読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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「『人は信じたいものを信じてしまう』という強制力を数の力で強化して価値観に閉じ込めて支配。「事実と事実に抱く感情を分ける」ことで個人の好みに依存することを排除して対抗可能。願望で事実を捏造してはいけない。.陰謀論は他人と共有できるもので行う検証作業なので、完全に主観依存のスピリチュアルや宇宙人等の反証不可能なものを持ちこんではいけない」とレプティリアンの土偶は言わない。 

“レプティリアンの土偶は?偽物?”
というコメントを私の記事
 共通の敵を作って大衆操作~キリスト教は支配の為に悪魔もスピリチュアルもレプティリアンも作った。小林泰三『ΑΩ(アルファ・オメガ)―超空想科学怪奇譚』~
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
にいただきましたので、これを題材に、回答も兼ねて、私なりに陰謀論という検証作業における私の見解を述べておきます。

”魔法使いハンターねこた‏@lanekota•5月3日”魔道師マニアのメルヘン厨二病おばちゃんとその他数名のみしか、徹底的に理詰めで考える陰謀論者がいなくて、みんなスピリチュアルを絡めないといけないという現実にぞっとする

子子子子子(ねここねこ)‏@kitsuchitsuchi•5月3日
@lanekota 陰謀論とは①他人と共有できるものを使い②他人の主観=客観、で修正しつつ③一番可能性が高い結論を探す④論理的検証作業。つまり、あるかどうか確かめられないもの=完全に主観依存のもの、で妨害可能。だから似非陰謀論はスピリチュアル+宇宙人等の反証不可能なものがセット


魔法使いハンターねこた‏@lanekota•5月3日
@kitsuchitsuchi 陰謀論者は星の数ほどいるのに、徹頭徹尾、理詰めで考える人は数十人もいませんね。陰謀「論」はロジックなのに途中から必ず論理ではわからないものがある!ってなって、それってサッカーのハンドみたい。陰謀論はロジックだけで戦うサッカーなのに

魔法使いハンターねこた‏@lanekota•5月3日
@kitsuchitsuchi 陰謀論にはオッカムの剃刀というルールも適用されるべきですな“
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/462635876447563776

※オッカムの剃刀:仮定を導入するなら最小限の組み合わせを選ぶべきという考え。例えば金星人の実在を仮定しなければならない説明よりは、すでに知られている事柄だけで可能な説明の方を尊重すべきだということ。
仮定を大量に用いればどんな説でもそれなりに辻褄が合った説明ができてしまうからです。
ただし、説明できない=間違い、とは限りません。経験に基づく科学は常に進行中の過程で、反証可能性の中にあり、現在の真理は常に暫定的な真理=今のところは正しい可能性が高い、という性質を持っているからです。


 私は土偶の存在自体は肯定します。しかし、エジプト神話の神々のように、首から下が人間で首が人間以外のものをイメージして作ったものだと考えています。宇宙人かどうかは肯定も否定もしません。外国人かもしれませんし、動物の皮を頭に被っただけかもしれませんし、爬虫類人間で「ない」ことは証明できないからです。
 レプティリアンが支配している説は、英国の上流階級はなぜか爬虫類みたいなぬめっとした顔であるように、ヨーロッパの王侯貴族が本当の支配者なのだという意味ならば肯けます。しかし、中身が宇宙人にすり替わったことについては、より可能性が高い説明――同じ見た目の人間にすり替えるなど――が可能ですし、スキャンダルとかではめて失脚させて別の奴を据えたりしても別によいので、私は宇宙人が支配している説は支持していないわけです。

“GODがモデルの黒い猿人アダムや宇宙人はなぜ地球の重力前提の姿?左右対称で頭が上の重力に囚われた宇宙人や全知全能(笑)。宇宙の物質状態は九割以上がプラズマで固体・液体・気体は少ないのにプラズマ生命体は出てこない。固体・液体+地球の重力でできる形の宇宙人やGODは地球人か黒い猿人。”
と私がツイッターで述べたように、地球外からやって来た生命体が人間を支配している確率は非常に低いです。
 そして人間が存続している間に地球に来られる可能性も低いです。
 もしレプティリアンが地球で産まれた人間とは別種族、だという意味ならば、両者とも地球人ですから宇宙人を出す必要はありません。
 
 存在するか否かの論証について説明しておきます。
 『Aでないことは証明できない、ゆえにAである』と主張するのは詭弁です。
 「宇宙人(霊魂、神、超能力、前世など)が存在しないという証拠は無い。ゆえに存在する」は詭弁です。
この例で確実に言えることは、『Aが存在しないという証拠は無い。ゆえに、Aは存在する「かもしれない」し、存在し「ないかもしれない」。』ということだけしか言えません。
 
これと同じく、
「私が間違っているというならば、それを証明してみせよ(無理なら私が正しい)」と主張する詭弁があります。
否定する根拠が示せないとしても、それは単に「正しいかもしれないし、正しくないかもしれない」というだけのことです。
「~でないこと」や「~が存在しないこと」を証明することは困難であり、悪魔の証明
と呼ぶ人がいます。
 宇宙人が存在することを証明したいなら宇宙人を一人でも連れてきたらいいのですが、存在「しない」となると、「あなたが探さなかったところにいるかもしれない。あなたが探したところにあなたが去ったあとに戻ったかもしれない」と言えてしまうからです。
『読めないニックネーム』というブログが存在することを証明するには、このブログを開いて見せればいいのです。
が、『読めないニックネーム』が存在し「ない」ことを証明するためには膨大な量のブログを全て調べないといけませんから、事実上不可能であり、できないことを要求しているから反則だということです。
 なので、「ある」と主張した者が、それを先に証明しなければならないという暗黙の了解があります。
あなたが先に『ない』ことを証明せよ。できないなら『ある』」と主張する詭弁=悪魔の証明に注意しましょう。

 悪魔の証明の罠に加えて、陥り易い罠が、「事実と事実に抱く感情の混同」です。
 事実と、その「事実についてどう思いたいかという願望」はきちんとわけないといけません。人は信じたい物を信じてしまう、という人間である以上逃れ得ない強制力を少しでも弱めるためです
 しかも、その強制力は、価値観を広めることで集団的無意識を作って縛る支配の手法により更に強化されていますから、尚更、他人が何を信じたいの?自分は何を信じたいの?なんて願望は、検証の上では、一番に捨て去るべきものです
 限界はありますが、そうした検証を妨害するものを減らすために理詰めで考える必要があるのです
 無論、合理的あるいは科学的思考にも限界があることは念頭に置いておかないといけません。
 科学とは、現実「の一部」(人間が経験できる範囲)における経験論的な論証によって成り立っているのですから。
 そして論理を使わないとそもそも成り立たない陰謀論には、「事実と、その事実についてどう思いたいかという願望」を分けることが必須なのです。
 陰謀論は検証作業であり感情を持ち込んではならないのですが、それは余りにも醜い現実を発見してしまうが故に、多くの人は「そんな可能性は考える価値が無い」という意味で、そして「怖いからやめて!」という本音を覆い隠すように、「陰謀論」という言葉を使います。
 感情的に拒否させて、検証させない強制力を作り出すことこそが、正に心理学を極めた精神操作技術者の手口
です。
 「陰謀論としてただ否定すること」だけを行い、可能性としてどうなのかを検証しないことと、事実を知る恐怖から逃げる人が圧倒的に多いことが、今の惨状を作り出しているのです。
 恐いから検証したくない。だから検証作業を、陰謀論=「差別用語という区分け」を発明して隔離しようとします。感情的に「ありえない」と決めつけさせることで、理屈で検証したうえで可能性が低すぎる=ありえない、と判断するという手順を踏ませないのです

 つまり、願望で事実を捏造しようとするのです
 そして願望と事実をごっちゃにする人が、警察の事実のでっちあげを糾弾したりするのですから悲し過ぎます。
 要は、陰謀論は、どんなものにしろ可能性を検証することから始まっているのであって、要は事件を捜査して一番可能性が高い結論を引き出すためのものだ、ってことです。

検証もせず感情的に「ありえない」=でっちあげ。
検証して論理的に「ありえない」=確率が低すぎるという結論


 同じ「ありえない」でも完全に別物です。
 また、陰謀論を「真実」の探求だと意識し過ぎてはいけません。あくまで一番可能性が高いことを探すことです。

真実を教義にしてはならない。人間の言う真実とは、『一番可能性が高いこと』だ。」

を意識することは自戒しております(~の真実って本や記事って大抵の場合は「一面的な論点ずらしの」真実(笑)ですけどね)。

 ですから私は感情的表現をできるだけなくし感情的でも建設的なものにして単なる罵詈雑言にならないように気を付けています。以下のようにです。

「怖いものに蓋をしたって怖いものはどんどん強くなるだけなんだよ!
陰謀論という事件捜査に蓋をしたら支配者が爆笑するだけだろうが!」

 陰謀論に夢を見てはいけません
。支配の仕組みについての追求なのですからえげつないことばかりが出て来るのは当然なので、基本的には不快です。
 私の場合は、謎を解く快感、疑問が解ける快感、知識が増える快感といったものがありますが、やはり醜悪な事実から受ける精神的ダメージからは免れていません。
 ただでさえ、人間は事実から目を背ける性質があるのですから、脳内でいくらでも都合よく解釈できる、個人の主観に依存したものはできるだけ排除しないといけません。
 陰謀論という事件の捜査には、宇宙人や目に見えない何か(スピリチュアルや神様)の存在自体の成否という、完全に個人の好みに依存してしまうものを持ちこんではいけませんよってことです。
 宇宙人や目に見えないもの(スピリチュアルや神様)の「機能」と「目的」という人間が操作できるものに言及して始めて、事件捜査を妨害しないようにできるのです。
 スピリチュアルや神様と同じく宇宙人も「目に見えず、あるかどうか確かめられないものを信じさせることで操作する支配者の技術」に利用されていますから、警戒しないとカルトに絡め取られてしまいます。

 宇宙人の機能や目的については

“宇宙人=科学が否定した悪魔の代役で悪魔の証明=科学的検証不可を利用した人類共通の敵”

“1953年発表の江戸川乱歩『宇宙怪人』は戦争をなくして世界平和を達成する為にトカゲ型宇宙人(レプティリアン?)の脅威を捏造して人類を団結させようとする怪人二十面相の話。金星出身だと意見する学者登場。伝書鳩や無線操縦で円盤を動かす。フランス人が発明した小型ヘリを背負って飛ぶ宇宙人。”
“「支配の為の必要性から生まれた」という視点なしで宇宙人を語る陰謀論者が紐付きだらけなのは偶然ではありません。”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
など過去記事で言い尽くしました。

「敵を作ることは必要だが、その敵が実在する必要はない。むしろ、実在しない方が都合が良い」

という観点は、アイアンマウンテンレポート(報告)なんてものが実在するのですから決して無視してはならない点です。


 あと、感情を切り離すべきならフィクションは判断材料にならないのでは?創作だし、性質上、受け手の感情を動かしまくるものだし。 という疑問を持つ方がおられるかもしれませんが、

「『この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。』自体がフィクションだ。「今から言うことは全部嘘だからね」とわざわざ言う人の「今から言うこと」は本当のことだ。」

「嘘は真実を教えてくれるが、『全く言及されないこと』は真実それ自体である。」
(キリスト教による中央銀行支配や、道教=神道、天皇=道教のボス、を無視した日本史)


という私が考えた格言めいたものと後述の引用で回答を済ませておきます。


クリエーターがなぜか真実を知っている理由
http://magicaldragon.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
科学者というのは、学校教育の内容が正しいと考え、自らも偽りを信じ、偽りの世界観を大衆へ植え付ける仕事をしている奴隷に過ぎないという事だ。もちろんトップの学者は魔法結社に入れるけど、下っ端はトップの作った数式の魔術に騙されるだけの存在というわけだ。年収を見ればすぐに判明する。学者なんてせいぜい年収2000万円あれば超エリート扱いだ。しかし、漫画家・シナリオライターは5億とか10億の世界でやっとトップを主張できるわけで。ちなみに、億単位の年収を持つ名探偵コナンの作者によるストーリーだと、トップの学者なんて単に若手の無名研究者の論文を自分の名前で発表しているだけという流れになる。自分が論文を書かなくても名誉を得られる魔術と言えばそれまでだが、クリエーターと違い、大した才能が無いと言える。なお、フリーエネルギーや病気治療装置を開発したりと、本当に大した才能のある人は、むしろ消えてしまう。科学者というのは、大衆や他の研究者を騙すのが仕事なんだから、真実を語る人は科学者じゃないのだ(笑) 大富豪は大衆に知らせる内容を制御するために学会という制度を設定している。学者が真実を知っているかどうか、信じているかどうかは関係ない。大富豪が設定した内容だけを話す事が学者でいられる秘訣だ。
 一方のクリエーターには真相に対して表現の制限は無い。クリエーターに驕りを想定するならば、「科学者は偉そうに講釈を垂れているけれど単なる無知。我々魔法結社員だけが真実を知っている。」と称して、ゲーム内に魔法のシンボルを入れるというわけだ。
 世の中はアトランティス時代から、シュメールに続き、魔法使いが支配しているのだから、「魔法なんて存在しない」と頑なに拒否すると、いずれは科学者を辞めさせられるのだ。表向きは「オカルトは嘘」と語っていても、そういう人は真実を知りながら、大衆に偽りの世界を植え付ける仕事をしている場合があるので、認識して貰いたい。
クリエーターが真実を知り、科学者が偽りに翻弄される理由や証拠としたい。
以前に「あのブログの管理人は、ゲームやアニメから真実を探そうとしているからダメ」のような発言をした人がいるので、反論したい。「これが真実だ」と語るブログはたくさんあるけれど、読者は「今度こそ真実かも知れない」という期待観がある。そこに付け込んで嘘を信じさせる者達が跋扈する(のさばる)わけだ。しかし、物語だったらどうだろうか? 真実だと信じる人達はいない想定なのだから、真実を埋め込んでも問題の無いエリアだ。別に嘘をついて読者・プレイヤーを騙す必要は無い。結果的に、魔法結社で習う真実に溢れるという逆の状況が生まれているのだ。騙されているとすれば、真実なのに作り話だと考えるように錯覚させられる点か。だからこそ、デーヴィッド・アイクが爬虫類人などを語り出す何十年も前から、藤子不二雄が暴露してしまっているというわけだ。手塚治虫の作品はあまり知らないが、恐らく弟子の藤子不二雄より更に10年以上前に真実をネタにして(暴露して)しまっている事だろう。

創作物語……信じる者は最初からいないので、真実がいっぱい
学術理論……信じさせる前提で作られているので、嘘がいっぱい
真相暴露……信じさせる前提で作られているので、途中まで本当で嘘に誘導される

「これが真相だ!」と語る理論は作り話で、「これは作り話」という作品こそが真相というカラクリ
というわけだ。なお、消された漫画というのもある。”


ボクと魔王~子供向けのゲームに隠された魔法結社の知識
http://magicaldragon.blog.fc2.com/blog-entry-291.html
“映画マトリックスで有名な作者が別の作品を描いていて、その名は「Vフォー・ヴェンデッタ」。いずれ記事にする予定だが、作中の台詞では当ブログと全く同じ事を語っていたので、その部分だけピックアップする。

芸術家は真実を伝えるために嘘をつく。政治家は虚偽を伝えるために嘘をつく。
芸術家は嘘で真実を伝える。


最初に映画を見た時は、全く心に残っていなかった。しかし、「芸術家は嘘で真実を伝える」を今ならば翻訳する事ができる。「漫画家・小説家・シナリオライターは創作物(嘘)で真実を伝える」という意味だと。「これは作り話です」という説明が嘘というわけだ。”

『Vフォー・ヴェンデッタ』(V for Vendetta)は、支配の為に宇宙人の存在を捏造する『ウォッチメン』(Watchmen)と同じくアラン・ムーアが原作者です。
ウォッチメンは、「宇宙人の侵略という嘘を世界中に信じ込ませて世界平和を実現させる」もので三角形に目玉が登場します。


ガイ・フォークス・ナイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88
"ガイ・フォークス・ナイト(英語: Guy Fawkes Night)、またはガイ・フォークス・デイ(英語: Guy Fawkes Day)は、イギリスの風習。11月5日に行われる。子どもたちが花火をならし、かがり火をたく風習がある。

1605年、ガイ・フォークスとその一味のカトリック教徒が、時の国王ジェームズ1世と議員たちを殺すために、上院議場の下まで坑道を掘り、開会式の行われる11月5日(グレゴリオ暦11月15日)に爆破しようとしたが、寸前で発覚し、主謀者はロンドン塔に送られ、翌年1月31日(2月10日)に処刑された。この事件を記念するため、ガイ・フォークスと呼ぶ人形を作って、町中を一日中引き回し、夜になって焼きすてる風習が生れた。

今は人形の方はすたれたが、昼間からかんしゃく玉花火を盛んに爆発させて、日が暮れると大かがり火をたく。
"

ガイ・フォークス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9
"火薬陰謀事件に因み、イギリスでは毎年11月5日に「ガイ・フォークス・ナイト」、別名「ガイ・フォークスの日」、「ボンファイアー・ナイト」、「プロット・ナイト(Plot Night)」と呼ばれる行事が北アイルランドを除く各地で開催される。「ガイ(Guy)」と呼ばれる、ガイ・フォークスを表す人形を児童らが曳き回し、最後には篝火に投げ入れられて燃やされる。ヨークシャーでは、パーキンというケーキを、ガイ・フォークス・ナイトに食べる習慣がある。

伝統的に、11月5日が近付くと児童らが自作のガイ人形を持って近所を回り、「A penny for the Guy!(ガイ人形の為に1ペニーを!)」と言って祭りに備える為のお金を募ったが、現在ではその風習は廃れ、今日では僅かに一部の地域でのみ見られるに到った。現在では、主に篝火と打ち上げ花火を楽しむ行事となっている。

文化的位置と他メディアへの影響[編集]

ガイは、ウェールズ方面では国王暗殺を試みた罪人として扱われているが、スコットランド方面では自由を求めて戦ったとして英雄視されている。

ガイの犯行についてはイギリスの伝統的な子守歌である『マザー・グース』にも見られる。

1982年にアラン・ムーアとデヴィッド・ロイドによって発表されたコミック作品を原作とし、2006年に公開された映画作品『Vフォー・ヴェンネッタ』の主人公「V」は、ガイ・フォークスの仮面を被っている。Vは独裁体制の破壊をもくろむアナーキストであり、原作コミックでは初登場の時点で反逆者の代表としてガイに言及している。

ガイ・フォークスの仮面[編集]

ガイ・フォークスの仮面を被ったアノニマス
ガイ・フォークスの仮面は、上記の映画『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公Vの仮面として世界的に知られることとなり、その後アノニマス、ウィキリークスのジュリアン・アサンジ、世界各国の「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」の活動にも用いられ、ガイ・フォークスの名と共に「抵抗と匿名の国際的シンボル」と認知されるようになった[1]。
"

火薬陰謀事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%96%AC%E9%99%B0%E8%AC%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
"火薬陰謀事件(かやくいんぼうじけん、英: Gunpowder Plot)は、1605年にイングランドで発覚した政府転覆未遂事件である。イングランド国教会優遇政策の下で弾圧されていたカトリック教徒のうちの過激派によって計画されたものであるとされてきた。首謀者はロバート・ケイツビー、実行責任者はガイ・フォークス。上院議場の地下に仕掛けた大量の火薬 (gunpowder) を用いて、1605年11月5日の開院式に出席する国王ジェームズ1世らを爆殺する陰謀 (plot) を企てたが、実行直前に露見して失敗に終わった。これにちなんだ祭事が毎年イギリス各地で開催されている。

なお、ここでいう「1605年11月5日」とは、ユリウス暦に基づく日付である。事件当時のイギリスでは、未だグレゴリオ暦は採用されていなかった。
(中略)
離婚問題のこじれという個人的な理由でローマ教皇庁と対立したイングランド王ヘンリー8世は、1534年に国王至上法を発布して、教皇庁と袂を分かった。彼はローマ教皇に代わって自らがイギリス教会の首長であることを宣言した。これがイングランド国教会の起こりである。ヘンリー8世は自分に従わない聖職者を処罰・処刑したり、修道院の所有していた土地や資産を没収するなどの政策を推し進めた。『ユートピア』の著者トマス・モアもヘンリー8世の離婚問題で疑義を呈したことから刑死に追い込まれた。ヘンリー8世の死後、熱心なカトリック信徒であったメアリー1世はイギリスをカトリック教会に戻すべくプロテスタントに対する弾圧を行い、「血塗れのメアリー (Bloody Mary) 」の異名をとった。

続くエリザベス1世は完全なカトリックへの復帰も、過激なプロテスタンティズムへの傾斜もとらないという「中道政策 (Via Media) 」 によって英国国教会の位置付けを明確にし、彼女を排除する計画に関わったスコットランド女王メアリー・ステュアートを捕らえた。エリザベス自身は処刑に消極的であったが、最終的には死刑執行書への署名を決断、1587年に刑が執行された。この事件はカトリック教会の守護者を自認していたスペインにイングランド攻撃の口実を与え、1588年のアルマダ海戦へと繋がっていく。イギリスのカトリック・シンパの間ではメアリー・ステュアートは「殉教者」として称えられることになった。

そのメアリーの息子であるスコットランド王ジェームズ6世は、1603年にイングランド王ジェームズ1世として即位した。母親と同じカトリックの信仰を持つジェームズの即位は、カトリック教徒にとって暗闇に差し込む光になると思われた。その一方でカトリック信徒と同じく不遇をかこっていたピューリタン(清教徒)は1603年4月、戴冠のためエディンバラからロンドンに向かうジェームズに対し、「千人請願」と呼ばれる書状を提出し、清教徒に対し寛容な政策を採るよう訴えた。これを受けて翌1604年1月、ハンプトン・コートに各宗派の代表が集い、会議 (Hampton Court Conference) が開催された。ところが、この会議で国王は「主教なくして国王なし (No bishop, no King)」との言葉に象徴される、国教会優遇政策堅持の宣言を行った。この結果は、清教徒のみならず、カトリック信者にとっても極めて不利なものであった。
(中略)
事件以後、「11月5日」という日はイギリスにおいて、特別な意味をもって記憶されることとなった。1606年1月、議会は11月5日を「命を救い給うたことを神に感謝する日」として、法定の祝日と定めた。この制度は1859年に廃止されるまで、2世紀半にわたって続いた。

また名誉革命(1688年)の際には、カトリック信仰を奉ずるジェームズ2世を廃してイングランドの新国王となるべく決起したオラニエ公ウィレム3世(のちのウィリアム3世)は、イングランドのトーベイへの上陸日を11月5日に設定した。

この事件は新旧両教派間の深刻な対立構造を改めて示したが、これがのちの北アイルランド紛争を惹起する原因の1つとなったといわれる。事件を契機に、毎年国会の開院式前には、赤い制服を身にまとった王衛兵 (Yeomen of the Guard) が議場をはじめ王宮一帯をくまなく点検する儀式が行われているが、紛争とそれに伴い頻発したIRAのテロ事件を背景として、現在では単なる行事の域を遥かに超えた大規模なものとなっている。

ガイ・フォークス・ナイト[編集]

イギリスでは、11月5日(ただしグレゴリオ暦)は「ガイ・フォークス・ナイト」と呼ばれている。毎年この日には、「ガイ (guy) 」と呼ばれるフォークスを表す人形を市中に曳き回したのちに篝火で焼く行事が各地で行われた。現在では、専ら打ち上げ花火を楽しむ祭りとなっている。

異説[編集]

Scholastic社刊のThe Slimy Stuarts(ISBN 9780590134828)によれば、これはそもそもジェームズ国王がしくんだ偽の事件であるという説がある。箇条書きで簡単に書かれているが、これが事実であるという書き方になっている。翻訳すると次のようになる。

ジェームズはイングランドに到着当初あまり人気がなく、人気取りのためにこの事件をしくんだ。やり方は、まず敵を作る(カトリックが望ましい)、次にその中に紛れ込ませた手下に「国王と大臣全てを吹き飛ばす」計画を吹き込み、計画実行直前に逮捕する。"


『Vフォー・ヴェンデッタ』の名言をいくつか挙げて本記事を終わります。

“Artists use lies to tell the truth, while politicians use them to cover the truth up.“
真実を伝える嘘つきは芸術家。真実を隠す嘘つきは政治家。

“We are told to remember the idea, not the man, because a man can fail. He can be caught. He can be killed and forgotten. But four hundred years later an idea can still change the world.”
特定の人物は忘れても特定の理念を忘れるな。人はしくじり、捕まり、殺され忘れ去られうるから。だが何百年経ようとも、理念は世界を変えられる。

“Beneath this mask, there is more than flesh. Beneath this mask, there is an idea, Mr Creedy. And ideas are bulletproof!”
この仮面の下は肉より強き理念。宗教殿、理念は死なない。


※クリーディは人名ですが、クリード(信条。宗教=キリスト教の教義の要約)の意味を込めていると思われるので「宗教殿」としました。

People should not be afraid of their governments. Governments should be afraid of their people.”
国民が政府を恐れるのはおかしい。政府が国民を恐れるべきだ

(意訳は皆ねここねこ。http://en.wikiquote.org/wiki/V_for_Vendetta_(film))

“「My father was a writer. You would have liked him. He used to say artists used lies to tell the truth while politicians used them to cover the truth up.」
「A man after my own heart.」(英語字幕より)
「cover up」は他動詞の成句として、「隠す」の意。「after O's (own) heart」で「気に入った、心にかなった」の意。
「私の父は作家だった。あなたも父を気に入ったはずよ。彼はよく言ってた。芸術家は真実を語るためウソをつくが、政治家は真実を隠すためにウソをつく。」
「私の心にかなった方だ。」”
「A revolution without dancing is a revolution not with worth having.」(「Vフォー・ヴェンデッタ」より)http://hamadaumakichi.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/a_revolution_wi_bf4c.html



”こんばんは、みなさん。まず突然の非礼をお許しください。
私も多くの皆さん同様、毎日の繰り返しに安らぎを感じ、見慣れた日常に安心を感じています。みなさんと何も変わりません。しかし過去の重要な出来事を記念する気持ちを持っています。そんな気持ちから、たとえば誰かの死や悲惨な戦いの終わりは,祝日として祝うわけですが、私は今日11月5日を、もはや忘れられたこの日を記念し、日常の手を休め、皆さんとお話ししたいと思います。もちろんこうした話を望まない人たちもいます。この瞬間にも電話で命令が叫ばれ、銃を持った者たちがやってくるかもしれません。
なぜか、しばしば言葉の代わりに警棒が使われますが、本来言葉は力を持っているからです。言葉は意志を伝える手段であり、聞く者の耳に真実を届けます。そして真実とは、この国では何かが間違っているということです。それは暴虐・不正・偏見・弾圧、かつて自由に考え、話し、反対も出来たこの国で、今は検閲や監視が横行し、逸脱は許されず服従が求められているのです。なぜそうなったのか、誰のせいでしょう?誰にもまして責任があり、これからもその責任を負うべき者がいます。ところがどうでしょう、その犯人を知りたいなら、鏡を見るだけでいいのです。なぜ過ちを犯したか?怖かったからです。誰だってそうです。戦争・テロ・疫病、あなたの理性をむしばんで、あなたから良識を奪い取る問題はいくらでもあります。そして恐怖に圧倒され、混乱し、今や議長となったアダムサドラーに頼ったのです。彼は秩序と平和を約束し、代わりに沈黙と同意を求めただけでした。 ”
http://ameblo.jp/yapobook/entry-11125101641.html

”Good evening, London.
Allow me first to apologise for this interruption. I do, like many of you, appreciate the comforts of everyday routine—the security of the familiar, the tranquility of repetition. I enjoy them as much as any bloke. But in the spirit of commemoration, thereby those important events of the past usually associated with someone's death or the end of some awful bloody struggle are celebrated with a nice holiday, I thought we could mark this November the 5th, a day that is sadly no longer remembered, by taking some time out of our daily lives to sit down and have a little chat.
There are, of course, those who do not want us to speak. I suspect even now, orders are being shouted into telephones, and men with guns will soon be on their way.
Why? Because while the truncheon may be used in lieu of conversation, words will always retain their power. Words offer the means to meaning, and for those who will listen, the enunciation of truth.
And the truth is, there is something terribly wrong with this country, isn't there?
Cruelty and injustice, intolerance and oppression. And where once you had the freedom to object, to think and speak as you saw fit, you now have censors and systems of surveillance coercing your conformity and soliciting your submission.
How did this happen? Who's to blame? Well, certainly, there are those who are more responsible than others, and they will be held accountable. But again, truth be told, if you're looking for the guilty, you need only look into a mirror. I know why you did it. I know you were afraid. Who wouldn't be? War, terror, disease. There were a myriad of problems which conspired to corrupt your reason and rob you of your common sense. Fear got the best of you, and in your panic you turned to the now high chancellor, Adam Sutler. He promised you order, he promised you peace, and all he demanded in return was your silent, obedient consent.
Last night, I sought to end that silence. Last night, I destroyed the Old Bailey to remind this country of what it has forgotten.
More than four hundred years ago, a great citizen wished to embed the fifth of November forever in our memory. His hope was to remind the world that fairness, justice, and freedom are more than words—they are perspectives. So if you've seen nothing, if the crimes of this government remain unknown to you, then I would suggest that you allow the fifth of November to pass unmarked. But if you see what I see, if you feel as I feel, and if you would seek as I seek, then I ask you to stand beside me one year from tonight, outside the gates of Parliament, and together we shall give them a fifth of November that shall never, ever be forgot.”

” Vi veri veniversum vivus vici
By the power of truth, I while living have conquered the universe”
http://en.wikiquote.org/wiki/V_for_Vendetta_(film)

“"But on this most auspicious of nights, permit me then, in lieu of the more commonplace sobriquet, to suggest the character of this dramatis personae.
Voila!
In view, a humble vaudevillian veteran, cast vicariously as both victim and villain by the vicissitudes of Fate.
This visage, no mere veneer of vanity, is a vestige of the vox populi, now vacant, vanished.
However, this valorous visitation of a by-gone vexation, now stands vivified, and has vowed to vanquish these venal and virulent vermin vanguarding vice and vouchsafing the violent, vicious and voracious violation of volition.
The only verdict is vengeance; a vendetta, held as a votive, not in vain, for the value and veracity of such shall one day vindicate the vigilant and the virtuous.
Verily, this vichyssoise of verbiage veers most verbose so let me simply add that it is my very good honor to meet you and you may call me V"

“「では!ご覧の姿は道化師のもの。時に弱き物を、また、時に悪しき物を演じることも。仮面はただの虚飾にあらず。もはや素顔をさらして歩ける世界ではないゆえだ。しかし、この厄介者が再び姿を現したのは、世の悪を正すため、この腐った世界にうごめくウジ虫を掃除する、そのために。そう、これは "血の復讐(ヴェンデッタ)" だ。復讐の誓いは今も生きている。悪を断ち切り、自由をもたらすために。少々長い自己紹介になったようだ。要するに、簡単に"V"と呼んでいただければ結構だ。」”http://www.shuheiokazaki.net/2011/11/v-for-vendetta.html

"ある見方をすれば 場末の熟練芸人は犠牲者かつ悪役として、他者の変わりに運命の変遷により配役される。


この外見、単なる虚栄心の装飾にあらず、民の声の痕跡である。
これ、今や虚ろなり、消失せり。
活力にあふれた声、かつて崇められしが、今はそしらるる。
しかし、過ぎ去りし苦悩、勇ましく降臨す。
今や鮮烈に立ち上がり、厳かに宣言す。これら腐りきった有毒の害虫どもを打ち破らんと。
彼奴らは邪悪の尖兵となり、意思の力を粗暴かつ不埒に、かつ貪欲に侵すことを許すのである。


判決はただひとつ、復讐である。
血の復讐は、真実を語ることと正義の価値のために、虚栄のためではなく祈りのために行われるとき、
いつの日か用心と徳の正しさを証明することになろう。
しかし誠に多弁なるヴィシソワーズ、あまりに冗長に相成ったゆえ、ただ一言で述べん。
あなたにお会いできたこと、大変名誉に思います。
私のことはただVと呼んでいただきたい。"
http://www12.atwiki.jp/vendetta/pages/4.html

ヴィシソワーズ(英: Vichyssoise、: Crème Vichyssoise Glacée)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA
"冷たいポロネギ風味のジャガイモのポタージュ。

バターでポロネギとじゃがいもを炒めてからブイヨンを加えて煮、裏ごしして生クリームで伸ばし、冷やす。フランス語の名称は「ヴィシー風冷製クリームスープ」の意。このスープを考案したのはニューヨークのザ・リッツ・カールトンのシェフであったルイ・ディア(Louis Diat)で、フランスのヴィシー出身だったためにこの名を付けた。
(中略)
1941年、親ナチス・ドイツであったフランスのヴィシー政権に反対するアメリカ人のシェフ達が、ヴィシソワーズをクレーム・ゴロワーズ(Crème Gauloise、ガリア風クリームスープの意。この場合のガリアはフランスを指す)と改名したが、アメリカ国内ではヴィシソワーズとして既によく知られていたため、この名称は定着しなかった。

20世紀のアメリカ合衆国で創られたスープの中では、最も有名なものの一つである

"

“この外観(Visage)、単なる虚栄心(Vanity)の飾り(Veneer)にあらず、民の声(Vox opuil)の傷跡(Vestige)である。これ、今や空(Vacant)ろなり、消失(Vanished)せり。活力(Vital)にあふれた声(Voice)、かつて崇められしが(Venerated)、今やそしらるる(Vinified)。しかし、すぎ去りし苦悩(Vexation)、勇ましく(Valorous)降臨(Visitation)す、今や鮮烈(Vivified)に立ち上がり、厳かに宣言(Vowed)す。これら腐り(Venal)切った有毒(Vermin)どもを打ち破らん(Vanquish)と。彼奴(やつら)は邪悪(Vice)の前衛(Vanguarding)となり、意思(Volition)の力を粗暴(Violent)に不埒(Vicious)に、かつ貧欲(Voracious)に侵すこと(Violation)を許す(Vouchsafe)のである。”
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q138257678

auspicious「幸先の良い」
in lieu of = in stead of「〜の代わりに」
sobriquet「通り名」
dramatis personae 「登場人物」

Voilà! 「では(注目)!」ジャジャーンなどの漫画の効果音=文字みたいな感じのフランス語。
vaudevillian「寄席芸人、道化師」=素顔を隠す者
veteran「ベテラン」ヴェテラン
vicariously「身代わりに」
cast as A「Aとして演じる」
victim「被害者」
villain「悪役」
vicissitude「(人生などの特に「悪い」方への)移り変わり」
visage「顔、容貌」
veneer「板=家具等の表面には仕上げに板が貼られる=虚飾」
※ヴェニヤ(ベニヤ)板と訳すと誤解を招く。英語では一枚。日本語だと複数枚の板を使う。
合板(日本でいうベニヤ板)の上に張った上質の薄板。 日本語の「ベニヤ板」は単板(ベニヤveneer)ではないので、plywoodである。
vanity「見栄、うぬぼれ」
vain「ムダな、空の」うぬぼれ=実際とは違う=中身が無い。
vestige「(過去の文明、慣習の)名残り」
vox populi「人民の声」voice people
vacant「空いている、空っぽの」
vanish「消える」
valorous「勇ましい」
visitation「訪問」(the Visitation=聖母マリアの訪問)
vexation「いらだち(悩み)の種」
vivify「活気づける」
vivやvitが付く語は「生きる」の意味を含む。vivid「生」き「生」きした。
vital「命」に関わる、重要な。
vow「誓う」
vanquish「打ち破る」
venal「金で動く」
virulent「猛毒を持った、悪意に満ちた」
vermin「害獣、害虫」
vanguard「先導者」「先導する」
vice「悪」
vouchsafe(しばしば皮肉で)(親切にも)与えて下さる。
violently「乱暴に」
vicious「悪意のある」
voracious「貪欲な、大食の」
violation「冒涜」
volition「意志」
verdict「評決」
vengeance「復讐」=リベンジrevenge=vendetta「復讐、敵討ち」
votive「自由意志の」
vain「無駄」
value「価値」
veracity「誠実さ、真実」
vindicate「(人・人格に対する)非難の不当性を立証する、正当さを立証する」
vigilant「絶えず警戒している」
virtuous「徳の高い」
vice「悪徳」 ⇔virtue「徳」
verily「確かに」
vichyssoise=ヴィシソワーズ=ジャガイモの冷たいスープ。
verbiage「不要な語が多いこと、冗長」
veer「向きを変える」
verbose「言葉数が多い、くどい」
(http://www.shuheiokazaki.net/2013/11/v2013-1.htmlを改変)

Vをカタカナにするとヴという濁音があるので濁音を多用して訳してみます。
But, on this most auspicious of nights, permit me then, in lieu of the more commonplace sobriquet, to suggest the character of this dramatis personae.

「だが、最上なる瑞兆の今宵に免じ、ご寛恕を請う。有象無象の偽名でなく、劇中人物の自己紹介を。」
Voilà! In view, a humble vaudevillian veteran, cast vicariously as both victim and villain by the vicissitudes of Fate. This visage, no mere veneer of vanity, is a vestige of the vox populi, now vacant, vanished.
「では! 僭越ながら、ご覧の姿は芸歴長き道化師。時に弱者、時に悪役を代役す。
この外見は虚飾にあらず。今や消え失せがらがらの、人民の声の名残なり。」
However, this valorous visitation of a by-gone vexation, stands vivified and has vowed to vanquish these venal and virulent vermin vanguarding vice and vouchsafing the violently vicious and voracious violation of volition.
「が、過去の厄介者が勇猛に再臨し鮮烈に決起せしは、暴虐に悪逆に貪欲に、意志を冒涜するを許し、邪悪を指導する拝金主義の毒蟲どもを打倒する誓いを果たさんが為。」
The only verdict is vengeance; a vendetta, held as a votive, not in vain, for the value and veracity of such shall one day vindicate the vigilant and the virtuous.
「評決は唯一つ。復讐なり。この重大なる復讐、神に捧ぐ。その価値と真実が、用心と美徳の正しさを証明するその日まで。」
Verily, this vichyssoise of verbiage veers most verbose, so let me simply add that it's my very good honor to meet you and you may call me V.
「実に多弁を弄する自己紹介、駄弁の極みへ脱線す。一言で申せば、お会い出来て誠に御光栄の至り、Vとお呼び下されば幸いです。」

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コメント

なんとなく理解できました。
現実はとてもつまらないのですね。

土偶の人 #- | URL | 2014.05.22 19:43  edit

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