読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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あなたも観音様から産まれた。『もののけ姫』の元ネタ②。網野善彦『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』。宮本常一『忘れられた日本人』 

網野善彦『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』
(岩波書店、2003年/岩波現代文庫、2013年)
『忘れられた日本人』を題材にした網野流民俗学講義。

レプラ=癩(らい)病=らい病=ハンセン病
※もののけ姫では「業病(ごうびょう)」の人々が、覆面をして柿色の衣を着て鉄砲を作っています。彼らは犬神人であり石火矢衆(いしびやしゅう)でもあり非人でもあります。包帯でぐるぐる巻きで寝ている長老が、非人の長吏です。
因みに、中世の牛飼は烏帽子を被れないのでポニーテールのような髪型をした童の姿をしているらしく、その点はもののけ姫での間違いらしい。


牛飼の髪の結び方の図版↓
牛車の種類・牛車で清水詣へ出かけよう・風俗博物館
http://www.iz2.or.jp/gisha/shurui2.html
”牛飼童(うしかいわらわ)
牛車に付き添って牛の世話をする者で、「牛飼」「牛童」ともいう。『枕草子』に「牛飼ひは大きにて、髪あららかなるが」とあるように、成人後も烏帽子(えぼし)は被らず、老齢になっても童髪である垂髪(すいはつ)のままでいるために、童名で呼ぶのが通例であった。牛車に車副が従って牛を追う時には榻(しじ)を持ち、いない時には鞭(むち)を持って牛を追って供奉した。 ”

宮崎駿は全生園(ぜんしょうえん)に行くと人生観が変わると言ったらしい。

・おじぎ の「じぎ」は「辞儀」ではなく「時宜」がもとらしい。時宜には良い頃合いとか時にかなったとかナイスタイミングとかの意味であるが、時宜が権力者や最高権威として使っている事例が多く見られる。時宜を仰ぐ という表現がある。お辞儀する対象はもとは権力者だったらしい。
時めく=よい時期にあって栄える

・ヨンガナヨッポトイ(終夜)仕事をした。

・ホウバイは、中世では「傍輩」であり、朋輩という表記は近世以降らしい。ほうばいは単純な友達ではない。
「つれ」は能楽のツレに通じ、職場の中での役割の呼び名で長(おさ)と連れというものがあることから、そのときだけ一緒になって仕事する人たちをさす。仕事だけの付き合い。
「とぎ」は年長者が年下のものの相手をする場合に限るらしく、お伽噺のとぎだろう。
「ほうばい」は同じとしか一つ違いくらいで食べ物なども同じように分かち合える友人であり、平等で対等な関係。御家人相互の関係は傍輩関係なので対等で平等な扱いでないと熊谷直実が怒ったりしている。

・「えっと」(宮本常一は「越度」という漢字を当てている)は中世では越度は「おっと」と読まれていて律令時代から使われている。鎌倉幕府法では広く広く使われ、ある限度を超えたあやまり、過失、という意味。度を過ぎて、並はずれて、沢山という意味もある。

「おとし宿」「おとす」「落とし取る」といった言葉がしばしば山賊や海賊などの行為に関連して出て来る。「落とす」とは人間のものではなくなること。「無縁」となり神仏のものとなり「無主物」(あるじなきもの)になってしまう。
おそらくその名残が、現代の落し物を交番に届けてしばらく時間をおかないと自分のものにならないことだろう。
落しものは誰のものでもないのだ。
落とし取ることは必ずしも不法ではない。
海賊や山賊は、相手のものを「落として」(今の言葉なら所有権をなくさせるに近い)からでないと、奪えないと考えていたらしい。中世では山の神仏の力によって山の中に入った人の持ち物はすべて「落ちて」しまうので、狩人が山の中を通る人のものを奪うことが不法にならないのはそうした背景があるかららしい。
落ちて山の神のものなればそれを取っても山賊ではないらしい。
おとし宿は恐らくは、落とされて無縁となったものを売り買いする宿だろう


・「善根宿」とは旅人や瞽女(ごぜ)(「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する女性の盲人芸能者)などのような遍歴民の宿泊所。

・「とび」(とんび)。トビ=西日本における、神仏への供物や返礼としての贈り物
・「手」=交換、代金。
・とき(時・斎)=(御斎〔おとき〕のお膳の)「時」=食事
とき(斎)(仏教語)坊さんの食事。正午以前にする正規の食事。仏事に出す坊さんの食事
神官や神道家の食事の用語はないのかな?
神道美術とか神道説話なんてないからなさそう。

仏様の言葉 ‏@bukkei616 6月30日
斎(とき)
小乗仏教の僧侶は正午以前に食事をとり、それ以降は摂らないが、食事をしない時間を非時(ひじ)といい、食すべき時の食事を時食、斎食という。そのことから、僧侶の食事や法事での食事を斎という。

・「ぼぼ」=おめこ、まんこ、女陰。

・新見荘という、備中国(岡山県北部)にある東寺領の有名荘園がある。新見荘にかんする文書が残っていて、この文書は毎日の銭の支出記録であるから通常はどんどん廃棄されて残らない。この文書は、接待のしすぎで解雇された代官がいたので証拠として残された世にもまれなもの。
狂言『隠狸』(かくしだぬき)の時代ですでに、代官は接待費が正当なら公費――年貢から差し引いて引き落とせた

経費で落とす。
周辺の有力者らときちんと付き合っておかないと荘園の経営は円滑にできないので、接待費は必要経費。国司や守護が見廻りに来たら文句を言われないために接待して酔わせて送りだしたりしたこともあるだろう。
代官は百姓(農民よりはるかに意味が広く海や山の民などいろいろな人々含む)にも正月やお祭りのとき年貢を納めたときに酒宴をやる。酒盛りをしないと簡単には税を納めてくれなかったりする。
京都に年貢を送る際には銭を為替にかえて手形で送ることは十四世紀ごろから行われている
。現地で徴収した米や麦、大豆、栗、粟などは市場(市庭。いちは。いちば)で相場を見て売って銭にかえ、現地で支出する必要経費を落とした上で都に送る年貢銭は現銭ではなく為替で送っている。そのくらいの信用経済は十三世紀後半以降、軌道に乗っていた。

歌垣や市場や特別な芸能が行われる法会の場は、無縁の場所でありそこでは俗世の親子や夫婦の縁もきれて一人の女性と男性になるので自由な性交渉が行われた。
中世の参籠の場も無縁の場だった。お伽噺や説話の中によく寺社に参籠したら子どもを授かり、立派に育ったというものがあるが、これは寺社という無縁の場で性行為したから子どもを授かったのだろう。


(ある程度成長した巫女が処女ってありえないんじゃないかな。

Spica ‏@Kelangdbn 2013年7月2日
日本ほど処女信仰の希薄な社会も珍しい。まあいわゆる「未開社会」に行けば似た例は幾らもあるんだろうけどやまと言葉に「処女」にあたる単語がないぐらい膜への意識が低い。マリアまで処女にしちゃったキリスト教圏は世界でも屈指の処女崇拝地域。

「おとめ」は未婚女性のことで処女ではないんですよね

STB ‏@RC_StB 6月26日
主張内容も「皇国史観に基づく歴史修正」「教育破壊」「憲法破壊」
「身分制復活」「基本的人権否認」「翼賛教育」「軍国化」「敗戦否認」等の、特に目新しくもない吠える系の反動的大日本帝国正当化主義者の集合体である(特にいかなる支配者もそうするように教育への介入を重視している)

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB こんばんわ。日本会議ってそんな事言ってるんですか。これって敗戦と同時にウマウマできなくなった神道カルトがローマ帝国の夢再びと言ってるようなものですね。うーんと、古代エジプトのような神権政治国家が理想だってよくわかりますね。日本の誇りって単なる植民地主義利権か。。。

STB ‏@RC_StB 6月26日
@lakudagoya 連中は親学とか美しい国作りとか、まあ安倍壺三の頭の中にあることと全く同じことを主張しています 特に母体の一つである神社本庁は祭政一致・国家神道復活まで掲げるほど極端です 財界の奴等にも帝国復活を価値観として信奉してる手合いがいます

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB 近代を否定してなくて祭政一致の帝国主義って論理的矛盾も何もあったもんじゃないですね。本当の意味での保守だったら、極端に欧米化した近代に対して疑問を持ったりしますし、結局「日本の伝統」とか言いながら中身は欧米思想のイルミナティ主義なんですよね。啓蒙思想もクソもないが

STB ‏@RC_StB 6月26日
ウヨの偶像三島由紀夫さんから:愛国心について(意訳) 愛国心って言葉は官製ぽいし、押し付けがましいし、由緒もないし、キモくてゾッとする。反感を買って当然。そもそも「国」は愛する対象じゃないし、愛が国境を越えて変わるのは欺瞞 愛国心がどの国民にも同じ普遍的なものならば戦争は起きない

@lakudagoya 数時間前に三島由紀夫の愛国心のエッセイを現代口語に茶化してTWしたのですが、愛国心というのも近代的な国民国家があって日本の相対化があって出来た観念ですから、日本人の心情とは本来全く関係ないことです

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB そもそも、○○人という観念が英国産のものですしね。アパルトヘイトと人種差別が好きだった国です。トールキン先生も名誉白人です(笑)国民国家という観念が戦争を作り出してますし、こういうとこまで根本が西洋思想なんですよ。それなのに「保守」って。。。

STB ‏@RC_StB 6月26日
@lakudagoya 本居宣長のように脅迫的に純化を図って「南蛮心」「列強心」みたいな区別をつけるところまではいかなくていいと思うし 日本は有史以降常に外来思想があって、観念を借りるところは問題ないと思いますがね 人間を奴隷化で不幸にしたり支配ツールになるから問題なわけで

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB ちなみに、日本会議の中核である平田派カトリック臭い神学レトリックの中核は朱子学なんですよね。儒教の論理で天皇は将軍より偉いって事にして革命を起こした。なので中国の太平天国みたいな儒教+耶蘇教のハイブリッドの連中と相性が良かったですし、出口ナオの政治思想もこれ。

@RC_StB そもそも日本は天皇が支配してたカトリック的な神権政治の国家であったという、朱子学の論理で黙らせてるレトリックそのものが日本的でないというか、耶蘇教神学的な臭いがします。天皇の神聖さを理詰めで説明する「右翼」とか言葉にしない神聖さを尊ぶ神社臭くないだろーと。

STB ‏@RC_StB 6月26日
@lakudagoya 民間人にはあまり天子の存在すら知られていなかったようで、わざわざ大衆に布告したんですよ それに、以外と神道は歴史上論理付けも試みられています。統合ツールとして、やはり理屈付けは必要ですから 本地垂迹などは典型的なものでしょうね。神格と政治

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB 天皇崇拝と太平天国の上帝信仰はリンクしてますね。神道=道教と考えると両者が極めてスッキリクリアに見えます(笑)で、儒教の権威主義をトッピングして上には絶対逆らえない伝統を使う。儒教が意図的に日本で支配の道具として使われてますね。部活などでも色々と。

STB ‏@RC_StB 6月26日
@lakudagoya 変態保守派の主張がいい加減なのは、道徳観にも現れています 何かにつけて「なぁなぁ」で「適当」な日本人が性に対してはやけに厳しいなんてあり得ませんから。耶蘇教臭いです 江戸時代の笑話や宇治拾遺物語には、性をネタにした、今なら問題になりそうな笑い話も多々ある

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB 神道の家系が性に厳しいというツイートを読んだ事がありましたが、江戸時代に神社で巫女さんが売春やってたのにそれはないだろう?と。平田篤胤の思想にかぶれると、カトリック臭い性観念になるんですね。これってイスラム原理を気取るのに英米にべったりなサウジみたい。。。

STB ‏@RC_StB 6月26日
@lakudagoya ええ。日本人の勤勉だとかの信念は近代化以降役人に作られた奴隷教価値観です。性欲憎悪は明白にキリスト教由来で、日本の農民階層とは真逆の価値観です。自分が保守的だと思っている人ほど実は日本的ではなかったりする。 柳田国男もこの点は敢えて無視してきたのが残念です

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB 日本が勤勉でなかったという話は、江戸時代末期に日本に訪れた外国人が書いてますね。勤勉にさせられたのは、明治以降の人脈がプロテスタント系に支配されたからでしょう?性欲憎悪があるなら、ちんこを祭る神社があるわけないですね。保守は自分が保守だと名乗る時点で日本的ではない

STB ‏@RC_StB 6月26日
@lakudagoya 明治時代も労働態度はいい加減で勝手に欠勤することもあったそうです 苦役が美徳になるのは、日本特有の手段が目的化しやすい悪癖がこうした流れに必要以上に拍車をかけたとみています 戦前に米国が日本の国内事情を調査したときですら、彼等には奇異に映ったようですからね

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB 彼らは軍国主義の徴兵制を目指してるようですが、元々徴兵制なるものはサヨクが言いだしっぺであって右翼ではないんですよね。(フランス革命前は戦うのは貴族のお仕事)ナチスよりタチの悪いファシズム思想が憑依してると見ます。(ナチスだって自国民は優遇してましたしね)

STB ‏@RC_StB 6月26日
@lakudagoya まあエジプトだと第十八王朝までは職業軍人とかいなくて、農民を徴兵していたんですけどね 仰る通り左派と軍備化は近しいものがあり、日本が冷戦時代に共産化していたら、軍隊を整備したに違いありません

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 6月26日
@RC_StB うーんそうですね。日本が戦後、旧軍の同窓会という形で民需製品を作り続けてきたけど、そのいつか復活する大日本帝国を夢見てたナチの残党みたいな人たち夢捨ててないのですよね。うーん共産化と満州の関東軍支配は本当に瓜二つだと思います。北朝鮮ですら。

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 10月30日
神道のお札の元ネタは道教のお札。
茅山道教を創始した陶弘景(5・6世紀。皇帝の相談役)は「道教は神道」と主張

天皇崇拝は星崇拝であり太陽崇拝ではない(天照は誤り)。
天皇は天皇大帝の略称。天皇大帝は北極星の神格化であり剣と鏡の二種を象徴として持つ。日本の皇室でも元来は二種の神器

イロベ ‏@iloveromania69 7月4日
童貞も処女も、守るものでもないし、ましてや崇拝するものでもない。かつて日本の農村では、男の童貞は村のおばちゃんに筆下ろしされ、処女は母親が村の若い衆から相手を選んで「うちの子そろそろしたってえな」と言って、夜這いの夜に手ほどきされた。赤松啓介『夜這いの民俗学』

Yuichi Ohneda ‏@ohndy 7月7日
昔読んだ赤松啓介氏の「夜這いの民俗学」には、昔の日本の村社会では、村中やりまくりすぎて誰が誰の子供か分からず、親と言うよりも村単位で子育てをしていた、的なことが書いてあったような。

そうこう箒 ‏@soukouhouki 4月9日
性とヤクザと天皇についてスルーする柳田國男の民俗学を批判する赤松啓介の民俗学書は面白い。夜這いや村の子についての認識がなければ、津山三十人殺し事件など全く理解もできない。明治以降の日本の徹底隠蔽により現代の日本はあたかもファンタジー。 pic.twitter.com/6CIoFkJQuu)

・岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波書店(岩波文庫)、1991年 ISBN 4-00-334591-6 ではルイス・フロイスが十六世紀後半ごろの日本とヨーロッパ社会との習俗比較をしている。

ヨーロッパでは未婚は処女でないと駄目。
日本では処女の純潔を少しも重んじないし、非処女でも不名誉でなく結婚もできる。

②ヨーロッパでは離婚は罪悪。
日本では意のままに離婚でき、離婚歴があっても不名誉でなく結婚もできる。バツイチなんて別に珍しくない。

③ヨーロッパでは汚れた天性から夫か妻を離別するが、
日本ではしばしば妻が夫を離別する


(アダムからイブが生まれたので女は格下という思想でしょう。科学によると人は皆はじめは女らしい。
キリスト教圏に住んでもいないし支配層でもない女性がどうして男尊女卑宗教を信仰するのでしょうかね)

ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろになって歩く。
日本では夫が後ろ、妻は前を歩く。

⑤ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことは極めて大事であり厳格に行われる。
日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でもいく日でもひとりで好きなところへ出かける。

⑥ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては家から外で出ない。
日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。

⑦ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有だが、
日本では各人が自分の分を所有していてときには妻が夫に高利で貸し付ける。

お分かりの通り、「ヨーロッパでは」が「日本でも」になるのは明治以降
である。

女性は昔から差別されてきた云々は明治より前の時代は含んではいけない。
少なくとも江戸時代以降の日本では男性がすべての権利を独占していて、女性は男性に屈従させられていたというのは間違い。
この女性は常に従属させられていた云々は、恐らくは明治以後のキリスト教道徳にもとづく欧化政策や法制度が作り出した虚像であり、実際はかなり違っていたはず。
夜這いが普通にあったのだから処女がヨーロッパのように珍重されることはないだろう。
男性中心の近代的な(=キリスト教道徳に基づく欧米の制度と同じ)法体系が明治以降にできるのに伴って女性は公的な権利を失った。
とはいえ、そうした公的なキリスト教化された制度であっても、庶民の中には違った世界が存在していた。
そう考えるともはや聞き飽きた性の乱れ云々は実は本来の日本の性意識に戻りつつあるだけだと解釈することができる。
日本人も少なくとも性に関しては今やキリスト教的道徳が常識
なのだ。

日本社会は明治以前からも公的な朝廷と幕府が支配する世界はすべて土地中心であり田畑は圧倒的に男の世界であり、年貢や租税を出すのも男であるから、必然的に後まで残り易い公文書には男ばかりが出て来る。
だからこそ、百姓=農民という誤解が生まれ、土地がない=貧乏、という常識が生まれ(漁師などは田畑がなくてもおかしくない)、女性=地位が低い、という曲解が生まれてしまった。

法的な面に関しては、古代の律令が制定されて以降、女性は公的な分野から完全に排除されている。
女性だけの官職はあるが、公的な役人にはなれない。天皇にはなれるが役人にはなれない。
なので女帝はいても女性の関白はいない。税負担者は基本的に成年男子であり、土地に賦課されるものであった。
明治政府はその男=公的、女=公的でない、
をヨーロッパのキリスト教に基づく制度を加えて徹底的に実施した結果、完全な家父長制を確立し、女性には選挙権も被選挙権もなく、姦通罪は女性にだけ適用されるという、日本の歴史上で最低の地位に女性を陥れた。
よって、法的な地位からの解放運動を女性が熱心にしてきたのは当然のこと。
法的な地位に関しては古代律令制度より女性は排除されてきたのは正しいが、法的な地位以外に関しても女性はずっと地位が低かったというのは間違いである。

なお、著者もはじめはフロイスの偏見だと思っていたが本当にそうだったと考えるようになった。

近代以降、天皇が田植えを、皇后が養蚕をする。日本書紀では男性の王は農業、女性の妃は桑や養
蚕をしていた。太陽神で女性のアマテラスが機織りをしている。

お田植えをなさる天皇陛下、初蚕掻きをなさる皇后陛下(原文のまま)
http://p.twipple.jp/uuSZI

女性は自分で作った繭や糸や絹や綿などを市場へ持って行って自分で売ることが江戸時代まで確認できることが重要。糸や綿や絹の商人は全員女性。
百姓(農民ではない)の女性は養蚕業を取り仕切っていたはず。
相場を見てできるだけ高く売ったりして稼いだお金は簡単には男性に渡さなかっただろう。
少なくとも動産に関しては女性は男性と財産を共有しなかったはず。
繊維部門は女性の管轄だから。財布のひもは女性が握っていても別におかしくない

明治の富国強兵・殖産興業のための製糸業と紡績業は女性によって支えられたが、それは女性が明治以前から繊維部門担当だったことが関係しているはず。製糸工場では男は監督はできるが糸をとれない。
単なる安価な労働力として酷使された面だけでなく、女性の専門職の伝統も考えないといけない。
繊維関係の生産と流通は世界的に見ても基本は女性が担っている。インドでガンジーが糸車を回して非暴力運動を展開したのは、ちゃんとそうした女性重視の姿勢を宣伝する意味があったのだろう。

(村手 さとし ‏@mkmogura 2013年12月5日
ガンジーは非暴力主義であって、無抵抗主義ではない。つまり『暴力とは、やりすぎである。』
デモのような集団になる事は、一般人には暴力性にうつる。社会の強制力という物は、暴力というか武力に最終的に帰結することを知らないまま、徒党という集団を組んでも、どうなのだろうか。

村手 さとし ‏@mkmogura 2013年12月15日
ガンジーが殺されたのはムスリム、キリスト教などに懐柔的すぎたからと言われている。ヒンズー教徒であった彼は、キリスト教徒でもあるとも言っていたし、カースト制度にも賛同していた。カースト自体も、それに合わせたヒンズの改変も、実はキリスト教と印欧族つまり白人とための捏造であったことを

ガンジー本人が理解していたかは、俺は知らん。もし、白人支配のための偽独立運動なら殺されて当然だと思う。日本の仏教が漢訳された聖書に合わせ、キリ教により神道の天皇となったことでも、ヒンズーへの自分の理解は間違ってないと思う。結局はわからないが、答えはあの国の歴史、当事者の中にある。

村手 さとし ‏@mkmogura 5月26日
怠惰とか金銭や略奪のための欲とか下心とか。人間は下衆な欲望ほど純粋である。

正義感や真心とか、慈愛とか?
反吐がでる。
歴史の上で、それら理性が社会を構築した功績があるかい?確率というか統計は常に総数の性質に明瞭だ。
みなさい、そこにある歪んだ正義感を。弁証法で逆に進む


サニナ ‏@sanina327 5月27日
@mkmogura >歴史の上で、それら理性が社会を構築した功績があるかい?
マハトマ・ガンジーが「非暴力・不服従運動」でインドを独立に導いた事実についてはどうお考えですか?

村手 さとし ‏@mkmogura 5月28日
@sanina327 ガンジーの人格を調べてごらんなさい。
ガンジーは、ムスリム、キリスト教に甘すぎるというか、キリ教徒が皮をかぶっただけの暴力否定エセ平和主義者です。印欧族=白人の都合です。カーストも白人のためのものです
歯向かう牙を抜かれ、そしてインドはレイプ大国になりました


村手 さとし ‏@mkmogura 6月10日
@sanina327 性欲優先のおバカだよ、ガンジー。しかも、ヒンズー、カースト制度を肯定する側だし。
資料は自分で調べてみ。
抑圧された階級制度のなかで非暴力での平和、意味ある?強制力とは常に暴力に帰結する。なら抵抗だって暴力が必要だよ。戦争に武器を持たずに行くやつはいない


ネズミさん ‏@Nezmi_san 4月11日
1%富裕層が支配するまま、「暴力(逆転)」が起こらないなら富裕層にとっては天国。因みに「カースト制度」は英国が支配の為(アーリア人思想)に作った士農工商。

カースト制度になぞらえる士農工商だがいわゆる「四民」であるが、コレも明治政府が江戸時代を否定し英国の自由主義(メイソン主義、因みに自由なのは裕福層だけ)が作らせた、ウソ
。 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86 …

メイソンによって明治以降ウソばかり教えられる。士農工商は身分でなく社会を分業で良くするための職業分類であった。天皇が、江戸幕府が強大な権力で圧制と言うイメージが刷り込まれ、江戸時代がそうだから、明治、昭和で「戦争の兵隊やむなし」と刷り込まれた

ネズミさん ‏@Nezmi_san 4月14日
水戸部稲造が五千円冊で、国際連盟の重役であり、武士道を作った(正確には広めた)人間で、武士道のニアリーイコールがナイトであり、「死ぬのが武士道」なる戦争で都合良い解釈が作られ、今に至る

J・ナナミ ‏@pinkglalem 2013年8月8日
日本社会の格差が広がっていることには、意味がある。宗主国にとって、植民地では階級制で人々が差別しあい、まとまりの無いのが理想。自分たちへの不満が、植民地の社会内だけで解消されてゆくから...インドは英国の植民地になってから、カースト制度がより厳しくなり、ヒエラルキーが厳格化した。

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
武士道
初出は江戸初期編纂の『甲陽軍鑑』。意味は個人的生存術。
山鹿素行(朱子学批判で赤穂に配流。門弟に大石良雄)の士道論など儒教道徳が影響。
耶蘇だらけの佐賀藩の山本常朝『葉隠』は生きる為のマナー本で禁書。
新渡戸の耶蘇流武士道。

明治以降のキリスト教と和風キリスト教(神道)による偽伝統一覧
神道の現人神、神前結婚式、仏前結婚式、
武士道(白兵戦重視)、
相撲は国技、
全面的に良い意味としての愛、初詣、金剛峯寺、
個人の誕生日(満年齢)を祝う、
年越し行事としての除夜の鐘、
勤勉な日本人、働かざる者食うべからず
。)


子どもは社会全体のものであり、みんなで育てるものだった

奉公人になるときの証文の形式は、江戸時代になっても人身売買の証文と同じ系列。実際は雇われる側の労働者の方が立場が強い場合もあったので、形式はともかく実際はどこまで適用されたのか守られたのかなどを考えないといけない。
例えば、名子(なご)、家抱(けほう)、下人らは奴隷や農奴だったとされてきたが、実際は技術者や職能民である場合が江戸時代で見られる。都市民だった人々が名子や水呑だと記述されたのは農業が公的基準だったからであり、貧乏だとか虐げられてきたとは限らない


・東は父系、西は母系。
※あくまで傾向なのですっぱりわけられるのではない。

東日本は同族集団、同族結合、本家と分家が基本であり、縦の主従関係を基本とした家父長制度的名傾向が強い上下の結びつきが特徴。
西日本は一揆という神の前に平等であることを誓うような横の結びつき、横の平等な関係を結びあうのが特徴。
姻戚関係を非常に重んじ、横の一族組織が発達している西日本。
縦の同族関係が基本の東日本。

・東西の言葉の差異の境目は何本かある。一番太い境目が、越後と越中、信濃・三河と飛騨・美濃・尾張の間に線が引かれている。この境がまさしく鎌倉時代以来の東国と西国の境である。フォッサマグナより若干西寄りに東と西の境がある。吾妻鏡には二か所「関西」という言葉が出てくる。


・徳政令という法令は、権力による借金の破棄ではなく、借金によって土地が他人の手にいちおう移っていても、それはおのずから本来の持ち主のところに戻るという非常に根深い社会の中の慣習が背景にあったと考えるべき。特に支配者の代替わりの際にはそれまでの貸借関係は破棄されるあるいは貸借関係に基づくそれまでの土地の移動はすべて元へ戻るのが当然だという考えは、日本のみならず人類社会全体を通じて非常に根深くあるのではないかと思います。

日本は孤立した島国ではない。
サハリンとアジア大陸は近い。冬になると凍結して人が渡れるほどの狭さらしい。サハリンと北海道の間も流氷に乗って動物が渡ることができるくらいの近さ。
對馬(対馬)は九州よりも朝鮮半島にはるかに近い。対馬から晴れの日には朝鮮半島がよく見えるが九州は見えない。朝鮮海峡を泳いで渡った人がいるらしい


日本海はかつては湖であり、「内海」だった。要は通路。日本列島と朝鮮半島と中国大陸などの間に日本海がある。
地図の向きを逆さにしたりしましょう

元寇など大きな軍隊が一挙に短期間に渡ろうとする危険な海でも、静かな時は便利な交通路である。無論、危険はある。陸路でも危険はあるし。

(島国で孤立しているイメージは、恐らくは明治以降、本州、中国、九州を中心とした領土の中で国民国家を作ろうとした白人傀儡政権が、海は守るべき国教であるという意識を国民に刷り込んだ結果、強固になったのでしょうね。
渡来人と強調されたりしますが、渡来人は頻繁過ぎてもはや普通だったのでは。
百済だけでなく高句麗からも沢山来ていたはず。
統治手段として仏教を採用した聖徳太子(うまやどのおうじ)の師匠は「高句麗の」坊さんの慧慈(えじ)なのに、「百済」から正式に仏教が伝わったと書く偏った教科書は決して訂正されない。紙と墨などを伝えたらしい曇徴(どんちょう)も高句麗の坊さん。
高句麗=北朝を冷遇し、百済=南朝を優遇しているのに北朝だと言い張る南朝偽天皇勢力


小浜甚次(阪大名誉教授、形質人類学、解剖学の専門家、故人)いわく、朝鮮半島人と近畿、瀬戸内海沿岸の人々は極めて良く似ていて形質上は同じ。
対して、山陰・北陸と東北の人々と近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人との違いに比べてはるかに大きい。東北や北陸の人々はむしろアイヌに近い。
被差別部落民は朝鮮半島から渡って来たという常識は間違い。差別する側の人々が朝鮮半島人そっくり。差別されている被差別部落の人々は東日本人、東北北陸型の人々とむしろ形質上は似ている


(井上雅人 ‏@INOUE_MASAHITO 2011年4月18日
小浜甚次という形質人類学者は、近畿瀬戸内の人たちは、山陰、北陸、東日本の人たちと形質的に全く違うという指摘を半世紀前にしている。興味深いのは、近畿の被差別部落の人は東日本に近く、差別する側の畿内の人は朝鮮半島人に近いと指摘したことだ。人間がどのように動いていったかが想像される。)

被差別部落が深刻なのは西国。
韓国では白丁(ぺくちょん)という牛馬に関わる人が差別されているなど日本だけではなく世界中に被差別層はある。


・「日本」という国号の成立が七世紀末(689年に実行された飛鳥浄御原令だろう)あたりなので、それ以前は日本人も日本もない。倭人と倭国である。天皇ではなく「王」「大王」オオキミ である

神道家にとって道教と平田篤胤はアキレス腱
神道・惟神・天皇・神器は道教用語であり、神道用語ではないので本居宣長がやろうとした漢意を排除する試み(神仏分離!)は最初から破綻していますな。
本居宣長のキリスト教と親和性が高い思想を改悪した平田篤胤の神道=和風キリスト教。 
神道=和風に偽装する隠れキリシタンが名乗る宗教。                
 神道・惟神・天皇・神器は道教用語であり、神道用語ではないので漢意の排除は不可能。  
∵一般的な日本人が考えるカミ≒仏
。                       
子安宣邦『本居宣長』の読書メモ。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-84.html

「天皇が信仰した思想体系がある伝統宗教」=神道は明治期のキリスト教による捏造。
明治以前の神道
①単なる土着神崇拝。神社は地域土着の祭壇。政治に影響力なし。
②道教の一派としての神道(天皇と神器も道教用語)


風の子  ‏@makeanovel 5月30日
平田篤胤も、教科書に載ってるので、なんの疑いももたず、なんか偉そうな人って思ってきました。日本の本物の伝統のかわりに、偽物文化を捏造して導入しようとした張本人だったとは。当たり前の、とか、常識、っていうのを全部疑ってみたくなりました。。

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
5~6世紀の道教家の陶弘景が道教の一派「神道」の起源。紫宮に住む天皇を仙の世界の長とし真人を高級官僚として「神道の道教」世界を構想。道教の剣と鏡=天皇大帝の象徴を重視。梁の武帝のブレーンで別名「山中宰相」。道教家の天武天皇や記紀に強く影響した日本思想の起源なのに無視される陶弘景。

道(タオ)→伝道(暴力=武道で脅す)。
八咫烏好きは記紀が道教書で、企画者の初代「天皇」天武が道教家で、神道も陰陽道も中国原産の道教の一派で、明治以前の国教が道教混じりの仏教なのを隠す。
JFAの八咫烏マークに影響した内野台嶺は曹洞宗で儒学者=アンチ道教。)


・東北北部は日本国の外である。東北最北部の津軽、下北地域は十二世紀になるまで日本国の国郡制度が及んでいない。東北地方全体が日本になったのは十二世紀以降。

(東北支配のために使わされた、坂上田村麻呂(おじゃる丸の元ネタ)は征夷大将軍。坂上氏は百済系の渡来人の子孫で、百済系の桓武天皇がボスだったことがあるなどで、初代将軍でもないのに持ちあげられるのですな。高句麗系なら教科書から削除されていたかもね。 大伴弟麻呂が坂上よりも先に将軍になっております。
百済を強調するのが南朝偽天皇の特徴。
おじゃる丸は主に子供を洗脳するためのアニメ
ですよ。

外国に向かわされる征夷大将軍ってどうみてもトップではないから将軍って称号を嫌がる支配者がいてもおかしくないね。豊臣秀吉は征夷大将軍ではなくそれよりも上の関白=天皇を操れる立場になりました。
征夷大将軍だと天皇に使われる側だし。
将軍は源氏でなくてもなれます。血筋が源氏より格上か同格ならなれます。摂家や皇族が将軍になったことがあります。藤原や親王ならなれます


征夷大将軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D#.E8.B1.8A.E8.87.A3.E7.A7.80.E5.90.89
”延暦10年(790年)7月13日に、大伴弟麻呂が征東大使[注 5]に任命された。延暦12年(792年)2月17日に、征東使を征夷使と改めた。「大使」はまた「将軍」とも呼ばれていた。『日本紀略』には延暦13年(794年)1月1日に征夷大将軍の大伴弟麻呂に節刀を賜うたとあり、これが「征夷大将軍」の初見とされ、由来としては天皇に任命される軍事指揮官である。

また「征夷大将軍」は「征夷」行為に関して現地の軍の最高司令官であり天皇の代理人という権能を有していたことから、武人すべての世俗的な最高司令官としての力が備わるようになっていった。鎌倉中期から明治維新まで、武人である武士が政権を握っていたことから、武士の棟梁としての征夷大将軍は事実上の日本の最高権力者であった。また、天皇によって任命されることから、天皇には世俗的な実力はなくとも、権威は維持することとなった。
(…)
延暦10年(790年)「征東大使」に任命された大伴弟麻呂は、その後「征東使」が「征夷使」に改められ、延暦13年(794年)1月1日に「征夷大将軍」として節刀を授けられた。大伴弟麻呂の副使(副将軍)だった坂上田村麻呂は、延暦15年(796年)10月27日鎮守将軍に任命され戦争を指揮し、翌延暦16年(797年)11月5日に征夷大将軍に昇格した。坂上田村麻呂はそれまで頑強に戦ってきた胆沢の蝦夷の阿弖流為を京へ連れ帰り、東北地方全土を平定した。その後陸奥按察使だった文室綿麻呂が、蝦夷との交戦に際して弘仁2年(811年)4月17日に征夷将軍[注 6]に任命され、同年 閏12月11日蝦夷征討の終了を奏上、鎮守将軍には副将軍だった物部足継が昇格、しかし、弘仁5年(814年)11月17日には再度文室綿麻呂が征夷将軍に任じられたものの、実際には征討は行われなかった。

また、天慶3年(940年)に藤原忠文が、元暦元年(1184年)に源義仲[注 7]が、征東(大)将軍に任じられているが蝦夷征討を目的としたものではない。
(…)
歴史上存在した俗説
源平交代思想と源氏将軍

源頼朝が東国の軍政(地方統治権)という意味に注目し征夷大将軍という官職を望んだという説以外にも、日本史上の武家政権は、平氏(桓武平氏)と源氏(清和源氏)が交代するという源平交代思想や、源氏であることが征夷大将軍に任ぜられる条件であるという源氏将軍説が存在した。しかし実際には、頼朝以降に限っても、摂家将軍や皇族将軍の例があり、清和源氏以外に平氏や藤原氏、そして皇族も就任しており、平氏を自称していた織田信長は天皇によって征夷大将軍に推任されている(三職推任問題)など、征夷大将軍になれるのは源氏に限られている訳ではない。また征夷大将軍イコール源氏長者のような印象があるが、これは足利義満以降の事である。
豊臣秀吉

豊臣秀吉は近衛家の養子となって関白に任ぜられたとされる。秀吉は自ら征夷大将軍就任を断っており[出 5]、また朝廷にとって関白就任の方が征夷大将軍就任よりも遥かに抵抗感が強く、秀吉はむしろ征夷大将軍就任よりも困難である関白就任を実現させている
立場である。

なお、織田・豊臣期の征夷大将軍に関しては、当時の人々の間に征夷大将軍は足利家の家職と認識されており、源氏云々とは別の意味で「将軍職は足利家以外にありえない」という概念が存在していたために、京都を追放されて実権を失った足利義昭が征夷大将軍として認められ続け、朝廷も積極的な解任を行われなかったとする見方もある[出 6]。”
最終更新 2015年7月6日 (月) 08:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


左少辨 ‏@kitahatazou 2014年
ゆとりのネトウヨに「征夷大将軍として知られる坂上田村麻呂で有名な坂上氏は百済系渡来人の末裔なんだぞ」って言ったらどんな顔するんだろう。

Tetsuya Kawamoto  ‏@xxcalmo 1月29日
今上天皇がかつてご言及のとおり、平安遷都を果たした桓武天皇の母親の高野氏は、百済系の渡来人だった。桓武は東漢(やまとのあや)氏系の半島渡来人である坂上苅田麻呂に信を置いたが、その子息が坂上田村麻呂である。

村手 さとし ‏@mkmogura 2013年12月25日
受験生の皆さん、征夷大将軍というわけわからん蝦夷討伐の役職は、やっぱり何してたかもわけわからんのであります。
なのに初代の大伴弟麻呂は誰も知らなくて、何故か坂上田村麻呂は誰でも知ってるというのもわけわからんですが…
征夷という左遷が『八幡』に任命され、『坂上』も、南朝百済
です。

何故か理由もなくそうなっているというのは、たいてい異常であり、たいてい実は理由があります。 逆ギレしてぶっ殺しただけの忠臣蔵も、この征夷大将軍も、すべて南朝百済、明治維新の天皇すり替えと、大本教という日本式キリスト教に繋がります、 今年は南朝崇拝度が高いです。

村手 さとし ‏@mkmogura 12月29日
高倉健が朝鮮族というのを、まだリツイートしてくれる人がいる。では追加。
初代征夷大将軍を誰も知らずに、坂上田村麻呂を皆が知っていて、八幡、天満宮の菅原道真神社とか毛利とか、今も芸能界のドン周防、多々良の安倍とか。全部、由緒正しき朝鮮族である。明治の南朝百済天皇すり替えに帰結する

久延毘古 ‏@amtr1117 7月13日
809年7月14日没。(大同4年5月28日) - 大伴弟麻呂、公卿、史上初の征夷大将軍。 pic.twitter.com/mrq2wjKSUi

シンリ ‏@2g_Shinri 6月17日
坂上田村麻呂が有名すぎて忘れられがちな初代征夷大将軍大伴弟麻呂さん

ゆかこ ‏@bs4_forest 2014年2月24日

1源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)
2源頼家(北条時政のより幽閉)
3源実朝(公暁に暗殺)
4藤原頼経(摂家将軍)
5藤原頼嗣(摂家将軍)
6宗尊親王(皇族将軍)


日本の奥の院 その1【20120216】
http://www.mkmogura.com/blog/2012/02/16/1077
「源氏ではないと征夷大将軍になれない」という嘘が蔓延しているのは、ある程度の歴史を勉強してる人なら誰でも知っているだろう。
 
真っ赤な嘘である。
実際の制夷大将軍なんて役職はたいした役職ではなく(東、元は蝦夷討伐の役職)、豊臣秀吉は自らこの役職を断ったりしてる話も簡単に見つかる

 
この嘘はこういう3段活用で出来ている。
「征夷大将軍=源氏だけ」
「源氏(清和源氏)の氏神が八幡である」
「幕府、日本の支配者を任命できるのは、神社勢力だけだ」
 
こういうことね、そう。源氏の氏神がこの八幡である。
藤原道長に仕えていた、源頼信(968-1048)によって八幡は源氏の氏神になった。
 
 
そもそも、「武士=この源氏の台頭の時代から」と勘違いしてる人も多い。
大昔から暴力だけが支配という統治の手法である。
平安時代の豪族などを、ただ蹴鞠をたしなみ、扇で顔を隠すようなナヨナヨした奴らではない。刃物ちらつかせて、年貢・税金を払え!!いつの時代も同じである。
むしろ、武士=源氏の時代からという話は、文化人ではなくなり暴力化したとも言えるわけね。
そして、その源氏の氏神が八幡=朝鮮海賊
であるということ。
一部で言われている、「侍は朝鮮半島起源である」というホラ話も、ここら変の話を起源としている。
そういう話を聞くと、そこまで大きくして起源というのなら、大昔の中国の武将と侍で何が違うのだ?と疑問になるのだが。
ただ、八幡がバハン船、海賊船の旗そのものをさすこと、源氏がそれを氏神としてること、それが日本における朝鮮族の支配する海のものに起源があるのは、間違いないことである。
 
さらに言うなら、鎌倉幕府なんてものはない。
 
征夷大将軍さえでっち上げの蝦夷討伐のための役職なのだから、それを元にした捏造神話、幕府に疑問をもつのもあたりまえである。
さらに、今の世界情勢でさえ地政学で政治を読むという視点は通じる部分もあるのに、大昔の鎌倉の地理的条件を見ればわかるが、あんな街道もろくに通っていないところが「日本の支配者の作った幕府だ」と言われて、信じるほうが馬鹿だろう。
 
規模で鎌倉と段違いなのは言うまでもないが、京都は盆地という地理をいかし、天然の要塞であるし、江戸は知っての通り、街道整備と今の東京の道路の元となる放射線状の連絡網を発達させた。関所もね。
それと比べて地政学的に見て、情報が集約されていたか?
って、されるわけないのである。
それで、「いざ鎌倉と言って有事のときは駆けつけるのだ」という神話がまたあるのだから、笑うしかない。
 
その情報が伝わった頃には終わってます
よと。
いつの時代の話だと。
 
是非、鎌倉幕府をNHKの大河ドラマで作る際は、携帯電話を持たせるべきだと俺は思う。
大河ドラマはキリスト教の愛で日本の歴史を作ったり、架空の人物も登場させたり、ファンタジー全快なんだから、そこまでやってくれと。
今、鎌倉なんだけど、やばいから超ダッシュでよろしく。と。
 
 
では鎌倉幕府とは何か?、この源氏と毛利(大江氏)が勤めていた、単なる出張所である。
そこらへんの話の補足の部分を。
 
この後の時代、のちに大内氏の地盤、日本における百済の海、周防を支配する毛利という苗字の起源は、この鎌倉に出張していたころの話である。
元は大江姓、大江広元が、相模国の毛利荘(お隣の厚木市)から、この毛利という苗字になった。毛利の元服後に「元」がつくのは、この大江広元に由来している。
 
1192だか1176だか知らんが、鎌倉幕府が何か?だけでは見えないものも、簡単である。
制夷大将軍という左遷が、「神道(八幡)が日本の支配者を決めるのだ」という、16世紀以降のキリスト教伝来どころか、神道のためという19世紀の明治のころの都合の「後付け理論」であると意識できるのならね。
 
この大江氏のさらに起源は、あの、なぜかよくわからないけど学問の神様で「神社に」祀られている菅原道真と同祖先
である。
 
それが、土師氏。百済系天皇の桓武天皇った790年に、縁戚関係にある土師諸上らに大枝の姓を与えたのが起源であり、菅原氏は、その土師一族の傍系である。
つまり、毛利ももとは渡来系氏族。
 
菅原道真は、百済=南朝の後醍醐天皇に直でつながっており、土師は渡来系の技術者集団の血縁である、それ以上の説明はまた今度。
 
 
この鎌倉も簡単。
 
この源氏の先生=この大江氏だよという主張で出来上がっている。
明治維新後のキリスト教徒の都合で出来たのが、神道であり、今の教育で習う歴史のすべても同じなのだ。
そう、毛利の都合で作られた後付けの理論
に過ぎない。
「東国に源氏勢力の地盤を固めた」などと出てくる源義家(1039~1106)の兵法の先生が、この大江(のち毛利)である。
 
源義家は別名八幡太郎という、その兵法の先生が大江匡房(まさふさ)である。”

ken ‏@kenkatap 2014年1月3日
菅原氏=(大相撲の祖として知られる)野見宿禰を先祖とする土師氏の子孫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F …
▼菅原氏から公家の五条家が出た
▼五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家に
▼末裔とされる有名人
▽菅原道真
▽平手政秀
▽前田利家
▽柳生宗厳
▽大隈重信
▽松平定知


前田利家は隠れキリシタン疑惑があります。少なくともキリシタン大名の高山右近の手助けをしました。
詳しくは2つ前の記事
中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』
茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマ
と大日本皇道立教会
と鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
をどうぞ)


・倭人は日本列島西部、朝鮮半島南部や済州島などを含め海を主な舞台としていただろう。無論農業もしていたはず。倭寇を室町幕府が弾圧しているように、倭寇の構成員は日本人だけではないし、日本からの侵略ではない。日本も被害受けているし。倭寇は列島西部の海辺、対馬、壱岐、朝鮮半島南部の海辺、済州島あたりの人々が構成員だっただろう。海の民ですな。日本中央政府は代々土地が基本だから対立してもおかしくない。
「日本人論」・「単一民族論」・「日本人」に注意し、列島東部や列島西部などの言葉を使うべき場合がある。「一国史観」に囚われてはならない


単一民族論は同祖論に繋がり、侵略に非常に都合がよいです。
日ユ同祖論が日本とイスラエルを無理やり結びつけて、中間を無視するのは、要は、聖書の登場人物が実在しないと成立しない詭弁=聖書思想に見えない聖書思想で日本人を洗脳するためです


日鮮同祖論(にっせんどうそろん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%AE%AE%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96

AとBは同じ祖先論+政治=支配の理由。
日鮮同祖論→日本人と朝鮮人の祖先は同じだから朝鮮半島は日本の領土だ!

日ユ同祖論→日本人と(なぜか白人)ユダヤの祖先は同じだから日本は白人(偽)ユダヤ〔=単なる白人キリスト教徒〕の領土だ! 
この「ユダヤ」は職業名という方が正確で要は単なる白人クリスチャンの銀行家=金の支配者。
紐付き陰謀論者の役割の一つが、白人キリスト教徒という言葉をユダヤで覆い隠すことです。
教会を無視した陰謀論は単なるカルト思想ですので注意。

インド・ヨーロッパ語族→インドと欧州の言葉の祖先は同じ→インドは英国の領土だ!



・荘園はふつう荘や保と言われる。しかし周防だけは「令」という単位が見られる。「令」という用語は朝鮮半島にもあり、「守令」という地方官がいる。朝鮮半島は対馬だけでなく、周防とも関係が深い。周防(山口県)の有力な領主だった、大内氏は、朝鮮の(百済の)王子が祖先だと系図を作っている。十五世紀から十六世紀にかけて朝鮮に祖先の土地を貰いたいと正式に申し入れ、朝鮮国王に断られたりするほどに朝鮮重視。長門と周防の守護大名の大内氏により、今の山口県にあたる所は小京都と言われるほどに栄えた

(大内氏は百済が祖先だとしただけでなく、百済の聖明王(仏教を公式に伝えたとされる)の子孫と称し、聖徳太子から多々良の姓を与えられたらしい(実在していない疑惑のある聖徳太子の仏教の先生は高句麗出身なのに)。大内義弘は南北朝合一に協力。貿易で儲けまくるが、応永の乱で足利幕府に負ける(ここでも北朝=足利が仇となっている)。
百済(仏教面で強調)・周防・長門・山口県・田布施(そして南朝)みんな繋がって今の支配体制に至る。
ちなみに、鹿児島・薩摩版の田布施は加治屋町。
加治屋のほうが本体のような気がします。あまり注目されてないから
ね)


・百姓(ひゃくせい・ひゃくしょう)=一般人、many people。支配層ではない。
百姓は身分の名前であり職業名ではない。だから百姓の中に農人や商人などが含まれている。

無高の百姓=水呑
=亡土(もうと。間人。間男)
=頭振(あたまふり)
=間脇(まわき)
=雑家(ぞうけ)
=無田(むでん)。

間や脇は中世から出てくる言葉でマイナス評価。いかに土地重視の支配体制だったかが分かる。土地基準じゃないと戸籍が作り難いからね


先進的、後進的、上層、下層、進歩的、退歩的などの言葉には気をつけないといけない。
遍歴や漂泊民と迫害を結びつけてはならない。
土地重視の中央の制度が土地がある=安定、土地がない=貧乏、という偏見を生んだ。
農業以外を副業とみなすのも間違い。農村、工村、漁村などなど。百姓をするは農業をするではない


・明治五年から造られた壬申戸籍では、士農工商基準えたひにんで分類したので、百姓=農とされた。農業をしていないところも農とされた。だから実地調査しないと誤解してしまう。
塩・鉄・林業などもみんな農家とされてしまう

百姓はいろいろなことをする職業なのだ。廻船、炭焼き、鉱山掘り、金融、石垣作り、綿打ち、大工などもしたりしたのが百姓だ。家づくりには大工を呼ばずに自力で作ったりしている。
そもそも壬申戸籍にある農業人口八割では急速な工業化はできなかったはず。いろいろ出来た百姓が多くいたならうなずける

男は農業、女は養蚕。しかし農家はあるが養蚕家という用語はない。果樹栽培家という用語がなくみな農家にされている。

用語すらありません。肩こりは日本だけらしい。言語が与える影響は凄い。
夏目漱石による造語であるという説があるのが肩こり。
病名を発明して広めるだけで患者がなぜか誕生するのと同じ。
肩こりの原因が肩とは限らないので注意


ゲームマングッチ ‏@ktz2s5ph
「肩が凝る」という言葉は、夏目漱石による造語である。
それ以前はいわゆる肩こりの症状を特に指す用語はなかった。肩こりという言葉が生まれたことで、多くの日本人が肩の筋肉が固くなる症状について自覚するようになったと言われる。

ふぁぼ豆知識レーダー ‏@favo_mame_radar 2014年5月8日
何らかの疾患を負っている場合を除いて

「外国人は肩こりにならない。」

そもそも「肩が凝る」状態がどういったものか分からない。

肩が凝るという言葉を世に広めたのは夏目漱石だと言われているが、
肩こりに苦しむ日本人が増え始めた時期は、漱石の書が流行し始めた時期とほぼ同期である。)




『もののけ姫』の元ネタの一つ。網野善彦『日本の歴史をよみなおす (全)』 (ちくま学芸文庫)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-91.html


『忘れられた日本人』(未來社、1960年/岩波文庫、1984年)
・山などは迷い易いから歌をうたって周りに自分の存在を知らせたりしていた。民謡は娯楽だけでなく安全確保の手段でもあった。

・五寸釘を何十本というほど打ち込んだ木。その釘は人形に打たれているから藁人形に打ちつけたものに違いなく、その木は森の中の神殿の背後にあったという。この釘は木の肌から五寸ばかり入ったところに釘が刺さっていた。木に打ち込んだ釘がやがて幹の中に巻き込まれていって、木の皮から五寸も中に巻き込まれるには百年を超える年数がたっていることであろう。

・「世話焼きばっば」
村の中の何もかもを実によく知っていて、絶えず村の中の不幸なものに手を差し伸べているのであり、それも決して人の気付かれぬところでそれをやっている。このような世話役は、人の行為を単に善悪でみるのではなく、人間性の上に立ち、人間と人間との関係を大切に見ていく者でなければならない。そういう役割は、家督を子どもに譲って第一線から退き、隠居の身になって世間的な責任を負われることの無くなった老人にして初めて可能なことであった。村の中で解決がつかないときには村の外へ出してやることが一番いい解決法であった


(ポール ‏@paulnakahara 2012年7月2日
例えば「世話焼きばっば」。ばっばは婆さんの意味か。少し引用しよう。「他人の非をあばくことは容易だが、あばいた後、村の中の人間関係は非を持つ人が悔悟するだけでは解決しきれない問題が含まれている」。そこで村の女たちは世話焼きばっばを頼るわけだが、この一節だけでも既に痺れるわけです。

世話焼きばっばの「年とった物わかりのいい女の考え方や見方が、若い女たちの生きる指標になり支えになった」。そして、「何かも知りぬいていて何にも知らぬ顔をしていることが、村の中にあるもろもろのひずみをため直すのに重要な意味を持っていた」。これです、知っているのに知らぬ顔。)

・観音様というあだ名の女性がいた。
(観音様とは男性器が出入りしたり赤ちゃんが出たりするもののこと)
当時の女性は大抵はパンツをはいていないので、女性がうずくまると観音様を見ようと思えば丸見えで、ある日若い男がチラチラと観音様の観音様を見ている。
「あんたどこを見ちょるんの」
と観音様がどなりつけたら
「観音様が開帳しているで、拝ましてもろうちょるのよ」と言ったげな。
そしたら「観音様がそがいに拝みたいなら、サァ拝みんされ」
って前をまくって男の鼻さきへつきつけたげな。男にとっては何ぼええもんでも鼻の先へつきつけられたら弱ってのう、とんでにげたんといの。それからあんた、観音様って言うようになったんといの。それからあんた、若い者でも遊びにでも行こうものなら
「あんた観音様が拝みたいか」
って追いかえしたげな。隠すから恥ずかしいげな!

女たちのこうしたエロ話は田植えのときに特に多い。田植歌の中にも性行為をうたったものが多い。作物の生産と人間の生殖の連想や、休憩と娯楽としてのセックスも影響していたのだろう。正月の初田植の行事に性的な仕草を伴うものが極めて多いが(姫始めですか)、田植のときのエロ話はそうした行事の残存とも見られる。早乙女(田植えする女性)というが若い女だけではない。若くなくても若くてもエロ話をする。
無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。エロ話の上手な女の多くが愛妻家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである


(彼女らは幸福です。でも、性が今よりゆるやかだった時代でも勿論、性的虐待などはあります。負の側面は常に存在します。強姦が発生しやすい場所や手口とかを学校できちんと教えるべき。あと男にも強姦罪を適用せよ。性器・舌・体毛などがつくアナトミカル・ドールの使用を浸透させ、言葉を発して無理矢理証言させるのを止めさせよ。
レイプの男性被害http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-date-20130728.html)

聖徳太子の御廟で「(太子の)一夜ぼぼ」する話が出てくる。男女でまぐわう集まりである。「出せ出せや酒を、酒を出さねばヨーホーホーイ」というような音頭のぞめきの中で男は女の肩へ手をかける。女は男の手をにぎる。相手がふりはなさなかったら約束は出来たことになる
(性におおらかな頃だからこそ、拒否されたら苦痛は大きいだろうな)。

よい子だねをもらうためにくる女もいる
(古文で寺社で歌を上手く歌ったら子どもを授かったという話があるが、歌で性交渉の交渉をしたりしていたのだろうね。上手い歌には功徳ありっていうのは性の相手が見つかり易いという意味もあるのだろう


・世間師(2)  字が読めないことでどれだけ損したことか。地租改正で米で納める年貢が銭になるときいていたが、その時、野山が官有林になったことを知った者は一人も村にいなかった。下戻運動(さげもどしうんどう)をおこしたのはずっと後になってからである。文字は帳面がなかったので手や土塀などに書いて覚えた。弁護士はそのころ三百代言といった。法律をたてにとってウソばかり言ってみんなからお金を巻き上げた。文字の読み書きと法律を学ぶことが一番大事なのだ。字を知らぬ人間は騙され易かった

(読み書きそろばんということばは正しい。日本のホームレスは字が読める。驚くべきことだ。

コバヤシタツヤ ‏@tentosen 7月27日
宮本常一の『忘れられた日本人』にもあったかつての村にあった全員一致するまで続く話し合い。昨夜郡山石莚で聞いた話もまさにそれだった。決まらないときは「風くっちょけ」といって一旦違う話にする。村の理論。コモンズ。

しい ‏@sseyou4040 6月16日
以前、せどりを専門にしている人の本を読んだが、その中で、『忘れられた日本人』は、いまでも売れ続けているロングセラーで、値段が下がりにくい、せどりの定番商品だとあった。未来社版の初版は1960年刊行なので、55年も前の本なのに。

ビフィダス3日目東D24a ‏@nnrmsys 6月9日
タイムラインの皆様に、とびきりすけべな本をお教えしましょう。
宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫
田舎の少年が年上の女の子たちと山川で遊んでるうちに遊び半分で性交し始めるエピソードがあります

Sakamoto ‏@Sak_am_oto 2011年10月30日
宮本常一の『忘れられた日本人』読んでると、凄いな…平民は性交しまくりだ。所謂フリーセックスではないか。

Sakamoto ‏@Sak_am_oto 2011年10月31日
『忘れられた日本人』には初潮前の少女と少年の性交場面が記録されているが、やはり青少年保護されてしまうのだろうか?

『忘れられた日本人』松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0239.html)



長い記事をお読み下さりありがとうございました。
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