読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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クリスマスプレゼント兼お年玉♡ 『確認方法の無い情報をばら蒔いてる関係者』対応マニュアル(追撃Ⅳ)。キリスト教の中核にユダヤ教が不要である衝撃! 反ユダヤ主義ヘーゲルの弁証法の元ネタがキリスト教の三位一体論だと全訳者が明言!『ヘーゲルの精神現象学』『精神現象学』 

反ユダヤ主義ヘーゲルの弁証法の元ネタがキリスト教の三位一体論だと全訳者が明言!

ヘーゲルの『精神現象学』を全訳した金子はヘーゲルの弁証法はキリスト教の三位一体が元ネタだと明言し、
同じく全訳した長谷川はヘーゲルは三位一体に熾烈な関心があると断言。
弁証法思想のヘーゲリアンはキリスト教の三位一体の影響下。
bo軍の「ユダヤ思想=ユダヤ思想ではなくキリスト教系思想」の法則。
本当にユダヤ思想であるタルムードを叩くときは中身を捏造。
ユダヤ思想である旧約は叩かない。

どうみてもクリスチャン!


クリスマスプレゼントとお年玉♡
日付間違っているって?
耶蘇暦なんて守らねーよ!

更新報告(そのうち移動)
長らく工事中だったカント記事が完成

ストア派理性主義キリスト教のカント哲学
「ワンワールドが理想だが現実的には連合が良い」
 「この世には一つの宗教しかなく表現方法が異なるだけ(万教帰一)」
『視霊者の夢』 『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』
『純粋理性批判』『実践理性批判』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-157.html





カントの記事、本当に構成がひどいな。
かなり前に書いた記事の執筆意図が思い出せない
+
加筆個所
+
なおすの面倒すぎる
(なおすとなるとあと半年ぐらいかかりそう)
+この記事だけでカントの中核はわかる
+ほかのブログにはない視点と内容←とりあえずこれがあれば読む価値あると判断されやすい

よってもうそのまま。
ツイートたくさん並べたものだと思っておくれ。




良い記事とは
需要があるのに供給が少ない内容がある記事
陰謀追及している人で英語情報読んでいる人って少ないよね
だいたい英語情報読んでいる人の情報は価値が高いが棒とか黒ずとかいうとんでもないゴミがいるからなあ



初手良ツイート+コメント



https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/933763157356552192





https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/945722017336123392

フセインがメイソン含むシオニスト=プロテスタントへの弾圧を強化するとメーソンWASP製アメリカに殺された。
シオニスト援助者ロックフェラーはバプテスト=非ユダヤ。
宗教=生活のイスラームは世俗化しないので
世俗主義ヤソ系コスモポリタンの工作が成功せず兵器で直接殺害https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/945722017336123392








https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/945753769823764480
(イルミナティ陰謀論も創ったのがイエズス会士だから官製陰謀論。
イエズス会批判対策でもある。
イエズス会陰謀論はプロテスタントと啓蒙主義者が発明。
陰謀論はキリスト教の宗派争い。
∴共倒れ対策に中身はヤソなのにユダヤ・悪魔・イルミナティ・メーソン等ラベルを磔る♰
https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/945753769823764480



https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/728175248290381825

ユダヤ陰謀論もヤソ官製陰謀論。新約=反ユダヤ本が最大の根拠。
日本に来る陰謀論は欧米のお古。
英語版ウィキを訳すだけで独創的になるほど低レベル。研究ではなくコピペ布教だから当然。
イスラームがメイソン(反カトリック系ヤソ)禁止って情報は日本語では流れんわな。
https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/945754447610748934)



https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/945754447610748934








https://twitter.com/usagi_mochi22/status/508108637072400384



(この本、画像が多いし、薄いし、内容濃いし、分野が幅広いし、かなり稀有な良書。
この「~の本」シリーズは良書が多い。
「禅の本」は本ブログから買ってくれる人が多い。禅はスピの言う天使のお告げとかは妄想であり否定すべきであり悪であり悟りではないと書いてあるまともな禅の本。
禅についてはニューエイジ絡んでない本を読むこと。
一番いいのはニューエイジ登場前の古典を、仏教徒の専門家の解説つきなのがいい。)


一神教に世俗主義はありえないのに平気で破るヤソ教。
ライシテという世俗主義カルトがイスラームを迫害。
生活=宗教のイスラームに世俗化、政教分離せよとは棄教(大罪)せよと同義。
信教の自由を強調するくせにイスラームは迫害する矛盾。
政教分離、世俗主義という思想自体がキリスト教由来で、
昔からムスリムは人ではないとみなしているから権利はないというのが本音。
世俗主義は宗教要素をもちこませないためではなく、
宗教だと自覚させずに宗教で洗脳するための戦略。


シーア派の神学生流のユダヤ陰謀論者への対応マニュアル↓
https://twitter.com/asai_hukai/status/946350956458868741






※ため込んだメモ放出。
同じ内容が何度も登場しても気にしないでくれ!


キリスト教の中核(神の属性、儀式、目的など)の元ネタ

ペルシャのゾロアスター教(以下ゾ)と
ローマのミトラス教(ミトラ、ミスラはインド・イラン由来)が多い。

ミトラス教は教義の口外禁止なので元信者が制作に関与。


契約の神←ミトラの意味は契約

αにしてω←ゾのアフラ・マヅダは始めにして終わりの最高善神


神の属性が太陽と光←ミトラとアフラ・マズダ
※ヤハウェは嵐と雷属性。
グノーシスがヤハウェと新約の神は別だと主張する理由の一つ。
同じだという設定が正統派で、ローマのユダヤ教対策で生まれたと思われる。

審判と善き羊飼い←ゾのミスラは司法と牧畜の神でもある

※牧畜の善なる神=善き羊飼い


一神教←エジプトのアトン教
(アトン一神教→ユダヤ教→キリスト教ではなく
ユダヤ教←アトン一神教→キリスト教)

処女懐胎、終末論、善悪二元論、超越的救世主←ゾ


※ユダヤ教は現世利益でメシアは政治的指導者であり、
来世に期待する思想ではない。
部族社会を否定するキリスト教はユダヤ教的ではない。
ユダヤ教の部族社会なら処女から生まれたイエスは姦通で生まれたとみなされる


黙示録の龍←ゾの邪竜アジ・ダハーカ(三口三頭六眼)
※キングギドラとサザンドラの元ネタ?

猫と竜と蛇は悪←ゾ

パンとワインの聖餐←ミトラ

天使←バラモン教の火の神アンギラスと、ゾのアムシャ・スプンタ。
インドの火の神アンギラスがギリシア語のアンゲロスで天使となった。
イスラームのジンは火から作られた。

原罪←トラキアのオルフェウス教

※オルフェウス教はバラモン教から強い影響を受けているので
原罪はカルマ論が元ネタ。
耶蘇はオルフェウス教の原罪を凶悪化
=自分で解除不可能にしたため、
解除方法が人間側にないのが最悪。
原罪もヤソのオリジナルではない。
耶蘇のオリジナルな点は凶悪化と異常な選民思想にある。
「ユダヤ教よりキリスト教の方が選民思想が酷いですよね?」と反ユダヤ主義者に言うと発狂してた気が。

バラモン教が大好きな癖に
「我執と恨みをなくすために禁欲し修行し解脱せよ=バラモン教の目標」
は意地でも奴らは取り入れないのでバラモン教徒ではないな。

仲間を兄弟と呼ぶ←ミトラス教

古代ギリシア語の聖典←ミトラス教の用語と位階名が古代ギリシア語
※古代ヘブライ語ではないことに注意
ミトラス教の位階名にペルシャ人や父がある。


キリスト教共同体(コルプス・クリスティアヌム)の国家を越えた人類愛←ストア派の世界市民主義

※キリスト教共同体の構成三要素
①キリスト教
②ギリシャ古典哲学
③ローマ法

ローマはユダヤ教勢力と戦争していたことに注意

ストア派のコスモポリタニズムを設計図に、
キリスト教共同体(コルプス・クリスティアヌム)
EU、
八紘一宇=四字熟語版ワンワールド。
世界連邦
の思想が作られていると見抜いた人
=共通の設計図を見抜ける人の発表物を優先的に読むべきだが消失。

キリスト教の中核かつユダヤ教由来(旧約に根拠あり)のものが見つからなくて驚愕!



バラモン・ゾロアスター教の影響を受けていない主要宗教は存在しないのでは?
ピタゴラスやプラトンもバラモン教の影響を受けている。
耶蘇異端は輪廻と神との合一(梵我一如)思想。
バラモン教支配システムだと頂点層が欲望を制して押さえて克服したものほど上にのぼり権力を持てる良いシステム
だと思うのだがどのていど実行されていたのだろう。
我欲が強い者が支配者になったらまずいもんな。

キリスト教の神は

ユダヤ教と同じ(パウロ派=カトリック)
vs
ヤハウェは悪だから違う(グノーシス派)

ユダヤ教勢力と戦争していたローマ帝国は
ユダヤ教勢力を取り込める前者を採用。


奴らの本体Xの思想とシステムの構成要素の一つがローマ帝国システムなので
ストア派流ワンワールド思想と、
その変形のキリスト教のコルプス・クリスティアヌム(キリスト教共同体)思想
はX側。

キリスト教共同体の三要素が

①ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統
②ギリシャ古典哲学
③ローマ法


②と③が一神教の明確な否定なので
ヤソ教神学が矛盾だらけになった悲劇。

※Xにバラモン教とストア派哲学が含まれるだろうが
正確にはバラモン・ストア風カルト。
なぜなら欲望を抑えず恨みのままに機能しているからだ。
禁欲しないストア派、
道徳律を守らないカント哲学(新耶蘇ストア派)なんて
諫言と道徳(=天の理法)がない儒教、
戒律を守らない仏教やバラモン教と同じで単なるカルトだ。


私はヤソ教とキリスト教を区別するが必ずしも厳密に用語を使い分けてはいないが
使い分けることがある。

キリスト教
=コンスタンティノープル教会などを筆頭にする正教、
グノーシス主義。

ヤソ教
=一神教とほざくが聖典より人間が書いた同人本(多神教寄り)の方が権威が上という
意味不明な一神教的多神教。


御用学派がストア派のローマ帝国。
キリスト教を国教にして侵略していったローマ帝国。
ローマ帝国に反抗したのがユダヤ教徒。
ローマ帝国が国教にしたキリスト教は聖典に旧約聖書(敵対するユダヤ教の聖典)をなぜ含めているのか?
新約聖書はユダヤ教を叩いている。


キリスト教の中核にユダヤ教は必要ない。
ユダヤ教はしょせんは旧約とつながりがあると見せかけるため。

ユダヤ教からの派生ではなくアーリア宗教派生って最大級のヤソのタブーだろ。
正確には、ユダヤ教破壊のためにユダヤ教から生まれたふりをしたのが耶蘇というのがタブー。
聖典ではつながりがあるじゃんって?
その聖典を選んだのはどの宗派ですか?
グノーシスではそもそも聖典じゃないよね。


キリスト教正統派最大の嘘が
「ユダヤ教の神とキリスト教の神は同じ神」
正統派側のローマ帝国はユダヤ教制力に手を焼いていたから旧約と合体させたんでしょう。
イエスの設定(処女から生まれた)や発言が部族社会完全否定などイエスがユダヤ教共同体出身なら出てこない発想。
部族社会と無縁なローマの貴族なら発想してもおかしくないなー。
ローマの貴族ってギリシア語もできるんだよね、新約ってギリシア語だよね。
キリスト教の中核(儀式と目的)はゾロアスター・ミトラス教由来であり旧約無しで成立することをグノーシスは知っていた。


キリスト教の中核が旧約聖書無しで成立するのは、
グノーシス派が旧約を否定し新約のみ採用していることから明白。


ユダヤ教勢力を潰すには、「より優れたユダヤ教」という設定が都合がよかったので旧約も聖典に入れたのがローマのカトリック。
ローマ帝国vsユダヤ教徒のユダヤ戦争は1世紀後半から2世紀で
ちょうどキリスト教の黎明期だ。
新約が古代ギリシア語なのは、古代ギリシア語が母国語のユダヤ教徒もとりこめるからだろう。
ヘブライ語が読めないギリシア語圏のユダヤ教徒用の七十人訳聖書読者層が対象だと思われる。

本当にユダヤ教の後継者なら聖典の言語を変えるのはおかしいって突っ込んだ人はいたのだろうか?
七十人訳聖書にはひどい誤訳がある。


聖典に旧約があるくせに旧約の食事既定守らないのがクリスチャンだが、
これは旧約を聖典に入れてもクリスチャンの生活に大きな影響を与えないように教義を設定したとも考えられる。
ユダヤ教の影響力を削ぎたいのだから生活関連での影響は避けたい。
安息日の曜日もユダヤ教と違う。

旧約(雷神)と新約(太陽神)は別の神だと主張する、つまり
キリスト教はユダヤ教派生ではないと主張するグノーシスは正しいから叩かれた。
グノーシスはストア派と対立するのも叩かれた理由だろう。
グノーシスでは物質=悪であり調和しない。
ストア派は善悪調和。
新キリスト教のニューエイジは露骨に宇宙論と善悪論がストア派だが、
グノーシス要素もあるので注意。


ストア派の勢力が強いのがローマ帝国。
ストア派とキリスト教のローマ帝国。
ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスはストア派。
ネロの教師セネカもストア派。

全人類をクリスチャンにせよという野望は
ストア派のコスモポリタリズムの変形だろう。
世界宗教登場以前は、宗教は一部族(集団)一宗教であり外部に積極的に布教するものではなかった。
大抵の宗教は特定の民族の神話とほとんど同義。
ユダヤ教も部族宗教なので世界中をユダヤ教思想で染め上げる思想はない。

あらゆる民族で共通のものを強調し、世界中を一つの宗教で染め上げようと積極的に布教する世界宗教は昔は革命的だった。
キリスト教の布教に積極的な姿勢は、ストア派のコスモポリタリズムを凶暴化させたものだ。


ストア派がキリスト教神学者に影響しているのはギリシア・ローマ哲学が基礎教養だから。
そういえば、カルヴァンの最初の著作がストア派のセネカの注釈。
カルヴァン派の神を企業(法神)におきかえて安息日=休日と自殺禁止を抜くと日本の国教である労働教になる。
勤勉に労働=神への奉仕
勤勉に労働=企業への奉仕
貯蓄好きもカルヴァン派まんま。
原罪は自己責任と本人の選択に置き換え。
要は本人が悪い。

原罪の悪質なところは自分で解除する手段がないところ。
元ネタのオルフェウス教とバラモン教のカルマ論は自力で解除可能であり、解除が目的。





『確認方法の無い情報をばら蒔いてる関係者』対応マニュアル
追撃Ⅳ




ツイートもした。

グループの場合、正体がばれにくいように、主張全体を分担してしゃべることがあるので一人一人だけ見ていても目的が見えないことがある。
boグループって英語読める癖に
タルムードの英訳(原文が読める人の翻訳)を引用して批判ってやらんよな。

アラブ諸国における反ユダヤ主義は英語Antisemitism=反セム主義はセム系なのでユダヤとイスラム差別であり、
ユダヤ限定ではない。
つまり、欧米から輸入された反ユダヤ主義はイスラムも叩く思想でもある。
キリスト教思想のAnti-Semitismはイスラム嫌悪(Islamophobia)でもある。
boは英語圏出身だろうがイスラムは叩かない。


ルターのまねをしたナチス。
ルターの本を焼け運動は起きない。

ヘレニズム・ユダヤはヘブライ語で聖書が読めないユダヤ教徒。
私はユダヤをユダヤ教徒以外の意味で使う者を警戒している。
ユダヤって言われている人の経歴調べたらユダヤ教徒か怪しい人ばかりでクリスチャン寄りばかり。
異端寄りの人は本当に色々混ざりすぎだ。


私は下っ端でも手先で実行者だから叩くけど。
その手先が先祖代々だったりするよね。つまり貧困で仕方なくじゃないから叩くよ。
在日で実行者層って代々やっているしやっぱり特権階級だよな。
一般のユダヤ教徒や在日の人からも平気で搾取したりするからな。
名誉キリシタン白人とでも名乗ればいいよ。
物質的な欲が最優先なら操りやすいと言うかユダヤと言う人たちって単に形而上の思想の崇高さとかがわからないのだろう。
物理ですべて満足ならそれはそれで幸せかもね。

イエス・キリスト高須の役割がメイソンのフォードとかぶる。
そのうちユダヤ陰謀論本を出版しそう。

「ユダヤ=悪」論者にユダヤに金融特権を許可したのはキリスト教だと言うと発狂して失言してくれるよ!
カトリックがユダヤに金融特権を許可。
十字軍とテンプル騎士団が銀行制度の基盤を形成。
プロテスタントが資本主義を発展させた。
選帝侯(キリスト教)がユダヤの銀行家を支配。


私のブログコメントではユダヤ陰謀論は正しい!って言ってくるコメントはない。
しかしキリスト教思想とシステム神学が黒幕だ陰謀論は間違いだって言ってくるのは来る。
しかも提示してくる証拠が完全に本人の主観と感想で共有できないので他人と共有できる物証出してくれとしか言えない。
なお私のブログコメントはたまに記事に反映する。
ユダヤとキリストの地位の差がわかるな。


聖書アラビア起源説を町の猫が取り上げているのが気になる。




『確認方法の無い情報をばら蒔いてる関係者』対応マニュアル

「ユダヤは悪」
↑ユダヤというのは具体的にどういう派閥ですか?
隠れユダヤの定義を教えてください
本当にユダヤ教徒ですか?

「タルムードは悪魔の本」
↑どの記述か具体的に引用してください

(引用へ)
↑捏造だと反論されていますが?

「タルムードを捏造する者たち」
モーリス・コミンスキー[魔女の鎚 第二撃]
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/161.html
に捏造への反論があります

『仮面を剥がされたタルムード』が出典ですか?
著者のプラナイティスはタルムードを原語で読めず、 基礎知識すらないと裁判でばれたのはご存知?
プラナイティスのタルムードの引用は孫引きでタルムード原本は持っていなかったことはご存知?
https://twitter.com/pteras14/status/770215710689669120



旧約(タナハ)に反する内容がなぜタルムードに書けるの?
一神教では聖典に反する人間の解釈はすべて無効
一神教の大原則すらご存じない?

日本語訳し出版した三好迪は84歳没ですが?

ゴイ、ゴイムは神がユダヤ教徒をゴイと肯定的に言う使用例が二回はあるので侮蔑語としてタルムードで使えませんよ。

ヤハウェ
「おまえ(アブラム)を”大いなる国民”(goy gadol)にしよう。あなたは祝福の基となるだろう」
創世記12:2

「モーセよ、イスラエルの人々が聖なる民(goy kadosh)となるであろうと言え」
出エジプト19:6


https://twitter.com/pteras14/status/770213956048687104

イエスを批判する個所があるからタルムードが焼かれた事件

に言及しないのはあなたがクリスチャンだとバレるからですか?

ユダヤ教ではイエスが預言者であることを否定し、姦通によって生まれた子と考えることが気に食わないのですか?
処女で生まれるのはありえないから、姦通で生まれたが隠しているとみなすユダヤ教の方がまともでは?

https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/943497658626293761





https://twitter.com/kikuchi_8/status/946409673791496192


タルムードの中身は捏造するが
ユダヤ教の聖典の中身を捏造して叩けないのは、 キリスト教の聖典に旧約が含まれているからですか?

タルムードが翻訳禁止だとか訳したら殺されるのもデマ。
タルムードを9冊は日本語訳し出版した三好迪は84歳没。

英語ではゴイ、ゴイムは侮蔑語の意味もあり避ける人もいますが、民族や非ユダヤ人を意味する一般語です。
反ユダヤ主義者の捏造のせいで差別語だーってデマが広まったのでは?

タルムードの記述は聖典に基づくので、聖典に悪魔崇拝要素があることになりませんか?
それなら旧約を引用して批判すればすむ
のになぜやらないのですか?
あなたがクリ以下略
旧約なら日本語訳全文がネットで公開されていますよ
日本語で引用できないならタルムードの英訳がネットで公開されているので問題個所をこちら↓から引用してくれませんか?
Talmud and English translation Steinsaltz edition
https://www.sefaria.org/texts/Talmud


(物証を出さず、心の問題にしたり人格攻撃してきたら)
↑ 捏造だの、捏造の捏造だの不毛なので
「一神教では聖典に反することは無効」という論理で検証したのですが伝わりませんか?
~の詭弁を使ったあなたは「私は嘘つき」と認めたことになりませんか?
証拠があるなら詭弁を使う必要ありませんよね?

捏造と詭弁を弄するのは
①読んでいない、読めない
②読んだが叩ける個所がない
からですか?

(旧約を批判したら)

なぜ最初から旧約を否定しないのですか?
旧約を完全否定するあなたはキリスト教の異端派ですか?
グノーシスでは旧約と新約の神は別だと考え、旧約は聖典ではないから叩けますよね?

新約も悪魔崇拝では?
あなたの宗派以外の宗教はすべてユダヤ悪魔崇拝ですか?
なぜあなたの思考フレームがキリスト教なのですか?
ナチス礼賛なのはナチがキリスト教神秘主義や異端が大好きでありあなたと同じ思想だからですか?

高須メイソンも731部隊を否定しておりboらと同じ思想なのですが仲間ですか?

メイソンでも悪魔でもなくユダヤのみを叩くのはメイソンへも配慮しているからですか?

カトリック正統派はメーソン入会禁止なのであなたは異端寄りのカトリック(もろにイエズス会)ですか?
ナチ親衛隊の別名は黒いイエズス会
https://twitter.com/wolvesknow/status/799872817768468480
こういう路線で行くから私に絡むなら覚悟してね!







ヘーゲル

カントもヘーゲルも反ユダヤ主義者なのに
ヘーゲル思想のどこがユダヤ?
万教帰一思想のカントのワンワールド思想の元ネタはストア派由来のキリスト教共同体思想。
カントもヘーゲルも反ユダヤ主義。
近代西洋思想家は啓蒙主義者ですらだいたい反ユダヤ主義。






反ユダヤ主義ヘーゲルの弁証法の元ネタがキリスト教の三位一体論だと全訳者が明言!


『ヘーゲルの精神現象学』は
ヘーゲルの『精神現象学』を全訳した金子武蔵(かねこたけぞう、1905-1987年)の解説書。

※相即(そうそく)
仏語。互いに自在に助け融け合い密接に関わり合っている。


・自己意識とは普通には対象意識と相即したもののように考えられているが、
ヘーゲルではそうではなくて、むしろ自己意識は他の自己意識と相即しているものと考えられている。
その意味で
「精神というものは我なる我々、我々なる我である」ということがいわれている。
『精神現象学』上151ページ(新182ページ)
をみますと、
「--これによって『我々』に対してはすでに【精神】Geistの概念が現存している、
今後意識が認めるにいたるところのものは、
精神がなんであるかについての経験にほかならない。
即ち相対立する両項の、
各自別々に存在し相異なる自己意識の全き自由と自立とを具えた両項の統一であるところの
精神というこの絶対的実体が、換言すれば【我々】なる【我】であり【我】なる【我々】であるところの精神が
なんであるかについての経験なのである。
意識は精神の概念としての自己意識において初めてその転回点を見いだし、
感覚的此岸の色さまざまの仮象と超感覚的此岸のうつろな夜陰とを去って、
現在の精神的なる真昼のうちに踏み入るのである。」

すなわち精神というものは
我なる我々、我々なる我だが、この思想から次のことが出てくる。
精神の概念のうちには、各自絶対的なる独立性と自由をそなえる二つの自己意識がある。
しかし二つの自己意識はそれぞれ別々に自由をそなえながらも、
まったく一つの統一を形づくりつつそれぞれがまた独立的。
そういうところに精神という概念が成立するわけです。
ヘーゲルの精神なるものは社会的なものであり人倫的なものであるということができる。
このような自己意識の段階を媒介として理性が登場する。
この理性はカントの理性を積極的に生かしたものだが、
ヘーゲルでは理性は根本的には社会的人倫的なもの。


(【】は傍点の代用。

精神=絶対的実体=我なる我々=我々なる我。
”各自別々に存在し相異なる自己意識の全き自由と自立とを具えた両項の統一”
とあるが他の影響を受けない絶対的存在なのだろうか?
それならありえないが。
”絶対的なる独立性と自由をそなえる”自我って可能なのか?
相互作用はOK?
絶対精神ってゴッドの言い換えでは?
西洋哲学は
ゴッド(絶対的実体)をどう言い換えているか。
ゴッドと(絶対的実体)と人間の関係と地位
がわかれば理解が楽。
ヘーゲルの文章もカントに劣らず悪文だな。
ヘーゲル哲学はカント批判と解釈でもあるが悪文まで影響受けないでほしい)

・1788-90年
チュービンゲン大学哲学科在学
(哲学科というのは今日でいえば教養コース、ジュニアーコース)

1790-93年
同大学神学科在学。
(神学科は今の日本では哲学科にあたる)

1793-96年
スイスのベルン国の貴族シュタイガー家に家庭教師をつとめた。
(シュタイガー家はスイスの名門で20世紀なっても大臣になった人が出ている。
このころは他に就職口もないので哲学を勉強した人は、家庭教師になるのが普通。
カント、フィヒテ、ヘルダーリンみな然り。
『イエス伝』は新約聖書にカント哲学をもちこんで自分の理想像としてイエスを描いたもの。
『クリスト教のポジティヴィテート』はカントの影響のもとに理性で宗教を律しようとしたもの。
『カル新書』はカルという人がかいた書簡体の書で、
スイスの南のヴァート地方の政治にからんだ扇動的なパンフレットであるが、
フランス革命を喜び迎えたヘーゲルはこれにいたく感激して翻訳した。


(ヘーゲルは『イエス伝』を書くほどのクリスチャン。
フランス革命支持。
スイスの名門で家庭教師)

著者はキリスト教をクリスト教と書いているがメモ作成者はキリスト教と記述することにする)

絶対者は主体である。
絶対知はヘーゲルの場合、絶対宗教と深い関係があり、
キリスト教がそういうものと解釈されているが、
この絶対宗教についてはイエナ時代の遺稿において、
「絶対宗教とは神が自己確信的精神の深底であるという知である」といわれている。
つまり我々は自己自身を確信する精神をもっているが、
そういう精神の一番深い底にあるものが神にほかならないというわけです。
絶対宗教とは神が自己確信的精神の深底であるという知だが、
これによって神はあらゆる人間の自己であることになる。
神は実在である純粋思惟であるがこの抽象性を外化するときは、つまり抽象性を捨てるときは
現実の自己でもある。
裏からいえば、現実の自己が神なんだということになる。
神が普通の空間的・時間的定住をもっている人間だということは、
裏をからいえば、普通の空間的・時間的定住をもっている人間が同時に神だということ。
しかも神とされるところの個別者はすべての個別者。
だから神性・神の性質は人性・人間の性質と異なったものではない、
というようなことものべられることになるが、
これは主体性および自己性を極端にまでもっていこうとしたものだということをよく現している。
『精神現象学』はこのような意味で近代精神を決定化したものであるということができる。

近代科学、近代技術は人間が世界全体を現実に自由にし
世界全体を人間の支配の下に置こうとしたものだが、
ヘーゲル哲学は精神的に世界を支配しようとしたものだといえる。

(人間の地位が神に匹敵するものになったのが近代精神=ヘーゲル思想。
これ実質多神教では?
人の精神の底には神の一部があるってストアorグノーシスの影響を受けているじゃねーか!
ストア派から新ヤソ哲学を作ったカントを批判的に継承したのがヘーゲルだから影響があって当然か。

ヘーゲル哲学は精神的に世界を支配しようとしたものだから支配層がヘーゲリアンという情報が出てくる。
ヘーゲル哲学の基盤はキリスト教だとヘーゲル『精神現象学』を完訳した金子がはっきりと書いている。
どこがユダヤ?
ヘーゲルもヘーゲルが影響を受けたカントも反ユダヤ主義)


・ヘーゲルの精神とはカントでいえば理性にあたり、
その理性はまた理念Ideeあるいは無制約者を認識するもの。
つまり理性は絶対者を認識するもの。
そして絶対者を認識するものが絶対知。
この絶対知は絶対の他在における自己認識。
「絶対の他在のうちに『純粋』に自己を認識すること」が絶対知の規定。
あの有名なカントの二律背反論を積極的に生かして、
互いに対立しているものを綜合するヘーゲルの哲学的認識がこの絶対知。
主体があり、この主体に対して全く異なった客体があるとき、
その主体と客体を統合するつまり絶対の他在のうちに自己を見てゆくのが絶対知の絶対知たるゆえん。

普通の認識では対象を認識することは他者を認識することで自分自身を認識することではない。
対象は自己とちがったものと考える。
それに対し、
絶対の他在のうちに自分自身を認識することが哲学的認識の特徴。

普通の認識とは真の意味の精神ではなく精神の現象たるにすぎない。

対象意識と自己意識が一つになるのが理性の段階で、
この場合の理性とは絶対知(絶対の他在のうちに純粋に自己を認識)。

・定立、一つの思惟規定に対して、
反定立、反対の思惟規定が立てられ、
これらが互いに他に転換することで統一づけられる。
この統一づけには二つあるとヘーゲルは考える。
区別したうえで統一づけるのが本当の意味の思弁的理性の立場であり
区別をぜんぜんなくしてしまうのが神秘主義の立場、直接知の立場。
正と反を統合するがどこまでも悟性的な区別を認めたうえでの統一が必要。
真の理性は悟性的理性。
最初に直観され表象される具体的な全体があり、
これが悟性によって分割され、その分割を通じて統一が再び恢復され、
その恢復された統一において初めて真の真理が実現される。

ヘーゲルにとって最重要な宗教はいうまでもなくキリスト教。

ヘーゲル哲学では宗教は構想力の産物であり表象の産物とされる。
キリスト教には三位一体の教義がある。
個別者が個別者であると同時に絶対者としての権威をもつ。
神の子であると同時に人の子。
肉、罪、十字架を負うたもの。
人は肉に死なねばならず肉に死することで精神として霊としてよみがえる。
それによって父なる神のもとに帰る。
人の子は聖霊として復活昇天して神のかたわらに座をしめる。
超越的な神が実在性と現実性をもつためには神自身が肉に宿り、
賤しい大工の子として生まれねばならない。
この三位一体はヘーゲルの弁証法を実体的にあるいは表象的に示したもの。


(テーゼ+アンチテーゼ=ジンテーゼは三位一体が元ネタ!
弁証法的支配術はヤソの支配術でありローマ帝国流支配術の一つ。
どこがユダヤ?
ユダヤ教ではイエスは姦通で生まれた人扱い。
イエスのモデルってマリアとローマの貴族の子供では?
三位一体の元ネタってインドの三神一体の創造維持破壊サイクルでは?
それに過去現在未来の三つの視点と輪廻の表現では?
矛盾だらけの三位一体はヤソ以前の古代宗教の三位一体、特に三相女神を破壊したいからでは?
イエスが肉体ある存在だとみなすのは正統派。
異端では肉体なんてない=磔で死ぬなんてありえない=生贄思想の否定
という解釈)


・ヘーゲルには観念論があるがその観念論はキリスト教からきたというほかない。


・ストア派はアパテイア(非情)を強調する。
情欲的なものにとらわれず思慮をもって行動し理性をもってことに当たるべし。
(またストア派解説。
理性をもって行動せよってまんまカント)

・ヘーゲル哲学は徹底したヒューマニズムであり神を人間の位置にまでひきずりおろし、
人間を神の地位にまで高めたもの。

・光としての宗教、とはヘーゲルはこれをペルシャの宗教としている。
ペルシャではアフラ・マヅダは光であると同時に帝であり玉座につき、
それに侍る七つの光霊は星であると同時に七人の大臣でもある。

(キリスト教が7好きなのは拝火教由来?
創世記以外の元ネタ。
ユダヤ教の伝統的シンボルのメノラーが七枝なのは七つのアムシャ・スプンタ?
ダビデの星をユダヤのマークにしたのはイエズス会だから伝統的なユダヤ教徒は使わない)


・キリスト教の根本は受肉でありここに絶対実在の自己にほかならぬことが啓示せられているとヘーゲルはみている

・だれでも人間には神的意義が宿る。

聖餐式でわかちあたえられたパンと葡萄酒がキリストの肉と血である。
(人肉食の儀式が元ネタだろう)

・フォイエルバッハは、ヘーゲル哲学が神学の束縛をまぬがれぬものだと難じ、
神が己の姿をかたどったのではなく、
人間が己の姿になぞらえて、己のかくありたいという理想像として神を創造したという立場から
哲学を人間学に解消しようとした。

・ニーチェはショーペンハウアーから多大の感化をこうむった。
ショーペンハウアーは広い意味ではドイツ観念論だが
ヘーゲルとは鋭く対立。
意思を持って実在とし、生きる意志から人生を見ようとした。
ヘーゲルでは精神だが、彼は意志。

(ヘーゲル哲学の善用はもぐらさんが教えてくれる。哲学は実用技術
https://twitter.com/mkmogura/status/257849102870642688)

長谷川宏訳『精神現象学』

・翻訳者の解説

原文は難文、悪文、拙文、不文、その他、なんとでも悪口をいいたくなるような代物。

"Substanz"を一貫して「実体」と訳していては、
文が日本語として体をなさないので、文意に応じて、
「実体、本体、神、共同体、
秩序、時代精神、本領、土台、
地球、自然」など、多種多様な訳語を当てた。
(ヘーゲルは以上を実体とみなしていることがわかる)

Bewusstseinは意識、
Willeは意志とし同一の訳語で通した。

『精神現象学』の公刊が1807年、ヘーゲル37歳。

ヘーゲルの教養と知識と思想的関心のありようを順不同に摘記してみると

1 古代ギリシャの政治、宗教、神話、芸術、思想、哲学に関する知識と感心。

2 キリスト教の歴史と教義にかんする知識。
 とくに、原罪と三位一体の論理をめぐる熾烈な思想的関心。

3 隣国フランスの社会と歴史にかんする知識。
 とくに、啓蒙思想とフランス革命についての熾烈な思想的関心
 
4 ドイツ観念論にかんする知識と教養。
 とくに、カントとフィヒテとシェリングについての深い理解と鋭い批判。

5 自然科学についての一通りの知識と教養。
 とくに、物理法則、有機体論、人相学、頭蓋論などへの関心とその限界の認識。
 
6 自国ドイツの文学にかんする知識と教養。
ゲーテとシラーにたいする深い関心と愛着、
その一方で、ロマン主義文学、
ロマン主義への強い反発
(ストア派ヤソ神学のカントと、三位一体の影響が強いのは二人の訳者のお墨付き)


・ここから『精神現象学』本文翻訳

まえがき
p.12あたりから
(他の記事もそうだが、基本的に本文の写し。
しかし””で囲っていないので誤字脱字の見直し回数は少ない)

本質にとっては、形が本質そのものと同様に本質的なのだから、
本質は、たんなる本質として--直接の実体、ないし、神の純粋な自己直観として--
とらえられ、表現されるだけでなく、形としても
--ゆたかさをいっぱいにもつ形の発展としても--
とらえられ、表現されねばならない。
そおときはじめて本質は現実的なものとしてとらえられ、表現されるのである。

真理とは全体のことだ。
が、全体とは、本質が発展して完成したもの以外にはない。
絶対的なものについて、それはその本質からして結果として出てくるものであり、
最後に至ってはじめて本来のすがたをあらわす、といわねばならないが、
まさにこのいいかたのうちに、絶対的なるものがみずから生成していく現実的な主体であることが示されている。

理性とは真理を結果としてうみだすものだが、
同時に、結果とその生成との対立を破棄するものでもあって、
というのも、ここにいう生成は単純な生成であって、
結果において単純な形で示される真理と別のものではないからである。
その意味で、生成とは単純なものへと還っていくことなのだ。

理性とは目的にかなう行為である、といいあらわすことができる。
自然と思考をともども誤解した上で、
思考よりも自然がすぐれていると考え、
手はじめに、自然の外なる目的を追放しようという、そういうものの見かたゆえに、
目的という形式がまったく信用の置けないものとなってしまった。
が、自然を目的にかなう行為と定義するアリストテレスの例にも見られるように、
目的とは直接目の前にあってじっとしていながら、
しかもみずから動いているもの、
--つまり、主体なのだ。
その動く力は、抽象的にとらえれば、
自分を自覚するという純粋な否定の力である。

結果がはじまりと同じになるのは、はじまりが目的だからである。

神ということばは、それだけとりだしてみれば、
意味のない音であり、ただの名前であって、
それがなんであるかを言明し、その意味を充実させるのは術語のほうである。
空虚なはじまりが述語のおわりにきてはじめて現実的な知となるのだ。
そのかぎりで、術語にくる
「永遠なるもの」や、「道徳的世界秩序」、
古代でいえば「純粋概念」や「存在」や「一なるもの」といった、
意味にあたるものだけを語ればよく、
意味のない音をわざわざ主語にもってくる必要はないではないか、という疑問が生じてもおかしくはない。
が、主語が置かれることで、ただの存在や本質や一般理念が主題となるのではなく、
自分へと還っていく主体が主題となっていることが示されるのだ。

体系としての真理だけが現実的であること、
あるいは、実態が本質的に主体であること、それをいいあらわすものとして、
絶対者が聖霊(精神)だ、といういいかたがある。
聖霊(精神)こそ、近代および近代の宗教に特有の、もっとも崇高な境地である。
精神的なものだけが現実的なものなのだ。

それは、もとからある本質であり、さまざまな関係をうみだしつつおのれの位置をはっきりさせるような、
自他にむきあう存在であり、自分の外に出て自分をはっきりさせながら、
自分を失うことのない存在
--完全無欠の存在--である。

(ヘーゲルの「精神」には「聖霊」の意味も含まれることに注目。
三位一体より絶対精神=聖霊=ゴッド=イエス)



・525ページから終わりまで

神の存在と他なるものとの和解、とりわけ、
他なるものの思考--悪--との和解も、
イメージとして表現される。
和解の概念の表現として、もともと善と悪は同じものであり、
神の存在と自然の総体とは同じものであって、
神の存在から切り離された自然は無にすぎない、
だから和解もなりたつのだ、というものいいがなされるが、
それは、誤解を引きおこさずには済まぬ、非精神的な表現だと知らねばならない。
もし悪が善と同じものならば、悪は悪ではなく、善は善ではないことになる。
が、悪と善はやがて克服される過渡的存在であって、
悪とは内向する自立存在であり、
善とは自己を欠いた単一の存在である。
善と悪の概念がそう表現されるとすれば、
両者の統一のさまもそこにはっきりと見てとれる。
内向する自立存在とは単一な知のことであり、
自己を欠いた単一の存在とは自足した純粋な自立存在のことなのだから。

どちらか一方に真理があるのではなく、
単一の同一体が抽象的なもので、
したがって絶対の区別が生じ、この区別がしかし潜在的な区別としてみずからを区別し、
ふたたび自己同一体となる、といった運動こそが真理なのだ。
神の存在と自然とが、とりわけ人間の肉体とが、同一だ、というのは、
まさに運動としていえることで、神は神ではないかぎりで自然であり、
自然は神の被造物として神聖であって、
精神のうちにあっては、二つの抽象的な存在が、
抽象性を克服して本当のすがたをあらわすのである。
その運動をあらわすには、通例の判断と、そこでの精神を欠いたつなぎのことば--
「……である」--
をもってしては不可能なのではあるが。
神の外に出た自然は無である、といういいかたもある。
が、この無は、あるものでもある。
無とは絶対の抽象であり、純粋な思考ないし内在であって、精神的な統一と対立する要素をもつかぎりで悪である。
この概念をとらえるのがむずかしいのは、
「ある」ということを固定的に考え、思考の要素というものは「ある」とともに「ない」のだということを忘れるからである。
本当にあるものは精神のおこなう運動だけなのだ。


自然が精神のほんとうのすがたをあらわしていないことは、
潜在的に知られていて、自己が自分に還ってこうした普遍的な知を手にする過程は、
精神の自己との和解の過程にほかならない。
この潜在的な知が、概念をもたない自己意識にとっては、
存在やイメージの形をとる。


イエスの死によって共同体の精神化がおこなわれるので、
抽象的で生命なき実体神が死んだのちには、
主体となった神が、教団の成員すべてに共通する、単一の自己意識として現実に存在するのである。。
かくて、聖霊は自分自身を知る精神である。
自分自身を知るということは、自分にとっての対象がそのままあるということであり、
いいかえれば、そのイメージが真の絶対的な内容だということである。
すでに見たように、聖霊の表現するのは精神そのものである。
聖霊は自己意識の内容であり、自己意識にとっての対象であるばかりでなく、
現実に存在する精神でもある。
精神は三つの地平をくぐりぬけてそうなったのであり、
自分をくぐりぬける運動が精神を現実的なものとしている。
精神はみずから運動する運動の主体であって、運動そのものであるとともに、
主体がくぐりぬけていく実体でもある。
わたしたちが宗教の世界に足を踏みいれたとき、聖霊(精神)とはどういうものかが示され、
自分自身を確信する精神が悪をゆるし、
と同時に自分の単一性と頑固な不動性を捨てていく運動、
いいかえれば、絶対に対立するものが実はたがいに同じものだと認識し、
この認識をもって両極をつなぐ絆とする、といった運動こそが精神の本当のすがたであることがあきらかとなり、
絶対神を啓示された宗教意識は、そのすがたを直観し、
自己と直観されたものとの区別を克服していったのだが、
あらためていえば、絶対神とはそうした運動であるゆえに、
また、そうした運動であるかぎりにおいて、主体であるとともに実体であり、
また、聖霊(精神)だともいえるのである。


(”絶対に対立するものが実はたがいに同じものだと認識し、
この認識をもって両極をつなぐ絆とする、といった運動こそが精神の本当のすがた”
精神=聖霊=ゴッドより、

「絶対に対立するものが実はたがいに同じものだと認識し、
この認識をもって両極をつなぐ絆とする、といった運動こそがゴッドの本当のすがた」

ヘーゲル哲学にとっては万教帰一もゴッドの運動なのだろう。
聖霊なのでキリスト教の神であり、ユダヤ教の神ではない。

「絶対に対立するものが実はたがいに同じものだと認識し、
この認識をもって両極をつなぐ絆とする」って万教帰一思想まんま!
ヘーゲルの弁証法の悪用。
正確には、都合が悪い絶対に対立するもの(仏教など)とつなぐふりをして破壊する。
外見上は仏教に見えるようにするが、仏教必須四要素=四法印は消去)


・p.538から
「自己を確信する精神」の形態の一つとして、
自分の概念のうちにとどまる「美しい魂」と名づけられるものがあったが、
そこにはすでに概念がある。
美しき魂は純粋で透明な統一を保ちつつ、おのれを知る知であり、
純粋な内面についての純粋な知を精神だと認識し、
神を直観するだけでなく、神が自分のうちに宿ることを直観する自己意識である。

(神が自分のうちに宿ることを直観ってグノーシスかストアの影響だろう。
異端とされたキリスト教神秘主義の影響もある。
どこまで行っても西洋哲学はキリスト教の範囲内)



時間とは概念が存在のかたちをとったものであり、
概念が空虚な直観として意識に思いうかべられたものである。
だからこそ、精神は時間のうちにあらわれざるえず、
精神がおのれの純粋な概念をとらえ、
時間を除去してしまうまでは、時間のうちにあらわれざるをえない。
時間は外面的な、直観された自己であり、
自己によってとらえられることのない純粋な自己であり、
直観されるしかない概念である。
概念が自分をとらえたときには、時間の形式は破棄され、
直観が概念化されて概念は概念的な直観になる。
要するに、時間は完成の途上にある精神の必然的な運命としてあらわれる。
それは自己意識と意識とのかかわりをゆたかにし、
神が意識される形式たる潜在的なイメージを、動きのあるものとし、
逆に、内面にあるとされる潜在的なものを実現し、顕在化し、自己確信へと導く必然的運命である。


精神がそれ自体で、つまり、世界精神として、完成されないかぎり、
自己意識をもつ人間精神が完成されることはありえない。


現実界に形成される精神の王国は、
一つの精神がもう一つの精神に引きつがれ、
後からくる精神が以前の精神世界を引きうけるという形で続いていく。
その目標は精神の深さの啓示にあって、
それを啓示するのが絶対概念である。
この啓示は精神の深さをおもてに出し、
空間的な広がりとして--内向する自我を否定し、その本体を外化するものとして--啓示する。
とともに、時間としても啓示するのであって、時間のもとで外化がさらに外化することによって、
精神は、広がりと深さとを備えたものとして自己の前に立ちあらわれる。
目標となる絶対知ないし精神の自己知は、
さまざまな精神がどのようなすがたをとり、どのようにその王国を構築したのか、
という事柄にかんする記憶を道案内人とする。
その記憶を保存しているものとしては、
偶然の形式をとってあらわれる自由な精神の歴史と、
それを概念的な体系の形で示す「現象する知の学問」とがある。
二つを一つにしたところの、概念化された歴史こそ、
絶対精神の記録の刻まれたゴルゴタの丘であり、
生命なき孤独をかこちかねぬ精神を、
絶対精神として玉座に戴く現実であり、
真理であり、確信である。シラーの詩「友情」の一説にあるごとく。

この精神の王国の酒杯(さかづき)から
精神の無限の力が沸き立つのだ。


(感想。
もっとも短く分かりやすい表現で書けないの?
長い文章は切って短くせよとは大学で習わなかったの?
冒頭に要約を箇条書きで書いてくれ。
カントは純粋理性批判の要約本を書いたけど要約
=簡略化して本当に伝えたいことだけ残した短文の連続
になってないぞ)



参考資料

ヘーゲル『精神現象学』(その1)
https://ittokutomano.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html
”本書をよく読めば分かるように、実は「絶対知」は、そのような全知全能の知を意味していない。

 それはむしろ、絶対に正しいことがあるのではなく、わたしにとって「よい」「正しい」「ほんとう」のことは、他者からもまたそのように承認されてはじめて「よい」「正しい」「ほんとう」といいうる、ということを、徹底的に自覚的に知っている精神の境位のことなのだ。

ちなみに、上に貼り付けたのは長谷川宏訳の『精神現象学』だが、以下引用は金子武蔵訳から行う。

 長谷川訳は、この超難解な本をできるだけ砕いて訳したすばらしい偉業だ。しかし長谷川氏自身書いているように、この新訳には意訳の部分も多いので、直訳気味で、そのためさらに難解さが増してはいるが、今なお世界的にすぐれた翻訳といっていい、金子訳で読み解いていくことにしたいと思う。


0.序文

 まず、本書執筆におけるヘーゲルの構えを確認しておこう。ヘーゲルはいう。

「私の見解はただ体系そのものの叙述によってのみ正当化せられざるをえないものであるが、この見解によると、一切を左右する要点は真なるものをただ単に実体として把握し且つ表現するだけではなく、全く同様に主体としても把握し表現するということである。」

 「真なるもの」とは、実体でありまた主体である。

 これはつまり、先述したように、「真なるもの」は「絶対精神」(神)だが、実は人間もこれをまた分有しているのだということだ。絶対精神という「実体」は、わたしたち自身(主体)でもある、というくらいに考えておけばいい。

 そしてこの「わたしたち自身」の精神が、どのように「絶対精神」の本性を歴史を通して(個体発生的/系統発生的に)実現していくか、そのプロセスを描き出すのが本書『精神現象学』というわけだ。ヘーゲルはいう。

「真なるものは全体である。しかし全体とは、ただ自己展開を通じて己れを完成する実在のことにほかならない。」

 このプロセスを克明に描き出すことこそが、「学」的な知だ。ヘーゲルはそう主張する。

「学一般の或は知のこのような生成こそは、この精神の現象学が叙述するところのものである。」

 つまり、個人からすれば、自分の精神のあり方(成長)を自覚的に知ること、他方精神(絶対精神)からすれば、自分がどのように人間において展開しているかを描き出すこと。これが『精神現象学』の課題だというわけだ。

 ではそれはどうすれば可能か。

 さしあたっては、人間の精神(意識)がどのように成長するかを克明に描き出すことによって、である。

 そのプロセスは弁証法的である。つまり、最初は素朴な精神(意識)が、さまざまな問題に行き当たり、自分自身を否定し乗り越えて成長していく、そのようなプロセスなのである。

 ヘーゲルらしい文章を引用しておこう。

「この運動こそ命題自身の弁証法的運動であり、ひとりこの弁証法的運動のみが現実に思弁的なものであり、そうしてただこの運動を言いあらわすことのみが思弁的な叙述である。」

 ヘーゲル哲学が超難解なのは、この、「絶対精神」の自己展開という側面があるからだ。純粋に人間の意識がどう成長するかを書いてくれれば分かりやすいのに、ヘーゲルは必ず、それが「絶対精神」にとってはどういう意味を持っているかということを書く。それが、「即自」「対自」「即且つ対自」、「概念」、「普遍性―特殊性―個別性」とかいった、実に独特に使われる用語を生み出すことにもなっている。

「「我々」の見るところでは、無限性によって法則がそれ自身において完成して必然性(内的必然性)となり、また現象のあらゆる契機が内なるもののうちに受け容れられた。」
「この無限性は己れ自身と同じである。」

 ちなみにここでいわれる「我々」という言葉は、本書でひんぱんに登場するもので、「意識の成長のプロセスを全部知った後の我々」を意味している。しかし素朴な意識は、まだこの「我々」の境地には達していない。だからそれが「我々」の境地に達するまでのプロセスを見ていこうというわけだ。

 こうして「意識」は、世界は実は「自分にとって」存在しているのだということに気づくようになる。”

”重要になるのが、ヘーゲル哲学の最重要キーワードである「相互承認」だ。

 自己意識は、互いが互いにこのような「自分は自分だ!」という意識を持った存在同士であることを、何らかの形で相互に承認しあう必要にせまられることになる。

 しかしそれは最初はきわめて素朴な相互承認だ。『精神現象学』は、この「相互承認」が、どんどんと深化・発展していくプロセスを描き出したものだといっていい。


「自分が相手に向って為すことを相手側が相手側自身としても為してくれないと、自分だけではなにごとをも為すことはできないのである。だから、運動は端的に両方の自己意識の二重のものである。おのおのは自分が為すのと同じことを他方も為すのを見、おのおのは自分が他方に向って要求することを自分でも為すのであるから、おのおのがその為すところをなすのは、ただ他方が同じことを為してくれるかぎりにおいてのことでしかない。」

「両極は互に承認しあっているものであることを互に承認しあっている。」



(1)主と奴

 最初に現れる「自己意識」の類型は、「主と奴」である。

 「自分は自分だ!」と主張し合うそれぞれの自己意識は、「承認のための生死を賭する戦い」を繰り広げ、その結果、主人と奴隷とに分かれることになる。

「自己意識は最初には単純に自分だけでの存在であって、あらゆる他者を自分から排除することによって自己自同的である。」

「そこで両方の自己意識の関係は、両者が生死を賭する戦いによって自分自身の、またお互の証を立てることであると規定せられるわけである。」

 主人はひたすら自由を「享受」できる存在だ。対して奴隷は、主人に対して「畏怖と奉仕」が義務づけられる。

 ところが、「自己意識」が次の段階へと展開する契機(きっかけ)は、実は「奴隷」の方にあるのだとヘーゲルはいう。

 労働を通して、自己意識は自分の欲望を抑えることを覚え、また対象世界を自分の思いのままに「形成」することができることに気がつくからだ。

 つまり、奴隷は労働を通して、自分は主体的に「自由」な存在なのだ気づくことができるのだ。

「労働を媒介とすることによって意識は己れ自身に至るのである。〔中略〕しかるに主の欲望は対象の純粋な否定を自分のために取っておき、これを独り占めにし、またそうすることによってまじりけのない自己感情をうることをも独り占めにしたが、だからこそ、この満足はそれ自身ただの消失であるにすぎない。なぜなら、この満足には対象的な側面或は存立が欠けているからである。これに対して労働は欲望の抑圧であり消失の延期である、言いかえると、労働は形成するのである。」


(2)自己意識の自由

 こうして、「自己意識」は自分の「自由」を知ることになる。

 しかしそれは、実はまだまだ素朴な段階だ。

 本書はこのあたりから断然面白さを増していく。

 自分が「自由」であることを知った「自己意識」は、しかしその自由を、ただ自分の中だけで守り満足しようと努める。


①ストア主義

 その最初の類型が、「ストア主義」だ。

 これは簡単にいうと、「俺は誰がなんといおうと俺なんだ!」と強弁する意識のことだ。

 しかしこれは、実はただ自分の内に閉じこもっているだけで、何ら現実的でない。

「この自由は思想のうちにおける自由であるわけであるが、かかる自由はただ純粋思想だけをもって真理とし、そうしてこの真理は生活のうえでの中身を欠いているから、「自由」と言っても、ただ自由の概念であるにすぎないのであって、生き生きとした自由自身ではない。」


②スケプシス主義

 そこで「スケプシス主義」が登場する。

 これもまた簡単にいうと、他人を否定することで自分の優位を保とうとする意識のことだ。

「こういう自覚的な否定によって自己意識は自分の自由の確信を自分で自覚的につくり出し、この確信の経験を生み出し、そうすることによってこの確信を〔客観的〕真理にまで高めるのである。」

 しかし「スケプシス主義」は、実は大きな矛盾を抱えている。人を否定する自分自身が、結局はその否定の論理のうちに搦めとられてしまうからだ。

「この意識の言行はいつも矛盾しており、またこの意識は自分でも不変性及び自己同一の意識であると共に全くの偶然性及び自己との全くの不問の意識でもあるという矛盾した二重の意識をもっている。」”
ヘーゲル『精神現象学』(その2) https://ittokutomano.blogspot.jp/2013/11/blog-post_8420.html

ヘーゲル『精神現象学』(その3)
https://ittokutomano.blogspot.jp/2013/11/blog-post_3342.html
”(6)道徳性

 こうして「破壊の狂暴」を経験した精神は、ついに自らの「道徳性」に目覚めることになる。

 自らの考えは、ほんとうに他者にとっても普遍的といえるだろうか。「道徳性」の精神は、そのように内省するようになる。

 が、それも最初はきわめて素朴な内省にすぎない。

 というのも、「正しいことをしよう」と願っても、そこには2つの問題があるからだ。

 1つは、「正しいこと」をしても幸せになれるとは限らないという問題。

 もう1つは、「正しいこと」を、わたしの「欲望」や「衝動」のせいで行えないという問題だ。

 そこで「道徳性」の精神はこれをある仕方で克服しようとする。

 「神の要請」がそれだ。

 「正しいこと」と「幸福」とが一致するように、またそれが「欲望」や「衝動」とも一致するように、「神の存在が要請される」のだ。

「そこで今やこの〔他の〕意識が「世界の主人」として、また「世界の支配者」として道徳性と幸福との調和を創り出すと同時に、もろもろの義務を数多なるがままに聖なりとし是認するということになる。」

 ここには浅ましい「ずらかし」があるとヘーゲルはいう。自分の意志で「正しいこと」をしようと主張していた精神が、実は結局「幸福」にこだわっていたり、「欲望」「衝動」の前にくずおれたりと、実は真剣でなかったという「ごまかし」があるのだ。

 ヘーゲルによるカントの道徳哲学批判として有名な箇所だ。(カント『実践理性批判』のページ参照)


(7)良心(「行動する良心」と「批評する良心」)

 こうして精神は、ついに「良心」(Gewissen)の境地に到達することになる(金子訳では「全的に知ること」)。

 これは、具体的な行動を通して「事そのもの」をめがける精神の境位のことだ。

「なぜなら、「事そのもの」であるのは、「純粋義務」が純粋な思考することという空なる抽象において成立するものであること、純粋義務がその実在性と内容とをただひとつの限定せられた現実においてのみもっていること、しかも「ひとつの現実」というのが意識自身の現実であり、且つ「意識」というのが「思想の上での物」としてのものではなく、或る個別者としてのものであるということだからである。」

 道徳性は、他者の承認という契機を欠いていた。それは、ただ自らが「正しいことをしよう」と決意するにとどまっていた。

 しかし「良心」は、「正しさ」「よさ」「ほんとう」は、他者からの承認を得てはじめて「正しさ」「よさ」「ほんとう」といえることを、徹底的に自覚している精神である。

「全的に知ること(=良心〔引用者〕)は事そのものをその充実した内容において獲得しており、しかもこの充実した内容は全的に知ることが事そのものに自分自身によって与えるものである。」

 そして最後に、「行動する良心」と「批評する良心」が登場する。

 「行動する良心」は、「事そのもの」をめがけて実際に行動する良心だ。

 ところがここに、「批評する良心」が冷水を浴びせることになる。

 お前のその行動は、単に名誉欲や名声欲があってのことだろう、といった具合に。つまり「行動する良心」の、その奥底にある「欺瞞的」「偽善的」な部分をつこうとネチネチいうわけだ。

 ところが「批評する良心」も、やがて気づくことになる。

 自分がそうやって批判しているそのこと自体が、実は自分にとってのほんとうの「事そのもの」をめがけての行為であるのだと。だから、「行動する良心」を批判してばかりいる自分は、単にさもしい奴であるだけなのだと。

 こうしてこの「頑なの心胸」(批評する良心)は、自らで自らを赦し、砕け散ることになる。

「「赦し」というのは、普遍的な意識が自分のことに対して、即ち自分の非現実的な本質のことに対して行なう棄権のことである。」

「〔然りという〕和らぎの語〔中略〕は相互に承認しあうことであり、そうしてこの承認が絶対的な精神である。」

 「良心」、これが精神の最高境位なのだ。それは「事そのもの」を自覚した精神のことである。そしてヘーゲルは、この境位を「絶対知」と呼ぶ。


2.絶対知

 「精神」章と「絶対知」章の間には、「宗教」の章がある。しかしここでは割愛したい。前にいったように、この章はそもそも「付け足し」の感を免れないし、より詳細な記述はヘーゲルの『宗教哲学講義』にあるからだ。(ヘーゲル『宗教哲学講義』のページ参照)

 そこで、以下最終章「絶対知」に進むことにしよう。

 といっても、この章も、最後のまとめといった程度で、ヘーゲルが自分の「学の体系」を論じた箇所を除いてあまり新しい点はない。

 そこで、ここでは割愛した「宗教」の章との関連から、ヘーゲルが「絶対知」をどのようなものとして描き出しているかを最後に見ておくことにしよう。

「宗教においては内容であったもの、言いかえると、或る他者を表象することという形式をとっていたものと同じものが此処の全的に知ることにおいて自己にとって自分自身の為すことである。このさい内容が〔同時に〕自己にとって自分自身の為すことでもあるというように、内容と為すこととの両者を結合するものこそは概念である。

 宗教は、ヘーゲルによれば「精神」の本質を理解した境位(つまりこれまで論じてきたプロセスを知っている境位)である。

 しかしそれは、この「本質」を「神」という表象で表現する。

 他方、これを「概念的に把握」するに至ったのが、「絶対知」である。

「この絶対的な知ることとは自分を精神の形態において知るところの精神であり、言いかえると、概念的に把握するところの知ることである。」

 これまで論じてきた、「意識→自己意識→理性」の進み行きを、「概念」として、つまり徹底的に理性的に理解しつくした精神、それが「絶対知」なのだ。

 それはつまり、繰り返しいってきたように、「よい」「正しい」「ほんとう」は、他者に承認されてはじめて「よい」「正しい」「ほんとう」であるということを、徹頭徹尾自覚した精神のことだ。

 「事そのもの」を自覚し、「良心」に達した精神。それこそが「絶対知」にほかならない。”

カント
”反ユダヤ主義

カントはヴォルテールなどと同様に反ユダヤ主義の思想を持っていたことでも知られている[37][38]。カントは『たんなる理性の限界内の宗教について』において、「ユダヤ教は全人類をその共同体から締め出し、自分たちだけがイェホヴァ−に選ばれた民だとして、他のすべての民を敵視したし、その見返りに他のいかなる民からも敵視されたのである」と、ユダヤ教の選民思想について批判している[39]。

また晩年の「実用的見地における人間学」においては、ユダヤ人は「追放以来身につけた高利貸し精神のせいで、彼らのほとんど大部分がそうなのだが、欺瞞的だという、根拠がなくもない世評を被ってきた」として、ユダヤ人は保護を受けている国に対してその国の国民を欺いたり、また自分たち同士をさえ欺いて利益を得ていると非難している[40][41]。

またカントは『諸学部の争い』で、ユダヤ人がキリスト教を公に受け入れれば、ユダヤ教とキリスト教の区別を消滅させることができて、ユダヤ教は安楽死できると述べている[37][42]。

カントはメンデルスゾーンなどユダヤ人哲学者と交流していたが、このようにユダヤ教とユダヤ人を否定的に理解していた。オットー・ヴァイニンガーはカントの『人間学』の一節を「世界文学のなかでもっとも反ユダヤ的なテクスト」であると批判している[37]。レオン・ポリアコフはカントは人種差別主義的というより、キリスト教的な反ユダヤ主義であったと論じている[37]。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88#%E5%8F%8D%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%B8%BB%E7%BE%A9

反ユダヤ主義
”啓蒙思想と反ユダヤ主義
啓蒙思想家ヴォルテールは反ユダヤ主義者でもあった[191][192]

ヴォルテール、カント、フィヒテなど啓蒙思想家のなかでも反ユダヤ主義は多くみられた[191]。また、それはドイツの啓蒙思想、ドイツ観念論でも同様であった。
フランス啓蒙思想

1762年、ジャン=ジャック・ルソーは『エミール』で、ユダヤ人を「もっとも卑屈な民」と称し、ユダヤの神は怒り、嫉妬、復讐、不公平、憎悪、戦争、闘争、破壊、威嚇の神であり、「はじめにただ一つの国民だけを選んで、そのほかの人類を追放するような神は、人間共通の父ではない」とした[193]。

同じ1762年、ヴォルテールはユダヤ人のイザーク・ピントへの批判に対して「シボレットを発音できなかったからといって4万2千人の人間を殺したり、ミディアン人の女と寝たからといって2万4千人の人間を殺したり、といったことだけはなさらないでください」と「キリスト者ヴォルテール」と署名して答えた[194][* 20]。1764年の『哲学辞典』ではヴォルテールは、ユダヤ人は「地上で最も憎むべき民」「もっとも忌まわしい迷信にもっとも悪辣な吝嗇を混ぜ合せた民」等と非難した[196]。しかし、ヴォルテールは啓蒙主義の進展に寄与したため、当時のユダヤ人側から厳しい評価が寄せられなかった[197]。

モンテスキューはオランダ人の一部の人以上にユダヤ的なユダヤ人はいないと旅行記で述べた[198]。
ドイツ啓蒙思想、ユダヤ人解放論、ユダヤ啓蒙

1768年 - ポーランド支配下のウクライナでハイダマク(ハイダマキ運動)によるポグロムが発生した[167]。

1776年、自由主義神学者のヨーハン・ゼムラーは「無能にして不信心なユダヤ人」は「誠実なるギリシア人やローマ人とは比較の対象にすらならない」として、旧約聖書、とりわけエズラ書とネヘミヤ書にはキリスト教的精神が欠如しており、聖書として永遠に必要不可欠なものであるのかと問いかけた[199][200]。

1779年、フランソワ・エルがアルザスのユダヤ人を「国家内国家」として非難した[201]。「国家内国家」という表現はユグノーに対して使われたもので、1685年にはナントの勅令が廃止された[201]。
サンスーシ宮殿(1747年)。サンスーシはフランス語で「憂いのない」を意味する。
「フリードリヒ2世 プロイセン王」アントン・グラフ(Anton Graff)1781年画。アドルフ・ヒトラーは強力な軍事力でプロイセンの領土を拡大させていったフリードリヒ2世を理想の人物と仰ぎ、官邸に大王の肖像画を掛けていた[202]。

一方、フランス・ロココ様式のサンスーシ宮殿を築き、ヴォルテールを招くなど啓蒙思想を庇護したプロシアのフリードリヒ2世は、1780年に『ドイツ文学について。非難されるべき欠点、その原因と改善策』 をフランス語で著述した[203][204]。フリードリヒ2世は、ドイツ文学で評価できるはゲラートの寓話[205]、エヴァルト・クリスティアン・フォン・クライスト [206]、ザロモン・ゲスナーの『牧歌』[207]、アイレンホフの『郵便馬車』[208]ぐらいで、他はシェークスピアやゲーテの『ゲッツ』のように芸術の規則を無視したものばかりであるとする[204]。フリードリヒ2世は、そのようなドイツ文学の惨状の原因は、戦争、そしてドイツが政治的な統一国家を作れないこと、ドイツ語は多種の異なる方言をもち、未発達な言語であり、統一言語がないことなどにあるとする[204]。ドイツ語は未発達な言語であるため、宮廷ではフランス語が使われた[204]。また、フリードリヒ大王のプロイセンでは、言論の自由が保障されているが、服従が国家の核心にあったとクラインは述べ、またカントは日常の職務では自由を制約されると論じて、ハーマンはこれを批判した[204]。

プロイセン王国枢密顧問官のクリスティアン・コンラート・ヴィルヘルム・ドーム(1751-1820)は、エルのユダヤ人非難文書に刺激されて、ユダヤ系哲学者モーゼス・メンデルスゾーンとともにユダヤ人の解放と信教の自由を訴え、1781年9月に『ユダヤ人の市民的改善について』を発表して、ユダヤ人が特別な許可がなくては結婚もできず、課税は重く、仕事や活動が制限されていることを批判した[209][210][201]。ド−ムの『ユダヤ人の市民的改善について』に対して、ヘブライ語やモーセ律法の研究で高名なゲッティンゲンのルター派神学者ヨハン・ダーフィト・ミヒャエーリス(1717 – 1791)は、悪徳で不誠実な人間であるユダヤ人は背が低く、兵士としても役立たずで、国家公民になる能力を欠いており、さらにその信仰は誤った宗教であるのに、ドームは職業選択の自由だけでなくユダヤ人が固有の掟に従うことまでを許しているとして、ドームを批判して、ユダヤ人解放を拒否した[211][212][213][201]。

1782年、オーストリアの神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世がボヘミアとオーストリアのユダヤ人の市民権を改善する寛容令を公布した[201]。

ユダヤ人の工場経営者で哲学者であったモーゼス・メンデルスゾーンはユダヤ啓蒙運動を展開して、詩篇とモーセ五書をドイツ語に翻訳し、ユダヤ人子弟の教育では従来の律法重視を改めて世俗的な科目や職業訓練を訴えて、ユダヤ人のキリスト教社会への同化を進めた[201]。1770年にはメンデルスゾーンは街路を歩くと罵声を浴びせかけられるのが日常であったため、外出しないようにしていた[214]。1782年、メンデルスゾーンはマナセ・ベン・イスラエルの『イスラエルの希望』(1652年)のドイツ語訳前書きで、国家が宗教への介入をやめるという政教分離原則を主張しながら、ユダヤ人社会の宗教的権威から独自の裁判権を放棄するよう求めた[201]。
フランス革命と革命戦争
フランス革命とユダヤ人問題

フランスのアルザスでは、1784年、地方領主が徴収していたユダヤ人通行税が廃止され、同年7月にはユダヤ人への農地所有が認められた[201]。これは外国人のユダヤ教徒の排除が目的であり、ユダヤ人の当地の人口を抑制するための政策であった[201]。

1787年、メッスの王立学芸協会は「ユダヤ人をフランスでよりいっそう有益かつ幸福にする手段は存在するか」で論文を公募し、アンリ・グレゴワール神父(Henri Grégoire)とザルキント・ウルウィッツのユダヤ人擁護論が表彰された[201][215][216]。グレゴワール神父は1789年ジャコバン派の三部会議員となり、ユダヤ人解放に尽力し、ウルウィッツは著書『ユダヤ人擁護論』を書いて、ミラボーに注目された[201][217]。
フイヤン派のミラボー伯爵オノレ・ガブリエル・ド・リケッティはフランス革命で、ユダヤ人解放を実現した。

1789年、フランス革命が勃発し、人権宣言が出された。ミラボー伯爵はドームとベルリンのサロンで親交して影響を受けて、フランス革命でユダヤ人解放を実現した[210]。1791年1月28日、フランス革命中のフランスでは、イベリアから移住したポルトガル系ユダヤ人と、アヴィニョン教皇領のセファラディームの職業と居住地が保障された[218]。1791年9月27日に反対者によって国民議会は分裂寸前となったが、ユダヤ人解放令は議決し、1791年11月に発効した[210]。しかし、フランス革命の動乱でユダヤ人が解放されることはなく、ユダヤ人の解放政策が進展したのはナポレオン時代以後のことであった[219]。
フランス革命戦争以後のドイツ
エドマンド・バークは『フランス革命の省察』でフランス革命を批判して、ドイツにも影響を与えた。
ヴァレンヌ事件。ヴァレンヌからパリへ連れ戻されるルイ16世国王一家。
1791年のパリ脱出時のルイ16世王妃マリー・アントワネット。王妃は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘で、神聖ローマ皇帝レオポルト2世の妹だった。1793年に斬首された。
詳細は「フランス革命戦争」を参照

フランス革命戦争(1792年-1802年)とそれに続くナポレオン戦争(1803年–1815年)で、オーストリア帝国、プロイセン王国がフランスに敗れ、神聖ローマ帝国が崩壊した。フランスの覇権が拡大するなか、ドイツではドイツ至上主義・ゲルマン主義が台頭すると同時に、反フランス主義と反ユダヤ主義が高まっていった。

ドイツの教養市民はゲーテを例外として、フランス革命を「理性の革命」として熱狂的に歓迎した[220]。しかし、フランス革命の恐怖政治が現出するとやがてドイツの知識人は革命を憎悪するようになり、反革命へと転化した[220]。詩人クロプシュトックはフランス革命を称えた数年後に「愚民の血の支配」「人類の大逆犯」としてフランスを糾弾した[220]。同じく革命発生時には称賛したフリードリヒ・ゲンツは1790年にエドマンド・バークの『フランス革命の省察』をドイツ語に翻訳した[220]。プロイセンではヴェルナー宗教令への反対者は「ジャコバン派(革命派)」として糾弾され、シュレージエンでは革命について語っただけで逮捕され。オーストリアでは外国人の入国が制限された[220]。フランス以外の国が反革命国家となった要因としては、アルトワ伯などのフランスの亡命貴族たちの活躍があった[220]。アルトワ伯はコーブレンツに亡命宮廷をひらき、ラインラントを拠点として反革命運動を策動した[220]。

1791年6月、ルイ16世とマリー・アントワネット国王一家がフランスを逃亡しようとしたが、国境付近で逮捕されたヴァレンヌ事件が起きた。啓蒙君主であった神聖ローマ皇帝レオポルト2世は妹のマリー・アントワネットを危惧し、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と共にピルニッツ宣言を行い、フランスに王権復旧を要求した[220]。神聖ローマ帝国とプロイセンの反革命宣言はフランスへの挑発となって、1792年3月1日、フランスの好戦派はオーストリアに宣戦布告し、プロイセンもオーストリアの同盟国として参加して、革命戦争がはじまった[220]。フランスの革命勢力は、外国の反革命勢力を倒し、また「自由の十字軍」として好戦的であり、ジロンド党のブリソは「戦争は自由をかためるために必要である」と演説した[220][221]。革命側は短期決戦による勝利を期したが、軍の貴族将校の半数が亡命しており、フランス軍は敗退すると、革命派は国王一家がオーストリア・プロイセン軍と内通しているとみなして宮殿を襲撃して国王一家を幽閉する8月10日事件が起こった[221]。また、反革命派1200人が虐殺される九月虐殺が起こった[221][222][223]。9月、フランス国民軍はヴァルミーの戦いで傭兵を中心としたプロイセン軍に勝利して、フランスでナショナリズムが高揚した[221]。ヴァルミーの戦いでのフランスの勝利によって、革命戦争が革命対反革命の戦争から、フランスの大陸制覇戦争へと性格を変えていった[220]。

1793年1月にルイ16世が処刑されると、ドイツ側にイギリス、スペイン、イタリアなどの反革命諸国家が参加し、第一次対仏大同盟が形成された[221]。フランスは1793年8月23日の国家総動員法を発令し、徴兵制度を施行し、史上初の国民総動員体制をもって恐怖政治のもとに戦時下の非常処置がとられた[221]。戦争はフランス軍有利な情勢となり、1794年9月、フランス軍はオランダへ侵攻し、ネーデルラント連邦共和国は崩壊、1795年1月にはフランスの傀儡国(姉妹共和国)としてバタヴィア共和国が宣言された。バタヴィア共和国ではユダヤ人にも公民権を授与した[219]。1795年4月、フランスはプロイセンを破り、またプロイセンはポーランド分割に関心を向け、バーゼルの和約でプロイセンはフランス革命政府によるラインラント併合を承認して、対フランス連合から退いた[220]。1794年から1795年にかけてウィーンでは、「ドイツ・ジャコバン派」が処刑された[220]。ゲオルク・フォルスターたちはマインツ共和国をつくったが、マインツがプロイセンとオーストリアの連合軍に占領され、崩壊した[220]。

プロイセンの対フランス連合脱落によって、オーストリアは単独でフランスと対峙した[220]。1796年以来、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍はオーストリア軍を連破し、1797年10月、カンポ・フォルミオ条約によって、フランスはイオニア諸島とネーデルラント、ライン川左岸地区を保有し、オーストリアはヴェネツィア共和国を領有した[224]。これによって、対仏大同盟は崩れ、各地にフランスの衛星国がつくられた[221]。

カンポ・フォルミオ条約後、ゲットーが解体された。ナポレオンはイタリア、ローマ教皇領のユダヤ人の市民権を認めて解放し、ライン地方のユダヤ人も市民権を授与され解放された[219]。しかし、アムステルダムのセファルディはそれ以前の身分制度に満足していたため、市民権を不必要であるとしてユダヤ共同体も分裂状態となった[219]。こうしてナポレオンとフランスはユダヤ人解放者としての名声を確立した[219]。しかし、そのナポレオンもユダヤ人の非ユダヤ教化を望んでおり、またユダヤ人に対してはイナゴの大群のような臆病で卑屈な民族であるとして、ユダヤ人の「解放」は、これ以上他人に害悪を広めることができない状態に置いてやりたいだけであると述べ、ユダヤ人とフランス人との婚姻を進めれば、ユダヤ人の血も特殊な性質を失うはずだと、ユダヤ人種の抹消を目標としていた[219]。また、ナポレオンのユダヤ政策の作成過程では、「ユダヤ人」は好ましくない偏見があるので、公文書から「ユダヤ人」の名称を一掃することが提案されたこともあった[198]。ドイツ諸邦では行政の場では「モーゼ人(Mosaiste)」が奨励されたが定着しなかった[198]。

1798年、ロシア、トルコが参戦し、オーストリアも戦列に復帰して第二次対仏大同盟が結ばれ、1799年11月、ナポレオンがクーデターによって政権を握った[221]。
ドイツ観念論と反ユダヤ主義
哲学者イマニュエル・カントは、ユダヤ人がキリスト教を公に受け入れれば、ユダヤ教は安楽死できると述べるなど、ユダヤ教を否定した[225]。
ドイツ観念論の哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテはユダヤ人の害から身を守るには、ユダヤ人全員を約束の地に送り込むしかないと論じた[226]。またナポレオン占領下のベルリンで『ドイツ国民に告ぐ』((1807年-1808年)を講演して反響を呼び、ドイツ国民運動の祖となった。
ドイツ観念論の哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは『法の哲学』(1821年)において、自己内へ押し込められ無限の苦痛にあるユダヤ民族に対して、ゲルマン民族は客観的真理と自由を宥和させると論じた[227]。

ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、モーゼス・メンデルスゾーンなどユダヤ人哲学者と交流していたが著作では反ユダヤ主義的な見解を繰り返し述べており、『単なる理性の限界内での宗教』(1793年) で、「ユダヤ教は全人類をその共同体から締め出し、自分たちだけがイェホヴァ−に選ばれた民だとして、他のすべての民を敵視したし、その見返りに他のいかなる民からも敵視されたのである」[228]と述べ、また晩年の『実用的見地における人間学』(1798年)でも、「パレスティナ人(ユダヤ人)は、追放以来身につけた高利貸し精神のせいで、彼らのほとんど大部分がそうなのだが、欺瞞的だという、根拠がなくもない世評を被ってきた」と書き[229]、『諸学部の争い』ではユダヤ人がキリスト教を公に受け入れればユダヤ教とキリスト教の区別が消滅し、ユダヤ教は安楽死できると述べている[225]。カントは、啓蒙思想によるユダヤ人解放を唱えながら、儀礼に拘束されたモーセ教(ユダヤ教)を拒否した[230]。他方のモーゼス・メンデルスゾーンはラファータ−論争でキリスト教への改宗を断じて拒否した[231]

また、カントは、フランス革命を賛美しつつも、教会や圧政などの「外界からの自由」というフランス革命の自由観を批判して、自律的な自己決定という概念によって、外界の影響に左右されない「完全な自由」観を生み出した[232]。 カントは、人間は外なる世界ではなく、自己の内なる世界、自律的な精神の中の道徳律に従うときに自由であると論じたが、このようなカントの哲学が政治に適用されると、自律性と自己決定をもって道徳に従う政治がよい政治とされ、自決権の獲得が政治目標となる[232]。こうしたカントの思想はフィヒテによって継承された。

当初、フランス革命の熱心な支持者であったドイツの哲学者フィヒテは、「フランス革命覚書」(1793年)[233]で革命を理論的に根拠づけるととともに、ユダヤ人がドイツにもたらす害について述べた[226][234]。フィヒテはまた、「ユダヤ人から身を守るには、彼等のために約束の地を手に入れてやり、全員をそこに送り込むしかない」[235]「ユダヤ人がこんなに恐ろしいのは、一つの孤立し固く結束した国家を形作っているからではなくて、この国家が人類全体への憎しみを担って作られているからだ」とし、ユダヤ人に市民権を与えるにしても彼らの頭を切り取り、ユダヤ的観念の入ってない別の頭を付け替えることを唯一絶対の条件とした[226]。フィヒテは、世界は有機的な全体であり、その部分はその他の全ての存在がなければ存在できないとされ、個人の自由は全体の中の部分であり、個人より高いレベルの存在である国家は個人に優先すると論じて、個人は国家と一体になっ たときに初めてその自由を実現すると、主張した[232]。このようなフィヒテの国家観は、シェリング、ミューラー、 シライエルマッハーによって支持された[232]。

フィヒテと同じく当時はまだフランス革命の熱心な支持者であったフリードリヒ・シュレーゲルは「共和主義の概念にかんする試論」(1793年)で民主的な「世界共和国」を論じて、革命的民主主義に疑念を呈したカントの『永遠平和のために』(1795年)を乗り越えようとしたが、シュレーゲルもナポレオン時代にはドイツ国民意識を鼓舞する役割を果たした[234]。

1799年、自由主義神学者のヨーハン・ゼムラーの弟子フリードリヒ・シュライアマハーは宗教論第5講話で、ユダヤ教は聖典が簡潔し、エホバとその民との対話が終わったときに、死んだと述べた[236][237]。

ヘーゲルは『宗教哲学講義』でユダヤ人の奴隷的意識と排他性について論じ[238]、『精神現象学』(1807年)でユダヤ人は「見さげられつくした民族であり、またそういう民族であった」[239]、1821年の『法の哲学』ではイスラエル民族は自己内へ押し込められ無限の苦痛にあるのに対して、ゲルマン民族は客観的真理と自由を宥和させるとした[240][227]。『キリスト教の精神とその運命』ではユダヤ人は「自分の神々によって遂には見捨てられ、自分の信仰において粉々に砕かれなければならなかったのである」、「無限な精神は牢獄に等しいユダヤ人の心の中には住めない」と批判した[241][242]。

哲学者アルトゥル・ショーペンハウアー(1788- 1860)は、インドの仏教に発したキリスト教が、荒削りなユダヤ教の古い幹を覆い、キリスト教によってユダヤ教はまったく別のもの、いきいきとした真実なものに変えられた、とした[243]。みずからの被造物をよしとする造物主という発想をショーペンハウアーは受け入れず、「すべてをたいへん良いと見たユダヤ的楽天観の光は消えて、いまや悪魔そのものがこの世の君と呼ばれる」と書いた[244][243]。ショーペンハウアーにとって、シナゴーグも哲学の講堂も本質的に大差はないが、ユダヤ人はヘーゲル派よりも質が悪いと考えていた[245][243]。ショーペンハウアーは「ユダヤ人は彼らの神の選ばれた民であり、神はその民の神である。そしてそれは、別にほかのだれにも関係のないことである」と述べている[246][243]。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%B8%BB%E7%BE%A9#%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%A8%E5%8F%8D%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%B8%BB%E7%BE%A9




カント哲学(新耶蘇ストア派)もコルプス・クリスティアヌムの影響下。

佐藤優「世界史の極意」ノート(2-2)
http://inmylifeao.exblog.jp/25112963/
"EUの本質をなす概念は、ラテン語の「コルプス・クリスティアヌム」です。コルプス・クリスティアヌムとは、ユダヤキリスト教の一神教の伝統とギリシャ古典哲学とローマ法の3つの要素から構成された「キリスト教共同体」を指します。
では何故EUが生まれたのか?それは、ナショナリズムの抑制です。宗教的価値観を中心とした結びつきには、民族やナショナリズムを越えていくベクトルが確認できます。一方

イスラム国もまた、国家と民族の枠をグローバルなイスラム主義によって克服しようとする運動です。しかしEUと決定的に違うのは、国家と民族の枠を越えて人を殺す思想になってしまっているということです。"


コスモポリタニズム/世界市民主義
http://www.y-history.net/appendix/wh0102-149.html
”ヘレニズム時代に広がった世界観。ギリシアのポリス社会の崩壊に伴い、普遍的な人間の生き方が探求されるようになった。
 ヘレニズム時代のギリシアでポリスの衰退を背景として起こった、ポリスの枠にとらわれずに普遍的な人間存在を意識するようになった新しい思想。ペロポネソス戦争によるポリスの抗争、マケドニアへの服属によってポリス民主政が衰え、アレクサンドロスの大帝国建設によってヘレニズム世界のコスモポリス(世界国家)が形成されたことによって成立した。
 かつてアリストテレスが“人間はポリス的動物である”と言ったように、ポリス全盛期のギリシア思想はポリスに属する人間を考察することが前提であった。しかし、前4世紀以降、ポリスの衰退がはっきりしてくると、ポリスを価値判断の基準にするのではなく、個人がどう考え、どう生きるかを問い、ポリスの枠を越えたより普遍的な生き方、哲学が求められるようになった。そのような風潮をコスモポリタニズムといい、代表的な哲学としてはゼノンのはじめたストア派と、エピクロスのエピクロス派がある。このような普遍性の重視は、キリスト教という合理的な思考を超越した絶対者を受け入れる素地ともなったと考えられる。

Episode 最初の「世界市民」は誰か。
 アリストテレスのいうように人間が“ポリス的動物”であるとすると、その市民としての権利もポリスあってのもの、となり、民主主義であろうが自由であろうが、国家に依存して始めて成り立つ、ということになるだろう。それは個人利益より国家利益を優先させるのが当然だ、という発想となり、国家が国益を懸けて戦う戦争が起こったら、国家に殉じるしかない、ということになる。アテネがペロポネソス戦争に巻き込まれていった時もそうだったに違いない。その結果はポリス社会の崩壊となり、北方のマケドニアの専制国家を台頭させ、アレクサンドロス大王を出現させた。アリストテレスがアレクサンドロスの教師だったことは深刻な歴史的皮肉と言わなければならない。
 ポリス社会崩壊にともなって「世界市民」コスモポリテースという考えが出てきたことは当然だった。それでは、明確にそのことを自覚した最初は誰だっただろうか。ラウェルティウスの『ギリシア哲学者列伝』中巻によると、ソクラテスの孫弟子にあたり、犬儒学派として知られるディオゲネスは、あなたはどこの国の人かと訊ねられると、「世界市民(コスモポリテース)だ」と答えたという。さしずめ、この人が自覚的な世界市民第一号と言って良いのではないだろうか。
 また彼は市民国家(ポリス)が存在するのでなければ文明化しても何の益にもならないし、市民国家が存在するのでなければ法は何の役にも立たない、したがって法は文明化をもたらすとも言っている。さらに「彼は、高貴な生まれとか、名声とか、すべてそのようなものは、悪徳を目立たせる飾りであると言って、冷笑していた。また、唯一の正しい国家は世界的な規模のものであると」言っている。
<ディオゲネス・ラエルティオス/加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』中 岩波文庫 p.162,169-167>
 ディオゲネスは、アレクサンドロス大王が訪ねてきたとき、日影になるからどいてくれ、と言ったことで知られる人物。いつも樽の中でくらし、人間的な欲望や名声を拒否し、自ら犬のような生活を理想としていたので犬儒学派と言われた。そして伝承ではアレクサンドロス大王と同じ前323年に死んだという。彼が理想とした「世界的な規模」の国家はアレクサンドロス大王の帝国だったのか、はたまた、もっと長いスパーンで予見して、現代の主権国家体制の克服を見通していたのか、それは判らない。 ”
復活ねこた ‏@lakudagoya 2017年2月分(2/8から)ツイート保存
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-135.html
”ねこた‏ @lakudagoya 2月28日

@ououdaiei 学校化社会ってのはダメです。でも学校こそ理想になってるのでどうしようもありません。


とまーてさん、皆さんお待たせしました!

イラン版のノアさん事、イマさんの引用の一部が出来上がりましたよ!


エピクロスの園
庭園学園。ここは至福の園
イマさんのジャパリパーク
http://ataraxiaaquaria.seesaa.net/article/447464292.html
イラン版のノアさんであるイマさんは、アフラ・マズダーに呼び出されて以下のものを作るように言われました。

イマよ、この世界に致命的な冬がやってくる。猛烈で破壊的な氷結に襲われる。 物質世界に破滅的な冬がやってくる。雪が降り積もる。最も高い山々にまで。バル(地下室また地下の格納所)を造れ。馬場の四隅の届く長さに。そこに羊や牛、人間、鳥、そして赤く燃える炎の種子を運び込むのだ。

汝はそこで地上で最も優れた男女の種子、地上で最も優れたあらゆる家畜の種子、地上で最も優れたあらゆる樹木の種子、最も香りが甘くて最も実ったあらゆる果実の種子を運び込むのだ。

これらの種子はどれも2つずつ運び込み、人々がバルにいる限り尽きないように保存すること。

身体に障害のある者や腹の飛び出た者、不能なものを正気でない者やハンセン病のものは入れてはならない。


「神々の魔術 上巻 180項より」”

イマさんのジャパリパークその2
http://ataraxiaaquaria.seesaa.net/article/447464856.html
”イマさんが作ったバルというかジャパリパークの詳細

最も大きい場所には9つの通路を作る。 中ほどの場所には6つの通路。最も小さい場所には3つの通路。

最も大きい場所の通路には男女1000人気の種子を運び込む。中程の場所の通路には600人。最も小さい場所の通路には300人の種子を運び込む。

「神々の魔術 上巻 184項より」

ここまではゾロアスター教の文書の引用部分。ここから先は作者の注釈。

これをハイテク種子銀行(絶滅する危険のある種子を保存する場所)の仕様書と考えるのは奇抜すぎるようだ。

だがバルの他の「技術的な」面についてはどう判断したら良いのだろう?

例えば照明装置だ。この場所に扉をこしらえ、それをアフラ・マズダーから与えられた黄金の指輪で封印する。

さらにイマは「自ら輝く窓」も作る。

この「自ら輝く窓」とはいかなるものかとイマが説明を求めたところ、アフラ・マズダーは「考案されてない光と考案された光がある」と謎めいたことを告げた。

前者は星や月や太陽のことで、長い冬の間はバルの中から見ることができない。

後者は「人工の光」で「下から輝く」。

イマは指示されたとおりバルを完成させた。

それ以降バルは「自らの光で輝いた」これを成し遂げたイマは

こられの謎の光源は旧約聖書ではゾーハルと言われてます。あの「光輝の書」のあれです。

ここからゾロアスター教の文書の引用

1.6キロの長さの床に水流を作った。常緑の土手に取り鳥を住み着かせたそこには尽きることのない食料がある。更に居住するための建物を作った。バルコニーと中庭と回廊のある家だ。

「神々の魔術 上巻 185項より」

彼は男女の種子を運び込んだ。あらゆる種類の樹木の種子と、あらゆる種類の果実の種子を運び込んだ。彼が運び込んだあらゆる種子はどれも二つあり、人々がバルにとどまる限り、尽きる事がないように保存された。

「神々の魔術 上巻 185項より」

40年ごとに、どの男女にも二人の子が生まれる。男と女だ。これらすべての家畜でも同じだ。そして、イマが作り出したバルの人々はこの上なく幸せな人生を送る。

「神々の魔術 上巻 185項より」

ここから作者の意見

興味深いことにこの訳者は、古代の様々な注釈を引用した脚注を書いている。

それによると「バルの住民は150年生きた。誰も死ななかったという人もいる。」

さらに興味特に興味深いのは。

すべての男女の間にできた子は性的結合ではなく、「バルに保存されていた種子」によるものだと言う。

イマに繋がる、謎の失われた技術に関する手がかりは他にもある。

奇跡の杯は、世界中で起きてることを見ることができる。また宝石が散りばめられたガラスの玉座「ガラスの馬車とも称される」は空を飛ぶことができる。

以上バルの中身でした。””

”ユダヤ戦争

1~2世紀、パレスチナのユダヤ人がローマ帝国に対して起こした解放戦争。鎮圧されてユダヤ人の離散が始まった。
ローマ時代のパレスチナは紀元6年からローマ帝国の属州として支配されていた。そのパレスティナで、1世紀後半から2世紀にかけて、ユダヤ人の激しい反ローマ闘争が起こった。66~70年の第1次ユダヤ戦争はウェスパシアヌスの指揮するローマ軍によって鎮圧され、131年の第2回ユダヤ戦争はローマ皇帝ハドリアヌスの派遣したローマ軍によって鎮圧された。これによってユダヤ人は地中海各地に離散(ディアスポラ)していくこととなった。”
http://www.y-history.net/appendix/wh0103-075_01.html






ちょこらーた アルパカ推し? @tyokorata
11月23日

いま放送大学でヘーゲル哲学を聞いてるけど、「市民者では個人の権利の追求と自由が生じるのは自然なので格差の発生は当然」と、共産主義をdisってて面白い。






みずのん? @mizuna3
2013年4月10日

ヤマギシ会の共産主義村ってまんまプラトンの国家でワロタ。










中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
10月31日

いつもカトリックの話ばかりしてるが、プロテスタントについて基本的なことを解説。
英語でprotestというと「抗議する」という意味です。ここからもわかる通りプロテスタントはカトリックの方針に異を唱えて成立した宗派の総称です。一つの宗派の名前ではなく複数の宗派を指して呼びます


プロテスタントの三大原理と呼ばれるものは「信仰のみ」「聖書のみ」「万人祭司」です。「信仰のみ」は別名「信仰義認」とも言われます。「信仰によってのみ神に義(ただしい)と認められる」という意味です。たとえば近世初頭に流行した免罪符を買うといったような行為ではなく、
実際の心のあり方、信仰のみが神に認められ、救いに繋がりうるのだという概念です。表面上いかに敬虔な正しい行いをしても、心が伴っていなければ無駄だということですね。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
10月31日

「聖書のみ」はカトリックに対する反論だと考えるとわかりやすいです。カトリックは聖書以外にも教皇の下した裁定(たとえばある人物を聖者と認定するなど)も信仰上効力を持つものとしています。それに対してプロテスタントは「聖書に根拠がある訳じゃない教えは何も信じないぞ」と言ったわけです。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
10月31日

最後に「万人祭司」です。「神父と牧師の違いは、前者がカトリックで後者はプロテスタント」という豆知識がありますよね。これは正しいのですが、両者は単に名前が違うだけではありません。カトリックの神父は聖職者というように一般の信者とは隔絶した役割を地位を持つ「聖なる存在」なのです。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
10月31日

対してプロテスタントの牧師は実は「聖職者」ではないのです。正しくは教役者や教職者などと言います。プロテスタントでは信者すべて(万人)が神から見れば司祭であり、特別な地位にあり霊的に特に優れた聖職者なんてものは認めないとするのです。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
10月31日

そうはいっても現実的に教会を管理したり、教義を教える立場の人は必要ですよね。それが牧師と呼ばれる役職です。牧師は信者の指導者的な役割を果たしますが、それ以上のものではなく一般信徒と別の特別な存在だとは考えられていません。だから牧師は神父と違い妻帯も認められているのです。



この図からもわかりますが、宗教改革はルターが始めたと言っても、ルターの立てたルター派が他のすべての派閥の祖である訳ではありません。さらにルターはプロテスタントの中ではかなりの守旧派でして、事実最初は別の宗派を立てようなどとは思っておらずカトリック教会の改革を志していました。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

しかしカトリック教会はルターの批判に過敏に反応し、彼の反論を許さず教皇の権威に背く異端者と一方的に断罪しました。ここに至ってルターもカトリックと袂を分かち、独自の宗派としてルター派が生まれました。このルター派は北ドイツの諸侯に支持されて一定の勢力を保ちます。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

するとルターの成功に触発されて、カトリックの教皇庁に不満を抱いていた他の勢力、神学者たちが立ち上がりさまざまなプロテスタント諸派が生まれたのです。しかしこれらの諸派は反カトリックという点以外では教義に細かな相違があり、お互い攻撃しあうような関係でした。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

たとえばルターの成功を見て、既得権益層に不満を抱いていた人々がプロテスタントとして起こした反乱がありました。ドイツ農民戦争というものです。彼らは始めルターの支持を求めましたが、ルターはそれを突っぱねて逆に諸侯の側について農民たちを盗賊の罵りました。

中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

もともとルターは社会の大きな変革など望んでおらず、農民たちの指導者ミュンツァーの説く「アナバプテスト」の教派はあまりに急進的であると捉えたからです。結果として反乱は悲惨な失敗に終わり、ドイツでは領邦君主の権威が揺るぎないものとなりました。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

このようにルターに触発されて発生したプロテスタントのうち急進派は最終的に政治権力からは排除されていき、結局のところ反カトリックでありながらも古い権威と上手く付き合うことのできた宗派だけが新たな「権威」になることができました。排除された人々は各地を流浪しアメリカ大陸に多く流入します
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

まず一番下には英国国教会こと聖公会がありますが、これは反カトリック・教皇庁というだけで、厳密にプロテスタントと言えるかも怪しい折衷的な宗派です。すごく乱暴に一言でまとめてしまうと、親玉をローマの教皇から英国王とカンタベリー大司教にしただけの宗派です。例の三大原理も当てはまりません
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

次にルター派、ルーテル教会があります。これは文字通りルターの立てた宗派で北ドイツの諸侯の支持を得て地盤を固めました。そしてカトリックの神聖ローマ皇帝の妥協によりアウグスブルクの宗教和議で一応公的な宗派として受け入れられました。上手いこと新たな権威の一つになったわけです
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

しかしカトリックとの対立は止まず最終的に17世紀に30年戦争というドでかい宗教戦争にいたり、戦乱の終結後最終的な共存の道へが開かれます。ドイツの南の方はカトリックですが、北欧諸国はルター派になっています。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

カルヴァン主義の元になる宗派はスイスで生まれました。しかしこの宗派もルターと対立し、カトリック勢力と戦って粉砕されてしまいます。そしてオランダの方でこの流れを新たに立ちなおらせたのがカルヴァンです。カルヴァン派はスコットランドでも支配的な宗教となり長老派と呼ばれることになります。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

カルヴァン派はフランスではユグノーと呼ばれましたが、激しい宗教戦争を経てカトリックに弾圧されました。イングランドではピューリタン(清教徒)と呼ばれ、一時は王を追い出して革命政権を築きますが王政復古により弾圧を受けて、一部はアメリカに渡りました。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

繰り返しになるけど他の宗派は特定の地域で政治権力と結びつくことに失敗して、他のプロテスタントからもカトリックからも異端として排斥された。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

それぞれ教義に関してもごくざっくり説明します。まずルター派が三大原理ですね。聖公会を除く他のプロテスタント諸派にも共通です。聖公会は英連邦の公的な宗教でありトップが英国王とカンタベリー大司教で、カトリックに似てた点が多くあります。
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中卒アスペニート
‏ @mmmnvivi
11月2日

カルヴァン派の特徴は予定説です。これは最終的に神が救済する人間は予め決定されており、人間が何をしてもそれは変えられないという説です。神の絶対性を極端なまでに説いている訳です。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という有名な本の指すプロテスタントはこの宗派のことです。







(旧約のヤハウェは肉好きなので菜食主義のバラモン教ではなく、
肉食OKのゾロアスター教の影響の方が強いだろう
というかペルシャに一時期支配されていたし交易していた影響だろう。
キリスト教は旧約も聖典に含めているが食事既定は守らない)




ゾロアスター教の楽園では人類は不死で
野菜しか食べなかったらしいんだ。

ところがイラン版ノアさんのイマ(閻魔)
さんが肉食を勧めたため、楽園の人々は
堕落して不死じゃなくなっちゃったんだ。

肉を食べる前に感謝の儀式をやるの!
生贄の儀式のルーツね!
現代ではキリスト教の「頂きます」の
お祈りになって残ったよ!

だから皆んなもフレンズを美味しく
召し上がる前には必ず「感謝の頂きます!」

を言おうね!

ご先祖様のイマさんとの約束だよ?

因みに先の論文だとイマの罪はもう
二つあるらしい。

一つは妹との近親相姦。インドでは
タブーらしいがイラン版ではコレに
よって「完全なる人」が誕生するらしい。

それまでは各々、悪魔の男や女を娶った
らしいが、熊とか猿しか産まれなかった
らしい。

そしてもう一つは「人類史上
初めて嘘を吐いた事」らしい。
「私が世界の創造者だ」と豪語した
のがウソだったらしい。

閻魔大王の嘘吐きの舌を抜く話は
自分の事を言ってるのかもね。

あー!w
だからノアの野郎は洪水明けてから
真っ先にヤハウェ君と焼肉パーティー
やるのかww

そうなるとカインとアベルの
話も興味深いなw

ヤハウェの野郎、肉ばかり喰いやがってw

妹と子供作らないと多分色の白いのが
産まれてこないんだろう。地元の黒い
土人とも子供作ったけど、猿とか
熊みたいなモジャモジャしか産まれて
来なかったんだろうなw

アルビノだったから閻魔大王は
地下に住んだのかなぁ……

直射日光に弱そうだしなぁ、
アンデッド系だしね。

太陽族(アスラ)と嵐族(ダエーワ)か……

雲で太陽が隠れてないと行動出来ない
連中が居たのかもな……

闇が深いな……

暗闇の雲を呼び寄せる程に。

(イマが嘘をつくとRoyal Gloryが鳥の形をして今から出ていった。
Royal Glory
=王の栄光(後光)
は鳥の形をして飛ぶ。

"when (Yima) had added the lie, the untrue word, to his account,
the Royal Glory flew away from him visibly in the shape of a bord."

インドのリグヴェーダでは近親相姦の罪によりヤマは不死でなくなり、地下の王となる。
地下とはインド版ハデスである。
イランの伝統では最近親相姦は宗教的に称賛に値する。)

(ヤハウェが野菜と肉を捧げられたときに肉を選んだのは
バラモンではなくゾロアスター(肉食OK)を選んだことを示すのでは?)



https://twitter.com/pteras14/status/837598794493517824

https://twitter.com/pteras14/status/837599866599563265


復活ねこた @lakudagoya 2017年2月分(2/8から)ツイート保存
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-135.html

ctfl f ataraxiaa

フェニキアの一部がエトルリアとユダヤ疑惑『ラテン語の世界』。 イマの目は太陽!東からくる救世主 =太陽 ! 『原典訳 アヴェスター』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-158.html



聖書のユダヤ人のモデルがフェニキア人なのを隠す為に、フェニキア文字を古ヘブライ文字と名付けた。民主制というのは、もともと植民地統治の一形態。塚田孝雄『ギリシア・ローマ盗賊綺譚』 中央公論新社 (2000/03)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-51.html

①最近のツイッターログ ②フェニキア文字=古ヘブライ文字で、
アラム文字≒ヘブライ文字なので古代ユダヤ教の歴史の文字文献が一切信用できない。本当に古代に実在したのか?
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-121.html






BGM

アー夢野久作の人脈、大本・紅卍人脈♪

”入れ込まれたその 構造 ( システム ) に
 囚われて夢を見続ける”
 
【凋叶棕】胎児の夢 / Vo.めらみぽっぷ




「カバラ」箱崎総一 青土社「ユダヤ教神秘主義」G・ショーレム 法政大学出版局
ヤクザ式ビジネスの「かけひき」で絶対に負けない技術 (光文社知恵の森文庫)








菊りんブログ
大本教と戦前右翼勢力の関係から見るNWO勢力の両建構造
http://kokuhiken.exblog.jp/25029599/


”ストア派の至高存在(神)
=「技術的(創造的)な火」
=知性的な「ロゴス(理性、言語など)」
=自然の摂理。
神=火=ロゴス=自然(神の摂理)。
自然と調和した平静な心の獲得が目標。
肉体的要素を否定しない。
インド哲学の平静な心を求める傾向の影響がありそう。

よくストア派は禁欲主義、エピクロ派は快楽主義として対比されますが、
どちらも、間違った思い込みによって煩わされず、自然(神の摂理)と調和した精神的な平安を求める点で共通しています。

ストア派の宇宙論はヘラクレイトスと似て、至高存在を「技術的(創造的)な火」と呼び、同時にそれを「ロゴス」と考えました。
これらは神的で知性的で、諸元素に変化して、やがてまた「技術的な火」に戻るのです。
宇宙は収縮によって生まれ、やがて空虚に広がりながら燃焼して消滅して「技術的な火」に帰します。
宇宙は年(2万6千年)かかってこの生滅を繰り返します。”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-146.html
『オルフェウス教』とニーチェへのストア派とエピクロス派の影響の考察。





















@fromdusktildawn  until:2007-11-13
https://twitter.com/search?f=tweets&q=%40fromdusktildawn%20%E3%80%80until%3A2007-11-13&src=typd
” fromdusktildawn? @fromdusktildawn
2007年11月12日
役に立つかどうかの勝負をするのだったら、現代哲学なんぞより、ヘーゲルの方がよっぽど役に立つことが多いよ。ヘーゲルを鵜呑みにするのは害悪以外のなにものでもないけどな。

弁証法的プロセスの繰り返しによって、政治システムが進化していって、やがては絶対精神に到達する、って、どこの新興宗教だよ。で、その新興宗教を解体して、ちらかしまくって、お片付けしないし、新しいモノをなにも構築してない現代哲学って幼児かよ。

たとえばさ、日本の教育システムをどういうものにすべきか?って質問に対して、現代哲学な人たちに聞いて、ろくな回答が返ってきたことがない。

皆が幸せになれるような職場、会社、コミュニティ、サークルを作る、ということは、皆が幸せになれるようなルールを構築するということでしょ。現代哲学では、そのルール作りをどのようにしろ、って回答なわけ?

シミュレーションとシミュラークルだっけ?あれも、だからどうした?ってかんじ。自分というモノが完全なオリジナル素材からできていないのなんて、当たり前じゃん。全ての人間は、いくつかの基本アミノ酸のくみあわせでしかないって言ってるのと大して変わらないんじゃね?

基本的には、現実世界を動かすことが出来ない=役に立たない、でしょ。

少なくとも、ヘーゲルは、ルール作りのためのルール、すなわち、メタルールを提案していた。
そのメタルールのコンセプトやビジョンを語っていた。
そして、ヘーゲルの示したビジョンやコンセプトは、実際のルール作りをする上で、極めて現実的で、有用でしょ。

現代哲学ってのは、政権担当能力のない万年野党みたいなもの。さんざん近代哲学を批判し、スキャンダルを暴いたのは、たしかにお手柄だったけど、そのあと、よりより政権を作ったかというと、そんなことはない。相変わらず、解体ばかりしている。

人間が3人集まれば、既に政治が必要になる。たった3人のプロジェクトでも、政治的発言がいかに多いことか。政治から逃げて生きようとすると、政治的混乱による泥沼に入りがち。混乱を避けるために、ミニプロジェクトの憲法や法律を作らなければならない。

たとえば、いっちゃんシンプルなところでは、ヘーゲルは建設的な妥協のしかたについてのメタルールを提案している。テーゼ、アンチテーゼ、アウフヘーベン、ジンテーゼ。

人間の不幸なんて、たいていはルールの設計ミスから生じている。
ルールを正しく再構築し直せば、不幸の大半はかなり緩和されるでしょ。

たとえば、しょぼい受託会社ですら、どういうルールに基づいて案件を受注するか、どいういうルールで営業を仕掛ける先の優先順位を決めるか、どいういうルールで人材を採用するか。

どいういうルールで、
誰に、どれだけの報酬を支払うか。どいういうルールで、誰の意見に従うか。

これらのルール作りが下手くそだと、みんなが不満足で、非効率で、仕事が面白くなく、収入も少なく、不公平感がまん延し、鬱病が蔓延する。

たとえば、プロジェクトマネージャがそのプロジェクトのエンジニアの人事評価をすると、
エンジニアには不満が大きい。技術力が正しく評価されないし、非効率な仕事を押しつけられるし、あげくに鬱病になったり。

そこで、ルールを設計し直して、エンジニアの人事評価には、その上位のエンジニアも同席する、というルールに変更することで、そのエンジニアは簡単にハッピーになったりする。

これから明らかなように、ルールの作り方しだいで、人を幸せにしたり、不幸にしたりすることができる。
そのルールの作り方にたいする効果的な流儀を確立するのに、ヘーゲルは多大な貢献をしたし、そのコンセプトの多くは、いまでも十分に通用する。

これに対して、人々を幸せにするために、現代哲学というのは、どういう役に立つのか?プロジェクトで人間関係がぎくしゃくして利益率も報酬も低下して、みんなの気分がブルーなとき、現代哲学は、仕事に意味なんてないんだからさ、とでもうそぶく気か?

現代哲学は、物事に客観的な意味がないことを問題にするけど、その時点で、主客二元論という錯覚にとらわれているのではないか。客観的な意味がないことをどうこういぜんに、
そもそも、客観などと言う概念自体が錯覚だよ。

現代哲学は、ルールを定めることの有用性を否定したりはしない。現代哲学は、人々が縛を縛る意味の網から人々を解放することばかりに熱心だ。

自分の思考は自分のものではない。したがって自分など存在しない。
って、感じの論法ってさ、コンピュータは全てマシン語で演算している。
従ってオブジェクト志向プログラミングなんて意味がないって言っているぐらいマヌケなことを言っているじゃないのか?

現代哲学が、「意味がない」というときの「意味がない」は、客観的に見ると「意味がない」っていう意味でしょ。ちがうの?

日常語における「意味がない」という言葉の意味は別でしょ。日常語で意味がない、っていうのは、「そんなことやっても金にならないし、女にモテるわけじゃないし、楽しいことはなにも起きない」っていう意味でしょ。

あるいは、誰かを幸せにする分けじゃないっていう意味だ。

自分の思考が自分のものではないとしたら、自分は思考しない存在なわけで、思考しない存在になんの意味があるのかな?

いや、自分が自分の思考だけでスタンドアロンに存在している、って感覚は、近代の理性主義が生み出したものでは?キリスト教が支配していた時代は、むしろ神の御心のままに、というか、自分が思考しているようでも、実は神の導きにすぎない、と考える人たちが多かったのでは?



自分が意味の網の目の中の部分パーツに過ぎない、という「見方」もできる、ということは現代哲学の功績なのだけど、意味を解体するときに必要な「見方」の一つに過ぎず、自分で意味と価値を編み上げてなにかを構築するための具体的な処方箋を、現代哲学は提出できている感じがしない。

なので、現代哲学を語る人は、ただの解体業者にすぎないことがおおく、「で、具体的にどうすれば、みんなが幸せになる「仕組み」を作れるわけ?」という段に、話がさしかかると、屁理屈をこねてごまかす感じの人がおおいとおもう。

夢の中の私は、この私だ、と「感じる」。しかし、別の時代の誰かをこの私だ、とは「感じ」ない。なぜ感じなくなったのかというと、現代科学の成果を受け入れたからなのではないだろうか。



現代科学の発達と、人々の科学リテラシーの向上が、死の自明性という感覚を人々にもたらしたのであって、「死んだら無になること」を人々が受け入れることを強制されたわけではないのではないか?

単に、人々は科学の大成功を見て、魔術を信じる気がなくなったのではないか。魔術は過去のアイドルで、もはや落ち目。

自然科学の導き出した成果を眺めれば眺めるほど、死が無であるということの確信がジワジワと上がってくる。それは、理屈ではなく、本能的な直感なのだと思う。証拠と論理によっては、死んで無になることは証明も反証もできない。



論理や理性によって絶対的な何かを証明することができないことが自明である現代においては、人々が何かを確信するのは、直感においてしかない。



哲学が社会のルール構築に役立つのかどうか疑問な人は、入門書でいいからヘーゲルを読んでみるといいと思う。



人々を支配していた絶対的な価値観、キリスト教、科学、民主主義、近代理性主義を徹底的に批判し尽くし、解体したのがニーチェで、ニーチェが偉かったのは、解体した後に、では、どうやって価値創造するかということに力を入れたこと。十分に成功したとはとてもいえないけど。

ポストモダンは、とにかく、ヘーゲル=近代=理性主義をこき下ろすことばかりに熱心だけど、現実世界において具体的に役に立つ概念、人権、自由、平等、私的所有、などなどの概念って、結局近代が生み出したモノばかりじゃん。

それに比べて、ポストモダンは何を提供してくれたわけ?ニーチェが近代を解体した後に、価値創造に熱心だったのに比べ、ポストモダンは壊すばっかりじゃん。

ぼくは、むしろマネーゲームが建設的に作用することの方がはるかに多いことを経験的に知ってるけどね。いっけん、不毛なマネーゲームに見える金融工学こそ、価値創造の源泉であることが多いと言うことが、案外認識されてないのに驚く。

そのへんはヘーゲルの哲学の応用で十分回収可能な範囲だと思う。

つーか、日本の哲学者で世界に通用する人って、そもそも誰と誰ですか?ぼくは、大森さんは通用すると思うけど。あと、西田さんは有名らしいけど読んだことない。

大森荘蔵はマジお勧めだけどな。大森哲学の批判とかはもちろんあるけど、普通の一般人で、大森荘蔵読んでスゲーつまらなかったっていう感想を言った人は、いまんところ知らない。




































お読みくださり感謝

追撃Ⅲ 両権(両剣論=カトリック神学用語)boらが本当は名指しで叩きたいのはキリスト教の異端派・神秘主義とイスラームでは? 名指しで叩くと自分の立場がモロバレなので 「ユダヤ」と命名 お役立ち文献集 

目次
・更新報告とか(そのうち移動)
・両建てと両権(両剣論=カトリック神学用語)
・boが詭弁を特に使うところ
=隠したい個所
=キリスト教内の派閥争いにすぎずユダヤ教徒はせいぜい下っ端


・更新報告とか(そのうち移動)

『儒教入門』メモ。
『論語』と『史記』の人物評価基準。
吉田松陰と安岡正篤で有名な陽明学はキリスト教と相性が良く儒教カルト✝を作りやすい。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
完成して、bo軍について考えたことを書いたら長くなりすぎたのでこの新記事にした。

の後ろに書いて長くなりすぎた個所が本記事。



こーしんほうこく これそのうち移動
『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』(アカシックレコード)で学ぶ現実魔法。主人公もヒロインも耶蘇教異端派のシンボル側でワロス。ナルトやフェイトと同じ陣営。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-165.html
”本作の結社制度も
黄金の夜明け団(GD)の位階制度が元ネタ。
英国系作品なら高確率で黄金の夜明け団がモデルになる。

ナルトの敵の暁の元ネタでもある。
黄金の夜明けの別名は、黄金の暁。
ボルトの敵の結社の名前が「殻」=クリフォト(邪悪の樹)。
インナーとかアウターとか言っているから暁と元ネタが同じ。

暁のボスが輪廻眼だが仏教の輪廻ではないだろう。術が六道だけでなく外道もあるからだ。
バラモン教だろう。

天の智慧研究会の位階
【元ネタの対応するGDの位階】”

とか追加。


”宗教は深く死とかかわる。
隠れキリシタンが発覚したときは、しばしば葬儀の特異さが見咎められたのが発端であったように、
人がどの宗教を信じていたかは葬儀の方法を見れば見当がつく。
それはそれこそが宗教としてゆずれない場面だからである。”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
『儒教入門』メモ。
『論語』と『史記』の人物評価基準。
吉田松陰と安岡正篤で有名な陽明学はキリスト教と相性が良く儒教カルト✝を作りやすい。

更新報告だけでなく目を引きそうな一部引用もつけるか検討中。

これも拡充した。


検索技術と史料批判方法。
-マイナス検索と"完全一致検索"は最低でも使いこなすこと!
『統計でウソをつく法』流判定基準5つ:
出所、調査方法、足りない隠されている資料、詭弁、意味
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-145.html





本題

両建てと両権(両剣論=カトリック神学用語)

↓名言
https://twitter.com/narukemist/status/622354282696695808


小・中・大ボス、魔王、ラスボスの範囲が気になる。
王侯貴族の内、寸止め陰謀論者が名前を出している範囲までが中ボス?
右翼×左翼トラップが小ボス?
私は最上位が魔王(特定の固有名詞ある人々や団体)ではなく魔王製造思想・システムだと現在考えておりXと名づけた。

boグループが私に一切絡んでこないのが笑える。
私は彼らにとって無慈悲の災厄でありしかもほとんど返信しないからだろう。
菊池さんに粘着するのは仏教に詳しいのと、来る者拒まずだからだろう。
来る”者”なので実質スパムなのには適用しなくていいのでは?

無慈悲の厄災↓
bo_wakeup_p@OdNezu.jpg
bo_wakeup_p@OdNezu.jpg
画像に大ちゃんママ登場(笑)

×bo
△bot
○ 肉入りbot=挙動がBOTの人(ゲーム用語)
一部自動投稿で粘着しているのでは?
https://twitter.com/kikuchi_8/status/942441349197938693



boのツイート時間帯の傾向
http://ja.whotwi.com/jackiemopsy
をどうぞ。
いつ寝ているの?
ツイートゼロ時間帯が16時のみ。
中の人複数?
菊池さんが一番の仲良しと判定されていて苦笑。自動判定の限界。
菊池さん以外のアカウントも中身を見てboグループか判断すべき。
自動と手動の組み合わせアカウントかな?

ツイッターにはミュートという便利機能があり、
ブロックと違って「ブロックされた」証拠画像を撮ることができないので
スクショ曝しという工作ができない利点がある。
あまりに大量の(すでに大量だが)妨害ツイートが来たら活用してほしい。

菊池さんは
「問うに落ちずに語るに落ちる作戦=失言での自滅を狙う」かもしれない。
実際何度も成功している。
もう騙せないなら相手に情報与えたり失言しないために引くのが一流スパイだと思うのだが、
粘着しているので所詮はやがて処分される下っ端なのだろう。
藁人形論法を行うには対象を正確に理解する必要があるが、
それすらできないので結果的に藁人形になっているだけかもしれない。
反知性主義的妄想による結果的藁人形。

キリスト教の異端やプロテスタント思想もユダヤだと言って隠すのは
ユダヤを手先に使うキリスト教内の派閥争いなのを隠すため。
敵派閥のキリスト教思想をユダヤ・悪魔・イルミナティ・メーソンと呼んで叩けば
キリスト教思想全体自体は叩かなくてすむので工作員の信仰心も守れるし、共倒れを防げる、
キリスト教の昔からの伝統戦略。
キリスト教の派閥争いも見える範囲であり、
この争いを監視し調整しているX、Y、Z…がいるのでは?という仮説が謀議論。
大原則「黒幕は陰に隠れ固有名詞を出さない」が根拠。



「両建」を「両権」と書いてしまう事から2つの可能性が出てくる。①「両建」を知らなかった。②敢えて「両権」と書いている。①なら完全にモグリか寸止めの「猶太問題研究家」。②ならにわかにカトリック的な雰囲気が醸し出されてくる。「両権(論)」とはカトリックの神学や教会法上の用語らしい。




”教皇ボニファティウス8世(在位1294‐1303)が1302年に与えた教書《ウナム・サンクタム》は,教皇がキリストの代理者として霊界と俗界の二つの剣をもつこと,すなわち,後者を行使するのは王と騎士であっても,命令を下すのは教皇の側にあることを主張し,こうして〈すべての人間は霊魂の救いをまっとうすべくローマ教皇に服従すべきである〉と宣言した(両剣論)”
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A1%E5%89%A3%E8%AB%96-149958
世界大百科事典

両建てをよりにもよってカトリック神学用語と見間違えた疑惑。


・boが詭弁を特に使うところ
=隠したい個所
=キリスト教内の派閥争いにすぎずユダヤ教徒はせいぜい下っ端


boらが本当は名指しで叩きたいのが、
キリスト教の異端派・神秘主義とイスラームでは?
しかし、これらを名指しで叩くと自分の立場がモロバレなので
「ユダヤ」と名づけて叩く。
悪魔・メーソン・イルミナティではなくユダヤという言葉を選んだのは「ヒトラーはいい人」陣営だから。


boはカトリックだと指摘したが、異端・神秘主義寄りである可能性もある。
ウェイクアップ=覚醒!
正統派でも異端派でも神秘主義・異端は叩けない。
ナチスは神秘主義大好きなので「ヒトラーはいい人」陣営にとっては叩きにくい。
ナチスのオカルト好きは超有名。
メイソンも神秘主義と異端大好き。
「ヒトラーはいい人」陣営は叩ける対象がユダヤぐらいしかなくて大変。
間違ってもキリスト教は正統も異端も叩けないので必ずユダヤと呼ばないといけない縛り?


工作員や謀議論者がイスラムを叩かない理由

①マスコミを敵だと言うので、イスラムを叩くのはマスコミと同じ主張となり正しいと言いにくい

②イスラム思想を学ぶとかなりまとも
(一神教内で一番完成度が高い)

③キリスト教異端派・神秘主義・古代宗教陣営はイスラムに大変お世話になっている
(受け入れと資料保存)

④一神教自体が持つ欠点はあるがヤソ教・新ヤソ教の悪行が酷すぎるので優先順位は低い


私は②と④に該当する。

イスラムとユダヤで思い出したのが
偽救世主サバタイ・ツヴィ。

https://twitter.com/search?q=%20%40jackiemopsy%E3%80%80%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%BF%E3%82%A4&src=typd
見るにboらも言及しているが思想には踏み込まない。

正統派ラビはカバラを異端視しているので、カバリストのツヴィをユダヤ教徒と呼べるのか怪しい。

寸止め陰謀論者=支配層側のプロ陰謀論者の中にはサバタイ・ツヴィを叩きたい勢力がいるので取り上げる。

私が日頃より全記事読む価値ありだと言っているオカルト百科の
にせ救世主サバタイ・ツヴィ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/sabatai.htm

イサク・ルリア
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/isakururia.htm
より。


ツイートはこちら。




https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/867027711578918912



サバタイ・ツヴィ

17世紀トルコのスミルナ生まれ。
当時スミルナは、スペイン(イスラム時代が長いことに注目)を追放されたユダヤ人がたどり着いた場所。

父親は息子をラビにするべく、ユダヤ学院で学ばせる。
がツヴィは正統的なユダヤ神学には関心が持てず、ルリア派のカバラに興味を示す。
(ルリアはグノーシス主義に極めて近い思想を取り込んだ。
17世紀頃からユダヤ教カバラの主流派となった)

自分を救世主だと信じ込むようになった。
ユダヤ教にはメシア待望論がある。
一部のカバリスト達が「ゾハール」を解釈し、1648年に救世主が現れると予言。

カイロでユダヤ人有力者でカバラ主義者ハラビの支持を得る。

エルサレムへ移住。
トルコ政府がエルサレムのユダヤ人達に多額の税金の支払いを命じ支払いができないのなら、街から追放すると命令。
ツヴィは大富豪ハラビに助けを求め、ハラビは、エルサレムのユダヤ人に代わり税金を立て替える。
ツヴィは大きな支持を集めた。

サラと結婚。サラはユダヤ人大虐殺の生存者で、強引に入れられたキリスト教の修道院から脱出した経歴があり、
カバラの信望者で自分は将来メシアの妻になると固く信じ込んでいた。

エルサレムのラビはツヴィを危険視し始め、ツヴィは本拠地をガザへと移し自分こそユダヤの救世主であると正式に宣言。
凄まじい数のユダヤ人が同調。
ラビはインチキだと糾弾。
ラビの中からもツヴィに同調する者が、少なからず出始め、ユダヤ教会の有力者もいた。

ツヴィは本拠地を、ガザから生まれ故郷のスミルナに移しスミルナの実権を掌握。
噂は遠くイギリスにまで伝わり、多くのユダヤ人が、彼を本物の救世主と信じたという。

1666年にツヴィはスミルナからコンスタンチノープルへと移動し、
彼を危険視するトルコ政府によって逮捕され、城に幽閉される。
が丁重な扱いを受ける。
トルコ皇帝(スルタン)のモハメッド4世に呼び出され
「イスラムに改宗するか、死刑になるか?」の二者択一を強いられる。
ツヴィはあっさりとイスラム教に改宗しサバタイ・ツヴィ運動は途端に勢力を失う。
彼に同調した高名なラビが10人ほど処刑される。
ツヴィはユダヤ教の祈りを行っているところを目撃され、トルコより追放(処刑されていない)。
アルバニアの小さな町で1676年に死去。

ツヴィがイスラム教に改宗した後も、彼を救世主とする運動は消滅はしなかった。
イスラム教徒の支持者すら居た。
彼らは、ツヴィのこの改宗は、一種の「秘儀」であり、イニシエーションのようなものと考えた。
サバタイ主義は18世紀まで生き延びた。

しばしば、ユダヤ教カバラ衰退の責任の一端は、このサバタイ・ツヴィにあるとされる。
サバタイ主義の思想は、キリスト教に類似した所があり、多くのラビが異端とみなした。
ツヴィはゾハールにある「父、母、子」の三原理を、キリスト教の三位一体に酷似した思想に置き換えた思想で、
サバタイ主義者には、キリスト教に魅力を感じ、改宗する者も多かった。
サバタイ主義者にはカバリストが多かった。
正統派のラビは、サバタイ運動を批判するのに熱心な余り、カバラまでもを異端視しはじめる。

ユダヤ社会では、このサバタイ・ツヴィの名は、「にせ救世主」として忌まわしいものになってしまった。

bo式ならキリスト教の三位一体やイスラム要素をユダヤと名づけて隠し、
ユダヤ教要素のみを叩く。
正統派ラビ基準ではツヴィはユダヤ教徒ではないことは無視。
イスラムに改宗したから当然だけど。
boがこれからやりそうなことを先回りして指摘しておいた。


boグループが日本語で活動するのは、
大半の日本人は一神教の知識がないので騙し放題だから。
旧約と新約の区別がつかず、
三大一神教の聖典すら知らないのに陰謀追及ごっこしている者を騙すのは簡単。

スポーツで例えよう。
野球とサッカーを知らない人に
「四番ストライカーとかゴール前でバント」
「オフサイドやハンドが野球の違反」
と言っているようなものだ


無宗教だと平然と言う人が多い
=宗教の知識も自覚もない
=騙しやすい
かつ
議論のルールを知らず(詭弁使い放題)
論理的思考ができない(感情をあおれば簡単に操れる)人が多い
ことも日本人を標的にする理由。

自分は無宗教だと無自覚含め嘘をつく日本人の大半は
労働教
(和風カルヴァン派
+諫言を抜いたエセ儒教
+明治以降の偽伝統)
の信者=儲!





https://twitter.com/onesyota1987/status/926374868978823169




https://twitter.com/onesyota1987/status/926376175252914176



https://twitter.com/onesyota1987/status/926412061181018113

以上お付き合いいただきありがとうございました。

資料

ゲラシウスの「両権論」
https://plaza.rakuten.co.jp/tiuingwoden1225/diary/201203220000/
”今日は、「両権(剣)論」について考えてみます。

両権論は、教皇ゲラシウス1世(在位492~496年)が、ビザンツ皇帝

アナスタシウスに宛てた書簡にある重要な考えです。

中世の「叙任権闘争」を考える時にも、ゲラシウス1世の思想

を知っておく必要があります。

5世紀末、イタリアは東ゴート王国の支配下にありました。その中で、

イタリアにいたローマ教皇はビザンツ皇帝に書簡を送り、両権論を説きました。

書簡には次のように書かれていました。



「…地上には2つの権力があります。すなわち、教皇の聖なる権威と王の権力であり、主にこの両者によって、この世が治められます。…(王は)宗教界では司教たちを支配するのではなく、彼らに服従しなければなりません。したがって、司教たちのことがらをあなたの思い通りに従わせようとしてはなりません。国の秩序に関することがらについては、皇帝は最高の権力者として法によって支配し、宗教界の指導者たちも、この世のことについては皇帝の掟にそむくことはできません。…」(H・デンツィンガー編『カトリック教会文書史料集』の訳を若干改訳しました)



教皇の権威(auctoritas)と王の権力(potestas)は、ともに神から与えられた

ものですが、ゲラシウス1世は教皇の権威(教権)が、王の権力(王権)、つまり

世俗の支配権(俗権)よりも優位にあると説きます。

(ちなみに、世俗とは世間一般の社会という意味です)

しかし、上の書簡ではさらに、

教会の世界に、世俗を治める皇帝が影響力を持ってはならないとしていますが、

世俗の世界では、教会側も世俗の法(ローマ法)に従う必要があるとされます。

ここには、教権と俗権が権力を分かち合う思想が書かれています。”

両剣論
カトリック教会の理論
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%89%A3%E8%AB%96
”両剣論(りょうけんろん、ラテン語: gladii duo[1],英語: theory of two swords)とは、12世紀から13世紀にかけての中世ヨーロッパにおいて考察された聖俗権力についての理論[2]。ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の間での叙任権闘争を背景にして生まれた[3]。

「この世は聖俗二つの権力によって統治されている」という観念を教皇ゲラシウス1世が提唱し、また教会法学者も二つの権力が存在するのは神法に基づくと説いた[2]。『オックスフォード中世事典』では「司祭の聖なる権威と王の権力」についてのゲラシウス1世の理論を補強して解説したものと説明されている[4]。

ゲラシウス1世編集

ゲラシウス1世は494年に東ローマ皇帝アナスタシウス1世へ宛てた書簡で、この世を統治する二つのものとして「司祭の聖なる権威と王の権力」があると説いた[4]。

教皇ゲラシウス1世は俗権と教権がともに神に由来すると述べ、聖界の普遍的支配者としての教皇と俗界の普遍的支配者としての皇帝が並列的に存在していることを論じた。ただしゲラシウス1世は一方で教権が帝権の上位にあることを論じているから、俗権と教権は完全に並列的であると考えられていたわけではない。彼によれば、「政治的支配をする」王は「権力」 (potestas) を持つのに対し、教皇は権威 (auctoritas) を持っているのだが、後者こそが完全な主権なのである。[5]。この両剣論はその本来的な意図においては教権と帝権の相補的役割を期待したものであった。


11-13世紀編集

11世紀にはペトルス・ダミアニが、聖書の

弟子たちが言った。『主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります』イエスは言われた。『それでよい』
ラテン語:at illi dixerunt Domine ecce gladii duo hic at ille dixit eis satis est
— ルカによる福音書22-38

という聖句での「二振りの剣」に初めて当てはめて考察し、両剣論を補強した[4]。

この他教会法では聖書の

カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい

にも基づいた[2]。

12世紀になると1140年頃に教会法学者ヨハンネス・グラティアヌスが編纂した『グラティアヌス教令集』(Decretum Gratiani)に「祭司は王と君侯の父であり師である」「皇帝は司祭に先んじるのでなく、従わねばならない」と説かれたり、グレゴリウス7世が引用したゲラシウス1世書簡の両剣論を参考にした[6][4]。

初期には聖俗二つの権力の分離性と協調性が説かれたが、13世紀には教会優位の両剣論が説かれ、1302年に教皇ボニファティウス8世が出した教皇勅書『ウナム・サンクタム』では教皇権の至上性が説かれた[2]。13世紀以前には教会の権力は霊魂の救済に関わるもので、世俗的な統治権 (potestas) ではなく崇高な権威 (auctoritas) とされていた[2]。しかし13世紀には教皇の権力は「まったき権力」(plenitudo potestatis)とされ、万人への裁判権を有すると説かれるようになった[2]。


中世になると、両剣論には二つの異なる立場から相反する解釈がおこなわれた。ゲラシウスの定義は俗権と教権の間に明確な境界線が引かれるべきことを述べているが、それがどこに引かれるべきか曖昧で、ゲラシウスの教説は教皇側を支持する側からも皇帝側を支持する側からも、その論拠として用いられた[7]。

皇帝に有利な解釈では、帝権が直接神に由来することは世俗的世界での皇帝権の自立性の根拠となった。教権に有利な解釈では、教皇が両剣を持ち、一方の世俗的な剣を皇帝に委任して行使させるという解釈となった。レオ3世がラテラノ大聖堂に取り付けさせたモザイク画では、最初のローマ司教(のちのローマ教皇)となりローマで殉教した使徒ペトロが教皇にパリウムを、皇帝に槍を与えている。『シュヴァーベンシュピーゲル』には「主は両剣をペトロに委ねた。ゆえにその後継者である教皇が自ら教会の剣を行使し、皇帝に世俗の剣を与える」とある。

歴史的には、グレゴリウス改革以前、11世紀の頃には聖職叙任権も、ときには教皇の叙任権さえ神聖ローマ皇帝が「神の代理」として掌握しているというのが実情であった[8]。
12世紀のイングランド編集

12世紀後半のイングランドでも国王ヘンリー2世とカンタベリー大司教トマス・ベケットの対立を背景に、ベケット大司教とヘンリー2世を支持したロンドン司教ギルバート・フォリオットとが両剣論について論争をした[4]。トマス・ベケットは教会優位の立場であり、ギルバート・フォリオットは聖俗権力はそれぞれの職分を持っており相互協調を説いた[4]。



ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
両剣論
りょうけんろん
Two swords
中世における教会と国家の権力の関係についての教説。『ルカによる福音書』 22章 38の象徴的解釈に由来する。両剣論は教皇ゲラシウス1世により初めて表明され,『グラティアヌス法令集』に記載されている。教皇ボニファチウス8世はフィリップ4世との争いにおいて教書「ウナム・サンクタム」を発布,教会は両権力を神から受けており,国家権力は国王,皇帝に貸してあるのみで,教会のために用いられるべきものであるとした。他方皇帝側の両剣論は国家権力は神から直接皇帝に与えられているとする。グラティアヌスは精神的権力のみを教会に認めている。近世以後,主権在民,公会議主義により両剣論は力を失った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典内の両剣論の言及
【キリスト教】より

…この間,教会法はグラティアヌスのようなすぐれた学者をえて発達した。 教皇ボニファティウス8世(在位1294‐1303)が1302年に与えた教書《ウナム・サンクタム》は,教皇がキリストの代理者として霊界と俗界の二つの剣をもつこと,すなわち,後者を行使するのは王と騎士であっても,命令を下すのは教皇の側にあることを主張し,こうして〈すべての人間は霊魂の救いをまっとうすべくローマ教皇に服従すべきである〉と宣言した(両剣論)。もちろん,二つの剣は真っ向からぶつかるのではなく,世俗の権威もまた創造者たる神によって与えられているゆえに矛盾はないと考えているが,けっきょく教皇が失敗して世俗の権威を放棄せざるをえなくなるまで,教皇は世俗のことに介入しすぎたのである。…”
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A1%E5%89%A3%E8%AB%96-149958





ここから文献集

正教会についての参考書案内(一般入手可能なもの)
http://kliment.cocolog-nifty.com/kandazoshi/2014/06/post-78ca.html

ネット上で無料で正教会が公開している手引書pdfがあります。

ロシア正教(東方教会、ギリシャ正教)、各分派に関する文献
http://www.coara.or.jp/~dost/17-i-1.htm

東方正教関係の文献目録(和書)
http://athos.world.coocan.jp/bunken.html


pixiv百科の正教会の記事
https://dic.pixiv.net/a/%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A
元ネタは
東方正教会研究 プロテスタントと正教の違い
http://miyakojima.vsw.jp/wp-content/uploads/2015/09/02.pdf



正教会の贖罪論とプロテスタント教会の贖罪論の違いと限界について
http://miyakojima.vsw.jp/wp-content/uploads/2015/09/03.pdf

「原罪」をめぐる解釈の違い
https://ameblo.jp/caritas-agape/entry-10786330386.html


インドにおける「とき」---劫・輪廻・業---
http://www.aa.tufs.ac.jp/~tjun/articles/jikan.html

別に本はストア派でなくても図書館派でもいいよ

文献集 


ダンテ 『神曲』 原基晶訳(講談社学術文庫、2014年) 地獄篇、煉獄編、天国篇の3巻組。


ハンス・ヨナス、大貫隆訳、『グノーシスと古代末期の精神 第一部 神話論的グノーシス』、2015.9.18、pp.353-381+註(pp.450-466):

maniマニ教系はこの記事に集める
「真のキリスト教」摩尼教/光の仏陀(摩尼光仏)かイランを強化した老子(老子化胡)か/宋・元・明代の明教-喫菜事魔/カルト作成マニュアルとマニ教について情報あつめるところ。マミさんは真のキリスト教に目覚めたようです
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

F. C. Burkitt, The Religion of the Manichees, (Donnellan Lectures for 1924), AMS Press Inc., New York, 1978
1925刊本の再刊
『マニ教徒たちの宗教』
マニ教徒たちの歴史/私たちの知識の源泉/マニ教による過去の説明/神の5つの属性についての覚書//
マーニーの体系における〈イエス〉/マニ教の教会組織/Khuastuanift/未来についてのマニ教の理念//
マーニーの体系の源泉/バルダイサン/マルキオーン/トゥルケスタンの資料の証言/崇拝/マニ教用語におけるシリア語とギリシア語/Barlaam と Joasaph/世界-穢れ/アウグスティヌスと悪の起源//
附録;マニ教徒の位階/5つの純粋な元素/シリア語のマニ教断片/ソグディアナ語のネストリウス派聖句集など、140ページ(手もとにあるのはコピー)。

A. V. William Jackson, Researches in Manichaeism. With Special References to thw Turfan Fragments, AMS Press Inc., New York, 1965
1932刊本の再刊
『マニ教研究 トゥルファンの断片への特別な参照とともに』










★ マニ教リンク(仮)★
http://guru-teenoso.world.coocan.jp/mani_link.html

ユーリー・ストヤノフ、三浦清美訳、『ヨーロッパ異端の源流 カタリ派とボゴミール派』、平凡社、2001
ディミータル・アンゲロフ、寺島憲治訳、『異端の宗派 ボゴミール』、恒文社、1989
渡邊昌美、『異端者の群れ カタリ派とアルビジョア十字軍』、八坂書房、2008
アルノ・ボルスト、藤代幸一訳、『中世の異端カタリ派』、新泉社、1975
渡邊昌美、『異端カタリ派の研究-中世南フランスの歴史と信仰-』、岩波書店、1989
フェルナン・ニール、渡邊昌美訳、『異端カタリ派』(文庫クセジュ 625)、白水社、1979
原田武、『異端カタリ派と転生』、人文書院、1991
ルネ・ネッリ、柴田和雄訳、『異端カタリ派の哲学』(叢書・ウニベルシタス 547)、法政大学出版局、1996
池上俊一、『ヨーロッパ中世の宗教運動』、2007、pp.107-209:「第2章 カタリ派」
リチャード・E・ルベンスタイン、『中世の覚醒 アリストテレス再発見から知の革命へ』、2008、pp.218-243:

vii マンダ教など viii マニ教(マーニー教)などix ボゴミール派、カタリ派など
http://uchuronjo.com/cosmo/gnostica_3.html#yamamoto_mani

矢吹慶輝、『摩尼敎 岩波講座 東洋思潮(東洋思想の諸問題 13)』、岩波書店、1935
序説/摩尼敎研究資料/敎祖摩尼傳/摩尼敎會史 東西傳道史、支那における摩尼敎/摩尼敎敎義など、47ページ(手もとにあるのはコピー)

本書は
矢吹慶輝、芹川博通校訂、『マニ教と東洋の諸宗教 比較宗教学論選』、佼成出版社、1988
の「Ⅰ マニ教とは何か」の「第1章 マニ教」(pp.13-71)として再録されました。
「Ⅰ」は;
マニ教とは何か マニ教//
  マニ教籍;下部讃一巻/摩尼光仏教法儀略一巻//
  マニ教『下部讃』について//仏教とマニ教-両教交渉の一端/『老子化胡経』中のマニ教//
  付録 マニ教関係資料;はしがき/摩尼教断片『下部讃』/『摩尼光仏教法儀略』/『フィーリスト』(抄訳)-アル=ナディーム著

これ以外に;
東洋の諸宗教 東洋の意義//東洋宗教の諸相;仏教とキリスト教/景教と祆教/マニ教と回教//
  仏教//三階教//三階教と日本仏教など、448ページ。

佐藤圭四郎、「アッバース朝時代のマニ敎について」、『石浜先生古稀記念 東洋学論叢』、1958、pp.228-241

須永梅尾、「ファウストゥスとアガピウス-古代末におけるマニ教的異端の一考察-」、『文化史学』、no.23、1968.5、pp.20-32
序/ファウストゥス/アガピウス/結びなど

須永梅尾、「『巨人の書』の再検討」、『オリエント』、vol.18 no.1、1975、pp.55-67 [ < J-STAGE ]

須永梅尾、「マニの啓示にあらわれた“仲介者”の観念」、『オリエント』、vol.19 no.2、1976、pp.69-84 [ < J-STAGE ]

須永梅尾、「青年マーニーの人間像をめぐって」、『オリエント』、vol.23 no.1、1980、pp.95-111 [ < J-STAGE ]

須永梅尾、「マーニーの思想と黙示文学の系譜」、『オリエント』、vol.31 no.2、1988、pp.140-152 [ < J-STAGE ]

なお著者には、『マニ教の世界』、私家版、1991
があるとのことですが、残念ながら未見。

岡野昌雄訳、『アウグスティヌス著作集 7 マニ教論駁集』、教文館、1979
二つの魂(391-2) +再考録/フォルトゥナトゥス駁論(392) +再考録/基本書と呼ばれるマニの書簡への駁論(400) +再考録/善の本性(404-5) +再考録/結婚の善 +再考録//解説など、348ページ。

→こちらにも挙げておきます

片柳栄一、「Jesus patibilis -アウグスティヌスの接したヌミディアのマニ教の一断面-」、『中世思想研究』、no.22、1980.10.20、pp.25-47 [ < 『中世思想研究』バックナンバー < 中世哲学会 ]

S.ペトルマン、神谷幹夫訳、『二元論の復権 グノーシス主義とマニ教』、1985
→細目はこちら

ハンス・ヨナス、『グノーシスの宗教』、1986、pp.279-320:「第2部第9章 マニによる創造、世界史、そして救済」
→こちらも参照

森安孝夫、『ウイグル=マニ教史の研究』、大阪大学文学部、1991
ベゼクリク千仏洞中のマニ教寺院;小序/仏教=マニ教二重窟の発見と調査/グリュンヴェーデル第25窟の構造/グリュンヴェーデル第25窟=マニ教窟説の検証/正面壁画の主題に関する従来の説/ウイグル語銘文よりの検討/生命の樹/その他のマニ教窟/歴史的考察(壁画年代論への寄与)//
トゥルファン出土マニ教寺院経営令規文書;概観/マニ教寺院経営令規文書:テキストと和訳/マニ教寺院経営令規文書:語註//
西ウイグル王国におけるマニ教の繁栄と衰退-マニ教寺院経営令規文書の歴史的位置付け-;マニ教寺院経営令規文書の性格/令規文書の上限:ソルミ(Solmï)問題/トゥルファン・敦煌文書に反映する西ウイグルのマニ教/令規文書の下限:マニ教の衰退と仏教の台頭/イスラム資料の伝える西ウイグルのマニ教//
付録;東ウイグル可汗および西ウイグル国王のクロノロジー/京都大学文学部所蔵 トゥルファン出土マニ教徒祈願文断簡/北京図書館所蔵 敦煌出土マニ教僧手紙文断簡(冬61ウラ)など、302ページ。

本書は→ウェブ上に掲載されています [ < CiNii Articles ]
本書の書評;吉田豊、『史學雑誌』、vol.102 no.4、1993.4、pp.105-115

加藤九祚、「マニ教研究ノート」、『創価大学人文論集』、no.5、1993.3、pp.242-263 [ < 創価大学機関リポジトリ]




大貫隆、「ゾロアスター教とマニ教」、『グノーシス 陰の精神史』、2001、pp.118-133
→細目はこちら

長島優、「『老子化胡経』について」、『佛教文化学会紀要』、no.9、2000、pp.278-299 [ < J-STAGE ]

クルト・ルドルフ、『グノーシス』、2001、pp.361-377:「マニ教」
成立の背景/バルデサネース/マニの生涯/マニ教の勢力拡大/マニ教文書/マニの教説/マニ教の体系/救済論/マニ教の教会/共同体生活/祝祭と儀式/罪の理解

ミシェル・タルデュー、大貫隆・中野千恵美訳、『マニ教』(文庫クセジュ 848)、白水社、2002
原著は Michel Tardieu, Le Manichéisme, 1997
マニ;マニの誕生と時/マニの両親/マニの父親の宗教/ムグタジラ派/「エルカサイ」/天使の告知/反エルカサイ派論争/預言者たちの印璽/旅と伝動/晩年//
典籍;マニが読んでいた書籍/マニの著作/正典/マニ教の教父学//
共同体;位階制/修道士の倫理規範/在家衆の倫理規範/典礼//
万神;物語/マニ教の神々一覧/5個組の体系など、196ページ。

大貫隆、「マニ教 その東進と政治」、『別冊 環 8 オリエントとは何か-東西の区分を超える-』、藤原書店、2004.6.30、pp.170-175
マニとマニ教/ササン朝ペルシアからトランス・オクソニア(ゾグドニア)へ/ウイグル王国と中国に伝播したマニ教と政治

『大和文華』、no.119、2009.2.28、「大和文華所蔵六道図特輯」
はじめに(吉田豊)//
寧波のマニ教画 いわゆる「六道図」の解釈をめぐって(吉田豊);本画の構成と先行研究/マニ教画であることの証明 主尊の図像、個人の終末論:マニ教が説く「三道」、主尊の左右の人々/本画作成の目的/銘文/二つの仮説 引路菩薩、史君墓のレリーフ//
大和文華館蔵マニ教絵画にみられる中央アジア来源の要素について(Zsuzsanna GULÁCSI、田中健一・柳承珍訳);背景/トルファンのマニ教芸術との関連性 説教の場面、主尊の像、裁きの場面//
近年マニ教画と認定された大和文華館所蔵の絹絵についての覚え書き(Jorinde EBERT、吉田豊訳);マニ教徒の法衣に見られる segmenta と clavi/色彩と装身具/鉢巻きあるいはリボンとして描かれたディアデム/Segmenta の中に描かれた女性の顔など、56ページ。

下掲『大和文華』、no.121、2010:「マニ教絵画特輯」および『中国江南マニ教絵画研究』、2015も参照

森安孝夫、「日本に現存するマニ教絵画の発見とその歴史的背景」、『内陸アジア史研究』、no.25、2010.3.31、pp.1-29 [ < CiNii Articles ]

『大和文華』、no.121、2010.3.31、「マニ教絵画特輯」
はじめに(吉田豊)//
新出マニ教絵画の形而上(吉田豊) 宇宙図;マニ教と絵画/マニ教の宇宙観を絵画化したものであることの証明/宇宙図とテキストとの比較 十天と黄道十二宮、太陽と月/マニと2人の従者//
  その他の部分でテキストに対応があり解釈が可能な部分;須弥山と海/大地と大地に横たわる悪魔及び奇形の生き物/空中の2つのシーン:裁きのシーン、雲と光の処女/地獄あるいは地下/天界および天界図:天界、天界図の2断片/金剛相柱/活ける霊(浄風)の5人の子供たち//
  その他の問題;絵画に基づくテキスト?/『宋会要輯稿』の記述との違い:どの絵に当たるのか/解釈ができない部分/トルファンに宇宙図はあったか//
聖者伝図//付録:マニ教の宇宙生成神話//
新出マニ教絵画試論-制作(古川攝一);新出マニ教絵画の表現及び現状 宇宙図、聖者伝図(1)、聖者伝図(2)、天界図/表現の特色及び作品相互の関係 人物、建物、自然表現/制作年代など、66ページ。

上掲『大和文華』、no.119、2009:「大和文華所蔵六道図特輯」および下掲『中国江南マニ教絵画研究』、2015も参照
→こちらにも挙げておきます

青木健、『マニ教』(講談社選書メチエ 485)、講談社、2010.11.10
プロローグ-マーニ・ハイイェーとマーニー教;人工の宗教・書物中心の宗教・神話的表象の宗教/第4の世界宗教?/消え去った宗教//
マーニー教研究資料の発見史-西域の砂漠から南シナ海沿岸の草庵まで;西域の砂漠/北アフリカ/第2次世界大戦後の発見/イスラーム系資料の再評価/20世紀以降に発見されたマーニー教研究資料と21世紀初頭の研究状況//
マーニー・ハイイェーの生涯-「イエス・キリストの使徒」にして「バビロニアの医師」;マーニーの生涯の時代区分/篤信の洗礼教団時代(0~12歳)/反抗の洗礼教団時代(12~24歳)/初期宣教とインド時代(24~26歳)/栄光の教祖時代(26~56歳)/殉教の教祖時代(56~60歳)//
マーニー・ハイイェーの啓示-現世の否定と光の世界への帰還;マーニーの記念碑/宇宙論-光の神と闇の神の対決/人間論-最終決戦の舞台としての人間存在/救済論-使徒たちの派遣/倫理-暗黒の肉体を浄化する禁欲主義/終末論-光の世界への帰還と世界の最終浄化/マーニー・ハイイェーの思想の意義-先行諸思想と独自性//
マーニー教の完成;マーニーの遺産/マーニー教教会-マーニスターンとヒエラルヒー/マーニー教儀礼-「人工の宗教」と「人工の儀礼」/マーニー教芸術-教祖の絵画的天分の開花//
マーニー教教会史①-エーラーン・シャフル;教祖没後のマーニー教教会-後継者争い/暗黒の4世紀-ゾロアスター教神官団の異端審問/『ザンド・アベスターグ』の完成と「ザンドの異端」への転化/中央アジアの東方マーニー教神学とデーナーワリー派の出現//
マーニー教教会史②-ローマ帝国;地中海世界への拡大/アウグスティヌスの出現とスペインの「ラテン的マーニー教」/キリスト教のローマ帝国国教化と西方マーニー教教会の崩壊/ヨーロッパにおけるマーニー教的異端//
マーニー教教会史③-ウンマ・イスラーミーヤ;シスマの終焉とウマイヤ王朝期の全盛時代/知識人の宗教と大弾圧/独創的思想家の輩出と変容するマーニー教教義/10世紀、再び中央アジアへの脱出//
マーニー教教会史④-中国;マーニー教の中国初伝/大唐帝国・遊牧ウイグル王国・天山ウイグル王国の/


青木健、『古代オリエントの宗教』、2012.6.20、pp.53-83:「第2章 マーニー教のイエス中心主義-3世紀のメソポタミア」
マーニー・ハイイェー-メソポタミアが育んだ宗教思想;イエス・セントリックな時代思潮/使徒パウロを模範として/「何人のキリストを造るお積りか?」//
マーニー教の神話構造;天上界で生起した人間捕囚のドラマ/「天上界の輝けるイエス」/「地上の使徒イエス」/「十字架上の受難で苦しむイエス」/「最後の審判に降臨する裁きのイエス」//
「真のキリスト教」の伝道;東西への布教方法の差異/「最悪の異端」-地中海世界のマーニー教/ゾロアスター教神官からの迫害-イラン・中央アジア世界のマーニー教/「仏陀のための宗教」へ

山田庄太郎、「ファウストゥスのマニ教理解について-アウグスティヌス時代のマニ教の一側面-」、『宗教研究』、vol.83 no.3、2010.12.30、pp.637-659 [ < CiNii Articles ]

岡田明憲、「巨人の書」、藤巻一保・岡田明憲、『東洋秘教書大全』、2012.9.11、pp.390-393
マニが興した世界宗教/巨人の物語に見るマニの思想など

ニコラス・J・ベーカー=ブライアン、青木健訳、『マーニー教 再発見された古代の信仰』、青土社、2014.4.25
原著は Nicholas J. Baker-Brian, Manichaeism. An Ancient Faith Rediscovered, 2011
序言//マーニー教の再発見 論争と資料;新旧の論争/「他者」としてのマーニー教/グノーシス、グノーシス主義、融合主義/マーニー教のアイデンティティー/マーニー教文献の再出現//
マーニーの「多様な」生涯;マーニー教のアイデンティティー形成における宗教的伝記/マーニーは不可知か?/偽情報と真情報/ギリシア語文献におけるマーニーの生涯(CMC)/『アクタ・アルケライ』におけるマーニーの生涯//
マーニー教神学 1 神学と文献;文献的使徒マーニー/「全ての秘義を青銅の碑版に記せ」 マーニーの福音の永続化/マーニーの著作とマーニー教聖典 『シャーブフラガーン』、『大いなる福音』、『生命の宝庫』、『伝説の書』、『奥義の書』、『巨人の書』、『書簡集』、『詩篇と祈禱文』//
マーニー教神学 2 宇宙、祈禱、教会;マーニーの神話と聖職者/「不完全な序盤、弛緩した中盤、退屈な終盤」 神話の語り部マーニー/悪の問題/マーニー教神話の理解方法/神話 宇宙的闘争と光の犠牲、造物主の闘い、原形質体 アダムとエヴァの出現、終末/神話とマーニー教教会/マーニー教聖職者の組織と活動/マーニー教聖職者のエクレシア//
結論など、330ページ。

吉田豊・古川攝一編、『中国江南マニ教絵画研究』、臨川書店、2015.3.31



 
ギリシァ神話と日本神話
比較神話学の試み 1
吉田敦彦著
みすず書房 1974年
この本の主題はデュメジルによる印欧語族神話研究と、
ギリシア神話と日本神話の類似についてとなっており、
日本神話の源流の一つがギリシア神話や印欧語族神話
にあるのではないかという説の書かれた本でもあります。

しかしこの本と次の『アマテラスの原像』のもう一つの価値は、
ナルト叙事詩について日本語で読むことのできる
数少ない書物であるということです。
丁寧な説明と一部の神話が載っていますので、
それらの基本書としてココに入れました。
アマテラスの原像
スキュタイ神話と日本神話
吉田敦彦著
青土社 昭和55年
上の『ギリシァ神話と日本神話』と

『イスラーム神秘主義聖者列伝』ファリード・ゥッディーン・ムハンマド アッタール著、藤井守男 訳、国書刊行会、1998年6月
『鳥の言葉 - ペルシア神秘主義比喩物語詩--』アッタール著、黒柳恒男訳、平凡社、2012年5月。(東洋文庫 821)


アッタール 『鳥の言葉 - ペルシア神秘主義比喩物語詩』 黒柳恒男訳、平凡社〈東洋文庫 821〉、2012年5月

各地域、宗教の神話の参考文献 - Biglobe
http://www7b.biglobe.ne.jp/~sinwa_plus_alpha/mythology5.html


『山海経』 前漢初期、変な動物や人間がたくさん載っている。
道教の神秘と魔術 | ジョン ブロフェルド, 陳 舜臣, 西岡 公

 葛洪の『抱朴子』とアンリ・マスペロの『道教』(平凡社東洋文庫)
『道教』 川勝義雄訳、平凡社東洋文庫/平凡社ライブラリー、2000年
『道教の養性術』 持田季未子訳、せりか書房、1983年

『史記を語る』(岩波新書、1979年/岩波文庫、1996年、ISBN 4003313321、解説吉川忠夫)

ネーミング全史 商品名が主役に躍り出た

タバコの世界史 J-グッドマン著 平凡社刊
タバコの歴史 著 上野 堅実

ドイツ敬虔主義―宗教改革の再生を求めた人々((単行本))
ヨハネス・ヴァルマン (著), 梅田 與四男 (翻訳)
ドイツ敬虔主義((単行本))
マルティン シュミット (著), Martin Schmidt (原著), 小林 謙一 (翻訳)
敬虔者たちと「自意識」の覚醒―近世ドイツ宗教運動のミクロ・ヒストリア (叢書歴史学への招待)((単行本))
森 涼子 (著)
ギリシア教父の神秘主義 キリスト教神秘主義著作集 <1>((単行本))
谷 隆一郎 (翻訳), 熊田 陽一郎 (翻訳)

キリスト教神秘思想史 (1) 単行本 – 1996/2
Louis Bouyer (著), 上智大学中世思想研究所
新版 古代の密儀 (象徴哲学大系)((単行本))
マンリー・P. ホール (著), Manly P. Hall (原著), 大沼 忠弘 (翻訳), 山田 耕士 (翻訳), 吉村 正和 (翻訳)

マッキーの主著 Story: Substance, Structure, Style and the Principles of Screenwriting は、既に19カ国で翻訳されている。日本語の翻訳は、版権問題などで長年、難航していたが[2]、2016年1月、ダイレクト出版から、省略も要約も無しの完全版で、ようやく刊行された。
出典編集

^ 翻訳:『ザ・ストーリー』, ダイレクト出版, 2015

不老不死の身体―道教と「胎」の思想 (あじあブックス)/加藤 千恵
中世末期から近世初期までの自然魔術、錬金術、占星術に関する
海外文献を紹介するサイト。
欧米の神秘主義を紹介する日本語のサイトとしては、ここが最高峰です。
bibliotheca hermetica
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9866/bh.html

  F.A.イエイツ 著
『薔薇十字の覚醒』 (工作舎、1986年)
取り敢えず、ここから入って下さい。


ヨーハン・ヴァレンティン アンドレーエ、種村季弘訳
『化学の結婚』 (紀伊国屋書店、1993年)
イェイツの中にも『ファーマ』等の翻訳が入ってますが、
ドイツ文学専門家としての巨匠の決定版です。
エリアーデ、M.
 『鍛冶師と錬金術師(著作集5)』大室幹雄訳、せりか書房、1981
大槻真一郎編著
 『記号図説 錬金術事典』同学社、1996
スタニスラス・クロソウスキー・デ・ロラ
 『錬金術』イメージの博物誌6、種村季弘訳、平凡社、1978
コロシモ、ピーター
 『惑星の錬金術』坂斉新治訳、大陸書房、1976
付:日夏響「解説錬金術誌」pp.209-268
佐藤任・小森田靖子
 『インド錬金術』東方出版、1989

エディゴフェル著
『薔薇十字団』 (白水社、クセジュ文庫、1991年)
今は入手できないのかな?一番お手軽な入門書。  
ゲルショム・ショーレム
 『錬金術とカバラ』(徳永恂・波田節夫・春山清純・柴崎雅子共訳)
 作品社、2001、本体¥2,800

<パラケルスス>
パラケルスス
 『パラケルスス 自然の光』J.ヤコビ編、大橋博司訳、人文書院、1984
『奇蹟の医書』大槻真一郎訳、工作舎、1980
大橋博司
 『パラケルススの生涯と思想』思索社、1988
松田寿男
『丹生の研究―歴史地理学から見た日本の水銀』早稲田大学出版部、1970
松田寿男
『古代の朱』学生社、1975
市毛勲
『朱の考古学―日本古代朱の史的研究』雄山閣
佐藤任
『空海と錬金術:金属史観による考察』東京書籍、1991
佐藤任
『密教と錬金術』勁草書房、1983
佐藤任
 『空海のミステリー : 真言密教のヴェールを剥ぐ 』出帆新社, 1998

<中国の錬金術>
セビン、N.
 『中国の錬金術と医術』中山茂・牛山輝代訳、思索社、1985
ユング、C.G.+R.ヴィルヘルム
 『黄金の華の秘密』湯浅泰雄・定方昭夫訳、人文書院、1980
近藤真澄
 『東洋錬金術』内田老鶴圃、1929
マスペロ、アンリ
 『道教』平凡社東洋文庫、1987


Allen G. Debus,

『ケミカル・フィロソフィ』

The Chemical Philosophy.

New York, 1977.

ついに邦訳(平凡社、1999年)されました。A.G. Debus 著『近代錬金術の歴史』 (平凡社、1999年)への





『化学史研究』 第27巻第2号 (2000年)、80-82頁所収



アレン・G. ディーバス (川崎勝・大谷卓史訳) 『近代錬金術の歴史』平凡社, 1999年10月, 653頁, ISBN 4-582-53721-9, 9000円.

蒸留術とイスラム錬金術、そして『アロマトピア』
http://www.geocities.jp/bhermes001/aromatopia.html

最初の最初に読むべきは?
ヒロ・ヒライ + 小澤実・編 『知のミクロコスモス:中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』

(中央公論新社、2014年3月)









ヒロ・ヒライ編 『ミクロコスモス』 (月曜社、2010年3月)









次に何を読むべきか?





BH叢書



第3弾



アンソニー・グラフトン 『テクストの擁護者たち:近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』 (勁草書房BH叢書、2015年8月)







第2弾

菊地原洋平 『パラケルススと魔術的ルネサンス』 (勁草書房BH叢書、2013年12月)







第1弾

榎本恵美子 『天才カルダーノの肖像:ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈』 (勁草書房BH叢書、2013年12月)









そして、姉妹編





グラフトン 『カルダーノのコスモス:ルネサンスの占星術師』 (勁草書房、2007年)



A・グラフトン 『テクストの擁護者たち:近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』 (勁草書房、2015年)



A・ぺディグリー 『印刷という革命』 桑木野幸司訳 (白水社、2015年)







2014年



ヒロ・ヒライ+小澤実・編 『知のミクロコスモス:中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』 (中央公論新社、2014年)



L・プリンチーペ 『科学革命』 (丸善出版、2014年)> セミナーの動画リスト



水野千依 『キリストの顔:イメージ人類学序説』 (筑摩書房、2014年)



桑木野幸司 『叡智の建築家:記憶のロクスとしての16・17世紀の庭園、劇場、都市』 (中央公論美術出版、2014年)





菊地原洋平 『パラケルススと魔術的ルネサンス』 (勁草書房・BH叢書、2013年12月)



榎本恵美子 『天才カルダーノの肖像:ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈』 (勁草書房・BH叢書、2013年7月)



R・エヴァンズ 『バロックの王国:ハプスブルグ朝の文化社会史 1550-1700年』 (慶応大学出版会、2013年)



J・ケプラー 『新天文学』 (工作舎、2013年)*



A・キルヒャー 『普遍音楽』 (工作舎、2013年)



パラケルスス 『アルキドクセン』 (ホメオパシー出版、2013年)



根占献一・他 『イタリア・ルネサンスの霊魂論』新装版 (三元社、2013年)



平岡隆二 『南蛮系宇宙論の原典的研究』 (花書院、2013年


カルターリ 『西欧古代神話図像大鑑』 (八坂書房、2012年)

おなじみのローマの大橋さんの新邦訳。『古代人たちの神々の諸像』 Vincenzo Cartati, Le imagini de i dei de gli antici (1556年) の全訳



バウスマ(注:ブースマ) 『ルネサンスの秋:1550-1640』 (みすず書房、2012年)* > 使用法に注意

売り文句の「ブルクハルト、ホイジンガを継ぐ、現代の古典ともいえる書」というのは誇大広告ではないでしょうか?



グラフトン 『アルベルティ:イタリア・ルネサンスの構築者』 (白水社、2012年)*



パラケルスス 『目に見えない病気』 (ホメオパシー出版、2012年) 新邦訳の登場!



パオロ・ロッシ 『普遍の鍵』 新装版 (国書刊行会、2012年) 不朽の名作が復刻!



伊藤博明 『ルネサンスの神秘思想』 (講談社学術文庫、2012年) ついに文庫入り!







2011年



水野千依 『イメージの地層:ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』 (名古屋大学出版会、2011年)*



ガレン 『ルネサンスの文化史:ある史的肖像』 (平凡社ライブラリー、2011年)

ロザリー・コリー 『パラドクシア・エピデミア:ルネサンスにおけるパラドクスの伝統』 (白水社、2011年)*



岡部雄三 『ドイツ神秘思想の水脈』 (知泉書館、2011年)*







2010年



折井善果 『キリシタン文学における日欧文化比較:ルイス・デ・グラナダと日本』 (教文館、2010年12月)



ブースマ(注:バウスマ) 『ギヨーム・ポステル:異貌のルネサンス人の生涯と思想』 (法政大学出版局、2010年)*



パラケルスス 『医師の迷宮』 (ホメオパシー出版、2010年) 待望の新邦訳!



イェイツ 『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』 (工作舎、2010年)



ジョーンズ 『フランシス・イェイツとヘルメス的伝統』 (作品社、2010年)*



カッシーラー 『認識問題』 第1巻 (みすず書房、2010年)





『原典 イタリア・ルネサンス人文主義』 (名古屋大学出版会、2009年)* 個人で買うには高すぎますよね、これ。



根占献一 『ルネサンス精神への旅:ジョアッキーノ・ダ・フィオーレからカッシーラーまで』 (創文館、2009年)



ゼーリ 『ローマの遺産:コンスタンティヌス凱旋門を読む』 (八坂書房、2009年)* おなじみローマの大橋さんの邦訳です。



ヨハネス・ケプラー 『宇宙の調和』 (工作舎、2009年)



ヨハネス・ケプラー 『宇宙の神秘』新装版 (工作舎、2009年)*





金沢百枝 『ロマネスクの宇宙:ジローナの『天地創造の刺繍布』を読む』 (東京大学出版会、2008年)



『哲学の歴史 (第4巻) ルネサンス』 (中央公論新社、2007年)



グラフトン 『カルダーノのコスモス:ルネサンスの占星術師』 (勁草書房、2007年)



エヴァンス 『魔術の帝国』 上巻&下巻 (ちくま学芸文庫、2006年) パワード・バイ・BH!



リーヴス 『中世の予言とその影響:ヨアキム主義の研究』 (八坂書房、2006年) おなじみローマの大橋さんの邦訳です。



ヴァールブルク 『ルターの時代の言葉と図像における異教的=古代的予言』 (ありな書房、2006年)



ヴァールブルク 『ルネサンスの祝祭的生における古代と近代』 (ありな書房、2006年)*



ブルーノ 『英雄的狂気』 (東信堂、2006年)*

宇宙論の歴史、孫引きガイド
http://uchuronjo.com/cosmologica.html


フィンドレン 『自然の占有:ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』 (ありな書房、2005年)*



根占献一 『フィレンツェ共和国のヒューマニスト:イタリア・ルネサンス研究』 (創文社、2005年)



根占献一 『共和国のプラトン的世界:イタリア・ルネサンス研究・続』 (創文社、2005年)



ヘンリー 『十七世紀科学革命』 (岩波書店、2005年)



ヴァールブルク 『フィレンツェ文化とフランドル文化の交流』 (ありな書房、2005年)*

プラトンのアトランティス文明に関する記述の要約
http://www2.tokai.or.jp/shaga/atorantis/sub6.htm

カルデア人の神託(Chaldaean Oracles)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/urchristentum/chaldaica.html

ヴァールブルグ 『フィレンツェ市民文化における古典世界』 (ありな書房、2004年)*



矢野道雄 『星占いの文化交流史』 (勁草書房、2004年)



ウォーカー 『ルネサンスの魔術思想』 (ちくま学芸文庫、2004年)



パラケルスス 『奇蹟の医の糧』 (工作舎、2004年)



パノフスキー 『イデア』 (平凡社ライブラリー、2004年)



平野隆文 『魔女の法廷:ルネサンス・デモノロジーへの誘い』 (岩波書店、2004年)


ストア派(Stoics ; Stoiker ; stoîciens ; Stoa)
http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/su_stoics.html

種村 剛(TANEMURA, Takeshi)
http://tanemura.la.coocan.jp/index.html


ブルーノ 『カンデライオ』 (東信堂、2003年)*



ヴァールブルク 『デューラーの古代性とスキファノイア宮の国際的占星術』 (ありな書房、2003年)



ヴァールブルク 『ボッティチェッリの 《ウェヌスの誕生》 と 《春》 :イタリア初期ルネサンスにおける古代表象』 (ありな書房、2003年)



シュミット&コーペンハーヴァ 『ルネサンス哲学』 (平凡社、2003年)*



シャステル 『ルネサンス精神の深層』 (ちくま学芸文庫、2002年)



ガレン 『ルネサンスの教育:人間と学芸の革新』 (知泉書館、2002年)



マンセッリ 『西欧中世の民衆信仰:神秘の感受と異端』 (八坂書房、2002年)* おなじみローマの大橋による邦訳です。
イスラーム世界における少年愛は、9世紀以後19世紀半ばにいたる時代、詩、芸術、スピリチュアリティとともにイベリア半島から北インドまでの地域における ... たとえば酒姫(サーキー: 酌人の小姓)のような少年の存在は、同性愛的情熱の象徴としてヘレニズム的要素を認めることができる。
  イスラム化したといえ、ペルシアでは酒場が公然とある有様だった。家でこっそり隠れて飲む、というのではなく、酒場でサーキイの酌を受けながら男たちは飲 みまくったのだ。ただ、サーキイを日本語で(酒姫)と訳しているが、これは日本の酌婦と異なり男、しかも少年が酌をしていた。この少年たちは酌をしていた だけでなく、よく同性愛の対象ともなった。オマル・ハイヤームの時代はトルコ系の美少年が多かったらしいが、未成年者に酌をさせた挙句弄ぶとは、現代人と モラルが違いすぎる。
 ハイヤームはこの他にも到底敬虔なムスリムとは呼べないような詩も書いている。

伊泉龍一氏著の『タロット大全』(紀伊国屋書店)


ゼーリ 『イメージの裏側:絵画の修復、鑑定、解釈』 (八坂書房、2000年)* おなじみローマの大橋による邦訳です。



ブルーノ 『原因・原理・一者について』 (東信堂、1998年)


伊藤章治著『ジャガイモの世界史』

ディーバス 『近代錬金術の歴史』 (平凡社、1999年)
--- 『ルネサンスの自然観』 (サイエンス社、1986年)

ウェブスター 『パラケルススからニュートンまで』 (平凡社、1999年)

テイラー 『錬金術師』 (人文書院、1978年)

ホームヤード 『錬金術の歴史』 (朝倉書店、1996年)

ゴルダマー 『パラケルスス:自然と啓示』 (みすず書房、1986年)

ヤコビ 編 『パラケルスス:自然の光』 (人文書院、1984年)
工作舎から、パラケルススの『パラグラヌム』 Paragranum の邦訳が『奇蹟の医の糧』というタイトルで出版されたという報せを受けました。訳者の澤元さんは、BHミーティングに参加。これを機に、長く在庫切れだったパラ三部作の第一弾『奇蹟の医書』も新装版にて復刊されました。買い逃していた人は、チャンスです!(2004年11月4日記す)



フィンドレン 『自然の占有:ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』 (ありな書房、2005年)


コイレ 『パラケルススとその周辺』 (白馬書房、1987年)
--- 『閉じた世界から無限宇宙へ』 (みすず書房、1973年)

ドブズ 『ニュートンの錬金術』 (平凡社、1995年)
--- 『ヤヌス的の天才の肖像』 (みすず書房、2000年)

イェイツ 『魔術的ルネサンス』 (晶文社、1984年)
--- 『薔薇十字の覚醒』 (工作舎、1986年)
--- 『記憶術』 (水声社、1993年)
--- 『世界劇場』 (晶文社、1978年)

--- 『16世紀フランスのアカデミー』(平凡社、1996年)

ウォーカー 『ルネサンスの魔術思想』 (平凡社、1993年 > (ちくま学芸文庫、2004年)
--- 『古代神学』 (平凡社、1994年)

エヴァンス 『魔術の帝国』 (平凡社、1988年) > (ちくま学芸文庫、2006年)

ガレン 『イタリア・ルネサンスにおける市民生活と科学・魔術』 (岩波書店、1970年)

--- 『ルネサンスの文化史:ある史的肖像』(平凡社、2000年)> (平凡社ライブラリー、2011年)
--- 『ルネサンスの教育:人間と学芸の革新』 (知泉書館、2002年)


ウィント 『ルネサンスの異教秘儀』 (晶文社、1986年)

クリバンスキー、パノフスキー、ザクスル 『土星とメランコリー』 (晶文社、1991年)

パノフスキー 『イデア』 (思索社、1982年 > 平凡社ライブラリー、2004年)

ヘニンガー 『天球の音楽』 (平凡社、1990年)

ロッシ 『魔術から科学へ』 (サイマル出版、1970年)
--- 『普遍の鍵』 (国書刊行会、1984年) >(国書刊行会、2012年) 不朽の名作が新装版で復刻!

--- 『哲学者と機械』 (学術書房、1989年)

クリステーラー 『ルネサンスの思想』 (東大出版、1977年)

--- 『イタリア・ルネサンスの哲学者』 (みすず書房、1992年) > 新装版 (みすず書房、2006年)

ポプキン 『懐疑』 (紀伊国屋書店、1981年)

カッシーラー 『個と宇宙:ルネサンス精神史』 (名古屋大学出版、1991年)
--- 『シンボルとスキエンティア』 (ありな書房、1995年)
--- 『英国のプラトン・ルネサンス』 (工作舎、1993年)

--- 『認識問題』 第1巻 (みすず書房、2010年)

シャステル 『ルネサンス精神の深層』 (平凡社、1989年 > (ちくま学芸文庫、2002年)

--- 『ルネサンスの神話:1420-1520』(平凡社、1999年)

--- 『ルネサンスの危機:1520-1600』(平凡社、2000年)

デッラ・ポルタ 『自然魔術』 (青土社、1990年)
--- 『自然魔術(身体編)』 (青土社、1996年)

クリアーノ 『ルネサンスのエロスと魔術』 (工作舎、1991年) 使用法に注意。

ラヴジョイ 『大いなる存在の連鎖』 (晶文社、1975年)

エイトン 『ライプニッツの普遍計画』 (工作舎、1990年)

柴田・荒井 編 『ヘルメス文書』 (朝日出版、1980年)

ヨナス 『グノーシスの宗教』 (人文書院、1986年)

ショーレム 『ユダヤ神秘主義』 (法政大学出版、1985年)
--- 『カバラとその象徴的表現』 (法政大学出版、1985年)
--- 『錬金術とカバラ』 (作品社、2001年)


テスター 『西欧占星術の歴史』 (恒星社厚生閣、1997年)

アーバー 『近代植物学の起源』 (八坂書房、1990年)

フィッシャー 『ゲスナー:生涯と著作』 (博品社、1994年)



中世思想原典集成 (平凡社、1993-2002年)


ヴァールブルク 『デューラーの古代性とスキファノイア宮の国際的占星術』 (ありな書房、2003年)



--- 『ボッティチェッリの 《ウェヌスの誕生》 と 《春》 :イタリア初期ルネサンスにおける古代表象』 (ありな書房、2003年)


伊藤博明 『神々の再生』 (東京書籍、1996年) > 『ルネサンスの神秘思想』 (講談社学術文庫、2012年)
--- 『ヘルメスとシビュラのイコノロジー』 (ありな書房、1992年)



根占献一他 『イタリア・ルネサンスの霊魂論:フィチーノ、ピコ、ポンポナッツィ、ブルーノ』 (三元社、1995年)>新装版(同、2013年)


川端香男里 編 『神秘主義:ヨーロッパ精神の底流』 (せりか書房、1988年) 使用法に注意。


清水純一 『ルネサンス 人と思想』 (平凡社、1994年)

澤井繁男 『魔術の復権』 (人文書院、1985年) 使用法に注意。
--- 『ルネサンス文化と科学』 (山川出版社、1996年) 使用法に注意。

樺山紘一他 『ノストラダムスとルネサンス』 (岩波書店、2000年)


名須川学 『デカルトにおける〈比例〉思想の研究』(哲学書房、2002年)
おすすめ古典96

『夢中問答(集)』【岩波文庫・講談社学術文庫など】

夢窓疎石が足利尊氏の弟である足利直義の質問に答える形でまとめられた、禅に関する内容をまとめたものです。全部で93の問答から成り立っていて、坐禅などの禅の作法や意義などを知りたい方におすすめです。

「守破離」とは?

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。

その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。

最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。伊泉龍一 最新翻訳書『シークレット・オブ・ザ・タロット――世界で最も有名な
「なにもここまでせんでも」的なマニアックさに満ちた書籍と、少し目先の変わったタロット使用法(解釈)の書籍 本気で身につけたい人、更なる世界へ
http://karasuya.fool.jp/original/tarot/book_07.html

タロット参考書籍の選び方【レビューの見方】
http://karasuya.fool.jp/original/tarot/memo_001.html
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sīnz āynūn
いちばんやさしいタロット・リーディングの教科書
手賀 敬介

いちばんやさしいタロットの教科書
ルナ・マリア

タロット バイブル 78枚の真の意味
レイチェル・ポラック(著)、鏡リュウジ(監修)
ラーニング・ザ・タロット―タロット・マスターになるための18のレッスン
ジョアン・バニング(著)、伊泉 龍一(翻訳)
タロットの歴史
書籍情報】
著者 井上教子

タロットバイブル (バイブルシリーズ)
posted with ヨメレバ
サラ・バートレット 産調出版





三宅理一 『マニエリスム都市:シュトラスブルクの天文時計』(平凡社、1988年)

日本語訳、タルムード、実は、探せば、ある、みたいで、"都立図書館とか全国の図書館に入ってると思う。
残念ながら、一般配布はされていない模様。

1. タルム-ド ; 4-9 ネズィキ-ンの巻 / アヴォ-ト∥篇 / 三貴 , 1994.7
2. タルム-ド ; 3-2 / ケトゥボ-ト∥篇 / 三貴 , 1994.12 "、、、(タルムードの日本語版、の11)。貴金属、扱う、三貴、ゆう会社が、企業メセナ、つまり、社会貢献のため、ゆう感じで、お金出して、それで、和訳、翻訳本、作ってた、みたいだ。(1994.7から、2012。12が、最新刊?、、割と、さいきん、、)

"タルムードは、二つの部分からなる。「ミシュナー」と、その注解書である「ゲマラ」である。" (「タルムードを捏造する者たち」)、ゆう感じで、その中心、ミシュナー、 これは6つの巻、あるが、それぞれ、どれくらい、その三貴の日本訳されてるか、ゆう事だが、ウィキペデア、とか、CiNii の、情報、とか見て、ちょと、整理して、見たが、(三貴の本の、カタカナ、それと、ウィキペデアの、カタカナ、微妙に、違ってるが、僕は、ウィキペデアのを、コピペしたから、ウィキペデア表記、それに、なてまっす!)
 タルムード ミシュナー日本訳(三貴) 

1。ゼライーム(10/11) 祈りと祝福・什一税・農業に関する法を扱う。
1-1ベラホット●。それ以外全部ある(1-2ペアー◯、 1-3デマイ◯、1-4キルアイム◯、1-5シェビイート◯、1-6テルモット◯、1-7マアセロット◯、 1-8マアセル・シェニー◯、 1-9ハッラー◯、1-10オルラー◯、1-11ビクリーム◯)
2。モエード(4/12) 安息日と祭りに関係する。
2-1シャバット◯、2-2エルビン×、 2-3ペサヒーム●、2-4シェカリーム×、2-5ヨマー×、 2-6スカー◯、2-7ベイツァー×、2-8ロシュ・ハシャナー◯、2-9タアニート●、2-10メギラー◯●、2-11モエード・カタン●、2-12ハギガー●
3。ナシーム(4/7) 結婚と離婚、誓約に対する作法とナジル人の法に関係する。
3-1イェバモット×、3-2ケトゥボット◯、3-3ネダリーム×、3-4ナジール◯、3-5ソター◯、 3-6ギッティン×、3-7キダシン◯
4。ネズィキーン(6/10)  市民の商売と刑罰、法廷の機能と誓約について。
4-1ババ・カマ×、4-2ババ・メツィア×、4-3ババ・バトラ×、4-4サンヘドリン×、4-5マコット◯、4-6シェブオット◯、4-7エドゥヨット◯、4-8アボダー・ザーラー◯、 4-9アボット◯●、4-10ホラヨット◯●
5。コダシーム(0/11) 生贄の儀式に関する、神殿と食事の法。
全部ない(5-1ゼバヒーム×、5-2メナホット×、5-3フッリーン×、5-4ベホロット×、 5-5アラヒン×、5-6テムラー×、5-7ケリトット×、5-8メイラー×、5-9タミード×、5-10ミドット×、5-11キニーム×)
6。トホロート(12/12) 祭儀的な潔・不潔等の法に関係する。
全部ある( 6-1ケイリーム◯、6-2オホロット◯、6-3ネガイーム◯、6-4パーラー◯、6-5トホロット◯、6-6ミクヴァオート◯、6-7ニダー◯、 6-8マフシリン◯、6-9ザービーム◯、6-10テブール・ヨーム◯、 6-11ヤダイム◯、6-12ウクツィーン◯)

(ここで、◯、ゆうんは三貴版、それで、日本訳、あるもの。他のは、三貴版、ないが、しかし、調べると、エルサレム宗教文化研究所、ゆうとこ、石川耕一郎さん、ゆう人が、出してる日本語訳、ゆうんも、ある見たいで、エルサレム文化研究所で、日本訳、出してるらしいの、それを、●に、した。両方、ないんが、×で書いたのだ。)



準備中準備中 (2016.6.30まで)

(リンク、張ったんは、公共図書館サイト、だが、タルムード、検索用本の、タイトル、なんか、他のと、違う図書館、ゆうんも、結構、あって、だから、県立図書館の、サイト、行って、「タルムード」で検索、かければ、たぶんほとんど図書館で、タルムード訳、見るかるはず、ゆう風に、思う。 とくに三貴版は、寄付され図書館しか、持ってないし、たぶん、県立図書館は、全部、寄付されてる、はずやし。。。それと、県立図書館、遠い、ゆう場合も、市立図書館とか、行って、申し込めば、ちょと、届くに時間、かかるが、市立図書館が、他の県立図書館とかに本、借りてくれる相互貸借、ゆうんも、あるのが、普通から、読みたいが読めん、ゆう風に、あきらめる必要、ゆうんは、ない、ゆう風に、思います!)

(魔女の鎚、ゆうサイトの、タルムード全巻一覧、ゆうHP、それも、見つけた!、、ただ、もう残骸しか、残っとらんが、、)

こゆう感じに、なってる見たいだ。6つの巻に、合計、63個の篇、あるが、そのうち、日本訳、出たんが、36篇、だから、おザッパに、見ると、三貴版、57%くらい、翻訳、終わってた、ゆう感じか?

ユダヤ人と貴金属?
エルンスト・ミュラー編訳『ゾーハル カバラーの聖典』(法政大学出版局 http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-00976-1.html …)いわゆるミュラー版抄訳。それでも邦訳は怪しいメイザース版しかなかったので快挙(あっちの訳者解説は抱腹絶倒で必読だが)。エルンスト・ミュラー(ミュラー,E.)

(Ernst Müller)
1880年11月21日チェコのモラヴィア地方に生まれ、ウィーン大学で哲学の博士号を取得したのち、1907年から3年間パレスチナでギムナジウムの教師。1910年ふたたびウィーンに戻り、ユダヤ人教区の図書館司書職に就く。1938年ナチスの進出によってロンドンに亡命。1954年死去。主な作品にCh. N. ビアリクの抒情詩の翻訳(1911)、カバラー入門『ゾーハルとその教義』(1920)、『ゾーハル』抄訳(1932)、『ユダヤ神秘主義の歴史』(1946)、精神的自画像『わが道ユダヤ教とキリスト教』(1952)がある。
石丸 昭二(イシマル ショウジ)

1940年生まれ。東京大学大学院修士課程修了。ドイツ文学専攻。お茶の水女子大学名誉教授。現在獨協大学特任教授。主な著訳書に『アール・ヌーヴォーのグラフィック』(岩崎美術社)、G.ショーレム『ユダヤ神秘主義』(共訳)、G. R.ホッケ『ヨーロッパの日記』全二巻(共訳)、A.ノーシー『カフカ家の人々』、ハイデン=リンシュ『ヨーロッパのサロン』、G.ショーレム『サバタイ・ツヴィ伝』全二巻(以上、法政大学出版局刊)、E.ブロッホ『希望の原理』全三巻(共訳)、G.ロスト『司書』、U.ハイゼ『亭主』(以上白水社刊)、『独和辞典』(共編著)、『和独辞典』(共編著)(以上郁文堂刊)ほか。

Angeliqua@安眠中‏ @Ripple1975 2013年6月30日

リガちゃんのあれはコンプリート版とペーパーバック版の二冊ある。付け足すならナイトの『カバラ的象徴の実践ガイド』も面白い。 QT @lanekota: @Ripple1975 そうですかぁ。ゾーハルはまぁ鉄板ですよね。ミュラー訳の23巻セットとか。リガルディのあれは二冊いるみたいで




魔女の鎚 第二撃
終末時代の監視者からの警告
「タルムードを捏造する者たち」
モーリス・コミンスキー
https://web.archive.org/web/20040930104346/http://members.at.infoseek.co.jp/WATCHMAN_ENDTIMES/WATCHMAN_ENDTIMES2.html

タルムード全巻一覧
https://web.archive.org/web/20040527122513/http://members.at.infoseek.co.jp/WATCHMAN_ENDTIMES/talmud.html
参照文献:三好迪翻訳・監修『タルムード─ソーター篇』、株式会社三貴、1995年



後藤明 『世界神話学入門』


地政学入門―外交戦略の政治学 (中公新書)


マンガでわかるナースの統計学 -データの見方から説得力ある発表資料の作成まで-





読書メモ~『ウパデーシャ・サーハスリー』とか仏教思想とか
http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-156.html


道徳教や菜根譚・中庸や大学
四書五経・中国古典・初期仏典と龍樹・クルアーン・ギリシャ哲学・語学書・全部文庫で集めれば一つの本棚で済む
の暗記と解釈論、ギリシャ哲学にタルムードとクルアーンの暗記に解釈論
単純な幾何学と熱力学に化学、天文及び地学





「黄金の夜明け魔術全書 上・下」 国書刊行会
「黄金の夜明け」 江口之隆・亀井勝行 国書刊行会
「英国魔術結社の興亡」 フランシス・キング 国書刊行会
「秘密結社の辞典」 有澤玲 柏書房


フローベールの『紋切型辞典』をめぐって
http://yokato41.blogspot.jp/2013/08/blog-post_9.html



ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(伊:Giambattista della Porta 、1538年 - 1615年2月4日)は、ルネサンス期のイタリア、ナポリの博学者、医師である。中世の魔術師・錬金術師と近代の科学者との間の存在である。

裕福な家に生まれ、家庭で教育をうけた。1558年に出版された著者『自然魔術』には、実験を重視する近代の科学的方法の萌芽と言うべき多くの記述がある。例えば「カメラ・オブスクラ(画家用のピンホールのある暗室)のピンホールにレンズを用いると、像が鮮明になる」ことなどが記述されていた。ナポリで出版された『自然魔術』(ラテン語)は各国語に翻訳されてベストセラーとなった。1560年には自然科学の最初の学会ともいえるOstiosi(怠け者たちの会:Academia Secretorum Naturaeとも)を自宅に開き、科学実験を行ったが、時の教皇パウルス5世により禁止された。1563年に暗号解読術の著書を、1586年に『観相術』を出版した。文芸の分野でも20ばかりの悲劇・喜劇を創作し、後の人々に影響を与えた。

『ポオ評論集』(岩波文庫)

ポーの代表的な詩論である『某氏への手紙』、『詩作の哲学』、『詩の原理』の3編が収められています。
その他は、ディケンズやホーソーン、フェニモア・クーパーの小説、ロングフェローの詩の批評文など。
ポーの知性が優美な形で示されていて、上質のワインでもすするような感覚で楽しめました。
(もっとも、それは、ひょっとしたらポー自身のというよりも八木敏雄氏の訳文の格調の高さによるものかもしれません)

『詩作の哲学』と『詩の原理』については、すでに昔から創元推理文庫の『ポオ 詩と詩論』に収録されていて、古くからのポーのファンにとってはおなじみの評論文です。
(『詩作の哲学』は、創元推理文庫では『構成の原理』というタイトルです)

『金枝篇』(全5巻)、岩波書店〈岩波文庫〉 改版1967年、重版多数
『初版金枝篇』(上下)、吉川信訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2003年
『金枝篇』(全10巻、別巻1)、神成利男訳・石塚正英監修 国書刊行会 2004年より刊行中、完結時期未定
『図説 金枝篇』 サビーヌ・マコーマック編 東京書籍 1994年/ 講談社学術文庫上下、2011年4月・5月


今度は、八木敏雄氏の訳。

詩の原理を語るといっても、わたしはそれを徹底的に論じようとか、深遠めかして談じようとかいう意図はない。いわゆる詩なるものの本質を、極めて恣意的に論じながら、わたしの審美眼(テイスト)に最も適い、かつわたしの心に最も明確な印象をのこしているイギリスやアメリカの小詩篇をいくつか引用して考察してみようというのが、わたしの主たる目的である。



永橋卓介訳 『金枝篇』、岩波文庫全5巻:簡約本の訳。
神成利男訳、石塚正英監修 『金枝篇‐呪術と宗教の研究』 (国書刊行会、全10巻別巻、2004年から順次刊行、2012年に第6巻を刊行)、第3版13巻本の完訳。
吉川信訳 『初版 金枝篇』(ちくま学芸文庫 全2巻、2003年)
吉岡晶子訳 『図説 金枝篇』(東京書籍→講談社学術文庫 全2巻、2011年)、S・マコーマックが第3版を要約し、挿絵を付けたもの。


アイドルは殺されなければならない『金枝篇』
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2013/09/post-9ee5.html


自分にとっては非常に重要な問題であったこの一人称の訳し方のほかに、八木敏雄氏の訳によって面目をあらたにしたと思えるのは、引用される詩の訳に関してです。
『詩の原理』のなかで、ポーは、現代では忘れられている詩人、特に日本では無名といっていい詩人、の詩をいくつか優れた詩として紹介し、解説しています。
(これは、言い換えれば、『詩の原理』は優れた詩のアンソロジーとして読むことができるということです)

デュルケム『宗教生活の原初形態』
『作家の仕事部屋』ジャン=ルイ・ド・ランビュール/岩崎 力


しかし、今回、八木敏雄氏の訳で読み直してみると、詩としても優れた詩だという感触を確かにつかむことができました。
ということは、ポーの審美眼、選択眼の確かさもまた再認識できたということです。
優れた詩の批評家、鑑賞家としてのポーの名誉が回復されたという思いです。
私にとっては創元推理文庫で最初に読んだときから20年ぶりぐらい? の名誉回復です。

ということで、今回のこの岩波文庫本で、「わたし」という一人称による落ち着いた、格調の高い文章と優れた詩という2つの楽しみを与えられて、充実した読書の時間をすごせました。

批評文と詩のどちらも読むことが好きな人間には『ポオ評論集』はかなりおすすめです。


キケロの弁論について
アリストレてス弁論術
クインティリアヌスの弁論家の教育
ハーフェズ占い」
セビリアのイシドルスについては『語源』第六巻が上智大学中世思想研究所(編訳・監修)『中世思想原典集成5 後期ラテン教父』平凡社1993年、505–565頁に、また(続)上智大学中世思想研究所編訳『中世思想原典集成 5 後期ラテン教父』平凡社、1993年

セビリャのイシドールス(西: San Isidoro de Sevilla、羅: Isidorus Hispalensis、 英語:Saint Isidore of Seville、560年頃 - 636年4月4日)は、中世初期の神学者で、後期ラテン教父の中でも最も重要な神学者の一人であり、カトリックでは「インターネット利用者およびプログラマー」の守護聖人[2]。 30年以上セビリャ大司教を務めた。中世のヒスパニア[3]の地域で書かれた後の歴史書はすべて、このイシドールスの歴史を範としていた。

後に編纂された『ハーフェズ詩集』は、東西の文化に影響を与え、ゲーテは晩年、ハーフェズの詩に感銘を受け、『西東詩集』が綴られた。ハーフェズの詩についてゲーテは「ハーフェズの詩を理解するには 魂まで一汗かく必要がある」と語ったという。
恋と酒と自然の美などを主題とした作品が多く、民衆に広く愛され、現代でも「コーランなくとも各家庭にはハーフェズ詩集あり」とまで言われている。また、詩集を用いた「ハーフェズ占い」なるものも存在し、街中でおみくじのように売られていたり、各家庭ではシャベ・ヤルダー(冬至の夜)にこの占いをする。
5. 後期ラテン教父

669pp、ISBN:4-582-73415-4、発行年月:1993.9、本体価格: 6,214円
ボエティウス『ポルフュリウス「イサゴーゲー」註解』 21-168
ボエティウス『三位一体論』 169-194
ボエティウス『エウテュケスとネストリウス駁論』 195-238
ヌルシアのベネディクトゥス『戒律』 239-328
カッシオドルス『綱要』 329-418
ブラガのマルティヌス『田舎者たちへの訓戒』 419-440
グレゴリウス一世『対話』 441-504
セビリャのイシドルス『語源』 505-566
セビリャのイシドルス『著名者列伝』 567-600
トレドのイルデフォンスス『著名者列伝』 601-622
リギュジェのデフェンソル『火花の書』 623-668


クルアーン(コーラン)を全て暗唱する者の称号をハーフィズという。ムハンマド・シャムスッディーンも暗誦者であってハーフィズの号を冠しており、それが『ハーフェズ』というペンネームの由来になっている。
• 「自然魔術」 デッラ・ポルタ 青土者
※抄訳である。
「自然魔術 人体編」 デッラ・ポルタ 青土者
※これは「人相術」の抄訳である。
「魔術と錬金術」 澤井繁男 ちくま文庫ハーフィズ著『ハーフィズ詩集』(東洋文庫 299)(黒柳恒男訳) 東京, 平凡社 , 1976.12 ISBN 4582802990

桑原武夫編訳、『百科全書 序論および代表項目(16篇)』 岩波文庫、初版1971年。1472年にドイツで出版された『語源』

『ビュフォンの博物誌』 荒俣宏監修 ベカエール直美訳 工作舎 1991年 ISBN 4-87502-190-9

ベーコンの学問の進歩における情報伝達の技術の項目が気になる。

。またイシドールスの発意によって、セビリャの聖堂学校に倣う形で、ヒスパニア内のすべての大聖堂に神学校設立を命じる法令が出された。イシドールスはゴート族の野蛮な習慣の広まりを、教育によって食い止めようとしたのである。彼の熱意によって、セビリャでは学芸が盛んになり、この時代の啓蒙運動の中心となった。七自由学科のほかにギリシア語とヘブライ語の学科も設けられ、法学と医学についても関心が寄せられるようになった。すべての司教はこの教会会議で定められた教育の方針を義務づけられた[12]。
死後

イシドールスは最後の偉大なラテン教父であり、古代のキリスト教哲学の掉尾を飾っている。イシドールスは疑う余地無く、この時代で最も教養ある人物であり、中世の教育活動に計り知れない影響を広範囲にわたって及ぼした。イシドールスと同時代人であり、友人であったサラゴサの司教ブラウリオは、イシドールスを、ヒスパニアの高度な古代文明に氾濫した蛮族の野蛮の津波からイベリアの人々を守るために、神によって遣わされた人物であると考えて、653年の第8回トレド教会会議で「驚異の学者、カトリック教会が誇る当代の栄光、最近の時代における最大の教養人であり、常に賞賛とともに呼ばれるイシドールス」[13]と述べた。この賛辞は688年に開かれた第15回トレド教会会議で正式に承認された。

ダンテの『神曲』は、教会の神学者や学者の中で、サン・ヴィクトルのリカルドゥスとベーダと並んで、イシドールスに言及する[14]。
1598年カトリック教会によって聖者として列聖され、1722年には教会博士と宣言された。
カトリック教会では、1999年にインターネットの守護聖人の候補として提案され、2003年に正式に「インターネット利用者およびプログラマー」の守護聖人と認定されたが、イタリアでのインターネットを利用した世論調査では、6位にさえ入っていない([1]、Googleによる英語訳:[2])。
SF作家フィリップ・K・ディックの『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』[15]に登場する主人公、博識なアマチュア学者ジャック・イシドールはこの聖人にちなんでいる。

パンドラの玉手箱
パンドラの水瓶座の時代
かめとはこ。
残ったものは希望ではなく耶蘇でした。

アランポーの構成の哲学は自作の創作過程を分析したもの



『語源』("Etymologiae")[18]やその他の著作でのイシドールスの簡潔で明快なラテン語は、古典的であるとは言えず、西ゴート族の言葉の影響を受けた俗ラテン語である。これは過渡期の著述家の大部分に見られる特有の欠点であり、またこのことから西ゴート族がヒスパニア社会に顕著な影響を及ぼしたことが判明する。イシドールスはおそらく、ラテン語を母語とする最後の話者の一人である。
『語源』

アラビア人が古代ギリシア哲学の叡智に触れるはるか以前に、イシドールスはアリストテレスを同国人に紹介している。イシドールスはカトリックの同胞のために、一般的な知識を体系的に編纂した最初のキリスト教著述家であり、主著『語源』はまさに百科辞典的な、総合的な内容を持っている[19]。 この全20巻448章にわたる中世最初の百科事典で、イシドールスは古代から彼の時代に至るまでの、聖俗両面にわたる、あらゆる学問体系を集約した。この著作のおかげで多くの古典時代の著作の記述が断片的に散逸を免れた一方、この著作が原著作よりも重んじられることが多かったために、原著作で散逸してしまったものが多いことも事実である。

『語源』に対する高い評価は、百科事典的な著述活動に刺激を与え、中世以降の時代に大きな実を結ぶことになった。この著作は、中世の収集図書の中で最も人気がある概説書[20]で、ルネサンスの時代まで継続した人気を保ち、1470年から1530年の間に10版を重ねるほど印刷され続けた。12世紀にイスラームを経由して再輸入される[21]まで、西ヨーロッパ人にとって、イシドールスはアリストテレスやその他の古代ギリシャの著述の貴重な情報を提供したが、ギリシャの古典全体から見れば、それは限られた一部に過ぎなかった。『語源』は中世の説話集に、好んで引用された。
地球の形状について
イシドールスは『語源』で、地球が球体をしていることを説いている。『語源』での言及の仕方は曖昧であったので、一部の著述家は円盤状と書いてあるのではないかと考えた。しかしイシドールスの他の著作を参照すれば、彼が明らかに地球を球体と考えていたことがわかる。イシドールスは伝説的で証拠がないにもかかわらず、地球の裏側に人が住んでいる可能性を認めていた。 イシドールスの円盤状のアナロジーは中世の地球球体説論者[22]によってしばしば引用された。



レイジングぎゅう‏ @6isnot4 2月19日

「私たちを引き止めているのは聖パウロを恐怖させた律法の耐え難い軛では全然なく、ただの薔薇の生垣である。戒律(ミツヴォート)にしたがう義務はだから私たちにとって宿命的な不幸ではなく、楽園の最初の芳香を運び来るものなのだ、と」(レヴィナス『タルムード四講話』)

歩く人‏ @hitsujiaruki 1月8日

「他者に食糧を提供するとは食糧に食事の性格を保つことです。決して生きる上での必要最低限を供与することであってはなりません。他者に食糧を提供する時はどんな程度のことであれ、他者の気紛れを満足させることが必要です。そうでなければ全ては崩れ落ちてしまうでしょう。」タルムード新五講話

日本におけるアルメニア語学の権威、佐藤信夫先生。まさかアラム語も守備範囲でいらしたとは。 アッシリア語入門―現代アラム語

中田考‏ @HASSANKONAKATA 2010年7月8日

@barhebraeus ミルトスの『現代ヘブライ語入門』もそうだったよね?アラム語もそう? :活用に3語根q-t-l を使うのはアラブ文法学の伝統のよう。面白いのはヘブライ語も全く同じ意味の3語根q-t-l (殺)を例に活用を読みながら説明するようです。


蒙古語入門―シリア系文字と文法
山中 元 / 国際語学社 (2006-08) / 1,944円 / 2 users
タグ 県立 ★語学 カテゴリ:本・雑誌 本・雑誌 / 社会・政治 登録日:2016年11月11日 22時18分14秒 2016/11/11
読了: 2016年11月20日
どうしてモンゴル語とシリア系文字がむすびつくんだろうとまずは思うけど、古代メソポタミアの共通言語であったアラム語のエデッサ方言(シリア語)がネストリウス派の布教に用いられ、中央アジアにもたらされた。それがウイグル文字に取り入れられて、それを参考にモンゴル文字が作られたということらしい。(パスパ文字はまた別の文字、ややこしい。)現代ではモンゴルではキリル語表記が主流、中国の内モンゴル自治区ではモンゴル文字も使われているとのこと。

アラム語の入門・学習用リンク集 (Aramaic Language) - 主に言語とシステム開発に関して
http://language-and-engineering.hatenablog.jp/entry/20110129/p1


外国人に出会った時に仲良くなるための,最低限の必須フレーズ集 (どの言語にも当てはまる,基本の初歩会話集のテンプレート)
http://language-and-engineering.hatenablog.jp/entry/20130702/ListOfCommonLanguageBasicPhrases


冒頭の表を,手軽に作成するための雛型を記載しておく。

コピペ用である。

この空欄に,さまざまな言語での用例を当てはめてゆけばよい。


〜語の最初歩のフレーズ集 (対人関係の構築のために)




















日本語〜語
こんにちは 
ちょっと

すみません
 
あなたは

〜語を

話しますか?
 
はい,いいえ 
お会いできて

嬉しいです

(初めまして)
 
私の名前は

〜です
 
私は〜語を

学んでいます
 
私は

日本人です
 
あなたの

お名前は?
 
どうぞ書いて

下さい。
 
〜さん 
ありがとう 
私は〜に

住んでます
 
あなたは

どちらの

出身ですか
 
どうぞ 
ごめんなさい 
さようなら 



∸―




タルムード入門〈1〉 単行本 – 1998/7
A. コーヘン (
タルムード入門〈2〉1998/8
A. コーヘン、 Cohen,Abraham
タルムード入門〈3〉1998/6
A. コーヘン、
ミシュナ〈4別巻〉アヴォート (ユダヤ古典叢書)2010/6
専三, 長窪


タルムード四講話 新装版
 エマニュエル・レヴィナス(内田樹訳)『タルムード四講話』国文社


ギリシャ語とペルシャ語はインド・ヨーロッパ語族


その割には,ペルシャ文字は,アルファベットがヘブライ文字のアレフベート構成とどことなく類似しており,どうもセム語くさい。

その理由は,ペルシャ文字が語族を超えてアラビア文字から借用されているから


中田考‏ @HASSANKONAKATA 2016年7月14日

大雑把に言うと、アラム語話者のイエスの律法の教えを保存していたペテロや主の兄弟ヤコブらヘブライニストが主導したエルサレム教団がユダヤ戦争で消滅し、
パウロらヘレニストのアンティオキア教団の律法蔑視の教えが後のキリスト教になったからです https://twitter.com/YUChurch_youth/status/753557666153193473 …

中田考‏ @HASSANKONAKATA 2010年5月26日

『旧約聖書ヘブライ語独習ー聖書アラム語文法付』神学部図書館で借りてくる。やはりヘブライ語は天国の言語アラビア語が堕落し崩れた言語だとの思える。イスラエルの民がイラク、シリア、シリア、エジプト、パレスチナと移動して言語混交が進んだせいだと説明してもいいけど、それじゃつまんないよね。

中田考‏ @HASSANKONAKATA 2016年8月13日

全く影響を与えていない、と言っていいと思います。 https://twitter.com/lakudagoya/status/764202382792142848 …
ねこた‏ @lakudagoya 2016年8月13日

@HASSANKONAKATA 私はアラビア語読めないので、一般的な文献にはアリストテレスやプロティノスなどがイスラーム世界で好まれたとありますが、ギリシャの古典の中でもストア学派の文献は(あまり現存がないですが)どう扱われたか非常に気になっていた次第です。わざわざすみません。
@HASSANKONAKATA 専門外なのにすみません。これは別にキリスト教の話ではないのですが、イスラーム世界にはギリシャの古典が取り入れられましまよね? その中でアリストテレスなどが好まれたみたいですが、ストア学派の文献はイスラーム世界にあるのか気になってまして。

著書の中でイスラームは移動の自由を重んじると書いてあったのはもの凄い衝撃で。 カリフ制が求められる意味もわかりました。


@HASSANKONAKATA わざわざご返答頂き感謝します。

あら、そうなんですね。

キリスト教史を調べますと、ストア学派はキリスト教に他大な影響を及ぼしてるのに、イスラームでは記述を見ないので不思議だと思ってました。

朝からお忙しい中感謝です。それでは失礼いたします。



@exa_desty
@japan19890108
@Show_BujuBanton
@DummyLostonline
@asai_hukai
@q_MW_p

お読みくださり感謝!

娯楽として設計されている陰謀論は支配層の商品!①陰謀論の定義と名づけ魔法による対抗策 ②ゴイを侮蔑語だと決めつけ、タルムードを捏造するユダヤ陰謀論者boグループへの追撃Ⅱ 

目次
①陰謀論の定義と名づけ魔法による対抗策
②ゴイを侮蔑語だと決めつけ、タルムードを捏造するユダヤ陰謀論者boグループへの追撃Ⅱ
③参考資料(いつもの)


手が滑りましたあ♡↓保存・拡散しちゃだめよ♡
bo_wakeup_p@OdNezu.jpg
この画像の二つのツイートのリンクも載せておく。
ナチス賛美カトリック優生学ハズバラ反ユダヤ主義boグループは悪質さが別格なので徹底的にやるつもりだ。

pアットOdNezuはbo、町の猫、風の子と仲良し♡

p@OdNezu_whotwi グラフィカルTwitter分析
http://ja.whotwi.com/OdNezu
p@OdNezuの分析 - whotwi グラフィカルTwitter分析
粘着の被害者も仲良しにされるのでこのリストだけ見て判断してはいけないので注意。
菊池さんがboと仲良しだと判定されているが事実と真逆!



https://twitter.com/kikuchi_8/status/937150969732677632


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/785411657929404416


https://twitter.com/tsukuyomi3510/status/938774345362452481








https://twitter.com/pizano1215/status/938783442266873857




ありがとうございます!
でも、
新世代陰謀論グループと名乗った覚えはない。
のらねこの手さんが勝手に名づけただけ。

図書館長、哲学・歴史・宗教・政治・言語・心理学等研究者、
謀議論者、陰謀追及者、陽謀論者、比較陰謀学者などと呼ぶ方が適切。

侮蔑語と化した陰謀論者という単語は使ってほしくない。


陰謀論の定義

STBさん
”世界や社会に影響を与える事象の背後に共同謀議があるとする仮説、
または不可視な部分に働く力学(秘密結社等の人脈を仮定した上で)の考察”

私の定義↓


猫太”陰謀論者は星の数ほどいるのに、徹頭徹尾、理詰めで考える人は数十人もいませんね。陰謀「論」はロジックなのに途中から必ず論理ではわからないものがある!ってなって、それってサッカーのハンドみたい。陰謀論はロジックだけで戦うサッカーなのに” 信仰の問題と感情論にすり替える妨害技術。
https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/462635876447563776


陰謀論とは
①他人と共有できるものを使い
②他人の主観=客観、で修正しつつ
③一番可能性が高い結論を探す
④論理的検証作業。
つまり、
あるかどうか確かめられないもの=完全に主観依存のもの、で妨害可能。
だから似非陰謀論はスピリチュアル+宇宙人等の反証不可能なものがセット。

まともな研究では常識。
事件の中核の人々の共通点=ある思想
ならその思想が原因という考察など。


この定義だけ見せてこれは何の単語の定義かと聞いたら
学術研究と答える人が割といそう。
しかし、この単語は諜報機関が

箱に大多数が嫌がる言葉が書かれたお札を貼って、
中身も悪質だと思わせる詭弁
=名づけの呪術
=レッテル貼り
=ネームコーリング


により狂人の嘘という意味で布教した。
よって、陰謀論者だと私は呼ばれたくない。
同じ名前で中身のイメージを書き換えるのは大変なので、
名前自体を変えるのが得策。


「陰謀論=嘘」は、CIAがケネディ暗殺についての都合が悪い情報を封じるために広めた。

あなたはマインドコントロールされたCIAのカモだろうか?
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/cia-3729.html
“陰謀論”という言葉は、1964年、ジョン・F・ケネディ大統領は、本人も警察に拘留された際、訊問を受ける前に暗殺されたリー・ハーヴェイ・オズワルドという名の、一人の銃器携帯者に暗殺されたというウォーレン委員会の結論に異議の声を上げる多くの懐疑論者の信頼を損なうため、CIAによって発明され、世間で使われるようになったのだ。CIAはマスコミ内のお友達を利用して、ウォーレン委員会報告を疑うことを、嘲笑と敵意の対象にするキャンペーンを立ち上げたのだ。このキャンペーンは“史上最も成功したプロパガンダ作戦の一つだった”。


(大ちゃんママもboグループ。pの仲良しリスト6位




陰謀論を過剰に否定する人はほとんどがマスゴミと権威の信者。

新しい研究:「陰謀論者」は健全に思考し;政府にだまされている人は非合理で、敵意に満ちている
http://blueplanetok.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-1a52.html
”「『陰謀論者』という用語を普及させ、陰謀があったという考えを嘲笑と敵意の対象とするこのCIAのキャンペーンが、不幸にも、史上最も成功したプロパガンダ提唱の一つであったことは、信じざるを得ないのである。」
つまり、蔑称として「陰謀論」や「陰謀論者」という用語を用いる人々は、十分文書で示されており、議論の余地のない、歴史的な真実であるJFK暗殺を隠蔽するためのCIAによる陰謀の結果として、そうしているのである。”


https://twitter.com/kikuchi_8/status/693196464822988801


娯楽として設計されている陰謀論は支配層の商品。
エンターテインメント性がない情報のほうが信憑性が上がる。

ひさびさの重要資料記事にして一つ前の記事

ドイツ語での研究者以外のイルミナティ情報源を信用するな!
『薔薇十字団』と『近世ヨーロッパの思想と社会』が名著。
ハズバラboナチス親衛隊への追撃
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-236.html
で言ったが、
外国語の資料を読んで書いているかどうかが信憑性の強力な判断基準。
対象の分野の資料を母国語以外でも読んでいるならそれだけ真摯な態度が感じられるからだ。
boなど悪質な存在もいるので注意。
なぜboは英語ではなくわざわざ日本語でナチス賛美カトリック宣教するのか誰も疑問に思わなかったのか?

困ったら母国語のウィキだけという態度はまずい。
せめて重要分野は英語版と比較。
日ユ同祖論の英語版ウィキには源流がイエズス会士だとあるが、
日本語版にはない。
その時点で日本語版は研究レベルではない。
日本のことなのに日本よりも英語版の方が良質なのはよくあること。
ただでさえ信用できないとされるウィキだが、使い方次第だ。

良い考察が欲しいならまず論文を探すことだ。
ネットで無料で読める良い論文は沢山あるので論文読もう!
論文 pdfなどで検索!

金光教の論文ですごいの見つけたからメモ。 
『甲鉄城のカバネリ』金光教要素がまた登場。カバネリ二期やるから一期見といて。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-195.html
”“今日の一つの有力な解釈として、「天地金乃神」という神名は、後に生成された神名であって、「日天四」=太陽、「月天四」=月、「金神」の三者(これが文治にとって、とりわけて重要な神であったことは間違いない。――「天地乃神とは、日天四、月天四、丑寅未申鬼門金乃神のこと」〔『金光大神御覚書』 明治六 [一八七三] 年一月〕という史料がある)、その三者が「統合」されて、いわば三者の「関係的な神」として「天地金乃神」という神名が生まれた、という岩本徳雄の見解がある。”

(三位一体じゃねーか!
天四って天使でしょ?
当時は天女のほうが自然なはず。
太陽と月と鬼門の金神の三位一体。
人と神が親子のごとく助け合う。

天理教の唯一神は月日親神というのだが、
デザイナーが同じだね。
月、太陽、親としての神の三位一体。
日月神示もね。
別名ひふみ神示だけど、
元ネタは平田篤胤『神字日文伝(かんなひふみのつたえ)』。
神字日文って、「しんじ ひふみ」 とも読める。
篤胤が神代文字を捏造した著作。
阿比留文字(あびるもじ)ってどう見てもハングルじゃん。”

などがわかる。

STBさん

”対日年次改革要望書、日米地位協定、日米原子力協定、ジャパンハンド、
アーミテージレポート、グラディオ作戦、コチャバンバ水紛争、
イラン・コントラ事件、トンキン湾事件
これらは内容確定した事実問題であって、「見えてる範囲」だからね?

MIC(軍産複合体)やシンクタンクや
チームB(注:アメリカ外交の単独覇権派を指す)や多国籍企業が独自に動いてこうなった、で終わってしまう
そうではなく、
十字軍やフランス革命や二度の大戦から原爆投下からイラク戦争までももっと大枠で認可しているグループがあるという仮説が陰謀

高度な話をすると、「不正選挙陰謀説」が流布されていること自体が情報操作の一環
近代民主主義で選挙が始まったときから不正行為もまた存在した

時々陰謀論は自分たちだけのものだと思っている人がいるが 一般書籍にも書いてあることが特別情報なワケはない”


例えば、
スピリチュアルと陰謀論がセットなのは、
スピリチュアルの源流の一つの神智学の教義に陰謀論が含まれるので
信者が教義=陰謀論を布教しているからだと
『現代オカルトの根源』(著者は日ユ同祖論を否定)を読めばわかる。
864円の一般書籍の公開情報。
やっすい「機密情報」だなあ!
ネットに無料の詳しい要約あり!


私の読書メモ記事にはアマゾンへのリンクが貼ってあることが多いことからわかるように、
普通に買える。
一部の人にしか得られない特殊な情報だと言って私に攻撃してくる人ってなんなの?
それって「私は無知で」すって言いたいの?

スピ信者がメイソンを叩くが
信者の思想を創った神智学協会の名付け親のサザランはメーソン。
スピ信者のメイソン叩きは的外れ。
最初から中核に到達できないように設計された陰謀論をコピペ布教。

神智学の教義
=「ダーク・ブラザーフッドという悪の秘密結社が神智学の活動を妨害している」陰謀論。

スピ系カルトの教義に陰謀論がある理由。
叩く対象がユダヤ・メイソン・イルミナティ=キリスト教製品(笑)
スピ信者に以上を指摘すると、
霊のあるなし論争=神学論争に誘導
+物証否定してくるのが悪質。

メイソンはメンバーが公開されているので頂点ではない。
せいぜい一次予選。
『石の扉』より、
金融界のメーソン員名は死後も公開不可。
インサイダー疑惑。
非公開なら調べようがないので
メイソンっぽいけど公式にはメンバーに入っていない人を調べたらいいのにね。
選帝侯人脈のベートーヴェンとかな!
選帝侯ソナタ!


スピリチュアルとは、
新プラトン主義と
スウェーデンボルグ派のキリスト教神学と
神智学(インド風キリスト教
を核に、
その核を隠すために現代の科学知識で覆ったものである
と私は定義する。
言い換えるなら、
作り直された神学=新キリスト教。


陰謀追及を本気でやりたいなら
『君主論』『完全教祖マニュアル』『現代オカルトの根源』という三種の神器と、
↓の中国古典の戦術書と歴史書の
十八史略・
戦国策・
史記・
三国志
を最優先で読むこと!



https://twitter.com/onesyota1987/status/939561705603874817


https://twitter.com/onesyota1987/status/939562749901791232



https://twitter.com/onesyota1987/status/939564531713392640




https://twitter.com/onesyota1987/status/939856275587788800




”「合従」とは「大国に対して小国が連合して対抗する戦略」、
「連衡」とは「生き残りのために大国が小国と手を結ぶ戦略(で、他国を攻める)」です。
往々にして「合従」は余程「志の高いリーダー」がいなければ成立がかなり難しい。利害の調整が困難だからです。
「連衡」は、大国への従属という点を割り切れば(同盟の条件として領地や人、宝物を献上しなければならない)比較的簡単でしょうが、破綻すれば、小国が大国に呑まれてしまうか、大国が小国に他の大国に寝返られて攻められます。”
https://book.ureagnak.com/shakai_9.html

”中国、戦国時代の外交政策。合従とは「南北を連合させる」の意であり、
紀元前4世紀末、燕(えん)に仕えた蘇秦(そしん)(?―前317)が、趙(ちょう)、韓(かん)、魏(ぎ)、斉(せい)、楚(そ)の諸国にそれぞれ説いて、6国で南北に連なる同盟を実現させ、西方の強国秦(しん)に対抗した政策をいう。
蘇秦はまもなく6国の宰相を兼ね、連合軍を組織して秦を攻めたが敗れた。
しかし、この連合のため秦は十数年間、東方進出を阻まれた。

連衡とは「横に連ねる」の意であり、蘇秦と同門の張儀(ちょうぎ)(?―前309)が組織した同盟である。
張儀は秦の宰相となり、合従を破って東方の6国をばらばらにし、いずれかの国と秦と個別に同盟を結ぶことによって、
孤立した他の国々を別々に威圧、攻撃する方針をとった。秦と他の6国がそれぞれ東西に結ぶことからこうよばれる。
しかし、まもなくこの策も破れて張儀は失脚した。蘇秦、張儀はこのような外交策を弄(ろう)した弁説家であるため、
「縦横家(じゅうおうか)」とよばれている。”
https://kotobank.jp/word/%E5%90%88%E5%BE%93%E9%80%A3%E8%A1%A1-45248#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29)


中身=実態とは異なる意味付けをするのがネームコーリングなので、
ゴイは侮蔑語に決まっている、というのもネームコーリング↓


②ゴイを侮蔑語だと決めつけ、
 タルムードを捏造するユダヤ陰謀論者boグループへの追撃Ⅱ



やっぱり菊りんはboを泳がせていたのね。












(この婆様=日蓮系「文証」「雑学」 wake up, stand upアットbmdurg
ウェイクアップ=スピ系が好きな覚醒!)
https://twitter.com/wolvesknow/status/784674177546457088

(希釈の詭弁
=Aに言及しないから工作員。
Aに言及すると、
Bに言及しないから工作員の無限詭弁。
ツイッターの文字制限でより悪質化

※言及しないのは本当に工作員の場合があるので、
~に言及しないという視点は大事

希釈の詭弁も悪質だが、
ホロコーストは実在すると書けばどんな陰謀論の本でも出せる
という詭弁を超えるものは生み出せていなくて幸いだ。)




https://twitter.com/kikuchi_8/status/937812005204791297
狼先生の見事な突込み↓


https://twitter.com/wolvesknow/status/777379079821459456



https://twitter.com/wolvesknow/status/782893727723302912

boがゴイってよく使うのだが本当に侮蔑語?

日ユ同祖論がカルト教義だと確かめるためにヘブライ語を勉強した。
ゴイ(ゴイム)は民や異邦人という意味で普通に登場し、蔑称だと書いていない。
文字も文法も根本的発想もヘブライ語は日本語とまったく似ていない。
アラビア語も少し学んだが、ヘブライ語とかなり似ていて完全に兄弟語。


ヘブライ語の入門書の最初のヘブライ文字が並んでいるページにより
日ユ同祖論者が文字を捏造していることが一目瞭然。
次の読み方の項目を見るとまったく日本語と異なると実感する。
文法に入ると日本語とかけ離れすぎていると痛感する。

以下、

更新中ヘブライ語とアラビア語が似すぎ!どこが日本語?ヘブライ語(イブリット)とアラビア語勉強メモ
『アラビア語が面白いほど身につく本』
『ニューエクスプレス 古典ヘブライ語』。
トルコ語とペルシャ語。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-126.html

ゴイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%A4

Goy
https://en.wikipedia.org/wiki/Goy

より引用。


まともな語学の入門書で侮蔑語なんて登場しないのに、
ゴイは普通に入門書に登場する。
よって侮蔑語ではない。

民、民族、異邦人。
家畜という意味はない。
英語のヘブライ語辞典にもないらしい。
nation(民族)とgentile(異教徒、非ユダヤ人)という意味はある。

『ヘブライ語入門』
ゴイ 民、異邦人

『ニューエクスプレス 古典ヘブライ語』
ゴイ 民族。


英語版記事の一部を翻訳しただけらしき記事なのに冒頭の要約が英語版の記述と違う。

”現在では専ら非ユダヤ人を指す差別語でもあり、クリスチャンやムスリムに対して広く用いられるが、ユダヤ人がユダヤ教以外のあらゆる宗教を奉じる人々を指して使うことが多い。”

注釈の一つが

“本来「ゴイ」という語に侮辱的な意味合いは無い。実際、トーラーにユダヤ人を指す語として度々出てくる。
なかんずく『出エジプト記』19章6節において、神がイスラエルは「聖職者と聖なる民族の王国」(goy kadosh)なりと述べている。ユダヤ人は何世紀にもわたり反ユダヤ主義的非ユダヤ人と軋轢を重ねてきたため、
「ゴイ」という語が否定的な意味を持つに至ったが、一般的には「非ユダヤ人」という程の意味である。”

これ見てどうやって”現在では専ら非ユダヤ人を指す差別語”と結論できる?

英語版ウィキはゴイは侮蔑語の意味もあり避ける人もいるが、民族や非ユダヤ人を意味する一般語という趣旨。

GOYが侮蔑語だとうるさいのはboなど反ユダヤ主義者ばかり!


日本語版のゴイの項目を見る人はユダヤ陰謀論に触れた人が多そうだから、
先回りして日本語版に嘘を書いた疑惑。
ユダヤがらみの他の日本語記事も本当にひどい。
冒頭の要約の結論が注釈と矛盾している。

ユダヤ教の聖典でヤハウェがユダヤ教徒の民をゴイと肯定的に言っているのに、
ゴイ=侮蔑語なわけない。
後に侮蔑語の意味が加わっても、
ユダヤ教徒は聖典を読むのでゴイを侮蔑語とは思えないのでは?
一般語として使うし、
侮蔑語の意味も一応はあるから避ける人もいる程度。
ゴイやゴイムが侮蔑語だの、獣の意味はないのにあるって言っているのはユダヤ陰謀論者ばかり。
情報元はクリスチャンのデマ。
新約聖書でユダヤは悪ってあるから教えに忠実!
新約聖書は世界一出版部数の多い反ユダヤ本だがユダヤ陰謀論者は無視!
無自覚含めクリスチャンだから!

的外れなタルムード叩きも、タルムードを原語で読めず、
基礎知識すらないとばれたプラナイティスの『仮面を剥がされたタルムード』のコピペ。
原典すら読めない研究者(笑)なんて信じるな。
英語読めない英文学教授なんてお笑いだ。
タルムードが翻訳禁止だとか訳したら殺されるのもデマ。
タルムードを9冊は日本語訳し出版した三好迪は84歳没。
出版できているんだけど。
殺されてねーだろ。
単なる寿命だろ。
タルムードが焼かれまくった原因がタルムードにイエスを批判している個所があるとバレたから。
イエスを叩いている個所があるタルムードは悪って言うと自分がクリスチャンだとバレるから、
中身を捏造して叩く。

聖典(神の命令)>越えられない壁>タルムード(人間の言葉)

なのに、聖典のヤハウェの命令を破れってタルムードにあるわけないだろ。
聖典と矛盾する時点で捏造確定。
ゴイは神がユダヤ教徒をゴイと肯定的に言っている使用例が二回はあるので侮蔑語としてタルムードで使えないだろ。

ユダヤ教の聖典の中身を捏造して叩けないのは、
キリスト教の聖典に旧約聖書が含まれているから。

タルムードはキリスト教の聖典ではないので捏造し放題。


もっと詳しく知りたいなら↓

「タルムードを捏造する者たち」 モーリス・コミンスキー[魔女の鎚 第二撃]
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/161.html
”ヴァン・ハイニングズ女史、ネスタ・ウェブスター、ベンジャミン・H・フリードマンのような反セム主義者(反ユダヤ主義者)の主張によれば「タルムードは巧妙な企てにより非ユダヤ教徒の目から隠されている」という。しかも、タルムードは、ユダヤ人の法律、哲学、倫理の最高の規範だ、という。 しかし、現実には、整った公立図書館であればどこでもタルムードを閲覧出来るし、大半のユダヤ人からすれば、タルムードはユダヤ神学の単なる一説に過ぎず、ラビ(ユダヤ教聖職者)養成学校を別にすれば、これと言って興味を持つ者もない。”


フランス語も多少勉強中
フランス語記事をフランス語知らなくても意味をとれる方法
『仮面を剥がされたタルムード』の著者プラナイティス神父はタルムード叩き野郎で、
元凶から原典すら読めないし基礎単語すら知らないと裁判でばれて失笑を買ったデマ野郎
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-148.html








ヤハウェ
「おまえ(アブラム)を”大いなる国民”(goy gadol)にしよう。あなたは祝福の基となるだろう」

「モーセよ、イスラエルの人々が聖なる民(goy kadosh)となるであろうと言え」



創世記
”12:1
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
12:2
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。”
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#.E7.AC.AC12.E7.AB.A0


出エジプト
”19:3

さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、
「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、
19:4

『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。
19:5

それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。
19:6
あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。
これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。”
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%87%BA%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#20:16



”The word 'goy' means "nation" in Biblical Hebrew.
In the Torah, 'goy' and its variants appear over 550 times in reference to Israelites and to gentile nations.
The first recorded usage of goy occurs in Genesis 10:5 and applies innocuously to non-Israelite nations.
The first mention in relation to the Israelites comes in Genesis 12:2, when God promises Abraham that his descendants will form a 'goy gadol' ("great nation").
In Exodus 19:6, the Jewish people are referred to as a 'goy kadosh', a "holy nation".[12]
While the books of the Hebrew Bible often use 'goy' to describe the Israelites,
the later Jewish writings tend to apply the term to other nations.”



Israelites
イスラエルの民(聖書でアブラハム・イサク・ヤコブを先祖とするユダヤ教徒)。

innocuously
無害で、害を与えずに、無難に
=差別的ではない


”In modern Hebrew and Yiddish the word goy is the standard term for a gentile.
In English, the use of the word goy can be controversial.
It is sometimes used pejoratively to refer to a non-Jew,
but many see it as no more insulting than the term gentile.”


gentile
異教徒、異邦人、非ユダヤ人[教徒]

pejorative
名、侮蔑語。
形、軽蔑的な

no more A than B
AでないのはBと同じ
no+比較級=変わらない




https://twitter.com/Chimaera925/status/939872641434783744

以上長々とお付き合いいただき誠に感謝します。
boグループは誠に悪質なので徹底的に矛盾を指摘しました。




参考資料










https://twitter.com/RC_StB/status/677171721212833792








「お互いに、自分が信じる「真理」のために、他者を否定し、相手に「目覚めてほしい」と思っているのだ。説得がうまくいかないと、相手を排除するようになるところも同じだ」(『陰謀論の正体!』より)

「なぜなら主知主義、自由主義、個人主義、科学主義などの近代の思潮と、陰謀論とが、土台を同じくしているということだからだ」
「陰謀論を嘲笑する者は、陰謀論者に(バカのくせに)嘲笑されているという不愉快さを感じて、対抗しているのかもしれない。先回りしてバカにしているのかもしれない。「嘲笑の政治」は、このような堂々巡りする不愉快な空気のなかに人を閉じ込めてしまう」(『陰謀論の正体!』より)

陰謀論というラベリングによって論外とするような態度のほうがずっと「有害」だと思うのだ。それに、そのラベル貼りこそが、それについての思考停止を招いているのではないか」(田中聡『陰謀論の正体!』)

「陰謀論は、そう名指しされたときには、すでに情報戦のなかにあるのだと考えたほうがいい。ばかばかしいとしか思えないものであっても、そのばかばかしさの意味を考えてみたほうがいいということである」(『陰謀論の正体!』より)

「お互いに、自分が信じる「真理」のために、他者を否定し、相手に「目覚めてほしい」と思っているのだ。説得がうまくいかないと、相手を排除するようになるところも同じだ」(『陰謀論の正体!』より)

陰謀論肯定派も否定派も先ずはこの本読んでから陰謀論という単語を口にしろ!ってくらいの愛読書

陰謀論の正体! (幻冬舎新書) 田中 聡 http://www.amazon.co.jp/dp/4344983483/ref=cm_sw_r_tw_dp_-5lgxb0K6ABB1 … @amazonJPさんから
序 我々はすでに「陰謀論の時代」に踏み込んでいる
いまや、誰もがみんな陰謀論者だ。…















STB‏ @RC_StB
陰謀論という言葉に、実体の無い、現実から解離した誇大的なストーリーという、
本来備わっていない否定的なニュアンスを与えそのような文脈に用いてきたのは、知識人と称する屑達やマスゴミである
攻撃対象を名付けて実体化し、レッテルを貼る こういう操作技術をネーム・コーリングという

今から陰謀論
(世界や社会に影響を与える事象の背後に共同謀議があるとする仮説、
または不可視な部分に働く力学(秘密結社等の人脈を仮定した上で)の考察)
を書き込みますのでそうした観点が不快な方はご注意ください


馬鹿は陰謀論ということばを唱えても、なんら陰謀とされる内容に対する反論になっていないのは承知しているのだろうか。
まだ難しくてわからないとか言っている方が身の丈にあっている。
使うとかえって頭が悪くなる言葉ってありますね。

常識を外れた仮説を陰謀とか言っていっしょくたに白眼視する人たち。その反応自体が刷り込みなんだよ。
注意深くクソメディアや創作物を見ていくと、観念刷り込みや思考トラップが沢山だよ。 気付かないうちに獲得させられた反応な訳。

あるあるネタだ。私は毒入りリンゴと呼んでいるが、
陰謀系はスピリチュアルだの、キリスト教の神を宗教臭くない宇宙人に差し替えた非条理世界への誘導が多いのなんの
だからちゃんと毒のある部分は避けて食べないとダメ
河豚の解体みたいなものだ 河豚と言えば河豚計画。あれも……


黒幕……キリスト教、財閥・多国籍企業
朝鮮・ユダヤ人は体のいい盾で実行しているだけの手羽先
WW2も、日本の現状も、背後にはキリスト教・財閥企業がいる。これを言わない陰謀論者は紐付き
自民党なんかわかりやすいだろう

1)陰謀論の5大誘導
①エイリアン
②スピリチュアル(多次元世界、霊的存在、ルシファー云々)
③偽史
④ある勢力は敵で、ある勢力は味方だと吹き込む(両建て、知らぬ間に心情的に敵側へ)
⑤意味のない解決策を吹き込む(ex:映画スライブ後半)
①〜③はキリスト教などが元ネタの同根



wikipediaはディドロとダランベールの目標をより拡張発展させて叶える狭義イルミナティの啓蒙思想本流の理想的な装置だな
最早インフラ化しているし 余りにも当たり前に普及した部分こそ陰謀が存在するだろうね
ジンボ・ウェールズや財団のキャッシュフロー、人脈を洗えば何か出るだろう


道理を押さえて筋書きを辿っても、知性の限界で理解できない層が一定数社会にはいる むしろ丁寧に説明するほどわからなくなるという人種だ(威光暗示に極端に弱い) そういうのをカモにしている ネームコーリングの典型事例

高度な話をすると、「不正選挙陰謀説」が流布されていること自体が情報操作の一環
近代民主主義で選挙が始まったときから不正行為もまた存在した

時々陰謀論は自分たちだけのものだと思っている人がいるが 一般書籍にも書いてあることが特別情報なワケはない
以前熊本地震時に捕まった落書き犯の「作品」がニュースで晒されたように官界は市民がどういう情報を得てどういう思考をしているのか程度把握している(あれは敢えての煽りだろう)

結局いつも被害を受けた後に「あれは陰謀だったのか」と気づくだけ 21世紀は乱射やテロ事件の捏造でわかりやすい証拠を敢えて残しながら我々の反応を窺っている。と同時に力を誇示する 暴露や機密解禁という形で誇示の「ネタばれ」


社会工学の思考トラップ:知的正義派や陰謀論者のような存在の思考回路は見透かされている。そもそも知的正義派の情報源も支配者が与えたものであり、陰謀論も支配者が流す。


世界観(陰謀観深度)は人により段階が異なる lv0,日本や世界は独立した民主主義である lv0.5,日本は中国や韓国にメディア・政治を乗っ取られている lv1,日本は米国に属国化されている lv2,NATO陣営は英米を首魁とした国際金融資本に操作されていてBRICは対立している


@RC_StB (続き) lv3,NATOとBRICの対立はマッチポンプであり、両陣営の対立は何者かのシナリオ上、市民は世界構造を書き換えを納得させるためのプロセスを見せられている 大まかにこのようになる

@RC_StB lv0は冷戦終了〜00年代中盤程までの一般人の感覚 lv0.5はネトウヨ史観 lv1は薄々と日本人も気付いている lv2は今現在起きているクリミアやBRIC銀行やロシアの金備蓄、アメリカのナチス化等、“眼前に見えている世界” lv3は陰謀論の超オーソドックス感覚

@RC_StB 日本の一般人はlv0〜lv0.5の入り交じっている見方。少しlv1(最初のプロパガンダ脱出)もある(陰謀否定でも郵政の酷さは自明である) 日本の陰謀肯定者は阿修羅の様にlv2止まりが多い。一応見える範囲ではこれが限界だし一義的には間違いではないが陰謀としてはお遊び

対日年次改革要望書、日米地位協定、日米原子力協定、ジャパンハンド、アーミテージレポート、グラディオ作戦、コチャバンバ水紛争、イラン・コントラ事件、トンキン湾事件
これらは内容確定した事実問題であって、「見えてる範囲」だからね?

言ったからどうこうではない
あくまでもMIC(軍産複合体)やシンクタンクやチームB(注:アメリカ外交の単独覇権派を指す)や多国籍企業が独自に動いてこうなった、で終わってしまう そうではなく、
十字軍やフランス革命や二度の大戦から原爆投下からイラク戦争までももっと大枠で認可しているグループがあるという仮説が陰謀
例えば、日本の省庁は権益持続の戦略としての従米を志向してきたし、力学としてはそれが正しいが、数年でポジションが代わる官吏がそれをやるか? より大枠のグループが認可しているのでは?という疑いも当然出てくる 結局本来的には米国の統治戦略の問題でもあるわけだし



宗教は権力と結びつく
政治が強制力を受け持ち、宗教は精神を対象にする
表向きの弾圧に対し、裏の洗脳=陰謀論であり、宗教がこれを受け持つ
被曝回避を目的とする人に対してスピリチュアル等偽装神学に誘導しようとする向きがあるのであり、タブーで思考停止しない人の動向程度も見透かされている





某大手グノーシス看板の小売りはサイトに野菜類など検査結果を出しているが、全く信用ならん そもそも検出下限値が低すぎる ふざけているのか、と まあ裏からひっくり返してみれば(陰謀的視点)それが端から目的だから、となるが

(ホワイトフードのシンボルがグノーシス派のハーモニック・クロス疑惑。








@RC_StB 陰謀 ツイッター検索
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%20%40RC_StB%20%20%E9%99%B0%E8%AC%80&src=typd



https://twitter.com/RC_StB/status/624583713028861952










STB‏ @RC_StB
2016年2月14日
返信先: @RC_StBさん

「在庫補充、盗難防止、偽造防止などの目的で」とある
企業の利益優先の理由だ。IDからの情報収集には法的制限がないため政府の介入が必要だが、TPPが来たらどうなるかな?
読み取り可能範囲は今のところ1mだが
1件の返信 7件のリツイート 3 いいね
STB‏ @RC_StB
2015年11月26日

ワイルドがメイソンなのは結構有名だよ
英語圏で検索すると、もっと広い範囲で、色々なカテゴリーの連中がメイソンに所属していることがわかるからやってみるといい。所属ロッジも出てくる
アメリカの高級軍人には今も昔もメイソンが多い
0件の返信 8件のリツイート 5 いいね
STB‏ @RC_StB
2015年9月27日
返信先: @k2cyanさん

@k2cyan @take35c >計画的に日本人は思考能力低下 これは断定的に言い切ってしまえるでしょう あらゆる媒体が、日常的に・持続的に、B29が降らす焼夷弾の代用として、思考範囲を限定させる表現を垂れ流している 敵と味方を区別できなくされ、考え方は非常にイージーになる
1件の返信 7件のリツイート 2 いいね
STB‏ @RC_StB
2015年9月9日

獣の数字カードを持ち歩かせるということは、人間管理番号を携帯させるのと同義 で、このカードの読み取り機は何mの範囲まで有効なんだ? 官警の野郎が読み取り機を携帯して、かざすだけで個人把握可能、職質で後日訪問、歩いていただけで近所の事件の容疑者になるんじゃないのか?
0件の返信 5件のリツイート 2 いいね

眠れぬ者への眠りの送り手さんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年8月30日

対日年次改革要望書、日米地位協定、日米原子力協定、ジャパンハンド、アーミテージレポート、グラディオ作戦、コチャバンバ水紛争、イラン・コントラ事件、トンキン湾事件 これらは内容確定した事実問題であって、「見えてる範囲」だからね? 言ったからどうこうではない
0件の返信 5件のリツイート 3 いいね

kSさんがいいねしました
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2015年8月30日
返信先: @RC_StBさん

@RC_StB 日本の一般人はlv0〜lv0.5の入り交じっている見方。少しlv1(最初のプロパガンダ脱出)もある(陰謀否定でも郵政の酷さは自明である) 日本の陰謀肯定者は阿修羅の様にlv2止まりが多い。一応見える範囲ではこれが限界だし一義的には間違いではないが陰謀としてはお遊び
0件の返信 9件のリツイート 3 いいね

Silenced Since 2007さんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年8月3日

スパイは一定の範囲で情報リークする 自国が情報を得る代価でもある そして諜報機関は自国民の盗聴禁じても、同盟国間でならやり取り自由であり、互いに相手国の市民を監視し情報交換することで結果的に政府諜報が自国民をスパイする(本質的にスパイは自国民を狙う暴力)
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twit2momoさんと他4人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年7月5日

ヒカルランドもアーレフ系と言うし 2ちゃんねるだってオウム系だろ? 以外と狭い範囲でこの界隈は回しているのだと思う 2ちゃんねるは基本的に陰謀論をパージしているが、漏れ出た因子をどこかでキャッチする仕組みが出来上がっているらしいな
1件の返信 18件のリツイート 9 いいね
STB‏ @RC_StB
2015年5月3日

#マイナンバー が割り振られ適用範囲が広がれば、ネット利用歴から買い物歴等紐付けされます ナチス化された日本政府により就職・就学差別や監視対象に置かれたり、海外渡航の際も西側陣営からは要注意人物の記録がパスポートに入ると思いますので、子を持つ親は注意してくださいね
0件の返信 1件のリツイート 1 いいね
STB‏ @RC_StB
2015年4月23日

東南アジアやアメリカまでヨウ素やプルトでコンタミっているのに 日本の狭い範囲のどこにいても安全じゃないんだろうね、本当は 外国人の率直な意見を聞いて皆目を覚まそう 海外の単なる一般生活者の何の躊躇もない単刀直入な批評を聞けば、さすがに安穏としている人もヤバイと思い出すだろう
0件の返信 3件のリツイート 1 いいね
STB‏ @RC_StB
2015年4月12日

Twitterで脱原発を積極的に叫んでも、多分もう広がる範囲は飽和していて勢力が大きく増大する伸び代は残っていないと見る 我々は黙々と反対策を打たないといけない 政府のプロパガンダを退け、とにかく自身と周辺の防衛を最大限に 100万の抗議より100万の不買を
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STB‏ @RC_StB
2015年3月10日

#再臨界 に対しては、核発電マフィアが封殺マニュアルを策定して対応済みです。 ヨウ素の新規飛散を訴えると、2011年のベント解放のときのやつだとか、再臨界したらもっと重い核種が狭い範囲に降るだのとデマを垂れ流してきます。 ネット工作員に粘着されたら無視してブロックしてください。

STB‏ @RC_StB
6月2日

コミンテルン陰謀論は最もアホらしい話
世界の富の独占度合い、MICや政商、IMF、ビルダーバーグなどエリートと搾取の実情が知れ渡るとイルミナティのような巨大な世界支配層の仮説が流行するのは理解もできるが
反共の「そういう前提で行こう」というノリに過ぎない物が未だに流布するなど、ね
0件の返信 4件のリツイート 4 いいね
STB‏ @RC_StB
5月4日

通信プロトコルをTCP/IPで統一、OSによるハードウェア間のアプリの互換性の確立、確かに「便利になった」もあるが、情報収集(シギント)の効率化が進んだだけだ
陰謀論者の遠吠えみたいだが情報セキュリティーに関してはパラノイドと呼ばれていた人々が圧倒的に正しかった事が証明されたのだ
0件の返信 2件のリツイート 2 いいね
STB‏ @RC_StB
5月4日

それこそ陰謀論のそしりを受けかねないし、こちらも「まさかね?」というつもりに過ぎないが

あいつら、わざと付け火して山火事起こしてないだろうな。動物の死体を玄関先に投げ込んでくるような連中を使って
これで関西で雨が降れば全国の汚染が一律になって嬉しい位の感覚だろう
0件の返信 3件のリツイート 3 いいね

政志@言うだけはタダさんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
5月3日
返信先: @RC_StBさん

例えば陰謀論を説明するなら、本当はモヘンジョダロやアッシリアからと言いたい所を大まけにまけて、イタリア戦争・宗教改革・近代国家の成立からウェストファリア条約~第一次大戦終結という最重要部分は前提として欠かせないがこんなものをtwitterで書くのが無理



そもそも、我々の感受性や思考や洞察力が自由で自然であれば、陰謀の存在なんてミエミエで、見抜けて当然だということに対する省察が伴わないとおかしい。明治時代の日本は政府に対し暴動が何度も起きていたことを思い出すべきです
今までいい様に気力を削がれ騙されていた身分で特権気分など。
0件の返信 62件のリツイート 21 いいね

夏之さんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2016年6月27日
返信先: @RC_StBさん

ケネディ暗殺の情報公開に機密期限が切ってあるのも、時間を置いて当時とは違った見解の「新たな真実」が出てくるようにする陰謀暴露と同じギミックだろう。まっとうな事情がならば真実は隠されない。昔は隠していた事を今はどんどん暴露するようになっている
1件の返信 13件のリツイート 6 いいね

眠れぬ者への眠りの送り手さんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2016年6月27日
返信先: @RC_StBさん

結局いつも被害を受けた後に「あれは陰謀だったのか」と気づくだけ
21世紀は乱射やテロ事件の捏造でわかりやすい証拠を敢えて残しながら我々の反応を窺っている。と同時に力を誇示する
暴露や機密解禁という形で誇示の「ネタばれ」
1件の返信 38件のリツイート 15 いいね

Uさんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2016年6月27日
返信先: @RC_StBさん

時々陰謀論は自分たちだけのものだと思っている人がいるが
一般書籍にも書いてあることが特別情報なワケはない
以前熊本地震時に捕まった落書き犯の「作品」がニュースで晒されたように官界は市民がどういう情報を得てどういう思考をしているのか程度把握している(あれは敢えての煽りだろう)
1件の返信 33件のリツイート 10 いいね
STB‏ @RC_StB
2016年6月27日

STBさんがネズミさんをリツイートしました

全くそう思います。論者の暴露は小出しの釣り餌で本質には絶対迫れない鼻先の人参。一般陰謀ユーザーは陰謀を深化させる程しばしばバカも深化し、ストーリーありきで物事を考えて足元を掬われ、先鋭化して陰謀思考のセルフネガキャン役になってしまう

STBさんが追加
ネズミさん
@Nezmi_san
陰謀論だけじゃだめだと思う今日この頃・・・
1件の返信 18件のリツイート 9 いいね

Eiji 555さんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2016年3月7日

見えない部分を推測するのが陰謀思考の目的だとは言え、目に付きやすい部分に氾濫している個々のフォークロアに引き摺られるだけでは意味が無し
事実関係は積極的に埋めていきたい
0件の返信 11件のリツイート 4 いいね

☢️

🆖さんと他2人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年12月31日
返信先: @RC_StBさん

しかもマスゴミが流す情報は、事実の端切れでしかない上に、真相はブラックボックス化され、常に市民を興奮状態に置くための左右のフィルターがかかっている
だから陰謀思考を否定して、情報を断片のまま意味化せず、誘導を鵜呑みにして、確証のある内容しか考慮しない思考は非常に操作されやすい状態
0件の返信 34件のリツイート 11 いいね

ミシルさんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年12月16日

高度な話をすると、「不正選挙陰謀説」が流布されていること自体が情報操作の一環
近代民主主義で選挙が始まったときから不正行為もまた存在した
0件の返信 10件のリツイート 4 いいね

櫻薰をる戀ひ淚燈るるさんと他2人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年11月24日

社会工学の思考トラップ:知的正義派や陰謀論者のような存在の思考回路は見透かされている。そもそも知的正義派の情報源も支配者が与えたものであり、陰謀論も支配者が流す。
0件の返信 12件のリツイート 5 いいね

т. игарасиさんと他6人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年11月19日

宗教は権力と結びつく
政治が強制力を受け持ち、宗教は精神を対象にする
表向きの弾圧に対し、裏の洗脳=陰謀論であり、宗教がこれを受け持つ
被曝回避を目的とする人に対してスピリチュアル等偽装神学に誘導しようとする向きがあるのであり、タブーで思考停止しない人の動向程度も見透かされている
0件の返信 18件のリツイート 12 いいね

jiangminさんと他2人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年11月19日

モグラさんみたいな人は少数派で、おそらく陰謀ユーザースペクトラムにも乗らないくらいだと思う
海外では、日本語ツイッターでいるようなクライシスアクターを見つけて騒ぐような暇人がたくさんいる
なんにせよ、本当にヤバイ所を攻撃するのはリスクがある
0件の返信 13件のリツイート 7 いいね

jiangminさんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年11月19日

陰謀ユーザーのスペクトラムを描こうとするとかなり触れ幅が大きくなるが、何者かに送り出される「お説」をいただいて、アクターとしての「敵」を攻撃するステレオタイプなエンドユーザが最頻値だろう
菜食とかマクロビな層というイメージも付きがちである

STB‏ @RC_StB
2015年11月16日

直感的な何故?の部分にヒントが隠されていて、まず一番追求しなくてはならないのが、そこなのだと思う 基本的に、人間としてもそうだし 陰謀的には、記憶(特定脳内情報の組み合わせ)した陰謀事例の枠組み(経験)から怪しいという感覚が起きる ここがラベルの反応であり、個人で追うべきポイント
0件の返信 15件のリツイート 14 いいね

Eiji 555さんと他4人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年11月12日

近頃陰謀系で勢力を富に増してきてる「NWO天皇黒幕論」だが
その震源があのRAPTであり、分析にもなっていないような決め付けと、酷いときにはまったく論理的に話がつながっていないのに天皇が英米を凌駕することになっている。よく皆素直に信じるな?
1件の返信 28件のリツイート 13 いいね

眠れぬ者への眠りの送り手さんがいいねしました
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2015年11月9日

Reassure戦略とは、日本人から覇権やリアリズム(イデオロギーや倫理ではなく自国の安全保障のための勢力均衡を考える)的思考を奪うプロパガンダ 「低強度紛争」(陰謀ではなく内容確定した概念) 非武装中立も保守本流も結局アメリカの与えたスキームの中で潰し合うだけ
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名も無き者さんと他2人さんがいいねしました
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2015年11月9日

「ジャパンハンド」は陰謀論者の特権的タームでもなんでもない 独立系の立場をとっている右翼団体もこの概念を持っている 「国際金融資本」も同様に政治的文脈では登場する 「社会工学」の対象となる一般層には正常性バイアスとして日本操作人脈が存在しないから陰謀と言われるだけ
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2015年11月9日

前も書いたがジャパンハンドは機密情報でも何でもない マスメディアに頻繁に「知日派」という独特なカテゴリで登場する米国人がいる 政界の重鎮が頻繁に渡米し講演したり、日本で会合し、従米政策が成功すると満足の意を伝えてくるシンクタンクがある 陰謀でもない公的情報 政治学者なら普通に既知
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2015年11月6日

そして埋め込む場所が聖書の描写のままだったのでキリスト教、特に清教徒や原理主義系が「アンチキリスト」だと大騒ぎした 彼等は聖書の内容が実現すると嬉しい商売なので、こうしたネタを好む 陰謀論流すのは日本も米国も宗教系が多い(企業や普通の役所はやらない。宗教なら出版社もあり丁度いい)
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STB‏ @RC_StB
2015年11月5日

日本やドイツ帝国やナチスが多極間バランスを破る動きをしたのが本当に采配の狂いだったのか? 戦後構造を説明するために陰謀の根源を発見しようとするならここだろう この見えていない部分が陰謀
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メルセゲルさんと他3人さんがいいねしました
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2015年10月22日

その後、戦後になり、学校給食に雪印のあの6分割タイプのチーズが採用される
給食はいわずと知れたゴミの押し付け、生活習慣変更、トップダウンで中身が決まってしまう陰謀のツールである

どこかの意向だろうね
マニ教(東方ミトラ)は牛乳NGである
アングロサクソンか
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STB‏ @RC_StB
2015年10月15日

教育はもはや資本主義のための規格化にしか興味がない よく教育は支配層の手先というと、末端の教員まで陰謀に荷担しているというような壮大な的はずれな陰謀論者と誤解されるが
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Silenced Since 2007さんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年10月4日

wikipediaはディドロとダランベールの目標をより拡張発展させて叶える狭義イルミナティの啓蒙思想本流の理想的な装置だな 最早インフラ化しているし 余りにも当たり前に普及した部分こそ陰謀が存在するだろうね ジンボ・ウェールズや財団のキャッシュフロー、人脈を洗えば何か出るだろう
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Uさんと他2人さんがいいねしました
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2015年10月2日
返信先: @Nezmi_sanさん

@Nezmi_san らっきーは隠語に置き換えたりして慎重に訴訟対策してますね バックがいてミッション通りなRKやRAPTとは対照的に 当のデビッドRFなどは陰謀家と見做されワンワールド推進者と非難されることに対し「I am proud of it.」と回顧録で述べていますけど
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櫻薰をる戀ひ淚燈るるさんと他2人さんがいいねしました
ネズミさん‏ @Nezmi_san
2015年10月2日
返信先: @Nezmi_sanさん

@RC_StB こういうのは暗号通信と同じで情報をつなぎ合わせて理解するという事が出来ないと表面は「パペマペ」でしかない。ただそれが「過ぎ」過ぎて「伝わらない」。陰謀論にありがちな「細かすぎて伝わらない」でなく「情報抜きすぎて」暗号が解けず伝わらないかとw
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未熟な浅学者さんと他7人さんがいいねしました
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2015年9月30日

前から考えていたが、raptの「教皇派」「天皇派」なる異様なモデルに登場するタームの元ネタは、 歴史用語で12世紀からルネサンス期のイタリア半島の都市共和国間の派閥争いの「教皇派(ゲルフ)」と「皇帝派(ギベリン)」の借用じゃないか? 実際似たところがあるし陰謀にも深く関わってくる
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夏之さんと他2人さんがいいねしました
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2015年9月17日

陰謀論も「ユダヤ金融」とか「悪魔崇拝者」とか、分かりやすい像を叩いて実質「ムニャムニャムニャ」と言っているのと変わらないのが受けて ボゴミル派とかカッパドキアの三教父とかユダヤのマリアとかゾーシモスとかトビト記とかヒラムとか12世紀ルネサンスとかフッガー家とか全部スルーだからな
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古都のぬこさんと他14人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年9月15日

さすがねここねこさんだ 近代でユダヤ陰謀論を作ったのは実はロシアであるというネタをしっかり拾っている 帝政末期のロシアはユダヤ人虐殺(ポグロム)を敢行していたのであり それが1903年から1908年 記事の内容とも繋がってくる http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-103.html …
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STB‏ @RC_StB
2015年8月30日

あくまでもMIC(軍産複合体)やシンクタンクやチームB(注:アメリカ外交の単独覇権派を指す)や多国籍企業が独自に動いてこうなった、で終わってしまう そうではなく、十字軍やフランス革命や二度の大戦から原爆投下からイラク戦争までももっと大枠で認可しているグループがあるという仮説が陰謀
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kSさんがいいねしました
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2015年8月30日
返信先: @RC_StBさん

@RC_StB 日本の一般人はlv0〜lv0.5の入り交じっている見方。少しlv1(最初のプロパガンダ脱出)もある(陰謀否定でも郵政の酷さは自明である) 日本の陰謀肯定者は阿修羅の様にlv2止まりが多い。一応見える範囲ではこれが限界だし一義的には間違いではないが陰謀としてはお遊び
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kSさんがいいねしました
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2015年8月30日
返信先: @RC_StBさん

@RC_StB lv0は冷戦終了〜00年代中盤程までの一般人の感覚 lv0.5はネトウヨ史観 lv1は薄々と日本人も気付いている lv2は今現在起きているクリミアやBRIC銀行やロシアの金備蓄、アメリカのナチス化等、“眼前に見えている世界” lv3は陰謀論の超オーソドックス感覚
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名も無き者さんと他1人さんがいいねしました
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2015年8月30日

世界観(陰謀観深度)は人により段階が異なる lv0,日本や世界は独立した民主主義である lv0.5,日本は中国や韓国にメディア・政治を乗っ取られている lv1,日本は米国に属国化されている lv2,NATO陣営は英米を首魁とした国際金融資本に操作されていてBRICは対立している
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ミシルさんがいいねしました
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2015年8月30日

本日の官製集会(日本の大規模大会は必ず統制されている)に水を差すために敢えて書くが そろそろ山本太郎も羊の群れをまとめて誘導するための牧羊犬だと気付かないのかね、陰謀界隈の方々は アーミテージに指示したグループと山本太郎を操っているグループは根本では同じ所から分派しているはずだ
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2015年8月25日

余りにも宗教臭がしているので恐らく高等工作員ではない 日本を貶めたり日本人が警戒する宗教臭さもある ・近年の陰謀ブームに乗じた原理主義勢力からの巻き返し(ショボい) ・悪魔崇拝等曖昧な叩き方で本体への追求を煙に撒き耶蘇教への嫌悪感を招く事が目的の偽旗 このどちらかと予測する
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狼たちは知っているさんと他3人さんがいいねしました
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2015年8月25日

raptは何故悪いのかを、ロジックではなく悪魔崇拝だからで全て攻撃している(論理とは正反対の感情論) 日本文化もこの作法でデモナイズしている(これ自体は目的ではなく、手段である) 完全に切支丹の思考回路 こうやって陰謀論をばらまいて悪の対極=宗教へ入信誘導するのは伴天連の得意技だ
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2015年7月29日

歴史上の流れを押さえれば、IMF付帯条件であるとかエコノミックヒットマンであるとか、ヒットマンのバックがTPP推進しているとか、事実面を追うだけで危険性は明白だが あの糞麻生のニコニコ版wiki(大百科)はISD陰謀論等といってむべもなく否定している さすが屑の中の屑の麻生一族
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2015年7月29日
返信先: @RC_StBさん

@RC_StB 「常識」なのだが、市民のこれに対する反応は ①無視→教育・メディアが正常性バイアスとタブーに誘導。タブーに触れると恐怖の原理でとんでもない理屈を付けて合理化 ②陰謀と決めつける。①と同じギミック ③怒る→現状この意見は少数派として黙殺か、間違ったリーダーが誘導
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2015年7月29日
返信先: @RC_StBさん

@RC_StB 公平なシステムが有効であるという虚像を信じ込ませるための誘導は数多い(→陰謀説が拒絶される理由) メディアが敢えて発表しない内容をネットで指摘させて、建前が機能しているという世界観に閉じ込めておくため 本当に不都合な内容は合意のもと粛々と進む
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2015年7月25日

馬鹿の一つ覚えで陰謀論とレッテル貼りするネトウヨよ 核武装派右翼番組チャンネル桜の水島ですら、「軍産複合体」「国際金融資本」「ジャパンハンドラー」というタームは使用するぞ この程度は秘匿された内情ではなく、政治では常識のレベルだ 事実すら押さえられない癖に何時までピエロを続ける?
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村手 さとしさんと他2人さんがいいねしました
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2015年7月24日

陰謀論という言葉に、実体の無い、現実から解離した誇大的なストーリーという、本来備わっていない否定的なニュアンスを与えそのような文脈に用いてきたのは、知識人と称する屑達やマスゴミである 攻撃対象を名付けて実体化し、レッテルを貼る こういう操作技術をネーム・コーリングという
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2015年7月24日

それを言うと、阿呆に陰謀論と言われるのだ 阿呆の阿呆たる所以は、自らの首を自ら絞めるところにある
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Eiji 555さんと他1人さんがいいねしました
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2015年7月23日

@lakudagoya 歴史的な文脈で、陰謀論的な挙証しようがない仮説や、不可視のネットワークをなるべく覗いた事実側面を骨格としていくことが重要ですからね 歴史にはシンボルの変遷も含まれます 解析の足掛かりになる要素でもある この分野は避けては通れないと痛感しております
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おじぎそう(ぺこり)さんと他1人さんがいいねしました
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2015年7月23日

紐付き陰謀論者が敢えてリークをするのもネトウヨに開眼してしまうのも同じギミックである 「世界の巨悪に気付いた!」「中韓に支配されたマスコミのやり口に気付いた!」という実感を与えるために(一面的には事実である)情報で既製観念に衝撃を与え万能感を味わわせる そして俯瞰視野を奪い再洗脳
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jiangminさんと他2人さんがいいねしました
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2015年7月12日

@lakudagoya 本当にお笑いなんですが、笑えない 創作は隠喩やシンボリズムや暴露だらけですね こうやって、虚構の中に堂々と真実を混ぜ込んで、陰謀そのものに現実感が伴わないようにしている 見せ付けるという連中の傲慢さです 貴族や貴種が出てくる作品は大抵何かある
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2015年7月12日

@lakudagoya それでカトリックが必要以上にイルミ陰謀論を広めて信者獲得に利用していましたね FRBの株主はバチカンもロックもウォーバーグもロスもいると目されるので、茶番ですが
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2015年7月11日

@lakudagoya 今晩は 確かに本場アメリカの陰謀論はキリスト教原理主義も絡んでますからね 日本の場合はネトウヨがサヨク陰謀論とかいうのはその流れでマッチポンプしているからなんでしょうね ウヨ言説こそ典型的な論拠なしの妄想系陰謀論なのが皮肉ですが
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twit2momoさんと他4人さんがいいねしました
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2015年7月5日

ヒカルランドもアーレフ系と言うし 2ちゃんねるだってオウム系だろ? 以外と狭い範囲でこの界隈は回しているのだと思う 2ちゃんねるは基本的に陰謀論をパージしているが、漏れ出た因子をどこかでキャッチする仕組みが出来上がっているらしいな
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ネムーイさんと他1人さんがいいねしました
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2015年7月5日

リシャールのせいでユダ金ばかりが流行りだが、陰謀論でベルベットファシズムという用語もあり、内容的には支配層中東起源説で、カナン、フェニキア、黒い貴族等を含む 英語圏でも使われている言葉だ これについて書いていたブログが同時に文鮮明を賛美していた。陰謀論はカルトの商品ということだ
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ヒロさんがいいねしました
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2015年7月4日

@lakudagoya 陰謀的視点では、アニメに混ぜた陰謀暴露が迷惑だから貶めてやるといった目的もありそうですが ただ、油屋RF一族でも原子炉メーカーを所有し原燃以外で核利権を確保するように、創作中心との対立側派閥も共に創作を利用しあっていて、その中での対立と思いますが
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2015年7月4日

@lakudagoya ええ。スティグマを故意に作り出していますね これこそ陰謀のプロセスです より上部のフレームからすれば、マイノリティを攻撃させる構図の方便が作れればなんだっていいからという理由で被害者にされていますね うってつけのネタ(カモ)と見られたのでしょう
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2015年7月3日

学者は基本的にこの立場に立つが 現状はともすれば陰謀論という不快なレッテルを貼って済まされる視点を持てないのならば、属国的な・洞窟の比喩的な「被占領民」的視野から脱却できず、却って核心や結論を遠ざけるだけだ
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2015年7月2日

陰謀論者で日ユ同素論にかぶれる人は多いけど、そもそもな話、あなたは日本人としてユダヤ人とルーツが同じだと言われて嬉しいですか? そこが少しおかしいと思う 某掲示板によくいるBRICs信者(反米)でも、シオニストロビーの御得意の日油同素論にははまっているっておかしくないか?
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2015年6月30日

実際に法律を起草するのは(大資本のフロント実働舞台の)シンクタンクやロビイストや官僚で 知識人は陰謀抜きで「手続き論」重視し何とか民主主義を守ろうとしたり、形骸化していようと民主主義の断片でも残っているように語り 述べ方=認識部分が手抜きに見える 今植民地と断言しているのは極少数
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ネムーイさんと他1人さんがいいねしました
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2015年6月30日

「らっきー」もウヨサヨ両建て国会劇場に突っ込み始めたね http://youtube.com/watch?v=NMCGvuLilcE … 陰謀論に触れて韓国系プロテスタント臭いあいつとか大東社臭いあいつとか変な方向に引きずられたくない人はとりあえずらっきーだけ観ておけばいいのではないかな。バックは何か知らないが
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2015年6月25日

@lakudagoya それには自力で調査して、地味な人脈の抽出等も行わないといけませんからね 陰謀論で過激な事実だけを追い求め、論者の言うことを鵜呑みにするだけではTV視聴者と情報の食べ方が変わりません B層からBダッシュ層になっただけで
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jiangminさんと他2人さんがいいねしました
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2015年6月25日

@lakudagoya 今晩は。今関連をRTしました そうですね。陰謀界隈では不思議と槍玉に上がらないのがデンマークです 貴族連中は革命を後押ししていますし 資本家と対立する王権が現代も残されているのは、そいつらが黒幕だから でしょうね
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2015年6月22日

@lakudagoya 以前仰っていた、プロの出来を素人が出すのは難しいの話ですね しかし、陰謀論もあくまで通常で言う実学とは結び付かないので普通は研鑽しないんですよ。普通は(笑 客層はいるけれどそういう人達はB級好き含めマスコミコンテンツ的な食べ方をするからあくまで消費者ですし
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STB‏ @RC_StB
2015年6月22日

@lakudagoya ネタバレですが、オシリスの件だけはコピペです。個人的にギリシャ神話拾っていて(多言語wiki読んだり、手元にカール・ケレーニイとかあります)、光明の神と「11」の結び付きは連想してすぐ考えていましたが 二つ合わせてアポロ陰謀論として一纏めにした次第です
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2015年6月22日

勿論、TPP(食の安全やあらゆる波及事項)、戦争、情報統制、預金封鎖、生物災害、監視社会(弾圧社会)全てにリンクして同様のことが言える 敏感な人だけが資産への打撃を回避したりできるのだろうが 陰謀論とか笑って、後で私は被害者だとか言い出さないように。もう規定路線だからどの道遅いが
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kSさんがいいねしました
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2015年6月21日

これだよこれ。インサイダー マスゴミ連中やら自称文化人は陰謀論とか言って口を閉ざすけどな、奴等は表向きバカにしつつ裏常識があることは弁えている 日本の五大紙は全て紐付きで、編集室をCIAに貸し出したり、工作員がマスゴミ内部にいたりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E6%A9%8B%E6%B4%8B%E4%B8%80 …な
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眠れぬ者への眠りの送り手さんがいいねしました
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2015年6月21日

今から陰謀論(世界や社会に影響を与える事象の背後に共同謀議があるとする仮説、または不可視な部分に働く力学(秘密結社等の人脈を仮定した上で)の考察)を書き込みますのでそうした観点が不快な方はご注意ください
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STB‏ @RC_StB
2015年6月17日

陰謀論と言い切って都合の悪い思考を疎外できるのも、マスメディアや親方日の丸を信じ込んでいるせいだ(強制力を持った中央機関は本質的に市民の敵) 傀儡の所業は派遣解禁のように「犯罪の合法化」だから、公的な存在であることに気を許してしまうのが最悪の落とし穴
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yajima-miekoさんと他1人さんがいいねしました
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2015年6月16日

構造的事実を筋道立てて追う人は正確でいいのだが、所謂メイソン陰謀論の如き「支配者層の横糸」のような不可視で当人以外には関知不可能な領域を忌避すると知らずにこの罠に陥る危険性がある ロビイストや日米合同委員会の背後に多国籍寡頭財閥の影響を見透しても、派閥までは意識できない場合がある
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STB‏ @RC_StB
2015年6月14日

@lakudagoya ポジショントークというよりカルト陰謀論者の活動は本質的にマスゴミの操作と同種ですからね。信者になったら御仕舞いで、知らず知らずの内に単一のモデルを鵜呑みするようになる。 陰謀はTV視聴者と同じような情報の食べ方をしてはならないし、染まるものでもありません。
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twit2momoさんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年6月14日

@lakudagoya @senjirou1 連中が脅迫的に特定の数字をスケジュールに当てはめるのもバビロニアの暦法の名残の面が強くありそうですからね(天体=カレンダー繋がり)。 私も今から勉強します。 しかし、陰謀抜きでも「楽しい」ですね。新しい知識体系に触れるのは。
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STB‏ @RC_StB
2015年6月10日

深化した考察が陰謀論の色眼鏡で見られるのは、どこかにこの衆愚主義が根を張っているからだ(懐疑による認識改良は知の出立点、疑問文の形式で常識という無知を追認することもある) マスゴミはタブーと恐怖感情、現状追認の圧力を見えない形で人に仕込む
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STB‏ @RC_StB
2015年6月5日

下のRTの記事が取り上げているbefore its newsは海外の大手陰謀論サイトだが宇宙人の話も多い 独立した国家と思わせている各国の上部に多国籍企業があり、国際金融があり、秘密結社があり その上に悪魔や宇宙人がおり……式の、最終結論が論理的に確定不可能な説明は本質隠しの洗脳
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sydneyminatoさんがいいねしました
サージ船長‏ @alo353
2015年5月30日
返信先: @RC_StBさん

@RC_StB @lakudagoya @sydneyminato 確かに金の流れで掴めるのは支配下の人間だけですね。トップの人間達は金では動いていません。意図的に流布される陰謀論ではなく、理詰めの事実検証で暴くことが大切です。私もそれら検証で理論構築するのが良いと思います。
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STB‏ @RC_StB
2015年5月30日

@lakudagoya @alo353 @sydneyminato ちょっと失礼しました。 結局キャッシュフローですよ。金の流れを辿れば陰謀論抜きで構造のフレーム(黒幕)が浮かび上がる。犯罪操作の基本です。 しかし非公開株主など、どこかで未然に阻害されます。これも犯罪操作と同じ。
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STB‏ @RC_StB
2015年5月28日

トンキン湾は事実関係が立証された陰謀の中では最大級の事件 123便、明治維新、311、WW、WW2、阪神、酒鬼薔薇、オウム……日本社会改変に使われた大小の謀略にネタバレがくれば民族的総括の起点になるがそんな議論をさせるつもりはあの連中にはないだろう。日本は畜舎化で合意されたからね
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STB‏ @RC_StB
2015年5月27日

国会答弁は破綻している。ロゴスの問題ではなく、支配者側のスケジューリングの問題でしかなくなっている 強制力さえあれば、どんな矛盾があってもそこから突き崩されず国家運営に反映されてしまうという状況 未だに民主主義が機能していると信じていて現状が陰謀論だと喚く奴は思考を止めている
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STB‏ @RC_StB
2015年5月27日

仰る通り彼方側の人物でしょうね 連中が大好きな見せびらかし(いくら陰謀がバレても覆されない。TPPは現実世界をブロック式ワンワールドにする) 創作という意識が思考の落とし穴になる。却って1984は小説だと思うから。目の前の状況すらフィクション認識。日本人は311でこの意識を経験中
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STB‏ @RC_StB
2015年5月24日

よく学校は支配者の手先と言うと、統制された闇の組織体系が実の教育に関与している……この手の妄想扱いだが 却って陰謀論を知らぬ一般人の方がこの手の思い込みに引っ掛かる
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STB‏ @RC_StB
2015年5月22日

代議士が民主的手続きを取らず、構造上の主権者たる国民を疎外し、全く別なステークホルダーへ利益供与するために政治を行う 陰謀論抜きでもこの構図から独立した民主主義は嘘で不正の存在が明確であるのに、世間の認識はいつまで経っても規格上のみの国家体制(実在しない)の幻覚を眺めているだけだ
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kSさんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年5月18日

↓携帯電話のアプリから投稿したら勝手に画像がリサイズされて潰れてましたね…… 後このアプリ、陰謀論書いたら連続でエラー吐いて強制終了したことがある(携帯なのに) 特定の人の過去ツイートがいつも見られなかったり(アンチTPP・グローバリズムの人で) まあ、そういうことなんでしょうな
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STB‏ @RC_StB
2015年5月14日

キャッシュ廃止の流れは不味いね 今世界を股に掛けた長期的で壮大なマッチポンプが行われており、情報戦最低下位の一般日本人は完璧に敗北して枯死するのだと思う 陰謀論自体が普通な欧州や米国と比べても(NWOって向こうじゃ普通にパロディネタにもなっている)
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STB‏ @RC_StB
2015年5月12日

しかもまた衛星で観たら台風など無くなっているという これが陰謀でなかったらなんなのか? 現状は、市民が習慣的に信頼を寄せる表メディアには真実など微塵もなく、陰謀論と罵られ忌避されるジャンルの言説中にこそ事実を見出だせる逆転世界だ 認識や知識の差で違う世界に生きさせられている
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STB‏ @RC_StB
2015年5月10日

本当は何でも裏付けが一番大切なんですがね 民衆が疑うことをしだすと大抵の嘘は機能しなくなるので、色々な方法でパブリックな空間から検証作業は追放されて大メディアの発表こそ社会で唯一の事実にされています 陰謀論のレッテルで仮説を葬ろうとするのもその一つ だから陰謀にもわざと嘘が混ぜる
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STB‏ @RC_StB
2015年5月10日

某大手グノーシス看板の小売りはサイトに野菜類など検査結果を出しているが、全く信用ならん そもそも検出下限値が低すぎる ふざけているのか、と まあ裏からひっくり返してみれば(陰謀的視点)それが端から目的だから、となるが
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STB‏ @RC_StB
2015年5月2日

1)陰謀論の5大誘導 ①エイリアン ②スピリチュアル(多次元世界、霊的存在、ルシファー云々) ③偽史 ④ある勢力は敵で、ある勢力は味方だと吹き込む(両建て、知らぬ間に心情的に敵側へ) ⑤意味のない解決策を吹き込む(ex:映画スライブ後半) ①〜③はキリスト教などが元ネタの同根
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STB‏ @RC_StB
2015年4月28日

連中はカウンターに対するカウンターとして 陰謀論 というレッテルを持っている 認識する世界を分断して、市民間の格差を作れるおまけ付き だからアホの中ではNHKのニュースで報じない事は世界には存在していないことになる なんでもかんでも怖がる主婦など見ていると確かに成功している
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STB‏ @RC_StB
2015年4月26日

今もこのラジコンヘリがどれだけ拡散したのか、ペンタゴンが開発して電通も使ってるあのツールでチェックしている(笑) 電気洗脳機の広報内容がまだまだネットの話題で支配的な事に安堵する支配層 阿呆の餌付け場の2ちゃんでは相変わらず壊れたラジカセが陰謀連呼の平常運転(これすらシナリオ)
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STB‏ @RC_StB
2015年4月26日

こんな服わざわざ探してくる方が手間だ でも、簡単すぎ(見え過ぎ/)るのが違和感 陰謀脳でなくとも気付くだろ? 逆に見せすぎていて スピン、法制化向け世論、選挙対策、被曝報道潰し、反核発電家攻撃 ま、それだけでなく何かの観測だな。Twitterはそのために開発されたのだから
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STB‏ @RC_StB
2015年4月22日

徴兵制はんたーい とか言うだけでは意味がない 愚民の頭の中では民主主義という建前が日本を動かしていることになっているが、現実の社会は99%の人民とは血統も帰属意識も断絶した支配層の都合で動く これを言うと阿呆が陰謀論と騒ぐ 表の議論に今の体制がスパイという認識を揚げないといけない
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STB‏ @RC_StB
2015年4月22日

薪ストーブを核汚染区画で推進するのは、チェルノブイリの知見を蓄積した学者や役人なら、絶対にダメだと言うのは常識 わざわざ311後に増加するのには、理由があるよ やたらに陰謀論を振りかざすのも無能だけど、常に思考に自由なスペースを残しておかないと 安いだけが理由なわけはない
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STB‏ @RC_StB
2015年4月19日

黒幕……キリスト教、財閥・多国籍企業 朝鮮・ユダヤ人は体のいい盾で実行しているだけの手羽先 WW2も、日本の現状も、背後にはキリスト教・財閥企業がいる。これを言わない陰謀論者は紐付き 自民党なんかわかりやすいだろう
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STB‏ @RC_StB
2015年4月17日

ここまで巧妙に……もう陰謀論者だけが言ってる場合ではないだろう 被曝が行政府によって故意に日本人を対象に拡散させられていると、表の議論のテーブルに乗せたい そこで来るのが操作……タブーの心理、タブーの植え付け、偽旗による否認・追認の分断、群衆の操作、成熟しない(させられない)議論
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twit2momoさんと他1人さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年4月15日

大麻合法化を推進したウルグアイのムヒカ大統領はノーベル平和賞(別名ノーベル殺人賞、国際資本貢献賞)の候補とも報じられたことがある 大麻解禁の流れは当然意図的で(今まで禁止してたんだからね?)、陰謀論者に大麻合法化論者が多いのも、ちょっと注意が必要(毒入りリンゴ、善意から騙される)
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風の子‏ @makeanovel
2015年4月5日
返信先: @etketketketkeさん

あれ、711にも仄めかしがあるんですね。なになに911を予告した映画と。4月が無事に過ぎても気が抜けませんね。まあそんなこといったら預言者とか陰謀論者はずーっと1年じゅう切れ目なくなにか起きるって言ってるのかな^^; 
@etketketketke @RC_StB @ST0NES
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STB‏ @RC_StB
2015年4月4日

ラディカルな陰謀否認論者も被曝を無視する日本人も同じことで、一種のマインドコントロール下にある。 何が彼らに認識を否認させているのか、その言い分と態度を観察し、思考に働くギミックを解明し、そうした信念を身に付けさせた要因を社会から抽出する。 洗脳操作はありふれている。
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STB‏ @RC_StB
2015年3月31日

あるあるネタだ。私は毒入りリンゴと呼んでいるが、陰謀系はスピリチュアルだの、キリスト教の神を宗教臭くない宇宙人に差し替えた非条理世界への誘導が多いのなんの だからちゃんと毒のある部分は避けて食べないとダメ 河豚の解体みたいなものだ 河豚と言えば河豚計画。あれも……
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STB‏ @RC_StB
2015年3月30日

@RC_StB らっきーデタラメ放送局★第86回『陰謀!片棒!天気予報!』 http://www.youtube.com/watch?v=WpO6OzP9gaA … →「陰謀論」という概念自体が米国から輸入された →「陰謀論」言葉そのものは中立的であり、怪しい・オカルトなどの意味はない
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STB‏ @RC_StB
2015年3月30日

この不正選挙監視団君はよくリツイートさせてもらうが、核汚染・被曝情報に混じってパラレルワールドとかスピリチュアルとか時々TWするので……私が毒入りリンゴと呼んでいるパチモンスピ誘導要員ではないかと疑っている 陰謀論やるとアセンションなどのあらぬ方へ誘導されることがままあります
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STB‏ @RC_StB
2015年3月27日

笑えてくる。発狂工作員はここにお宝がありますと知らせているようなものだ。 ……ただし、陰謀論を極めるならそういう動きも含めて、ある場所とある場所では派閥が違ったり許容されている言動の内容に変化があることに注目し両建ての罠を見破らなければならない。 例えば2ちゃんは誰の管理下か?
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STB‏ @RC_StB
2015年3月26日

非人道的か…… 私に言わせれば非人間的だ 被曝の否認など、現実の事実をねじ曲げるのだから、明らかに生存本能や同族守護のあらゆる原則に反している よく支配層は爬虫類人レプティリアン等という糞陰謀論があるが(提唱者のD・アイクはディスインフォーマー)実際に奴等の価値基準は非人類のそれ
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STB‏ @RC_StB
2015年3月25日

イスラエル建国―パイクの「計画書」―WWIII(中東激突) 連中は100年単位の長期スパンで物事を進める。そして今刈り取りの時期に入った(#アジェンダ21) 日本の陰謀は経済主体だが敵の本体は血筋・思想・哲学・宗教であり、海外のはバイブルも読み解くのが主流。 イルミ=馬鹿カルト。
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STB‏ @RC_StB
2015年3月22日

CIAが工作機関であることは誰でも知っているし様々な国の政権へ転覆を含む工作をしてきたことも事実だ。 だが日本の現代史もCIAに操作されており自民党は米国に作られたと言うと非現実的だとか陰謀論だとかの扱いになる。 同一人物が上記のような矛盾する認識を併存させること二重思考という。
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STB‏ @RC_StB
2015年3月19日

常識はずれの説に対する反応は、観念刷り込みでやられているんだよね。 所謂普通の人の、陰謀論っていって唾を引っ掻けて逃げる反応自体が、創作等から無意識に獲得され、周囲への同調がそれを相互に強化するシステム。 我々の反応・態度自体も支配層に獲得させられたもの。
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夏之さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年3月18日

馬鹿は陰謀論ということばを唱えても、なんら陰謀とされる内容に対する反論になっていないのは承知しているのだろうか。 まだ難しくてわからないとか言っている方が身の丈にあっている。 使うとかえって頭が悪くなる言葉ってありますね。
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名も無き者さんがいいねしました
STB‏ @RC_StB
2015年3月16日

それこそ陰謀論の謗りを免れない無闇な話になるが、連中が反抗的な記者や学者を簡単に殺してしまうのは、権威に服従しない遺伝子を間引くという意味で飼い主君達にも都合がいいのでは?とふと思った。 なんにせよ事が起こればパイナップルブリゲイズみたいなのが我々の家の戸を蹴破りに来るわけだし。
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STB‏ @RC_StB
2015年3月14日

常識を外れた仮説を陰謀とか言っていっしょくたに白眼視する人たち。その反応自体が刷り込みなんだよ。注意深くクソメディアや創作物を見ていくと、観念刷り込みや思考トラップが沢山だよ。 気付かないうちに獲得させられた反応な訳。
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STB‏ @RC_StB
2015年3月9日

スピンなら今やってますよ。淡路島5人殺傷。淡路島=軍産S価パソナ島。兵庫県警は連中の息がたっぷりかかっているからお手の物。酒鬼薔薇、女児バラバラってね……。 しかも逮捕された容疑者は陰謀論者。何かのメッセージ兼用臭い。@ST0NES:メルケルは何のスピンで今の日本に来たん?
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STB‏ @RC_StB
2015年3月9日

パソナ島で5人殺傷。 しかも容疑者は陰謀論者。 2ちゃんねるでは早速左翼叩きから等質認定まで一連のコース。 100%連中の演出だろう。スピンとレッテル貼りだ。 さらに、一部への警告も含む。 バックグラウンドの情報量がとても多い事件だ。
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STB‏ @RC_StB
2015年2月25日

構うなドンドンやれ。官僚がキャリアにSIMカードのシステム改革させた目的とかパスポートや免許証に入ってるIDチップとかな@mymunber: みんな!お疲れなり。 マイナンバーの陰謀説について、裏の裏を知りたい人、いるなりか?
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STB‏ @RC_StB
2015年2月18日

とにかく、#ショックドクトリン の脅威が高まっています。天文学的な借金を拵えた気違いが発狂している状態です。これ以上下らないアトラクションは必要ない。支配層の陰謀ジジイどもだけでやってください#南海トラフ地震 にご注意ください #ちきゅう号 #マイケルグリーン


STB‏ @RC_StB
2015年3月14日

常識を外れた仮説を陰謀とか言っていっしょくたに白眼視する人たち。その反応自体が刷り込みなんだよ。注意深くクソメディアや創作物を見ていくと、観念刷り込みや思考トラップが沢山だよ。 気付かないうちに獲得させられた反応な訳。
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月読美琴@機械仕掛けの政治思想 ~人工知能とパブロフのヒト~さんがリツイート
STB‏ @RC_StB
2015年3月18日

馬鹿は陰謀論ということばを唱えても、なんら陰謀とされる内容に対する反論になっていないのは承知しているのだろうか。 まだ難しくてわからないとか言っている方が身の丈にあっている。 使うとかえって頭が悪くなる言葉ってありますね。
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月読美琴@機械仕掛けの政治思想 ~人工知能とパブロフのヒト~さんがリツイート
STB‏ @RC_StB
2015年4月4日

ラディカルな陰謀否認論者も被曝を無視する日本人も同じことで、一種のマインドコントロール下にある。 何が彼らに認識を否認させているのか、その言い分と態度を観察し、思考に働くギミックを解明し、そうした信念を身に付けさせた要因を社会から抽出する。 洗脳操作はありふれている。
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月読美琴@機械仕掛けの政治思想 ~人工知能とパブロフのヒト~さんがリツイート
STB‏ @RC_StB
2015年3月31日

あるあるネタだ。私は毒入りリンゴと呼んでいるが、陰謀系はスピリチュアルだの、キリスト教の神を宗教臭くない宇宙人に差し替えた非条理世界への誘導が多いのなんの だからちゃんと毒のある部分は避けて食べないとダメ 河豚の解体みたいなものだ 河豚と言えば河豚計画。あれも……






新しい研究:「陰謀論者」は健全に思考し;政府にだまされている人は非合理で、敵意に満ちている
”アメリカとイギリスの心理学者と社会科学者による最近の研究が、主流メディアの紋切り型の報道とは反対に、論争中の事件の公式説明を受け入れる人々よりも、「陰謀論者」とレッテルを貼られた人々の方がより健全な思考力を持っていると考えられることを示している。



直近の研究はケント大学(イギリス)の心理学者Michael J. Wood と Karen M. Douglasが7月8日に発表したものである。この研究は「第7ビルはどうなったのか?」との題名の、911についてのインターネット上の議論の社会心理学的な研究である。この研究では「陰謀論者」(賛陰謀論)と「慣例主義者」(反陰謀論)のニュースページ上でのコメントを比較している。



執筆者は慣例主義者のコメントよりもいわゆる陰謀論者のコメントの方が社会慣例として認められることを発見して驚いたのであった:「集めた2174のコメントのうち、1459を陰謀論者に、715を慣例主義者に分類した。」つまり、ニュースページ上にコメントをした人々の中で、911やJFK暗殺のような事件に対する政府説明を信じない人々の数は、信じている人の二倍以上であるのである。これは、今では社会通念となっている内容を表現しているのは賛陰謀論のコメントをした人であり、一方反陰謀論のコメントをした人は、小さな、苦境に立つ少数派であることを意味するものである。



おそらく自分達が主流と想定している見解がもはや多数派を代弁してはいないためであろう、反陰謀論者のコメントをする人は頻繁に怒りや敵意を示していた:「この研究は…911の公式説明に賛成する人々は、自分達のライバルを説得しようとする際、概してより敵意を持っていることを示すことになった。」



加えて、反陰謀論の人々は敵意を持っているのみならず、自分達自身の陰謀論に偏向的に固執していることもまた判明した。彼らによれば、911についての彼ら自身の理論‐アフガニスタンの洞窟に住む人工透析装置を付けた人物の指示のもとで、誰も飛行機をうまく操縦出来なかった19人のアラブ人が、世紀の犯罪をやってのけたという理論‐は誰もが認める真実であったという。一方、いわゆる陰謀論者は、911事件を完全に説明する理論を持っている振りはしてこなかった。



簡潔に言えば、Woodと Douglas による新しい研究は、自分達自身の非主流的真実に敵意をもって偏向的に固執しているという‐陰謀論者に対する否定的紋切り型表現は、実際には、911の公式説明に反論する人々のことではなく、911の公式説明を擁護する人々のことを述べていることを示しているのだ。



さらに、この研究は、反陰謀論者よりもいわゆる陰謀論者は(例えばJFK暗殺を911の先例として見るような)歴史的文脈を論じていることを発見したのである。この研究はまた、いわゆる陰謀論者は「陰謀論者」や「陰謀論者」と呼ばれることを好まないことも発見した。




この両発見は、テキサス大学出版局から今年前半に出版された、政治科学者Lance deHaven-Smith著の「Conspiracy Theory in America」という新しい本において詳しく説明されている。deHaven-Smith教授は、なぜ人々は「陰謀論者」と呼ばれることを好まないのかを説明している:この用語は、JFK暗殺に疑問を投げかける人々を非難し、中傷するためにCIAによって発明され、幅広く流布するようになったのだった!「『陰謀論者』という用語を普及させ、陰謀があったという考えを嘲笑と敵意の対象とするこのCIAのキャンペーンが、不幸にも、史上最も成功したプロパガンダ提唱の一つであったことは、信じざるを得ないのである。」



つまり、蔑称として「陰謀論」や「陰謀論者」という用語を用いる人々は、十分文書で示されており、議論の余地のない、歴史的な真実であるJFK暗殺を隠蔽するためのCIAによる陰謀の結果として、そうしているのである。ところでこのキャンペーンは、全く違法なものであり、CIA幹部が犯罪に関与していたのであった;CIAは国内での活動を禁じられているが、日常的に法を破って、プロパガンダから暗殺までの国内活動を実施しているのである。



DeHaven-Smithはまた、高度の犯罪についての公式説明を疑う人々がなぜ歴史的文脈を論じることに熱心であるのかを説明している。同教授は、陰謀についての大多数の主張が真実であることが判明していることを、またいまだ解明されていない多くの「民主主義に敵対する国家犯罪」の間には強い結びつきが存在していることを指摘している。疑う余地のない実例は、両暗殺共にベトナム戦争に進んだ大統領のお膳立てをした、JFK暗殺とRFK暗殺の間の結びつきである。DeHaven-Smithによれば、この二人の殺害はより大規模な同じ犯罪の一面であったと考えられるため、私達は常に「Kennedy兄弟暗殺」と複数形で論じるべきであるという。


グェルフ大学の心理学者Laurie Manwell も、CIAが企画した「陰謀論」というレッテルが認知機能の妨げとなっていることに同意している。彼女はAmerican Behavioral Scientist 「アメリカ行動科学者」(2010)に発表した記事の中で、反陰謀論の人々は自分達に以前からの信念と矛盾する情報を処理する能力がないため、911のような民主主義に敵対する明白な国家犯罪について秩序立てて思考することが出来なくなっていることを指摘している。



またABS(American Behavioral Scientist 「アメリカ行動科学者」)の同じ号の中でバッファロー大学のSteven Hoffman 教授は、反陰謀論の人々は概して強固な「確証バイアス」の犠牲であると付言している。つまり、彼らは(「陰謀論」というラッテルのような)非理性的なメカニズムを用いながら矛盾する情報を避け、以前からある信念を確証する情報を捜し求めているというのだ。



「陰謀論者」を攻撃する人々の極度に非理性的な考えは、ボイシ州立大学のコミュニケーションの教授、Ginna Husting とMartin Orrによって明らかにされている。2007年に“Dangerous Machinery: ‘Conspiracy Theorist’ as a Transpersonal Strategy of Exclusion,”という題名の査読を受けた記事の中で、彼らは以下のように書いていた:



「もし私があなたを陰謀論者と呼ぶことが出来るとしても、あなたが実際に陰謀が存在していると主張しているのか、それともあなたが単に私が避けたがっている問題を提起しているのかは大差がない。あなたにレッテルを貼ることで、私はあなたを公共での発言、討議、論争が起きる場所から戦略的に締め出しているのだから。」



しかし今では、インターネットのおかげで、公式説明を疑う人々はもはや公共での対話から締め出されてはいない;「陰謀論者」との非難を用いることで討議を封印するCIAの44年にわたるキャンペーンはほとんど使い古されたものとなった。学術的な研究において、ニュース記事でのコメントにおいて、今や賛陰謀論者の発言は反陰謀論者の発言よりもさらに数多くなり‐より理性的に‐なっている。



反陰謀論の人々がますます敵意に満ちた、被害妄想の変人の集団のように思われるのも無理はない。”
http://blueplanetok.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-1a52.html

あなたはマインドコントロールされたCIAのカモだろうか?
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/cia-3729.html
"誰かが、オーランド、サンバーナーディノ、パリやニースの公式説明に疑問を呈するのを聞いて、したり顔でほくそえんだことがおありだろうか? 9/11に関する疑問を投じた、2,500人の建築家やエンジニア、消防士、民間機や軍用機のパイロット、物理学者や化学者や元政府高官よりも、自分の方が優れていると感じておられるだろうか? もしそうであれば、読者は、マインドコントロールされたCIAのカモの姿にあてはまっている。

“陰謀論”という言葉は、1964年、ジョン・F・ケネディ大統領は、本人も警察に拘留された際、訊問を受ける前に暗殺されたリー・ハーヴェイ・オズワルドという名の、一人の銃器携帯者に暗殺されたというウォーレン委員会の結論に異議の声を上げる多くの懐疑論者の信頼を損なうため、CIAによって発明され、世間で使われるようになったのだ。CIAはマスコミ内のお友達を利用して、ウォーレン委員会報告を疑うことを、嘲笑と敵意の対象にするキャンペーンを立ち上げたのだ。このキャンペーンは“史上最も成功したプロパガンダ作戦の一つだった”。

ランス・デ・ヘイヴン・スミス政治学教授が、論文審査を受けた著書『アメリカにおける陰謀論』テキサス大学出版局刊の中で、そう言って、政府説明に異議申し立てする人々に対し、人々が、反射的、自動的に汚名を着せるようにするのに、CIAがいかにして成功したかを説明している。これは極めて重要で、読みやすい本で、『マトリックス』の世界から、読者を解放する力を持った、まれな一冊だ。

デ・ヘイヴン・スミス教授は、CIAの策謀を立案している原本のCIA公文書#1035-960を、情報公開法請求によって入手できたおかげで、この本を書くことができた。官僚は、これほど古い文書が重要だなどとは思わなかったのだろう。文書には“不要になり次第、破棄すること”と記されているが、なぜか破棄されなかったのだ。CIA文書#1035-960は、本書中に複製されている。

CIAが、政府説明に対する懐疑論に汚名を着せるのに成功したことによって、9/11のような民主主義に対する国家犯罪 (SCAD)を調査するのを困難にしている。政府が証拠を破壊し、所定の手続きを無視し、捜査を遅らせ、それから、公式説明にお墨付きを与える政治的委員会を立ち上げることができる9/11のような怪しい出来事の場合でさえ、人々の頭は“陰謀論変人”とあざ笑うよう、洗脳されているのだ。デ・ヘイヴン・スミス教授は、ケネディ暗殺や9/11などの出来事では、公式の警察や検察による捜査は決して行われなかったと書いている。出来事の解明は、政治的委員会に任されたのだ。

デ・ヘイヴン・スミス教授の本は、私が読者の皆様に書いてきたことを裏付けている。政府は、SCADが起きる瞬間に、公式説明を用意していおいて、そもそもの発端から論議を支配しているのだ。これによって、他の全ての説明が“陰謀論”になる。デ・ヘイヴン・スミス教授は、それをこう説明している。

“ミーム情報に対するSCADの手法は、CIAや、他の関与している可能性がある機関が、作戦のずっと前に、ミーム情報を作成しておいて、それゆえ、いかなる競合する概念が出現する前に、SCADのミーム情報が極めて迅速に現れ、広まってしまうようにするのだ。”

建国の始祖だったら、政府内部の権力の座にいる連中が、隠れた思惑に役立つ出来事の画策を可能にするのに、政府が関与している怪しい出来事と、見なしたであろうものに対する世論を支配するのに、CIAは成功しているのだ。9月11日の出来事は、ワシントンが支配する世界のための果てしない戦争という新たなパラダイムをうみ出した。CIAが世論の支配に成功したおかげで、支配層エリートの政治犯罪を捜査するのが不可能になっている。結果として、反逆罪が、アメリカ政府の公式政策になることさえ可能になっている。

デ・ヘイヴン・スミス教授の本は、アメリカ軍、CIAと、シークレット・サービスの人間によるケネディ大統領暗殺について語っている。ウォーレン委員会が、民主主義に対する国家犯罪を隠蔽したのと同様、デ・ヘイヴン・スミス教授は、なぜ我々は、9/11公式説明を疑うべきなのかを示している。そして、政府が我々に語るあらゆることも。

本書をお読み願いたい。薄い本だ。手頃な価格だ。現実を知るための準備だ。本書は、阿呆で、無頓着な、洗脳されたアメリカ人にならずに済む予防接種になる。CIAが、印刷された本書全てを購入し、燃やさないのに、私は驚いている。おそらく、CIAは、国民の洗脳に成功したことで、何の恐れもないとたかをくくり、アメリカ民主主義や、責任を負う政府が回復できるなどとは思っていないのだ。

Paul Craig Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニュー ズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Order.が購入可能。

記事原文のurl:http://www.paulcraigroberts.org/2016/08/31/are-you-a-mind-controlled-cia-stooge-paul-craig-roberts/

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蛙の子は蛙。

「制御棒処分、70m以深 国の管理10万年 規制委方針」という報道にも平然と、のんびり白痴製造装置の番組を見て笑っているあなたはマインドコントロールされたカモだろうか?

国やら管理機関が10万年続くわけがないだろう。"

ゴイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%A4
”ゴイ(Goy、ヘブライ語: גוי‎)とは、ヘブライ語聖書でイスラエル民族を指す語[1]。非ユダヤ人の諸民族を指す複数形のゴイム(goyim、גוים、גויים)は、『出エジプト記』34章24節の「我は汝の前に諸民族を追放するであろう」という表現にも見られ、それよりはるか以前の古代ローマ時代には「異教徒」も意味したという[2]。後者はイディッシュ語に見られる表現である。

現在では専ら非ユダヤ人を指す差別語でもあり、クリスチャンやムスリムに対して広く用いられるが、ユダヤ人がユダヤ教以外のあらゆる宗教を奉じる人々を指して使うことが多い。

ヘブライ語聖書

トーラーではゴイやその異形が、ヘブライ人や異教徒に言及する中で550回以上使用。初出は『創世記』10章5節で、当初は非ユダヤ民族を指す悪意の無い語であった。ヘブライ人に関する初の言及は、神がアブラハムに対して、子孫が偉大なる民族(goy gadol)を形成すると約束した、『創世記』12章2節に見られる。

『出エジプト記』19章6節ではユダヤ人が「聖なる民族」(goy kadosh)と述べられている[3]ように、初期のヘブライ語聖書ではゴイをヘブライ人に対して用いることが多い一方、後には他民族を指すようになってゆく。

翻訳された聖書の中には、ゴイムという語を訳出せず、国名として扱っているものもある。
『創世記』14章1節では「ゴイムの王」はティドアル(テダル)であるとなっている。聖書の解説書の中にはゴイムはグティウムを示しているかもしれないとするものもある[1]。
ユダヤ教ラビ

旧約聖書で選民についてのより詩的かつ、ユダヤ人学者の間で一般的な表現の1つに、神が聖書の中でユダヤ人を「この世で唯一無二の民族」(goy ehad b'aretz)と宣言している箇所がある(『サムエル記上』7章23節および『歴代志上』17章21節)。

ラビ文学においては世界に70の民族(goyim)がおり、いずれも独自の言語を持つとしている。当該節では「彼(神)がイスラエルの数に従って国境を取り決めた」(『申命記』32章8節)としており、中世フランスのラビであるラシは、「セムから生まれることになるイスラエルや、エジプトに下ったイスラエルの70の魂により、彼は70の言語(によって特徴付けられる)『国境』を取り決めた」と主張。

一方、ハイム・イブン・アター[4]は「(エルサレム神殿にある)メノーラーという7脚の蝋燭は世界の70民族に対応し、それぞれ(の蝋燭)が10(の民族)を表している。これはそれらが皆西方(の蝋燭)、つまりユダヤ人の反対側で輝いていることをほのめかしている」とした。

現代の用法
エリア・レヴィタのイディッシュ-ヘブライ-ラテン-ドイツ対訳辞書より(16世紀)。ラテン語で「民族」(ethnicus)と訳された「ゴイ」という語を含む諸民族の一覧

前述の通り、ラビ文学では「ゴイ」という語の意味がヘブライ人、ないしはユダヤ人から「ユダヤ人以外の民族」へと変遷してきた。後にはそのような非ユダヤ人を指す語として定着するに至る。

現代ヘブライ語およびイディッシュ語では、「ゴイ」という語が異教徒(gentile)を表す一般的な表現である。なお、両者には関連があり、古代ギリシャ語で「タ・エスネ」(τα έθνη)が「ハ・ゴイム」(ha goyim)を訳す際に用いられ、いずれも「諸民族」を表す。ラテン語では「gentilis」が「民族」という意味があるギリシャ語の「タ・エスネ」を訳すために使われており、「gentile」という語につながってゆく[5]。

英語では非ユダヤ人を意味する侮蔑語である[6][7][8]。なお、否定的な意味合いを避けるため、「非ユダヤ人」を表す場合「gentile」や「non-Jew」といった語を使うのが無難とされる。

イディッシュ語では非ユダヤ人を指すのに相応しい唯一の語であるため、英語とイディッシュ語が話せる場合、あえて用いる者も多い[9]。


脚注

^ a b James Orr, ed (1939). “Goiim”. International Standard Bible Encyclopedia. 2. Grand Rapids: William B. Eerdmans Publishing Company. OCLC 819295 2012年1月13日閲覧。.
^ The Cambridge history of Judaism, Volume 2, Cambridge University Press, 1989, p. 193. ISBN 978-0-521-24377-3
^ Or N. Rose; Margie Klein; Jo Ellen Green Kaiser; David Ellenson (2009). Righteous Indignation: A Jewish Call for Justice. Jewish Lights Publishing. p. 4. ISBN 978-1-58023-414-6 2010年11月18日閲覧。.
^ 『民数記』8章2節より
^ Chambers Dictionary of Etymology, 1988
^ アメリカ英語遺産辞典(The American Heritage Dictionary of the English Language)
^ Rich, Tracy R.. “Jewish Attitudes Toward Non-Jews”. Judaism 101. 2012年1月13日閲覧。 “本来「ゴイ」という語に侮辱的な意味合いは無い。実際、トーラーにユダヤ人を指す語として度々出てくる。なかんずく『出エジプト記』19章6節において、神がイスラエルは「聖職者と聖なる民族の王国」(goy kadosh)なりと述べている。ユダヤ人は何世紀にもわたり反ユダヤ主義的非ユダヤ人と軋轢を重ねてきたため、「ゴイ」という語が否定的な意味を持つに至ったが、一般的には「非ユダヤ人」という程の意味である。
^ Wolfthal, Diane (2004). “III - Representing Jewish Ritual and Identity” (Google Books). Picturing Yiddish: gender, identity, and memory in the illustrated Yiddish books of Renaissance Italy. Brill Publishers. p. 59 footnote 60. ISBN 978-90-04-13905-3 2012年1月13日閲覧. "本来「ゴイ」という語は文字通り「民族」という意味があるが、侮蔑的な意味合いを時に伴いつつ、「非ユダヤ人」を表すようになった。"
^ Locker, Ben (2008), “Goy Next Door”, North Meadow Media 2011年4月27日閲覧。
”https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%A4
最終更新 2014年10月8日 (水) 23:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

Goy
https://en.wikipedia.org/wiki/Goy
”''Goy'' (English: /ɡɔɪ/, Hebrew: גוי‎, regular plural ''goyim'' /ˈɡɔɪɪm/, גוים or גויים) is the standard Hebrew biblical term for a nation.[1] The word nation has been the common translation of the Hebrew goy or ethnos in the Septuagint, from the earliest English language bibles such as the 1611 King James Version[2]
and the 1530 Tyndale Bible,[3] following the Latin Vulgate which used both gentile (and cognates) and nationes. The term nation did not have the same political connotations it entails today.[4][5] The word "gentile" is a synonym for the Hebrew word Nokri (Hebrew: נָכְרִי‎) which signifies "stranger" or "non-Jew".[6]

Long before Roman times it had also acquired the meaning of someone who is not Jewish.[7] It is also used to refer to individuals from non-Jewish religious or ethnic groups; when used in this way in English, it occasionally has pejorative connotations. However, many people do not see the term goy as any more or less offensive than the term gentile.[8][9][10] In order to avoid the confusion, many modern Jews prefer to use the term "non-Jew" instead of gentile or goyim.

As the Jews considered all of the non-Jewish nations in biblical times as polytheistic and idolatrous, the Hebrew word goy is sometimes translated as "heathen". In a more comprehensive definition, the word goy corresponds to the later term ummot ha-olam (nations of the world).[11]


A page from Elia Levita's Yiddish-Hebrew-Latin-German dictionary (16th century) contains a list of nations, including the word goy (גוי) translated to Latin as ethnicus.

Hebrew Bible

The word 'goy' means "nation" in Biblical Hebrew. In the Torah, 'goy' and its variants appear over 550 times in reference to Israelites and to gentile nations. The first recorded usage of goy occurs in Genesis 10:5 and applies innocuously to non-Israelite nations. The first mention in relation to the Israelites comes in Genesis 12:2, when God promises Abraham that his descendants will form a 'goy gadol' ("great nation"). In Exodus 19:6, the Jewish people are referred to as a 'goy kadosh', a "holy nation".[12] While the books of the Hebrew Bible often use 'goy' to describe the Israelites, the later Jewish writings tend to apply the term to other nations.[citation needed]

Some Bible translations leave the word 'Goyim' untranslated and treat it as the proper name of a country in Genesis 14:1, where it states that the "King of Goyim" was Tidal. Bible commentaries suggest that the term may refer to Gutium. In all other cases in the Bible, 'goyim' is the plural of 'goy' and means "nations".[1]

One of the more poetic descriptions of the chosen people in the Hebrew Bible, and popular among Jewish scholarship, as the highest description of themselves: when God proclaims in the holy writ, 'goy ehad b'aretz', or "a unique nation upon the earth!" (2 Samuel 7:23 and 1 Chronicles 17:21).

Because of the idolatry and immoralities of the surrounding nations, the biblical writings show a passionate intolerance of these nations. Thus the seven goyyim, i.e., nations (Deut. vii. 1, xii. 2), were to be treated with but little mercy; and, more especially, marriages with them were not to be tolerated (Deut. vii. 3; comp. Ex. xxxiv. 16).[13]
Rabbinic Judaism

The rabbinic literature conceives of the nations ('goyim') of the world as numbering seventy, each with a distinct language and purpose.

Rashi explains:

Because of the number of the Children of Israel who were destined to come forth from the children of Shem, and to the number of the seventy souls of the Children of Israel who went down to Egypt, He set the ‘borders of peoples’ [to be characterized by] seventy languages.[citation needed]

Chaim ibn Attar[14] maintains that this is the symbolism behind the Menorah:

The seven candles of the Menorah [in the Holy Temple] correspond to the world's nations, which number seventy. Each [candle] alludes to ten [nations]. This alludes to the fact that they all shine opposite the western [candle], which corresponds to the Jewish people.[citation needed]

Maimonides defines plain goy in his Mishneh Torah as a worshipper of idolatry, as he explains, "Whenever we say plainly 'goy', we mean a worshipper of idolatry".[15]
Modern usage

In modern Hebrew and Yiddish the word goy is the standard term for a gentile. In English, the use of the word goy can be controversial. It is sometimes used pejoratively to refer to a non-Jew, but many see it as no more insulting than the term gentile.[8][9][10]

The term shabbos goy (literally "Sabbath gentile") refers to a non-Jew who performs duties that Jewish law forbids a Jew from performing on the Sabbath.

References

James Orr, ed. (1939). "Goiim". International Standard Bible Encyclopedia. 2. Grand Rapids: William B. Eerdmans Publishing Company. OCLC 819295. Retrieved January 13, 2012.
KJV Gen 10
Tyndale Gen 10
Wiseman, D. J. Genesis 10: Some Archaeological Considerations. Journal of the Transactions of the Victoria Institute (1955).
Guido Zernatto & Alfonso G. Mistretta (July 1944). "Nation: The History of a Word". The Review of Politics. Cambridge University Press. 6 (3): 351–366. doi:10.1017/s0034670500021331. JSTOR 1404386.
"Gentile". Jewish Encyclopedia.
The Cambridge history of Judaism, Volume 2, Cambridge University Press, 1989, p. 193. ISBN 978-0-521-24377-3
Random House Unabridged Dictionary, Second Edition
Rich, Tracy R. "Jewish Attitudes Toward Non-Jews". Judaism 101. Retrieved January 13, 2012. "There is nothing inherently insulting about the word "goy." In fact, the Torah occasionally refers to the Jewish people using the term "goy." Most notably, in Exodus 19:6, G-d says that the Children of Israel will be "a kingdom of priests and a holy nation," that is, a goy kadosh. Because Jews have had so many bad experiences with anti-Semitic non-Jews over the centuries, the term "goy" has taken on some negative connotations, but in general the term is no more insulting than the word "gentile
.""
Wolfthal, Diane (2004). "III - Representing Jewish Ritual and Identity". Picturing Yiddish: gender, identity, and memory in the illustrated Yiddish books of Renaissance Italy (Google Books). Brill Publishers. p. 59 footnote 60. ISBN 978-90-04-13905-3. Retrieved January 13, 2012. "The word goy means literally "nation," but has come to mean "Gentile," sometimes with a derogatory connotation."
"Gentile". Jewish Encyclopedia.
Or N. Rose; Margie Klein; Jo Ellen Green Kaiser; David Ellenson (2009). Righteous Indignation: A Jewish Call for Justice. Jewish Lights Publishing. p. 4. ISBN 978-1-58023-414-6. Retrieved 18 November 2010.
"Gentile." Jewish Encyclopedia.]
On Numbers 8:2
Hilchot Ma'achalot Assurot 11:8”
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「タルムードを捏造する者たち」 モーリス・コミンスキー[魔女の鎚 第二撃]
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/161.html
” http://members.at.infoseek.co.jp/WATCHMAN_ENDTIMES/WATCHMAN_ENDTIMES2.html

「タルムードを捏造する者たち」

モーリス・コミンスキー

ヴァン・ハイニングズ女史、ネスタ・ウェブスター、ベンジャミン・H・フリードマンのような反セム主義者(反ユダヤ主義者)の主張によれば「タルムードは巧妙な企てにより非ユダヤ教徒の目から隠されている」という。しかも、タルムードは、ユダヤ人の法律、哲学、倫理の最高の規範だ、という。 しかし、現実には、整った公立図書館であればどこでもタルムードを閲覧出来るし、大半のユダヤ人からすれば、タルムードはユダヤ神学の単なる一説に過ぎず、ラビ(ユダヤ教聖職者)養成学校を別にすれば、これと言って興味を持つ者もない。

タルムードは、二つの部分からなる。「ミシュナー」と、その注解書である「ゲマラ」である。「ミシュナー」は西暦200年頃、ユダ・ハナシによって編纂されたもので、トーラー以降に成文化された最初のユダヤ教法令集である。
「ゲマラ」には、バビロニア版及びパレスチナ版の二種類が存在する。バビロニア版は、西暦500年頃に編纂された、パレスチナの律法学者の議論を記録したものである。 ミシュナー及びバビロニア版ゲマラを合わせたものが、『バビロニア版タルムード』と呼ばれ、ミシュナー及びパレスチナ版ゲマラを合わせたものが、『パレスチナ版タルムード』と呼ばれる。この二つのタルムードは必ず別々に印刷され、合本されることは絶対ない。

ヴァン・ハイニングズ女史の小冊子は、広く流布し、再印刷されたり、抜き書されたり、加筆されて、1950年代から60年代にかけて『十字架と星条旗』(The Cross and the Flag)、『コモン・センス』(Common Sense)、『サンダーボルト』(Thunderbolt)等の(極右・白人分離主義団体の)出版物で引用・参照された。1970年代初めには、ジェラルド・L・K・スミス牧師が、大半が嘘である内容を引用した無料トラクトを配布し続けた。こうした捏造は、最近ではあまり見かけなくなったものの、今なおユダヤ教は「反キリスト」だとの中傷の根拠とされている。

以下に記すのは、ヴァン・ハイニングズ女史によるリストである。プラネイティスもフリードマンも、長いリストを提示しているが、以下に引用するリスト及び反駁は、そのどちらをも葬り去るものである。

 

反セム主義者の主張

それに対する事実

「タルムードは、イエス・キリストを私生児、売春婦の子としている(カーラー, 1b, 18b)」

カーラー, 1b, 18b。この引用箇所は、タルムードの中に存在しない。完全な捏造であり、引照章節数までもが捏造である。

「イエスは精神異常者(シャバット, 104b)、魔術師(トルドート・イェシュ)、偶像崇拝者(サンヒドリン,103a)、女たらし(サンヒドリン,107b)だと、冒涜されている。」

シャバット,104b。この箇所では、誰の人物評価をもしておらず、次の対話が収録されているのみである。
「こう教えられている。ラビ・エリエゼルは賢人たちに言った。『ベン・スタダは自分の体をひっかいて(お守りの印とし)エジプトから魔術を持ち込んだのではないか?』 賢人たちは『彼(ベン・スタダ)は精神異常者だ』と答えた。しかし、彼を精神異常者だとする証拠は見出せなかった。」
プロフェッショナルの反セム主義者は、タルムードの文中、「ベン・スタダ」とあるのはすべて「イエス」のことだ、とする説に依拠している。
英国の学者、R・トラヴァース・ハーフォードは、『タルムードとミドラシュにおけるキリスト教』37ページにおいて、ベン・スタダとナザレのイエスについて見解を述べている。それによれば、「タルムードには、イエスについての非常にあいまいで混乱した思い出しか収められていない」(83ページ)。また、「タルムードには、イエスという名の人物が二人出て来るが、どちらも歴史上のナザレのイエスではない」という説について、次のように指摘している(347ページ)。
「トルドート・イェシュは中世の書物の人物である。タルムードの一人ではない。」(トルドート・イェシュは論争的著作をものした10世紀の人物。『オックスフォード・ユダヤ教辞典』によれば、「(当時の)キリスト教の教えや書物が浴びせかけたユダヤ教への低俗な攻撃に対して、同じく低俗で論争的調子で書かれた著作である」とされている。)

サンヒドリン, 103a。ヴァン・ハイニングズ女史は、この箇所がイエスを偶像崇拝者としているとするが、完全な捏造である。

サンヒドリン, 107b。ここは、タルムードに収められた伝説的物語を元に、ヴァン・ハイニングズ女史が事実を歪曲している。実際に言及されているのは、イエスとその師が道端の旅篭で、ある女性と面会した、ということである。イエスはその女性の美しさに感嘆した。このため、師はイエスを叱り、弟子であったのを破門した。タルムードにおいて、ラビたちは、イエスを激しく咎めた師の気性の荒さを、厳しく批判している。

「タルムードの教えによれば、イエスは獣のように死に、遺体はゴミの山に投げ込まれた。そこは、犬やロバの死体や、エサウ(キリスト教徒)、イシマエル(トルコ人)の死体を捨てる場所だった。イエスもムハンマドも割礼が無く、汚れた犬と同様に遺棄された。(ゾハール,III,282)」

ゾハール,III,282。 ゾハールは中世(13世紀頃)に成立したカバラの書である。タルムードではない。この引用箇所自体が完全な捏造である。

「タルムードの基本的教えによれば、タルムードを信じない民は、人間以下の階級である。人間ではなく、獣だ。(ケリースース,6b, p. 78)」

ケリースース,6b, p. 78。章節数そのものが捏造である。6bは6ページの第二欄を意味する。それゆえ、「78ページ」という頁数を6bに付けるのは意味がない。この箇所の言及は、今日のキリスト教の牧師の多くが、イエス・キリストを信じる者「だけ」が救われる、という教義を声高に唱えているのと同類である。もちろん、正気かつ礼節をわきまえたひとであるなら、1700年も前の宗教哲学者たちによる個人的対話に目くじらを立て、激怒などしないであろう。

「ユダヤ人がキリスト教徒を殺しても罪ではない。むしろ、神に喜ばれるいけにえを献げたのだ。『非ユダヤ人の最良の人々でさえも、殺すに値する。』(アブホダ・ザラ,26b,トセポート)」

アブホダ・ザラ,26b,トセポート。トセポートは、タルムードについての注釈書であって、タルムードではない。ヴァン・ハイニングズ女史がほのめかしている引用箇所では、カナン人を殺せとの命令は、カナン人との戦争期間中しか適用されない、とのタルムードの言葉が述べられているに過ぎない。

「以下に引用する言葉は、すべてのクリスチャンの興味を引くであろう。『ゴイは非ユダヤ人を意味する。複数形はゴイムである。』『エホバ御自身がタルムードを勉強される。それほどまでに、この本を重んじておられる。』(トラクト・メヒラ)」

トラクト・メヒラ。そのような書はタルムード中にはない。それどころか、このような引用によって、捏造がいかに粗雑に作られたものかがわかる。タルムードは「本」ではなく、何巻にもわたる本の集成である。

「タルムードを学ぶすべてのゴイと、その学習を助けるユダヤ人はすべて、死罪に値する。(サンヒドリン, 59a。アブホダ・ザラ, 8-6)」

アブホダ・ザラ, 8-6。この書に関するものは完全に捏造である。引照章節数すら捏造されている。 正しくは「アブホダ・ザラ,8aまたは8b」でなければならない。「8-6」というような章節数は、タルムードには存在しない。

サンヒドリン,59a。ここでは、トーラーを学んだ異邦人に死罪を求める狂信的ラビを巡って、対話が行われている(モーセ五書であって、タルムードではない)。第二のラビは、狂信的なラビの誤りを指摘し、トーラーを学んだ異邦人は、自らを大祭司の地位にまで高めたのである、と説いている。

「われわれの宗教について何であれゴイに教えるものは、すべてのユダヤ人を殺したのに等しい。なぜなら、もしゴイムがわれわれの教えを知ったなら、公然とわれわれを殺すであろうから。(リッブレ・ダウィード,37)」

リッブレ・ダウィード,37。これは完全な捏造である。このような書は、タルムード中にはないし、全ユダヤ教文書の中にも存在しない。

「ゴイムに敵対する内容がわれらの書に記されているか、とゴイムに尋問されたら、ユダヤ人は偽りの誓いをしなければならい。(スザーロト・ウッザボート。ヨレ・ディアの書,17)」

ヨレ・ディアの書,17。このような言葉は載っていない。完全な捏造である。

スザーロト・ウッザボート。このような書はタルムードにはない。ズザロートもウッザボードも1500以上の文書の書名に含まれているが、その意味は「回覧状」であるに過ぎない。

「ユダヤ人は人間である。しかし、世の諸国民は獣に過ぎない。(ババ・メシア, 114-6)」

ババ・メシア, 114-6。この引用箇所も完全な捏造である。章節数すら不正確である。114-6というのはあり得ない。114aか114bがあるだけである。

「メシアが来られるとき、すべてのユダヤ人が各々2800人の奴隷を所有する。(シメオン・ハッダルセン, fol. 56D)」

シメオン・ハッダルセン, fol. 56D。この書はタルムード中にはない。実際には、10世紀に書かれた聖書の注解書である。「fol. 56D」というのは捏造である。

「エホバは非ユダヤ人を人間のかたちに作られた。だから、ユダヤ人は家畜を使役する必要がない。非ユダヤ人は人間のかたちをした動物であり、日夜ユダヤ人によって使役され、追い使われるのである。(ミドラシュ・タルピオート, 225-L)」

ミドラシュ・タルピオート, 225-L。これはタルムードではない。18世紀にトルコ系ユダヤ人、エリヤ・ベン・ソロモン・アブラハム・ハッコーヘンが編纂したものである。

「メシアが王に即位されるや否や、メシヤはローマを破壊し、荒地とする。教皇の王宮は雑草の生える所となる。次に、メシヤは非ユダヤ人に対する冷酷無慈悲な戦争を開始され、勝利される。非ユダヤ人を虐殺し、その王たちを殺し、ローマの全土を荒廃させる。メシヤはユダヤ人に向かって言われる。『わたしこそ、そなたらが待っていた王メシヤだ。ゴイムどもの金銀を略奪せよ。』(ヨシヤ,60。ラビ・アバルバネルからダニエルへ,7,13)」

ヨシヤ,60。このような書はタルムードの中にはないし、その他にも存在しない。

「ユダヤ人は非ユダヤ人に対して望むことを何でもしてよい。彼女をあたかも肉のかたまりのように扱ってもかまわない。(ナダリン,20b。シュルハン・アルーフ。コツェン・ハミシュパト,348)」

ナダリン,20。引用箇所の実際はこうなっている。「ラビは言った。『夫は妻に対して望むことを何でもしてよい。ちょうど、自分の好みの味に肉を料理するように。』」こうした1700年も昔の男性優位の思想は、現代のユダヤ人男性の哲学や生き方とは何の関係もないものである。これをもって「これがユダヤ教の教えだ」と20世紀の今日に示すのは、明かに作為的である。ヴァン・ハイニングズ女史は作為的にこれをユダヤ人対異邦人の問題に絡ませようとした。

「ユダヤ人はゴイから略奪してよい。ゴイへの請求書は、ばれないかぎり、ごまかしてもかまわない。(シュルハン・アルーフ。コツェン・ハミシュパト,348)」

シュルハン・アルーフ。コツェン・ハミシュパト,348。タルムードにこのような箇所はない。実際は16世紀に編纂された聖書注解集の一部である。その文章では、ユダヤ人・非ユダヤ人、大人・子どもを問わず、いかに小さなものも盗んではならない、と禁じている。注解者のひとりは、偶像崇拝者に対しては、借金の返済金を得るために、策略または経略を用いてもかまわない、と意見を述べている。しかし、その直後に続けて他の意見を述べ、偶像崇拝者を故意に騙すのは禁止されるべきであり、偶像崇拝者が善意で過誤を犯した場合のみ、その余剰金を受け取ってもかまわない、としている。さらに、ラビ・マイモニデスは、そうした手法に激しく反対した、と述べられている。

「他国人の財産はすべてユダヤ人のものである。それゆえ、何のためらいもなく、力ずくで奪取する権利がある。正統派ユダヤ人は、他国人に対しては道徳の諸原則を守る義務を解かれている。自分やユダヤ人全体の益になるなら、道徳に完全に反する行為をしてもかまわない。(シュルハン・アルーフ。コツェン・ハミシュパト,348)」

シュルハン・アルーフ。コツェン・ハミシュパト,348。これは完全な捏造である。

「ゴイの家は、家畜の囲いである。(トセフタ。エルビンVIII,I)」

トセフタ。エルビンVIII,I。これは完全な捏造である。トセフタはタルムードではない。

「『略奪』という言葉をどう解釈すべきか。ゴイは、ゴイからであれ、ユダヤ人からであれ、盗んだり、略奪したり、女奴隷を獲たりしてはならない。しかし、ユダヤ人は、ゴイに対してはどんなこともしてかまわない。(トセフタ。アブホダ・ザラ, VIII, 5)」

トセフタ。アブホダ・ザラ, VIII, 5。これは完全な捏造である。トセフタはタルムードではない。

「この和解の日の朝にわれらがなす、あらゆる誓約、約束、誓い、契約、すなわち、われらが約束し、わが身を縛って必ず成就すべく立てたあらゆる誓いを、われらは悔いるものである。願わくは、それらすべてを、無効にしたまえ。無罪としたまえ。消し去りたまえ。取り去りたまえ。価値のない、取るに足らぬものとしたまえ。われらの誓いは、誓いではなくなり、われらの約束は、もはや約束とはならぬように。(シュルハン・アルーフ,Edit.1,136)」

シュルハン・アルーフ,Edit.1,
136。これはタルムードからのものではない。実際には、コル・ニドレイの祈祷文を曲解したものである。「Edit.1,136」という引照章節数はまったく意味がない。(8世紀に成立したコル・ニドレイの祈りは、人々の契約履行義務や法的義務を何ら解消するものではない。ユダヤ人が神に対してなした誓い、特に他宗教者に脅迫されて行った誓いを解くものである。)

「コールハモエドの時には、いかなる仕事にも携わってはならない。しかし、ゴイを騙すことはしてもよい。なぜなら、ゴイムを騙すことは、主が喜ばれることだからである。(シュルハン・アルーフ。オラフ・カイム,539)」

シュルハン・アルーフ。オラフ・カイム,539。これは完全な捏造である。

「ユダヤ人がラビの文書を説明するよう求められたならば、いかなる場合であっても、偽りの説明をしなければならない。この命令を破るものは死罪に値する。(リッブレ・ダウィード,37)」

リッブレ・ダウィード,37。すでに述べたように、そのような書は存在しない。


典拠:モーリス・コミンスキー(Morris Kominsky)著、『詐欺、大嘘、妄想、うそつき地獄』(The Hoaxers, Plain Liars, Fancy Liars and Damned Liars)、ボストン、ブランデン・プレス(Branden Press)刊、1970年。169~176ページより。(ISBN 8283-1288-5 LCCCN 76-109134. HC 735pp)”


タルムード全巻一覧 ttps://web.archive.org/web/20040527122513/http://members.at.infoseek.co.jp/WATCHMAN_ENDTIMES/talmud.html
お読みくださり感謝

ドイツ語での研究者以外のイルミナティ情報源を信用するな!『薔薇十字団』と『近世ヨーロッパの思想と社会』が名著。ハズバラboナチス親衛隊への追撃 

初手シンボル対策安定(目次はその次)↓

マインツのシンボル
(マインツ大学の標語がエキュメニズム)


ジャコバン・クラブのシンボルは赤いフリジア帽



標語がエキュメニズムのカナダ合同教会は
Presbyterian=長老派、つまりカルヴァン派。
画像一番右がカナダ合同教会のシンボル。






 目次

・ハズバラboナチス親衛隊について。

・信頼できるヴァイスハウプトのイルミナティの情報元の選定基準について。

・信頼できる情報源
純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』
のメモ。

・エキュメニカル運動の根拠の一つである、
イエス「すべてを一つにしてください」
というヨハネ福音書17:21
をモットーにしている組織一覧。





・ハズバラboナチス親衛隊について。

大原則↓


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/800307404353044480

サンヘドリンとかイルミナティとか、わかりやすい『組織名』が世界を支配してるなんて情報は嘘”
”本当の中心にいるやつは名前が何個も持っていたり、名前を調べられても…何者なのか全くわからない…表上重要視されない…や固有名詞を持たない”



キリスト教陰謀論とユダヤ陰謀論の両建てとはいっても、
キリスト教の方が地位が上。

「叩かれず善のイメージをまとう側が常に上位」

なのは歴史の大原則。

しかし、キリスト教も見えている範囲なので最上位ではないだろう。
最上位を便宜的にXと名づけている。
イルミと名づけるのは誤った名づけ。
正体不明以外のいかなる意味も名づけに含まれてはならないからXが適切。

Xは特定の団体名でも個人名でもないだろう。
何かの思想とシステムの複合体だろう。



上記の大原則に反する主張をやたらと繰り返すのは、
無知(無自覚工作員)か、
自覚的工作員か、
ごく一部の例外。

工作員は基本的に泳がせて情報収集が基本。
情報がたまったら一網打尽。
boが菊池さんにも粘着しだしたので本記事で追撃。

boグループの一員のwakeupが菊池さんにからみ、日蓮系に多い「文証」を使用して自滅。
日蓮系でカトリックなら元来はローマ・カトリック教会の宗教曲である
“オラトリオ「日蓮聖人」を東京交響楽団の演奏で全国各地で上演”した国柱会かもしれない。



https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/800291311488102400

ウェイクアップと同じくboも本当に粘着質だな!

boはカトリックでナチス賛美で、731部隊+優生学系だと判断。
日蓮系カルトと統一教会系とも連携。
大日本帝国万歳、
戦争賛美、
八紘一宇への協力者。


∴WASP系かカトリック←ナチス支援
boはバチカン限定陰謀論のフェルプスをユダヤと非難 。
カトリックばかりを叩くフェルプスを叩いたのでカトリックと判断。
フェルプスは人脈よりプロテスタント側の陰謀論者。


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/800283297523736576



https://twitter.com/wolvesknow/status/799872817768468480


「ヒトラーはいい人」工作員がやっているのが、
①キリスト教(特にカトリック)は悪くない
=ナチスのスポンサーは悪くない

②ユダヤは悪

ナチスそのまんま!

ユダヤの定義を聞いてみてはいかが?
どう答えるかな?


boが非常に嫌がりそうなことをプレゼント↓

ナチスのスポンサーがカトリック。

ナチス親衛隊が黒いイエズス会と呼ばれた。

イエズス会を創ったバスク貴族にして騎士のロヨラはユダヤ教徒ではありえない。

ナチス残党の逃亡をカトリック教会や赤十字団体が手助け(修道院ルート)。

ユダヤが黒幕ならなぜユダヤ陰謀論本がベストセラーになった?
クリスチャンがユダヤの手先ならキリスト教系陰謀論者はユダヤの手先だよね?
なぜユダヤが黒幕=私の親分が犯人って言える?
ユダヤの定義を教えて!

しばらく、
『霊操』と『ニューエイジについてのキリスト教的考察』。
後者が前者叩きに感じるのはイエズス会が異端寄りだから!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
より

boへのねこたさんの確信を突く呟き

”あなたは隠れユダヤ隠れユダヤ言いますけど、ユダヤ人の定義すらできないでしょ?
イエズス会のロヨラは貴族だと知りませんか?
ユダヤ教徒は貴族になれるんですかね?
隠れユダヤの定義がはっきりしないのに、隠れユダヤの陰謀で主婦を騙し放題ですか”

イエズス会の創設者の貴族の出て元騎士で従軍してたロヨラがユダヤってデマも、
ロヨラが関わってたアルンブラドス派などの異端がユダヤを通じて中東から資金援助貰ってたというオチでね?
隠れユダヤ云々の論争の背景には、本人がユダヤというよりユダヤとツルんだ異端のネットワークがあるんでは?

大体、ユダヤ人は教会法で金融業と古物商以外の商売が禁じられてる(商館持つのもダメ)のに、
キリスト教徒の貴族階級やそれに類する人しかなれない騎士にユダヤ人がなれるわけねーじゃん。
ロヨラの実家は城も残ってる貴族でユダヤ人の土地取り上げたりしてなかったですか?
隠れユダヤが貴族?

○○は実は隠れユダヤ人でっていう話、
ユダヤ教の習慣も信仰も捨てたユダヤ教徒が隠れユダヤってのはおかしいぞ?
それなら、隠れムスリムはどうなる?
ムスリムなのにあの宗教キチのイザベラ女王様に強制改宗させられたムスリムがクリスチャン化してるのにムスリムとか言えるわけ?”












https://twitter.com/kenkatap/status/208481889357533186





そんなに設計図が見える私が怖いかい?


boは完全にやり口がプロ。
菊池さんとねこたさんと私本人ではなく周辺の騙しやすい人がターゲット。
素人臭さを出したいなら、プロ臭い画像を使わないことだな!

菊池さんを知らない人に菊池さんのツイートを読ませないことと、
騙しやすい人を取り込むのが目的だから、
菊池さんの知らないところで活動。
だから、スクショ攻撃。

より良い意見を引き出すのが目的なら、
本人の知らないところでスクショ攻撃なんてしない。

boが「なぜそこまで白人基督教徒の立場に同情的なのか?」
って自分がそうだからでは?

粘着質なのは、単に菊池さんの時間を奪うためではなく本人の性格なのだろう。


私が批判するキリスト教とは、
キリスト教神学に基づく思想とシステムのこと。
よって、批判はすべての派閥に及ぶ。
キリスト教神学にもユダヤ教思想が混じっているのは自明。

ユダヤを叩くと妨害してくる人よりも褒めて来る人が多すぎる。
キリスト教を叩くと否定してくる人が多すぎる。
地位の差がうかがえる。
今現在も同じ状況なので今もキリスト教の方が地位が上であり、
逆転はされていないと結論している。


首相叩きと天皇叩きの差に近い。
海外での首相叩きと貴族叩きの差に近い。

boちゃん見ちゃうとキリスト教批判をしたくなっちゃうじゃないか♡
逆効果工作員乙♡
愛称は何がいいかな♡

候補は
御家
文証、
ハズバラ←new!

↑枕詞にしようぜ!

ちょっと一工夫して、

恥ずバラのきかん棒!

・信頼できるヴァイスハウプトのイルミナティの情報元の選定基準について。


boが今度はイルミナティはユダヤとか言ってきそう(すでに言ってそう)。
そこで、本記事では、イルミナティについての良い情報源について扱う。
この記事がまたしても長いのは「恥ず薔薇」のせいです。おらはわるくねえ!

イルミナティについてデマを流す「やのっち」は煉獄のカレイドスコープ側。


https://twitter.com/asai_hukai/status/913941603093430272



(帰ってきた秘魔女の言っていることは正しいけど、
あんたは薔薇十字団正統会員だから超怪しいぞ!
この人はヴァイスハウプトと黄金薔薇十字の戦いを知っているんだろうね)


ヴァイスハウプトのイルミナティに関する情報で信憑性が高いのは以下の二つを満たすもの。

①ドイツ語を読んで研究している学者の書籍で、

②黄金薔薇十字団とヴァイスハウプトのイルミナティの対立が書かれているもの


例えば、


①貴族のヘッセン選帝侯(部下がロスチャイルド)の薔薇十字団は、
共和制=貴族否定のヴァイスハウプトのイルミナティを警察に弾圧させている。

②薔薇十字団が、ヴァイスハウプトが自分の結社のためにと注目していた人をが引き抜こうとしたために、
彼の怒りを招いた。

③ヴァイスハウプト
「若い人々が黄金変成とか同じようなバカげたことに参加するなどということは、
私には耐えられない」
(黄金錬成思想=薔薇十字思想の根幹の一つの否定)

以上は、()内以外はマッキントッシュ『薔薇十字団』に明記。


条件を満たすのが
マッキントッシュ『薔薇十字団』と、
純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』。
二人ともドイツ語を直接読んで研究している。
サイトで信憑性が高いのは私が全文読むようにすすめている
「オカルト百科」の人で、この人もマッキントッシュの『薔薇十字団』も参考文献にしている。


必読↓ バリュエル神父という単語がちゃんと登場。

イルミナティ(パヴァリア啓明結社)の興亡
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/iruminateli.htm

”狂信的な反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、
イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを撒き散らした。”

ロビンソン(ロビソン)教授に情報を渡したのはカトリック修道士ホーン。
詳しくは

現代の陰謀論の父はイエズス会士のバリュエル神父!
ベネディクト会修道士でスパイで外交官でタクシス家とつながりありのホーンが、
ロビソンにメイソン・イルミナティ陰謀論のネタを提供。

リベラと同じくプロテスタント側の陰謀論者フェルプス(バチカン限定陰謀論)をカトリックのboが叩くのは当然!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-194.html



要は、ドイツ語が読めない奴の情報なんか信用するなってこと。
上記二冊を読んでいる人は私の知るかぎり私以外ではたった一人だ。
そのたった一人の本当に素晴らしいブログは消滅済み。
他には素性がわからないので①②にあてはまっているか不明だが、
海外文献を参考にしている
『オルタナティブを考えるブログ』
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik
も素晴らしい。

過去記事やツイートではかなり前から紹介している。
アメリカ紙幣のあのデザインの決まる過程の研究記事などもある。



プロビデンスの目と未完成ピラミッドのデザイナー
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/15643474.html
と前後の記事をどうぞ。


バリュエル神父にきちんと言及しているイルミナティ陰謀論の研究記事もすごい。
書かれた日付にも注目。


https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/532666588432855040

反陰謀論 真実のイルミナティ 【1】

https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/20613985.html



これもすごい。
ナチスがつくったロスチャイルド伝説!


https://twitter.com/Bell_Boyd/status/600665348820504576

反陰謀論 ロスチャイルド伝説index
https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/32246551.html


オカルト百科が話題に出たのでついでに書いとく。
飛鳥なんちゃらという偽カバラを布教しているモルモン教徒がいるんだけど、
その本をオカルト百科の人が読んで誤りを指摘している。

アヴィケブロン
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/avikeburonn.htm
”カバラといえば、最近やっと、あすか○きお氏のマンガを読んだ。日ユ同祖説を唱え、古代日本にカバラが伝わっていた、という説(?)は面白かったし、陰陽道の一族がカバラの秘儀伝授者である、門松や熨斗紙は「生命の樹」をあらわしたものだ等の説は、かなり楽しませてもらった。
 しかし、これらの主張を信じるかどうかとなると、まったく話しは別である。
 彼の主張には、多くのアラが目立つが、
特に致命的なのは、「生命の樹」の日本伝来の年代が合わないということだ。
確かにセフィロト論自体は古くからあるが(とは言っても、セフィロトを「樹」としてとらえるようになったは「バヒルの書」以来であり、つまり12世紀以降のこと)、
我々が知っている形でのセフィロトが成立したのは盲人イサク以降のことであり、クリポト教義にしてみてもトドロス・アブラフィアの登場を待たなければならない。
要するに、これらの教義の成立は、13世紀以降のことなのだ。これらを古代日本、平安時代と結びつけるのは無理がある。

  もっとも、エンターテイナーたる彼が、どこまで本気でこれを描いているのか私には分からないので、これ以上は何も言わない。”



マッキントッシュ『薔薇十字団』のイルミナティと黄金薔薇十字団がらみの個所だけメモより引用。

大原則に基づく記事↓


”・p.140

「厳しい戒律の儀礼」や「テンプル司祭団」よりもさらに深く錬金術の研究を進めようとする人々は、
必然的に「黄金薔薇十字団」へと向かっていった。
黄金薔薇十字団は純粋にドイツ的な現象としてより人々を引き付ける力を持っていた。
かくして薔薇十字的メイソンの新しい儀礼が誕生した。
新しい薔薇十字結社には錬金術的な知識の探求とは別に、
人々を引きつけるもう一つの特徴があった。
それは結社の政治的立場である。
十八世紀後半の薔薇十字団は、保守的な見解を持つ人々が結集する場所となっていて、
ドイツにおいて重大な問題となりかけていた
急進的・理性主義的・反宗教的な傾向に反対する立場をとっていた。

アーダム・ヴァイスハウプトのバイエルン結社「イルミナティ【啓明結社】」は、
明らかに進歩的理性主義の陣営に属している。
しかし、フランスの同時代の著作家が「イリュミネ」という言葉を使用するときは、
反啓蒙主義者たちを指しているのである。

フリードリヒ大王はけっして急進的ではなかったが、
フランス的な平等主義の信念を持つメイソン・ロッジの会員であった。
どちらかというと、メイソンには急進的な意味が含まれ、
新しい薔薇十字団には対照的に保守的な傾向がある。

黄金薔薇十字団の成功の背景には四つの要因があった

①特権的なエリート階級に約束された秘密の知識

②保守派の中心としての結社の機能

③宗教的な代替物としての魅力

④民族主義的な警告を持つ人々を引きつけたドイツ的性格

(黄金薔薇十字は保守的で、ヴァイスハウプトのイルミナティと思想が真逆なので対立。
工作員が言っているイルミってイリュミネの方に近いね)



・p.207(別にページ順にメモを残すとは言っていないので注意)

薔薇十字団の主題を利用した詩人にゲーテがいる。
ライプツィヒでの修業時代を終えて
1768年にフランクフルトに帰ると、
ゲーテは体調を悪くして数か月間病床につく。
ゲーテは、病から回復できたのは錬金術の秘密の「塩(えん)」を服用したからであると考え、
後に錬金術の実験を自分でも試みている。
病床にいるあいだ、ゲーテはヘルメス主義的な話題に関する多くの本を読んでいるが、
そうした関心をゲーテに呼び起させたのは、友人で会ったフォン・クレッテンベルク嬢である。
薔薇十字思想はゲーテが読んだものの中に含まれていたに違いない。
ゲーテは26歳のときに、若きカール・アウグスト公の顧問官としてヴァイマルに移るが、
薔薇十字思想への関心はその時まで続いていた。
薔薇と十字は、彼の未完の詩「秘儀」【1784-85年】の特徴となっている。
1785年の春にゲーテはこの詩を書くのをやめている。
彼はその主題にすでに飽きていたのだが、
それを放棄する別の理由があった。
一か月前に薔薇十字団は、ヴァイスハウプトの創設したバイエルンのイルミナティ結社を警察に弾圧させることに成功していた。

(ヴァイスハウプトは薔薇十字が大嫌いである理由の一つ。
薔薇十字に引き抜き攻撃を食らったこともある)

第七章ですでに指摘したように、
十八世紀の薔薇十字団は政治的に保守的であるのに対して、
イルミナティ結社は急進的であった。
ゲーテは賢明にも、イルミナティ結社の弾圧が真の薔薇十字友愛団の理想にも及ぶことになると察していた。

(ゲーテもイルミナティ結社のメンバーだけど、
薔薇十字が嫌いではない)

インゴルシュタットの教会法教授であったヴァイスハウプトは、
バイエルンの薔薇十字集団とは意見が合わなかった。
エッカーという名前の歩兵隊の将校は、
ブルクハウゼンに錬金術研究を目的とする薔薇十字団の支部を設立した。
その支部は代理人をインゴルシュタットに送り込み、
ヴァイスハウプトが自分の結社のためにと注目していた会員を引き抜こうとしたために、
ヴァイスハウプトの怒りを招いた。
ヴァイスハウプトは、
「若い人々が黄金変成とか同じようなバカげたことに参加するなどということは、
私には耐えられない」と書いている。

(錬金術の黄金錬成思想の否定。
つまり、薔薇十字思想の根幹の一つの否定。

そうえばシンフォギアでヴァイスハウプトが敵で性格最悪だったのは意図的だね。
日本は実質王政だから共和主義のヴァイスハウプトは叩かれやすいのさ)

ゲーテは、黄金薔薇十字団との対立において、ヴァイスハウプトに共感を持っていたが、
薔薇十字思想それ自体を非難することはなく、その主題に興味を持ち続けた。







・信頼できる情報源
純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』
のメモ。


純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』
(この本は最上級に重要!


・老ニュートンが、情報と技術が集まるメイソンリーを乗っ取った。
ニュートンは、国王協会の技術員デザギュリエ(1683 ~ 1744、34歳)を使って、
1717年に魔術的な6月24日の洗礼者ヨハネの日(夏至祭)に、
ロンドン四ロッジの会員約700名を、
居酒屋「ガチョウに焼網(グース&グリッドアイアン)に集め、
ロンドン大ロッジを創る。
実質的支配者はニュートン。

メイソンロッジは身元保証機関となった。

ロンドン大ロッジを支配する老ニュートン(79歳)と、
その番頭デザギュリエは、
1721年、モンタギュー卿(先の大蔵大臣の息子)を総長に迎え、
また牧師アンダーソン(1684~1739、37歳)他14名に教義としての憲章を作らせ、
メイソンリーの格式を高めた。
メイソンリーはわずか5年で、
天地創造以来の悠久の伝統と神聖な格式を持つ驚異的な、
社交クラブとなる。
国王協会と同様に、貴族をかたっぱしから入会させ、権威の向上を図った。

有力者であれば、試験もなく入会や昇進ができた。
それでも儀式は役立った。
それを知っているだけで、その人が地元で信用を得ていたことの証明となり、
知り合いのいない地方や外国でも、兄弟から地元と同様に便宜を与えられたからです。
無意味で複雑な秘密だからこそ、カードの暗証番号のように身元保証の機能を持った。


・フランスは、1685年のナントの勅令の廃止で新教徒が逃亡し、
1720年のバブル崩壊で経済が破たんし、商業も工業もひどく沈滞してしまっていました。
(当然、フランスのカトリック国王を恨んでいるプロテスタントを吸収した勢力の一つがメイソン)

・1757年のドイツ中西部の自由都市フランクフルトに創設されたものをはじめとして、
各地にスウェーデンボーリ風の降霊術を取り入れた「黄金薔薇十字団」が登場し、
インチキの亡霊でメイソンたちを騙していました。
これは、薔薇十字団とは名乗っていますが、アンドレーエの理想とはほとんど関係がありません。


・ハンコックはボストンの反英論者アダムズを焚きつけ、
彼のロッジ「自由の息子たち」を反英運動の中心とする。
また、初の女性ロッジ「自由の娘たち」もできて、
「バイ=アメリカン(アメリカ製品購入)運動」を展開しました。

(メタルギアのサンズオブリバティー=自由の息子たちの元ネタ疑惑




・百科全書を引き受けたディデュローは、機械でも人体でもなんでも切り開いて見せる数々の断面図を前に、
無神論に傾いていきました。
保守派文化人は、ディデュローと百科全書計画に激しい拒絶反応を示し始める。
ダランベールも手を引き、政府による出版禁止にまで追い込まれた。
それでもディデュロー(59歳)は非合法のまま、
ほとんど一人でこの大事業を継続。
彼はこの百科全書を
1769年に創設された「九姉妹神(ヌフスール)」などのメイソンロッジを通じてひそかに販売し、
1772年、本文十七巻、図表十一巻のすべてを完成させる。

このころのドイツのメイソンリーの中心人物は、
ヴァイマールの出版やボーデだった。
劇作家のレッシンクは、ボーデの紹介で
69年にハノーヴァー領内の国立図書館長に就任。
説教師ヘルダーもまた、
70年、新しい就職先を斡旋してもらおうと、ボーデを訪れた。
ちょうどそこにゲーテ(二十一才)もやってきた。
彼ら三人が新たな時代の思想を開くことになる。

・イエズス会も最後の牙城スペインにおいてブルボン家の国王がみずから
「スペイン大ロッジ(グランロジア=スパニョル)」を創設
してしまったために、
1767年、国外追放されてしまい、行き場を失う。
69年、教皇が死去、もはや国内の啓蒙主義勢力を無視できない各国政府は、
イエズス会を廃止しないかぎり新教皇を認証しない、とまで主張し続けた。

このため、新法王クレメンス十四世は、
1773年、やむなくついにイエズス会の解散命令を発布。
これに呼応して、フランスでも
同73年に、国王翼賛の「フランス国民大ロッジ(グランロージェ=ナショナル)」から、
啓蒙主義者シャルトル公(のちのオルレアン「平等(エガリテ)」公)を中心とする
より過激な反政府・無神論の「フランス=グランドリアン(大東社)」が分離。
とはいえ、二万四千人もいるイエズス会士が翌日に消えるわけではなく、残党の多くはあいかわらず
フランスなどの国々の政府中枢の利権に巣食っており、その追放が新組織の次の課題となる。

バイエルン(バヴァリア)のインゴールシュタット大学もまた、
これまでイエズス会の強い支配下にあったが、
教皇によるイエズス会の解散命令とともに啓蒙主義者の学長がイエズス会士追放を行った。
しかし、学長の甥の法学教授ヴァイスハウプト(1748~1830年、25歳)がイエズス会の残党の攻撃にさらされることになってしまう。そこでヴァイスハウプトは、
翌1774年、自分の学生5人と秘密結社イルミナティ(啓蒙会、完全者同盟、幻想教団)
というインチキ団体を創設し、教会以上の歴史と組織を匂わせ、自分たちのみを守ろうとする。
とはいえ、この団体は実際はせいぜいバイエルンの首都ミュンヘン市周辺しか仲間がいませんでした。

(ヴァイスハウプトのイルミナティの創設理由がイエズス会対策であることと、
そこまで力がある団体ではないとちゃんと書いてあるな。
本書の著者はドイツ語などの文献をきちんと読んでいるからな)


・ザクセン=ライプツィッヒのコーヒーハウス店主シュレプファーは、
店の裏でスウェーデンボーリ風の霊媒術を行っていた。
これは鏡や幻灯や腹話術を用いたインチキでしたが、
多くの聖堂騎士団に秘密の財宝を手に入れた、と言って、ある箱を担保に金貨千枚を集めた。
だが、その箱の中身は石ころでした。
聖堂騎士団の団長としてドイツ=メイソンリーを統括するブラウンシュヴァイク公フェルディナントは、
団員の傭兵将軍ビショップヴェルダーらをこの事件の調査に派遣したが、
シュレプファーはピストル自殺してしまった。
しかし、ビショップヴェルダーは、すでに充分にシュレプファーのインチキ霊媒術の方法を学んでおり、
みずから「古式黄金薔薇十字団」を創ってしまう。



・メスマー(1734~1815年、40歳)は、
ウィーンの裕福な開業医であり、
ザルツブルクのモーツァルト親子の音楽活動を支援したりもしていました。
74年、彼は自分が患者に近づくと放血の量が増えることに気づき、
「動物磁気」を発見します。
メスマーが自信を持って治療にあたった結果、この動物磁気の効果は絶大であり、
多くの患者が詰めかけました。
そこでメスマーは磁石や鉄くずの入った水桶を使い、
患者相互の動物磁気によってまとめて治しました。
メスマーは若く美しい女性の患者にしか興味がなく、
動物磁気を高めるために、患者の胸や腰を丹念にマッサージしました。
それゆえメスマーの病気の妻は治療の対象とはなりませんでした。
やがてメスマーの病院は背徳の館とみなされるようになっていってしまいます。


ドイツ中部のヘッセン=カッセル方伯家は、昔から屈強なドイツ人を集め、
訓練して傭兵に仕立てて各国に貸し出し、大金を稼いでいました。
それも、傭兵が死ねば死ぬほど、彼の儲けになりました。
当主フリードリッヒ二世方伯は、七年戦争で新大陸がまた戦争だというので、
これまでの十万名に加え、さらに三万名の傭兵をかき集め、新大陸正規軍に貸し出し、
大いに利益を得ました。
ここにおいて、ハノーヴァー出身の俊才のクニッゲ男爵(1752~1796)が、
その腹心として事業拡大に活躍します。

また、方伯家は、代々、古銭収集が趣味であり、
その整理をカッセル工学学校のハノーヴァー人
錬金術師ラスペに手伝わせていました。
ところが、このラスペは、仕事のかたわら、古文書をいろいろ調べている。
そこで、75年、フリードリッヒ二世方伯(55歳)は、
ラスペを古銭横領の容疑でとりあえず逮捕しようとしました。
すると、ラスペは逃げてしまいました。
ラスペは、亡命先のロンドン市でレッシングの『賢者ナータン』の英訳などを行い、
「イルミナティ」思想の普及に努め、
またその後、同郷人ミュンヒハゥゼン男爵のほら話をまとめ、
匿名でベルリンの出版社から『M-h-s-の話』(1783)を出している。

・ラスペに代わって、
フランクフルトのユダヤ人商人マイヤーアムシェル=ロートシルト
(ロスチャイルド、1744~1812、31歳)
がフリードリッヒ方伯に近づいてきました。
彼もまたたいへん古銭に詳しく、
方伯家のコレクションにおおいに貢献しました。
とはいえ、フリードリッヒ方伯を支える多くの銀行家の中では、
彼はまだ、その末席に加わったという程度にすぎません。

(「多くの」銀行家に注目。
ロスチャイルドの親分のヘッセン選帝侯はユダヤ人保護権
=ユダヤの銀行家支配権を持っていた)


・老フランクリン(70歳)は、高齢にもかかわらず、「アメリカ」大使としてただちにフランスに赴き、
百科全書派ロッジ「九姉妹神(ヌフスール)」などを通じて、
ヨーロッパ中のメイソンに新国家アメリカへの支援を求めた。
このためヨーロッパの諸王は早急にメイソンリーを切り崩す必要が生じる。

(フランス系メイソンは教会と貴族を倒せの革命が基本)

もともとヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(55歳)は、
国教グレイトブリテンのジョージ三世(37歳)や
旧教オーストリアの女帝マリアテレジア(57歳)と協調し、
ルター派とカルヴァン派を繋ぐ新教君主として、
ハノーヴァーや
プロシア、
ザクセン=ヴァイマール、
ヴュルテンブルク、
バィエルンなどを統一し、
ドイツに反動的な絶対王政の「千年王国」を建設することを妄想していた。
それゆえ、この事態に、ヘッセン方伯は新大陸へ反メイソンリーのグレイトブリテン正規軍備兵を送り込むだけでなく、
ヨーロッパの反メイソンリー工作を引き受けた。

(薔薇十字とメイソンはイコールではないので注意。
ヘッセンの黄金薔薇十字は保守。
ヴァイスハウプト側のメイソンは革新)


古式黄金薔薇十字団の傭兵ビショップヴェルダー(62歳)や、
「選良司祭団・聖地善行騎士団」のリヨン商人ウィレルモ(45歳)もまた、
この指示の下に動いた。
彼らは、73年の法王の解散命令で行き場を失っていたイエズス会残党を大いに利用し、
鏡や幻灯や腹話術を用いたインチキ魔術によってきちんと亡霊を見せて急速にメイソン会員を増大させ、
各地のばらばらの黄金薔薇十字団を傘下に吸収していった。

76年にはオーストリアの首都ウィーンに、
既存の聖堂騎士団系のロッジ「三匹の鷲」とは別に、
黄金薔薇十字団系のロッジ「戴冠した希望」を創り、
ここをラィプツィッヒ・リヨンと並ぶ第三の拠点として利用する。
77年には黄金薔薇十字団系ロッジの合同総会を開き、
これらを古式黄金薔薇十字団が統括することを認めさせ、
野望の足場を固めた。


・18 ドイツ統一の陰謀

聖堂騎士団の団長ブラウンシュヴァイク公フェルディナント(56歳)らは、
あいかわらず「知られざる上官」の探索を行っていた。
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(57歳)らは、
77年、イタリアで団員のヴュルテンベルク王国顧問官ヴェヒターにいつものインチキ霊媒術を披露し、
聖堂騎士団の知られざる上官は薔薇十字団にほかならない、と預言した。
探索員はもちろん、その報告を聞いた団長フェルディナント公もこれを本気で信じた。
ここへ彼らが乗り込み、とうとう聖堂騎士団を乗っ取ってしまう。

フリードリッヒ方伯の次なる野望は、ヨーロッパメイソンの統一支配。
すでにオカルト色の強いメイソンは古式黄金薔薇十字団として組織されてしまったとはいえ、
その他の啓蒙主義者たちは、むしろ反国王、反オカルト、反イエズス会、親アメリカに傾いていった。

(啓蒙主義者はヘッセンの古式黄金薔薇十字団と対立。
啓蒙主義者は反国王、反オカルト、反イエズス会、親アメリカ寄り。
カントも啓蒙主義者で『永遠平和のために』でイエズス会的詭弁を叩き、共和主義を主張)


加えて、ドイツ=メイソンリーは一応は、
聖堂騎士団を上位チャプターとするプロシア宮廷ロッジ「三つの地球」の下に
「ドイツ国民大ロッジ」としてまとまってはいるものの、
実体は国家や都市と同じく各地にバラバラです。
ましてフランス=メイソンリーは各地のロッジを統括する大ロッジそのものが、
親グレイトブリテンの「フランス大ロッジ」(1736~)、
国王翼賛の「フランス国民大ロッジ(グランロージェ=ナショナル)」(1756~)、
反政府の「フランス=グランドリアン(大東社)」(1773~)の三つに分裂していた。
フリードリッヒ方伯は「聖堂騎士団」団長フェルディナント公を通じて各地のロッジに
「国際メイソン大会」の開催を呼びかけたが、その実現は容易ではなかった。

(グランドリアンは啓蒙主義者シャルトル公(のちのオルレアン「平等(エガリテ)」公)を中心とする
より過激な反政府・無神論系)

78年、スイス国境の寒村から時事的な提言を発し続けてきた啓蒙主義の長老ヴォルテール(84歳)が、
自身の悲劇『イレーヌ』の上演のためにパリに戻った。
市民は彼を絶大な声援で迎えた。
彼はアメリカ=メイソンリーの重鎮、老フランクリン(72歳)の仲介で百科全書派ロッジ「九姉妹神」に入会する。
ところが旅の疲れか、長老ヴォルテールはその翌月に死んでしまった。

(老衰か暗殺かもうわからぬのう)

この機に、「選良司祭団・聖地善行騎士団」のウィレルモ(48歳)は、
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(58歳)の支援の下、
78年、出身地リヨン市で「ガリア=メイソン大会」を開き、
フランス=メイソンリーにおける選良司祭団・聖地善行騎士団の優位を打ち立て、
老ヴォルテールに代わる中心人物に成り上がってしまった。

一方、ドイツにおいても、
「古式黄金薔薇十字団」にすっかり洗脳されてしまった「聖堂騎士団・三つの地球」のフェルディナント公(五七歳)を通じ、
「ドイツ国民大ロッジ」傘下の各地のロッジもまた急速にオカルト色を強め、
再びオカルトメイソンと啓蒙主義メイソンの間で対立と混乱を増していった。
だが、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(五九歳)は、「千年王国」の野望の実現に向け、
七九年、行き場を失っていたサンジェルマン男爵(約六九歳)を拾い、メイソンのオカルト化を強力に進めていった。


(反政府「グランドリアン」や百科全書派ロッジ「九姉妹神」の啓蒙主義メイソンたちは、
オカルト色の強いウィレルモの支配に頑強に抵抗したが、
オカルト系に改宗した人も当然いるし、
オカルト系から啓蒙主義に改宗した人もいるからややこしい。
ウィレルモ(48歳)は、メスマーの治療法をあちこちに売り込んだりもしている。
動物磁気って要は東洋の気だよね?)



・小物の放浪詐欺師バルサモが大物の霊能医師カリオストロ伯になった背景には、
じつはイルミナティの莫大な資金支援があった。
ウィレルモとメスマーがフランスの啓蒙主義者たちを取り込んでいったのに対し、
カリオストロ伯は、逆にフランスのオカルティストたちを切り崩していった。

・20 黄金薔薇十字とイルミナティの決戦

81年二月、メイソンリーのオカルト化を激しく批判するレッシンク(51歳)は、
レストランで食事をして帰宅するや、突然に激しく嘔吐して死んでしまった。
(毒殺)
しかし、レッシンクの歴史的啓蒙主義はイルミナティの中心思想へと着実に受け継がれ、
大きな影響力を持つことになる。
すなわちヴァイスハウプトによれば、
人類の歴史は自由の幸福を楽しむ幼年期の後に、
僧侶の圧政と君主の独裁の下、物質的欲求に縛られた少年期となっているが、
これらの抑圧的意見を打ち破って、真に神に救済される成人期に類として達しなければならない、とされる。

(ヴァイスハウプトのどこが無神論?
教会と王族側が彼に無神論だレッテルを貼って叩いただけでしょ)


オーストリア=ハプスブルク家のヨーゼフ二世(四〇歳)は、
ただの善良な啓蒙専制君主ではなかった。
彼は、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世によるドイツ統一の支援ではなく、
オーストリアを含む大ドイツ統一を考え、
フランス=ブルボン家やロシア=ロマノフ家
と組み、ヨーロッパを分割支配することを考えていた。

(ハプスブルク=カトリックのヨーゼフ二世は、
ヘッセン=プロテスタントのフリードリッヒ二世と
ドイツ統一について対立)

ハプスブルク家のヨーゼフ二世はその第一歩として、
妹マリーアントワネットの嫁いだフランスと、
南ネーデルラント(現ベルギー)とバイエルンの交換を計画していた。
彼にとっては、国内の「真の調和」も、
ドイツの「イルミナティ」も、
そのための手段にすぎない。
このようなヨーゼフ二世の裏切を察したヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(六一歳)
は、アメリカのためではなく、みずからのために、
イエズス会残党を使って「黄金薔薇十字団」の下にメイソン支配を急いだ。


だが、フリードリッピ二世方伯やヨーゼフ二世の策謀に気づいた、
プロシアの「大王」フリードリッヒ二世(六八歳)は、ただちに諸侯同盟を結成し、彼らに対抗した。
くわえて彼は「聖堂騎士団」団長フェルディナント公に任せきりだったプロシア宮廷ロッジ「三つの地球」を再び掌握し直し、
配下の「ドイツ国民大ロッジ」のメイソンが、
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世の「黄金薔薇十字団」にも
オーストリア国王ヨーゼフ二世の「イルミナティ」にも関与しないようにさせた。

また、プロシアのケーニヒスベルク大学では、
かつて黄金薔薇十字団風のオカルト的宇宙観にとりつかれていた哲学教授カント(1724~1804、五七歳)が、
その虚妄を明らかにする『純粋理性批判』(1781)を出版した。
(カントってオカルト否定側じゃないっけ?)

このプロシアの離脱は、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世の計画を大きく狂わすことになった。
「聖堂騎士団」を奪取しても、「ドイツ国民大ロッジ」傘下のメイソンを支配できないのであれば意味がない。
おりしも、プロシアの大王の甥のフリードリッヒヴィルヘルム(1744~97、三七歳)が病気になった。
そこで、フリードリッヒ二世方伯は、傭兵将軍ビショップヴェルダー(六七歳)を送り、
王子の愛人の家でいつものインチキ霊媒術を見せ、
八一年、プロシアの大王の甥のフリードリッヒヴィルヘルムを「古式黄金薔薇十字団」に入会させる。
しかし、大王フリードリッヒ二世(六九歳)の威光は強固で、
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世は、
「三つの地球」および「ドイツ国民大ロッジ」の支配を奪うことはできなかった。

(”そこで、八二年夏、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(六二歳)は、
プロシア宮廷ロッジ「三つの地球」を介さずに「ドイツ国民大ロッジ」を支配すべく、
傀儡となった「聖堂騎士団」団長のブラウンシュヴァイク公フェルディナント(六一歳)に、
ハーナウ郊外の自分の壮麗なヴィルヘルムスバート宮で「国際メイソン大会」を開催させ、
ようやくドイツメイソンらを集結させた。
そして、ここにおいて彼は、フェルディナント公に「黄金薔薇十字団」によるメイソンリー統一を提起させた。

ところが、フランスのウィレルモ(五二歳)の「選良司祭団・聖地善行騎士団」についてはかろうじて承認されたものの、
ドイツのビショップヴェルダー(六八歳)の「古式黄金薔薇十字団」に関しては、
あっさりと否決されてしまった。
というのも、この大会に対して、「イルミナティ」のクニッゲ男爵(三〇歳)は、
ドイツメイソンリーの中心人物の印刷屋ボーデ(五二歳)、
ザクセン=ヴィマールのカールアゥグスト公(1757?1828、二五歳)と
その宮廷啓蒙主義者のヘルダー(三八歳)や
ゲーテ(三三歳)、
チューリッヒの社会教育家ペスタロッチィ(1746~1827、三六歳)、
さらには、オーストリアのロッジ「真の調和」のゾンネンフェルス(五〇歳)や
ボルン(四〇歳)、
そして、フランスの急進派「レザミレユニ」のミラボー伯(三三歳)などを味方につけ、
すでに「イルミナティ」を一気に千人ちかい巨大実力組織に発展させていたのである。
かくしてヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世の「ドイツ国民大ロッジ」乗っ取りの野望は挫折してしまった。


傀儡フェルディナント公は、ただちに「聖堂騎士団」からイルミナートたちを破門したが、もはやむだであった。
一方、この会議で実質的な勝利を得たオーストリアのヨーゼフ二世(四一歳)は、
イルミナートのゲーテらを男爵に列し、大ドイツの野望に向けて組織を強化していった。

「国際メイソン大会」で「イルミナティ」に敗退し、
新大陸メイソンリーと対抗するという存在理由もなくなったため、
以後、オカルト色の強い黄金薔薇十字団系ロッジは、急速に衰退していく。
オーストリアにおいても、
八三年、ドイツ黄金薔薇十字団系の「戴冠した希望」からフランス選良司祭団系の「善行」が分離した。
また、
フランスのメスマー(四九歳)の疑似科学組織「宇宙の調和」も、
化学者ラヴォワジエらによる調査委員会によってその理論を否定され、またたく間に会員を失っていく。
「古式黄金薔薇十字団」団長の傭兵将軍ビショップヴェルダー(六九歳)は、配下のロッジを見捨て、
大王の甥のフリードリッヒヴィルヘルム(三九歳)のつてでプロシア宮廷にもぐり込み、
以後、傀儡ブランシュヴァイク公家フェルディナンドと「聖堂騎士団」をプロシアのために利用するようになる。

だが、勝利した「イルミナティ」もおかしくなっていた。
用済みになったストラスブールの霊能医師カリオストロ伯(四〇歳)夫妻は、資金支援を断ち切られ、
あらぬ中傷を受け、再び放浪を強いられることになった。
啓蒙専制君主ヨーゼフ二世(四三歳)は、
八四年四月、イルミナートのボルン(四二歳)にオーストリア内のロッジを統一する「オーストリア国民大ロッジ」を創設させ、
いよいよ大ドイツ実現へ始動したが、
黄金薔薇十字団系ロッジで失敗したイェズス会残党は、
「イルミナティ」がバイエルンをオーストリアに売り渡そうとしている、と、
プファルツ=バイエルン選帝侯テォドールに告発したため、バイエルン領内での活動ができなくなってしまった。

「イルミナティ」内部においても、バイエルンのヴァイスハゥプト(三六歳)は、
ハノーヴァーのクニッゲ男爵(三二歳)の真意を疑い始めた。
プロシアのケーニヒスベルクの哲学教授カント(六〇歳)もまた、
八四年、論文「啓蒙主義とは何か」を発表して、
他人の指導がなくては自分の理解力を用いえない未成年状態を人間が脱することこそ「啓蒙主義」である、と定義し、
レッシンク・ヴァイスハゥプトの根幹思想を援護した。
こうして、同八四年、「イルミナティ」からクニッゲ派が一掃され、メンバーは激減した。


ウィーンでは、
通俗的な『ハーレムからの誘拐』(1782)で成功した若き天才音楽家モーツァルト(1756?91、二八歳)は、
何度かの引っ越しの後、
八四年、出版屋マンション「トラットナーホーフ」に入居した。
この店頭では、毎週水曜にコンサートが行われており、
彼もこれに出演した。オゥナーの出版屋トラットナーは、
啓蒙主義の書籍を多く販売していた。
もともとモーツァルト自身もまた医師メスマーを通じてメイソンリーと強い繋がりをもっていたが、
八四年末、フランス選良司祭団系ロッジ「善行」および、
イルミナティ系ロッジ「真の調和」に入った。
アイゼンシュタット=エステルハージ侯家の楽長ハイドン(1732~1809、五三歳)は、
とてつもない速筆で膨大な量の作品を仕上げ、交響曲というオーケストラの音楽スタイルを完成させ、名声をはせていた。
その彼もまた、八五年初め、ウィーンのイルミナティ系ロッジ「真の調和」に入会した。

同八五年四月、黄金薔薇十字団系ロッジ「戴冠した希望」において、
イルミナートで「オーストリア国民大ロッジ」の中心人物であるウィーン皇帝博物館員ボルン(四三歳)の栄誉式典が行われた。
これは、国王ヨーゼフ二世(四四歳)がボルンの発明した合金生成法を賞賛したことによるもので、
この式典は、黄金薔薇十字団のオカルト錬金術に対する最終的な勝利宣言を意味した。
この式典において、モーツアルト(二九歳)もまた、新作のカンタータ「フリーメイソンの喜び」を演奏した。
アメリカとフランスのロッジを代表する老フランクリン(七九歳)もまた、この式典に祝辞を寄せた。
同じころ、作家シラー(二六歳)もまた、ドレスデンのロッジ「三人姉妹」の委嘱に応じ、
メイソンリーの理想を讃える頌詩「歓喜によせて」を作った。

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多少修正

ヴァイスハウプトとクニッゲのイルミナティは、
黄金薔薇十字のヘッセンの計略を失敗させた。
ヴァイスハウプト叩きは、ヘッセンとその部下ロスチャイルド側の工作員もやっている理由の一つ。

黄金薔薇十字団系ロッジで失敗したイエズス会残党は、
ヴァイスハウプトとクニッゲのイルミナティがバイエルンをオーストリアに売り渡そうとしていると、
プファルツ=バイエルン選帝侯に告発し、イルミナティがバイエルン領内での活動をできなくした。
イルミナティ陰謀論の発明者はイエズス会士バリュエル神父と修道士ホーン。
当然カトリックもイルミナティを叩く。
タクシスはヘッセン側で、ホーンはタクシス側。
タクシスも、共和制と啓蒙主義のイルミナティを叩く側




・八五年夏、宝石商ベーマーは、王妃マリーアントワネット(三〇歳)に第一回の支払を求めた。
ところが、王妃側は首飾など受け取っていないと言う。
ロァン枢機卿(五一歳)とラモット伯爵夫人(二八歳)はただちに逮捕された。
ラモット伯爵夫人は、共犯者としてカリオストロ伯夫妻(四二歳)の名を挙げた。
国王ルイ十六世(三一歳)は、王妃との関係を疑い、ロァン枢機卿を激しく憎んだ。
こうして、彼らはみなバスティーユ監獄に送られた。
政府内の旧教イェズス会残党勢力を嫌う者も、
「イルミナティ」を使ったオーストリアのヨーゼフ二世の大ドイツ計画を好まない者も、
この機に乗じてさまざまな画策に動いた。
プファルツ=バイエルン選帝侯テォドール(六一歳)は、
ヴァイスハゥプト(三七歳)を含め、すべてのイルミナートを国外追放にしてしまった。

同八五年一〇月、オカルティストの元締のヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(六五歳)も死に、
黄金薔薇十字団系ロッジも最終的に壊滅した。

同八五年十二月、
オーストリア皇帝ヨーゼフ二世(四四歳)は、「フリーメイソン勅令」を発し、今後は国内メイソンリーをみず
からきちんと直轄する、とうそぶいた。
そして、彼は、ただちにロッジを統合再編した。
ウィーンのロッジは、オカルト的な「戴冠した希望」と、啓蒙主義的な「真実」の二つだけになった。


(”翌八六年五月末、首飾事件の関係者に判決が下った。
ロァン枢機卿とカリオストロ伯夫妻は無罪、
ラモット伯爵夫人のみが終身刑となった。
解放されたカリオストロ伯夫妻の家に反政府主義者が大挙して集結した。
だが、カリオストロ伯夫妻は、興奮する人
々を鎮め、静かにロンドンへと旅立った。

八六年夏、プロシアの老大王フリードリッヒ二世(七四歳)が死んだ。
これを継いだ甥のフリードリッヒヴィルヘルム二世(四二歳)は、
騙されやすく、きわめて凡庸だった。
その実権は、以前から国王に取り入っていた元「黄金薔薇十字団」団長の老傭兵将軍ビショップヴェルダー(七二歳)が握った。
大王が死んで、啓蒙主義のイルミナティや大ドイツ主義のオーストリアの重石が取り除かれ、
ヨーロッパの政治と勢力の均衡は大きく崩れた。

フランス国王ルイ十六世(三二歳)が義兄のオーストリア国王ヨーゼフ二世(四五歳)の野望にほんとうに
荷担すれば、官僚貴族の高等法院派の反乱が起こる危険性があった。
大蔵大臣カロンヌは、「名誉革命」(1688)のように立憲君主制へ穏便に移行することを願い、
ただちにミラボー伯(1749?91、三八歳)をドイツに送って、
「黄金薔薇十字団」や「イルミナティ」に、
「聖堂騎士団」団長ブラウンシュヴァイク公フェルディナント(六五歳)へのフランス王位移譲を打診した。

八七年二月、大蔵大臣カロンヌ(五三歳)は、国王が指名した者を集めた「名士会」を開き、
身分特権なき一律土地課税を諮問した。
ところが、「名士会」は、逆にカロンヌを罷免してしまった。
穏健な改革の道はもはや断たれた。
同八七年、ドイツメイソンリーの中心人物で
あるヴァイマール公国の出版屋ボーデ(五七歳)は、
みずからパリに赴き、反王権的な「イルミナティ」の啓蒙思想を広めた。
その一方、ゲーテ男爵(三八歳)は、イタリアを訪れ、
カリオストロ伯=詐欺師バルサモの調査に当たっていた。
また、ボーデは、才人シラー(二八歳)をヴァイマール公国に呼び寄せ、
同地のイェーナ大学歴史学教授に就けた。

一方、「古式黄金薔薇十字団」の黒幕だったヘッセン=カッセル方伯の息子ヴィルヘルム九世
(43、即位85、1821、四四歳)もまた動き出した。
フランクフルトに事務所を持つ「帝国郵便総監」トゥルン=タクシス公家が財政危機に陥っているのを聞きつけると、
彼は、宮廷に出入りしていた同地出身の弱小銀行家マイヤーアムシェル=ロートシルト(四三歳)を送り込んで交渉に当たら
せ、トゥルン=タクシス公に大金を貸し付け、自分の配下に取り込んでしまった。
これによって、オーストリア=神聖ローマ帝国の外交通信は、すべてヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム九世に筒抜けとなった。


同八七年秋、ヴァージニア州のマディソン(1751~1836、三六歳)が草案を書いた「合衆国憲法」が、
アメリカ古式ロッジおよび軍部の中心人物である議長ワシントン(五七歳)の努力によりフィラデルフィアで発表され、
アメリカ近代ロッジおよび産業の中心人物であるペシルヴェイニア州知事老フランクリン(八一歳)の努力により、
順次、各州の承認を得ていった。
これは、この州ごとのロッジの大連合という「合衆国」の理念によって、
集権制と分権制とを微妙なバランスで折衷したものである。
こうして、アメリカは、公然たるメイソンリーの自由国家として、確かな一歩を踏み出した。
そして、それは、もはや国家に国王はかならずしも必要ではないことを実証するものでもあった。

旱魃によってフランス経済はさらに悪化し、ついに恐慌状態に陥った。
ここに、さまざまな政治議論が沸騰、かつては一〇〇あまりだったメイソンロッジが、
このころになると六〇〇以上にも分裂、
そして、同じロッジでも支部ごとに、また、同じ支部でも個人ごとに意見は大きく異なっていた。
なかでも、親英「フランス大ロッジ」と
反英「グランドリアン(大東社)」が激しく対立、
くわえて、王侯貴族の「グランセニョール(大貴族)」、
学者知識人の「ヌフスール(九姉妹神)」、
理想活動家の「レザミレユニ(同一の友)」なども大いに活動、
これらのロッジは、横の情報伝達機能は持っているものの、
縦の意見集約機能は持っていない。


国王政府は、財政再建のために、とくに反政府的な官僚貴族への免税特権を廃止したい。
各地の高等法院(裁判所)を拠点とする官僚貴族は、
もともと地元の商工業の富裕市民であり、
自分自身のカネで貴族の身分と法務の職権を買い取ったのであって、
中央の国王や政府には恩義も忠誠もない。
それゆえ、彼らは、政府の課税強化方針に対して、
一六一四年以来、百七十年以上も停止している「総身分会(エタジェネロー、三部会)」を開催して審議することを要求した。
これを開催すれば、免税特権を持つ「僧侶会」や「貴族会」はもちろん、
これらの身分の人々の浪費に依存して生活する「平民会」も、
課税強化には反対することは明らかだったからである。

八八年六月、南東部ドフィネ州グルノーブル高等法院が政府の司法改革を拒否、軍隊が投入された。
青年弁護士バルナーヴ(1761?93、二七歳)らは、一般民衆を煽動し、これに抵抗、
独自の「地方三身分会」を開いた。
ここにおいて、一般民衆は、特権身分の僧侶と貴族を足したものと同数とし、合同で採決するとされた。
もはやフランスは、分裂の危機に瀕していた。
八八年八月、銀行家ネッケル(1732?1804、五六歳)が再び大蔵大臣に指名されたが、
彼は、自分が国王政府と官僚貴族の間の板挟みにならないように、
「総身分会」開催を条件にした。
ところが、政府は、「僧侶会」や「平民会」、そして、領主貴族による官僚貴族=高等法院派
の切り崩しに自信を持ち、この条件をあっさりと受け入れた。
かくして、八九年一月、「総身分会」が召集された。
春、各地方、各身分において選挙人が選出され、その選挙人たちによって代表議員が選出され、
「僧侶議員」には、シャルトル司祭シエース(1748?1836、四一歳)、
オータン司教タレイラン(1754?1838、三五歳)などが、
「平民議員」には、アラス市青年弁護士ロベスピエール(1758?94、三一歳)、
グルノーブル市青年弁護士バルナーヴ(1761?93、二八歳)などが選ばれ、
また、自由主義貴族ミラボー伯(1749?91、四〇歳)などもいた。

しかし、こうして選出された議員の多くは、貴族はもちろん僧侶も平民も、
みずから商工業を経営しており、官僚貴族の同類だった。
くわえて、この議会の背後には、複雑なメイソンリーの関係がうごめいていた。
すなわち、「グランドリアン」総長のオルレアン「平等(エガリテ)」公(四二歳)は、
王位簒奪を狙っており、同会員の医師マラー(1743?93、四六歳)も、
自前の新聞『人民の友』を発行して、在野から民衆を扇動した。
これに対し、アメリカ独立戦争にも参戦したラファイエット侯(三二歳)は、
「ヌフスール」の中心人物であり、アメリカ的な大統領になろうと狙っている。
はたまた、「レザミレユニ」の青年弁護士ロベスピエール(三一歳)は、ルッソーにかぶれ、
国王も大統領もいない全体主義政府を夢見ていた。
あえて平民議員となったイルミナートの貴族ミラボー伯(四〇歳)は、
方向のまったく異なる「レザミレユニ」「グランセニョール」の両方に属し、
民衆と貴族の両方を味方にして権力を掌握しようと考えていた。

シャルトル司祭シエース(四一歳)もまた、
「ヌフスール」と「グランドリアン」の両方に入り、保身を図っていた。
このように、彼らはそれぞれまったく異なる目標をめざしていたが、
この旧弊体制(アンシャンレジーム)を倒すことでは一致していた。

おわりに
革命が始まってから後は、もはやラファイエット侯やミラボー伯は、
国王を利用しつつ、個人的に活動する。
これに対して、ロベスピエールやバルナーヴは、
一一月、宮殿北隣のドミニコ会系「聖ヤコブ(ジャコバン)修道会」跡地に、
かつてのイルミナートを集め、「憲法友の会」、通称「ジャコバンクラブ」を創設して、
これを阻止しようとした。
また、九一年になると、
ロッジ「グランドリアン」の急進的ジャーナリストの医師マラー(四八歳)も、
「コルドリエ(幅帯)派修道院」跡地に、「人権友の会」、通称「コルドリエクラブ」を結成して、
在野から「国民集会」を攻撃した。
逃亡を試みた王族の処分問題で揺れていた九一年の夏には、
主流派は、王位を狙うオルレアン「平等」公(四四歳)を中心に、
ルイ十六世の廃位を要求する。
これに対し、「ジャコバンクラブ」において、
ロペスピエールは国王の裁判を主張し、
バルナーブは国王の免責を主張し、両派の意見が対立してしまった。
このため、バルナーヴらは、分離して、
ラファイエット侯らとともに、「フーイヤン修道院」跡地に「フーイヤンクラブ」を結成し、
ルイ十六世を擁護するようになった。
しかし、いずれにせよ、これらの政治クラブは、古い独立ロッジ的なものであり、
もはやメイソンリー的な、国際的な連携の拡がりは認められない。
むしろ重要になるのは、その後のヘッセン=カッセル方伯とロートシルト家のネットワークの役割である。
というのも、反革命・反ナポレオン戦争において、各国にその兵員と資金を供給し続けたのは、
グレイトブリテンでもプロシアでもオーストリアでもなく、
このネットワークにほかならないからである。
それゆえ、ナポレオンは、一八〇六年のプロシア遠征においてまずカッセルを奪い、
そのヴィルヘルムスヘーエ宮にヴェストファーレン王として末弟ジェロームを置いた。
しかし、このころすでに反ナポレオン戦争は、軍隊の戦争から経済の戦争にシフトしており、
ロートシルト家は、ロンドンのネイサン(1777~1836)を中心に貿易と金融を国際的に操作して、
反ナポレオン諸国を支援し、ウィーン体制の確立にまで至らしめる。
しかし、このネットワークも、
もはや多くの人々が参加する「メイソンリー」とはまったく異なるものである。

http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-119.html)


(この人が書いた本でホーエンツォレルンについて書いたものないかな。







この本ってどうみてもフェイド大帝のこのツイートの参考文献だよね。









レッシンクの間抜けな所は、 彼の重用したユダ公のメンデルスゾーンが 実はイツィヒ家の子孫で、ヘッセンの 子飼いだと見抜けなかったことだ。

だが、ヘッセンもプロイセン王の 裏切りにより、一時期は壊滅に 追い込まれる。
だが、プロイセンが一次世界大戦を 経て衰退し、
用済みになった ヴァイスハウプトがプロイセン王や ケニッゲ男爵に処分されると、
ヘッセンの子孫が今度はロス茶を 使って巻き返しを図ろうとする。
そして現在に至る。













・エキュメニカル運動の根拠の一つである、
イエス「すべてを一つにしてください」
というヨハネ福音書17:21
をモットーにしている組織一覧。


これだけ詳しいことが書ける著者の経歴を調べてみるとすさまじいな。
短くしたいのでごく一部だけ。

”1981年 ドイツハイデルベルク大学留学”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E4%B8%98%E6%9B%9C%E5%BD%B0

このルプレヒト・カール大学ハイデルベルクは超名門だから著者は完全にエリート。
主要世界大学ランキングだとドイツ国内では1~3位ってすごいな。
しかも、1386年にプファルツ選帝侯ループレヒト1世によって創立された。

ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

タイトルにエキュメニカル団体のシンボルとなる一節
新約なのにどこがユダヤなんだ?
エキュメニカルに積極的なのはプロテスタントのリベラル系。


”2009年
グーテンベルク大学 メディア学部映画学科 客員教授"
https://researchmap.jp/sumioka-teruaki/

ドイツ・グーテンベルク(マインツ)大学のことね。
マインツ大司教という選帝侯が皇帝選挙の投票場管理官だったことが思い浮かぶ。
長くなるので割愛。
ちなみに、選帝侯は英語でPrince-elector 。
プリンス・エレクター。
この英単語で検索してみような!

この大学について。
日本語版ウィキだと情報がほとんどないので英語版とドイツ語版を見てみる。
そしてそこからたどるとこの大学のモットがエキュメニカルの元ネタの一つだと判明。


このグーテンベルク・マインツ大学のモットーである
ヨハネ福音書17:21の一部の翻訳。

That they all may be one

意訳すると
イエス「すべてを一つにしてください」


日本語訳を引用する。
イエスが言っていることが重要。

”17:21
父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、
みんなの者が一つとなるためであります。
すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、
それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。”

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
ヨハネによる福音書(口語訳)

英訳とラテン語訳とドイツ語訳。

Johannes Gutenberg University Mainz
”Motto in English
That they all may be one”
https://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Gutenberg_University_Mainz

” Ut omnes unum sint
?Dass alle eins seien“”
https://de.wikipedia.org/wiki/Johannes_Gutenberg-Universit%C3%A4t_Mainz



英語版ウィキではエキュメニカルの元ネタだとあり、
これをモットーに掲げる団体が列挙されている。
万教帰一陣営ってことだ。
またブラックリストが増えてしまったな!


すべてを訳して書く気はないが一部紹介。
(英文の引用などは本記事の最後あたりに載せておく)

この一節は、
エキュメニカル運動と
合同教会(二つ以上のプロテスタントの合同。United and uniting churches)
の基盤。

ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)の回勅(ローマ教皇から司教への文書)のタイトルに使われた。
アトンメントのフランシスコ修道会(略称 SA)というカトリックの男子修道会のモットー
「全てが一つになるように」で、
この修道会はエキュメニカルにも積極的。

インド最大のプロテスタント団体である南インド教会のモットーでもある。
この南インド教会もエキュメニカル賛成派。

世界学生キリスト教連盟のモットー。

(”【世界学生キリスト教連盟 World Student Christian Federation】
プロテスタント学生運動の世界的組織。略称WSCF。学生YMCA,学生YWCAその他,世界各地に,大学生の間にキリスト教活動を行う各種の組織がある。
1895年,これを世界的な規模で結合し,WSCFが創設され,総主事にモットJ.R.Mottが就任,世界教会運動の重要なにない手となった。本部はスイスのジュネーブ。【加藤 常昭】 ”
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%80%A3%E7%9B%9F-1179239


マインツ大学、
カナダ合同教会(カナダのプロテスタント系では最大の教派)、
キリスト教青年会(YMCA)、
キリスト連合教会(会衆派プロテスタント。リベラル、同性愛と中絶容認)
のモットーでもある。

キリスト連合教会のシンボルが日本語版ウィキでは書いてない(またかよ)が、
英語版だとある。球に十字が刺さった宝珠っぽいデザイン。

著者の他の良記事。

3分でわかるカント
http://sumioka.doorblog.jp/archives/51076015.html

世界はうまくいくようにできている:三分でわかる陽明学
http://sumioka-history.blog.jp/archives/8209743.html


参考資料



ウィキだけではなく、ツイッターで英語で検索するとエキュメニカルだと言っている人がいる。




このあたりのイエスのセリフは

Farewell Discourse
https://en.wikipedia.org/wiki/Farewell_Discourse

と呼ばれ個別記事があるほど有名らしい。
日本語版記事はないけどな!

That they all may be one
https://en.wikipedia.org/wiki/That_they_all_may_be_one
”is a phrase derived from a verse in the Farewell Discourse in the Gospel of John (17:21) which says:

that they may all be one. As you, Father, are in me and I am in you, may they also be in us, so that the world may believe that you have sent me.

The phrase forms the basis of several ecumenical movements and united and uniting denominational traditions. It is also a common sermon topic on church unity.

The phrase is the official motto of the Church of South India.
The Latin version, Ut Omnes Unum Sint, is the motto of the World Student Christian Federation,
the University of Mainz,
the United Church of Canada and the YMCA.
The United Church of Christ has the same motto except for a change in the place of one word: "That they may all be one."

The phrase is also the motto of the Graymoor Friars (the Society of the Atonement).
They have used this phrase for over 100 years to describe the apostolate of the order. The Society of The Atonement started the worldwide observance of "The Church Unity Octave." The work of this Roman Catholic, Franciscan, religious order is Ecumenism.[1]

Pope John Paul II published an encyclical under the Vulgate form this title, Ut Unum Sint.

It is also one of two mottoes of Spalding Grammar School in Lincolnshire, England. It is the motto of Achimota School located in Accra, Ghana and both Strathmore School and Strathmore University in Nairobi, Kenya. St. Paul's School in Rourkela Orissa, India also bears this motto on its Badge.[2] It is also the motto of the Presbyterian Church of Ghana. Igbobi College, located in Lagos, Nigeria, also bears this motto on the school crest/badge.”

(接続法=英語の仮定法なので、まだ実現していない。
だからこれからやろう→エキュメニカル運動へ。

ドイツ語入門編(21) 接続法
http://www.uraken.net/language/nyumon21.html

Kapitel 15 接続法
http://www.kcn.ne.jp/~ksuzuki/d-lernen/grammatik/Gr-15.html

接続法Ⅰ式(間接話法)
http://www.deutschlernenapp.de/konjunktiv_i_indirekterede/

参考)


言売了感言射(エセ漢文)!

読書メモ  :  trackback 0   :  comment 0   

『儒教入門』メモ。『論語』と『史記』の人物評価基準。吉田松陰と安岡正篤で有名な陽明学はキリスト教と相性が良く儒教カルト✝を作りやすい。 

儒教入門は儒教について知りたいことが幅広く書かれている名著。
とまとさんのオススメはほとんど名著。









江戸時代の朱子学は偽物なので
注意ね。オリジナルにある「諫言」
という制度を意図的に抜いてるので
なるべくオリジナルを勉強した方が
いい。

まぁ、ドイツ人エンジニアも言ってた
けど、学問系で言うと日本人がやった
方が良いのはデータ・サイエンスとか
コンピューター・サイエンス、
マーケティングじゃなくて、
「ストラテジー」って奴。経営学の
中の分野の一つね。次点で「リソース
マネジメント(人事含む)」で、最後に
「組織論」。

組織論、コーポレート・ガバナンス
含むね。

横文字じゃない中国の古典から学ぶ
べきは「佞臣の排除」。日本組織は
これが多過ぎる。佞臣ってのはゴマ
擦りだけが得意で出世しやすい能力
には長けてるけど、組織には害しか
齎さない主君を拐かす悪党の事ね。
勿論、意図してやってるので犯罪者。

孫子のモデルの呉の孫武の伝記とか
が良いんじゃないかな?

中国人が描いた漫画で良いのが和訳
されてたと思うよ。
後、横山某の史記シリーズも分かり
やすくて良いかも。


アメリカ式の奴は文化が違い過ぎて
導入に躊躇する組織は多いと思うけど、
中国の古典なら同じアジア系だから
取り込み易いでしょ?

孫武の呉王の妾みたいなのを隊長に
任命して軍令を守らないから斬首
する逸話とか素晴らしいよ。
あれは呉王がその後「やり過ぎなんじゃないの?」と咎めるシーンが
あるんだけど、孫武が「だってアンタ
兵法を見せてくれって言ったじゃん」
って即答したのに対して、呉王が
反省して認めた所が重要。

孫武関連の逸話は孫武その人よりも
王様の方が兎も角優秀だったって
所が本当のキーポイント。

だから、息子の代以降になると途端に
調子が悪くなってくのよね……

そこもまた面白いんだけどさ。


横山史記も管仲編とか覇王(昔の中国版
アメリカ大統領みたいな制度)の
在り方と責務みたいなのを説明してる
エピソードとかが手っ取り早く学べて
良いと思うよ。

漫画から入って専門書に移行する
のが良いと思う。

中国の古典って今のハーバードで言う
「ケース・スタディ」って奴と
一緒なので、基本。

でも、ハーバードって言うと、
君達毛嫌いするでしょ?w


(ぐだトマトさんがリツイート
BusinessInsiderJapan?認証済みアカウント @BIJapan
12月5日

「抽象的でわかりにくそう」「面倒くさそう」との声が多数のデザイン思考

東大出身、元商社マンの漫画家がシナリオを担当)

ぐだトマト @pteras14
このデザイン思考の漫画、そんなに
良かったのか。読んでみるかな。

デザイン思考の漫画、サラッと読んで
みた。普通にデザイン思考を覚えて
落ちこぼれ店長がサクセスしてく
ストーリーなんだけどさ、EDが
所謂“本社の企画部への栄転”を
“謙虚な可愛い日本人?”理論で
主人公が断っちゃうのよね。
「ずっと奴隷のままでいいっす!」
みたいなw

まぁ、出る杭打たれ文化や脳鷹爪隠し
理論の大好きな如何にも日本ウケする
結末なんだけどさ……

お前さん、出世して経営者になって
こその「デザイン思考」だろ……
と。そもそも、日本企業のマネジメン
ト層に「思考」自体が無いのが問題
なんだからさ……

ぐだトマトさんがリツイート
中国故事名言bot? @koji_meigen_bot
12月7日
勝兵はまず勝ちて而る後に戦いを求め、
敗兵はまず戦いて而る後に勝ちを求む。(『孫子』軍形篇)

勝利を収める軍隊は、まず勝利の条件を整えてから戦をはじめる。
敗北を喫する軍隊は、戦を始めてから勝利をつかもうとする。


マルアフ・ハ・マーヴェット@pendulum318

例えば、ある武将が都市を包囲したとする。その武将は武力で都市を制圧し、略奪しまくって殺しまくることもできたが、
それはせずに降伏勧告を出し、降伏した都市には一切略奪せずに寛大な処置を施した。これは武将が優しい人物だからか。

違う。
降伏をしても受け入れられず皆殺しにされると分かった敵は死に物狂いで向かってくるようになり一層手強くなり、
こちらの損耗も大きくなる。
降伏したあとは殺しも略奪もしないという約束を破った場合も、
だましうちした、と風評が流れ、他の都市を攻略する際に相手は降伏を受け入れなくなる。

反対に皆殺し、謀殺が有効な時は躊躇せずにこの武将は実行できる。
一番目的を達成に有効なことをこの武将はやっているだけ。
外部に顕れているものだけで判断したらこういう事は分からなくなる。

こういう知識はトゥキディデスやマキャベリから仕入れた。

ま、こんな知識があっても自分以外が使っているときにわかるだけで、自分自身が自在に使いこなせるわけではない。
カエサルの知識だけあってもカエサルにはなれない。場数をこなせば違うかもしれんが。
俺自身は大体無愛想な態度で人からは「損な性格」と言われるくらいだ。

マニュアルより思考パターンを盗みたいね。
宿題の書き写しにならないようにするためにはカエサルのマニュアルよりカエサルの思考パターン。
マニュアルにたどり着くための式を知っとかないと応用も効かんだろうし。












身体髪膚は之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。
(『孝経』開宗明義)
(割礼の否定)


お盆は儒教(中核)を仏教で覆ったもの。
カバラ(一神教+新プラトン主義)は易経(儒教の経典)とも道教(多神教)とも無関係! 
寸止め陰謀論者が主張するカバラは「クリスチャン」カバラ! 加地伸行『沈黙の宗教―儒教』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-97.html




人物評価技術

『論語』

為政第二 026
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-02-026.htm
”〔 原文 〕  
子曰、視其所以、観其所由、察其所安、人焉廋哉。人焉廋哉。

〔 読み下し 〕
子曰わく、其の以す所を視(み)、其の由る所を観(み)、
其の安んずる所を察(み)れば、人焉(いずくんぞ)廋(かく)さんや。人焉んぞ廋さんや。

〔 通釈 〕
孔子云う、
「一にその人の行為をよく注意して視(み)る。
二にその行為の拠って来たる原因・動機を観(み)る。
三にその人がどんな所に安らぎを求めているかを察(み)る。
この様にすれば、その人の正体はすっかり分かってしまうものだ。どうして隠せようか」と。

〔 解説 〕

これが孔子流「人物鑑識法」ですが、この視る-観ずる-察するという方法は、孔子以来、人物を見抜く際の鉄則となったようでありまして、
史記(司馬遷(しばせん)による中国古代の歴史書)の魏(ぎ)世家(せいか)に、魏の文侯(ぶんこう)(戦国時代)に仕えた李克(りこく)という政治顧問が述べた「五観法」と云う有名な人物鑑識法があります。人物を見抜く上で現代でも立派に通用すると思われますので、以下に紹介してみましょう。

  一、「居ればその親しむ所を視る」
   *不遇の時にどんな人と親しくしていたかを見る。
   (付き合っている人達の人品骨柄を見れば察しがつく)

  二、「富めばその與(くみ)する所を視る」 
  *裕福になった時にどんな人やどんな物に金や時間を 割いたかを見る。
      (安んずる所・どこに安逸を求めているかが分かる)

  三、「達すればその挙(あ)ぐる所を視る」  
  *出世した時にどんな人物を推挙したか、どんな人を登用したかを
     見る。(本人の眼力が分かる)

  四、「窮(きゅう)すればその為さざる所を視る」 
   *窮地に陥った時に苦しまぎ0れに不正を働かなかったか、悪あがきを
しなかったかどうかを見る。 (為す所・節操の有る無しが分かる)

  五、「貧しければその取らざる所を視る」 
   *貧乏した時に邪(よこしま)な稼業に手を染めなかったか、餓鬼に
     ならなかったかどうかを見る。 (拠る所・志が分かる)

〔 一言メッセージ 〕
『人を見抜くには、行為・動機・安逸の三つを見よ!』

〔 子供論語 意訳 〕
孔子様がおっしゃった、「その人の人柄をつかむには、まず普段どんな行ないをしているかを見なさい。
次にどうしてそういう行ないをするのか? その理由を考えてみなさい。
最後にその人が一番好きなことは何か?を調べてみなさい。
この三つの方法で観察すれば、ごまかそうったってそうは行かないんだね」と。

〔 親御さんへ 〕

人と接していて、この人の意図はどこにあるのだろうか?どんな思惑があるのだろうか?と考えさせられたことはありませんか?私達は人を判断する際に、どうしても容姿や言語つまり、視覚や聴覚だけに頼って判断しようとしますが、どうもこれが間違いの元のようですね。

実は孔子もこれで失敗しているんです。容姿の方では、澹台(たんだい)滅明(めつめい)という人物が入門して来た時、余りにも容貌が醜かった為に「大したことはなかろう!?」と高を括っていたら、実は正道を貫く大人物であった。

言語の方では、宰我(さいが)の弁舌を信じて立派な人物であろうと思っておったら、行ないがデタラメで手が付けられなかった。澹台滅明も宰我も、これから論語に登場して来ますから、お楽しみに。殊に、宰我などは孔子にこっぴどく叱られています。

人を見抜くには、容貌や言語に惑わされず、
  一、日頃の行ないを注視する。
  二、その行為の拠って来たる動機を観取する。
  三、どんな物や事に安逸を求めているか(安らぎ楽しんでいるか)を
    観察する。

という三つの方法が有効なようです。”






”わざと間違った名づけの呪術への対策は、
孔子がすでに教えてくれている。
名づけの呪術は、
「人知を超えた確かめられないことの断定」
とセットであることが多い。
こちらも孔子は対策している。

孔子
「必ずや名を正さんか」
「適切な名前をつけよ」

「いまだ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」
「死んだらどうなるか知らない」

「怪力乱心を語らず」
「人知を超えたものを語るな」

儒教も無記だし、スピリチュアル否定。

孟子の易姓革命論
「徳を失った王は王の資格を失っているから殺して良い」

孟子「トップがクズなら殺して良い」

支配層が無能だったりクズならぶっ殺してOKな儒教。
血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠。

儒教は両親や君主が間違っていたら子供や臣下が
「あなたは間違っている」って言いなさいって教え。
上に盲従せよという教えだと騙るプロパガンダに惑わされないように。

孔子
「たとえ鞭で打たれようとも親の誤りは正せ」

「三回諫言してもダメなら君主の元を去れ」

ボスが明らかに間違っているなら部下が苦言を呈さないといけないという
諫言も儒教の教義。

適切な名づけ、無記、易姓革命、諫言
を抜いたら儒教カルトであり儒教ではないので注意!
悪政用の万教帰一カルトは上記の悪政を防ぐ教えを抜いているのが特徴。
儒仏の道徳の破壊を実践中の支配層。
せっかく漢字圏に生まれたのだから中国古典を読まないと損だよ!








儒教入門 土田 健次郎


・『韓非子』に儒家と墨家を当時の著名学派と併称するように、
墨家は儒家の有力な対抗馬だった。
韓非子の「顕学」では
葬式における儒家の奢侈と孝行の重視を、
墨家の倹約と孝行軽視に対比させている。
『墨子』が葬礼を手厚くすることを批判するのは有名であるが、
葬儀を充実させようとする儒家と正反対。

儒家側の墨家攻撃としては、
兼愛説に対するものが有名。
父と君を否定するのは禽獣だとする『孟子』。
墨家では万人を平等に愛する兼愛という博愛主義。
対して孟子は家族を中心に親疎の差別のある愛を説く。
その正反対は、楊朱の徹底した「為我(我の為にす)」という個人主義。
儒教の特質は、家族主義。
道家と異なり、墨家は仁や義といった語は肯定的に使用する。

(ある一つの思想の解説書では、たいていは別の思想との対比で解説するので、
必然的に複数の思想を学べる。
『』で囲むのが面倒なので省略することがある)

・法家の儒家批判は韓非子に見える。
韓非子では、臣が君につかえ、子が父につかえ、妻が夫につかえるのは
「天下の常道」だとする。
儒家とはこの点では対立しないが、法家ではつかえることを絶対化し、
いかなる場合でもその逆を許すことはない。
王が賢臣に位を譲る禅譲とか、
りっぱな子(舜)が悪い父(コソウ)を放逐した話などを儒家が称揚するものとして否定。
(後者については儒家はこのように言わない)
そして究極的には君主への服従に一元化。
老いた父を養うためにたびたび敵前逃亡をした魯国の人を孔子が讃えたことを批判した際の、
「そもそも父にとっての孝子は、君にとっての背臣(賊臣)である」
という言い方にまでなる。
法家は法の無機性と絶対性を尊ぶのであって、
儒教の尊重する道徳が法の絶対的権威を侵すことを警戒する。
韓非子には権臣の言を聞かずに法律の士の低減に耳を傾けることの重要性が再三言われているが、
儒家の諫言とは異なる。
法律の士の低減とは徹底的に法に従ってぶれないということであって、
君主がこの提言を受け入れて実行するならば臣下は一切口を出してはならない。
対して儒教では常に君主の好意をチェックし必要であればその都度諫言することが求められる。

中国の文化大革命後期に、儒法闘争ということが言われた。
儒家は封建道徳尊重の保守主義とされ、
対して法家の思想を採用した秦の始皇帝を反封建の革命性を持つ者として評価した。

儒家は徳治主義で、法家は法治主義と言われるが、
法の観念が近代と異なるため、
法治という語の使用には注意を要する。
徳の名目による恣意的な統治から脱するという名目は共通しても、
民の自主性を認めない点では決定的に異なる。
法家は儒家以上に上下秩序の厳守を説くのであって、
儒家は国家に対する家族の優位性、個人の道徳的自立、君主と臣下の間の相互規制を説く。

・仏教については、
儒教との一部両者の一致論はあり、
棲み分けもあったが、基本的には儒教と対立。

儒教が仏教を批判する主要論点は次の三つ。

1仏教は社会的道徳や秩序をないがしろにする

2仏教は夷狄の思想であって中国文化や価値観に反する

3仏教はありもしない霊魂の不滅を説く(輪廻転生のこと)

もっとも軸になったのは1であって仏教が中国で思想的に問題になりはじめた当初から延々と反復されてきた。

仏教と対比したうえで浮かび上がる儒教の特質とは、
道家の場合と同じような道徳主義という面、
それに現世中心主義。
仏教の虚の思想に対する儒教の実の思想という対立。

(仏教は霊魂の不滅を否定している。
かといって無になるわけではないらしいのでややこしい。
霊魂は不滅の実体ではないと実体思想を否定)


・天に二つの太陽はなく、
土に二人の王者はなく、
家に二人の主人はなく、
尊者に二つの至上はない。(礼記)

父子関係と君臣関係の間に成り立つ忠と孝は万人が踏み行うべき実践道徳。

忠孝は世界中で見られた徳目。
忠孝を漫然と説くだけでは一般的現象であるにとどまり儒教の特質とはなりえない。

中国における孝の重さは格別であり、親殺しには可能な限りの厳しい罰が加えられた。
親や君に害を加える以前にそのたくらみが発覚しただけでも重い誅罰の対象になったのであって、
孝にそむくことは社会的かつ身体的な抹殺を意味し、
それがまた孝の重みを増した。
かかる中国において孝を否定する議論を見出すことは困難。
それゆえ、唐の禅僧の臨済(九世紀)が、あらゆる既成の価値観から脱却し
心に備わる仏性の自然な発露を実現させるため、
父母に会っては父母を殺し(臨済録)
と言ったのは比喩ではあれ極めて衝撃的なものであった。
この語から逆に孝が既成の価値の最たるものだと確認できよう。
なお仏教は中国社会に定着していく過程で、孝の思想を取り込んでいった。
中国で作られた仏教の経典、いわゆる偽経(疑経)である盂蘭盆経や父母恩重経は代表的。

・儒教の孝で父母を比較した場合、特に重要なのは父に対する孝。
禽獣は母を知るも父を知らず(『儀礼』)
母子は生物的関係であり、それのみでは人間の尊厳性は得られない。
父子関係はそこにさらに制度的規範性が加わっているのであって、そのことが重要。
孝は父子間の孝が軸であり、『孝経』では父子間の孝は君臣関係に転移できるとある。
ただ孝が生来の道徳であることの説得性を増すために母子関係が持ち出される例も少なくない。
しかしそれはどちらかといえば経書よりも説話など啓蒙書の類に著しく、
また後漢に中国に入った仏教が中国化していく過程で孝思想を取り入れていくのであるが、
その中で母子関係を強調するものが目に付く。
仏教は社会の一部分としての人間よりも、単独者としての個人を問題にするのであって、
生物的関係を制度的関係にスライドできる父子関係よりも、
実存的に向かい合う母子関係の方に目が行くことになったのであろう。
このことは儒教の父子尊重を補完する働きをもっているといえよう。

孝であれば忠であるならば、
孝である若者を登用すれば必ず忠義の臣になるということになるはず。
この考えを使って漢代に孝廉(こうれん)という推薦制度が行われた。
宮仕えをまだしていない地方の青年で孝行者を推薦させれば、確実に忠義の臣を得られるという発想。




ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日
返信先: @pteras14さん

なぜ"親父"なのか?
ここが重要なんだよ??

つまり"母親"と"父親"の違いは
何か?って事。
1件の返信 12件のリツイート 3 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

儒教の世界、というより昔の中国では
"父親"ってのは生理的に"赤の他人"
と捉えれていた。何故か?

赤ちゃんはお母さんのお腹から
出てくるだろ?で、本能的にも
"母親"に対する愛着ってのは勝手に
発生する"自然現象"だと捉えられて
いた。
1件の返信 12件のリツイート 5 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

何でか?というと昔の中国人は
「他の動物を良く観察した」んだよ。
で、人間以外の動物の世界でも
"父親"の地位が低かった。
狼は例外的だけど猫とか熊とか
子猫や子熊は母親と暮らすけど、
父親は生殖行為だけしてお別れだろ?
1件の返信 13件のリツイート 6 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

そこで昔の中国人は"赤の他人"で
ある"父親"を大事にする子供に
なればきっと"心の優しい大人"に
育つはずだ!と、考えたの!

これが"孝"のなぜ"父親"を大切に
しないといけないのかの倫理的意義
なんだよ??
1件の返信 16件のリツイート 6 いいね
ぐだトマト? @pteras14
2016年8月13日

その背景には孔子の生きていた
春秋時代という戦争ばかりやって
人の命の価値がゴミみたいな
時代だったから、ともかく「心の
優しい思いやりのある人間」への
憧れと拘りが強かったのではないかと
言われている。


ぐだトマト? @pteras14
2016年10月15日
返信先: @pteras14さん

これにGHQ時代の
「真赤朝の歪んだ石屋思想」
明治/大正の
「薩長土肥式戦闘民族化」が
掛け合わさってより凶悪化してる
イメージ。)


・一般論としては中国では孝が優先されるのに対し、
日本では忠が優先される傾向が言われてきた。
中国で孝が優先する例としては、
君を何度も諫めて聞き入れられなければそのもとを去るが、
父の場合には泣いて従うという議論がある。

人臣としての礼は露骨に諫めないことである。
三度諫めて聞き入れられなければそこを逃れる。
子が親につかえる場合は、三度諫めて聞き入れられなければ、号泣してそれに従う。(礼記)

これは父子関係を先天的なものとして君臣関係に優先させる顕著な例。

(相手が親でも君主でも間違っていたら正すように言わないといけないのが儒教。
相手が君主など上司なら去れだから、臣下であることをやめよ、会社なら辞めよって教え)

忠孝を一致させようとした議論もなかったわけではない。
忠孝一致論は中国より日本で目立つ。
特に明治時代以後、天皇を頂点にする一君万民論のもとで、日本の美風として強調された。
天皇は日本国民の祖であり、同時に日本国民の主なのである。

忠孝重ね合わせ議論は、中江藤樹(十七世紀)のように孝でくくる場合と、
儒家神道のように忠に統括していく場合がある。
君主を三度諫めて聞き入れられなければそこを去るが、
親の場合には従うとすることについて、
儒家神道では天皇への絶対服従の立場から永遠の臣従を強調することさえある。(吉川従長)
この議論は、君のために不義も行い、そのために自分や子孫が汚名を受けても顧みないとする。
君とともに不義を行った結果身が亡んでも悔いないとする。
君が不義を続けていても、諫言はするが君には仕えつづけるものであって、
中国のように不義を行う君と決別するという議論を否定する。

忠孝一致論は幕末の水戸学にも見られた。
(会沢正志斎『新論』1825年・文政8年、
藤田東湖『弘道館記述義』-弘化3年(1846年))
また近代以降は日本儒教の枠として顕彰(功績などを一般に知らせ、表彰すること)された
中国には家族よりも広く宗族があるが、国家全体が一家族という発想はなかった。

(父子と君臣の違いは先天的か後天的か。
先天的の方が優先なら実の両親が天皇より優先だが明治政府に都合が悪い。
天皇教に儒家神道が関わる。
忠に統括なら支配に都合がいい。
孝が最優先でない日本儒教は支配に都合がいい。
日本儒教は儒教カルトっぽい。
儒家和風キリスト教。
悪をなす君主から去れ=従うなを消して凶悪化。
水戸学=儒教カルト。
国家全体が一家族+天皇絶対
=全体主義。



マイナー哲学者bot? @minorquiz
12月8日

会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)…江戸末期の思想家。藤田幽谷の門下。藤田東湖と共に徳川斉昭を擁護し、教育者として弘道館の初代教授を務めたことで知られる。著書『新論』は「尊王攘夷論」を唱えたことで有名。晩年は徳川慶喜に開国を要求した『時務策』を提出し一部から「老耄」と揶揄された。


・諫言は儒教の重要要素。
もともと中国では天子の圧倒的尊貴を言いながら、
同時に臣下の権威が高く説かれることもある。
臣下が皇帝を教導したり諫めたりすることを認めるのも儒教の特色。
中国では諫官として専門の役職がおかれ、
これは官僚を監視する御史台とともに、宰相らの権力が及ばないのをたてまえとした。
中国では皇帝に直接ものを申せる官職が制度化されているのに対して、
日本では置かれなかった。
しかし諫言は日本儒教においても臣下の必須の義務とされたのであって、
日本の古代や中世において儒教が話題になるときは諫言が問題になる場合が目立つ。
近世でもこのような話がある。徳川家康にある家来が諫言したとき、家康はうなずいて聞いていた。
その家来が去った後、ある臣下がなぜあのような凡庸な内容に耳を貸すのか質問したところ、
家康はそれはわかっているが耳を貸す姿勢が重要だと答えた。
(室鳩巣、『先哲叢談』直諫は一番槍より難し)
儒教は王者が諫言を聞き入れる態度を求める。

ただ臣下全員が諫言していてはかえって無秩序になる。そこで家老職などの上位者だけが諫言すべきであるという議論もあった。
葉隠でも主君にもの申すには出世しなければいけないという現実的なところも見せているし、
近年の研究だと、葉隠には一方的な服従ではなく諫言によって主君を啓発する姿勢があるという。

( 峨骨@Chimaera925
2016年1月11日

葉隠は面白かったな。主君に好感持たれる顔付きになる為に蟄居して日がな鏡とにらめっこした作者。いつも爪を磨いて綺麗にして、血色良く見せる為の頬紅(チーク)はいつも懐に忍ばせておく等々、愛され武士になる為のテクニックや(女色より高尚とされる)男色のお作法なんか書いてあるし。
0件の返信 9件のリツイート 5 いいね

ストラテさんがいいねしました
峨骨? @Chimaera925
2014年4月28日
返信先: @Kohakunotamagoさん

@Kohakunotamago その武士道で有名な葉隠を何人が読んだ事あるんだろうな。武士道における衆道の心得とかも書いてあったけど身も蓋も無い話、「上司に愛される部下になる為の自己啓発」本だぞ。自分がサムライだとか言う奴らって男色家って事でOKなんだよな?
1件の返信 9件のリツイート 7 いいね
峨骨? @Chimaera925
2012年11月5日

名利薄き士は多分えせ者になって人を罵り、高慢にして益に立たず、名利深き者には劣るなり。今日の用にたたざるなり。  葉隠より
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峨骨? @Chimaera925
2011年12月19日

アメリカ陸軍 サバイバル・マニュアル、スイス民間防衛、ロートレアモン全集、悪徳の栄え、論理哲学論、葉隠、SAS特殊部隊式・実践格闘術ハンドブック、我が闘争、ヒトラーとの対話 #他の人の本棚には無い本晒せ
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また臣下から君主に働きかけるものとしては、
王者を教育する帝王学に儒教が使われたことも重要。
帝王学とは帝王に徳治政治を身に体させるものであって、皇帝にとっては重荷であった。
北宋の哲宗の教師であった程頤(ていい)、
南宋の寧宗の教師でもあった朱熹はともに皇帝からうとまれた。
ただ帝王がこのような教育を受けることは臣下たちにとっては好ましいことであって、
帝王学として朱子学などの道学は当時の士大夫たちにアピールしたのである。
儒教は単なる上位者への単純な服従を説く教説ではない。
君主への忠誠を要求しながら、同時に君主に対して諫言や教育を行い、
後述するように天災をもとに君主の反省を求める思想でもあった。

・殉死で言われる、二君に仕えずは文字通り二人の君主に仕えないことである。
中国での二姓に仕えず、つまり二つの王朝に仕えないことで意味が異なる。
中国ではきちんとしたお世継ぎがいるのに君主の死に殉死することは考えられないことであって、
お世継ぎが新たな君主になればそれに仕えていくことこそ忠。
明などでは皇帝や王の死に際し宮女を殉死させたことはある。

日本の儒者たちは必ずしも殉死に肯定的ではなかった。
山鹿素行は
「殉死して終わるのは容易であって世に多いが、
常に君を諫め戒めて君を助け民を救うのは困難。
ただ死ぬことは忠勤ではない。」と殉死をはっきりと否定。

厳格な朱子学者の山崎闇斎も同様に言う。
「色欲は女色のみではない。男色のわざわいは長い。…近頃いよいよ流行してきて、
追腹(切腹による殉死)する者が、それにつれて盛んになってきた。無見識なことである」(『大和小学』明倫第二)。

山本博文氏は、主君に対する殉死はそのために家がよい待遇を受けるようにという打算から来るいわゆる「あきないばら」ばかりではなく、
それ以上に積極的に死に赴いたという。
しかも君主に拝謁したこともない下級武士に多く、それは一種の男だてであったらしい。
有名な赤穂浪士も下級武士が多いように、よほど優れた君主でないかぎり、主君は身近にいるより距離があった方が忠誠の対象としてあこがれを持ちやすいという事情もあったかもしれない。

(君主と簡単に会えないほうがあこがれが増し、
身近でよく会うほど神っぽさが薄まるなら、
神は一切姿を現さず人間と接触しないのが最善となる。
実在しない神なら絶対に会えないので最適)


儒教は同性愛を否定する。
儒教における性愛では子を作り子孫を維持することが重要であるのに対し、
同性愛は子づくりと関係なく快楽を自己目的的に追及するからである。
儒教では子を作り子孫を維持することが孝。
儒者たちは意外なほど殉死に冷淡。
武士の慣習では男色は認められている行為であったが、
儒教はそれを否定し、また殉死があまりに情緒的で規律を破壊することに批判的だった。

山鹿素行の議論を読むと、主君個人より藩などの組織に対する忠誠が浮かび上がってくる。
このような例は江戸時代では他でも目につき、たとえば主君「押込」ということさえも行われた。
押込とは主君が無能あるいは非道ならば主君を押し込めて別の主君をたてるということであり、
重要なのはそれがある程度まで公認されていたことである。

室鳩巣
「君主にかわる人を選ぶときは親疎の別なく平生の行いを考えて善し悪しを決めるのは、
家老、頭分たる者が合議すべきことである」

伝・黒田長政
「子孫に至り、不義・放逸ばかりにうつつをぬかし、
諫めを聞き入れず、勝手気ままで掟を守らず、
みだりに財宝を費やす者があれば、
家老中申し合わせ、その者を退け、
子孫の内から人柄を選んで主君とし、国家を存続させるべき」

中国ではどうか。
黄宗義は君主の言うことに盲従するだけでは君主の僕妾であり、
公ということで仕えれば君主の師友であるとし、
古代の聖天子はは天下を私物化しなかったが、
後世の皇帝たちは天下を自己の財産と見なし歴代相続し続けたとまで言った。
王家にではなく公に対する忠誠心とでもいうものがある。
忠は組織や社会に向けられることもあったが、
さりとて君主の存在は必須の前提としているのであって、そこが近代政体とは異なる。
また君主という人格があってこそ忠に対する実感が持ちうるという心理があることも見逃してはならないであろう。

たとえば忠という道徳が成り立つうえでは、忠をめぐる歴史や物語が大きく貢献する。
これは世界共通であって、幾多の史書や叙事詩や悲劇、さらには美術や音楽が題材にしてきた。
このような物語は臣下と君主の情の通じ合いが前提となることが多いのであって、
忠の思想の説得力にはこの意味でも君主の存在が必須になる。
もし君主が不在で組織のみへの忠誠であれば、
それは例えば愛国心というような形となる。
愛国心は近代の産物と言われるが、「国」とは時の政権とか政治組織とかでは説得力は持ちえず、
国民とか国土とかを持ち出しても抽象的にすぎる。
その近代の政体であっても、象徴的であれ国王とかカリスマ化された指導者とか、
建国の物語や理念がこめられた国歌や国旗などの視聴覚に訴えるものが国と重ね合わされ、
忠のリアリティーが増す。

(君主が生身の人間でなくても、君主制は成立するってことじゃん。
民主主義も実質君主制。国が神にして君主)


・貞は男についても使用されたが、妻が夫に献身する道徳として定着した。
貞はフェミニズムで攻撃の対象になっている道徳であって、
それに先立ち明治時代で儒教批判を展開した福沢諭吉などは当然としても、
西村茂樹のような儒教に比較的好意的な人物も儒教の問題点として男尊女卑を挙げている。
福沢が批判したのは江戸時代の貝原益軒に擬せられた女大学であり、封建的女性観を端的に示すものとして名高い。
中国近代でも多数の貞に対する批判があるが、有名なものとして魯迅の「私の貞烈観」をあげておく。
儒教の現代的意義を説く論者もこのような女性観については修正の必要を認めている場合がある。

(お札に書かれる人ってロクなのがいないな。
 本人はまともでも身内や先祖が支配層側だったり。

諭吉の脱亜論は典型的な欧米の植民支配技術である隣国と仲たがいさせよを実行せよってことで、
欧米の利益のため。
しかも売春婦を輸出して金を稼げって天皇家に進言し、しかも採用される。
最低最悪だ。
全然女性を尊重していない。

Sylvia_ginno? @Sylvia_silvers
7月12日

かの有名な福沢諭吉さんは人は平等ではないと説いたのに、今や人は平等だと説いたことになっておられる。
何故なのか

高橋あきこ? @Tyositugu
5月2日

福沢諭吉 人の上に人をつくらず 人の下に人をつくらず とも言えり・・・
と言ったのです。”とも言えり” ここが結構大切 人はみな平等と考えた人ではない。他人の言葉を言っただけ 実際は差別主義者 経済第一・・。正に今の政権そのもの 本当に真実を知るのには時間が必要です。

damas? @damasidamasare
2015年12月9日

元祖「ヘイトスピーカー」で元祖「新自由主義者」の福沢諭吉の実像に迫る
「福沢が平等を説いたのは、あくまで中産階級に属する男性に限定してのことであって、農民や職工、さらに女性に対しては、徹底した差別主義者だったという」(IWJ)
:奴隷制度を基盤とした古代ギリシャ型民主主義と同じ

S ・Kuroda? @kuroda06sayuri
2015年8月1日

売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行しました。(福沢諭吉全集 第15巻)"
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Mr.カトー? @Mrkat0
2013年9月6日

天皇家と三菱と福沢諭吉 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280559&g=123203 … 明治維新により富国強兵を進めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入したが、支払資金が不足していた。そこで福沢諭吉は「賤業婦人(売春婦)の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」と天皇に進言。⇒「からゆきさん」)


儒教で夫が一方的に離縁できるものと思われているが、
実際には規制を設けている。
離婚してもよいのは、
父母に逆らう、
子がない、
淫乱、
嫉妬深い、
悪疾がある、
おしゃべり、
竊盗(せっとう。窃盗)するという七つの場合であり、
七去という。

離婚してはならないのは、
帰る家がない、
三年の喪に服している、
前は貧しかったが後に富貴になった、
という三つの場合であって、
三不去と呼ばれる。

結婚に関しても
五不取といって、
五つの女子を娶らない場合がある。
逆族の家、
罪人を出した家、
悪疾のある家、
男やもめの長女である。
最後のケースは母親の教を十分に受ける機会がないからだという。

中国や朝鮮では再婚は厳しく咎められた。
忠君は二君に仕えず、貞女は二夫に変えない。
程頤(ていい)は未亡人が飢え死にしても再婚すべきではないとまで言った。

それに対して日本では再婚が多く、熊川蕃山などは堂々と肯定までしている。


・朋友関係に関するものでは、
師友という言い方があるように、
儒教では師弟関係も重要。
孔子の学団においては家柄や血縁よりも学問や徳行の優劣によって序列が定められ、外の世界と別世界を築いていた。
そこでの師弟関係と朋友関係は中国史上において画期的だった。
論語の朋の遠方より来たるありの意味は、
学問の場においては血縁や地縁と関係ない遠方から、
学問のみによって結びついて朋が参集するということであった。

・儒者は問題解決の際に、
経書の語句を随時典拠として解決を図るが、
経書の内容の雑多性ゆえに時に儒者によって意見が食い違う。
逆に言えば儒教の幅にゆとりを持たせ、儒教の硬直化を防いできた。

・儒教で重要な徳に中庸がある。
中には
状況の応じて過不及がない中央に位置することと
不動の中心に中(あた)ることという両方の意味がある。

庸=平常とか恒常。


・儒教の価値の源泉は天。
天には単なる天空の意味もあることと、
一定の方向性は確かにあるが神格はないことが重要。
ただ天の神の存在をうかがわせる例もある。
天の神は天帝とか上帝とかよばれる。
天が具体的せりふを発することはない。
論語に「天は何を語っていようか」とあり、
天は文字通り無口であって、
基本的には天帝の意志は自然界や人間界の動向の中に現れるのみ。

書経に
「天はそこで禹(う)に洪範九疇(こうはんきゅうちゅう。九条の天地の大法)を賜った」
とあるが天帝が与えた具体的描写はない。
物言わぬ天は仏典や聖書やコーランの物言う神と対比すると特色がよくわかる。

天には天の神、天空、自然、自然界の理法という複数の意味が含まれる。
天に人格的要素が希薄なのは経書に神話が乏しいことにも現れている。
中国古代の神話世界を語る場合には『楚辞』や山海経だのが持ち出されるが、
正統的な儒教の経書にはきわめて少なく、おそらく古代信仰の残滓と思われる経書に時として見える神格の加護にしても、
体系化されて示されているわけではない。
中国古代で神話がなかったわけではなく、
ギリシャ・ローマや日本のように神話が体系化され経典化されなかったことが重要だという指摘があるが、
神話を儒教があまり必要としなかったのは確か。
明末に中国で布教したイエズス会の宣教師は
キリスト教の神と儒教の上帝を重ね合わせ、儒教と結んで仏教を叩こうとしたが、
それが可能だったのは儒教における神話の乏しさがキリスト教の聖書と儒教の経書の内容調停を比較的容易にしたからである。
儒教に神話が多ければ聖書の奇跡との内容のつじつまをあわせなければならなかったであろう。
天を統一的に説明するには天を超えた高次元の原理や神格を持ち出すのが自然に思えるが、
儒教ではそうしなかった。


(本当にイエズス会は仏教が嫌いだな。
キリスト教は反仏教という点で儒教と組めるから、
廃仏毀釈側に儒教・儒家神道勢力がいる)

天の機能で重要なのは、
天の意向で道徳内容が変更されることがないこと。
日常の道徳を順守することが天の実現なのであって、
いかなるときも天は道徳の内容の変更を要求することはない。
親への孝は天は絶対に否定しない。
キリスト教の神が親をも超えて命を降すのとは異なる。
天とはそれ自体が特別な意味を持つことよりも、
事物の自然な状態こそが理想的状態であること、
そして道徳とは人間にとっての自然な状態であることを権威づけるために機能している。
この自然は現状追認ではなく本来的ありかたとしてのもの。
自然が理想的状態である以上、
キリスト教の造物主のようなそれを超えたものは必要とされず、
イエズス会のマテオ・リッチは嘆じている。
天があるゆえに天より高次の神格は登場しえず、時に過度な宗教的要素が入り込む防波堤になる。

(形而上の教義を防止する策がすごい)

儒教の主流としては天人相関思想であり柱であるが、
天人分離を唱えた人もいる。
天神分離を唱えた荀子だが単純に天を無視するのではなく、
天を必要以上に人為に介入させない態度。
北宋の欧陽脩は天を過度に重視することを戒め、
続く王安石は天を敬いはするが政治原理とすることは否定。
例えば災害があるのが失政のせいだとすれば、
聖人天子である舜(しゅん)の御代に禹が黄河の氾濫を治め功績をあげたのはおかしいことになる。
禹が成人で完璧な統治をしていたのであれば黄河の氾濫という天災はありえないはずだからである。
天人相関思想が儒教の柱なのは、天子であることの根拠に天命が降ったということがあるのが大きい。
実際には武力統一でも理論上は天命を受けたことになるので、
天と人を切り離してしまうと天子たる正当性の保証を得難くなるからである。

天が具体的な災害を降して人間を譴責する思想
=天譴思想
=政治の良し悪しが自然の運行にまでも作用する思想は皇帝に警告を与えるきっかけを提供する。
自然界の天候不順はしばしば起こるのが普通で、
そのたびに政治のチェックを恒常化させることになるからである。
天を借りて野放図に広がる皇帝権力を抑制する効果も持った。


(人権は仏性とかグノーシスの内在する神性とかストア派の理性とかの言い換え。
人権はゴッドから与えられる。
人権人権うるさい世俗主義者=ライシテ教信者に言ったら発狂しそう。




・養子の否定
故人の子供が神主に対して礼拝すると子供の気が発して位牌にある故人の魂と感応する。
中国や朝鮮では養子を忌避する。
それは親の気がこに伝わるゆえに親と子は気が同じであって(父子一気)、
それゆえ子の気に故人の気が感応できるからである。
養子では気が異なってしまうので感応できない。
どうしても子供ができないときは甥を養子にするが、
それは甥ならば気はつながっているからである。
中国では男子を生むのを必須とする。
女子は嫁に行き実家の祭祀には参加できない。
血のつながった男子を代々産み、祭祀を継続させることこそ、
父祖の魂の活性化を保証する。
男子がいなくなれば礼拝してくれる者がいなくなり、
それゆえ故人の魂も反応のしようがなく、無と同じになってしまう。

「不孝に三種類がある。
その中では後継ぎがいないのが最も大きい」『孟子』
というように、男子を作れないのが最大の不幸であるのは、
男子の祭祀が途絶えると、
自分も自分の父祖も魂が活性化できなくなるから。
なお日本では平気で養子をとる。

(ふと思ったが儒教で性転換手術はどうなのだろう。
特に女から男への。
イランはシーア派で同性愛禁止だが、性転換手術はOKらしい。



に反する?)


・死の物理的説明

始祖以外は新しい神主のように個別には礼拝されない。
つまり実際には限りなく無に接近していく。
それでも痕跡は必ず残るとは言うが。
儒教は死後の世界も、魂の再生も語らないし、天国も地獄もないし、
あの世の具体的描写もないし、輪廻転生のような生まれ変わりもないし、
道教のように永遠の不死を得ることも説かない。
死後も魂の存続は説くが、無に接近していくのそれに対しての心理的安定は得難い。
一方、自分の気は子孫に伝わっていき、そこに永遠性を感じることもあげられてきた。
自分の肉体は「父母の遺体」(父母が残した身体)である(礼記)。

身体髪膚は之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。(『孝経』開宗明義)
もこのような思想による。

経書の葬礼の理由づけは多くは生き残った者の倫理的態度に終始し、
死者の魂の鎮魂はあまり問題にされてない。
死者の魂が生きている人と同じように知覚を持っているかについて儒教はかなり曖昧。
たとえば『税苑(ぜいえん)』(『孔子家語』にも取り入れられている)では、
孔子が
「私が死者に知が有ると言うなら、親孝行な子や孫が生を軽んじ進んで死を送ることが懸念されよう。
もし知が無いと言うのなら、不孝な子や孫がうち棄てて葬式を出さないことが懸念されよう。
汝は死人に知が有るのかはたまた無いのかを知ろうとしているが、おいおい知ることになってもおそくはない」

『礼記』では
「孔子がいわれた、死を送る際に死んでしまっている(知覚が無い)ときめつけるのは不仁であってすべきではない。
死を送る際に、まだ生きている(知覚がある)ときめつけるのは不知であってしてはならない」。

知覚の有無自体よりもどちらかを採用した場合の効果の方を問題にしている議論であって類似内容は儒教のみならず、
墨子や韓非子にも見られる。

(儒教は霊魂に知覚があるかどうかには無記)

儒教では死の物理的説明は気の集散で背う…名する。
人間は気が集まって生まれ、散ずれば死ぬ。
(儒教以外、道家『荘子』にもある)
気=生命力的エネルギー。
気が散ずる
=魂と魄の分離。

鬼=霊魂。

儒教での死の恐怖への心理的克服の議論はあまりはっきりしない。

程頤(ていい)は自然になりきることで万物との一体を実現し常に万物と一つであることによって永遠性を獲得しようとした。
来世も再生も不死も説かない解決法であり一般人の生存欲をなだめるのにはかなり困難。

(魂魄論って、他の宗教から見たら、ひとりの肉体の中に二つのタマシイともとれるな)

論語に孔子の弟子の子路が鬼神に仕えることをたずねたとき、
孔子「まだ人につかえられないのに、どうして鬼につかえられようか」
子路はさらに死についてたずねた。
孔子「まだ生を知らないのにどうしか死を知ろうか」
と答え、
孔子は死について関心が低かったことになるし、
儒教は死の問題を語りたがらないとみなされてきた。

(オニじゃなくてキ=ゴースト!)

死の恐怖への心理的説明について儒教が弱い。
対して仏教は「無常迅速、生死事大」と言い、
死の問題を持ちだすことで勧誘し続けた。
宋以後儒教が活性化したが、仏教や道教が存続した原因の一つがここにある。
儒教にのっとり家廟で父祖の位牌を礼拝している士大夫たちも目前に死がちらつくときには寺院に足が向いた。

・陰陽五行は儒教に限定されていたわけではないが、
儒教ではこれ以外の原理を用いることは稀。
陰陽五行を説明原理にするのは、万物の構成原理の究明をつきつめていくよりも、
現実の事物の作用や運動の様態のほうに関心が向く中国的思考をよく反映しているといえよう。

中国のみならず近代以前のヨーロッパでも物質とエネルギーを分ける発想は乏しく万物の原質は時には物質、
時にはエネルギーとして立ち現れるものであった。

中国の自然理論による宇宙生成論は細胞分裂のように一気が分かれ、陰陽となり五行となり万物を生じていくもので、
造物主である神は登場しない。
イエズス会のマテオ・リッチは中国人は本当の無を知らないとしたがそれは中国の無が渾沌という意味だからだ。
枠組み無き渾沌たる世界は、枠組み無きゆえに個別認識が成り立たず、それゆえ無。
対してリッチは造物主である神が無から有を創造した神だから現在の世界にも超越的に関わるとした。
陰陽五行理論にのっとる限りキリスト教的な神観念の需要は困難をきたす。

(キリスト教って陰陽五行理論も嫌いそう、というか異教は全部悪魔だから嫌いだろう)

・仏教が道徳からの超越を説くのに対し、
儒教では道徳をそのまま天とし天以上のものは無いとして仏教を批判する。
天は道徳の権化。

(儒教は非常に社会構成力がある)

・儒教の性の説は四説が基本。

1 性善(孔子)
2 性悪(殉死)
3 性善悪混(揚雄)
4 性三品(韓愈)

さらに性無善悪(王安石、蘇軾(そしょく))がつけ加わる。
孟子の性善説は力による覇道ではなく徳によって統治する王道の提供の基礎理論。

論語では孔子が性と天について語られるのは聞くことができないとある。

荀子の性悪説は聖人を目標に学問することを説くのであり、
キリスト教的な原罪を説くものとはもとより異なる。
荀子は単なる生まれつきでは禽獣のようになってしまうから後天的努力により自己を向上させていくことを唱えるのであり、
後天的な礼楽の学習などの意義を説くために本性を低く見てはいるが、
人間の道徳的可能性自体は否定していない。
荀子は性=悪と決めつけてはいない。

性善悪混はは性には善悪が混ざっているとする。善を伸ばし悪を矯正する。
常識的と言え、儒教でも異端ではない。
が、揚雄が簒奪者の王莽につかえたことが評価に及ぶ。
中国では善い思想は立派な賢人にしか語りえないとみる。
(悪をなした者が言うことは悪って詭弁だよ)

性三品説はすでに漢代にあったが、
有名なのは唐の韓愈の原性で、これには性には性善、性善悪混、性悪の三段階(三品)があり、
圧倒的多数は中間の善悪混在なのでその人々を儒教で善へ導くことを説く。
韓愈は当時隆盛していた仏教の仏性論を意識していた。
仏性論では人間はみな仏としての本性を持っている一種の性善説で、
それに対抗して儒教道徳の意義を説く必要があった。

性無善悪(王安石、蘇軾(そしょく))は性自体には善悪が言えないというもの。
なぜなら善悪は心がいかに動くかについて言われるので、
心がまだ動いていない性の段階で善悪を言うのは無意味だから。
王安石は性善説もとりつつ、善は人間の営為や環境の力を借りなければ顕現しないし、
性自体は操作できないのだから、
善悪が無いのと同じだとする。

蘇軾(そしょく)は人間が自己認識できないブラックボックスが性だとする。
欧陽脩のように性が善でも悪でも混ざっていても儒教道徳を学習する必要はあるのだから性説の乱立は混乱の種を作るだけだというものもある。
最終的に力を持ったのは性善説。特に朱子学や陽明学は徹底した性善説。

孟子は万人が聖人になれるという一貫した主張を展開しない。
朱子学や陽明学だと万人に聖人に向かって歩むよう求めるので、仏教特に禅宗の影響がある。
仏教ではみな仏になる(悉皆成仏)を説くがその仏が聖人に置き替えられた形なのである。
万人が聖人と同じ心境になるとは人間における天の実現でありこれ以上はないとする。
他宗教でいえば神にまごう存在となるのであり他宗教との違いがわかる。

・儒教の天と一般的な宗教の神との違いは、
儒教関連の文章で天と神を置き換えた違和感からも理解される。
儒教の天の特質は、道徳以上のものを持ち込めないように作用することである。
天の名のもとに道徳が変更されることもない。
忠孝の根拠に天が言われる場合、天は忠孝の絶対性を言うためであって、
天が忠孝を左右することはないのが、キリスト教と異なる。
キリスト教でもモーゼの十戒のように親へ孝を尽くすことが出て来るが、神はそれを超えた存在なのである。
対して、儒教は孝の価値を弱める存在は認めない。
天の意志と孝が矛盾する事態などは最初から想定しない。
明末に中国へ布教したマテオ・リッチは中国人向けの著作の中で、
「子が上の命(神の命)に聴くのであれば、
下(父)に逆らっても孝であるのを損なわない」と、
子が神の命令に従うときは父に逆らっても孝であると明言。
新約聖書の使徒行伝の「人に従うよりは神に従う」という立場は儒教とは対立せざるをえないものであった。
儒教の人倫主義は、人倫を超えた権威を見ないことであり、
天はひたすら人倫の権威を保証する。

・儒教の個人の祭祀で重要なのは直接に天に対するものではなく、
父祖の霊を対象にする祭祀。
父祖の対する祭祀に先行するものとして親の葬礼があり、
この葬礼と祭礼は礼の中でとりわけ重要なものであった。
そもそも礼の中に祭祀が含まれていること自体が、儒教の宗教性を論ずることを困難にしている。
これは祭祀を礼という日常に引きずり下ろしているとも、
日常の礼を宗教化しているともとれる。

もともと宗教は深く死とかかわる。
隠れキリシタンが発覚したときは、しばしば葬儀の特異さが見咎められたのが発端だった。
どの宗教の信者かは葬儀で見当がつく。
それこそが宗教としてゆずれないからである。

儒教は遺体を部屋の中に安置し、すぐには地中に埋葬しない。
埋葬の前に位牌を作る。この位牌は「神主」や「木主」という。
遺体の霊魂は魂と魄に分かれ、
魂は天に上り空中を飛んで神主に宿り、
魄は大地に帰っていく。
家には廟を作り、そこに神主を置いておくと魂が宿る。
中国人は墓を盛大に作りたがるが、祭祀の中心はむしろ神主(位牌)。
人体には魂魄があり、
魂は陽の気、
魄は陰の気である。
魂は感覚器官や心の活発な作用で、
魄は記憶など沈潜していく作用と作用の母体。

「人が思慮し計れるのは魂のなせるわざ。
記憶し弁別できるのは魄のなせるわざ」『朱子語類』

陽である魂は軽く上昇し神主に移す。
陰の気である魄は重く地にしみこんでいく。
魂が乗り移った神主が家廟に安置されることになり、
礼拝の対象は主として家廟にある神主となる。

遺体を墓に埋葬して帰宅し、
その日の内に「虞(ぐ)」という祭りを行う。
喪主以下みな沐浴して供え物をし、
祝が神主を座等に出して主人以下は見な入哭し、
神(死者の魂)をそこにおろす。







火葬するにしても遺体燃やすなんて燃料が非常に嵩むからな。ファンタジーなんかでたまに見られる丸太を組んで遺体を置いて点火なんてやり方だと火力がいまいちだろう。少ない燃料で効率的に燃やす技術が無いと、コストが嵩んでなかなか一般化しないわな。現代の方式は明治以降の産物だろうけど。




・明末の李贄(りし)
は強い欲望肯定と既成の価値観への批判で有名。
衣食住に関わる日常の欲望こそが道徳。
童心説にて幼児の心こそが聖人の心であり、
幼児が成長過程で経書の学習だとを強要され本来の心を失い既成価値観で心を支配されてしまった。
経学批判までしているので儒教と言えるのであろうかということになるが、
李贄(りし)は伝統的儒教的発言もしているので総体として儒者。
李贄(りし)の愛読者が吉田松陰なのは有名

(儒教の異端派のリシが吉田松陰に大きな影響。

昭和最大の黒幕と呼ばれた(時点で黒幕じゃないだろ)安岡正篤は陽明学者で、
紅卍と大本教と仲良しなのはなぜか気になっていたが、
陽明学はキリスト教と親和性があり、
新キリスト教を作りやすいという記事発見。
吉田松陰が陽明学者なのも優遇の理由だろう。



世界はうまくいくようにできている:三分でわかる陽明学
http://sumioka-history.blog.jp/archives/8209743.html
陽明学は、世界は本来は善なる世界を維持する、という楽観的な天下性善説なので、
世界は本来は善になっていくように神が創造した、というキリスト教の摂理説とも相性がよく、
万民一体の仁はそのままその博愛の精神と重なり、
致良知は、回心し霊として生きる、という話とつながった。
同様に、このキリスト教の摂理説を踏襲しているレッセフェール(なすにまかせよ)の社会や経済の自由主義とも、陽明学は相性がよかった。

くわえて、朱子学があくまで自分自身を中華とし、外野や庶民の現実を雑音として徹底的に排除することを旨として、近代化のきっかけを逃したのに対し、
陽明学は、すべての事象を天理の一端として自分に取り込むことに努めたことによって、時代の変化の波をうまく受け入れることができた。


 ただし、朱子学は、学べばだれでも天下取りの聖人君主になれる、とするのに対し、
陽明学は、あくまでもともと天下人である者の、天下人としての心得、つまり帝王学であって、なんの政治的配慮の権限も無い、そこらの庶民が高名な政治家たちの顰みをまねて陽明学なんかやったところで、茶番になるだけ。くわえて、朱子学は八条目の階梯を順を追って修養していけばいいが、陽明学はいきなり、万物万民一体の仁を養う、などという、どう考えても天賦の才なしにはできないような超人的なことを要求する。


 万物万民一体の仁もないくせに、基本の朱子学を侮って最初から陽明学なんかに心酔すると、自分の感情的な独善を天理とかってに誤解し、それに変に確信を持って強引に実現しようとする偏狭なテロリストになってしまう。陽明学は、生まれながらに天下人になるべく中庸中正の感覚を全身に叩き込まれてきた文字通りの本物のエリートのためのもの。そうでないなら、まずきちんと朱子学を学んで中庸中正の感覚を身につけてからにした方がいい。”)


・儒教は学派はあっても統一的宗教的組織がない。
仏教のように師の認可が不要なので経書に典拠が得られれば儒者。

士大夫(官僚および官僚予備軍)は読書人であった。
読書の書とは漢文。

漢文の権威は仏教にも影響。
原テキストではなく漢訳経典が漢字文化圏では使用された。

・礼の最重要条件は
①聖人あるいは王者が規定した

②内容が天下に一律

③万人に内容がいきわたる

④忠孝思想と背馳しない

礼はもともと士大夫が行うものであった。

・孔子廟にたいてい孔子像がない。置かれることもある。
それ以外の場所にも少ない。
画像や彫刻が崇拝対象にならない。

儒教の美術、芸術作品としての音楽、文学は発達しなかった。
儒教が天上や来世へのあこがれと無縁なのが大きく作用。
儒教は小説や戯曲の類よりも歴史書の方が重要。

・徳治主義

官僚の徳の所有を証明するのは経書学習。
有徳者に天命が降るとしたので天子であること自体が有徳の証とされた。

・革命
民心の動向が天の意志の現れであり、民が王から離反し、別の人間を推戴したらその王を討伐して政権を取ってもよい。
倒される側が極悪人で、倒す側が聖人なのが必須条件。
孟子は、仁者や義者を弾圧し傷つける者は一夫(一介の男)にすぎず、
一夫を誅殺しても君主を弑殺してはいないと答えている。
(天子の資格無き君主を殺してもOK)
孟子の革命説は警戒された。
司馬光は孟子を否定した。

・日本で三年の喪を一年前後によいとしたのは中国と朝鮮儒教からすれば信じがたいことだった。

・儒教の日本的展開に儒家神道がある。
仏教、儒教、道教の三者合一思想はあったが、あくまで三つの教の存在を前提とする。
(三一教のように限りなく一体化させるものもないではないが)
三教が心の場で合一する議論が基調だったように、
共存の傾向を見るべき。
(帰一ではない)
対して、
儒家神道は儒教と神道が当初から一つの教説として合体しているのであり、
継続的にかなりの勢力を持ったことが重要。
神道家が儒教を導入するのは誅しえ伊勢神道から始まり、仏教からの脱皮の意志があった。
儒家神道の儒教とは朱子学のこと。

朱子学の正統論は全国を統一して二代続けば地方政権でも正統王朝と認定する。
日本では朝廷が正統となる。
忠誠対象を一元化する正統論が適用されることで尊王主義が浮上。
天皇が代々継承する三種の神器が儒教の徳の象徴とされたことが、
道の継承である道統論を引きずり込んだ。
道統とは、古代の聖王の道が孔子に伝えられ、弟子から弟子へと伝わり、
孟子以後は絶えてしまうが、北宋の周敦頤や二程兄弟(程顥と程頤)によって明らかにされたというもの。

江戸時代に広く見られるのは神器の鏡、玉、剣を
礼記の知、仁、勇にあてはめる類。
(林羅山、山崎闇斎、山鹿素行、先駆は北畠親房の神皇正統記)。
皇室が正統と道統をあわせもつ皇統論が出現。
(三種の神器の元ネタは道教なのに。
天皇論に道統論を入れることで仏教排除を狙ったのだろう)

・日本で仏教だと思われている位牌は儒教のもの。
宋代頃に禅宗が位牌として取り入れたものが南北朝時代あたりに日本に渡来。
位牌が普及したの江戸時代中期と言われる。
自覚されない儒教。

・朝鮮儒教は中国儒教を忠実に行おうとした。

・漢字の効用
漢字の造語力に注目。
西欧近代の学術用語や専門用語が漢語に訳され、
現在でも使われ、
中国にも輸入された。
翻訳にたよることは自国語を保存することであって、
漢字文化圏は自国語を保存している地域。
自国語の保存は言語に組み込まれた文化を自然に継承することを可能にしている。
漢文教育廃止論も明治から存在した。
主唱者の中には現在視点では保守系がかなりいる。
富国強兵、国家独立のためにいちはやく西欧文明の導入が必要でありそのために西欧言語の習得に引っ張っていかなければならなかった。
実は近代になっても漢文は意外と隆盛していた。

(漢字廃止しろと言っている奴が西洋の手先ばかりである理由)

・安岡正篤氏のような政治家のご意見番のような場合、
政治家の意に逆らって諫言したのかが問われる。

丸山真男
「日本では近代以後、儒教的一君万民を標榜しながらも
諫言という君主への批判が欠落していく」

この現象は吉田神道における天皇への永遠の臣従という心性を反映しているのか、
近代日本が儒教のうち合わない部分を捨て去った結果なのかは検討が必要。
諫言なしには儒教は単なる政権の美化の道具でしかなくなる。

(諫言=悪をなす君主を止めるを抜いたら儒教カルト。
儒教の最高原理は天=道徳の権化。
天はゴッドであり忠孝を創ったとか、
天より上のゴッドがいるとか言っているなら儒教ではなく、
キリスト教化された儒教カルト。
日本であれだけ和風で覆って中身がキリスト教なのを隠した和風キリスト教があるのだから、
中国でも儒教や道教で覆った中国風キリスト教が紅卍以外にも大量にあるのだろう。

儒教は原罪否定で基本は性善説で、性悪説も後天的教育でなんとかなるって思想なので結局は性善説。
耶蘇は儒教の性善説も嫌い。原罪否定だから。


葬儀は信者にとって譲れない点なのは重要。
骨の髄までカトリック信者のロヨラのお墓は明確にカトリック式でありユダヤ教式ではない。
イエズス会の本部が置かれたイタリア・ローマのジェズ教会には悪魔の彫刻があり
神、仏、阿弥陀、釈迦が悪魔に含まれている。
今もあるのでいかに仏教に日本での布教=侵略を邪魔されたことを恨んでいるかがわかる↓

加賀百万石異聞・高山右近 - 北國新聞社
「天地創造」に拒否反応 かみ合わない宗教観
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon23.html
”北國新聞朝刊(2002/08/13付)
~ 神と悪魔 ~
「天地創造」に拒否反応 かみ合わない宗教観

カトリックの総本山で世界最大の教会「サン・ピエトロ大聖堂」内部。世界中から多 くの観光客や信者が集まる=バチカン市国
 イエズス会の本部が置かれたイタリア・ローマのジェズ教会には、奇妙な形をした彫刻がある。同会創立者のイグナチウス・デ・ロヨラ像が威風堂々と立つ傍らに、踏みつけにされ、打ちひしがれた悪魔の彫刻である。
 その悪魔の一部には、こんな文字が刻まれている。
 「Cames(神)、Fotoques(仏)Amidas(阿弥陀)、Xaca(釈迦)」
 ローマ法皇に絶対服従を誓うイエズス会は、異教の神には一片の寛容も持ち合わせていなかった。日本人がキリスト教を受け入れないのは、神や仏という悪魔にたぶらかされ、真理を見る目を曇らせているからだと考えていたからである。「悪魔」として刻まれた神や仏の文字には、イエズス会の怨念(おんねん)がこめられているかのようだ。
高山右近をはじめとするキリシタン大名の領地で少なからぬ信者を獲得したとはいえ、大方の日本人は、キリスト教を受け入れなかった。キリスト教徒が人口のわずか1%以下に過ぎない現代日本の姿と見事に符合するわけを、小堀桂一郎・東大名誉教授の評論「キリスト教創造主と日本の神々」を手引きに考えてみたい。
 まず、当時の日本の知識人は、キリスト教をどうとらえていたかである。時代はやや下るが、江戸中期の碩学、新井白石は、密航で捕らえられたイタリア人宣教師シドチを訊問した。白石は、訊問に際し、西洋の国情や文化、天文、地理などの科学知識について詳細に聞き出し、シドチの博覧強記ぶり、優れた西欧の学問水準に驚嘆した。このときの問答を元に、白石が書いた「西洋記聞」「采覧異言(さいらんいげん)」は鎖国下での貴重な西洋研究書である。
 だが、シドチがここぞとばかりに熱弁を振るったキリスト教の教義に関して、白石は冷笑をもって答えた。キリシタン禁制下ゆえに、白石が耳を貸さなかったからではない。シドチの説明があまりにも非論理的に思えたからである。それでもシドチが食い下がると、白石はこう反論した。
 「天地万物を創造したデウスがいるというなら、デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。デウスが自ら成り出でることができるものならば、天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」
 白石の反論は、右近の時代に庶民が宣教師たちに反駁(はんばく)した理屈と基本的に同じであり、現代を生きる非キリスト教徒の素朴な疑問とも共鳴し合う。西欧人と日本人の思考方法には、単なる宗教観の違いを超え、どこか決定的にかみ合わない部分があるのかもしれない。
 …
 秀吉の伴天連追放令のなかには、「宗教は8つも9つもあるのだから、どれを選んでもよい」との記述があり、宗教の選択権はあくまで人間の側にあると考える日本人の宗教観がここにも反映されている。
 数多いキリシタン大名のなかで、領国を捨ててまで信仰を貫いたのは右近だけである。イエズス会宣教師たちを感嘆させた右近の信仰心の篤さは何によって育まれ、根を下ろしたのか。その生きざまが日本人のなかのとびっきりの少数派であるがゆえに、右近は日本史のなかで異質な光彩を放って見えるのである。

●〔聖ザビエルの手紙〕
 日本人は、論理的思考を好みます。故に私が地球が丸いことや、雨の原因について説明すると、彼らは夢中になるのでした。しかし、私が「全能である神が、悪魔を含む全宇宙を創造した」と話しても彼らは納得しないのです。なぜ、善である神が、悪魔を創造したのか?全能である神が、人間をこれほど弱く、罪を犯しやすいように造ったのか?このように質問してくるのです。(1552年1月29日付)”


イエズス会の上智大学の教学支援システム「Loyola」はロヨラが由来。


ヘブン状態のロードさん? @kusarimizu
2イエズス会自体も日本人の知的レベルが高くて布教が思うように進まなかったから
Cames(神)、Fotoques(仏)、Amidas(阿弥陀)、Xaca(釈迦)って悪魔を踏み付ける聖人の像を建立するくらいに憎んでいたという…。

ああ、「Cames(神)、Fotoques(仏)Amidas(阿弥陀)、Xaca(釈迦)」とかいう悪魔をデッチ上げた、イエズス会の日本侵略担当は五体解体されてるのか。日本人的には爆笑するところだけど、クリスチャンが偶像崇拝ってどうなんだろうね。

我乱堂? @SagamiNoriaki
2012年3月3日

昨日『ロヨラの聖イグナチオのお墓には、悪魔が踏みにじられているレリーフがあるそうですが、その中には「Cames, Fotoques, Amidas, Xaca」が含まれているそうです』とか聞いたが、なんのことか解らなんだ。聞くと『日本語のカミ、ホトケ、アミダ、シャカ』だという…)



言売了感言射(エセ漢文)!