読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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原始仏教はカウンセリング術。現世利益を言わない宗教が多いのは、現世利益で幸せになると儲からないから。『仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 』・『原始仏典』・『ブッダの真理のことば・感興のことば』。あと、生き残るために他の宗教に偽装した宗教や、キリスト教が作った「ユダヤという身代わりの生贄」やズルワーンについてなど。 

 ようこそお越し下さいました。
 安易に宗教に頼らずに、わざわざここにいらっしゃったことだけでも、あなたは見込みがありますよ。
 何やら質問したげなご様子ですね。
 何々、原始仏教は宗教ではないのか、ですか。
 原始仏教は教義がありませんから宗教ではなく現世利益を実現するための技術と知恵の集大成です。仏教というよりは仏「法」や仏「術」と言う方が適切かもしれませんね。
 え、なぜ現世利益を追求しない宗教が多くて、恐怖を煽ってくるのかですって?
 なぜって、現世利益を得て幸せになっちゃったら宗教いらなくなるじゃないですか。現実で幸せになったら困るんです。信者という儲かるものがどんどん減っちゃいますから。
 だから終末論とか地獄で永遠に苦しむとかで恐怖支配して、抜けられなくするんです。大抵の宗教は、特におかしなカルトはほぼ間違いなくヨーロッパ産のキリスト教の変形です。だから、宗教と戦争という二つの商売は相性が非常に良いのです。教義で道徳を破らせて戦争を起こし、戦争で不幸な人を増やして儲かる信者を受け入れる
 不幸な状態を肯定することをよく言うのは、神の試練だとか、なんちゃらは幸いである、だとかで誤魔化して、なんとか現状が改善しないようにするためです。で、ますます依存させる。
 一方、原始仏教にはカルトによくあるものがございません。このAの欠点を指摘し、Bにはその欠点がないと言ってBに誘導する技術を今使っているのですよ、気をつけてくださいね。

子子子子子(ねここねこ)‏@kitsuchitsuchi·5月11日
原始仏教にないものは①絶対的教義②人格神③検証不可能な形而上学④男尊女卑⑤階級制⑥葬式で読経⑦墓石⑧戒名⑨卒塔婆⑩紫衣⑪占いや預言⑫鎮護国家(悪霊退散)。故に国教になれない。自然現象を擬人化し人格神にして解釈者=宗教家が操作する。操れない諸行無常より好都合。教義で道徳を破らせる。
にある通りです。

では、
原始仏教という名の、
苦しみを取り除き、
現実と自分と向き合う手助けをする、
心理カウンセリング術の内容紹介のはじまりはじまり。


※文末が統一されておりませんがご了承ください。

『仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 』(中公新書)(2011/10/22)植木 雅俊

サンスクリット語(あるいはパーリ語)で書かれた原典が読める人の著作を読まないと本来の釈尊の思想は決してわからない。
翻訳すれば原文の意味は必ず変化してしまう。
原典から翻訳→翻訳分を翻訳(重訳)
といった翻訳上の問題と、
教え自体が都合が悪くて改竄したという問題
など伝言ゲームのように別物になってしまう。

徹底した男女平等を説いた原始仏教は、儒教思想のせいで中国では翻訳時に男尊女卑思想に改竄され、今では搾取者に都合がいい形で日本に定着していて、今やどんどんキリストやキリスト教の変形であるスピリチュアルに侵食されまくっております。日本の仏教関係者は、当然、そこを「見ないように目を背けている←すでに釈迦の教えに反している」。
初期仏教と大乗仏教は別物だと言う説もありますね。大乗仏教はミトラ教の一派で、弥勒=ミトラ、という。キリスト教も大乗仏教も親はミトラで同じってことです。キリスト教は親のミトラを殺そうと必死ですが。
まあ、天上の存在を沢山登場する時点で初期仏教ではありませんよね。

※祖先崇拝を重視する儒教では、家系が絶えることは不幸の最たるものなので、女性は生む機械扱いされる。

中国では、男女平等がなかったことにされたりしたものの、国家に従属させられそうになっても、「沙門は王者を敬わず」の言葉通り、仏教徒は、国家のために積極的に働こうとしなかった。
対して、日本の仏教は、最初から鎮護国家の思想で始まり、仏教でない信仰は、いわゆる神仏習合(道教まじりの仏教が一番上)などにより、仏教の一部に改変し取り込んでいった(都から遠く離れると仏教の影響が薄いところもある)。

※「神道」は江戸末期に誕生したキリスト教の一派(教祖の一人が、平田篤胤という似非国学者)であり、「神道」誕生以前の仏教の異端派や土着信仰や道教の一派とかを勝手に「神道」ということにしただけ。
だから教義なんて定められるはずがない。嘘がばれるから(神道関係って偽書多過ぎませんかね?)。八百万のカミガミなる実に便利な内容にしている。
(明治以前は天皇は天台宗の仏教徒であることをなかったことにしちゃいかんよネトウヨ壺工作員)

明治以降の国家神道がキリスト教の一派なのは、大日本帝国憲法第3条“天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス”より窺える。
神聖にして侵すべからずとされる存在は欧米ではGODあるいはキリストである。
用語を日本的にしただけである。


脱線より戻る。
1700年代前半、懐徳堂(庶民教育のために大坂の町人が作ったので権威主義的でない)出身の、大坂の町人学者である富永仲基が『出定後語』を著わして、大乗仏教は釈尊が直接説いたものではないという「大乗非仏説論」という至極まっとうな主張をしたが、当然都合が悪いので無視され潰された。
インドの仏教は「人」より「法」を重視し、中国に来ると「法」を体現した「人」を重視し、日本に来ると「法」よりも「特定の」「人」(の神格化)に重心が移った(政治利用が明確になった)。聖徳太子を信仰対象とする太子堂が各地の寺院に建てられたり、弘法大師があちこちで信仰された。
ことなどがばれたら困るから。

かくして、日本では、坊さんは般若湯(=酒の隠語)をのみ、妻帯し、葬式と墓守を生業とし、宗教非課税特権を享受しているのである。
宗教非課税って突かれると支配者層が困ります。
宗教課税すべきですよ。額は重要ではありません。課税することが大事なのではなく、調査できるようにすることが大事なのです。

また脱線。
お盆って仏教関係ないよ。大乗仏教は輪廻転生思想だから、御先祖様が帰って来るなんてありえないでしょうが。
脱線終わる。

釈尊は、「教えは、それぞれの地域で語られる言葉で語りなさい」と言った。実際、アジア各地では、自国の言葉に翻訳されたが、日本だけは漢訳のままで翻訳されなかった。漢文の経典は音読みなので、人々はそれを聞いても意味がわからなかったが、日本には「分からないこと」=「有難いこと」という変な思想があるので、実に誤解されやすく騙しやすい。つまり本来の仏教に反している。
聖書が元はラテン語だったので庶民が読めなかったことに似ている。


※難解なことを分かりやすく説明できることが頭が良いという要素の一つ。
難しいこと難しく言うなら意味が分っていなくてもできるので。


①尊い人か、卑しい人かは生まれではなく行動で決まる
②釈尊も女も男も在家も出家も皆人間であり平等である。当然、在家の女性もブッダになれる

呪い、迷信、ドグマ、占い、姓名判断、苦行、超能力、呪術的儀式、神通力、おまじない、呪術的似非医療などに騙されてはいけない
④GODなどの絶対的価値観を殺人などを正当化する理由としてはならない。GODを目的とし、人間を手段としてはならない。
差別とは言葉による逆規定で発明されるのであって本来は存在しない
⑥弱みにつけ込んではいけない。
⑦不安を取り除き安心を施せ。
仏道を修行しても、
1.前世は分らないし、
2.ものごとを見通す眼は得られないし、
3.他人の心が読めるようにはならないし、
4.死ぬことや転生が何であるか知ることはできないし、
5.聴く働きを清める力も得られない


⑨苦しみをなくすために以下の八正道を実践せよ。
1.正見=正しく見ること
2.正思=正しく考えること
3.正語=正しく言葉を使うこと
4.正業=正しく振舞うこと
5.正命=正しく生活すること
6.正精進=正しく努力すること
7.正念=正しく思念すること
8.正定=正しく精神統一すること

ダルマ(法)を自らに体現し、真の自己を他に頼ることなく自覚せよ

軽蔑、怒り、憎しみなどの思いから互いに他人の苦しみを望んではならない

愛は憎しみに転じ得る。愛憎の対立を超えた慈しみの念を保つことが崇高な境地である。
仏教で「愛」=執着をもたらす欲望=悪いもの、という考え。二元論の否定。


恨みは恨みによって決して静まらない。恨みは、恨みのないことによって静まる

信じることのうち、妄信・狂信・熱狂的信仰はしてはいけない

死者の救いは、葬儀のいかんではなく、亡くなった人自身の徳による

上記の列挙事項に含まれていないからといって、何をやっても容認されるとは限らない。


仏教と葬式は本来無関係。お経を読むなんてありえない。
「お前たちは遺骨の供養にかかずらうな。お前たちは正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ」が釈尊の考え。葬儀は出家者ではなく、在家がやるもの

ちなみに、仏教だから火葬だとは限らない。
釈尊は、遺言どおり遺体は「在家」によって白い布に巻かれて、火葬=荼毘に付された。

釈尊の時代に文字によるお経なんて存在しない。
釈尊が語っていたことを短文で口伝えで語ることはあっても、それは葬式のためではなく、「生きる」ことに関するものである。
そのそも、お経の内容はきちんとしたストーリーのあるドラマチックなものであり、意味が分かれば、葬式の場では完全に場違いな内容である。
キリスト教式の葬式でシェークスピアの戯曲でも読み上げるようなものである


あと、卒塔婆も本来の仏教にはない。ストゥーパ(卒塔婆)はそもそも墓なので、墓の隣に墓を立てるという奇妙なことに日本ではなっている。
まさに、屋上屋を架す=無駄なことやつけたし。蛇足。
卒塔婆代ってばかばかしいね。二重払い断固拒否。


現在のような葬送儀礼が定着したのは、江戸時代の檀家制度の影響。仏教僧侶が葬儀や追善を行えば一神教抑制や、寺院経営の維持に有利だったので。

お盆で先祖の霊が返って来るというのは、大乗仏教の輪廻転生と矛盾するので、そもそも仏教関係ない。
そもそも、輪廻転生するのなら、供養の仏壇やお墓の意味がなくなる。他の存在に変わるのだから、弔いに感謝することなんて不可能だし、お盆に返って来るなんてありえない。

原始仏典では、死者の救いは、葬儀のいかんではなく、亡くなった人自身の徳によるので、釈尊は出家者が葬儀に関わることを禁止している。


戒名は仏教が中国に伝わったときに、号の風習を取入れて生れたものらしいので、戒名詐欺にご注意ご注意。
戒名くらい自分でつけたら?
(そもそも自分の名前を自分でつけられる制度にしたらいいのに。在日特権=通名=偽名OK=スパイ天国、なんだから、別にいいよねえ)

中国では道教や儒教の先祖供養と習合して、出家者たちも葬送儀礼を行うようになった。
位牌は儒教の影響によるもの。戒名などない。四十九日を過ぎた供養もしないもの

・日本で死刑廃止が保元の乱(1156年)まで約400年続いたのは、生命を大切にする仏教思想の影響。
怨親平等
…敵味方区別なく平等に弔う。元寇、島原の乱。
しかし、
明治政府は、官軍の死体は招魂社(靖国神社)に祭られたが、賊軍の死体は野ざらし放置。
イルミ(ネーション)が治める=明治、にふさわしい所行だね。



・ブッダ=(ダルマ、心理、真の自己に)目覚めた人。複数いる

・ダルマ(多義語)
…語源「支える」という動詞ドゥフリの名詞形=支えるもの。
事物を事物たらしめ、人間を人間たらしめ、社会を社会たらしめるもの。
Xという意味と、Xたらしめるもの、という両方の意味がある。
真理、規範、慣例、義務、なすべきこと、秩序、善、道徳、法則、宗教、全世界の根底、本質。あるがままの真実に即した道理。


※ダルマター=法の本性、法性。という言葉で意味の混同をなくそうとしているふしがある。



・カルマン(karman)=行為の残す潜在的余力=業(ごう)。

・ パーリ語のアナッタン、あるいはサンスクリット語のアナートマンが中国で「無我」と誤訳された。「非我」(何かが我なのではない→何か実体的なものを自己として想定し、それに執着してはいけない)が正確な訳。



無畏施(むいせ)=不安を取り除き、安心を施すこと

・漢字一文字で名詞にも動詞にも形容詞にも副詞にもなるので解釈が難しい。

・釈尊入滅後百年たったころから教団の権威主義化が顕著になり、在家や女性が軽視され始め、経典の中の都合の悪い部分を削除して改竄された。
結果、十大弟子(全員男性)は残されたが、女性と在家の弟子たちすべての名前が削除
された。


托鉢(乞食)の当番を釈尊も平等に行っていたが、小乗仏教では原典を改竄し、釈尊が托鉢に参加していないことにした。小乗仏教による釈尊の神格化=人間以上の存在に仕立て上げる。


・原典では釈尊自身は自分を「善き友人(善知識)」(「人」に注目)だと認識していた。弟子たちも、釈尊=「完全に目覚めた人間(仏陀)(人間=仏陀=釈尊)」に対して「君」、「ゴータマさんよ」と気軽に呼びかけている。
しかし後に改竄され、「私は人間ではない。仏陀である。」(人間<仏陀=釈尊)にされた。


差別とは、「兎角亀毛=言葉では存在するが現実には存在しないもの」である。


・チャンダーラ(せんだら。漢字割愛)
…(カースト制度最下層にしてアウト・カーストと呼ばれた)不可触民が身につけていたもの。
出家した釈尊が着ていた袈裟はチャンダーラが身につけていたもの。
袈裟という言葉は、「薄汚れた色」や「黄赤色」を意味するサンスクリット語のカシャーヤの音を漢字にできる限り移しかえたものであり、墓地に捨てられた死体をくるんでいたもの
死体の肉が食われたりしてなくなったあとで布の破片が散らばる。布の破片を集めてつなぎ合わせて衣にしていた。
死体の体液の染みで「黄赤色」になっていた。
錦の袈裟とか、豪華な袈裟なんて釈尊をバカにしていますね。勉強して実践しろ。



・北枕
=頭を北に向ける
はインドでは最も良い寝方。
員では北に理想国があり、南には死に関する国があると考えられている。
『涅槃経』に釈尊が亡くなられるシーンがあり、北に頭を向けている。
北に頭を向けて死んだ釈尊の場面を読んだ日本人が、北は縁起が悪いと勘違いして生まれたのが北枕。
ちなみに、中国に北枕という言葉自体がない。
「肩こり」は夏目漱石が作り出した病気。造語病。
そういえば、新たな病名を公表すると、その病気の人が「発生」「出現」するから、製薬会社や病院とかが結託してるんだってね。


・日本では蓮の花を持参すると怒られるが、インドでは最もめでたい華なので多くの人が持参する。


・祇園という地名はサンスクリットから来ている。
祗園は祇園精舎の略
ZION、ジオン、ユダヤなんて関係ないからね。日ユ同祖論って詐欺だからね。
ちなみに、
祗園って、花街(かがい、はなまち)=芸妓屋、遊女屋が集まっている区域を指す名称だからね。
キリスト教陰謀論は実在しますが、ユダヤ陰謀論は実在しません。キリスト教が、実行部隊の派遣であるユダヤに罪を押し付けるのは昔からの手口であり、バチカンはナチスにその手口を教えまくりました




・現在のインドでは、大体、ヒンドゥー教徒81%、イスラム教徒13%、キリスト教徒2%、シク教徒2%、仏教徒は1%。仏教徒は最後までカースト制度=厳格な差別・階級制度を認めなかったので、カースト制度の支配的なインド社会に発祥地でありながら永続的に根を下ろすことができなかった。


本来の仏教では、国王を泥棒と同列に見ていて、あまり尊敬していない。泥棒は非合法に人の物を持って行ってしまう。国王は税金という形で合法的に人の物を持って行ってしまう。人の物を取り上げるという意味で、両者は共通しているからである。
国王だから統治するのではなく、たまたま統治者を選んだら国王だったという
発想である。


・舎利には、米という意味もある。しゃり=ご飯。
考えられる理由
①サンスクリットのシャーリが米
②シャリーラ(舎利羅)の複数形が骨を意味し、その形状が米に似ている。

※シャーリーは人名←どうでもいい。

・鑑真和上が建立した唐招提寺。
唐=鑑真が元いた国。
招提=四方=あらゆる方角→コスモポリタンという意味が込められている。
唐から来た私が建立したグローバル寺

ワンワールド主義者が利用するという。鑑真持ちあげ。


・漢訳は漢字だとかたをくくって分ったつもりになりがち。
手紙=トイレットペーパー
鮎=ナマズ
娘=お母さん
丈夫=夫。


・AはBなり。
に注意。A=Bとは限らず、A→B→Cとたどる文脈でCを省いたものであることもある(私はショウガ湯…私=しょうが湯では当然ない。私が(好きなのは、注文するのはなどなど)しょうが湯、という意味。括弧が省かれている。
文が馴染みのないものだと誤解しやすい。
「世間とは差別の義なり」
×世間=差別×
世間とは空間的な広がりを持つ場所であり、その空間では種々の差別相の現象が織り成されている。その差別相を見れば、世間は差別という意義である。

おまけ1

釈尊生存(実在の人物だとみなしておく)当時の思想状況
…バラモン教、六師外道(六人の自由思想家。①唯物論②道徳否定論③不可知論④決定論⑤相対論⑥要素説)

※六師外道
道徳否定論者 (プーラナ・カッサパ)
宿命論的自然論者 (マッカリ・ゴーサーラ)
唯物論者、快楽論者(アジタ・ケーサカンバラ)
無因論的感覚論者・七要素説 (パクダ・カッチャーヤナ)
懐疑論者・不可知論者 (サンジャヤ・ベーラッティプッタ)
自己制御説 (ジャイナ教、 ニガンタ・ナータプッタ)

六師外道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%B8%AB%E5%A4%96%E9%81%93

六師外道
http://mahorobanomori.web.fc2.com/spiritual-Rokushigedo.html


おまけ2

仏教者の時間論
通常…私がこの世界の中で生きていて、そこに時間の経過がある。

道元…私=生きている=時間=世界。皆一つ。
私以外に世界はなく、世界以外に時間はなく、時間があるということは私が生きる、生きているということである。

日蓮(あるいは本書の作者)…過去と未来は観念の産物。過去=現在における記憶、未来=現在における予想。
現在こそ基盤。

心にしみる原始仏典
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/malunkya.html

教義=変えてはならない絶対の教えであり、教義を守る為なら何をしてよい。妥協できないから議論ができない。よって戦争を起こすには教義を絶対に堅持すべし。

教義がないから、原始仏「教」というよりは、仏「法」。

原始仏教では国家は泥棒だとみなしています。税金と称して民の財物を取っていくからです。それにカースト制度を肯定していますし原始仏教とは真逆の態度です。ですから、日本の大乗仏教のような鎮護国家思想などという仏教が国家を守るなんて思想とは完全に真逆ですね。そもそも原始仏教に怨霊や敵と戦って撃退するなんて要素はありませんし。悪霊退散というのは、本来の仏教思想ではないのです。


ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村 元 (1958/1)

・スッタ=たていと=経    ニパータ=集成
は今のところ一番古い仏典。
特にスッタニパータの第四章(アッタカ・ヴァッガ)と第五章(パーラーヤナ・ヴァッガ)は最も古く成立したと考えられ、初めは独立していたと考えられる。

スッタニパータの
詩…紀元前268年以前(アショーカ王以前) 特に4と5章は古い。
散文…紀元前250~150年ごろ


ゴータマ・ブッダ(あるいはそのモデル)の説法(北方伝説では紀元前約428-383年)

覚えやすいように韻文または簡潔な文句でまとめられる
(文字の読み書きができるのはごく一部のエリートのみなので覚えるしかない。よって内容は変化してしまう


②散文で説明(おそらく識字率上がった)(アショーカ王時代 紀元前268-232年)
原始仏典の散文の部分は韻文の部分よりかなり遅れてつくられたと考えられている。
アショーカ王は、仏教を保護し、仏典を集めたり、伝道したりした(スリランカに仏教がこのころ伝わったらしい)。

経典で(=文字で内容固定←極めて重要な文字の機能)まとめられた

↓④                       ⑤
三蔵(経・律・論)成立(現存パーリ語三蔵)→(紀元後)サンスクリットに翻訳→漢訳
※三蔵=原始仏典全て    ※漢訳され儒教的に改竄(男女平等から男尊女卑へなど)

⑥(紀元後)大乗経典の成立→チベット語訳

漢訳

日本で特に影響が強かったのは、大乗経典『法華経』と『浄土三部経』
日本では漢訳ばかり広まり、原始仏典を軽視(王様=天皇=泥棒、とか階級性否定なんて都合悪いから)。それに、漢訳語を使うことは、原典の精神(聞いたらわかるように現地の言葉で伝えよ、という教え)を無視している。


当然だが、大寺院の中で修行していたわけではない。樹下石上に坐し、あるいは岩窟の中に住んだりした。せいぜい庵ぐらいだろう

尼僧が登場しない。尼が出現したのは男性の修行僧の場合よりも遅れている。紀元前300年ごろにインドに来たギリシャ人メガステネースは、尼に言及しているので、当然それ以前の段階を示している。
そもそも男女を区別しないので区別する言葉があるはずない

・ストゥーパ(聖者埋葬の塚。塔と訳される)の崇拝あるいはチャイティヤ(塔院。祀堂)崇拝に言及していないので、最古期の仏教にはそのような概念はないのだろう。

・四つの真理(四諦。聖四諦)=
苦諦:苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理
が出てこない。
スッタニパータでは真理(sacca)に関する論議は盛んだが、ウパニシャッド(サンスクリットで書かれた一連の書物。奥義書)的な「真実」の意味でsaccaという言葉が使われている場合が多くて、四諦とは無関係。


太陽の末裔(ブッダ)”(p.20)や牛に例えたり(「ゴータマ」=「最もよき牛」の意)しているので、太陽信仰と神聖牛信仰が釈尊に重ねられている。しかし、後世の神話的後付けがあまり見られず、歴史上の人物釈尊として描かれている(単なる太陽の擬人化かもしれないが)。ただし、見た目が良いなどの表現から、神格化への動きはすでにある。

文章は平易で、当時の人も聞いて意味がわかったはず(日本のように意味不明にはしない。意味が伝わらなければ意味ないからね)。特殊な哲学説(民衆が聞いても判らないから)や形而上学説を弄せず、「現実の苦しみを生きたまま克服」し、「生きたままで」真なる道を自覚するにはどうしたらいいかを現実に即して語っている

※中世のインドの王家には、太陽の末裔と称する王家と、月の末裔と称する王家とがあった。


・ブッダ(目覚めた人々、や修行者一般という複数形であることに注意)の教えとは、ブッダは複数いるのだから、釈尊(シャーキヤ・ムニ。ムニ=聖者あるいはブッダ)とは限らない。逆に言えば、釈尊が「俺が考えた」と思って奢って説くのではない。ブッダにはジャイナ教や他の宗教の諸々の聖者たち(起源仏教には他教排除の教えがない)を含めているのであり、あくまで釈尊はその一人であるという立場である。つまり釈尊は、仏教なんて意識はない(自分が考えた!ではないから)。

仏教の創始者が釈尊であるという表現は便宜的なものである。
実在しない教祖を白人にして白人用に改造したキリスト教と同じである。
当然、真の仏教徒という概念なんて存在しない。


・腕輪をいくつも身につけていることは、インドや南アジアの夫人に特徴的な装飾である。タンス預金のようなものである。腕輪を財産としてつけて持っておくことは少なくとも釈尊の時代からあった。賢いね。定住しない人達の習慣かな。

・~地獄とかいうやたら具体的な地獄のおどろおどろしい詳細(階層、種類、刑罰、裁きなど)が出てこない。あくまで「悪いところ」と漠然としている。地獄をえげつなく詳細に描写するのは、「罰があたるよ!」を「とてつもなく苦しむぞ!」として脅迫度を増すため。原始仏法の言う、「良いところ(極楽っぽい感じ?)」や「悪いところ(地獄っぽい感じ?)」が、幸せな世界が死後の世界とは限らない。生きているこの世界のことと解した方がよい箇所がある。認識次第で生きている世界は極楽にも地獄にもなるからね。

・仏教は伝統的に国王や武士や軍人を嫌悪していた。国王=盗賊、国家=盗賊、と考えていた。国王と盗賊は本質的には同じだと考えられ、(諸子百家の一人である墨子と共通)国王と盗賊はセットで登場する。よってカースト否定。


大乗仏教と原始仏教は別物じゃないか。イスラム教シーア派みたいに。
ミトラ教=キリスト教の元ネタの一つ。というかイエスを白人にした点以外にオリジナルなところはキリスト教にはないです

“大乗仏教を広めたのは遊牧騎馬民族のクシャン人。その人たちの宗教はミトラ教。イラン系遊牧騎馬民族が大乗仏教を広めた。”
https://twitter.com/lanekota/status/439066849704030208


“大乗仏教というものはクシャン人というミトラ教の遊牧騎馬民族が開発した仏教とは似て非なるモノですからね。”
https://twitter.com/lunacatcafe/status/461106164239839234

“中央アジアの大乗仏教を広めたクシャン人は、ミトラ教だったんですよね。同じヴェーダ宗教なのにゾロアスター教ではミトラが無視されてる。インドラは仏教の帝釈天だけど、ゾロアスター教では悪魔。太陽神を無視するって珍しいですよね。”
https://twitter.com/lanekota/status/436910253821554689



p.20 五五
相争う哲学的見解を超え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。”
(議論超え 真理極めた 辟支仏(ビャクシブツ) 指導されずに 一人で歩く<55>
http://76263383.at.webry.info/201305/article_25.html)



・当時は、師匠の説いたことを聴いて暗記することが学問であった。世俗のことがらに関しては、文字に書くことがなされていたが、宗教的な学問については筆記はなされなかった。よって一神教(文字による固定=記憶による内容変化の防止、による他の神と宗教の排除)は生まれえなかった。
仏法では、人間以上の存在に(偽装した人間に)従えという欧米的(支配に好都合過ぎる脅迫と権威)教えはない。悟った人はあくまでも「優れた先輩」である。


ジェータ林=祗園=“孤独なる人々に食を給する長者”p.28


p.29 九四
「悪い人々を愛し、善い人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破滅への門である。」

執着としての愛はよくないが、愛していけないわけではないらしい。いや、原文はどうなっているのか。


・カースト制度では最も身分が高く高貴だとされているバラモンが悪いことをすると、バラモンだから許されたり罪が軽くなるわけではなく、“現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる”(p.36)
バラモン教の輪廻という教義について言っているから来世という言葉を使ったのか、そもそも生まれ変わり思想自体がインドでは常識なのか、悪いことをしても悪いところに行かないと言うと悪徳がはびこるからか、釈尊の意図は不明。無記は来世や地獄には採用されないのかな。
 もともとは天も地獄も単数形表記だったらしく、複数の天や地獄があるとは考えていなかったらしい。地獄に落ちたとしても途方もない年月がたてば地獄から脱出できる。地獄にいる期間が定まっているところが、一神教徒の違いである



・「なまぐさ」という章(p.54から)では、“――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。”とある。
――より前に、なまぐさの例が書かれている。何度も“”内の部分は繰返されている。
肉食を禁止はしていない。ただし、できるだけ殺すなという教えだ。売っているものを食うのはOKなのだろうか。


p.76 三六〇
師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。”

仏教徒が占い(笑)ってことですな。行方不明者の居場所を当てるとかって資料を読んで当てたかどうかで全然意味が違う。資料を読んで当てたのなら、単なる計算や推理である(十分凄いけど)。資料を読んだ後で寝たら夢が教えてくれた、というのも無意識化での計算でしょうな。予知と予測の違い。
ごく稀に本物がいるけどね。

吉凶の 占いやめた 修行者は この世において 正遊行する<360>
http://76263383.at.webry.info/201402/article_16.html
“始めの答えは端的に言えば「占いを止めなさい」ということです。これがまず初めに大切なことなのです。当時のインドでなくても、現代日本でも、占いは大変人気があります。多くの一般雑誌には占いのコーナーがあり、テレビでも毎朝放映しています。これは自分の考えや行動を自分で選択できない人がたくさんいるからなのです。

ブッダは人間にとって、始めに大切なことは、自分の考えや行動は自分で調べ、判断し、決めることだと教えているのです。自分の考えや行動の主人は自分であるべきだと教えているのです

ブッダは占いばかりではなく、既に述べたことがありますが、カーラーマ経(増支部3集65)で、次の10項目の注意点を挙げて、自ら確かめるように教えています。
1.口伝だからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
2.伝承だからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
3.伝聞だからと信じるなかれ、自ら確かめよ
4.聖典だからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
5.論理的だからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
6.推論に合っているからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
7.言葉が巧みだからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
8.結論が自説と同じだからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
9.あり得る話だからと信じるなかれ、自ら確かめよ。
10.聖者だからと信じるなかれ、自ら確かめよ。

以上の考え方や行動の基本を踏まえて、次の偈から正しく遍歴遊行するために、必要な事柄を具体的に述べています。”


p.110と註釈によると
バラモン=道の人=沐浴をすませた者=輪廻を超えた完全な者=竜(naga。象の意味もある)=仏

バラモン=カースト制度におけるあのバラモン、という意味では必ずしも使っていない。バラモン教の解説とも思えな
い。輪廻についてどう考えているのだろうか原始仏法(仏教)は。


竜樹=ナーガールジュナ
かっこいい漢字の組み合わせですな。ドラゴンツリー。


p.135 六〇七
“これらの生類には生れにもとづく特徴はいろいろと異っているが、人類にはそのように生れにもとづく特徴がいろいろと異っているということはない。”

人類と言う人間と人間以外とをはっきりと分けて強調するのはインド思想では珍しい

p.135~p.136 六一一
“身を稟(う)けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。”

差別は言葉で発明できる。集団でテレビ局に訴えまくれば簡単に放送コードに追加できる。
稟=天から授かる。生まれつきの性。

・良心の表現として、GODが見ている、お天道様が見ている、お月さんが見ている、などがあるが、インドでは「アートマン(=本来の自己)が見ている」と言うらしい。人間より上の存在による監視ではない



墓石なんてない。当時の墓場は野ざらしだから。林の中の墓場に死体を捨てるという葬儀(葬「法」に方が適切かな)が一般的だった。


・最初期の仏教では、出家とは文字通り建物の家を出て家の中には住まないという意味だったらしい。世俗の人が出家してニルヴァーナを証するのではなく、世俗の生活のままでニルヴァーナに達しうると考えていた。出家と在家の区別はない。教団が発達すると、出家の方が上になった

また、男女の区別もない。外国語訳の際に勝手に内容が変えられるのはよくあることである。漢訳された仏典に儒教思想が入りまくっているからだ。


p.153 七〇六
凡夫は欲望と貪りとに執著(しゅうじゃく)しているが、眼ある人はそれを捨てて道を歩め。この(世の)地獄を超えよ。”

地獄とは、この世の邪な生活や、そのもととなる妄執をいう。地獄とは生きているこの世に見られるという考えが面白い。最初期の仏教でもそう考えていたらしい。
死後世界はわかりっこないから実に科学的(=経験できることから考える)である。来世や地獄や天の思想(たぶん輪廻も)は最初期の仏教からすでにあっただろうが、現世にも地獄があると考えている点が面白い。来世や死後地獄に落ちるという思想や輪廻は最初期の仏教にもある。輪廻からの脱却が、輪廻自体からの脱却なのか、輪廻「思想」(生まれ変わったらどうなるかなんていう考えに執着するな)からの脱却なのか気になります。




第四章(アッタカ・ヴァッガ)
p.186 八三六
“(マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者が求めた女、このような宝、が欲しくないならば、あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」”

 p.186 八三七“師は答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」

宗教否定。~という説を説くときいた相手がそれに執著してしまうことを危惧しているのかもしれない。どのような生存状態に生まれかわるかについて答えていない。わかりっこないからだろうか。

p.188 八四六
“ヴェーダの達人は、見解についても、思想についても、慢心に至ることがない。かれの本性はそのようなものではないからである。かれは宗教的行為によっても導かれないし、また伝統的な学問によっても導かれない。かれは執著の巣窟に導き入れられることがない。”

バラモン教は儀式を重視している。祭祀や儀礼=宗教的行為。あるいは宗教自他の否定。
伝統的学問=師匠から聞いて聖典を暗誦する学問。聖典が当時は文字で書かれていたとは限らないことに注意


p.189“両舌(かげぐち)”って秀逸ですな。二枚舌。



p.191
“ 八六六
さて世の中で欲望は何にもとづいて起るのですか? また(形而上学的な)断定は何から起るのですか? 怒りと虚言と疑惑と及び〈道の人〉(沙門)の説いた諸々のことがらは、何から起るのですか?」
 八六七
世の中で〈快〉〈不快〉と称するものに依って、欲望が起る。諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て、世の中の人は(外的な事物にとらわれた)断定を下す
 八六八
 怒りと虚言と疑惑、――これらのことがらも、(快と不快との)二つがあるときに現われる。疑惑ある人は知識の道に学べ。〈道の人〉は、知って、諸々のことがらを説いたのである。」“


p.193 八七六
“「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうちに(最上の清浄の境地がある)と巧みに語っている。”


肉体と精神の消滅=無余涅槃(むよねはん)に入る、ことが修行目標であるとするのが小乗仏教の伝統説なのだが、スッタニパータではそのような見解は偏見だとして否定している。
今広まっているスピリチュアル大乗仏教って一体なんなんでしょうねえ。耶蘇教になっていっている。

“無余涅槃(むよねはん)は、生理的欲求さえも完全になくしてしまうこと、つまり肉体を滅してしまって心身ともに全ての束縛を離れた状態。
涅槃とは悟りを得たということであり、全ての煩悩を断じ尽くしているはずであるが、実際には釈迦がさとりを得て、全ての煩悩を滅してしまったとしても、自らの生理的欲求は残っている。その状態を有余涅槃と呼び、その生理的欲求を「余」としている。“
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E4%BD%99%E6%B6%85%E6%A7%83

p.194 八八四
真理は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異った真理をほめたたえている。それ故に諸々の〈道の人〉は同一の事を語らないのである。”

あいつの言っている真理は間違っている。自分が言っている真理は正しい。
などと争ったり、あいつの真理は間違っているからと馬鹿だとみなしたり
は本当に真理を悟った者はしない。断定したらいかんよ。
心の平安とは真逆のことをやっているからね。
原始仏教ってアンチ宗教の側面もありますな。
既存の宗教の批判から新しい宗教が出てくることはよくあるらしいけどね。
あ、でも今の新興宗教を遡ると大本教(キリスト教とかかかわっている)に行きつくように、単に同じようなのが増えたようなものも多いですけどね
あなたが真の仏教徒ならスピリチュアルなんて形而上学的だから確かめないよねとかいってやりましょう。
(右も左も大本ではスピリチュアル
【20090428】http://www.mkmogura.com/blog/2009/04/28/206参考)


p.200 九一八
これ(慢心)によって『自分は勝れている』と思ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか思ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想せずにおれ。”
冷静な客観視。

p.201 九二七
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行なったりしてはならぬ。”

当時の医術は今とは違い、単なる祈祷とかインチキだらけでそれを利用して騙す輩が横行していたらしい。占いもね。
呪法の禁止はジャイナ教でも同様。

『アタルヴァ・ヴェーダ』では、主にバラモン教の呪術的な儀式のしきたりが記されている。


第五章(パーラーヤナ・ヴァッガ)

p.226 一〇七六
師は答えた。「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。 かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」“

この世からいなくなった存在をああだこうだと言っても仕方がない。
これって死後の世界の実在を論じても仕方ないと思っていたんでしょうかね


p.226-227 一〇七八
“(ブッダが答えた)、
「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、――かれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

聖者とは何かを、スッタニパータの最古級とされる第五章で明確に記されている。
原始仏教の 聖者=煩悩がない・苦悩がない・(欲)望なく行動する人々(複数いる!)



ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) 中村 元 (1978/1/16)


『真理のことば(ダンマパダ)』
輪廻や来世という言葉が出ている。
地獄という言葉も出ている。
悪いところ(=地獄)や、善いところ(=天上)という訳
もある。
当時の宗教を超えた共通了解なのかもしれない。
無記に反するように思える。


p.10 五
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。”

p.39 二一〇
“愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。”

p.40 二一一
“それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。”

マゾ過ぎる。愛はポジティブな意味で使われていないことがよくわかる。
江戸時代やそれ以前の「愛」の意味は「欲」で否定的な意味ですよ。
迷いの原因(悪いもの)。愛欲。渇愛。執着。強い欲望。
君を愛している=君は私が迷い執着する原因であり悪い奴だ。
っていうのが仏教的な意味。
しかし、キリスト教のloveの中国語の訳語を、廃仏毀釈や仏教のキリスト教化させよう運動やキリスト教式結婚式、十字架がついている病院、キリスト教暦かつ日曜日が休み、3S政策など様々な洗脳や工作やマインドコントロールにより完全に意味が変質
しました。
 
戦国時代、当時のキリスト教は悪い意味の「愛」ではなく「御大切」という訳したりしました。君を大切にするよ! なら仏教でも悪い意味はないですからね。どちりなきりしたん、という本が参考になります。その内載せます。というか、以前やってたブログに載せました。


p.42 二二七
“アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。”

p.42 二二八
ただ誹(そし)られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。”


p.44 二四一
“読誦しなければ聖典が汚れ、修理しなければ家屋(いえ)が汚れ、身なりを怠るならば容色が汚れ、なおざりになるならば、つとめ慎む人が汚れる。”

文字が書いているものを読んでいるのではないことに注意。暗唱をやめて忘れてしまうと聖典は消え失せてしまう。文字で書かれた聖典の読誦は紀元後に一般に行われるようになった


『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
p.202 一一
実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息む。これは永遠の真理である。”



中村元『原始仏典』(ちくま学芸文庫):
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093677/
“中村 元ナカムラ ハジメ
1912年、島根県松江市生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科卒業。東京大学名誉教授、東方学院院長、比較思想学会名誉会長、学士院会員などを歴任。仏教思想・インド哲学の第一人者。仏教思想をその源流にまでNり、多数の原典を原語から翻訳したパイオニアであるとともに、仏教学を西洋思想との比較思想研究の域へと拡げるなど、壮大な業績を遺した。『古代インド』『釈尊の生涯』『龍樹』などの著作に加え、「スッタニパータ」、「大パリニッバーナ経」などの原始仏典ほか、大乗仏典にも多数の翻訳がある。1999年逝去。“

日本アラブ協会(欧州の王侯貴族の政策実行部隊の一つ)の発起人に「中村元」(同姓同名の別人かも)という名前がありますね。中曽根康弘や下中弥三郎(二代目会長)も発起人です

(詳しくは題名だけでお腹いっぱいになりそうな、
イルミナティの実行部隊名を大量に紹介します~下中弥三郎+百科事典+教育系の組織。大アジア主義者で万教帰一賛同者の下中弥三郎はメーソンで、大本教や天津教などとも繋がりがあります。~
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-4.htmlをご覧ください。宜しくお願いします)


古代インドで原始仏教が成立したのは、紀元前6~5世紀、ガンジス川の中流地域に都市が出現した時代である。

人間では絶対に解決できない形而上学的問題に対してイエスともノーとも答えなかった


極楽に思いをはせることは当然しない 現世 老いた釈尊がもうすぐ死ぬ際に、この世界の美しさにに打たれる
死に際には もろもろの事象は過ぎ去る=無常、だと言って死ぬ

ダルマ=人を人としてたもつもの

苦(ドゥッカ)=苦しみ=自分の思うがままにならないこと

右でも左でもなく極端を避けた中道こそが答えであり、中道にこそ答えがある×
中道=自分と現実を自覚しよく見つめることでできる至要(この上もなく大切な)の、こだわりから解放された道
「中」は「中(あ)たる」という意味であり、どっちつかずではないらしい。
が、釈尊が説いていることは極端を排しているからやはり中央の道
である。

自己とダルマを頼れ 自分をはっきりさせる 自己にたよる=実践すべき理法(=ダルマ)に頼る 自覚せよ 他人を頼りにするな これは依存させる宗教とは真逆である
そもそも仏教ではなく仏法=仏が明らかにする法 と呼ぶのが正しい
中国で儒教的に改竄され、日本に入って来た大乗仏教は「教」だけど
殺すな、盗むな、邪淫するな、嘘をつくな、酒はほどほどにせよ(酒=般若湯=智慧を生ずる湯
大抵の宗教が少なくとも表向きは禁止することだな


お経は、もとは釈尊が誰かに説いたことを弟子たちがずっと口伝で(つまり内容は多少変わっていく。文字の読み書きができるのはごく一部だけ)聴き伝えてきて、後の人がそれを最初は短い詩や決まり文句の形にしてまとめたもの。当然、聴いた人は意味が分かるのであって、日本のお経みたいな意味不明な呪文ではない。
スートラ(スッタ)とは「たて糸」という意味で、中国語では「経」。
経典は釈尊が書いたものではない。

原始仏典のことを『阿含経』(あごんきょう)とまとめて呼ぶことがあるが、本記事では原始仏典と呼ぶ。現在残っている原始仏典はパーリ語(古代インドの一種の俗語)の聖典と、漢訳された諸経典(阿含経など)および少数のサンスクリット語聖典の断片。
なお、釈尊自身は中インドのマガダ語の一種で説法したと考えられ、弟子にはその地方のめいめいの言葉で説けと言ったそうだ
中国で作られた経典類をしばしば「偽経」と呼ぶが、歴史的人物である釈尊が説いたものであるかどうかということになると、少なくとも大乗経典は全部「偽経」であるということになる
漢訳では「経」とあるが厳密には釈尊が書いた仏典は存在しないので、経典ではない。
初期仏教では、理由は判然としないが、仏像をつくらない。おそらく非常に優れた人というのは形で現すことができないという思想が支配していたのだろう。墓石を前にして、こんなのあの人じゃないと思うのと同じ思いかも




『スッタニパータ』
現存最古であり、最も釈尊の思想に近い。スッタ=経典、ニパータ=集成
なので経典を集めたもの
釈尊はどこまでも単に「すぐれた人間」として描かれているのが大変重要。神話のような脚色がない。宗教を作ったという意識が無い。でも神々が登場する。
路上の虫を踏み殺さないように裸足で「眼を下に向けて気をつけている」
釈尊は「牡牛のような」という形容がされているあたり、牛崇拝思想があるな。「虎」とか「獅子」とも形容されたりもしている。
釈尊は自分の姓を「太陽の裔(すえ)」=太陽の親族(祖先は太陽)、と言っている。
日本では太陽神天照大神(天を照らす神秘的な力ある存在)であり、南米のインカ族やエジプト王家などさまざま国でみられる。王族が祖先を太陽(神)にするのはよくあること。
ニルヴァーナ(涅槃)=解脱=人々との対立を離れた、心安らかな、悩みなき境地

仏法には多くの神々が登場するが、世界を創造した神は出てこない。神の原語「デーヴァ」devaは語源的には「輝くもの」。太陽崇拝の影響がみられるな。

マーラ(=殺すもの)を悪魔と訳すのは良くない気がする。殺す魔とかとするべきだろう。
「魔」はマーラのためにつくられた造語であり、「鬼(き。幽霊)」の字が入っている。
マーラが蛇の形をして誘惑
ラー(太陽神)VS悪ヘビ(夜と闇)
まんまだな
蛇(あるいは龍)ってあまり良い扱い受けないな(ゾロアスター教で、最悪の神は爬虫類の姿で出現するらしい)
ギルガメッシュが不死(あるいは若返り)になり損ねたのは蛇に若返り草を食われたからだし
月の別名=懐兎(えと)=ウサギをいだくもの

インドでは大きな樹木に個別的な名前をつけることがある。釈尊が下に坐した樹が「アジャパーラ」と名づけられ、「ヤギを守る人(山羊飼い)
 」という意味。占星術的意味があるのだろうか。

最初期の仏教が示されているので、修行者たちも樹下岩上に坐し、洞窟に瞑想する簡素な生活を楽しんでいたので、大規模な僧院(精舎)の生活はまだ始まっていない。
「墓地」という記述があるが日本人が想像するものではなく、墓石を立てずに森の中に死体を投げ捨てておいて腐るのになかせ鳥が啄ばむままにさせていた。
今でもインドで墓石を立てるのはイスラム教徒かクリスチャンである。
ヒンドゥー教徒は墓をつくらず遺骨を神聖な河に流してしまう
そうでなければ遺骸をただ捨てておく場所を墓場と読んだ 
当然、動物が集まって来て肉を食うもったいないしいつ食えなくなるか分からないから
飢えた人間も食いに来ていたかもしれない

縁起=因果の連鎖の繋がり

霊魂の存在を否定も肯定もしない。民間の霊魂の信仰は認める立場。ギリシャ人のように体から出入りする空気=霊魂、とは考えない。


五蘊
=物質的な形、感受作用、表象作用、形成作用、識別作用

象は兵器だった。象に酒を飲ませて鞭をあてて突撃させたらしい
怖い

祖霊の前に供物を捧げるなどして御先祖様を敬いなさい

妻に物々交換や換金のために、貴金属・腕輪・イヤリング・指輪などをあげて財産を、夫の能力に応じて持たせよ。

※南アジアの国々では国家に対する信頼があまりない。釈尊は税を取る国は泥棒だと言っているほどだ。自分の銀行に預けるのだ。お金ができると実体のある価値ある物と交換し、それを預けたり、自分で身につけたりするのだ。支配者層がやっていることだから本当に賢いね。


『ダンマパダ』
うらみ 怨み やむ 息む
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。”p.224
スリランカ(旧セイロン)はサンフランシスコ条約に参加したが日本からもらえる賠償権を放棄したときの声明にこのことばを引いている


・真の自分と言うのはどういうものかと探究するのが原始仏法の課題あるいは目的と言える。我(アートマン)が無いとは決して言わない。無我説とは「我執を無くせ」という意味

戒名でよくある、
~居士  居士=社会的に信用のある資産者。
死んだらこの人は信用ある金持ちですって意味の戒名(原始仏教では勿論戒名はない)をつけられるのか。
欲望まみれ。正に金に対する「愛」=執着、に溢れていますね!



『サンユッタ・ニカーヤ』
では「祗園」と漢訳仏典で訳されているジェータ林という林の園が出てくる。サーヴァッティー市(インドの北の方にあったコーサラ国という大きな強国の首都)の郊外にあったもので、もともとは「祗陀園」(ギダオン)という。「祗陀」(ギダ)とはコーサラ国のジェータという太子(皇太子)のことであり、祗園とはその太子の持っていた園(林)という意味だ。祗園=ZION=ジオン、ザイオン、とする日ユ同祖論でしばしば言われることは完全な間違いである。祗園は略称であり、祗と園は本来隣あっていなかったのだから。ジオンという一単語と対応するはずがないのだ。人名+林、という意味の言葉がどうやってジオンになるのかコメントで教えてくださいな。あ、まずは冒頭に「イエスキリストは存在しない。ミトラ教、ゾロアスター教、エジプト神話、ギリシャ神話、ギルガメッシュ叙事詩などを真似しまくって作ったのがキリスト教。大本教など神道カルトはキリスト教の変形で日本に合わせて変えただけ」って書いて下さいね。
要は、ユダヤ陰謀論を唱えるクリスチャンと神道家はお断りってことです



おまけ。生き残るために他の宗教に偽装した宗教や、
キリスト教が作った「ユダヤという身代わりの生贄」や、
ゾロアスター教ズルワーン派や時間の神々についてなど色々引用。
私はいいものは引用したりしてきっちり残すべきだと考えております。有用な情報は分散して保存しておきましょう。紙媒体で、電子媒体でなどなどいろいろな形式でね。

ヒトラー「「政策とは今作られつつある歴史のことだ」




ピンク‐グラレム@pinkglalem

@pinkglalem
“キリスト教は極々初期の段階からテロ教団でした。アレキサンドリアの図書館を破壊したのも彼ら。アレキサンダーは、ペルセポリス占領後、様々なモノを持ち帰っていました。それらをどーしても地上から消し去る動機がキリスト教にはあったのです。”

“逆に面白いのはシーア派の存在。こいつらはイスラムではないです。イスラムに偽装することで生き残ったマニ教。”

“ゾロアスターからミトラ教が派生し、その後、バビロニアでマニ教が誕生する。ゾロアスター・ミトラ・マニの劣化コピーが、ユダヤ・キリスト・イスラム。三大経典宗教は、実はインチキ。”
“モーツァルト の歌劇 「魔笛」は、舞台はエジプトになってるンですけど...キリスト教が行なった魔女狩りへの告発。夜の女王(教会)とザラストロ(ゾロアスター教)のどちらが善で、どちらが悪なのか?という内容。真実を見破ったタミーノは自分の思いを成就させる。”
“フリーメイソンの教義どうのこうのという話とは、まったく関係がない。”
“魔女狩りの動機は、ゾロアスター教の根絶にあった。本当はユダヤ人でもないアシュケナージがなぜ、迫害の対象になったのか?キリスト教はミトラ教のパクリ。ユダヤ教はゾロアスター教を似せて作った。キリストの死の責任を糾弾する理由は、ゾロアスターそのものへの攻撃動機。”

“イスラムにはシーア派ってある。大多数のスンニ派との違いは、イマームの継承問題。WIKIにもそーとしか書いていない。ところが、地図で分布図を見ると...サッサーン朝ペルシャ時代にゾロアスターからマニ教が派生するンですが、シーア派の分布はこの生誕地と合致します”

“宗教って、全部インチキだと思う。タリバンがバーミィアン遺跡を破壊した。偶像崇拝は邪悪だとの理由。キリスト教とイスラム教は偶像を禁止している。なぜ?自分たちの素性がバレるから...”


http://twilog.org/kenkatap/date-0318



ピンク‐グラレム‏@pinkglalem•5月6日
“キリスト教はミトラ教のパクリであり、それを隠すためにゾロアスター・ミトラ・マニをモデルに、ユダヤ・キリスト・イスラムと言うインチキ宗教を造った。そして、本家のゾロアスターを弾圧した。”
“イスラムはマニ教がモデルで、シーア派は、イスラムではなく、偽装して弾圧を逃れたマニ教。アシュケナージはゾロアスターを信仰していたヨーロッパ系の白人種で、ユダヤ教徒でもユダヤ人でも、カザール人でもない。”

https://twitter.com/lanekota/status/464169608153280514





ピンク‐グラレム@pinkglalem • 5月6日
ヒットラー「大衆は小さな嘘には騙されないが 大きな嘘にはたやすく騙される」#ユダヤは捏造された民族 #ユダヤの陰謀は存在しない #存在するのはキリスト教の陰謀 #あらゆるカルトをバチカンが支配している #陰謀論者はこの大きな嘘を吹聴する工作員


ピンク‐グラレム@pinkglalem • 5月6日
合理的に考えられない人に、何を言ってもムダだろうね。ユダヤは存在しない。聖書はキリスト教が素姓を隠す為に書かれたインチキ本。イスラエルは中東にタカる為のインネン。樺太より緯度的に北にある欧州が、資源や技術・人力のあるアジア・アフリカより裕福なのは金融と言う詐欺をやってるから...



魔法使いハンターねこた@lanekota • 5月6日
@pinkglalem そのためのカルト紐付き陰謀論者なのですね。陰謀論で真相に迫れるかは固定観念に囚われない事が全てですね。キリスト教と大本教は固定観念メーカー


魔法使いハンターねこた@lanekota • 5月6日
@pinkglalem 失礼書き直し。今から2500年前に地中海・オリエント世界を旅したヘロドトスは、ユダヤ人には一切言及してないけど、フェニキア人に関しては呆れるようにいっぱい書いてる。彼はパレスチナにも行ったが、聖書の建造物には何も言及してない。

魔法使いハンターねこた@lanekota • 5月6日
@pinkglalem ユースタス・マリンズの本に書いてあった事で原典確認してませんが、ローマ時代の資料によると、一言だけ、フェニキア人はユダヤ人に名前を変えたとある。フェニキア人の入植地は沢山あってフェニキア人がすぐ消えるわけないです。地中海沿岸全域にありました


魔法使いハンターねこた@lanekota • 5月6日
@pinkglalem 日ユ同祖論は和風キリスト教信者である神道系宗教のひとにとって譲れない信仰心なのですね。日ユ同祖論が河豚計画の政治的プロパガンダと指摘してもダメでした。信仰心には勝てない


ピンク‐グラレム@pinkglalem • 5月6日
古代にイスラエルなんて国は存在しなかった。ユダヤとは、キリスト教の悪事を隠す為の方便。現在のイスラエルは、ヨーロッパが地下資源を略奪するための前線基地。聖書は、比較的最近書かれたインチキ本。宗教は人身掌握術が主目的。信じたあなたは、絶対に救われない。ザマー見ろ...www

ピンク‐グラレム@pinkglalem • 5月7日
ヘブライ語を正確に発音・会話出来るのはイエメンユダヤ人だけ。セム語族でも話せるのはマレ。現代ヘブライ語は、明らかなヨーロッパ語のニセモノ。#ユダヤは存在していない。#聖書はインチキ。#カザール人はアジア人。


両性具有のキリストfromエジプト【20090627】http://www.mkmogura.com/blog/2009/06/27/245
On 6月 28th, 2009, kG さんのコメントより。
“>東方ミトラにさえ追い出された、魂も墓も必要としない起源仏教が伝わるこの日本に、これに対抗する考えと思想が生まれてきますように。

最初期の仏典であるスッタニパータ(ブッダのことば)を読んでいると、「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」というフレーズが繰り返し登場します。
中村元氏は、「犀の角が一つしかないように、求道者は、他の人々からの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただひとりでも、自分の確信にしたがって、暮らすようにせよ、の意である」と述べています。
しかしながら、この解釈では、神学の領域に入ってしまいます。
これは正確にいうと、犀(khadga)ではなく、塞(サカ)もしくは客家(ハッカ)。
つまり、(遊牧騎馬民族出身の貴族である)シャカ族から飛び出した私のように、財産や利益の確保などに煩わされることなく、孤高を歩めよ、という意味が正しいのだと思います。“


子子子子子(ねここねこ)‏@kitsuchitsuchi·4月24日
@lanekota @wayofthewind 妹が兄に近親相姦的愛情を持つアニメを流すのは近親婚推奨のゾロアスター教の宣伝?陰謀モノの時間操作能力やタイムマシンはゾロアスター教ズルワーン派(拝時教)を意識?食事方針についてブログ更新http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-5.html …



魔法使いハンターねこた@lanekota · 5月9日
”ギリシア神話とペルシア神話は二階建てなんじゃないだろうか?表面は多神教的なギリシア神話の話に見せかけて本質はペルシア神話(ヴェーダ神話)。こういう構造の作品がある。FF3とドラゴンランスとロードス島戦記。最近はアラブに見せかけて本質ペルシアという「マギ」という作品があり”

”たとえばクロノスが支配したギリシア神話の黄金時代は、ゾロアスター教のペルシア神話にも、インドにもある世界観だ。黄金の時代、銀の時代、青銅の時代、鉄の時代。ギリシアからペルシア、インドまでユーラシアを通じてインド=イラン系宗教は繋がってるのではないだろうか?”
”ギリシア神話のクロノスは、ペルシアではズルワーンとなる。クロノクロスにも出てきたズルワーン。またクロノスは、ローマ神話のサトゥルヌスとも関連付けられてる。サトゥルヌス=サターン=土星は時を教えてくれる星だったそうな。”
”ギリシア神話のクロノスは、ペルシアではズルワーンとなる。クロノクロスにも出てきたズルワーン。またクロノスは、ローマ神話のサトゥルヌスとも関連付けられてる。サトゥルヌス=サターン=土星は時を教えてくれる星だったそうな。”

サトゥルヌス(サターン)=ローマの農耕神。農業と時間(暦)の関係は密接。

”ゾロアスター教ズルワーン主義は、バビロニアの占星術とペルシアの宗教が習合してできたものだ。ゾロアスター教には占星術はない。その宗教が西方に行ったらミトラス教になったの。中央アジアのミトラ信仰って占星術の教義あったっけ?”

”ドラゴンランスに出てくる、神になる事を目指す悪の魔術師のシンボルは砂時計だ。すなわち「時」。過去と現在の主という、時を連想させる称号までご丁寧についてるわけだ。リアル世界で「時」という属性を持つ神は少ない。この悪の魔術師のシンボルは間違いなくズルワーンなんだよ。クロノスでもある。”

”ドラゴンランスに出てきた悪の魔術師は砂時計の目をしている。そして彼が神になった最悪の未来では、彼のシンボルである砂時計の星座(この世界では、ローマのように星辰=神なので)が輝いてる。この作品も中核にはペルシア神話、更に言えば大本教にもあるズルワーン主義が潜んでる。”
”大本教の三千世界の建替えはゾロアスター教なんだよ。その中でも宇宙周期的思想を持つので本家のゾロアスター教よりズルワーン主義が近いんだよ?三千年の後に悪が滅びて理想世界がやってくるって話はゾロアスター教の教義なんだけど、昼の時代・夜の時代という区分は、本家ゾロアスター教にはない。”

”うーん、ゾロアスター教ズルワーン主義、内部資料がたった1点のみという悲惨さなんですけど、注釈つけれるようにがんばって内部資料の「ウラマー・イェ・イスラーム」を読みこまなきゃ”

”ゾロアスター教ズルワーン主義は、実はナント、カタリ派の宇宙論にも影響与えまくってる。まあカタリ派がマニ教のグノーシスそのまんまなので、神話を乗っ取るマニ教のイランでの最高神はアフラ・マズダー(オフルミズド)ではなくズルワーンなんだよね。ここにマニ教由来の秘密結社のこだわりが見える”
”神話を乗っ取るのは、マニ教がおそらく世界で一番最初にやったことだけど、大本教やらメーソンの作った宗教は神話を乗っ取るのがお得意。まあイルミちゃんたたきで有名なバリュエル神父(イエズス会なw)がイルミちゃんをマニ教のグノーシスと認定するのも無理はないわなww”

”GDの祭文にある「聖なるかな、光と闇の主よ」という一文があるけど、これリアル世界で光と闇の主という属性を持った神はズルワーンくらいしかいねえよwwwGDってカバラーなのに不思議だなあ?”


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