想を打ち出していましたが、見田氏の提唱していたコミューン論が、オウム的精神と根深く通底していたということは、否定することができないと思います。
―日本における宗教学や社会学の歴史を紐解いていくと、当時のアカデミズムが、オウムを肯定的に捉えてしまう構造があったということでしょうか。

大田氏:「肯定的に捉えてしまう」という以上に、日本のアカデミズム内の一つの潮流が、実はオウムの「生みの親」の一人であった、あるいは少なくとも、「オウム予備軍」となるような若者を大量に生み出してしまった、ということなのだと思います。
先ほど名前を挙げた五人の研究者たちのオウム論に対し、私は「腑に落ちない」と言いましたが、その理由は何より、これらの方々の師に当たる人物がそもそも、オウムに通底するような思想や精神性を提唱していたのではないか、そしてこれらの研究者たちは、オウムのグルイズムにも似た「師への帰依」という形態で、その精神性を継承してしまっているのではないかという思いがあるからです。オウム事件を学問的に総括しようという場合、このような自らの立ち位置への根本的な反省が伴っていない限り、その論は十分なものとはなり得ないだろうというのが、私の考えです。
―思想的な潮流から見れば、根っこが同じところにあるということですね。

大田氏:80年代前後のアカデミズムにおいては、対象を客観的に把握するための理論を練り上げるというよりは、対象に向けて主体的にコミットしていくことを推奨するような、積極的な実践論や革命論が幅を利かせていました。ただ単に、研究書を読んで机上の空論ばかり言っていてもダメで、どんどん社会のなかに飛び込んで自分で実地を体験しろ、あわよくば革命を起こせ、といった風潮が、80年代のアカデミズムには濃厚に漂っていました。十数年前の学生運動の雰囲気や、共産主義革命論の余波が、屈折した形で残存していたわけです。

オウムに関しては、「どうして優秀な大学生がオウムのような団体に身を投じていったのか」ということが、しばしば疑問視されています。『オウム真理教の精神史』でも触れたように、それにはいくつかの理由がありますが、その原因の一つは、「オウムと同じような思想が、当時の大学でも教えられていたから」ですよね。当時のアカデミズムの風潮を考えれば、むしろ当然の現象であったとさえ言うことができます。

しかし、こうした風潮はすでに過去のものであり、それ自体を今から批判・否定することにそれほど意味があるとは思えません。私自身も、もし柳川氏や見田氏の弟子たちと同じ年代に生まれていれば、同じような空気に染まっていただろうとも思いますので。しかしながら、過去の過ちを十分に反省せず、同じ間違いを何度も繰り返そうとすることには、苦言を呈さざるを得ません。
これまで、『サイゾー』における島田裕巳氏との対談や、Twitterの発言を通してすでに指摘してきたように、中沢氏が震災後に出した『日本の大転換』で示した革命論は、オウム真理教やナチズムの思想と同型のものです。社会からたびたび要請されているにもかかわらず、オウム事件に対して反省の目を向けようとせず、むしろオウム擁護に結びついたような詐術的思想やレトリックを、今でも飽きずに反復している。また、そうした中沢氏の言動に対して、周囲の研究者たちは誰も表だっては批判しようとしない。これでは、「日本の学者はオウム事件から何も学ばなかった」と言われても仕方がないと、私は思っています。
オウムの教義は「馬鹿げている」の一言で済ませられるものではない
―著書でもお書きになっていますが、オウム真理教の教義は、にわかには受け入れがたいものです。にもかかわらず、当時多数の人々から支持を得ることができたのは何故でしょうか?

大田氏:オウム真理教の思想的な構造が、全体としてどのようなものであったのかを理解することが重要です。私は『オウム真理教の精神史』において、ロマン主義、全体主義、原理主義という三つの思想潮流からオウムを分析したのですが、さらに簡略的に図式化すれば、オウムの思考は、次のような「霊性進化論」の構図に則っていたと考えることができます。

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簡単に説明すると、これは次のような構図です。人間は幾度も輪廻転生を繰り返し、霊性を進化させることによって、神に近い存在に進化していく。しかし他方、霊性の進化から目を背けて生きる人間は、動物的な存在に堕ちてしまう。そうした二元論的な世界観なのですね。私はこれを「霊性進化論」と呼んでいるのですが、このような思想はいつ成立したのでしょうか。

先ほども話したとおり、近代以降、キリスト教信仰は次第に影響力を弱めてゆき、それと対極的に、科学的なものの見方が広まっていきました。そしてその結果、人間は肉体の死を迎えてしまえば無に帰るのだといった唯物論的な死生観が、社会のなかで一般化していったのです。しかし他方、こうした「死んでしまえばすべてが無くなる」という見解では納得できないという人々も多数存在し、そうしたなかから、欧米の「スピリチュアリズム(心霊主義)」と呼ばれる動きが生み出されてきた。現在、江原啓之氏などの活動によって知られるスピリチュアリズムは、ちょうど宗教学の成立と同時期、19世紀後半に誕生したわけです。

スピリチュアリズムでは、人間の霊魂は永遠の存在であり、死後も霊界で生き続けると考えられているのですが、こうした思想を発展させたのが、神智学の創始者であるロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人(1831-1891)でした。彼女は、スピリチュアリズムの霊魂観をベースに、当時の最新の科学理論であったダーウィンの進化論、さらにはインドの輪廻転生論を結合させ、人間の魂は、輪廻転生を幾度も繰り返しながら霊性を進化させていくと主張した。また、チベットの奥地には、高度な霊性に達した「大師(マスター)」たちが集う「シャンバラ」と呼ばれる聖なる王国が存在するとし、そして世界は、こうしたマスターたちによって密かに教導されていると唱えたのです。

オウム真理教の教義のベースに存在していたのも、こうした神智学的な霊性進化論であったと考えることができます。ヨーガや密教の修行をすることで「霊的ステージ(霊格)」を向上させ、超人類や神人と呼ばれる存在に進化することが、その第一目標とされていました。また、教祖の麻原彰晃は、現在の人類のなかでもっとも霊格が高く、シヴァ神の化身やキリストであると捉えられており、麻原を中心に「シャンバラ」や「真理国」と呼ばれる政祭一致のユートピア国家を建設することが、オウム真理教の最終目的でした。

しかし他方、世間には、オウムとは異なり、霊性の向上などには関心を抱かない人々もたくさんいる。そうした人々はオウムでは、次の転生において「地獄・餓鬼・畜生」といった下位の世界に堕ちることが運命づけられている動物的な存在であると見なされていました。先の図のなかで、「獣人」と表されているものですね。そしてオウムによれば、こうした動物的な人々は、高位の大師に導かれるのではなく、悪の秘密結社であるユダヤ=フリーメーソンに洗脳支配されたまま物質的欲望にまみれ続けており、同時に、神人を目指しているオウム教団を不当に弾圧する存在である
と考えられていた。そこでオウムは、動物に堕ちていくしかない人々の魂を一挙に「救済=ポア」するため、サリンを用いた大量虐殺を画策したのです。もちろんそれは、オウム教団にとって都合の悪い人間たちを粛清するという行為に他ならなかったわけですが。
このように、オウムの世界観はきわめて幻想的で荒唐無稽なものだったのですが、しかし、同時代を生きたわれわれにとって、果たしてこれが自分とは無関係であると本当に言い切れるのだろうかと、疑問に思われる点があります。
―お話いただいたような荒唐無稽な教義と、当時の社会状況のあいだには、どこか通低するものがあったのでしょうか?

大田氏:これまでお話ししてきたことと重なりますが、まず、オウムと同時期のアカデミズムにおいては、「ポストモダニズム」と呼ばれる思想が流行しており、そこではしばしば、適切な批判的態度を欠いたまま、ニーチェを礼賛するという風潮が見られましたニーチェの主著である『ツァラトゥストラ』のなかには、「人間は動物と超人の間に張り渡された一本の綱である」という言葉があります。ニーチェは、功利主義的で教養俗物的な生き方に自足した現代人を「畜群」と呼んで蔑み、他方で、世界生成の有り様を肯定し創造的な生を送ることのできる存在を「超人」と呼んで礼賛しました。もちろん、オウムのそれとは意味合いを異にしていますが、そこでもまた「動物か超人か」という二元論的思考が成立していた。その思想は歴史的には、ナチズムの世界観や人種論に強い影響を及ぼしました。同様に、日本のポストモダニズムにおいても、人間は強度に満ちた生き方をすることによって「超人」的な存在になりうる、あるいは、工学的管理の徹底によって「動物化」していくという、二元論的なレトリックが幅を利かせていたわけです。

また、アニメや漫画などのサブカルチャーにおいては、主人公が何らかの経験によって超常的な能力を獲得し、それによって世界を救うというストーリーは、ごくありふれたものとして存在していました。『機動戦士ガンダム』に描かれた「ニュータイプへの覚醒」というものはその典型例でしたし、『ドラゴンボール』のような少年漫画においても、主人公が「修行」することによって超人に生まれ変わるという物語は、お決まりのパターンの一つでした。私より少し前の世代に流行った特撮番組に『レインボーマン』という作品があったのですが、そのストーリーは、インドの山奥で修行してヨーガの超能力を身に付けた主人公が、悪の秘密結社と戦うというものだったそうで、これに影響を受けたオウム信者は多かったと聞いています。そしてTVの特番でも、ユリ・ゲラーの超能力、矢追純一のUFO論、五島勉のノストラダムスの大予言など、オカルトを自明の事実として扱うような内容のものが数多く放送され続けていました

加えて、受験勉強を中心とする学校教育においては、偏差値という単線的な尺度で人間の価値が計られる状態になっていましたが、こうした発想は、「霊的ステージ」で人間を差別化するオウムの思考法と類似してはいなかったでしょうか。最近ツイッターを介して教えていただいた話なのですが、当時の受験産業においては、受験戦争を勝ち抜くための能力開発という名目で、ヨーガの実践が推奨されることがあったそうです。ヨーガの修行によって体内の「チャクラ」を開けば、潜在的な能力が覚醒し、急速に頭が良くなるといったものですね。オウム教団もその発端においては、「鳳凰慶林館」という名称の、能力開発のための学習塾だったのです。

こうした社会状況全体を考えてみると、オウムの教義は、「馬鹿げている」「自分には関係ない」という一言で済ませられるものではないと思われます。オウムが急成長を遂げた時期には、日本社会においてもまた、人間は超人的な存在になりうる、神のような存在になりうるという「全能幻想」が、色濃く漂っていたのではないでしょうか。オウムが、こういった社会全体の雰囲気から生み出されたものであるということを、忘れてはならないでしょう。
オウム問題の今後──アレフの麻原崇拝への回帰と、日本社会の不活性状態
―オウム真理教の事件が起きた1995年と同様、あるいはそれ以上に、今の社会状況は悪化しているように思います。オウムが社会的な条件・雰囲気から生み出されたものだとすれば、今後、第2、第3のオウム真理教が誕生する可能性はあるのでしょうか。

大田氏:最近私には、オウムの後継団体の一つである「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏から話を伺う機会がありました。上祐氏と私の対談は、『atプラス』という雑誌の次号に掲載される予定ですので、詳しくはそちらをご覧いただきたいのですが、上祐氏の話で印象深かったのは、オウム真理教の後継団体の主流派である「アレフ」において、麻原崇拝への回帰の動きが顕著になっているということでした。
ですので、そのご質問に対しては、「第2、第3のオウム」が出てくることを心配する前に、オウム真理教の問題そのものがまだ完全に終わったわけではないということを、まずは強調しておかなければなりません。「オウムはもう見たくない、社会から抹消してしまえ」というのが、今の日本社会の正直な考えかもしれませんが、そうした感情論が噴出してしまうと、彼らを不用意に追い詰め、再び暴走させてしまう危険性があると思います。オウムという教団が、日本社会から生まれたその分身の一つであるということを認め、彼らとの対話の回路を開き、その動向を今後も注意深く見つめる必要があるでしょう。

先ほどのご質問は、過激な無差別テロに走るオウムのような「破壊的カルト」が、再び日本社会に登場する危険性はあるのか、ということだと思いますが、私としては、それを心配するよりもむしろ、現在の日本社会が慢性的な不活性状態にあり、年間の自殺者数が高止まりしているということを心配するべきであると思います。

先ほども述べたように、80年代から90年代の初頭にかけて、日本社会には「全能幻想」が色濃く広がっており、ある種の「躁(そう)」的な高揚感に包まれていました。バブル的な好景気のなかで、多くの日本人は、日本の経済こそが世界を支配しうるとさえ考えていたし、経済至上主義・物質至上主義に反発した人々も、宗教的な修行を積んで霊性を高めることによって、神のような存在になりうるという全能感に浸っていた。社会の主流派とその対抗勢力が、それぞれの仕方で「全能幻想」に浸っていたわけです。

しかし、前者の経済至上主義的な全能感は、90年のバブル崩壊とそれに続く不況によって雲散霧消し、後者の宗教的な全能感は、95年のオウム事件によって著しく傷つけられることになりました。経済至上主義も、宗教的な霊性の探求も、共に限界に突き当たってしまった。そしてオウム事件の騒動が一段落した98年頃に、日本社会は全体として、躁状態からうつ状態へと大きく転換したのではないかと、私は思っています。その頃から、年間の自殺者数が約二万四千人から約三万二千人へと急増し、現在でも高止まりしている状態です。オウムを生み出したような社会的高揚感は、良くも悪くも、今の日本社会からは失われてしまっているのです。

もう一度バブル期の高揚感を味わいたい、と願っている人々も多いのかもしれません。しかし私としては、日本社会はそろそろ、躁状態か、そうでなければうつ状態かという、双極的なメンタリティから脱却する方法を考えるべきであると思います。実際にわれわれは、「超人」にも「動物」にもなることはできず、どこまでも「ただの人間」であるしかない。等身大の自分自身の姿を冷静に見つめ、自分ができること、できないことをはっきりさせ、日々の地道な努力によって一歩ずつ前に進むことを目指すべきではないでしょうか。
―本日はありがとうございました。

プロフィール
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大田俊寛(おおた・としひろ):1974年、福岡生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。主な著書に『オウム真理教の精神史』、『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)がある。
Twitter:@t_ota ”


「空虚な幻想」から目を覚ますために――オウム真理教事件の根底にあるもの

大田俊寛氏インタビュー
http://synodos.jp/society/12365
思想というのは本来的に、一般の人が理解しているよりも、はるかに危険なものです。――思想はどのように裁けるだろうか。オウム真理教の根底にあるものを探る。(聞き手・構成/山本菜々子)
※本記事は「αシノドス」2014年5月号からの転載となります。


危険思想と弾圧

――今回は、ご寄稿いただいた『オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった』をもとに、お話を伺いたいと思います。拝読すると、思想の罪を問うことのむずかしさを感じてしまいました。

記事のなかでも触れたように、日本の現在の司法制度では、思想に対する罪を問うことができません。しかし歴史を振り返ってみると、「危険思想」と見なされたものには、制裁や弾圧を加えられるのが、むしろ常態でした。

私はもともと、「グノーシス主義」という初期キリスト教の異端思想を研究していました。またその過程で、キリスト教の歴史における正統と異端の関係 全般についても学んでいきました。私は当初、どちらかと言えば、批判や弾圧を受けていた異端の側に共感を抱いていたのですが、勉強を進めるにつれ、問題は それほど単純ではないと感じるようになった。異端の思想は、一見したところでは理に適っていたり魅力的であったりするのですが、長い目で見ると、社会を安 定的に統治するための要素が欠如していることが多いのです。アウグスティヌスが著した異端論駁書などには、深く納得させられるところがあり、頭の固い「正 統派」が、リベラルでラディカルな「異端派」を攻撃しているというような簡単な話ではないのだな、と思わせられました。

また、戦前の日本でも、国家権力による新興宗教への弾圧が行われていました。「大本」という宗教への弾圧は特に激しく、教団の施設をダイナマイトで 爆破することまで行われた。その経緯については、早瀬圭一『大本襲撃』(毎日新聞社)や、村上重良他『宗教弾圧を語る』(岩波新書)という本が参考になる と思います。大本事件をモデルとして中国文学者の高橋和巳氏が書いた小説『邪宗門』も、一時期は良く読まれていましたね。

思想というのは本来的に、一般の人が理解しているよりも、はるかに危険なものです。人類の歴史において生じた大きな悲劇的事件の背景には、大抵の場 合、思想の違いや対立があります。人間の生死を根本的に規定する力、「この理念のために命を捧げなければならない」と人を駆り立てる力が、思想には備わっ ているのです。

繰り返しになりますが、どんな思想を社会に流布させても、それだけで罪に問われることがないというのは、歴史的に見てかなり例外的な状況です
。しか し、こうした特異な状況に対して、社会の側では、それに対処するための知見や自覚がまだまだ十分整っていないのではないか、と私は思います。


――思想の罪を問わないのは当然のことで、むしろ今までは、「治安維持法」や「異端審問」などは、かなり前時代的で野蛮なもののようにさえ感じていたので、ご指摘の点は興味深く思いました。

中国や北朝鮮のような共産主義国、あるいはイランのようなイスラム教国は別として、現在の多くの国家では、「信教の自由」や「思想・表現の自由」が 基本的に容認されています。しかし、「セクト」や「カルト」と呼ばれるような団体に対して、公権力がどのように対峙していくのかということについては、国 によって態度がバラバラな状態です。

先進国のなかで、この問題にもっとも踏み込んだ姿勢を示しているのは、やはりフランスでしょうか。2001年には、いわゆる「反セクト法」(正式名 称:「人権及び基本的自由の侵害をもたらすセクト的運動の防止及び取締りを強化するための2001年6月12日法律2001-504号」)が制定されまし た。セクト的団体やその指導者が、精神的自由の侵害や虚偽広告などで繰り返し違法行為を犯した場合、国家がその団体の解散を宣告できる、という内容です。 しかし、この法律が制定される際にも、果たして「信教の自由」の原則に反することにならないのかと、大きな議論が巻き起こりました。

私は時折、一般向けのセミナーや講演で話をさせていただく機会があるのですが、そこに出席された方から、「おっしゃるような難しい話は私には分から ないので、あなた方専門家がどの宗教が危ないのかを判断して、国と話し合い、われわれ一般市民に害が及ばないように対処してほしい」と言われることがあり ます。そのような意見が出てくる気持ちはとても良く分かるのですが、そうなると、宗教学者がかつての「異端審問官」の役割を代行するということにもなりか ねませんよね。宗教団体が違法行為を犯していた場合に、国家権力が介入するのは当然として、宗教学者に許されるのは、各宗教がどのような来歴と性質を備え ているのか、可能な限り客観的に説明することだけです。後は、個々人の良識と判断に委ねるより他にない。
思想的・宗教的問題についてどのように対処するか、社会の共通理解が確立されていないために、それへの対応が度を超えて過激になってしまうこともあ ります。カルト問題に関しては一時期、「洗脳」や「マインドコントロール」といった考え方が不用意に濫用され、精神的呪縛を解くためには、「脱洗脳」や 「ディプログラミング」といった手続きが不可欠だと言われていたことがありました。そしてそのために、「カルト」に入ってしまった信者を拉致し、マンショ ンの一室に長期間監禁するという事件が頻発していたのです。

――とても暴力的な方法ですね。

そうなると、中世の異端審問どころか、リンチ(私的制裁)と変わらなくなってしまいます。日本におけるこの種の事件については、米本和広『我らの不 快な隣人──統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』(情報センター出版局)や、室生忠『大学の宗教迫害』(日新報道)といった著作に詳しく論じ られています。「カルト」対「反カルト」という狭隘な構図に組み込まれてしまう前に、宗教や思想に関してわれわれがどのような状況に置かれているのかにつ いてもっと視野を広げ、全体を俯瞰しておく必要があると思うのですが・・・。現状を変えてゆくのは、なかなか難しいでしょうね。


グルイズムとは

――「麻原の意思に背けば殺される」という感覚が共有されていたというのは、恐ろしい話ですね。ご著書の『オウム真理教の精神史』を読むと、グルイズムについて考えさせられます。師弟関係など、日本にはグルイズム的なものがたくさんありますよね。

人生における大切なことを知ったり、人間として大きく成長したりするためには、心から尊敬できる「師」に出会い、直伝のような形で教えを受ける必要 があるという考えは、よく聞かれますよね。今の日本社会では、そのような機会が失われていることが問題だ、と嘆く人もいます。しかし、安易にそう思い込む と、オウム事件も含め、「グルイズム」に潜む数々の落とし穴が見過ごされることになってしまう。

私は自分のことを、とても平凡な人間だと思っているのですが、幼少時に父を亡くして母子家庭で育ったせいか、「グルイズム」的な感覚に対して、人一 倍鈍いところがあるようです。「師」に対する畏敬の感覚というのは、父親との関係がベースとなっているところがありますから。どんなに頑張ってもかなわな い強くて大きい人間として父親がいて、その人に頼ることによって自分も成長できる、という感覚ですね。私には、そういう人間関係を学ばずにスキップしてし まったところがあるのかもしれません。
しかしそもそも、自分自身も含め、一人の人間が知っていることや経験していることなどわずかなものですし、その日の気分や体調次第で、明らかに間 違ったことを発言してしまうこともあります。だから、たとえ相手が尊敬する先生であろうと、おかしいことにはおかしいと言うのが本当だろうと思います。学 問や思想の世界では、特にそうあるべきではないでしょうか

――宗教というのは「畏れ」の表れであるように思います。グルイズムも一種の「畏れ」の抱き方だとしたら、グルイズムは宗教の中で自然なものだと思うのですが。

グルイズム的な「師への敬意」の感覚は、私にはあまりピンと来ませんが、何らかのものに対する「畏敬」や「畏れ」の気持ちは、私の中にも存在してい ます。しかしそれは、何らかの種類の「学」や「理念」や「伝統」に対する畏れであり、一時的にそれを担っているにすぎない、生身の人間に対する畏れではあ りません。

宗教の歴史について考えてみると、古代の原始的な宗教では、部族の長や民族の王など、特定の生身の人間に対する崇拝が行われていました。彼らの存在 そのものが神聖と見なされ、他の成員たちはみな、その意志や発言に服従しなければならない、という観念が強固に存在したわけです。

しかし、社会の仕組みが進展するにつれ、特定の個人に対する崇拝や従属は、徐々に影を潜めるようになっていきました。その理由は、身分差別に対する 異議申し立てが行われた他、個人の判断には誤りや偏りが多いという弊害があったからでしょう。それに代えて、個々人を超越した人格や原理が重んじられるよ うになっていった。一神教的な超越神や、法治の原理などですね。

神聖性のオーラを帯びた特別な人間に身を委ねたい、生の指針を示してほしい、というのは、とてもプリミティブな感覚で、だからこそ根強く、なかなか 消えないものなのでしょう。しかし、徐々にそこから脱却していったというのが、これまでの人類の歴史における進展のプロセスであり、いつまでもその感覚に 拘泥し続けるというのは、文化的・精神的後退と見なさざるを得ないのではないかと思います。【次ページにつづく】

オウム思想の根源

――ご寄稿では「事件のすべては麻原の独断によるものであり、また同時に、その「真相」のすべてを麻原が了解していたかといえば、とてもそうは考えられない」とおっしゃっていますが、これはどのような意味なのでしょうか。

実は、オウム事件の「真相」というのは、ある意味で非常に単純なのです。オウムの目的は、新人類によるユートピア社会を建設することにあり、そして そのために、物欲に塗れた現在の日本社会の人々を、可能な限り大量に粛清しなければならないと考えた──あたかも、部屋にバルサンを焚いて、害虫を駆除す るような仕方で。オウムでは、70トンのサリンの製造計画が進められており、95年11月から、本格的な「最終戦争」に突入することが予言されていまし た。記事でも触れたように、旧人類と新人類の「入れ替え」が、オウムの最終目標だったのです。

ただ、ここで問題となるのは、どうしてこのような荒唐無稽な幻想を「真理」と信じ込むことができたのか、なぜこのような動機で実際に人を殺すことが できたのかということが、一般の人々にはとても理解しづらいということです。これに対して、麻原やオウムの信者を含め、ニューエイジ的な精神革命論に深く 呪縛されている人々は、この種の世界観のリアリティをよく分かっている。しかし、であるからこそなおさら、それを客観的に理解したり、説明したりすること ができない。思想の魅力を心身で感得し、それに呪縛されている人と、その種のリアリティが分からない人のあいだで、大きな意識のギャップが生じているのだ と思います。

本来であれば、そうした「意識のギャップ」を埋めるために、客観的・第三者的立場から説明を行うというのが、宗教学者の役割のはずなのです が・・・。ニューエイジの影響というのは、アカデミズムの内部にまで深く及んでおり、そうした過去の反省と清算を未だに行えていないというのが、現在の宗 教学の偽らざる内情です。


――ニューエイジの思想というのは、今も受け継がれているように感じました。いまの若者論の中には、「ゆとり世代」や「さとり世 代」と呼ばれている世代は、すでに物欲には執着しておらず、むしろそれ以上のものを求めている、という話が出てきますよね。それとすごく似ているなと思い ます。

オウム事件の経験から、空虚な精神論が暴走すると危険だということを、社会全体で身に沁みて実感したところがあって、それ以降、過激なものは目立た なくなったと思います。ですが、例えばamazonでベストセラーになっている本を見てみると、その多くが、「新しい自分に目覚める」「思考が現実を作 る」といった自己啓発本ですよね。コアなニューエイジ思想が希釈されて流通し、未だに麻薬的効果を及ぼしているという現状
があります。

早くも忘れ去られてきたところがありますが、2012年にはマヤの予言が話題となり、その際には「アセンション」が起こると囁かれました。アセン ションというのは、「次元上昇」という意味です。3次元の物質性にとらわれてきた人類の意識が、4次元レベル、5次元レベルに上昇し、目に見える世界は消 滅していくという終末論が唱えられていました。

――なんだかすごい話ですね。

80年代から90年代にかけては、テレビで毎月のように「ノストラダムス特番」が放映されていました。かつてオウムの信者だったある人物から、「あ あいった番組を子どものころからテレビで見せられ続け、1999年になったら何かが起こるという強迫観念を刷り込まれていた。しかし、それらの番組を放送 し続けた大人たちは何の罪も問われず、真に受けたオウムだけが悪いというのは、どう考えても納得できない」という意見を伺ったことがあります。若い人には あまり実感が沸かないかもしれませんが、ある世代以上の日本人にとっては、とても共感できる話だと思います。

責任の取り方

――「ニューエイジ」や「ノストラダムス」「マヤの予言」など、非常に胡散臭いなぁ、信じる人がいるのかなぁと、思ってしまうので すが。オウムの事件が起こった後の現在も、こういった思想が受け継がれていることがわかりました。今回の寄稿では、宗教団体・アカデミズム・マスメディア の責任についても問うていますね。

オウム事件の総括が難しい理由として、事件の本質が「思想」にあること、そしてその思想の影響が及んでいる範囲を探っていくと、日本全体がスッポリ と覆われてしまうほど広い領域に及ぶということがあります。「思想的責任」と一言で言えば簡単ですが、実際にはその輪郭がきわめて広大となり、そうした責 任を問われるべき人々も、膨大な数にのぼるということになってしまう。
自分がかつて入れ込んでいた思想や宗教も、どこかしら「オウム的」であったのではないか、と感じている人は多いでしょうが、自分からそういうことを 言い出す機会もメリットもないため、自然と口をつぐまざるを得なくなる。また、ニューエイジ的な幻想を売り捌くことで生計を立てている人間もまだまだ沢山 いますから、そういう人は、自分のやっていることのいかがわしさ、怪しさを自覚しながらも、今さら手を引けないということがあるでしょう。一昔前のレポー トですが、斎藤貴男氏がお書きになった『カルト資本主義』(文春文庫)という本を一読すれば、ビジネスの世界にも、ニューエイジ的・オカルト的幻想が根深 く浸透しているということをお分かりいただけるかと思います。

──困難であるにもかかわらず、総括が必要とお考えになる理由は何でしょうか。オウムのような事件が再び起こるからでしょうか。
あれほどの事件がまた起こってしまう可能性は、過度に心配しなければならないほど高くはないでしょうね。しかしそれ以上に、霊性進化論やニューエイジといった思想に今後も関わり続けるのは、端的に言って「時間の無駄」だと思います。

今の日本社会は、地に足のついた現実的な話をすればするほど、気の滅入るようなことばかりです。それらを直視するよりは、スピリチュアルな革命が起 こって一気に世の中がバラ色になるのではないかという話の方が、確かに夢があるし、元気が出てきます。しかしそれは、現実から目を背けて妄想に逃げている だけです。現実が厳しいからこそ、それを冷静かつ理論的に捉えることができるような思考態度を身に付ける必要がある。宗教学にも、あるいは学問全体にも、 ニューエイジ的な幻想に浸る余裕があるくらいなら、もっと時間やエネルギーを割かなければならない課題は沢山あります

また、個人的にとても気掛かりに感じているのは、オウム事件の被害者やその遺族の方々が、なぜ自分たちはあのような災難に見舞われたのかが分からな い、と今でも仰っていることです。被害者やその関係者の方々に対して、少しでも腑に落ちる説明をするためには、何らかの方法で、思想的な問題を議論の土俵 に上げる必要があります。

その際には、こちらから個別に「思想的責任」を追及していくというよりも、そういった問題に関して心当たりのある人が、自主的に発言できるような場 を設けるのが良いと思うのですが……。具体的にどのような形が可能なのか、今の私には、それを実現するアイディアも力もありません。記事でも申し上げたよ うに、われわれはそろそろ、オウム事件を総括するための最後の時期を迎えることになります。今の状況を変えることはとても難しいでしょうが、一人の宗教学 者として何か責任を果たせるような機会があれば、積極的に協力していきたいと思っています。


大田俊寛 @t_ota • 2012年12月9日
いわゆる「マヤの終末予言」の期日とされる2012年12月21日が近づいてきた。しかし実際には、マヤの暦における長期歴(約5126年周期)が一巡するというだけであり、古代マヤ人が「アセンション」や「人類滅亡」を予言していたというわけではまったくない。

この種の説が広まる切っ掛けとなったのは、ニューエイジ系の思想家ホゼ・アグエイアスが、1987年に『マヤン・ファクター』という本を公刊したこと。実はこの本では、2012年の終末予言だけではなく、それまでのあいだに何が起こるかということが色々と予言されている。

例えば、1992年以降、各地域の中心に「太陽の神殿」という瞑想センターが作られる、太陽・惑星問題協議会が設立され、軍備の撤廃と共産制の樹立が実現 される・・・等々。『マヤン・ファクター』を直接読んでみると(特に第8章)、マヤの予言は「すでに外れている」ということが良く分かる
。/終


すこ @nasukoB • 12月13日
『現 代オカルトの根源』もうすぐ読了。E・ケイシー、レプティリアン、ナチス、幸福の科学…近代のオカルト思想のネタ元の殆どはブラヴァツキー夫人の神智学。 霊性進化論(ダーウィンの進化論がネタ元)とか光の闇の対決(闇が世界を動かしている陰謀論)とか霊性の高い指導者群に帰依すべし的なこと。

なすこ @nasukoB • 12月14日
神智学をネタ元とする霊性進化論の負の側面に霊的エリート主義がある。たいていは集団のリーダーと幹部が権力を振るう理由付けにされる。あと、気に入らない人々を霊性のレベルが低い、悪魔に取り憑かれているなどと言って差別や攻撃を正当化する。

兵務局 ‏@Truppenamt 4月8日
「プレジデント」をはじめとしたビジネス誌において、安岡正篤と中村天風の二大教祖はいまだに重宝されているのだろうか。連中のような「右翼思想家」がビジネス業界でありがたがられる風潮を批判した斎藤貴男『カルト資本主義』の単行本が刊行されたのも、もう二十年ちかく前だ。

ken ‏@kenkatap 3月24日

戦後歴代首相の指南役・安岡正篤=陽明学、神国日本と紅卍字会が合流する地点に存在
【るいネット http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=252315 …
山本五十六、蒋介石と親交
▼紅卍字会員
▼安岡氏は、陽明学、伝統的日本主義及び紅卍字会
が合流する地点から、「神国日本」の守護者として存在

ken ‏@kenkatap 3月24日

イエズス会、CSIS、世界紅卍字会、チベット密教、客家コネクション
【日本プロファイル研究所 http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2015/03/post-4a2f.html …
宏池会の命名も安岡正篤氏
▼安岡正篤邸宅があったのは→白山→白頭山、白山王朝
▼ハコモノ・コネクションの背景
が次々と理路整然と暴かれていく

大田俊寛著『現代オカルトの根源』(ちくま新書)読書感想文
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2013/07/13/182145
”「霊性進化論」というテーマで、ブラヴァツキー夫人の神智学から始まって、シュタイナーやエドガー・ケイシーを経て、オウム真理教やGLA、「幸福の科学」に至るまで貫かれているオカルト思想について、その系譜を明らかにしています。
後ろの帯に書かれてある【本書で取り上げる人物・団体】リストには、

ブラヴァツキー夫人/チャールズ・リードビーター/ルドルフ・シュタイナー/エドガー・ケイシー/ジョージ・アダムスキー/ホゼ・アグエイアス/デーヴィッド・アイク/オウム真理教/幸福の科学

とあります。
ざっと読んでみたところ、他にも、クリシュナムルティや浅野和三郎や高橋信次や桐山靖雄等にも言及されていました。
よく纏まっていて、「幸福の科学」の思想的なルーツが一望できました。信者・アンチ問わず、参考になるかと思います。
以下、気になった箇所を引用しつつ紹介していきます。
「霊性進化論」について

人間の霊魂は、輪廻転生を繰り返しながらさまざまな経験を積み、霊性のレベルを向上させてゆくのである。
(中略)
しかし、他方、その道を転落し、「獣人」へと退化・堕落してしまう霊魂も存在する。(中略)人間の存在を、霊性の進化と退化という二元論によって捉えようとするこの図式を、本書では「霊性進化論」
と称することにしよう。(p.16)

オウム真理教の教義について述べている部分ですが、私は、「幸福の科学」教義と殆ど変わらないことに驚きました。用語こそ違いますが、殆ど変わりません。

核戦争が起きる状態が来ている。それを止めることができるのはあなた方だけなんだ。あなた方は何をやればいいか。愛だよ。本当に隣人を愛することができれば、あなた方は救うことができる。(p.12)

これも麻原彰晃の言葉です。言い方に違いはあれども、論理の組み立て方や思考パターンは、大川隆法と殆ど変わりません。

オウムの背景に存在していた「霊性進化論」という思想体系がどのような来歴を持つのか、また、どのような仕方で社会に普及しているのかということを問うことにしたい。このような思想は、果たしてオウムのみに特有のものだったのだろうか。結論から言えば、決してそうではない。それは、オウム以外の新宗教やオカルティズムの諸思潮、ひいては、SFやアニメといったサブカルチャーの領域に至るまで、実に広範な裾野を有している。(p.17)

ここは鋭い指摘だと思いました。「幸福の科学」信者でも、二世信者や青年層はアニメ・ゲーム好きが多く、特に「幸福の科学」の教えと親和性のある、輪廻思想や神話や宇宙が舞台のものを好む傾向がありました。
こういう人たちは、仮に「幸福の科学」を辞めても、「霊性進化論」の呪縛から一生解き放たれることはないのでしょう。「幸福の科学」の別派であるレムリア・ルネッサンスにしても然りで、カルト宗教を脱会しても、自分の中にあるカルト的思想の根っこを抜かなければ、根本的な解決にはなりませ
ん。二世信者にとっては、特にこの点が問題になってくると思います。
**「被害妄想の結晶化」
少し飛ばして、爬虫類人(レプティリアン)陰謀論のデーヴィッド・アイクについて述べられた部分からです。

アイクの書物に見られる「爬虫類人による人間の家畜化」「アーリア陰謀論」「邪悪で狡猾な宇宙人」といった要素は、従来のさまざまなオカルティズムの思潮に由来するものであり、彼の理論は、それらに改変や折衷を施すことによって作り上げられている。また、本書で見てきた他の例と同様、彼の世界観においても、神人と獣人の対立という二元論がその基調を成しているが、アイクに見られる顕著な特徴は、そうした二元論における負の存在の影響力がとりわけ強調されていることによる。
古来、悪魔や悪霊といった存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。近代においてそれらは、前時代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなく、それらを生み出してきた人間の負の心性自体が、根本的に消え去ったというわけではない。そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。一見したところ余りに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、「爬虫類型異星人」というその形象が、現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。(p.177)

この辺も非常に理知的で分かりやすい説明でした。
神智学と「幸福の科学」の共通点

ブラヴァツキーやリードビーターによって確立された神智学の歴史観と、『太陽の法』に示された幸福の科学の歴史観のあいだには、主なもののみに着目しても、次のような類似点が存在する。

(1)宇宙全体は一つの高度な意識体であり、そこから恒星や惑星の霊が派生していった。そして太陽系の星々は、「太陽神」や「太陽系霊」と呼ばれる霊格によって創造された。
(2)地球における諸文明は、一定の周期に従って栄枯盛衰を繰り返している。それに伴い、レムリアやアトランティスといった大陸の隆起や沈没が生じた。
(3)各文明は、高次元の霊的な存在によって統括・指導されている。神智学においてそれは「白色同砲団の大師」と呼ばれ、幸福の科学では「九次元霊」と呼ばれる。
(4)現在の地球の頂点に位置する霊格は、金星から到来した。神智学ではそれは「サナート・クマーラ」と呼ばれ、幸福の科学では「エル・カンターレ」と呼ばれる。
(5)かつて人間には「第三の眼」があり、超能力を駆使することができたが、歴史の過程でそれを喪失してしまった。
(6)ルシファーの反逆によって、「光の霊」に対立する「闇の霊」が生まれた。人類文明は、光の霊に導かれることによって繁栄を遂げる一方、闇の霊に支配されることによって破局を迎える。

本書によってこれまで概観してきたように、霊性進化論は、ブラヴァツキー夫人の『シークレット・ドクトリン』によって端緒を開かれて以来、きわめて多様なそのヴァリエーションを生み出してきた。そして、『太陽の法』を始めとする大川の著作は、神智学やニューエイジ関連の書物を情報源とすることによって組み立てられた、日本的ヴァリエーションの一つ
として理解することができる。(p.229)

ここも殆ど納得です。
要は、「偉大なるエル・カンターレの悟り」などと言っても大川隆法は、実は何一つオリジナルを生み出しておらず、神智学やその後の系譜のパクリに過ぎなかったということですね。一切オリジナルではないにも関わらず、自分がオリジナルだと主張する。困ったものです。何でも「ウリがオリジナルニダ!」とか言って、自分たちが起源を主張する、どこかのお隣の国の精神性によく似ています。
「幸福の科学」の説く「レプタリアン」について

かつて神々に対する反逆を起こし、地獄界を作り上げることになった堕天使ルシフェルも、レプタリアンの一人であった。悪魔を含むさまざまなレプタリアンたちは、我欲と闘争の原理に立脚し、世界に紛争の種を撒き散らしている。彼らは「裏宇宙」を住処としており、その領域の最内奥には、「アーリマン」と呼ばれる邪神の首領が君臨しているとされる。
レプタリアンに関する大川の思弁は、一見したところきわめて奇異なものに映るが、オカルティズムの世界的状況を視野に入れれば、むしろありふれたものであることが理解される。前章で触れたように、デーヴィッド・アイクが一九九九年に『大いなる秘密』を公刊して以降、「爬虫類人陰謀説」は世界中で流行しており、大川の宇宙人論は明らかに、それを翻案することによって組み上げられているからである。
また、邪神の首領がアーリマンと名指しされることに対しては、ルドルフ・シュタイナーの著作からの影響が窺える。第一章で見たように、シュタイナーはアーリマンを「ダーウィン主義の偉大なる教師」と呼び、弱肉強食による進化の原理を広めることにより、人間に内在する神の資質を曇らせてしまう存在と位置づけた。そしてそれを、キリストによる霊性進化の原理と対峙させたのである。
大川もまた、シュタイナーと同様、レプタリアンの依拠する原理を動物的進化と捉え、それに対抗するために、エル・カンターレ信仰に基づく愛と調和による霊的進化の重要性を説いている。総じて言えば、動物的進化と霊的進化の対立というこうした二元論の枠組みは、ダーウィンの進化論に抗して霊性の進化論を構築することを企図したかつてのブラヴァツキーの着想を、飽くことなく反復したもの
なのである。(p.238)

なるほど、こうして解説されると、非常によく分かります。
「霊性進化論の光と闇」

副題の部分ですが、「おわりに」のところにまとめがありました。

人間を単なる物質的存在と捉えるのではなく、その本質が霊的次元にあることを認識し、絶えざる反省と研鑽を通じて、自らの霊性を進化・向上させてゆくこと。それが霊性進化論の「正」の側面であるとすれば、しかしこの思考法は、その裏面に強烈な「負」の側面を隠し持っている。端的に言えば、霊性進化論は往々にして、純然たる誇大妄想の体系に帰着してしまうのである。そうした負の側面について、特に三点を指摘しておこう。

ということで、ちょっと長くなりますが、「幸福の科学」がどうしてこうなったかということや、今後、私たちが二度とカルト宗教を生み出さないためには、ということを考える上でも非常に参考になりますので、以下引用します。

(1)霊的エリート主義の形成
霊性の進化論においては、人間の有する霊性が実体的なものとして捉えられ、しばしばその性質に対して、レベルや種別の区分が設定される。そして霊性進化の信奉者たちは、その思想に慣れ親しむうちに、自分こそは他の人々に先んじて高度な霊性に到達した人間であると考えるようになる。また、その集団においては、最高度の霊格の持ち主と見なされる人物が「神の化身」として崇拝され、他の成員たちは、彼の意思に全面的に服従することを要請される。それとは対極的に、集団の思想を理解しない者、その体制や運動を批判する者に対しては、「霊性のレベルが低い」「低級霊や悪魔に取り憑かれている」「動物的存在に堕している」といった差別意識が向けられ、しばしば攻撃が実行
される。

まさに「幸福の科学」にドンピシャに当て嵌ります。
最後の一文については、私がつい最近体験した例だと、

「異質な言論は排除せよ!」というのが「幸福の科学」信者の総意らしい - 幸福の観測所

この辺ですね。大川隆法も、きょう子氏追放騒動や種村氏除名騒動の時に見られるように、よく他者を攻撃する際に「悪魔」を持ち出します。

(2)被害妄想の昂進
霊性進化論の諸思想は、その端緒においては、目に見えない世界の法則をついに探り当てたという喜びと昂奮によって、楽観的な姿勢で運動を拡大させる。しかし、その思想や団体が社会的に認知され、一定の批判を受けるようになると、彼らの思考は急激に「被害妄想」へと反転する。すなわち、目に見えない闇の勢力によって自分たちは攻撃・迫害を受けており、真理を隠蔽されようとしていると思い込むのである。その論理はしばしば、闇の勢力が広範囲にわたるネットワークを形成しており、人々の意識を密かにコントロールしているという、陰謀論の体系にまで発展する。

これも、私が最近見た例だと、

アマミちゃんが暴走中ですなあ…… - 幸福の観測所

この記事などですね。
大川隆法も、

【PR動画】大川隆法の守護霊霊言 - YouTube

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こんなことを言っています。

(3)偽史の膨張
霊性進化論は、「人間の霊魂は死後も永遠に存続する」というプリミティブな観念を、近代の科学的な自然史や宇宙論のなかに持ち込もうとする。その結果、地球上に人類が登場する前から、さらには地球が誕生する前から、人間の霊魂がすでに存在していたという奇妙な着想が引き寄せられることになる。そしてこのような論理から、人類は地球に到来する舞えに別の惑星で文明を築いていた、あるいは、有史以前にすでに科学文明を発達させていたなど、超古代史的な妄想が際限なく膨張してゆくのである。歴史は、光の勢力と闇の勢力が永劫にわたって抗争を続ける舞台となり、両者の決着が付けられる契機として、終末論や最終戦争論が説かれることもある。

これも全て「幸福の科学」に当て嵌ります。

これまでの議論を総括すれば、霊性進化論とは、近代において宗教と科学のあいだに生じた亀裂に対し、その亀裂を生み出す大きな原因となった「進化」という科学的概念を宗教の領域に大胆に導入することにより、両者を再び融合させようとする試みであったと理解することができる。
本書において、約一五〇年のあいだに生み出された霊性進化論の数々のヴァリエーションを概観してきた今、その理論が実際には、妄想の体系以外のものを生みだしえないということを、もはや結論して良いと思われる。しかし、果たしてわれわれは、その思想を一笑に付して済ますことが許されるだろうか。それもまた、余りに一面的な短見と言わなければならないだろう。なぜなら、宗教と科学のあいだに開いた亀裂、すなわち科学的世界観や物質主義的価値観のみで社会を持続的に運営することが本当に可能なのか、長い歴史において人間の生を支え続けてきた過去の宗教的遺産を今日どのように継承するべきなのかといった、霊性進化論を生み出す要因となった問題は、根本的な解を示されないまま、今もなおわれわれの眼前に差し向けられているからである。”

大陰陽師 安倍晴明様のお言葉 ‏@seimei_kyoto 7 時間7 時間前

レムリア・ルネッサンスは宗教である その教祖アマーリエ氏は新興宗教GLAの集会に参加し 幸福の科学の元信者であり 自身の教団を宗教法人に登録していないだけなのじゃ そして「愛」「神の子」といった言葉を多用することにより皆の判断力を奪っておる 皆々方注意せよ(安倍晴明)

Allegro ‏@A_Okihasam 2012年11月29日

以前触れたかどうか..レムリア・ルネッサンスという小集団が存在する。主宰者アマーリエは巫女であり、霊言集を出している。幸福の科学から分かれた団体である。高橋信次ことエル・ランティを九次元存在の一員と位置付けるが、幸福の科学は後に高橋氏を否定している。高橋氏と何か確執があったのか?
レムリア・ルネッサンス(以下、L.R.)には一時期 関谷晧元 氏が参加した。幸福の科学の元信者で、後に教団を批判した「虚業教団」を書いた人物である。大きな動きもないので、L.R.の実情はよくわからないが、メールマガジンを登録しているので霊言の一片が送られてくる。善言と思われるが?

(風の子  ‏@makeanovel 3月22日
女 性週刊誌に地下鉄サリン事件に遭遇した人のインタビュー載ってて運び込まれた病院で症状を見て医師が「サリンじゃないかな」とその場で言ったセリフが紹介 されてた。運び込まれた病院名書いてなかったけど聖路加病院が主で色々裏がというtweetありましたが、そんな初期にサリンって分かるもの?

ええとつまり、その病院に運び込まれるのはもともと計画のうちだったから、医師は一発でサリンじゃないかなとわかったというか。症状を見て、すぐにサリン だと思えるくらい、普通の医師ってそれほど毒物に詳しいのかしらと。その医師の言葉も、もし全部が計画のサリン事件なら、証拠の一つかな的な。

サージ船長 ‏@alo353 3月22日
@makeanovel 前日に警察と自衛隊で「毒ガスによるテロ」の訓練が行われてましたし、そもそも数人の被害者の症状に、鼻や口から血を流していた症状があり、これは明らか にサリン被害の症状ではありません。そもそもサリンは常温では無色無臭の液体です。駅構内が異臭だなんてとんでもない

風の子  ‏@makeanovel 3月22日
ですよね。無色無臭のはずなのに異臭あったからサリンじゃなかった説をわたしも読んでて、でも聖路加の医師が初期からサリンかもって言ってたのはそういうシナリオがあって、印象操作で初期からつぶやいたりする指令でもあったのか(もちろん松本サリンがあったけど)とか? 

もしほんとはサリンじゃないののサリン事件にしたかったのなら、運び込まれる病院も決まってて、あとは医師もグルじゃないと、診断は医師がするし、だまし 切れないのだろうなと。だから医師の初期の言動も結構重要かも。20周年で色々回顧する記事が出てて、探せば矛盾する話が色々でてきそう。

サージ船長 ‏@alo353 3月23日
@makeanovel はい。聖路加病院はある種の人体実験で有名な病棟です。間違いなくあちら側の病院です。

Aran Meclaren ‏@WorldWildWow 8 時間8 時間前
@alo353 @makeanovel 治験企業のネットワークを辿ったら芋づる式かもな。聖路加いうたら元米軍極東中央病院やし731部隊の残党やん。これはナチやOSSも絡んどんねんで。 B29からビラ「聖路加病院は爆撃しない」 https://youtu.be/9BssgEh2WYs

大田俊寛 ‏@t_ota 2012年6月19日
@tamo2_1965 少し思い当たるのは、当時は「受験を勝ち抜くための能力開発」という名目で、しばしばヨガが推奨されていたことです。オウムも「鳳凰慶林館」という学習塾が出発点でした。そういった社会全体の風潮が、オウムを生み出す要因の一つだった、ということなのでしょうね。

J・ナナミ ‏@pinkglalem 5月16日
希望の命水は、GLAが売ってるインチキ水。以前、Rコシミズが宣伝してたし、GLAは松本智津夫がオウムを作る前にいたカルト教団 ( @tweettvjp 2014/5/16(金) ツイートTV http://moi.st/3cda222 )

J・ナナミ ‏@pinkglalem 2013年7月18日
911がアメリカ政府による自作自演であったよーに、地下鉄サリン事件は日本政府による自作自演です。オウムどころか、統一教会や創価のレベルですらない。...そして、その指令が、どこから来ているか?が問題なんです。#偽天皇 #田布施朝鮮部落 #イエズス会 #SMOM

J・ナナミ ‏@pinkglalem 3月20日
@pinkglalem 単純な話。サリンは、けい皮毒。防護服無しでは、製造も運搬も撒布も出来ない。1995年当時、この装備を持っていたのは、在日米軍と自衛隊だけ。つまり、サリン事件は、あのインチキカルト教団の犯行じゃない。

#坂本堤弁護士一家 を殺害したのは、#創価の宗教舎弟 の #後藤組 でしょう。手引きしたのは、#滝本太郎 と #江川紹子。坂本夫妻は、創価の起こした #豊田商事事件 を調査していた。夫妻はオウムについては何も知らなかった



秘密結社bot ‏@scrtsociety_bot 17 時間17 時間前
トゥー レ協会 20世紀初頭にミュンヘンで結成された秘密結社。名前の由来はゲーテの「ファウスト」に登場する伝説の地「トゥーレ」。極端な民族主義・反ユダヤ主義を標 榜し第一次世界大戦後のバイエルン州で勢力を拡大、社会主義者が建国したレーテ共和国を倒し、後のナチ党の母体の一つとなる。

村手 さとし ‏@mkmogura

@lanekota @iezusukaihonmar そです。白人の起源が紫外線に弱いため差別された、よって太陽崇拝という宗教の王道のアンチ星崇拝と、それが重なった密教になり、それが神智学とかナチス(大戦後)の思想につながってるわけ。

右翼によって、日本がナチス化をするってことは、天皇がヒットラー化するってことだよね。血縁支配の独裁主義。それって、なんて北朝鮮?

ナチスの格好して自民党を擁護するバカが、自分以外にも、200人ぐらいは必要だ。無力な反対者になるぐらいなら、馬鹿な賛同者を演じて、間違ってるのを世にさらした方がいい。気づいた人に声をかけるのではなく、気づいてない人に、呼びかけるシステムを考案するのが、デモである。

自民党をナチに似てると言わないで。ナチスと世界は批判するけど、ナチ最大スポンサーのIGファルベンは、今の米国共和党の土台だし、連携した旧陸軍だって製薬界の土台。米国共和党のCIA資金が自民党を作り、統一教会が運営してきたわけで、GHQ情報参謀二部という起源はそのものなんだから。
改憲は、敵対してたGHQ民政局がこの憲法を作ったからと、その左翼思想が嫌いなだけ。だから、自民党支持者なら、どうどうと、ナチスの生き残りと自負しましょう


J・ナナミ ‏@pinkglalem 10月10日
マララ・ユスフザイ?あー言うヒロインの手合はどーもね。そのうち化けの皮が剥れるでしょう。マザーテレサとかダライラマが、そーだったよーに...www

国境問題や人種問題、差別問題と言うのは、植民地政策ですから...欧米の植民地になった頃から、出来ているのです。日本の部落問題も明治以降に意図的に起こされたモノです。インドのカースト制度は実は、イギリスの植民地になる前は、単なる職業区分でしかありませんでした

マザーテレサろ言うのは、多額の寄付を得る為に、病人とかを、わざわざ不衛生な場所に手当てもせずに放置して、それを宣伝材料に使っていたワケ。チベットはね、ダライラマが統治していた時代より、中共産党が民主化した今の方が国民生活が裕福なんだよね...

ダライラマと言うのは代々チベットの貴族階級が人民を支配搾取する為に立ててる宗教的な代表のことで、中共支配の以前のチベットでは僧侶と貴族以外の国民は乞食のよーな生活をしていました。中共は、上層階級の資産を奪い、市民に分け与えたのです。

現在のダライラマ14世と言うのは、イスラム教の村出身で、僧侶が子供の頃に買い取って宗教的指導者に仕立てられたにすぎません。実兄はCIAのエージェントで、ハリウッド映画で描かれているよーな内容と、現実には違います。

シャグデンというのはチベット仏教の正統派の経典らしいンですが、現在のダライラマの時代に突然異端とされて禁止されてしまいました。その宗徒の抗議デモ. @makeanovel @maro2012 @YouTube ;http://youtu.be/ohtk1yc0GEQ @YouTube;

ま喜多つ ‏@postfar 3月5日
マザーテレサって病に苦しんで救いを求めてきた人達には、不衛生なホスピスでろくな治療もせず痛みに耐えることは尊いとか言っといて、自分が病気になったらアメリカの病院に入院した外道でしょ。」 マジかよ…

ヒラ:// ‏@punanny_chang 11月3日
↓最近の研究でマザーテレサの情報のほとんどが虚偽でバチカンが流したデマであると結論づけられてます。本来の彼女の姿はカルトと呼ぶにふさわしいものでした。治療せず痛みはイエスも感じていたんだと放置し施設は大変不衛生なものだったそうです

菊池 ‏@kikuchi_8 10月13日
@ayajet128 あと、シャンバラ伝説とかありますね。神智学協会のブラバッキーとかナチスがチベットを持ち上げたり神秘化したりして、西洋の神秘主義者にとってチベット は特別みたいですね。中観派の哲学は至極理論的哲学的なものですが、西洋の神秘主義者にかかると迷信化されてしまいます

中尾 綾 ‏@ayajet128 10月13日
@kikuchi_8 たまたま本を読んでいて知ったのですが、ローリングストーンズの有名なロゴ。口から舌をだしている。私は悪魔ではありません、という意味らしいです。チベットで。メンバーが黄金の夜明け団とか。全員ではないですが。


菊池 ‏@kikuchi_8 10月13日
@ayajet128 ふむふむ。さもありなんという感じが致します。ロック音楽は西洋の魔術思想の影響がありそうですね。ビートルズもタヴィストック人間関係研究所が作った、 とコールマン博士が書いていました。若者が熱狂するように設計されていると。キリスト教とサタニズムは表裏一体ですね。

キリスト教=悪魔教。ヨブ記読むとゴッド=悪魔って判るよ。

真魚はすべてを燃やしたい @kakari01 ·
ヨブ記問題収集だとユングの『ヨブへの答え』がヨブ記Q&Aに徹するあまりヤハウェをマウントで攻めまくるみたいなすごい感じのアレになっているのでおすすめです。「ヨブに気を使われてる時点でヤハウェは自分が終わってることに気づいたほうがいいんだけど無理でサー!!」みたいなノリでやばい。

ちなみにヨブ記に出てくるサタンはヤハウェの別人格だとユングなんかは解釈してるんだけど、「かつては西島秀俊のように敬虔であったが、神を疑ったことにより悪堕ちしてしまった元義人の堺雅人」という解釈をすることもできるので、ヨブ記の可能性はもはや留まるところを知らない……。

「ヨブ記が密かに裏打つのは、虫けらも同然であるはずの人間が神を上回ることがあり得るという事だ。ヤハウェは無力なヨブをまるでとてつもない影響力を持つ者のように圧倒的な非道徳をもって彼を苦しめ、対するヨブは神に裏切られながらも自らを差し出し続けた。ヨブは道徳的に神に勝利した。」

「なぜ全知全能のヤハウェが賭けに乗らなければならなかったのか。全能であれば、賭けずともヨブの忠信など分かっているはずである。ヤハウェは自己否定の恐怖に迫られていたのではないかヤハウェはヤハウェのためにヤハウェの力を示す必要があったのだ。ヨブに投影された疑念は、自らの疑念である」

(ゴッドはヨブを「無駄に・不必要なのに」苦しめたのですから悪逆非道です)

さらどぅ/saradox @virusyana · 2月21日
「…ヤハウェの示すものが、熟慮でも、後悔でも、同情でもなく、ただ無慈悲と残酷さだけだという点である」ユング
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spirituality/13yohalogos.htm …
ヨブは…「ある意味で人間以下であるということを発見して驚いたのである」

旧約の神とソフィア(知恵)
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spirituality/13yohalogos.htm
”心理学者であるユング(Carl G.Jung) は、その著書『ヨブへの答え』の中で、ヨブ記に顕れる旧約の神ヤハウェについて次のように述べている。「ここで強奪、殺人、故意の傷害、権利の剥奪というふうに、ごく短い時間の間に恐ろしい行為が次から次へと度重なる点に注目しなければならない。その際、腑に落ちないのは、ヤハウェの示すものが、熟慮でも、後悔でも、同情でもなく、ただ無慈悲と残酷さだけだという点である」〔ユング 331〕。ユングによれば、ヨブ記のヤハウェは、「平然と自分の影の面を(人間ヨブに)投影し、人間を犠牲にしても無意識のままでいられる」神である。ヨブは、それまで話しに聞いていた「愛する神や、善意に満ちた支配者や正義の裁き主」であるはずのヤハウェが、自分の現実の体験の中で、道徳性を欠如した動物的で無意識な存在、「ある意味で人間以下であるということを発見して驚いたのである」〔ユング 339-40〕。「あなたのことを、耳にはしておりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます」(ヨブ記42:5)というヨブの謙虚な言葉の裏には、この発見に驚きかつおののくヨブの神への非難がこめられていると彼は見ている。
  ヨブ記の深遠な神の意図の前では、いかなる人間の抗議や疑問も「言葉を重ねて神の経綸を暗くする」(ヨブ記38:2)仕業にすぎないという伝統的な聖書解釈を、ユングも知らないわけではない。しかし彼は、そのような神学的な配慮に基づく用心深いレトリックよりも、旧約の神に対して誰しもが抱く疑問を率直に代弁するほうを選んだようである。確かに、「自分を無罪とするためにわたしを有罪とさえするのか」(ヨブ記40:8)というヤハウェからのヨブに対する非難は、そっくりそのままヨブから旧約の神にお返ししてもおかしくないという印象をわたしたちはヨブ記から受ける。”

キリスト教は悪魔の存在が大前提!
原罪は冤罪!


knznymmmy @knznymmmy · 12月27日
「キリスト教など信じられない」と言いたいのなら簡単です。「死者の復活なんて信じられない」で終了なのです。死者の復活が無ければ、殉教者達の血も、全ての聖書の記述も、空しくなります。ヨブ記も「結局この世において財産回復されて良かったねの話でしかないじゃないか」になります。
以上コピペ

ヨブ記が面白いのはね
ヤハウェことバアル、改め牛君が
ヨブに論破されちゃってファビョりだす
ところ
こいつぁー、全知全能でもないし善でも正義でも何でもねえぞってところ

knznymmmy ‏@knznymmmy 9月27日

RT>私の好きなのは、、、

神様でありながら、悪魔の安っぽい煽りに乗せられて
ヨブをいびりまくったけど
ヨブにツッコミ入れられて論破されそうになったんで
とりあえずブチ切れてみましたけどそれが何か?

、、、だな!
ヨブ記ほとんど丸ごとコレw


knznymmmy ‏@knznymmmy 2013年8月6日

但しキリスト教には根本的にダメダメな
箇所があります。しかも複数あります。
そのいくつかを指摘したいと思います。
例えばヨブ記。
全知全能で存在そのものが愛であるはずの
神様は悪魔に唆されて、
自分の忠実なる下僕、信者のヨブを
いじめます。
なぜそんな理不尽が許されるのですか?


knznymmmy ‏@knznymmmy 2013年8月7日

第四エズラ記(ラテン語聖書には入っている)
にもヨブ記と似た展開が出てくる。
神と契約した民が邪教の国に
蹂躙されるのはなぜかとか
義人しか天国に入れないのに
罪人をも神が創造したのはなぜか
とか
結構鋭いツッコミをエズラが行う。

knznymmmy ‏@knznymmmy 2013年10月5日
@miwasamameigen
黒も白も悲しみも苦労も幸せすらも
知らない人こそが幸せな人。
つまり、この世に生まれた時点で
完全に失敗。
生まれない人こそが勝ち組


聖書のヨブ記や伝導の書を読んでみよう!

ゴッド=大悪魔による、必死の論点ずらし。俺凄いアピール

旧約聖書~ヨブ記~より @BibleJP_Job · 3月16日
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
あなたは十二宮をその時にしたがって引き出すことができるか。北斗とその子星を導くことができるか。
あなたは天の法則を知っているか、そのおきてを地に施すことができるか。
(ヨブ記 38章 31~33節)
天体のことなんてどうでもいいわい!

ken ‏@kenkatap 9月27日
御嶽山(長野県)=山岳信仰の山 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E5%B1%B1_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C)#.E6.AD.B4.E5.8F.B2.E3.83.BB.E4.BF.A1.E4.BB.B0 …
▼富士山、白山、立山で日本三霊山と言われているが、このうちの白山又は立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説も
▼富士山(富士講)と並び講社として庶民の信仰を集めた霊山
▼鎌倉時代御嶽山一帯は修験者の行場

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 9月27日
@kenkatap 出口王仁三郎は御嶽教大本教会を設立。上部団体を稲荷神→御嶽教→出雲大社と変えていく。
静岡県富士宮市は神社が仏教に管理されていた過去を隠す和風耶蘇教の中心地。 浅間大社。
日蓮正宗の大石寺。
創価用の駅の富士宮駅。
オウム真理教本部。
大本系の白光真宏会本部


菊池 ‏@kikuchi_8 8月12日
カ ルト発の陰謀論というのは誘導という目的がある。オウムの麻原彰晃もフリーメイソン陰謀論を言っていた。「ヒヒイロカネ」を探していた麻原の陰謀論は酒井 勝軍の系譜であろう。オウムの残党が陰謀論を唱えている場合もあるかもしれない。陰謀論を学ぶにはその真贋を見極める鑑識眼が必要である。

技豆 ‏@EDA_ZO 2010年4月12日
ヒ ヒイロカネっていうゲームとかで出てくる和製金属があるじゃない。あれって、古事記とか日本書紀とかの日本神話をベースに竹内某という人が、俺神話と俺歴 史を作り上げたときの副産物。中二病って昭和初期からあったみたい。中二病も使いどころ次第で金になるという証拠。それの現代版が永野護。

knznymmmy @knznymmmy • 11分 11分前
予言という名の犯行予告

U (公式bot) ‏@wayofthewindbot 3月15日
RT lanekota: メイソンの思想やニューエイジ、スピリチュアルでも、大衆支配のツールの本丸は「キリスト教システム」だからね。ただ単にパッケージと味付けをリニューア ルしただけで、本質は何も変わってない。ヤクザ稼業の口入れ屋が人材派遣会社に変化しただけに過ぎない。前 ...


菊池 ‏@kikuchi_8 2月21日
宗 教学者の大田俊寛氏によると麻原の思想は「霊性進化論」という思想の一形態であるようだ。ブラバッキー夫人の神智学協会の思想を起源とする。進化の果てに 神人になった者と獣の次元に落ちた者の二種類が出現し、前者による後者の淘汰こそ世界のあるべき姿とする。アセンションの思想的元ネタの一つ。

神智学思想の中で違和感を感じる要素の一つがその「霊性進化論」に見る動物蔑視観である。これはキリスト教世界全般に見られる人間中心主義のバージョンの 一つであると思う。神智学では神的存在に進化する人間と獣的存在に堕する人間の二種類がいるとする。オウムもこの思想を受け継いでいた。


犬神家の一族 ‏@inugamigoten 2月21日
ちなみに麻原彰晃の「彰晃」という名前、実は麻原が以前所属していた阿含宗の時にもらった宗教名だったりする。

安数兵留我 ‏@Lito_tweet 2014年1月3日
オウム麻原彰晃は、もともとは真言宗系阿含宗という新興宗教のヨガ道場からはじまったんですよ それが輪るピングドラムでいう十数年前の地下鉄サリン事件をおこし、長野でも地下鉄サリン事件をおこし、「ポアしかない」カルト宗教法人への変化した。

ふぎさやか @東ホ-5 ‏@maomaoshitai 1月18日
平井和正氏といえば『幻魔大戦』の作者として有名ですけどね。GLA教団という宗教の信徒であり、最終的に自身の作品は「お筆先(自動筆記)」であるという信仰の境地に辿り着いたことでも有名ですよね。

kohaku ‏@kohaku_nanamori 1月18日
@maomaoshitai 幸福の科学に影響を与えたとこてですね。高橋信二氏は、エル・ランティを名乗ってたんでしたっけ。

ふぎさやか @東ホ-5 ‏@maomaoshitai 1月18日
@kohaku_nanamori 麻原彰晃や大川隆法、千乃裕子(パナウェーブ研究所)、桐山靖雄(阿含宗)などはGLA教団の影響を受けたことが指摘されています。

kohaku ‏@kohaku_nanamori 1月18日
@maomaoshitai 結構な数の宗教家に影響を与えているんですね。西洋のオカルト思想を伝える媒介的な...  高橋佳子の著作は、平井和正の筆が入っているとかいう噂も、ありましたね。

nakano katsutoshi ‏@nakakakano 2011年6月1日
古 書屋で、欲しい本に出会うことはめったにないのだけど、時々、ほんとに稀にある。「ヒトラーと退廃美術」もそうでした。で、今回は「桐山靖雄」著「密教- 超能力のカリキュラム」1974年発行、を手に入れました。桐山靖雄は阿含宗の管長。麻原彰晃も入信していて大きな影響を受けた教団ですね。


時田憲一(本人) @tokeyneale • 2012年2月8日
こ の前、初めて漫画ワンピースを60巻まで読んだ。「D」は錬金術師ジョン・ディーが元ネタだろう。同じく錬金術師エドワード・ケリー(エドワード・ニュー ゲート:白ひげ)が友人でロジャー・ベーコンとの関係で「ゴール・D・ロジャー」だ。エノク語(天使語)の「ポーネグリフ」とも設定が繋がる。

a.o.k @anger_of_kitty • 3月8日
ルナー・ソサエティ(1765-1809):月光協会。エラズマス・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの祖父。実際は祖父が生物学に進化の概念導入)が設立。英の最も知的な交流団体。ワット、ウェッジウッド、ラヴォアジエ、フランクリン等。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B5%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3 …

藤原編集室 @fujiwara_ed • 8月22日
リンネ分類学を詩の形式で表現した奇作『植物の愛』の作者エラズマス・ダーウィンは、ルナー・ソサエティという科学者団体の一員だった。蒸気機関のワット、酸素の発見者プリーストリーなど、18世紀当時の一流科学者たちが月に一度集まり、議論や情報交換に勤しんだという。

(このルナー・ソサイエティってものすごくメーソン=科学結社くさい

概念主義者 ニートリアージ 我輩は猫以下 @tokoroten510 • 12月30日
ジョ サイア・ウェッジウッド - Wikipedia イギリス最大の陶器メーカー「ウェッジウッド社」の創設者。 ダーウィンの妻となったエマ・ウェッジウッドはウェッジウッド2世の娘である。父方の祖父であるエラズマス・ダーウィンは、ジョサイア・ウェッジウッドの 主治医で友人 食器 破産

ペドロ遠藤 @PedoroEndou • 2013年12月22日
囲碁の呉清源先生が文藝春秋で、紅卍会の教えを大事にしている旨の発言をされていて衝撃。「馬賊戦記」にもあるように出口王仁三郎師は紅卍会と大本教の合作を図り渡満、そこには植芝盛平先生も付き添われていた訳で、オリの目の前に色ンなもンが拡がっちゃったヨ!

赤沼俊幸 ‏@toshiyuki83 7月18日
「霊性進化論」を信じる人にとって、人間には生まれながらにしてランクがあり、違いがあると信じている。ゆえに差別をなくそうとしている人が打倒するのは「霊性進化論」を信じる人や、霊について関心を持っている人ではないかな

山猫 ‏@yamaneko125 10月23日
『現代オカルトの根源ー霊性進化論の光と闇』大田俊寛読了。予想以上に面白かった。人間の魂が輪廻を経て進化していくという霊性進化論の系譜を巡ることにより、オウム真理教、幸福の科学の位置付けが改めて良くわかる。著者のオウム関係の他の著作も読んでみたい。

不正選挙監視団 ‏@rigged_election 5月19日
ナ チスの前身は、トゥーレ協会というオカルト組織ですから、現在の国連のスピリチュアルな部分の土台を作ったマダム・ブラバッキーや、アリス・ベイリーと いった神智学の“魔女”たちが、「チベットの智恵の存在」とのチャネリングによってインスピレーションを受けていたことは知っていたでしょう。

くろありは荒野をめざす ‏@kuroarizuka 2012年9月5日
んー、ナチズム的優生学ってプラトンの国家=アトランティスにつながっているので、そこはありそう。というかナチスは、自分たちはアトランティス人の末裔だとか言ってたとか。


くろありは荒野をめざす ‏@kuroarizuka 2011年9月16日
話 は変わるのだけど、優生学というのはプラトンが始祖である。この人は何かの本で障害児は谷底に突き落として殺してしまえ的なことを言っていたらしい。で、 プラトンはアトランティス大陸について初めて記述した「発見者」でもある。そしてナチスは自分たちをアトランティスの末裔と考えていたらしい。

ken ‏@kenkatap 2014年3月1日
ヴィリグート=ナチス親衛隊の宗教思想に大きな影響 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%88 …
ハプスブルク家の没落もユダヤ・フリーメーソン・カトリック教会の陰謀であったという思想をばらまく
▼1908年、イルミニズム(古代宗教)の継承者と主張
▼独特な神秘主義とオカルトを信仰


ken ‏@kenkatap 2014年3月1日
陰謀論の目的は、(神聖ローマ帝国、スペイン国王を兼ねた)ハプスブルク家の再興にあったりして

プロテスタントが綺麗に抜けているのがポイント。ルターは反ユダヤ主義者

tabasa ‏@tabasa1279 12月11日
読めないニックネーム様から 転載>> 神智学、スピリチュアル、ニューエイジ、宇宙人説、出口王仁三郎の霊界物語、大本教系の日月神示の元ネタが北欧貴族のスウェーデンボルグ(クリスチャン)

菊池 ‏@kikuchi_8 12月9日
鈴 木大拙は神智学協会に入会して米人の妻は神智学徒であったのか。。禅を神秘主義と言い、スウェーデンボルグを紹介し、アメリカで講演旅行をした(どこかの 財団の支援?)ということで、限りなく怪しいと思っていたが、完璧なインサイダーであったのだな。神智学徒が「世界的な禅の権威」扱いとは!

菊池 ‏@kikuchi_8 2012年5月9日
15)ちなみに禅学者の鈴木大拙氏は禅を神秘主義の一種だとしている。この人は「霊性」という言葉を好んで使うが、フリーメイソン思想家スウェーデンボルグの思想の影響を受け過ぎだと思う。


菊池 ‏@kikuchi_8 2012年5月9日
17) 鈴木氏の神道批判を読んだとき基督教宣教師の神道批判の物言いとそっくりだと感じたものだ。禅を神秘主義だとする鈴木大拙氏は、はっきり言って、同じよう にスウェーデンボルグに影響を受けていた、西洋的一神教的な終末思想に神道的粉飾を施した出口王仁三郎や浅野和三郎と同類だと思う。


有原シンスケ ‏@alsinceke 2013年10月13日
般若と大悲である、という。トランセンデンタル・ウィズダムと、ラブである、と。これは鈴木大拙が若い頃に日本への翻訳・紹介につとめた、スウェーデンボルグの「神智と神愛」という考え方にも影響を受けているといわれている。

sekai ‏@lkslkjlkjslkjlk 2011年6月4日
西 洋スピリチュアリズムの台頭と同じ時期の幕末、『仙境異聞』や『神界物語』など、平田篤胤と門下による死後世界の研究、天理教、金光教、黒住教など、神が かりによる教派神道成立が相次ぐ。以降には、鈴木大拙により禅が西洋に紹介され、スウェーデンボルグなど西洋の神秘思想が日本にも伝えられる。

原田忠男 ‏@harapion 2010年7月31日
安 藤礼ニ『場所と産霊』。スウェーデンボルグ、鈴木大拙、西田幾多郎、平井金三、大川周明、折口信夫は、神智学絡みの人脈。中心にいるのは、大拙夫人。大拙 はスウェーデンボルグの翻訳者。西田哲学と折口民俗学には神智学の痕跡がある。大川周明は、シュタイナーの社会の三層化理論の翻訳者。

(神智学出身で、人智学創始者にして自由・平等・博愛のメーソンなシュタイナー


小森健太朗 ‏@komorikentarou 2011年9月4日
鈴木大拙は、神智学日本支部京都ロッジの長つとめてました。日本の神智学ムーブメントの中心的人物ですね。RT @akokubo 今まで、鈴木大拙って、全然読んだことがなかったので、知らなかったけど、神智学関係者だったのか。 from 『ネメシスの虐笑』

DesBaleRRRna ‏@Dethtooldo 1月17日
【SYNODOS】オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった/大田俊寛 / 宗教学 http://synodos.jp/society/8575 『オウム真理教事件に対する思想的責任や、道義的責任について考えてみると、問題の範囲は実に、オウムという団体やその信者のみに限定されなくなります。』

『メディアの責任について。麻原彰晃はオカルト雑誌『ムー』の愛読者であり、一時期はそのライターとしても活動していました。彼の思想は『ムー』によって育まれ、また初期のオウムの活動は、『ムー』によって広く認知されていった。』 http://synodos.jp/society/8575/3

『オウム事件以後も、同誌は編集方針をまったく変えることがなく、オウムの教義と同工異曲の「メシア論」や「陰謀論」を掲載し続けています。また、霊性進 化論的なオカルト思想は、徳間書店の「超知ライブラリー」や「5次元文庫」といったシリーズの書物によって、今も広められている。』

右派でも左派でも妙な陰謀論を振り撒き、また、そんな連中を擁護してる人達は、何かあった時に責任が取れるんだろうな。 『大手出版社が堂々とオカルト本を売り捌いているというのは、世界的に見ても稀な現象でしょう。』 http://synodos.jp/society/8575/3

菊池 ‏@kikuchi_8 2013年12月21日
8) 猶太教、キリスト教、グノーシス主義、新プラトン主義、カバラ、フリーメイソン、イルミナティ、悪魔教、サバタイ派フランキズムなどなど、いろいろな思想 的意匠を凝らしているが彼ら国際秘密力の根本には思想以前の非常に低俗な動機があ ることを押さえておく必要がある。

菊池 ‏@kikuchi_8 2014年3月5日
1) 人間が進化の果てに「神」になる、というナチズムの発想は、グノーシス主義や新プラトン主義と軌を一にする西洋神秘主義の一形態であるといえよう。ナチズ ムは西洋オカルティズムの系譜を受け継ぐ思想であると思う。そしてこれはフリーメイソンと同種の思想であると言える。

菊池 ‏@kikuchi_8 2014年3月16日
5) 純粋な世界へのあこがれは、同時に肉体や物体への軽蔑を伴う。新プラトン主義の影響を受けた中世のキリスト教徒は肉体を極端に軽蔑していたと聞く。マニ教 的な善悪二元論の影響が強いボゴミル派、その影響下にあるカタリ派などもそうである。これらはグノーシス主義の西洋中世における現れだ。

菊池 ‏@kikuchi_8 12月1日
1) 仏教への西洋的神秘思想の混入を破すために仏教とグノーシス主義の違いを指摘する。グノーシスでは物質と精神の二元論で、物質は悪とされそこから文字通り 脱却して純粋な霊の世界に至ることを目標とする。仏教では、渇愛とともに嫌悪も執着とされるので、物質を嫌悪し憎み悪と断じることはしない

4)従って、仏教からすると、グノーシス主義における物質への嫌悪も執着という煩悩ということになる。「無上の清らかな行いの究極を現世においてみずから さとり、証し、具現して、日を送った。」と最古の仏典スッタニパータに何度も出てくるが執着を制し生きたまま苦を克服することを目指すのが仏教。

U ‏@wayofthewind 8 時間8 時間前
GLAって、さりげなく日本中に支部を置いてますね。 阿含宗も似た感じで各地にある。 と思ったら、オウムの麻原はGLAにも阿含宗にも在籍していたとか!(笑) 世界の裏側はカルトで回しているんだな~と再確認。 @pinkglalem @tweettvjp

リチャード・コシミズはGLAの「希望の命水」を宣伝していてるけど、2000年頃にウェブに登場したときは「オウムと創価に命を狙われた!」という告発で名前を売っていったんだよね(笑) 八百長プロレスやらせリンチ噛ませ犬ツアー(笑)

DesBaleRRRna ‏@Dethtooldo 1月17日
【SYNODOS】オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった/大田俊寛 / 宗教学 http://synodos.jp/society/8575 『オウム真理教事件に対する思想的責任や、道義的責任について考えてみると、問題の範囲は実に、オウムという団体やその信者のみに限定されなくなります。』

『メディアの責任について。麻原彰晃はオカルト雑誌『ムー』の愛読者であり、一時期はそのライターとしても活動していました。彼の思想は『ムー』によって育まれ、また初期のオウムの活動は、『ムー』によって広く認知されていった。』 http://synodos.jp/society/8575/3

『オウム事件以後も、同誌は編集方針をまったく変えることがなく、オウムの教義と同工異曲の「メシア論」や「陰謀論」を掲載し続けています。また、霊性進 化論的なオカルト思想は、徳間書店の「超知ライブラリー」や「5次元文庫」といったシリーズの書物によって、今も広められている。』

右派でも左派でも妙な陰謀論を振り撒き、また、そんな連中を擁護してる人達は、何かあった時に責任が取れるんだろうな。 『大手出版社が堂々とオカルト本を売り捌いているというのは、世界的に見ても稀な現象でしょう。』 http://synodos.jp/society/8575/3


マ儿コ @marco11 • 12月2日
“霊性進化論の関連で少し付言しておけば、人文系の研究者のなかには、神智学の代表的な思想家の一人であるルドルフ・シュタイナーの信奉者が、かなりの数で存在しています。” / “オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった | SYNOD…” http://htn.to/bBF7Cj

菊池 @kikuchi_8
事実かどうか分からない、もしくは捏造された「偽史」でもそれを信じる人が集団をなせば社会的力となる。カルト宗教と同じである。オウムはカルト教義の一部として偽史を含んでいた。信奉者が増えればその史観が事実を反映しているかどうかに関わらず、社会的力を持つ。野心家達は偽史を道具とする。


竹内文献流「超皇国史観」と「反天皇」は容易に反転する両建構造。引用:「日本は神国であり世界の宗主国である」とする超皇国史観のテキストなので、反天皇・反体制であるオウムの教義とは水と油【日本のオカルト「日本屈指のトンデモ本、竹内文献」 】http://neutral-neutral.com/archives/1192

引用:ここでいわれる「偽史運動」とは原田の定義によれば、捏造された文書、擬似科学的データ等による虚偽の歴史学説を政治的に利用、時にテロの発動に至る社会運動ということになる。【偽史運動とオウム真理教 】http://neutral-neutral.com/archives/1544

偽史運動とオウム真理教
http://neutral-neutral.com/archives/1544
80年代、サブカルチャーにおけるオカルトの拡散期に当たるこの時期に様々な文化人やマスメディアはもちろんアニメ・マンガなどのサブカルチャーなどでもオカルト文化が折り重なり、オカルトブームが生まれたとされている。
その極端な形がオウム真理教の様な神秘主義と選民思想の蔓延
であろう。

「神仙民族」を僭称する武装ファシスト麻原彰晃は八五年、学研のオカルト誌「ムー」誌上で実践ヨガ講座を連載、それとは別に同年十一月号に「幻の古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」と題するレポートを寄稿している。

竹内文献の荒唐無稽な内容は現在でも好事家達の物笑いの種となっているが、オウムはこれを積極的に布教の為に利用しこの石は、オウム教団における超能力増幅ツールの一つとして使用していると主張し、1986年、東京・渋谷で「オウム神仙の会」が発足。ブームによって生まれたオカルトオタク群を自らの組織に糾合、オウムは急成長したといわれている。

と学会の原田実氏は「かつては八幡書店のひさしを借りていた麻原氏が社会問題になるほど勢力を持つカルトのリーダーとしてその姿を現し、同出版社社長の武田氏が展開していた偽史運動の母屋を乗っ取る形になってしまった」としている。(『宝島30』九五年十一月号)

ここでいわれる「偽史運動」とは原田の定義によれば、捏造された文書、擬似科学的データ等による虚偽の歴史学説を政治的に利用、時にテロの発動に至る社会運動ということになる。
この文脈に従えば、オウムが『竹内文献』に関与した偽史・武装カルトであることは疑いようのない事実であるが、まさにそれは出口王仁三郎が如く「宗教による社会騒乱」の継嗣と言えるのではないだろうか。

一方で、こうした左派勢力に対し右派勢力はどうであったのか。戦前の日本では天孫降臨について教え、国史の教科書に載っていたと言う。神話が歴史の事実として教えられている事を原理主義と言うが、
明治維新より以前の日本では清の考証学派の影響があり、記紀、万葉をそのまま読むと言う事は一部の国学者を除いては居なかった筈だが、明治以降は記紀、万葉を歴史的事実として教えると言う事が行われたという。
吉田松陰をはじめとした幕末以降の歴史教育は原理主義でなければいけないという学説が主流であった様で、必然的に明治以降の日本の歴史教育では神話を事実として教える様になった
というが、当然にして戦後教育ではそれを否定したが、
三島由紀夫は神話に基づく日本の歴史を否定する事に猛烈に反対した。一方で、実証主義的な歴史学者たちは、神話の歴史事実化に反対しなかったという。歴史教育と歴史研究は違う。神話は人間の宗教に対する考え方の原型を創り、民族の基本的特性を表すモデルをつくる。歴史教育において神話を教えても民族精神が養われるのならばそれでいいとの見解が殆どであった。保守派からはすこぶる評判の悪い丸山真男ですらその様に主張していた。
背景には古代神道(古神道)という原始的神話(仏教以前から存在する神話)を保有する我が国の特殊な神話観が指摘されるが、古神道とは明確な規範や倫理を持たない混沌とした信仰であり、その実態は各地域によって様々な信仰形態がみられるものである。廃仏毀釈で神仏を分離しなければならなかった様に、神道と言うものはあらゆる文化を呑み込み自らのものとするキマイラの様なものである。

明治以降の古神道という名の新宗教のムーヴメントは、実に神道古来の本質や性質を表していると言えるのではないか。だが、そこに融合するものは古来あった地域信仰だけでなく新たに生み出されたもの、つまり偽史の類をも呑み込んでしまうのだろうか。
時代を70~80年代に戻せば、新左翼の「日本原住民論」に基づく新古代史観に反発する形で、右派勢力が先述の原理主義的気質を増大させていった事は想像に難くないが、一方である右派の武闘派勢力について記せば、こともあろうにその機関紙で「オウム真理教的武装に学べ」という記事を載せていたことがある。

単に武装という点だけでなく、オウムが、ヤルタ・ポツダム体制の打倒をスローガンとする新右翼同様「ユダヤ・フリーメーソンの陰謀」への対決姿勢をみせていることへのシンパシーもあったようだ。確かに有名な某民族派団体の公式サイトを見れば、その思想の名残を窺い知ることが出来る。以下、抜粋

我々は、物質主義を最大権化とする西洋近代合理主義に汚染され民族の魂を失った我が国に、民族の伝統、文化を回復し、真姿日本を蘇らせんとするものである。
そのために我々は、民族の前衛としてありとあらゆる手段をもって腐敗せるこの悪しき戦後体制=ヤルタ・ポツダム体制を打倒し、光輝ある我が国の歴史を創造するべく維新を断行する。
そして、亜細亜を真に開放し、更に世界解放を勝ち取り、以って八紘一宇の大道理想世界を創出する。
一、 我々義勇軍は最も苛烈にして最も先鋭なる民族主義集団である。
一、 我々の目的は日本の政権奪取、世界革命維新である。
一、 我々は敵権力、白人集団(WASP、ユダヤフリーメーソン)との全身全霊をもった闘いを貫徹するものであり、これに逆するスパイ、敵対者はそれを容赦なく排除する。

左にしろ右にしろ、共通している事は偽書に根ざした偽史、そこに連なる神秘主義・他民族による謀略が行われているという陰謀論が、かつて共通していたことはもっと指摘されていいはずだ。

共通するのは両者ともに「何かに支配されている・謀略されている」と思い込んだうえでの大衆運動であると言う事だろう。
そして自分達の言説、あるいは信仰を妄信する狂信者と言っても良い。

模倣は大衆運動を統一する際に重要な要素となるとエリック・ホファーは指摘する。偽史や陰謀と言った物語はあらゆる大衆運動が重んじる意思の統一と統制にうってつけの要素であろう。ましてや、それが憎悪に根ざしたものであるならば尚更ではないか。
憎悪はあらゆる統一の中でもっとも容易に受け入れられ、包容力の広いものである。共通の憎悪をもつということは、まったく異質な要素をさえ結合させる。
例えば、本来ならば皇国史観とは相容れない筈の古神道的な価値観が民族派達に受け入れられたように、時として「日ユ同祖論」すら受け入れられたように、あるいは、皇道派が妥当フリーメーソンを合言葉に極左的カルト宗教にシンパシーを感じたように、共通の憎悪をもつという事はその相手が敵であったとしても抵抗する気力を奪うものなのだろう。

また、ノルベルト・エリアスが言うように、「共同で支持される信仰は、それと食い違うあらゆる証拠をしばしば受け付けないし、あるいはまた、その信仰が単に親密なコミュニケーションで結びついている大勢の人々によって共有されているがゆえに、それを間違っていると見なす議論も受け付けない(「定着者と部外者」法政大学出版局 P.167)」彼らの信じる神話が例え荒唐無稽な偽史であろうとも、真実や事実を提示してもそこに意味は無いのだろう。我々がそれを批判したところで、却ってそれが集団の結束や指導者のカリスマ化を強固なものにしこれらの運動をより先鋭化させていくだけなのか。

「恐ろしくマイナーなカウンター・カルチャーの蛸壺の中での話」の様に思うが、実際のオウム事件を調べれば、その影響力に関しては侮れないものであっただろう。そもそも大衆運動においてその原典となるカルチャーの規模の大小やメジャーかマイナーかはさして問題ではないのかもしれない。言論人によって市場に放り出された商品は文化装置としての機能を発揮し、狂信者達によって都合の良いように具体化され、末端の活動家によって強化され先鋭化していく。また、ホファーはこうも言う。大衆運動にとって狂信者が危険なのは彼らが落ち着くことが出来ないからであると。狂信者は常に分裂と緊張に苛まれており、常に新しい陰謀を(明きらかにされない神秘)を求め続け、更に極端なものを求め続ける。

オウム事件はいうに及ばず、極左や極右の政治活動であっても同じことである。


日本のオカルト「日本屈指のトンデモ本、竹内文献」
http://neutral-neutral.com/archives/1192
”竹内文献といえば日本屈指のトンデモ本であるが、釈尊・孔子・キリスト・マホメットの渡来、ピラミッドの日本発祥説、超古代の日本の王は越中の御皇城山に世界統治の本拠地として全長4キロにわたる広大な神殿と巨大宇宙船「天乃浮船」の存在など、その破天荒なスケールの壮大さ、荒唐無稽さは際立っているが戦前の古神道家に与えた影響は決して軽んじられるものではない

竹内文献は戦前に不敬罪で押収され、原本は東京大空襲で焼失したとされているが、戦後各地に散らばる写本を収集・再編しとある出版社が
再版する事となり、一部の神秘主義者達に知られる事となる。

時は流れ80年代、あるカルト宗教の教義に一部影響を与える事となる。それが何を隠そう、あの「オウム真理教(現:アーレフ)」なのである。

動画中にキーワードとして登場する「ヒヒイロカネ」とは「天乃浮船」の動力となる金属であるという。この金属は永久に錆びず人間を超人に変える波動を発するという。
最も竹内文献の特色とは平田篤胤の「日本の神々が世界に移動した」という概念を極端に具体化した「日本は神国であり世界の宗主国である」とする超皇国史観のテキストなので、反天皇・反体制であるオウムの教義とは水と油なのだが、動画中にもある通り都合の良い切り貼りをしたものだ


さて、言うまでもなくこの「竹内文献」は公開者である竹内巨麿(1875-1965)の創作である事は疑いようもないだろう。竹内は富山県婦負郡神明村の小作農の家に生まれるが竹内家の伝承では父は宇多天皇の後裔、母は神宮祭主大中臣家の娘で母が暴漢に襲われ自害した後、竹内家に預けられたのだという。出自の真偽はさておき、竹内は18-19歳の頃、御嶽教の行者として全国を遍歴していたという。その後、明治32年ごろ、茨城県中郷にて治病祈祷などで周辺村民の信頼を得ていたという。明治43年には茨城県磯原に御嶽教所属の天津教会を開き、後に天津教として発展させる。祭祀は「皇祖皇太神宮」。昭和4-5年の最盛期には信徒数約1万人を擁し、茨城、福島の農民層が基層であったというが、天津教の活動自体は教義を広めることではなく、地域の民俗と融和した村落共同体の構築であり、竹内自身には他の古神道家の様なハードな国体論(超皇国史観)というよりも、本質は幻想家であり霊能家であったとも言われているが、他の古神道家達に絶大な影響を与え「竹内文献」が一人歩きを始めてしまった事によって竹内は不敬罪・文書偽造・詐欺の容疑で弾圧される事となる。

「皇祖皇太神宮」”

原本消失って偶然を装った証拠隠滅なんじゃないの?
大本教の出口なおの「お筆先」も多くが弾圧で消えたらしいけど、これって教典=大本神諭(おおもとしんゆ。実質的な執筆者は出口王仁三郎)との食い違いがばれたら困るから、弾圧で「不幸にも」多くのお筆先を失ったフリをしているのでは?

”お筆先は、神懸かりしてから大正7年6月の最後の筆先まで約27年間、半紙20枚綴りで約1万巻を記述したが、二度の宗教弾圧(大本事件)により多くが散逸した”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%AB%AD)

若隠居の寝太郎 ‏@Chimaera93 2月25日

アゾフ大隊とナチスのマークでオカルト的に見ると意味合いが違う。ナチスは太陽や勝利を意味するシゲルのルーンを交差させているが、アゾフ大隊は氷や停滞、安定、現状維持、争いを意味するイスと、イチイの木、死あるいは再生、転換を意味するユルを組合せている。

Luzifer08312 ‏@nabe08311 1月26日
旧ナチスの紋章のハーケンクロイツ逆卍は北欧神話に出て来るルーン文字のS(意味は太陽、勝利)を2つ重ねたもの。ヒトラーは10代で聖書を読破し、オカルトに精通していた。因みに英語でオカルトの意味は、秘匿されたものという意味が有る。

ネズミさん ‏@Nezmi_san 9月20日

日本の政治家が「ネオナチ」と騒いでいるが、

「スキンヘッド」って連中がロシアや欧州でうろうろしている事実をまず見るべきだね・・・
https://www.youtube.com/watch?v=NpE8jehTRIM&list=PLij9EUVXBvyYoJsbUCRVx76BLSjwokruF …

(欧州ではアジア人は奴等を見つけたら近づかない・・・ボコられるよ)

ウクライナ(ロシア)のネオナチの「ルーン」のシンボルを見よう、「ルーン(rune)」の語の源は、スカンジナビア語
http://ameblo.jp/happy-runes/entry-11918349537.html …
やゴート語で「神秘」「儀」などを意味する。ドイツ・ゲルマンの文字である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%96%87%E5%AD%97 …

ルーン文字はドイツで日常使われている、で、「Z」のマークを見よう・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Nazi_symbolism …

ルーン文字とナチスのシンボルの関係だ・・・
ちなみにウクライナのネオナチの「ウルフサンゲル」→「i(イサ=氷)とh(雹=エイワズ)」の合成文字、なんで偶然にも雪の女王がヒットしたのかねw) pic.twitter.com/fxZ4ya18ln

「合衆国はウクライナのネオ・ナチを支援している?」
http://ameblo.jp/humipine/entry-11804734401.html …
第二次世界大戦中のドイツ侵略へのウクライナ人記念碑を破壊、ナチス式敬礼「ジークハイル(勝利万歳)」とナチのウルフサンゲル(ウルフ狩猟用のフックの形)のシンボルは欧州広場で・・・

さて、今後は政府に「ネオナチ」の大臣がいるらしいから、ナチスのシンボルを覚えておこう・・・
SSはナチス親衛隊→死の頭(頭蓋骨)
稲妻が2個、レディーガガなど音楽業界も(S)、メイソンのマークでもある。木の枝みたいなマークはZ、なぜか「アイドル」が「ゼーット」とか叫んでるね

「マークやシンボルには意味がある」んだよ。「飾りじゃないのよマークは、はっは~♪」である。本来日本のナチス大臣が欧州に行ったらぼこられる(アジア人だから)、ではなぜ日本のアジア人が「ネオナチ」なのか?そこから「正体」を導くべきだね。 pic.twitter.com/9Ok52iSEbr

ちなみに街をうろつくロシアの「ネオナチ・ガールズ」、野郎の「スキンヘッド」だけじゃないよw(某大臣も昔は「ガール」だったろうが、)
https://www.youtube.com/watch?v=jnQ2r7gEfro …
因みに「88」は「ハイル・ヒットラー」という意味だから無闇にTシャツ着ないほうが身の為だw

えーっと、この「ネオナチ」のヨウツベ・ビデオを聞くと「オイ、オイ、オイ~♪」となにやら妙な掛け声、日本人には聞き覚えの言葉だが、「オイ!」というのはロンドン下町など、パンクでいうところの「ネオナチ宣言」である・・・(音楽にも意味)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4 …!

日本の「ゼーット!」とか叫ぶアイドルグループとこの「オイ!」という1970年代後半にイギリスで発生した、労働者階級に支持されたのパンクロックのサブジャンル、「連帯」というところで非常に似ている・・・尚、オイは「パンクス、スキンヘッドと非同盟の若者達とを結びつける」勧誘目的だった。

それでは、もうひとつネオナチ・ロシアン・ガールの音楽を紹介・・・
https://www.youtube.com/watch?v=jnQ2r7gEfro …
ここでも「88」のTシャツだね。「14」ってのも同じ(白人至上主義運動のスローガンが14単語
http://ja.wikipedia.org/wiki/14_Words

(14 Words(Fourteen Words)
="We must secure the existence of our people and a future for white children."
=「我らは、我らの種族の存続と白人の子どもたちのための未来を確かなものにしなくてはならない。」)

「8814」の意味がわかったところで、このTシャツを見ればアジア人や黒人は「かわい~」で盛り上がらず、ビビッて逃げないとならない・・・w
音楽→https://www.youtube.com/watch?v=jnQ2r7gEfro … pic.twitter.com/LFyisr7LwM

戸梶圭太 @Keita_Tokaji • 10月24日
ち くま新書の『現代オカルトの根源』で言及されている爬虫類型異星人って、一部のなりあがり系人格障害者にありがちな、常に利用できる獲物を探しているよう な虚ろで気持ち悪い目を持つ爬虫類面のことを言ってるんじゃないかと思ってしまう。大抵ある程度のしあがって自爆するんですが。
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